東方人鳥録 (ぽぽろっか)
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序説~何の意味も無いプロローグ~

―――全ては、あの日から始まった。

 

 いつも通りの朝。いつも通りの学校。いつも通りの友達とのバカ話。いつも通りの退屈な授業。いつも通りの昼下がり。いつも通りの居眠り。いつも通りの放課後。いつも通りの寄り道。言い始めたらキリがない。

 

 ただ、いつもと明確に違ったのが、空が紅く染まる夕暮れ時だった。

 

 下校途中に寄った本屋の帰り。特に何も買わずに面白そうな小説を流し読みしただけなので、荷物はほぼ空っぽのカバンのみ。沈み行く太陽の、それでもしぶとく発せられる太陽光線を体に浴びながら、家までの道をとぼとぼと歩いていた。

 

 その時だった。

 

「ねえ、お兄さん」

 

と、不意に背後から声をかけられたのだ。俺は特に何も考えずに振り向いた。

 

 そこにいたのは幼い少女、つまりは幼女。金色の長い髪に黒いドレスがよく栄える。

 

 この道は一本道でたった今通った所に誰かいるのはおかしいとか、こんな小さい子がこんな時間に一人で何をしているのかとか、さっきの言葉は十中八九この子が言ったのだろうけど、それにしてはこの頃の子ども特有の舌足らずな感じが無いなとか、どうして俺を呼び止めたのだろうかとか、色々疑問は浮かんできたものの、とりあえずそれを全部まとめて放り投げ、

 

「何か用かい、お嬢ちゃん」

 

 当たり前のように言葉を返した。

 ロリコンとペドフィリアを併発させているこの俺が、可愛らしい幼女に話しかけられて反応しない訳が無い。

 

 いやいやそれにしても、見れば見るほど愛らしい。まるでお人形さんみたいだ。本当に良く出来ている。

 …気持ち悪いくらいに。

 

「ねえ、お兄さん」

 

 もう一度少女が言う。どう見ても、彼女の唇は動いていないけど。

 

「好きな動物って、なに?」

 

 ……動物か………いきなり言われてもぱっと出てこないよな。無難に、犬猫とか言っとけばいいのか。もしくはこの場合、人間というやや変化球気味の回答は認められるのかどうか。

 

 くだらない事を考えて首を捻る俺を、お人形のような女の子はじっと見つめる。ガラス玉の瞳で見つめる。

 

 ふと、丁度横の塀にポスターが貼ってあるのに気付いた。今朝は無かったはずだから昼間にでも貼られたのだろう。近々オープンするという水族館のポスター。デフォルメされたキャラクターと動物の写真。……うん、これでいいか。

 

 ポスターに向けていた視線を少女に戻す。目を離しているうちに、もしかしたら消えてるんじゃないかなー、とも思ったがそんなことは無いらしい。

 

 まあそんなことはどうでもいいんだ。幼女の質問に答えよう。上手く誘導すれば一緒に水族館に行く事だって出来ないこともない。

 

「俺が好きな動物は、ペンギンだ」

 

「ペン…ギン?」

 

 こてんと首を傾ける幼女。これで首が外れたら面白いのに、なんて思いつつ、ポスターを指差して「これだよ」と教えてあげる。ふんふん、と確認するように写真を見て、幼女は、

 

「じゃあ、これでいい」

 

 言葉が終わると同時に幼女の姿は陽炎のように消え去り、そして、俺の視界に何も映らなくなった。

 

 

 

 



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1羽~ペンギン、大地に立つ~

 目の前で轟々と荒れ狂う雪。分厚い雲によって覆われた灰色の空。寒風に耐えるように身を寄せ合う黒白の羽毛たち。そしてその羽毛の足元で呆然とする灰色の俺。

 つまり、おっほん。

 

 ――目が覚めたら、体がペンギンになってしまっていた!

 

 ……てな感じです、はい。俺にもワケが分かりません。

 いや、犯人は分かっているんだ。犯人はあの幼女に違いない。おのれ、次会ったら胸揉んでやる。まあ、揉めるような体積も無いだろうけどな!

 

 おっと、話が逸れた。いけないいけない。現実逃避はひとまずやめよう。

 現状において確かなことは、俺の体が以前のものとは大きく違うということだ。視線が低すぎるし、手も小さい羽。歩こうにもチョコチョコとしか歩けない。ええい、もどかしい。

 

 上を見上げる。視界にこれまた小さい嘴が入るが無視。出来るだけ首を上に傾けると、どうにか他のペンギンたちの顔が見る。こんだけ高いって事は、俺はまだ雛ってことなんだな。

 というかペンギンがいるって事は、ここは南極ということになる。動物園とかじゃないってのはなんとなく、空気で分かる。

 

 …これは一体どういうことなのだろうか。人間からペンギンに。日本から南極に。どちらか一方でも有り得ないことなのに、それが同時に来るとか。冗談でも笑えない。精々苦笑いだ。

 さっきは軽い感じで「犯人は幼女」とか考えたけど、果たしてそれはどうなのだろうか。確かにおかしな幼女だったが、こんなことが出来るのだろうか。そして、俺をこんな目に遭わせた理由とは……?

 

「…………」

 

 …………無理。分からない。というか考えもつかない。さらに頭も回らない。お腹減った。

 考えるのは後からでも出来る。でも、この空腹はどうしようもないんだ。だから。名も知らぬ親よ、俺にご飯を!

 

 ぴーぴー鳴いてたら、何処からかやってきたお母さんらしきペンギンがミルクをくれました。お腹は膨れたけど、代わりに何か大切なものを無くした気がする………

 

 

                            ★

 

 

 ――ペンギンになって、永い年月が過ぎた……気がする。時計なんかねーから分かんねーんだよ。

 具体的な数字なんかは分からないが、まだ小さな雛だったペンギンが成長し、毛が生え変わり、番をつくり、そして新たな命を生む。このサイクルが優に200回ほど繰り返されるのを見てきたから、大体そのくらい。

 その間俺は何をしていたのかというと、まあ泳いだり、餌をとったり、適当に歩き回って探検したり、エンカウントしたシロクマやアザラシ、珍しいところではシャチなどと戦い、勝利しては肉を美味しく頂いたりしていた。

 

 ……いやさ、うん。おかしいのは俺も知ってる。仕方ないじゃん。他にすることもなかったんだから。一人ぼっちだったし。

 

 俺の事を周囲が不審に思い始めたのは、恐らくだが生まれてそこそこ日数が経った頃だと思う。他の子ペンギン達は体も成長し、早い固体では体の毛が生え変わっていた。対して俺は全くといっていいほど成長せず、いつまでも雛の状態に近かったのだ。

 

 ペンギンに限らず、野生の動物達というのは移動を繰り返す。外敵から身を守るために。サイズが小さい、つまりは歩幅が短い俺は、よほど頑張らなくては置いてけぼりにされてしまうのである。最初のうちは両親が助けに来てくれたが、親が老い、そして死んでしまうと、それでもまだ小さかった俺を迎えに来てくれるような奴はいなかった。俺は一人になっていた。

 

 そして、気付いた。当然のように天敵である動物に襲われた時、とにかく我武者羅にあがいていたら相手を殺していたことに。それが出来るほどの力があったことに。

 力がどのくらいかを知るため、同時に日々生きていく糧を得るため、俺は海に出た。滅茶苦茶すいすい泳げた。

 

 身体能力もさることながら、それとは別にもうひとつ、体の中に得体の知れない力があり、それは月日が過ぎていく度に強くなっていた。ある日思い切って、その力を体全体に流すようにしてみたところ、もう馬鹿みたいに強くなった。ドリルくちばしでシロクマを貫通できるほどに。

 

 それだけの力があったことが、俺が南極の過酷な生存競争を勝ちあがってこれた理由だろう。今ではもう、ここら辺の動物は俺を見るだけで怯えて逃げるくらいだ。俺も鬼ではない。立ち向かってこないというならこちらから追いかけることもしないのだ。

 

 強くなり、また強くなり。それでも成長が芳しくないマイボディにうんざりしていたが、ふと、思いついた。天啓ともいうべきか。

 

 そうだ、日本に行こう、と。

 

 うん。案外悪くない。今となってはペンギンの身だが、元はただのジャパニーズピーポーだったんだ。ここでやることが無いのなら、故郷に帰るのもいいではないか。

 雪原のど真ん中で座り込み、短い両羽を組んで考えていた俺は立ち上がり、俺の事を知らないのか、はたまた油断している今なら殺れると思ったのか、忍び足で歩み寄っていたアザラシを秒殺してその肉を腹にたらふく詰め込み、全速力で滑りながら海へと向かい、勢いを留めることなくダイブした。

 

 そして、泳いだ。適当に。そして、迷った。必然に。

 方角を確認しなかったのが敗因だったか、泳げども泳げども陸が見えてこない。3日間ほどあても無く泳ぎ続けてから、ようやく太陽を目印にすることを思いつき、さらに泳ぎ続けること約一週間。俺はようやく陸地を見かけた。というか村らしきものもあった。

 

 水面から少しだけ顔を出し観察してみると、住民は全員黒髪黒目。他のアジア系人種という可能性もあったのだが、俺は直感した。「ああ、日本人だ」と。安堵してあやうく溺れるところだった。

 

 海からいきなりペンギンが出てきたらビックリするだろうと思い、夜を待ち、村から完全に灯りが消えたのを確認してから俺は上陸した。久々の砂の地面の感覚に、不覚にも泣きかけた。

 

 ここまでくるのに約十日。不眠不休泳ぎ続けた。いくら身体能力を強化していたとしても限度がある。俺はかなり疲弊していた。

 ふらふらとおぼつかない足取りで、俺は休める場所を探した。

 

 不意に、鼻腔に甘い匂いが漂ってきた。どこかで嗅いだ事があるような、とても懐かしい香り。ふらふらと吸い寄せられるようにして匂いの許へ近づいていく。

 疲労はピークに達しており、視界はもう映っていない。一番匂いが強くなった地点で、俺は力尽きるように倒れた。

 

 ――あ、この匂い。……花の、香りだ…

 

 



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2羽~はじめまして~

「はっ、はっ、はっ」

 若草が萌える草原を、彼女は全速力で駆ける。

 少女――後に風見幽香と呼ばれ妖物人間問わず恐れられるようになる、しかし今はただの幽香である花妖怪の彼女は、自身の持つ能力によって花々と深い関係を持っている。そして今、その能力のお陰で聞こえてくる花たちの声がおかしいことに気付き、そこへ向かっている。

 始めのうちは距離があったせいではっきりとは聞き取れなかったが、徐々に近づくにつれて花たちの声が鮮明になってきた。

 

『ヒャッハー!』

『きた!今ちょっとかすった!これで勝つる!』

 

「………」

 あの綺麗な花たちがこんなことを言っているとは信じがたいが、それはこんな支離滅裂なことを口走るほどの状況に彼らが置かれているんだ、と彼女は考え、さらに走る速度を上げた。

 

 これから先の未来において、強者との戦いを酷く好むことになる彼女だが、彼女の持つ能力は戦闘には不向きであり、行われる戦闘は全て彼女が持つ妖力や身体能力によるもの。今はまだ成長途中ではあるが、それでも彼女の脚力は普通の人間などとても及ばないものだった。

 

 彼女が通り過ぎるその勢いだけで周囲の草花が千切れてもおかしくは無いのだが、妖力を、こう…いい感じに運用することによってそれを防いでいる。急いでいるときにそんなことをするのは大きな足枷になるはずなのだが、彼女はそんなこと気に留めた様子も無い。それほどまでに彼女は草花を愛している。

 故に、その草花に危害を及ぼす者がいれば、彼女は一切の情け容赦なくその者を叩き潰すだろう。

 

 絶え間なく頭に響く花たちの絶叫や嬌声に歯噛みしながら、ようやく彼女は声を上げていた花たちの元へとたどり着いた。

 そこでは、

 

『キャッホー!モフモフしてるモフモフ!』

『なにこれかわいい』

『ああ!今!今羽が私の双葉に!』

『ずっとお尻の毛が当たってる俺は勝ち組』

『おいそこかわれ』

 

「………」

 花たちの叫びがもう理解不能というか、脳みそが自動的にシャットダウンするくらいの内容になっているのはさておき。注目するべきは花畑の真ん中で丸くなっているあの一匹の生き物だろう、と彼女は思考を纏め、花を一輪も潰さないように気をつけながら近づいていく。

 

「うわぁ…」

 思わず声がでた。

 

 ここらでは見たことの無い生き物だった。鳥だろうか、左右にある羽がそうであることを表しているが、その丸みを帯びた体はお世辞にも飛ぶのに向いているとは思えない。体の前面は白い羽毛に覆われており、頭頂部は黒く、背中周りや羽は灰色。ただでさえ小さいその体躯をさらに小さく丸め、時折寝返りを打ったり羽を動かしたりしている。その度に周囲の花たちが喝采を上げているのは気のせいだろう。

 とにかく、その鳥の姿は、

 

「かわいい…」

 

 今までは綺麗に咲いた花にしか抱かなかった感情だが、この鳥にはそれと同じ、いやそれ以上のものを感じた。

 

「………」

 

 鳥の姿を見つめながら何かを考える少女。やがて、

 

「…こんなところで眠って、他の動物や妖怪に襲われたら大変だもんね」

 

 誰にとも無く、ともすれば言い訳にように呟き、そっとその生き物を抱き上げる。フワフワの手触りを楽しみつつ、ブーイングを上げる花たちを一切無視して帰路をたどり始める。

 その足取りは、とても軽やかだった。

 

 

                           ★

 

 

 ――花の香りがする。

 寝ぼけてまだあまり回転しない脳みそにただそれだけが浮かぶ。甘くて優しいその香りに更なる眠りへと誘われるが、なんとか堪える。

 いつもより重たく感じられる体をどうにか起こし、羽を振り回したり腰(?)を捩ったりして覚醒を促し、ふと気付いた。

 あれ?ここどこだ?野外で眠りについたはずなのに、どういうわけか建造物の中にいるんですけど。なんかテーブルっぽい台の上に載せられているんですけど。

 

「――うふふ」

 

 なんか緑色の髪の女の子に笑われてるんですけどぉぉぉぉぉおおおおおおおお!?

 おおおお落ち着け俺、クールだ。KOOL…じゃない、COOLになれ――えーっと、ヤバい自分の名前忘れた。ショックで頭が冷えたからよしとする。

 うわー。うわー。恥ーずーいー。さっきの動作なんかペンギンボディでやってたらそりゃ愛くるしくて笑われるよ。

 

ふう……まあいい。とりあえず、この緑の髪の(緑?)女の子が、野外で寝転がってた俺を危うく思ってここまで運んでくれたんであろう事はフィーリングで把握したので、そのお礼とはじめましてを併せてお辞儀をする。

 

「え? あ、ご、ご丁寧にどうも」

 

 やや慌て気味にお辞儀を返す少女。かわええな。

 その動作にほんのりしていると、少女は笑顔で、

 

「鳥さん。私の名前は幽香っていうの。よろしくね」

「くあっ」

 

 と返す。ペンギンの鳴き声なんか知らないので適当に。幽香、か。いい名前だ。

 

 自分の言葉を理解してくれたのが嬉しいようで、幽香はますます笑顔になる。そして、

 

「私、これからご飯なんだけど、よかったら鳥さんも一緒に食べる?」

 

 と訊いてきた。

 

 ふむ。ご飯か。南極を出発する直前に食ったアザラシはとっくに消化されてるし、海を泳いでるときも早く陸にたどり着くのを優先して食事は二の次にしてたから魚を二、三匹。それも最後に食ったのは大体二日前。俺の胃袋は現在進行形で空っぽである。

 

 生き物にとって、食事というものは非常に重要なものである。体の活動に必要であるというのは言わずもがな。それだけではない。腹が空いている空いていないというのは、精神状況にも影響を及ぼすものだと思う。

 

 それだけではない。食べるものの味も重要だ。美味ければテンションは上がるし、そうでなければそれは下がる。そういうのは割りと大切なところだと思う。だから、味なんか関係ない。腹が膨れればそれでいい、とか言ってる人達は人間やめてると思う。というか食べてる食材に失礼だ。絶食してとっとと死ねばいい。

 

 と、まあ。いろいろ言葉を並べたわけだが、結局のところ何が言いたいのかと言うと、俺はお腹が空いているのであって、

 

「くあ」

 

 もう一度、お辞儀をしたのであった。

 



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3羽~さよならは言わない~

 燦々と照り輝く太陽が昇る青空の下。東方に位置するある島国――まあ日本なのだが、今はまだそんな名称ついていないからいいだろう。

 ともかく。その国のとある地域の一画。山間にある森の開けた場所に、色とりどりの花々が咲き乱れていた。

 季節の花からやや外れた花も無秩序に並んでいるが、そんなことは気にならないくらいの見事な咲きっぷりであった。

 そんな花畑の中で、

 

「~♪」

 

 一羽のペンギンが、鼻歌を歌いながら器用に如雨露で水遣りをしていた。片翼で如雨露を持ちもう片方の翼を腰に当てながら水をまくその姿は、ある種の風格すら漂わせている。

 

 このペンギンがこの花畑の持ち主と会ってから早数ヶ月。一体何があったのか、あれからその持ち主の家に住まわせてもらっているのだ。まあ双方合意の上だから問題ないだろう。

 

 三食きちんと食べられてたまにおやつもでる。布団は柔らかいし周囲の光景は綺麗。おまけに同居人は美人ときている。まったくもって羨ましい。幸せな奴はみんな死ねば…なんでもない。

 

 そんな幸福なペンギンは如雨露の中の水がなくなるまで花たちに水を振りまくと、一輪の花に近づき香りを嗅ぎ、嬉しそうな声を上げる。ちなみにこの瞬間、聞こえる人には聞こえる声で周囲の花たちが騒ぎ出したのは完全な余談で、この声を聞いたとある少女が頭を悩ませたのはこれまた余談である。

 

 一通り花の匂いを楽しんだペンギンはよちよちと短い脚を動かしてその場を離れ、また如雨露に水をたっぷり入れ今度は別の花に水をかけ始める。

 

 この水遣りのお仕事は、こんな恵まれた生活をしているだけじゃダメだと考えたペンギンが、同居人の幽香を身振り手振りのボディランゲージでどうにか説得し、ようやっと手に入れた仕事だ。衣食住の世話をしてもらってる以上これくらいの恩は返したいという考えだ。

 けれど、

 

「鳥さ~ん。お昼にしましょ~」

「ペンッ!」

 

 ご飯と言われてこんなに嬉しそうに家へと帰っていく姿は、同居人というより――ペットだった。

 

 

                           ★

 

「鳥さん、おいしい?」

「ペン」

 

 あ、鳴き声はペンにしました。ちょっとでも個性が欲しかったんです。

 

 それはさておき。

 時刻は昼時。お天道様が空の天辺にある時間。花に囲まれた小さな一軒家の中で、緑色の髪の少女とペンギンが食卓を囲むという奇天烈な光景。よくよく考えると違和感有りまくりだなオイ。

 

 食べるメニューは一緒。なんかの肉の丸焼きです。

 最初の頃は幽香が俺に肉類か穀物か、どちらを食べさせればいいのか悩んだりしていたが、そこは好き嫌いの無いよく出来たペンギンである俺のこと。どちらも問題なく啄んでやった。

 今だって。骨付き肉を両羽でしっかり掴んで、(ペンギン)らしくがぶっと齧り付いて…あれ?

 向かいに座る幽香はそんな俺の様子を微笑ましそうに見ている。やだ照れる。

 

 食事のときは大体こうだ。俺がたどたどしくも飯を食べる光景を幽香が見て楽しんだり、もしくは幽香の話を聞きながら俺が適当なところで合いの手を入れたり(ペンと言ったり)

 一人と一匹だけしかいないが、そこには確かな家族の温かみがあると俺は感じている。

 

 いつだったろうか。出会ってから数日ほど幽香と一緒に生活した頃、ふと俺は幽香の家族は何処にいるんだろうかと考えた時があった。昔の日本なのだから日数を掛けての狩りやら商売からあるのかと思っていたが、時間が経つにつれてその線は薄いと考えるようになった。なぜなら、幽香の家には一人分の食器しかなかったからだ。いやまあ俺が来ていくつかは増えたけれど。それまでは一人分しかなかった。つまりは一人で暮らしていたのだと俺は気付いたのだ。

 これは一体どういうことなのかと頭を悩ませたり悩ませなかったりしていた俺だったが、すぐに答えを得ることが出来た。

 

 きっかけは、そう、ある風が強い日のことだった。

 いつものように惰眠を貪っていた俺はなんとなく目を覚まし大きく伸びをした後、出掛けに幽香が用意してくれた飯をもそもそと食べている。その時だった。

 ドゴン!と大きな音が家の外、聞こえてくる距離から考えるに花畑の外周付近から届いた。

 

 瞬間、幽香に何かあったのではないかと思った俺が食事を放り出して外に飛び出ると、幽香が戦っていたのだ。相手は全体的に牛っぽいフォルムの明らかな化物。二足歩行の筋骨隆々。ミノタウロスもどきって感じだった。

 本能的に、俺はそれが妖怪であると察することが出来た。同時に、その牛妖怪を一方的に攻め続けている幽香もまた妖怪であると判断した。

 

 唖然とする俺の前で、幽香は一瞬で相手に懐にもぐりこみ、右ストレートで牛の腹に風穴を開けた。その時幽香の拳に何かがあることに気付いて、そしてやや薄いがそれがあの二体の周囲に漂っているのにも、俺が南極で使用していた得体の知れない力が正にそれであることにも気付いた。

 そして、俺は自分が妖怪であることを知った。

 

 一口に妖怪といってもそれは大きく二つに分けられる。元々ある何かが年月を重ねて変化したものと、最初から妖怪として生まれるもの。ペンギンの両親から生まれながら一向に成長することが無かった俺は多分その中間に位置するもので、幽香は後者なのだろう。

 

 詳しい成り立ちなど知っているわけも無いので、妖怪がどう生まれるのかは分からないが、幽香が妖怪であるならば一人で暮らしていた説明もつく。あれだけの力を出すことが出来るのだ。人里で受け入れられるわけも無い。それ以前に、良くも悪くも幽香は花を育てることにしか興味は無い。煩わしい人間の中で暮らすくらいなら、ここのような山の中で花々に囲まれている方が幸せなのだろう。

 

 そんな幽香が何故俺をここにいさせてくれるのかは分からないが、だがまあ、居候させてもらっている身分としては余計なことに口出しするつもりは無い。せめて幽香を少しでも楽しい気分にさせてやるのが一番だろう。

 楽しませることに関しては尽力を惜しむつもりは無い。だって可愛いもん。美少女だもん。今も可愛いし、将来は美人になるであろうことが確定してるし。綺麗なお姉さんとか大好きです。罵って欲しい。

 

「ペンペン」

 

 食べ終えた後は手を合わせて挨拶。基本だよね。合わせたのは羽だけど。少し遅れて食べ終わった幽香が自分のと一緒にお皿を持っていってくれたので、することがなくなった俺はぐでーっとテーブルに突っ伏す。しかしすぐに戻ってきた幽香に抱き上げられる。そしてそのまま膝の上に。

 

「うふふ。ふわふわ~」

「…ペン」

 

 最近の幽香のお気に入りはこうして俺の羽毛を撫でること。別に撫でられるのが嫌ってんじゃない。むしろ丁寧に触られるのは気持ちいい。だんだん眠くなってくるし。

 でもな、こうやって撫でられて眠くなるっていうのは…ペット、って感じがしてなんかな…

 

「~♪もふもふ~」

 

 ……ま、幽香が楽しそうだから、いいか。

 

 …む。眠く…なって…き………zzz

 

                           ★

 

『―――――ッ!?』

「!」

 

 ガバリ、と。かけられていた毛布を跳ね除けて起きる。

 なんだ…凄く嫌な感じがする。どうしてかは解らないけど、胸騒ぎが止まらない。

 

 そうだ、幽香がいない。いつも通りなら、眠った俺を置いて花の様子を見に行っているはずだ。目を向けた窓から見える外の景色は、胸糞が悪くなるような曇り空だった。

 

『キャァッ!』

「ペン!」

 

 外から聞こえてきた幽香の悲鳴に、我を忘れて駆け出す。ペンギンの脚がいくら短くても、妖力で強化して跳躍すればそこそこの速さで動ける。体当たりするように扉を開けると、

 

「ぐうっ!」

 

 丁度幽香が吹き飛ばされていた。地面を無様に転がりながら、それでも鋭い目で一方を睨んでいる。

 視線の先にいるのは人型の妖怪。人間と違うところがあるとすれば、それは腕が六本あることだろうか。恐らくは、蜘蛛の妖怪。身に纏う妖力は幽香のそれよりも強大だった。

 蜘蛛が言う。

 

「ふん。強い妖怪がいると聞いてやってきたが、この程度か」

「舐め……るなぁ!」

 

 咆えると同時に疾走する。驚異的な速度で相手に接近しそのまま拳を振るう。が、

 

「温い」

 

 そこら辺の妖怪ならば屠れるであろう一撃を、蜘蛛は自らの腕の三本を使って止め、返す刀で薙がれた幽香の脚を一本で防ぎ、反撃に二撃、拳を叩き込んだ。

 

「が…っは」

 

 またも吹き飛ばされる幽香。口の端から血を垂らしながらも、再び立ち上がる。

 その後には、傷一つ無い花畑があった。

 

 愕然とした。自分よりも強い敵と相対しながら、それでもアイツは花を守ろうとしている。

 いやバカだろ。そう思いながら、俺の脚は自然に動いていた。

 見るからに幽香は満身創痍。恐らくはあと一撃で沈むだろう。それを解っているのか、蜘蛛はゆっくりとした足取りで歩を進める。対する幽香はもう立つことすら儘ならないようで、足を震えさせながら動かない。

 

 もどかしい。僅かずつしか進むことの出来ないこの体が恨めしい。

 

 そうだ。動物の妖怪ならば人に化けることが出来たのではなかったか。確か出来たはずだ。よし成ろう。

 

 正直な話。俺は人間がどういう姿かを忘れていた。元人間の癖におかしな話と思うが、それだけペンギンでいた時間が長かったのだ。だから日本に来て人を見たとき軽く泣きそうになったんだ。

 すっかりさっぱり忘れていた人体だったが、ここしばらくの間幽香と過ごして思い出せることもあったし、新しい発見もあった。どんなこととは言わないけど。とりあえず、何回か幽香と水浴びを共にしたことは絶対に忘れないでおこうと思った。

 

 走る。走りながら、人型になる方法を模索する。全身に妖力を通す。頭の先からつま先、毛の一本一本に至るまで満遍なく。そして妖力と体を出来る限り近づける。感覚的にその差がほとんどなくなった時点で、妖力を大きく伸ばし膨らませ人の形をとる。そしてなんだかんだふんにゃらかんたら頑張って努力して精進して切磋して―――人になった。

 

 今までとは段違いの速度で蜘蛛に迫り、気付かれた瞬間、全力で横っ面を殴り飛ばした。錐揉みしながら飛んでいく妖怪を確認し、幽香に目を向ける。案の定、驚いていた。

 

「あ、あなた…何者?」

 

 言われて、一先ず自分の姿を確認する。

 とりあえずは、男だ。参考にしたのが幽香だったからもしかしたらと考えていたが杞憂だったようだ。ちゃんと感覚がある。しっかり付いている。よかった。本当に良かった。

 何でかコートを着ていた。意味がわからない。着心地は悪くないのでよしとする。

 そこまで把握した時点で、蜘蛛がむくりと起き上がった。

 

「中々の拳。強いな貴様」

 

 今の一撃で取れたのかペッと歯を吐き捨てながら、痛がる素振りも見せずに話しかけてくる。俺は、

 

「…すまない。多分手加減は出来ない」

「何を――」

 

 言いかけた蜘蛛は次の言葉を繋げることが出来なかった。それよりも先に、俺が蜘蛛の体を裂いたからだ。五指に妖力を込めて振るう。それだけで蜘蛛の体はばらばらになった。

 

 人の姿になってから、どうにも押さえきれない量の力が俺の中で蠢いている。蜘蛛よりも幽香よりも強いその力は、蜘蛛を殺してもそれは解消されない。当てもない力は中で暴れている。

 …これは本格的にヤバイ。この力を幽香に向けてしまおうかと一瞬でも考えてしまった。でも、それだけはダメだな。

 

 掻き毟りたくなる様なむず痒さを胸のうちに抱えながら、自分の中でのた打ち回る力が外に溢れ出さない様必死で堪える。

 

「あ、あの―――ッ!?」

 

 幽香の声を聴いた瞬間僅かに気が緩む。そのせいで漏れ出した力が彼女を怯ませた。それでも気丈に彼女は話しかけてくる。

 

「あなたはもしかして…鳥さん?」

「…そうだよ」

 

 できる限りやさしく答える。力の制御に歯を噛み締めながら、そのことを微塵も外に気づかせないように。

 

「…人に化けれたのね」

「ついさっき出来るようになった。早く走りたかったんでな」

 

 そう、と小さな呟きが耳に入った。思えば、こうして幽香と会話らしい会話をするのは初めてだな。

 

「助けてくれて、ありがとう」

「気にすんな。こっちには世話してもらった恩があるんだから」

 

 そろそろ限界だ。これ以上ここにいると抑え切れなくなる。そう判断した俺はここを離れようと歩き出す。

 

「ねえ」

 

 話しかけられて足を止めざるを得なくなった。女の子に話しかけられて無視できるほど俺は酷い男じゃない。

 

「名前、教えてくれる?いつまでも鳥さんじゃ締まらないし」

 

 名前、か。元の名前は忘却の彼方なので、新しいのを今考えなきゃいけない。どうしようか。

 やっぱりペンギンから連想したいな。ペンペンとか?……別に温泉が好きってワケじゃないから却下だな。じゃあシンプルに、

 

「ギンだ」

「ギン…いい名前ね」

「お前もな」

 

 ありがとう、という声を聞いて、今度こそ俺は前へ進む。

 

「…ねえ、また会えるかしら?」

「勿論だとも。また会おう」

 

 両足に力を籠め、爆発的な威力によって俺は飛翔する。ペンギンが空を飛ぶだなんておかしな話だと思うが、今はそんなことどうでもいい。ただ遠くへ。可能な限り幽香から離れるんだ――!

 

 

 ―――その日、とある山の中腹部が抉られた様に消失したという。 

 



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4羽~だって、ペンギンだもの~

 清水の流れ。山間を流れるそこそこ大きな川。岩魚や鮎が泳ぐその間を、猛烈な速度で通り抜ける影が一つ。

 ペンギンである。

 

 花妖怪の彼女との感動的な(本人はそう思っている。いや、そうであって欲しいと願っている)別れからしばらく。偶然たどり着いた川を見たペンギンことギンは南極時代の血が騒ぎ、いても立ってもいられず川に飛び込んでスイスイと爆走、というか爆泳中である。

 

 尚、先日彼が人型になったときの妖力の暴走的なものだが、アレはどうも一過性のものだったらしく、しばらく経ったら治まってしまった。例えるなら、そう………えっと、いい感じなのが浮かばないのでやっぱり無しで。

 

 とにかく。身に宿る力を持て余すことも無くなったギンだが、幽香のもとへは帰らない。いや、帰れないのだ。

 そう、彼は………帰り道が分からなくなってしまったんだ!

 適当に飛んだのが失敗でしたね。一通り発散して賢者のような落ち着きっぷりを見せたときにそのことに気づき、真っ青になりました。

 

 まあ、あれだけカッコいい事言っておいてほんの数日で戻ってくるのもアレなので、丁度いいやとばかりに彼は日本全国津々浦々の一人旅を始めたのである。ぶらぶらしてればそのうち幽香にも会えるだろ、と楽観視しながら。

 

「ペーン!ペンペンペン!」

 

 凄まじい量の水飛沫を上げながらペンギンは泳ぐ。上下左右に動き回り、水中でクルクルと回転したり、泳いでいる小魚を背後から襲って一呑みにしたり。もうやりたい放題である。久々に泳げて嬉しいのか、大声で鳴くギン。声に驚いて鳥が逃げても気にしない。

 

 川原や川底にある石が徐々に丸みを帯びていく。流れに沿って泳いでいるペンギンはいつの間にか山の上流から中流にまでたどり着いてしまったようだ。

 

 と。ここでペンギン一息に深く潜ったかと思えば、次の瞬間には猛烈なスピードで水面を飛び出していた。水滴を撒き散らしながら回る姿は中々様になっている。点数をつけるとすれば十点十点十点と――いや、良いとこ8.1、7.6、7.9ぐらいだろう。世界の壁は厳しいのだ。

 

 弧を描き水面へ落下していくペンギン。そして彼が落ちるであろう地点にはちょこんと岩が鎮座していた。彼は気付かない。そして――ゴンッ!

 

 聞いてるだけでこっちが痛くなるような鈍い音を響かせ、ギンはそのまま数秒間その状態をキープ。ふわっと吹き抜けたそよ風に押されるように傾き、ぽちゃんと水面に落ちる。

 

「………」

 

 頭にでっかいたんこぶを拵えたギンはそのまま川に流されていく。途中にある岩に何度も体をぶつけながら、やがて川岸に打ち上げられた。彼の目は覚めない。

 

 しばらく経って。彼の後ろでがさがさと梢が揺れる。茂みを割ってそこからひょっこり顔を覗かせたのは一人の少女。少女は川辺で倒れているペンギンを見て、

 

「これは…放っとけないね…」

 

                          ★

 

 ――ゆっくりと、瞼を押し上げる。思考が定まらない。

 あれ。何で俺寝てんだ。最後に憶えてるのは視界を流れていく風景と周りを飛び交うお星様。まったく思い出せん。

 

 体にかけられていた毛布を脇に除け、きょろきょろと周囲を見る。なんというか、古き良き日本家屋そのままって感じだな。囲炉裏なんて俺始めて見たよ。

 炭火に手をかざしながら暖を取っていると、

 

「あ、気がついたんだね。よかったよかった」

 

 奥のほうから湯飲みを二つ持った少女が現れた。服が青けりゃ髪も青い。幽香の緑色もそうだったが、この時代の毛髪の色はどうなっているんだ。まあ、俺もやや人のことは言えなくなったんだが。

 

「ちょっと待っててね。今お茶請け持ってくるから」

 

 そう言って再び奥に引っ込んでしまう少女。忙しないなー、思いつつお茶を啜る。

 ちょっと経って、

 

「お待たせー…って誰!?」

「失礼な奴だ」

 

 人の顔を見るなり叫びやがって。俺が人型になっていたというのもあるけれど、それは流石に驚きすぎだろう。

 人になった俺の姿は、ペンギンになる前の自分とほとんど同じだった。唯一違うのは髪で、灰色の髪から白と黒の髪が二房飛び出てる。なんだろう、ペンギンのオマージュ?

 

「まあ立ち話もなんだし座れよ。話したいこともあるし」

「あ、はい…」

 

 自分の家だというのに言われたとおりに座る少女。おいおいそれでいいのか、と考えつつ煎餅をばりぼり。

 

「あの…もしかして、さっきの鳥さんですか?」

「もしかしなくてもそうだよ」

 

 答えつつ、鳥さん、という呼び方についつい笑みが浮かぶ。湯飲みを傾けてそれを隠す。

 

「自己紹介がまだだったな。俺はギン。一応妖怪だ」

「やっぱり…私は河城にとり。河童です」

「……!」

 

 少女、いや、にとりか。にとりの言葉に少しばかり目を見開く。

 河童。にとりの姿を穴が開くほど凝視して脳内へ刷り込んでみる限り、よくある絵のように肌が緑で水かきがあって甲羅を背負っている、などといったことは無いようだ。では残りの、両手の骨が繋がっているとか、元は藁人形だったとか、人や馬の尻子玉を抜くとかいった話はどうなのだろうかと、少女のB・W・Hに視線を固定させながら考える。

 

 …………ん?そういえば、河童といえばこれ、と言われるほど有名な、河童のお皿と言うのはあるのだろうか?

 

「…………」

「えっと…なんですか?」

「悪いことは言わない。大人しくその帽子を脱げ」

「ええっ!?」

 

 ばっと両手で頭を押さえるにとり。しまった、と思う反面、そうやって隠されると余計に見たくなるのが元人間(ペンギン)の性である。手をワキワキさせながら近づくと、ビクッとした様子で一歩下がる。近づいて、また後ずさり。繰り返し。

 しかし、そう長くは持たない。あっという間ににとりは部屋の隅に追い詰められてしまう。

 

「ふっふっふ…」

「うぅぅ…」

 

 指をぐにゃぐにゃと卑猥な動きをさせる俺と、隅っこで丸くなり震えるにとり。目の淵に溜まる僅かな滴に異様なほど興奮するが……何故だろう、なんやかんやでこんな犯罪チックな場面が出来てしまった。どうしよう、こんなところ人に見られたら――しまった、これはフラグ!

 

「にとりー、い…る……」

「……」

 

 がららと引き戸を開けて家の中に入ってきた少女とばっちり眼が合ってしまう。ぱちぱちと目の前の光景が間違いではないかと瞬きを繰り返す少女だったが、やがてそれが真実だと悟ったのか、にっこりと笑う。やだカワイイ。

 

 直後、吹き荒れた暴風が俺の体を吹き飛ばした。

 

                          ★

 

「ふ~ん。つまり、助けた妖怪に襲われかけた、と」

「い、いや、だから…」

「黙ってなさい変態」

 

 無言で押し黙る俺。別に彼女のゴミを見るような視線の冷たさに背筋がゾクゾクした訳じゃない。断じて違う。本当なんだ、信じてくれッ!

 

「うるさい」

「…はい」

 

 いつの間にやらもぞもぞと動いていた体を止め正座の体勢をキープ。仁王立ちで正面から威圧してくる少女は鋭い目で俺を一瞥し、視線を横にいるにとりにもどした。その視線は優しい。

 ちょっとくらい俺にも優しさを分けてくれ、とは思うものの、やはり悪いのは俺なのでこの状況には甘んじる。

 

 どうもこの少女――にとりとの会話から知ったところでは文とか言うらしい。苗字は知らん――はにとりの友達らしく、暇だから遊びに来たところ親友が得体の知れない男に襲われかけている場面に遭遇したという。だから襲ったんじゃねーですって。聞いちゃくれない。

 

「…なあ文、ダルいから足崩していいか?」

「気安く名前で呼ばないで。それにダメに決まってるでしょこの変――って、もう崩してるじゃない!」

 

 まあまあ、と。憤った様子の文をなだめつつ、脇においてあった急須から文の湯飲みに茶を注ぎ、ついでに俺とにとりの湯飲みにも新しく淹れ、にとりの帽子の中身を確認し、煎餅を全員の真ん中においてから座りなおした。

 

「待ちなさい。今明らかに余計な動作が含まれていたわよ」

「え?え?」

 

 気にしない気にしない。煎餅をばりぼり。

 

「そういや聞きそびれてたんだけど、何で俺にとりの家に寝かされてたの?」

「川辺に打ち上げられてたんだよ、頭にでっかいたんこぶ作って。あの辺は妖怪も出るし、放って置けなくて」

 

 なんと。そんなことになっていたのか俺。ぱっと手を頭に当てるが特に腫れてる場所も無い。どうやら治ったみたいだ。妖怪の回復力に感謝。

 

「ああ。そういえば文にはまだ自己紹介してなかったな。ギンです。よろしく」

「ったくアンタは……私は射命丸文。鴉天狗よ」

 

 天狗とな。その割には肌は抜けるように白いし鼻も普通だ。にとりの頭に皿が無かったことといい、民間の伝承には間違いがあるんじゃないのか。

 というか、妖怪の美少女率が高い。幽香は言わずもがなだが、にとりと文もかなりのものだぜこれは。二人を見比べるに文の方がやや年上っぽい。年齢などが人間に比べて桁違いな妖怪なのだから、一見五歳くらい違うように見えても実際は云百年離れている、なんてこともあるのだろう。やはり年齢の差か、ボディの凹凸にも明らかな差がある。

 

「…何かしら、邪な気配を感じるわ」

「私もだよ…」

「そうか?俺は感じないぞ」

 

 文の背中の翼に目をやる。すげぇな、きっとあの翼で空とか飛ぶんだぜ。いいなぁ…所詮俺は飛べない鳥さ。

 いーよーだ。別に。代わりにメッチャ泳げるし。それにペンギンは子ども達のアイドルだし。カラスはゴミステーションで生ごみ啄ばんでる様な奴だし。

 

「…何かしら、物凄く不快な気分なんだけれど」

 

 文が何かしらつぶやいていたが、気にせず湯飲みを煽った。

 

「本当にこの変態は……ちょっと本当に大丈夫なのにとり?こいつ、アンタが一人で食べようとこっそり隠してそのまま二、三ヶ月放置してた魚みたいな目してるわよ」

「大丈夫だって。文は心配性だなもう」

 

 苦笑いするにとり。というか文よ。そんなに俺がこの家にいるのが危なく感じられるのか。やれやれ。

 まあいいか。お茶も飲んだことだし。そろそろお暇させてもらおう。

 

「それじゃな、にとり、文。俺はそろそろいくわ。邪魔したな」

「ええ。本当にね」

「ちょ、ちょっと文…最後までゴメンね。気を悪くしないで、良かったらまた遊びに来てよ」

「おう、あんがとな」

 

 最後まで一貫して態度の変わらない文に苦笑いしながら、立ち上がろうとしたところで、再び家の扉がガララと開けられた。

 

「文さーん、ここですかー?」

「文ー、呼ばれてるわよー」

 

 犬耳とツインテールがやってきた。

 

                          ★

 

 

 いきなりのことに少々面食らったが、人が増えたことには変わりは無い。すぐに帰るかもしれないが、それでもお茶の一杯くらいは出しておくべきだろう。そう判断した俺は家の奥に行き、戸棚から新たに湯飲みを二つといくつか茶菓子の追加を手にして再び居間へ戻ってきた。

 

「ちょっと待って!何で当たり前のようにお茶の用意をしてるの!?いつの間に私の家の間取りを把握したの!?」

 

 にとりが目を見開いているが無視。とりあえず煎れたお茶を犬耳とツインテールに差し出す。

 

「………」

「な、何よアンタ、別にお茶なんて頼んでないわよ!」

 

 たった今までなにやら文に耳打ちされていた犬耳はこちらをじっと睨み、ツインテールはにとりの背に隠れながら精一杯虚勢を張っている。場の雰囲気がさらにカオスになってきた。嫌いじゃないけど。

 

 と。目つきを鋭くさせたままの犬耳が立ち上がり、ずんずんと歩いて俺の前に来た。一言物申したいことがあったのか、ぶっちゃけ俺の座高よりやや高いくらいのちんまりした体躯を偉そうにふんぞり返らせて、何か言いかける。

 だがしかし、目の前に格好の玩具(いぬみみ)があるのに俺がそれを触らないわけが無い。ということで、ぬるっとした動作で手を伸ばし、彼女の口から音が発せられるよりも先にそのふわふわしたのに触れた。というか弄くり回した。

 

「きゃうんっ!?」

 

 びくんっ、と跳ねる体。しかし俺はそれどころじゃない。ふさふさの犬耳の独特の感触に心を奪われていた。そういえば近所の犬コロはこうしてやると喜んだよな、と思いつきのまま空いていた反対の手で首筋から顎にかけて、優しくゆっくりと撫でる。撫で回す。

 

「く、くぅぅうう~」

 

 へにゃへにゃと。さながら垂直に立てた紙が倒れるような軟体動物っぽい動きで膝から崩れ落ちる。そしてオン・ザ・俺の膝。これも膝枕というのだろうか。膝の上で丸くなる犬耳の髪を梳いたりしながら愛でる。

 

「アンタ椛に何してるのよ!」

「アハハ…すごいね、あっという間だったよ」

「う、うぅ…」

 

 文は怒り、にとりは苦笑い。そしてツインテールはいつまでにとりの後ろにいるんだ。

 

「というかお前、椛っていうんだ」

「はひぃ…そ、そうれすぅ…」

 

 正直に答えたご褒美に撫でる速度を二倍にする。湿っぽい声を発し続ける椛を無視し、にとりの後のツインテールに名前を尋ねる。

 

「え!?え、えと……ふ、ふん!人に名前を聞くときは、まず自分から名乗るのが「それもそうだな。んじゃ、俺の名前はギンだ。よろしく」っ、……ひ、姫海棠はたて…よ」

 

 強気に出ようとしたはたてだったが、すぐに潰す。結果、名乗りが徐々に尻すぼみになっていった。その縮こまる姿を見ていると、なんだか悪いことをしたなという気持ちに。まあそれと同じくらいにムラムラしてるんだけど。

 

 んでまあ、それからしばらく雑談に興じた。しばらくうじうじしていたはたてだったが、なんだか吹っ切れたらしくにとりの背中から出て一人で一角に座った。

 席順としては囲炉裏を中心に玄関方面ににとり、正面に俺(&椛)、右に文で左にはたて、という陣形に落ち着いた。お茶を飲み煎餅をかじりながらくだらないことを話す。

 

 主な収穫として、この山の中にある天狗の里について結構知ることが出来た。文が守秘義務があるといっていたが、そこは俺の巧みな話術で洗いざらい吐かせた。あとは椛が犬ではなく狼だというのを知ったりとか、俺の本当の姿を見せたらもみくちゃにされたとか。そんな感じ。

 

 そんな折、ふと俺が、

 

「そういや、椛とはたてって文のこと探してなかったか?」

 

 はたてと…何故か文はしばらく固まり、そして再起動すると共に声を上げた。

 

「あ~!そうだった!文のこと探してくるように頼まれたんだった!」

「そういえば、私、にとりのところにはお魚分けて貰いに来たんだった!」

 

 おいおい文もかよ。うっかりし過ぎだろ天狗族。ほら椛も、用事があるんだろ?さっさと行け。

 

 ………そんなうるうるした目で見たってダメです。ほら、俺が鼻血を噴射する前に膝から降りなさい。その綺麗な白髪を血で真っ赤にはしたくないだろ?

 

 ………こらこら、そんな事言っちゃいけません。何処で憶えて来たんですか。「あなた色に染めて」だなんて。そんなこと言われたらただでさえ少ない俺の理性がガリガリと削れていくじゃないか。

 

 ………ああこら、止めなさいって。俺の服に体をこすり付けないの。マーキング?嬉しいけど、凄く嬉しいけど、待ってくれ。見てるから、三人がこっちガン見してるから。顔真っ赤にしながらも見てるから。

 

 ………いや、見せ付けてるって。そういうのじゃないだろコレは。だから止めなさいって。待て!椛、待て!よし、いい子だ。

 

 ………頼まれごとがあるんだろ?だったらそれをさっさと済ませなさい。それに、もうすぐで暗くなるから、大人しく里に帰りなさい。俺?俺はこのままお暇させてもらうよ。風来坊だし。

 

 ………お別れしたくないって、そんなこと言うなよ。皆も悲しそうになっちゃったじゃん。大丈夫だって。また会えるって。また会いにくるから。その時にまた遊ぼうな?

 

 ………平気だな?泣かないな?よしいい子だ。それじゃあ、さよならだ。三人も、今日は楽しかった。ありがとな。

 

 ………そんなに怒るなよ、文。つい椛と同じ感覚で撫でちゃっただけじゃん。まあイヤだって言うなら仕方ない。俺の両手はにとりとはたての為に使う。ほら、よしよし。

 

 ………冗談だって。そんな拗ねんなよ。ほ~ら、わしゃわしゃわしゃわしゃ!あはははは!髪ぼさぼさ…うわ、ちょ、危なっ。掠った!掠ったって!

 

 ………ふう、危なかったぜ。あやうく襤褸雑巾のようになるところだった。まあ無事だったからよしとしよう。それじゃあ、みんな、

 

「またな」



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5羽~世紀の大決戦!神vs人鳥!(大嘘)~

 さくさくと。砂を踏み草を踏み、歩き続ける我らがペンギンさん(人型)。ぶらり旅の真っ最中である。

 

 一体どれだけの月日が流れていったのか。日にちを数えることも面倒くさいペンギンにはさっぱり解りません。数日ぶっ続けで歩き通したと思ったら、今度はその何倍もの時間惰眠を貪る。生活習慣なんか乱れまくり。時間感覚も消失してしまっている。

 

 ペンギンが歩くのは、普通の道だったり獣道だったり道なき道だったりと、とにかく風の吹くまま気の向くまま、ぶらりぶらりと歩き続けている。目的地など考えていない。

 

 そんな旅をしているからだろうか、行きつく先はロクでも無いところばかり。時には周辺地域から極悪凶悪と恐れられている妖怪の巣に入り込んだり。決められた周期で妖怪に生娘を一人生け贄として捧げるなんてことを本当にやってる村にベストタイミングでたどり着いたり。波乱万丈である。

 当然ながら、彼はそんなのとは出来るだけ関わり合いたくはないので逃げようとするのだが、ぶっちゃけ逃げられた試しがほとんどない。あれよあれよという間に、気がつけば妖怪と対峙することになっている。

 

 そうなったとしても、自分の何倍もの体躯を持つ醜悪な妖怪を、彼は文字通り一蹴して消し飛ばすことができた。意外にペンギンは強かった。

 

 そんな彼が本日たどり着いたのは、どこかの国のどこかの地域にある(ペンギンが知らないだけ)デッカイ神社だった。その大きさに感嘆しながら階段を上り鳥居を潜る。前世からの無駄な記憶で参道の真ん中を歩いてはいけないということは知っていたので実践し、賽銭箱の前まで来る。

 賽銭をいれ(妖怪を倒した謝礼とかで結構な額を貰っているので懐はあったかい)、がらんがらんと鈴を鳴らし、二拝二拍手、そして、

 

「美少女に会えますようにっ!」

 

 全力で願った。この男、歪みねぇ。

 

 深く一拝。本来ならこれで十分なのだが、ペンギンは目を閉じ手を合わせたまま、厳しい顔をしながら祈り続けている。どんだけ叶って欲しいんだよ。

 

 たっぷりと五分程。純粋で不純な頼みごとを続けた彼はようやく満足したのか、体を脱力させる。願い事も済んだしもう行こう、と思い

 

「え、えっと…そういうお願いは困っちゃうんだけどな…」

 

 と困惑した感じの声が聞こえたので、そちらへ振り返った。金髪美少女がいた。

 

「早速願いが叶った。神様マジありがとう」

「え?私まだ何もして…ってちょっと!何でそんな大金賽銭箱にいれるのさ!?」

 

 美少女に出会ったことによりテンションが上がり狂ったように賽銭を入れ続けるペンギン。その光景に驚きとりあえずは止めさせようと抑えにかかる美少女。それによってさらにテンションの上がる彼。悪循環。

 

――これが、ペンギンの妖怪ギンと、祟り神洩矢諏訪子のファーストコンタクトである。……締まらねぇ。

 

                           ★

 

「ほうほう。お嬢ちゃんは神様なのかい。ヘー、偉いねー」

「いや絶対信じてないでしょ。それにお嬢ちゃんじゃない。私には諏訪子って名前があるんだから」

 

 怒っているのか呆れているのか解らないけど、とりあえず可愛いからいいだろう。異論は認めん。

 

 にこにこ。もしくはにやにやと笑い続ける俺の表情から何かを読み取ったのか、諏訪子はむっとしたような顔になり、ぷいっとそっぽを向いて、縁側に腰掛けたまま地面に届かない脚をぶらぶらしだした。やべぇカワイイ押し倒したい。

 

「んで、その神様の諏訪子はこんなところで何やってんだ?」

「こんなところって、神様なんだから神社に住んでるんだよ。人がまったりしてる時にいきなり敷地内に妖怪が入り込んできたもんだから何事かと思ってね」

 

 うん?俺が妖怪だって解るのか?

 

「解る解らないじゃないよ。そんな強い妖気垂れ流しにしといて、よくバレてないと思えるね」

「なん……だと………」

 

 そんなこと言われたって妖気なんて知らないよ。つか妖気だだ漏れとか、明らかに面倒ごとを引き込む伏線だろう。

 

 ………待てよ、今諏訪子が俺の隣にいるのは何でだ?俺の妖気を察知したからだよな。つまり、妖気は面倒ごとを呼ぶかもしれないが、それと同時に美少女も引き寄せるのかも入れない。

 ………よし。

 

「はぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 俺は全身に力を籠めて、持てる妖力(らしきもの)の全てを放出した。その余波で周囲は風が吹き荒れ、立っているところを中心に地面が凹む。

 

「ちょ、ちょっと!いきなり何してんのさ!」

 

 飛ばされそうになる帽子を押さえながら諏訪子が声を上げる。だが関係ない。さあ、来い!美少女ぉぉぉぉぉ!

 

 ―――ゴスッ!

 

「か……ぁっ」

 

 不意に横っ面に、何かが物凄い勢いでぶつかる。勢いに押された俺の体は物理的に空を飛んだ。

 

「まったく、一体何事だい?」

 

 何かが来た方から声が聞こえる。声の主の姿はわからないが、しかし俺の本能はそれが美女だと告げていた。

 

                           ★

 

 

 俺を吹っ飛ばしたのは八坂神奈子という綺麗な女性だった。美人だった。美人でした。最重要項目なので二回と言わず何度でも言いたい。

 

 彼女はこの神社に祀られている二柱の片方らしい。境内にて妖力の爆発があったため何事かと思ったらしい。俺にダメージを与えたのは近くに諏訪子がいたからだそうだ。失敬な。俺が美少女に危害を加えると思っているのだろうか。嘆かわしい。まあ美人だから許す。

 で、残った方の神様が諏訪子だという。初対面からなにやら得体の知れない力を感じていたから、納得といえば納得だ。……本当に神様だったとは。てっきりあの年頃の子どもにありがちなごっこ遊びかと思ってた。

 

 んでまあ、ちゃんと事情を聞いた神奈子が俺に謝罪し、俺からすればあれはむしろご褒美だったので気にせず許すことにした。

 すると、何でかは知らんが俺は二人に気に入られた。神様だと知って敬語を使ったらいらないと言われたし。当人ら曰く、懐の深い男は嫌いじゃないそうだ。どうも先ほどの攻撃は中小妖怪ならば消し飛ぶ程度の攻撃だったらしい。年上のお姉さんに厳しくされるとか天国か。

 

 気絶していた俺を介抱してくれていた巫女さん(可愛い系だった)にきちんとお礼をいい、さてそろそろ発つか、と思っていると、酒瓶持った諏訪子と神奈子がいい笑顔で誘ってきた。当然、一も二も無く俺は了承した。

 

 人間だった頃とペンギンになってからの年月の中で酒を飲んだことなど無い。精々が甘酒程度だ。どう考えても二十歳は超えているので、ハングリー精神に基づき飲酒にチャレンジしてみた。案外たいしたこと無かった。とはいえすぐにぐびぐび飲めるわけが無いのでちびちびとなめる感じで。

 

 一方で俺を誘った二人はといえば、最初こそはゆっくりとしたペースで飲んでいたものの、酒が飲めない俺がその場しのぎに酌やら何やらをしているうちにだんだん飲むスピードが上がっていき、

 

「アハハハハハハハハハ!」

「アハハハハハハハハハ!」

 

 完全に出来上がってしまった。

 

 神奈子は徳利に注ぎながら、しかしアルコール初心者の俺とは比べるべくも無いようなハイスピードで飲み進め、諏訪子は瓶から直接ラッパ飲みをし出している。ぐいぐいと煽る様は見た目少女なのに漢らしい。

 

 申し訳なさそうにしながら追加の酒とおつまみを置いていく巫女さんに苦笑で返しつつ、そろそろ場を収める努力をするか、と気合を入れる。

 まずはある程度分別があるだろう神奈子からだ。

 

「おい、神奈子。飲みすぎだ。そろそろ止めとけ」

「はっはっは。何を言っているんだギン。まだまだこの程度じゃ飲み足りないよ。ぶはぁ」

「うわ、酒くさっ!もう寄せって。お前べろべろに酔ってるじゃんか。神としての威厳が消え去るぞ」

「うるさいなぁ。私は酔ってなんか無い」

「酔ってるやつはみんなそう言うんだよ。いいからもうやめろって」

「んぁ?ギン、お前分身なんかできたのか。三人に見えるぞ」

 

 駄目だこいつ…早くなんとかしないと…。

 俺の横に向かって腕をぶんぶん振り回しながら「あれ?おっかしーな」とか言ってるこの神様はもう手遅れだろう。

 …いや、普段しっかりしている大人のお姉さんが酔うと乱れる…………アリだな。大アリだ。

 

 さてまあひとまずそれは置いといて、部屋の隅においてあった壺と会話しだした神奈子はもういったん無視して、とりあえず次は諏訪子にいってみよう。

 

「お~い、諏訪子やーい」

「んくんくんく、ぷはぁっ。んー、らにぃ?」

「うわ、こっちはもうべろんべろんになってる。しっかりしろチビ蛙」

「……うぅ、あー、かえしてー、わらしのおさけー」

「呂律回ってないし。ダメです返しません」

「なんだよー。わたし神様なんだぞー。祟り神なんだぞー。呪うぞー」

「そうなった時はシシ神さまに助けてもらうさ」

 

 ぐでんぐでんに酔った諏訪子を小脇に抱え「あーうー」どういった経緯をたどればそうなるのか、壺に上半身を突っ込んだまま眠りこけている神奈子を反対側に持ち、ぺこぺこと頭を下げる巫女さん先導の下、二人を寝室まで運んで布団に叩き込み子守唄を歌い聞かせて寝かしつける。…手の掛かる子どもかこいつ等。

 

 そして俺はこの後、巫女さんと飲みなおすことになったのだが……いやいや、まさか巫女さんの酒癖があそこまで悪いとは思わなんだ。飲んでいた酒が『神狂い』なるものだったのは関係があったのだろうか。



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6羽~境界上のペンギン~

 黒く塗りつぶされた空を僅かに欠けた月と星々が照らす夜。とあるところにある深い森の奥深く、人が足を踏み入れればもう二度と抜け出ることは叶わないほどの深奥部にて、二体の妖怪が対峙していた。

 

 一方は、鬼。自らの強さに誇りを抱き、信念と矜持を持って戦う気高い鬼とは違い、自らの思うがままにその力を振るい、弱き者達を虐げる、まさに「鬼」という字が表すままの妖。

 

 対するは、一見すれば普通の人のように見える。時代錯誤のロングコートを翻しながら鬼に対峙する姿にはある種の風格すら備わっていた。身の丈二十尺はあろうかという長躯の妖物に立ち向かうには頼りなく見える体躯ながら、しかしその不安を感じさせないほどの気迫に満ちている。

 

 ……いえまあ散々言葉を並べたわけですが、結局のところ後者のほうはペンギンですけどね。皆さんご存知の妖怪ペンギン。

 無気力・自堕落・無関心(美少女は例外)の三拍子そろった彼がなぜこんなバトル展開に身をおいているのかというと、ぶっちゃけ成り行きである。

 夕餉のための食料集めをしていた彼は森に入り、木の実や野生の動物をとって食おうとしていた。獲物に定めた鹿を追っているうちにどんどん森に入り込み、気づいたらこの鬼のテリトリーだったというわけである。バカだろコイツ。

 

 おっと、そうこうしている内に戦局に変化があった様です。鬼が野太い咆哮をあげながら拳を振りかぶり、ペンギン目掛けて振り下ろ――そうとした瞬間、ペンギンの蹴りが腹に入り吹っ飛んでいきました。

 ガチバトル漫画か、さもなくばギャグ漫画のように滑空した鬼は、背後に聳え立っていた大木に激突。めり込み具合が今の蹴りの威力を物語っている。

 

 どうもタフらしい鬼が頭を振りながら立ち上がり……今度は横っ面を蹴り飛ばされた。再びボールのように飛ぶ鬼。進行方向の樹にぶつかる寸前。真上に現れたギンに今度は地面に叩きつけられた。凄まじい勢いで落下し、バウンドしたところで上へ蹴り上げられ、頂点に来たところで腹に膝を叩き込まれていた。

 そこからはもう三次元ピンボール。鬼は手も足も出ない。やめたげてよぉ、とは微塵も思わなかった。

 

 そうしてスコアが二千点ほど溜まった頃だろうか。上空から地面に叩きつけ、落下エネルギーを利用したドロップキックをぶち込み、ギンは一旦離れた。

 そこら辺の妖怪なら内臓破裂どころか四肢が爆散しててもおかしくない怒涛の連撃。しかしながら鬼はちょっとキモいくらいにタフだった様子。腕と足を一本ずつあらぬ方向へ捻じ曲げながらも立ち上がり、歯が幾本も欠けた口から聞くに堪えない怒声を上げ、血に塗れた強面を以ってギンを睨み付けた。

 

「うわ、ウザ」

 

 ぼそり、と。うんざりしたように呟いたペンギン。当人としては大した攻めをしたつもりではないのだが、この調子だと普通に蹴り殺すには手間がかかりそうだった。ただでさえ未だ飯を食っていないし、そろそろ瞼が重くなってきた。これ以上長引くのは面倒くさい。

 仕方ないか、と頭をかきながらぼやいた。ドスドスと喧しい音とともに走る鬼をダルそうな目で見据える。一瞬のうちに鬼の懐にもぐりこみ、瞬きするよりも短い時間で、人体で言えば鳩尾に当たる部位に蹴りを叩き込んだ。

 瞬間、蹴られた箇所を始点にし、徐々に鬼の体が氷に包まれていく。やがて全身が凍りつき、氷像と化した鬼は自然に砕け散った。

 

 ふぅ、辛い戦いだったぜ、と嘯き、浮かんでもいない汗を拭う動作をしながらギンはその場を離れた。厄介な相手はいなくなったのだ。さっさと飯食って寝よう、と考えながら。

 

―――『ありとあらゆるものを凍結させる程度の能力』

 この能力こそ、たった今起こった摩訶不思議な現象の要因である。

 きっかけは数週間ほど前。森の中に捨て置かれた廃寺に一泊したギンは、ぼろぼろの壁にあいた穴から差し込む光に強制的に覚醒させられると同時に、突如脳裏にこの能力が浮かび上がったのである。

 

 なんだ、また中二病が発症したのか、と思ったギンだったが、何の気なしに、物は試しにというような軽い気持ちで『この寺丸ごと凍りつけ』と念じながら床に手を置いた。

 そして、一瞬で廃寺は氷のオブジェに変貌を遂げたのだ。

 その時のギンの表情といったらもう爆笑モノ。背中には「ぽかーん」という擬音が浮かんでいそうだった。

 まあまあ、そんな外野からの感想はさておいて。凍りついた廃寺を放置し付近で数回実験を繰り返したところ、その能力がただの妄想の産物ではないことがようやく理解できた。

 

 ありとあらゆるものを凍結させる程度の能力の概要を説明すると、まずは凍結――要は凍らせたいものを指定する。口頭でも思念でもいい。あとはその後に凍結しろ、とつければそれでカチンコチンになる。冗談半分に「○○凍結しろ」とかでは発動しない。

 蛇足として、口頭で宣言したほうが能力の質が上がるというのもある。具体的な実例として、河川を凍結しようとした場合、念じるだけでは(妖怪の視力で)見渡せる範囲のみだが、口に出せば上流から下流まで一気に凍らせることが出来る。確認作業のほうが大変だった。あ、あと氷の塊をいくらでも出せます。冷蔵庫サイズから氷河級まで。

 

 この能力の発現はギンの旅路において非常にメリットになった。

 なんと、この能力のお陰で手軽に保存食を作れるようになったのだ。ただ多めに獲った食材を凍らせてるだけなんだけどね。それでも以前に比べれば食糧問題は大幅に改善された。自らの妖力や気配を凍結すれば、獲物となる野生動物にも接近しやすくなったのだ。もうこの能力様様である。

 

 ただ…知ってか知らずか、その気になれば地表の約70%を占めている海洋のおよそ5割すらも(つまり地表の大体何%でしょうか?)氷のうちに閉ざすことも可能な程の(現時点で)強大な能力を、主に食い物関係にしか活用しないというのは……宝の持ち腐れが過ぎるだろう。

 

 ま、本人(本鳥?)がいいならそれでいいか。

 

                          ★

 

『最近、ずっと誰かに見られている気がする』

 

 ここのところ俺の頭の片隅に、ずっとこびり付く疑問である。……いや、被害妄想とかじゃないっすよ?

 

 妖怪を蹴り殺した時にどこからか拍手が聞こえたり、夕飯に鹿の足を丸焼きにして岩塩から削りだしたお手製の塩を振りかけているとどこからかお腹の鳴る音がしたり、水浴びをしている時なんかはどこからかゴクリと唾を飲む音がしたり。最後のはマジで勘弁して欲しい。どこ見やがった。

 

 そんな生活が数週間は続いて鬱憤とフラストレーションが溜まりに溜まり、これ以上ストレスがマッハ状態が続くのなら明日にでも四方八里を氷土に変えてあぶり出してやろうか、と思考が危険な方へ傾きだした夜のことだった。

 

ソイツは突然、俺の前へ姿を現した。

 

「御機嫌よう。いい夜ね」

 

 突如として空間に出来た裂け目から出、その縁に腰掛けた彼女は口元に浮かぶ胡散臭い笑みを隠すように扇子を広げた。流れるような金髪が橙光に照らされ、身に纏う黒紫のドレスと相まって幻想的な雰囲気を醸し出している。

 白い手袋と腕にかけた日傘はまるで中世の貴婦人のようで。そんな彼女は底知れない眼を俺に向けていた。

 

 しかし。俺はいきなり現れたその女性に一切動じることなく、ただ悠然と、

 

「あの、格好つけてるところすいません。焚き火の上にいるせいでドレスの裾がちょっと焦げてます」

 

                          ★

 

「………」

「………」

 

 俺達の間に言葉は要らなかった。気まずくて喋れないという意味でだけど。

 

 静か過ぎる空気に落ち着くことができない俺の対面には俯き黙り込んでしまった少女がいる。今となっては後悔している俺の指摘に顔を真っ赤に染め、そそくさと裂け目の中に引っ込んだかと思えば、別の箇所に現れた裂け目から今度はしっかりと体を出し焚き火をはさんだ正面に座って以降、彼女は口を開こうとしない。

 

 う~ん。個人的にはこのままでもいいんだけど、彼女凄い美人だし。美女と一夜を共にする。嘘は言ってないよ。

 でも、どうしても聞きたいことがある。

 

「なあ、ひとつ確認したい。ここ最近俺の事を見てたのはお前か?」

「……ええ、そうよ」

 

 どうやら立ち直ったらしい彼女が事も無げに言い切った。お巡りさん、コイツです。

 というか、やっぱりストーカーはコイツだったか。さっき見たあの裂け目みたいなの使えばずっと監視するのも可能だろう。ところでさっきチラッと見たらあの裂け目の中は目玉でいっぱいだったんだけど、平気なんだろうか。見られたい側の人なんだろうか。見たり見られたり忙しい。

 

「それで?付回してたからにはなんか俺に用でもあるんだろ」

「あら、随分と急かすのね。せっかちな男は女性に嫌われるわよ?」

「いや、頑張ってるの分かるんだけど、ぶっちゃけさっきの見た後だと滑稽にしか見えないぞ」

「………うぅ」

 

 正直な気持ちを吐露したら真っ赤になって押し黙ってしまった。またやっちまった!でもかわいいからいいや。

 押し殺しきれなかった笑いがぐふっと漏れると、赤くなった少女はジト目で睨んできた。ゾクゾクするね。

 

「…はあ、もういいわよ。もうどんなことをしても笑われそうだから。さっさと話を進めましょ。私は八雲紫。妖怪よ」

「俺はギン。妖怪だ。まあ知ってると思うけど」

「そうね。貴方最近噂になってるし。やたらと強い妖怪がいる、って」

「え」

 

 さらっと何か衝撃的なことを口走る紫。俺の聞き違いか紫の勘違いであってほしいなコンチクショウ。

 

「貴方自分の事なのに知らないの?各地の妖怪を次々と倒す妖怪がいるって、名のある妖怪から木っ端妖怪、人間でも一部の陰陽師たちが貴方のことを話してるのよ。私はその噂を聞いて、貴方に接触しようって思ったの」

「ちょ、おま」

 

  姉さん、事件です。気づかないうちに俺が一躍時の人に。絶対これは面倒くさいことがおきるフラグだろ。見かけたら即行でへし折りに行かないと。

 

「何でそんなに気落ちしているのかは分からないけど、話を聞いて。私は貴方にお願いをしにきたの」

 

 紫は居住まいを正し、まっすぐに俺の目を見て言った。

 

「私の夢の成就に協力してほしいの」

「…夢?なんだ、お嫁さんにでもなりたいのか」

 

 軽いジャブとしてボケてみると、紫は赤面しながらふざけないで、と睨んできた。意外に純情なのかも知れない。

 しかし、夢。夢ねえ……

 

「どんな夢か言ってみろ。内容次第じゃ考えてやらんことも無い」

「妖怪と人間が共存できる世界を作りたい。それが私の夢よ」

 

 スケールが半端じゃない。もっと緩いというか、子どもが考えるようなシンプルな願いかと思ってた。もしくはあれだ、復讐とか。

 

「…やっぱり貴方も馬鹿馬鹿しいと思う?」

「いいや別に。でっかい夢はいいと思うよ。抱く理想は常に高くあるべきだ。確かにその夢を叶えるのは非常に難しいだろうが、まあ夢見ちまったなら行けるとこまで行ってみろよ」

 

 で。

 

「その口ぶりからすると、他にこのことを聞かせたやつにコケにされたことでもあるのか」

「ええ。何人かの高名な妖怪に話してみたんだけれど。いい返事を聞かせてくれたのはほんの一握り。ほとんどからは馬鹿にされたわ。『世間を知らない若造の戯言』『妄言を吐くにも程がある』とかね」

「んー、そうなってくると俺に声をかけたのにも何か理由がありそうだな。いくら権力者たちに袖にされたとはいえ、だからって俺みたいな野良妖怪をわざわざ探し出して話をする必要もないだろう」

「…驚いた。貴方、なかなか頭も切れるのね」

 

 紫が大層驚いた顔をする。俺はそんなに阿呆に見えるのだろうか。もしかして脳みそ空だと思われているのか。

 

「私がどうしても貴方にこの話をしたかった理由。それはねギン、貴方が人間に友好的だと思ったからよ。いくつもの村を妖怪の脅威から救った貴方は少なくとも人間のことを憎からず思っていると考えたの」

「そうか」

 

 一通りの話を聞き終え、俺は黙考する。腕組みをして首をひねり、唸り声。とりあえずは形から入ってみた。

 紫は期待した目でこちらを見ている。隠そうとしているのだろうが、体がやや前のめりだ。待ちきれない子どものようだ。

 

「はっきり言うぞ、紫。お前の夢、実現するのはかなり難しい。人間と妖怪は根本的に相容れない」

「それは分かってる。でも…」

「妖怪は人の恐怖から生まれる。そして妖怪は人を食う。そしてなにより、人が妖怪を恐れている。お前は知らないだろうが、今まで俺が救ってきた村の中には俺が妖怪だと知った途端手のひらを返すように俺を殺そうとした村だってある」

 

 紫の言葉を遮り口にする。人間と妖怪の間にある決定的なまでの深い溝。これを埋めるには一方からだけでなくお互いに歩み寄らなければならない。

 

「とはいえ、そんな人間ばかりじゃない。俺が妖怪と知って尚変わらず接してくれたやつらもいる。だから俺は人間を嫌いになれないんだが」

 

 以前は人間だったというのに、何を言っているのやら。まあペンギンでいた時間が長かったのさ。今の俺にとって魚とは丸呑みにするものでしかない。人とは違うのだよ人とは!

 

「紫。その夢を叶えるには、何百年、下手をすれば千年近くかかるかもしれない。苦難も挫折も障害もたくさんあるだろう。それでもお前は楽園を作りたいと願い続けることができるのか」

「勿論」

 

 即答されてしまった。揺れることのない紫の目を見て、俺はニヤリと笑った。

 

「そうかそうか。いいだろう。ならばお前の夢、俺も一枚かませてもらうぜ。とはいえ、俺は交渉ごとだのなんだのは面倒くさくてイヤなので、主に荒事中心に手助けをするよ。文句は言わせない。言われても困る」

「そう?貴方なら舌先三寸口八丁で丸め込むのは得意そうなのだけれど。助けを求めている立場なのだし多くは言えないわね。それで十分よ。ま、機会があったらとことん酷使させて貰うけど」

「ひでえ」

 

 俺はゲラゲラと笑い、紫はコロコロと笑った。

 

「時に紫よ。お前のそのいかにも胡散臭そうに喋ろうとするの、やめた方がいいぞ。ぶっちゃけ似合わない」

「…うるさいわね。舐められない様に頑張ってるのよ」

 

 照れによって頬を赤くしながら紫は立ち上がり、いつのまにか現れた空間の裂け目のような場所に入ろうとする。

 

「最初も思ったんだが、なんだそれ」

「これ?私はスキマと呼んでいるわ。『境界を操る程度の能力』で空間の境界を操っているの」

「なにそれかっこいい。俺の『ありとあらゆるものを凍結させる程度の能力』より強そうだな」

「貴方のほうがよっぽど壮大じゃない」

 

 どうでもいいことだが、スキマとやらから体を半分だけ出して話していると非常に気持ち悪い光景ができあがる。

 というかあれは『どこでもドア』という解釈でOKなのだろうか。いいな、オレも欲しい。

 

「じゃあ私は次の妖怪のところに向かうわ。賛同者は大いに越したことがないし」

「そうか、頑張れよ。困ったことがあったら呼べよ。暇つぶしに助けてやる」

「期待してるわ」

 

 当初から変わらず胡散臭そうな笑みを浮かべる紫。そしてそれに影響されたわけではないのだが、あえて言うなれば対抗して、俺は面倒臭そうに振舞った。

 

「またな」

「またね」

 



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7羽~鬼々迫る~

 いつかの季節のいつかの月。何処かの国の何処かの山中で、傍から見ただけで目を見張るような光景があった。

 

 なななんと、あのペンギン野郎が女性に詰め寄られているというもの。その傍らには小さな女の子の姿も確認できる。

 これはまさか、あれですか?無責任な男に向かって女性が「責任とりなさいよ!」とか言うアレですか?

 

 バカな!有り得ない!あのペンギンがそんな経験をしていただとっ!冗談じゃない、オレは信じないぞ!

 

 ほら、こうやって拡大して音声を拾えば……

 

『ああん?事故だぁ?そう言えば「しょうがないな」とでも言われると思ってんのかぁ!』

『すんませんでしたっ!』

『まあまあ、落ち着いて』

 

 なんだこりゃ。女の人が怒ってて、ペンギンが謝ってて、小さい子が宥めてる。どういうことなの。

 

 仕方ない。ちょっと場面を巻き戻してみるか。

 

 えっと……ペンギンが山道を歩いてて、途中に転がってた石ころを蹴飛ばして、石が吸い込まれるように茂みの奥に消えていって、数秒後にそこから頭にたんこぶこさえた女の人が出てきた、と。

 

 うむ。判決、あの鳥野郎が全面的に悪い。

 はっはっは。見ろよあれ。女の人に迫られてタジタジになってやがる。情けね―――ッ!?

 

 い、いや、違う。アイツは困ってなんかいない。ペコペコ頭を下げる振りをして、女の人の着物の袂から覗く谷間を凝視してやがる!

 なんてヤツだ……恐ろしい。謝ってるフリとか最低だろ。おまけに見られてる女性は頭に血が昇っていて回りが見えていない。完璧じゃねえか…。

 

 あ、横にいた幼女がギンの視線に気付いた。そして密告。お姉さんは怒りが一周回ってむしろクールに。変態は顔面蒼白に。

 

 言い訳をする暇など与えられず、一瞬で懐に入ったお姉さんのアッパーで、ギンは放物線を描いて空へと飛んでいったのだった…………………………

 

 

…………『東方人鳥録』・完!

 

次回作にご期待ください!

 

                          ★

 

 

「……いやいや、まだ終わらないよ。物語は始まってすらいないんだから」

「……………生きてることは生きてるけど、頭の中身はダメになっちまったみたいだね」

 

 これも全て自業自得だと思って諦めてくれ、と幼女。酷すぎやしないだろうか。

 しかし、目が覚めて真っ先に口から飛び出したあの言葉はなんだったのだろうか。どこからか電波でも受信したのだろうか。

 

 まあいいか。

 五体倒地の状態からむくりと起き上がり、とりあえず首の調子を確認。……大丈夫、何の問題もない。下手したらエクソシストの少女のようになる可能性もあったが杞憂だったようだ。

 何事もなかったかのように振る舞う俺を見て、幼女は驚いたような顔をした。

 

「ほほう。あれだけの力で勇儀に殴られて大して堪えてないとは。中々の強者と見た」

「女性の攻撃ではダメージを受けない仕様なんです。むしろ回復する勢い」

「なんだそりゃ!」

 

 愉快そうに笑った幼女はくい、と。軽い感じで手に持った瓢箪を呷った。かなり呑み慣れているようだった。

 

 …………………………………………え?瓢箪ですか?ラムネ瓶とかでなく?

 くんくんと鼻を鳴らして臭いを嗅ぐと、どうして今まで気づかなかったのかが不思議なくらいの濃い酒の臭いがした。

 

この幼女、飲んでやがる!

よくよく見たら頬も赤いし足取りもふらふらしている。へべれけ幼女なんて誰が得するのだ。少なくともここに一羽いるが。

 

だが、子どもの健全な成長を願う俺としてはこんなことは見過ごせない。子どもはきちんと正しい環境で大きく(エロく)なっていかなきゃ駄目なんだ!

 

「というわけでどーん」

「ああっ!?何をする!わたしの瓢箪を返せー!」

 

 一瞬の隙を突いて幼女から瓢箪を奪いその手を高くあげる。幼女はぴょんぴょんと跳び跳ねて取り戻そうとするが、届くはずがない。

 

 しかし一生懸命に頑張るその姿は非常に愛くるしい。垂涎モノだ。必死になっているその表情が見えるのもまた良しだ。股ぐらがいきり立つ。

 

「って、あれ?」

 

 気が付いたら手の中が空になっていた。見ればブツは幼女の手の中に収められていた。いつの間に。

 

 取り戻した瓢箪を後生大事そうに抱き抱え、幼女はジト目で睨んできた。いいなぁ、瓢箪になりたい。

 

「いきなりなにするんだよ!飲みたいならそう言え。少しくらいなら分けてやるから」

「いや飲まねえよ。そしてお前も飲むな。酒は体に毒なんだぞ」

「だったらどうした。こちとらもう何年も飲み続けて来たんだ。いきなり飲むのを止めたら、むしろそっちの方が体に毒だよ」

 

 完全にアル中の発想じゃねぇか。

 

「いやそういうのじゃなくてな、小さいうちから酒なんか飲んでたらさっきのお姉さんみたいなキレイな大人になれないぞ、っていう話をだな…」

 

 瞬間、心臓が止まりそうになるほど強大な殺気が俺を襲った。

 

 ガクガクと体が震える。背中に嫌な汗が浮かぶ。

 自慢ではないが、これまで数多くの妖怪と巡り合い、そのうち何体かとは戦ってきた。生まれ持った素質が違ったのか、そこらへんのちょっと力を持ったような妖怪なんか鎧袖一触にすることも可能だ。

 

 そんな俺をもってして、相対しただけで勝てないと悟る、いや、強制的にそう認識させられてしまうほどの圧倒的威圧感。さすがの俺も死を覚悟した。

 

 意を決して、正面を見据える。

 

 殺気の出所はあの幼女だった。俯いてしまっているため表情は窺えないが、その小さな体から放出される妖力と気迫によって周囲の木々はざわめき、足下に転がる石に罅が入った。

 

「…………私は勇儀より年上だ…」

 

 ぼそりと呟く。え、マジで?

 

 驚愕の声を肉声として発さなかった俺を誉めてほしい。もし今少しでもこの幼女の機嫌を損ねれば、俺は文字通り地に還ることになる。

 

 さて落ち着け俺。クールになって最善の対処法を考えろ。

 

 下手な慰めの言葉をかけるのは一番アウトだ。女性というのはそういうのを嫌がるだろう。

 かと言って上手いことを言えるわけでもない。俺はこういう状況で一発ぶちかましてしまう傾向がある。頭を捻れば捻るほど泥沼だろう。

 

 よし。こうなったら、なにも考えずに素直な俺の心境を吐露しよう。

 

 幼女を中心に吹き荒れる激しい妖力に耐えつつ、すたすたと近付き、膝を折って目線を下げる。

 ぽん、と肩に手を置き、

 

「そんなこと気にすんなよ。俺はちっちゃい体もちっちゃいおっぱいも好きだぜ?ほら、そんな風に怒ってたら可愛い顔が台無しだぜ。いや、怒ってても可愛いんだけどさ。でも俺は笑った君の方が好きなんだ。お願いだ、また俺に花が咲いたような可憐な笑顔をみせてくれ」

 

 ぶん殴られた。

 

 羞恥からか憤慨からか、顔真っ赤にした幼女にアッパーを貰った。

 

 気のせいか、殴る瞬間幼女の手が巨大化したように見えたのだが気のせいだろうか。確認しようにも今俺は宙を舞っている真っ最中なのでそれはできない相談だった。

 

 そして意識が暗転する。

 

                          ★

 

「お、気がついたようだね」

 

 目が覚めると金髪のお姉さんに覗き込まれていた。さっきのたんこぶお姉さんだった。自然と体勢が土下座に移行する。

 

「先ほどは重ね重ね申し訳ありませんでした」

「いや、もういいんだよ。一発は返したしね」

 

 あっけらかんと言ってのけるお姉さん。一発って、明らかにレベルが違ったような気がするのだが、細かいことは気にしてはいけないのだろう。このお姉さんはきっと『姉御』と呼ばれる種類の人だ。

 

 それに、と。にやりと妖しい笑みを浮かべ、

 

「別に見られて困るものでもないしね。見たいなら見たいとはっきり言えばいいのさ」

 

 そう言って腕を胸の下で組み、ぐいとこちらへ突き出すようにおっぱいを主張してきた。しっかりと帯を締めてないのか、着物が緩んでいるためよりくっきりと深い谷間が見えていた。

 

 不随意運動で、

 

「もっと見せてぶらぁ!」

 

 別に若本さんの真似をしたかったわけではない。いやいつかあんな声を出してみたいとは思っているが。

 『下さい』の部分で突然飛来した瓢箪が顔面に直撃したのだ。下手人は少し離れたところにある岩の上で酒をかっ食らってたあの幼女だと思われる。

 

「何はともあれ、再びこの瓢箪は貰った」

「しまった!」

 

 あの幼女は実は抜けているんではないだろうか。ぼんやり考えていると、いつの間にか幼女の姿は消え、やはり俺の手の中から瓢箪も消えていた。

 

 いつの間にか少し離れていた幼女に向かって、

 

「いきなり物を投げるとは失礼なやつだな。自慢の鼻がつぶれたらどうしてくれる」

「別にいいじゃないか。元々高くもないんだし」

 

 ぐはっ。やーらーれーたー。

 

「うえーん。虐められたよー」

「おやおや、可哀想にねぇ」

 

 明らかに悪乗りをしているであろう笑顔を浮かべたお姉さんが、棒読みでうそ泣きをした俺を優しく抱きしめてくれた。見事な谷間に顔が埋まりおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱい――

 

「この浮気者!」

 

 思考がイっちゃってたところに幼女がドロップキックを繰り出してきた。避ける訳がない。

 

 今まで敢えて言わなかったのだが、俺は先ほどから洞窟のような場所にいたのだ。お陰で地面を転がると凹凸が痛くて痛くて。

 自然に停止したところで仰向けの腹を踏みつけられた。我々の業界ではご褒美どころか誉れである。

 

「ていうかお前、浮気者って何よ」

「うっ……うるさい!さっきは私のことが好きとか言ってたくせに、あっさり勇儀に誑かされて!さっきの言葉は嘘だったのか!」

「バカめ。よく思い出せ。俺は『ちっちゃいおっぱいもちっちゃい体も好きだ』と言ったのだ。ぶっちゃけおっきいおっぱいも成熟した体も大好きだ!どっちかなんて選べない!」

「死、っねぇぇええええええええ!!」

 

 踏みつける力が強くなる。死にそうだけど嬉しいのが悔しい。

 気のせいかどんどん幼女の重さが増している気がする。ぐえ、中身が出ちゃう出ちゃう。

 

「罪な男だねぇ」

 

 にやにやしながら徳利を傾けるお姉さんが視界に入った。見てないで止めてよ。

 

                           ★

 

「改めて、星熊勇儀。見てのとおり鬼だ」

「……伊吹萃香」

「俺はギン。しがない妖怪だよ。よろしく」

 

 あれからしばらく経って。嬲られる俺と嬲る萃香を肴に呑んでいた勇儀だったが、瓢箪を一本空にしたところでようやく萃香を止めてくれた。

 ダメージやら何やらはともかくとして、幼女の小さいあんよで思う存分ふみふみされたという事実だけは忘れないでおこうと思う。

 

 しかし、萃香にはずいぶんと嫌われたようだ。今の自己紹介にしたって勇儀に促されたからしたようなものだし、さっきから目すら合わせてくれない。

 どうしたものかと頭を捻る。

 

「なにがしがない妖怪だよ。アタシと萃香からあれだけ殴られて平然としてるなんて、並みじゃない証拠だよ。どうだい?ちょっくらアタシとやらないかい?」

 

 イイ笑顔で勇儀が言う。アンタさっきの俺の悲鳴を聞いていなかったのか。そして今日だけで二回も俺はアンタらに殴られて気絶してたんだが。

 

「いやいや、俺なんか全然だって。確かにそこそこは強いつもりだけど、でもお前らみたいな鬼と比べたら有象無象に等し――危なっ」

 

 言葉の最中にいきなり勇儀が殴りかかってきたので慌てて避ける。続けての攻撃も考慮し、二歩、三歩とバックステップを繰り返す。

 

 地面にめり込んだ拳を引き抜き、勇儀はニヤリと笑った。

 

「ほぉら。仕留める気で襲ったのに涼しい顔してやがる。やっぱりお前強いよ」

 

 なんでこの鬼さんは俺を強い人にしたいの?俺になんか恨みでもあるの?心当たりはないわけじゃない。

 

 顔に浮かべる笑みを深くしながら勇儀は再び飛び掛ってくる。速い。が、避けれないほどじゃない。一度はこんな台詞を言ってみたかった。

 

 地面が抉れるほどの踏み込みから放たれた拳を後ろに下がって避ける。同じことを繰り返すのは芸がなかったのか、素早く体を動かし今度は鋭い蹴りが繰り出される。

 

 顔面狙いのそれをしゃがんでやりすごす。ふと顔を上げると、勇儀の着物の裾が蹴りの勢いでめくれ上がり中身が見えていた。褌だった。際どかった。

 

「ひゃっほう!」

「ノってきたみたいだね!」

 

 テンションが一瞬で振り切れた俺を見て勘違いした勇儀が叫ぶ。この娘はこの娘でどっか抜けてるな、と思いつつ、自らの動きを加速させる。

 

 拳と蹴りの連撃を紙一重で交わしながらさらに内へ内へと潜り込む。くそ、ダメだ!揺れる何かに目を奪われるんじゃない。これは罠だ!

 

「どうしたどうした!もっと頑張れよ!」

 

 反撃したいのはやまやまなんだが、如何せん、急に勇儀の動きを見切れなくなった。ギリギリでかわすことしかできない。どうしても目が動かない!

 

「この……っ!」

 

 突如激しい悪寒が走った。湧き上がる本能に従い、その場から大きく距離をとる。

 次の瞬間には、今の今までいた場所に大きな岩が落下してきた。

 

 こんなことをするのは――

 

「なんだい萃香、お前もやる気になったのかい」

「…ああ。ちょっと興が乗ってね」

 

 と言うわりには声が平坦で無表情だ。しかし、その中に隠しきれない激情があるのがわかる。これはまさか、また気づかれたのか。

 

 二対一になり形勢は不利だ。現状を打破するためにも、俺はある提案をする。

 

「萃香も参加したことだし、ただ殴りあうだけじゃ面白くないだろう。どうだ勇儀、ここらで勝ち負けの条件を決めないか?」

「構わないよ。勝負はアタシらから吹っかけたんだ。それはアンタが決めるといい」

「じゃあこうしよう。萃香の瓢箪を奪い、十秒それを保持できれば俺の勝ち。一度奪われた瓢箪を奪い返されるか、その前にのされたら俺の負けだ」

「そんなのでいいのかい?そっちが不利なように思えるけど。鬼ってのは正々堂々とした勝負を望むんだけどね」

「問題ない。俺としてはこれ以上ないくらいの条件だ」

「ならいい……よっ!」

 

 踏み切ってからの重い一撃。壁際まで追い込まれていた俺は上に跳んで逃げるが、拳は壁に突き刺さり天井まで続く亀裂を生み出した。

 

「なんつー馬鹿力してんだ」

 

 思わずぼやく。宙で体を動かし天井に足を着け、慣性の力によってそこに留まっているうちに手を置いて能力を使用する。

 

「「なっ!?」」

 

 勇儀と萃香の声が重なる。いきなり洞窟が一面凍りつけばそうなるのも分かる。

 

 その隙に天井を蹴って移動する。一目散に萃香の元へ。二人の足は床ごと凍らせているので思うように動けないだろう。

 

 当然、突っ込んでくる俺を迎え撃とうと萃香は拳を振るうが、決め手はリーチの差。萃香の拳が届くより先に、俺の手は萃香の腰の瓢箪を掠め取った。そのまま一目散に離れる。

 

「このっ!」

 

 滑りながら着地した俺の視界の中で、萃香の体が忽然として消えた。やや面食らいながらも、しかし一方では冷静に、瓢箪を持っていない方の手を持ち上げ、虚空を掴む仕草をする。

 

 そして、瞬きよりも短い瞬間の後に、その手は萃香の着物の襟を掴んでいた。

 

「―――っ!?」

 

 動揺に固まる萃香の体を凍結する。ぱっと手を離して地に落ちた萃香は雪だるまみたいになっていた。というか俺がそうした。

 

「はぁぁぁぁああ!!」

 

 咆哮。そして破砕音。素早く振り返ると、勇儀が力ずくで足下の拘束を破っていた。うっそだー。結構がんばって凍らせたんだよそれ。

 

「やるじゃないかギン!こんなに楽しいのは何百年ぶりだろうね!さあ、これならどうする!」

 

 喜色満面で走る勇儀。だがその姿からはさっきまでとは違うなんだかヤバい気配がする。その証拠に一歩踏みしめるごとに足元の氷が下の地面と一緒に砕けていく。

 腹の底から出された声とともに、今までの拳が子どもの喧嘩のように思えるほどの重い一撃が繰り出される。これは強い。紙一重でかわせたとしても風圧で皮膚くらい切れそうだし。そもそも避ける余裕がない。完全にその気迫にのまれてしまいタイミングを逃した。

 

 受けれない。かわせない。往なせない。避けれない。ならば。

 

 向かってくる拳に対して引くのではなく、むしろ一歩踏み込む。手を伸ばし着物の袂を掴み、もう一方で拳のほうの袖を掴んだ。くるっと回って、足をかけて体を浮かせて、

 

「えいやーっ!」

 

 一本背負いである。

 

 バーン!と重い音を立てて逆さまに勇儀は壁に激突する。その背面を凍らせ、勇儀を壁から離れられなくしてから、

 

「十秒、経ったな?」

 

 確かめるように、宣言した。

 

                           ★

 

 

「んっんっんっ……っぷはぁ!………いやぁ、それにしても。やっぱり強かったねアンタ」

「そうだね。あれだけ強いんだったらいつだったかの私らの拳も避けられたんじゃないのか?」

「世の中には避けていい拳と避けちゃいけない拳があるんだよ。ネタ的に」

 

 ケンカが終わったら酒盛りだった。拳を交わしたら飲み友達、とかいつの時代の学園ドラマだよ。

 

 瓢箪を呷る。中身は薄く濁ったお酒。ようは濁酒。飲みやすいが、調子に乗って飲みすぎると後悔することになるので程ほどに。能力で何とかできないわけじゃないけどさ。

 対して、鬼のお二方は『二日酔い?なにそれ美味しいの?』といった様子で、俺より強い酒を俺より遥かに多い量で俺より速いペースで飲んでいる。というか単位が~樽っておかしくね?

 

 ちまちま杯に注ぐのが面倒になったのか、とうとう樽から直接のみ始めた勇儀を左に置き、右に萃香ときて鬼に挟まれる陣形。一応並んで酒をのめるくらいには萃香との仲は修復できた。

 というのも、どうも胸の大きさについて悩んでいる様子だったので、

 

「いいか萃香。おっぱいというのものには確かに差がある。大きさだったり柔らかさだったり形だったり色だったり。それは男からしたら単なる好みの問題だが、女性からしたらそうじゃないのかもしれない。とても重要なことなのかもしれない。特にお前みたいな持たざるものからしたら勇儀みたいなたゆんたゆんな人は妬ましいのかもしれない。でもさ、萃香。俺はこう思うんだ。おっぱいの大きさなんて、どうだっていいじゃないか。みんな違ってみんないいんじゃないか。だってさ、大きかろうと小さかろうと無かろうと垂れていようとどうであれ、おっぱいはそこにあるんだから。少なくとも俺はそう考える。おっぱいがあるだけで俺は救われる。おっぱいがあるだけで俺は戦える。おっぱいに貴賎は無いんだ。おっぱいという存在そのものが神々しいものなんだ。おっぱいはな、かけがえの無い大切なものなんだ。おっぱい――」

 

 この時点で萃香と勇儀にぶん殴られた。まだ言いたいことはあったのに。あれ?萃香を励まそうと思ってたのに、気がついたら俺の趣味思考を暴露してた。恥ずかしい。

 しかし俺の話を聞いて萃香は何か思うところがあったらしく、それ以上自らの胸について考えるようなことはやめた。結果オーライというやつである。

 

「そういえばギン。お前あれどうやったんだよ」

 

 いきなり勇儀に問いかけられる。アレって何だろう。そして勇儀はもう樽を飲み干したのかい?質量保存の法則ってなんだったっけ。

 

「あれって?」

「ほらあれだよ。ケンカのときに萃香が散ったのをどうやってまた集めたんだい?」

「ああ、それなら私も気になってた」

 

 散る?つまり、体を細かく分散してまた別のところで再構成してるってのか。俺はてっきり瞬間移動の類かと。

 

「萃香よ。お前のあれは能力なのか?」

「そうだよ。『密と疎を操る程度の能力』。ようは萃めたり散らしたりする能力さ」

「そっかそっか。俺の能力は『ありとあらゆるものを凍結する程度の能力』っていうんだけどさ、さっきのは多分散った萃香の強引に凍結して固めたんだと思う」

「へぇ。そんなことができるのかい」

「そこはほら、気合で」

「なんだそりゃ。そんな大層な名前してるんだからもっと自信もちなよ」

「いやこれは名前負けだって」

 

 つまらない話をしながら酒を飲み続ける。

 

「二人が言ったからには、アタシも能力を紹介しないといけないね」

「「いや別にいい」」

「なんでだいっ!」

「もう知ってるし」

「すまん、ノリで」

「アンタら……はぁ、怒るのも阿呆らしい。とにかくアタシの能力は『怪力乱神を持つ程度の能力』だ」

「ほほう。名前からしていかにも力が増しそうな感じだな」

「まあ私ら鬼は元々もってる力が大きいから、使わないといえば使わないんだけどね」

「うっさい」

 

 二人の顔が大分赤くなってきた。俺もかなりアルコールが回っている。だが何故かやめられないとまらない。

 

「お前ら地元じゃ四天王って呼ばれてんのか」

「なんかイヤだねその言い方。でも、そうだよ。で、もう古巣じゃ骨のあるやつがいなくなったから強いやつを探してあちこち旅してんのさ」

「でもなかなか強いやつに出会えなくてね。それなりにやれるのはいるんだけど、ギンくらいのになるともう全然」

「いやいや。俺を強いやつに分類しないでくんない?俺なんか全然だって」

「……またそうやって。アタシら鬼は嘘が嫌い、って知らないのかい」

「嘘じゃねえよ。さっきのは決め事があったから勝てたのであって、純粋な殴り合いじゃ二人には勝てないよ」

「ふん。あの身のこなしでそんなわけが無いだろう」

「そういうんじゃなくて。お前らみたいな美人をどうやったって殴れるわけが無いだろう」

「「…………ばーか」」

 

 喉の動きは休むことは無い。酔いは自意識が保つギリギリのあたりで凍結したからこれ以上酔うことはないだろう。鬼の二人は言わずもがな。

 いつの間にか萃香に酒を注いでもらっていた。濁酒とは比べ物にならないほどの強い酒だが、しかし今の俺には心地いい。俺が注ぎ返し、続けて勇儀にも注ぎ、勇儀と萃香に同時に注がれこぼれないように慌てて口をつける。

 

 結局、その場の酒がすべてなくなるまで酒盛りは続いた。最後のほうは記憶が無いが、気がついたら三人とも全裸だったのは覚えている。

 何があった……。

 



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8羽~月夜の番人~

 絢爛なお屋敷。華美な装飾こそありはしないが、しかし細部にまで細かく気を使った設計がなされており、持ち主の品格の高さが伺えた。

 そんな屋敷のとある一角。普段ならあまり人が来ない行き止まりへ続く角からひょっこり顔を除かせる小さな影。

 

「………ペン」

 

 ペンギンである。

 

 風来坊で根無し草で素浪人であるペンギンが、多少身分が高いくらいでは足を踏み入れることさえ許されない屋敷に、あまつさえ人の姿でなく子ペンギンの姿でいる理由。

 それは、時の都でひとつの噂が流れ始めたことがきっかけである。

 

 曰く、『絶世の美女がいる』と。

 

 それを耳にした瞬間、あらゆる経緯や動機は捨て去り、たった一つのシンプルな答えがギンの脳裏に焼きついた。

 『噂になるほどの美人を一目見てみたい……』という願望。その結果としてその美女がいるという屋敷に忍び込んだのだ。

 ようするに、覗きである。

 

 ペンギン(不法侵入の疑いあり)はきょろきょろと辺りを見回し、使用人などの姿が見えないことを確認してから、ペタペタと足を鳴らして移動を始めた。小さければ見つかりにくいだろうと考え姿を元に戻したギンではあったが、しかしその分歩幅は縮まり、次の角に移動するまでだいぶ時間をかけてしまう。

 

 ようやくたどり着いた角に体を預け、そっと向こうをうかがい、女中が数人集まり話しているのを見つけ慌てて顔を引っ込めた。

 数分経って、女中たちは自らの仕事場に戻っていった。ほっと安堵の息を吐き、再び移動を始めるペンギン。それから、二つ三つと立て続けにコーナーをクリアしていった。

 

 ……一見順調そうに見えるが、実はこの鳥は噂のお姫様がどこにいるのか知らないのである。適当にうろちょろしていればそのうち見つかると考えているあたり、彼の計画性の無さが窺える。

 

 しかし、この鳥には計画性は無くとも、運はあったらしい。それが良いのか悪いのか、強運か凶運かは分からないが。

 

 いくつもの角を通り過ぎ、なんかそろそろ飽きてきた、とギンが感じ始めた頃合だった。気を抜いていたせいか、ギンは突如開け放たれた襖に反応できなかった。開かれた襖の丁度真ん中にギンはいたので、動作主には真っ先に気付かれた。

 

 美しい少女であった。

 艶のある黒髪とか、筋の通った鼻だとか、大きく透き通った瞳だとか、白磁の如き美しい肌だとか、ぷっくりとした朱い唇だとか。

 そこらへんのライトノベルを開けば並べられるような美辞麗句がすべて当て嵌まるような少女であった。いやぁ、ラノベってスゴいですねぇ。

 

 硬直した一人と一羽であったが、先んじて再起動したのは美少女のほうであった。彼女はきょろきょろと首を回して見える範囲に使用人がいないことを確認すると、重たい着物を重ね着しているとは思えないほど俊敏な動作で、『やっぱり黒髪ロングは最高だぜ!』と考えているペンギン(いろんな意味で雑食)を抱えあげると部屋のふすまを閉じ、そそくさと室内に引っ込んでしまった。

 

 何枚ものふすまを開けては閉め、やがて自らの私室へと行き着いた少女はすとんと座り込み、ずっと胸に抱いていたペンギンを改めて見つめる。

 ふわふわの羽毛。曇りの無い瞳。小さな少女の胸にもすっぽり納まってしまうその矮躯。時折動く羽や足のまた愛くるしいこと。

 たとえ内心で『ああ、ダメっ。そんなに熱っぽい視線で見られたら……うっ』とか考えていようとも。それが外見に反映されないからにはまったく持って問題は無いのだ。

 

「はぁ…」

 

 うっとりとした目で美少女はペンギンを見つめる。両手で手触りを確かめるように羽を揉み、顔を近づけて目を至近距離で合わせ、だらんと垂れ下がった両羽をつまんだりした。

 

 最終的にぎゅっと強く胸に押し付け、

 

「カワイイ……ッ!」

 

 満面の笑みで、そう漏らした。

 

 その後、少女は部屋を飛び出し、おじいさんとおばあさんにペンギンを突きつけ「この子飼いたい」とせがんだ。見たことも無いような生き物に警戒しおじいさんは渋ったが、目の前のペンギンの可愛さにほだされたおばあさんと偶然その光景を目にした女中たちに押し切られてしまったそうな。

 

                          ★

 

 気がついたら、かぐや姫のペットになっていた…

 な…何を言ってるのかわからねーと思うが 、俺にもよく分からなかった。

 こんな美人と一つ屋根の下で生活だなんて、頭がどうにかなりそうだぜ……。

 

「どう、ペンペン?気持ちいい?」

「ペンッ!」

「そう、よかったわ」

 

 うふふ、とかぐやは微笑んだ。普通に可愛いです。もう多分この状態でも普通にしゃべれるだろうけど、なんかこの鳴き声じゃないとしっくりこない。そのまま名前にも起用されてしまったしな。

 

 かぐやの笑顔をオカズに十分に楽しんだ俺は、よっこいせと庭先に置かれた水の張られた盥から出、ぷるぷると体を振るって水気を飛ばした。

 

「あら、もういいの。それじゃあ、これ片付けておいて」

 

 そばに控えていた女中さんに指示したかぐやは立ち上がり俺を抱え上げて縁側から離れた。抱っこされる体勢でいる俺には、後ろで頭を下げている女中さんが見えた。

 

 俺がかぐや姫のペットになって、早一ヶ月くらい。そろそろこの暮らしにも慣れ始めてきた今日この頃である。まあ幽香の時で経験あるし、ちょっと周りに人がいっぱいいることくらいしか違わないか。

 

 長い廊下を進み、ようやくかぐや姫は自室にたどり着いた。

 俺が飼われるようになってからというもの、かぐや姫は部屋に一人ではいるや否や俺の羽毛を弄繰り回し腹に顔を埋めるなどといった奇行を繰り返していた。俺としては美人さんに弄ばれるというのも嫌いではないので不平不満などは無かったが、しかしその間のだらしなく緩みきった顔は家の人に見せていいものではないだろう。

 

 物語で呼んだお姫様とは全然違うな、と思っていたのだが、しかし今日のかぐやはどこか違った。

 

「……はぁ」

 

 紅など塗らなくとも赤く染まった唇から、小さなため息が漏れた。表情にも陰りが見える。

 

「…ペェン」

 

 思わず俺のくちばしから心配するような声が漏れてしまった。

 

「あら、慰めてくれるの?優しいのね」

 

 うっすらと。膝の上にのせた俺の体を優しく撫でながら、かぐやは儚げに微笑んだ。その笑顔ははっとするほど美しいのだが隠し切れない憂いが見て取れ、じっくりと視姦する気にはならなかった。

 

 この少女がこんな風になっている理由ははっきりしている。三日後の十五夜の日、かぐやは月に帰らなければならないのだ。

 詳しい理由や経緯は『竹取物語』を参照してほしい。

 

 それにしても、先日屋敷を訪れたと言う月からの使者というのは一目見てみたかった。なんで晩飯のあとにくるんだよ。丁度居眠りしてた時じゃんかよ。

 

 ああ、別にかぐやは月に帰ることになったから落ち込んでいるわけではない。というか月には帰らないらしい。

 なんでもかつての恩師である、や……なんちゃらえーりんという人がいて、その人に協力してもらい脱走するらしい。

 個人的にはそのえーりんと言う人にぜひ会ってみたい。なんでもおっぱいが大きいらしい。もう一度言う。おっぱいが大きいらしい。かぐやが俺にその人のことを説明する時に小声でぼそぼそ呪詛のようなものを唱えていたのが聞こえた。自分の胸を悲しげに見つめるかぐやの顔を俺は見ていられなくなり、仕方ないからその胸元をガン見することにした。

 どうでもいいがかぐやは不老不死らしい。不老ということはこれ以上の成長は見込めないということですね分かります。

 

 気がついたら話が脱線していたな。後悔は微塵も無い。

 かぐやが悲しんでいるのは、自分を育ててくれたじいさんとばあさんと別れなければならないことだ。一緒にいたのは数年のこと、妖怪である俺や不老不死のかぐやからしてみたらわずかな時だが、しかしそれは確かにあった時間。その中で生まれた思いは、永い時を生きる俺たちだからこそ大切にしなくてはならないのかもしれない。

 

 かぐやが手を止める。両手を俺のわきに差込み顔の正面まで持ち上げる。

 

「…ねぇ、ペンペン。よかったら、私と一緒に行かない?あなたのさわり心地は手放すには惜しいわ」

 

 いたずらを仕掛けた子どものように無邪気に、そしてからかうような口ぶりの軽い問いかけ。

 しかし問いかけるかぐやの表情はまるで縋るようであり、瞳は寂しさで満ち溢れていた。

 

「――ペン!」

 

 一瞬の間も置かず、俺は大きく鳴いた。言葉だけでなく体全体を動かし、その全てから肯定の意を伝える。

 

 突然の挙動にわずかに戸惑ったようだが、しかし俺の答えをしっかりと届いたらしく、かぐやは嬉しそうに微笑み、ぎゅっと俺を抱きしめた。

 

 ちょ、待、力強い!しかも着物が厚いせいであまり柔らかくない!

 あ、でもいいにおいがするからいいか。

 

                          ★

 

 今宵は満月。十五夜。中秋の名月。空に鎮座する月を肴に一杯引っ掛けたいところだが、生憎とそうもいかない。

 なんといっても、今日はこれから月の団体さんがいらっしゃるんだから。

 

 屋敷の周りにはたくさんの灯りがともされ、ぎっしりと弓を持った兵士、というには身なりが良過ぎる群集がひしめいている。ぶっちゃけ暑苦しい。視覚的にも見ていられないよ。

 

 これらの人員は全てかぐやにぞっこんLOVE(死語)の帝様から派遣されてきた。どうしてもかぐやを守りたいらしい。惚れた女を守りたいと言うのはかっこいいがそれなら自分で守れよ。そうでなくてもせめてこの場に来いよ。

 かぐやとじいさんばあさんが控えている部屋の前にも兵士が門番として控えている。選りすぐりの屈強な兵士らしいが、ぶっちゃけ今のペンギン状態の俺でも十秒以内には沈めれそうだ。

 

 かぐやはじいさんばあさんと湯飲みを片手に最後になる会話をしている。内容はなんてことないもので、やれ庭の花がきれいに咲いた、やれ最近寒くなってきたからもう一枚厚着しようか、やれ何処其処のお菓子は出来がいい、などといった、もうすぐ今生の別れになるやも知れないと言うのに、口から出るのはそんな話題のみ。

 だがこれでいいのかもしれない。別れ際に特別なことは必要ない。いつも通りの、今まで通りの、変わらないことをすればいいのかもしれない。大事なのはそれを忘れないことなのだろう。

 

 しみじみと考えながら、俺は今や定位置となったかぐやの膝の上に座っている。三人の会話の邪魔はしたくないので動かずに、さながらぬいぐるみのように不動。たまにかぐやに弄られるけどそれでも動かない。

 

 一室で続けられる家族の交流。それはいつまでも続きそうで、このまま何も無かったかのように明日が来るのが最高なのに。

 しかし、空気を読めず、おまけにぶち壊してしまう輩というのは何処にでも何時の時代でもいるのだろう。

 

 ―――どうやら、おいでなさったようだ。

 

 障子の向こうが不自然に明るくなる。篝火にしては色が白い。炎の色ではない。

 

「……ごめんね、ペンペン。苦しいかもしれないけど、我慢してね」

 

 そういって袂を大きく開き、かぐやは俺を其処へねじ込んだ。

 どのみち月からのお迎えの連中からは逃げ出す。逃亡の際、俺を抱えたまま追っ手を振り切るのは難しいだろう。

 そう考えたかぐやが思いついたのがこの方法。あらかじめ着物を着るときに余裕を持たせ、俺を格納するスペースを確保したのだ。「胸が小さくて丁度良かったわ」とか自虐的なことを呟いていたのが記憶に残っている。元気出せよ。

 

 それはさておいて、俺は今着物の中にいる。女の子が着ている着物の中にいる。

 なんだこれ。天国かよ。ここが天国なら俺もっと早く死んでおくべきだったな。

 

 月の連中に見つからないようにしっかり袂は閉めているから視界はゼロに近い。よって他の感覚が強化される。

 あったかくて、やわらかくて、いいにおいがする。もうここから出たくない。俺ここの家の子になるわ。

 

                          ★

 

 

 なんだか知らないけどさっきからぐわんぐわん揺れる。かぐやが何か運動でもしているのだろうか。つまりはもう月の連中からは逃げ出せたと見るべきか。

 耳を澄まして外の音を拾ってみる。

 

『…様、…ち……す!』

『え……………そこま……来て……』

『…ッ……な……ら』

 

 なんか切羽詰ってる感じだぞ?かぐやともう一人女性の声がする。恐らくえーりんという人だろう。巨乳の。

 

 ふむ。ここらでひとつ顔を出して状況確認でもしてみるか。

 

 せーの、

 

「ペンッ」

「「え?」」

 

 飛び出した俺を見て驚くかぐや。同じように驚くなんとも前衛的としか言いがたい服を着たお姉さん。その向こうでなんか近未来的な武器を構える集団。

 

 おk。大体把握できたぜ。つまり気分は約二時間にわたる謎解きの末崖に追い詰められた犯人、ってところか。

 

 袂に羽を引っ掛け体を引き出し、一気に飛ぶ――

 

「あ!ダメよペンペ――」

 

 ――着地と同時に人型になった。

 

「うぇえ!?」

「どうしたよ、かぐや。お姫様らしくない声を上げて」

 

 戸惑うかぐやを尻目に、月のやつらがなんか光線銃的なブツからビームを撃ってきたので氷の盾で防ぐ。デザインは雪の結晶をモチーフしてみたぜ。

 

「え、誰、嘘、だって今、ペンペンが、あれ?」

「おう、ペンペンだぜ」

「で、でも今、違」

「妖怪だもの。変化くらいできるわ」

「よ、妖怪っていったいいつから…」

「最初から。お前に会う前から俺は妖怪だったぜ」

「…っ、じゃ、じゃあ、今までの全部…!抱きしめたり一緒に寝たりご飯食べさせてあげたり体中まさぐったり目の前で着替えたり一緒に体洗ったり、あ…あ……あぁ…!」

 

 ばたんきゅー。

 

「姫様っ!?」

 

 呆然としていたお姉さんがかぐやが倒れたのを見て再起動。傾くかぐやの体を慌てて受け止めた。

 

「お姉さん、お姉さんが『えーりん』さんかい」

「アナタは?敵?味方?」

「俺のことはギン、もしくはペンペンと呼べ。かぐやのペットやってます」

「…ふざけてるの?」

「ふざけてませんからその弓を下ろしてください。味方です味方だから安心しろ。そんでもって速く行け。ここは俺が何とかしておくから」

 

 見てわかんないかな。盾がちょっと溶けてきてるんだよ。急いで!

 

「礼を言うわ。気をつけて」

「そっちこそ。風邪引くなよ」

 

 真っ赤になって唸っているかぐやを背負ったえーりんは、人一人抱えているとは思えないスピードで走り去っていく。

 

「逃がすな!追――」

 

 声を張り上げる男に接近し蹴る。その肉体は砕かれ、凍り、さらに砕けた。

 続けて隣にいた男の頭を同じように砕き、反撃がきたので後退する。

 

 僅かなうちに二人を殺した俺を優先すべき敵としたのか、月の連中は銃を構える。

 

 俺はにやりと不敵に笑い、

 

「かぐや様が第一の飼い鳥ペンペン、主を守るためにここに参上。死にたいやつからかかってこい」

 

 



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9羽~神仏に説法~

 しんしんと雪が降る。空から落ちた小さな結晶は地面に積もり、一面を銀色の世界に変えていく。

 

 羽毛のような雪が延々と舞い続ける山間の小道を、傘も笠もなく、普段どおりの様相で歩くペンギンがいた。肩にも頭にも雪が積もり、一歩踏み出すごとに足が地面に沈んでいってしまうが、これと言って気にした様子はない。

 

 本人として「この程度、あの南極に比べれば」と思っている。ペンギンだからか、それとも宿した能力の影響か、どうやらこの鳥類は寒さには強いようだった。

 

 しかし、天候は問題なくとも別の事に関しては大きな問題が残っていた。

 

 それは、

 

「ここどこだ…?」

 

 コイツ今迷子なんです(笑)

 

 本来ならばもう目的地についているはずなのだが、この豪雪のせいで道が隠れて分からず、たびたび起こるホワイトアウトのせいで方角もわからなくなっている。ダメだこりゃ。

 まあ当のペンギンは深く考えず、歩き回っていればそのうちつくだろうと考えて、明るいうちは歩き、暗くなってもやっぱり歩き、眠くなったらかまくらを作って篭る、という生活をもう五日近く行っている。危機感持とうぜ。

 

 ここだけの話。ペンギンがいる場所は四方十里にまで及ぶ山岳地帯であり、ペンギンはそこをぐるぐると回っているだけなのである。雪で踏み出した先から足跡が消えていってしまうので、一度通った道だというのが分からないのだ。

 

 でもやっぱりあのバカはバカである。今も鼻歌なんか歌いながらスタスタと進んでいるのだ。つい先日冬眠をしていなかったクマと遭遇し、結果として美味しい肉を手に入れることができたからご機嫌なのである。崖から落ちればいいのに。

 

 ……おっと。ここでギンは足を止めました。その視線の先にはひっそりと佇むお地蔵様が一体。このあたりは散々歩いた場所だが(ギンは気付いていない)大雪のせいで今まで目に入らなかったようだ。

 

 お地蔵様をしばらく見ていたギンは何の気なしに近づいていく。

 

 錫杖を片手に目を閉じ微笑むお地蔵さん。しばらく誰もここに来なかったのか、お供え物は無く、体の大部分に雪がこびりついている。

 

 もとが日本人で少しでも仏様に愛着でもあったのか、それともただの気まぐれか。ギンは地蔵様の体に雪を綺麗に落としていった。

 

 そういえば。昔話の中にはこんな風に雪をかぶったお地蔵さんに笠を着せてあげたら恩返ししに来てくれたという話があった。たかが笠一つでご大層な話だなと思う。

 ギンも同じ話を思い出したのか、能力でぱぱっと氷の笠を作る。紐が無いのでうまくバランスをとって頭に乗せ、その出来栄えに頷いていたりした。

 

「じゃ、がんばれよ」

 

 ぽん、と。少し前に落としたばかりだというのにもう雪が乗っかっていた肩をたたき、再びギンは歩き出した。

 

 『あー、こんだけ雪がひどいなら、いっそ祠でも作ってやればよかったかな~』などとぼんやり考えながら歩いていた。

 その時だった。

 

「待ってください」

 

 後ろからそんな声がかけられたのだ。

 

 誰もいないはずの方向から声が聞こえたのだ。怪しすぎる。ギンは声のした方へ、足元の雪が摩擦熱で溶けるくらいの速度で振り向いた。

 

 そこにいたのは、錫杖を持った「幼女だぁぁあああああああああっ!」うっさい!

 

                          ★

 

 外はごうごうと音を立てて吹雪だかブリザードだかスノーストームだかが吹き荒れているが、このかまくらの中までは入ってこない。入った後入り口を最小限まで小さくしたからだ。完全に閉じると空気の循環がいかなくなるから気をつけるように。

 

 それなりの広さのかまくらの真ん中には焚き火。これのお陰で気温は心地良いくらいに保たれている。周囲の雪は能力で凍結させているので融ける心配はない。

 

「食べるか?」

「……いただきます」

 

 フリーズドライしていたクマの肉を融かし焚き火で焼いたものを差し出すと、彼女はちゃんと受け取ってくれた。つまりコミュニケーションする余地はまだ残っていると言うことだ。

 

 目の前の少女を、突然お地蔵様のすぐそばに現れた少女を見る。見る。じっと見る。

 緑色の肩にかかるくらいの髪。そのちんまりした体躯を包むのはお坊さんが纏うような袈裟。傍には錫杖が置いてある。ツリ目がちなパッチリとしたお目目は、手にしたクマ肉を見ながらもチラチラ俺を伺うような動きを見せている。わずかにでも動けば途端に彼女はビクッとするのだ。クソカワイイ。

 

 ファーストコンタクトの際、飛びついて抱きついて転がって頬擦りして弄ったのが原因だと考えている。悲鳴がいいBGMで耳が幸せだった。ぺろぺろはできなかった。しようと思ったら錫杖でぶったかれて正気に戻った。

 

 うむ。冷静になると今こうして狭いかまくらの中で一緒に入れることが奇跡のように思える。それくらいのことを俺はしたのだ。後悔も反省もしていない。この手に残る感触は絶対に忘れない。

 

 とはいえこのままではいけない。ただ無言でいるのでは気まずくなるだけだ。どうにかしてこちらから歩み寄り、先ほどのことを有耶無耶にしてもらおう。

 

「その、だな。先程はすまなかったな」

「……っ!あ、謝ってすむことでは…」

「ああそうだ。でも、それでも謝らせてくれ。本当にすまなかった。だがあれには、已むに已まれぬ理由があったのんだ」

「理由……ですか?」

「ああ…」

 

 さあ考えろ。この目の前の少女をどうにかして納得させ警戒を解いてもらえるような完璧な言い訳を…

 

「ひ、人肌が、恋しかったんだ……」

 

 はいオワタ。

 

「そうでしたか…」

 

 え、マジで!?なんか好意的な返答が帰ってきた。憐れむ様な眼差しも頂けました。

 

「確かに、ここ何日かずっと一人でいたようですからね。孤独で精神が病んでしまうのも無理ないかもしれません」

「え?なんで俺が一人だって知ってんだ?初対面なのに」

「面と向かって話すのは今日が初めてですし、あなたが私を見つけたのも今日が初めてです。しかし、私があなたを見つけたのは今日ではありません。何日か前から気付いていて、何度も何度も私の周りを通り過ぎるのを見ていました」

「へぇー。そうなんだ。……あれ?つまり俺同じところを何往復もしてたのか?」

「おそらく」

「ガッデム!」

 

 項垂れる。ちくしょう、俺のここ数日の徒労をかえしてくれ。大して疲れてないけど。

 

「……で、なんでお前は今日に限って俺の前に出てきたんだ?犬のようにぐるぐると回り続けた俺を笑いに来たのか?」

「違いますよ。なんでそんなに捻くれてるんですか。……私の体を綺麗にしてくれたお礼がしたかったからと、それと…」

「それと?」

「え…っとですね。その…なんといいますか……」

「なんだよそんなにもじもじして。言いにくいことなら言わなくても良いんだぞ。そしておしっこなら恥ずかしがらずに言えよ」

「違いますよ!それにそんなこと言いません!ああもう、いいですよ言います!」

 

 どっちだよ。

 

「私も……一人でいるのが寂しかったんです!」

 

 羞恥に顔を赤くしながらも、少女は堂々と言い切った。

 

「ぷっ」

「あ!笑いましたね!同じように寂しくて人に飛びつくような人に笑われる筋合いはありません!もういいです!私もさっきのことは忘れますから、あなたも今のことは忘れてください!おかわりっ」

 

 マシンガンのように言い放ち、ビシッと少女はクマの肉が刺さっていた串を突き出してきた。抑えきれない苦笑とともに、新たに一本をその手に握らせる。

 

 はぐはぐと勢いよく小さな口で肉を噛み千切っていく少女を、やはり俺は笑って見つめた。

 

                          ★

 

「ふぅ。ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした」

 

 この子、全部食いやがった。結構な量あったはずなんだけどな。

 ま、いいか。食べてる姿可愛かったし、それを見続けられて胸がいっぱいだし。

 

「それにしても、よく熊なんて狩れましたね。この時期に動き回るような熊はみんな普通より強暴なのに」

「まあ、俺妖怪だし。さすがにただの動物には負けないよ」

「え?」

「え?」

「妖怪……なんですか」

「そうだけど」

 

 しげしげと少女は俺の顔を見て、そして体の細部を見つめる。丁度俺が彼女の体をなめるように見ていたように。違いは相手に気付かれるか否か。

 

 しばらくして、

 

「とてもそうとは思えませんね」

「そりゃそうだろ。人に化けてるんだから」

「いえ、そうではなく。なんと言いますか、妖怪らしくないといいますか」

 

 こんなあったばかりの私に食料を分けてくれるなんて、と少女は言いにくそうに口にした。分けるっつーか全部持っていかれたけど。

 

「じゃあ逆に聞くけど、どんなことが妖怪らしいんだ?」

「それはやはり、集落を襲って人々を殺め己の欲望のままに世を乱す、といったところでしょうか」

 

 大真面目な顔で話す少女の考えにそっと微笑んだ。

 

「なら、俺はやっぱりお前の言う妖怪だよ」

「え?」

「これまで俺は自分のやりたいことをして生きてきたし、その過程で人を殺したこともある。さすがに人里を襲ったことは無いな、面倒くさいし。ほら、お前の言う妖怪の条件の六、七割は満たしている。立派な妖怪だ」

「しかし…」

「いいんだよ別に。俺は生まれた時から妖怪だ。いまさら其処に悩むほど暇じゃないんだよ」

 

 なにやら気落ちした様子の少女に、俺は諭すように語り掛ける。別に知って得するようなことではなく、ぶっちゃけ思いつきだけど。

 

「いいか。俺たち妖怪は人々の恐れの象徴だ。お前みたいな神仏とは対照的なモノだ。分かるな」

「はい」

「きっとお前は、食い物を分けてくれた俺をやさしいと思っているのだろう。そしてそんな俺が其処にいるだけで他者から恐れられ敵意を向けられる妖怪であることをかわいそうだと思っている」

「ち、違います!私はそんな…」

「いいんだよ。言葉にすると上から目線の偉そうな事に聞こえるが、しかしお前の考えはそんなものじゃない。とてもやさしい思いだ。けれどそれ以上に残酷なことだ」

「……辛くは、ないんですか?」

「最初からそうであった妖怪である自分を否定することは生まれたことを否定することだ。そんなアホくさいこと俺はしない。だから俺は妖怪であることを気にしない。お前も気にすんな」

「はい…」

 

 しゅんとした少女を見て笑みを深める。もちろん性的な意味で。

 

「そんなに気落ちするなよ。大方『こんなしっかりした考えを持っている人に私は何てつまらない問いかけをしたのだろう』とか考えてんだろ」

「…すごいですね。アナタは心が読めるのですか?」

「いいや勘だよ。それよかお前はどうにも堅苦しい考えをするな。もっと肩肘張らずにいていいんだぞ」

 

 石頭とでも言うのだろうか。地蔵だけに、なんちゃって。

 

「もしくは、もっと堅物になる、とか」

「どういうことですか」

「アレは良い。コレは悪い。あっちは白。こっちは黒。あいつは有罪。こいつは無罪。そう決める絶対的な基準を持つんだ。その基準に従って行動していけばいい」

「……そんな考えもあるのですね。目から鱗が落ちるようです」

「まあこれは考えの一例、というか極端も極端だ。そのうちお前にぴったりの考えが見つかるさ。対極の妖怪(オレ)神仏(オマエ)だけど、長生きするって言うのは変わらないんだから」

「はいっ」

 

 うむ良い子だ、なんていって手を伸ばし少女のの頭を撫でる。むず痒そうにしているが、さりとてイヤではないらしい。されるがままだ。

 ……『されるがまま』という言葉はどうしてこうもエロいのだろうか。謎だなぁ。

 

 なにはともあれ、最初の猥褻行為のことがなあなあに流されて良かった。一安心である。

 

                          ★

 

「……朝だな」

「……陽が目にしみます」

 

 かまくらの外に出て、いつの間にか吹雪がやみ顔を出したお日様を二人並んで見る。

 

 結局、一晩中語り明かしてしまった。中々に少女が博識で合わせてくれるものだから、俺のほうもついヒートアップしてしまった。なんかこれだけでかしこさが40くらいあがった気がする。

 

 凝り固まった体をほぐすため軽く体を動かす。少女も俺のまねをしてちょこまかと動いている。やっぱりカワイイ。やばいカワイイ。

 

 ――さて、

 

「それじゃあオレはそろそろ行くわ」

「はい。里への道は教えたとおりです」

 

 迷わないでください、と注意する少女の頭をぐりぐりと乱暴に撫でた。きゃーきゃー言ってやがる。

 

「んじゃな、ええっと…」

「そういえば私たち。お互いの名前も知らないんですね。あんなに話したのに」

 

 言われて見ればそうである。ずっと二人称代名詞でやり取りしていた。すごくね。

 

「ううむ。今更過ぎて少し恥ずかしいな。俺はギン。妖怪だ」

「私は四季映姫。お地蔵様です」

 

 おかしくなって笑いあった。普通もっと速い内にしとくもんだろ。

 

「ギン。あなたと過ごした時間は短かったけど、それでも何か大切なことを教えられた気がします」

「そうか」

「私もアナタのように、誰かに道を示し教えを説けるような人を目指します」

「買いかぶりすぎだ」

 

 恥ずかしいことをさらっと言いやがって。こっちが照れちまうよ。

 

「それじゃあ映姫、さよならだ」

「ええ。ギン、おさらばです」

「いつかまた、どこかで会おう」

「その時はまたいっぱいおしゃべりしましょうね

 

 そう言って小さく手を振る映姫に名残惜しさを感じながらも、俺は背を向けた。

 

 



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10羽~幽誘の桜~

それはある晴れた昼下がりのことだった。

 

 いつものように放浪の旅をしていたギンは偶然行き着いた川原で魚を獲って昼食にしていた。火を熾し、魚に串を通し、いい焼き加減になるのを今か今かと見計らっていた。

 

 その時だった。

 

 『くぱぁ』とオノマトペが描写されそうな感じで、ギンの足元が割れたのだ。

 

「……え?」

 

 突然のことに呆然とするペンギン。そしてその一瞬が命取りだった。

 まあ、当然のように落ちますよね。万有引力バンザイ。

 

 『うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……』とやけに尾を引く悲鳴を上げるギンを飲み込むと地面にできた隙間は閉じられ、辺りは何事もなかったかのような静寂に包まれた。

 

 あ、放置された魚は私がもらいますね。ぱぱっと塩を掛けて、はぐはぐ。うまうま。げぇっぷ、と。

 

 さて、ペンギンは一体何処へ行ってしまったのか。そしてこの事態は誰の仕業なのか。

 真相は後半で明らかに!

 

 ……え、嘘!?俺の出番コレで終わり!?ふざけんなよまだ五百文字もしゃべってないんだぞ!

 あ、ちくしょうクソ作者覚えてやが…………

 

                          ★

 

 これから楽しいご飯タイムだと思っていたら盛大にお預けを食らった。そしてあのお魚くんたちはもう俺の腹に収まることはないのだろう。この憤りは何処にぶつければいいのだろうか。

 

「ごめんなさいね、ギン。いきなり呼び出したりして」

 

 とりあえずはこの目の前にいる胡散臭い少女にぶつければいいのだろうか。

 コマンド・『アイアンクロー』

 

「実はアナタの力を借りぃいいいいたたたたたたたたたたたたたっ!」

「いいだろう。力を貸してやる。お前が払う代償はたった一つ」

「なっ、なによぅ」

「俺の飢えを満たせ。さもなければお前を食うぞ」

「食べるっ?!わ、私を、食べるの?!食べちゃうの!?」

 

 なにを焦っているのだろうか。いつもの胡散臭い演技はどこに行ったんだ。

 はぁ、もういいか。食い物の恨みは恐ろしいけど、そこまで腹が減ってるわけでもないし。さっきの魚も直前に猪一頭丸々食って口直しに魚肉を食いたくなっただけだし。

 

 ぱっと紫の頭を鷲づかみにしていた手を開き開放する。

 

「んで、一体何の用だ」

「…………っ!え、えぇ。さっきも言った様にアナタの力を貸して欲しいの。詳しい話は現地に行ってからするわね」

 

 くるりと振り返り、何もない宙を縦に指でなぞる。すると裂けるように空間にスキマが生まれた。覗く景色はどこかの屋敷の庭。丁寧に整備された人口の風景。

 そして、はらはらと桜の花びらが風に乗って流れていた。

 

「……なんか入ったら怒られそうだなぁ」

「ぐだぐだ言ってないで、早く来なさい」

 

 季節的には春真っ盛り。別に桜が咲くのはいいのだが、この花びらの量だけは納得がいかない。なんだろう、花びらが積もり溜まってるのって見てて気持ち悪い。

 

 すたすたと歩く紫を追い、スキマを跨ぎ、

 

「―――――!」

 

 寒気を感じた。

 ぞっとするほどの悪寒。俺が普段用いるものとは別枠の冷気。それが俺の体を震えさせる。

 

 一歩も進めぬままその場に蹲る。自らを抱きしめる。強く。強く。

 この手を離せば、また立ち上がれば、その瞬間に自分が掻き消えてしまうように思える。今この瞬間にも雲散しそうな我が身を繋ぎ止める。

 歯の根が合わなくなった口腔から白く染まった息がもれ出るのを幻視した。

 

「――ンッ!ギンッ!しっかりしなさい!」

「っ!」

 

 不意に耳に届く紫の声。頭の中で音が言葉として識別されると同時に、我に返る。

 

 気付けば俺の体は蹲った体勢のまま体の半分以上が凍り付いていた。どうやら無意識のうちに能力を使用していたらしい。

 

 意識がはっきりした今でもあの悪寒は常に襲ってくる。気を張っていれば耐えられるが、これは一体……?

 

「ごめんなさい。私の不注意だわ。急ぐあまりアナタへの気配りを忘れていた」

「紫……なんだ、ここは…?」

 

 紫に手を借りて立ち上がる。けれど足が震える。体が冷たい。こうして紫の手を握っていなければまた座り込んでしまうだろう。

 

「…ここは白玉楼。今ここは、ちょっと面倒なことになってるのよ」

「……手短に頼む」

「分かってる。今、ある妖怪の影響でここ一帯は『死』がとても強くなっている。生きとし生ける者はすべて否応なく死に引き込まれる。私が結界を張って抑え込んでいるからまだあまり範囲は広くないけど、もしそうしなければ恐らくこの周囲の人里は全滅する。全員が自ら命を絶つ。アナタは力が強大だからなんとか保ったけど、ただの人や中級妖怪までなら一瞬で死に呑み込まれる」

 

 紫の言葉を頭の中で何度も反芻する。恐慌状態に陥ったように思考が空回りをするが、どうにか理解する。

 そうか、これが「死」か。

 

「そういや、なんでお前は平気なんだ?強いからか?」

「私は能力で、自分の生と死の境界を曖昧にしてるから影響がないの。出来れば貴方も何とかしてあげたいんだけど、ごめんなさい。自分ならともかく他人の生と死の境界を操るのは少し危険なの。下手をすると殺してしまうかもしれないから」

「……いや、大丈夫だ。それからありがとう。お陰で何とかなるかもしれない」

 

 握っていた手を離す。瞬間的に襲い掛かかってくる死に必死で耐えながら、自分の胸に手を当てゆっくりと息を吐く。

 紫は能力でこれを無効化している。なら、俺の能力でも出来るかもしれない。

 以前から常々考えてはいた博打を、どうやらする時が来たようだ。

 

「『俺という存在』を、凍結する」

 

 ふっ、と体が軽くなる。先ほどまで感じていた異様な冷気も、存在は分かるがそれが俺を侵すことはなくなった。

 

「成功したみたいだな。ふー、すっきり」

「あの……一体何をしたの?どうやら死に曳かれる事は無い様だけれど」

 

 ああ、そういえばそうだな。俺が今何をしたのか。見ていただけの紫には分からないかも知れないな。

 いいだろう、話をしよう。

 

・俺は自分の存在を凍結した。

・凍結、つまりは固定、もしくは停止。俺の存在はこの時点から動くことはなくなった。

・動かない、変化しない。死ぬことも老いることも傷つくこともなく、加えて恐らくは他者からの能力や術による介入も効かなくなった ←今ここ

 

 こんな感じ。 

 

「分かりやすい説明をありがとう。けれどそんなことが実際に可能なの?……あら、本当だわ。境界が弄れない」

「おいこらスキマ」

「冗談よ冗談。西行妖の影響もなくなっているようだし、信じるわ。……それにしても、なんて応用性の効く能力なのかしら。ほとんど反則じゃないそれ」

 

 確かにこの状態はかなり強力だ。しかし俺はあまりこうなるのを多用したくない。常用なんて以ての外だ。

 変化しないということは成長しないということだ。未だに俺のペンギンフォームは子どものままなのに、これ以上成長しなくてどうするよ。たとえ云百年子ペンギンのままだとしても、俺はまだ大人になるのを諦めたりしない。早く大人になりたい……。

 

 まぁ、実はこの荒業は結構リスクが高く、下手すれば俺は存在ごと凍てつき凍りつき、俗に言うコールドスリープ状態になっていたかもしれない。もちろんこの氷を融かせるのは俺しかいないので、二度と俺が動くこともなかっただろう。

 いやいや、うまくいって良かった良かった。

 

「あん?おい紫。今言った西行妖ってのはなんだ?」

「この濃密な『死』の発生源。もとはただの美しい桜の木だったんだけどね」

「桜の木が妖怪に変化したってことか?じゃあこの舞ってる花びらはそいつからか」

 

 ようやく軽口を叩けるくらいには回復してきた。体のどこかに違和感が出るわけでもないし、ちゃんと成功していたわけだな。

 ぐるりと辺りを見渡す。

 美しい庭園だった。日本庭園だか和風庭園だったか。そんなかんじ。整えられ景色のあちこちに桜の花びらが積もりなんか台無しになっている。

 

「豪勢な庭だな。どっかの雅なお人の家なのか」

「有名な歌人の屋敷よ。貴方、西行法師って知ってるかしら」

「…………ああ、うん。知ってる知ってる」

「知らないのね」

「いや知ってるし。俺その人のファンだし」

「はいはい、分かった分かった」

 

 流されてしまった。なんか俺のあしらい方を身につけているようだ。いつの間に。

 

「その西行法師ってのがこの屋敷の元主。数年前に桜に木の下で自害したのが全ての始まりだった」

 

 お、なんか昔語りが始まる予感。いいかい、みんな。これから始まる長台詞に辟易しちゃダメだぜ?

 

「さらにその後を追うように彼を慕っていた何人もの人々が桜の木の下で自ら命を絶った。そしてその血と精気を吸い込み桜の木は妖怪になり、花が満開になるたびに周囲に死を振りまく存在になってしまった」

「人の味を覚えたってことか。じゃあもうこの屋敷には誰も住んでいないのか?」

「いいえ、住んでいたわ。少なくとも二人。西行歌人の娘と半人半霊の庭師が」

「半人半霊……なんか大体想像がつくな。大方半分死んでるからそれ以上死に近づかなかったんだろ。それじゃあ、その娘さんのほうはどうなんだ。死にはしなかったのか?今何歳?可愛い?美人?キレイ系?」

「ぶっとばすわよ。……西行歌人の娘、西行寺幽々子。彼女は生まれつき『死霊を操る程度の能力』を持っていてね。それが西行妖の影響で『死を操る程度の能力』に変化してしまった。そのお陰、と言うべきかは分からないけど、彼女はすぐに死に近づくことはなかった」

 

 紫の話に集中し過ぎていたせいか、自分がお屋敷の縁側を歩いていることに今気付いた。先導する紫は迷った様子もなく廊下を進み、一室の襖を開けた。

 

「彼女は――幽々子は、苦しんで苦しんで、考えて考えて、悩んで悩みぬいた末に、自ら死を選んだのよ」

 

 部屋の中央にぽつんと敷かれた布団の上に一人の少女が寝かされていた。

 身にまとう白装束に劣らぬほどに白い肌。端正な顔立ちは白粉と紅でほんの僅かに彩られ、しかしその魅力を何十倍にも引き出していた。はっとするほど美しく、時を忘れて魅入ってしまいそうなほど。

 

 しかしその全てが死んでいた。

 

 少女の体が横たえられている部屋には少女の遺体から発せられる冷気が充満しているような気さえした。濃密な死の匂い。死へ誘うという桜のあの冷気とは似て非なるものだった。

 

「……友達、だったのか?」

 

 物言わぬ西行寺幽々子の顔から目を離さず、いつの間にか一歩後ろに下がっていた紫に問いかける。まあこの時点で大体予想はついてるけど。

 

「…………ええ」

 

 ほらね。

 

 人が、或いはそれに非ざるそれに準じるものが死んだ時、冷たい死を想起させるのはなにも死体だけではない。死に打ちのめされた親兄弟親族知人友人周囲の人全てが、死を受け入れようとする姿もまた深い死を匂わせる。

 そして今、紫の姿もまたその冷たいを感じさせた。

 

 背後にいる紫の表情は分からない。しかめ面かもしれないし能面のような無表情かもしれない。無理に笑おうとしているのかもしれない。

 どれでもいい。ただ俺はそんな顔は見たくない。俺が、見たくない。それだけだ。気遣いなどありはしない。

 

 畳の上を音も立てずに歩き、布団の傍で膝を折る。

 綺麗な顔してるんだけど、死んでるんだぜこれ。

 

「そういえばもう一人はどうしたんだ?半人半霊ってヤツ」

「彼は……部屋にいると思うわ。仕えるべき主をみすみす死なせてしまったことを悔いてるのかもしれないわね」

 

 責任を取って腹を斬るとか言わないといいのだけれど、と紫は呟いた。

 どうも半人半霊は侍らしい。野郎のようだから興味はないが。

 

「それで?そろそろ話してくれないか。俺をここに呼んだ理由を。なんか手伝って欲しいんだろ」

「ええ、そうよ。他でもない貴方の力が必要なの」

 

 嬉しいねぇ。お兄さん求められちゃったよ。

 くるり、と。百八十度回りながら膝を伸ばして立ち上がる。紫の顔を正面から見つめた。

 

 彼女の顔はしっかりと前を向いていて、

 

「西行妖を封印する。手を貸して頂戴」

 

 翳りは、見つからなかった。

 

                         ★

 

「封印、って、どうするんだ?具体的な方法は決まっているのか」

「当たり前よ。私を誰だと思っているの」

「胡散臭い(笑)大妖怪さま」

「張っ倒すわよ……封印には、幽々子の死体を楔として使う。似たような性質を持っていたからこれ以上なく適しているはず」

「……うーん」

「何よ、何か不満でもあるの?」

「いや、そんなのはないんだけど。……そこまで決まってんなら俺の出番無くない?言っとくけど、俺そういう術とか知らないよ。そっち方面では力になれない」

「そんなこと分かってるわよ。こっちだって貴方にそっちの期待はしていないわ。言ったでしょ、今私は西行妖の影響が出ないようにこの屋敷の周りを覆うように結界をはっている。けれどこの封印は片手間でそんなことをしながら実行できるような簡単なものではないの。けれど結界を解除しても封印がかかるまでの間は西行妖は何の障害も無く死をばら撒ける。仮に一分以内に終わらせたとしても、その間に四方一里にいる生き物は全滅する。そして、恐らくこの術はそう簡単には終わらないわ」

「成る程ね。結界が無くなってから術が完全にかかるまでの間の繋ぎとして俺は呼ばれたわけか。了解了解。任せとけ。たかが血に染まった桜の木如き、何時まででも凍結させてやるよ」

「有難う。心強いわ」

「よせよせ。照れちまう」

「そう……それで、他には質問はある?なければ早速取り掛かりたいのだけれど」

「ああ、うん。もう一つだけ、いいか」

「何?」

「紫、どうしてお前は桜の木を封印するんだ?」

「――――」

「お前ほどの妖怪ならば木の一本くらい、簡単にへし折れるだろう。西行妖の最大にして唯一の、攻撃にして防御であるところのそれは、お前には効かないのだろう?なら俺なんか呼ばずにさっさと木っ端微塵にして、火でもつけて炭にでもしてしまえばいいんだ」

「………………」

「もしお前に破壊できるほどの力が無いって言うのなら、それこそ俺に任せておけ。さっきも言ったとおりに何時までも凍結させてやる。それでも不安なら俺が叩き壊してやる。跡形も無くしてしまえば、それで解決のはずだろう」

「…………それは、駄目よ」

「どうしてだ?俺からしたら封印なんていう解けてしまう可能性があるものに頼るほうが余程危うく思える。それともあれか?封印しなければいけない訳でもあるのかい」

「……それは」

「安心しろよ紫。お前の考えを聞いて、俺が手を貸すのをやめるというのは絶対にない。俺は当の昔にお前に力を貸すと決めたんだ。約束したじゃないか。そんな約束が無くたって、友達のお前に手を貸すのを渋るほど俺は狭量じゃない」

「ギン……」

「俺はお前を手助けする。それが前提条件だ。お前がそれを望んでいるというだけで、俺には頑張る理由になる。だから紫、安心してくれ。そして隠し事をしないでくれ。別に教えてくれなくても構わない。けれど、お前がその胸の内を明けてくれたのなら、俺の頑張る理由がもう一つ増えるのかもしれないんだ」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……木を、壊すわけにはいかないの」

「どうして?」

「壊してしまったら、幽々子が戻ってこれないから」

「…………え?」

「壊さないで、封印すれば、また幽々子に会えるかもしれないから」

「……どゆこと?死んでるんじゃないの?」

「死んだからといって、もう会えなくなる訳ではないわ」

「いや、普通会えない……まさか、幽霊として?でもこいつは自ら命を…………お前まさか、楔って、そういうことか……?」

「そうよ。幽々子の体を使って西行妖を封じ込める。代わりに、幽々子の魂をこの世に縛り付ける」

「そこまでして、か?そうまでして会いたいほど、幽々子はお前にとって大切な友達なのか?」

「確かに、私ってこんな性格だから友人と呼べるのは僅かだし、親友と呼べるのは片手で数えるほどしかいないわ。その中でも特に幽々子は一際大事な親友よ。……でも、それだけじゃないの」

「……なんだ?」

「幽々子はね、いつも言っていたの。『父が愛した桜が、こんな人を殺すだけのおぞましい化け物になってしまって、そして、自分も同じような化け物になってしまったことが耐え切れない』って」

「…………」

「死を操る、なんて能力、人の手には余る代物。当然のように幽々子は自分の能力を御しきれず、死を周囲にばら撒いていた。お陰で、話し相手になれるのは私や半人半霊のような存在ばかりで、あの子には普通の友達がいなかったの」

「…………」

「そして幽々子は死んだ。彼女は何もしていないのに。悪いことなんて一つもしていないのに。ただ周りの人たちが起こした愚かな騒動の余波を浴びただけで、彼女の人生は歪んでしまった」

「…………」

「遺書が残してあったの。『これ以上誰かを死なせたくない』と、書かれていたわ。けれど彼女の死をもあの桜は取り込んだ。そしてさらに強大な力を手に入れた。分かる?彼女が誰かを死なせないためにした行動が、結果として更なる被害を呼ぶことになってしまった。ホント、馬鹿みたいよね」

「…………」

「だけど、そんなのって悲しすぎる。一体何のために幽々子は命を散らせたというの。生きている間をめちゃくちゃにされて、迎えた終わりにも意味なんて無くて。そのまま終わり続けるなんて、あまりにも惨たらしい」

「…………」

「だから私は幽々子を呼び戻す。このまま眠らせてなんてあげない。彼女が生きている間に得られなかった幸せを、延々と続く終わりの中で取り戻させる。それが私の願いよ」

「…………」

「……やっぱり、下らないと思う?」

「ああ、よくわかんねぇや」

「そう……」

「俺ってば友達少ねえし。そこまで思うことの出来るほどの関係なんて皆無だし。だからお前の友達を大事に思う気持ちを理解できない。仕方ない。こうなったら幽々子ちゃんにそれくらいの親友になってもらわないとな」

「え……?」

「行こうぜ紫――――友達作りの第一歩だ」

 

                        ★

 

 封印の儀式は終わった。

 一人の少女の人生を奪った根源の末路にしてはあまりにもあっさりと。

 納得がいかない。溜飲が下がらない。

 途中参加の俺ですら不完全燃焼だったのだ。一から十までとはいかずとも、三、四から十まで見てきた紫の中ではどれだけの火が燻っているのだろうか。

 紫の本心は、表情からは窺い知ることが出来ない。

 彼女の表情は、西行妖を封印し、その場に西行寺幽々子の霊体が現れた瞬間から変わっていない。喜びと悔しさを混ぜ不安を折り込んだような、そんな表情。

 彼女の魂を引き摺り下ろしたことを、後悔しているのだろうか。

 西行寺幽々子は亡霊となった。彼女の体は桜の木の下に埋め込まれた。この死体を見ると今度こそ彼女は死んでしまうとの話だが、まあそうなることは無いだろう。

 そしてもう一つ、この蘇生(と言っていいのかは疑問だが)には問題があった。

 今の彼女には生前の記憶は無くなっているということだ。

 必死になってようやく再会できた親友が自分のことを忘れているというのは、そしてそれが自分のせいだというのは、どんな気持ちなのだろう。

 考えの読めない面持ちのまま、紫は布団に寝かされた親友の顔を見つめている。

 

「………ぅん」

 

 小さくうめく様な声がした。

 聞きなれない声であり、それが西行寺幽々子のものであるということはすぐに分かった。

 

 うっすらと瞳を開けただけだが、彼女はしっかりと動いていた。

 ゆっくりと目蓋を押し上げて、焦点の合わない瞳が俺と紫の間を行き来している。

 

 俺は座ったまま前に進み、枕元から幽々子の顔を覗き込んだ。

 

「ここは何処?お前は誰?」

 

 お決まりのフレーズ。使う場面はあってる筈だ。

 

「……ここは、白玉楼。私は、西行寺幽々子」

 

 ぼんやりと、霞の向こうから聞こえたようなか細い声で、

 

「……あなたたちは、誰?」

 

 彼女は、揺らぐことなく問いかけた。

 口を開き答えようとして、止めた。一番の権利は、彼女にあるはずだから。

 

 視線を向けて促すと、紫は俺の方など見ていなかった。

 紫はしっかりと幽々子の目を見て、気付かれないように一呼吸置いて、

 

「はじめまして、西行寺幽々子。私は八雲紫というわ」

 

 初めての出会いに相応しく、柔らかく微笑んだ。



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11羽~お父さんのいうことを…聞いてくれませんか?~

 山間を渡り川面を撫でるさわやかな風が吹き抜ける。澄み渡った空気はマイナスイオンとかそんな俗物めいた話が本当のように感じられるほどに清らかだった。

 

 肌に当たる心地いい風を感じながら、ギンは崖先から突き出した岩の上で胡坐を掻いて座り込み、目の前に固定した釣竿を眺めていた。

 普段なら「この糸の先に可愛い人魚さんが引っかかっていたらどうしよう、ウヘヘ」などと考えながら釣竿を見つめているのだが、しかし今日はそうではなく、厳粛な面持ちのままだった。

 

 風に押されるでもなく、釣竿が振動してる。

 あ、いっけね。音量オフにしてた。スピーカーを最大にして、っと。

 

「――――!―――――!?」

 

 おやおや?断崖のはずの崖の下から声が聞こえるよ。一体誰だろう。ちょっとズームしてみようか。

 崖の向こうの、びゅうびゅうと風が荒れ狂う宙に垂れ下げられた糸は、

 

「ごーめーんーなーさーい!反省してますから許してくださいー!」

 

 ぐるぐる巻きにされた手乗りサイズの女の子を、しっかりと水面すれすれに留めていた。

 当然のように、この所業はギンの仕業だろう。

 

 ……おおっと、待ってくれ。その手に持った電話をいったん置いてほしい。三桁の番号を入力しないでほしい。ちゃんと説明する。それで納得がいかないというなら、俺が責任を持って通報するから。

 

「こらこら。俺はそんな言葉を聴きたいんじゃないぞ。そうだな、『なんでも言うことを聞くから許してください』ぐらい言わないと勘弁してやる気にはなれないな」

「なんでも言うこと聞きますから!助けてくださいー!」

「よし、言質とった」

 

 コイツ最低だ………!

 よし、みんなはコイツを見張っていてくれ。俺はこれからひとっ走り新宿駅に行って掲示板に「XYZ」と書き込んでくるから。

 

「あー、ダメだ。やっぱり許せん。俺が楽しみにしていた羊羹を一人で食いやがって。この恨み、晴らさでおくべきか」

「そ、そんなー!」

「ふはははは!食い物の恨みは恐ろしいんだよ!…………必死に許しを請う少女の叫び。俺今充実してる」

 

 今ぼそっと本音漏れたぞ。こいつもう本格的にダメだな。

 手遅れの外道はまあ放っておいて、宙吊りになっている少女も確かにいいものだからしばらく放置して置いて。

 

 それでは、彼女とギンの馴れ初めを

 

「許してください!お父様ー!」

 

 ……あ、もしもし。そちら東郷さんのお電話でよろしかったでしょうか?

 

                            ★

 

 思えば俺が日本に着てから、随分と時が過ぎたものだ。

 名も知れぬ木っ端妖怪であった俺だが、今ではそこそこ名の通った妖怪になっているらしく、度々俺の首を狙って陰陽師やら退治屋やら力試しの妖怪などが挑んでくるようになった。

 

 鎧袖一触と言う言葉はこいつらのためにあるのだな、と思うほどに弱かったが。

 

 妖怪はそう簡単には死にはしないので腹に軽く蹴り叩き込んで悶絶させ(たまに肉が爆散することがあるけど気にしない。弱いやつが悪いのさ)、人間相手なら軽く一撫でして気を失わせその隙に身包みを剥いで(服とかじゃないよ。陰陽師ならお札とかそういうの)近くの人里まで運んで即効で逃げたりした。

俺ってやさしー。

 

 昨日もそうして妖怪を2、30体ほど叩きのめしてそこらの木にぶら下げて気持ちよく眠りについた。そこまではいい。いいはずだ。それ以外は覚えていないから何があったとしても俺は容疑を認めない。

 

 だがしかし、

 

「あ、お目覚めですね。お早うございます、お父様」

 

 目を覚ました俺の枕元に正座をした妖精さんがいたことは紛れもない事実だ。これは絶対だ。夢だと言われても俺が信じるこちらが真実だ。

 

「……ああ、おはよう」

 

 なんとかそう返すので精一杯だった。なぜなら今俺の頭は、目の前の少女が口にした俺の名称について埋め尽くされていたからだ。

 

 頭が混乱してどうにかなりそうだったので、燃える火を見て落ち着こうと思う。薪を適当に集めて重ねて術でポン。一瞬で着火した。ちょー便利。

 ああ、こうやって火を熾していると思い出す。挑んできた退治屋の一人、あの白髪の少女のことを。一回ちょろっと撃退したらナメられてると思ったらしくそれから躍起になって襲い掛かってきたっけ。まあその度に気絶させまくったけど。

 主に火の術を使うもんだから、もう見てるだけで術の使い方を覚えちゃったよ。自慢してみせたら滅茶苦茶怒ったけど。

 うん。あの子の憤慨っぷりを思い出したら落ち着いてきた。愛らしいという意味で。

 

 とりあえず飯にしよう。焼きたてのまま凍結した魚を融かして少女にも渡してやる。

 

「あ。ありがとうございます、お父様」

「(ごはっ)」

 

 あれれ~、おかしいな~。このお魚、血の味がするよ。生焼けだったのかな~。

 ま、いいか。

 

 一尾だけだったのでぺロッと平らげ、サイズの問題か、食べきれないという少女が残した半分も食べる。興奮で心臓がやばいことになったけど少女に見られない程度の速度でぶん殴って落ち着かせた。

 

 で、

 

「お前誰?ていうか何?ボケなくていいから俺にもわかるように簡潔に教えて」

「はい。私は付喪神。お父様が持っていた懐剣が変化したものです」

「え。俺そんなん持ってたっけ……ああ、アレか」

 

 言われてみれば覚えてる。言われるまで思い出せなかった。

 なんかどっかの陰陽師が持ってたのをパクったっけ。やけに前口上が長いヤツで聞き終わる前に張り倒したけど。

 

「ところでなんでお父様なの?付喪神ってみんなそうなの?だったら俺今からいろんなものを大切に扱うけど」

「いえ、違います。私の場合は少々事情が特殊でして」

 

 なにがよ。

 

「なんと言うべきなのでしょうか。長い時の中で生まれかけていた私という存在がお父様の妖力や霊力に反応したんです。共振とでも言うのでしょうか。その影響で自我が生まれる時期も随分と早くなりましたし、有する力も本来より強大になりました」

「ふむふむ」

「なので、お父様です」

「なるほど。強引な理論だと感心するがどこもおかしくはなかった」

「ぶっちゃけてしまうとノリですしね」

 

 間違いなくコイツは俺の娘だな。俺という存在に聖人君子を混ぜて変態を引いて常識人をかけてツッコミ役で割ったような、そんな感じがする。

 あ、でもお母さんはどうしよう。

 

「いいんです、お母さんなんて。両親が揃っていたら幸せなんて考え幻想なんです。幸せな人にはそれがわからないんですよ」

「お前の過去に一体何があったんだ」

「私の生の始まりは今朝の夜明けごろですが、共振のせいなのかお父様の知識のいくらかが私の中には存在します」

「お前生後数時間かよ」

 

 それにしてはしっかりし過ぎだろ俺の知識程度じゃクソの役にもたたんだろうからこれはこの子の生来の気質かな、と思う。

 とりあえず女性に対する礼儀として隅々まで眺めることにする。

 

 とりあえずは小さいよな、うん。まあ縮尺が小さいだけで、相似比が小さいだけなのでよくよく観察してみれば体のラインなどはいちおう女性のそれだ。起伏に富んでいるとはお世辞にもいえないけど。

 髪はポニテ。よく分かっているではないか。キリッとしたお目目には良く似合っている。これで髪を解いたりするとギャップがでて異常にムラムラするんだろうな~。

 

「娘よ。お父さんとお風呂にいかないかい?」

「お父様、目が血走ってて怖いです。濁ってる上に真っ赤でなんか腐りかけの死体みたいです」

「娘が辛辣だ」

 

 なんかムラムラしてきた。

 

「そういえばお前って名前とかないの?」

「生まれたばかりの赤子同然の私に何を求めますか。ありませんよそんなもの。お父様がつけてください。責任取ってください」

「え~、面倒くさいなー」

「いいから考えろ」

「はい」

 

 こいつ言葉遣いが丁寧なだけで本性は暴君だぜきっと。

 

 それはさておき彼女の名前である。

 ぶっちゃけて言えば俺にネーミングセンスはない。いやペンギンだからギンって、小学生どころか保育園児か。自分のことだけど。

 そして俺の歴代飼い主たちよ。鳥類だから「鳥さん」とか、鳴き声がペンだから「ペンペン」とか。もうちょい捻ろうぜ。

 ペットは飼い主に似ると言うらしいから俺のセンスが壊滅的なのはアイツらのせいかもしれない。そういうことにしておこう。

 

 仕方ない。あまり気は進まないが、こうなったら奥の手を使うことにしよう

 

「……………」

「なにをしているのですかお父様。いきなり空を見上げたりして」

「話しかけるな。俺は今宇宙の大いなる意思と交信しているのだ」

「……ドン引きです」

 

 娘がすごい目で俺を見ているけど気にしない。

 ……よし。ふぅ、交信終了。

 

「お前の名前が決まったぞ」

「今の奇行でですか!?なんか嫌な予感しかしない…」

「お前の名前は『天華』だ」

「あれ意外とまとも……どういう意味なのですか?」

「知らん。俺に聞くな」

「お父様が考えたのではないですか!?」

「ああ、それと丁度いい機会だから俺に苗字が付くそうだ。『氷室』というらしいので、俺は『氷室ギン』でお前は『氷室天華』だ」

「……もういいです。素敵な名前をありがとうございます」

 

 いいってことよ。なんせ大いなる意思もなんとなく直感で決めたらしいから。

 

「で、これからどうするんだ?」

「どうする、とは?」

「いや可愛らしく首を傾げんなよ。…いや照れんなよ。可愛いって言われたくらいで。あれだよあれ、お前これからどうするんだ、って話だよ。どっか行きたいところとかあるのか」

「お父様はこれからどちらへ?」

「適当にぶらぶらするつもりだけど」

「では私もそのように」

「え?」

「はい?」

 

 微妙に話がかみ合わない気がする。これが、ジェネレーションギャップというものか……!

 

「いや、違うと思います」

「読心すんなよ。ていうかあれ?何でお前俺についてこようとしてるの?」

「なんでもなにも、他に行く所なんてありませんから。………お父様のいる場所が、私のいる場所なのです」

「そんな思いついたようにカッコいい台詞を言われても。ほら、元の持ち主のところとか帰らなくていいのか」

「……はぁ」

 

 うっわー。心底呆れてますよ的なため息つかれたー。地味に心にくる。ああ……でもこれもこれでいいかも……

 

「いいですか、お父様。よく聞いて下さい」

「へい」

「まず私は前の持ち主のところに戻る気は微塵もありません。あんなの数代前の先祖が天才だったからといって調子にのっている大馬鹿者です。あんなのに使われるなんて虫唾が走ります」

「ひでぇ言われようだ」

「そして、いくら知識を持っていようと私はまだ生まれて間もないのです。一人になんかなってみなさい。碌な目にはあわないですし、きっと生き続けていくことはほぼ不可能でしょう」

「ほうほう」

「よって私はお父様といなければなりません。そんな理由が無くともお父様と一緒にいなければなりません。分かりましたか?」

「いや、分かる分からないではなく……」

「……ダメですか?ほ、ほら。私お役に立ちますよ。元が剣ですから、お父様の武器になれます。どうですか?」

 

 まくし立てるように言うなり、天華の姿がふっと消え、代わりにそこに短刀が置かれていた。黒漆塗りの鞘と柄に繋がるように桜の花が描かれた一品だった。

 手にとって抜く。刃はギラギラと光り、なんだか血に飢えている様な気がした。

 軽くて振りやすいし、切れ味もよさそうだ。

 

「でも俺基本肉弾戦だしな。使える術も回復とか補助系だし。この身一つで間に合ってる、っていうかそんなに戦う機会があるわけでもないし」

「あぅ」

 

 ぽふんという軽い音ともに、短刀が天華の姿をとる。そして俺の手の上に乗ったまま、

 

「ダメ、ですか……?」

 

 うるうるとした目で見上げてきた。

 

 ちょっと考えて、

 

「何も問題なんか無かったな!よろしい、俺について来い!」

「ありがとうございます!お父様!」

 

 顔を輝かせ笑顔を浮かべた天華を飛びついてくる。ぎゅっと首に手を回してぶらさがる娘を慌てて腰の辺りで抑えて、

 

「ん?妖精サイズで首に手を回せるわけないじゃん。お前なんかでかくなってない?」

「はい。『姿形を操る程度の能力』で普通の子どもくらいの大きさになりました」

 

 何その便利そうな能力。外見とか自由に変えれるの?

 

「いえ、人型の時はこうして大きくなったり小さくなったりする程度です。武器ならば、お父様の望んだ通りの形状になれますが」

「なんで俺の意思なのさ」

「先ほども言ったように私はお父様から強い影響を受けていますので。お父様が望むのならば、私は大太刀にでも鉞にでも弓にでもなれます」

 

 ふと想像してみる。

 ずらりと俺を囲む異形の妖たち。後ろには震え怯えるか弱き少女たち。白刃を抜刀する俺。ばっさばっさと敵をなぎ倒していく俺。

 …………ヤダ、かっこいい。

 

「ぃよし!行くぞ我が愛する娘よ!凱旋だ!」

「いきなりどうしたんですか!?え、えと、とりあえず、お、おー!」

「我らの前に敵は無し!」

「おー!」

「例え地獄の悪鬼羅刹といえど、我が刃に斬れぬもの無し!」

「ええ!?そ、それはさすがに……」

「あ、その前に食料獲んなきゃ。天華よ、銛か釣竿になってくれない?」

「初めての実用がそれですか!いやですよそんなの!」

 

 こうして俺の旅路に、愉快な仲間が一人増えたのだった。

 

「私は絶対そんなことには使われませんからね!」

 

 ……これネタ分かる人いるのかな?



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12羽~夢の終わり~

 釣りを終えたギンは収穫の魚数十匹が入った魚篭を小脇に抱え、天華を肩に乗せて揚々と歩いていた。

 一方で、天華はしきりに体のあちこちを触りながら

 

「うう、縄の後がくっきり残っちゃいました。これなんて説明すればいいんですか」

「小さいまま無理に釣りをしようとして滑って転んで気付いたら糸が絡まっていた、とかどうだろう」

「さすがお父様。言い訳をさせたら世界一ですね」

「言い訳というな。誤魔化しと言え」

 

 え、気にするのそこ?

 

 膨れ面になる天華を見てげらげらと笑いながら、ギンは踏み固められた道をのしのしと歩いていた。

 

 ……なんでこいつ歩いてるんだろう?いや、変な意味でなく。

 妖力やらなんやらを絶妙なブレンドで配合して空を自由に飛べるはずなのに、どうしてこいつはいまだ重力に縛られているのだろうかと。そういう話なのですよ。

 

 あれか?まがりなりにもペンギンとしてのプライドがあるのだろうか。おおっと、これではまるで空を飛べないことがペンギンのアイデンティティーみたいではないか。失敬失敬。

 ぼくたちができたらいいなと夢見ていることを平然と無視するとは、何たる所業か。真っ当な理由があってのこと何なんだろうな!

 いやまあ、どうせ本人に聞いたとして、そしてあのバカが真面目に茶化さずに答えたとして、

「撃ち落されるの怖いもの」

 とか返ってくるんだろうしなぁ……真面目に考えてコレなんだぜ?

 

「――あら、お帰りなさい。ギン、天華ちゃん」

 

 おやおや?お寺っぽい建物の門先を掃除していた尼さんがギンに声をかけたよ?あいつらも当たり前のように「ただいま」「ただいまですー」って言ってるけど、どういう関係なの?そのまま軽く談笑に突入しましたけど、だからどういう関係なのさ。

 

 二、三十分ほど経過した頃、ようやう尼さんは掃除をすることを思い出したらしく適当に話を切り上げてあわただしく竹箒を動かしている。それを苦笑してみた後、ギンはそのまま門をくぐって寺の中に入っていった。……え?

 

 こ、こいつが、寺?仏教なんかにこれっぽっちも興味の無いあのバカが?

 い、いや待て。これが単なるお裾分けならいいんだ。「獲れ過ぎちゃったんで良かったらどぞー」みたいのならいいんだ。

 でもこれがもし泊り込みとかだったら…………どうしてくれようか……!

 

 こちらが密林で藁人形と五寸釘をポチっている間に、ギンは歩きなれた様子で境内を進む。

 

 途中ですれ違うネズミ耳の娘に

 

「おや、お帰り。調子はどうだい?……おお、中々じゃないか。これは夕餉が楽しみだねぇ。礼を言うよ」

 

 ぱたぱたと駆け寄ってきたセーラーの娘に

 

「おかえりー。たくさん釣ってきた?おおー、大漁じゃん大漁。いやー、アンタが来てから私が漁に出る手間が省けて助かるよ。このお礼は、そうだね……体で支払おうか?なんてね!嘘嘘!残念だったね~、アハハ!」

 

 全力疾走する虎柄の娘に

 

「ああ、ギン!丁度いいところに!宝塔!宝塔知りませんか?!……庫裏の漬物石の上!?どうしてそんなところに……いや!そんなことはいいのです!とにかくギン、ご助言感謝します!」

 

 …………………………。

 もう、キレちまってもいいよね?注文したものも届いたし。

 

 なんなんだよこのクソ鳥はよ。キレイな女性に囲まれやがって、王様気取りってかコンチキショウ。

 

 立て続けにエンカウントする少女たちとしっかり会話をしながらも、その足はまっすぐにある場所へと向かっていた。

 禅堂の前に到着したギンは、ゆっくりと扉を開ける。

 

 凛とした空気で満たされたその空間には、ただ一人しかいなかった。

 顔を俯かせ座禅を組んでいたその女性は誰かが来たことを察し目蓋をあけ、それが見慣れた人物であったことににっこりと破顔した。

 

「お帰りなさい、ギン、天華ちゃん。今日もお疲れ様です。お風呂の用意がしてありますから、ご飯の用意が出来るまで、よかったらどうぞ」

 

 ヒャア、がまんできねえ!打つぜ!

 

                           ★

 

 俺がここの寺と付き合いを持つようになって、どれくらい経つだろうか。

 人間基準ではそれなりのはずだけど妖怪基準だとまだまだででも結局どれくらいか覚えてないからなんとも言えないっていうか。

 まあ、楽しかったりインパクトのあったことは覚えているからいいんだけど。

 酔った聖に抱きつかれたり、着替え中の星に出くわしたり、風呂場で出たばかりのナズーリンと遭遇したり、酒を飲んで寝た次の朝村沙と同じ布団で寝てたり、起きてすぐの着ているものがほぼ肌蹴けた一輪とばったり会ったり、雲山の変顔百連発とかもあったっけ。

 

 数々の思い出を振り返っていくと、やがて初めて出会った日のことにたどり着く。

 正確には、俺があいつ等の問題に首どころか全身で突っ込んでいったと言うのが正しいのだけど。

 

 あれは、そう。ひょんなことから天華と追いかけっこになって、なんだかんだで藪の中を進まなければならなくなった時だ。密集した藪を掻き分け掻き分け、方角が分からなくなりながらも前へ前へと進んでいた。

 そして視界が開け、最初にに見えた光景。

 寺門の前で一人立つ女性(おっとりお姉さん系)と、それに立ち向かうように身構えた農具で武装した粗末な身なりの一団と先頭に立つ陰陽師らしき数人。

 

 まあ、飛び込んだよね。鋭い角度で。両者の中間(やや集団寄り)に高高度からの跳び蹴りをぶち込み、濛々と舞う砂煙の中から一言、

 

「詳しい事情は知らないが、か弱い女性を多勢で囲むとは不届き千万。その腐った性根叩き直してやるから、全員こっちに尻を向けろ」

 

 必殺の回し蹴りを食らわせてやるつもりだったのだが、しかし砂が全て地に落ちた頃にはもう相対しておらず、少し行ったところにすたこらと逃げる姿が見えた。まあこれで懲りたろうと思い、くるりと振り向いて女性に話しかける。あいつらに何をされたかを聞いて、何をされかけたのかを聞いて、事と次第によっちゃあ局地的に氷河期に突入させてやろうと思っていた。

 

 ぶん殴られて、説教された。美人の尼さんに。

 みるみるうちに回復していく俺のHPMPSPその他諸々の気力ゲージ。流石僧侶、回復はお手のものだと感心した。

 向こうにそんな意図が無いことは分かり切っていたので、表面上はおとなしく聞いてたけど。

 

 一通り済んだ後に自己紹介。向こうが聖白蓮と名乗ったのでこちらも氷室ギンと名乗り返した。そしてあまりにも構ってもらえず隅っこで座り込んでる天華のことも雑に紹介した。

 

 そしてようやく本題に入る。なぜあんな状況に陥ったのか、だ。

 聖はやや躊躇いながらも、答えてくれた。

 人と妖怪が云々、今の関係が云々、力があるものが云々、いろんな難しいことを言われたけれど、結局要約すると、

 

『人と妖怪が手を取り合える、そんな世界を作りたい』

 

 バカだなー、と思った。どうしてわざわざそんな面倒くさいことをしようとするのか、よく分からなかった。

 でも、語るときの聖は真っ直ぐで、無理だなんてこれっぽっちも思っていない顔で、胸を張っていた。

 その姿に、俺の良く知る馬鹿を重ねていて、

 

「なにか俺に、出来ることは無いか?」

 

 言ってしまったんだ。

 そこからだ。それ以来、俺は聖と、彼女を支える少女たちの夢を手伝うことにした。

 老いて死ぬのが怖くて妖怪になりかけるような弱い彼女の、夢物語の行く末を見届けてやりたくなったのだ。

 

                           ★

 

 ぶっちゃけ、寺での俺の仕事はほぼ皆無といっていい。

 雑用ならば十分人手が足りているし、食べ物も信者からもらえるもので贅沢をしない程度には賄える。力仕事は寺の住人のほとんどが妖怪なので言わずもがな。むしろ聖がパワーでガンガンいくタイプだった。

 

 しかし、そんな俺にも一つだけ、適しているかもしれない仕事が合ったのだ。

 聖の護衛である。

 

 人々から依頼を受け法力で妖怪を退治する一方で、その妖怪の傷を治し自らの教えを説こうとする聖。そんな彼女の所業が、完全に隠しとおせるわけではない。一部の村などでは、彼女のことを疑うものも出てきている。実際寺に妖怪がごろごろいるし。聞けば俺が始めて飛び込んだときもそのことについて詰問する連中だったらしい。

 

 幸い、この時代は村々のつながりも薄く、情報が伝わる速度は限りなく遅い。むしろ伝わらない。一つの村で怪しまれても、隣の村へ行けばまだ友好的な目で見てもらえる。

 しかし安心は出来ない。聖を疑った連中が何かしてこないとも限らないし、加えて聖を襲おうと企む山賊崩れも出ないとも限らない。妖怪である寺の住人たちが傍に付くのは本末転倒だし、毘沙門天代理の星は軽々しく外には出れない。

 

 そこで、能力で妖気やらを抑えることが出来、服を着替えればただの人間にしか見えない俺がその役割に抜擢されたというわけだ。

 妖気を外にばれないよう隠蔽するのは結構難しいことらしい。俺は適当に凍結してるだけだから分からんけど。

 

「―――と」

 

 不穏な気配を察知し、懐から一枚の札を抜き取り素早く聖へ投じる。

 札が聖の頭上で停止するのに一拍遅れ、宙を山なりに飛来してきた石ころは一瞬動きを止め、次の瞬間には先ほどと逆向きに、同じ軌道、同じ速度、同じ回転で元の場所へと帰る。

 家と家の間から石を投げた男の、顔の横を通り過ぎていった。

 

「ひ、ひぃっ!」

 

 無様な悲鳴を上げて逃げる男を追わずに、俺は呆然とする聖に声をかける。

 

「大丈夫か?怪我は、まあ、ないよな。俺が守ったんだし」

「ええ。ありがとうございます。ギン」

 

 どういたしまして、と返しながら、ひらひらと舞い落ちる札を手に取る。一回きり(インスタント)なのでもう使えないが、放置するのもあれだろう。

 人間が使う陰陽術に用いられる札を色々と調べ、俺でも使えるようにした手製のお札。色々あるが、ただ守るだけならこの『反射』の札で十分だな。使い捨てなのがやや難だが。

 使い終わったら勝手に燃えるようにならないかなー、と思案していると、

 

「ギン、今日のところはそろそろ……」

「ああ、もういいのか。それじゃあ」

 

 立ち去る俺と聖に熱心に頭を下げたり手を合わせたりする村の人たち。

 しかし、

 ……大分減ったな。

 初めの頃と比べて、そして一番多かった頃とは比べるまでも無く、信者が減った。そして今日のあの出来事。これは、

 

「もう、噂が広まってんのかね」

「そう、かもしれないですね。また次の村へ足を伸ばしましょうか」

 

 別に噂が広まって都合が悪いから行くのをやめる、と聖が思っているわけではない。別の村へも行きはするが、この村へ来るのをやめるわけではない。頻度が少なくなるだけだ。

 本来なら聖はどれだけ疑われようと、一人でも信じてくれる人がいればその人のために足を進めるだろう。それを止めているのは俺だ。そのほうが守りやすいという理由で、約束した。護衛が警護対象の行動を制限するのはどうかと思うが、より多くの人に教えを広めるという方便で乗り切ろう。

 

「…………」

 

 聖の表情は優れない。何か思うところがあるのだろうか。

 彼女は本気だ。本気で、人と妖怪が手を取り合えると、人の意識が変わり妖怪の意識が変わればその夢は叶うと思っている。本当は婆さんのくせして子どもみたいな考えをしている。

 

「……はぁ。アホくさ」

「どうしましたギン?ため息なんかついふぇ?」

 

 聖の台詞の最後がおかしいのは、聖がそういうキャラ作りをしているとか、俺の聞き間違えとか、もちろん入力ミスでもない。

 単純に喋っている最中の聖の頬を摘んで引っ張っただけだ。

 

「おーおー、よく伸びる。流石妖力吸って反則みたいな若作りしているだけあるな」

「ふぁの……ギン?ふぉれふぁいっふぁい?」

「いや何言ってるのか分かんないよ。ここでは人の言葉で話せ」

「ふぁなたのふぉうこそはなしてくだふぁい」

 

 なんだろう。この困ったような恥ずかしいような笑みを浮かべて、それでもやさしく諭してくれるお姉さんは。天使か?女神か?いや尼さんなのだけれど。

 とりあえず、パッと手を離し、余計なものに触れないようポケットに入れると同時に掌全体を凍結しておく。

 

「なに辛気臭い顔してんだ。そんなんじゃ新しい信者も出来ないぞ」

「……それは」

「それにお前がそんな顔をしていたら、お前を信じてくれている奴らが不安になる。誰かの前に立つヤツはな、いつだっていつも通りでいなきゃいけないんだ」

「ギン……」

 

 俺がまともなことを言うのが相当意外だったのか、呆けたような顔を数秒見せると、聖は柔らかく微笑んだ。

 

「そうですね。私が迷ってしまうと、みんなも、ギンも、困ってしまいますよね」

「ああいや、俺は別に」

「ええ!?」

 

 だってなぁ、

 

「俺は聖を守るのが役目だし。お前が迷おうとそうでなかろうと変わらないよ。変わらずお前を助けるだけさ」

 

 言って、なんとなく、ぽふり、と聖の頭に手を載せる。うん、柔らかくて、いい匂い。

 

「……もう、こんな子どもにするみたいなこと。私、もうお婆ちゃんなんですよ?」

「知ってるよ。けど、妖怪の俺からしたらお前なんかまだまだガキだよ」

 

 うまいこと言った気でいると、聖がおかしそうに噴き出した。どっちの反応か分からないけど、笑ってくれたならそれでいいや。

 

                           ★

 

「あらよっと」

 

 軽い声とともに、右手に握る天華の峰を男の腹部に叩き込む。聖が殺生はいけませんと言うので、気をつけて殺さないようにしている。

 

「ほいほい」

 

 背後から切りかかってくる男へ、背を向けたままぶつかりに行く。正面から背中に激突され吹き飛んで後方の木に激突する。

 

「それじゃ……あれ?終わり?」

 

 ぐるり、と四方を見渡し、これ以上立ち上がってくる姿がないのを確認して、体の力を抜きながら小さく息を吐く。

 まあ、たかが武装した男四、五十人程度なのでそんなに時間はかからなかったのだけれど。

 

 聖の、妖怪も人間の平等に扱う、という思想はやはり受け入れられるものではなかったらしい。

 森の中で傷ついた妖怪を癒している場面を身分の高いお侍さんに偶然目撃されて以来、度々聖を成敗しようと今までに無い本格的な力を持った一団が寺を襲いに来るようになった。

 

 まぁ弱いんだけどね。

 刀を持った程度で俺をどうこうできる訳もないし、陰陽術もすでに俺は理解しているので対抗策は十全である。

 

 しかし敵さんもただの馬鹿ではないらしい。

 最大戦力の俺を出来るだけ寺から遠ざけ、その隙に攻めきろうとしてきた。どうにも押し切られ、敵の九割とともに大分寺から離れてしまった。

 離れる直前、残った一割に向けて札を放っておいたので数は減らせているだろう。あとは残りの面子が……いやむしろ聖が一人で何とかできるだろう。肉弾戦で。

 

「――お父様!」

「っ!?」

 

 天華の声が伝わるより一拍早く、俺は顔を上げて一方を見据える。距離にして三里。一跳びで潰せる距離の先にある寺から、不自然なほどの力と、術式の気配。

 何も考えず、ただ俺は跳んだ。

 

「―――ちっ!」

 

 ぐるぐると身を捻りながら着地し、はじかれたように駆け出す。倒れ伏す侍や陰陽師を無視し、一直線に境内へ。

 

「おーい。誰かいるかー」

 

 小走りに緩め、一帯に響くような大きさで呼びかける。

 何処からも反応は無い。

 不安と焦燥を押し殺し、本堂の戸を開ける。

 

「―――!……よかった。無事だったんだな」

 

 堂の中には、毘沙門天の像に向かい目を瞑る星と、傍に控えるナズーリンの姿が。

 ほっと安心して、他の連中の事を聞こうとして、

 

「ギン……」

 

 小さく、儚い、星の声が俺の体を止めた。

 

                           ★

 

 聖は魔界へ。一輪と雲山、水蜜は地底へ。それぞれ封印されたらしい。

 ぶっちゃけ、こんなこと思いもしなかった。陰陽師の方々は随分と頑張ったらしい。懐から拝借したお札はかなりの高位の術が籠められている。

 これなら、命をつぎ込めば望んだとおりの結果が出せただろう。アホらしい。

 

 アホといえば聖もだ。さっさと対処すればいいものを、まずは説得から入ったらしい。その隙に封印の術を完成させられるとか、あいつバカだろ。

 ……本当に、大バカ野郎だ。

 

 残りのやつらは、最初は聖に言われて状況を見ていたらしいが、封印が完成したのを見て慌てて出てきて、控えとして詰めていた陰陽師たちに地底に叩き落されたらしい。一矢報いることも出来ず、ただ退治されたあいつ等の気持ちは、察することも出来ない。

 

 星とナズーリンは毘沙門天の関係者として見逃されたという。そもそもから頭数には入っていなかったはずだ。仮にこいつらも狙われていたとしても、聖たちを封印するので残ったやつらは手一杯だった。

 二人が残されたのは、偶然だったと言える。

 

『ごめんなさい。聖たちを助けることも出来ず、ただ見ていることしか出来なくて……ごめんなさい』

 

 そう言って彼女は泣いた。武の神毘沙門天の代理にはあまりにもそぐわない、か弱い少女のようだった。

 

『私には御主人を守ることしか出来なかった。仲間を、友を、止めることが出来なかった……すまない』

 

 そう言って彼女は泣いた。いつもの凛とした姿が嘘のように、自らの重責に押しつぶされそうなほどだった。

 

 俺に出来たのは、彼女たちが泣きつかれ眠りにつくまでの間、抱きしめてやることだけだった。

 自分の無力さをかみ締めることだけだった。

 

 二人は寺に残るのだという。いつか聖たちの封印が解けた時、彼女たちが帰ってくる場所を残しておきたいらしい。

 

 ならば俺はどうするのか。何をしたらいいのか。守ってやるといって、何も出来なかった聖たちのために、一体俺に何が出来るのか。

 考えようとして、しかしその答えはあまりにもあっさりと思いついた。

 

 聖の夢を、あの弱い少女の夢を、実現させること。

 人と妖怪の共存なんて大層な夢を掲げ、最後には人間に妖怪として退治されるなんて結末を迎えてしまった、あの優しくて脆い彼女の夢を。

 

 幸いにも、心当たりはある。

 近頃あっていないが、似たような夢を持つ、しかし聖とは違い強さを持つ妖怪の少女を、俺は知っている。

 

 何処にいるかは知らないが、まあ適当に歩いていれば、あちこちであいつの居場所を聞いて回れば、それを知って向こうから会いに来てくれるだろう。

 

 数年ぶりに放浪の旅に出る俺を、数年もの間いた寺をあっさり出ると決めた俺を、星とナズーリンは笑顔で見送ってくれた。

 詳しいことは何も話していないのに。言わなくても分かっているかのように、何も聞かず。

 

「「いってらっしゃい」」

 

 ただ、見送ってくれた。

 

 さよならとは、言わなかった。 

 



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13羽~狐の討ち入り~

 彼女はいつものように、突然姿を現した。

 

「あら、奇遇ね」

 

 空間の裂け目に腰掛け、広げた扇で口元を隠し飄々と笑いながら言ってのける女に、対する男は、

 

「ああ、偶然だな」

 

 当然のように返した。

 

「随分とご無沙汰ね。元気にしてた?」

「まあそこそこだな。お前はどうだ」

「上々よ。そういえばこの頃貴方が私を探しているという噂を耳にするのだけれど、何か用かしら」

「いやなに、愛しいお前の顔を見たくてね。会えない時間が思いを育むとはよく言ったものだ」

「あら嬉しい。実は私も貴方と同じ気持ちなのよ。ああ、愛しているわ」

「これはこれは。勇気を振り絞って想いを伝えた甲斐もあったというものだ」

「もう、ずっと待ってたんだから」

「ははは、寂しい思いをさせてしまってすまなかったね。これからはずっと一緒だよ」

「ああ、今日はなんて幸せな日なのかしら。まるで夢みたい」

「夢でも現実でも構わないさ。キミとボクがここにいて、思いが通じ合っている。それで十分さ」

「ギン……」

「紫……」

 

 ……………………………………………………。

 

「「何をしているんですか?」」

 

 最初の位置から動かず、しかし言葉の上だけならまるで恋人同士の甘い語らいのようなものを交わした男と女のそれぞれ後ろ。妖精サイズの少女と尻尾を生やした少女は異口同音に、自らの主に問いかけた。

 同じタイミングでくるりと振り向いたそれぞれの主は、

 

「いやほら、お前コイツに会うの初めてだろ?だからなんとなく」

「貴女コイツに会うの初めてでしょ?だからなんとなくね」

「「……はぁ」」

 

 笑いながらそう言ってのける主たちに少女たちは呆れたような疲れたようなため息をつき、そして同族を見つけたような眼差しでお互いを見詰め合った。

 

「――さて」

 

 少女の主が場を仕切りなおすようにぱちんと音を立てて扇を閉じると、二人の従者は慌てて姿勢を正した。

 

「再会の挨拶はこれくらいでいいでしょう。さ、本題に入りましょう」

「おいおい何を言っているんだい。ボクとキミの愛以外に大事なことがあるというのかい?」

「……うん。冷静になってみるとさっきのはないわね」

「おいおい今更かよ。俺はやっている最中で気付いたけどお前の演技があまりにも面白かったから気にせず続けた」

「そう。貴方の演技も中々だったわよ。その証拠に……ほら、鳥肌」

「鳥の前で鳥肌を見せるとは良い度胸じゃねえか。本物の鳥肌見せてやろうかこら」

「遠慮するわ」

「あの……紫様?」

「お父様……いい加減に」

 

 各々の従者に言われ二人は渋々と話を止めた。と、そこで、

 

「ちょっとギン。貴方自分の式になんて呼び方させてるのよ。そういう趣味なの?」

「俺がこいつにこう呼ばれていることに興奮しているのかはさておいて、呼び方は最初からこれだったし、そもそもこいつは式じゃない」

「そうなの?じゃあなに?まさか、本当に貴方の子ども?相手は誰?」

「そんな相手いねぇよ喧嘩売ってんのか。こいつは九十九神。俺が持ってた刀が変化したものだ。そういうお前こそ後ろのは誰だよ。お前の夢の賛同者か?」

「似たようなものだけど、ちょっと違うわね。この娘は最近出来たばかりの私の式よ。藍、挨拶なさい」

「はい」

 

 主の女性に促されて、後ろに控えていた女性は一歩前に出る。大陸の導師の服装に身を包んだ彼女は折り目正しく頭を下げた。

 

「はじめまして。八雲紫様の式、八雲藍と名乗らせていただいています」

 

 その背に広がる九本の尻尾に、自然と男の視線は向けられる。

 

「へぇ。九尾か。本当にいるんだな。てことは、相当強いのか」

「ええ、かなりできるわよ。私には及ばないけど」

「へいへい」

 

 おざなりに手を振り、そこで男はがらりと雰囲気を変える。

 

「さて紫、そろそろ真面目な話に移ろうか」

「私はいつでもよかったのに。貴方が焦らすから」

「許せよ。お前にとっても悪い話じゃないと思うから」

「……へぇ」

 

 すぅ、と、女の目が細められる。

 

「詳しく話して頂戴」

「そんな長々としたことでもない。ほら、始めての時俺言ったじゃんか、荒事中心に手を貸すって。アレを訂正。これからはどんなことでも全面的にお前に協力していきたい」

「それはどういう風の吹き回しなのかしら?」

「色々あって、ちょっと気持ちが変わったのさ。栄枯衰勢というか諸行無常というか」

「よく分からないけど、話は分かったわ」

「で、どうよ。俺、いらない子?」

「いいえ。むしろ丁度いいわ。賛同者も集まった。場所も見切りをつけた。そろそろ本格的に始めようと思っていたの」

「楽園作りを、か?」

「そうよ。力を貸してくれるというなら是非も無いわ。ギン、貴方はこれから補佐として私と一緒に行動して――」

「――お待ちください」

 

 少女の言葉を、仕えているはずの少女が遮った。少女に集まる視線。

 そしてその少女の瞳は、鋭く尖ったその瞳は。

 燃えるように滾り、男に向けられていた。

 

 ……ふぅ、ボケないのもなかなか疲れるな。

 

                         ★

 

 紫の式であるモフモフの子にすっげぇ睨まれている。どうしたものか。なんか背筋がゾクゾクしてきた。

 

「どうしたの藍。何か言いたいことが?」

「お言葉ですが、紫様。その男が紫様の助けになれるとは思えません」

「う~ん。藍の目から見て、ギンはいかにもやる気がなく覇気も無く、おまけに華も無い、特技も無い、特筆すべきことも無い、自分の連れに変わった呼称で呼ぶように強制させてる濁って腐敗臭を放つ沼のような目をした男、というふうに映っているということかしら」

「……ええ、おおむねその通りです」

「まてやコラ。そこまで言ってないだろそっちのは。それはお前の目から見た俺の印象なんだよな、そうだよな?」

「なによ。別にいいでしょ?大して気にしている訳でもなさそうだし」

 

 はい。「おおむね」って変換したら大変なことになるなー、とか思っていましたけれど。

 

「大丈夫よ。安心なさい、藍。この男は確かに見てくれはアレだけど、実力は折り紙つきよ。私が保証するわ」

「紫様……そこまで仰るのであれば……」

「まだ納得できていないみたいね。困ったわね、貴方たちには協力してもらいたいのに。……そうだわ、言われて納得できないのなら、自分の目で見て納得させればいいのよね」

 

 いい事を思いついた、とばかりに両手を胸の前で合わせる紫。なんともその動作が作り物臭くて、胡散臭くて、嫌な予感がする。

 

「藍、貴方今からこいつと戦いなさい。もしこいつが負けたらこいつの手を借りるのはやめるわ。負けたら嫌でも納得してもらうけど」

「……それは、ご命令ですか」

「うん、そうね。折角だから命令しちゃう。八雲藍、この男と戦いなさい」

「はっ」

 

 威厳たっぷりに言う紫と、傅き承諾する藍とやら。理想的で絵に書いたような主従の図だが、ここで困ったことになったぞ。

 

 ううむ。藍がどうしてここまで俺を警戒しているのか、理由は分からんでもない。

 藍は本気で紫を尊敬しているのだろう。まあ一応は大妖怪に数えられている紫だし、そうなることもあるのだろう。そして紫の夢を知っているのなら、尚のこと協力者には気を配るはずだ。

 紫の理想は遠すぎる。共に行く者が足を引っ張るのでは到底たどり着ける場所ではない。

 そのことは俺も分かってはいるから、藍の気持ちも理解できる。

 

 ……しょーがない。

 

「俺の関与しないところで俺に関する事が決められているが……いいだろう。勝負とやらを受けてやる。それじゃあ――勝利条件の確認だ」

 

 ぽん、と紫に天華を預ける。流れ弾などを警戒すればこいつの傍が一番安全だろう。

 

「……ッ!?」

「なっ!?」

 

 と、ようやくいきなり目の前まで接近した俺に目を見開く二人。どうも俺の動きが見えなかったらしい。頑張ったからな。

 

「八雲藍。お前は俺に全力で攻撃を仕掛けて来い。一発でも当たれば、掠りでもすれば俺の負けでいい。対して俺の勝利条件は、お前の尾全てにこの札を結びつけること、で、どうだ?」

 

 指の間に挟んだ八枚のお札を示す。枚数を見て一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに何かに気付いたように藍は己の尻尾を見る。

 

 そこでようやく、九本のうちの真ん中の尻尾に神が結び付けられていることに気がついたようだ。意外に鈍いな。不感症か?

 

「そんな……まさか……」

「これは……予想以上ね」

 

 ふわりと天華を胸に抱いた紫が浮き、少し距離を置いたところで正面に置いた藍が身構えた。

 

 来る。

 

                         ★

 

 初手は策も何も無い正面突破。単純な行動だからこそ、その威力は攻撃する者のスペックに完全に比例する。

 変化によって鋭く伸ばした爪に妖気を纏わせた一撃。これならば分厚い鉄の壁くらいなら用意に抉り取れるだろう。

 

 だが、当たらなければどうという事は無い。しゃがんで回避。そのまま地面につけた手を軸に身体を回し、刈るように藍に足払いを仕掛ける。

 

 両足を掬われ無様に背中から地に落ちそうになるが、滞空中に自ら身体を振りその反動でさらに身体を縦に動かし、百八十度。片手のみで逆立ちし、そのまま空へと飛んだ。

 

「これならば……どうだっ!」

 

 首をかなり傾けないと見えないくらいに空高く上った藍の周囲に、青白い炎が大量に出現する。恐らくはあれこそ有名な狐火。あの量。あの密度。そしてここからでも感じ取れる一つ一つに籠められた強大な妖力。回避しきるのは至難の業だろうが、たぶん一発でも当たればそこははじけ飛ぶだろう。

 

 だがそんなことはどうでもいい。彼女と俺の高低差を利用し、早急に実行しなければならないことがある。

 パンツを覗きたい。

 

 別に見えなくても構わない。とりあえず藍の直下に移動したい。見上げればそこに女性の下半身があるシチュエーションというものに憧れていたんだ。二十秒くらい前から。

 

 走る。駆ける。前へ進む。

 時折斜めに進んで頭上から降り注ぐ狐火を回避しながら地面に浮かぶ藍の影を目指す。

 

 けれど奴さんがずっと止まっていてくれる訳も無い。空を縦横無尽に移動しながら、絶え間なく攻撃を繰り返してくる。

 くそっ、追いつけない。届かない。こんな所で、立ち止まっている場合じゃないのに。

 もっと、もっと俺に、力があれば……!

 

 追いかけっこも面倒になったのでギアを一つあげる。ついでに空を飛ぶのも解禁しちゃう。

 

 ばごーん、と地面が割れる程度の力で駆け出し、藍の真下に着いたと同時に飛び上がる。

 

 下着は……くっ、見えない……っ!

 

 未来の萌え衣装の一つであるスパッツのようなもので下着は見えなかった。まあ綺麗なおみ足を見ることが叶ったからよしとしよう。

 

 このまま上昇し続けたら藍の足の間に顔面から突っ込んでしまうことになる。それはダメだ。変態としても紳士としても、そんな犬みたいなはしたない真似は出来ない。身体を捻ってルートを変更。藍の真後ろをとる。

 

「なに……っ!?」

 

 振り返った藍が咄嗟に作り上げた巨大な火の塊を俺の胴体に直接叩きつけようとしてきたので、今度は上に飛んで回避。

 今ので結べた札は五枚。残りの三枚の札は俺の手の中でぴらぴらと揺れている。

 

 さて、後一回、一瞬でも後ろを取られたら負けると分かった藍は戦法を変えてきた。

 どっしりと構え一歩も動かず、懐から取り出した大量のお札で陣を作り上げる。妖力を圧縮し、撃ちだす方式のもののようだ。太いレーザーのような妖力砲が襲い掛かる。

 

 超頑張って逃げ続けた。

 

 あ、これまでに無いほどの大きさと複雑さを持った陣を作ってる。作るのに時間はかかるがぞの分威力は常識外れだ。

 なるほど、藍も勝負を仕掛けてきたな。受けて立とう(キリッ

 

 旋回し進行方向を変える。藍目掛けて一直線。俺の気持ちを受け止めてくれー。

 

 そして轟音。空気を捩じ切る勢いでぶっといビームが放たれた。視界いっぱいにエネルギーの塊が迫ってくるのはかなり心臓に悪い。あの敵味方の戦力がインフレを起こしまくっていた漫画の敵キャラ達も最期にこんな景色を見ていたのだろうか。

 

 回避しながら、ふとそんなことを思った。

 

 個人的にはジーティーも悪くない、とか考えつつ、藍の尻尾にラストの札を結び終えた。

 

「はい、御終い」

「……参りました」

 

 潔く負けを認めた藍と共に降下して着地すると、優雅に日傘をくるくる回したりしちゃったりしながら紫が近づいてきた。肩上には天華が乗っているが、仲良くなったのだろうか。

 

「お疲れ様、二人とも。中々の戦いだったわよ」

「藍さんがすごかったです。お父様は……その……」

 

 言うな娘よ。

 

 藍が深々と頭を下げる。

 

「御見逸れしました。先ほどの無礼をお許しください、ギン殿」

「気にすんな」

 

 ぽんぽんと帽子の上から頭を数回叩く。うむ、ちゃんと狐耳はあるようだ。

 

 さて、それでは今回の戦いを振り返ってみよう。

 

「藍も頑張ってはいたんだけどね、今回は相手が悪かったわね」

「はい。ギン殿は私よりも遥かに強いのですね。手も足も出ませんでした」

「実際に手も足も出さなかったのはお父様だと思いますけど。お父様もお父様です。真剣に戦っている方相手に手を抜くなんて失礼ですよ」

「……え?あ、あの、手を抜いた、とは……?」

「そういえば貴方、飛行する以外に碌に妖力を使っていなかったわね。あれは素の身体能力かしら。おまけに能力も使わなかったし、かなり手加減していたのね」

「それにお札も使っていませんでした。いえ、使うには使ってはいましたが」

「あら、貴方いつの間に術式なんて覚えたの?ちょっと使っている札見せて頂戴…………なにこれ?陰陽術が基礎にはなっているけどかなり弄られているわね。霊力でしか動かないはずの術を強引に妖力でも発動するようになっているわ。無茶苦茶よ」

「札の種類も色々あるんですよ?遠くからの攻撃を逆回しにしたみたいにそのままの軌道、威力で相手に跳ね返す『反射』に、足元の地面を一瞬で底なし沼に変える『腐食』、あとは見渡す限りの一面を焼け野原にする『焦土』なんてのもありますね。えげつないです」

「貴方よくそんなものを考え付いて、その上効果を齎す札を作ろうと思ったわね。頭と神経を疑うわ」

「…………ははっ、ぎ、ギン殿は、本当にお強いのですね…………ッ!」

 

 楽しそうに笑う紫と天華。そして勝負の裏に隠された真実を知り項垂れる藍。

 

 ……この面子で、本当に楽園なんて作れるのかなぁ?



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14羽~天狗のパンツはいいパンツ~

「今日は出かけるわよ」

 

 そう言って八雲紫はスキマを開き、八雲藍と氷室天華とともに入っていってしまった。ぽかんとするのは取り残された氷室ギンだ。唖然とした顔は一見の価値がある。爆笑必死で。というか置いていった方達の中には彼の娘もいるわけなんだが。

 

「……何処に行くんだよ」

 

 一人だけ置いていかれるのも嫌だったのでギンはスキマに飛び込む。向こうでちゃんと三人が待っていてくれていたのを見てほろりと涙を浮かべていた。キモい。そのまま凍り付けばいいのに。

 

「今日は交渉、というか、もうほとんど確認だけね。何度も話し合っているからあとは細かいところをつめるだけよ」

「お前の考えに好意的な相手なのか。それは一体どんな物好きなんだ」

「真面目な方よ、アンタとは違ってね。とある山奥にある妖怪の里の長をしているわ。そこにいるのは天狗や河童なんかの、この国に古くから居た妖怪ね。私やアンタのような一人一種族とは正反対ね」

「ここにきてまた初めて耳にする単語が。でも分かるからいいや。つかそのままだし」

「なによ。違うっていうの?これまで私はアナタみたいな埒外の存在、他に見たこと無いわよ」

「そうか。お前のこれまでの長い長い生の中で、見たことが無いのか」

「おいこら鳥肉。ちょっと歯ぁ食い縛れ」

「もぐらっ」

 

 淑女に有るまじきモーションと速度で振るわれた拳は正確にギンの頬骨を打ち抜いた。着弾からさらに力を込められ、拳が振りぬかれるとともにその身体は後方に吹き飛ぶ。

 いや、もう後ろではない。気がつけばギンは彼女たちから見て真下に落下していた。ここは彼女の領域だ。座標軸程度捻じ曲げるのは容易いだろう。

 

「…………ッ!」

 

 これまた淑女にはあるまじき首を掻っ切る動作を視界に収めたのを最後に、ギンの身体はスキマから放り出され、目の前で空間の裂け目は元通りに閉じた。

 

 落ちた場所は遥か天空。そのままギンの身体は真下の山中に向かって落下を始めた。

 

                         ★

 

 別に今更高いところから落ちた程度で大したことにはならないけどさ。さっきの紫の左フックが予想以上に体の芯に響いてる。

 くそぅ。こんなことなら拳を振るう直前の紫の必死そうな顔とか、遠心力で弾む胸とか、あのちっちゃな拳で殴られてみたいとか考えなきゃ良かった。

 

 あれを避けていれば、

 

「貴様!何者だ!」

 

 こうして四方を囲まれて剣を突きつけられることも無かっただろうに。

 

 ばさばさと背中に携えた黒翼を羽ばたかせ次々と集まってくる山伏の格好をした、おそらくは天狗たち。鼻も長くないし顔も赤くない。夢を壊された気分だ。男でも変わらないのかよ。

 

 ああ、天狗がこんなにたくさんいるってことはここが紫が来るって言ってた山か。恐らくあいつらは山の大将の元へ一直線ルート。俺はこうして地べたに這い蹲りながら三下どもとランデブールートってことですね。あのババア許さん。

 

「聞いているのか!答えろぉ!」

 

 あー、はいはい。分かりましたよ五月蝿いな。野郎の叫びなんて聞いているだけで吐き気がしてくる。いや、女性の泣き叫ぶ声も聞きたいわけじゃないけどさ。

 ぐだぐだと地面を転がっていた身体を引っ張り上げ、だらだらと立ち上がる。空には天狗、天狗、天狗。多すぎて羽ばたく時に抜け落ちた黒い羽根が酷いことになっている。あれには触りたくないなー。

 

 軽く見渡してみるに、どうも俺は天狗たちの居住地区のど真ん中に落ちたらしい。ちらほらと木の上に家らしきものが見える。もっと隅っこに落ちていたらこんなことにはならなかったのに。

 

 さて、余計な会話をするのも面倒くさいんで、ここは一気に走りぬけよう。 

 

「一体何の騒ぎですか?」

「射命丸様!」

 

 やっぱり止めた。

 割られるように道を開ける天狗たちの向こうから、他の天狗たちとは違う色の帽子と僅かに装飾を施された服を着た少女が現れた。

 剣は持たず、扇か何かを持っている。

 

「賊が侵入しました」

「その程度なんですか。力づくにでもここから叩き出して……」

 

 目が合った。

 俺はキラリと輝くような悩殺スマイルを繰り出した。

 文は吐いた。こうかはばつぐんだ。

 

「久しぶりだってのに、随分と失礼なやつだ」

「……黙りなさい。何故アナタはここに侵入したのですか。ここが天魔様の治める地と知っての行いですか?」

「いやいや、俺だって来ようと思って来たわけじゃないよ。全部あの八雲紫ってババアが悪いんだ」

「八雲……アナタはあの方の知り合いなのですか」

「一応は。その天魔さんとやらのところに向かう途中で放り出された。天魔さん家って何処よ」

「アナタのような怪しいやつを天魔様の下へ向かわせるなんて、冗談じゃない」

「じゃあいいです。あいつらが来るまで待ってますんで」

 

 よっこいしょ、と言って俺はその場に寝そべる。掛け声が年寄り臭いけど間違いなく年寄りなので気にしなーい。

 ふてぶてしくもリラックスし始めた俺に、天狗たちも戸惑っているようだ。何人かは文に縋る様な目を向けている。

 

「…………はぁ」

 

 疲れたようなため息を文は吐いた。そんな弱いところ部下に見せたら示しがつかないよ。

 

「……この男の身柄は私が預かります。貴方たちは警備に戻ってください」

「よろしいのですか?」

「いつまでも持ち場を離れている訳にもいきません。分かったら行って」

「はいっ!」

 

 ぶわぁーっと蜘蛛の子を散らすようにいなくなる天狗たち。鴉天狗なのに鶴の一声とは。

 

「出来る上司って感じだな。でも、仕事と恋愛は両立させないとダメだぞ」

「……相変わらず、何言ってるか理解できないわね」

 

 仏頂面で睨み付けられる。俺なんか悪いことしただろうか。

 

「おお、そうだ。はたてと椛とにとりはどうしてる?元気にしてるか?大きくなったか、背とかその他とか。おおっと」

 

 稲妻のような勢いで繰り出された蹴りを転がって避ける。袴の裾から見えた!褌!

 

「何すんだよ。ただ成長具合を聞いただけじゃないか。あ、もしかしてあれか。お前追い抜かれたのか?えー、でもお前も結構育ったよなっと、っと、っと」

 

 繰り出される連続攻撃。一本下駄の蹴りから抜き身の小太刀、どこかに仕込んでいたらしい飛び道具から手刀。さすがに扇は振らないらしい。周りへの被害もあるしね。

 

「ちっ。ちょこまか逃げやがって」

「ごめんごめん謝るから。ヘンなこと言ってごめんなさい。久しぶりにあいつらに会いたいんだ。頼むよ。な?」

「……椛は警邏中。にとりは少し離れた河に住んでるわ。一番近いのはたてのところね。ついてきなさい」

 

 口ではとやかく言いながらしっかり案内してくれる文ちゃん大好き。びゅーんと飛んでいく文を見失わないように、俺も飛行する。アングルの確保に成功すれば飛行中はずっと覗ける。……くそっ、ガードが固い!

 

                         ★

 

 しばらくお空を飛んだ後、一軒の家の前に着地する文。俺も習ってそこに降りた。

 

「はたてー。ちょっと出てきなさーい」

 

 ドアをガンガンとノックしながら呼びかける。そんなにしなくても聞こえるんじゃね。え、寝てるの?こんな真昼間から?

 

 すぐに中からドタドタと足音が聞こえたので、外開きの扉から一歩離れる。

 

「ちょっと何よー、文。私今日は非番だから一歩も家から出たくないって言ったわよね。全く、休みの日は一日中ごろごろしていたいっていつも言ってるじゃな――い?」

 

 顔を見せるなりまくしたてるように苦情を述べ、しかし途中で文の後ろにいる俺を見つけて言葉を止めた。

 

「お、おう」

 

 以前会った時と比べて色々と成長しており再会が嬉しいはずなのだが、しかし俺に言えたのはこれだけだった。なんだろう、数年ぶりに帰郷したら子どもの頃の知り合いがニートになっていたのを知ったようなこの感覚。

 

 はたては一歩踏み出し、ずいと顔を覗き込み、

 

「んー?あれー、どっかで見たような顔ねー。でも何処だっけ。思い出せないわ。最近なんか記憶力がア衰えてきた気がしてね。やっぱり年かしら……って、私はまだ若いわよ」

「うわぁ」

 

 ぼっちにありがちな一人呆け突っ込み。誰も見ていないのに面白くもないことを言って自分で笑いもしないという非生産行動の極みだよ。

 

「残念ながら、はたてはアンタのことを覚えていなかったみたいね。お気の毒様」

「会って話したのは一度だけだし、それも何年前のことだと思ってんだよ。すぐに思い出せるほうがおかしい。あ、でもお前は覚えててくれたんだよな。ありがとう」

「……どういたしまして」

 

 ぶすっとした顔の文はさておいて、とりあえずはたてとコンタクトを試みる。

 

「おら、お客様がいらっしゃったぞ。さっさと茶の一つでも用意せんか、この社会不適合者」

「は?アンタ何言ってんの?誰が不適合者よ。私はちゃんと働いてるっての!」

「自主休暇も多いけどね」

「文うっさい!大体誰なのよコイツは!」

 

 指差すなこら。その指しゃぶるぞ。

 

「ちょっと!さっさと答えなさいよ!」

「なあ文、なんかコイツの張り切り方が面白いからしばらくこのままでもいいか?」

「あんまり放っとくと際限なく五月蝿くなるから駄目よ。それにはたて、人見知りのアンタが初対面のやつにそんなに強気に出れるはずが無いんだから、一度でも会った事があるのはすぐに分かるでしょ」

「ひ、人見知りじゃないわよ!そんな子どもみたいな!……う~ん、でも言われてみれば見たことがあるような無いような……?」

 

 腕を組み眉根を寄せて思案顔。うんうんと唸って記憶を掘り起こそうとしているようだった。

 

 ……そして十分後。

 

「分かった!二十年前に引っ越していった近所のタカシくんだ!」

「残念外れ」

 

 玄関口から聞こえてきた馬鹿の声をはたての家の床の間に居座りながら一蹴し、ずずずと湯飲みを傾ける。

 正面に座る文は折角入れてやったお茶に手をつけず、呆れたように頭を抱えていた。

 

                         ★

 

「いやー!懐かしいわね!本当に久しぶり!なによあれから元気にしてた!?」

「うん、ちょっと黙ろうか。その口閉じないといやらしい方法で強引に塞ぐぞ?」

「何馬鹿なこと言ってるのよ!」

 

 バシバシと背中を叩かれる。これっぽちも痛くないけど横から盛んにもれる笑い声は関西圏のおばさんのそれを髣髴とさせる。テレビでしか見たこと無いけど。

 

「なあ文、これどうにかしてくれないか?」

「諦めなさい。そいつ人見知りなのは子どもの頃から変わらないけど、成長してある程度親しくなった相手にはやたら馴れ馴れしくなる性格になったのよ。懐かれてると思って納得しなさい」

「いや、友好的な証だって言うなら我慢するけど」

「ちょっと、文ばかりと話してないで私とも会話しなさいよ、ほら」

 

 ばしばしと叩かれるのがウザかったので顔を鷲づかみにしてぐりぐりと揺さ振ってみる。ようやく大人しくなったな。

 

「んで、次は誰に会いに行くんだ?椛か、それともにとりか?」

「にとり、かしらね。椛は今哨戒中でしょうし」

「うんうん、あの子すごい仕事に真面目だから。お昼くらいに交代して休憩とるだろうからその時にでも会いに行きましょ」

「はいはい。それじゃあ川辺に行ってにとりに――あん?」

 

 ぱっと顔を上げ横を向き、視線の先に広がる森林の一点を見つめる。つられて文とはたても同じ方を向いたが、まだはっきりとした位置は見定まっていないようだ。

 だが俺にははっきりと分かる。今恐るべき速度でこちらに接近してくるものがある。

 

 脚を肩幅に開き腰を落とし身構える。次の瞬間には襲い掛かっているかもしれない何者かの襲撃に備えて、万全の対応を取れるように。

 

 そして、

 

「わぉおおおおおおおおおおおおおおお――――んんんんんっ!!」

「どーんとこーいっ!」

 

 木々の間から飛び出してきた白い影をど真ん中から受け止め、素早く急所である頭と行動の基点となる腰を抑える。

 

「わうっ、わうっ、わうっ」

「おお、よしよし。暴れるなこら、落ち着けって」

「くぅん、くぅん」

「鼻面を擦り付けるな、くすぐったいから。ほらほら、もういいだろ、お座り!」

「わん!」

 

 ぱっと俺の腕の中から飛び出し、空中で一回転決めてから地面に降り立ち座り込み、上手に出来たから褒めてと言わんばかりのキラキラとした目を向けてくる。

 

「良い子良い子。ほーれ、なでなでー」

「きゃいん、きゃいん」

 

 首の辺りを優しく掻いてやると、気持ちよさそうに鳴きながら身体を摺り寄せてきた。はっはっは、愛い奴め。

 

「……何やってるの、椛」

 

 呆然としながら文が口を開いた。ちなみにはたては口をあんぐりと開けてアホ面を晒していたりする。

 

 さて、問いかけられた椛はといえば、一瞬だけちらりと文に目を向けるも、すぐに目を離し俺に尻尾を振り始める。

 

「ちょっと、無視しないでよ!ていうかアンタ仕事は!?まだ勤務時間のはずでしょ」

「……なんですかもう、横できゃんきゃん騒がないで下さい。貴女は犬ですか?」

「アンタに言われたくないわよ!」

「仕事なんて放り出してきました。私にとってご主人様よりも優先すべき事柄などこの世に存在しません」

「うん?なんか今聞き捨てなら無い単語が飛び出したよ?」

 

 すぐにでも文と言い争いを始めそうだった椛の顔の前でぴらぴらと手を振る。キラキラとした目で見つめてくる。

 ご主人様、って誰?……こっち指差さないでよ。え、俺?コクコクと頷かれた。

 

「理由を聞こうか」

「初めてあったあの日のことです。恐れ多くもご主人様に牙を見せようとした幼い頃の私をいとも容易く抑え込んだあの力強さ。そしてそんな愚かな私を許しずっと愛でて下さった深い愛情。あの日以来私はご主人様の『雄』の虜になってしまったのです」

「審議拒否」

 

 ちょっと何言っているのか分からないです。ええ、俺には理解できません。

 

「ああ、そういえば椛ってばギンがいなくなってからしばらく塞ぎこんでたっけ。いやー、乙女ねー。道理で告白してきた男衆を片っ端から叩きのめす訳だわ」

「当然です。そこら辺の有象無象の男などご主人様と比べることすら相応しくない。ぶっちゃけ眼中に無いですね」

 

 うん、ご主人様、って素敵ワードで呼ばれることは小学四年からの夢だったけど、実際に呼ばれてみると結構くすぐったいね。

 というかこれはちょっとヤバいかもしれない。これは傍から見たら俺が椛にあの呼称を強要しているのではないかと思われるかもしれない。主に身内に。

 

 参ったな。これは下手をしたら以前紫と藍と天華が風呂に入っているのを覗いているのがバレた時のように一週間おやつ抜きとかにされるかもしれない。それは嫌だ。でも泣いて謝っても天華は許してくれないんだよな。

 

 苦渋の決断だが仕方ない。

 

「椛、お手」

「わんっ」

「じゃあこれから俺のことはギンと呼ぶように」

「はい、ギン様!」

 

 びしっと敬礼を決めた。

 ドヤ顔が可愛かったのでつい頭を撫でてしまった。



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15羽~久闊を叙する~

 欝蒼と乱立する木々に深く覆われ上空からもはっきりとは全貌を知ることは出来ないような、名も無き山。後に『妖怪の山』と呼ばれ、人里は勿論力を持たない弱い妖怪からも恐れられることになる人外魔境の一つ。限定された種族によって成り立ち不用意に侵入した余所者には容赦ない排他的なコミュニティ。

 

 そんなところにどういうわけか、ウチのペンギンは迷い込んでしまったようです。

 

「わんわん!わぉーん!」

「こら椛、鳴きながら走り回るんじゃない。落ち着け」

「……なんか、あんなに溌剌とした椛なんて久しぶりに見た気がするわ」

「ここしばらくはずっと真面目ちゃんだったし、あんな姿は付き合いの長い人くらいしか見たこと無いのよね。ほら、あそこ。前に椛に告白して振られた若い天狗がこっち見て唖然としてるわ」

「他にも周りの視線が厳しいわね。全く、誰のせいかしら」

「おお、よしよし。椛よしよし」

 

 ちょっと刺されてくればいいのに。

 

 嬉しさでテンションがマックスになっている犬走椛と普段から『錯乱』の状態異常がかかっているんじゃないかっていうくらい頭の可笑しいペンギンは気付いていないが、確かにこの一団を見る目は普通ではなかった。

 「いつも冷静な犬走さんがあんな……!」という視線に始まり、鴉天狗の中でも屈指の実力を持つ射命丸文と、勤勉な性格の者が多い天狗でありながらなにかとサボりがちな悪い意味で有名な姫海棠はたて。そして得体の知れない胡散臭い男。この一団は秩序を重んじるこの山の中ではぶっちゃけ異常であった。

 

「う、嘘だろ……普段滅多に笑わない犬走さんが、満面の笑みを浮かべるどころか尻尾を振っているだて……?」

「俺達は奇跡を見ているのかもしれない……」

「つかあの男誰だよ。射命丸様や姫海棠様まで引き連れて」

「はっ、もしや犬走さんはあの男に怪しい術か何かをかけられているのかもしれない……っ」

「いやいや、無い無い」

「もみじたんはぁはぁ」

 

 てめなに下の名前で呼んでんだごるぁドカバキボコ、などと遠巻きに伺っている姿も見られる(一部抜粋)。

 

「――――っ!」

 

 そんな周りのことなど気にも留めず、椛を愛でつつ文やはたてと会話を交わしていたギンだったが、不意に目つきが鋭くなった。すごく……キモいです。

 

「ちょっと、いきなり立ち止まってどうしたの、きゃあ!」

「え、何?何してんの、って、わ、わ」

「?」

 

 足を止めたギンを追い越し少し少し先に進んでいた文とはたて、そして足元にいた椛をまとめて持ち上げる。鴉の二人は戸惑っていたが狼の子は取り乱すことなくただきょとんとした表情を浮かべるのみだった。

 

 ぐるりと腰を曲げ、伸ばす勢いで三人を宙へと放り投げ、

 

「ほいさっ」

「おお、流石だねぇ」

 

 背後から打ち込まれた弾丸のような拳を背中に回した手のひらで受け止めた。

 がっちりと相手の拳を掴んだ手を中心に滑るように回転し、鋭い蹴りを繰り出す。掴んでいるのとは逆の腕で防がれ、蹴りを押し込んだ勢いでこちらの拘束を抜けられてしまった。

 

 浮いた状態で身を捻り滞空時間と勢いを追加してさらに距離を開けるその人物に向けて、蹴り足を戻し僅かに体を緊張させたままギンは問いかける。

 

「久しぶりだってのに随分な挨拶じゃないか、勇儀」

 

                         ★

 

「何を言ってるんだい。私とアンタの仲じゃないか。これぐらいの挨拶は笑って受け止めてくれよ!」

「どう考えても今のは確実に俺を殺す気だったろ。つか鬼なら堂々と正面からかかってこいよ」

「はっはっは。それを言われると弱いねぇ。でもしょうがないじゃないか。旧友に久しぶりに会えたと思ったらそいつが女侍らして鼻の下を伸ばしてたんだ。そりゃ多少ムカつきもするさ」

「可愛らしい嫉妬だな」

 

 空を引き裂きながら打ち込まれる拳を紙一重で避け、振り上げられそうになった脚を動き始めの時点で手で押さえ込む。そのまま体を浮かし丸めた体を引き伸ばして威力を増加させて繰り出した蹴りは腕一本で防がれた。

 

「鬼の私に可愛いなんて腑抜けた言葉を面と向かって吐けるのは、アンタくらいのものだろうね!」

「それはそれは。お前の周りには気の利かない男しかいなかったんだろうな。同情するぜ」

「口だけの男なら巨万といたさ!だが、涼しい顔して私の攻めを流し続けたのはお前さんが始めてさ!」

「それは光栄だ」

 

 勇儀の長い脚が鎌のように俺の首を狙って凪がれる。その膝頭に上から垂直に肘鉄を打って打点を下げ、そのまま脚を脇に抱え込んで投げ飛ばした。

 

「――まったく、そんなに勇儀に夢中になっちゃって。妬けちゃうじゃないか」

 

 突然ささやかれた声に体が一瞬硬直。強引に体を動かし構えようとするが間に合わない。

 わき腹に鋭く拳が突き刺さる。体がくの字に折れ曲がり、踏みとどまる余裕もなく脚が地を離れ空を飛んだ。

 ぐるぐると乱回転しながらも自らの位置を見失わず、上手く脚から着地する。

 

「あいたたた……そういえばお前と勇儀は一緒だったっけか、萃香。すっかり油断してたぜ」

「別にいつも一緒にいるわけじゃないけどさ。一人旅ってのは寂しいもんだし、勇儀とは一番ウマが合うからね。気が付きゃ一緒に酒を飲んでるのさ」

「いいねえ。またお前らと一緒に酒を飲みたくなってきたよ」

「おお、乗り気だね!それじゃあ今晩にでもお邪魔するよ」

「うん?今からじゃなくていいのか?」

「――なに、いつ飲んでも酒は上手いけど、拳を交えた後の酒は格別なのさ」

 

 着物のあちこちに砂埃を付け、けれど大したダメージは負っていないようで軽やかな足取りで萃香の隣に並び立つ勇儀。

 端正な作りをしているその顔は獰猛な笑みに彩られており、歯を剥き出しにして口を歪ませ、ぎらぎらと目は強い光を携えている。

 

「おいおい、ちょっと待てよ。何その立ち位置。まるでこれから二対一の勝負が始まるみたいじゃんかよ。ずるいぞ。それでも鬼か」

「何言ってんだい。前もこうして二対一でやりあって、アンタはあっさりと私らに勝ってみせたじゃないか」

「あれはほら、勝てる条件があったから。お前らも本気じゃなかったろ?」

「そいつはお互い様さね。ならまた条件を決めようじゃないか。私達二人に一撃入れて、背中が地面についたらアンタの勝ち。そっちが倒れたら私らの勝ちだ」

「女にここまで言わせたんだ。まさか自分から倒れて負けるなんてことはしないよねぇ?」

「……はぁ」

 

 なんだかもう、やらなくちゃいけない雰囲気なんですけど。向こうノリノリだし、こっちの退路は塞がれたし。

 まあこの辺で妥協しとこうか。下手なことして本気の殴り合いなんかになったら大事だ。多分この二人が本気になればこの山くらいなら更地になる。

 離れたところから三人が心配そうに見てるし、ここは一丁カッコいいところ見せてやりますか。 

 

 ぐい、と。両手をズボンのポケットに捻じ込む。

 

「ほら、おいで。じゃれ合い程度には手加減してやるから」

 

                         ★

 

 砂煙を巻き上げ勇儀は風のよう駆け出し、それに紛れて萃香は姿を消した。そういえばアイツはそんな能力を持っていたっけか、いやー反則だろあんなの。

 

 地を這うように低い体勢から打ち込まれる鉄拳は手では捌き辛いが、しかし脚なら問題ない。出来るだけソフトに真上から抑えつけて勢いを殺していく。

 勇儀は両手に加えて度々蹴りを交えてくるが、それに対して俺の手数は右脚一本だけだ。動きづらいことこの上ないが、自分からしたことなのだから我慢する。

 悔しそうな、でもそれ以上に楽しそうに暴れる勇儀を見れただけで俺は満足だよ。

 

 不意に勇儀がその場を飛び退き、そして頭上に影が射した。

 

「――いくよ?」

 

 空にいたのは萃香で、日を遮るのは彼女の腕だった。

 本人の体躯の数倍はあろうかという、まるで巨人のような腕だった。

 

「骨風船か……っ!」

 

 もちろん違う。

 恐らくは能力で萃めた分だけ腕を大きくしたのだろう。理屈は全く分からないが。

 

 でかいくせに動きは以前となんら遜色が無いときたものだ。さながら隕石のような勢いと圧迫感で拳は迫ってくる。ちょっと漏らしそうです。

 

 助走をつけて全力で跳び、

 

「おりゃー」

 

 正確に小指だけを蹴り抜いた。

 

「地味に痛い!」

 

 とは言えこの程度で止められるはずも無い。そもそも止めるつもりもなかった。

 小指から手の甲に移り、前腕から上腕へと走り抜ける。さながら気分は羽虫のようだ。

 

 接近する俺の姿を見て萃香は慌てて手を引き戻そうとするが、如何せん大きくて手間取っている。伸ばすより曲げることのほうが難しいと知りなさい。

 

 肩に近づくにつれて足場も細くなっていくが大したことじゃない。以前紫と地獄に行ったとき針の山地獄で先端だけを渡って遊んだことに比べればこんなもの。

 

 ここで萃香はようやく腕を散らして元の大きさに戻すが、もう遅い。俺は既に間合いに入っている。

 

「こぉんな立派なモノがついているんだから、弄ってやんないと失礼だよね」

「ちょ、バカ、そこは」

 

 がしっと萃香の角を両脇に挟みこみ、そのまま空気を蹴って急加速する。

 ちゅどーん。

 濛々と湧き上がる砂煙の中で目を閉じて気配を探り、察知した方向へ向けて駆け出す「ふぎゅ!」足元になんか角が生えた幼女がいたけど気にしない。

 

 目隠しになっていた砂塵を破りながらトップスピードで飛び出し、身を捻りながら蹴りを繰り出す。

 

「ぅおっとー!」

 

 完全に不意を撃ったはずなのに、勇儀は上体を九十度近く逸らすことでこれをかわした。勢い余っておっぱいがぶるんぶるん。くそっ、このまま脚を少し下げれば谷間にフィットするのに。どうしてほんの少しの勇気が出ないんだ、俺の臆病者!

 

 勇儀の首を脚で挟み込み、腰を捻って豪快に振り回して地面に叩きつけながら、俺は自らの臆病さを嘆いたのだった。

 

                         ★

 

「おじゃましまーす」

「え、キミだれ?……んー、なーんか見覚えがある気がする」

「お邪魔します」

「邪魔するわよ」

「失礼します」

「おお。さらに客人が増えたね。というか如何したの三人揃って。この面子が揃うのは久しぶりだね。……んん、この顔ぶれが揃うとなんかキミのことも思い出せそうなんだけどな~。なんでか思い出せない。喉に小骨が引っかかった気分だよ」

「邪魔するよ」

「うわ、散らかってるねー」

「……ひぃっ!な、なななんで鬼の方達が私の家に!?私なんかやらかしたっけ!」

「おいおい、出掛かっていた俺のことはもう良いのかい」

「吃驚して飲み込んじゃったよ!」

 

 そうかそうか。まあ悩みが解消されたのなら結構だけど。

 

「ちなみにこいつらがいる理由なんだけど、さっきちょっと喧嘩して終わったら酒でも飲もうってことになってさ、でもそれより先にお前に会う予定立てててさ、そしたらこいつらが『じゃあそいつん家で飲もうじゃないか』とか言い出すもんでさ。あ、迷惑だったら言ってくれよ。このアホ共外に放り出すから」

「ええ……っと。残念ながら私の頭じゃ理解しきれないことが多くてさ、どれから質問すれば良いのかそれすらも私の頭じゃ今一整理がつかないんだけど、どうすればいい?」

「分かるわよにとり。貴女の気持ちは」

「いやー、驚きだよね。アイツがあの人たちと知り合いだったのもそうだけど、なにより鬼と喧嘩してあんなにあっさり勝っちゃうなんて」

「ギン様はやはりすごいです。偉大です」

 

 椛からのキラキラした瞳がこそばゆいです。でももっと褒めてー。

 

「ああ、うん。大体分かった。理解しようとすることが無駄だってことが良く分かった。というかこのむちゃくちゃな感じで思い出せたよ。キミ、あれだよね、結構昔に私が川辺で拾った鳥の妖怪の」

「ああ、氷室ギンだ。実は今日はあの時の恩返しに来たんだ。嘘だけど」

「嘘なんだ。それにしてもすごい人たちを引っ張ってきたもんだね。……それで、その。申し訳ないんだけど、ちょっと今ウチには酒盛りできるだけの量のお酒は無いんだけど」

「ああ、なら問題ない。負けたこいつらに罰として用意させるから。おら、早く持って来い」

「なんだよー、鬼遣いが荒いぞー」

「そうだそうだー。そんな罰があるだなんて聞いてないぞ。それを知っていればもっと本気でやっていた」

「うるせえ敗者が。とっとと持って来い。走れよ」

「「へーい」」

 

 気の抜けた返答とともに勇儀と萃香はくぐったばかりの扉を出ていった。

 

「すまないな。騒がしくて」

「いやそれは全然だけど。え、キミ何者?あの鬼の人たちにあれだけ好きに言えて、怒られもしないなんて」

「一児の父にして夢を追う男。ちなみにあいつらとはそこそこの付き合いがある」

「いやいや、それだけじゃないでしょ。この山を治めている天魔様もそれなりに交流はあるらしいけど、キミみたいな接し方をしたら下手すると殺されてるよ?」

「へー、それはそれは。大変だな」

 

 俺としてはなんであの二人がこの山でそんなに偉い立場にいるのかが甚だ疑問だが。あいつらただの飲兵衛だぜ?

 

「そりゃあそうさ。天魔のやつにさっきみたいなことを言われたら、ぶん殴ってこの山から出て行ってるよ」

 

 玄関の扉を開けて顔だけ覗かせた勇儀が快活に笑う。言ってることはあれだけど。

 

「随分早いな。あれ?おい、酒は如何した。持っているようには見えないが、あれか?お前らは酒をもってこいという簡単なお使いすら成し遂げることが出来ないのか。元気出せよ」

「はっはっは。言うじゃないか、ぶん殴ってやるから表出ろ」

 

 ぎりぎりと力強く固めた拳を震わせながら尋ねられた。是非お願いします。

 

 ノリノリで外に出た俺はそこで、小さいたくさんの萃香が自分の体の数倍はあろうかという酒樽を両手で持ち上げ列を作って次々と積み上げているという摩訶不思議な光景に出くわした。

 

「説明。三行で」

「酒を盛ってこようとしたのは良いが私らが飲むとなれば結構な量になる。でもそれを持ち込むにはあの河童の家は散らかりすぎてて使えない。だから家の前で飲もうと考えて私はそれを伝えに来て萃香は能力を使って準備をしているんだ」

「ありがとう。とても分かりやすかったよ」

「あの、例え私の家が綺麗だったとしてもあれだけの数のお酒は入らなかったんじゃないかと……あ、なんでもないです。すいません。私が悪かったです」

 

 勇儀に一瞥されて腰が引けたにとりはすごすごと引き下がっていった。そうだよね。こいつら鬼だもんね。怖いよね。

 小さい萃香は次から次へと酒樽を持ってきて積み上げては消えていく。なんだか働き蟻の生態を観察しているようで面白い。

 

 しばらくして、両脇に酒樽を抱え込んだ原寸大の萃香がのそのそとやってきた。

 

「よし、これくらいあれば十分だろう。おい、ギン。懐に隠した私を出せ」

 

 何故バレた。折角隣にいた勇儀に気付かれないよう幻術まで使って、消えないように凍結してから大事に服の中に閉まったミニマム萃香なのに。

 なくなく俺は取り出したブツを本人に返却する。

 

「まったく、なんだってこんなことするんだい。私が欲しいなら直接言え。お前さんなら構わないから」

「いやほら、珍しい虫とか見かけたら捕まえたくなるじゃん。そんな感じ」

「子どもか。そして誰が虫だコラ」

 

 げしげしと脛を蹴られる。適当に頭を撫でてあしらっておく。

 

「おし、酒も揃ったことだし、そろそろ始めるか」

「おいおい、まだつまみを用意していないだろう。しょうがない。ここは私の秘蔵の干し肉を出すとするか」

「お、奮発するね。これは私も負けちゃいられないな。いつだったか作った魚の燻製があったはずだからそれを持ってこよう」

「えっと……、なんか怒涛の展開でもう詳しいこと考えるの面倒になってきたんだけど、とりあえず私達も何か用意したほうがいいのかな?」

「そうですね。鬼の方達が準備しているのに私達が黙っているというのは失礼な話ですから」

「とりあえず適当にお酒に会うものを用意しましょう」

「にとり、確かアンタんとこ枝豆育ててたわよね。ちょっと採らせてもらうわよ」

 

 ばたばたと全員が動き始める中で、俺は一人酒樽のひとつに腰掛けて、懐から一枚の札を取り出す。

 俺謹製の一品で、妖力を込めると起動し対として作られたもう一枚の札が共鳴して起動。札に向かって話しかけるともう一枚の札に伝わるという、ぶっちゃけ携帯みたいなものだ。

 対応する札を持っているのは天華だ。出るといいけど、話し合いの真っ最中だったら如何しよう。

 

『はい。お父様ですか?』

「他に誰がこの札を使うというのだ。今時間いいか?」

『ええ、構いませんが。……あ、待ってくださいお父様。紫さんが替わって欲しいそうですけど』

「何の用だろ。まいいか。元々お前からアイツに伝言頼もうとしてたんだし。向こうから出てくれるなら手っ取り早い」

『分かりました。失礼します。………………ああ、紫さん、この札はですね――』

 

 向こうのほうで天華が紫に使い方を説明しているようだ。しばらくお持ちください。

 

『――ちょっとギン!あなた何をしているのよ!』

「そんなに叫ぶな。耳に響くから。というか俺が何をしたと言うんだ。一体どのことを言っているのか、皆目見当がつかない」

『そんなにやましいことがあるの……?貴方がこの山で鬼と戦闘になったって、天魔のところに連絡が入ったのよ』

「なんだそのことか。良かった。そのことなら気にすんな。その鬼達とは面識があってな。久々に会ってお互いに友情を確かめ合っただけさ」

『他にも天狗の娘を誘惑したとか、山中の酒屋から酒樽を根こそぎ奪っていったとかいう報告もあるんだけど?』

「天狗については今言ったのと同じ理由だ。酒樽?知らんな」

 

 尻をもぞもぞさせて座る位置を直し、

 

「それよか、久しぶりに会ったやつらと宴会することになったんだけどさ、お前らも来るか?」

『よくないわよもう……はぁ、もう少ししたら話もまとまるからそれまで全部飲み干すんじゃないわよ』

「へーい」

 

 ぷつりと通信を切る。と、そこへ散っていた萃香が集まってきたので、

 

「おい子鬼、この酒はどっから持ってきた」

「なんだい雛鳥、藪から棒に。その辺にあったのを拾ってきたのさ」

「そうかい」

 

 どうやら、ここにあいつらを呼んだのは間違いだったようだ。

 とりあえずお説教一時間は確実かな、と俺は肩を落とした。

 



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16羽~花に傅く~

「ちょっと仕事を頼みたいんだけど、いいかしら?」

「いいけど?」

 

 畳敷きのこじんまりとした一室。がらりと障子を開けて入ってきた八雲紫が開口一番そう告げると、ごろごろとだらしなく寝転がり書物を読んでいたギンが煎餅を咥えながら返した。

 

「…………」

 

 ぴくりと米神を動かした紫は、懐から取り出した扇子を一振りする。畳の表面にぱっくりと裂け目が現れ、置かれていた書物と煎餅が入った皿を飲み込んだ。

 何か言いたげな目をギンはしたが、しかし非があるのは自分であると分かってはいるのか何も言わず、体を起こしちゃんと話を聞く体勢にはなった。合わせて紫も腰を下ろし、お互いに向かい合う。

 

「随分と簡単に返事をくれるのね。あまり自分に過度な自信を持つのは誉められた事ではないわよ?」

「別に驕ってなんか無い。大したことも考えてないけどな。でも、お前が俺に頼むってことは、お前が俺に任せたいってことだろ。なら俺はそれに応えるだけさ。他でもないお前の頼みなら」

「あらそう」

 

 なんでもなさそうに返事をし平静を保っているが、しかし広げた扇子で隠した顔の下半分は僅かに朱に染まっており、口元も隠しようも無く歪んでいた。

 すうっと音も無く二人の間にスキマが開き、やや鈍い音を出しながら卓袱台(ギンの手作り)が落ちてくる。藍ーお茶ー、という間延びした主の命を受け式が用意した湯飲みを啜ってから、ようやく本題に入る。

 

「今回貴方にお願いしたいのは、ある妖怪の説得。とても強い大妖怪なんだけど……以前、幻想郷のパワーバランスの話はしたわよね?」

「ああ、あれだろ。人に進んで危害を加えず且つその辺の雑魚から恐れられるような有力者を各地において抑えにする、っていうの。つかなんで俺に頼むのさ。説得ならお前の得意分野だろ」

「それが私じゃ上手くいかなくて。良くも悪くも他者に興味が無いって言うのかしら。私の話を笑いもしなければ否定もしないけど興味も無いって感じ。一蹴されちゃったわ」

「ほほぅ。それはなんというか、一番扱いに困るな。なんか取引とか持ち掛けなかったのか?」

「言うだけ言ってみたんだけど、これも一蹴。今の生活に満足しているみたいなのよ」

 

 参っちゃうわ、と言い、やや行儀悪く卓袱台に肘を突き姿勢を崩す紫。卓に載っかり服の中で柔軟に形を変えるおっぱいを穴が開くどころかビームが出るくらいに凝視するギン。あ、ちなみに出そうと思えばこいつ出せます、ビーム。

 

「そんで、話はわかったけどさ。なんでそれを俺に回してくるのさ。お前で無理なら俺にも無理だろ」

「そんな使えない御方なら協力関係なんて結びませんわ。私に出来なくとも貴方になら出来ることがある。これはそうだと判断したのよ」

「どんな基準で?」

「女の勘よ」

 

 便利な言葉だなぁ、とギンは呆れたように呟き、半端に残っていたお茶を一息に啜った。底に溜まっていた茶葉の滓が咽喉に張り付きげほげほと咽る。馬鹿か。

 十秒ほど咳き込み続けようやく違和感がとれたらしく、ちょっと目端に涙を浮かべながらもギンは立ち上がった。

 

「んじゃまあ行くけどよ、あんまり過度な期待はしないでくれよ?適当に仲良くなってからそれとなく誘ってみるから」

「ええ、どれだけ時間がかかってもいいから、頑張ってきて頂戴。もし迎えが必要ならいつものお札で連絡して」

「りょーかい」

 

 紫が再三スキマを開く。これまでよりもずっと大きな空間の裂け目は扉のようにギンの眼前に現れた。うだうだし続けていたせいで凝った体を解す鳥モドキを見つつ、紫は思い出したように、

 

「そうそう、彼女のところへ行くのに当たって、一つ注意しなければならないことがあるの」

「え?」

 

 肩幅に足を開き上体を回して腰から音が鳴るのを楽しんでいたギンは紫の発したあるワードに反応し、ゴキゴキと聞くに耐えない怪音を響かせながら腰から上をぐるりと一回転させて紫を見据えた。相手は引く。

 

「その妖怪って、女?」

「え、ええ。そうだけど――」

 

 紫には、一陣の風が吹いたとしか感じなかった。

 瞬きすらしていない、けして視線を逸らしたわけでもない。ほんの僅かな、刹那にも満たない時間、意識を自らの内へ飛ばしていただけだ。目の前の奇怪な状況を飲み込み、改めて重要なことを伝えるために。

 彼女は戦闘に向いているわけではない。もちろん名の知れた大妖怪として埒外の力を持っているものの、やはりそちらに特化した者には地力ではやや及ばないだろう。そこを彼女は持ち前の頭脳と能力でカバーするのだが。

 もしかしたら、これが百戦錬磨の九尾の狐八雲藍や、都に名をとどろかせる剛鬼、伊吹萃香や星熊勇儀

ならば違ったのかもしれない。もしかしたら変わらないのかもしれない。

 唯一つ確かなことは、八雲紫は目の前から氷室ギンが居なくなることに気づかなかったということだ。

 

「…………」

 

 しばし思考がクリアになるが、しかし聡明な彼女はすぐに立ち直ることに成功する。能力の産物であるスキマに意識を移せば、覚えのある妖力の持ち主がそこを通過したことが手に取るように分かった。

 

「…………」

 

 つまりは、あの馬鹿は自分が知覚出来ないような速度で出て行ったということになる。原動力は未だ見ぬ女性との出会いというわけか。ふざけるな。

 胸中に行き所のないもやもやとした感情が募る。が、しかしこの程度、あの阿呆と共に暮らすようになってから幾度となく味わってきたものだ。もう慣れた。

 

「藍ー、お茶おかわりー」

 

 湯飲みの中のお茶がすっかり冷めていることに気づき障子越しに外へと呼びかける。有能なあの式ならばすぐに淹れ直してくれるだろうと思いながら。

 先ほどギンから没収した煎餅をスキマから取り出し、ぽりぽりと齧りながら、

 

「彼女が育てている花を傷つけるな、って言いそびれてしまったわ……」

 

 ま、あのバカならなんとかするでしょう、と、彼女は結論を出した。

 

                         ★

 

 目玉だらけの空間を抜けた先は、花畑でした。

 視界一杯に広がる光景のその美しさに、俺は一瞬だが心を奪われていた。

 

 条件も良かったのだろう。青々と広がる空に僅かな雲、そして風。光に照らされる花々と影に覆われる花々。雲が動くにつれて新たに光に照らされた花は眩しく輝き、ふわりと蜜の香りが俺の鼻に届いた。

 一歩踏み出すと足元の若草が柔らかくこすれて小さく鳴る。

 

 何故だろうか、俺はこの景色に妙な既視感を覚えていた。

 記憶の奥底に沈んでいた小さな泡がふつふつと思考の海を漂っている。しかし波に押され戻されを繰り返し、中々水面に現れてくれない。

 どうしたものかと、腕を組もうとする。

 

「あら――」

 

 そんな時、声が聞こえた。

 

「最近は招かれざる客人が多いわね」

 

 背後から投げかけられる女の声。

 

「ようこそ、ここは太陽の畑」

 

 嵐が起こったように記憶が渦を巻く。底を浚って引っくり返して混ぜ込んで、下から上へ流れ落ちるような記憶の濁流。

 そうだ、思い出した。

 

「主の名は――」

「おお、幽香じゃん。おひさー」

 

 くるっと降り返ってぺらっと手を振る。

 

 最後に見た時から大分結構色々と成長していて、可憐な少女から美麗な女性へと見事な変貌を遂げている。

 暖色系の服を着て日傘を添えて緑の中に立つ姿は、避暑地に来た高貴な令嬢のようだった。まあ、実物なんか見たことないんだけど。

 浮かべる笑顔も溌剌としたものから優雅さを感じられる類になっている。こっちも好きだけど昔のも素敵だったな、と思い出補正。

 

 さて、懐かしきを覚え新しきを噛み締めていたわけだが、向こうの方の反応がない。表情が笑顔で固まっている。人形かなんかかと馬鹿馬鹿しくも疑うが、匂いは紛れもなく本物だ。気づかれないように深呼吸。むしろ深吸吸。

 

「……ふ、ふふふ」

 

 む、殺気。出所は幽香。俯いて表情に影を落としながら不気味に笑っている。そんな君も綺麗だぜ、と軽口を叩いてもいい感じかなこれ?

 

「どの面下げて……このクソ鳥……私がどれだけ……」

「あ、俺のこと覚えてたんだ」

 

 ぶつぶつと呟く中に俺のことを示唆する単語があったのを耳聡く聞き取る。いやー、もう大分前のことだし、忘れられていたらどうしようかと思ってたんだよね。

 なんせ人型で幽香と話したのなんかごくごく短い時間だけだったし。インパクトはあったと思うから、それまでのペンギンフォームの俺のことを覚えていればすぐに想起されるとは考えていたけれど。

 

「ふ、ふ、ふふ、ふふふふふふふふふふふふふ…………」

 

 壊れかけのレディオのように笑い声が絶えなくなった。吹き出す殺気も濃度が増し、近くの森から鳥が一斉に飛び立っていった。なんか、ごめん。

 

「こ、の―――!」

 

 日傘を放り投げて超加速。重厚な妖気を纏った拳が振るわれた。このままでは俺の顔面が石榴のようになってしまう。

 とりあえず怪我なんかをさせたくはないので、全く同一の威力の拳をぶつけて相殺する。勿論手首に負担がかからないように気をつけて。

 

 ぴたりと止まった拳に幽香は一瞬面食らったようだが、すぐに二撃目。流麗な動作からの回し蹴り。樹齢云百年の大木すらも粉微塵に砕け散るであろうそれをスウェーで回避し、さらに蹴り足を同じ向きに後ろから押し込んでやることで体勢を崩させる。

 

 続けて繰り出される膝蹴りからの踵落とし、水月への掌底、肘打ち、ショルダータックルから腕を極めて投げられそうになるのを瞬時に抜け出す。

 

「いい、加減に!」

 

 鋭い目つきのまま頭突きを狙う姿勢に移行する幽香、を、先んじて一歩懐へ入り込み、抱きしめることで制する。

 

 まあ、流石に何故幽香がここまで荒ぶっているのかを察せない訳がないので。

 

「悪かったよ。ずっと会いに来なくてごめんな」

 

 ちょっと気障っぽく、頭を撫でたりしながら謝る。

 こうしてみると、俺のほうが頭ひとつ分くらい大きいのか。以前は軽々持ち上げられていたというのに。今ではすっぽりと俺の胸の打ちに収まってしまう。

 

 でもこの肌で感じる柔らかさのボリュームを鑑みると今ペンギンフォームで抱きしめられたらすっぽり収まれてしまうのは俺のほうではないだろうかいやいや待て俺一応真面目に詫び入れてるところなんだからちょっとそっち方面は控えてだねああでも気持ちいいです。

 

「………………馬鹿。馬鹿」

 

 馬鹿、と一つ言われるたびに、ぽすんと弱弱しく胸を叩かれる。先ほどまでの修羅のような気迫が嘘のような、見た目どおりの華奢な女性のままの振る舞い。

 不思議なことに、その一発一発が俺の心を震わせていた。こんなに弱いのに。

 

「ただいま、幽香」

 

 ぽろっと口から零れた言葉。そういえば、いってきますは言えず仕舞いだったっけ。なんて躾のなってないペットだろうか。

 でもちゃんと、ただいまは言えたから良しとしよう。して下さい。お願いします。

 

「……おかえりなさい、鳥さん」

 

 背中に手を回し、幽香も力をいれて俺を引き寄せる。

 見上げるその表情は、昔の笑顔のままだった。

 

                         ★

 

「ふーん、そう。随分と面白おかしく過ごしていたようね、貴方」

 

 どうも、鳥頭です。

 何故か対面に座っている女性がとても不機嫌です。理由が分からない理由はすでに述べています。

 誰か助けて。

 

「貴方がいつか帰ってくるかもしれないと私が待ちわびていた間、それはそれは愉快な旅路だったようで」

 

 ああ、はい。大体分かった。唇を尖らせる幽香を微笑ましく見つめながら、

 

「だからごめんって。帰りたくなかった訳じゃなくて、帰り道が分からなかったんだって」

「それでも、探そうと思えば十年程度で帰ってこれたんじゃない?真面目にここへ戻ろうとしていれば」

 

 そういわれると弱いんだけど。途中から完全に物見遊山が目的にすり替わっていたのは自覚あるしな。

 申し訳ないと思っているが、それ以上に頬を膨らませて拗ねる幽香が尋常じゃなく可愛いと思ってしまう俺の脳みその馬鹿。

 

「で、今はあの八雲紫のところで飼われてるわけ?あのスキマとかいう気持ち悪いのから出てきてたし」

「飼われてるわけじゃないよ。アイツの家で一緒に住んでて、ご飯を作ってもらって、日がな一日ごろごろしてるだけだよ」

「それは私と暮らしていたころと一体何が違うのかしら」

「俺が人型なところだな」

 

 逆に言えばそれ以外はほぼ変わらない。幻想郷設立の手伝いも、ここに居た頃していた草花の世話の手伝いで置換できるし。

 というか、ペンギンならペットだけど人ならこれヒモじゃないですか、やだー。ちょっとショック。

 

「ああ、そうだ。そういや俺、ここには交渉で来たんだった」

「交渉?……ああ、あれね。人と妖怪が共存できる楽園を作るからそこへ来て欲しい、ってやつ」

「そうそれ。で、どうよ?」

「紫にも言ったけど、興味ないわ。私はここで花の世話ができればそれでいい。神様ごっこなら他所でやってちょうだい」

 

 なるほど、確かに無関心。というか納得。こいつならばそう言うだろう。昔と変わらない姿にちょっと嬉しくなる。

 いかんいかん。過去を振り返りすぎている。まるでお爺ちゃんのようだ。俺は未だそんなに老けてない。

 

「興味は無いなら、断る理由もないだろう。紫とその式ならこの辺の土地を丸ごと転移させることも可能だろうしな。それに、これはきっと花を守ることにも繋がるぞ」

「……どういうこと?」

「最近、人間が力をつけているのは知っているだろ?霊力とかじゃない、もっと別の方面の力を」

「そうね。陰陽師とかいうやつらも最盛期に比べれば減ったわ。代わりに武士とか名乗る野蛮な奴らが増えたけど」

「そうそう。んで、もし人間がここを攻めて来た時に、万一にも花が傷ついてしまうかもしれない事態はお前も避けたいだろう?」

「必要ないわ。ここへ来る様な、そして花を傷つけようとする輩は例外なく土の肥やしにしてきた。今までも、そしてこれからもね」

 

 そのスタンスも変わってないのな。今は十分強いから、やられそうなるってこともないのだろうけど。

 

「でもそれも絶対じゃないだろ。例えば、森に火とかつけられればどうだ?消火が遅れて僅かでも花が燃えてしまったら?やった奴らを殺しても花は還らない。それを良しとするお前じゃないだろ」

「……分かった風な口を」

「分かってるからな。とにかく、最近の人間は小賢しくなってきたから気をつけましょうって話だよ。人に消される妖怪も増えてきた。人間は昔に比べて強くなっている。厄介な、面倒な方向にな」

 

 昔は真正面から名乗って挑んできたくせに、最近じゃあ騙まし討ちとかするらしいからな。まあ間違ったことをしてるわけじゃないけど。

 

「楽園ではそういう力関係がぐらつくことがないように、人間側の文明の程度を幾らか抑えると紫は言っている。なにより俺もすぐに向かえる。これで花は大丈夫だろう。どうだ、悪くないだろ?」

「そうね……」

 

 幽香はテーブルに頬杖をつき、窓の外に視線を向ける。風に揺られ光に照らされる一面の花達を見ながら、しばらくして、

 

「……いいわよ。楽園とやらにいってあげるわ」

 

 ミッションコンプリート。やったね。

 

「随分とあっさり決めるな。紫が梃子摺ったって言うからもう少し粘るのかと」

「アンタも言ったとおり、私からすればどちらでもいいことだしね。花さえ育てば何処でもいい。この土地に固執する理由もないしね」

 

 なんでもないように語る幽香に、やはり違和感を拭えない。

 今しがたの俺の話はほとんどが紫からの入れ知恵であり、紫からの受け売りだ。おそらくは既に当人がしたであろう演説を、俺が繰り返しただけで何故こうもすんなり納得されてしまうのか。

 嘘を言ってるようには見えないので、受け入れた理由は本心なのだろうけど、

 

「……なあ、幽香。もしかしてだけど」

「何よ」

「お前が紫から話を受けた時断った理由って、いつかここに俺が戻ってくるかもしれないと思ってたからか?」

「――――――っ!?」

 

 あ、図星だ。まるで頬がチューリップのように。

 ああ、どうしよう、ニヤニヤが止まらない。嬉しいのと愛しいのが半々くらい。なんだこいついい女過ぎるだろう。

 

 堪え切れずにぐふぐふと口の端から笑い声を漏らしていると、ぎろりと凄い目で睨まれる。でも顔真っ赤。可愛らしくてぜんぜん怖くない。

 

「何時まで笑っているのよ、失礼な奴ね!人が優しくしていれば調子に乗って!ならこっちにだって考えがあるわよ!」

「なんだ?出来ることなら聞き入れるけど」

「楽園とやらに行く条件よ。私が楽園へ行く代わりに、アンタ、私に飼われなさい」

「いいですよー」

 

 快諾。なにやら言い切った顔をしていた幽香はそのまま固まった。

 願ってもない条件だ。勝手に飼い主の元を飛び出しただけでなく、そのあとどっかの姫様に飼われるという不義を仕出かしたこの身。まさかもう一度お側に置いて頂けるなど望外の光栄。そのご命令、甘んじて受け入れさせて頂きます。あ、ちょっと電波が混戦している見たいです。

 

「……いいの?」

「言った本人が不思議そうにするな。構わん。お前との暮らしは悪くなかった」

「でも、だって……嫌じゃないの?鳥だったときならまだしも、しっかり自我が目覚めた今、誰かに飼われるなんて」

「ん?ああ、勘違いしてるのか。俺はお前と会ったときから俺のままだぞ」

「え」

「あの時から俺は何も変わっていない。人型になんても鳥になっても中身は俺だった。氷室ギンだった。名前はその場しのぎでつけたけど」

「わ、私の大切な思い出が穢されていく……」

 

 なんて言い草だと文句のひとつも言いたくなるが、幽香の落ち込みっぷりがガチだ。あいつの周りだけ澱んで見える。本人にも生気が感じられない。俺は一体どんな目で見られているのだろうか。気になります。

 

「……やっぱり飼われる云々はいいわ。アナタへの意趣返しのつもりだったし。渋るかと思っていたら嬉々として受け入れるなんて、予想外にもほどがあるわよ。お願いの変更はできるかしら」

「引き受けよう」

「あの姿になって、ぎゅってさせてくれない?」

「はい、喜んペン!」

 

 言葉の途中で変化を解きペンギンへ変身。やや行儀悪くテーブルに乗って幽香の前へ。憔悴した目をした彼女は俺の姿を見て儚く笑いながら優しく抱え上げ、抱きしめた。

 

 …………うん。わが生涯に一片の後悔無し!

 

「あら?」

 

 幽香が俺を支えていた片方の掌を見て不思議そうな声を上げる。今俺の体は片手と凄い二つのまん丸で支えられている状態です。凄い安定感!死んでもいい!

 

「鳥さん、アナタ毛が抜けているけど、病気かなにか?」

 

 ……ペン?

 

 




オレ、ジュケンセイ
コウシン、オクレル
ボクハワルクナイ


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17羽~その心は凍土の如く~

ただいま


 きっかけは些細なことだったのかもしれない。

 ほんの小さな違和感がいつまでもしこりのように残り続け、なんとなく気づけば目で追っているようになって、そして疑惑と疑念が積み重なり、それはいつしか真実へとたどり着く階へと変貌した。

 あとは簡単なことだった。最初の一人が声高に呼びかければ周囲の人も認識を改める。

 それまで築いてきた関係も絆も尽く否定し、脳裏に浮かぶ共に過ごした記憶をおぞましいものと忌避した。

 別にそれはなんら不思議なことではない。

 彼らと彼女達の関係を鑑みれば至極当然のこと。むしろこれまで曲りなりにでも上手くいっていたこと自体が僥倖とさえいえる。

 しかし、それが偶然による産物だったとしても、脆く崩れる飛沫の様な淡い幻だったとしても、彼女達にとってはかけがえのないものだったのだ。

 避けられ責められ疎まれ恐れられ、それまでまともに目も合わせられなかった彼女達からすれば、僅かの期間であっても何の障りもない対等でいられたその時間は至福の時だったとさえ言えたのだ

 きっとこれからもこうしていられる。自分達はここに居られる。

 夢見る少女のように確固とした理由も理屈もなく純粋にそう思うことができたのは、文字通り彼女達が少女だったからだろう。

 少女であるがゆえに幸福な日々に夢見、少女の夢であるがゆえにそれは儚く打ち砕かれた。

 自らの生まれというどうしようもない理由でようやく手に入れた幸せを打ち砕かれた時、彼女達はどう感じただろうか。

 渇望していた安息が結局は仮初めのものに過ぎないと知った時、彼女達はどう思っただろうか。

 希望を、平穏を、幸福を、僅かでも手に入れることができていた分だけ、彼女達の心は深く深く堕ちていく。

 結果として彼女達の内、妹の方は心を深く閉ざし、姉の方は妹の為に辛うじて踏み止まった。

 それが彼女にとって善いか悪いかは別として。

 彼女達を脅かす脅威は依然としてそこにいる。逃げようとするも動けない。妹が微塵とも動こうとしない。生きているとも死んでいるともいえない有様だった。

 妹を見捨てて逃げれば助かるかといえば、そんなことは無い。そもそもそんな考えなど彼女の中には存在しない。引き摺ってでも、二人で助かり共に生きると決めていた。

 けれども彼女の体も動かない。絶望が泥のように彼女の身を重くし、迫ってくる集団の悪意が彼女の身を竦ませる。

 対する集団も彼女達を恐れていた。鍬や鋤、太い木の棒などで武装しているといえども、目の前にいるのは彼らの恐怖の権化。震えを覚えずにはいられない。

 だが、仲間がいる、自分は一人ではないという安心感と、あまりにも痛々しく弱弱しい彼女達の姿に覚える優越感が、彼らの足を少しずつ前に押し出していく。

 静かに圧倒的に進む敵意の塊を目の当たりにし、姉は声にならない悲鳴をあげた。

 

 そこは小さな村だった。

 集落という形態をとれる最低限の規模しかないそこで、人々は慎ましく逞しく暮らしていた。

 立地は良く、山も川も近くにあって自然の恵みには困らない。土も柔らかく肥沃で田んぼや畑も満足のいく出来になる。

 いつ頃からだろうか、村の端にある小さな家に幼い姉妹が住み着くようになった。

 以前の持ち主だった夫婦は一人娘を嫁に送り出してから老いて逝き、数年は無人となっていた家屋にどうして二人の少女が落ち着くようになったのかは村人達には定かではなかった。

 けれど深く問い詰めることをする人はいなかった。親と一緒に居るはずの小さな子どもたちだけでいるという事実に並々ならぬ経緯があったのではないかと考えたからだし、なによりもお互いに支えあう懸命なその姿に悪いものがあるとは思えなかったからだ。

 二人は主に大人の手伝いをして働いていた。姉の方は真面目でしっかりとしていて大人達の手ほどきを受けながらどんなことにも真剣に取り組み、妹は目に映るすべてが輝いているかのようにどんな時でも笑顔を絶やさずにいた。

 子供だけでは不便もあるだろうと一緒に住むことを提案してくれる家もあったが、迷惑を掛けるからと二人は断った。

 まだ幼い矮躯でありながら助け合って暮らす健気なその姿は村に住む人たちの心を打ち、積極的に関わるようになっていった。少女達は施される親切に恐縮しながらも、村人達と同じ輪の中にいれることをとても喜んでいた。

 

 けれども趨勢は容易く揺れる。安定は崩壊へ向かっていく。

 姉妹と暮らす村人達はその時間が増えるにつれて、意識しないまでも無意識下では疑問を抱くようになっていた。

 何故あの姉妹は、成長しないのか。

 貧困な時代である。栄養が十分ではなく背丈が十分に伸びないことはありえないことではない。

 しかし、乳飲み子が大きくなり立派に鍬を振るえるようになる程の年月が過ぎても、姉妹の外見は一切変わることはなかったのだ。

 やがてはっきりとした疑念を抱くようになった村人達は、何かの病ではないのかと考え姉妹を気にかけるが特に不調は見られない。

 ではどうしてなのか。こんなことはあり得ない。なにかがおかしい。理由は何だ。

 もしかして、いやそんな筈は無い。あの子達に限って。あの気が利いて、人の間を取り持つことが上手くて、動物に優しく、動物からも好かれるような、あの姉妹が。

 やがて答えは見つかった。

 勇ましくも危うい一人の少年が無謀なことに夜の山にふらりと入った時のこと。

 ちょっとした悪ふざけのつもりで山に入った少年は、まるで人目を避けるように暗い闇の中で川で身を清める姉妹を見つけた。

 そして、彼女達の体から伸びる不気味に光る三つ目の目を見てしまった。

 転がるように家へと帰る少年。姉妹がそのことに気づいた時はもう遅い。

 僅かでも足を緩めれば死んでしまうかのような勢いで走る少年は。

 そして。

 

 嗚呼、と少女は嘆く。

 夢から醒めた少女は、現実をその目でしかと見る。

 暗く重く荒い、怒涛のような感情がその頭に流れ込む。小さな心が軋みをあげるが、腕の中のぬくもりを思い出しそれに耐える。

 嗚呼、と少女は思う。

 きっとこれは罰なのだ。優しいあの人たちを長く欺いてきた私達への、当然の報いなのだ。今彼らの内で煮えたぎる感情は、私達が気づいてきた信頼と絆が裏返った結果なのだ。

 嫌われ者の妖怪として生まれたくせに、誰かに愛されたいなんて不相応な望みを持ったのがいけなかったのだ。

 嗚呼、と少女は願う。

 彼らをだまし続けてきた自分達は、きっと最低だ。この場で殺されてしまっても文句は言えない。

 けれど、それでも、傲慢にももう一つだけ望みを抱けるのなら。

 妹が心を取り戻せるといいな。

 彼らの感情に耐え切れず、彼らの心を負い切れず、自らの全てを閉ざしてしまったこの愛しい妹が、もう一度心から笑えるようになればいいな。

 この子が今を生き延びて、未来に繋がるためならば。

 私は。

 小さなその体で、より小さな妹の体を包むように抱きしめる。

 終わってしまうその瞬間は、せめて幸せだった夢の中にいたいと目を瞑り、

 

「―――――――――――――――」

 

 声が聞こえた。少なくとも彼女はそれを幻聴だと思った。危機に瀕した自分が作り出した、薄っぺらい救いのようなものだと思った。

 硬く目を閉じている少女は、けれど何時までも覚悟した衝撃が訪れないことを不思議に思う。

 何かあったのか。目を開けるのは怖い。このまま閉ざしたまま何もかもが終わってしまえばいいと思うが、それでも知りたいという衝動を抑え切れなかった。

 恐る恐る、目を開く。

 

 男が一人、立っていた。

 長身でやや大柄の、けれどたったの一人。

 それなのに、まるでそこに巨大な壁が立ちはだかっているかのような存在感。

 ちらりと肩越しに男が少女を見やる。

 男の片目と、少女の両目と第3の目が交差する。

 

「………………っ!」

 

 それだけで、たったそれだけのことで、少女は確信する。

 ああ、自分達はもう大丈夫だ。彼の背中を見ている限り、もう自分達を脅かすものなど存在しない、と。

 心を読むまでも無い。彼女の心は男の心に呑み込まれた。あまりにも深く大きく強い男の心は、少女の胸中にあった負の感情を一掃し、その支えとなるには十分に過ぎた。

 

「―――――――――――――――」

 

 再び声が聞こえる。男が何かを言うだけで、少女達を追い詰めていた群集がじりじりと後ずさっていく。

 絶望から一瞬で対極の感情へと移行した少女は、その反動で揺れる意識のせいで男の言葉を認識することは出来なかった。

 

 さらに二言、三言。

 その度に退いていく群集にやがて男は背を向け、少女達に歩み寄っていく。

 少女の霞む視界ではその姿は朧げにしか捉えられない。

 けれど少女の髪を撫でる大きく暖かな手のひらの感触は、しっかりと少女の心に刻まれた。

 まどろむ様に、夢見心地で目を閉じる。

 目の端に溜まっていた雫が押し出され流れ、少女の第3の目をつたって滴り落ちる。

 その雫を手で受け止める男。

 

「すいません、涙舐め取らせてもらってもいいですか」

 

 少女は意識を手放した。

 

                          ★

 

「んぁ」

 

 ふと目が覚める。

 阿呆のようにだらしなく口を開いて欠伸をしながら上体を起こした。

 ソファなんて狭いところで寝ていたから、ちょっと体が硬い。

 

「あ、ギン。目が覚めたんですね」

 

 冷涼な声の元へ目を向けると、ソファの背もたれ越しにさとりがこちらを見ていた。

 ああそうだ、思い出した。久しぶりにこの姉妹のところに遊びに来て、そのまま泊まっていったんだっけか。

 

「おはようさとり。いい朝だね」

「おはようございます。こんな場所では朝も何も関係ないですけど」

 

 それもそうか。地獄で迎える朝なんて、そんなに気分のいいものじゃないな。だったら地上に出ればいいじゃないかと思うが、そうもいかない。

 さとりは、名の通り『悟り妖怪』。心を読む妖怪。目立った能力といったらそれだけなのだが、人も妖も関係なく心を読めてしまうさとりは、人からも妖からも忌避されている。

 周囲の全てがさとりを良く思っていないことを、彼女はさとりであるが故に否応無く知ってしまう。見せ付けられてしまう。

 だからこそ彼女は自ら進んで、こんな地獄の片隅なんていう辺鄙な場所で妹とペットたちと暮らしている。まるで世捨て人だ。

 全く、心を読まれる程度がなんだというのだ。俺はこれっぽっちも気にしない。読まれて困るような心なら、最初から持たなければいいのに。

 

「しょうがないことです。皆が皆、ギンの様な訳ではないのですから」

 

 そうだな。皆が皆、俺のように人が出来ている訳ではないからな。

 

「それだと語弊がありますね。訂正してください」

「おお、そういやそうだな。俺は鳥だったか」

「ああ、いえ。そういうことじゃ…………まあ、そうですね」

 

 なにやら疲れたようにため息を吐くさとり。そんな彼女を心配したのか、彼女が飼っている犬やら猫やら鳥やらがさとりの元に集っている。

 さとりは心が読める。つまりは動物とかの気持ちも分かってあげることが出来るので、あいつはものすごく懐かれるのだ。俺が元凶だと判断したのか何匹かが威嚇してくるのがちょっと傷つく。

 

「あれ、そういえばこいしは?また無意識でふらふらしてんのか?」

「えっと、こいしならそこにいますけど」

 

 そう言ってついと俺を指差すさとり。俺の体?どういうことだ。まさか眠っている間に俺とこいしの体が入れ替わったとか……!

 

「いえ、そうではなく。ギンがしっかり抱きしめています」

「え、あ、ホントだ」

 

 言われて、指されて、ようやく認識することが出来た。確かに俺の上で、さとりの妹であるところのこいしちゃんはすやすやと眠っていた。いやー、全然気づかなかったよ。ま、無意識なら仕方ないね。

 

 別に言い訳ではない。これはこいしの『無意識を操る程度の能力』に起因するのだ。

 誰かの無意識に潜り込むことで認識されなくなり自らの無意識に従うように行動する、そんな予測不可能回避不可能ガールなのだ。言ってしまえば困ったちゃん。

 誰にも気づかれないなんて、男としては憧れてしまう様な能力だが。これが姉と同じように悟り妖怪である彼女が生来の能力と自らの心を捨て去った結果の副産物であるということを考えると、迂闊に羨ましがれ無かったりする。

 

 悟りであるから疎まれ、嫌われるくらいならと悟りであることを捨てた。言ってみればそれは自らの存在を捨てたということだ。一体今のこの子は何者であると言えるのか。カワイイ子である、とは文句なしに言えるのだけど。

 心を捨てた少女。誰かの心を読むことに自らの心が耐え切れなかった少女。自分の心が読まれているということに恐怖した心に押しつぶされた心を持っていた少女。

 ならば、今彼女の胸の中には何があるのだろうか。

 

「ちょっと。姉の目の前で妹の胸に触ろうとしないで」

「くそ、目聡いな。悟りだけに」

 

 さとりにはもうこいしの心は読めないのだという。読めないのか、読むものが無いのか。

 さとりの読心には能力で抵抗できる。実際紫なんかはその境界の能力で上手いことやって読まれるのを防いでいた。まああいつの心境なんて読んでもさとりの教育に悪いからいいのだけれど。

 俺も出来ないことはない。この身の全てを凍結し、あらゆる干渉を撥ね退けてしまえば心を読まれることは無いだろう。

 でもしない。そんなことに意味は無い。心を読まれる程度、なんてことはない。別に大したことじゃないだろう。他の奴が嫌がる理由がさっぱり分からない。

 人様にお見せできないようなことを考える方が悪いのだ。見てしまうさとりに罪はない。

 それに胸のうちを赤裸々に明かされてしまうとか羞恥プレイ的にはむしろウェルカムだし。俺はさとりの前でも構わず妄想を描くことが出来る。

 

「後半無視しますけど、ギンのそういうところ、私は好きですよ」

「俺もさとりのことが大好きだよ」

 

 俺たちは笑い合う。

 俺には今さとりが心から微笑んでいることが手に取るように分かる。

 ほら、心を読むなんてこの程度なのだ。

 

「ん、んぅ」

 

 おっと、腕の中のこいしがもぞもぞしている。強く抱きしめすぎたのかと腕を緩めると、ずいっと伸ばされた手が俺の顔を通り過ぎ、頭に巻いた手ぬぐいを引っぺがした。

 照明の光が、つるりと光る俺の頭に反射される。

 

「…………っ!」

 

 俺にはさとりが今必死に笑いを堪えていることが手に取るように分かる。

 

「……にゅふふ」

 

 そしてこいし、無意識でも許さない。

 



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