魔法少女パラレルなのは (祐茂)
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第1話「不思議な出会い……?」

 高町なのはは、生まれつき不思議な感覚を持っている少女だった。

 不思議な感覚というのは、人とはかけ離れた感性を持っている、という意味ではない。

 いわゆる第六感というべきだろうか。しかしそれは、幽霊を目にすることができる霊感ではなく、身に迫る危機を事前に察知できるような直感とも違う。

 ただ、時折、『なにか』をなんとなく感じてしまうのだ。

 感じるだけで実際に何かが起こるわけではない。九年間というまだ短い人生ながら、その感覚で得したこともなければ損をした覚えもない。周囲の人に訴えたところで、なのは自身が『なにか』を具体的に把握していないために曖昧な表現をする他なく、不思議そうな顔をされて終いである。

 自身にも周囲にも何ら影響を及ぼさず、感じてどうなるわけでもない無意味なもの。

 『なにか』を察知する感覚とはその程度のものだった。自分には何の取り柄もないと思い込んでいるなのはにとっては、当然の認識だったのかもしれない。

 だからこそ、その感覚が意味を持つ日がやってくるとは、想像だにしていなかった。

 

 

「え……?」

 

 いつものように学校の宿題を早々に片づけ、夕飯も風呂も終えてそろそろ寝ようか、とパジャマに着替えている時だった。

 唐突になのはの胸の奥がズキリと痛んだ。

 

「な、なに?」

 

 不規則に、二度、三度、四度……。最初の一度よりも弱かったが、断続的になのはの胸が疼きを上げる。

 治まる様子のない疼きになのははたまらずベッドに倒れ込み、体を抱くようにして胸を押さえた。

 自分はどこか身体の具合でも悪いのだろうか?

 母が好んで見ているドラマに、不治の病に侵された少女の話があった。少女は発作が始まると苦しそうに胸を押さえ、丁度今のなのはのように倒れ込んでしまうのだ。

 そんなことを考えて震えるなのはだったが、そうではないと気付くのに時間はかからなかった。

 

(これ、もしかして、いつもの感覚……?)

 

 疼きにも少し慣れ、冷静になってみれば、いつもの『なにか』を察知する感覚に近いことに気付く。ただ、それが今までにないくらいに強く感じたために、痛みのように錯覚してしまったらしい。

 胸の疼きを無視して、一度なのははベッドから降りてみる。やはり特に異常はなく、ふらつくこともなく立ち上がる事が出来た。

 いつも通り『なにか』を感じてしまっただけ。

 しかし、今までとは違うのは、『なにか』が近くにある感じがすることだった。その方向さえもはっきりと知覚できる。

 ここでなのはに二つの選択肢が生まれる。

 今までと同じく、意味がないはずの感覚を無視して何事もなかったかのように過ごすか。

 今までにない感覚を頼りに、『なにか』を探してみるか。

 窓の外を見る。当然ながら外は真っ暗で、小学生が出歩いていい時間ではない。

 

(でも……っ!)

 

 しばし逡巡した後、なのははお気に入りの上着に勢いよく手を通す。それから足音を潜めて階段を下り、そっと玄関の戸を開けた。このとき、暗い中を出歩くという不安と罪悪感は、何かが変わるかもしれないという期待と、変わりたいという無意識の焦燥に塗りつぶされていた。

 家族に見つからずに家を出ることに成功したなのはは、街灯に照らされた夜道を早足で歩く。

 春も半ばとはいえ、夜は少し肌寒い。パジャマに上着一枚では心もとなかったが、未だ治まらない胸の疼きが寒さを忘れさせた。なのはは少しずつ『なにか』に近づく気配を感じながら、何の意味もないと思っていた感覚に頼るとはおかしな話だと頭の片隅で思う。

 それでも頼ったのは、たぶん、何かを見つけたかったからだろう。何の取り柄もない自分が変われるような、都合のいい何かを。

 

 

『何の取り柄もない自分』

 ある種自虐的な――あるいは早熟な――その考えは、普段、なのはの表面に現れることはない。ただ、ふとしたきっかけで自覚することがあるものだった。

 難しい問題を先生に質問されて、すらすらと答える友達を見たとき。

 剣術に打ち込む家族を見たとき。

 あれがしたい、あれになりたい、と将来の展望を輝いた目で語るクラスメイト達を見たとき。

 そうした光景を見るたびに、なにもできず、何がしたいかもわからない自分を目の当たりにすることになった。そして、そんな悩みをなのはは誰かに打ち明けることもなかったために、やがて自分には取り柄がないという思い込みにまで成長させてしまったのだ。

 それはなのはの迷いの象徴であり、無力さの自覚だ。

 

 

「痛っ!?」

 

 無心に歩いていたなのはの手に突如として痛みが走った。木の枝に指先を引っ掛けてしまったようだ。軽く擦った程度だが、少しだけ血がにじんでいる。

 と、そこで辺りを見回して初めて気づく。いつの間にか道を外れ、木々に囲まれていることに。

 街灯の光も届かないところにまで入ってしまったらしく、わずかに差し込む月明かりだけが頼りなくなのはを照らしていた。

 

(……ここ、どこだろう……?)

 

 なのはの顔色がたちまち悪くなる。

 ここまで夢中で来たために、どうやってここまで来たのか、どの方向から来たのかも思い出せないのだ。

 迷子を自覚したなのはの不安を煽るように胸の疼きが増す。

 そうだ、『なにか』を追ってきたのだから、それから離れる方向に向かえば帰れるかもしれない。

 頭に浮かんだその名案は、しかし採択されることはなかった。

 理由は、その『なにか』の源を見つけてしまったからに他ならない。視線をあちこちへやっていたなのはの目に、一瞬だけ蒼い輝きが映ったのだ。その瞬間だけ胸の疼きが強くなったのは気のせいではない。

 胸の疼きに押されるようにして、なのはは蒼い輝きが見えた場所に近づく。目を凝らして見ると、一本の細い木の根元に小さな石が無造作に転がっていることが分かった。

 あるいは宝石だろうか。それは蒼く、植物の種子のようなひし形をしていた。どういう原理なのか、月の光が当たっているわけでもないのに、時折かすかに輝きを発しているようにも見える。

 そして、目の前の宝石が目的のものだと訴えるように、なのはの胸の疼きが増していた。

 

(これが……いつも私が感じていた『なにか』なの?)

 

 なのはは蒼い宝石を見つめたまま、ごくりと唾を飲み込む。

 これを手にすれば何かが変わるのだろうか。なのはが考えるのはそのようなことばかりで、既に帰り道のことは頭からすっかり抜け落ちていた。

 もしかしたら、自分はずっとこれを探し続けていたのかもしれない。そんな錯覚さえ感じていた。

 と、そのとき。

 

「――――それに触っちゃダメだ!」

「……っ!?」

 

 突然聞こえた声に、なのはは咄嗟に()()()()()()()。どこか妖しげな輝きを放つ宝石に、いつの間にか吸い寄せられるように手を伸ばしていたのだ。

 自覚せず取っていた自分の行動と鋭い制止の声に、なのはが驚いて硬直していると、背後で砂利を踏みしめる音が耳に届いた。なのはの胸に疼きとは別の動悸が走る。

 

「あの……驚かせてごめんなさい」

 

 しかし、思っていたよりもずっと柔らかな声音をかけられ、硬直の解けたなのはは慌てて振り向く。

 そこに立っていたのは、一人の男の子だった。

 色素の薄い金髪と、動きやすそうではあるがどこか異国めいた衣装。年はなのはと変わらないくらいだろう。女の子と見間違えそうな可愛いらしい顔立ちに、申し訳なさと若干の戸惑いを浮かべていた。

 そんな少年を見て、なのはの胸がほんの小さなざわめきを上げる。

 恋のざわめきというわけではない。不思議なことに、いつもの『なにか』を少年に対してもわずかながら感じているのだ。しかもそれは、蒼い宝石に感じるものとも、また少し違うような気がしてならなかった。

 

「どういうことなのかな……?」

「え?」

「あっ、ううん! なんでもないの!」

 

 思わず疑問が口に出てしまい、なのはは慌てて誤魔化す。

 

「えっと、それで君は……?」

「ジュエルシード……その宝石は僕の落し物なんです。ずっと探していて……」

「そう、なんだ」

 

 『なにか』を感じる蒼い宝石を、同じく『なにか』を感じる少年が探していたのだと言う。

 単なる偶然とは思えなかったが、彼の所有物だというならば、まさか奪うわけにもいかない。ああも必死になって静止したのだ、他人に触れられたくないようだったし、相当大事なものなのだろう。

 後で色々話を聞きたいなと頭の片隅で考えつつ、なのはは素直に宝石の前を譲った。

 

「そういうことなら、どうぞ」

「ああ、うん……ええっと……」

 

 しかしどういうわけか、少年は困った顔で宝石となのはを見比べるばかりで、宝石を拾おうとしない。

 なのはは不審に思い、どうしたのか……と声をかけようとした途端。

 

「ぅ、あ……!?」

 

 ドクン、と。

 一度だけ心臓が大きく脈動し、胸の疼きがひと際大きくなった。

 最初に痛みと錯覚したときよりも更に大きい。

 痛みというより熱さ。気持ち悪い汗が額から滲み出る。胸を押さえた手は震え、ついには呼吸さえも困難になり、なのははこらえきれずに膝をついた。

 視界の端で蒼い宝石が強く輝いているのが映る。あるいは意識まで朦朧としてきたのだろうか、その宝石が独りでに宙に浮いているようにも見えた。

 

「しまった! 暴走が始まった!?」

 少年が何か叫んでいるようだったが、なのはの耳には届かない。気付けば宝石を中心にして、なのはたちの周囲を轟々と風が渦巻いていた。まるで宝石が風を集めているかのよ

うに。

 

(違う……風だけじゃ、ない……?)

 

 おぼつかない意識の中でなのはは気付く。

 風と一緒に、『なにか』が宝石に向かって集まっていることを。

 宝石に感じている『なにか』が膨れ上がっていることを。

 そして膨らみが頂点に達したと感じた瞬間、集まっていた風が一気に逆流してきた。

 

「――きゃあ!?」

「危ないっ!」

 

 次の瞬間にはなのはは吹き飛ばされ、それを庇おうとした少年もろとも地面に倒れ込んだ。

 

「くっ……。大丈夫!?」

「う、うん。ありがとう」

 

 なのはは少年の問いに半ば反射的に答えながら、胸の疼きが少し落ち着いたのを感じ取った。少年に身体を起こすのを手伝ってもらい、なのはは胸の奥に未だくすぶる熱を外に出すように深く息を吐く。

 

「なに? いったい何が起こったの?」

 

 特に返答を求めてはいなかったが、思わずなのはの口を突いて出た言葉。

 

「ごめんなさい。説明している暇はなさそうです」

「え?」

 

 そう答えた少年の目はなのはではなく、宝石があったはずの場所を捉えていた。なのはもつられてそちらを見る。

 大きな影。

 最初、なのははそう思った。

 しかし、木の影などではないと気付くのに時間はかからなかった。

 その黒い影は光源など関係なしに蠢き、血のように真っ赤な目を夜闇に爛々と輝かせているのだ。不定形に姿を変える中で時折口のようなものも覗かせ、唸りとも叫びともとれる音を発してなのはの身を竦めさせる。あんなに大きな口では、子どもくらい頭からひと飲みにできるだろう。

 そして、不思議なことに、宝石に感じていた『なにか』と全く同一のものをその黒い影に感じるのだ。

 

(宝石が、黒い影に変わっちゃった……?)

 

 突拍子もない考えだったが、なのはの胸の奥から湧き上がる感覚がそれを肯定しているように思えた。

 と、なのはが混乱と恐怖に固まっている間に、黒い影は動き始める。

 なのはの何倍もありそうな巨体で地面を跳ね、急速にこちらへ向かってきたのだ。

 

「ひゃ!?」

 

 こんな巨体に押しつぶされてはたまったものではない。

 咄嗟に目を閉じるなのは。しかし、来るであろう衝撃に身を固めていても、なにやらいつまで経っても何も起こらない。

 そっと目を開き、なのはは目にした光景に息を呑んだ。

 

 ――見えたのは、不気味な影とは対照的な、柔らかな若草色の輝き。

 それから、薄金色の髪をした男の子の、小さな背中。

 

「ぁ…………」

 

 どこか幻想的な雰囲気が漂う光景に、なのはは驚愕とも感嘆とも取れない吐息をついて、尻餅をついたまま呆然と見上げるしかなかった。

 

「大丈夫。あなたは僕が守ります」

 

 少年の言葉で意識が戻る。庇われたのだ、と理解して顔面蒼白になりかけるが、よく見ると彼は怪我を負った様子もなしに影を受け止めていた。

 より正確に言えば、なのはの見た若草色の輝きが二人の周囲を覆い、影の突進を受け止めていたのである。

 そしてその若草色の輝きからも例の『なにか』を感じて……。

 

(あ、ははは……。一体、一体、もう、何が起こってるのぉ!?)

 

 今日何度めの驚愕なのか。驚きを通り越して乾いた笑いさえ浮かんでくる。

 なのはの頭の中はもうパンク寸前だった。

 

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 ユーノ・スクライアが『第97管理外世界』――現地住民に『地球』と呼ばれているこの世界に降り立ったのは、ある落し物を探すためだった。

 危険指定遺失物の一種、ジュエルシード。

 全部で二十一個あるそれは、それぞれに願いを叶える力が宿っている。

 そう聞くととても便利で有用な代物に思えるが、実際は真逆。歪んだ形で願いが叶ってしまうことが多いし、叶うと同時に暴走を始める可能性も高いのだ。暴走が始まると、内包する強大な魔力に任せて周囲を無差別に攻撃したりと、普通の――現地の人間には手がつけられなくなってしまうだろう。

 また、暴走の規模は、所有者の願いの強さによっても変化する。自我の薄い虫や小動物などであればまだ暴走の規模も小さく済むが、強欲な人間が手にとって願ってしまえば、災害と呼べる規模の暴走が起こってしまいかねない。最悪、この世界の存続すらも揺るがしかねないほどに。

 そんな危険物を回収することこそがユーノの目的であり、使命だった。

 全ては、自分の責任が故に。

 

 だからユーノは、見つけたジュエルシードに現地住民と思しき女の子が手を伸ばしているのを見て、咄嗟に叫び声を上げていた。触れてすぐ暴走するとは限らないが、しないとも言いきれないのだ。

 そうして間一髪、女の子による暴走を阻止できた……と思った矢先、ジュエルシードが独りでに暴走を始めてしまった。

 ジュエルシードは内蔵魔力が不安定なため、封印処理を施していなければそれ単体でも魔力暴走を引き起こす可能性がある――――資料で読んだ情報を今更ながら思い出し、ユーノは歯噛みした。こんなことなら、現地住民の見ている前だからとためらわず、さっさと封印を施すべきだった。

 暴走体が黒い影のような形を取り、襲いかかってくるのを見て、ユーノは咄嗟に【プロテクション】を使用した。ユーノの出身世界の技術である『魔法』、その中の防御系統に属するものだ。術者の周囲を覆う膜によって敵の攻撃を防ぐことができる。

 現地住民に魔法を見せるのは本来ならまずいが、事この状況に至ってはそうもいっていられない。どんな世界、どんな状況だろうと、人命こそが最優先だ。少なくともユーノはそう信じている。

 ユーノは防御魔法を維持しつつ、背後に庇っている女の子をちらりと見やる。彼女は胸を押さえたまま呆然と座り込み、この状況についていけてないようだった。

 

(まずは彼女を安全な場所に避難させないと)

 

 あなたは僕が守ります。

 安心させるためとはいえ、ずいぶんと大見得を切ってしまったものだ。しかも改めて考えると結構恥ずかしい台詞の気がする。現地住民に被害が及ばないようにとやってきたのだから、守るのは当然のことではあるのだが。

 ともかく、ユーノは頭を捻って女の子を助ける方策を練る。

 まず思いついたのは、対象を一瞬で離れた地点まで移動させる『転移魔法』だ。

 しかし、辺りの地理を把握していない状態でそれを使うのは危険が伴った。

 上空数百メートルや、壁の中に転移する……などという極端な事故は、転移魔法の術式の中に組み込まれた安全機構のおかげで()()()起こらない。が、その安全機構は時間をかけて転移に集中して初めて確実に発動するものだ。

 実際、個人が転移魔法の発動をする際、術者がそれに熟達していない場合や転移距離が大きく離れている場合などは、詠唱したり印を組むなどして魔法の補助をとることが多いのだ。それこそ、数十桁に及ぶ長ったらしい座標を読み上げることさえある。

 防御魔法を発動しながら片手間に転移させようと思えば、正確な転移座標を知るための地理把握は絶対条件といえた。

 この世界に来て間もないユーノが周辺地理を把握しているはずもなく、気が急いていたせいで安全な活動拠点(ベースキャンプ)を設けることも怠っていた。そして、安全とは言えない手段を他人に施せるような性格でもなかった。

 したがって、転移という選択肢はない。

 

 ならばどうするか。

 断続的な攻撃の合間に防御魔法を張りなおしつつ、ユーノは思考を続ける。

 せめてこの女の子が簡単な移動魔法や飛行魔法でも使えたなら、自分が囮になっている間に逃がすこともできるかもしれない。しかし、この世界の住人が魔法を使えないことは、その文明に軽く触れただけでも明らかだった。

 いっそこのまま無力な女の子を守りながら暴走体を鎮めるか、と無謀な発想に行き着きかけたところで、ユーノの頭に閃きが走った。

 

(この子は魔法を使えない? ……そうか、だったら!)

 

 思いついた方法を試すべく、頭の中で術式を構築する。これから使う魔法系統はユーノが最も得意とする分野だ。防御魔法の片手間であっても、十分実用性のあるものができあがるはずだった。

 準備の整ったユーノは魔法発動のトリガーを引く前に、女の子に向かって声をかける。

 

「僕が()()()()()()()すぐにここから離れてください!」

「え? えっ?」

 

 女の子はわかっていないようだったが、説明している余裕はない。防御魔法が壊れそうだ。

 

「封時結界、展開!」

 

 ユーノの声と共に、足元に円形の魔法陣が発動。

 その魔法陣を中心に若草色の波紋が球状に広がっていき、辺りの様子が一変する。

 月明かりに薄く照らされていた藍色の空は夕暮れのように暗い赤に変色し、周囲の木々は所々で色素が抜け落ちた。郷愁、あるいは寂寥感か、色あせた絵画でも見ているような気分にさせられる光景だった。

 もしもこの事象を外から観察できる者がいたならば、この風景の切り替わりの境界をなぞればドーム状になることがわかっただろう。ユーノを中心にして周囲の木々まで覆い尽くしているのである。

 この現象はもちろん、たった今ユーノが使用した魔法によるものだ。

 

 【封時結界】。通常空間から指定した範囲の空間を切り取り、時間信号をずらす魔法だ。

 ずれた時間軸にあるその空間は、外――元の空間――からは基本的に認識できず、また内部への侵入も不可能。内部でいくら魔法を使おうと、結界を感知できない普通の人間にはバレないということだ。もっとも、結界内部でものが壊れた場合などは、結界を解除した際にも壊れたままになってしまうという欠点はあるが。

 また、結界にはいくつかの条件を付けることができる。

 たとえば、結界内部に残す生物をある程度絞ることなどだ。

 そこでユーノは、『魔力を一定量以上保有している存在』のみを内部に残す結界を張った。

 つまり、魔力を持っている自分とジュエルシード暴走体を残し、魔力資質のない現地の人間を結界の外に弾き出そうというのだ。弾き出された人間は通常空間にとどまることになり、きっと『少年と影の化物が忽然と消えた』と認識することだろう。

 あとは、今の出来事は夢だとでも思って立ち去ってくれればいい。

 そんな風にユーノが思った時だった。

 

「今度は木やお空の色まで変わっちゃった……」

「はい、結界魔法を張りました……か、ら……?」

 

 おかしい。女の子の声が聞こえる。

 勢いよく振り向くと、そこには地面に座り込んだままの女の子の姿があった。

 おかしい。結界はきちんと張ることができている。条件付けも問題ない。結界内にこの子を残すようなことはないはず。

 ユーノの思考が混迷し、停止する。

 

「どうして……」

「あっ、危ない!」

「え――――?」

 

 結界内に残されたのは女の子だけではない。

 黒い影、ジュエルシード暴走体。それに知性があるかどうかは甚だ疑問だが、ユーノの集中力の切れ目を狙ったように今まで以上に強い体当たりをしてきたのだ。

 

「う、あぁぁぁ!?」

 

 当然のように防御魔法は崩壊。遮るもののなくなった巨体が、口を大きく開けてユーノに襲いかかった。不定形な影は口の中に牙をも作りだし、鋭く尖ったそれをユーノに向けた。

 ガチン、と口が閉じられる。しかしその口の中には布切れしかない。

 崩壊した防御魔法が暴走体の突進力を僅かながらも吸収したため、狙いのそれた牙はかろうじてユーノの服の一部を破くにとどまったのだ。ただし、勢い余った巨体は容赦なくユーノの幼い身体を吹き飛ばす。

 視界が回る。身体中をすりむきながら地面を転がり、木に受け止めてもらう代償として頭を強く打った。

 しくじった。油断した。体中が痛い。頭がぼんやりとする。

 そんなことはどうでもよかった。ユーノは悲鳴を上げる身体を無理矢理に起こし、脳が撹拌されたような意識の中でその光景を目にする。

 

「ぁ…………」

 

 何のために今までその場にとどまったまま防御魔法を張っていたのか。当然、後ろにいた女の子を守るためだ。

 そして、ユーノという盾のなくなった女の子にはもう、身を守る(すべ)はない。

 暴走体はその赤い目で女の子を見下ろしていた。獲物を前にして舌なめずりをしているように、獲物の恐怖を煽るように、じりじりと距離を詰めていく。

 それにつられて女の子も尻餅をついた態勢のまま後ずさった。だが、そんなものは時間稼ぎにもなりはしない。すぐに背中が木に当たり、何の意味もない鬼ごっこが終わりを告げた。

 ユーノは何もできない。頭を強く打ったためか、意識が定まらず、どうにも魔法に集中できない。これから起こるだろう惨劇を見ていることしかできない。

 ふ、と。暴走体に追い詰められた女の子がこちらのほうを向く。

 向けられるのは助けを求める視線か、恨みの声か。それともただ泣き喚くだけだろうか。

 ユーノは怯えた。責められるのが怖かった。

 しかし、どれも違った。

 女の子は、ユーノに向かってこう叫んだのだ。

 

「今のうちに、早く逃げて!」

「……え?」

 

 一瞬呆然としたユーノが女の子の顔を見返した時にはもう、彼女は暴走体へと向き直っていた。その横顔には涙の気配すらなく、きっ、と強い眼差しで『敵』を見据えていた。

 その上、暴走体の気を引こうというのか、足元にあった石を投げつける始末だ。もちろん暴走体にそんなものが効くはずもないが、煩わしそうに身をよじらせて、一瞬だが歩みを止めていた。狙いは完全に女の子のほうに定めたようだ。それを見た女の子は更に石を投げ続ける。

 聞き違いでも何でもない。女の子は、本気でユーノを逃がそうとしているのだ。

 

(なのに僕は……こんなところで何をやってるんだ!)

 

 倒すべき敵にやられて。守るべきはずの女の子に守られて。

 それで何も感じないほど、ユーノは冷徹であるはずがなかった。情けなさと恥辱に顔をゆがめる。

 激情に駆られたから、というわけでもないだろうが、女の子が時間を稼いでいる間に少しだけユーノの思考がクリアになってきた。

 

(足は動く。立ち上がれる。魔法は……簡単なものならなんとか使える、はず。いや、使ってみせる)

 

 これ以上回復を待つ時間の猶予はない。見れば、女の子は四つ目の石を拾い上げたところで、暴走体ももう一動作で女の子を呑みこめる位置にいる。

 逼迫した状況でユーノは高速で思考する。どうすればこの状況から女の子を助けられるか、どの魔法を使えばいいか。今更防御魔法を使っても状況の打開には至らない。結界を張り直す時間も集中力もない。何か別の方法を…………

 焦れば焦るほどに考えがまとまらくなったユーノだが、ふと、女の子が手に握った石ころが目に留まる。それはそこらに落ちている普通の石ではなかった。

 赤くて丸い、小さな石――――否、宝石。

 ユーノはその宝石をよく知っていた。なぜならそれは、もともとはユーノの持ち物だったからだ。

 そして、閃く。

 

(そうだ……結界内に残されたということは、あの子は魔力資質を持っているんだ!)

 

 思いつくが早いか、ユーノはすぐさま術式を編み上げた。

 女の子はもう抵抗のしようがない。暴走体はいよいよ大口を開け、鋭く尖った牙を女の子に突き立てようと――

 

(間に合って――――ッ!)

「【チェーンバインド】!!」

 

 その叫びと共に、暴走体に鎖が襲いかかる。それは身体中に巻き付き、暴走体の動きを封じた。

 間一髪。女の子のまさしく目と鼻の先で暴走体が停止する。

 そんな魔法の発動と結果を見届ける間もなく、ユーノは震える足で立ちあがり、声をかけた。

 

「早くこっちへ! その石は持ったまま!」

「っ、うん!」

 

 混乱の波は通り過ぎたのだろうか。女の子は目の前で静止した暴走体には見向きもせず、戸惑いも躊躇いもしないでユーノの指示に従ってくれた。

 

「ひとまずアレから離れよう。あまり時間は稼げないし……」

 

 魔力で出来た鎖で縛りあげ、対象の動きを封じる魔法【チェーンバインド】。

 ただし、魔力や術式を練り込む余裕がなかったため、すぐに破られてしまうだろう。魔力の鎖は音を立てることはないが、既に鎖が軋んでいるのがわかる。

 

「肩、貸すね?」

 

 言うが早いか、女の子はユーノが答える前に肩を支えて歩き始める。彼女よりユーノの方が若干背が高いが、肩を貸すのに支障はなかった。

 ユーノはそんな状況を情けなく思う自分の心を治めて、森の奥のほうへと向かうように指示を出す。木々を障害物として、少しでも暴走体の歩みを止める算段だ。

 そうして時間を稼ぐ間に、対策を講じなければならない。

 密着した肩から伝わってくる熱を強く感じながら、ユーノは口を開いた。

 

「足は止めずに聞いて。さっき君が拾った石、レイジングハートっていうんだけど、持ってる?」

「これのこと?」

 

 女の子が最後に投げようとして握った赤い宝石、レイジングハート。

 これはもともと、ユーノが所持していたものだが、おそらく暴走体に吹き飛ばされた時に落としたのだろう。それを偶然、彼女が拾い上げるとは……運命めいたものを感じる、というのは少し大げさだろうか。

 しかし、ユーノの考えが当たったならば、それはやはり運命に違いなかった。

 

「時間がないから詳しい説明は省略するよ。――――君には魔法を使えるようになってもらいたいんだ」

「魔法…………私、が?」

 

 女の子は戸惑う。魔法の存在が信じられないというよりも、自分が魔法を使うということに驚いているようだった。

 

「うん。君にはきっと、魔法を使う資質がある」

「そ、そんなこといきなり言われても……」

 

 と女の子が言い淀んだとき、ユーノの感覚が【チェーンバインド】が破られたことを知らせた。同時に、木がバキバキと折れる音も聞こえてくる。暴走体が追ってきたのだろう。

 

「時間がない! 君が魔法を使えるようになればきっと……!」

「……どうすればいいの?」

 

 逼迫した状況を再認識して女の子も覚悟を決めたらしい。ユーノを見つめ返すのは、戸惑いや不安など窺えない力強い眼差しだ。

 それを見たユーノは、きっと自分の考えは間違っていないと確信を得ることができた。

 

「ありがとう。レイジングハートを握りしめて、目を閉じて心を澄ませて。僕の言葉をそのまま繰り返して言って」

「うん」

 

 女の子は手の中の赤い宝石を胸の前でやさしく握りしめた。そして二人は足を止めて呼吸を整え、気持ちを落ち着かせる。

 そうすると、どこか静謐な空気が二人を包み込んだ気がした。お誂え向きに木の葉の隙間から漏れる月明かりが二人の姿を淡く照らし出す。

 たった今この時だけ、この場は崇高な儀式を執り行う聖地となった。

 

「いくよ」

 

 すっ、と鋭く息を吸い上げ、ユーノは言葉を紡ぐ。

 

 

「――――我、使命を受けし者なり」

「わ、我、使命を受けし者なり」

「契約のもと、その力を解き放て」

「……契約のもと、その力を解き放て」

 

 風に揺れる木の葉が擦れる静かな音。しかしそれをかき消す無粋な轟音が近づいてきている。暴走体は障害物など気にせず、一直線にこちらに向かっているようだ。

 

「風は空に、星は天に」

「風は空に、星は天に」

 

 しかし二人は動じない。集中した二人の耳に、余計な音は届かなかった。

 

「そして、」

「そして、」

『不屈の心は、この胸に』

 

 少女が知らないはずの言葉。輪唱のように繰り返して言っていた言葉が、当たり前のように重なっていく。

 

『この手に魔法を!』

 

  バギィッ!

 

 ユーノたちのすぐ後ろの木が折れ飛んだ。二人のそばを風圧が駆け抜ける。聖地へと無粋な侵入者が足を踏み入れようとしていた。

 それでも二人の心には焦る気持ちなど浮かばない。絶望もしない。

 

『レイジングハート―――』

 

 周囲の場景など置き去りにして、ただただ集中して、二人は最後の一節を言い放つ!

 

『――――セット・アップ!!』

≪Standby, ready. Set up.≫

 

 女の子の手の中から光があふれだす。宝石が光輝き、天まで登るのではないかと思えるほど膨大な光を発していた。

 と同時に襲い来る影の怪物。抵抗する間もなく二人は撥ね飛ばされ――

 

≪"Protection"≫

 

 否、吹き飛んだのは暴走体の方だった。二人の周囲に薄桃色の膜が形成され、それに触れた暴走体が弾き飛ばされたのだ。その衝撃は影の身体を四散し飛び散らせるほどに強力だった。

 

「咄嗟に発動した自動防御でこの強度……それにこのとんでもない魔力量は……!」

 

 女の子の手の中にある宝石、レイジングハートは力強く光輝いたまま。それはユーノの考え通りに事が運んだことを示している。

 ただ、想定を遥かに上回るほどに大成功してしまった、というのがユーノの正直な気持ちだった。

 

「今のは……?」

「防御用の魔法、【プロテクション】」

 

 呆然とした様子の女の子にユーノは答える。今魔法を使ったのは彼女の力によるものだと。

 

「レイジングハートが自動で防御したんだ。君を守るために、君の中に眠っていた力、魔力を使ってね」

「私の中の……力」

「そう。見たところ、君はとんでもない魔力を秘めているようなんだ」

 

 言いながらユーノは油断なく周囲に目を向け、暴走体の動きを窺う。どうやら想像以上にダメージがあったようで、方々に散った自らの身体を回収するために触手のようなものを周囲に伸ばしていた。

 一瞬反撃のチャンスかと意気込みかけたものの、最優先すべきは女の子の安全だと思いなおす。

 それでもちゃっかりと自身へ回復魔法をかけていたが。これで身体の痛みもマシになるだろう。

 

「魔力だけあっても魔法は使えない。魔法に必要なのは、精神エネルギー。強い意志で願うこと。君ならきっと、それだけで身を守ることぐらいは簡単にできるはずだよ」

「そう言われても、どうすればいいのかわからないよ」

「頭の中で思い描いて。君の力を制御する、魔法の杖の姿を。そして、君の身を守る強い衣服の姿を!」

「うん、やってみる……」

 

 そう言ってからほとんど間を置くことなく、女の子の身体が光に包まれ、ユーノが目を細めたときにはもう白い衣服を身にまとっていた。

 そしてその手にはファンシーとメカニカルが融合したような形状の杖。その先端には、先ほどまで握っていたはずの宝石が大きさを増して鎮座していた。

 

「わ、わ……。すごい、変身したみたい……っていうには学校の制服みたいで有り合わせって感じなんだけど。これでいいの?」

「うん。ちゃんとできてるよ」

 

 少女に身に着けさせたのは、魔導師用の防護服とも言える【バリアジャケット】だ。その衣服自体が防御魔法のようなもので、最低限の防御として魔導師の戦闘には欠かせないものだった。

 そして少女の握る杖――レイジングハートの起動形態。これにより少女はレイジングハートの補助を最大限に受けて魔法が使えるはずである。

 

(よし、これで……)

 

 先ほど自動でプロテクションを張ったように、レイジングハートは自らの意思である程度の自衛ができる。これで女の子は自分の身を守るのに不足はないはずだ。

 説明しながら自身にかけていた回復魔法により、身体の調子もだいぶ良くなった。

 ここから先は……暴走体を相手にするのは、ユーノの役目だった。

 

「君はそのまま、自分の身を守ることだけ考えて!」

 

 そういってユーノは暴走体の前へと一人で躍り出る。

 彼女はまだ魔法に慣れていないために戦力にするには不安だ……という建前だが、実際は自身の責任感と少女を危ない目に合わせたという後ろめたさが彼女に頼ることを拒んでいるだけだ。

 

「絶対に……やり遂げてみせる!」

 

 うごめく暴走体を見上げ、勇気を振り絞って言った言葉はいかにも空々しく聞こえた。

 ユーノ・スクライアの死闘が始まる――――

 



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第2話「魔法の呪文は……?」

「君はそのまま、自分の身を守ることだけ考えて!」

「えっ!?」

 

 一方的に言い放って行ってしまった少年の背を目だけで追って、なのはは呆然と立ち尽くしていた。

 今なのはが身にまとっているのは、白を基調として青いラインが随所に入ったワンピースタイプの衣装。『身を守る衣服』と言われて咄嗟に思いついたのが、なのはの通う私立小学校の制服だった。若干手を加えてアレンジされているものの、この制服を基準にしたのは、最も馴染みのある服装だったからなのかもしれない。

 そして右手に握りしめているのは、少女的な色調ながらもどこか機械染みた印象も持つ杖。衣装に合わせた純白の柄の先端では、紅い宝石が月明かりを照り返して煌めいていた。

 

 そうした格好はなのはが心中で思い描いた『魔法少女』像どおりの姿だったが、それがなのはの心を躍らせることはなかった。

 名前すらも知らない少年と、わけのわからない黒い影の怪物。

 なのはの日常と常識をぶち壊したその二つの存在が、今なのはの目の前で攻防を繰り広げていたのだ。

 黒い影の突進を、少年は薄い膜――防御魔法【プロテクション】で弾き返し、時には木の陰に隠れてやり過ごし、お返しとばかりに光の弾丸を放つ。しかしそれは黒い影にはあまり効いていないように思える。一時的に影の身体を散らすことはできているが、時間をおくとまた同じ大きさに戻っているのだ。これではイタチごっこだろう。

 一方、少年は今のところ相手の攻撃をすべて防げてはいる。しかし、既に肩で息をしていて、消耗度合いが目に見えてわかるほどだ。

 その隙を突いてか、黒い影は時折なのはの方を狙うように突進しようとするが、そのたびに少年が攻撃を放ち、注意をそちらに向けられていた。

 

 戦いのことなんてろくにわからないなのはだったが、このままではマズイということは理解できた。

 少年がやられてしまえば、次は自分。そう考えるのは自然なことだろう。

 しかし、なのはの心を支配していたのは、自分の身よりも少年の身を案ずるものだ。

 少年の戦う理由は分からないが、少なくともなのはを守ろうとしていることは間違いない。そして、自分が足手まといになっていることも。あるいは、今は杖と化しているこの赤い宝石、レイジングハートが少年の手元にあれば、彼はもっと楽に戦えているかもしれないのに。

 つまるところ、自分のせいで少年は傷ついているのだ。

 そもそも黒い影が現れてからずっと、混乱しきりだった自分を守ってくれたのは少年だった。

 わけのわからない出来事の連続で混乱の極みにあったなのはが落ち着きを取り戻せたのも、混乱極まってかえって冷静になったからということもあったが、一番の理由は少年がいてくれたからだった。

 自分と同い年くらいであろう小さな男の子。そんな彼が守ってくれて、庇ってくれて、傷ついてくれた姿を見たから、なのはも同様に気を張ることができたのだ。

 

 だというのに、少年が傷つこうとしている今、自分は何もできずに見ていることしかできないのだろうか。

 いっそ逃げたほうがいいのかとも思うが、自分がいなくなったところで、あの少年が勝てるという保証はない。現状を見る限りでは少年の方が不利なのは間違いないのだ。

 ならば少年に加勢するか。

 だが、なのはは少年のように光弾を放つ方法など知らないし、あの怪物に杖で直接殴りかかっても効くとは到底思えない。

 それでもなのはは、どうにか手助けしたいと思った。目の前で人が傷ついているのを黙って見ていられるわけがなかった。

 

 しかし、いくら心で強く思っていても、どうしようもない。

 今もまた、影の怪物の突進を少年が危ういところで防ぎ、弾き返していた。衝撃で土が舞い上がり、なのはの視界をふさぐ。時折攻防の余波で小石が勢いよく飛んでくることもあったが、それらはすべて手に持つレイジングハートが自動で展開する防御魔法によって防がれていた。

 

(レイジングハートは私を守ってくれてる。もっと私がこの子を上手く使えたら……)

 

 無力感に苛まれ、なのはの胸がざわつく。

 胸の奥が熱く、痛みのようにも感じられて。

 

 ……いや、違う。この胸のざわめきは――――

 

(いつもの、あの感覚!)

 

 気付いたなのはは、その感覚へと意識を集中する。今この場で自分にできる最大限のことをしようという意思が半ば無意識に作用したものだった。

 そうして探り当てた『なにか』の居所は。

 

(えっ…………私の、中?)

 

 いつも外から感じていた『なにか』。

 それが自分の内にもあることに、この時はじめて気づく。

 それどころか、今まで感じたどれよりも膨大な大きさのようだった。黒い影のものより、少年のものよりも大きく。今の今まで気付かなかったことが不思議なくらいだ。

 

(そっか。これが、あの子の言っていた『魔力』なのかな?)

 

 そう考えれば、色々なことが腑に落ちた。そういえば最初に少年の使った膜のような防御魔法も『なにか』でできていたし、少年自身もそれを持っていた。あの影の化物だってそうだ。いつもなのはが感じていたものの正体は魔力で間違いないのだろう。

 そこでなのはは少年の言葉を思い出す。

 

『魔力だけあっても魔法は使えない。魔法に必要なのは、精神エネルギー。強い意志で願うこと』

 

「願う……」

 

 自分には魔力がある。それも普通の人より沢山。ということは、強く願えば、自分も攻撃に参加することができるかもしれない。

 だが、なのははあえてそうしない。

 どうしてこんな不思議な出来事に巻き込まれたのか? 自分が今ここに立っているのはどうしてか? どうやってこの場所まで辿り着いたのか?

 その答えを考えれば、この場で使う手段は攻撃魔法ではないとなのはの直感が告げていた。

 なのはは胸のざわめきに集中する。他人にない特別なものが自分にあるとするならば、この感覚。『なにか』を感じる……『魔力』を感知する、この力だけ。

 このざわめきこそが、その力の源。

 

 

 ――――今なら、()()()がわかる気がした。

 

 

 途端に、なのはの感じる世界が変わった。

 指先一本一本の先に至るまで神経が張り巡らされ、全身を巡る血液の脈動を感じる。産毛をかすかに撫でる風の動きさえも敏感に感じ取れるかのようだ。

 心は熱く燃えたぎるように、それでいて静謐とした水面のような気持ちで。

 それは、先ほど少年と声を合わせてレイジングハートを起動させた時と同様の現象だった。

 知らないはずの言葉、呪文さえも頭の中に流れ込んでくる。

 水面に湧き上がる気泡のようなそれには不思議と抵抗感がなく、ただただこの呪文を唱えれば()()()ようになるということだけを、なのはは本能のように理解していた。

 

(そうだ、まだあの男の子の名前、知らないな。名前、教えてもらわなきゃね)

 

 極限の集中状態の中でふと思ったのはそんなこと。

 

 そして彼女は言葉を紡ぐ。

 魔法少女になる最初の言葉を。

 

「――――リリカルマジカル! 導き出すは災厄の根源! 彼の者の全てを暴き出して!」

 

≪"Scanners Guide"≫

 

 なのはの詠唱に応じるように、レイジングハートが輝きを放つ。

 魔力が杖の先端に渦巻き、それはすぐになのは自身の体へと流れ込んでくる。すると、自分の内にだけ広がっていた世界が外へと広がるのを感じた。

 今まで胸の奥で感覚として捉えていた魔力が、視覚で確認できたのだ。

 あの少年の胸の奥にもはっきりと見えるし、少年が操っている光の膜や弾、彼の衣服さえも魔力でできているのを確認できた。よく目を凝らせば、微量ながら空気中にも魔力が漂っているのがわかる。

 そして、あの影の怪物は。

 

(おでこに……集まってる?)

 

 魔力の有無で言えば、怪物の体を構成する全てに魔力が満ちている。なのはや少年の場合は胸の奥にある『魔力溜まり』のようなところから魔法を使う際に必要な分だけ魔力を表に出しているのに対して、あの怪物はまるで『魔力そのもので出来ている生物』という印象を受ける。

 ただし魔力の分布、魔力の濃淡を見れば、あの怪物にも魔力が集中している部分があるのを見つけることが出来た。

 それが額……目しかないような半不定形の怪物に額と言ってしまっていいのかはわからないが、とにかく赤い目と目の間の少し上に多くの魔力が集まっていたのだ。しかもそれは、あたかも心臓のように脈動し、魔力を全身へ巡るように送っていることがわかった。

 

(あれが心臓みたいなものだとしたら、弱点ってこと?)

 

 と、そのとき、少年の放った光弾が怪物の額のすぐ傍に命中した。額がほんの僅かにえぐれ、脈動が止まることで怪物の体内を巡る魔力の流れに明らかな乱れが生じる。額はすぐに修復され、脈動もすぐに元に戻ってしまったが、魔力が乱れていた間、怪物の動きが確かに鈍ったのをなのはの目は見逃さなかった。

 

「間違いない……!」

 

 あそこを集中的に狙えば、少なくとも動きを止めることはできるだろう。

 ただ、確信を持ったなのはに対し、少年は怪物の動きが鈍ったことに気付かなかったようだ。今までと変わらない動きで攻防を続け、やみくもに光弾をぶつけている。

 

(なんとか知らせないと!)

 

 なのはは考える。そのまま声をかければ、彼の集中力を乱して攻撃を受けてしまうかもしれない。可能ならば、戦闘を中断して余裕のある状況で作戦会議といきたいところだが。

 となると、一番手っ取り早いのは怪物の動きを止めることだ。

 

(動きを止める……確か、あの子が出していた鎖が……)

 

 思い出す。怪物に食われそうになった瞬間、目の前で怪物が縛り上げられた様子を。見た目ではない、感覚を、魔力を思い出す。あのとき、鎖にはどういう風に魔力が込められていた? どうやって魔力を鎖にしていた?

 あのときはまだ魔力が視えていない状態だったために詳しくはわからないし、魔法の発動そのものも見ていない。感覚で覚えている部分を元に、わからない部分は想像力で補い、魔法の完成形を頭の中で強く明確に思い描く。

 

(たぶん……こう!)

 

 自身が魔法を唱えてから一段と敏感になった感覚を総動員しながら、なのはは言葉を紡いだ。

 

「リリカルマジカル! お願い、怪物の動きを止めて!」

 

≪"Chain Bind"≫

 

 なのはの意思にレイジングハートが答え、足元から伸びたのは桃色の鎖。

 

 成功――――などではない。

 

 大成功だった。

 

 込めた魔力が多すぎたのか、少年に比べて時間をかける余裕があったからか、あるいは別の要因か。なのはの生み出した鎖は少年のものよりもずっと本数が多く、また比べ物にならないほど強固だった。

 はたして、怪物はいとも容易く雁字搦めにされ、身動き一つ取れない状態となった。口を形作った怪物が雄叫びのような咆哮を上げるが、何重にも縛り上げた鎖はびくともしていない。

 

「え……えっ?」

「大丈夫!?」

 

 戦っていた相手が突然縛り上げられ、驚き戸惑う少年に、なのはは声をかけながら駆け寄った。見れば、大きな外傷こそないものの、身体のあちこちに擦り傷を作り、なんとも痛々しい姿だ。

 

「いっぱい怪我してる……。痛くない?」

「え、と。平気。それより、このバインドは君が?」

「うん。ちゃんとできるか心配だったけど……」

「文句のつけようのないぐらい完璧だよ」

 

 苦笑しながら少年は言って、また魔力を操作し始める。怪物を攻撃する構えだ。

 なのはは思わず訊ねた。

 

「どうするつもりなの?」

「あとは僕がやるから、君は下がってて。今なら安全な場所まで逃げ切れる」

「やみくもに攻撃したって無理だよ! 私も協力するから……」

「それはダメだよ。これは僕がやらないといけないんだ……!」

 

 肩で息をしている少年の声音はいかにも弱弱しい。しかしそんな状態でも、なのはの手助けをはっきりと拒否する意思を示していた。

 

「どうして……」

 

 そして、そんな少年の言葉を聞いたなのはは肩を戦慄かせる。気付けば頭に血が上っていて、掴みかからんばかりに彼に詰め寄っていた。

 

「どうしてそんなこと言うの!? 私は戦い方なんてわからないけど、こうして手助けくらいならできるよ!」

「でも、こうなったのは僕の責任で……」

 

 突然の激昂に少年は驚いた顔をしたが、弱弱しくも反論する。ただし、それはなのはを勢い付かせる行為に他ならなかった。

 

「責任とかそんなの関係ない! 君は私を助けてくれたでしょ? だったら次は私が君を助ける番! 何もできずに見てるだけなんて嫌だから」

「君は……」

 

 戸惑った様子で見つめてくる少年を、なのはは力強く見つめ返した。一歩も譲らないという意思を込めて。

 そうすると少年も観念したのか、少し力無い笑みを浮かべて首を縦に振った。

 

「……わかった。君の力を貸してもらいます。このお礼はあとで必ずしますから」

「お礼とかそんなのもいいから、ね?」

 

 睨みつけるような顔から一変、にこりと微笑むと、少年に目を逸らされた。頬が少し赤い。どうやら照れているらしい。もっとも、それを見たなのははどうしたんだろうと首をかしげるのみで、少年の内心には気付いていなかったが。

 と、そんな和やかなやり取りをしていると、鎖に縛られたままの怪物が大きく身体を震わせた。魔力が今までにない激しさで身体中を循環し始めると、なんと身体全体が膨張していくではないか。そうなると当然、鎖が体に食い込み締め付けるが、そんなことお構いなしとばかりに膨張させ続けている。

 

「無理矢理振りほどく気だ……!」

 

 少年が眉を顰めて慄く。

 身体の膨張に耐えきれず、何重にもあった鎖が一本、また一本とはじけ飛んでいた。

 代償として身体がボロボロになっているが、この怪物、どうせ身体が少々傷ついて減ってしまっても、すぐに元通りになってしまうのだ。それを考慮すればこの行動も理にかなっているのだろう。あるいは何も考えず本能のままに邪魔な鎖を引き千切りたかっただけかもしれないが。

 そんな光景を見て、二人は同時に身構える。

 もう間もなく影の怪物は自由になるだろう。作戦会議は今のうちにしておかなければならない。なのはは少年の横に肩を並べて言う。

 

「あの怪物の攻撃は全部私とレイジングハートが止めてみせる。君は攻撃に専念して!」

「うん、わかった。でも、僕の攻撃じゃあ大した効果はないんだ。ある程度弱らせれば一気に封印できると思うんだけど……」

 

 そこに行くまでどれだけ時間がかかるか。と、少年は懸念を示すが、なのはにはその道筋が既に見えていた。

 

「もしかしたら……ううん、きっと、額が弱点だよ!」

「額?」

「えっと、その辺りに心臓みたいなのがあって……さっき君の攻撃が額のあたりに当たった時も、一瞬動きが止まったの」

「なるほど。核のようなものがあるのかな……ジュエルシード本体がそれだと考えれば、あり得ないことじゃない。わかった、他に手立てもないことだし、やってみよう」

「うん! 防御は任せて!」

「お願いするよ」

 

 頷きを返した少年は右腕を掲げ、人差し指を真っすぐに怪物へと向けた。怪物はまだ鎖と格闘している。間に合うだろうか。

 

「光の弾丸よ、敵を穿て……」

 

(魔力が集まってる……)

 

 なのはは眩しいものを見るように目をすぼめる。なのはの目には、詠唱と共に突き出した指先に魔力が急速に集っていくのが見えていた。

 それもただ魔力を持ってきているわけではなく、狭い空間に押し込めるようにして魔力の密度を――あるいは純度というべきか――高め、凝縮しているのがわかる。

 だが、狭い空間にものを押し込めるということはつまり、外に出ようと反発する力が生まれるということでもある。事実、完全には制御できていないのか、集まりきらずに無駄に拡散している魔力も少なくない量あった。

 それでも少年は魔力を込めるのをやめなかった。おそらくは乾坤一擲。これから発射される魔法は今まで放っていたものと同種でありながら、込められた魔力が段違いとなることは明らかだった。

 そうして魔力が凝縮され続け、ついに制御できずに暴発してしてまうのではないか……と思えた瞬間、少年は叫んだ。

 

「シュート!!」

 

 薄暗い森に一条の光が伸びる。

 指先から高速で発射された光の弾丸は、最後の一本の鎖を引き千切ろうとしていた怪物に真っすぐに飛んで行った。なのはの提案通り、額へ向かって。

 鎖に縛られたままの影の怪物にそれを避ける術はなく――――命中。

 文字通り額を打ち抜いた弾丸に対し、怪物は鎖を引き千切ることも忘れたように立ち尽くしていた。それ以上の反応は、なにもない。

 

「……効かなかった?」

「そんな……」

 

 相手と同じく二人は呆然として呟いた。

 弱点を見抜いたという見立ては間違っていたのか。不安に駆られたなのはが膝をつきそうになった瞬間、

 

 

 怪物の身体がはじけ飛んだ。

 

 

 爆散、とでも表現すべきか。まるで水風船を破裂させたように、影の身体はそれぞれ小さな欠片となって周囲に勢いよく飛び散ったのだ。

 額に穴を開けた本体の大きさは、それまでの半分以下にまで減っていた。明らかに弱った様子で、小さくなった身体を打ち震わせている。まさしく割れた水風船と同じく、今までのように一度飛び散った(からだ)を集め直すこともままならないありさまだ。

 きっと怪物に口を形作る余裕があれば、苦悶の叫びを辺りに響かせていたことだろう。

 なのはの推測に間違いはなく、少年の弾丸は怪物の急所を的確に打ち抜いたのだ。

 その際の衝撃で縛っていた鎖も解けていたが、もはや関係あるまい。

 

「すごい、すごいよ! 本当に弱点がわかったなんて!」

「にゃはは、良かった、役に立てて……。でも、安心するのは早いみたい。まだ向こうはやる気なの!」

 

 なのはは浮かべた照れ笑いをすぐに引っ込め、こちらを憎々しげに睨む赤い目に対して杖を向けた。

 

「大丈夫、これだけ弱らせていれば……!」

 

 そう言って少年は胸の奥から魔力を取り出し始める。

 なのははその様子を敏感になっているままの感覚で感じ取りつつ、無防備な少年を守るために一歩前へ歩み出た。

 すると案の定、怪物が襲いかかってくる。何度も少年に対して繰り返してきた突進攻撃。きっとこれが最後の足掻きだ。

 

「させないっ、レイジングハート!」

 

≪All right. "Protection"≫

 

「できれば受け止めて!」

「っ、わかった!」

 

 弾き返すつもりでいたなのはは、ユーノの指示を受けて咄嗟に柔らかいクッションのようなイメージを形作って防御魔法に込めた。

 レイジングハートの補佐を受けて生み出した薄桃色の膜に怪物が衝突する。ゆらり、と衝突の瞬間に波紋が広がった。しかしその衝撃がなのはたちに来ることはなく、また、弾き返すこともなく、なのはの想像通りに怪物を受け止めることに成功した。

 

「【チェーンバインド】!」

 

 続けざまに拘束魔法を再度発動し、鎖で縛り上げる。発動速度を重視したためにほとんど拘束力は持たないが、足止めには十分だ。

 

「――――(たえ)なる響き、光となれ! 赦されざるものを封印の輪に!」

 

 同時に詠われる少年の言葉。

 彼が突き出した手のひらの先に生み出されたのは、真円を基準として内部に複雑な紋様が描かれた幾何学図形だ。なのはのイメージそのままの『魔法陣』と呼ぶにふさわしいものだった。

 少年が手のひらを突き出すように動かすと、魔法陣が空中を滑るように前方へ移動した。その先にはあるのはもちろん、影の怪物だ。

 怪物は抵抗もできず、そのまま弱点である額を中心にして魔法陣と接触した。

 途端、魔法陣が輝きを増し、火花が散るような激しい衝突音が辺りに響く。怪物は苦しみの声を上げることもなく身をよじらせているが、もはやその抵抗もすぐにできなくなるだろうとなのはは悟っていた。

 なにせ、怪物の全身を巡っていた魔力が、身体の末端から順番に消失していく様子がなのはの目には映っていたのだから。

 

(あの魔法陣が魔力を吸い取ってる……? ううん、押し込めてるって感じかな)

 

 消失と言うよりは収縮か。よくよく見れば、全身の魔力が怪物の額の部分へと押しやられるように流れている。身体を形作っていた魔力が途切れれば当然、身体も消滅していくわけだ。

 そうして額に集まっているはずの魔力だが、なのはの目にはどうにも見えにくい。それというのも、周囲が少年の魔力で覆われていたためだ。魔力という箱に閉じ込めるようにして、徐々に蓋が閉まってきているような感覚を受ける。

 

「ジュエルシード……封印!」

 

 その宣言と同時、怪物の魔力が感知できなくなった。箱が完全に閉じられたのだ。

 影の怪物は文字通り影も形も見当たらず、後に残ったのは、なのはが最初に見つけた蒼い宝石のみ。音もなく地面に転がったそれには、最初になのはが魅かれた怪しげな魅力も消え失せ、もはやただのちっぽけな小石にしか感じられなかった。

 少年はそれを慎重に拾い上げ、ほっと息を吐く。

 

「シリアルⅩⅩⅠ……封印完了、と」

 

 魔力の光もなくなり、森に静寂が戻る。

 木々の合間から淡い月明かりが差し込み、穏やかな風が緊張にこわばっていたなのはの身体をほぐしてくれた。

 

「終わった、の……。ふ……ぇぇ」

 

 実感を込めて呟いた途端、力が抜けたなのははその場に座り込んだ。頭がやたらと重いし、目もショボショボする。重力に身を任せてそのまま後ろに倒れこみそうになったところで、なのはは何かに支えられた。

 

「だ、大丈夫!?」

 

 支えてくれたのはもちろん、淡い金髪の男の子だ。碧色の瞳に心配を乗せて、肩越しになのはの顔を覗き込んできた。

 こうして間近で見るとまつ毛が長いことが分かり、ますます女の子みたいに思える。体格もなのはとそう変わらない。

 それでもこの子は、影の化け物に対して一歩も引かず立ち向かってみせたのだ。なのはも手助けしたとはいえ、最後には倒してみせたのだから、すごいことだとなのはは感心してしまう。

 ただ、怪物に立ち向かっていたときに見えたその背中は、どこか危うげなものも感じられた。自分で抱えられないものを無理にでも背負いこもうとしているようで、見ていて心配になる。

 責任がどうだとも言っていたし、魔法のことも含めて彼には訊きたいことが山積みだ。

 

 しかし、まあ、とりあえず訊くことは――――

 

 なのはは胸の奥から熱い吐息を一つ吐きだして、二呼吸目に声を上げる。

 

「名前……」

「え?」

 

 きょとんとした彼の顔がなんだか可愛くて。

 なのはは、ふわりと、羽のように笑って言った。

 

「きみの名前、教えてほしいな」




リリカルな封印魔法なんてなかった。


 ユーノ君の使っていた攻撃魔法は【シュートバレット】。初歩の直射型射撃魔法で、主にStSでティアナが使用していたものです(詠唱はオリジナルですが)
 ちなみに1st(映画)でも登場して、なのはの最初の攻撃魔法になってました。直後に三分裂(?)する封印砲撃ぶっ放したので印象薄いけども。
 まあ、攻撃魔法とはいえ、初歩だということで、流石に補助型のユーノ君でも使えるんじゃないかなあ、と……。


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第3話「街は危険が……?」(前編)

「――――つまり、ユーノ君はこことは別の世界から、ジュエルシードという落とし物を探しにやってきた。と、そういうことだね?」

「は、はい。簡単にまとめるとそうなります」

 

 とある民家にて。目の前の男性に訊かれ、ユーノは少しこわばった顔で頷いた。

 男性の名前は高町士郎という。ユーノの返答に考え込むように目を瞑り、それから湯呑に入ったお茶を美味しそうに飲んでいる。

 

 ユーノはどうにも落ち着かなくて、周囲をそれとなく見渡した。

 部屋は広く、中央にテーブルと椅子、部屋の隅にはソファとテレビなどが置かれており、ユーノの常識が間違っていなければ居間だとかリビングルームだとか呼ばれる部屋だろう。キッチンも併設されていて、簡単な仕切りで分けられていた。年期はそれなりといったところだが、住人たちの性格を表すように清潔さが保たれて、大事に扱われているのがわかる。

 今、この部屋にはユーノを含めて六人の人間がいた。

 

 まず、ユーノとテーブルを挟んだ対面に士郎。彼は背が高く体つきも比較的がっしりしているが、第一印象で怖いと思う者は少ないだろう。というのも、雰囲気が常に穏やかで、ユーノが最初に話しかけられたときもわざわざ屈んで目線を合わせてくるなど、子供の扱いにもよく慣れていることが窺えた。

 

 士郎の隣に座っているのは、彼によく似た顔立ちの青年だ。士郎の息子で恭也という。

 彼は士郎よりも若干目つきが鋭く、身にまとう雰囲気も剣呑とまでいかないが、少し警戒がにじみ出ているように感じた。ただ、これが普段通りというわけでもないだろう。現状を鑑みればこの反応こそが当然ともいえるものだとユーノは納得している。

 そんな彼とふと目が合う。別に睨まれたわけでもないが、ユーノはそこから慌てて目をそらした。

 

「ほら、恭ちゃん。そんな怖い顔してるから、ユーノくん怖がってるじゃない」

 

 一部始終を見ていたらしい眼鏡の少女が恭也に文句を言う。高町美由希、恭也の妹だ。

 彼女はユーノの左隣に座っていて、さっきから何かとユーノに気遣いを向けていた。物腰は柔らかく、あまり活発なイメージは持てないが、これでも武道を嗜んでいるとは本人の弁である。

 

「この顔はもともとだ。……いや、すまなかったな、ユーノ君」

「いえ、僕は別に気にしてませんから。迷惑をかけているのはこちらですし……」

 

 と、美由希に反論した後、バツが悪そうに謝ってくる恭也に恐縮して、ユーノは謝罪の意を口にした。

 

「そんなに硬くならないで。はい、ホットココアよ」

 

 たしなめるような言葉が降ってきたと思えば、コトリ、とユーノの前にカップが置かれる。そこからは湯気が立ち上り、甘い香りが鼻腔を刺激してきた。

 

「ありがとうございます……えっと、桃子さん」

 

 ココアを持ってきたのは、先ほどまでキッチンに立ってこちらの様子を見ていた女性だ。士郎の妻にして三児の母、桃子である。

 恐縮しきりのユーノに対し、彼女はふわりとした笑みを浮かべて言った。

 

「自分の家だと思って、というのは難しいかもしれないけれど……そうね。友達のお家に遊びに来た、くらいの感覚でいいんじゃないかしら」

「は、はあ……」

 

 そう言われても困ってしまう。ここにいるのは遊ぶためではないし、この家の住人の誰かと友達になった覚えもない。

 そう意識すると余計に落ち着かない気持ちになったユーノは、カップを傾けることで居た堪れなさを誤魔化すことにした。

 

「あ、おいしい」

 

 と、一口飲んだ瞬間に思わず素直な感想が漏れる。少し甘過ぎるくらいの温かい飲み物が、心身ともに疲れた体に染みわたるようだった。

 

「そうでしょ? お母さんのココアは絶品なの!」

 

 自分が褒められたように嬉しそうな声。そちらを向けば、ユーノの右隣に座っている女の子が、同じく桃子から受け取ったココアを両手で包み込むようにして抱えながら笑っていた。それは『にっこり』という表現の似合う子供らしいものだったが、桃子の柔らかな笑顔とどこか重なるものがあった。

 それも当然かもしれない。彼女は桃子の実の娘なのだから。

 

 高町なのは。

 高町家の末っ子にして、ここ、高町家へと招かれることとなった原因でもあり。

 そして、ユーノの事情に巻き込んでしまった最初の現地住民でもある。

 

 

 

 ジュエルシード暴走体を封印した後。

 ユーノはまず、結局戦闘に参加させてしまった現地住民と自己紹介を交わし合った。

 高町なのはというその少女は、ただただ謝罪を繰り返すユーノをなだめすかし、そしてこの状況はどういうことなのか、影の化け物はどうなったのか、魔法とは一体何なのか、説明を求めた。

 それに対してユーノは黙秘するようなことはせず、一つ一つ説明を……しようとしたところで、なのはを呼ぶ声が聞こえた。

 高町恭也、なのはの兄が彼女を探しに来たのだ。

 

 二人に駆け寄ってきた彼はまずなのはを叱り付けた。当然だ。こんな夜中に子どもが一人で家を飛び出し、しかもなぜか木々がなぎ倒され荒れ果てた森の中にいたのだから。彼が言うには、なのはがいなくなったことに気付いた家族は揃って心配し、電話をかけても携帯が部屋に置きっぱなしにされていたため、恭也と父が街中を探し回ったらしい。

 それから無事でよかったと安堵する恭也になのはが泣きそうな顔で謝り、ともかく家に帰ろうという段になって――恭也の目がユーノのほうを向く。

 鋭い目に射抜かれ、君もついてきてくれるかな、という言葉に頷くしかないユーノだった。

 

 高町家に招待(半ば強制だが)されてからは、まずユーノの親御さんに連絡を取ろうと言われ、それが不可能だと告げたところから説明が始まった。

 自分はこの世界の住人ではなく、別の世界からやってきたこと。

 その世界では魔法が存在し、危険な魔法の道具をこの世界に落としてしまったこと。

 それを回収するためにユーノがやってきて、それになのはを巻き込んでしまったこと。

 事ここに至ってはもはや魔法の秘匿などできるはずもなく、素直に事情を話し、なのはを巻き込んだことを真摯に謝罪するユーノに、しかし高町家の面々の反応は鈍いものだった。

 あたたかいミルクココアを飲み終え、人心地ついたユーノはようやくその微妙な空気に気付く。

 

「あの……僕の言うことが信じられませんか?」

 

 魔法については既に実演して見せていた。何もない空間から魔力弾を生み出して軽く操作してみせたし、なのはの指に傷を見つけ(どうやらユーノと会う前に木の枝で引っ掛けたらしい)、それを癒してみせた。

 それでなお信じられないというならユーノにはどうしようもなかったが、どうもそういうわけではないらしい。彼らの総意を代弁したのは、なのはの父、士郎である。戸惑うユーノの目を見つめ、納得いかない表情でこう言った。

 

「いいや、信じる。信じるからこそ、言わせてもらうが……ジュエルシード、だったか。そんな危険なものを回収しに来たのは、君一人だけなのかい?」

「はい。そもそも発掘の指揮を取っていたのは僕ですし、その責任は僕にあります」

「君が発掘隊の隊長?」

 

 素直に答えれば、士郎の顔が驚きに変わる。

 

「一応は。といっても、学生の集まりの中のリーダーですが……」

 

 元々、ユーノは考古学を専攻とする一学生で、今回の発掘隊はその同門の学生たちで構成されていた。リーダーを務めるからには優秀であるのは間違いないが、所詮は学生だと言われてしまえばそれまでではある。

 いや、実際、『所詮』なのかもしれない。ユーノは思う。

 ジュエルシードをこの世界に落としてしまったのは、輸送中のことだ。輸送船の突然の事故で、為すすべなく管理外世界――つまり、この世界へとばら撒かれてしまった。

 慌てて一人追いかけて来たはいいものの、その後の顛末はこの場にいる面々にも既に話した通りである。ジュエルシードの暴走に遭い、危ういところを現地住民に手助けを受けることでどうにか封印、という情けないものだ。

 

 あの時ジュエルシードを運んでいたのが自分ではなく、本業の大人たちであれば、結果は変わっていたのかもしれない。落とした後であっても、現地住民に助けを借りずに封印できたかもしれない。

 そんなものは仮定の話でしかない。しかし、そう思えばこそ、ユーノはさらに強く責任を感じてしまうのだった。

 

「ああ、いや。馬鹿にしたわけではないよ」

 

 自傷にも似た妄想にとらわれて少し暗い顔をしてしまったユーノに、士郎は自分の言葉で気を悪くさせたと思ったのか、弁解するように慌てて言ってくる。

 

「魔法の世界の常識は知らないが、僕たちから見れば君は子どもだ。そんな子どもが一人で危険なことをするというのが、どうにも納得できなくてね」

「なのはを探してたときに戦闘の跡らしきものを見たが、ひどいものだったよ。木は何本もなぎ倒されてたし、地面は抉れてた。ジュエルシードの回収ってやつは、そんな危険な目に遭うことに間違いないんだろう?」

 

 恭也の補足するような質問に、ユーノは首を縦に振るしかなかった。

 

「暴走する前に見つけられればその限りではないですけど……」

 

 弱弱しく反論にもならない補足をつけても、もちろん聞いているほうも晴れやかな顔になることはない。なにせ、つい先ほどまでその暴走が起こっていたというのだから。

 それ以前の問題として、ユーノはここでは言わなかったが、そもそも暴走する前のジュエルシードを見つけるのは困難だったりする。ジュエルシードの発する魔力を頼りに探すことになるわけだが、ああいった魔法の道具は魔力を内部に貯蔵しているものだ。つまり通常の状態では大した魔力を発することはなく、ある程度近くにないと探知できないのである。

 ユーノは気を取り直すように、ふう、とひとつ息をつき、

 

「……いずれにせよ、僕がやるしかありません。管理局、つまり魔法世界における治安維持組織ですが、一応はそこに向けて救難信号は発信しています。ただ、次元世界はあまりにも広く、管理局といえど全ての次元世界を常に把握はできませんから、その信号がいつ拾われるかは何とも言えないんです」

 

 ユーノとて、なにが何でも自分ひとりで解決しようとは思っていない。最重要事項はこの世界の安全なのだから、管理局が出てきて協力してくれるならばそれに越したことはない。

 しかし、現実としてそれは難しいのだ。定期巡航している次元航行艦が運よく近くに来て、ユーノの救難信号かジュエルシード暴走の魔力などを観測する、という状況が必要となる。

 

「ジュエルシードはいつ暴走するかわかりません。世界が危機に陥るような暴走は早々ないにしても、いつ来るかもわからない管理局を待っている余裕まではないんです」

 

 暴走の危険性は既に説明している。下手に放置すれば、最悪の場合には世界すらも滅ぼしかねないということまで言っていた。

 子供が危険なことに関わるのはダメだ、といくら諭されたところで、現実として危険に対処できるのはユーノだけなのだ。

 

 そういう意味では、極端な話、高町家の面々を納得させる必要などない。そもそも迷惑をかけた以上、説明責任を果たそうとしただけで、別段彼らに何かを求めるわけでもない。

 そう、説明はもう十分だ。ならば、もうここらが潮時だろう。

 

「じゃあ――――」

 

 僕はもう行きます。

 そう言おうとしたユーノ。

 ユーノは忘れていた。いや、あえて考えの外に置こうとしていたのかもしれない。ジュエルシードに対処できる魔法使いは、自分だけではないことを。

 

「じゃあ私も手伝うね、ジュエルシードの回収!」

 

 と、ここまでおとなしく話を聞いていたなのはが突然、ユーノの言葉にかぶせるようにしてそんなことを言い出した。

 

「なのは!? なにを言い出すの!」

 

 驚いたのは姉の美由希だ。

 当然の反応だろう。ここまでユーノの説明を聞いていれば、ジュエルシードに関わることの危険性は理解できるはずだからだ。家族が危険に飛び込もうとするのは看過できないだろう。

 ただ、驚きを顕にしたのは美由希だけだ。他の家族はといえば、士郎は難しい顔で腕を組んでいて、桃子は困ったように微笑み、恭也は目を瞑って考え事をしているようだった。

 なのはの家族の鈍い反応に疑問を覚えつつも、ユーノは首を横に振ってなのはの言葉を否定する。

 

「ダメだよ。これ以上巻き込むわけにはいかない」

「でも、ユーノ君一人じゃ危ないよ。だって、最初に見たときよりも魔力がすごく減ってるよ?」

「それは……」

 

 思わず口ごもる。それは、なのはの言葉に、ある種の危機感を自覚させられたからだ。

 魔力は放っておいても徐々に回復していくものだ。特に体を休めていればより早く回復をする。

 今はまだ戦闘を終えてからさほど時間は経っていないため、魔力が減っているのは当然だ。

 

 しかし、である。

 それにしても、回復が遅い気がしていた。

 もしかすると、この魔法のない文明世界では魔力の回復が遅くなるのかもしれない。あるいはこの世界の環境にユーノ自身の体が慣れていないせいか。

 まだ体感でしかないために何ともいえないところだ。しかし、もしもそうであるならば、完全に回復するにはそれなりの時間をおく必要があるだろう。

 ジュエルシードは危険だ。急いで集めなければならない。しかし、一度暴走が起こってしまえば、魔力の消耗した体では対抗できない。回復したいが、時間はかけられない。これでは八方塞だ。

 戦力がユーノだけであれば、だが。

 

「戦いのことなんてわからないけど……でも、今日みたいな感じで手伝うことはできると思うの」

「…………」

 

 まっすぐに見つめてくるなのはに、ユーノも真剣に考えてみる。

 役に立つかどうかで言えば、間違いなく役に立つ。魔法の素人であっても、インテリジェントデバイス(レイジングハート)がいれば、最大限に補助をしてくれる。莫大な魔力があればなおのこと。

 そう考えてみれば、ユーノ一人で捜索するというのは意地でしかない。

 気持ちの揺らぐユーノの耳に、落ち着いた声が降ってきた。

 

「放っておいても危険。探しても危険、か」

 

 声のほうに目を向けてみれば、士郎の真剣な顔が目に入った。

 

「なら、自分たちの世界が危機にさらされている以上、世界を守るために行動するのは当然と言えるんじゃないかな」

「そう、かもしれませんけど……だからといって」

 

 と、思わず反論するユーノを士郎は手で制して、

 

「……というのはまあ、建前みたいなものでね」

「え?」

「世界だとか、スケールの大きい話もいいけれど、それ以前に」

 

 士郎が周りを見回す。そこには彼の大事な家族が揃っていた。意思を確認するように一人ひとりの目を見ていく。

 そして確信を得たかのように士郎は頷き、

 

「――――悪いんだけど、目の前に困っている人がいて、見て見ぬふりをできる人間はいないんだよ、ここには」

 

 つられるようにユーノも改めて周りを見渡すと、全員が優しい顔で頷いていた。

 なのはの言葉に否定的だったはずの美由希すらも肩をすくめて苦笑いだ。

 

「なのはが危険なことをするのは反対だけどね。よく考えてみれば、別に戦うとは限らないんでしょ?」

「それに、石っころを探すだけなら、魔法なんてなくても探せる。手はいくらあってもいいはずだ」

 

 美由希の言葉を継いだのは恭也だ。自分の言葉に自身が納得したようにしきりに頷いている。

 

「え……ちょ、ちょっと待ってください。なんだか、なのはだけじゃなくて、皆さんもジュエルシード探索に参加すると言っているように聞こえるんですが……」

「そう言っているつもりだが」

 

 恭也が端的に答えれば、やはり全員が頷く。

 ふと、頭に暖かな感触を覚えた。はっとして振り向くと、笑みをたたえた桃子が頭を撫でてきていた。

 

「一人で、無理をする必要はないのよ」

「みんなで一緒にがんばるの!」

「そういうことだ」

「皆さん……」

 

 ああ、この人たちは、なんて――――

 ユーノは深く息を吐く。諦めと呆れのため息であったが、きっと、安堵の吐息も含まれていた。

 自分のことを誰も知らない世界。手助けも救援も望めない。だから、一人でどうにかなる、ではなく、一人で頑張らなければどうしようもないと思い込んでいたのだ。

 でも、そうではなかったようだ。

 ふと、テーブルに置かれたココアに口をつける。中身がまだ少しだけ残っていた。すっかり冷めていたが、それはユーノの心を溶かしきるには十分だった。

 少し気を張り詰めすぎていたのかもしれない。ようやく、ユーノはそのことを自覚できた。飲み干したカップを置いてから椅子に深く背中を預けると、一気に疲れと眠気が襲ってくる。

 それを察して、士郎が桃子へと声をかけた。

 

「今日はこのぐらいにしておこうか」

「ええ。お布団の用意をしてくるわね」

 

 桃子がパタパタと駆けていく様子を見送ってから、士郎はユーノへ目を向けていった。

 

「詳しいことは翌朝に決めよう。今日はもう疲れただろう。ユーノ君、自分の家だと思って……というのは難しいかもしれないから、友達の家に遊びに来た、くらいの感覚でゆっくり休むといい」

「父さん、それ、さっき母さんが言った言葉を取っただけじゃない」

「そうだったか? ははは」

 

 ああ、温かいな。ユーノは思う。

 今日はゆっくりと眠れそうだった。それこそ、自分の家にいるかのように。

 

 

 ――――この数分後。なのはと一緒の部屋で寝ると知って、やっぱり自分の家ではないなあと思いなおしてしまうユーノである。




 次回。探索系なのは、本領発揮。


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第3話「街は危険が……?」(後編)

 翌朝、海鳴市の中心にある丘の上。

 快晴の下とはいえ、早朝特有の清涼な空気は少し肌寒くもある。しかし少しずつオレンジ色に染められていく美しい町並みを見れば、寒さも吹き飛ぶというものだった。

 そんな場所で、ユーノはあくびをかみ殺しながら、少し腫れぼったい目をこすっていた。昨夜は緊張で眠れなかった、というわけではなく、なのはに魔法について話をせがまれたために、二人の眠気が限界に来るまで話し込んでいたのである。

 

「眠そうだな。大丈夫か?」

「あ、はい。このくらいなら平気です」

 

 尋ねてくる恭也に、言葉通りにしっかりとした答えを返す。調べ物などで徹夜することも珍しくなかったので、慣れているといえば慣れているユーノである。

 それに、とユーノは言葉を続ける。

 

「今日メインでがんばってもらうのは、なのはですから」

「……あっちはあっちで、元気すぎる気もするけどね」

 

 苦笑する恭也の目線を追うと、少し離れたところで、丁度なのはがレイジングハートを起動しているところだった。バリアジャケットを身にまといつつ、なにやらポーズを決めていた。

 なのははこの丘へ来るときも、一人坂道を飛び跳ねるようにして登っていた。一言で言えば、テンションが高い。丘を超えて青空に届きそうなくらいに高かった。

 

 こうして見晴らしの良い丘の上に来たのは、もちろん、楽しいピクニックというわけではない。ここからジュエルシードを探すためである。

 今朝になっての話し合いで決まったことだけを並べるなら、以下のとおりだ。

 

 高町家全員で協力してジュエルシード捜索、発見、確保を目指す。

 なのはをメインとして魔法での捜索に当たる。やはり魔力が回復し切らなかったユーノはその補助に徹する。恭也は念のための護衛として、なのはとユーノに付く。本日は平日であるため、なのはと恭也は学校を欠席。

 士郎は警察へ青い宝石(ジュエルシード)らしき落し物の届出がないか確認、また近所の知人らへ情報提供の呼びかけを行う。同様に桃子は家業である喫茶店を通常営業しつつの情報収集。美由希は普通に高校へ行き、やはり情報収集。それぞれ情報収集の際、可能な限り危険性も周知する。

 魔法の存在については秘匿したまま。

 捜索の進行度やなのはの魔法の具合、ユーノの魔力回復度合いなどによって、今後どうするかはまた話し合う。

 

 と、これだけのことが、朝食を囲みながらほんの数分で決定したのである。

 あまりにもあっさり、というか、まるで最初から決まっていたかのようにスムーズに通ってしまった。おそらく自分となのはが布団に入った後にも大人たちで話し合いをしていたのではないか、というのがユーノの見立てだ。

 だが、そうだとしてもユーノに不満を感じる心はなかった。それぞれの行動に納得できるというというのも理由のひとつだったし、高町家に負担をかけるのを昨晩のうちに納得していたというのもそうだ。なにより、彼らの好意を無碍にすることこそが彼らを悲しませるのだと気づいたからだ。

 寝不足ではあるが、安心できる空間で休めたことが、ユーノの心身をリフレッシュさせていた。

 

 ともかくとして、あまり人が来ず、町の中心地ということで、こうして朝早くに丘に登ったわけである。

 と、なのはがひとしきり満足したのか、白い衣装――バリアジャケットをひらひらとなびかせて駆け寄って来る。

 

「それで、ユーノ君。どうしたらいいかな?」

 

 やはり爛々と目を輝かせて、早く魔法を使いたくて仕方がないといった風情だ。

 別に戦闘をするわけではないので、バリアジャケットを展開する必要はないのだが。まあ、水を差すのも悪いかと、なのはの表情を見てユーノは何も言わないことにした。

 

「そうだね。まずは僕が手本を見せるから、真似してやってみて。今から使うのは、探知系の魔法だ」

 

 探知系。その名の通り、何かを探すときに使われる魔法である。

 発掘作業に携わっているユーノは、この系統の魔法にもそこそこ造詣が深い。たとえば、地面の中に埋まっているものを掘り起こすことなく感知できるし、遺跡の探索でも危険な場所を事前に知ることができる。

 魔力の回復が遅いために本調子でないユーノだが、初心者に教える程度であればなんら不都合はなかった。

 呼吸を少し落ち着けて、ユーノは軽く手を伸ばして宙に手の平を向けた。すると、手の平を中心として魔法陣が浮かび、魔法発動の準備が完了する。

 

「【エリアサーチ】」

 

 その言葉とともに、魔法陣から数個の光の球が飛び出した。若草色に淡く輝くそれに攻撃性はなく、ふよふよと空中を漂っていた。

 恭也はしげしげとそれを見つめ、興味深げに尋ねてくる。

 

「それは?」

「サーチャーって言って、もうひとつの『目』ってところでしょうか」

 

 今、ユーノの視界は普段のものとは別に、光の球――サーチャーの数の分だけ視野が増えていた。

 ユーノの言ったとおり、【エリアサーチ】とはサーチャーという『目』を増やす魔法だ。視野が広がる、といえば聞こえはいいが、広がった分だけ余計に情報の処理が必要となってしまうのがこの魔法の難しいところだ。

 その感覚は実際に体験しなければ理解しがたいものだが、強いてたとえるなら、視界内にテレビを複数台置いて見て、全ての内容を把握できるか、という話に近い。

 もちろん、魔法による補助はある。完全にサーチャーの視界を共有するわけではなく、ある程度フィルターが掛かった状態で見ることになる。それを加味すれば、ビルの守衛室で、複数の監視カメラをモニターする警備員のようなイメージに近いか。全体を順番に眺めつつ、何らかの異常に気づきさえすればいいのだ。

 

「と、まあこんな感じかな。こういう系統の魔法は実際にやってみて、感覚で慣れていくほうが早いよ」

 

 軽くなのはに説明を終え、ユーノはそう締めくくった。

 魔法を習得し、習熟する方法はいくつかあるが、昨日のなのはの魔法の使い方を見る限り、現段階では『やって慣れる』のがもっとも適しているという判断だ。まだ慣れない内に、理論がどうだとか魔法プログラムがどうだとか言ってもあまり理解できないだろう。

 

(それに、インテリジェントデバイスもついてるし)

 

 ちらりとユーノはなのはの持つ杖を見やる。そこには昨日と同様に、赤い宝石――レイジングハートが陽光を浴びて煌いていた。

 もともとユーノが持っていたレイジングハートだが、『彼女』と契約を交わしたのはなのはである。すでに所有権はなのはにあり、ユーノもそれに異論はなかった。

 

「それじゃあ、早速やってみるね」

 

 ユーノと心配そうな恭也が見守る中、なのはが杖を構える。

 その姿は、先ほどまで元気にはしゃいでいたのが嘘のように落ち着きを取り戻していた。

 丘の上に風が過ぎる。なびいた前髪がくすぐったくてユーノは目を細めるが、集中状態のなのはは眉をピクリとも動かす様子はない。外からではあまりわからないが、魔力を練り上げているのだろう。

 そうしてからしばらく経ち。なのはは杖を掲げて宣言した。

 

「……リリカル・マジカル! お願い、レイジングハート!」

≪All right. ――"Wide Area Search"≫

 

 なのはの願いにレイジングハートが答え、足元に魔方陣が浮かび上がる。

 そして。

 なのはを中心にして、()()()の桃色の光球が飛び立った。

 

「す、すごいサーチャーの数……!」

 

 それを目撃したユーノは目を丸くしてしまう。

 そもそも教えたのは【エリアサーチ】という魔法のはずだが、なのははその上位である広域探知魔法【ワイドエリアサーチ】をいきなり使用した。おそらく、インテリジェントデバイスであるレイジングハートの補助によるものだろう。

 デバイスとは、簡単に言えば魔法発動の補助を担う道具だ。中でも、高性能な人工知能が搭載されたものはインテリジェントデバイスと呼ばれ、所有者の意思と思考を読み取り、状況に応じて発動する魔法を自立的に最適化する働きがある。

 発動する魔法に対するなのはの意思、目的、想像力、魔力、適正、それらを勘案すれば【エリアサーチ】よりも【ワイドエリアサーチ】が適している……と、レイジングハートは判断したのだ。

 

 つまり、ユーノが考えていた以上に、なのはの探知魔法への適正はずば抜けて優れているということだ。

 

「なのは、そんなにサーチャー飛ばして大丈夫? もしもちゃんと掌握できてないなら数を減らした方がいいけど」

「ううん、大丈夫だと思う。レイジングハートも助けてくれてるから」

「そ、そう……」

 

 自信満々ななのはを見て、ユーノはかえって戸惑った。

 こういった複数のサーチャーを飛ばす探知魔法の場合、重要となるのは魔力量もさることながら、使用者のマルチタスク能力も大いに関わってくる。

 マルチタスク――つまり、複数の作業を同時処理する能力だ。この場合は、複数のサーチャーを操作した上で、同数の視界を同時に認識する、ということになる。

 魔法やデバイスによる補助があるとはいえ、それでもなのはの飛ばしたサーチャーの数は規格外に過ぎた。それでいて、探し物は子供の手の平に収まるような小ささだ。レイジングハートは大丈夫と判断したのだろうが、本当にきちんと制御できるのだろうか。

 

「魔法のことはよくわからないんだけど……まずいのか?」

 

 ユーノのなんとも煮え切らない反応に心配が耐え切れなくなったのか、恭也が小声でたずねてくる。

 

「いえ、まあ、探知魔法なので失敗しても特に害はありませんし……。とりあえず見守るしかないです」

「むう……」

 

 恭也は何もできないことがもどかしいのか、うなり声を上げてから黙り込んだ。

 

 ――そうしてユーノと恭也が見守り始めてから、数分ほど経って。

 

 そろそろ声をかけて様子を伺おうかと考え始めたところで、なのはのほうから話しかけてきた。

 

「ね、ねえ、ユーノ君」

「なに、なのは?」

 

 やはり何か問題が、と身構えるユーノだったが、それは的外れだった。

 

「たぶん見つけた……と思うんだけど」

「見つけた…………って、ジュエルシードを!? こんなに早く!?」

「うん、見つけた。見つけたんだけどね……」

 

 それはすごい快挙だ、と興奮するユーノだったが、なのはの言葉には続きがあった。もったいぶるように、あるいは困ったように、なのはは、こう言うのである。

 

「――――十個くらい、見つけちゃったかも」

 

 にゃはは、と控えめに笑うなのはに、ユーノは口をポカンと開けて固まるしかないのであった。

 

 

 

 ――結論から言えば、ジュエルシードは見つかった。

 道端に落ちていることもあれば、プールなどの施設内にもあったし、草むらの中や川原の石に紛れているなど、普通に探したのではまず見つからないだろう場所にもあった。危うく人が拾って持っていたものは、うまく事情を話して譲ってもらうことに成功した。

 幸運というべきか、発見がすばやかったので当然というべきか、どれも暴走前に回収できたのである。

 

 その数、

「こ、こんなにあっさり『十四個』も見つかるなんて……」

 

 ユーノが半ば呆然としてつぶやく。

 昨日ユーノとなのはが必死で封印した一つを合わせれば、十五個が回収済みとなる。

 ジュエルシードは全部で二十一個。

 

(えーと、つまり、あと何個だろう?)

 

 あまりのことに、ユーノは思考が麻痺していた。

 

「これで未発見なのは残り六個か……なかなか順調じゃないか?」

 

 別にユーノの思考の手助けというわけではないだろうが、恭也がそうつぶやいた。彼にはそのすごさが理解できていないようだったが、ユーノとしては順調なんてものじゃない、と叫びたい思いだった。

 一体なにがどうなっているんだ、と頭を抱えるユーノに、なのはは自分がしたことを伝えてくる。

 

 そもそも、なのはの使った魔法【ワイドエリアサーチ】は、本来は主に視覚を頼りにしてものを探す魔法だ。それをなのはは、サーチャーを通して魔力を感知したのだという。

 先の警備員のたとえで言うなら、監視カメラそれぞれに高性能なAIが搭載されていて、怪しい動きをする人間を発見次第に警報を鳴らしてくれるようなものだ。下手をすれば警備員はモニターを見る必要すらない。

 魔力に対して鋭敏、などという単純な言葉で片付けていいものではなかった。

 魔力探知用の広域サーチ魔法もあるが、魔力効率が悪い上に制御が難しく、時間もかかる。下手に使えば魔力以上に体力を消耗しかねないものだ。初心者が使うには厳しいと思って、まずは通常のサーチを教えて様子を見ようとユーノは考えたのだが、サーチャーの数は多いわ範囲は広いわ魔力探知はするわ処理は早いわ、彼女は自身の才覚だけで全てを補ってしまった。

 探知魔法に関していえば、すでにユーノを遥かに凌いでいるだろう。

 遺跡探索や発掘の時になのはがいれば作業効率が跳ね上がるだろうな、という考えが頭をよぎるほどだ。ジュエルシードを無事に集め終えたら、彼女をスカウトすべきかもしれない。

 

 

 それはともかくとして。

 

≪Reception.≫

 

 ひとまず入念に封印処理を施したジュエルシードをレイジングハートの中へ格納する。デバイスの中に入れておくのが現状ではもっとも安全な保管場所だという判断だ。

 なお、封印処理をしたのはすべてユーノである。封印魔法を失敗して暴走でもしてしまえば目も当てられないので、ぶっつけ本番のなのはにさせるのは不安が残ったためだ。その裏で、大量に探し出した彼女にこれ以上負担をかけたくない、という思いもあったのだが。そのせいで、さらにユーノの魔力が乏しくなってしまったのは仕方のないことだろう。

 

「よーし、もっと遠くにサーチャーを飛ばせば残りもすぐに……」

 

 と、すべての格納を終えたなのはが再び杖を掲げようとしていた。

 ユーノはそれをあわてて止める。

 

「ダメだよ、なのは! 範囲を広げればそれだけ魔力も体力も消耗するんだ。慣れない魔法で疲れてるでしょ。今日はもうその魔法は使わないほうがいい」

 

 いくら才能があろうとも、慣れないことをすれば疲労するのは道理だ。

 そもそも、本来二つだけの目から得る情報を処理している脳を、過剰に酷使していたのだ。サーチャーの数に関する影響は言うに及ばず。処理できていたこと自体が驚くべきことではあるのだが、負荷がかかっていないということはあり得ない。

 

「あんまり自覚がないかもしれないけど、一日でこれだけ見つけるっていうのはとんでもない快挙なんだよ? これ以上無理する必要はどこにもないんだ」

「でも……」

 

 尚も言い募ろうとするなのはに、ユーノは別の人物――というか人格――にも水を向けることにした。

 

「レイジングハート、君はどう思う?」

≪It seems to be unstable magical-control. Please take a rest, master.≫(魔力制御に揺らぎが見受けられます。休息をお勧めします、マスター)

 

 レイジングハートは自らの身体を明滅させながら、主を諌める発言をする。

 そこへさらに、兄である恭也が諭すようにこう言った。

 

「それに、ユーノ君はなのはの魔法の師だろう? 師匠の言うことは聞くべきだ」

『師匠?』

 

 ユーノとなのはの言葉が重なる。顔を見合わせたのも同時だった。

 そしてなのはがコテン、と首を傾げつつ呟く。

 

「……お師匠様?」

「い、いや、そんな大層なものじゃ……」

 

 なんだか無性に照れくさくなったユーノは、誤魔化すように慌てて言葉を続ける。

 

「ま、まあ、とにかく、安心してよ。このペースなら全く問題ないから」

 

 それは希望的観測ではあったが、かといって今なのはに無理をさせて、全部見つかる前に倒れられてもまずい。なにより、ただ単純に、協力してもらっている立場の人間にあまり無理をさせたくはないというのがユーノの本心だった。協力は認めるとしても、過剰な負担を負わせてしまうのは違うのだ。

 さて、そうなると、随分と時間が余ってしまう。予定では、探知魔法を休み休み使いつつ探すことで丸一日費やすつもりだったのだが、雲ひとつない空を見上げても、まだ太陽は天辺にも来ていない。

 

「……まだ昼前か。よし、なのは、ユーノ。学校へ行くぞ」

「うん! …………え?」

「えっ?」

 

 今、何か変な発言が聞こえた気がした。

 

 

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

「え、えーと……。外国から、学校見学……? に、来ました、ユーノ・スクライアと申します。よろしくお願いします」

 

(にゃはは……。どうしてこうなったんだろう)

 

 私立聖祥大附属小学校――なのはの通う小学校の、なのはのクラスにて。

 なぜか、ユーノが黒板の前に立ってクラスメイトたちへ自己紹介していた。

 そこへ担任の先生が補足を入れる。

 

「スクライア君は高町さんのご家族の知り合いで、しばらく高町さんの家に一緒に住むことになったそうです。せっかくなのでこちらの学校でいろいろ学びたいということなので、突然ですが、今日から皆の仲間になります。仲良くしましょうねー」

 

 と、いうことになったらしい。

 

≪なのは、僕、そんな話初めて聞いたんだけど……≫

≪大丈夫。私も今はじめて知ったから……≫

 

 離れた相手に言葉を伝えるテレパシーのような魔法――念話で、なのははユーノと会話をする。実際に声を出す必要なく意思疎通できるので、こういった内緒話にも適していた。魔力の消費も少ないので安心である。

 

≪たぶんお父さんかお母さんが余計なことをしたみたいなの≫

≪昨日の今日で、すごい行動力だ……≫

 

 どうやら朝のうちに根回ししていたらしい。

 推測になるが、なのはが『家の事情で』学校を休む、というのに(かこつ)けて、『高町家の大事な知り合いが海外から来るので学校を休ませるが、もしかしたらその子どもが学校見学に行くかもしれない』とでも連絡していたのだろう。というか絶対そうだ。

 

≪でも、今日の探索が早く終わるなんてわからなかったはずなのに。士郎さんや桃子さんはそこまで予想してたのかな……?≫

≪どうかなあ……。どうなるかまったく予想できなかったからこそ、早めに行動したって感じじゃないかな?≫

 

 それにしたって、当日中に突然昼から来るといって受け入れる学校側も学校側である。何かとフットワークが軽いのがこの街の特徴なのかもしれなかった。

 ちなみに恭也も普通に大学へ授業を受けに行った。せっかくサボる口実ができたと思ったんだけどな、と嘯いていたが、根が真面目な彼のこと、今頃はきちんと講義を受けていることだろう。

 

「それでは授業をはじめましょう……と思いましたが、このままじゃ皆、授業に集中できそうにありませんね。少しだけ質問タイムにしましょうか。スクライア君、大丈夫?」

「あ、はい。どうぞ」

 

≪それに、せっかくだからこっちの世界のことをユーノ君にも知ってもらいたかったんだと思うの≫

≪こっちの世界を……?≫

 

「はいはーい! スクライア君はどこの国から来たんですか?」「外国の学校ってどんな感じ?」「日本語うまいね!」「何人兄弟?」「高町さんとはどういう関係なの!?」「スポーツ得意!? 野球やろうぜ!」「ユーノが名前でスクライアが苗字だよね。ユーノきゅんって呼んでいい?」「いやなに言ってんのお前」

「え、えーと……?」

 

≪ふふっ、それよりも先に、みんながユーノ君のことを知るほうが先かな?≫

 

「みんな、スクライア君が困ってるじゃない! 一人ずつ手を上げて質問しなさいよね」

『はーい!』

 

≪み、みんな元気だね≫

 

 押され気味になりながらユーノから念話が飛んでくる。一人のクラスメイトの注意により少しだけ沈静化したものの、ある種の熱気がクラスを包んでいるのは変わりなかった。

 

≪ごめんね、ユーノ君……≫

≪大丈夫だよ。昨晩のなのはよりマシだから。もう何度もねだってきてぜんぜん寝かせてくれないんだもん≫

≪ううっ、それを言われると困ります……≫

≪あはは、冗談冗談≫

 

 もちろん、魔法の話をせがまれて寝かせてくれなかった、という話である。決して変な話ではない。

 

 ちなみにこうしてなのはと念話をしているこの間も、彼はクラスメイトたちの質問に一つ一つ律儀に答えていた。器用なものだとなのはは思ったが、とんでもない数のサーチャーを操るなのはの方が器用だということはまるで自覚していなかった。

 

「はい。まだまだ質問はあるかと思いますが、一度区切って、授業へ移りますね」

 

 と、先生の一言により、ユーノは解放されることとなった。なのはの隣の席に腰を落ち着けた彼は少し疲れた顔をしていた。……そんな彼には気の毒だが、休憩時間になればまた質問攻めに遭う未来が待っているのは間違いない。

 

 

 

 それからつつがなく授業は進み、休憩時間にはユーノの周りに人だかりができ続け、実に平和に放課後を迎えた。

 さすがに放課後までユーノが囲まれることはなく、帰り支度を早々に済ませたなのはたちに声が掛かった。

 

「なのは、ユーノ。帰りましょ」

 

 そちらを見れば、同じく帰り支度を済ませた様子の少女が二人立っていた。

 なのはの友達、アリサ・バニングスと月村すずかである。

 

 声をかけてきたほうがアリサで、最初にユーノへの質問攻めをクラスメイトたちに注意して諌めた人物こそ彼女である。

 その出来事にも表れているように、勝気な性格であり、他人への面倒見も良かった。美しい金髪にくっきりした目鼻立ちと、少し近寄りがたい容姿をしているが、そんなことは関係なしに自ら近寄って行くのが彼女であった。

 

 一方その隣で控えめに笑みを浮かべているのが月村すずかだ。何気ない立ち姿からして育ちのよさが見られ、アリサと並んでいるとさらに顕著に楚々とした印象を受けるだろう。

 ただ、こう見えてスポーツ万能という一面もある。今日も体育の授業でドッジボールをしたのだが、男女問わず彼女を止められるものはいなかったほどだ。

 そんな彼女は、椅子から立ち上がったユーノに声をかける。

 

「スクライア君、今日はずっと大変だったね。大丈夫?」

「月村さん、だったよね。うん、なんとかね。ちょっと疲れたけど、興味を持ってくれる分には悪い気はしないから」

「なら、良かった。あ、私のことは、すずかでいいよ」

「それなら僕のこともユーノでいいよ、すずか」

「うん、ユーノ君。改めてよろしくね」

 

 早速仲が良くなっているその光景を見て、なのはは胸をなでおろす。突然ユーノと学校へ行くことになってどうしようと不安に思ったが、彼がクラスメイトたちに受け入れられていて、また彼も皆を受け入れていて、結果としてはこれで良かったのだろう。

 それに、こうして傍から見ていると、ユーノに少し余裕が出てきたように思う。

 

 以前の――といっても出会ってから丸一日も経っていないのだが――彼は、全てを自身でこなそうとしていて、見ていて危うい印象を受けたものだ。

 それが変わったのはきっと、昨晩の家族会議のおかげだ。家族みんながユーノを心配し、そして彼を安心させることができた。

 そんな家族をなのはは誇らしく思う。

 

 ただ、それと同時に、思うことがひとつある。その会議の中でのなのははあまり発言できず、自身としては役に立てた気はしていないのだ。

 それが不満というわけではないが、少しもやもやとしたものが心に残るのは事実だった。

 

「なのは、ちょっといい?」

 

 と、すずかとユーノの会話を聞くではなしに考え事をしていると、アリサに腕を引かれて後ろを向かされた。彼女はそのまま声を潜めて言った。

 

「……で?」

「で、って?」

「クラスの皆にああ言った手前、休み時間じゃ質問攻めは勘弁してあげたけど……」

「うん?」

 

 虚を突かれたのも相まって、なのははまったく話が読めなかった。

 そんななのはにアリサは、ずいっと顔を近づけて言う。

 

「突然学校を休んだと思ったら突然来て、突然外国人を連れてくるなんて、一体何があったのよ、なのは?」

「えっとぉ~……」

 

 それは突っ込まれるよね、と思いつつ、特に何も言い訳を考えていなかったなのはは前髪をもてあそびながら言いよどむ。

 

「私も急な話で戸惑ってるんだけど、まあ、家の事情で? みたいな~……にゃ、にゃはは……」

「…………」

 

 あからさまに目を泳がせて言うなのはに、じとっとした目を向けてくるアリサ。

 だが、全てを話すというわけにはいかない。いくら親友だからといって、隠さなければならないこともある。

 だからなのはは、言える事だけを簡潔に言った。

 

「でも、悪い子じゃないよ? 私の家族みんな、ユーノ君のこと気に入ってるし。むしろ、すごくいい子」

「まあ、それは見ててわかるけど」

 

 二人が振り返ると、ユーノとすずかは話が弾んでいる様子だった。何か共通の話題でも見つけたのか、くすくすと笑いながら頷いたりしている。

 それからアリサはしばらく「む~」とうなっていたが、なのはの頑なな意思を感じてか、ため息をひとつ吐き、掴んでいたなのはの腕を解放した。

 

「ま、いいわ。今日はこれぐらいで勘弁してあげる。……すずか、ユーノ、いつまでも喋ってないで帰るわよ!」

 

 今日は、という言葉に一抹の不安を感じるが、まあそのうち忘れるだろうと信じて、なのは三人と一緒に帰ることにした。

 

 

 

 四人で連れ立って歩く帰り道。といっても自宅ではなくいつも通っている塾への道なのだが、ユーノへの街の案内がてらということで、同じ方向へ向かっていた。

 ユーノも塾へ通おう、いっそ今日から見学という名目で、いやさすがにそれは迷惑だろう、などと話しつつ、話題は次第に今日の授業の話へ移っていった。

 

「将来、かあ……」

 

 街のお仕事を知ろう、ということで、以前に色々なお店に見学に行ったときの事をまとめる授業があった。

 ユーノは『こちらの世界()の仕事が良く知れて面白かった』と好評を伝えてきたものだが、なのはとしては少し思いをめぐらせる授業内容だった。特に最後のまとめとして先生の言った『将来、どんな仕事に就きたいか』という言葉が、なのはの心の何かに引っかかっていた。

 

「ユーノ君はどんなお仕事に就きたいの?」

 

 すずかの問いに、ユーノはごく当たり前のようにすんなりと答えた。

 

「僕は考古学者かな。僕の世界(あっち)でも考古学学んでるしね」

「へえ! 小学校でもそんな専門的なこと学べるんだ。海外の学校って進んでるのね」

「まあ、うん……。すずかとアリサは?」

 

 あまり深く突っ込まれるとボロが出ると思ったのか、ユーノは二人にも話を振る。

 

「あたしは、お父さんとお母さんの会社の跡を継げるようにしたいわね」

「私は機械とか好きだから、工学系の大学へ行って、専門職に就きたいかな」

 

 この二人も、明確とまではいかないが、年相応以上にきちんと現実に沿って考えているようだった。

 と、三人ともが答えたのだから、当然ながらなのはにも質問が飛んでくる。

 

「なのはは? やっぱり翠屋を継ぐの?」

「私は……」

 

 父母の経営している喫茶店・翠屋。そこで働いている自分は、あっさりと想像できた。お母さん直伝のお菓子を作って、にこやかに接客して、たまに遊びに来る友人たちや常連のお客さんと談笑して……。

 本当にそれでいいのだろうか?

 自分には、なにかやりたいことはないだろうか?

 考えるよりも、なのはの口は辿々しくも言葉を紡いでいた。

 

「まだわかんないけど……ちょっと、やりたいことができたかも?」

「かも、ってなによ。煮え切らないわね」

「ふふ。でも、なのはちゃん。ほとんど決めてる、みたいな顔してるよ?」

「えっ? そ、そうかな」

「ホントね。『どうしてもやりたいの!』って顔してるわよ」

 

 そう言われて考えて、いや、きっと考えるまでもなく、心の中に浮かんでいたこと。

 昨日の怪物との戦い。今日の丘の上でのジュエルシード探索…………魔法。

 そのイメージが浮かんだ瞬間、なのはの心の引っ掛かりが、すっ、と解消された。

 

(そっか。私は、ちょっと期待しちゃってるんだ)

 

 同時に思ったのは、家族会議では余り役に立てなかった自分。

 しかし今日、ユーノの言によれば自分は相当な活躍をしたらしい。

 もしもそれが、ユーノの頑なだった心を溶かした理由の一端となっていたなら。

 昨日の怪物との戦い、そして今日のジュエルシード発見によって、彼を安心させることができたのなら。

 

 それはきっと、すごく素敵なことだ。

 魔法は、もしかしたら自分にとって天職なのかもしれない。

 魔法使いが具体的にどんな仕事をするのかは知らないが。

 

(その辺のこと、後でユーノ君に聞いてみようかな)

 

「で、何やりたいのよ?」

「うーん。まだ秘密、かな」

 

 アリサの追求を、なのはは誤魔化すことにした。

 魔法のことについて話すわけにはいかないが、それとは別に、このことはまだ秘密にしておきたかったのだ。

 

「むむ~。なんか、今日のなのはは秘密ばっかり」

「そ、そんなことは……」

「ない?」

「……ある、かも?」

「む~!」

「まあまあ、アリサちゃん、落ち着いて」

「あははは! 皆仲良いね」

 

 じゃれる二人に、たしなめるすずか。いつもの風景に楽しげに笑うユーノが加わり、いつもより少しだけ騒がしくして歩いていく。

 ふと、気まぐれでも覚えたのか、アリサがこんなことを言い出した。

 

「あ、こっちのほうが近道よ。たまには違う道を通っていかない?」

 

 指差す先は木々に囲まれた林道だった。

 本当に近道になるか疑問ではあったが、少しの好奇心に後押しされたか、特に反対意見はなく、その道を通ることとなった。

 

「あれ、こっちって……」

 

 道を歩いてしばらく、ユーノが何かに気づいたように呟く。なのはも、どことなく既視感のある光景に思えていたので、ユーノに話しかけようとした。

 しかしそれよりも早く、アリサが声を上げる。

 

「あれ? 何かしら、警察……?」

 

 視線の先を追うと、確かに青い制服を着た警察官が林道の脇に立っていた。その奥、木々の合間からは複数の警察官が何かの作業をしているのが見て取れた。

 ドラマでよく見るような立ち入り禁止の黄色いテープこそ張られていなかったが、どうやら林の奥で何かがあったらしい。警官はなのはたちに気づくと声をかけてきた。

 

「君たち、ここは入っちゃだめだよ」

「なにがあったんですか? まさか、事件とか!」

 

 好奇心旺盛なアリサが目を輝かせて問うと、警察官は苦笑して首を振った。

 

「ああ、いやいや、違うよ。たぶん、局所的な竜巻か突風か……まだ調査中だけど、自然災害みたいなんだ」

 

 言われて改めて見れば、警察関係者以外にも作業服を着た人たちも複数いることに気づいた。撤去の業者か、調査に来た役所の人間だろう。

 そしてそこには、幹に傷をつけられた大木や、派手に飛び散った枝葉、地面に倒れこんだ木すらもある。視界に入らない部分も含めれば、かなりの惨状であることは想像がつく。

 

「怖いね……」

 

 すずかが呟く。

 だが、なのはとユーノは引きつった表情を向き合わせていた。自然災害への恐怖……ではなく、ある事実に気づいてしまったからだ。

 

≪ユーノ君、ここって……≫

≪うん。……昨日の場所だね≫

 

 荒らしたのは、自分たち。

 いや、正確にはジュエルシードの怪物だが、自分たちが関わっているのは間違いがない。

 

≪魔法でなんとか元に戻せたり≫

≪なのは、残念だけど、魔法は便利であっても決して万能じゃないんだ……≫

 

 結界も、物への被害は守れない。

 残酷な現実である。

 

 さて、魔法で無理ならば、どうするか。

 

「この辺りで竜巻なんて聞いたことがないけど……?」

 

 アリサが首をかしげる。咄嗟になのはは反論していた。

 

「だ、だからこそ、調査してるんじゃないかな!?」

「そ、そうそう! ほら、ここにいたら作業してる人たちの邪魔みたいだし、僕らは早く行こう? ねっ?」

「ええっ? まあそうでしょうけど……ちょ、ちょっと、わかったから二人とも引っ張らないでよ!?」

「わ、皆ちょっと待ってよー!」

 

 二人は戦略的撤退を選んだ。

 

(ううっ……後で、元に戻せるように……えーっと、寄付とかするから……ご、ごめんなさい~!)

 

 

 ――後日、役所へ災害被害への寄付に来た小学生の姿があったとかなかったとか。

 とりあえず、魔法は気をつけて使おうと心に決めたなのはである。




街に危険なんてなかったが自然災害(?)はあった。


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第4話「ライバル……?」

 翌朝、再び丘の上で。

 より春を感じられる陽気となったこの日、絶好のピクニック日和であるが、当然ながら目的は別にある。

 ジュエルシードの大半を手中に収めたとはいえ、まだ六個のジュエルシードが未発見のままだ。たった一つでも大災害を起こし得るというそれを放置できるはずもなく、早期発見を目指すに越したことはない。

 なのはは今日も気合十分に、バリアジャケットを身にまとい、魔法に集中していた。

 使用魔法は昨日と同じく【ワイドエリアサーチ】。

 ユーノいわく『とんでもない数』のサーチャーを昨日と同じ数だけ、昨日よりもスムーズに発動させることには成功した。しかし、昨日とは打って変わって手ごたえが感じられなかった。

 

「うーん、なかなか見つからないの……」

≪Please don't be impatient, master.≫(あせっても仕方がありません、マスター)

 

 レイジングハートの言葉を継いで、今日も見守るためについてきた恭也が続ける。

 

「まあ、時間はまだある。昼前には学校に行くことになっているから、それまではじっくり行こう」

 

 その言葉に、なのはは空を見上げる。元気一杯に輝く陽光が目に刺さり、思わず手でひさしを作った。その角度から見て、まだまだ朝と呼べる時間帯だろう。

 魔法によるジュエルシード探索は早朝と、学校が終わってからの夕方ということに改めて決定した。この意見を主導したのは、なのはの魔法の暫定師匠であるユーノだ。

 それはもちろん、実際のなのはの魔法を見て、魔力の回復具合などを考慮に出した意見だったが、彼が特に主張したのは『学校に行くこと』だったようになのはには思えた。なんなら、探索は学校終わりの一度だけでもいいとも言ったほどだ。

 ジュエルシードが一日で多く見つかったために余裕ができたと判断したからか、なのはら家族に少しでも今までと変わらない日常を過ごしてもらいたいからか、それとも彼個人が学校を気に入ったのか。どんな理由かはわからないが、落ち着いて自分の意見を言う彼からは心の余裕が感じ取れた。

 

 そんなユーノも、もちろんこの場についてきている。朝はまだ寒いからと桃子に手渡されたパーカー――どうやら恭也のお下がりらしい――を羽織り、ポケットに手を突っ込んでいる。

 ちなみに恭也は道着姿に、木刀の入った竹刀袋を背負っていた。万一の護衛のために木刀くらいはと用意したが、それだけだと不審だからと、剣道の鍛練を装うために一式を用意したらしい。

 

 ユーノが風になびくパーカーのフードを手で抑えながら言う。

 

「二十個あるのを見つけるのと、六個しかないものを見つけるのでは難易度が違うしね」

 

 その上、比較的見つけやすいところを先に回収したと考えれば、その後の収穫が難しくなるのは道理である。

 ユーノの説明に納得いくものがあったなのはは、少しだけ息を吐いて心を落ち着ける。

 

「うん、ありがとう。もう少しがんばってみる。レイジングハートも、お願いね」

≪All right.≫

 

 なのはは目を閉じて、レイジングハートの補助を受けていることを感覚で理解しつつ、魔法の集中に戻る。

 ところで、昆虫には複眼というものがあるらしい。複数のレンズで構成されたそれは、二つの目しかない動物よりも圧倒的に視野が広く、種によってはほぼ三百六十度全ての視野角を持つという。

 なのはの操るサーチャーは魔力を感知するようにしているが、視覚を共有することももちろんできる。全て同時に見るのは厳しいが、一つや二つならば問題はない。自分の目で見るのとは違うサーチャーの視界を、その経験のない人へ説明するのは難しいものだが、もしかしたら複眼を持つ昆虫であれば理解してもらえるのかもしれなかった。

 

(人よりも虫さんに理解されるっていうのは、ちょっと面白いかも)

「……なのは?」

 

 ユーノに呼ばれて、はっ、と口元に手を当てる。無意識のうちに頬が緩んでいたらしい。おかしなことを考えていたせいだ。

 

「な、なんでもないの!」

 

 なのはは顔を赤くして、恥ずかしさを誤魔化すように杖を構えなおした。傍で恭也が苦笑している気配を感じたが、努めて意識からはずす。

 そうしている間も、サーチャーは魔力探知を続けている。完全に集中が途切れたわけではなかったが、余計なことを考えたのは事実だ。改めてなのはは探索へと意識を向けた。

 と、そのとき、サーチャーのひとつに反応があった。

 

「う……ん? なにかな、これ」

 

 魔力感知を知らせたサーチャーへ意識を集中させる。

 ジュエルシード、ではない。反応がごく小さい上に、魔力の質も、今まで見つけたものと比べるとどうにも違和感がある。具体性のない感覚的な話でしかないが、そもそもなのははその『感覚』に頼って魔力探知しているので、それを信じない理由はなかった。

 

「どうしたの?」

「ジュエルシードじゃなさそうなんだけど、ほんの小さな魔力反応があったの。もしかしたら気のせいかもしれないくらい、小さなものだけど……」

「ジュエルシード以外の魔力反応? 気になると言えば気になるけど」

 

 ユーノは首をかしげて思案顔だ。

 恭也が続けて尋ねる。

 

「どのあたりで感じたんだ、なのは」

「えーと、ちょっと待って」

 

 言われて、サーチャーを少し上空に飛ばして周囲の風景を映し出す。サーチャーの操作も慣れたものだ。

 そうして映し出された景色の中で、目印を探す。すると、ひときわ大きな建物が目に付いた。空から見るのは初めてだが、実際に訪れたことのある場所だったので、すぐにわかった。

 

「図書館の辺りかな」

「図書館というと、風芽丘図書館か。海鳴市内ではあるけど、少し遠いな」

 

 恭也が視線をめぐらせ、ある方角で止める。おそらくその先に風芽丘図書館があるということだろうが、街を一望できる丘の上とはいえ、数え切れないほどある建物から目当てを探し出すのは困難だ。

 その兄の隣で背伸びして、なんとか見ようと目をすぼめているユーノがいた。そもそも彼は図書館の外観も知らないのだから、見つけようもないはずだが。

 それが可笑しかったからというわけではないが、なのはは目視するのは早々に諦め、サーチャーへと意識を戻した。

 そこでなのはは自分の失敗を悟る。

 

「あっ……どうしよう? 見失っちゃった……」

 

 サーチャーを動かしたのがまずかったか、かすかに感じていた魔力は、その残り香すらも感じられなくなっていた。

 町中に散らばっているサーチャーをすぐに集めて、もう一度探そうと思えば探せるかもしれないが、少し時間が必要かもしれない。

 そのことを二人に伝えると、恭也が腕を組んでたずねる。

 

「その魔力反応とやらに危険性はあるのか?」

「それはなんとも……。ただ、そもそも魔力が小さいなら、危険性も薄い可能性が高いですが。なのはの感覚的にはどう?」

「んー、なんて言えばいいのかな……。静かに眠ってる? ちょっと寝息が漏れたような、触れたら起きちゃいそうな…………えっと、こんな感じだけど、わかる?」

 

 国語は苦手なの、と最後は笑って誤魔化す。国語の成績が関わるかは別として、感覚を伝えるのには語彙や表現力、比喩力があるべきではある。人に伝わらなくては、虫さんに感覚で理解されたところで意味はないのだ。

 ただ、なのはの拙い言葉でも、危険性はなさそうというニュアンスだけは伝わったようだ。恭也は頷いてから口を開く。

 

「二人がそう言うなら、優先度は低めだろうね。気にはなるけど、他の探索を先に済ませたほうがいいな」

「わかった、お兄ちゃん。あ、でも、もう一通り街中を調べ回ったよ? 隅々まで、とはいかないかもだけど……」

「……おいおい、たった二日、というか合計数時間程度で海鳴市全域を調べたのか。魔法ってのはすごいな」

「……一応言っておきますが、なのはだけですからね、こんなことできるのは」

 

 感心する恭也に、ユーノが肩をすくめて言った。なのはは少し照れ顔だ。

 

「しかし、そうなると、どう動くべきかな……」

「選択肢としては、主に三つですね」

 

 考えをまとめやすくしようと、ユーノがなのはにもわかりやすく言葉で示す。

 捜索範囲を海鳴市の外までさらに広げるか、もう一度同じところをより精密に調べなおすか、先ほどの小さな魔力反応を調査するか。

 どれが効果的で、効率的かは、何とも言えない。闇雲に決めても良いが、何かしら判断材料や指標となる考えが欲しいところだ。

 

 見晴らしの良い丘の上に、しばし三人のうなり声だけが通り過ぎた。

 こういうときに頼りになるのは、やはり年長者なのかもしれない。真っ先に口を開いたのは恭也だった。

 

「ユーノ君、ジュエルシードが海鳴の周辺に落ちたのは間違いないんだよな?」

「はい。そう離れたところに散らばっているとは思えないんですけど……」

「だったら無闇に探索範囲を広げても意味はなさそうだな……。もう一度、海鳴の端から念入りに調べなおした方がいいんじゃないか? その途中でさっきの魔力反応が見つかれば改めてそちらを調べる。それがジュエルシードでもなく、そして海鳴全体まで調べ終えたら、捜索範囲を外に広げていく。それまでに見つけたジュエルシードの場所の分布を考えれば、可能性の高い範囲をある程度絞り込めるだろう。……こんなところでどうだ、ユーノ君、なのは」

「そう、ですね」

 

 妥協案というべきか、妥当な意見というべきか。ユーノはしばし悩む素振りだったが、結局他に考えが思い浮かばなかったのだろう、すぐに頷いて、なのはに声をかけてきた。

 

「なのはも、それでいいかい?」

「うん。……お兄ちゃん、すごいね」

「ま、これでもお前たち二人分合わせたくらいは生きているからな」

 

 なのはが素直に感心を顕わにすれば、からかうように恭也が笑った。まだまだこの兄には敵いそうになかった。

 

「さあ、そろそろ時間もなくなってきたぞ。もう少しだけがんばれるか、なのは?」

「うん、まだまだ大丈夫! 一度、サーチャーを戻して…………あ」

 

 元気に答えたなのはだったが、サーチャーを動かす意識を思わず静止してしまう。ふと、気づいてしまったことがあった。

 

「どうした?」

「あのー、お兄ちゃん」

 

 なのはは照れくささを誤魔化そうと指で頬をかいて、

 

「海鳴の端って、どこ?」

「おいおい……」

 

 恭也は苦笑するが、なのはがわからないのも仕方のないことだ。まだ子どものために行動範囲はどうしても限られ、周辺の地理もこれから学校で習おうというところだった。

 ただ、街の地理に明るければ、サーチャーを下手に動かすことなく風芽丘図書館の場所もわかったかもしれないと思うと、なのはは自分の知識の乏しさを少しばかり反省するのだった。

 

「次は地図を持ってくるか。適当にエリアを区切るとかして、漏れがないようにしよう。今回はとりあえず、臨海公園の辺りからでいいか」

「うん、じゃあサーチャーをそっちに…………」

 

 と、言いかける途中で、なのはの頭に閃きが走った。

 恭也の口から出た臨海公園とはその名の通り、海を臨める公園だ。景観がよく、デートスポットとしても人気の場所だった。すずか経由で聞いたことだが、恭也とすずかの姉・忍も、ときどきそこでデートしているらしい。

 そう、海に隣接する臨海公園は海鳴市内にある。ということは。

 なのはは思わず身を乗り出すようにして、二人に顔を近づけて言った。

 

「ジュエルシードが海に落ちた……っていうのは考えられないかな?」

『あっ……!』

 

 ユーノと恭也の驚きの声が重なる。

 盲点だった。今までが全て陸地にあったものだから、水中という発想へは思い至らなかった。遠からず気づいたことかもしれないが、行き詰まる前に気づけたのは大きい。

 海に面したこの街で、そこにジュエルシードが落ちた可能性は十分にある。残り六個のうち、全てとは言わずとも、ひとつふたつくらいはあってもおかしくない。

 

「やるじゃないか、なのは」

「ちょっ、乱暴に撫でちゃだめなの、お兄ちゃん!」

 

 お手柄とばかりに恭也に頭を撫でられ、なのははくすぐったさに首を竦める。

 ただ、むやみに喜んではいられない。なぜなら、その捜索難度は今までの比ではないはずだからだ。いままでは地面の上を探すだけでよかった。人や動物が持っていたり、建物の屋上などにあったとしても、せいぜい地面から十数メートル以内の範囲だ。

 しかし海底というのは意外に起伏に富み、岩陰などにジュエルシードが転がり落ちていれば見つけ出すのは困難を極める。ジュエルシードの大きさや重さからして海中を漂い続けている可能性もあるし、そうなれば海面から海底まですべての範囲をサーチしなければならなくなる。

 最悪なのは、既に波にさらわれて海鳴から遠く離れた海域にまで流されていることだ。そこはもはや、祈るしかないだろう。

 

 いずれにせよ、いくら鋭敏ななのはといえども、海中の宝石を捜すのは苦労するに違いなかった。

 なのははサーチャーを海鳴公園まで移動させ、ひとつ息をつく。

 

「それじゃあ、海の中にサーチャーを潜らせるね」

 

 杖を構えるなのはの顔にも、緊張の色が垣間見え……

 

「あ、ひとつ見つけた」

 

 苦労を……

 

「やった、三つ固まってあったよ」

 

 そう簡単に全ては…………

 

「よし、これで六つ全部!」

 

 簡単だった。

 実に簡単だった。

 その間、実に十分足らずである。

 

「ああ、うん。そうだよね。薄々そんな予感はしてたよ」

 

 昨日に引き続いての猛攻に、ユーノは天を仰ぎつつも、もはや苦笑いだ。

 とはいえ、今回に限っては幸運が大いに手助けしたともいえるだろう。見つけた六個はそれぞれ近い場所の海底に転がっていたのだ。

 ただし、懸念材料がひとつ出てきてしまった。というのも、なのはの感覚では、ジュエルシードはかなり深い位置にあったのだ。とてもではないが、素潜りできる場所ではなかった。

 

「どうしよう……。お兄ちゃん、ダイビングとかで潜れそうかなあ?」

「具体的にどのくらいの深さまで潜れるかはわからないが……そもそもダイビングは意外と難しいと聞くぞ。深さによっては免許がいるほどだし、経験がないと何とも言えないな……」

「うーん、そっかあ……。ユーノ君、海の中に潜れる魔法とかないのかな?」

 

 なのはは頭を抱え、もしかしたらと期待をこめてユーノを窺う。

 対してユーノは緩やかに頭を振った。

 

「ちょっと聞いたことがないかな。いや、でも、結界魔法を上手く使えば何とかなるかもしれない、けど……」

「危険なのかい?」

 

 歯切れの悪い提案に、恭也が問いかける。

 案の定、ユーノはうなずきを返す。

 

「はい。水を遮る結界で周囲を囲めばたぶん潜ること自体はできます。……けど、もしも制御を誤れば結界が壊れて、生身で海中にさらされることになるわけですから」

「じゃあ駄目だな」

「ですね……。そもそもそんな状態で封印魔法まで使えるかは微妙だし……」

 

 うーん、と三人で頭を悩ませる。これで何度目だろうか。ふりだし、というわけではないが、またもや行き詰ってしまった。

 こういうときに口火を切るのは、やはり年長者だった。

 

「あまり悩んでも仕方がないな」

 

 そもそも自分たちで全てを解決する必要はない。恭也はそう言って言葉を続ける。

 

「これでジュエルシードは全て見つかったんだし、海底なら暴走の危険も比較的少ないはずだ。一度父さんたちに相談してみよう」

「それもそうですね。一応、定期的にサーチして波に流されていないかはチェックしておきましょう」

「あ、それなら、サーチャーを海の中に置いておく? サーチャーひとつぐらいなら、ずっと維持できそうな感じだけど」

「……まあ、うん。なのはが辛くなければそれがいいけど」

「魔法ってのは本当に便利だな」

「何度も言うけど、なのはが特別なだけですからね……」

「にゃはは……」

 

 ユーノの言ったように何度も繰り返したような会話が繰り広げられた後、ひとつのサーチャーを海に残してこの場は解散の流れとなった。

 

「じゃあ、俺は父さんに報告してくる。なのはたちはこのまま学校か?」

「うん。制服も着てきたし」

 

 と、なのはがバリアジャケットを解除すると、よく似た白い服が身を包んでいた。なのはの通う小学校の制服だ。ベンチに置いてあった鞄を背負えば、そのまま登校スタイルとなった。

 ちなみにユーノは制服がないので、パーカースタイルのままの登校となる。

 

「なら、ここで解散だな。なのは、携帯電話は持ってるな? 何かあったらすぐ連絡するんだぞ」

「うん、わかってる」

「今日はまだ遅刻は許されるけど、まっすぐ学校へ行くんだぞ。ユーノ君、なのはが寄り道しないように見張っててくれないか」

「そんなことしないもん!」

「あはは……」

 

 まあ多少遅れてもバレないから大丈夫だろう、なんてからかうように言い残して、恭也は丘から走り去っていった。トレーニングの一環なのか、はたまた妹の文句を聞き流すためか、その足取りは素早いものだった。

 なのははその背中を胡乱げな目で見送ってから、ユーノに声をかけた。

 

「じゃ、私たちも行こっか」

「寄り道して?」

「もう、ユーノ君まで!」

 

 拗ねたような声と笑い声が風にさらわれ、ひとつのサーチャーを海に残してこの場は完全に解散――――とは、ならなかった。

 

「――えっ?」

「どうしたの、なのは?」

 

 丘を降りようと歩を進めたなのはの胸に、突然ざわめきが走った。海中のサーチャーが魔力感知したのではない。なのは本人が魔力を感じ取ったのだ。

 

「今、誰か、魔法を使った……?」

 

 魔力を感じ取った直後に、体を撫でるような感覚。何らかの魔法がなのはに影響を及ぼしたのだと判断できた。

 

「探知系っていうのかな。エリアサーチと似たような感じがする」

「サーチ? 誰かが……いや、魔導師が、この辺りで何かを探しているってこと……?」

「何か、って……」

 

 なのははユーノと顔を見合わせる。魔導師――つまり、ユーノやなのはと同じく魔法を扱う者が、探しているもの。このタイミングで思い浮かぶものなんてひとつしかない。

 二人が脳裏でその答えを描きかけたとき、またなのはの感覚が魔力を感知した。今度は魔法ではなく、魔導師本人の魔力のように感じる。

 

「あっ、近づいてくるよ。……え、空から!?」

 

 なのはは思わず声を上げる。感覚の赴く方向に上空を見やれば、小さな影が遠くから向かってきているのが見えた。鳥かと一瞬思ったが、近づいてくるにつれて、すぐにそれは人だとわかった。

 

「飛行魔法だ……しかもだいぶ手馴れてるように見えるけど」

 

 ポカンとなのはが口を開けている横で、ユーノもまた驚いた様子で空を見上げていた。いや、ユーノは自分たち以外の魔導師の存在に驚いているのだろうが、なのはとしては、人が飛んでいることに純粋に驚いていた。

 

(ううーん、でも、魔法使いなんだから飛ぶのは当然なのかな?)

 

 考えてみれば、アニメなんかでも、魔法使いは当たり前のように空を駆け巡っている。なのはが自分で使う発想にいたらなかったのは、探知魔法を使う自分のイメージばかりが先行していたからだろう。

 そんなことをなのはが思っている間に、人影はその容姿を確認できるまで近づいてくる。その姿に、なのははもう一度目を見張った。

 

(私と同じくらいの年の女の子……)

 

 最初に持ったイメージは、黒と金。

 黒を基調色とした体に密着する衣装に、羽織った同色のマントがバサバサと風になびいている。それがまるで鳥の羽ばたきのようで、実際に飛ぶ鳥のような速度で近づいてくる。

 そしてツインテールに束ねた金色の髪は、陽の光を跳ね返すというよりは自らが煌めいているようだった。

 彼女は途中で減速して、地面と水平にしていた体を起こし、ゆっくりと着地体制に入る。丁度、なのはたちの十メートルほど手前に着地する形となった。

 魔法の力なのかはわからないが、空中で体制を整えるのは難しそうだ。器用なものだな、となのはが感心していると、ユーノの声が小さく耳に届いた。

 

「なのは。ジュエルシードのことは言わないようにしよう」

 

 早口に言われたその言葉に問い返す暇はなかった。金色の少女がゆっくりと歩みを寄せてきていた。

 丘の上に吹く穏やかな風に、ふわりと、彼女のマントがたなびく。

 やがて立ち止まった彼女は、赤みがかった瞳に鋭い光を乗せ、観察するようにこちらに向けてきていた。会話するには色々な意味で少し遠い距離感だ。

 

「魔導師……」

 

 なのは、ユーノ、そしてもう一度なのはに視線を向けて、少女は呟くように言った。

 声音は固く、あからさまに警戒の雰囲気だ。

 なのはは戸惑いつつ、とにかく話しかけなければ、と口を開く。

 

「ええと……こんにちは?」

「…………こんにちは」

 

 挨拶はかろうじて返ってきたが、警戒が解かれる様子はない。

 ユーノのほうを見れば、彼は彼で警戒の視線を金と黒の少女へと向けていた。

 初対面において警戒するのが魔導士の流儀なのだろうか、となのはは首をかしげるが、そんなことはないはずだと頭をひねって話題を探す。

 警戒を解くにはどうすれば、と考えても何も思いつかなかったので、ひとまず自分の興味のある話題について振ってみた。

 

「空、飛べるんだね」

「……?」

 

 警戒が戸惑いへと変わる。

 やや沈黙してから、金色の少女は少し首を傾げて言った。

 

「飛べないの?」

「……飛べるの?」

 

 不思議そうに問われ、なのははユーノへスルーパスを決めた。

 えっ、とユーノは戸惑いの表情を浮かべたが、とりあえずとばかりに返答する。

 

「まあ、資質にもよるけど、たぶんなのはなら大丈夫じゃないかな」

「うーん……。試してみてもいいかな?」

「え」

 

 今度は金髪の少女へ標的を定めてパスを放つ。彼女は戸惑った様子のまま、小さく反した。

 

「いや、私に言われても……」

「あなたはどうやって飛んでるの?」

「いや、だから……」

「よかったら教えてほしいな」

「え、と…………」

 

 にこにこと少女に笑顔を向けるなのは。なんと答えていいかわからず、助けを求めるように視線をさ迷わせる少女。いつの間にか警戒の色はだいぶ薄れていた。

 なんだかよくわからない状況になった場を収めるため、同じく警戒の視線を和らげたユーノが苦笑いとともに答えた。

 

「基本は最初に魔法を使ったときと同じ。イメージしてみて、空を自在に駆け巡る自分の姿を」

 

 空を飛ぶイメージ。アニメの魔法使いたちは、箒に乗っていたりしていた。

 目の前の金色の少女のマントを見る。彼女の飛んでいる姿は、まるで羽ばたく鳥のようだった。

 

(鳥の羽みたいなイメージ? うーん、でも私はマント付けてないから背中につけてもなあ……)

 

 別に空を飛ぶのに箒やマントが必要というわけではないだろうが、何か具体的なイメージを持つのは悪くないはずだ。

 

「よし、じゃあ、これで!」

≪"Flier Fin"≫

 

 結局、なのはのイメージは靴の両脇から羽を伸ばしたものだった。レイジングハートの補助を受けて発動した飛行魔法【フライアーフィン】によって、なのはの体がゆっくりと浮き上がる。体を襲った浮遊感に一瞬バランスを崩しかけたが、魔法による補助でひっくり返るようなことはなかった。

 おっかなびっくり、空中で体をひねったり、高度を上下したりと、色々と試しながら飛ぶ感覚を慣らしていく。少しぎこちなかったが、初めてにしては悪くない出来だろう。

 

「わ、わ、すごい! 見て見て! 私、飛んでるよ!」

 

 空を飛んではしゃぐなのはを見て、不思議そうに金色の少女が尋ねる。

 

「空を飛ぶことがそんなに楽しい?」

「うん! とっても!」

 

 ご機嫌ななのはは元気よく答え、少女の傍に降り立った。

 手が触れ合えるその距離の近さに少女は一歩、後ろに後ずさったが、それ以上は下がることはなかった。

 なのははそんな少女の反応も気にせず、にこにこと問いかける。

 

「あなたも、初めて飛んだときはこんな感じじゃなかった?」

「どうだったかな……」

 

 彼女は首をかしげて思い出そうとしているようだったが、やがて首を振った。思い出せなかったらしい。

 

「それより、聞きたいことがある」

 

 唐突に、金色の少女は言った。

 

「ジュエルシード」

「……」

 

 どきりと、なのはの心臓がはねる。咄嗟にユーノのほうを窺わなかったのは、ファインプレーだろう。だが表情はどうだろうか。頬の辺りが引きつっている自覚がある。うまく取り繕えているだろうか?

 

「蒼く光る、小さな宝石なんだけど」

 

 続けざまに、少女は言葉を付け加えた。……怪しんでいる様子では、ないように思えた。

 

「え……っと。探し物ってこと?」

「うん」

「そうなんだ。……ごめんね、見たことないかも」

 

 なのはは、そっと首を横に振った。

 隣では、ユーノが同じ仕草をしていた。なのはの回答は及第点だったのだろう。

 

「そう……。見つけたら、教えて欲しい」

 

 そう俯きがちに言った彼女の瞳は何を写していたのか。なのはにはわからなかったが、どこか切羽詰ったような雰囲気の彼女に少し眉根を寄せる。

 どうしてそれを探しているのか、と問いかけようとしたなのはだが、それよりも先に少女が踵を返して言った。

 

「もう、行くね」

「……そっか。ね、最後にひとつだけ聞いていいかな?」

 

 少女は無言のまま、首だけで振り返る。愛想などまるで見あたらなかったが、煩わしそうでもない。

 なぜだろうか、なんとなく、人の傍に近づくのに決して懐こうとしない猫を連想してしまい、なのはは小さく笑った。そのままの表情で、やわらかく言葉をつむぐ。

 

「私、高町なのは。あなたの名前、教えて欲しいな」

「……フェイト。フェイト・テスタロッサ」

 

 少女は短く答え、そのまま飛び去っていった。

 風にたなびく金と黒を目で追って、なのははそっと息を吐いた。

 疲れたわけではない。ただ、あの少女――フェイトを見ていて少し、思うところがあったのだ。

 

「まさか、僕たち以外に魔導師がいたなんてね。でもたぶん、なのはみたいな現地住民じゃないと思う。魔法を使うのにだいぶ慣れてたし、僕と同じ世界の……って、なのは?」

 

 なのはの横に並んでフェイトを見送ったユーノが口を開くが、なのはの耳には入っていなかった。代わりに、ぽつりとつぶやく。

 

「あの子、なんだか寂しそうな目をしてた」

 

 なのははあの目を知っていた。

 というより、幼いころの自分と重なって見えるところがあったのだ。

 やや強引に構ってしまったのも、それを思い出したからだった。

 

「フェイトちゃん、か。また、会えるといいなあ……」

 

 つぶやいた言葉は、澄んだ青空へと溶けていった。




 出会いが変われば関係も変わる。ライバルにならないことだってある。


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第5話「このまちでひとり……?」

 ある時期、なのははいつも一人でいた。

 なのはが小学校に上がる前。四、五歳ごろのことだ。

 そのころ、父である士郎は仕事中に負った怪我により、昏睡状態にあった。

 なのはは一度だけその病室を見舞ったことがあるが、いつも精悍だった父が呼吸器をつけたままピクリとも動かない姿を見て、言葉が出なかったことをよく覚えている。その様子を見ていられなかったのだろう、顔をゆがめた母の胸に抱かれ、そのまま静かに退室してから――なのはは一人ぼっちになった。

 当時、家業である喫茶店の経営は順調であり、そうであるが故に忙しさも相応だった。アルバイトも雇ってはいたものの、家族経営という面が強く、士郎の抜けた穴をそう簡単に埋めることはできなかった。母はそちらに忙殺され、兄は父が倒れたことに思うところがあったのか、喫茶店の手伝いが終われば剣の鍛錬に明け暮れた。姉はその二人のフォローや父の世話も引き受け、家を空けることもしばしばだった。

 そんな家族の姿を見たなのはは、わがままを言える状況でないことを幼いなりに悟ってしまう。しかし、手伝おうにも足手まといで、邪険にされるのも嫌だったなのはは、いつも一人ぼっちで遊んでいた。

 家にあった絵本は擦り切れるほど何度も読み返したし、友達もいない近所の公園で適当に時間をつぶしたりしていた。夕食は誰かと一緒のことは多かったものの、家の中が暗く沈んだ雰囲気はぬぐい切れず、なのはは早々に食べ終えて自室に引っ込んでいた。

 この家中に漂う息苦しさを解消する術をなのはは知らず、自分にできることは何にもない。せいぜいが家族の邪魔にならないよう、息をひそめるように過ごすことだけだった。

 そうしてどのくらいの期間が経ったか。父が快復してからは元の明るい家へと戻り、なのははほっと胸を撫で下ろしたものだった。

 だが、一度知ってしまった疎外感と寂しさは、未だになのはの胸の奥で燻っているのかもしれない。

 

 

 ――夜、高町家のいつものリビングルームにて、家族会議が開かれた。

 

「ジュエルシードがすべて見つかったのはいいけど、海の底かあ……。また面倒なところにあるものね」

 

 本日の成果報告を聞いて、美由希が背もたれに体重を預けてそう言った。

 私は結局何も役に立ってないしー、と美由希が口をとがらせるのを、桃子がなだめている。

 その隣では、士郎が腕を組んで難しい顔をしていた。

 

「やっぱり取りに行くのは難しいか、父さん」

「色々調べたが、できるかできないかでいえば、できるだろう。ただ、気軽に、というわけにはいかない」

 

 恭也の言葉に、士郎は自分の考えを口にする。

 最初に考えた方法は、底引き網だった。網を海の底に沈め、海底をさらうようにして網を引き上げるのだ。ただ、こうするとジュエルシードと一緒に魚なども入ってしまう。

 ジュエルシードは自我の強い生物に反応しやすい。魚にどれほどの自我があるかはわからないが、網に掬われて引き上げられるという外的ストレスを受けることによって、ジュエルシードを反応させてしまう恐れがあった。

 したがって、ジュエルシードをピンポイントで引き上げるような方法が必要になる。

 だが、これもまた厄介で、素人が普通に潜るには深い位置にあり、相応の装備や訓練が必要になるだろう。

 

「本業の潜水士に頼むしかないだろうな」

「当てはあるの?」

「いや、これから探すことになるな。知り合いを当たってみるか……」

「それなら父さん、忍に……月村家に協力を頼むか? 人脈は相当に広いから、きっと力になってくれるはずだ」

「ふむ……」

 

 と、士郎、美由紀、恭也がそうやって話しているのをなのはがぼうっと眺めていると、肘をつつかれる感触がした。

 そちらを向くと、ユーノが遠慮がちに訊いてきた。

 

「なのは、月村家って?」

「すずかちゃんの家だよ。そのお姉さんが忍さんで、お兄ちゃんの恋人。月村家は簡単に言うと……お金持ち? 地元の名士、って言ったらいいのかな」

「なるほど」

 

 なのはがどこかで聞きかじった言葉を伝えると、ユーノは納得してうなずいた。

 二人のやり取りの間にも、議論は進んでいく。

 

「大げさじゃなく、放置してしまえば世界の危機になりかねないんだ。むやみに喧伝する必要はないけど、協力者は多いほうがいいんじゃないか?」

「……そうだな。ユーノ君、月村家にも魔法やジュエルシードのことを知らせることになるが、いいかい? あくまでも必要最低限の人にしか知らせないし、口が堅い人たちだ。外に漏れるようなことは決してないと誓うよ」

「その方たちに協力を仰げば、安全にジュエルシードを回収できるんですよね。なら、わかりました」

「よし。恭也、早速で悪いけど、忍さんに連絡を取ってもらえるか」

「わかった」

 

 と、月村家に協力を求める方向で結論が出たようだ。おそらく、断られることはないだろう。

 あとは彼女たちを通して回収作業に当たる人材を雇うなりすれば、もはや問題は解決したようなものだ。

 

(だったら……私にできることって、もうないのかな)

 

 なのはは思う。

 もちろん、ジュエルシードが海流に流されたりしないように監視のサーチャーは常に置くとしても、それで問題が発生しなければそれまでだ。

 ジュエルシードの回収はきっと、つつがなく終わるだろう。

 

(そしたら、ユーノくんも帰っちゃうのかな。レイジングハートともお別れで……魔法も使えなくなっちゃう?)

 

 実際にはレイジングハートの補助がなくなるだけで、魔法が完全に使えなくなるわけではないだろうが、少なくとも魔法を使う理由は何もなくなる。ユーノとしても魔法の存在はこちらの世界に知られたくないようだし、使わないようにお願いされるかもしれない。

 魔法のない自分に、何もない自分に戻るのは……嫌だ。なのはの心に焦燥が浮かんだ。

 

「そうなると、問題はひとつだけね」

「問題というか懸念事項というか」

 

 ひとり、もやもやした気持ちを抱えるなのはの耳に、そんな言葉が入ってきた。

 まだ何かあったかな、と首をかしげるなのはだが、続くユーノの言葉にはっと顔を上げる。

 

「もう一人の魔導士……フェイト・テスタロッサ、ですね」

 

 今日、丘の上で出会った、金色の髪の少女だ。

 彼女の素っ気ない態度と、それに相反するような寂しそうな目をなのはは思い出す。理由は不明だが、ジュエルシードを探しているのだという。

 なぜジュエルシードを探しているのか、という議論になりかけたところで、ちょっと気になったんだけど、と美由希が手を挙げた。

 

「そもそもジュエルシードって、誰でも知ってるような有名なものなの?」

「ロストロギア関連の専門家ならまあ知ってるでしょうし、少し詳しい人だと名前ぐらいは聞いたことがあるかも、っていう程度ですね。僕たちが発掘に成功した段階で本国に連絡は入れているから、調べようと思えば『ジュエルシードを発掘した』という事実も知れるんだろうけど……」

 

 そこで一拍おいて、ユーノは眉をひそめて言葉をつづけた。

 

「問題は、そのジュエルシードが今『事故によってこの世界に落とした』と知っている人がどれだけいるのか、っていう話です」

「確かに奇妙だな。それを知るにはまず、ユーノ君が事故に遭ったことを知らなければならないはず。事故の現場を目撃したなら警察……管理局というのだったか? そこに通報なり救援を求めるなりするのが普通だ。にもかかわらず、明らかに『ジュエルシードを探しに』ここにやってきている」

「もちろん、あのフェイトって子は通報を受けてやってきた管理局員、っていう様子ではありませんでした」

 

 もしも管理局員であればそう名乗ったうえで、管理外世界にいる魔導士に対して何らかのアクションを起こしているはずだ、とユーノは補足する。

 

「ええっと、待って。それってさあ、どう考えても……」

 

 言い淀んだ美由希の言葉を、ユーノが継いだ。

 

「ジュエルシードを手に入れるために、事故を故意に起こした。そしてそれを探しに来た……!」

「……そのフェイトという子が事故にかかわっているかは何とも言えないな。何らかの理由でジュエルシードを欲していたが、それを持っていたユーノ君を偶然発見し、偶然事故に遭ったのを偶然目撃して、これ幸いと探しに来た。そんなところかもしれない」

 

 と、早とちりを諫める士郎。

 そこまで偶然が続けば必然だろう、とは誰もが思ったが、口にはしなかった。情報が少ないのが事実で、いずれにせよ推測に過ぎなかったからだ。なんなら、たまたまこの世界にいた魔導士が、たまたまジュエルシードの魔力を観測したので、興味本位で集めているだけ、という推測もできなくはない。

 それよりも結論を出すべきは、これからの対処である。

 

「フェイトという子には、関わらないようにするのが無難だろうな」

「そうですね。僕らがジュエルシードの大半をすでに所持していることに気づかれればどうなるかわかりませんし……」

「――あ、待って!」

 

 咄嗟に、なのはは声を上げていた。思っていたよりも大きな声が出て、軽く驚いている周囲の誰よりも本人が驚いた。

 そんな中、驚きからいち早く気を取り戻した士郎が優しく問いかけてくる。

 

「どうした、なのは?」

「えっと……」

 

 尻すぼみに言い淀むが、何を言いたいか、どうしたいか自体はなのはの心の中で決まっていた。

 

(フェイトちゃんと……また会いたい)

 

 どうしてそう思ったのか。それは、自分でもよくわからない。そんなのは後回しだ。

 問題は、どうすれば自分の望む方向に持っていけるか。

 これまで、なのはは会議の中であまり意見を出してこなかった。自分に注目が集まっているのを感じて、机の下でぎゅっと手を握り締めた。自分も、この会議の参加者なのだ。

 とりあえず何か言わないと、でもどう言えば……。必死で考えるが、何も思い浮かばない。自分の意見を言うこととは、こんなに難しいことだっただろうか。

 ふと、士郎がゆっくりとお茶を飲みつつ、静かに声をかけてくる。

 

「焦る必要はないよ、なのは。まずは、なのはがどうしたいか、言ってみなさい」

「あ……う、うん」

 

 父に倣い、なのはは目の前に置いてあったカップに口をつける。温かなココアが喉を通って、おなかへと落ちていった。

 それから、おもむろに口を開く。

 

「フェイトちゃんと……また、会いたい」

 

 言葉は、すっと口から出てきた。そのまま続けてなのはは声を上げる。

 

「きっと悪い子じゃないの。もっとちゃんとお話しした方がいいと思う」

 

 なのはの主張は、部屋に落とされた。

 家族が少しだけ目配せを交わした後、美由紀が控えめに手を挙げて言う。

 

「んんー、別になのはの印象を疑うわけじゃないけどさ。まだ一度しか会ってないし、そんなに会話もしてないんでしょ? お姉ちゃんとしては大丈夫かなあ、って思うんだけど」

「だから、避けるんじゃなくて、話したいの。そうしないと分かり合うきっかけにもならないと思うから」

 

 それは幼い視点ではあったが、事実ではある。

 いつになく頑なな様子で自分の意見を主張するなのはに、桃子が助け舟を出してくる。

 

「私は、なのはの意見に賛成ね」

「母さん?」

「まだ何もしてない子を疑うのはよくないわ。関わらないのは楽だけど、何も進展しないでしょう?」

「まあ、こちらが避けても、向こうがそうするとは限らないしな。それなら最初から友好的に接触するのも悪くないか」

 

 穏やかに語り掛ける桃子に続き、恭也も別の観点から同意した。

 極力、関わらないようにするのが無難ではある。ただ、この世界に魔導士がいるのはそもそも珍しい。正真正銘の現地住民であるなのははともかく、ユーノがジュエルシードの落ちたこの海鳴市に拠点を構えていることを奇妙に思い、関わりがあると推測が及んでしまいかねない。その場合にどのようなアクションを取ってくるのか、相手の情報がなければ対処が難しいというのがある。

 関わる場合のメリットは、相手の目的を探れること。ジュエルシードを何のために集めているのか、どうやって知ったのかを知ることができ、いざという時の対応が判断できる。

 デメリットは、こちらがジュエルシードをすでに手中に収めているのを知られる可能性があること。そしてその場合に何らかの干渉を受け、最悪は敵対する可能性があること。

 どちらにも利があるのなら、なのはの感性を信じるのも悪くないだろう。

 士郎とユーノも反論はない様子で、特に士郎は何やら満足げに小さく頷いていた。

 

「えー、反対派は私だけ?」

「美由希はなのはが心配なのよね。だったら、できるだけなのはに危険がないように、考えましょう」

「はぁ、まあそうね。……なのは、どうして固まってるの?」

 

 言われて、なのはは口を開けて呆けている自分に気づいた。

 慌てて口を閉じて、またそれを開く。

 

「その……いいの? フェイトちゃんに会っても……」

「ああ。なのはのしたいようにすればいい」

 

 士郎が目を細めて頷き、全員がそれぞれの反応でなのはの言葉を肯定していた。

 自分の出した意見に対する肯定。それが、なのはの心の何かを少し溶かした気がした。

 

「みんな、ありがとう」

 

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

「……見つからない」

 

 海鳴市の上空、周囲の建物よりも高い位置で、フェイト・テスタロッサはぽつりと呟きを漏らした。

 息を吐くと同時に、発動させていた広域探知用の魔法を解除する。今日、何度目かの探知魔法は、それまでと同様に何の反応も返ってこない結果に終わってしまった。

 朝からずっと町中を探索していたフェイトは、さすがに疲労を感じて、目についた適当な公園に降り立つ。

 バリアジャケットを解除すれば、天頂からの強い日差しが肌を刺す感触がした。フェイトは涼に誘われるように、木陰になっているベンチに腰掛けた。

 世間にとっては休日の昼間だが、丁度昼食時のためか人の気配はない。静かな公園に、ざわざわと木の葉が揺れる音だけが満たしていた。細いうなじを撫でる風の感触に、くすぐったくて目を細める。

 

「…………」

 

 だが、そうしていても気が休まることはなかった。

 フェイトがこの街にやってきた目的は、ジュエルシードを探し、手に入れるため。

 捜索し始めて、まだ一週間と経っていない。この街は想像以上に広く、まだまだ隅々まで探したとはいえず、焦る状況ではない。それこそ、数か月単位での捜索が必要かもしれない。

 それでも、『大好きな人』からのお願いをまったく叶えられていないことに、僅かならず焦燥を覚えてしまう。

 いっそ、ジュエルシードが暴走してくれれば、探知にも引っ掛かってくれるだろうに――――

 

「……探さないと」

 

 こうして休んでいると、余計に気が急いてしまう。結局は大して休憩にならない。

 探索を再開しようと腰を上げかけた時、フェイトの耳に足音が聞こえてきた。

 フェイトは視線鋭く、足音の方を見る。

 ……ここ数日、ジュエルシードはまったく引っかからないが、代わりに釣れたものがあった。

 杖型のデバイスに、白いバリアジャケット。栗色の髪をした少女が、空から降り立っていた。

 高町なのは。数日前に聞いたその名前を、不本意ながらフェイトは思い浮かべた。

 なのははバリアジャケットを解除して、すぐにフェイトの座るベンチの方へと駆けてきた。フェイトをとらえるその目は、彼女と対照的に目じりが下がっている。

 

「こんにちは、フェイトちゃん。こんなところで会うなんて、偶然だねー」

「…………」

 

 そんなわけがあるか。

 叫び散らしたいフェイトだったが、その議論は既に何度も繰り返したことだった。

 そう、ここ数日、何度も何度も、なのははフェイトの前に現れている。

 結論としては、なのはの「偶然だよ偶然。あはは」というごり押しにより、『たまたま』フェイトの行くところに、『たまたま』なのはが訪れているということになった。その遭遇率、脅威の百五十パーセントである。五十パーセントオーバーは、一日に複数回会うという意味。それでも偶然は偶然、人気のない公園だろうと、高層マンションの屋上だろうと、繁華街の人ごみの中だろうと、出会ってしまうのは偶然なのである。

 ……探知魔法を逆探知されるのは、まだ理解できる。感覚の鋭い魔導師なら、近くで魔法発動されればそれを追うことは可能だ。しかし、魔法を一切使っていないときにまで会ってしまうのはどういうことだろうか、とフェイトは考えてしまう。本当に偶然だとしたら、それこそ薄ら寒いものを感じるのだが。

 

「あ、偶然といえば、今日はお弁当二つも持ってきちゃったんだー」

 

 なのははさも当たり前のようにフェイトの隣に腰掛け、フェイトとの間に二つの弁当箱を置いた。

 立ち去る機を逸した感のあるフェイトは、とりあえず眉根を寄せてなのはを睨んでみた。

 会いに来る手段はさて置くとしても、その目的もまた謎だ。

 自分と同じくジュエルシードを探しているのかと疑っているのだが、今のところ彼女にその様子は一切ない。探しているにしては、あまりにも危機感がなく、そしてライバルであろう自分に友好的に接する理由がない。少なくとも、フェイトには思いつかなかった。

 疑念を含めたフェイトの睨みにも、いつも彼女は一向に意に介さない。むしろ、積極的に距離を縮めようとさえしてくる。

 はっきり言って、フェイトには理解不能の生き物だった。

 今もまた、なのはは平然とした態度で、鞄から弁当箱を取り出してフェイトとの間に置いた。

 そして、弁当箱の包みを手早くほどき、片方のふたを開ける。

 そこには、一口サイズのかわいらしいおにぎり、肉団子に揚げ物、サラダなどが小分けに入っていた。

 色とりどりのお弁当に、ついついフェイトの目が吸い寄せられた。

 

「おいしそうでしょ? お母さんに作ってもらったんだ。一緒に食べよ?」

「……っ!」

 

 お母さんに作ってもらった。

 その言葉に、フェイトの胸がじくりと染みるような痛みを訴える。

 気づけば、フェイトの口からは拒絶の言葉が飛び出していた。

 

「いらない」

「そんなこと言わずに、ね?」

 

 にこにこと笑顔でお弁当を差し出してくるなのは。

 まったく悪びれない、引く気のない言動に対して、頭に血が上るのを自覚した。

 どうして、そんなことをするの。お母さんに作ってもらったのなら、自分一人で食べればいい。それはあなたを想って作ってくれたものだ。

 そうだ、私のお母さんも、昔は、私のためにお弁当を作ってくれて、一緒に食べたものだ。ピクニックに行って、どこかの丘の上で、お弁当箱を広げて。食べさせて、と甘える私に、お母さんが仕方がない子ねと優しい目で見て。

 そう、昔は――――

 

「いらないって!」

「あっ!」

「あ……」

 

 むきになって振り払った手が、何かに当たった。

 我に返ったフェイトは、驚いたなのはの表情を目の当たりにし、その視線の先を追う。

 ベンチの傍の、土の地面。そこに、弁当箱が転がっていた。

 蓋を開けた状態から完全に真っ逆さまにひっくり返っているので、もうその中身に手を付けることはできないだろう。

 

「ご、ごめんなさいっ……そんなつもりじゃあ……!」

 

 頭に上っていた血が、さあっと一気に降りた。とんでもないことをしてしまったという後悔が喉につまり、それ以上の言葉を継ぐことを許さなかった。

 

「……ううん、大丈夫」

 

 落としたものをそのままにはしておけないと、なのははひっくり返った弁当箱を片付け始めた。フェイトは無意識のうちに伸ばした手を宙ぶらりんにしたまま、ただ見ていることしかできなかった。

 しばらくして片付け終わったなのはは、ぐちゃぐちゃになってしまった中身を隠すように蓋を閉めて、ぽつりと呟いた。

 

「落としちゃったものは仕方ないね」

「…………」

 

 フェイトは何も言えない。きっと何か声をかけなければいけない。でも、何を言っていいのかわからなかった。

 フェイトは動けない。きっと謝らなければならない。でも、どう謝ればいいのかわからなかった。

 ただ、ここで『逃げる』という選択肢だけは欠片も思い浮かばない辺りが、フェイトの生来の性根を物語っているのだろう。

 それを察してかどうか、高町なのはは少しだけ笑う。そして、ベンチに残っていたもうひとつのお弁当箱を開いた。箸を手に取り、おかずのひとつを手に、こう言うのだ。

 

「うん、仕方ないから――――二人で半分こだね」

「……え?」

「はい、あーん、して?」

「え、え? ……え?」

 

 意味がわからずポカンと口を開けたフェイトに、――――なのはが卵焼きを突っ込んだ。

 

「あむっ!?」

 

 口に物が入った感触に、反射的に口を閉じた。

 舌に感じたほのかな甘さに、食べ物であると脳に認識が及び、混乱の渦中にあったフェイトは何も考えられずに咀嚼を始める。

 そして卵焼きが喉を通って行ったあたりで、なのはから声がかけられる。

 

「おいしい?」

「おいしい……」

 

 思わずそう返してしまって、やっと我に返ったフェイトは顔が熱くなった。

 そんなフェイトに構わず、なのははさらに次のおかずに箸を伸ばした。

 

「じゃあ次はタコさんウィンナーね。はい、あーん」

「たこさん……? いや、そうじゃなくて……!」

「あ、そうだね。私も食べないと。はい、お箸使える?」

「使えるけど……え? いや、どうして渡してくるの!?」

「あーん」

 

 そういって餌付けを待つ雛鳥のように口を開ける高町なのは。

 フェイトは手に握らされた箸と、目の前の少女と、お弁当箱へと視線を往復させる。

 どうしろと。いや、何を求められているかはわかるが、どうして。なんで。なにが、どうして、こうなった。

 フェイトが挙動不審にうろたえている間も、なのはは一向に雛鳥ごっこをやめようとしない。

 そのうち、なのはの口の端からよだれが垂れそうになっているのを見て、慌ててフェイトは目についたおかずをつかみ、その口へと放り込んだ。

 

「あむ。んー、おいひい」

「そ、そう……」

 

 満足そうにうなずくなのは。

 混乱した頭で生返事をするフェイト。

 

「じゃあ次は私の番だね」

「ええぇ……」

 

 終始、押してくるなのはにたじたじとなり、結局お弁当の中が空になるまで食べさせ合いっこを堪能させられたのだった。

 




温泉回なんてなかった。


 お気づきかもしれませんが、各話のタイトルはアニメのタイトルをもじっています。
 が、今回の「ここは湯のまち、海鳴温泉なの」はどうしようもなかった。せめてお風呂シーンでも入れようかと思ったが、話の流れ的に断念。
 実に無念である。紳士諸兄には謝罪を申し上げたい所存。


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