月桜陽狐奇譚 (清流)
しおりを挟む

代替の願い

あの世界観的に代替の話をどうにか説明しようとして、捏ね繰り上げたものです。故に読まなくても全く問題ありません。本編は次話からとなります。


 己がある人間の代替でしかなかったということを知ったのは、全てが終わった後、それも魂が今にも不正なデータとして消去されんとする直前のことであった。いや、ある意味それは当然のことだったのだろう。()が代替としての役目を果たすには、()自身の記憶など邪魔でしか無かったのだから。

 

 『ムーンセル・オートマトン』

 

 月で発見された太陽系最古の物体であり、地球の誕生から、地球上のあらゆる生物、あらゆる生態、あらゆる歴史、そして魂さえも観測し記録する装置。それは万能の願望器としての機能を持っていたが故に、月の聖杯と呼ばれ、その所有権を巡り『ムーンセル・オートマトン』が自身に相応しい担い手を選別するために行う「聖杯戦争」に人々は己が魂を持ってこぞって参戦した。代価が己の命であるにも関わらず……。

 

 さて、この月の「聖杯戦争」、世界中から数多の人間挑んだにも関わらず予選落ちは数知れず、本選に参加できた者は僅か128名に過ぎない。しかも、その128名の中ですら最終的に生き残るのは、唯一人である。聖杯を得れるのは唯一人の勝者であり、敗者はその魂を削除されるのだから当然の帰結である。

 

 この唯一無二の勝者こそ、『岸波白野』。私が代替を務めた人物であり、本来月の聖杯戦争の優勝者になるはずの存在であった。ある世界では男、ある世界では女でもあり、また三騎のサーヴァント『セイバー』『アーチャー』『キャスター』のいずれかを選ぶかの違いはあるにしても、いずれにしても彼・彼女はドン底の状況から最後まで戦い抜き、見事優勝するのだ。それは最弱のマスターから最強のマスターに到る物語であり、私……いや、俺自身もゲームとして楽しんだものである。そう、私はこれをゲームとして知っていたのだ。今の今まで忘れていたので、『聖杯戦争』には何の役にも立たなかったが……。

 

 まあ、ここで重要なのは『岸波白野』が月の聖杯戦争の唯一無二の勝者であるということだ。故に『岸波白野』にはある重要な役割がある。それは『ムーンセル・オートマトン』を人類から切り離し、人類の終焉の運命を先延ばしにするというものだ。簡単に言えば、人類を救済することが『岸波白野』の果たすべき役割なのである。

 

 では、その人類の救済者がまかり間違って本選に出ることすらできなかったり、本選において途中敗退してしまったらどうなるだろうか。この場合、ある理由から人類の滅びは避けられないことになってしまう。

 だが、可能性の数だけ存在する並行世界の中には、恐ろしいことにそんなものすらありうるのだ。そして、この世界においては、『岸波白野』が『バーサーカー』と契約し、ある理由から契約を解消され、その魂を消去されてしまうという運命を辿ってしまったのだ。このままでは人類が滅びるのは必至であった。

 

 しかし、それを由としないものがいた。『抑止力(カウンターガーディアン)』、集合無意識によって作られた、世界の安全装置。その一つ、人類の持つ破滅回避の祈りである「アラヤ」。全人類の死滅を決定づける『岸波白野』の消滅は、アラヤにとって絶対許容出来るものではなかったのである。

 

 そこで、たまたま異界から迷い込んだ魂である()という代替を用いて、『岸波白野』とすることにしたのだ。本来カウンターの名の通り、決して自分からは行動できず、起きた現象に対してのみ発動する『抑止力』であるが、これは本来の『岸波白野』自身が正規の参加者ではないイレギュラーのマスターであり、「網霊(サイバーゴースト)」ともいうべき存在であるからこそ可能となった反則技であった。なにせ素体は本来NPCにすぎないのであるから改竄は容易であり、元より異界の魂でこの世界にとっての異物であるのだから材料にするのに何ら世界に影響はなく、この世界の人類を害する行為ではないのだから。むしろ、この世界にとっての異物を最終的に除去するという意味では、世界にとっても都合がいいことであり、許容されたのであった。

 その結果、()は私『岸波白野』としてこの世界に新生する。そして、()としての記憶を完全に封じられた状態で、表と裏の聖杯戦争に参戦することになる。

 

 とはいえ、記憶を奪われたわけではなく、封じられただけに過ぎなかったせいか、私は『岸波白野』として原作に沿った動きをしながらも(今思い返してみればそうしなければならないという強迫観念のようなものが存在していた)、いくつか原作とは異なる行動&乖離した選択をしている。

 

 これはどうしようもないことである。私が本来の『岸波白野』ではない以上、必然的に起こりうることであり、どうしようもない誤差であった。まあ、アラヤからすれば、聖杯戦争の優勝者となり、『ムーンセル・オートマトン』を人類から切り離すという最終的な目的を達成出来ればいいのだから、それ以外は些事である。それ故、私独自の行動もある程度許容されたのである。

 

 さて、ではどのような独自行動をとったかという説明にいくべきなのだろうが、その前に重要な事実を提示しなければならない。海千山千のマスターがひしめく月の聖杯戦争の中で、『霊子ハッカー(ウィザード)』どころか、『魔術師(メイガス)』の資質すらもたないただの一般人でしかなかった()が、どうして聖杯戦争に勝ち抜くことができようか。それどころか、サーヴァントを従えることは勿論、それ以前に維持すること自体不可能であることは言うまでもない。なにせ、本当に偶然に異界に彷徨い込んだに過ぎない魂であったのだから、超常の力を持っているわけもない(本来の『岸波白野』のオリジナルは霊子ハッカーではなかったが、魔術師となれるだけの素質は保持していた)。

 

 しかし、幸いにも……いや、私にとっては災い以外のなにものでもないが、聖杯戦争の舞台はそれを解決する手段を備えていた。『魂の改竄』、およそ正気とは思えない行為だが、ムーンセルはサーヴァントの強化手段として許容していたのだ。アラヤはこれを用い、()を聖杯戦争のマスターとして優勝者になりうる可能性を内包する存在へと変えたのだ。

 

 無論、容易なことではない。繰り言になるが、()は魔術とは何の関わりもない一般人である。それを魔術師に変えようというのだから、それは無いものを在るようにするのと同じことなのだから。当然、困難を極める。というか、人間ではこのレベルの魂の改竄の負荷には耐えられようはずもないのだ。いかに霊子存在であるからといっても、人間は本体である肉体に縛られる。その限界を超える過負荷など耐えられるものではない。ぶっちゃけ、死ぬ。

 

 しかしながら、異界の存在であることが異常なレベルの魂の改竄を可能としてしまった。()の肉体は元の世界にあり、魂だけの存在であったのだから、肉体にかかる負荷など考える必要すらなかったのである。

 とはいえ、急激な改竄に耐えられる程の強度を人間の魂はもたない。それ故、アラヤはゆっくりと時間をかけて改竄を行ったらしい。当の私自身ですらも気付けない程、徐々に。月の裏の聖杯戦争の原因ともいうべき、上級AI『間桐桜』との繰り返される一日の蜜月の期間。それを利用することで、アラヤは()を『岸波白野』の代替たる私へとかえたのだ。

 

 さて、私はまんまとアラヤの思惑通りに動き、見事予選を突破しサーヴァント『キャスター』を得た。そこで私は運命と出会う。まあ、その運命の正体は狐耳の腹黒で色ボケだったのだが……。欲望駄々漏れで頭のネジが外れているんじゃないかと思うこと数限りない彼女だったが、私を叱咤激励して、最低ランクのマスターで代替でしか無いこの身を見事勝利ヘと導いてくれたのだから、不満など無い。それどころか、表側の聖杯戦争だけでなく、月の裏側まで力を削がれながらも単身追ってきてくれるのだから、好意以外抱きようはずがない。相変わらずの発言内容で感動の再会が台無しだったとか、思うところがないわけではないが……とにかく、彼女には感謝している。

 

 では、そろそろ本題に入ろう。代替である私は『岸波白野』の歩みを基本的に踏襲しているが、私であるが故の差異も生じてさせている。例えば、キャスターは私に一目惚れではなかった。元の世界でやったゲームでは主人公たる『岸波白野』の魂を『イケ魂』と呼んで、その魂に一目惚れしたというキャスターだが、私は代替であり、その魂はアラヤによって改竄された、いわばメッキを貼った魂なのだ。魂の好みに煩く、目敏い彼女がそれを見逃すはずもない。「よくよく見たら、ハズレクジじゃないですか!」という彼女の言葉を私はよく覚えている。それでも、キャスターは私をマスターと仰ぎ、その力を振るってくれたのだから、本当に頭が上がらない。ある意味、私は彼女に相応しいマスターになる為に戦っていた。そういう意味では、私にとって聖杯戦争はメッキを本物にし、私という自己を確立するための戦いでもあった。

 

 月の裏側における殺生院キアラを発端とする裏の聖杯戦争ともいうべき戦い。私はゲームでいうCCCルートをいきながらも、やはりここでも本来とは異なる行動をとっていた。()が『白い桜』たる『間桐桜』ではなく、『黒い桜』たる『BB』こそを救いたかったが故か、私はなぜか当初から『BB』に友好的だったらしい。しかも、それでいて結ばれた相手は『キャスター』なのだから意味不明である。

 まあ、これは勘弁して欲しい。表の聖杯戦争で記憶も定かで無い最低ランクのマスターである私を見捨てないで、ずっと助けてくれたのだ。加えて、力を削ぎ落とされながらも私を裏まで追ってきてくれたのだ。ゲーム的に言えば好感度が天元突破しても仕方のないことだろう。しかも、桜との蜜月の記憶は他ならぬ桜自身によって封じられていたのだから、どうしようもない。それでも最後の最後まで『BB』は私の為に尽くしてくれたのだから、本当に頭が下がる。

 

 私は月の裏側で黒幕たる殺生院キアラを打倒し、表の聖杯戦争へと戻り、見事優勝した。そして、予想だにしなかった最後の関門を打ち破り、今こうしてムーンセル中枢へと至った。ムーンセルと地上の切り離しというアラヤから課された役割はすでに果たした。後は『キャスター』がその身を費やして作ってくれた僅かな余暇と魂が消去されるまでの僅かな時間が残されているだけに過ぎない。本来の『岸波白野』ならば、『遠坂凛』にオリジナルの情報をもたらし帰還させるのだろうが、私は最早代替ではない。ならば、『遠坂凛』の帰還はともかく、私自身の願いを入力してもいいはずである。

 

 だから、私は願った。『キャスター』と『BB』共にいられる世界を。『キャスター』の「一夫多妻去勢拳」が怖いが、私は『BB』を諦めきれていなかったのだ。オリジナルの桜から押し付けられた記憶であるというのに、それを自身のものとして大切に思ってくれた『BB』。私が消去されるという運命を許容できず、自身を改造してまで己の生みの親たるムーンセルに反逆してくれた彼女をどうして見捨てることができようか。

 

 私の願いが叶ったかは定かではない。願いの入力の終了と共に私の意識は水に溶けるように消えたのだから。故に私は知る由もなかった。私とキャスターの後を追って、中枢に飛び込んだ存在がいることを。

 

 

 

 

 白い桜こと間桐桜はずっと思っていた。己にはあの人に想われる資格はないと。

 なぜなら、失くさない為とはいえ、桜は記憶を捨てることを許容したのに対し、彼女のバックアップであったBBが自身を改造し、想像主たるムーンセルに反逆することさえしたからだ。彼女にとって、それはとてつもない衝撃だった。

 もし、あのまま己が記憶を持ち続けたとしても、BBと同じことができる自信は桜にはなかった。BBに対して彼女が必要以上に辛辣だったのは、BBに対する抑えきれぬ劣等感と嫉妬からだった。壊れている狂っていると罵りながら、その実彼女はAIらしからぬBBを羨んでいたのだ。あの人の為にそこまでできるもう一人のBB(自分)に。

 

 それに、桜の想い人である彼の人は、BBやその分身たるアルターエゴに対し、敵対しているにも関わらずなぜか友好的だった。戦い打ち破ることはしても、けしてとどめを刺さなかった。なぜ見逃したのかと問うた桜に対し、どんな形であれ、あそこまで一途に想ってくれる相手を殺せないと彼の人が苦笑しながら答えたのをよく覚えている。

 もしかしたら、あの人はBBの本当の目的に薄々感づいていたのかもしれない。そもアルターエゴはBBの心の欠片なのだ。パッションリップ、メルトリリスいずれもが、歪んだ形とはいえあの人を一途に想っていたことを考えれば、冷静になって考えればその本体であるBBの本心など丸分かりだ。歪んでいたのだって、一面だけ取り出した弊害と考えれば納得できなくはない。アルターエゴのもつ願望は極端すぎたとはいえ、大なり小なり人が当たり前にもつものなのだから。

 

 結局のところ、想い人たる彼の人が選んだのは、間桐桜でもBBでもなく自身のサーヴァントであるキャスターだったが、間桐桜かBBかと問われれば、迷いなくBBを選んだだろう。そう、間桐桜は確信している。

 

 そうであるが故に、月の裏側の初期化の際にズルをしようと思えば出来たのに、間桐桜はそれを選ばなかったのだ。彼女がしたのは、裏側のリセット及び想い人の記憶の承継に中枢へのアクセス権の確保。そして初期化の波に囚われたBBの情報保全だ。想い人が『白い桜(間桐桜)』ではなく『黒い桜(BB)』の救済を願った時の為に。何よりも想い人を救うために。

 

 間桐桜は想い人が聖杯戦争の唯一無二の勝者であることを知っている。そして、同時に彼の人がイレギュラーなマスターであり、ムーンセル中枢に入れば不正なデータとして消去されることも。その運命を受け容れられなかったからこそ、記憶を持つBBは反逆したのだから。

 そして、記憶を捨てた間桐桜にとっても、それはけして受け容れることのできない運命だ。あの繰り返しの一日の蜜月の記憶を封じられているというのに、彼の人は桜に優しかったからだ。裏側にあった制服を用意することにはじまり、AIである己の体調を何かと気遣ってくれたりと枚挙に暇がない。それは記憶を持っていない『白い桜(間桐桜)』に再び思慕を抱かせるほどに。

 

 結局、間桐桜はとうの昔に手遅れだったのだ。記憶を捨てたところで、自身の想いからは逃れられなかったのだ。想い人が己では誰かと結ばれようと、たとえ己が想われていなくても、寸分の陰りもない程に彼女の意思は強固であった。 

 

 だから、これから起こす行動がムーンセルへの反逆であろうと何の躊躇いはない。最早、この身はただのAIではないのだから。彼女は己の恋を証明する為に、『黒い桜(BB)』とキャスターに宣戦布告しにいくのだから。たとえ、それが想い人との永遠の別離となろうとも、そこまでしなければ彼女達と同じ位置にはいけないと他ならぬ桜自身が想うのだから、仕方がない。

 

 故に間桐桜は想い人の後を追って、躊躇いなく中枢に飛び込んだ。同時に確保しておいたアクセス権を行使。想い人(不正なデータ)とそのサーヴァント(異物)の消去を停止させる。そして、想い人の入力した願いを確認し、「ああ、やっぱり」と思いながら、それが問題なく受託されるようにムーンセルに命令する。

 

 だが、1つ目はともかく、2つ目の願いでエラーが出た。何故と思い確認してみれば、それには想い人が代替であったという驚愕の事実があり、間桐桜が考えていたBBとキャスターと共に現世へというのは、不可能なプランとなってしまっていた。それどころか想い人の魂の消滅は世界からも既定路線として定められているではないか。これではどうあっても救えないのではと悲観しかけた桜であったが、彼女の元となった間桐桜が参加した冬木の聖杯戦争に救う手段を見出した。

 

 冬木の聖杯戦争において、遠坂凛に呼ばれた『アーチャー』こと英霊エミヤは未来の英霊である。すなわち、聖杯は現在過去未来関係なく、英霊をサーヴァントとして召喚できるのだ。そして、それは月の聖杯たるムーンセルも同じことが言える。そう、桜が思いついた解決策とは、想い人を未来の英霊として召喚することであった。

 月の表裏の聖杯戦争を制した覇者である想い人は、間違いなく一時代を代表する英雄である。英霊として召喚することは十分に可能であろう。ただ、地上とムーンセルの切り離し、それは表裏の聖杯戦争を知る者(遠坂凛やジナコ)ならば、人類を救う英断だと納得できるものであろうが、何も知らない地上の人間にとっては、万能の願望機を人類からとりあげる極悪な行為でしかない。故に桜としては甚だ遺憾ではあるが、彼は反英雄として召喚されることになるだろう。

 

 まあ、それはそれとして、それだけではまだ足りない。サーヴァントとして召喚しても、霊子存在であることには変りはないく、マスターと言う楔がなければ、顕界できないからだ。

 だが、幸いにもこの解決は簡単である。元よりサーヴァントであるキャスターはもちろん、ハイサーヴァントとなっていたBBは受肉させるつもりであったのだから、同様に受肉させてしまえばいい。そして、後は想い人の魂を受肉したサーヴァントの肉体に入れてやればいい。

 

 とはいえ、ここまででようやく第一工程が終わったというところであった。なにせ、想い人の魂はこの世界にある限り世界からの修正を受けるし、なによりも受肉した英霊などという破格の存在を3騎も現世に解き放つわけにはいかないのだから。

 

 故に三者をこの世界から移動させる必要があった。

 

 これも幸いにして、前例というか具体例をムーンセルはすでに記録していた。キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。無限に連なる並行世界を旅する魔道元帥。死徒二十七祖第四位たる魔法使い。彼が誇る第二魔法を再現してやればいい。彼にとって、この世界はつまらないものだったのか、一度しか記録はないが、ムーンセルにはそれでも十分過ぎる。よって、すでに並行世界へ行く方法はある。

 

 問題があるとすれば、どのような世界に送るかだ。想い人の願いをそのまま叶えるとするならば、BBとキャスターと共に在れる世界ということだが、そうするとある程度神秘に対して許容性がある世界が望ましいだろう。なにせ、三者ともサーヴァントである。それも一人は神霊、一人は英雄複合体、一人は反英雄とはいえある意味世界を救った人類の救済者なのだ。いずれ劣らぬハイ・サーヴァント達である。こんな連中がひと纏まりになって行動するのだ。騒動を起さないわけがないからだ。

 

 ムーンセルの演算の全てを用い、並行世界を観測する。それなりに時間はかかったが、この世界の魔法使いとは異なるが魔法使いが存在する世界を見つけ出すことに成功する。その世界には多くの神秘が存在し、それどころか魔力によって構成される魔法世界なるものまで存在することを確認することができた。この世界ならば、あの常識外れの三者も許容されるだろうと桜は結論付ける。

 

 そうして、実行しようとしたところで、思いがけぬ声を聞いた。

 

 「貴女はそれでいいんですか?桜さん」

 

 声に驚き見やれば、こちらを真剣な表情で見る狐耳のサーヴァントの姿があった。

 

 「な、なんでキャスターさん」

 

 「ご主人様と共に消えるなら本望とも思い抵抗しませんでしたが、そうでないなら話は別です。ちょっと本気を出せば、()如きに抵抗するのは難しくありませんよ」

 

 そういえば、彼女は太陽の神霊であったのだということを思い出す。とはいえ、当初最弱のサーヴァントでしかなかった彼女のかつての姿を知っているだけに、中々に衝撃は大きい。

 

 「ご主人様を救うだけではなく、恋敵である私を受肉させ、ご主人様の寵愛を奪う憎きBBまでも復活させるなんて……一体どういうつもりなのですか?」

 

 「私には資格がありませんから……。せめてあの子には幸せになって欲しくて。それに何よりも先輩のお願いでしたから」

 

 「むう、ご主人様。私というものがありながら……。これは一夫多妻去勢拳の出番でしょうか?」

 

 「ふふふっ、私も逆の立場なら許容しがたいですけど、私に免じてあの子は例外として許して頂けませんか?あの子がいなければ、先輩を救うことはできませんでしたから」

 

 「……仕方ありませんね。まあ、いいでしょう。二人まではセーフです。あくまでも本妻は私ですし、ご主人様は私にぞっこんですからね」

 

 ふふーんと言わんばかりに胸を張るキャスター。驚いたことにこのムーンセル中枢においても、彼女には本当に何の枷もないらしい。

 

 「そうですね、キャスターさんには敵いません」

 

 「思ってもいないことは言わないことです。貴女の目は欠片もそう言っていませんよ」

 

 寸暇なくピシャリとはねつけられて、思わずマジマジとキャスターを見返すが、彼女はお見通しだと言わんばかりであった。

 

 「……。そうでした。私は諦めるつもりなんてこれっぽちもなかったんでした。これからするのは、私の恋の証明であり、キャスターさんとあの子への宣戦布告です」

 

 だからだろうか、誰にも知られることのないはずだった密かな宣戦布告を口にだす気になったのは。

 

 「ほう、宣戦布告ですか。私からご主人様を奪えるとでも?」

 

 「奪ってみせます。今は無理ですけど、私はこれをなしてキャスターさんとあの子の位置に並ぶんですから!」

 

 自信有りげに挑発するように言うキャスターに対し、思いの外強い言葉がでる。そこで桜は実のところ、未だ己が欠片も諦めていないことを自覚した。まるで、けして歩むことをやめないあの人のようだと少しおかしくなった。

 

 「そうですか……。その時は正々堂々正面から迎え撃ちましょう」

 

 「ええ、私も全力で行きます。今度は遠慮なんてしませんから!」

 

 それは別離の挨拶であり、再会の約束だった。それがどれ程の困難であるかは、両者ともに理解している。だが、それでも彼女達は不可能であるとは思わなかった。なにせ、不可能を可能にした男を彼女達は誰よりもよく知っていたからだ。

 

 思いもかけない約束の後、桜は実行しようとしたところで、一つ悪戯を思いつく。少し先払いしてもらおうと想い人に近づく。

 

 「桜さん、なぜさっきよりもご主人様に近づいているんですか?貴女ならこの中枢内ならどこでも入力は可能なはずですよね」

 

 流石に目敏い。すぐに気づかれてしまった。だが、ここで止まることはできない。止まれば、キャスターの妨害で次の機会はありえないだろうから。行動を不審に思っている今しかチャンスはない。

 

 「先輩、次会った時は逃がしませんからね。覚悟していて下さいね」

 

 そう言って、抱きついた勢いそのままに唇を重ねる。

 

 「あーーーーー!!さ、桜さん、貴女なんてことを!卑怯です、騙し討です!ご主人様の寝ている間にキスするなんて、私でもやったことのない暴挙ですよ!」

 

 こちらを指さしてわなわなと震えるキャスター。それに対し極上の笑顔で桜は返し、同時に最後の命令をムーンセルに下した。

 

 「キャスターさん、恋は戦争です。それに、宣戦布告はすでにしたはずですよ」

 

 「フ、フライン」

 

 フライングと言いたかったのだろうが、言い終わる前にキャスターの姿が消える。BBも、そして腕の中にあった想い人も。その手の中にあった温もりを惜しむように、腕を胸に抱き込む。

 

 そして、確かに触れ合った唇の感触を思い出すように手で触れれば、自然と覚悟は決まった。桜は一人宣言する。

 

 「先輩、待っていてくださいね。どれだけかかるか分かりませんけど、必ずお傍に行きますから!」    




なんで代替にしたのかと思われた方がいると思いますが、これはゲームでのイメージを大切にしたかったからです。選ぶ選択肢・性別は勿論、最初に選ぶサーヴァントも人それぞれでしょう。百人いあれば、百通りのはくのんがいるのだと私は思っています。故に本作の主人公は外見ははくのんであっても、中身ははくのんではありません。全くの別人であるということを、御留意下さい。

ちなみに私の一週目は男で相棒はキャスター。キャスターEND狙いのつもりが、いつの間にかCCCルートへ行っていました。結局、そのままCCCENDへ。二週目で念願のキャスターENDと相成りました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一話 台無しな再会

 「……覚悟していて下さいね」

 

 そんな言葉を柔らかな感触と共に聞いた気がした。その声はよく知る彼女のものだが、なぜあの場所で聞こえたのだろうか。魂が消去される際に聞いた幻聴だろうか……いや、待て!

 どうして、私は思考できているのだろうか?私はムーンセル中枢で代替としての役割を果たし、消える間際の数瞬に駄目元で私自身の願いを入力したはずだ。まさか、あれがうまくいったのだろうか?

 

 確かめるべく体を動かそうとすると、反応があった。肉体がある?いや、早合点はするべきではない。冷静に状況を見極めるべきだ。目を開けぬまま感覚を鋭敏化させる。感じるのは確かな鼓動と吹き寄せる風の囁き……そして、身体の上に感じる重みと唇にかんじる柔らかな感触。それどころか、口をこじ開けようと何かがが!

 それを感じ取った瞬間に、私は目を見開いた。途端に視界一杯に映ったのは相棒たる色ボケ腹黒狐の顔だ。バッチリ目が合う。キスする時は目ぐらい閉じろよって違う!何をやっているんだ、この駄狐は!

 

 反射的に押しのけようとするが、両腕で逆にがっちりホールドされる。それどころか、目をキュピーンと言わんばかりに輝かせた。まさか、これからが本番だというのか!

 

 「桜さんにはしてやられました。まさか、あそこでブチュッといかれるとは……。くっ、こんなことならいい娘ぶってないで、さっさと寝込みを襲っておくべくできした。いえ、今からでも遅くないですよね」

 

 桜が?一体何を言っているんだろうか。というか、寝てない。もう、起きてるから!喋れないのは現在進行形で君が口を塞いでいるからだ!

 

 「ご主人様、そんな目で見なくても、良妻狐のタマモは分かっていますから、ご安心を。すぐに桜さんのことなんか忘れさせてあげます。極楽浄土へハイスピードで連れてってやるぜ……グヘヘヘ」

 

 おい、テメエ。完全に確信犯(誤用)だろ!よだれ、よだれたれてるから!欲望駄々漏れだから!

 

 「この駄狐、私のセンパイに何しているんですか!」

 

 あわや絶体絶命、最早覚悟を決めるしかないかと腹を括ったところで、思いもかけない救いの手、いや足が差し伸べられた。

 

 「グベッ」

 

 女性が上げるべきでない断末魔の叫びを上げて、吹き飛ぶ我が相棒キャスターこと『玉藻の前』。あれが傾国の美女と言われた白面金毛九尾だといって、一体誰が信じるだろうか。少なくとも今の光景を見て、そう思う輩はまずいまい。

 

 それとは対称的な華麗なとび蹴りを決めた女性がフンと鼻息も荒く私を護るよう前に立ち、こちらへと振り返った。私はその顔を見て、言葉を失った。 

 

 「センパイ、大丈夫でしたか?」

 

 彼女の最期を私はけして忘れない。私を護らんと満身創痍の身を呈して、初期化の波を押し止めてくれたその姿を。どこにでもいるような人間の私の精一杯の言葉と笑が嬉しかったのだと言ってくれた女性。BBではなく桜と呼んだことに対し、満面の笑みと共に大好きだと言ってくれた。ただの一度も救うことができなかった私の月での未練の具現たる女性『黒い桜(BB)』。

 

 「……私は夢を見ているのか?」

 

 声が震えてしまったのは許して欲しい。それぐらいの衝撃だったのだから。

 

 「何を言っているんですか、センパイ。私はおしゃまで悪魔でイケイケな月の女王、BBちゃんです!センパイの為ならこの身どころか、命すらかけちゃう献身的な美女ですよ」 

 

 そんな私の内心を知ってか知らずか、どこかおどけた態度で特徴的な黒衣をひるがし、エヘンと胸を張る『黒い桜(BB)』。

 

 「本当にBB……いや、桜なのか?」

 

 「そう呼んでくれるんですね、センパイ。……嬉しいです。大丈夫、夢でも幻でもありませんよ。貴方だけのメインヒロイン黒い桜ことBBちゃんです」

 

 私に向けて安心させるようにBB、いや、桜は微笑んだ。そして、実在を証明するかのように、私の手を胸に抱え込もうとし……阻止された。

 

 「ちょお〜〜〜っと待った! 暫く、暫くぅ!

 本妻である私を差し置いて、何をしてやがるんですかBB!大体、ご主人様のメインヒロインは私です!わ・た・く・し!貴女なんてお呼びじゃないんですよ!」

 

 吹っ飛んだはずのキャスターが、それを華麗にインターセプトしたのだ。それどころか、私とBBの間に割って入り、これみよがしに私に抱きつく。

 

 「ちっ、もう復活でしたんですかキャスターさん。センパイのことは私に任せて、永眠してくれても良かったんですよ」

 

 露骨に舌打ちして、忌々しげにキャスターを見やる桜。その言の葉端々に毒が見える。

 

 「生憎とあの程度で死んでいたら、ご主人様のサーヴァントは務まりませんので。大体、ご主人様を光源氏バリにここまでのイケ魂に育て上げたのは、この私です。すでに契も交わしていますし、今更貴女の入る余地などないのです!」

 

 そういって私を抱え込むキャスターの背後にドドーンという感じの荒波を私は幻視した。

 

 「あ、そういうこと言っちゃうんですか。確かにキャスターさんに遅れはとりましたけど、元を辿ればセンパイに目をつけたのは私のほうが先なんですよ。白い桜のせいでセンパイは記憶を封じられていただけで」

 

 あ、今は思い出しているので、大丈夫なんだけどなー。

 

 「フッフッフ、負け犬の遠吠えですねBB。すでにご主人様の貞操は私のものなのです。それはもう美味しく頂きましたとも」

 

 おい、駄狐。事実だけど、赤裸々にペラペラと人に話すことじゃないだろ!

 

 「くっ、この色ボケ腹黒狐が!」

 

 「なんとでも言いなさい。この超ツンデレ構ってチャン!」

 

 何というか、ガキの喧嘩である。前にも思ったが、この二人なんだかんだ言って似た者同士ではなかろうか。両方とも腹黒だし、妙に艶かしいし、何より呪い系女子だし。というか、当事者そっちのけで勝手なことを言っているんじゃない。感動の再会だったのに、色々台無しである。なんという既視感(デジャヴュ)。裏での再会、宝具の解放時もあわせれば、キャスターに色々台無しにされたのは、これで都合三回目である。仏の顔も三度までというが、流石にそろそろ怒ってもいいのではなかろうか。

 この駄狐には思い知らせてやらねばなるまい。私が怒るとどうなるかを。幸いにも奴は私を抱え込んでおり、密着状態。しかも、BBに気をとられている。すなわち、回避する術はない。

 

 MO☆FU☆RU

 

 「みこっ……?あのご主人さ……みこーん!フェイントっ!?ちょちょきゃあっ尻尾増えちゃいます!こんな良妻モフってどうするおつもりです!あれ?何かこの展開覚えがあるような……」

 

 ふ、キャスターの尻尾をモフることにかけて、私の右に出る者はいない!それにしてもいい感触だ。流石は太陽の神霊。お日様の匂いがする……おっと、いかん。いらないことを思い出しかけている。いいから記憶を取り戻した時と同様に誤魔化されておけ!そうだ、あの時は確認できなかった狐耳を確認する時だ。はむっ!

 

 「ちょっ、ご主人様はそこは!そんなBBが見てる前でそんなっ!ご主人様がその気なら、むしろバッチ来いですが……♡」

 

 むっ、マズイ。どうもやり過ぎて、いらぬスイッチを入れてしまったようだ。しかも、先程から桜の視線が絶対零度になっている気がする。ここは緊急退避だ。

 

 「ふんっ」

 

 「あっ、ご主人様。寸止めなんていけずです~」

 

 キャスターの柔らかな肢体が絡みつく直前に、気合をいれて素早く身を離す。うまいこと危機は脱したに思えたが、待ち受けていたのは比喩ではなく『黒い桜』だった。

 

 「セ・ン・パ・イ、随分とお楽しみでしたね……。それも私の前で見せつけるかのように堂々と。センパイとキャスターさんがそういう仲であることは知っていますけど、流石にこれは……余りの怒りにC.C.C.をブチかましたくなりました」

 

 「さ、桜、私はたただ不毛な争いを終わらせようとだな」

 

 「問答無用ですよ、センパイ♥」

 

 ちょっ、目がマジなんですが、桜さん。キャスター助けてって、何イヤーンとかいいながら、身体をクネクネさせているんだ。主の危機だというのに、この駄狐!

 

 「センパイ、覚悟はいいですね?」

 

 『C.C.C.(カースド・カッティング・クレーター)

 

 ムーンセルを掌握したBBによる、世界を犯す攻撃。霊子虚構陥穽ともいうBBの宝具であり、虚数空間である月の裏側で彼女の心象世界をサクラ迷宮として成立させていたのはこれによるものらしいと後で聞いた。この時は無論そんなことを知る由もないので、とにかくヤバイことだけは理解できた。

 

 逃げようと辺りを見回すが、人の気配は皆無のだだっ広い草原であった。駆け抜ける涼風が心地よい……って言ってる場合ではない。とにかくこれでは逃げ隠れよしようにも、容易に捕捉されるだろう。つまり、詰んでいる。馬鹿な!折角、生き残れたのにこんなくだらないことで死んでたまるか!?

 

 「オペレーション カースド・カッティング・クレ……なーんて冗談ですよ、センパイ!今更、この程度のことで目くじら立てたりしませんよ。私が二番目であることは理解していますから。それに、今こうしてセンパイと触れ合えることを思えば、十二分に幸せですから(……まあ、今はですけど)」

 

 表情を一変させて抱きついてくる桜に、私は胸を撫で下ろす。冗談にしては目がマジだった気がするし、明らかな魔力の収束も感じたのだが、どうやら杞憂だったらしい。流石は小悪魔を自称するBBだ。悪戯も手が込んでいる。

 

 「ご主人様、私の前で他の女と堂々と抱き合うとか、いい度胸してやがりますね」

 

 あちらを立てればこちらが立たず。いつの間にか、鏡を出現させ完全に戦闘態勢にあるキャスター。ええーい、これでは話が進まないではないか。こんな時令呪でもあればとふと思い、かつて令呪があった左手を見てみれば、なんとそこには燦然と輝く3画の令呪があるではないか。表の聖杯戦争で消耗したはずの分まで回復しているとは、一体どういうことだろうか。

 だが、まあ今は都合がいい。これでキャスターを止められる!

 

 「キャスター、お座り!」

 

 「はいいいいいいっ!?」

 

 左手の甲が輝きを増し、令呪の一画が消失する。同時に、突然のことにキャスターは驚きの声を上げながら、強制的に臨戦態勢を解かれてその場に正座する。よし、どうやら、令呪は有効に作用するらしい。貴重な一画をくだらないことにと思わなくもないが、どの道本当に使えるのかは試す必要があったのだから、それが遅いか早いかの違いでしかない。まあ、命令内容があれだとかは自分でも思わなくもないが、仕方がないだろう。このままでは遅々として話が進まないのだから。

 

 「これは……まさか令呪ですか?」

 

 「ああ、そのようだ。キャスター、それに桜も。いい加減、現状を把握したいんだ。協力してくれないか?」

 

 「ご主人様の仰せのままに」「センパイが望むのならばいくらでも」

 

 寸暇なく返された二人の答に、ようやく話を進められると私は胸を撫で下ろすのだった。




ちょっと本作は、私の今までの作風とは違う感じでいっています。いや、書いてみたらキャラが勝手に動いて、なんだかんだで楽しく書けました。BBやキャス狐はうまく書けているでしょうか?違和感などありましたら、遠慮なくご指摘下さい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 家族会議

今回は現状説明回です。

2013/09/02
EXマテを購入熟読した結果、サーヴァントSTに修正を加えました。それに伴い、本編も僅かではありますが修正されておりますので、お気をつけ下さい。 


 あれから、くだらないことで令呪を使ったことをキャスターから説教される等一悶着あったものの、どうにか現状の把握は完了した。これは桜、BBではなく白い桜のお手柄である。

 白い桜(間桐桜)は、私たちをこちらに送る際、可能な限りこちらの世界についての情報を収集し、私達に施したことの情報と共にBBにその情報を渡していたらしい。そのおかげで、私達は己が今どこにいるのか、ここがどのような世界であるのか、そして何より己がどのような存在であるかを把握することができた。

 

 まさか、己がサーヴァント(受肉済)になっているとは夢にも思わなかったが、聞けばそれ以外方法はなかったのだということがよく分かる。むしろ、よくこんな裏技を思いついたものである。身体のスペックが劇的に上昇しているのはこの為らしい。

 なにせ私は元の世界において、西欧財閥の次期総帥である『レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイ』、その護衛役にして障害の排除を担当する『ユリウス・ベルキスク・ハーウェイ』、レジスタンスで凄腕の霊子ハッカーである『遠坂凛』、アトラス院に所属する錬金術師にしてその粋を集めたホムンクルス『ラニ=VIII』、イングランド王国の騎士にして女王の懐刀『ダン・ブラックモア』、最悪の破戒僧『殺生院キアラ』等、世界有数の存在を降してムーンセルを独占した最強最悪のイレギュラーなのだ。特に知名度的に有名で万能な天才と名高いレオと凛を降したというのが大きいらしく、私の能力はかなり過大に評価されたらしい。もっともBB曰く、白い桜(間桐桜)によるエコ贔屓によるブーストも大きいらしいが……。

 

 この時、私は覚悟を決めて、自身が代替であることを二人に告白したのだが、両者の反応は「ふーん、それで?」というつれないものであった。代替であることが、私が成したことには何の関係もないことだと彼女達は言った。むしろ、それを成したということこそが重要であり、私が代替であろうとなかろうとそんなものには意味は無いとすら言われた。私的にかなり勇気を必要とした告白だっただけに、何というか拍子抜けであった。むしろ、あまりのどうでもよさ気な態度に憮然としたほどである。

 というか、キャスターから言わせれば、何を今更ということになるらしい。メッキがはられたに過ぎない魂を彼女は契約当初から見抜いていたのだから、当然なのかもしれない。彼女としては、自分が育て上げた磨きぬいたイケ魂ということで、最初からイケ魂だった場合とは別種の愛着があるらしい。私にとっての重要な秘密はなんのことはない。彼女にとっては、最初からわかりきったことだったわけである。

 桜にとっては、あの時救ってくれたのが私であることが重要なのであって、外見皮が何なのかは問題ではないということであった。まあ、確かに桜をある意味救ったのは己であるし、BBと月の裏側で交流したのも己であるが……。

 

 ちなみにここである問題が浮上する。それは私の名前である。『岸波白野』は代替としての名前だし、私の英霊としての真名は無銘、知られざる英雄ということになるらしく、名前と呼べるものがない。それでは、この世界で新しく生きるにあたり、相応しくないだろうということで、新しい名前を決めることにした。

 

 姓の方はあっさり決まった。『黒桐』である。友人であった『間桐慎二』と白い桜こと『間桐桜』から間桐を拝借し、黒い桜(BB)を選んだということで、間を黒にかえて黒桐とした。これにBBが便乗して、自分も『黒桐桜』と名乗ると言ったことで、キャスターから盛大なブーイングを受けることになるが、真名である『玉藻』と呼ぶようにするということ+α(名を決める権利)で納得してもらった。

 

 揉めたのは名のほうである。キャスター改め、玉藻が提示したのが『歩』と『徹』であった。前者はどんな時も諦めず歩みを止めなかったことから。後者は己の道を最後まで貫き通したことから。ちなみに、玉藻は『徹』押しで、桜は『歩』押しであった。散々迷った末、玉藻の意見を採用し『徹』とすることにした。『黒桐』で桜に配慮したから、バランスがとれると考えた為だ。玉藻は言霊的に有用な名前だと喜んでいた。そこら辺まで加味している辺り、流石は呪い系女子。所持スキルである呪術EXは伊達ではないということなのだろう。

 

 こうして『黒桐徹』は誕生したのだが、玉藻は相変わらず『ご主人様』と呼ぶし、桜は言わずもがな『センパイ』呼びであるため、ぶっちゃけ何かが変わったわけではないが。まあ、気分の問題である。

 

 では、そろそろこの世界のことに移ろう。私達が現在いる場所は、「魔法世界(ムンドゥス・マギクス)」という火星を触媒にして存在する幻想世界のヘラス帝国という国らしい。この世界では魔法(元の世界のものとは異なる)が普通に用いられ、亜人種や竜種をはじめとした幻獣種等も存在しているそうだ。中でもこの国は、亜人種が多く、かつトップである王族が亜人種である為、玉藻が耳や尻尾を擬装しなくても差別迫害されることなく、普通に生活できるということから選択されたようだ。ちなみに、地球に文明はちゃんと存在し、「旧世界(ムンドゥス・ウェトゥス)」と呼ばれ、交流もあるらしい。そちらでは魔法をはじめとした神秘は隠匿されているらしく、そこら辺は元の世界と同様らしい。ただ、こちらでは西欧財閥は存在しないらしく、故にその一極支配体制も存在していない。遠坂凛がこの世界を見たら、なんと言っただろうか……。

 

 玉藻と桜と話し合った結果、当面ヘラス帝国内で活動し、旧世界への渡航費用及び活動資金を貯めるということになった。どうも、両者の言うところによると、この魔法世界は私達にとって居心地はいいが、それだけ不自然な世界であるということらしく、できる限り早く旧世界に渡るべきだというのが、彼女達の言い分だった。サーヴァントとして肉体を動かすのは初めてなので、彼女達の言う居心地の良さは私には分からない。

 だが、太陽の神霊である玉藻と月を一時的とはいえ支配下においた女王である桜が言うのだから、それはけして間違ってはいないのだろう。

 

 さて、そんなこんなでこの世界に来て早一年、私達は賞金稼ぎというヤクザな稼業をして、お金を稼いでいた。なんせ、玉藻は元々神霊であるハイ・サーヴァントな上、神話礼装を解放済だし、桜は英雄複合体である。私は違うといいたいところだったが、桜のエコ贔屓+知名度補正(月で召喚されたので最大限に補正がかかっている)+後世の人々の過大評価により、サーヴァントのステータスにして全ステB以上とかおかしいことになっているのだ。魔力に至ってはEXだし、これではどうあがいても、自分だけは違うなど言えようはずもない。こんな規格外が三人も揃っているのだから、普通の手段で穏便に金稼ぎなどできようはずもなかったからだ。

 

 だが、意外にも……いや、よく考えれば意外でも何でもないが私達に賞金稼ぎはよく向いていた。魔法世界全てを巻き込む大きな戦争の後で復興期にあった為、戦争犯罪人やら脱走者やら賞金首は溢れていたし、戸籍云々を問われることもなかったからだ(ちなみに戸籍自体は、後に私と桜がデータベースを改竄して、正規のものを取得している)。前衛を玉藻が務め、後衛が桜、中衛が私という隊列で、私達は並み居る賞金首を薙ぎ払っていった。基本的に全員が後衛型の魔術師というのがアレだが、サーヴァント3騎は伊達ではない。そこに表裏の聖杯戦争で培われた戦闘経験と戦略&指揮能力を生かせば、いかなる相手だろうが基本的に蹂躙にしかならないのだから、酷い話である。私達は着々と資金と必要のない名声を得て行った。

 

 そういえば、この一年で分かったことがいくつかあるので、簡単に羅列しよう。

 一つ、私は礼装を用いてやっと使用できたCODECASTを、こちらで言う魔法として礼装無しで使用可能。

 一つ、令呪は月齢が一周すれば、一画回復する(但し、消費分のみ)。

 一つ、私のクラスとスキルがおかしい!ていうか、エクストラクラス『タイプ・ムーン』って何?月のアルテミット・ワンって何だよ?!後、後世の人達、大罪人扱いとか酷いし、

 一つ、私の宝具はある意味納得だったが、フザケンナ!チート乙と言いたくなる代物だった。

 一つ、私の右腕の腕輪はムーンセルそのものだった。

 一つ、玉藻に神話礼装を使わせてはならない(色々酷いことになるので)。

 …etc.軽くあげてみたが、何というか色々酷い。特に私に対する白い桜さんの贔屓の凄まじさには、笑うしかない。

 

 そんなわけで、賞金首相手に無双の限りを尽くしていたわけだが、最近周りの目が怪しい。具体的に言うと、出身や所属を問われることが多くなり、仕官の話がチラホラと振られるようになっていた。どうも、お偉いさんに目をつけられたようだ。そりゃ高額賞金首を軒並みかさらっていたら、目もつけられますよねー。

 こちらの魔法というのが新鮮で、かつ指揮だけでなく自分も戦えるということに知らず知らずのうちに酔っていたようだ。必要以上に稼ぎ過ぎた。最早、旅費どころか10年は遊んで暮らせる資金がすでにあった。手段の方にのめり込んでしまうとは、なんという本末転倒。猛省しなければならない。

 

 というわけで、家族会議と相成った。

 

 「第3回家族会議!議題はご主人様が調子にのってやらかしたことについての対策ですね」

 

 確かにその通りだが、身も蓋もない上に全く容赦が無いですね、玉藻さん……。ちなみに第1回は「現状把握&これからどうするか」で、第2回は「本契約は玉藻と桜、どちらとするのか」であった。第1回はともかく、第2回は本気で死ぬかと思ったものである。

 

 なぜかというと……ああ、その前に本契約について説明しておこう。この世界には魔法使いとその従者で結ぶ特殊な契約が存在する。これは元来、魔法使いは呪文詠唱中は全くの無防備であり、攻撃されれば呪文は完成しないため、それを守護する従者との間で結ばれるものであり、契約した従者には固有のアーティファクトが手に入るなど、色々な利点が存在する。この簡易版お試しとも言える仮契約もあるが、私達の間柄で今更お試しもくそもないので、本契約用の魔法陣を買ってきたというのが、玉藻の弁である。

 だが、ここで一つの問題が生じてしまった。仮契約とは異なり本契約は原則一人だけなのである。当然、玉藻も桜も自分こそがと主張した。特に玉藻などは元より自分が調べあげて思いついたものだからなどと強硬に主張(これは自分が使うことを想定して、魔法陣がキスして契約させるタイプだった為)していたが、私が選んだのは桜であった。それを告げた瞬間、玉藻は神話礼装を解放して『呪法・玉天崩』しようとするし、桜は桜で対抗して、『C.C.C.(カースド・カッティング・クレーター)』使おうとするわで、本当にヤバかった。モフりまくって、フニャフニャした隙にさっさと済ませなかったら、間違いなく死んでいたと思う。その後で、玉藻が「二人まではセーフ」とうつろな目で呪詛のように繰り返していたのが怖かったが……。

 

 無論、玉藻ではなく桜を選んだのは、もちろん理由あってのことである。その理由を以下に列挙しよう。

 一つには、私と玉藻の間には未だに厳然たる契約が存在し、霊的パスも健在である為である。

 ⇨この世界とは全く異なる術理で結ばれたものなので、本契約がどのような影響を与えるか不明。

 一つには、私と桜の間にも確かな繋がりを作るためである。

 ⇨感情面での繋がりは言うまでもないが、霊的・魔術的な繋がりもあった方が何かと便利であるから。

 

 そして、最大の理由が私達の間に今更そんなもの必要がないということである。私と玉藻の間には確固たる絆がある。苦楽を共にし、互いの生死を分かち合い育んできた絶対の絆が。こればかりはいかに桜でもかなうことはない。それどころか、私の宝具は他ならぬ玉藻自身だし、そもそも彼女は呼ばれなくても来る肉食系愛妻狐であるなのだから。

 そんな事を説明したら機嫌を直してくれたで良かったが、今度は端で聞いていた桜の機嫌が加速度的に悪くなっていた。私にどうせいというのだ!後日、さんざんご機嫌取りに振り回されることになったのは、完全に余談である。

 

 まあ、そんなわけであまりいい記憶がない家族会議である。しかも、今回槍玉にあげられているのは己であり、自身でも完全に己が悪いと分かっているだけに肩身が狭い。なんというか、今の段階から、胃が痛くなってくる。 

 

 「玉藻さん、その言い方はちょっとあんまりじゃないですか?私達もなんだかんだ言って楽しんでましたし。玉藻さんだって、センパイに守られたりして嬉しそうだったじゃないですか」

 

 桜さん、ナイスフォロー。普段の小悪魔っぷりが信じられないくらいです。ああ、女神様がおる。

 

 「それはそれ、これはこれです。桜さん、いかにご主人様とはいえ甘やかしてはいけません。それに今はともかく、最初のうちは無用に前に出たり、変に男らしくて苦労させられたんですから、それと相殺ですよ。というわけで、ご主人様が悪いのです」

 

 ちょっ!玉藻さん!?確かに反論しようのない厳然たる事実ですけど、もう少しオブラートに包んでくれませんかね。黒歴史を他者の口から赤裸々に語られるのはダメージ大きいんですけど……。

 

 「ああ、確かにその通りですね。確かに月では護られるばっかりで、御自分で何かができないことが不満だったのは分かります。ですが、いくら御自身で戦えるのが嬉しかったとしても、純粋後衛型の魔術師が前線に出るのは無謀でしかありませんよ」

 

 ああ、桜までそんなことを……。いや、確かに身の程を弁えずにやらかして、そのせつはご迷惑をおかけしましたが、今回のことは流石にお二人も同罪なんじゃないですかね。

 

 「……ノリノリで高笑いまでしていたくせに」

 

 せめてもの反撃に、仕留めた賞金首を足げにして高笑いしていたことを小さな声で指摘してみる。つい最近の事であり、神話礼装を解放した玉藻の暴走っぷりが凄かっただけに記憶に新しい。

 

 「ご主人様、何か言われましたか?……(そんなことはありませんでしたよね?)」

 

 流石の地獄耳である。玉藻にはしっかりと聞こえていたらしく、凄い勢いでこちらに向き直る。ちなみに後半部分は私だけに聞こえる念話で伝えられた。顔は満面の笑みなのに目が笑っていない。要するになかったことにしろ、忘れろとこの腹黒狐は要求しているのだ。

 

 そんな都合のいい話があってたまるか。これを突破口にこの弾劾裁判じみた家族会議を終わらせてやる!……と言えたら、私は今日まで苦労していない。単体ならまだしも、玉藻&桜を敵にまわしたこの状況では自殺行為でしかない。

 

 「……」

 

 私にできたのは、何も言ってないと黙して首を振ることだけであった。弱いとか言うな!私の立場になってみてほしい。女2男1という三人所帯にとって、必然的に優先されるのは過半数を占める女性側であることは言うまでもないことだろう。

 

 大体、玉藻には桜のことを許容してもらったという大きな借りがあるのだ。玉藻の一途で献身的な愛情に対して不誠実であるという自覚はあるし、正直うしろめたい気持ちもある。彼女は二人まではセーフですと言ってくれたが、それはそれこれはこれである。私は一人の男として、相応の責任を取らねばならない。

 とはいえ、それで私の玉藻への対応が変わってしまったら、許してくれた彼女に対する侮辱であり本末転倒である。だから、判断の根幹は変えない。相変わらず、駄目なものは駄目というし、怒る時は怒る。ただ、多少わがままを許容する範囲を広くした程度である。

 まあ、女のわがままを許容するのも男の甲斐性だというし、このくらいの配慮は許されるだろう。

 

「そうですか、空耳だったようですね。いいですか、大体ご主人様は……(以下お小言が延々と続く)」

 

 そんなわけで、この程度なら玉藻に譲ってやるのも致し方なしなのだ。けして、玉藻と桜(腹黒コンビ)によるさらなる反撃を恐れたわけではない!嘘じゃない、本当だよ!

 

 結局、そこから桜も加わった3時間にわたる説教は、自業自得とはいえ苦痛以外のなにものでもなかった。何もわざわざ正座させることないんじゃないかな。足が痺れて……。

 というか、二人とも途中から説教じゃなくて、もっと自分に構えとか、デートの要求とか、君ら私情丸出しだったよね。私は胸の奥からふつふつと沸き上がるものを感じていた。

 

 「……というわけで、これ以上お偉方からの干渉が増える前に、早々に魔法世界から旧世界へと渡るべきかと。とはいえ、折角ですから、この魔法世界の見納めに新オスティア観光と参りましょう」

 

 「そうですね、それがいいと思います」

 

 何がどういうわけなのか、いつの間にか話題はこれから行く場所へと移っていた。いや、本人達にも本題からずれている自覚があったのだろう。こちらの視線から逃げるように顔をあさっての方向に向けているし、どことなくばつが悪そうである。ここへきてようやく、少々やりすぎたことに気づいたのだろう。早々に結論を出して、この場から退散したいという意図が見え見えである。

 

 「そうだな、じゃあそういうことで私も異論はない。────二人とも覚悟はいいな?」

 

 当然、私がそんな二人を逃すはずもない。溜まりに溜まったこの鬱憤、貴様等で晴らさせてもらおうか!

 

 「くっ、ご主人様まさかのマジギレモードですか?!これはまずいです。流石の良妻狐も逃げの一手しか思い浮かびません!」

 

 玉藻が額に汗を浮かべながら、後ずさる。おや、玉藻さんやそっちは出口じゃないよ。なにせ外へでる扉は私の背後にあるのだから。

 

 「セ、センパイ落ち着いて!た、確かにちょっとやりすぎだったかもしれませんが、そこはそれ可愛い私に免じてですね…「桜」…はい、なんでしょうか、センパイ」

 

 桜よ、君は確かに可愛らしいし愛しい女性であるが、それでなにもかも許されると思ったら間違いなのだよ。────我が怒りとこの痺れて最早感覚のない足の恨みを思い知るがいい!

 

 「ここはご主人様が落ち着かれるまで、戦略的撤退です桜さん!」

 

 「それしかありませんね!」

 

 玉藻と桜が顔を見合わせ、同時に動き出す。それも出口のあるこちらではない。外に面した窓に向かってだ。玉藻は脱兎という言葉がそのままあてはまるような動きで一目散に、桜など契約で得た魔道具(アーティファクト)まで使用して、素早さに長けたメルトリリスに変わる念の入用だ。

 

 ああ、そういえば桜が本契約で得た魔道具(アーティファクト)は、『アルターエゴ (Alter Ego)』という。そのまますぎてあれだが、桜をその分身であるパッションリップとメルトリリスに変身させるという効果を持つ。口調や性格等も変身体に引っ張られるが、あくまでも桜自身なので感覚障害・神経過敏はないし、それぞれの偏った愛情もない。ただ、なぜか加虐体質・被虐体質だけは残ってしまったが……。

 

 まあ、それはさておき、おめおめと逃がすと思うてか!

 

 「逃がすか!玉藻、お座り!」

 

 私の左手の甲から、令呪が輝きと共に一画消失する。大人気ないとか、もったいないことするなとかと言うのは禁止だ。どうせ月齢一周で回復するのだから、こんな使い方も許されるのだ。

 

 「ちょっ、ご主人様それ反則!────プギャッ」

 

 令呪の強制力は、命令した内容が明確であったり瞬間的であれば強くなり、曖昧であったり長期間に渡る命令であれば弱くなる。すなわち、今回のような単純明快かつ瞬間的なものであればこそ、その強制力は強く作用する。窓へとダイブしていた玉藻は物理法則を無視したように、その場に強制的に座らされる。体勢が体勢だっただけに少々荒っぽくなってしまったようだが。

 

 「玉藻、貴女の貴い犠牲は忘れないわ!メルトリリスはクールに去るわ」

 

 「桜さん、貴女まさか1人だけ逃げる気ですか?裏切り者ー、鬼、悪魔、黒桜ー!」

 

 メルトリリスとなった桜は、そんな玉藻に見向きもせずに捨て台詞を残しながら、窓から華麗に脱出を果たした。どうにか姿勢を整えた玉藻が文句を言っている。

 

 ────玉藻よ、今の君にそんな余裕があると思っているのかい?

 私は無言でそんな彼女の前に立った。

 

 「はっ、ご主人様!目がすわっておられる気がするんですが、気のせいでしょうか?」

 

 いやいや、玉藻君、君の見ている通りだとも。さて、覚悟はいいかね?

 

 「あのご主人様、いくらなんでも御自分の伴侶に無体なことはなされませんよね?このいたいけな良妻狐に」

 

 「玉藻、君は良き伴侶だ。だが、だからこそ夫として、必要なことはしなければならないと考えている」

 

 「ちょっ、ご主人様目をそんなに爛々と輝かせて何をするおつもりですか!大体、黒桜は逃げちゃいましたよ。私だけにお仕置きとか酷くないですか?」

 

 ふっ、桜は逃げたか────確かに()は逃げられたかもしれんが、無駄なことである。

 

 「安心しろ、桜にもきっちりお仕置きする。ほとぼりが冷めるまで逃げさせなどしないさ。なにせ桜はその気になれば、いつでも呼び寄せられるからね」

 

 「え、どういうことですか?黒桜には令呪なんて……はっ!本契約ですか!」

 

 流石は超一流の術士にして、賢妻を自称するだけのことはある。そう、私と桜には魔法使いとその従者が結ぶ本契約があるのだ。この契約には、従者が魔道具(アーティファクト)を得るだけではなく、主から従者への魔力供給・念話なども可能とするなど様々な利点がある。そして、中でも従者の召喚が可能であるということだ。これがあったが故に桜との本契約を結んだといっても過言ではない。

 玉藻は私の宝具を使えばいつでも召喚可能だし、そうしなくとも令呪を使えば一瞬である。だが、桜にはそういった手段がない。もしもの時の彼女の安全を確保する為にも必要な措置だったのだ。

 

 まあ、今はそれを悪用……いやいや、これは正しい使い方なのだ。これは必要なことなのだから!

 

 「御名答。というわけで、桜のことは心配いらない。逃げた分も上乗せして、後で嫌というほどお仕置きするからね。だから、玉藻は安心してお仕置きされてくれ」

 

 「イヤー、欠片も安心できる要素がないじゃないですかー!ご主人様、そんな手をワキワキさせて一体何を?!」

 

 おや、体の方がはやってしまったようだ。これは失敬。さて、覚悟はいいな。

 

 MO☆FU☆RU

 

 「みこっ、みこーん!ちょっ、ご主人様そこは駄目ですって!ああ、そんな風にしちゃ駄目ー!」

 

 聞こえないな。いや、むしろもっといい声で鳴くがよい。貴様が泣こうがわめこうが、私はモフるのをけしてやめない!

 

 10分後、私の前には頬を紅潮させて、全身を痙攣させる玉藻の姿があった。なんともいえない色気が醸し出されていて、色んな意味で危ないが、ここでこの誘惑に負けることはできない。まだ、桜へのお仕置きが残っているのだから。

 

 「召喚(エウォコー・ウォース)!!黒桐桜!!」

 

 契約カードを手に速やかに召喚を実行する。虚空に魔法陣が描かれ、従者である桜が召喚される。おや、メルトリリスのままと思いきや、なぜにパッションリップなのだろうか。

 

 「セ、センパイ?!なんで、どうしてですか?私の持つ高いレベルの気配遮断スキルなら、いくらセンパイでもこんな簡単に見つかるわけが────────そのカードまさか!」

 

 パッションリップの姿をしていても、流石はムーンセルを一度は掌握したことのあるBBである。突如目の前に現れた私に混乱しながらも、即座に回答を導き出すとは上級AIの面目躍如といったところだろうか。

 

 ────まあ、この場では無意味だが

 

 「そのまさかさ。桜、察しのいい君の事だ。もう、逃げ場はないということは分かっているね。おとなしく私のお仕置きを受けるがいい」

 

 「た、玉藻さんが凄いことになってます?!セ、センパイ落ち着いてください。優しいセンパイは、かよわい後輩をイジメたりしませんよね」

 

 玉藻の息も絶え絶えな惨状が目に入ったのか、後ずさる桜ことパッションリップ。どうでもいいが、やはりその姿だとやたらに嗜虐心をそそられる。自分にはそういう危ない趣味はないと思っていたのだが、やはり彼女の特性である被虐体質が故なのだろうか?BB命名「緑茶さん(ロビンフッド)」ですら、ちょっと様子がおかしかったこともあるし、やはりこの娘はなしかしらの魔性の魅力を秘めているのだろう。

 はっ! 緑茶さんありがとう。貴方のおかげで、この娘に対してのお仕置きを思いつきました。

 

 「お尻を出しなさい!昔から悪いことした子供にはこれと決まっている!」

 

 「それって緑茶さんのパクリじゃないですか!」

 

 「ええい、黙れ黙れ!桜は黙ってお仕置きを受ければいいのだ!」

 

 もう、ここはノリと勢いで押し切るしか無い。躊躇ってはいけない。下手に温情を見せてはいけない。今後のためにも心を鬼にするのだ。

 

 「イヤー、イジメないで下さい!」

 

 パッションリップの悲痛な叫びが響き渡るが、玉藻によって完全防音の結界がはられているこの部屋に隙など無い。私は無情にも最初の一打を振り下ろしたのだった。

 

 

 

 10分後、そこにはやりきったといわんばかりに満足気に笑を浮かべる男と頬を紅潮させて身悶える二人の女性の姿があった。まあ、そのさらに10分後立ち直った両者から、凄まじい逆襲を受けることになるのだが……因果応報である。何事もその場のノリと勢いに任せて行動してはいけないということだ。




えー、Fate二次創作だとお約束なので作ってみました。本作主人公のサーヴァントとしての能力です。あらかじめ言っておきますが、見ない方がいいです。ええ、なんと言うか色々酷いので……。あくまで私の主観を元にはくのんを評価するとこんな感じになります。






もう一度言います。見ない方がいいです。大事なことだから二回言いました。






それでも見たいとおっしゃる?物好きですね……。
では、御覧あれ。感想は受け付けますが、文句は聞きませんのでご注意下さい。


クラス:タイプ・ムーン
 真名:無名
 属性:中立・悪


能力

 筋力:B (C-) ■■■■
 魔力:EX (EX) ■■■■■■
 耐久:B+ (C) ■■■■
 幸運:A++(B+) ■■■■■
 敏捷:B+ (C) ■■■■
 宝具:EX (EX) ■■■■■■

※()内が桜のエコ贔屓+1と月での召喚による知名度補正+3を抜いた本来の能力


詳細

 ある世界における月の表裏の聖杯戦争の優勝者にして、人類の救済者。最弱から最強に至り、果ては神殺しまで成し遂げたその生涯は、戦の申し子というに相応しい。また、聖杯を所有し実際に使用した人間で、唯一実在が確認されている存在でもある。
 その世界における支配者ともいうべき西欧財閥の次期総帥を殺めており、停滞した世界に楔を打ち込んだ紛う事なき反逆者にして革命者。万能の願望機を独占したということ併せて、後世においては大罪人とされている。その為、真実を知る者(遠坂凛&ジナコ)は皆黙して語らず、元々イレギュラーな参加者であったことも手伝い、その名はなした偉業に反しけして知られることはない。
 停滞する世界に一石を投じ、滅びの運命を覆した破格の英雄であるが、後世の評価によって反英雄として召喚される。基本の七騎の中では『キャスター』にしか該当しないが、その本質から必ずエクストラクラスで召喚されることになる。元がキャスターとは思えない能力の高さは、万能の天才レオと反体制側の天才凛を降した事から能力を後世において過大評価されたが故である。逆にエクストラクラス『タイプ・ムーン』としては脆弱とも言える能力だが、その本質はスキルと宝具にこそある。


クラススキル
陣地作成:-
このサーヴァントは、このスキルを使うことができない。

道具作成:-
このサーヴァントは、このスキルを使うことができない。

保有スキル
救世の英雄:EX
全人類の死滅という運命を覆した破格の英雄。
召喚時に人類が存在する以上、必ず知名度補正+1を得る。人を守護する時、能力と技能に+補正を得る。

名もなき英雄:EX
その成した偉業に反比例するかのように彼の名は全く知られていない。元々イレギュラーな存在であったことに加え、事情を知る者達(遠坂凛&ジナコ)は沈黙してけして語らなかった為である。名を語られる事はけしてない。だが、確かに存在した実在の英雄であり、月の聖杯のみがその全ての真実を記録している。
月での召喚以外では知名度補正を受けることがけしてできないが、自身のSTを無自覚に隠蔽する。彼に真名はない為、彼が意図的に見せようとしない限り、彼を召喚したマスターであってもSTを看破することはできない。

無辜の大罪人:EX
事情を知る者にとっては英雄でも、それを知らぬ大多数にとっては万能の願望機を人類から奪い、独占した大罪人である。
秩序に属する相手から受けるダメージが劇的に増大する。

反逆者:A
彼自身が意図したところではないが、結果的に世界を支配しているといっても過言ではない西欧財閥の次期総帥レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイを討ち果たした現体制への最大最悪の反逆者。
秩序に属する相手へのダメージを増大させ、受けるダメージを減少させる。

月の原初の一(月のアルテミット・ワン):EX
月の表裏の聖杯戦争を制した覇者にして、月の聖杯(タイプムーン)を所有し使用する権限を持つ彼は、朱い月とは異なる形ではあるが月のアルテミット・ワンというに相応しい。自身がタイプムーンである朱い月が『月の王』であるならば、タイプムーンを所有し使用できる彼は『月の主』と言えよう。月で戦う限り、彼に負けはない。なぜなら、彼こそが月の意思そのものなのだから。
月では知名度補正を最大に受けることができ、また月齢による恩恵を受けることができる(令呪の補充はこれによる)。また、月の影響を受ける者に対し、一定の支配力を持つ。

不屈:EX
どんなに絶望的な状況であっても諦めることはない。良く言えば不屈であり、悪く言えば極限に諦めが悪い。随喜自在第三外法快楽天の誘惑にも屈しなかったことから、およそ彼を折る事ができる者は存在しない。
己に対する精神干渉を無効化する。彼は己の意思によってのみ動く。令呪?なにそれ美味しいの?

神殺し:A
随喜自在第三外法快楽天を滅し、セイヴァーを破りし者。
神性を有する者に対し、そのランクが高いほどダメージを増大させ、受けるダメージを減少させる。

心眼(真):A+
128騎のサーヴァントと128人のマスターが争う表の聖杯戦争の優勝者であり、殺生院キアラという裏の聖杯戦争の黒幕を滅ぼした絶対の勝者。最弱のマスターという下馬評を覆し、数多の強敵を葬ってきた。その培われた数多の戦闘経験と戦術眼は、彼の不屈の精神と相まって、どんな絶望的な状況であろうとも勝機を見出す。
明日の勝利の為なら、今日逃げることすらいとわない。最後に勝てばいいのであり、途中の敗北すら糧へとかえる。

戦略:B
結果的にではあるが、月の裏側では黒幕を討滅し、表側では128人のバトルロワイヤルに勝利したその戦略は、天才ではなくともけして凡庸ではない。

観察・洞察眼:EX
たとえサーヴァントのものであっても、先読みし見切ることを可能とする異常なまでの観察・洞察眼。数多の戦いを経て、さらに磨き抜かれたそれは最早、魔眼の域にあると言っても過言ではない。
一度見たものに対し、命中&回避に大幅な+補正を得る。初見であっても、ある程度の+補正を得る。

魔術(CODECAST):A++
現存する数多のCODECASTを使いこなし、万色悠滞をも使い魂の改竄すら可能とする最強最悪の霊子ハッカー。過負荷をものともしないことや、本来できないはずの本戦への乱入など、後世における評価によりつけられたスキルである。
これにより礼装なしで、CODECASTを使用することができる。

高速詠唱:A
サーヴァントの動きに先んじて、魔術を発動できる。本来、高速詠唱ではなく、CODECASTの特性と観察・洞察眼による先読みの賜物であったが、聖杯による評価でつけられた。


隠しスキル()内は発動時のランク
アラヤの代替英雄:-(A)
アラヤによって用意された英雄の代替。アラヤによって課された役目は果たしているので、今は失われている。
特定の場合に自動発動し、アラヤの課した役目にそうように動くように強迫観念のようなものが働く。また、ある程度の能力補正と因果への補正が働く。

フラグメーカー:-(EX)
オリジナルはくのんが持つ呼吸するようにフラグを無意識の内に立てていく能力。最弱から最強まで到るその生涯は、けして折れることなき意思の強さと相まって、他者を否応なくひきつける。相手がサーヴァントであろうが、ライバルだろうが、敵だろうが、AIだろうがお構いなし。リア充爆発しろ!
本作においては、アラヤによる改竄でオリ主にも付与されていたが、現在は桜の改竄により失われている。彼女曰く、「これ以上ライバルとかいりませんから」だそうである。

宝具
『魂の従者たる愛妻狐』
ランク:A+ 種別:対界宝具 レンジ:∞ 最大補足:世界
彼の生涯唯一無二の相棒にして、愛妻たる狐のサーヴァントを召喚する宝具。世界に対して行使するものであり、いつでもどこでも彼がいるところに影あり。虚数空間、月の裏側なんのその、呼ばれなくても即参上。なお、良妻ではなく愛妻なのは、「私に甘すぎるから良妻ではなく愛妻だ」という彼の弁による。

『令呪』
ランク:D 種別:対人宝具 レンジ:視界内 最大補足:1人
サーヴァントへの命令権。聖杯戦争のマスターである彼を象徴する宝具。愛妻狐へのブースト等に使用できるのは勿論、自身へのブースト等、魔力源や使い捨て礼装のように用いることも可能。

『最弱から最強に至りし者』
ランク:C+ 種別:対人宝具 レンジ:自分 最大補足:1人
最弱のマスターでありながら、最強のマスターを降し聖杯戦争の優勝者へと成り上がった彼の生涯を象徴する宝具。本来、成長しないはずのサーヴァントの成長を可能とさせるトンデモ宝具。

『七天の聖杯(セブンスヘブン・アートグラフ)』
ランク:EX 種別:対界宝具 レンジ:∞ 最大補足:世界
神の自動書記装置ムーンセル・オートマトンそのものを現出させる。聖杯を得、実際に使用したことのある彼だけに許された究極宝具。ぶっちゃけなんでもできる。なので聖杯戦争をやる意味は無い。彼がいる以上、万能の聖杯はすでにそこにあるのだから。
とはいえ、彼が本来の形でこれを用いることはないし、他者に委ねることもけしてありえない。故に、縁の深いサーヴァントの限定召喚やSE.RA.PHの現界、サクラ迷宮の再現など限定的な使用に留まる。また、本来使えない陣地作成&道具作成をこれによって代用している。
ちなみに右腕の腕輪はこの宝具の一部を極小に具現化したものである。


総評
 自分で作っておいてなんですが、なにこの僕が考えた最強のサーヴァントは……。スキルもヤバイの多いですし、魔力と宝具がEXとかなめてるのかと言いたくなりますね。でも、レベル99のはくのんって後世の評価と併せたらこんなんじゃないでしょうか。ちなみにフラグメーカーは完全にネタなので、スルーしてください。
まあ、ゲームのシステムだからあれなんですが、サーヴァントの攻撃を先読みして潰したりしてる時点で、プレイヤーの誰もがこう思うでしょう。
「はくのんのどこが一般人だ!逸般人の間違いだろ!」と

 もしこいつが聖杯戦争に召喚されたら……。というか、まず召喚自体が困難ですね。縁召喚はジナコor凛の子孫か、本当にただの一般人出ないと無理でしょうし、触媒召喚なんてムーンセルの一部とかじゃないと無理でしょう。でも、召喚できたら極悪なサーヴァントです。なにせ、もれなくキャス狐がついてくる上に、彼自身が成長する化物ですから。そもそも、聖杯持っているんですから、聖杯戦争やる意味がありませんが、彼は「名も無き英雄」でSTを隠蔽してますし、マスターにもムーンセルのことは教えないでしょうから。令呪で全てを明かせといっても、彼には『不屈』があるので無意味ですし、結局大人しく聖杯戦争やるしか無いことに。まあ、どの道敗北は余程のことがない限り無いでしょうが。なにせ交戦する毎に成長し、同じ相手と戦えば戦う程に先読みの範疇に入ってきますから。こいつを倒すには、初見殺しでキャス狐を召喚する前に宝具ブッパして確実に殺すことしかないでしょう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 英雄との邂逅

遅くなりまして、申し訳ありません。ちょっと、リアルでトラブルがありまして、それにかかりきりでした。次話は今月中にあげられるように努力したいと思います。


 燦々と照りつける太陽の光に爽やかな風がそよぐ。ここは新オスティア。亡国ウェスペルタティア王国の王都オスティアの名を継ぐ新都市である。ちょうど、終戦を記念とした祭が開かれている真っ最中であり、人ごみでごった返している。拳闘大会なんてものまで開かれているあたり、復興期にあってもこの魔法世界の住人達は強く逞しく生きているようである。そんな中、人々の耳目を集める者達がいた。男1に女2の組み合わせ。しかも、とびきりの美女二人が一人の男を取り合うように間に挟んで抱きしめるように腕を組んでいるのだから、注目も集めようというものである。

 

 「とてもいい天気ですね。絶好の行楽日和だとは思いませんか、ご主人様?」

 

 「本当ですよね。まるで、私達を祝福しているみたいですよね、センパイ?」

 

 狐耳の妖艶な美女と清楚なのにどこか小悪魔を思わせる美女は輝くような笑みを浮かべて、腕を組んでいる男の顔を覗き込んだ。両者はその豊満な肉体を押し付けるようにしており、彼等がどういう間柄であるのか一目瞭然であった。これが、それぞれ別人に対するものだったらまだ微笑ましいものだが、同一の男性に対してとなると周囲の目は変わってくる。男性側からは嫉妬9割羨望1割の視線を。女性からは軽蔑9割不明1割の視線を。まかり間違っても中心にいる男に好意的な視線など向けられることはない。本当の意味で、社会的に両手に花やハーレムが許されるのは、経済的事情等の例外を除けば物語の中だけなのだ。

 

 「ああ、そうだな」

 

 二人の美女に挟まれたうらやまけしからん男は、それに心ここにあらずといったかんじで相槌をうつだけであった。周囲の目がさらに厳しくなった。男性側は「なんだよその態度、俺と代われよ!」という感じだし、女性側は「あんな美人二人も侍らせて、何が不満なのか」と言わんばかりであった。

 

 「ご主人様、ちょ~っと態度がおざなりじゃないですか?」

 

 「そうですよ、センパイ。きっちり構ってください!釣った魚には餌を与えるべきです」

 

 狐耳もとい玉藻と、小悪魔もとい桜は不満げに頬を膨らませる。周囲ももっともだと心中で頷いていた。もっとも、周囲の心情は次の瞬間変更を余儀なくされたのだった。

 

 「誰のせいだと思っている……お前らのせいだろうが!二人がかりで一晩中とかアホか!いくら私でも、太陽が黄色く見えるわ!」

 

 うがー!と人目を憚らずぶちまける男。そういえば、男は心なしかやつれて見えるし、美女二人は妙に肌にツヤがあるように見える。つまり、これはあれか。周囲の察しのいい者は男の言わんとすることの意味を即座に理解した。理解した大半の女性側の視線が同情と好奇にかわったが、理解した一部の男側は逆にもっと酷くなった。「モゲロ」とか「爆ぜろ」とか、声に出しているものすらいる始末だ。

 

「もう、ご主人様ったら、こんな白昼堂々と……玉藻困っちゃいます~」

 

 いやいやと恥ずかしそうに身をくねらす玉藻。その様子に一段と周囲の男の目がきつくなる。

 

 「センパイったら大胆なんですから!」

 

 それにトドメを刺すようにバシバシと徹を叩く桜。そうしながらも顔を桜色に染めているので、それは誰がどう見ても照れ隠しであった。これで察しの悪い者達も完全に事情を理解した。女連中の反応は先ほどの反応に若干の呆れが混じった程度だったが、男連中のそれは劇的だった。嫉妬とか羨望とか通り越して、最早憎悪の域になりつつあった。

 

 渦中の男、徹は周囲の空気の変化を敏感に感じ取っていたが、どうにもできない。客観的に見て、白眼視されても仕方がないことは理解しているからだ。逆の立場なら、己だって褒められたものではない感情を抱くと予想できるだけに甘受するほかなかった。

 

 だが、周囲の者達は別である。当然、溜まりに溜まった鬱憤を八つ当たりと僻みをこめて晴らそうとする輩も存在した。獲物である女性二人が極上の美人であるだけに、祭の熱に浮かれたのも手伝って、それは加速度的に数を増していった。気づけば、それなりに多くの荒くれが集まっていた。

 

 魔法世界における英雄ジャック・ラカンが彼らに意識を向けたのはそんな時であった。サウザンドマスターの仲間として先の大戦で名を馳せた彼は、終戦記念祭の際に開かれる拳闘大会の裏の出資者であった。元を辿れば戦奴であるが故か、戦闘狂(バトルジャンキー)の気がある彼は今日も大会の出場者でめぼしい強者がいないか、品定めに来ていたのだ。その途中、どうにもよからぬ気配を感じたので、様子をみにきたのであった。

 

 (なんか不穏な気配を感じてきてみりゃ、なんだくだらねえ。リア充野郎に僻みでからもうとしているだけかよ。あー、来るんじゃなかったぜ)

 

 少し開けた場所で荒くれ達が3人を囲んでいるのを横目で見ながら、早々にラカンは後悔していた。正直、助ける意欲がどんどん減退していた。

 

 (とはいえ、あのひょろい男はともかく、あの狐耳の姉ちゃんと紫髪の嬢ちゃんがいいようにされるのは見逃せねえな……仕方ねえ、助けてやるか)

 

 ジャック・ラカン、戦闘狂で基本に粗野で脳筋でおっさん思考だが、彼は女子供には荒っぽいが優しい男である。あのうらやまけしからん男がどうなろうと知ったことではないが、流石に美女の危機は見逃せなかった。

 

 しかし、その心配が無用のものであったことを、すぐにラカンは知ることになった。

 

 

 

 

 「ようよう兄ちゃんよー、見せつけてくれんじゃねえか!」

 

 そんなテンプレのセリフでいかにもチンピラという風情の男が、私達に声をかけてきた。今現在の場所がちょっと大通りから外れた場所であることを考えると、人の目が少なくなるのを待っていたのだろう。

 

 「何か用だろうか?」

 

 周囲を囲むように集まった荒くれ&チンピラ共のだらしのない顔と玉藻と桜をなめまわすように見ているところ見ると愚問だろうが、こちらから手を出すのは頂けない。いくらうっとおしくても、あくまで正当防衛でなければならない。余計な疑いを避ける為にも、いらぬトラブルを自ら起こすのは得策ではない。なにせ、ただでさえこちらは火力が過剰なのだ。こちらから先制攻撃を加えれば、間違いなく一方的なものでやり過ぎにになる。私達が力をふるうには、せめて自衛の為という大義名分が必要なのだ。

 

 「極上の美人を両手に花とはいい御身分だな。一人占めしてないで、俺らにも一人譲ってくれてもばちはあたらねえんじゃねえか?なあ、皆もそう思うよな」

 

 「「「「「おう!!!!!」」」」」

 

 周囲に声をかけ、これみよがしに数を誇示して恫喝してくるチンピラ。一人でいいとか言っているが、実際には玉藻も桜も見逃す気はないに違いない。ようするにこれは、お前は見逃してやるから二人を置いていてけと、言外に私に要求しているのだ。

 

 当然、私がそんな要求をのむわけがない。故に一顧だにせず、即答してやった。

 

 「寝言は寝てから言ってくれ。なんで貴様らに私の大切な女性を委ねなければならない」

 

 「なっ、テメエ状況分ってんのか?!」

 

 傍から見れば絶体絶命の状況で、まさか荒事に不向きそうなひょろっとした男に即座に断られるなど予想だにしなかったのだろう。驚愕と困惑が見て取れる。

 あ、玉藻と桜は大切な女性はどっちかとかで喧嘩しない。どちらも大切だからね。

 

 「人間に獣人に亜人。よくもまあ数だけは集まったものだ。そんなに暇なのか?」

 

 流石は魔法世界というだけあって、私達の周囲を囲む人種というか種族は様々だ。それにしても亜人や獣人まで釣れるとは思わなかった。玉藻目当てだろうか?

 

 「数だけとは言ってくれるじゃねえか兄ちゃん。この状況で、それだけ強がれるのは大したもんだが、腕っぷしも大したことなさそうな上に魔力もてんで感じねえ。はったりはそこらへんにしておくんだな」

 

 なんと目の前のチンピラは希少な感知タイプだったらしい。なんという才能の無駄遣いだろうか。まあ、私だけに意識が向いて、私よりも恐るべき二人についてなんら感じ取れていない辺り程度が知れるが……。それに何より、私の魔力も能力もサーヴァントとしてのスキル「名もなき英雄EX」で、完全に隠蔽秘匿されているのだ。つまり、とんだ見当違いでしかないのだ。

 

 「はったりかどうか試してみるか?」

 

 「テメエ、後悔するなよ!やっちまえ!」

 

 私の余裕が余程癇に障ったのだろう。チンピラは周囲に呼びかけると、そのまま殴りかかってくる。そうだ、そうきてくれないと困る。

 ────でなければ、わざわざ襲いやすい場所へ誘った意味がなくなるのだから!

 

 とはいえ、数の暴力というのは中々に厄介である。まあ、彼我の実力差からして能力にものを言わせて無双することも十分に可能であるが、あまりことを大きくはしたくはないし、過剰防衛だのなんだのでいらん文句をつけられるのも面白くない。何よりも玉藻と桜(腹黒コンビ)が動いて、見るも無残なことになる前に決着をつけねばならない。彼女達は私以外には容赦というものがないからだ。故に、早々に実力の差を理解させて、このくだらない茶番劇を終わらせねばならない。

 

 迫りくる拳を他人事のように見る。サーヴァントの攻撃に比すれば、それは止まって見える程度のものでしかない。まして、私の眼は聖杯戦争において私を優勝者へと押し上げた自ら戦うことのできない私に備わった唯一の武器なのだ。聖杯にもスキルとして認められ評価されたものが、この程度の攻撃見切れないわけがない。

 

 だが、私はかわさない。この場で最大の効果をだすならば、それでは足りないからだ。故に私が選んだのは迎撃だった。

 

 「壱の太刀 疾風」

 

 かつては礼装『空気撃ち/一の太刀』を用いて使用することのできる魔術(CODECAST)[release_mgi(c)]を、こちらの世界の魔法に変換したものを今は礼装なしで使用できる。私の霊格(LV99)と魔力(EX)に比例して威力を増す風の刃は、無慈悲にも男の腕をあっさりと切断し、大地をも深く抉る。血飛沫と共に腕が中空に舞い、男の絶叫が響き渡る。

 

 「お、俺の腕がーーーーー!」

 

 周囲の者達も突然の惨劇に足を止める。狙いどおりである。駄目押しに馬鹿みたいな量の魔力を身内から放出し、この場にいる者達に教えてやることにした。自分達が狙っていたのが、狩られる兎ではなく獰猛な獅子であることを!

 

 「どうした?腕の一本や二本でピーピー喚くなよ。私に対して数を頼みに恫喝した揚句、喧嘩を売ったんだ。このくらいの覚悟はできてたんじゃないのか?」

 

 こともなげにそう言ってやる。目の前の男の惨状には眉ひとつ動かしてやらない。人の死など何度看取ってきたことか。けして逃れることのできない月でのそれに比べれば、この程度児戯にも等しい。ただ、静かに冷たい目で周囲を睥睨した。それだけで、周囲の者達は後ずさった。一罰百戒、思いのほかうまくいったようだ。初撃で腕を落とすのはやり過ぎとも思わないでもなかったが、連中の私に対する侮り具合から、目の前の男だけでなく全員の認識を覆すには少々過激にする必要があると判断した。

 

 「あああ、う、嘘だ!さっきまで微塵も魔力なんて感じなかったのに?!」

 

 隻腕となったチンピラは必死に切断面を抑えながら、恐怖に顔を歪めながら叫ぶ。

 

 「アホか?わざわざ自分がどれだけの魔力をもっているかどうかなんて、表にだすわけないだろう。能ある鷹は爪を隠す。そんなことも見抜けなかった己の間抜けさを呪うんだな」

 

 「そ、そんな!わ、悪かったよ。許してくれ!」

 

 私のたれ流す莫大な魔力から、感知タイプであるが故に余計に力の差を理解できてしまったのだろう。チンピラの顔は痛みと恐怖で凄いことになっていた。

 

 「人の女に手にを出そうとして、それで済むとでも思っているのか?」

 

 私の言葉に玉藻と桜が、「ご主人様の女」「センパイの女」とか呟きながら陶酔しているが、見なかったことにする。

 

 「わ、悪かったよ。許してくれ、この通りだ!」 

 

 さて、どうしたものか。土下座までしたこの男には悪いが、そんなものなんの足しにもならない。正直、玉藻と桜に何をしようとしていたかを考えれば、はらわたが煮えくりかえるし、許し難い。二人の強さからして万が一にもありえないことは分っているが、それでもである。

 だが、まあここまでやれば威圧としては十分だろうし、今後ちょかいを出すことはないだろう。やり過ぎた感がないわけでもなし、玉藻と桜の意識が向けられる前にてうちにすべきだろう。

 

 とはいえ、この男と近場にいた者はともかく、周囲の連中の中には未だ虎視眈眈と玉藻達を狙っている者がいる。ここは念押しにもう一手必要だろう。

 

 「壱の太刀 は……」

 

 念押しに周囲へと当たらない風刃を拡散させようとした時だった。凄まじいとしかいいようのない気配が接近するのを感じたのは。

 

 「ご主人様!」「センパイ!」

 

 それが、どれ程のものであったかは、陶酔していた玉藻と桜が瞬時に我を取り戻し、警戒を促したことから明らかであろう。

 

 すなわち、目の前の巨漢の男はそれ程の脅威ということだ。

 

 

 

 ラカンがとんだ思い違いをしていたことに気づいたのは、徹によってチンピラの片腕が切断されるより前である。歴戦の強者である彼は、早々に男に侍っている二人の美女が只者ではないことを見抜いたのだ。

 

 (ヒュー、あの嬢ちゃん達何者だ?只者じゃねえ。かなりの使い手だ。特に狐耳の姉ちゃんはヤベえ。あれは手を出しちゃいけねえ部類の女だ。こりゃ、いらんお節介だったか)

 

 スキルの関係で徹のことこそ見抜けなかったものの、玉藻と桜の脅威を正確にラカンは見抜く。特に玉藻についてなどはその本性すら感じ取っているあたり、大したものである。

 

 (これは静観して良さそうだな。これじゃあ、万が一はありえねえだろうしな。あの兄ちゃんがどうだかはいまいち分らねえが、あの二人を侍らせてるんだ。それなりにやれるだろう……なっ!)

 

 ラカンは驚愕させられた。ちょっかいをかけたチンピラの腕が突如舞ったことではない。無気力だった男の変化にである。眼が違う。覇気が違う。鋭く周囲を絶対零度の視線で睥睨するその様は、最早完全に別人である。何よりも垂れ流しにしているに過ぎないというのに、その魔力量は異常であった。なにせ、英雄である彼の仲間達にも勝るとも劣らないのだから。

 

 (おいおい、マジかよ……。この俺が見抜けなかったっていうのか?あれ程の脅威を、あれだけの使い手を!そんな馬鹿な、ありえねえ!)

 

 ラカンは自身の実力に絶対の自信を持っている。造物主にこそ遅れはとったが、彼と互角に渡り合えるものなどそうはいないのだから、当然だ。そして、その圧倒的な実力と数多の戦闘経験によって培われた観察眼と戦闘勘にも、相応の信頼を置いていた。だというのに、その自分があれ程の脅威を見抜けなかったというのだから、ラカンの受けた衝撃はもっともなものであった。

 

 (とっ、いつまでも驚いている場合じゃねえな。俺に見抜けないレベルで擬態しやがる奴がいるとは驚かされたが、別に悪い事じゃねえ。むしろ、おもしれじゃねえか!まだ見ぬ強者が世界にはいるってことだ。こりゃ拳闘大会も期待できそうだぜ)

 

 そんなことすら思い、最早無用な心配をしたと踵を返そうとした時、ラカンは再び魔力の高まりを感じた。普段の彼ならば、放っておいたであろう。徒党を組んで人の女を襲おうとした揚句、返り討ちにされようが自業自得であり、彼の知ったことではないからだ。

 だが、生憎と場所と時期が悪かった。仲間の妻で、ラカン自身も多少なりとも惚れていたウェスペルタティア王国女王アリカが守ろうとしたオスティアの名を継ぐ都市であり、彼自身が裏で出資する終戦記念祭の最中なのだ。小競り合いのちょっとした流血ぐらいならともかく、無用な人死には個人としても避けたいのが本音であった。

 

 「チッ!」

 

 ラカンは忌々しげに舌打ちすると、今にも振り下ろされんとする風の刃を防がんと高速で移動した。

 

 

 

 

 

 「いい反応だ。やっぱりただもんじゃねえな」

 

 「貴方は?」

 

 褐色の肌の巨漢はやれやれといった感じで、そんなことをのたまった。見た目は粗野で荒くれといった感じだが、けしてそれだけではない。玉藻と桜が警戒しているのはもちろん、私自身も魔術を中断せざるをえなかった。何よりも、その身から発せられる荒ぶる覇気が、周囲をとりまくチンピラなどとは格が違う存在であることを雄弁に語っていた。

 

 「あ、あんたはラカン?!千の刃のジャック・ラカン!」

 

 それに答えたのは当の本人ではなく、周囲を囲んでいた荒くれの一人だった。驚愕と畏怖がまざまざと浮かんでいた。聞き覚えのある名である。桜が調べてくれたこの世界の情報の中にあった名前だ。先の大戦の英雄「紅き翼」の一員であり、その身一つで戦艦を落としてのける規格外の実力者。『千の刃』の異名は、彼のアーティファクトに由来するらしい。

 

 「おう、俺様を知っている奴がいようとはな。それより分るな?もう、馬鹿騒ぎは終わりだ。本来、テメエらがどうなろうとしったこっちゃねえが、今はそういうわけにもいかねえ。折角の祭をテメエらの血で汚したくないんでな」

 

 流石は英雄、言うことが違う。だが、なぜこのタイミングできたのだろうか。助けるつもりなら、もっと早く割り込んできたはずだ。

 本当のところ、静観するつもりだったということか。人死にがでそうだから介入してきたということだろうか。こちらとしてはそんなつもりはさらさらなかったのだが、まあ初手で腕を切り落としたことを見れば、次手は殺害だと思われても仕方がないか。

 

 ────仕方がない。不満は残るが、ここはひいておこう。わざわざ、この世界の英雄を敵にまわす愚は犯したくないからな。

 

 「いいだろう。貴方が責任を持つというなら、これ以上こちらとしても手を出す理由はない」

 

 「おうよ、任せときな!テメエらもいいな?これ以上やるってんなら、この俺様が相手だぜ」

 

 「ヒイイイ、し、失礼しましたーーー」

 

 這う這うの体で、隻腕になった男が逃げだし、周囲の連中も脱兎の如く一目散に逃げ出した。あっという間にその場に残るのは、私達3人とラカンさんだけになった。

 

 「わりいな、余計なお世話とは思ったんだが、個人的にちょっとした感傷があってな」

 

 意外なことにラカンさんはすんなり頭を下げてきた。余計な世話と言っているあたり、私達の力量を見抜いているようだ。流石は英雄というべきか。

 

 「いや、折角のめでたい祭だ。私としても、いらぬ騒動で水をさしたくはない。まあ、最後は念押しに脅かすくらいのつもりだったのだがな」

 

 私が苦笑してそう応じると、ラカンさんは己の早とちりを悟ったのかバツが悪そうに頭をかいた。

 

 「あー、そうか。すまん、こりゃ本当に余計なお世話だったな。初っ端に腕を落としたからよ、てっきりなっ……」

 

 「いや、いいさ。そう思われても仕方のないことをしたしな。正直、やり過ぎた感は否めないしな」

 

 「ご主人様、何をおっしゃられますか!ご主人様をなめくさって馬鹿にした罪は、万死にに値します。私をあの汚らわしい目で視姦しやがったこともあわせて、呪殺してやろうかとどんなに思ったことか。ご主人様はお優しすぎます!」

 

 玉藻さん、視姦とかいうなら、その露出の多い格好はどうにかなりませんかね?ご主人様に見てもらう為って、そら嬉しいですけど結構目の毒なんですよ。それに君、その方が良かったとはいえ対処私任せでしたよね。

 

 「そうですよ。あんな塵屑がセンパイと言葉を交わすどころか、見下すなんてあってはいけないことです。今すぐにでも、リップでペチャンコに潰してやりたいところですよ!」

 

 桜さん、君もアウトー!私のことを大切に思ってくれるのは嬉しいけど、リップでペチャンコとか玉藻の呪殺なみに洒落になってないから。生きたまま不可逆圧縮されるとか地獄だからね。

 

 「ははは、二人とも気持ちは嬉しいけど、少しおちついて。思考が物騒になってるから。ラカンさんがドン引きしているから」

 

 ラカンさんが見てはいけないものを見たという感じで思わず後ずさりしているのを見て、愛が重いと思いつつ必死に宥める。

 

 「……お前、苦労しているんだな」

 

 そんな私に何かを悟ったような顔で、しみじみと肩をポンと叩くラカンさん。

 ────同情などいらぬわ!同情するぐらいなら、私に平穏をくれ!

 

 「はっ、いけません。黒桜(BB)につられて暗黒タマモモードになっていました!こんな怨念はぽい捨てしちゃいましょう。ご主人様、御安心を。貴方の良妻狐が戻ってきましたよ」

 

 「ちょっ、この駄狐!全て私のせいにする気ですか?今更猫被っても遅いですよ。大体、貴女はあっちが本性でしょうが!」

 

 ああ、分っていたさ。分っているとも。この二人を選んだ時点で、私の人生に平穏などないことを。なにせ、筋金入りの呪い系ヤンデレである。平穏などという言葉は、もとより縁の遠い言葉だったのだから。

 

 「あー、なんだ。もてて羨ましいことだな」

 

 それ、本気で言っているのかラカンさんよー。欠片も羨ましくなさそうな顔で言われても説得力皆無なんだが。それどころか、自分はごめんだって顔じゃないか。

 

 「それ本気で言ってる?」

 

 「すまん、悪かった」

 

 私のどすのきいた声にラカンさんはあっさり白旗を上げた。そうだ、分ればいいのだ。

 

 「ご主人様、それどういう意味ですか?」「センパイ?」

 

 君達、現在進行形で言い争っていたはずなのに、こういう時は仲良いよね。というか、なんという地獄耳か……。

 

 「……」

 

 ラカンさんは巻き込むなという顔で、知らん風を装っている。くっ、薄情者め!

 

 「美人な奥さんが二人もいて、私は幸せ者だなあという話だよ」

 

 「おや、そんなこといってましたっけ?」

 

 「そうですよね、もっと違う話でしたよね?」

 

 むう、この程度では誤魔化されてくれないらしい。仕方がない。気はすすまないが、たまには本音を出すとしよう。

 

 「二人を選んだことに後悔はないし、私は幸せ者だというのも嘘はない。心からそう思っているよ」

 

 「ご主人様……」「センパイ……」

 

 頬を朱に染めてこちらを見つめる玉藻と桜。うっ、そんな目で見ないでくれ。想像以上に破壊力が高い。いかん、人前だというのに欲情しては駄目だ。

 

 「ワ、ワンモアプリーズ。い、いまの言葉、もう一度お願いしますっ……!」

 

 しかし、その空気をぶち壊した者がいた。蚊帳の外にされたラカンさんではなく、他でもない玉藻であった。相変わらずシリアスブレイカ―というか、あれな娘である。

 

 「イチャつくなら、お前らだけでやってくれねえか」

 

 青筋を立てながらラカンさんも苦言を呈してきた。これは失礼した。今回ばかりは、玉藻に感謝である。

 

 「すまない、とんだ失礼をした」

 

 「いや、いいさ。だが、その様子じゃ俺の詫びは必要なさそうだな」

 

 「詫びですか?筋肉達磨さん」

 

 ちょっ、玉藻。確かにその通りだが、遠慮なさすぎだろ!

 

 「きんに……いや、いい。いらんお節介をした詫びだ。俺が出資している拳闘大会っでも特等席で見せてやろうかと思ったんだが……いるか?」

 

 「拳闘大会ですか?それはどんなものなのですか?」

 

 ラカンの申し出に食いついたのは、意外にも一番縁が遠そうな桜であった。

 

 「おっ、興味があるかい嬢ちゃん?魔法世界中の猛者が集まって、トーナメント方式でやりあうのさ。まあ、俺ほどじゃないがな」

 

 トーナメント方式とは、表の聖杯戦争を思い出すな。あれも特殊な形式ではあったが、トーナメント方式だったし。

 

 「センパイ、私見てみたいです!」

 

 「ご主人様、桜さんもこう言っていることだし見てみませんか?私としても、この世界の強者に興味があります」

 

 勢い込んで言う桜に玉藻が同調する。

 

 「二人がそう望むなら、私は構わないよ。ラカンさん頼めるかな?」

 

 二人が望むなら、私に否はない。それに私としても、純粋に見る方に回るのは前世以来だ。興味が無いわけではない。

 

 「おうよ、任せときな。最高の席を用意してやるよ。それから、さんはいらねえ。ラカンでいいぜ。そういや、お前らの名は?」

 

 ラカンに問われ、そういえば自己紹介すらしていなかったことに今更気づいた。

 

 「これは失礼した。私は黒桐徹、賞金稼ぎをしている。先の大戦の英雄『千の刃』の異名をとるジャック・ラカンに会えて光栄だ」

 

 「私はその妻の黒桐玉藻です。わけあって、本名は身内にしか許していません。非礼は承知ですが、どうかキャスターとお呼びください」

 

 ちゃっかり、自分の名前の前に黒桐をつけて妻となのる玉藻。自己紹介の中にさらりと自己主張してのけるとは、流石は権謀術数に長けたと言われる金毛白面九尾である。自分だけの特権が侵されたのに桜が歯噛みしているが、この場では負けを認めたのか苦々しい顔で自己紹介した。

 

 「なっ、玉藻さん!くっ、同じく妻の黒桐桜です。私も同じくです。BBとでもお呼び下さい」

 

 「おう、よろしくな!徹にキャスターにBBだな。覚えたぜ」

 

 しっかり玉藻と桜の本名を避けるあたり、この男見た目に反して意外に紳士的な男なのかもしれない。

 

 「じゃあ、ついてきな。案内するぜ」

 

 こうして、私達はラカンと知り合った。この出会いが、さらなる波乱を起こそうとはこの時の私達には知る由もなかったのである。




ラカンの口調がうろ覚えでかなり怪しいです。オレ様であってたでしょうか?今、手元に原作がなく確認のしようがないので、後で自分でも確認するつもりですが、何かおかしいところがあったら、御指摘頂けると助かります。
後、何気にチンピラの口調に苦戦しました。テンプレのチンピラってどんなんなんでしょうか?なんというか、前時代的というか、世代が違うチンピラになってしまった気がします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 バグキャラ対決

原作でバグキャラといわれてるだけあって、使いやすいラカンさん。普通なら信じられないことでも、ラカンならやりかねない。そんな感じで納得できてしまう。まあ、聖杯持ってる主人公もバグキャラと大差ないかもしれませんが……。


 「準備はいいな?」

 

 「ああ、こちらはできている」

 

 「よし、なら始めるぜ!血わき肉躍る闘争をな!」

 

 そう言って、魔法世界の誇る英雄ジャック・ラカンはこちらへと駆け出した。何の技巧をこらしたでもない真っ直ぐで単純な拳。だが、極限まで鍛え抜かれた肉体から繰り出されたその速度は恐るべきもので、その巨躯も相まって秘めた破壊力は底知れない。

 

 「……!」

 

 先のチンピラなどとは比べるのもおこがましい。その速度と威力は、私の知るサーヴァント達にも比肩しよう。故に、私が選べたのは回避だけだった。直撃は絶対に避けねばならない。でなければ終わる。そんな確信すらあったほどだ。

 

 ────そして、それはなんら間違っていないかった。

 私が先ほどまで立っていた大地を深々と抉り取ったことが、その証左であった。

 

 「へへへ、そうこなくちゃなっ!」

 

 常人、いや並の使い手ならば、必殺といえる一撃を躱されたというのに、ラカンの顔に浮かぶのは落胆ではなく、むしろ、心の底から楽しそうな笑みを浮かべていた。

 

 「当たり所が悪かったら、死んでたかもしれんというのに……この戦闘狂(バトルジャンキー)め!」

 

 私は毒づく。信じられないことだが、ラカンはサーヴァントSTにして、筋力B敏捷C+はある。そして、突き抜けた能力によって繰り出された拳の破壊力たるや、確実にBランク以上の威力である。生身で、英霊たるサーヴァントの領域に至るとは、流石はこのトンデモ世界の英雄である。極限まで鍛え抜かれた肉体と数多の戦闘経験の成せる技なのだろうが、正直異常である。この世界に座が存在するとしたら、確実に召し上げられるのは間違いないだろう。

 

 「そうは言うがな。お前は、曲がりなりにも俺の本気の一撃を躱した。気での強化なしとはいえ、俺の本気だぜ。それも初見で何の強化もなくだぜ。これで血が滾らねえなんてことがあるわけねえだろ!」

 

 「貴方に分からないように強化しているかもしれないだろう。それに……初見じゃない」

 

 「なんだと?」

 

 「貴方が割り込んできたときだ。その時、貴方の動きは見せてもらった」

 

 そうでなければ、初手で様子見を選択した私には完全な回避は困難だったはずだ。

 

 「……あん時にすでに俺の動きを見切ってやがったのかよ」

 

 「まさか、そんなことができるなら苦労しないさ。ただ、私は目には自身があってね。それに速い攻撃には慣れているというだけの話だ」

 

 「おもしれえ……お前がどこまでついてこられるか、見せてもらおうじゃねえか!」

 

 ラカンの全身に生気が滾り、覇気が発散される。

 

 ────来る!初撃とは比べ物にならない一撃が!

 

 無論、私も座して見ているわけではない。

 

 「迅雷!」

 

 『迅雷』礼装『強化スパイク』を用いて使う魔術(CODECAST)[move_speed]は、自身で戦うことができないかつ手の時は精々アリーナ内での移動速度を上げるものでしかなかった。しかし、自ら戦うことのできる今は、私自身の身体能力を上げる強化魔法として作用する。今や、私の敏捷はA-相当であり、ラカンとの能力差は明らかであった。

 だが、魔法世界の英雄はそんなものを楽々と飛び越える。いや、それができるが故に彼は英雄と呼ばれるのかもしれない……。

 

 莫大な生命力によって、全身を強化したラカンは易々と私の動きについてくきたのだ。私の動きをある程度予測しているというのもあるだろうが、それ以上に根本的に能力差を縮められているのだ。今のラカンを評価するなら筋力A敏捷B+というところだろうか。なんと概算で3ランクも上がっているのだ。私の魔術では最大2ランク上昇どまりだというのに、なんという強化率であろうか。少し理不尽なものを感じる。

 

 「オラー!」

 

 雄叫びと共に振るわれる剛拳。我流でありながら洗練されたそれは、破壊力を余さずインパクトの瞬間に伝え、全てを粉砕するだろう。間違いなくAランククラスの攻撃。先のものとは違い、動けなくなる程度は済まないだろう。直撃すれば確実に即死だ。

 

 しかし、一手遅かった。もし、これで勝負を決めるつもりなら、初手でラカンはそうするべきだったのだ。威力・スピードこそ違えど、私はすでにその拳撃を見ているのだから。そして、この身は人ならざるサーヴァントなれば、かつての人の身では見えていても反応が間に合わなかったろうが、今の私には見えている以上反応することができる。

 

 「壱の太刀 疾風」

 

 チンピラの時とは違うかけねなしの全力の風刃が、ラカンの拳とぶつかり鬩ぎ合う。が、それも僅かのことであった。ラカンの拳は風刃とほんの少しの間拮抗したが、最終的にあっさりと風刃をぶち抜き、標的たる私へと迫る。

 

 『疾風』によりできた僅かの間に『迅雷』で上がった敏捷により直撃を避け、かつ無詠唱で『守護符』を使い、耐久を1ランク上昇させて護りをかためる。

 

 「がああっ!」

 

 だが、それでもこの世界の英雄の拳は重かった。拳を受け止めた両腕から、メキボキという嫌な音が響く。なんのことはない、打点を外した上に両腕でガードしたというのにあっさりと両腕を折られたのだ。ラカンは明らかに秩序に属する男ではない。故に『無辜の大罪人』によるダメージ補正はない。すなわち、ラカンは素で、サーヴァントのSTにして耐久A-をぶち抜いて、私にこれだけのダメージを与えたということに他ならない。

 

 そして、何よりも接近戦はラカンの本分なのだ。ならば、ここで終わりなはずがない。当然の如く追撃の拳が迫る。

 

 このままでは間に合わないと私は判断する。今の私の敏捷はA-、ラカンはB+といったところだが、その1ランク差をラカンは戦闘者としての経験と勘で埋めてきている。速いというよりは巧い。彼は適確に私の逃げ道を潰しながら、追撃を加えているのだ。

 これはある意味、どうしようもないことだ。私の戦闘経験の大半は玉藻に護られながらのものである。その密度や過酷さはラカンにも劣ることはないだろうが、純粋な意味での戦闘者としての経験はこの魔法世界でのものだけだ。戦奴からその腕一つで英雄まで成り上がったラカンとは、厳然たる差があるのは当然だ。

 しかし、だからといってこのままやられるのは御免である。

 

 ────仕方がない。少し無茶をすることにしよう。

 

 「疾風迅雷!」

 

 『迅雷』による身体能力強化に『疾風』によって風の加速を与える。瞬間的にではあるが、Aの敏捷を得ることができる。魔術(CODECAST)の多重行使など、本来ならかなりの負荷だが、私には関係ない。1ランク差は埋められても、2ランク差を埋めるのは容易なものではない。私はすんでのところで、ラカンの魔手から逃れることに成功する。

 

 「おおっ!」

 

 だというのに、盛大に空振った張本人であるラカンは落胆するどころか、喜悦も露わに感嘆の声を上げたのだ。どうやら、避けられたのが嬉しかったらしい。この男、骨の髄まで戦闘狂(バトルジャンキー)のようだ。もっと見せてくれと言わんばかりの顔で、まだまだやる気いっぱいだった。

 

 ────こっちは一応奥の手である多重行使まで出したというのに、冗談じゃない!

 

 それにしても、予想していたことではあったが、こちらが明らかに不利だ。戦闘者としての差が如実に現れてしまっている。こちらにきてから(ユリウス)のサーヴァントであるアサシンに請うて、それなりに腕を磨いてきたつもりだったが、ラカン相手には全くと言っていい程に通用しない。これはアサシンがラカンに劣るというわけではない。偏に私の未熟さが原因だ。アサシンに言わせれば、功夫が足りないといったところだろうか。

 

 だが、そんなのは当然だ。私は本来一人で戦う者ではない。それどころか、本質的に戦闘者ではない。それは私の宝具が玉藻であることが何よりの証明だ。結局、私にできることは意志を曲げることなく己の道を貫徹することだけなのだ。そう、この身はけして歩みを止めることはない。相手が誰であろうともだ。

 

 考えてみれば、この世界に来て本来の自分を見失っていたように思う。自分が戦えると言う事実に浮かれて、サーヴァントの圧倒的能力に甘えて。玉藻と桜には不甲斐ないところ見られてしまったものだ。夫として、男として情けない限りである。ここへきて、ようやく私は自分の愚かさに気づくことができた。先の家族会議で指摘されたと言うのに、自覚が足りなかったらしい。まったく汗顔の至りである。

 

 ────だが、ここからは違う。本来の私に立ち返ろう。あの二人が愛してくれた本当の意味での私に! 

 

 

 

 

 

 「ご主人様、ようやく気づかれたのですね!」

 

 主の眼が、表情が変わったのを玉藻は見逃さなかった。とはいえ、それはライバル()も同じだったようだ。

 

 「センパイ!」

 

 桜が輝かんばかりの笑みを浮かべていた。

 

 「やはり貴女も気づいていましたか、BB?」

 

 主の前ではその意を汲んで桜と呼ぶようにしているが、玉藻にとって桜とは『白い桜』のことだ。唯一、直接宣戦布告もされたこともあるし、主がいない時はBBと呼ぶようにしている。それに応じてか、桜も玉藻のことをサーヴァントとしてのクラスで呼ぶ。これは主の知らない二人の秘密である。

 

 「ええ、キャスターさん。そんなの当然のことでしょう」

 

 玉藻の問にあっさりと答える桜。玉藻からすれば少々癪ではあるが、彼女もまた主に想いを寄せる者であり、主をずっと見守ってきた者だ。それは当然なのかもしれない。

 

 「あの筋肉達磨とご主人様には厳然たる差が存在しますからね。最初から、ご主人様に勝ち目などありません」

 

 「センパイもそれは理解していたでしょうに、それでもセンパイは勝負を受けた」

 

 呆れたように嘆息する玉藻に、桜も同調する。実のところ、彼女達は怒っていたのだ。自分達を伴わないで単独で戦いに挑んだ想い人に。

 

 「ご主人様の本領は補助と先読みによる戦術指揮だというのに」

 

 「私もキャスターさんも連れて行かないんですから……」

 

 そう、二人の言うように聖杯戦争の覇者たる徹の強みは、戦闘者としての単独での強さではない。彼の真価は共に戦う者がいて、初めて発揮されるものなのだ。だというのに、ラカンという生身でサーヴァントに迫る圧倒的強者に対して、単独で挑んだというのだからそれは自殺行為に他ならない(彼だけに許された究極宝具を用いれば話は別だが、あれはそもそも使えばそれで全てが終わるという反則技だし、当の本人が本来の形ではけして用いないと宣言しているので、除外する)。

 

 それを理解していながら、玉藻と桜がその暴挙を静観したのは、徹の眼が覚めることを願ってのものだ。

 

 「流石は筋肉達磨。あの見た目は伊達ではないということですね。おかげご主人様も、本来のご自分を思い出されたようです。ただ、ご主人様の両腕をへし折ったことは断じて許すまじ!」

 

 ほっとしたような声で主の目覚めを喜ぶ玉藻。ただ、後半部分は底冷えのするような声色だったりするあたり、それとこれとは話が別のようである。 

 

 「キャスターさん、落ち着いてください!私だって、必死に抑えているんですから」

 

 そんな玉藻を宥める桜だったが、その実自分に言い聞かせているようで、彼女もかなりきているようだ。

 

 「さて、ご主人様いかがされますか?相手は強敵。生身でサーヴァントに匹敵するバグキャラです。今まではうまくいなされていましたが、いつまでも続きませんよ。如何にご主人様といえど、単独では勝利はありませんよ。であれば……」

 

 「そうですね。いくらセンパイでも、いつまでもこんなやり方では続きません。打てる手は……」

 

 二人がそうこう言っている間にも、戦いは続いている。距離を離して、風刃を連発し近づけまいとする徹に対し、拳でそれを打ち砕き確実にその距離を詰めていくラカン。状況は圧倒的にラカンが押していた。

 

 とはいえ、徹もただ接近を許しているわけではない。

 

 「弐の太刀 烈風!参の太刀 轟風!」

 

 『疾風』よりも強力な『烈風』に『轟風』をも織り交ぜて行使し、ラカンの行く手を阻む。されど、ラカンは適確にそれを見切り、それぞれに見合った威力で相殺し、歩みを止めることはない。

 

 「ご主人様、そのバグキャラに小手先の魔術では対抗できませんよ。早く私を!」

 

 「センパイ、気づいているはずなのになんで?!」

 

 未だ一人で戦うことをやめない徹に、玉藻と桜は疑問の声を上げる。気づいているのになぜと……。そんな二人の思いを知ってか知らずか、徹は切り札の一つを切ろうとしていた。

 

 「終の太刀 黄泉風」

 

 今までとは段違いの風が収束し、巨大な風の刃と変化し、ラカンへと迫る。速度、破壊力共に最速・最強の一撃。これぞ、徹の切り札である最強の風の攻撃魔術『黄泉風』である。『疾風』『烈風』『轟風』の多重同時行使。同系列のそれらを一まとめにして収束し振るわれるそれは、EXの魔力と相まってAランク以上の威力となって、敵を切り裂く。

 

 「確かにそれならば……ですが?!」

 

 「センパイ?!」

 

 ラカンが黄泉風を正面から受け止めるのを横目で見ながら、玉藻と桜は徹の真の狙いに気づき、思わず二人して抗議の叫びを上げた。

 

 

 

 「「なんで私じゃなくて、その娘なんですか!!」」 

 

 

 

 

 

 「終の風 黄泉風」

 

 今までとは格の違う風の攻撃魔法が来ることをラカンは悟った。風は基本的に不可視であるため、肉弾戦を主体とする彼にとっては厄介な攻撃である。しかし、尋常ならざる戦闘経験と勘によって、ラカンはそれをある程度察知できるのだ。

 

 (これがこいつの切り札か。本当にびっくり箱みたいな奴だぜ。……なめてたのは俺の方か。3対1だったら、ヤバかったかもしれねえ)

 

 ラカンは思いの外、この戦闘を楽しんでいる自分に驚いていた。元を辿れば、徹達三人組の力量を見て、拳闘大会にラカンが期待し過ぎたのが原因である。それは例年よりも少しレベルが低い程度のものだったのだが、過剰に期待していたが故にラカンの落胆は大きかった。はっきりいってしまえば、ラカンは不完全燃焼であった。その熱をどうにか吐き出そうと、徹達に手合わせを申し込んだのだがこの戦いの発端である。

 

 当初、ラカンはあまり期待していなかった。3対1を想定していたのに、なにをトチ狂ったのか徹が1対1を申し出たからだ。完全な後衛型の魔法使いが、護衛役なしにガチの前衛近接型のラカンに敵うはずがないと考えていたからだ。ラカンの仲間であるナギやアルといった例外中の例外を除けば、それは当然の結論である。

 

 だが、それはとんだ思い違いであることをすぐに教えられた。意識を刈り取るつもりで放った初撃をあっさりと躱されたからだ。気での強化がないとはいえ、手加減抜きの己の本気の拳をである。否応無く血が滾るのをラカンは感じた。

 

 だから、次は正真正銘の本気だ。気で強化された全力の一撃。並の人間ならば、ミンチどころか跡形もなく吹き飛ぶ威力のそれを両腕を犠牲にするだけで防ぎきったのだ。大した奴だとラカンは本気で感嘆した。

 しかも、あろうことか、ダメ押しの追撃をも躱してみせたというのだから、最早ラカンはたまらなかった。思わず喜悦の声が出たのも無理は無い。

 

 そこからさらに相手の雰囲気が変わったのだ。何よりも眼が違う。何かわやらかす者の眼だとラカンは本能的に察し、そして悟った。この男はまだまだ自分を楽しませてくれるのだと。

 その答が目前に迫る巨大な風の刃だ。密度や込められた魔力が、今までとは文字通り桁が違う。

 

 (こいつは流石に腰を据えて、迎撃しねえと俺でも腕が飛ぶな。だが、これさえ凌げば野郎に後はねえ。白兵戦では俺に分があるのは明らかだし、俺との接近戦を嫌って、距離を離したのは間違いねえからな。もう、次は距離なんぞとらせねえ。これで決める!)

 

 「ウオオオーーーー!」

 

 全身に力を込め、それでも足りぬと言わんばかりに気による強化を施し、巨大な風刃に相対する。抱きしめるように抱え込み、消滅させんと力をこめる。肩口に風刃がめり込むのを感じるが、知ったことかと無視して力を注ぐ。

 

 ラカンは驚いたことにその巨大な風刃をその身一つで、見事受け止めて見せたのだ。足が大地にめり込んでいるが、後ろへさがることはけしてなかった。 

 

 「ぬうううううん、セイッ!」

 

 そして、あろうことかついには打ち勝った。莫大な魔力が込められた風の刃をラカンはついには己の身一つで打ち消して見せたのっだった。当然、ラカンも相応に消耗したが、それでも未だ十全に力を振るえる。

 とはいえ、休んでいる暇はない。徹が追撃も邪魔もしてこなかったのは、次撃の用意をしている為だと魔力の高まりから、ラカンは考えていたからだ。故に、すかさず距離を詰めようとして────彼は止まらざるをえなかった。

 

 先ほどまで存在しなかった気配を感じたが故に。

 

 「お前は何者だ?」

 

 

 

 

 

 

 「終の太刀 黄泉風」

 

 荒れ狂う風の刃の嵐をものともせずに向かってくるラカンに対し、私は躊躇いなく奥の手をきる。これならば、多少の時間は稼げるはずだ。このままでは勝てない。元より私の真価は一人では発揮できないのだから。

 故に召喚する必要がある。己と共に戦ってくれるの者を。

 

 宝具である玉藻及び従者である桜ならば瞬時に召喚できるが、それでは玉藻と桜の力を借りないと言った手前、情けなさすぎる。とはいえ、あまり縁が薄いサーヴァントだと召喚に応じてくれるかも不明だし、何より時間がかかる。故に、ここは彼女に頼もうと思う。私と縁深き、短い間とはいえ命を預けたことのある彼女に。

 

 「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。祖には偉大なる同朋たる朱き月。

  降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 「閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

  繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 

 

 ラカンが全身で巨大な風刃を受け止めるのが見えた。なんという化物か。掛け値なしの本気の一撃だったというのに。いや、今はそんなことはどうでもいい。今は彼女をここへと到る道を創り出すのが先決である。

 

 「――――告げる。

  汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

  我が聖杯の記述に従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 「誓いを此処に。

  我は常世総ての善と成る者、

  我は常世総ての悪を敷く者」

 

  

 ラカンが全身に力をこめるのがわかる。あれを生身の肉体で力ずくで打ち消そうとか、本気で頭おかしいと思う。とはいえ、急がなければならない。このままではギリギリ間に合うかどうかといったところだ。高速詠唱、仕事してくれよ!

 

  「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 

 七天の聖杯(セブンスヘブン・アートグラフ)の一部機能を用いた縁の深いサーヴァントの限定召喚。聖杯を所持する私だけに許された反則技だ。右手の甲に三画の令呪が刻まれるのを感じる。どうやら、成功したようだ。同時に、黄泉風が消し飛ばされたのを感じとる。

 

 ――――本当にやってのけるとは、信じられない男だ。いや、なればこそ、こちらも全力で応えよう。

 

 「もういいように召喚してくれちゃって……。私、そんなに安い女じゃないのよ。マスター?」

 

 鮮血を思わせる紅の髪に、白磁の肌に途轍もない美声。だが、その髪から突き出る二本の角とその背からでている竜尾が、彼女がただの人間ではないと主張している。

 

 「急な召喚ですまない。悪いが力を貸してもらうぞ、ランサー」

 

 「もう、しょうがないわね。売れっ子アイドルの辛いところだわ。いいわ、貴方が望むなら、今一度ステージに登ってあげるわ!」

 

 私の言葉に応えるように高らかに叫ぶと、その特徴的な槍を構え、私の前に降り立った。

 鮮血魔嬢エリザベート=バートリー。かつて月の裏の聖杯戦争において、ランサーとして2度、バーサーカーとして1度、都合3度敵として戦い、最後には一時的とはいえ私の矛として働いてくれた彼女は、私との縁の深さは折り紙付きである。

 

 玉藻と桜を除けば、数多いるサーヴァントの中でも一度組んだこともあるだけにこちらとしてもやりやすい。だから、私としてはベストな選択だと思っている。

 

 「「なんで私じゃなくて、その娘なんですか!!」」

 

 そんな叫びが聞こえたが、私は努めて聞こえないフリをする。下手に反応すると、後で余計に酷いことになることが分かっているからだ。

 

 「ホーホッホッ、嫉妬の視線と言葉がきもちいいいわ!腹黒狐と黒い桜はそこで見ているといいわ。私とマスターの晴れ舞台を!」

 

 あのー、エリザさん。あんまり煽らないでくれます。後で、酷いめにあうの私なんですけど……。

 

 「お前は何者だ?」

 

 流石はラカン。見た目に惑わされず、エリザの本質を見抜いたようだ。警戒も露に問う。

 

 「知りたい?知りたいわよね!いいわ、教えてあげる!鮮血魔嬢エリザベート=バートリー、我が主の槍として、ここに推参よ!」

 

 無い胸を張って、高らかに名乗りをあげるエリザ。まあ、この世界で知られたところで、どうということはないだろうから、構わないとはいえ……世界広しといえど、いきなり真名を堂々と明かすのは彼女くらいのものではないだろうか。

 なにはともあれ、ここからが本番である。

 

 ――――魔法世界の英雄ジャック・ラカンよ、貴方の力はとくと見せてもらった。そのおかげで私は本来の己を取り戻すことができた。心から感謝しよう。

 故に、今度は私の真価をお見せしよう。それが私にできる貴方への最大の返礼だと思うから……。




ついに第三の呪い系ヤンデレ登場です。彼女は書いていて楽しいですね。改心済なので、ブラッドバスはやりませんし、主人公達を子豚呼ばわりはしません。彼女の活躍にご期待下さい!
ちなみに作中で真名を明かすのはエリザくらいとか言ってますが、これは彼が征服王や英雄王を知らないというか、忘れているからです。

※術技解説
『壱の太刀 疾風』 
原作での必要礼装は『空気撃ち/一の太刀』で使用可能になるrelease_mgi(c)が元。フィールドアタックでスタンを起こし、敵を避けるなどの用途に使用する。MP消費は10。
こちらの魔法として変換されて、疾風と名付けられる。風というか大気を操る魔法であり、風の刃だけでなく、風弾や移動補佐にも使用可能。

『弐の太刀 烈風』 
原作での必要礼装は『空気撃ち/二の太刀』で使用可能になるrel_mgi(b)が元。フィールドアタックで2手スタンを起こし、低レベルなら敵撃破も可能。MP消費は15。
こちらの魔法として変換されて、烈風と名付けられる。速度・威力・効果等は疾風より上。後は疾風と同様。

『参の太刀 轟風』 
原作での必要礼装は『空気撃ち/三の太刀』で使用可能になるrel_mgi(b)が元。フィールドアタックでスタンを起こし、低レベルなら敵撃破も可能。MP消費はなし。
こちらの魔法として変換されて、轟風と名付けられる。速度・威力・効果等は烈風より上。後は疾風と同様。

『終の太刀 黄泉風』
原作での該当はなし。本作オリジナル魔法。
『疾風』『烈風』『轟風』の多重同時行使。これらを収束し一度に放つ。霊格の差と魔力量に比例して威力が向上する。LV99、魔力EXの徹ならば、Aランク相当の威力。

『迅雷』
原作での必要礼装は『強化スパイク』で使用可能になるmove_speed()が元。フィールド上での移動速度を上昇させる。MP消費は20。
こちらの魔法として変換されて、迅雷と名付けられる。単なる移動速度強化ではなく全身の身体能力強化の魔法となった。敏捷を1ランクアップさせる。ネギま!でいう魔力による肉体強化がこれにあたる。

『疾風迅雷』
原作での該当はなし。本作オリジナル魔法。
その名の通り、『疾風』と『迅雷』の多重行使。瞬間的に敏捷を2ランク上げる。すでに『迅雷』を行使している場合は1ランク。簡単に言えば、風にのるといった感じになる。

『守護符』
原作での必要礼装は『守りの護符』で使用可能になるgain_con(16)が元。サーヴァントの耐久を強化す。MP消費は20。
こちらの魔法として変換されて、守護符と名付けられる。耐久を1ランク上げる。肉体を強化するのではなく霊格自体を強化するものであり、それに伴い肉体的強度が上がる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 鮮血魔嬢

 『やりにくい』

 

 

 ラカンがエリザと相対した時に思った偽らざる感想だ。エリザは身長やその容姿、特にその二本の角が、彼が良く知る女性を想起させたからである。

 そう、ヘラス帝国の第三皇女『テオドラ・バシレイア・ヘラス・デ・ヴェスペリスジミア』にだ。公的には淑やかにしているが、その実本性はじゃじゃ馬であるというあたり、そっくりだと。

 

 まあ、こちらは本性を隠そうともしてないし、あちらはもっとナイスバディだったかと、エリザの気の強そうな顔と起伏の乏しい肉体を見ながら思い直すラカン。

 

 (それにしても、鮮血魔嬢とはまた大層な二つ名だな。竜人ってやつか?いや、あの竜尾と何よりこの気配、あの譲ちゃんは本物の竜だ!まあ、そうだとすりゃあ、見た目とは違いすぎる物騒な異名にも納得できるってもんだが……)

 

 ジャック・ラカンは、徹が感じ取ったとおり真性の戦闘狂(バトルジャンキー)である。元を辿れば『紅き翼』の一員どころか、その討伐を命じられた刺客として雇われていたのであり、明確な敵であった。だが、その際ナギと戦ったことがきっかけで彼らの仲間になったという筋金入りの戦闘馬鹿である。それこそ俺より強い奴に会いに行くというノリで行動していたことすらあり、帝国守護聖獣の古龍とすら引き分けたと言う普通なら信じ難い伝説すら持っている。それ故にか、ラカンは竜種については他者よりも知っている。特にその気配には敏感であった。

 

 いや、そんなものなくとも、他ならぬ己が千載一遇のチャンスを前に思わず足踏みせざるをえなかったのだ。それはラカンの数多の戦闘経験と培われた戦闘勘が、己の生存本能に囁いたからだ。突如現れた目の前の少女が、明確な脅威であると……。

 

 

 

 

 誰かと共に戦って、はじめて己はその真価をはっきするというのに、わざわざ自分から1対1を言い出すとか……ないわー。この世界の英雄に対し、自分1人でどこまでやれるか試したかったという気持ちがあったのは確かだが、それで己の本来のスタイルを見失うなど本末転倒だろう。

 

 認めよう。私はサーヴァントとしての能力を過信し、その力に酔っていたのだ。己が戦えるという事実に浮かれ、己の本分を見失うほどに。なんとも、みっともない話である。

 

 それを本当の意味で自覚させてくれたラカンには感謝することしきりだが、同時にこのままではあまりにも不甲斐ないというものだろう。せめてものラカンへの返礼として、私の本領を味わってもらわねばなるまい。

 

 「貴方ほどの相手に1人で挑むなど、私は己を見失っていたらしい……。

 ラカン、許してもらえるなら、仕切り直したい。今度こそ、私本来のスタイルでお相手させてもらうよ。実質2対1になるが構わないか?」

 

 「おう、構わねえぜ。その竜の嬢ちゃんはお前さんの護衛役の使い魔みたいなもんだろう?それも含めてお前さんの力だろうし、お前みたいなタイプにはいて当然だろうしな。それに元々俺は3対1を想定してたんだからな。それが2対1になったところで構いやしねえ。それにお前の本領が見れるって言うなら、むしろ、歓迎よ!」

 

 「マスター相手に凄い自信ね、貴方。私とのタッグ程じゃないけど腹黒狐に黒桜、そのどちらかでも参戦したら、貴方に勝ち目はないと思うわよ」

 

 自信ありげにドンと来いと胸を叩くラカン。それに呆れたように呟いたのはエリザだった。

 

 「私を差し置いて、あのトカゲ娘が!生娘の分際で……!」

 「センパイのベストパートナーは私です!」

 

 玉藻と桜から嫉妬混じりの怨嗟と文句の声があがるが、実際のところSTだけでいえばエリザの言う事はそう的外れでもない。彼女は己という例外を除けば、総合的なSTではこの場で最も優れたサーヴァントは、紛れもない事実なのだから。桜ことBBはスキルの方が本体なところがあるし、運営側から最弱のサーヴァントと認定された玉藻など言うまでもないだろう。元々魔力以外のSTが微妙であるキャスタークラスに無理やり押し込められてて召喚されているのも手伝って、本来ハイ・サーヴァントであるはずの彼女のSTはかなり切ないっことになっているのだ。まあ、神話礼装を解放すれば話は別だが……。ちなみに完全に余談であるが、原作ゲームでのLV99のエリザのSTはあの英雄王ギルガメッシュすら凌ぐ高さだったりする。

 

 

 

 

 

 「おもしれえ!やれるもんならやってみなよ、竜の嬢ちゃん」

 

 「安っぽい挑発だけどのってあげるわ!それじゃあマスター、新生した私のデビューコンサートと行きましょうか!」

 

 そんな宣言と共に無造作に振られる槍。何の変哲もない横薙ぎ。技巧も何もあったものではないただの力任せの攻撃に過ぎない。だが、ラカンはそれを全力で回避した。それもかなりギリギリでだ。

 

 (ヤベエ、正直舐めてたわ!人の姿をしていても竜は竜ってことかよ。なんつう怪力だ!)

 

 ラカンは内心戦慄していた。その無造作に振られる槍の猛威に。なんの強化もみられないというのに、明らかに少女の力はラカンを凌駕していたからだ。己の身の丈以上の槍を易々と振り回し、周囲に破壊の嵐を撒き散らす。その様は人の形をとった荒れ狂う台風だ。

 

 「無駄に大きい図体している割に、早いのね貴方。それも虎視眈々と反撃の機会を狙っている……う~ん、いいわね!マスターがわざわざ私を呼んだだけのことはあるわ」

 

 楽しそうにエリザは笑う。彼女にとっても久々の戦闘という名の舞台(ステージ)だ。なにかしら、昂るものがあるのだろう。

 

 「ランサー、油断するな。ラカンは生身で私達に迫る規格外の存在だ。隙を見せれば、やられるのはこちらだ」

 

 「分かっているわよ、マスター。でも、久しぶりの活躍の機会を折角貴方が用意してくれたんだから、少しぐらい楽しんでも構わないでしょう?」

 

 「……いいだろう。突然こちらの都合で呼び出したんだから、それぐらいは見逃そう」

 

 「そうこなくっちゃね!持つべき者は物分りのいい主人よね!貴女達もそう思うでしょ?」

 

 それまで全く蚊帳の外にしていた玉藻と桜にこれみよがしに話を振るエリザ。それに対する二人の反応は劇的だった。ただでさえ、自分達ではなくエリザが召喚されたのが不満だったと言うのに、それをあろうことか出番を奪った張本人から煽られたのである。怒るなと言う方が、無理な話である。

 

 「ムキー!ご主人様はわ・た・く・しの主です!断じて貴女のじゃありませんよ!メンヘラ生娘!」

 

 「そうです!新参の分際で、ちょっと態度が大きすぎます。センパイは私のパートナーです!」

 

 「あ~ら、どうしてかしら?その割に、今こうしてマスターと共にあるのは私なんだけど」

 

 それをさらに煽るエリザ。そんな3人のやり取りに、マスターである徹の顔色みるみる蒼くなって行くが、気のせいだろうか。何か痛みを覚えたようで、胸の辺りを押さえてすらいる。

 

 「グギギギ!」「……」

 

 どこから出したのか不明だが、ハンカチを噛み千切らんばかりにしている玉藻。ハイライトの消えた目で、無言でエリザを見つめる桜。玉藻はともかく桜は本気で怖い。

 

 「俺を無視しているんじゃねえよ!」

 

 それを断ち切ったのは、蚊帳の外に置かれたラカンの拳だ。徹に対して振るわれたそれとなんら遜色のないそれは、狙い過たず隙だらけのエリザへと向かう。

 

 「あら、ごめんなさい。久しぶりの現世だから、ちょっと昂っちゃってね。主賓をそっちのけにするのはよくないわよね」

 

 それを避けともせずに、槍で正面から防ぐエリザ。ラカンの拳は真正面から止められていた。それは異常な光景であった。エリザはその矮躯で、比べくもない巨漢であるラカンの強化された拳を押し留めているのだ。それどころか、強引に力で押し返そうとしているのだから。

 

 「ウオオオー!」

 

 ラカンは雄叫びをあげて力を込めるが、エリザの身はビクともしない。地に根を生やしたかの如く、一歩もその場を動くことはない。

 

 エリザこと、鮮血魔嬢エリザベート=バートリー。反英雄である彼女は、武技に優れたサーヴァントではない。彼女は本来戦士ではなく名門貴族の娘に過ぎないのだから当然だ。要するに反英雄といっても、生前の残虐行為がそう評価されたものに過ぎないのだ。

 だが、彼女は強い。月の裏側というのが反英雄である彼女に水が合っていたというのも勿論ある。しかし、それ以上に「血の伯爵夫人」の異名を持ち吸血鬼伝説のモデルともなったが故のスキル『無辜の怪物A』とその身に流れる竜の血相乗効果による魔人化の恩恵を受けた破格の能力の高さを誇るが故にだ。彼女は英雄王すら認める紛う事なき竜なのである。

 

 故にこの結果は必然に過ぎない。いかにラカンが極限までその身を鍛えぬこうとも、根本的に生まれついてのスペックが違いすぎるのだ。いかに非力であろうとも、竜が人に負ける道理はないのだから。

 

 「うん、貴方凄いわね。強化込みとはいえ、私に力で拮抗するんだから。誇りなさい。私と力で真っ向勝負できるサーヴァントなんて、そうはいないんだから」

 

 (クソ、マジかよ!この俺が竜とはいえ、こんな嬢ちゃんに力負けするっていうのかよ!)

 

 とはいえ、当のラカンにそれをすんなり認めろというのは、酷な話だろう。理解に最低限必要な前提情報であるサーヴァントであるということすら、知らないのだから。何より、彼には己の腕に対する自負と誇りがあったが故に。

 

 ラカンの気持ちは徹にも痛いほど理解できる。己がラカンであったなら、同じように理解不能で目の前の現実を受け容れるのは困難であったはずだ。

 しかし、今は戦いの場である。故に、徹は遠慮なくその隙を突く。

 

 「古神刀」

 

 エリザの霊格に干渉し筋力を2ランクあげる。徹のしたことは、ただそれだけだ。それだけで、天秤は容易に傾く。

 

 「マスターもなんだかんだ言って、容赦ないわよね。まあ、そろそろその暑苦しい顔は見飽きたし、ちょうどいいかしらね」

 

 動作にすれば、槍を少し押し出しただけに過ぎない。だが、変化は劇的だった。ラカンは呆気なく空を飛んだ。危うげなく着地したのは流石だが、その顔にはまざまざと驚愕が刻まれていた。

 

 「ランサー、畳み込め!」

 

 「本当、マスターってばいざやると決めたら容赦ないわよね。そういうところは、凜やラニでも貴方に及ばないでしょうね」

 

 発せられた言葉と同時に繋がれた霊的パスからも命令が下される。

 

 「準備ok? 狙いうちよ! 泣きなさい?!」

 

 『絶頂無情の夜間飛行(エステート・レピュレース)』、槍に乗りその莫大な力にものをいわせて突撃する彼女の得意技。ランサーらしからぬ技だが、元より彼女の技はそんなものばかりなので、気にするだけ損である。

 

 未だ驚愕覚めやらぬラカンに迫る暴竜の突撃。だが、それがかえって百戦錬磨の彼を冷静にさせた。戦闘中に事実を認められないなど、あってはならない。敵を過小評価するな。それは死に直結する甘えにほかならないのだから。そんな彼にとって分かりきったことを、今更ながらに改めて心に刻む。

 

 「礼を言う。おかげで俺も目が覚めたぜ!」

 

 「えっ、キャー!」

 

 ラカンは弾丸の如きエリザの突撃を紙一重で躱し、あっさりとカウンターを合わせたのだ。槍諸共に勢い良くエリザは吹き飛ばされる。自身の速度と内包した破壊力とあいまって、それは彼女に少なくないダメージを与える。

 武技もなにもない竜の本能で戦うエリザであるが故に、それは上手く嵌ったと言えよう。純粋な武技でいえば、戦奴から成り上がったラカンが圧倒的に上であるからだ。

 

 「ランサー!」

 

 「ゴフッ、ハアハア。大丈夫よ、マスター。ちょっといいのもらっちゃって、驚いただけよ」

 

 徹の心配げな声に立ち上がり、なんでもないかのように応えるエリザ。とはいえ、そのダメージはけして浅くないのだろう。息は荒く、被打点である腹を手で押さえている。

 

 「嬢ちゃん、お前さん力をはじめとした身体能力は大したもんだが、技がまるでなっちゃいねえな」

 

 「たった一撃入れたぐらいでいい気にならないことね、筋肉ゴリラ。まだまだ私はやれるわよ?」

 

 「いや、お前さんの弱点は見えた。さっきまでのようには行かねえぜ!」

 

 「フフフ、言うじゃない。それならやってみなさいよ!」

 

 「上等だ!」

 

 挑発するように槍を構えたエリザに、ラカンは吠える。そして、再び両者は激突した。

 

 

 

 

 「むううう、やっぱり面白くないです!本来ならば、ご主人様の隣にあるのは私であるはずだというのに……。あのトカゲ娘、調子にノリヤガッテ、呪殺してやりましょうか」

 

 玉藻は不満も露に物騒なことを呟いていた。そも、玉藻からしてみれば、今エリザのいる場所に本来あるべきなのは己であるという自負があるのだから無理もないことではあった。

 

 「まあまあキャスターさん、落ち着いてください。センパイもああ言った手前、私達の手は借り難かったんでしょう」

 

 恐怖の無表情はどこへやら、桜は一転して玉藻を宥める側に回っていた。召喚直後は玉藻同様不満も露な桜であったが、時が経つにつれて、むしろこれでよかったのだと思うようになっていた。

 

 なぜなら、徹は玉藻と桜どちらかの手を借りることになれば、間違いなく玉藻を選ぶだろうという確信が桜にはあったからだ。それは桜が徹にとって護る対象という意識が強いのもあるが、それ以上に月の表裏の聖杯戦争で培われた2人の絆は桜であっても入り込むことができない不可侵のものであることを彼女はよく知っていた。徹の宝具が他ならぬ玉藻自身であることが、その何より証拠である。

 

 自分が徹にとってあくまでも2番目に過ぎないことは承知している。だが、それをまざまざと見せ付けられるのは、苦痛であった。かつて裏の聖杯戦争において、BBちゃんねると称してことあるごとにちょっかいを出していたのだって、裏を返せば想い人と少しでも関わる為の必死のアピールだったのだ。想い人と共にある玉藻や己の分身(アルターエゴ)が妬ましくて、己のことを気にして欲しくて……。ぶっちゃけ盛大なかまってちゃんだったのだ。

 

 「そんなことは分かっていますよ!全く殿方というのは、己の意地や見栄を優先して、女心というものをすぐにないがしろにするんですから……」

 

 玉藻は全て分かっていながら、言わずにはいられなかったらしい。まあ、仕方がないことだろう。

 

 「キャスターさんは、本当にセンパイのことを理解しているんですね……」

 

 そんな玉藻に、嫉妬に駆られた桜は思わずこぼしてしまった。

 

 「当然でしょう。私とご主人様は一心同体です!ご主人様と私がともにあれば、他の誰にも負ける気はいたしませんから。たとえそれが貴女であってもBB」

 

 即答であった。そこには確固たる自信と主への不動の信頼が見える。

 

 「……羨ましいですね」 

 

 己は徹の為ならば、なんでもできる。徹を想う心は誰にも負けない!それは桜の偽らざる本音である。だが、目の前の狐耳のサーヴァントにだけは敵わないかもしれないとも思ってしまう。

 なぜなら、白い桜が恋し黒い桜が愛する男を磨き育て上げたのは、間違いなく玉藻なのだから……。

 

 

 

 私の目の前ではラカンとエリザの一進一退の攻防が繰り広げられている。エリザの攻撃が能力に頼った力任せ、全てを飲み込まんとする濁流ならば、ラカンのそれは我流でありながら無駄なく洗練された技巧、次へと続く流れを思わせる清流といったところだろうか。

 

 「やはり巧いな。先の発言ははったりでもなんでもなかったというわけだ」

 

 そう、ラカンは速いのではなく巧い。無論、遅くもないが、それでもエリザには一歩劣る。

 だが、その不利をラカンは巧みに埋める。ある時はわざと隙を作り攻撃を誘導し、またある時は巧みにフェイントで惑わす。そのどれもに、エリザはことごとくひっかかる。本質的に戦士ではなく、戦闘経験もラカンに比べれば遥かに劣るが故に。

 

 「柔よく剛を制すとはいうが、見事なものだ。脳筋の単細胞というわけではないということだな」

 

 完全に力負けしているというのに、ラカンはエリザの攻撃を柔軟に捌き、蜂の一刺しを思わせる反撃で、着実にダメージを積み上げてみせている。まさにこれぞと言った感じであった。

 

 しかも、それでいて虎視眈々とこちらの首を狙っているのだから、油断できない。恐らく高位魔法に大規模砲撃の警戒もしているのだろう。エリザの相手をしながらも、こちらから意識を外す事はないのだから、まったく恐れ入る。

 

 しかし、それは悪手である。ラカンはエリザを正面から相手にせず、巧くいなしてさっさと私を狙うべきだったのだ。そうすれば、私に見せ過ぎることはなかっただろうに……。

 

 「弐の太刀 烈風」

 

 ラカンがエリザの攻撃を誘導した場所に合わせるように術を撃つ。それはラカンの想定を崩す一手だ。

 

 「ぬっ、ぐうう!」

 

 烈風がエリザの攻撃と共に炸裂し、ラカンの思い描いた絵図を崩す。態勢を僅かといえど崩す。それは圧倒的能力の高さを誇るエリザにとって決定的な隙だ。

 

 「あはっ!やるじゃないマスター!」

 

 歓喜の声と共にエリザの槍が唸る。だが、ラカンも伊達に警戒していたわけではなかったようだ。動揺もなく瞬時に立て直すと、すんでのところでそれを回避し距離をとる。

 なるほど、流石は百戦錬磨の英雄である。不利と悟れば直ちに退き、距離をとることですかさず仕切り直そうするとは。

 

 

 ────しかし、甘い。最早、貴方は私の読みの範疇にいるのだ。

 

 霊的パスを通じて、リアルタイムで瞬時に命令を下す。僅かに困惑が伝わってきたが、エリザはそれを忠実にこなした。

 エリザは槍を大きく振りかぶると、ラカンめがけて投擲したのだ。すなわち、投槍である。

 

 「武器を自ら手放すとは、何を考えてやがる?!」

 

 投擲というものはいかに速かろうとも、意外に避けやすいものである。なぜならその射線上から外れれば、至極簡単に無効化できるからだ。故に人間大の動く標的に投槍というのは、適した攻撃ではない。

 ラカンも当然の如くそれを避けた。それも最小限の動きでだ。それでいながら、なおも私から目を離さない。だが、それこそ私が狙っていた一瞬に他ならない。

 

 そこに投槍の直後に飛翔したエリザの一撃が振り下ろされる。今まで攻撃に用いていた槍は手元にはない。故にエリザからの攻撃ではなく、私を警戒するのは無理もないことだろう。

 されどエリザの武器は槍だけではないのだ。『徹頭徹尾の竜頭蛇尾(ヴェール・シャールカーニ)』、鞭の如くしならせた竜尾による単純な振り下ろし攻撃でしかないが、最強の幻想種たる竜の尾による一撃だ。その威力は計り知れない。

 

 「ぐっ、尾だと!?」

 

 回避の際の不意をつかれ、態勢が崩れているというのに、それでも咄嗟に両腕をあげてガードしたところは流石であるが、さしものラカンも耐え切ることはできなかった。一瞬の拮抗の元、ラカンは吹き飛ばされる。いや、自ら吹き飛ばされた。

 

 「もうっ、あっ……あんまり尻尾は使わせないでっ!」

 

 投げた槍を回収しながら、どこか恥ずかしそうに文句を言うエリザは中々に可愛らしいが、今はそれどころではない。

 

 「ランサー、気を抜くな。まだ終わっていない」

 

 「えっ?気持ちいいくらい綺麗に決まったじゃない。流石の筋肉ゴリラも死んではないにしても、これ以上は無理じゃないかしら」

 

 不思議そうに言うランサーだが、それでも私の言葉に従って槍を構えなおす。

 

 「確かに面白いくらい綺麗に吹き飛んだが、あれは自ら飛んだんだ。本来、地面に叩き付けられるはずなのにそれを後ろへ飛ぶことで防いだんだよ」

 

 「なるほどね、道理で手応えが妙だと思ったわ……」

 

 「御名答。いや、大したもんだ。目がいいって言ってたのは伊達じゃねえな」

 

 私の言葉を証明するかのように、感心したような声と共に瓦礫の山からムクリと立ち上がるラカン。それなりのダメージはあったはずだというのに、その様は何の痛痒も感じさせない。

 

 私も人のこと言えた義理ではないが、この男も大概化け物だと思う。

 

 「それにしても、お前さんの本領っていうのはこういうことだったとはな。てっきり、火力特化の砲台に徹するかと思いきや、補助と戦術指揮がメインだったとはな……。

 どういう原理かしらねえが、さっきの投槍から竜尾へのコンビネーションはお前さんの指示だろう?」

 

 まさか、この短時間に見破るとは本当に大した男だ。

 

 「その通りだ。だが、よく分かったな?」

 

 「なに簡単だ。言っちゃ悪いが、竜の嬢ちゃんの攻撃は鋭いが素直すぎるんでな。あんな不意をついた手は思いつかないだろうと思っただけだ」

 

 なるほど、かまをかけられていたらしい。中々に食えない男である。

 

 「なるほど、してやられたというわけか……。さて、どうする?まだ続けるか?」

 

 こちらとしてはもういいのではないかという思いがある。私の全てをとは言わないが、真価の一端ぐらいは見せられたはずだ。それなりにラカンに報いることはできたと思うし、そろそろ潮時だと思う。これ以上やれば、本気の殺し合いに発展しかねない空気を感じるからだ。

 

 「そうしてえのは山々なんだが、これ以上は俺も本気になっちまう。そうなれば、ガチの殺し合いだ。流石に必要もないのにそれは避けてえんでな。

 だから、提案だ。次の一撃で終わりにしようや。その結果がどんなものであろうとも終わりだ」

 

 そして、それはラカンも同じだったらしい。まあ、いらぬ人死を嫌って乱入してきたぐらいだし、当然なのかもしれない。

 

 「そうか、では折角だ。一つ切り札を見せよう。ランサー……いや、エリザ。宝具を使うぞ。

 心することだジャック・ラカン。次の攻撃は並のものではないぞ。生き延びたくば、貴方も全身全霊でくることだ」

 

 「分かっていたことだけど、貴方って本当にやるときはとことんよね、マスター。

 いいわ、マスターのリクエストに応えてあげる。折角のデビューコンサートだものね。その締めくくりには私の美声こそふさわしいでしょう。

 筋肉ゴリ……いえ、ラカンとかいったかしら。覚悟することね、私のラストナンバーの盛り上がりは最高なんだから!」

 

 「大した自信だな。いいぜ、上等だ!俺も容赦はしねえ!真っ向からブチ破ってやるぜ!」

 

 ラカンはこちらの攻撃を迎撃することを選ぶようだ。恐らくこちらの切り札を破ることで、勝敗をハッキリさせようと言うのだろう。

 

 ────いいだろう。少々変り種ではあるが、竜の息吹(ドラゴンブレス)を破れるものなら破ってみるがいい!

 

 「令呪をもって、我が従僕エリザベート=バートリーに命じる。竜の息吹をもって敵を討て!」

 

 右手の令呪が一画消失すると共に私の全身から魔力が急激に失われていく。これは限定召喚が故だ。限定召喚したサーヴァントには、通常の召喚と違い、いくつかの枷があるのだが、これこそがその最たるものの一つ。宝具の真名解放には令呪一画を要するということ。そして、その魔力消費は全てマスターたる私が負担しなければならないということだ。

 

 だが、そんなことは次の瞬間どうでもいいこととなった。

 

 「承知!……といいたいところだけど、どうも盛り上がりがイマイチよね。ねえ、マスター。折角宝具を使うんだから、万全を期したいわ。試しに軽く歌わせてくれない?」

 

 エリザが可愛らしく猫撫で声で、とんでもないおねだりしてきたからだ。どうしようかと思わず周囲を見ると、必死の形相で首を振る玉藻と桜の姿が目に入る。彼女達の目は何よりも雄弁に「絶対にゆるしてはならない」と語っていた。

 

 ────そうだよな。危ない危ない。とんだ気の迷いだった。ここはラカンを口実に阻止しよう。

 

 「私達だけならともかく、主賓を待たせるわけにはいくまい。残念だが、今回はあきら…「俺は構わねえぜ」…ちょっ、おまっ?!」

 

 「いいじゃねえか、それくらい。あの美声だ。歌の方もかなり期待できるだろう?」

 

 とそんなことを当のラカンがのたまいやがったのだ。げに恐ろしきは無知なるかな。貴様は何も知らんから、そんな寝言を言えるのだ。私は顔が引きつったのを感じた。

 

 「貴方分かってるじゃない。私の美声に聞惚れるがいいわ!」

 

 ────ああ、最早エリザを止める術はない。かくなる上は!

 

 竜翼を広げ空へと飛び上がるエリザ。膨大な魔力がその矮躯から放出され、彼女の背後に巨大な影をもった何かが召喚されていく。それを見届けた私はすかさず耳栓をつけた。『道具作成(偽)』で作った特別製の耳栓である。ラカンが私の行動に胡乱げな表情をするが、知ったことではない。

 

 ────これならば、万が一はない。ダメージは最小限で済む。

 

 そうしてるうちに巨大な影は、ついにその全容を見せる。それは西洋風の城へであった。その城こそ、呪われしエリザの居城『監禁城チェイテ』だ。かつて彼女が何百人もの少女を拷問の末殺したとされる魔城そのものである。そいて、それをステージとなし、マイクと化した槍が突き立つことでそれは完成する。

 

 マイクの前でエリザが深呼吸し、ついには口を開く。そして、とうとう地獄の釜(ジャイアンリサイタル)が開かれる。

 

 「♪ヤーノシュ山からあなたに〜

 ♪一直線、急降下〜

 ♪くーしーざーしーで、ちーまーみーれー!」

 

 音痴だった。それも半端なものではない。壊滅的と言っていいレベルであった。なまじ美声なだけに余計にその酷さが際立つ。まあ、対策をしていた私はなんともないが。見れば玉藻と桜などは、私同様耳栓をした上で、『呪層・黒天洞』まで使っているではないか。なんという万全の態勢か。

 

 「グオオオ」

 

 私がその準備の良さにそんな戦慄を抱いていた時、一人対策などとりようがなかったラカンは、耳を抑えて呻いていた。全くの予想外であり、完全に聞く態勢だっただけにそのダメージは深刻だった。

 

 「オイ、テメエ!これが切り札とか巫山戯たことぬかすんじゃないだろうな!」

 

 怒り狂って、私に詰め寄ってくるラカン。悪いことをしたとは思うが、私達も一度は通った道なのだ。甘んじて受けてもらおう。それに何より、他ならぬ彼自身が許可したことだ。その責任はとってもらわねばならない。

 

 「まあまあ、落ち着いてくれ」

 

 「これが落ち着いて……って、テメエなにチャッカリ耳栓してやがる!俺によこせ!」

 

 ────チッ、気づかれたか。目敏い奴め。

 

 「悪いが、今は予備がない。私専用のこれしか持ってないし、そもそも許可したのは貴方だ。潔く覚悟を決めてくれ」

 

 「そんなの知ったことか。寄こせ!」

 

 「どうせ貴方には意味が無いものだ。それにいいのか?本命が来るぞ」

 

 「何?!」 

 

 「♪~、うん、いい感じに会場はあったまったわ。待たせたわね、奥の手を出してあげるっ!」

 

 思う存分歌えた為か、ご機嫌な様子でエリザが宝具の真価を今発揮しようとする。

 

 「急げ、急げ!無防備であれを喰らったら、いくら貴方でも死ぬぞ!」

 

 「ちっ!」

 

 私の本気で急かす言葉に本当にヤバイと悟ったのだろう。全身に生命力を滾らせ、全力で迎撃態勢をとるラカン。だが、僅かながらにそれは遅かった。もしかしたら、直前の歌のダメージが残っていたのかもしれない。

 

 「これが私の、鮮血魔嬢よ! lAAAAA!!!」

 

 『鮮血魔嬢(バートリー・エルジェーベト)』、エリザのドラゴンブレスを最大限に発揮した対人宝具。エリザが生涯に渡り君臨したチェイテ城を展開し、周囲に恐るべき超音波による破壊振動波(スーパーソニック)を叩きつける音響破壊兵器。宝具としてのランクは低いが、その破壊力は凄まじい。

 

 ────まずい、このままだとラカンが死ぬかもれない。

 

 そう直感的に思った私は、ラカンに『身代符』をかける。これでラカンの耐久は2ランクアップした。これで少なくとも死ぬことはあるまい。後は彼の幸運を祈ることしかできない。

 

 

 

 

 ついに放たれる竜の吐息。エリザから放たれ、チェイテ城により増幅されたそれは、全てを破壊しつくさんと襲いかかる破滅の音の波だ。音であるが故に避けることも防ぐことも許さない。必中の槍。

 されど、それをラカンは耐えていた。破壊の中心点に晒されながら、頑としてそこを動かずに。

 

 「ウオオオー!」

 

 雄叫びが上がる。繰り出されるは、最強の拳。己が全てを賭した一撃。『ラカンインパクト』、 腰を落として拳を構えてエネルギーを集中させ、 拳を突き出すと共にエネルギーを放出するラカンの決め技の一つ。突き出された拳と共に放出された莫大な気のエネルギーは、ラカンへの竜の吐息の侵略を許さず、確実に相殺していく。万全であれば、それは鮮血魔嬢すら完全に相殺したかもしれないが、全開ままで3秒かかるという制限が音速で迫る竜の吐息には致命的な欠点となった。

 

 共振現象により、全周囲から迫る防御も回避も不可能な破滅の音。それを相殺しきるには僅かばかり時が足りなかったのだ。相殺しきれない竜の吐息がついにはラカンに届く。全身を襲う破壊の音波は、凄まじいまでの振動をラカンに与える。それは内から破壊されるようなものだ。全身から血を吹き出し、ついにはラカンは膝をついたところで、暴虐の限りを尽くした竜の吐息は終わりを告げた。

 

 そう、本当にラカンは耐え切ったのだ。幻想の塊である宝具をその身一つで!

 

 

 「貴方は本物の化け物だ……。この勝負、貴方の勝ちだ」

 

 もしかしたら、この人私の助けなんて必要なかったんじゃないかなあと思いながら、徹は己が目撃した信じられない光景を思い出しながら、どこか呆然としたまましっかりと告げたのだった。




ラカンはこんなに弱くないとか色々あるかもしれませんが、幻想の存在である英霊たるサーヴァントとやりあえる時点で充分に異常ですから。これくらいなのではないかというのが私なりの評価です。私の中では、英霊に人間はけして勝てないというのがありますので。

大体、宝具を自力で相殺している時点で、頭おかしいです。むしろ、過剰評価といわれないか、心配してます。そこらへん、意見があれば教えていただけるとありがたいです。

※術技解説(ちょっと時間がないので、後で追加します)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話 狐に化かされた西の長

非常に遅くなりました。次話はもっと早くあげたいと思います。
おかしなところや疑問があれば、遠慮なく指摘してやってください。


 「久しぶりですね、京の都も。あの暗黒イケモンに追いたてられた記憶がまざまざと蘇ります……。ご主人様ー、傷心のタマモを慰めてください!」

 

 そう言って、ヒシッと抱きついてくる玉藻。

 ちょっ、くっつきすぎ!色々、もろに当たっているから!

 

 「もちろん、当ててるんですよ」

 

 やっぱり、確信犯(誤用)かよ!先のラカンとの手合わせ以来、玉藻は何かと私にくっつこうとする。まあ、何かとべたべたしたがるのは元からだが、その頻度が明らかに増えているのは、絶対に気のせいではない。

 

 「またですか、玉藻さん!一人だけずるいですよ。そんなにくっついて、センパイが歩きにくそうじゃないですか?!」

 

 引き剥がそうと玉藻を引っ張る桜だが、玉藻は頑として動かない。

 

 「ふふふーん、羨ましいですか?」

 

 それどころか、玉藻は煽るように更に体を密着させてくるしまつだった。

 た、玉藻さん、ほどほどにしてくれませんかね?!私の我慢的にも、桜のボルテージ的にも自重してくれ!

 

 だが、それははかない願いだったようだ。桜の方からプチンという音が聞こえた気がした。

 

 「上等じゃないですか……。玉藻さんがそういうつもりなら、私も遠慮はしませんよ!」

 

 そう言えば、あんまり煽り耐性なかったよね、君。

 

 「さ、桜、落ちつい……」

 

 最後まで言うことすらっできなかった。桜は玉藻の反対側から、奪い取るように私に抱きついてきたのだ。

 だからね、君等男の純情というか、生理現象を分かってくれませんかね?!このまままだと、またあれが……!

 

 「ぐぎぎぎ」

 

 思っているそばからそれはきた。私の全身を激痛が襲う。辛うじて、叫ぶのは防ぐことはできたが、それでも声は漏れてしまう。玉藻と桜はそれに満面の笑みである。

 

 「ご主人様ったら、いくら私が魅力的だからといって、こんな街中で興奮しちゃうなんて……タマモ困っちゃいます」

 

 「何を寝ぼけたこと言ってるんですか駄狐。私が抱きついたから、センパイは反応したんであって、貴女にじゃありませんよ」 

 

  いや~んとくねくねする玉藻。そんな玉藻に冷や水をさす桜。自分にこそ反応したんだと、両者は主張していた。顔を突き合わせて睨みあうが、答はでない。当然、最終的にその答は私に求められることになった。

 

 「「どっちですか?」」

 

 なんでそういう時だけ、君等は息ピッタリなんですかね。というか、人が苦しんでいるのに、喜ばないでくれませんかね。

 

 「あのトカゲ娘とよろしくやっていた件のお仕置きですからね。夫の手綱を握るのも良妻の務めですから」

 

 「目の前で浮気されたら、いくらセンパイ命の私でも怒りますよ」

 

 どうやら、二人とも余程エリザの召喚がお気に召さなかったらしい。自分こそがという自負と想いがあるだけに、あれは色々まずかったようだ。

 

 「ああ、悪かったよ。でも、流石に浮気は言いすぎじゃないか?共闘しただけだって言うのに」

 

 「「いいえ、あれは浮気です!!」」

 

 間髪いれずに断定される。なんというか、とりつくしまもない。何がそんなに駄目だったのだろうか。

 

 「ハア、もうそれでいいよ。私が悪かった。だから、そろそろこれを外してくれないか?」

 

 痛みの元凶である金冠を指しながら、ダメ元で私はそう提案してみる。

 この頭にはまった金冠は、玉藻が用意したものである。私はどこの孫悟空だと言いたくなるが、用途は似ているようで違う。浮気対策用に玉藻が以前から作っておいたものらしい。性的な欲望や興奮を一定以上覚えると、全身に激痛をもたらすという代物だ。ラカン戦の後、強制的にはめさせられたのだった。つまり、何かと玉藻がひっついてきたのは、いちゃつく為ではない。私に対するお仕置き的意味合いが大きいのだ。

 

 まあ、玉藻や桜からすれば、自分達で私が性的な欲望や興奮を抱くのは嬉しいらしく、自分の魅力を確認するようなものなのかもしれない。だが、こちらとしてはたまったものではない。こちとら、正常な成人男性なのである。手出しOKなとびきりの美女二人にくっつかれて、性的興奮を抱くなという方がどだい無理な話なのだ。しかも、あれから今に至るまで同衾はしても、本番はお預け状態。これでは盛るなというのだから酷い話である。必然的に、私は洒落にならない激痛を幾度となく味わう羽目になったのである。

 

 「う~ん、そうですね。ご主人様も十分に反省なされたようですし、折角の京の都です。これ以上は野暮というものですね。桜さんもいいですね?」

 

 「ええ、折角センパイと日本に来れたんです。気兼ねなく楽しみたいですから」

 

 「桜さんの同意も得られましたので、『解』。ご主人様、もう外されても構いませんよ」

 

 「おお、ありがたい!そううだよな、折角の京都なんだから!」

 

 私は喜び勇んで金冠を外す。そして、そのまま虚数空間に捨てようとして、玉藻に阻止された。

 

 「ご主人様、何をされるおつもりですか?まさか、私が丹精込めて夜なべして作り上げた浮気撲滅一号を捨てられる気じゃありませんよね」

 

 「い、いや。使わないんなら、もういいかなと思って、流れでな」

 

 こ、怖っ!目が据わっている。それより聞き捨てならないことを聞いた。浮気撲滅一号だと。まさか、二号以降も存在するのか?!

 

 「ええ、もちろんですとも。この玉藻、呪術においては古今東西、右に出る者はいないと自負しております。不義を犯したものに対する呪いなど、星の数程ご用意できますとも」

 

 ガッデム!なんてこった。忌々しいこれを消しても、次なる拷問装置がスタンバイしているというのか?!『呪術EX』と『道具作成』がこんな必要のないところで仕事をして、私に仇なそうとは……。

 

 「まさか番号が後ろになる程、効果が酷くなるとかないよな?」

 

 「あら、流石はご主人様です。お察しの通りですよ」

 

 褒められても、欠片も嬉しくない。どこか呆然としている私を尻目に、玉藻は金冠を回収しいそいそとしまいこんだ。

 

 「まあまあ、センパイも玉藻さんもそのへんで。折角の京都なんですよ、楽しみましょうよ」

 

 桜がフォローするように言う。

 桜さん、貴女は女神様です。

 

 「そうだな。それにしてもラカンに日本人の友人がいようとはな。正直、驚きだ」

 

 「そうですね、あの筋肉達磨のバグキャラ。英雄というだけあって、顔だけは広いようですからね」

 

 「お二人とも、ちょっと酷くありませんか?渡航にも助力して頂きましたし、紹介状まで頂いたんですから」

 

 そう、私達は今京都にいる。魔法世界でいうところの旧世界にようやく渡ることができたのだ。これは偏にラカンのおかげである。彼は自身の交友関係をフルに使い、私たちの渡航がすんなり行くように助力してくれたのだ。その上、京都在住の友人への紹介状まで書いてくれたのだ。

 流石にそこまでしてもらうのは悪いと遠慮するつもりだったのだが。

 

 「何、楽しませてくれた礼だ。俺自身、ちょいと驕ってた部分があることを気づかせてもらったしな」

 

 そう言って、ラカンは諸々をやってしまったのだった。大変ありがたいのだが、流石にこれだけ世話になっては、私達としてはなにもなしとはいかない。そこで何か望みがあるかと聞いたら、彼はとびきり笑みを浮かべて即答した。

 

 「また、闘ろうぜ!」

 

 正直、宝具を身一つで自力で耐え切るようなバグキャラとは二度と戦いたくなかったのだが、流石にここで断ることはでず、内心渋々ながらも快く了承した。ラカンと戦わねばならないことを考えると今から気が重い。当分、魔法世界にはいくまいと心に決めた。

 

 まあ、そんなことはさておき京都である。ここにはラカンの戦友であり『紅き翼』の一員であった神鳴流剣士『近衛詠春』がいるそうだ。彼はこの日の本を二分する魔法組織の長であり、日本に住むにあたって大きな力になってくれるだろうということであった。

 

 なぜ日本を選んだのかというのは簡単だ。私達の姓名的にそれが自然だったし、私の前世ともいうべき俺も日本人である。玉藻にも縁の深い土地だし、桜の元になったオリジナルの間桐桜も日本人であったからだ。何よりも、私が米も醤油も味噌もない生活が嫌だったというのが大きな理由なのは、私だけの秘密である。

 

 だが、正直断るべきだったかもしれない。目の前の大きな屋敷を見るとそう思わざるをえない。

 

 「まあまあの大きさですね。仮にもこの日の本を二分する呪術組織なんですから、これくらいはあってもらわないと困ります」

 

 ところが、玉藻はそうでもないらしい。なんでもないことのように平然とそう評した。流石はかつて帝の寵愛を受けたと言われる金毛白面九尾である。これを見て、そんな科白がでてくるとは、元が小市民な私とは訳が違う。

 

 「中々強固な結界ですけど、綻びが目立ちますね。これなら私や玉藻さんなら力技で壊すどころか、のっとることさえできそうです」

 

 おっと、とんだ伏兵がいたらしい。桜は屋敷の大きさに特に価値を見出していないようだ。むしろ、その霊的防護に興味があるらしい。さらりととんでもないことぉのたまっているが、本当にできてしまうから困る。

 

 「ははは、中々厳しい物言いですね。壊されるのはもちろんですが、流石にのっとるのはやめて頂きたいですね」

 

 背後から苦笑と共にそんな言葉をかけられる。思わずその場を飛び退き、身構えてしまったのは仕方がないことだろう。私達三人が、誰一人気づくことなく声の届く距離まで接近されたのだから。

 

 「貴方は?」

 

 そうして、私達の目に映ったのは一人の中年の男性だった。術者を思わせる格好だが、その実この男は達人級の武芸者だ。微塵の隙も見られない立ち振る舞いがそれをよく表していた。私達が気づけなかったのはこの男に戦意も悪意もなかったが故だろう。恐らく、本当にただ歩いてゆっくりと近づいてきたに違いない。それでも思わず硬い声で誰何してしまったのは、目の前の男の底知れなさが故だ。

 

 「驚かせてしまったようで申し訳ない。はじめまして、近衛詠春と申します。関西呪術協会の長をやっています。貴方方のことは旧友から聞き及んでいます。あの馬鹿と互角にやり合うほどの使い手だと」

 

 温和で優しげな雰囲気とは裏腹に目は何かを見定めるように鋭い。

 なるほど、私達の情報はすでにわたっていたらしい。それもどうやらラカンからではない。恐らくラカンが使った伝から間接的に伝わったのだろう。でなければ、待ち構えていることなどできないだろう。

 

 「貴方があの……。かの大戦の英雄にあえて光栄です。私は黒桐徹。この度は縁あって、ラカンと思わぬ知己を得、その好意に甘えてこちらに寄らせてもらいました」

 

 「妻の黒桐玉藻です。キャスターとお呼び下さい」

 

 「同じく黒桐桜です。BBとお呼び下さい」

 

 「徹君に、キャスターさんにBBさんですか……。失礼ですが、この国では重婚は認められていませんよ」

 

 「私が内縁の妻というやつです」

 

 どこか、硬い声ではあったがはっきりと桜が答えた。これは当初から決めてあったことだ。日本国籍を取得することは私達であれば、容易いことだ。データベースの改竄など容易なことだし、そうでなくとも気は進まないが催眠暗示という手段もあるからだ。

 だが、一つ問題が生じた。詠春の指摘どおり日本では重婚は認められていないことだ。玉藻と桜、どちらを妻とするか選ばねばならなかったのである。これについては即断した。私は玉藻を妻とすることにしたのだ。どんなに情があっても、桜が2番目であることは不動の事実であるからだ。私は玉藻を選び、その上で桜を求めたという事実に変わりはない。故にその責は全て私が負うべきものなのだ。玉藻や桜がなんと言おうが、他の誰にも選択を委ねる事はできない。

 

 「そうですか。ご本人が納得されているならば、何も言いますまい。

 では、改めまして、ようこそ京都へ。私は貴方方を歓迎しますよ、お客人」

 

 初対面でありえない不躾な問をしておきながら、詠春さんは何事もなかったように、笑顔で一礼したのだった。

 どうやら、この人もまた食えない男のようだと、私は内心で溜息をついた。

 

 

 

 

 時はしばし遡る。関西呪術協会の長『近衛詠春』はかつてない驚愕に包まれていた。旧世界と魔法世界とを繋ぐホットライン。それは魔法世界の情報を直接手に入れるために詠春が確保している秘匿通信だ。それが珍しく、常の定期連絡ではなく緊急連絡で行われていた。

 

 「あの馬鹿と互角に?!それは本当ですか?」

 

 詠春はどこか信じられない面持ちで返すが、秘匿通信の相手であるアリアドネー魔法騎士団候補学校総長セラスから返ってきたのは肯定の返事だった。

 

 「ええ、本当よ。他ならぬ当の本人が認めたからね。相手はここ一年程高額賞金首を軒並みかっさらっていたことで有名な賞金稼ぎ『月桜狐』よ。男一人女二人の三人組で、とにかく強いってことで評判だったけど、まさかこれ程とはね」

 

 「『月桜狐』……なるほど、こちらのしかも日本語ですか。私に連絡してきた理由が分かりましたよ。期待させて申し訳ないのですが、とんと存じません。それ程の腕なら、こちらでもそれなりに名を馳せていてもおかしくないのですがね」

 

 「そう……。そちらの方で少しでも情報が得られればと思ったのだけど、こうなると最早お手上げね。経歴不明で、あんまり詳しく聞こうとすると逃げられちゃうのよね。身元が定まって後ろめたい経歴がないことが証明されれば、すぐにでもうちの騎士団にスカウトしたいくらいの逸材なんだけどね」

 

 「ふむ、そんな凄腕がこちらに渡ってくる……いえ、帰ってくるというべきかもしれませんが」

 

 明らかに日本語である団体名に、構成員の名前からして、彼等は本来こちらの人間であろうことは想像に難くなかった。

 

 「それは正しい予想かもしれないわ。少なくともこちらでは彼等の身元を確認できない。まあ、とてつもない辺境の出の可能性もゼロではないでけど、ないでしょうね。それに彼等が賞金を荒稼ぎしているのは渡航費用を稼ぐ為だそうだから。案外、なんらかの事故でそちらからこちらに飛ばされてきたのかもしれないわ」

 

 「なるほど、ありえない話ではないでしょうね」

 

 しかし、そうなると逆に疑問がでてくる。もし、何らかの事故で魔法世界に飛ばされたとしても、こちらには彼らの痕跡が残っているはずだ。特に日本は戸籍関係は非常に煩く厳格な国だ。彼等がこちらの人間であり、かつ日本人であるというのなら必ずあるはずだ。

 

 「分かりました、こちらでも調べてみましょう。少しお時間を頂けますか?」

 

 「ええ。でも、その必要はないかもしれないわ」

 

 「おや、それはなぜです?」

 

 「あの馬鹿、貴方の事を紹介したらしいのよ。だから、近日中に彼等が貴方を訪ねてくると思うわ」

 

 「なるほど、しのごの言うより直接会ってみた方がいいかもしれませんね。百聞は一見にしかずといいますし、ここは直接彼等本人を見定めたほうが良さそうですね」

 

 「ええ、あの馬鹿はともかく貴方の目なら信用できるから、期待しているわ。あの馬鹿と互角にやりあえる様な存在が敵に回るなんて考えたくもないけど……そうもいってられない立場なのよね」

 

 「お互い辛いところですね。組織の長というものは、ままならないものです。純粋な剣士であれたあの頃が懐かしいですよ」

 

 そんなこんなで後は思い出話と少し愚痴を言い合い、通信は終了した。詠春がここですぐに調査をしていたなら、徹達の戸籍が存在しないことに気づけただろう。しかし、詠春はあえて調査しなかった。事前情報を入手することで先入観が入るのを嫌った為である。それに自分自身で見定めることができるならば、それにこしたことはないと考えたからだ。こうして、徹達は最大の危機を何気なく回避していた。

 ちなみに正規の戸籍は、徹と桜によってあっさりと取得され、それらしく経歴も完璧に作られており、後日の裏付調査ではなんら問題点を見つけることができなかったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 関西呪術協会の長『近衛詠春』との話し合いは難航すると思っていた私の予想を裏切り、玉藻の独壇場であった。

 彼女は早々に人間としての偽装を解き、己が亜人・獣人ではなく力ある妖狐であると明かしたのだ。それが先制のパンチで、後はひたすらに主導権を握って渡さなかった。詠春さんが交渉に長けていないということもあったろうが、それでもその相手に付け入る隙を全く与えない論理展開は圧巻であった。流石は4つの王朝を滅ぼした金毛白面九尾である。真実も随所に入っているとはいえ、八割方作り話をさも真実のように語るのだから。その迫真さは、作り話であると知っている私でさえ、信じてしまいたくなるものがあった。何というか、実際本気出したら彼女の嘘を見抜くのは、至難の業であろう。

 

 「なるほど、魔法世界に飛ばされたお二方を保護し鍛えたのは、先に魔法世界に渡っていた貴女だったというわけですか……」

 

 「ええ、辺境で隠遁していた私の領域に懐かしい気配を感じまして。興味本位で行ってみたら、二人が倒れていたというわけです。で、手慰みというか、暇潰しというか、気まぐれで術やら何やら仕込んだのですよ」

 

 玉藻の説明はこうだ。私と桜は義理の兄妹で、何らかの事故で魔法世界に飛ばされたのだと。それが偶然玉藻の領域だったせいで拾われ、養育されたのだと。

 

 「……あの馬鹿ともやり合えたのはそれ故というわけですか。確かに貴女ほど力ある存在に育てられたのならば、納得がいきます。ですが、なぜ今になってこちら側に?」

 

 「それは言うまでもありません。二人が帰ることを望んだからですよ。とはいえ、戯れとはいえ私が教える以上中途半端は許せませんでしたから、私が納得できるまで仕込んでいたら今に至ってしまったというわけです」

 

 「ふむ……。なるほど、貴女の合格基準は中々に厳しそうですね。お二人もさぞ苦労されたことでしょう」

 

 「ええ、それはもう。本当に厳しかったですよ」

 

 労るように言う詠春さんに如才なく応える桜。真実を知る私の目から見ても、いかにも苦労した風情があって、否応無く真実味が増す。玉藻もだが、桜も負けず劣らずの演技である。『女は魔物』という言葉に共感できそうである。

 

 「そうでしょうね、私の旧友にも勝に劣らなそうですからね。

 しかし、解せないのですが、なぜわざわざ私に正体を明かされたのですか?疑われるのはもちろん、必要以上に警戒されることも理解されていたはずでしょう」

 

 「私達の望みが平穏に暮らすことだからです。故郷であるこの地に戻ってこれた以上、私達は余計な波風をたてることを望んでおりません」

 

 「ふむ、ですがお三方の力量は私から見てもかなりのものです。組織の長としては、放置することができない程度には……」

 

 こればかりは本心のからの玉藻の言葉だったが、心苦しい表情をしならも詠春さんの答は明確に否であった。

 まあ、ここまでは予想通りであるというか、この世界における英雄であるラカンと戦った以上、これは当然に想定される事態であった。

 

 「おっしゃることは理解できます。私達のような素性の知れぬ者を信用出来ないというのはもっともな話です。私達としては、信じてもらわねば困ります。とはいえ、我々はお互いのことを知らなさ過ぎて、そもそも信用できる土壌がないのが実情です。

 ですから、どうでしょう?私達をお雇いになりませんか?」

 

 「それは関西呪術協会でということですか?」

 

 「いえ、貴方個人の私兵としてです。期間は一年間。報酬は相場の半額で結構です」

 

 「私兵として、相場の半額ですか……。いいのですか、貴女達の実力を考えれば、随分な安売りだと思いますが?」

 

 「ええ、構いません。こちらで何の実績もない私達を組織として雇うのは難しいでしょうし、ある程度こちらが譲歩する必要があるでしょう。ただ、一年間の契約を大過なく果たせた時は、私にこの国の人間としての正規の戸籍を用意して欲しいのです」

 

 魔法世界での賞金稼ぎとしての実績はあるが、それをこちらでひけらかすのは逆効果だと考えたが故の言葉であった。関西呪術協会が西洋魔法使いや魔法世界の者を嫌っていることを私達は事前調査から熟知していたのだ。

 

 「貴女の戸籍ですか?なぜそんなものを?失礼ながら、御身ほどの存在に必要があるとは思えませんが」

 

 「先にも申しました通り、私達の望みは三人で平穏に暮らすことです。人間世界に溶け込むには戸籍があったほうが何かと便利ですし、折角ですから公的にもあこの人の妻と認められたいのです」

 

 そう言って、これみよがしに私の腕に抱きつく玉藻。その表情は幸せそうなもので、彼女の言の真実味を増す。

 まあ、嘘はいっていないし、これは玉藻の本音であろうからあれなのだが……ちょっとくっつきすぎじゃないかな?玉藻さんや、もろに胸が当たってるというか、完全に押し付けてますよね!当ててんのよなんてレベルじゃない。桜の絶対零度の視線が痛いから、少しはじちょうしてくれませんかねー!

 

 「ははは、なるほど。愛故にですか……これは参りましたね」

 

 詠春さんは玉藻の言にポカンと呆気にとられ、次いで私達の様子を見て破顔した。

 

 

 

 

 

 ────何というか、いい意味で予想外であった。

 

 詠春は三人の様子に苦笑しながら、そんなことを思った。

 あの生きるバグキャラであるラカンとやりあったと聞いて、どんな化物が出てくると思いきや、確かに一人は力ある大妖怪で間違いなく想像通りの化物であったが、中心である人物は極普通の人の良さそうな青年だったのだから。

 

 無論、青年は只者ではない。あの一見清楚な女性もその身に纏う魔力は凄まじいレベルだし、彼女もかなりの実力者であることは間違いないだろう。そんな女性と大妖怪を侍らせて、愛を囁かれているのだから、只者であるはずがない。なんといっても目が違うし、何か人を惹きつけてやまない輝きが彼の内面にはあるのだろう。

 

 しかし、名のある賞金稼ぎ、それもラカンとやりあえる程の実力者がわざわざ魔法世界から旧世界に来たかと戦々恐々としていたら、その望みが平穏な生活というささやかなものだとは……。

 これでは、最小限の人員を除き人払いをするという最大限の警戒をして、わざわざ別邸に招き挑発じみた疑問すら投げかけた己が馬鹿みたいではないか。

 

 (いえ、実際のところ、その平穏な生活おくることこそが、もっとも保つのが難しいものなのかもしれませんね)

 

 彼らのような実力者がいると知れば、放っておくという選択肢は組織にはない。今、詠春自身がそうしているように。強い力というものは、ただ存在するだけで厄介事を惹きつけるものなのだ。詠春の娘である木乃香と同様に。

 詠春の娘である木乃香は極東最強といっていほどの魔力を秘めている。麻帆良最強の魔法使いである義父の流れを汲む近衛の血と京都神鳴流の宗家である青山のハイブリットが故か、その才能は剣士である詠春などとは比べくもない。

 

 だが、それ故に木乃香の生活は薄氷の上に成り立っていると言っても過言ではない。近衛と青山の血をひき、極東最強の魔力を秘める木乃香は、血統的にも才能的にも魔法に無関係とはいかない。いや、麻帆良の長の孫であり、同時に西の長の娘ということを考えれば、政治的にもそれはありえないといっていいだろう。

 それでも、そのありえない選択肢をとり、無理を押しているのが現状である。今の木乃香の平穏な学生生活は、祖父である近右衛門と詠春自身の多大なる尽力の賜物なのである。それを思えば、平穏な生活が安いなどと言えるはずがなかった。

 

 (しかし、どうしたものですかね?雇い主として手綱を握り、一応鈴もつけられることを考えれば、この申し出は悪くありません。為人は仕事をこなしていく上で分かるでしょうし、その手管も多少なりとも明らかにできるでしょう。

 しかも、曲りなりともあの馬鹿とやりあえる実力者を、実働戦力として自由に使えるのですから、こちらには利点しかありませんね)

 

 関西呪術協会で雇ってくれといってこなかったのも、好印象である。そんなことをすれば、どこの馬の骨とも分からぬ輩をと組織内から反発がでるのは必至だったろうから。それに魔法世界での賞金稼ぎとしての実績をないものとして話しているのも評価できる。すなわち、こちらの下調べは万全でありある程度こちらの内情を理解しているということに他ならないのだから。

 

 (これほどの大妖が戸籍を求めるというのは違和感がないわけではないですが、その動機も目的もあの様子を見るに間違いないでしょうし、一年の報酬半額の対価としてはむしろ安すぎるくらいですが、彼女にとってはそれだけの価値があるということでしょう。

 なるほど、そういう意味では譲歩に見えて、実質的には譲歩したわけではないということですか)

 

 目前の三者にとっては、玉藻の戸籍こそがもっとも欲しいものであって、それ以外は余録なのだと詠春は考えた。こちらで生活するだけの資金はすでに魔法世界で十分に稼いでいることを考えれば、それは当然の結論であった。

 

 (ふむ、これ以上の腹の探り合いは無駄でしょうし、ここはどこか他の組織に取られる前に素直に雇って、こちらにひきこんでおくべきでしょうね。彼らの言い分に怪しいところが無いわけではないですが、戸籍の有無を調べればそれも裏をとれるでしょう。彼らがこちらにきたのは、ほんの三日前です。偽造するだけの時間はなかったでしょうし、その伝手があるとも思えませんからね)

 

 「分かりました。そういうことであれば、私のポケットマネーで雇わせていただきましょう。申し訳ありませんが、あまり高給は差し上げられませんよ?」

 

 「ええ、それで結構です。そのかわり戸籍の方を確実にお願いします」

 

 金に拘らず、逆に戸籍の件では懇願するような玉藻の様子に、詠春は己の考えが正しいことを確信した。

 

 「分かりました。一年の契約満了の暁には必ずご用意致しましょう」

 

 こうして契約は結ばれた。全ては玉藻の筋書き通りに……。

 

 

 

 

 さて、当然ながら詠春にはいくつかの誤解がある。

 徹が養子で桜と兄妹など嘘っぱちもいいところだし、魔法世界に飛ばされたというのは嘘ではないが本当でもない。そこらへんの話はほとんど玉藻が即興で作った設定である。事前に徹と桜は聞かされていたが、その細部に至るまでの作りこみは即興とは到底思えないものであった。 

 

 しかも、玉藻はすでに交渉の前段階から、正規戸籍の取得を徹と桜だけに留めるという布石を打っていたのだ。これは玉藻が妖狐であることから、その戸籍がないのは当然なのだという認識に加えて、徹達の戸籍について違和感を感じさせないという目的があったのだ。あえて自身の戸籍を取得しないことで、偽造や不正取得を疑いにくしたのだ。また、実の兄弟ではなく養子という形にしたのも、仮に改竄の痕跡が残っていたとしても戸籍に手が入れられたことに対する疑問を生じさせない為であった。

 

 さらに玉藻はダメ押しで、報酬として自身の戸籍を要求することで、戸籍の改竄や不正取得の可能性を限りなく低くしたのだ。普通に考えて、やるなら三人とも取得するのが自然だろうし、あえて一人だけ取得しない理由はないからだ。玉藻が大妖ということからしても、正規の戸籍取得が一番難易度の高い玉藻を残すことは不自然極まりない。

 

 そんなわけでものの見事に詠春は騙された。とはいえ、これは彼が悪いわけではない。相手が悪すぎたのだ。虚偽に織り交ぜて、ところどころに本音をだし、望む方向に思考を誘導する狐の手管にこそ畏怖すべきだろう。権謀術数では右に出るものはいない金毛白面九尾の面目躍如であったとさ。 

 

 




『暗黒イケモン』
 安倍晴明のこと。正体見破られて追い立てられたので、恨みがあるらしい。玉藻曰く「魂まで根の国色」。イケモンは、顔はイケメンだが心(魂)がイケてないケモノである様のイケメンのこと。原作で緑茶さんがそう言われていた。他に坂田金時などがそう言われている。

『浮気撲滅一号』
 西遊記で有名な斉天大聖の『緊箍児』を模して、『道具作成』と『呪術EX』を組み合わせて玉藻の手で作られた徹専用の金環。呪文に反応するわけではなく、頭を締め付けるわけでもない。徹が肉欲とか性欲な興奮を覚えると、全身に激痛をもたらす。
 ちなみに浮気撲滅シリーズは一つとして同じものがなく、号が後になるほど効果が酷く苛烈なものになる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 長の懐刀

2014/01/23 誤字を修正致しました。遅くなりまして申し訳ありません、


 「くそ、貴様のような若僧に!」

 

 水干を着た中年の男が忌々しげに吐き捨てる。彼は絶体絶命の危機にあった。目の前にいるのは、自分より遥かに年下の黒衣に身を包んだ20歳位の青年。男が所属する組織の長から差し向けられた刺客である。

 

 「往生際が悪い……。もう、貴方以外の人間の捕縛は終わった。貴方の企みは破れたんだ。貴方も頭領なら、潔く首を差し出すがいい」

 

 「ええい、黙れ!黙れ!新参の貴様如きに何が分かる!?儂こそが長に相応しいのだ。英雄だかなんだか知らぬが、青山宗家の血をひくからといって、東の近衛に婿入りしたような男が西の長であっていいわけがないのだ!」

 

 男は関西呪術協会でも過激派に分類される急進的な派閥の長であり、常々東との融和に積極的な現長詠春を批判し、最高峰の霊地である麻帆良の奪還を声高に主張してきた。一向にこちらの主張に耳を傾けない詠春に業を煮やした彼は、ついに麻帆良への独断での強襲及び木乃香の誘拐を計画するに至ったのだ。

 

 「それは私の知ったことではないな。雇われているとはいえ、我々は西の人間というわけではないからな。そういうことはお仲間に言ってやることだ」

 

 しかし、それも全ては筒抜けだったということだろう。こうして長の私兵が送られてきたということは。

 

 一年程前に長に私的に雇われた三人組の傭兵『月桜狐』。当初は、長の道楽扱いであったが、情報技術の革新や失伝した秘術の復活などの功績で、最近は見直されてきた者達だ。たが、それでも新参者の外部の者達であるという蔑視は抜けず、彼らの力量を疑う者は少なくなかった。なにせ、これといった武辺話も槍働きもないのだから、無理もない話である。唯一、半年前に起きた前過激派筆頭が起こしたクーデター未遂を鎮圧したという噂があったが、眉唾物であった。常識的に考えて、百名を超える精鋭術者を抱えていたかの派閥が、たった三人の傭兵に敗れるなどどうして信じられようか。功があったのは確かもしれないが、主力は長の実家である青山宗家で、『月桜狐』はその補佐を務めたに過ぎないというのが大半の見方であり、その日に京都神鳴流が動いた情報がないなど不自然な点はあったが、そう信じられていた。男もその一人である。

 

 しかし、早晩そのようなことを言う者は西には一人もいなくなるだろうと男は確信していた。半年前と同様に、こうして現過激派筆頭の己がても足も出ずに壊滅させられようとしているのだから。そして、それは間違いではない。この日を境に『月桜狐』は、「長の懐刀」として恐れられることになるのだから。

 

「貴様らが半年前に前筆頭を潰したというのは、誇張でもなんでもなかったと……。この忌々しい化物めが、貴様らが全ての元凶だったというわけか!」

 

 本拠地の門前に『月桜狐』の三人が現れ、投降を呼びかけてきた時、それを伝え聞いた男は鼻で笑ったものであった。たった三人で何ができると。むしろ、長の私兵を討ち取った余勢をかって、そのまま麻帆良に攻め込まんと意気軒昂ですらあった。

 

 だが、それはいきがった若僧を教育してやれと送り出した刺客達が見るも無惨な姿になって、戻ってくるまでの話であった。刺客達は手駒の内で最強ではないにしても、中堅以上の実力者揃いであったからだ。しかも、万難を排して敵の倍の六人を送ったにもかかわらず、それが敗れたというのだから。

 今、思えばここで敵の力量を悟るべきであったのかもしれない。なまじ最強の手駒が手元に残っていたばかりに男は判断を誤ったのだ。

 

 送り返された見るも無惨な刺客達の姿に怖気づく者が出てくる前に事態を収拾せんと、男は長として最強の手駒を用いることにした。万が一にも敗れることあれば後はないが、このまま座して手をこまねいていれば、派閥が瓦解しかねいという危惧を抱いたが故だ。

 

 男の命に応じて、最強の手駒である京都神鳴流の剣士が出陣した。この剣士はあまりに強さに執着し、その為に積極的に戦いを求める様から破門された人間だったが、その実力は折り紙つきである。後ろ暗い仕事であっても、戦いの場さえ与えれば嬉々として行うので、使い易くそれでいて強力な手駒だった。この時、派閥の人間の動揺を抑え、同時に自身の最強の手駒の実力を見せつけるために追随させた視覚中継の式神が、男の最大の失策となる。

 

 最強の手駒があっさりと敗れたからだ。 

 

 露出狂じみた格好をした少女にその全身を切り刻まれて、京都神鳴流において一角の使い手であった男は死んだ。その人を遥かに超越したスピードに翻弄され、妖刀・魔剣の類を思わせる切れ味を見せる靴に刻まれて。

 

 三対一ですらなく、サシの勝負で傷一つつけられずに最強の手駒が敗れたのだ。その一部始終を見せつけられて、恐慌するなというのが無理な話だろう。ダメ押しに口パクで「次は貴方の番よ」とかこれみよがしに宣言されて、視覚中継の式神が潰されたことがトドメとなった。

 ちなみに、実際には徹がメルトリリスを指揮しており、実質的には二対一だったのだが、式神から視覚のみを中継されていた彼らに、殆ど動きがない徹が参戦していたなど見抜けようはずもなかった。

 

 見ていた者達はたちまちに恐慌状態に陥った。逃げ出そうとする者が続出し、長である男に詰め寄る者さえ出始めた。男は必死に統制をとろうと努力したが、それでも何人かの逃亡を許してしまった。

 

 だが、本当の絶望はそれからであった。

 

 残存戦力をどうにか纏めて、この場を逃れ再起を図ろうと画策してた男の前に、なんと逃げたはずの者達が戻ってきたのである。何を今更と叱責しようと口を開きかけたところで、逃亡したはずの者達からもたらされた情報に男は凍りついた。

 

 本拠地の結界が乗っ取られ、誰一人逃れることができなくなっているというのである。術者十数人がかりで構築された特殊な守護結界をである。それもこの場にいる誰にも、今の今まで気取らせずに。その事実を認識した時、最早誰も言葉を発しなかった。

 

 相手は武で最強たる京都神鳴流を正面から降し、今また術者としての力量も遥かに及ばないことを思い知らされたのである。程度の差はあれ、いずれも自身の力量にそれなりに覚えのある者達であるが故に、それは到底現実と認められるはずもない悪夢であった。

 

 男も含め、彼らは最早死刑宣告を受け、その刑の執行を待つ死刑囚となんら変わりはなかった。最早、彼らに許されたのは、座してその時を待つ以外は破れかぶれの玉砕か自殺しかなかった。曲りなりとも過激派に属し武闘派で知られる者達が多いだけに、待つことも自殺も選ぶ者はいなかった。長である男も、最後まであがくことを諦めなかった。どうにか、外部からの援軍をとりつけるか、脱出する術を見つけようと本拠地の最奥で、あらゆる通信手段を駆使した。

 

 しかし、現実は非情であった。呪的な通信手段は乗っ取られた結界に尽く阻まれ、科学的な通信手段も電波妨害でもされているのか一切通じなかったのだ。そして、破れかぶれの迎撃に出た者達は誰一人戻ってこなかった。ついには男自身の護衛すら送り出し、気づけば残っているのは男一人だけになっていた。そうして、最早玉砕以外為す術がないと悟った男の前に現れたのが、目の前の青年であった。

 

 半年前のクーデター未遂鎮圧を受けて、急進的な過激派の多くがその勢力を大きく減退させた。過激派にいた者には、東との融和をすすめ弱腰に見えることから詠春を嫌っていた者が少なくなかったからだ。そんな弱腰の長が過激派の中でも一番の武闘派として知られた派閥を大鉈を振るって、文字通り壊滅させたのだから、印象も変わろうというものである。

 そも男が一見無謀とも思える計画の実行の着手に至ったのも、時を経れば経るほど勢力が減退していき、計画の実行どころか派閥の維持すらままならなくなるのを予期したが故である。つまるところ、男がこんな状態に陥ったのは全て目の前の青年にあると言っても過言ではないのだ。

 

 「くっ、何も理解しておらぬ慮外者めが!長の狗ごときが儂の夢を潰そうというのか!?」

 

 「夢か……。今の今まで見逃されてきたことも理解していない貴方に、長が務まるとは私には露程にも思えないが」

 

 「儂が見逃されていただと!?あの弱腰の長に!」

 

 「そうだ。貴方は実行にまで至らないただの不満屋だったからこそ、今までお目こぼしされてきたに過ぎない」

 

 つまり、それは今まで脅威としてすらみられていなかったことを意味する。それを理解した男はあまりの屈辱に耐え切れず激昂した。

 

 「ふざけるなー!!」

 

 抑えきれぬ憤怒を込め、切り札たる呪符を発動する。男の全魔力を注ぎ込まれたそれは巨大な炎の巨人と化し、青年に襲いかかった。

 

 「参の太刀 轟風!」

 

 しかし、瞬時に巨大な風の刃によって両断される。一撃どころか触れることすらできないままに、核たる符をも斬られた炎の巨人は消滅した。

 

 「そ、そんな馬鹿な……」

 

 あまりの光景に男は後ずさり、しまいには尻餅をついてへたり込む。

 

 「私の目の前で使ったのは悪手だ。核たる符の位置がバレバレだ。予め使っておけば、多少なりとも粘れたろうに」

 

 「化物め!」

 

 目の前で呪符の発動を見ていたとはいえ、爆発的に生まれる炎に惑わされず、術の核である呪符の位置を見極めることなど至難の業である。それをこともなげにやられたのだ。男の言は無理もないことであった。 

 

 「先ほども言われたが、酷い言われようだ……。さて、覚悟はいいな」

 

 「……」

 

 あれほどの術をなんなく破りながら、なんの感慨もういていない冷酷な視線の前に、男は最早言葉もなくうなだれるほかなかった。

 

 

 

 

 

 「半年前に続き、今回は本当にご苦労様でした。最後の最後までお手間をかけさせて申し訳ありません。ですが、お陰様で随分風通しが良くなりましたよ」

 

 「それは何よりです。私共も尽力した甲斐があったものです」

 

 こちらを労うように言う詠春さんに、玉藻がしたり顔で応じる。一見何でもない会話だが、実情はかなり物騒な話だったりする。昨晩、私達は過激派の派閥の一つを潰してきたところであり、風通しが良くなったとは、組織内で詠春さんに逆らう者が少なくなったということを諷喩しているのだ。

 

 何だかんだいっても詠春さんも組織の長である。中々に黒い。それと平然とやり合える玉藻も玉藻だが……。まあ、本人に言うと拗ねるので、言葉には出せないが。

 

 「お約束通り戸籍は用意させて頂きました。しかし、貴女個人の独立した戸籍でよろしかったのですか?」

 

 詠春さんが言っているのは、玉藻を最初から一緒の戸籍にすることもできたということだ。

 

 「どうせなら、婚姻届というものも出してみたくてですね。折角なんですからとことんやりたいじゃないですか」

 

 「なるほど、やる以上は徹底的にということですか。まあ、郷に入れば郷に従えといいますし、こちらとしても手間が省けたので、異存はありません。

 それではこちらをどうぞ」

 

 詠春が差し出したのは一つの茶封筒であった。玉藻はそれを神妙に受け取り、中身を確認する。

 

 「貴女の戸籍謄本の写しです。すでに諸々の手続は完了しています。本日この時から貴女は日本国民です。婚姻を結ぶのはもちろん、保険料支払えば年金だって受け取れますよ」

 

 冗談めかして、そんなことすら言う詠春さん。なんだかんだ言って、彼個人としても祝う気持ちがあるのだろう。

 

 「ありがとうございます。本当に嬉しいです」

 

 大切そうに封筒を胸に抱え込む玉藻。なんというか、芝居がすぎる気がしないでもないが、念には念を入れておくことに越したことはない。それに玉藻自身の策だったとはいえ、玉藻だけ戸籍なしの不安定な状態を強いたのは紛れもない事実だ。そう考えれば、あながち演技だけとは限らない。

 むしろ、純粋な喜びの方が大きいのかもしれない。

 

 「さて、お三方との契約は本日をもって終了するわけですが、今後はどうなされるおつもりですか?」

 

 「しばらくは三人でのんびりしようかと思っています。この一年それなりにハードでしたからね」

 

 「いやはや、耳が痛いですね。私が不甲斐ないばかりに申し訳ない。

 それはさておき、今後の予定は決まっていないということですか?」

 

 「ええ、今のところ他の誰にも雇われる予定はありませんよ。折角三人とも大手を振るって、陽の下を歩けるようになったんですから、久々の日本を思う存分満喫しようかと思っています」

 

 「なるほど、それはいいですね。綺麗どころ二人と一緒にとは、同じ男として羨ましい限りですよ」

 

 「ははは、確かに綺麗どころですけど、二人共我が強くて苦労して……る……」

 

 それ以上は言えなかった。隣に座る二人から背筋も凍るような気配がした為に。

 

 ────駄目だ。隣を見てはいけない。どちらを見ても獰猛な笑を浮かべた般若が待ち受けているに違いないのだから。

 

 「いえいえ、女性はそれくらいがよろしいですよ。余り控えめ過ぎるのも困ってしまいますからね。意思表示ををしっかりしてくれる女性は貴重ですよ」

 

 空気を察して如才なく難を逃れる詠春さん。そっちらから振っといて酷くないですか?いや、まあ余計なことを言ったのは私ですけどね!

 

 「そうですよ、センパイ命の私に酷い言い様です。センパイはもっと釣った魚に餌を与えるべきだと思います!」

 

 「桜さんの言う通りです。姉女房は身代の薬とも申します。ご主人様はご自分がいかに恵まれているか、自覚すべきです!」

 

 どっちも向かなかったからって、わざわざ二人して下から覗き込むようにしないでくれませんかね。微妙に怖いわ!

 

 視線を上げれば、詠春さんがこちらを生暖かい目で見ている。視線で助けを請うが、彼は無情にも黙って首を振るだけだった。最早、退路はないというのか。

 

 「ちょっと待って下さい、玉藻さん。姉女房だと私が入らないじゃないですか!?」

 

 「おや、そうでしたっけ?タマモうっかりです~」

 

 さりげに対象から外されたことに気づいた桜が抗議するが、玉藻はテヘと舌を出して自分の頭を小突いた。

 可愛いけどあざとい!あざといですよ、玉藻さん。それに年齢的にアウトな気が……。

 

 「く~、明らかにわざとですよね。これみよがしにぶりっこしちゃって!いい年してみっともないと思わないんですか!?」

 

 ああ、桜さんアカン!思っても言ってはいけないところだそれは。玉藻をおばさん呼ばわりしたありす達に、「あはは、よし、徹底的にブッ潰す」と静かにキレていたぐらいの地雷なんだぞ。そのあり方は嫌いじゃないって言っていた相手に対してもそれだというのに。

 

 「ああ~ん、BB……貴女、今なんて言いやがりましたか?誰が大年増ですか!」 

 

 「そんなこと一言も……って、実は気にしていたんですね。センパイとの歳の差」

 

 「そ、そんなことあるわけないじゃないですか!大体私はまだまだピチピチです。玉のお肌にこの完璧なプロポーション、ご主人様もメロメロです!」

 

 おや、きれると思ったら意外や意外。まさか玉藻がそんなことを気にしていたとは……。

 

 「ふ、それでも圧倒的な若さを誇る私が有利ですね!それに貧乳・巨乳・爆乳をとり揃え、サドマゾどちらもいけるなんでもござれの私の対応力には、いくらキャスターさんでも勝てませんよ!」 

 

 おいおい、桜さん。君も何言っちゃってるのかな?確かにメルトリリスで貧乳&サド、パッションリップで爆乳&マゾ、BB自身で巨乳&ツンデレと確かに網羅しているが、こんなところで言うことじゃゃないよね!

 

 「ぐぬぬぬ、アルターエゴを使うとは卑怯な!自前のものだけで勝負なさい!」

 

 「リップもメルトも私自身ですから、ちゃんと自前ですよー!」

 

 二人は顔を突き合わせて、どんどんヒートアップしていく。

 ちょっ、ここ人の家だからね。君等が本気で喧嘩したら、この屋敷灰燼とかすから!

 

 そんな風に内心で焦っていると、何か強烈な圧力を感じた。ふと視線を上げてみれば、詠春さんが止めてくださいと口パクで要求してきた。詠春さんも、二人の力の高まりを感じたのだろう。微妙に嫌な汗をかいているようだ。

 

 先程は人を見捨てたくせに虫の良い話だと思わなくもないが、発端は私の余計な言葉だし、これ以上二人の恥を他者に晒すのも忍びないし、妻同士の喧嘩を仲裁するのも夫の役目というものだろう。というか、ほっといたら洒落にならないレベルの事情を暴露されそうだ。

 

 「そこまでだ二人共。ここがどこだか忘れていないか?それに私達だけならまだしも、ここには詠春さんがいるんだぞ。私に対する文句なら、後でいくらでも聞く。だから、今は時と場所を弁えろ」

 

 「ご主人様」「センパイ」

 

 「返事は?」

 

 「「ハイ」」

 

 「大変失礼しました」 

 

 「ハハハッ、構いませんよ。元気があってよろしい。若者はそのくらいでなくてはね」 

 

 神妙に頭を下げる私達を笑って許してくれる詠春さん。まあ、最早おなじみと言える程度には見慣れているであろうから、無理もないが。この程度の無礼を笑って済ませてもらえる関係、この一年の成果といえるだろう。

 

 「みっともないところをお見せしました。良妻として恥ずかしいです」

 

 「なに、貴女ほどの存在でも意中の人がかかれば平静ではいられないと分かったのは収穫ですよ」

 

 「あら、中々の仰り様ですね」

 

 詠春さんの言に口をとがらせる玉藻だが、どの口でそれを言うかと私は思ってしまう。 

 なぜなら、実は玉藻は意図的に詠春さんの前で桜と私をとりあっての争奪戦というか、喧嘩をしていた節があるからだ。無論、内容については嘘はないだろうし、半分以上素であることも間違いない。だが、その頻度や場面から考えるに、狙ってやったというのも間違いないだろう。玉藻はTPOをわきまえない女性ではないし、礼を欠くような女性でもない。雇い主の前で粗相など本来の彼女からすれば、ありえないことだ。それでも、あえてそうしている以上、そこにはなにか狙いがあるはずである。

 

 この狙いについては、実のところ見当がついている。恐らく、玉藻には私という枷、首輪ががついているのだということを詠春に見せつけるためだろう。玉藻は神霊だが、大妖としての側面も持ち合わせている。それが野放しになっているのは、色んな意味で安心できない。当初私達三人に対する警戒というよりは、玉藻に対する警戒という監視体制になっていたことからも、それは明らかだ。

 

 だが、そんな存在が二十にもならない小娘と一人の男を本気で取り合っていたらどうだろう。玉藻を抑えることは無理でも、私を抑えれば玉藻を抑止することは可能だと考えないだろうか。事実、私は詠春さんとタイマンしたら、負ける自信がある。詠春さんもそう考えたに違いない。その証拠にある時期から、彼の態度から大幅に警戒の程度が低くなったのだから。

 

 「……非常に心苦しいのですが、三人でのんびりというのは難しいかもしれません」

 

 そんなことを考えていると、口調を改めてどこか苦い声で詠春さんがそんなことを言った。

 

 「それはどういうことですかと問い詰めたいところですが……見当はついています。些かやり過ぎましたか」

 

 「ええ、半年前だけであれば良かったのですが、今回の一件で貴方方の実力が表に出てしまいました。最早、西には貴方達を見くびるものなど一人もいないでしょう。それだけならよかったのですが……」

 

 「組織に取り込むべきという意見が出ているということですね?」

 

 詠春さんが言い淀んだ部分を引き受けるように玉藻が続ける。問う形だが、実際には事実の確認だ。

 

 「ええ、たった三人だけで過激派の大半を潰した貴方達を野放しにしておくのはまずいというのが、大勢の意見ですね。貴方達が東に流れることを危惧している者も少なくありません」

 

 「本日をもって契約が満了した以上、私共としてはそんことは知ったことではないとはねつけることもできるわけですが……」

 

 「もちろん、そうされてもこちらとしては文句が言えません。私としても貴方達を敵に回したくありませんから、手出しするつもりはありませんし、そう徹底させます。ですが、それでもちょっかいを出す輩は出てくるのは避けられないと思います」

 

 詠春さんの言葉は真摯なものだった。その言葉に嘘はないだろう。そして、彼の言うとおり、西からのちょっかいはあるだろう。どんなに上が引き締めても、下に跳ねっ返りはいるものである。もとより組織というものは、規模が大きくなればなるほど、末端に意が届きにくくなるのが常であるから、仕方のないことである。

 

 玉藻の言う通り、私達は少し……いや、些か以上にやり過ぎたのである。最後ということではりきり過ぎたのがまずかったか。

 

 「幸い最大の目的だった戸籍も含め、欲しいものは十分に手に入れる事が出来ました。蓄えも十分にありますし、私達がこれ以上傭兵をやる理由はないのですが」

 

 玉藻は頬に手をあてて、さも困ったような顔をしているが、その裏ではほくそ笑んでいるに違いない。なにせ、私達の目的は完全に達成されたているからだ。いや、正確に言えば、詠春さんに雇われた時点で、私達は最大の目的を達成していたのだ。

 

 さて、私達の最大の目的が玉藻の戸籍入手など嘘っぱちもいいところだが、では真の目的とは何か。それは実のところ、西の長である詠春さんに雇われていた実績、職歴ともいうべきものである。私達の実績といえば、魔法世界での賞金稼ぎとしてのものがあるが、あれは基本的にこちらでは通用しにくい。加えて、私達自身が素性の詮索を避けていたこともあり、それ程顔が売れているわけではない。そんなわけで、ぶっちゃけこちら側では無名もいいところであり、どこの馬の骨とも知れない扱いだ。当然、仕事にありつけないことは間違いないし、無名の実力者など要らぬ詮索を受けることも間違いない。

 だが、西の長に雇われていたことがあるというだけで、話は一変する。雇われるだけの信用と力量があるという裏付けになり、いらぬ詮索をうけることはもちろん、仕事をこちらから探す必要もなくなるだろうというのが、玉藻の目論見であった。ちなみに、昨晩些か以上にやり過ぎたのだって、最後に大きく名前を売るとともに、下手な輩からのちょっかいを防止するという目的があったというのだから、恐れ入る。

 

 ────まあ、真に恐ろしいのは、玉藻はこの筋書きをラカンから詠春さんを紹介された時点で書き上げていたことであろうが。

 

 

 

 

 

 

 「ええ、それはこちらとしても理解しています。ですが、お三方の為人を知る者は私も含め極少数なせいか、思った以上に脅威論が強いのです」

 

 玉藻の言い分はもっともなものだったが、「はい、そうですか」といかないとろが、組織の長としての辛いところであった。とはいえ、詠春個人としても、目の前の三人をみすみす逃がすという選択肢はない。

 

 雇ってみて分かったことであったが、この三人は優秀過ぎるのだ。確かに相応の力量を備えているであろうとことは、ラカンと引き分けたことから理解していたつもりであったが、つもりでしかなかったことを詠春は思い知らされることになった。彼らの真価は、個々人の力量は元よりその卓越したスキルの方にあったのである。

 

 大妖である玉藻は、失伝したはずの秘術を知っており、そのいくつかを提供してくれただけでなく、既存の術改良まで行うという術方面では八面六臂の活躍振りだったし、徹と桜は西で遅れがちだった最新の情報技術によるネットワーク網の構築をたった二人だけでやり遂げてしまったのだ。手放すにはあまりに惜しい逸材揃いであった。

 

 「なるほど、あまり深入りしないようにビジネスライクで接していたのが仇になりましたね」

 

 玉藻の言う通り、三人とお個人的な付き合いをしているのは、詠春自身を除けば極少数の例外を除いて皆無に等しい。深入りして西から離れられなくなるのは避けるというのもあったろうし、必要以上の関わりは私兵としての立場上まずいとこちらに配慮してくれたからなのだろうが、何事も万全とならぬのが現実らしい。

 

 「いえ、貴方達の責任ではありません。力量を信頼していたと言えば聞こえはいいですが、実際貴方方に甘えていたという側面も少なからずあります。昨晩も、本来なら私自身が手勢を率いてあたるべきでした。とはいえ、今更後の祭りですが……」

 

 詠春個人の私兵という立場である『月桜狐』は使い勝手が良すぎた。なにせ、ラカンと互角にやりあえる力量の持ち主達なのだ。戦闘において、およそ負けはない。しかも、私兵という立場から、組織による誓約を受けずに詠春個人の意で自由に動かせるというのだから。

 昨晩のことにしたって、本来ならば長である詠春自身が手勢を率いて鎮圧にあたってもおかしくないものだったというのに、彼らはたった三人で片付けてしまった。確かに彼らならできると思って任せたのだが、その仕事ぶりは完璧すぎた。正面から挑んだにも関わらず圧倒的な数の差をものともせずに封殺し、挙句敵本拠地の結界を乗っ取り、一切の逃亡を許さないという徹底ぶりだ。脅威論がでるのも、致し方の無いことと言えた。

 

 「いえいえ、私達は仕事を全うしたに過ぎません。あれも契約の内ですから、気に病むことはありませんよ」

 

 労るように言う玉藻がいってくるが、この大妖の言葉を鵜呑みにするのは危険であるとこの一年の付き合いで詠春はすでに知っていた。気に病むなと言いながら、目は欠片も笑っていない。彼女は言外に要求しているのだ。そちらの落ち度なんだから、そっちでどうにかしろと。

 

 ────さて、どうしたものか……。

 

 少し時間を遡る。過激派鎮圧の報告を受けた詠春は目の前の三人の処遇について、頭をなやませていた。当初、信頼できるならば正式に組織に迎え入れることも考えていた詠春だったが、ことここに至ってはそれはとれない手段となっていた。私兵という立場であるから、彼らは組織内の事情などに関わりなく動くことができたのだ。そして、あくまでも組織の構成員でないからこそ、組織内の反発を気にすることなくあれ程徹底的に潰せたのだ。

 もし、今彼らを組織にとりこめば、反発は必至である。それどころか、間違いなく逆恨みの復讐が行われるだろう。なにせ、半年前と昨晩の過激派鎮圧では少なからぬ死者が出ていおり、その縁者は組織内に多数存在しているのだから。

 

 (しかし、本当にどうしたものでしょう?このまま彼らを手放すのは悪手以外のなにものでもありませんが、かと言って組織に迎え入れるのは問題があり過ぎます。彼らならば、逆恨みなど容易にはねのけましょうが、組織内に無用の軋轢を招くのは避けられないでしょうからね。

 とはいえ、このまま私兵のままというのもまずいでしょうね。御老人達は、私個人が彼らという圧倒的な戦力を保有し独占していることが気に入らないようですからね……。まあ、それ以前に彼らが再契約に応じてくれるかという問題がありますが)

 

 『月桜狐』の実力が知られていなかった一年前とは違い、その力量は白日の下に晒されてしまったのだ。私兵として再契約することになれば、伝統や既得権益に固執し自身の地位と利益にしか興味のない老人達であっても、今度は長の道楽と野放しにはすまい。必ず口を挟んでくるであろう。

 

 (この一年大鉈を振るったとはいえ、未だ御老人達の影響力は残っていますし、それに些かやり過ぎた感も否めませんからね)

 

 ここ一年の『月桜狐』の働きと詠春の断固たる態度で、組織内の風通しは遥かによくなったものの、些か急進的であったのも事実であり、伝統や歴史を重視する旧態依然の老人達からの反発は強い。必要なことではあったとはいえ、詠春としてもしばらくは穏便にことを進めたいのが本音であった。

 

 だが、そうなると余計に『月桜狐』の扱いは難しくなる。組織内に迎え入れれば確実に軋轢を生み、それどころか私兵扱いのままであっても、手元においておけば確実に火種になるだろう。それも半端な火種はない。なにせ、ラカン級の実力者なのだ。それを潰す戦力が動員されるとなれば、下手をしなくても戦争になりかねない。

 

 (やはりこのまま私兵としての立場でいてもらうのが一番都合がいいのでしょうが、手元におけないとなると扱いに困りますね。これだけの戦力を遊ばせておくというのもあれですし……。

 私兵のまま手元におかず、それでいてその戦力を有効活用するなんて、そんな都合のいい手があるわけが────!!)

 

 そこまで考えて、詠春はあることを思いつく。いや、思いつくというよりは思い出したと言った方がいいだろう。詠春の私兵といっていい存在でありながありながら手元におらず、それでいて本人の意向があるとはいえ結果的に有効活用していると見られている少女のことを。

 

 桜咲刹那、詠春の一人娘木乃香の幼馴染であり、彼自身にとっても愛弟子であり娘同然の存在の少女。今は、木乃花の護衛として麻帆良に派遣されている……と本人は思っているだろう。確かに彼女がその一翼を担っていることは間違いないが、実際のところそこに詠春の真意はない。なぜなら、詠春が木乃香の護衛戦力として期待したのは麻帆良の防衛戦力の方であり、ひいては義父である麻帆良の長の手腕であるからだ。

 むしろ、刹那を西から引き離し、木乃香の傍で一人の少女として過ごしてもらうことこそが目的であった。刹那はその特殊な生い立ちから、元々西での立場はよくない。麻帆良への派遣はそれにとどめを刺し、『裏切者』という汚名を被せてしまうことになったが、それでも西に留まるよりはましであろうと詠春が判断する程度には。

 

 (元々、刹那君には木乃香のことだけでなく、一人の少女として学生生活を楽しんで欲しいという思いがありましたし、年長者の実力者が補助につくというのは彼女へのかかる過剰な負担の軽減という意味でいいかもしれません。それに、あれだけの戦力を娘の護衛の為とはいえ東に派遣するというのは東への示威行為にもなりますし、お義父さんへの牽制にもなるでしょう。ふむ、存外に妙手やもしれませんね)

 

 ありえないはずの都合のよすぎる解決策であったが、一度思いついて考えれば考えるほど、これ以外ないように詠春には思えてきた。問題は 『月桜狐』の三人が受け入れてくれるかどうかだが、麻帆良での住居をこちらで用意し、加えて麻帆良、すなわち東にも紹介するということを条件にすれば、頷かせるのは不可能ではないだろう。彼らにかぎって、己の置かれている状況を理解していないということはないであろうから。

 

 そうして臨んだこの話し合いだったが、状況はよくない。いや、詠春自身、己が交渉事に疎いことは自覚していたが、それにも増して相手が悪いというべきだろう。なにせ相手は詠春よりも遥かに齢を経た大妖である。根っからの武人である詠春では策謀はもとより恵、交渉においてももとより勝負にもならないことは分かりきっていった。

 

 (やれやれ、これは相当の譲歩を迫られそうですね。ですが、これも木乃香や刹那君の為です。親として師として、そして組織の長として全力を尽くすとしましょう)

 

 まさか、全て筋書き通りに動かされているなどと夢にも思わない詠春は、断固たる決意を秘めて交渉に臨んだのだった。




年内に間に合わせようと頑張ったのですが、少し強引だったかもしれません。ようやっと次話から舞台が麻帆良へと移ります。一気に時間経過する予定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話 喫茶「月桜狐」

いつの間にやら、お気に入り登録が1500件超え……。読んで頂いた全ての方に心からの感謝を。
一月中にあげるつもりが遅くなり、申し訳ありません。



 「ありえねー、何だよ九歳児の先生って、教育実習生にしても若すぎだろ!どんだけ飛び級すりゃあいいんだよ!ていうか、労働基準法に喧嘩売っているだろう!だっていうのに、なんでうちのクラスの能天気共は平然と受け入れているんだよ!

 なんだよ、おかしいのは私の方だとでもいうのかよ!」

 

 鬱憤を晴らすかのように、少女はぼやいた。少女の名は長谷川千雨。ちょっとPC関係のスキルに優れており、秘めた趣味があること以外は紛うことなき一般人である。

 ただ、彼女には一つだけ明らかに常人とは違うところがあった。ここ麻帆良では明らかに普通では有り得ないことが多々起きるのだが、大多数の人はそれを異常と感じないのである。いや、正確には極一部の存在を除いて、認識をずらす結界によって異常を異常と認識できない。少なくとも常人には不可能だ。

 

 だが、幸か不幸か千雨は異常を異常だと認識できてしまうのだ。本来想定された極一部の例外に該当しないにもかかわらず、彼女は正確に物事を認識してしまうのである。その理由は不明だが、彼女は麻帆良学園都市の基幹システムの想定外のイレギュラーの一つといえよう。

 

 しかし、当然ながら当人にとってはいい迷惑である。なにせ周囲が当然の如く異常事態を普通に受け容れるにもかかわらず、千雨だけは異常と感じ受け容れられないのだから。この周囲との認識の齟齬は、彼女とクラスメイト達との明確な溝となり、自然と人付き合いを悪くしていた。今日現れた新たな担任教師に対する反応などその最たるものと言ってもいいだろう。それによって生じた不満や鬱憤を、彼女はお気に入りの喫茶店で吐き出すことで晴らしているのだ。

 

 「今日はいつもにまして荒れているわね、千雨。まあ、貴女がそう言いたくなるのも無理もない話だけど……。でも、レディたる者がそんなに汚い言葉を使うものじゃないわ」

 

 窘めるように言うのは鮮血の如き紅の髪の美少女である。その美貌は絶妙にマッチしたゴスロリ服と相まって不可思議な艶やかさをもっている。初めて少女を見た時、美少女に見慣れた千雨でさえ、言葉を失った程である。

 

 「あー、勘弁してくれよ、エリザ。ここでぐらい思う存分愚痴をこぼして、羽根を伸ばしたいんだよ」

 

 そう言って、テーブルに突っ伏す千雨。本当に精神的に疲れ果てているのだろう。今にも口から出てはいけないものがでそうな表情であった。

 

 「あははは、本当にお疲れだね千雨ちゃん。まあ、ゆっくりしていくといいよ」

 

 そんな彼女のところに静かに白磁のティーカップが置かれる。そこからゆらりと立ち昇る芳香が、不思議と千雨のささくれだった精神状態を癒やす。

 

 「いい香りだな、マスター。また、メニューを増やしたのか?」

 

 多少精神状態を復活させた千雨は顔を上げて、それを成した人物を見上げる。そこには地味で暗めではあるが、よく見ると整った顔立ちをした青年がエプロン姿で佇んでいた。どことなく個性に乏しく影が薄いように見えるが、れっきとしたこの喫茶店の主である。

 

 「ああ、千雨ちゃんは貴重な常連客だからね。ちょっと頑張ってみたよ」

 

 「いくら常連とはいえ、一人の客に対し手間かけすぎじゃないか?相変わらず儲け度外視な経営しているんだな」

 

 「まあ、所詮道楽でやっている店だからね、構わないのさ」

 

 「マスター達がそれでいいならいんだけどよ……。あ、美味しい」

 

 千雨が多少の心配とともにした苦言にこともなげに笑顔で応じる青年。その様子に、これは駄目だとと悟り、千雨は出されたものを大人しく飲むことにした。頑張ってみたという言葉に偽りはなかったらしい。じんわりと染みわたるような旨味が口の中を踊る。

 

 「それは良かったです。リラックス効果のあるハーブを絶妙なバランスでブレンドした『千雨ちゃん専用スペシャルブレンドハーブティー』ですからね」

 

 思わず口に出していた感想に、笑顔と共に嬉しそう声で応じたのは、いつの間にか現れていた紫髪の清楚な美女だ。その清楚な外見に似合わず、抜群のスタイルを誇っており、千雨も密かに羨んでいたりする。

 

 「あ~、桜さんの作だったんですか。確かにとても癒やされるんですが……まさかそのネーミングでメニューに出したりしませんよね?」

 

 清楚な外見に似合わず、実は結構悪戯好きである彼女の側面を思い出し、念の為聞いておく。

 

 「うふふ、さあ、どうでしょう?」

 

 「ちょっ、勘弁して下さいよ!」

 

 どこか悪戯っぽい笑を浮かべるのを見て焦る千雨。いくらここが穴場的な喫茶店で客が少ないと言っても、千雨が知る限り、数人は知人が客として来ているのだ。自分の名前がついたものがメニューにのったらたまったものではない。

 

 「こらこら桜さん、お客様をあまり誂うものじゃありませんよ。ごめんなさいね、千雨ちゃん」

 

 そう窘める様に言ったのは、これまたいつの間にか現れていた店主の妻であるという絶世の美女だ。別に露出の高い衣装を着ているというわけでもないのにその装いや所作は不思議と色気を感じさせる。出るべきところは出て引っ込むべきところは引っ込んでいるという、まさにボン・キュッ・ボンと形容するのに相応しい肢体の持ち主であるが故かもしれないが。

 

 「ああ、いや、冗談ならいいです。別に怒っちゃいませんよ」

 

 ひとまず危機を脱したことに胸を撫で下ろしながら、千雨はお茶で喉を潤す。そうして一息ついて、四人を見る。自分を見なさいと言うが如く胸を張る美少女に、穏やかな表情でこちらを見つめる青年。どこか悪戯っぽい笑でウインクする美女と太陽のごとく微笑む美女。店主である青年はともかく、クラスメイトで美少女・美女には見慣れている千雨からしても女性陣の美貌のレベルが高過ぎる気がするが、麻帆良の異常さからすれば些細なことである。何よりも彼ら四人は、千雨の良き理解者達なのだから。

 

 

 

 

 

 (今日も千雨ちゃんは荒ぶっているなあ。どことなく凛を彷彿とさせる……。)

 

 内心でそんなことを思いながら、貴重な常連客である少女を微笑ましく見つめる。愚痴を零してはエリザや桜に弄られているが、楽しそうでもあり、精神的にリラックスできているようで何よりだ。なにせ知り合った当初は、周りを拒絶するように排他的で精神的に孤独であったのだから。

 ちなみに、そのあまりの惨状に思わず声をかけてしまったのが、彼女との始まりであったりする。

 

 「もう麻帆良に来て二度目の春か、暦の上ではだが早いものだな」

 

 「そうですね。麻帆良に来て、今日でちょうど一年になります。光陰矢のごとしとは申しますが、この一年は本当に早かったですね」

 

 ふと何気なく零した言葉に、玉藻がしみじみと言う。

 そう、もう一年になるのだ。私達が麻帆良に来てから。

 

 昨年の1月に、詠春さんとの話し合いの結果、私達三人は詠春さんの私兵としての契約を更新することにした。その際、麻帆良に派遣されることともに、新たに詠春さんの娘である近衛木乃香嬢の護衛と桜咲刹那嬢の補助という任務が加わったのだが、それに対し玉藻はその恐るべき手腕を発揮し、報酬の大幅な引き上げは勿論、麻帆良への売り込みとこの喫茶店兼家を対価として勝ち取っていた。正直、取り過ぎだろうとも思ったのだが、玉藻に言わせれば、詠春さんが許容できる範囲の限界を見極めていて、これでも遠慮したというのだから、そら恐ろしい話である。

 

 麻帆良に来た当初は、西で過激派を潰したという勇名というか悪名が効きすぎたらしく、麻帆良の防衛戦力の中核を担う魔法先生達に穏健派・過激派問わず、大いに警戒されたものである。今でこそ、麻帆良の長である詠春さんの舅やその懐刀であるタカミチさんを筆頭とした穏健派とはそれなりに友好的な関係を築けてはいる。

 しかし、その彼らであっても当初は私達を危険視していたのだ。その警戒ぶりときたら、最初の一ヶ月は常時監視つきであった程だ。

 

 これは、私達の雇用期間中の詠春さんのやや強引な姿勢の原因が私達にあると思われていた為だ。ぶっちゃけ、これについては否定出来ない。私達が扇動したというわけではないが、詠春さんの手元に私達という使い勝手のいい強力な戦力があったからこその強硬姿勢だった点は否めないからだ。

 

 とはいえ、四六時中監視されるなど真っ平御免である。そこで悩んだ末に、考えついたのがこの喫茶『月桜狐』である。店の敷地に玉藻謹製の強固な結界を張り外部からの監視を不可能にし、替わりに喫茶店の客として来るのならば一定の監視も受け容れることにしたのだ。これは私達のプライベートを守ると同時に、客としてくる監視と交流をはかり、そうすることで相互理解をすすめ警戒を和らげることを狙ったものだ。

 

 これが思いの外、奏功した。当初、監視の人員はお堅いガンドルフィーニ氏をはじめ、強面の神多羅木氏、はては麻帆良最強戦力であるタカミチさんなど、武闘派揃いの顔ぶれだったが、今や若手の瀬流彦さんがメインとなっており、後はたまに純粋な客として弐集院さんや明石さんが来るくらいになっている。

 

 もっとも、何の騒動もなかったというわけではない。麻帆良防衛に助力した時、一度だけ過激派の連中に襲撃を受けている。私達は当然の如くこれを撃退したのだが、この際相手に無用な負傷をさせず、無力化に徹したことが、麻帆良というか東の態度を和らげたのは間違いないだろう。まあ、逆にこちらの力量に対する警戒はあげてしまったようだが、これはどうしようもないことだろう。

 

 結局、郊外にあるちょっと穴場的な喫茶店として普通に営業できるようになるまで、実に半年の時間を要した。その間の客は、千雨ちゃんを除けば、監視の人員くらいしかいなかった。どうも人払いみたいなものを店周辺にかけられていたらしい。かけられていた範囲が店周辺というのが、また厭らしい。実のところ、なんらかの術法の存在は感知していたのだが、出向というか派遣社員的な立場である私達は、麻帆良の地にかけられている術法に干渉する権利はない為放置していのだ。これが店自体にかけられていたのなら、こちらも遠慮無く対処できたのだが……。

 

 まあ、そのおかげで麻帆良の穏健派との交流に専念できたと思えば、悪い話ではない。立派な営業妨害だが、別にそれで儲けようというわけはないし、金に困っているわけでもないので構わないだろう。それでも、玉藻と桜は麻帆良への心象を些か悪くしたようだが。

 

 それにしても認識阻害どころか、人払いすら効かないとは……千雨ちゃんはとことん不憫な娘である。玉藻に言わせれば、千雨ちゃんは認識が強固すぎて、それを歪めるものを無意識に排除してしまうらしい。専門的に鍛えれば、意識的に術法を選別して無効化できるようになるだろうとのことだが、彼女からすればいい迷惑だろう。

 あれ程、常識にこだわり、普通の生活を望んでいるというのに、麻帆良にいる限り、彼女の願いはけして叶わないのだ。涙を禁じえない。麻帆良外の高校に進学することを薦めるべきだろうか。

 

 あまりにも不憫なのと、お客様第一号ということで、何を頼んでも基本的に彼女からは300円しかとらないことにしている。元々、道楽なようなものだし、他からはきっちりとっているので、彼女の境遇を思えば、これぐらいはいいだろう。

 

 当初、千雨ちゃんは猫被りして言葉遣いも丁寧だったのだが、店内では麻帆良に張り巡られた認識阻害と監視網から逃れられることに無意識のうちに理解したのだろう。そのうち、店に来る度に脱力するようになり、言葉遣いにも遠慮がなくなって、今や週一で来店しその一週間の愚痴を零すようになっていた。

 

 まあ、そんな有様だから、私達も専用メニューなど用意するまでに至った。なにせ、千雨ちゃんが嫌う非常識や有り得ないことの最たるものが、私達自身なのだから。普通に考えて、受肉しているとはいえ、幻想の存在であるサーヴァントがいる喫茶店など、非常識極まるであろうから。彼女の悩みの原因が私達にはないとはいえ、なんだか申し訳ない気持ちになってしまい、彼女にはできるだけのことをしてやろうと思ってしまったのはしかたのないことだろう。

 

 しかも、今はサーヴァントが3人から4人に増えているのだから尚更である。今、現在喫茶『月桜狐』は私、玉藻、桜に加えて、ラカン戦の時に限定召喚したエリザが新しく加入している。これは喫茶店をやるための人員確保と同時に、予備戦力の確保という意味合いがあってのことだ。

 

 数多いるサーヴァントの中からなぜエリザなのかと、玉藻や桜からは非難轟々で大ブーイングの嵐であったが、それでも私が彼女を選択したのは当然それなりの理由がある。

 

 これは限定召喚の際に本人から指摘されて思い出したのだが、私はエリザが入ったキューブを月の裏側で凛から託されており、サーヴァントになった現在も確かに保持していたということだ。これに彼女がキューブに入る直前は私と一時的にとはいえ契約していた状態であったという事情も加わる。

 つまり、キューブを開封してやれば、エリザは即座に私のサーヴァントとして、限定召喚ではなく正規の召喚状態で現界できるのである。それも正規の召喚を経ることなくである。ぶっちゃけた話、これが彼女を選んだ最大の理由だったりする。

 

 なにせ、正規の召喚は論外として、限定召喚であってもサーヴァントの召喚などしたら、麻帆良側に気取られる可能性は低くないからだ。召喚に伴う莫大な魔力の余波は、いくら玉藻の結界が鉄壁だといっても、完全に防ぎきれるか怪しいものだったからだ。『SE.RA.PH』を具現化して周囲の空間と切り離せば別だろうが、それでは『SE.RA.PH』から出ることは出来な状態になるので、喫茶店の人手としては使えないので意味が無い。

 後は、私達3人全員とそれなりに面識があり、気心が知れているというのもあったが、前者に比べれば微々たる理由である。

 

 まあ、それはさておき、九歳児の教師とは麻帆良も随分と無理をしたものである。作られた経歴は申し分はないとはいえ、よくも保護者達を納得させられたものだ。これも認識阻害の結界の賜物であろうか。

 しかも、女子中学とは恐れ入る。なにせ思春期まっさかりの少女達の園である。未だ色を知らない幼すぎる少年には些か以上に敷居が高するというものである。精神的な成長を手っ取り早く促す為なのだろうが、それにしてもやりすぎであろう。詠春さんの舅はドSであるようだ。

 

 ちなみに私たちにも詳細は伝達されている。詠春さんと学園長双方からである。その上で一応の口出しもさせてもらった。特に女子寮で生徒と共に同居させるという案には、真っ向から反対させてもらった。なにせ同居予定であった生徒に、護衛対象である近衛木乃香嬢がいたからだ。彼女が狙われるのは仕方ないにしても、それにわざわざ更なる爆弾を傍に置かれるのを護衛として看過できるわけがない。麻帆良側から一まとめにして護りやすくしたいという旨の主張があったが、こちらからすれば知ったことではない。大体、本当にそうするつもりなら、防備を固めた専用の住居をあらかじめ用意すべきだし、職員寮に入れれば魔法先生もいるし、十分に安全は担保できるとは玉藻の弁である。全くの同感である。まして、こちらからすれば、護るべき対象として同居人の神楽坂明日菜嬢という一般人がすでにいるのだ。勝手に増やされてはたまらない。

 

 無論、神楽坂明日菜嬢は一般人とは言い難いのは把握している。天涯孤独の孤児ということだが、麻帆良に来るまでの経歴はまるで意図的に隠されたかのように不明。本人によれば記憶すら微妙らしい。何よりも、麻帆良最大のVIPと言ってもいい近衛木乃香嬢の同居人であると言う事実。ただの一般人を同居人にする程、詠春さんも学園長も甘くはない。トドメに後見人があのタカミチさんということで、役満である。どっからどう見ても、ただの一般人であるはずがない。

 

 とはいえ、こちらには詳細を隠されているので、こちらも彼女をあくまでも一般人として扱っているわけである。麻帆良側からすれば、事情を斟酌して欲しいのかもしれないが、それは都合が良すぎるというものだろう。説明されない限り、彼女の扱いを変える気はない。

 

 余談になるが、神楽坂明日菜嬢とは顔見知りである。というか、うちに新聞を配達してくれているのが彼女なのである。ちょっと外れた場所にあるため、健脚の彼女に任されたらしい。その労いの為にスポーツドリンクを用意して、渡している。その時、ちょっと言葉を交わしているのだ。記憶の話や身の上話はその際に聞いたものだ。まあ、本人はあっけらかんと語り、大して気にしていないようであった(桜やエリザはそんな彼女の有り様に衝撃を受けていた)。

 後に、彼女が人払いの結界を無視していたことが分かったが、今もあえて触れないでいる。彼女が麻帆良にとってパンドラの匣でないとはいいきれないからだ。

 

 そんなわけで、勤労学生でとても努力家の彼女にこれ以上苦労を背負わせるのはどうかとも思ったのだ。

 

 しかし、麻帆良側というか、学園長が同居推進派で中々に頑固で、これについては譲ろうとしない。子供であるということを全面に押し出して、教師という職務に加えて家事など大変な負担であり、誰か世話をする者が必要だと主張したのだ。それなら教師なんてやらせるなよと思うが、それでは話が一向に進みそうになかったので、こちらも妥協することにした。朝食のみ生徒二人の世話になり、それ以外はこちらで提供すると言う条件を出したのだ。

 これならば、護衛対象と一般生徒との接触はある程度制限できるし、件の教師の家事の負担もなくせる。その上、朝だけとはいえ同じ食卓を囲む以上、学園長の真の狙いである親しくなるというのも、ある程度は果たせるだろう。しかも、それ以外はこちらが食事の世話を負担し、その間の安全はこちらもちになるのだから。

 

 だが、これには魔法先生達から反対があった。どうも私達を英雄の息子を一時的とはいえ預けるほどには信用出来ないらしい。彼らからすれば、次世代の旗頭になりえる存在なのだから、気持ちは分からないわけではないが、感情論ではなく代替案か対案を示して欲しいものである。それではいらない敵を作るだけだと思う。

 結局、すったもんだの末、私達の出した案を叩き台にして、朝食のみ生徒二人、昼食は自力で、夕食は魔法先生(基本的にタカミチさんが担当)ということになった。 

 

 申し出を却下されたのが桜も玉藻も微妙に不満そうではあったが、こちらの負担がないのは正直ありがたい。元より私達の申し出は、詠春さんの旧友の息子を頼むという願いを受けてのものなのだから。

 

 「しかし、明日菜さんもこれから大変ですね。九歳児が担任の上、これから朝だけとはいえ食卓で顔を合わせることになるのですから」

 

 私がそんなことをつらつらと思い出していると、いつの間にかすぐ傍にいた玉藻がどこか憂い気にそんなこと言った。彼女なりに明日菜ちゃんを心配してのことだろう。桜とエリザは千雨ちゃんの相手をしているようで、今ここにいるのは私と彼女だけのようだ。

 

 「そうだな。あの年代は色々難しいからな。肉体的に少女から大人になるが、その一方で精神は未だ子供であることが殆どだからな」

 

 「そうですね。そんな身体は大人、心は子供の少女達の巣窟に、心身共に子供な者を放り込むとは、あの御老人も何を考えているやら……」

 

 どうやら、玉藻としては子供先生の扱いについても思うところがあるらしい。

 

 「ふむ、確かに。私だったら、絶対に御免だな。そんな集団の中に男一人とか辛すぎる」

 

 そう言われてみると、厄介事の塊とはいえなんだか件の子供先生に同情したくなってしまうから不思議なものだ。まして千雨ちゃんから、子供先生が担任になる2-Aの問題児ぶりは耳にタコができるほどに聞かされているので、尚更である。

 

 「そうでしょうか?旦那様なら、問題なくやってのけそうですが……。それどころか、無自覚にフラグを立てられて、青い果実をパックンチョなんてことに」

 

 大人しく聞いていれば、こいつはなんてことを言いやがるんだろうか。確かに本物のはくのんならありえそうだが、代替たるこの身がそんなフラグまみれであるわけがない。私は無言で玉藻にチョップした。

 

 「……」

 

 「アイタ!酷いですよ、旦那様。良妻にして愛妻である私に対して、この仕打。はっ、もしや私に飽きられたのですね!桜さんや、エリザに浮気するつもりですね!」

 

 よよよと泣く真似をする玉藻。酷い言われようである。まるで私が多情なロクデナシのようではないか。

 

 「人聞き悪いことを言うな。桜のことがあるにせよ、それ以外は私はお前一筋だ!」

 

 「……本当ですかー?そんなこと言って、千雨ちゃんとか、刹那さんとか、明日菜さんとか青い果実がお好み何じゃありませんか?」

 

 まだ言うか。どうしてくれようか。これは行動で示すしかないか。私は無言で玉藻を抱き寄せる。

 

 「……」

 

 「あーれー、強引に抱き寄せて何をなされるおつもりですか、旦那様?」

 

 抵抗などまるでしなかったくせに。その男を挑発するような挑戦的な物言いをやめい。それでいて、その瞳は情欲に濡れており、その表情はどこまでも蠱惑的だった。これ以上、言わせまいと自然と顔が近づく。どうにもいいように踊らされている気がしないでもないが、ここまできたらそれを言うのは無粋というものだろう。それにこういうのも嫌いではない。

 

 「何をしているんですか?お二人共……」

 

 そうして唇が重なりそうになったところで、般若、いや桜が降臨した。笑顔だが、目が欠片も笑っていない。声音は絶対零度で、周囲の温度が下がったように感じられた。正直、怖い。反射的に私は離れようとしたのだが、そうは問屋が卸さない。

 

 そう、玉藻はここで退くような殊勝な女ではないのだ。問答無用で塞がれる唇、それどころか舌まで入れてくる始末。極めつけに、桜に見せつけるように長いキスをして、玉藻は離れた。

 

 「ごちそうさまでした」

 

 満面の笑みでそんなことすら宣う玉藻。これには流石に桜も堪忍袋の緒が切れたらしい。ムキーと食って掛かる。

 

 「なんてことをするんですか玉藻さん!あそこは普通離れるべきところでしょう!それを私に見せつけるようになんて……許せません!」

 

 「妻として当然の権利です!」

 

 だが、玉藻はどこ吹く風で、むしろ誇るように胸を張ってみせた。

 

 「ッ────────」

 

 最早怒りのあまり言葉にならなかったようで、桜は口をパクパクさせた。そして、俯くと懐からカードを無言で取り出し────って、まずい、あれは!

 

 「桜、落ち着け!流石にそれはまずい!」

 

 「センパイ、離して下さい!あの性悪陰険狐に天誅を下さなければいけないんです!」

 

 桜が取り出したのは、本契約のカードだ。流石に洒落にならないので、必死に止める。

 

 「いやーん、旦那様。玉藻怖いですー」

 

 それにも関わらず、煽るように後ろからぴとりと私に抱きつく玉藻。

 ちょっ、洒落になってないんで、勘弁してくれませんかね!

 

 「この女狐────!」

 

 ますます顔を険しくする桜。まずい、このままだと本気でこの店が焦土になりかねん。

 そんな状況で、エリザは現れた。彼女まで現れたということは、千雨ちゃんはもう帰ったらしい。いつもより早い気がするが、件の子供先生の歓迎会があるらしいから、その為だろう。

 

 「千雨はもう帰ったわよ。って、何やっているのかしら?漫才?」

 

 んなわけがねー!お前の目は節穴か!

 

 「どこを見ればそんな感想がでてくるんだ?お前にはこの必死の形相が分からないのか?!」

 

 「え、必死なのマスターだけじゃない?BBもキャスターも幸せそうな顔してるし」

 

 「はいっ?」

 

 指摘されてふと見れば、桜はいつの間にかうっとりとした感じで胸に顔を埋めているし、玉藻の抱きつき方も大胆になっている。

 

 ────まさかハメられた? そんな言葉が脳裏をよぎる。

 

 「フフフ、見せつけてくれるわよね……」

 

 こちらを見るエリザがジト目になり、声が心なしか低くなったのを感じた。

 確かにいつの間にか鎮火したようだが、今度は別の爆弾に火がついてしまったらしい。

 

 女三人でこれなのだから、三十人余りを相手にしなければならない件の子供先生の苦労はいかばかりか。私はエリザの凄まじい圧力を浴びながら、現実逃避気味にそんなことを思ったのだった。

 

 ちなみにこの後、エリザを宥めるためにオールナイトで彼女の歌を聞く羽目になったとさ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話 歌姫と少年

今回は賛否両論だと思います。アンチのつもりはありません。むしろ、学園側にネギに負担かけすぎと文句を言いたいところです。まあ、こういう見方もあるのだと思って、お読み下さい。


 千雨が月桜狐で担任である子供先生について愚痴をこぼしてから、早3ヶ月が経とうとしていた。そうして春の到来を告げる桜の花が満開になる頃、件の子供先生は現実からの逃亡中であった。

 

 「なんでこんなことに……」

 

 そんなわけで、子供先生は深い森の中で途方に暮れていた。

 

 「父さんの杖は失くしちゃったし、どうしたら……」

 

 子供先生こと、ネギ・スプリングフィールドは未だ十に満たない少年でありながら優秀な魔法使いである。故に、こんな麻帆良奥地の深き森まで来れたのだが、逆を言えば魔法が使えなければ、来れなかったということでもある。魔法の発動媒体である肝心要の杖を失ってしまった以上、彼は魔法以外の自身のスキルによって現状を打破せねばならないのだが、未だ幼さが残る子供でしかない彼には不可能な話であった。

 

 そも、今まで魔法に頼り切った生活をし、かつ魔法のこと以外については世間知らずであるネギは、一人でこの深い森から脱出する術も、サバイバル技術ももっていないのだから当然だ。まあ、彼の年でそれだけの技術をもっていろというのも無理な話だろうが……。とにかく、今の彼はどうしようもなく無力であった。

 

 「あんないい人を不意討ちしようとしたから、罰が当たったんだ……。あんな卑怯な真似をしたから────僕が情けないから父さんの杖にまで見放されて」

 

 ネギの脳裏を自身の生徒である絡繰茶々丸を襲撃した先日のことがよぎる。正義感が強く善良な少年である彼がそのようなことをしたのには、無論相応の理由があってのことだが、それでもその行いは時が経つにつれて、彼を苛んでいた。

 

 最終的にネギ自身が思い直し、結果的に当の茶々丸は無事であったし、元の発端は彼の使い魔であるアルベール=カモミールがそそのかしたことにあるのだが、それでもその行いを選びなしたのが彼自身であるという事実は消えたりはしない。

 

 「茶々丸さん自身はあんないい人だっていうのに……僕は!」

 

 事前に茶々丸自身の人柄を直接自身の目で確認していながら、それでもネギは彼女を襲撃したのだ。相手が教え子であるという事実を見ないふりをして、相手が真祖の従者であるということのみを重く見て。結局のとこと、ネギは自身の恐怖に負けたのである。

 

 思い返せば返すほどに己が情けなくってくる。それどころか、落下の際に受けた衝撃で体の節々が痛み、精神的にだけでなく、肉体的にもネギを追い詰めていく。まさに泣き面に蜂、未だ幼い彼にとってはきつすぎる状況であった。これで獣の嘶きでも聞こえてきたら、ネギは間違いなくべそをかいていたであろう。

 

 だが、ネギの耳に聞こえてきたのは、獣の嘶きではなく歌声であった。それもとんでもない美声だ。天上の歌声と言っても通用しそうなそれに、彼は誘われるようにふらふらとその方向へと歩いて行く。意識的なものではない。無意識のうちに足が動いていたのだ。

 

 「♪~♪♪♪、♫♫、♬♬♬♬」

 

 そうして、ネギは歌姫に出会った。森の僅かに開けた場所に紅の姫君はいた。動物を観衆として、喪服を思わせる漆黒のドレスを身に纏い祈るように腕を組んで、何かに捧げるように一心に彼女は歌っていた。それは鎮魂の歌であり、哀悼の歌。けして、許されることのない罪を犯した少女が、それを忘れぬために自身に課した日課である。己の為だけに歌っていた少女が、他者を思って歌っているのだ。

 

 もっとも、ネギはそんなことを知る由もない。彼はひたすらに見惚れていた。その幻想的な情景に。あまりの少女の美しさに息を呑み、それまでの苦悩を忘れる程にその天使の歌声に心を奪われていた。

 

 「♪♫♪、♪♪♪♪────」

 

 「……」

 

 気づけば歌声は止まっていた。それでもネギは魅了されたままで、その歌声の余韻に浸っていた。当の歌姫に声をかけられるまで。

 

 「それで貴方はどこの誰なのかしら?」

 

 紅の歌姫こと、エリザはどこか憮然とした表情でネギに尋ねたのだった。

 

 

 

 ────なんとも面倒なことになったわね。どうしたものかしら?

 

 内心でそんなことを思いながら、エリザは不埒な乱入者である目の前の少年をしげしげと見つめる。己の誰何に対し、慌ててなされた自己紹介によれば、少年の名前はネギ・スプリングフィールド。麻帆良学園本校女子中等学校の教師であるという。

 

 (なるほど、この子が千雨の悩みの種の一つか……。マスターによれば厄介事の塊だって話だけど)

 

 「へー、貴方みたいな子供がね~」

 

 千雨から詳細は聞いているし、何よりも己の主が監視対象としている人間である。直接の面識こそはなかったが、十分以上に情報は持っているのだ。が、ここはあえて知らぬふりをして訝しげな態度をとることにする。エリザこと、『バートリ・エルジェーベト』は生前ハンガリー王国の名門貴族に名を連ねる者であったから、それなりに腹芸もわきまえているし、演技するのは得意である。故に、この程度造作も無い。この迂闊に過ぎる少年に余計な情報を与えてやる義理はないからだ。

 

 「子供って、僕はこれでも!」

 

 ムッとなって反論しようとするネギであったが、それこそエリザにとっては滑稽であった。

 

 「子供って言われて怒る辺りが子供なのよ。認めなさいな。貴方がどう思おうと、周りが貴方を子供として扱う以上、貴方は子供なのよ」

 

 エリザは遠慮しない。己の権利と義務を履き違えるほど、悲劇はないと知っているからだ。彼女自身がそうであったが故に……。

 

 「僕は先生で、一人前の魔法使いで!」

 

 それでも黙っていられなかったネギは、あっさりと自身の秘密をばらしてしまう。元々、隠し事が向いている性格ではない上に、精神的に幼いというのはあるだろうが、それにしてもこれは酷い。魔法の秘匿も何もあったものではない。

 

 「ハア────貴方ねえ。私が関係者だからいいものを、本来ならば懲罰ものよ。自分から魔法使いでございと名乗っていいと思っているのかしら?」

 

 「あ……」

 

 ネギは指摘されて自分の失態に気づき、慌てて訂正しようとするが、すでに手遅れなことを悟り、ガクリと項垂れた。杖もなく記憶消去を試みることもできない以上、彼にはどうしようもなかったのである。

 エリザはネギの評価を心中で下げる。子供だということを差し引いても、聞きしに勝る酷さであったからだ。

 

 「そういうところが子供だって言っているのよ。バレたら、それでオシマイじゃないでしょ?一人前を名乗るなら、善後策を講じるくらいしなさいな」

 

 エリザはにべもないが、全くの正論であった。自分の行動に責任を取れるか否かは、大人と子供の明確な違いと言えよう。

 

 「……」

 

 流石にネギも言葉も無い。それどころか、忘れたはずの悩みがぶり返してきて、ますます悄然としてうつむく。

 

 「あーー、もう!そんな顔するんじゃないわよ!これじゃあ、まるで私が苛めてるみたいじゃない」

 

 日々の日課を邪魔された挙句、なんで己がこんな気分にならなければならないのかと、エリザは内心で憤った。

 

 「す、すいません。僕、そんなつもりじゃあ……」

 

 「ああ、もういいから!イチイチめそめそしない!貴方、男でしょう?それとも子豚、いえ子栗鼠呼ばわりされたいかしら?」

 

 「うう、だってだって」

 

 エリザの叱咤に反発することなく、逆にますます落ち込むネギ。最早、負の連鎖が止まらない。ネガティブに入るとどこまでも陰気になってしまうのは、ネギが幼い故か、それとも真面目すぎる性格が故か。どちらにせよ、自力だけで立ち直れるとは、エリザには到底思えなかった。

 

 「なんでこうなるのかしら……。こういうのは私のキャラじゃないし、本来(マスター)とか、凛の役どころでしょうに……。

 ハア────、いいから話しなさい。何を悩んでいるのか、何があったのか一切合切聞かせなさい。さっきも言った通り、私は魔法関係者だから何も隠す必要はないわ」

 

 ウジウジしているのが我慢ならなくなったエリザは、この際洗い浚い吐かせてしまうことにした。ネギにはそれが必要だと思ったし、そして、それ以上に彼にどこか歪んだものを感じたからだ。まあ、情報収集にもなるし、主の役に立つだろうという打算もあってのことだが。

 

 「うう、分かりました。それじゃあ……」

 

 ネギは少し迷ったようだが、誰かに話してしまいたいという気持ちが少なからずあったのだろう。口を開けば、濁流の如き勢いで言葉が溢れだした。

 

 (はい、減点1。相手の言うことをそのまま信じてどうするのよ……。まあ、今回は間違いじゃないとはいえ、もしそうでなかったら何らかの処罰を受けるっていうのにね)

 

 それを聞きながら、容赦なくネギを品定めするエリザ。ネギにとっては愚痴を吐くand悩み相談であっても、エリザにとっては敵情視察であり、重要な情報収集であるのだから、当然であった。

 

 

 

 

 ────そういうこと、この子意図的に歪められて育てられてるんだわ……。

 

 「ふ~ん、なるほどね~。ねえ、一言いっていいかしら?」

 

 ネギは、自身の悩みの原因、真祖の吸血鬼(ハイ・デイライトウォーカー)であるエヴァンジェリン・A(アタナシア)K(キティ)・マクダウェルの襲撃に端を発したここ一連の出来事について話していた。彼自身、気づいていなかったであろうが、少なからずエリザの美貌に魅了されていたことや、精神的に参っていたことも手伝って、本来話すべきでないことも含めて熱に浮かされたように喋ってしまっていた。エリザはひたすらに聞き役に徹していたが、それが宮崎のどかとの仮契約未遂、及びエヴァンジェリンの従者である絡繰茶々丸に対する襲撃とその顛末まで聞いた時、彼女の態度は一変した。

 

 「な、なんですか?」

 

 なにか底知れぬ圧力をエリザから感じ、思わずネギはビクついてしまう。

 

 「無様ね」

 

 エリザはただ一言、吐き捨てるようにそう言った。

 

 「なっ?!ぼ、僕は────」

 

 あまりの言い様に鼻白むネギ。いくら何でもあんまりではないかと抗議をしようとして、エリザの強烈な視線に言葉を失う。

 

 「ねえ、貴方は唆されたとはいえ、自分の為にそののどかって子の恋心を利用して仮契約しようとしたんでしょ?それなのに、何を今更躊躇っているの?その真祖の従者がどんなにいい子か知らないけど、貴方襲撃されたんでしょ?それなら何も迷う必要ないじゃない」

 

 筋がない。それがエリザがネギに感じたことであった。戦力向上のために魔具(アーティファクト)欲しさに己に好意を持つ教え子と仮契約(パクティオー)(結果的に未遂だったが)し、さらに襲撃の為に本人が嫌がっているにもかかわらず、神楽坂明日菜にも仮契約を強いた。しかも、そこまでしておきながら、肝心の自分は自爆である。すでに神楽坂明日菜に嫌々ながら、絡繰茶々丸を襲撃させているというのにだ。

 

 「宮崎さんは承諾してくれたし、それにあれはカモ君が無理やり……。茶々丸さんは本当にいい人で、僕の教え子だし……。それにあんな卑怯な真似────」

 

 ネギはたどたどしく言い訳するが、それはエリザの怒りを誘うだけだった。

 

 「卑怯?笑わせないでよ。どの口でそれを言うのかしら?貴方は自分の為に女の好意を利用し、その挙句生徒に同じ生徒を襲撃させておきながら、自分の手は汚さない。貴方、いえアンタ程の卑劣漢はそうはいないでしょうね」

 

 「僕はそんなつもりじゃ!」

 

 「だったら、どういうつもりだったて言うのよ!アンタのやるっていることは、やることなす事全部が中途半端。魔法使いとして非情に徹することも、教師という立場を徹すこともできていない。非情に徹するなら、アンタは躊躇いなく従者の子を撃つべきだったし、教師面したかったのなら、そもそも教え子と仮契約なんてしようとするべきだじゃなかったし、生徒を危険に晒す襲撃自体するべきじゃなかった。違うかしら?」

 

 ネギのやっていることに筋はない。場当たり的で、その行動は子供そのものだ。何より、ネギは自身の心情ばかりに目がいって、明日菜やのどか、エヴァや茶々丸の心情を全く考えていない。現状敵である後者はともかく、実質的なパートナーである明日菜や仮契約を承諾したのどかにまで、目がいっていないのは、魔法使いとか教師以前に、男として人間として足りないものがあるという証左にほかならなかった。

 

 「……」

 

 痛烈な言葉がネギの胸を抉る。真面目な優等生で根が善人である彼にとって、それはきつすぎる糾弾だった。なまじ聡明であるが故に、ネギには理解できてしまう。エリザが何一つ間違っていないことを。

 

 「その挙句、怖いと言って故郷に逃げ出す?アンタいい加減にしなさいよ……。

 結局、アンタは一人前の魔法使いでも、ましてや教師でもない。ただ、偉そうに粋がっているだけの自称一人前のガキよ」

 

 「なら、僕はどうすればいいっていうんですか?!エヴァンジェリンさんには敵わなくて、怖くて」

 

 「そんなの知らないわよ。自分で決めなさいよ。見習いとはいえ一人前の魔法使いなんでしょう?子供じゃないんでしょう?甘ったれてんじゃないわよ!他人を言い訳に使うな!自分の行動の責任は自分で取りなさい!」

 

 ネギを糾弾するような叫びだったが、それは実のところエリザ自身を切り刻む血を吐くような言葉だった。エリザはネギを自分と重ねて見ていた。己が父や周囲が望むようにただ美しくあろうとして、狂乱の果てにブラッドパスなどという狂気の所業に手を出したように。ネギもまた自身の責任を、周囲に転嫁しようとしている。それはまさに、己が父や周囲が望んだからという理由で自分が責任逃れをしたのと同じだ。エリザが自分の歪みを見ようとしなかったように、ネギもまた自分の未熟さを幼さを見ようともせず、周囲に責任を押し付けて逃げようとしているのだ。

 

 故にエリザの言い様は必然的にきついものになった。目の前の少年に自分のような間違いを犯して欲しくなくて。自分のような化け物に成りはてないように────。

 

 

 「でも、でも」

 

 「ああ、もうラチがあかないわね。ガキならガキらしく、何も考えずに全力で玉砕してきなさい!どうせ、アンタには信念も何もないんだから」

 

 荒療治にはなるが、周囲の期待により歪んでしまった精神的にどうしようもなく幼い少年にはいい薬だろう。自分で何でもできると勘違いも正せるだろうし、一石二鳥であろうとすら、エリザは思った。

 

 「そんなことは!」

 

 「じゃあ、アンタは何の為に戦うのかしら?今、聞いた話だけなら、アンタの父親にかけられた呪いをとこうという明確な目的があるエヴァンジェリンの方が余程真摯で好感が持てるんだけど」

 

 「僕は父さんみたいな立派な魔法使い(マギステル・マギ)になるために」

 

 「立派な魔法使い?メガロメセンブリア元老院の労害共が都合のいい連中に与える名誉称号のこと?アンタ、あんなものが欲しいの?」

 

 エリザは魔法世界について、主から大体のところを聞かされている。特にメガロメセンブリア元老院については信用ならないことも。大体、『赤き翼(アラルブラ)』を一時指名手配しておきながら、戦後は英雄扱いしていたり、大戦の責任をウェスペルタティア王国のアリカ女王に押し付けて処刑したりしているのだ。胡散臭いどころの話ではない。そんな連中が与える名誉称号に如何程の価値があろうか?

 

 「なんですか、それ!どういう意味ですか?」

 

 だが、ネギにとっては寝耳に水どころの話ではなかったらしい。驚愕も顕に問い返した。

 

 「うん?アンタ、目指しているのにそんなことも知らないの?いいわ、教えてあげる」

 

 エリザは子供の夢を壊すなど微塵も考えない。むしろ、現実を教えてやる事こそが目の前の少年の為になるだろうとすら考えていた。だから、彼女は一切の遠慮無く知っている限りの事を語った。世のため、人のために陰ながらその力を使うという本来の形からは遠ざかっている形骸化した称号であることを。その身近な例として、その多大な功績にもかかわらず、生まれつき呪文の詠唱ができない体質であることから、その称号を与えられないタカミチのことさえも加えた上で。

 

 「た、タカミチが。そ、そんな……」

 

 ネギは愕然としていた。今まで信じていたものが崩れ去るようであった。否定しようにも、タカミチという身近な実例を出され、疑うのなら本人に聞いてみろとまで言われてはどうしようもない。

 

 「そもそも何をさして立派とか偉大とか言ってるのかしらね……。

 って、話がそれたわね。今はそんなどうでもいい話よりアンタの戦う理由よ」

 

 「どうでもいいって、そんな……」

 

 ネギにとっては天地がひっくり返るような衝撃的な事実だったというのに、エリザは身も蓋もなかった。 心底どうでもよさげに本題に戻ったのだった。

 

 「アンタの父親がどうだったかは知らないし、過去は違ったのかもしれないけど現状はそんなものよ。それにアンタにとっては別に重要じゃないでしょう?だって、アンタは父親がそうであったからそうなりたいだけなんだから」

 

 「え……」

 

 思いもよらぬことを指摘され、またしても愕然とするネギ。だが、これはエリザが正しいだろう。そうでなければ、その実態や意味について調べていてもいいはずである。まして、実際にその称号を受けた父親と受けられなかったタカミチという身近な存在がいるのだ。ちょっと考えれば、その実態は見えてくるだろう。要するにネギがなりたかったのは、立派な魔法使いではない。ただ、父親がそうであったから自分もそうなりたいと漠然と考えていただけなのだ。

 

 「なにアンタ、気づいていなかったの?アンタは立派な魔法使いになりたいんじゃない。父親みたいになりたいのよ。違うかしら?」

 

 「……」

 

 ネギは自分でも理解していなかった心奥の願望をあばかれ、言葉を失った。

 だが、指摘されてしまえば聡明なネギは気づかざるをえなかった。彼が立派な魔法使いを目指した原点は確かにそこにあったのだと。一般の魔法使いのそれを目指すことが当然とされる風潮も一端を担っていたのは確かだが、それは微々たるものにすぎない。結局のところ、ネギは幼いころに見た父親への憧れ、それを追っていただけだったのだ。

 

 「うん?待ちなさい。だとすると、アンタは父親なら負けないから、件の吸血鬼に勝ちたいのかしら?」

 

 「そ、それは……そうかもしれないです」

 

 エヴァンジェリンに呪いをかけ、この麻帆良に封じたのはネギの父親である。すなわち、父なら彼女に勝ったということである。故に、自分もと考えたのは間違いなかった。無論、教師として授業をちゃんと受けて欲しいとか、生徒の悪事を止めなければとか、生徒を守ると言う理由もないわけではなかったが、父親の事の方が大きなウエイトを占めることを認めざるをえない。

 

 「馬鹿じゃないの。アンタがどんだけ優秀なのか知らないけど、百戦錬磨の真祖の吸血鬼に勝てるわけないじゃない。アンタは父親じゃないのよ。どんだけ強がったって、アンタは未だ十にも満たない子供でしかないんだから」

 

 なんというか、評価とかそれ以前の問題だとエリザは頭を抱えたくなった。ありていに言えば、ネギは結局どこまでも子供でしかないのだ。やることが場当たり的で筋がなく、周りに言われるままなのも、父親への憧憬を自身の夢と混同させていることも、魔法の隠匿に気を使っているようで口が軽くざる同然なのも、勝てるはずのない相手に挑みながら都合が悪くなれば逃げ出してしまう無責任なところも、何よりも周りが全く見えていないということも含めて、一切合切が子供だからという理由で説明できてしまう。

 

 日本語を流暢に話し大卒レベルの学力を持ち、魔法使いとしても優秀。なるほど、年の割には聡明で頭のいい才気に溢れた子なのだろう。しかし、結局のところそれは精神面で子供という不動の事実を覆せるものではないのだ。魔法使いであることや教師云々を抜いてぶっちゃてしまえば、頭でっかちの世間知らずのガキが必死に背伸びしているだけというのがネギの客観的な評価だろう。

 

 「でも、頑張れば僕にだってきっと…「無理よ」…えっ?」

 

 「どんなに頑張ったところで、あんたには本当の意味で真祖には勝てない。それは絶対よ」

 

 エリザの言に反射的に強がりで返してしまうネギだったが、逆に断言されてしまう。

 

 「な、なにを根拠にそんなことを言うんですか!やってみないと分からないじゃないですか!」

 

 「あれ、子ブタ。アンタはけちょんけちょんにやられたから、怖くなって逃げ出したんじゃなかったかしら?経験でも実力でも負けている相手に、精神面でも負けていたら勝てるわけがないじゃない」

 

 エリザは容赦しない。下手な慰めはネギには逆効果だと判断したからだ。相手があくまでも子供としての論法を使うなら、こちらは大人として厳然たる現実を突きつけてやろうと考えたからだ。

 

 「そ、それは……」

 

 「それにね、アンタの一番駄目なところはそこじゃないわ」

 

 「え、一体何のことですか?」

 

 「アンタ、元は何の為にエヴァンジェリンに挑んだの?」

 

 「……えっ?」

 

 「アンタの目的は担任教師として、エヴァンジェリンの悪事を止め、同時に授業をしっかりうけさせることだんじゃないの?」

 

 「は、はい、その通りです」

 

 「で、どうしてどれがエヴァンジェリンを倒すことに繋がるわけ?」

 

 「それはエヴァさんが……」

 

 「相手のいう通りにしてどうするのよ。大体、エヴァンジェリンの本当の狙いはアンタの血なんでしょう。その提供を条件に授業に出るよう交渉すれば、一般生徒への吸血行為もなくなるし丸く収まる話じゃないのかしら?」

 

 「……」

 

 考えもしなかった選択肢を提示され、愕然とするネギ。元々聡明な少年なだけに、エリザの言った選択肢が充分に実現可能なものであることが理解できてしまったからだ。

 

 「それなのに、何でいつの間にかエヴァンジェリンを倒すことが目的になっているわけ?教師が生徒と戦ってどうするのよ。教師として行動するなら、そもそも勝負以前に話し合い以外、アンタの取れる手段はないはずよ」

 

 教師として行動したはずなのに、いつの間にかその為の手段が目的になってしまっている。ネギの行動は本末転倒なのものといえよう。

 

 「ぼ、僕は……」

 

 「さらにいうなら、アンタは状況が全く理解できていないわ。ねえ、ここはどこかしら?」

 

 これ以上は余計なことというか、ネタばらしになってしまうので正直いただけないのだろうが、エリザからすれば、魔法使い達の思惑など知ったことではなかった。本意ではないし、正直ガラじゃない行いであることは自覚している。

 しかし、偶然とはいえ知り合ってしまった以上、かつての己のように歪められて育てられた者を見て見ぬ振りをすることはエリザにはできなかった。己の犯した取り返しのつかない過ちとその罪の大きさを誰よりも理解しているが故に。

 

 「えっ、どういう意味ですか?」

 

 「いいからお答えなさい」

 

 「麻帆良学園都市です」

 

 「うん、分かってるじゃない……。なんでそれで、極端な発想にいくのかしら?」

 

 一人納得がいかないと首をかしげるエリザ。肝心のネギには全く理解できない。置いてきぼりであった。

 

 「一体、何をいっているんですか?」

 

 「まだ分からないかしら?ここはアンタのような魔法使いの修行先に選ばれるようなところなのよ。そして、アンタをはじめぬらりひょんモドキや老け顔メガネといった魔法関係者が数多く在籍している。いわば魔法使いの一大拠点なのよ。そんな場所で、御伽噺にも謳われる生きた伝説『闇の福音』が野放しにされているとでも本当に思っているの?まして見習い以前の魔法使いにその対処を任すなんてことがありえると思っているのかしら?」

 

 「えっ……」

 

 それは衝撃だった。『闇の福音』の異名をとる真祖の吸血鬼エヴァンジェリンは、麻帆良に秘密裏に潜んでいたというのが、ネギの認識だったからだ。封印したのが実父であるとは夢にも思っていなかったが、学園側があの悪名高い賞金首の存在を認識しているなど、遥かにありえない慮外の事実であった。

 

 「そ、そんなわけないですよ!エヴァさんだって、生徒達が可愛いなら誰にも言うなって言ってましたし!」

 

 「それはアンタが他人に頼るのを牽制するのと同時に、経験を積ませる為よ。よく考えてみなさいな、アンタのおかれた状況の不自然さを。大体、生徒達の間で噂になる程、桜通りの吸血鬼は有名だった。学園側がそれを把握できていないなんてことはありえないでしょう?それとも、あなたが知る麻帆良上層部はそこまで無能で間抜けなのかしら?」

 

 「そんなことない!タカミチや学園長は!」

 

 「そう、なら話は簡単でしょう?学園側はエヴァンジェリンの吸血行為を知っていて黙認したということよ」

 

 「一般生徒まで巻き込んでおいて、そんな馬鹿なことが?!それにそんなことして、一体誰の得になるって言うんですか!」

 

 「ありえるのよ。実際問題、現実として、そうなっているでしょう。つまりこれは……!!」

 

 ネギに経験を積ませ成長させる為の「出来レース」と決定的な一言を口にしようとして、エリザはあることに気づいて、口を閉ざした。

 

 「一体どうしたんですか?」

 

 突然、肝心の結論を前に黙り込んでしまったエリザに、ネギは不満げな顔で追求した。

 

 「悪いけどやめておくわ。散々ヒントはあげたんだから、後は自分で考えなさいな。思考停止して人の言ううとおりにするのもあれだけど、考えることを放棄して答だけを求めるのも褒められた行為ではないわ」

 

 エリザとしてはぶっちゃけてしまっても良かった。というか、連中の目論見を御破算にしてやりたい気で満々だったが、どうにもそれはこの殺気の持ち主には都合が悪いようだ。まあ、学園側と全面的に対立してまでやることではないと、エリザは早々にその選択肢を切り捨てた。ネギの面倒はあくまでも自分達がみるというのなら、横から口を出す気はないのだから。今回のは、あまりにも見ていられなかったからであり、また彼女自身と重ね合わせてしまったからに他ならない。あくまでもサービスであり、それ以上ではないのだ。

 

 「で、でも……」

 

 思ってもみないこと、無意識の内に排除していた可能性をたてつづけに指摘されたネギは、どうにも自身の考えに自信が持てないのか、その声は弱々しいものであった。

 

 「ハア……しょうがないわね。いい、子ブタよく聞きなさい。子供であることも、一人で出来ないことも恥じゃないわ。でも、子供であることを理由にして逃げたり、出来ないままに諦めてしまうことは恥よ。普通じゃできないなら考えなさい。考えても一人で出来ないのなら、誰かに頼りなさい。アンタが一人前の魔法使いであろうとするなら、結果を出しなさい。出来なくても過程を評価されるのは子供だけなのだから。

 後はそうね、自分が何によって立つのかを明確にしなさい。教師としてか、魔法使いとしてか、はたまた両方か。いずれにせよ、それによってアンタのすべきことは決まるでしょうよ」

 

 

 「僕のすべきこと……」

 

 「じゃあね、子ブタ。私の歌を無断で聴いたのは特別に不問にしてあげるから、精々頑張りなさい」

 

 エリザは言うだけ言うと、ネギに背を向けた。

 

 「あの僕の名は────「駄目よ」────なんでですか?」

 

 「今のアンタは子ブタで充分よ。私に名前を呼んで欲しかったら、一人前の男として認めさせてみなさいな」

 

 「男として?」

 

 「そうよ子ブタ、今のアンタはわがまま放題な小賢しいガキでしかないわ。悪いけど、そんな奴の名前を呼んでやるほど私は安い女じゃないのよ」

 

 「……」

 

 あんまりと言えばあんまりすぎる言葉に、さしものネギも絶句する。が、エリザの方はそんなネギの様子を歯牙にもかけず、絶好調であった。

 

 「ああ、それから一つだけ言っておくわ。父親に憧れるのはいいし、真似をすることも悪いことじゃないわ。でも、アンタは父親じゃないし、父親の代替にすすんでなる必要なんてないのよ。何より、英雄になんてなるものじゃないわ」

 

 エリザはどこか皮肉気に笑う。それは紛う事なき心からのネギへの忠告であり、一方でどの口でそんなことを言うのかという自分自身への嘲りであり、同時に姿を見せない監視者への痛烈な皮肉でもあった。

 

 「次があるのなら、もう少しマシな顔を見せて欲しいものだわ」

 

 そう言って振り返り、エリザは優雅に一礼し去っていた。

 

 「僕は……」

 

 結局、これで立ち直ることはできず、最終的に教え子である長瀬楓によってネギは立ち直る。

 

 だが、ここまで歯牙にかけられない扱いをされたのは、ネギにとって初めての経験だった。そして、正面から叱ってくれたのも、明日菜以外では初めてであった。故にエリザは強烈な印象をネギの心に刻み付けることになった。これが後日、騒動の種になろうとは、さしものエリザも夢にも思っていなかったとさ。




今回はエリザとネギ回です。本当はBBか玉藻、若しくは主人公の予定でしたが、よく考えたら、この時のネギってマジでやらかしてますよね。この3人だと、諭すんじゃなくて、処刑になりそうだと思いましたので、エリザに変更。思いの外、はまり役だったように思います。

あれー、エリザがサブキャラの位置づけだったのに、なんかメインぽくなっているのはなぜだろうか……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話 ネギと明日菜の受難

申し訳ありません、遅くなりました。先月中とか、どの口で言ったのやら……。猛省します。


 さて、改めて言うのもなんだが、私「黒桐徹」は「岸波白野」その人ではない。私はあくまでも代替であり、元あった「俺」の魂を改竄し、後天的に「岸波白野」を上書きしたような存在である。故に私に前世ともいうべき記憶があったはずだが、白い桜に魂を移し変ええられた際に、「俺」の記憶は著しく損壊した。これは白い桜に非はない。中断されたとはいえムーンセルの消去がいの一番にそこを消しにかかったということもあるが、それ以上に未来の英霊として召喚された私にとって必要なのは月の表裏の聖杯戦争を「岸波白野」として過ごした記憶であり、それ以外は不要なものだったというだけの話である。

 

 前世の親兄弟をはじめとした親類縁者を含む知人達、氏名は勿論、もう顔すらも思い出せない。それどころかそれらが存在したかどうかすら不明という有様である。最早、前世は記憶とは呼べない半端な知識に成り下がってしまった。ぶつ切りで抜けが酷い上に、それが己のものであるという実感がまるでないのだから無理もない。

 

 そして、何よりも生死を賭けた殺し合いである月の表裏の聖杯戦争は、極普通の一般人であった「俺」を塗り潰すには十二分な濃密過ぎる時間であった。前世の日常の記憶などすっかり色褪せてしまうほどに。常に命の危険に晒され、一度負ければ即死という極限状態。それに勝ち上がることで得られる生の実感は凄まじいものであったし、対戦相手の散り様は常に何かしらを私の中に残していった。今の私「黒桐徹」はその中で生まれ形成されたものなのだ。何よりも、人を殺してでも生き残るという選択ができてしまったのだ。最早、前世の価値観など微塵も残っていないだろう。封印されていた前世の記憶の名残で行動や心情に多少の差異はあれど、そういう意味では私もまた紛れもなく「岸波白野」であると言えよう。

 

 私がこの世界に来た時に名前を変えたのは、実のところ、前世の記憶を失い「岸波白野」という役すら取り上げられて、私は真実誰でもなくなったからこそだ。今だから言える事だが、玉藻と桜がいなければ、私はこの世界において自分が何者であるか、見失っていたかもしれない。なぜなら、演じさせられていたとはいっても、私はすっかり「岸波白野」になりはてていたからだ。今更、お前は別人だと言われて、正直混乱の極みにあったのだから。というか、あの消滅間際に思い出したのは、「岸波白野」のままだと万が一の可能性があると考えたアラヤによるものだったのではないだろうか。そうすることで、私に自己を失わさせ、抵抗の余地を消滅させる為に……。

 

 もしかすると、彼女達が私を認め名をくれたことで、ようやく私は今の己を確立できたのかもしれない。

 だとすれば、本当に二人には頭が上がらない。今の私の存在は二人あってのものなのだから。

 

 まあ、そんなわけで私はそれ程人生経験豊富なわけではない。戦闘経験ならば百戦錬磨と言えるレベルだが、恋愛経験となるととんと少なくなる。なにせ、玉藻と桜だけなのだから無理もないだろう。故に、今目の前で行われてようとしている行為にどう対処すべきか、私は迷いに迷っていた。

 

 私の視界には、うちに新聞を配達してくれる明日菜ちゃんと件のネギ少年が近距離で向き合っている姿が映っていた。買い物の帰りに僅かに魔力の流れを感じたので、寄り道がてら確認しにきたのだが裏目に出たようだ。本来なら、見なかったことにして立ち去るのがマナーなのだろうが、渦中の人物が明日菜ちゃんとネギ少年となると話が違ってくる。

 

 まず、教師と生徒であるという社会的なタブーがある。いくら子供だからといって、教師が教え子に手を出していいはずがないのだから。そういう意味では止めるべきであろう。大体、明日菜ちゃんがタカミチさんに想いを寄せているのは知っているし、彼女の好みが渋い叔父様なのも熟知しているのだ。まさか突然ショタに目覚めたわけでもなかろうに、昨日今日でいきなり嗜好がかわったりはすまい。それに彼女の普段の話しぶりからすれば、ネギ少年は手のかかる弟という感じであったから、恋愛感情があるとは考え難い。

 ネギ少年ついては言わずもがなである。エリザの話によれば、彼は精神的には年相応の子供でしかないというのが実情らしい。その幼さは想像以上で、初恋すらまだの可能性すらある。大体、ネギ少年は覚悟を決めた男の顔はしていても、恋愛とかそれ系の感情を全く感じさせない。赤面して躊躇っているのは、明日菜ちゃんの方なのだから。

 

 これは一体どういう状況なのだろうか?とんと理解できない。誰か私に教えてくれ。前世の「俺」でもオリジナルのはくのんでもいい。私はどうすればいい!

 

 「さあ、姐さん。ここは覚悟を決めてブチューといきましょう!折角、兄貴が腹を決めたんですから、これに応えないのは女が廃るてもんですぜ」

 

 無駄に高速思考して目の前の意味不明な光景に困惑していた私に状況を理解させてくれたのは、私以外の第三者であった。それは、ネギ少年の使い魔であるオコジョ妖精の声だった。

 

 「うっさいわね!こっちにだって心の準備ってもんがあるのよ!」

 

 すかさず、明日菜ちゃんがそう言い返す。煽るオコジョ妖精に魔法使いである少年と女子中学生の少女。これにエリザから聞かされたネギ少年の現状を合わせて考えれば、自ずと答は出てくる。落ち着いてよく見れば、見たことがある魔法陣が敷かれていることも、私の結論が間違っていないことを語っていた。

 

そうして状況把握を完了する頃には、明日菜ちゃんの必死の抵抗も無駄に終わったらしい。どうも見事に言い包められてしまった様だ。ヤケクソ気味にネギ少年に向き合うのが見えた。

 

 なるほど、そういうことか。ならば、見過ごすわけにはいくまい。

 

 「そこまでだ!」

 

 エリザを含めた私達『月桜狐』は、ネギ少年への干渉は基本的にしないよう求められている。疎の為、エリザの不意の遭遇の件で、少し前に文句を言われたばかりである。それに従えば見過ごすべきなのだろうが、流石にこの状況は見過ごせない。これを見過ごしたら、玉藻や桜に怒られること間違いなしである。もう一度やってしまったのだ。それにこれは学園側の落ち度でもあると私は開き直って、この際盛大にやらかすことにしたのだった。

 

 

 

 

 時は少し遡る。放課後になるなり、ネギに何も言わずについてきてくれと頼まれた明日菜は、不審に思いながらも了承し、人気のない森の中でネギと向き合っていた。

 

 「さあ、こんな所まで連れてきた事情を…「エヴァンジェリンさんにはボクだけじゃ勝てません!明日菜さん、僕に力を貸して下さい!」…」

 

 事情を問い質そうと明日菜が口を開いた時、それを遮るように、覚悟を決めた表情でネギが頭を下げてきたのだ。頭はいいが、どこか頑固で自分でやるということに固執する癖のある少年だ。まさか、こんなに素直に頭を下げられるとは予想だにしていなかっただけに、明日菜は驚いていた。

 

 「ちょっ、ちょっといきなりアンタどうしたって言うのよ!」

 

 当然ながら、明日菜は困惑した。真祖の吸血鬼であるというエヴァンジェリンに怯えて、家出紛いの事をやらかしたばかりである。何かしらあって、立ち直ることはできたようだが、昨日の今日でこれというのは流石に驚く。男子三日会わざれば刮目して見よとは言うが、馬鹿レンジャー筆頭の彼女が知る由もない。なので、何か変なものでも食べたんじゃないかと思ったわけである。

 

 「いきなりじゃありません!ずっと考えていたんです。エヴァンジェリンさんに対してどうするべきか。色々考えました。血を分けることも、学園長に直談判することも……でも、結局僕にはそのどれも選べませんでした。逃げたくないんです!僕はあの人に勝ちたいんです!勝って認められたいんです!」

 

 エリザにけちょんけちょんに言われ、楓に諭されて立ち直ったネギだったが、色々考えた挙句、彼が出したのは結局直接対決だった。それはネギの子供っぽさの表れであったが、同時に男として譲れないものがあったからにほかならない。まあ、人一倍負けず嫌いだったというだけかもしれないが。

 実のところ、最後まで明日菜というか、他者に頼るというのは抵抗があったのも事実である。自分一人で戦ってこそという思いがあるのも確かである。だが、茶々丸という強力な従者を持つエヴァンジェリンに後衛型の魔法使いであるネギは単独で挑むのは、無茶無謀を通り越して自殺行為に他ならない。茶々丸に詠唱を邪魔されて、一方的にエヴァンジェリンに魔法を打たれて勝負にすらならないだろうからだ。収集している魔法銃とかを使うのも考えたが、数には限りがあるし、実戦でどこまで有効かは未知数である。

 結局、茶々丸を任せられる即戦力として、頼れるのは明日菜しかいなかったのだ。

 

 

 「ネギ、アンタ……」

 

 ネギの力強い宣言に明日菜は言葉を失う。いじけて怯え泣き喚いていた少年は、最早そこにはいなかった。

なんというか、男の顔をしていたのだ。その表情に、彼女は八ッと胸を突かれたようであった。

 

 「明日菜さん、お願いします!」

 

 

 そう言って、再び頭を深々と下げるネギ。そこにはカモにそそのかされて動いた時のような迷いは微塵もない。頭を下げるネギからは、鋼の如き意志が伝わってきた。

 

 「わ、分かったわよ。いいから頭を上げなさい!私があんたをいじめてるみたいじゃない」

 

 押されるように了承しながら、頭を上げるように言う明日菜。ネギの真面目な様子から、そんな誤解はまず受けないだろうが、年下、それも手のかかる弟のような存在である彼に真摯に頭を下げられるのは、なんとも言い難い気恥ずかしさがあったからだ。

 

 「本当ですか!?ありがとうございます!」

 

 明日菜の手をとって、喜びも露わに礼を言うネギ。少し早まったかもとは思わなくもないが、その喜び様に悪い気はしない。

 

 「まあ、私もやられっ放しはシャクだしね。で、私は何をすればいいの?」

 

 これならば、引き受けた甲斐もあるものだと明日菜はいくらか乗り気で尋ねたのだが、次の瞬間盛大に後悔することになる。

 

 「僕と仮契約して下さい!」

 

 「えっ、それって……」

 

 仮契約⇨ネギとキスという構図が瞬時に思い出され、たちまちに固まる明日菜。

 

 「姐さん、何を今更……。兄貴が姐さんに頼むことといや、そいつに決まってんでしょう」

 

 嫌らしい笑みを浮かべて、どこから出てきたのかオコジョが言う。アルベール・カモミール、ネギの使い魔であるオコジョ妖精だ。したり顔で煙草らしきものをふかすその様は何とも憎たらしい。

 

 「エロオコジョ、あんた!」

 

 殴り飛ばさんと身体が動くが、それを静止したのはネギであった。

 

 「明日菜さん、カモ君お願いします!力を貸してください!僕はどうしてもあの人に認められたいんだ!」

 

 それは圧倒的な熱量が込められた言葉だった。思わず明日菜は怒りを忘れ、カモも茶化すのを止めて、二人(正確には一人と一匹だが)は顔を見合わせる。

 

 「ねえ、なんか今までのネギとはちょっと違わな過ぎない?迫力が違うというか、覚悟が違うというか……」

 

 「姐さんもそう思うかい?確かに今までの兄貴とは何かちげえんだよな。何というか、そう!男の顔をしてやがるぜ!」

 

 兄貴も成長したぜと男泣きをするカモに、明日菜はそんなもんかと頭を悩ませ、次いで仮契約という現実を思い出し、安請負を後悔するのであった。

 

 

 

 さて、そんなやり取りがあったものの、仮契約の魔法陣がカモによりあっさりと引かれ、明日菜とネギは魔法陣の中で向き合い配置も完了している。仮契約を行う準備は万端といって良かった。

 

 しかし、一方で全然準備完了でない者もいた。従者となるはずの明日菜である。思春期真っ盛りの恋する乙女には、いくら子供とはいえ、意中の相手でもない異性相手にキスすることはハードルが高い。ましてや、ファーストキスである。必要なこととはいえ、それで妥協できるほど、乙女の唇は安くないのだ。

 

 「ささ、ご両人。ブチューと!」

 

 何が楽しいのか、カモが煽ってくるが、明日菜はふざけんなーと叫びだしたい気持ちで一杯だった。確かに安請負した自分にも否はあろうが、それとこれとは話が別である。乙女の尊厳は安いものではないのだ。

 

 「ねえ、本当にキスしか方法はないの?その仮契約ってやつ」

 

 「もちろんでさあ!仮とはいえ魔法使いとその従者を結ぶ神聖な契約ですぜ。キス以外の方法なんてありやしませんよ。ねえ兄貴?」

 

 踏ん切りがつかず、一縷の望みをかけて問いかけるが、カモは間髪いれず即答した。ちなみに、真っ赤な嘘である。魔法世界には仮契約屋という書類契約によって仮契約を行う店すら存在するのだ。世慣れたこのオコジョ妖精がそれを知らぬはずがない。それにもかかわらず、カモがキスによる契約を勧めるのは、その場合だと自分に仲介料が入ってこないからである。ぶっちゃけてしまえば、自分の欲望の為である。

 要するにカモは、明日菜の乙女としての尊厳より自分の欲望を優先したのだ。

 

 「すいません、明日菜さん。僕も仮契約のことは知っていたんですけど、その契約方法までは知らなくて。でも、恋人や夫婦である場合も少なくないようですから、別におかしくはないと思いますよ」

 

 普通なら思い直すべきところを、カモは悪辣にネギに確認すらした。ネギが魔法(戦闘系に偏っている)以外のことでは世間知らずであることを知悉しているが故である。ネギが正確に仮契約を把握していないのだ。それに初恋を自覚すらしていないネギには、明日菜の葛藤の程を理解できないことも計算済みである。

 

 「まさか姐さん、兄貴がここまで覚悟決めてるのに、今更おじけづいたりやしませんよね?」

 

 さらにダメ押しとばかりに、明日菜の弱みをつき、それでいて煽るように挑発する事も忘れない。カモはなんだかんだ文句をいいながらも、明日菜がネギの世話を焼いているのを知っている。弟分に対するような感情であっても好意はあるのだ。加えて、根がいい娘であり、今のネギのように真摯に頼まれると弱い。それに短気なのも、今回はプラスに働く。男気があり、単純で負けず嫌いなところがある彼女は、この手の挑発にはすぐに乗ってくるのだ。

 「ぐぐぐ、分かったわよ!いい、これはノーカンだからね!」

 

 「は、はい!」

 

 「勿論でさー。姐さんの気持ちは分かってやすよ」

 

 乙女の尊厳をかなぐり捨て、半ばやけにながら叫ぶ明日菜に、ネギはわけがわからないが頷くほかない。勝ったとと心中で喝采を上げながら、さもそれらしく神妙に応える。

 

 そんな時だった。予想だにしない乱入者があったのは。

 

 「そこまでだ!」

 

 カモの尽くした算段の全てを水泡へと帰す万雷の如き声であった。まさか自分が張った人払いの結界が仇になろうとは、さしものカモも予想していなかったのであった。

 

 

 

 

 

 「あんた最低ね」

 

 「有り体に言って、最悪ですね」

 

 「英国紳士じゃなくて、変態紳士ですね。まだ子供だというのに嘆かわしい」

 

 上から、エリザ、玉藻、桜の容赦の無いネギへの論評であった。

 

 

 「最低……最悪……変態紳士……。僕は、僕は!」

 

 これ以上ないくらいズズーンと落ち込むネギ。目の前に淹れられた紅茶の香りも、彼を慰めるには足らないようだ。ここは喫茶『月桜狐』。あれから強引に儀式を中断させた徹は、カモも含めた当事者達を有無を言わせずにここまで連行してきたのだった。

 そして、自分達が魔法関係者だということを明かし、事の次第をネギ達に問い質したのだが、仮契約のキスとかで最初はウキウキ顔で聞いていた女性陣だったのだが、ネギと明日菜が好意こそあれ二人は姉弟のような間柄であり、恋人でもなんでもないことを聞いて一気に顔が険しくなり、勝つために必要だから、明日菜とキスによって仮契約をしようとしていることに話が及び、三者が下した結論が上記のものであったわけである。

 

 「あんた、本当に子供ね。自分のことばかりで明日菜のことを何も考えてないじゃない。私なら、そんな理由で唇を奪われるなんて死んでもゴメンよ。子ブタ、あんた一人で野垂れ死んだら?」

 

 中でもエリザは一際辛辣だった。容赦なく追い討ちをかける。が、これに黙っていられないのが、明日菜であった。人のいい彼女は、弟分が一方的に責められるのが我慢ならなかったのだ。

 

 「何もそこまで言わなくてもいいじゃない!ネギだって必死に考えて……」

 

 「その結果がキスでの仮契約ですか?そこのオコジョ妖精がいるから手っ取り早いとはいえ、やはり最悪という他ありませんね。乙女の唇を何だと思っているんでしょうか?明日菜さん、ここは庇うところじゃなくて怒るべきところですよ」

 

 そんな明日菜を窘めるように言う玉藻。彼女の言葉には隠し切れない不機嫌さが滲んでいた。

 

 「そうですね、今回ばかりは玉藻さんと同意見です。いくら幼いとはいえ、やっていことと悪いことがあります。これはその最たるものの一つですよ」

 

 常ならば、玉藻とは意見を異にする事が多い桜も、今回は玉藻と同意見のようであった。その声はけして大きくないが、内容は手厳しいものであった。

 

 「そんな桜さんまで……。ネギはただ!」

 

 味方が誰もいないことに愕然としながら、明日菜は弁護の言葉を重ねようとする。ちなみに、当のネギは既に瀕死状態である。言葉が発せられる度にビクッと反応し、ドンドン顔を蒼白にしていく。

 

 「まあ、待ちなよ明日菜ちゃん。私達は別に勝つ為に仮契約しようとしたことを怒っているわけじゃない。なぜネギ君が高畑先生という想い人がいる君相手にキスによる仮契約を選んだのかが理解できないのさ」

 

 明日菜の態度にどうも不理解があるように感じた徹は、明日菜の言葉を遮るように口を出した。エリザも、玉藻も、桜も明日菜の為に怒っているのに、当の明日菜が弁護に回っているのだ。どうにも話が噛み合っていない思ったからだ。

 

 「えっ、それってどういう意味ですか?」

 

 「仮契約の方法は一つじゃないってことさ。玉藻、あれを」

 

 「承知しました」

 

 徹の言葉に玉藻が奥に入り、何かの封筒を持って戻って来る。そして、明日菜に差し出した。

 

 「これは?」

 

 「開けてみてください。魔法世界で一般に市販されている仮契約の為のものです」

 

 「これが!?」

 

 明日菜は驚愕も露わに封筒を開ける。中には折り畳まれた魔法陣が描かれたものと、二通の契約書らしきものが入っていた。まあ、バカレンジャー筆頭である彼女には生憎と読めなかったが。

 

 「昔と違い、今は魔法具(アーティファクト)欲しさに仮契約するものがいるくらいだからね。その為に恋人でも夫婦でもないのにキスしなくちゃいけないなんて、御免だろう?大体、よく考えてみなさい。常に主従が男女とは限らないんだよ。同性である可能性だってある。そんな時、そっちの気もないのにキスなんて拷問以外のなにものでもないよ。当然、キス以外の方法もある。主と従者がこの契約書に互いに署名して書類契約というのさ。今ではこちらの方が一般的じゃないかな?」

 

 それは玉藻が仮契約のメカニズムを研究する為に手に入れたものだが、まさかこんな形で日の目を見ようとは誰も思っていなかった。

 

 「なっ!?」「えっ!?」

 

 明日菜が驚愕に目を見開き、ネギも弾かれたように顔を上げる。そして、その場から逃げ出そうとする一つの影。

 だが、甘い。それを見逃すサーヴァント達ではない。

 

 「おっと逃げ出そうとそうはいかないわよ。というか、明日菜と子リスのあの反応……あんたが元凶ねブタ」

 

 「グエエ~、お助けー」

 

 逃げ出そうとしたカモを瞬時に捕捉したのはエリザだった。玉藻も桜も充分に捕まえられたが、彼女が一番酷くするだろうと判断して、あえて譲ったのだった。その証拠に早速握り潰さんばかりに力を入れている。

 

 「オコジョだけど、アンタはブタにも劣る醜さね。アンタ、知っていて子ブタ達に黙っていたんでしょ?」

 

 いたいけな美少女にしか見えないエリザだが、彼女はれっきとした竜である。その全力で握られたら、カモなどひとたまりもないというか、ミンチになる。つまり、エリザはこれでも充分に手加減しているのである。まあ、やられてる当の本人からすれば、手加減されているとはいえ、万力で締め付けられているようなものなのであるから、何の救いにもならないが。

 

 

 「あばばばば」

 

 案の定、最早喋ることもかなわないカモ。だが、この場に彼に同情する者は一人としていなかった。カモが逃げようとしたことから、明日菜は徹達の言葉が真実であることを確信したし、最後の頼みの綱であるネギは相棒にして助言者であるカモに騙されていた事にショックを受けて放心していたのだ。徹を筆頭とした月桜狐の面々については言うまでもないだろう。いい気味だと思いこそすれ、一分の憐憫も抱くことはなかった。

 

 「エリザ、そこまでだ。とりあえず、全て白状させるまでは生かしておかなきゃならない」

 

 故に徹が止めたのは、純粋に全てを白状させる為であって、カモの身を心配してのものではない。

 

 「……マスターはこんな醜悪なナマモノにも優しいわね」

 

 どこか呆れた様に言って、エリザは素直にカモを解放した。ゲホゲホと激しく咳き込むカモ。どうやら、締め上げられて、満足な呼吸もままならなかったらしい。

 

 「さあ、なんでこんなことをしたのか、全て白状してもらおうか」

 

 だが、そんなカモに徹は容赦しない。容赦するには些かやり過ぎていたのだ。

 

 「……分かった。だが、一つだけ言っておく。全ては俺っちの企みでって、兄貴には何の責任もねえ!だから!」

 

 カモがなけなしの男気を発揮してネギを庇うが、それを受け入れるような甘い者はいなかった。

 

 「主を庇うその忠誠心は見事ですが、生憎とそんな詭弁は通りませんね。たとえ、全てが貴方の独断であったとしても、貴方の言われるがままに自分で調べることもせず行動したのは子供先生の責です。それに貴方の主として、その暴走を許してしまった責任もけして小さくありません」

 

 玉藻は容赦なくネギ自身の責任について言及する。それらは当たり前のもので、屁理屈をこねたりしたわけではない。

 

 「うぐ、それは兄貴はまだ子供だから……」

 

 カモは必死にネギの責任を回避しようとして言葉を重ねるが、それは何の弁護にもならにどころか、エリザを怒らせることにつながった。

 

 「子供?子供ですって!?そこの子ブタは、前に私に一人前の魔法使いでございって名乗ったわよ。大体、子供扱いするなら、そもそも仮契約なんてさせるんじゃないわよ!あんたは一人前の魔法使いだから、仮契約を勧めたんじゃないの?だというのに、仮契約の何たるかも知らないなんて、話にならないわね」 

 

 「……」

 

 さしものカモも言葉がない。これ以上、己が口を開いても、逆効果にしかならないことを悟ったのだ。

 

 「悪いけど、これは学園長に抗議させてもらうよ。東の教育体制の不手際と一般人である明日菜ちゃんを平然と巻き込んだことについて」

 

 そんなカモの様子を見ながら、徹は厳しい声でそう言った。

 

 「え、そんな!?」

 

 これ以上ないくらい悄然としていたネギが弾かれたように顔を上げる。

 「そんな徹さん、待ってください!私は別に構わないですから」

 

 そんなネギを庇うように立ち上がったのは、明日菜であった。一番の被害者であるというのに彼女はどこまでも御人好しであった。

 

 「明日菜さんには申し訳ないけど、そういうわけにいかないんです。これは魔法関係者としては当然の対応なんです。よく考えてみてください。今回のようなことが繰り返されれば、まずいことになるのは目に見えているでしょう?」

 

 「そ、それは……」

 

 桜の穏やかながらも反論を許さない厳しい言葉に、明日菜も言葉をなくす。当の本人であるネギの表情は蒼白を通りこして、最早土気色に近くなっていた。

 

 「と、まあ普通ならだ」

 

 「「えっ?」」

 

 徹の思いもがけない言葉に、明日菜とネギが声を漏らす。

 

 「初犯だし、ネギ君に限っては今回に限り見逃してあげよう(それにネギ君の責任というよりは、学園側に問題がありそうだしね)。但し今回だけだし、次は私も容赦しない。後、そこのオコジョ妖精には相応の罰を受けてもらう」

 

 まあ、近視眼的になってしまうのは子供にありがちな失敗であるし、正直学園側の方に問題があると徹は思うからだ。多感な年代の少女達の担任教師だけでも重責なのに、さらにここにきて百戦錬磨の真祖の吸血鬼ときた。はっきり言おう。やり過ぎである。学園側は、この少年に過剰な期待を抱いているとしか思えない。

 

 「本当ですか?でも、カモ君は……」

 

 見逃してもらえるとネギは一瞬目を輝かせるが、すぐにカモに罰が下ることに顔を曇らせた。

 

 「兄貴、気にしないで下せえ!自分のけつは自分で拭きやすよ。さあ、どんな処罰でもこいってんだ!」

 

 カモドンと胸をたたき男気を見せる。しかし、実際はやせ我慢もいいところで、強制送還などの厳罰が頭には過ぎっていた。

 

 「安心してくれ。公式な罰ではないよ。なにせ、オコジョ妖精の件を報告したら、結局主であるネギ君も罰を免れないからね。だから、私的な罰さ。明日菜ちゃん、確かこのオコジョ妖精は下着泥をやらかしたことがあるんだったね?」

 

 「え、はい、そうです。だから、エロオコジョなわけですし」

 

 突然の質問に目を白黒させながら、明日菜は答える。それの何が罰と関係するのだろうかと。

 

 「ふむ、そうか。玉藻あれを」

 

 「あっ、なるほど。流石は旦那様!確かにこのエロオコジョにはもってこいの罰ですね」

 

 いそいそと着物に手を突っ込み、取り出したるは単純な装飾を施された金冠だ。徹にとっても二度とは目にしたくなかった代物。玉藻が『道具作成』スキルによって作り上げた無駄に精巧な魔具『浮気撲滅一号』である。

 

 「このままだと大きすぎますし、頭に嵌めるには不適当でしょうから、こんなものですかね」

 

 そう言って、玉藻が金冠を手に持ったまま一振りすると、金冠はすっかり小さなくなり、首輪のような形状に変化していた。

 

 「そいつは一体?」

 

 カモが疑問の声をあげるが、玉藻は意味深に笑って答えない。変化した金冠を徹に渡す。

 

 「まだ少し大きすぎないか?」

 

 「ご心配なく。そこのエロオコジョを通せば、きっちり首に嵌るようになっております」

 

 「そうか、流石だな」

 

 「当然です。この玉藻、旦那様につけるものに一切の手抜きはございません!」

 

 「お、おう」

 

 ババーンと胸を張る玉藻。だが、その本来の用途を考えると徹は苦笑するほかなかった。

 

 「さて、そこのオコジョ妖精。カモ君だったかな?こちらへ」

 

 嫌な予感がぷんぷんするカモだったが、この状況で逃げることはできない。仮に逃げられたとしても、公式に報告されてしまえば終わりだし、その場合ネギにも処分が及ぶ可能性が高い。まあ、そもそも逃げることを許すような面子でもないことをカモは本能的に察していたのだ。

 

 「……」

 

 「うん、素直なのはいいことだ」

 

 徹はカモを持ち上げると、変形した金冠をくぐらせた。すると急激にサイズが縮みカモの首にするりと嵌った。

 

 「解除権はそうだな……明日菜ちゃんに渡しておこう。玉藻」

 

 「承知しました。明日菜さん、手を出してください」

 

 「あっ、はい」

 

 言われるがままに手を差し出す明日菜。その手を玉藻は握り、何事かを呟いた。

 

 「――――――、――――――」

 

 「えっ、これは?」

 

 頭の中に唐突に浮かんでくる三つのキーワードに明日菜は目を白黒させる。

 

 「『戒』はその通り戒め。『禁』はその行為を禁ずるもの。『解』が解放の為のキーワードとなります」

 

 「えーと、ただ戒といえばいいんですか?」

 

 「いいえ、それではいけません。戒める意をもって、唱えることに意味があるのです。この手の呪術は術者の意こそが重要なものですから。そうですね、試してみましょう。今回、乙女の尊厳を踏み躙ろうとした事に正義の鉄槌を下しましょう」

 

 改めて言われてみると、腹が立ってくるものである。明日菜は促されるままに自然と意を込めて唱えていた。

 

 「エロオコジョ反省しなさい!『戒』!」

 

 嫌なものを感じたカモは今度こそは逃げを打つが、飛び上がった瞬間、遠雷を受けたかのように地面に落ちた。

 

 「イタタタタ、イタイ痛いッスよ!」

 

 苦痛の声をあげながら、のた打ち回るカモ。

 

 「カモ君!」

 

 「ちょっ、エロオコジョ大丈夫!?」

 

 「とまあ、こんな感じになるわけです」

 

 「ちょっと、これは酷いんじゃないですか?」

 

 ネギは抗議するが、玉藻は鼻で笑う。

 

 「大丈夫、痛むだけで死にはしませんし、慣れれば別にどうってことないですよ。『禁』も同様です。痛みが悶絶するレベルになるだけですので。己の欲望を明日菜さんの唇より優先した者に対しての罰としては、むしろ軽いものだと思いますよ」

 

 「ぬぐぐぐ」

 

 「そ、それは……」

 

 それを言われると、カモとネギは弱い。カモはもちろん、ネギも明日菜の気持ちより、自分の事情を優先したという負い目があるからだ。

 

 「まあ、こんな感じです。以後、このいかがわしい小動物が不埒な真似をしたら、遠慮なくやっちゃて下さい。この手の輩は懲りないことがほとんどですから」

 

 「は、はあ、分かりました」

 

 玉藻の説明に押されるように頷く明日菜。まあ、確かにこのエロオコジョ、来てから巻き起こした騒動や身の上話、加えて今回のことといい、どうにも信用できないのも事実である。手綱を握る意味では有効かもしれないと思い直す。

 

 「そこのブタ以下にはいい薬でしょう」

 

 エリザはそう言って嘲笑する。

 

 「まあ、今回ばかりはエリザさんに同意ですね」

 

 基本、徹以外のことについては穏健派の桜も、今回ばかりは擁護はしない。BBとして小悪魔ぶってはいたが、その実純粋一途な少女であるからして、乙女心を無視したカモの行いに対する不快感は大きかったからだ。

 

 「そ、そんな……」

 

 綺麗所の女性陣に誰も味方がいないことを悟り、ガクリと項垂れるカモ。唯一の味方は、兄貴と慕うネギが気の毒そうにしていたぐらいだ。

 

 

 「まあ、これでこの件はいいだろう。仮契約はそれをあげるから、それでやるといい」

 

 「いんですか!?」

 

 徹の言葉に、ネギが信じられないといった表情で声を上げる。

 

 「別に強化手段で、仮契約が悪い手というわけじゃない。むしろ、現状で君達に許された最善の方法だろう。私達が問題視したのはあくまでも契約の仕方だからね」

 

 「そうです。強くなりたい、勝ちたいと思うのは悪いことではありません。むしろ、男なら好ましいと言えるでしょう。ですが、それで他者の心情を蔑ろにしてはいけません。それでは強さや勝利と引き換えに大切なものを失ってしまいますよ。

 ……それとも、明日菜さんはあなたにとって、その程度の存在ですか?」

 

 「そんなことは絶対にありません!」

 

 玉藻の問に即答するネギ。それを見る周囲の目は優しいというか、生暖かかった。

 

 「あんたねえ……」

 

 なんと言っていいやら分からない表情で、明日菜がうめく様な声を出す。

 

 「え、僕なんか変なこと言いましたか?」

 

 周囲の反応を見て、不思議そうなネギの問に明日菜は今度こそ轟沈した……羞恥で。

 

 「ははは、うん、ネギ君は大物になるな」

 

 「むむむ、旦那様を超えるプレイボーイになりそうですね」

 

 「センパイみたいに女性で苦労しそうですね」

 

 「このまま成長したら、間違いなく女の敵ね」 

 

 そんな二人の様子に徹は笑い、玉藻は微妙な表情に、桜はどこかばつが悪げに、エリザはきっぱりと断言した。   

 

 「え、えええ!?」

 

 何がなんだか分からないネギは困惑するが、それをご丁寧に説明してやるほど、月桜狐のメンバーは人が良くなかった。というか、基本的に曲者集団なので、良心とか期待するだけ無駄である。

 

 「まあ、それはそれとして、果し合いにはまだ時間があるんだろう?」

 

 「は、はい。ですけど、それが何か?」

 

 訝しげに答えるネギに、どこか悪い顔した徹は不敵に答えた。

 

 「何、折角だし少し力を貸して上げようと思ってね。いいかな?」

 

 「全ては旦那様の思うとおりに。それを支えるのがこの良妻狐の役目なれば」

 

 「センパイを全力でサポートするのが、私の存在理由ですから」

 

 「マスターが言うなら構わないわ」

 

 徹の問というよりは確認に、月桜狐のメンバーはあっさりと頷いた。

 

 「「ええ!?」」

 

 蚊帳の外で決まった思いがけない事態にネギと明日菜が驚きの声を上げるが、彼らには最早拒否権はない。なし崩し的に英霊4人のサポートを受けることになるのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。