オーバーキャパシティ (れんぐす)
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閑話・プレアデスちゅーぶ
プレアデスちゅーぶ・始動


Fantiaにのみ公開していた会員限定話です。


 廃都市といえど僅かに残る住民のために、インフラは死んでいない。地下化された電線にはきちんと電気が通っているし、上下水道も生きている。

 ナザリック地下大墳墓の入口が顕現した、その廃都市の地下鉄の廃線の一区画。数十年かけて拡大を繰り返したせいで迷路のようになった挙句に住民がいなくなったせいで使わなくなったそこにも、電気は通っていた。

 各地へ根を伸ばす大きな施設であるが故に多区域への送電の中継地点として利用されていたため、ここの電力をシャットアウトすると、ここを経由して電力を届けている地域に届かなくなるためだ。

 そして、雨風の影響を受けないために施設のほとんどの機械は生きている。衛星電波を受信する設備もその一つだった。

 従って何が言いたいかと言うと。

 

 

 「ふーん、これが『コンピュータ』ってやつっすか」

 

 「そう。そしてこれはインターネットに接続済」

 

 ジャンク品を集めて作り上げた薄型パソコンを操作するシズ・デルタを囲み、プレアデス全員が物珍しいものを見るために、ナザリックから比較的遠い駅の駅長室に集結していた。メイドたちの手で小綺麗に整頓した部屋の中はLEDライトが照らしていて、昼間のような明るさを保っている。もちろん、万が一のことを考えて認識阻害の魔法も使用済みだ。

 魔法的な光を湛えるパソコンにマウスはついているが、シズが電気信号を直接送信し、その通りに画面が動くためにマウスは今は繋げただけとなっている。

 

 「シズ、モモンガ様にご報告はしたのかしら?」

 

 「まだ。……このコンピュータがきちんと動くかを、確かめてからにする」

 

 メガネを持ち上げながら尋ねるユリに、シズは平たい口調のまま見向きもせずに返答する。

 それはまるで、遊んでいるところを咎められた子と親の姿だ。

 

 「いちおう探知とか、そのたもろもろの対策は……できる限り、した。……けど、あんまり怪しくないと逆に変だから、じっけんする。……サイバー警察とか、あるみたいだから」

 

 「そのインターネット……?を監視している治安維持組織ですわね。聞いた時にはわたくし達には関係のないものかと思っていたけれど……集められる時に情報は集めておくものね」

 

 この中で一番コンピュータに興味を持っていないソリュシャンが、駅長室の備品を物色しながら言う。

 

 プレアデスがここ数週間で得たリアルの情報の一つに、治安維持組織のものがあった。

 強化外骨格を装備した鎮圧部隊、企業の中に入り込んで国家の害を為すことを監視する部隊、噂には暗殺のための部隊があるとも。そしてインターネットを監視するものは、サイバー警察と呼ばれていた。

 

 外交関係の問題が多発して国家間の行き来が難しくなったこの現代、インターネットでテロの計画を立てるテロリストの対策として立ち上げられたらしい。

 悪いことをしなければ目をつけられはしないだろうが、万一嗅ぎつけられればナザリックの隠匿が危うい。そのため、ナザリックから距離をとった場所でシズはインターネットへの接続実験を行おうとしていたのだ。

 

 ナーベラルは少しだけ不安そうに、けれど興味もあるような浮ついた態度で、座ってコンピュータを操るシズを見下ろす。

 

 「……でもそれって、やっぱりモモンガ様にお伺いを立ててからの方がよかったんじゃないかしら」

 

 「大丈夫。……実験が済んだらすぐする。時間はとらない」

 

 「シーちゃん、なーんかこの前からやる気に満ち溢れてる気がするっすねー。モモンガ様の腕の中で覚醒したっすか?」

 

 ルプスレギナの言葉に、シズを除くプレアデス全員が耳敏く反応した。

 

 「それってぇー、こないだの上映会のときの話のことぉー?」

 

 ぶくぶく茶釜の出演したアニメの上映会の後、至高の御方がシズを抱きしめていたことを思い出したエントマが、陰のある顔つきでシズに睨みを効かせる。

 

 「……ナザリックのためにやる気を持って奉仕するのは、当然。モモンガ様に抱きしめていただいたこととは、関係ない」

 

 「さりげなく自慢されるのは……ちょっとだけ癪に障るわね。──まぁ、わたくしたちもシズと同じように何かしら手柄をたてればよいのだから、別に構わないけど。そういえばユリ姉にシズ、モモンガ様へお願いするご褒美はどうすることにしたの?」

 

 ユリはソリュシャンに嘆息した。

 彼女はユリとシズに、褒美について尋ねつつも、机の上に置いてあった男性駅員の家族写真──の中央の赤ん坊を見て、舌なめずりをしたからだ。

 

 「ボク──いえ、私はまだ考えている最中よ。これはモモンガ様への直接のお願いができる機会、慎重に考えて使いたいもの。……ソリュシャンなら『産まれたての人間の赤子』ってお願いするのかしら?」

 

 「まさか。もっと有意義な使い道を考えるわよ、ユリ姉様。……話を私に振ったということは、まだ候補も出来ていないのね?」

 

 ソリュシャンは写真から目を外してユリに微笑む。

 

 「……まぁ、そういうことになるわ。シズはどうなの?」

 

 コンピュータとにらめっこをしていたシズは、その問いに珍しく感情を見せた。口角をわずかに上げた、ニヒルな笑みだ。

 

 「……モモンガ様のお膝の上で、お昼寝の権利。……それ言ったら、モモンガ様、いいぞって仰った。いずれ私のために、時間を作るって。──どやぁ」

 

 「な……なな、なんですってぇ!?」

 

 誇ったようなシズの言葉に、他のプレアデス全員が恐れおののき二の句をなくす。

 モモンガ様という存在はナザリックにおいて天上の存在、神にも等しいもの。横に並んで歩くことはおろか正面に立つことさえはばかられる御身に、こともあろうか膝の上での昼寝を申請したのだから当然の反応と言える。

 

 「ってか、それOKもらえたっすか。よくまだ首繋がってるっすね!ユリ姉みたくチョンパされてないのが不思議っす!」

 

 「……ちょっとルプー?私の首は種族的に元々切り離されたものなのだけれど。まるで罰を受けて首をはねられたかのように言うのはやめて頂戴」

 

 立ち直りの早かったルプスレギナがユリのことを茶化し、それでユリも平静を取り戻す。

 

 「モモンガ様は、寛大。……そして優しい。ユリ姉も思い切ってお願いをするべき。うじうじして先延ばしにしてたら、モモンガ様もこまる。……みんなも機会をもらえたら、そうするといい──きた。接続成功。敵の追撃なし。ミッションクリアー」

 

 シズは小さな体で大きく伸びをしてそう言うと、インターネットのブラウザ初期ページを表示させた。

 

 「敵ってぇ、何かと戦ってたのぉー?」

 

 「アクセスを始めてから、ずっと変なのに追尾されてた。けど、撒いた。もう大丈夫。ダミーもばらまいてる。……逆探知も完了、完全にクロ。サイバー警察まちがいなし。やつらはそれなりに有能、今後も注意はおこたらないようにする」

 

 シズは席を離れると、ユリに座るように勧めた。ユリは困惑しつつもコンピュータの前に座り、プレアデスはそれを囲むように集まる。

 画面のブラウザ初期ページは最大手のもの。ここ最近のニュースや天気、誇張された広告がところ狭しと並んでいた。

 

 「ここに文字を打ち込むと、それについての情報がでる。ユリ姉、やってみて」

 

 「いいのね?……ええと、じゃあ初めは『アインズ・ウール・ゴウン』でいいかしら」

 

 ユリが言うと、シズが電気信号を発信してその通りに『アインズ・ウール・ゴウン』の文字を打ち込む。ほどなくして検索結果が表示され、『ユグドラシルWiki―アインズ・ウール・ゴウン』というページが一番上に出てきた。

 

 「ユグドラシルってぇー、ナザリックがあった元の世界のことじゃなかったかしらぁー?」

 

 「Wiki……というのは分からないけれど、至高なる御方々の居られるもう一つの世界だけあって、どうやら確かに意味のある情報が表示されそうね。シズ、それを開いて頂戴」

 

 ナーベラルが指をさしたページを開こうと、カーソルが移動する。その白い矢印がページの文字と重なった瞬間──

──シズはそれを開くのをやめて、突然届いた《メッセージ/伝言》に応答した。

 

 「どうしたの。…………うん、うん。……わかった。……え?…………りょうかい。じゃあ、代わりにそれを」

 

 通話を終わらせると、待たされてやきもきしているプレアデスメンバーにシズは「ごめん」と一言前置きして、伝えられた内容を告げる。

 

 「……オーレオールから、それは開かないようにって。開くにしても、モモンガ様にお伺いを立ててからにしてって。だいぶ、あせってた」

 

 「──至高なる御方々の情報に触れることは、ナザリックのシモベとしての最高の栄誉。軽はずみに触れるのは慎みなさいということね」

 

 「でも所詮は人間の集めた情報だしー、まっかな大ウソしか書いてなかったりしたら私たちが混乱するかもしれないからかもしれないっすね!」

 

 「どっちでもいいですわぁー。……でもシズ、終わり際に何か言ってましたわよねぇー?代わりにぃ、とかなんとかぁー」

 

 「うん」

 

 シズは検索条件を変更し、ウェブページから動画に切り替える。さらに検索ワードに『侵攻』を加えて再検索した。

 サムネイルに骸骨の王──オーバーロードの姿のモモンガが大きく映っているものを選び、シズはそれを再生した。

 すぐに、プレアデスの中から驚きの声が出る。

 

 「……これってもしかして、ナザリックが大侵攻を受けた時の記録映像じゃないのかしら」

 

 「よく見て、シャルティア様が戦っていらっしゃるわ!」

 

 「本当ですわぁー!今度はコキュートス様もぉー!」

 

 「カッケーっす……!」

 

 「……オーレオールから、こっちなら見ていいって」

 

 画面上で繰り広げられたのは、かつてナザリックが千五百人の大侵攻を受けた際の記録。

 死にものぐるいで戦い、そして倒れていく階層守護者たちの懸命な姿に、プレアデスたちは拳を固く握りしめながらも胸を震わせる。

 

 そして侵略者の軍勢が第八階層に到達した瞬間、プレアデス全員が黄色い声を上げた。

 

 「やっ、やまいこ様……!?」

 「あ、あれウルベルト・アレイン・オードル様っすよ!!やっぱ最高にクールっす!」

 「弐式炎雷様の勇姿が……!」

 「……ホワイトブリム様も、いる!」

 「ヘロヘロ様もいらっしゃるわね」

 「源次郎様のお姿も見えますわぁー!」

 

 各々敬愛する至高やそれぞれの創造主の姿を見つけ、駅長室の温度が高まる。

 

 

 画面の中で、激戦が始まった。

 都合のつかなかったメンバーを除けば四十名を切っているナザリック陣営に相対するのは、未だ五百を優に超える戦力を抱えた侵略者たち。

 お互いの最奥で超位魔法発動のための魔法陣が展開され、超位魔法発動のための準備時間を四分の一に短縮する砂時計型アイテムが砕かれる。そんな中、相手の超位魔法発動を邪魔しようと幾重もの魔法が互いに撃ちあわれ、しかしそのほとんどが魔法の防壁に阻まれて消え失せる。

 かろうじて防壁を通過した魔法も、奥に控えた魔法詠唱者たちが唱えた魔法によって相打ちとなって霧散していった。

 

 ほぼ同時に──わずかに侵略者側の方が早く超位魔法が発動される。

 

 侵略者側が発動したのは、《パンテオン/天軍降臨》。

 魔法が解放されると同時に高レベルの智天使が六体出現し、ナザリック陣営へと鉄槌を加えるべく一直線にナザリック側の超位魔法発動者へと向かっていく。

 プレアデスの面々はその天使が属性的にナザリックの天敵であることに気づき、思わず目をおおった。

 

 しかし、それは圧倒的なまでの力でねじ伏せられる。

 

 数秒遅れてナザリックの──モモンガの超位魔法、《イア・シュブニグラス/黒き豊穣への貢》が発動した。

 それは黒き風の姿をして智天使たちを呑み込んで消し去り、一直線上にいた敵軍の列を一瞬にして屠った。

 

 プレイヤーならまだしも、傭兵NPCに即死対策がされているものは少ない。もちろん、召喚された天使になどされているはずがない。

 

 結果として即死対策をしていたプレイヤーを残し、傭兵NPCはその数を半分にまで減らした。そして《パンテオン/天軍降臨》はなんの意味も為さず、ただ無駄に終わった。

 

 「モモンガ様、危機一髪でしたわぁー!」

 

 「……あなたは本当にそう思うの?エントマ」

 

 「えぇー?どういうことですのぉー?」

 

 首をかしげるエントマに、ユリは画面に釘付けになりつつも熱を持った言葉でナザリックの戦略を告げる。

 

 「至高なる御方々は、愚かな侵略者たちが使う超位魔法が一体何か、始まる前から既に見切っていらしたということ。それに対して最も効果的な超位魔法を、一瞬だけずらした最高のタイミングで発動することで完璧に上書きしたのよ」

 

 「……ナザリックの軍師ぷにっと萌え様は、『勝負は始める前に終わっている』って仰ってた。まさしく、そのとおりの結果」

 

 よく見れば、骸骨の王のすぐ隣には杖を手にした蔦植物系の異形が立っている。プレアデスはそれが誰かすぐに気がついた。ナザリックの諸葛孔明とも呼ばれた天才軍師、ぷにっと萌えその人だ。

 

 「……なるほど。流石はモモンガ様にぷにっと萌え様。ユリ姉もよく気がついたわね」

 

 ナーベラルが感心してユリを見る。ユリは少し照れて「……いいから続きを見ましょう」と少し強く言った。

 

 

 風が吹き去ってからすぐ、空中に一つの黒い塊が生まれた。それは徐々に大きくなり、形を成していく。それが地面へと落ちた瞬間、形は完全なものとなった。

 無数の触手を生やした、山羊の脚を持つ巨大な肉塊。それが奇声を上げて、侵略者へと攻撃を開始した。

 

 プレアデスを束ねても立ち向かうのは絶望的に見えるその怪物に、意外なことに侵略者は冷静に対応を始めた。

 しかし、そんな中ナザリック陣営から降り注ぎ始める魔法やスキルでの爆撃には対応しきれず、ほころびが次々と出てくる。

 

 第十位階の魔法が直撃して、吹き飛ばされる者。

 純銀の一閃で切り伏せられる者。

 魔法を避けようとして飛びのき、そのせいで山羊の化け物にはね飛ばされる者。

 

 黒い触手の化け物がやっとのことで倒されるころには、侵略者側の戦力はかなり落ちていた。

 しかし、未だ数では勝る侵略者の軍勢が徐々に押し始める。このままでは次の超位魔法を待たずに突破される──

 

 その時、ユリはあるものを見つけた。

 

 ナザリック陣営の中心に控える骸の玉体の側に、枯れた翼がついた桃色の胎児のぬいぐるみのような生き物がフワフワと漂っているのを。

 

 「あれは……第八階層守護者のヴィクティム様よね?」

 

 話には聞いていたものの、姿を見るのは初めてであるプレアデスたちは、一斉にヴィクティムへと注目する。

 

 ヴィクティムはモモンガの指示を受け、ふわふわとした動きで激戦区へと移動し始めた。

間もなく流れ弾がヴィクティムの頭に当たり、体力ゲージがみるみるうちに減っていく。

 

 「げっ、モモンガ様なにしてるんすか!意味わかんねーっす!玉砕なんてやってる場合じゃねーっすって!」

 

 「ルプー静かに」

 

 しかし、敬愛する御方の奇行に動揺したのはルプスレギナだけではない。エントマもナーベラルも浮ついた気持ちを抑えられず、二人で左右からこっそりとシズの腕を抱いて不安を紛らわせる。

 

 

 たった二桁しかないヴィクティムの体力ゲージが尽きてその姿が掻き消えた瞬間、異変は起きた。

 白い羽が第八階層中に舞ったかと思うと、侵略者の動きが目に見えて鈍くなったのだ。剣の動きはのろのろとして、プレアデスでもはっきりと見て取れるほどに落ち、魔法は詠唱の時間が倍も長くなっている。

 

 「……ヴィクティム様の特殊能力、だと思う。……死亡時に発動するスキル。ちょー強力な、デバフのおまつり」

 

 

 再び蹂躙劇が始まった。

 

 侵略者が逆転しようとするとナザリック側は新たな力を投入してそれを許さず、幾つかのワールドアイテムを使用してそれを三度ほど繰り返した時に、立っている侵略者の数はゼロになった。そこで映像は途切れる。

 

 映像が明転し、何やら訳知り顔の人間の男が二人並んで先ほどの戦闘の評論と分析を始めたので、ルプスレギナを除くプレアデスの視線はコンピュータの画面から離れた。

 シズをがっちりと挟んでいたナーベラルとエントマも、何事も無かったかのように離れて飄々としている。

 

 「……凄かったわね」

 

 ユリの一言に皆が頷く。

 

 「わかってはいたけどぉー、やっぱり至高の御方々はぁ、規格外よねぇー。源次郎さまもかっこよかったぁー」

 

 「至高の御方々があれほどの敵と戦っていたにも関わらず……あの時に私たちは、第九階層でぬくぬくと通常の警備をしていたのね」

 

 「けれど、それが至高の御方々によってわたくしたちに与えられた役目。ナーベラル、悔やんでも仕方ないわよ」

 

 「けど……」

 

 ピシピシッ、と教鞭をしならせて机を叩くユリ。それを受けてプレアデスはお喋りを終わらせ、副長である彼女の言葉を聞く態勢をとる。未だ画面を見つめるルプスレギナ以外は。

 

 「……はい、この話はここまでよ。今回のコンピュータ起動実験とセキュリティの問題は突破成功、モモンガ様に報告書を提出するわ。シズがやってくれるのかしら?」

 

 「うん、私がやる」

 

 「ありがとう。それじゃあみんな集まっている事だし、プレアデス月例報告会を始めましょう。お茶やお菓子はないから、素早く済ませるわよ」

 

 「はい、ユリ姉様。……とは言っても、外見の関係でリアルに出ていけないエントマと別の仕事を受けているシズ以外は基本的に集団で行動しているし、私から話すことはそんなに無いわね」

 

 ナーベラルは少し考え込むが、思い当たることがないのかそのまま黙り込んでしまう。

 

 「あぁ、そういえばナーベラル。ぶくぶく茶釜様が声を吹き込まれた別の作品を見つけた話を、エントマとシズにしてあげないと」

 

 ソリュシャンが言うと、ナーベラルは突然顔を真っ赤にして猛烈に首を横に振った。

 

 「……あれはエントマやシズに話すべきではないわ」

 

 「そうよソリュシャン。……その話はボクたち──いえ、私たちだけの間に留めておくって話したわよね?」

 

 「そういえば確かにそうだったわね、ごめんなさい。いらないことを言ってしまったわ」

 

 あからさまに何かを隠そうとしている三人に、エントマとシズは疎外感を感じる。

 

 「わたしたちには教えないってぇー、どういうことですのぉー?」

 

 「ユリ姉様たちだけずるい。……円滑な業務遂行のために情報の共有を要求する」

 

 「……必要ないわ。あなた達のためにも、絶対に知るべきではないことだもの。モモンガ様にさえ報告しないことなのだから」

 

 エントマとシズの主張をユリは一刀で切り捨てると、その話は終わりだとばかりに教鞭をピシピシと鳴らした。

 不服そうな二人だが、モモンガ様へも報告しない──という理由でなんとか納得したようで言葉を飲み込んだ。

 

 

 「エントマは何かあった?ナザリックの第九階層で通常の業務についているのはエントマだけよね?」

 

 「えぇっとぉー、ぶくぶく茶釜さまが『妹さんにありがとうって伝えてね』ってわたしに仰られたわぁー。お化粧品のお礼を伝えてってぇー」

 

 エントマは和的なメイド服の袖下の『脚』をわしゃわしゃと動かして言う。

 エントマはプレアデスの末妹として創られた存在であり、プレアデス内に妹はいない。しかし別の形態としてなら存在する。

 

 「そう言えば私もぶくぶく茶釜様に化粧品をお貸ししたわ。私のは残念だけどあまり役に立たなかったみたい。──あの子が何とかしてくれたのね」

 

 ナーベラルが言うと、どこか遠く、そして近いところで神楽鈴の音がシャンと鳴った。

 

 プレアデスたちの顔に微笑みが浮かぶ。それは別の任を受けている末妹が至高なる御方であるぶくぶく茶釜のお役に立ったことを喜ばしく思う、姉妹として得意げな表情だった。

 

 

 

 そんな良い雰囲気に割って入る声があった。

 

 「よー、みんなおはよーっす。……あれ?今って朝っすかね?陽の光がないから全然分かんないっすけど全然眠くないし、多分朝っすよね」

 

 「……ちょっとルプスレギナ?誰と話しているの?」

 

 ルプスレギナの独り言を訝しんだソリュシャンが、ルプスレギナが独占していたコンピュータの画面を見る。そこに表示されたウインドウには、ルプスレギナが鏡写しのように写っていた。矢継ぎ早に表示されていく無数のコメントには、「夜だよー」「すげぇ美人」「むっちゃかわいい」「こんばんはー」などの反応の文字列が毎秒のように次々と更新されていく。

 

 「あ、夜だったっすか?間違えちったすね。まぁ仕方ないっす。なぜならベータちゃんは夜行性だから!」

 

 「……シズ、ルプスレギナは何を一人で話しているのかしら。ついに狂ったの?」

 

 ナーベラルが聞くと、シズは遠目にその画面を見て、そして顔面を蒼白にした。

 

 「…………全国ネットで、動画つき生放送してる。視聴者、どんどん増えてる……!!」

 

 「…………はぁ!?」

 

 ルプスレギナの首周りには駅長室に置いてあったのだろうイヤホンマイクが回されていて、それはコンピュータへと繋がっていた。

 

 シズは脇から素早くコンピュータの操作権を奪って電気信号を叩き込むと、迅速に放送を終了させた。

 突然の終了に、コメントは「放送事故?」「通信障害かな」「まぁ初回だし仕方ない」とにわかに騒ぎ始める。

 シズは少し考えた上で「ごめんっす!機材トラブっちゃったので中止っす!」と素早く送信してコンピュータを閉じた。

 

 

 あとに生まれたのは、睨みつける五人の瞳。そしてその中心で困惑するルプスレギナだった。

 

 「……ねぇルプスレギナ、あなた今、自分が何をしでかしたか分かっている?」

 

 「えぇ……?私そんな悪いことしたんすか?」

 

 「当たり前でしょう。リアルの世界に私たちの事が知れ渡ればどうなるかくらい、あなたにも想像がつかなかったのかしら」

 

 詰め寄るソリュシャンとナーベラルだが、当のルプスレギナは未だ困ったように逃げの姿勢をとっている。

 

 「至高の御方々が私たちのことに気付くかもしれないっす」

 

 「それ以前に不特定大多数の目に触れることが問題なのよ、ルプー。ナザリックの事に気付くのは至高の御方々だけではないでしょう」

 

 「……えー、そうっすか?」

 

 ルプスレギナは頬をかいて、まるでその前提が間違っているとばかりに言った。

 

 「だって、私たちの顔を知ってるのはアインズ・ウール・ゴウンの御方々だけっすよ?大侵攻の時も私たちは第九階層にいただけじゃないっすか」

 

 「でも、モモンガ様のお許しを得ずして実行すべき作戦ではなかったことは確かよね?」

 

 「……そうかもしれないっす」

 

 言葉に詰まったナーベラルの代わりにユリが叱責し、ルプスレギナは反省の色を見せた。

 ユリは教鞭で机をピシャリと叩き、騒がしくなり始めたプレアデスを静かに戻す。

 

 「……何はともあれ、すべてありのまま報告書に書いて御身のご判断を待つしかないわ。あなたなりに考えての行動だったようだし、慈悲のある処分を待ちなさい。──シズ、報告書を急いで。本日はこれで解散としましょう」

 

 「わかった。すぐに仕上げて一時間以内にアルベド様に渡す、……まかせて」

 

 

 シズがコンピュータを抱いて急いで駆けていき、それをもってプレアデス月例報告会は終了となった。




お久しぶりです。
Fantiaにのみ投稿していた幕間的なお話です。

近いうちにペロロンチーノ様編とプレアデスちゅーぶの続きを投稿します。
よろしくお願いします。


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本編
モモンガ様編


はろー、リアル。
ぐっばい、異世界。


 

23:59:57

 

23:59:58

 

23:59:59

 

  

 

 首筋に挿したコネクタを通し、ニューロン・ナノ・インターフェイスから軽いノイズが入る。

 

0:00:00

 

 

 ──玉座から見える景色は固まり、通信状況が悪い時に感じるジリジリとした違和感がモモンガの視界を苛んだ。

 

 そうしていたのは数秒だけだ。やがて、全ての終わりを示すテキストが画面中央に浮かぶ。

 

 『”ユグドラシル”から応答がありません。通信環境を確認して下さい』

 

 大きくため息をつく。首を振ったり視線を動かしたりしようと試みるが、視界は一切変化しない。傍に従えていた戦闘メイドのプレアデス、セバス・チャン、アルベドも全く動かない。命令したから座しているのではなく、二度と動いている姿を見せることは無いのだ。

 

 

 ──終わった。

 生き甲斐が。

 ──消えた。

 半生を捧げた、何にも代え難い最高の思い出たちが。

 

 仲間達と共に築き上げてきたナザリック地下大墳墓が、丹精込めてみんなで作ったNPCたちが、ギルド──アインズ・ウール・ゴウンが。

 全て、何もかも、一瞬にして無くなった。

 

 涙は出なかった。仲間達は既にほとんどがゲームを辞めていて、最後の一年ほどはモモンガ一人でギルドの維持資金を稼ぐだけの日々になっていたからかもしれない。

 ただただ、とてつもない倦怠感と疲労感、そして少しの虚しさがモモンガ──鈴木悟の心を埋め尽くしていた。

 

 ユグドラシル最期の時をスクリーンショットに収め、HMDの電源を切る。真っ暗になった視界のまま余韻に浸る気分はない。明日は四時起きだ。

 

 コネクタからプラグを外し、HMDを外した。

 

 目の前に戻ってくるのは、明かりを消したいつもの自室。少しだけ奮発したゲーム用ソファ──

 

 

 

 ──ではなかった。

 

 眼下には短い段差、続いて赤い絨毯。それが伸びる一番奥にあるのは、凝った作りの大扉。

 

 (……あれ?おかしいな……)

 

 混乱して辺りを見回すと、小さなワンルーム──ではなく凄まじく縦に長い部屋の壁に、見慣れた旗が幾つも掛かっている。

 天井には豪奢なシャンデリア。自分が座っていたのは、ゲーム用ソファではなく──玉座。

 HMDを外した鈴木悟の視界に飛び込んできたのは、ギルド、アインズ・ウール・ゴウンの第十階層、玉座の間だった。

 

 (……いよいよ俺も頭がおかしくなったか?HMDは外したし、ユグドラシルはたった今サービスを終了したのに……)

 

 幻覚か、さもなくば夢か。

 夢だとしたら、このまま覚めて欲しくないものだと切に願った。

 

 

 

 「……モ、モモンガ……様で、あらせられますか?」

 

 澄んだ水よりも美しい、けれど震えた声が、鈴木悟にかけられる。

 モモンガという名前に反応して声の方を向くと、何かに動揺した風のアルベドが鈴木悟の顔色をうかがっていた。

 絶世の美女の蛇のような瞳に、やけに鮮明に映る夢だなぁと感慨を覚えつつも、どう答えたものかと考える。

 

 「あっ、あなたはモモンガ様なのですか!?どうなのですか!!」

 

 アルベドは立ち上がり、鈴木悟に向かって足早に歩いてくる。殺気と戸惑いが混ざった表情で。

 

 「お待ち下さい、アルベド様。そこにおわす人間からは、確かに至高の御方であるモモンガ様のお気配がします。まずは落ち着かれてはどうかと」

 

 段の下からセバスがアルベドを窘めるがアルベドは止まらず、鈴木悟の正面に立つ。

 

 「いいえ、落ち着いていられるはずが無いでしょう!モモンガ様がつい先程までいらっしゃったこの玉座、いつの間にか人間がすり代わっているのよ!?……確かに気配は本物だけれど、モモンガ様のような、お側にいるだけで感じるお力はないし──」

 

 アルベドが半ば狂いながらセバスと会話している中、鈴木悟は会話を聞き流しながらアルベドの肢体を観察していた。

 

 (折角夢なら、アルベドの造型を目に焼き付けておくか……。それにしても凄い作り込みだ。いい仕事したんだなぁ、タブラさん)

 

 セバスとの会話が一段落ついたのか、少し落ち着いた様子のアルベドが鈴木悟に向き直る。

 

 「あなたはモモンガ様なの?それとも──そうではないのかしら」

  

 『そうではない』という部分を強めに言ったアルベドには、答えによっては即座に飛びかかろうという気迫が見て取れる。

 夢だからといって殺されたいわけではない。そう思った鈴木悟は、一芝居打ってみようかと考えた。

 どうせ夢。起きれば忘れる泡沫の一時なのだから。

 

 

 「──私に直接尋ねるまでもないだろう、アルベドよ。お前が感じているという私の気配こそ、ナザリック地下大墳墓が主人、モモンガのものではないか?」

 

 精一杯の尊大な声音でアルベドに言い放つと、少しだけ恥ずかしさがこみ上げてくる。

 

 (……って、なんだよ気配って!俺の夢の中だからって設定が厨二に偏りすぎてないか?)

  

 そんなことを思う鈴木悟だが、アルベドは即座に床に膝をついた。

 

 「申し訳ございません、モモンガ様。御身を疑うなどという不敬、あってはならない事だと私自身理解しております。ですが、突然人間の姿になられた訳を……ご説明頂けませんでしょうか?」

 

 どうしたものかと考え、まぁ夢なら包み隠さず話しても問題ないかと楽観的な考えを実行する。

 

 「……あー、これはだな。私のリアルでの姿なのだ」

 

 「りあるでの……お姿」

 

  途端にしんと静まり返り、すぐさま鈴木悟はハッと思い至る。

 ──リアルとは何なのかがNPCには理解できないかもしれない。

 

 (リアルってどう説明すればいいんだ?……そもそもユグドラシルの仮想世界で生まれたNPCたちに、この世界はリアルで作られたものですーっ、て説明するのはどうなんだろう……?)

 

 答えを急いて失言してしまったか悩む鈴木悟だが、セバスの声が耳に入って冷静さを取り戻す。

 

 「モモンガ様、私は『りある』について至高の御方々の会話を耳に挟んだことがございます。──それはもしや、至高の御方々がユグドラシルと行き来をするという平行世界のことでございましょうか?」

 

 「……まぁ、簡単に言えばそうだ。リアルでの私や他のギルドメンバーの皆も同じく全員、リアルでは人間だからな。私はそのリアルでの姿のまま、ナザリックに転移してしまったということらしい。原因は不明だがな」

 

 そこまで言ってから、ふと思い立って右手でコンソールを出そうとしてみる。反応はない。チャットもGMコールも効かない。

 

 少し冷静になって状況を確認する。

 ゲーム中はアンデッドの特性で寒暖を感じなかったが、人間の鈴木悟に玉座の間は少し肌寒く感じる。

 NPCのはずのアルベドとはきちんと会話ができているし、喋ると同時に口が動き、表情も変わる。ユグドラシルにはなかった機能だ。ユグドラシルが続いているわけでは無い可能性が高い。

 だが、夢にしてはあまりにも明晰に頭が働くし、周囲の様子は緻密に描かれ過ぎている。

 

 (本当に夢……なのか?)

 

 疑問を抱き、傍らで漂うギルド武器、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを手に取る。

 アルベドの設定を変えた時のようにスタッフのギルド長権限を起動すると、なんの問題もなくコンソールが開いた。

 

 (ギルドのメイン画面……だけど、ほとんどのメニューが半透明になってるな。凍結、もしくは無効化されているってことかな。……まずいな、夢なのかユグドラシルが続いてるのかわからなくなってきた)

 

 スタッフの機能を使おうと四苦八苦していると、アルベドが自分の一挙手一投足を観察するかのごとく視線を向けていることに気がつく。

 そこで、ある考えに思い至った。

 

 (夢なら覚めないでほしいけど、もしも現実なら最高だよな……)

 

 「アルベド。もっと近くに寄れ。……まだ私を疑っているか?」

 

 「ギルド武器の機能を起動可能なのは、御身がモモンガ様本人である何よりの証左。今更疑う余地などどこにもございません。御身を疑った罰ならば如何様にも受けます」

 

 「あ、いや。……罰とかそういうのはよい。ナザリックを守らんがために動いたのだ、お前の全てを許そう。それより、お前に頼みたいことがある」

 

 「モモンガ様の寛大なるお慈悲に深く感謝致します。失態を払拭できる機会であれば、なんなりとお申し付けくださいませ」

 

 アルベドは鈴木悟の前で、今までで一番深く頭を下げて命令を待つ。

 

 「私の頬をつねってくれ」

 

 「……………………今、なんと?」

 

 「私の頬をつねってくれと言ったのだ」

 

 悲壮な顔つきで自分を見上げてくるアルベドに、長年のビジネスマン生活で鍛えられた洞察力が警鐘を鳴らす。何かまずいものに触れたらしい。

 

 「……ゴホン。えー、夢だといけない……わけではない。夢だとしても、お前とこうして話せたことはとても嬉しい」

 

 アルベドの表情が少し軽くなるのを確認して、自分も小さく笑う。

   

 「しかし、ぬか喜びもここまでにしておかないと、夢から覚めた時に絶望で死すら選びかねんからな」

 

 「……御身が死などと……!そのようなことは仰らないで下さいませ!」

 

 「ならば、よろしく頼む」

 

 恐る恐るといった感じで近づいてくるアルベドに、左の頬を差し出す。アルベドの細くて美しい指が顔に触れ、温かな熱を感じた。

 続いてアルベドの体から漂ってくる甘い匂いが鼻腔を満たし、幸福感を呼び起こす。

 

 (匂いがある……ということは、ユグドラシルが続いている、ないしはユグドラシルの続編という線は完全に消えたな。電脳法で味覚と嗅覚が制限されているから、今はゲームの中じゃない。あとはアルベドにつねってもらうだけだが──)

 

 アルベドは鈴木悟の頬に手のひらを這わせると、四本の指と親指で優しく頬肉をつまんだ。愛情を示すようにひとしきり撫でると、静かに後ずさって頭を地につける。

 

 「──御身のご命令とあっても、どんな事情がおありであっても。私にはモモンガ様の頬をつねることはできません。命令に背く罰であればどんなものであろうと受けます!ですが、最愛の人に痛みを与えろなどという殺生なこと、どうか仰らないで下さいませ!」

 

 そのまま床と一体化する勢いで平伏すアルベドに鈴木悟は若干引きつつ、自分で自分の頬をつねる。特に何も起こらず、ただ少しだけ痛い。

 

 (多分、夢じゃない。冗談みたいな展開だけど、ゲームの世界が実体化した、もしくは俺が入り込んだ?……それにしてもこの反応、もしかして最後に書き換えたあの設定(モモンガを愛している)が有効になっちゃってるのかな?)

 

 アルベドの創造主、タブラ・スマラグディナの白いタコ顔が頭に浮かんで、罪悪感に胸が苛まれる。

 

 「……面をあげろ。私を愛しているというお前の設定は、タブラさんの作ったものを私が歪めたのだ。これは正さねばなるまい」

 

 「それになんの問題がございますでしょうか!タブラ・スマラグディナ様であれば、きっと娘が嫁に行く思いで微笑んでくださるに違いありません!──それとも!」

 

 アルベドは最悪の発想に至ったらしく、金の瞳から滂沱の涙を流して枯れた声を出した。

 

 「──わ、私は……モモンガ様を愛してはならぬと、そう仰せなのでしょうか?御身から賜った私の愛を……無かったことにすると?」

 

 「うぐ……そういう言い方はだな……」

 

 セバスやプレアデスらは顔を伏せていて表情は伺い知れない。だが、アルベドに同情していたらどうしよう、と鈴木悟は考える。現状の意味不明な状況に加え、見たところ友好的なNPCが、明確に敵に回るのは避けたい。

 

 「……まぁ、そこまで言うならもう何も言わないことにしよう。タブラさんも今はいないことだしな」

 

 アルベドはほっと胸を撫で下ろす。安心からか正座が崩れ、へたりこむように鈴木悟の前に座り込んだ。

 

 「また罰を求められても困るな。──アルベド、お前の全てを許す。現状の把握のために力を貸してくれ」

 

 「……はい、承知いたしました」

 

 アルベドは涙を払うと、目の下を赤く腫れさせつつも立ち上がった。アルベドの表情からしばらく動かすのはやめた方がいいと感じ取り、セバスたちに指示を出す。

 

 「──セバス。お前は大墳墓を出て、周囲に何があるかを探索しろ。知的生命体がいればできるだけ穏便に接触、情報を収集するのだ。ユリを連れていけ」

 

 「畏まりました、モモンガ様」

 

 「他のプレアデスたちは各階層守護者たちに通達を行なえ。今より一時間後、第六階層のアンフィテアトルムに集合。ルプスレギナとソリュシャンはシャルティアに、エントマとナーベラルはコキュートスに、シズはデミウルゴスだ。アウラとマーレは私が行く。ヴィクティムとガルガンチュアはよい。──散れ!」

 

 「はっ、畏まりました」

 

 執事とメイドが去っていく後ろ姿を、アルベドと共に見つめる。大扉が閉まるころには、アルベドは凛々しさを取り戻していた。

 

 「……では、私はいかがいたしましょうか?」

 

 「そうだな……。私は指輪がなく転移の魔法が使えない上に、どうやら死の支配者(オーバーロード)の姿と比較にならないほど体力が落ちている。至って普通の人間と変わらないほどだ。第七階層の溶岩を歩いていくのは、少しキツいものがあるだろう。故に、第九階層のギルドメンバーの部屋から指輪を借りてこようと思う。誰かしらの部屋に置いてあるだろうからな。──私に付いてこい」

 

 「畏まりました、モモンガ様」

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 ペロロンチーノの部屋から借りた指輪で第六階層まで飛び、アンフィテアトルムに入る。観客席のゴーレムたちから一瞬敵意の視線を感じたように思えたが、すぐにそれは収まり何事も無かったかのように静まり返った。

 

 「アウラ、マーレ。モモンガ様がいらっしゃったわ。下りてきなさい!」

 

 アルベドが支配人席の方へ呼びかけると、すぐさま小さな守護者が二人飛び降りて駆けてきた。

 

 「モモンガ様ーっ!お久しぶりで……あれ、人間?気配は確かにモモンガ様なのに……」

 

 「混乱させてすまない、アウラ。これは私のリアルでの姿だ。何か問題に巻き込まれたようでこの姿のままナザリックへと来てしまったのだが、心配しないでくれると嬉しい」

 

 人間の姿のモモンガの伴をアルベドが警戒せずにしていることからも、アウラとマーレは安心したようだ。

 それとも、子供の心を持っているが故の適応力の高さか。

 

 「も、モモンガ様があたまを下げられることはないですよ!……ぼっ、ぼくたちは、姿形がかわろうとモモンガ様に忠誠をつくさせていただきますっ!」

 

 「お前達の忠義に礼を言おう。その言葉を聞いて嬉しく思う。──さて、一時間としないうちにここへ守護者が集結する。構わないな?」

 

 「もちろんですモモンガ様!……ですけど、シャルティアも来るんですねぇー」

 

 アウラの面倒くさそうなセリフを聞きつけたとばかりに《ゲート/異界門》が開き、シャルティアが日傘をさして現れた。

 

 「久々にあいま見えるというのに、とんだご挨拶でありんすねぇ、チビすけ」

 

 言葉遣いに反して幼い子供のような声の持ち主だ。今鈴木悟が身につけている指輪の元の所持者である、ペロロンチーノが造ったNPCでもある。

 

 「……ルプスレギナやソリュシャンから聞いてはいたでありんすが、モモンガ様のお姿が人間になってしまわれたというのは、些か衝撃的でありんすね。されど至高なるお気配が変わらぬ以上、わたしが忠義を尽くすのは変わりんせんでありんす」

 

 ちょぉっと私のストライクゾーンからは外れてしまいんしたが──と付け加えてクスリと笑うと、アルベドがシャルティアをギロりと睨んだ。

 

 「そう言えばあなたは屍体愛好家(ネクロフィリア)だったわね、シャルティア。骸骨のお姿でなくなったモモンガ様は魅力的ではなくなったということなのかしら?」

 

 「そんなわけはありんせん。モモンガ様はそのお気配だけで十分に素敵な殿方でありんす。年増のオバサンは早とちりで困りんすねぇ?」

 

 年増、という暴言にこめかみをひくつかせたアルベドだが、愛する者の視線で我に返る。

 

 「……シャルティア。あなたはまだ理解していないようだから説明してあげるけど、モモンガ様は確かに現在人間のお姿になってしまわれている。けれどそれは悪いことばかりではないわ。──モモンガ様は現在、受肉されているのよ?」

 

 口もとをニヤつかせた妖しげな表情のアルベドに、シャルティアは女の勘で何かを感じ取る。でもそれが何かは分からない。

 

 「……それがどうしたでありんすか?人間の体は脆弱でありんす。転べば怪我をしんすし、殴れば吹き飛ぶほどにか弱いものでありんしょう?」

 

 「そうね。けれどアンデッドのモモンガ様には無くて、人間のモモンガ様にはあるものがあるわ。アウラやマーレならともかく、貴女ならわかるわよね?」

 

 「ちょっと、私には分かんないってどういうことよアルベド!」

 

 アウラがアルベドに噛み付くが、シャルティアはそれをよそに真剣に考え始めた。

 そしてすぐに答えに至る。

 

 「……あ、あ、あっ、アアアルベドォォッ!?それは、それはつまり……モモンガ様のおちっ、おちん──!」

 

 「なぁ、そろそろやめないか?この話題は……」

 

 絶世の美少女の白磁の唇から放送禁止用語が飛び出すのを堪りかね、止めに入ったモモンガにシャルティアは飛び退く。

 

 「も、申し訳ありんせんモモンガ様!……その、すこぉしの間だけ不敬な考えを抱いてしまいんした」

 

 そう言うシャルティアだが、視線は鈴木悟の股間一直線だ。ボールガウンの内側の脚は内股に擦り寄せられている。

 欲望は正直というか。確かにシャルティアはペロロンチーノからビッチの設定を与えられていたが。

 

 今の鈴木悟には性欲がある。二十幾年生きてきて未だ実戦未使用の息子もいる。それも、シャルティアやアルベドほどの美しい女性から好意を寄せられれば、嫌なはずがない。そして今は電脳法が機能していない状態だ。やることもやれる……と思う。

 だが守護者たちは、去っていった仲間達の置き土産。思うところも多々ある。

 

 「……確かにお前達は美しいが、友人の愛娘に手を付けるようなものだからな。それに俺、そんな美形じゃないし」

 

 自嘲気味の消え入るような言葉にシャルティアとアルベドが揃って『いえ!御身は──』と声を合わせたとき、アウラとマーレの間を割って青色の巨体が現れた。

 蟲の武人、コキュートスだ。

 

 「──御身ノ前デ騒々シイゾ、アルベド。シャルティア。何ヲソンナニ熱クナッテイルノダ」

 

 「「黙っててコキュートス!」」

 

 「ウゴッ……」

 

 鬼と化した二人に凄まれ、哀れにも萎縮したコキュートス。そんな彼に近づき、声をかける。

 

 「よく来てくれた、コキュートス。……今の私の姿では威厳も何も無いだろうが、笑わないで貰えると嬉しい」

 

 「マサカ御身ヲ笑ウナド。エントマタチカラ聞クニ、ソノオ姿ハリアルデノモモンガ様トノコト。幾多ノ修羅場ヲ乗リ越エテ来タ強者ノ顔付キハ、ムシロ尊敬ニスベキモノカト」

 

 「修羅場、か……。確かにいくつも経験してきたが、そういうものか?」

 

 「ハイ、ソウイウモノデ御座イマス。──シテ、アルベドトシャルティアハ何故アンナニ揉メテイルノデショウカ」

 

 何故かモモンガのいい所を言い合う謎の勝負に発展している二人を指して、コキュートスは疑問を呈す。

 

 「どうでもいいことだ」

 

 「「どうでもよくありません!」」

 

 そして第七階層からの《ゲート/異界門》が開かれ、スーツ姿の悪魔が瀟洒な足取りで姿を見せる。

 

 「そうですとも、モモンガ様。お世継ぎをお作りになられることはナザリックの安泰のためになる素晴らしい出来事、そして彼女らにとっては無上の幸せ。モモンガ様御本人がどうでもよいと仰られては、彼女らに立つ瀬がありません。どうか、寛大なるお心遣いを」

 

 「デミウルゴスか。弁の立ち具合から見るに、元気そうだな」

 

 「ええ、モモンガ様もご機嫌麗しゅう存じます」

 

 「うむ。気分は良い。もしかすると今までで最高に近いかもしれんが……、世継ぎの件に関しては少し触れないでくれ。私も考えることがあるのでな」

 

 「はっ、承知いたしました。モモンガ様」

 

 呼び立てた全守護者が時間前に揃い、鈴木悟という人間の前に一斉に膝をつく。

 シャルティアから始まってアルベドで終わる各々の名乗り上げを終える頃には、鈴木悟の胸の中は感動で一杯になっていた。

 

 (皆さんと作り上げてきたナザリックの守護者たちが……!こんなに立派になって、喋ったり動いたりしてますよ!)

 

 ギルドメンバーの誰か、誰にでもいいから伝えたいと思うも、現状チャットが使えない以上それは不可能だ。悔しさに歯噛みしていると、周辺地理の探索を命じていたセバスがアンフィテアトルムを訪れた。

 守護者たちの列に加わるように示し、セバスがそれに従って膝をつくと、鈴木悟はセバスに命令を出すことにする。

 

 「ご苦労だった、セバス。お前の見てきたことを守護者たちの前で伝えよ」

 

 「はっ、畏まりました。──まず、大墳墓の周囲にあったとされているグレンデラ沼地帯は影も形もなく、広がっているのは天を穿かんばかりの建築物の群れ。辺りには人間に対して有毒と思しき塵や霧が広がっております」

 

 「……ふむ、ユグドラシルの世界とはまた別のどこかか。続けよ」

 

 「──ですがそんな環境にも関わらず、防塵マスクで顔を覆った人間たちの姿がいくつも見えました。防塵マスクを着用せずに話しかけると怪しまれる可能性を考え、人間への接近はしておりません。傀儡掌を使用する許可を得られるのでしたら幾ばくかの情報を入手して参りますが、いかがいたしましょうか」

 

 「軽はずみな敵対的な行動は避けるべきだ。許可は出せないな。……人間たちの戦闘能力はどうだった?」

 

 尋ねると、セバスは少し困った素振りを見せる。「お前の思ったままを伝えろ」と促して話を聞き出す。

 

 「……はい。何と言ったらよいものか。私の見た限りですと、戦闘能力を有する者は誰一人として見当たりませんでした。むしろ哀愁すら感じさせるほどに無気力で、何故生きていられるのかが不思議なほどです」

 

 セバスの言から、鈴木悟は半ばナザリックの外の世界についての正体を把握していた。外というよりも、むしろ鈴木悟本来の世界。

 (……ナザリックの外に広がっているのは現実世界ということか? )

 

 「──ふむ。セバス、報告ご苦労だった。助かったぞ」

 

 「お褒めに預かり恐悦にございます」

 

 セバスが頭を下げて口を閉じると、鈴木悟は両手を広げて守護者たちに言う。

 

 「今のところはセバスの見たものしか外界についての情報はない。故に断定は不可能だ。だが、私は外界について薄々心当たりがある」

 

 「なんとっ」「流石ハ」と沸き立つ守護者たちを手で制する。

 

 「──それはリアルの世界だ。セバスのもたらした情報は、私の知るリアルの世界と酷似している。……リアルについては皆知っているな?」

 

 「はい、モモンガ様!私は知ってますよ!ぶくぶく茶釜様とやまいこ様、餡ころもっちもち様がお話をされていた際、時たま話題に出ることがありましたから!」

 

 「お、おねぇちゃん……!も、ももモモンガ様のお話のとちゅうだよぉ……っ!」

 

 瞳を煌めかせたアウラに、鈴木悟は深く頷いて返す。

 

 「アウラは勉強家だな。マーレも忠誠心があって良いことだ」

 

 幼い外見の二人が照れて赤くなるのは、子供を見ているようで微笑ましい。しばらく眺めていたいような思いに駆られるが、今は守護者たち全員の前だ。

 

 「──皆が皆、リアルについて同じ情報を持っているとは限らない。……もし万が一本当に、外の世界がリアルだったとしたら、再度皆に集まってもらおう。そこでリアルについての私が知る限りの情報を話すつもりだ」

 

 全員声を揃えて「はっ!」と声を発する姿に、鈴木悟は喜びを覚える。例えるならば、親戚の娘や息子が自分のことを慕ってくれるような感覚。

 

 (シャルティアの製作者はペロロンチーノさんで、アウラとマーレはぶくぶく茶釜さん。コキュートスは……そうだ、武人建御雷さんだったな)

 

 設定をびっしり書き込まれたシャルティアやエルフの姉弟は、かなりその設定に忠実な人格を持っているような気がする。逆に設定をそこまで詰め込まれなかったコキュートスなどは、武人建御雷の人柄が濃く反映されているように見えた。

 

 (セバスの製作者のたっちさんと、デミウルゴスのウルベルトさんはライバルだったっけ。NPCにも受け継がれたりしてるのかな?)

 

 よく見れば、セバスはデミウルゴスから一番離れた位置にいる。なんだか懐かしいものを見たような思いがして、頬が緩んだ。

 

 (アルベドはタブラさんだけど……。設定を書き換えちゃったのホントどうしよう……謝れるなら謝らないと)

 

 最前列で膝をつくアルベドをちらりと見て、目をそらす。

 

 

 「お前達を創造した皆にも、忠義に励むこの姿を見せてやりたいものだ」

 

 

 ふと心から漏れ出た発言に、ピクリと守護者たちの肩が動く。

 が、誰も何も発言しない。まるで何かをこらえるかのごとく、それきり石像のように動こうともしない。

 

 (ん、どうしたんだ?……やばい、何か不味いことを言ったか?)

 

 どうすればいいのか不安そうな顔になってしまうのを耐え、気丈な表情を維持する。

 

 「……どうした?何か訊きたいことがあるなら遠慮なく訊ねるがいい。疑問をそのままにしておくのは最も愚かなことだ。疑問を持っている部下──配下をそのままにしておくことも。可能な限り、何でも答えよう」

 

 「──では、お恐れながらモモンガ様。守護者を代表してひとつ、質問をさせて頂いてもよろしいでしょうか」

 

 「デミウルゴスか。構わん、続けよ」

 

 ナザリックのNPCの中でも知恵者の設定がなされているはずのデミウルゴスが手を挙げたことに鈴木悟は驚いたが、そのまま続けさせる。

 

 「……大変不敬な想定であったことは承知しております。ですが我々守護者は、皆一様に抱いたことのある可能性であると確信しております故、ここで解消するのが最も得策かと判断した次第ですが──」 

 

 デミウルゴスはその眼鏡の奥の宝石から、わずかな希望を感じさせる視線でモモンガに訊ねる。

 

 「先ほどのモモンガ様の言い様……、至高の御方々は今ナザリックにいらっしゃらないだけで、ご健在であるかのように聞こえました。至高の御方々は、未だお隠れあそばされたわけではない──ということで相違ございませんか?」

 

 「デミウルゴス!モモンガ様のご好意につけ込んで、なんて不敬なことを……!」

 

 「構わん。遠慮なく訊ねよと言ったのは私だ、落ち着けアルベド。……他の守護者たちも同じ疑問を抱いているか?」

 

 恐る恐ると言った体で首を縦に振るシャルティアやアウラ、マーレ。コキュートスとセバスはさらに頭を下げ、同意を示した。

 

 (……そうか、そういうことか!ナザリックで得たことしか知らない守護者には、ギルドメンバーの会話が唯一の情報手段。おおかた、ブラック企業に勤める誰かが会話の中で『死にそう』とかぼやいたのを聞いていたんだろうな)

 

 命のやり取りがしょっちゅう行われるゲームの世界の中のNPCには、『死にそう』という愚痴は大事のように感じるのだろう。

 だから、守護者たちは誤解しているのだ。

 

 「デミウルゴスの疑問に答えよう。──お前達が至高と敬うギルドメンバーの皆は死んだわけではない。今もなおリアルの世界で必死に生き、運命と戦っているはずだ」

 

 鈴木悟には、失うものが自分自身以外存在しない。だからユグドラシルにも最後までログインし続けられた。

 けれど、他のギルドメンバーは違う。

 

 ──ギルド、アインズ・ウール・ゴウンの加入条件は二つ。

 アバターが異形種であることと、プレイヤーが社会人であること。

 社会人であるなら、背負うものがある者も多い。子供、妻、親。教職についている者は、学生を放ってユグドラシルに入り浸るわけにいかない。

 

 みんな、生活とゲームを天秤の両側に載せ、その結果ユグドラシルから離れていったのだ。

 掃き溜めのような社会構造に、嫌々であろうと立ち向かっていったのだ。

 

 

 「外の世界が真にリアルであれば、お前たちが敬うギルドメンバーたちも、きっといる。生きているとも。異形種に比べれば遥かに弱々しい人間の姿でだがな。……それで、お前達は──」

 

 

 彼らに、会いたいか?

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 沈黙が場を包む。アンフィテアトルムの端の方でドラゴンキンがのっしのっしと歩く音だけが、やけに大きく響いた。

 

 

 無限にも近く感じられた空白の後、デミウルゴスがあまりにも小さな声で呟く。

 

 「……お会い、したいですとも」

 

 次の言葉は、全員にきちんと聞こえる大きな声。

 

 「……あと一度でも、一秒でもウルベルト様のお姿を目に焼き付けることが出来るなら、我が身すら捧げてみせましょう」

 

 次の言葉は、慟哭に近い叫び。

 

 「……ウルベルト様だけではありません!至高の御方々のどなたであろうと、お会いして感謝を伝えたいに決まっています!──私たちをシモベを生み出してくださって、愛してくださって、ありがとうございます、と!」

 

 デミウルゴスが言い終わると間髪入れず、シャルティアが立ち上がって涙声で叫ぶ。

 

 「わ゙、わ゙たしも゙っ!……ペロロンチーノ様にお会い出来るならば、無間の死地へすら赴いてみせんしょう!」

 

 続いてアウラとマーレも立ち上がる。その美しいオッドアイからは大粒の涙が零れていた。

 

 「わたしも、デミウルゴスに同意です!ぶくぶく茶釜様の優しいお声をもう一度聞くことが出来るのなら、例え神さまだって倒して見せますっ!」

 

 「ぼっ、ぼぼ、ぼくも同じですモモンガ様!」

 

 「私モデミウルゴスト同ジ意見ニ御座イマス。武人建御雷様ガ必死ニ戦ッテイルヤモ知レント言ウノニ、何モセズニイルコトハデキマセン」

 

 コキュートスは至って普段通りの口調で、しかしその端々にはこみ上げる高揚感を隠しきれずに言う。

 

 セバスに視線を向けると、口を真一文字に結んで何も言うまいとしている顔を見つける。

 

 「セバス。お前はどうだ。……遠慮せずに本音を言うが良い」

 

 その許しの言葉を受けて、セバスの口がゆっくり動く。徐々に表情も感情的になっていく。

 

 「……至高の御方々にお会いできるなら、今すぐにでもお会いしとう御座います。……それがもし、たっち・みー様ならば──私はもはや、手段を選ぶことが出来ないかも知れません」

 

 「……そうか。たっちさんもこれを聞いたら嬉しく思うだろう」

 

 「ッ……!」

 

 顔を伏せたセバスから視線を移し、アルベドを見る。

 守護者の中でも一番静かにしている彼女の表情は、伏せた顔からは伺い知れない。

 

 「──アルベド。お前の意見を聞きたい」

 

 鈴木悟の言葉に、アルベドはわずかに頭を上げる。顔は依然として見えない。

 

 「アルベド。面を上げて意見を聞かせてくれ」

 

 「……わ、私は──」

 

 アルベドの声が思った以上に震えていたことに多少驚く。が、努めて彼女の言葉を聞いた。

 

 「私は、私たちは──、棄てられたわけでは、ないのですね?」

 

 「アインズ・ウール・ゴウンのギルド長、モモンガの名に誓って、それは無いと断言しよう」

 

 みんな、ゲームよりも生活を選んだだけだ。社会人ならば至極当然のこと。やめたくてユグドラシルをやめた人はいないし、興味がなくなったからログインしなくなったという人もいない。いない、はずだ。

 少なくともNPCの前ではそういうことにしておかないとならないだろう。親に棄てられた子がどう育つかなど、考えずとも分かる。

 

 「タブラさんに会いたいか?」

 

 アルベドは顔を上げ、涙と鼻水でグシャグシャになった端正な顔を見せる。

 

 「……はい。お会いしとうございます。お会いして──モモンガ様との結婚式に是非出席していただきたく思います!」

 

 「そうか、なら──……ん?結婚式?」

 

 違和感のある単語に気づいた鈴木悟だが、泣きながら嬉しそうに話し始めるアルベドは止まらない。

 

 「はい!式前に私のウェディングドレス姿をご覧になったタブラ様はきっと、『綺麗だね』と一言だけ仰ってから着付け室から出ていかれるのです。そして自室に戻られてから密かに目尻を潤ませられます……!そして式や披露宴の最中はシモベたちの手前凛々しい表情をされるのですが、私がタブラ様への感謝の手紙を読み始めると途中で──」

 

 「ちょ、ちょっとストーップ。そのくらいにしておこうかー!」

 

 立て板に水を流すようなアルベドの口を塞ぐと、守護者たちの視線が集まっていることを感じる。

 咳払いを一つして、鈴木悟は覚悟を決めた。

 

 「……さて。皆の意見はおおむね一致しているようだな。そこで、今後の方針をある程度説明しておこうと思う。──計画は三段階だ」

 

 三本の指を立て、一本目を折る。

 

 「ひとつ。外の世界がリアルであることを確認する。無害な人間に対する軽はずみな敵対的行動は慎め」

 

 リアルはゲームではない。人を殺せば蘇らないし、守護者たちの中には、ただ全力疾走するだけで死体の山を築き上げるものもいる。

 本心は、友人の娘や息子たちに安易に手を汚させたくないから。

 

 二本目を折る。

 

 「ふたつ。リアルならば世界のどこかにいるギルドメンバーを探し出し、ナザリックへ帰還させる。だが、決して強要してはならない。彼らの中には、独りで戦わねばならん理由がある者もいるだろう。理由は聞かないでおけ」

 

 本心は、誰も忘れられていたことに気づきたくないから。

 

 三つ目を折る。

 

 「みっつ。リアルを我らの手中に収めよ。お前達が至高と敬う存在たちをナザリックから奪った、あまりにも不遜な社会構造を再構築するのだ」

 

 本心は──!。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

 

 ギルド、アインズ・ウール・ゴウンの執務室。

 ここ数日間で鈴木悟の自室と化してきたこの部屋には、本来は無かったベッドやティーセットが持ち込まれていた。

 

 ユグドラシルの中では適当に良い感じの自動でこなされていた作業も、今は全て手動に変わっている。しばらく清掃をしない箇所は埃がたまるし、以前はメニューから項目を選んで費用を投入するだけだったメイドたちの食事も、料理長たちが作らなければどうにもならない。そしてその費用がバカにならない。

 種族ペナルティで大食らいとなっているメイドたちの稼働を停止させればかなり軽減されるはずだが、思いつきはしても実行する気にはなれなかった。

 

 無論、宝物庫には今後数十年間ナザリックを動かすくらいの金貨が貯蔵されている。

 しかし、それはギルドの財産だ。鈴木悟一人の独断で使用するには気が引ける。故に、外の世界の通貨である『円』を使ってなんとか運営を出来ないかと試行錯誤していた。

 

 ──そう、外の世界は完全に日本だった。

 西暦2138年、ユグドラシルサービス終了直後。東京アーコロジーに隣接する下層社会、旧神奈川地区に通じていた。

 

 幸い、エクスチェンジ・ボックスは円の価値をきちんと認めてユグドラシルの金貨に替えた。ユグドラシルの金貨を投入したら同額のユグドラシル金貨が出てくることも確認済みなので、通貨は通貨で認識しているということなのだろう。そしてユグドラシルの金貨と円の交換比率は非常に良い。ゲーム内のショップで金貨を買う時のレートがそのまま流用されているようで、きちんと円を供給できるルートがあればナザリックの運営には困らなそうだという結論に昨日至った。

 

 問題はそのルートだ。

 ナザリックのNPCたちは異形の姿をしていて人間に馴染めるものは少ない。巨大複合企業を襲ってはどうかという案も出るには出たが、万が一現職の警察官であるたっち・みーと遭遇したりでもすれば、非常にセンシティブな問題になる。それに、トップを襲ったしわ寄せが下層で慎ましく生きているナザリックのギルドメンバーに来るかもしれないという状況は、行動を慎重にする方針を決定的にさせた。

 

 結果、鈴木悟が苦労することになっている。

 技術レベルは当然ながら、ナザリックよりもリアルの方が上だ。簡単には社会に対して太刀打ちできない。上回っているのは文字通り戦闘力のみ。

 当然知っていたが、金を得るのは楽ではない。

 

 その上、ギルドメンバーの捜索も難航している。今のナザリックには至高を探すという鈴木悟の指示を心待ちにしているNPCがごまんと待機しているのだが、ゲーム中に会話した情報だけで個人を特定するのは、あまりにも難しい。

 

 ため息をついて冷めかけのコーヒーを一口含むと、部屋のドアがノックされた。

 入室許可を出す前に扉が開けられ、アルベドが姿を見せる。今やアルベドは鈴木悟の右腕として、ナザリックの維持を行うための業務において非常に有用な働きをしていた。その褒美として、執務室に入室する際はノックをすればすぐに入室してよいという特権を渡している。

 

 信賞必罰は世の常だ。初めは鈴木悟も金銭や給与、物品の支給を予定していたが、今のままで満足しているとの理由で断られたために、このようなことになっている。

 他の守護者たちに対してもそれぞれ異なる特権を渡すつもりでいるが、鈴木悟の貧困な発想力ではいまいち特権の候補は思い浮かばずにいた。

 

 

 「──モモンガ様、外界に派遣しているプレアデスたちからの報告書が届いております。読み上げますか?」

 

 「……そうしてもらえると助かる。少し目が疲れてきたからな」

 

 「畏まりました。では、報告させて頂きます」

 

 アルベドが読み上げていくのは、リアルで友好的な関係を築けた人間の情報、多額の金銭がやり取りされる現場の情報、今の下層社会でのトレンドなど。

 情報の有用性を問わず、ありとあらゆることを報告するようにプレアデスたちには言い含めている。

 情報の有用性は鈴木悟が一番よく判断できるからだ。

 

 

 「──続いてですが……、ルプスレギナが鼻の調子が悪いと申告しています。空気の悪い下層社会の街中で深呼吸をしたと……」

 

 「何をやっているんだ……。後でペストーニャに診てもらうように伝えておけ」

 

 「承知いたしました、続いて……えぇと、これが最後になりますね。『街中の建物の前面に設置されている大きな映像機械の中から、一瞬だけぶくぶく茶釜様のお声が聞こえたような気がした』──とのこと。報告者はユリ・アルファです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……あっ」



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ぶくぶく茶釜編──上

 ──『ぐえっへっへー。この春川小学校はオレ様、怪人・グレイビーミールマンが頂いたぜぇー!』

 

 校庭に子供たちを集める、おぞましい姿をした怪人。その体からは歩くたびに肉汁が飛び散っている。

 人間はこの怪人に捕まえられたが最期、体に取り込まれて美味しいお肉に加工されてしまうのだ。なんておそろしい!

 

 『わぁん!こわいよー!』

 『うわーっ!おにくかいじんだぁ!』

 『きゃーっ!きもい!』

 

 『おいどいつだ!オレ様のこのパーフェクトボディをキモいっつった奴は!……うじゃうじゃいてわかんねぇから全員まとめて、叩いて潰してこねて焼いてハンバーグにしてやるぜぇー!』

 

 『だれかたすけてーっ!』

 

 怒りに身を任せて子供たちを喰らい始めたグレイビーミールマン。子供たちの必死の逃走もむなしく、超常の身体能力を持つ怪人の手が次々と子供たちを捕らえて、瞬く間に美味しい食肉へと加工していく。

 校庭にいた生徒達がほとんどお肉に変わってしまって、残された生徒達は絶体絶命だ。

 

 しかし空にキラリと光る何かが見えたかと思うと、たちまちそれは隕石のように春川小学校の校庭に落ちてきた。

 煙が晴れると、フリフリの可愛らしい衣装に身を包んだ一人の少女が姿を現す。杖には魔法のステッキを手にしていて、決めポーズを取っていた。

 

 『流星少女☆プリティスターハート、ただいま見参っ!』

 

 『ぐへへっ、いい所で現れたなぁプリティスターハート!先日お前の手でコンクリ詰めにされて海に沈められた、ソイソースシュリンプマンの仇を取らせてもらうぜぇ!』

 

 怪人の魔の手が少女に伸びる。しかし少女は臆せず果敢に怪人の懐へ飛び込む。

 

 『ガタガタうるせぇんだよ──シューティングスター☆ラブリーインパクト!』

 

 少女にあるまじきドス黒い表情を一瞬だけ見せて、音速を超える拳を怪人の腹へ叩き込む。だが、怪人もそれを耐えると力を解放させる。

 

 『ぐおぉぉっ!……だが甘いなっ!お前を研究し尽くしたオレ様の必殺技──ごふっ』

 

 少女は怪人の顔に飛び蹴りを入れて黙らせると、着地して姿勢を落とし、両拳を構えた。

 

 『一撃で死んどけっつーのクソ肉──メテオレイン♡キューティパニッシュメント!!』

 

 雨のように浴びせかけられる光速の乱打に、怪人がたまらず吹き飛ばされる。

 ほぼ死にかけで横たわったその体の上に、巨大化した魔法の杖が空から落ちてきた。もはや欠片すら残さず潰れた怪人の跡を背に、流星少女ことプリティスターハートは再度ポーズを決める。

 

 『おしごと☆完了っ!じゃあみんな、またね!』

 

 現れた時と同じように凄まじい速度で空へと飛び去っていく。その後には校庭の隅で怯えるわずかな子供たちと、校庭の土を深く抉ったクレーター、そして子供たちだった無数の肉片だけが残ったのだった──。

 つづく。

 

 

 

 

 画面が明転してから、スタッフロールに合わせてエンディングテーマが流れる。その歌声は、先ほどのプリティスターハートのものと同じ声だ。その声の主は、スタッフロールに『風海久美』と記されていた。

 

 やがてそれも終わって玉座の背後に掛けられたスクリーンが完全に暗くなると、誰ともなく始まった割れんばかりの拍手喝采が玉座の間全体を包みこんだ。感極まって涙を流しているシモベも少なくない。

 

 それが少しずつ収まってきたのを見計らい、鈴木悟は隣に座るプレアデスの一人、シズ・デルタに話しかけた。

 

 「──シズ、ご苦労だった。電力の供給を終えよ」

 

 「はい、モモンガさま」

 

 スカートの裾に連結されていたコードがカチリと音を立てて解除され、シズは力を抜いて「ふぅ」と息をつく。

 

 「ぶくぶく茶釜さんのご健在を皆に知らしめるこの上映は、お前の力なくして実現しなかった。礼を言おう」

 

 「……お礼言うの、モモンガさまじゃない。私のほう……!こんなすばらしいお仕事を、任せていただいたお礼をするべき……!」

 

 シズはいつもの無表情のまま慌てふためいて、両手をぶんぶんと横に振る。そんなシズにもどかしいものを感じて、鈴木悟は彼女の頭をぽんぽんと撫でてやった。

 

 「現在、ナザリックにおいてリアルの電子機器に電気を通して動かすことが出来るのは、シズ・デルタ──お前しかいない。必然的にお前を頼りにすることが多くなるだろう。じきに発電設備は整うだろうが、それまで手をこまねいているわけにいかないからな」

 

 今回使用した電力はシズが作り出したが、今後さらに電子機器をナザリックへ持ち込む可能性を考えると、それだけでは限界がある。よって、発電設備の設営が急務だと鈴木悟は考えていた。

 

 発電設備が整えば、プレアデスに回収させた鈴木悟のコンピュータのデータ復旧作業にも電力を十分に回せる。

 

 ──ギルドメンバーを探すならばまずはメールを出すべきだと考えて、プレアデスを派遣し自宅のコンピュータを回収した鈴木悟だったが、残念なことにユグドラシルの終了と同時にナザリックへ転移した際にコンピュータに相当な負荷がかかったようで、ギルドメンバーのメールアドレスをはじめ、内部のデータはことごとく破損してしまっていた。

 

 データのサルベージには凄まじい電力が必要だと主張するプロ(シズ)の案により、現在は急ピッチで発電設備の開発が進められている。

 

 

 撫でられているシズは鈴木悟を見上げるようにして、実に真剣に話を聞いている。

 実を言えば、これからシズに頼もうと考えている仕事は山のようにあるのだ。それこそ、データのサルベージは成功すればギルドメンバーに片っ端から連絡がつけられるような極めて重要度も責任も大きい仕事。

 そんな仕事をこの小さな少女に全て任せるにあたって、鈴木悟は感謝と期待、そして少しの不甲斐なさを抱いていた。故に、撫でていた手を彼女の背中に置き、優しく抱きしめる。

 

 「シズ・デルタ。だから、私はお前に感謝しているのだ。──今ここに在ってくれて、ありがとう、と」

 

 「も、モモンガ……さま……!」

 

 「あーっ!ずるいっす!シズがモモンガ様に抱きついてるっす!」

 

 「ちょっとルプスレギナ、なんですって!?」

 

 ルプスレギナがシズを指して喚き始め、それを聞いたアルベドやシャルティアが反応する。暗くなったスクリーンを名残惜しそうに見つめていたシモベたちも気づいて、にわかにざわめきはじめた。

 鈴木悟はすぐさまシズを離して距離をとると、風浦久美──即ちぶくぶく茶釜に創造された二人の守護者の元へ向かう。

 

 

 

 

 アウラとマーレの製作者、ぶくぶく茶釜のリアルでの職業は声優だ。ユグドラシルで初めてモモンガと出会った時には駆け出しだった彼女も、あれから十年経った今ではベテランと呼ばれる域に達している。

 出演作品数はもはや数えるのが億劫になるほどで、聞くにはファン数も相当多いらしい。

 一般作品や同人作品、そして大きな声では言えない作品など多岐にわたる活躍をしている彼女の名義の一つが、『風浦久美』なのだ。

 

 鈴木悟はアニメの方面にあまり明るくないので、彼女の経歴をよく知っているわけではない。

 けれどそんな鈴木悟でも気づくほど、彼女は日増しに知名度を増していった。

 あまりの忙しさから、ユグドラシルからいなくなってしまう日もそう遠くないのではないか──と一番最初に感じたのも彼女だった。

 

 ──案の定、彼女がユグドラシルを引退したのはギルドの全盛期が訪れてすぐだった。

 その後も彼女の弟のペロロンチーノはログインし続けたため、ぶくぶく茶釜がユグドラシルに復帰したがっていることは口伝いに知っていた。

 『いつでも帰ってきてくださいね』とモモンガが言っていたとペロロンチーノから伝えてもらった時には、とても喜んでいたそうだ。

 しかしその頃を境に、ぶくぶく茶釜の仕事はさらに増えていくことになる。

 

 当然、ユグドラシル最終日にもぶくぶく茶釜はナザリックを訪れることはできなかった。

 一応、ギルド連絡用に受け取っていた個人用のメールアドレスに連絡をしたものの、返信は『ごめんなさい、その日は遅くまで収録で』から始まる丁寧な謝罪の文章だった──

 

 

 

 

 アウラが胸に抱いているディスクパッケージを見る。作品タイトルは『きらきらりん☆プリティスターハート』。

 微妙に児童向けではないゴア描写が話題を呼んで空前絶後のメガヒットを記録した、プリティスターハートシリーズの三作目だ。三作通して主人公の少女をぶくぶく茶釜が演じており、そのために鈴木悟もその存在は知っていた。

 

 街頭コマーシャルでその声が一瞬だけ流れたのを、ナザリック女性陣三名でのおしゃべり会でぶくぶく茶釜の声を何度となく聞いていたユリ・アルファが聞き逃さなかったのだ。

 

 すぐさま鈴木悟の指示で円盤を購入。プロジェクターとプレーヤーは、処理場の廃材とユグドラシルの素材を組み合わせ、アッシュールバニパル大図書館の総力とシズ・デルタの尽力の末作り出した。ユグドラシルの素材を使った部分がやけにファンタジックで前衛的なデティールなのが趣深い。

 魔法と電力のハイブリッドで動くのだと司書長のティトゥス・アンナエウス・セクンドゥスは誇らしげに言っていたが、一般人の鈴木悟には理解の遠い技術。この調子でリアルの技術をナザリック内で再現していくことが出来るなら、それは素晴らしいことだと素人ながらに考えるばかりだ。

 

 

 

 「アウラ、感想はどうだ?」

 

 瞳を閉じてアニメを思い返しているらしいアウラの前に立つ。するとアウラはぱっと目を開け、昂奮が収まりきらないとばかりに小さく飛び跳ねた。

 

 「もう最っ高です!ぶくぶく茶釜さまのお声、すっごくかっこよかったですから!あたしの名前を呼んでくれる優しいお声も大好きですけど……あのブヨブヨをぶん殴ったときのお声も素敵でした!」

 

 嬉しそうなアウラを見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。微笑んで深くうなずくと、近くにいたマーレも鈴木悟に寄ってきた。

 引っ込み思案なマーレにしては珍しく満面の笑顔を浮かべているのが、よほど嬉しかったのだろうということをすぐに理解させた。

 

 「……も、モモンガ様っ!ぶくぶく茶釜様のご活躍、とと、とってもすごかったです!このような機会を設けていただき……ありがとうございますっ!」

 

 「礼ならシズとティトゥス、ユリに言うと良い。私は許可を出しただけだ」

 

 「は、はい!……わかりました!お礼を言ってきます!で、では……失礼いたしますっ!」

 

 「ちょっと待ってよマーレ!あたしも一緒にいくからさ!──モモンガ様、失礼いたします!」

 

 「うむ。焦って転ばないようにな。──さて」

 

 玉座の間はもはや、アニメの感想を言い合ったり、ぶくぶく茶釜についての思い出話をするシモベたちの歓談の場になっていた。

 異形の姿の大勢が楽しそうに笑いながら語り合う姿に、鈴木悟はかつてのアインズ・ウール・ゴウンを重ねて見る。

 

 (……楽しかったんだ)

 

 まだダンジョンの姿だったナザリック地下大墳墓を攻略して、ギルドの拠点として手に入れた時を思い出す。

 超巨大なレイドボスを、ギルド全員で力を合わせて討伐したときを思い出す。

 熱素石(カロリックストーン)の使い道を議論した時をはじめ、重要な話し合いの時は、円卓の四十一席に空きなんてなかった。全員が本気でゲームを楽しんでいて、毎日が喜びにあふれていた。

 

 (……あの頃のナザリックに、もう一度戻りたい。四十一の席がある大きな円卓に、たった一人なんて……もうこりごりだ)

 

 玉座へと一歩踏み出す。楽しそうに語らっていた彼の背丈よりも遥かに大柄な悪魔たちが、海を割るようにして左右にのけていく。

 階段を一歩のぼるごとに、背後から聞こえる話し声は少なくなっていく。

 

 鈴木悟が玉座の前に着いて振り返った時には、全てのシモベたちが鈴木悟に膝をつき、彼の口から話される尊いお言葉を一言一句聞き逃すまいと備えていた。

  

 

 「──静粛に」

 

 明朗と響き渡る鈴木悟の声以外に、玉座の間に音は存在しない。それでも静まるように言ったのは、鈴木悟自身の心がざわついて収まらなかったからだ。

 

 「先ほどの映像で出てきた少女には、お前たちが敬愛してやまないナザリックの誇り高き至高が一人、ぶくぶく茶釜さんが声を吹き込んでいる」

 

 玉座の間にいるシモベたちで、それに気づかなかった者はいないだろう。ここに集めた者達は金をかければ無限に湧くようなPOPモンスターではなく、ギルドメンバーによってその身を形作られた者達だ。自らの頭で考える力がある。

 故に、ぶくぶく茶釜の声を聞けて嬉しく思うと即座に疑問が出るはずだ。

 

 「お前たちはこう考えているだろう。……『何故、ぶくぶく茶釜様の声が画面の中の少女から?』と。──それに私は答えよう」

 

 鈴木悟はある物の方向へ、手を伸ばして指を一直線に向ける。

 それは玉座の間の壁に提げられた、ぶくぶく茶釜の紋章が施された旗だ。

 

 「ぶくぶく茶釜さんはリアルにおいて、声優という仕事をしている。──お前達にわかりやすく言うならば、創作された被造物に声を吹き込むことで、魂を与える仕事と言ったところだな。先ほどの映像はそういうことだ」

 

 シモベたちが小さくどよめくものの、すぐにそれは収まる。事前にその事を知っていたらしいアウラやマーレ、シャルティアはわずかな優越感に顔をほころばせた。

 鈴木悟は両手を広げ、前へと足を強く踏み込む。

 

 「──そう、被造物にだ。お前たちと同じ、誰かによって望まれ、創られ、愛されるものに魂を与える仕事。お前たちならばその仕事がどれほど貴いものか、理解できると信じている」

 

 シモベの中には、己の胸に手を当てて何かを感じ入っている者も見受けられる。

 鈴木悟はそれを確認して満足げに玉座の方へと戻ると、手を高く掲げた。

 

 「それを理解出来た前提で、良い報せを聞かせよう!──ぶくぶく茶釜さんの居住地域が判明した!」

 

 崇敬する信仰の対象の居住地域判明との鈴木悟の言葉に抑えきれぬ歓びの声が各所から上がり、玉座の間の温度が上がる。

 

 「詳しい話に先立って、今回このような素晴らしい成果を上げてくれた者に惜しみのない賞賛を贈ろうと思う!──シズ・デルタ、ティトゥス・アンナエウス・セクンドゥス、そしてユリ・アルファ!」

 

 名前を呼ばれた三名の周囲が沸き立ち、万雷の喝采が包み込む。ユリとティトゥスは優雅にお辞儀をして、シズは可愛らしく戸惑いながらも頭を下げた。

 

 「以上三名及び今回の成果に寄与した全ての者たちに感謝する。また、三名には追って褒美を取らせる。欲しいものやナザリック内で行使できることを望む特権を考えておけ。……いらないなどと言って私を困らせるなよ?」

 

 ギクリ、と固まるユリに念入りに視線を送って、鈴木悟は暗くなったスクリーンを指さす。

 

 「先の映像の最後に、ぶくぶく茶釜さんの歌声と共に文字が流れていくシーンがあっただろう。そこに、ぶくぶく茶釜さんの声が収録されたスタジオの名前が書いてあった。東京アーコロジー内、一人暮らし用の居住区が隣接された全寮制の大型アニメーションスタジオだ」

 

 アニメ業界というのは、多くの場合非常に過酷なものだ。それは百五十年以上前にアニメが生まれた時から変わらない。

 そのため最大手のいくつかでは、従事する人員の健康を徹底的に管理しアニメを制作するすべての工程を効率化するために、全寮制が取られている。ぶくぶく茶釜さんの所属する会社もそうだった。

 

 売れっ子のぶくぶく茶釜さんなら複数のスタジオを渡り歩くだろうが、今期彼女は『きらきらりん☆プリティスターハート』の制作とは違う会社の作品に出演していない。ならば、しばらくはアニメーションスタジオの寮にいるはずだ──そう考えて隠密能力に長けたシモベを複数送り込み、シモベたちはすぐにぶくぶく茶釜の気配が建物の中からすることに気づいた。

 それから、至高の気配を発するぶくぶく茶釜の姿を発見するまではさほど時間がかからなかった。唯一意外だったのは、寮ではなくスタジオ内部のホテルに拠点を構えていたことくらいだ。彼女ほどの大物となれば、すぐに他のスタジオへ飛べるようにホテルを使うということか。──それ以外は何もかも予想通りと言える。現在は交代で数種類のシモベが見張りについて、その姿を見失わないように追っている最中だ。

 

 「近く、ぶくぶく茶釜さんには何らかの手段で接触を行う。彼女がナザリックへ再び訪れる瞬間は、もはや秒読みに入ったと知れ!」

 

 鈴木悟は大歓声を上げるシモベたちを眼下にして、満足げに顔を緩ませる。

 

 ──問題は、その接触方法なのだが。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 「……参ったな。良い案が何にも思いつかない」

 

 自身以外を出払わせた執務室の机に突っ伏し、鈴木悟は独り言を呟く。

 

 「俺が外に出るのは危ないって言われてアルベドたちに止められちゃったけど、何の連絡もなしにアウラやマーレを突然会わせるのもまずいだろうし……。メールの一本でもできればいいんだけど、それもまだ時間かかるって感じだしなぁ」

 

 ついこの間まで生活していた日本だが、守護者たちに言わせれば『今の姿の御身が赴かれるにはあまりにも下劣で危険極まりない世界』だという。

 

 (……そりゃあ、ナザリックやユグドラシルに比べれば外の世界の環境なんてひどいもんだと思うけどさ)

 

 外の世界は夜空が白い。

 工場やクルマの排ガスによる深刻な大気の汚染に街の光が反射して白く見えるのだと、ギルドメンバーの誰かから聞いたことがある。

 それに比べてナザリックの第六階層は、いつ訪れても満天の星空が鈴木悟を迎えてくれる。ギルドメンバー随一の星好きであるブルー・プラネットがこだわり抜いて作った、偽物でありながら本物よりも美しい星空だ。

 

 ナザリックは美しいし広い。生活するのに不自由することはないし、体を壊す限界まで働かなければならないわけでもない。

 けれど、今まで容易に出来ていたことが出来ないとなれば、それなりに窮屈さを感じるのが人間というモノのわがままなところだ。

 

 そしてアルベドは半ば軟禁とも思えるほどに、鈴木悟をナザリックから出そうとしなかった。今だって名目上は一人きりというだけで、天井には複数の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)が鈴木悟の護衛──兼見張りとして控えている。

  

 (……だめだ。何か気分転換しないと、思考がひたすら悪い方に向かっていく)

 

 第四階層を散歩でもするかと考えて指輪をしっかりと嵌め直したところで、前に全ての名前付きNPCの設定を洗った際に見かけたものを、ふと思い出す。

 

 ──そういえば副料理長がバーをやっていたな、と。

 

 鈴木悟は椅子から立ち上がり、伸びをして扉へ向かう。

 天井から微かに聞こえるカサカサという何かが蠢く音に「副料理長のバーへ行く」と言い残して、鈴木悟は部屋を後にした。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 扉の前には『OPEN』の掛け看板が掛かっている。ずっと執務室に篭っていたせいで今が何時かは分からないが、夜間しか営業していないこのバーがやっているということは、それなりに遅い時間なのだろう。

 バーのやっている時間に来れてラッキーと思う心と、生活リズムが崩れてきたと危ぶむ心が同時に生まれるが、元の生活からして三時起き四時起きが普通だったことをすぐに思い出して苦笑いをする。時間感覚は適当ではあるものの、満足に睡眠が取れているぶん、今の方が健康的かもしれない。

 

 押し開きの扉を開くと、小さな鈴がチリンチリンと鳴った。

 唯一店内にいた副料理長のマイコニドは、グラスを磨く手を止めて頭を下げる。

 

 「いらっしゃいませ、モモンガ様。よもや御身にお越しいただく日が来ようとは思いもしておりませんでした」

 

 「私もまさかここに呑みに来る機会が訪れるとは思ってもいなかった。──ふむ」

 

 死の支配者(オーバーロード)の姿の時には種族ペナルティとして飲食が出来ず、それによるパラメータボーナスも発生しなかったため、よく考えればバーに来るのは初めてかもしれないと思い、店内を見渡す。

 

 先程入ってきた入口の扉は遮光ガラスが使われており、店内にはほとんど廊下の光が差し込まない。必要最低限だけ設けられた薄い灯りが、カウンター背後の無数のカラフルな酒瓶を控えめに照らしていた。

 全体的に落ち着いた雰囲気が心地よい。

 

 「……ここを造ったのは誰だったかな」

 

 「私が記憶しています限りでは、ウルベルト・アレイン・オードル様とあまのまひとつ様のご発案によるものでございます。こちらに並ぶ瓶は御二方に加え、死獣天朱雀様、音改様、ぷにっと萌え様のご尽力により取り揃えられました」

 

 懐かしい名前がいくつも上がり、鈴木悟の頬が緩む。彼らのアバターの顔が次々と脳裏に浮かんでは消えていった。

 だが、疑問もある。

 

 「……全て空のようだが?」

 

 「モモンガ様の仰せの通り、こちらの酒瓶は全て飾りにございますが──酒の名前さえ判明していれば、ダグザの大釜より取り出すことが可能です」

 

 副料理長が手で示した先にあった黒い大釜を見て、鈴木悟は「ほぅ」、と感嘆の声を漏らす。

 ユグドラシルでは食事に縁がなかったため、ダグザの大釜という名前はすっかり忘れていた。金貨を対価に食料を生み出すアイテムだっただろうか。食堂の営業時間以外はここに置いてあるようだ。

 

 「モモンガ様、本日はお食事でございますか?それともこちらの店内をご覧になりにいらしっしゃったのでございましょうか?」

 

 「あぁ……そうだな、軽く腹を満たしに来た。アルコールが低めの酒も頼みたい」

 

 「畏まりました。では、どうぞカウンター席にお座り下さい」

 

 副料理長の種族はマイコニドであり、首から下は普通の人間だ。だが、頭部は毒性の強いキノコそのものであり、見る者を選ぶ外見をしている。鈴木悟も、予め心構えをしていなければ空の胃の中から酸っぱいものを戻したかもしれない。

 だが、仕事をする姿は一流のバーテンダーそのものであり、とても様になっていた。

 

 仕事とユグドラシルだけで生きてきた鈴木悟は、カクテルについてはよく分からない。アルコールだけ馬鹿のように高いリアルの合成酒も美味いと感じたことはなかった。

 けれどそんな素人目でも副料理長の仕事姿は、何か素晴らしいものを提供してくれるのではないかと期待させてくれる。

 数分と待たずに鈴木悟の前に、透き通った薄緑色のカクテルが差し出された。

 

 「──照葉樹林でございます。食前酒に良いシンプルさかと」

 

 「頂こう」

 

 グラスを手に取り、ひんやりと冷えた緑のカクテルを舌の上に流す。

 苦味を伴う深い渋みと香りにブランデーのシロップが合わさって、今までに味わったことのない濃い美味さを感じさせた。

 

 「初めて感じる味覚だ。かなり甘く、しかしほんの少しだけ苦さがある……だが、心地よい。どこかで味わったことがあるかも知れない、懐かしさを感じるな」

 

 「照葉樹林は緑茶リキュールと烏龍茶のカクテルにございます。モモンガ様の今のお体は日本人のものかとお見受け致しましたので、こちらをお出ししました。懐かしさは緑茶の風味から感じられたのやもしれませんな」

 

 「うむ……、実に素晴らしい配慮だ」

 

 ナザリックで作られた副料理長が日本人の顔を知っていることに驚くが、そういったことも料理スキルに含まれているのか。料理のためになることに全て役に立つものなのだとすれば、他のNPCが持っているスキルにも研究の余地があるかもしれない──などと考えながらカクテルを進める。

 グラスが空になる前にカウンターから小鉢が複数出され、食欲をそそる香りが鈴木悟の鼻腔を刺激した。

 

 「すぐにお出しできるものはこちらの三品になります。お時間を頂ければ、よりきちんとしたものを食堂で調理して持って参りますが……」

 

 「いや、それには及ばん。腹が膨れるまで食べようとは思っていない。──それに」

 

 鈴木悟は小鉢に盛られた料理に目を移しつつ苦笑いをする。どれもそれなりの量があり、三つも食べれば腹は満たされるだろう。

 

 「私の胃袋はホムンクルスのメイドたちよりも遥かに小さいぞ?」

 

 「……失礼いたしました。普段の食堂でのメイドの方々の食べっぷりを見ていると、どうにも感覚が狂ってしまいまして」

 

 「よい。お前の好意は受け取ろう。──頂きます」

 

 日本人の習慣として、食事を前にすれば手を合わせずにいられない。ましてや食事を作った本人が目の前にいれば尚更だ。

 

 魚の煮付け、ほうれん草の胡麻和え、長芋と梅を合わせたもの。どれも和を感じさせ、色合いが美しい。リアルのコンビニ弁当とはえらい違いだ。

 ナザリックに来てからというもの、食事はずっと執務室で摂っていたため一皿で済むようなものが多かった。こうして手塩にかけた小鉢が並んでいると、どれから手をつけたものか悩む。

 

 そこでふと思い至ることがあり、鈴木悟は副料理長に声を掛けた。

 

 「……どれも日本的な品だな。私以外に日本食を好む者が来店するのか?」

 

 言った直後に副料理長の肩がピクリと震え、頭のキノコがわずかに揺れる。そして何かを諦めたかのように肩を落とすと、鈴木悟に向き直った。

 

 「……いえ、そちらはモモンガ様のためにご用意致しておきました品になります。──いずれ御身が当店をお訪れになられた際にご満足いくおもてなしができるよう、モモンガ様が人間のお姿になられてからというもの日本食を研究して参りましたので」

 

 「そうか……!それはさらに嬉しいな」

 

 副料理長のダンディズムには至高の御身に気を使わせまいとするものがあったのだろう。だが、誰であろうと『あなたに満足してもらうために数日間頑張りました』と言われれば当然嬉しい。

 箸を伸ばしてほうれん草の胡麻和えを口に入れる。ほんのりとした甘味が心を溶かし、胃袋を掴む感覚がはっきりわかった。

 一々感想を述べる前に煮付けを口に運び、再び美味さに感動する。だが、食べたことのない食感だ。似た魚にも覚えがない。

 

 「これはなんの魚だ?」

 

 「黒鮪でございます。リアルでは乱獲により数十年前に絶滅しているとユリ・アルファ様よりお聞かせいただきましたので、現在黒鮪を食べることが出来るのはナザリックの食堂及び当店のみかと」

 

 「まぐろ……か。知識でしか知らなかった魚だな。どうりで未知の食感なわけだ。──だが、とても旨いぞ。味付けも私好みだ」

 

 「お褒め頂き恐縮にございます」

 

 長芋と梅にも箸を伸ばす。ヘタをすると冗長にも感じてしまう長芋の濃い味わいを梅が引き締めていて、これもまた美味い。

 

 一口、もう一口と箸が進み、少なくない量が盛られていた三つの小鉢は気がつけば空になった。

 

 「お飲み物のお代わりをお持ちいたしますか?」

 

 副料理長が小鉢とグラスを下げ、気を利かせてドリンクをどうするか聞いてくる。すっかり食事とアルコールを楽しんでいた鈴木悟は、その声で我に返った。

 

 「……いや、遠慮しておこう。まだ酔い潰れるわけにはいかないのでな。──ところで、このバーにはシモベたちは来るのか?」

 

 「ええ、ありがたい事に一日に数名はいらっしゃいます。デミウルゴス様とコキュートス様が共に呑みにこられる日があれば、シャルティア様が独りで静かに呑まれる時もございますし……あとはそうですね、執事助手様が頻繁にお見えになります」

 

 「執事助手というと……イワトビペンギンのエクレアのことか?」

 

 NPCの設定を確認した際に目を引いた名前が出てきて、鈴木悟は少し驚く。

 エクレア・エクレール・エイクレアーは餡ころもっちもちが制作したNPCであり、イワトビペンギンの姿をしているバードマンだ。

 レベルは最低の1であり、ホムンクルスのメイドらと同じく戦闘力は皆無。しかし名目上はセバスの直属であり、両手で数え切れないほどの男性使用人を部下に持つ執事助手だ。

 

 「はい、左様にございます。──何か気になることがおありでしたか?」

 

 「これほどの素晴らしい店に私以外の誰も来ていなかったとしたら、それはとてももったいないと思ってな。シモベたちも訪れているようで安心したぞ──む?誰か来たな」

 

 入口の扉が開き、鈴が鳴る。そこから顔を覗かせたのは、シズ・デルタとその小脇に抱えられたエクレアだった。

 カウンターに座る鈴木悟を見つけると、シズはエクレアを抱えたまま頭を下げる。シズの体の動きでエクレアの体が締まり、喉だと思う辺りにシズの腕がくい込んだ。

 

 「……モモンガ様。わたし、扉を開けてから、お気配に気づいた。……お邪魔してもうしわけありません」

 

 「いや、邪魔などしていない。していないが……、エクレアを下ろしてやれ。窮屈そうにしているぞ」

 

 「はい。……エクレア、おろすよ」

 

 シズがエクレアをバーの床に立たせると、エクレアはペンギンの手をパタパタと動かしながら鈴木悟に近づいた。そして思いのほか雄弁に喋りだす。

 

 「モモンガ様、お久しゅうございます。体の都合上頭を下げて敬意を示すことができないことは、どうかご容赦下さい」

 

 「お前の姿は餡ころもっちもちさんが作ったものだ。そうあるべきと彼女が定めた以上、私は気にしないさ」

 

 「寛大な御心にこのエクレア、感謝の言葉しかございません」

 

 頭を下げない代わりなのか、両腕を胸の前まで持ってきて姿勢良く立つエクレア。その姿は執事助手というより、マスコットキャラクターさながらだ。女性である餡ころもっちもちが作っただけあって、とても愛らしい。

 そういえばシズには、可愛いものに目がないという設定があったか。ならばシズがエクレアを運んできたことにも頷ける。

 

 エクレアはよちよちとしたペンギン歩きでカウンター席の前まで来ると、シズを振り返って腕をパタパタと動かした。

 シズはそんなエクレアを抱きかかえて持ち上げる。

 

 「モモンガ様、お隣に座らせて頂いても?」

 

 「構わん。私はじきにここを出るが、それでも良ければだが」

 

 答えを聞いたシズは鈴木悟の隣の席にエクレアを座らせると、そのさらに隣に自分も座った。彼はしばらく尻の座りのいい場所を探して脚をばたばたと動かしていたが、しばらくして納得する位置を見つけると、紳士然とした落ち着きをもって副料理長を呼んだ。

 

 「マスター、エレガントなのを一杯、アルコールは低めで。こちらのお嬢さんにはいつもの特製のを頼むよ」

 

 「畏まりました、すぐにお作り致します」

 

 なるほど、このバーに通っているというのは事実らしい。エクレアは慣れた雰囲気で副料理長をマスターと呼び、そのマスターもエクレアの適当な注文に応えようとカクテルを作り始める。

 小洒落た態度でバーに馴染むペンギンに軽い尊敬を抱きつつ、彼の仕事は第九階層と第十階層の掃除であったことを思い出す。

 人間である限り、鈴木悟もトイレに行く。いつ行っても最高の清潔さを保っている執務室近くのトイレは非常に喜ばしいものだったが、あれは彼の仕事なのだろう。

 

 「エクレア。お前が毎日熱意を持って仕事に励んでくれているようで、私は嬉しいぞ」

 

 「なんと。御身から直接お褒めに預かり恐悦至極にございます、モモンガ様」

 

 「それにお前は可愛いからな。とても嬉しい。いや、すごく嬉しいぞ」

 

 「ありがとうございます、モモンガ様」

 

 「うん。実に素晴らしい肌触りだ」

 

 「……モモンガ様?もしや、酔いが回られていらっしゃるのでは?」

 

 イワトビペンギンの鋭い嘴が目の前に迫り、鈴木悟は我に返る。気がつけばエクレアの腹を撫でていた自分の手を引っ込め、副料理長に冷たい水を頼んだ。

 

 「──今のことは忘れろ。いいな?」

 

 「ええ、承知しました。御身のご命令とあらば墓場まで持って行きますとも」

 

 そんな間に、副料理長は冷蔵庫からミネラルウォーターと謎の黒い液体が入った容器を取り出す。

 

 ミネラルウォーターは細長いグラスに氷とともに入れて鈴木悟に差し出された。

 だが謎の液体は、不可思議な液体数種類とクラッシュアイスと混ぜ合わされ、ストローを挿して、まるで正体不明な飲み物としてシズの前に出された。色は乳白色だが、使った液体にそんな色のものは無かった。何なんだ。

 シズはそのストローに口をつけると、ちびちびと飲み始める。心なしか美味しそうな表情をしているのは良いが、それは一体何なんだ。

 

 鈴木悟の疑問はそのままで、エクレアのカクテルも出来上がった。ストローが挿されているがペンギンがそれで飲めるのかと心配していたが、どうやら問題なく飲めるらしい。

 この二人には気になるところしかない。

 

 

 シズの幸せそうな表情を見ていた鈴木悟は、そういえばシズには褒美を取らせる約束をしていたことを思い出す。

 

 ティトゥスにはあの後会いに行って『リアルで執筆された小説を数冊』という願いを聞き、古典と呼ばれる名作小説をプレアデスたちに山と買い込ませて送り付けた。

 ユリは『ゆっくり考えさせてください』と言っていたので、しばらく時間をおいて聞きに行くつもりだ。

 

 では、シズはなんだろう。

 

 可愛いものが好きならばそういったものを欲しがるか。それともアルベドと同じような特権を欲しがるか、今聞いてみるかと鈴木悟は考えた。

 

 「シズ。褒美に欲しいものは決まったか?」

 

 「あー……うーん。……だいたい決まりました。けど、もしかしたらダメかもしれない。アルベド様におこられる、……かも。おそれ多くて口にもだせません。それに、恥ずかしい」

 

 「アルベドが怒る……?」

 

 蛇のような瞳を持つ守護者統括の顔が頭に浮かび、彼女が眉を顰めるようなことを考えてみる。

 

 (……心当たりはあるな。しかし……)

 

 アルベドは鈴木悟の身に危険が及ぶことに過剰なまでに敏感になっている。

 だがそんなことをシズが要求するのかといえば、そうも思えない。

 

 「……まぁ、言ってみるだけならアルベドも目くじらを立てたりしないだろう。ましてや酒の席でもあることだし、軽くまずいことを口から滑らせたって、私の頭の中からは明日にでも消えているさ」

 

 「……ほんとう、ですか?」

 

 「あぁ。言ってみるといい」

 

 恐る恐るといった雰囲気でシズは何かを言いかけ、しかし口を結ぶ。そんなことが三回ほど続いたあとで、シズはテーブルナプキンに手を伸ばして懐からペンを取り出し、何かを書いた。

 それをエクレアの頭の上を通して鈴木悟に渡す。

 

 ──初恋の相手に口で気持ちを伝えることが出来ず、代わりに手紙を書くような幼い乙女の如く。

 

 紙にはこう書かれていた。

 

 

 

 『モモンガ様のお膝の上でお昼寝したいです』

 

 

 

 「……これはアルベドには見せられんな」

 

 「はい。……そう思ったので、忘れてください」

 

 そう言って目を背けるシズの表情は、年頃の少女のようにいじらしい。ストローから謎ドリンクがものすごい勢いで吸われ、グラスの水面が下がっていく。

 鈴木悟も水の入ったグラスを傾けた。氷がカラカラと音を立てる。

 

 「私は今、酔っている。記憶力も低下しているだろう。だから、ここで起きたことは忘れることができた」

 

 「はい。モモンガ様」

 

 少し悲しそうなシズの表情。

 エクレアもその心中を察してか、瞳を閉じてカクテルを飲んでいた。

 だから、鈴木悟は微笑んでシズの頭を撫でる。

 

 「しかしこうして紙で渡されてしまっては、忘れようと思っても忘れられんな。──いずれ近いうちに、お前のために時間を作る。忠義に励みながら、その時を待つがいい」

 

 「……っ!?」

 

 あまりの衝撃からか、シズの手からグラスが滑り落ちそうになる。

 それをエクレアが器用に翼を使ってキャッチして、彼女の手に戻した。

 

 

 「副料理長──いや、マスター。お勘定は?」

 

 副料理長をマスターと呼ぶと、なんとなく慣れた感じがして鈴木悟の心をうわつかせる。これからバーでは彼のことをマスターと呼ぼうと決めた。

 対する副料理長は瀟洒に、そしてダンディに礼をする。

 

 「まさか、モモンガ様よりお代を頂くわけには参りません。このバーの運営も、モモンガ様あってのこと。またお越しになっていただけることをお約束くだされば、それで充分にございます」

 

 「ふむ、分かった。ではまた来るとしよう」

 

 

 あわ、あわわ、と震えているシズに先ほどの紙を見せて「忘れるといけないから貰っていくぞ」と告げて立ち上がると、エクレアが胴体をもっちもっちと動かして去り際の鈴木悟の方を向く。

 

 「シズ殿への寛大なるご配慮、本人に代わりまして心より感謝致します」

 

 「信賞必罰は世の常だ。感謝はむしろ、私がシズにするほうなのだよ」

 

 未だ心ここに在らずで震えるシズ、そしてエクレアに背を向け、鈴木悟はバーの扉を開いて外に出る。

 二、三歩歩いたところで何かが頭の中に引っかかり、その正体を求めてシズから渡されたテーブルナプキンを見る。

 

 考え、やがて発想が実を結ぶと、鈴木悟は叫んだ。

 

 「……そうか!手紙があるじゃないか!」



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ぶくぶく茶釜編──中

 あたたかい、居心地の良い空間。永遠にいたいと思わせる、人の温もりを感じられる部屋。

 

 昨日も今日も、何一つ変わらない。現実から目を背けて、みんなで同じまぼろしを見る。

 

 私たちの秘密基地(ナザリック)は、ちっぽけなわたしたちが使うにはとても広くて、キラキラしたものがたくさんあった。

 

 楽しかった。仲間たちはみんな優しくて、毎日が冒険の連続で、飽きなんて一度も抱いた事はなかった。

 

 いつまでも遊んでいたいけれど、私の持つ時間は急に増えたりしない。私たちはいつまでもウェンディ・ダーリングではいられない。大人であることを思い出さなきゃいけない。

 現実の世界(ピーターパン)は、いつまでも夢を捨てられない大人を殺すのだから。

 

 そうしてしぶしぶまぼろしから覚めると、いつもかなしい気持ちになった。

 

 ◇◇

 

 やがて年を経るにつれて、遊んでいられる時間はどんどん減っていった。

 働くのと寝るのとで一日のほとんどが費やされるようになり、最初は一日三時間遊べていたはずが、やがてはたったの三十分、それも三日に一度できれば幸いくらいの忙しさになった。

 

 みんなが楽しそうに冒険をする中で、私は少ない時間を積み重ねて秘密基地(ナザリック)にこもるようになった。

 冒険に出たって三十分も経たずに離脱するのは、パーティに迷惑をかけるだけだから。

 嫉妬していなかったわけではなかったが、みんなの前では気さくで陽気な性格を演じ続けた。そういう声を演じるのは得意だった。

 

 

 しかし、ギルド長の彼はなんとなく気づいていたらしい。ある時、階層守護者のNPCを作るように勧めてくれた。第六階層であるジャングルの主となるNPCを。 

 弟が既に作っていたキャラクターが羨ましかったこともあって私はそれに飛びつき、すぐさまキャラメイクに熱中した。

 

 大好きな秘密基地(ナザリック)を私の代わりに守ってくれる、大切な大切な自分の分身(いもうと)を作るために、ログインしているわずかな時間を全て捧げた。

 

 身体の造形から身につけている小物にまで手をかけ、左右で異なる目の色を調整するのには実に一週間を要した。

 

 そうして出来上がったのが、ダークエルフのアウラ・ベラ・フィオーラ。出来栄えは最高だった。

 身体の造形ができた後で、今度は設定を練りに入った。陽気でかわいいキャラクターを目指して設定を書いていき、すぐに文字のスペースは一杯になった。

 

 

 アウラを第六階層に配置してしばらく経って、この広々とした階層に一人では寂しそうだと思い始めたので、実弟の生意気さを反面教師にした、従順で純粋な設定の弟を作った。

 

 アウラを作ることで慣れたのか、完成までそれほど時間はかからなかった。

 そうしてマーレ・ベロ・フィオーレが生まれた。

 

 

 ギルドで私を含めて三人しかいない女性プレイヤーは、各自製作したNPCを連れてよくお茶会をした。

 と言っても飲食しても味を感じないプレイヤーではなく、NPCにお菓子やお茶をあげながら談話に興じるというものだが。

 

 アウラとマーレは、そこではいつも私の両隣りに座らせていた。私がクッキーを口に運ぶと、アウラもマーレも嬉しそうにして食べてくれた。

 本当に、かわいい妹と弟のようだった。この時が、ユグドラシルで一番楽しかった時期かもしれない。

 

 

 ◇◇

 

 それから半年後、ナザリックは大侵攻を受けた。総勢千五百にも達する雪崩のような攻撃は第六階層も蹂躙し、ログインできなかった私はそれを事後報告として受けた。アウラとマーレは死んだらしい。

 

 破壊された第六階層を復活させる前に、その爪痕を見に行った。

 闘技場は廃墟のようになっていて、ジャングルの木々は滅茶苦茶に、巨大樹は大きな切り株になっていた。もちろん、二人のNPCの姿はなかった。

 

 復活させた後、二人はまるで何事も無かったかのようにそこにいた。自分が一度死んだことも知らず、二人とも私が作った柔和な表情のまま出迎えてくれた。

 

 なんとなく、それが悲しかった。

 技術的に無理だとわかっていても、私を許してほしくなかった。笑顔で迎えられたくなかった。

 

 

 それからしばらくして、私は装備をギルド長の彼に譲渡し、仕事が忙しくなったと言い訳してナザリックとユグドラシルから去った。

 奇しくも、その直後から本当に仕事量が急増していくことになる。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 声優として売れ始めてからすぐ、私はアーコロジーに移住した。

 最初は滞在費はプロダクション持ちで、スタジオに隣接する寮に住んだ。

 途中から生活費に余裕が出てきて、マンションを借りるかどうするか考え始めた。

 そのうち一部屋借りようと思っているうちに収入はどんどん増加していき、毎日湯水の如く使って、なおかつ親への十分な仕送りをしても余りあるほどになった。

 その頃から仕事が私生活を侵食していき、自炊も洗濯も面倒になってホテルで暮らし始めた。

 そんな生活も、もう何年目か。

 

 部屋に帰ってきてすぐにパンプスを放り出し、年相応に綺麗さのある服を脱ぎ散らかしながらベッドに身を投げる。

 ふかふかのベッドで即座に眠りに落ちたくなるのを気力でこらえて仰向けになり、遮光眼鏡型情報端末を掛けてメーラーを起動する。仕事の連絡はいつもこれだ。

 ファンクラブのアカウントを閉じて個人用のアカウントを開くと、家族からの連絡や仕事の連絡に混じって懐かしい名前が目に入った。

 

 『モモンガさん』。

 ユグドラシルをやっていた頃に散々お世話になった、ギルド長の彼からのメールだ。ユグドラシルが今月末でサービスを終えるというのは、業界人としての知識で知っていた。

 メールを開くと、彼らしい几帳面でわかりやすい文章が続いた。時候の挨拶からはじまり、きちんと礼節をわきまえた文面だ。その辺りは適当に読み流して下にスクロールし、本題を読む。

 

 「『せっかくユグドラシル最後の日ですし、来れる人だけでもナザリックに集まって昔話に花を咲かせませんか』……ってモモンガさん、まだユグドラシルやってたんだ」

 

 正直なところ、それが彼のメールに対して抱いた唯一の感想だった。

 薄情かもしれないが、何年とログインしていないオンラインゲームについて思い出せることなんてほとんどない。

 

 ユグドラシルが終わる日の午後と翌日の午前は奇跡的に予定が空いているが、別に行く気にもならない。

 ゲーム中はなんとなく楽しかったような記憶があるが、メンバーの名前も彼とよく遊んでいた数人以外思い出せないのだ。弟は別として。

 

 返信フォームに『ごめんなさい、その日は』まで打ち込んでから、彼のアバターの骸骨顔が脳裏によぎる。

 

 人の良い彼のことだ。例え誰も集まらなくとも、誰かがログインするのをずっと円卓に座って待ち続けるのだろう。

 ギルド拠点だって、維持費を稼ぎ続けなければとっくの昔に崩壊している。彼とあと何人が今の今までゲームを続けていたのかは知らないが、残ったメンバーと責任をもって最後までナザリックを守り続けたに違いない。

 そう考えると、最後にログインして別れの挨拶くらいはするのが礼儀だ。

 

 そうしてなんとなく行く気になり、打ち込んだ文字を消してから、ふと思い出す。

 アウラ・ベラ・フィオーラとマーレ・ベロ・フィオーレの姉弟を。

 

 

 真に愛されて創られたキャラクターは例外なく、命といっても過言ではないほどの力が宿ることを私は知っている。そうして創られたキャラクターは実に生き生きとして画面の中を動きまわるのだから。

 

 

 では、アウラとマーレは?

 

 間違いなくその当時の私の全精力を捧げて創り上げた。その後も実の妹と弟のように可愛がっていた時期はあった。

 

 しかし大侵攻が起きた時、必死で防衛をしていたであろう二人のもとに、私は駆けつけられなかった。あまつさえ復活した二人に対して、言いようのない嫌悪感を抱いてしまったのだ。

 

 愛したと言えるか?

 否、言えるはずない。

 

 命が宿ったと思えるか?

 否。考えるまでもない。

 

 

 そんな二人が今も変わらず、第六階層で私の帰りを待ち続けているのなら。

 

 帰ることができるはず、ない。

 たとえ命のないデータの塊であろうと──命がないが故に、顔を合わせるわけにはいかない。

 

 返信フォームに再度『ごめんなさい』と入力して、手早く文面を考えながらタイプした。もう迷わなかった。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 執務室の扉にノックがされ、アルベドが入ってくる。鈴木悟は手を止めてペンを置いた。そして手を組み机の上に置いて、尊大な態度をとる。

 実を言うとここのところ、めきめきと支配者ロールが上手くなってきている気がする。ユグドラシルが終わってナザリックでの生活が始まって以来、生まれて初めて他者を顎で使う立場になったわりには素早い順応だと我ながら褒めたい。

 

 アルベドが扉を閉めて振り返ると、偶然彼女の目と鈴木悟の目が合った。

 

 するとアルベドは少し恥ずかしそうにして片手で口もとを隠すと、怜悧な双眸をほころばせて微笑む。ほんのすこしだけ、純白のその頬が赤みを帯びた。

 普段とは違う可愛らしさに鈴木悟の心拍数が少し上がるものの、努めて冷静さを保ちつつ彼女を迎え入れて声を掛けた。

 

 「ん゛っ!……アルベド。──何の用だ」

 

 「アッシュールバニパルから研究成果が上がりましたので、ご報告と献上に参りました」

 

 アルベドは布に包まれた小さな箱を恭しく差し出し、鈴木悟はそれを受け取る。箱は小さいものの、手のひらにずっしりと感じる重さだ。

 蓋を開けると、古びた機械に色々なものを無造作にくっつけたような、禍々しく奇怪な何かが箱にみっちりと収まっていた。

 

 パッと見ただけではこれが何かなどわかるはずがない。だが鈴木悟がアッシュールバニパルに製作を依頼していた幾つかのものの中に、かろうじてこれではないか──と思わせるものがあった。

 

 

 「これは……カメラか?」

 

 「左様にございます、モモンガ様。報告書によりますと、リアルにおける『ぽらろいどカメラ』を、プレアデスが持ち帰った廃品とナザリックにある物資で再現したものとのこと」

 

 おそるおそる箱から取り出すと、カメラを包むように超位魔法を行使する時に似た、小さな青い魔法陣が浮かび上がる。

 おどろおどろしい見た目に反して、構造は普通のカメラと変わらないようだった。上部にはシャッターボタンがあり、撮影のための小さな覗き窓もついている。

 

 試しにファインダーを覗いてアルベドに向けると、アルベドはまるでモナ・リザのような慈愛に満ちた微笑みを見せた。

 ボタンを押してシャッターを切ると、魔法陣の色が赤く変わった。しかしそれ以上は何も起こらない。

 うまく動かないのかと鈴木悟が訝しんでいると、アルベドは箱に付随していた説明書を手に取る。

 

 「一度ボタンを押すと録画が開始され、二度目で録画が終了するとのことです、モモンガ様。音声も入ると書いてございます……とすると、私の今の声も入ってしまっているのでございましょうか?」

 

 「ポラロイドカメラで録画だと……?そんな馬鹿な……」

 

 言われるがままにもう一度ボタンを押すと魔法陣の色が真っ白に変わり、カメラ内部から静かな駆動音が聞こえ始めた。しばらく待つとカメラの下部からアルベドが写った写真が排出され、魔法陣が青色に戻る。箱にカメラを納めると、展開されていた魔法陣は跡形もなく消え失せた。

 

 

 「──〈リプレイ/再生〉」

 

 説明書のとおりにアルベドがそう唱えると、写真の中の風景が動き出した。

 

 『一度ボタンを押すと録画が開始され──』

 

 写真の中のアルベドが説明書を読み、カメラの視界が揺れ、鈴木悟の『そんな馬鹿な』が聞こえた直後。

 

 誰も触れていないはずの写真が突然宙に舞い上がり、巻物(スクロール)を使った時のように一瞬で燃え尽きて塵も残さず消えた。

 

 

 呆気にとられていた鈴木悟だが、アルベドの視線を受けて我に返る。

 

 「……ふむ、写真は使い切りか。カメラの動力はなんだ?」

 

 「埋め込まれている魔石が半永久的に魔力を供給するため、カメラ自体に動力は必要ないようです。しかし写真一枚につきユグドラシル金貨が一枚、それに加えてナザリック内で殖える(POPする)魔物の皮、そして写真を動かすための魔力が必要とのことです」

 

 「大したコストではないな。ティトゥスには後で礼を言いに行くとしようか」

 

 「承知いたしました」

 

 

 アルベドは説明書を置いて一歩下がると、申し訳なさそうな表情をした。

 

 「──ところで、愚かにもモモンガ様の深遠なるお心を読み切れない私に一つ、質問をすることをお許し頂けますでしょうか?」

 

 「いいだろう。許可する」

 

 「ありがとうございます。──モモンガ様がこのカメラというものを作るよう命じられたことには、深い理由があると推察致しております。おそらくは資金面での問題解決に向けた案であるかと。であればそういった正攻法よりも──」

 

 その通りだと、鈴木悟は静かに頷く。

 ナザリックは今、鈴木悟が個人で貯めてきた金貨を使って動いている。支出ばかりで供給がなければじきに底をつき、ギルドの資金に手を出さなければならなくなる。ユグドラシル金貨へと替えることができる日本円は可及的速やかに、それも大量に必要なのだ。

 そのために、鈴木悟はナザリックで作ることができるものを外へ売りに出そうと考えていた。色々なものを試せば、何か良いものが見つかるかもしれない。アッシュールバニパルに依頼しているのは、ほとんどがそういったものだ。

 

 (……カメラとプロジェクターを見るに、どうもうまく行きそうにないけどな。ナザリックの外に持ち出したら、オーパーツ扱いされて大変なことになるだろうし)

 

 つまりはお蔵入りだ。商品にはならない。

 これとはまた別の日本円供給手段が必要だ。製造業に限らず、ダグザの大釜で出せる素材を使ったレストランなんかも良いかもしれない。料理長と副料理長の負担は考えものだが──。

 アルベドの話を聞きつつも思案に耽る鈴木悟。

 

 しかし、アルベドは心底純粋に不思議そうな顔をして、一つの疑問を口にする。

 

 「造幣機関に隠密能力に長けたシモベを送り込み、秘密裏に支配してしまえば良いのではないのでしょうか?」

 

 「………………は?」

 

 

 思考が完全に停止する鈴木悟。

 思わず『一体お前は何を言っているんだ』という視線をアルベドに向けてしまい、それに気づいたアルベドは慌てて頭を下げる。

 

 「申し訳ございません、出すぎたことを!」

 

 「……い、いや。あまりに発想が私とかけ離れていて驚いてしまっただけだ。リアルの常識に囚われていた私と全く違う切り口で思考するお前の意見は、とても面白い。一考には値するが──」

 

 鈴木悟の知識において、この国の紙幣を刷っているのは東京アーコロジー内の日本銀行だ。貨幣は大阪アーコロジーの造幣局だったか。

 ならばアルベドの言うことはつまり──

 

 「銀行強盗、それも相手は日銀か。……恐れを知らないというのは凄まじいな」

 

 恐る恐る鈴木悟の顔色を窺うアルベドに、手のサインで楽にするように指示する。

 

 アルベドの発想力は非常に優れたものだ。凝り固まった鈴木悟の頭では全く届かないアイデアが出せる。

 しかし、それは同時に命知らずとも言えるだろう。道を間違えないうちに正しておかなければならない。

 

 「──アルベド。今のこのナザリックで、最も短時間で広範囲を効果的に破壊することができる手段は何だ?」

 

 「ええと……、それはおそらく、世界級(ワールド)アイテムの真なる無(ギンヌンガガプ)かと存じます。破壊の定義にもよりますが、効果範囲内の対象を原形も残さず無に帰すことが可能かと」

 

 アルベドは突然別の話を振られたことに戸惑ったものの、すぐに自分の知識を参照して答えを導き出す。

 

 真なる無はアルベド所有の世界級アイテムであり、ユグドラシルで最も強力な対拠点兵器の一つだ。効果範囲はおよそ半径1キロメートルで、文字通り全てを更地にする。

 鈴木悟がモモンガの姿でなくなった以上、超位魔法を行使できる存在は今のナザリックにいない。であれば、真なる無が今のナザリックにおける最大瞬間火力になるだろう。

 

 「兵器のことについてはタブラさんのような人に聞くのが一番良いのだが、聞きかじった知識でも問題ないだろう。──リアルの世界には水素爆弾、または核兵器というものがあるのだが……アルベド、お前は知っているか?」

 

 「申し訳ございません、モモンガ様。そのようなものは寡聞にして存じ上げておりません。もし宜しければ、どのようなものなのかお教え頂けませんでしょうか?」

 

 水素爆弾の仕組みなど、元小卒サラリーマンの鈴木悟にはわからない。けれど二十二世紀の今、かつて広島と長崎に落とされた原子爆弾とは比較にならないほどの威力の爆弾がこの世界には存在していることは間違いないだろう。

 

 「ナザリックを三度消し飛ばしても足りぬであろう威力を持つ、人類最大の過ちにして最強の兵器だ。真なる無(ギンヌンガガプ)など足元にも及ばないそれが、このリアルには世界中に配備されている」

 

 「なっ!?まさか……そんな!」

 

 「冗談は言わん。だがもちろん、核は人類の最終兵器だから、簡単にボタンを押されることはない。しかし、それ以外にもお前の理解を超えた兵器がリアルには存在しているのは確かだ。もし万が一にでも発覚したらそういったものを敵に回すことになるようなことは、極力控えたい。それに──」

 

 どんどんと顔色が悪くなっていくアルベドに配慮して、鈴木悟は茶化すように笑う。

 

 「──タブラさんが帰ってきた時に、『外の世界からこっそりお金をかすめ取ってナザリックを運営してきました』なんて説明したくはないだろう?」

 

 「え……あっ!」

 

 アルベドはその表情を驚きに染めると、今までの思考を恥じるように俯いて片膝をついた。

 

 「……モモンガ様の仰る通りにございます。お恥ずかしながら私は、周辺を探索したプレアデスたちの報告のみに基づいて思考を巡らせておりました。あまつさえ、他の文明のおこぼれに与って生きながらえようなどという、誇り高きナザリックのシモベとしてあるまじき愚かな考えを……っ!」

 

 「気にせずともよい。お前はナザリックで生まれたのだ、リアルに疎いことくらい私は知っている。それに、アルベドのカルマ値を極悪に設定して、そのような思考を働かせるように仕向けたのは他ならぬタブラさんだ。──むしろ、物怖じせず意見をあげてくれたことを賞賛するべきだろう」

 

 「し、しかし──」

 

 アルベドがなおも叱責を求める声を上げる前に、鈴木悟は執務机を立つ。そしてカメラが入った箱を抱え、アルベドに笑いかけた。

 

 「では、今日一日私に付き従うことで贖いとせよ。せいぜいこき使わせてもらうぞ?」

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ナザリック地下大墳墓第二階層。

 わずかな光も差さない暗黒の迷宮の最深部に、シャルティアの私室である死蝋玄室は存在する。

 

 鈴木悟はアルベドと共にシャルティアの部屋の前まで転移すると、部屋の前に立っていた吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)が、支配者の急な訪問に狼狽しつつも応対する。

 

 「も、モモンガ様っ!?……えっ、ええと……モモンガ様、アルベド様。死蝋玄室へようこそいらっしゃいました。シャルティア様にご用ですか?」

 

 「うむ。アポなしで悪いが、よければアルベド共々部屋に入れてくれないかと聞いてくれ」

 

 「かっ、かしこまりました。少々お待ちください」

 

 吸血鬼の花嫁が死蝋玄室に入っていってから、鈴木悟はアルベドに持たせたカメラを指す。箱からは取り出しているため、青白い魔法陣が展開された状態だ。

 

 「ぶくぶく茶釜さんには、シモベを使って私の手紙を届けるつもりだ。今回はそれに付随させる『動く写真』を撮影する。アウラとマーレ、そしてシャルティアを撮影するが、それを頼む」

 

 「承知いたしました、モモンガ様。──ところで、アウラとマーレがぶくぶく茶釜様の御手によって創造されたことは存じ上げておりますが、シャルティアはペロロンチーノ様が創造主ではございませんか?」

 

 「ん?……アルベドはぶくぶく茶釜さんとペロロンチーノさんの間柄を知らないのか?」

 

 「はい。玉座の間を守護していた私に、至高の御方々のお話を聞く機会はそう多くございませんでしたので」

 

 そう言われて、鈴木悟は思い返す。

 よくよく考えれば、ユグドラシルをプレイしていた時に玉座の間を使う機会はあまりなかった。話し合いならば円卓があったし、第十階層を作った時はあくまで最終防衛地点としての機能しか考えていなかった。その機能も、ついぞお目見えすることなくユグドラシルは終わってしまったのだ。

 アルベドも寂しかったのだろうなと鈴木悟が思っていると、死蝋玄室の中からシャルティアの慌ただしそうな足音が聞こえてきた。鈴木悟を迎え入れる準備をしているのだろうか。もう少し話をする時間はありそうだ。

 

 「ぶくぶく茶釜さんとペロロンチーノさんは、実の姉弟でな。特段仲が良いというわけではなかったが、悪いというわけでもなかったらしい。シャルティアとアウラの微妙な距離感は、二人に由来するものなのかもしれんな」

 

 「なんと、御二方はご姉弟であらせられたのですね!確かに言われて思い返してみれば、シャルティアとアウラの間には他の守護者たちとの間にはない特別な繋がりがあるように思えます。深く納得いたしました」

 

 「そうかそうか。──ぶくぶく茶釜さんがナザリックに戻れば、ペロロンチーノさんともじきに連絡がつくようになるだろう。というわけで、今回は一度に撮ってしまうことにしたわけだ」

 

 言い終わったところで死蝋玄室の扉が開き、シャルティアが現れる。いつものボールガウンに身を包み、一分の隙もなく完璧な装いだ。

 

 「モモンガ様をお迎えするのに相応しい準備を整えるまでにお時間がかかってしまいんしたこと、心からお詫びしんす」

 

 「気にせずともよい。突然押しかけた私に非がある。今後は予め来訪の予定を伝えてから行くことにしよう。──入っても構わないな?」

 

 「どうぞ、お入りになってくんなまし。アルベドの席も用意してありんすよ。──モモンガ様にお茶を用意しんす!早く!」

 

 死蝋玄室に入ると、シャルティアの声を受けた吸血鬼の花嫁が忙しなく動いている。

 急遽用意したのであろう応接用のソファセットの上座に鈴木悟が座ると、隣にアルベド、正面にシャルティアが座った。座ってすぐさま湯気の立った紅茶が運ばれてきて、クッキーなどのお茶菓子も置かれる。

 シャルティアが横目で吸血鬼の花嫁たちを睨むと、彼女達は鈴木悟に一礼して部屋から去っていった。

  

 「それでモモンガ様、本日はどのようなご用件でこちらに直々にいらっしゃったのでありんすか?」

 

 「うむ。では早速だが、ぶくぶく茶釜さんとペロロンチーノさんの関係についてはシャルティアは知っているな?」

 

 「はい、確かに存じ上げていんす。私の創造主であるペロロンチーノ様とぶくぶく茶釜様はご姉弟の関係にあらせられるのでありんしょう?」

 

 「ならば話は早いな。今日の用件は二つ。まず一つ目は、ぶくぶく茶釜さんからペロロンチーノさんに渡してもらうための手紙を、お前に書いてもらうことだ」

 

 鈴木悟は、第九階層から持ってきた便箋をシャルティアに渡す。ナザリックのとギルドメンバー個人の紋章が印字されたもので、ギルドメンバーそれぞれの部屋に一つずつ設置されているものだ。

 そしてこれは、ペロロンチーノの部屋から持ってきたもの。彼の紋章が刻まれている。

 

 便箋を受け取ったシャルティアはその紋章に気づき、目を大きく見開く。

 

 「こ、これは……ペロロンチーノ様の!これを使ってペロロンチーノ様へお手紙を書くのでありんすか!?こんな大役を任されるのが、本当にわたしでよいのでありんしょうか!?」

 

 「ナザリックのシモベで最もペロロンチーノさんに近いのはシャルティア──お前だ。ならば当然お前に権利があるだろう。もちろん、私も一筆添えるつもりだがな。……あぁ、すまないが書き始める前に、もう一つの用件を済ませてしまいたい。手紙に付けて送る写真を撮って構わないか?手紙の方は十分に時間をとって書くべきだから、私がここにいると難しいだろう」

 

 「しょ、承知しんした。……写真──ということは、アルベドが持っているその奇怪なものがカメラというものでありんしょうか?ペロロンチーノ様のお話の中で出てきたことがあるものと、すこぉし違うような気がするでありんす」

 

 魔法陣が展開されているファンタジックなそれを見て、シャルティアは不思議そうに言う。

 

 (……そうか、やはり守護者たちはそれぞれリアルの知識量に差があるんだな)

 

 ユグドラシル時代、ペロロンチーノはシャルティアを溺愛していたと言っても過言ではない。鈴木悟に対してもしきりにシャルティアの造形美を語っていたし、その熱の入れようはアルベドとタブラ・スマラグディナの関係とは全く別物なのであろう。

 そうなれば、NPCの前でギルドメンバーが会話していたリアルについての話から得る知識にも、多寡の差があるのは当然となる。

 

 (名前付きのNPC、その中でも特に活動の多い守護者たちのリアルに関する知識は早めに統一しておく必要があるな)

 

 

 「モモンガ様、いかがなさいましたか?」

 

 黙考に入っていた鈴木悟を、アルベドが心配そうに見てきていた。

 

 「いや、なんでもない。──これはペロロンチーノさんが言っていたであろうリアルのカメラではなく、それを元にアッシュールバニパルが作り上げたカメラだからな。……そうだな。とりあえずは仮の名前として、『なんでも撮れるくん』と呼称しよう」 

 

 鈴木悟がそう定めると、シャルティアは反芻するようにその名前を繰り返す。

 

 「『なんでも撮れるくん』でありんすね。承知いたしんす。──して、私はどうしたらよいでありんしょうか?」

 

 「ペロロンチーノさんに向けた動画を撮影するから、そこに座ってカメラに視線を向けろ。アルベドの合図で撮影を開始するが、言いたいことをまとめる準備は必要か?」

 

 「言いたいこと……でありんすか?カメラというものは、現在を額縁の中に収めて時を止める機械なのではありんせんでありんすか?」

 

 「あぁ、言い忘れていたがこれはビデオカメラと言ってな。声も動きも撮影することができる。つまりは、ペロロンチーノさんにお前の動く姿を届けられるわけだ」

 

 「私の……声を、ペロロンチーノ様に……?」

 

 シャルティアは自分の喉に手を当てると、しばらく唖然としてカメラを見ていた。 

 そして脳がそれを理解したと同時に、シャルティアは悲鳴とも嬌声ともつかない声を上げる。

 

 「えっ、えぇっ……ひえぇぇぇぇぇぇぇぇっ!??!」

 

 「シャルティア。驚く気持ちは分かるけれど、少し静かにしなさい。モモンガ様の御前よ」

 

 「で、でも……っ!これは、これはっ!」

 

 狼狽していたシャルティアだが、鈴木悟の視線を受けて少しずつ落ち着いていく。

 十秒も経てば、元の冷静さを取り戻した可憐なシャルティアがそこにいた。

 

 「……驚きに取り乱して、お見苦しいところをお見せ致しんした」

 

 「よい。想定外のことというのは、いつも驚きと混乱をもたらすものだ。──しかし、写真と動画ではそこまで違うか?」

 

 「ええ、全くの違う意味を持ちんす。ペロロンチーノ様は『すくりーんしょっと』というお力で私の姿を度々撮影なさっておられんしたので、写真には慣れていんすが……」

 

 シャルティアは両手の人差し指を合わせてモジモジと恥ずかしそうにして、顔を俯かせた。

 

 「……私の言葉を余すことなくペロロンチーノ様がお聞きになるとなれば、それは緊張するでありんす……。直接話すのとも違うわけでありんすし……」

 

 鈴木悟はシャルティアの表情から、本当に心から恥ずかしがっていることを察する。

 

 (突然押しかけて本人が嫌がってることを頼むなんて……、俺ってもしかして最悪な上司かもしれないな)

 

 リアルでの元上司の顔が頭に浮かび、胃が痛む。あぁいった人間と同じにはなりたくないものだ──そう考え、鈴木悟は努めて笑った。

 

 「そうかそうか。ならば無理をすることもない。動画の機能を使うのはなしにして、写真だけに──」

 

 「い、いえ!恥ずかしいでありんすけど、やれないわけではありんせん!やります!アルベド、撮ってくんなまし!」

 

 「ん?そうか?それで良いなら良いのだが……」

 

 シャルティアは一度立って姿勢を正すと、ゆっくりと再びソファに座る。深呼吸をして心の準備を終えると、柔らかな表情になった。

 アルベドはカメラを構えてファインダーを覗く。

 

 「シャルティア、準備は良いかしら?」

 

 「ええ、良いでありんす。もとより、次にペロロンチーノ様にお会いした時にお伝えしたい言葉なぞ常日頃から考えていんすから」

 

 「それじゃあ行くわね。……3、2、1──」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 シャルティアの撮影を終え、手紙を明日までに書き終えるよう伝えて死蝋玄室を出た。

 鈴木悟が去るまでは扉の前で頭を下げたままなのであろう吸血鬼の花嫁に配慮して、指輪の力を使って第六階層へ転移を行う。

 

 目の前が一瞬にして切り替わり転移が完了すると、先日も訪れた円形闘技場の中心にアルベドと鈴木悟は共に立っていた。

 しばらくその場で第六階層の守護者二人が現れるのを待つが、二人は姿を見せない。

 

 「アウラ、マーレ。モモンガ様がお越しよ!姿を見せなさい!」

 

 待ちかねたアルベドが観覧席の方へそう呼びかけようとも、声は返ってこなかった。

 

 「あー……、ここではなくジャングルの方に居るのかもしれんな。もしくは巨大樹か。そこまで移動するとしようかな。……な!」

 

 怒りからかアルベドの肩が震え始めたのを見て、鈴木悟は慌てて取りなした。

 

 そのまま急いで巨大樹の前へと転移して、樹の中に作られた二人の住居の扉をノックすると、すぐさま中からアウラが出てきた。

 ピリピリとしたアルベドの表情を見て悟ったのか、アウラはバツが悪そうに頭を下げる。

 

 「申しわけありません、モモンガ様。あちらは今留守にしていましたので、お手数をお掛けしたみたいで」

 

 「私は気にしない。そこまで懐が浅い男ではないからな」

 

 鈴木悟がアルベドをチラリと見て言うと、アルベドは渋々といったていで目を閉じた。

 

 「改めてモモンガ様、ようこそいらっしゃいました!本日はどのようなご用向きですか?」

 

 「茶釜さんに送る二人の写真を撮影しようと思っているのだが、マーレはいるか?」

 

 「ぶくぶく茶釜様に私たちの写真を!?──はい、いますよ!マーレ、そっちは置いといて早く出てきなさいって!モモンガ様がいらしてるんだからさぁ!」

 

 巨大樹の中から返事が聞こえ、マーレがわたわたと走ってくる。どうやら中で何かの作業をしていたようだ。

 

 「おっ、おまたせしました!も、モモンガ様!」

 

 「……ふむ。アウラよ、二人で何かしているのか?確か、お前達には私から指示を与えるようなことはまだしていなかったはずだが」

 

 息を切らせているマーレの代わりにアウラに訊ねると、得意げな顔で彼女は答える。

 

 「あっ、それはですね……!ぶくぶく茶釜様がご帰還なされた暁に、パーティをしようと思って準備をしているんです!私たちに料理のスキルはないのでご馳走は食堂にお願いするんですが、飾り付けくらいはできますから。とっちらかってて申し訳ありませんが、それでもよろしければどうぞお入りください!」

 

 アウラに先導されて巨大樹の中に入る。ユグドラシル時代にも入ったことのない中の空間は、外から見るよりもだいぶ広く感じられた。何らかの魔法が働いているに違いない。

 ログハウス風になっている室内は、天然らしき樹のいい香りが満ちている。ゲームの中では森林を歩いたとしても感じることが出来なかった新しい喜びだ。

 

 散らかっているとは言っていたものの、言う程でもなかった。室内のほとんどの飾り付けを終え、使った道具を片付ける作業に入っていたからかもしれない。

 

 「──さて、では早速撮影を始めたいところだが……写真とは言ってもその実、音や動きも収録できる動く写真──実質はビデオだ。すこしばかり、茶釜さんに伝えたいことを考えると良いだろう」

 

 「わかりました!」

 「しょ、承知しました、モモンガ様!」

 

 鈴木悟は立ち上がって窓際まで歩き、外の景色を眺める。

 第六階層は自然豊かな環境を再現するべく作られたフロアだ。夜の間は無数の星が煌めき、昼は燦々と輝く太陽と白い雲が目を楽しませてくれる。唯一雨だけは降らないが、それはマーレが魔法を使って降らせているため、ジャングルの植物にも問題はないらしい。

 

 現実よりも遥かに美しい偽物が、ここにはある。

 ビデオに録画することを楽しそうに話し合うダークエルフの双子を背に、彼女がこのナザリックに再び戻ってきてくれることを鈴木悟は切に願った。



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ぶくぶく茶釜編──下

 「風海さん、お疲れ様でしたー。今日はこれで終わりになりまーす」

 「ありがとうございましたー」

 「また明日もよろしくお願いしますねー」

 

 「はい、わかりました。また明日」

 

 スタジオのスタッフから気のない挨拶をもらい、適当な言葉を返す。出来の悪い愛想笑いも添えて。

 

 扉を後ろ手で閉める。

 誰もいない長い廊下を、遠く向こうの出口までLEDライトが煌々と照らしていた。光に目がくらみ、壁にもたれかかる。

 

 ──アニメとゲームと映画の吹き替え仕事に加えて、バラエティ番組のナレーションやラジオなど怒涛の仕事量をこのひと月でこなしてきて、ついに今日で二十連勤になった。

 アーコロジーの高度な医療処置により、それでも声が枯れることはない。処方された錠剤を飲めば一晩で疲労も消える。けれど、心の疲れだけは取れることがなかった。

 

 (疲れた……。部屋帰って寝よう……)

 

 明るさに慣れ、廊下を歩き始める。心を置いて体がひとり歩きしているような気がした。

 薄ら笑いを浮かべていることを自覚しつつ、足を引き摺るようにして歩く。

 

 

 この先困らないだけの金はある。何事もなければ普通に一生を送れる金額を、数年で稼ぎ切ったのだ。働く理由はもはや金にない。けれど、今もこうして声優を続けているのは、惰性と義務感だけが理由だ。

 いっそ体が壊れてくれれば働くのを止められるかもしれないのにな、などと思ったりもした。

 

 

 部屋に帰り、メイクを適当に洗い落としてからベッドに身を投げる。

 端末を掛けて重要な用件の連絡がないことを確認して目を閉じた。重い体がベッドにどこまでも沈んでいくような感覚がした。

 

 

 

 そのまま意識を投げ出しそうになって、何かが聞こえることに気づいた。

 

 『──……がまさま……えてます……?』

 

 誰かの声が聞こえる。元気な少女の声。

 隣の部屋で子供が騒いでいるのかと思い、掛け布団を頭から被って音をシャットアウトする。

 

 それでもなお聞こえてくる快活とした声に若干の苛立ちを覚えつつ、私は思い出した。

 声優稼業のために用意されたこの部屋は、完全防音だ。例え隣で改装工事をしていようと一切、音も振動も通さないという触れ込みだった。

 

 テレビもつけていないし、窓も閉じてある。

 ならば──この声はどこから聞こえてくる?

 

 (……まさか、幽霊!?怨霊!?)

 

 

 年甲斐なく布団を跳ね除けてベッドから飛び起き、明かりを付ける。

 金縛りになっていなかったことにホッとしつつ音の源を探ると、それはすぐに見つかった。

 

 ベッドの脇に置かれた小さな机の上、一枚の写真が置いてある。その写真の中から聞こえてくるのだ。

 寝る前に置いてあったかは思い出せないが、私は間違いなく置いていない。

 

 (……えっ、どういうこと!?やっぱり怪奇現象!?)

 

 怪しげな写真との距離を取りつつ、手にしようかしまいかを悩んでいると、写真の中の声が、ある聞き慣れた名前を呼んだ。

 

 『ぶくぶく茶釜様、聞こえていらっしゃいますかー?……アルベド、ほんとにこれで大丈夫なの?私の声届くの?』

 『ええ、問題ないわ。私とモモンガ様でテスト済みよ。マーレも早く何か発言なさい』

 

 そのままの姿勢で固まり、『ぶくぶく茶釜』という名前を反芻する。それが何を指すのかを完全に思い出すまで、たっぷり三秒かかった。数ある私の名前のうちの一つであり、つい先日サービスを終えたオンラインゲーム・ユグドラシルのキャラクター名だ。

 

 同時に、『マーレ』『モモンガ』という名前にも覚えがある。マーレは私がユグドラシルで制作した階層守護者のNPC、モモンガはギルド長の彼のキャラクター名だ。

 『アルベド』にも心当たりはある。ナザリックを去る直前に玉座の間に訪れた時の私を、慈愛に満ちた微笑みで見つめていた彼女のことだったと思う。

 

 恐れよりも好奇心が勝り、ついに写真を手に取る。

 写っていたのは、紛れもなく『マーレ』と『アウラ』。その二人がなんと、写真の中でそわそわと落ち着きなさげに体を揺らしながらソファに座っていた。

 

 (……写真の風景が動いてる!?声も、音も聞こえる……!?)

 

 私の知らない革新的技術の賜物なのか、それとも夢を見ているのか。どこかから投影しているわけでもなさそうだし、裏返してみてもただの写真用光沢紙にしか見えない。

 驚きつつも写真の中の二人を見つめていると、新たな声が入ってくる。

 

 『えっ……えっとぉ……。ぶくぶく茶釜さま、きっと……これをご覧になっているのは夜だとおもいます……こっ、こんばんは!』

 

 オドオドした様子の『マーレ』が、写真越しの私に向かって深く頭を下げた。

 そこで私は、『マーレ』の口が発音に合わせて動いていることにも気づいた。 

 

 (最終日に来なかった私に、モモンガさんが頑張って作ってくれたのかな……?)

 

 一瞬考えてから即座に、そんな訳が無いと断定する。ゲーム内ではキャラクターのNPCの表情は数種類しか設定できず、会話に合わせて口元を動かすことはできなかったはずだ。

 だいいち、こんなオーバーテクノロジーの写真を、ただのサラリーマンであるはずのモモンガさんが作れるとは思えない。ファンレターの形式ですらないものが、私の部屋──それも時によって移り住むホテルの一室に置いてある意味もわからない。

 私は考えることを放棄して、とりあえず写真の中の二人を観察する。

 

 『──えーっと、ぶくぶく茶釜様は私たちをご創造されてから、私たちにいっぱいの愛情をもって接してくださいました。私たちはそのご恩を、ぶくぶく茶釜様がナザリックからお離れになられてから今まで、ずっと忘れておりません!』

 『ぼっ、……ぼくもです!……ぶくぶく茶釜さまのお膝の上に乗せていただいたこと、……忘れたりなんかしてっ、してませんっ!』

 『茶釜さんの……スライムの膝?一体どこなんだそれは……』

 

 食い気味に私への想いを語る二人の裏で、モモンガさんのツッコミが聞こえた。

 彼も声を入れているのか──、などと思った直後に、耳を疑う言葉を聞いた。

 

 

 『ぶくぶく茶釜様のお体の、真ん中よりちょっと下のくぼんでるところの辺りですよ!モモンガ様!』

 

 

 襲いかかる猛烈な疑問符。プレイヤーであるモモンガさんの言葉に、NPCであるアウラが反応して言葉を発したのだ。

 アウラのボイスは、ユグドラシルの拡張パックに収録されていた無数の声優のボイスから選択されたものだ。簡単な挨拶と戦闘時の声、魔法を放つ台詞以外は搭載していないはず。

 ただ普通に話すだけでも理解から程遠いのに、プレイヤーと会話が成立するなど、声優である私が認められるわけがない。

 ありえない、絶対にあるわけがない技術。人工知能でも説明出来ない、物理的論理を超えた現実に目がくらんだ。

 

 そんな私を置いて、写真の中のアウラは言葉を続ける。

 

 『私たちのいるナザリックにかつてない大異変が起きて、ぶくぶく茶釜様のいらっしゃるリアルの世界と繋がったみたいなんです』

 『そっ、……そうです!なのでぼくたちはいま、モモンガ様の指示のもと、ななっ、なんとかして……ぶくぶく茶釜さまを始めとした至高の御方々と、連絡をつけられるようにがんばっている最中なんですっ……!』

 

 わけがわからない。

 最初から理解を超えてはいたが、ここまでくるともう頭がパンクしそうになる。

 

 ナザリックがリアルと繋がった?

 

 ゲームが現実になってしまうという内容の作品に声をあてることは何度かあった。けど、それは当然フィクションの世界であって夢物語だ。

 しかしそう言って笑い飛ばすのは、もはや簡単なことではない。こうして現実にありえない、認められないものが私の手の中にあるわけだから。

 

 「モモンガ様の指示のもと」というならば、ギルド長の彼は今この二人と共にナザリック地下大墳墓にいるのだろうか。

 にわかには信じ難いけれど、そういうことなのだろうか。

 

 

 『ぶくぶく茶釜様!……この声をお聞きになっていらっしゃるのであれば、私たちの願いを、どうか聞いてもらえないでしょうか!』

 『ぼっ、ぼくたちに……もう一度、ぶくぶく茶釜さまのやさしいお声を、……き、聞かせてくださいっ!おお、おっ、お願い……しますっ!』

 

 写真の中の二人からは、私に対する熱い想いが溢れんばかりに伝わってくる。

 

 

 

 

 そんな自分に、『ぶくぶく茶釜』に、本当に、心から──。

 

 嫌悪感しか出てこない。

 

 

 

 仮にだ。

 仮にユグドラシルの中のナザリックが、現実のこの世界に現れたとしよう。そしてギルド長のモモンガさんの主導で、元ギルドメンバーを集めるべくNPCが東奔西走していたとしよう。

 

 そこに、私の戻る場所はない。

 

 写真の中で私に対して「もう一度声を聞かせてほしい」と言う、その二人を嫌って私はユグドラシルから遠のいたのだ。

 感情のないデータの塊を相手に一人で勝手に期待して傷ついて、それで私はナザリックから去った。

 

 キャラクターに命を吹き込む仕事をしているというのに、私は私の手で創り出した二人を愛さなかった。

 

 ユグドラシル最終日にモモンガさんの呼びかけに応じなかったのもそうだ。

 そんな私が再びあの地に戻っていいのか、あの二人に顔向けできるのか。そう考えて躊躇したのに他ならないのに。

 

 愛さなかったことは、命を与えなかったことと同じなのに。

 

 

 『……モモンガ様からは、ぶくぶく茶釜様にもリアルでの暮らしがあるので、あまり強要しないようにと言われてます。……ナザリックにお戻りになられるのが難しいようでしたら、もう一度だけ──もう一度だけでも構わないんです……!』

 『ぼくたちに……なっ、なにか……ひ、ひと言だけでもお言葉を……!』

 

 

 (何で、あなた達はそこまで私を慕ってくれるの?私はあなた達を捨てたのに……)

 

 

 『……もし、もしも私たちが再びぶくぶく茶釜様にお会いすることを許していただけるのであれば──、窓を開いてベランダに出られてください。すぐにお迎えに上がりますから!パーティの準備もしてあります!』

 『だっ、だめなようであれば……、このことはぜんぶ、ぜんぶ忘れてください……。ぼぼっ、ぼくたちも……あきらめます……うぅ……』

 

 

 マーレは涙声まじりに悲しそうな表情を見せる。そんなマーレをアウラが引っ張って立たせると、揃って深く礼をして──顔を上げると、二人とも涙を流しながら笑っていた。

 

 

 「……アウラ!マーレ!」

 

 思わず二人の名前を呼んだ瞬間、手のひらから写真がひとりでに舞い上がる。つかみ取ろうと手を伸ばすが、二人が写った写真は瞬時に空中で燃え尽きると、後には灰も残らなかった。

 

 

 虚空に手を伸ばしたまま、写真が燃え尽きた場所を見つめていた私は、はっと我に返ると写真が置かれていた机の上に目を向ける。

 

 便箋が二通、置いてあった。『ぶくぶく茶釜』の紋章が描かれたものが一つ、弟である『ペロロンチーノ』の紋章が描かれたものが一つ。

 私の方の便箋を手に取り、丁寧な蝋封を急いで切る。中に入っていたのは一枚の手紙。ギルド長・モモンガさんからのものだった。

 

 

 書かれていたのは、ユグドラシル終了日、ナザリックがリアルと繋がってしまったこと。

 NPCたちが自我を持って動き始めたこと。

 元ギルドメンバーを集めるために日夜情報収集に勤しんでいること。

 ご飯がとてもおいしいこと。

 私がナザリックに戻ることができなくても、可能ならば弟にもう一つの便箋を渡してほしいということ。

 

 そして──、アウラとマーレの二人が私にとても会いたがっているということ。

 

 

 最後まで読み終えて、私は確信した。

 

 私は確かに、二人に多くの愛を注がなかった。けれど彼が私の代わりに二人を、そしてナザリックを守り、育ててくれていたのだということを。

 

 私は二人に命を与えることはできなかった。しかし彼が、その役目を果たしてくれたのだということを。

 

 彼には礼を言わないと。

 

 

 正直、ナザリックが現実になってしまったという話は未だ半信半疑だ。

 だが、真実だとするなら──。

 命のない人形ではなく、しっかりと愛されて命を受けたアウラとマーレが、私の帰りを待ってくれているのなら──。

 

 

 

 手紙を置いて窓を開く。

 ここはホテルの五階の個室、当然ベランダには誰もいない。風が吹き付けてきて、夢うつつな頭を冷やしていく。

 

 誰の気配もない。聞こえるのは、眠らない街の息遣いと風の音だけ。

 しばらくぼんやりと立っていた私は、すこしだけ落胆して肩を落とした。

 

 

 黒い空を見上げる。夜空に瞬く星は空想の世界だけのもので、月さえもはや消えかけるほどに薄い光を放つだけの、アーコロジーの夢のない空。

 ふと、その月に何かが映ったような気がした。一瞬だけの、鳥のような──鳥にしては大きな影。

 

 足を踏み出し、手すりに近づく。 

 

 瞬間、注意していなければ聞き逃してしまうほど遥か遠くから聞こえた、慟哭にも似た絶叫。

 

 

 ──《深き森の大ばね仕掛け/ウッドランド・ストライド》ぉぉぉぉっ!

 

 

 (……えっ?)

 

 足下が盛り上がり、体が傾くのを感じた私は──。

 次の瞬間、猛烈な速度で空を飛んでいた。

 

 「ええぇぇぇぇぇぇっ!??!」

 

 あっこれ死んだな──などと思いつつ、速度のせいで暴れることもできずアーコロジーの空をミサイルと化して飛ぶ。

 

 「《飛行/フライ》っ!」

 

 最高高度に達した直後に、ふわりと体が浮いて速度から解放されるのを感じ、そのすぐ後に背中が床のような硬いものについたことに気づいて私は目を開いた。

 

 

 

 「……アウラ、マーレ?」

 

 寝転がっていた私を左右から覗き込むように、私が創った二人の階層守護者が、今にも泣き出しそうな顔で見つめていた。

 

 「……ぶくぶく茶釜様ぁぁぁっ!」

 「ぶくぶく茶釜さま……うわぁぁぁんっ!」

 

 私の名前を呼ぶと同時に、抱きついて大泣きを始める二人。私は不思議な気持ちに包まれつつ、その小さなふたつの背中に手をのせた。

 

 「おまたせ、ふたりとも。……ただいま」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 不可知化したドラゴンの背に跨った私は、前にマーレを抱き、後ろにアウラをしがみつかせて空を駆っていた。

 高所恐怖症でなかったのが幸いして、なんとか体のバランスを保ちつつ夜の空を神奈川地区方面へ飛ぶ。

 

 「ぶくぶく茶釜様の人間としてのお姿、とっても素敵です!」

 

 「そう?さっきメイク外しちゃったから、パッとしない顔になってると思うんだけど……」

 

 「そ、そそそっそんなことないです、ぶくぶく茶釜さま!……ぼくを抱きしめていただける腕の感触とか、元のお姿にはない、素敵な感じだと……思いますっ!」

 

 「あっ、マーレ前に座ってるからってずるい!……ぶくぶく茶釜様、ナザリックに帰ったら私のことも抱きしめてもらえると……」

 

 「うん、もちろんいいよ」

 

 顔については触れないのかー、とマーレの正直な部分に少しだけ笑う。

 それとも、ダークエルフの二人にとっては人間の美醜はどうでもいいものなのか。

 

 声優として表舞台に出る以上、私も一定基準以上の美しさは備えている。世間で言えば、上の中程度。けどそれは完璧にメイクをした上でのものだ。

 ナザリックに行ったらギルドメンバーに会う前に万全にしておかないと──、と思いつつ二人に尋ねる。

 

 「モモンガさんはナザリックにいるって話だったけど、他に誰かいるのかな?」

 

 「あー、……いいえ。ぶくぶく茶釜様が、モモンガ様以外では最初のご帰還です」

 

 「そうなんだー。ちょっと寂しいね」

 

 「でっ、でも、ぶくぶく茶釜さまがお戻りになられてきっと活気が戻りますよ!……ここ、これからはいつでも、至高の御方がお二人になりますし……」

 

 「こら、マーレ!まだぶくぶく茶釜様のご意向を聞いてないでしょ!」

 

 はっとして振り返るマーレに、私は苦笑いを返さざるをえない。

 

 「ごめんね。マーレ、アウラ。私はやることがまだある。ナザリックで生きるわけにはいかないんだ。私の声が入るのを待ってるキャラクターが、まだ何人もいるから」

 

 マーレはその言葉に視線を落とし、アーコロジーの街並みを見下ろす。

 アウラも顔は見えないが、少なからずショックを受けてくれているのだろうか。

 すると、そのアウラが思い出したとばかりに嬉しそうな声を上げた。

 

 「あっ、でもそれ知ってますよ!あの……『プリティシアーハート』っていう女の子!」

 

 「ぷ、『プリティスターハート』だよ、おねえちゃん……」

 

 「えっ、二人とも私が出てるアニメのこと知ってるの?」

 

 ユグドラシルで生まれ育った二人が、現実世界のアニメの事を知るはずがない。そう思っていたが、それは間違いだったようだと気づく。

 

 「はい、存じ上げています!モモンガ様がナザリックの玉座の間にシモベたちを集めて、上映会をなさいましたから!」

 

 「……ほんとに?モモンガさんやってくれちゃってるなぁ……」

 

 子供向けではない暴力描写の多い作品を二人が鑑賞したという事実に、モモンガさんに少し灸を据えてやらないとな──と考えたことで、私は気づく。

 

 (……私まだ、この子たちのお姉さんやれるかもしれない)

 

 お腹と背中の二人の感触を、愛おしく思う自分がいた。

 前向きになってマーレを少しだけ強く抱き、アウラもしっかりとしがみつかせる。

 

 

 「……ちょっと寄り道お願い!モモンガさんからの頼まれごとを済ませちゃわないと!」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 マーレの魔法で風の流れを操り、ドラゴンの全速力で実家に飛んでポストにモモンガさんからの便箋を投げ込んだあと、ドラゴンは神奈川地区の外れにある廃都市に降り立った。

 着陸前にアウラが周囲の生命探知と空気を清浄化するスキルを使ったため、周囲の安全は確保されている。

 ドラゴンが着地した時にはそれなりの振動と音が響いたが、探知の通りに誰ひとりとして人はいなかった。

 

 私も二人とドラゴンに続いて、入口の壊れた大きめの建物に入る。元は劇場だったようで、最後に上映したらしい『吸血鬼の伝説』という演劇のポスターがそのまま飾ってあった。

 私たちの進む道だけ綺麗に埃が払われているのは、掃除をしたからだろうか。二人の背中を追いつつ建物の一番奥まで歩いて進み、第六劇場と書かれている部屋に入る。

 

 

 ──客席には無数の大きな瓦礫が突き立っていた。天井の抜けた舞台の上だけを、月明かりではない不思議な光が空から照らしている。

 

 そこには、優雅にお茶を嗜む人影が一つ。

 殺風景な場に似つかわしくない、ヨーロッパの貴族の庭に置いてありそうな高級そうなティーテーブルにチェア。

 

 それに浅く腰掛けている黒いボールガウンの彼女は──シャルティア・ブラッドフォールン。弟が創り出したナザリックの階層守護者だ。

 

 光が塵に反射して、神々しいまでの煌めきを彼女に与えていた。

 

 「ただいま、シャルティア。ぶくぶく茶釜様をお連れしたから、入口を開いてちょうだい」

 

 「おや、ちび──アウラ、マーレ。モモンガ様のご想定よりも少しばかり遅い帰還でありんすね」

 

 シャルティアはティーカップを置き、舞台からふわりと飛び降りて私の前に跪く。

 

 「お久しぶりでありんす、ぶくぶく茶釜様。お戻りになられんしたことを、心より感謝申し上げんしょう。──されどこのような場所は、御身が長居するに相応しくありんせん。《異界門/ゲート》」

 

 シャルティアがそう唱えると、舞台の上に二メートルほどの高さの漆黒が口を開く。

 ユグドラシルのゲーム中の移動用転移魔法、《異界門/ゲート》と同じだ。

 ドラゴンに乗ってここまで来た時点で、もう何にも驚く気にはならなかった。

 

 「モモンガ様がナザリックでお待ちでありんす」

 

 「ありがとう、シャルティアちゃん。……ちゃん付けで呼んでもいいよね?」

 

 「もちろん、ぶくぶく茶釜様がお望みになられるままご自由にお呼び下さって構いんせんでありんす」

 

 「わかったよ。──さっき、弟にモモンガさんから預かった手紙を届けてきた。あいつならきっとシャルティアちゃんに会いに来たがるだろうし、早く届けた方がいいと思ったから」

 

 そうシャルティアに言うと、ふわっと花開くようにその顔に紅が差す。

 

 「ペロロンチーノ様にあの手紙を……!寛大なるご配慮に、感謝の言葉もありんせん!」

 

 再び膝をついて頭を下げるシャルティアに、私は苦笑しつつお願いをする。

 

 「その代わりになんだけどさ、……シャルティアちゃんってコスメ持ってない?私お化粧さっき落としちゃってさ……。貸してくれるとありがたいなーって」

 

 アウラとマーレの住む第六層の住居にも、二人が使えるような化粧道具は設置してある。けど、それは浅黒い肌の二人のためのもので統一されているので、私には合わないだろう。それなら、シャルティアの持っているはずのものの方が良いにちがいない。

 

 「もちろん、乙女の嗜みとしてペロロンチーノ様より立派な化粧台を授かってありんす。……ですが、私のはアンデッドの青白い肌でこそ映えるようなものばかり。アルベドか、もしくはプレアデスのナーベラルが持っているものの方が、ぶくぶく茶釜様のご尊顔には馴染むかと存じんす。話を通して、すぐにお貸しできるようにしておきんしょう」

 

 「やった!シャルティアちゃん助かるぅ!」

 

 私に頼られたのが嬉しいのか、得意げな表情を見せるシャルティア。

 それに憎らしげな視線を向けるアウラに気づき、私は咳払いをして咄嗟の笑い声で誤魔化した。

 

 

 「……さ、帰ろっか!」

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 円卓の間へ続く扉は、視点の低いスライムの姿だったゲーム中よりも、少しだけ小さく感じられる。

 今の私にとっては重いであろう扉に両手をついてゆっくりと押し開こうとすると、それはまるで私の帰りを待っていたかのようにすんなりと開いた。

 

 正面のギルド長の席には、優しげな顔つきをした三十歳ほどの男性が一人。あとは他に誰もいない。

 広い部屋の中、ぽつんと佇んでいる彼は、あまりにも寂しそうに見えた。

 

 

 「お久しぶりです、それと初めまして、茶釜さん。アインズ・ウール・ゴウンのギルド長、モモンガです」

 

 「えーっと、……初めまして。ぶくぶく茶釜です」

 

 「お仕事ですごく忙しいでしょうに、夜遅くにわざわざ来てくださってありがとうございます」

 

 かつて私が座っていた席は、モモンガさんの左六つ隣。アインズ・ウール・ゴウンの前身である九人の自殺点(ナインズ・オウン・ゴール)のメンバー二十八名は、加入順にギルド長席に近い方から席を取っていた。

 

 席に座り、モモンガさんと私しかいない円卓を眺める。

 

 (この円卓って、こんなに静かだったっけなぁ……)

 

 見渡してもここまで誰もいない円卓は、私にとって初めて見る光景だった。

 ここまで寂しい中、目の前の彼は最後までナザリックに残っていたのか。

 

 「いえいえ。最近は少し落ち着いてきて、多少夜更かししても大丈夫なスケジュールを組めるようになってきましたから。モモンガさんは、実生活どうなさってるんですか?」

 

 「あー、……それなんですけどね。ついこの間まで勤めていた会社、アルベドに辞めさせられちゃったんですよ」

 

 「ひょえっ……!」

 

 まずいことを聞いてしまったかなと顔色を窺うも、モモンガさんの表情は明るいように見える。それどころか、むしろ吹っ切れたような楽しさを放っていた。

 

 「『尊き御身があんなにも汚れた世界で汗水たらして働く必要はございません』って、もう一週間ほど前に辞表を郵送されちゃいまして。それに気づいたのが一昨日ですよ。……まぁ、ここでの暮らしは前よりもずっと快適ですし、ちゃんと八時間眠れておいしいご飯を食べれる素敵な毎日を送ってます」

 

 そこまで笑いながら話してから、モモンガさんは私を気遣って安心するように言った。

 

 「私以外のギルドメンバーが帰ってきてもナザリックに縛り付けることはしないようにNPCには強く言い含めてありますから、気を緩めてください。──一応聞いておきますけど、ナザリックで暮らすことはできませんよね?」

 

 「……ごめんなさい」

 

 一言だけそう言うと、モモンガさんはほんの少しだけ寂しそうな横顔を見せた。

 

 「茶釜さんは有名人ですからね。居なくなってもすぐに代わりが見つかるような私とは違います。謝らないでください」

 

 「そんなこと──!」

 

 ないです、と言おうとして言葉につまる。彼の言葉は、自己分析に基づく真実だ。礼儀で否定しても、何も良いことはない。

 この二十二世紀、単純労働のサラリーマンは使い捨ての歯車扱い。そんなこと、物心ついたばかりの子どもですら知っている。

 

 唇を噛んで、私は精一杯に笑った。

 

 「──モモンガさんには、ナザリックの総支配者っていう天職が見つかりましたよね。これは、この世界の誰にも代わることが出来ない、他のギルドメンバーにも務まらない大役ですよ!自信を持って!」

 

 「……うーん。自分では、シモベたちに振り回されつつただ執務室に座ってるだけみたいな役割だと思うんですが……」

 

 「それでも、ユグドラシルのゲームが終わって、ナザリックがこっちに来ちゃってからもう一ヶ月近く経ってるんでしょ?その間あのくせ者揃いのNPCのみんなをまとめていられたのは、モモンガさんのおかげだよ」

 

 そうですかね、と彼は照れながら笑う。

 ゲーム中ではアバター越しだった彼の素顔の照れ笑いは、とても可愛らしく見えた。

 

 

 「茶釜さん、いつもの調子に戻ってきましたね」

 

 「ん?そうかな?……直接会うのは初めてだし、久しぶりだったから緊張しちゃってたのかも。そーいやモモンガさんにはタメ語で話してたよねぇ、私」

 

 「はい。今後も茶釜さんの楽なように話してもらって構いませんよ。NPCたちはものすごい畏まった敬語を使ってくるので、茶釜さんみたいにフランクに話してくれる人がいると心が休まります」

 

 彼に会う前に顔を合わせたアルベド、ナーベラル・ガンマ、それにシャルティアやアウラ、マーレの言葉遣いを思い出す。

 確かに、ああいった対応ばかりされていては気疲れしてしまうだろう。良い意味で、モモンガさんは庶民的感覚を保っているのだ。

 

 ナザリックのNPCの顔を思い返したところで、私は彼に言いたかったことを言おうと思い立った。

 

 「……モモンガさん、ナザリックを守って、愛していてくれてありがとう」

 

 「いえいえ。ギルド長として、ギルメンの皆さんが帰ってくる場所を維持するのは当然のことですから」

 

 彼は笑いながら、それが何でもないことのように言う。けれど私の感覚が正しければ、年々減っていくメンバーを見送りつつ最後の最後までギルドを背負い続けた彼の行いは、そんな『ギルド長として当然』という簡単な言葉で済ませていいものではない。

 寂しかっただろうに、辛かっただろうに。

 真っ先に引退し、一時はユグドラシルのことを頭から忘れていた私に、彼のその言葉は強く響いた。

 

 

 「──私さ、信じてるんだ。たくさんの愛をそそがれたキャラクターには、命が宿るんだって」

 

 「声優の茶釜さんらしいですね」

 

 モモンガさんはそれきり、微笑みを浮かべながら私の言葉の続きを待っている。つくづく空気を読むのが上手い人だ。

 

 「……ナザリックが今こうして現実のものになっているのは、きっとモモンガさんのおかげだよ。ギルド長のモモンガさんが、引退した私とか他の人のぶんもナザリックを愛してくれたから、NPCのみんなに命が宿ったのさ」

 

 アウラとマーレにも──。

 

 

 ひどくメルヘンチックな考え方だとわかってはいるが、それでもこれ以外に理由は思いつかない。

 私は席を立ち、モモンガさんの側まで歩く。

 

 「私はここで暮らすことは出来ないけど、休みが取れるたびに遊びにくる。アウラとマーレに会いに来るよ。──ありがとう、モモンガさん」

 

 「それなら、二人も喜ぶと思います……っていひゃい(痛い)いひゃい(痛い)!な、何するんですか!」

 

 私はモモンガさんの両頬をつまんで引っ張った。ぐぅーっと伸ばしてから、パッと手を離す。

 

 「はい。感動的な話は終わり。──モモンガさん、あの子達に『プリティスターハート』観せたんだって?」

 

 「……あー、はい。円盤を買ってこさせました……。ダメでした?」

 

 「ダメもなにも、私の出てる作品なんて、無数とは言わないまでもたくさんあるじゃん!なんでアレ選んだのさ!あの子達(アウラとマーレ)の教育に悪いじゃんかー!」

 

 「そこまで考えてなかったです!ごめんなさい!あっ、いてっ!」

 

 ポカポカとモモンガさんを叩いていると、なんだか不思議と楽しい気分になってくる。

 モモンガさんも同じようで、「いたいいたい」と騒ぎつつも楽しそうな笑顔を浮かべていた。

 

 三十路を過ぎたいい大人同士、ひとしきり大人気なくはしゃいだ後で、モモンガさんは背後のギルド武器──スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを手に取る。

 ちょいちょいと操作してコンソールを二、三個出すと、残念そうな顔で私に尋ねてきた。

 

 「……っと、もう夜中の三時です。私は大丈夫ですけど、茶釜さんはもうそろそろお休みになられた方がいいですかね?」

 

 「いや大丈夫。明日は午後からだし、なんか疲れも吹き飛んだ感じがするから。もうしばらくナザリックにいたいな」

 

 「──それなら第六階層に行きますか?二人ともパーティの準備をしてるって言ってましたよ!」

 

 「あ、そんなこと写真で言ってたね。でも今行くーって言ってすぐに整うのかな?」

 

 「多分大丈夫ですよ。食事は時間を止めて保存してあるらしいですし、運べばすぐにできるでしょう」

 

 時間を止めて保存という言葉に、今さらながらなんでもありなのだなと思い知らされる。

 

 「ナザリックのご馳走は、外の世界とは比べ物にならないほど美味しいですよ!なにせ本物の魚とか牛肉とか使ってますから。アーコロジーで生活してた茶釜さんのお口に合えば嬉しいです」

 

 モモンガさんはベルを鳴らして外に控えていたメイド──記憶が正しければ、確か種族はホムンクルスのはずだ──を呼ぶと、アウラとマーレに準備をしろと伝えるように言った。

 貫禄のある支配者ロールを身につけている彼に思わず笑ってしまいそうになりつつも、私はその『ご馳走』に思いをはせた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 「ぶくぶく茶釜様、おかえりなさいませ!」

 「おっ、おお、……おかえりなさいませっ!どど、どうぞこちらへっ!」

 

 巨大樹の前で、私の創った二人の守護者がぺこりとお辞儀をする。二人にリードされて私とモモンガさんが巨大樹の中に入ると、揃っていた全員が姿勢よく起立して出迎えてくれた。

 

 

 「第一から第三階層守護者、シャルティア・ブラッドフォールンがぶくぶく茶釜様にご挨拶を申し上げんす。──よくぞ、お戻りになられんした。心より感謝致しんしょう」

 

 さきほど転移をさせてくれたシャルティアが、スカートの端をつまんで礼をする。

 相変わらずちょっと間違えた廓言葉に弟の影を感じる。

 

 「第五階層守護者コキュートス。御身ガ再ビコノナザリックニ戻ラレタコト、大変嬉シク思ッテオリマス」

 

 改めて見た彼の迫力には驚かされるけれど、その体の大きさのせいで身動きがとりにくくなっている様はどうも可愛らしい。

 名前を思い出せずにいたが、名乗ってくれたことで思い出した。彼はコキュートスだ。

 

 「第七階層守護者デミウルゴス。万事お変わりなく……とは申せませんが、ぶくぶく茶釜様がこうしてまた栄光あるナザリックの地に再び訪れられたことは、何にも代え難い歓びでございます。御身は『リアル』においても多忙の身と存じて上げておりますが、ここにおられる限りはどうぞ、存分にお寛ぎくださいませ」

 

 眼鏡を掛けたスーツのオールバックはデミウルゴス。立板に水を流すような挨拶は、ナザリックの頭脳として作られたが故だろう。

 その後ろでは、鋼鉄の如く頑丈そうな尻尾が子犬のようにブンブンと振られている。

 

 「守護者統括、アルベド。ぶくぶく茶釜様のご息災をお喜び申し上げます」

 

 アルベドはさきほどお化粧の関係で話をしたためか、簡潔な挨拶と共に私へ微笑んだ。それに私は小さく手を振って返す。

 

 「──本日の給仕を担当させて頂きます、セバス・チャンでございます。この度は、ぶくぶく茶釜様のご帰還に心よりの感謝を申し上げます」

 

 数名のホムンクルスメイドを従えて、あのたっち・みーさんが創ったセバスが礼をする。うっすらと彼の面影がなくもないのが面白い。

  

 いつの間にかアウラとマーレの姿が見当たらなくなっていると思いきや、守護者の列が割れると、その後ろから大きなケーキを給仕ワゴンに載せた二人が現れた。

 上に載っているチョコレートには、『おかえりなさいませ!ぶくぶく茶釜さま!』と描かれている。

 

 

 「第六階層守護者、アウラ・ベラ・フィオーラ!」

 「お、同じく第六階層守護者、マーレ・ベロ・フィオーレ!」

 

 二人で「せーのっ」と声を合わせ、満面の笑顔で私の名前を呼んだ。

 

 「「おかえりなさいませ!ぶくぶく茶釜さま!」」

 

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 「おはようございまーす!」

 

 「……風海さん、おはよ。もうお昼過ぎてるけどね」

 

 「私はさっき起きたんですよ。だから、おはようございますって感じです!ほら、監督も元気出して!」

 

 くたびれた顔の音響監督の肩をバシバシと叩いて、私は収録前の発声練習を始める。心なしか、声の通りがいい気がした。

 

 「……風海さん、なんか今日ちょっと元気出すぎてない?変な薬でも飲んだ?」

 

 「いえ全然?ただちょっと美味しいものを食べて、素敵な時間を過ごしてきたのかもしれませんねー!」

 

 昨日とのあまりの変わりように収録スタッフが怪訝な顔をする中、私はアウラとマーレの顔を思い浮かべていた。

 

 休暇は五日後。かなり無茶をして二連休を申請した。

 苦い顔をしていたプロデューサーも、「断ったら夜逃げしますから!」という私の言葉に慌てつつ許可を出してくれた。

 

 次は二人と一緒に第四階層の湖の畔へピクニックにでも行こうかなと考えたところで、気持ちを仕事に切り替える。

 

 

 「よっし!準備オッケーです!……え?まだ機材が準備できてない?わかりました、待ってますよー!かぜっち、準備ばんたんですからねーっ!」





『ウッドランド・ストライド』の日本語名は想像です。
スキル名だとしたら日本語名はいらないのかもしれませんが、カッコイイ感じにしたかったのでつけました。

このお話の中でカットした、ぶくぶく茶釜様とアルベドとシャルティア、ナーベラルが死蝋玄室でわちゃわちゃする短編をFantiaに公開してます。タダです。
https://fantia.jp/fanclubs/3965


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幕間──死蝋玄室

Fantiaに載せていた幕間です。
ただのなんでもない話です。


 私ことシャルティア・ブラッドフォールンの私室は、第二階層の最奥にある。愛しき創造主・ペロロンチーノ様より賜った私の砦、死蝋玄室。

 普段は薄暗く淫靡な空気が立ちこめているこの部屋だけど、今はかの御方のために全ての明かりをつけて、真昼のような明るさを保っている。

 

 普段私が使っている、両手を広げてもあまりあるほどに大きな化粧台。そこにいらっしゃるのは創造主であるペロロンチーノ様の姉君、ぶくぶく茶釜様だ。

 

 ぶくぶく茶釜様は私の持つ数種類のファンデーションやチーク、アイシャドウなどをご確認あそばされて、難しい顔をしていらっしゃる。

 

 「この通り、私の持っているものは……なんと申せばいいのでありんしょうか、その……」

 

 「……おしろい、って感じだね」

 

 私の持つ化粧品は『血の通っていない青白い肌を美しい白磁色に見せるため』のもの。黄色人であるぶくぶく茶釜様には全体的に色が強い。

 

 試しに化粧下地を手の甲に少し載せられていたが、洗い落とさないと分かってしまうくらいの主張の強い白色が浮いていた。 

 

 「お力になれず申し訳ありんせん。アルベドとナーベラルのものがぶくぶく茶釜様に合えば良いのでありんすが……」

 

 私が心配しつつそう言ったところで、死蝋玄室の扉がノックされる。

 

 「入りなんし」

 

 「失礼致します、シャルティア様。すぐに化粧道具を持ってくるようにとのご命令を受け──……えっ?ぶくぶく茶釜様……?……夢でしょうか?」

 

 部屋の入口で、何も知らず命令を受けていたナーベラル・ガンマが腰を抜かしてへたりこんだ。

 

 ぶくぶく茶釜様が近くナザリックに戻られることは周知の事実ではあったものの、階層守護者の情報網から一段下ったところにいるプレアデスのナーベラルは、それが今だとは知らなかったのだろう。

 

 きっちりと事情を告げてから命令を下すべきだったと後悔しながらも、私はナーベラルの手を掴んで立たせる。

 

 「見れば分かると思いんすが夢ではありんせん。……おぬしの化粧品をちょいと貸しんす。わらわのものではぶくぶく茶釜様のお肌に合いんせん」

 

 ぶくぶく茶釜様の方を見つつも目の焦点が合わないナーベラルからポーチをひったくるようにして受け取り、中を確認する。

 

 (……これはまた、使い物にならなそうでありんすねぇ)

 

 軽すぎるポーチの中身はなんとリップクリームと洗顔料、そして申し訳程度のアイシャドウのみ。

 ナーベラルの顔を見上げて、そういえばそうだろうなと私は納得した。

 

 ドッペルゲンガーであるナーベラル・ガンマはこの端正な顔の他に、本来の卵のような顔を持っている。言わば今の状態は変身した状態なのだ。変身するたびに直さなければならないという宿命か、化粧はそこまで必要としないのかもしれない。もしくはバッチリとメイクをした状態で変身を終えるのだろうか。

 その辺りはナーベラルをお創りになられた二式炎雷様のみぞ知ると言ったところだ。

 

 「……ぶくぶく茶釜様、とりあえずこれでお顔を洗われてはいかがでありんしょうか」

 

 「あー、ダメだった感じだね?」

 

 「申し訳ありんせん、私の当てが外れんした。あと頼れるのはアルベドでありんすが……、あれはどこで油を売っているのでありんしょうか……?」

 

 ナーベラルの洗顔料を手にしたぶくぶく茶釜様を洗面所へご案内し、未だ意識を遠くの方にやっているナーベラルを適当に座らせて、私はアルベドに《伝言/メッセージ》を繋ぐ。

 ワンコールで繋がったのは幸いだった。

 

 『アルベド、ぶくぶく茶釜様がお待ちしていんすよ』

 

 『今すぐ行くわ。喋ってる暇はないから切るわよ!』

 

 『ちょっ……』

 

 アルベドはぶっきらぼうにそう言うと、即座に通話を絶った。

 全速力で飛行しているような環境音が入っていたので、確かにこちらに向かっているのだろう。

 

 

 ぶくぶく茶釜様が洗顔から戻ってこられてすぐに、アルベドによって死蝋玄室の扉が勢いよく開かれた。

 

 「ずいぶんと遅かったでありんすねぇ。どこかに寄り道をしていたのでありんすか?」

 

 「……はぁ、はぁ……。えぇ、まぁそうね。私の持っているコスメは、人間のぶくぶく茶釜様には少しばかり刺激の強いものでしたから。『ある所』から借りてきたのよ。人間の女性に合うものをね」

 

 息を切らせつつも意味深長な口ぶりで言うアルベドに勝ち誇ったようなものを感じて、私はアルベドをにらむ。

 

 「……まぁ、ものがあれば構いんせん。早くぶくぶく茶釜様に渡しんす」

 

 「ええ、もちろんそうさせてもらうわ」

 

 アルベドは深い一呼吸で乱れた息を整え、ぶくぶく茶釜様のもとへ歩み寄る。

 

 「お久しぶりでございます、ぶくぶく茶釜様」

 

 「アルベド!えーっと……久しぶりだね!」

 

 「はい。御身がお戻りになられるのを、私はずっとお待ちしておりましたとも!──さて、お時間もございませんでしょうし、改めて時間のある時にご挨拶をさせて頂くことをお許し下さい。この度はモモンガ様にお会いされるため、お色直しをなさるとのこと。私の手持ち品では些か不安がございましたので、こちらをお持ちしました」

 

 アルベドの手から恭しく渡されたポーチを一目見たぶくぶく茶釜様の表情が、みるみる喜びに変わっていくのを私は見た。

 

 「──これって、私とやまちゃんとあんちゃんで選んで『あの子』に贈ったやつだよね!?そうでしょ!」

 

 「はい、仰る通りにございます。『あの子』にぶくぶく茶釜様にお貸しするので借りれないかと尋ねたところ、嬉しそうにはにかんで、気兼ねなく使ってほしいと述べておりました」

 

 

 『あの子』が誰なのか、私にはわからない。

 アルベドとぶくぶく茶釜様が楽しそうに話しているのを聞き流し、私は下唇を噛んだ。

 

 (ぶくぶく茶釜様と深い親交がおありだった、やまいこ様のお創りになったユリ・アルファでありんすか……?それとも、餡ころもっちもち様のお創りになったペストーニャ……?)

 

 絶対に違うと即座に首を横に振る。ユリの化粧品は私と同じくアンデッドだからぶくぶく茶釜様のお肌には合わないだろうし、ペストーニャは論外だ。

 

 ならば一般メイドの誰かかと考えるが、選択肢があまりにも多い。それに、ぶくぶく茶釜様の言い口では何か、特別なシモベのために見繕われたもののように思われる。

 

 アルベドは『人間の女性に合うもの』と言っていたが、そんなものを持っているシモベがナザリックにいるとは聞いていない。

 

 (私の預かり知らない領域の話でありんすか……)

 

 後でアルベドに聞いたら教えてくれるだろうか。

 それともぶくぶく茶釜様に直接お尋ねする方が良いか。

 

 

 ちょっとした疎外感を抱きつつ、私は一人では帰れそうにないほど足を震えさせているナーベラルに肩を貸して、死蝋玄室から出た。




──ま、待って欲しいのじゃ!
──確かに投稿するとは言ったのじゃ!けど、まだペロロンチーノ様編は投稿できる状態にないのじゃ!
──許して欲しいのじゃ……もう少しだけ待って欲しいのじゃぁ……。

〜れんぐすの代理で頭を下げる、謎ののじゃロリより〜


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幕間──その時黒歴史が動いた

 ぶくぶく茶釜が戻ってきた日から五日後、休暇の取れた彼女は再びナザリックの地を踏んだ。

 彼女が生み出した二人とともにナザリックを散策したぶくぶく茶釜は、鈴木悟に顔を合わせに円卓に来た。鈴木悟にとって最高に嬉しい知らせも携えてだ。

 

 

 

 「そうですか!ペロロンチーノさんがシャルティアに会いたいと!」

 

 「うん。こないだ帰った次の日、仕事中に山のように通知が来てさ。『あの写真はなんなんだー』とか、『生きてるシャルティアに会えるのかー』とか。……めんどくさいから放置してるけど」

 

 ぶくぶく茶釜は眼鏡型情報端末をプロジェクター代わりに使って、円卓の上にメールのタブを投影する。

 直近二十件近く、送信主は『ばか』だった。きっとペロロンチーノさんだ。

 

 「あいつならここに永住してもおかしくないけど、シャルティアちゃんが迎えにいくの?」

 

 「そうですね。まず最初にシャルティアに会わせてあげたいですし、シャルティアに行かせましょう。ただ、シャルティアが単独で行動するのは色々と怖いので誰かを連れて行かせます。頭のいいシモベが望ましいですね」

 

 シャルティア・ブラッドフォールンは階層守護者において、タイマン最強のNPCだ。モモンガの姿の鈴木悟でさえ、周到に準備をせずに彼女に勝てる勝算はない。

 しかし行動は外見の幼さに引っ張られたのか、少しばかり短絡的なところがある。万が一のことが起きた時には上手く対処できない可能性が高い。

 相性的に連れていかせたいのは、知能に優れるアルベドかデミウルゴス。だがアルベドには鈴木悟の業務を補佐する役目があるし、デミウルゴスがいなくなればナザリックを防衛する指揮官が不在ということになる。他に候補はいるだろうか。

 

 ギルド武器を手に取り、コンソールを円卓上に投影してNPCの名前を確認していく。

 茶釜さんも懐かしそうにそれを目で追う。

 

 「メイドの子はやっぱり数が多いね。ぴったり四十一人作ったんだっけ?」

 

 「そうですよ。ホワイトブリムさんとヘロヘロさん、ク・ドゥ・グラースさんがひとりひとり丁寧に四十一人創られましたからね。それぞれ名前もありますし、メイド服もワンポイントずつ違いがあるみたいです。けど、今回は飛ばしましょう。後でじっくりと……あっ」

 

 一般メイドの一覧を飛ばすために素早くスクロールした弾みで、ページの一番最後まで送ってしまった。

 

 そこに載っていた名前を見て、ぶくぶく茶釜は「おおっ?」と楽しそうな声を上げる。

 最下部に名前が載っているのは、ナザリックでも殊更特殊な役割を担っている者たち。

 桜花聖域の領域守護者オーレオール・オメガ、ナザリックの最終兵器ルベド、そしてもう一人。

 

 「これ、モモンガさんが作ったNPCだよね!パンドラズ・アクター!」

 

 宝物殿の領域守護者であるパンドラズ・アクターだ。

 ……努めて頭に入れないようにしていた黒歴史の名前が、偶然ぶくぶく茶釜の目に触れてしまったことに鈴木悟は後悔を禁じ得ない。次の彼女の言葉はもう予想できる。

 

 「会いに行こう!私、モモンガさんが作ったNPCちゃんと見たいし。それに、今見たところ設定的にはすごく頭がいいみたいだし今回の仕事を任せられるんじゃない?」

 

 「えぇ……勘弁してくださいよ。あれはもう封印したいくらいの黒歴史なんですけど……」

 

 「それを聞いてなおさら会いたくなったよ」

 

 パンドラズ・アクターの設定については自ら創ったNPCだけあって、何も見ずともかなり鮮明に思い出せる。

 かつて鈴木悟がかっこいいと思っていたもの全てを詰め込んだ負の記憶。

 

 NPCが自我を持っている今、彼はネオナチの制服にドイツ語を混ぜて喋り、仰々しい敬礼もしてくれるはずだ。全て過去の自分が設定したとおりに、忠実に。

 

 「もしかしてモモンガさん、一度も会いに行ってないの?宝物殿に閉じ込めっぱなし?」

 

 「……まぁそうですね。エクスチェンジ・ボックスの関係でアルベドが何度か出入りしてますが、私自身は行ってませんしアイツを外に出してもいません」

 

 「それダメじゃん!きっと寂しがってるよ?」

 

 実に説得力のあるぶくぶく茶釜の笑顔に、鈴木悟の顔面が引きつる。

 しかし、パンドラズ・アクターに会っていないのは会いたくないのが理由だけではないのだ。言い訳にしかならないが、会えない理由はある。

 

 「でもほら、宝物殿って即死級トラップが山ほど仕掛けてあるじゃないですか。人間の私たちが行ったらバタりですよ。行けませんって」

 

 宝物殿はナザリックの本質的な最終防衛地点だ。例え玉座の間が敵に占拠されようと、ギルド武器であるスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンさえ完全な形で残っていればギルドは存続できる。敵が攻めてきたらスタッフを宝物殿の奥深くに隠すのは、ユグドラシル時代に何度かおこなったことだ。

 そのため、宝物殿には猛毒ガスを始めとして様々な罠が仕掛けてある。凄まじく面倒な仕掛けを解除しなければ生身のまま先には進めないし、パンドラズ・アクターに会うことも出来ない。

 

 

 「……でも、それなら彼の方から来てもらえばいいんじゃないの?」

 

 「うっ」

 

 不思議そうな顔をした彼女の当然のツッコミに、鈴木悟は言葉を詰まらせる。

 そうだ。実際のところ、アルベドに呼ばせればいいだけなのだ。

 

 しかし、渋る。面と向かえば冷静さを保ってなどいられるはずもない、恥ずかしすぎる記憶がパンドラズ・アクターには秘められているのだから。

 

 汗をだらだらと流しながらウンウン唸る鈴木悟に、ぶくぶく茶釜はけらけらと笑いつつ近づき、耳もとで囁いた。

 

 「あたし、パンドラズ・アクターさんに会いたいなぁ♪モモンガおにいちゃん、お願い♡」

 

 「ちょ、ちょっと!それはずるいですって茶釜さん!本職の人の声なんて……」

 

 「ねぇ、お願いっ♡……ぷふふっ」

 

 「笑ってるじゃないですか!」

 

 「うるさーい!いずれは顔をあわせるんだし、さっさと男らしく覚悟を決める!ほら、モモンガさん早くアルベドのとこに!玉座に行こう!」

 

 強引なぶくぶく茶釜に肩を揺さぶられ、鈴木悟は仕方ないかとため息をつきつつもスタッフを杖にして立ち上がる。

 パンドラズ・アクターの姿を思い出すと、今から胃がきりきりと痛んだ。

 

 

 ◇◇◇

 

 「……パンドラズ・アクターを、でございましょうか」

 

 「……うむ。すぐに玉座の間へ来るように伝えろ。そのためにギルドの指輪を使ってもよいとな」

 

 「ご命令とあれば即座にお伝えいたします。ですが……」

 

 ナザリックでパンドラズ・アクターと唯一顔を合わせたNPCであるアルベドは、なにやら言いにくそうな顔で鈴木悟とぶくぶく茶釜の顔色をうかがう。

 

 「どうしたのアルベド?何かモモンガさんには言いにくいこと?」

 

 鈴木悟本人作成のシモベということで意見を言葉にしにくいアルベドを気を遣ったのか、ぶくぶく茶釜がアルベドに尋ねる。

 

 「いえ、滅相もございません。──しかしパンドラズ・アクターは、モモンガ様、そしてぶくぶく茶釜様に不敬な態度を向ける可能性がございます。守護者統括として、ナザリックのシモベを統べる使命を持つものとして、それを見て見ぬ素振りをするなどということはできません」

 

 「……あちゃー」

 

 鈴木悟は頭を抱える。パンドラズ・アクターが、対面した唯一のシモベであるアルベドにこうも危惧させるほどの存在だったことに。

 ぶくぶく茶釜は困ったように頬をさすり、「……それなら!」と言った。

 

 「パンドラズ・アクターが私たちと話をしてる間は、アルベドは席を外していてもらえるかな?見て見ぬふりができないなら、見なければ考えずにすむでしょ?」

 

 「そういうものでございましょうか?」

 

 「うん!それにパンドラズ・アクターはモモンガさんが直接作ったわけだし、実質は親子みたいなものだよ。いちいち不敬だーなんだーやってたらもたないって」

 

 「……承知いたしました。ぶくぶく茶釜様がそう仰せとあらば、これ以上私の口から申し上げることはございません」

 

 ぶくぶく茶釜の説得を受け、アルベドはモモンガの顔色を再度うかがってから玉座の間を去った。

 

 アルベドの背中が扉の向こうに消えてから、モモンガは大きな大きなため息をつく。

 

 「……アルベドにあそこまで言われるのかぁ。どんなキャラに仕上がっちゃったんだろう、あいつは」

 

 「私は逆に楽しみになってきたなー」

 

 「他人ごとだと思って……。あっ、そういえば茶釜さん、ギルメンのメアド誰かの持ってます?」

 

 パンドラズ・アクターが来るまで話を変えたくなり、鈴木悟はメールアドレスについて思い出す。

 

 「えーっと、あんちゃんとやまちゃんのは持ってるはずだよ。他の人のは持ってないかな。そいや、モモンガさんは全員の把握してるんだっけ。みんな集めるんだったらメール出さないの?」

 

 「ナザリックが現実になってから確認したんですけど、何かの衝撃でデータが飛んじゃってまして。今は復旧中です」

 

 「うわぁ……」

 

 同情と苦笑をぶくぶく茶釜からもらい、鈴木悟は彼女と顔を見合わせて乾いた笑いをこぼす。

 

 「あんちゃんとやまちゃんのメアドなら教えたげるから、早くココのこと知らせなよ」

 

 「助かります。これでペロロンチーノさんも他の人のメアドを知っててくれれば、ちょっとずつ繋がっていけますね」

 

 「あいつなら、たっちさんとかウルベルトさんの知ってるかもね。──モモンガさん、なんかメモある?二人のメアド書いちゃうよ」

 

 そう言われてポケットを探った鈴木悟は、ポケットで唯一手に触れた財布を取り出して中を確認する。とっさの時に使うために一枚だけ財布に忍ばせていた名刺が目に付いた。

 

 「……名刺しかないですね。これでいいですか?」

 

 「モモンガさんが気にしないなら、それでいいよー」

 

 ぶくぶく茶釜は鈴木悟の名前が書かれた名刺を受け取り、「ほほーん……」と呟いてから空いているスペースに二人のメールアドレスを書いた。

 そして嫌な予感を感じさせる笑顔と共に鈴木悟に手渡す。

 

 「はいっ、さとるお兄ちゃんっ♡」

 

 「ぶっ──ちょっと、茶釜さん!」

 

 「モモンガ様、ぶくぶく茶釜様。パンドラズ・アクターを連れてまいりました」

 

 本職声優の突然の妹ロールに驚いた鈴木悟が抗議をしようとした時、玉座の間の外からアルベドの声が聞こえた。

 鈴木悟は慌てて玉座に座り、名刺を胸ポケットに仕舞う。ぶくぶく茶釜は楽しそうに笑いながら玉座の隣に立った。

 

 「……うむ、入れろ。アルベドは扉の前から離れ、第九階層にて待機せよ。玉座には誰も近づけさせるな」

 

 「畏まりました、モモンガ様」

 

 

 玉座の間の扉が重々しく開き、そこに二つの人影が姿を見せる。そのうちの一つであるアルベドは、優雅に礼をすると去っていった。

 そして残ったのは鮮やかな黄色の軍服を羽織った、すらりとした『影』。『影』は帽子を両手で深く被り直すと、軍靴をコツコツと鳴らしながら玉座の前へと歩んだ。そして階段の前で止まり、膝をつく。

 

 「……元気そうだな。パンドラズ・アクター」

 

 「はいッ!──元気にやらせていただいています。私の創造主たるモモンガ様も、アインズ・ウール・ゴウンの前身たるナインズ・オウン・ゴール(九人の自殺点)の一柱であらせられるぶくぶく茶釜様も、まことにご機嫌麗しく」

 

 一言喋る事に仰々しい身振り手振りを『影』──パンドラズ・アクターは交えつつ、深く頭を下げた。

 鈴木悟がたまらず目をそらしてぶくぶく茶釜の横顔を見ると、今にもクスクスと笑いだしそうな彼女がいた。

 

 そしてパンドラズ・アクターは音もなく立ち上がると、ぴっちりと靴を揃えて背筋を伸ばし、ネオナチ式の敬礼をする。鈴木悟がかつて設定に仕込んだとおりに、美しく。

 

 「ところで今回はァ──」

 

 敬礼を解き、きびきびとした動きで腕を胸の前に捧げる。帽子の陰からのぞく二つの空洞の視線が、鈴木悟の一身に注がれていた。

 

 「──どのようなご用件で」

 

 ついに鈴木悟はパンドラズ・アクターを向いていられなくなり、かといってぶくぶく茶釜の反応を見るのも恥ずかしく、耳を真っ赤にして俯くしかなかった。

 

 (うわー、だっさいわー……。予想の三割増しくらいでだっっさいわー……)

 

 何も言えずにいる鈴木悟の代わりに、パンドラズ・アクターと鈴木悟を交互に見てニヤニヤしていたぶくぶく茶釜がパンドラズ・アクターに話しかける。

 

 「ぷふふっ…………えーと、パンドラズ・アクター……ふふっ」

 

 「お願いです茶釜さん笑わないでください」

 

 鈴木悟が小声で頼み込むと、ぶくぶく茶釜はコホンと咳払いをした。ニヤニヤしていた顔つきが仕事モードに変わり、声もよく通る麗しいものになる。

 

 「パンドラズ・アクター。キミがもし忙しくなければ、私とモモンガさんから一つ仕事を与えようと思っているの。構わないかな?」

 

 「無論でございます!ぶくぶく茶釜様。至高なる御方々のご命令を差し置いて優先すべきことなぞ、何一つとしてございません。それに私に与えられていた業務も、宝物殿に眠る秘宝を磨き、愛で、そして美しく飾ることのみ。それも最近では三周ほど回ってしまっておりました。そんな中で御身から直接任を与えられるということそれ即ちッ!」

 

 パンドラズ・アクターは大きく体を反らすと、恍惚としたような声をもらす。

 

 「……無上の喜びでございましょうッ!」

 

 人の身で受け止めるにはあまりに恥ずかしすぎる、もはや拷問に近い踊る黒歴史に、頭を抱えて悶絶する鈴木悟の目から涙がこぼれる。

 

 「それならよかった。近々私の弟──つまりはペロロンチーノをシャルティアちゃんが迎えにいくんだけど、それについていって護衛してもらえるかな?」

 

 「おぉ……!おおぉっ……!ペェロロンチィィィィノ様ッッ!」

 

 パンドラズ・アクターは手のひらを天高く突き上げて高い天井を仰ぐと、感極まったようで震え出す。

 

 「爆撃の翼王の異名を欲しいままとしっ!超々遠距離からの狙撃においては右に出るものはいないとまで謳われたっ!あの、ペロロンチーノ様のお迎えをっ!かの御方に創られしシャルティア嬢と共に、この私がッ!」

 

 「…………パンドラズ・アクター。少し、少しでいいんだ。……嬉しいのは分かったから、テンションを抑えてくれるか」

 

 我慢がならなくなった鈴木悟が震えた声で告げると、のっぺらぼうの彼はきょとんとしたように「は、はぁ……」と言った。

 

 「私に役目が回ってきた所以は、護衛兼シャルティア嬢のストッパーを果たせる者に手空きがいないから……といったところでございましょうか」

 

 「まぁそんなところ。あのバカ弟、シャルティアちゃんに何しでかすか分かんないからさ。最低限しでかすとしても、ここに戻ってきてからにして欲しいわけよ。お願いね?」

 

 パンドラズ・アクターは再び音を鳴らして軍靴を揃え、身を乗り出して高らかに宣誓する。

 

 「Wenn es meines Gotter Wille(我が神々のお望みとあらば)!!」

 

 流暢なドイツ語で。

 

 

 「あ゛あ゛あぁぁぁぁぁ」

 

 「おおっ、モモンガ様……っ!?突然取り乱されて、一体どうされたのです!?」

 

 玉座から落ちて転げ回る鈴木悟に、それを見て大振りな仕草で慌てるパンドラズ・アクター。

 自分が少し強引に勧めたとはいえ、この二人を引き合わせたことにぶくぶく茶釜は多少の申し訳なさを抱くのだった。



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ペロロンチーノ編──上

 モニターの不健康な明かりが、その小さな部屋の光源の全てだった。締め切った窓、一部の隙もなく閉じられた扉。

 その部屋で唯一動きをみせるのは、中央でモニターの前に座す一人の男。

 手入れを面倒くさがって傷んだ髪は、頭の後ろでまとめられて馬の尾のように伸びている。

 

 服装は萌え絵の描かれたTシャツとジャージ。片付けるのも手間で壁にかかったままのスーツには、埃がかぶりつつあった。

 どこに出しても恥ずかしい社会不適合者。そう自身のことを評しながらも、男が今モニターに向かって取り組んでいるのは、れっきとした仕事のためだった。

  

 モニターに映るのは、様々な数値や資料、画像にその他もろもろ。見る者が見なければ何をしているのかすらわからないそれは、ウェブデザインと呼ばれるものだ。

 企業や個人、団体のウェブサイトを見栄えよく作り上げるその仕事は、近年の生産人口の激減と技術力を身につけている人材の少なさのせいもあり、需要は供給と釣り合わないほどに多かった。

 平均学歴が小卒以下のこのご時世、何かを作り出すことが出来る能力というのは重宝されるものだ。

 

 そのため、報酬もそれなりにある。毎日朝から晩まであくせく働いたりせず、ときたま舞い込む依頼をこなして男は生活をしていた。

 もとよりローンもなくなった実家暮らしだ。妻や子などという養う必要のある者もいなければ、定年退職した親もまだ介護が必要なほど耄碌していない。男は埼玉地区の小都市で、特に不自由ない生活を送っていた。

 

 ひと仕事を終え、出来上がった全体を確認する。特に文句のない出来だ。先方の依頼通りに完成している。

 男は伸びをすると、集中していたせいですっかり冷たさを失ってしまったイチゴオレをひと口飲んだ。口の中でまとわりつく妙な甘さが頭の回転を鈍らせていく。

 

 「あー終わった終わった」

 

 部屋には男以外に誰もいない。下の階にはのんびりと老後生活を満喫する両親がいるが、男の言葉はそこまで届かない。ただの独り言だ。

 

 生気のない瞳に青白いモニターの光が反射し、さながら濁った水晶玉のような男の視線は、そのまま虚空をさまよう。

 

 生活に不自由はない。

 けれど、それは毎日が楽しいということとイコールになるわけではない。

 思い出したように仕事をこなしては、残りの時間を全て成人向けゲーム(エロゲ)に費やす。

 

 齢28にして既に余生。

 目的なき生をすり潰し続け、時折排出する遺伝情報をゴミ箱へと放り投げる毎日は、彼の精神を着実に蝕んでいた。

 

 

 脳への刺激を求めて久方ぶりにメールボックスを開くと、山のような広告メールで画面が埋め尽くされた。

 仕事依頼のメールが埋もれたら面倒だと思い、件名を確認しながら下に下にと流していく。

 

 

 そこで、彼は懐かしい名前を見つけた。

 「モモンガさんだ」

 

 ユグドラシルがサービス終了だから最後にみんな集まりませんか、というような内容。

 日付を確認すると、もう何日も前に約束の期日は過ぎていた。

 

 「……あー、サービス終了したんだ。あれ」

 

 

 三年ほど前に辞めたオンラインゲームのアイコンを叩く。

 重厚な文字で「YGGDRASIL」と書かれたそれは、彼がかつて心血を注いだオンラインゲームだ。

 

 「そいや、まだ消してなかったなぁ」

 

 何年も前に読んで大ハマりしたライトノベルを読み返すように、数年前に放送し終えたアニメの設定資料集を何気なく開くように。

 彼の指は懐かしさを求めて、いつの間にか、ユグドラシルでの思い出を詰め込んだファイルを開いていた。

 

 

 骸骨の王(モモンガさん)純銀の聖騎士(たっちさん)大災厄の魔(ウルベルトさん)──

 一年経っても記憶は残っているようで、どんどんと展開されて広がっていく、海のような量のスクリーンショットに写っている彼らの名前を、彼は自然と諳んじる。

 

 

 ──げっ、姉ちゃん(ぶくぶく茶釜)……

 

 その中からピンク色のスライムを発見して、彼は苦い顔をしたあと、小さく笑う。

 

 楽しかったんだということを思い出して。

 

 

 

 彼──ペロロンチーノがユグドラシルを引退した理由は、実に単純明快だ。

 一世を風靡した超大作ゲームでも、何年も続いていれば型落ちする。十年ほどの運営のうちに、同じような内容で、より高い品質のゲームがいくつも生まれた。

 

 要は、違うゲームに乗り換えようとしたのだ。

 

 

 いくつかユグドラシルと同じようなゲームを遊んで、飽きて、また遊んで、飽きて。

 彼がユグドラシルで感じていた楽しさが、ゲームの内容に由来するものではなく──かけがえのない友人たちによるものだと気づいたその時にはもう、ユグドラシルへは戻れなくなっていた。

 

 いや、戻ろうとすれば戻れたに違いない。

 最高の装備を友人に譲っていようと、キャラデータが既に無かろうと、仮に帰る場所(ナザリック)が自然消滅していたとしても、戻るという選択肢がなくなったわけではなかった。

 

 けれど、戻ったとしてかつてと同じように皆と触れ合うことは出来ないだろうと、無意識に思っていたのだろう。

 

 理由がなんにせよ実際のところ、ユグドラシルを辞めてからナザリックには一度も戻っていないという結果があるだけだ。

 

 

 画面をスクロールする彼の指は、やがて少女の画像に止まる。

 

 ──鋭い八重歯、銀の髪。白磁の珠肌に薄い頬紅。

 真紅のボールガウンドレスに身を包んだ、絶世の美少女。

 

 シャルティア・ブラッドフォールン。

 

 絵の得意なギルドメンバーに頼んでデザインをしてもらい、彼のロマンと性癖の全てを注ぎ込んで作った、吸血鬼のNPCだ。

 我ながらよくもここまで大量に撮ったものだと呆れるほどの枚数、様々な背景で様々な表情のシャルティアが、スクリーンショットのスペースを占領していた。

 運営に怒られるギリギリ手前(R17)を試すという目標のもと、エロゲ好きの仲間と共に、シャルティアでグレーゾーン探しをした記録も残っている。

 詰め込んだ設定を思い返せば、今となっては恥ずかしくなるほどの黒歴史の結集だ。

 

 「……懐かしいなぁ」

 

 甦る鮮明な記憶と、久しく聞いていないギルドメンバーたちの笑い声に、彼の口元がほころぶ。

 

 「うげっ」

 

 表情筋を久しぶりに動かしたせいで攣ってしまった情けない顔の筋肉を両手でほぐしていると、部屋の外で階段をドタドタと上がってくる音が聞こえてきた。

 

 ──親、ではないはずだ。

 少なくとも最近になって杖を買おうかという算段をし始めた母ではないし、父は外気の汚染に由来する疾患によって走ることが出来ない。

 

 なら誰か。

 

 「姉ちゃん!?」

 

 「そうだぞ愚弟!麗しきお姉ちゃんのご帰還だ。讃えろ!」

 

 

 部屋の扉を派手に殴り開け、蛍光灯の安っぽい後光と共に無限の静謐を破壊した悪魔(あね)の髪はまるで、空を飛んできたか暴風の中を突っ切ってきたかと聞きたいほどに逆巻いていた。

 その指には手のひら大ほどの大きさのカードが挟まれている。

 

 

 「こっち帰ってくんなら連絡してくれりゃいいのに。……そんで、何その爆発してる髪。役作りの一環か何か?」

 

 「黙れ小僧ぶっころす。あと今ちょっと時間惜しいからこれ読んで、聴いて、反応よろしく。アデュー」

 

 「は?え?」

 

 まるで手裏剣のように投擲されたそのカードを、彼はなんとか両手で掴む。

 彼が驚いているのもつかのま、背中を向けた傍若無人(あね)は手をヒラヒラと振ってそのまま部屋を出ていった。

 

 

 

 「…………は?」

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 『……こほん』

 

 小さく可憐な咳払い。

 

 この部屋にいるのは彼一人だが、魔法使い予備軍の成年男子の咳払いとは似ても似つかないものだ。

 

 『……えー、こほん』

 

 少しの空白の時間の後、もう一度小さな咳払い。

 声の源は摩訶不思議な動く写真、嵐のように来て突風のように去っていった姉の置き土産。

 

 『ペ……ペ、ペ……』

 

 食い入るような目で見つめる彼が、悩みに悩んで魂を賭して造り上げた少女が、写真の中で、もじもじと指を所在なさげにしながら、ためらうように唇を動かす。

 

 『……ペロロンチーノ様っ、私のこと、見てくれているでありんすか?』

 

 ──ペロロンチーノ。懐かしい名前だ。

 彼がかつて翼を持ち矢をつがえていた頃の名前を、写真の中のシャルティアは呼ぶ。

  

 ──唇が言葉に同期している。

 ──表情がなめらかに移り変わっている。

 ──そもそもこの写真はなんなんだ。

 気になるところはいくつもある。しかし彼の疑問点は、シャルティアが喋り、そして話しかけてくれるという興奮と感動の波がさらっていった。

 

 『……ペロロンチーノ様がナザリックに最後に姿をお見せになってから、一千とんで五十二日が経過しんした。そのうちの一日たりとも──いいえ、今まで一秒だってペロロンチーノ様のことを忘れたことなどありんせん』

 

 写真の中のシャルティアは笑顔だ。

 作り笑いの下手な、見た目相応の年齢の、とり繕った笑顔。

 

 『つま先から髪の毛の先、ドレスの装飾のリボン一つに至るまで、この身この血──全てペロロンチーノ様にお創り頂いたものでありんす。ペロロンチーノ様にかくあれかしと造られたわらわは、されど不敬にも今までずっと、ペロロンチーノ様に隠し事をしてありんした』

 

 「……な──?」

 

 なにを、という声が喉からもれる。

 シャルティアの口から紡がれる次の言葉が待ち遠しくて、唾を飲み込む。

 プログラムの集合体でしかない、ゲームのNPCからのメッセージをごく自然に受け入れているだけで正気の沙汰ではないだろうに、今の彼は、このシャルティアとなら会話すらできると感じていた。

 

 『ペロロンチーノ様は、私をお創りになる際に屍体愛好癖(ネクロフィリア)であれ、とお命じになられんした。血の通わぬ冷たい体にこそ愛を抱けと、そうお命じに。けれど……けど、私は……』

 

 そこでいじいじとしていたシャルティアの口調が毅然としたものに代わり、その真摯な視線が彼と合う。

 

 『私が一番に愛した人は、ペロロンチーノ様──御身でありんす。創られてから幾千日、ずっと、ずっと己が感情を騙しつつ仕えておりんしたが……言うならば今この時しかありんせん。私は、今までずっと御身をお慕い申しあげていたでありんす』

 

 シャルティアはまくし立てるように言い切ると、元々白い肌をさらに青白くして頭を抱える。

 

 『あぁ……言ってしまいんした……。身を盾にして散るべく創造された身でありながら創造主への恋心を打ち明けるなんて、とんだ不敬を!──アルベド、私の首を今すぐここで掻っ切ってくんなまし!』

 

 『──ええ、わかったわ、シャルティア。すぐ楽にしてあげるわね』

 

 『待て待て!お前たち、早まるな!これはペロロンチーノさんが見てるんだぞ!どんなショッキング映像にする気だよ!』 

 

 撮影されている視点がガタガタと揺らぎ、シャルティア以外の声が男女で聞こえた。そのうちの一つに、彼は心当たりがある。

 

 『……あー、ペロロンチーノさん。シャルティアの邪魔してごめんなさい』

 

 懐かしい声だ。思い起こすのはギルド一番の苦労人で、心優しい骸骨の王。

 

 「モモンガさん……?」

 

 『これを見てくれているということは、茶釜さんがペロロンチーノさんに渡してくれたってことだと思います』

 

 映像の端に人の姿が映る。ごくごく平凡な容姿の、中肉中背の男だ。なんとなく顔色が良く健康そうに見える以外は、どこにでもいる社会人という印象。

 男は名前を名乗らなかったが、その声と温厚そうな表情から、彼はアインズ・ウール・ゴウンのギルド長、モモンガその人であると確信できた。

 

 『今から話すことは簡単には信じられないと思いますけど……。私たちのナザリックがリアルに来ました』

 

 モモンガの中の人(モモンガさん)はシャルティアから半人分ほど距離を開けたところに腰をかけ、苦笑いしつつ続ける。

 

 『ユグドラシルのサービス終了と同時にです。なんでこうなったのかは全く分かりませんけど。……それで、ギルドメンバーの皆さんに声をかけて回ろうって守護者たちと話してて。ペロロンチーノさん、生まれ変わった久しぶりのナザリックに、是非一度遊びに来てくれませんか?』

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 「モモンガ様、ぶくぶく茶釜様。シャルティア様がお見えです」

 

 執務室の扉が小さく開き、ホムンクルスのメイドが朗々とした声で来訪者の存在を告げる。

 

 「おおっ、待ってま……待ちわびたぞ。通せ」

 

 もとより呼び出していたため、鈴木悟は用件を聞かずに入室許可を出す。

 それを受けたメイドの手によって扉が開かれ、漆黒の令嬢が姿を見せる。

 

 「失礼いたします、モモンガ様。第一階層守護者シャルティア・ブラッドフォールン、お呼びと聞き及び御身のもとへ参りんした」

 

 シャルティアはスカートをつまんで優雅に挨拶をすると、ちらりと部屋を天井まで見渡してから部屋の入口で立つ。

 

 「シャルティアちゃん、こないだは転移の魔法ありがとね!んでもって相変わらず可愛いっ!美容の秘訣はなに?教えて教えて!」

 

 「茶釜さん、落ち着いて下さい。──シャルティア、そう遠くては話もしづらい。もっと近くに寄るといい」

 

 シャルティアは端正な眉をピクリとさせて僅かな──嫌悪感を表すときと似た何かをチラつかせると、軽く一礼をした。

 

 「……それでは、お言葉にあまえさせていただくでありんす」

 

 満面の笑みでシャルティアに飛びつこうとするぶくぶく茶釜──風浦久美を腕で押しとどめ、鈴木悟はシャルティアを執務机の前に立たせる。

 

 「さて……シャルティアにとってはとても良い報告だ。といっても、ここに呼ばれた時点で想像はついているだろうがな」

 

 「おおかた、予想はついてありんす。ついに、ということでありんしょうか」

 

 「あぁ。──ペロロンチーノさんがナザリックに戻る日取りが決まった。そして、茶釜さんをアウラとマーレが迎えに行ったように、シャルティアにはペロロンチーノさんを迎えに行ってもらいたい」

 

 「弟をよろしくね、シャルティアちゃん!」

 

 シャルティアであれば飛び上がってガッツポーズくらいしてもおかしくはないだろうと考えていた鈴木悟だったが、思いのほか冷静で淡白な反応であることに多少驚く。

 

 「承知致しんした。謹んで拝命しんす。……ところで、モモンガ様が白だと仰られれば血の色でさえ白くなるとわらわは心得ていんす。けれど──」

 

 シャルティアの目がスッと細くなり、直後鈴木悟の視界からその姿が消える。

 

 何が起きたか考える間もなく、爆風を伴って突進してきた紅い塊が、鈴木悟とぶくぶく茶釜との間を強引に裂いた。ぶくぶく茶釜は華麗な宙返りでシャルティアとの距離を取ると、変わらない笑顔でシャルティアに対峙する。

 まるでぶくぶく茶釜から鈴木悟の身を守るように立つ完全装備のシャルティアに、鈴木悟は息を呑む。

 

 「……あなたは誰?ぶくぶく茶釜様ではないわね」

 

 「えっ、やだなぁシャルティアちゃん?何言ってるのかお姉さんわからないなー」

 

 「黙れ。あなたからはぶくぶく茶釜様の気配を感じない。モモンガ様を欺いて何をしようとした?答えろ。でないとこの場で殺す」

 

 広くない部屋でレベル100のシャルティアが全速を出したことで机の上の書類が吹き飛んでいることに、鈴木悟は乾いた笑いが出た。

 

 「……あ、あー、すまない。シャルティア。悪かったな」

 

 スポイトランスを突きつけてぶくぶく茶釜との距離を維持するシャルティアの肩に、鈴木悟はおそるおそる手を載せた。

 

 「もうよい、パンドラズ・アクター。ご苦労だった」

 

 鈴木悟がそう告げると、ぶくぶく茶釜の姿がその場で溶けていく。スライムのように変質したのち、やがて形を取り戻したその姿は、まるで軍人のような出で立ちの異形の影だった。

 

 

 「ナザリックのシモべであれば気づかないはずが無いだろうとは思っておりましたが──」

 

 何故か後ろを向いている異形──パンドラズ・アクターと呼ばれたそれは、両手で帽子のズレを細かく調整すると、マントを翻すキザな立ち振る舞いで鈴木悟とシャルティアへと向き直る。

 

 「流石は第一階層守護者のシャルティア嬢。お部屋に入られた瞬間から私が偽物であると、──気付いておられましたね?」

 

 「おぬしの気配はぶくぶく茶釜様というより、どちらかと言うとモモンガ様寄りでありんす。モモンガ様に変化されていたら少ぅしだけ迷ったかも知れないでありんすが」

 

 シャルティアは得意げに説明をそこまですると、ふと思い出したように胡乱気な視線を異形へと送る。

 

 「というか、どちら様でありんすか?モモンガ様はおぬしのことを知っているようだし、ナザリックのシモべだとは思いんすが……私の記憶にはパンドラズ・アクターなどという名前はありんせん」

 

 シャルティアはスポイトランスを下げると、振り返って視線を鈴木悟へと向ける。

 

 「……パンドラズ・アクターは私が制作した、宝物殿の領域守護者だ。普段は宝物殿に籠らせているから、シャルティアと面識がないのも仕方ないことだな」

 

 「おおっ……御身の口から御紹介に与るとは恐縮にございます。ありがとうございます、我が創造主たる……──ッンモモンガ様ッ!」

 

 変な方を向いて感激している無貌の怪物から距離を取るようにして、鈴木悟へと擦り寄ってくるシャルティアは、困った時にうかべる苦笑いをする。

 

 「……そ、そうなのでありんしたか。道理で気配が似ていると思いんしたぇ。それにしてもなんというか、その……特徴的な守護者でありんすね」

 

 「お褒め頂きありがとうございます、シャルティア嬢。私自身も、モモンガ様から賜りしこの口調や仕草はとても気に入っていましてね。実に優美だと我ながら思うのですよ。そしてこうして他の守護者の方にお褒め頂くというのも、モモンガ様が私を今回の任につけられてこそ──」

 

 褒めてないと思うぞ。

 鈴木悟は喉まで出かかった言葉を飲み込んで、ひとつ咳払い。

 

 「……コホン。さて、本来ならパンドラズ・アクターは宝物殿から出ることはない、ナザリックの最後の番人として私が創造した守護者だ。しかし今回はペロロンチーノさんを迎えに行くという事の重要さ故に、お前の護衛として同行してもらう」

 

 踵を揃えてカツンと鳴らすパンドラズ・アクターをチラリと見てから、シャルティアは長いまばたきの後に頭を下げた。

 

 「……畏まりんした。モモンガ様の直接お作りになられた領域守護者をナザリックの外に動かすということはつまり、それほどの危険があるとお考えになっているということでありんしょうか?」

 

 「別にそういうわけでは……いや」

 

 首を横に振ろうとしてから、よく考えるとここで否定することに得がないことに鈴木悟は気づく。

 警戒はしていればしているだけ良い。変に緩む方が危険だ。

 

 「そうだ。そうだとも。それほどの大任であるということを自覚しておくと良い」

 

 「しょ、承知致しんした、モモンガ様!必ずペロロンチーノ様をナザリックへとお連れして参りんす!……あぁ、愛しのペロロンチーノ様……今、御許に参りんす──えへ、うぇへへへ……」

 

 ペロロンチーノに抱かれる妄想でも始めたのか、だらしなく口を開けて変な声を出すシャルティア。

 しかしハッと何かに気づいたような素振りを見せると、一気にその目は精気を失っていく。

 

 「も、モモンガ様……!もし、もしもペロロンチーノ様がわらわのことを受け入れて下さらなかったら、わらわはどうすればいいのでありんしょう!?」

 

 「いや、それは無いな。きっとペロロンチーノさんも私と同じように、シャルティアのことを愛しているはず──」

 

 シャルティアの萎れそうな言葉を反射的に否定してしまい、鈴木悟は思わず口を手で塞ぐ。

 

 (……そうだ。シャルティアがペロロンチーノさんに抱いているのは、いわゆる恋愛感情と言われるもの。シャルティアからペロロンチーノさんに求めるものも、同じく恋愛感情のはず……。そこでペロロンチーノさんも俺と同じようにシャルティアのことを愛しているから大丈夫だー、なんて言ってもなんの慰めにもならないじゃないか!)

 

 「ペロロンチーノ様も……モモンガ様と同じように……。ということは……」

 

 鈴木悟の脳裏には、誰も得をせずシャルティアの心が傷つくだけの数秒後が浮かび上がっていた。

 

 「あ、あー!!いや、違うぞーシャルティア。そういうことじゃない、違っ──」

 「ンその通りですともっ!シャルティア嬢!」

 

 鈴木悟がしどろもどろになりながらも否定しようとした矢先、部屋中に反響するようなパンドラズ・アクターの声高な肯定が、鈴木悟の言葉をかき消した。

 

 (……えっ?)

 

 「至高なる御方であらせられるモモンガ様が貴女を愛しているのと同じように、かのペロロンチーノ様も貴女のことを愛していらっしゃるでしょう。そしてそれは創造主と被造物、云わば親と子の関係!それは尊き、湧き止まぬ愛の根源!たとえ月日がどれほど経とうとも潰えることは有り得まない……そう、私は愚考致します」

 

 まるで歌劇のような動きで愛を表現しようとするパンドラズ・アクターに、鈴木悟は「なんとか訂正しろ」という想いを込めた視線を送る。

 

 (……創造主でも親でもなんでもいいから、言うこと聞いてくれ!)

 

 それに対してパンドラズ・アクターは、深淵まで飲み込むようなその空洞のまなこをわずかに小さくし、すぐにその大きさを戻した。……片目だけ。

 状況から考えるに、その仕草はまるで──

 

 (いや、ウィンクなのか!?今の!種族的な問題で全然分からなかったけど、あれはウィンクなのか!?というか何!?俺に任せろってこと!?無理なんだけど、不安しかないんだけど!)

 

 「ペロロンチーノ様ぁ……うぅっ……」

 

 「しかし、です」

 

 パンドラズ・アクターはそこでカツンと大きな音を立てて軍靴を鳴らすと、べそをかくシャルティアに背を向けて、その背を反るようなポーズをとる。

 

 「ペロロンチーノ様と貴女に限りましては、例外かと思われますね」

 

 「……どういうことでありんすか?」

 

「ペロロンチーノ様はナザリックでも随一とも言える愛の伝道師。であれば当然ながら、シャルティア嬢を創造される際に考えておられなかったはずはございません──道徳的でないからこそ燃え上がる、様々な愛の形を……!」

 

 「……つまりはパンドラズ・アクター、おんしはその、ペロロンチーノ様は私を娘だと考えた上で近親そ──」

 「はいストップ!悪いがお前たち、とりあえずここまでにしような!ペロロンチーノさんも待っているだろうからな!」

 

 「は、はいでありんす。モモンガ様!」

 

 シャルティアの背後で帽子の位置を整え、パンドラズ・アクターは一仕事おえたとばかりに頷く。

 鈴木悟は冷や汗を背中で感じていた。 

 

 「……頼んだぞ、シャルティア。パンドラズ・アクターもよろしく頼む」

 

 「謹んで拝命致します、モモンガ様。このパンドラズ・アクター、至高なる方々の御名に誓って、必ずや!必ずや、シャルティア嬢とペロロンチーノ様を無傷で!ナザリックへと帰還させてご覧にいれましょうッ!その暁にはペロロンチーノ様は我らナザリックの希望の四十一星の一つとして──」

 

 「よしわかった。ならば行け」

 

 「はっ!」

 

 

 鈴木悟は二人を追い出すように見送ると、扉を閉めたホムンクルスのメイドと目が合った。

 彼が薄く自嘲気味に笑うと、メイドも視線で返事を返してくる。

 ──お疲れ様でございます、と。



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