いいよね、自分の好きな感じで書いて。
一応シリーズにしてますが、続きは未定です。
〈1〉
6月、職場見学も間近なある日、おれは、というか結果的におれ達奉仕部は、おれの妹である小町からの依頼を受けることになった。
小町のオトモダチ、川崎大志の姉、総武高校2-Fの川崎沙希(黒レース)の朝帰りをやめさせる。
依頼はひとまず解消し、あとは川崎次第といったところだ。
週が明け、職場見学、更に定期テストを控えている俺は、部室で早めの試験勉強をしていた。忙しい部活に入っていないメリットの一つだ。運動部はもちろん、活動に力を入れている文化部も、部活動が停止される試験1週間前までは中々思うように時間を取ることが出来ない。進学校ゆえ、それでも自宅に戻れば予習復習くらいはしているのだろうが、この学校の試験はそれだけやっていればいいわけでもない。それだけやっていても7割程度は取れるのだが、そこは流石に進学校、応用問題や発展問題も抑えておかないとそれ以上の成績は望めない。
ていうか由比ヶ浜さん、あなたやたらと余裕そうだけど大丈夫なのかしら?普段の言動を見るに、軽い復習すらしていないようなのだけれど。…と雪ノ下口調で考えていると本人から軽く睨まれた。心読まないで下さい。
俺が教科書を開いて少し経ったあたりだろうか。滅多に鳴らないドアがノックされた。
「…どうぞ」
いやそんなに訝しむこともないと思うんだが。ドアの向こうは不審者確定してるわけじゃ…あ、材木座を疑ってるのか。じゃあしょうがないな。
「…失礼します」
だが、入って来たのは、予想とは大幅に違う、ロングポニーテールのよく似合う、スタイルが抜群に良い美少女だった」
「びっ…びしょっ……な、何いってんの、ばかじゃないの…」
あ。また声に出てたのか。
俺はいそいそと帰り支度をし始めた。
「え、ちょっとヒッキー?何帰ろうとしてんの!?てゆか今のは何!?」
「うるさい、俺はすぐに帰って枕に顔埋めて足バタバタするので忙しいんだじゃあな」
「待ちなさい誑し谷くん、貴方が恥ずかしがるのは勝手だけれど、川崎さんの話を聞いてからになさい。備品なのだから」
「備品なのかよ。…で、川、川…さんは今日はどうした、今度は弟が朝帰りか?」
「数秒前に聞いた名前を忘れんじゃないよ。か・わ・さ・き。今度忘れたらあんたの顔を真っ赤に染めるよ。血で」
こええよ、あとこわい。やりかねない感じがプンプンするよ。
「まあそこの備品はおいといて。今日はどうしたのかしら、川崎さん」
「あ、ああ。…あのさ、その前に聞きたいんだけど、比企谷の扱いはいつもこんななの?」
「ええ、そうよ。物言う備品として日々役に…それほど立っていないけれど、大体そこに座ってるわ、備品として」
「そ、そう…。あのさ、今日ここに来たのは、こないだの件のお礼を言いたかったんだ」
「えーそんな、気にしなくていいのに」
あれおかしいな、このアホの子が何をしたんだろう。
「あのあと家で両親と話し合ったんだ。まぁ細かいところは省くけど、丸く収まったよ。もしスカラシップが取れなくても、学費のことは気にしなくていいって言ってくれた。…雪ノ下、その、こないだは…ごめん」
「川崎さん…。この間のことは私も謝らないといけないわ。その気はなかったにせよ、結果的には家庭の事情に土足で足を踏み入れて感情的になってしまった。ごめんなさい」
「ゆきのん…」
「由比ヶ浜、あんたも心配してくれたんでしょ、ありがとうね」
「う、ううん、いいの!あたしは何にも出来なかったし!あときれいなドレスも着れたし!」
「着られたし、な。…用はそれだけか、なら俺は帰って枕に「比企谷」…なんだよ」
「う…その…あ、あんたのおかげで助かったよ、あ、ありがと…」
「…俺は何もしてねえ。そもそもあの予備校のスカラシップは俺も狙ってんだ。ライバル増やしてどうすんだって後悔してるまである」
「あ、ご、ごめ「あやまんな」…え」
「だから何もしてねえつってんだろ。取れるかどうかはお前次第だしな」
「もうヒッキーは…」
「捻くれてるというより、捻り上がってるわね、この男は」
まあ、解決したならそれでいい。これであの虫も小町に近づく理由もないだろう。あの野郎今度並んで歩いてやがったらただじゃすまさねぇ。
「で、昨日資料を取りに進路指導室に行ったんだけどね。そうしたら廊下で独神…平塚先生に会ったんだよ」
あ、なんかもう想像出来た。
「なんか涙目でこっち見てくるからさ。なんですかって聞いたらガン付けられてね」
大人げねえな先生。
「…大人げないわね」
珍しく意見が合うな雪ノ下。
そこまで聞いた時、噂の名前を言ってはいけない大人げない人が現れた。
「お邪魔するよ。…ああ、もうこっちにいたのか川崎」
「先生、ノックを」
「まあ細かいことは気にするな。…みんないるな。比企谷はどうした、荷物なんか持って」
「あ、いやそのこれは」
「まあいい、とりあえず連絡事項だ。…新部員が増えるぞ」
「え!?誰々!?」
「今お前の眼の前にいるだろう由比ヶ浜。バイトなり家の手伝いなりがあるそうだから毎日というわけでもないが、川崎が今日から入部することになった」
「…よろしく」
〈2〉
「川崎さんが入部?どういうことですか?」
「ん、なんだ雪ノ下、川崎が入るのは不満か?」
「そういうことではありません。入ること自体は問題ありませんが、そこのひき、が、える?くんのように強制入部ということですか?」
「え、あんた強制入部だったの?っていうか強制って…」
「ぼっちで目が腐ってるから入ったんだよね、ヒッキー」
「…入れさせられたんだよ、腹殴られてな。あと目は濁ってるだけだ、腐ってねえ」
「先生…」
「い、いや、川崎は違うぞ。確かに誘いはしたが、あくまでも自分の意志でだ。川崎も余り他人とのコミュニケーションが得意ではないようだし、丁度いいかと思ってな」
部員4人中3人がぼっちってどうなの?それぼっちなの?ぼっちだよ?とりあえず由比ヶ浜がすごく疲れることになるんじゃないかと思うんだけどそれは気にしないの?まあいいけど。
「でも、バイトはともかく家事の手伝いとかあるから、毎日来られるわけでもないけどね。妹を保育園に迎えに行かないといけないし」
「え、サッキー妹さんいるんだ!」
「…さっきー?」
「うん、川崎沙希だからサッキー。あ、でもヒッキーと被っちゃうな…」
俺と被ったからなんだってんだ、雪ノ下が早くも顔真っ赤にして笑い堪えてるじゃねえか。ていうかまずヒッキーを止めろ。それで解決だ。
「ゆ、由比ヶ浜さん、それはさすがにあんまりじゃないかしら。比企谷くんと被るなんて、屈辱以外の何物でもないわ」
「いいじゃねえかサッキー、そんで俺と被るのが屈辱なら俺の方を止めろ。そもそも俺はヒッキーを認めたわけじゃねえ」
「えーダメだよ、ヒッキーはヒッキーだもん」
違うっつんだよアホの子が。おい川なんとかさん、俺をちょっと憐れむ感じの目で見るんじゃねえ。
「はあ…。まあなんでもいいけど、とりあえずそういうわけだから。妹迎えにいくのは大志と交替で行くから、あたしは週3日くらいかな。それで良ければお世話になるよ」
「…そう、構わないわ。ようこそ奉仕部へ、歓迎するわ川崎さん」
微妙なタイミングで、奉仕部の部員が一人増えることになった。
…なんだこれ。
〈3〉
「チェーンメール?」
「そう。もうやんなるよね、こういうの」
由比ヶ浜が苦い顔をする。
平塚先生が職員室も戻った後、しばらくは川崎を質問攻めにしていた由比ヶ浜だったが、困り果てた川崎がテスト勉強を始めると、いつもの様にポチポチとスマホを弄り始めていたのだった。
「チェーンメール…人として最低の行為ね」
いや、割ともっとありそうだが。
「ねえ、ヒッキー…はないか、サッキーは届いてない?」
ねえ、なんで俺除いたの?いや来てないけど。ていうかメアド教える相手がいないけど。そもそも分かってんなら最初から俺の名前を出すんじゃねえよ。無駄に傷つくだろ。
「ないよ。あたしのメアド知ってる奴なんていないしね」
「え、あ、そうなんだ…」
思えば川崎は孤高なのだろう。結果的には俺と変わらないが、恐らく身の置き所が違う。さっきの話や弟とのやり取りからして、家族とはちゃんとコミュニケーションを取るが、それ以外には必要最低限の会話しかしてこなかったのだと思う。知らない人間から急に話しかけられるとしどろもどろになるのは、暗がりからいきなり人が出てきてビックリ、みたいなことと大差ない。会話することさえ判っていれば、普通の会話は当たり前に出来る。会話が成立する前に煙に巻こうとする俺とは何かが違う。きっとそれが、孤独と孤高の違いなのだろう。多分。しらんけど。
会話が途切れ、また静かな時間が戻ってきていた。雪ノ下のページをめくる音、由比ヶ浜のスマホを落とす音、おいおい気をつけろよ。そして、俺と川崎のシャーペンを走らせる音だけがこの場を支配していた。
そろそろ下校時刻になろうかという頃合いである。区切りもいいし、あとは家でやるかと筆記用具をしまおうと顔をあげると、同じように筆箱を手にした川崎と目があった。あら、気が合いますね川崎さん。いやだからちょっとびっくりした顔でこっち見ないで。あと顔が少し赤くなってますけど俺の顔はわいせつ物ではないですよ?」
「…いや、あんた…目が…」
「この目は濁ってるだけだ。腐ってはいない。断じて」
「いや、逆」
「は?」
「目が濁ってない」
「…そういえばそうね。なにかしら、ドライアイ?」
「乾くと濁りが取れるのかよ…」
ふいにとんとんとん、とドアが3回ノックされ、答える間もなく先日の金髪イケメンが現れた。
「失礼するよ。こんな時間に申し訳ない、部活で手が離せなくて…」
「能書きはいいわ。何か用かしら、葉山くん」
なんか当たりが強いな。まぁ戸塚の件で思う所があるとかなんだろう。
「ごめん雪乃ちゃん、ちょっと相談があるんだ。って、川崎さん?」
「名前で呼ばないでもらえるかしら?率直に言って不愉快だわ。相談があるのは分かっています。その上で何用かを聞いているのだけれど。あと、川崎さんは今日からうちの部員よ」
…雪乃ちゃん?こいつら知り合いかなんかか?…そういえばテニスコートでもそう呼んでた気がするな。
「そうなんだ、ちょっと意外だな。部活には入らないタイプだと思っていたけど」
「…いちゃ悪いってんならあたしは帰るよ。勝手にタイプがどうとか言われるのも嫌だしね」
「ちょっと待って川崎さん。葉山くん、いい加減に話してもらえるかしら。まだ引き伸ばすなら私達はもう帰るけれど。あとは由比ヶ浜さんなり、そこの備品なりに明日でも話してみたらいいんじゃないかしら」
「す、すまない。…これを見てほしいんだ」
「あ、これ…」
葉山が出したスマホにはメール受信画面が出ていた。
「これだよ、あたしの所にも来たやつ」
「戸部、大和、大岡…あんたらが教室でつるんでる奴らじゃん」
「へえ。戸部が不良で大和がタラシ、大岡がダーティプレイヤー…これがどうかしたか?」
「あいつらはこんなやつらじゃない。このメールを止めたいんだ」
「無理でしょ」
「え?」
「いや、止めるも何も、もう出回ってるんでしょこれ。もう結構見てる人いるんじゃないの?じゃあ止めたってしょうがないでしょ」
確かに。
「でも、これが出回ってからクラスの雰囲気が悪くてね。友達を悪く言われるのも嫌だし…なんとかしたいんだ」
「うーん…たしかにあんまり良くないよね…」
「そうなのか?川崎」
「あたしに聞かないでよ。知ってるわけないでしょ」
「二人とも…」
雪ノ下に呆れられた。なぜだ。
「それで、これを回した犯人を見つけたいということかしら?」
「いや、犯人を見つけたい訳じゃないんだ。むしろ出来るだけ穏便に済ませたい」
「もう出回ってる時点で穏便も何もないだろ。川崎もさっき言ってたじゃねえか」
「でもさ、なんでこんなの出回ったのかな?最近急にだよ?」
「ああ。俺もそれが気になってるんだ」
最近か。しかも葉山のグループの男。
…グループ。
「雪ノ下、職場見学のグループ、何人で作るんだっけか?」
「…なるほどね」
「え、ゆきのん分かったの?」
「…確か3人だったね」
「そうね。葉山くんのグループの男子は全部で4人。1人あぶれることになるわね」
「…まさか」
「そう。犯人はこの3人の中にいる可能性が非常に高い」
「え、でもさ、みんな悪口書かれてるよ?違う人なんじゃない?」
「…そう思うように書いたんだろ。俺なら敢えて自分以外の悪口を書かずにそいつを排除する」
「…えげつないね…わかるけど…」
わかっちゃいますか川崎さん。
「待ってくれ!この中に犯人がいるなんて、俺はそんな風に思いたくない!」
「お前が思いたくなかろうが、そんなことは関係ない。どうしても思いたくないなら勝手にすればいい。だが悪いが、俺はその線が一番濃厚だと思うぞ」
「そうね、同じ意見なのは誠に遺憾なのだけれど、私も比企谷くんの意見に賛成するわ。遺憾なのだけれど」
どんだけ遺憾なんだよ。
「…ねえ、ちょっと思ったんだけど」
「どうしたのかしら、川崎さん」
「この3人で組むようにすればいいんじゃないの?犯人探したくないんならさ」
…確かに。
犯人を確定させたくはないが、どう考えても身内3人の犯行であるとするならば、被疑者をひとまとめにしてしまうのが一番楽な方法だ。だが、それを自然に仕向けることは果たして可能なのだろうか。
川崎のこの提案に、雪ノ下は少し驚いた顔に、葉山はかなり驚いた顔に、由比ヶ浜は頭から湯気が出ていた。オーバーヒートしてんじゃねえよ。
「川崎さんの意見は一理あるわね。ただ、私はやはり、犯人を特定するべきだと思うわ。この手のメールは、今は収まったとしても糾弾されることがなければまたいつか同じことが起こる。こういう卑怯な手を使う輩は、自分に被害が及ばなければ何度でも繰り返すわ。ソースは私」
「ヒッキーはどう思う?あたしは丸く収まるならその方がいいかも、ってちょっと思う、けど…」
「俺は…」
4人の目が俺に向く。やめて、注目集めたくない。
「正直、川崎の意見に賛同する。が、雪ノ下の主張も間違ってはいない。だが、犯人を探すとなると、この部の方針とちょっと話が違ってくるんじゃねえか?やり方を教えたところで、葉山がそうするとは思えねえしな。…まぁ仮に職場見学のグループが本当に原因になってるんだとしたら、ほっといてもいいんじゃねえかって気はするがな」
「どういうことかしら?」
「目がこええよ…。いや、職場見学は今週末だろ?それが終わりゃメールも勝手になくなるんじゃねえか?多分川崎の意見が一番傷が浅そうだが、その後あのグループのやつらがどうなろうと俺には関係ないしな。由比ヶ浜には悪いが」
「ヒッキー…」
「…てことで、方法は提示した。あとは葉山、お前がどうしたいかだけだ」
「…俺?」
「当たり前だ。魚の獲り方を教えるのがこの部の方針らしいんでな。実行に当たっての調査とかなら手伝うのもいいだろうが、方針を決めるのも、結論を出すのも葉山、お前がやらないといけないことだ。だろ?雪ノ下」
「はぁ…。そうね、確かに言う通りだわ。取り敢えずの解消案としては川崎さんの意見。根絶をご希望なら改めて案を出します。楽をするなら比企谷くんの意見ね」
待て待て、俺の意見は別に楽をさせる為に言ったわけじゃねえぞ。結果俺達が楽をするために言ったんだ。そもそも葉山は穏便にとかぬるいこと言ってんだから、根絶する気はないと思うぞ。
「…考えるよ。ありがとう雪ノ下さん、川崎さん、ヒキタニくん。結衣もありがとうな」
「いいよいいよ、頑張ってね葉山くん!」
「…さて、あたしは帰るよ。もういいよね?」
「そうね、お疲れ様。私達も帰りましょう」
「あ、その前に。…葉山、だっけ」
「…なんだい川崎さん?」
「あのさ、ヒキタニくんって誰?」
「え、…あ、その」
「もしさ、もし比企谷のことなんだとしたらだけど。知らなかったんならしょうがないけど、こいつはヒキガヤだから。親しくもない人間の名前を間違えるのは、忘れるより失礼なんじゃないの」
「川崎さん…」
「サッキー…」
「サッキーいうなってば…」
会話が続く中、俺は少し驚いていた。
俺の名前をわざと間違えるなんて些細な話だ。今更どうこう言うつもりもない。由比ヶ浜の付けるあだ名にちょっとからかいが入っただけの話だ。だが、川崎はそれを良しとはしなかった。恐らく川崎は、すごく真面目な人間なのだろう。実際バイトの件も、真面目で家族を想うが故の行動だった。ただ、それがひどく不器用で、一般的には理解されづらいだけなのだ。
俺のような、ちょっと知り合っただけの、ただ部活が一緒だというだけの人間のことも気にかける。
あっぶねえ、俺が中学の頃なら一発で惚れて告白してKO(物理)されるところだった。
「じゃ、あたしは帰るから」
「お疲れ様、サッキー!」
「川崎さんお疲れ様、遅くなっちゃってごめんなさいね」
「あぁ、葉山」
「な、なんだい、ヒキタニくん」
「…別に今更呼び名をどうとかは構わねえ。けど、人から受けた忠告は、最低その場だけでも守ったほうがいいと思うぞ」
「あ、ああ、気をつけるよ…みんな、今日はありがとう」
その後、チェーンメールはパタリと止んだ。結局川崎の案を採用したようだ。俺は戸塚と川崎で組んだのだが、直後に葉山が入れてくれと言ってきた。3人いるのでと断ったが、葉山があぶれているという状況は他のグループに知られることとなり、取り合いになりかけたが、丁度2人のグループがあり、そこに入れてもらったようだ。
だが、なんだかんだと色々あったこの騒動は、実に意外な展開を見せることになった。
俺達以外のグループの希望先が、みんな葉山と被ったのだ。というより、葉山の行く所にみんな行きたがった、ということになるのだろうか。
結果、チェーンメールも意味がなくなり、俺達はとんだ無駄骨を折ったことになる。
そして、俺達は。
「えっと、えっと、こっちのおにーちゃんがはーちゃんで、こっちのおにーちゃん?がさーかちゃん!」
「は、はーちゃん…」
「あはは、よろしくね、けーちゃん!」
「な、なんかごめんね…」
川崎のたっての希望により、川崎の妹、けーちゃんのいる保育園に行くことになり、そこでそれぞれが新しくあだ名を付けていただくことになったのだった。
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第2話。
相変わらずおれの好みで人物を動かしてます。
チョロいかな。チョロいかも。
〈1〉
職場見学は高校生3人が保育園児にぼろぼろにされ、敗北感にまみれつつがなく終了した。
「ちっちゃい子のパワーってすごいなぁ…」
「…おぅ…」
「2人ともごめん、まさかあんなにキツイとは…」
「お前のせいじゃねえよ。…しかし、先生のちびっ子いなしテクはハンパなかったな。慣れてるはずの川崎さえこんなんなってんのに…」
「けーちゃんっておとなしい方だったんだね…」
「でも八幡は大人気だったね。僕ちょっとびっくりしたよ。子供の扱いすごい上手なんだもん。川崎さんはもう流石って感じだったけど」
「小町のおかげっちゃおかげだな。でも人気で言えば戸塚がダントツだろ」
「…クククッ」
急になにかを思い出したように川崎が微笑う。
「…なんだよ」
「い、いや、あんた、男の子たちに大人気だったじゃん…ククッ」
「あー…あはは…」
「…うるせえよ」
俺、川崎、戸塚はけーちゃんにより、それぞれ「はーちゃん」「さーちゃん」「さーかちゃん」という愛称を賜った。初めのうちは良かったが、慣れるとどこまでも悪ノリし始めるのが幼児のお約束である。そんな中、俺はいつしかガキンチョ達から「はーちゃんゾンビ」と呼ばれていた。いつ死んだんだよ俺。
「あれ、ヒッキー?」
「あ、結衣ちゃんだ、やっはろー」
「おつかれ」
「お前らも帰りか」
保育園を後にし、駅に向かって歩き出して程なく、俺達は葉山グループの連中と遭遇した。どうやら向こうの方が少し早く終わったようだ。
「やあ、ヒキタニくん達も今終わりかい、お疲れ様」
「…うす」
「…ヒキタニ?」
「川崎さん?」
やばい。川崎が葉山の俺への呼び方に引っかかってくれたのは正直嬉しくもあるが、今は向こうに由比ヶ浜がいる。ここでごちゃごちゃするのはあまりよろしくない。
「(川崎、今はいい)」
「(…そうかい)」
葉山達との間の緊張した空気を読んでか、戸塚が口を開いた。
「葉山くん達は駅の向こうの会社だったよね?三浦さん達は?」
「ああ、打ち上げをしようと思ってね、こっち側に優美子のおすすめの店があるらしくて、今そこを優美子と戸部が抑えに行ってるんだ。…良かったら一緒にどうだい?」
「そうだよ、ヒッキー達も行こうよ!」
「あたしは帰るよ、家のことやったらけーちゃ…妹を保育園に迎えに行くし」
「俺も帰る」
「僕も今日は帰ろうかな、ちょっと疲れちゃって。誘ってもらったのにごめんね?」
「そうか、じゃあまた学校で。お疲れ様」
俺達は再び家路につく。
「ヒッキー、ちょっと待って!」
「…帰りたいんだが」
俺の呟きには応えず、呼び止めた由比ヶ浜は葉山達から離れ、近寄ってきた。
川崎と戸塚も何事かと足を止める。
「ご、ごめんね急に。ちょっと話したいことがあって」
「急ぎじゃないなら明日にして欲しいんだが」
「急ぎ、じゃないんだけど、その、ちょっと2人だけで話があるというか…」
え、何それ、告白でもしちゃうの?俺に?
そんで色々話してるうちにフラれちゃうの?俺が?何それ理不尽。
ふと振り向くと川崎も戸塚も遥か遠くにいた。不意にスマホが震え、確認すると戸塚からだった。
「お先に!がんばってね!」
ちょっと待て、いや待ってください。
〈2〉
週が明けて月曜日。
放課後になり、奉仕部へと足を向ける。
「…うす」
「…や」
「…こんにちは、比企谷くん、川崎さん。出来ればもう少しちゃんと挨拶して欲しいものね」
「…おう」
「…ん」
いつものごとく雪ノ下が額に手をあて、おれと川崎はエコ返事をしつつ椅子に座った。
「紅茶、飲むかしら」
「ああ、すまん」
「ありがと」
雪ノ下が紅茶を淹れている間に、川崎が話しかけてきた。
「ねえ」
「おう」
「由比ヶ浜は?」
「…さあな」
「…あんたさ、先週…」
「…どうぞ」
ナイスだ雪ノ下。
先週末、職場見学の帰り、由比ヶ浜に声を掛けられた。その後、言い淀んだ由比ヶ浜に対し、俺が代わりに答えてやった。
「事故のことは気にしてない。だからお前がわざわざ俺のことを気にかける必要もない」
今日由比ヶ浜がここに来ないのは、恐らくそれが原因だ。雪ノ下とは友人関係になっているから来るかもしれない、とは思わないでもなかったが、気まずさの方が先に立ったのだろう。別に隠すような内容でもないのだが、俺と由比ヶ浜とのことなので、他人に気軽に話すようなものでもない。
「由比ヶ浜さんはしばらく休むそうよ」
「…そうか」
「比企谷くん」
「…なんだ」
「何があったかは知らないし、聞かないわ。でも、原因は知っているのでしょう」
「…」
「今週は様子を見るわ。でも、それまでに彼女が戻ってこなければ比企谷くん、あなたがなんとかなさい」
「雪ノ下は聞いたのか、理由を」
「詳しくは聞いていないわ。ただ、由比ヶ浜さんがここに来ない理由は限定される。私かあなたと何かがあった、くらいね」
「まぁ、あたしとは会話もほとんどしたことないからね。…比企谷、あの時何があったのさ。あんたと由比ヶ浜の話だしお門違いと言われりゃそれまでだけど、あの子教室でも心配されてたよ。元気ないしーとか」
「…解消は出来る。俺がここを辞めればあいつは戻ってくるだろ。問題は平塚先生が許可してくれるかどうかだが…」
「…あなた、由比ヶ浜さんに何をしたの?」
「…何もしてない。向こうが気に病んでることをなかったことにしただけだ」
そう。俺が何かをしたわけじゃない。去年の入学式の前、由比ヶ浜が散歩させていた犬が道路に飛び出し、それを偶々俺が見ていて、それとは知らずに助けただけだ。
その結果俺が車に撥ねられようと、結論を言えばそれは俺の運が悪かっただけで、撥ねた車も飛び出した犬も、偶々首輪が壊れているのを気づかなかった由比ヶ浜も、勝手に飛び出して勝手に怪我をした俺に恨まれる筋合いはない。正直、1年以上前の話を今更蒸し返されても困るのだ。当時はペットの管理も出来ねえのかと苛立ちもしたが、もう既に喉元どころか身体のどこにも残ってはいない。実際、ついこないだ小町から「お菓子の人」が由比ヶ浜だということは聞いたが、特に思うところはなかった。
そんなことをぽつりぽつりと話していくと、雪ノ下の顔がどんどん青くなっていった。
「…つまり、由比ヶ浜は俺に対して気まずい気持ちがあるからここに来ない。なら、俺がいなくなれば…どうした、雪ノ下」
「……」
「雪ノ下?」
「…私よ」
「なにが?」
「…比企谷くんを撥ねた車。…私が、乗っていたの」
〈3〉
「…そうか」
どんな言葉を掛ければいいか分からなかった。雪ノ下のせいではない。仮に車の方に責任があったとしても、ただの同乗者である雪ノ下にはなんの責任もない。現実には、交通ルールを守って走行していた車に、俺が突っ込んだ形になったのだから、行政上はともかく、心情としては被害者のそれに近いはずだ。だが、今の雪ノ下は、後悔の念にかられているように見える。責任感の強いやつだけに、撥ねられたの相手のことを初めて知り、それが同じ部活の人間だということで、尚更動揺しているのだろう。
俺も少なからず動揺していた。事故の件はとっくに手続きやらは終わっていて、入院費やら治療費、慰謝料などもかなり受け取ったらしい。俺自身は相手の車のことは一切知らされていない。知ったところで責めるつもりもなかったが、黒塗りのリムジンだったことから、どっかの偉い人の車だ、程度の認識だった。
それがまさか、中には同級生になる女子がいて、一年を経てそいつの部活に入れられるとは。
しかも、犬の飼い主も同じ部活にいる。
その関係は、ひどく歪なものに感じられた。
いつしか雪ノ下は顔を伏せ、膝に置いた掌を固く握りしめていた。
「…雪ノ下」
川崎が小さく呟く。ゆっくりと席を立ち、雪ノ下の前に立ち、優しく髪に触れる。雪ノ下はびくっと肩を震わせるが、川崎のされるがままになっていた。
「ね、あんたはどうしたい?」
「…どう、…て…?」
「1年前の事故に関わっていることを、あんたは今初めて知った。それも加害者側として。事故としてはもう解決してる。乗ってただけのあんたには何の落ち度もない」
「…でも、」
「うん。その被害者は、実はあんたの知り合いで、ほとんど毎日顔を突き合わせてる。知らなければそのままだっただろうけど、知ってしまった。あんたが嘘が嫌いで、馬鹿正直な人間だってのは、ここにいるやつは皆知ってる。あたしだって、ここに来てまだ日は経ってないけど、その程度は見てれば分かる。その上で聞くよ。…あんたは、比企谷に対して、まずどうしたい?」
「…ひ、きが、やくん…」
「…なんだ」
「ご、めんなさい…。私、知らなくて、ぜんぜん、しらなくって…」
誰だこいつは。これは俺の知る、傲慢で、正直で、不遜で、自分にも他人にも厳しくて、どこまでも自分の正義を信じて疑わない、あの雪ノ下には到底見えない。
「謝られる筋合いは「比企谷」」
川崎が俺を見ていた。責める様な目でも、まして同情の眼差しでもない。
ただ真っ直ぐに。
「考えな。雪ノ下の謝罪の意味を。分かんないなら、あんたの妹に置き換えてみな。そうしたらあんただったらわかるでしょ」
考える?何を?
雪ノ下は俺に謝罪した。これまで事故について知らなかったことを。それを知り、自分が間違っていると考えたからこそ、謝ってきた。その行為そのものは間違っていない。だが、その実はどうだろうか。この謝罪は、去年の事故についてなのか。だとすれば謝罪は不要だ。雪ノ下は事故の詳細を知らされていなかった。それはまあ分かる。運転手付きで学校に通うようなお嬢様だ、全ては親が処理し、本人には気にしなくていい、位のことを言ったのだろう。雪ノ下の家族のことは知らないが、これまで親の言うことをよく聞く「良い子」であっただろうことは想像出来る。だが、親の窺い知れぬ所で、つまりこの奉仕部で、彼女は真相を知った。今の彼女の頭の中は、後悔と謝罪しかないのだろう。
ふと、さっき川崎の言ったことが頭に入ってくる。小町に置き換えてみろと川崎は言った。もし小町が雪ノ下の立場だったら。俺はどうしたのだろう。小町はあれで、自分が悪いと思えば謝ることの出来るやつだ。普段の俺に対しての扱いが小町なりの甘えであることはとっくに分かっている。…雪ノ下の罵倒も甘えの一種…?
そういえば姉がいると言っていたな。印象としてはあまり上手くいっていないようだったが、この際それはいい。要は雪ノ下は「妹側」だということだ。彼女は無意識に妹側に立ち、兄側の俺に対して罵倒という甘えをしていた…?
いや、それはないだろう。俺と雪ノ下はそれほど親しい関係ではない。いくつかの案件を解消してはきたが、方法として褒められるようなことも特にしていない。俺を兄とみなす行為は存在しない。
一方、川崎は姉側の人間だ。言動や第一印象はともかく、その中身は面倒見の良い、家族想いの長女だ。ある部分で俺とものの見方は近いものがある。その川崎が小町と雪ノ下を置き換えてみろと言う。それは、つまり。
「分かった?なら雪ノ下に答えてあげな。小理屈はいいから、答えだけ。雪ノ下はあんたに謝ったよ」
…わかったよ。
「雪ノ下」
「っ…」
「わかった、許す。もう気に病むな」
「…え…」
「お前の謝罪は受け取った。言いたいことはあるが、それで気が晴れるなら、俺はお前を許す」
ちら、と川崎の顔が目の端に入った。
優しい微笑みが、そこにはあった。
〈4〉
「ありがとう、比企谷くん、もちろん川崎さんも」
「…ああ」
「あたしは外からやいやい言っただけだよ。事情もその時の心情も知らないから、無責任なこと言っちゃったかもしれないけど」
「そんなことはねえよ」
「…比企谷」
「ありがとな、川崎。小町に置き換えろってのはガツンと来たわ」
「あんたはシスコンだからね。そう言う方が分かりやすいかと思ってさ」
「…でも、どうしてかしら。私は比企谷くんを兄と思ったことはないし、そんな素振りもなかったと思うのだけれど」
「気質だよ」
「気質?」
「あたしん家はさ、あたしが一番上で、下に3人弟妹がいるんだ。両親は共稼ぎだから、自然と面倒を見る時間が増えてね。そういうのがなんとなくわかるんだ。あと他人と余り関わらずにきたから、余計に気づくことが多いのかもね」
「つまり、姉気質と妹気質ってことか」
「そ。あんたは典型的なダメ兄気質」
「うるせえよ」
「…を、演じてる」
「…は?」
「本当のダメな兄貴ってのは、妹のことなんか気にもしないし、何かあっても何もしない。でもあんたはそうじゃないでしょ」
「小町を気にしないなんて出来るものか。そんなことしたら親父にどんな目に合わされるか」
「ふ、そういうことにしとくよ。で、雪ノ下はあたしから見たらもう妹気質丸出しだからね」
「え、そ、そんなに?」
「この部に入ってから分かったんだけどね。どこを見て、てのは内緒にしとくよ」
こいつ、すげえな。ただのブラコンじゃねえ。筋金入りのブラコンでシスコンだ。勘違いして告白して弟扱いされたあげくに相手にされないまである。
今までの事を振り返ると良く分かる。最初こそ本気で拒絶されたんだろうが、戸塚のテニスコートの件あたりから、おれにぶつけてくる罵倒が変わってきたような気はする。何と言えばいいのか、例えば、少し楽しそうな。小町が俺にぶつけてくる罵倒にちょっとだけ似ている、そんな気がする。
「しゃべりすぎて疲れたよ。今日は帰らせてもらうね。…あ、あと比企谷」
「お、おう」
「由比ヶ浜は一人っ子だってさ。多分、『上がいないタイプの』ね」
「!」
「じゃ、お先に」
「そろそろ終わりにしましょう」
「おう、お疲れ」
「…川崎さんが帰る時の言葉、なんだったのかしら…」
「雪ノ下。…由比ヶ浜は俺が今週中に連れ戻す」
「…出来るのかしら?」
「ヒントはもらった。あとは答え合わせだ」
「そう。…彼女、すごいわね」
「だな。勝てる気がしねえわ」
「比企谷くんは判ったの?彼女の言葉」
「多分な」
「そう…」
「なんだよ?」
「比企谷くんも意外と侮れないのね。ちょっとだけ、ほんの少し、本当にゴマ粒くらい見直したわ」
「ゴマ粒とか随分評価高けえな。栄養価ばっちりじゃねえか」
「でも、彼女は一人っ子よ?私のことが参考になる気もしないのだけれど」
「…一人っ子にはな、『兄姉のいない一人っ子』と『弟妹のいない一人っ子』がいるらしいぞ」
「…なるほどね」
下の子は、悪いことをして反省したら、上の子に許されたくなる子が少なくない。
だから、上の子は下の子が反省していたら、許してやればいい。
ほんと、すげえよ川崎。
〈5〉
数日後。
「うす」
「…や」
「…こんにちは、比企谷くん、川崎さん」
いつもの場所に座り、俺が読みかけのラノベを開いた時、そろそろと扉が開いた。
「や、やっはろー…」
「!」
雪ノ下さん、顔が緩んできてますよ。
「…うす」
「…や」
「…こんにちは、由比ヶ浜さん。…おかえりなさい」
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EX・1「ぼっち×ぼっち=友」
オリジナル回です。ブリッジ的な?
取り急ぎ書いてすぐの投稿なので、ちょっとぐだってるかも。読みづらかったらごめんなさい。
誤字脱字等の修正は随時いれる、つもりです。
〈1〉
「…あっちぃ」
夏休み。
俺はスカラシップのため、夏休み初日からの前期夏期講習に参加している。内容はそれほどキツくはないが、エアコンをかけていても汗ばむ程の窓からの直射日光がキツイ。じゃあ窓から離れて座れというだろうが、日陰になる部分は既に遊び半分のリア充どもの居場所となっている。結果窓側に座ることになるのは、真面目に授業を受けに来ている俺達ぼっち組だけだ。達、といったが正確には俺の他には1人しかいない。そいつは現在、俺から3つ程前の席にいて、時折手で首元を扇いでいる。
川崎沙希である。
夏休み前、川崎の抱える問題を解決した結果、あいつは奉仕部に入ることになった。固有スキル「お姉ちゃん気質」をもって俺と由比ヶ浜、更には俺と雪ノ下の間にあった問題をさらっと解決に導いた川崎は、今度は自身の持つ「スカラシップを分捕る問題」を解決するべく、夏休み早々に夏期講習に来ているという訳だ。ちなみにけーちゃんと次男坊は保育園に行っているらしい。なんか雪ノ下達とそんな話をしてた気がする。
川崎は、常に他人との距離を一定に保つ。あの見た目だ、この講習でも初日は注目の的だった。だがあいつはそっちには目もくれず、かといって知り合いである俺とも軽い挨拶程度で、ひたすら授業に集中している。家では小さい妹弟の面倒を見て、講習ではきっちり授業を受けて、あげくに家事までこなす。そのスペックの高さは雪ノ下とはまた違う方向で完璧に近い。他人に対する当たりが強めなのが玉に瑕という所だろうが、元々独りを好む性格らしく、本人がそれを苦にする様子は全く無い。
「…ねえ」
そんな完璧お姉ちゃん超人サッキーが俺に話しかけてきたのは、午前の授業が終わった直後だった」
「サッキー言うなっての。あのさ、ちょっとさっきの授業で聞きたいことがあるんだけど」
「…飯買ってからでいいか。急がねえとあの購買、すぐ売り物がなくなっちまうんだ」
「あ、えっと…」
川崎は俺から目線を外し、少しもじもじしながら鞄から包みを出した。普段が普段だけにやたら可愛いんだけど。
「お礼っちゃなんだけど、多めにお弁当作ってきたからさ、それつまみながらでいい?」
「いや、それお前の分だろ?…まぁなんとなく入れ物がでかい気がするが」
「…いや、実はこれ、大志のなんだ。あいつも今塾の講習行ってるんだけど、あいつうっかりあたしのお弁当持って行っちゃったみたいでさ。流石にこの量はあたしだけじゃ食べられないから、どうせならあんたにも分けようかなって。あんた普段、購買のパンしか食べてないみたいだし」
「俺の食生活を何故知っている」
「そりゃ知ってるでしょうよ、いつもここでもそもそ食べてんだから」
そう、この予備校にはベストプレイスに出来るような場所がない。幸いリア充どもは外食なり、広い講義室の日陰で集まって食ってるので、自分の席にさえいればおのずと素敵ぼっちスペースが完成するのだ。
で、俺も川崎も、自分の席でぼっちメシを食ってるのであった。
「断る。周り見てみろ」
「ん?…あぁ、こっち見てるね」
「だから断る。わざわざ自分の評判落とす必要ないだろ。それに質問だったら講師に聞いてこいよ」
「ん、わかった」
よし、じゃあいよいよ購買に…っておい。
「なんでここで弁当広げてんだ。わかったんじゃねえのかよ」
「わかったよ。わかっただけだけど」
「は?」
「まぁいいから座りなよ。…あんたさ、周りを見てるようで全然見てないよね」
「そんなわけあるか。俺程周りを見てる奴なんかいねえよ」
「じゃあさ、ここであんた、何て言われてるか知ってる?」
「そんなん決まってんだろ。キモくて目の腐った、何考えてんだか分かんない奴とか」
「はずれ」
言いながら川崎は弁当箱のフタに中身を取り分けている。仕事はええなおい。
「あんた、割と評判いいんだよ。なんだっけ、『背筋伸ばせば悪くない』とか『授業真面目に受けてるから邪魔しないようにしよう』とか、あとは…」
「わかった。わかったけど、この目は隠しようがないだろうが」
「いや、見えてないんじゃないかな。逆光だし」
あ、なるほど。
「そうだ、あんたここではあたしの親戚ってことになってるから」
「…はぁ?」
「初日になんか張り付いてきためんどくさいのがいてね。悪いとは思ったけど名前借りちゃった。だから一緒にここでご飯食べてても別になんとも思われないよ」
そう言いながら川崎は、部活でたまにする綺麗な微笑みを見せた。
「さて、時間もあれだし食べちゃいな」
「…そういうことなら、じゃあいただくわ」
なんだこいつ。
何を企んでる?
〈2〉
川崎が企んでいるかどうかはともかく。
弁当はすげぇ美味かった。購買でご飯パックを買って、取り分けて貰ったおかずをつまんだ。
「…流石の家事スキル…」
「ん、割と上手く出来たね」
「いや、マジで美味いわ。わりいな」
「まぁ今日はね。もったいないから、食べてくれてこっちも助かったよ」
川崎の質問は古文で、まぁちょっとめんどくさい訳の部分だった。あれな、ちゃんと読み込まないと全然違う意味になっちゃう系。おれも少し前にハマったところだったから、なんとか上手く答えることが出来た。
「さて、ごちそうさん。今度なんかおごるわ。マッ缶とか」
「おそまつさん。マッ缶てあれかぁ…普通の缶コーヒーサイズなら悪くはないんだけどね」
「いやぁ、あれじゃ足りねえだろ。むしろ2リットルのペットとかあったら持ち歩くまである」
「それで血がドロドロになったら抉って抜いてあげるよ、部活のよしみで」
「やめろやめろ、獰猛に笑うな。…ん、わりぃ、メールだ」
「え、あんたに!?」
「驚きすぎだろ、小町だよ…え、なにこれ」
「どうしたのさ…あたしもメールだ、大志か…」
小町と大志はどうやら同じ塾で夏期講習を受けているらしい。あの小町も流石に焦ってきたらしく、夏期講習を受けてそのまま塾に通うことにした、と言っていた。それがあの小僧と同じ塾とは思わなかったが。大丈夫かな、お兄ちゃん信じてるからね。…とか言ってる場合じゃない。メールだ。そこには小町からこう書かれていた。
〈お兄ちゃん、小町は今日、大志くんと、大志くんのお家で、ご飯を食べます。うちには、何もないから、お兄ちゃんも、沙希さんと、一緒に来てね。小町がカレー作るよー!〉
「…何がどうなってこの状況だ…」
「あんたも内容同じみたいだね。妹さんがうちでカレー作るって?」
「おう。なんかお前と一緒に来いとか書いてあるんだけどどういうことだ大志の野郎」
「落ち着きなシスコン。大志の方はほら」
〈弁当間違えて持ってきたって比企谷さんと話してたら京華に会いたいって言われて夕方になるからお礼にごはん作るって言われた〉
「…大志これ、国語大丈夫か…?」
「いや、あんたの妹も割と心配なんだけど」
「句読点多いんだよなぁ…。まぁ小町は言い出したら聞かねえし、悪いけど小町をよろしく頼むわ」
「あんたも来いって言ってるけど?」
「行けるかよ。帰りに適当にサイゼでも行くわ」
「うちは別に構わないけど。どうせ妹迎えに来るんでしょ?」
「…お前、動じないな…」
「そういえばそうだね。多分あんたが動じまくってるからじゃないかな」
言いながら川崎はくつくつと笑う。くそう。
「けーちゃ…京華もあんたに会いたがってたし、まぁいいんじゃない?」
「……」
「奉仕部の連中だったら誰が来てもあたしは別に気にしないよ。スカラシップの礼くらいに思っときな」
言いながら川崎はひらひらと手を振り、自分の席に戻っていった。
なんだこれ。
これじゃあまるで、友達みたいじゃねえか。
〈3〉
「…うん、じゃあ帰るから。ん、ちゃんと耳摘んで連れていくよ。じゃあよろしくね」
予備校が終わり、俺は川崎に耳を摘まれていた。何故かは聞いてはいけない。しれっと逃げようとしたら先回りされて耳を摘まれた話なんてしたくない。
「諦めなって」
「いや、しかしな…」
「…あんたの可愛い妹が?あたしの可愛い弟と一緒にいるんだけど?」
「ほら何してるんだ皮先早く行くぞ」
「…あんた今、字の方間違えたね…」
「いてぇぇえええっ!捻り上げんな、お前はジャイアンのかーちゃんかよっ!」
「抉られてハラワタで縄跳びされないだけましだと思いな」
「お前のその時折出るバイオレンスなボキャブラリーはどうなってんだよ…」
ぶちぶち言った所で逃げられるわけでもなく。俺と川崎は自転車を取りに行った。
「道案内するから前走るけど、あんたどっかに逃げんじゃないよ?」
「今更逃げねえよ」
正直言えば、楽しみじゃないと言えば嘘になる。ついこの間まで赤の他人で、ちょっとしたことから挨拶くらいはするようになり、同じ部活になり。今はこうして相手、しかも女子の家に向かっている。
高校に上がる時、こういうことを期待しなかったわけではない。だが1年間、名前もまともに読まれない生活が続き、会話する機会など遅刻で呼び出しくらったときくらいだった。やがて、どうせ卒業するまでこのままだろう、大学では友達出来るかな、1人でいいから。くらいのつもりでいたわけで、この状況に浮かれるなと言われてもどうしようもない。しかも相当な美少女だ。ちょっとキツいし怖いし逆らえない空気を漂わせているが、その実、家族想いでガチなブラコン、スタイルも良けりゃ頭も切れる、非の打ち所のない美少女だ」
「…っ!だからっ!あんたほんと、バカなんじゃないのっ!?」
「なんだ急に。言われる程バカじゃねえぞ、数学以外は」
「ガチなブラコンとはどういうことさ!?おいガチなシスコン!」
「へ?別にそんなこと口に出しては…あ、もしかして」
「がっつり聞こえてるよっ!…たく、ほんと勘弁してよね…」
なんか、あれだね。俺の口はどうしてこう漏れるんだろうね。っていうかなんで今まで気づかなかったのかな。言われたことないんだよね。言ってくれる人もね。それだ。
それからは無言で自転車を走らせる。予備校からの距離は大体自転車で15分ほどだそうだ。ずっと着いてきてるのかそこら中にいるのか、アブラゼミがミンミンと多重音声で鳴いている。いつもならただ煩いとしか思わないそれが、なぜか少しだけ心地よかった。
10分ほど走った所で川崎が振り返った。
「ねえ、ちょっとそこのスーパー寄りたいんだけどいい?」
「おう、構わねえぞ。買い物か?」
「ん、止まってから大志に連絡しようかと思ってね。足りないのがあったらって」
「…お前ほんといい姉ちゃんなんだなぁ…」
「〜〜っ!…またあんたは…無意識なのが腹立つね…」
「何がだよ…着いたぞ」
自転車を駐輪場に置き、川崎はスマホを手にした。中途半端な時間なのか、駐輪場には俺達の他に自転車が3台程しか置かれていなかった。と、呼び出し音が鳴った。
「あれ、大志からだ」
「タイミングいいな」
「ん、ちょっとごめん…もしもし?なんか足りないもの…大志?」
川崎が訝しげに言う。数秒の間無言でいたが、やがて俺の方を向き、スマホを差し出してきた。
「どうした」
「ちょっとこれ聞いて」
「あ?なんなんだよ一体」
「いいから。…ちょっとスピーカーにする」
『…からやめてってば!はなしてよ!』
『謝っただろ!いいから離せよ!』
『あぁ!?ふざけんなよガキこら、人の車にチャリぶつけといてごめんなさいで済むか馬鹿野郎が!』
『そっちが急に出てきたんじゃん!』
『おーもうめんどくせえから女積んでいくべぇよ。目があるしよ』
『おら、来いよ早く!』
『やめろ…ガァッ!』
「大志!」
「小町…か?」
不意に違和感に気づいた。
スマホ以外からも聞こえてきている…?
「川崎」
「うるさい!大志が「落ち着け!」…」
「耳すませ。…気のせいじゃねえよな」
「…ここにいる…?」
「向こうの駐輪場か。行くぞ」
「!」
スーパーには駐輪場が2ヶ所。俺達のいるのとは逆側は、駐輪場と駐車場の出口が隣り合わせになっている。ここからは微妙に見えないが、小町のよく通る声は聞き間違えることはない。
果たして、小町と大志がいた。駐車場出口あたりに派手なワゴン車が停まっており、その前の方に見えた。
「小町!!」
「大志!!」
〈4〉
そこからのことは憶えていない。気がついたら俺は、嗅いだことのない良い匂いのする和室で身体を横たわらせていた。遠くで蝉がうるさく鳴いている。
「…あれ」
「気づいたかい?…小町、比企谷が起きたよ」
「お兄ちゃん!?」
ドタドタと足音を立てて小町が入ってきた。よそんちに来たらお行儀良くしなさい。…よそんち?
「…どこだここ」
「あたしんちだよ。あの後大変だったんだから」
頭の上から川崎の声がする。ていうか目開けてるはずなんだが暗くて何も見えない。…ん?んん!?
「きゃっ…急に頭起こすんじゃないよ。また目ぇ回しても知らないからね」
「いや、ちょ、おま、これっ」
枕かと思っていたそれは、川崎の太ももだった。…なんかこうむちっと、ぷりっと、安眠枕とか目がねえくらいに気持ち良かった」
「…そ、そうかい、それはよござんした…」
「おうどうした川崎、顔が真っ赤…ていうか!」
「おにいちゃん!どこか身体痛くない!?怪我してない!?」
「お、おう、そういやあちこち痛えな…怪我は擦り傷くらいか?…ていうかおれなんでこんなんなってんの?」
「お兄さん起きたんすね!…良かったぁ…ほんとありがとうございます!お兄さん達いなかったらどうなってたか…」
「お兄さんって言うなつってんだろ…お前らは大丈夫だったのか?」
「うん!おにいちゃんとおねえちゃんのおかげだよ!ありがとう…こわかったよぉ…」
目の前で可愛い妹が泣いてる。その光景を目にした時、思い出した。
「…川崎、あのチンピラはどうなった」
「あんたにビビってとっとと車乗って逃げてったよ。…ありがとね、大志も助けてもらっちゃって」
「いや、おれイマイチちゃんと思い出せてねえんだけど。…説明してくれねえか?」
3人の話を統合すると、つまりこういうことだった。
俺達が小町達の所に着いた時、大志は尻餅をつき、小町はまさに後ろのドアから引っ張り込まれる所だった。全力でそこまで走った俺はそのまま車に突っ込み、チンピラが驚いてる隙に小町を引っ張り出した。川崎は大志を起こし、大志はそのままスマホで現場を撮影したらしい。
「んだこらてめぇ!邪魔してんじゃね「っせぇんだこのチンピラがぁ!てめぇら俺の妹になにしてやがんだごらぁぁっ!!」」
あれ誰だこの声。俺の声はここまで低くない。こんな怒鳴ったりしない。こんなに怖くない。…あれ、これ俺?
「おらあああああっ!!」
俺の声をした、俺の姿の誰かが、近くにあった大志の自転車を片手で持ち上げていた。いやあれママチャリよ?20キロくらいあるじゃん。あんなこと出来るの、やっぱ俺じゃないと思うんだけど。
持ち上げた自転車をボンネットに叩き下ろす。ひしゃげた自転車はボンネットでバウンドした後、向こう側に消えていった。
「な、なんだてめぇ、やんのかごらぁ!」
「…うるせえ」
「ああ!?」
俺のような誰かが、チンピラに蹴りを入れていた。
「いい蹴り持ってるじゃない」
そういうことじゃないんですよ川崎さん。
「撮ったのはここまでっす。ちなみにこの後、お兄さんはチンピラを無表情でボコボコにしてました。車が逃げたあと急にぶっ倒れちゃったんで、運んできたんです。喧嘩強かったんすねぇ」
「…あれは俺じゃない」
「え?」
「あれは俺に似た誰かだ。俺は今まで喧嘩したことなんかないし、人を蹴ったこともねえ。チャリ片手で持ち上げてぶん投げるとか、俺に出来るわけねえだろ。…ていうか済まなかったな、あれじゃチャリぶっ壊れたろ」
「謝らないで下さいっす。…情けないけど俺、あんときほんと怖くて。…買い物しに来て姉ちゃんに電話すんの思い出して、自転車とめて電話したんす。で、その時比企谷さんのいたところにスーパーから出る車がきて…」
「小町の自転車の後ろタイヤに何かがとんって当たった気がして、見たら車のバンパーが当たってたの。通路ふさいじゃってたの気づかなくて、慌ててごめんなさいって言ったんだけど」
「それに気づいた大志が、あたしに電話かけっぱなしでフォローしようとして、それからはあたし達も聞いた通りだったみたい」
「ほんと、すいませんっした!ちゃんと守ってあげられなく「んなことねえよ」…お兄さん」
「お前はちゃんと小町を守ってくれたろ。…その、ありがとうな。お前がいなかったら間に合わなかったかもしれん」
「お兄さん…」
「だからお兄さんはやめろっつの」
言いながら俺は、無意識に大志の頭を撫でていた。
「おにいちゃん、ありがと。…ごめんね?」
「ん、気にすんな。…まぁ最初はお前がうっかりしてたんだろうが、ちゃんと謝ったんだ。車に傷でもつけてりゃまためんどくさいことになったんだろうが、俺っぽい誰かがチャリぶん投げてたからな、向こうも結局逃げたんだしほっときゃいいんだよ」
「まぁ、褒められたことじゃないけどね」
川崎が苦笑しながら言った。
「…そういや、確かもう1人いたろ、チンピラ。運転席にいたやつ。あいつどうなったんだ?」
「…」
川崎さん?
「車降りて来て俺の胸ぐら掴んだ途端、姉ちゃんにボコられてました…」
川崎さん…
「だって!とっさに!」
「わかってんよ。…川崎も済まなかったな、尻拭いみたいなことさせちまって。…ここまで連れてきてくれたんだろ?」
「…ま、まぁそのまま起きるまで待つのも暑いしさ、その…」
「おねえちゃんがおんぶして連れてきてくれたんだよ!良かったね!普通は逆だけど!」
「うるせぇよっ!ていうか、ああああっ!!また黒歴史がああっ!!」
ブチ切れて暴れて気ぃ失うとか恥ずかしすぎんだろ俺。
「…あ、けーちゃん達迎えに行かなきゃ。比企谷、悪いけど一緒に来てくれない?」
そういって川崎はちょっと目配せをした。…ちくしょう、格好いいなおい。
「おう、とりあえず動けるし、行ってくるわ」
「じゃあ小町達はカレー作って待ってるね!けーちゃんと会えるの楽しみー!」
「じゃあすいませんお兄さん、京華たちお願いします」
〈5〉
「わりぃな川崎」
「ん、何が?」
「気ぃ使ってくれたんだろ、俺がのたうち回りそうになってたから」
「…あたしもあんたもさ、弟や妹に無様晒したくはないでしょ?」
「…ほんと、かなわねえわ」
けーちゃん達を迎えに歩いて行く道すがら、俺は川崎とぽつぽつと話しながら歩いていた。西日がやたらと眩しい。早く沈んでくれよ、冬並みに。
「…あのさ」
「…どうしたよ」
「…あ、あんたに、ちょっと依頼したいことがあ、あるんだけど…」
「依頼?奉仕部としてか?」
「い、いや、あんた個人に、なんだけど」
「…奇遇だな」
「え?」
川崎家で目を覚ましてから、ずっと考えていた。
川崎沙希は、いいやつだ。
家族を大事にするだけじゃなく、俺みたいなやつにも気を使う。時にはさっきのように、弟を助けることも出来る。俺なんてほっとけばいいものを、わざわざ自宅まで運んで、あまつさえひ、膝枕、とか…。
多分俺は、川崎に嫌われてはいないのだろう。少なくとも同じ長子として、ある程度のシンパシーを感じてくれているとは思う。何故かと言えば、俺と川崎は、似た部分があるからだ。もちろん俺は川崎のように堂々とした人間じゃない。独りを好むのは一緒だが、こいつは「それが悪いか」といわんばかりに、当然のように独りでいることを良しとする。…でも、俺は。
「…川崎。俺もひとつ、依頼したいことがある」
「…な、なに?」
「…俺と、友達になってくれないか」
けーちゃん達を連れて帰り、カレーをごちそうになった帰り道。小町の自転車は大志の自転車が直るまで貸し出すことになり、小町は俺の自転車の荷台に乗っている。
「なあ小町」
「ん、なーにー?」
「俺な、女友達が出来たわ」
「…うん、知ってる」
「あだ名が増えちまった」
「…ハチ」
「あー、ようやく大志からお兄さんとか言われないですむわー」
「ハチさんって呼んでたもんね。でも、大志くんが『小町ちゃん』て呼ぶのも認めるとは思わなかったなー」
「…あいつ、逃げなかったからな」
「うん。正直小町も見直したよ」
「でもな!オトモダチとしてだからな!名前で分けないと混乱するからってだけだからな!」
「わかってるよー。大志くんは霊長類オトモダチ目だもん。…今はね」
「ん、なんてー?」
「なんでもないよー。でもおにいちゃんは大丈夫?」
「なにが?」
「今度から沙希おねえちゃんのこと名前で呼ぶことになったじゃん」
「…ぐ…」
俺と川崎、沙希の依頼は全く同じものだった。「ひ、独り同士だし、そういうのもいいかと思って」だそうだが、あの時の沙希の、真っ赤になった顔が目の裏から離れない。
予備校で俺を親戚だと発言したのは、いわゆる男避けのためだったと謝罪された。同じ部活ということで気安いから、というのと、あの時点で俺と友達になりたい、という気持ちがあったらしい。先に言わなくてごめん、と繰り返し謝られたが、今となっては一向に構わない。俺と沙希が友達、というよりむしろ説得力がある。まぁそれにしても。
女友達、か。
いいかもな、こういうのも。
次は林間学校です。さて、どう書こう。
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第3話の1。
相変わらずのチョロい世界観ですが、幸せならいいじゃない。ね。
〈1〉
「……ん、メール」
「おれもだ。……嫌な予感がする」
「奇遇だね、あたしもだよ……」
前期夏期講習最終日。漢字が多いな。
今日の講習が終われば、あとは夏休みだ。とりあえず俺と沙希はこの後、小町、大志、彩加と合流して夕食を一緒に食べることになっている。
沙希と友人関係になって以来、一緒に行動することが増えた。付き合ってるのかと勘ぐられることもあったようだが、直接聞きに来るやつもいないので詳しくは知らない。まあ基本的に同じ講習を受けているので、ほとんど毎日顔を合わせることになる。いつしか俺達は気心の知れた仲、という感じになっていた。
一度、彩加と三人で出かけたことがある。その時、俺と沙希はいつもの様に名前で呼び合っていたのだが、彩加には大層驚かれ、
「僕のことも名前で呼んでよね」
と言われた。沙希も同じように言われ、三人は名前で呼び合う友達関係、ということになったのだが何よこの夏、俺リア充デビューじゃね?
などと思っていたらこのメールだ。届いた瞬間、ちょっとスマホが重くなった気がしたのは多分気のせいじゃない。なぜなら、平塚先生からのメールだからである。色々重たい。
「…CCで送ってきてるな」
「あたしとハチだけしかアドレス出てないね。雪ノ下達には届いてないのかな」
「内容が違うのかもな。……なっげぇ」
「……」
「ん、なにしてんだ?」
「返信」
「マジか、あれ全部読んだのかよ……」
速読ってレベルじゃねえぞ。
「読んでないよ。長いから読む気がしないので要旨だけ書いて送るようにって。いつも先生が言ってるじゃん」
「お前すげぇな……」
「あんた達がビビりすぎなんだよ……と、送信」
攻撃的なやつだな。でも間違ってはいない。先生から俺達にということは、まず間違いなく奉仕部絡みだ。今は夏休みなので活動自体もしていないんだが、そんな中でメールしてくるということは、それなりに急ぎの案件なのだろう。平塚先生のメールはいつも、すごく綺麗な日本語で、すごく綺麗な文章で、すごく後ろの方に要件が書かれている。それはそれでまあ悪いわけではないのだが、急ぎの案件の場合は困る。これで大した用じゃなかったりすると大変困る。つい返信が『そうすか』だけになったりしてもしょうがないんじゃないだろうか。
沙希が返信してものの数分で、先生からのメールが返ってきたようだ。
『今週末、千葉村に行く小学生の林間学校にボランティアとして参加する。奉仕部の活動の一環としてなので、極力参加するように。尚、自分で面倒を見る事が出来る限り、弟妹は連れてきても構わない。ちなみに旅費宿泊費等の費用は学校持ち』
「俺んとこには来てねえぞ」
「だってあんた返信してないじゃん。どうする、連名で返事しとく?」
「不参加で」
「言うと思ったよ……あ、またメール来た」
「今度は俺にも来たな……げ」
「ぷっ。完全に読まれてるねあんた」
再び俺にも来たメールには、こう書かれていた。
『比企谷は参加確定。予定は妹さんから聞き取り済み』
……あの独神、いつ小町の連絡先を。
〈2〉
「小町ー、いってくるなー」
「はーい、いってらっしゃーい。お土産は沙希お姉ちゃんでー」
「あほか。じゃあ講習頑張れよ」
結局林間学校のボランティアには参加させられることになった。渋々。決め手はけーちゃんの「さーちゃんとはーちゃんもいっしょならいくー」という一言だった。キラッキラした目で言われちゃったらそりゃ逆らえねえだろ。奉仕部4人にけーちゃん、それになんと彩加も来るらしい。なにこの充実感。一瞬自分がリア充かと勘違いしてしまうレベル。ちなみに大志は小町と同じく講習、次男坊は親戚の家にホームステイだそうだ。
川崎の家は、俺の家から割と近い。自転車なら15分くらいというところか。なので俺と川崎姉妹は、川崎の家で平塚先生に拾ってもらうことになっていた。
「おはようハチ。ちゃんと時間通りに来たじゃない」
「はーちゃんおはよー!」
「おう、おはような。小町が今日から講習だからよ、それに合わせて叩き起こされたんだよ」
「え、大志まだ寝てるよ?今日は午後からだって言ってたけど」
「え、マジか」
気を遣わせちまったかな。ボランティアとはいえ、俺が夏休みに出かける、しかも友人や知り合いと一緒と聞いて、小町は自分のことのように喜んでいた。けど小町ちゃん、おにいちゃんを「このぼっちが」とか連呼するのはやめよう?
「出来た妹じゃない」
「まったくだ。……来たみたいだな」
でっかいミニバンが川崎家の前に停まった。平塚先生が運転席から降りてきた。同時に後ろのドアが開き、雪ノ下、由比ヶ浜、彩加も降りてくる。
「おはよう。2人とも遅刻しなかったようだな」
「……ども」
「ねーねーはーちゃん、あのおばちゃんだぁれー?」
「「ぶふぉっ!!」」
俺と川崎は思わず同時に吹き出してしまった。見ると先生の顔が赤くなったり青くなったりしつつ、濃いめの灰色に落ち着く。駄目です先生、それは人間の顔色じゃないです。
「お……おばちゃん……ま、まぁそうか、幼児から見れば確かにおばちゃんだな。高校生も似たようなもんだけどな!はははっ!!」
「先生、それは流石に無理があるかと……」
「せんせー?おばちゃん、せんせーなの?」
「ごふっ……そうだよ、君のお姉さん達の先生で、平塚静だ。君はなんてお名前かな?」
「けーか、きみっておなまえじゃないもん。かわさきけーかですっ」
「お、ちゃんとご挨拶出来たな、えらいぞけーちゃん」
「ひらつか、しずか……しーちゃんせんせーだ!」
「おふぅっ!!」
先生は遂に膝から崩れ落ちた。けーちゃんの天使っぷりに完全にやられている。わかります、わかりますよ先生。けーちゃんのあだ名スキルは、付けられた相手を否応なしに癒す。癒してしまう。どっかの残念あだ名メーカーとはえらい違いである。
「……なんか今ヒッキーがムカつくこと考えた気がするし」
エスパーかよ。
「これで揃ったな。では行くとしよう。……ああ比企谷、君は助手席だ」
「えぇ……」
「何か文句でもあるのかね?道中独り寂しく運転する私の話し相手になってくれたまえ」
「けーか、はーちゃんとさーちゃんのおとなりがいい」
「ぐぅっ……」
「ほら、けーちゃんもああ言ってることですし。後ろは3人席が2列だし、丁度いいでしょう」
「くっ……し、仕方あるまい。では雪ノ下……はもう寝てるのか。しょうがないな」
いや、あれ寝たふりですからね。寄りかかられた由比ヶ浜がなんかあたふたしてるけど、顔の緩みがえらいことになっている。
ともあれ、千葉村林間学校ボランティア一味は、千葉市を後にしたのであった。
〈3〉
「ハチ」
「どした」
「けーちゃん寝ちゃったみたい」
「だな。……まだもう少しあるみたいだし、沙希も寝てていいぞ。けーちゃんは俺が見てっから」「……え、沙希ってヒッキー……」
「結衣ちゃん、ちょっと。けーちゃん起きちゃうから僕が話すよ」
すっかり癖になってしまった。そういえば俺ら3人以外は、お互いを名前で呼ぶようになったことを知らないんだった。沙希を見ると「やっべぇ」って顔をしている。まあな、お前が先にハチっつったんだからな。雪ノ下があのまま寝てくれて助かった。聞かれてたら俺の生命が。リアルで。
後ろの席では由比ヶ浜に戸塚がぽしょぽしょと説明している。ちくしょう由比ヶ浜め、オイシイ所持っていきやがって。途中「いいなぁ……」とか聞こえたけど気にしない。沙希の小鼻がちょっと膨らんだけど何それ可愛い。
そうこうしてるうちに、どうやら千葉村に着いたようだ。その頃には俺以外ほとんど寝ていたので、結局俺が先生の話し相手になるのは変わらなかった。みんなに声をかけて起こし、寝惚けたけーちゃんが俺に抱っこをねだってきたので抱っこしてやる。慣れたものである。沙希はと言えば、
「あ、ほら雪ノ下、これで口。ちょっと出てるから、よだれ」
「……にゃ?……に、え、あ、わ」
「うっわ、ゆきのん可愛えぇ……」
謝罪の一件以来、どうも雪ノ下の妹化が激しくなっている気がする。普段はいつもの雪ノ下だが、ちょっと油断するとさっきのような反応をする。大変可愛らしいが、照れ隠しに俺を射殺すような眼で見るのはやめて下さい。俺のせいじゃねえし。
そんな雪ノ下を大層可愛がっているのが由比ヶ浜だ。妹系一人っ子と評された由比ヶ浜だが、この状態の雪ノ下には思う所があるらしく、最近ではちょっとお姉さんぶってみたりすることがある。その度に雪ノ下は照れ、後に冷静になってから的確に急所にツッコミを入れている。
そういえば雪ノ下は、俺に対しても随分とアタリが柔らかくなった。相変わらず弄りはするものの、罵倒という感じがなくなってきている。以前は俺を備品と言って憚らなかったが、最近は「○○谷くん」的な物言いも余りしない。沙希への態度に至っては、もう完全に甘えていると言っていい。
もしかしたら雪ノ下は、面と向かって人に甘えたことがないのかもしれない。まだ高校生の箱入りだ、勿論甘やかされたり許容されて生きてきたのだろうが、それはあくまでも彼女が「受けてきたこと」であって、能動的に彼女から甘えることの出来る人が周りにいなかったのではないだろうか。
甘えることと甘やかされることは違う。
前者は本人が、自分にとって必要だからすることで、後者は他人が本人にしてあげたいからすることだ。そして甘やかされることを享受するだけの存在はやがて、傲慢な人格になっていく。本人の望む望まないに関わらず、依存し、それを自分では気づかず、自分の周りの環境を当たり前だと思って育つ。計らずもそれが表に出たのが、沙希のバイトの件だ。そして沙希の入部からの経緯で、雪ノ下は「甘える」ことを知り、俺や周囲への罵倒を「甘え」であったことを理解した。俺の勝手な推論ではあるが、ある程度当たっているんじゃないかと思う。
今の彼女にとって、沙希は「甘えさせてくれるお姉さん」、俺は「弄っても許されるお兄さん」、由比ヶ浜は「気の許せる友達」という存在になっている。これも俺の推論だが、恐らく雪ノ下の人間環境を考慮して創部されたこの奉仕部は、創設した平塚先生の思惑どおりの関係になっている気がする。そしてそれは、俺や沙希に「友人」という存在を、更に由比ヶ浜に「気の置けない仲間」という関係を与えた。
奉仕部ではないが、戸塚にも大きな影響を与えているらしい。これは本人から聞いたが、どうやら戸塚もまた、その天使としかいいようのない容姿や言動、性格などから、精神的な「ぼっち」を強要される状態だったようだ。俺や沙希と知り合い、友人として付き合うことで、初めて「対等な友達」を得た、と嬉しそうに話していた。
つまり、今の奉仕部とその周辺は、これ以上ないくらいに充実したものとなっているのだ。
「比企谷くん、妄想にふけっているところ悪いけれど、もうみんな荷物も下ろして集まっているわよ。早くなさい」
「お?おぉ、すまん、すぐ行くわ」
思考を中断させ、荷物を持って「みんな」の所へ行く。
めんどくさい。
でも、悪くない。
ごめんな材木座。おれぼっちじゃねえ気がするわ。
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第3話の2。
んでもって、次回の流れ次第では、今回の最後をちょっと変えるかもしれません。
このままで整合性が取れるかが微妙なんで……。
「……やっぱり、話し合うしかないんじゃないかな。みんないい子達だし、話せば分かってくれると思うんだ」
「それだし!やっぱり隼人いいこというよね!」
「無理よ。そうだったでしょう?」
……どうしてこうなった。
〈1〉
千葉村に着き、荷物を持って降りた俺達を待っていたのは、別ルートで集まってきたボランティアのグループ、つまり葉山グループだった。内申につられて、と葉山は言っていたが、まぁそんなことはどうでもいい。平塚先生を経由した話ではなく、学校の募集欄を見て参加したとのことだった。
例によって葉山のヒキタニ呼びに反応する沙希、嫌な表情を隠そうともしない雪ノ下、それをなだめる由比ヶ浜、さーちゃんの後ろに隠れ、俺のシャツの裾を離さないけーちゃん、笑顔の中にも少し心配そうな彩加。
大丈夫なんですかねこれ。不安しかない。
やがて小学生たちと合流、自己紹介の後、キャンプ地に移動という流れになった。俺達はなぜか、小学生が全員出てからスタート→先に着いて準備とかいう強引なプログラムを余儀なくされた。道中、荷物を沙希に預け、足が疲れたというけーちゃんをおんぶする。葉山が俺の荷物を引き受けようとしたが、沙希の
「なんで?」
の一言で撃沈。いや、葉山さん、こっちちょっかいかける必要ないですからね。ほっといてくださいね。このリア充が。
俺と沙希との間には暗黙のルールとして「お互い様」というものがある。何かをする代わりに何かをしてもらう。何かを預ける代わりに何かを預かる。これまで友人らしい友人を持ってこなかった二人の線引きである。片方だけが恩恵に預かると、罪悪感というか、遠慮というか、そういうものでいたたまれなくなるのだ。
あの、友人になった日。スーパーの荷物を俺が持つと、沙希が半分持つと言った。もう持っちゃったし構わねえよと断ると、帰りの自販機でMAXコーヒーをおごってくれた。それ以来、お互い持ちつ持たれつ、してもらったらしてあげる、の関係である。口に出してしまうと照れ臭いことこの上ないが、そこは暗黙の了解というやつだ。義務も権利も発生しないが、仁義と筋は大切にしたい。そっちの人かよ。
キャンプ場に着くと、今度は梨の皮むきだ。頑張って歩いてゴールしたちびっこたちへのご褒美みたいなことだが、だとすればこっちの心情としては先に労いたい存在がある。
皮むき班と配膳班に分かれ、作業することになった。皮むき班には俺、沙希、雪ノ下、由比ヶ浜と、見事に奉仕部が揃った。いや待ておかしい。
「なぁ由比ヶ浜」
「ん、どしたのヒッキー」
「……お前、皮むきできんの?」
「なっ、馬鹿にすんなし!梨くらい剥けるよ!いつもお母さんの見てるもん!」
言うなり由比ヶ浜は梨を一つ手に取り、果物ナイフで削り始めた。
削り始めた。
……お前は果物彫刻家かよ……。
果たして出来たものは、やたらとグラマーな洋梨状の物体である。
「お前これラ・フランスみたいになってんぞ……」
「おっかしいなー、ちゃんと見てたんだけどなぁ」
「……見てただけで出来るわけないでしょう。ほら、こっちは出来たから、向こうに持っていって頂戴」
「ごめーん、ゆきのーん」
ゆるゆりゆるゆり。
まぁ、由比ヶ浜は雪ノ下に任せておくとして。
このグラマラスな梨をどうするかだ。すると沙希が何やら思案げな顔で、俺に小声で聞いてきた。
「ハチ、この梨もう出せないよね。……けーちゃんにあげても大丈夫かな」
「ん、いいんじゃねえか?数なんていちいち数えてねえだろうし。おれも丁度けーちゃんにはなんかしてあげたかったし、こんなぶっさいくなので良ければだが」
「そこは任せてよ。……けーちゃん、梨食べよっか」
「うん!なしだいすきー!なしじるぶしゃー!」
激しいヘッドバンキングを繰り出すけーちゃん。お出かけとお泊りと道中の疲れで、なんかやたらとハイテンションだ。天使か。
けーちゃんが俺と例の非公認ゆるキャラごっこをしていると、沙希から声が掛かった。
「ほら、けーちゃん出来たよー。みんな来る前に食べちゃいなー」
「わーい!さーちゃんありがとー……あー!これ!」
「おぉ……これはすげぇ……」
そこにはあのグラマー梨を土台に、皮にくっついた身を削ぎ落とし組み合わせて作った、非公認ゆるキャラがあった。いつの間にか戻っていた雪ノ下と由比ヶ浜も感心しながら覗き込んでいる。
「うっわ、サッキーすごい……」
「これはお見事ね……。あの梨がこんなになるなんて」
「あーごめん、勝手に作っちゃったよ。けーty京華にもちょっと食べさせてあげたくてさ」
「もちろんよ。京華さ「けーちゃん!」……けーちゃん、も、頑張ったものね」
「あ、ゆきのんちょっと赤くなってる。もー可愛いんだからぁ」
「ちょ、やめて由比ヶ浜さん、暑いわ」
「あんた達の分も切っといたよ、バレないうちに食べちゃいな」
「ん、こっちは普通の形だ。サッキーこれどうしたの?」
「さっきちょろまかしておいたんだよ。けーちゃんに切ってあげようと思って」
「ちょろまかし……まぁ、いいわ。胃の中に入れてしまえば」
証拠隠滅かよ。雪ノ下も大分染まってきたな。
〈2〉
「で、君たちはどうしたいんだ?」
その日の夜。
総武生達は、夕食後に会議を開こうとしていた。けーちゃんは疲れたのか、沙希に寄りかかって船を漕いでいる。
小学生の中に、いじめられている子がいる。
その子をなんとかしたいと、そう言い出したのは葉山だ。それを受け、平塚先生から出たのがさっきの言葉だ。
「知ってしまえば見過ごせません。可能な範囲で何とかしてあげたいと思っています」
「それは君たちの総意かね?」
「そうd「ちょっと待て、俺はそんなこと言っていない」……ヒキタニ」
「あたしもです。って言うか、誰も言ってないんじゃないの?」
「だが、みんなそう思っているはずだ。あの状態がいいわけないだろう?」
「……ふむ。雪ノ下はどうかね?」
「……」
雪ノ下は少し考えてから言った。
「それは、奉仕部の活動としてですか?」
「ふむ、そうだな。そういった相談はその子から受けたのかね?」
「いえ。今のところはありません。相談なり依頼があれば、力になりたいとは思いますが」
「ならばいずれにせよ今話した所でどうにもならんだろう。まぁ気が済むまで話し合うといい。私は寝る」
「ちょ、せんせー無責任じゃね?」
「どこがだね?いじめられている子を助けたい、それ自体は分かる話だ。だが君らはその子から直接聞いたのか?『いじめられているから助けて欲しい』と。君たちが何か行動を起こすというならなるほど、私の監督責任にもなるだろう。当然この場にいないといけないのも頷ける。だが、まだ何もないのだろう?だったら逆に私がいる必要はないだろう。何かに気づいて何かをしたいなら、何をしたいか、それが必要なのかを考えて、意見をまとめてから私に報告したまえ」
誰からも声は出なかった。当たり前だ、今こいつらがやろうとしてることはただのおせっかいだ。いじめの程度も理由も分からず、ただ『なんとかしたい』と言っているだけにすぎない。
「結論が出たなら報告してくれ。行動を起こすのなら絶対にだ。ではな、今度こそ私は寝るよ」
平塚先生が去り、食堂はしんと静まり返った。
「……じゃあ、どうすればいいかを考えようか」
葉山の一声で、この不毛な会議は始まった。俺や沙希はさっさと部屋に戻ろうとしたのだが、雪ノ下に止められた。どうやら思う所があるらしい。由比ヶ浜も何やら考えているようだ。どうしたものかと思った所で彩加が俺と沙希に小声で言った。
「八幡と沙希ちゃんの言いたいことはわかるよ。……けど、僕もなんとかしてあげたい気持ちがあるんだ。それに、葉山くん達だけにすると……その……」
「わかったよ。でもけーちゃんがもう寝てるから、もうちょっとだけね」
「沙希、けーちゃん貸せ。もう完全に力抜けてるし、毛布借りてきて寝かせようぜ」
「ん、ありがと」
そんなやりとりをしている間に話は進んでいた。海老名さんと三浦の姿が見えないが、恐らく鼻血案件だろう。
件の鶴見留美とは、俺達も少し会話をした。夕飯のカレーを仕込んでいる時だ。その時彼女はこう言っていた。
「……あんなくだらないこと、やらなきゃ良かった」
現在留美は確かにいじめに遭っている。だがそれは、彼女も以前同じことを別の誰かにしていて、それが自分の番に回ってきたということらしい。内容は存在の無視。いわゆる「シカト」「ハブる」というやつだ。やられてみると分かるが、これは地味に心にくる。荒む。だが一度は自分も加害者になったことがある故に、大人に相談することが出来ない。なんなら、したところでまず解決などしない。こういういじめはまさに小学生の頃に蔓延する。そしていつの間にか収束することが多い。ここで下手に動けば、より酷いいじめにエスカレートしかねない。
留美は、そういったことを委細承知で、既に見限っているのだ。
「……で、葉山。結局どうするつもりだ」
「……やっぱり一度みんなで話し合って……」
「なにをさ?いじめは良くないからやめましょうって?そんなの、後で留美が吊るし上げられるのが目に見えてるでしょ」
「そんなことは…」
「あるわね。あなたも『よく知っている』でしょう?」
「しかし、今はあの時とは違う!今ならきちんと説得して……」
「わかってねぇな」
みんななかよく。
葉山の言いたいことは、理解は出来る。だが納得は出来ない。ふと見ると三浦と海老名さんも戻ってきたようだった。ならちょっと引き合いに出させてもらおう。
「……なにがだ、ヒキタニ」
「お前、いじめられたことねえだろ」
「!」
「その経験もないやつに、答えなんか出せるわけがねえよ。今までの中では海老名さんの、外に趣味の仲間を作れってのが一番いい。だが、それは帰ってから時間をかけてすることだ。今この場でどうこう出来ることじゃない」
「……そうだね」
「なら、どうしろというんだ!」
「何もしない」
「……は?」
そう。
何もしない、正しくは「何も出来ない」だ。絶句する葉山達をよそに、沙希がおれの後を継ぐ。
「今あの子がされてるのは、以前あの子自身もやってたことで、言ってみりゃ自業自得なんだよ。もちろんいじめは良いことじゃない。そんなことは言われなくてもみんなわかってる。でもなくならない。そしてこのパターンは、留美の番が終われば、別の誰かが同じ目に遭う」
「そう、だね。僕もなんとかしてあげたいって思う。けど、僕達に何が出来るのかな。そういう時、何をして欲しかったかなって、ずっと考えてるんだけど……」
「独りでいるのが可哀想、ってさっき誰か言ってたな。けど、それはちょっと違う。可哀想なのは独りでいることじゃない。独りにされることだ。さっき、留美はあいつらをバカばっかりだと言った。かつては自分もその中の一人だったとも。あいつはもう、独りでいることを許容しているようにも見えた。だとしたら、周りの出来ることはなんだ。そういう目にあった時、して欲しかったことはなんだ。わかるか、葉山」
「……」
「教えてあげるわ」
それまで黙っていた雪ノ下だが、ここに来て声を上げた。目をしっかりと葉山に向けて。その顔には苛立ちと怒りが滲んでいる。
「それ以上被害が広がらないように、何もしないこと。そして、いざという時の為に、その子をしっかり見ていてあげること。その子が伸ばした手をしっかり握ってあげることよ」
「……っ!」
雪ノ下の言葉に葉山の顔が歪む。
「あなたにそれが出来るの?葉山隼人くん」
〈3〉
「で、結局どうなったのかね」
翌日、肝試しの準備を終えた俺達は、自由時間となった。用意のいいことに水着を持ってきていた連中は川遊びに興じている。けーちゃんは彩加と仲良くなったようで、沙希と合わせて3人でぱちゃぱちゃと水遊びをしている。混ざりたい。
そんな中、俺と雪ノ下、葉山は、昨日の報告をしに平塚先生の所に赴いていた。
「……なるほど。では、直接何かをするわけではないが、いじめがあることを小学校側に報告、しばらくは見守ることを提言。ということでいいのかな」
「はい。すぐにどうこう出来ることでもありませんし、ことがことです。おいそれと手を出していい問題ではないと判断しました」
「……俺は納得出来ません。みんないい子たちなんです。きちんと話せば分かってくれるはずです」
その時、俺のスマホが震えた。
「あなたまだそんなことを……」
「ここで蒸し返すな。……先生、留美本人から依頼があれば、それを受けていいんでしたよね」
「ああ。但し、その内容と対処法は事前に報告したまえ。他所の、しかも小学生が相手だ。色々デリケートな問題もある」
「分かってますよ。……じゃあ、ちょっと行ってきます」
「比企谷くん、どこへ」
「沙希のとこだ。留美と一緒にいるらしい。……葉山、お前はどうする。どうするにしても、話を聞かなきゃわからねえだろ」
「……ああ、行くよ」
「じゃあ先生、とりあえずこれで。また来るかもしれませんが」
「ああ、わかった。……それにしても比企谷」
「なんすか?」
「君は随分と変わったな。本質は変わらないのに、な」
「そうですかね。変わった気はしませんが」
「何、悪いことじゃない。……上手くやれてるようじゃないか」
「……失礼します」
なんか先生の掌で踊らされている気がしてきた。
〈4〉
「だからなに!?あーしはちょっと話しかけただけじゃん!」
「上からモノ言ってんじゃないよ!あんたそんなに偉いのかい!」
「ちょっと優美子、サッキーも……」
川に行くと、沙希と三浦が喧嘩していた。今にも胸ぐら掴んで殴り合いになりそうな状態である。それを由比ヶ浜が仲裁しようとし、そのそばでは怯えるけーちゃんと留美をかばうように彩加が背を向けていた。戸部と海老名さんは少し離れた所でちょっと引いている。
「やめろ優美子!」
「は、隼人……」
「沙希も落ち着け。けーちゃん達怯えてんぞ」
「はぁっ、はぁ……ごめん」
葉山が三浦を宥め、沙希がけーちゃんに謝っている間、俺と雪ノ下は、彩加と由比ヶ浜から話を聞いた。
「川で遊んでたら留美ちゃんを見かけてさ、サッキーが声かけたんだけど、中々話してくれなくて……」
それを見た三浦が留美に『いいから話してみ。相談乗ってやっから。そっちのおねーさんより頼りになると思うし』と挑発するようなことを言ったらしい。それにカチンときたのか、沙希が『あんたは金髪イケメンのお守りでもしてな。どうせ今も先生んとこでゴネてんでしょ』と、挑発し返したと。
……なにしてんのお前ら……。
呆れていると、急に嗚咽混じりの怒鳴り声がした。
「どーしてなかよくできないの!!…っく、おとなでしょ!!けーちゃん、…っまだこどもだけど、…っく、なかよくできるもん!!いじわるばっかしいうと、もうけーちゃんしらないからぁ!!」
「ご、ごめんけーちゃん、お姉ちゃんが悪かったから、ね?」
「あ、あーしは別に……「優美子」……ごめん、なさい」
「もうけんかしない?」
「うん、もうしない。約束する。お姉ちゃん、けーちゃんに嘘付かないよ?」
「そっちのおねーちゃんも、もうけんかしない?」
「う、うん、ごめんね?」
「……ならゆるす」
2人がほっとしたのもつかの間。
「じゃあ、なかなおりのあくしゅね!」
「……え?」
「……は?」
面食らう沙希。
唖然とする三浦。
目に涙をためながらニコニコ笑うけーちゃん。
そして、さっきからずっと動画を撮っている彩加。いやなにしてんの。
「沙希ちゃんに、けーちゃん撮っててって言われて」さいですか。
あきらめろ、沙希、三浦。
けーちゃんには勝てねえよ。
気まずいながらも握手する(させられる)2人をニヤニヤしながら見る俺達。
2人に睨まれる俺。なんで俺だけ。
……待てよ。
「ルミルミ「留美」……留美。お前、独りは嫌か?」
「嫌、だけど……しょうがないよ……」
「ん……葉山、お前手を貸す気あるか?」
「どういうことだい?」
「いいからよ。もしかしたらなんとかなるかもしれねえぞ」
「あら、私達を差し置くとはいい度胸してるわね、ホモ谷くん?」
「おいばかやめろ、向こうが血の海だ。……もちろん雪ノ下たちにも協力してもらう」
「何か思い付いたのか?」
「ああ。……上手くいけば、だけどな」
「そういうことなら協力するよ」
「ま、嫌でも協力してもらうけどな。……なぁ留美」
「……」
「まずはそのカメラで俺達を撮ってくれよ。……友達になろうぜ」
なにげに今回が一番難産でした。いじめの問題は書きづらい。
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第3話の3。
しばらくこちらの更新をお休みします。
某サイトの小説祭りに参加するためです。
次回更新は恐らく夏……以降になりそうな。申し訳ありません。
〈1〉
「鶴見留美の件で報告と相談に来ました」
留美と「友達の証」として記念撮影をした俺達は、今日このあとの計画を練った。そして事前に言われた通り、平塚先生に報告をしに来ている。……まあ、他にも理由はあるんだけどな。報告者は俺、雪ノ下、海老名さんだ。
「では聞こうか。……それにしても珍しい取り合わせだな」
「川崎さんと京華さん、戸塚くんは留美さんと一緒にいます。一応、保護という形です。他由比ヶ浜さんはじめ葉山くん達は、他の小学生の相手をしています。詳細は後ほど」
「……今朝、俺達は留美から話を聞きました。現状が嫌だ、しかしどうしようもない。そう言っていました」
「……ふむ。で、君達はどうするつもりかね?わかっているとは思うが、いじめは簡単にどうこう出来る問題ではないぞ」
「はい、なので、解決は考えていません。あくまでも今の状況の解消を目指します」
そこまで話した俺は、海老名さんを見た。海老名さんは小さく頷くと、平塚先生に向き直った。
「今、葉山くん達には小学生達の相手をしてもらいつつ、ある人物を探してもらっています。具体的には葉山くん、戸部くん、優美子……三浦さんの三人で相手をし、由比ヶ浜さんにピックアップして貰う形です」
「ほう。その人物というのは?」
「留美ちゃんの前にいじめの対象になっていた子です」
一瞬、平塚先生の眼が鋭く光った気がした。
「……その子を探してどうするのかね。古傷を抉ることになるんじゃないのか?」
「ある程度は仕方がないと考えています。直接何をするわけでもありませんが、立場としては加害者側にいるわけですから。で、その子をピックアップしたら、留美ちゃんのところに連れて行きます」
「……続けたまえ」
「連れて行く目的は2つ。1つは仲直りさせること。元々留美さんとその子は仲が良く、お互いの家に遊びに行ったりしていたそうです。その関係を修復、とはいかないまでも、そちらの方向に向けるのが理想です」
「……2つ目は?」
「これは留美が自分から言い出したことなんですが」
海老名さんから雪ノ下、そして俺に発言のバトンが回る。
「留美が、その子に謝りたいと」
「……ほう」
「仲直り出来なくても、許してくれなくてもいい、だけど謝るのだけはしたい。それで無視されてもしょうがない。自分がやったことだから、だそうです」
「小学生にしては随分と肝が座っているな」
「……一応、説得はしました。ただ、本人も考えてはいたようで。きっかけが掴めないとのことだったので、今回の計画を組みました」
「なるほどな。……で、私に相談というのは?」
「片棒、担いでくれませんかね」
「何?」
ここで俺は一呼吸置いた。ここからが本番、今回の要になる。
留美と、以前仲の良かった子の仲裁に関しては、実はあまり心配していない。
被害者が過去の過ちを認め、謝罪したいと言っている。仮にもそれまで仲の良かった子、しかも現在の状況に罪悪感を感じているのであれば、きっかけさえあれば仲直りするのはそれほど難しいことではない。
問題はここからだ。
現在は夏休み。これから二学期まではまだ1ヶ月ある。その時間は小学生には持て余す時間になる。心境の変化などいくらでも起きる。つまり、今は留美に向いている矛先が、別の子に向く可能性も決して低くはないのだ。
そうなったとき、留美はどうするのか。
恐らく、以前の様な愚を犯すことはないだろう。だがそれは同時に、いじめの対象が増えることを意味する。それでは被害が拡がるばかりで、逆に今やっていることが無駄になる。
ならば、どうするか。
どうにかするべき人間を、叩き起こす。
「留美の方は俺達でなんとかしたいと思ってます。ですが、それだけじゃ駄目なんです。その場しのぎにはなっても、二学期になってまた同じことが起きるとも限らない。その対象が留美じゃないとしても。根本的には同じことですから」
「……続けたまえ」
「……今、留美は俺達以外、誰にも居場所を知られていない状態で保護しています。……その根本をひっくり返します」
「どういうことだ?」
「大人ですよ」
「大人?……まさか」
「留美と元お友達には、このまま夕方の肝試しまで一緒にいてもらいます。そして点呼が始まった段階で、留美とその子がいないことを報告します。……その報告を先生にやってもらいたんです」
「……」
「……続けます。今この場に2人がいないこと。偶然留美を見かけた俺達が保護していること。今朝みんなに置いていかれて、衝動的に死にたくなって、川の流れの急な場所を探していたこと」
「ちょっと待て、それは本当か?」
「実際はそこまでではありませんが、それに近い状況でした。あのままほっておいたらそうなっていてもおかしくない程度には。……保護した後、せめて例の子には謝りたかったと言っていたこと。その辺りまでの説明を、引率の教師にしてください」
「その場には私も同行します」
〈2〉
「そんな……そこまで思いつめて……」
「と、いうことは気づいていたのですね。それでも大したことにはならないと、高をくくって。ですが、残念ながら事実です。……私達は、この事実と実態を、そちらの校長先生並びに教育委員会に提出しようと考えています」
雪ノ下は、つらつらと、淡々と言葉を紡ぐ。対する小学校側の教師陣の反応は様々だ。呆然とする者、汗が止まらない者、紅潮した頬で、今にも飛びかからんばかりの者。
だが、雪ノ下は止まらない。
そう、この役は、彼女以外では務まらない。
「……ですが、その前にやらないといけないことがあります」
「……そ、れは……」
「もちろん」
凍てつく視線で、彼女は教師達を睨んだ。
「いじめの首謀者の糾弾です」
言い放った途端、教師達は弾けるように叫び始めた。
「巫山戯るな!あの子達はまだ小学生なんだぞ!」
「そうよ!それに、いじめって言ってもよくあるシカトじゃない!ほっておけばいつか収まるのに、わざわざそんなことをする理由が…「ふざけてんのはお前らだろうが!!」ひっ……」
駄目だ。
終わるまで黙っているつもりだったが、我慢が出来ない。
「今日!留美がいないことに気づいた教師はいたか!シカトされてる留美の気持ちを考えたやつはいたか!……あれだけの児童を引率する、それが大変なのはわかるし、それについては頭も下がる。けど、その影でこっそり、友人だと思ってたやつらに無視をされ、爪弾きにされる子どもの気持ちはどうなるんすか。ほっておけばいつか収まるって言いましたよね。それは収まるんじゃない。他の子に対象が移るだけだ。いじめがなくならないのは分かってる。だけど、なくならないからほっとくってのはおかしくないですかね」
「比企谷、もういい」
「知り合いが言ってました。いじめられてる子に対して周りが何をしてあげられるか。それ以上被害が広がらないように、何もしないこと。そして、いざという時の為に、その子をしっかり見ていてあげること。その子が伸ばした手をしっかり握ってあげること、だそうです。おれも同じ思いですよ。もちろん、何もしないってのはほっとくってことじゃない。それくらいのことは分かりますよね!」
「比企谷!」
暴走しかけた俺の肩を掴んで止めてくれたのは、平塚先生だった。引き戻した俺の代わりに一歩前に出る。優しく肩を叩き、そっと、撫でるように手を離した。
「うちの生徒が失礼しました。後で良く言っておきますのでご容赦下さい。……ですが、彼らの主張には私も思うところがあります。……いじめは悪いこと。それは我々のみならず、子どもたちも分かっていることだと思います。が、子供の頃、特に小学生などは、感情のコントロールが上手くいかず、ついやってしまうこともあるでしょう。やってしまった子も、いずれやられる側になることもあるかもしれません。そうやって反省し、後悔していくのもまた成長なのかもしれません。ですが、今回の件については、こうして事故にもなりかねない形になってしまいましたし、先生方の手で、終息を計っていただく訳にはまいりませんでしょうか」
「先生……」
平塚先生が深々と頭を下げる。俺達はそれを、呆然と見守るしか出来なかった。
〈3〉
結局小学校の教師からも謝罪を受け、留美の一件は学校ぐるみで対策を練ることとなったらしい。くれぐれも子供達、特に被害を受けている子達のケアをしっかりお願いしますと頼んで、この件は一応の終焉を見せた。
留美は例の子と仲直りを成功させ、手を繋ぎながら帰っていった。ほっとした空気の中、俺の周りの空気だけは、暗く淀んでいた。
「ハチ、おつかれ」
帰りの車の中、疲れ切った皆が寝に入った頃、沙希がけーちゃんの頭を膝に乗せながら、小さな声で話しかけてきた。
「俺は何もしてねえよ。……何も出来なかった、が正しいか。ガキみてぇにキレて、ガキみてぇな理屈で駄々ってただけだ。先生にも迷惑かけちまったしな」
「迷惑などかかってはいないよ、比企谷。……私はな、大変気分がいいんだ。あの比企谷が、あの子達の為に声を上げた。雪ノ下の代わりに大人に対して怒りをぶつけてみせた。比企谷、それはこれまでの、夏休み前までの君にはなかったものだ。私は誇らしいよ」
聴きながら、俺はどんな顔をしていたのだろうか。多分すごくみっともない顔をしていたのだと思う。なぜなら、俺の頬は一筋だけ、濡れていたのだから。
〈4〉
学校に着いた俺達は、帰りにみんなでお茶でも飲んで帰ろうという話になっていた。
そういうのも偶には悪くないか、と俺が思ったのが悪かったのだろうか。
見覚えのある、黒塗りのリムジンが、俺達の目の前に静かに停まった。
「姉さん……」
「雪乃ちゃーん、お迎えに来たよー!お母さんが呼んでるから、早くおいでー」
リムジンから降りてきたのは一人の女性。顔立ちは雪ノ下によく似ている。その雪ノ下は、それまでの元気はどこへやら、苦い顔で俯いていた。
「陽乃、久しぶりだな」
「あー静ちゃん、久しぶりー!……あれ、その子は……」
「……うす」
「雪乃ちゃんの彼氏かなー?雪乃ちゃんも隅におけないなぁ、このこの〜」
「姉さんやめて。比企谷くんはそういうのではないわ」
「ん、比企谷くん?……あ、もしかして」
「あーはい、……その比企谷です」
「そっか、知ってるんだね。……誰から?」
「雪ノ下からです」
「……え?」
姉さん、と呼ばれた女性は一瞬驚いた顔を見せた。が、すぐにまた笑顔に戻った。
……これが笑顔と呼べるものならば、だが。
口角はあがり、表情も柔らかい。だが、どこか硬い。あらかじめインプットされたような笑顔。
なるほど。
そういう人か。
「比企谷さん、その節は申し訳ありませんでした」
深く頭を下げ詫びてみせる雪ノ下姉。だが、その姿はどこか嘘くささを感じた。
「頭を上げて下さい。もう終わったことですし、気にしてはいないので」
「あ、そぉ?じゃあそういうことで。……雪乃ちゃん、行くよ」
「あ、その、姉さん」
「なぁに?早くしてね、『お母さんが待ってる』んだから」
「すいません、雪ノ下さんのお姉さん」
「……ん、誰かな?」
「……川崎沙希と言います。雪ノ下さんとは同じ部活仲間です。……申し訳ありませんが、少しだけお時間いただけないでしょうか。今、合宿のようなことから帰ってきて、少しお茶でも飲んで帰ろうか、という話をしていたところなんです」
「ふぅん……。で?」
「……はい?」
「で、それが何か私に関係あるのかな? 私は家の事情があって雪乃ちゃんを呼びに来たの。あなたにそれを邪魔する権利はあるのかな?」
「……ありません。ですが、雪ノ下さんの意思を訊くということはしないんですか? 雪ノ下家では」
「……へぇ」
雪ノ下姉の目が怪しく光った気がした。が、それも一瞬。すぐに元に戻り、雪ノ下に向かって言った。
「じゃあ聞くね。……あなたはどうしたいの? 雪乃ちゃん」
「……」
雪ノ下は俯いたまま、小さく息を吸い、そして言った。
「姉さん、実家には行きます。……だけど、その前に少し時間を頂戴。元々聞いていた話ではないし、約束はこちらと先にしていたの。ここまで来てもらって悪いけれど、私はもう少しだけこの人達と一緒にいたい」
「ゆきのん……!」
今度は一瞬じゃない。驚いた顔のまま、平塚先生に顔を向けた。
「そういうわけだ、陽乃。悪いが今日はこのまま行かせてやってくれ。帰りは私が責任を持ってご実家に送ろう」
「そう、わかったわ。……じゃあね、雪乃ちゃん。あんまり遅くなっちゃ駄目ダゾっ。……あと、あなたとあなた。比企谷くんは雪乃ちゃんのものだから、手を出しちゃだめだぞっ」
「……勝手に人のものにしないでもらえますか。雪ノ下もおれじゃあ迷惑なだけです。あと雪ノ下さん」
なんだろう、最近の俺は変に好戦的だ。
意味もなく、雪ノ下を守ろうと勝手に思ってしまっている。
これもお兄ちゃん気質、てやつなのか?
「なにかな?」
「……疲れませんか、その仮面」
一瞬、冷凍庫に放り込まれたような寒気が走った。発生源はもちろん、目の前の美人である。
「……なんのことかな?」
「……さあ、なんでしょうね」
「君、やっぱり面白いね……いいわ、今日はここまでにしてあげる。静ちゃん、よろしくね」
「あ、ああ、わかった」
「じゃあね、比企谷くん。……あと、川なんとかちゃん」
「川崎です、雪ノ下さん」
「え、比企谷……」
「そっか、ごめんごめん、じゃあねー!」
とりあえず、嵐というか怪獣というか……魔王。そう、魔王の脅威は去った。
その日の駅前のサイゼでは、美少女三人に美女一人、目の濁った残念イケメンの笑顔が見られたという。
次回からは二学期からはじまります。花火編については、まだ未定です。
入れるとして、もしかしたら番外編的な扱いにするかもしれません。
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