非科学的な世界で(略)追い詰められるが良い! (たたっきり測)
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Kapitel.X 入学準備
X-1.生まれ変わった女の子


 世の中や人間は、大体二種類のタイプに分けられる、というのは、よく聞く話だ。極端な感覚では、大体の事象は、『ある』か『ない』のどちらかという捉え方もできるのだから、無理もない。

 能力があるかないか。『優秀』か『劣等』か。豊かであるかないか。『裕福』か『貧困』か。個人に力があるかないか。『強者』か『弱者』か。

 

 

 今、わたしはそれを目撃していると言ってもいいだろう。

 午前終わりの放課後の、昼特有の静けさが包む住宅街。その道のはじっこで、何人かの男子にかこまれて、バラバラと髪を切り落とされている男子がいる。眼鏡をかけた彼は、なんとか抗おうとするが、相手(特にリーダー格)は体格が良いのに対し、彼は貧相な、ひょろひょろの体だった。

 ……いや、彼も、わたしにひょろひょろなどと言われたくないかもしれないが。

 

 特定の人物を、多数がよってたかって苛めるというのは、よくあることだ。

 わたしも、それに関わることはしなかったが、実際そういうものを目にしてきた。そしてそれを無視してきた。自分に火の粉がかかるようなら別だが、わたしに不利益をもたらさないのならどうでもいいし、そんなことにわたしの大切な担保(モラトリアム)を使ってやれるほど、わたしは暇ではなかったのだ。

 所詮は馬鹿が騒いでいるだけ。注意するのは根っからの聖人か変人だ。わたしはどちらでもない。故に、関係ない。

 いや、関係なかった、というのが正しいか?

 いいやちがう。『関係なかったけど関係あるようになって再び関係なくなった』のだ。

 そうだそうだ、忘れていた。危うく変なところに首を突っ込むところだった―――

 

「何をやっているんだ、ダーズリー?」

 

 あ。

 まにあわなかった(・・・・・・・・)

 

「…なんだよ、デグレチャフ委員長(・・・)?もう卒業したんだ。委員長は関係ないだろ」

 

 首謀者のダドリー・ダーズリーはこちらに視線を寄越すと、不機嫌そうに言いはなつ。

 全くもって彼の言うとおりだ。もうわたしは委員長でもなんでもない。彼らとはもう赤の他人といっても過言ではないのだ。

 

「でしゃばるなよ委員長」

 

 断じて、断じてやりたくてやっているわけではない!

 わたしはそんな思いを込めてダーズリーを見た。

 すると、どういうわけか、とたんにダーズリーとその仲間は青くなって、そそくさとどこかへ行ってしまった。

 彼らは何か誤解をしている。それは今に始まったことではない。わたしは般若の形相でもしているのだろうか?

 わたしは出そうになるため息を我慢しながら振り返る。

 そこには、髪を切られて妙な髪型になった――といっても、前の髪型ももさもさとしていてあか抜けたものではなかったが――眼鏡の少年、ハリー・ポッターがいた。

 

「や、やあ、デグレチャフ」

「……大丈夫か、ポッター」

「ああ、うん。……ごめん」

 

 ポッターはもどもどしゃべる。そういうところがますますダーズリーたちに苛められる原因のうちのひとつになっているのかもしれないが、わたしが口を出すことではない。

 なにせ、もう卒業だ。彼はストーンウォールへ。わたしは違う学校へ。つまり、もうこいつ(足手まとい)のお守りをしなくても良いということだ実にすばらしい!

 というのも、ポッターはいとこのダーズリーたちに苛められているせいで一人も友達がいなかった、いや、友達どころか人が寄り付かなかった。そこで、『対応は面倒くさいが放っておくのは後味が悪い』という中途半端な教師は、優等生であるわたしをつかまえて、もろもろの問題を押し付けたのだった。

 もちろんめんどうだが、その期待を裏切って、せっかくの立場を崩すようなことはしない。わたしは優等生だから。母校では随一だが、才能では他の天才には及ばず、努力では他の秀才には及ばない。しかし、凡人は凡人なりに、ある程度優秀な評価をもらわなくてはならない。そこで、当時のわたしは、期間限定でできる限りの人情を持つのもいいかと思ってしまったのだ。それがまさか、こんなに骨の折れることだとは思いもよらずに。

 

「別に貴方が謝る必要はない」

 

 ああ、なんたって、これで最後なのだからな!!

 それでもポッターは申し訳なさそうにうつむいた。

 

「おい、そんなに暗い顔をするな。夏休みが終われば貴方もわたしも新生活だろう。孤児(みなしご)どうし頑張ろうではないか」

「うん…そうだね。そのために、早く夏休みが終わって欲しいんだけど……」

 

 そうか。寮制であるストーンウォールに入学するまでの夏休みは、彼はダーズリーの家にいなくてはならないのか。かくいうわたしも、寮制の中等学校に通うことになっているので、ポッターと境遇はほぼ同じだ。要するに、夏休みが終わるまでは、孤児院で兄弟(・・)と食事を取り合わなくてはならない。

 

「まあ、もう一辛抱だ。そうだ、新設された図書館には行ったか?午前九時から午後九時まで、このあたりでは一番長く開館している。なかなか広くて空いているし、時間を潰すにはぴったりだぞ」

「ああ、駅の方の?デグレチャフは行ったことあるの?」

「兄弟たちがうるさいときはよく行くな。自習スペースもあるし、蔵書が多くて退屈しないし……そういえば、コミックも置いてあるぞ」

 

 わたしの言葉を聞いて、ポッターは目をきらめかせた。

 わたしはコミックをあまり読まない。ジャパニーズマンガと共に育ったわたしに、外国のものはあまり慣れない。それに、わたしはもう子どもではないのだから、それよりも読むべき本があるのだ。

 

「へえ、今度、行ってみようかな」

「まあ、娯楽はほどほどにな。…それじゃあ」

「うん。……今までありがとう、デグレチャフ」

「…こちらこそ。お互い頑張ろう」

「じゃあ」

「ああ」

 

 最後に皮肉たっぷりの社交辞令を言って、ポッターと別れる。

 この二年間、得られなかったものがないわけではない。境遇が変わったからと言って、そう人助けを簡単にするものではないということを学んだ。中等学校では存分に気を付けなければ。

 わたしは軽い足取りで、そろそろ午後に差し掛かった住宅街を歩いた。少し喋りすぎたかな、と一瞬思ったが、まあいいだろう。きっと、もう会うことはないのだから。

 

 

 

 

 ハリー・ポッターは、ターニャ・デグレチャフと別れたあとで、盛大にため息をついた。

 これから夏休みが終わるまで、親戚のダーズリーの家で過ごさなくてはならないこと、しかし、それを耐えればストーンウォールに行けること。絶望が希望に照らされているおかげで、ハリーには絶望がより暗く、深いものに思えた。

 ターニャも似たような境遇だが、彼女は親戚の家ではなく、孤児院にいる。孤児院は裕福ではないようだが、それはハリーもそうだ。叔父が穴あけドリルで有名なグラニングズ社の社長であるため、ダーズリー家は裕福だが、ハリーにはほとんどお金を割いてくれない。かわりに、一人息子のダドリーに、となりの家の犬を轢いてしまう戦車のおもちゃや、本物のエアガンと交換される運命にあるオウム、蹴飛ばされて穴を開くことになるテレビとか、そういう、いつかはゴミになるプレゼントがたくさん贈られる。ハリーのめがねの修理費すら出してくれないのに、だ。

 どうせ親がいなくて過ごすなら、ターニャのように孤児院で過ごしたかったとハリーは思う。ターニャに言えば、いい顔はしないだろう。もしかしたら、孤児院より親戚の家の方が良いと言うかも。『隣の芝生は青い』というやつだ。

 芝生で叔父の顔を思い出して、ハリーは思わずしかめ面をした。

 叔父の話では、両親は、ハリーがまだ赤ん坊の頃、交通事故で死んだらしい。ハリーは奇跡的に助かり、その証拠に、額に稲妻のような傷があった。いつも前髪で隠していたが、ダドリーに髪を切られてしまったので今はそれもできない。

 再び、ハリーの口からため息がこぼれた。

 自分は変なのだとハリーは思う。この傷もそうだし、どうせこの髪も明日の朝にはもとに戻っている(・・・・・・・・)。どういうわけかそういう奇妙なことがハリーには起こって、その度に叔父と叔母はハリーを異端だと指差して、ダドリーがそれ制裁だと言わんばかりに自分の軍団を連れてやってくる。

 しかし、二年ほど前から状況は変わった。ターニャがハリーの前に現れたのだ。

 いや、それより以前から彼女のことは知っていたし、たびたび学校で見かけていた。色白で金髪碧眼、容姿が整ったターニャは、小さくて華奢な体躯も相まって、まるで人形みたいと有名だった。有名だったが、ターニャには特定の友達がいなかった。必要ならば誰とでも話すが、それ以上はしませんといった感じで、友達がいない(・・・)ハリーとは違って、友達を作らない(・・・・)主義のようだった。しかし、その孤立主義は、悪印象でもなんでもなく、かえってますますターニャの美しさを際立てていた。

 ハリーは一方的にターニャを知っていた。おそらく、ターニャもハリーのことを一方的に知っていただろう……派手に苛められている生徒として。しかしただそれだけで、それまでは交流はなかった。

 だから、ハリーは、ターニャがまるで季節外れの嵐のように、風をはらう稲妻のように、突然自分の目の前に現れた気がしたのだ。あの時彼女は、ハリーとダドリーの間に立ちはだかり、ただ一言、『やめろ』と言った。その一言で、ダドリーは確かにおののいたのだ、自分よりはるかにチビで、ひょろひょろのターニャに、あのダドリーが!

 それからは、前よりかはましな状況になった。ターニャは無口で、ハリーにも必要以上に話しかけることはなかった。でも、体育の授業のペアづくりで組む相手がいないとき、ダドリー軍団に押し付けられた当番を一人でやっているとき、隠された教科書探し……ターニャは、ハリーが困っているとき、助けてくれた。先程もだ。

 ダドリーは、ターニャはお前がかわいそうだから仕方なく助けているんだといつも言う――ターニャに勝てないくせに!ハリーは、ハリーもそうだろうと思うが……それでも、違うと信じたかった。もしそうなら、ターニャはハリーにとって、唯一友達と呼べる人だった。

 だから、期待してしまう。ターニャにとってもそうならば、と。

 しかし、それはないなと首を振る。それでも、もしかしたら。そう思うくらいは良いだろう。きっと、もう会うことはないのだから。

 

 

 

「ただいま」

「あら、おかえりなさい」

 

 ターニャが孤児院()に帰ってくると、一人のシスターが出迎えた。

 

「お昼まだでしょう?できているわよ」

「ありがとうございます、シスター・エドナ。でも、その前に礼拝堂へ行ってきます」

「わかったわ」

 

 シスター・エドナはこくりと頷いた。礼拝堂へと向かうターニャの背中を見て、感心の声で呟いた。

 

「ターニャちゃんは、本当に信心深いわねぇ」

 

 

 

「災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ……」

 

 わたしの嫌いなもの。

 それは神だ。

 神。神はいない。神は、死んだのだ。人の文明はやつらを置き去りにしたはずだ。なのに、やつらはわたしに追い付いて、呪いを与えた。許さない、許してなるものか。災いあれ。わたしが積み上げた、人生とキャリアという塔は崩れ落ちた。それは神の仕業ではない。昔は理不尽な死に憤りもあったが、最近では、仕方がなかったと割りきれるようになった。しかし、神は、やつらは、悪魔は、その塔の残骸で、ひどくいびつなものを作ろうとしている。そしてそれを見せしめにするつもりなのだ。神を信じないとこうなると言って。ああ、災いあれ、災いあれ!

 

 そうだ、わたしのかつての栄光は崩れ去った。

 わたしには前世の記憶がある。なに、別段特別なものではない。わたしは、学生時代を有効に使い、凡人ながらそこそこの企業に就職し、人事部に勤めていた。仕事で不出来な社員をリストラする毎日。

 わたしは仕事をしていただけだ。わたしが決めたわけではないのに、自分がリストラした元社員に、ホームから線路に突き落とされて、それで、

 

 それで、わたしは死んだのだ。

 

 そこからは夢のようだった。いいや、夢だと信じたい。夢ではないと、わかっているけれど。

 わたしの目の前に、神が現れたのだ。それは自らを創造主と言った。嘘っぱちだ。あれは、神ではない。神が世の中の不条理を放置するはずもなし。ならば、わたしは目の前の奴を『存在X』と呼称することにした。

 わたしは目の前の存在Xに問うた。死んでしまったわたしの魂はどうなるのかと。

 存在Xは答えた。解脱できないお前の魂は、輪廻に戻し、転生させると。そして、今さら後悔しても遅いとも。

 わたしには涅槃にいたれなかった後悔など微塵もないので、お願いした。ならば、そのようにお願いします、と。

 存在Xは憤慨して、言った。解脱どころか、近頃の人間には信仰心が欠片もないと。人間は変わってしまった、と。

 わたしは反論した。科学が発展した今、不確定な存在であるあなた方は風化する定めにあると。

 そしてついでに、わたしは、科学文明が発達した世に生まれ、世界でも稀な道徳心を備えた平和な国で育ち、生物的にも社会的にも有利な『サラリーマン』なので、神にすがる理由は万にひとつもないということを教えて差し上げた。

 

 それが、どうやら不味かったらしい。

 存在Xはとうとう怒り、わたしの不信仰の原因であろう性質をすべて反転させた。

 

『非科学的な世界で、女に生まれ、戦争を知り、追い詰められるがよい』

 

 そんなの許せるか、いいや許せない。

 わたしは祈り(呪詛)もそこそに、礼拝堂を出て、台所へと向かう。

 

 結果、わたしは、前世の記憶をもって、女に生まれ変わった。

 うん。それだけ。

 名前はターニャ。ターニャ・デグレチャフ。なんだか『死ね』というさりげなくも明確な悪意を感じる名前だ。こう、言葉の組み合わせが。

 生まれ落ちた世界は一九八〇年のイギリス。大戦の記憶を持たない人々が増えてきた時代だった。非科学的とかは一切無い。だってほら、今もシスター・エドナが電気ポットで湯を沸かしているではないか。

 追い詰められては、いない。時々小さな悩みの種を、あのポッターによってもたらされたが、そんなに大層なことかと問われれば、答えはノーだ。

 

 転生したばかりの、赤子のときは危惧したものだが、この世界は異世界でもなんでもない。国こそ違えど、わたしが生きてきた時代とおなじだ。

 存在Xめ、業務上過失だ。やはり奴のビジネスモデルには欠陥がある!

 

 (自称)神への不敬を心に秘めつつ、わたしは台所でシスターから昼食を受け取り、食堂へと運ぶ。

 その途中、大きな窓から晴れ渡った青空を見たとき、わたしは驚愕して、トレーを落としそうになった。

 鳥の群れだ。それ事態は珍しくない。

 ふくろうだ。

 ふくろうが、市街を群れで飛んでいる。

 いや、まさか、いやいやいや、気のせいかも。そうだ気のせいだ。結構遠くを飛んでいる鳥の群れ。それがふくろうだと、なぜわたしはそう思ってしまったのだろう。ああ、存在Xの差し金かも。地獄耳め……

 

 わたしはふらふらと食卓について、スープをすすった。

 幼い兄弟たちが昼寝をしている間の、静かな昼食だった。

 

 

 



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X-2.奇妙な一日

 孤児院の食堂からごきげんよう。ターニャ・デグレチャフであります。

 さあ、待ちに待った夏休みもそろそろ中盤。皆様いかがお過ごしでしょうか。同郷のちびっこのみなさん、夏休みの宿題は計画的に。え?わたしは宿題をやらなくていいのか、って?幸か不幸かこちらはイギリス。こっちの夏休みは日本の春休みのようなものです。おまけに、わたしは中等学校入学を控えておりますので、宿題とは無縁。わたしは今日、中等学校で使う学用品を買いにいく予定であります。

 

 まて。

 現実逃避などすべきではない。なぜわたしは日本のこどもに謎電波を送っているのだ。

 いまは、目の前の問題と目を合わせるべきだ。

 

 わたしは、おそらく、顔をしかめている。

 シスターたちが、不安そうな顔でそのわたしを取り囲んでいる。

 兄弟たちが、わあわあと騒ぎながら、そのシスターたちを取り囲んでいる。

 

 わたしの前には、大量の手紙と、先程やって来た、もふもふの茶色いふくろうがいる。

 ふくろうは、時々きゅるりと首をかしげ、手紙にはこう書いてある。

『ホグワーツ魔法学校入学のお知らせ』。

 

 わたしは頭を抱えた。それから、ふくろうを一撫でして、パンを一欠片やった。それを食べて、ふくろうはひとつ鳴くと、羽ばたいて、開け放たれた窓から外へと行ってしまった。

 

 さて、どうしたものか。

 

「魔法学校ですって…」

「あの手紙は、本物だったのね…」

「ターニャすっげー!ホグ、ホグワーグ?魔法学校だってさ!」

「ホグワーグじゃなくてホグワーツよ!」

「ターニャお姉ちゃん魔法使いになるの?いいなあー!」

 

 なにもよくはない。むしろかわってやりたい。

 わたしは安堵していたのだ。『非科学的な世界で女に生まれ戦争を知り追い詰められるがよい』……存在Xは確かにそう言った。しかし、それはほとんどかなえられていなかったのだ、今の今までは。わたしが生まれたのは、大戦が終わったあとで、魔法なんて無い、そういう、わたしがよく知った世界ではなかったのか?

 

 シスターによれば、この手紙は夏休みが始まってからすぐに送られてきたという。わたしが見たふくろうは見間違いではなかったというわけだ。

 それから、毎日毎日送られてくるものだから、シスターたちは、これをたちの悪いいたずらと認識してしまった。シスターたちは、わたしが学校でいじめっこと時々対立しているのを知っていたらしく、このいたずらは彼らによる中等学校に通うまでの少しの間のものだとして、この手紙をわたしに見せることはしなかった。

 

「それで、どうなさいますか、ミス・デグレチャフ?」

「はあ、いや、いきなりそう言われましても…」

 

 わたしのとなりに座っている女性。ミネルバ・マクゴナガル。聞けば、ホグワーツ魔法学校の副校長先生らしい。わたし宛の手紙がなかなか本人に読まれないので、こうしてわざわざやって来てくださったというわけだ。わたしにホグワーツについての説明をしに。

 その間にも、ふくろうがわたしの前に手紙をもりもり運んでくるので、その度にパンを一羽に一欠片ずつやっていた。

 正直、わざわざ副校長まで寄越すか、と思う。一人や二人、入らなくてもいいのでは?と。

 そう願うのもそのはず、わたしは、今の世界を手放したくない。まず女に生まれた、それはもう仕方ない、受け入れよう。しかし、ここで魔法まで受け入れてみろ、次はさあ俺たちの出番だぜ、と言わんばかりに戦争と絶望がわたしを飲み込みにやって来るに違いない。

 

「ですが先生、わたしに魔法の才があるとは思えないのですが」

「そんなはずはありません、ミス・デグレチャフ。あなたは魔法を学ぶべくして生まれた子なのです。今まで、貴方のまわりで不思議なことはありませんでしたか?」

「はあ、そう言われましても……」

 

 わたしは考えた。今までにあった、一番不思議なこと。ああ、一度死んだ記憶があるとか、それこそ、神に会ったとか?

 そう思ったとたん、耳鳴りがしだした。

 

「ミス・デグレチャフ、それは……」

 

 耳鳴りは胸元からだった。それを引っ張り出すと、今までにないくらい、熱く、煌々と輝いていた。

 マクゴナガル先生はごくりと唾を飲む。わたしはまたこれかと思っていたので、マクゴナガル先生のその反応は意外だった。

 今までにもこういうことはあった。こいつは時々耳鳴りのような音を出し、ぶいぶいと光るのだ。最初は警戒こそすれど、ただ耳鳴りを起こして光る、それだけ。もう慣れてしまって、最近は特に気にしていなかった。

 

「それは、エレニウム……見たことの無い型ですね」

「エレニウム?」

「…言うなれば、魔力機構です。入手の難度から、少数しか出回らなかった超一級の魔道具。それを、なぜあなたが?」

 

 わたしにもわからない。シスターからは、生まれたときから持っていたものだと聞いている。

 エレニウムをひっくり返して裏を見ると、九五、と記されている。

 

「エレニウム九五式?聞いたことがありませんね…」

「あの、先生、それは、ターニャちゃんがここに来たときに、一緒に持っていたものです」

「ええ。ターニャちゃんは、確かにそれをもってここへ来ました」

「もしかしたら、遺品かも…ターニャちゃんの、お父様か、お母様の」

 

 シスターたちがマクゴナガル先生にそう言う間にも、九五式の輝きは増していく。そのうち、九五式はわたしの手を離れ、ひとりでにわたしの胸元に浮かび上がる。こんなことははじめてだ。

 わたしが手をかざすと、九五式は何かの紋章を描き始めた。

 

「すごい……まるで」

 

 ああ、わたしはこの感覚を知っている。

 胸元の演算宝珠(・・・・)に魔力が引かれていく。

 

『まるで、神の遣わしたもうた使徒のようだ』

 

 そうだ、わたしはあの感覚を覚えている。

 泥と血で彩られた、剣林弾雨の暗い日々。

 そこで、わたしは……

 

「ミス・デグレチャフ!おやめなさい!」

 

 その声で、わたしは我に帰った。

 思わず手を引っ込めると、九五式は急速に光と熱を失って、やがて元の冷たい金属の固まりに戻り、重力に従ってわたしの首にぶら下がった。

 …今、何が起こっていた?わたしは何を見ていた?

 わたしは思い出そうとしたが、そこの記憶は抜け落ちてしまっていて、なにもわからなかった。

 

「全く……あなたは、家を吹き飛ばすつもりですか?」

「へ?」

 

 わたしはマクゴナガル先生の言葉に首をかしげた。家を吹き飛ばす?

 

「エレニウムは魔力を込めることによって術式を発動させるタイプの魔道具です。先程の魔力量で…暴発すれば、ここら一帯はクレーターになってしまいますよ」

 

 …驚いた。わたしは、そんな爆弾じみたものを首から下げていたのか。そう思うと、とたんにあの間抜けな耳鳴りが恐ろしいものに変わる。

 とりあえず、こんなものを見てしまった以上認めざるを得ないのは、魔法は確実に存在するということだ。

 そして、コレ(エレニウム九五式)を生まれたときから持っていたということは、わたしはすでに魔法に引っ張られていて、『知りませんでした』という抵抗は無駄、と。

 ということは、わたしは近々戦争に巻き込まれる可能性がある、ということだ。魔法なんてものがあるくらいだ。存在Xがわたしを戦争に引きずり込むとしたら、おそらく、科学より魔法を用いたものだ。

 謀ったな、悪魔め!

 

「マクゴナガル先生、質問いいでしょうか」

「もちろんです」

「貴校で学ぶことができる魔法は……いや、魔法というものは、争いに用いることができるものですか?」

 

 一瞬、マクゴナガル先生は、わたしの瞳を鋭く見つめた。なんだか嫌な感じがして、思わず視線を落としてしまった。

 

「…可能です。実際、魔法界では戦争も何度か起こっています」

「では、そのような魔法から身を守る術は…」

「ホグワーツで学べますとも」

「そうですか…」

 

 なるほど。わたしの道は決まった。

 天気予報で、午後からの降水率百パーセントと言っているのに、傘を持たないというのは、ただの間抜けだ。

 

「これからどうかよろしくお願いします、マクゴナガル先生」

「もちろんです、ミス・デグレチャフ。歓迎しましょう」

 

 

 

 

 

 

 

『それでは、九月一日、キングス・クロス駅に。必要なことは全て切符にあります』

 

 玄関先で、マクゴナガル先生はそう言って、くるりと踵を返すと、バチンと消えてしまった。

 

「おかえりなさい、ターニャちゃん」

「ただいま帰りました。シスター・セレネ」

「すごい荷物ね。運ぶの、手伝うわ」

「ありがとうございます」

 

 シスター・セレネに手伝ってもらい、ひとまず、寝室の自分のスペースに、先程買った学用品を置いておくことにする。

 それにしても、疲れた。外はとうに暗くなり、兄弟らは既に眠っている時間だ。わたしも眠い、幼いこの身体に夜更かしはよくない。シャワーを浴びて寝ることにする。

 

 脱衣所で服を脱ぎ、風呂場に入る。

 シャワーの栓を捻り、手早く髪を濡らす。

 髪を洗いながら、先程までのことを思い出す。

 あの後、わたしはマクゴナガル先生に連れられ、ホグワーツで使う学用品を買いに行った。

 

 

 

『ミス・デグレチャフ、わたしの腕に掴まりなさい』

 

 魔法学校で使うものなんて、ロンドンのどこで売ってるんだろうというわたしの疑問をよそに、マクゴナガル先生はそう言った。

 わたしが先生の腕に掴まると、とたんに、足から引っ張られて歪み、地面に吸い込まれていくような感覚に襲われた。

 次の瞬間には、わたしは孤児院の玄関先ではなく、見知らぬ通りに出ていた。

 ここはどこだろうかときょろきょろしている間に、マクゴナガル先生は、小さなパブ――『漏れ鍋』に入っていく。

 ついていくと、中庭に出た。マクゴナガル先生が壁の煉瓦を魔法の杖で叩くと、煉瓦の集まりはふるふると揺れ、中央に小さな穴を作り、やがて大きなアーチへと変化した。その先には石畳の道が曲がりくねって見えなくなるまで続いている。

 聞けば、ここはダイアゴン横丁というところで、マグル――魔法を扱えない非魔法族が住むところとは別の場所、魔法界にあるという。そんなこと、どうにも考えられないが、わたしはなんとかマクゴナガル先生についていった。

 

 それからは、もう、店と店をぐるぐるはしごだった。

 まず最初にシスターからもらったお金と、今まで新聞配達などの簡単で安い仕事をして貯めたお金を、『グリンゴッツ』というたくさんの小鬼が働いている銀行で魔法界のものに換金し(金貨がガリオン、銀貨がシックル、銅貨がクヌート。ポンドのポの字もない)、次に『マダム・マルキンの洋装店』で採寸。制服の出来上がりを待つ間に『フロリーシュ・アンド・ブロッツ書店』で教科書を買って、それから、錫の鍋にクリスタル製の薬瓶、望遠鏡、真鍮でできたはかり、羊皮紙に羽ペン………

 

 ほとんど全て買い終える頃には、わたしのリュックサックはパンパンになっていた。なるほど、マクゴナガル先生がトランクの方が良いと行ったのもうなずける。しかし、孤児院にはトランクどころかリュックサックだって人数分ありはしない。

 そんなわたしを見かねたのか、マクゴナガル先生はトランクを買おうと言い出した。お金もないですからともちろん断ったのだが、どうせいつかは必要になる、入学祝とでも思っておきなさいと言われて、買い与えられてしまった。まあ、良いと言ってくれているのに過剰に断るのは失礼に当たるし。もしかしたら、かつかつの孤児院暮らしで入学祝がないわたしを気の毒に思ったのかもしれない。どちらにせよ、ただでトランクが手に入ったのは嬉しかった。

 リュックサックの荷物をトランクに詰め直して、制服を取りに行き、最後に、『オリバンダーの店』へ向かった。

 紀元前三八二年創業というわりにみすぼらしく、埃っぽいその店は、どうやら杖を専門に扱う店らしかった。店内には、ところ狭しと、しかし几帳面に、杖が入れられた箱が天井まで積み重なっている。

 店に入ると、奥からチリンチリンとベルの音がして、間もなく静かに店主である老人が現れた。

 

『いらっしゃいませ……おや、これはマクゴナガル副校長先生、あなたが生徒の引率とは珍しい』

『ええ、久しぶりですね、オリバンダー。早速ですが、彼女に合う杖を見立ててくれませんか』

 

 その会話を皮切りに、わたしは利き腕を伸ばした状態で様々な箇所を巻き尺で図られて、それから、杖を握らされ、時には振らされた。

 イチイの木にユニコーンの尾、柔らかく温和、十八センチ。握って振ったら蛙がぼとぼと落ちてきて、すぐさま店主に取り上げられた。

 樫の木に不死鳥の冠羽、よくしなって握りやすい、二十五センチ。今度は握ったとたんに店主に取り上げられた。

 オリーブの木にドラゴンの心臓の琴線、堅く軟らかい、二十八センチ。握って振ったら一番上の箱がぐらついて店主の頭に直撃した。

 アカシアの木にヒッポグリフの爪、頑固だが良質、十四センチ。今までのこともあり、おそるおそる振ったら外で悲鳴が聞こえて、マクゴナガル先生がすっ飛んでいった。

 

 それからも何本かの杖を試したが、店主の反応を見るに、どれもだめらしい。

 わたしは疲れていた。とはいえ、わたしは立って杖を振るだけ。わたしがそうする度に、コレは違う、ならばアレはどうかと頭で考え、杖を振って店じゅうに箱を行ったり来たりさせる店主のほうが大変だ。

 店主は、店のひときわ奥の、一番下の箱を引き出し、それをわたしに手渡した。

 

『これはどうかな?セフィロトの木にジズの羽根。丈夫で握りやすい。なかなかに気むずかしいやつだが、主と認めたものには忠実。十六.六センチ』

 

 その杖を握ると、胸元のエレニウムがぼんやりと光り出した。

 

『おや、これは…エレニウムですか。今時珍しいですな』

 

 さあ、続けて。わたしは店主に促されるまま、杖を振った。

 とたんに、エレニウムの輝きが増して浮かび上がる。それから、小さな兵隊たちがどこからともなく現れ、くるくると宙を舞った。

 

『どうやら、それのようですな。いやはや、わたしの代でその杖を売れるとは…』

『そんなに古い杖なのですか?』

『そりゃあもう。初代さまの時代からある杖だと、わたしの祖父は言っていました』

 

 ということは、紀元前三百年前からある杖か。大先輩だな、と杖を撫でると、兵隊たちがくるくると上に昇っていった。

 杖の代金に七ガリオン支払い、店の外を出ると、もうすっかり夜だった。わたしとマクゴナガル先生は、早急に孤児院へ戻ることにしたのだった。

 

 

 髪を乾かし終わって、ベッドにつく。ああ、足が痛い。疲れた。明日は少し寝坊しても構わないよな。

 そんなことを思いながらわたしは眠りについた。

 

 

 




なまえ:ターニャ・デグレチャフ
しょくぎょう:まほう学校一年生
しょじひん:エレニウム九五式、まほうの杖
とくぎ:サラリーマンのこころえ


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Kapitel.1 賢者の石
〇1.クラスメイト


「はあ……」

 

 …ああ、開幕同時にため息とは、失礼いたしました。時刻は十時半。みなさま、そろそろ働き盛りの時間なのでは?ターニャ・デグレチャフであります。

 いやはや、実はお恥ずかしい話、わたくし、現在道に迷っていまして。どうか許していただきたい。

 

「いや、わたしは、誰に、何を言っているんだ…」

 

 ぶつぶつと呟いたことにより、すれ違ったサラリーマンらしき風貌の男に怪訝そうな視線を向けられる。ああ、わたしはあなたと立場を交換したい。

 

 わたしは今、キングス・クロス駅にて、絶賛迷子になっている。この駅はロンドンの主要駅と言うにふさわしく、広く、人々は皆急ぎ足で歩き、油断すると人の波に呑まれそうになってしまう。迷うのも無理はない。

 しかし、しかしだ。

 

 わたしは再び汽車の切符を見た。九月一日の午前十一時、キングス・クロス駅発、ホグワーツ行、九と三/四番線、と確かに書いてある。

 わたしは再び駅のホームへと目を戻した。九番線のとなりには、十番線がある。

 それが何を示しているかというと、迷う迷わない以前に、九と三/四番線なんてあるわけない、ということだ。

 

 クソッタレの存在Xめ!!!!災いあれ!!!!!!!

 と絶叫したい気持ちをなんとか鎮め、わたしはよくよくホームを観察してみる。九のとなりは十。その間には柵がある。三/四ということは、そこに入り口でもあるのだろうか?

 試してみる価値はあるかもしれない。というか、それしかない。先程の独り言すらあんなに怪訝な目を向けられたというのに、その辺の人や駅員に、『九と三/四番線はどこですか?』『ホグワーツ魔法学校行の列車はどこから出るかご存じですか?』などと聞けるわけがない。

 わたしは、藁にもすがる気持ちで、そっと、自然に柵の三/四あたりに近寄り、それに触れてみた。

 しかし、柵は、ただひたすらに、無機質で、固かった。

 

 

 クソッタレの存在Xめ!!!!!死ね!!!!!!!!!

 そう叫びたいのを再びグッとこらえた。こらえたが、足りないので、もうやけくそで、トランクを思い切り柱に叩きつけた。直後、わたしはバランスを崩してしまった。

 柱と衝突して跳ね返るはずのトランクが、するりと中に吸い込まれてしまったのだ。経験に基づく身体の想定と異なる結果に、わたしの身体は追い付かず、頭は空っぽのまま、トランクと一緒に前のめりになりながら、ある意味では勢いがついて、そのまま(・・・・)前に進んだ(・・・・・)

 

「うわっ、とっと……」

 

 転びそうになったが、間一髪のところでバランスを取り戻す。

 ふと、今までとは質の違う喧騒に顔をあげると、見覚えのないきれいな紅色の蒸気機関車が目に止まった。ホームは、人でごったがえしているが、先程とは様子が違う。足元には猫たちが気ままに歩き、上を見ればふくろうが羽ばたいている。そして、ふくろうたちの隙間に見た。『ホグワーツ行特急 十一時発』

 今、わたしは柱を通れたのか、本当に?――驚きのあまりに振り返ると、誰かが思いきり衝突してきた。

 

「んぎゃ?!」

「うわ?!」

 

 わたしは無様な声をあげて、今度こそ転び、地面に尻餅をついた。その拍子に、ガコンとトランクに頭をぶつけてしまう。

 

「ど、どこを見て歩いてるんだこのウスノロ…!」

 

 鈍く痛む頭をおさえながら、思わず悪態が口から小さくこぼれてしまった―――よく考えれば、柱を出てすぐの場所でボケッとしていたわたしに非がないとは言えないのだが……。

 

「ご、ごめんなさい!前を、見てなく、て……」

 

 ん?

 どこかで聞き覚えのある声だ。わたしは、痛みも忘れて顔をあげた。

 

「…ポッター?」

「デグレチャフ!」

 

 わたしの目の前には、先日まではもう二度と会わないと思っていた少年、ハリー・ポッターが立っていた。

 大丈夫?とポッターが手を差し出してくれたので、わたしはその手を借りて立ち上がる。

 

「…なぜ、ここに?」

「君こそ!もしかして、君もホグワーツなの?」

「ああ、そうだ。もしかして、貴方もか」

「うん。また一緒だとは思わなかった……」

「…わたしもだ」

 

 どうやら、汽車の前の方はどこも満席のようだった。席を取り合う声まで聞こえてくる。わたしはポッターに構わず、後ろの方に進む。

 

「ねえ、デグレチャフは、知ってたの?」

 

 ポッターも遅ればせながらついてきた。わたしは、この腐れ縁を半ば歓迎しつつも言葉を返す。

 

「何がだ?」

「だから、その…魔法とか、そういうものがあるってこと」

「まさか。つい先日知ったばかりだよ」

「ああ、やっぱり、そうだよね」

「ポッター、知らなかったのか?」

「うん。…どうして?」

「いや、気にするな……わたしはてっきり、貴方なら知っているのかと思っていた(・・・・・・・・・・・・・・・・・)だけだ」

 

 人混みを掻き分け掻き分け、ようやく空いているコンパートメントを見つけたのは、最後尾の車両にたどり着いてからだった。わたしは、汽車に乗るために、トランクを持ち上げる。が、上がらない。うーんうーんと必死に重量と格闘していると、見かねたポッターが手を貸してくれる。

 しかし、所詮栄養の足りていない孤児どもと私たちを嘲笑うかのように、トランクはほんの数センチしか持ち上がらない。

 

「手伝おうか?」

 

 ぜいぜいと息をしながらもうひとふんばり、というところで、親切な赤毛の少年が声をかけてくれた。

 

「ぜ、ぜひ、頼む」

「オーケー。フレッド!こっち来て、手伝ってくれ」

 

 すると、全く同じ顔の赤毛がもう一人現れた。どうやら双子らしい。が、それにしてもよく似ている。

 双子の協力もあって、今まであんなに重かったトランクふたつを無事に汽車にのせることができた。

 

「ありがとう」

「ああ、助かった」

 

 ポッターと一緒に感謝を述べると、双子は全く同じタイミングでにかりと笑う。

 ああ疲れた、とポッターが汗で湿った髪をかきあげる。すると、今度は双子は全くおんなじタイミングで身を乗り出した。

 ぎょっとしているわたしをよそに、双子はポッターをまじまじ見つめる。

 

「間違ってたら悪いんだけど」

「もしかして、君の名前って」

「え、ええと、何?」

 

 ポッターの困惑をよそに、二人は確信めいた表情を浮かべ、顔を見合わせた。

 

「「やっぱり君、ハリー・ポッター!」」

 

 やはり(・・・)、ポッターは有名人らしい。その証拠に、

 

「ああ、そのこと。うん、僕はハリー・ポッターだよ」

 

 と、ずいぶん手慣れた対応をしていた。

 肝心の双子はポカンとしてしまって、ポッターも特になにも言わず、場に妙な空欄のようなものができる。

 

『フレッド、ジョージ!どこにいるの?』

「ああ、ママが呼んでる」

「そろそろ行かなきゃな」

「「じゃ」」

 

 最後は二人とも同じタイミングで簡潔な別れの挨拶をすると、身軽に汽車から飛び降りて、人混みの中に消えてしまった。

 

「……」

 

 赤い嵐が去って、再び沈黙が降りてくる。

 わたしは無言でコンパートメント内の席に座る。ポッターもそれに続いた。

 特にポッターと話すことがない、というわけではない。むしろ、確認したいことが山ほどある。しかし、なんというか、らしくないのだが、タイミングがつかめない。わたしは、なし崩し的に、彼といるときいつもそうしていたように、本を取り出して読むことにした。いつもは図書館の本だが、これは、孤児院のみんなが、入学祝にとくれたものだ。著者はアダム・スミス。うん、やはり素晴らしい。

 慣性の法則に従って、身体がゆっくりと前のめるのを感じた。それから、ガタンゴトン、と音がしだす。

 どうやら、出発したらしい。本から目を話して窓の外を見ると、家族が乗っているのだろう、赤毛の女の子が、汽車を追いかけ走りながら手を振るのが見えた。

 ホームが見えなくなったところで、コンパートメントの扉が開かれた。

 

「ここ、空いてる?他はどこもいっぱいなんだ」

 

 そこには、先程の双子を彷彿とさせる赤毛の少年が立っていた。

 ポッターがちらりとわたしを見るので、頷きで返す。

 

「うん、大丈夫だよ」

「ありがとう」

 

 二人のその会話の後は、再び沈黙。音といえば、汽車が走る音と、わたしがページをめくる音が微かに聞こえる、それだけ。

 それから少しして、再びコンパートメントの扉が開かれた。

 

「ロン」

 

 見ると、先程助けてくれた双子だった。どうやら、赤毛の三人は兄弟らしい。

 

「俺たち、真ん中の方に行ってくるな」

「リー・ジョーダンにタランチュラを見せてもらうんだ……ああ、ハリー、自己紹介したっけ?僕たち、フレッドと…」

「ジョージ・ウィーズリーだ。君は?」

「ターニャ・デグレチャフだ。先程はありがとう」

 

 簡潔な自己紹介のあと、じゃあまたホグワーツで、と双子は真ん中の車両の方に行ってしまった。

 再びコンパートメントを静寂が支配するかと思ったが、そうはならなかった。ロンが、ポッターに話しかけたのだ。

 それから、二人は色々と話し出した。『例のあの人』がどうとか、ロンの家族がどうとか、ロンのネズミのスキャバーズが使い物にならないとか。

 わたしは本を読んでいたので、ほとんど聞いてはいなかったが、内容はだいたいそんな感じだった。

 

「…だから、僕の家族のこととか、なにも知らなかったんだ。魔法のことも、ヴォルデモートのことも…」

 

 それまで普通の会話が続いていたのに、ロンはいきなり身体をびくりと震わせた。足がトランクに当たって、がしゃりと音をたてる。

 

君、今、あの人の名前を呼んだ!今、君の口から……

「ああ、僕……違うんだ。僕、その名前を言って勇敢なところを見せたいとか、そういうつもりじゃないんだ。わかる?ただ、知らないだけなんだ。名前を言っちゃいけないなんて…」

 

 ポッターが黙り混み、ロンもかける言葉が見つからないようで、二人とも口を閉じた。

 確認するなら今しかない。

 わたしは本を閉じた。

 

「なあ、ポッター、質問いいか」

「え?あ、な、何?」

 

 いきなりわたしが声をかけたので、ポッターは、先程のロンと同じくらい驚いた。

 ロンは、こいつしゃべれたのかという目でわたしを見ている。

 

「お前がヴォルデモートを倒した、というのは、本当なのか?」

 

 ロンは、怪訝そうな目をすぐに引っ込めて、再び身体を震わせた。

 

「そうみたい。僕には、あまりわからないんだけど」

 

 そう言いながら、ポッターは額に手を当てた。

 ポッターの親は事故で死んだ、と前に風のうわさで聞いたことがあったが、違ったらしい。

 

 なるほど。情報が、やっと確実で、有益なものになった。

 ハリー・ポッターに、ウィーズリー。実に良いではないか。

 ほしいのはコネクションだ。そして、そのために持つべきものは強力な友人。

 わたしだって、あのダイアゴン横丁の日からなにもせずにぽややんと過ごしていたわけではない。教科書を読み、ここ十数年の魔法界のニュースを調べ、ホグワーツ卒業者の就職率を調べ、魔法界の基本的な常識は大体おさえた。

 まず、ウィーズリー。彼らは『純血』…つまり、まじりっけのない魔法族だ。魔法界では、純血主義というものが存在するらしい。非魔法族の生まれであるわたしはそこには含まれないが、こどものうちからその純血と仲良くしておけば、もしやおこぼれがもらえるのでは?!

 そして、ポッター。偉大なるハリー・ポッター!わたしも知ったときは驚いた。なんと彼は、赤子の時に、当時闇の帝王として魔法界に影を落としていたヴォルデモート…『例のあの人』を打ち倒した人物だったのだ。いやはや今まではとんだ腐れ縁の足手まといだと思っていたが、わたしの二年間のストレスは無駄ではなかった。ああ人助け万歳!ギブアンドテイク最高!!

 

「ねえ、二人は知り合いなの?」

 

 心の中で自分を胴上げしていると、ロンは戸惑いがちに口を開いた。

 

「うん。同じ学校だったんだ」

「へえ…ねえ、そのわりに、その、あんまり仲良くなさそうだけど、喧嘩でもしてるの?」

 

 ロンは声を潜めてポッターにそう言った。ポッターは戸惑ったような顔をして、わたしを見、それからロンに視線を戻す。

 もちろん全部聞こえているので、わたしは適当に言葉を並べる。

 

「人からは無愛想だとよく言われる。そう思われるのも無理はないな……ポッター、いや、ハリー。貴方とは長い付き合いになりそうだ。これから、改めてよろしく頼む」

「よ、よろしく…デグレチャフ」

「ターニャでいい。…よき友人と再び共に学べるとは、わたしは幸運だな」

「えっ?」

 

 え?

 

「ええと、今、友だちって…」

 

 え???

 まさかあれか?さんざん助けられておいてわたしと友達にはなってくれないとかそういう?いや、そんな、まさか、ポッターに限ってそれはないだろう。

 じゃああれか。わたしがもっとも恐れていた事態……わたしが打算で動いていたのがバレていたのか?!それが、今になって光速で手のひらを返したから、あまりの潔さに怒りすら忘れて戸惑っているのか?まずい、まずいぞ、やらかした、わたし!

 

「…違ったか?」

 

 取り返しがつかない状況に、思わず声が震える。

 しかし、ポッターはブンブンと頭を振った。

 

「ち、違うよ!そうじゃなくて…僕、デグレチャフが…ターニャが友達だと思ってくれてるなんて、知らなかった…ずっと、僕なんか足手まといだって、それで…」

 

 おおっと、どうやら自分が足手まといだというのは自覚していたようだ……ごほん。しかし、足手まといだったのは今までの話。これからはわたしのコネ友達だ。

 

「友達だよ、ハリー。そうじゃなかったら、貴方を助けたりしないし、こうして同じコンパートメントにもいないさ」

 

 そう言ってポッター……いや、ハリーの手を取ると、彼の頬に赤みがさした。

 

「そっか……よかった。僕…」

「仲直りできたってこと?」

 

 ロンがそう言うと、コンパートメントの扉が開かれた。車内販売のようだ。

 結局、廊下に甘味を買いに出たのはハリーだけだった。ロンとわたしは弁当を持参している。わたしは甘味を買う余裕などないのでそうしているのだが、純血なんてどうせ金持ちだろうに、腹に入れば皆一緒というわけか。溺れず驕らず節約とは、好感がもてる。

 

「あらためて、ターニャ・デグレチャフだ。弁当同士仲良くしよう」

「う、うん。僕、ロン。ロナルド・ウィーズリー。よろしく」

 

 自己紹介をしあって、ガッチリと握手をする。

 コネづくりは順調だ。あとは仲良くするだけ。素晴らしい!

 

「では、素晴らしき節約生活に乾杯」

「…乾杯」

「え、ふたりとも、なにやってるの?」

「これはこれは閣下。甘いもの食べまくりのセレブさんには関係のない話だ。なあ、ロン?」

「そうかも」

 

 ロンは笑いながら言った。ハリーは困ったように笑って、カボチャパイやチョコレートを分けてくれた。わたしもささやかながら、ソーセージを一本おかえしに分ける。

 それからは食べ物の交換会だった――といっても、大体食べ物を振る舞っていたのはハリーだったが――。ロンがコンビーフを嫌いだというので、がめついかとは思ったが、食べ物を粗末にするのはよろしくない。わたしがコンビーフのサンドイッチを食べた。

 それにしても、魔法界の食べ物というのは不思議なものだ。蛙チョコレートは勝手にコンパートメント内を飛び回るし、ついでにおまけのカードにプリントされた偉大な魔法使いたちや魔女たちは、勝手にいなくなったりウインクしてきたり、はたまた居眠りしたりする。百味ビーンズは奇妙な味で一杯、もちろん冒険などしたくないので丁重にお断りしておいたが。

 ロンがたわし味に当たって、ウゲーという顔をしていると、コンパートメントがノックされた。

 

「ごめん、僕のひきがえるを見なかった?」

 

 ノックの主は、丸顔の男子だった。なきべそをかきながらそう尋ねるが、わたしは首を横に振った。ハリーとロンも、見かけていないらしい。

 わたしたちの反応を見て、とうとう男の子はぐずぐずと泣き出した。きっと出てくるよ、というハリーの励ましにこくりとうなずくと、

 

「もっ、もし、見かけ、たらっ、よろじぐ…」

 

 と残して、コンパートメントを後にした。

 

「僕だったら、ひきがえるなんか早くなくしちゃいたいけどな……まあ、こいつの飼い主である以上、人のことは言えないけどさ」

 

 ロンはそう言って、彼の膝の上でグースカ眠るスキャバーズをつつきながら、こいつが死んでたって見分けがつかないよ、とぼやいた。それから、呪文をかけてスキャバーズを黄色にすると言い出した。

 なんだかカラーひよこを思い出すなあ、とわたしはぼんやりしている。食後だからだろうか?それにしても、カラーマウスとか、動物愛護団体とかに怒られないのだろうか。そもそも、魔法界にそんな団体はあるのだろうか?

 ロンはボロボロの杖を取り出した。なんだかキラキラ光っていてきれいだなあとぼんやり思っていると、『中身のユニコーンのたてがみがはみ出してるけど、まあいっか』というロンの声が聞こえた。そこでわたしははっと我に帰る。

 なんでそんなにボロい杖を使っているんだ。節約と言っても限度がある。暴発して爆発したりしないよな、いや、まさか、というところまで考えて、わたしはふと胸元のエレニウムを見つめた。――暴発したら、ここら一体クレーターになっていましたよ――と、マクゴナガル先生の言葉を思い出した。

 ロンが杖を振り上げる。やはり、やめておいた方がいいのではないだろうか。こういうものに関して、今まで平気だったから大丈夫という人間がよくいるが、それは、裏を返せば今まで壊れなかった分一気にガタが来てもおかしくないということだ。

 わたしが止めようとしたとき、またコンパートメントの扉が開いた。先程の、ひきがえるの飼い主が、今度は女子をつれてやってきた。

 

「ねえ、ひきがえるを見なかった?ネビルのがいなくなったの」

 

 たまに見かける、年頃特有の、何となく威張ったしゃべり方をする女子だ。

 わたしから見ればほほえましいものだが、ロンは魔法を邪魔されたこともあってか、顔をしかめている。

 

「さっきもそう言ったけど、見なかったよ」

 

 ロンがそう答えるが、女子はもうひきがえるのことなんて忘れたようで、ロンの杖に気をとられていた。

 

「魔法をかけるの?それじゃ、見せてもらうわ」

「あー………いいよ」

 

 ロンは咳払いをして、杖を振りながら呪文を唱える。

 

『お陽さま、雛菊、溶ろけたバタ~、デブで間抜けなネズミを黄色に変えよ』

 

 しかし、スキャバーズにはなにも起こらず、彼はグースカ眠ったままだ。

 

「その呪文、間違ってるんじゃない?…まあ、あんまりうまくいかなかったわね。私も、練習で簡単な呪文を試したんだけど、全部うまくいったわ。私の家族に魔法族は一人もいないから、手紙をもらったときちょっとビックリしたけど……ああでももちろん嬉しかったわ。ホグワーツは最高の魔法学校って評判だもの。教科書はもちろん全部読んだし全部暗記したわ。それで足りるといいんだけど………ああ、私、ハーマイオニー。ハーマイオニー・グレンジャーよ。あなた方は?」

 

 ハーマイオニーのマシンガントークに、私たちは、しばらく呆然として返せなかった。

 営業職とか向いてるかも、とわたしが場違いなことを考えているうちに、ロンが正気を取り戻した。

 

「ぼ、僕はロン・ウィーズリー」

「…ターニャ・デグレチャフだ」

「えと、ハリー・ポッター」

「ハリー・ポッター?」

 

 女の子は目を輝かせた。

 

「もちろん知ってるわ。あなた、いくつかの参考書に、名前が出てたわよ」

「僕が?」

 

 ハリーは呆然とした。そんなハリーをよそに、ハーマイオニーはぐるりとわたしの方を向いた。

 

「あなたのことも知ってるわ、ターニャ。あなた、最近ニュースで取り上げられていたもの。国際物理オリンピックのブリテン部門で、確か……」

「二十六位だ」

 

 わたしは思わず、重苦しい声を出してしまった。いや、前世の経験から、どんなに勉強して出場しても、良い成績は出せないだろうというのはわかっていた。この年で出場経験をつくっておけば、箔がつくかと思った、それだけだ。そのつもりだったのだが、それでも、少し、わたしは期待していたようだ。

 

「あと一点で、ヨーロッパ進出の可能性もあったのだがな」

「ああ…ごめんなさい。でも、私は十分すごいと思うわ。史上最年少のベスト三十入りでしょ?ニュースだけじゃなくて、新聞にも載ってたし」

「よしてくれ。そんなに誉められたら、胸焼けしてしまいそうだ。だが、ありがとう、ハーマイオニー。わたしの努力も無駄ではなかったようだ」

 

 日本人の性で謙遜しつつもお礼を言うと、ハーマイオニーは頬を赤くして笑った。

 それから、彼女は立ち上がり、わたしたちの方を振り返って言った。

 

「そういえば、三人とも、どの寮に入るかわかってる?私、色々と調べたんだけど、グリフィンドールに入りたいわ。そこが一番良いみたい。ダンブルドア先生もそこ出身だし…ああ、でも、レイブンクローも良いかもね。ああ、そうだ。もうすぐホグワーツに着くみたいだから、着替えておいた方がいいわ」

 

 ハーマイオニーは、再び自前の機関銃をうちならすと、それじゃあね、とひきがえるの子と一緒にコンパートメントを去った。

 

「どの寮でも良いけど、あの子とは違うところが良いな」

 

 ロンはうんざりといった感じで、トランクに杖を投げ入れた。

 

「まあ、彼女も、新しい環境、知らない人ばかりで、緊張してるんじゃないか。口数が多かったのはそのためでは?それに、どうやら気が使えないわけでもなさそうだし」

「そう?」

 

 ロンはぶすっとして言った。

 

「僕には、あの子はただ自分のことを話したいだけのように見えたけど。それに、口数が多い何てもんじゃないだろ、アレ」

「……まあ、確かにそうなんだが」

 

 そこまで言われてしまっては、フォローしきれない。ロンの言うことも間違ってはいないし。

 しかし、彼女には、ただひたすらに悪い部分しかないというわけではない。そう、悪いところを叱りとばすなど時代遅れ、今は、相手の良いところを見つけ、それを伸ばす時代だ。

 

「そういえば、着替えなくて良いの?」

 

 ハリーの言葉に、三人で顔を見合わせる。

 それから、示し合わせたわけでもないのに、二人はフレッドとジョージみたいに同時に立ち上がった。

 ロンが扉を開けて、廊下に出て、

 

「ゆっくりでいいから」

 

 とハリーが残し、扉が閉められ、コンパートメントにわたし一人が残された。

 …ああ、わたしが女だから気を使ってくれたのか。さすがはイギリス、こどもまで紳士とは恐れ入った。

 トランクを開け、制服を引っ張り出す。それから、ブラウスを脱ぎ、指定のシャツを着る。シャツのボタンに手をかけて、わたしは我に帰った。

 

 

 

 

 ハリーとロンは、コンパートメントの外で、ターニャが着替え終わるのを待っていた。

 二人はすっかり打ち解けていた。しかし、ハリーにとって、ターニャが本当に友達だと思ってくれているのかどうかというのは、不安だった。

 

「え、なんで?さっき、あんなに仲良さそうにしてたじゃないか」

 

 ロンは、やれやれと呆れたかのように言った。それからこう続ける。

 

「君、さっきのターニャを見てなかったのか?」

「さっきって、いつの?」

「ほら、君が友達かどうか、聞き返したときの」

 

 もちろん見ていた。ハリーが尋ね返したとたん、ターニャは、驚いた顔をして、それから、しゅんと寂しそうな顔をして、違ったか、と声を震わせたのだ。

 

「ターニャがあんなになってるの、はじめて見たよ」

「あーあ、それじゃ、彼女、相当ショックだったんだろうな」

「ちゃんと否定したじゃないか、ちがうって」

「冗談だってば」

 

 ターニャに聞こえないよう、小声で軽口を叩きあっている間に、今度は別の疑問が首をもたげてきた。

 

「でも、ターニャはなんで僕と友達になってくれたんだろう」

 

 ターニャはすごい人だ。優等生で、なんでもできる。教師からの信頼もあつく、あのダドリー軍団が一目おくくらいには運動神経もあった。

 

「なんかすごいんでしょ?さっきのあの嫌な感じのやつが言ってたけど、国際…えーと」

「国際物理オリンピックね。ターニャは優等生で、ほんとに、僕とはすべてが正反対の人なんだ。なんで僕と一緒にいてくれたのかわからないくらい。僕と一緒にいるとき、ずっと本読んでたけど……」

「うーん、ターニャも自分で言ってたよな、無愛想だって。彼女、実は結構なシャイなんじゃないの?」

「…そうかな?」

 

 その考えはなかった。こうして悩みを相談して、自分では思い付かないようなアイデアを得る、というのは、ハリーにとってはじめての経験だった。

 

「あとさ、これも、さっき彼女自身が言ったことだけど……大体の人はみんなそうだと思うけどさ、普通、わざわざ嫌いなやつのとなりで読書しようなんて思わないだろ?」

 

 ハリーは、自分がダーズリーのそばで本を読むところを想像してみた。読む本は…ハリーは本を持っていない。ホグワーツの教科書くらいだ……怒り狂ったバーノンおじさんが、穴あけドリルで教科書を穴だらけにするところまで想像して、ハリーは顔を青ざめさせた。

 

「絶対無理」

「僕も。それに、君はさっきなにもないっていってたけどさ、友達になるってことは、なにか共通点があったってことじゃないの?」

 

 ターニャと自分の共通点?

 ハリーは考えて、ひとつ思い当たった。

 

「僕はダーズリー家で、彼女は孤児院だ」

 

 ハリーの呟きに、ロンがはてな、という顔をしたので、もう少し詳しく話す。

 

「ええと、二人とも、親がいないんだ。僕は親戚の家で、彼女は孤児院で暮らしてた。孤児院は裕福じゃなかった。けど、僕も同じだ。親戚は裕福だったけど、僕には親切じゃなかった…」

「彼女、孤児院出身なのかい?」

 

 ハリーの説明を受けて、ロンは信じられないという顔になった。

 

「そうだけど……なんで?」

「いや、彼女が首から下げてる、まるいのあるだろ?」

 

 ある。ターニャがいつも肌身離さず持っているアレだ。

 

「あれ、エレニウムっていう、相当高価だった魔道具だぜ。しかもその存在自体がだいぶ古いんだ、骨董品レベル」

「それ、何に使うの?」

 

 ロンは肩をすくめて、うちにあるのはパパがもらってきた故障したやつだからなあとぼやいた。

 

「でも、よかった。ターニャみたいな、いい人が友達になってくれて」

 『わたしは男だろうがド畜生が!!!!!』

 

 二人は顔を見合わせた。

 今、コンパートメントから、あり得ないくらいの怒声が聞こえてきた。

 

「た、ターニャ?!どうしたの?」

『あ、いや、その、うん。すまない。急にどこかで見た呪文を試したくなってしまった』

「呪文にしては、その、ずいぶん汚いね……もしかしたら、相当変な友達かも」

 

 ロンは、後半はコンパートメント内に聞こえないように、声をひそめてそう言った。

 

「ねえ、このコンパートメント内にハリー・ポッターがいるって聞いたんだけど、本当かい?」

 

 その時、後ろから急にそんな声がして、ハリーとロンは振り返った。

 そこには、ハリーがマダムマルキンの店で会った、青白い男の子がいた。彼は、後ろに二人、ダドリーを思わせるような、いや、もしかしたらダドリーよりも体格のいい、意地悪そうな子分を連れている。

 そんなハリーの視線に気がついたのか、青白い子は言った。

 

「ああ、こいつはクラッブで、こっちがゴイル。そして、僕がマルフォイだ。ドラコ・マルフォイ。それじゃあ、君がハリー・ポッター?」

「うん、そうだよ」

 

 ハリーは、またかと思いながら答えた。

 ロンは、マルフォイの自己紹介を聞いて、笑いをごまかすかのような咳払いをした。

 

「君、まさか、僕の名前が変だとでも言うのかい?パパから聞いたよ、ウィーズリー家はみんな赤毛で、そばかす面で、ついでに、育てきれないくらい子どもがいるって…」

 

 それから、マルフォイは、ハリーに向かって言う。

 

「ポッター君、残念ながら、魔法族にも良い家柄と悪い家柄があるんだ。前者はともかく、後者との付き合いは考えた方がいい。その辺は僕が教えてあげよう」

「…あー、悪いけど、間違っていることとそうでないことくらい、自分で見分けられると思うよ、誰でも」

 

 ハリーがそう言うと、マルフォイは僅かに顔を歪ませた。

 

「ポッター君、僕ならもう少し気を付けるがね。もう少し礼儀を身に付けないと、君、君の両親と同じ道をたどることになるぞ。ウィーズリーやハグリッドみたいな連中と一緒にいれば、君の身も同じところまで堕ちることになるだろうね」

「もういっぺん言ってみろ!」

 

 ロンが怒鳴った。それを見て、マルフォイはせせら笑った。

 

「へえ、僕たちとやるつもりかい?」

「今すぐここから去らないのならね」

 

 ハリーはきっぱりとそう言った。クラッブとゴイルがぎろりと睨みをきかせるから、後ずさりしそうになったが、こらえて、負けじとにらみ返した。

 

「生憎、そんな気分ではないな。僕たち、自分の食べ物は全部食べちゃったんだよ。ここにはまだあるかい?」

 

 マルフォイはそう言って、コンパートメントの扉に手を伸ばす。

 

「あ、やめろ!開けるな!」

「な、クラッブ、ゴイル、こいつら押さえろ!」

「こ、今回は特別だぞ、忠告してやる。君、今この扉を開けたら、お前の言うご立派な家柄に傷がつくぞ!」

「裏切りの血が、僕の家をとやかく言うな!」

 

 がらり、と音がして、乱闘は一瞬止まった。

 

「一体なんの騒ぎだ」

 

 そこには、制服に着替え終わったターニャが、悠然と佇んでいた。

 ターニャは、先程まで下ろしていた髪をひとつに結っており、滅多に身に付けていなかったスカートを履いていた(それが学校の制服なのだから、当然と言えば当然なのだが)。ターニャを見慣れていたハリーにとっては、すごく新鮮だったが、それ以上に、とても似合っていると思った。

 マルフォイは、クラッブとゴイル下がらせた。それから、先程のハリーに対して言ったことを、ターニャにも言った。

 

「…君も、付き合う仲間は選んだ方がいいんじゃないか?こっちのコンパートメントに来なよ……」

 

 ハリーは、マルフォイが、ターニャの胸元に下げられたエレニウムを注視しているのに気がついた。

 

「黙れ」

 

 ハリーは思わず口を開いた。

 

「君は、珍しいおもちゃで遊びたいだけだろう」

 

 ターニャはハリーが何を言っているのか理解したのか、胸元のエレニウムをローブで隠した。

 マルフォイは肩をすくめた。

 

「別にそういう訳じゃないさ。ただ、彼女の為を思ってね。そんな逸品を持っているような人間が、礼儀知らずと赤毛のネズミのコンパートメントじゃ釣り合わないと思ってね」

「お前!」

「ロン」

 

 マルフォイに飛びかかろうとしたロンを、ターニャが制止した。

 それから、マルフォイの目を見据え、きっぱりと言い放った。

 

「誰だか存じないが、わたしの友に向かって随分な侮辱だな。誰がお前のコンパートメントなど行くものか、去れ」

「……!」

 

 そのように言われるなど、想像もしていなかったのだろう。マルフォイは顔を真っ赤にして、こう叫んだ。

 

「君もずいぶんな礼儀知らずだな。ハリー・ポッターと、純血の面汚しであるウィーズリーを選ぶとは!」

「マルフォイ!」

 

 ロンは、髪と同じくらい顔を赤くして怒鳴った。 しかし、ターニャにぎろりと睨まれたため、飛びかかることはできなかった。

 

「マルフォイ……純血の、面汚し?」

 

 震える声でそう呟く声が聞こえた。それまで冷静だったターニャは握りこぶしを作った。そして、怒気を露にした顔で、ダドリーたちに向けていたものよりも怖い顔で、マルフォイを睨み付けた。

 マルフォイは、後ずさると、クラッブとゴイルをつれて、逃げるように前の車両へと姿を消した。

 

「……最悪だ」

 

 その後ろ姿を見ながら、ターニャが小さく呟いた。

 

 

「確かにあいつはサイアクだけど、君はサイコーだよターニャ!」

「ぐべっ」

 

 ロンはよっぽど興奮しているのか、ターニャに抱きついた。背の高いロンの突進に、ターニャは変な声を出した。

 

「見たかハリー、あのマルフォイの怯えた顔!」

「もちろん。さすがだね、ターニャ」

 

 ハリーの言葉に、ターニャは薄く笑った。

 

「……いや、はは、まあ、ははは、そうだな。やつは、わたしみたいに、ロンに飛びかかられなくて幸運だったな」

「あ、ごめん、痛かった?」

「いいや、大丈夫だ。ほら、今度は貴方たちが着替える番だ」

 

 ターニャがそう言って、コンパートメントを示すので、ハリーたちも着替えることにした。

 

 

 

 



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〇2.パーティー

「はあ……」

「ターニャ、大丈夫?」

「ああ、平気だ……」

 

 平気じゃない。

 新入生たちは、木が鬱蒼と生い茂った道を進む。道はなかなかに険しく、時々飛び出た木の枝にローブを引っかけそうになる。ローブに気をとられると、今度は足を滑らせて転びそうになる。

 先導している大男は慣れているのか、生徒たちが苦戦している間にも、ひょいひょい先へ行ってしまう。そのため、歩くのに必死で、汽車を降りてすぐのプラットホームでの、

 

「あれ、ハグリッドだよ」

 

 というハリーの言葉を最後に、わたしたち三人の間に会話らしい会話はなくなっていた。それは周りも同じようで、息切れする声や、足を滑らせ転んだ呻き声などしか聞こえない。

 

 しかし、わたしが気にしているのはそんな小さなことではない。

 やらかした。

 

 

 

 

 

「…わたしは男だろうがド畜生が!!!!!」

 

 わたしはひとり、コンパートメントで絶叫した。

 まさか異性に、いやちがう!(元)同性に女性として気遣われてしまうとは、そしてそれを当然かのように受け取ってしまうとは!!存在Xめ、まさかわたしの精神を洗脳したのか!!奴は、わたしに女性だという認識を植え付け、奴が言う世界に引きずり込もうとしているのだ!!災いあれ、災いあれ、災いあれ!!!

 

『た、ターニャ?!大丈夫?』

 

 ハリーの声が聞こえて、わたしは我に帰った。

 

「え、あ、その、うん。すまない。どこかで見た呪文を急に試したくなってしまった」

『呪文にしては汚いね』

 

 ロンの声が聞こえて、コンパートメントの外は静かになった。

 

 ああ、わたしとしたことが、まさか声に出してしまうとは。そして、いまだに平然と女性扱いされていた自分へのショックが止まらない……

 わたしはがっくりとうなだれながら、とぼとぼ着替えた。シャツを脱ぎ、今は貧相なこの身体もいつかは女らしくなるのかと思うと、泣きたくなるような思いと、今の身体じゃそれが普通という考えが混じりあって訳がわからなくなった。ああ、自身の性別についてこんなに深く嘆くのは、物心ついたころに、自身の息子がなくなったと改めて認識した時以来だ。

 指定のシャツを着て、スカートを履く。なんだか妙な感じだ。スカート、スカートか。今までは着用を避けてきたが、こうなっては仕方ない。

 しかし、スースーして落ち着かないな。下にタイツでも履いておこうか。

 最後に、気合いを入れるために髪をひとつに結わいた。よし、これで完璧だ。

 その時、急に外が騒がしくなったので、何事かと急いでドアを開ける。

 

「…一体なんの騒ぎだ?」

 

 そこでは、ハリーとロンが、青白い顔の男子と、体格の良い男子二人と取っ組み合いをしていた。

 なぜか、ハリーと青白い男子から、ものすごく視線を感じる。まさか、制服の着方がどこかおかしいのだろうか。

 青白い男子は、咳払いをして、言った。

 

「君も、付き合う仲間は選んだ方がいいんじゃないか?こっちのコンパートメントに来なよ」

「黙れ。君は、珍しいおもちゃで遊びたいだけだろう」

 

 わたしはハリーの言葉に首をかしげた。

 …ああ、エレニウム九五式のことか。どうやらこれは目立つようだ。そのせいで、妙に馴れ馴れしいやつに目をつけられてしまったし。

 

「別にそういう訳じゃないさ。ただ、彼女の為を思ってね。そんな逸品を持っているような人間が、礼儀知らずと赤毛のネズミのコンパートメントじゃ釣り合わないと思ってね」

「お前!」

「ロン!」

 

 好き勝手言う青白い男子に、ロンは憤慨して、飛びかかろうとした。

 しかし、すんでのところで止める。まだ学校に着いてすらいないのに、暴力沙汰に巻き込まれてたまるか。

 そして、分かるのは、ハリーもロンもこの男子を好ましく思っていない、ということだ。ならば、彼らの味方をしてやろう。報酬は出世とコネだ。

 

「誰だか存じないが、わたしの友に向かって随分な侮辱だな。誰がお前のコンパートメントなど行くものか、去れ」

 

 わたしがそう言うと、彼は青白い顔を真っ赤に染めて顔を歪ませた。

 

「君もずいぶんな礼儀知らずだな。ハリー・ポッターと、純血の面汚しであるウィーズリーを選ぶとは!」

「マルフォイ!」

 

 は?

 わたしは耳を疑って、とっさにロンを見る。ロンは今にも飛びかかりそうだったのをピタリとやめた。

 

 マルフォイ?

 マルフォイって、あのマルフォイ?

 純血として名高い?名門の?

 こいつが??

 

 わたしはロンを見た。それからマルフォイを見た。どちらが純血にふさわしい身なりかなど、見ただけでわかる。マルフォイだ!

 

「マルフォイ……純血の、面汚し?」

 

 思わず声が震えた。いいや、声だけではない。身体全体がカタカタと震えている。わたしは震えを押さえようとこぶしを握った。

 

 わたしは、やらかした。

 媚を売り、恩を売る相手を間違えたのだ。

 ああ、なんで気がつかなかったんだ!ロンはいかにも庶民、もしくはそれ以下の身なりだ。しかし、マルフォイはどうだ。小綺麗な格好で、ブロンドの髪も綺麗に撫で付けられている。どこからどうみても彼が魔法界の貴族枠だ!よりによって、なんでこいつがマルフォイなんだ!!!

 

 わたしがジュリエットのような思いでマルフォイを見ると、彼はさっきまで赤くしていたもとから青白い顔をさらに青ざめさせて、体格の良い二人を引き連れてどこかへ行ってしまった。

 ああ、見覚えがある。取り巻きを引き連れて逃げるダーズリーそっくりだ。ということは、わたしはまた恐ろしい顔(推定)をしていたのか?!

 ああ、待ってくれマルフォイ、カムバーーック!

 

 そのあと、わたしはロンたちに称賛されたが、ちっともいい気分にはならなかった。むしろ最悪な気分だ。

 これからどうすれば良いのだろうか。マルフォイに、あのときはあなた様があのマルフォイだったなんて知らなかったんですぅとでも言えば良いのだろうか?とんだ無礼をお許しください、と。ああ、しかし、そうするしかないか。マルフォイの父は、死喰い人の冤罪をかけられたことで有名だが、ホグワーツの理事会に名を連ねていることでも知られている。将来がかかっているどころか、これからの学校生活にも関わって来るだろう。タイミングを見計らって実行しようとわたしは心に誓ったのだった。

 

 

 

 

「みんな、もうすぐだ。もうすぐ、ホグワーツが見えてくるぞ。この角を曲がったらだ」

 

 大男…ハグリッドがそう言うと、歩き疲れたはずの生徒たちの間から、一気に歓声が湧き起こった。

 ハグリッドの言った通り、角を曲がると、急に視界が開け、黒い湖の湖畔に出た。向こう岸、高い山と、そのてっぺんに大きな城が見えた。城というより、均整のとれた塔の集まりと言った方がしっくり来るくらい、大小のたくさんの塔が突き出ている城だった。

 

「さあ、四人ずつボートに乗って!」

 

 ハリーとロンが乗り、流れ的にわたしもそれに続く。それから、ハーマイオニーがボートに乗った。

 

「みんな乗ったな?よし、では、進めぇー!」

 

 ハグリッドがそう言ってホグワーツを指差すと、ボートは勝手に動き出した。

 湖に映った城は、ボートを中心として生じる波紋によって、ゆらゆらと形を変えた。

 

「頭、下げぇー!」

 

 言われた通りに頭を下げると、ボートたちは蔦のカーテンを潜り、隠されたように空いている崖下の入り口に滑り込み、地下の船着き場に到着した。

 

「ほい、これ、お前さんのひきがえるか?」

「トレバー!」

 

 ハグリッドは、汽車でペットのひきがえるを探していた子とそんな会話をしてから、石段を登り、その先にある巨大な木の扉を三回叩いた。

 扉が開くと、そこには、エメラルド色のローブを着た、見覚えのある女性が立っていた。

 

「マクゴナガル先生、イッチ年生を連れてきました」

「ご苦労様、ハグリッド。では、ここからは私が」

 

 それからは、マクゴナガル先生に続いて歩き、そこそこの規模のパーティーが開けそうなほど広い玄関ホールを横切って、ざわざわと騒がしい声の漏れるドアの前の前につくと、先生は振り返った。

 

「皆さん、ホグワーツ入学おめでとうございます。新入生の歓迎会の前に、大広間で皆さんが座るテーブルを決めなくてはなりません。寮の組分けはとても大切な儀式ですので、真面目に受けるように」

 

 その言葉で、隣のハリーを含めた何人もの生徒が、緊張した表情をさらにこわばらせた。

 寮の組分けは、どうやって行うのだろうか。

 

「寮は四つ。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリンです。どの寮も、輝かしい歴史のもとに、素晴らしい魔法使いや魔女が卒業しました。皆さんがホグワーツにいる間、良い行いは寮の得点に、違反の場合は寮の減点になります。学年末には、一番得点の高い寮に、大変名誉ある寮杯が授与されます。皆さん一人一人が、それぞれの寮の誇りとなることを望みます」

 

 それから、マクゴナガル先生は、組分けの儀式が始まる前に身なりを整えておきなさい、と残し、ざわざわ声の聞こえる扉の方へ行ってしまった。

 わたしはローブを整えながら、どうやら試験をするわけではなさそうだなと思った。マクゴナガル先生の口ぶりからして、寮ごとに学力の差があるわけではなさそうだし、面接なんかも時間がかかりすぎる。ざわざわとひっきりなしに声が聞こえているこの部屋の中でやるのだ。なにか、もっとこう、簡単で、絶対のものなのだろう。絶対のもの、というと、なんだろうか。

 わたしはオリバンダーの店を思い出した。あのときわたしが杖を振ると、最初に握った杖を振ったら蛙が出てきたが、今わたしの懐に入れられている杖はくるくる空飛ぶ兵隊を出した。しかし、みんながみんなそうなのだろうか?わたしが違う杖を握る度に違う反応が起きたように、個人個人で反応が違うのかも。だとしたら、人によって違う魔力の波のようなものを読み解いて、その結果で入る寮を決めるというやり方もできるかもしれない。

 

「いったいどうやって寮を決めるんだろう」

「なにかはよくわからないけれど、フレッドたちはものすごく痛いって言ってた」

「まず殴られて、痣の形で寮を決められるとかか?」

 

 わたしのその言葉に、ロンとハリーはうへえという顔をした。もちろん冗談だが、言ったあとで、もしかしたらあり得るかもと思ってしまった。

 左隣からは、ハーマイオニーが今まで覚えた呪文を早口でぶつぶつ言う声が聞こえてきて、何となく不安な気持ちにさせられる。

 マクゴナガル先生を待つ間、他に変わったことと言えば、半透明のふよふよした人間が現れたことか。ハリーがひっと声をあげて飛び上がり、周りの生徒の何人かが悲鳴をあげた。彼らは、こちらには目もくれず、修道士がどうとか、ピーブズがどうとか、そう言うことを話し合ってから、新入生に挨拶をして、どこかへ行ってしまった。

 しばらくして、マクゴナガル先生が戻ってきた。

 

「それでは皆さん、着いてきてください。一列になって」

 

 ハリーの後ろにロンが並んだので、わたしはそのあとに続く。二重扉を開けると、そこには、先程の玄関ホールや、わたしが知っているどんな建築物をも凌ぐ空間が広がっていた。

 何千というろうそくが宙に浮かび、四つの長テーブルを照らしている。そこには、上級生たちが座っていて、テーブルの上には、金色の皿やゴブレットが置いてある。壁の装飾ひとつとっても、不思議で、綺麗なものだ。天井には星空が広がっている。本当の空に見えるように魔法がかけられているのよ、とハーマイオニーは言った。

 マクゴナガル先生は、生徒の前に四本足のスツールを置いた。それから、その上にボロボロのとんがり帽子が乗せられる。

 すると、帽子が歌い出した。呆然としたが、どうやら歌詞に意味があるようなので、注意深く聞いてみる。

 大体の内容は、『寮の組分けにつきましては、この帽子を被ることによって決められます。グリフィンドールは勇気あるものが、ハッフルパフは忍耐強く忠実なものが、レイブンクローは知恵あるものが、スリザリンは目的のためならば手段を選ばないものが入る寮ですよ』というようなものだった。

 歌い終わると、大広間に拍手喝采が響き渡った。帽子は、それぞれのテーブルに向かって器用にお辞儀をした。

 歌の内容から考えるに、わたしはハッフルパフあたりだろうか?元サラリーマン、ある程度世の酸いも甘いも経験してきた。忍耐には自信がある。それかレイブンクローとか。必要があるならば、勉強するのは嫌いではない。逆に、あり得ないと思うのはグリフィンドールとスリザリンだ。わたしはただの凡人で、勇敢でもないし、ルールを守る善良な市民なので、目的のためならば何をしても構わないという思想を持ち合わせてはいない。

 

「ABC順に名前を呼ばれたら、前へ出て組分け帽子を被ってください。それでは――アボット・ハンナ!」

 

 呼ばれた女子が緊張しながら、椅子に座り、帽子を被ると、一瞬の沈黙の後、

 

『ハッフルパフ!』

 

 次の瞬間、右側のテーブルから爆発的な歓声と拍手が上がり、ハンナ・アボットはハッフルパフのテーブルに迎え入れられた。

 それから、帽子はひたすらに生徒を組分けしていった。『ハッフルパフ!』『レイブンクロー!』『レイブンクロー!』『グリフィンドール!』『スリザリン!』

 

「デグレチャフ・ターニャ!」

「では、一足お先に」

 

 緊張で死にそうな顔のハリーとロンにそう言って、組分け帽子を被るために前へ出る。

 スツールに座り帽子を被ると、帽子はわたしの頭より大きく、目の前が見えなくなった。

 

『ふーむ、これは難しいな……忍耐強い、知恵もある。目的のためならば手段を選ばない狡猾さもあるし、大いなるものに抗うことを恐れない……』

 

 上の方から帽子がぶつぶつとなにかを言っているのが聞こえた。

 いや、まて。レイブンクローとハッフルパフはわかるが、スリザリンとグリフィンドールはないだろう。

 

「なぜ、そう思うのかね?」

 

 ん?いや、そりゃあ……

 そこで、わたしは声の感じが違うことに気がついた。

 

「全く、お前は相変わらず進歩していないようだな、ターニャ・デグレチャフよ。」

 

 聞き覚えのある声だ。それに、その、人の神経を逆撫でする憎たらしい喋り方。まさか、存在Xか!

 

「左様。何、そう身構えるな。私は、お前に運命を授けに来た。」

 

 運命だと?ふざけるな!

 わたしの人生を傷物にして、その上そんなよくわからないものを受け取ってたまるか。貴様はどれだけわたし一個人の人権を侵害すれば気が済むのだ!

 

「お前ひとりをどうこうすることが目的ではない。壮大な目標のもとに。」

 

 やめろ、それ以上近寄るな。やめろ、やめろ、やめろやめろやめろやめろ!!!

 

 暗闇のなか、青白い手が伸びてくるのが見える。抵抗しようとするが、金縛りのようになって動けない。私は、なにか恐ろしいことが起こる気がして、思わず目を瞑った。

 きんきんと耳鳴りがする。胸元が、熱い。

 

 

『あなたが誰か存じないが、寮の組分けはわたしの仕事だ。お帰り願おう』

 

 その声で、耳鳴りも、金縛りも、全部無くなった。

 

『グリフィンドール!』

 

 わあっとくぐもった歓声が聞こえて我に帰った。

 

 わたしは今何を見た?今回は覚えている。あのクソッタレの悪魔だ!

 

 帽子を脱ぐと、歓声がダイレクトに聞こえた。今のわたしにとっては、あまり心地よいものではないが、それでも何事もなかったかのように振る舞う。たくさんの上級生が手招きしているテーブルに向かい、席につく。

 次の瞬間、大広間の歓声が遠のいて、わたしはがっくりとテーブルに突っ伏した。

 

 

 

 

 

『……殿、大尉殿……』

 

 

 わたしは、誰かにゆすり起こされた。

 む、机で居眠りとは…いくら疲れているとはいえ、よろしくないな。

 わたしは、ずきずきと痛む頭を押さえながら起き上がった。

 

 

「んぅ……ああ、すまないな副官。わたしとしたことが、眠ってしまっていたようだ……早速書類の処理を頼む……」

「…ターニャ、なに言ってるの?」

 

 は?

 頭を押さえていた手をどけてみれば、目の前には、心配そうな顔のハリーがいた。その隣にはロンもいる。

 

「…………」

「ターニャ?」

 

 …わたしは、今、なにを言った?

 いや、まて、落ち着け。最近、確か同じことがあったような。そうだ、マクゴナガル先生が孤児院に来た日だ。あのときもなにかを見て、でもそれがなんなのか思い出せなかった。

 何が原因なんだ。あの時はエレニウムが光った。先程も、こいつの耳鳴りが聞こえていた。そして、今回は、存在Xが……

 ……謀ったな、悪魔め!!

 

「ねえ、ターニャってば…」

「え、ああ、いや、すまない。少し、寝ぼけてしまった。わたしとしたことが、どうやら気張りすぎたようだな」

 

 なんと説明すればいいのかわからない。というか、説明できたとしてもする気が起きない。入学早々、記憶障害、精神疾患持ちなどというイメージを持たれたくないし。

 なので、適当に誤魔化しておく。まだ少し頭が痛いが、それ以外はなんともない、大丈夫だ。

 大丈夫ならいいんだけど、と残して、ハリーたちは新入生の男子の集まりに加わりに行った。

 

 わたしが眠っている間に、新入生歓迎会が始まったようで、大広間は様変わりしていた。どの寮でも歌えや踊れやの大騒ぎ。先程見た半透明の人間たちもゆらゆらと踊ったり、歌ったり、生徒と話したりしている。テーブルには、たくさんのご馳走が並べられていた。どれもこれも豪華で、美味しそうで、こんな食事は前世以来だ。

 思わず目頭を熱くしていると、隣に座っているハーマイオニーが声をかけてきた。

 

「ターニャ、無理しない方がいいんじゃない?」

「いいや、平気だ………本当に」

「でもあなた泣いてるじゃない。そんなにどこか痛いの?」

「いいや、泣いてない。本当に」

 

 わたしは感動の涙をコントロールして即座に引っ込めた。こんなご馳走にありつけないでたまるか。

 

「君、さっきから具合が悪そうだけど、保健室に言った方がいいんじゃないか?」

 

 騒ぎを聞き付けたのか、頭の堅そうな、赤毛の青年がこちらにやって来た。

 

「いえ、なんともありません。大丈夫です」

「いや、だけど……」

「平気です。ほら、食欲もあります」

 

 そう言って、わたしは豚の丸焼きを取り分けて口一杯ほおばった。

 ああ、おいしい…。口のなかに溢れかえる肉の旨味、泣きそうだ……。

 赤毛の青年は本当かなあとぼやいた。上級生としても、新入早々倒れられては困るのだろう。大丈夫、わたしは、この体になってから、重い病気はもちろん、風邪だってほとんど引いていない。

 

「ああ、自己紹介がまだだったかな。僕、パーシー・ウィーズリー。グリフィンドールの監督生だ」

「監督生!」

 

 わたしは思わず声をあげてしまった。なるほど、道理でわたしの心配をしてくれるわけだ。確かに、彼の胸には、監督生である証のバッヂがキラキラと輝いている。

 監督生、主席とは別にある枠で、品行方正な生徒が選ばれる。ようは優等生の称号みたいなものだ。わたしはその座を狙っている。わたしの頭では主席は無理かもしれないが、ルールを守ることは得意、むしろ好きだ。

 パーシーはそんなわたしの反応に機嫌をよくしたのか、わたしのとなりに座った(椅子がとことこと歩いてきて、パーシーが座るタイミングぴったりに彼のもとに到着した)。

 

「ターニャ・デグレチャフです。よろしくお願いします」

「ああ。弟のロンと仲良くしてくれているみたいだね。どうもありがとう」

「いえ、こちらこそ、弟さんにはよくしてもらっています」

 

 テーブルの向こう側でわっと笑い声が上がった。ハリーとロンが、他の男子たちと談笑している。

 ハーマイオニーがパーシーに話しかけた。どうやら質問があるらしい。わたしはその隙に料理を取り分けることにする。

 どれもおいしい。おいしいが、慣れ親しんだ日本食が懐かしい。寿司、だしまきたまご、ラーメン、ビール…

 そんなことを思っていると、空の大皿の上に今夢想したビール以外の食べ物がすべて現れた。わたしは歓喜しながら皿をぐいっと引き寄せる。ああ、おいしい…懐かしい…ここは天国だろうか。本当にビールがほしい。というか酒ならなんでもいい、と思っていると、これで我慢しろと言わんばかりに、空のゴブレットがたちまちブドウジュースで満たされた。

 わたしがグルメを極めている間に、ハーマイオニーとパーシーは授業についての話をしていた。

 

「あの、私、変身術に一番興味があるんです。でも、難しいって聞くし……授業って、どんな感じなのかしら」

「まずは簡単なものから試すのさ。例えば、そうだな…マッチを針に変えたりとか」

「へえ、確かに、マッチと針は形が似てますものね……ターニャは、どの授業が楽しみ?」

 

 ハーマイオニーがいきなりこちらに話を振ってきた。わたしは料理の相手で忙しい、それどころではないのだが。

 しかし、パーシーも興味深そうにわたしの返答を待っている。わざわざ監督生からの印象を悪くする必要もないだろう。わたしはごくりと口の中の寿司を呑み下した。

 

「わたしは、闇の魔術に対する防衛術に興味がありますね」

 

 というか、それ目当てでこの学校に来たのだ。

 ハーマイオニーもわかるところがあったのか、わたしに共感するようにうなずいたが、パーシーからの反応は芳しくなかった。

 

「あー…、あれか」

「なにか、問題があるのですか?」

 

 パーシーは、うーんと唸って、『まだ授業は始まってないから、なんとも言えないんだけど』と前置きしたあと、ひそひそ声で言った。

 

「今年から、防衛術の教授はクィレル先生なんだけどね――ほら、あそこにいる、頭にターバンを巻いてる先生。昔、ルーマニアで吸血鬼に遭って、それが相当トラウマになっているみたいで……先生は授業中でもいつもビクビクしてるんだ。なにより、教室がにんにく臭くて、授業どころではないっていう評判だ」

「へえ……今年から、ですか」

「ああ。それまではマグル学を教えてたんだ」

 

 ふむ、なんとも運が悪いような気がする。パーシーが、まるで励ますかのようにわたしの肩を叩くのも、その予感を助長させた。

 しかし、今年からということは、防衛術の授業で、新たな才を見せるという可能性も残っている。まだがっかりするのは早いだろう。

 それに、無能な教師に鉢合わせるのは、これが初めてではない。そういうときどうしていたかというと、授業で足りない分は自習で補っていた。もっとも、この学校で、そんなに時間があるのかはわからないが。

 腹が一通り満たされると、今度はテーブルの上の皿が一斉に綺麗になって、デザートで一杯になった。どこを見ても、糖分、糖分、糖分。

 わたしはまた歓喜しながら食べ進めていく。糖蜜パイに、アイスクリーム、エクレア、いちご、パイナップル、チョコレート……あと、わたしのそばだけに、なぜか大福があった。もちろん食べる。ああ、うまい。舌がうまいうまいと脳に訴えている。

 はて、わたしは前世、こんなに甘党だっただろうか?まあ、美味しいからなんでもいいか。

 

「あの、あそこでクィレル先生と話している先生はどなたですか」

 

 ハリーがパーシーに尋ねた。

 

「ああ、スネイプ先生だよ。道理でクィレルがおどおどしてるわけだ。スネイプはクィレル先生の座を狙ってるって噂なんだ。闇の魔術に対する防衛術の教授の座を。スネイプは、かなり防衛術に詳しいという話も聞くし」

 

 ハリーはそうですか、と言うと、じっとスネイプ先生を見つめていた。

 

 とうとう皿の上のデザートも全部片付けられ、お開きの時間になった。最後に、校長のアルバス・ダンブルドアが立ち上がる。

 

「えー、全員よく食べ、よく飲んだことじゃろうから、一言、二言、連絡事項を。一年生全員と、一部の上級生に注意しておきますが、校内にある森は立ち入り禁止です」

 

 ダンブルドア先生は、グリフィンドールのテーブルについている赤毛の双子を見た。

 

「それから、管理人のフィルチさんから、授業の合間に廊下で魔法を使わないようにとのことです……それと、今学期は二週目にクィディッチの予選があります、寮のチームに参加したい人はマダム・フーチに申し出るように。最後に、とても痛い死に方をしたくない人は、今年いっぱい四階の右側の廊下に入らないこと」

 

「真面目に言ってるんじゃないよね?」

 

 ハリーがパーシーに小声で言った。わたしは、彼が、そうだよと笑ってくれるのを期待したのだが、パーシーは頭を横に振った。

 

「大真面目さ。でも、おかしい。いつもなら、どうして立ち入り禁止かの理由も説明してくれるんだけど……」

 

「では、寝る前に、校歌斉唱!」

 

 ダンブルドア先生がそう言って杖を振ると、金色のリボンが飛び出て歌詞になった。

 いや、歌詞だけ提示されても、困るのだが。

 

「みんな自分の好きなメロディーで、さん、はい!」

 

 え。

 わたしは戸惑い、仕方がないので適当に歌った。どうやら周りもそうしているらしい。用意周到なのはフレッドとジョージだけで、ものすごくゆっくりな葬送行進曲のリズムで最後まで歌っていた。

 

 そのあと、一年生はパーシーに続いて、グリフィンドールの談話室まで向かった。途中でピーブズ、という迷惑なポルターガイストに出会った以外は、特になにもなかった(ピーブズには気を付けた方がいいということがわかった)。

 

「合言葉は?」

「カプ~ト・ドラゴニス」

 

 廊下の突き当たりの、ピンクのドレス姿の太った婦人(レディ)の肖像画にパーシーがそう言うと、肖像画がドアのように開き、その後ろの穴からグリフィンドールの談話室に入った。

 肖像画に合言葉、隠し部屋とは、なんともロマンがあるが、合言葉を忘れてしまったら大変だ。

 

 それから、パーシーの指示にしたがって、一年生は就寝ということになった。女子寮に続くドアから、螺旋階段を上ったてっぺんに、深紅のカーテンの、天蓋ベッドがおいてある部屋があった。

 トランクが届いていたので、そこから寝巻きを出して着替える。

 

「ターニャ、もう寝るの?明日の予習は?」

 

 おいおい冗談だろうハーマイオニー。思わずそう口に出しそうになる。

 この身体は眠気に抗えない。わたしはもう眠い。

 

「わたしは遠慮しておく。おやすみ」

 

 ハーマイオニーに有無を言わさぬよう、布団を高速で被って、わたしは眠りについた。

 

 

 

 

 

 



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〇3.スクールライフ

 わたしは、陽が遠い地平線をほんのり染めたころ、いちばん朝早くに起床した。

 すやすやと寝息をたてる同級生たちを起こさないよう着替える。それから、今日使う教科書、羊皮紙、羽ペンをまとめて鞄に入れ、最後に髪を結う。

 それから誰もいない談話室におりて、椅子に座って教科書をめくる。今日の授業の予習だ。眠い夜無理やりやるより、朝にやる方がこの身体にはあっている。

 しばらくすると、パーシーがおりてきた。

 

「おはよう、ターニャ」

「おはようございます」

「朝早くから、今日の授業の予習かい?」

「はい。朝型なもので」

 

 それから、パーシーと授業の内容について話した。授業内容以外にも、最初のうちは道に迷って苦労するだろうということがわかった。

 わたしが、教室に迷わず行くにはどうすれば良いのか尋ねたら、パーシーは顔をしかめて、

 

「そういうのは、双子の弟たちの得意分野だよ」

 

 と言った。

 

「おはようターニャ……朝早いね」

「ああ、おはよう」

 

 続々と生徒が談話室に集まるなか、ハリーとロンも、あくびをしながらおりてきた。

 目も覚めたし、お腹もすいてきた。わたしはそろそろ大広間に行くことにした。

 

「あ、ターニャ、待ってよ…」

 

 ハリーとロンも一緒に来ることにしたらしい。

 ひとりぼっちだったハリーと昼食を食べるのは慣例だったが、ロンまでついてくるとは。わたしはなにか、彼に気に入られるようなことは……ああ、マルフォイの件か。

 うむ、どうしたものかな。マルフォイは汽車で相当怒っていた。直接話しに行っても、聞いてもらえるかどうか。

 これから朝ごはんなのに、胃が痛くなってきた。

 

 ハリーとロンと三人で、あっちじゃないこっちじゃないと、少し道に迷ったりしながらも、大広間にたどり着いた。迷っている途中で、フレッドとジョージに会えたのは幸運だった。彼らは親切に、分かりやすく道を教えてくれた。…当の本人たちは、朝食の時間を犠牲にしてまで、『新考案』のイタズラを試していたが。

 大広間に着いてしばらくすると、たくさんの伝書ふくろうがなだれ込むように大広間へやって来た。聞けば、新聞だったり、手紙だったり、食事時にそういうものが運ばれてくるのは日常風景らしい。

 わたしはトーストをかじりながら、名案を思い付いた。マルフォイに直接言いづらいのなら、手紙を書けば良いではないか。

 早速文面を考えながら、ママレードのジャムをトーストにたっぷり塗った。

 

 

 それから一週間、ホグワーツでの生活は『忙しい』、この一言につきた。

 まず、道がわからない。パーシーに忠告されて、それで予想していたよりも遥かに酷い。ウィーズリーの双子いわく、わかっているだけでも約一四〇ほどの階段があるとのことだった。それも、種類が多い。普通の階段はもちろん、狭くてすれ違うどころか身を横にしなければ入れない階段はまだいいほうで、真ん中あたりの一段が必ず消える階段、手すりを強くつかむと登っている人間を落とそうとする階段、いつも昼時に波打っている階段などは、新入生の悩みの種だった。

 扉も階段と同じように種類があり、丁寧にお願いしないと開かない扉、一定の箇所をくすぐらないと開かない扉、扉のふりをした壁もあるし、絵画のふりをした扉もあるのでややこしいことこの上ない。

 グリフィンドールのゴーストの『ほとんど首なしニック』は親切に道を教えてくれたが、その時は、二回も鍵のかかった扉に出くわし、ついでにピーブズにひどい妨害を受けた。

 話に聞いていた通り、ピーブズは、厄介で、迷惑で、きーきーうるさいポルターガイストだった。一度、やつに鼻をもぐ勢いで掴まれたので、条件反射で全力の拳をお見舞いしたら、わたしにはちょっかいは出さなくなったが。

 管理人のアーガス・フィルチと、彼の飼い猫のミセス・ノリスも、厄介な存在だった。規則の違反さえしなければ、彼らは敵にはならないが、一度違反が見つかればどんな言い訳だって聞いてくれない。その上しつこくベラベラとお説教を垂れるので、彼に捕まるのは時間の無駄だ。ミセス・ノリスが廊下で生徒を監視し、そこで罰則が起きると彼女がひと鳴き、二秒後にはフィルチがすっとんでくる。完璧な連携だった。

 

 もちろん、いちばん大変なのは授業だった。

 毎週水曜日は、夜遅くまで起きて天体観測。生徒たちは、あくびを何度も噛み殺しながら、時には友人と協力して星図を製作しなくてはならなかった。

 週三日温室へ行き、不思議で見たことも聞いたこともないような植物やきのこを育てたり、その用途について学ぶスプラウト先生の『薬草学』。

 とにかく単調で退屈で、授業の内容を書き取ることより睡魔と格闘することの方が大変な、ゴーストのビンズ先生が教える『魔法史』。

 妖精やケンタウロスなどの、人間以外の生物がが扱う魔法について学ぶ、背の小さな魔法使い(わたしよりも小さい)フリットウィック先生が担当する『妖精の魔法』。

 クィレル先生担当の、『闇の魔術に対する防衛術』にはがっかりの一言しか出ない。一言一句パーシーに聞いていた通り、にんにくの臭いと教師のおどおど喋りで、全く授業に集中できないのだ。なんでも、ルーマニアで吸血鬼に遭遇してからトラウマになってしまったらしい。授業内容も、実践より座学に寄っていて、わたしが求めていたものではなかった。これに関しては、授業に頼りきりでは不味そうだ。

 それから、マクゴナガル先生の『変身術』。

 変身術の授業は、まずマクゴナガル先生のお説教から始まった。先生は、変身術がどんなに危険なものかを生徒たちによく言って聞かせた後、お手本に教卓を豚に変えた。それから、複雑なノートをたっぷり書いた後、実際に、マッチを針に変える練習をした。

 わたしが、複雑なノートの術式を頭に思い浮かべ、見よう見まねで杖を振ると、マッチは途端に鋭く尖り、見事な銀色になった。

 ようするに、化学にも反応式があるのと一緒で、魔法にも式がある、ということだった。実際にある物質を材料とする化学とは違い、こちらは見えない魔力を使う。

 そこまで考えて、針に糸を通す穴がないことに気がついた。イメージしながら杖を振って、適度な大きさの穴を開ける。

 それを見たマクゴナガル先生が、素晴らしいとわたしに五点、マッチを銀色に尖らせたハーマイオニーに三点をくれた。これで、グリフィンドールに八点の得点だ。

 意外なのは、これができたのは、わたしとハーマイオニーだけだったということだ。そんなに難しいことかな、とわたしは思ったが、肩を落とすハリーたちに、そんなことは尋ねられなかった。

 

 

 金曜日、わたしはいつも通り早起きして、身支度を整えた。それから、談話室におりて、教科書を読む。

 今日の目玉は魔法薬学だ。スリザリンの寮監であるスネイプ先生は、スリザリンをひいきをすることで有名だった。上級生にもさんざん、『魔法薬学には気を付けろ』と言われていた。

 わたしにとっては、あまり興味のないことだ。ひいきの恩恵が受けられないのは残念だが、だからといって、今、スリザリンに入っていたら……わたしは、マルフォイの青白い顔を思い出して、思わず胃の辺りを押さえた。

 

 いや、胃痛に負けている場合ではない。

 わたしは教科書を閉じると、外で拾ってきた小石を談話室の床に並べた。

 それから、懐から杖を取り出す。

 

「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」

 

 石に向かって杖を振りながらそう唱えると、石はふわりと宙に浮いた。『浮遊呪文』、成功だ。

 わたしはさらに杖を振る。頭に術式を思い浮かべ、鮮明にイメージする。

 

「アクシオ、空飛ぶ石ころ」

 

 石はふわふわとこちらへやって来た。それから、わたしの手のひらの上に収まった。

 ふむ。『呼び寄せ呪文』も、なかなかの精度ではないだろうか。しかし、速度が遅いな。対象を呼び寄せられる便利な呪文だなのだから、もっと、急ぎのときに、バシューンスパーンと来て欲しい。例えば、ティッシュやリモコンが遠くにあるときとか、ああ、トイレットペーパーが切れてしまっているときとか。うん、使用法を考えると、やはり、迅速ではないとだめだ。

 わたしは、談話室の隅に石を放り投げ、再び唱える。

 イメージする。とにかく速く、とにかく疾く。

 

「アクシオ、石ころ」

 

 すると、石は一瞬でわたしの頬を掠め、派手な音を立てて談話室の壁にめり込んだ。

 

「な、なんの音だ?!」

 

 それまでのんびりと階段を降りてきていたであろうパーシーが、慌てた様子で男子寮に続く階段を駆け降りてきた。

 パーシーは、わたしと、ひび割れ、欠けた壁を交互に見た。

 

「ターニャ、今のは…」

「え、あの、えっと……申し訳ございません」

 

 不慮の事故だったとはいえ、言い訳の余地もない。わたしは頭を下げた。

 

「一体何を……?」

「『呼び寄せ呪文』の練習をしていました…」

「呼び寄せ呪文?ずいぶんとまた……ああ、大丈夫だから。ね、顔をあげて。…って、怪我してるじゃないか」

 

 指摘されて、たらり、と顔に垂れるものを感じて、わたしは頬をぬぐった。少し血が出ているようだ。

 

「じっとしてて……エピスキー、癒えよ」

 

 パーシーが唱えると、わたしの頬は熱くなり、それから、急激に冷えた。

 顔を触ってみるが、血の付着はない。

 

「うん、これで大丈夫。――レパロ、直れ」

 

 パーシーは、わたしが破壊した壁に向き直ると、さらに杖を振った。

 すると、壁の欠片がふわりと浮き上がり、次々と収束していく。そして、あっという間に、壁は継ぎ目のひとつもなく、完璧に直った。

 

「…す、すごい……」

 

 わたしは思わず、間抜けな声を出してしまった。

 魔法使いといえば、代償もなくポンポン魔法を扱うイメージだが、実際には、思い浮かべる術式やイメージの正確さと、それを途切れさせない集中力が必要だ。

 その重要性がわかっている今、パーシーが易々と杖を振り、わたしの傷を癒し、壁を修復したということは、わたしにとっては強烈だった。

 

「そんなに誉められることではないさ。監督生としては、当たり前だからね」

 

 そう笑って、パーシーが胸を張る。胸元の監督生バッヂがピカピカと光った。

 ま、眩しい!そして理想的!!優等生兼監督生兼あわよくば首席。これこそまさに、わたしが目指すべき道では……?!

 

「さ、流石です。尊敬します!」

「いやいや、尊敬されるようなことではないさ。監督生だから、当然だよ」

「いえ、凄いです!その、もしよろしければ、魔法のコツなどをご教授いただけないでしょうか?」

「ええ、まあ、監督生である僕の知識なんかでいいのなら…」

「ありがとうございます!」

 

 そのあとは、とても有益な時間を過ごせた。パーシーから、『呼び寄せ呪文』のコツや、魔法史の要点、さらには、少し早いが選択授業についてなど、かなりいい情報を教えてもらったのだ。

 おまけに、初めて迷わず大広間までたどり着くことができた。今日は、なにか良いことが起こりそうだ、と笑顔でトーストをかじる。

 

 しかし、その予感は、見事に外れた。

 ロンがソーセージをかじりながら、嫌そうな顔で言う。

 

「今日、スリザリンの連中と一緒に魔法薬学だってさ。あのマルフォイの野郎と同じ教室で過ごさなきゃいけないなんて、おえっ」

「それは僕たちの台詞だよ、赤ネズミ」

 

 ロンがぎょっとしてわたしの後ろを見た。わたしもその視線につられて振り返る。

 そこには、がたいの良い二人――クラッブとゴイルを引き連れたマルフォイが立っていた。

 

「何の用だ?」

 

 ハリーが警戒したように言った。

 しかし、マルフォイはハリーには目もくれず、わたしに紙を一枚つきだした。

 

「これは、どういう……つもりだい?」

「…?どういうもこういうも、先日の汽車の件についての謝罪文だが?」

「ターニャ」

 

 ハリーが声をあげた。

 

「謝ることなんてないじゃないか」

「落ち着け、ハリー。謝るべきだ、わたしは…」

「さすがターニャ、女の子に泣かされたドラコ坊っちゃんを気遣って、手紙まであげるなんて」

 

 え。

 この手紙って、そういう風に受け取られるのか?

 

「ロン、わたしは断じてそんなつもりは――」

 

 しかし、わたしの否定は、ロンの言葉を聞き付けたグリフィンドール生によるクスクス笑いに遮られた。

 双子のウィーズリーや、その友達のリー・ジョーダンなどは、マルフォイに向かってヤジまで飛ばしている。

 

「そんなつもりはなかった、って言うのかい?」

 

 マルフォイは、頬を赤くして、目をつり上げてわたしを睨んだ。

 わたしは必死でうなずくが、お構いなしに双子とジョーダンはヤジを飛ばすし、クスクス笑いに留まらず、声をあげて笑うものまで現れた。

 そして、とうとうマクゴナガル先生がこちらにやって来た。

 

「ミス・デクレチャフ、ミスター・マルフォイ。これはどういう事態ですか?」

「いえ、ちょっとしたすれ違いといいますか、トラブルといいますか…。あ、おい、マルフォイ!」

 

 マルフォイは、わたしに手紙を投げつけると、マクゴナガル先生にはなにも言わず、くるりと踵を返し、どすどすとスリザリンのテーブルに戻ってしまった。

 全く、何なんですか、とマクゴナガル先生も教員のテーブルに戻る。

 ハリーは、マルフォイが投げつけた手紙を拾って、目を通すと、うわあと声をあげた。

 

「これは…謝罪文というか、煽り文?」

「まさか、至極丁寧な手紙のはずだが」

 

 わたしはとっさに否定したが、ハリーから手紙を受け取ったロンと、そのまわりに集まってきたフレッドとジョージ、ジョーダン、シェーマスにディーンも、一斉に『うわあ』と言った。

 

「これは見事な煽りだな」

「というか、ロンが歓迎会で話してた通りなら、こういう手紙を送ることすら煽りと思われるかも」

「そ、そういうものか?」

「まあ、女子に言い負かされて、それでこんな手紙をもらったら…ね?」

 

 ハリーにそう言われて、わたしは想像してみた。女性に言い負かされるわたし。うん、たしかに、あまり気持ちの良いものではないなって気がつくのが遅すぎだバカヤロウ!!!

 なぜ前世のわたしのものさしでことを測らなかった?!ああ、存在Xの洗脳が進んでいるのだそうにちがいない!あのクソッタレの悪魔め!!

 わたしは、いよいよ取り返しがつかなくなった事態にがっくりとうなだれると、現実逃避でスープをすすった。

 ロンと双子に、『さすがターニャ!』と称賛されたが、嬉しくない。

 

 

 

 そして、悪名高い『魔法薬学』の授業も、スネイプ先生のお説教から始まった。

 先生は、暗く、寒い地下牢の教室で、魔法薬学がどんなに繊細で、芸術的で、素晴らしいものかを生徒たちによく言って聞かせた後、ハリーを見て、

 

「ハリー・ポッター、我らが新しい…――スターだね」

 

 と、ねっとりと言った。

 スリザリン生からくすくすと笑いが起きて、ハリーはうつむいた。

 しかし、それで終わりではなかった。スネイプ先生は、『アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを煎じたものを加えると何になるか』だの、『ベアゾール石はどこにあるか』だの、『モンクスフードとウルフスベーンの違い』などの、教科書を丸暗記しなければ答えられないような質問を、ことごとくハリーにぶつけたのだ。

 それぞれの質問に、ハリーが『わかりません』と言うその間、ハーマイオニーが天高く挙手をしていたが、全て無視された。

 

「クラスに来る前に、教科書に眼を通そうとは思わなかったわけか、え?……デグレチャフはどうだ?お友だちは降参だそうだ。お前には分かるかね」

 

 え。

 なぜ、わたしなのだ。もしや、スネイプ先生、貴方には、ついには立ち上がってまで挙手しているハーマイオニーの姿が見えていないのか?

 それでも、指されたからには答えることにする。私は起立した。

 

「はい、先生。アスフォルデルとニガヨモギを合わせると、強力な眠り薬…『生ける屍の水薬』ができます。ベアゾール石は山羊の胃から取りだし、だいたいの薬に対する解毒剤となります。モンクスフードとウルフスベーンは同じ植物で、トリカブトのことです」

 

 どうせいつかは覚えるのだからと、夏休みや空いた時間に勉強しておいてよかった。どうだ、この優等生ぶりは。

 スネイプ先生はフンと鼻をならすと、ハリーの無礼な態度に一点減点し、わたしの全問回答に一点を与えた。

 期待していたよりも少ない。というかこれではプラマイゼロではないか。

 私は席に座り、マルフォイと一部のスリザリン生が、こちらを睨み付けているのに気がついた。わたしが視線をやると、彼らは、なにやらひそひそと話しながら視線を前に向ける。

 なるほど、これは意趣返しだったのか。スネイプ先生のスリザリンひいきは噂に聞いている通りらしい。しかし、いくらひいきをしていても、あの程度のことで動く先生はいないよな。たぶん、マルフォイたちが、あることないこと言ったのだろう。ああ、なんて面倒で、非生産的な連中なのだろう。

 わたしは、これから、自身の身に降りかかるであろう面倒に、心の中で頭を抱えた。

 

 それから、魔法薬学の授業はさんざんなものになった。スネイプ先生は、生徒を二人ずつ組ませて、おできを直す薬を調合させた。最初の授業だけあって、だいたいの作業は材料を計り、大鍋に正しい手順で入れる。それ以外は蛇の牙を適当に細かく砕くだけの、実に簡単なものだった。

 しかし、ネビルの作ったおできを直す薬が教室にこぼれ、騒ぎになったのだ。吹き出した薬は毒々しい緑色をしていて、事前にスネイプ先生が見せてくれた完成品とは違う、失敗作だった。その事を察した生徒たちは、すぐに椅子の上に避難したが、ネビルは失敗作の薬を全身に浴びてしまい、彼の顔や手に真っ赤なおできが吹き出した。

 

「何をやっている、ロングボトム!」

 

 スネイプ先生が杖を一振りすると、こぼれた薬はあっという間に消え去った。

 

「大鍋を火からおろさず、山嵐の針を入れたんだろう……フィネガン、ロングボトムを医務室へつれていきなさい」

 

 スネイプはシェーマスにそう言いつけると、ネビルの隣で作業していたハリーとロン、そして彼らの後ろの席に座っていたわたしを見た。

 

「君たち。ポッターに、デグレチャフ。手順が間違っているとなぜ言わなかった?彼が間違えば、自分の方が良く見えると考えたんだろう。グリフィンドールは二点減点」

 

 自分の作業をしてるのに斜め後ろから他人の鍋を見る暇があるわけないだろうがこんのクソ教師!

 わたしはもちろんそんなことを口にはしない。ハリーはなにか言おうとしたが、ロンがファインプレーで、こっそり彼を小突いて制止したため、彼はそのまま口を閉じた。

 結局、薬の調合はうまくいったが、重苦しい気持ちはぬぐいきれなかった。

 

 授業が終わって、地下牢の階段を登っていると、ペアを組んでいたディーン・トーマスがわたしに声をかけた。

 

「ターニャ、そう落ち込むなよ」

「ありがとう、ディーン。すまないな、貴方にも迷惑をかけてしまった」

「いや、君が謝ることじゃないさ。だって、悪いのは……」

「スネイプだろ?」

 

 突然後ろから昇ってきた声に、わたしとディーンは振り返った。

 そこには、ロンと、苦々しい表情のハリーがいた。

 

「まあ、二人ともそう気を落とすなよ。フレッドとジョージなんか、スネイプから減点されるのなんて日常茶飯事だし…」

 

 おいロン、わたしをあんな問題児(トラブルメーカー)と一緒にしないでほしいのだが?

 ハリーもそう思ったのか、眉を潜めてロンを見る。それで察したのか、ロンは肩をすくめた。

 

「でも、本当に、ロンの言うとおりだよ」

「そうそう。きっとスネイプのやつ、これからどんどん意地悪になるぞ」

 

 励ましなんだか脅しなんだかわからないロンの言葉に、わたしとハリーは顔を見合わせて、深く長いため息をついた。

 

「でも、僕、なんでスネイプ先生にあんなに嫌われてるのかわからない。ターニャは…」

「わたしは、まあ、マルフォイにいろいろと…やってしまったということになっているからな。告げ口でもされたのだろう」

「あいつ、そんなことで!」

 

 ハリーは、信じられないというふうに怒った。

 全くもって同感だ。あの餓鬼……ごほん、失礼。マルフォイ家の一人息子様は、ずいぶん良くできた人間のようだ。将来に是非期待したい。

 

「そういうハリーはどうなんだ?汽車で、取っ組み合いの喧嘩をしていたじゃないか」

「まあ、それはそうなんだけど…」

 

 ハリーは首を横に振った。

 

「新入生歓迎会で、スネイプが物凄い顔で、僕のことを見てたんだ。あの目は、僕を憎んでる目だった…」

「……スネイプに、なにかしたの?」

 

 ディーンの言葉に、ハリーはわからないとまた首を振った。

 

 

 そんなことがあったものだから、『飛行訓練はグリフィンドールとスリザリンの合同で行います』というお知らせを見たとき、わたしたち、特にハリーは気を落とした。

 わたしは、まあ、少々気まずいというか、うっとおしいというか、見ていて不愉快とか、その程度の気持ちなのだが、ハリーは、いよいよ本格的に、マルフォイのことが嫌いらしい。

 ハリーは、飛行訓練はいちばん楽しみにしていた授業なのに、と悲痛に呟いた。

 

 

 飛行訓練は、午後三時半から、立ち入り禁止の『禁じられた森』とは反対側の、平坦な芝生で行われた。

 

「何をぐずくずしてるんです?さあ、ほら、みんな箒のそばに立って。早く」

 

 飛行術を教えるマダム・フーチは、白い短髪の、きびきびした、黄色い鷹のような目の先生だった。

 言われた通りに、箒のそばに立つ。箒は、今に『備品です』と自己紹介をしだしてもおかしくないくらい使い込まれていた。柄の先は少し欠けているし、穂の枝はびょんびょん飛び出している。わたしは不安になった。こんなもので空を飛んでも大丈夫なのだろうか、と。

 

「右手を箒の上に突き出して。そして、『上がれ!』と言う。さあ、やってみて」

 

 みんなが『上がれ!』と言った。

 わたしも言った。

 すると、どうだろう。箒はすぐに飛び上がって、わたしの手にその柄を収めた。なんだ、案外簡単じゃないかと思うと、ネビルやハーマイオニーを含めた何人かはできていなかった。

 次に、マダム・フーチは、箒の握りかた、またがりかたををやってみせ、生徒たちの間をまわって間違いを指摘した。

 全員の間違いを直すと、マダム・フーチは、言った。

 

「では、みなさん。私が合図したら地面を強く蹴ってください。箒はきちんと押さえて、まずは二メートルほどの高さまで上ってみましょう。そうしたら、少し前屈みになってすぐに降りてきてください。では、行きますよ――いち、にの――」

 

 しかし、マダム・フーチが合図をしないうちに飛び上がってしまう者がいた。とんだ不良だな、と思って見上げると、なんと、それはネビルだった。

 戻ってきなさい、とマダム・フーチは大声を出すが、ネビルの様子を見ると、どうやらパニックになっているようだった。先ほどの、少し前屈みになって、と言う先生の言葉をすっかり忘れているのだろう、ネビルはどんどん上に昇っていった。

 彼は悲鳴をあげて、ぐらつき、まっ逆さまに落ちた。そして、芝生にうつ伏せに墜落した。どしゃ、ぼき、というイヤな音をたてて。そのまま動かないから、まるで死んだかのように見えた。

 マダム・フーチもそう思ったのだろう、慌ててネビルに駆け寄った。すると、ネビルがむくりと顔をあげたので、マダム・フーチとグリフィンドール生は安堵の息をついた。

 一方、ネビルが乗っていた箒は、ふらふらと風に流されて、『禁じられた森』方面へ向かっていく。

 ああ、ちょうどいい。この間パーシーにコツも聞いたし、それから練習もして、きちんと制御できるようになった。これは、早速実践のチャンスだ。学校側としても、備品がなくなるのは困るだろう。

 わたしは、懐から杖を出してこっそり振った。

 

「アクシオ、来い――迷える箒」

 

 すると、箒は一直線にこちらへやって来て、わたしの手に収まった。

 よし、成功だ!

 マダム・フーチは、一瞬、ネビルのことなんか忘れてしまったように、わたしと箒を見比べて、黄色い目をぱちぱちさせた。

 

「……今のは、ミス・デグレチャフが?」

 

 わたしは、控えめにこくりとうなずいた。

 

「素晴らしいです。グリフィンドールに五点」

「ありがとうございます」

 

 思わず弾む声が出た。

 マダム・フーチはネビルに向き直り、彼の身体を起こす。

 

「…手首が折れてるわね。さあ、大丈夫よネビル。医務室に行きましょう。――みなさん、私が医務室から帰ってくるまで、絶対に動いてはいけませんよ。箒で飛ぶのももちろん許しません。さもないと、クィディッチの『ク』を言う前に、ホグワーツを去ることになりますからね」

 

 マダム・フーチは、そう忠告すると、涙と泥で顔がぐちゃぐちゃになったネビルを連れて、城の方へ歩いていった。

 その二人の姿が遠くなったところで、マルフォイは声をあげて笑いだした。

 

「あの大間抜けの顔を見たか?」

 

 他のスリザリン生たちも笑った。

 マルフォイは、なにか見つけたかのように草むらへ飛び出した。

 

「ほら、見ろよ。これ、ロングボトムのバカ玉だ」

 

 それは、いつの日か、朝食の時にネビルのおばあさんからネビルへ送られてきた『思い出し玉』だった。白いもやのようなものが閉じ込められたビー玉で、使用者がなにか忘れている時にそれを握ると、もやが赤く光るのだとネビルは教えてくれた。

 

「マルフォイ、それをこっちに渡してもらおう」

 

 すると、ハリーが強い口調でマルフォイにそう言った。

 ああ、とわたしは思う。これは、ハリーの悪い癖のようなもので、ダーズリーたちにいじめられているときもそうだった。ハリーは、かないっこないとわかっているはずなのに、なにかとダーズリーに反抗したり、色々言ったりした。放っておけばいいのに、とわたしはいつも思っていたが、ハリーは絶対にそれはしなかった。

 

「それじゃ、ロングボトムがあとで取りに来れるような場所に置いておくよ…木の上なんてどうだい?」

「こっちに渡せ!」

 

 マルフォイは箒にまたがり、飛び上がった。マルフォイは空高く浮上し、そこからハリーに呼び掛けた。

 

「ほら、ここまで取りに来いよ、ポッター」

 

 ハリーはすぐさま箒に『上がれ』と言った。

 

「ダメ。あなた、フーチ先生がおっしゃっていたことを聞いていなかったの?あなたの軽率な行動で、私たち全員に迷惑がかかるのよ」

 

 ハーマイオニーが止めるが、ハリーは聞く耳持たずで箒にまたがろうとする。

 わたしは口を開いた。

 

「ハリー、ハーマイオニーの言うとおりだ。やめておけ」

「じゃあターニャは放っておけって言うの?悪いけど、僕にはできないよ」

「しかし…」

 

 ハリーは早口でそう言うと、また口を開きかけたわたしを無視して、空高く飛び上がった。

 わたしは驚いた。ハリーは、箒が得意だといつも自慢しているマルフォイと同じくらい、いや、もしかしたら、彼よりもうまく飛び上がったように見えたからだ。

 

「うわー、すっげえ!よし、やれ、ハリー!突き落としてやれ!」

「おい、ロン…」

「だってそうだろう?マルフォイをやっつける、またとないチャンスだ」

 

 ロンは、ハリーから目をそらさずに、小声で付け足した。

 

「まあ、まさか君があのハーマイオニーの肩を持つとは思わなかったけど」

「彼女の言っていたことは正しかった。それに、ハリーが退学になるのは嫌だ」

 

 マルフォイとのコネ作りに失敗し、ウィーズリーの名は役に立たない。ここでハリーと魔法界の繋がりが切れたら、わたしは誰を頼ればいいのか。

 ハリーは意外と向こう見ずな行動が多く、危なっかしい。もういっそ、今のうちから、ダンブルドアと仲良くできるように頑張っておこうかな、とさえ思う。

 私の言葉に、ロンは、一瞬こちらをちらりと見た。しかし、上空からの鋭いハリーの声に、すぐに視線を戻した。

 

「こっちに『思い出し玉』を渡せ。さもないと箒から突き落としてやるぞ」

「へえ、そうかい」

 

 マルフォイはそう言った。が、顔がこわばっていた。

 すると、次の瞬間、ハリーが構えを変えると、箒はマルフォイに向かって勢い良く飛び出した。下の女子は悲鳴をあげ、ロン、シェーマス、ディーンは歓声をあげた。

 マルフォイは間一髪で避けた。しかし、ハリーは、鋭く一回転してまたマルフォイの方に向き直る。

 

「いいさ、取れるものなら取ってみろ、そら!」

 

 マルフォイはいよいよ怖じ気づいたか、思い出し玉を宙高く放り投げ、素早くこちらに戻ってきた。

 ハリーはというと、素早く前屈みになって、降りてくるかと思ったら、なんと、玉を追って、地面に向かってまっすぐに飛び出した。これには、ロンもヒッと短く叫んだ。わたしは、だんだん周りの悲鳴が聞こえなくなって、自分の鼓動がやけに大きく感じられた。

 おい、あいつは何をやっているんだ――――ハリーは風を切って急降下している――――地面まであと十メートル――――嘘だろう、まさか、あのまま――――ハリーは玉に手を伸ばしている――――あと八メートル――――まて、やめろ、そのままだと――――ハリーの手はもうすぐで玉に届きそうだ、しかし――――地面まで、あと五メートル――三メートル―――頼む、今すぐ姿勢を変えてくれ――――――あと一メートル、ああ、もう、駄目か!

 

 しかし、ハリーは地面すれすれで玉をキャッチし、箒を引き上げ、地面と平行にし、そして、柔らかい芝生に降り立った。

 

 わたしは、はあっと息をつく。

 まったく、やつは自分の価値がわかっていないのだろうか?もしくは、わたしの二年間のストレスの対価を。とにかく、無事でよかった。簡単に死なれては困る。

 

「ハリー・ポッター!!」

 

 すると、すさまじい勢いで、マクゴナガル先生がやって来た。

 途端に、ハリーは、顔を青くして、膝をブルブルと震わせ始めた。

 

「違うんです、先生――マルフォイが…」

「お黙りなさい、ミス・パチル」

「でも、先生、マルフォイが!」

「くどいですよ、ミスター・ウィーズリー!」

 

 マクゴナガル先生は、真っ青な顔のハリーをずるずると引っ張っていった。

 

 二人の姿が遠くなると、マルフォイのその取り巻きは、ネビルのとき以上に大笑いし出した。ロンが睨み付けるが、たいして効果はない。

 

「なんだい、ウィーズリーに、デグレチャフ?なにか言いたいことでも?」

「マルフォイ――お前――卑怯だぞ。この――クソッタレが!」

 

 ロンが怒鳴るが、マルフォイは恐るるに足らずと言った感じで、いつものようにせせら笑っている。

 とうとうロンが飛びかかったが、わたしはなんとかローブをつかんで止めた。

 

「ターニャ、なんで止めるの!」

「ロン、なぜ貴方は、いつもそうマルフォイに飛びかかろうとするんだ。かわいそうだろう」

「ハリーが退学になるかもしれないんだぞ!」

「まだそうと決まったわけではないし、そうだとしても、ここで争っても意味がない。落ち着け」

 

 マルフォイがまた笑った。

 

「デクレチャフ、マグルの掃きだめ(・・・・)で育ったわりに、なかなか立派な気遣いだね?」

 

 掃き溜めって、まさか、孤児院のことか?

 よくもまあそんな情報を調べあげたものだ。よっぽどマルフォイは暇らしい。

 わたしとしては、その間に勉強して立派になって偉くなって、口髭でも生やしながら、ああいいんだよデクレチャフ、あんな手紙に怒った私はまだ青臭い餓鬼だった、さああの朝のことは水に流して仲良くしようとでも言ってコネクションを提供してほしいものだが。

 まあ、まだ少年だ。縁を切るには早すぎる。これから変わり、伸びる可能性など十二分にあるのだから。

 

 

「マルフォイ!この…離してよ、ターニャ!」

 

 ロンが暴れるので、なんとか彼を押さえつけながら、わたしは言った。

 

「馬鹿には一人で言わせておけばいいんだ、ロン」

 

 わたしの言葉に、ロンは途端に暴れるのをやめて、目をぱちぱちとさせた。

 マルフォイは途端に顔を歪ませた。そして、こちらに歩み寄ってくる。

 

「お前――今、なんて言った?」

「何をやっているのですか、二人とも!」

 

 マルフォイが、わたしの服をつかもうとした時、マダム・フーチの声が響き渡って、私たちは全員飛び上がった。

 

「いいえ、先生。ちょっと、仲良くしていただけですよ。なあ、マルフォイ」

 

 マルフォイは、なにか言おうと口を開いたが、結局その口から言葉は出ず、舌打ちをしてわたしを睨み付けると、もといた場所に戻っていった。

 マダム・フーチは怪訝そうな顔でわたしとマルフォイを見た。しかし、なんでもないと判断して、再び生徒に指示を出す。

 

「さあ、それじゃあ、また最初からやってみましょう。はい、ボヤボヤしない!『上がれ』!」

 

 わたしは『上がれ』と唱えながら、ハリーのことを考えて、ホグワーツ城を見た。

 

 

 




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〇4.ミッドナイト

 今、魔法界で最もホットなスポーツ、クィディッチ。

 世界各地にオフィシャル・チームも存在する、空飛ぶ玉と箒を用いた、非魔法族(マグル)生まれにとっては、なんとも馴染みのない、摩訶不思議なスポーツだ。

 グラウンドも奇妙なもので、グラウンドの両端に、柱の先に丸い輪がつけられたものが三つずつ設置されている。

 一つのチームにそれぞれ七人の選手。その奇妙なグラウンドを、二チーム合わせて十四人の魔法使いや魔女が箒で飛び交う。

 チームの七人のうちの三人、チェイサーは、真っ赤なボール、クアッフルを投げて、前述した輪に入れる度に十点。キーパーは、その輪の周りを飛び回って、クアッフルが自分のゴールに入らないよう阻止する。

 二人のビーターが、その陣地内にいる選手を妨害してくるブラッジャーという玉を相手の陣地に打ち返し、ブラッジャーから仲間を守る。

 そして、シーカー。金色のスニッチという玉を見つけ、それを捕まえる役目。スニッチを捕まえると一五〇点。スニッチが捕まらない限り試合は終わらない。

 

 分かりにくい。しかも、これに加えて、反則が七〇〇以上もある。

 このスポーツを、わたしの前世の知識を総動員してわかりやすく説明するならば、シーカーがスニッチを捕まえるまでひたすら箒とボールで相手のゴールにシュゥウー!超、エキサイティン!!

 

 

 ……ごほん。ま、まあ、とにかく、重要なのは、クィディッチは、魔法界で最もホットなスポーツであるということだ。

 だから、ハリーの話を聞いたロンが、思わず叫んでしまうのも仕方がなかった。

 

「はあ?グリフィンドール・クィディッチチームのシーカーに選ばれたあ?」

「シー!」

 

 ハリーは、自分の口に人差し指を立てた。

 しかし、夕方の大広間は、一日のカリキュラムから解放された生徒たちのおしゃべりでなかなかに騒がしい。周りの生徒は誰一人、ロンの言葉に気がついていないようだった。

 ロンは、今度を声を潜めて、ひそひそ話す。

 

「でも、一年生はクィディッチ寮代表選手にはなれない決まりだろう……つまり、君は最年少ってやつだ」

「…百年ぶりだって、ウッドはそう言ってた。来週から練習があるんだ。でも誰にも言うなよ、ターニャもだ。ウッドに絶対言うなと言われているんだ……」

 

 ハリーは、マクゴナガル先生に連れていかれたときとは、様子が全く違っていた。聞けば、退学にはならず、学校のクィディッチ・チームのグリフィンドール寮代表に選抜されたのだそうだ。

 ハリーは、先ほどは真っ青だった頬を赤く染め、よほどおなかが空いているのか、ミートパイを掻き込むように食べている。そしてむせた。

 ロンは、そんなハリーを、驚いたような、感動したような、羨望するような眼でぼんやりと見つめた。

 一部の生徒、グリフィンドール・クィディッチチームのメンバーである一部の上級生は、既にハリーがチームに入ることを知っているらしい。上級生のアンジェリーナ・ジョンソンは、先ほどハリーと目があったときにウインクしていたし、既に夕食を食べ終えたフレッドとジョージなどは、素早くハリーに近づいて、低い声で、こっそりと、

 

「「すごいな、ハリー」」

 

 と言ってきたのだ。さらに、

 

「ウッドから聞いたよ。僕たちも選手なんだ。ビーターだよ」

「これで今年のクィディッチ・カップは俺らのものだな…」

「「じゃ、来週から頑張ろう。また後で」」

 

 そう言うと、赤い嵐は足早に去っていった。

 

「また無駄に有名になりそうだな、ハリー」

 

 最年少シーカー。それが、あのハリー・ポッターとなったら、学校中が放っておかないだろう。

 わたしとしてはやぶさかではない。むしろハリーにはこれからどんどん有名になって、わたしに良質なコネを提供していただきたいのでな。

 ハリーは、わたしの言葉にムッとした顔をした。

 

「無駄って、僕は別に有名になりたくてなってる訳じゃないんだけど?」

「それはもちろんわかっているさ。…しかしまあ、そうなると、面倒な連中にさらに目をつけられやすくもなろう。例えば、マルフォイとかな」

「デグレチャフ、今、僕をなんて言った?」

 

 噂をすればなんとやら、今度はマルフォイがやって来た。後ろには、いつもの二人もいる。

 

「いえいえ、まさか、なんにも」

 

 わたしが真面目に、丁寧に否定すると、ロンはふざけているとでも思ったのか、隣で小さく吹き出した。

 その様子を見て、マルフォイは、憎々しげに顔を歪める。

 ああ、笑うんじゃないロン……違うんだマルフォイ……

 

「地上ではずいぶん元気そうだねマルフォイ。小さな友達もいるし」

「小さくはないだろう」

 

 ハリーの言葉に、わたしが思わずそう口に出すと、ロンがまた隣で吹き出した。ああ、違う、今のは口が勝手に……

 マルフォイは、再びわたしを睨み付けるが、上座の方には先生方が座っているため、手出しはできない。

 

「ふうん、いいよ。僕ひとりでいつだって相手になってやろうじゃないか。なんなら今夜、決闘でもしようか?使うのは杖だけ、相手には触れない――どうした、ポッター、魔法使いの決闘なんて聞いたこともないんじゃないのか?」

「もちろんあるさ。僕が介添人をやる。お前のは誰だい?」

 

 ロンが口を挟んだ。

 

「クラッブとゴイルだ。ゴイルはクラッブの介添人。ウィーズリー、ポッターの介添人はデグレチャフに譲れ、君は、彼女の介添人だ」

 

 え、わたしも?

 自分には関係ないと思っていた……と言えば嘘になるが、正直関わりたくない。わたしは、思わずマルフォイを見た。

 その様子を見て、マルフォイの口元に、いつもの人を小馬鹿にしたような笑み浮かぶ。

 

「はあ?介添人が二重の決闘なんて、そんなの決闘じゃないだろう」

「おっと、まあ、落ち着けよウィーズリー。なんなら、三人それぞれが戦うトーナメント制にしてもいいし、君たちにとっても、仲間は多い方がいいだろう?真夜中の、トロフィー室にしよう。あそこはいつも鍵が開いてるからね…」

 

 それじゃあね、とマルフォイはひらひら手を振って、スリザリンのテーブルに行ってしまった。

 あいつ、きちんと挨拶できたんだな、とわたしは感心しながらパスタをよそう。

 

「決闘、介添人?どういうこと?」

「…つまり、もしもハリーが死んだら、わたしが代わりに戦い、その上でわたしが死んだら、ロンが代わりに戦うということだ」

 

 死、と聞いて、ハリーは顔を青ざめさせた。それを見たロンが、慌てて補足をする。

 

「大丈夫だよ、君も、マルフォイも、その後ろのゴリラも、もちろん僕も、まだ相手を殺せるような呪文は使えないだろう?せいぜい火花の飛ばしあいさ……ターニャは、わかんないけど」

 

 ハリーはロンの説明を聞いて安心したようだったが、ロンが最後にをそう付け加えると、ハリーは再び顔を青ざめさせた。

 

「た、ターニャ……」

「お、おい、ハリー?なにか勘違いをしていないか」

「ちょっと、失礼?」

 

 わたしが誤解を解こうとしたとき、会話に割り込んできた人物に、ハリーとロンの目が一斉に向いた。わたしも声の主を確認する。

 そこには、ハーマイオニーが立っていた。

 ロンがやれやれとミートボールをつつきながら、わざとらしい大声で言った。

 

「全く、ここじゃあ落ち着いて食べることもできないんですかね?」

 

 今度はわたしが吹き出す番だった。視界の隅でハーマイオニーが顔をしかめたので、わたしは慌てて誤魔化さなくてはならなかった。いや、しかし、こういうときのロンの言い回しは結構面白いのだ。

 ハーマイオニーは、そんなわたしたちを呆れたように無視して、ハリーに話し続けた。

 

「聞くつもりはなかったんだけど、あなたとマルフォイの話が聞こえちゃったの」

「聞くつもりがあったんじゃないの」

 

 ハーマイオニーは今度は見逃さなかった。今に怒り出しそうな顔でロンを睨んだのだ。彼は肩をすくめて、ミートボールを口に運んだ。

 

「……とにかく、夜、校内をうろうろするのは絶対ダメ。もし捕まったらグリフィンドールが何点減点されるかわかってるの?本当に自分勝手なんだから」

「大きなお世話」

 

 ハーマイオニーはもっともなことを言ったが、ハリーはというと、おまえはこの上なく鬱陶しいぞ、という目線をハーマイオニーに向け、冷たくそう言い返した。

 

「バーイ」

 

 とどめをさしたのはロンだった。

 ハーマイオニーはフンッとそっぽを向くと、プリプリしながら大広間を出ていった。

 

 

 

 

「…ターニャ、もう来てたんだ」

 

 わたしが、真夜中の談話室で本を読んでいると、ハリーとロンが現れた。これから決闘だというのに、二人はパジャマにガウン姿だ。しかし、顔つきは決心したようなそれだった。

 

「なあ、行く前にちょっといいか。作戦を思い付いた、最強の作戦だ」

「なに?」

 

 わたしが暖炉脇のロッキングチェアに座ったまま言うと、ロンは目をきらめかせながら聞いてきた。ハリーはごくりと唾を飲んだ。

 

「一回しか言わないぞ?良く聞け――」

 

 ハリーとロンの間に、緊張と期待が走った。

 

「『行かない』」

「…へ?」

「最強の作戦は、『トロフィー室に行かない』だ。さあ、わかったら大人しくベッドにもどれ」

 

 わたしは、笑いながら言って、読書に戻ろうとする。

 しかし、ハリーによって阻まれた。

 

「冗談だろ?今さら何を言ってるんだよ」

「それはこちらの台詞だが。わたしはハーマイオニーではないが、真夜中にうろつくなんて言語道断だ。貴方たちは、一体、グリフィンドールから何点奪えば気が済むんだ?特にハリー、箒の件はラッキーだっただけだ。今回も罰がないとは限らないぞ」

 

『一度あやうくなったが、なんとかそのピンチを潜り抜けた』という経験は、油断に繋がる。例えば、連続殺人犯。警察にばれそうになって、しかしその危険をどうにか遠ざけることができると、油断からその後の犯行がより大胆に、より雑になるのだとか。今のハリーには、それと似たものを感じる。

 それに、なにかひっかかるのだ。マルフォイのあの説明を思い出す。なにかはわからないが、なんというか、見落としているというか……

 

 わたしの言葉に、ハリーは驚いたような顔をした。ターニャがそんなこと言うなんて、とでも思っているのだろう。

 当たり前だ。わたしが何点グリフィンドールに貢献したと思っている。それを、こいつらは一晩で無下にするつもりなのだ。止めないわけがない。

 それに、『私も一緒に行く流れ』になっているが、行くわけがない。当たり前だ。もしばれれば、わたしのまだ高くはない信頼が、一気にマイナスまで墜落してしまう。

 ロンは、あり得ないといったふうに両手をあげた。

 

「正気か?マルフォイをやっつけるチャンスだぜ?」

「もう飛行訓練で、ハリーが目にもの見せてやったじゃないか。せっかくクィディッチのシーカーに選ばれたんだろう?ここで信頼を失ってどうするんだ」

 

 しかし、ハリーとロンはなかなか納得しなかった。いわく、ここで引けば、マルフォイに馬鹿にされる、と。

 まあ、そうなるよな。そこで、わたしは、新たな見方を彼らに提供する。

 

「もしもそう言われたら、こういえばいいじゃないか。『ああ、あんな幼稚な決闘方法、冗談だと思ってたよ。君はわざわざ、真夜中のトロフィー室で一晩中僕らを待ってたのかい?それは無駄足ご苦労。そんなに決闘をご所望なら、今すぐ、人気のないところで、闘おうではないか』って」

「それだって、どうせ違反になるだろう?勝手に魔法を撃ち合うんだから」

「でも、そんなこと、兄上方はよくやってるじゃないか、ロン。彼らから学ぶに、真っ昼間にやるほうが罰則は遥かに少なく済むだろう。……ようは、どちらにせよ、見つからなければ問題はない」

 

 だから、万が一見つかったとき、言い逃れができる昼間にやった方がいい。

 

「…いや」

 

 ハリーはきっぱりと言った。

 

「今夜、僕は行く――マルフォイは、今夜来いと言ったんだ」

 

 ロンは、ハリーを見た。ハリーも視線で返した。

 それだけで、二人は通じあうことが可能だった。ロンは、こくりとうなずいた。

 

 いやまて。なんでそうなる?

 こいつらには、理性とか知性とか、動物を人間たらしめいている要素が存在しないのか?

 ロン、今さんざん説明したことを、二秒で突っぱねやがったな。お前視線通わせてうなずくとかまあ見ようによっては友情エピソードとなるかもしれない二秒を築き上げてたけどな、ちょっと待ってくれよ。間近で見ている者の気にもなってほしい。シチュエーションに対する選択の愚かさが滲み出ていて笑えないぞこっちは。

 そしてハリー。もはや論外だぞお前。確かにずっと黙ってるなあとは思ってたがね、しかし考えるような顔つきだったから、もしかしたらロンよりもわたしの話を聞き入れてくれているのだと思っていたよ。それがまさか、精神統一のための瞑想だったとは思わなんだ。

 

「さあ、時間だ」

 

 そしてなぜ、わたしを見据えながらそう言えるのだ。この流れでわたしが行くと思っているのか、正気か?

 その時、談話室の奥でボッと炎が燃える音がした。

 

「あなたたちが、本当にやるなんて思ってなかったわ」

 

 失望の色を含んだ、聞き覚えのある声だ。

 ロンが小さく怒鳴った。

 

「ハーマイオニー!また君か、ベッドにもどれ!」

 

 瓶に入れられた炎を掲げ、その明かりに照らされているのは、パジャマにピンク色のガウンを羽織ったハーマイオニーだった。

 

「本当はあなたのお兄さんに相談しようと思ったのよ、パーシーにね。彼は監督生だし、絶対にやめさせるわ」

 

 ロンとハリーは、その言葉を聞いて絶句した。

 わたしとしては、嬉しい限りだ。ハーマイオニーは心強い援軍だ。このまま二人を止めて、さっさとベッドに潜りこみたい。

 しかし、そんなわたしの考えとは裏腹に、ハーマイオニーはこちらに鋭い視線を向け、震える声で言った。

 

「そして、まさかあなたが、ここまでおバカさんだったとはね、ターニャ。私、そんなおバカさんに負けるなんて思ってなかった」

「へ?」

 

 思わず、間抜けな声が口から飛び出た。

 おバカさん?負ける?一体なんの話だ。

 

「あなた、授業ではあんなに優秀なのに――なのに、こんなことに手を貸すなんて、バカげてる。間違ってるわよ!」

「ち、違う、ハーマイオニー聞いてくれ。貴方は誤解している。わたしはただ二人を止めようと…」

「嘘ばっかり!聞いてたわよ、『見つからなければ問題ない』って言ってたじゃないの!」

「いや、それは――」

 

 ハリーがこちらににっこりと笑いかけているのが視界の隅に映る。ハーマイオニーはそれを見て、やっぱり、とさらに声を震わせた。

 

「行こう。ロン、ターニャ」

「いや、待てハリー。ちょっと、なあ!」

「大丈夫だって。見つからなきゃいいんだろ?」

 

 違う!それはそういう意味で言ったんではないぞ!ああ、なるほど。薄々そうではないかと思っていたが、やはり誤解されていたか!

 孤児で幼女で元リーマンの抵抗などむなしく、わたしは、ハリーとロンに手をとられ、ずるずると引っ張られていった。わたしの方が人生経験値は高いはずなのだが、平日はデスクワーク、休日はゲームに読書に録画鑑賞エトセトラという高尚かつ文明的な生活をしていたせいなのか、全く歯が立たない。これが、前世での職がプロレスラーとか、警官とか――あるいは、軍人とか、そういう肉体資本の職業だったりしたら、なにか変わっていたのだろうか。

 そんなわたしの気持ちも知らず、ロンとハリーは談話室から廊下へと繋がる出入り口にわたしを押し込む。

 ああ、ハーマイオニー助けてくれ。わたしの声にならない思いは届くわけもなく、ハーマイオニーは至極真っ当な言葉を紡いでいく。

 

「ねえ、あなたたち、グリフィンドールがどうなるかはどうでもいいわけ?自分のことばっかり気にして。あなたたち、わたしが変身術で稼いだ点数を無駄にするつもりなんだわ!」

「うるさいな。君よりも、ここにいるターニャの方が点数高かったじゃないか。それに、君のはただの銀色のマッチだったけど、ターニャのは完璧な針だった。マクゴナガル先生だって、本当は五点ぽっちなんかじゃなく、プラス十点くらいあげたかったに違いないよ」

「それに、ターニャには飛行訓練での五点もある」

 

 二人の言葉に、ハーマイオニーは顔を歪ませた。

 

 ああ、この感情を、わたしは知っている。才能では天才たちに敵わず、努力は秀才たちに及ばず、いつもあと少しの所で駄目で、いつしか上に行くことを諦めたわたしが、まだ彼らに勝とうとして、匹敵すると信じてやまなかったわたしが、もがき苦しんでいる時と同じだった。

 

「おい、ロン、それからハリーも。そういう言葉は彼女に向かって言うべきものではないぞ」

 

 わたしは、ロンにぎゅうぎゅうと廊下に押し出されながら、そう言った。

 ハーマイオニーが、はっとしたような表情で顔をあげたのが、ほんのわずかな隙間から見えた。

 

「そういう言葉は無能に言うべきだ。ハーマイオニーは今のわたしに劣るかもしれないが、無能ではない」

 

 わたしは、冷たい廊下におり立ちながら、懐かしい記憶を思い出した。

 かつてわたしは自分を無能と卑下したが、決してそうではなかったのだ。物事を二極で考える人間がいる、とはこの前も考えたことだが、わたしはその限りではないと考えている。その証左に、わたしは、最終的には、まあまあ有能な――いや、少なくとも無能ではない、と言うべきかもしれない――人間として扱われ、そして今に至っている。あのとき、わたしはもがいて苦しんで、結局勝てずにそのまま挑戦することをやめてしまったが、それも、振り返ってみれば、間違いではなかった。

 

「ターニャ…」

 

 あのとき、諦めたら諦めたわりに、案外いい人生があった。

 だから……

 

「…だからまあ、諦めも肝心なのだろうけどな」

「え」

 

 突然、ハリーとロンが潰れた蛙みたいな声を出した。

 なんだ、とわたしが二人を見ると、二人は恐る恐る視線でハーマイオニーを示す。

 見ると、ハーマイオニーも、廊下に出ていた。しかし、見るべきはそこではない。彼女は、俯いて、ぶるぶる震えていた。

 それから、キッとわたしを睨んで、恐ろしい形相で言った。

 

「大きなお世話よ!ああ、ここまでついてきた私がバカだったわ。明日の朝、汽車のコンパートメントの中で、三人ともあのとき私の言うことを聞いておけばよかったって心から思うのよ、でももう遅いわ!明日の朝、いちばんに、マクゴナガル先生に報告しに行くんだから!」

 

 そう言って、ハーマイオニーは振り返った。談話室に戻ることにしたらしい。

 

「は、ハーマイオニー?何をそんなに怒ってるんだ?」

「もしかして君、ハーマイオニーが言ったとおり、勉強以外で頭回らないのかい?」

「え、いや、そんなことを言われても、わたしはなにか言ったか?」

「ワーオ、余計にたち悪いよな、それ。ようするに、無意識で、思っていたことがそのまま口に出たってことじゃないか」

「な、いや。違う、違うんだ。わたしがおそらく言ったであろう諦めというのは、わたしの経験に基づく肯定的なもので、決して否定的なものでは――」

「おい、二人とも!ここは談話室じゃないんだぞ。静かにしないと、誰か来るかも」

 

 ハリーの注意に、ロンとわたしは慌てて口を閉じた。

 そうだ。ついついされるがまま、廊下に出てきてしまった。今すぐ談話室に戻らねば。

 わたしが太った婦人(レディ)に近づこうとすると、ずっと肖像画の前で立ち尽くしていたハーマイオニーが、再びこちらを振り返った。

 

「ねえ、これ、どうしてくれるつもり?」

 

 ハーマイオニーは、肖像画を指差した。誰も座っていない椅子が描かれている。

 太った婦人(レディ)いなかった(・・・・・)

 ハリーは一瞬ぎょっと身動ぎしたが、ロンはふんと鼻をならした。

 

「知ったことかよ。婦人(レディ)が戻るまで、そこにいれば?」

 

 そんな冷たい言葉に愕然とするハーマイオニー。

 

 

 いや、まずい。なぜいないんだ婦人(レディ)

 どうする?わたしは頭をフル稼働させる。理想は、ここで婦人(レディ)が戻ってくるのを待って、素早く寮に戻ることだ。しかし、彼女を待つ間に、管理人のフィルチ、もしくはミセス・ノリスが来た場合、どう言い逃れすればいい?

 

「ちょっと、なによ、それ――」

「静かに!――なにか、聞こえるぞ」

 

 ハリーが小さく、鋭くそう叫ぶと、言い合いを開始しようとしていたロンとハーマイオニーは押し黙った。

 耳をすますと、確かに、何か微かな、生き物の息のようなものが聞こえる。

 全員の頭に同じ考えが浮かんだ。フィルチの猫――ミセス・ノリスだ。わたしは懐に手を忍ばせ、かたく杖を握った。全身金縛り(ペトリフィカス トタルス)失神呪文(ステューピファイ)を唱えて命中させれば、ミセス・ノリスとフィルチの連携を崩せるはずだ。

 わたしたちは緊張と寒さで震えながら、息を潜めて索敵した。敵に見つかる前に排除しなくてはならない。彼女に一鳴きされたらこちらは終わりなのだ。

 しばらく経った。なかなかミセス・ノリスは現れない。

 途端、ハーマイオニーが小さな悲鳴をあげた。

 悲鳴に全員が勢いよく振り返った。わたしは杖を構え、

 

「ペトリフィカス・トタ…」

 

 まで唱えて、止まった。

 

「ねえ、ハリー。ここまだ談話室なんじゃない?それなら、婦人(レディ)がいないのも説明がつくよ、だって肖像画の内側だもの」

 

 ロンがそう茶化してしまうのも仕方がない。

 真夜中の廊下に、ネビルが、横になって、すやすやと寝息を立てて眠っていたのだ。

 しばらく全員で押し黙った。一番に行動を起こしたのはハリーだった。

 

「ネビル、ネビル」

 

 彼が揺すり起こすと、ネビルはむにゃむにゃと目覚めた。

 

「ぅん……ハリー?……ああ、よかった、助かったあ。合言葉を忘れちゃってさ、談話室に入れなかったんだ…」

「シッ、静かに。新しい合言葉は『豚の鼻』だけど、今は役に立たない」

「『太った婦人(レディ)』がどこかに行っちゃったのよ。…そういえば、腕はもう平気なの?」

「うん、マダム・ポンフリーに治してもらったよ」

 

 ハーマイオニーの言葉に、ネビルは飛行訓練で負傷していた腕を曲げ伸ばしした。

 

「それはよかったね。悪いけど、僕たち行かなきゃ」

「そんな、置いていかないでよ!」

「もし君たちのせいでフィルチに捕まったら?僕、クィレルが言ってた『悪霊の呪い』をかけられるようになるまでは許さないぞ」

 

 ロンがものすごい顔でそう言うものだから、ネビル、それからハーマイオニーは、じり、とわずかに後退りした。

 

「まあ、落ち着けロン。なあネビル、ここで婦人(レディ)が帰ってくるまで待つんだ」

「君も、こんなところに僕をひとりで置き去りにするつもり?」

 

 わたしの言葉に、ネビルは素早く、鋭くそう言った。

 

「え?いや、わたしは、置き去りとは……」

 

 言っていないぞ、ネビル。

 いい案があるのだ。談話室の外からどんどんと音がしていたので見てみると、そこには医務室帰りで遅くなったネビルがいた。合言葉を忘れてしまったと言うので教える際、うっかり外に出てしまった。合言葉をネビルに教え、さあ帰るぞというところになって、ようやく婦人(レディ)が肖像画の中にいなかったことに気がついた。というシナリオだ。

 流石のフィルチも、友達を思ったこの行動に重い罰則は課さないだろう。しかし、ここまで大人数となると不自然だ。なので、ハリーたちには悪いが、適当におだててトロフィー室に行ってもらう。最悪ハーマイオニーは残っても大丈夫だ。彼女とわたしは隣のベッドなので、わたしが不審な物音を怖がって彼女について来てもらったという設定にすればいい。ああ、完璧だ!

 しかし、ネビルは、静かに、しかし勢いよく、わたしの言葉を遮った。

 

「ターニャ、僕を置いていったりしたら、絶対に許さないよ……それこそ、『悪霊の呪い』を君にかけられるようになるまでは」

 

 そして、さっきのロンが乗り移ったのではないかと思うくらい、ものすごい表情でわたしを睨み付けてきた。

 わたしは思わず後退りした。

 

 

 

 五つの影が、窓から差す細い月明かりの廊下を、素早く移動する。曲がり角では十分に気を遣い、連携して何度も周囲の確認をとる。

 それを慎重に繰り返して、なんと、ラッキーなことに、フィルチにもミセス・ノリスにも会わず、四階のトロフィー室までたどり着くことができた。

 トロフィー室の扉を少し開けて、隙間から滑り込む。

 マルフォイたちはまだ来ていなかった。トロフィー室なんてものを作るだけあって、かなりの量のトロフィーや盾などがたくさんの棚に飾られていた。それらは月の光を浴びて金銀にまたたいていた。

 

「ドアから目を離すな…」

 

 入り口からの奇襲に備えてだろう。杖を構えるハリーの指示に従い、ドアを見つめる。

 マルフォイは来ない。なんだろう、心の中でなにかがひっかかっている。懐から杖を取り出す。

 

 夜、真夜中に、わたしたちと、マルフォイたち、合わせて八人もの生徒がベッドから抜け出して、見つからないという確率はいかほどだろうか。見つからないという確証は?でも、そんなもの、確信してさえいれば……

 

 ひっかかっていたものがするりと落ちて、あ、とわたしは小さく声を漏らした。

 

 ああ、わたしは、あのとき強引にでも、なんならひとりでも、肖像画前の廊下に残るべきだったのだ!

 それか、もう少し早く気がつくべきだった!わたしがマルフォイの立場だったらどうするかを考えるべきだった!ハリーたちを止めるわたしの頭には、真夜中に出掛けるリスクしか頭になかった。絶対に相手を滅ぼしたいとき、わたしなら――『今夜トロフィー室に誰かが来ると告げ口する』!!

 

 

「ミセス・ノリス、しっかり頼んだぞ。いい子だ……もしかしたら、隅の方に潜んでいるかもしれんからな…」

 

 暗闇に、声が遠く響く。

 ハリーはとたんに顔面蒼白になって、メチャクチャにみんなを手招きした。それから、棚に沿って隠れつつ静かに走り、フィルチの声が聞こえた方とは逆の扉に、素早く飛び付いた。みんながハリーに続いた。

 扉を出た先の、鎧が並んでいる回廊を、音を立てないよう静かに進む。『この辺にいるはずだ…』フィルチの声がどんどん近づいてくる――次の瞬間、血迷ったか、ネビルが叫び声をあげて、やみくもに走り出した。そして、つまずいて、ロンを巻き込み、二人揃って鎧にぶつかり倒れこんだ。

 静寂が包む城に、鎧が倒れる音がけたたましく響き渡った。

 

「走れ!」

 

 ハリーが声を張り上げるまでもなく、わたしたちは一斉に走り出した。全速力でドアを通り、矢のようにいくつもの廊下を抜け、疲れも知らずに階段を登り降りし、たまたま見つけた隠れ通路を普段から使ってますと言わんばかりに抜けると、トロフィー室からだいぶ離れた『妖精の魔法』の教室のそばに出た。

 

 フィルチが追ってきていないことを確認すると、みんなで一斉に胸を撫で下ろした。

 

「もう――追ってきてない――よ」

 

 ぜいぜいと息をしながら、ハリーがそう言った。

 

「ま、マルフォイに――嵌められたのよ――」

「ひきょ――卑怯だぞ―――あの――クソッタレ――」

「とにかく、グリフィンドール塔にもどらないと――できるだけ、早く」

「行こう」

 

 息を整え、こっそり歩きだす。しかし、何歩も進まないうちに、邪魔が入った。ドアが開き、なにかが勢いよく飛び出してきたのだ。最悪なことに、ピーブズだった。

 ピーブズはこちらを見つけると、身体のわりに大きい顔いっぱいに、ニタァと厭らしい笑みを浮かべた。

 

「おやぁん?真夜中にふらふら、駄目じゃないか一年生ちゃん。悪い子、悪い子……」

「頼むよピーブズ、静かに、黙っててくれ」

「いやいや嫌だよ。それじゃあ君たちのためにならないだろう?」

 

 優しげな声とは裏腹に、ピーブズの目は意地悪く光った。こいつとの対話は無駄だ。今に叫びだす筈!

 

「どいてくれよ!」

 

 わたしが杖を握り直すと、ロンが怒鳴ってピーブズを払い除けようとした。これが間違いだった。

 

「――生徒がベッドから抜け出したぞ!!『妖精の魔法』教室の――」

 

 ピーブズが叫び終わらないうちに、みんな一斉に走り出した。

 

「ペトリフィカス・トタルス、石になれ!」

 

 わたしは走らず、ピーブズを黙らせようと、慌てて杖を振った。しかし、それがまずかった、外した!

 

「『妖精の魔法』の教室のそばにいるぞ!!」

 

 ピーブズは、叫び終わるとケケケと笑った。途端に、ドタドタとやかましい足音が聞こえてくる。間違いない、フィルチだ!

 

「おい、速く!」

 

 ハリーの声が廊下に小さく響く。

 わたしは、走る前に、ピーブズが飛び出してきた教室に向けて杖を振った。

 

「ウィンガーディアム・レヴィオーサ、浮遊せよ!」

 

 教室じゅうの机や椅子がふわりと浮かび上がった。それを確認して、わたしは走り出した。走りながら、杖を振る。机たちは、わたしの杖の動きに呼応して、次々と廊下に飛び出した。これでしばらくは先に進めないはずだ!

 わたしはひたすら走ることに専念した。十一と三十いくつという年月の中で、こんなに命がけで走ったことがあっただろうか?いや無い!

 全力疾走のかいあり、わたしはハリーたちにすぐに追い付き、さらに彼らを追い越し、廊下の突き当たりのドアに飛び付いた。しかし鍵がかかっていて開かない!わたしは杖を鍵に叩きつける勢いで唱えた。

 

「アロホモラ!」

 

 カチリと軽快な音がして、ドアがパッと開いた。わたしはすぐさま室内に入る。慌ててドアを閉じようとすると、すれすれのところでハリーたちがなだれこんできた。急いでドアが閉められた。

 それから、みんなでドアに耳をつけ、外の様子をうかがった。

 がしゃがしゃと机をどかす音が聞こえたのち、再びどすどす足音が聞こえた。足音はドアの前で立ち止まる。

 

『いない、どこに――ピーブズ、奴らはどっちに行った?』

『どうぞ、と言いな』

『ごちゃごちゃ言うな、さあ、さっさと言え!』

『どうぞと言わないなーら、なーんにも言わなーいよ』

 

 ピーブズが、いつもの変な抑揚の、勘にさわる声で言った。フィルチはぐぬぬと唸ったが、仕方がないと観念したようだ。

 

『……どうぞ』

なーんにも(・・・・・)!ウケケ、ケケケケケ!言っただろう、『どうぞ(・・・)』と言わなきゃ『なーんにも(・・・・・)』言わないって!ウケケのケのケのケー!』

 

 ピーブズかヒューっと消える音ののち、フィルチの悪態と足音が聞こえ、だんだん遠ざかっていった。

 今度こそ、全員で胸を撫で下ろした。

 

「オーケー…ネビル、もう大丈夫だから、離してよ…」

 

 ネビルが、ハリーにしがみついているらしい。

 

「ねえってば」

 

 見ると、ネビルはふるふると首を横に振って、しきりに部屋の奥を指差していた。

 わたしは、ネビルが差す方へと振り返った。ハリーにロン、ハーマイオニーも。

 

 そして、はっきりとそれを見た。嘘だろ、と思った。これ以上、わたしを追い詰めて、どういうつもりだ?ああ、どれもこれもすべて、存在Xの差し金に違いない。

 

 部屋だと思っていたそこは、廊下だった。わたしは、ダンブルドア先生の言葉を思い出した―――『とても痛い死に方をしたくない人は、今年いっぱい四階の右側の廊下に入らないこと』―――パーシーはあのとき首をかしげていたが、彼だって今この場に立てば、あの忠告に納得するだろう。

 床から天井まで、いっぱいいっぱいに広がる三つの首。血走った六つの目玉。生臭い息を吐き出す三つの口から覗く、いくつもの牙。

 そこには、三頭犬がいた。間違いなく、紛れもなく、それは怪物の類いだった。グルルルル、とまるで雷のような唸り声が聞こえる。

 わたしは、杖をぎゅっと握って、しかし、それだけだった。呪文、唱えたところで、こんなに大きな怪物に効くか?いや、声がでない、動けない!

 

 怪物犬がけたたましく吠えて、飛びかかろうと構えをとるのと同時に、誰かが勢いよくドアを開けて、みんなそれで一斉に廊下に飛び出た。それから、再び走って、走って、走って、七階の太った婦人(レディ)の肖像画の前の廊下にたどり着いた。

 

「まあ、一体どこへ行っていたの?」

 

 婦人(レディ)は戻ってきていた。息も絶え絶え(おかげで、『それはこっちの台詞だよ』と言いたいのに言えない)、汗だくのわたしたちを見て、驚いたように尋ねてきた。

 

「なんでも、ない、なんでもないよ……『豚の鼻』」

 

 ハリーがやっとそう言うと、肖像画はパッと前に開いた。

 何とか談話室への穴へよじ登り、恐怖と走りすぎで震える膝をなんとか使い、肘掛け椅子へともたれかかった。

 

「あんな怪物を学校に置いておくなんて、この学校の連中は何を考えているんだ――」

「この世で一番の運動不足犬だよ、あれは」

 

 わたしの憤慨に、ロンも同意した。

 しかし、ハーマイオニーは、突っかかるように言った。

 

「あなたたち、どこに目をつけてるの?あの犬が何の上に立ってたか、見なかったの?」

「ええと、床じゃなくて?」

 

 ハリーが一応意見を述べる。

 わたしは思い出そうとした。怪物の足は、確か――

 

「扉を、踏んでいた……」

 

 ハーマイオニーは、わたしを睨み付けて、それからうなずいた。

 

「そう、仕掛け扉の上に立ってたのよ。何かを守っているんだわ」

 

 それから、ハーマイオニーは、すたすたと女子寮に続く階段を上っていって、最後に振り返る。

 

「あなたたち、さぞかしご満足でしょうね。もしかしたら、みんな殺されるか、退学になるかもしれなかったのに――じゃあ、みなさん。おさしつかえなければ、休ませていただくわ」

 

 ハーマイオニーの後ろ姿を見つめ、ロンはあんぐりと口を開けた。それから、信じられないといったふうに肩をすくめる。

 

「おさしつかえなければ、だってさ。そんなわけないよな。あれじゃあ、まるで僕らがあいつを引っ張りこんだみたいじゃないか。なあ?」

 

 そう言って、ハリーとわたしを見る。

 わたしは、疲れて言葉を返すのが面倒だったので、曖昧に笑っておいた。しかし、ハリーはなにも返さなかった。

 

「――グリンゴッツは何かを隠すには世界で一番安全な場所だ――たぶん、ホグワーツ以外では……」

 

「……ハリー?」

 

 呼び掛けると、ハリーはハッと顔をあげた。それから、何でもないよ、おやすみ、と呟くように言うと、ロンと一緒に、腰が抜けたネビルをずるずると男子寮に引っ張っていった。

 

 

 



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〇5.トリック・オア……

 朝の大広間で、マルフォイと目が合う。まあ、わりかしよくあることだ。

 彼は、青白い顔に、いつものように、小馬鹿にしたような笑みを浮かべかけた。浮かべかけて、それから、あり得ないといったふうに目を見開いた。

 

 ああ、マルフォイ。その気持ち、よくわかるぞ。

 いつものトーストを、いつものこの席で食べられる幸運に感謝しつつ、ブルーベリーのジャムをたっぷりと塗った。

 ハリーたちは、そんなマルフォイを見てクスクス笑ってから、小さな声で会議をしだした。議題は、『あの三頭犬は、何を守っているのか』だった。

 昨日の夜考えてたことなんだけど、と、ハリーが心当たりを話したのだ。夏休み、ハグリッドと一緒に学用品を買いにいったこと。グリンゴッツで、ハグリッドが金庫から包みを取り出したこと。それからすぐ、その日じゅうに、グリンゴッツに金庫荒らしが入ったが、荒らされた金庫は、既に空にされていたということ。そのことをハグリッドに話したら、わざとらしく話を逸らされたこと……。

 

「ものすごく大事なものか、危険なものか、どっちかかな」

「もしかしたら、両方かも」

「まあ、あんな怪物が守ってるんだ。おまけに、ホグワーツは部外者が易々と侵入できる環境ではないだろうし、おそらく、無事だろうよ」

 

 とりあえず、わたしはそう言って、三頭犬についての議論の決着をつけた。二人もうなずいて、各々朝食を口に運ぶ。やれやれ、後悔は後の祭りだが、なにやら面倒なことを知ってしまった気がする。正直、これ以上首を突っ込みたくない。

 それからは、ハリーとロンが、どうやってマルフォイに仕返しするかを話し出した。

 この場に座って朝食を食べていることが一番の仕返しだと思うのだが、二人はそれでも足りないらしい。徹底的にマルフォイをこてんぱんにしたくてしかたがないようだった。まあ、それはマルフォイも同じだろうが。

 

 

 ハリーとロンにとっての『チャンス』は、意外とすぐにやって来た。

 いつもの朝、ふくろうたちが、異色の贈り物を運んできたのだ。六羽のオオコノハズクが協力して運んできた細長い包みは、大広間じゅうの目を奪った。ハリーやロンも、あれは誰宛なんだろうと包みの行方を目で追っている。

 しかし、ふくろうたちは、ハリーの前に降り立った。

 ハリーは驚きのあまり、特大のベーコンを、フォークごとテーブルに落としてしまった。ふくろうたちは、そのベーコンを各々かじって、満足したように飛び去った。

 ハリーは、震える手で小包に添えられていた封筒に手を伸ばすと、素早く手紙を封筒から抜き去った。それから、急いで手紙に目を通すと、興奮したようにロンに手紙を押し付けた。

 ロンは、わたしにも手紙が見えるように、わたしの方に身を寄せてくれた。どれどれ……

 

『包みをここで開けないように。

 中身は新品のニンバス2000です。』

 

「ニンバス2000!?」

 

 ロンが小さい声で叫んだ。

 

「僕、触ったことすらないよ…」

 

 わたしは、さらに手紙を読む。

 

『貴方が箒を持ったと分かると、みんなが欲しがるので、気がつかれないように。

 今夜、七時、クィディッチ競技場に集合です。

 ウッドと最初の練習があります。

 M・マクゴナガル教授』

 

 マクゴナガル先生から、直々のプレゼントというわけか。

 そういえば、先生はわたしにもトランクを買ってくれたっけ。厳しそうに見えて、案外そういうことをしてしまう先生なのだろうか。

 

 一時間目が始まる前に、こっそり箒を見よう、ということになった。わたしにも見せるつもりらしく、ハリーは、片手に小包を抱え、もう片方の手で、まだトーストが少し残っているわたしをぐいぐいと引っ張る。

 トーストをなんとか口におさめ、モゴモゴ言いながら大広間を出た。

 しかし、玄関ホールから各寮へ昇る階段の前に、見慣れた三つの影が立ちふさがっていた。マルフォイとクラッブ&ゴイルだ。

 マルフォイは、ハリーの包みをひったくった。それから、中身が何かを確かめると、ハリーに包みを投げ返す。

 

「箒だ……今度こそおしまいだな、ポッター。一年生は箒を持っちゃいけないんだ」

「箒?ただの箒じゃないぜ。聞いて驚けニンバス2000さ。君、なに持ってるって言ったっけ?コメット260?確かに見かけは派手だけど、ニンバスの足元にも及ばないぞ」

「黙れウィーズリー。柄の半分だって買えないくせに」

 

 マルフォイのかみつきに、ロンが応戦しようとした。わたしは止めようとするが、その前に、下からキーキー声が聞こえてくる。

 

「君たち、言い争いじゃないだろうね?」

 

 声の主は、『妖精の魔法』のフリットウィック先生だった。

 

「先生、ポッターのところに、箒が送られてきたんですよ」

 

 マルフォイは、先生を認識すると、秒速で言いつけた。

 しかし、フリットウィック先生は、ハリーににこりと笑いかけて、言った。

 

「いやあ、マクゴナガル先生から聞いたよ。特別措置だってね。そういえば、何型なの?」

 

 マルフォイは、あり得ないといったふうに、そして怒りをこらえるように、顔をひきつらせた。

 ロンはクスクスと笑ってハリーを小突いた。ハリーも、口もとに笑みを浮かべながら答えた。

 

「ニンバス2000です。実は、マルフォイのお陰で買っていただいたんですよ」

 

 その言葉に、ロンは吹き出した。わずかだが、わたしも思わず口元を歪めてしまった。それから、ロンは咳払いをして、わたしは表情をもとに戻して、それぞれ笑いをごまかした。

 マルフォイは、今度こそ怒りをむき出しにした。それと、嫉妬と、戸惑いも。それはもうすごい形相だった。あの真夜中の、ロンとネビル、もしかしたら、三頭犬にも匹敵するような。

 

 ハリーたちは、大理石でできた階段を昇ったところで、ようやく声をあげて笑いはじめた。

 

「おい、見たか。さっきのマルフォイの顔!僕、ようやくターニャが言った言葉の意味がわかったかも。ほら、『馬鹿にはひとりでやらせておけ』ってやつ?」

「おお、そうだろうそうだろう」

 

 ロンはにっこりとうなずくと、わたしの肩に腕を回して、るんるんと奇妙な躍りを始めた。

 いやはや、ようやくわかってくれたか。これで、マルフォイにちょっかいを出されても、わざわざ仕返しをすることはなくなるだろう。

 わたしは気分がよくなって、ロンの奇妙な躍りに加わった。

 

「本当にそうだね。ああ、もしもマルフォイがネビルの『思い出し玉』を取ってなかったら、僕はチームには入れなかったし、箒ももらえなかっただろうからね…」

「あら、それじゃあ、校則を破ってご褒美をもらったと思っているわけ?」

 

 ハリーの声に覆い被さるように、背後から、怒りを含んだ声が昇ってきた。聞き覚えのある声に、ロンは大きくため息をついた。

 振り向くと、ハーマイオニーが、怒りと共に一段一段踏みしめて、階段を登ってくるところだった。ハリーの小包を、じとっと見つめている。

 

「あれ、僕たちとは口を利かないんじゃないの?」

 

 ハリーの言葉通り、あの真夜中の日から、ハーマイオニーは、ハリーたちに口出しをすることがなくなっていた。

 それと、同類認定されたのか、彼女はわたしにも話しかけてこなくなった。前は、寝る前に授業について話したり、あの二人を止めてよなどと言われたりしたものだが。

 

「そうそう、今さら変えないでくれる?僕たちにとっては、君が話しかけてこないって言うのはとってもありがたいんだからさ」

 

 ロンの言葉に、ハーマイオニーは、そっぽを向いてどこかへ行ってしまった。

 

「おい、ハリー、ロン。少し言い過ぎではないか?あと七年同じ寮で過ごすんだ、もう少し友好的に…」

「友好的じゃないのは向こうじゃないか」

 

 ロンが声をあげて、ハリーがうなずく。

 こういう争いは面倒だ。マルフォイの件もあるし、これ以上無駄に敵を作りたくはないし、とにかく無益で、くだらない。

 しかし、友人としてどちらが優れているかなど、言うまでもないだろう。勤勉で、模範的で、友にも好敵手にもなる存在……前世でも、そういう人間とはわりと仲良くやっていた。

 だが、魔法界には、純血主義をはじめとする序列制度やらコネやらなんやら、そういう古くさいものがのさばっている。持てる繋がりは最大限に、がモットーだ。

 おまけに、ハリーとハーマイオニーは、端的に言えば対立状態にある。メリットもないのにわざわざ彼女の方によっていく必要はない。

 

 ああ、しかし、ハリーがハーマイオニーだったら良いのに……とまでは言わないが、彼らには、せめて彼女ともう少し仲良くしてほしい。さらに欲を言うならば、彼女やわたしの忠告を素直に聞きいれ、模範的な生徒になってほしい。わたしに飛び火がないように。

 …まあ、三人が仲むつまじく歩いているようすなど、想像もできないのだが。

 

「それとも、君までハリーから箒を取り上げたりするつもり?」

「まさか」

 

 ロンの追撃に、わたしは肩をすくめるしかなかった。

 

 

 結局、それらのいざこざがあって、あのあと箒を見る時間はなくなった。ハリーは、一日中、寮のベッドの下に隠してきた箒のことが気になって、授業に集中できていないようだった。

 夕食を食べ終わると、わたしはまた手を引かれて、談話室へと戻り、それから男子寮へと続く階段を引きずられるように駆け登った。

 

 ハリーが包みをほどき、ベッドカバーの上に転がったニンバス2000は、窓からの夕陽の残滓にキラキラと輝いていた。すらりと傷ひとつない艶やかな柄。スッキリと束ねられた小枝。そして、柄の先端近く、金色に輝く『ニンバス2000』の文字。使い古された学校の備品とは訳が違う。

 わたしは箒のことなど一ミリもわからないが、それでも逸品だということがわかった。ロンなどは、次の休みに少しだけ乗せてくれと頼み込んでいた。ハリーは、笑顔で了承して、ターニャも乗りなよ、と言った。

 それから、三人で箒について話した――いや、ロンがニンバス型がいかに優れているかをひたすらに語った。ハリーは目を輝かせて聞いていたが、わたしにとっては、それはもはや講義といっても過言ではなかった。七時からのハリーの練習で中断されていなければ、無様に眠りこけていたことだろう。

 

 

 ハロウィーンの朝、大広間に向かう途中、パンプキンパイの甘い香りがした。見れば、どの生徒もその香りに頬を緩ませている。わたしも、恐らくそうなのだろう。この身体になってから、どういうわけか、甘味がとても愛しいのだ。

 生徒を喜ばせたのはそれだけではなかった。ついに『妖精の魔法』で、実技授業が始まったのだ。複雑でつまらない基礎を頭に詰め込むのに飽き飽きしていた生徒たちは、顔を輝かせ、手を取り合って喜んだ。

 

 しかし、授業を終えた生徒の表情は沈んでいた。

 それもそのはず、ほとんどの生徒は羽を浮かせるどころか、ころりと転がすことすらできなかったのだ。

 わたしはこの呪文を防衛用に使ったことがあるので当然できる。フリットウィック先生が、素晴らしい!と大声でわたしを名指しで呼んだところまでは良かったのだ。しかし、周りの席の生徒からやり方を教えてくれとせがまれてからは最悪だ。わたしが成功したのは毎朝こつこつ練習していたからであって、要するに、一朝一夕のものではない。みんな、予習もなしに、フリットウィック先生がネビルのひきがえるをぶんぶん飛び回らせたみたいにできると期待していたのだろうか。

 とはいえ、そこでイライラしても大人気ない。寮生の中ではもしかしたら一番チビだが、一応、わたしの精神年齢は彼らより上である。なので、懇切丁寧に教えてやった。しかし、当然すぐにはできない。教える前はできなくて当然と分かっていたのだが、いざ教えてみると、一生懸命やったにも関わらず成果がでないというのは……。

 

 というわけで、わたしも手放しにいい気分という訳ではない。ハリーも顔色が悪い。彼の机ではなぜかボヤ騒ぎが起きていたし、色々疲れたのだろう。

 

 だが、それ以上にロンの機嫌は最悪だった。鼻息荒く、マルフォイが十人に分裂した翌日にでもしそうな表情をしている。それもそのはず、なんと、ロンはハーマイオニーとペアを組んでいたのだ。

 ロンは、いつものようにハーマイオニーに色々言われ、そんなに言うならやってみろと言ったところ、彼女は易々と羽を舞い上がらせてみせた。

 ロンは先程から、誰に言うでもなくぶつぶつと呟いている。

 

「あいつ――これ見よがしにやりやがった。結局、自分がすごいってひけらかしたいだけ(・・)だ。だから誰だってあいつには我慢できないって言ったんだよ。全く、悪夢みたいな奴だ」

 

 ロンがそう言い終わるか終わらないかのうちに、人混みを掻き分けて、飛び出していく者がいた。ふわふわはねる栗色の髪、ハーマイオニーだった。

 わたしは、ロンを小突いて、小さく言った。

 

「おいロン、いまの聞こえたんじゃないか」

「だからなんだっていうのさ?」

「いや、聞こえてた……その、泣いてた、みたい」

 

 ロンは、ハリーの言葉に、少し驚いたようだった。しかし、すぐにふてくされた表情に戻って、

 

「…それがどうした?誰も友達がいないってことくらい、気がついてるだろうさ」

 

 と、吐き捨てるように言った。

 

 

 

 そのあとの授業で、ハーマイオニーの顔を見ることはなかった。

 噂では、地下の女子トイレで泣いていて、心配して様子を見に言ったラベンダーとパーバティに、一人にしてくれと言ったらしい。

 それを聞いたロンは、一瞬ばつの悪そうな顔をしたが、夕食時になって、ハロウィーンの飾りつけがなされた大広間を見ると、そんなことは忘れたようだった。

 

 さて、わたしはどうする。

 ハーマイオニーには、色々と誤解されている。これから七年間一緒にやっていく文字通りの同寮、おまけに同じ部屋、隣のベッドだ。それでずっとこのままというのはよろしくない。

 わたしは、そんな考えに基づき、ハロウィーンのコウモリたちの間を抜けて、そっと大広間から抜け出した。

 

 

 地下室の女子トイレから、嗚咽が聞こえてくる。

 わたしは、トイレに入り、たったひとつだけ閉められた扉をノックした。

 それから気がついた。まずい、そういえば、泣いている女子を慰める経験はしたことがない。

 

「ハーマイオニー…、そのー…大丈夫か?」

 

 どうしようもなく、とりあえず、当たり障りのない言葉を述べる。

 個室は静かになったが、しばらくして、ハーマイオニーの震える声が聞こえてきた。

 

「……あっちに行ってよ…」

「いやあ、しかし、せっかくのハロウィーンに、泣いている級友を放っておくわけには……」

 

 わたしが、しどろもどろそう言うと、突然、個室のドアが勢いよく開けられた。

 涙でぐちゃぐちゃの顔で、ハーマイオニーがわたしをキッと睨んだ。

 

「あっちに行ってって言ってるのよ、わからないの?あなた、私のことからかいに来たんでしょう、私が泣いてるから!あなたのお友だちも、どうせ、廊下で聞き耳たてて、笑っているんでしょう…!」

 

 最初は威勢のよかった声が、どんどん涙で湿っていく。

 ハーマイオニーは、倒れこむように個室から飛び出し、床に座って、とうとう声をあげて本格的に泣き出してしまった。

 

「ち、違う。それは違うぞハーマイオニー。大丈夫だ。ね、だから、ええと、泣き止んでくれ、頼む……」

 

 わたしはおろおろした。どうしたらいいのか全くわからない。泣きたいのはこっちもだ。多分、端から見れば、今のわたしは魔法薬学の時のネビルのようになっているだろう。

 とりあえず、わたしは、ハーマイオニーのとなりにしゃがんで、彼女の背中をさすった。

 すると、いきなりハーマイオニーが抱きついてきた。わたしは支えきれずに尻餅をついたが、そのまま彼女の背中をさすり続けた。

 ええと、なにか言葉をかけなければ。しかし、何を言えば良いものか……

 

 

「……貴方は……あなたは、周りよりも少し大人なのだろうな。良い子でいないとダメだって、我慢ができる大人。だから、周りと話が合わなくて、これからもっと、辛い思いをするかもしれない。だけど…」

 

 ふと、どこかで聞いた言葉が自然と口からこぼれた。

 

「でも、それでも、大丈夫だ……だって貴方は、あなたは、私の、自慢の――」

 

 ……私の自慢の、息子だもの。

 

 わたしの言葉に、ハーマイオニーは強くわたしを抱き締めた。

 いや、違う。これはわたしの言葉ではない。

 では、誰の言葉だ?

 

 考えて、思い出した。いつしか、わたしがまだ幼い頃に聞いた、母の言葉だった。

 だから、無理しなくていいのよ、と母は笑っていた。

 わたしには、母の言うことがよくわからなかった。今も、わからない。わたしはやるべきことをやっていただけだ。それが、母には、無理をしているように見えたのだろうか。

 まあ、それはそれだろう。青春を代償に、それなりの将来を約束されたのだから、結果はおおむね成功だ。大学合格、就職内定を知らせたとき、父も母も喜んでくれたではないか。

 しかし、そういえば、明確な親孝行はできなかったように思う。稼いだ金で、時折節目にささやかなプレゼントを贈るくらいで、滅多に実家にも帰らなかったし、おそらく最大の孝行である、『孫を抱かせてやる』ということはできなかった。おまけに、死因が電車の人身事故だ。わたしが死んで、もしかしたら、むしろ迷惑をかけたかもしれない。

 わたしは、久しぶりに両親を思い浮かべた。

 

 

 

 しかし、ぼやけてうまく思い出せないことに気がついた。

 

 

「…ターニャ?」

 

 ハーマイオニーが、泣いたまま、不思議そうな顔でわたしを見つめている。

 

「……どうした?」

 

 わたしが尋ねると、ハーマイオニーは、泣きながら笑った。

 

「いえ、ごめんなさい。今あなた、なんだか変な顔だったから」

「そ、そうか?」

 

 わたしは、思わず自分の頬に手をやった。その様子を見て、ハーマイオニーはまた笑った。

 

 

 

 しばらくして、ハーマイオニーは落ち着いたようだった。

 

「さあ、大広間に戻ろう。ハロウィーンのキラキラした飾りと、カボチャのお菓子でいっぱいだぞ」

 

 ハーマイオニーは、少しの間考えるようなそぶりを見せたが、わたしの手を取ってくれた。

 

「じゃあ、行こうか…」

 

 とたんに、凄まじくドアを閉める音が入り口から聞こえた。

 何事かなと思って入り口を見て、わたしは目を疑った。

 

 そこでは、コンクリートを思わせる鈍い灰色をした、四メートルの巨体が、ぶぁーぶぁーという鼻息をたてていた。手には棍棒、ひどい悪臭―――トロールだ。

 目が合ったので、こんにちは、と目で送る。彼からは、オマエ、シネ、と視線で返ってきた。

 

 ハーマイオニーが悲鳴をあげた。それを合図にするように、トロールは、トイレを破壊しながらこちらに向かってきた。

 

「インペディメンタ、妨害せよ!」

 

 わたしはとっさに呪文を唱えた。半分は叫んでいた。もう半分は泣きたくなった。

 クソッタレ!なんだってこの学校は三頭犬だのトロールだの危険な怪物がうじゃうじゃいるんだ。まさか、校長は学校と動物園の意味を履き違えているのではあるまいな?!

 ああ、もしこんなことになると知っていたなら、わたしは人間関係も何も気にせず、大広間でパンプキンパイをむさぼっていたさ!

 

 わたしの呪文に呼応し、トロールが壊した便器や、壁のタイルの破片などが浮かび上がった。わたしが杖を振ると、それらはトロールに次々と向かっていって、やつの歩みを妨げる。

 さて次はどうする。とりあえず棍棒でも取り上げるか?武装解除の呪文は練習不足だが、やらないよりはマシだろう!

 

「エクスペリアームス、武器よ去れ!」

 

 ほとんどぶっつけ本番にも関わらず、トロールの棍棒は吹っ飛んだ。が、制御がうまくできずに天井に突き刺さった。ドオン、と凄まじい音がして、パラパラと破片が落ちてくる。

 しかし、武装解除をしたからと言って、危険なのに変わりはない。トロールは、今度は素手で応戦してきた。

 一度目はギリギリで避けた。しかし、反動で二発目への対処が遅れた。トロールの拳が寸前に迫る。

 

「プロテゴ、守れ!!」

 

 これまた初見の防護呪文。

 しかし、今度は、トロールに破られてしまった。まあ、練習もろくにしていないし当然だなと、なぜか頭の中は冷静だ。防護呪文である程度軽減されたのか、トロールから直接のダメージをもらうことはなかったが、わたしは衝撃で吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられてトイレの端までごろごろ転がった。腕の骨がボキリと音を立てたのを感じる。折れただろうか。

 そこに、再び、灰色の拳が向かってくる。地面に転がっているわたしは避けようがない。杖を振ろうとしたが、先程の衝撃で取り落としてしまったことに気がついた。

 

 どうしようもない。そんな状況で向かってくる鈍い色の塊に、わたしは自分の最期を思い出した。

 と、いうことは。

 

 

 

 ああ、ここで終わりか、存在X。

 

 

 

 

 いや、それは違う。

 

 ここでお前の思い通り、わたしは死んだりしない。

 そうだ、前からわたしはそうしてきた。ずっとわたしは、わたしただ一人が生き残り、たとえ他の全てを血に染めてでも――

 

 

 

 

『魔力干渉、ドーピング!反応速度向上・瞬発力増大・痛覚遮断・魔力回路全開!!』

 

 

 ああ、懐かしい(・・・・)―――

 わたしは覚えているぞ、この感覚。わたしは知っているぞ、その恐怖!

 剣林弾雨の暗い日々、そこでわたしは死を競う。勝ちを取る。生き残る!

 ああ、何たる、なんたる光栄だろうか!!

 

 

『最っ高に、愉快だ!!!』

 

 そう思ったのか、それとも実際に叫んだのか。

 目の前が瞬いて、わたしの頭から、すべての物事が抜け落ちた。ハーマイオニーのことも、ここがどこかも、自分が誰なのかも、すべては胸元の熱へと吸い込まれた。

 まるで、上も下もない、ここではない場所(どこか)に放り出された感じだった。しかし、不安はなく、なぜか幸福感が身体から沸き上がってくるようだった。

 それでも、最後の瞬間、白く塗りつぶされる頭の片隅で、いやだ、と強く願う自分がいた。だが結局、それはどこにも反響せずに消えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 マクゴナガルは急いでいた。行き先は地下。トロールが暴れているようで、先程から激しい物音がやまないのだ。

 ただトロールがやみくもに暴れ物を破壊するのならば良い。しかし、先程からする音は、魔法による轟音なのだ。誰かが応戦している。でも、一体誰が。

 途中で、スネイプ、それからクィレルと合流し、地下へと急ぐ。

 

 地下に下りた途端、ひときわ大きく、爆発を思わせる轟音が響き渡って、それから地下は静かになった。

 それにより、その場の全員が、二つのことを連想した。

 一つに、トロールが死んだ、もしくは、何者かに倒されたということ。

 二つに、たった今、トロールが、その何者かを殺し終わったということ。

 横たわる身体のそばに、顕在する灰色の巨体。

 最悪の想像を振りきって、急いで音の方に向かうと、グリフィンドール生のハリー・ポッターとロナウド・ウィーズリーが、歪んだ女子トイレのドアをこじ開けようとしているところだった。

 

「あなたたち、こんなところで何を?!」

先生――中にトロールと、ハーマイオニーが!」

 

 マクゴナガルは、その言葉で一気状況を理解した。先程の想像がフラッシュバックし、次の瞬間には叫んでいた。

 

どきなさい、はやく――レダクト!」

 

 歪んで使い物にならないドアを粉砕し、マクゴナガルたちは、女子トイレに踏み入った。

 

「――これは、酷い…」

 

 その部屋の原型は残されていなかった。むしろ、廊下へと貫通しなかったことに対して感心するレベルだ。

 個室という個室は破壊され、木っ端が散らばっていた。流し台も全滅していて、剥き出しになった水道管が、床に水を放出し続けている。壁には大きな穴が開いて、隣の男子トイレも同じように壊れているのが見えた。

 そして、ど真ん中に倒れ付している傷だらけのトロール。そこから、辺りに異臭と血の臭いが充満していた。

 見渡す限り、他に倒れている者はない。どうやら、最悪の事態は免れたらしい、マクゴナガルは息を吐く。

 

「と、ととと、とと、トロールが、こここ、ここ、ここここんな破壊活動を……?」

 

 クィレルはいつも以上にどもると、ヒィェーと叫んで、ふらふらと腰を抜かし、へなへなと水浸しの床に座り込んでしまった。

 

「いいや、全てがトロールの仕業ではなかろうよ」

 

 スネイプは、冷静にトロールに近づいて、顔をしかめた。近づくほどにひどい悪臭なのだ。血、臓物、そして、肉が焼ける、焦げた臭いが混じりあっていた。トロールの死体を見ると、腕や頭が欠損していた。

 見回すと、男子トイレの方に、トロールの、身体のわりに小さい頭が転がっていた。近寄って、スネイプは、部屋の隅に、他のものを見つけた。

 

「グレンジャー、と……誰だ?」

 

 スネイプは、部屋の隅でうずくまっていた生徒に見覚えがあった。ハーマイオニー・グレンジャーだ。その腕には、誰だろうか、小柄な女子生徒が抱かれている。ハーマイオニーは彼女に覆い被さるようにしていて、顔が見えない。

 ハーマイオニーは、スネイプの呼び掛けに、ぱっと顔をあげた。それにより、女子生徒の顔を確認できた。

 ハーマイオニーは、すっかり青い、震える唇から、か細い声を出す。

 

「スネイプ先生、私……」

「ハーマイオニー?」

 

 二人の声を聞き付けて、ハリーとロン、少し遅れて、マクゴナガルがやって来た。

 それから、その腕に抱かれている女生徒を見て、ロンは固まった。ハリーはヒュッと声にならない叫びをあげた。

 

「おい、それ…」

 

 ロンは辛うじて声を出した。しかし、ハリーは、口を開くどころか、息をすることすらままならず、クィレルのように床に座りこんだ。

 ハーマイオニーに抱えられ、目を瞑り、力無く死人のように沈黙している女生徒は、三人と同じグリフィンドール寮の一年生、ターニャ・デグレチャフだった。

 

……死んでるのか?

バカ言うな!

 

 ハリーが叫ぶが、直後、彼はガタガタと身体を震わせ始めた。息も不規則になり、マクゴナガルに背中をさすられる。

 見れば、ターニャの右の腕はあらぬ方向に曲がっている。いつも結われている金髪はほどけ、血塗れの制服はボロボロに焼け焦げて、所々肌が露出している。それだけ見れば、ロンが死体と言うのも仕方がなかった。

 しかし、スネイプが見たところ、腕の骨折以外に大きな怪我はなさそうだ。制服などに付着している血液は、ほとんどトロールのもの。わずかなものだが、息もきちんとしている。

 

「死んではいない。恐らく、魔力の枯渇による一時的な気絶であろう」

 

 スネイプは、ハーマイオニーから取り上げるようにターニャを抱えあげた。

 

「先生、私……ターニャは…いきなり……変になって、トロールを……それでそのまま倒れて…私…私…」

 

 ハーマイオニーはやっとそう言うと、顔を覆ってわあっと泣き出した。

 

「命に別状はない。彼女は私が医務室に連れていこう」

「ええ、お願いします」

 

 マクゴナガルは、ターニャとスネイプを見送ると、ハリーたちを抱き寄せた。

 

「とにかく、無事でよかった。話は後日聞きます。今日は、もう、疲れたでしょう。談話室に戻りなさい」

 

 ロンはうなずいた。ハーマイオニーは、涙をぬぐってからそれに続いた。しかしハリーはぼんやりと宙を眺めているだけだった。

 ロンとハーマイオニーが立ち上がっても、ハリーは座り込んだままだった。仕方ないので、彼らは顔を見合わせて、二人がかりで、ハリーを半ば抱き上げるように立たせる。

 

「ハリー、大丈夫?」

「……」

「おい、ハリー……」

「…大丈夫…、大丈夫だよ」

 

 ロンの問いかけに、ハリーは震える声で、何とか絞り出すように言った。それから、ふらふらと女子トイレから出ていく。

 ロンとハーマイオニーは、二人とも困惑したように、再び顔を見合わせて、それからハリーを追って出ていった。

 

 




幼女戦記映画化おめでとう(激遅)
あと今更なんですけど今回捏造設定が炸裂してるのと久しぶりなせいで文章がアレでヤバいかもしれません ゆるして


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〇6.ファーストゲーム

 ……知らない、天井だ。

 

 わたしはベッドに横たわっている。孤児院のベッドとも寮のベッドとも違う。

 周りの様子を伺おうとするが、見る限りではわたしはカーテンに囲まれている。なので、確認できるのは、見知らぬ天井だけだ。

 

「ようやく目が覚めたかね!」

 

 寝起きにとってはうるさい声に目をやると、一人の男性が嬉々とした様子で立っていた。なにやら奇妙な片眼鏡が特徴的な、研究者のような見た目の男だ。

 

「ええと、わたしは……」

「デクレチャフ少尉、我々は遂にやったんだ。覚えているか?実験は成功したんだ!」

 

 そう言って、男はわたしに演算宝珠を手渡した。

 銀に輝く羽の装飾。完璧な対称で噛み合う四つの機構。他の演算宝珠とはまるで違う。これが……

 

 

「エレニウム九五式。神が我らに与えたもうた『奇跡 』だ」

 

 

 

 

「あら、目が覚めましたか。デグレチャフさん」

 

 カーテンが開かれた音で目を覚ました。音の方に目をやると、女性が立っていた。ホグワーツ校医の、マダム・ポンフリーだ。

 

「…おはようございます。ここは…」

 

 わたしは挨拶もそこそこに辺りを見渡す。おや、わたしが横になっていたのは、こんな部屋だったか?

 はて、なにやら既視感というか、これは違和感?わたしは夢でも見ていたのだろうか。しかし、一体なんの……

 

「ホグワーツの医務室ですよ。覚えている?昨日、あなたは酷い魔力枯渇で運ばれてきたのよ」

 

 あと軽い骨折もね、彼女がそう言って杖をひと振りすると、わたしの腕に巻かれた包帯がひとりでにほどけていった。ねちょお、と緑色の軟膏が糸を引いて、腕にベットリとついている。それも、マダム・ポンフリーが杖を振ると、一瞬で取り除かれた。

 

「もう大丈夫でしょう。これから一週間は、魔法の使用は極力控えること。枯渇なんて、もっての他ですからね」

「……わかりました」

「それと、マクゴナガル先生がお呼びですよ。職員室で待っているそうです。はい、これに着替えて、行ってらっしゃい」

 

 マダム・ポンフリーは、わたしに制服を手渡すと、カーテンから出ていった。

 

 退院、ということで良いのだろうか。

 

 魔力枯渇か。そんなに酷いものだろうか、と思ったが、ベッドから立ち上がると、すぐに身体が怠さを訴えた。なるほど、一晩休んでこれか。

 魔力枯渇と、腕の骨折。骨折に関しては覚えている。トロールに吹き飛ばされて折ったのだ。しかし、魔力枯渇に関してはわからない。わたしは、そんなふうになることをしただろうか?

 病衣から制服に着替え、髪を結ぶ。それから、制服のポケットに入っていたエレニウム九五式を、いつものように首から提げようとして、わたしは思い出した。

 

 確か、耳鳴りがしていた。耳鳴りの原因はもちろんエレニウム九五式(こいつ)だ。

 そして、どうやらわたしには、トロールを倒した記憶が無い。

 気がついたらここにいた。トロールがわたしに向けて拳を振りかぶったあのとき、わたしは死んだと思った。エレニウムの耳鳴りを聞きながら、これで終わりだと悟ったのだ。しかし、わたしは生きている。なぜ。

 

 考えながら、身支度を終えた。

 さて、マクゴナガル先生に会いに行くんだったか。歯抜けの記憶も埋まるかもしれない。

 わたしはマダム・ポンフリーに一言挨拶して、医務室を後にした。

 

 

 

「失礼します」

 

 職員室の扉を開ける。朝だからか、先生たちはいない。

 

「…おはようございます、ミス・デグレチャフ」

「おはようございます、マクゴナガル先生」

 

 しかし、たった一人、いつもにまして厳しい表情のマクゴナガル先生がいた。

 

「…話はおおかたミス・グレンジャーから聞きました。あなたは、彼女の無謀な試みに気がついて、助けに行ったそうですね」

「え?あ、はい」

 

 無謀な試み?助けに行った?

 何がなんだかわからないが、とりあえずうなずいておく。

 

「仲間のために、一人でトロールに立ち向かう勇気、素晴らしいです。グリフィンドールに十点」

「……ありがとうございます」

 

 どうやら、わたしを誉めているらしい。が、マクゴナガル先生の顔は険しいままだ。

 

「しかし、とても無謀なことです。こどもが一人でトロールに立ち向かい、あげく、魔力を枯渇させるなど……。あなたは、どうやってトロールを打ち倒したのですか?」

 

 マクゴナガル先生の視線から、わたしは思わず目をそらした。

 だって、どうやってもなにもない。医務室から職員室までの道のりで思い出そうとしたが、やはり、記憶がない。腕を折って、それから、トロールにぶん殴られそうになって、思わず目を瞑って開けたらもう医務室で天井を見上げていたのだ。

 

「…わかりません」

「わからない、とは?」

「どうやってトロールを倒したのか、覚えていないのです。…しかし、コレが音を発していたのは覚えています。その、先生に、最初に会ったときみたいに」

 

 わたしは、制服から九五式を引っ張り出した。窓からの朝日を受けて、羽を思わせる装飾と、ガラスの向こうの細やかな機構が、きらきらと銀色に反射している。

 

「そうですか、それが……」

 

 マクゴナガル先生は、眉間に皺をつくって九五式を見つめた。

 

「……以降、しばらくは、校内でのそれの発動は禁止です」

「え、なぜ…」

禁止です。それから、あなたの杖です。トイレに落ちていましたよ」

 

 マクゴナガル先生はわたしの手をとり、杖を握らせると、もうよろしい、と肩を叩いた。

 話は終わりらしい。はよ出ていけと、マクゴナガル先生の目がそう語っている。わたしはすばやく廊下に出て、職員室の扉を閉めた。

 

 

「…あー」

 

 

 

 

 一方的に理由も告げずに禁止ってどういうことだ?

 さてはあの教師ファシストか?

 この世界には個人の自由がないのか?

 そもそも発動のトリガーは正直こちらにもわからないのだが?

 せめてあのときのことを教えてはくれないのか?

 

 言いたかった、言いたかったさ。でも言えなかった。

 相手が教師だから?違う、そこではない。

 マクゴナガル先生が禁止だと再び言ってこちらを見つめたとき、わたしは口がきけなくなった。声の出し方を忘れてしまった。それと、以前味わった嫌な感じもした。わたしはただ口をつぐんで、目を逸らすしかなかったのだ。

 

 朝早くの薄暗い廊下をふらふらと歩き、グリフィンドールの談話室へと向かう。

 

 ああ、もやもやする。しかし、それ以上に身体が怠い。頭も働かない。マダム・ポンフリーの、無茶をしないように、という言いつけは、しっかり守った方が良さそうだ。

 

「あら、お帰りなさい。大丈夫なの?」

「大丈夫だ、心配ありがとう婦人。豚の鼻」

 

 婦人とそんな会話をして、談話室に入る。ああ、久しぶりのホームだ。といっても昨日の今日だが。

 今日は朝の予習はやめておこう。このままの怠さでは、授業に支障をきたしそうだ。朝食の時間まで眠ろう。

 そう考えて、女子寮への階段を目指す途中で、わたしは思いもよらない攻撃を受けた。

 

ターニャ!

「なっ…?」

 

 これは…忘れもしない、ロンのタックル!

 いやしかし、以前ほどのパワーがない。そのかわり俊敏性が向上している。これは…

 

「…ハリー?っぐぁ…」

 

 油断したところで、右脇腹に重い追撃を受ける。これはまさしくロンだ。

 それから、左横から優しく、しかし力強くハグされる。おお、これこそ、わたしが求めていた抱擁だ。見れば、栗色の髪が広がっている。ハーマイオニーか。

 

「ターニャ、無事でよかった……」

 

 ハリーが、絞り出したような声を出した。

 

「無事だよ。それにしても、ずいぶん朝早いな?」

「友達があんなことになったんだ、眠れるわけないだろ…」

「そうか」

 

 それからしばらく、わたしはそのままだった。

 やれやれ、ハグというのは、日本人にとっては慣れない文化だ。

 パーシーが談話室に降りてきて、わたしはやっと解放されたのだった。

 

 

 それからは、新しい交友関係を築き上げることに成功した。ハーマイオニーのわたしへの誤解が、どうやら完全に解けたようなのだ。

 ハリーとロンも、ハーマイオニーとすっかり仲良くなっていた。はて、なにか仲良くなるような出来事があったのだろうか。まあ、そこは別に重要ではないか。仲良きことは美しきかな、というやつだ。その方が、争いを好まないジャパニーズスピリットを持つわたしの胃にもやさしい。

 それに、ハーマイオニーなら、彼らの暴走を止めてくれるだろう。大変好ましいことだった。

 

 

 

 十一月に入ると、ハリーは、しばらく忙しくなった。試合目前で、クィディッチの練習が本格的に忙しいらしく、今日は休日ということもあって、一日中練習の予定だそうだ。

 ロンは、ハーマイオニーに手伝ってもらって宿題と格闘していた。宿題を終えたら、チェスをやるのだという。ハーマイオニーは負けないわよと息巻いて、図書館から借りてきた『チェス必勝』を激しく読み漁っていた。

 

 わたしはというと、図書室で、本を漁っている。調べたいことがある。もちろん、『エレニウム』について。

 書架の間を練り歩き、ようやく目的にかなった本を一冊見つけた。『エレニウムの変遷』と銘打たれた分厚いその本を両手で抱え、空いている席に座る。

 

 

 …第一章『エレニウム』……

 

 ……エレニウムとは、魔力を込めることによって一定の術式を発動させる魔道具。確認されている型は、七二式、七九式、八五式、九〇式。特に、八五式と九〇式が多く発掘され……

 

 わたしはそこで顔をあげた。発掘?

 視線を本に戻し、該当するであろう項に目星をつけた。さらに読みこんでいく。

 

 ……エレニウムは、ここ百年ほどで見つかるようになった魔道具である。製作法、製作者は不明。どれもドイツ語でそれぞれのナンバリングと型、『エレニウム工厰』と記されている。しかし、ドイツ魔法省は、『エレニウム工厰』について、三年にわたる調査の末、そのような組織は無いと発表した……

 

 わたしは再び顔をあげた。製作法も製作者も不明。製作の過程の痕跡すら見つからない、だと?

 わたしは席を立って、ドイツ語に関する本を持ってきた。それから、エレニウムを制服から引っ張り出し、裏返す。

 そこには、確かにドイツ語らしき言語で、エレニウム九五式、エレニウム工厰と記されていた。それは、夏休みにもマクゴナガル先生と確認したことだ。

 しかし、注意深く観察してみて、側面に文字が刻まれていることに気がついた。……『GOTT IMMER MIT DIR. A.S .』……?どれどれ。

 調べてみると、神はいつもあなたと一緒!という意味だった。なんとも頼もしい言葉だ。存在Xとかいうヤブ神さえいなければの話だが!

 この文章は、正しい神を信仰する、正しい信徒のASさんが、自分の持っていたエレニウムに彫った文字なのだろうか。

 わたしはさらにページをペラペラとめくる。記されているのは、エレニウムの歴史、出所についての考察、多数の魔法使いや錬金術師の見解などなど。特に役に立たなさそうな情報ばかりで、わたしは目次名だけ見て流していく。……お、『第六章・魔法とエレニウム』?ここは読んでみるか。

 その章は、エレニウムの使い方が記されているようだった。

 つらつらと長ったらしい文章で何が書いてあるかというと、『エレニウムに魔力を込めると、なんかよくわかんない術式が発動する。ヤバい』第六章、完!

 

 まてまてまてまて。困る、なんだその投げやりな文章は!

 

 わたしは、藁にもすがる思いで、先程は流した前章の『著名人による見解』を読む。有名な魔法使いたちが、自身の著書やインタビューなどで言及したエレニウムについての見解が集められている章のようだ。誰か、コレの使い方について書いている人がいるはず!

 

 彼らの項もまた長かったので、要約すると、

 

 ・『魔法史上で最も異色を放つ魔法具』…バチルダ・バグショット

 ・『素晴らしく、しかし恐ろしい、謎が多い凶器』…ニコラス・フラメル

 ・『芸術品。歯抜けになっている型の発見が待ち遠しい』…ヘプジバ・スミス

 ・『箒に取り付けてブースターのように扱うことができれば、かなりのスピードが出るかもな。しかしそれをクィディッチに適用すべきではない。それはもはやクィディッチではないからだ、わかるだろう?クィディッチの良さが失われてしまう』…ケニルワージー・ウィスプ

 ・『すごい』…アルバス・ダンブルドア

 

 わたしは本を閉じた。

 

 

 夕食の時間ギリギリまで粘ったが、結局、収穫無く図書室をあとにすることになった。

 使用禁止とは言われたが、おそらくこれのお陰で命が助かったようなものだし、それに、なににおいても、持ち物の使い方もわからないというのはよくないだろう。特に、これの場合は。暴発したらクレーター、だ。

 しかし、クレーターといっても、対トロール戦で、わたしがこれを使ったのは確かだ。ということは、暴発しない程度には制御ができるはずなんだが。でも先生は教えてくれそうにないしな。

 

 わたしは思わずうーんと唸った。これは、根気よく調べる必要がありそうだ。

 

 

 大広間で夕食をとって、グリフィンドール寮に帰ってくると、談話室の窓際の席で、ハーマイオニーがハリーとロンの呪文の宿題をチェックしていた。

 

「ターニャ、どこ行ってたの?探したのよ」

「そうか?それはすまなかった。少し、図書室にいたんだ」

 

 手招かれるまま、わたしが窓際の席につくと、ハリーが立ち上がった。

 

「僕、本を返してもらってくる」

 

 ずいぶん勇ましい顔でそう言って、彼は談話室から出ていった。

 聞けば、図書室で借りていた『クィディッチ今昔』を、スネイプに没収されたらしい。――図書室の本は校外に持ち出してはいけないという規則がある、とスネイプは言っていたけど、きっと規則をでっち上げたんだ、とロンは苛立った口調でぶつぶつ言った。

 それにしても、なんで今?考えて、ひとつ思い当たった。

 

「そういえば、明日はハリーの初試合か」

「わあ、忘れてたみたいな言い方だね」

「…ロン、わたしは忘れていたのではないぞ。思い出しただけだ。調べものが忙しくてな、うっかりだ」

 

 嘘だ。そんなこときっちりばっちり忘れていた。とはいえ、半分は本当だ。今日は図書室で朝から晩までエレニウムについて調べることに没頭していたし。

 ロンの宿題を確認し終わったハーマイオニーが、羊皮紙から顔をあげた。

 

「何について調べてるの?」

「ああ、少しエレニウムについてな。……そうだ」

 

 ハーマイオニーは、わたしと女子トイレにいた。ならば、エレニウムがどうやってトロールを倒したのか、彼女は見ているのではないか?

 

「ハーマイオニー。これが発動してどうなったか、覚えているか?」

 

 わたしがハーマイオニーに九五式を掲げて見せると、彼女はびくりと体を震わせて、インク瓶をひっくり返してしまった。

 

「あ、ご、ごめんなさい、私ったら…」

 

 ハーマイオニーはひどく慌てている。それから、どういうわけか、ハンカチでインクの汚れを拭こうとした。

 

「おいまて。スコージファイ、清めよ……どうしたんだハーマイオニー、貴方は魔女だろう」

「え、あ、ああ。そっか……」

「それで…」

「ターニャ」

 

 尋ね直そうとすると、ロンに軽く足を蹴飛ばされた。何だ、と目で問うと、いいから黙ってろ、と視線で制された。

 ハーマイオニーも、採点に戻ってしまった。どういうわけか、話をしてくれそうにない。仕方がないので、わたしは黙った。

 

 突如、静寂を壊すように、ハリーが談話室へと転がり込んできた。

 彼は、肩で息をしながら席について、自身の呼吸が落ち着くのを待たずに言った。

 

「今――職員室で、スネイプが――やっぱり、足を怪我してて、フィルチが治療してて――三つの頭に同時に注意なんてできるか、って――」

「おい、落ち着けよ」

「本は返してもらえなかったの?」

「――見ればわかるだろ?」

 

 ハリーは一旦呼吸を落ち着けてから、さらに続けた。

 

「…ハロウィーンの日、スネイプは三頭犬の裏をかこうとしたんだ。ロン、あの日、僕たちが見たのはそこへ行く途中だったんだよ。あいつは、あの犬が守ってるものを狙ってる。トロールはあいつが入れたんだ……みんなの注意をそらすために。箒を賭けてもいい」

「ねえ、ちょっと待ってよ。確かに意地悪な先生だけど、ダンブルドアが守っているものを盗もうとする人ではないわ」

「おめでたいやつだな、先生は全員聖人かなにかだと思ってるんだろ、君は。スネイプならやりかねないよ。でも、何を狙ってるんだ?あの犬が、守っているもの…」

「待ってくれないか、話がよく見えないのだが…」

 

 六つの目玉が、こちらを一斉に見た。

 

「もしかして、わたし抜きの話か?それは悪かった」

「違う違う、そんなんじゃないって」

「ああ、そっか。ターニャは、お昼の時いなかったから…」

 

 三人は、口々に説明してくれた。

 まず、ロンいわく、ハロウィーンの日、ハリーと一緒にハーマイオニーを探して女子トイレに向かう途中、他の先生がみんな地下室に向かっているにも関わらず、ひとり違う場所に行くスネイプ先生を見た、とのこと。

 そして、ハーマイオニーいわく、昼、スネイプ先生がハリーの本を没収したとき、彼は足を引きずっていた。きっと誤魔化せないくらい酷い怪我よ、とのこと。

 最後に、ハリーいわく、先程職員室で、片方の足がズタズタになったスネイプ先生と、その治療を手伝うフィルチ先生を見た。職員室にはその二人しかおらず、スネイプは、確かに『いまいましい奴め。三つの頭に同時に注意なんてできると思うか?』と言った。それから、ハリーに気がつくと、物凄い剣幕でハリーを職員室から追い出した、とのこと。

 

「どうもありがとう」

 

 ふむ、守っているものか。この前ハリーに聞いた話の通りなら、財宝Xは小さな包みだ。金銀財宝の類いではなさそう…いや、まてよ。仮に財宝Xが大きくてかさばるものであっても、それを魔法で縮めているという可能性もある。

 

 結局、議論の末結論には至らず、お開きになった。

 明日のクィディッチ、たしか、対戦カードはグリフィンドールとスリザリン。お互いに因縁の相手だ。一発目からヘビーな試合になりそうだな、とわたしはベッドに潜り込んだ。

 

 

 しかし、翌日になると、試合前のグリフィンドール生とスリザリン生の間の空気よりもヘビーなのがいた。

 ハリーだ。

 昨晩は三頭犬のことがあったせいか、緊張したようすはあまり見受けられなかった。しかし、今朝は、ハーマイオニーに朝食を勧められても口にせず、ロンが励ましてもろくに反応せず、彼は顔面蒼白でふらふらとしていて、まるで幽鬼のようだった。

 

「それじゃあ、ハリー、頑張ってね」

「今まで練習してきたろ?」

 

 大広間から出てすぐの分かれ道で、ハーマイオニーとロンがそう言って励ますので、わたしも続ける。

 

「いつも通りで大丈夫さ」

 

 ハリーはゆらりとうなずくと、選手控え室に向かうため、ずるずると歩いていった。

 それを見送ってから、ロンが呟いた。

 

「大丈夫かな?」

「きっと平気よ」

「今まで練習してきたんだしなあ」

「飛行訓練でも一発で飛んで見せたしね」

 

 しかし、彼の様子を見ると、そんなことは忘れてしまう。ロンとハーマイオニーもそのようだった。それほどに彼はふらふらで、今にも死にそうで、とにかく顔色がクィディッチどころではないのだ。

 

 

 談話室に向かう途中、大勢の生徒たちとすれ違った。試合開始まであと数十分ほどあるのだが、気の早い生徒たちは待ちきれないらしく、今から競技場に向かうようだ。

 談話室に入ると、生徒の姿はまばらだった。どうやら、今回のゲームにおいては、グリフィンドール生のほとんどが前述した『気の早い生徒』にあたるらしい。

 まあ、無理もないだろう。なんせ、因縁の対戦カードに加え、シーカーがあのハリー・ポッターなのだ(ハリーやグリフィンドール・チームのみんなは、ハリーがシーカーだということを隠していたのだが、どういうわけか学校中に噂が広まっていた)。

 しかし、同級生たちはまだ談話室に残っていた。クィディッチの試合に備えて準備しているようだ。

 

「あ、ロン。ちょうど良いところに…そっちの端っこ、持ってくれないか?」

 

 ディーン・トーマスに言われるまま、ロンは大きな布のはしっこを持ち上げた。

 深紅の布地に、『ハリー・ポッターを大統領に』の字、それから、見事なライオンの絵が描いてある旗が持ち上がった。

 

「どうかな、ライオンに見える?」

「完璧だよ。なあ?」

 

 ディーンの言葉に、シェーマスがうなずいて、それからみんなを見回した。みんなもうなずいた。

 確かに絵は素晴らしい。字もきれいだ。しかし、大統領って。わたしだったら恥ずかしい。あと、なんだか余計に緊張しそうだ。

 まあ、競技場は結構広いし、この程度の旗はつぶれて見えないだろう。それに、ハリーは案外喜びそうだが……。

 

「ターニャ、変だったりする?その、君の目から見て」

 

 ディーンが不安そうな声をあげた。しまった、色々考えていたことが顔に出ていたか。

 

「いや、素晴らしい出来だよ。しかし、さすがに競技場では目立たないかもと思うと、見事なだけに惜しくてな」

 

 真面目半分嘘半分で、適当に言っておく。その場の全員が、確かに、と言うように旗を見た。

 すると、それまで旗を眺めていたハーマイオニーが、ふいに声をあげた。

 

「…そうだ……確かに、このままだと少し目立たないかもね。でも、こうすれば…」

 

 

 

 

「おい見ろよあれ」

「大統領だって…」

 

 わたしの心配(建前)むなしく、旗は競技場で立派なものになった。

 はためく深紅の布地に、ライオンと『ポッターを大統領に』の文字が、黄金に輝いている。

 比喩などではない。本当に、発光しているのだ。

 ハーマイオニーは旗に魔法をかけた。少し複雑なものだったが、彼女にかかれば造作もない。出来は素晴らしい。

 それに、競技場はそういう目立つ仕掛けの応援旗やらなんやらでいっぱいだった。わたしの言葉通り、ハーマイオニーの仕掛けがないと目立たなかっただろう。

 しかし、どういうわけか目立っている。

 旗の見た目は悪くない。内容が目立つのだ。

 

 他寮の生徒たちはひそひそと連れと顔を寄せて、こちらをチラチラ見ている。

 スリザリン生を見てみろ。仲間同士クスクスと笑う者、軽蔑したような目を向ける者。

 そんな中、マルフォイと目があった。彼はいつもの三倍くらいせせら笑っている。

 目があったときの気まずさで、なんとなく視線をマルフォイの後ろにさ迷わせてみると、マルフォイの取り巻きどもがゲラゲラ大笑いしていた。

 まあ、そうなるよな。もしも、こんなアホみたいな旗を敵が掲げていたら、たいして面白くなくても、嘲るために笑う。わたしだってそうする。

 ああ、彼らの反応が予想どおりすぎて、むしろ笑えてきた。口元から乾いた笑みがむなしくこぼれる。

 

「ターニャ、なんか面白いものでもあったの?」

「いいや、なんでもない」

「ほら、二人とも!ハリーが入場したわよ」

 

 ハーマイオニーの言葉に目をやると、両チームの選手が、競技場に入場してくるところだった。

 ハリーの顔色は普通だった。緊張は解けたのだろうか……いや、違うな。よくよく見ると、膝がカタカタ震えている。顔色が普通に見えるのは、先程青かった顔が緊張で赤くなって中和されているだけか。

 ハリーはきょろきょろしている。ああ、気持ちはわかるが、そこはピシッと構えないと。わたしの思いが届いたのか、ハリーはこちらを見た。それから、ピカピカ光る旗に気がつくと、こわばった顔がほぐれ、にっこり笑ってこっちに小さく手を振った。

 

 

『――では、皆さん、正々堂々戦いましょう。箒に乗って、よーい――』

 

 審判のマダム・フーチの言葉に、選手全員が一斉に箒にまたがった。

 それから、銀の笛が高らかに鳴って、観客の歓声に引き上げられるように、十四本の箒が空に舞い上がった。遅れて、審判の箒も上がる。

 

『――さあ、いよいよ始まりました、寮対抗クィディッチ杯。実況はもはやお馴染み、グリフィンドールのリー・ジョーダンがお送りします』

 

 拡声魔法がかけられた声が、競技場中を駆け巡った。実況者がいるとは思わなかったので、驚いてキョロキョロしていると、

 

「リー・ジョーダンは、フレッドとジョージの仲間なんだ」

「ああ、タランチュラの?」

「そうそう」

 

『さて、グリフィンドールのアンジェリーナ・ジョンソン選手が、早速クアッフルを取りました。何て素晴らしいチェイサーでしょう――その上、かなり魅力的でもあります』

ジョーダン!

「ああ、失礼しました、先生」

 

 …なるほど、確かにあの二人の仲間だ。

 

『さぁ、ジョンソン選手突っ走って――アリシア・スピネット選手にパス、完璧ですね。キャプテン・オリバー・ウッド、彼が持つ、良い選手を見つける『目』には感心させられます――ジョンソンにクアッフルが返る、おっと、これは―――あー、ダメです。スリザリンがクアッフルを奪いました。キャプテン・マーカス・フリントが取って、走る、走る、速いな、ごぼう抜きです――あ、打った!このまま先取点となってしまうのか――さすがです!グリフィンドールのキーパー、ウッドが止めました』

 

 実況はすさまじいスピードだ。リー・ジョーダンは息継ぎをしているのだろうか?

 しかし、それ以上の速さで、ゲームはどんどん進行していく。

 

『グリフィンドールのチェイサー、ケイティ・ベル選手、素晴らしい急降下です。ゴールに向かって――あいたっ!これは痛い、ブラッジャーが後頭部直撃です。クアッフルはスリザリンへ――エイドリアン・ピューシー選手、走ります――おっと、ブラッジャーに阻まれてしまいました。フレッドかジョージか、どっちだ?ジョージかな?え、違う?失礼、グリフィンドールのビーター、フレッド・ウィーズリーのファインプレーでした――さあ、ジョンソンの手に再びクアッフルが――飛んで――ブラッジャーが迫ります――よし!華麗にかわしました――今だ、頑張れ、いけ、アンジェリーナ!――やった!グリフィンドール、先取点!

 

 途端に、周囲から大砲のような歓声が上がった。

 

「ターニャ、ちょっと詰めて」

 

 ロンの言葉に視線をやると、ハグリッドがいた。わたしは思い切り詰めたが、それでもハグリッドは狭そうに座った。

 

「スニッチはまだか、え?」

「まだだよ」

 

 では、ハリーはすることがないのでは?

 わたしは目を凝らした。下で試合が進むなか、ハリーはひとり上空をすいすい飛び回っている。

 

「多分、ああいう作戦なんだ……スニッチが目にはいるまで、みんなから離れて、ブラッジャーから余計な攻撃を受けないようにしてるんだよ」

 

 先取点の興奮冷めやらぬといったふうに、ロンが早口で言った。

 

『さて、今度はスリザリンの攻撃です。チェイサーのピューシーはブラッジャーをかわし、ウィーズリーをかわし、チェイサーのベルが止めにかかります。が、ダメです!相変わらずものすごい勢い――ちょっと待て、あれは――スニッチか?』

 

 ジョーダンの言葉に、観客がざわつく。

 確かに、今、金色の閃光が、エイドリアン・ピュシーの横を過ぎ去って、消えた。

 

 次の瞬間、ハリーが急降下した。その先を見れば、金色の羽が生えたボールがある――スニッチだ。

 一足遅れて、スリザリンのシーカー、テレンス・ヒッグズもスニッチを見つけた。どんどんスピードをあげていく。しかし、ハリーは最新型のニンバス2000。両者の間はかなり空いている。さらにハリーは一段とスパートをかけた。スニッチはもう目の前だ。

 そこに、マーカス・フリントの邪魔が入った。ハリーが箒から弾き出されて――

 

「ハリー!」

 

 ハーマイオニーが叫んだ。それを掻き消すように、隣のロンを含めたグリフィンドール席から怒りの声があがった。

 フリントに突き飛ばされたハリーは、ぐるぐると大きくコースを外れたが、かろうじて箒にしがみついていた。どうやら、無事のようだ。

 

「反則だ!」

「そうだ審判、レッドカードだ!」

「サッカーじゃないんだよディーン」

 

 わあわあと観客が騒ぐなか、マダム・フーチはフリントに厳重注意を、グリフィンドールにゴールポストに向けてのフリーシュートを与えた。

 

「ルールを変えるべきだわい。フリントは、もうちっとでハリーを地上に突き落とすところだった」

「同感だな……落下の対策は?」

「あー、まあ、先生方もおるしな。死にさえしなきゃあ大体の怪我はマダム・ポンフリーが治してくれる…」

 

 ハグリッドのどこか曖昧な言葉を聞いて、わたしは不安になった。

 実況者である前にいちグリフィンドール生であるリー・ジョーダンも、どうやら、公平を保つのが難しくなったようだ。

 

『えー、最低最悪の反則のあと――』

「ジョーダン!」

 

 マクゴナガル先生が言葉を遮るが、ジョーダンは止まらない。

 

『あー、では、スリザリン生特有の陰湿でいやらしいプレーのあと――』

ジョーダン、いい加減にしないと――

 

 マクゴナガル先生の声色が、いよいよ本格的に変わる。

 

『はいはい了解了解。フリントは危うくグリフィンドールのシーカーを殺しそうになりました。まあ、クィディッチではよくある事故ですよね』

 

 ジョーダンのその言葉に、グリフィンドール側からは、再び騎士道もへったくれもない罵声とブーイングが飛び出した。

 

 ハリーが体勢を持ち直した頃、既にスニッチはどこかに行ってしまった。 しかし、ハリーはすぐに切り替え、上空へ舞い上がると、そこから再びグラウンドを捜索しだす。上空からスニッチを探す作戦を続行するようだ。

 ハリーがもう二、三度フィールドを見まわした頃だろうか、彼はゆらゆらと不規則に揺れ出した。

 

『さあ、グリフィンドールのペナルティーシュート。スピネットが投げます、決まりました。ゲーム続行、クアッフルはグリフィンドールの手にあります――ああ、取られた!ピューシー選手をはじめとするスリザリン選手、今日は絶好調ですね。先程フリントがハリー・ポッターへと飛び出していってしまったのも、その元気(・・)のせいでしょうかね―――あっ、ブラッジャーがフリントの顔に直撃、見事なタイミングですね。おそらく、神が下した天罰でしょう。いやあこれはもう助かりませんね、ヴァルハラ直行……冗談。冗談ですよ、先生――おっとピューシー選手、速い、ああ、止めろ、今だケイティ!……あー……スリザリン得点です。あーあ……』

 

 空気が抜けたようなジョーダンの声とは真逆に、今度はスリザリン側から爆発のような歓声が沸き起こった。

 その頃、ハリーは揺れるどころでは収まらなくなっていた。わたしはずっと彼を見ていたが、どんどん揺れは激しくなり、遂には急降下してすぐに昇ったり、一回転してみたり、宙ぶらりんになってみたり、箒をぐるぐるさせたり。誰もその姿には気がついていないらしい。

 …ははーん。さては、スニッチがなかなか現れないから、暇をもてあまして遊んでいるんだな?

 ハリーと一瞬目があった気がしたので、遊ぶな真面目にやれしっかりしろ、とジェスチャーを送ってみる。

 すると、ハリーの飛行は一瞬ましになった。しかし、今度は、足で箒にぶら下がって逆さまになった。

 …なんというか、懲りないやつだな。

 

 わたしがそう考えながら、遊んでいるハリーを見つめていると、ロンが不安げな声で、誰に言うともなく呟いた。

 

「…なあ、ハリーの奴、変じゃないか?」

「え、遊んでるんだろ、あれ」

 

 ロンはぎょっとしたようにこちらを見た。

 

「あれが遊んでるように見えるのかよ?」

 

 ……どうやら、違うらしい。

 周りからヒソヒソ声が昇ってくる。ハリーについて話している。

 ハーマイオニーとハグリッドは空を見上げた。

 

「本当だわ。箒の故障かしら…」

「いーや、箒が壊れるなんざあ、滅多にねえ」

「ハグリッドの言うとおり。ハリーのはニンバスの最新型だ。『流れ星』とは訳が違う、ピカピカの新品だし、故障はしないと断言してもいい。可能性があるとすれば…」

「呪いだな」

「呪いですって?」

 

 ハーマイオニーがハリーに目を向けて、それから、向こう岸の観客席をぐるりと見回した。

 

「しかし、誰がかけているのか……」

「決まってるだろ?マルフォイたちスリザリンだ…」

「それはねえ。箒に魔法をかけるっちゅうんは、よっぽどの腕が無きゃあできん。スリザリンの悪餓鬼どもにゃあ無理だ」

 

 周囲はいよいよ本格的に騒ぎになりだした。ハリーが箒に振り回され、墜ちそうになる度に悲鳴が上がる。

 

「じゃあ、一体誰が…」

「ハグリッド、双眼鏡貸して!」

 

 それまで、身を乗り出す勢いスリザリン席に目を凝らしていたハーマイオニーが、突如ハグリッドから双眼鏡をひったくった。

 

「…見つけた」

「見つけたって、術者をか?」

 

 ハーマイオニーは一旦双眼鏡から顔を離して頷いて、それからまた双眼鏡に目を戻す。

 それから、信じがたい名前を口にした。

 

「スネイプだわ」

「…は?」

「私、行ってくる!」

 

 止める暇もなく、ハーマイオニーは、わたしに双眼鏡を押し付けながら勢いよく立ち上がり、駆け出した。彼女は、瞬く間に観客の間を縫うようにして消えた。

 

 スネイプ先生がハリーの箒に呪いを?そんな馬鹿な。今はなんとか持ちこたえているが、下手すればハリーは箒から振り落とされて死んでしまう。

 確かに、彼のハリーいびりは、なにか一個人で恨みがあるのではと思うくらいには粘着質だが、教師が生徒を殺すほどの恨みとは?ハリーは『わからない』と言っていた。二人の間にそれほど深い関係はないはず。

 それに、仮に殺そうとしていても、こんな人目のつく場所でやるか?わたしだったらやらない。

 

 たぶん、ハーマイオニーが見間違えたのだ。

 わたしは双眼鏡を覗きこんだ。

 

「スネイプが、本当にやってるのか?」

「はは、まさか。そんなわけは―――」

 

 

「あ」

 

 わたしは思わず声を出した。

 

「え、な、何?どうかした?」

 

 なにも言わず、ロンに双眼鏡を渡す。ロンはしばらく双眼鏡を目に当てたままきょろきょろしたが、一点でピタリと止まると、

 

「…スネイプのやつ……やりやがった……!」

 

 

 本当だよ!やりやがったよ!!

 見れば、スネイプはハリーを見据えて、何やらぶつぶつと口を動かしているではないか!

 あれは呪いをかける際の典型的な動きだ。対象を見つめ、目を離さず、詠唱し続けている。

 

「んな馬鹿な。なんだってスネイプ先生が、ハリーの箒に呪いをかける必要がある?」

 

 ハグリッドの言うとおりだ。しかし、彼は何らかの呪文を唱えている。

 

「あいつはハリーを恨んでるんだ!」

「そんなわけなかろう?」

「本当だよ!今までだって、何回もハリーに理不尽に当たってきた!」

「仮にそうだとしても、生徒を殺すような真似はせんだろう?!」

「じゃあ今どうしてハリーは振り落とされそうになってるんだよ、ほら!」

 

 いよいよ箒はハリーを振り落とさんと言わんばかりに暴れ始めた。

 しかし――

 

「スネイプは闇の魔術に詳しいって噂もあるじゃないか!あいつ以外誰がやるんだ!すぐそこでやってるんだ、その目で確かめてみてよ!」

「しかし、やっこさんはホグワーツの教師だぞ!」

「――そうだ!」

 

 半ば言い合いに発展していたロンとハグリッドは、当然あげられたわたしの声に言い合いをやめてこちらを見た。

 

「……そうだ。スネイプは闇の(・・)魔術(・・)に詳しいんだ、防衛術の教師(・・)を志願するくらいには」

「…え、えーと、つまり?」

「わからないか?確かに箒を墜とすのは難しいかもしれないが、相手はホグワーツで教鞭をとれるほどの人物だぞ」

 

 ロンとハグリッドは、はっとしたような表情をした。それから、ハリーの方を見た。ハリーは、いまだ箒に振り回されている。

 

「箒は確かに不安定になっている、ならばあれの中枢まで確かに術は届いているということだ。なのに墜ちない。確かに箒に入り込むのは非常に困難だが、一度入ってしまえば浮かすも墜とすも術者次第。今のスネイプにそれができずにいるということは、箒には反呪文がかけられているのだろう」

「反呪文だって?一体誰が?」

「それは今から探す。借りるぞ」

 

 わたしはロンから双眼鏡を奪う。

 と、そのとたん、ハリーはいきなり地面に向けて急降下し出した。周囲から悲鳴が上がった。

 

 あいつは、何をやっているんだ。

 いいや、ハリーはなにもしていない。箒だ。いよいよ地面に衝突でもするつもりか。

 

 

 ハリーは手で口を押さえた。それから、いままでの具合が嘘だったかのように、地面ギリギリで見事に箒を水平に引き上げて、四つん這いに着地した。

 それから、何か金色のものを口から吐き出した――スニッチだった。

 

 

 

『……やった――やりました!グリフィンドールのシーカー、ハリー・ポッターがやりました!スニッチです!ポッター選手、スニッチを捕りました―――一七〇対六〇で、グリフィンドールの……勝ォ――利ィ―――!!!』

 

 

 いままでで一番の、爆発的な歓声が、グリフィンドールから沸き上がった。

 

「ハーマイオニーが、やったんだ……よかった、間に合って……」

 

 ロンは安心したように呟いた。

 わたしも息をついて、背もたれにもたれ掛かった。それから、思い出して、あわてて双眼鏡を覗きこんだ。しかし、スネイプのマントが燃えていて、スリザリン席が大騒ぎになっているのしか見えなかった。

 

 

 そのあと、チームメイトに囲まれて、勝利の喜びを分かち合っていたハリーを、ロンとハーマイオニーは容赦なく引っ捕らえた。それからそのままずるずる引っ張っていって、丸太でできたハグリッドの小屋に引きずり込んだ。

 さっき会ったにも関わらず突然やって来たわたしたちに、ハグリッドは特にいやな顔ひとつせず(気のいい人間だ)、わたしたちを出迎えてくれた。にっこり笑って、ハリーをおめでとさんと祝った。

 それから、濃い紅茶をごちそうしてくれた。温かくてとても美味しい。外の風は冷たかったので、ありがたかった。

 ハリーも同じようにして暖まっている。しかし、ロンとハーマイオニーは紅茶など目に入っていないようだ。

 

「ねえ、君たちに、僕をあの場から引っ張ってくるほどの用事があるようには見えないんだけど…」

「あるよ!」

「あるわ!」

 

 二人が声を合わせるなか、ハグリッドは、お茶請けにパンのようなものも出してくれた。どれどれ……

 

 ……固ッ…。

 

 

「ていうかあなた、あんなことがあったのになにをのほほんとしてるのよ!?」

「ハーマイオニーがスネイプのマントに火をつけなかったら今頃落ちてたんだぞ!?」

「え?どういうこと?」

「だから、スネイプがやってたんだってば!」

「あなたの箒に呪いをかけていたのよ!」

 

 ロンのその言葉に、ハリーは驚いて目を見開いた。しかし、次には、いまいましそうに顔を歪めていた。

 

「だから、何かの間違いだろうて」

 

 ハグリッドは、今度はいい顔をしなかった。

 しかし、ハリーは友人たちの言葉を信じたようだった。

 

「……ハグリッド、僕、スネイプについて知っていることがあるんだ。あいつ、ハロウィーンの日に、三頭犬の裏をかこうとして噛まれたんだよ。あの犬が守っているものを、スネイプは盗もうとしたんだ」

 

 ハリーの口から三頭犬と言う単語が出ると、ハグリッドの手から、ごろりとティーポットが滑り落ちた。

 

「…なんで、なんでフラッフィーを知ってるんだ?」

フラッフィー?

「そうだ、フラッフィー……去年パブで、ギリシャのやつから買ったんだ。俺がダンブルドアに貸した――守るため……」

 

 ハグリッドは、落としたティーポット(幸いにも割れなかった)を拾いながら、ぶつぶつと呟いた。

 

「守る?守るって、何を?」

「いや、もう、聞かんでくれ。重大秘密なんだ、これは――」

「でも、スネイプが盗もうとしたんだよ」

「あいつはハリーも墜とそうとした」

「ええ、私も見たわ。スネイプは、確かにハリーに呪いをかけてた。瞬きひとつしなかったんだから!」

 

 ハグリッドはブンブンと首を振った。彼がそうするだけで、テーブルの上のカップは僅かにカチャカチャと揺れた。

 にしても、先程ポットからこぼれた紅茶の掃除は良いのただろうか。わたしは杖を振った。『スコージファイ』、いやはや、これは何かと便利な呪文だ。

 

「違う、お前さんらは間違っとる!そして、関係の無いことに首を突っ込んどる……危険だ。あの犬も、あいつが守ってるものも全部忘れろ。あれは、ダンブルドア先生と、ニコラス・フラメルの……」

「ニコラス・フラメル?」

 

 その言葉に、わたしは顔をあげた。

 ハグリッドは、しまったという顔をした。そして、これ以上ぼろを出すまいと、質問攻めにするハリーとロンにハーマイオニー、ついでにわたしも、まとめて小屋から追い出した。

 

 




一番最初に投稿した後に気がついたのに忘れてたことを今思い出したんですけどターニャって軍人転生だから面白くなってるのであって学校に転生させたらあれ???????????普通の子じゃね???????????????
おのれ存在X(もっと早く気づけ)


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〇7.クリスマスバケーション

 十二月がやって来て、クリスマスが近づいてきた。

 寒さはますます厳しくなり、すきま風が通る廊下を、生徒たちは身を寄せ合うようにして廊下を行き来した。が、面持ちはそれほどひどいものではなかった。もうすぐやって来るクリスマス休暇を、みんなが楽しみにしているからだった。

 そんな何日かの吹雪の後、朝起きて、久々に晴れた外を見てみると、外は深い銀世界となっており、湖には厚い氷が張っていた。

『もしかしたらスケートができるかもしれない』というハリーとハーマイオニー、『スケートってなんだい?』と興味津々のロンと一緒に、湖まで向かうことになった。

 

「靴の下に刃がついていて、それで滑るのよ」

 

 ハーマイオニーの説明に、ロンはわかったようなわからないような顔でうなずいた。

 

 外に出ると、青空の下、見事な雪景色が広がっていた。どこもかしこも真っ白で、太陽を浴びて光輝いている。いい天気とは裏腹にと言っていいほどの、まさに凍てつく寒さだったが、むしろ清々しさすらあった。

 正直、誘われたときは面倒だと思っていたが、そういえば、ここまでの銀世界は見たことがない。それに、ここしばらく、甘ったるい暖炉の暖かさの傍で、窓を揺らす吹雪の音を聴きながら勉強をしていたので、晴れ渡ったキリリと冷たい外の空気は、むしろいい気分転換かもしれない。

 それに、都合が良いことに、どういうわけか道のようなものができている。管理人のフィルチが、雪掻きでもしたのだろうか……というか、規則やぶりの生徒を血眼で探す以外にも仕事をしていたか。

 と、おそらく全員がそう思いながら歩いていた。すると、段々、ぶつぶつ何か言う声と、じゃこじゃこと何かが擦れる音が聞こえてきた。

 

「…全く、なんだってマグル式なんだ?こんなの、いつまでたっても終わる気がしないね」

「…全く、その通りだよ兄弟。まさかあのクィレルがあんなに怒るとは思わなかったよな」

 

 進むにつれて見えてきたのは、ぶつくさ言いながら、シャベルを手に、えっほえっほと雪をどかす二人の赤毛。

 

「えーと、二人とも、何してるの?」

 

 ハリーが声をかけると、彼らは同じタイミングで振り返った。まあ予想はついていた。フレッドとジョージだ。

 

「あれ、皆揃って、どうしたんだ?」

「こんなに寒いのに、なんで外に?」

「ちょっと湖を見に。もしかしたらスケートができるかもしれないし」

「「スケート?!」」

 

 ハリーの言葉に、彼らはぐっと前のめった。

 

「何となくわかるぜ。それは…面白そうだ」

「僕らも、このシャベルさえなけりゃあな」

「でも雪が降る限り終わらないぞコレ。いっそのこと、湖に落としたことにでもしちまおうか」

「そのほうがいいかもしれないな。あの氷をブチ抜くのとここの雪掻き、正直大差はないよな」

 

 二人は、シャベルを地面に突き刺してもたれかかると、空を仰ぎ、フイーと熱を逃がすようなため息をついた。どうやらこの様子、新考案のいたずらの準備をしているわけではないらしい。

 聞けば、雪玉に魔法をかけ、クィレルに付きまとわせて、ターバンの後ろでポンポン跳ね返るように仕掛けたのだという。

 

「そのせいで雪掻き」

「しかも、マグル式」

「「全くもってツいてないぜ」」

 

 兄達の、『だから、あのニンニク臭いターバンには関わるなよ!』というありがたい忠告を背に、ロンが呟くように言った。

 

「でも珍しいよな。クィレル先生がそこまで怒るなんてさ」

 

 よっぽど嫌だったんだろうな、と彼は付け足した。

 

 結局、スケート靴がないので、本格的なスケートはできなかった。みんなで氷の上を歩いたくらいだが、ロンなどはけっこう楽しんでいた。

 わたしはというと、滑って転ぶ未来しか見えなかったので傍観しようと思っていたのだが、ハリーたちに引っ張られて氷の上に立つはめになってしまった。転んだ。

 

 

 それからは特に大きな事件もなく、比較的穏やかに日々は進んでいった。

 

 せいぜいあるとすれば、魔法薬学の授業で、マルフォイがハリーを孤児と嘲笑い、ついでにわたしも罵るくらいだ。恐らくクィディッチでグリフィンドールに負けたことを根に持っているのだろうが、そのマルフォイも、地下牢の寒さに震えていた。

 ハリーはというと、まるでマルフォイなどいないかのように、鍋を掻き回すことに専念していた。マルフォイは、そんなハリーが気にくわなかったのか、今度は、『次のシーカーは大きな口の“木登り蛙”だ』と、クィディッチでの彼の様子を皮肉った。

 しかし、今度のは、先程までマルフォイに同調して密かに笑っていたスリザリン生の反応すら芳しくなかった。制御を失った箒にしがみつき続けたハリーは勇敢だ、と誰しもが称賛していた。スリザリンも犬猿の仲とはいえ、その勇敢な行動を嫌味に囃し立てるのは、何か思うところがあるらしかった。

 マルフォイはというと、ハリーにそんな手心を加えるつもりはないらしい。しかし、場の妙な雰囲気にはすぐに気がつき、再び親がいないことでハリーをなじった。

 

 そんな授業が終わり、地下牢からの階段を上ると、大きな木を運ぶハグリッドと出くわした。

 

「やあ、ハグリッド。手伝おうか」

「いや、大丈夫だロン。ありがとうよ」

 

 しかし、ハグリッドの息はかなり荒い。手伝ったほうがよいのではないか。

 

「いや、ハグリッド、やはり――」

「すみませんが、そこどいてもらえませんか」

 

 後ろからの気取った声に、わたしの申し出は遮られた。

 振り返って見てみれば、マルフォイが、クラッブとゴイルを引き連れて、つかつかと歩いてくるところだった。

 

「やあ、ウィーズリー、デグレチャフ。掃き溜め出身どうし、仲良く小遣い稼ぎかい。卑しいものだね」

 

 ロンはピクリと身じろぎして、マルフォイを睨み付けた。

 

「そう見えるか?」

「ああ、デグレチャフ。見えるとも。…そうだ、ホグワーツを出たら、森の番人にでもなったらどうだい?君たちの家に比べれば、ハグリッドの小屋だって宮殿みたいなものなんだろうからさ」

 

 マルフォイの言葉に、彼が従えた仲間たちも、同意を示すようにクスクス笑った。

 別に放置しておいてもよかったが、卑しいと思われたままというのも気分が悪い。ハグリッドも、この場をどう収めればよいかと困ったような顔をしているし、ここはなんとか事実を伝えねば。

 わたしは、『ハグリッドの手伝いしようとしていただけだよ!でも見解の違いってあるよね!しょうがないよね!』と伝えることにした。

 

「そうか。わたしたちはハグリッドの手伝いをしようとしただけだが、貴方には卑しく見えるのだな。まあ…」

「全く、卑しいのはどっちなんだか」

 

 ん?なんだ、その余計すぎる一言は?

 わたしは振り返った。ロンが、フンと鼻を鳴らして、苛ついた目でマルフォイを見据えている。

 わたしは向きを直した。と、同時に、先程の笑いを引っ込めたマルフォイが、青白い頬を怒りで若干赤くしながら、こちらに詰め寄ってきた。

 

「僕の方が卑しいとでも言いたいのか?」

「お、おい。ちょっとまて。わたしは…」

「ああ、全くその通りさ。君は本当に嫌なやつだよ……そんなところまで、父上に似たのかい?

黙れウィーズリー!

 

 ロンの一言で、マルフォイはびっくりするくらい激昂した。

 彼がらしからぬ叫びをあげ、ロンに掴みかかった瞬間、スネイプが階段を上ってきた。

 

「……これは、一体なんの騒ぎだ?」

 

 マルフォイは即座に手を引っ込めた。

 

「すみません、先生。彼らに、喧嘩を売られたもんですから」

「おい。そっちが先に売ってきたんだろ?卑しいとかなんとか言いやがって」

 

 スネイプは、両者の言い分に苦い顔をすると、ロンとわたし、それから一応マルフォイ、あと、今回は一言もマルフォイと言葉を交わしていないハリーにも理不尽な注意をして、廊下を去っていった。

 マルフォイはというと、舌打ちをかまして、乱暴にロンの横を通り抜けると、来たときと同じようにクラッブとゴイルを引き連れ歩いていった。

 

「まさか、スネイプが減点しないなんて、珍しいこともあるもんだな」

「ロン、あなたもよ。私てっきり、あなたの方から掴みかかると思ってたもの」

「ああ、ハハ……まあ、ね」

 

 ロンは頭を掻くと、わたしを見て軽く肩をすくめた。

 ハリーはというと、僕は今回はなにもしてないのに、と悲痛に呻いた。

 

 

 

 ハグリッドを大広間間まで手伝い、別れたあとは、図書室で『ニコラス・フラメル』について調べることになった。

 どういうわけか、わたしも調べなくてはならないらしい。正直、あの仕掛け扉の下にあるものがなんなのか、ましてや、スネイプがそれを盗もうがわたしの知ったことではない。

 しかし、図書室には用があるのはわたしも同じ。適当に調べているふりをして、目的(エレニウム)の本を読めばいいや、と考えた。まだまだマダム・ピンスから教えてもらったリストは山盛りなのだ。休暇中にどんどん消化しなくては。

 図書室に足を踏み入れるなり、ハリーたちは散り散りになって、ニコラス・フラメルの捜索を始めた。

 わたしはそんな彼らを横目に、リストをポケットから取り出し、目的の本棚へと歩いていく。…あった、これだ。

 テーブルに戻ると、既に本の山がいくつか出来上がっていた。タイトルを見る限り、どうやら、関連していそうなものを、片っ端からしらみつぶしに捜すらしい。

 わたしは椅子に座り、本を皿のような目で嘗めている三人に顔を近づけ、ごくごく小さな声で話しかけた。

 

「しらみつぶしに探さなくても、マダム・ピンスに頼んで、いくつか見繕ってもらえばいいじゃないか」

「何言ってるんだよ。彼女に頼んだら、僕たちが四階について嗅ぎ回っているのが、スネイプにばれるかもしれないだろ」

「ん゛っ」

 

 ……まて。その考えはなかった。

 

「ターニャ、どうしたの。大丈夫?」

「あ、ああ。大丈夫だ、問題ない」

 

 では、わたしがエレニウムについて調べ回っていることも、マクゴナガル先生に筒抜けということか?!

 え、ええ、そんなことってあるか。だって読む本とかそういうのってプライバシーだよな。うん。ありえないったらない。これはハリーたちが勝手に深読みしているだけだそうに違いない。

 

 そこまで考えて本を開こうとした瞬間、背中に嫌な気配を感じた。

 思わずバッと振り返ってみれば、遠くの書架の隙間から、こちらをジッと見ているマダム・ピンスが!

 家政婦は―――否、『女司書は見た!』!!

 

 わたしが脳内でそんな下らない茶番をしてフリーズしている間に、マダム・ピンスは隙間から姿を消した。

 いや、うん。恐らく、先程のわたしの奇声を聞き付けて様子を伺いに来ただけだろう。

 もちろん、リストを先生に告げ口しているなどもありえない。大体、マクゴナガル先生だって使用禁止と言っただけで調べることに関しては規制していないし?そもそもわたしが何を調べようとわたしの勝手ではないか。おまけにエレニウムはわたしの所有物だし、所有者として物のことを知っておきたいというのは当たり前の心理というか義務というかなんというか、な?

 うん、問題ない。……はずだが。

 

「あれ、その本戻しちゃうの?」

「……ああ」

 

 今日のところはやめておこう。念のためだ。

 わたしは、本を元の場所に戻した。

 

 

 大量の分厚い本を一日で調べ終わるはずもなく、結局、休暇までの空き時間をほとんど図書室で過ごすことになったが、ニコラス・フラメルについてはわからなかった。

 ハーマイオニーは、『休みの間、調べるのをお願いね。私も、あっちで調べてみるから』と、ハリーたちに念を押して、人間界の実家へと帰っていった。

 

 そう、クリスマス休暇中は帰省が認められている。生徒たちが休みを待ち望んでいた理由の大半がそれだ。お陰でせっかくのクリスマスだというのに、ホグワーツはがらんどう。特に一年生は、はじめての寮生活でのホームシックを埋めるように、こぞって家に帰っていった。

 グリフィンドールで残っている生徒もほとんどいない。しかし、良く見知った顔がいた。ハリーとウィーズリー兄弟だ。ハリーに関しては言わずもがな。ロンたちは、今年は両親が実家を留守にしているため、ホグワーツに残るのだとか。

 

 まあ、お陰で、賑やかな休暇となった。

 少なくとも、ウィーズリーの双子が企画した様々な遊びに、ハリーとロンは笑いっぱなしの遊び倒しだった。トランプやらチェスやら雪合戦やらといった遊びはもちろん、ハリーの話を参考にして、悪知恵……ではなく、経験知を駆使してスケート靴を作ったのには驚いた。面白そうなことへの執念恐ろしや。

 当然というように、ハリーとロンはスケートに誘ってきたが、わたしは今度は丁重にお断りした。一年目のクリスマス休暇ということもあって宿題は控えめ(上級生談。実際に出されたのは変身術と魔法薬学のレポート。まあいつも通りだ)だが、それならばなおさら早く済ませた方がいいというものだ。

 わたしの理由に、二人はウゲーという顔をした。彼らの後ろにいる双子もおんなじような表情になった。

 

「おいおい、今日はイブだぞ?」

「なのに勉強なんて、正気か?」

「イブでもなんでも、ターニャの言うとおりだよ、君たち。スケートだかなんだか知らないけど、ターニャと一緒に宿題をしたらどうだい?そうすれば、僕が見てあげられるよ…」

 

 と、そこにパーシーまで加わったものだから、『イブに勉強なんかしたらバチが当たる』という意味不明な理論でわたしを説得していた双子は、ハリーとロンを引っ張って瞬く間に逃げ出した。曰く、遊び盛りの僕らに監督生さまのご高説を拝聴している暇はないのだとか。

 

「さすが僕らにP.P.P.と言われるだけあるな」

「ターニャ、そいつに石頭を移されるんじゃないぞ」

 

 最後にそう言い残して、彼らは廊下へと消えた。

 パーシーは、そんな彼らを見送ってから、ため息をついて椅子に腰かけた。それから、どうぞと向かいの椅子を手で示すので、お言葉に甘えて、そこにお邪魔する。

 パーシーは勉強の教え方がうまい。だが、それ以上に、わたしと彼は気が合う。たぶん、似ているのだ。彼の考えやその向上心には、共感するところ、好感が持てる部分が多々ある。パーシーもそう感じているのかはわからないが、少なくとも、わたしが話しかけて嫌な顔をしたことはない。

 まあ、勉強を教えてくれるとは言っても、わたしとて義務教育、高校を経て大学まで行った大人だ。一通りの勉強はしてきたし、大体のジャンルごとの勉強法については自分のスタイルを確立している。たとえば、今日は魔法薬学のレポートを仕上げる予定だが、内容がちょっと違うだけでレポートの書き方は承知しているからスムーズなものだ。そのため、言葉を交わす時間よりも、黙々と各々の作業を進める時間の方が遥かに多い。

 

 そんな時間のお陰で、レポートは完成した。自分でパラパラと通して読んでみるが、特に問題はないように思える。

 どうやら、パーシーも一息ついたらしく、羊皮紙から顔をあげて伸びをしている。

 

「あ、終わったのかい?」

「はい、一通りは」

 

 パーシーが手を差し出すので、わたしは羊皮紙の束を渡す。

 こうして上級生に勉強を見てもらえるのは良い。構成は問題ないはずだが、内容が間違っている可能性もゼロではないし。それに、もっとよくなる部分もあるかもしれない。わたしは最大のベストを尽くすつもりだ。ベストの積み重ねで、監督生(そしてあわよくば首席)になり、品行方正という箔付きの好成績で学校を卒業、ゆくゆくは前世よろしく安定した職場に勤めて安泰の生活を送るのだ。

 …問題は、その安定した職場が見つからなさそうということか。この魔法界、どうやら企業よりも個人単位での経営形態が主だし、他に仕事といったらドラゴン研究者とかクィディッチ選手とか、なにかと奇妙で危険な仕事が多い。安定してそうなのは、教師や魔法省(闇払い等除く)か。

 まあ、言ってしまえば、まだ先の話だ。考えるに越したことはないが、今切羽詰まることでもないだろう。

 

「うん、よく書けていると思うよ。やっぱり、三のところの文章はこっちにして正解だったね」

「ありがとうございます」

 

 わたしは顔をあげて、パーシーから羊皮紙を受け取った。これで宿題はひとまず片付いた。あとは復習と予習に励むとしよう。

 

「すみません、忙しいのに勉強を見てもらって」

「いいんだよ。むしろ勉強しながらですまないね。なんせ、今年はふくろう試験があるから…」

「え」

 

 …しまった、すっかり失念していた。パーシーは五年生。五年生といえば、あの悪名高いふくろう試験がある年だ。

 

「すみません。わたしの勉強を見ている場合ではないというのに」

「平気だよ。まだ時間はあるし、計画だってきちんと立ててるし、それに、僕は監督生だしね。

 …そろそろ昼時かな。お互いキリが良いみたいだし、よければ一緒に大広間へ行かないか」

「そうしましょう」

 

 立ち上がるパーシーを見上げ、わたしはふと浮かんだ疑問をぶつけた。

 

「そういえば、P.P.P.って、何のことですか?」

「…………」

 

監督生(Prefect)完璧(Perfect)パーシー(Percy)

 

 ああなるほど、とわたしも席を立った。

 

 

 

 翌朝、寒さのわりに心地よい目覚めでひとり起床すると、枕元にはいくつかのクリスマス・プレゼントがあった。

 ひとつは、クリスマスカードとささやかなお菓子、それから、兄弟たちが思い思いにメッセージを書きあった寄せ書きみたいな手紙。孤児院からのものだった。いやはや、みんな元気そうで何よりだ。

 ひとつはハーマイオニーから。蛙チョコのボックスだ。クリスマスカードには、微笑んだサンタの吹き出しに、『ニコラス・フラメルについて全く進捗がないの』という落胆のメッセージが綴られていた。

 そして、もうひとつは、まるまるもっこりとした包みだった。何やら見慣れない字で『ターニャへ』と記されている。差し出し人名は……『モリー・ウィーズリー』?

 ウィーズリーということは、ロンの家からのプレゼントか。今度なにか返さないといけないなぁと考えながら包みを開けると、厚い手編みの深い青のセーターと、大きな箱に入った手作りと思われるファッジが出てきた。

 ファッジはメチャクチャに甘かったが、勉強しながらちびちび食べるにはちょうど良さそうだ。セーターも、ここ最近、談話室から一歩でも出たら凍死しそうな寒さなので助かる。せっかくなので早速着ることにした。

 

「おや、ターニャもウィーズリー家特製セーターを着てるじゃないか」

「やっぱ、ママは身内以外だと張り切るよな。僕らのより良い出来だ」

 

 談話室に降りると、黄色いセーターを着た双子が、早速声をかけてきた。二人のセーターは特別製なのか、イニシャル付きだ。

 

「ああ、ありがたく着させてもらった……フレッド、ジョージ、メリークリスマス」

「「メリークリスマス、ターニャ」」

 

 ハリーとロンもすでに談話室に降りていて、やはり二人ともセーターを着ていた。

 

「メリークリスマス。ハリー、ロン」

「メリークリスマス」

 

 ハリーはにこにこ嬉しそうに、クリスマスらしい(・・・)表情をしていたが、ロンはあんぐりと口を開けて、やがて、震える声で言った。

 

「め、メリー、クリスマス……ああ、ママってば、君にまでセーターを送るなんて。もっと、こう、失せ物とか…」

「なんで?このセーター、とってもいいよ。ねえ、ターニャ?」

「そうだな。それに、失せ物もきちんと入っていたぞ」

「ああ、あのファッジ、美味しかったよね」

 

 やっぱり嬉しそうに笑うハリーを眺めて、そういうことじゃないんだよなぁ、とロンはぼやいた。

 

 

 その日のご馳走はすばらしかった。朝から、七面鳥のロースト、プディング(時々シックル銀貨入り)、ローストポテトにゆでポテト、チポラータ・ソーセージ、バター煮の豆、トライフルにクリスマスケーキ、それらがずらりとテーブルに並べられている様は壮観ですらあった。

 朝食のあとは、『クリスマスに遊ばないなんてそれこそ本当にバチが当たるぞ!』という双子に引っ張られ、箒を使用した、猛烈な雪合戦をすることになった。

 双子がかけた魔法により、雪は勝手に雪玉となって、雪玉がなくなった人のところへ飛んでいくため、こちらは投げることと飛ぶことに集中するだけなのだが、意外と神経を使う。フレッドとジョージは、クィディッチで似たようなことをやっているからか慣れたものだ。

 やる前はたかが雪合戦と思っていたのだが、やると意外と熱くなってしまい、終わる頃には全員びしょ濡れだった。特に酷いのは、最初あまり乗り気でなかったがために、双子にさんざん狙われたパーシーだ。勝手にポコポコ出来上がっていく雪玉を見て、「全く、こんな魔法を習得するなら、もっと有用な魔法を習得すればいいのに――」と言った途端、顔に雪玉が四連続でクリーンヒットしたのはご愁傷さまだった。

 

 そして、夕食は朝食よりも豪華さを増していた。さらに、朝食時には無かったクラッカーは大砲みたいな音がして、青い煙ハツカネズミと海軍少尉の帽子、それから何らかのおまけが飛び出すものだった。割れないしゃぼん玉キット、ドリア薬、チェスセット、地面と平行に伸びるヨーヨー……。

 談話室に帰ったあとで、ハリーが新品のチェスセットを使ってロンに負けていた。どれそんなに強いならわたしもと挑んでみたが、負けた。ロンはかなりチェスが強かった。

 そのあとは、フレッドがパーシーにイボつくりキットでイボを作ったり、ドリア薬の使い方がわからないわたしに、ロンが手本を見せようとして大惨事になりかけたりした。

 しばらくして、みんな満腹で眠くなってきたのか、比較的早くにお開きとなった。わたしも、遊びまくったせいか疲れてしまい、あっという間に眠りについた。思えば、誰かと一日中、こんなに遊び倒すというのは、今まで経験したことがなかったかもしれない。

 

 

 さて、クリスマスの余韻もほどほどに、わたしは課題が終わったのを良いことに、クリスマスの翌日から図書室にこもっていた。エレニウムの使い方を調べるためだ。この前は躊躇したが、やはり調べないことには始まらない。しかし、昨日の収穫はほぼゼロ。どれもこれも、あんまり役に立たない情報が書いてあった。

 わたしは何となく『エレニウム変遷』をぱらぱらと見返していた。著名人の見解の章で、ふと手が止まった。

 

 ――ニコラス・フラメル。

 

 わたしはあっと小さく叫んで、それから慌てて口を塞いだ。

 ああ、そうだ!どこかで聞いたと思ったら、思い出した。この役に立たない歴史書に、まともなコメントを残していた数少ない人のうちの一人だ。

 

 わたしはその場でページをめくった。曰く、ニコラス・フラメルは、『賢者の石』の製作に成功した、唯一の錬金術師。

 

 『賢者の石』。それがハグリッドが言っていたものなのか?そうだとして、なぜホグワーツにあるのだろうか?

 ハグリッドは、確かに『あれはダンブルドア先生とニコラス・フラメルの……』と言った。賢者の石は、ダンブルドアとフラメルの共同製作によって産み出されたものだ。ならば、賢者の石の製法か、あるいはそれそのものを保管しているのか。

 いかなる金属をも黄金に変え、そして、飲めば不老不死になる『命の水』の源。スネイプはこんなものを欲しがっているのか。そんな浅はかな望みに走る人間には見えないが、人は見かけによらないというやつか?

 以前授業中に確認した所、ハリーたちの言うとおり、スネイプは確かに足を負傷しているようだった。おそらく、医務室であっという間に治る傷だ。そうしないのは、ハーマイオニーの言うとおり、怪我を知られたくない、もしくは、原因がやましいから……という線が濃厚だ。

 それに加え、クィディッチの件は不可解なままだ。やはり、あの場でハリーを墜とすメリットがわからない。

 しかし、スネイプのマントが燃えたとき、彼はそれに気をとられ、ハリーから目を離していた。その途端に、ハリーは復活した。このことから、呪いをかけていたのはスネイプだと思われる。

 そうなると、反呪文をかけていた者が誰なのか気になるが、今となっては確かめようもない。教師のうちの誰かだとは思うが…。

 

 いやしかし、気がついているのならば、反呪文をかけるのではなく、その場でスネイプを止めるべきでは?ハーマイオニーが気がついたのだ、教師ならば誰が呪いをかけているかなど一目瞭然なのでは?別に、こっそりハリーを助ける意味はないように思える。

 いや、意味はあるのか?ハリーを助ける、それがばれたらまずい教師、というと、ハリーを毛嫌いしているスネイプ?いや、彼が呪いをかけているのだ。ならば、大っぴらに生徒一人に入れ込んではいけない立場の者か?学校で大きな存在、校長――アルバス・ダンブルドア。

 たしか、校長室がある塔は、競技場からも見えた。ならば、窓から反呪文をかけることは可能だ。

 

 となると、ちょっと信じがたいが、あのダンブルドアの反呪文を受けて尚箒を暴れさせたスネイプは、相当な闇の魔術の使い手だということだ。

 闇の魔術に、賢者の石。あまり良い組み合わせとは思えない。それこそ、『例のあの人』のような……

 まて。まさか、やつが、戦争のキーなのか。ヴォルデモート卿に次ぐ災害となるのか?

 もしもそうなら、まずい。それでは、何もかも、あの悪魔の思うままだ。

 

 とはいえ、わたしにできることはない。

 一応、確定的な証拠がないのだ。仮にあったとしても、話したところで……ハリーと仲のよいハグリッドでさえああだった。わたしが他の教師に話したところで、信じてもらえるかどうか。

 そもそも、賢者の石はどうやら堅牢に守られているようだし、現にスネイプはそれを突破できていない。第一関門の三頭犬すらまだなのだ。

 

 ……ふむ、三頭犬。というと、発祥はギリシア神話のケルベロスか?たしか、孤児院に各地の古代神話関連の本がいくつか置いてあって、それに載っていた記憶がある。

 ハデスが支配する冥界の番犬。ヘラクレスに捕まえられた話が有名…なのだろうか。

 そうだ、琴の名手が死んだ恋人だかなんだかを追って冥界に向かう話にも出てきたっけか?たしか、音楽を聴くとたちまち眠ってしまうんだよな。

 

 ん?

 …いや、今のわたしは考えすぎている。ホグワーツだって馬鹿じゃないだろう。まさか、音楽を聴いて眠りこけるような番犬を配置するか。いやしない。

 

 わたしは、とりあえずそういうことにして、本をもとに戻した。さあ、目的の本を探さなければ。

 

 本棚をうろうろとさ迷って、参考になりそうな本をいくつか――ついでに、ニコラス・フラメル関連の本も――揃えたので、席に座ることにした。

 今は休暇中で混むようなことはないだろうし、窓際の暖かな席にでも行ってみようか。

 しかし、そこにはすでに先客がいた。ハリーとロンだ。

 

「ハリー、ロン。良いところにいた。ニコラス・フラメルの正体がわかったぞ」

「え、ウソ!」

 

 ロンは『近代魔法研究』から顔をあげ、小さくそう叫んだ。

 

「正体は錬金術師だった。ほんとに良いタイミングだな。貴方たちに渡そうと思って、いくつか本を見繕ってきたんだ」

 

 ロンは、わたしがテーブルに置いた本のいちばん上のものを取ると、素早く目を通した。

 

「ニコラス・フラメル、賢者の石……あっ!これ、蛙チョコの、ダンブルドアのカードに書かれてるやつだ!なあ、ハリー。ニコラス・フラメル、賢者の石だ!君がグリンゴッツで見たのはそれだったんだよ!」

 

 ロンは小さく叫んで、大きくガッツポーズをした。

 しかし、ハリーはぼんやりとうなずいただけで、特に反応を返さなかった。

 

「おい、ハリー。具合でも悪いのか?」

「別に…」

 

 そっけない答えだが、別に何もない、という風には見えない。

 

「ハリー、あの鏡のことを考えてるんだろう。今夜は行かない方がいいと思うよ」

「なんで?」

「よくわかんないけど、あの鏡、なんだか悪い予感がするんだ。それに、夜はフィルチもミセス・ノリスもうろうろしてる。君がいくら見えないからと言って、安心はできないよ」

「ハーマイオニーみたいなこと言うんだね」

「君を心配してるんだハリー。行っちゃだめだ」

 

 ロンの言葉に、ハリーはうんざりした顔をした。それから、無言で立ち上がって、ロンの方を見もせずに、図書室から出ていった。

 ロンはそんなハリーを心配そうに見送ったが、追うことはしなかった。

 

「あいつはどうしたんだ?」

「あー、昨日の夜、外に出たんだけど」

「は?外に?」

 

 おいおい、勘弁してくれよ……いや、言葉(ほんね)は一旦飲み込んでおこう。

 

「…よくばれなかったな」

「うん。ハリーへのクリスマスプレゼントを使ったんだ。透明マント」

透明マントだと?

 

 わたしはロンを見た。『シー!静かに!』と鋭く囁かれて、思わず両手で口を塞ぐ。

 

「嘘だろう」

「ところがどっこいホントの話さ。マーリンの髭も抜けるぜ、こりゃ」

「……ドラえもんにでも会ったのか?」

「…誰それ?」

「………。いや、なんでもない。続けてくれ」

 

 ロンは戸惑いがちにうなずいて、今まで以上に声を潜めて話した。

 

「うん。それで、ハリーが見せたいものがあるっていったから、ついていったんだ。すごかったぜ、透明マント。ミセス・ノリスの目だって掻い潜れたんだ……」

 

 ロンはその時のことを思い出したのか、顔を赤らめ拳を握ってそう語った。

 

「それで、ハリーが見せたいものっていうのは……鏡だった。ハリーのパパやママが映るって言うから、死んだ人を見せる鏡なんだと思ったけど、僕が見たら、僕が監督生兼クィディッチチームキャプテンで、最優秀寮杯とクィディッチ優勝カップを両手に抱えてるのが映ってたんだ」

「それはまた……夢みたいな話だな」

「まあ、うん。でも、やっぱり、あれはいいものじゃないと思うんだ。結局、あの鏡が何をうつす(・・・)鏡なのかわからないし、なんだか怪しくないか?…身だしなみ用じゃないのは確かだけど」

 

 怪しい、なあ。この学校にはそういうよくわからんモノは溢れかえるほどあるし、ぶっちゃけ聞いただけでは、その鏡もそういう類いのモノのひとつとしか思えないのだが。

 しかし、ロンは心配そうだ。

 

「ハリーのやつ、今日もきっとあの鏡のところに行くよ。もしかしたら、一晩中あの鏡の前にいるかも」

「まあ、透明マントがあるんだから、大丈夫だろ」

「でも、透明マントはハリーを透明にするだけだ。もしもフィルチやミセス・ノリスが、偶然鏡に夢中になっているハリーを蹴飛ばしたりしたら?」

「…まあ、あり得なくはないが、偶然の話だろ。確率は低い」

 

 それになんだ、なぜその話をわたしにする?親友のロンですらハリーを止められないのに、わたしが彼を止められる確率は低いと思うのだが。

 

「なんだよ、それ。とにかく、ハリーがフィルチに見つかったらって考えてみろよ、それとも何、君はなんとも思わないわけ?」

「そういうわけではないが…」

「だろ?もしハリーが夜出歩いているのが見つかったら、下手すりゃ退学になるかもしれないんだぞ」

 

 う、それは不味い。

 

「なんでわたしにそれを言うんだ。わたしに止められるとでも?」

「そりゃ、僕が行ければいいけど、僕がついていくって言っても、あの様子じゃ、ハリーが拒否するのは目に見えてるだろ?でも、誰かがついていって、キリの良いところでハリーを連れ返す役をやらなくちゃダメだと思うんだ」

「つまり…?」

「言わなくてもわかるだろう。僕がダメ、ハーマイオニーはいない。君が、いや、君しかいないんだよ」

 

 

 わたしは、深く、長いため息をついて、目を閉じた。

 

 



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〇8.メモリアル

 深夜、誰もいない談話室。にもかかわらず、ひとりでに聞こえてくる足音。

わたしは読んでいた本、『戦闘用魔道具についての研究』を閉じて、椅子から立ち上がると、宙に尋ねた。

 

「こんばんわ、ハリー。こんな真夜中に出歩くとは。もしかして、鏡を見に行くのか?」

 

 足音が一瞬身動ぎした。そして、虚空から、まるで流れる水のような、何とも言えない色合いのマントを持ったハリーが突然現れた。

 

「何?君まで僕を止めようっていうの?」

「いやいや。ロンから聞いてな、そんな面白い鏡があるなら、わたしも…」

 

言いかけて、思わず言葉が詰まった。

 ああ、苛々する。なぜわたしがこんなことをしなくてはならないんだ。『戦闘用魔道具についての研究』の続きをはやく読みたいのに。そうだ、いますぐハリーに失神呪文をかけようか。そうする方が有意義だ…。

 途端、ハリーがぐいっとわたしの手を引いた。わたしは我に返った。とっさの考えは同時に引っ込んだ。

 

「まあ、いいけど。でも、はやく行こう。パパとママに会いたい」

 

 ハリーはそう言ってわたしをマントのなかに引きずり込むと、言葉通り、本当に速く(・・)行った。

彼は、自身の足音にも、ドアを開け閉めする音にも、そして、イレギュラーの同伴人であるわたしにも、全く注意を払っていなかった。そういえば、彼はわたしが声をかけるまで、談話室に誰かがいると気がついていなかったようだった。もうマントを使っての外出には慣れているのだろうか。

 彼があんまり速く歩くものだから、何度かマントからわたしの手や足が飛び出た。しかし、誰にも会わなかったのでなんともなかった。幸いだが、しかしまあ、透明になっている実感は薄い。窓の反射や月明かりが生み出す影を確認する限り、確かに透明になってはいるのだが。

 

 いくつもの廊下を抜けた後、部屋に入った。どうやら、昔使われていた教室のようで、机と椅子が壁際に積み上げられていた。

 ハリーはそこで立ち止まった。どうやらここが目的の部屋らしかった。わたしは教室を見回して、この教室にそぐわない、目的のものを見つけた。鏡だ。

 鏡の背は天井まで届くほど高かった。金の装飾が見事な枠に、二本の鍵づめ上の脚が緩やかな曲線で繋がっていた。わたしは鏡をてっぺんから爪先まで、爪先からてっぺんまでと見回すうちに、上の方に文字を見つけた。

 

 『すつうを みぞの のろここ のたなあ くなはで おか のたなあ はしたわ』

 

「――わたしは あなたの かお ではなく あなたの こころの のぞみ をうつす――人の望みをうつす鏡か」

 

 なるほど、それならば、ハリーとロンがこの鏡に違うものを見たというのにも納得がいく。

 わたしが文字を読む間、ハリーはぼんやりと鏡を眺めていた。そのうち鏡に近寄って、座り込んだ。そのときに透明マントはハリーの方にいってしまったので、わたしは透明でなくなってしまった。

 わたしはハリーの後ろに立ってみた。しかし、座っているハリーが見えるだけだ。どうやら、複数人がうつりこんでも作用はしないらしい。

 

「なあ、ハリー。わたしにも見せてくれ」

 

 そう言うと、ハリーは心底嫌そうな顔をして、しぶしぶ鏡を譲ってくれた。よほどいいものが見えているのだろう。死んだ両親だったか。

 さて、望みか。

 

 わたしは鏡を見た。

 鏡には、わたしと、たくさんの人が映っていた。わたし以外の人間の顔はぼやけていたが、誰が誰を指しているのかは何となくわかった。

 

 整列した人々は徐々に分散して、日々の営みを再開した。

 出世した。社員賞を手渡されたあと上司に肩を叩かれ、君は模範的な社員だと言われた。結婚した。しばらくして、娘が生まれた。彼女が成長して、結婚して、孫が生まれた。そのうち、わたしは老いて、退職、安定した老後、理想の後に、幸せな長い年月を経て、安らかにその人生に幕を閉じた。

 

 

 

「――今さらこんなものを見せて、どういうつもりですか?」

 

 わたしは鏡に目をやった。昔のわたしと、ぼやけた人々が、並んで突っ立っているだけだ。先程見た光景は鏡によるものではない。ならば――

 

「汝が自らの業で命を落とさなければ、あり得たかもしれない未来だ」

 

 すでに想定していた声に、わたしはゆっくりと振り返った。鏡を背にして対峙するのは、忌々しい悪魔、存在X。

 

「それでわたしが幼子のように泣き咽びながら懺悔するとでも?」

 

 わたしは目だけを動かして周りを見た。此処は、全てが褪せている。まるで、時が止まっているようだ。此処で動くモノは、どうやら、わたしと、目の前の悪魔だけだ。

わたしは存在Xを見据えた。しかし、流石神を自称する悪魔、といったところか。奴は臆さない。

 

「どうだ、福音は。奇跡と魔法を、体感した気分は?」

 

 

 ……。

 …………普通に毎日エンジョイしているが、そうは言いたくないので、わたしは教室を見回したまま答えなかった。今は良くても、どうせそのうち戦争が始まるのだ。だったら体感した気分もくそもない、帳消しだ、たぶん。

 わたしは存在Xに視線を戻した。始まる、ではない。始める、だ。この悪魔め。

 

「戦争が起きるとわかっているならば、わたしのようなものに奇跡とやらを授けるよりも、それを食い止めてみては?自作自演は滑稽でしょうが、その方が、よっぽど福音らしい」

 

 存在Xは冷笑の後、わたしを見据える。

 

「流血は人類成熟の通過儀礼。この魔法界でもそれは変わらん。たとえ汝らを救っても、汝らはすぐに繰り返すであろう。ならば、絶望の中で祈るより他あるまい。おお神よ――と、戦禍はより広範に信心を高めるのだ」

 

 インサイダー取引も真っ青のマッチポンプ。やはり、こいつは最悪の悪魔だ。『死の呪文』でも使えていたら迷わず唱えているが、はたしてこいつに効くかもわからん。

 

「残念ながら、わたしに信心の芽生えはありませんが」

「汝一人の信心など、何十億のひとつに過ぎん。汝はただ、信仰を広めるがいい」

 

 

 

「ハリー、また来たのかい」

 

 その声で、わたしは我に帰った。

 窓から月の光が差し込んでいる。色があるところに戻ってきたようだった。こちらに伸びている影が目に入った。影に沿って視線をあげた。

 

「――ダンブルドア先生」

「こんばんは。ターニャ、そしてハリー」

 

 ダンブルドアは、たった今現れたように見えた。しかし、ずっと前からそうしていたように、高く積み上がった机のてっぺんに腰かけていた。彼は半月の眼鏡越しにわたしを見て、それから、透明なはずのハリーを見た。

 

「ぼ、僕――気がつきませんでした」

「透明になるとずいぶん近眼になるようじゃな」

 

 ダンブルドアは、特に咎めるようすもなく静かに笑った。それを見てホッとしたのか、はたまた透明でいるのは失礼だとでも思ったのか、ハリーはマントを脱いだ。その間に、ダンブルドアはふわりと机から床に降り立つと、わたしたちの方へ歩み寄った。視線は鏡にやりながら、彼は静かに語りかけた。

 

「君だけではない。何百人の人間が同じように、この『みぞの鏡』の虜になった。君には家族を見せ、ロンには首席になった姿を見せ、そして、ターニャ、君は……」

 

 ダンブルドアはそこまで言って、言葉を止めた。半月の向こうの澄んだ瞳がわたしを見ていたが、何となく気まずくて、目を合わすことができなかった。

 

「どうして、僕やロンが見たものを……」

「わしは、マントがなくても透明になれるのでな」

 

 ダンブルドアは私たちの横を通りすぎると、鏡の正面で立ち止まり、片手を広げてわたしたちに示してみせた。

 

「それで、この『みぞの鏡』は、わしらになにを見せてくれると思うかね?」

 

 ハリーはしばらく考えたが、やがて首を横に振った。すると、ダンブルドアはわたしに視線をやった。その際目が合ったが、今度は別に目を逸らしたくはならなかった。

 

「…これは、人の望みを映す鏡です」

 

 ダンブルドアは微笑んで頷いた。

 

「その通り。鏡が見せてくれるのは、こころの一番深い場所にある『のぞみ』じゃ。しかし、この鏡は知識や真実を示してはくれない。鏡が映す、現実のものか、更にいうなら、可能なものかもわからないものに皆魅入られ、精気を失ったり、狂気に陥る者もおる」

 

 その言葉を聞くうちに、ハリーは首をすくめるようにしてちぢみこまった。

 

「ハリー、この鏡は明日、違う場所に移す。もうこの鏡を探してはいかん。さすれば、もしもこの鏡に再び出会うことがあっても、もう大丈夫じゃろう。夢に耽ったり、生きることを忘れてしまうのはいいことではない……それを良く覚えてさえいれば。さぁ、そろそろ、そのずはらしいマントで、ベッドに戻ってはいかがかな」

「あの、先生……」

「何かね?」

「先生は、この鏡で何が見えるんですか」

 

 ハリーの質問に、ダンブルドアは顎髭を触り、しかし迷繕ったりする様子はなく、今まで通り穏やかに笑った。

 

「わしは、厚手のウールの靴下を一足、手に持っておるのが見える。靴下は、いくつあってもいいものじゃしな……まあ、今年のクリスマスには一足ももらえんかったがの」

 

 ダンブルドアが静かに、しかし今度は声を上げて笑うのを見て、ハリーは目をぱちぱちとさせていた。

 

 

 

 どうやらダンブルドアの説得が効いたらしく、ハリーは翌日から鏡を見に行くことも、探すこともなくなった。しかし、今度は夢見が悪くなり、毎晩、高笑いと、緑の光線、消える両親の夢を見ているらしい。ロンはハリーの話を聞いて、やっぱり見た人の気をおかしくする鏡だったんだよ、と言った。

 色々と忙しくしていた(・・・・・・・)ハリーとロンがなんとか宿題を終わらせた頃(つまり、明日から新学期というとき)に帰ってきたハーマイオニーは、ハリーが夜な夜な出歩いたという話を聞いて、驚き、呆れた。しかし、ニコラス・フラメルの正体を知ると、ハーマイオニーの顔から不興は吹き飛び、興奮ありあまって跳び跳ねた。

 

「ニコラス・フラメル!そうよ、ああ、この本で調べることさえ思い付いていれば!」

 

 ハーマイオニーは、自室から持ってきた巨大な古い本をパラパラとめくり、ロンからの情報をぶつぶつと呟きながら確認した。

 しかし、ハリーはひとりポカンとしている。

 

「ニコラス・フラメル?正体がわかったの?」

 

 わたしとロンは顔を見合わせて、ため息をついた。そういえばあのとき、ハリーは鏡の虜になっていたのだった。……だからといって、まさかあのときの会話が頭に入っていないとは思わなかったが。もう一度説明するのかとうんざりしていたところで、ハーマイオニーがニコラス・フラメル、そして『賢者の石』について、意気揚々とハリーに説明しだした。

 わたしたちは、背後からこっそりと彼女を拝んだ。

 

 しかし、ニコラス・フラメルについては、名前が止まったところで進展が止まった。

 新学期は忙しかった。そろそろ一年も慣れてきた時だと教師たちは授業のスピードをあげ、ハリーは特に、クィディッチの練習でニコラス・フラメルについて構ってなんかいられなくなった。シーズンもいよいよ大詰め、気張らなくてはいけない時期だ。

 だというのに、ハリーは沈んでいた。仕方ないことだ。なんでも、次回クィディッチの対ハッフルパフ戦で、スネイプが審判を務めるらしいのだ。固い表情のハリーの隣で、ここさえとれればグリフィンドールは寮杯を射程圏内に捉えられるのに、とロンはぶつぶつ文句を言った。

 ロンとハーマイオニーは、試合に出るな、仮病しろ、骨折したことにしろ(いっそ本当に足を折ってしまえ、とも)など色々とハリーに言ったが、結局ハリーは試合に出ることになった。なんでも、シーカーの補欠がおらず、ハリーが出ないとグリフィンドールはプレイすらできないのだとか。

 しかしまあ、それは建前的なものだろう。ここでもしハリーが試合に出なかったら、スリザリン生の手によって、スネイプ先生が審判をやるからポッターの奴ビビって逃げたんだぜ、という大変不名誉な噂がたってしまう。スネイプは一学期よりも、特にハリーには辛く当たるように見えた。『賢者の石』について知った、このタイミングで。

 

 試合当日、不安そうな顔のハリーを送り出してから、わたしたちは観戦席へと向かった。

 

「いい?足縛りの呪文は…」

「ロコモーター・モルティス、だろ?ガミガミ言わなくてももう覚えたってば」

「ターニャ…」

「分かってる分かってる」

「ホントに?」

「ああ。それに、わたしたちがどうこうする必要はないだろう。ほれ、見てみろ」

 

 ハーマイオニーが訝しげにわたしを見るので、腕で方向を指し示してやる。

 

「ウソ、校長先生?!」

「ワオ、これじゃあ、スネイプは指一本、呪文ひとつハリーにかけることもできないってわけだ」

 

 途端、わあっとスタンドが騒がしくなった。選手たちが入場してきたのだ。ハッフルパフももちろんだが、グリフィンドールの選手は特に真剣な表情でグラウンドへ入ってきた。ハリーはダンブルドアが試合を見に来ていることに気がついたのか、先程別れたときよりも顔色は優れていた。

 

「わあ、見ろよあのスネイプの顔。今までにないくらい意地悪だぜ……アイタッ!」

 

 突然ロンが短く叫んだが、プレイボールに伴う歓声で掻き消された。彼が後頭部を押さえて後ろの席を振り返るので、つられて見てみれば、そこにはクラッブとゴイルを連れたマルフォイがいた。

 

「ああごめんウィーズリー。気がつかなかったよ」

 

 マルフォイのあんまり心のこもっていない謝罪に、後ろの二人がくすくすと笑った。

 

「ポッター、今回はどのくらい箒の上に乗ってられるだろうね?」

 

 ロンは若干顔を歪めたが、すぐに試合に視線を戻した。試合は、ハッフルパフに与えたペナルティ・シュート(ジョージがスネイプの方にブラッジャーを打ったというのが理由)が打たれるところだった。ハリーは上空を旋回している。この前とは違い飛行に問題はなさそうだったが、ハーマイオニーは祈りながら、目を見開いて彼をじっと見つめていた。

 わたしはというと、ぼんやり試合を眺めながら、ローブの下でエレニウムを撫でていた。なかなか、肝心なことが載っている本がないのだ。

 しばらくして、スネイプがまた些細なことでハッフルパフにペナルティ・シュートを与えた頃、マルフォイは誰にでもなく、聞こえよがしに言った。

 

「グリフィンドールの選手がどんな風に選ばれてるか知ってるかい?かわいそうな人が選ばれてるんだよ。ポッターは両親がいないし、ウィーズリーはお金がないし……デグレチャフ、君もどうだい、来年、チームに入るっていうのは」

「そうだな。いいかもしれんな」

 

 わたしの適当な返事に、マルフォイの冷笑が若干苛立ちに崩れた。が、すぐに持ち直し、今度はネビルに絡みはじめた。

 しかし、ふむ。クィディッチ選手か。それは調査書に反映されるのだろうか?そうなったとしたら、将来的にはクィディッチ選手で優等生で監督生(あわよくば首席)……思わずにやりとしてしまうくらい肩書きが華やかだ。いやまて、わたしにクィディッチと勉強の両立ができるだろうか。いやできないことはないが、ハリーの忙しさを見る限り、どちらかが疎かになってしまうのでは。それは困る。二兎を追う者は一兎をも得ずなんてこと担ってしまっては本末転倒だし……

 ウオオオオオオ!と突然スタンドから歓声があがったので、わたしは驚いて勢いよく顔を上げた。見れば、ハリーがフルスピードで急降下している。スニッチを見つけたらしい。横を見ると、ハーマイオニーが椅子の上で『行けっ、ハリー!頑張れ!!』と声を張り上げ、そして後ろでは、なぜかロンとネビルがマルフォイたちと取っ組み合いの喧嘩を始めていた。

 ハリーは勢いよくスネイプの方に飛んでいき、そして横を掠めて今までで一番の急降下の後、ふわりと箒を引き上げ、黄金に輝く片手を掲げた。スニッチを捕ったのだ。

 瞬間、スタンドからボカーーンと、爆発のような歓声があがった。ハーマイオニーは椅子の上で跳び跳ね、隣の席のわたしもその振動でガタガタと揺れた。

 

「グリフィンドールがついに首位をとったわ!ターニャ、ほら、見て、ハリーが!!」

「わ、わかったわかった。ちゃんと見てる、見てるから」

 

 ハリーはグラウンドを大きく、緩急をつけて一周し、最後は地上三十センチのところからぴょんと飛び降りた。そして、降りてきた仲間たちと勢いよくハイタッチした。

 

「ロン、ロンはどこ?やったのよ、グリフィンドールが勝ったのよ!」

「ああ、やったな!ざまあみろスネイプ、ざまあみろスリザリン!」

 

 突然、鼻血を流したロンがいきなり足元からすっくと起き上がったので、ハーマイオニーは軽く悲鳴を上げた。どうやら、スタンドの地面、椅子の下を転がりながら取っ組み合っていたらしい。なんでそんなことになってるのよ、というハーマイオニー叫びを聞きながら、ロンの血まみれの顔から目を離してグラウンドを眺めると、スネイプが苦々しげに唾を吐くのが見えた。

 

 

 夕食の後、グリフィンドール生は、選手たちが帰って来るのを待ち構えて、盛大に祝った。厨房の屋敷しもべ妖精からもらってきたお菓子を並べ、クラッカーを鳴らした。選手は讃えられ、皆一様に喜んだが、肝心のハリーの姿が見えないことに皆首をかしげた。

 もしかしたらまだ箒置き場や控え室あたりにいるのかもしれない、とウッドが言うので、ロンとハーマイオニーと、その二人に半ば連行される形になったわたしは探しに行くことになった。しかし、ハリーは案外はやく見つかった。彼は、談話室のすぐそばの廊下を、なにやら難しい表情でひとり歩いていた。

 

「ハリー!おめでとう。どこに行ってたのよ」

「よくやったな。みんなが君を待ってるぜ」

「待って。それどころじゃないんだ」

 

 駆け寄ってきたロンとハーマイオニーに、ハリーは鋭くそう言った。それから、そばの教室のドアを開け、誰もいないことを確認してから、わたしたちを手招いた。

 

「…僕たちは正しかった。やっぱり、あの廊下に隠されているものは『賢者の石』だったんだ。スネイプがクィレルを脅してたんだ、フラッフィーを出し抜く方法を知っているかどうかって……それと、クィレルの『あやしげなまやかし』について………多分だけど、フラッフィー以外にも石を守っているものがあるんだと思う。きっと、人を惑わせるような魔法なんかが沢山かけてあるんだ。クィレルが闇の魔術に対抗する呪文をかけて、スネイプがそれを破らなくちゃいけないのかも……」

 

 ハリーの話を聞き終えたハーマイオニーが、真剣な表情で言った。

 

「じゃあ、『賢者の石』が安全なのは、クィレルがスネイプに抵抗している間だけってことになるわね」

 

「それじゃ三日ともたないよ。石はすぐに無くなっちまうだろうさ」と、ロンが返した。

 

 しかし、ロンの言葉通りにはならなかった。クィレルは予想以上の粘りを見せた。

 ハリーたちは四階の廊下前を通る度に扉に耳をつけ、フラッフィーの唸り声がまだ聞こえるかを確認していた。ハリーはクィレルになにかと親切にし、ロンはクィレルのどもりをからかう連中を窘めはじめた。

 

 しかしまあ、スネイプを警戒することも大事だが、十週間後のテストに向けて、そろそろ対策を始めなくてはならない。

 ハーマイオニーは綿密に計画を立て、そしてしきりにハリーとロンにも同じことをするよう勧めた。二人は心底嫌そうな顔をしたが、先生方もハーマイオニーと同意見らしく、復活祭(イースター)の休みには、クリスマス休暇とは比べ物にならないくらいの宿題が、山のようにどっさりと出た。そのため、休暇中ほとんどずっと、図書室で、ハーマイオニーがドラゴンの血や鱗の利用法を暗唱するのをBGMにして、羊皮紙に埋もれるようにしてレポートを書くはめになった。お陰で宿題はすぐに終わったが、そのあとの試験勉強にハリーとロンは四苦八苦することになった。

 

「ダメだ……こんなの、覚えきれないよ…」

「ここはほぼ確実にテストに出るぞ。それに、押さえておかないと他の応用問題にも支障が出る」

「外はこんなにお天気なのに、なんで勉強なわけ…?」

 

 ロンは羽ペンを投げ出すと、恨めしそうに、夏の気配が近づく青空を、図書室の窓越しに見た。わたしもつられて外を見たが、それよりも、窓に反射する人影が気になった。それはロンも同じだったらしく、振り返ってその人物に声をかけた。

 

「ハグリッド!こんなところで何してるんだい?」

 

 ロンの声に、杖を振る練習をしていたハーマイオニーと、本に目を戻していたハリーが顔を上げた。

 その視線の先には、図書室にはなんとも場違いな男、ハグリッドが立っていた。彼は持っていた本を勢いよく自分の背中に隠すと、ごまかすような笑みを浮かべた。

 

「そ、そういうお前さんたちこそ、何をしてるんだ。まさか、まだニコラス・フラメルについて調べちょるんじゃないだろな?」

「そんなの、とっくの昔に終わったよ。『賢者の――』」

 

 ロンはそのあともがもがと言うだけになってしまった。ハグリッドが右手で彼の口を塞いだのだ。

 

「あ、そうだハグリッド。聞きたいんだけど、フラッフィー以外にあの石も守ってるものは何なの――」

 

 ハグリッドは今度は左手でハリーの口を塞がなくてなさはならなかった。その時、後ろの棚に一旦本を置いたので、何となくタイトルを盗み見た――『趣味と実益を兼ねたドラゴンの育て方』?

 

「シーッ!その事はあんまり大声で話しちゃあダメだ。後で小屋に来てくれ。教えるなんて約束はできんが、とにかく、ここで話すのはダメだ」

 

 ハグリッドはそう言って、もがもが言う二人の口から手を離すと、後ろに置いた本を素早く持ち、そそくさと図書室を去った。

 ハーマイオニーが、その背中を眺めながら言った。

 

「ハグリッドってば、なにか本を隠してたわよね?何の本かしら」

「『趣味と実益を兼ねたドラゴンの育て方』」

 

 わたしがタイトルを言うと、ロンが首をかしげた。

 

「ドラゴンの飼い方?でも、ドラゴンの飼育は法律違反だよ」

「じゃあ、ハグリッドは何を考えているんだろう?」

 

 …おいおい。なにやら、また面倒事の臭いがするぞ。

 三人が考え込むのをよそに、わたしは魔法薬学の参考書を開いた。

 

 



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〇9.ラストワード

 最初、ハグリッドは、彼が言った通り、なかなか四階の廊下について話そうとしなかった。

 しかし、『私たち、誰がこんな強固な守りを固めたか知りたいだけなの』『あなたならきっと知ってるんでしょう?だって、このホグワーツで起きていることで、あなたが知らないことなんてないんだもの』『ダンブルドアに廊下の守りを依頼された、彼からの信頼を勝ち取っている人は誰なのかしら……あなた以外の』というハーマイオニーの話術に見事にかかり、術をかけた先生の名前をポツポツと言いはじめた。

 

「ええと、俺がフラッフィーを貸して、術は……たしか、スプラウト先生と、フリットウィック先生と、マクゴナガル先生と……それから、ダンブルドア先生もちっくと仕掛けを施されたはずだ。あとは、クィレル先生……あ、それと、スネイプ先生」

「スネイプだって?」

「ああ、そうだ。まだお前さんらはそれを気にしておったんか。スネイプ先生は守りの術に参加した先生だ。石を盗むはずがないだろう」

 

 しかし、ハリーは心配そうに尋ねた。

 

「ハグリッドだけがフラッフィーをおとなしくできる方法を知っているんだよね?誰にも、話してないよね?」

「当たり前だ。俺とダンブルドア以外は方法を知らん」

「なら、いいんだけど…」

 

 なるほど。スネイプが守りに参加したのならば、他の先生の守りの仕掛けも見抜ける機会があったかもしれん。しかし、フラッフィーとクィレルの守りを突破する方法はわからないからクィレルを脅している、ということか?

 

 にしてもだ。暑い。なんだ、この部屋は。

 見ると、暖炉がごうごうと燃え盛っている。なぜこんな季節に……と考えた瞬間、中の大きくて黒い卵が目に入った。

 

「……ハグリッド?あれはなんだ」

「え……あぁ、いや、それは……」

 

 わたしが暖炉を指差して指摘すると、ハグリッドはぎくりとして、髭をもにょもにょと触った。

 

まさかドラゴンの卵―――なんて言わないよな?」

「はは、まあな。賭けに勝って貰ったんだ。昨日の晩、村に行って、酒を飲んでな。そいつは厄介払いができたと喜んどったが」

「孵ったらどうするの?」

 

 ハーマイオニーが訊くと、ハグリッドは本を取り出した。『趣味と実益を兼ねたドラゴンの育て方』だ。

 

「この本がすごくてな、ちょっと古いが、なんでも書いてある。母竜が息を吹きかけるように炎で暖める。孵ったら、ブランデーと鶏の血を混ぜたやつをバケツ一杯、三十分ごとに飲ませる。それと、ほら、ここ――卵の見分け方。俺のはノルウェー・リッジバッグという種類で、こいつが珍しくてなぁ」

「まさか、飼うつもりとか」

 

 ハグリッドが満足そうに頷くので、わたしは頭が痛くなってきた。

 

「法律違反だぞ。そんな卵、いますぐ目玉焼きにでもして食べてしまえ」

バッ……何を言うとるんだお前さんは!ダメに決まっとるだろう」

「駄目、駄目だと?おいおい」

 

 わたしは思わず笑ってしまった。

 ああ、どうしてこう、誰も彼も、面倒事が好きな奴ばかりなのだろうか。

 

「ハグリッド、貴方はバ……いやその、なんだ。周りにバレたらどうするとか、考えたことはないのか?今は楽しく後先考えずにこうしているがな、結局困るのは貴方なんだぞ」

 

 ハグリッドはわたしを無視して、暖炉に火をくべ始めた。こいつ、忠告を聞き入れる姿勢も見せないとは。

 わたしは、いよいよこの小屋の暑さにうんざりしてきたので外に出た。こんな部屋にいるより、図書室の日陰で勉強した方が有意義だからだ。

 

 

 それから何日か経ったある朝、ハリー宛に短い手紙が届いた――『いよいよ孵るぞ』

 ロンは薬草学の授業をサボってすぐに小屋に行こうとしたが、ハーマイオニーが止めた。

 

「さぼるなんて駄目よ。また、面倒なことになるわよ。……ああでも、ハグリッドがしていることがばれたら、私たちとはくらべものにならないくらい面倒なことになるわね…」

「静かに!」

 

 ハリーが小声で制した。数メートル先に、マルフォイが立ち止まって、じっと聞き耳をたてていたのだ。マルフォイは、彼らが黙ると、すぐに去っていった。

 薬草学の教室に行く途中ずっと言い争っていたが、とうとうハーマイオニーが折れて、休憩時間に急いで行こうということになったようだった。授業が終わると、ハリーがわたしの方に駆け寄ってきた。

 

「ターニャ、はやく行こう。孵っちゃうよ」

「いや、わたしはいい。あの部屋は暑すぎる」

「え?」

 

 ハリーに有無を言わさぬよう、わたしは足早に教室を去った。

 

 

 それからというものの、ハリーたちは結構な頻度でハグリッドのもとを訪れているようだった。

 ハーマイオニー曰く、ノーバード――ハグリッドはドラゴンにそう名付けた――が孵るところをマルフォイに盗み見され、奴がいつ言いふらすかわからないので、なんとか手放すように説得しているらしい。

 

「ハグリッドってば頑固なのよ。ねえ、今度はあなたも一緒に来て手伝ってくれない?」

「いや、爬虫類は苦手でな。遠慮しておく」

 

 わたしはとっさに適当な嘘をついた。ハリーやロンにも似たようなことを言われたが、全て断っていた。

 これ以上の面倒は本当にごめんだ。それに、説得の効かない馬鹿に付き合っている暇もない。

 テストが近いというのに、そんなことにかまけている余裕があるのがむしろ羨ましいくらいだ。

 

 結局、ハグリッドは、ルーマニアでドラゴンの研究をしているロンの兄のチャーリーを頼り、ノーバードを手放すことにしたらしい。ハリーたちは何度かの手紙のやり取りを経て、土曜日の真夜中、一番高い塔にノーバードを連れてチャーリーと落ち合うことになった。透明マントがあるから不可能ではない。その頃には、ノーバードは死んだネズミを木箱に何倍も食べるようになっていた。

 餌やりを手伝っていたロンが帰って来て、血がところどころ染みているハンカチでくるんだ手を掲げて見せた。

 

「噛まれちゃったよ。こりゃあ一週間は羽ペンを持てないぜ」

 

 しかし、一週間どころの問題ではなくなった。ロンの手は翌日には痛々しく腫れ上がっていた。彼はドラゴンに噛まれたことがばれるからとマダム・ポンフリーのところへ行くのを躊躇していたが、午後には傷口が緑色になって、そうは言っていられなくなった。

 

 そろそろ夜も更けてきて、生徒がまばらになった談話室に、ハリーとハーマイオニーが見舞いから帰ってきた。

 なぜかわたしが勉強している席のそばにやって来て、彼らはひそひそと作戦会議を始めた。なんでも、マルフォイにチャーリーからの手紙を取られてしまったらしい。

 

「今さら計画は変えられないわ。もう、チャーリーに手紙を送っている暇はないし……」

「その通りだ。それに、僕たちには透明マントがある。マルフォイはそれを知らないし。で、だ。誰が行く?」

 

 わたしは顔をあげた。まさかハリーのやつ、わたしを頭数にいれてないだろうな?しかしバッチリ目があった。

 

「わかってると思うが、わたしはパスだぞ」

「え、なんで?」

 

 なんでってお前、なんでだよ。

 わたしが唖然とするなか、ハーマイオニーがフォローには言った。

 

「爬虫類が苦手なのよね?でも、木箱にいれて運ぶから、大丈夫だと思うけど…」

「は?爬虫類が苦手?」

 

 ハリーは嘘だろという風にわたしを見た。

 

「そんなわけないだろ、君、前に授業で蛙の解剖をやってたじゃないか」

「そうだったか?忘れてしまったな。あと、蛙は爬虫類ではなく両生類だ」

 

 わたしの言葉に、ハリーはムッとした。

 

「そんなことどうでもいいってば。君、ハグリッドを助けたいと思わないの?」

「別に。説得ならもうしただろう。だがあいつは聞かなかった」

「でも、あんな説得の仕方があるかい?よりにもよって、ハグリッドに、目玉焼きにして食べちゃえなんてさ」

「じゃあ、『いますぐ卵を叩き割って裏庭に埋めろ』と言った方がよかったか?」

「ちょっと待ってよ。さっきから、君、ハグリッドがどうなってもいいってこと?」

「まあ、そうだな」

 

 ハリーは僅かに身を乗り出した。

 

「君、自分が何を言っているのか、理解してるの?」

「それはこっちの台詞だ。貴方は何でそう面倒事に首を突っ込むんだ?」

「友達を助けるのは普通だろ。何が悪いんだよ」

「ああそうだな。何にも悪くはないさ。だが、それで自分の身を滅ぼすのは馬鹿がやることだ」

何だって?

 

 ハリーがついに語気を荒げて立ち上がったので、ハーマイオニーは慌てたように止めた。

 

「ちょっと、落ち着いてよ、二人とも!」

 

 ハリーはブルブル震える声で言った。

 

「まさか、君がそんなに薄情な奴だなんて思わなかったよ」

「そうか。まあ、わたしはいつでも、最低限の自衛をしているだけだ」

 

 わたしは参考書を閉じて立ち上がると、寝室に上がった。

 

 しばらくして、ハーマイオニーも上がってきた。彼女は寝室に入ってくるなり、他のみんなを起こさないように小声で言った。

 

「ねえ、ターニャ。さっきのこと、ハリーもだけど、あなたもちょっと言い過ぎよ」

「そうか」

 

 沈黙。

 

「え、ね、ねえ。それだけなの?」

「それ以上ない」

「で、でも。あなたたちは友達でしょう?今のあなたみたいに、ハリーも怒ってたわよ。二人とも、お互いに、謝った方がいいと思うの」

「ああ、そうだな。だが、今は忙しい。そんな面倒事に構ってられん」

「め、面倒事って……」

「貴方も、あんな下らんことに付き合いすぎて、テスト勉強を疎かにしないように気を付けろよ。では、おやすみ」

 

 わたしはそう言い残して、ベッドの天蓋カーテンを閉じた。幸い、ハーマイオニーがそれ以上わたしに声をかけることはなかった。

 

 それからというものの、わたしはハリーと話さなくなるどころか、顔を合わせることもほとんどなくなった。

 いや、いい。もういい。都合がいい。彼がフラメルに入れ込みはじめた頃から薄々思ってはいた。彼に付き合ったばかりに、やれ賢者の石だの、わたしにはどうにもできないことにも関わらず、余計なことを知りすぎた。これ以上の面倒事はごめんだと思っていたのだ。コネだなんだと言っていたが、正直、彼は予想以上に向こう見ずな奴(トラブルメーカー)だ。最年少シーカーとか、額の傷だとか、生き残った男の子だとか、ちやほやされて調子にのっているのだろう。しかしそんな浅はかな奴が将来有用な奴になるだろうか?――それどころか、すぐににホグワーツを退学になってしまってもおかしくない有り様ではないか。

 別にいい。今までだって、ひとりでやって、わたしは成功してきた。今までと変わらず、ひとりでやるのが一番だ。

 

 日曜日、わたしが起床した頃、寝室はもぬけの殻だった。皆朝から出払っている。

 ハーマイオニーもいない。てっきり、昨日の夜たたき起こされて、うまくやったと言う事後報告をされるこくらいは覚悟していたのだが。

 わたしはハリーの顔を思い浮かべた。うまくいったぞ、ターニャは心配しすぎなんだよ…と彼に言われるイメージが浮かび、わたしは顔を歪めた。

 

 しかし、談話室に降りてみても、人は全然いなかった。いたのは、無事退院したロンと、ハリーとハーマイオニーだけで、彼らはソファに身を寄せ合うようにして座っていた。

 

「…やあ、ターニャ。おはよう」

「ああ、おはよう、ロン。もう具合は良いのか?」

「あー、バッチリ」

 

 ロンは噛まれた右手の親指を立てて見せた。傷ひとつない、元通りの肌だ。しかし、笑顔はひきつっていた。

 他の二人はというと、顔色が悪かった。ハリーが震える声で、言った。

 

「ターニャ……」

「…何だ」

 

 ハリーの、しばらく迷ったように視線をさ迷わせる様子を見て、わたしはなんだか嫌な予感が腹の奥から昇ってくるのを感じていた。

 彼は俯いて、小さく、しかし確かにこう言った。

 

……失敗した

……何だって?

 

 わたしは耳を疑った。失敗した? 何に。

 

「帰りに、透明マントを被り忘れて……それで、フィルチに……」

 

 ハリーが言い終わらないうちに、ハーマイオニーが顔を覆ってわっと泣き出した。

 

 結局、昨日の土曜日の真夜中に、四人の生徒がベッドを抜け出した。マルフォイ、ハリーとハーマイオニー、そして、二人を止めようとしたネビル。

 スリザリンからは二十点の減点がされたが、グリフィンドールのはけた違いだ。一人五十点。

 

 つまり――減点、一五〇点。グリフィンドールは最下位に墜ちた

 

 わたしはハリーの話を聞いて、頭がくらくらしてきた。落ち着いてソファに座ったつもりが、ぼすんと勢いよく体重を預けてしまった。

 しかし、悲痛にすすり泣くハーマイオニーはもちろん、わたしはハリーに対しても、この間のように怒る気にも、ましてや自業自得だざまあみろと言う気にもなれなかった。この間とはうって変わって、彼は沈みきっていた。今までで、いちばん。あのダーズリーがいるときよりもだ。複雑な思いもあるはあるが、彼に追い討ちをかける必要はないと思った。

 いや、逆に追い討ちをかけられたのはわたしの方だ。

 

「君の言うとおりだった。僕が間違ってたよ……無責任に、余計なことに首を突っ込んで、事態をめちゃくちゃにしてしまった。本当に、僕は…」

 

 ハリー・ポッターは完全に反省している。こんなことを言われたうえで突き放してみろ!ハリーの言った通り、わたしが薄情な人間になってしまうだろうが!

 

「い、いや。わたしの方こそ、悪かった。あのときは、言い過ぎた。すまなかった」

「……」

「なあ、その……元気出せよ。貴方たちは友達を助けたかっただけだろう、な?」

「それで自分の身を滅ぼした」

 

 ハリーは蒼白になって言った。

 

「僕は、馬鹿だ。君の言うとおり…」

 

 ……あのときの発言が回りまわって役に立たないものになってしまった。励ますどころか、これじゃ逆効果だ。

 

「そ、そんなことないって、なあ、ロン?」

 

 唐突に話を振られたロンは、それまで、泣くハーマイオニーの背中をさすってやっていたのだが、一瞬手が止まり、言葉に詰まってから、口を開いた。

 

「え、ああ。そうだよ。だって、ホラ、フレッドとジョージを見てみろよ。あの二人ってば、入学してからずっと点を引かれてる、得点なんかたぶん一点も貰ったことない減点王だけど、みんなに嫌われてないだろ?みんな、数週間もすれば忘れるって」

「でも、あの二人だって、一度に一五〇点引かれたことなんかないだろ…」

「ウ、ウン。まあ、それはそうだけど…」

 

 ロンもまた認めざるを得なくなり、黙りこんだ。

 

 しかしまあ、良い傾向だ。これでハリーはもう余計な詮索をしたり秘密を嗅ぎまわったりしないだろう。おかえり魔法界のコネ。ただいま安定した日々。

 …はたしてグリフィンドールから一五〇点奪ってもヒーローと言えるかはわからないが。ロンのように数週間とは言わなくても、ちょっとすればみんな忘れるだろう。ハリーにはクィディッチがある。今年の試合もまだ残ってはいる。いや、これから全勝しても一位には返り咲けないだろうが……。しかし、今年が駄目なら、来年挽回させれば良いのだ。

 そうだ。ハリーが名誉を取り戻すなら、自分への投資と思って、できることはしてやろう。

 

 

 それからは、ハリーにとっては辛い日々が続いた。

 もとより注目を集めていた少年だったが、今度は悪い意味で注目を集めていた。グリフィンドール生はハリーをいないもののように扱って、彼の方を見ようともしなかった。スリザリンから寮杯が奪われることを楽しみにしていたレイブンクロー生やハッフルパフ生も敵に回った。ハリーが通れば、皆彼を指差し、特に声を小さくすることもなく悪口を言った。スリザリン生は、ハリーを見かける度に拍手をし、口笛を吹き、『ポッターありがとうよ、お前のお陰だぜ!』と囃し立てた。

 ハーマイオニーとネビルの二人も、ハリーほどではないにせよ辛い目に遭った。ハーマイオニーは授業で注目を引くことをやめ、黙々と俯いて勉強したし、ネビルはいつも以上に肩身が狭そうにしていた。

 わたしはハリーたちが気の毒になって、なるべく彼らと一緒にいるようにした。それはロンも同じようで、いつも以上に彼らに親切にしてやっていた。

 ハリーは口数が減って、以前と同じ状態まで、いやそれよりもひどくなった。テストがあるお陰で、ひたすらに勉強に精を出せることが彼にとっての救いのようだった。

 

 いよいよ試験一週間前というある日、わたしとハリーは図書室からの帰りで、教室から誰かのメソメソ声が聞こえてきた。二人で顔を見合わせて近づくと、声はクィレルのものだった。

 

「ダメです……どうか、どうかお許しを……」

 

 誰かに脅されているのか?わたしは壁に素早く寄り、耳を澄ませた。

 

「わかりました……わかりましたよ……」

 

 中からは、高い、囁き声のようなものが聞こえたような気がしたが、クィレルのすすり泣くようなで掻き消されたように感じた。

 次の瞬間、クィレルが曲がったターバンを直しながら、教室から蒼白で出てきたので、わたしとハリーは息を飲んで、壁にぴったりとくっついて、柱というには心もとない出っ張りに身を隠した。

 幸い、彼はわたしたちには気がつかずに、足早に行ってしまった。それを確認してから、教室の中を覗いた。反対側のドアが空いていた。

 

「聞いたか?」

 

 ハリーはうなずいた。

 

「クィレルは降参したのかな、スネイプに」

「さあ、スネイプの声はよく聞こえなかったが。なにやら、高い囁き声が聞こえただけで」

「とにかく、石があいつの手に渡るのはまずい」

「そうだな」

 

 以前考えたこと――つまり、スネイプがヴォルデモートにかわって世界を混乱におとしめ、戦争が勃発するという考えが頭をよぎった。突飛な話だが、この世界では通用するかもしれない。

 

 わたしたちは、談話室に駆け込み、すぐにロンとハーマイオニーにこの事を告げた。

 ハーマイオニーは眉を潜め、ロンの瞳には冒険心がきらめいた。

 

「それじゃ、『闇の魔術の防衛術』を破る方法は……」

「でもまだフラッフィーがいる」

「いえ、だめよ。自分達だけで何とかしようとしたのが間違いだったのよ。ダンブルドアに言えば…」

「ダメだ。証拠がない」

 

 ハリーがハーマイオニーを遮った。ハーマイオニーはちょっと驚いたようすで口を閉じた。

 

「クィレルは僕たちを助けてはくれないだろう。スネイプはハロウィーンのとき四階になんていなかったと言えばいい。ダンブルドアも、僕たちがスネイプをクビにするために、作り話をしていると思うに違いないよ。フィルチなんか論外だ、スネイプとベッタリの関係だもの」

「それに、わたしたちは石のこともフラッフィーのことも知らないことになっている」

 

 ハリーはわたしの言葉にうなずいた。ハーマイオニーは納得したようだが、ロンは粘った。

 

「少し探りをいれてみるってのは…」

「いや、僕たちはもう探りを入れすぎてるよ」

 

 ハリーはきっぱりとそう言って、星図を引き寄せて眺め、あとは黙りこくった。

 

 

 翌日の夜十一時、ハリーとハーマイオニーとネビルは、処罰のために談話室から出た。ロンとわたしは、寝ずに彼らを待つことになった。最初は試験勉強をしようと思ったのだが、ロンの猛抗議にあい、チェス(ロンが完勝)やトランプで時間を潰した。

 そうするうち、ロンは眠り込んでしまった。仕方ないので、わたしは毛布をロンに掛け、一人テスト勉強をした。

 かなり時間がたって、そろそろあくびが多くなってきた頃、ハリーたちが転がり込むように談話室に戻ってきた。

 

「おかえり」

「――大変だ、ターニャ。スネイプは永遠の命やお金目当てで賢者の石を盗ろうとしてるんじゃない――僕たちはずっと勘違いしてた――自分のためじゃなかったんだ――」

 

 ハリーは蒼白でそう言った。わたしの肩を掴むその手から、彼の震えが伝わってきた。

 

「おい、ちょっと待て。落ち着けよ……冷たっ」

 

 ハリーの手は冷たかった。わたしは、先程までつまんでいたチョコレートを、彼とハーマイオニーに差し出した。それから、ロンを叩き起こした。

 チョコレートを飲み込み、しばらくして、落ち着きを取り戻したハリーはポツポツと語りだした。彼の話はこうだ。

 

 処罰の内容は、禁じられた森に入り、何かに殺された一角獣(ユニコーン)を探し出すことだった。

 いろいろといざこざがあったようだが、最終的には、ハグリッドとハーマイオニーとネビル、そして、ハリウッドの犬ファングとマルフォイ、ハリーの二手に別れ、捜索を始めた。

 一角獣(ユニコーン)の死体を見つけたのはハリーたちだった。しかし、ズルズルと滑るようなもの音とともに、マントを着た影が一角獣(ユニコーン)に近づくと、その血を飲みはじめた。マルフォイは絶叫して逃げ出し、ファングも駆け出した。ただ、ハリーだけは動けなかった。その者が彼にスルスルと近寄ってきたとき、彼の額の傷が燃えるように痛みだした。ついに痛みに耐えれず膝をつき、少し経って顔をあげると、影は消え、代わりにケンタウロスのフィレンツェが立っていた。フィレンツェは予言に逆らい、仲間の反感を買ってまでハリーを自分の背中に乗せ、ハリーを助けてくれた。

 ハリーを背に乗せ、森を進みながら、フィレンツェはこう語った――――『ユニコーンの血は、たとえ死の淵に立つ者の命だろうと長らえさせてくれます。しかし代償を支払わなくてはならない。その血に唇をつけた瞬間から、そのものは呪われた命を生きることになる。生きながらも死んでいる、不完全な命を。

 しかし、他の何かを飲むまでの間、少しだけの間、生きながらえればよいとしたら?完全な力と強さを与えてくれる何か―――死の克服を可能とする何か。

 ポッター君、君には、それが何なのかわかるはずです。そして、力を取り戻すために、命にしがみついて、チャンスを伺ってきたのは誰なのかも。』

 

 ハリーからフィレンツェの言葉を聞いた瞬間、わたしは自身の心臓に、ヒタリと刃物を当てられたような感覚を覚えた。

 

「ヴォルデモート……」

「そうだ。スネイプは自分のためじゃない。ヴォルデモートのために石を欲しがってたんだ。ヴォルデモートは森の中で待ってるんだ―――」

「その名前を言うのはやめてくれ!」

「フィレンツェは僕を助けてくれた。でもそれは予言に反する、いけないことだった。惑星は予言してるんだ……ヴォルデモートが復活することも、僕が殺されることも」

「だから、その名前を言わないでよ!」

 

 ロンは半ば叫ぶように懇願したが、ハリーには聞こえていないようだった。ハーマイオニーは彼の腕をつかみ、励ますように言った。

 

「でも、ハリー。ここにはダンブルドアがいるわ。ダンブルドアがいる限り、『あの人(・・・)』はあなたに手出しできない。それに、ケンタウロスの占いが正しい確証もないわ――マクゴナガル先生が仰っていたでしょう?占いはとても不正確な分野だって…」

 

 話し込むうちに、地平線の向こうが明るくなってきた。みんなぐったりしている。誰からもなく、各々寝室に引っ込んでいった。

 

 わたしは寝室に戻らず、しばらく呆然と立ち尽くしていたが、ようやく重い足で寮の階段を上がった。

 まさかまさかの、最低最悪、二番目に聞きたくない名前が出てきた。

 奴に手に石が渡る、それだけは、絶対にあってはならない――――何があってもだ。

 




もうこれわかんねえな…


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