清き姫様 (天神神楽)
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華の終わりに花の前で桜(はな)を
「榛葉(はしば)ー」
桜の花弁が敷物の如く舞う中、惜しみつつもそれを掃除していると、庭に可愛らしくも控えめな声が響く。
視線を上げると、こちらに向かってぱたぱたと駆けてくる一人の少女。私は箒を桜の木に立て掛けて縁側に向かった。
「探しましたよ榛葉。もう、貴方がやる仕事ではないのに」
「ここにいると季節を感じられるのですよ。それより、いかがなさいましたか姫様?」
「お茶を淹れてもらいたかったのですが……それより榛葉。私のことは《清》と呼んで下さいと言っているのに、呼んでくれないのですか?」
そう言いながら《姫様》は、頬を膨らませる。そのお姿は大変愛らしいのだが、これをお父上――清次様に見られては晩酌の際にからかわれてしまうだろう。なので、直ちにその頬を萎ませて貰わなければならない。
「姫様は姫様です。私にとって貴女様は守るべき姫。愛らしい姫様なのですよ」
「むぅ……ただ一言《清》と呼べばいいのに。榛葉は頑固者です」
少しだが頬を萎ませて下さった姫様。なれば、姫様のお願い事を聞かなければならない。
「さ、お茶を淹れましょう。先日呉服屋の美夜様に茶葉を頂いたのです。これがまた大層美味でしたので、是非姫様にも飲んで頂きたかったのです」
「…………鈍感なのを喜ぶべきなのでしょうか」
「?」
はて、姫様はお茶がとてもお好きなのに、どうして不機嫌なのだろうか。
「分からないならいいのです。ですが、お茶菓子もつけなければ許しません」
ぷいと拗ねるような仕草をなさる姫様には、私は苦笑いをするしかない。ならば、機嫌を直していただくためには、清次様に頼まれていたあれを出すしかなかろう。
「では、桜の餅をお出しいたしましょう。斐太の棗が手に入りましたので、甘い餡を作ってみたのです。姫様も気に入って頂けると思いますよ」
私の言葉に姫様はお顔を桜の花のように華やがせた。やはり若い女性は恋話と甘味に弱いのだろう。
「まぁ!! それでしたら、ここで頂きたいです! 華の終わりに花の前で桜を食すだなんて、なんて雅なんでしょう!」
普段はお淑やかな姫様も、今この時は年相応な童女の様に喜んでいる。
やはり、この年頃の少女には、感情の赴くままに喜び、笑い、幸せを感じて貰いたいものだ。
――いや、かつて出来なんだこと故、今度こそ護りたい、というべきか。
「榛葉? どうかしましたか?」
……これはいけない。昔を思い出して今を後悔するなど、主に叱責されてしまいます。それ以前に、姫様に心配をかけるなど、言語道断。
「いえ、盛華を愛でることで盛りに別れを告げることになるとは、いやはや儘ならないと思いまして。ですが、姫様と楽しめるとなれば、それも安らぎましょう」
「あら、榛葉ったら歌人のようですね。歌合にでも出れば、都で有名になるのではないですか?」
私の誤魔化しの言葉に、姫様はくすりと微笑む。
「私などまだまだ。それよりも私はこの地で姫様がご成長なさる姿を見る方が楽しみです」
「…………そのような言葉、美夜殿等に言っていないでしょうね?」
何故そこで美夜様が出てくるのだろうか。
「まさか。私にとってそのようなお方は姫様だけですよ」
私の様な不器用な男には、精々一人ずつしか護れない。いいえ、一人でも護りきるのは難しいだろう。
だからこそ、私は姫様を全力で護るのだ。
「……もぅっ!! この話はこれでおしまいです。早くお茶を淹れてきてちょうだい!」
確かに無駄話が過ぎたようだ。これは今までで最高のお茶を淹れなければなるまい。
「畏まりました。それでは姫様は暫し桜を楽しみながらお待ち下さい」
「……少しくらい《清》と呼んでくれてもいいのに」
「? 何か仰有いましたか?」
「何でもありません!!」
女心とは何事よりも奇っ怪にして難儀なものである。これは幾百年も前から幾星霜の彼方までも変わらぬのだろう。
因みに榛葉はとある人物の偽名、のようなものです。それについては後々。
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