公園最強の弟子 ウキタ (Fabulous)
しおりを挟む

ヤツの名は宇喜田!!

宇喜田っていいやつですよね。


 俺、宇喜田孝造(うきたこうぞう)は自分の進路に悩んでいた。

 

「やっぱり……不良やめるしかねぇのかなぁ」

 

 俺は地元の荒涼高校3年生でバリバリの不良をやってる。だから学校なんてものは好きではないが今の世の中普通に生きるならせめて高校を進学する必要があることぐらいは馬鹿なりに分かってはいる。だが度重なる校内暴力や路上でのケンカ、それによる出席不足で自分の進路はハッキリ言って絶望的。ムシャクシャして更にケンカに走ってしまう悪循環に俺は陥っていた。担任教師も匙を投げる始末だ。もちろん全ては自分がまいた種だと言うことは自覚しているが後悔したところで後の祭りだった。唯一の救いは家族だけが見捨てないでくれていることだがそれもいつまで続くか分からなかった。 

 

 そんな荒んだ俺は最近、町の不良グループから誘いを受けている。なんでも今なら幹部候補生として迎えるとの事だが俺の気は乗らなかった。だいたい不良に幹部もくそも無いだろうしそもグループに属したからといって自分の境遇が好転するわけがない。むしろ悪化するに決まっている。

 

(なんだよラグナレクって。将来はヤクザにでもなれってのか? アホらしい)

 

 だがそうなるといよいよ真面目に更正しなくてはならなくなるが文机に向かって黙々とペンを走らせる自分を想像するだけで目眩がしてしまった。

 

「お、おいッ 三年の宇喜田先輩だぞ!」

「やべぇっ逃げろッ!」

 

 

 学校ではこの通りすっかり不良が板についちまった俺の人生だが少し前までは輝いていた。元々ガタイが良かった為スポーツは得意だった。その中でもとりわけ柔道は無類の才能があると自負し大会でも何度か優勝の経験もあった。ゆくゆくは国体、ひょっとするならオリンピックも夢ではないとまで持て囃されていたのだ。

 だがそんな夢のような時間はすぐに終わっちまった。鳴り物入りで町一番の名門道場に通ったが勝つためにあらゆる手段を使う俺のプレースタイルは受け入れられなかった。あえなく破門を言い渡され挫折、そして現在の俺に落ちぶれちまった。

 

 

 

 

 不良を辞めることを真剣に考える切っ掛けになったあの日、俺は喧嘩で人生最悪のボロ負けをした。

 

「先輩、大丈夫ですか?」

「え……あれ?」

 

 

 範馬刃牙(はんまばき)

 

 イラついていた俺に廊下でぶつかってきた後輩。故意か偶然かは問題ない。いつも通りに投げ飛ばす獲物が出来た俺は範馬を校舎裏に連れ出し憂さ晴らしをしようとした。

 

 甘かった。

 女みたいなやせっぽちだと、手軽な獲物だと勘違いしていた。

 

 投げ飛ばすために奴の学ランの襟を掴んだ。其処からは何度も繰り返した工程。俺がミスる訳ない。

 

 だが次の瞬間、宙を舞っていたのは範馬ではなく俺だった。

 何が起きたのか理解できずに地べたに仰向けになっている俺を範馬がゾッと擦るような瞳で覗きこむ。

 

「先輩、まだやりますか?」

「……い、いや……もう、いい」

 

 

 それなりに不良をやってると超能力が身に付く。目の前の存在が獲物なのか格上なのか、それを察知する能力だ。

 だから分かった。理屈ではなく本能が、こいつには絶対に勝てないと告げた。

 

 範馬は「そうですか、それでは♪」と笑顔で良い放ちそそくさとその場を去っていった。

 

 残ったのはその場で寝っ転がっている間抜けな俺一人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 あの日から俺はその辺の雑魚をボコボコにしてもただ虚しいだけの毎日を送った。どれだけ勝利しても範馬に負けた時の自分の情けない姿や声が頭から離れなかったからだ。今日も学校の屋上で恥辱の歴史を思い出しながら俺はこれからの事を考えていた。

 

(とりあえず出席はしようと思うがどうせ今からじゃ留年だろうな。はぁ~なんでもっと早く真面目にならなかったんだよ俺)

 

 そんな今更な後悔をしていると不意に一人の男が屋上に現れた。

 

「やあ宇喜田。君も屋上でサボりかい?」

「武田……」

 

 不良をしていて良かった事など殆どないが唯一と言っていい事がこいつ、武田一基(たけだいっき)との出会いだった。

 俺と同じ学年の不良仲間で件の不良グループ、ラグナレクに所属している。

 

「気は変わったかい? 君がラグナレクに入ってくれたらボカァーとてもうれしいんだけどねぇ」

「だから俺は気が乗らねぇって言ってるだろ。お前もそんなやつらとつるむのは程々にしとけよな」

 

 こいつは最近俺をそのラグナレクに誘っている。こいつにとっちゃ不良仲間として俺と一緒にやっていきたいだけだろうが真面目になろうと決意した俺にとってはありがた迷惑この上ない。

 

「強情だねぇ……キサラ様に会えば気が変わると思うけどね~」

「お前が言ってる女ボスか? ケッ、女の下に付くなんて俺は御免だね!」

 

「そお? すっごく強い女の子なんだけどね。可愛いし。あっ綺麗な雲が流れているよ~」

 

 この通り妙に飄々として馴れ馴れしい態度で初対面の時は投げ飛ばしてやろうかとも思ったが今ではこうやってよく一緒につるむ仲になっている。だがこの態度からは想像できないが武田は元ボクサーでこいつのパンチは俺でも見えないくらい速い。まともにやり合えば多分、俺が負ける。

 

「俺が言うのもなんだけどよ、武田お前……いつまでこんな事してるんだよ」

「……急にどうしたんだい? キミらしくないじゃない」

「俺らもう三年だぜ? 当然だろ」 

 

 俺は武田のことは嫌いじゃない。人の事を言えた義理じゃないがせめてヤバそうな連中とつるむのは止めてこいつにこれ以上道を踏み外してほしくはなかった。

 

「……例えば、何か劇的な、奇跡のようなことが起こればそれも或いはだけどねぇ。僕は今の生活のほうがしょうに合ってるよ」

「でもよぉ……お前の実力なら今からでもジムに行けばプロだって夢じゃねーだろ」

 

 武田は将来を有望されたボクサーだったらしい。何があったかは知らないが今のような不良になってしまっている。

 

「宇喜田……君とボクは相性が良いからこのままの関係でいたい。だけどそれ以上言うと、こうなるよ?」

「ん…………うッ!?」

 

 武田の手には俺のシャツの第一ボタンが握りしめられていた。

 奪い取られた。この一瞬で。

 

 高速の右ジャブ

 

 これで左のほうが速いだなんで反則だ。出会った時からポケットの中に忍ばせている左手がもし自分に向けられたらと思うと寒気がする。

 

「す、すまねぇ……悪かったよ」

 

 基本、俺たちの関係には差がある。武田の子分になったことは無いしつもりも無いが腕っぷしの勝負になったら勝ち目は無い。結局向こうが我を通そうとしたら俺は退かざるをえない。暗黙の上下関係、情けない限りだ。

 

「とにかく……ラグナレクは今、腕に自信がある人材を探していてね。君も気が向いたらいつでもボクに言ってくれよ」

「……わかったよ、考えとくさ」

 

 流石に気まずくなったのか武田は屋上をから去っていった。

 

 拳を握り締める。

 悔しかった。情けなかった。

 

「ダセェな、俺」

 

 誰もいない屋上で俺は静かに呟いた。

 

 

 今日も自分の我を通すことは出来なかった。

 

 

 

 

 

 結局あの後学校をフケた俺は適当に町をぶらぶらと歩いていた。

 

「ん?」

「ニャァーオ」

 

 猫だ。

 歩道の脇にそっと置かれたダンボールの中にいる子猫がこちらを見つめていた。

 

「へっ、強く生きるんだな」

 

 一瞬グラッともきたが猫のことを心配するほど今の俺は余裕がある訳じゃない。

 

「ニャァー」

 

 背中越しに猫の悲痛な鳴き声が聴こえる。なんとなく俺の歩幅は小さくなっていく。

 

(まて宇喜田、お前もう2匹も捨て猫拾ってきたろ! 3匹目は流石に不味いだろ……)

 

 

 俺の家には俺が拾ってきた捨て猫が現在2匹いる。昔から捨て猫を見ると見逃せない性格で、そんな猫を見つけると猫を引き取ってくれる団体に渡したりどうしても無理なら自分の家で育てていた。

 

「ニャーニャー」

「……ぐっ」

 

(止まるな俺ッ 心を鬼にしろッ)

 

「ニャァーオニャァーオ」

「分かったッ分かったよッ! だからそんな声で鳴くな!」

 

 俺はひとまず近くのコンビニにミルクとキャットフードを買うため駆け込んだ。

 

(あーあー、また親父とお袋にどやされるな。小遣いもペット代で消えるな、トホホ)

 

 目当ての物を買い猫がいる場所まで戻るとそこに女がいた。

 

(しめたッ、上手いことあの女が拾ってくれりゃ問題無しだぜ!)

 

 そんな淡い期待を込めて少し離れた所から観察していると女は猫が入っているダンボールをあろうことか蹴りながら引きずり路地に消えていった。

 

 俺はその一部始終を見て激怒した。

 

「あっ、あの女ぁ~~ッ。よくも猫を足蹴にしやがったなッ。いくら女でも許さねぇ!」

 

 猫を助けるために女が消えた路地に駆け込んだ俺は、動物虐待女を成敗する気で満々だった。だがそこで見た光景はまさに俺の予想外であった。

 

「こらァ! 何してんだ……て、お? 

 

「可愛いなぁお前♪ よ~~しよしよしよし~一人なのか? お姉ちゃんが来たからもう大丈夫だニャ~♪ …………ふぇ?」

 

 女はギギギと音が聴こえるように首を此方に向けて俺を真ん丸と見開いた瞳で捉えた。その手には子猫が抱き抱えられ整った女の顔に押し付けられていた。

 

「……見たか?」

 

 さっきまでの猫なで声とはうって代わり地獄の底のような声だった。

 

「ああ」

 

 女はパッと顔が紅くなったかと思えば涙目になり必死の取り繕いをのたまった。

 

 少し可愛いと思ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 俺は何故か近くの公園のベンチに座りながら猫に餌をやっている。横には気持ち悪いほど笑みを浮かべながらキャットフードにかぶりつく猫を眺めているさっきの女も一緒だ。

 

「その格好……うちの学校の制服だよな?」

「ああそうだが……て、お前もうちの生徒かよ」

 

 確かに女の顔は未成年のようだが服装は帽子にTシャツに片足が全て露出している極端なダメージジーンズと、とても全うな学生とは思えない。少なくとも平日の真っ昼間にする学生の服装ではない。たぶん不良だろう。

 

「猫、好きなんだな」

「ぐっ!? ……い、言っとくけどこの事を誰かに言い触らしたら……」

「しねーよ、そんなこと。猫好きなんてなんの不思議でもねぇ」

「ならなんで路地裏なんかに来たんだよ。アタシをつけて来たんじゃないのかよ」

「俺はストーカーじゃねェッ。それは、ほら、あれだ。俺もお前みたいにその猫見つけたからよ、近くのコンビニで餌でも買ってやろうかと思ってな……」

 

 自分で言って恥ずかしくなる。なんで見ず知らずのこの女に俺のピュアな行動を打ち明けないといけないんだ。

 

「あんた……あんたも猫、好きなのかい?」

「ああ好きだぜ。家で飼ってるからな。見るか?」

 

 俺は携帯のフォルダにある愛猫の写真を女に見せると女はパァーと顔を綻ばせて携帯をひったくった。

 

「か、可愛い! お前のネコ超可愛いな!」

「だ、だろ?」

「やっぱネコは可愛いよなぁ! 癒されるよなぁ!」

「そりゃ良かったよ。ところでお前、この猫どうするんだ? 飼うのか?」

 

 俺がそう言うと女はとたんに不機嫌な顔をなっていく。

 

「無理だよ……家のマンションじゃ飼えないし……いやまて、いっそのことアジトで……ダメダメッ! それじゃ私の威厳が……」

 

 と、よく分からない独り言になってしまったので俺は見かねて助け船を出すことにした。

 

「なら俺がこの猫預かるよ。知り合いにキャットショップでバイトしてるやつがいるからそこを当たってみるぜ」

「ほ、本当か!?」

「女に嘘はつかねぇよ。つってもどこまで出来るか分からねーがせめて殺処分にはさせねい事だけは約束するよ」

「お、お前……見た目に依らず良いやつなんだな」

「見た目は余計だっつーの」

 

 見た目に関して俺は結構気にしている。昔からスポーツで好成績を残してきた俺だが女にモテたことはただの一度も無い。身長は高いがルックスはゴリゴリの四角顔で柔道のトレーニングで筋肉質を遥かに越えた重量級になってしまい武田みたいな爽やかモテ男とは対照的だ。ちくしょー。

 

「なら連絡先交換しとこうな。アタシは南條(なんじょう)キサラだ……て、あ!」

「ん?」

「いや、その、お前……アタシの名前知らないのか?」

「知らないぞ? なんだ、有名人なのかお前」

「あ、いや~はは……知らないならそれでいい。余計な詮索はすんなよ。つうかアタシが名乗ったんだからお前も答えろよな!」

「あ、あぁ……宇喜田だ。宇喜田孝造、よろしくな」

「そっか、ありがとう宇喜田♪ じゃあな!」

「!?」

 

 その時、俺のハートは矢で射ぬかれた。

 

 去り際に振り返りながら、久しく言われていない言葉。帽子を外して煌めいた子供のような満点の笑顔。

 俺は気づいてしまった。あの女……

 

(めちゃくちゃ可愛い!!!)

 

 何故今気づいてしまったのか……きっと帽子を被っていたり猫の方に気がいっていたからだがそれにしたって俺は馬鹿だ。もっと愛想よくしとくべきだった。

 

「ニャニャニャ!」

 

 そんな俺をまるで嘲笑うかのように猫が俺を見ながら呑気にミルクを舐めていた。

 

 

 

 俺は猫が入っている段ボールを抱えながらキャットショップに向かっている。流石に電車は迷惑と思い徒歩での移動だ。かなりの道のりで辺りは日が沈みかけているがキサラとの約束プラス初恋相手な為に投げ出すわけにはいかない。

 

「やれやれ、武田に見られたらまた笑われちまうよ。……ん?」

 

 近道のために公園を横切ると突然人影が俺の前に現れた。

 

 

「荒涼の宇喜田だな」

「探したぜぇ」

「ヒヒヒ」

 

「なんだテメーら? 俺になんか用か?」

 

「決まってるだろ……名を上げる為だぜ!」

「お前を倒しゃラグナレクの中でより顔を売れる」

「俺たちの為に潰れて貰うぜ!」

 

 自慢じゃないが俺は不良としてそこそこ名が通っている。最初の頃はそれに優越感も感じたが現実を見なくちゃいけない年になり喧嘩もそんなに強くないことを知ってしまった今になっちまえば虚しいだけだ。

 

「今日は止めろ。こっちは猫運んでんだ。お前らに割く時間はねぇんだよ」

 

「あぁ猫だあ~~?」

「こいつは傑作だぜ! あの荒涼の宇喜田が猫好きだなんてな!」

「テメーの用事なんて知るか! 猫ごとやっちまえ!」

 

 不良共は構わず殴りかかってきた。

 

「クソッ……どいつもこいつも不良やりやがって、俺もだけどな。だが猫は関係ねーだろッ猫はッ。まとめてぶん投げてやるぜ!」

 

 俺は喧嘩が強い。武田ほどじゃないが柔道の経験を活かした投げ主体の俺の喧嘩は投げの宇喜田なんて通り名が付くほどだ。何が言いたいかというと、範馬や武田は無理でもこんな奴ら敵じゃねぇ。

 

「喰らえッ肩車!」

「ギャー!」

 

 中でも得意技なのがこの肩車だ。体格的にもほとんどの奴を持ち上げられる俺の肩車を避けれた奴はいない。相手は三人だが既に二人。俺が負けるわけがない。

 

 

「だ、駄目だッ強ェ!」

「逃げろ!」

「ああッ待てテメーら!」

 

 

 

 喧嘩は直ぐに終わった。不良共は一人を残し一目散に逃げていった。

 

「勝負あったな。ほら、お前もとっとと帰りやがれ」

「く、クソッ。この古川たかし様を舐めやがって! もう許さねぇ……ッ」

 

「うわッ。て、テメー!?」

 

 不良の一人は激情しポケットからナイフを取り出した。その瞳は明らかに常軌を逸していた。

 

「ヒッヒッヒッ、俺を舐めるからだぜ~~古川たかしの名をあの世で思い出しやがれ!」

「うおおおお!?」

 

(懐にッ ヤバい……死)

 

 俺は死んだと思った。テレビや本で言われる死ぬ間際の走馬灯が本当に流れてきた。

 

 思えばくだらない人生だった。

 

 未来のメダリストと煽てられ調子にのって勝手に挫折してバカを散々やって家族にも迷惑をかけた。こんなどうしようもない俺の最後が猫を助けて死ぬのは案外マシな死に様かもしれない。

 

 

カッ! 

 

 

 そんなことを思っていた俺の思考は突然鼓膜をつんざき響いた破裂音のような音で現実に引き戻され、後一歩で腹を切り裂いただろうナイフはギリギリ逸れてシャツと皮膚だけを切断した。

 

「……ッッ おいおい、テメーがでかい声出すから外しちまったじゃねーか!」

 

 普通のおっさんだった。声の主で俺の窮地を救ってくれたのはどこにでもいるおっさんだった。

 

「あンた、それくらいにしてやんなよ」

「……はァ!?」

 

 おっさんは咥えタバコをぷかぷか吹かし能天気に佇んでいた。この殺伐とした状況ではおっさんの方が異常に見えた。

 

「なんの喧嘩か知らないが刃物までだしゃ殺し合いだ。どっちに転んでもなんの得もない」

 

(その通りだ……ッ。死んじまったら終わりだ)

 

「な、なんだジジィ! テメーも古川様の魔剣の餌食になりてーかァ!」

 

 俺がおっさんの言葉に納得していると不良がナイフをおっさんに向け勢いよく突きだした。

 

「危ねぇッ、逃げろおっさん!」

 

 見ず知らずのおっさんを巻き添えにするわけにはいかなかった。だがおっさんはまるで動じずに紫煙を吐いていた。

 

 諦めたのか? 

 

 だがそんな俺の予想はおっさんの行動でによって裏切られた。

 

 

 

 恐らくは

 

 

 その後のおれの人生において

 

 

 最大の衝撃!!! 

 

 

 

 

 

「ジジィはねーだろ」

 

 

 

 

 それを目にした! 

 

 

 

 

 ナイフが男に到達するかしないかの瞬間、不良の視界から男が消えた。一瞬で獲物を見失った不良は思考がその場で硬直した。その硬直が不良の明暗を分けた。

 

「あれ……? どこに──」

「反省しな」

 

 ポキッ──そんな軽い音が夜の公園に響いた。

 

「ウギャァ──!? 指がァ~~!」

 

 一拍おいて不良は自分のナイフを持つ手の小指が男に握られあらぬ方向に曲がっていることに気付き絶叫した。

 

(指折りだ……ッ。嘘だろ……あんなの実戦で使うやつがいるのかよ)

 

「ひぃ~~~~、離せっ離しやがれ~~ッ!」

 

 不良はなんとか男に握られた小指を離そうとするが引いても押しても小指に激痛が走り罵声を浴びせることしか出来なかった。

 

「そのナイフは飾りかい?」

「ッッもう許さね~~!」

 

(馬鹿ッ、あのおっさんなんで挑発してんだよ!)

 

 不良は逆上しポケットからもう一本のナイフを取り出した。

 そして片方の手にナイフを持ち振りかぶったがその瞬間男の足が不良の股間に深くめり込んだ。

 

「はぅ!?」

 

 不良は予想外の攻撃にナイフを落とし地面にうずくまろうとするも握られた小指のせいでそれすら出来ない状況だった。

 

「か……かひゅッ……」

 

 不良の顔には先程まであった殺意が既に消え失せ戦意喪失状態になっていた。

 そのまま男は不良の腕を捻り上げると不良は勢いよく自分から地面に突っ込み動かなくなった。

 

「じゅ……柔道?」

「柔術だ。古流のな」

 

 俺は目の前で起きた光景にただただ呆然としていた。間違いなく不良のナイフに殺られると思ったおっさんがそれを難なく回避したばかりか一方的に反撃も許さないでボコったのだ。それもとんでもなくレベルの高い技術で。

 

(す、スゲェッ。このおっさん、とんでもなく強ぇ!)

 

 俺も柔道をやってきたから分かるがこのおっさんがやったことはかなりのスゴワザだ。

 素人のナイフとは言えそれを軽々と見切る反応。

 指折りというえげつない技をなんの躊躇いもなく実行する容赦の無さ。

 可能にする技術。

 俺が見てきた武道家の中でも文句なくダントツだ。

 

 おっさんは自分が投げ飛ばした不良の安否を確認した後俺の方を向いた。

 

「そこのあんちゃん、とりあえず俺の道場に来い。そのナリじゃ帰れまい」

「え?」

 

 今気づいたが俺は盛大に小便を漏らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 おっさん、もとい本部以蔵(もとべいぞう)さんの家に連れられるとそこは道場だった。聞けば本部さんはこの道場で武道を教える師範でたまたま喧嘩をしていた俺を見かけ助太刀をしてくれたらしい。道場の稽古場に俺は本部さんから借りた柔道着を着て茶を飲んでいた。

 

「災難だったな。洗濯が乾くまでゆっくりしていけ」

「あ、すんませんおっさん、あいや……本部さん、さっきはありがとうございます」

「不良が慣れない敬語なんか使うな。これに懲りたらもっと青春を有意義に使え」

 

 もっともな言い分だった。ぐうの音も出ない。

 

「だがその猫を守る為戦ったのは見事だった。心意気はな」

「べ、別にそんなんじゃねーよ。ところであんたスゲー強いんだな、ビックリしたよ」

 

 俺は話題を変えようと本部さんに質問した。

 

「武道家だからな。生憎あの場をおさめる弁は持ってない。持ってるのは己の五体と技術のみだった。本来なら恥ずべきことだよ」

 

「そんなことねーよ。現にあんたが助けてくれなかったら死んでたかもしれないからな!」

 

 本部さんは言葉通り少し不甲斐ない顔を見せたが俺にしてみれば命の恩人に変わりはない。

 

「なぁおっさん、頼む! 俺を弟子にしてくれッ」

「いきなりなんだ?」

「あんたの強さッ、俺が見てきたどんな柔術家より上だったッッ。俺は強くなりたい!」

 

 

 俺はこの道場に連れられる間に決意していた。この人の弟子になると。

 

「駄目だ」

「なんでだよ!」

「少なくとも不良同士の喧嘩に勝たせるために本部流柔術は存在してはいない」

 

 これもまっとうな正論だ。だがここで引き下がれない。

 

「もちろん喧嘩には勝ちてェッ、負けたくもねェッ、でもそうじゃねェンだ! 俺は変わりたいと思ってた、不良を止めたらそれが出来ると思ってたが何かが違う。何かを止めるだけじゃ失うだけだって気づいたんだよッ。そんな時に今日のあんたさ、本部さんッッ」

 

「……」

 

「お願いしますッ、今日から不良は止めます! カツアゲもしません! 弱いものいじめも止めて真面目になります! だからどうかッ……俺を弟子にしてくださいッッ!」

 

 気の効いた言葉なんて言えない。嘘も吐けない。今の俺に出来るのは頭を下げてお願いするしかない。

 

「……名前はなんだ」

「え?」

 

「稽古の時におまえでは不便だろう」

 

 それは紛れもない入門の許諾だった。

 

 

「宇喜田孝造ですッ。本日これより本部以蔵師匠の下ッ誠心誠意修行させてもらいますッ。よろしくお願いしますッッッ!」

 

 

 

 

 

 

 武道家、宇喜田孝造の伝説

 

 そのプロローグ………………

 

 

 まだ始まったばかり

 

 

 




宇喜田、守護キャラルート確定


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

修行開始!

刃牙らしさを活字で表現するのは難しいです。


 都内一等地の某所に居を構える大豪邸。純和風の邸宅は周囲に張り巡らされた高い塀によって世俗から隔離され、正門に印された巨大な葵の御紋が、屋敷の主の普通ではないステータスを示していた。

 

「~~♪」

 

 その庭先では一人の男が箒を手に掃除に勤しんでいた。

 

【警備隊長 加納 秀明(かのうしゅうめい)

 

 この邸宅の警備隊長を勤める男である。

 一見呑気そうに掃除をする姿はその実毛ほども油断はしておらず、仮に羽虫一匹の侵入であろうとも瞬時に気づく程の神経を屋敷中に張り巡らしていた。

 

「……?」

 

 そんな彼だが今日は朝、目が覚めた時からどこか違和感を感じていた。

 

(まただ……今朝から感じる不穏な予感。今日、何かが起こるのか?)

 

 よく見れば庭先には彼以外にも多くの屈強な警備員が巡回していた。もちろん平常ではあり得ない警備体制である。ただ、この日加納が感じた違和感を彼自身が信じた為である。

 

「皆ッ、警戒を厳にしろ!」

「「「はッ!」」」

 

(やれやれ、取り越し苦労ならとんだ間抜けだがどうかそうであってくれ)

 

 根拠と呼べる根拠は無かったがこの不穏な気配を彼は一度経験していた。かつて苦い敗北を味わった経験が彼の精神をはりつめさせていたのだ。

 

 加納が警備を展開してから数時間後、時刻は正午を回っても違和感は消えずむしろそれは近づいてくるようであった。

 

(なんなのだ……刃牙君がやって来るのか? いや、彼はこんな気配は発しない。もっと大きい……だが範馬様のような荒々しさはほとんど感じない。これは……まるで自然のような……)

 

 加納が気配の正体を探っていると、正門の呼鈴が来客を告げた。加納は自分の肌が泡立つような感覚を覚え遂に件の気配を人物が現れたと確信した。

 

(来た! 玄関からッ堂々とッ!?)

 

「ご、ご用件は?」

 

 ここに来て他の警備員も異常な気配に気づき慌ただしくなる。応対役の声も震えが出てしまった。

 

「徳川殿に会いに来ての。生憎あぽいんとは取っておらんのだが……」

 

 正門に設置された来客用のスピーカーから発せられた声はかなりの老人の声だった。この時点で加納は門の向こう側にいる人物の正体に気づいた。

 

「申し訳ありませんがアポイントが無い場合は……」

「待て、お通ししろ!」

 

 警備隊長である加納の激に追い返す気でいた応対役もおとなしく通すしかなく門を開く。だがその加納の命令に納得できない部下の一人が苦言を呈した。

 

「しかし加納隊長、本日来客の予定はありません。それを御老公様に話もせず門を開けるなどッ」

「君は今月新たに配属した新人だったな。大丈夫だ、あの方の訪問を拒む理由は無い。それに、阻むことも到底できん」

 

 その無茶苦茶な加納の言葉に部下は不信な表情を浮かべた後に急激に青ざめた。

 

「ま、まさかッ……噂に聞く範馬勇次郎様ですか!?」

 

【地上最強の生物 範馬 勇次郎(はんまゆうじろう)

 

 海外では別名オーガとも呼ばれる文句なしの最強の存在だ。彼の拳は鋼鉄をも打ち砕きあらゆる障害を突破する。どんな機関も彼を捕まえることはできずどんな権力にも縛られない。その力はアメリカを筆頭とした世界の大国が秘密裏に全面降伏するほどの腕力を持ちその筆頭であるアメリカは彼一人と友好条約を結ばざるをえないほどであり、闘いの中で生きる者たちから尊敬と畏怖の念を抱かれている。神にも等しい男の名前に加納はあり得ないと思いつつも身震いした。この屋敷の主と範馬勇次郎は知古の仲だ。当然加納も幾度となく対面したことがあるがこの度に寿命が縮む思いをしている彼にしてみれば、門の向こう側の人物が別人であると確信していた。

 

「安心しろ、範馬様ではない。範馬様に比べれば仏のような方だよ」

 

 

 

 徳川邸警備員 田中 実(たなかみのる)(24)は後にその日出会った人物についてこう語る。

 

「俺たちの中じゃ最強って呼ばれる加納隊長が震えてたんですよ。だから最初は遂にあの範馬勇次郎がやって来たのか! って思ったんですよね」

 

 田中が恐る恐る待ち構えていると、門から入ってきたのは大きな、とても大きな老人であった。

 

「ビビりましたよ。え? いや身長もそうですけどテレビでよく見るじゃないですか。ほら……筋肉ムキムキのおじいちゃんがバーベルとか持ち上げてるやつ。そりゃ凄いって思いますけどぶっちゃけ俺も鍛え続けてたら50年後とかにはできるんじゃね? とか思いませんか? でもあれは無理ですよ。キグルミなんじゃないのかと見間違うぐらいの筋肉が浮き出てるのが見えるんですよ、和服の上から。俺もこんな仕事柄ですから毎日鍛えてますけどどんな鍛え方したらああなるんだよってツッコミそうになりましたよ。まるでアメコミヒーローみたいな筋肉でしたもん」

 

 老人は加納と少し話をして母屋に向かっていった。

 

「ほんとあっという間でしたよ。周りの皆も動けないんですもん。俺も一応警戒しないと、て思ったんですけど想像できなかったんですよ。え? 何がかって? なんて言うかその~、どこからどんな攻め方をしても絶対に勝てないっていうビジョンが見えるんですよ。銃とか使ってもあ……コレ無理だ、て思っちゃって。なんか人と対面してる感じじゃなくて、はは……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 徳川邸の居間では二人の老人が向かい合っている。一方は小柄な体躯ながら鋭い眼光を光らせキセルを吸い、もう一方は座っていても大の男を越えかねない身の丈を持ち明らかに筋肉質を逸した肉体が和服の上からでも分かるレベルで盛り上がっていた。

 

「して……やはりトーナメントにエントリーはしてくれぬか」

「徳川殿の願い、わしとしてもできれば無下にはしたくないが許されよ。武人として心惹かれぬことはないが我らは活人拳、無用な殺生はできぬ」

 

 小柄な老人の名は徳川 光成(とくがわみつなり)

 

 徳川幕府の末裔にして世界有数の財閥、徳川財閥の総帥。彼の力は時の総理すらも軽く上回りその意向を阻むことはそれこそ範馬勇次郎くらいしか出来ぬほどの権力を持っている。そしてそんな彼の裏の顔は東京ドームの地下六階に位置する《地下闘技場》で行われるルール無用の異種格闘技戦を主催する管理者でもあった。

 

 巨大な老人の名は風林寺 隼人(ふうりんじはやと)

 

 その生きざまから無敵超人の異名で世界中の弱き者たちから崇拝されている最高位の達人である。嘘か真かその力は海を割り大地を裂き雲を吹き飛ばすとされる生涯無敗の達人であり世界広といえども彼ほどの武人は存在せずとまで言われ武術界では範馬勇次郎・海皇・拳魔邪神・二天閻羅王などの伝説の武人と肩を並べる超人である。

 

 光成は険しい表情で何かを思案しながらキセルで肩を叩いていた。

 

「ん~~~~どうしてもダメかのぅ?」

「ダメですの♪」

 

 隼人の即答とも言える無慈悲でお茶目な返答に光成の眉間のシワが更に深まった。彼にとって目の前の老人を説得できれば自身の主催するトーナメントの純度がより一層増すことに繋がるのでなんとしても口説き落とすつもりであった。

 

「わしは別に殺し合いをしろとは言ってはおらん! ただ闘いたいAとBを引き合わせたいだけなんじゃッッ」

「たしかに武人としてこれ程までに心踊る舞台も無いことは事実ですじゃ。地下格闘技場のレベルはまさに最高峰。梁山泊の豪傑たちとも互角に戦う猛者たちがおりまする」

 

「その通りじゃ! 想像してみぃッ世界中から集められたファイターが集い地上最強の称号を懸けて闘う! 梁山泊の達人たちと地下格闘技場ファイターが戦う姿を!!」

 

 光成は唾を撒き散らしながら高齢を全く感じさせない語気で捲し立てる。

 

「ケンカ100段ッVS虎殺しッ

 哲学する柔術家ッVS小さな巨人ッ

 あらゆる拳法の達人ッVS海王ッ」

 

 光成が常に脳内で膨らませている想像の中でも一際夢見ているマッチメイクを語り出す。その姿はどう見ても私的好奇心が滲み出ていたが、隼人はそんな光成のことが気に入っていた。

 

「どうじゃ! どれもこれも今世紀最高峰の一大決戦じゃぞ!!?」

「いやはやたしかに魅力的じゃよ。ですがわしはおらんのですかの?」

 

 その言葉を聞いた瞬間に光成の肩が飛び上がった。そんな光成の姿を見て隼人は意地悪く笑う。己が無茶を言ったのは理解しているが隼人自身も光成の言葉にほだされていたのも事実だったのでつい真面目半分からかい半分で言ってしまったのだ。

 

「い、いや~~~~風林寺殿は……そうじゃ! なんならエキシビションと言う形で勇次郎と……」

「おお~~勇一郎君の倅じゃな? それはそれは血が滾るまっちめいくじゃが……」

 

 思いもかけない隼人の一言に思い付きで放った一言がまさかまさかの展開を呼び込み光成の脳内で脳内麻薬が溢れだした。

 

「じゃろッ じゃろ!? そうじゃろぅッ!!?」

「ですがそれならより無理ですな。観客の安全を保証できませんしなにより東京ドームが無くなってしまいますわな」

 

 だがそんな極楽は長くは続かない。当たり前な結論に光成は冷水を浴びせられたようにしゅんとなると悔しそうに地団駄を踏んだ。

 

「カ~~~~~~~~ッッ、残念じゃッ、実に残念じゃッ」

 

「今のところわしらは弟子を育成することに精を出しておりまするからそれほど退屈ではないのですじゃ」

 

「なんと!? 弟子じゃと!?!?」

 

 またもや思いもかけない隼人の発言に光成は飛び付いた。

 

「ならばその弟子に……」

「ホッホッホッ、残念じゃがまだまだ未熟な弟子クラス。闘技場に行けばすぐさま殺されてしまうでしょうな」

「なにを謙遜するッ。梁山泊は活人武術界最強の称号持っておる。その豪傑たちはいづれも各流派で最強と称される達人たちばかりッ。そんなお主ら梁山泊の弟子ならばさぞや才能溢れる素晴らしいファイターじゃろッ」

 

 光成の中では既に、トーナメント表に表示される梁山泊最強の弟子の名が見えていた。そして闘技場正ファイターたちとの死闘を想像し涎を垂らしていたのだった。

 

「だったらよかったのですがの~~ホッホッホッ」

 

 隼人は隼人でいつかあの場に立つ弟子一号の姿を想像し、更なる修業を課そうと決めたのであった。

 

 

 

 

 都内某所に広大な敷地に居を構える道場がある。その庭では二人の少年少女が談笑している。やや尖った髪先に穏やかな瞳を持つ少年は稽古着を身に纏っていた。少女は肩まで掛かる金色の鮮やかな髪を靡かせ身に付けているボディースーツからは年齢に不釣り合いなプロポーションを惜し気もなく披露し少年の視線を集めていた。

 

「ヘックショッ!」

「ケンイチさん、風邪ですか?」

「大丈夫です美羽さん! 風邪なんてへっちゃらですよ!」

 

 少年の名は白浜兼一(しらはまけんいち)と言うが学校ではもっぱらケンイチや腑抜けのケンイチ(略してフヌケン)と呼ばれ、不良の格好のターゲットとして日々虐められる典型的な虐められっ子であった。そんなケンイチの運命を変えたのが共に目の前にいる風林寺美羽(ふうりんじみう)だ。彼女はケンイチに武術を教え見事ケンイチは虐めっ子を撃退したのだ。

 そして彼女らがいるこの道場《梁山泊》は風林寺美羽の自宅兼ケンイチの修業場でありそこに住まう武術の達人たちによってケンイチは日々鍛えられている。

 

「お~~ケンイチィ~~。町内三周したのにずいぶん元気そうな面してるじゃねーかァ?」

 

【ケンカ100段ッ 逆鬼 志緒(さかきしお)!】

 

 まるで不良のような物言いをするこの男は空手の達人であり革ジャンとジーンズでキメて常にビール瓶を片手にしている姿は実に反社会的な印象を見るものに与えるが実際は半分その通りだったりする。一番に目につく面に走った横一文字の傷は痛々しさよりも彼の荒々しさや精悍さより一層高めていた。

 

「私の計算通りに足腰とスタミナが鍛えられてきたということだよ。明日からは修業量を1.7倍にして新たなコースも追加する予定だよ」

 

【哲学する柔術家ッ 岬越寺 秋雨(こうえつじあきさめ)!】

 

 古今和歌集を写経しながら答えるこの男は柔術の達人でありあらゆる芸術を極め文武両道の極地に至った人物である。その醸し出す印象は静そのものであり薄く開かれた瞳からは深い知性を感じさせる。

 

「兼ちゃんもだいぶ梁山泊に慣れてきたようね、おいちゃん嬉しいね」

 

【あらゆる中国拳法の達人ッ 馬 剣星(ばけんせい)!】

 

「……」

 

【剣と兵器の申し子ッ 香坂 (こうさか) しぐれ!】

 

 胡散臭い日本語を話す中国人の小男は中国で知らぬものはいない鳳凰武侠連盟の長であり中国4000年の奥義秘術を極めたと言われるが現在はエロ本を片手に塀の上に立っている日本刀を携えた女性の下半身を覗き見ている。

 女性はそ知らぬ動作で何処から取り出したのか手裏剣を剣星に投げつけた。女性は時代錯誤な上半身用の和服の下に鎖帷子だけを着込み下半身は褌を着用し上着の余りが辛うじてスカート代わりにしている大胆すぎるファッションで黙々と瞑想をしているが、時折ケンイチの方を片目でチラリと目配せし気にかけていた。その扇情的な姿からは一見すると想像できないが彼女は至って真面目であり古代近代問わずあらゆる武器に精通している達人である。

 

「修業は大事よー。敵をぶっ殺す為にも鍛えないとぶっ殺されるよー」

 

【裏ムエタイの死神ッ アパチャイ・ホパチャイ!】

 

 2メートルを越える巨体と聞くものが聞けば震えが止まらない異名を持つムエタイの達人である。彼はその経歴と出で立ちからは程遠いような朗らかな笑顔で恐ろしいことをあっけらかんとケンイチに言った。彼は悪意があるわけではなくただ自分の体験談を親切心で弟子のケンイチに言っているのだ。

 

 

 

活人拳(かつじんけん)

 

 一人の悪を斬り他の大勢を救う活人剣という侍の思想を己の五体のみで実践する考え方。

 ここは梁山泊! 【無敵超人 風林寺隼人】を頂点とする活人拳武術の象徴であり最強の武術を極めた達人が集う活人拳の象徴である。

 

 

「いやっ実は最近筋肉痛が酷くて……」

 

 そして彼、白浜兼一こそがその梁山泊が誇る弟子一号……と言う名の実験台である。彼は空手中国拳法柔術ムエタイ武器我流と、指南を受けているが実際は岬越寺秋雨の理論による最強の弟子育成計画の彼検体であり兼一は常に死と隣り合わせの修行をしていた。

 

「それはよい反応だ兼一くん。君の筋肉損傷が自己回復によって更なる成長・増強をしているのだよ」

「うぐッ……」

 

 ケンイチは秋雨には絶対に嘘を吐けないと既に諦めていた。

 

 加えて秋雨は医師としても達人クラスであり修行中のケンイチのダメージは全て適切にコントロールされている。

 

「ところで長老はどちらに?」

「長老ならば御老公の邸宅に伺っているよ」

「御老公?」

 

 聞き慣れない単語に兼一は疑問符を浮かべる。

 

「なぁ秋雨よー! やっぱり今からでもじじいの所に行ってトーナメントにエントリーしようぜッ」

「くどいぞ逆鬼。長老がお決めになったことだ。我々の決定よりも長老が優先だ」

「どういうことですか、逆鬼師匠?」

 

「トーナメントだよ。地上最強を決める、な」

「逆鬼ッ」

 

「いいじゃねぇか秋雨。御老公ってのはな、あの徳川の末裔で言ってみればスゲー金持ちなんだよ。そいつが道楽でルール無用の闘技場を夜な夜な開催してるんだがこんど世界中から最強の男を集めて闘うトーナメントを開催するってんで俺たち梁山泊にも参加してくれって要請されたのにじじいが断りやがったんだよ!」

 

 苛立ち紛れに逆鬼は手にしたビール瓶を握りつぶした。

 

「やれやれ……逆鬼、我々は活人拳だ。徳川殿の主催するトーナメントは生死を問わない厳しい闘い。それに出場する戦士たちも多くが達人級であり君が出場すれば手加減はできず血は避けられまい。長老は分かっておられるのだよ」

「へ~~そんなトーナメントが……はっ、まさか僕にそのトーナメントに出場させるつもりですかッ!?」

「兼ちゃんが参加したらオシッコ漏らして終わりよ。そのトーナメントは本当の強い男だけが出場を許された大会ね」

「な、なーんだ。よかった~~あはは」

「よくありませんわッ。なんで断ってしまうんですの、そんなお金持ちの方が主催する大会なら優勝商品もきっと凄い物に違いありませんわッ。梁山泊の経済状況がどれだけ貧窮なのか皆さんご存じですわよね!?」

 

「み、美羽さん……」

 

 風林寺美羽は特段金銭にがめついわけではない。この活人拳の総本山梁山泊は現在進行形で貧窮に喘いでいた。理由は梁山泊の安定した収入はケンイチが梁山泊に納める月額のみであり達人たちの収入は全て不定期であった。そのため梁山泊の家計を一手に引き受けている美羽にとっては収入の確保は急務であった

 

「残念だが美羽。基本的に優勝者に与えられるものは勝利の栄光のみ。今回は古代パンクラチオンのベルトが贈られるらしいがそれ以外は一切の金品の贈与は無い。もともと徳川殿は日頃闘技場を主催しているがそこでもファイトマネーは発生してはいない。もちろん賭博も」

 

「なーんだ残念ですの……」

 

 その優勝商品のベルトは時価十億円の価値があるのだがそんな話を美羽にすれば余計に話が拗れる為、秋雨はあえて内緒にした。

 

「でも……そんな大会にどうして師匠たちのような達人が命懸けで闘うのでしょうか?」

 

「決まってるだろ、最強の称号を獲るためだよ」

「そう。それが優勝賞金も何も出ない徳川殿の闘技場が廃れない理由。あの場は間違いなく世界トップレベルの達人級が集う場所だ。そこで勝利することは即ちリアルな最強の称号を獲ることができると多くの武人が考えているのだよ」

 

「武術の世界は野蛮ね。空手対柔道、拳法対ムエタイ、

 武器対無手、我流対伝統、他のスポーツではあり得ないような異種対決が平気で行われるね」

「アパパパ、アパチャイも昔リングで拳法や武器使うやつしこたまぶっ倒したよー」

「ボクも……いっぱい……相手した」

 

「兼一くん。所詮武術家は自分や自分の流派が一番強いと思っているしまたそうなりたいと思っているものだ。だが現代の多くの国ではケンカ、美しく言えば決闘は御法度だ。しかしルールのある場で闘おうにも競技では不完全燃焼、やり過ぎれば追放される。そのようなフラストレーションを溜めた武術家の為にと徳川殿は闘技場を主催し続けているのだ。誰もが、己の内に潜む獣を解放させることができるからね」

 

「岬越寺師匠も……ですか?」

 

 兼一は目の前の梁山泊で最も獣とは無縁そうな師匠に問いかけた。

 

「…………さぁ、どうだろうね~~」

 秋雨は不敵に笑った。

 

「あはは……あは……は」

 

 ケンイチは無茶苦茶な師匠ばかりいるこの梁山泊で、岬越寺秋雨が最も恐ろしいと思ったのであった。

 

「折角久し振りに遠慮なく闘えると思ったのによ~。それにこの俺が参加しないで勝手に空手が負けちまって地上最強が柔術にでもなっちまったらたまんねーぜ!」

 

 逆鬼はわざと秋雨に聞こえるように宣った。

 

「……それはどういうことかな? 逆鬼……」

 

 当然その声をキャッチした秋雨は顔色一つ変えずに振り替える。しかしその声色は明らかに普段以上の重さがあった。

 

「空手が最強だからに決まってるだろ? ま、あれだ。今回のトーナメントは独歩(どっぽ)の親父も参加するらしいから優勝は貰ったな」

「……なるほど。日本最大のフルコンタクト系空手団体神心会(しんしんかい)館長の愚地独歩(おろちどっぽ)氏の実力は私も知っている。だがだからと言って彼が優勝するとは限らない。真剣勝負とはそう言うものだ。空手が最強と言うのも少々早計ではないかね?」

 

「ムエタイよ! ムエタイが最強よ!」

「香坂流が……最強だぃ……」

 

「なんでぇ秋雨、まるで柔術が勝つみたいな言いぐさじゃねーか」

「風の噂で渋川(しぶかわ)流柔術の開祖、渋川剛気(しぶかわごうき)殿が参戦すると聞いた。あの方が相手では流石の愚地氏も苦戦は避けられないだろう」

「げッ!? あの渋川のじじいかよッ。年考えろよな~~元気すぎるぜ」

 

「秋雨どんも逆鬼どんも油断してないかね? 今回は我が中国から【海王(かいおう)】が参戦するね。優勝いただきね♪」

 

 剣星がそんな二人の会話にエロ本片手で割り込んできた。

 

「ほう……中国拳法の達人にのみ贈られる称号【海王】を持つ者が、か。しかし最近の《中国武術省》は【海王】の認定を乱発しているとか……」

 

「あ、秋雨どんもたまに笑えない冗談言うね……ッ。今回はあの【闘神(りゅう) 海王】が治める中国きっての名門《白林寺(びゃくりんじ)》が生んだ天才【(れつ) 海王】ね。おいちゃんと同じくあらゆる中国拳法学んだ男前ね。柔術も空手も敵じゃないね」

 

「ムエタイよ! ムエタイなら全員ぶっ殺すよ!」

 

「ヘッ、拳法や柔術なんかに空手が負けるかバカ野郎!」

 

 その一言、そのたった一言でこの場の雰囲気は一変した

 

「拳法……」

「柔術……」

「「なんか?」」

 

 主に二人の達人の琴線に触れた。

 

「空手の歴史は数百年ね。おいちゃんたちの中国拳法は4000年の歴史、それを今ここで味わってみるかね逆鬼どん……」

「柔術が積み上げた研鑽の歴史、空手や拳法には決してたどり着けない境地に至ったことを教えても良いだろう」

「おもしれぇ……いっちょここで地上最強を決めてやろうじゃねーか……!」

 

 三人が互いににらみ合いあわや一触即発の修羅場へと変貌した梁山泊。三人の達人から放たれる圧倒的な気の奔流はさながら巨大台風の暴風のようにケンイチと美羽を吹き飛ばしかけていた。

 

「逃げろ~~! 美羽さん一緒に逃げましょー!」

「きゃっ、兼一さんどこ掴んでるんですかッ」

 

 

「面白そうな話をしておるの~~」

 

 ケンイチが美羽を連れて逃げようと表門に近づいた瞬間三人の達人がピタリと動きを止め門を注視した。

 

 

「ならばわしも参加しようぞ!!!」

 

 

 門が勢いよく開くとそこには梁山泊の主、【無敵超人 風林寺 隼人】が三人の気よりも更に巨大な気を放ちながら現れた。その気は木々を押し曲げ大気を震わし大地を揺らした。

 

「いやー拳法も柔術も良いとこあるよな~」

「まったくだ。ここは一つオセロで勝負といこうか」

「ずるいね秋雨どん。麻雀で勝負よ」

 

「ムエタイよ! ムエタイで勝負よ!」

「ボクら……蚊帳の……外」

 

 風林寺隼人の超人的な気に当てられた梁山泊の豪傑たちはそれまでの闘気だけで人を殺せそうな雰囲気から打って代わり不自然すぎるほど普通に仲直りをするしかなかった。

 

「全く……大人気ないやつらじゃわい。兼ちゃんただいま」

 

「おおお帰りなさい長老。話に上がっていた徳川さんの家からの帰りですか?」

 

「おおそうじゃそうじゃ。徳川殿にしつこくトーナメント参加を誘われての~断るのに窮したの」

「長老がそんなに困るってことは相当相手方は粘ったんでしょうね」

「それがもう恐ろしいほどの説得じゃったわい。徳川殿はねごしえーたーの才能あるのう。徳川殿には、わしらは弟子一号の育成に掛かりきりじゃからと断った手前これからはもっと兼ちゃんをシゴかなければのう~~」

「え?」

「そうだな。トーナメントに出場できない鬱憤は兼一の修業にぶつけるか」

「では明日からは修業量を2.1倍にしよう。余裕を持ってと考えていたがまあ兼一くんなら耐えられる筈だ」

「なぁに。ぶっ倒れてもおいちゃんの持ってる秘薬の漢方ですぐに復活させるね」

 

「いや~~ッ師匠たちに殺される~~!」

 

 

「我らが弟子一号の達人への道はまだまだ遠いの~~」

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺の通っている学舎、荒涼高校の正門前では朝の登校時間で学生たちで賑わっていた。本部師匠に弟子入りし不良も辞めると宣言した手前、自室の机の引き出し深くに眠っていた教科書を引っ張り出しての登校だ。家を出る際には不良卒業宣言を昨日の夜打ち明けた親父とお袋に泣きながら見送られこんな自分の人生もまだまだ捨てたものじゃないと思った。

 

「やあ宇喜田、おはよう。いい朝だね」

「あ、宇喜田じゃん。おっひさ~」

 

「よお武田。それと古賀も」

 

 偶然にも俺は校門前で武田と古賀に出会った。古賀と言うのは武田と一緒につるんでる不良仲間でラグナレクにも入っているいけ好かない野郎だ。

 

「宇喜田も屋上でサボりに行くかい?」

「いや、いい。今日から授業に出るよ」

 

 俺の宣言に武田は目を丸くした。

 

「……どうしたんだい、君らしくもない」

「不良はやめだ。とりあえずだけどよ、俺は進む道を見つけたんだよ」

「あはは。でも今更授業に出たって留年確定じゃん宇喜田~」

「うるせー! 心意気の問題なんだよ」

 

 確かに古賀の言う通りで俺も武田も出席日数的に今年の卒業は無理だ。だがなにも俺は卒業するためだけに学校にくるんじゃない。自分が誓った信念のために行動しているんだ。

 

「……そうかい、分かったよ。なら良い子になった君にとってボクらみたいな不良は邪魔だろうね」

「何言ってんだよ。俺とオメーはダチだろ? なあ、一緒に授業に出ようぜ。ラグナレクが抜けずらいなら俺も行ってボスに頭下げるからよ」

 

「……ラグナレクに入らないなら精々我々に逆らうなよ。あばよ宇喜田」

「あ、おいっ待てよ武田!」

 

 武田は足早に俺の前から消えていってしまった。俺はなんとも言えない苦い味がした。

 

 

 

 

 

「宇喜田の奴もつまんない奴になっちゃいましたねー武田さん。シメちゃいますか?」

「もう奴のことは忘れろ。あの程度の兵隊なら他にいくらでもいる」

「他ってことは筑波をやったっていう一年の白浜なんとか?」

「そうだな、手始めにそいつをキサラ様に引き合わせるぞ」

「ハーイ♪」

 

 

(宇喜田……すまない。君は良い奴だ。だが不良を辞める選択はボクにはできない。だからこれ以上ボクみたいな不良には関わらないでくれ……)

 

 武田は拳を握り締めながら屋上へ向かった。

 

 

 

 

 

 

「てなことがあったんスけど、どうしたらいいと思いますか本部師匠」

「俺はお前の武の師匠になった訳であって人生の師匠になった覚えはないぞ」

「そうっスけど人生経験は俺より上じゃないスかぁ」

 

 その日、学校を終えた俺はその足で本部師匠の下へと向かい武田のことを相談していた。

 

「まぁ確かに友人のことは確かに心配だな。不良グループの抗争で最近はこの辺も物騒になってきたからな」

「そうなんですよ。なんとかやべー連中から引き離したいんスよ。いい考えないですか?」

「う~~ん」

 

「あはは、ムリムリ。親父はあんまり友だちいないから青春の問題なんて相談することが間違ってるよ」

 

 俺の後ろから声がして振り替えるとそこにはテレビや雑誌で見た顔があった。

 

「……花田。いつ来た」

「ついさっきでーす。ちょうどいまオフなんで」

 

「れ、レスラーの花田ァ!?」

 

 間違いない。FAW所属プロレスラーの花田がそこにいた。

 

「あ、俺のこと知ってる? 君みたいなガタイの男はみんな長田さんとか梶原さんのファンだから嬉しいな~」

 

「な、なんでここに?」

「俺の弟子だからだ」

 

 本部師匠があっけらかんと言い放った。

 

「え!? 本部師匠の弟子ィ!?」

「そ。一回破門されたけどね♪」

「珍しいじゃないか、お前が昼間から来るなんて」

「いや~~後輩が出来たって聞いたからどんな可愛い娘が入ったか見ようと思ったんですけど案の定ムサイ男でガックリですよ」

 

(悪かったな、ムサイ男で)

 

「ねー師匠、うちも神心会みたいに女子部作りましょうよー。そしたら俺も毎日来ますからー」

「まったく……片っ方潰したのに相変わらずだな。興業もはかどっとるようだし」

「そりゃあうちには俺と言うスターがいますからね。巽さんには負けますけど」

 

「うおぉ! グレート巽の名前が出たッ。すげぇ! 」

 

 グレート巽、プロレスを知らない奴でも一度は聞いたことがあるであろうスターの名前が出てきたことに俺は興奮した。

 

「おお嬉しい反応だねぇ。しかし君いいガタイしてるね。一回うちに来る? 運が良ければ巽さんにも会えるかもだよ」

「マジすか!?」

 

「コラコラ、うちの弟子を弟子が引き抜くな! これから稽古なんだから静かにしてろ」

「へーいすんません」

 

「す、すみません。興奮しちゃって……」

 

 

 俺は柔道着に着替えて道場に本部師匠と対面する形で正座をする。これから修行が始まると思うと怖さ半分嬉しさ半分といった胸中だ。

 

「まぁ、若いからな。花田のようなプロレスラーに憧れるのも分かる。たがこれからは本部流の時間だ。最初だからまずハッキリさせとこうか。宇喜田、柔道と柔術は違う」

「え?」

「俺が思うに、柔道はスポーツ格闘技であって武術ではない。異論はあるだろうがな」

「はぁ……」

「そもそも柔術とはなんだ?」

「え……と……それは……敵を、投げる?」

 

 俺は自信なく答えた。

 

「……当たらずとも遠からずだな。宇喜田よ、柔術とはな……戦場格闘技だ」

「せん……じょう?」

「遠い昔、侍たちが合戦場で武器を失った際でも闘える為に編み出されたのが柔術だ。つまり元は殺人術だ」

 

「殺人……」

 

「殺し合いという非日常。だがあの時代ではそれは決して珍しいことではない。むしろ敵を殺さねば己が殺される時代。そこで生まれた柔術はまさになんでもありだ」

 

 心なしか本部師匠は徐々に嬉しげに語っているように見えた。

 

「柔術はもちろんのこと、剣術、槍術、弓術、馬術、砲術、忍術、兵法術。その他多くの技に精通してこそ柔術。それを目指すのが本部流だ」

 

「忍術って……」

 

「金的、目潰し、その他急所攻撃、現代の柔道はもちろん格闘技全般で禁止される行為も武術では当然に行使される。勝つためにだ。極端な話、機関銃を使ったっていい」

 

「いやいや、それは……」

「卑怯か? 相手が自分を殺そうとしている場合はどうだ。自分の愛する隣人が危機に瀕している場合はどうだ。もし戦争が起こった場合はどうだ」

 

「……」

 

 俺は何も言えなかった。

 

「もっとも……普段は当然使うべきではない。相手の生命またはその後の人生に重大な影響を及ぼしてしまう技など先程あげた例ぐらいでしか使用は許されない。許されるべきではない。宇喜田よ、俺がお前に教える柔術とはそういう武術だ。人格形成も結構だがやっていることは人を殺傷せしめる技の伝授だ。教える俺と教わるお前、双方にそれなりの責任が生まれる」

 

「……責任スか」

 

「そうだ。だから約束しろ。教わった技をケンカ程度には決して使うな。まして素人相手は尚更だ。人はお前が思うよりも簡単に死ぬ、死んでからでは取り返しがつかない。十字架を背負う覚悟をお前は持っていないし持つべきでもない」

 

「……ウスッ」

 

 そこに冴えない中年男の本部師匠はどこにもいなく、一人の立派な指導者がいるように見えた。正座をしてるのに、俺よりデカく感じた。

 

「そうか……では取り敢えず町内5周だな。行ってこい」

「へ?」

「聞こえなかったのか? 町内5周、三時間以内だぞ」

 

「いやいやいや、今の流れなら技の伝授とかそういうのじゃ……」

 

「お前は基礎がそこそこできてはいるが所詮そこそこだ。たいした貯金じゃない、が無いよりマシなレベルならこれからはより基礎を鍛える。鍛えて鍛えて鍛えまくる。無論、技も同時に教えるが今日は取り敢えず走れ」

 

「で、でもよぅ……」

 

「ほら、残り二時間五十八分だ。もたもたしてるとタイヤでもくくりつけるぞ」

 

「行ってきます!」

 

 

 俺は柔道着に着替えて急いで道場を発った。

 

「親父~~最初から飛ばし過ぎじゃない? あんまり厳しいと辞めちゃうかもよ」

「それならそれでいい。あいつは向いてなかったと言うことだ」

 

 

 

 

 

 俺は道場から少し離れた街道を走っていた。

 

「クソッ、町内5周って一周何キロあると思ってるんだよッ」

 

 柔道をしている為スタミナには自信があったがやはり走り込みはいつ何度やってもキツイものがある。

 

「ん?」

 

 町一周の半ばまで差し掛かると、目の前から一人の少年が俺と同じように走ってくるのが見えた。

 

「ぐわぁぁ~~~~! すり減るゥ~~タイヤと僕の何かがすり減る~~!」

 

 そいつは悲鳴を上げながら腰にくくりつけられたタイヤを引き摺りながら猛然とダッシュをしていた。

 

(スゲ……あいつ、タイヤごと……)

 

 俺はさっきまで文句ばかり言っていた自分が急に恥ずかしくなった。目の前を恐ろしい速さで走り去っていった奴は俺以上の苦行をしているのだ。しかもそいつは俺よりよっぽど小さな身体で俺以上の努力をしていたのだ。

 

「やぁ宇喜田くん」

「花田……先輩!?」

 

 気を取り直して走り始めると後ろから花田が走りながら俺と並走してきた。

 

「花田でいいよ。頑張ってるようだね、付き合うよ」

「いいんすか?」

「レスラーもロードワークは大事だからね」

 

 しばらく並走していると花田が俺に話しかけてきた。

 

「ところでなんで親父、うちの師匠に弟子入りしたの?」

「そりゃ強い男だからっすよ」

「そぉ? ま、確かに強いけど……でも強くなりたいなら他にもっと有名どころはあるじゃない。神心会(しんしんかい)北辰会館(ほくしんかいかん)とかさ」

「それ空手の道場じゃないすか。俺は腐っても柔道家スから」

「へぇ、結構しっかりしてるぅ~。親父も気に入るわけだ」

「そう言う花田さんはどうしてなんすか?」

 

 俺は逆に花田こそ、どうして本部師匠の弟子なのか聞いた。

「俺ぇ? そりゃ女にモテたいからだよ。つっても途中でプロレスに浮気しちゃったけどね♪」

 

 花田はどこまで本気なのか分からない笑みを浮かべた。

 

「さ、あんまり駄弁ってると時間に遅れるからペースあげるよ~~」

「え、ちょっとこれより速くは流石に……」

 

 花田は颯爽と俺の前に躍り出て直ぐ様視界から消えていった。俺はその後ろ姿を呆然と見送るしか出来なかった。

 

 その後、息も絶え絶えに道場に帰ってきた俺を、本部師匠と先に俺を追い抜いた花田が出迎えてくれた。

 

 

 

「お、ちゃんと時間内に帰ってこれたか。図体によらずスタミナはあるな」

「な、なめんなよ……これでも……トレーニングは、してるんだぜ……」

「お疲れ~~はい、スポーツドリンク」

 

 花田はタオル片手にドリンクを俺に差し出した。

 

「あ、ありがとうございます」

(花田先輩……俺より速いペースでゴールしたってのにまったく息切れしてねぇ)

 

「よし、息も調ったようだしいっちょ組み手でもやるか。花田、相手してやれ」

 

「え~~嫌ですよー。せっかく汗も拭いたのにー」

「いいからやれ」

 

「ちょちょちょっと待った! 流石に走った直後ってのは……」

「男なら組手が出来て嬉しくないのか?」

「だから、いまどんだけ俺が走り込んだのか……」

「はいはい、本当に親父ったら……ま、いっか。宇喜田くんなら汗なんかかかないと思うしね」

 

 花田は自分のスポーツドリンクを投げ捨てると俺の前に立ち構えに入った。

 

「……いいんすか? 俺は組手で手は抜かない主義だぜ」

 

 俺も花田の前に立ち構える。

 

「あれ? お疲れなら延期でもいいよ俺」

 

 花田が小馬鹿にしたようにおちょくる。

 

「気が変わったよ。レスラー相手に柔道家が負ける訳にはいかねぇ」

 

 プロレスファンの俺だからこそ漫然と脳裏に浮かぶのはプロレスの虚実。

 見せる格闘技と言えば聞こえはいいが、御約束の攻撃、御約束の防御、御約束の展開、御約束の結果…………所詮は体がでかい奴の取っ組み合いと言うイメージが拭えない。対する俺はグレはしたが柔道と言う武道にひたすら取り組んできた。正直負ける気がしない。

 

「……それは俺がレスラーだから言ってるのかな? なら心配無用さ。胸を借りるつもりできてよ」

 

 俺の挑発に花田もカチンときたのか今までのおちゃらけた雰囲気が一変した。これは期待ができる。

 

「よし、俺が審判をやろう。反則は……まあいい。とりあえずやってみろ」

 

「え、そんなんで大丈夫なんですか?」

「大丈夫大丈夫♪ 金玉潰したりはしないから♥️」

 

「始めッ」

 

 

 本部師匠の合図で花田に全神経を集中させる。

 

 

(しっかしどんな攻めをすりゃいいんだ? レスラーだから打撃や投げには強いよな……本部師匠の弟子だから柔道も知ってるだろうし……)

 

「あれあれ~~どうしたのかな宇喜田くん。これは組手なんだから遠慮せずにどんどん来なよ」

 

 いきなり攻めあぐねた俺に花田がさっきの挑発のお返しとばかりおちょくってきた。そういえば花田はプロレスでもこういうふざけた挑発で相手をよく怒らせていた。

 

(舐めやがって……よし決まった。襟を掴むと見せかけて足蹴りだ。スッ転ばせてやる!)

 

 攻めの戦略を完成させた俺は早速花田に掴みかかる。花田の襟をガッチリと握り締めいかにも投げをすると相手に意識させてからの足払い。喧嘩でもよく使う戦法で初見ならまず引っかかる。

 

「セイッ!」

 

 俺はプラン通り襟を掴んだ瞬間相手の重心が移動する感覚を手から察知すると同時に右足で思い切り花田の足元を払った。

 

「おっ、なかなか良いプランだね。でも蹴りが様になってないよ」

 

(び、びくともしてねぇッ!?)

 

 俺の足払いは花田の足を完璧に捉えたはずだった。だがインパクトの瞬間まるで電柱に蹴ったような錯覚を感じるほどの揺れのなさにど肝を抜かれた。

 

「どうしたの~~。胸を借りるつもりでだよ」

 

 

 花田は依然として棒立ちで反撃の気配すらない。

 

(よーし、なら……)

 

「ちょっと手加減しただけっスよ! 次はおもいっきりいきますから、まさかよけないっスよね?」

「ふふふ……そうこなくっちゃ。いいよ、きなッ」

 

(かかったな……狙いはさっきと同じ足ッ…………)

 

 俺は再び花田の襟を掴みに近づき組つこうとする。しかし流石に2回目は花田も防御の姿勢を取る。

 

(じゃないッ!)

 

 と、見せかけて意識が上半身に向いた瞬間に右足を振り上げる。

 

(金的ッ! もらった!)

 

 不良時代このフェイントを避けた奴はいない。誰もがなすすべなく地に沈むコンボだ。いくらプロレスの花田でも金的は効くに違いないはず故の攻撃だった。だが、

 

「へー結構クレバーな戦法も出来るんだ。でもそこはもう懲り懲りだよ」

 

「なッ!?」

 

 花田の金的目掛けて放った俺の右足は花田の内股に完全ガードされていた。

 

(読まれた!? クソッ、ならこのまま投げるしか……)

 

「じゃあそろそろ俺の番ね」

 

 花田が不敵に笑うと俺の組み付きを難なくほどきその場でジャンプした。花田の腰が丁度俺の目線まで上がるほど高く跳躍した花田の上半身が、俺の前から消えた。

 

「ヒュウッ」

 

 

 

(     これは……      

 

あれだ……  デカイッ

あの…………技     見たことある

 

ドロップ…………今からやられるッ

 

 キッ──────………………………………)

 

 

 

 

 そのあとのことは覚えてない。だって俺……

 

「10カウントォー勝者花田ァ! カンカンカン~~♪」

 

 俺は花田のドロップキックをまともに胸に喰らって道場の壁まで吹っ飛ばされ気を失った、らしい。今思い出してもよく死ななかったと思ってる。鍛えていて良かった。

 

「あれ? ひょっとして俺、やり過ぎちゃった?」

 

 花田は気を失った宇喜田に覆い被さりながら困り顔で本部を見つめた。本部はそんな二人を見つめながら溜め息を吐いた。

 

「やりすぎだバカ」

 




頑張れ宇喜田!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

喧嘩師!

今回宇喜田は出ません。漫画なら表紙だけ登場です。
まぁバキならよくあることだよね!


 ここは梁山泊! 

 活人拳の達人たちが集う総本山! 

 

「美羽さんおはようございまーす!」

「おはようございます兼一さん。今日は日曜日ですから早いですね」

「はい! 弟子1号として頑張りますよ!」

 

 この日、白浜兼一は歓喜していた。白浜兼一は風林寺美羽に対する恋慕の気持ちを本人なりに密かに隠していたがそれはほぼ公然たる事実として知られていた。美羽自身もなんとなくケンイチが自分に好意を向けていることを察知しており、それこそ梁山泊の達人たちにはモロに筒抜けであった。

 そして本日、梁山泊は兼一と美羽以外は全員外出中であり文字どおり二人きり、ケンイチにとってはまたとないチャンスの日であった。

 

「み、み、み、美羽さんっ。最近学校の生活には慣れましたか?」

「はい! 荒涼高校の皆さんはよい人ばかりですし新体操部も楽しいですわ」

 

 風林寺美羽はケンイチが通っている荒涼高校に転校してくる以前は地元でも名門で有名な進学校である松竹林高校に属していたが、その持ち前の美貌や風林寺の血のせいで非常に悪目立ちしてしまい友人と呼べる存在が一人も出来なかったことを気にしていた。故に荒涼高校に転校してきた際はだて眼鏡を掛け髪を結い目立たないように徹しているがそれでも彼女は新体操部では期待のエースともてはやされやっぱり目立ってしまっていた。

 

「それに最近兼一さん以外のお友だちもできましたの! 今度遊びに出かける約束をしました♪」

「え! 誰ですかっそれッ」

 

 ケンイチは美羽の最初にして唯一のお友だちであることに精神的優位を感じていただけに新たに現れた美羽のお友だちに対して非常に危機感を持った。

 

「梢江さんと言う方ですの。とても優しくて気の合う方なんですよ」

「え……その人ってひょっとして女子ですか?」

「はい……そうですがどうかしました?」

「いえいえ! 良かったですねお友だちが増えてッうん本当に良かった! そうだ、一年先輩ですけど僕にも新しく友達が出来たんですよ。刃牙さんって言う人で不良に絡まれた僕を助けてくれたんですよ」

「まぁそれはよかったですわね。兼一さんも私も着実にお友だちを増やしていますわ!」

 

 美羽が互いの友人が増えることに純粋に喜んでいる一方で、ケンイチは素直に美羽の交遊関係が広がったことを喜べないことに激しく自己嫌悪した。

 

 

 

 

「あら? 正門が開く音がしますわね。どなたかお帰りになられたのでしょうか」

「えぇ!? なぜっ、今日は皆さん夕方まで帰らないのに……」

 

 美羽の言う通りケンイチの耳にも正門の門が開く音が聞こえた。

 梁山泊の正門は恐ろしく巨大であり常人ではまず開けることは不可能なほどの重量を持っている。それが開いたと言うことはつまりケンイチのつかの間の安息が終了したことを意味していた。

 

 

「ちょいとよろしいですかい、梁山泊ってのは此方ですか?」

 

 しかし師匠を迎えるためしぶしぶ表に出たケンイチと美羽だったが門の外にはエンジンを軽やかに蒸かしている黒塗りのベンツが停められ側には見知らぬ男が立っていた。

 

 男はオールバックに整髪された髪に高級そうなスーツで身を包み胸元には【花山】と刻印された金バッチが光輝いており、明らかに男の普通ではない経歴を示していた。

 男はケンイチたちを見渡すとゆっくり近づき名刺を取り出した。

 

「私は花山組の木崎と申します。本日は此方にお住まいの方にご用がありまして参りました」

「なんのご用でしょうか?」

 

 美羽が警戒しながら男に尋ねた。

 

「いやなに、先日うちの若衆が梁山泊を名乗る人物に可愛がられましてね」

 

 ケンイチと美羽はいったい誰がそんなことをしたのかと言うよりも、彼らならあり得ると直ぐ様納得した。現に美羽自身もケンイチの目の前でヤクザを一蹴したことがありこの手のトラブルは梁山泊では日常茶飯事であった。

 

「まあ! つまりは道場破りですね?」

 

 美羽は笑顔で受け答えた。美羽の予想外の明るさに木崎は少し戸惑ったような顔をした。

 

「そ、そう解釈してもらうと此方もありがたい。私どもにもメンツがありますからね。お言葉に甘えさせて、道場破りをさせていただきたい」

 

 木崎の言っていることは明らかな返しであることはその筋の素人であるケンイチにも直ぐに分かった。

 

「みみ美羽さんヤバいですよ! ヤクザですよ! 絶対に逆鬼師匠かアパチャイさんがやっちゃったに違いありませんよ!」

「大丈夫ですよ。それにヤクザさんなら遠慮なくたくさん道場破り代を請求できますわ♪」

 

 現在進行形で梁山泊は貧窮に喘いでおり道場破りにも料金を課し貴重な収入源として重宝されていた。ちなみにまず間違いなく道場破りは無事では済まず、そのあとは剣星が経営している針灸院や秋雨の経営している接骨院に自動的に送られ治療代を更にふんだくる暴力団顔負けの悪辣なベルトコンベアが形成されている。

 

「では此方にお名前と道場破り代をこれほどお願いしますわ」

「え……名前? 道場破り代ですかい? し、しかも結構高いな……」

 

 木崎は戸惑いながらもペンと財布を取り出し万札を数えた。

 

「適正料金となっておりますわ♪」

 

 美羽は代金をホクホク顔で受け取りながらあっけらかんとヤクザ相手に吹っ掛けた。

 

「ま、まあよしとします。それでこの道場の先生はどちらに?」

 

「それが今は全員外出中でして、今日中には誰かは帰って来ると思いますわ」

「そうですかい。なら待たせてもらいますよ」

「いえ、ですので私か兼一さんがお相手致しますわ」

 

 木崎は目を開き美羽とケンイチを交互に二度三度見返し直後ニヤリと嘲笑した。

 

「お嬢さん、誤解しないでいただきたい。今回は一応道場破りの体を装っていますか我々は本気ですよ。子供の出る幕ではありません」

「私は子供ですが強いですわよ?」

 

 木崎はしょうがないと言った風な溜め息をつくと上着を開き内に備えた匕首を脅すように二人に見せつけた。

 

「これで、お分かりでしょう?」

 

「匕首ですか? でしたらしぐれさんが適当ですがあの方は多分今日は帰りませんし困りましたわ」

「美羽さ~~ん!!? おとなしく待ちましょうッ刃物コワイ刃物コワイ!」

 

 二人の全く正反対の反応に若干戸惑いながら木崎は兼一の方を向いた。

 

「やれやれ、そういうならそこの坊や。私と闘ってみるかい?」

「え!? 僕ゥ!?」

 

 突然の指名にケンイチは飛び上がった。

 

「女に手をあげる訳にはいかねぇからな。心配しなさんな、光ってる物は使わないよ」

「あ、ちょっとムカっですわ。兼一さん、ここはやはり私が」

 

 木崎の言葉に嘲られたと感じた美羽は一歩前に出た。

 

「わ、分かりました! ぼぼ僕が相手です!」

 

 美羽を危険な目に会わせたくない一心でケンイチは考えるよりも先に言葉が出てしまった。

 

「よーし。いいぞ坊や。なかなかの男だ」

 

 木崎もケンイチの男気に対して賛辞を送りもはやケンイチは逃げられる状況ではなかった。

 

「な、なら早速道場の方に……」

「お手間はかかせませんよ。ここで十分だ」

 

 木崎はケンイチたちがいる庭を指した。その目には確かな自信の色がケンイチに見えた。

 

「で、でも地面は危険ですよ?」

「ご心配なく……あたしらの日常は路上が戦場ですからね。下が土ならマシな方ですよ」

 

「……分かりました。では、ここでッ」

 

 ケンイチは戦闘の覚悟を決め構えた。ケンイチ自身も闘いの経験はあまりないが、ラグナレクの不良達との闘いは苦戦はすれどいまだ負けたことがないためそれなりの自信があった。

 

「ケンイチさん。落ち着いていつもの組手を思い出せば大丈夫ですわ」

 

 美羽もまたケンイチより遥かに見識を持っているため木崎が自分達より格下だと分かっていたからこそ、相手をすると名乗り出たのだ。木崎の体格は並み程度、殺気も無いことから匕首を振り回す危険も少ない、だとしたならば純粋な格闘になる。そうなればケンイチが負ける可能性は低いと美羽はこの時判断していた

 

「……あの、構えないんですか?」

 

 対する木崎は上着を脱ぎ手に持っただけで一切構えは取っていなかった。全くと言っていいほど闘志の欠片もケンイチは感じられなかった。

 

「ッッ来ないならこちらから行きますよ!」

 

 ケンイチは自分が見くびられてると思い怒りの拳を振るうため木崎に詰め寄る。ケンイチの逸った行動に美羽は嫌な予感を感じた

 

「あっ! 兼一さん、不用意に近づいては──」

「え? わわっ!?」

 

 木崎向けて突っ込んだ所に木崎は手に持っていた上着をケンイチ向けて頬り投げた。上着はケンイチの頭を覆い隠しケンイチは完全に木崎を見失ってしまった。

 

「ええいッ卑怯な! どこだ!?」

 

 直ぐに上着を払ったケンイチは美羽の前で恥をかかされたことに顔を赤くさせながらその元凶を探した。

 

「ケンイチさん! 後ろッ」

「喧嘩の途中で余所見はいけないな」

 

 美羽の叫びで咄嗟に振り返えろうとしたケンイチだったが其れよりも早く木崎の腕が後ろからケンイチの首をロックした。

 

「ぐっ!?」

「終わりだ坊や。スリーパーが極っちまったらタップするか気絶するかの2択だぜ?」

 

 ケンイチは朦朧とする意識の中で自分の不用意さに腹を立てていた。美羽の助言があったのにまんまと相手の手の内で踊らされてしまったことを激しく後悔しタップだけはするまいと誓うのがせめてもの抵抗だった。

 

「根性のある坊やだッしばらく寝てな!」

 

 木崎も手に感じる感覚から決してこの少年はギブアップするまいと悟り更に腕の締め付けを強めた。

 一気に脳に送られる血液量が減り視界がブラックアウトしかけるケンイチの脳内で梁山泊の師匠の一人である岬越寺秋雨とのある日の修行を思い出した。

 

 

 

『いいかね兼一君。完全に極ったスリーパーをほどくのは至難の技だ。だから我々はスリーパーは絶対にかけられないように気を付けるが君はまだ未熟だからそうはいかないだろう』

『岬越寺師匠、ではどうすればいいんですか?』

『なに、簡単だ。技を技で脱しようと思うから難しい。死にたくなければ時には技でなく、見苦しい行為も辞さないことさ』

 

 

 

 

 

「ぐわっ!?」

 

 突如木崎が鈍い悲鳴をあげケンイチのスリーパーをほどいた。

 

「て、てめぇ足を……」

 

 木崎の右足は革靴ごと鉄のスタンプを押したように潰れていた。ケンイチが意識を失う寸前の踵で力一杯踏みつけたのだ。

 

「なるほど……スリーパーで密着した相手の足を踏みつけて拘束を解く。加えて普段兼一さんは足腰を重点的に鍛えているからこそより強力な踏みつけが出来るのですね」

 

「さっきはよくもやってくれたな~喰らえ! 山突き! カウロイ!」

 

「ぐっはッー!?」

 

 ケンイチの連撃をまともに喰らい木崎は鼻や口から血を流しながらその場に倒れた

 

「やりましたわ! 兼一さんの勝利ですわ」

「う、うおお! すごい! 僕、ヤクザに勝ったぞ~~ッ」

 

 

 その時、黒塗りのベンツのドアが開いた。その音に木崎が気づくと鼻から垂れた血を高級スーツで気にも止めず急いで拭いダメージで震える足をなんとか引き立てその場で礼をした。

 

「に、2代目ッッ!」

 

「うげ!? なんだこの人……ッ」

 

 

 

 

 ─────大きな漢だった──────

 

 その漢は一目で圧倒的な存在感を見るものに与えていた。真っ白な特大のスーツに高級革靴をそつなく着こなし金バッチを胸につけている様は木崎と同じく反社会的人間であると分かる。しかし明らかに同格ではなかった。

 眼鏡越しの鋭い眼光は、迂闊な質問を挟ませない。身の丈は風林寺隼人にも負けず巨大であり、スーツの下にあるであろう濃密な肉体をありありと主張させていた。

 だがしかし、この漢の最も端的な特徴はまだあった。

 

 

 ─────────(キズ)──────────

 

 

 一度それを見た者を怯ませずにはいられない程の深く大きく刻まれた無数の切創。

 

 左額から右頬に向けて一閃。

 右顳顬から口元を縦断し左頬に向けて一閃。

 

 とりわけ漢の顔面に走る2本の疵がケンイチと美羽の視線を集めていた。

 

 

 文句のつけようのない、巨漢であった。

 

 

 

「……申し訳ありません、2代目」

「な、何ですか! 貴方も道場破りですか!?」

 

 ケンイチは新たに現れたヤクザにも果敢に構えを取った。しかしケンイチには見えていなかった。

 

「兼一さん……ッッ、その方から離れてください……!」

 

 美羽はその漢を見た瞬間に悟っていた。ケンイチには見えていないもの、感じていないものを察知していた。目の前の巨漢から感じられる力とケンイチとの力の差、そして────

 

 

 

 ────己との圧倒的戦力差を……! 

 

 

 目の前に現れるまで美羽が気づかないほど静かな、とても静かな、およそ漢の見た目からは信じられないほど静かな気であった。

 だがしかしその内に秘める気は漢の全身から放たれ美羽の皮膚を刺していた。それは梁山泊の豪傑たちとも遜色ないほどであると、美羽の直感は告げていた。

 

「にッ2代目!」

 

 興味のないように踵を返しベンツに戻る巨漢を慌てて木崎が止めに入る姿を見て美羽は内心ホッとした。もしこの漢が自分達に牙を剥いたらとても助かりはしない。そんな想像が頭を過っていたからだ。

 

 

 

 

 

 

「まぁそう言わずゆっくりしていってくれたまえ、ヤクザ君たち?」

 

 

 

 

 

 

 

 背後からかけられた言葉にヤクザたちが振り返ると巨漢の前には梁山泊の豪傑が一人、岬越寺 秋雨が立っていた。

 

「岬越寺先生!」

「秋雨さん!」

 

 救世主の登場に安堵の声を漏らすケンイチたちとは対極に、木崎と巨漢は秋雨を睨み付けていた。だが、木崎は怒りに燃える表情をするも巨漢のほうは驚きとどこか嬉しげな表情をしており、二人が秋雨向ける感情はまるで別物だった。

 

「いや~すまないね。忘れ物を取りに帰ってみればなんとも不穏な状況だ。それにこの大男君は兼一君や美羽では歯が立たないだろうしね」

 

「2代目! こいつです! このヒゲが若い衆を病院送りにした野郎ですッッ」

 

 木崎が秋雨を指差し叫ぶ。だが巨漢はそんな木崎の言葉を聞いていないのか秋雨の顔をただ一点に見続けた。

 

「ヒゲ……まあいい。原因は3日前のあれだね。彼らにはすまないことをしたと思ってはいるが私はヤクザが嫌いでね。つい虐めたくなって────」

 

「おんどりゃぁぁぁッッ!」

 

 秋雨の挑発のような弁明に激昂した木崎は匕首をスーツから取り出し秋雨向かって突き立てた。

 

「おっと、危ないね」

 

 匕首が秋雨の腹部に到達するかしないかと言った距離で秋雨は一歩だけに前に進んだ。すると不思議なことに木崎の匕首は秋雨の真横を通りすぎた。

 

「兼一君や美羽にそれを使わなかったのは誉めてあげるが君にもお仕置きだよ」

 

 木崎が秋雨の声に反応して振り返るとそこに秋雨はいなかった。

 

「喧嘩の途中で余所見はいけないな」

 

 真下で発せられた声に視線を下に向けた木崎の意識は秋雨の目にも留まらぬ速さで繰り出された顎へのアッパーカットによって脳から弾き出され、衝撃によって身体が一瞬宙に浮いた後にわざわざ顔面に添えられた秋雨の掌底によってそのままの勢いで地面に叩きつけられ木崎の意識は地に溶けた。

 

「うわぁぁ! 大丈夫ですか木崎さーん!?」

 

 ケンイチは秋雨の心配よりも先にものの数秒で地面に沈みこんだ木崎の状態を危ぶんだ。梁山泊の豪傑たちはその気がなくとも普段の日常でこういった犠牲者を量産し続けているからだ。加えて今回はその中でも比較的にまともな秋雨が唯一積極的に力を行使するヤクザが相手でありケンイチは先程まで感じていたヤクザに対する恐怖が一転して彼らに同情した。

 

「大丈夫さ兼一君、死んじゃいない。確かにいつもよりやり過ぎたのは認めるよ。彼が君にした仕打ちに怒りが沸いてしまったからね」

「……」

 

 秋雨は巨漢に向き直る。巨漢は依然として無言だが先程までズボンのポケットに入れていた両手を出していた。

 

「君のその姿。多くの人が勘違いをするだろうが私には判る。賭けてもいい。君は間違いなく未成年だ」

 

 秋雨の発言はケンイチと美羽に衝撃を与えた。

 

「そ、そんなバカなですわ! どう見たってこの方は──」

「そ、そ、そ、そうですよ! こんな未成年いるわけ無いじゃないですか!?」

 

「いや、私の観察眼は達人並みだ。疵や服で見にくいがその肌の色艶やハリからして17から19辺りだろう。間違っても20代ではないと断言できる」

 

 ケンイチと美羽の戸惑いは至極当然の反応だった。

 

 ケンイチは目の前に佇む巨漢の容姿や立ち振舞いからは幼さなどどこにも感じられず酒やタバコも禁止されている人間の風貌とは思えなかった。

 美羽もまたケンイチ同様に驚いていたが、ケンイチとは違い単に容姿と年齢の差に驚いているだけではなかった。巨漢の手は巨漢の顔面と同じく疵が走っていたがそれ以上にその手から醸し出される力の密度に驚愕していた。美羽の目に写る巨漢の手はまるで何十年も武術の修行に明け暮れた達人の手に見えており、それが自分とさほど年の変わらない10代だということに同じ武を志す身として信じたくなかった。

 

「そんな少年をヤクザに引き入れ認めているこの男にはキツイお灸を据えなければならないと思ったのだよ」

 

 岬越寺秋雨は文武両道の達人であると共にたぐいまれな人格者であった。その心は正義に満ち、子供や平和を愛しそれを守るためならば自分の命を危険にさらしてでも守りぬく。そんな男であったからこそ目の前に立つ少年が哀れでならなかった。そんな少年をヤクザにしてしまった世間に、木崎に、少年の家族に、少年自身に、そしてそれを見過ごしていた自分に義憤を感じていた。

 

「いまからでも遅くない、そんなバッチは無用の長物だ。その見に余る力をもっと善いことに使いなさい。必要なら私が力になるよ」

 

 秋雨は巨漢の前に自分の手を差し出した。

 

「……お嬢さん」

「は、はいですわ?」

 

 しかしそんな秋雨には目もくれず巨漢は開口一番に美羽に近寄った。

 

「生憎持ち合わせがこれしかないが道場破り代だ。よろしく頼む」

「へ?」

 

 巨漢はズボンのポケットから長財布を取り出し財布ごと美羽の手に握らせた。美羽は財布の分厚さと重さで明らかに束が入っていることを掌で感じ口を開けたまま固まってしまった。

 

「岬越寺さん、と言うわけです。道場破り……させてもらいます」

 

 巨漢は岬越寺の前で拳を握り締め構えたが、その構えにケンイチは驚いた。

 

「な、なんだあの構えは? あれじゃ胴ががら空きだぞ」

 

 ケンイチは巨漢の構えを見たことがなかった。それもそのはずで巨漢の構えは両の拳を高く振り上げた極端なアップライトであり完全に胴のガードがされていなかった。

 

「臨時収入は嬉しいことだが子供を痛め付ける趣味は私には────」

 

 その起こりをケンイチは全く捉えることが出来なかったがかろうじて美羽は捉えていた。

 

 会話の途中で放たれた巨漢の拳。それに両の手を添える秋雨。

 ここまでが美羽に見えたものだったがその次からは美羽もケンイチにも見えた。

 

 秋雨は元いたはずの場所から数十メートル離れた場所に立ち、対する巨漢は秋雨に振り下ろした右拳をじっと見つめていた。

 

「ふぅ……すごいパンチだ。あまりの衝撃につい手首を外してしまったよ」

 

 秋雨の言葉通り巨漢の右手は不自然な形で曲がっており内から皮膚を押し上げる骨の隆起が見てとれた。

 

「す……ごい。でもなにが起こったんだ?」

「流石ですわ。あの大男さんの尋常ではないスピードの攻撃に秋雨さんは合わせたんですわ」

「合わせた?」

「回避するのではなくあえて当たり両手の絶妙な力のコントロールをもってしてダメージとなりえる衝撃を逃がし同時に関節を外す。まさしく武……ですわ」

 

 ケンイチも美羽も秋雨の実力を少なからず知っているがそれでも眼前で起こった絶技を前にして感動を覚えずにはいられなかった。

 

「勝負あり、ですわね。いくら相手の方もお強くても秋雨さん相手に片腕では敵いませんわ」

 

 勝敗が決し弛緩した空気が漂った美羽とケンイチだったが、巨漢が行った行為に戦慄した。

 

 それはまるで列車の連結作業のような鈍く大きな音だった。

 

 巨漢は自分の左手で右手首を正常な場所に収めてしまった。

 

「うげっ!? あの人力ずくで関節を戻しちゃったよ!」

「そ、想像したくもありませんわ。タフな方ですわね」

 

 その大胆さには秋雨も感心していた。

 

「ふむ、素晴らしい精神力だ。だが接骨医としてはその応急措置はおすすめできないね。無理矢理やっては軟骨や神経を傷つけてしまう」

 

「やっぱり強ぇなァ……岬越寺さんよ、昔のまんまだぜ」

「どういう意味だい? 君は私を知っているかい」

「あんたとは知り合いだ。初対面じゃねぇ、親父もあんたに会いたがってたよ」

 

「親父? ……2代目……ヤクザ……花山……まっまさか君はッ──────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれは私が彼女の父を殺してしまった為身寄りをうしなってしまったしぐれを引き取り香坂殿に預けたすぐ後のことだった。当時の私は深い自責の念に駆られていた。そんな時、ある暴力団とトラブルになり私はその組の組長の家に話し合いをしに行ったのだがいつの間にか殺し合いになってしまった。

 

「かかってこんかァッ!」

 

 その組長、花山 景三(はなやまけいぞう)氏には一人息子がいた。話し合いの場でそれを知った私はしぐれの父のこともあり未熟にも怒りを抑えられなかった。

 

 しぐれの父は闇の刀鍛冶だった。深い山の中で天涯孤独のしぐれを拾い娘として育て父娘二人それなりに幸せに暮らしていたが、彼は重い病を患ってたいた。自分の死期を悟っていた彼は娘に闇に染まった男の無惨な最期を自分の命をもってして教えようとしていた不器用な愛を持つ男だった。私はそんな彼の思い描く最期を飾る人間に選ばれてしまった。結果的に私は彼を殺してしまいしぐれからたった一人の家族を奪ってしまった。あのとき、崖から落ちていった彼の顔は今でも時折夢に出てくる。父を失ったとしった時のしぐれの涙も私は忘れることが出来なかった。

 そんなこともあってか、私は花山氏の自宅に訪れた際にご自身と家族のために引退を、と花山氏を説得しようとして彼の逆鱗に触れてしまい殺し合いになってしまった。

 

「子供の前で父を殺すのはもう沢山だよ」

 

 花山氏は強い男だった。武術家ではなかったが、もし武術を志していたのなら達人になれたであろうと思うほどの気迫を持つ人物だった。

 とは言えやはり私の敵ではなく勝負にもなりはしなかった。

 

「見逃す気かッ」

「ヤクザは嫌いでね。だが子供は関係ない。幼い子供から父を取り上げるのも不憫だ。その子をヤクザにさせないと誓うならば警察に連行はすまい」

 

 まだ若く未熟な私の行いは愚かな独り善がりの偽善だったが、この時の私はそれが正しいと思っていた。生きていればこそ、それが父と子の為だと強迫観念にも似た衝動が私の背を押していた。

 

「……そいつは出来ない相談だ」

「なに?」

「ヤクザってぇのはな、誰でもなれる。だが男を立て続けることは誰にもできることじゃねぇ。そうさ、ヤクザはさせるもんじゃない。テメぇで勝手になっちまうのさ。特に花山家の漢はな」

「呆れ果てた男だな貴方は。そんな詭弁で己の命や息子の人生を散らすつもりですか?」

 

 花山氏はそんな私の脅しなどで心を揺らしはしなかった。そればかりか圧倒的な実力差がありながらも私を真っ直ぐに見つめ自分の考えを堂々と述べた。

 

「ん?」

 

 私の足元に少年が近寄ってきた。しぐれと似たまだ幼い少年だった。

 少年は倒れ付した父を見下ろす私の前に立ちはだかり私の足を予想以上に力強く殴った。

 

「ははッすっこんでろとさ。ありがとよ。でもこっからは父ちゃんの役目だ」

 

 花山氏は少年を抱き抱えると自身の背においた。

 彼は長ドスを抜き上着を脱ぎさり私に背を向けると彼の背中には大きな刺青が描かれていた。

 

「こいつぁ侠客立ち(おとこだち)ってんだ。花山家の男子に受け継がれる男の鏡さ」

「……芸術的センスは感じるがそれがなんだというのかね。ヤクザの脅しの道具にされるとは絵が哀れだ」

「カタギのあんたにゃそう見えるだろうな。だがいいんだ。他人に分かってもらう必要はない。この背中の侠客を俺たちはずっと目指してきたんだからな」 

「君たちヤクザは度々侠客を騙る。だがそれは大抵自分の暴力を正当化させるための方便に過ぎない。そんな輩を私は何人も見てきた」

「耳が痛ぇ。そうさ、任侠、侠客、極道、ヤクザ、だがどんなに取り繕っても所詮俺たちは暴力団だ。だがな……この背中のような漢もいるってことは俺が示さねぇとならねぇ。その為に生きてる馬鹿たちが大勢いたってことを示さねぇとならねぇ。俺がその様を受け継いでると示さねぇとならねぇ……!」

 

 花山氏の気迫は鬼気迫る勢いだった。この時点で既に片足と片腕は少なくともまともに使えないようにしていたのだがそんな負傷は気にも止めず両腕を高く大きく広げ仁王立ちをしていた。まるで背中の男が乗り移っているかのような錯覚さえ覚えた。

 

「方便極まるだな。馬鹿なことを言ってないで真面目に働きたまえ。その有り余る力を世のため人のために使わないのは何故か。私利私欲に走っているからだよ」

 

「その馬鹿に俺らは命張ってンだよッ!!」

 

 

 決着は直ぐについた。

 手配した救急車と警察に連行される花山氏を見送るまで1人残された彼の息子が私を穴が開くほど見続けていた。

 

「君のお父さんはしばらく帰っては来ないだろう。私を恨むなら……」

 

 きっと父を連れていかれ不安なのだろうと早合点した私は少年を安心させようとしたが、少年の瞳に不安や恐怖の色は何処にも無かった。

 

(なんだこの子は? まったく動揺していない。いやそれどころかこれではまるで……無? ……バカなッ……この若さで!?)

 

 唖然とした。少年に近づいて初めて感じたが彼から発せられる気は達人も呼ばれる武人たちとまるで遜色がなかった。そればかりか武術を極め達人に至ったと思える自分でも未だに至ることが出来ない無の境地にこの少年は至っていたのだ。

 この年端もいかない無垢な少年が! 

 

「おじさんの名前……」

 

 冷静な声色だった。少年は私に恨み言を言うわけでもなくただ一言、私の名を尋ねた。

 

「…………岬越寺 秋雨だよ。よかったら君の名前を教えてもらってもいいかな?」

 

 知りたいと思ってしまった。花山氏の息子の名を、この純粋な少年の名を、遥か巨大な可能性を秘めた男の名を。

 

「……僕の名前は──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───花山 薫(はなやまかおる)です」

 

 秋雨の回想は巨漢、もとい花山の名乗りで終わりを告げた。

 秋雨は改めて眼前の見た。あの記憶の中の幼かった少年がこれほどまでの男に成長していたことなんとも言えない感動が涌き出ていた。

 

「おおきく……本当に大きくなったのだな、花山君」

「いつぞやはどうも。カリ……返しにきやした」

「そうか……あの時の少年がこれほど逞しくなるとは……立派な男になった。しかし君はお父さんの道を追っていってしまったようだね。実に残念だ」

 

「全力で……いかせていただきます……!」

 

 花山の構えにその場の誰もが目を疑った。

 

「ほ、砲丸投げ?」

「あれでは到底防御などできませんわね……はなから捨てているのですわ」

 

 花山は上体を大きく後方に移動させ拳を握り振りかぶった。その姿はケンイチが思ったようにさながら砲丸やハンマー投げの動作であり間違っても武術の試合でする構えではなかった。

 

「その構えにこれまでの所作……君は武術の素人だね花山君」

 

「え!? うっそォ!」

 

 ここに来てさすがのケンイチも花山が当然何かの武術の達人であると思っていただけに秋雨の指摘でそも素人だとは信じられなかった。

 

「私もまさかとは思っていましたが……おそらく本当ですわ」

 

「君の筋肉……僅かだが触れて分かった。マッスルトレーニングや薬物などで作られた不自然な発達は一切見受けられない。全身が異常なほどにナチュラルな成長発達の筋肉で覆われている。おまけに筋肉以上に鍛練しづらい骨格も人並外れている。その肉体……パワーは言うに及ばないがスピードも顕著だ。唯一スタミナが今一つだが総合的に評価すれば君の身体能力はとっくに達人級(マスタークラス)だ」

 

 秋雨は妙に納得していた。あの花山氏の息子ならばそれも当然なのかも……そんな馬鹿な理論でも、花山氏ならばと思えるほどの男だった。

 

「ならば私も全力でもってして相手をしよう……!」

 

 秋雨が上着を脱ぐとそこには筋肉の鎧があった。

 

 小柄な筋肉だった。だがそれは秋雨が独自の理論とトレーニングによって神からスピードとスタミナをそっくりそのまま頂いた彼の人生の結晶だった。

 その肉体は指一本で鉄柱を曲げ100㎏を超える地蔵を振り回す。そこから繰り出される投げは人智を越え、地面に叩きつけられる前に遠心力で脳の血液が減りブラックアウトしてしまうとされている。

 

「……いきます」

「正直だな君は」

 

 

 

 秋雨のプランは既に完成していた。おそらくまず間違いなく放たれるであろう花山の右拳。それを回避するのはそう難しくない。だがあの巨体では当身や締め技はおそらく不可能。それならばそれこその柔術である。巨体の大きなものを小さいものが制する。これを秋雨は何十年も研鑽しいつしか達人と呼ばれるようになったのだ。

 

 直後、花山の拳が放たれる。先程の拳よりも数倍速いスピード、だが決して捌けない速さではなかった。

 

 ────捕れる! 花山の拳に触れた瞬間秋雨は確信した。

 

 

 

「ッッッ!??」

 

 

 顔よりも大きな花山の拳が秋雨の両手ごと顔面を打ち抜きそのまま梁山泊の母屋まで吹き飛びまるで10トントラックが衝突したようなその光景を見たケンイチは秋雨が死んだと思った。

 

 

「はは…………ッッ! 効いたよっ……」

 

 

 だが秋雨は死んではいなかった。口元から出血しながらも瓦礫から立ち上がった。

 

「完璧に捕らえた……はずだった。いや、確かに捕らえることはできた。タイミングを合わせ、拳に触れ、拳を掴んだ。だが受け流すことは出来ず。人としてそんな君の成長を喜ぶべきか……それとも柔術家として己の未熟を恥じるべきか……おそらく、両方なのだろうね」

 

「……まだ、やるかい」

 

「勿論だとも、弟子の前でいつまでも不覚は取れない。それに、こんな素晴らしい試合を終わらせるなんてあり得ないさ」

 

 

 

 ケンイチは後に梁山泊の師匠たちに語った。

 

 二人はこの時、確かに笑っていたと。

 

 

 

 花山は再びあの構えを取る。心なしか先程よりも更に深く、重く、大きな構えだった。

 

「私が悪人ならどうするつもりだい。本当に純粋だな君は」

 

 共に間合いに入った両名。制空圏がどうこうと言うレベルではない程、花山ににじり寄る秋雨の姿にケンイチも美羽は生きた心地がしなかった。

 

 二人の気がぶつかり、混ざり、溶け合うほど接近し、秋雨がもう一歩踏み出すと、

 

 

 

 

 花山が動いた。

 

 信──────

 

 花山の拳が秋雨の左顎を捉えるが秋雨は動かない。

 

 ────て───

 

 秋雨の左顎に花山の拳が完全に当たり衝撃で下顎がズレルも秋雨はまだ動かない。

 

 ──たよっ─────

 

 ついに秋雨が動いた。首をコロのように回転させると同時に体全体も回転させ拳をいなすとそれまで花山の内にいた秋雨は一瞬にして外側に回った。そして右脇で花山の右手を、掌で右肘をガッチリと掴み、左肩を花山の右脇に入れ込んだ。

 

 この間、1秒未満。

 

 ────山──君っ───

 

 

「セイヤァァァァッッ!!!」

 

 ケンイチも美羽も聞いたことがない程に大きな秋雨の掛け声と共に秋雨は花山の拳の勢いと一体となり右手ごと

 花山を投げた。

 160キロを優に超える花山を投げるためか秋雨は足を大地にしっかりと根を張り腕は血管を浮かび上がらせるほど力ませ全身の筋肉を総動員させた。

 

 

 

 花山は何が起こったのかまだ分からなかった。完璧にアジャストしたはずの拳は当の秋雨を喪失し、気付けは何故か秋雨は己の右腕と同化していたのだから。

 それまで大地を踏みしめていた両足は宙をばたつかせ、平行だった目線はいつの間にか地面を、と思ったら次の瞬間には空を映していた。

 

 投げられた。

 

 その事実に花山が気づいたのは、それから5分後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜のネオンが煌めく都内の何処かのバー。そこに岬越寺 秋雨と花山 薫は共にカウンターに座っていた。

 二人の前に置かれたワイルドターキーの入ったグラス、秋雨は水割りをちびちびと呑んでいたが花山はオンザロックを難なく一気にあおった。花山がグラスを置くと秋雨が語りだした。

 

「そうか、私のしたことは結局君や君のお母上から父親を取り上げてしまっただけだったのだな……」

 

 花山 薫の父、花山 景三は秋雨と出会った後まもなく敵対組織との抗争で命を落とした。花山の母も4年前に癌でなくなっていたことを秋雨は花山の口から聞き、改めて自身の過去の行いを悔いた。

 

「どうか……お顔を上げてくんなせぇ。俺も親父も恨んじゃいません。それに親父もよく俺に言ってました、いい喧嘩だったと」

 

 対して花山は言葉通り怒りも悲しみも見せず秋雨を気づかった。その瞳は優しさに溢れていた。

 

「……ありがとう。花山君」

 

 秋雨はターキーのグラスを一気に飲み干すと、囁くように呟いた。

 

「今度……トーナメントにでやす」

「徳川殿のかね?」

「はい」

「無事ではすまないよ」

「覚悟の上です」

「……そうか。応援しているよ」

 

 

 

 それから他愛なない会話を続けターキーのボトルが空になる頃、秋雨が立ち上がった。

 

「そろそろおいとまさせてもらうよ。これ以上未成年の飲酒を容認するのもどうかと思うしね」

「そうですかい……また会いましょう」

「そうだね。なら今度会ったときお願いがあるのだが……」

「なんですかい?」

 

 秋雨はアルコールで赤くなった顔がまた少し赤くなった。

 

「……気絶した君を介抱した際に見たよ、その背中。本当はお父上の時から一目見て惚れていた。美しい絵だ。今度模写させてくれないか」

 

 どんな願いが来るのか気になっていた花山もこれには笑ってしまった。

 

「……ああ、いいですぜ。秋雨さん」

 

 

 




今後も宇喜田が表紙グラビアだけの回は多々あると思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

超軍人!

キサラって月刊版だと結構巨乳でしたよね。週刊だと小さくなりましたが初期はケンイチをボウヤ呼ばわりしたり大人っぽいキャラで私はそっちの方も好きでした。


 休日日曜の午前10時。世の学生なら半数が喜ぶこの時間帯、俺も例に漏れず喜んでいた。俺の今いる場所は町の公園、普段はズボンにシャツがいつもの服装だが珍しくよそ行きの洒落た上着を羽織り万全の準備を整えて待ち人を待っていた。

 

「お待たせ~宇喜田」

「よ、よう! 別に待ってないぜ?」

 

 そこにやって来たのは、俺の初恋相手であり絶賛片思い中の女。南條キサラだ。そう、全ては今日この日、キサラと会うためだった。

 

「わざわざ悪いね」

 

 キサラはこの前この公園で出会ったときと同じようにTシャツと派手なダメージジーンズで実に快活で可愛らしい服装だ。

 

「いやいや! これくらいたいしたことじゃねーって」

 

 嘘だ。今日は本当は修行日だったがしこたまボコられたので心の中でも先輩呼びにした花田先輩のドロップキックのダメージがまだ響くと本部師匠に嘘を吐きなんとかキサラとの時間を作ったのだ。昨日から緊張して今日は朝8時から俺はこの公園で待っていた。

 

「嬉しいよ宇喜田……アタシ、凄く会いたかったんだ」

「ああ、だと思ったぜ」

「あの日から忘れられなかったから……だから今日はいっぱい好きにさせてくれよな?」

「俺もそのつもりで来たよ、キサラ」

 

 そうだ。俺たちはこれから二人仲良くイチャイチャするんだ。だからこれから先は大人の時間だぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「猫~~♪ やっぱりお前は可愛いな~。宇喜田もそう思うよな?」

「……そうだな」

 

 現実は残酷だ。今日キサラが俺と会っているのは、俺たちが出会ったきっかけでもあるあの捨て猫と再び会うためだった。

 

「あの後別れたけどこの猫結局どうなったんだ?」

「ああ、まぁあの後いろいろあってな。結局キャットショップには行けなかったんだよ」

 

 この猫と出会ったあの日、不良に襲われ本部師匠と偶然遭遇したあの夜、俺は当初の目的地であったキャットショップには行けなかった。

 

「えぇ!? じゃあこの猫は──」

 

 猫の居場所が宙に浮いたと思ったキサラは途端に猫を抱きしめまるでどこにも行かせないかのようにその場にしゃがみこんだ。

 

「安心しな。この猫は俺が飼うことにしたよ」

 

 このままでは保健所のガス室直行の未来しかなかった猫だったが俺はこの猫に妙な愛着を感じていた。この猫は俺をキサラと本部師匠と言う俺の人生観を一変させてくれた出会いを運んできてくれた猫だったこともあり俺はこの猫を引き取ることに決めた。衝撃の不良卒業をしたので両親にもすんなり許可をもらい既に飼っている二匹の猫ともこの猫は良好な関係を築いていた。

 

「本当か!? よかった~~。優しい飼い主に出会えて幸せだなぁおまえ~♪」

 

 キサラは先程とは真逆に顔をほころばせスリスリと猫に頬擦りをし笑った。

 

(くっそ~~~~羨ましいぜ! 俺も猫になりてぇッッ)

 

「ニャン!」

 

 そんな光景を羨ましそうに見ていると猫が俺を見て勝ち誇ったかのように笑った、ように見えた。そういえばこいつはオスだったのを思い出した。

 

「こ、こいつ……猫被りやがってたな」

「ん、どうした宇喜田?」

 

 

 

 

 

 

 それからも二人で駄弁っているとすっかり12時を過ぎてしまった。

 

「キ、キサラっ。腹空いてないか?」

 

 

 俺は今日のこの日をただの猫との再開で終わらすつもりはなかった。なんとしてでも現在の二人の関係よりかは向上を図りたい。そのためになけなしの小遣いをはたいて近くのファミレスで食事をして仲を深めようとキサラから今日会うことを提案された時から計画していたのだ。

 

(チャンスだぜ。この流れでキサラともっと仲良くなる!)

 

「え? 確かに……そういえばもう昼かぁ」

 

 ───勝機! ────イケるか!? 

 

「いや~俺も腹減っちまったからな~~。せっかくだから飯でも食わねーか?」

 

「あ、いいなそれ。どこにしようか?」

 

 のってきた! ────勝ったァアアアッッ────

 

 

「キサラ様、此方にいましたか」

「あ、白鳥。なんでここに?」

 

 

え!? ────誰ェ~~~~!?? 

 

 

(な、なんだコイツ!? キサラと普通に話してやがる、てゆうかめっちゃイケメン!!?)

 

 どっからわいて出たとツッコミたいほど唐突に現れたイケメンは、俺とキサラの間に入り込み平然とキサラと会話を始めた。

 

「アジトで待ってろって言っただろ?」

「申し訳ありません。キサラ様が見知らぬ男と会うと聞き万が一にもと考えこの白鳥、ご命令を破りました。この罰はなんなりと」

「相変わらずだな~。それに宇喜田と会うのは今日が初めてじゃないし良い奴だって何度も説明したじゃん」

 

 しかもそいつはキサラとかなり親しいような会話をしていて二人の親密さをまざまざと俺は見せつけられた。

 

「き、キサラ……そいつはいったい……?」

「あぁ、宇喜田はそりゃ知らないよな。こいつは白鳥、私の……なんてゆうか……」

「お初にお目にかかります。私は白鳥(しらとり) かおる 、キサラ様の影であり腹心の部下です」

 

 白鳥と名乗ったそいつは女のように整った顔にモデル顔負けのスタイルとまさに絵に描いたような美男だった。キサラと二人揃って並び立つ姿は悔しいくらいにお似合いでありハッキリ言って俺なんかとは比べるまでもなかった。

 

「キサラ様、そろそろ隊の集まりがあります。お早めに」

「ゲっ、忘れてた~。ごめん宇喜田、これから用事ができたから帰るな」

「そ、そうかっ。用事があるんならしょうがねぇわな~あは、あはは……」

「じゃぁな宇喜田。猫ちゃん♪ お前もまた今度な~~」

「ニャ!」

 

 

 猫との別れを惜しむキサラは最後まで猫の方を振り返りながら公園から去っていった。少しくらい俺との別れも惜しんでほしいと思うのは勝手な願いだろうか。

 白鳥もキサラの後を追うようにその場を離れたが直前に俺の方を向き直り爽やかな嘲笑を浮かべやがった。

 

「……フッ」

 

(わっ、笑われた──!!?)

 

 

 白鳥はまるで自分がキサラの彼氏だと言うかのような自信に満ちた顔で俺を見下した……と思う。

 

「し、白鳥ィ……お前には負けんぞ~~!」

 

 どうやら俺は勘違いをしていたようだ。キサラとの恋は俺とキサラだけの問題と考えていたがとんだ伏兵がいたもんだぜ。どうやら白鳥はキサラとも親しく長い付き合いで俺よりも圧倒的なアドバンテージを持っているようだがこっちだってキサラへの気持ちは負けてない。厳しい闘いになるだろうがあんなイケメンには絶対に負けてたまるか。

 

 新たな敵の登場に俺は心の中で決意の炎を燃やした。

 

 

 

 

 当初の目的を失い一人公園で佇む俺の携帯電話が着信を知らせた。知らない番号だった。

 

「もしもし?」

 

 恐る恐る電話に出るとやはり電話の向こうの声は知らない相手だった。

 

「やぁ宇喜田 孝造君。彼女のことは残念だったね、まぁそれも青春さ」

 

 若い男の声だ。そいつはまるで俺のことを知っているかのような口調だ。

 

「だ、誰だアンタ! 何でさっきのことを──」

「何でも知ってるよ。宇喜田 孝造18歳。荒涼高校3年生、家族構成は両親との核家族家庭。ペットは猫が3匹、いづれも野良猫を君が拾ってペットにした。最近は不良行為を止め勉学に勤しんでおりその原因は本部流開祖本部 以蔵に感化されたから。つい先日は門下生の花田のドロップキックを喰らい失神。そして今日は道場に仮病を伝え知り合い以上友達未満の女性、南條 キサラの気を引こうとしたが予想外の伏兵に奇襲を受けあえなく撤退した。と言うところかな」

 

 驚いて声も出ない。そいつは俺の個人情報をつらつらと言ってのけた。電話越しの見知らぬ相手が両親でも知らないことを何故知っているのか、俺には全く理解できない。

 

「無駄話をしてしまったな。実は君に折り入ってお願いがあってね。いまからその公園にある要人がやって来る。君にはその要人を1分でいいから足止めしてほしい」

「ハァ!? なんで俺が電話越しの見ず知らずのあんたのお願いを聞かなきゃ──」

「そうかね。では本部 以蔵に君のサボりを報告するとしよう」

「き、汚ねェぞテメェ!」

 

 俺が協力的じゃないと分かると電話の男は平然と脅しをしてきやがった。

 

「ふふ、なぁ頼むよ。大勢の人の命にも関わる事態なんだ。これはある意味、国防的行為なんだからさ」

 

 男の、大勢の人の命と言う言葉は嘘か本当か分からないが俺の心を揺らしたのは確かだった。それに俺をからかう為だけに飼ってる猫まで調べあげるなんて馬鹿げてるし何より本部師匠に今日のサボりがバレるのはゴメンだ。

 

「ああクソッ、分かったよ! 足止めすればいいんだよな!?」

「感謝する。ターゲットはスーツの中年男、5分後にその公園を通る。よろしく頼むよ」

 

 一方的に電話を切られてから5分経つと、本当に電話の男が言っていたスーツのおっさんがこっちに向かって歩いてきた。そのおっさんに見覚えがあった。たしか……石田なんとかって言うテレビで何度か見た政治家だったと思う。

 

「あ、あのぅ……」

「ん? なんだね君は?」

「あーそのぅ……石田さんですよね? お、応援してます、頑張ってください」

 

 足止めと言われても殴り飛ばす訳にはいかないから取り敢えず政治家なら誰でも喜びそうなことをやってみたが効果はテキメンだった。おっさんはどこか焦り顔で急いでいるようだったが俺の差し出した手に足を止め、思ったよりゴツい手で握手をしてくれた。

 

「おお、そうかねそうかね。君のような若者も政治に興味を持ってくれているのかい! うむ、この国の為この石田 せいじ 頑張らせてもらうよハッハッハッ」

 

 やっぱり目の前のおっさんは政治家の石田 せいじだった。どうして真っ昼間っからこんな平凡な公園にいるのかは分からないが周りには他にスーツの中年はいないようだからこのおっさんが電話の男が言っていたターゲットで間違いないだろう。

 

「すまないがそろそろ行かせて貰うよ。車を待たせているのでね」

 

 当然と言えば当然に石田さんは俺と握手を終えるとその場を離れようとした。1分くらいは足止め出来たとは思うが本当にこんな短い時間で電話の男に満足してもらえたかは正直不安だ。

 

「ああ車が来たようだ。それでは君も──」

 

 石田さんが迎えの車を指差した直後、その車が炎を吹き出し一瞬で木っ端微塵に爆発して激しい衝撃が俺の鼓膜を震わせた。

 

「うおお爆発!? なんで!??」

「き、君ッ。危ないから下がりなさい!」

 

 俺と石田さんが爆発に唖然としているとまたもどっからわいて出たのかツッコミたくなるように黒服の怪しい連中が銃を持ってこちらに向かってきた。

 

「いたぞッッ石田 せいじだ!」

「クソッ、あのガキが話しかけなきゃ予定通り車に仕掛けた爆弾で始末できたのに!」

「バックアップはなにやってンだ!! 連絡が全く取れないぞ!?」

「こうなったら直接殺るぞッッ」

 

「うわ! 銃ぅ!?」

 

 それまでの日常を一気にぶっ飛ばした爆発に銃と言うこの日本では異常すぎる事態に頭が真っ白になった俺はその場から動くことが出来なかった。

 

「邪魔したガキもいるぞ!?」

「構わん、ガキごと殺せ!」

 

 黒服たちは俺と石田さんめがけて手に持った銃を向けた。殺気と言うのだろうか、俺に向けて放たれる黒服たちの殺意が弾丸のように俺を貫いた。

 

(もうだめだ……終わった……ヒ!?)

 

 死を覚悟した俺だったが、黒服たちとは別格の殺意? のような物を俺は2つ感じ全身が震えた。

 

 1つは何故か俺の横の石田さんだった。石田さんはさっきまでの温和な表情を一変させて般若のような顔をしていた。

 もう1つはこの公園全体をすっぽりと覆うような、まるで自分が虫かごの中にいるアリで、それを見下ろしている絶対者に生殺与奪を握られているような感覚を全身の肌で感じた。

 

「死ね!」

 

 そんなことを考えている間に黒服たちの銃がとうとう放たれた。パッと眩しい光が走ったかと思えば銃弾は俺の腹、胸、喉、頭に当たり激しい出血と肉が吹き出て蜂の巣になった体は公園の地面に倒れ生気を失った瞳の俺は死んで──

 

「ギャァァ!?」

 

(な、なんだ今のは!? 幻? 俺は生きてるのか!!?)

 

 

 謎の幻視のせいで最初は俺だけの悲鳴だと思ったが、それは黒服たちの悲鳴でもあった。

 

「ぐあぁ……ッ」

「う、腕が……!?」

 

 俺に一番近かった黒服たちは銃を握っていた手から血を流してその場にうずくまっていた。

 

「何ヵ月も前から計画していた作戦が漏れたというのか? いや、それよりも何処か──」

「狼狽えるなッッ、物陰に隠れて……ギャ!」

「クソ! どっから撃って──」

「ば、馬鹿なッッ狙撃だと……!? この辺りに狙撃ポイントは何処にも無いんだぞッッ」

「あ、あのビルからでは!?」

「ふざけるな!? あのビルはここから2キロ以上離れているんだぞ! 止まっている的なら兎も角動く我々に正確に当てるなどありえ──」

 

 

 信じられない光景だった。俺の目の前で大勢いた屈強な黒服たちは何処からともなく撃たれる銃弾で次々に倒れていった。

 

 辺りは直ぐ静かになった。さっきまで爆発と銃声で騒然としていた公園なのが信じられなかったが、直ぐに大量のパトカーが公園に停まり大勢の警官が石田さんに駆けつけてた。

 

「石田議員ッ、御無事でしたかァッッ」

「おお本巻警部、よかった。君、もう大丈夫だよ」

 

 石田さんは温和な表情を浮かべへたりこんでいる俺の肩を抱いた。やっぱりさっきの鬼のような顔と殺気は俺の気のせいだったのだろうか。

 

「申し訳ありません! 警備の部下たちが陽動に引っ掛かってしまい到着が遅れましたッッ」

「いやいや、あえて人気のある公園を行こうと直前に言い出したのは私だ。責任は私にある。ところで彼らテロリストを倒したのは本巻警備の部下ですか?」

「いえ、私も詳しくは知らないのですが防衛省からの部隊と聞いています。そも今回の石田議員暗殺の情報をもたらしてくれたのも防衛省からだと。とにかく直ぐに移動しましょう、園田(そのだ)警視も心配しておられますので」

 

 公園は警官たちがテロリストの黒服たちを次々に連行したり無線で連絡を取り合ったりまだ燃えている車の消火作業をしたりと大騒ぎになっていた。俺は取り敢えず石田さんにお礼を言うため近寄るとまたしても殺気が俺を貫いた。

 

「……塵芥どもを泳がせておけばヤツをこの目で見れると思ったが、やはり超軍人の名は伊達ではないか。まぁよい、いずれは我らの元に……」

「い、石田さん?」

 

 背を向けている石田さんの顔は見えなかった。だがその時の石田さんはなんだか分からないがヤバい雰囲気がビンビンだった。

 

「おお君、大変なことに巻き込んですまなかったね。何かあればいつでも事務所に来てくれて構わないよ」

「あ、はい。どうも……」

 

 俺に直ぐ気づいたのか振り向いた石田さんの顔は仏みたいな笑顔で名刺を渡してきた。正直少し気味が悪かったが取り敢えず知り合った縁もあるので名刺を受け取り公園の隅に俺をおいて避難していた猫を抱えとっとと公園を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 自宅近くの駅まで来ると夕陽が町を染めていた。今日一日の濃密な経験のせいで自宅までの帰路をとぼとぼ歩く俺の足取りは重い。

 

「しっかしなんて日だよ今日は。キサラに会えたまでは良かったが白鳥なんてヤツは現れるわテロに巻き込まれるわなんか憑いてるのか俺は? ……ゲッ!?」

 

 ようやく家が見えてきた所で俺の携帯が鳴り響いた。恐ろしいことに昼間の謎の男の番号からだった。

 

「……も、もしもし?」

 

 無視することも考えたがこいつのせいで俺は死にかけたのだからバカ野郎の一言でも言ってやろうと思い応答した。

 

「いやー素晴らしかったよ宇喜田君! 君のお陰でミッションコンプリートだ!」

 

 やはり電話の向こうは昼間のやつだった。なぜか妙にテンションが高い。

 

「やっぱり昼間のアンタ! オメーのせいで俺がどんな目に遭ったか知ってンのか!?」

「当然だとも。スコープレンズ越しからしっかり見ていたよ。抜群のタイミングだっただろ? お陰で君は無傷だ」

 

「……あ、あんたがテロリストたちをやったのか?」

「ありがとう宇喜多君。君の作り出してくれた僅かな時間は私にとって貴重な時間になったよ」

「……一応礼は言っとくよ。で、でもあいつらし死ん……」

「でないよ。いわゆる特殊ゴム弾ってやつさ。ここは平和な日本。例えテロリストでも命を懸け生かして捕らえるのが我が国の基本的なモットーだからね」

「そ、そうなのか? なら良かったぜ。でも手伝うとは言ったけどあんなことになるなんて聞いてねーぞ、酷いじゃねーか」

「悪いとは思ってるさ。宇喜田君が絶妙な場所と時間に居たと言うのもあるけどなんの無関係の人間を巻き込むよりは身内の方がマシだと思ってね」

「身内? 俺はアンタなんか知らねーぞ?」

「それについては……おっと、いつまでも電話越しは失礼だな。宇喜多君、回れ右ッ! 

 

 いきなり大きな声で指示された俺は反射的に回れ右をしてしまった。

 

「え……おわっ!?」

 

 振り返えるとそこには全身黒ずくめのスウェットを着た男が目の前に居た。

 

 

 小柄な男だった。

 俺よりも遥かに小さい身長で多分160もないだろう。頭にまで黒いバンダナを巻き、既に日が落ちかけた周りの風景に溶け込むようにそこに立っていた。

 

「初顔合わせだな。初めまして、色々と呼び名はあるがここではノムラと名乗ろう。花田と同じく本部先生に師事している。君の兄弟子にあたるな」

 

「……うえぇ!? 本部師匠の!?」

「驚いたかい?」

「驚くたってオメー……マジなのか?」

「フフフ……本部先生、未だに路上で煙草吸ってるでしょ? それも煙草缶なんて古臭いものに入れて」

「な、なんでそれを……」

 

 こいつ、ノムラの言う通り本部師匠は結構な愛煙家だ。昼だろうが夜だろうが平気で町のど真ん中で煙草を吸ってよくお巡りさんに叱られてはいなくなったのを見計らい吸い直して文字通り周りから煙たがれている不良中年だ。俺も健康の為に止めればと言ったが当の師匠は「タバコを吸って何が悪い」と近頃の禁煙ブームに真っ向から喧嘩を売っている。

 

「花田も相変わらず軽薄だろ。彼は指導者には向いてない、誘惑に敗けやすいからね」

「あ、たしかに……」

 

 あのドロップキックでブッ飛ばされた後、暫く気絶してようやく起き上がるとそこにいたのは本部師匠だけで花田先輩はいなかった。なんでも途中までは師匠と一緒に俺が起きるのを待っていたのだが女から携帯で呼び出されると直ぐに消えたとのことだった。

 

「~~分かったよ、信じるよ。でもアンタいったい何者なんだ? 本部師匠の弟子だからって今日のことは説明つかねーぞ」

「それについては簡単なことだが極秘でね。君にすべては話せないのだよ」

「なんだそりゃ! 結局分からずじまいかよ!」

「まぁ話せる範囲で言えば私は国防に関する仕事をしていてね。石田議員の警護もその内だったのだよ」

「あんな大勢の敵をアンタ一人でやったのかよ!?」

「まさか。私には優秀な部下たちがいる、それに私は……一人ではない」

 

 見た目からはとても凄腕とは思えない。よくてミリタリーオタクの中坊だが俺に気づかれずに背後に回る術やテロリストを制圧した腕前は納得するしかない。

 

「花田と同じだが師が新たに弟子をとったと聞いて私も興味を持った。あの人は偏屈なところがあるから一般的な道場経営は出来ない人だからね」

 

「俺、そんなに変な弟子か?」

「変、と言うよりかは実に善良だ。公園でのことがよい例だが普通は見ず知らずの他人の頼みなど聞かない。だが君は私のお願いを聞いてくれた。まさに良識ある善良な日本国民だ」

「……いや、実際は震えてることしか出来なかったしよ……」

「初めて銃を向けられて震えない方がおかしい。どんな国の新兵とて初の実戦では皆足がすくむものさ。ところで宇喜田くん、君は中々筋がいい。ちょっとそこの公園で組手をしよう」

 

「え"いまからすか?」

「まだ夜明けまで8時間以上ある。なんの問題もない。今日のお礼も兼ねて私も兄弟子として君に少しだけ奥義を伝授させてほしい。ま、身につけられるかは君次第だがね♪」

 

「え、それってどういう……グワァ──ー!!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここは荒涼高校屋上。下層では多くの学生たちが机に向かって教師や眠気と格闘しながらペンを走らせている時間帯にも関わらず二人の学生が対峙していた。

 

「やぁ君がケンイチくんかい? ようやく会えたね♪」

 

 青みがかった髪を後ろで束ねた男はケンイチに柔和な笑みを浮かべながら大袈裟に喜んで見せた。

 

「貴方がラグナレクの武田さんですね! ボクを誘きだす為によくも友人たちを拉致してくれましたねッッ」

 

 対するケンイチは怒りと正義の炎を瞳に宿らせた闘士の貌を見せていた。

 

「いい貌だ。ボクの名前は武田 一基(たけだいっき)。ごたくはこの辺にしてさ……闘ろうか、喧嘩を……ッッ」

 

 武田は柔和な笑みから獰猛な猛獣の眼光へと変貌しポケットにしまっていた右腕を取り出し拳を作った。

 

 今、二人の男たちの闘いが────

 

 

 

梢江(こずえ)さん、来週末はどこに行きましょうか♪」

「そうね……風林寺さんはどこがいい?」

「もう! 風林寺さんなんて他人行儀に呼ばないで美羽でいいですわよ♪」

 

(初めての同性のお友達ですわ~♪ ワクワクしますわ~!)

 

 

「誰だァ! 私の授業でイビキをかいてる生徒は~!」

「先生、範馬でーす」

「こぅラァ! またお前かッッ」

「……あ、すみません安永(やすなが)先生」

「今は日本史の授業中だぞッッ。お前はいつもいつも寝てばっかりしおって~!」

「日本史ですか、宮本武蔵(みやもとむさし)とかやってくれません?」

「バカモ~~ン!!」

 

 

 

 

「ふぇぇ……3年生の教室での授業は緊張します~」

 

(次も授業か~~昨日はノムラさんに相手の攻撃の念を察知しろなんて訳の分からない組手に付き合わされたから身体中イテ~。あ、でも小野先生の国語だから楽できっかな~)

 

 

 

 

 

 ─────人知れず始まった。

 




超軍人……いったい何者なんだ……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ケンイチVS武田!

武田ってもし女だったら宇喜田の最有力彼女候補になってたと思うんですよね。武田が惚れる要素しかないと思うんですよね。
そうでなければ兼一のハーレム候補でしょうね。


「ボクも昔は今の君のように自分の身を省みず友人を助けに行ったものだよ。だけどね、いつだってそんなお人好しは損をするもんさ」

 

 武田は自分の過去を兼一に話した。

 彼は元々は将来を有望されたプロボクサーだった。だが大事な試合の前日不良グループに絡まれた唯一無二の親友と思っていた相手を助けるために拳を振るい結果として武田は試合に出られずその親友とも疎遠になり今の不良生活になったことを。

 

「能書きはもういい。兼一君、ボクは元プロボクサーだ。だからこの闘いではハンデとして左腕は使わない。この右手一本で闘おうじゃないか」

 

 宣言通り武田は右腕だけで構え左腕はハンドポケットのままであった。

 

「それとも、やっぱり降参するかぁい? ボクとしてはキミをラグナレクのキサラ様に引き合わせれば別に構わないからね」

 

「ボクには最強の師匠たちがついています。たとえボクサーが相手でも勝負を捨てたりなんかしません!」

 

 武田の明らかな格下に対する侮蔑に兼一も闘志に火がついた。この少年の非凡な才能は武術の才能ではなく、その諦めない信念にこそあった。

 

「最強……ね。その中にボクシングの師匠はいるかい?」

「いませんがそれがなにかっ!」

「だったら決まりだ。君にボクは倒せない」

「な、何故そんなことが分かるんですか!」

「決まってるじゃないか。ボクシングこそが最強の格闘技だからさッ」

 

 言うが早いか武田は兼一の顎めがけてストレートを見舞う。

 

 当たればそのまま顎を砕きかねない威力の右ストレートで武田は何人もの不良を屠ってきた。

 

 だがケンイチも負けていなかった。

 ケンイチは己の両手を胸元に構え繰り出された武田のストレートをギリギリまで引き付ける。

 

 いったいどうする? そんな疑問を持った武田だったが自分のストレートに余程の自信があった為構わず殴り抜ける。

 

「シッ」

 

 かけ声と共にケンイチは右手を中段受けの構えから開手し、手のひらを上に向ける。

 

 左手は、開手のまま手の甲を右ひじの下にそろえる。

 

 右手はひじを基点として内側に下げ掌を相手の方へ向け、

 

 親指側手首でストレートを受けると同時に左手は外側を通して右手と交差させた。

 

 

「なに!?」

 

 武田の目にはケンイチの両手がさながら円の如く回転して自分の絶対のストレートがいなされたように見えた。

 

「僕は毎日毎日最強の師匠たちから地獄のような修行を生き抜いているんです! あなたのボクシングにだって負けません!!」

「驚いたね、今のは空手の回し受けかぁい? 中々の出来映えじゃない。でもね……」

「何を減らず口を……ぐふっ!?」

 

 途端にケンイチはその場に膝をついた。

 

「顔面をガードすることに手一杯でボディーががらあきじゃない。ボクのストレートはオ・ト・リさ」

 

 武田は自分の右ストレートが無効果されることにその桁外れの動体視力で当のケンイチよりも先に理解していた。故に渾身のストレートがケンイチの回し受けに払われた瞬間即座に追撃のスイッチに切り替えボディーブローをおみまったのだ。驚くべきはその切り返しの速さ、ケンイチの目には最初のストレートしか見えてはいなかった。

 

「君もどうやら空手の他にも色々と武術を習っているようだね。だが不幸にもボクシングの師匠には出会わなかったようだ。お気の毒だね。打たせずに打つ。こんなシンプルで奥の深いゲームを150年以上も続けているボクシングの成長スピードは君の使う古くさい武術の比じゃないよ」

「くっ……」

 

 正確に胃を打ち抜かれたケンイチは未だそのダメージに苦悶し立ち上がれないでいた。そして肉体的苦痛もさることながら完璧に防いだと思った攻撃をパンチのスピード、つまりケンイチが毎日血反吐を吐く思いで培った技術を速さだけで突破されたことに激しく動揺していた。

 

「シックス、セブン……おやおや、この喧嘩はテンカウントでも敗けだよ? もう決着かい?」

「う、うおおおおおお!」

 

 ケンイチは立ち上がった。込み上げる胃の内容物を無理やり押し戻し震える足でなんとか立ち上がった。

 

「タフだねぇ~♪ そのまま寝ていたいだろうに」

「僕たちは勝負をしているんです! 決着をつけなければ終われない!!」

 

「……なるほど、メンタルだけは一流ボクサーか。その通りだケンイチ君。たとえ歯が折れようとも顎が砕けようとも倒れない、勝つまでリングに立ち続けてこそ真の戦士だ!!」

 

「……武田さん、あなたやっぱりボクシングを続けたいんじゃないですか?」

「なに?」

「あなたの目はただ無意味に人を痛めつける目じゃない。ボクシングを心底楽しんでいる人の目です」

 

 武田は舌打ちをして右手を上げ再び構えを取った。

 

「ボクも暇じゃない。そろそろ決めさせてもらうよ。兼一君……格闘技最速の技はなんだか知ってるかい?」

 

「最……速ですか?」

 

 急に聞かれたケンイチの口は答え出せない。

 

「フフ……飛燕(ひえん)音速(マッハ)稲妻(いなづま)、往年……格闘技には様々な異名がある。確かにこれらはその名に恥じない威力やスピードを持っているんだろう。けどね……可笑しいのはこれらの技は決して比喩と同等の速さも威力も無いってことさ。素人相手ならまだしもプロどうしならそう易々と喰らわないし効かない。だから君たち格闘家は工夫を凝らせたフェイントで相手の気を逸らそうとする。辛抱強く地味な攻撃で効果を待とうとする。結果訪れる意識の混濁によって初めてさっき挙げた比喩がようやく効果を発揮するんだよ。ボクシングがいい例さ。ボクたちはいつだって形容される比喩以下なのさ。あの無敵を誇ったアイアンマイケルも(アイアン)より強くはない。ファントムと呼ばれたボクシングの神、モハメド・アライのストレートだってスローカメラにはしっかり捉えられている。ところがだ兼一君、()()()()()()()()()()

 

 武田は話しながらケンイチとの距離を徐々に詰めてくる。そして二人の距離が五メートルほどの場所で足を止めた。

 

命中る(あた)。来ると分かり身構えていても、備えていても、思わず喰らう。たとえボクシング世界ヘヴィ級チャンピオンでもその技を喰らう前提でリングに上がる」

 

 ケンイチはどんな技が自分に繰り出されるのか分からなかったが武田の握り締める右拳から醸される不気味さは感じ取っていた。

 

「今から兼一君にそれを教えてあげよう」

 

「く、来るなら来てみろ!」

 

 ケンイチはガードを上げ急所である頭部と顎を保護すると共に両足はいつでも回避できるように意識を巡らせ両目はどんな動きも見逃さないよう神経を研ぎ澄まさせた。

 

 

「その技とは──」

 

 

 この時ケンイチはハッキリと見た。針の先も見逃さないと己に誓った筈の両の眼で、武田の右手が消える瞬間を映した。

 

 

「──ぶっ!??」

 

 

 鼻っ柱が一瞬陥没するほど速く重い衝撃を受けたケンイチはサッと鼻血が飛び散るのを押さえながらよろよろと後ろに下がる。

 

 

 

 

 

 

「──答えはジャブ。分かったところでもう遅い」

 

 

 

 

 

 

 空気を切るような音共にケンイチを襲った拳撃。それは武田が放った一発のジャブだった。

 

 

「どうだい兼一君。近代武術格闘技における最速の技の味は?」

「これがジャブですか……たしか、空手における刻み(きざ)突き。まるで見えなかったです……」

 

「それがジャブさ。いろんな条件が揃ってやっと効果が発揮される他の格闘技の技と違ってジャブに求められるのは速度のみ。無条件で、堂々の正面突破。まさに男の技だよ」

 

 脳裏に思い起こされるのは師の一人である逆鬼 志緒(さかきしお)との修行だった。

 

 

「いいか兼一! 刻み突きってーのはつまりジャブだ。こいつを身につけた奴はボクシングや日本拳法でも優勝かっさらっちまうくらい強ぇ!」

 

 逆鬼がケンイチの前でジャブを行う。残像すら見えない突きがケンイチの顎、喉、心臓の三点を瞬く間に突いた。

 

「うわっ!? なるほど……でもなぜそれほど有効な技なんですか?」

「いい目の付け所だ。こいつの要はスピードだ。むしろそれしかねぇ。腰の回転を犠牲にして産み出した腕だけを使った早突きは容易に人間の動体視力を超えちまうのさ」

「すごいですね……弱点はあるんですか?」

「これといった弱点はない。あえて言えば普通の突きより威力が劣るところだが本物が打つジャブは大の男を打ちのめすのに十分だ! ま、俺の場合は構わず正拳突きで一発だがな! ガハハハ!」

 

 

 ケンイチの回想はジャブを喰らった鼻っ柱の痛みで現実に引き戻された。

 

「ほら、またいくよ?」

 

「くっ!」

 

 ケンイチはより目を凝らして武田のジャブを見切ろうとするがまたもケンイチの視界から武田の右手が完全に消えた。

 

「グハッ!?」

「おやおや、また喰らってしまったね」

 

「はぁ……はぁ……ぐっ、見えない……ッ」

 

 武田の言う通りまたも何の対処もできずにケンイチはジャブをもらってしまった。左頬にクリーンヒットしたジャブは口腔内を血で満たし脳を揺らした。

 

「恥じることはないよ。プロボクサーのジャブは人間の動体視力を凌駕する。そも避けるなんてことはできないのさ」

 

 とうとう武田は構えていた腕を下げ握手をするように手を差し出した。

 

「兼一君、ギブアップをおすすめするよ。考えてみるんだ。ボクがその気になれば今のジャブを一瞬で君にダース単位で叩き込める。本物のヘヴィ級が繰り出すジャブは空手の正拳突きに匹敵するんだよ。ちなみにボクのウエイトはライト級だけど破壊力はヘヴィ級だよ♥️」

 

 口の中の血の味を噛み締めながらケンイチはこのジャブの打開策を朦朧とした意識で模索する。

 

 

 

 

 

『ドラえも~~~ん!』

 

 ケンイチはある日梁山泊に駆け込んだ。

 

『やれやれ。兼一君今度はどうしたのだね』

『それが僕、今度はボクサーに目をつけられてしまってぇ~~殺されちゃいますよ!』

 

 迎えた秋雨に鬼気迫る顔で窮地を説明するケンイチだが秋雨以下他の師たちも普段通り冷静だった。

 

『なんだ兼一なさけねぇな。ボクサーの一人や二人ぶっ飛ばしちまいな!』

『それが出来れば苦労しませんよ~~。何か僕に技を教えてください! 相手がボクサーでも倒せる一撃必殺の技を!』

『ふむ……一撃必殺と言うことはつまり、相手を一撃で必ず殺す技と言うことだね?』

 

 秋雨が眼光が鋭く光った。

 

『え" いや、なるべく殺さない一撃必殺を教えてください……』

『難儀な願いだな兼一君』

 

 その威圧にすっかり当てられたケンイチは茹でた青菜のように縮こまってしまう。

 

『ホッホッホッ苦心しておるようじゃのう兼ちゃんや』

『長老!』

 

 ケンイチが苦心していると障子の向こうから梁山泊長老風林寺隼人が現れた。

 

『武術は何も一撃必殺だけじゃないぞ。それを証明するために、ほれアパチャイ。今日から兼ちゃんにあれをミッチリ教えてあげなさい』

『アパ、わかったよ! 血のションベンとまらなくなるまでシゴクよ!!』

 

 長老に指名された裏ムエタイの死神は無邪気な笑みを浮かべて全力疾走でその場から逃げようとするケンイチの胸ぐらを掴み庭先に引きずっていった。

 

 

 

 

「ギィヤァァァァァ!」

 

「ど、どうしたんだい? 突然悲鳴なんかあげて……」

 

 突然叫び声あげたと思えば怯えるように頭を抱えぶつぶつと何かを呟き続けるケンイチに武田は警戒して距離をとる。

 

「来ないならこれでKOだよッッ──」

 

 うずくまるケンイチに戦意ゼロと感じた武田は止めのパンチを見舞おうと一気に距離を詰める。

 だが完全に潰えたと思ったケンイチの戦意が武田の近づく足音で爆発した。

 

「キェェェエ! カウロイ!」

 

 いきなり自分の懐に飛び込んだケンイチに武田は面食らうがすぐに冷静に対処する。

 ケンイチは武田の頭部を両手で掴みにかかるが武田の動体視力がそれを完璧に見切り空を掴むだけに終わる。

 

「ムエタイの膝蹴りかいッ だがそんな遅い技をボクサーが喰らうとでも──」

 

「テッ・ラーン!!」

 

 予想外のローキックが武田の足を襲った。

 

「ぐっ……ローキックだって!? だがこんなもの急所に当たらなければどうと言うことは……なに!?」

 

 追撃のローキックを繰り出したケンイチの動きを見て、余裕をもってか躱そうとする武田の膝が突如死んだように動きを止めた。

 

「テッ・ラーン!!」

 

「ぐあぁ!!」

 

 2度目のローキックヒットを許した武田の足はとうとう堪えきれず本日初めてのダウンとなった

 

「武田さん、あなたのジャブは確かに速い。でも辛抱強く地味な攻撃だって案外効きますよ?」

 

 ケンイチはアパチャイから今日まで何度も【テッ・ラーン】つまりムエタイのローキックの修行を受けていた。

 数十回を優に超える気絶、そしてケンイチにはひた隠しにされている臨死体験すら乗り越えケンイチはついにボクサーの命であるフットワークを殺す技を手に入れた。

 

「このぅ!」

 

 震える足で殴りかかる武田のジャブをケンイチは扣歩・擺歩の要領で簡単に躱す。

 

「無駄です。いくら腕だけのパンチとは言え足腰が利かなくなってしまえばジャブの速さも半減してしまう。あなたのジャブはもう死んでいます」

 

「なにくそー!」

「無駄です!」

 

 苦し紛れのジャブをケンイチは片手で掴んだ。今の武田にはその程度のジャブしか打てなかった。

 

「もう見えます。武田さん、友情を否定するあなたですがそんなあなたの瞳には悲しみが宿っています。あなたは……」

「うるさい! 友情なんてものにすがったせいでボクは全てを失ったんだ!! そんな君に負けるか!!」

 

 ケンイチに握られた拳を振り払うと武田は最後の力を両の足と右拳に集中させる。

 

「ボクだって負けられない! 何故なら……」

 

 

 

 ケンイチの強靭な足腰のバネが産み出す瞬発力が間合いを詰める。

 それを迎撃せんとコンクリートの地面を目一杯踏みつけて繰り出す武田渾身の右ストレート。

 

 

 

 

 無意識の内に両名の制空圏が激突し僅かながらも武田の制空圏が押されやがて圧される。

 

 そして完全に武田の制空圏を侵食したケンイチは今度こそ完璧に武田の頭を両手でロックする。

 

 

 ぞわり、とした寒気を感じた武田は顔面に迫る膝を予見した。

 

 

「友情は取引じゃないからだ!!」

 

 

 予見通りケンイチの【カウロイ】膝蹴りが武田の顔に吸い込まれた。

 

「ぐ、ぐわー!」

「あ!?」

 

 あまりの衝撃に後方に大きくはね飛ばされた武田は勢いあまり屋上に設置されたフェンスを突き破ってしまった。

 

「掴まれ!」

 

 咄嗟に屋上から身を乗りだし手を出したケンイチの手を武田が掴みなんとか転落は免れた。

 

「くそー! なんてこった!!」

 

 だが武田は体の全てが宙に浮いた状態でぶら下がるようにケンイチの右手だけに掴まっているギリギリの状態だった。

 地面までの高さは優に数十メートルで転落すればまず間違いなく命はない。たとえ運が良くても悲惨な結果を想像させるには十分な高さであった。

 

「左手を使ってください! このままでは落ちてしまいます!」

 

 ケンイチは未だに左手をポケットに仕舞い込んでいる武田に苛立ち声を上げた。

 

「…………すまない。ボクの左手は動かないんだ……」

 

 武田はポケットからだらりと垂れ下げされた左手をケンイチに見せた。

 

「ど、どう言うことですか!?」

「言っただろ? 友人を助けるために不良たちと闘ったと。そこで負った怪我がもとでボクの左腕は2度と拳を振るえなくなったのさ」

 

 ケンイチは押し黙った。

 武田が何故不良に身を落としたのか、その理由が分かったからではない。もう2度とボクシングが出来ないと語っている際、万力のように右手を握り締める武田の手から伝わる無念さを感じていたからだ。

 

 

「……手を離すんだ兼一君。体を張って人助けなんかしてみろ。必ず後悔するよ? ボクみたいにね」

「…………ッッ」

 

 武田は既に死を覚悟していた。こんな自分の人生にいい加減嫌気がしていたからだ。

 

「……駄目です。あなたにだって、帰りを待つ人はいるはずです!」

 

 だがケンイチも諦めるはずがなく更に屋上の縁に身を乗りだし武田を掴む手に力を入れ歯を食い縛る。

 

 そもそもこんな状況になったのはケンイチの責任が大きい。目の前の死に行く命を見捨てられるほど、ケンイチは薄情でも冷酷でもなかった。

 

「君も強情だね……ッ そうだ、ならボクのことを少し教えてあげようか。ボクがいかに助ける価値もない男だと言うことか分かるはずさ」

 

 武田は今すぐ転落死の危険があるにも関わらずゆっくりと口を開いた。

 

 

「ボクには宇喜田と言う不良仲間がつい最近までいたんだ。180センチもあるガタイのくせにいつもトレードマークのサングラスとポケットチーフを欠かさない洒落た男でね。クラスこそ違えどボクは彼に妙な親近感を持っていたよ。後で分かったけど彼はボクと同じここの3年生で同じく夢破れた元柔道家だった。彼は少し暴力的で反則行為も辞さない男だったが卑劣ではなかった。喧嘩は常に全力で挑み勝った後も相手を辱しめはしなかった。それに女性や子供には不器用ながらも紳士でね、自然や動物にも彼は驚くほどの博愛をもって接してたよ。その優しさで彼は当時荒んでたボクにも明るく接してくれてね、随分救われたよ。彼は不良と言う世間の評価とは違って善い人間だった。なぜ不良をやっているのかと思うほどにね。この学校で出会った唯一の友と言える存在だった」

 

 武田は自分でも驚くほどにとうとうと宇喜田のことを語った。

 

 

「けどね、宇喜田は踏み外した道に自力で戻った。彼はある日を境に不良を止めてしまった。理由は分からないが今となってはもうどうでもいいさ。結局残ったのはボクと言うマヌケ一人。だからボクは彼との縁を自分で切った。ま、彼もきっとせいせいしてるだろうさ。所詮はボクの独り善がりの友情ごっこだったのさ。ふふふ……どうだい兼一君、バカな話だろう?」

 

 武田は既にケンイチの腕から手を放していた。それをケンイチがなんとか繋ぎ止めている現状だった。

 

「……貴方はバカだ」

 

「ふっ、ようやく分かったかい。さぁ早くその手を放──」

 

「貴方は嘘つきだ! 人を信じないと、期待などしていないと言っているのに、何故そんな悲しい顔をしているんですか!!」

 

「な、なにを……」

 

 

 ケンイチの言葉に武田は頬を伝う涙に気づいた。何の涙なのかは分からないフリをした。

 

「本当は信じたいんでしょうッッ!? 人の善意を! 宇喜田さんと仲直りしたいんでしょう!? 絶対に助けますッ 必ずあなたに人の善意を信じさせてみせます!!」

 

 ケンイチは武田掴まえている右手に全神経を集中させ一気に持ち上げた。

 61キロの武田の体がゆっくりとだが確実に持ち上げられていく。

 

「ば、バカな……片手だけでボクを持ち上げるなんて!?」

 

「うおおおお!」

 

 ケンイチは武田を片手一本で屋上の縁まで引き上げた。

 

 だが力を使い果たしたケンイチはフッと気を失い武田と入れ替わるように屋上から転落した。

 

「け、兼一君!」

 

 武田は思わずケンイチを助けるために宙を蹴った。

 

 冷静考えれば二人とも地面に真っ逆さまな愚策中の愚策だったがこの時武田の心中にはケンイチを助けることしか頭になかった。

 

 

「─────ッ」

 

 臓器がフワリと浮いたような感覚がまるで永遠のように感じた時、武田の脳裏にあの快活で優しいサングラスをかけた男が過った。

 

 

 

 できることならもう一度彼に会いたい。

 

 

 

 しかしそれはもう叶うことの無い望みだった。

 そもそも武田たちが今日屋上でケンイチと喧嘩すると言うことを宇喜田は知らない。それに現在の時刻は授業時間真っ最中。武田のこの危機を察知して授業をほっぽりだして屋上まで駆けつける、そんな奇跡は起こるはずがなかった。

 

 

 

 そして永遠のような無重力状態が遂に終わりを迎える。

 

 

 

 

 地面に吸い込まれるように落下する自らの運命を武田は呪った。

 

 武田は思った。せめてもう少しだけ宇喜田やケンイチと早く出会っていたら……と。

 

 武田は最後の瞬間に宇喜田を友と認めた。

 

 

 

 

 

 

 

「……?」

 

 

 今か今かと死の瞬間を恐れていた武田だったが妙なことに一向その気配がないことに武田は恐怖で閉じていた目を恐る恐る開いた。

 

 

 そこにはいつも屋上で仰向けに寝転んでいるときに見る美しい青空があった。

 手探りをすると硬い屋上のコンクリートのざらついた感触が伝わってきた。

 

 武田は助かっていた。そしてそれはそこにいる筈の無い人物の言葉によって決定付けられた。

 

 

 

 

 

「間に合ったぜ武田ァ! とどっかで見たことある坊主!」

 

「う……き……た?」

 

 

 

 

 武田の目の前に奇跡が現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(授業を真面目に受けるのがこんなに辛いとはなぁ)

 

 

 昼下がりの教室で俺は国語の授業を頭半分に聞き流していた。国語教師である小野先生は荒涼高校一チョロい先生と3年生の間では知られているからかクラスの連中も他の授業の課題をやったり寝ていたりとみんな思い思いに過ごしていた。

 俺も欠伸を力なく噛み殺し教室の窓の外に広がるグラウンドや反対側の校舎をボケーと眺めて終了のチャイムが鳴るのを待っていた。

 

 

 

「ん?」

 

 

 授業終了まで残り10分ほどになった時、ぼんやりと向かいの校舎の屋上を見ていた俺の視界に妙なものが映った。

 

 それは突然屋上のフェンスにぶつかりフェンスごと空に投げ出された。そしてそのままグラウンドに落ちていったフェンスとは別のものが屋上の縁にぶら下がってまるでそれは人みたいな形で……。

 

 

 

(なんだ、あれ? ん~~~~~~……人? …………人ォ!? てゆーかあれもしかして──)

 

「武田ァ!!?」

 

 思わず授業中に大声をあげてしまうほど俺はビビった。数十メートル離れた距離ではあったがいつも見慣れたあいつの姿を間違えるはずがなかった。

 

「ど、どうしたんですぅ……? 突然立ち上がって大声をあげるなんて……」 

 

 

 小野先生の注意で今が授業中なのに気づいた俺だったが、既に行動を決意した俺には関係なかった。

 

「先生!」

 

 小野先生は俺の大声にビクッと肩を震わせ涙目になった。

 

「な、なんですかぁ~~宇喜田くん。お手洗いですかぁ?」

「はい! そうです! もう限界なんです!!」

 

 俺の盛大な告白にどっとクラスが笑いに包まれたが今は些細な恥など関係なかった。

 

「そ、それは大変ですねっ、授業はいいから早くお手洗いに行った方がいいですよぉ」

「はい! 行ってきます!」

 

 小野先生の許可が出るや否や開いた教室のドアも閉めずに全速力で屋上へと走った。

 

「廊下を走ると危ないですよ~~」

 

 俺は心の中で先生に謝罪しながら全速力で廊下を駆け抜けながら屋上へ向かった。だがうちの高校は全校生徒800人以上のマンモス校で無駄にでかく広い。逸る気持ちとは裏腹になかなか目的の屋上には辿り着かなかった。

 

(チクショーッ! なんで武田があんなところにぶら下がってるんだよ! それにあいつを支えていた奴が引き上げてくれればいいけどもし落ちちまったら……)

 

 教室の窓から見かけた武田はもう一人の生徒らしき人間に支えられていたように見えた。そいつが頑張ってくれればいいが人一人持ち上げるのはかなり難しい。柔道でもお互い平行な畳の上に立っているからこそ相手を投げることができるのだ。俺ならまだしも普通のやつなら10秒も持たず武田を持つ手を放してしまうだろう。

 

 そうなれば武田は地上の硬いアスファルトに激突して…………

 

「えェいしゃらくせェ! 待ってろよ武田ァッッ!」

 

 走りながら頭を過る最悪の結果を振り払い俺は更に足を前に出し屋上を目指した。

 

「武田ァ! 大丈夫か!?」

 

 

 ようやく屋上にたどり着き武田の名を呼んだ。

 

 だが屋上には武田や武田を掴んでいたもう一人の姿はどこにもなかった。

 

「た、武田……まさか……そんな…………あ!?」

 

 最悪の想像が現実になりかけていた瞬間、俺の視界の端でなにかが動いた。

 

 

 

 手だ! 

 

 

 

 壊れたフェンスの更に奥、屋上の縁に辛うじて掴まっている手が確かに見えた。

 

「武田!」

 

 タッチの差だった。

 

 急いで駆け寄りその手を掴むとその手は武田の腕を掴んでいた男だった。そしてその男のもう片方の手には武田がギリギリのところでぶら下がっていた。

 

「ヌオオオオオ!!」

 

 全身の筋力を総動員して二人をなんとか引き上げると武田ともう一人の謎の男もボロボロで気を失っていた。

 どこかで見たことがあるのは気のせいだろうか? 

 

 武田はと言うと俺の方をまるで幽霊を見たような心底信じられないものに出くわした表情をしていた。

 

「う、宇喜田? 本当に宇喜田かい? どうして、ボクみたいな……何故なんだ……」

 

 

「バカ野郎! 不良だろうが他人だろうが死にそうな人間がいたら助けるだろ! 普通! お前はい~ッッつも難しく考えすぎなんだよ!!!」

 

 これだ。

 こいつはたまに小学生でも分かるようなことを分かってないところがある。

 やっぱりバカだ。こいつ。

 

 

 

 武田ともう一人の謎男を助けた後、俺は武田に何故こんなことになったのか事情を聴いた。

 武田が言うにはこの謎の男の名は白浜 兼一(しらはまけんいち)と言う荒涼高校(ここ)の1年生で、強いと有名の空手部副将筑波(つくば)を倒した為武田はラグナレクへの勧誘を勝敗の条件にして喧嘩をしていたのだと言う。しかし信じられないことに武田は白浜に負けてしまい、その時運悪く屋上から転落しかけた際に白浜が手を差し伸べギリギリで転落死を免れたが白浜が闘いのダメージで気を失ってしまいあわや二人とも地面に激突という場面に、偶然俺が現れ事なきを得たと言う訳だった。

 

「武田、お前まだラグナレクにいたのかよ。いい加減そんな変な奴等と付き合うなって言っただろ!」

「宇喜田……何故そこまでボクに構うんだい。何故ボクを見放さないんだい……ボクは不良だ、君に酷く屈辱的なこともしてきた……なのに何故……どうして?」

 

 武田は心底分かりかねたような表情で俺に問いかけた。なるほど、こいつはやっぱりアホだ。

 

「ばか野郎がッ さっきも言ったろ? ダチだろ俺たち」

 

「……こんなボクを、まだ友達だと思っていてくれるのかい? 宇喜田……」

 

「当たり前だろ。それによ、俺も言わせてくれ。武田、すまなかった」

「……なんのことだい?」

 

「お前の左腕が動かねぇってこと、知らなかったとは言えボクシングやり直せとかプロになれとかいろいろ無神経なこと言っちまって本当にすまない! 許してくれッ」

 

「宇喜田……」

 

 

 俺は武田から左腕が動かない理由を聞かされ自分が今までどんだけ武田に辛いことを言ってきたか反省した。初めて会った時から見かけた左腕をポケットに入れていて変だとは思ってたけどまさかそんな理由があったとは思わなかった。

 

「俺はよう……お前に希望持って楽しく生きて欲しかったんだ。不良やってる時の俺らってよ、ほら、楽しいことなんて喧嘩ぐらいだったじゃん? 俺は新しい道場に通いだしたから良かったけど俺ばっかりまともになるのもなんか違うってゆうかよ……俺はお前と一緒にいたいんだよ」

 

 

 

「うぅ……う……うぐ……」

 

 武田は突然その場でむせび泣いた。いったいどうゆうことだ? 

 

「だ、大丈夫か武田!? どっか怪我でも痛むのか!」

 

 慌てて駆け寄ると武田はせっかくの男前の顔を涙で台無しにしながら顔を上げた。

 

「うき……たぁ…………ッッ」

 

「た、武田?」

 

 

 

「ありがとう……ッッ」

 

 

 

 

「……よく分かんなェけど……これで仲直りってことで良いよな?」

 

 

 端から見りゃ気色悪いことこの上ないが、抱きつき涙ながらに礼を言う武田を俺はそのまま受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺と武田が感動の仲直りをしていると、屋上へと続くドアが勢いよく蹴り開けられた。

 

 

「大丈夫ですか兼一さん! あ、あなた方……よくも兼一さんをッッ 許しませんわ!」

 

「「え?」」

 

 

 

 

 

 

 そしてその後俺と武田は突然屋上に現れた謎の金髪女にノサれた。今まで味わったことがないくらいボコボコに。

 ちょっと泣いてしまったのは秘密だぜ。

 

 




私が宇喜田好きになったのは原作4巻の屋上から落ちた兼一と武田を宇喜田が助けたのがきっかけでした。それまで使い捨ての武田の取り巻きAだと思っていた私の予想を覆す嬉しい誤算でした。マジで宇喜田みたいな友達いたらなと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

剣法家!

作者の覚えている限りで刃牙の日本刀使う人



ジェフ・マークソン←オリバにワンパンされたおじさん
黒川さん←幼年刃牙に踵落としされたおじさん
柳龍光←名刀が……おじさん
本部以蔵←解説王兼守護キャラおじさん
宮本武蔵←クローンおじさん
今回この人←独歩を真っ二つにしかけたおじさん(嘘はついてない)

~~~~~~~~ッッッ男ばかり!
しかもおっさんばかりッッ 
おっぱいはどこにあるんだッッッ!


 都心から遠く離れた人知れない田舎町。既に日が落ちた町は都会とは違い辺りには静寂に包まれていた。町唯一の駅舎は無人で数時間に一本の頻度でやってくる都心行きの電車を待つ人すらいない。疎らに点在する羽虫が群がる町の街灯は舗装されていない地面を無意味に照らし続け人の気配よりも虫や動物の鳴き声や気配が町には満ちていた。

 木造の家々が立ち並び近代的なコンクリートの色味が消え去った昔懐かしい町並みを中心にぐるりと山が取り囲んだ盆地は世間から隔絶された小さな別世界であった。

 

 そこから更に数キロ離れた山中にひっそりと居を構える寺がある。そこは麓の町でも知る人ぞ知る寺で葬式や正月などの行事でたまに人が賑わう寺でありその広すぎる境内は需要にまったく見合っていないと陰口もしばしば町の人間から叩かれていた。

 しかし今宵、この寺には全く異質な熱気が溢れていた。三日月がよく映えるほど暗くなった境内にはゆらゆらと焚かれる篝火がいくつか設置されていた。篝火の光は境内をぼんやりと照らしておりそこには寺の住職と数人の男たちがいた。

 剃髪に袈裟を纏った住職は眉間に一筋の刀傷を負い坊主とは思えない威圧を与える。薄く開かれた目は彼の達観とした死生観を写していた。その最たるものとして、この死合い場が証明していた。

 

「最後にもう一度だけ確認を……双方どのような結果になっても異論ございませんな?」

 

 住職は境内に張られた陣幕の中で向き合う二人の剣士に忠告した。

 

「もとより覚悟の上!」

 

 二人の男の内一人は眼鏡を掛け平凡な顔立ちでスーツでも着ればその辺にいる男だが今は刀を差し白装束を纏い眼鏡越しの眼光は鬼気迫る光を帯びている。既に手は刀を抜き放ち今すぐにでも目の前の相手を斬り捨てるようである。

 

 

「承知!」

 

 対する男は名を白石 国郷(しらいしくにさと)と言う。角刈りの中年風の男で相手よりも一回り年を取っている。一見すれば若い相手の方が有利かとも思える状況ながらも、彼は未だ刀を抜かずに堂々としていた。そこには微塵の恐れも不安も無いかのようである。

 それもそのはずであり彼は林崎夢想流剣術を修めた一流刀の達人であり強豪を求めて各地のこうした死合い場を転々としている武人である。

 

「きえぇぇぇい!」

 

 先に動いたのは眼鏡の男だった。男は白石を両断せしめようと飛び出し上段からの一閃を見舞う。

 

「!?」

 

 しかし眼鏡の男の刀は白石には届かなかった。

 

 白石は刀を見切り既に眼鏡の男の背後に回っており、後ろを取られたと察した眼鏡の男は慌てて振り向く。

 

「もう終わりだ」

 

 

「なにを!? まだ勝負はこれか──」

 

 白石はいつ抜いたのか分からぬ刀を鞘に戻した。チン、と鐔が鞘に当たり納刀されると同時に眼鏡の男の左碗部から盛大に血が吹き出た。

 

 

「ぐわああぁ!!」

 

「死ぬ傷じゃねぇよ。ま、もう刀は振れねぇがな」

 

 

「医者を!」

 

 

 住職の合図で陣幕に待機していた医者たちが眼鏡の男を本堂に連れて行き、辺りは再び静寂が訪れた。

 

 

「流石は白石殿。貴方こそ真の剣士でしょうな」

「よせやい和尚。あんな三流に勝ったからって自慢にもなりゃしねぇよ」

 

 

 白石は賛辞を贈る住職を横目にこんな辺鄙な田舎町までやって来た価値は無かったと後悔していた。自分を熱く燃え滾らせるような勝負を求めた期待は外れてしまったのだ。

 

 

 

 

林崎夢想流(はやしざきむそうりゅう)剣術の達人……白石 国郷だな?」

 

「誰でい?」

 

 死合いも済み宿まで帰ろうと思っていた白石の頭上から謎の声がかけられた。

 彼が顔を上げると近くの巨木の枝に一人の女性がもたれていた。

 

「香坂流……香坂 しぐれ。腰のものをもらい受け……る」

 

 

 

 そこにいたのは梁山泊の豪傑がひとり。

【武器と兵器の申し子】香坂 しぐれであった。

 名乗りも粗末に巨木から飛び降りたしぐれは白石の刀を寄越せとメチャクチャなことを言ってのけた。

 

「……あの梁山泊の香坂 しぐれかぃ? こいつぁいいぜ。こんな田舎まで出向いた甲斐があったってもんよ」

 

 対する白石は歓喜していた。まさか偶然にも数少ない、それも梁山泊という最強のブランドが己の刀の間合いにいるのだから。

 

「いかに……も。白石国郷……大層な業物を持っているようだな。確認したい」

 

「へっ、ならてめェでナカゴを調べるんだな!」

 

 

 瞬時に放たれた居合いがしぐれを襲い白石の一閃は顔を掠めてしぐれの前髪を数本切り落とした。

 

「ち、浅かったかい。たいした見切りだ、なら次は……うっ!?」

 

 

 彼は二の太刀を見舞うため刀を構え直そうとするも違和感に気づいた。余りにも軽すぎる刀剣にまさかと思い見れば刀が根本から切り落とされ、斬れた刃が地面に突き刺さっていた。

 しぐれは白石の斬り込みを躱したばかりか同時に一流の剣士である彼が気づかぬスピードと正確な速斬りで刀を斬り落としたのだ。

 

 

 そんな馬鹿なことがあってたまるか。

 

 それが白石の正直な心情だった。

 

 

 そもそも日本刀は日本刀で斬れる物なのか? 

 

 仮に激しい打ち合いで刃こぼれすることはあっても真っ二つに斬り落とされるなんてことは見たことも聞いたこともない。

 

 そも日本刀はそんな柔には出来ていない。

 

 

 否、柔でもある。硬度の違う複数の鋼を組み合わせて西洋の剣には無い独自の粘りを備えた日本刀は独特のしなりを持ちそれが衝撃を逃がしてくれる。

 

 その頑強さは拳銃の弾丸すら斬るほどだ。

 

 

 確かにそれでも石や鉄に叩きつけてへし折ることはできる。太股でへし曲げることもできる。

 

「嘘だろ……おい」

 

 それが真っ二つ! 

 

 一瞬で! 

 

 精密に! 

 

 神速の居合い! 

 

 

 

 最強の日本刀がまるで鏡のような滑らかな斬り口で真っ二つにされた。

 

 レーザーや水圧カッターでも不可能なほどの神業を見せつけられ、白石の誇りと闘志は手に持つ刀のように斬り捨てられた。

 

 

「……しょうがねぇ。俺の刀を俺以上の居合いでぶった斬ったんだ。好きにしな。香坂 しぐれに斬られて死んだのならあの世で武蔵や小次郎にだって自慢できらぁ!」

 

 

 それまで幾度も修羅場を潜り抜けてきた命の次に大事な己の刀を一刀の下に斬り落とされ彼は敗北を認め死を覚悟した。

 

「首などいらな……い」

 

 しかし、しぐれはそんな白石の悲壮な覚悟など全く興味を持っていなかった。それもそのはずで彼女の目的は白石の持つ刀を調べる事であり持ち主にはさして意味はなかった。

 

「梁山泊の活人拳ってやつか……いやこの場合だと活人剣か。剣士が女に負けた上情けまでかけられたとあっちゃ恥辱の極みだが嬢ちゃんだったら言い訳もできるってもんか。礼を言うぜ」

 

「ボクの求める刀じゃなかった。おまえ、名刀を持つ剣士の噂を知ってるか?」

 

「名刀? 俺の刀も結構な名刀だったが最近はすっかり見なくなっちまったな。大方の有名どころは美術館やコレクターの手に渡っちまってるから俺みたいな裏の剣士はそう多くねぇな。それにどいつもこいつも死合いたくはねぇヤバイやつらだぜ」

 

「構わない。そいつらはどこ……に────!?」

 

 

 しぐれは久々に味わった感覚に珍しく動揺した。全身の毛穴が開き総毛立つような空気────

 

 かつて幼い頃自身が初めて会った正真正銘の人斬りと同じものを。

 

 

 

「いや失敬。電車に乗り遅れてしまってこんな時間になってしまいました。やはり年はとりたくありませんね」

 

 

 月光と篝火に照らされた境内に一人の初老の男が立っていた。一歩、一歩と進み出ると男の出で立ちがだんだんと現れる。

 

 後ろに流された白髪は風に吹かれ、老眼鏡のような眼鏡を掛け、表情はこの死合い場には相応しくないほどの笑顔に満ちていた。

 

 男は手に一振りの太刀を持ち袴着姿の出で立ちはこの場に集まった死合い人と同じだったが醸す雰囲気はまるで別だった。皆命のやり取りの場に立っているため一様に表情は固く冷や汗を滲ませ口を真一文字に結んでいるが、初老の男は朗らかに、にこやかに、晴れやかに口角を吊り上げた笑みを顔に張り付けて佇んでいた。

 それは空元気から来る無理ではなく男の昔からの出で立ちであった。

 

「あ、あんた……引退したんじゃなかったのかよ」

「まだまだ現役ですよ白石さん。まぁ最近はいろいろ厳しいですから昔のようには……ね」

 

 白石は目の前の男を知っていた。心踊らす好敵手を求めてきた人生において決して闘いたくない数少ない凶敵を前にして額には脂汗が滲んでいた。

 

「ですが残念だ。白石さんの相手はもうやられてしまったようですし白石さんもその刀では死合いもなにもできませんね。帰りますか……」

 

 男は興味のない素振りでわざとらしくため息をついた。

 

「待て!」

 

 踵を返す男をしぐれが呼び止める。

 

「何ですかな、お嬢さん?」

 

 

「その手に持つ刀……まさか」

 

 

 しぐれは男が持つ刀に注視していた。

 

「ああ、この刀ですか? つい最近手にいれた刀でして、作られた時期も最近のものですから大したことは……」

 

「ボクに寄越せ……!」

 

 しぐれは刀を抜き放ち全力の気を男に向けて放った。それは辺りの木々を揺らし白石すら叫び声をあげてしまうほどであった。

 

 

「……剣士の持つ刀を見せろ。それがどういう意味かお分かりで?」

 

 

 男はしぐれの気当たりなどまるで意に介さない風にあくまで冷静にしぐれを諭した。

 だがその言葉の意味はつまり手荒な真似をすれば斬るという穏やかなものではなかった。

 

 

 

「お、おい嬢ちゃん! 止めとけ、いくらあんたでも相手が悪い。ありゃ佐部 京一郎(さぶきょういちろう)だぞ!」

 

 男の静かな殺意を感じ取った白石は慌ててしぐれを止めに入った。

 

「佐部……」

 

 しぐれは記憶の中から一人の男を思い出した。それはかつての義父が珍しく酒に酔い上機嫌だった時に口から出た名前だった。

 

 

 

 

『俺も長いこと人斬りを見てきたが、佐部京一郎ほどの人斬りは滅多にお目にかからなかったよ。人斬りなんざみんなイカれちゃいるがああゆう手合いが一番怖い』

 

 

 

 無愛想で無口な義父が酒が入っていたとはいえ他人を誉めるような口振りだったのをしぐれは幼いながらも覚えていた。

 

 

 その佐部京一郎が目の前にいる。

 

 

 

「この世界じゃ新参の嬢ちゃんも名前くらいは聞いたことがあるようだな。知っての通りあいつは日本有数、どころか世界でも稀に見る剣法家よ。こいつの斬殺数は表に出てるだけでも10人や20人じゃきかねぇ。そん中には対複数や対拳銃にも勝ったって話だ。こいつほど人を斬った男は存在しねぇ。裏社会で数々の伝説を打ち立てた正真正銘の人斬りでぃ」

 

 

 白石の説明は佐部京一郎と言う男がいかにどす黒い輝きを放つ剣士なのかを如実に語った。

 

「ははっ……なんのことやら。噂ばかりが先行してしまって困ったものです」

 

 

 しかし佐部はあくまでも知らぬ存ぜぬで張り付けたような笑顔を崩しはしない。

 

 

「それでも……お前の持つその刀剣……改めたい。勝負しろ……!」

「よせやい嬢ちゃん! ぶった斬られるぜ!?」

 

 しぐれの決意は揺るがなかった。それもその筈。しぐれには目的があった。

 

 

 

 

 しぐれの義父は闇の刀匠だった。闇の世界において最高峰の刀鍛冶であった彼は病魔に蝕まれつつも武器を作ることに己の全てを捧げていた。そんなおりに偶然にも孤児であったしぐれを拾い、これまで自分の作った武器で多くの人の命が奪われていることに人間として、父としての贖罪の気持ちが芽生えた。

 彼は死ぬまでその事を後悔しておりその姿を娘として間近で見ていたしぐれは義父亡き後も、彼が作った武器を狩り続けてきた。 

 

 背中に背負う刀、義父の最高傑作である【刃金(はがね)の真実】でもって今日までしぐれは生きてきた。

 

 

 そのしぐれだからこそ感じ取っていた。佐部が持つ刀から発せられる微かな義父の気配に。あれは間違いなく存在してはならない刀だと。

 

 

「香坂さん、貴女の提案するわたしとの勝負。刀と刀。剣士と剣士。わたしに殺人者になれと?」

 

 ある種の殺意まで醸し出すしぐれに佐部は全く動じてもいなかった。

 

「寄越……せ」

 

 だがしぐれも譲れない。しぐれは刀を構え佐部に一歩近づく。

 

 

「……香坂さん。剣とは、武とは、修るもの。貴女がその身に纏う余多の武器と背中の刀……まさかそれら総てが人を殺傷するためだけに身につけたものではないはずでしょう?」

 

「……」

 

 しぐれにの耳には最早佐部の言葉は入ってはいなかった。既に彼女は闘う覚悟を決めていた。

 

 そんなしぐれの覚悟を察してか佐部はやれやれといった風に肩をすくませると刀に手をかけた。

 

 

「困りましたね。わたしの財産である刀を寄越せと刀を向けて恫喝する。わたしは闘う意思はないと言うのにとりつく島もない。逃がしてくれる気配もない。こういう場合はね、香坂さん……」

 

 

 

「……!?」

 

 

 

 

 

「ぶっ殺されても文句は言えねぇんだよ……!!」

 

 

 

 

 

 それまで徹底して穏和だった佐部の態度が変貌した。

 

 佐部の放った気当たりは刃の如くしぐれを貫いた。それは今まで感じた気当たりでも梁山泊の面々に引けをとらないほどだ。

 

 更に170か180㎝程の佐部が刀を手にした途端にその体躯が巨大化した。

 勿論しぐれの気のせいである。この初老の男、佐部京一郎の威圧は、達人の中でも遥か高みにいるしぐれをも萎縮させるほどの危険性の持ち主だと、彼女は自らの心身が伝える恐怖の信号で判断した。

 

「やれやれ悲しいな。あたら若い命が散るのは見たくないがな」

「なにが悲しいだ悪党めッ さっきの作り笑いよりよっぽどいい顔してやがるぜ……!」

 

 白石の指摘通り佐部はそれまでのうすら寒い笑顔から様変わりしまさに鬼面毒笑のように凶悪かつ嬉々とした笑顔を浮かべていた。口とは裏腹にしぐれを殺すことにまるで抵抗感がないかのような素振りである。

 

 

「行く……よ!」

 

 

 

 しぐれは瞬時を勝負を決めようと佐部に斬りかかる。

 

 一瞬で一重に二重に折り重なられた複雑な太刀筋で一気に佐部を戦闘不能にする攻撃を仕掛けた。

 

 

「若いのによくやる。だが……!」

 

 二人の間に火花が散る。

 

「う……そ……?」

 

 

 

 

 一太刀。

 

 

 

 

 佐部はしぐれの複雑怪奇が連撃を僅か一太刀で凌いでみせた。それは力だけでは絶対にできない。剛の中に技がなければ無し得ない絶技。

 しぐれの額に一筋の汗が垂れる。

 

 

「くっ……!?」

「肩を切り落としたつもりだったが……成る程。鎖帷子(くさりかたびら)か」

 

 

 しぐれは突如右肩に走る焼けるような激痛に顔を歪ませる。見ればちょうど右肩の衣服が斬られておりその下に着込んでいた帷子が露になっていた。

 帷子の下の素肌は痛々しく血が滲んでおり、仮に帷子がなければ今頃しぐれの右肩は切断され右腕は一生使い物にならなくなっていた。

 

「……っっ」

 

「痛い、だろうなぁ。竹刀ですら人を悶絶させるのは容易い。帷子の上からとはいえそれが真剣だ。女のあんたにゃ辛いだろう」

 

 佐部の言うようにしぐれは声こそ上げていないが精神は激痛以外考えられなくなり大混乱に陥っていた。体も痛みで身を捩りたい反射にも似た反応を必死で押さえつけ辛うじて構えの姿勢をとっているに過ぎず、控えめにいって大ピンチだった。

 

「どうする? 首を差し出しゃ一瞬で終わらせる……!」

 

 この目の前の男はしぐれが命乞いをしても絶対に許さない、一片の慈悲もなくしぐれの体を両断する覚悟を持っている。

 

「まだ……だ!」

 

 しぐれは犬歯で頬の内側を噛みきった痛みで右肩の痛みを紛らわす。

 口の中に広がる独特の塩気と生臭さに吐き気を感じながら口から出かかっていた悲鳴と共に一気に飲み込む。

 

 

「随分と無理をする。直ぐに終わらせてやろう」

 

 

 しぐれの動作で手荒なキツケを見抜いた佐部は刀を抜き上段に大きく、深く、言葉通り一撃でしぐれを真っ二つにするだけの構えを取った。

 

 

「……っ」

 

 

 

 しぐれも構えを取ろうとするも途端に右肩に激痛が走る。おそらく折れてないまでもヒビや筋を痛めてしまったのだろう。

 

 

「どう構えていいのか分からんのか? いや、最早構えも取れんのか……」

 

 

 佐部の言葉は案外に的を射ていた。

 

 肩の負傷もあるが、それよりも佐部の放つ気当たりと殺意によってしぐれの五体はどうしたものかと考えあぐねていた。

 

「命乞いでもするか?」

 

「……それは、また今度……ね……!」

 

 

 

 

 

 

「ぬん!!!」

 

 掛け声と共に佐部の上段振り下ろしがしぐれ目掛けて叩き込まれる。頭部から股まで真っ二つにし八の字に身体が別れることから八文字と呼ばれる太刀筋。しぐれは刀を上段に両手で構え防御の姿勢をとる。しかしその構えを見た白石はその無謀さに絶望した。

 

 

「無理だ! いくら申し子たって女の細腕じゃあ佐部の剣に叩き潰されるぜ!?」

 

 

 

 そのもっともな意見に刀を振り下ろしながら佐部も同調していた。

 

 ここは開けた境内。隠れる場所はどこにもない。室内だったのならいくらか手はあっただろう。家具や柱を盾に使ったり部屋割りを駆使した撹乱戦にも持ち込める。それこそかつて敗北した要因である畳をひっぺ反して目眩ましにすることもできた。だが、今この瞬間はなにもない。

 

 自分としぐれを遮るものは何一つとしてない。若い頃よりは衰えたところで負傷した右肩で受け止められるほど己の力は衰えていない。

 

 

 

 勝てる! 

 

 そんな感情が心を支配した。が────

 

 

 

 

 確かにしぐれの腕力は剣術と違いあくまでも一般的だ。とてもではないが歴戦の人斬りである佐部京一郎の剛剣と力比べはできない。

 

 故にしぐれは、

 

「香坂流……」

 

「!?? ────消えた?」

 

 佐部の渾身の八文字斬りは不発となった。振り下ろすはずのしぐれが己の目の前からいなくなったのだ。慌てて佐部は周囲を確認する。

 

 

「右ッ! 左ッ! 後ろッ! ならば上か!!」

 

 

 

 佐部の推測通り目の前からいなくなったしぐれは月夜の空に高く舞い上がっていた。それはさながらモノノケの姫のように妖しく美しい光景だった。

 

「ぬ!?」

 

「【香坂流 燕尾旋風(こうかさりゅう えんびつむじかぜ)!】」

 

 

 到達頂点まで達したしぐれは眼下の佐部目掛けてまるでドリルの如き勢いの回転をしながら突貫してきた。

 

 

「猪口才な……ッッ 斬り落としてくれる!!」

 

 

 佐部は一直線に自身にまで高速回転飛翔してくるしぐれを迎撃せんと再び上段に構える。

 

 

「無茶な!? 嬢ちゃんのやつ捨て身で佐部を殺る気か!」

 

 最初の攻撃を躱したまではよかったがこのままでは確実にしぐれは佐部に斬られる。戦いにおいて敵より高い位置に陣取るのは戦の常道だが人間は鳥じゃない。落ちながら闘うなど不可能だ。それをしぐれはなんの躊躇もなく佐部に向かって突撃した。

 

 

「特攻か!?」

 

 

 否、佐部も白石も外れている。

 

 

 梁山泊において相手を殺して自分も死ぬ闘いはあり得ない! 

 おのれを捨てて相手を生かすことこそ真の活人拳である! 

 

 

「終わりだ香坂しぐれ!!!」

 

 

 眼前に迫ったしぐれを佐部はギリギリまで引き付け確実に殺せる位置で遂に刀を振り下ろした。

 佐部の刀はしぐれの頭部目掛けて一直線に振り下ろされしぐれを両断すると思われた。

 

「なに!?」

 

 

 だが違った。

 

 高速で回転するしぐれの技は攻撃と同時に相手の攻撃をいなす防御の技でもあったのだ。

 

 

 

 既に刀を振り下ろしてしまった佐部の胴体はがら空き。笑みは消え驚愕の表情に滲んでいた。

 

 

 

 ここ。

 

 

 ここしかない局面。

 

 決して見逃せないタイミング。

 

 見逃さないからこそ武器と兵器の申し子なのだ。

 

 目標は刀。折ればそれで決着─────

 

 

 

 全身の気を内包した一撃を佐部の刀に打ち下ろす。

 

 

 

 

「─────ッッ甘い!!!」

 

 

 

 

 

 だが佐部も負けてはいなかった。梁山泊のしぐれが自身の命を狙うとは考えにくく足や腕を斬る可能性も低いこの闘い、十中八九己の刀を狙ってくることは分かっていた。

 

「フン!!」

 

「……ッッ!!」

 

 佐部は盛大に刀をしぐれごとカチアゲた。一撃を入れるため回転が鈍ったしぐれはバランスを崩し逆に吹き飛ばされ宙を舞う。

 佐部もまたしぐれの渾身の一撃を刀で受け大きく体勢をよろめかせ刀にはヒビも入るが辛うじて折れてはいなかった。

 

 

 佐部は追撃とはがりに落下してくるしぐれの胴体を斜めに斬る大袈裟で斬りつけた。

 

「うぅッッ!」

 

 しぐれは身を翻し刃先だけが正面をなぞる。帷子で致命傷はないが焼けるような痛みが一直線にその肉体に刻まれる。着地と同時に上着がはだけ帷子越しの肌が露になると今しがたの太刀筋が僅かにしぐれの肌を斬り裂き彼女の血が腹まで滴り落ちていた。

 

 

「いい帷子だッッ!」

 

 

 佐部はこれで終わらせるつもりはなかった。あくまでも佐部はしぐれを殺すつもりなのだ。佐部は刀を引くとしぐれに対して刃先を向けてその堅牢であるはずの胴体を目掛けて一気に踏み込んだ。

 

 

 

「つ、突きだ!」

 

 やはり突いたか! 白石はそう思った。

 

 いくら最上級の鎖帷子でも衝撃までは防げない。現に佐部の攻撃は全て帷子に防がれたがしぐれの肉体にも相当なダメージが伝わっている。

 

 そこで佐部は突きを選んだ。

 

 日本刀は斬るばかりが注目されるが突きの威力も尋常ではない。堅牢な甲冑も容易に貫き人体など豆腐のようにすり抜けるだろう。

 木刀や竹刀といった真剣に比べれば遥かに安全なこれらでも、突きは簡単に人の命を奪う。

 

 佐部ほどの剣士の突きを喰らったのならば帷子を着込んでいても刃の先端は間違いなく命にまで届く! 

 

 

 

「ガァッ!!」

 

 

 佐部の足袋が音を立て大地を噛み締める。勢いよくしぐれを狙う刃が彼女の帷子に突き刺さる。

 

 

「嬢ちゃん!?」

 

 

 勝負あった。

 白石はしぐれの死を覚悟した。

 

 

 

「ふっ────!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 だがしぐれは死ななかった。

 

 

 

「なに! 帷子を!?」

 

 

 

 完璧にしぐれの心臓を突き刺したと思った佐部の刀は、彼女が瞬時に脱ぎ捨てた帷子に絡め捕られていた。

 

 しぐれは佐部の刀が己に突き刺さる瞬間に帷子を脱ぎ去り同時に帷子で佐部の刀を一時的に無力化したのだ。

 

 

「は!?」

 

 

 佐部京一郎、本日二度目の驚愕。

 

 自身の間合いに香坂しぐれが潜り込んだ。帷子を捨て上半身はほぼ裸だがそんなことはどうでもいい。

 

 

 

 刀が使えない。なのに己はしぐれの間合いにいる。

 

 

 

 

 殺られる───

 

 

 

 

 

「【香坂流相剥斬り(こうかさりゅう あいはぎぎり)!】」

 

 

 

 

 

 

 

 

 しぐれが刀を鞘にしまうと佐部京一郎の持つ刀は先ほどできたヒビ元から綺麗にパッカリと斬れていた。

 

 

 しぐれはしかし警戒を解かない。

 

 刀が折れたとは言えまだ小太刀程度の長さはあり十分闘いの続行が出きるからだ。

 だがそんなしぐれの心配は杞憂に終わる。

 

 

「……剣が折れちまった。これは貴女のお父上のファンが作った刀なのですが、やはり貴女のその刀には敵いませんな。香坂さん、私の敗けです」

 

 

 佐部は放っていた闘気を静め刀も納めた。表情も最初のようにまた作り笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 

「……」

 

 しぐれは帷子を失いほぼ裸の上半身を残った僅かな上着で覆いながらも佐部を睨み付けた。

 

「おやぁどうしましたか? 不服そうな顔ですな香坂さん」

 

 

 

 

「……ボクとオマエ……同じ条件だったら……」

 

 

 

 しぐれはこの勝負が己の勝ちだったとは微塵も思っていなかった。

 それどころか敗北感に満ちていた。

 もし防具や武器が同じ条件だったら。そもそも自分が帷子を着けていなかったら今頃死んでいたのでは? 

 

 そんなifが頭の中をぐるぐると駆け回っていた。

 

 

 

「香坂さん、およしなさい。真剣勝負にもしもは存在しません」

 

 そんなしぐれの戸惑いを佐部はハッキリと否定した。

 

「人は刀そのもの。私がナマクラだっただけの話ですよ。いい経験をさせて貰いました。これで拳と剣、合わせて2連敗だ。はは」

 

「お前を……素手で?」

 

 

 

 

 

 まさか。

 

 しぐれはこの男を素手で倒す存在がいたことに素直に驚いた。

 

 

「大昔のことですがね……無礼な若造でしたが今や日本、いや世界一の空手家バカになってます。私の武器はこの剣だけですが彼は全身凶器ですからねぇ~彼なら貴女にも素手で勝てるかも」

 

「香坂流が……最強だい」

 

「ははは、そうですな。では私も次は折れぬ剣を用意しましょう。再びお会いするときは、私を斬らざるをえない資格をもってね……」

 

 

 最後の言葉に、しぐれは少なからずの悲しみを持った。これほどの腕前の剣士とまた腕を競い合いたい気持ちを抱いたが、佐部京一郎はやはり人斬りなのだと。

 

 

「……まだ人斬りはする気?」

 

 無駄とわかってもしぐれは問わずにはいられなかった。

 

 

「……香坂さん。なまくらと達人、名刀と凡人、真の剣士に成るにはこのどちらも欠けてはいけない。そして貴女は幸運にもこのどちらも備わっていらっしゃる。本来ならばわたしなど歯牙にもかけぬほどの実力を持っているのに苦戦したのは何故か。お分かりで?」

 

「…………」

 

「香坂さん、お斬りなさい。遠慮など不要です。その刃で肉に、骨に、……そして命に食い込ませなさい。わたしのように」

 

 

「……」

 

 

「そうなれば、貴女に勝てる剣士はこの世にいなくなるでしょう。香坂さん、剣は人を斬るためのもの。剣士とは人を斬る生きざまそのもの。もう一度言いましょう。お斬りなさい、好きなように」

 

 

「……ボクは誰も殺さない。そう父に誓っ……た」

 

 

 それがしぐれの贖罪だった。多くの人を死に追いやった父を弔うためにせめて自分だけは人を殺さぬと。

 

 

 

「……そうですか。貴女はまだお若いですから此方の世界に来る機会はいくらでもあります。その時は、存分に死合いましょう。では♥️」

 

 

 

 佐部はすぐさまその場から消えてしまった。辺りは森の木々がざわめく音だけが聞こえていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「香坂しぐれを仕留め損なったか」

「伝説と言われた佐部京一郎も枯れちまったな。ガッカリだぜ」

 

 

 佐部が森の中を歩いている暗闇から二人組の男たちが現れた。両者ともに般若の面をつけ帯刀をしており明らかに普通ではない。

 

 

「もともと今回あんたらから依頼されたのは白石国郷との死合い……香坂のお嬢さんが来るなんて聞いていませんよ」

 

 佐部は素っ気なく答えた。

 

「それはたしかに此方も予想外であった。だが貴様は香坂しぐれに敗れたばかりか白石とは剣も交えず見逃した! なぜだ!」

「俺たちが与えた剣もみすみす折られる始末……それ一本にどれだけの労力と金がかかってると思ってんのか」

 

 男たちは苛立ちげに佐部を糾弾した。

 

 

「……ははは。あんたらじゃそりゃ勝てんだろうが白石さんと私とではやらんでも分かりますよ。それにこんなベニヤ板を寄越しておいてなにが闇の刀匠ですか。言っちゃあ悪いですが外面だけの猿真似ですよ。あの娘の持つ刃金の真実には永遠に辿り着けませんね」

 

 佐部は折れた刀を嘲るように見せつけた。

 

「……最初に言ったはずだ、これは見極めだと。貴様は闇に与する気が無いのか?」

「闇ですか……そんなだいそれたもんに興味はあんまりね~~」

「知ってるぜ~お前の起こした事件の数々、すべて有耶無耶となっているが俺たちがその気になれば再び捜査機関はテメーを調べ始めるぞ?」

 

「おや脅す気で?」

 

「我らが闇に属せばそんな些細なことに頭を悩ます必要はない! 久遠の落日まであと僅かだ、そうなれば我ら武器組は再びこの日ノ本で覇権を握り前回の落日の雪辱を晴らすことができる!!」

 

 

 

「……ふふふ」

 

 

 

「ジジイ、なにが可笑しい!」

 

 

「闇もお人が悪い……御大層な理屈並べても結局は人を斬りたいんでしょ? ならホラ、貴殿方の目の前に居ますよ……斬り甲斐のあるものが」

 

 

 佐部京一郎はとびっきりの笑顔を男たちに見せつけた。

 

 

「貴様……正気か?」

 

「闇なんてのには興味はありませんよ。栄光とか、名誉とか、活人剣とか、殺人剣とか……どうでもいいんですよ私は。たま~~に楽しく人が斬れりゃ……ね」

 

 それはまさに狂人の笑みだった。月夜の光と森の影が合わさりまるで鬼のようだった。

 

 

「もういい! こんなイカれジジイさっさと処理してやる!」

「よせッッ 迂闊に踏み込むなッッ」

 

 佐部に斬りかかった若い声の男は、目の前からいきなり佐部が消えた光景が最後の世界だった。

 

 

「まず一人。初段もやれんな」

 

 

 若い声の男は鼻を分け目に真っ二つに切断されその場に倒れた。暗い森のなかで血が流れる音だけが響く。

 

 

「貴様気でも狂ったか! 我ら闇に仇なして無事ですむと思っているのか!」

 

「人斬りなんぞ稼業にしてる時点でお宅もわたしも狂ってますよ。ククッ────」

 

「な、なにが可笑しいのだ?」

 

「いや~~笑っちゃ悪いとは私も思うんですがね。どうして人間てのはこう……真っ二つに斬るとこんなに面白い顔してるんだろうねぇ?」

 

 

 残った男はこの任務についたことを後悔した。上からは比較的まともな男だから安全だと聞かされていたのに、蓋を開けてみれば八煌断罪刃(はちおうだんざいば)の方がまだマシだと思えるほどの狂人だった。

 

 

 もう闘うしかない。そう思い刀に手をかけるとその手が両手ともに無くなっていた。

 

「斬るならとっとと斬らないとな」

 

 

 

 熱ッ─────

 

 

 

 それがこの男が最後に感じた感覚だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なまくらでも包丁代わりにはなりましたか。ま、あとは住職が埋葬してくれるでしょう」

 

 

 

 最初の男とは反対に背中と腹とで分けられ人体を真っ二つに斬られた死体の手足がピクピクと動いていた。

 

 

 

「あのお嬢さんはまだまだ強くなるだろうな。それに殺人剣も身につけたら史上最強の剣士が誕生するはず……ひょっとしたら八煌断罪刃の地位も危ういかも……クク! それにしても香坂しぐれさん、彼女を真っ二つにぶった斬ったらさぞや面白美しいヒラキになるでしょうね。ははは!」

 

 

 

 

 暗い森の奥深くで笑い声が轟いた。

 

 

 

 

 

 正午、梁山泊正面入り口

 

「ただい……ま」

 

「お帰りなさいしぐれさ……ぶはっ!?」

「大丈夫ですの兼一さん! し、しぐれさん格好を考えてくださいまし!!」

 

 

「え?」

 

 しぐれを迎えるために玄関に出たケンイチの目に、ほとんど裸のしぐれのあられもない肢体が入り込み彼の鼻から勢いよく血が吹き出した。

 

 

 

 

 

「ボクを斬るか…………ねぇ、兼一はボクの中……見たい?」

 

 

 問われたケンイチはぎょっとした。

 なぜ目の前の女性は上半身裸でそんなことを聞いてくるのか。考えれば考えるだけ出血が止まらない。

 

 

 

「え!?? いやいや僕はそんなつもりではッ それに僕には美羽さんがおりましてでも見たくないわけでは」

「おいちゃんも見たいね! しぐれどんの秘められた中身を!!」

 

 

 

「ふふ……なぁ~~んちゃっ…………た♪」

 

 

 

 どこからともなく現れた剣星に手裏剣を投げつけながらしぐれはほんの少しだけ、笑った。




今回も宇喜田は表紙グラビアです。
佐部さんはちょっと強くしすぎた気がしないでもないですが刃牙のパワーバランスなんてあって無いようなものですからね!
次回はちゃんと登場しますのでご安心を。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

脱会リンチ!・1

刃牙のアニメ楽しみです。夏放送らしいので今年の夏は熱くなるでしょう。


「よう武田! すっかり左手治ったようだな、良かったぜ」

「ありがとう宇喜田。これも兼一君や岬越寺先生、そして君のお陰だよ」

 

 あの謎の金髪女にメッタクソにノサれた俺と武田は気がつけば岬越寺(こうえつじ)接骨院と言う診療所のベットで目を覚ました。そこでは申し訳なさそうに顔を赤らめている金髪女と武田と何処かで見た覚えのある少年がいた。

 俺が目を覚ましたことに気がついた武田は今のこの状況の説明をした。

 なんでも目の前の金髪女は風林寺 美羽(ふうりんじみう)と言い、武田と一緒に学校の屋上から落ちかけていた少年、白浜兼一(しらはまけんいち)とは友人だという。そこで気を失っている兼一と俺たちを見て勘違いをして逆上し、遅れて気を取り戻した兼一が慌てて自分の武術の師匠が経営しているこの診療所まで担ぎ込んだ。とのことだった。

 

 なんでこんな華奢な金髪女が満身創痍だったとはいえ俺と武田を一方的にボコれるのかほとほと疑問だったが、それよりも診療所の先生、岬越寺 秋雨先生が武田の腕が治ると言ったことでその疑問は消えた。

 岬越寺先生の話を聞いていくうちにみるみる明るい顔をなっていく武田を見て、俺は安心した。これならもう不良なんてもんにはならないだろう。

 その後に続く特殊な整体治療で地獄の悲鳴をあげる武田を他所に俺は白浜兼一に向き直った。

 

「白浜って言ったな。礼を言わせてくれ、お前のお陰で武田は立ち直ってくれた。ありがとよ」

「僕のお陰でなんて……僕はただ喧嘩をしただけですよ。立ち直ったのは武田さんの本質が善人だったからです」

「あったりめぇよ! 武田はいい奴なんだぜ。俺の親友だ」

「ひょっとして……あなたが宇喜田さんですか?」

「ああ、そうだぜ。荒涼高校3年、宇喜田孝造だ。てかなんで俺の名前知ってんだ?」

「武田さんから聞きました。仲のいい友達だって」

「そ、そうか? 参ったぜ、武田はいっつも大袈裟だからな~へへっ」

「良いですよね~友達って。僕なんか美羽さん以外に周りにいるのは人外師匠たちと宇宙人ですから……」

 

「はは! なんだそりゃ。ところでお前どっかで会ったよな?」

「あ、僕もなぜか見覚えがありますね」

 

 武田の処置中に俺と白浜はお互いのことを話し合った。するとよくよく二人で話してみると白浜は地獄の町内周回マラソンで偶に会うタイヤを引きずっていた奴だと言うことが分かった。

 それからは二人でそれぞれの師匠のことや修行の厳しさについて愚痴を言い合ったりしたが、白浜の話は俺の普段の修行や本部師匠が天国だったのだと認識した。いや、マジで白浜はよく生きてるな。尊敬するよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやーよかったよかった! ところでもう授業終わりだろ? 一緒に帰ろうぜ」

「宇喜田、すまないが今日はボクシング部があるから付き合えないな」

「おお! ボクシング部入ったのか、お前みたいな有望株が入りゃ優勝間違いなしだな!」

 

「はは、顧問の富坂先生は元不良のボクを快く受け入れてくれたけどそう楽じゃないさ。入ってみて驚いたけどうちの学校のボクシング部は結構強豪がいるから油断はできないんだ。特に高山って奴はナルシストでいけ好かないが才能は一流なんだよ。まっ、ルックスはボクの方が断トツだけどね~」

 

「へ、へ~」

 

 その高島って奴は案外武田と上手くやれそうな気がする。こいつも相当なナルシストだしな。いや、カッコつけか? 

 

「ま、お前がまたボクシング頑張るのは俺も嬉しいぜ。ラグナレクともキッパリ縁切ってこれで心置きなく専念できるな。俺もこれからは道場だからお互い頑張ろうぜ!」

 

「……そうだね。じゃ、ボクはこれで」

 

 何故か暗い表情を浮かべた武田は俺と別れボクシング部の部室へと向かって行った。

 

(あの野郎……また何かくだらねぇことで悩んでやがんな。明日またあって問い詰めてやるか)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぎゃ!?」

 

 情けない悲鳴をあげて俺は道場の床に叩き落とされた。

 

「力だけで投げにいくな。もっと相手の動きに合わせろ」

 

 本部師匠が俺を見下ろしながら檄を飛ばす。

 

 武田と別れた後、俺は本部師匠の道場で本格的な技の修行をするために本部師匠と組手をしていた。

 結果はご覧の有り様だがな。

 

「どうした、もうギブアップか?」

「こんにゃろ~!!」

 

 見下ろす本部師匠の襟を捕ろうと一気に立ち上がり間合いを詰める。

 

「よっと」

 

 だが掴みかかった俺の手を本部師匠は当然のようにすり抜け強烈なカウンターの当身が俺の顎を打ち抜く。

 

「カッ──!?」

 

 目の前がぐらりと揺れたかと思うといつの間にか俺はもう一度床に倒れていた。立ち上がろうにも手足が痺れ全く力が入らない。

 

「トドメ」

「うぅ……ッ」

 

 床に倒れてなにも出来ない俺の目の前に本部師匠の足が勢いよく落とされる。これがマジの実戦だったら今頃俺の頭はパッカリ砕かれてただろう。

 

 組手が終わり本部師匠と向かい合いながら正座する。まだ頭がグラグラしやがる。

 

「さてと。これで分かっただろ。お前の闘い方は力に頼りすぎだ。武術においてお前の大きな体格はたしかに有利だがフィジカル頼みの闘い方は格下に勝ててもいずれは技術を持つ者に圧倒されるだろう。今のようにな」

 

「うっ……たしかに……」

 

 あの金髪嬢ちゃん、風林寺にノサれた時も俺は俺なりに必死で抵抗したつもりだった。だが俺の手は風林寺に一度も触れることすらできずまるで羽と闘っているような感覚だった。拳を掴もうとすればすり抜け襟を掴もうとすれば逆に投げられ地面に叩きつけられた。

 はっきりいって範馬刃牙と闘った時並みのボロ負けだった。

 

「そこで今日はお前に闘いにおける力の流れを知ってもらう」

「流れ?」

「そうだ。古今東西あらゆる武術家は古来より力の流れを知ることに苦心してきた。膨大で気の遠くなるような研鑽と練磨の果てに武術家たちはその流れを見つけ手にし達人と呼ばれるようになる。それは気でありチャクラであり第六感でありおよそ達人と称される武術家たちはこの感覚をマスターしている」

 

「も、本部師匠も?」

 

「達人になるにゃ超能力の一つや二つ身に付けんとなぁ……!」

「す、スゲェ……」

 

 俺の目には本部師匠が大きくなり眼に鋭い眼光が現れたように見えた。

 珠に本部師匠はスゲー迫力の凄みを醸し出すことがあるが達人っつーのはみんな本部師匠みたいに体がでかくなったり眼が光るもんなのか? 

 

「それをこれから俺が教えてやろうと思ったんだがお前は運がいい。この話をあるお方に伝えたら今日だけお前にご教授くださると言っていただけた」

「誰すか? あるお方って」

「今回限りの特別講師だ。それではお願いします、渋川さん」

 

 本部師匠が合図の声をだすと道場の出入り口が開かれる音が聞こえた。

 

 

「ほっほっほっ。この子が本部の弟子かいな。よろしくな、おデブちゃん♥️」

 

 

 背後からの声に振り替えるとそこには柔道着を身につけた小柄なじいさんが一人のポツンと立っていた。

 

 

「このお方は渋川 剛気(しぶかわごうき)殿。年も武術家としてのキャリアも俺の大先輩で渋川流と呼ばれる合気術の開祖でもある」

 

 

 本部師匠の説明ではその渋川さんはスゲェ武術家だと言っているが今、俺の目の前にいるのは……

 

 

「あ~~~? ……あっ、はいはい。よろしくお願いします」

「え~~~~??」

 

 どう見てもただのじいさんだ。てか普通のじいさんよりも小柄でその辺の小学生にも負けそうだ。それに耳が遠そうだ。

 

「こら。宇喜田、渋川殿に失礼だぞ」

「はははっ、いいですいいです。宇喜田ちゃん、私がそんなに弱そうですか?」

「あぁ、かなり」

 

 ぶっちゃけ合気道と言うのもプロレス以上に胡散臭い。プロレスは花田先輩みたいにな本物がいることは分かっているし、見た目だけなら筋肉モリモリで全員強そうだ。

 それに比べて合気道は地味で貧弱なイメージしかない。俺も柔道をやってるから合気道の理論は少しは理解できるがあんなものは所詮机上の空論だ。

 

 今の柔道界は力の柔道だ。

 小よく大を制するとか合気と呼吸力なんて思想は柔道じゃ幻想でしかない。

 子供の頃、町の柔道教室には背の小さい奴や痩せた奴、世の中で弱いとされるような奴らも結構いた。小さい時はみんな技術も力も団栗の背比べで俺も勝ったり負けたりを繰り返した。だがどんどん時間が過ぎて体が成長していくとそういう奴らが勝てなくなって体が出来上がる頃にはひ弱な奴は一人もいなくなっちまった。

 

「なら闘いましょうか。それが早いってもんだ、おデブちゃんよ」

「誰がデブだ! 俺の体がデカイのは贅肉じゃなくて筋肉だぜ」

 

「かかか! 赤い肉も白い肉も、肉に変わりはねぇよ」

 

 

 その時、渋川さんが巨大化して眼が光った……と見えた、多分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高架線路沿いの狭い道が武田一基の自宅と学校の登下校ルートだった。

 

「…………」

 

 ボクシング部が終わりいつも通りその道を通っていた武田だったが先程から自分の周囲に複数の怪しい気配を感じ取っていた。

 

「誰だい? こそこそしないで出てきなよ!」

 

 武田が一喝するとそれを合図に前後左右あらゆる場所からぞろぞろと不良たちが現れた。彼らは悪意に満ちた笑みを浮かべその手に凶器を持った者も少なくはない。

 

 その中から頭にバンダナを巻いた一人少年が前に出る。

 

「古賀か」

 

 武田はその少年に見覚えがあった。

 古賀 太一。

 武田と共にラグナレク・キサラ隊に所属している不良であり【蹴りの古賀】と言う異名を持つ男だ。

 

「へへーん! ラグナレクを抜ける者は例外無く脱会リンチって決まってるのにバカだよね~。突きの武田ももうおしまいだよ」

 

 ラグナレクには鉄の掟が存在している。

 来るものを拒まず、しかして去るものは許さず。

 それがこの脱会リンチである。今までただの一人としてラグナレクを抜けて無事で済んだ者はおらず、構成員たちから恐れられ結果的に結束をより強固なものとしている。

 

「古賀、君が出てきたってことは当然あの娘もいるよね~。そうだろキサラちゃん!!」

 

 武田の声に呼応したかのようにブロック塀の上に一人の少女が現れた。

 

 帽子を被りTシャツに片方の足が破れたダメージジーンズを履いた特徴的なその少女は名を南條(なんじょう) キサラ。

 ラグナレクに8人存在する大幹部、八拳豪(はちけんごう)の一人であり北欧神話において戦場で戦士たちの魂をヴァルハラへと導き勝敗を決する【ヴァルキリー】の称号を持つ武田の元ボスであった。

 

 

「やぁ、キサラちゃん♪ こんな路地裏で待ち伏せなんて中々古風な告白じゃな~い?」

 

 武田はキサラに向かってキラリを歯を見せながら軽口を叩いた。

 そんな武田の態度を見てキサラが不敵に嗤う。

 

「相変わらずふざけた奴だね。でも今回ばかりはおいたが過ぎたよ。ラグナレクを抜ける者は脱会リンチで制裁する。それがルールだ!」

 

 武田の周りを取り囲む不良たちが徐々に包囲を狭める。キサラの合図で一斉に武田を襲うつもりなのは明白だった。

 

 顔には出さないが背中は冷や汗で濡れている武田はポケットから携帯を取り出した。

 それを見て不良たちは通報されるのではとたじろいだがキサラは至って冷静だった。

 

「なんだい警察でも呼ぶ気かい? 無駄なことさ、この場を切り抜けたところでラグナレクを裏切った罪に時効は無いよ!」

 

 キサラの言うことはその通りだと武田も思っていた。ここから逃げ出せても根本的な解決はありえない。キサラたちにも面子がある。造反者を野放しにしてしまえば内にも外にも示しがつかないのだ。これはもうどちらかが潰れるまで続くそういう戦いだ。

 

「フッ──」

 

 武田の持つ携帯の中には恩人である白浜兼一(しらはまけんいち)や親友である宇喜田孝造(うきたこうぞう)の連絡先が入っていた。おそらくあの二人ならば一も二もなく自分を助けに来てくれるだろうと確信にも似た友情を感じていた。

 

 

 だが、しかし、

 

 

「──勘違いしてもらっては困るな。ちょうど新しいのに買い換えようと思ってたのさ!」

 

 武田は手に持っていた携帯を放り投げた。

 

 武田にとってこれはあくまでも個人的な問題でありそれにケンイチや宇喜田を巻き込むことなど彼の選択肢には初めから無かったのだ。

 

「ハン! いい男だね~。お前ら、やっちまいな!」

 

 キサラの合図で不良たちが一気に武田目掛けて押し寄せる。

 武田は完治したばかりの左手を握りしめファイティングポーズをとり覚悟を決める。

 

「来い!!」

 

 全ては自分一人でケリをつける。そんな悲壮な覚悟を持った武田だったが、投げ捨てた携帯が偶然にも白浜兼一の携帯に繋がったことを彼は知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゼーッ……ゼーッ……ゼーッ」

「カッカッカッ! どうしたおデブちゃん、もうバテたか? 走り込みが足らんぞ~」

 

 肩で息をする俺を嘲笑うかのように、じいさんは俺に密着するほど近い背後から話しかける。

 先程から始まったじいさんとの組手は俺が攻めて攻めて攻めまくっているが一本どころか未だ有効や技ありすら取れない。ちなみに審判は一応本部師匠が務めているがほとんど我関せずだ。

 

「ひょひょひょ~♪ 鬼さんこちら~手の鳴る方へ~♪」

 

 しかもこのじいさん、組み付こうにもまるで俺の体をすり抜けるように身を躱され開始から10分は経ったが指一本も触れられない状態が続いている。

 

(な、なんなんだよッッ このじいさん! 妖怪か! 妖怪なのか!?)

 

「考えごとかい。どうでもいいが足元がお留守だよ」

「おわっ!? ぐぇ……ッッ」

 

 強烈な足払いで俺は一瞬宙に浮き真横に倒れる。受け身はとれたがそれでも頭がグラグラするほどの衝撃と、こんな小さなじいさんに好き勝手に合気なんて眉唾でコテンパンにされてることの衝撃で気を失いそうだった。

 

 

「かかっ……! なんじゃ? 本部の弟子って聞いたから期待したが案外とろい兄ちゃんだな。本部も見る眼がないのう~」

「……お恥ずかしい」

 

 畳の上に突っ伏しながら本部師匠の申し訳なさそうな声が聞こえ流石にカチンときた。

 

「本部師匠は悪くねぇだろ! この野郎!」

「お?」

 

 怒りの瞬間エネルギーをバネにして畳の上を這うように俺は素早くじいさんの片腕の袖に飛び付いた。

 

「捕ったぜ! 俺の勝ちだじいさん!!」

「なんでい、やればできるじゃねぇかよ」

「へっ! 避けるのが上手くたって一度掴んじまえばこっちのもんだぜ! 覚悟しな!!」

 

 俺は一気にじいさんの袖を引き寄せ一本背負いの姿勢を取った。

 

(極った! 自分で言うのもなんだが最高の形だ! 一本もらうぜじいさんッッ)

 

 じいさんの体重が背中越しに伝わってくる。まるで流れるように、数十キロの人間をふわりと投げる感覚はいつ感じても堪らない。これだから柔道はやめられない。合気道なんてのは結局柔道より弱い非実戦武術だぜ。

 

「武術家の……それもおいらの袖を取って無事ですむわけねェよなぁ……宇喜田ちゃん」

 

 耳元で何かじいさんが呟いたがどうでもいい。もうじいさんの体はあと数十センチで畳に激突する。文句なしの一本だ。

 

 俺は構わず最後の一押しをしたがその時不思議なことが起こった。

 俺は間違いなくじいさんを一本背負いで畳に叩きつけた。叩きつけたはずだったんだ。

 なのに何故か畳に人がぶつかる聞き慣れた音が聴こえない。

 

 

(足だ。 

 

 足が畳に着地している。

 

 

 誰のだ? 

 

 

 じいさんの? 嘘だろ──)

 

 

 直後俺の体は重力から解放された。それまで一本背負いのためにガッチリ踏みしめていた道場の畳が何故か消えた。

 

 浮いた。

 

 どんなマジックを使ったのか知らないがじいさんに一本背負いをかけていると思ったらいつの間にか俺が一本背負いをかけられていた。

 信じられるか? 80キロの俺を背負ってるんだよ、このじいさん。

 

 

(あれ? 

 

 なんで俺、天井見てんだ? 

 

 

 だって俺は今じいさんを投げてるのに……あれ? 

 

 

 ……ひょっとして……投げられてるのって……)

 

 

 

 

「~~~ッッ!?」

 

 今日一番の快音が道場に響き本部師匠が一本を告げる。俺は背中に伝わる衝撃で全身の内臓が飛び上がり脳が揺れた。

 

「お見事な一本です。流石は渋川殿」

「ははっ、若いってのはいいねぇ。警察連中はみんな私にビビって本気で向かってこねぇからよぅ」

 

 じいさんは心底残念そうに首を振った。だが俺はそれどころではなかった。

 

 

「……カハッ…………ェェ……ッッ」

 

 

 急激なGでせりあがった俺の横隔膜は肺を押し潰し息が全く出来ない。そして胃袋もまたGによるパニック状態に陥り食道を通過し口腔内に内容物を逆流させた。

 

「吐くなら便所で吐け」

 

 便所までヨロヨロと這っていく俺の後方から爆笑するじいさんの笑い声がいつまでも聴こえた。

 

 その声を聞きながら便器に突っ伏す俺は、いつか絶対に一本を取ってやろうと心に決めた。

 トイレの中なのは格好がつかないが……

 

 

 

 

 

 

 

「しっかし不思議だぜ。じいさんみたいな小っせぇ体でなんで俺を投げ飛ばせるんだ? ひょっとして実はマッチョ?」

 

 トイレでスッキリした俺はさっき投げられたことが納得いかずじいさんに詰め寄った。

 

「ほほっ。私の細腕じゃ瓦も割れんよ。宇喜田君や、この手を握ってみぃ」

 

 そう言うとじいさんは立ち上がり右手の人差し指を俺の前に突き出した。促されるまま俺も立ち上がり右手でその指を握ると渋川さんがニヤリと笑い次の瞬間俺の両膝がガクンと潰れた。

 

「え!?」

 

 まるでいきなり両肩にウエイトリフティングのバーベルを乗せられたような感覚だった。実際は勿論俺はじいさんの人差し指を握ってるだけだし、じいさんはただ人差し指を俺に握らせているだけで何もしていない。

 

「な、な、なぁ!?」

 

 驚き反射的に手を離そうともしたが何故か、どうしても手が離せない。そして見えないバーベルの重量はより重くなり俺は歯を食い縛る。端から見たら完全に変人だ。

 そんな俺の反応をまるで楽しむようにじいさんはニヤニヤ笑っている。

 

「おお、よく耐えるの。なら次は上だ♪」

「え? おわッッ!??」

 

 

 信じてほしい。俺の足を地面が蹴り上げた。本当なんだ。

 

 それまで肩に乗っていた見えない重りが一瞬で消えたかと思うと俺の体は重力を無視して天井に向かって跳ね上がった。

 

「出血大サービスじゃッッ 回れ~~!」

 

 ようやく手が離れたと思ったら俺の側頭部をじいさんが勢いよく弾くと俺は─────

 

「うわぁぁぁぁ!!?」

 

 ────回った。風車みたいにクルクルと。だから本当なんだって。

 

 

 

 

 

 

「今夜はもう……飯食えねぇな……うぇ」

 

 回転が収まり2度目の便所から帰ってきた俺はじいさんの力の流れについての講義を受けた。

 

「流れを読むだけじゃ4流。本物ってのは自分は勿論のこと相手の力の流れを掴んで操るのよ。今のがまさにそれだな」

「流れ……ッスか」

 

「単純に指を握る動作だけでも人間は身体中の筋肉、骨、神経を複雑に操ってる。しかも無意識でな。私の合気道はレスリングや柔道よりもその無意識を意識して操る。人間の反射ってのは本能だ。そこを突かれりゃどんな達人もただの人間だ」

 

「な、なるほど~~~ッ」

 

 強烈すぎる体験学習はしっかりと俺の脳裏に刻まれすんなり理解できた。何をされたのかはさっぱり分からないがメチャクチャ凄い技術なのはなんとなくでも体感で分かる。

 

「合気道の基本は死なず殺さず、だ。宇喜田ちゃんもスジは悪くねぇ。今日のことをしっかり意識して喧嘩しまくりゃそのうち掴めるよ」

「マジか!? 俺も本部師匠やじいさんみたいになれるのか!」

「調子に乗るな宇喜田。その為にはもっと血を流せって意味だぞ。渋川殿もお人が悪い」

「有望な若者を見るとつい崖から突き落としたくなってよ。この年になると師匠の気持ちがようやく分かってきたのよ、私はちょいと厳しめだけどね♥️」

 

 特別講義が一段落した頃、俺の携帯が着信を知らせた。発信元を見ると白浜からだった。

 白浜とは武田との一件以来同じ武術を志すものとして息も合って連絡先を交換していた。

 

「スンマセン、ダチからの電話なんで」

 

 非難めいた本部師匠の冷たい視線を背中で受けながら携帯の応答ボタンを取る。

 

「全く……礼儀作法はよろしくないな」

「良いじゃねぇかよ本部。あのぐらいの年頃の友人は大事じゃよ」

 

「もしもし、白浜か? 今修行中だから急用以外は後にして──」

 

 飯の誘い程度なら後でかけ直そうと思っていたが電話越しから聴こえる白浜の様子は明らかにただならぬ気配だった。

 

「宇喜田さん! 武田さんが危ないんです!!」

「なに武田が!? 詳しく教えてくれ白浜!」

 

 白浜の話によると武田は今この瞬間にラグナレクの連中に襲われているようだとのことだった。

 

「あのカッコつけ野郎……脱会リンチがあるなんて一言も言わなかったじゃねぇか」

 

 今日、武田と別れる時に少し様子がおかしかったのもそのせいだと今なら分かる。

 

「宇喜田さん! 武田さんの帰り道で高架線路がある場所を知ってますか? そこで武田さんが襲われてるはずなんです!」

「それなら知ってるぜ! 前に一緒に帰ったとき高架線路があったぜ!」

「本当ですか!? なら場所を教えてください、僕が助けにいきます!」

「バカ野郎ッッ 俺も一緒に行くぜ!! あいつはやっとボクシングを取り戻したんだ、脱会リンチなんかであいつの夢を壊させやしねぇ!」

 

 白浜と落ち合う場所を告げ電話を切ると俺は急いで身支度を整える。

 

「ダチがピンチなんで助けに行きます! 本部師匠! じいさん! 今日はありがとうございました!!」

 

 止められても行くつもりしかないので俺は応えを待たずに道場を飛び出した。




出来れば大擂台賽もアニメでみたいです。動く海王(笑)・海皇をこの目で見たいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

脱会リンチ!・2

長くなってしまったので二つに分けました。
私の執筆速度がマッハになったわけではありませんのであしからず。


 宇喜田が飛び出ていった扉を見つめる本部と渋川の二人。本部はやれやれといった風にため息を吐き、渋川は嬉々と笑っていた。

 

「慌てん坊め……青い奴だ」

「若いうちはあれで十分じゃろ。真っ直ぐな芯を持った気持ちのいい青年だ、いい弟子取ったな本部」

 

「なら渋川殿も弟子を取られますかな?」

 

 暗に貴方も苦労してみろという皮肉に渋川は頭に手を当てる。

 

「応、と言いてぇが師匠の才能はあんましねぇんだよなこれが。久賀舘(くがたち)さんみてぇに自分を抑えるのは下手糞でね」

 

「ははっ、伝説のあの方と比べられたら流石の渋川殿も形無しですか」

 

「おうよ。活人拳なんざくだらねぇって若ぇ時に息巻いて喧嘩吹っ掛けたらそりゃもうけちょんけちょんにされたぜ。あんなに徹底的に優しくブッ飛ばされたのは生まれて初めてだったよ。死合い相手に情けかけられちゃ武術家もおしめぇだとも思ったが……今じゃ茶飲み友達だ。人生不思議だぜ」

 

「まさか……あれは事実だったのですか?」

 

 本部としては目の前にいる武の巨人に打ち勝つ者など世界を見渡しても範馬勇次郎か風林寺隼人くらいしか思いつかぬ為、伝え聞いた合気 渋川剛気が杖術 久賀舘 弾祁(くがたちだんき)に死闘の末敗れた噂を半信半疑と思っていたが、その当事者に面と向かって言われれば納得せざるを得なかった。

 

「おうよ、気の良いじいさんじゃよ。今じゃ私もじいさんだがな、はははは!」

「……まさに人に歴史ありですな」

 

「所で本部よ。宇喜田ちゃん心配にならんか? 喧嘩に行くらしいぞ」

 

「弟子クラスとは言え仮にも本部流の武術家。そこいらのチンピラにやられるような柔には育てていませんよ。それに、やられてしまえばそれまでの男だったと言うことです」

「厳しいのう。見に行かんでいいのかい?」

「所詮は子供同士の闘い……見らんでも分かりますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「宇喜田さん、お待たせしました!」

「おせーぞ白浜! 武田はいたか!?」

 

 白浜との合流地点でヤキモキと時間が流れることに歯噛みしていると、ようやく白浜と例の金髪女、風林寺も一緒に現れた。

 

「美羽さんが見つけました!」

「兼一さん、宇喜田さん、こっちですわ!」

 

(頼む! 無事でいてくれよな……武田ッッ)

 

 逸る気持ちを押さえきれず先導の風林寺を追い越しそうになりながら俺たちは武田の元へと走った。

 

「もうすぐですわ、準備なさってください!」

 

 風林寺の言う通り前方の暗い夜道から騒々しい悲鳴や怒声が聴こえてきた。

 

 更に進むと人だかりが見え、一目で分かる柄の悪さはラグナレクの兵隊で間違いない。そしてその中心には地面に倒れ伏し周りから容赦ない暴力を振るわれている武田がいた。

 

「武田ッッ!」

「武田さん!」

 

 俺と白浜が叫びラグナレクの奴らに殴り込んだのはほとんど同時だった。

 

「な、なんだテメーら──グワッー!?」

「どこのチームだこいつら──グワッー!?」

「あっ! お前宇喜田じゃん。この蹴りの古──グワッー!?」

「は、速い!? しかも強す──グワッー!?」

 

 ぶっ飛ばしたのに一人見知った奴がいたような気がしたが今そんなことはどうでもいい。

 

「兼一さん、宇喜田さん! 武田さんは気を失ってるようですが無事のようですわ!」

 

 武田に駆け寄った風林寺の言葉を聞いてとりあえず安心した。武田はまたボクシングが出来なくなってしまうことはないようだ。

 

 だが、武田が無事だからと言って俺と白浜の心は平穏ではなかった。

 

「宇喜田さん……僕は今とても頭にキテます……!」

「奇遇だな白浜、俺もだ。久々に頭に来たぜ……!」

 

 もし、武田が一対一で喧嘩に敗けたのならそれは武田が弱かったからだ。武田が弱いせいだ。それで俺が相手に仕返しするのはお門違いだ。仮に俺がタイマンで負けたとしても、間違っても武田や白浜に仕返しなんぞしてほしくない。自分の敗けは自分で返すのが男ってもんだ。

 

 だがこれは違う。

 

 武田はたった一人で懸命に闘ったのに対してこいつらラグナレクは大勢で取り囲んで武器まで使いやがった。

 

「こんなのは……こんなのは……喧嘩でも男の闘いでもねぇ! テメーら全員覚悟しやがれ!!」

 

 

「くっ……や、やっちまえ! 相手はたかが3人だ!」

 

 

 一人の合図で不良どもは一斉に俺たちを敵と認識し襲いかかってきた。本部師匠と出会う前の俺なら流石に勝ち目のない数だが今の俺はその頃よりかは成長し、白浜と風林寺と言う頼もしい仲間もいる。それに何より……

 

「ウオオオオ! テメーらの血は何色だ~~!」

 

 俺は怒りに燃えている。たとえ放水車を持ってきてもこの炎は消せない。

 

「囲め! 囲んで袋にしろ!」

 

「ちっ、臆病連中が……!」

 

 

 白浜たちを置いてきぼりにして突出した俺の周りを十数人が取り囲む。金属バットやチェーンを持った奴もいる。

 

「へっへっへ~~終わりだぜテメー。ラグナレクに楯突いた報いを受けな!」

 

 大人数相手の喧嘩も何度かやってきたがそれでも少し数が多い。

 

「宇喜田さん! 今そっちに行きます!」

 

「よせ、白浜!」

「でもッッ」

 

「心配すんな、こんな奴ら……」

 

 俺は本部師匠の教えを思い起こした。

 

 

『いいか宇喜田。多人数で喧嘩を売られたら基本的には逃げろ。そんな奴等に付き合う義理はない』

『でも逃げるのはカッコつかねーっつうか……』

『確かに逃げてはいけない時もある。そんな時は兵法を使え』

『兵法?』

()の宮本武蔵も身に付けていた闘いの極意だ。今回お前に教えるのは、相手が多人数の場合はまず数の有利を殺せ、だ』

 

「俺一人で十分だぜ」

 

 

「今だ! 一斉にかかるぞ~~!」

 

 集団が勢いよく俺に向かって殴りかかった。

 俺は防御や攻撃の姿勢を取るよりも先に、襲いかかってかる不良たちを観察した。

 

「一番近いのは──お前だ!」

 

 直ぐ様、最も俺に近づいていた不良を得意の肩車で投げ飛ばす。

 

「グワッー!?」

「うお!? バカ野郎、邪魔だ!」

 

 それだけに留まらない。わざと次に俺に近い不良目掛けて肩車で背負った奴を投げつけた。

 

「テメーも邪魔だぞ! 退け!」

「イテッ 周り見ろ! 俺に当たったぞ!?」

「バカ! お前こそアブねぇよ!!」

 

 すると面白いように足並みが乱れた。俺が手を出したのは肩車した不良と投げつけた不良の二人だけだが残りは勝手に自滅したり足を引っ張りあっていた。

 

「な・る・ほ・ど・ね♪ 相手が大勢でも連携を取れなくさせて一対一に持ち込めば関係無いってことか、やっぱ本部師匠はすげェな!」

 

 それまで感じていた集団の圧力はかき消えた。そこにいるのはただのチンピラども、今の俺の敵じゃない。

 

「お前で最後だな」

「お、おい! お前らいつの間にやられてんだよ!?」

「反省しな!!」

 

「グワッー!?」

 

(……やっぱり投げの威力上がったよな? 結構暴れたのに全然バテもしねぇ……これが修行の成果ってやつか!?)

 

「……す、凄い!」

「宇喜田さん……やりますわね」

 

 白浜と風林寺が俺の活躍に驚いているがお前らもだいぶ凄いと言いたい。 

 白浜、お前なんでそんなに小さいのにパンチで人間吹っ飛ばせるんだ? 

 風林寺も一度のパンチやキックで確実に二人以上倒してるぞ? 

 あれ? 風林寺はともかく白浜も俺より強くねーかこれ? 

 

「な、なんて強さだ!?」

「後ろの二人もヤバイぞ!」

「ひぃ! 化け物たちだ!!」

 

 まだまだ敵は大勢いたが、俺たち三人の奮闘を見た不良たちの戦意は既にだた下がりで今にも逃げ出しそうだった。

 

「逃げたきゃ逃げな! だが、今後2度と武田に関わるんじゃねぇ!」

 

「ひぃ……コイツらやべぇよ……」

 

 

「なんだなんだい、相手はたかが3人だろ!? だらしないね、アタシが相手してやるよ!」

 

 勝った、そう思った俺に冷や水を浴びせるような高い声の主が不良たちの前から出てきた。海が割れるように不良たちが道を開けるその様は声の主がコイツらのボスだと言うことを示している。

 出力不足のオンボロ街灯の暗い光でその顔は見えないがたちの悪い不良たちを束ねているボスにしては思ってたより小柄だ。

 

「オメーがラグナレクの頭か! ならこの落とし前つけてもら…………あれ?」

 

 近づいてきたボスの輪郭が段々と明らかになっていくと俺は妙な違和感を覚えた。

 どうにも敵のボスが赤の他人に思えない。それどころか俺はこいつを、いや、彼女を知っている。そんな、まさか……

 

 

「……宇喜田?」

「キ、キサラ!? なんでこんなとこに、なんで武田と闘ってるんだよ!」

 

 

 俺の目の前にいるのは初恋の女、南條 キサラだった。ピンと立った髪の毛に猫のようなつり目がチャームポイントの美少女。こんな状況じゃなければ即あらゆる方法を駆使してアタックをかけるが今は別だ。

 

「……そっちこそ。なんで武田なんぞ助けるんだい?」

「た、武田は俺の親友だ! みすみすリンチなんてさせるか!」

 

 キサラは俺と二人で会ったときとはどこか別人のような擦れた瞳で俺を見据えていた。

 

「チッ……そうかい。アンタ、武田の仲間だったのかい。あーあ、世間も狭いねぇ……」

 

 キサラを帽子を深く被り直した。その表情は見えない。

 

「いけませんわ! まだ喋っては……」

「う、宇喜田……!」

 

 背後で意識を取り戻した武田を風林寺が制止した。痛めつけられ切り傷や青あざが痛々しいが武田はそれも構わず俺に告げた。

 

「武田! 無事か!?」

 

「き、気をつけろ。そいつは、南條 キサラは、ヴァルキリー……ラグナレクの幹部、八拳豪だ!!」

「なんだって!? 嘘だろ!」

 

「……はん! 今頃気づいたのかい? そうさ。アタシはラグナレクの八拳豪の一人、【第八拳豪ヴァルキリー】南條 キサラだよ!」

 

 

 衝撃の事実だった。

 

 平日の昼間っから未成年が町をぶらぶらしていたから俺と似たような境遇なのかと思っていたがまさかラグナレク、それもそこの幹部だったとは……

 

「キサラッ! 理由は知んねーがそんな奴らとは縁切れ! お前は優しいやつだろ!? あの公園の時だって……」

 

「さっさとその口閉じないとぶっ飛ばすよ?」

 

 

 風を切る音が聴こえたかと思った次の瞬間、俺の鼻先にキサラのブーツの爪先が突きつけられていた。

 

 

「────ッッ!?」

 

 

 見えなかった。辺りは暗く油断してたとは言え攻撃されて初めて反応がやっとできた。

 意中の相手の意外な一面に更に惹かれると共にこれまで倒してきた雑魚とはレベルが一つも二つも上なのだと畏怖した。

 

 そんな中、ラグナレクの兵隊たちからまた一人の人影がキサラの後ろに控えた。俺はまたまたそいつに見覚えがあった。

 

「キサラ様、ここは私が」

「ああ!? テメーは白鳥!!」

 

 そこにいたのはあの憎き白鳥 かおるだった。

 ラグナレク、キサラ、白鳥、すべてのピースが俺の中で繋がった。

 

「そ、そうか! テメーがキサラをたぶらかしやがったんだな!」

 

 恐らくこの鬼畜外道のイケメン白鳥は純粋無垢なキサラを口八丁手八丁でラグナレクに誘い込んだんだ! 

 

 ひーひっひっひっ! キサラちゃん、ラグナレクに入れば友達たくさん出来て楽しい青春が送れるよ~~! 

 

 ホントに!? 分かった入る♪ 

 

 みたいなことがあったに違いない。

 ホームズも納得の完璧な推理だ。間違いない。

 

「テメー白鳥! ゆるさん!!」

「ふっ。あの公園で出会った時と同じく相変わらずマヌケな男だ」

 

 男とは思えない透き通る高い声が俺を小馬鹿にする。イケメンは声までイケメンなのかと余計な所で更に俺の怒りは勢いを増した。

 

「うるせぇ! こうなりゃテメーをぶっ倒してキサラをまともな道に連れ戻してやる!」

「望むところです!」

 

「待ちな、白鳥!」

 

 

 俺と白鳥が互いに構えいざ闘いの火蓋が切って落とされようとした時、キサラが間に割って入った。

 

「キ、キサラ様?」

 

 戸惑ったのは俺だけではなく白鳥もだった。

 

「こいつは……宇喜田はアタシの獲物だよ」

「で、ですがキサラ様にそのようなお手を煩わすことは……」

「いいからお前も後ろの二人を相手してな! 奴ら相当できる。それともアタシがアイツに負けるとでも思ってるのかい?」

 

「……分かりました」

 

 ついさっきまで俺に殺気を向けていた白鳥はキサラの命令で俺を素通りして白浜たちの方に向かい、それに連れられて残りのラグナレクの連中も追随した。

 

「あっ、コラ待て白鳥! 俺と闘え──グハ!?」

 

「だからアンタはアタシが倒すって言っただろ? 余所見すんなよ」

 

 白鳥を追いかけようとその背を向いた瞬間、俺の脇腹に強烈なキサラの蹴りがメリ込み道の脇にあるブロック塀まで叩きつけられた。

 いきなりの不意打ちに驚くと同時に、80キロの俺を渋川のじいさんみたいに合気じゃなく、単純なパワーで吹っ飛ばしたその威力にも驚いた。

 

「武田の奴は少しは頑張ったけどアタシには勝てなかった。ボクサーのクセにアタシに一発も当てることもなく無様に負けたんだよ。アンタはそんなアタシに本気で勝てると思ってるのかい?」

 

「く……!」

 

 脇腹に手を当て状態を確かめる。どうやら折れてはいないようだった。日頃本部師匠や花田さんやノムラさんにボコられたからタフになりました! ってのは何処か釈然としないが今は師匠たちに感謝だ。

 

「止せよ、キサラ。そんな悪どい台詞、お前には似合わないぜ?」

「やだやだ、男ってのは弱いくせにすぐ気取る。そう言うのはアタシを倒してから言いな!!」

 

 キサラがアスファルトを蹴り上げ俺に飛翔してくる。所謂【跳び膝蹴り】だ。ただの回し蹴りでこの威力だ。あんな物を喰らったら最後、意識としばらくおさらばになっちまう。

 

「ぬおおぉぉぉ!」

 

 間一髪、 なんとか立ち上がり両手をクロスさせてキサラの膝蹴りをガードする。ミシリ、と骨が軋む感覚を感じたがどうにかガードに成功し息を吐いた直後、俺のコメカミに何かが直撃した。

 

「ハッ! それで防いだと思ってたのかい! 膝は囮だよ!!」

 

 何処か遠くで聴こえるキサラの声を余所に俺は考えあぐねていた。

 

(やベーな……このままだとやられちまう)

 

 今の一撃で分かった。ハッキリ言ってキサラは俺より強い。あの猫を愛する可愛いキサラがまさかこれほどの強さだったのは予想外だったが、流石は武田の元ボスなだけはあるとも思った。

 

「この領域に足を突っ込んだらアタシは容赦しない。けどアンタとはたしかに知らないなかじゃあない。だから最後の情けだ、とっとと家に帰りな!」

 

 正直言ってどうやって勝てば良いのかさっぱり分からなかった。そもそも惚れた女を殴るなんて選択肢、俺は絶対に選べない。出来れば投げたくもないが殴るよりかは安全だし柔道の不殺の流儀にも合致しているので投げりゃいいじゃないかとなる。だが言うまでもなく投げるためには手が必要なのだが蹴りのリーチには敵わない。仮に柔道で蹴り技が解禁になったらきっと誰も投げ技なんてやらない。蹴りのオンパレードだ。そして相手がキサラとなるば触れるのも難しい。実際キサラは俺の間合いを読んでギリギリ手が届かない場所に立っている。格下の俺にも油断してない証拠だ。無理やり俺が間合いを詰めても即座にあの強烈な蹴りで迎撃されてお仕舞いだ。これじゃ万に一つの可能性もない。

 

 

「……ゲホッ……へっ!」

 

 

 だが、

 

 

「武田がお前に敗けた? そりゃそうだ、あいつはカッコつけだからな! ()()()()を殴れなかったんだよ!!」

 

「……あ"ぁ?」

 

 

 だからといって、

 

 

「来いよキサラ! 俺がお前に勝ってこのくだらねぇ闘いを終わらせてやる!」

 

 

 ここで引き下がったら()()()()()

 

 

「忠告はした。2度は無い……後悔しな!!」

 

 

(うおぉ……き、来た~~!!?)

 

 アスファルトが欠けるほどの踏み抜きから放たれたキサラの迫り来る跳び蹴りを眼前にしながらも、俺にこのピンチを打開するナイスなプランなど一切無かった。

 避けようにもさっきの脇腹とコメカミへの蹴りのダメージがここに来て俺の下半身を殺していた。防ごうにも恐らくあの蹴りの勢いじゃガードごとぶち抜かれてやられるだろう。まさに八方塞がり、つい売り言葉に買い言葉でキサラを挑発してしまった為に招いた自業自得なピンチだった。

 

 

スゲー勢い!    避けるッッ 無理だ  

 

やっぱ可愛い  骨折…………帰宅

 

 ガード……無駄か……

 

 ブーツ……痛そう……似合ってるなぁ……

 

……死ぬ……『()()()()()()()()()()()()()』)

 

 

 思考の海から顔を出したじいさんの言っていた言葉。それがあったからなのか、それともおれ自身の反射的な動きだったのかは分からない。

 だが、この時、俺の右手はまるでそこに蹴りが来ると分かっていたかのように、吸い込まれるかの如くキサラの蹴り足を掴んだ。

 

(や、やった!! 掴めたぞ!!! だが、どうする!? ここから……!)

 

 妙に頭が冴えていた。

 視界がクリアになって周りの時間がゆっくりと流れ、俺以外の人の動きが酷く緩慢な物へとなっていた。

 

(スゲェ力だ。片手じゃとても押し返せねぇ……だがそれならどうやってこの蹴りを防ぐ? たしか……渋川のじいさんは……力の流れを……)

 

 改めて右手で掴んでいるキサラの蹴り足に意識を集中させるとじいさんの言っていた意味が分かった。

 

 

 感じる。

 

 確かに感じる。

 

 キサラの足首から伝わる直線のパワーだけじゃない。

 

 

(スゲェな。(すじ)に筋肉……これは骨か? 俺の手から伝わるキサラの足はいろんな力が蠢いてやがるッッ ブーツ越しでも分かるぜ、まるで生き物みたいに……いや、そりゃ生き物だけど……とにかく、蹴りっていう単純な動作にこんだけ力の配分があるもんだったのか!?)

 

 本部師匠が前に言ってた。

 人間の動作は複雑であり筋肉と神経と骨とが綿密なコミュニケーションを通して動いてる。指一本動かすだけで脳から伝わる電気信号は脊髄を経由して指の運動神経に到達する。そこから筋肉を動かす信号が伝わり無数の筋繊維が収縮、そこに骨がつられ関節を稼働させてようやく指が動くと。

 

(押し返すのは無理だ……圧倒的なパワーにこっちが真っ向から立ち向かっても勝機は薄い。それがキサラ相手ならまず負ける。なら……俺にできることは……信じるぜ、じいさん!)

 

「終わりだァ! 宇喜田ッッ!」

 

 俺が作戦を決めたと同時に、急激に時間が進む。キサラは俺に蹴り足を掴まれたのに構わず突っ込んでくる。その考えは正解だろう。きっと今までも屈強な男をその足でぶっ倒してきた経験から俺の手ごとぶち抜けると思ってるに違いない。

 

(だがその考えも今日までだぜ、キサラ──!)

 

「───え?」

 

「───今だぁ!!!」

 

 俺はキサラの蹴り足を押し返すでもなく投げるでもなく、足首をそのまま90度ほど捻った。

 

「──ぐァ!?」

 

 目論見は成功した。コンクリートも粉砕しそうなキサラの蹴り足はなんの抵抗もなく足首からグニャリと曲がった。突然の激痛にキサラは地面に落ち痛みによって反射的に体を丸めた。

 

 

 俺は救われた。本部師匠と渋川のじいさんのお陰で。

 

 だが喜びもつかの間、俺はここで予想外の事態に直面した。

 

 

 

 

「ぐぅ……足が……あぐぅッ……!」

「ああっ!? キサラ!」

 

 

 あまりに一瞬のことで気が回らなかったが、俺がキサラにしたことはかなり、と言うか凄まじく痛いことだと今さら気づいた。

 キサラの右足首は、

 そんなに曲がったらこれちょっと不味いんじゃねーの? 

 なくらいにまで曲がってしまい青く腫れ上がっていた。

 

「や、やってくれたね……ッ」

 

 キサラの表情も相変わらず獰猛な猫科の猛獣のように猛っているが、額には汗を滲ませ目元からは少しは涙が潤んでいた。一瞬ちょっと可愛いと思ってしまった俺を心の中でぶん殴り慌ててキサラに駆け寄る。

 

「す、すまねぇ! そ、そんなつもりじゃなかったんだ。怪我してねぇか? 足を掴んだからつい捻っちまって……」

「な、なんのつもりだい、宇喜田……! 敵の心配なんて……ッッ」

 

「いや、心配するだろ! (わり)ぃ……俺のせいで、()()()()に怪我させちまったな……」

 

 取り敢えず患部を安定させようと、持っていたハンカチを引き裂いて簡易的な包帯を作りキサラの足首に巻き付けようとしたところ、怪我をしてない左足でいきなり蹴り飛ばされた。

 

「ブハッ!? な、なにするんだよ! あんまり無茶すると……」

 

「~~~~ッッふざけるな!!」

 

「え?」

 

「女だからなんだってんだよォォ! 私は闘える! 宇喜田ァ!! お前なんか今すぐ……あうっ~~~~~~~~ッッッッ!!!?」

 

 キサラは右足を怪我しているのにも関わらず無理やり立ち上がろうとして再び倒れた。そこで更に傷に響いたのか声になら無い悲痛な叫びを上げながらアスファルトの上をのたうち回った。

 

「いやいやッ ()()()()()()無理すんなって! 自分でやっといてなんだけどマジで早く手当てしねぇと。そうだ! スゲー先生知ってるんだ、今からそこ行こうぜ」

 

「ま、また言ったな……!!? 男だからなんだ! 少し力があるからッ 体がデカイからッ だからアタシは弱いってのかよ!? アタシを見下すな!!!」

 

「え、いやっ……別にそんなつもりじゃっ」

 

 どうにも話が噛み合わない。俺は本当にキサラを心配しているのに、何故か火に油を注ぐようにキサラの怒りがヒートアップしていく。

 

 

「俺たちの名は新白連合だ~~! ヒャハハハハ~~!」

 

「ん? なんだあいつら」

 

 突如、

 宇宙人のような奴を先頭に武装した集団が現れた。白浜と風林寺によって蹂躙されたラグナレクの兵隊たちはそのイレギュラーな事態にキサラや最後まで白浜と闘っていた白鳥をおいて一斉に逃げ出していく。

 

「キサラ様! ここは一旦退かれるべきです。恐れながら返事は聞きません!」

 

 白鳥も戦況が悪いと見て瞬時にキサラを抱き抱え撤退しようとする。キサラも流石に不味いと思っているのか苦々しげに白鳥に従う。

 

(てゆーかちょっと待て白鳥コノヤロー。なにしれっとキサラをお姫様抱っこしてるんだ! 岬越寺先生の診療所まで俺が運ぼうと思ってたんだぞ!?)

 

 

 

 

「くっ……宇喜田! アンタだけは……」

 

 

生きるとは……

 

 

 

「え?」

 

闘うこと。

 

 

「アンタだけはこの南條 キサラの名に懸けて、必ずぶっ殺す!!!」

 

 

 

 

「え"え"え"え"ぇ!!?」

 

 

友を救いし安堵の中……

 

 

 

 

「ちょちょちょっと待ってくれキサラ! 話を聞いてくれ!」

 

 

 

18の少年の心には、ただ苦痛ばかり……

 

 

 

親友と想い人

 

 

友情と恋愛

 

 

 

 

共に分かち難く……

 

 

「キサラー! 許してくれ──!!」

 

 

共に分かち難く……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇喜田が夜道に消えたキサラの名を叫んでいるのを、高架線路の上から覗いている二人の人影があった。

 

 

「やれやれ、締まりは悪いが取り敢えず勝てたようだな」

「本部……結局見にきてんじゃんッ」




キサラの足を捻ったのは、藤巻が北辰館の連中の足を捻ったのを想像して書きました。
大丈夫キサラ! 刃牙もケンイチも死ななきゃすぐ治るよ! (死んでも生き返った人がいるとかいないとか)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔拳! 1

今回と次回は二週連続宇喜田グラビア回だ!


 荒涼高校のとある教室、教室名が書かれている筈のプレートには何故か【新白連合(しんぱくれんごう)】と記されていた。

 廊下を通る生徒や教職員たちから奇異の目で見られているがそんなものは知らぬとばかりにその教室の中では複数の生徒たちがある一人の生徒の演説に聞き惚れていた。

 

「諸君ッ 我ら新白連合の手によってラグナレク・キサラ隊は壊滅状態ッ リーダーである南條 キサラも宇喜田 孝造隊長の活躍により負傷ッ 戦線復帰には暫くかかる!」

 

「うおおおお!」

「新白連合ばんざーい!」

「宇喜田隊長ばんざーい!」

 

 教室内は割れんばかりの喝采に満ち、演説者の語気は更に強くなる。

 

「つまりッ 我らは今まで誰一人として崩すことができなかったラグナレクの牙城を切り崩したのだッ この新島 春男(にいじまはるお)様の智謀によって!!!」

 

「総督!」

「新島総督!」

「新島大明神様!」

 

 演説者、新島 春男は拳を振り上げ高らかに聴衆たちへ向けて勝利を宣言した。教室内の熱気はピークとなり誰彼構わず雄叫びをあげ新島を称えた。

 

 新島 春男は歓喜に湧く部下たちを見下ろしながら悦に浸る。

 そもそも彼はこの荒涼荒涼2年生の歴とした学生であるが見た目はひ弱な男だった。そんな彼が何故自分よりも屈強な部下たちに慕われその頂点に君臨しているのかといえば、それは彼が卓越した頭脳や強運を持っているからではなく、

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼が悪魔の皮を被った宇宙人だからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼の両親は悪魔と宇宙人でありその遺伝子から繰り出される物理法則を超越した新島パワーと一部で呼ばれる超常現象は人の精神を汚染し運命すらねじ曲げることが可能である。

 

 更にこの男の抜け目の無さはあらゆる展開を想定し、常に最善を選択でき、世が世ならば天下に名を轟かせるほどの才気を保有しているのである。

 その頭脳から産まれる策で裏の裏を読み、悪魔と宇宙人の力をブレンドした新島パワーで隊員たちを洗脳し、今回のキサラ隊奇襲作戦でも彼が秘密裏に組織した新白連合の戦力は一兵たりとも失われず、勝利と言う事実のみを手にいれたのだ。

 

「ヒャ~~ハハハハ~~! オレ様を崇め奉れ~~!」

 

 予想通りの結果とは言えこれ程までに上手く事が運んだことに新島の気分も有頂天になったその時、彼の後頭部に鋭い手刀が叩き込まれた。

 

「何してんだ新島ッ!」

 

 手刀を新島に叩き込んだのは白浜 兼一であった。

 ケンイチの手刀で一瞬意識が無くなった新島だったが持ち前の宇宙人パワーで即座に復活し、ケンイチに向かって偽善的な笑みを浮かべながらすり寄った。一方のケンイチはそんなすり寄る新島を、悪魔か宇宙人を見るような目で見つめながら必死で引き剥がそうとした。

 

「おいおい何をするんだよ親友~? この前オレたちが助けに来なかったらキサラたちにやられてたかもしれないんだぜ~~」

「誰が親友だこの宇宙人! 助けてもらったことには感謝するがだいたいなんだ! この新白連合って!!」

 

 白浜 兼一と新島 春男は同じ中学出身の顔馴染みである。

 

 だがケンイチが新島に対して思う印象は最悪以外の何者でもなかった。

 白浜兼一は虐められっ子であった。中学時代、日々襲いくる不当な暴力にケンイチがなすすべなく虐げられる中、自称親友の新島 春男は当然のように無視。素知らぬ顔を決めこんだ。

 むしろ殴られ蹴られるケンイチを面白がり、彼を襲いにくる学校の強者たちのデータを収集するためにわざと揉め事を誘発させるような工作を何度もしており、ケンイチにとって新島は憎むべき腐れ縁であって間違っても友情など感じてはいなかったのである。

 

「水沼くん、説明したまえ」

「ハッ!」

 

 水沼と呼ばれた青年は新島に敬礼をし、ケンイチに向き直る。

 

「新白連合とは、我らが新島 春男総督と白浜 兼一切り込み隊長を頂点とした対ラグナレクを主軸に結成された正義の武術団体であります!」

 

 ケンイチは水沼の邪念の一切ない澄んだ瞳を見て泣きたくなった。目の前に悪魔の被害者が大勢いるのだ。そんな彼らに正論は通じない。

 

「ご苦労。ま、そう言うことだ兼一。これから一緒に頑張ろうぜ」

「どういうことだよ!? 僕はそんな怪しいものに力は貸さないぞ!」

 

 ケンイチの反応は至極当然だった。

 新島 春男を知る者として、この男の誘いに乗って良かったことなど一つたりとして無かったからだ。

 

「おいおい良いのか? キサラ隊を倒したオマエや宇喜田はラグナレクの第一級指名手配犯だ。たった二人であのラグナレクの組織力と立ち向かえると思ってるのか~~?」

「ぐっ……」

 

 しかし悲しいかな、新島の言葉もまた事実であった。

 

 あの武田脱会リンチの後、ケンイチと美羽は少なくとも10回以上もラグナレクの構成員から登下校や修行中に襲撃を受けていた。いずれも雑兵でありケンイチや美羽の敵ではなかったが、こうも数や頻度が多いと圧倒的な技量を持つ美羽と違ってケンイチの体には生傷が絶えなかった。

 

 何より想い人たる風林寺 美羽との貴重なふれあいの時間を喧嘩などに費やしたくはなかったのだ。

 

 

「こう考えろ、俺たちはビジネスパートナーだ。 新白連合の名前があれば敵もおいそれとお前たちに手は出せない。互いにメリットがある」

「こっ、断る! 大勢で徒党を組んで威張るなんてラグナレクと同じじゃないか。僕はアイツらと一緒にはならない!」

 

 だがケンイチにも譲れぬ信念があった。彼の武術を学ぶきっかけは理不尽な暴力を正すための力を求めたからだ。だからこそ、自身が力を振るうのはあくまでも暴力を振るう者であって威張り散らす為のものではない。

 

 ケンイチの言葉に一緒にいた美羽は感心したように見つめ、新白連合の面々もばつが悪そうにたじろいだ。

 

「さぁ! 君たちもこんな宇宙人の甘言なんかに惑わされないで……」

 

新白連合ってのはここか~! 

 

 ケンイチが新白連合の面々を説得しようとしたところに教室の扉が乱暴に開かれ怒声が響いた。そこにはいかにもな風貌のチンピラたちが立っていた。

 

「な、なんですか貴方たちは!?」

 

「ぬ? お、オメーは白浜 兼一じゃねーか!? どうして新白連合なんかに……? 俺たちはラグナレクに逆らいやがった新白連合ってチームに報復しにきたんだよ!!」

 

 このチャンス。

 このチャンスを新島は見逃さなかった。

 

「ケ~~ケケケ! 愚かなりラグナレク! 白浜 兼一は我ら新白連合の切り込み隊長なのだ!」

「ええぇぇ!? 新島お前ッ 何を言い出すんだ!」

 

「なに!? 白浜兼一はやはり新白連合の一員だったのか!」

「それだけじゃねーぜ! 元ラグナレク突きの武田やバルキリーを倒した宇喜田 孝造も新白連合の隊長たちなのだ~!」

 

 

「「「な、なんだってー!?」」」

 

 新島の告白にラグナレクの兵隊たちのみならずケンイチも驚愕した。

 

「兄貴! 不味いっスよ!」

「八拳豪のバルキリーを倒した奴もいるんじゃヤベーぜ!」

「くっ……! 新白連合め~~覚えてやがれ! 退くぞ!」

 

「ヒャ~ハハハハ! 我ら新白連合の恐ろしさが分かったか~! あ、白浜 兼一が新白連合だってことたくさん宣伝してくださいね~! ケケケ!」

 

 新島はだめ押しとばかりに逃げ去るラグナレクの兵隊たちにケンイチと新白連合の関係性を強調して喧伝した。その一連の出来事をケンイチは呆然と見ていることしかできなかった。

 

「諸君ッ これから益々ラグナレクとの抗争は激しくなるが我らには白浜 兼一隊長や宇喜田 孝造隊長がいるッ なによりこの新島 春男様がついているッ 共に正義を貫こうぞ!!」

 

「うおおお! 新白連合バンザーイ! 白浜隊長バンザーイ!」

「バンザーイ!」

「バンザーイ!」

「バンザーイ!」

 

「新島! 何を勝手に──!」

 

 自分の目の前でどんどん事態が悪い方向に進んでいく状況に半ば泣いているケンイチは新島の胸ぐらを掴むが、新島は悪魔の笑みを浮かべそっと耳打った。

 

「おいおい兼一くん~~? 逃げていった奴らの報告で明日にでもオマエが新白連合の一員なのはこの町中に知れ渡るんだぜ? そうなりゃオマエが何を言おうが既成事実は覆せない。ま、仲良くしようぜ親友?」

 

 

 ケンイチは理解した。

 この男に出会ったこと自体が全ての間違いだったのだと。

 

 

「ううぅぅ…………鬼! 悪魔! 宇宙人!」

 

 願うことなら新島と初めて出会った中学時代に戻って自分自身に警告したかった。

 

 新島 春男に決して関わるな──と。

 

「契約完了……だな。ケケッ!」 

 

 結果、ケンイチは新島の提案をしぶしぶ受け入れ新白連合に半強制的に所属することとなった。

 

「覚えとけ、オマエがオレ様に逆らうなんて100億年早いんだよ。しっかしもう一人の勝利の立役者である宇喜田もいてくれりゃより効果的なプロパガンダに利用できたよにな」

 

「新島、宇喜田さんのこと知ってるのか?」

 

 ケンイチの問いに新島はニヤリと笑い、ポケットからタブレット端末を取り出した。

 

「オレ様の情報網を舐めるなよ? この学校の生徒でデータに無い奴は一人もいねぇよ。特に強い奴はな」

 

 新島はタブレット端末の情報を得意気に読み上げ始める。彼は趣味と実益を兼ねて学生ランキング、通称学ランと言う荒涼高校性のあらゆる分野での実力ランキングを自作していた。そのデータの膨大さと正確な数値化、更に新島本人の評価が加わったそのランキングは、某CIAの情報収集能力に勝るとも劣らない代物となっているのである。

 

「宇喜田 孝造。荒涼高校3年の不良高校生、元だけどな。学力はランキング外のドベだが喧嘩の腕っぷしは元エリート柔道家の才能を活かして抜群だ。奴はつい最近までバリバリ一匹狼の不良をしてたがある日を境に急にまともになった。授業にも真面目に取り組んでるそうだ」

 

「へぇ~そうなのか……」

 

 新島の説明はケンイチが改めて宇喜田のことをあまり知っていなかったのだと理解した。

 ケンイチにとって宇喜田は辛い修行体験を現在進行形で共有できる数少ない同志であり武田と同じように友達でもあった故に、宇喜田が不良だったと言う過去に少なからず驚いた。

 

「宇喜田なら学校に来てるよ」

「武田さん!? どうしてここに?」

 

 不良たちが逃げ去っていった教室の扉に武田が立っていた。

 

「いや~ボクもよく分からないんだけど新島と話している内に何故か新白連合に所属することになってたんだよ。見に覚えの無い念書まで書いてしまってて……」

 

 ケンイチが新島の方を振り替えれば怪しい笑みを浮かべていた。

 

「悪魔め……」

「ケケ!」

 

「そう言えば宇喜田さん、最近学校であっても元気が無いような……?」

 

 

 美羽もまた宇喜田を心配して武田に近寄ると、武田は若干頬を赤らめて答えた。

 

「そうなのさハニー。あの脱会リンチ以降からね……授業には出てるようだけど昼休みや放課後はまるでゾンビみたいに学校をフラフラと徘徊してるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の放課後、ケンイチはいつも通りに梁山泊にて修行をしていた。今日の修行相手はあらゆる【中国拳法の達人】 馬 剣星である。

 

「それでっ──どうにかして──宇喜田さんを元気づけようと──思うんですが──!」

「兼ちゃんの話からしてその宇喜田って子は罪悪感で参っているのよ」

 

 ケンイチは梁山泊の中庭にて剣星と組手を行っていた。そこいらの不良なら難なく倒すケンイチの猛攻を剣星はエロ本両手持ちで攻撃をいなす時のみ片手で対応、しかも視線は完全にエロ本に向けられていた。

 

「──罪悪感ですか!?」

「そうね。たぶん宇喜田君はキサラと言う女の子を傷つける気は無かったのよ。だけどつい力が暴走してしまったのよ。顎に打つね」

 

「ぐっ──なんの!」

「ほう! よく受け止めたね、偉いね兼ちゃん」

 

 梁山泊の師匠たちと行われる組手では時たま師匠が攻撃を予告することがあるが、ケンイチは未だそれを防いだり躱すことはできなかった。

 

 しかし今回のケンイチは一味違った。脱会リンチにて大勢の不良を倒したことでケンイチには自信がついていた。

 そして剣星は梁山泊の師匠の中でも比較的にケンイチに優しい師匠であった。これがアパチャイや逆鬼の場合、攻撃の予告はすれども弟子クラスでは絶対に防ぐことも躱すこともできない一撃を放つことが間々あり、秋雨やしぐれの場合はケンイチに対して徹底的に厳しくギリギリ反応できるかできないかの攻撃をするためこれもケンイチにとって酷であった。

 

 そこに来て剣星と言う男は修行のご褒美に美羽やしぐれのお宝写真を進呈したり梁山泊内に設置されている露天風呂に美羽やしぐれが入浴している最中にケンイチ伴って覗きに行ったりと、師匠と悪友の両面でケンイチに接しており何だかんだで馬 剣星はケンイチに最も優しい師匠であった。

 

 つまり剣星の予告攻撃は今、ケンイチの眼にはっきりと見えていたのだ。

 剣星の放った掌底はケンイチが顔面でクロスさせている両手で完全に防がれていた。

 

「兼ちゃんもようやく心身ともに成長してきておいちゃん嬉しいね。これはご褒美よ!」

「えっ──ちょ!?」

 

 その場で大きく地面を踏み締めた剣星。

 

 地震と勘違いするほどの揺れがケンイチの足に伝わった瞬間、それまで己の腕でガードされ威力が完全に死んでいたはずの剣星の掌から恐るべき衝撃がケンイチを後方に吹っ飛ばした。

 

「おーい兼ちゃん。大丈夫かね?」

「ウグググ……そ、そんな、確かに防げていたのに!」

 

 梁山泊の塀まで吹っ飛ばされ息も絶え絶えに起き上がったケンイチは鼻から噴き出す血や全身の痛みよりも今起こった出来事が信じられない様子であった。

 

 もちろんケンイチは剣星がその気になれば簡単に自分を吹っ飛ばせることが出来ることは理解している。

 だが剣星は先ほどケンイチと立っていた場所から一歩も動かずに掌底だけで体格だけなら勝っているはずのケンイチを数十メートル後方の塀にまで叩きつけたのだ。やられた方からすれば手品か何かのようすらには思える一撃だった。

 

「今のは中国拳法の発勁(はっけい)ね。地面を踏みつける震脚(しんきゃく)で生まれたエネルギーを下半身から上半身へと伝えたね。さっきの場合は伝えたエネルギーを掌へと乗せ寸勁(すんけい)と言う至近距離用の発勁を放ったね」

 

「へ~殆ど馬 師父の掌は密着してたのに凄い威力でした!」

「所謂タメと言うやつね。おいちゃんのクラスになれば寸勁に空間は必要なく達人同士の戦いとなれば化勁(かけい)と呼ばれる力を受け流す技術が生死を分けるね」

 

「さっすが中国拳法ッ 氣と言う物ですね!」

 

 まさに漫画や映画で見られる中国拳法の真髄を体験してケンイチは感動していた。この梁山泊では空想の武術伝説が実践されていることにケンイチは改めて師匠たちの偉大さを誇りに思った。

 

「これで兼ちゃんも分かったね? 自分の意のままに力を振るえなければそれは武術ではないね。剥き出しのナイフと一緒よ」

「そ、そうなんですか……」

「他人事ではないね。兼ちゃんだっていつ相手に大怪我負わせるかおいちゃん分かったもんじゃないね。心配よ」

「しゅ、しゅみません~~」

 

 確かにケンイチは宇喜田のことを心配する余裕など本来は無かった。ケンイチの見立では宇喜田は自分よりも武術の才能のある存在であった。そしてあの武田脱会リンチでは明らかに自分よりも強いであろうキサラと言うラグナレクの幹部を文字通り軽く捻って倒したことでその強さをまざまざと見せつけられたのだ。

 

「師父! もっとボクにご教授をッ」

「残念だけどおいちゃんの今日の修行はここまでね」

 

 強くなる決意新たにしたケンイチは気勢を削がれてずっこけた。

 

「えぇー、いつもならまだ始まったばかりですよ?」

 

 ケンイチはあからさまに不満な態度を表した。本来弟子と師匠の関係ならば不遜と言わざるを得ないケンイチの態度も、さして咎めようともしないのがこの梁山泊のケンイチと師匠たちとの良い意味での関係性であった。

 

「今日はこれからちょっと用事があるのね。その代わりといってはなんだけどアパチャイにおいちゃんの代役を頼んだね」

 

「アパー! アパチャイと組手するよ兼一~!」

 

 ケンイチの背後にぬっと現れたのは【裏ムエタイの死神】アパチャイ・ホパチャイであった。彼は子供のような屈託無い笑顔で両手に嵌めたグローブをシャドーボクシングの要領でマシンガンのように乱射していた。

 

 このアパチャイと言う師匠は梁山泊一優しい心を持っているとケンイチ含め誰もが認める所であるが如何せん手加減を知らないと言う弟子育成においては致命的な欠点を持っていた。その欠点が祟りケンイチは本人の記憶には残っていないがアパチャイの岩をも砕く一撃をまともに喰らい一度臨死体験を経験し死人をも蘇らせるスーパードクターの顔も持つ岬越寺 秋雨の全力の救命措置で生き返ると言う壮絶な過去があった。

 

 記憶に残っている事でもミット打ちの最中に突然ミットで殴られ宙を舞い上がり、武田 一基との闘いのためにアパチャイから伝授されたテッ・ラーン(ローキック)は血のションベンが止まらなくなるまで体に覚え込ませるなどその危険性は梁山泊一だとケンイチは心身ともに理解していた。

 

「いや~~~!!! 馬師父カムバ~~ック!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は午後8時を周り日が落ちた街中も、その街はきらびやかな夜のネオンが昼とは全く違った景色を形作っていた。

 

 

 横浜中華街

 

 

 神奈川県横浜市中区山下町一帯に存在する日本随一のチャイナタウンである。そこは単なる中国を模したハリボテではなくそこに住まう人々もまた中華に思想に基づく人民たちが多い場所である。

 

「ここが横浜中華街か。馬 師父を尾行してここまで来ちゃったけど横浜にいったいどんな用事なんだろう?」

 

 そんな夜の繁華街で当てもなく彷徨いているケンイチは、アパチャイに自身の妹である白浜 ほのかから渡されたお菓子をあげて買収し、修行を切り上げて梁山泊を出ていった剣星を尾行し横浜まで来てしまっていた。

 

「けどな~馬師父は途中で見失っちゃったしこれといって当ても無いからどうしよう……」

 

 尾行、と言っても実際の所は剣星にバレバレであったケンイチは中華街に着いた途端にあっけなく撒かれてしまい途方に暮れていた。

 だがここまで来た手前ただで帰るわけには行かないと徹底的に街中に剣星がいないか眼を光らせていると、何かににぶつかり転んでしまった。前方不注意である。

 

「あ、すみませんっ」

不好意思(すまない)、此方こそ失礼した」

 

 剣星を探すのに夢中になり前を見ていなかったケンイチがぶつかったのは中国人風の男だった。

 だがそのことにケンイチは心中驚いた。ケンイチは、ぶつかった感触からして電柱か何かのような大地に固定された強靭な物体だと思っていたからだ。

 慌てて謝るケンイチにその中国人は初め中国語で恐らく謝罪と受け止められる言葉を言い、ケンイチにそれが伝わっていないと判断して改めて流暢な日本語で謝罪をし、倒れたケンイチに手を差し伸べた。

 

「しぇ、谢谢……うっ!?」

 

 ケンイチが片言の感謝の言葉を言い差し伸べられた手を握ると、その中国人の手に驚いた。

 

 まずは見た目、浅黒の肌に無数の小さな古傷がびっしりと刻まれている。

 次に感触、ゴツゴツとした成人男性の手ではあるが尋常ではない皮膚の厚みや拳ダコが発達しており間違いなく武術経験者、それもかなりの年月に渡って鍛え上げた拳であった。

 最後にその握り、まるで重機か何かに引っ張られているのではと錯覚するほどの力強い握りと引く力はこの中国人の男の並外れた筋力と体幹の強さが現れている。 ケンイチはその手を握った瞬間、例え今この瞬間に自分が不意討ちをしても自分は絶対に勝てないと理解した。

 

「君は武術を経験しているのか? 良い拳を持っている」

「そ、そう言う貴方こそ凄い拳ですね。師匠たちみたいです」

 

 ケンイチは改めて目の前の中国人の男を見上げた。

 ケンイチよりも10㎝ほど高い身長で宇喜田と同じ位か少し低い位だ。

 髪の毛を後ろに束ね編み込む所謂辮髪(べんぱつ)に中国服とカンフーパンツのスタイルはさながら昔の映画に出てくる拳法家そのものだ。

 

「君にも師がいるのか、それは良いことだ。所で私は人を探しているのだが馬 槍月(ばそうげつ)と言う男を知っているだろうか? この写真のビル近くにいるはずなのなのだが」

 

 男はポケットから写真を取り出しケンイチに見せた。写真にはビルの名前とおぼしき取り付け看板とピンボケし不鮮明ながらも大柄な髭面の男が写っていた。

 

「え、槍月ですか? いえ、知りません。でも……」

「そうか分かった。君、もう遅い時間であり今日は特にこの中華街は危険だ。早く帰りなさい」

「あっ……ちょっと!」

 

 ケンイチの話が終わる前に中国人の男は踵を返して夜の繁華街に消えていった。

 

「……槍月は知らないけど剣星なら知ってるって言おうと思ったんだけどなぁ」

 

 

「ちょっとアンタ。そこのアンタよっ白浜 兼一!」

 

 中国人の男が去っていった方向をぼんやりと見ていたケンイチの後ろから、突如甲高い女性の怒気を孕んだ声でケンイチは自分の名を呼ばれた。

 振り返るとそこには頭の両脇に特徴的な2つの大きな鈴のアクセサリーを付けたチャイナドレスの少女がケンイチを睨んでいた。

 

「ふーん。アンタが白浜 兼一ね?」

「え、はい……そうですけど。どうしてボクの名前を?」

 

「……フン!」

 

 まさに不意討ちであった──

 

「グハ!?」

 

 ──チャイナドレスの少女は見知らぬ女性から自分の名前で呼ばれ困惑しているケンイチの水月(みぞおち)にめり込むほどの突きを見舞ったのだ。

 

「うぇぇ……な、なんで……ッ!?」

 

 くの字に折れ曲がりよろよろと踞ったケンイチはその場で強烈に込み上げる吐き気に苦しんだが夕食を食べずに横浜に来たことが幸いであった。そうでなければ今頃ケンイチはアスファルトに全てをぶちまけていただろう。

 

「信じらんない! 受けるか躱すかしなさいよッ アンタそれでもパパの一番弟子ィ!?」

 

 少女の方は悪びれる所か軽蔑したような目線で眼下のケンイチを詰った。

 

「パパ? 一番弟子? 突然殴っておいて君はいったい何を言ってるんだ!」

「馬鹿ッ 自分の師匠のことも分からないの!? 私は名は馬 連華(ばれんか)! アンタの師匠、馬 剣星の実の娘よ!!」

 

「えええぇぇぇ!!?」

 

 水月の痛みなど吹き飛ぶ衝撃が絶叫となって中華街に木霊した。

 

 先ほどの中国人の男とはまた違った衝撃。

 ケンイチは改めてじっくりと馬 連華と名乗った少女を観察する。

 

 まず眼。

 猫のようにつり上がった目付きはキツイ印象よりも凛とした気風を感じさせる。

 

 次に髪。

 耳のようにピンとなっている2対の髪はまるで動物の耳のように動いている。連華の感情を反映しているのか現在怒髪天の如く逆立っていた。

 

 最後にスタイル。

 豊満である。

 チャイナドレスと言うスタイルがはっきりと分かる衣服を差し引いても余りあるはち切れんばかりのバストが激しく自己主張している。

 香坂 しぐれや風林寺 美羽と言ったダイナマイトボディを持つ両名と共に梁山泊で寝食を過ごしながらも南米の捕虜収容所施設の方がマシと思えるような過酷な地獄巡り生活を強いられている健全な男子高校生のエロ眼は見逃さなかった。

 

「はぁー。資料では知ってたけどまさか本当に白浜 兼一がこんな奴だなんて……馬家の名折れよ」

「し、資料?」

「アンタのことはとっくに調べはついてるのよ。馬家の情報網は世界中にあるんだから。何せ私のパパ、馬 剣星は中国本土に10万人の弟子を持つ武術団体【鳳凰武侠連盟(ほうおうぶきょうれんめい)】の最高責任者なのよ!!」

 

「ば、馬師父が結婚してて父親で最高責任者?」

 

 師である馬 剣星の知られざる姿を一気に教えられケンイチの頭は混乱していた。そもそも梁山泊の女性陣から常に軽蔑されているエロ魔神師父に結婚相手がいた事実にケンイチはショックを受けていた。

 

「それなのにパパったら、めんどくさいなんてくだらない理由で私たちをほっぽって日本でアンタみたいな才能0の男を弟子にしてるなんて……はぁ」

 

 疲労が溜まっているのか連華は大きくため息を吐いた。2対の髪も心なしか元気が無いようにしなだれている。

 

「とにかく! 私はパパからアンタを無事に中華街から帰せって言われたの。分かったら大人しく家に帰りなさい。ただでさえここは今マフィアが活発になってて危ないのに馬 槍月(ばそうげつ)海王(かいおう)までやって来ててんやわんやなのよ分かる!?」

 

「馬槍月? 海王? 何ですかそれ」

 

 つい先ほど聞いた名と全く聞きなれない2つの名を耳にしたケンイチは連華に質問した。

 連華はしまっと言うような表情を浮かべ2対の髪がわなわなと震えている。自分自身に怒っているようだった。

 

「……これは言うなってパパに言われてたんだったわ。今のは忘れなさい」

 

 明らかにはぐらかされたと感じたケンイチは更に追及する。

 

「馬 槍月って名前は聞き覚えがあります。その名前の人を探してる中国人っぽい人にさっき会いましたけど……」

 

「嘘!? どこ! ねぇ何処であったの!?」

 

 ケンイチが中国人の男の話を口にした途端にそれまでつっけんどんな態度だった連華の眼の色が変わり、ケンイチに詰め寄り肩を大きく揺さぶった。

 

「うわわわっ! さっきここの通りで会ったんですよ。馬 槍月を探しているから知らないかって写真を見せて……」

 

「写真!? どんな写真!」

 

「何処かのビルとピンぼけした髭の大きな男の人が写った写真ですよ」

「間違いないわ、馬 槍月よ! ビルの名前は覚えてる!?」

「は、はい……」

「でかしたわ! 教えなさいっ今すぐに!!」

「そ、その前にボクに状況を教えてください」

「そんな暇は私には無いの! ほら早く教えない白浜兼一!」

 

 連華の横柄な態度に新島も認めるお人好しのケンイチも流石に少し怒った。

 

「へぇ~そうですか。なんだかビルの名前を急に忘れちゃったなー。さっきまでは覚えてたんだけどなー」

「な!? アンタ私をおちょくってんの!!?」

 

 明らかに見下していたケンイチによってこの場を交渉の場に変えられ、主導権を握られてしまったことにプライドを傷つけられた連華はギリギリと歯軋りを鳴らし鬼の形相でケンイチを睨んだ。

 ケンイチはケンイチで今にも噛みつきそうな雰囲気の連華に背中で汗をかきながらポーカーフェイスを貫いていた。

 

「ヌグググ……あ~もうッ 分かったわよ! 言えばいいんでしょ言えば!」 

 

 根負けしたのは連華であった。ケンイチは心の中でガッツポーズをした。

 

「馬 槍月はパパの、つまりアンタの師匠である馬 剣星の実の兄なのよ」

「お兄さん!? 師父のですか!」

「剛の槍月に柔の剣星……共に当代最強と謳われた拳法家よ。でも性質は正反対。活人拳のパパに対して槍月の拳は殺人こそ武の本質とする殺人拳を扱う武術家で二人はお世辞にも仲の良い兄弟ではなかったと言われていたわ。けど少なくともパパは兄である槍月を今でも兄として愛しているわ。でもある日、槍月は人を殺めて中国を去ったわ。それ以降、槍月は世界を放浪し裏社会で殺人を続けて生き、パパはそんな槍月を止めるためにこれまで生きてきたのよ」

 

「あの馬 師父にそんな過去が……」

 

 ケンイチはあのエロに弱くエロ仲間でもある剣星にそのような壮絶な過去があったことに息を飲んだ。梁山泊での剣星はそのような過去があることなどおくびにも出さずにいつも明るくふざけた調子でケンイチたちと接していたからだ。

 

「アンタなんかに私たちの立場なんて分からないでしょうね! 鳳凰武侠連盟は活人拳が絶対なのに門派に、それも最高責任者の兄に現役バリバリの殺人拳の犯罪者がいるだけでどんだけ居心地が悪いか! 武術省からは毎回毎回小言を言われて大変なのよ! ただでさえ馬家は海皇に目の敵にされてるのに……!」

 

「す、すみません」

 

「そんな時に槍月がこの横浜の中華街に潜伏してる情報を掴んだパパを、私は中国に連れ戻す為に日本まで足を運んだってのに当の本人は私にアンタのおもりを任せて姿を眩ます! パパの一番弟子はこんなありさま!」

 

「す、すみません……」

 

 ケンイチは剣星が責められているのに何故か自分が責められているような居心地の悪さを覚え何故か本気で謝ってしまった。

 

「……そしてもう1つ情報が有ったのわ。馬 槍月を捕まえる国家権力は存在しない。だからこそ槍月の後始末は私たち鳳凰武侠連盟に中国武術省は一任してたの。だけどある人がその決定をねじ曲げ馬 槍月に刺客を送り込んだのよ」

 

「刺客ですか?」

 

「ええ。その情報を聞いたからこそパパはアンタを私に任せて急いで槍月を探しに行ったわ。何せその刺客は私たち中国人にとって知らぬものはいない母国の護神、海王(かいおう)なのよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし馬 槍月のことは我ら鳳凰武侠連盟に一任するとの武術省からの決定が……いえっ確かにこれまで我々は馬 槍月を捕らえられませんでしたが何も野放しにしていたわけでは……」

 

 横浜中華街で営業している飲食店 逆麟飯店の事務室で、眉毛の異様に長い老人が平身低頭で受話器越しの相手と会話をしていた。

 彼の名は馬 良(ばりょう)。通称白眉 伯父(はくびシェーフ)と呼ばれる中華街のまとめ役であり馬 剣星の伯父でもある。

 

「どうかお考え直しを……ッ 海王と馬家が争うなど死人が出ますぞ!」

 

 普段の白眉を知る者ならば何事かと驚く程に、受話器越しの相手の一言一言に額に汗を垂らし肩を揺らし視線をキョロキョロと動かし瞬きを繰り返していた。明らかに異様である。

 

「……ッッ 分かりました。最早貴方に何も言いませぬ……ですが全ては剣星に任せます」

 

 交渉は決裂した。白眉は苛立ち紛れに勢い良く受話器を叩きつけ机ごと電話機は木っ端微塵に粉砕された。

 

 

 

 どうしても行くのか? 死ぬかも知れぬぞ

 ──これは私の使命。もしもの事があれば娘たちを宜しくお願いします

 

 

「ここまで馬家が気に食わぬのかッ 郭海皇(かくかいおう)め! ……どうか無事であってくれよ、剣星」

 

 

 

 

 白眉は死を覚悟した甥の無事を天に願った。




刃牙道の更なる超展開を願っています。(ツンデレ中国人が生き返るのだけは勘弁な!)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔拳! 2

刃牙アニメ制作快調ッ!! とチャンピオンに書いてましたがなんだか心配です。

「すまないみんな……どうしても予算が足りなくなっちまったんだ!」

とか言い出しそうで不安です。


 中華街に居を構えるそのビルは外見的には普通の商業ビルであるが実際はここ最近に渡って横浜中華街を荒らし回っているマフィアのアジトであった。勿論表向きは正規の手続きを踏んだ真っ当な会社として登録されているがそれは完全なフェイクである。

 マフィアと言う存在は世界で日本以外その存在を基本的に違法と位置付けられている。つまり日本のヤクザのように堂々と往来で代紋を掲げることは決してありえず、組織の名前も単なる名称でしかなくその実態は地下組織のように闇に潜っている。

 このビルを根城にしている破落戸たちもそんなマフィアである。彼らは大陸からやって来た新興のマフィアでありながらもその過激な手段と冷酷さで次々と中華街を自らのシマとして勢力を拡大させいずれは横浜全土の裏社会を支配せんと企んでいた。

 

 

「テメーらはガキの使いかッ あぁ!? ミカジメ断られたから帰ってきましたでマフィアのメンツが立つと思ってんのか!!」

 

 ビルの一室で部下たちに怒鳴り散らしている白スーツの男はこのマフィアたちのボスである。

 名前は周 張(シュウチャン)と言う。

 彼には野望があった。

 元々彼は大陸で活動していたマフィアだったが何処の世界にも上がいれば下が存在するように勢力争いによって元いた組織は崩壊しかつてのボスも殺された。着の身着のままこの日本まで流れ着いた彼は自分を破滅に追い込んだ大陸の組織に復讐を誓い手始めにこの横浜中華街を支配して確固たる組織を築こうとしていたのだ。

 

「で、ですがボス。住人の奴らみんな白眉(はくび)の奴の呼び掛けに応じて一斉に俺たちに逆らい始めてます」

「中華街全部が敵に回っちゃ俺たちに分が悪いですぜ」

 

「ぐぐぐぐ……ッ 白眉の老いぼれが~~!」

 

 たが、完璧に遂行していくであろう野望にも陰りか見え始めていた。

 

 馬 良(ばりょう) 通称白眉と中華街の住人たちから慕われている一人の老人によってボスの復讐計画はその序盤で頓挫しかかっていた。彼はマフィアによる暴力を背景とした不当な要求に苦しむ中華街の住人たちに呼び掛け、マフィアとの対決姿勢を鮮明に打ち出した。当然マフィアたちは白眉を排除しようとしたがそこは馬家、馬 剣星の伯父であり達人の一人や二人簡単に捻ることが出来る白眉には自慢の暴力をもってしても敵うはずもなく、今日まで辛酸を舐め続けてきた。

 

「いいかッ 明日にでも白眉の店に火をつけろ! 奴はここの住人どもを扇動して俺たちのチャイニーズマフィアに楯突いてきた。その報いを受けさせてやれ!!」

「しかしボス、白眉の所にいる奴等は馬も含めてみんな強いですぜ。もし報復されたら……」

「馬鹿野郎! 報復が怖くてマフィアなんなやってられるかッッ それに聞けお前ら。火をつける時にコイツを一緒に放り込めば馬も、その取り巻きも問題にならねぇ」

 

 ボスは部下たちの前に大きな木箱を置き蓋を開けた。するとそこには大量のダイナマイトがぎっしりと敷き詰められていた。

 

「いいかッ 白眉さえ始末出来れば残りの住人なんざ簡単にこっちに転ぶ。そうなりゃここは俺たちの物だ! それに、俺たちには頼れる用心棒もいるしな」

 

 マフィアたちは部屋の隅でソファーにずんぐりと腰掛けている男に目線を流した。

 

 無精髭にボサボサの荒く切られた短髪は用心棒と言うより浮浪者が似合っているが、180㎝はある筋骨粒々な体躯に加え数多くの修羅場を潜り抜けてきたマフィアたちが押し黙る程の形容しがたい威圧感を放つこの男の名は馬 槍月(ばそうげつ)。【拳豪鬼神】の異名を持つかつて大陸で馬 剣星と双璧を成した最強の拳法家だ。

 

「……」

 

 ケンイチならば泣き出す程のマフィアたちの視線を一道に集めても槍月は我関せずと言った風に瓢箪に入っている酒を呷った。

 その態度にボスは不機嫌そうに槍月を睨み付ける。

 

「ケッ しかし冷酷な野郎だぜ。テメーの一族を殺そうって男の用心棒になるたぁ俺たち以上の悪党だぜ」

 

「……俺はただ酒が呑めればそれでいい」

 

 挑発とも取れるボスの言葉に槍月は今日初めて口を開いた。およそ情など持ち合わせていないような口振りで再び酒を呷ったが、その心中は誰にも分かりはしなかった。

 

「ふんッ 馬 槍月! お前には高い金払ったんだ。ちゃんとその分の働きはしてもらうからな。テメーらもとっととのダイナマイトを持って白眉のジジイの店に行け!」

 

 ボスの命令に手下たちは大急ぎで爆薬やガソリンをまとめ部屋を出ていった。

 

「ククク……これでこの中華街は俺の物だ……ッ」

「そう上手く事が運ぶかな」

 

「何だ槍月、お前から話しかけるなんて珍しいじゃねぇか。安心しやがれ、お前が出てくれりゃいくら白眉とは言え敵じゃねぇだろ?」

 

 ボスは槍月の横柄な態度を気に入ってはいなかったがその力は高く評価していた。初めて槍月を雇った際に腕試しとして手下数十人をけしかけ一瞬で病院送りにされた事はボスの記憶に新しい。

 

「白眉ならな。今夜は……龍が出そうだ」

「龍ぅ? 酔ったのかおま──」

 

 

 槍月の言葉を不思議がったボスであったが部屋の外で鳴った大きな物音に気付き苛立った。

 

「あの野郎共、まだ部屋の前でチンタラやってたのかよ」

 

 ボスは部屋の扉を勢い良く開けそこにいるであろう手下たちに一喝した。

 

「なにしてんだテメーら! もたついてないで早く白眉の……店……に…………」

 

 ボスは当然そこにはいつも頭の足りない手下たちがいるだろうと思っていた。確かに手下たちはいた。廊下に倒れ泡を吹いてはいるが。

 

「見つけたぞ。馬 槍月」

「だッ 誰だテメー!?」

 

 ボスの背後には既にいつのまにやら中国人の男が立っており未だ部屋の隅に座っている槍月を見据えていた。

 

 

 突然の事態に頭が真っ白になったボスはジャケットの内側のホルスターに取り付けられている銃を取り出そうとするが、そこにあるはずの銃は消え、手は虚を掴むだけであった。

 

「悪いが銃は没収させてもらった」

「い、いつの間に!?」

 

 中国人の男は銃口がへし曲がった拳銃を廊下のコンクリートに捨てた。ガシャンと音を立てて落ちたその拳銃のように、ボスの現実感に亀裂が入った。

 

「ひィィッ 化物ォッ! 来るなァッ!」

 

 己を守る筈の手下たちや最後の頼みの拳銃すら奪われたボスは脱兎の如く中国人の男の脇を走り抜け槍月の元に駆け寄った。

 

「槍月ッ 槍月ッ 仕事だぞ! 俺を守れ! あのふざけたカンフー野郎をぶっ殺──ヘブッ!?」

「死合いの邪魔だ」

 

 槍月は自分の膝にすがりついてきた己の雇い主を虫でも払い除けるような無造作な所作でビンタをした。

 

 しかし槍月が何気なく放った平手打ちがボスに及ぼした被害は甚大であった。

 側頭部に当たった平手打ちはボスの左耳鼓膜を瞬時に破裂させた。更には両顎関節、左頬骨に亀裂が走り脛椎は右に20度捻転した。

 

「あがッ……ガガガガ……かハァッ……」

 

 そして悲惨なことに僅か数秒でこれだけの重症を負ったにも関わらずボスは意識を保ち続けていた。

 

「ひりついた気配が漂っていると感じていたが貴様とはな……烈」

「馬 槍月殿。お会いでき光栄です」

 

 椅子からゆっくりと立ち上がった槍月は自身より一回り小さい烈を見下ろした。だがそこに油断は欠片もなかった。

 

烈 永周(れつえいしゅう)……今は烈 海王(れつかいおう)だったか? 懐かしいものだ、あの白林寺の小坊主が随分と出世したな」

「私も成長いたしました。もう、あの時の幼い私ではありませんッ」

 

 直立し対面する二人の武人。彼らの向き合う空間は互いの闘気が織り混ざり合うかのように歪んでいた。

 

「それは良いとして誰の差し金だ……白眉の奴じゃねーよな。鳳凰武侠(ほうおうぶきょう)でもない。とすりゃ黒虎白龍門会(こっこはくりゅうもんかい)か武術省の老い耄れどもあたりか?」

 

 黒虎白龍門会とは鳳凰武侠連盟と対を成す中国の二大武術団体である。鳳凰武侠連盟が義や情を重んじるのに対して黒虎白龍門会はそれら一切を排した冷酷なマフィアのような組織であり共に1000年以上の歴史を有しており、鳳凰武侠連盟の代々の長である馬 家はその歴史の中で黒虎白龍門会の首領を10人以上殺害しており両者の関係は冷えきるどころか怨嗟の炎で熱く燃え盛っていた。

 

 後者の武術省とは中国における海皇や海王、更にその下の洋王の認定に携わる公的機関である。此方も古くから存在する組織であり中国で行われる武術大会の運営や武術組織の管理監督を行っているが前述の鳳凰武侠連盟と黒虎白龍門会は武術省からは独立した組織である。

 

「どれも違います……(かく) 老師のご指示です」

「なに?」

 

 郭 老師と言う名を聴いた槍月は酒を呑む手を止め眼を見開いた。

 それまで不遜な態度を崩さなかった槍月が初めて見せた動揺であった。

 

「……ふんッ あの腐れ爺がッ! まだ生きてやがったか。海王にまで成っても師には逆らえないか? 烈よ」

 

「本来私がこの日本に来たのは近々行われる武術トーナメントに出場するためです。しかし白林寺から私闘の許可を頂けなかった私は郭 老師にこの日本に行く手筈を整えて貰いました」

「その見返りの代わりに爺が出した条件が俺と闘うことか。相も変わらずひねくれた爺だ」

「勘違いしないで頂きたい。私は郭 老師に言われたから貴方と闘うのではありません。此処へ来たのは私自身の意思です。私は貴方を倒し、トーナメントで優勝し中国武術が地上最強であると証明しにこの日本の地に降り立ったのですッ」

 

「まるで俺を倒すのが既に決まってるような口振りだな?」

 

「そう受け取って頂いて構いません。幼い頃、貴方を初めて見た時、その暗く狂気を秘めた瞳に私は恐怖した。二度とッ あの時の惨めな私には戻りはしないッ その思いで今日まで修行をしてきたのだッッ!」

 

 烈はそう言い放ち構えの姿勢をとった。腰を低く下げ空手の天地上下の構えの様に右手を下に、左手を上に配置してそれぞれの掌は握らず僅かにたゆませていた。

 

「ふっ……もっともらしいこと言って結局は憂さ晴らしじゃねぇか。ま、良いだろう。あの時のガキがどれだけ強く成ったか確かめてやろう。来い」

 

 対して槍月は酒の入った瓢箪を腰にくくりつけるだけで構えのようなものは取りはしなかった。

 

「ぐはッ。ちょちょっとお前らッ……何を勝手に……」

 

 臨戦態勢に入った両名の足元では顔中から血を流しているマフィアのボスが状況を理解できず戸惑っていた。

 

「この中国人はいったい誰なん──オワッ!?」

 

 槍月の胸元に目掛けて烈が崩拳を放つと槍月は右手でそれを掴み、受け止めた。

 一見無造作に烈の拳を掴んだその動作は、実のところ全く無駄は無く槍月がただの力自慢ではないことを烈は拳から伝わる技量で察した。

 

 しかしここで問題なのはボスであった。ビルの小さな密閉された事務室で放たれた達人の突きは周囲の大気を空気砲のように押し上げた。事務室の埃や書類は舞い上がり机や椅子は壁に激突し、窓ガラスは一斉に砕け散り真下の道路に降り注いだ。そしてその衝撃は勿論ボスをも巻き込みは重症の体に更なる鞭が打たれた。

 

「グバァッ!? や、止めろッ 槍月ッ 俺がいるんだぞ!」

 

「中々の突きだが正直すぎる。実戦は初めてか? いずれにせよこの右手は貰ったぞ」

「そうでは無いことを証明しよう……【寸勁(すんけい)】」

 

「だからお前ら何を勝手に……やパッ!?」

 

 風圧で吹き飛ばされ倒れた机や書類の山から這い出たボスを襲う第二の衝撃が放たれた。

 手の内にある烈の右拳をそのまま握り潰そうとした槍月は寸前のところで危険を察知し手を離した。

 しかし極めて至近距離にも関わらず放たれた烈の寸勁は弾丸の如く再び槍月の胸元へ突き進む。

 

「ノーモーションの寸勁かッ! そんなものは弟子クラスにもできるわ! 【天王托塔(てんのうたくとう)!!】」

「むっ!」

 

 迫り来る烈の突きに対して槍月は右足を大きく踏み込むと同時に右手の掌打でもって烈の突きを相殺させた。

 

「アヒャ──ー!?」

 

 二つの大きな力がぶつかり合った瞬間は火薬やダイナマイトなどよりも強烈に周囲を震わせコンクリートとボスの骨を軋ませた。

 

「こ、こんな所にいられるか! お前らだけで勝手にやってろッ」

 

 ようやく理性が働き始めたボスはこの空間にいること自体が危険だと判断して出口の扉へ向かった。

 

「力ならばお前は俺に勝てん。だが他でもお前が俺に勝てるか?」

「確かに……拳豪鬼神の異名を持つ貴方に腕力では分が悪い。ならば私なりの力で正面から行かせて貰うッッ」

 

「グギャ!? 誰だッ 俺に椅子を投げたのは……ってキャー!」

 

 もう少しで扉に手が届きそうになっていたボスの後頭部を椅子が直撃した。

 

 ボスが振り向くとそこは嵐だった。

 

「カアァァッ!」

「ぬぅ……ッ なんて速さだッ」

 

 ボスは思った。

 

 

人間の手足って四本以上有ったっけ!?? 

 

 

 残像が残像を産みその残像は更なる残像を産む。

 烈が繰り出す手技・足技の数々は素早いなどと言う領域を越えた速度と正確さで槍月を強襲した。

 槍月は槍月で、ある時は躱しある時は受け止めまたある時は相殺させるなど此方も持てる技量を惜しみ無く使っていたが、僅かだが圧されていた。

 

 たった一発の突きですら部屋を滅茶苦茶にした彼らの攻撃も今や1秒間に数十発、下手をすればその更に上の攻防が繰り広げられているこの空間は一般人であるボスにとっては地獄でしかなかった。

 

「ゲェー!? 出口出口出口~! よしッ 取手を掴んだぞって──アバ──!?」

 

 取手を掴みさぁこれでこの狂った空間から抜け出せると笑みを浮かべたボスであったがそもこの空間にボスの幸せなどない。ボスが掴んだ取手に槍月か烈、どちらかの拳が流れ弾のように直撃した。

 

 あまりに哀れ。

 ボスの手は取手の破片が突き刺さり潰れたカタツムリのように見るも無惨な姿を晒した。これでは中華街からぼったくったミカジメで好物の寿司も食べれない。

 

「オグググ……クッソー! こうなったら窓から飛び降りて脱出す──ルルルグァ!?」

 

 

 もはや五体満足で逃げ出すのは不可能と判断したボスは残された唯一の脱出口である窓へと向かった。その判断は正しかったが、時既に遅し。

 

 窓に近づくために駆け寄ったボスの両膝をまたもや流れ拳が直撃した。

 

「ヒーッ……ヒーッ……ヒーッ……これは夢だッ 悪い夢なんだァァッ」

 

 死にかけのカナブンの様に床に倒れ手足をばたつかせながら順調に精神が崩壊していくボスを横目どころか全く気にせずに烈と槍月の闘いはヒートアップしていった。

 

「芸達者な奴だ。見世物としてはな」

「まさか、この程度で驚かれては困る」

 

 

 床が抜け落ちる。

 

「止めッ……」

 

「それだけ多くの技を身に付けたのは自信の無さか? 烈」

「ならばその身をもって知るがいいッ」

 

 天井が崩れ落ちる。

 

「もうッ……」

 

「ヌウゥゥゥァッッ!」

()ァァァァァッッ!」

 

 ボスが宙を舞う。

 

「~~~~ッッ!」

 

 ボスは思った。

 此処から生きて帰れたらもう悪いことは止めよう、と。

 クスリも売らない。 

 人も売らない。 

 鉄砲も売らない。

 弱い人に暴力も振るわない。

 

 田舎に帰って畑を耕して真面目にコツコツ生きていこう、と。

 

 

 だから──そう、だからこそ

 

 

 

 

 

「勘弁してくれェッッ

 

 

 勘弁してくれェッッ

 

 

 オレが悪かったァァッ! 

 

 

 助けてくれェェッ~~~!」

 

 ああ無情。ボスの叫びは二人の闘いによって消え去った。

 ボスの苦難はまだしばらく続く。

 

 

 

 

 

 

 烈と槍月が闘いを始めた少し前。ケンイチと馬 剣星の娘 連華は、槍月と烈とがいるであろうビルに向かって中華街を走っていた。

 

「海王!? 何ですかそれ!」

「中国全土から選ばれた拳法の達人たちの中でも高位に位置する一部の達人にのみ与えられる名誉ある称号よ。中国じゃ今は12人の海王がいて今回この中華街に刺客として送り込まれたのはその海王の中においても最高の実力者と言われるのが烈 海王よ」

 

「どんな人なんですか?」

「中国じゃ知らない者はいない拳法の名門 白林寺で幼少の頃から最高の達人たちに拳法のいろはを伝授された最強の武術家よ。私のパパと同じくありとあらゆる中国拳法を修めた真の達人よ」

 

「そ、そんな凄い人がどうして刺客なんかになったんですか?」

 

 ケンイチは当然の疑問を述べた。

 

「そ、それは……あの人に言われたら断れる訳ないじゃない

 

 連華は口ごもりながら眼を逸らした。まるであの人と言う人物に怯えているようだった。

 

「あの人……?」

「え、えーとそれは……なに!? 今の爆発音!」

 

 連華が答えに窮していると辺り一体に鳴り響く爆音が轟いた。あまりの爆音に通行人たちは叫び声をあげたり腰を抜かしたりしていた。

 

「あっ! あのビルですッ きっとあそこに槍月さんや烈って人がいるはずです。急ぎましょう!」

 

 ケンイチは窓ガラスが割れそこから爆音と爆風が飛び出しているビルを見つけた。十中八九そこで達人たちが闘っているだろう。

 

「待ちなさい白浜 兼一!」

 

 ビルに急いで向かおうとしたケンイチの後ろ髪を文字通り鷲掴みした連華。ケンイチは動くことができずそのまま後方に引き倒され尻餅を衝いた。

 

「イテテッ!? な、なんですか!」

 

 振り返ればそこには驚くほど真面目な表情の連華がいた。

 

「アンタ……引き返すなら今よ。あそこに行ったらもう後戻りはできない。私やアンタなんか一瞬でミンチにできるような二人の達人がいるかもしれないのよ?」

 

 それは連華なりの思いやりであった。

 

 短い時間であったが白浜 兼一が悪い人間ではないことはすぐに分かった。何故自分の父がこの少年を一番弟子にしたのかは分からないが、兎に角今から自分が行く場所は間違いなく修羅場と決まっている。だからこそ自分たちのお家事情にこの根っからの善人を巻き込みたくはなかった。

 

「……いえ、ボクは行きます」

「どうして? アンタにとって馬家の事情なんて関係ないのに」

 

「確かにボクは連華さんや馬 師父のことを全て理解しているとは言えません。でも……」

「でも?」

 

「師父が……馬 師父が命を懸けて闘いに臨んだのなら、弟子のボクはそれを見届けないといけないッ それがボクの役目です!」

 

 

 ───ウソ……パパ? 

 

 

 連華は日頃ちゃらんぽらんな父が時たま見せる漢の姿をこの時、ケンイチに見た。

 

「……フ、フーン。アンタ、変な奴ね」

「さぁ! 行きましょうッ」

 

 ケンイチは連華の手を取り強引に引っ張った。

 

「え!? あっちょ、ちょっと~」

 

 突然手を握られた連華はぎょっとした表情を浮かべたがその手を振りほどきはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 所変わってここは梁山泊。

 

「これよりッ 梁山泊豪傑会議を始めるッッ」

 

【無敵超人】風林寺 隼人の招集により集められた剣星を除いた梁山泊の豪傑たち。

 梁山泊豪傑会議とは梁山泊の長である風林寺 隼人議長の命によってのみ開催される梁山泊の最高意思決定機関である。その決定は日本政府や国際情勢にまで影響を及ぼす程の力を持っている。

 

「で、ケンイチの野郎はアパチャイを買収して修行サボりやがったのか秋雨?」

「違うよ! アパチャイ何も知らないよ! ケンイチにお菓子貰って見逃したなんて口が裂けても言わないよ!」

 

【喧嘩100段】 逆鬼 至緒に非難の眼を向けられた【裏ムエタイの死神】アパチャイ・ホパチャイは、口元に付着しているスナックのクズに気づかず兼一を必死に弁護していた。

 

「どうやらそのようだ。しぐれの話では剣星を追いかけ横浜に向かったらしい」

「ん……電車に乗って行っ……た」

 

【哲学する柔術家】岬越寺 秋雨と【剣と兵器の申し子】香坂 しぐれはさも当たり前のようにケンイチの動向を皆に伝えた。

 ケンイチも薄々感づいているがケンイチの梁山泊内外の行動はほぼ全て師匠たちに把握されている。

 

 ちなみに本部流道場はそんなことはしていなかったが最近少し気になる高校生の弟子ができた為に自分や弟子の軍人に頼んで徐々に梁山泊のような監視を始めていることはその高校生には機密である。

 

「横浜? なんでまた剣星はそんな所に行きやがったんだ」

「う~む。皆には話しておくべきじゃな」

「何だジジイ。何か知ってやがんのか?」

「秋雨君とワシにだけ剣星が伝えてきたのじゃがな、どうやら剣星は兄の馬 槍月との因縁に決着をつける気のようじゃ」

 

「なにッ 馬 槍月だと!?」

 

 手に持っていた缶ビールを握り潰したのも気にせず逆鬼は声をあげた。

 

「馬 槍月……剣星の実兄でありその武勇は闇の社会においても知らぬ者はいない。おそらくは中国拳法最強の殺人拳を使う男だ」

「た、確かに驚いたが剣星もガキじゃねぇんだ。ケンイチが死なない程度に巻き込んでも決着は一人でつけるだろ。心配ねーよ」

「そう思っておったのだがの~」

 

 長老は困ったように自慢の長い髭を弄った。

 

「長老、何か私の知らないアクシデントが起こったのですか?」

 

「ワシもついさっき横浜にいる剣星の伯父から知らされたのじゃがな…………郭 海皇(かくかいおう)が動いたそうじゃ」

 

「「「!?」」」

 

 長老の告げた人物の名にしぐれ以外の面々の顔が一斉に強張った。

 

「なんと……ッ まさかそんなことがッッ」

「郭って……あの郭海皇かよ!?」

「アパパ……それかなりヤバイよ~!」

 

「かいお……う?」

 

 三者三様に驚き戦く梁山泊の豪傑たちとは裏腹にしぐれは郭 海皇がどの様な人物なのが心当たりがなかった。そんなしぐれを見かねて秋雨が注釈する。

 

「【海皇(かいおう)】とは中国最強の武術家の称号【海王(かいおう)】の更に上の称号だよ。中国全土に複数いる海王が100年に一度だけ行われる武術大会【大擂台賽(だいらいたいさい)】で闘い、そこだ勝ち残った優勝者のみに与えられる称号が【海皇】

 郭 海皇は約100年前に優勝し以降これまで実力でその座を守り続け、その存在は名実ともに中国拳法界史上最強の達人だ。実力は剣星や馬 槍月をも凌ぐと言われている」

「聞いたことあるぜ。なんでも理合を追求した究極の静の達人だってな。1度闘ってみてぇぜ」

「アパチャイも知ってるよ~! 昔お師匠から海皇にはケンカ売っちゃダメって教えられたよ!」

「とっても……長……生きだ……ね」

 

「長老は戦われた経験がおありなのですよね?」

「うむ……かといってもう何十年も前のことじゃからなぁ。元気にしておるかのぅ」

 

 長老はどこか懐かしげに遠い眼をした。

 

「郭 海皇は殺人拳に身を置いているわけではないがその思想はどちらかと言えば闇に近いものがある。もし本格的に彼と闇が手を組めば我々活人拳にとって大きな危機だ」

「おいおい不味いだろそりゃ! こんな事してねーで俺たちも早くケンイチの所に行かねぇと──」

「まぁ落ち着きなさい。何も郭 海皇本人が日本に乗り込んで来た訳ではない。乗り込んで来たのは彼の弟子じゃわい」

「弟子とは?」

「うむ。烈 海王と言う男じゃ」

「ほぉ……あの烈 海王ですか」

 

 秋雨は得心がいったように頷いた。

 

「前に剣星が話してた烈 海王って奴か? ヤバイ奴なのか秋雨」

「ヤバイかどうかはさておくが、まだ若いながらもその実力は海王の中でもトップクラスの真の達人……次期海皇候補と早くも持て囃されている男だ」

 

 秋雨の解説に逆鬼は早くこの場を離れたそうにそわそわと缶ビールや瓶ビールを弄った。

 

「おいおい、剣星は兎も角ケンイチの奴は大丈夫か? やっぱ俺たちも行った方が……」

 

「だから落ち着けと言うておるじゃろう逆鬼。剣星も己の弟子をむざむざ死なせはしないじゃろ。それに烈 海王の師は郭 海皇の他にもおる。白林寺の(りゅう) 海王じゃ。彼に教えられた男ならば弟子クラスの者を悪戯に巻き込みはせぬじゃろうて。可愛い弟子が心配なのは分かるが兼ちゃんならこのくらいの危険は良い経験になるじゃろう」

 

 長老に図星を突かれたのか逆鬼は電気ストーブの様に顔を赤らめた。

 

「ば、バカ野郎! 俺はただ兼一が梁山泊の弟子として情けねぇ姿見せねぇか気になっただけだぜっ」

 

 恥ずかし紛れなのか瓶ビールを片っ端から手刀で断ち斬る逆鬼を梁山泊の面々は生暖かい瞳で見つめた。

 

「……素直じゃない奴だ」

「う……ん」

「アパチャイ知ってるよ。そう言うの過保護って言うんだよ!」

「アァ!? 何か言ったか!!!」

 

 

 

 逆鬼 至緒。梁山泊一過保護な師匠である。

 

 

 

 

 

 

 時間は現在へと戻る。

 烈 海王と馬 槍月の傍迷惑な死闘の舞台となったマフィアのアジトであるビルは、闘いの余波で崩壊寸前にまで損傷していた。

 

「速さだけでは俺は殺れんぞ」

「死はあくまでも結果。 私と貴方……どちらが強いかと言うだけのことッ」

 

 向き合う両勇に致命傷は無いが傷の多さでは烈の圧倒的な手数によって槍月がより傷ついていた。

 

「お前本当に郭の爺の弟子か? 甘ちゃんめ、いつか死ぬぞ」

「私の師は郭 老師だけではないッ」

 

 言うが早いか烈が槍月に迫る。

 

「やはり甘いッ 【烏龍盤打(うりゅうぼんだ)!】」

 

 烈の飛び出しを待っていたかの様に槍月は、全身を回転させながら掌打を烈に放った。

 

 遠心力によって手に気血を送り込むことで硬質化された手足でもって敵を叩き潰す剛の拳である。

 

 

 

「グヌッ───!」

 

 リーチの差──

 

 両勇の交差した拳は体格で勝る槍月に軍配が上がった。

 

 水月にめり込んだ槍月の掌打は烈の胃と肺を押し上げ一時的な呼吸不全を起こすと同時にそれらの臓器にダメージを与えた。

 

「終わりだ、烈。郭の爺にはお前の首を送るとしよう」

「……ッ」

 

 槍月の掌打が烈に決定打を与えたのに対して烈の拳は槍月の胸に触れているだけで槍月は蚊に刺された程度の感覚しかなかった。

 

 槍月が止めの寸勁を入れようとし、誰もが烈の命運は絶体絶命と考えるこの状況─────

 

 

 

 

「────私の師は……ッ

 

 

 

 ────烈は極めて冷静だった。

 

 

「なに?」

 

 

 槍月の戦力と己の戦力、

 そこから想定しうる戦闘の過程、

 己の被る被害、

 

 ただ真っ向から立ち向かっても馬 槍月は決して倒せないであろうことを。

 

 

 全ては烈の予想通りだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 劉 老師ッ……白林寺の皆が、私の師だッッ」

 

 

 烈の本日最大の震脚は崩れかかった部屋の床を完全に崩落させる一撃となった。

 

 瓦礫や気絶したボスと共に両勇はそのままの姿勢で落下していく。

 

「ここに来て八極の寸勁か。無駄だ、いくら海王とて空中……それも0距離では大した───」

 

 槍月の指摘通りコンクリートの床を踏み抜く程の強力な烈の震脚によって発生したエネルギーは瞬く間に烈の拳へと伝わっていたが、空中……それも完全に拳が槍月の体と密着している状態での寸勁ではたかが知れている

 

 ───烈のこの攻撃に自分は耐えられる。

 

 己の安全を確信した槍月は防御の為の意識を攻撃へと向けた。

 

 槍月のこの自信は長きに渡る武の人生から導き出された結論と言うよりは、かつて己がまだ中国にいた頃に出会った小さなか弱い少年に対する油断が大きかった。

 

 己の姿を見ただけで怯え口を開くこともできなかったあの小僧に人生の殆どを殺人拳で彩ってきた己が負けるはずがない。

 

 それは槍月の執念のような殺意だった。

 

 

 

「甘いの貴方だ、拳は既に完成している。呃啊(フンッ)! 

 

 

 だが、その油断が槍月の命取りである。

 槍月は計りかねた。己が相対している相手は小僧ではなく、4000年の悠久の歴史から代々受け継がれている母国の守護神 烈 海王だと言うことを! 

 

 

「こ、これは────!?」

 

 槍月が咄嗟に攻撃の為に集中していた気を体の内と外である内功・外功へを送ったが全ては後の祭りであった。

 

喝啊(ハァッ)!」

 

 超至近距離の間合いで、足場もなく、空中と言う極めて不安定な状態にも関わらず放たれた烈の拳は槍月を穿ち抜いたかのように突き刺さった後、槍月は吐血しながらは後方の壁に激突した。

 

 

「フッ───ハァ……ハァ……ハァ……!」

 

 ビルの下階に崩れる様に着地した烈も同じく吐血した。

 

 超至近距離からの一撃を槍月に与える為とは言え、あえて此方から差し出した手打ちの被弾は後一歩間違えれば反撃どころかそれで終わっていた程の威力であった。

 

「グォ……ォッ!  ま、全くのゼロ距離からここまでの寸勁とはなッ」

 

無寸勁(むすんけい)……油断した貴方ならばこれが絶好の一撃となる……郭 老師の御言葉です」

 

 またも郭海皇の名を出された槍月はこれまでに無いほど顔を歪ませ憤怒の表情と気を放出した。

 

「あの腐れ爺がッ……グゥゥゥ……良いだろう、もうお前を小僧とは思わんッ 烈 海王!」

 

 吐血も構わず槍月は烈の懐に飛び込んだ。

 烈と槍月は共にダメージが深いものの、槍月は怒りのエネルギーによって烈を上回った。

 

「我が絶招(奥義)で葬ってくれるッッ」

 

 

 

 手負いの達人ほど恐ろしいものはない。

 烈は心臓と頭部の守りを堅固にする構えを取った。これで一先ずは一撃で死ぬことはない。そして槍月の攻撃を受けきった後、ダメージが回復した己がカウンターで槍月に止めを刺すと考えた上でだ。

 

「ぬ!?」

 

 

 だがここで烈は槍月の拳を見て戸惑った。

 槍月は明らかな殺意をもって此方に向かって来る。だが突き出されている両手の行き先は自身の腹部だ。それも拳の形から掌打を打つようだ。

 

 急所を守護っているからといって他の部位を捨てるほど烈は浅はかな武術家ではない。急所以外の部位ならばいかなる打撃であろうとも耐えきれるだけの内功・外功を鍛えているのだ。

 

 それが分からない槍月ではない。ならばこの拳の意味するところは一つだと烈は結論付けた。

 

「囮の拳など貴方らしくもないッ 覚悟!」

 

 両手は囮でありおそらく蹴りが本筋であろうと当たりを付けた烈は、囮の拳をあえて受けた。

 

 そしてその上で、その本命の一撃を真っ向から打ち破ってみせると烈は構えた。

 

 郭 海皇から長い放浪生活による槍月の油断や無寸勁を使うことをアドバイスされたことに烈は一抹の不公平感を覚えていた。最後くらいは真っ向からあの馬 槍月と向き合い勝ちたい。それでこそ、師や己に誇れる勝利となるだろうと。

 

「あえて受けるか。愚か者め」

 

 だが、これこそ郭 海皇が烈 海王を馬 槍月に引き合わせた理由であるとこの時の烈は知りもしなかった。

 

 

 

さぁ何が出る! 

 蹴りか!? 

 拳か!? 

 それとも暗器か!? 

 

何が出ようとも私は構わんぞ!! 

 

 

 

 

 

 万全の体勢で槍月の本命の一撃を待っていた烈は眼を疑った。

 

 槍月が繰り出したのはまたも掌打、部位も同じく腹部だ。

 

 

バカな!? 何故!? また囮なのか!? 

一体なんの意味が────

 

「死ぬがよい、烈 海王」

 

 

 槍月の意図を計りかねた烈は出遅れてしまった。冷静に考えればどう考えても不自然だった。

 だが、馬 槍月を出し抜き、一撃を与え、熱くなっていた烈は皮肉にも今しがた槍月に言ったように油断していた。闘いにおける重要な判断力を失っていた。

 

 

 

「そこまでね!」

 

「ぬ! 貴様は──」

「貴方は!?」

 

 突如現れた乱入者

 

 

 3発目の掌打が烈の腹部叩き込まれる直前、槍月の拳を馬 剣星が止めていた。

 

「剣星か!!!」

「剣星殿!!!」

 

 槍月が怒りや悲しみを含んだ複雑な表情を浮かべるのに対して烈は試合を邪魔されたことに今にも爆発しそうな形相だった。

 

 

「師父!」

「パパ!」

 

「ありゃ、兼ちゃんに連華……来ちゃったのね」

 

 

 更に遅れてケンイチと連華も駆けつけ周囲の雰囲気は混沌に包まれた。

 

「馬 槍月に烈 海王……やっぱり凄い気当たりねッ」

「うわっ! ビルが滅茶苦茶だ……ってここに人が倒れてますよ!? 重症だ!」

 

 ケンイチのすぐ側には気絶し瓦礫に半ば埋もれかかっているマフィアのボスが横たわっていた。ケンイチの指摘に連華は冷めた視線を向ける。

 

「あっ、こいつはここのマフィアのボスよ。ほっときなさいよそんな奴。二人の闘いに巻き込まれて死ななかっただけで十分幸運ってものよ」

 

 

「剣星殿ッ! 貴方との槍月殿との因縁は聞き及んでいますが今は邪魔をしないで頂きたいッッ」

「同感だ。武人同士の闘いに横槍を入れるなど誰であろうと許さんぞ」

 

 

「兄さん……烈殿も、これ以上暴れるのならば私も手を出すね。そうなれば三人の内確実に二人死ぬね」

 

 

私は一向に構わんッッッ

 

 

 大気が震える程の覇気を纏った烈の怒声に剣星は困ったように帽子を深く被った。

 

 

「生き残っても五体満足とはいかないね。この後に控える武術大会に参加すると徳川殿に伝えたのならば、万全の状態で挑むのが徳川殿や他の選手たちに対する礼儀と言うものね」

 

「…………」

 

 烈は依然、頑として意思を曲げるつもりはないと直立していた。

 頑なな烈の態度は初対面の兼一にこの烈 海王と言う人物は相当に頑固な人なのだろうと言う印象を与えた。

 

「それに、勝負の続きと言うのなら既に決着は付いているね。烈殿の敗けね」

 

「何を言っているッ 私はまだ闘え────ガハァァァッッ!!?」

 

「わー!? 突然血を吐いた~!」

 

 いきなり自身の敗北を宣告された烈は非常に怒り剣星に詰め寄ろうと足を動かすと、烈の体は突如としてくの字に折れ曲がり大量の血を吐きだした。

 

「何だッ!? こ、こんな……いつ──!?」

 

 烈自身も驚きのことで痛みよりも驚愕が勝っていた。信じられないような顔で自分が吐き出す血を眺めていた。

 

「先ほど烈殿が受けた掌打は兄さんの奥義、兇叉(きょうさ)。ガンマナイフの原理を応用し、浸透勁の寸勁を体内のある一点に交差するように複数放ち威力を飛躍的に高め対象を破壊する殺人拳ね」

 

 烈は苦痛に顔を歪ませると同時に己の迂闊さにようやく気がついた。自身が受けたのは3発中2発……2発でこの威力なのだから剣星が止めてくれた3発目を喰らっていれば恐らく今頃……

 

「ふ……不覚────」

 

 

 込み上げる血と後悔の念に苛まれながら、烈は気を失った。

 

「他人の奥義を勝手にぺらぺらと話すな、剣星」

「兄さん……まだこんなことを続けているのですか」

 

 いつもの剣星ならば冗談の一言でも言いそうだがこの時の剣星はケンイチが信じられないくらいに真面目だった。

 

 

「何はともあれ……ここでこうしてお前と会ってしまったのは何かの運命だろう。構えろ」

 

 感動の兄弟の対面ではない。

 二人の間に漂うものは一方は哀愁でありもう一方は殺意だった。

 

「兄さんッ まだやり直せます。共に故郷へ帰りましょうッ」

 

 剣星は手を差し伸べる。剣星に取って槍月はどれだけ年月が経とうとも血の繋がった家族だ。家族だからこそ兄の凶行を止められなかった責任も現在まで痛感している。

 

「笑止、お前と共に行く道などとうに捨てたわ! 構えろ剣星ッ」

「……貴方は烈殿との闘いで深手を負っています。その傷では……」

 

 槍月は致命傷こそ負っていないが烈の無寸勁によって内臓に相当のダメージを負っていることを剣星は気づいていた。剣星も兄と決着はをつけなければと思いここまで来たが、これではとても尋常な勝負などできなかった。

 

「侮辱する気か?」

 

 剣星の気後れに槍月は気を荒立てる。武人としての矜持を傷つけられたのだ。

 

「兄さんッ 私は兄さんを」

 

 

 

この俺を……侮辱する気かァッッ!! 

 

 

 激しく興奮した為大きく咳き込んだ槍月だったが、傷んだ体を気力の力で動かし剣星に迫った。

 

「クッ────兄さんッ すまない!」

 

 

「馬 師父────!」

 

 

 ケンイチの眼には何が起こったのかはもちろん見えない。だがこの勝負の結果は誰が見ても明らかだった。

 

 

 

「グフッ────!」

「兄さん……やはりその体では……」

 

 

 当然、と言うべきか。

 槍月は膝から崩れ落ち力なく項垂れた。剣星の勝利である。

 

 

 その勝敗が合図のようにいままで辛うじて無事だったビルの柱に亀裂が入り鉄骨やコンクリートが大きな唸り声を立てた。

 

「パパ! ビルが崩れるわ、早く逃げましょう!」

「師父! 危ないですよ!」

 

「行け、剣星。俺は残る」

「……」

 

 

 

「兼ちゃん、連華、マフィアのボスと烈殿を連れて急いででここから離れるね」

「そ、そんな!? 槍月さんはいいんですか!」

 

 兄を見捨てる。それはケンイチが知る馬 剣星ではあり得ない選択だった。

 

「兼ちゃん……兄を武術家として死なせたいね。ならばその役目は弟であるおいちゃんね」

 

「し、師父……」

 

 早々と兄に背を向け出口へと向かう剣星の顔はケンイチには見えない。

 だがケンイチには見えた気がした。その悲しい背中が。

 

「……構うな剣星の弟子。お前もよく覚えておけ、人殺しの最後などこんなものだ」

 

「……行きましょう兼一。私たちが口を挟んでいいことじゃないわ」

 

 

 

 正しい選択肢とはなんなのか。

 師の心中を察するならば、弟子になって一年も経っていないケンイチが口を挟むべきではないことだろう。

 師が何十年と考え抜いて出した答えがこれならば、弟子は黙って従うのが本来の師弟の在り方なのかもしれない。

 

 

 

たが──────

 

 

 

「ボクは認めない。こんな悲しい兄弟の別れなんて!」

 

 

 生憎と白浜 兼一は普通の弟子ではなかった。

 

「なっ!? 危険よ兼一~!」

 

 瓦礫が降り注ぐ中、槍月に向かって走るケンイチに連華は度肝を抜かれた。

 連華は父の出した答えに従った。それが正しいとは思わなかったがだからといって自分にできることなど無いと思っていたからだ。それなのに目の前のあの少年はなんだ? 彼は自分よりも遥かに劣る実力しかない非力な男だ。なのに何故? 

 

 連華は遠ざかるケンイチの背中を見続けた。

 

「さぁ槍月さん! ボクの手を取って下さい! 自分から死ぬなんて馬鹿げてます!」

 

「お前……」

 

 槍月の眼には不思議な光景に映った。目の前の少年がかつて幼い頃の剣星に見えたのだ。

 まだ若く、仲の良かった少年の日の思い出が槍月の中で想起された。

 

「全く……剣星も不思議な弟子を育てたものだな。いいだろう、死ぬのはやめだ」

「本当ですか!? 約束ですよ! ──うわっ!?」

 

 槍月の伸ばした手をケンイチが取ろうとすると、槍月はそのままケンイチの胸に手を押し当て剣星たちの元まで突き飛ばした。

 

 

 

「また()ろう……剣星」

「に……兄さん……!?」

 

 

 

 

 その後、マフィアのボスは警察に自主して中華街に平和が訪れた。

 烈 海王は剣星と白眉の中国4000年の治療によって回復し、騒ぎを起こした償いとして白眉の店で暫く働くことを自ら申し出た。そして仕事の合間に己の未熟を恥じて更なる修行を行っている所を連華のねだりによって自身の修行の傍ら彼女に武術指導などもすることとなった。

 

 連華は海王と修行できることにウキウキしていると共に、少しだけ気になる少年のことを想い今日も看板娘として元気に働いている。

 

 剣星は暫くの間元気がなかったがある日兼一に小さく「ありがとう」と礼を言い、その次の日からはまた美羽やしぐれにセクハラをするようになった。

 

 兼一はと言えば修行をサボった罰で秋雨の緻密な計算から導き出された兼一がギリギリ死なずに達成できるペナルティトレーニングを課せられ、罰則期間中は「いっそ殺せ」が口癖となった。

 

 

 

 

 そして馬 槍月は……

 

 

 

 

「やれやれ……剣星の弟子め。勝手に約束などしやがって」

 

 

 どこかの路地裏で瓢箪片手に酒を呑む槍月の表情は穏やかなものだった。

 

「小僧との約束を破ったとあっては、馬家の名折れ…… 柄でもないか」

 

 槍月はもう一度大きく酒を呷る。夜空には月が出ていた。

 

「俺の小生意気な弟子は今頃どこで何してるやら……たまには構ってやるか」

 

 

 

 決して破れぬ、口約束

 

 

 




烈さんはどうしてよりによってそれを喰らっちゃうかな~みたいな展開が多くて歯痒いです。
そこが可愛い所でもあるのですがね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

信念!

刃牙の声優さんも発表されていよいよアニメが近いですね。楽しみです。


 今は使われなくなった古く寂れた廃ビルの一室に人影が複数あった。

廃ビルらしく塗装やコンクリートが剥がれ落ちガラクタが散乱している室内には似つかわしくないソファーが陳列されていた。

 

「今日の集まりはこれだけか。ま、仕方ねぇ」

 

ソファーに座っているゴーグルを掛けた男が他の2名に向けて語りかけた。

 

「八拳豪諸君……と言っても3人しかいないが気を取り直して言うぜ? 俺たちラグナレクは八拳豪を中心としてこの町で最大の勢力を誇る軍団となった。そして目下ラグナレク最大の敵対組織YOMIッ! 奴等は最近不穏な動向を見せている。その証拠に俺たちのシマで暴れているとの報告も上がっている」

 

彼は名は鷹目 京一(たかめきょういち)

ラグナレク八拳豪の一人、第四拳豪【ロキ】の名を冠する男である。

 

「ならちんけな弱小チームを掃討するよりもっとやることがあるんじゃないのかい?」

 

他二人の内一人がロキに意見した。

黒髪のショートカットにランニングシャツとジャケットを羽織ったボーイッシュな女は第三拳豪【フレイヤ】

ラグナレク最強の女戦士はロキの話に興味を持たず一枚の写真を見つめていた。

 

「だからこそだ。ラグナレクの急務は縄張りの地盤を強固にすることにある。この町の殆どの勢力は我ら八拳豪によって駆逐した。残るは柴 千春(しばちはる)率いる暴走族集団【機動爆弾巌駄無(きどうばくだんがんだむ)】だけ、近日中にも八拳豪総出で片をつける計画だったはずだったのに今更新白連合なんて新興のチームに末席とはいえ八拳豪の一人がやられるなんてポカは勘弁してほしいぜ」

 

「だが元はと言えばロキ、お前が柴 千春はバカでその子分たちもバカの集まりだと我々に言って野放しにしていたのだろう。つまりお前が奴等を甘く見て初期対応を間違ったのはそもそもの間違いじゃないのか?」

 

フレイヤの指摘が全くの言いがかりならロキは即座に否と言った。だがそう言い切れるほど、自身に落ち度がなかったとは言えないのが正直な心中であった。

 

「……奴等は全員バカの集まりだ。話し合いなんざ通用しねぇ。幹部の何人かに金や女を握らせて内部分裂を図ろうとしたが全員が断りやがった。リーダーをあそこまで祭り上げるとは、揃いも揃って狂人だ」

 

初めて柴 千春の名を知った時、ロキには自信があった。伊達にラグナレクの参謀を担ってはいないのだ。暴走族など所詮は社会に弾かれたドロップアウトの不良どもの集まりだと思っていた。

 

 

だが違った。

 

 

柴 千春率いる暴走族はまるで強固な一つの軍団だった。こちらの用意した硬軟織り交ぜた工作を奴等は頑として聞き入れずその鉄の結束の前にはロキ自慢の策略ですら傷一つつけることはできなかった。

 

「おまけに柴 千春はかなりの腕前と聞く。お前の私兵も随分病院送りになったそうだな」

 

加えてロキの立場はラグナレクでも特殊であった。幹部とは言え参謀としてあれこれ指示を出すロキのことを快く思っている他の八拳豪など誰もいないのが実情だ。それでも彼が参謀としての地位にいるのは、彼の策略がどれも的を射ていたからであり、今回のようなミスはフレイヤとしてもロキに意趣返しができる格好の機会であった。

 

 

「なんならお前が行ってくれるかフレイヤ? お前と傘下のワルキューレなら……」

「悪いが遠慮させて貰う。私には他にやるべきことが出来た」

「バルキリーの敵討ちかい? 手元から離れていっても元部下は可愛いか」

 

お返しとばかりにフレイヤを嘲るロキだったが、当のフレイヤは気にも止めていなかった。

 

「勘違いするな。どんな理由があったにせよあれ敗北は敗北、敗けたアイツが悪い。私はただ八拳豪バルキリーを倒したと言う新白連合の宇喜田と言う奴に興味があるだけだ」

 

フレイヤは確固たる決意の眼を写真に写っている宇喜田 孝造に向けていた。その瞳の奥にはまるで猛獣のような猛りがあったが、それを外に漏らすほど彼女は未熟でもなかった。

 

「そーかいそーかい。ま、新白連合の方も俺がリサーチしとくさ。柴 千春の反省を活かしてね。

しかしなんだねぇ……八拳豪の集まりも悪いな。ハーミットとバーサーカーは相変わらず一匹狼だしトールは最近師匠を見つけたとかなんと言って相撲部屋に籠りきり、ジークフリートも放浪中でバルキリーは戦線離脱。まともなのは俺とフレイヤとあんたくらいだよな、()()()()()()?」

 

オーディーン、とロキに呼ばれた男は眼鏡をかけ直しフレイヤに向かった。

 

「フレイヤ、新白連合にはしばらく手を出すな」

 

「何故だ、リーダーが出るのか?」

 

フレイヤはオーディーンに鋭い眼を向けた。さながらそれは獲物を横取りされたような気分だった。

 

 

「手を出すな」

 

 

フレイヤとそれほど違わない年齢であろうオーディーンは、そんは高まったフレイヤの気を異に返さず改めて命令した。その口調はどこまでも暗く、重く、言葉そのものにオーディーンの意志が込められているかのようにフレイヤを黙らせた。

 

「……分かった」

 

重ねて言うがフレイヤは未熟ではない。

自分と相手の差がどれほどのものか、勝機はあるのか、それらを十分に理解したからこそ、フレイヤは無駄な争いを避けた。

 

「その代わりと言ってはなんだが、その暴走族とやらは私が処理しよう」

 

「リーダーが?」

 

オーディーンの発言に今度はロキが戸惑った。

 

「まぁ待ちなよ、大将がいきなり出張るってのは組織として……」

「ロキ、お前がその暴走族にどんな交渉を仕掛けていたのか私が知らないとでも?」

 

オーディーンの言葉をフレイヤにはなんのことか分からなかったが、ロキの表情を見て納得がいった。

いつも軽薄な薄ら笑いを浮かべている顔が面白いほどひきつっていた。

 

「……ッ や、やだなぁもう~♥️ 参謀としての立場がないって言いたいんですよ。でもリーダーがそこまで仰るなら楽させてもらいますよ」

 

 

 

会議が終わり各々が帰路につく中で、ロキは苦虫を噛み潰した顔で携帯で通話相手に幾つかの命令を矢継ぎ早に出しながらスクーターのエンジンをかけていた

 

「ああそうだ。柴 千春への誘引は打ち切りだ。見込みもないしな。いいや20号、裏切りは手はず通り準備を進めろ。俺も予定通りバーサーカーに取りかかる」

 

携帯を切ると同時にかかったスクーターに飛び乗りロキは笑みを浮かべながらアクセルを入れる。

 

「ラグナレクもそろそろ終わりだ。精々暴れてくれよな、新白連合さんよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 ロキたちが会議をしている頃、荒涼高校中庭では範馬 刃牙(はんまばき)松本 梢江(まつもとこずえ)が弁当を広げていた。その様子は実に幸せげであり誰もが彼ら二人だけの空間を尊重していた。

 

「どうしたの刃牙くん?」

「んーーなんか良くないものが近づいてる気が……」

 

だが、その幸せ空間を平気で土足で踏み荒らす悪魔が存在する。その悪魔の名は────

 

 

「ヤッホー刃牙くん♥️」

「ゲっ……新島」

 

 

───新島 春男である。

 

この悪魔兼宇宙人の男が現れたことにより刃牙はため息を吐いた。

 

「お友達? 刃牙君」

「友達じゃない、宇宙人だよ。とびっきり悪魔の」

 

こんな奴と友達だと思われては堪らないと刃牙は梢江の問いに即座に否定した。当然梢江にはなんのことだかさっぱりである。

 

「う、宇宙人?」

 

もう一度大きなため息を吐いて刃牙は広げていた弁当をたたむ。

 

「ごめんね梢江ちゃん。今日はこれで」

「あ、うん。また明日ね刃牙君」

 

梢江も刃牙の気持ちを察しその場を離れた。

後に残った刃牙はあからさまに不機嫌な目付きで新島を無言で責めるが新島は心の底から罪悪感ゼロの表情でさらりと受け流した。

 

「悪いねぇ、邪魔するつもりはなかったんだが」

「なら今度はもう少し配慮してくれよな」

 

「いやーそれにしてもすみに置けないな刃牙君。さっきの娘、松本 梢江だろ? オレ様の学ランによれば周囲の評価はそれほどでもないがあれはか~な~り~の期待値を持ってる逸材だ。同窓会でいいオンナに化けてる典型的なタイプだ」

 

「それで! 何の用だい新島。俺と彼女をちゃかす為に来た訳じゃないだろ」

 

「ヒヒヒ当然……単刀直入に言うぜ。オレ様最近新白連合ってチームを作ったんだ。それに入らない? てゆーか軍門に下らない?」

 

「断る」

 

即決であった。

 

「え~? 中学時代からの仲じゃないか~」

「そりゃあの頃はお前がいてくれて色々と助かったよ。強い奴の情報とか交渉とかさ。でもそれとこれとは話が別だ」

 

「あっそ。ならいいぜ」

 

やけにあっさりと引き下がった新島に刃牙は気勢を削がれた。刃牙としては話が長引きそうなら最悪この場から逃げ出そうとも考えていたのだ。

 

「お前にしてはバカに素直だな。ちょっと気持ち悪いぜ?」

「オレ様はゲーム好きだけどヌルゲーは嫌いなんだよ。お前が入ってくれりゃ怖いもの無しだがそれじゃオレの目指すものは手に入らない」

 

「ふーん。で? じゃあ俺にどうしろっての?」

 

「なーに簡単だよ。これからもお互い仲良くしようぜ?」

 

「仲間に入らないなら敵に回るなってか。新島、俺はお前が害を向けない限りこっちから手は出さないよ。その新白なんとかってのもそう。不可侵条約ってのはそう言うものだろ?」

 

刃牙の差し出した手を見て新島はニヤリと笑いその手を握った。

 

「オーケー、条約成立だな。じゃ、彼女にヨロシクね~♪ あっ、()()()()()()も頑張ってね~」

 

驚くべきスピードと気色悪さでその場から四つん這いで去っていった新島に刃牙は何故お前がトーナメントを知っているのか聞きそびれてしまった。

 

「驚いた。アイツどっからトーナメントの情報知ったんだか」

 

本来トーナメントは世界でも指折りの徳川財閥が秘密裏に計画しているものでありネットを検索した程度では分かるはずがないのだ。

新島春男を一介の学生と定義するのも無理がある話ではあるがそれでもますます新島のことが分からなくなる刃牙であった。

 

 

 

「あっ ば、刃牙……」

 

 

 

昼休みの時間もそろそろ終わりそうなので教室に戻ろうとした刃牙であったがそこになんと宇喜田が現れた。

 

「これはこれは、宇喜田先輩じゃないですか。あの時のリベンジですか?」

「あ……いや、偶然だよ偶然」

 

宇喜田の言葉は本当であった。南條 キサラに辛くも勝利したものの、捨て台詞で殺害宣言をされた宇喜田のハートは硝子が粉々となるように砕け散った。

それ以降はキサラの言葉が頭を離れず修行にも身が入らない日々が続き今日もふらふらと学校を徘徊している内に刃牙に会ってしまったのだ。

 

「な~~んだ。てっきりこの前の仕返しかと思いましたよ♪」

「うっ……そ、そのな刃牙……この前はすまなかった。俺が悪かったよ」

「急にどうしたんですか? 不良らしくないですよ」

 

刃牙は以前宇喜田から感じられていた荒んだ気配が消えていることに気づいた。

 

「不良は少し前に止めたよ。……なぁ刃牙よ。ちょっと俺の話、聞いてくれないか?」

 

宇喜田はそこから自身とキサラとの間に起こったことを刃牙につらつらと打ち明けていった。冷静に考えればほぼ他人の刃牙に重大な悩みを話す理由は皆無であり話される刃牙も困ってしまうがこの時の宇喜田はそれほど追い詰められ冷静ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 柴 千春は内心殺気だっていた。

 

理由は単純明快であり近く徳川財閥の開く東京ドーム地下格闘技場で行われるトーナメントに参加することが決定したからだ。

 

自分の実力が通用するのか心配しているのではない。

 

「遂にあの人に俺の喧嘩を見せれる。待っててくだせぇ……花山さん」

 

花山 薫────

 

 

柴 千春のような不良にとっては神にも等しい不良の中の不良、最強の漢。

 

その花山もまたトーナメントに参加すると徳川財閥から聞かされた千春は即決で参加を決めた。

 

憧れの漢に自分が漢であることを証明する。

その為ならば死んでも構わない覚悟を千春は既に決めていた。

 

「トーナメントも近ぇし警察にパクられて参加取り消しも御免だ。チーム総出で走るのは今日で最後にしとくか……」

 

千春はチームが既に終結している河川敷に向かって名残惜しそうに呟くも、心の中では仮に捕まって手錠をはめられたとしても、千春は腕を切り落としてトーナメントに行く腹積もりであった。

千春のスタンスとしてトーナメントがあるからといってトレーニングなどは一切しない。走り込みや筋トレもしない。組み手などもってのほか。まして相手の分析や対策などあり得なかった。

 

 

 

────生のままに生き

 

 

────生のままに強くある

 

 

 

 

 

 

それが千春の尊敬すべき花山 薫と言う漢の生きざまであるが故に、柴 千春もそれを実践している。

 

 

しかしながら、花山はこの世に生を受けた瞬間から強者としてある一方で千春はただの体格が良いだけの一般人。

 

常人では決して真似できない強者の生き方を普通人柴 千春はあえて選択し苦難の道を進んでいる。その原動力は全て千春の並外れた精神力の成せる偉業であった。

 

 

 

     

普通の肉体に鋼の精神力

 

 

 

この精神力こそただの暴走族たる千春が徳川財閥の目に留まりトーナメントに参加できた最大にして唯一の強みであった。

 

「へっ……今日はいい夜風が吹いてやがる。こんな夜に暴走しねぇ暴走族はいねぇぜ」

 

千春はタバコに火をつけハチマキを絞め直し河川敷に飛び降りた。

 

「おい、オメーら何処にいやがるんだ……?」

 

当然血気盛んな手下たちが集結していると思っていた河川敷は、夜の闇が広がるばかりで千春は辺りを見渡した。

 

「残念だが今夜の暴走は中止だ」

「……誰だ」

 

「君の名前は忘れてしまった……大変申し訳ないのだが君を家には帰さない」

 

現れたのはラグナレク、八拳豪の頂点に君臨する第一拳豪 オーディーンだった。

 

千春が眼を凝らすとオーディーンの背後には機動爆弾巌駄無のメンバーたちが大量に横たわっていた。

 

「や、野郎……ッ!」

 

「既に君の部下たちは全滅した。一度だけ降伏するチャンスをやろう。それがこれまでラグナレクに抵抗してきた君たちに対する私なりの誠意だ」

 

 

「降伏だぁ? なに言ってやがる。俺たちの世界じゃあな……大将がやられるまで勝ち負けはねぇんだよ」

「状況が理解できないほど馬鹿なのかい? 君と私の戦力差は火を見るより明らかだ。断言しよう、もし闘うのならば君は一撃で敗れ──」

 

「ウラァ!」

 

言葉を遮るように放たれた強烈な千春の右ストレートだったが、オーディーンは毛ほども焦らずにまるで羽虫をあしらうかのような動作で払い除けた。

 

「シッ!」

 

と同時にオーディーンは千春のコメカミに正確かつ強烈な掌底を見舞った。

 

「ッ…………」

 

千春は受け身も取れず後方に倒れそのまま動かなくなった。

 

「やれやれ……この程度の相手にてこずっているようではロキも所詮は凡人か」

 

オーディーンは興味を失った眼で倒れ伏した千春を一瞥し、その場から去ろうとした。

 

「待てよ」

 

オーディーンの足が止まる。

 

「……大したタフネスだ。今の打ち込みを喰らって意識を、まして喋れる奴はそうはいない」

 

オーディーンが振り返ると千春は既に立ち上がりガンを飛ばしていた。

 

「いい一発だったぜ。けど漢の喧嘩はやっぱこれだろ」

 

千春はオーディーンの前に右手を突き出し拳を握った。

 

「喧嘩だと? まさか君は今の一撃を喰らってもまだレベルの差に気づいていないのかい」

 

「しゃらくせェッ!」

 

千春は握った拳を振りかぶり再度オーディーンに殴りかかる。その構えは我流であり効率を無視した完全な素人のパンチだが、勢いだけならば大の大人をノックアウトするだけの威力があった。

 

「馬鹿め……ッ!」

「おッ!?」

 

一直線に突き進む千春に向けてオーディーンは強烈な気当たりを放った。

 

【気当たり】

 

己の闘気やオーラと呼ばれる物を放ち威圧感やフェイントを相手に与える技である。

達人級の武人ならば誰でも使うことができる技で並みの一般人ならば卒倒してもおかしくない気をオーディーンは千春に放ったのである。

 

気当たりによって怯んだ千春の拳をオーディーンは擦るように合わせた己の腕で捌くと同時に、その勢いを利用して打たれる掌底で仕止める算段であった。

 

「終わりだ【交差撃墜(クロッシングショットダウン)!!】」

「へッ───」

 

だがオーディーンには大きな思い違いがあった。

 

「舐めんなッ!!」

 

柴 千春はただの不良ではない。

 

こと意地をツッパルことに関しては恐らく世界一の不良、それが柴 千春である。

拳をいなされた千春は気当たりによる精神的な抑圧を即座に跳ね退けオーディーンの鼻っ柱向けて思いっきり頭突きを喰らわせた。

 

「がふッ!? くっ……貴様ッ」

 

これに面を喰らったのはオーディーンだった。

己の気当たりをまともに喰らっておきながら即座に反撃をしてくる人間など今まで彼が屠ってきた相手にはいなかった。

 

(私が……血、だと!? こんな素人に……ッ)

 

オーディーンは鼻から噴き出す血を拭い激怒した。柴 千春は明らかに武術の素人である。繰り出す打撃や佇まいからもそれは確かだ。

 

そんな奴の攻撃を喰らって無様に鼻から血を流している自分─────柴 千春以外は誰も見てはいない河川敷だと言うのにオーディーンは激しい恥辱に駆られ奥歯を噛み締めた。

 

「今のは中々のガン飛ばしだったぜ。だがその程度でビビってちゃあ族の総長が務まるわきゃねぇだろ!」

「……大した自信だな。右手を見てみろ」

 

「ん? ……おっ」

 

オーディーンの指摘で千春は自分の右手が肘から逆関節に曲がっていることに気づいた。

オーディーンは千春に頭突きを喰らったものの、瞬時に接触していた千春の右手の関節を外したのである。

 

当然だとばかりにオーディーンは勝ち誇るように笑みを浮かべた。

 

(暴力に耐性のある人間でも自分の体が壊れていく様を見るのは相当のストレスだ。どんな人間でも必ず弱気になり戦意は削がれる。闘争心の隙間に恐れが生まれ、恐れは敗北を引き寄せる。この暴走族も例外ではない。直ぐ様悲鳴をあげ後退る筈だ。

 

そこを自分は打ち、終わらせればいいのだ)

 

 

「さぁ、これで利き手はもう使えな────」

「それがなんだってンだァッッ!」

 

意外────

オーディーンにとってはあまりにも意外に千春は再度突貫した。

外れた筈の関節をまるで他人事のようにブンブンと振り回して此方に全速力で向かってくる千春にオーディーンは僅かながら足がすくむ感覚を覚える。

 

「ッラァッッ!」

「……ッ本当に大した度胸だよ君は! だがね、やはり君は素人だ!」

 

千春の右手はもう使えない。それがオーディーンにとっての純然たる事実であった。

 

(使えるのは両足と残った左手のみ。

そして此方に向けて走る奴の姿勢は間違いなく打撃姿勢それも上半身の配置だ)

 

 

千春が次に繰り出す攻撃は左ストレート

 

 

それがオーディーンの出した結論であった。

 

加えてオーディーンは自身周りに制空圏を張った。自身の間合いに侵入した攻撃を自動的に打ち払うオート迎撃システムはどんな不意打ちであろうとも反応できる代物だ。

 

千春が外れた方の右腕を振りかぶり打撃のモーションを取ったのを見てオーディーンは内心ほくそえんだ。

 

(素人なりに頭を使ったのだろうがバレバレのフェイントだ。制空圏を使うのも馬鹿らしいほどにな。

人間は無意識に患部を庇うものだ。外れた右腕では仮に当たったとしても大した打撃にはなるまい。いかにも不良らしい小賢しい手だがそんなくだらない手に私の武術は決して敗けん!)

 

 

オーディーンは勝利を確信し【交差撃墜】の構えを取る

 

 

「今度こそ終わ────!?」

 

 

オーディーンは仰天した。

 

虚の攻撃の筈の千春の右腕のストレートが勢いそのままに自分の眼前に迫ってきているではないか。

 

そんな筈はない──

 

きっと別の攻撃手段を繰り出す筈だと眼を凝らすも千春の右ストレートはそのまま右ストレートとしてオーディーン目掛け振るわれている。

 

「ブチかますぜッ!」

 

辛うじて発動した制空圏によって千春のストレートを受け止めるも想像より痛烈な打撃によって掌にはビリビリと衝撃が伝わる。

 

「まだまだイクぜーーッ!」

「なんて奴だ……外れた右腕で殴るだなんて!」

 

千春は今しがたのストレートで関節部位が赤黒く変色した右腕を更に振りかぶり猛烈な連打を至近距離からオーディーンの頭部に叩き込んだ。

 

制空圏と言えど所詮は使う武術家の精神が揺らげば絶対の防御システムも脆いものだ。千春の蛮行、暴挙、自殺行為とも取れる闘い方はオーディーンにとっては全く理解できない異次元だった。

 

何よりも目の前の不良から発せられる気当たりにも似た圧力が確実にオーディーンの精神に怯みを与えていた。

 

「オラ! オラ! オラオラオラオラァッ!」

 

(なんなんだ……何がコイツを此処までッッ)

 

この柴 千春の背負っている『誇り』『男気』『根性』などは、痛烈な打撃と共にオーディーンの肉体に打ち込まれていく。それらはオーディーンの凍ったどす黒い精神に僅かながらの反応を与えた。

 

「~~~~ッッ! いい加減に倒れろ!!」

 

オーディーン放った起死回生のカウンターは正確に千春の顎を捉え打ち抜きそれまでの猛攻が嘘のように河川敷の土手に転がった千春を見てオーディーンはようやく溜飲を下げる。

 

「素人風情が武術を舐めるからだ。体力や根性だけでこの私を──」

 

「……弱ぇな」

 

「───!?」

 

千春は倒れたまま夜空を見上げて今しがたのオーディーンの攻撃を分析していた。

分析といっても姿勢がどうのとか力の加減がどうのとかではない。

 

 

 

それは忘れもしない衝撃だった。

 

 

 

千春の脳裏には過去の不良グループとの抗争が思い起こされていた。

角材や鉄パイプを持ち襲いかかる不良たちを拳一つで殴りまくっていた時、突如として照らされたライトに振り返れば単車に股がった一人の不良が此方に突撃してきた。避ける間もなく単車と正面衝突し、後に千春の子分が語った話だがその時の千春は数メートルは余裕で越える程大きく吹き飛ばされ地面に激突したらしい。

 

750cc(ナナハン)ぶちかまされた時よりは弱ぇ……!」

 

だが千春にとってそのような九死に一生も許容範囲であった。

 

 

 

だ っ た ら イ ケ る ぜ ! ! !

 

 

 

(何なんだコイツは……? 何故立ち上がる、何故立ち上がれる。実力の差は一目瞭然、奇跡など起こるはずもない。根性だとか気合いで闘っているとでも? バカな───!)

 

 

「分からないな……何が君をそこまで奮い立たせる?」

 

 

 

「……()()だ」

 

 

 

「何だって……?」 

 

「この俺の信念の為に俺は立ってんだ。そいつは眼に見えねぇが、確かにこの俺をここに立たせている。漢はそいつがあればッ 死んだって無敵だッッッ」

 

 

その千春の啖呵はオーディーンにかつて肉体的にも精神的にも敗北した一人の少年を思い起こさせた。

 

 

「信念……なるほど、信念か。君は……君は私が最も憎む男と少し似ているよ」

 

それはオーディーンにとっては消し去りたい苦い過去だった。自身が武術の道に入った動機であるかつての友人との思い出は、オーディーンの人生に絡みつき蕀のように彼の心に深く棘を射し込んでいた。

 

「あぁァ~~ん?」

 

オーディーンにはゆっくりと()()()()()土手に放り投げた。

 

「君を壊す」

 

柴 千春に覚悟があるならオーディーンにも覚悟はあった。真っ黒に変色した巨大な覚悟を、彼は今再認識し、目の前の男について考えることを止め、一人の闇の武術家と成った。

 

 

 

「やれるもんなら────」

 

 

千春には見えない。オーディーンが既に千春の懐に移動したことを。

千春には感じられない。オーディーンのジャブ気味の打撃によって既に胸骨が粉砕されていることを。

 

千春には分からない。オーディーンが心臓に向けて放ったトドメの貫手を、フードを被った謎の男によって止められたことを。

 

 

「はい、そこまで」

 

「けッ─────拳聖ェェッ!!!」

 

必殺の貫手を片手で止められたことよりも、何故この男がここにいるのだと言う衝撃がオーディーンを駆け巡った。オーディーンの知る限り、この男は弟子である自分が何処で野垂れ死のうが「あ、そう」と軽く片付ける冷徹な男だからだ。

 

「何故止めた……拳聖」

「お前、今この青年を殺すつもりだっただろ? やめとけやめとけ、達人でもないお前がやったところでまだ国家権力には勝てんぞ?」

 

男の発言はもっともだった。ここは日本、世界有数の法治国家である。殺人がどれだけ社会的に悪とされ、その犯人逮捕に国家がどれだけ本気になるかもオーディーンはよく理解していた。

 

「言いたいことはそれだけか?」

 

だが今オーディーンの眼は刃のように研ぎ澄まさた漆黒の殺意で満ちていた。

 

「敵は殺せ……それがあなたの理念のはずだ」

 

オーディーンは知っている。

善人ぶるこの男がどれだけの血にまみれているか。その人生が、生きながらにして最早戻ることのできない修羅道に陥っていることに。

だからこそ、自分が師と認めた達人なのだ。

 

「やれやれ、我が弟子よ。童貞を捨てるのはまだ早い。この青年も中々の逸材だが、それはここ一番って時まで取っておきなさい……ね♥️

 

辛うじて意識のあった千春は、男が発したオーディーンの数百倍の気当たりによってその意識を手放さざるを得なかった。

オーディーンもまた膝を屈しながら男を睨むもそれだけしかできなかった。

 

「そろそろかな?」

 

男が大袈裟に耳を澄ますポーズを取ると、肩で息をするオーディーンの耳に、遠くからサイレンの音が聴こえてきた。

 

「救急車は私が呼んでおいたよ。お前も一応高校生なんだから今日はもう帰りなさい」

「……クッ」

 

その口調は穏やかだったがそれが師としての命令なのは先の気当たりで充分にオーディーンは理解し、黙ってその場を去っていった。

 

「さて……」

 

男────緒方一神斎(おがたいっしんさい)は抱え込んでいる柴 千春をその場におろし会釈をした。

 

「……暴走族君。我が弟子に良い経験をさせてくれてありがとう。あれは少々頭が堅いからね。師匠の私からお礼を言わせてくれ。君の名は知らないが、その勇姿は覚えておくよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キサラとの一幕を話している間、他人にとっちゃどうでもいいだろう出来事を刃牙は意外にも黙って聴いていてくれた。

 

「……てな訳なんだけれどもよ、すまねぇな。こんな話、赤の他人のお前に聞かせるもんじゃねぇわな。忘れてくれ」

「何ですかそれ。宇喜田先輩が落ち込む必要全然ないじゃないですかぁ?」

 

「あぁ?」

 

俺は少しイラっと来た。刃牙の顔は控え目に言ってかなりムカつく表情だったからだ。

 

「だってそうでしょ? その女の子は自分で闘いの、つまり()()()()世界に入って来たんだ。その結果で手足がもげようが命を失おうが自業自得ですよ」

 

「お、お前なぁ~~俺はッ 俺はなァッ!」

「……しょうがないなぁ。これでも宇喜田先輩を気遣ってるんですよ? じゃあ少し宇喜田先輩に厳しめの事言いますね」

 

カッとなって胸ぐらを掴んだ俺の手を刃牙は蝿を払うように軽くあしらうと、底冷えするような強い瞳で俺を見た。

 

「……アンタがもっと強けりゃその女の子も守護(まも)れたんだよ」

 

「……ッ!」

 

それは俺がもっとも言われたくない一言だった。

 

「甘ったれないで下さい。宇喜田先輩がどんな脅威からも全力でその人を守護り抜きゃよかっただけの話です。守りたい人を守る為に地上最強に成る必要があるなら俺は喜んで目指します。それくらいの覚悟が無きゃ絶対に手に入らないんですよ。()()()()()()()()

 

諭すように俺に告げる刃牙は怒っている様にも哀しんでいる様にも見えた。まるで自分に言い聞かせているかのように。

 

「ち、地上最強って……」

「ちなみに、俺は目指してますよ。地上最強をね。それが俺の()()ですから」

 

刃牙の眼は本気を訴えてた。俺をからかうとかビックマウスだとかじゃない。本気で地上最強に成ろうって眼だった。

 

「……いんや刃牙、お前の言う通りだわ。そうだよな、俺がもっと強けりゃ良いだけの話だよな。はは……なんだ、こんな簡単なことだったのか」

「つってもそれが一番大変なんスけどね!」

「だな! はははっ」

 

 

俺は笑った。刃牙も一緒になって笑った。

 

 

 

俺たちは友達(ダチ)になった。

 

 

 




バキの新装版が発売されましたが、やっぱりと言うか流石と言うか板垣先生の恐ろしい画力で恐ろしいほど濃い表紙が描かれています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。