やはりSAOでも俺の青春ラブコメはまちがっている。 (惣名阿万)
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第1章
第一話:これでも比企谷八幡のゲーマー歴は割と長い


はじめまして。よろしくお願いします。


 女の子は薄着より厚着のほうが実は可愛いんじゃないか。そう思うような季節になった。

 文化祭も終わり、体育祭も大過なく過ぎると、あと二月と経たず今年も終わってしまう。

 一気に気温が下がり、涼しいというよりは寒い風が吹き抜けていた。我が家の愛猫カマクラも気付けば炬燵で丸くなっていることが増えた。

 

「おい小町、炬燵で寝たら風邪ひくぞ」

 

 ついでに小町が丸くなっていることも増えた。だらしなく弛んだ表情の小町はとても他人様に見せられたもんじゃない。お兄ちゃんちょっと心配よ。

 

「カーくん押し退けて丸くなってるお兄ちゃんに言われたくないなー」

 

 そういうわけで、炬燵の中は二人と一匹で満員御礼だ。

 

「俺はいいんだよ別に。けどお前は受験生だろうが」

「お兄ちゃんだって、今は風邪ひいてる場合じゃないでしょ」

 

 ちょっと小町ちゃん、起きるのはいいけど、セーターがずれて青い紐状のなにかが覗いているよ。お兄ちゃんが吸血鬼ならカプ、チューしてるとこだよこれ。

 

「小町の貸してあげた『アレ』、今日からでしょ?」

「……まあな」

 

 手に入れてきたのは親父だけどな。有給使ってまで並んだとか言ってたし。親父のやつ小町に対して甘過ぎだろ。

 

「ちゃーんと情報収集してきてね! そのためにお兄ちゃんに貸してあげるんだからさ」

「おう。お兄ちゃんに任せろ。何なら小町がやるまでにクリアしてきちゃうまである」

 

 なんせ世界初の《完全(フル)ダイブ》技術を利用したMMORPG(大規模オンラインRPG)だからな。これまでのMMORPGとは違ったプレイングが必要になってくるだろうし、《仮想現実(VR)》なりのマナーやアクシデントなんかも当然出てくるだろう。そういった諸問題や厄介事に小町が巻き込まれないよう毒見役を引き受けるのは、兄である俺の役目というわけだ。

 

 まあ俺自身この最新技術てんこ盛りのゲーム――《ソードアート・オンライン》をやってみたかったという動機も多分にあるが。

 

「うわっ。珍しくお兄ちゃんがやる気出してる。そんなこと言って、SAOやるために引きこもったりしないでよ?」

「……君はお兄ちゃんを舐め過ぎじゃないかい?」

 

 ほんと舐め過ぎだぜ、小町ちゃんよ。俺クラスともなるとゲームがしたいだなんて理由がなくても引きこもれるし、なんなら外にいても自分の世界に引きこもってるまである。

 

「学校もあるし、もうすぐ修学旅行だしな。寝る間も惜しんでなんてことはねえよ」

 

 言うと、小町はニヤニヤと笑みを浮かべながら頷く。

 

「奉仕部もあるもんね」

「そうだぞ小町。ゲームしてたなんて言ったらどんな目に遭うか」

 

 間違いなく氷の女王が顕現する。「ゲームをしていた? あら、そんなに現実から逃げ出したいのなら、永久退場したらどうかしら、引きこもり谷くん」とか言い出しかねない。マジなんなの。雪ノ下の言葉は刃物かなにかなの? 切れ味良すぎでしょ。

 

 もう一名に関しても似たようなものだろう。「ゲームしてて学校サボるとかありえない! ヒッキーキモい! 超キモい! マジキモい!」ってところか。「キモい」しか罵倒の種類がないあたりさすがアホの子の由比ヶ浜。とはいえ正真正銘の「ヒッキー」になってしまうのでぐうの音も出ない。

 

「ハァ……。これだからゴミぃちゃんは」

 

 小町は呆れたようにため息を吐き「ヤレヤレ」と首を振った。しょうがないなとでも言いたげな視線を寄越してくる。

 

「来年は小町も入るんだし、ちゃんとしてよ」

 

 入るというのは奉仕部にだろうか。小町が奉仕部にねぇ……。ますます隅に追いやられる未来しか見えない。けど、まあ、小町だしな。

 

「……あいよ」

 

 よく「死んだ魚のような」と形容される俺の目だが、このときばかりは「生きた魚のような」目になっていただろう。やだそれただの魚眼じゃないですか。とても視野が広そうだなと思いましたまる。

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

 昼飯を手短に済ませそろそろ準備でもと思い立ち上がると、リビングのドアを遮るように小町が立ちはだかった。

 

「そろそろ始めるんでしょ? だからはい、これ」

 

 渡されたのは白いもの。下着かな? 下着じゃないよ。紙切れでした。まぁ、下着渡されても困るのだが。その、なに、なんか気を使って反応しなきゃいけないのかなーとか考えてしまう的な意味で。

 

 が、いかにマイリルシスタがアホとはいえ、それくらいの分別はあるらしく、渡されたのは、あの女子特有の折り方をされた紙である。

 

 なんか菱形だったりやっこ形だったりに折られ、授業中に人を経由して渡されるあの形式の折り方。実はあの手紙の文中には自分の悪口が書かれていてそれを知らず、運搬させられていて教室の後ろのほうでくすくす笑われていたらどうしようとか思っていた中学時代を思い出すので、この手紙の折り方はやめようね。

 

 その紙を開いてみると目にも鮮やかなピンクと黄色で書かれた丸文字が縦横無尽どころか獣王会心撃だった。

 

 

 

 小町が知りたい! 情報リスト!

 

 第三位! きれいな景色(海でも山でも森でも空でもなんでもいいです)

 第二位! 強い武器とか防具とか(可愛いのをよろしくです)

 第一位! 発表はCMの後で!

 

 

 

 ……とってもムカつく切り方をされていた。

 

「第一位なんだよ……」

「一番はお兄ちゃんの素敵な冒険の話だよ」

 

 小町がにっこにっこにーと笑う。あざと可愛い……。

 

「なんか意外と女の子の間でも話題になってるらしいしさ。情報提供よろしくであります!」

「お前は余計な心配しとらんと勉強しとけ」

「はーい。ではでは、頑張ってねー」

「あいよ」

 

 なんだかやらねばならないことが増えてしまったぞ……。まぁ、景色なんてのは攻略してれば嫌でも目に入るか。武器やら防具やらもめぼしいのをリストアップしときゃいいし。

 

 となると、あと集めとかなきゃならん情報は――。

 ……レストランとかショップの情報も押さえておくか。

 

 

 

 

 

 

 小町の寄越してきたリストを片手に自室へ戻り、シャツの上からジャージを着こんでベッドに腰かける。ゲームしてて風邪ひくとかシャレにならんしな。暖房使うなんてモッタイナイ!

 

 枕の横の流線型のヘッドギア――《ナーヴギア》を手に取る。こいつの内側にびっしり敷き詰められた信号素子とやらが脳と直接信号をやり取りすることで、俺の意識はゲームの中に入っていくらしい。その間、俺の身体は全く動かないんだそうだ。

 

「まったく。いい時代になったもんだな」

 

 こいつを作った茅場晶彦ってやつは本当にとんでもないやつなんだろう。テレビやネットのニュースでも散々取り上げられていたし、雑誌にも特集が組まれてたらしい。材木座がしつこく語ってくるもんだから頭に残ってしまった。

 

 ああ、本当に、茅場晶彦ってやつは天才なんだろう。コンビニで雑誌の立ち読みをしたときに一度だけやつのインタビュー記事を見た。写真の中で笑みの一つも見せない怜悧な容貌は今まで見てきた優秀な人たちと似た雰囲気を持っていた。

 

 誰にも理解されず、誰も並び立つことはない、孤高の人。

 

 そうだとすれば、茅場晶彦は何故SAOを作り上げたのか。

 

 《仮想現実》という疑似的な世界になにを求めたのか。

 

「まぁ、どうでもいいか……」

 

 考えても仕方ないことを考えても仕方ない。時刻もちょうど12:55を回ったところだ。SAOのサービス開始は13時だから、そろそろ横になってもいいだろう。

 

 ナーヴギアを被り、顎下で固定アームをロックする。あとはベッドに横になって開始コマンドを呟くだけでいい。

 

 

 

 ディスプレイの右下に表示されている時計が12:59に変わる。秒数表示がないためか、あと何秒、あと何秒と数えてしまうくらいには俺も高揚しているらしい。

 

 あと5秒……4……3……2…………。

 

 

 

「リンクスタート」

 

 

 

 瞬間、暗闇の向こうから虹色のリングが伸びてきて、俺は仮想世界へと旅立っていった。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 ゲームを始めてから三時間余り。ぶらぶらと『はじまりの街』を探索した後でそろそろmob狩りでもしてみるかとフィールドに出てきたのが二時間ほど前のこと。今俺はイノシシ型のmobを相手に一人SAOでの戦闘経験を積んでいる。

 

 このゲームの戦闘スタイルはオーソドックスなRPGとかなり勝手が違う。ファンタジーを題材にしたゲームには定番の『魔法』が存在しないという時点で珍しいのだが、ことSAOにおいてはその他の遠距離攻撃が可能な武器すらマイナーな部類に入るのだ。

 

 「折角の《仮想現実》、自分の身体を動かして緊張感のある戦闘を」ということか。銃や大砲といった近代兵器がないのはともかくとして、弓すらなく、あるのは申し訳程度の投擲武器のみという徹底ぶりである。はじまりの街で売ってた投擲武器もアイスピックのようなものだけだった。ダーツより少し痛い程度じゃあメイン武器はとても務まらないだろう。

 

 

 

 そういうわけで、プレイヤー同士の戦闘に限って言えばこのゲーム内で遠距離攻撃はほとんどないと言っていい。攻略が進むにつれて新たな武器が出てくる可能性もあるが、それはそうなってみてから考えればいい話だ。弓とか使ってみたい気はするけどな。高台から一方的に撃ち込んで、近距離戦では双剣に持ち換えるとか面白そうだ。I am the bone of my sword……。

 

「……っと、危ねぇな」

 

 《フレンジーボア》という名前らしいイノシシの突進を避け、走り抜けた先で止まった瞬間に得物を繰り出す。ほんの一時間ほど前に手にしたばかりの武器も大分馴染んだようだ。重さや間合いが掴め、斬撃と刺突のコツの違いも分かってきた。

 

 

 

 数ある武器の中から俺が選んだのは《槍》だ。リーチが長く、それでいて洞窟のような隘路でも使用でき、攻撃までの予備動作も小さい。複数の相手にも対処が可能で、突進による包囲突破力もある。

 

 俺はこの《槍》スキルを主体に俊敏性を高め、回避と一撃離脱に特化した戦闘スタイルを築いていくつもりだ。その分打たれ弱くなってしまうが、その辺は腕次第ってやつだ。ほら、昔の偉い人も言ってただろう。『当たらなければどうということはない』ってな。

 

 

 

 今の攻防でイノシシのHPバーもレッドゾーンに突入した。そろそろ止めを刺しに行ってもいいだろう。槍を引いて半身になり、穂先を斜め下に向けた状態で動きを止める。すると手の中の槍がゲームらしい効果音と共に淡い紫色の光を発し始めた。

 

 イノシシが二度、三度と地面を蹴った後、さっきまでと同じように突進してくる。その鼻先へ、溜めていた力を解き放つように、紫に輝く槍を突き出した。

 

 《槍》の初期ソードスキル《スラスト》。地面を蹴った俺は一度の跳躍(・・・・・)で三メートルもの距離を一瞬で詰め、走り寄るフレンジーボアの鼻先に槍を突き込んだ。現実の身体ではとてもできない動きだが、SAO特有の剣技――《ソードスキル》であれば可能となるのだ。

 

 

 

 SAOに魔法はない。だが代わりに《ソードスキル》という、所謂必殺技のようなシステムが存在する。あらかじめ設定されている待機姿勢で静止することでソードスキルを立ち上げれば、後はシステムがほぼ自動的に身体を動かして攻撃を命中させてくれるというものだ。

 

 これによりプレイヤーは慣性を無視したような連続技を繰り出したり、数メートルもの距離を一足で詰めたりと、非現実的な動きをすることができる。またソードスキルによる攻撃は自力で武器を振るよりも威力が高く設定されており、まさに一撃必殺の技と言えるだろう。

 

 まあ、使用後は短くない硬直時間を強いられるし、システムに定められた動きを阻害すると途中でソードスキルがキャンセルされてしまったりとデメリットも当然ながらあるわけで。当たり前だがポンポンと多用するもんじゃない。

 

 

 

 俺の放ったソードスキル《スラスト》は赤く染まっていたフレンジーボアのHPを余さず削り切り、イノシシはガラスを割ったような音と共に青白い欠片となって四散した。同時に戦闘に勝利した報酬として得られる経験値やら金やらが目の前に表示される。そして――。

 

「お、ようやくレベルが上がったな」

 

 レベルアップの文字が躍っていた。ここまで二時間ほどイノシシと戦い続け、ようやく一つ強さの階段を上ったということだ。……マジか。こんだけやってようやく1レベルか。

 

「…………帰るか」

 

 そろそろ17時になるし、レベルも上がっていい区切りだろう。はじまりの街に帰って適当な宿屋でセーブしようかね。あんまりハマり過ぎたら小町に怒られちまうしな。

 

 槍をストレージに仕舞い、はじまりの街へ向けて歩いていく。既に西の空は赤く染まり始めていて、遠くにドラゴンっぽい影が飛んでいるのが見える。いずれはあんなのとも戦えるようになるのだろうか。元中二病患者としてなかなかに興奮するシチュエーションではある。

 

 ふと、あぜ道脇の草原に二人のプレイヤーを見かけた。青いシャツに黒髪のイケメン男性プレイヤーと、センスの悪いバンダナを巻いたこれまたイケメンの男性プレイヤーだ。

 

 はじまりの街でもそうだったが、SAOを始めて数時間、すれ違うプレイヤーはイケメンと美女・美少女のオンパレードである。ここがゲームの中であり、彼ら彼女らがキャラクターメイキングで生みだされたアバターの姿を纏っているのだからそれも当たり前なのだろうが、こうも美形揃いだと爽やかすぎてうすら寒いまである。

 

 そういう俺のアバターはというと、苦節一時間の作業の末に現実の比企谷八幡に瓜二つと言えるほどの姿に仕上がっている。これは小町のお達しなので俺に拒否する権利はなかったのだが、何が悲しくて自撮り写真を一時間も睨まなくちゃいけなかったのか。特にこの腐った目の再現は困難を極め、わざわざ描画ツールを利用しての繊細作業となった。

 

 努力の甲斐あってか小町からは「うわ……キモいくらい再現度高いよ……」とお墨付きを頂いた。お兄ちゃん、泣いていいよね。俺の黒歴史ノートに新たな一ページが追加された!

 

 頭の痛い思いで二人のプレイヤーの近くを通り過ぎる。どうやら向こうは俺に気付いていないらしく会話を続けている。パッシブスキル《ステルスヒッキー》はゲーム内でも問題なく機能しているようだ。

 

「……ねぇだろ?」

「うん、ない」

 

 うん、確かにあのバンダナ男のセンスはないと八幡も思うな。

 

「ま、今日はゲームの正式サービス初日だかんな。こんなバグも出るだろ。今頃GM(ゲームマスター)コールが殺到して、運営は半泣きだろうなぁ」

 

 バグ? なんかバグがあったのか? 正式サービス開始直後でバグが出るのは仕方ないかもしれないが、初日から問い合わせが殺到するような初歩的な見落としなんてあるのか?

 

「とりあえずお前もGMコールしてみろよ。システム側で落としてくれるかもよ」

「試したけど、反応ねぇんだよ。ああっ、もう五時二十五分じゃん! おいキリトよう、他にログアウトする方法って何かなかったっけ?」

 

 落とす……ログアウトする方法……。なんかすげーキナ臭いな。

 黒髪のイケメンが真剣な表情に変わる。

 

「ええと……ログアウトするには……」

 

 ログアウトするにはどうしたらいいか。答えは簡単だ。

 メニューを開き、数ある項目の内の一番下にあるログアウトボタンを押す。すると『ログアウトしますか』という確認画面が表示されるから、ここで《Yes》を押す。これだけだ。

 

 たったこれだけの操作でこの仮想現実の世界から現実に帰ることができる。ナーヴギアを外し、夕食を作って待っていた小町に「神ゲーの予感!」と言うことができる。きっと小町は呆れた顔で聞いてくれるだろう。そうに違いない。

 

 背中に二人のプレイヤーの困惑した声を聞きながら、あぜ道をはじまりの街へ向かう。いつの間にか歩く足は急ぎ足になっていて、背中には冷たいものが流れる感覚があった。

 

「……なわけねぇだろ」

 

 ログアウトできない? そんなわけがあるかってんだよ。これは単なるゲームで、俺はいつだって小町のいる現実に帰ることができる。そうに決まってる。現にこうして――。

 

「…………は?」

 

 メニューウィンドウの一番下、そこにあるべき《Logout》の文字、それがなかった。

 いやいや、おかしいだろ。なんで枠があって文字がないんだよ。押してもタップ音はするのに何も起きねぇし、ここになきゃどこにあるってんだよ。

 

 ひとしきりメニューの中を探してみるもそれらしいものはなかった。《倫理コード解除設定》なる怪しげな項目すら見つけられたにもかかわらず、目的のログアウトボタンは見当たらない。

 

 …………なるほど。こりゃあ確かにとんでもないバグだ。初日からこんなデカいバグかましてくれちゃって、運営のアーガスもお茶目だなー。

 

 いやー、早く小町の美味しい夕食が食べたいなー。

 運営もさっさと仕事してくれないかなー。

 

 

 

 

 

 

 なんてことを考えているときだった。

 

 世界はその有りようを永久に変え、『空想の楽園』は『地獄の牢獄』となった。

 

 

 

 




次回更新は3日以内です。


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第ニ話:何故、彼がこんなことをしたのか誰も知らない

2話です。よろしくお願いします。


 はじまりの街の中央広場。

 

 そこは石畳の敷かれた円形の広場で、周囲には街路樹と中世ヨーロッパ風の建築物、正面には黒く巨大な城がある場所だ。中心にモニュメントがあるだけで見通しの良いこの広場は、ゲームのスタート地点に設定されている場所でもある。

 

 俺はいつの間にか、そんな中央広場に来ていた。

 

 ……いや、どういうことだってばよ。夢遊病ってわけじゃないんだけどなぁ。

 実際、さっきまで俺はあぜ道を歩いていたはずだ。だがリンゴンリンゴン鐘の音が聞こえたと思ったら視界が青白く染まり、気付けばこの場所にいたのだ。

 

 今、この中央広場は数えきれないほどのプレイヤーで埋め尽くされている。誰も彼もが困惑しているのを見る限り、案外彼らも同じように飛ばされてきたのかもしれない。

 

 突然の出来事にきょろきょろと辺りを窺っていた集団は、やがて痺れを切らしたのかざわざわとし始めた。

 

「どうなってるの?」

「これでログアウトできるのか?」

「早くしてくれよ」

 

 どうやらログアウトできないバグが起きていたのは俺やあのバンダナ男だけじゃなかったみたいだ。やったね八幡、一人じゃないよ!

 

 ざわめきは段々と苛立ちを含み、ボリュームも大きくなっていく。「ふざけんな」、「GM出てこい」なんて喚き声まで聞こえてきた。

 

 GM……GMねぇ……。

 

 見た感じこの広場のどこもかしこも人で溢れているようだし、だとすれば現在SAOにログインしているだろう一万人近いプレイヤー全員が集められている可能性もある。そんなことができるのはGM(ゲームマスター)ぐらいなもんだろうし、これがGMの仕業なんだとすればそれは何かしらのイベント、或いはアナウンスの為だろう。

 

 わざわざログアウトできないように細工をし、強制的に全プレイヤーを集め、その上で行われるイベントないしアナウンスとは果たしてどんなものか。

 

 ……あれ、これヤバいんじゃね? 今の俺たちはある意味囚われの身だ。自由に現実の身体に戻れないわけで、それこそログアウトしたければ金を出せと言われたら従わざるを得ない。一万人の意識を誘拐しているようなもんだ。

 

 まあ外部の人間がナーヴギアを外すなり電源を落とすなりしてくれりゃ話は別だろうが。俺の場合はあんまり遅いと小町がナーヴギアを引っぺがすだろうし。その上で「これだからゴミぃちゃんは……」と呆れられるまである。

 

 なんだ、そう考えると別に問題ないんじゃねと思えてきたわ。結局はこのログアウトできない事案もSAOの開幕に花を添えるためのオープニングイベントなのかもしれない。

 

 と、不意に――。

 

「あっ……上を見ろ!」

 

 そんな声が聞こえてきた。反射的に顔を上げると、そこには異様な光景があった。

 

 赤く染まった空に格子状のラインが広がり、一つ一つのブロックに2種類の英文のどちらかが描かれている。一方は《Warning》、もう一方は《System Announcement》だろうか。どちらにせよ毒々しい血のような赤字で書かれていてハッキリ言って悪趣味だ。

 

 だが異様な光景はそれで終わりじゃなかった。

 

 格子状のラインのうち、丁度黒い城の手前の辺りからドロドロとした液体が滲み出てきた。さながら赤いスライムか、或いは血液のように。赤いドロドロは石畳に落下することはなく、空中の一点に集まると次第に形を変え、やがて魔法使いのようなローブを着た巨大な人の姿になった。多分、男だ。

 

 周囲のプレイヤーたちも驚いたのだろう。困惑気味に「あれ、GM?」、「なんで顔ないの?」とささやき合っている。

 

 なるほど。あれがGMのアバターか。顔がないのは異常なことらしいが、予想通り一連の事態はGMの仕業とみて間違いないだろう。問題はその目的だが、果たしてここまで手の込んだイベントを仕掛けたのは何故、何のためか……。

 

 そこまで考えたとき、そいつ(・・・)は言った。

 

 

 

『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』

 

 

 

 咄嗟には意味が掴めなかった。文章としては理解できても、言葉として理解できなかった。

 

 この百パーセント作り物の《仮想現実》を取り上げて『私の世界』だなどと言うコイツの言葉が、俺には全く以て理解できなかった。

 

 だがそいつ(・・・)は俺みたいな有象無象の理解なぞ求めていなかったのだろう。

 

 

 

『私の名前は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ』

 

 

 

 ご丁寧にも、奴は自らその正体を明かして見せた。思わず雑誌で見かけた冷たい表情が浮かぶ。

 

『プレイヤー諸君は、すでにメインメニューからログアウトボタンが消滅していることに気付いていると思う。しかしゲームの不具合ではない。繰り返す、これは不具合ではなく、《ソードアート・オンライン》本来の仕様である』

 

 仕様――。つまりこのゲームは最初から自由なタイミングでのログアウトを禁じているということか。

 だとすれば、他にログアウトする手段はないのか。現実に戻る手段はないのか。

 

『諸君は今後、この城の頂を極めるまで、ゲームから自発的にログアウトすることはできない』

 

 『この城の頂を極める』ことができればログアウトできるってことか?

 

 まったくもって意味が解らない。『この城』ってのが何を差しているのかすら解らないくらいだ。『頂を極める』ってことは何かしらの天辺まで登るってことなんだろうが。

 

 ……待てよ。もしかして――。

 

『……また、外部の人間の手による、ナーヴギアの停止あるいは解除も有り得ない。もしそれが試みられた場合――』

 

 俺が一つの仮説に辿りついたとき、奴が放った一言は、突き刺さるように届いた。

 

『――ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが、諸君の脳を破壊し、生命活動を停止させる』

 

 俺はたっぷり数秒呆けたようにローブ姿の大男を見上げることになった。

 

 …………私立文系狙いの高校生に難しい言葉使ってんじゃねーぞぉ!

 

 いやね。後半の『脳を破壊する』とか『生命活動を停止させる』とかはなんとなくわかりますよ。こうニュアンス的なアレで。要するに『死ぬ』ってことですよね。

 

 でも前半の『信号素子』やら『高出力マイクロウェーブ』やらがどうしたら『脳を破壊』なんてことができるのかはさっぱりわからん。略してさぱらん。

 

 まあ『ウェーブ』というくらいだから『波』なんだろう。とすると『マイクロウェーブ』は『マイクロ波』ということになる。『マイクロ波』であれば文系の俺でも知っている。ほら、アレだ。電子レンジの中を飛び回ってるとかいうやつ。

 

 つまり茅場の言う『高出力マイクロウェーブが、諸君の脳を破壊する』というのは、『君たちの脳みそをレンチンしちゃうぞっ☆』ということなのだろう。何それ怖い。超怖い。あと怖い。

 

 どうやら小町が俺の頭からナーヴギアを引っぺがしてくれるのを待つという作戦は使えないらしい。寧ろそれをされてしまうと俺の脳がレンチンされちゃうので小町には早まらないでもらいたい。

 

 とはいえ、ナーヴギアを外せない壊せないというのであればここで一つ疑問が残る。

 

 何らかの原因で意図せずナーヴギアが停止・破損してしまった場合、それでも容赦なく脳を破壊されてしまうのかという疑問だ。例えば停電やらが発生した場合ではどうなるのか。

 

 すると奴はまるでこちらの質問が聞こえるかのように説明を再開した。

 

『より具体的には、十分間の外部電源切断、二時間のネットワーク回線切断、ナーヴギア本体のロック解除または分解または破壊の試み――以上のいずれかの条件によって脳破壊シークエンスが実行される。この条件は、すでに外部世界では当局およびマスコミを通して告知されている。ちなみに現時点で、プレイヤーの家族友人等が警告を無視してナーヴギアの強制除装を試みた例が少なからずあり、その結果』

 

 まるで感情を感じさせない声は、そこで一呼吸入れる。

 

『――残念ながら、すでに二百十三名のプレイヤーが、アインクラッド及び現実世界からも永久退場している』

 

 どこかで、ひとつだけ細い悲鳴が上がった。だが俺を含め周囲のプレイヤーの大多数は、余りにも信じがたい報せに言葉を失っていた。

 

 二百十三人もの人間が死んだ。

 災害やなんかではなく、目の前の男が開発したゲームをプレイしたがために。

 

 到底信じられることじゃない。信じたくもない。

 ここまでの奴の言葉は、全部オープニングイベントを盛り上げるための台詞でしたー、なんて言われた方がまだ信じられるくらいだ。悪趣味極まりないオープニングだが、稀代の天才物理学者とやらのジョークだ。笑ってやろうじゃないか。

 

…………なんてことが言えたらどんなにかよかっただろう。

 

『諸君が、向こう側に置いてきた肉体の心配をする必要はない。現在、あらゆるテレビ、ラジオ、ネットメディアはこの状況を、多数の死者が出ていることも含め、繰り返し報道している。諸君のナーヴギアが強引に除装される危険はすでに低くなっていると言ってよかろう。今後、諸君の現実の体は、ナーヴギアを装着したまま二時間の回線切断猶予時間のうちに病院その他の施設へと搬送され、厳重な介護態勢のもとに置かれるはずだ。諸君には、安心して……ゲーム攻略に励んでほしい』

 

 攻略……。

 今、茅場は攻略と言ったか。

 

 つまり奴は、ログアウトできずに閉じ込められたプレイヤーに、あろうことか牢獄内での冒険やら生活やらを愉しめと言っているのか。奴のさじ加減一つで死んでしまうかもしれないこの状況下、そんな奴自身が作ったゲームで遊べとそう言っているのか。

 

「ハッ……」

 

 おいおい。噂の天才物理学者ってのはどんだけ頭のネジがぶっ飛んでんだよ。最早頭のネジを飛ばして投擲武器にできちゃうレベル。墓場で運動会やってる妖怪は髪の毛を飛ばして戦うが、茅場も案外似たような妖怪なんじゃないのか。

 

 と、まるで俺の心の声が聞こえたかのように。

 茅場晶彦は、抑揚の薄い声で、更なる追撃をかけてきた。

 

『しかし、充分に留意してもらいたい。諸君にとって、《ソードアート・オンライン》は、すでにただのゲームではない。もう一つの現実と言うべき存在だ。……今後、ゲームにおいて、あらゆる蘇生手段は機能しない。ヒットポイントがゼロになった瞬間、諸君のアバターは永久に消滅し、同時に』

 

 続く言葉を、俺は諦めと共に悟った。

 

 

 

『諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される』

 

 

 

 ――正直、ゲーム攻略に励めと言われた時点で半ば予想していた。

 

 俺の視界左上に表示されているHPバー。今は満タンで青く染まっているこのゲージがゼロになったその瞬間、俺の脳みそはナーヴギアによって沸騰させられ、死ぬことになる。

 

 最近流行りのジャンルの一つ、本物の命が掛かったゲームをプレイする『デスゲームもの』では定番の展開だ。なんなら一度閉じ込められてみたいとすら考えたこともある。

 

 けど、それはフィクションの世界でなら、だ。

 

 本当に、現実の命が掛かったゲームをしたいと思うほど、俺は廃人ゲーマーじゃない。

 

 そしてそれはこの場のほとんど全員が同じだろう。

 

「だが、もしも……」

 

 『頂を極める』ことで、ログアウトできるのだとしたら――。

 

 俺のたてたこの仮説が茅場の思惑なのだとしたら――。

 

『諸君がこのゲームから解放される条件は、たった一つ。先に述べたとおり、アインクラッド最上部、第百層まで辿り着き、そこに待つ最終ボスを倒してゲームをクリアすればよい。その瞬間、生き残ったプレイヤー全員が安全にログアウトされることを保証しよう』

 

 あぁ、やはりそうだ。

 ゲームから出たければ、ゲームをクリアしなくちゃならない。

 たとえこの第一層の上に、九十九もの層が積み重なっているのだとしても。

 

 再び喚き声に満たされた中、視線を上へと持ち上げる。

 頭上には青い空の代わりに灰色の天蓋が広がっている。これから先、いったいどれほどの時間がかかるかはわからないにしろ、この遥か上空にある天蓋を九十九回越えなければならない。

 

 さもなければ、俺は再び小町に、親父やお袋に、そしてあいつらに会うこともできない。

 

『それでは、最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。諸君のアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれ給え』

 

 なんだ? プレゼント? いや、そんな得体の知れない物を誰が……って、オイ、みんな使っちゃうのかよ。

 

 茅場の言う『プレゼント』とやらを取り出したプレイヤーたちが続々と青白い光に包まれていく。見るからにヤバそうな事態を前に、俺は件のぶつ――『手鏡』を手にすることもなくキョロキョロと辺りを見回していた。

 

 いや、別にキョドってたわけじゃないですよ。冷静な判断の上に戦略的撤退をですね――。

 

 とかなんとかやってるうちに、何故か俺も青白い光に包まれてしまった。

 いや強制発動なら確認させる必要ねーだろ。

 

「…………なんか変わったか?」

 

 光が収まったとき、俺は特段それまでとの違いを見出せなかった。

 いや、俺自身にはなんの変化も見られなかったが、周囲の光景は明らかに変わっていた。

 

「阿鼻叫喚……。まさに地獄絵図だなこりゃ」

 

 俺の周りには、文字通りの地獄絵図が広がっていた。

 

 中背でいかにもオタクっぽい見た目のやつなんかまだいい方で、ピンクのスカートをはいたオッサンや寸胴体型のメタボリッカー、明らかに小中学生な見た目の子ども等々。

 ついさっきまでのイケメン、美女、美少女だらけの爽やか空間は何処へやら、むさ苦しいくらいにリアルな顔立ち、男女比、年齢層の集団へと変わっていた。

 

 ちなみに、いつの間にか手の中にあった鏡を覗いてみると、それまでと変わらない、つまり現実の俺と同じ顔が覗き返していた。目の腐り具合も変わっておらず、少し安心した。主に作業時間が無駄にならずに済んだという意味で。

 

 とはいえ、そのための『手鏡』なわけか。

 すっかり現実と同じ顔になったアバターを見せて、これは現実だと突きつけるためのものというわけだ。

 

 

 

 と、ここで一つ疑問が残る。

 

 

 

 一万人もの人間をゲームに閉じ込めて。

 

 外部からの救助手段を排除して。

 

 わざわざ助かるための道を用意して。

 

 現実感を持たせるためにアバターを改変して。

 

 

 

 どうして、茅場はこんな真似をするんだ? 

 

 どんな目的があってこんな真似をしたんだ?

 

 

 

『諸君は今、なぜ、と思っているだろう。なぜ私は――SAO及びナーヴギア開発者の茅場晶彦はこんなことをしたのか? これは大規模なテロなのか? あるいは身代金目的の誘拐事件なのか? と』

 

 俺の疑問、延いてはこの広場にいる全員の疑問に答えるように、茅場は話を続けた。

 

 心なしかそれまでの説明口調に比べて感情が籠っている気がする。

 

『私の目的は、そのどちらでもない。それどころか、今の私は、すでに一切の目的も、理由も持たない。なぜなら……この状況こそが、私にとっての最終的な目的だからだ。この世界を創り出し、観賞するためにのみ私はナーヴギアを、SAOを造った。そして今、全ては達成せしめられた』

 

 ……いや、どういうことだってばよ。自己完結してるだけで意味がわからん。

 

 なにか? 茅場は『新世界の神だ!』とでも宣言したいのか? (らいと)さんにしろLにしろ茅場にしろ、天才様の考えることはさっぱりわからん。

 

 せめてもうちょい情報が欲しいところだが――。

 

『……以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の――健闘を祈る』

 

「終わっちゃうのかよ……」

 

 それだけ言い残して、茅場のアバターは格子の隙間に消えていった。真っ赤だった空も一瞬で青色に戻り、まるで何事もなかったかのような静寂が訪れる。

 

 

 

 そして――。

 

 直後――。

 

 

 

 はじまりの街の中央広場は、一万人近いプレイヤーの悲鳴と怒号に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人、広場の片隅に立つ柱に背を預けて、ふーっと息を吐く。

 

 …………小町、悪いがお兄ちゃん、今日中には帰れそうにねぇわ。景色も武器も冒険譚もしばらくお預けになるが、我慢して待っててくれ。

 

 小町もそうだが、天使に会えないのは辛いなぁ。学校もしばらく休みになるだろうし、戸塚には申し訳ないが修学旅行もキャンセルだなこりゃ。

 

 

 

 それと、あいつらも……。

 

 

 

「…………帰ったら、嫌味の嵐だろうな」

 

 思わず苦笑いが浮かぶ。けれどそんな未来が嫌だとは思わない。

 

 あの部室に、あの紅茶の香りのする場所に戻りたいと、そう思う。

 

 雪ノ下と由比ヶ浜と、もしかしたら小町も加わった奉仕部に。

 

「ぼっちの帰巣本能舐めるなよ、茅場晶彦」

 

 もう何もなくなった広場の空に向けて、そう呟いた。

 

 




次回更新は3日以内です。


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第三話:とにもかくにも比企谷八幡は情報を集める

3話です。よろしくお願いします。


 茅場昌彦によるデスゲーム宣言の後。

 俺は《はじまりの街》の一角にある宿屋に来ていた。

 

 受付のNPC相手にしどろもどろになりながらも部屋を取った後、二階への階段を上がって廊下の角を一つ曲り、突き当りの部屋へと向かう。目的の角部屋の前で立ち止まり、手元の鍵へ目を落とす。

 真鍮色の古風でいかにもな形をした鍵だ。現実と違ってデータで鍵の整合を判定する以上、形とか別になんでもいいんだろうが、そこは《仮想現実(VR)》なだけあって世界観を損ねないよう配慮されているようだ。ご丁寧なことに、鍵を挿し込む感触すらリアルに作られていた。

 

 鍵の開いた扉を開いて中へ入ろうと足を踏みだしたそのとき、不意に曲がり角の方から音がした。なにとはなしに振り返ると、丁度一人のプレイヤーがこちらへ小走りで向かってきていた。小柄で、フードを目深に被った、恐らく女性プレイヤーだ。

 彼女(?)もこちらに気付いたようで、俺を見てハッと足を止めた。顔を上げた際にフードの下から隠れていた顔が覗く。少し幼い印象だが、顔立ち自体はかなり整っている。ネットゲーマーという人種にしては珍しい部類だ。当の彼女自身は目を丸くし、とても警戒したご様子。

 

 まあ女子が宿屋でこんな目つきの悪い男を見たら警戒もするわな。やべ、自分で言ってて悲しくなってきた。……泣かない。八幡は強い子。

 

 そのまま立ち止まっていては本当に変質者にされかねないので、軽く会釈だけして部屋に入る。扉を閉める直前「あ、ちょっと……」と呼び止める声が聞こえたが、多分気のせいだろう。そうに違いない。初日から対人トラブルなんてのはごめんだ。

 

 気を取り直して、室内に目を向ける。

 板張りの床に、ベッドとテーブルとイスが一つずつ置いてあった。広さは6畳ってとこか。まあこんなもんだろ。簡素だがきれいに整えられている。ゲームの中なんだし、当然だな。

 取り敢えずテーブルとイスを窓際に運び、窓を開いてイスへ腰かける。メニューウィンドウを開いてアイテムストレージへ飛び、昼間のうちに買ってあったよくわからないドリンクを取り出し、ぐいっと一息に飲み干した。

 

「…………微妙だな」

 

 なんだこれ。レモンっぽい柑橘系と……このマッタリ感は豆乳か? 飲めないこともないが、もう一杯いきたいとは思えない。まあリアルじゃ飲めない味だし、そういう意味じゃ貴重な経験だと言えないこともない。

 

 そういえばこのSAO、千葉県民のソウルドリンクたるマックスコーヒーは手に入るのだろうか。この中世ヨーロッパ風の世界観にマッ缶がミスマッチなのはさしものマッ缶ソムリエたる俺も認めるにやぶさかではないが、だとすればあの殺人的な甘さは当分お預けとなってしまう。

 これは料理スキルの習得を本気で考えなければならないかもしれない。いざ、マッ缶をこの手で……‼

 

「……まずは予定通りだな」

 

 背もたれに体重を預けて、窓の外を眺める。レンガ造りの通りは道幅も広く、建物の高さもそれほどでもなく、これならしっかりと見渡せる。目的は問題なく達成できるだろう。

 

 

 

 

 

 

 茅場が消えた直後、俺はまず情報収集を行うことに決めた。

 

 知りたいのはただ一つ。このSAOの経験者、つまりベータテスターの動向だ。

 茅場の言った『SAOのクリア』を達成するためにはベータテスターの力は不可欠だ。俺のような素人に先んじて二か月長くプレイしている彼らの経験と情報は、特にゲーム序盤の今、攻略の貴重な戦力となる。単純な戦闘経験にしても、各階層のクエストや狩場なんかの情報にしても、攻略本の存在しないこのゲームにおける唯一の道しるべと言ってもいい。ベータテスターには是非とも彼らの持つ情報を公開してもらいたいわけだ。

 

 しかし、話はそう簡単じゃない。

 それはベータテスターが、他のプレイヤーよりも優位に立つことのできる情報をただで公開するとは思えないからだ。仮に俺がベータテスターでもそう易々と情報を公開はしないだろう。

 なんせMMORPGってのは限られたアイテムや経験値や金を奪い合うことを前提としたゲームだからな。加えて自分の命すら掛かっているこの状況下、誰が他人のために大事な情報を公開するだろうか。

 

 ベータテスターの持っている情報が知りたい。

 しかし彼らが情報を公開することは望めない。

 

 となれば、やることは一つ。

 ベータテスターを観察し、彼らの動向から欲しい情報を仕入れることだ。

 

 そのために俺はこの宿――中央広場とそこから繋がる主要な道、そして三つある門の一つまでが一望できるこの部屋を取った。広場の混乱に乗じて街を出るベータテスターを見つけ、尾行するためにだ。

 

 一度この第一層を突破した経験のあるベータテスターならすぐにでも攻略に乗り出し、他のプレイヤーに差をつけるためにもさっさとはじまりの街を離れるだろう。なぜなら街周辺のフィールドは、攻略を考え、けれどまだここから離れるほど無茶のできない初心者プレイヤーで溢れかえるだろうからだ。ベータテスターもすぐにそう思い至るに違いない。

 

 だとすれば、真っ先にこの街を離れようとするプレイヤーはほぼベータテスターだと考えていい。中には前情報ゼロで見知らぬフィールドに挑む無謀な輩もいるかもしれないが、そこまで考え始めたらキリがない。直接的に命が掛かる状況でない限り、多少のリスクは呑む必要があった。

 

 

 

 

 

 

 そういうわけで、俺はあからさまになり過ぎないようにしつつ、窓から見える街の様子を注意深く見下ろしていたのだ。

 

 茅場のデスゲーム宣言からまだ二十分ほどしか経っていない今、ほとんどのプレイヤーはまだ中央広場に残っているようだ。だが所々、そんな大多数のプレイヤーとは違う動きをしている人影があった。

 その内の二つが、俺の潜む宿屋からほんの十数メートルの路地で立ち止まった。

 

「あれは……」

 

 その人影にはどことなく見覚えがあった。

 

 一人は黒髪のひょろっとした少年。整った顔立ちだが、まだまだ幼さが前面に出ている。多分中学生くらいだろう。顔に見覚えはなかったが、背丈と服装はどこかで見た気がする。

 

 そしてもう一人は赤茶色の髪にバンダナを巻いた男。落ち武者か野武士のような顔は知らないが、その趣味の悪いバンダナの方はしっかり覚えていた。

 

 あれだ。イノシシ狩りの帰りに見かけた、あの二人組だ。

 

 どうやら黒髪の少年がバンダナ男を引っ張ってきたようだ。戸惑うバンダナ男に、黒髪の少年が捲し立てるように話しかけている。男は戸惑っているようだが、それでも何らかの返事はしていて、やがて少年は男の返答に苦々しい表情を浮かべた。その後、男が少年へ乾いた笑みを向けると、少年は迷う素振りを見せてから男に背を向ける。

 

 重い足取りで歩きだした少年へ、男が声を張り上げた。その声は俺のもとまで届く。

 

「キリト!」

 

 ちらっと少年が振り向くが続きはなく、少年は再度足を踏みだした。

 だが五歩ほど離れたところで男が再度叫ぶ。

 

「おい、キリトよ! おめぇ、本物は案外カワイイ顔してやがんな! 結構好みだぜオレ‼」

「お前もその野武士ヅラのほうが十倍似合ってるよ!」

 

 男に背を向けた少年はしばらく歩いてから一度振り向き、それから一気に門の方へ駆けていった。そのまま止まることなく門を抜けた少年の姿はすぐに見えなくなった。

 

 

 

 ……なんだか、とんでもないものを見てしまった気がする。

 

 いやね、俺はただ単にベータテスターからのおこぼれ的なものを期待してこうして張り込んでたわけですよ。だってのに、なんなのあの超シリアスなシーン。てっきり映画かアニメのワンシーンかと思っちゃったよ。

 

 まぁ、おかげでというかなんというか、あの「キリト」とかいう男子がベータテスターだろうってのはわかった。わかったんだが、あのキリトくんとやらを尾行して情報だけ巻き上げようってのは心が痛むわけで――。

 

「……なんて、善人ぶってる余裕はねぇよ」

 

 俺は現実に帰ると決めたんだ。他人を気遣ってる余裕があるなら、少しでも早く攻略が進むよう努力する。こっちも命が掛かってんだ。他人の事情とか気にしてる暇はない。

 

 俺は早速目を付けた情報源を追うべく立ち上がり、部屋を出た。

 取り敢えずどの方角へ向かったかくらいは突き止めておきたいところだ。現状このはじまりの街以外、拠点になりそうな場所も知らないわけだしな。

 

 宿を出て通りを走り、キリトとやらが出ていった北西の門から圏外へと駆けだす。

 ここからはセーフティも外れ、HPが減少する。つまりモンスターにやられたり崖から落ちたりすれば問答無用で死ぬのだ。慎重かつ大胆に行かなくてはならない。

 

 幸い、街から伸びる道の周囲にはモンスターの姿はなかった。

 また数分走ったところで、前方にキラキラ光るポリゴンの欠片が見えた。

 

 あれは果たして、プレイヤーがモンスターを倒したときのものか、それとも……。

 

 ポリゴン片の見えた方向へ近付き、人影が見えたところでサッと近くの岩陰に隠れる。肩で息をしながら剣を収めているのは、先ほどのキリトとかいうプレイヤーに間違いない。

 

「ハァ……ハァ…………ぁぁああああっ!」

 

 雄叫びを上げながら駆けていくキリト。

 

 それを密かに追跡する俺。

 

 沈みかけの西日が照らす下、キリトは鬼気迫る様相で草原を駆ける。

 っていうか、あいつ走るの速すぎだろ。バレないよう気を遣ってるってのもあるが、にしたって見失わないのでやっとってのはどういうことだよ。

 

 しかもこのキリト少年、時折びっくりするほど唐突に進行方向を変えるのだ。ほぼ直角に曲がることすらある。まるで平均台の上を走っているかのように、真っ直ぐ進んでは曲り、真っ直ぐ進んでは曲りを繰り返しているのだ。

 

 一見奇怪なその動きを見て、一つ推測が立つ。

 

(これはアレだ。『踏んじゃいけないエリア』だ)

 

 そう。あれは俺が小学生の頃。

 学校への行き帰りの道で、俺は一つのルールに従って登下校していた。名付けて『白線の上だけが安全地帯。それ以外はマグマ』ルールだ。亜種として『色違いのレンガ以外踏むと呪われる』ルールもある。

 

 内容は至ってシンプル、というか文字通りだな。独りで登下校するのが大半だったもんだから、独りでも楽しめるルールを決めていたわけだ。ハイそこ、哀れむの禁止。泣けてきちゃうでしょうが。

 

 黒歴史はともかく、あのキリトくんがやっていることはその本物というわけだろう。彼が走っている場所以外に足を踏み入れようものなら、何かしらのペナルティが発生するのだ。

 危なかった……。まさか序盤からそんな罠が仕組まれているとは予想もしていなかった。

 

 その後も罠を避け、時々湧いて出るmobを蹴散らしながら進むキリトを追跡すること、およそ30分。そろそろ陽が沈みきるかという頃になって、前方に小さな村が見えてきた。最早だいぶ遠くなってしまったキリトが村へ一直線に向かっている。

 

「なるほどな。あそこが最初の拠点ってわけか」

 

 遠巻きに村を眺めてみる。

 なんてことはない。ファンタジー世界らしいヨーロッパ風の静かな農村だ。村の周りが木の柵で囲われていて、多分あの柵の内側が安全圏内に指定されているんだろう。村の向こうには森も見えるし、さらにその向こう遠くには塔が薄らと見える。

 

 あの塔が上層へと続く『迷宮区』ってやつか。見上げるほど高くまで続くあれを百本上れば、俺を含めた全プレイヤーが現実に帰れる。あれはその最初の一本というわけだ。

 

 じっと立っていた時間はほんの2,3分だっただろうか。夕焼けが夜闇へと変わっていく中、俺は村に背を向けて来た道を引き返していった。

 

 来るときは身を隠しつつだったが、帰りは全力ダッシュだ。覚えたての道を脇目も振らずに駆け抜け、途中赤い目の狼型mobに見つかるも無視し、一度も立ち止まることなくはじまりの街の門をくぐった。

 

 「圏内に入った」という旨の表示を見て、ようやく足の回転を緩める。路地を抜け、宿へ向かう道すがら、ついでに周囲の様子を探る。すっかり暗くなった街中は嫌に静かで、あれだけ騒がしかったプレイヤーたちもどこへやら。通りにはNPCの他にほとんど人影がなかった。

 

 どれだけ叫んでも怒鳴っても、何も変わらなかったんだろう。だから騒いでたプレイヤーたちもひとまず諦めて休むことにした。寝て起きたら現実に帰れているかもしれないし、警察や運営も解放に尽力しているはずだ。こんな馬鹿げた状態がいつまでも続くわけがない。

 

「……そう思えたら、楽だったんだけどな」

 

 生憎、俺は他人に期待しない。

 勝手に期待して、希望を押し付けて、裏切られてがっかりして……。

 そんなのはただのエゴで、自分勝手で最低な行為だ。

 

 雪ノ下のときもそうだ。

 俺はあいつに勝手な理想を押し付けた。雪ノ下は嘘や虚言は吐くことはないと決めつけていた。だからあいつが事故のことを黙っていたと知った俺は期待を裏切られたと思った。自分勝手に期待して、自分勝手に苛立って……。

 

「って、今考えてもしょうがねえだろ」

 

 第一、もう済んだことだ。

 文化祭の後に部室で会って、話して、それで終わったことだ。

 

 やめだやめだ。これ以上余計なことを考えるな。

 今考えるべきは第一層攻略、延いてはSAO攻略のためになにをすべきか。

 そして俺自身が生き残るためになにをすべきかだ。

 

「だから、あんなストーカー紛いな真似までして情報収集したんだろうが」

 

 そう自分へ言い聞かせ、路地を歩いていく。

 

 しばらくして、部屋を取った宿の前まで戻って来た。

 

 はぁ……。なんかすげー疲れたな。ここはゲームの中だってのに、働いて疲れるとかおかしいだろ。攻略自体は明日から始めるとして、今日はもうさっさと飯食って部屋戻って寝よう。

 

 宿屋の扉へ向かって足を踏みだしたそのとき。サーッとゲームとは思えないほどにリアルな風が吹いた。茅場が頭のイカレた奴でもこの風を仮想現実に再現した技術力は素直に称賛できる。

 

 とりとめのない思考と一緒に視線が風を追って、中央広場へ続く路地へ向かう。

 

 

 

 

 

 

 直後、足がレンガに貼り付いたかのように止まった。

 

 

 

 

 

 

 すっかり人のいなくなって静かな路上に、一つの影があった。

 

 

 

 その影は薄暗い中でもわかるほどに凛と立ち。

 

 

 

 滑らかな長髪を涼風に靡かせて。

 

 

 

 じっと灰色の天蓋を見上げるその姿を、俺は知っている。

 

 

 

「…………雪ノ下」

 

 

 

 思わず呟いた声に、彼女は振り向いた。

 

 

 

「比企谷くん……?」

 

 

 

 青白い月光を背負う《仮想の身体(アバター)》は紛れもなく、雪ノ下雪乃のものだった。

 

 

 




次回更新は3日以内です。


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第四話:とどのつまり、雪ノ下雪乃は巻き込まれている

4話です。よろしくお願いします。


 仄かに明るく快適な温度に保たれた、とあるレストランの一角。時刻はすでに20時を回り、夕食には少し遅い時間だ。

 そんな遅めの夕食の席で、俺はNPCの店員が料理を運んでくるのをじっと見ていた。言葉こそ発しないものの、料理を運び、皿を置き、一礼して立ち去るその姿はプレイヤーと全く見分けがつかない。思わず「ど、どうも……」なんてキョドってしまったくらいだ。黒歴史がまた一つ増えた瞬間だった。

 

 気を紛らわすためにとティーカップへ手を伸ばす。カップはテーブル中央に置かれたランプの光を受けてぼんやり照らされている。無機質な蛍光灯の明かりとは違う、どこか幻想的な灯りだ。

 とはいえこの灯りも本物の火ではなく、コンピューターが数えきれない計算をした末に「そう見せている」明かりだ。触ってみれば熱く感じるその熱すら、脳みそに直接送られている電気信号に過ぎない。

 

 目の前に置かれたシチューのような料理も、硬そうなパンも、こうして飲んでいる紅茶も。

 すべては仮想のもので、実在するわけではない。だというのに――。

 

「……なんで美味く感じるんだろうな」

「そうね。とても仮想現実の中とは思えない。多少舌触りが違うくらいかしら」

 

 向かいからそんな、冷静な声が返ってくる。そこにいつものような棘は含まれていない。ちらっと目を向けると、向かいにはカップを口元へ運ぶ雪ノ下の姿。

 

 

 

 どうして俺と雪ノ下がこんなふうに夕食の席を同じくしているのか。

 その理由は偶然にも雪ノ下と出会ったあの路地での場面まで遡る。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

「…………雪ノ下」

「比企谷くん……?」

 

 月明かりの下での邂逅。

 予想よりも随分と早い再会。

 

 互いに互いの存在が信じられないとばかりに驚き、それ故に言葉が続かない。

 こんなときでしかありえないシリアスな空気。

 

 均衡が破れたのは、けれどほんの数秒後のことだった。

 

「あ……」

「おいっ!」

 

 突然、雪ノ下がふらりと倒れかけたのだ。寸でのところで持ち堪えたが、姿勢を正そうとするうちにもよろよろとふらついていて頼りない。

 

 駆け寄って、けれど身体を支えるわけにもいかず、声だけをかける。

 

「大丈夫か?」

「……ええ、問題ないわ。少し眩暈がしただけだから」

「眩暈って……。お前ここゲームの中だぞ。いくら体力ないにしてもそんな……」

 

 雪ノ下が体力に欠けるのは知っている。いつだかのテニスのときもスタミナ不足を自己申告していたし、先日の文化祭実行委員でも仕事のし過ぎで倒れたくらいだ。

 本人曰く、どんなことも三日あればある程度までできるようになるようで、それ故に継続して努力することがなかったのだと。だから体力やスタミナといったものが付かないらしい。

 

 とはいえ、このSAOはゲームだ。現実と違って継続努力による体力――スタミナの錬成を行う必要はなく、精神力さえあればいくらでも動き続けることが可能なはずだ。にもかかわらず、雪ノ下は体力がなくなったような症状を見せている。

 

 と、ここまで考えて一つ思い当る。

 

「なあ、雪ノ下。お前、今朝から一回でも飯食ったか?」

 

 すると雪ノ下は苦々しげな表情を浮かべた。

 

「……いいえ。今朝は少し読書をしていて、気が付いたら正午を回っていたものだから」

「何も食べずにSAOにログインしてきた、と」

 

 雪ノ下にしては珍しく間の抜けた理由だな。

 そう思った矢先、雪ノ下は赤くなってこちらを睨んでくる。

 

「まさかこんなことになるとは思わなかったのよ。少しだけ体験してみて、すぐに止めるつもりだった。けれど気が付いたら……」

 

 既にログアウトボタンは消えていた、と、そういうことだろう。

 

「なら、取り敢えず話は後だ。まずは腹ごしらえでもしに行こうぜ」

 

 そう言うと、雪ノ下は首を捻った。

 

「何故、食事が必要なのかしら。ここは現実ではないのだから、食事は必要ないのでしょう?」

「あー、そうだな……」

 

 

 

 雪ノ下の言う通り、本当は食事なぞ必要ないのだろう。

 なんせここは仮想空間であり、そこで得られる食事にはなんの意味もないからだ。

 

 そもそも、このSAOの中でどれだけ動こうが暴れようが、現実の俺たちの身体はピクリともしていない。身体的には空腹を感じるほど体力を消耗しているはずがないのだ。

 

 だが当然脳みそは働き続けるわけで、身体は疲れなくても脳は疲れる。人間の脳みそは現実と仮想現実を区別するなんてことはできないので、脳が疲れれば当たり前のように睡眠は必要だし、どういうわけか食欲も湧いてくる。

 

 SAOでの食事は現実の身体に一切の栄養をもたらさないが、この空腹感を紛らわす効果はあるのだ。何かを食べた、味わったという行為自体が脳に『腹を満たした』と思わせるのかもしれない。

 

 

 

 そんな感じのことを説明するも、雪ノ下の表情は思わしくならない。

 

「あなたの言いたいこともわからないではないけれど、気力次第でどうとでもなるのならやはり食事なんていらないのではないかしら」

 

 そういうお前は今さっき倒れかかったじゃないですかー、とは言えなかった。

 

 どうも、さっきから雪ノ下の様子がおかしいのだ。いつものような余裕が見られないし、なによりここまで一切罵倒されていないってのが気持ち悪い。

 いや、別に罵倒されたいってわけじゃないんだけどな。俺はドMじゃない。

 

「なら、俺の食事に付き合ってくれ。もう腹減って倒れそうなんだよ」

「…………仕方ないわね」

 

 こうして、俺は雪ノ下を連れて近くのNPCレストランを訪れたというわけだ。

 店に入ってからも不満げな表情を崩さなかった雪ノ下だが、目の前に紅茶の入ったティーカップが置かれ、それを一口飲んでからは落ち着いた表情となっていた。食事の必要性はともかく、味覚を潤すという意味では価値があると認めたということか。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 話は現在に至る。

 俺はボッチには難しい任務である「食事中の当たり障りのない会話」ミッションに従事しているわけだ。いやね、そもそも小町以外と食事とか滅多にしない俺にこのミッションは難易度高すぎるんですよ。ましてやあの雪ノ下雪乃と二人きりというこの状況。Lv.1でフィールドボスに挑むようなもんだ。

 

 けどまあ、どっちかが話を切り出さないと先に進めないのも事実ではあるか。

 

「それで、どうして雪ノ下がここにいるんだ? ゲームとかしないと思ってたんだが」

 

 雪ノ下はカップを手にしたまま、ほうっと息を吐いた。

 

「普段ならまずやらないでしょうね。けれど今回に限っては姉さんに乗せられたのと、私自身、仮想現実というものに技術的な興味もあったものだから……」

「ああ、なるほど。確かにありそうな話だ」

 

 あの人ならこのゲームに手を出すのもありそうだと思えるし、雪ノ下を煽って引き摺り込むような状況も想像がつく。興味云々についても、こいつは天下のユキペディアだからな。

 

「ん? ってことはあの人もここにいるってことか?」

「いいえ、姉さんはいないわ。姉さんのナーヴギアは今、私が使っているから」

 

 あー、そういうことか。確かにこいつが自分でナーヴギアとSAOを揃えるとか想像できないしな。いや、あの人なら二セット持っててもおかしくないんじゃないか。

 

「それに姉さんは実家の会食に出掛けているから、どちらにしろ今日はやらなかったと思うわ」

「おう……なんつーか、相変わらずだな」

「そうね。けれど、私で良かったのかもしれないわね。姉さんには囚われている時間なんてないのだから」

 

 こいつがこんなことを言うなんて珍しいな。それに、さっき感じた違和感もある。

 パッと見はいつも通りだったが、雪ノ下も少なからず動揺しているのか。或いは途方に暮れているのかもしれない。

 

「良かったってことはないだろ。誰だってこんな厄介事に巻き込まれたくはないはずだ。現実の生活もあるし、心配してくれるやつだっているだろ。俺なら小町とかな」

 

 雪ノ下は伏せていた目をこちらへと持ち上げると、やがて小さく笑みを浮かべた。

 

「真っ先に小町さんの名前が挙がるあたりさすがね、シス谷くん」

「ハイハイ、ソウデスネー」

 

 ようやく少し余裕が戻ったかと思えば、ほんとなんなんですかね。こいつの罵倒は切れ味良すぎるだろ。斬れ味ゲージで言えば紫色レベル。

 雪ノ下がカップを置いて一度目を伏せる。それからすぐに顔を上げた雪ノ下の表情は文化祭で実行委員をやっていたときのように真剣なものとなっていた。

 

「あなたは、これからどうするつもりなのかしら」

 

 雪ノ下の目を見返して、少し考えてから答える。

 

「……飯食ったら宿に帰って寝る」

「そういうことを言っているんじゃないわ。わかっていてとぼけるつもりなら許さないわよ」

 

 雪ノ下の眼力が三割増しになる。ここが圏外ならダメージ判定があったかもしれない。

 

「許さないって……どうするんだよ」

「そうね。確かこのゲームにはハラスメントを行った者を監獄へ強制送還できるシステムがあったと思うのだけど――」

「正直に答えさせていただきます」

 

 なんでゲーム素人のくせにそんなシステム知ってんだよ。もしかしてこいつ事前に説明書を読みこんできたのか? メシ忘れるほど熱中してた読書ってそれかよ。どんだけ楽しみにしてたんだよ。俺と同じじゃねえか。

 

「それが身のためね」

 

 フッと勝ち誇ったような笑みを浮かべてから、雪ノ下はより具体的な問いを投げてきた。

 

「それで、あなたは茅場昌彦の言ったように、このゲームの攻略に挑むつもり?」

「…………まあな」

「ヒットポイントがゼロになると死んでしまう。そう脅されて、本当にそうか確認することもできない。そんな状況だとわかっていても?」

「ああ」

「現実では今この瞬間も一万人近いプレイヤーを救助しようと政府や警察が躍起になっているはずよ。安全な街の中で待っていれば助け出される可能性がある。そうとは考えられないのかしら?」

「ここまで手の込んだ大量誘拐を実行した天才学者が、外部からどうこうしただけで解決できるような設計にしてるとは思えないしな」

「天才と持て囃されていても、茅場昌彦だって人間よ。一人でこのゲームを作ったわけではないのだから、運営している企業を捜索すれば解決するのではないかしら?」

「そうかもしれないな」

 

 確かに、これが普通のネットゲームならその可能性もあっただろう。

 

「なら――」

「けどな雪ノ下、お前は知らないかもしれないが、ナーヴギアを設計・開発したのは茅場昌彦本人らしい。それもたった一人で、な」

 

 雪ノ下が目を見張る。やはり知らなかったか。

 

「もし本当に茅場が単独でナーヴギアを作り上げたんだとしたら、茅場だけしか知らない機能やシステムの抜け道があってもおかしくない。こんなことしてる時点でまず間違いなくシステムにロックはかけてるだろうしな。下手すりゃネットワークに接続してるナーヴギアを遠隔操作することすらできるかもしれない」

「茅場昌彦本人を取り押さえるか、ルールに従うしか方法がないということね。後者は外部からはどうすることもできないし、茅場昌彦は……」

「当然、雲隠れしてるだろうな。資産のある天才学者が本気で逃げてんだ。十中八九見つかんねーよ」

「つまり茅場昌彦の提示した条件通り、このゲームを攻略するしかない……」

「後々何かしらの方法が出てくるかもしれんが、基本的にはそうだろうな」

 

 雪ノ下が腕を組んで考え込む。攻略以外の方法を思案してるのか、それとも別の何かについてか。何にせよ話が途切れた今のうちに腹ごしらえでもしておくか。

 

 …………やっぱ硬いなこのパン。シチューも味が薄いし、具もほとんどない。あー、小町の料理が食べたい。ビタミンK(小町)が足りないよぅ。

 

 俺がパンとシチューをもそもそ食べているのを見て、雪ノ下も自分の皿に手を付け始めた。俺だけが料理を注文するということに心理的葛藤があったらしく、仕方なしに注文したものだ。

 味に対する感想は俺と大差なかったようで表情は芳しくなかったが、食欲を満たすことはできたらしい。お互い黙々と食事を続け、どちらの皿もすぐ空になる。

 

 食べ終わってからしばらくしても、雪ノ下は黙ったままだった。視線を寄越さずゆっくりと紅茶を飲んでいる。五分ほど沈黙が続いた後、雪ノ下はカップを置いて目を向けて来た。

 

「……他に手はなさそうね。いいでしょう。奉仕部部長として、部員のあなたが攻略に挑むことを認めましょう」

 

 いつの間に許可制になったのかは知らんが、どうやら部長のお許しも頂けたようだ。

 

 さて、じゃあ明日から忙しいわけだし、そろそろお開きとしますか。雪ノ下には圏内にいてもらうとして、あとは生活資金を稼ぐ方法でも――。

 

「ただし、私も一緒に行くわ」

「…………はっ?」

 

 え、こいつ今なんて言った? 一緒に行く? どこに? 俺の宿にか?

 

「あなたに同行するのはとても不本意だけれど、背に腹は代えられないし。ペースを掴むまでは単独行動は極力なしとしましょう」

「いや、おい……」

「喫緊の課題としては、私が攻略に必要なものを揃えていないことかしら。比企谷くん、あなたその辺りの事情には詳しいのかしら?」

「待て待て。話を勝手に進めるな。……どういうことだ?」

「ああ、あなたの鈍重な頭では理解が追いつかないのも仕方ないわね。ごめんなさい」

 

 いつになく素直に頭を下げる雪ノ下。心なしか表情もさっきより明るくなっている。

 

「謝罪の頭に罵倒を並べるんじゃねえよ。なにお前、そういう生き物なの?」

「あら、知らなかった? これが人間のコミュニケーションなのよ、ヒキガエルくん」

「おい、なぜ今俺の小学生のときのあだ名を引っ張り出してくる必要があった。あと話の頭に罵倒するのが人間のコミュニケーションの常識なら、そんな厳しい社会には絶対出ない」

「現実から目を逸らしてはダメよ。あなたが公的扶助の世話になるようでは困るのよ。……小町さんが」

「ぐっ……確かにそれはよくないな」

 

 働かずに税金で生かされる生活ってのも悪くないが、小町に迷惑がかかるからなぁ。あとは大手を振ってダラダラできないっていうのも痛い。うん、やっぱり専業主婦になろう。

 

「……って、そうじゃねえだろ。危うく誤魔化されるとこだったわ」

「別に誤魔化そうとしたつもりはないのだけれど。あなたが勝手に振り回されただけよ」

 

 雪ノ下は相も変わらずの饒舌ぶり。心なしか口元には笑みが浮かんでいる。こいつがこんなに簡単に微笑むなんて珍しいな。

 

 でもまあ、いい加減訊かなくちゃならないことがある。

 

「お前も、攻略に来るつもりか?」

 

 雪ノ下が笑みを潜める。眼差しは真剣なものに変わり、まっすぐにこちらを見据えてくる。

 

「あなたの考えていることは予想がつくわ。大方、私を街で待たせて自分だけで攻略に挑もうとでも考えていたのでしょう?」

 

 え、なにこいつエスパーなの? ピタリ賞過ぎて怖いんだけど。

 

「見くびられたものね。あなたの浅はかな申し出を受け入れるとでも思ったのかしら?」

「いや、だってお前、ゲームとかしたことないだろ。だってのに攻略とか無理だろ」

「これがVRゲームでなければそうね。けれどこのゲームでは実際に身体を動かすのでしょう? 前にも言ったけれど、私、大抵のことはすぐにできるようになるのよ。唯一体力には自信がなかったのだけれど、ここでならその心配もいらないでしょうし」

「確かにそうかもしれんが、そうは言ってもだな……」

 

 実際、雪ノ下の運動能力と飲み込みの速さならすぐにSAOでの戦闘に順応できるだろう。俺なんかよりよっぽど強くなる可能性だってある。

 

 だがそれだけじゃダメだ。戦闘だけできてもダメなのだ。

 

「『RPG』ってジャンルのゲームじゃあ、運動神経がどうこうってだけじゃどうにもならないことがあるんだよ。初見殺しの罠とか、特定の条件をクリアしなきゃ倒せない敵とかな」

 

 ボスの攻撃を避けながらフィールドにある燭台に火を点けて回るとか、道中の戦闘は全部逃げなきゃいけないとか、弓矢じゃなきゃ倒せない敵とかな。攻略ページを見ないでやろうと思ったら何回も死に戻りを繰り返さなきゃならないことも珍しくない。

 

「そういうのは培った経験がないとキツイ。他のゲームで似たようなギミックを見たことがあるならともかく、このSAOじゃトライ&エラーができないんだ。限りなく攻略不可能ってレベルの可能性だってあるんだぞ」

 

 そんなところに雪ノ下を行かせていいわけがない。攻略しなきゃ帰れないのは事実だが、わざわざ余計な危険を冒す必要もないのだ。

 

「俺はこの手のRPGもそれなりにやってるからヤバそうなとこは大体わかる。けど、お前は罠とか見抜けねーだろうが。だから攻略は経験者に任せて……」

「そして、もしものときは後悔だけしろと言うのかしら?」

 

 『もしものとき』という言葉に、少しだけ息が詰まった。

 

「……そういうことを言ってんじゃねーよ。ただ雪ノ下が危険を冒す必要はないだろ」

「なら、あなたが危険を冒す必要もないわね。あなた一人程度の戦力、いてもいなくても変わらないのだし。大人しく待っていればいいと言うのなら、あなたが出る幕でもないはずよ」

 

 実に正論だ。

 

 実際、俺一人の戦力などたかが知れている。いてもいなくても大勢に影響などないだろう。できるとすれば、優秀なプレイヤーの代わりに的になって攻撃機会を増やすことくらいだ。

 それでも俺が安全な圏内で待つのではなく攻略に参加しようなどと考えた理由は、単に何もせず待っているのが性に合わないからだ。17年間独りで困難を乗り越えてきたボッチのプライドだな。

 

 そこまで考えて、ああそういえばこいつも似たようなもんだったなと思い出す。雪ノ下を見てみれば、そこには勝ち誇ったようなすまし顔があった。

 

「そういえば、お前も他人任せにできるようなやつじゃなかったな」

「あなたと同じように、というのは不本意だけれど」

 

 ……楽しそうな顔しやがって。本当に雪ノ下はこういうときいい笑顔になる。

 

 

 

 

 

 

 翌日の予定が決まったところで、夕食の席はお開きとなった。

 

 その後、雪ノ下は俺の取った宿の別の部屋を取り、俺たちは翌朝の9時に宿の前で待ち合わせる約束をして別れた。部屋に入るなりドッと疲れが圧し掛かってきて、俺はすぐにベッドへダイブした。

 

 




次回更新は3日以内です。


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第五話:ご覧の通り、攻略の準備は進んでいる

5話です。よろしくお願いします。


 二日目。

 朝の暖かな陽が差す路上で、俺は雪ノ下と待ち合わせをしていた。

 

 時刻は午前八時五十分。待ち合わせ時間の十分前だ。

休日はダラダラと遅くまで寝ていることが多い俺も、集合場所まで徒歩三十秒ともなれば遅刻することはなかった。着替えや身支度を含めたところで精々二分ほどだ。寝癖を直す必要なんかもない。

 

 それもそのはず、ここは現実ではない。

 《ソードアート・オンライン》というゲームの中なのだ。

 目覚ましは頭の中に直接鳴り響いてくるし、着替えもボタン操作でちょいちょい、洗顔や寝癖直しはそもそも必要がない。挙句の果てに手荷物など一切なしでいいというのだから、準備に手間取る理由がない。

 というわけで、準備も万端に十分前集合をしていたわけだ。

 

 にしても、今日は暖かくて実に爽やかな天気だ。思わず欠伸が漏れるくらいに。こんな日は日がな一日ゴロゴロしているに限るのだが……。

 

「随分と大きな欠伸ね。ゲームの中でもあなたの引きこもり根性は治らないのかしら」

「……開口一番罵倒とか、随分と調子良さそうだなおい」

 

 集合時間の丁度五分前になって雪ノ下がヤレヤレと首を振りながら歩いてくる。

服装は俺と大して変わらない。ビギナーが初めから来ているシャツと、下はスカートではなくパンツスタイルだ。配色は俺がモスグリーンと灰色の上下なのに対して、雪ノ下は水色とベージュの配色だ。

 

 こいつの場合素材が整っているせいか、こんな簡素な服装でさえスマートに見える。

 俺? 俺はアレだ。顔はともかく眼が腐ってるから。

 

 俺の返答にくすっと笑みを漏らした雪ノ下は、すぐに神妙な顔になった。

 

「今日は付き合わせてごめんなさい。攻略に参加すると決めたものの、そのために何が必要か私は知らないから。あなたに頼りきりになってしまうのだけれど、他に当てもないし……」

「構わねえよ。元々、この街をいきなり飛び出すつもりもなかったしな」

「そう。なら、遠慮なく付き合ってもらうわね」

「はいよ」

 

 どちらからともなく歩き出し、はじまりの街の商業区へ向かう。

 

 俺は歩きながら、雪ノ下に揃えるべきもの、あったら便利な物を伝えていった。

 回復用のポーションに毒や麻痺に対して効果のあるポーションなどの必需品。あとは携帯式のランタンや火種になるアイテム、寝袋なんかもあれば便利だろう。

 全部が全部初めから揃えなくてはならない物でもない上にどう考えても初期に配られた金じゃ足りないが、これらのアイテムはいずれ揃えておきたいところだ。

 

 ひとまず、ポーションだけは充分に用意しておく。

 NPCの運営する露店で各種ポーションを買い込んでアイテムストレージに押し込む。雪ノ下もここは大人しく俺に倣い、同数のポーションを購入していた。

 

 アイテムの買い物を終え、今度は得物の話になる。

 

 攻略に参加するってことは、当然戦うことになってくるわけだ。となれば必須になるのが武器。SAOにはそれこそ数多くの武器があるが、それらを使うには対応したスキルを鍛えなきゃならない。だからほとんどのプレイヤーは使う武器を一つに絞ることになる。

 

 厳密にはスキルがなくても武器を扱うことはできるが、それだとソードスキルが発動しない。ソードスキルなしで戦うのはSAOの戦闘システム的に果てしなく効率が悪いので、装備できるスキルの数が限られてるSAOだと、どうしても扱う武器は絞らなきゃならない。

 

「何を基準に選ぶのがいいのかしら……。比企谷くんは何を?」

「俺か? 俺は槍だな。リーチが長い上に狭い場所でも取り回し易い。多対一もできなくはないしな。あとはまあ、個人的な趣味ってやつだ」

 

 クラス的にもキャラ的にもランサーは優秀だからな。いつか真っ赤な禍々しいデザインの槍を作ろう。そのときは髪も青く染めてしまおうか。

 

「確かに、実際に使う状況を想定して決めるのは重要ね。歴史的に見ても、槍は優秀な武器であったわけだし」

 

 相変わらずのユキペディアぶりだ。確かにリアルな戦争じゃリーチの差はそのまま有利不利に繋がるからな。銃が無い時代だと剣より槍、槍より弓が有利だったわけだし。

 

 雪ノ下は道沿いの露店を眺めながら目ぼしい得物がないか考えている。が、どれもこれもしっくりこないらしい。

 まあゲームとかほとんどやらない雪ノ下じゃあロングソードや曲刀なんかは馴染みがないだろうし、槍の利点を挙げた後じゃあ短剣やナックルには食指が動かないか。

 

「お前の場合、似たようなのに触れる機会はあったんじゃねえの? こう、習い事的なやつで」

 

 そう訊くと、雪ノ下は腕を組んで考え始める。

 

「そうね。剣道やアーチェリーなら経験があるわ。けれどそれを考えると……」

 

 剣道、つまり竹刀か。竹刀が触れるならロングソードもいけそうなもんだが、勝手が違うのかもしれない。だとすれば剣道家に最適なのは――。

 

「刀、か。上の階層に行けば使えるようになるかもしれんが、今のところはないな。弓に至っては遠距離攻撃自体ほとんどないからな。こっちは諦めるしかない」

「そう。仕方ないわね。それなら私も……」

 

 と、何かを言いかけた雪ノ下がふと一軒の露店に目を留める。そのまま露店の軒先まで歩いていき、店主の前に並べられた商品の中の一つを指差した。

 

「比企谷くん、これなんてどうかしら?」

 

 雪ノ下が指差した先にあったのは一振りの剣。長さは片手用ロングソードよりもわずかに短いが、最大の特徴はその形状だろう。刀身は通常の片手直剣に比べて明らかに細く、鍔は握った手を守るように湾曲している。

 

「えっ、なにお前、フェンシングまでやったことあるわけ?」

「日本へ帰ってくる前に少しだけ、ね」

 

 雪ノ下はそう言うと、店主へ話しかけてその剣――《アイアンレイピア》を購入した。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 ところ変わって現在地は街の外。北西の門を出てすぐの小高い丘の上だ。

 買い物を終えた俺たちは、雪ノ下の戦闘訓練も兼ねてレベリングに来ていた。

 

「あれが外敵――mobと言うのだったかしら。アレを倒せばいいのね?」

 

 雪ノ下は血気盛んな台詞と共にイノシシ型mobの《フレンジー・ボア》を見据える。腰にはついさっき購入したばかりの《アイアンレイピア》が提げられ、胸元を同じく新品の革製防具《レザーガード》が覆っている。

 

「そうだな。この辺にはあいつ一匹だけみたいだし、取り敢えず一人でやってみるか?」

「そうね。まずはやってみて至らないところを指摘してもらおうかしら」

 

 言うと、雪ノ下はレイピアを抜き放った。それから一度振って感触を確かめた後、まだこちらを敵と認識していないイノシシへ近付いていく。

 

「じゃあ、始めるわ」

「おう」

 

 雪ノ下がレイピアを中段に構える。剣先をイノシシに向け、向こうがまだ雪ノ下に背を向けているうちに背中へと狙いを定める。

 

「ふっ!」

 

 恐ろしく速い一突きが繰り出され、イノシシのHPが少し削られる。瞬間、カーソルが赤に変わり、イノシシは鼻息荒く雪ノ下を睨みつけた。そのまま戦闘状態へ移行する。

 

 っていうか、今のマジでソードスキル使ってないんだよな。速すぎて剣先見えなかったぞ。

いくら片手剣より軽い細剣とはいえ、通常攻撃がすでにソードスキル並とかどういうことだよ。さすがにダメージ量こそソードスキルには及ばないが、にしたってあんなの人間には防げねえだろ。

 

「せやっ!」

 

 雪ノ下はフレンジー・ボアの突進を避けつつ、交差する瞬間に剣を突き入れる。初っ端から見事なカウンターを決める彼女の技量は見事と言わざるをえない。俺なんて小一時間練習してようやくできるようになったというのに。

 

 その後も雪ノ下は隙を見つけてはレイピアを振るい、mobの攻撃は寸でのところでヒラリと避け、またその隙に一撃入れるという、本当に初心者なのか疑わしい攻防を披露した。

 戦闘は十分ほど続き、ついに一度もダメージを受けることなくイノシシを倒してしまった。

 

 こりゃアレだな。ソードスキル以外ほとんど教えることないわ。

 

「こんなところかしら。思っていたよりずっと時間がかかってしまったけれど」

 

 剣を収めた雪ノ下がこちらへ戻ってくる。その表情は晴れやかではなく、寧ろ少し不満そうですらあった。

 

「お疲れさん。見事なもんだ。本当に初めてか?」

「この手のゲームでというのであればそうね。フェンシングや剣道でなら多少は試合形式の練習もしていたから、動きに迷うということもなかったし」

「はぁ、さいで……」

 

 相変わらずの優秀さに思わずため息が漏れる。

いくら剣道やフェンシングで経験が有るといっても、最初からあれだけ動けるやつなんてのはほとんどいないだろう。それだけ雪ノ下の戦闘センスはずば抜けている。

 まして相手は人間じゃなくイノシシだ。普通、山かなんかでイノシシが間近にいたらビビるもんだが、こいつはそんな様子もなく斬りかかっていった。突進にも必要以上の回避をせず、ギリギリで躱してカウンターを入れるなんてのは想像以上に難しいはずなんだが。

 

 それだけのことを初めての戦闘でやってのけたのだ。俺なんかとは比べものにならないセンスを持っている。いずれはSAOでもトップクラスの戦力になるかもしれない。

 

「それで比企谷くん、今の戦闘を見て何か思うことはあったかしら」

「そうだな……」

 

 雪ノ下の戦闘センスが抜群なのは一回見ただけでよくわかった。

 問題があるとすれば、回避がギリギリなことだろうか。

 

「強いて言えばもう少し早く、余裕を持って避けてもいいと思うぞ」

「なぜ? 引きつけた方がカウンターも狙えるし、動揺を誘う効果もあると思うのだけど」

「相手が見たまんまの攻撃をしてくるとは限らないからな。例えば今のイノシシならただ突進してくるだけだったが、もっと上の階層に行ったらどんな攻撃がくるかわからん。突進しながら火を吐いてくるやつとかいてもおかしくない」

 

 相手の攻撃パターンを見切った後ならギリギリまで引きつけるのはアリだ。それだけカウンターも狙いやすくなるし、次の行動に移りやすい。

 けど最初からギリギリを狙いすぎると思わぬ攻撃が来たときに対処する余裕がない。不慮の事故は許されないのだ。慎重すぎるくらいで丁度いいだろう。

 

「敵の出方が判るまでは余裕過ぎるくらいでいいんだよ。命掛かってんだからな」

「……確かにそうね」

「あとは時間がかかるって方だが、こっちには明確な解決策がある」

 

 タイミングよく次の一体が湧いて出たので、槍を手にイノシシへと向かう。

 ほんの一日だけとはいえ、経験者の面目を保たないとな。

 

 俺は草を食むフレンジー・ボアから五メートルほど離れて立ち、槍を身体の後ろで横に構える。左手を前に、槍を持った右手を後ろにして、その態勢で動きを止めた。直後、特徴的な音と共に槍が黄色に光りはじめる。

 

 と、ようやくイノシシがこちらに気付いたようだ。カーソルの色が警戒を示すオレンジから赤に変わる。前脚を踏み鳴らして突進の準備をしている。

 

 けど、もう遅いんだよ。

 

「そらっ!」

 

 声と一緒にソードスキルを解き放ち、本来なら槍の届かないはずの距離を駆け抜ける。最大七メートルもの距離を詰めながら攻撃する突進系ソードスキル、《チャージスラスト》だ。

 イノシシの眉間を狙った槍は、どうにか狙い通りの位置に突き刺さった。「ぴぎぃ」と悲鳴を上げて倒れるイノシシ。倒れて四肢をピンと伸ばしたそいつは、そのまま爆発四散して消えた。

 

「ふー」

 

 大きく息を吐いて振り返る。

 するとそこには驚きを隠せず目を丸くしている雪ノ下の姿があった。

 槍を肩に担いで近付き、傍までいってから種明かしをする。

 

「今のが、このソードアート・オンラインにおける主力技、ソードスキルだ。現実じゃ到底できない動きができて、システムが勝手に身体を動かしてくれる。威力についてもご覧の通りだ」

 

 なにせ雪ノ下が十分掛けて倒したイノシシを一撃だ。上手い具合にクリティカル判定のある眉間に当たったのもあって、ソードスキルの有用性を見せることはできたはずだ。

 

「……なるほど。確かに申し分ない威力ね。遠間から一足に踏み込めるのもそれだけで十分な利点になるし」

 

 驚きを収めた雪ノ下はすぐにあれこれと思案し始めた。ソードスキルを取り入れた戦い方を検討しているんだろう。物覚えの早ささすがの一言だ。

 

「あと、今のは単発技だが、ソードスキルには連続技もある。現実じゃ慣性があってできない技なんかもあるから、使えるようになったら逐一練習しておくといいぞ」

「これだけのものを実戦でいきなり使うわけにはいかないものね」

「まあな。それにソードスキルには短所もある。便利なのは間違いないんだが、如何せん技の後に動きが止まっちまうから下手に連発できないんだ」

 

 格好良く決めたと思ったら、反撃を受けるなんてことも珍しくない。昨日の俺が途中までそんな感じだったしな。

 

「有効打を与えられなければこちらが隙を晒してしまうと、そういうことかしら」

「そうだ。だからソードスキルを使うのはそれで相手を倒しきれるときか、或いは反撃を受けないで済む状況にあるときのどっちかだけにしとくのが無難だな」

 

 はい。説明終わり。あー、疲れた。慣れないことはするもんじゃないな。

 

「よくわかったわ。武術なんかでいう奥義と同じ位置付けということね」

 

 いや、奥義なんてのがどんなもんかとか知らないけどな。

 とはいえ、雪ノ下もソードスキルについて納得できたらしい。そこまでわかったら、後は実践あるのみだ。実際のソードスキルの使い方なんかは体で覚えた方が早いしな。

 

「んじゃ、今度は実際にやってみるか」

「もちろんよ」

 

 心なしか楽しそうにレイピアを抜く雪ノ下。目は爛々と燃え、意気揚々とmobを探し始める。

 

 もしかしたら俺は、とんでもない戦士を生みだしてしまったのかもしれない。狂戦士とならないことを祈りつつ、雪ノ下の後に付いていった。

 

 

 

 

 

 

 結局、雪ノ下は三回の試行の後、見事なソードスキルをイノシシの眉間に叩き込んだ。

初めこそ構えの段階で動きを止めることに違和感があったようだが、一度発動できるようになるともう水を得た魚の如し。尋常じゃない威力の単発突き技《リニア―》をこれでもかと打ち込んでいた。

 通常攻撃でさえ恐ろしい速さだった雪ノ下のソードスキルは最早目で追えるようなレベルではなく、構えて剣が光ったと思った直後にはもう攻撃し終わってるような有様だった。

 

 頼もしいと思う反面、こいつとだけは絶対に対人戦したくないなと思いましたまる。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 夜。

 

 狩りを終え、前日とは違うNPCレストランで食事をした俺たちは、宿へと帰るべく路地を歩いていた。

 

 買い物から始まり、午後一杯を戦闘訓練ならぬmob狩りに費やしたためか、身体にはそれなりに疲労感がある。精神的ショックのデカかった昨日に比べればまだマシだが、ここからの延長戦は堪忍してつかーさい。

 

「比企谷くん」

 

 宿の前まで来たところで呼び止められる。

 何事かと振り返ると、雪ノ下は恥ずかしそうに顔を逸らしていた。

 

「今日は付き合ってもらって、その……ありがとう」

 

 …………は? え、今なんて? 雪ノ下が俺に礼だと?

 

「正直とても助かったわ。あなたにレクチャーしてもらわなければ……。いいえ、そもそも昨日あなたに会えていなければ、私は今頃どうしたらいいかわからなかったでしょうね」

「…………んなことねーだろ。お前なら自力でもこれぐらいはできてたんじゃねえの」

 

 そう答えると、雪ノ下はフッと笑みを浮かべた。

 

「仮にそうだとしても、それはずっと後のことになっていたはずよ。すぐに戦おうと――抗おうとは思えていなかった。現実に帰るための努力を始められてはいなかった」

「んなもん、それこそわかんねえだろ。仮定の話なんざなんの当てにもならないからな。もしも、とかが言えるんなら、俺だって宿に引きこもってた可能性の方が高いね」

「私はそうは思わないけれど……。いえ、確かに仮定の話をしても仕方がないわね」

 

 なにやら勝手に納得したようで雪ノ下は一つ頷いた。

 それから少し考えるように腕を組み、やがて若干質の違う笑みを浮かべる。

 

 

 

「比企谷くん、あなた、友達が欲しくないかしら?」

 

 

 

 …………は?

 

「オイ待ていきなり何を言ってやがる」

 

 すると雪ノ下がクスクスと笑いを漏らし始めた。

 

「ああ、ごめんなさい。間違えたわ。フレンド登録、というものをしてみないかしら」

「言い間違えに悪意があり過ぎだろ。なにお前、俺を煽るのが趣味なの?」

 

 まったく。いきなり何言いだしてんだよ。……危うく勘違いしちゃうとこだったじゃねえか。

 

「それで、どうなの? 確か、フレンド登録というものをしておくと、いつでも連絡が取れるのよね? 私とあなたは部長と部員という立場でもあるのだから、連絡の取れる体制は作っておくべきだと思うのだけれど」

「いや、別にそりゃ構わねえけどよ。なんか随分ノリノリだな」

「そんなことはないわ。フレンドリストの一番最初があなたの名前で埋まってしまうというのは甚だ遺憾ではあるのだけれど、私にも監督責任というものがあるからやむを得ない状況でもあるの。平塚先生や小町さんに心労を掛けるわけにもいかないし、それに……」

「あー、わかったわかった。フレンド登録させてくださいお願いします。これでいいか?」

「わかればいいのよ」

 

 くそ、そんないい笑顔されたら文句も言えねーじゃねえか。

 

 雪ノ下がついついとメニューを操作する。直後、俺の前にウィンドウが現れた。

 

【《Yukino》からフレンド申請されました。受諾しますか? Yes / No】

 

 Yesの方にタッチしつつ、《Yukino》と表示された部分を見てハッとする。

 

「……しまった。これを忘れてた」

「どうかしたの?」

 

 無事にフレンド登録は完了したものの、一つ大事なことに気が付いていたのだ。

 それは――。

 

「雪ノ下、お前のキャラネームは『ユキノ』で間違いないか?」

「キャラネーム……? ああ、このアバターの名前のことね。ええ、間違いないわ」

 

 ハァ……。リアルネームでプレイしちゃうとか、勘弁してくれよ。

 

「私のキャラクターネームがユキノだと、何か不都合があるのかしら」

 

 わからないか。そりゃそうだ。雪ノ下はこの手のゲームなぞやったことがないのだから。

 

「……お前も、ネットリテラシーって言葉は知ってるだろ」

「ええ。もちろんよ。それがどうかしたの?」

「SAOは一見現実と変わらないように見えるから忘れがちだが、ここは紛れもなく不特定多数のいるネットゲームの中だ。つまり、ネットリテラシーが適用されるよな」

「……そうね。言われてみればその通りだわ」

「だろ。なら、本名で呼び合うのはマズい。もし俺やお前が他のプレイヤーとパーティーを組んだとしたら、第三者に本名がバレちまうんだよ。パーティーメンバーには互いのキャラネームが目で見えるからな」

 

 そこまで説明すると、雪ノ下も事の重要性がわかったようで頭を抱えた。

 

「私たちもキャラクターネームで呼び合うのがベターというわけね」

「そういうことだ」

 

 別に気にせず本名で呼び合い続けることもできるが、それだと現実に戻ったとき身元がバレるかもしれない。俺はバレたところで別に害もないだろうが、雪ノ下は話が別だ。こいつの実家は社会に対して小さくない影響力を持っているのだから。

 

「わかったわ。では今この瞬間から、お互いにキャラクターネームで呼ぶことにしましょう。あなたのこれは――ハチくん、でいいのかしら」

 

 俺のキャラネームは《Hachi》なので、間違っちゃいない。が――。

 

「…………なんだこれ、すげー恥ずかしいな。その分ユキノは本名だからまだマシなのか?」

 

 すると雪ノ下改めユキノも恥ずかし気に目を逸らした。

 

「あなたに呼び捨てにされるのは妙な気分だけれど、こればかりは慣れるしかなさそうね」

 

 

 

 こうして、SAOでの二日目は微妙な雰囲気のまま更けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユッキーにハー坊か……。なかなか面白そうだナ!」

 

 

 

 




次回更新は3日以内です。


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第六話:ひっそりと《鼠のアルゴ》は夜の街を行く

少し短めですが6話です。よろしくお願いします。


 初めてそいつが接触してきたのは、夜も遅い時間だった。

 

 トントンっと扉がノックされたとき、俺はまだ窓際の椅子に座って外を眺めていた。

 茅場昌彦のデスゲーム宣言からまだ30時間ほどしか経ってない現状、はじまりの街は活気もなく静まりかえっている。昼間ならまだNPCがいる分人の気配もあるが、夜になると彼らも家に帰ってしまうためか一気に静かになるのだ。

 

 だからだろう。控えめに叩かれたノックの音でもハッキリと聞こえたのは。

 

「ユキノか……?」

 

 遅い時間とはいえ、リアルならまだ起きていてもおかしくはない時間だ。何か言い忘れたか聞き忘れたことでもあるのだろうと思い、疑うことなく扉を開いてしまった。

 

 後にこの瞬間を思い出しては後悔することになるのだが、このときの俺がそんなことを知るはずもなく、開いた扉の向こうにいた人物をマジマジと見つめてしまった。

 

「…………どちら様で?」

 

 そこにいたのはユキノではなかった。

 小柄でフードを目深に被ったプレイヤーだ。顔が見えない上にローブみたいなもんで身体を覆っているため男か女かもわからない。当然、会ったこともない。

 

 だが向こうはこちらを知っているのか、こんなことを言ってきた。

 

「やあ兄ちゃん、昨日ぶりだナ!」

 

 そんな顔見知りですみたいな反応されても困るんだが。

 と、顔を上げたお蔭でフードの中身が見える。

 

「あんたはっ!? ――――誰だ?」

 

 やっぱり知らない人でしたー。テヘッ。

 

「にゃハハ……。やっぱり覚えてないカ。まああの一瞬じゃしょうがねーナ」

 

 苦笑いを浮かべるそいつ。特徴的な喋り方だが、やはり覚えはない。

 顔立ちは少し幼い印象だが、この手のネットゲーマーにしては見事に整っている。現実で道を歩いていれば十中八九が美人と認めるだろう。どういうわけか頬に三本のヒゲが描かれているが、見ようによってはそれも愛嬌があると思えないこともない。

 

 ん? そういえばいつだったか似たような感想を抱いた気がするな。はて、いつだっけ?

 

「で、どこの誰だかわからないアンタ、なんか用か? 部屋でも間違えたのか?」

「いやいや、部屋を間違えたんならノックはしないはずだゾ」

 

 ふむ。なるほど。確かにそうだ。

 

「じゃあ俺に用か? 言っとくが金に余裕はねーぞ」

「女子に部屋を訪ねられて真っ先に思いつく理由がそれとはネ……。兄ちゃん、辛い人生歩んできたんだナ」

 

 オヨヨ、と涙ぐむ少女。どういうわけか初対面の女に哀れまれてしまった。なんだこれ。

 

「よくわからんがロクでもない用件なのはわかった。それじゃあな」

「ああちょっと待って、わかったわかった今のは謝るヨ!」

 

 扉を閉めようとすると、そいつは慌てて縋り付いてきた。一瞬だけ素の口調が出かかったようだが、それもすぐに引っ込んでしまう。

 

 ほんと、なんなんだコイツ……。

 

 仕方なしに少女を部屋へ入れると、そいつは躊躇う様子もなくベッドに腰かける。そのまま二度、三度と身体を弾ませた後、身長の割に細く長い脚をパタパタと上下させた。挙句の果てにはボフッとベッドに仰向けになる。

 

「んー、オネーサン、なんだか眠くなってきたナー」

「いや、そういうのいいから。早いとこ用件をですね……」

 

 ハァ……。そういう無邪気な行動がですね……多くの男子を勘違いさせ、結果死地へと送り込むことになるんですよ。分かったら今後『甘い声を出さない』『男子のベッドに座らない』『誘うような行動はとらない』徹底してくださいね。

 

「ノリの悪い兄ちゃんだナー。……まあ、いいや」

 

 ようやく本題に入る気になったか。

 

「まずは自己紹介しておくナ。オイラはアルゴ。情報屋をやってんダ」

 

 情報屋……。情報屋? なんだそれ。

 

「よくわからんが、ただのプレイヤーじゃないってことか。俺は――」

「兄ちゃんの名前なら知ってるゾ。ハチ、ダロ?」

「お、おう……」

 

 え、なんで知ってるのん?

 アルゴと名乗ったそいつが餌を見つけた猛獣のように目を光らせる。

 

「んで、オイラは兄ちゃんの本名も知ってるんダナー、これが」

 

 瞬間、背中に冷たいものが流れた。

 

「なん、だと……」

 

 なんだこいつ、ストーカーの類か? 俺みたいな一般プレイヤー追っかけてどうしようってんだ?

 いや、キャラネームだけじゃなく本名まで知ってるとなると、こいつは俺とユキノの会話を聞いていたって可能性が高い。だとすればこいつの狙いは俺じゃなく――。

 

「お前、もしかしてあいつを……」

「違う違う! 違うから! だからそう怖い顔すんナヨ」

 

 アルゴは慌てて首と手を振った。

 

「オイラは別に兄ちゃんたちをどうこうしようなんてつもりはないゾ。ユッキーとハー坊の会話を聞いたのだってただの偶然ダ。本当ダゾ」

 

 演技ではなさそう……か?

 

「悪かったヨ。そんなに怒るとは思わなかったんダ。ただオイラが情報屋だってことを証明したかっただけなんダヨ」

 

 アルゴはしゅんとした表情を浮かべる。

 正直まだ演技の線も捨てきれないが、ここは信じるしかなさそうだな。

 

「……それで、その情報屋とやらが俺に何の用だ? 言っとくが俺はSAO初心者だから知ってることはほとんどねーぞ」

 

 そう言うと、アルゴは困ったように微笑んで頬を掻いた。

 

「ハー坊は優しいんダナー」

「んなことねーよ。ただ話を先に進めて欲しいだけだ。さっさと終わらせて寝たいからな」

「フーン、ま、そういうことにしておくヨ」

 

 アルゴが居住まいを正す。顔には笑みが浮かんだままだが。

 

「ソーダナー、んじゃまずはお詫びの意味も込めて、オイラの秘密を一つ教えるヨ」

 

 するとアルゴがベッドを降りて俺の傍まで歩いてくる。それから俺に屈むよう指示して、耳元に口を寄せてきた。ってオイ、当たってる、柔らかいのが左腕に当たってるから!

 

「オイラ……実はベータテスターなんダ」

「へ、へぇ……」

 

 かなり衝撃的なカミングアウトだが、それ以上に左腕の温かさが気になってですね……。

 

 アルゴが無言で身を寄せてくる。柔らかなものが余計押し付けられる。アルゴがゴソゴソと身を捩る。柔らかなものが擦り付けられる。アルゴが両手を……。

 コイツ、絶対わざとやってやがる!

 

「おい! いい加減に……」

「にゃハハ。ハー坊は可愛いナ!」

 

 ようやく離れたと思ったらケラケラと笑うアルゴ。

 なんなんだコイツは本当に。これでさっきのがなかったら勘違いして告白してフラれるまである。フラれちゃうのかよ。

 

「……で、ベータテスターだってことを俺に教えてどうするんだ?」

「ンー? ハー坊はベータテスターの持ってる情報を知りたいんダロ?」

 

 アルゴはニヤニヤ笑みを浮かべる。まるで「全部知ってるゾー」とでも言いたげな顔だ。

 

「あー、もしかしてお前、俺があのキリトってやつをストーキングしてたのも知ってるとか?」

「キー坊に目を付けるとは、ハー坊は見る眼があるナ!」

 

 見られてたのか……。騒ぎの直後だったから誰もいないと思ってたが。

 

 ん? そういえばあのとき、宿の廊下でチラッと見かけたプレイヤーがいたな。こう、少し幼い印象の多分女のプレイヤーで……。

 

「あれ、もしかしてお前、あのとき廊下で見かけたやつか?」

「オー、ようやく思い出してもらえたナ! いやー、あのときはビックリしたゾ。オイラよりも先にオイラと同じこと考えるやつがいたなんてナ!」

 

 なるほど。あのとき見かけたプレイヤーがアルゴだったのか。だとすれば、俺がキリトを追って街を出るとこも見えただろうし、俺がこの部屋にいるのを知ってたのも納得だ。

 

「ハー坊はベータテスターの動向を探ってた。それはオイラの考えたことと同じダ。ただまあ、理由は違うだろうけどナ」

「だな。俺はただ自分のためにやってたことだが、お前の場合は、自分以外のテスターがどう動くかを見るため、だろ?」

「にゃハハ。その通りダ。あとは仲間を探す目的もあったけどナー」

 

 確かにこんな先の読めない世界じゃ、独りで生きていくのは難しいしな。それが戦闘職でなければ尚更だろう。

 

「というわけで、ハー坊、オイラの仲間になってくれないカ?」

 

 仲間、ねぇ。

 

「具体的に俺はお前に何をして、逆にお前は俺に何をしてくれるんだ?」

 

 こいつの言う仲間ってのは、ただの仲良しこよしじゃないだろう。そんなおめでたい考えのやつはこんな真似しないし、そもそも俺なんかに近付いてはこない。

 だとすれば、アルゴが求めているのはギブ&テイクな関係。実利で結びついた解り易い関係なはずだ。

 

 アルゴは二ッと笑った。

 

「オイラはハー坊の欲しい情報をできる限り仕入れて提供する。もちろん、オイラも慈善事業でやってるわけじゃないカラ報酬は貰うけどナ!」

「寧ろそっちの方がいい。無償でなんて言われた日にゃ裏があると疑っちまうからな」

「イイネイイネー。益々気に入ったゾ!」

 

 はいはい。そうですか。

 俺としてはこいつのような腹が読みにくい相手は苦手なんだけどな。

 

「ハァ……。それで、俺は何をしたらいいんだ?」

 

 ため息を吐いてから訊ねると、アルゴは腕を組んで頬に指を当て流し目に見てきた。

 

「ハー坊にして欲しいことは――」

 

 あ、こいつ超あざとい。全部わかっててやってるタイプだ。

 

「アドバイザーになってもらうことダナ!」

「いや、アバウト過ぎるだろ」

 

 なんだよアドバイザーって。SAO初心者だって言っただろうが。

 

「そんな難しく考えなくてイイゾ。ハー坊はテスターじゃないプレイヤーの目線で、テスターにして欲しいコト、知りたい情報を提案してくれたらいいだけだからナ!」

「なんで俺がテスターじゃないプレイヤーの代表ってことになってんだよ……」

「いやいや、だからそんな難しく考えるナって。もちろん、ハー坊以外にも候補はいるし、ハー坊はそんな多数のアドバイザーの一人ってわけダ。それならいいダロ?」

 

 …………まあ、それならいい、のか?

 

「頼むヨー。オネーサン、これが初めての勧誘なんダ。そう、初めて、ダゾ♡」

「オイ待てやめろ。その言い方はシャレにならん!」

「にゃハハ! ハー坊はやっぱり可愛いナ!」

 

 本当になんなんだコイツは。事あるごとに俺のSAN値を削りにきやがる。

 

「ハァ……。わかった。引き受けるよ」

「ホントか! さっすがハー坊は話がわかるナ!」

 

 アルゴはひとしきり頷いた後、何やらメニューを操作し始める。

 何事かと見ていると、俺の前にもウィンドウが現れた。

 

 【《Argo》からフレンド申請されました。受諾しますか? Yes / No】

 

「フレンド登録しておこうゼ! いつでも連絡がとれるようにナー」

「ハイハイ、わかりましたよ」

 

 大人しく《Yes》に触れる。ウィンドウが消え、アルゴがまた一つ満足げに頷いた。

 

 思わぬ形でフレンドが一人増えた。これでユキノも含めて二人だ。

 

「んじゃあ早速だがハー坊、何か要望はあるカ? なんでもいいゾー」

「んなこといきなり言われてもそう簡単に思い付きは……」

 

 そこでハタと思いつく。

 

 待てよ。こいつはベータテスターで、必要なら持ってる情報を流してもいいってんだよな。対価さえ手に入れば現状判明しているだけの情報を売る気があるらしい。

 そして今、俺はこいつのアドバイザーということになった。となればこいつに要求できることが一つあるじゃないか。

 

「なあアルゴ、一つ思いついたことがあるんだが……」

 

 そうして俺は、アルゴに『それ』を提案する。

 アルゴは俺の話を興味深げに聞いた後、大きなため息を吐いた。

 

「なるほどナ……。確かにソイツはベータテスターにしかできないし、テスター以外からしたらメチャクチャ美味しい話ダ。けど、イイのカ? それじゃハー坊は大して得になんないゾ?」

「ばっかお前、いいんだよ別に。俺はこの件でお前にアイディアと利権を売れる。そしたらお前は俺を蔑ろにできないだろ? 情報屋が贔屓にしてくれるってんだ。十分に美味い話だよ」

 

 あとはまあ、これで攻略に挑むプレイヤーが増えれば、それだけ一人当たりの負担も減るわけだしな。やらなくちゃならないこととはいえ、楽ができるに越したことはない。

 

 アルゴはじっと見てきた後、やがて両手を広げて頷いた。

 

「ま、ハー坊がそれでいいならいいカ。オイラとしては充分に美味しい話なわけだしナ」

 

 そう言って、アルゴは扉の方へ向かう。

 

「じゃ、オイラはハー坊のアイディアを実現させるために早速動き始めるとするヨ」

 

 スタスタと歩いて扉を開け、去り際に振り向く。

 

「また何か情報が欲しけりゃ言えよナ。ハー坊の依頼なら最優先で受けるからヨ!」

「へいへい。ま、そんときゃよろしく頼むよ」

「にゃハハ。そんじゃナー」

 

 扉が閉じられると、室内が急に静かになった気がする。

 あの情報屋がいかに賑やかしいかわかるな。

 

 

 

 これが《鼠のアルゴ》と呼ばれる情報屋との、最初の邂逅だった。

 

 

 

 




次回更新は3日以内です。多分いけるはず……。


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第七話:こうして比企谷八幡は初めての戦いに臨む

仕事で遅くなりました。すみません。
7話です。よろしくお願いします。


 このゲームを始めてから五日が経過した。

 

 あれほど混乱していたはじまりの街もこの頃は落ち着いてきて、街周辺のフィールドではちらほらとmob狩りをするプレイヤーの姿が散見されるようになってきた。徐々にではあるが、現状を受け入れて行動を起こす者が増えつつあるということだろう。

 

 雪ノ下改めユキノと連れ立ってレベリングを続けたこの三日のうちに、俺のレベルは4に、ユキノのレベルも3になっている。こうなるとイノシシ相手の狩りも森での虫狩りもそろそろ効率が悪くなってきており、いい加減次のエリアに移ろうかという話になった。

 

 次のエリア――即ち、初日にキリトという少年を追いかけて見た、あの林間の村だ。

 

 あの村までの道と途中にある草原についての情報は、例の情報屋からも仕入れていた。

 曰く、あの草原一帯は狼型mobの縄張りとなっていて、ある一定の領域に入ると群れのリーダーが出現するらしい。

 そいつ一体だけなら大した強さではないようだが、リーダーと一緒にもれなく群れの狼どもが湧いてくるらしいから初見殺しもいいとこだ。キリト少年がここを避けていたのも頷ける。

 

 まあレベルが3もあれば群れが出ても余裕を持って対処できるって話だが、それはこのSAOが普通のゲームならという注釈が付く。万が一にも死ぬなんてことは――いや、万全を期すならHPが半分を下回るのも避けたいところだ。

 

 というわけで、俺はこの草原をキリトと同じく素通りしたいと考えていた。木っ端なmobも無視。三十六計逃げるに如かずってな。

 ちなみにこのことはユキノにも伝えてある。さすがにストーキング行為をしたなんてことまで暴露するわけにはいかなかったが、危険なエリアがあって、そこに狼型mobが出るってことは言ってある。

 まあ狼ってとこが引っ掛かったのか、頬を引き攣らせていたけどな。あいつ犬ダメだし。

 

 

 

 

 

 

 午前十時三十分。

 俺とユキノははじまりの街の北西ゲートの前にいた。

 

「さて、んじゃ行きますか」

「ええ」

 

 簡単にそれだけを交わして、俺たちは五日間過ごしたはじまりの街を出立した。

 あの日と違って誰かを追っかけてるわけでもないので、ゆっくり歩いてだ。

 

「それにしても、あなたにアドバイザーを依頼するような物好きがいたなんてね」

「あー……それについちゃ俺が一番驚いてる」

 

 アルゴからアドバイザーの任を仰せつかり、あまつさえフレンド登録した件に関しては、翌日にはもう洗いざらい吐かされていた。まあゲームの内外問わずフレンドいないはずの俺にメッセージが飛んでくりゃバレるのも当然だよな。

 

 それが理由か知らんが、ユキノもユキノでアルゴと個人的に会って話をしていたようだ。だからだろう。ユキノはアルゴを思い出してか苦笑いを浮かべた。

 

「彼女、なんというか……なかなか個性的な人よね」

「お前それほとんど変人扱いだからな。本人前にして言うなよ」

 

 もし言ったら最後、ありとあらゆるパーソナルデータが流出するだろう。本名だけは流されないと信じたいところだ。流されないよね?

 

「それで、あなたも彼女に何やら依頼していたようだけれど、何を頼んだのかしら?」

「別に。大したことじゃねえよ」

 

 はぐらかそうとすると、鋭い眼差しが飛んできた。これ、やっぱりダメージ判定あるんじゃね?

 

「大したことかどうか判断するのは私よ。それとも話せないような内容なのかしら。ハラスメントコード、押してあげましょうか?」

「オイ待てやめろ。それはマジでシャレになってねーから」

 

 とってもいい笑顔でメニューウィンドウを開いたユキノを押し止める。みだりに触れたりしなければハラスメント扱いにならないのは知ってるが、こいつのこの脅しは冗談に聞こえないから怖ろしい。

 

 仕方なく、アルゴに要求した件についても吐くことにする。

 

「その、なんだ、有用な情報の共有ってやつだよ。攻略に役立つ情報は多いに越したことないだろ。んで、それを知ってるプレイヤーも多いに越したことない。だったらアルゴみたいな情報屋に、集まった情報を広く公表してもらえばいいわけだ」

 

 そう言うと、ユキノは腕を組んで視線を足下に落とした。

 

「報道の役割を担う、ということかしら。それなら確かに多くのプレイヤーへ情報が行き渡ることになるわね。でもそのための媒体は……」

「紙しかない。報道っても、新聞や雑誌みたいになるだろうな」

 

 そう。SAOにはテレビもラジオもない。あるのは質のあまりよろしくない紙だけ。文明レベルが中世ヨーロッパ程度だからしょうがないけどな。

 

「紙媒体となると、それなりに手間とコストがかかるわね」

「問題はそこなんだよなー……」

 

 当然ワープロなんかないし、大量印刷に必要な輪転機もない。よくて木版印刷だろう。下手すりゃ全部手書きなんてことすらある。

 活版印刷ができるならまだいいが、写本となると結構な手間になる。現実のように何十ページもの紙面を用意するのはかなり大変な仕事になるだろう。

 

「ま、その辺はアルゴが上手いことやるだろ」

「そこは丸投げなのね。無責任というか潔いというか……」

「俺の役割はただのアドバイザーだしな。責任とか言われても困るから」

「あなたの場合、それで回ってくる雑務が嫌なだけでしょう?」

「まあな。実行委員やってたときみたく、仕事漬けになるのはごめんだ」

 

 ほんと、なんなんだよアレ。社畜の気持ちがわかっちゃっただろ。やっぱり専業主婦になろうと決意を新たにした瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 道中、そんな風に会話も交えながら時折現れるイノシシや蜂のmobは適当にあしらい、あぜ道を北西方面へ歩いていく。

 三十分も経つ頃には足下に下草が生えはじめ、芝生程度だった草の長さもくるぶしが隠れる程度になってきた。もうすぐ例の草原エリアに差し掛かるはずだ。

 

「ここからは俺の後について、俺の通った場所以外には入らないようにしてくれ」

 

 膝下まで伸びた草原を前に、ユキノへ再度そう伝える。

 そうしてユキノの首肯を得た俺は、草の上に残された獣道へ足を踏みだした。

 

 アルゴから聞いた話じゃ、この獣道は『この先の村の住人だけが知っている安全ルート』という設定らしい。当然、件の村に行かなきゃわからないはずの情報だが、その辺はさすが元ベータテスター。ベータテストの時の情報を基に、アルゴ本人が一度通ることで裏も取れたということだ。

 

 正直アルゴのことは完全に信用したわけじゃないが、こんなことで嘘を吐いてアイツに何の得があるかと考えれば思い当らず、現状嘘を吐く理由もないだろうという結論に至った。

 というわけで、ここはアルゴの情報通りに、キリトを追っているときにも通っていたであろう獣道を進むことにする。

 

 にしてもこの道、よくよく見ないとマジで判りづらいな。少なくとも前に通ったときは気付けなかったぞ。まあ、あの日はすでに薄暗い時間だったし仕方ない、か。

 げに恐ろしきはあの薄暗がりの中でも正確に獣道を駆け抜けたキリトである。彼がベータテスターであの道を知っていたのは確定としても、あの暗がりであれだけ迷いなく走れるものだろうか。

 余程記憶力がいいのか、あるいは根っからの攻略命な廃人ゲーマーか……。

 

 と、そんなことを考えていた矢先。

 

「ひ、比企谷くん……」

「本名で呼ぶなよ……って、どうした?」

 

 ユキノの消え入るような声が聞こえて、思わず立ち止まる。

 振り返ってみると、ユキノは顔を蒼白にして前を、正面からやや左手を指差していた。

 

「い、犬……」

「おいおいマジかよ」

 

 そこには一頭の黒灰色の狼型mob――《ダイア―・ウルフ》がいた。

 

 直後、そいつの頭上にあるカーソルがオレンジから赤に変わる。警戒状態から戦闘状態に移行した証だ。つまり、攻撃してくるということ。

 

「お前はジッとしてろ! 下手に動くなよ!」

 

 背後のユキノにそう言って槍を取り出す。直後、狼がこちらへ向かって駆け出してきた。

 

 正直、最悪一歩手前の状況だ。

 逃げようにも戦おうにも、こっちは動ける範囲が狭く限られてるからな。下手に動こうもんなら縄張り踏んで群れのボスがご登場するし、逃げてる途中で縄張り踏んでも群れのボスがご登場する。あとはビビったユキノが縄張り踏んでも群れのボスが(以下略)。

 

 つまり、この場から動かずに倒すしかないってわけだ。

 

「ギリギリまで引きつけてソードスキルで決める」

 

 これしかないな。あー、やだやだ。俺だって完全に凶暴な狼の形をしたやつに迫られて怖くないわけじゃないんだけどなー。

 

 いくつか使用するソードスキルの候補が頭に浮かんだ。

 

 現状、俺が使えるソードスキルは四つ。

 そのうちスキルの仕様上どうしても踏み込まなくちゃならない二つは除外する。使った時点で縄張りを踏んじまうからな。

 残った二つのうち、一方は二連突き技で、もう一方は範囲攻撃技だ。

 

 一瞬考えて、槍を長めに両手で持って身体を捻り、その状態で止まる。腰だめにした槍が発光し、ソードスキルの待機状態となった。その間にも、狼は間近に迫る。

 

 あと少し……もうちょい…………今だ!

 

「っおぉ!」

 

 目の前まで迫った敵に向かって、待機状態で保持していたソードスキルを発動。システムに引っ張られる身体を追従するように動かす。

 唸りを上げてスイングされた俺の槍はダイアー・ウルフの首下を薙ぎ、更に身体ごともう一回転して下腹にもダメージを与えた。範囲攻撃型のソードスキル《ヘリカル・トワイス》だ。

 

 悲鳴を上げて狼が跳ね上がる。本当はこのまま跳ね返せるのがベストだったが突進の勢いを殺しきれず、ダイア―・ウルフは俺の頭上を越えて背後に落下していった。

 

「あっ……」

 

 マズい、と思ったときには遅かった。

 ソードスキルの直撃を受けた狼型mobのダイア―・ウルフは俺の後ろ――ユキノの目の前に落下した。そのままガラスの割れるような音と一緒にポリゴン片へと変わる。

 

「っ……!」

 

 悲鳴はどうにか堪えたようだが、身体は正直だった。ユキノが二歩後退り、足をもつれさせて転ぶ。尻餅をついた彼女は、倒れ込む身体を支えるために両手を後ろへ回しそして――。

 

 右手が、少しだけ背の高い草の中へ入ってしまった。

 

「くそっ!」

 

 慌てて駆け寄り、ユキノの手を取って引っ張り起こす。まだ恐怖が続いているのか、掴んだ手は震えていた。

 

「あの、ごめんなさ……」

「反省は後だ。走るぞ」

「え、ええ。……わかったわ」

 

 なんせ、このままじっとしてるわけにはいかない。ほんのわずかとはいえ、縄張りエリアに入ってしまったかもしれないのだ。急いで安全圏まで行かなくちゃならない。

 

 ユキノの手を掴んだまま走り出した直後、オォーンという遠吠えが辺りに響いた。

 

「ちっ、やっぱ来やがったか……」

 

 見逃してくれるという一縷の望みがないではなかったが、ゲームシステムってのは働き者らしい。ほんの僅かな侵入だろうとしっかり検知して、仕掛けた罠をきっちり作動させて来やがった。

 

 あー、くそっ。やっちまったなー。

 

 さっきのは完全に俺のミスだ。

 犬が苦手なユキノにあの狼を近付けちゃいけない。それはよくわかってたはずなのに、ソードスキルの選択を誤った。突進してくる奴を跳ね返すつもりなら薙ぎ技じゃなく突き技を使うべきだったのだ。外すことを恐れて当て易い範囲技を選択したのが間違いだった。

 

 とにかく、ユキノだけでも圏内に入れれば……。

 

 最早獣道なんぞは無視してまっすぐ村へと走る。辺りには遠吠えを聞きつけたのか、続々と狼どもが集まってきていた。左右の林から出てくるのも見えるし、後ろにはもう五、六頭ほどが追い縋っている。

 

 あるいは俺一人なら、こいつらを相手取っても切り抜けられるかもしれない。

 アルゴの話じゃあこいつらは数こそ多い上に見た目も恐ろしいものの、強さ自体はそれほどじゃない。レベル1でも上手く立ち回ればどうにかなるらしいし、レベル4の俺ならもうちょっと余裕があるだろう。

 

 問題はユキノが完全に委縮してしまっていることだ。が、それを責めるのは酷だろう。

 このSAOはゲームとはいえ、見た目は現実と遜色ない。当然、敵として出現する獣やなんかもとんでもなくリアリティがある。本能的な恐怖を呼び起こされるのだ。

 

 特に犬が苦手じゃない俺でさえ、あの狼の姿にはビビる。群れている今なんて膝が笑いそうになる。これに加えてユキノは由比ヶ浜の飼い犬のサブレでさえ駄目なほどなのだ。そりゃまともに動けなくなるのも仕方がない。

 

 そのとき、前方に小さく柵に囲まれた村が見えてきた。まだざっと一キロくらいあるが、このままならどうにか逃げ切れるかもしれない。

 

「もうちょいだぞ!」

 

 手を掴んだままのユキノに呼びかける。ユキノはハァハァと息を荒くしているものの、まだどうにか走ることはできそうだ。青白い顔ながら真っ直ぐ前を見つめている。

 

 しかし、やはりというべきか、このゲームはそう簡単には行かせてくれない。

 

「……道理で後ろにいねぇと思ったら、そういうことかよ」

 

 俺たちのいる場所から村までの丁度中間地点に、そいつがいた。

 

《Howling the Wolves Leader》

 

 SAOで会敵してきたmobの中で、初めて固有名詞を持った敵だ。

 見た目は二回りほど大きなダイア―・ウルフというだけだが、その強さは周囲の取り巻きとは一線を画す。特に取り巻きを呼び寄せる《遠吠え》が厄介なボスだ。

 

 とはいえ、一般的なRPGで言うチュートリアルボスにあたる存在なのだろうこいつは、それほど強力なmobじゃない。精々が『ちょっと優秀なダイア―・ウルフ』程度だという。

 

「比企谷くん……」

「だーから、本名で呼ぶなっての。……大丈夫だ。あいつは俺が引きつける」

 

 珍しく弱々しい声だ。雪ノ下のこんな声は初めて聞いたが、だからといって何度も聞きたいもんじゃねえな。

 アレだ。こんな超絶ピンチにならないと聞けないってんなら、今後は御免こうむりたい。

 

「俺はこのままあいつと、後ろから来てる狼どもを足止めする。お前はあの村まで行って、誰かプレイヤーがいたら応援を頼んでくれ」

「……私なら平気よ。だから……」

「いや、お前はもう走るのでやっとだろうが。無理すんなよ」

「けれど……」

 

 不安げな顔で、けれど納得もできないと言うように睨んでくるユキノ。

 

「大丈夫だ。俺の性格は知ってるだろ? ヤバくなる前にとっとと逃げるさ」

「…………そうね。わかったわ」

 

 頷いたユキノの手を放す。そのまま少し並走して、狼のボスが動き出したところで別れた。

 一瞬、ボスがユキノへ目を向ける。それだけでユキノの足は止まりかける。

 

「止まんな! 走れ!」

 

 叫びつつ、槍を手にボスへ突っ込む。全速力で駆けつつ、槍を後ろ手に――。

 

「そらっ!」

 

 《チャージスラスト》で一気に間合いを詰め、ボスへ一撃を入れる。さすがに一撃で倒すことはできないが、タゲを取ることはできる。HPを2割ほど減少させた《遠吠え狼》は苦悶の悲鳴を上げると一旦距離を取り、俺を睨みつけてきた。

 

「お手柔らかに頼むぞっと!」

 

 ボスへソードスキルなしの槍を突き入れる間、耳には後ろから迫る群れの声が届いていた。

 

 




次回更新は3日以内です。今度もいけるはず……。


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第八話:されど彼と彼女の間違った始まりは続く。

難産でした……。
8話です。よろしくお願いします。


 槍を振るう。身体を捻る。屈む。右へ跳ぶ。槍を突き出す。のけ反る。石突きを跳ね上げる。左へ跳ぶ。後ろへ跳ぶ。槍ごと一回転する。後ろへ跳ぶ。槍を突き出す。身体を捻る……。

 方々から攻め寄せるダイア―・ウルフへ、そうやって対処していく。

 

 くそ……。わかっちゃいたが、キリがないな。ソードスキルを使う隙もないから大した威力も出ないし、次から次へと押し寄せる爪やら牙やらは一向に減ってくれない。その数、実に十頭。

 今のところは囲まれないように回避することで凌げちゃいるが、これ以上敵の数が増えたら厳しくなってくるな。群れのリーダーは最初以降近付いてこない上に時々吠えやがるし、アホみたいに湧いた狼どもは我先にと押し寄せてくる

 

「あー、くそっ! いい加減にしろよ!」

 

 噛みつきをバックステップで避けながら、右手から回り込もうとする一頭に槍を突き込む。この流れももう何度目になるかわからない。

 

 正直、このままじゃジリ貧だ。今はまだどうにか対処できる数だが、このまま群れの狼を呼ばれ続けたらいつか破綻する。どうにか突破口を開かなきゃならない。

 

 いっそ突進系のソードスキルでぶち抜くのもありか? ……いや、残ったやつに硬直時間を狙われて終わりだ。突進系ソードスキルは射程こそ長いが範囲は広くないのだ。かといって範囲攻撃型のソードスキルでは威力が足りない。こちらもダメだろう。

 

 筋力値を上げて鎧でも着こんでればごり押しも考えられたが、あいにく俺は敏捷値極振りの回避特化型スタイルだ。一発でももらえば少なくないダメージを受けるし、それで動きが止まろうもんなら後はタコ殴りに遭うのがオチ。

 

 いよいよもって逃げるしか手がなさそうだな。幸いこいつらはこの草原から出ないらしいし、一度撤退して戦闘状態が解けるのを待ってからもう一度例の獣道を使えばいいだろう。ユキノを待たせることにはなるが、そこはフレンドメッセージの一つでも飛ばせば……。

 

 と、その瞬間、ボス狼と目が合い、紅い眼が仄かに光った。

 あれは《遠吠え》の予備動作だ。

 

「やっべ!」

 

 慌てて撤退を始める。だがそうはさせまいと狼たちがいち早く駆け出し、最高速になる前の俺を追い越して回り込んできた。左右から前に出た狼を見て、背中に冷たいものが流れる。

 

 追い打ちをかけるようにボスの《遠吠え》が響くと、走る俺の前方に二つの影が飛び出した。新たに現れた二頭のダイア―・ウルフは行く手を阻むように立ち、ついには後ろから追ってきた奴らと一緒になって包囲網が完成してしまった。

 

 あーあ、囲まれちまった……。どうすんだよ、これ。

 足を止め、ぐるっと一回転してみると、十二頭の狼がきれいに並んで俺を囲んでいた。どいつもこいつも「グルル」と唸りを上げて睨みを利かせてくる。

 

 どう見ても絶体絶命のピンチってやつだ。

 逃げるにしても戦うにしてもこいつらをどうにかしなきゃならんし、そもそもそれができるなら悩んだりしない。命が掛かってないタダのゲームなら文句言いながらやり直せばいいだけだが、このSAOでそうはいかない。

 

 

 

 切り抜けるしかない。

 

 

 

 槍を構える。360度どの方向から来てもいいように視線を配り、耳を立て、視覚と聴覚をフルに活用する。少しの間、俺と狼たちは膠着状態になる。

 

 やがて痺れを切らした一頭が飛びかかってきた。真後ろから迫るそいつを振り返りながら槍の穂先で叩き落し、続いて跳んでくる一頭へ槍を返して弾き返す。今度は左右から同時に来たので前転して避け、そのまま目の前の一頭を薙ぐ。

 

 襲ってくる狼たちをちぎっては投げちぎっては投げ、どうにかやり過ごしていく。完全に避け続けるなど不可能で、なんとか掠り傷だけに留めるもののHPは徐々に減っていく。

 一方で狼の側もその数は二頭減り、十頭となっていた。通常攻撃だけしか使っていないためになかなか倒れないが、このままならどうにか対処できる。

 

 そう。このままなら……。

 

 相変わらず一、二頭ずつしか攻撃してこないダイア―・ウルフを捌く中、耳に聞き飽きた《遠吠え》の声が届いた。せっかく二頭減らしたのに、また新しいのが追加されちまったわけだ。

 

 いっそまとめて来てくれりゃあソードスキルで一掃できるんだけどな。ボスがいることでこいつらも連携してるってことか? 

 

 一向に減らない敵。見つからない突破口。

 段々と焦りが滲んできて、反応がほんのわずかに遅れ始める。

 

 そしてとうとう、背後から飛びかかってきた狼への反応が完全に遅れた。

 

 振り向いたときには遅く、槍が間に合わない距離に牙を剥いた狼がいた。

 

「っ……」

 

 かろうじて悲鳴を飲み込んだ。そのとき――。

 

「う……おおッ!」

 

 雄叫びと共に飛び込んできた剣が、寸でのところで狼を斬り裂いた。狼はそのまま破砕音を立てて消える。

 

「次、来るぞ!」

 

 ライトブルーに光る剣を振り抜いて言い放ったそいつは、無骨な片手剣を別の狼へ向けてそう言った。

 

 

 

 黒髪に黒目の、少し幼い印象の少年。

 

 SAOがスタートした日、俺がその後を追いかけた、あのキリトだった。

 

 

 

「こっちは俺が受け持つから、そっちは頼む」

「お、おう……」

 

 え、なにこいつ。マジでかっこいいんですけど。俺が女子ならもう惚れてるよ。そんで告白してフラれるまである。……フラれちゃうのかよ。

 

 残った十一頭のダイア―・ウルフはキリトの登場に狼狽えた様子を見せたが、すぐにそれまでと同じように飛びかかってきた。

 

 これで俺一人ならまたジリ貧になるだけだ。だがさっきまでとは違い、キリトがいる。

 別々の方向から襲ってくる狼を一頭ずつ迎撃できるので当然余裕が生まれる。余裕ができれば一撃をより強力にすることができるし、キリトに至ってはその全てをソードスキルで跳ね返し、一撃で倒してしまっていた。

 

 なんだこいつデタラメ過ぎんだろ。毎回違う角度からくる狼にソードスキル合わせるとか、どんな反射神経してんだよ。

 

 キリトの驚くべき戦闘力のお蔭で、さっきまで大苦戦していた狼の群れはあっという間にその数を減らしていく。なんせ跳んでくる度に一頭ずつ減るんだからな。ボスの《遠吠え》も連続発動はできないようで、追加の狼が来る頃にはその倍以上が倒れていた。

 

「よし、これなら……。今のうちに、ボスを!」

「わかった。こっち頼む」

 

 キリトの言に従い、群れの狼は彼に任せてボスへと駆けだした。直後、後ろで二つガラスの割れる音が鳴る。

 おいおい、さっきまではセーブしてたってことかよ。とんでもないな。

 

 少し離れた位置にいたボスのHPは、俺が減らした2割に加えて更に4割以上が削られていた。最初は緑だったHPバーは黄色に変わっており、もう少しダメージを与えれば赤に変わるだろうというあたりだ。

 大方、これもキリトがやったのだろう。村からこちらへ駆けてきたのであれば、途中でこいつの脇を通ることになるのだから。素通りではなく一撃入れてから来たのかもしれない。

 

「だとすれば、現状俺の倍以上の攻撃力を持ってるってことか……」

 

 加えてあの尋常じゃない反射神経だ。恐ろしいやら頼もしいやら。

 

 狼のボスは俺の接近を見て唸りを漏らしていた。いつでも飛びかからんばかりに後ろ足を曲げて溜めている。通常のダイア―・ウルフより二回り大きいだけあって、迫力も段違いだ。

 

 けど、お前一頭だけならどうとでもなるんだよ。

 

 走りながら槍を後ろ手に構えてソードスキルを発動、間合いに入った瞬間に《チャージスラスト》をボス狼へ突き込む。眉間を狙った一撃はしかし、直前で回避行動をとったボスの前脚の付け根に命中し、HPを一割削った。

 

 痛みにのけ反ったボスの反撃を躱し、二度三度と通常攻撃で削る。HPバーが赤に変わり、怒りの声を上げるボスの噛みつきや爪を避け、掻い潜り、左側面に回り込んだ。

 

 絶好のチャンス。これで終わらせる。

 

 槍を構える。左手が前、右手が後ろ。半身になって穂先を斜め下に。右肘を畳んで脇を締め、突き出す直前の体勢で止める。槍が紫色に発行し始めた。

 

「せ……らぁ!」

 

 水平二連突き《ツインスラスト》。現在俺が使えるソードスキルの最後の一つだ。踏み込みもなく目の前にいる敵しか攻撃できないこいつは攻撃範囲も射程範囲も狭いが威力だけは高い。

 横っ腹に攻撃してボスの残りHPを削り切ろうと思ったら、使えるのはこいつしかない。

 

 刃が過たず狼の身体を捉え、赤かったHPがゼロになる。最期に小さく鳴いた後、狼のリーダーは青いポリゴンの欠片となって飛び散った。

 

 直後、目の前にシステムウィンドウが表示される。

 

【You got the Last Attack!!】

 

 なんだこれ。ラストアタック? どういうことだ? 今までイノシシやら虫やら蜂やらを倒したときはこんなの出たことなかったんだが……。

 と、余計なこと考えてる場合じゃないな。ボスは倒したが、他の狼どもはまだ残ってるかもしれない。

 

 だが振り返った先では、丁度キリトが剣を背中の鞘に納めているところだった。彼はふーっと一息吐くと、こちらへ振り返る。

 

「お疲れ。ナイスファイトだった」

「お、おう……。いや、こっちこそ危ないとこ助けてもらった。ありがとな」

「いや、こういうのはお互い様だよ。特にこのSAOなんて尚更だ」

 

 すげーなこいつ。顔も性格もイケメンだわ。

 

「だとしてもだよ。ほんと助かった。お前がいなかったら、マジで死んでたかもしれん」

「そっか……。なら、どういたしまして、かな」

 

 そう言って、キリトが右手を差し出してくる。

 いかにボッチな俺とて、意味するところはすぐわかった。

 

「キリトだ。よろしくな」

 

 ああ、知ってるよ。とは言えず、キリトの手を握る。

 

「俺はハチ。見ての通りのビギナーだ」

 

 

 

 瞬間、キリトの目の奥が揺れ、握った手がわずかに強張る。

 

 

 

 なんだ? 今、なにか変なこと言ったか?

 

 疑問に思ったのも束の間、手を放したキリトはすぐに表情を苦笑いに変えた。

 

「そ、そうか。ビギナーなのにこんなに早くホルンカへ来れるなんてすごいなハチは」

「……いや、まあ、ちょっと情報屋に縁があってな。ここまでの情報は買ってあったんだよ」

「情報屋……。へぇ、なるほど。だからこんなに早く……」

 

 ぶつぶつと何かを呟くキリト。

 なんかえらく動揺しているようだが、なにがそんなに気になってるんだ? 

 

 ひとしきり考えてからキリトは思い出したように顔を上げ、また苦笑いを浮かべた。

 

「っと、そういえばホルンカでハチの連れっぽい人に会ったんだ。黒髪のきれいな女の人だったんだけど……」

「あー、そいつなら多分連れだな」

 

 この近辺にいる黒髪のきれいな女といったら高確率でユキノのことだろう。見た目はマジで整ってるんだからな。性格はキツいなんてレベルじゃねえけど。

 

「なんか随分青ざめた顔で連れを助けてくれーって歩き回っててさ。話を聞いてみたらプレイヤーが一人でフィールドボスと戦ってるって言うから、様子を見に来たんだ」

「ハハハ……。いやほんと助かったわ」

 

 再度キリトに感謝しながら、連れ立って例の村――ホルンカへ移動する。

 

 もうなにもいなくなった草原を歩いて木立の手前に立てられた柵の間を抜けると、視界に【INNER AREA】と表示された。これで俺のHPは保護されて、これ以上減ることはなくなったわけだ。

 

 そのまま道と呼べなくもない道を進むと、やがて木々が開けて村らしい景色となった。

 

 と、そこでキリトが村の方を指差す。

 

「ほら、あの人だろ」

 

 キリトの指し示した先にあったのは、紛れもなく雪ノ下雪乃の姿だった。

 木の幹に背中を預けて、右手で左手の肘部分を握って俯いている。

 

「よっぽど心配だったんだろうな」

「…………かもな」

 

 やれやれ、あの部長様が俺の心配をねー。まあ全くないこともないかもしれんが、にしたってそれは罵る相手がいなくなるとかそんな理由だろうな。

 

 なんてことを考えていたら、ユキノがバッと顔を上げてこちらに気付いた。すぐに幹から離れてこちらへ走ってくる。

 

「ひ……ハチくん」

「あー、その……なんだ、遅くなって悪い」

「…………」

 

 あれー? なんか間違ったかね。ユキノの目が射殺さんばかりに鋭くなったんですけど。

 

 駆け寄ってきたユキノはそのまましばらく睨んでくる。

 そしてキリトがオロオロと居たたまれない感じになってきたところでようやく口を開いた。

 

「あなた、言ったわよね。無理はしないと。だというのに、これはどういうことかしら?」

 

 ユキノが俺の右上――ユキノから見た左上を指差す。そこにあるのは彼女のHPバーと、あとはパーティーメンバーである俺のHPバーだろう。

 

 現在、俺のHPは半分をわずかに下回って黄色くなっていた。

 

「いや待て……俺は悪くない。このゲームが悪い」

「そんな当たり前の前提は聞いていないわ。私が言いたいのは、どうしてこの状態になるまで対策を講じなかったのかよ。あなた、お得意の逃げ足はどうしたのかしら」

「逃げらんなかったんだよ。……囲まれちまってな」

「呆れた。あれだけ大見得を切っておきながら……」

 

 頭を抱えてヤレヤレと首を振るユキノ。

 そこまでならいつもの雪ノ下らしい行動なのだが、その後でユキノは見たことのない表情を浮かべた。

 

「……ごめんなさい。こんなことを言うつもりではなかったのよ。私は、あなたに助けられたのだから。お礼を言いこそすれ、糾弾する権利なんてないわね」

 

 …………こいつ、本当にあの雪ノ下雪乃か? 他人の空似じゃないのか?

 そう思ってしまうほど、普段のこいつからは想像もできない弱々しい雰囲気だった。

 

「キリトくん、だったかしら。あなたにもお礼を言わなくてはいけないわね。ありがとう」

 

 ユキノはそんな覇気のない雰囲気のまま、キリトに頭を下げた。

 

「い、いや、俺は別に大したことは……」

「いいえ。私の話を聞いて、彼を助けに行ってくれたのはあなただけよ。命が掛かったこのゲームで他人を助けるために危険を冒せるなんて、そんな人はほとんどいないでしょうから」

 

 ありがとう、ともう一度頭を下げるユキノに、キリトはどうしていいかわからないといった風に頬を掻いた。こちらへ視線を送ってくるものの、正直こんなユキノは俺も見たことがないのでどうしたもんかわからない。

 

「あーっと、ほら、俺なんかでよければまた力になるしさ。そう畏まらないでくれないか」

 

 焦るキリトに、顔を上げたユキノはふっと笑みを浮かべた。

 

「ええ、ありがとう」

 

 ここまで毒のないユキノも珍しいが、まあ初対面のキリトにはこの方がいいかもな。俺には最初っからどくどくしか撃ってこなかったけど。

 ともあれ、これでだいぶ和やかな雰囲気になった。まあ多少ギクシャクしてる感はあるが、初対面にしちゃ上等だろう。そうボッチならね!

 

「それにしても、キリトくんはとても強いのね」

 

 だがそんな空気は、ユキノのこの一言で僅かに、だが確実に変わった。

 

 キリトの表情が強張り、笑みが消えたのだ。だがユキノはそれに気付かず言葉を続ける。

 

「私たちよりも早く、その上一人でここまで来たのでしょう? 彼を助けに行ってくれたのにHPもほとんど減っていないし……」

「っと、ごめん!」

 

 ついにキリトがユキノの言葉を遮った。大袈裟に頭を下げていて、表情は見えない。

 

「……悪い。実はこの後やることがあったんだ。そろそろ行かないと。ごめんな、二人とも」

 

 どうやら地雷を踏んだらしい。どんな地雷かはわからないが、とりあえずこのまま話し続けるのは辛いようだ。

 

「いや、構わねえよ」

「え、ええ。こちらこそ、引き留めてしまってごめんなさい」

 

 そういえば俺が「自分がビギナーだ」と言ったときも似たような反応をしてたな。もしかしたらキリトは『強さ』とかそういう部分に抱えるものがあるのかもしれない。

 

 まあ、ユキノにも悪気があったわけではないし、下手に拗れることはないだろう。ただ彼女はお世辞にも空気を読むのが上手い方ではなく、それ故にキリトの変化に気付けていなかっただけだしな。

 

 キリトは俺たちの反応を見て、ばつが悪そうに苦笑いを浮かべた。

 

「気にしないでくれ。……それじゃあ、俺はこれで」

 

 そう言って立ち去ろうとするキリト。

 

 その背を見て、ハタと思い出す。

 

 

 

 そうだ。俺はこいつに言わなくちゃならないことがある。

 

 

 

「キリト」

 

 呼びかけると、キリトは足を止めて振り返った。

 

 その顔は、何かを怖がっているかのように歪んでいる。

 

「いや、そんな怖がんなよ。傷ついちゃうだろーが」

「うっ……ごめん」

 

 今度はシュンとしてしまう。

 そんな顔させたくて呼び止めたわけじゃねえんだけどな。

 

 一つ息を吐く。

 

 どうやらこのキリト少年は、中学時代の俺並に純粋で人付き合いが苦手なやつみたいだ。

 思わずこっちも苦笑いになっちまう。けど、ちゃんと言うこと言わないとな。

 

「ありがとな。んで、あとは色々、すまんかった」

「ハチ……?」

 

 そうだよな。わからないだろう。礼ならまだしも、謝られる理由はキリトにはわからないはずだ。今はまだとても言えないが、いつかちゃんと言えたらいいと思う。

 

「いや、なんでもない。世話になった。ありがとよ。……またな」

「……ああ。じゃあ、また」

 

 柄にもないこと言っちまったが、その甲斐あってかキリトの表情は幾分かマシになった。

 

 再び背を向けたキリトは森の方へ歩いていき、やがて木々の間に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「比企谷くん」

 

 ふと、ユキノからお呼びが掛かる。

 

「いや、だから本名出すなって」

 

 そんなツッコミを返すと、ユキノは妙な――泣きそうな顔で頷いた。

 

「そう……だったわね。……ごめんなさい」

 

 ユキノの表情は痛々しくて、物悲しくて――。

 

 どういうわけか、見ていられなかった。

 

 




次回更新は明日のつもりです。できなかったらごめんなさい。


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第九話:雪ノ下雪乃はやっぱりパンさんが好き

9話です。オリキャラ登場会です。よろしくお願いします。



 ゲーム開始からおよそ1か月が経過した。

 

 通常のMMOゲームなら1か月もあれば既にメインシナリオはクリアされ、来たる大型イベントやアップデートに向けてアイテム収集やレベリングが行われている頃だろう。マップの大半が踏破され、レベルの上限にたどり着く者がいてもおかしくない。

 

 だがそんな1か月が経過した現在、SAOはその最初の層すら攻略されていなかった。

 

 《ソードアート・オンライン》の舞台である《浮遊城アインクラッド》は、釣鐘型の構造をしている。第一層から第百層にかけて段々とフロア自体が狭くなっていくのだ。それ故、第百層に至っては最終ボスの待つ城があるだけなのだという。

 

 逆に第一層は広大で、直径十キロの円形フロアに草原やら森やら山やら谷やら遺跡やらの各種エリアが設置されていて、それはもうバラエティに富んだ地形をしている。

 攻略を目指すプレイヤーが最終的な目的地とする塔はこのフロアの最北端に立っており、プレイヤーは最南端にある《はじまりの街》から様々な経路を通ってこの塔を目指すのだ。

 

 上層へと続く塔――《迷宮区》は直径三百メートル、高さ百メートルの塔と言うよりは太い柱のような形状をしている。だがその内部は複雑に入り組み、外よりも明らかに強いモンスターが跋扈する危険な場所だ。慎重にレベリングをしながら内部のマップを埋め、少しずつボスのいる最奥部へ進んで行く必要があった。

 

 ゲーム開始からちょうど一週間の日にホルンカを出発した俺とユキノは、その後も順調にクエストを消化し、レベリングを重ね、装備の充実を図り、三週間目となった三日前、ついに最前線であるこの迷宮区へたどり着いた。

 以降はアルゴ経由で購入したマップデータを頼りにレベリングと攻略を続け、攻略集団の一員として働いている。

 

 ……そうか。よく考えたらこれ、仕事みたいなもんだわ。

 起きたら朝飯食って、日中は迷宮区で攻略。夕方に町へ戻り、飯食って寝る。

 おいおい、めっちゃ理想的な社畜生活じゃねえか。…………ハァ。やっぱ仕事なんてするもんじゃねえな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 一度だけ、プロのバレエを見たことがある。

 

 金を払ってではなく、それどころか見たいと思って見たわけじゃない。小学校の文化体験教室とやらで教養を深めるという名目のもと観覧させられた、正直言ってつまらないもの。だがそれも当然だろう。十歳そこらの子どもにバレエの良さを理解しろなんてのがそもそも間違っている。

 

 けど、その中の一人、中心に立って踊る華やかなダンサーの姿に、俺は目を引かれた。

 衣装は他のダンサーと同じ純白のフリルが付いたお馴染みのもので、なのに一人だけ太陽のように輝いていた。当時小学五年生にしてボッチ道に片脚どころか全身突っ込んでいた俺は、『やっぱああいうとこに立てる人ってのは特別なんだろうな』なんて子どもらしくない擦れた感想を抱いたものだ。

 

 あの日と同じ輝き、同じ華やかさの踊りを、俺は六年ぶりに見た。

 

 しかし今回は肉眼によってではないし、場所もライトアップされた劇場じゃない。

 

 《ナーヴギア》――世界初のVRゲームハードの作り出す、薄暗い迷宮の奥底で、だ。

 

 

 

 

 

 

 流麗な、と形容するしかない動きだった。

 レベル6亜人型モンスター《ルインコボルト・トルーパー》の無骨な手斧を、軽やかなステップでひらりひらりと避けていく。三連続で攻撃を回避すると小鬼はバランスを崩して大きな隙を晒すので、その間に距離を詰め、強烈なソードスキルを叩き込む。

 

 技は世にも珍しいナックルのソードスキル《スマッシュ・ナックル》だ。腰の辺りで溜めた後、正拳突きの要領で強烈なグーパンをコボルトの顔面に見舞っている。ひえー。

 

 それだけなら珍しいの一言で済んだだろう。だがあのナックル使いの動きは素人目にもわかるほど滑らかだった。システムアシストで身体が動くのに任せているだけじゃああはならない。ソードスキルの動きを追って、自分の意志でブーストをかけている証拠だ。

 

 ここまでそれなりに経験を重ね、自分以外のプレイヤーの戦闘を見る機会はあったが、未だかつてこのような戦いは見たことがなかった。

 

 踊り舞うような――きれいだと感じるような戦いは。

 

 ナックル使いはコボルトの攻撃を三回避ける、反撃の正拳突きを打ち込む、また避けるを何度となく繰り返し、最後にほんの僅か残った小鬼のHPをわざわざ背負い投げという離れ業で散らしてみせた。ふーっと息を吐き、額を拭う仕草をする姿には余裕を感じる。

 

「お得意の人間観察かしら」

 

 ふと、呟かれた声に振り返る。

 そこにはドロップアイテムの整理を終えたらしいユキノがいた。

 

「まあな。なんせ唯一の趣味だからな」

「嫌味のつもりだったのだけれど……」

 

 ふっ、甘いな。その程度の嫌味はもう通用しないんだよ。お前に鍛えられた所為でな。

 …………アレ? もしかして俺、こいつに調教されてる?

 

 俺が衝撃の事実に愕然としていると、ユキノもあのプレイヤーの特異さに気付いたようで腕を組んだ。

 

「ナックル使い……? 使っている人を初めて見たわ」

「ああ、俺もだ。少なくともこんな最前線にはいなかったはずだが……」

 

 と、そんなことを話している間に、例のプレイヤーがこちらへ振り向いた。遠目にもわかる笑みがその顔に浮かび、こちらへ向かってグッと親指を立てる。

 

「あいつ、気付いてたのか……」

 

 今、俺とユキノはあいつから十五メートルほど離れた場所にいる。しかも一本道ではなく、ついさっき脇道からこの通路へ入ってきたばかりだ。にもかかわらず、あのプレイヤーは遠巻きに見ていたこちらに気付いた。

 

 《索敵》スキルか……? 俺の《隠蔽》よりレベルが高い《索敵》持ちなんて、最前線に三人いるかどうかだぞ。くそっ……《ステルスヒッキー》の名が泣くぜっ!

 

 真相はともかく、そいつはこちらの反応が悪いのを見てか、スキップで近付いてきた。

 

「Hey you!! Not good peep! 覗き見はよくないゾ~」

 

 ネイティブな発音でそう言って、そいつは無邪気に笑った。

 

 金髪に碧眼。高身長でモデルのようなスタイル。日本人離れした、西欧人美女。

 近くに来ただけでわかる華やかな雰囲気に、人懐っこい声音。間違いなくモテるだろう。

 

 つまり、俺の敵だ。

 

「ハァ……。そうやって容姿に優れた人を見るなり威嚇するのはやめなさい、ポチくん」

「オイ何新しいあだ名付けてくれちゃってんのお前。俺は犬じゃねえんだぞガルルル」

「自分から言ってるじゃない……。ごめんなさい。この男のことは気にしないで頂戴」

 

 ユキノが頭を抱える。

 確かに今のはハチマン的にも調子に乗ってしまった感は否めない。

 

 が、目の前の女の反応は思っていたものと違った。

 

「…………ッハハ! アッハハハ!」

 

 えー、腹抱えて笑い出したぞコイツ。

 悪印象じゃなかっただけいいのかもしれんが、これはこれでどうなの?

 

 女はひとしきり笑ったあと、目尻を拭って顔を上げた。

 

「ソーリー。キミたちのやり取りが面白くって。これが噂の夫婦漫才ってやつ?」

「「いや(いえ)、それはない(わ)」」

「ワオ、きれいにオーバーラップしたねー。ベリーグッドだよー」

 

 マジでなんなんだコイツ。ちょいちょい英語挟んでくるのも容姿が英語圏っぽいから可愛く見えちゃうじゃねえか。

 

「アー面白い。キミたちのこと気に入ったよー。ねえねえ、フレンド登録しようよー」

 

 そいつが手を伸ばしてきたのを見て、反射的に身を引いてしまう。避けたような形になり、そいつは困惑の表情を浮かべた。

 

「あー、その、アレだ。俺は紳士だからな。みだりに女子に触れるとかよくないだろ」

「ハァ……」

「……アハハ! やっぱり面白ーい!」

 

 ユキノにため息を吐かれ、女には笑われる。

 仕方ないじゃないですかー。ボッチはまず警戒から入るのが癖なんですからー。

 

「フレンド登録をする前に、こちらはあなたの名前も知らないのだけれど?」

「オー、そうだったねー。じゃあ自己紹介からしよっかー」

 

 そう言って、そいつは二歩後ろへ下がると、くるりとターンを決めて仰々しく一礼した。

 

「My name is Pan. Nice to meet you!!」

 

 パン、か。すごく聞いたことある名前だが、その辺りどうですかユキノさん?

 

「パン……パンさん……パンさん……」

「思いっきりツボに入ってんじゃねえか」

 

 腕を組んで反芻するユキノの頬には若干赤みが差していた。さすがは猫と勝負事とパンさんに関して妥協しない雪ノ下雪乃さんである。

 

「ンー? どしたのー?」

「気にすんな。こいつの場合、パンダのパンさんが好きすぎて反応しただけだから」

「へー、そうなんだ。ワタシのはリアルネームの略だから、パンさんとは違うけどねー」

 

 こいつもリアルネームの略なのか。やっぱそういうやつってそれなりにいるのな。

 

「俺はハチ。で、こいつが――」

「んんっ。ユキノよ。取り乱してごめんなさい」

「ノープロブレム! ハチにユキノねー」

 

 「憶えたよー」と言いながら、パンは顎に指を当てる。しばらく何かを思案したと思ったら何か思いついたようで「アッ!」と声を上げた。

 

「ねーねー、ユキノのこと、ユキノンって呼んでも――」

 

 

 

「駄目よ」

 

 

 

 ハッキリと、ユキノはパンの提案を却下した。

 視線は真っ直ぐ前に向けられていて、一切の妥協や譲歩もしない。

 

「その呼び方だけは、絶対にやめて」

 

 明確な拒絶。だが、こればっかりは俺にもよくわかる。

 俺は「ハチ」というキャラネームだからまずないが、万が一「ヒッキー」だなんて呼ばれようものなら同じ反応を返すだろう。

 

「そっかー」

 

 ユキノにはっきりと拒絶されたにもかかわらず、パンは気分を害した様子もなかった。普通なら軽く引いてしまうもんだが……。西欧人ではっきり言われるのに慣れてるとかか?

 

 再度「うーん」と考えていたパンは、やがて別の呼び方を思いついたようだった。

 

「うん。じゃあ、ハッチとユッキね。それならオーケー?」

 

 俺は扉かよ。

 

「ハァ……好きにしてくれ」

「グッド! よろしくね! ハッチ、ユッキ!」

 

 パンは勝手に俺の右手を両手で掴むと、そのままブンブン上下させる。いきなり気安くすんなよ……友達なのかと思っちゃうだろ……。

 俺の手を放したパンは次にユキノの手を取ってブンブンした後、鼻歌をルンルンさせた。

 

「フンフフーン♪ じゃあ次はフレンド登録しよっ♪」

 

 無邪気に言ってくるパン。

 だがボッチの俺からしたら、名前以外なにも知らないやつといきなりフレンド登録するなんてのには抵抗がある。なんなら抵抗あり過ぎてそのまま絶縁しちゃうレベル。

 ちらっと見てみればユキノの方も似たようなもんらしく、俺にどうしようかと視線を投げてきていた。

 

 ふむ、仕方ない。こういうときは――。

 

「あー、それなら取り敢えず町に戻ってからにしないか? 実はこの後、迷宮区最寄りの《トールバーナ》の町で、初めての《第一層フロアボス攻略会議》が開かれるらしい。その後メシでも食べながら親睦を深めてフレンド登録するって方がいいと思うんだが」

 

 名付けて『「じゃあ後でアドレス交換しようね」「ごめん忘れちゃってた」』作戦。

 要するに、ただの時間稼ぎだな。その名の通り忘れてくれりゃ御の字だし、なんなら攻略会議のどさくさに紛れて逃げちゃってもいいという二段構えだ。

 

 パンはふんふんと大袈裟に頷いた後、グッとサムズアップしてくる。

 

「グッドアイディアだよ、ハッチ!」

「そうか。んじゃ《トールバーナ》に行こうぜ」

「OK」

 

 そうと決まれば、と駆けだしたパンの後について歩き出す。

 するとユキノがすっと隣に来て、小さな声で問いかけてきた。

 

「彼女、信用していいのかしら」

「さあな。いまいちやりにくいやつだし、何より気安いのがな……」

 

 ほんと、俺じゃなきゃ勘違いしてるとこだぞ。

 

「鼻の下が伸びてるわよ、下心くん」

「いやそれ原型留めてないから。ただの罵倒だからな」

 

 くすっと小さく笑って、ユキノは再度訊ねてくる。

 

「時間稼ぎをしたのはわかるけれど、なぜあんな言い方をしたの?」

「ん? ああ、それなら――」

 

 ユキノにさっき考えたことを説明する。忘れてくれたらラッキーだということ。或いは会議に紛れて逃げればいいこと。もしどちらもダメなら、

 

「まあ本当にメシを食うことになっても、そこでどうにかこじつければいいだけだしな」

 

 だが説明を終えてもユキノの疑問は晴れていないようだった。

 

「あなたにしては随分と回りくどい……いいえ、消極的な方法ね」

 

 そうか? ……そうかもしれないな。

 

「確かに問題の先延ばしはあなたの常套手段だけれど……」

「いや、お前の言う通りかもしれん。なんとなくやりにくいと思ったからかもな」

「やりにくい……。それ、さっきも言っていたわね。何故?」

「そうだな……」

 

 考えていると、不意に目の前が暗くなった。と、次の瞬間――。

 

「おわっ!」

「きゃっ」

「ユーたち、あんまり遅いと、お姉さんが引き摺っちゃうぞー」

 

 おい待てやめろ、やめてください、当たってるから、柔らかいのが顔に当たってるから。

 

「って、っちょ、待てって、オイ」

「放しな、さい。っく、こんなもの……」

「あんっ。ハッチ、ユッキ、あんまり動いたら、お姉さんホットになっちゃうよー」

「ハチくん、今すぐ離れなさい。ハラスメントで黒鉄宮送りにするわよ」

「ばっ、お前ユキノ、やめろ、俺は悪くねえ!」

 

 それからしばらくこのスキンシップ過剰な美女の脇に抱えられて歩くうち、こいつ相手だと何故やりにくいのかがわかった。

 

 

 

 アレだ。こいつ、あの人に似てるんだ。

 ひとをおちょくるのが得意で、妹が大好きな、雪ノ下陽乃に。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 《トールバーナ》の町に着いたのは会議が始まる三十分ほど前だった。

 

 《第一層フロアボス攻略会議》と銘打たれた会議は町の中央にある劇場跡地で行われるそうで、会議にはこの町にたどり着いているプレイヤーのほぼ全員が参加するだろう。参加者の人数がどれほどになるのかはまだわからないが、少なくともそれがこのアインクラッドにおける攻略のトップ集団であることは間違いない。

 

 ここまで約1か月。

 だいぶ時間は掛かっちまったが、ようやく上層への足掛かりが得られる。なんとしてでもこの第一層を突破して第二層に、そして最終的には第百層をクリアして現実に帰る。

 

 そのためなら、どんな手でも使う。そう決めていた。

 

「随分とギリギリだったナ、ハー坊」

 

 不意に聞き慣れた声が届いた。

 振り返ると、頬に三本髭を描いたアルゴがニヤニヤと笑っていた。

 

「そりゃアレだ。余裕の表れってやつだよ」

 

 すると隣から呆れたような一言。

 

「よく言うわね。迷宮区でトラップに掛かって慌てていたくせに」

「いや待て、あれは俺のせいじゃねえだろ」

「そうだったかしら? なら、色仕掛けに負けて宝箱を開けたのは誰だったのかしらね」

「マジですみませんでした」

 

 こいつ、アルゴの前で言っちゃうなよ。これをネタに強請られたらどうしてくれんだ。

 

「アハハ! でもハッチが危なくなったとき、ユッキもダッシュだったよ! でね……」

「やめて、それ以上言わないで、やめてください」

 

 エキサイティングし始める二人。

 なんかマジで陽乃さんに弄られたときにそっくりだな。

 

 傍でワイワイやってる二人をよそに、アルゴがそっと近づいてきた。

 

「なあハー坊、あの女誰ダ?」

「ん? ああ、あいつは……」

 

 俺はアルゴにあの金髪美女、パンのことを教えた。迷宮区で会って、武器はナックルで、英語交じりの話し方をする『ちょっと人当たりの良すぎるやつ』だと。

 

 だがそれらを話し終えてから、ふと気づく。

 

「え、なに、アルゴ、お前ともあろう者が知らなかったのか? あの目立ちそうなやつを?」

「まあナ。少なくとも見たことはなかったゾ。噂程度ならいくつか心当たりあるけどナー」

 

 アルゴが知らなかった。少なくとも見たことがなかった。

 それを聞いて、あの女は只者じゃないと思い直した。

 

 情報屋アルゴのネットワークは想像以上に広い。彼女が元ベータテスターだというのは俺も知ってるが、それだけでは収まらないほど広く深い情報網をアルゴは築いている。

 それは行動範囲が一層に限られる現在なら尚更だ。攻略の最前線に来れるようなやつなら漏れなくアルゴの手元にその情報が集まっているだろう。パンのように数少ない女性プレイヤーで見た目も派手なら目撃例も多いはずだし、情報がないはずがない。

 

 だとすれば、あの女は意図して情報屋の目を掻い潜っているということだ。

 どう考えても見たままのやつじゃない。相当にキレるやつだろう。俺はパンを見て陽乃さんに似ていると感じたが、案外それは能力に関しても同じことが言えるかもしれない。

 

「こりゃマジでフレンド登録するか考え直した方がよさそうだな」

 

 呟いて、ユキノとパンのじゃれ合いを止めに行く。

 

 

 

 《第一層フロアボス攻略会議》が始まる二十五分前のことだった。

 

 




次回更新は3日後です。多分いけるはず……。


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第十話:依然として溝は変わらずに、会議はもうすぐディスカスる

仕事が立て込んで遅くなりました。すみません。
10話です。ちょっと長いですがよろしくお願いします。


 《第1層フロアボス攻略会議》は《トールバーナ》の中央広場で行われる。広場と言ってもそこは階段状の客席がステージを囲むように配置された劇場跡地だ。

 

 現在時刻は午後三時五十分。アルゴを含めた俺たちは会議の始まる十分前に広場へ到着した。

 小高い丘から広場を見下ろすと、劇場跡のいたるところにプレイヤーの姿があった。そのほとんどが複数人で固まって談笑している。どうやらすでに前哨戦――パーティーメンバーを獲得するための交渉合戦は始まっているようだ。

 

 そんな広場の端の方に、ひっそりと座るプレイヤーが二人。

 

 片方は赤いフード付きのケープを着た少女。華奢な身体つきはともかく、フードに隠れた顔はここからじゃ窺い知ることはできない。どっかりと適当に座るプレイヤーが多い中、一人だけ行儀よく足を揃えている。

 

 もう一人はフード女子と同じくらい華奢な体格と幼い顔つきながら、その実恐ろしく強い黒髪の少年剣士――キリト。キリトの方もきっちり座っているものの、それは緊張に依るところが大きいようだ。

 

 キリトは俺たちに気付くと明らかに安心した表情を浮かべて手招きしてきた。

 特に拒む理由もなく、また丁度いい具合に席も空いていたのでキリトの隣へ。

 

「よっ、キリト。十日ぶりだな」

「久しぶり。ハチも来たんだな。ユキノさんも、久しぶり」

「こんにちはキリトくん」

 

 《ホルンカ》を出て以来、俺たちは行く先々で何度も顔を合わせていた。どういうわけか、アルゴから購入した情報に従って進むと、必ずそこにキリトがいるのだ。十中八九、アルゴが要らぬ気を回してたんだろう。

 初めこそ俺たちを避けていたキリトも遭遇回数が二桁を超える頃には諦めたようで、顔を合わせれば情報交換や世間話をする程度の仲にはなっていた。

 

 キリトは俺とユキノに目を向けた後、さらに俺たちの後ろへその視線を巡らせた。途端、キリトの目が大きく見開かれる。

 

「Hi. Nice to meet you!」

「え……。ああ、えっと、よろしく?」

 

 わかる。わかるぞ、キリト。いきなり言われてもびっくりするよな。けど、その反応はボッチの証だから気を付けような。

 

「こいつはパン。ここへ来る前に迷宮区で会った。で、こっちがキリト。何度か顔を合わせたことのある、まあ顔見知りってとこだな」

 

 キリトとパンの間に立ってそれぞれを紹介する。例によってパンがキリトの手を取ってブンブンする。キリトは免疫がないようでタジタジになっていた。

 

 ようやく解放されたところで、俺の陰からアルゴがスッと出てくる。

 

「ヨオ、キー坊。二時間ぶりくらいだナ」

「アルゴか。どうしたんだ? あの交渉についちゃ答えは変わらないぞ」

「うんにゃ、今度はただの偶然ダ。オイラはハッチについてきただけだからナー」

 

 あの交渉……? なんかよくわからんが、やっぱりキリトもアルゴとはただの顔見知りってだけじゃなさそうだな。

 

「……あなたにもお仲間がいたのね」

 

 ふと、キリトの向こうからそんな台詞が聞こえた。キリトから人一人分離れた位置に座るあの赤いケープの少女だ。

 

「ああ、お仲間というか、顔見知りかな」

「ふぅん……。どっちにしても関係ないけど」

 

 ……随分やさぐれた女だな。突き刺すような雰囲気がユキノに似ている。腰に差してるのもユキノと同じレイピアだし、こいつも氷属性なのかもしれん。

 

 思わずもう一人の氷属性持ちの方を見やる。と、向こうはそれを予想していたようでこちらへ実にいい笑顔を向けて来た。

 

「なにかしら? 言いたいことがあるのならじっくりと時間をかけて聞くけれど?」

「いや……なんでもねえよ」

 

 なんなんだよこいつ。笑顔に殺気が籠ってるじゃねえか。怖えよ。あと怖い。

 

 すぐ傍から発せられる凍てつく波動に身体を震わせていると、手を叩く音と共によく通る声が聞こえてきた。

 

「はーい! それじゃあ五分遅れたけど、そろそろ始めさせてもらいます!」

 

 声のした方へ振り向くと、そこには青い長髪のイケメンがいた。声がどことなく材木座に似ている。が、こいつの方が清涼感三割増しだな。

 にしても、すげー髪色だな。ゲーム的には序盤のこの第一層には髪染めアイテムなんて売ってないし、ドロップアイテムだとすれば相当レアな部類だろう。今まで見たことも聞いたこともなかったし。

 

「今日は、オレの呼びかけに応じてくれてありがとう! 知ってる人もいると思うけど、改めて自己紹介しとくな! オレは《ディアベル》、職業は気持ち的に《ナイト》やってます!」

 

 男がそう言うと、近くの集団がどっと囃し立てた。多分「あいつの」グループなんだろう。

 

 青髪の騎士――ディアベルは、盛り上げ役の仲間たちを制すると真剣な表情になった。

 

「……今日、オレたちのパーティーが、あの塔の最上階へ続く階段を発見した。つまり、明日か、遅くとも明後日には、ついに辿り着くってことだ。第一層の……ボス部屋に!」

 

 ディアベルの言葉を聞いて広場にいるプレイヤーがざわめく。それもそのはず。現状公開されてるマップデータは十五階までで、最上階に到達するのにはあと二、三日かかると思われていたからだ。

 もちろんマップデータを公開しないでその先に行っているプレイヤーもいるだろうし、実際俺とユキノも今日の攻略で十七階に到達していた。キリトあたりならもっと上まで行ってたかもしれないし、最上階に辿り着くプレイヤーがいてもおかしくはない。

 

 ただやはり、「いよいよか」とは思う。

 ここまで一か月かかってようやく第一層の終わりが見えてきた。今日に至るまで少なくない死者――犠牲者が出てるし、生きてるプレイヤーの大半もはじまりの街から出られずにいるらしい。

 

 ディアベルもその辺に思うところがあったようだ。

 

「一か月。ここまで、一か月もかかったけど……それでも、オレたちは、示さなきゃならない。ボスを倒し、第二層に到達して、このデスゲームそのものもいつかきっとクリアできるんだってことを、はじまりの街で待ってるみんなに伝えなきゃならない。それが、今この場所にいるオレたちトッププレイヤーの義務なんだ! そうだろ、みんな!」

 

 再びの拍手喝采。しかも今度はお仲間だけじゃなく、広場にいるほとんどのプレイヤーからだ。手を叩いていないのは俺とユキノ、あとはキリトにその隣の女子くらいか。

 

 はいはい立派立派。けど、義務なんて言い方をされたくない。

 

 別に偉ぶるわけでもなければ切り捨てるわけでもないが、ここまで来たのは俺自身それなりに努力してきたからだし、はじまりの街にいるやつらはそれを自分で選んだのだから、トッププレイヤーだとかいう理由で責任を持つのはお門違いだ。

 

 俺は俺自身のために戦って、駆けずり回って、結果ここにいる。

 誰の為でもない。自分の為にだ。

 

 ディアベルの演説に拍手が続く中、唐突にそれを遮るような声が響いた。

 

「ちょお待ってんか、ナイトはん」

 

 歓声が止まり、全員が声の主へ視線を送る。広場の階段席中央やや左に立つ、トンガリ頭の少し小柄なプレイヤー。茶色のトゲトゲとした頭は、以前放送していたバラエティー番組のアイテムによく似ている。

 

 そいつは全員の視線が集まったと見るや、あんまり軽やかとは言えない跳躍で段差を飛び降りていき、ディアベルの横に着地した。

 

「そん前に、こいつだけは言わしてもらわんと、仲間ごっこはでけへんな」

 

 トンガリ頭の言に、ディアベルは気分を害した風もなく答えた。

 

「こいつっていうのは何かな? まあ何にせよ、意見は大歓迎さ。でも、発言するならいちおう名乗ってもらいたいな」

「………………フン」

 

 尊大に鼻を鳴らして、トンガリ頭が振り返った。

 なぜだろう。態度が一々小物っぽい。

 

「わいは《キバオウ》ってもんや」

 

 小物っぽい言動なのに、名前はちょっとカッコ良さげだな。

 

「こん中に、五人か十人、ワビぃ入れなあかん奴らがおるはずや」

 

 ……そういうことかよ、くだらねえ。ほんと、こういう他人に当たり散らすやつってのはどこにでもいるんだな。

 

「詫び? 誰にだい?」

「はっ、決まっとるやろ。今までに死んでった千五百人に、や。奴らが何もかんも独り占めしたから、一か月で千五百人も死んでしもたんや! せやろが‼」

 

 ディアベルの問いかけに対して糾弾の声を上げるキバオウ。回りくどいキバオウの主張が、ディアベルのお蔭で徐々にわかってくる。

 

「キバオウさん。君の言う《奴ら》とはつまり……元ベータテスターの人たちのこと、かな?」

「決まっとるやろ」

 

 キバオウは広場のプレイヤーを見回しながら(のたま)う。

 

「ベータ上がりどもは、こんクソゲームが始まったその日にダッシュではじまりの街から消えよった。右も左も判らん九千何百人のビギナーを見捨てて、な。奴らはウマい狩場やらボロいクエストを独り占めして、ジブンらだけぽんぽん強うなって、その後もずーっと知らんぷりや」

 

 それがさも悪いことだというように、キバオウは語る。

 

 だが、果たして本当にそうなのだろうか。 

 

 

 

 デスゲーム開始から一か月。アインクラッドにおける死者の数は1480人にも及んだ。このペースが続くようなら、全プレイヤーが消滅するのに半年もかからない。

 

 だが亡くなった1480人のうち、少なくない割合を占める死因は自殺だった。ゲームから出られない、HPがなくなったら死ぬ、そんな言葉を一方的に突きつけられて恐慌したプレイヤーが、逃げ出したい一心で安易な手段をとる。そうして自殺を図る者が、特に最初の数日間は後を絶たなかった。

 

 またモンスターとの戦いで命を落とす者も確かに多かったが、彼らの多くはSAOでの戦闘経験がほとんどない初心者だった。慣れない戦いを強行した結果、満足に技を繰り出すこともできず、リアルな敵の姿に竦んで動けず、と、そうして死んでいった者が多かった。

 

 彼らの死は、誰かが責任を負うようなものじゃない。彼らが自分から行動して、その末の結果なのだから、誰かに責任があるとか言うのはおかしな話だ。

 

 ましてや元ベータテスターに責任を押し付けるなんてのは全く以て筋が通ってない。

 

 なぜなら1480人の死者のうちには、元ベータテスターも数多く含まれているのだから。

 

 

 

「こん中にもちょっとはおるはずやで。ベータ上がりっちゅうことを隠して、ボス攻略の仲間に入れてもらお考えてる小狡い奴らが。そいつらに土下座さして、貯め込んだ金やアイテムをこん作戦のために軒並み吐き出してもらわな、パーティーメンバーとして命は預けられんし預かれんと、わいはそう言うとるんや!」

 

 キバオウがその名の通りに噛みついた。広場を見渡し、封殺するように睨みつける。

 

 広場にいるプレイヤーたちは誰一人口を開くことができなかった。今ここで中途半端な反論でもしようものなら、すぐさま元ベータテスターと疑われるだろうからだ。否定したところで言い訳扱いされるし、言い訳なんて意味がない。誰しもが勝手に解釈するのだから。

 

 せめてまとめ役ならばとディアベルを見るも、青髪の騎士は成り行きを見守っていて介入しようとしない。その顔には不自然なほどに戸惑いも驚きもなかった。

 

 まるで、こうなることがわかっていたかのように平然としていた。

 

「発言、いいか」

 

 ふと、静寂を低く響く声が破った。立ち上がったのは広場の最前列に座っていた男だ。

 190cmはあるかという長身に盛り上がった筋肉、褐色肌で頭をスキンヘッドにしていて、背中側だけでもかなり迫力がある。正面から見たら尚更だろう。大男がキバオウの前まで行くと、トンガリ頭が少し縮んだように見えた。

 

「オレの名前はエギルだ。キバオウさん、あんたの言いたいことはつまり、元ベータテスターが面倒を見なかったからビギナーがたくさん死んだ。その責任を取って謝罪・賠償しろ、ということだな?」

「そ……そうや」

 

 哀れ、キバオウは巨漢の迫力に気圧されて身を引きかける。が、どうにか踏みとどまって睨み返し、叫んだ。

 

「あいつらが見捨てへんかったら、死なずに済んだ千五百人や! しかもただの千五百ちゃうで、ほとんど全部が、他のMMOじゃトップ張ってたベテランやったんやぞ! アホテスター連中が、ちゃんと情報やらアイテムやら金やら分けおうとったら、今頃ここにはこの十倍の人数が……ちゃう、今頃は二層やら三層まで突破できとったに違いないんや‼」

 

 キバオウがそう喚いたときだった。

 

「いい加減にしてちょうだい」

 

 隣のユキノが透き通るような声を上げ、広場の空気が凍り付いた。

 

 ユキノは立ち上がり、静かに広場の中央へ歩いていく。

 

 ピンと姿勢よく歩く姿や彼女の纏う冷風に似た雰囲気、そして総武高校において言えば知らぬ者のない美貌が、この場にいる全プレイヤーの目を奪っていた。

 

 傍を通るたびに息を呑む者、ぽかんと口を開いた状態で固まる者……。それらには一瞥もくれず、ユキノはキバオウとエギル、そしてディアベルの前へ。

 

「黙って聞いていれば、いつまでもぐちぐちと。恥を知りなさい」

 

 ユキノは開口一番、キバオウへ厳しい言葉をぶつけた。

 

「な、なんやジブン、いきなりしゃしゃり出てきおってからに……」

「そうやってがなりたてれば意見が通ると思っているなら大間違いよ。あなたの支離滅裂な主張に付き合う時間が惜しいから、黙っていてくれないかしら」

「っ……」

 

 痛烈な一言にキバオウも言葉に詰まる。

 その間隙を突いて、エギルと名乗った大男が穏やかな声を挟んだ。

 

「キバオウさん、あんたはああ言っていたが、金やアイテムはともかく情報はあったと思うぞ」

 

 そう言って、エギルはポケットから一つの冊子を取り出した。羊皮紙を紐で綴っただけの簡易的な冊子で、表紙には丸い耳と三本の髭をあしらった《鼠マーク》が描かれている。

 

「このガイドブック、あんただって貰っただろう。ホルンカやメダイの道具屋で無料配布してるんだからな」

 

 ガイドブックと呼ばれるその小冊子を見た瞬間、チラリとユキノの視線がこちらへ向けられる。射抜くような眼差しに思わずたじろぐが、ユキノはすぐに視線をキバオウへ戻した。

 

「……む、無料配布だと?」

 

 と、キリトが小さな声で驚きを露わにする。

 当然だろう。なんせキリトはアレを金を払って購入したはずだからな。

 

「……わたしも貰った」

「俺も貰ったな」

 

 今までひっそりとしていたフード女子が言うのに続く。

 キリトが戸惑いつつ「タダで?」と彼女に訊ねると、彼女はこくりと頷いた。

 

「道具屋さんに委託してたけど、値段が0コルだったから、みんな貰ってたわ。すごく役に立った」

「ど……どうなってんだ……」

 

 悪いな、キリト。俺もそれには一枚噛んでるんだ。

 

 

 

 そもそもアルゴに攻略本作りを依頼したのは俺だ。あの情報屋と初めて会った日、俺は攻略本作ってくれと頼んだんだ。

 

 ベータテスターなら以前攻略した際の情報を知っているだろうし、先行する元ベータテスターから情報を集めて後続に還元すれば、その差も縮まって後々しこりが残るのを防ぐことができるかもしれない。

 

 まあ実際はベータのときと違う部分が少なからずあったようで、アルゴ自身や彼女の仲間連中は文字通り駆けずり回って変更後の情報集めをしてくれた。その甲斐もあって、元ベータテスターが足下を掬われるってこともだいぶ減ってきたらしい。

 

 それが証拠に、攻略本の裏表紙には文庫の帯よろしく鼠の一言が書かれている。

 

『ベータテスターのお墨付き! 大丈夫。ネズミ印の攻略本だよ!』

 

 何をもって大丈夫なのかは甚だ疑問だが、ベータテスターのお墨付きという文句は他のプレイヤーに複雑な感想を抱かせた。

 

「ベータテスターの情報なんて信じていいのか」と思う反面、見るからに有益な情報が並んでいれば心も揺れ動くというもの。ましてやそこに書かれたことが悉く攻略の役に立ったとなれば嫌でも信用せざるを得ない。

 

 人間、いつだって自分に都合よく解釈したがるもんだからな。

 

 

 

 キバオウは痛いとこを突かれたと言わんばかりの表情を浮かべた。

 

「――――貰たで。せやけどこいつは……」

「信用ならない、とでも? なら、あなたはこの町まで独力で辿り着いたのかしら」

 

 キバオウの台詞を先取りして、ユキノが追い詰める。あいつマジで容赦ねえな。

 

「裏表紙の謳い文句を見ても判る通り、こいつに載ってるモンスターやマップのデータを情報屋に提供したのは、元ベータテスターたち以外には有り得ない」

 

 広場にいるプレイヤーの多くが頷いた。キバオウはぐっと口を閉じ、その後ろではディアベルが少しだけ視線を落としていた。騎士の様子に、再び違和感を得る。

 

「いいか、みんなも知っての通り、情報はあったんだ。なのにたくさんのプレイヤーが死んだ。その理由は、彼らがベテランのMMOプレイヤーだったからだとオレは考えている。このSAOを、他のタイトルと同じ物差しで計り、引くべきポイントを見誤った」

「そこに元ベータテスターが追うべき責任はない。少なくとも、彼らが面倒を見なくてはならないなんて義務はないわ。犠牲に対する責任を追及するのは、全く以て見当違いよ」

「今必要なのは、オレたち自身がそうなってしまうのかどうかだ。それがこの会議で話し合われると、オレは思っているんだがな」

 

 ユキノとエギルに立て続けに言われて、キバオウは口籠ってしまう。

 そもそもが少なからぬ言いがかりを含んだ主張だっただけに、理路整然と反論されてしまえば何も言えないのも仕方ない。エギルとユキノがそれぞれ別種の迫力を持っていたってのもあるだろうが。

 

 と、そこでようやくと言うべきか、ディアベルが頷いてキバオウに歩み寄った。

 

「キバオウさん、君の気持ちも理解できるよ。俺だって苦労してここまで辿り着いたのに、そのときにはもう何人か先行して辿り着いてる人がいたからな。でも、そこのエギルさんの言う通り、今は前を見るべきときだろ? 元ベータテスターだからって……いや、元ベータテスターだからこそ、その戦力はボス攻略のために必要なものなんだ。彼らを排除して、結果攻略が失敗したら、何の意味もないじゃないか」

 

 さすがナイトを自称するだけあって爽やかな弁舌だ。寧ろ爽やかすぎて寒いまである。

 

 聴衆の中には深く頷いている者が何人もいるが、悪いな、俺はどうしても人の裏を読んじゃう性質なんだ。

 あんたが出来すぎなタイミングで尤もらしいことを言ってくれたお蔭でわかったよ。

 

「みんな、それぞれに思うところはあるだろうけど、今だけはこの第一層を突破するために力を合わせて欲しい。どうしても元ベータテスターとは一緒に戦えない、って人は、残念だけど抜けてくれて構わないよ。ボス戦では、チームワークが何より大事だからさ」

 

 ぐるりと一同を見渡したディアベルは、最後にキバオウを真顔でじっと見詰めた。キバオウはしばらくじっとその眼差しを受け止めていたが、やがてふんっと鼻を鳴らすと負け惜しみじみた声で言った。

 

「…………ええわ。ここはあんさんに従うといたる。でもな、ワイは認めんで。元ベータテスターに非があったのは間違いないんやからな」

 

 そう言って、キバオウは鎧をジャラジャラ鳴らしながら取り巻きの方へ戻っていった。

 

 それを見送ったエギルもほんの一言二言ユキノと言葉を交わして元の席に戻り、ユキノも出ていったときと同じく堂々と歩いてこちらへ戻ってきた。

 

「お疲れさん。まあ、アレだ。俺もイラっときたし、間違ってないんじゃねえの」

「…………ええ。ありがとう」

 

 俺が労うと、ユキノは驚いたような表情を浮かべた後、小さく微笑んだ

 なんとも気恥ずかしくなって顔を背ける。と、ふと目についた先でキバオウがこちらを睨んでいることに気付いた。

 

 

 

 その目は暗くもなく明るくもなく、ただ何故か寒気の走るような、そんな色をしていた。

 

 

 




次回更新は三日以内です。


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第十一話:そしてそれぞれの前夜は更けていく

11話です。よろしくお願いします。


 トンガリ頭が騒いだ会議の翌日。

 昨日の会議から丸一日も経たないうちにボスの部屋が発見されたらしく、今日も例の中央広場で《第一層フロアボス攻略会議》が行われる。迷宮区でコボルト狩りをしていたところでアルゴからのメッセージを受け取った俺は、ユキノと共にトールバーナへ戻ってきた。

 

 広場へ入ると昨日と同じ場所にいたキリトが昨日と同じように手を振ってくる。隣には昨日と同じようにフードを被った女子がいて、昨日と同じように沈黙を保って……昨日と同じことばっかじゃねえか。

 

 ざっと広場を見渡すと、ディアベルやキバオウ、エギルといった連中が彼らを中心としたグループで談笑している。もうパーティーは結成済みということだろう。

 

 ふーん、とか、へー、とか思いつつ昨日と同じポジションに座ろうとしたとき、背中に何かが落ちてきた。

 

「ヘーイ! ハッチ! How are you!」

 

 重い柔らかい重い柔らかい重いイイ匂い柔らかいイイ匂い……ってそうじゃない。

 

「オイ、バカ! いきなり飛びついてくんじゃねぇ!」

「エー、このこのー。嬉しいくせにー」

 

 くそっ。嫌でも背中に意識を集中しちまうじゃねえか。こいつも万乳引力の持ち主か。

 

 しばらく暴れるパンにもみくちゃにされた後、不意に解放される。

 振り返ると、ユキノが呆れ顔でパンの首根っこを掴んでいた。

 

「やめておきなさい。下手にその男に触れたら腐食してしまうわよ」

「うー、ユッキの意地悪ー」

「おい、俺はゾンビじゃねえぞ」

 

 思わずつっこむ。するとユキノはさも驚いた風な表情を浮かべる。

 

「あら、ごめんなさい。目と性根が腐っているからつい」

「ぐっ……事実なだけに反論できねぇ」

 

 

 

 昨日の第一回目の会議の後、結局パンから逃れることができなかった俺たちはほとんどなし崩し的にフレンド登録をしていた。夕食の席で散々騒ぎ倒したパンと別れる頃には(特にユキノが)疲れ切っていたが、懐に飛び込んでくるタイプは突き放しきれないのか、ため息を吐きながらも最後には受け入れていた。

 

 俺? 俺はアレだ。陽乃さんに似てると思った時点でもう諦めたから。

 それに所詮フレンド登録なんてシステム上のもんで、実際に友達になるってわけじゃないからな。それ以上なんて尚更だ。俺はもう勘違いしない。しないんだからね!

 

 

 

 勝ち誇ったような笑みを浮かべるユキノ。

 怒られた猫よろしくシュンとするパン。

 

 タイプの違う美少女二人――それも女性プレイヤーの少ないこのSAOにおいて攻略最前線にいながら、十人中十人が認めるだろう美少女の二人は、当然ながらかなり目立つ。

 それがこんな広場の一角で騒いでいようものなら尚更だ。気が付けば、俺たちをねめつけるように見る視線の数は十や二十じゃ及ばないほどになっていた。

 

 そしてそのうちの一つ。

 最前列のトンガリ頭から向けられる視線は、好奇や嫉妬とは全く違う色を持っていた。

 その視線は昨日の会議の最中で向けられたものと同じ、悪寒のするものだ。

 

「はーい! それじゃあ、ちょっと早いけど、揃ったみたいだし、始めさせてもらいます!」

 

 と、そこでディアベルの爽やかボイスが響いた。全員の視線が前方に向かう。

 青髪の騎士は昨日と同じ堂々と立って全員の視線を受け止めていた。

 

 

 

 迷宮区の最上階でボス部屋を発見したのはディアベルのパーディーだった。彼らは複雑に入り組んだ通路の最奥に佇む扉を開け、中にいるボスモンスターの姿を拝んできたそうだ。

 

 ボスの名は《イルファング・ザ・コボルトロード》。

 第一層に数多くいるコボルト種の王だ。

 

 通常のコボルトはプレイヤーより小さいか、精々が同程度の体格なのに対し、このコボルト王は二メートル近い大柄に強靭な四肢を持っているとのことだ。亜人型モンスターのコボルトはプレイヤーと同じく多種多様な武器を使用するが、コボルト王の場合は斧と盾を装備しており、腰にも別種の武器を備えていた。

 また王というだけあって取り巻きには親衛隊もおり、こちらは《ルインコボルト・センチネル》という全身を甲冑に包んだ斧槍(ハルバード)使い。それが三体いたとのこと。

 

 そこまで聞いてなるほど、と感心する。

 腰のポーチから《ネズミ印》の攻略本を取り出し、全部で五つあるページを流し読みする。

 

 ふむふむ。取り敢えず、ここに書いてあることと同じか。

 なら、ベータのときとまるで違うってわけじゃなさそうだな。

 

「ん? ハチ、それアルゴの攻略本か? なんだか薄いけど」

 

 ふと、隣のキリトが訊いてくる。

 確かにこれはアルゴの略本にしちゃ圧倒的に薄い。それもそのはず――。

 

「ああ、なんせ対ボス用の号外だしな。って、あれ、お前持ってないの? アルゴのやつ、今朝から売りに出すって言ってたぞ?」

「なにぃ!?」

 

 大層驚いた様子のキリト少年。

 

 おかしいな。キリトともあろう者が、知らなかったんだろうか。

 確かに俺はいわば株主的立場だからアルゴ本人から販売開始のお知らせが来るが、キリトだって有力な情報提供者なんだから知っててもおかしくないはずなんだが……。

 

 だがキリトの驚きの声に振り向いた他のプレイヤーたちも誰一人持っていなかったらしく、広場はしばらく騒然となった。

 途中、広場の隣でひっそりと営業していたNPCショップでこの攻略本が販売されているのが見つかったときなんてすごかった。まるでアイドルの握手会に並ぶファンのように、小さな露店に長蛇の列ができたぐらいだ。一人一冊までなんて販売制限があったもんだから全員が全員並ばざるをえなかったのも理由の一つだろう。

 

 すでに入手済みだった俺とユキノは座ったままだったが、それがまたキバオウやその取り巻きのお気に召さなかったらしい。順番待ちの間、ネチネチと嫌味な眼差しを送ってきていた。

 

 NPCから攻略本を買った(これもまた0コルなので貰ったが正確だ)プレイヤーたちは、しばらく中身を読むのに必死で会議どころじゃなくなっていた。

 肝心の情報量は相変わらず大したもので、ディアベルが仕入れてきた情報はもちろん、取り巻きのセンチネルが定期的に湧き、合計十二体となること。初めこそ斧を使うコボルト王の四本あるHPバーが最後の一本になると、ボスは武器を替えて曲刀を使用してくることなどが書かれていた。

 

 そして攻略本の裏表紙。いつもは帯コメントのようなものが書かれているそこには、いつもと違う文面が、鮮やかな赤色で書かれていた。

 

 【情報はSAOベータテスト時のものです。現行版では変更されている可能性があります】

 

 いつものおどけた調子とは違う注意喚起の言葉。それだけでこの一文が示す意味のどれほど危険なことかがわかる。

 元ベータテスターに、そしてこの攻略本を参照する全プレイヤーに対する警告だ。

 

「――みんな、今は、この情報に感謝しよう!」

 

 青髪の騎士ディアベルはたっぷり読み込む時間をとり、全員の視線が自分に向くのを待ったうえでそう言った。広場にいるプレイヤーの多くが頷き、逆に何人かは険しい表情を浮かべる。

 

 否定的、あるいは懐疑的とも言える彼らの心情もわからないではない。何故、このタイミングなのか。この情報は本当に正しいのか。そういった部分が疑わしく思えてしまうのだろう。

 

 昨日あれだけ反ベータテスターを掲げたキバオウがまた何か言うかもしれないとも思ったが、今のところはあのトンガリ頭も静観を貫いている。

 

「真偽はともかく、このガイドのお蔭で、二、三日はかかるはずだった偵察戦を省略できるんだ。正直、すっげーありがたいってオレは思ってる。だって、いちばん死人が出る可能性があるのが偵察戦だったからさ」

 

 ディアベルの言葉に多くのプレイヤーが頷く。

 

「……こいつが正しければ、ボスの数値的なステータスは、そこまでヤバイ感じじゃない。もしSAOが普通のMMOなら、みんなの平均レベルが三……いや五低くても十分倒せたと思う。だから、きっちり戦術を練って、回復薬いっぱい持って挑めば、死人なしで倒すのも不可能じゃない。や、悪い、違うな。絶対に死人ゼロにする。それは、オレが騎士の誇りに賭けて約束する!」

 

 「よっ、ナイト様!」というような掛け声が飛び、盛大な拍手が沸いた。

 だからディアベルがリーダーシップを発揮して広場が盛り上がる中、「騎士の誇りとかわけわかんねえもん持ち出してんじゃねーよ」などと考えていた俺はやっぱり捻くれているのだろう。合唱祭やなんかでクラスが盛り上がる中、独り冷めきっているあの心境と同じだ。

 

 なんてことを考えているうちに、ディアベルが次のように呼びかけた。

 

「――それじゃ、早速だけど、これから実際の攻略作戦会議を始めたいと思う! 何はともあれ、レイドの形を作らないと役割分担もできないからね。みんな、まずは仲間や近くにいる人と、パーティを組んでみてくれ!」

 

 おっと、これは体育の授業やなんかでよくある、ボッチ殺しの文句だな。続々とペアの出来ていく中、独りだけ残ってこいつどうしようかみたいな空気になるアレだ。

 まあ俺クラスになると「ちょっと体調悪いんで、一人でやれることやってていいっすか。迷惑かけるのもアレなんで」と言って危機を脱することもできるけどな。やはりボッチは最強。

 

 とはいえ、今この瞬間において焦ることはない。

 独りでもいいやとか思ってるわけじゃなく、単純にもうパーティーメンバーがいるからだ。

 

「とりあえず、俺とお前で二人だな」

「そうね。やむを得ず、ではあるけれど」

 

 はっはっは。このこのー。やむを得ずとかそういうの、素で言われると傷つくからやめようね。

 

「ハッチ! ユッキ! ワタシも入れてー!」

 

 と、金髪娘も参加希望ですかそうですか。まあメンバーに余裕はあるし、昨日散々付き合わされて慣れたからいいけどな。

 ちらっとユキノに視線を送ると、彼女はこくりと頷いた。

 

「私は構わないわ」

「あいよ。んじゃあ、申請送るから」

「イエス! サンクス!」

 

 ぽいぽいっとメニューを操作してパーティーに招待する。パンが自分の方のウィンドウで受理すると、視界左上に表示されるHPバーが一本増えた。その上には《Pan》の文字。

 パンも自分の方に俺とユキノの分が表示されたのだろう。少し年上に見える金髪女子はちらっと左上に視線を向けると、嬉しそうに笑った。

 

「よろしくネ!」

「はいはいよろしく」

「こちらこそ。よろしく」

 

 そうやって俺たちが三人パーティーになったところで、今度は反対側から声が掛けられた。

 

「……あの、さ。ハチ、俺も入れてくれないかなー、なんて」

 

 見ると、キリトが申し訳なさそうに伺いを立ててきていた。

 

「いや、そんなビビらんでもいいだろ」

 

 ま、気持ちはわかる。キリトがボッチなのはなんとなく察してたし。

 なんせボッチは同族を見つけるのが得意だからな。名付けて『ボッチセンサー』。まあボッチかどうかわかったところで自分から話しかけられるわけじゃないんだが。

 

「別にパーティーに入るくらいじゃ空気悪くなったりしないだろ。いてもいなくても変わらないこともあるし、なんならいても気付かれないまである。ソースは俺」

「そうね。本来ならハチくんはキリトくん以上に独りぼっちだものね。今も見失いそうだもの」

「見失っちゃうのかよ。目の前にいるだろ」

「……ごめんなさい。あなたという存在から目を逸らしたくなる私の弱さが悪いのよ」

「それ謝ってないから。寧ろ謝罪にかこつけて余計貶してるから」

 

 なんだか以前にもこんな感じの応酬をした気がする。

 相変わらずこいつの罵倒は変わらないし、俺の存在感も変わらない。

 

「あはは……。ハチとユキノさんは相変わらずだな……」

 

 苦笑いを浮かべるキリト。どうやら肩の力も抜けたらしい。

 メニューを操作して、キリトにもパーティー申請を送る。

 

「ありがとな。よろしく! ……っと――」

 

 キリトは申請を受諾すると、何か思い出したように後ろを振り返った。彼の向こうには昨日もいたフード女子が一切態勢も変えずに座っていて、キリトは彼女を見てどうしたものかと頬を掻いた後、再度こちらへ視線を向けてくる。

 

 キリトの視線の意味はボッチの俺でもさすがにわかる。

 

 あのフード女子は微動だにしていないが、この広場にいる時点でボス攻略に参加する気はあるのだろう。だが自分からどこかのパーティーに参加しに行くつもりはないようで、ということはどこかのパーティーが誘ってやるしか彼女がボス攻略に参加する方法はない。

 

 現在、広場には総勢四十七人のプレイヤーがいる。一つのパーティーには六人のプレイヤーが参加できるので、最低でも八つのパーティーができる計算だ。

 ディアベルが言っていたレイドというのは八パーティーからなる集団で、最大四十八人で組むことのできるレイドは戦闘によって獲得した金や経験値をレイド内の全プレイヤーに自動的に割り振ることができるシステムだ。

 

 つまり、ボス攻略においてはレイドを組んで挑むのが常識というわけ。

 

 幸い、俺たちのパーティーはキリトを入れても四人なので、あと二人入れる余地はある。暫定的なリーダーが俺の時点でパーティー内連携などお察しレベルなので、あの女子を入れること自体は別に構わない。

 あの女子の方がパーティーに入るのを拒むことはできるが、その場合は九パーティーになってしまってレイド内に収まらないので誰かが割を食うことになる。

 

 この辺を加味した上で、キリトは彼女をパーティーに入れてやりたいと考えたのだろう。

 

 またしても窺うような視線のキリトに手を振り、こちらは構わない旨を伝える。

 キリトは顔の前で両手を合わせて小さく頷くと、未だ動かない少女へ話しかける。

 

「彼女、一人でここまで来たのかしら」

 

 ふと、ユキノがそう呟いた。

 独り言のようにも聞こえたが、隣からきた問いに答えないのも薄情か。

 

「かもな。パーティー組んでたことがあるなら、あそこまで頑なにはなんねえだろ」

「……そうね。恐らく、この一か月を独りで……」

 

 何やら呟きながら考え込むユキノ。ちらっとそちらを見てから、またキリトとフード女子の方へ目を向けると、ちょうど彼女がパーティー申請を受諾するところだった。

 

 三度HPバーが追加され、その上に少女のものだろう名前が表示される。

 

 《Asuna》――アスナ、だろうか。それがあのフードに顔を隠した少女の名前だった。

 

 

 

 

 

 × × × 

 

 

 

 

 

 会議が終わると、ボス挑戦を翌日に控えた今日は早めに解散しようということになり、キリトはアスナという名前のフード女子を追って町中に消え、パンは一人ふらっとどこかへ歩いていき、俺とユキノは食事をとった後で早々に宿へ引っ込んだ。

 

 見事にバラバラで協調性のない様子は見た目にもわかる通りで、俺たち五人のメンバー構成を見たレイドリーダーのディアベルは、肝心のボス戦において俺たちをどう扱うか決めあぐねたようだった。

 しばらく考えた上で彼が出した結論は『基本はキバオウ率いるF隊と同じく親衛隊を相手取り、余裕ができれば遊撃隊としてボスへの攻撃に加わる』という何でもありな役回りだった。

 

 まあ《槍使い》に《盾なしの片手剣士》、《細剣士》が二人と、最後が《拳闘士》じゃあ扱いに困るのも頷ける。寧ろ真剣に考えてくれたディアベルはすごく親切なやつなんじゃないかとすら思えた。

 

 キリトとパン、そしてユキノの戦闘能力を知ってる俺からすれば、こいつら三人は単独でも取り巻きのコボルトくらい余裕で相手取れると思えるが、キリトはともかくパンとユキノは女子だからな。どうしても戦力とは考え辛いかもしれない。

 そういう意味じゃあ、戦力としては未知数な俺たちを主戦力にカウントできなかったっていうのもあるんだろう。計算の立たない連中を大事なポジションに置くわけにもいかないしな。

 

 

 

 宿屋のベッドに横になって、明日のボス戦について考える。

 

 間違いなく、明日のボス戦は苦戦するだろう。

 ディアベルはレベルがもうちょっと低くても勝てると言ったが、それは大きな間違いだ。

 

 現在レベル10の俺でさえ、亜人型モンスターのソードスキルをまともに喰らえばHPの半分近くを持っていかれる。俺のステータスが敏捷性に大きく偏っていることを計算に入れても、脅威の一言だ。

 

 なぜならボスの使うソードスキルによっては、一度の技で殺される危険もあるからだ。

 敵がワンヒットの技しか使わないならまだいい。仮に一発喰らっても逃げて体勢を立て直すことはできる。だが二連撃、三連撃もの技を持っていた場合は、下手をすればそれだけでHPが全損しかねない。

 

 不確定要素もある。ボスの能力が攻略本の通りだという保証はないのだ。アルゴ自身が裏表紙という目立つ位置に書いている通り、ベータのときから変更されている可能性は大いにある。

 

 そしてこのことはリーダーのディアベルもわかっているはずだ。

 

 それでもディアベルはレイドメンバーを鼓舞するためにああいう言い方をしたんだろう。一か月という長い時間がかかってようやく掴んだチャンスだ。挑戦するプレイヤーたちの士気は高い方がいい。

 

 なら、捻くれ者でボッチの俺は冷静に、冷徹に、現実的な行動をとろう。

 ディアベルが最高を追い求めるのなら、俺は最悪を想定して動くのみだ。

 

 ふと、そこまで考えたとき――。

 

 トントンっと、扉がノックされる音がした。

 

「…………またアルゴか?」

 

 以前から何度かあるシチュエーションを思い浮かべて、何気なく扉を開く。

 

 だがそこにいたのは《鼠のアルゴ》ではなかった。

 

「ユキノ……?」

「夜分遅くにごめんなさい。……少し、いいかしら?」

 

 そこにいたのは、普段の服装に身を包み、けれど革の胸当てや剣を外したユキノだった。

 

「お、おう……。別にいいけどよ」

「ありがとう。失礼するわね」

 

 だがユキノの雰囲気はいつもとまるで違った。

 冷たく凛とした空気はない。寧ろ儚く、触れたら割れてしまいそうですらあった。

 

 招き入れて扉を閉め、足を止めたユキノの背を見る。

 

「ハチくん……いえ、比企谷くん」

 

 ユキノは背を向けたまま、あえて本名を言い直して呟いた。

 

「明日の戦い、勝てると思う?」

「……どうだろうな。簡単に勝てるとは思わないが、そうそう負けるとも思わない。ま、なんとかなるんじゃねえの」

「そう。あなたがそう言うのなら、勝てるでしょうね」

「おいおい、人の話聞いてた?」

「ええ。あなたがなんとかなると言ったのだから、きっとなんとかなるのでしょう」

 

 どうなってんだ。こいつ本当にあのユキノか?

 

 彼女の言うことをどう捉えたものか考えている間に、ユキノがスッと振り向いた。

 

「比企谷くん」

 

 窓から差す月明かりに横顔が浮かぶ。

 

 青白い光に、ユキノの白い肌が輝く。

 

 薄桃色の唇が微かに動いて、隙間から小さく、けれど確かな音が紡がれる。

 

「…………無理はしないでね」

 

 そう言って、雪ノ下は僅かに微笑みを湛えた。

 

 

 




次回投稿は三日以内です。


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第十二話:それでも、青髪の騎士は選ばざるを得ない

少し遅くなってしまいました。すみません。
12話です。よろしくお願いします。


 十二月四日の午前十時。

 あと三時間でこのSAOが始まって丁度四週間となるこの日この時間に、総勢四十七名の第一層フロアボス討伐部隊はトールバーナの町を出発した。

 

 午前九時三十分に一度あの中央広場へ集合し、ディアベルの演説を聞いた後、レイドメンバー全員で迷宮区に向かう。大人数で一気に移動するとなると余計なmobを引っ掛けそうなもんだが、まあそこは数の暴力で押し切れるだろうということになった。

 

 運の悪いことに、俺たちのパーティーはキバオウ率いるF隊のすぐ後ろを行くことになってしまい、キバオウやその取り巻きから盛大に嫌な顔をされることとなった。なにも仲良くやるつもりはないが、ここまで露骨な態度をされると気になるというか戸惑ってしまう。

 ま、苦笑いしてたのは俺とキリトだけで、女性陣三人は全く眼中にないようだったが。

 

 町を出て迷宮区へ向かう道中は、なんとも賑やかなもんだった。そこかしこで笑い声が上がっていて、敵が出ても余裕がなくなることはない。たまに出てくる獣型mobも迷宮区のコボルト兵に比べれば大したことはなく、先行する他のパーティーがあっという間に蹴散らしてしまう。なので俺たちには微々たる額の獲得コルが表示されるのみだ。

 いやー、楽できていいわー。やっぱ働かなくていいって素晴らしいな。

 

 こうなると必然的にお喋りが増えるわけだが、その中で一つ、キリトが気になることを言っていた。

 

「キバオウがお前の剣を買おうとした?」

 

 緊張感の欠片も見られないパンと、こっちが緊張するくらい剣呑な雰囲気のアスナに前後を挟まれたキリトは、けれど特に気にした様子もなく腕を組んで頷いた。

 

「ああ。わざわざ代理人まで立ててな。それも四万コル出すとかなんとか」

「よ、四万だとっ!?」

 

 おいおい、なんだそのバカみたいな金額は。俺の財布の中身より多いじゃねえか。

 

「驚くだろ? それだけのコルがあれば自力で同じくらいの剣が用意できるのにな」

「いや、そうかもしんねぇけど、お前のそれ、アニールブレードだろ? 強化値いくつ?」

「えっと、+6だけど……」

 

 ひえー、アニールブレードのぷらす6ときたか。そりゃお高いわけだ。

 

 SAOにおける武器の強化には金と素材が必要だ。それも武器ごとに必要な素材は違う上、確実に強化しようとすると数量を上乗せしなくちゃならない。

 ただでさえ面倒な強化作業を六回。それも強化値が増える度に必要な素材の数も金額も上がるから、キリトのように六回も強化しようとするとアホみたいに金と時間がかかる。

 

 しかもキリトの剣はクエスト限定品の《アニールブレード》だ。この剣自体に一万コルほどの価値があるのに加えて強化値が+6ともなりゃ相当な額になるのも頷ける。

 

「……とはいえ、四万は確かにびっくりだな」

「だろ? 四万コルもあればフルプレートに武器を新調してもお釣りがくる。なのに――」

 

 少し声を潜めたキリトがそっとキバオウを指差す。

 

「キバオウの装備は昨日から全く変わってないんだよ。これ、ちょっと変じゃないか?」

「なるほど、確かにそうだな」

 

 キリトの言う通り、キバオウの見た目は昨日の会議のときと変わっていない。迷宮に入ったら装備を変えるって可能性もないではないが、メインの装備以外をとっておく利点がない。あいつが見た目によらず倹約家で貯金してるって線もあるが、装備をケチって余計な危険を招いてちゃ本末転倒だ。

 

 だとすれば、キバオウが持ってるはずの四万コルはどこに消えたのか。

 

「…………自由に使えない……あいつの金じゃない、とか?」

 

 キリトが思い当ったようにそう言った。

 

「借金ってことか? 四万もほいほい貸すやつがいるとは思えないけどな」

「うーん、そうだよな……」

 

 再び考え出すキリト。だが答えは出なかったようで、「まあいいか」と一旦置いておくことにしたようだ。丁度そこで後ろのアスナに話しかけられ、キリトは彼女に並ぶように後ろへ。

 

 一方俺はというと、キバオウの四万コルの出所が気になっていた。

 

 四万コルというのは大金だ。クエストと狩りを併用しても数日で稼げるような金額じゃない。早くて一週間、普通なら十日はかかるだろう。

 それだけの金を使ってまでキリトの剣を買わせたがるのは誰か。

 

 さらに言えば動機も気になるところだ。四万もあればキリトの言うように同程度の性能の剣を自力で用意することも可能だろう。にもかかわらず、わざわざキリトから買うという回りくどい真似をするのには、何か別の理由があるかもしれない。

 

 そうだな。こういうときは考え方を変えてみるか。

 

 順序を変えて考えてみよう。仮にプレイヤーXが資金を提供し、キバオウが首尾よくキリトの剣を買えたとする。

 するとどうだ。キバオウの戦力が上がるのはもちろんのこと、鍛え抜かれた剣を失ったキリトは昨日の今日で同レベルの剣を用意することなどできず、戦闘力は落ちる。この後のボス戦でも活躍の機会は減っていただろう。

 

 ではキリトが貢献するはずだった分の戦果は誰が手にするのか。

 一から十までというわけではないだろうが、当然ながら強力な剣を手にしたキバオウは活躍の機会を増やすだろう。武器が強ければそれだけ与えるダメージも大きくなるのだから。

 

 ……待てよ。キバオウが交渉に来たとはいえ、キバオウ本人が買った剣を使うとは限らないんじゃないか。大金を預けて交渉させるんだ。寧ろ金を出したXがキリトの剣を使うと考える方が自然だな。だとすれば、キバオウはただのお使い要員ってことになる。

 

 キバオウとXのどちらがキリトの剣を使うのかはわからんが、結果としてキリトの貢献度は下がり、キバオウないしXの貢献度は上がる。

 キリトの剣を買うことによって、ボス戦での貢献度を高めることができるのだ。

 

 ここでXとなりえるプレイヤーの条件を考えてみよう。

 

 第一にXは当然ながらここにいる四十七人の内の誰かだ。キリトの戦果を奪うのが目的なら、本人がこの場にいなくては意味がない。

 

 第二にXはキリトを活躍させまいとする者であること。つまりキリトの強さを知っていながら、キリトには活躍して欲しくない者だ。

 

 第三はキバオウとの繋がりだ。やつを代理人につけ、四万コルもの大金を預けられるとなれば、キバオウと親密でなければならない。面倒を頼めて、かつ金を盗まれないと思える人物じゃないとダメだからな。

 

 三つの条件に当てはまるプレイヤーは誰かと考える。そして――。

 

「…………もしかして」

 

 あいつかもしれないと思い至る。

 もし、俺の考えているやつが第二の条件を満たすのなら――。

 

「ハチくん……?」

 

 と、ユキノに呼びかけられて我に返る。

 気が付けば森の行軍も終わりに差し掛かり、木々の向こうに迷宮区の塔が見えていた。

 

「どうかした? いつになく目が腐っていたけれど」

「腐らないってパターンはないんですかそうですか。……なんでもねえよ」

 

 ユキノにそう答えて、前を往く集団を見る。

 そこにいるだろうプレイヤーXは、目論見が外れてどうするのか……。

 

 午前十一時。攻略レイドは揃って迷宮区の入り口に到着した。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 迷宮区の二十階までを一時間半で踏破した俺たちは、ついにボスの部屋の前まで来た。

 バカでかい両開きの扉を見て思わずため息が漏れる。どうにかここまでは無傷に近い状態で来られたが、この先で待ち構えてるボス相手に果たして勝つことができるのか。

 

 できれば一人の犠牲もなく勝利するのが望ましい。第一層から犠牲者を出してたんじゃ、その先のボス戦への士気に影響してくるからな。そういう意味じゃ、このボス戦はこの先の攻略を占う大一番ってことになる。

 

 ざっと周囲を取り巻くレイドメンバーを見渡してみる。どの顔にも一様に緊張が浮かんでいる。それもそうだ。この先にいるのはこれまで戦ってきたモンスターとは一線を画す強敵なはずなのだから。

 

 キリトは少し離れた場所で、アスナへ取り巻きコボルトの対処法をレクチャーしている。キリトの顔にも確かに緊張の色はあるが必要以上に気負っている様子はない。

 アスナの方も昨日一昨日と変わらず、淡々とキリトの説明に頷いている。表情こそ見えないが、声を聞く限り緊張すらほとんどしていないようだ。

 多分年下だろう二人だが、頼もしいもんだな。

 

 パンは相変わらずマイペースで、ユキノにべったり絡んでは嫌がられて拗ねている。こいつの緊張感の無さは天然なのか計算なのかわからんが、お陰でユキノの過度な緊張は解れたようだ。

 そしてそのユキノは真剣な表情で集中力を高めていたところにパンのちょっかいが入ってもみくちゃにされていた。意識し過ぎて逆効果になりかかってたのに気付いたんだろう。一応はパンを押し退けてはいるが、苦笑いなあたり中途半端な感は否めない。

 

 ――と、そこでふと自分が笑っていることに気が付いた。

 

 え、なんだこれ、なんで笑って……。

 確かにキリトとアスナはいいコンビになりそうだなーとか、パンとじゃれあうユキノが陽乃さんといるときのあいつに似てるなーとか、そんなことを考えはしたが、顔に出るほどじゃなかったはずだぞ。

 

「なにを悶えているの?」

 

 言われて見ると、ユキノや他三名がうわぁ、とでもいう表情で見てきていた。

 

「や、違うぞ。なんでもない」

「なんでもないのなら、そんなに気持ち悪くないはずよ、ニヤけ谷くん」

「ばっちり見てんじゃねえか……」

 

 恥ずかしいっ。ハチマン、もうお婿に行けないっ。

 

 ユキノが勝ち誇るような笑みを浮かべた丁度そのとき、大扉の前に立ったディアベルが剣を抜いた。彼はそのまま剣を掲げるように持ち、左手を扉の中心へ当てる。

 そして――。

 

「行くぞ!」

 

 短くそう言って、扉を思いきり押し開けた。

 内側へ向かって開く扉の間を、ディアベルと続くレイドメンバーが駆け入る。

 

「俺たちも行こうぜ」

「…………先に行くわ」

「ハッチ! レッツゴー!」

 

 キリト、アスナ、パンの三人が、三者三葉の言葉と共に駆け出す。

 一拍遅れてユキノが続きかけ、すぐに振り返った。

 

「何をしているの。あなたも行くのよ」

「へいへい」

 

 さて、んじゃ、お仕事といきますか。

 四十二人と三人、そしてユキノの後について、ボス部屋へと駆け出した。

 

 無駄に広いな、とボス部屋に入って最初に抱いた感想がそれだった。

 なんせ幅二十メートル、長さは百メートルほどありそうな長方形の空間だ。天井までも十メートルは優にあり、塔の中にこれだけの空間があるとは驚きだ。

 

 ボス部屋は当初薄暗かったが、しばらくすると壁の松明に灯が点き始めた。入口側から順に奥まで明るくなっていき、最後の松明が灯ったところでボスの姿が浮かび上がる。

 

 ずんぐりとした赤い巨体に犬に似た頭部。頭と腰は金属製の防具に覆われ、手にはこれまた大きな骨斧と円形の盾を持ち、腰の後ろに剣らしきものを差している。

 玉座に座っていたそいつは立ち上がり、こちらを一瞥すると高々と跳躍――十メートル近く距離を詰め、そこで牙の生えた口を開いた。

 

「グルルラアアァァ!」

 

 ボスが雄たけびを上げると同時に、ボスの頭上に四段のHPバーが表示される。そしてバーの上にはボスの名前――《イルファング・ザ・コボルトロード》が浮かび上がった。

 

「攻撃開始!」

 

 ディアベルの掛け声で、タンク部隊がボスへ向かって駆けていく。

 同時に、壁の天井付近にある穴から取り巻きの親衛隊《ルインコボルト・センチネル》が飛び降りてくる。全部で三体現れたコボルトはボスへ向かうタンク部隊に向かって駆けだした。

 

「ワイらが相手や!」

 

 気合とともにキバオウ率いるF隊が親衛隊の前に滑り込み、タンク部隊の進行をアシストする。続いてレイドリーダーのディアベルと残りの対ボス部隊が走り抜け、センチネルを無視してボスへと向かう。

 

 はみ出し者の俺たちH隊の仕事は、F隊と同じく取り巻きコボルトの殲滅だ。与えられた仕事はちゃんとやらないとな。

 

 先行するキリトらに続いて、コボルトの一体に向かった。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 戦闘開始から二十分。ボス攻略は不気味なほど順調に進んでいた。

 

 ディアベルはアタッカー部隊二つ、タンク部隊二つ、サポート部隊二つの計六パーティーを巧みに指揮して、ボスに着実にダメージを与えていった。ボスの攻撃を受けるタンク部隊もHPに余裕のあるうちに交代させ、ここまで誰もHPが黄色に染まったやつはいない。

 対照的にボスのHPバーはすでにその二段を消失させ、三段目も現在半分を下回ったところだ。問題の最後の一本を迎えるまでもう少しといったところか。

 

 取り巻き相手のF隊と俺たちH隊に至っては交代で休憩する余裕があるほどだった。

 なんせ同時に三体しか湧いてこないコボルトに二部隊を当てているのだ。キリトはアスナと二人でF隊パーティーよりも早く仕留めるペースだし、パンは一対一でコボルトを翻弄し、ユキノはそのパンが作った隙を突いて強烈な一撃を入れている。

 俺? 俺はほら、逃げ足だけが取り柄の敏捷性特化型だから。敵の間を駆け回りながらチクチク攻撃して、ターゲットを自分に集めるのが仕事なわけですよ。

 

 そんなこんなで、ボスのHPバーの三段目が半分を下回ったばかりのこのときにはもう取り巻きのセンチネルを全滅させ、俺たちは小休止がてら対ボス部隊を眺めていた。

 

 戦況は圧倒的に優勢だ。こちらには余裕があり、あちらは攻めあぐねている。

 この分なら、仮に攻略本の情報と違うことがあったとしてもそれほど危険はないだろう。ディアベルの指揮は冷静・確実で、レイドメンバーの士気は依然として高い。

 

 一つ気になることがあるとすれば、俺たち取り巻き相手の二部隊を放置している点だが、まあ無理して対ボス部隊に組み込んで流れを乱す必要もないか。

 

「……ま、けどこれじゃあ、LAは取れそうにないな」

 

 三週間ほど前に狼型のフィールドボスを倒したときのことを思い出す。

 あのときキリトの助けもあってボスを仕留めた俺は、LA――《ラストアタックボーナス》なるものを手に入れた。黒灰色のインナーで敏捷性にボーナスの付くレアアイテムだったそれには現在進行形でお世話になっている。

 

 アルゴから聞いた話によるとラストアタックボーナスというのは、フィールドボスやフロアボスなんかのボスモンスターに止めを刺すと必ず手に入るもので、総じてレアなアイテムや装備になるらしい。ボスモンスターの再出現がないSAOではかなり貴重なもので、ベータテストのときはラストアタックの取り合いになったのだとか。

 

 まあ今回は取り巻き相手のお仕事だし、ボスのレアアイテムは対ボス部隊の誰かが手に入れることになるんだろう。残念無念。

 

 なんてことを考えているときだった。

 

「――まさに狙うとったんやろが!」

 

 キバオウの噛みつくような声が聞こえてきた。

 

「なんだ……?」

 

 見てみると、キバオウがキリトを睨みつけていた。ただの喧嘩にしてはえらく剣呑な雰囲気で、ただの喧嘩だとしたらお前らTPOを弁えろよと言ってやりたい。

 

「わいは知っとんのや。ちゃーんと聞かされとんのやで……あんたが昔、汚い立ち回りでボスのLAを取りまくっとったことをな!」

「な…………」

 

 あん? なんだキバオウのやつ、汚い立ち回りだのなんだの、何のことだ?

 

 だが問われたキリトの方は何かしら思い当たることがあったのか愕然とした表情を浮かべ、わずかに視線を足元へ落した。拳をぎゅっと握り、再度顔を上げてキバオウを見据える。

 

「…………キバオウ。あんたにその話をした奴は、どうやってベータテスト時代の情報を入手したんだ」

「決まっとるやろ。えろう大金積んで、《鼠》からベータ時代のネタを買ったっちゅうとったわ。攻略部隊に紛れ込むハイエナを割り出すためにな」

 

 《鼠》……? アルゴがキリトの情報を売っただと? いやありえないだろ。

 

 確かにアルゴという情報屋は売れる情報は何でも売る主義だ。プライバシーを著しく侵害するような情報でない限り、パーソナルデータでさ取引に使われることもあるらしい。

 だがあいつはベータテスターの情報を売ることはない。少なくとも俺の知る限りでは、ベータ時代の情報は攻略に役立つもの以外は徹底して守秘してきた。初めてあいつに会ったときに知ったアルゴとキリトがベータ出身だという話も、その後で口外しないことを誓わされたぐらいだ。

 

 キバオウの言う《鼠》から情報を買ったという話は伝聞によるもののようだ。ならばそれをキバオウに言ったプレイヤー、キバオウにキリトが元ベータテスターだと教え、キリトがラストアタック狙いのハイエナだと吹き込んだプレイヤーは、アルゴから情報を買ったのではなく、元々それを知っていたのだと考えられる。

 だとすれば、そのプレイヤーは恐らく、元ベータテスターだ。

 

 そうか。これで全て繋がった。

 

 キバオウにキリトのことを教えたプレイヤー。

 そして迷宮区に入る前に思い至ったプレイヤーX。

 

 このボス戦に参加していて、キリトのことを知っていて、キバオウと繋がりのある者。

 その人物は――。

 

「ウグルゥオオオオオオ――――!」

 

 そのとき、コボルト王がひときわ大きな雄叫びを上げた。見ると奴のHPの三本目のバーが消滅し、最後の一本に突入していた。

 雄叫びを合図に、壁の穴から最後の親衛隊が這い出てくる。キバオウは下りてきたセンチネルを一瞥すると、身体を仲間のF隊へ向けながら憎々しげに吐き捨てていった。

 

「……雑魚コボ、ジブンらにくれたるわ。あんじょうLA取りや」

 

 あ、くそっ。あいつ俺たちに親衛隊押し付けていきやがった。

 

 キバオウを追いかけようにも奴を含めたF隊はすでに対ボス部隊の方へ合流しに走っているし、三体のセンチネルは揃ってこちらへ迫っている。

 

「ハチくん!」

「だーくそ、とりあえずこいつらを先に片付けるぞ!」

 

 ユキノにそう答え、キリトに視線を飛ばし、首肯が返ってくるのを見て駆け出す。

 キバオウを追おうにもこいつらを本隊へ近付けさせるわけにはいかない。ならとっとと片付けて俺たちもあっちに合流すればいい。

 

「悪ぃが遊んでる暇ねえんだよ!」

 

 誰より早くコボルトに接近した俺は、三体の間をすり抜けながら槍を突き入れていく。ソードスキルは使わず通常攻撃で。ただ奴らの狙いを俺に向けさせるためだからな。

 

 三体のコボルトの視線がこっちに向いた。すると当然、他の方向への注意が疎かになる。その隙だらけの喉元へユキノ、アスナの細剣が突き込まれ、最後の一体はがら空きの胴をキリトに打ち込まれて転倒する。

 あとは転んだコボルトをパンが、残り二体をそれぞれキリト・アスナ、俺・ユキノの二人ずつで攻め立て、ほんの二分足らずで三体のセンチネルは消滅した。

 

 ルインコボルト・センチネルを倒し、改めて対ボス部隊の方へ眼を向けると、ボスはすでに武器を別のものに取り換えていた。

 ボロ布の巻かれた柄、鈍色の磨き抜かれた刀身、薄暗い中でもギラリと光るその刃は一目で業物とわかる。ボスの持つその武器は僅かな反りが特徴の――。

 

「あ……ああ…………!」

 

 瞬間、キリトが悲鳴のような声を漏らした。

 

「だ……だめだ、下がれ! 全力で後ろに跳べ――――!」

 

 だがキリトの叫びが前衛のプレイヤーたちに届く前に、コボルト王は動き始めた。

 

 一瞬屈んだかと思った巨体が床を蹴り、垂直に跳び上がる。空中で身体を捻り、蓄積された力を着地と同時に開放した。深紅に染まった刀身から竜巻のような衝撃が放たれ、周囲にいた六人のプレイヤーを弾き飛ばした。

 

 あれは……知らない。現状知られてる曲刀スキルのどれにも当てはまらない。

 それどころか、あんな技は攻略本にすら全く載っていなかった。

 

 だがイルファングの攻撃はこれで終わりではなかった。

 

「追撃が……」

 

 回転斬りの硬直が解けるや否や、再びソードスキルを発動させた刃を地面すれすれから斬り上げ、正面に倒れた青髪の騎士を撥ね上げた。

 ディアベルは空中でどうにか態勢を立て直そうともがき、ソードスキルの発動モーションを取ろうと試みる。

 

 だが――。

 

「ウグルオッ!」

 

 再度刀身を赤く輝かせたコボルト王が、剣を掲げる騎士の正面から斬りかかった。目にも止まらぬ上、下の斬撃の後、一瞬遅れて突きが入る。

 その強烈な音と激しい光は、三連撃の全てがクリティカルヒットだったことの証だ。

 

 猛烈な攻撃により吹き飛ばされたディアベルは、離れた位置にいる俺たちの前に落下した。

 

 

 

 そして――。

 

 

 

 《ソードアート・オンライン》始まって以来初のレイドリーダー、ディアベルは、青白いポリゴンの欠片となって四散した。

 

 

 

 




次回更新は一週間以内で頑張ります。
年末年始時間が取れればいけるかも……?


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第十三話:だから、彼らの戦いは終わらない

あけましておめでとうございます。遅くなってしまってすみません。
13話です。今後も更新を続けていきますので、本年もどうぞよろしくお願いします。


 このボス戦が始まる前から、ずっと気になっていたことがある。

 キリトの剣を買おうとしたプレイヤーXの、その動機だ。

 

 もちろん、強力な武器が欲しいという理由もあるだろう。だがそれだけならキリトの剣に固執する必要はない。レアな剣とはいえ唯一品(ユニーク)というわけではないから、自力で同レベルのものを用意することはできたはずだ。

 にもかかわらず、Xはキリトの剣を求めた。最終的に四万コルもの大金を提示しているあたり、キリトの剣でなければダメな理由があったはずだ。それはおそらくキリトの戦力を削ぐためで、キリトがボス戦で活躍できないように意図したのだろう。

 

 ではキリトの戦力を削ぐことでXにどんな利益が生まれるのか。それだけがずっとわからなかった。だからXが誰なのか推測はできても、推定することはできなかったのだ。

 

 けれどボスのHPが最後の一段に突入して、いざボスの前に立っている人物が誰か見えたとき、俺はXの正体を断定するに至った。

 

 《ディアベル》――ボス攻略部隊のリーダーで、剣と盾を装備したプレイヤーだ。

 リーダーシップがあり、我の強い攻略集団をまとめ上げた男。爽やかな口調で分け隔てなく話すその姿は、どことなく葉山に似ている。

 

 この青髪の騎士はさながらRPGの勇者のようにボスの正面に立ち、自らの手でこの戦いに終止符を打たんと剣を構えていた。

 そんなディアベルの姿を見て、そしてキバオウがキリトに投げかけた言葉を聞いて、ようやく俺はこの騎士の狙いを察することができた。

 

 ディアベルの目的は、ボスのLA(ラストアタック)ボーナスを手に入れることだ。

 

 そうとわかれば、このボス戦での指揮にも納得がいく。

 まず、ディアベルは自身を含むC隊をアタッカー部隊の片翼に据えた。これによりディアベル自身いつでもボスに攻撃できる位置に立つことができ、間近で交代のタイミングを指示することができる。

 さらにキリトのいる俺たちH隊を親衛隊の掃討に充て、ボスから遠ざけた。キリトがボスへ攻撃できないようにするためだろう。あるいはキバオウが俺たちに取り巻きを押し付けていったのも、事前に指示を受けていたからかもしれない。

 

 おそらく、ディアベルとキバオウは最初の会議の前から通じていたんだろう。

 キバオウが広場で元ベータテスターを糾弾したとき、ディアベルの対応はあまりに落ち着いていた。ともすれば攻略レイドの雰囲気を悪化させかねない発言にもかかわらず、だ。

 事前にああなることを知ってなければ、あそこまで静観してはいられないだろう。喧嘩腰なキバオウをフォローしてもいたし、何よりあいつのセリフは用意してきたかのように尤もらしかった。

 

 あるいはこの発言自体が見返りだったのかもしれない。ディアベルの代理として剣の買い取り交渉を行う代わりに、キバオウは公の場で持論を叫ぶ機会を得た。どうやってキバオウの信頼を得たか正確にはわからないが、ある程度予想することはできる。

 

 キバオウがキリトに何やら喚いていたとき、キバオウは『キリトがLA狙いの元ベータテスターだと聞かされた』と言っていた。情報源はアルゴだと聞いたらしいが、アルゴのスタンスを考えるとこれは十中八九、嘘だ。とすればそいつは最初からキリトを知っている者、つまり元ベータテスターということになる。

 

 元ベータテスターの情報は、元ベータテスターを敵視しているキバオウを釣るのに十分なものだったんだろう。だからそいつは知っていた情報を教えてキバオウの信頼を勝ち取り協力を取り付けた。情報源をアルゴと偽ったのは、馬鹿正直に話せばキバオウに敵視されるのは自分になるからだ。

 

 だからそいつ――ディアベルは、ベータテストのときに見聞きしたキリトのプレイングをキバオウへ流し、今度はキリトにLAを取られないよう各種工作を行ったのだ。

 キリトの戦力を奪い、それがダメでもボスから離すことでキリトの活躍を防ぎ、自身はリーダーという立場を使って絶好のポジションを確保し、確実にLAを獲りにいく。

 

 それが元ベータテスターでありながらそれを隠し、すべてのプレイヤーの先頭に立って攻略を目指したディアベルの目的だった。

 

 

 

 

 

 

 そうしてようやくディアベルの思惑にたどり着いたとき――。

 

 

 

 すべては、手遅れだった。

 

 

 

 

 

 

 新たに湧いて出た三体のコボルトを倒し、今度こそボスへと駆け出そうと振り向く。

 

 ちょうど武器を持ち換えたボスに、ディアベルを中心としたC隊が対峙している。片手剣やメイスといった取り回し易い武器で揃えたアタッカー部隊だ。

 彼らは長い交換モーションの間にボスを取り囲むように並んでいた。後は縦斬りを連発するらしいボスを、正面のやつは防御し、その他のやつがソードスキルを叩き込むことで倒せるはずだ。

 

 攻略本の情報通り、曲刀カテゴリの《タルワール》を使っていたなら。

 

 ボロ布の巻かれた柄、鈍色の磨き抜かれた刀身、薄暗い中でもギラリと光るその刃は一目で業物とわかる。ボスの持つその武器は僅かな反りが特徴の――。

 

 《タルワール》ではなく、《太刀》だった。

 

 無残に切り刻まれ吹き飛ばされたディアベルは、駆け出す前の俺たちの近くに落下した。慌てて駆け寄ったキリトがポーチを探って回復薬を取り出すも、ディアベルは受け取ることを拒み、一言何かをキリトへ告げるとガラスが割れるように砕け散った。

 

 勇者となるはずだった騎士は、驚くほどあっけなく犠牲者の一人に加わってしまった。

 

 ボス部屋にいた全員がその光景を目にし、驚愕と恐怖に息をのんだ。

 あのディアベルが、ここまで完璧にレイドを指揮しボスを追い込んだリーダーが、何もできずあっという間に倒されてしまったのだ。同じパーティーメンバーや取り巻きはもちろん、ボスに対峙していた七つのパーティーのプレイヤーは軒並み竦んで固まってしまった。

 

 だが当然、ボスは待ってくれない。攻撃の手が止まっているのをいいことに、周囲のプレイヤーへ無差別な攻撃を繰り出し始める。すぐにでも手を打たなくては更なる犠牲者が出るだろう。

 

 選択肢は二つ。このまま戦うか、逃げるかだ。

 

 正直、逃げるのがベターだとは思う。ボスの武器がタルワールじゃなく、刀のような未知の武器な時点でかなり分が悪い。さっきディアベルが受けた連撃もそう簡単に対処できるようなものには見えなかった。情報がない以上、対策の立てようがないのだ。

 

 だがこのまま逃げたら状況がさらに悪化する可能性もある。一か月近くかかってようやく編成されたボス攻略レイドだ。リーダーを失った挙句に敗走したとなれば士気は大きく落ちるし、下手をすれば今後攻略レイドに人が集まらなくなるかもしれない。そうなれば攻略は事実上不可能となり、結果このSAOは本当に牢獄となってしまうだろう。

 

 戦うか、逃げるか。どちらにもリスクがあり、リターンがある。

 払うべきリスクと、それに対するリターンを考慮し、推測し、計算して……。

 

 決めたのはより合理的な選択――戦闘続行だ。

 

「ハチ」

 

 暴れるボスの方へ足を踏み出そうとしたタイミングで、ちょうどキリトが立ち上がった。その顔には強い決意みたいなものが浮かんでいる。ディアベルの最期の一言が何だったのかはわからないが、少なくともキリトを糾弾する類のもんじゃなかったらしい。

 

「ボスの攻撃、なんか対処法とか知ってるか?」

「ああ。あいつの攻撃は俺が弾くよ」

「……そ、そうか。んじゃ、ガードは任せる」

 

 マジか。こいつボスの攻撃も弾けちゃうのか。元ベータテスターのキリトならボスの使う刀っぽい武器も見たことあるかもとは思ったが……。

 

「わたしも行く。パーティーメンバーだから」

 

 スッと、未だフードに顔を隠したアスナがキリトの隣に立った。表情は窺えないが、この年下だろう少女もかなり肝の据わったやつらしい。頼もしいことで。

 

「Final battleだよ。ハッチ」

 

 アスナの向こうにはパンが並んだ。革籠手の拳を握るその表情は、無邪気な笑み。ほんと、こいつはいつでもどこでも自然体だな。

 

「私も行くわ」

 

 最後にユキノが俺の隣へ。鋭い眼差しは真っ直ぐボスの方へ向けられている。

 

「ユキノ……」

「あなたに何と言われようと、私も戦うわ。今度こそね」

 

 ……な、何のことデスカネー。ハチマン、ワカラナイナー。

 おっかなく睨んでくるもんだから思わず目を逸らしちゃったじゃねえか。やっぱりアレだな。こいつの睨みには刺突属性の攻撃判定がついてるんだな。

 

「…………」

 

 まったく、なんなんだろうな。

 

 これまでいつだって一人で切り抜けてきたのに、最近じゃこうして周りに誰かがいるのが、誰かの力をあてにするのが当たり前になりつつある。

 それは以前なら由比ヶ浜や戸塚や材木座らなんだろうし、最近じゃキリトやアルゴにパンも加わりつつある。おまけにユキノとはこの一か月ずっと行動を共にしてきた。

 

 悪くない、とは思う。

 そうだな。こういうのも悪くない。

 

 友達だなんだとワイワイやってる青春エンジョイ勢とはやっぱり違うが、それでも、こうやって誰かがいるってのは悪いもんじゃないな。

 

「んじゃ、やりますか」

 

 全員が全員、ボスへ視線を向けたまま頷く。

 

 そうして誰からともなく一歩踏み出して――。

 

 暴れまわるコボルト王へ向かって駆けていった。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 ボスへ向かって走り出した俺は極端に振った敏捷値にものを言わせて先行しつつ、後ろの四人へ聞こえるよう呼びかける。

 

「正面はキリト、左右にユキノとアスナ、後ろがパンだ。基本は距離を取りつつ、キリトが作った隙に一撃入れて離脱。これで行くぞ」

「ああ!」「了解!」「ええ」「I see」

 

 各々の返答を耳に聞きながら、一足先にボスの前にいる集団へ近づく。

 未だにディアベルの死から立ち直れず恐慌するそいつらは、まともに逃げることも応戦することもできずにやられるままとなっていた。一応何人かは離れようと動いているものの、特にボスの周りにいるC隊の面々が危険な状態だ。

 

 とりあえず、手近なやつらを下がらせなきゃならない。前にいるC隊を下がらせようにも、こいつらがいたんじゃ邪魔だ。

 

 ざっと周囲を見渡して、すぐ近くにキバオウを見つけた。ディアベルの消えた方を向いてへたり込んでいる。

ここが町中ならもちろん放っておくが、生憎今はそんな悠長なことを言っていられない。

 

「おい、いつまでもメソメソといじけてんじゃねえよ」

「……な……なんやと?」

 

 安い挑発だとは思いつつも、キバオウはその安い挑発に乗ってくれた。

 

「散々威勢のいいこと言ってたくせに、たかだか一人やられたくらいでもうビビってんのか? そんなんじゃあ、追加で湧いて出る雑魚コボに殺されんぞ」

「こ、んの……ディアベルはんのことをたかだか一人やと!」

「キレてる場合かよ。ほら見ろ、やっぱセンチネル湧いたじゃねえか。いいのか? 放っといたらお前のパーティーメンバーも殺されちまうぞ」

「ぐっ……なら、ジブンはどないすんねん」

「ハッ! 決まってんじゃねえか――」

 

 こんだけ煽ればひとまずは動けるだろ。ボスならともかく、センチネルならパーティーであたればそれほど危険じゃないしな。精々雑魚コボ狩っといてくれよ。

 

「ボスをぶっ飛ばしにいくんだよ」

 

 言い残して、今度こそボスへ向かう。

 すでに四人はボスを囲んでいて、ディアベルを除くC隊メンバーもキリトに一喝されてじりじりと後退を始めていた。

 

 一方、ボスのコボルト王は新たな敵の出現に一旦暴れるのを止めていた。グルルと唸って正面に立つキリトを睨み、両手に握った刀を下段に構える。刀が薄赤い光に包まれ、一瞬静止した直後、猛烈な速さで斬り上げられた。

 

 これはさっき、ディアベルが打ち上げられたソードスキルだ。相手を空中に打ち上げ、回避できない状態になったところへ大技の三連撃を見舞うつもりだろう。キリトがこれを喰らえばディアベルの二の舞になってしまう。

 

 惨劇の焼き直しかと思われた。

 だが直後、さっきとは明らかに違う光景が目に飛び込んだ。

 

「せやっ!」

 

 ボスと同じく下段に構えたキリトの剣が緑色に輝き、ほとんど同時に斬り上げられた。左右対称の位置から迫る刃はキリトとボスの間でぶつかり、両者は共に大きく仰け反る。

 そこへ――。

 

「スイッチ!」

 

 このときを待っていたとばかりにアスナの声が響き、目にも止まらぬソードスキルが炸裂する。続けてコボルト王を挟んだ反対側と背中側からも立て続けに強烈な一撃が決まった。確認するまでもなく、ユキノとパンのものだ。

 三人は単発技を打ち込むとすぐに後退し、ボスから距離を取った。お陰でボスが立ち直ったときにはもう十分に距離がとれていた。

 

 あのボスの最も危険な攻撃は、C隊がやられたあの回転斬りだ。断然有利な包囲状態を一発で崩されてしまう上に、倒れてしまえば追撃が来る。

 あの技を使ってくる条件がわからない今、ともかく距離を取って隙を窺うしかない。距離を取っておけば回転斬りには対処できる。

 

 問題があるとすればこの後だ。

 

「グルゥ……」

 

 態勢を立て直したコボルト王は、視線をユキノへと向けた。攻撃した三人の中で一番威力があったのだろう。あいつ筋力値もそれなりに上げてるしな。

 

 ユキノを視界に捉えたコボルト王は身体をユキノの方へ向けた。ボスの背中越しにユキノの緊張した表情が見える。

 

 尤も、あいつが攻撃されることはない。なぜなら――。

 

「どこ見てんだよ!」

 

 ボスの背中へ向かって斜め後ろから《チャージスラスト》を打ち込む。

 腰の防具のすぐ上に命中した攻撃は運良くクリティカルだったようで、ボスは大きく唸り声を上げて振り向いた。

 

 そうだ。大人しくこっちだけみてろ。

 

 反撃の薙ぎ払いをバックステップで回避して、すぐに走り出す。ボスの視線が俺を追い、俺が止まると奴の視線も止まった。

 

「なるほど、そういうことか」

「そういうことだ。ガード頼むぞ、キリト」

「了解!」

 

 直後、俺を狙ったボスのソードスキルが、キリトの剣に(・・・・・・)弾かれた。さっきと同じくユキノ、アスナ、パンの攻撃がボスへヒットし、ボスのHPがググっと減る。

 ボスの視線が今度はパンに向いたところで、俺の槍がコボルト王の腰を貫く。今度はクリティカルじゃなかったのでおまけにもう一度突き刺すと、またボスの目は俺を捉えた。

 駆け出して移動し、再びその場所――キリトの後ろへ。

 

 キリトが弾いて隙を作り、女子三人がHPを削り、俺が攻撃をキリトへ誘導する。これの繰り返し。

 所謂、嵌め殺しってやつだ。

 

 汚いやらセコイやら言うやつもいるだろうが、これは言うなれば殺し合いだからな。殺し合いにルールもマナーもないだろ。

 

 どんなにSAOのボスがおっかないとはいえ、所詮はAIが載ってるだけのプログラムだ。策に嵌めて完封することはできるし、システムの決めたルールには逆らえない。SAOの戦闘に《ヘイト値》の概念があるからこうした戦法もとれるというわけだ。

 

 そうやって同じ流れを七回繰り返したころには、もうボスのHPは赤く染まっていた。もう一度か二度叩けばボスも倒れるだろう。

 

 キリトはあの斬り上げを捌くのに慣れたようだし、ユキノもアスナもパンも一撃入れる際によりダメージの通りそうなところを狙う余裕すらある。俺もここまで掠り傷すら受けてないし、このまま油断せず戦えば――。

 

 と、そのとき、計算違いが起きた。

 

「グゥルルァァ!」

 

 ボスのひときわ大きな唸り声に振り向くと、ちょうどアスナがコボルト王の腰に《リニア―》を打ち込んだところだった。だがそのエフェクトは通常よりもずっと激しいものだ。

 

 幸か不幸か、アスナの放った一撃がクリティカルヒットになったのだ。

 三人の中で一番ダメージ量の多かったアスナにボスの視線が向き、それは俺が二連撃技を打ち込んでも奪うことができなかった。

 

 コボルト王が刀を振り上げる。刀身が赤く染まり、距離を取ろうとバックステップするアスナを仄かに照らした。

 

「っ……!」

「アスナ!」

 

 今にも振り下ろされそうな刃。キリトが叫びながらボスへソードスキルを放とうと構える。が、恐らく間に合わない。

 

「くそっ……! 間に合え!」

 

 これは俺のミスだ。

 クリティカルなぞそう出ないだろうと高を括っていたのもあるし、何よりアスナの技量を甘く見ていた。

 

 アスナがクリティカルを出した瞬間、彼女の剣はボスの腰あたりに命中していた。最初に俺がクリティカルを出したときと同じ場所だ。

 もちろん偶然という可能性もあるが、あれを狙って当てたんだとしたらアスナはとんでもない技量の持ち主だということになる。

 

 そんな技量の持ち主なら、ソードスキルの発動時に自力で身体を動かして威力と速度をブーストしていてもおかしくない。となれば、俺の推定していたダメージ量より二、三割高くなっているだろう。その上でクリティカルヒットしたんだとすれば、それはもう俺の攻撃程度じゃ凌駕できず、結果ターゲットを俺に集めることもできない。

 

 ここまでの戦闘でアスナの技量を量るのを怠っていたのが俺のミス。自分の失敗は自分で清算すべきだろう。

 なら、俺のやることは一つ。

 

 コボルト王の赤い刃が振り下ろされる。一メートル半程もある刀がアスナに迫り、フードの下で彼女がグッと口を引き結ぶのが見えた。

 

 そこへ――飛び込む。

 

「ハチくん!」

 

 アスナ諸共倒れ込んだ。背中に直撃したせいでHPがかなりの勢いで減少していく。ほとんどMAXだったHPバーがぐんぐん減っていき、半分を割っても減少は続く。

 

 止まれ、止まれ…………止まった! どうにか二割ほど残った……!

 

「やれ! 狙うのは腰だ!」

 

 倒れたまま顔だけを向けて叫ぶと、ユキノの剣がボスの腰を捉えた。

 三度、クリティカルヒットを示す激しいエフェクト光が瞬く。しかも今度はバランスを崩したボスが倒れ、ジタバタと起き上がれずにもがき始めた。

 

 状態異常の一種《転倒》――。

《麻痺》ほどではないが大きな隙ができる。チャンスだ。

 

「全員――全力攻撃(フルアタック)! 囲んでいい!」

 

 キリトの声で、キリトとユキノ、そしてパンの三人がそれまで使わずにいた連撃技を打ち込んでいく。お陰でボスが立ち上がる頃にはHPバーもほとんど空になっていた。

 

 代わりに、起き上がったボスは唸りながら跳躍の姿勢をとった。C隊を総崩れにした、あの回転斬りだ。あれを喰らったら一転して絶体絶命になってしまう。

 

 全員が同じことを考えたんだろう。

 起き上がった俺も、硬直しているユキノとパンも、倒れた拍子にフードのとれたアスナも、揃って声を上げていた。

 

「「「「キリト(くん)!」」」」

「行っ……けえッ!」

 

 他の二人よりわずかに早く硬直が解けたキリトが猛烈な勢いで斬りかかり、今まさに跳ぼうとしていたコボルト王の胸を深々と切り裂いた。

 

「グゥル……アアァァ……」

 

 ついに悲鳴染みた声を上げたコボルト王は膝をついた。手の刀が鈍い金属音を立てて落ち、脱力したボスが前屈みになって止まる。そして――。

 

 アインクラッド第一層フロアボス《イルファング・ザ・コボルトロード》は、その身を四散させ完全に消滅した。

 

 第一層の攻略が完了した瞬間だった。

 ボス部屋内は歓声に包まれ、生き残ったプレイヤーたちがそこかしこで健闘を讃えあう。

 

 キリトとアスナ、パンと、それにユキノも、ホッとしたような笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 だが――。

 

 

 

 

 

 

 本当の意味でボス戦が終わったわけではないことを、この後、思い知ることとなった。

 

 

 

 




次回更新は一週間以内で頑張ります。


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第十四話:――彼と彼女の告白は誰にも届かない。

思いの外筆が走ったので早めの投稿ができました。中身まで走り過ぎて意味わからなくなっていなければいいのですが……。
ともかく、14話です。よろしくお願いします。


 ボスが消滅すると、部屋は水を打ったように静かになった。

 どうやらボスを倒した時点で親衛隊のセンチネルも一緒に消える仕組みとなっていたらしい。キバオウ率いるF隊やその他数人のプレイヤーが武器を手にしたまま呆然とこちらへ顔を向けている。

 

 武器を下ろせていないのはキリトも一緒で、最後に剣を振り切った体勢のまま固まっている。かくいう俺もまだ槍を握る手には力が入っているし、鼓動も息もだいぶ早い。

 

 多分、どっかでまだ疑ってるんだろう。

 

 まだ何か、ベータテストと変更されているところがあるんじゃないか。

 あの玉座から新たな敵が出現するんじゃないか。

 もしかしたら、コボルト王が復活するんじゃないか。

 

 なんて、そんなことを疑ってるのかもしれない。

 

 けれど十秒経っても三十秒経っても何も起こらず、ようやく現実が呑み込めてきたあたりで、ユキノが俺の前に歩いてきた。

 どこか(いびつ)ではあったものの、それでもユキノは微笑んでいた。彼女の笑みを見て、ようやく強張っていた手から力が抜ける。

 

「無理はしないでとあれほど言ったのに……。あなたは一向に変わらないのね」

「あ、あー、確かに昨日そんなことを言われた気も……。けど、これはアレだ。その……」

 

 懸命に理由をでっち上げようとする俺を見て、ユキノはため息を吐いた。

 

「ハァ……。でも、それでアスナさんが救われたのも事実なのだし、今回は不問にしてあげるわ。だから……その…………お疲れ様」

「…………ああ。お前も、お疲れ」

 

 労いを返したところでドッと体が重くなった。どうやら相当集中してたらしく、テストを立て続けに受けた後みたいな疲れが圧し掛かってくる。

 おいなんだよこれ。ゲームなのに疲れるとかどうなってんだ。責任者呼べ、責任者。

 

 見るとキリトもアスナに労われてようやく力を抜いたようだし、後ろじゃちらほら歓声が上がり始めてる。やっとボスを倒したと実感できたらしい。

 

 まあ中にはこっちを見てぼーっとしてるやつもいるけどな。なんせフードを外したアスナはこれまた驚くほど整った容姿だったのだ。SAOでもトップクラスだろうユキノとパンに並んでも遜色がないくらいに。

 だからだろうが、そんな視線の大半は女性陣に向いていて、ユキノ、アスナ、パンの三人がそれぞれ三割ぐらいずつを集めている。残りの一割はキリトへのものだ。

 俺? 俺はせこく立ち回ってただけだから一つもない。羨みや敵意はあるかもしれないけどな。そんなの一々数える意味もない。

 

 と、そこかしこでがやがややってる間に、一人のプレイヤーがこちらへ近付いてきた。

 会議のときにキバオウへ大人の対応をしてみせた、あの褐色大男だ。

 

「……見事な戦いだったぞ。個々の技量もそうだが、コンビネーションも見事だった。コングラチュレーション、この勝利はあんたたちのものだ」

 

 そう言って、褐色大男はニッと笑みを浮かべ、拳を突き出してきた。

 

 え、なんなのこいつ。こいつもパンと同じネイティブなアメリカンなの。なんで日本人が言うと寒いだけの横文字も、こういうやつらが言うと格好よく聞こえるんだろうな。

 

「……はあ、そりゃどうも」

 

 とりあえず、礼だけを言って手を上げる。これって拳をぶつければいいんだよな、とか思いつつちらっとユキノを見ると、彼女は頭を抱えてため息を吐いた。

 

 しょうがねーだろ。ボッチはこの手のコミュニケーションに慣れてねーんだ。

 なんて心の中で文句を言いつつ拳を合わせようとしたところで――。

 

「――――なんでだよ!」

 

 その声は響いた。

 

 泣いているときのようなキンキンと耳に響く叫び声は褐色男を挟んだ向こうから、つまり部屋の中央方向から聞こえた。突然の悲鳴に辺りの歓声が静まり返る。

 目を向けると、そこには軽鎧姿の男が立っていた。拳をギュッと握り、体を震わせ、親の仇のようにこちらを睨む目からは涙が流れている。

 

 誰だ、こいつ。と思ったところで、男は再度叫んだ。

 今度は明確に一人を――キリトを指さして。

 

「――――なんで、ディアベルさんを見殺しにしたんだ!」

 

 見殺し? 何言ってんだこいつ。って、ああ、そうか。

 こいつ、ディアベルの仲間か。

 

「見殺し……?」

 

 男に一方的な言葉を投げつけられたキリトは、呆然と呟いた。その顔は何を言われたのか理解できないと、言外に語っていた。

 

「そうだろ! だって……だってアンタは、ボスの使う技を知ってたじゃないか! アンタが最初からあの情報を伝えてれば、ディアベルさんは死なずに済んだんだ!」

 

 それは違うだろ。と、反論することは容易い。だが感情的になったやつに理屈をぶつけても碌なことにならない。

 文化祭のときの相模がいい例だ。図星を突いたところで意固地になるか、逆ギレするだけ。解決なんてとてもじゃないが望めたもんじゃない。

 

 ほとんど言いがかりな叫びだったが、事実も含まれているからか周囲のプレイヤーたちはざわざわとし始めた。「そういえばそうだよな……」やら「なんで……? 攻略本にも書いてなかったのに……」などという声が聞こえてくる。

 

 嫌な感じだな。そう思ったとき、叫んだ男のさらに向こうから別の男が走り出てきた。

 

「オレ……オレ知ってる! こいつは、元ベータテスターだ! だから、ボスの攻撃パターンとか、旨いクエとか狩場とか、全部知ってるんだ! 知ってて隠してるんだ!」

 

 こいつ、なんでそれを知ってるんだ。

 誰かに聞いた? 誰に? ディアベルか? それとも――。

 

「……あいつか」

 

 キリトが元ベータテスターだと叫んだ男の向こうで、キバオウが口を引き結んで俯いていた。両手を握って何かに耐えるようにしているあたり、キバオウ本人はキリトの素性を暴露するつもりはなかったんだろう。

 けど、取り巻きにバラしていた時点でそんなのは今更だ。

 

 と、集団の中から一人が進み出て落ち着いた声で反論した。

 

「でもさ、昨日配布された攻略本に、ボスの攻撃パターンはベータ時代の情報だ、って書いてあったろ? 彼が本当に元テスターなら、むしろ知識はあの攻略本と同じなんじゃないのか?」

「そ、それは…………」

 

 痛いところを突かれた男が押し黙る。

 だがこの場の雰囲気がそうさせるのか、やはり正論では抑えられないようだった。

 

「あの攻略本が、嘘だったんだ。アルゴって情報屋が嘘を売りつけたんだ。あいつだって元ベータテスターなんだから、タダで本当のことなんか教えるわけなかったんだ」

 

 軽鎧男の飛躍しまくりな理論に、少なくとも即座には言い返せない。それだけ彼らの醸し出す『アンチ・ベータテスター』の雰囲気に迫力があったのかもしれない。

 

 けれどこんな程度のプレッシャーじゃあ、あいつは抑えられない。

 

「馬鹿馬鹿しい。そんなことをして彼女に何の利益があるというの? 短絡的で幼稚な考えね。それでは八つ当たりと同じよ。少しは頭を使って考えることができないのかしら」

 

 ほらな。やっぱり。

 我慢できなかったらしいユキノの辛辣すぎる言葉がディアベルとキバオウのお仲間たちに浴びせられ、さしもの彼らも一瞬たじろぐ。

 が、怒りに我を忘れてる所為か、彼らはすぐにまた憤怒を目に宿して叫び返した。

 

「うるさい! ベータテスターの肩を持つアンタだって、ほんとはベータテスターなんじゃないのか!」

「そうやって威嚇するだけなら動物にだってできるわよ。それとも、あなたたちのことはお猿さんと考えた方がいいかしら?」

「この……!」

 

 あーあ、火に油注いでどうすんだよ。

 

 ユキノの煽るような言葉に、ディアベルのお仲間は怒りの矛先を変えてきた。

 

「他人事みたいに言うけどな、アンタたちだってディアベルさんを見殺しにしただろ」

「どういう意味かしら? そもそも見殺しと言われること自体不本意なのだけれど?」

「決まってるだろ――」

 

 そいつは一拍間を置くと、ユキノ、アスナ、パン、そして俺を指さして言った。

 

「アンタたちだって、どうしてディアベルさんがやられるまで前線に来なかったんだ! ガードが間に合ってれば、ディアベルさんはやっぱり死なずに済んだんだ!」

 

 おいおい、それはもっと違うだろ。俺たちは『ディアベルの指示で』ボスから距離を取ってたってのに、それを責められるのはお門違いだ。

 

「私たちはレイドリーダーである彼の指揮のもとで《ルインコボルト・センチネル》と戦っていたのだけれど。自分勝手な解釈は止めてもらえるかしら」

「そうやって理由を付けて安全な場所にいて、いざとなったら美味しいとこ取りする。アンタたちのそれは寄生プレイじゃないか!」

 

 今度は寄生プレイときたか。とことん八つ当たりがしたいらしいな。

 

 けど結果だけ見れば、俺たちはボスのHPゲージが最後の一本になるまで取り巻きの相手しかせず、いざ指揮を執ってたディアベルがやられた途端前に出てボスを倒してしまった。ディアベルの指示を完遂するなら、ボスを倒すのは俺たちの役目じゃなかったわけだ。

 

 ついでに言えばセンチネルを相手にするのに全く危険がないわけじゃないが、ボスと戦うよりは余裕があるのも事実。ボスと戦ってたパーティーに比べたら確かに安全だ。

 

 おまけに元ベータテスターで、ボスの攻撃に対処できたキリトが俺たちのパーティーにいたってのも攻撃材料の一つ、か。

 

 冷静に考えたら穴だらけな理屈だが、こじつけようと思えばできないこともない。微妙に反証しにくいな。こっちの反論なんか聞く耳も持たないだろうが。

 

 一方的に捲し立てられたユキノは、反論するでも納得するでもなく、ただ首を捻っていた。

 

「寄生……プレイ……?」

 

 わからんよな。そりゃそうだ。

 なんせこいつはほんの一か月前まで、ゲームなんて知らずに生きてきたんだからな。

 

 まあ、なんにせよ、こうなっちまった奴らを理屈で抑えるのはもう無理だ。第三者の意見ならまだしも、責められてる当事者が理屈を捏ねたところでまともに受け取るわけがない。周りの視線にも少しずつ男の弁に賛同する色が増えてきてる気がするしな。冷静に考えればおかしいとわかるが、感情的な部分ではそうはいかない。

 

 ディアベルが死んだ責任だけじゃない。このゲームで経験してきた理不尽やらストレスやらの鬱憤を、誰かに押し付けなきゃやってられないんだろう。

 

 ということはつまり、ユキノのやり方じゃ解決しないってことだ。

 正論を並べて、感情ではなく理性に訴えるやり方は、感情的になった奴らには通用しない。

 

 なら、この言い争いを解決――いや、打ち止めにする方法は一つ。

 

 

 

 目には目を、歯には歯を、敵意には敵意を――。

 

 

 

「ごちゃごちゃうるせえよ」

 

 

 

 そう言うと、男はビクッと身体を震わせてこっちへ目を向けた。ユキノはユキノで一瞬身体を震わせたが、視線をこっちに向けることはしない。

 

 ここまで何も言わなかったやつが突然キレて驚いているんだろう。周囲のプレイヤーは誰もが「なんだこいつ」とでも言いたげな目で見ている。

 けど、この程度のプレッシャー、ユキノ一人よりも軽い。

 

 突き刺さるような視線を感じつつ、ゆっくりと歩いてユキノの横を通り過ぎる。

その際、極々小さな声で何か呟いているのが聞こえたが足は止めない。

 

 ユキノの前に出て、攻略レイド全員の視線を浴びながら、軽鎧男の前に立つ。

 

 

 

 思えばここまで、ボッチだったのが信じられないくらい単独行動せずにいた。

 

 初日こそ一人だったが、二日目からはもうユキノがいた。

 夜にはアルゴがフレンドリストに載っていた。

 二週間も経つ頃には、キリトとも会えば話をするようになっていた。

 最近じゃ迷宮区で知り合ったパンや、キリトの知り合いらしいアスナともパーティーを組むようにまでなっている。

 

 そして俺はこいつらを、こいつらがいるこのパーティーを、悪くないと思っている。

 このままこの面子でいられたら、なんて柄にもなく考えちまってる。

 

 このSAOがデスゲームになって、小町のいる現実に帰れなくなって、一人でゲームクリアに向けて努力することを決めた。

 けど奉仕部で半年過ごす間に、俺は誰かがいることに慣れていたのかもしれない。だからこの世界で一人になって、一人だったときには何でもなかったことがキツく感じたのかもしれない。

 

 だから、ユキノに会って、アルゴと話して、キリトとつるんで、パンやアスナと知り合って、心地良く感じたのかもしれない。

 この面子でいられたら、パーティーを組んでいられたら、なんて、思ってしまったのかもしれない。

 

 けれど、今ここでユキノ、キリト、パン、アスナの四人に《元ベータテスター》やら《寄生プレイヤー》だなんてレッテルが貼られてしまえば、その立場は危うくなる。少なくとも同じパーティーで攻略レイドに参加することは難しくなるだろう。

 

 キリトの強さは別格だ。ただ数値的なレベルが高いとかそういう次元じゃない。戦闘センスや直感的な部分がこのゲームに向いているんだろう。

 

 アスナも同じだ。こいつもユキノと同じでゲーム初心者っぽいが、はっきり言ってレイピアのセンスはユキノ以上だ。伸びしろも大いにある。

 

 パンは色々規格外だ。そもそも拳闘士なんてのがほとんどいないのに、それを最前線で通用させる技術は誰にも真似できない。避けるのなんて誰より上手いだろう。

 

 そして、ユキノもきっと強くなる。今後の攻略で、中心人物として絶対に必要な存在となる。ディアベルが死んだ今、あるいは一番リーダーに向いているかもしれない。

 

 こいつらは間違いなく攻略を引っ張っていく存在になる。だからここでその芽を摘ませるわけにはいかない。多少強引にでも、こいつらは攻略の中心にいた方がいい。

 

 それに、きっとユキノも、キリトやアスナ、それにパンがいれば、俺といるよりずっと安全だろう。SAOがクリアされる日まで、きっと生き残れる。

 

 だから――。

 

 

 

「な、なんだよ、アンタ……」

 

 多少引きながらも、男の目には怒りが燃えている。俺を見返してくる眼差しは、説得してどうこうなるもんじゃないと思わせるのに十分なものだ。

 

 ここからこの場をどうにかするなら、使える抜け道は一つ。

 こいつを含む全員にディアベルの死を呑み込ませ、かつユキノたちの立場を守り、四人がパーティーを組める良好な関係のままにしておく。

 なら、取るべき方法は一つしかない。

 

 重要なのは雰囲気。そして、とっておきのインパクト。

 誰の想像も及ばないような、全部ひっくり返す何かをぶつける。最大限注意を引くもの、主導権を握れるもの、一瞬で場の空気を変えられるものは何か考えろ。

 

 まったく、こんな安い手しか浮かばないのが嫌になる。それに、ちょっと前に陽乃さんに教えられた手口だ。まったく、呆れちゃうな、言われたまんまのことをするなんて。

 

「おい、アンタ何しに出てきたんだ。黙ってないで何か言ってみろよ!」

 

 ディアベルのお仲間が痺れを切らして手を伸ばしてきた。

 そのときにはもう動いている。槍を男の喉元へ突きつけ、触れる直前で止める。

 

 俺の行動に、この場の全員が目を丸くし、息を呑んだ。

 男が悲鳴を呑み込み、伸ばした手を引っ込める。

 

 言うなら今だ。

 

「勝手に突っ込んで勝手に死んだバカの責任を、こっちに押し付けんじゃねえよ」

 

 可能な限り尊大に。出来得る限り傲岸に。目で、言葉で、態度で見下せ。

 この一瞬だけでいい。誰もが敵意を抱く悪役となれ。

 

「黙って聞いてりゃペラペラと訳わかんねえことを……。ディアベルが死んだのは、あいつの自業自得だろうが」

「な……アンタ、何言って……」

「言われなきゃわかんねえのか? なら教えてやるよ。ディアベルはな、引き際を間違えたんだよ。弱いくせに欲かいて、LA(ラストアタック)奪おうとして、賭けに負けた。ただそんだけだ」

 

 男の顔は見る見る内に赤くなり、歪んでいった。

 槍が触れないギリギリまで顔を寄せて怒りの声を上げてくる。

 

「ディアベルさんが弱いだって! 負けただって! 知ったような口を……」

「おいおい、俺は事実を言ってるだけだぜ? ディアベルが強かったらあっさり死んだりしなかったし、ボスの武器が違うのは見りゃわかった。なのにあいつは撤退せず、戦うことを選び、そして負けた。そんだけだろ?」

「黙れ! この……寄生プレイヤーがっ!」

 

 ――来た!

 

「寄生プレイヤーね……。MMOってのは本来、他人と経験値や金を奪い合うもんだろ? ましてやこのSAOじゃあ命掛かってんだ。どんな手を使ってでも自分が生き残り、かつ強くなれる方法をとるのは、当たり前じゃないか?」

「なん、だって……」

 

 男が絶句する。ここまで開き直るとは思わなかったんだろう。

 それもそうだ。言ってる俺だってびっくりなんだからな。

 

「そんな……そんなの、ベータテスターよりタチ悪いじゃんか……」

「ベータテスターねえ」

 

 今度はキバオウのお仲間の方がそんなことを口にする。

 ちょうどいい。元ベータテスターへの禍根もついでにもらっていこう。今さら悪行が一個増えたところで大して変わらないしな。

 

「前から思ってたんだが、お前らベータベータと女々しいよな。あいつらなんてほとんどが雑魚だってに」

「なっ……」

 

 こちらもポカンと口を開けて言葉を失う。そこへ畳み掛ける。

 

「考えてもみろ。お前の言うようにベータ上りの連中が色々美味しい思いしてんなら、今この場にはもっと多くのテスターがいるはずだろ? なのに、ほとんどいない。つまりベータテスターなんてのは所詮、クジ運が良かっただけの素人集団なんだよ」

「そ、そんなの、わかんないだろ。ただ隠れてるだけなのかもしれないし、それに……」

「いや、そりゃねえだろ。隠れてるテスターがいたんなら、そいつはここにも美味しい思いをしに来てるってことだ。なのに、ボスに挑んだやつは俺たちしかいなかった。ということはつまり、ここにベータテスターはほとんどいないってことだ」

 

 そこまで言って、俺はこの場で唯一のベータテスターへ顔を向ける。

 

「なあ、キリト」

 

 キリトは訳がわからないといった様子で、俺が目を向けるとわかりやすく表情を強張らせた。

 

 少しだけ、胸が痛む。

 キリトとはまだほんの二週間程度、しかも話をする程度の仲でしかなかったが、それでも何度かパーティーを組んで、一緒に戦って、一度ならず助けられてきた。

 

 そんなキリトを多分傷つけることになると知りながら、この場を締めくくりにかかる。

 

「お前、さっきボスからLAボーナス取ってたよな?」

「……ハチ、俺は……」

「今回のボス戦、俺けっこう頑張ったしさ、報酬があってもいいと思うんだよな」

「えっ……」

 

 信じられない、と、そういう顔をしていた。

 

「なあ、キリト」

 

 悪い、と内心で謝りながら表情には出さず、告げる。

 

「それ、俺に寄越せよ」

 

 一瞬、広間の音の一切が消えた。直後――。

 

「ふざけんな!」「何様だ!」「この寄生野郎!」「出ていけ!」と、ほとんどのプレイヤーからあらゆる怒号が飛んでくる。ボス部屋は喧噪で埋め尽くされ、お陰で小さな声なら聞こえない程度になっていた。

 

 ここまでやればいいだろう。後はこの《空気》がどうにかしてくれる。

 キリトもユキノもアスナもパンも、みんなこの『寄生プレイヤー』たる俺の被害者ということになる。元ベータテスターたちも今まで以上の風評被害を受けなくて済む。

 

 俺にできることは終わった。なら、とっとと退散するのみだ。今はまだ叫んでいるだけの彼らも、すぐに俺を取り押さえに来るだろうしな。死にたくないし、捕まる気もない。

 

「うるせえな。ちっ……めんどくさくなった。やめだ。大体LAとかなくても、次の層でいくらでも稼げるしな」

 

 下手な芝居だが、何も言わないよりマシだろう。

 槍を収めて軽鎧男を解放し、玉座の方――第二層への階段がある方へ振り向き歩き出す。

 

 だが、ふと見ると――。

 

 ユキノが直立不動で立ち尽くし、俺を睨み付けていた。

 冷たく、糾弾するような視線に、足が鈍る。

 

 ユキノならあるいは、と思っていたが、そんな心中の思いが伝わるはずもない。

 

 ユキノはなおも、刃のような眼光を緩めない。彼女の向こうに呆然と立つキリトも、その傍らでユキノと同じくらい冷たい眼差しを向けてくるアスナも、何かを察した様子はない。

 

「……あなたのやり方、嫌いだわ」

 

 数歩の距離にまでちかづいたとき、ようやく口を開いたユキノが言った。

 ユキノは胸元をグッと押さえると、俺を睨み付ける。

 行き場のない感情が瞳から漏れ出ていた。

 

「うまく説明ができなくて、もどかしいのだけれど……。あなたのそのやり方、とても嫌い」

「…………そうかよ。ならもうお守りはいらないよな」

 

 ユキノの横をすり抜けて、歩き続ける。足は鉛みたいに重くなっていて、すぐにでも立ち止まってしまいそうだけれど、止まらない。止まるわけにはいかない。

 

 キリトの傍まで辿り着く。キリトはもう立ち直っていて、俺に鋭い視線を送ってきていた。

 けれど――。

 

「ハチ、お前は……」

 

 キリトの目には、一切の敵意やら怒りやらは窺えなかった。

 大人しく騙されてはくれなかったようだ。 

 

「…………ユキノを頼む」

 

 すれ違いざま、小さくそれだけを言い残した。

 

 キリトなら、俺の思惑に気付いたらしいキリトなら、俺の意図もわかるかもしれない。

 もしキリトが俺の意図にたどり着いてくれたなら、そのときはユキノを守ってくれるだろう。少なくとも、ユキノがユキノ自身を守れるようになるまでは。

 

 ちらっとアスナに目を向けると、彼女も厳しい眼差しながらやはり敵意はなかった。

 思わず笑みが浮かびそうになって堪える。

 

 玉座の後ろにあった扉を開いた俺は、まだ騒々しい広間を後にした。

 最後にちらっと振り返ると、キリトとアスナは真剣な表情で、パンはいつも通りの笑顔で、こちらを見ていた。ただ一人、ユキノだけは背を向けていて、その表情は見えなかった。

 

 そっとメニューウィンドウを開き、数回ボタンをタップしてパーティーを脱退する。

 視界左上のHPバー四本が消え、一本だけが残る。

 これで、名実ともにソロプレイヤーとなった。

 

「…………さて、楽しい楽しいボッチライフの始まりだ」

 

 自らを奮い立たせるように呟いて、第二層へ続く階段に足を掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 狭い螺旋階段をしばらく上り、再度出現した扉を開き、特に感慨もないまま第二層のフィールドを歩いて十分ほど経った頃――。

 

「ハッチ!」

 

 今までと変わらない、どころか、今までで一番ご機嫌な声が聞こえてきた。

 

「なんだお前、もう追ってきちゃったの? 空気読めない子なの?」

「That’s wrong! ワタシ、ハッチに言いたいことがあってフォローしてきたのよ」

 

 え、なに、言いたいこと?

 おいおい、あんまりいじめないでくれよ。こう見えて案外ダメージ受けてんだからさ。

 

 なんてことがこの金髪天然娘に伝わるはずもなく。

 

 パンは、はにかむような――とても魅力的な笑顔でこう言った。

 

 

 

「I love you, Hachi ! Would you marry me ?」

 

 

 

「……………………はっ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

第一章 完

 

 

 




これにて本編第一章は完結となります。
次回更新は一週間以内を目指します。尚、次回はサイドストーリーの予定です。


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ぼーなすとらっく! 彼女たちの、しゃる・うぃー・だんす♥

大変遅くなりました。謝辞については後書きにて。

今回は予定していたサイドストーリーです。
時系列的には本作十話の後となります。本編には直接的な関係はありませんが、補完的情報を含む話となっているのでサイドストーリーとしました。糖分多めな話が書きたかった面も多分にありますが。

ともあれ、よろしくお願いします。


 《ソードアート・オンライン》の正式サービスが始まって早一か月。暦の上では師走となり、これからはクリスマスに正月とイベントラッシュな日々が始まる。

 かくいう俺も本来ならこれ幸いにと休みを謳歌するはずだったんだが、SAOがログアウト不可になっちまった今、とてもじゃないがそんな悠長なことを言ってる余裕はない。

 

 一日でも早い脱出。それが今の最優先課題だからだ。

 

 それは俺以外の最前線プレイヤーにとっても同じなようで、迷宮区最寄りの町《トールバーナ》では連日攻略に挑むプレイヤーが実用一本の格好で迷宮区と町を往復する姿ばかり目についた。

 

 《第一層フロアボス攻略会議》の場でも同じだ。劇場跡地の中央広場に集った五十人ほどのプレイヤーは、誰もが動きやすい服装に革製や金属製の鎧を纏っていた。会議の後でそのまま迷宮区に行くんだとでもいうくらいの意気込みが窺える。

 

 もちろん、俺だってやるべきことはやるつもりだ。

 日付を跨いで迷宮に籠るほどがむしゃらな攻略はしないが、毎日朝早く起きて迷宮へ通い、夕方は日没近くに町へ戻るという毎日を送るくらいには真剣だ。いやほんと、自分でもびっくりするほどの社畜っぷりだと思う。

 

 

 

 そんなこんなで色々と紛糾した会議もどうにか終わり、参加者たちが三々五々に広場を去っていく中――。

 

 俺は、囚われの身となっていた。…………いや、どういうことだってばよ。

 

 周囲からの訝しむような視線。ひそひそと交わされる囁き声。あからさまに指さしてくる奴すらいて、それがこの状況の異常さを際立たせていた。

 

 別に縛られてたり、手錠やなんかで動けなくされてるわけじゃない。ただ石造りの座席に正座させられているだけだ。いや、強要されたわけじゃなく気付いたらこの態勢をとってたんだから、こんだけ注目を集めてる原因の一旦は俺にあるな。

 

 現在正面に立って俺を見下ろしている人物は毎度お馴染みのユキノ――ではない。

 金髪に碧眼、長身でスタイルがよく、日本人離れした容姿に、それでいて人好きのする笑顔が特徴のプレイヤー。

 

 世にも珍しいナックル使いの《拳闘士》――パンだ。

 パンは腕を組んで指を立て、まるで出来の悪い生徒か弟を叱る教師か姉のような態度でつらつらと説教をしていた。

 

「ワタシ、ハッチやユッキとディナーに行けるの楽しみにしてたのヨ。なのにエスケープするなんて、ハッチはBad boyネ!」

 

 頬を膨らませるパンの口調は愛嬌を感じさせるものだった。それが天然なのか狙ってやってることなのかは判断がつかないが、ともかくこの状況で、こんな声音で、こんな台詞を吐かれたら当然、俺に味方するやつなぞいるわけがない。ついでに言えば、日ごろから味方するやつなぞいない。つまりいつも通りってわけだな。

 

 ま、逃げようとしたのは事実だし、今回は俺に非があるってわかってんだけどな。

 

「だいたい、ハッチからディナーに行こうって言い出したのに、どうして逃げるのよ」

「いや、それはアレがアレでだな……」

 

 とはいえ、食事の話は時間稼ぎのつもりで言ったんだけどな。会ったばかりのパンがいきなりフレンド登録を申し出てきて、どうするか迷った結果の方便だったのだ。

 

 我ながらひどい話だが、会議の後で逃げるなり理由を付けて先送りするなりすれば、パンも諦めると考えたのだ。そうして次回会うまでに探りを入れて信用できるか判断しようと思っていた。

 

 ところがどすこい。こいつは想像以上に粘ってきた。

会議の終了直後のどさくさに紛れて《隠蔽》スキルを使用したにもかかわらず、パンはしっかりと俺たちを追ってきたのだ。

 やはりパンの《索敵》スキルの熟練度は最前線でも1、2を争うレベルなのだろう。なんせキリトですら見失う俺の《隠蔽(ステルスヒッキー)》を見破ったんだからな。

 

「……ハッチはワタシが嫌いなの? ワタシ、迷惑……?」

「いや、迷惑ってわけじゃ……」

「…………ぐすっ」

 

 って、おい、なんで泣くんだよ。そんな泣かれたりしたら――。

 

「なあ、あいつ……」

「だよな。あんな美人泣かして……」

「最低だな」

 

 だーっ、くそっ! やっぱこうなったじゃねえか!

 女子が泣いたらどんな理由があろうと男が悪いって、社会の教科書にも書いてあることだよ。この場合の社会は『社会科』じゃなく『社会の常識』って意味で。

 

 わかりやすくすすり泣くパン。

 するとその隣にそっと別の女子が寄り添った。

 

「女性を泣かせるなんて、あなた最低ね」

「いや、なんでお前までそっち側に回ってんだよ」

 

 あれー、あなたさっきまでこちら側にいらっしゃいましたよねー。

 当のユキノはパンの背中を擦りながら、苦笑いを浮かべた。

 

「冗談よ。それに、諦めるのね。こうなってしまってはもう逃げられないわよ」

「……ぐすっ。I'll never give up よ。ハッチ」

 

 あー、はいはい、わかりましたよ。もう逃げませんって。

 

「…………ハァ。んじゃ、約束通り飯でも行くか」

 

 そうして、ケロッと笑顔に戻ったパンに引き摺られるように町の目抜き通りへ向かった。

 こいつの涙には二度と騙されないようになりたいなと思いましたまる。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 パンが俺とユキノを引っ張ってきたのは、トールバーナの町の中心部からやや外れた場所にある一軒のバーだった。

 レンガ造りの建物が並ぶ中にひっそりと建つそのバーは、表通りにある賑やかしい酒場とは違って落ち着いた雰囲気の外観で、店の前には小さな看板だけが置かれている。

 

「こんなとこにこんな店があったのか……」

 

 なんというか、俺とユキノだけじゃ絶対入らない類の店だ。

 表通りの酒場を賑やかしてるイメージのパンにしては想定外に大人な雰囲気だな。

 

「フフーン、意外だったー?」

 

 振り返ったパンが得意げに笑って覗き込んでくる。どうやら俺の考えは見透かされていたらしい。天然なようでよく見ている。やっぱ油断ならないな。

 

 ユキノも抱いた感想は同じだったようで、呆気にとられた顔をしていた。

 

「ええ、意外だわ。もっと騒々しいお店を想像していたから」

「ンー、ワタシ、みんなでパブに行くのも好きだけど、一人でいるのも好きよ」

 

 パチッとウィンクして見せるパン。こういうさりげない行動が一々似合うあたり、美人ってのはお得だよなーと思う今日この頃。

 

「ハッチもユッキも、パブはノーサンキューでしょー?」

「そうね。私やハチくんが行ってもすることがないし。ただその場にいるだけの時間になるわね」

「だな。だいたい、俺が行っても空気悪くするだけだしな」

 

 俺が言うと、ユキノはにっこり微笑んで口を開く。

 

「あなたの場合、いつもそうよね。そろそろ口元を覆う装備でも買おうかしら」

「おい、お前冗談でもそういうこと言うのやめろ、中学のとき、すれ違ったクラスの女子が咄嗟に口元抑えたの思い出すだろうが」

 

 忘れもしない、あれは冬の寒さも厳しくなってきたある日のこと、風邪に注意するよう締めくくられたホームルームの後ですれ違った須賀さんがいやこの話はやめよう。ちょっと気分も落ちそうだし。

 

 するとその気配を察したのかパンが冗談めかして言う。

 

「きっと、ハッチに見惚れてスマイルしちゃったのが恥ずかしかったのヨー」

「ハイハイ、あからさまなフォローをありがとよ……」

 

 まったく舐め過ぎだぜ、パンさんよ。俺クラスともなると自分で自分をフォローするなんて余裕でできるし、なんなら「いいね!」や「高評価」すらしてるまである。よく戦闘中とかクリティカル出たとき自分に「いいね!」してるんだぜ。こんなことユキノには絶対バレたくない。

 

「またどうしようもないことを考えているようだけれど……」

「ほっとけ。それよか、いつまでも突っ立ってないで入ろうぜ」

 

 そう言うと、ユキノもパンもきょとんとした顔でこっちを見てきた。

 

「驚いたわね。あなたが自分からああいったお店に入ろうと言い出すなんて」

「…………せっかく心の準備したのにそういうのやめてくれる?」

「準備が必要なあたり、あなたらしいけれど……」

 

 困惑した様子のユキノ。もう一つ反抗しておこうかと思ったそのとき――。

 

「ハッチー!」

「うぉっ!」

 

 突然、目の前が真っ暗になり、柔らかな感触が顔全体を包んだ。これはもしかして痛たたっ。ちょっ、痛ぇっつーの、締め付けんな、苦しい、苦しい苦しいいい匂い!

 

「I’m glad だよー! ハッチはワタシとディナーするの嫌なのかと思ったからネー」

 

 おい、バッカ、こいつ、離れろって……だぁ! くそっ! これがかの有名な『パフパフ』とかいう呪文か!

 

「ハァ……。その辺にしておきなさい。その男を甘やかすとろくなことがないから」

 

 ようやく解放されたとき、パンは首根っこをユキノに掴まれていた。そのまま親猫に咥えられた子猫のようにバーの方へ連れていかれる。

 途中、ユキノは一度足を止め、こちらへ振り返った。

 

「何をしているのかしら。いつまでも呆けているつもりなら、今度こそ黒鉄宮に飛ばすわよ」

「…………お前そのフレーズ好きな」

 

 後を追いつつ呟く。ユキノはパンを放すと「便利な言葉よね」とにこやかに言った。まんま脅し文句じゃねえか。怖えよ。

 

 

 

 パンとユキノに続いて、シックな雰囲気の扉をくぐる。店内はダークブラウンの木材をふんだんに使ったシックな色合いで、こじんまりとしつつも天井が高いせいか狭くるしい感じはなく、カウンターと三つのテーブルしかないにもかかわらず居心地の良い雰囲気を感じさせる。

 店内には俺たちの他に客の姿はなく、カウンターの内側でNPCだろうバーテンダーがグラスを拭っているだけだ。所謂、隠れ家的な店なのだろう。

 

 以前、ちょっと入ったホテルのバーは敷居が高すぎて二度と行きたいとは思わないが、ここならそれほど気兼ねしなくてもいいかもな。

 

「素敵なお店ね」

 

 お、ユキノの眼鏡に適うほどなのか。なら内装に関しては相当なものなんだろう。なんせこういう店にもパーティーやなんかで入ったことあるっぽいし。

 

「でしょー! この町に着いた日にfound out してね。時々来るんだヨー」

 

 楽しそうに笑ってパンが先にカウンター席へ座る。それからポンポンと左右の席を叩き、俺とユキノに座るよう促した。

 ちらっとユキノと顔を見合わせ、それから要望通りに席に着く。

 

「Master, アイニッシュのシングルを三つネー」

 

 席に着くや否や、パンはさっさと注文を取ってしまった。

 なにやら得体のしれない注文内容に、パンを挟んだ向こうのユキノと目を合わせる。

 

「アイニッシュ……? アイリッシュじゃなくてか? 聞いたことないな」

「そうね。でも恐らく、お酒だと思うわ」

「はっ? 俺ら未成年だぞ。酒なんて……」

「Don't worry! No problemよ。ここでは酔わないからネ」

 

 パンは俺たちそれぞれに目配せして続ける。

 

「Aincradではお酒にテイストとスメルは似せられるけど、アルコールは再現できないからネ。ちょーっと酔った気分になるだけだよ」

 

 確かに、パンの言う通り、ナーヴギアじゃ酒に含まれてるアルコールの成分を再現できるわけじゃない。だからSAOで酒を飲んでも味と匂いは同じでも、アルコールが脳に影響を与える――つまり酔うことはないわけだ。

 

 と、そのタイミングで俺たち三人の前に琥珀色の液体が注がれたグラスが置かれる。映画やなんかでよくあるゴルフボール大の氷が浮いていて、絵面的には男心をくすぐられる代物。ほら、アレだ。「バーボン、ロックで」とか言うやつ。こういうの前からちょっと憧れてたんだよなー。

 

「確かに、それなら構わないかもしれないわね」

 

 ユキノはパンの説明に納得したらしく、グラスを手に取った。パンもグラスを持ち、二人は揃って俺へ視線を送る。対人スキルに疎い俺でも、この視線の意味するところはわかる。

 氷の揺れるグラスを手に取って二人の方を向くと、パンがにっこりと笑った。

 

「じゃあ改めて、Nice to meet you, Hachi, Yukino! これからよろしくねー!」

「ええ、よろしく」

「はいはいよろしくよろしく」

 

 カチンカチンとグラスを合わせて、中身をグッと一口飲む。独特な香りと苦みが喉を通り、遅れて胸が焼けるように熱くなる。思わず盛大に咽てしまった。

 

「……ッエホ、ゲホ! うぇ……なんだよこれ、こんなキツイもんなの?」

「アハハ! ハッチはウィスキー苦手なのかもネー」

 

 パンは声を上げて笑いながらぺしぺしと俺の背中を叩く。笑われたのはちょっとイラっとしたが、お陰で楽にはなった。くそっ、これじゃ文句も言うに言えねえじゃねえか。

 

 一方でユキノはこのウィスキーが口にあったらしく、ふっと笑みを浮かべた。

 

「私は好きかもしれないわ。ほろ苦いところとか、頭がスッとするところとか」

 

 そう言ってもう一度グラスを傾ける。カランと氷が音を立てたグラスの中身は既に半分ほどになっている。

 

「おい、いくら酔わないったって、飲み過ぎたらどうなるかわかんねえぞ」

「平気よ。ゲームなのだし。システム的に酔うことはあり得ないのだから」

「そうそう、大丈夫だヨー」

「……だといいんだけどな」

 

 現実じゃあ酔わないって言うやつに限って酔うと酷いらしいからな。雰囲気で酔うとかいう場合もあるらしいし。

 

 

 

 その後、ウィスキーを諦めた俺は甘めのカクテルをパンに選んでもらい、パンとユキノはそのままウィスキーを手に談笑を続けた。

 目的だったフレンド登録も済ませると、パンは自身の生い立ちを話し始めた。

 

 曰く、パンは祖母が日本人のアメリカ人クオーターで、中学二年生のとき、父親が他界したのを機に祖母のいる日本へ移住してきたらしい。その後母親も事故で亡くしてからは、大学へ通う傍ら英会話教室で英語を教えて生計を立てていたそうだ。

 なかなかにハードな経歴を語るパンはそうとは思えない笑顔で、むしろこっちがどう反応していいものか困ってしまった。

 

 だが、パンはそんな雰囲気すら笑顔でほぐし、以降は大学で社交ダンスのサークルに入っているだとか、高校時代はストリートダンスにハマってただとか、空手の道場に通っていたことがあるだとか、それはもう楽しそうに語っていた。

 

 

 

「――それからねー、前にモデルにならないかって言われたことあるよー」

「あー、ありそうだな」

 

 パンの容姿なら十分にあり得ることだろう。日本人離れした顔立ちとスタイルの良さ、華やかな印象……。どうしたって人目を惹くのは間違いない。

 

「Why? どうしてそう思うの?」

「そりゃお前、素材の良いやつがニコニコしてりゃ、さぞかしモテるだろ。スカウトする連中だって男受けする人材に目を付けるのは当たり前だ。売れる算段が立つからな」

 

 俺が言うと、パンは目をぱちくりさせた後でニッと笑みを浮かべた。

 

「ふーん、ハッチはワタシのこと、可愛いって思ってくれてるのネ! 嬉しい!」

「って、コラ……おい、引っ付くなっての……!」

 

 だからそういう無邪気な行動がですねー、世の男子を勘違いさせる原因に――。

 

「ンー、やっぱりワタシ、ハッチのこと好きかも。ねえハッチ、ワタシをハッチのGirl friendに……」

「ダメよ!」

 

 とんでもないことを言いかけたパンを、予想外に大きな声が遮る。

 それはパンの向こうから飛んできた声で、だとすれば当然ユキノのものだ。だがユキノの声にしては信じられないほどに大きく、そして感情的だった。

 

 そうこうする間にパンは引きはがされて羽交い絞めにされる。

 こうなって初めてユキノの顔が見えたのだが、パンを羽交い絞めにしたユキノの顔は真っ赤になっていた。え、なにこいつ、やっぱり酔っぱらったのん?

 

「離れにゃさい。あにゃたにその男は……」

「ゆ、ユッキ……? Are you OK?」

 

 パンの背中に抱きつき、胸に手を回すユキノ。その目は焦点が定まっておらず、話す言葉は呂律が回っていない。もう完全に酔っぱらいじゃねーか。

 なんなのこいつ。あんだけ酔うことはないって大口叩いておきながらあっさり酔っちまったってのか。ゲームなのに。ゲームなのに(大切なことなので二回言いました)。

 

 ユキノは上気した顔でちらっとパンの胸元に視線を送ると、手を視線の先に――。

 

「にゃによ……大丈夫に決まっているわ。まったく、ひとににゃいものを使って……。こんにゃものっ」

「あっ、ちょっ、ユッキ……ぁん、ストップ! ストップ、プリーズ……!」

「姉さんも由比ヶ浜さんもあにゃたも、ずるいのよ」

「ンー! ストップ、ユッキ! んぁ……Help! ハッチ、Help me!」

 

 いや、俺にどうしろと。ふつうに考えてこんな状況に手を出せる男子はいないだろ。見てるだけでもこっちが恥ずかしくなってくるってのに、割って入るとか不可能です。

 いや、違うぞ。断じて百合百合しくて眼福だなー、なんて思ってない。いやほんとマジで。ちょっとしか思ってない。いや、ちょっとも思ってないから。

 

 ユキノの介抱(?)はユキノが力尽きて眠ってしまうまでしばらく続き、終わったころにはパンも疲れ切ったように大きなため息をついていた。

 これ以降ユキノに酒を飲ますのは禁止と決め、店を後にする。ユキノは俺の背中で眠ったままだ。

 

 それぞれの宿へ向かう道中、パンがグーッと伸びをする。

 さっきユキノに揉まれた双丘が月明かりに映えて見え、自然と視線が吸い寄せられていたことに気付き慌てて視線を逸らす。危ない危ない、恐るべし万乳引力の力ッ!

 

「今日はThank youネー、ハッチ!」

「いや、こっちこそ。……ってか、なんか悪かったな」

「アハハ……。No problemヨー。ユッキも悪気があったわけじゃないしネ」

 

 パンは苦笑いでそう言うと、ふと頬に指をあてて何やら思案する。

 それから二ッと悪戯っぽい笑みを浮かべてこう言った。

 

「ハッチ、今夜は月がきれいですネー」

 

 試すような、そして少しはにかんだような笑顔。

 表情はともかく、言葉の意味には国語学年三位の俺が気付かないわけがない。

 

「…………そうだな。上の層が邪魔で星空が見えないのが残念だ」

「ムー、ハッチは意地悪ネー」

 

 頬を膨らませてそう言うパンに気付かないふりをして歩く。

 パンはすぐに気を取り直して横に並び、それから楽しそうに鼻唄を歌い始めた。

 

 

 

 右からはユキノの穏やかな寝息が、左からはパンの明るい鼻唄が耳に届いてくる。

 

 多分、このゲームに閉じ込められてから一番安らかな夜だった。

 

 それはパンの作り出す雰囲気のおかげであり、あの店の雰囲気のおかげでもある。酒の力もあったかもしれない。

 

 だからこそユキノは寝落ちするほどリラックスできたのだろうし、かくいう俺も今日初めて会ったばかりのこの女性プレイヤーを信用してもいいかと思ってしまっている。

 

 正直、参った。すっかり絆されてしまった気がして、少々癪に障る。こんなにチョロい性格ではなかったはずなんだがなぁ。

 

「…………まぁ、こいつ相手じゃ仕方ないかもな」

 

 左隣を歩く金髪の美女を見て考える。

 

 容姿端麗、明朗快活な天然交じりの女子大生。

 だがその実は数々の苦労を重ねた大人の女性で、あの雪ノ下陽乃の如く抜け目のない切れ者だ。その天然っぷりが計算なのかはわからないが、気付けばするすると懐に入ってくる。

 

 本当に、全くもって勝てる気がしない。

 

「あっ!」

 

 と、パンが何かを見つけたらしく駆け出した。立ち止まったところで手招きをされる。

 はいはい、今度はなんですかーっと。

 

「……なんだこれ?」

 

 そこには半径五メートルくらいの円形をした石造りの台座があった。

 にこやかな笑みを浮かべたパンが答えを教えてくれる。

 

「フフーン、これはステージだヨー! May be!」

 

 多分って……。いや、まあ、ダンスの経験があるあなたなら詳しいんでしょうけどね。

 

 なんて思っていると、パンはスカートを持ち上げるような仕草で優雅な一礼をした。実際にはスカートなんて履いてないけど。

 

「Shall we dance, Hachi?」

「…………」

 

 月明かりに照らされる中、この日一番の微笑みと共に佇むパンの姿に――。

 

 不覚にも、見惚れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けれど結局、俺がパンの誘いに応えることはなかった。

 

 理由は、この後すぐに目を覚ましたユキノがバーでの一幕を思い出して暴れだし、パンが苦労して宥めることとなったためだ。

 

 俺? 俺は何も見てないし何も聞いてないし、なんならこの夜のことは一切合切忘れろと脅されたからな。手出しとかできるわけないだろ。

 

 

 

 とにもかくにも――。

 

 後に求婚までしてくるようになるパンとの、これが出会いの夜だった。

 

 

 




というわけで、サイドストーリーでした。

また、今回は更新が大幅に遅れて申し訳ありませんでした。
ここ二週間ほど仕事が殺人的に忙しく、職場から帰ると寝るだけの日々を送っていたのが原因です。

今後も一か月ほど忙しい日々が続くため、更新ペースはゆったりとしたものになってしまいます。気長にお待ちいただけたら幸いです。

以上、謝辞でした。次回からは第二章に入ってまいります。
次章もよろしくお願いします。


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第2章
第一話:とにかく比企谷八幡はくさっている


お待たせしました。第2章の始まりです。
章が変わったということで話数も1からということにしました。

ということで第2章の1話です。よろしくお願いします。


 初めて彼らと言葉を交わしたのは、息の詰まるダンジョンの中だった。

 

 狭い通路で複数のmobグループに挟み撃ちされていた彼らは、じりじりと包囲を狭められていく中で、抗戦するか逃走するかの二つで迷っていたようだった。全員の手に転移結晶が握られてはいたものの、すぐには転移する様子もなかった。

 

 まあ、それも仕方ないかもな。

 使えば一瞬で安全な街に戻れる転移結晶はなかなかに値段の張るアイテムで、一つ使ってしまえば二、三日分の稼ぎを失うくらいの出費になってしまう。そう簡単にほいほい使えるもんじゃない。

 

 もちろん、SAOにおいて命に勝るものはないのだから、いざとなれば躊躇うことなく使うだろう。不測の事態にも配慮するとなれば余裕のあるうちに逃げるくらいで丁度いい。

 

 けれど彼らを挟撃していたのはレベル16の死霊系モンスター《ノーブル・マミー》だ。こいつらは攻撃力とHP量こそ侮れないものの、動きは遅くて避け易いし、なにより倒したときの獲得コルが美味しいことで有名なmobでもある。

 彼らもその辺がわかっていたから転移結晶で街に帰るか迷ってしまったんだろう。危険な状況とはいえ対処できない相手じゃないし、危険を冒した際の見返りは十二分にあるんだ。

 

「どうします? 戦いますか?」

「倒せる……とは思いますけど…………」

 

 パーティーのうちの二人が各々武器を手にリーダーらしき人物へ問いかけた。後の二人も言葉こそ発しないもののじっとリーダーを見ていた。

 

 視線の先のプレイヤー、五人組プレイヤーのリーダーらしい女性剣士は僅かに俯いて逡巡する。戦った場合のリスクと収入、逃げた場合の安全性と損害を天秤に掛けているんだろう。

 

 そうしてリーダーの女性剣士が顔を上げたまさにそのタイミングで、俺の槍が彼らを包囲するマミーの一体を貫いた。続け様に三連撃のソードスキルでそいつをガラス片に変えると、音に気付いたらしい彼ら五人がこちらを驚いたように見てきた。

 

 五つの視線を浴びながら四つをまるっと無視して、リーダーへ声をかける。

 

「こっちはもらいますよ」

 

 言い終えて、返事を寄越す前に動き出す。

 《隠蔽》スキルを発動してmobの視界から姿を消し、敏捷値と《軽業》スキルに物を言わせて壁を走り、五人パーティーの傍へと飛び降りた。唖然とする五人を背にマミーの集団へ槍を向け、先頭の一体へ向かって駆けだす。

 

「――全員、正面の敵に集中して! 一体ずつ確実に倒しましょう!」

 

 ここでようやくリーダーがパーティーメンバーに声をかけ、五人は揃って反対側の敵集団へと挑みかかる。

 

 そして五分後――。

 前後共に四体ずつの《ノーブル・マミー》は、ほとんど同時にその全てが消滅した。

 

「助けて頂いて、ありがとうございました」

 

 戦闘の後、歩み寄ってきた女性剣士はそう言って一礼してきた。

 

「ひゃ、ひゃい……。どう、いたしまして?」

 

 対する俺はと言えば、予想外の好意的な対応に噛むわどもるわで散々だった。俺のコミュニケーションスキルは一切成長していないらしい。

 

 ともあれ、お礼を言われるとは思わなかったな。挟み撃ちされてたのを助けたって見方もできるが、獲物の横取りと捉えられても仕方ない場面でもあったわけだし。

 

「……いいんすか? さっきの感じなら、手出さなくてもどうにかなったと思いますけど」

 

 言うと、女性剣士は穏やかな笑みを浮かべて首を横に振った。

 

「私は先程、撤退を指示しようと思っていました。前方からだけなら余裕もありましたけど、挟み撃ちに対処するのはリスクが高いですから。なので、援護して頂けて助かりました」

 

 ありがとうございます、ともう一度一礼する女性。すると今度は彼女の後ろにいた四人のメンバーもすっと頭を下げてきた。

 

「…………どういたしまして」

 

 何と答えたものかわからず、結果さっきと同じ言葉しか返せなくなってしまった。頭を下げられ慣れてないどころか、他人と話すことすら稀なんだからしょうがないね!

 

 その後、街へ戻るという彼らと一緒にダンジョンの出口へ向かうこととなった。

 エリートぼっちの俺は本来なら色々と理由付けして別行動するんだが、このときばかりはまっすぐ街へ戻りたかったのと、『ある理由』もあって同行することにした。

 

 道すがら、彼ら五人がギルドの仲間だということを聞いた。

 《黄金林檎》というらしいそのギルドは、彼ら五人ともう一人のサポートプレイヤーから成る六人の小規模ギルドで、攻略に挑むつもりは毛頭なく、ちょっといい宿と食事のためにダンジョンへ潜っているらしい。

 

 前衛の壁役は《シュミット》という両手長槍使いと《カインズ》という両手剣士で、短剣使いの《ヨルコ》は《料理》と《裁縫》のスキルを持った準サポート役だそうだ。

 

 リーダーの女性は《グリセルダ》という名前の女性で盾持ちの片手剣士。凛とした佇まいながら丁寧な物腰の女性で、少しの間見ただけでも人望厚いことがわかる。

 

 サブリーダーは《グリムロック》という鍛冶師兼メイス使いの男。《鍛冶》スキルは中層クラスではそれなりだが、戦闘のセンスはお察しレベルだ。近いうち鍛冶に専念した方がよくなるかもしれないな。

 

 そんなこんなで、どうにかこうにか話に相槌を打ちつつ進むこと三十分余り。

 出口かなと思ったあたりで、ヨルコがこんな話題を口にした。

 

「そういえば、グリセルダさんとグリムロックさんはいつ頃ご結婚されたんですか?」

 

 ――思わず肩に力が入ってしまう。

 

「そうだねぇ……。あれは、確か……」

「十二月の中頃だったかしら。第五層が突破されてすぐだったと思うわ」

「そんなに早くからご結婚されてたんですか。やっぱりお二人は仲が良いんですね」

「そう見える? 嬉しいわ。ありがとう」

 

 グリセルダはヨルコに笑顔で応える。グリムロックの顔にも微笑が浮かんでいた。

 

 和やかな雰囲気で歩く五人の後ろで、俺はどうしても明るい気分になれずにいた。

 脳裏に華やかな笑顔がちらつき、押し込めた後悔が顔を覗かせる。あれからもうだいぶ経つっていうのにな。

 

「ハチさん? どうかされました?」

 

 と、どうやら顔に出てしまっていたらしい。

 

「……いえ、なんでもないですよ」

「そうですか。――それにしても、あなたはとても強いのですね。私たちが五人で挑んだ《ノーブル・マミー》を、私たちよりも早く倒してしまうなんて」

 

 あー、なんか気を遣わせちまったかな。

 俺みたいなぼっちは普段、無味無臭のいるんだかわからない空気に徹してる分、たまに会話に参加するとこうなってしまうことも多い。だから余計に会話を避けて空気に溶け込んでいくことになるわけだ。そういう意味じゃ、現実でも常に《隠蔽》スキル使ってるようなもんだな。

 

 せっかくの厚意に乗っからないのもどうかと思うので、ここは正直に答えておくことにする。

 

「これでも一応、《攻略組》の端くれなんで」

「《攻略組》っ!?」

「道理で強いわけだ……」

 

 タンク役のカインズとシュミットが納得したように頷く。それだけ《攻略組》という言葉の持つ説得力は大きいということだ。

 実際にその端くれたる身から言わせてもらえばただのワーカホリック集団なんだけどな。

 

 

 

 《攻略組》とは、アインクラッドの攻略に携わるプレイヤーの中でもごく一部の、攻略最前線にいるプレイヤー集団のことを差す言葉だ。総勢七十名弱から成るこの集団は、他のプレイヤーとはあらゆる面で一線を画す実力を持っていると言われている。

 

 レベルの高さは言わずもがなで、装備やスキルの熟練度といった数値化された部分はもちろん、体捌きや武器の扱い、情報量といった数字で表されない部分においても、三倍近い人数のいる準攻略組プレイヤーたちとの間には大きな差があるのが現状だ。

 

 理由はいくつかあるが、そのうちの一つに《攻略組》と呼ばれるプレイヤーの中に「いつまでもトッププレイヤーでいたい」という思いがあることは間違いない。自身の安全と優越感を手放したくないってことだ。優越感の方はともかく、身の安全に関しては俺も他人のことを言えない。

 

 だからだろう。

《攻略組》と準攻略組やそれより下層で暮らすプレイヤーたちの間には、埋められない溝ができてしまっている。実力的にも、心理的にも、だ。

 

 現状、《攻略組》入りを目指すプレイヤーやギルドは数多くあっても、それが叶うことは滅多にない。準攻略組がガイドブックやなんかを頼りに必死で戦力強化を図っても、《攻略組》はより効率の良い最前線でレベリングを行っているからだ。

 

 一度ついた差はなかなか埋まらず、かといって無理をするわけにもいかず――。

 故に、《攻略組》に属する面子は五層辺りからほとんど変わっていないのだ。

 

 

 

「《攻略組》……」

 

 だから《攻略組》と聞いて複雑な表情を浮かべられるのも仕方ないことだ。

 俺を含む《攻略組》連中は、彼ら中層プレイヤーを実質置き去りにしているのだから。

 

 居たたまれない空気になりかけたところで、それを払拭しようとする声が上がった。

 

「――っと、皆、そろそろ出口だ。もう一度ちゃんと彼にお礼を言わないとね」

 

 グリムロックが努めて穏やかな声音で言うと、《黄金林檎》のメンバーは居住まいを正し、口々にお礼の言葉をかけてきた。

 こっちもちゃんと理由があってやったことなので、お礼を言われるようなことはしてないんだけどな。

 

 そう伝えても素直に頷いてはくれず、表面上は友好的なままその場は別れた。

 

 五人が主街区の方向へ歩いていくのを木の陰から見送り、姿が見えなくなったところで行動を開始する。

 

 さて、お仕事と行きますか。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 夜。

 

 草木も眠る丑三つ時。

 暗く静かな森の中を、足音を殺して歩く。

 

 視線の先には一人のプレイヤー。夜でもわかる白の法衣を着た長身痩躯の男。男は一切武器を持つことなく、人目を避けるように暗がりを選んで歩いていく。足取りは確かで、森の中を迷うことなく進んでいき、やがて開けた場所にたどり着いた。

 

 似たような木々のオブジェクトが並ぶ中に一本だけ生えた大木。大木の周りは小さな広場のようになっていて、何やら曰くあり気な雰囲気だ。何かしらのクエストに関係する場所なのかもしれない。

 

 白衣の背中が大木の足元まで歩いていくのを可能な限り近くで注視する。そこでふと、広場の外縁ぎりぎりのところに白いラインが浮かんでいるのが見えた。

 なんだ。この広場《安全地帯(セーフティエリア)》になってたのか。

 

 月明かりに男の姿がぼうっと浮かび上がる。草の上に影が伸び、釣られて男が明かりのさす方向へ目を向けた。必然、男の顔がはっきりと見えるようになる。

 

 夜だというのにサングラスを掛けた、三十前後と思われる男だ。目深に被った帽子からは真面目に切り揃えられた髪が伸びていて、男の特徴のない顔をより目立たなくさせている。

 

 昼間ダンジョンで出会い、そしてすぐに別れたあの男――グリムロックだ。

 

 昼間は終始穏やかな笑みを絶やさなかったグリムロックだが、今目の前にいるやつは無表情で、警戒心を隠そうともしていない。明らかにキナ臭いことをしてるやつの動きだ。

 

 そうしてグリムロックが周囲を警戒しながら待つこと、およそ十分。

 不意に《索敵》スキルがプレイヤーの接近を捉え、そちらの方へ視線を向ける。茂みの一点を睨むと、木々の暗がりの奥から人影が一つ姿を現した。

 

 

 

 黒いポンチョに顔を隠した背の高い男だ。ボロ布のような服に身を包み、鎧の類は一切なし。腰には一振りの短剣だけを差していて、至極落ち着いた様子で広場へと出てくる。

 

 何より特徴的なのは、男の頭上のカーソルが犯罪者(オレンジ)色なことだ。

 

 

 

 思わず生唾を呑み込んだ。目に見えて鼓動が早くなったのがわかる。

 けれど動かない。今はまだ、動けない。

 

「時間通り……というわけではないようですが?」

 

 ゆっくりと歩み寄る黒ポンチョの男に、グリムロックは若干の苛立ちを載せて訊ねた。

 男はすぐには答えず、グリムロックの目の前まで寄って立ち止まる。口元に静かな笑みを浮かべ、抑揚の利いたテノールを発した。

 

「悪かったな。ネズミを撒くのに手間取っちまった」

 

 男の言葉に、グリムロックは目に見えて狼狽えた。

 

「尾行されていたと? なら貴方と僕がここにいるのも見られてしまったのでは?」

「いーや、そいつはノープロブレムさ。奴は今頃ダンジョンの中を駆けずり回ってるだろうからな」

「……だといいのですが」

「信用しろって。俺たちは云わばビジネスパートナーだろ」

「…………わかりました」

 

 グリムロックが小さなため息を吐く。男はそれを満足げに見た後、自然な動作でもう一歩グリムロックへ近寄った。それはどうやら声のトーンを落とすためだったようで、以降の会話は離れた位置にいる俺のところまでは届いてこない。

 

 けどまあ、グリムロックとあの男が繋がってることは確認できたんだ。これだけでも大きな収穫だ。奴はなかなか尻尾を出さないからな。

 

 それからグリムロックと男は五分ほど密談を続け、それが終わると今度は互いにウィンドウを操作し始めた。恐らく金かアイテムの受け渡しをしているのだろう。さっき奴が『ビジネスパートナー』だと言ったことからも、グリムロックが奴と何らかの取引を行っていることは明らかだ。

 

 取引が終わると、奴はまた小声で何かを耳打ちし、落ち着いた足取りで踵を返した。足音を立てることなく歩いていき、やがて黒ポンチョの後姿が森の中へと消える。

 

 またしても、脳裏に花のような笑みが浮かんだ。それが今度は血に濡れて赤く染まり、無邪気な笑みがおぞましい何かに変わっていく。あざといと感じたあの声が、身も凍る音に変質する。

 

 思わず背中を冷たいモノが流れ、ぶるっと身体が震えた。同時に吐き気と怒りが一緒になって湧いてくる。

 

 理性で衝動を抑えなければ駆け出してしまいそうだった。

 意識して深呼吸しなければ過呼吸になってしまいそうだった。

 

 それぐらいには、奴との間に因縁を感じていた。

 

「…………ハーッ」

 

 もう一度大きく深呼吸をする。今の仕事は奴を追うことじゃない。

 グリムロックと奴の繋がりを確かめ、可能ならばグリムロックを拘束し、奴の情報と物資の供給源を断つことだ。

 

 改めて広場へ視線を戻し、グリムロックを捉える。

 依然としてメニューウィンドウを操作しているらしく、見るからに隙だらけの状態だ。モンスターの出現しない《安全地帯》にいるのだから、それも仕方のないことかもしれないがな。

 

 そっとメニューを操作して槍を出現させる。音を立てないよう慎重に草陰から出て、姿勢を低くしたままグリムロックへ接近する。《攻略組》でもトップレベルと言われる俺の《隠蔽》スキルは見事に機能し、すぐ背後に立っても気付かれることはなかった。

 

 そのまま穂先をグリムロックの首筋に突きつけ《隠蔽》スキルを解除。

 

「……っ!」

「おっと、動くなよ。セーフティエリアにはモンスターこそ入ってこないものの、HPは減るんだからな。大人しくしてくれ」

 

 悲鳴を上げかけたグリムロックを制して、槍を向けたまま正面に回る。

 両手を上げる男の目はサングラスに隠れて窺うことができない。

 

「一部始終は見させてもらった。アンタには洗いざらい吐いてもらうぞ」

「……な、なんのことかな。僕はただ、夜月を眺めに来ただけで……」

「とぼけんなよ。アンタが奴と――《PoH》と繋がってんのはとっくに調べがついてんだ。今更何をどう誤魔化しても無駄だ」

 

 するとグリムロックはわずかに身体を硬直させた。一歩二歩と後ずさり、足をもつれさせて大木の根元に尻もちをつく。

 構うことなく穂先を喉に向けたまま槍を左手に持ち替え、メニューを操作しようと右手を上げる。

 

 その瞬間、《索敵》スキルの警報が頭の中に響き、思わず視線をそちらに向ける。

 

 

 

 視線の先には、数人のプレイヤーがいた。

 

 両手剣と長槍を持った前衛が二人。短剣を持った後衛が一人。

 そしてその間に、片手剣と盾を手にしたリーダーが立っていた。

 

 四人は程度の違いこそあれ、全員が驚きを以てこちらを見ていた。

 そしてその目は段々と怒りを宿し、やがて憎悪へと変わる。

 

「その槍を退けてください」

 

 口調こそ変わらぬ丁寧なものだった。

 だが声音にははっきりとした拒絶が載せられていた。

 

 《黄金林檎》のリーダー《グリセルダ》は、手にした剣を俺に向けた。

 

「夫から離れなさい。マイナー(・・・・)

 

 その呼び方が、既に俺を敵と見做していると明確に表していた。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 《マイナー》――。

 

 それはあの第一層のボス戦以降、俺に対して付けられた別称――蔑称だ。

 

 別に売れないロックバンド的な意味合いじゃない。

 英語で書くと《Miner》となり、訳せば《地雷野郎》という意味になる。アクセントは《マ》で、《イ》と《ナ》の間に小さな《ン》を入れるのが正しい発音だ。ここ、テストに出るからな。

 

 そんな下らないことは置いといて、この《マイナー》の指すところは文字通りだ。

 第一層のボス戦で『寄生プレイヤー』の名を欲しいままにした俺は、そのまま「出会えば害悪を被る最悪のプレイヤー」ということでこう呼ばれるようになった。

 今では天下の元ベータテスターを差し置いて、『絶対に関わりたくないプレイヤーランキング』で堂々の第一位に輝いている。いやー、有名になるって気分がイイナー。

 

 

 

 

 結局グリムロックを拘束することはできず、かといって《黄金林檎》の連中を傷つけるわけにもいかず、結果這う這うの体で逃げかえる形となってしまった。

 去り際、グリムロックが何やらほくそ笑んでいたのを見るに、もしかしたらやつは《PoH》に気を取られている間に彼らを呼んでいたのかもしれない。

 

 思えば《PoH》も最後何やら耳打ちしていたし、何ならアレも俺に気付いていた奴の入れ知恵だったのかもな。

 

 結局、収穫と言えばグリムロックと《PoH》の繋がりだけで、そのために俺は更に悪名を高めてしまったわけだ。

 大方「例の《マイナー》がまた一般プレイヤーから巻き上げようとしたらしい」とかなんとかいう噂が流れるんだろう。その程度で立場が危うくなるような善人で通ってないし、ほんとに今更だな。

 

 とまれこまれ、逃げ帰った先は第十二層の主街区にある一軒のアパート。四階建ての地味な建物だが、その実ここにはアインクラッド中の情報が集まる重要な施設だ。

 

 というのも――。

 

「ハー坊じゃないカ。どうしたんダ? そんな仕事に疲れたリーマンみたいな顔して」

「まんま仕事に疲れてんだよこっちは。ハァ……」

「ニャハハ。相変わらず目が腐ってるよナ、ハー坊は」

 

 ここのボスがこの《鼠》だからだ。

 

「オイ、お前が奴に逃げられたせいで余計な苦労してんだぞこっちは」

「アー、そいつに関してはオイラの落ち度だ。謝るヨ」

「…………別に、だからといってやることが変わるわけじゃなかったけどな」

「ニャハハ……。ハー坊はほんとーに捻デレだナー」

 

 だからなんだよその捻デレって……。俺はデレてねー。

 

「ハァ……。んじゃ、簡単に報告したらもう帰ってねるからな。一回しか言わねえぞ」

 

 そうして、アルゴに事の次第を報告していく。

 

 やはりグリムロックはPoHと繋がっていたこと。

 そしてグリムロックが何かしらの物資をPoHに融通していること。

 グリムロックの拘束には失敗したこと。

 

 俺の悪名が更に高まったことは今更なので割愛する。言ったところで待遇が変わるわけじゃないし、言っても気を遣わせるだけだからな。

 

「――こんなとこだ。俺はもう顔バレしちまったから、グリムロックには別のやつを回してくれ。今回のことで警戒してるだろうから、優秀なやつを回せよ」

「ハイハイ。わかってるヨ」

 

 ほんとにわかってんのかねー。つくづくこいつも読めないやつだからなぁ。

 

「んじゃ、俺は帰って寝るから」

「アー、ちょっと待って」

 

 踵を返しかけたところでアルゴに呼び止められる。

 聞き間違いか、いつもと口調が少し違う気がした。

 

 振り返ると、アルゴは普段の飄々とした態度ではなく、真剣な顔をしていた。

 

「ハチ、きみはもしかしてまた……」

 

 呼び方も口調も、《鼠のアルゴ》ではなかった。

 現実でそうなのであろう彼女の、そのままのものだった。

 

「…………なんでもねえよ。じゃな」

 

 今度こそ踵を返し、部屋を出る。

 外へ出て扉が閉まるまで、彼女の視線は背中に感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰もいない路地をゆっくりと歩く。

 

 仮住まいのある第十九層に帰るためには、この街の転移門まで行かなくちゃならない。第十二層の主街区《シャーラ》は《はじまりの街》ほどの広さはないが、山を削って作られた街らしく坂が多い。おまけに転移門がある広場は街の頂上にあるもんだから非常に面倒だ。

 

「…………めんどくせぇ。転移結晶使うか」

 

 それが手痛い出費であることは重々承知だが、今はそれすらどうでもいいくらいに疲れていた。ポーチから青いクリスタルを取り出し、手に持って一言呟く。

 

「――転移、《ナルヴォーク》」

 

 直後、青い光が視界を埋め尽くし、一瞬の浮遊感に捕らわれる。

 

 あの日、はじまりの街の中央広場に飛ばされたときと同じだ。

 

 

 

 

 

 

 西暦2023年4月3日。現在の最前線は第21層。

 

 これがここアインクラッドでの、最近の日常だ。

 

 

 

 




次回更新日は未定です。

ただでさえ仕事が忙しいのに、MHWまで始まってしまったので時間が……。
とはいえ、更新は続けていきますので末永くよろしくお願いします。


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第二話:それでも雪ノ下雪乃はつらぬいている

大変お待たせしました。ようやく仕事も落ち着く兆しが見えてきました。

第2章、2話です。ちょっと長めですが、よろしくお願いします。


 4月5日。

 

 この日、第21層の街《スータック》では《フロアボス攻略会議》が開かれていた。

 

 

 

 悪名高い《マイナー》とはいえ、俺も攻略組の端くれ。外せない用事がなければ会議には出席するようにしている。毎度毎度突き刺すような視線を向けてくる者も多いが、ソロ攻略による高効率なレベリングで、アインクラッドでもトップ10入りするくらいには経験値を稼いでるからな。直接文句を言ってくるやつはいないんだ。

 

 とはいえ、不定期に開催される攻略会議だ。会議の場所や時間は大ギルドのトップたちが決め、連絡役のプレイヤーからインスタントメッセージで伝えられるのが通例となっている。そうなると当然、嫌われ者の俺にはメッセージなんて届くはずもない。

 

 ではどうして毎回ちゃんと会議に出席できるのかと言えば――。

 

「おっす、ハチ、三日ぶり」

「おう。連絡ありがとな、キリト」

 

 このあどけなさの残る黒髪の少年と――。

 

「今回はちゃんと遅れずに来たのね。よかったよかった」

「ちょっとアスナさん? いつも遅刻してるみたいな言い方やめてくれる?」

 

 こっちの開口一番失礼な少女のお陰だったりする。

 

 どっちも第1層のときからの顔見知りで、盛大にやらかした俺とも未だに話す数少ないプレイヤーだ。ボス戦のときにはパーティーを組むことも多いし、たまに食事に行くこともある。会議の日時なんかもどっちかが知らせてくれるもんで、遅刻こそ数回あれど意図して欠席したことは一度もない。

 

「あら、そう言ってこの前のボス戦に遅れてきたのは誰だったかしら」

「あれはその……アレがアレで仕方なくてだな……」

「アハハ……。ハチは困ったらいつもそれだよな」

 

 会話もそこそこにキリトたちとは一旦別れ、会場の右手最後部に向かう。二人は気にしないと言うが、俺みたいな奴と一緒にいるところはなるべくなら見せない方がいいからな。

 

 長椅子の端に腰かけて、攻略会議の会場をざっと見渡してみる。

 会場となる場所の作りによって多少は変わるものの、基本的に俺はこの最後方という位置から会議を眺めるようにしている。話し合いに参加することなんてまずないしな。意見とか言ったところで一蹴されるし。

 

 今回の攻略会議の会場となったのは《スータック》の北端にある教会だ。本来なら祈りに来た人間が座るはずの長椅子に、攻略組の面々がグループごと固まって座っている。十数列ある長椅子の真ん中付近にいるキリトやアスナの他は、まだ俺に気付いた様子はない。

 

 左右の最前列付近には《DKB(ドラゴンナイツ・ブリゲード)》と《ALF(アインクラッド解放隊)》の二大ギルドが鎮座ましましている。どちらもギルドの精鋭を引き連れ、人数的にも戦力的にも他のギルドとは一線を画す雰囲気だ。

 ときどき互いを牽制するような視線を送りあってるのもいつものこと。こいつらは攻略に挑む姿勢が違うくせに、互いに自分たちこそがSAO攻略の要だと信じてる節があるからな。相手が同等の勢力を持ってることが気に食わないんだろう。

 

 《DKB》のリーダーは《リンド》という青髪の小柄な青年で、第1層のボス戦でディアベルのパーティーにいたやつだ。ついでに言えば、キリトにディアベル死亡の責任を押し付けかけたやつでもある。

 リンドはあのボス戦以降、ディアベルの後継者となるべく髪を染め、同じように騎士装をまとい、DKBのリーダーとして二大ギルドの片翼を担っている。問題の言動もあれ以降はだいぶ落ち着き、妙なことを言うことはなくなった。

 

 二大ギルドのもう一方――《ALF》を率いているのは、あの《キバオウ》だ。奴は第2層以降、自分たちこそがディアベルの後継だと言ってDKBとは別の集団を作り上げた。ギルドの方針としても、少数精鋭を効率最優先のレベリングで鍛えるDKBに対し、ALFは全員のレベルを引き上げて総力的に強くなる方針を取っている。

 ALFの方針はともかく、キバオウ自身は1層のボス戦からあまり変わった様子はない。持論を声高に叫んで周囲を振り回す姿は、この5か月あまりで何度も周囲を辟易させてきた。まあ、最終的にはあいつ(・・・)が抑え込むんだけどな。

 

 と、冷めた表情でキバオウを論破するあいつの姿を思い浮かべたそのとき、入り口の扉が音を立てて開いた。自然と目がそちらへ向き、射貫くような眼差しと交錯する。

 

「……来たのね」

「ああ、まぁな」

 

 受け流すように答え、視線を前へと戻す。

 それきりユキノは何も言わず、つかつかと前へ歩いていった。

 ちらと見渡せば、ユキノの到来にそわそわし始める攻略組の面々と、複雑な表情を浮かべてこちらを見るキリトとアスナ。なんでもないと手を振ると、二人は仕方ないとでも言いたげに前へ向き直った。

 

 数多くの視線を集めるユキノは、靴音を立てながら教会の前へと歩いていく。

 その姿は今や攻略組のみならず、アインクラッド中のプレイヤーの知るところだ。

 

 白地に水色の模様が入ったアシンメトリーの和装と内側には群青色の単衣が覗き、髪はうなじの辺りを白帯で括っている。鎧は革製の物が胸元を覆うのみで、スピードタイプの剣士によくある軽装だ。

 腰には一振りの刀が提げられていて、ただでさえ凛としていた雰囲気が輪をかけて研ぎ澄まされている。革のブーツが立てる高い音は、教会の最前――祭壇の前で止まった。

 

 音もなく振り向き、堂内の一同を見渡して、ユキノが口を開く。

 

「それでは攻略会議を始めます」

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 別行動をとるようになってからというもの、ユキノの成長は目覚ましいものだった。

 元々学習能力が高く、持ち前のセンスもあってどんどん強くなってはいたが、あのとき以降のあいつの成長はそれまでとは段違いのものだったのだ。

 

 単純なレベルだけじゃない。RPGというゲームジャンルに対する習熟しかり、あらゆる情報を集め分析する事務能力しかり、他のプレイヤーをも巻き込んだ指揮能力しかり、そして武器を扱った白兵戦能力しかりと、鬼気迫るとでもいう様相で自身を鍛え上げていったユキノはあっという間に攻略組のリーダーの座に着いた。

 

 第10層で《カタナ》スキルが解禁されてからは、それまで使っていたレイピアをあっさり捨てたことに驚いたもんだ。アスナに至っては細剣使いの仲間でもあったユキノが刀に乗り換えたことを心底残念がっていた。

 

 だがユキノには刀の方が合っていたのだろう。剣道もかじってたと言ってたし、実際刀を使いだしてからのユキノは攻略組でも最強クラスのキリトに匹敵する強さを見せている。

 

 そんなこんなですっかり攻略組を率いる立場となったユキノだが、就任以来彼女はその能力を如何なく発揮している。具体的に言えば、ユキノが初めて攻略組を指揮した12層以降、攻略速度は目に見えて早くなり、かつ犠牲者はゼロを記録し続けているのだ。

 この第21層も、到達から5日目の今日にしてすでに終わりが見えてきているんだから、その攻略速度は製作者の茅場昌彦もびっくりだろう。ここ2、3日下層にいた俺も驚いたわけだしな。

 

 

 

 攻略会議はものの三十分もする頃にはもう終わりに差し掛かっていた。ボスについての情報も、取り巻きについての情報も出尽くした感があり、対処法も参加予定の全プレイヤーに周知徹底が終わっていた。

 

 問題があるとすれば一つだ。

 

「――ほんで、ラストアタックはどないすんねん」

 

 ボス撃破までのフォーメーションがまとまったところで、キバオウがユキノに噛みついた。声には不満と敵意が見え見えに乗っている。

 

 対して、ユキノは表情を変えずに答える。

 

「陣形を崩されることがなければ、C、D、F隊のいずれかになるでしょう」

 

 下らないことをと言いたげなユキノの声に、キバオウはあっさりと声を荒げた。

 

「ほんならまたワイらは蚊帳の外かいな。毎度毎度ワイらを外しおって、ユキノはんは奴らを贔屓しとるんやないんか」

「いつも言っていることだけれど、あなたのそれは根拠のないものよ。ALFには高レベルのアタッカーがいないのだから、攻撃部隊に入れないのは当然だと思うけれど」

「それはユキノはんの足切りラインが高すぎるせいやろ。ワイらの方針じゃあそんラインを超えるんは無理やとわかるやろが」

「そう思うなら、レベリングの方針を変えるのね。レベルに劣るプレイヤーを連れていくのは攻略レイド全員の危険に繋がるのだから、再考の余地はないわ」

 

 あーあ、またやってるよあいつら。

 

 キバオウのあれはいつものことで、周囲のプレイヤーたちもうんざりした顔で他所を向いている。勝手に盛り上がってるのはキバオウとその取り巻きだけだ。やれやれ、いい加減大人しくなってくれんかねぇ。

 

 ちなみにキバオウの言った『足切りライン』とは、レイドに参加するために必要な最低限のレベルのことだ。これはボスの情報をもとにユキノが決めていて、攻撃部隊、防衛部隊、支援部隊ごとに設定されている。

 

 攻撃部隊はできるだけ多くのダメージを与える必要があることからか必須レベルが高めで、ギルドの方針として精鋭を持たないALFの面子ではこのラインに届かない。代わりにALFからはタンクで構成される防衛部隊に二部隊が出ているが、これは単純に防衛部隊の足切りラインが攻撃部隊よりも低いのが理由だ。

 

 今回のボス戦に参加するレイド内では、ユキノ、キリト、アスナの参加するC隊と、リンド率いるDKBのアタッカーで構成されるD隊、そして《風林火山》というギルドのリーダーを中心としたF隊が攻撃部隊に充てられている。ついでに言えばキリトの腰ぎんちゃくになるしかない俺もC隊の一員だったりする。

 

 散々喚いたキバオウだったが、ユキノに弁で勝てるはずもなく、十分ほどの口論の後に渋々引き下がった。

 その際、ユキノに次のボス戦時における足切りラインの引き下げを要求していたが、ユキノは「考えておきましょう」と事実上の却下を言い渡していた。これまで七回くらい同じ返答を聞いてるからな。キバオウの方も望み薄なのは察してることだろう。

 

 その後は各部隊ごと戦術の確認ということになり、会議はお開きとなる。

 ぞろぞろと教会を後にする面々を見るとはなしにやり過ごし、最後に歩いてきたユキノ、キリト、アスナに付いて外へと出た。

 

「…………ハチくん」

 

 しばらく町中を歩き、そろそろ沈黙が痛く感じられるようになってきた頃、ユキノが唐突に声をかけてきた。

 黙って視線を向けると、ユキノは顔だけを振り向かせた。

 

「あなた、当然のように付いてきているけれど、レベルは足りているの?」

 

 彼女の視線は射貫くかのように鋭く、冷たいものだった。

 

「当然だろ。じゃなきゃあの場にもこの場にもいない」

「なら、それを証明できるのかしら。言っておくけれど、もし規定に達していないのならば問答無用でパーティーからは外すわよ」

 

 有無を言わさぬ雰囲気のユキノ。これにはキリトもアスナもどうしていいかわからず、こっちとあっちの間で視線を行き来させる。

 

「あの、ユキノさん……? ハチくんにだって参加条件は伝えてあるし、ちゃんと準備もしてきたと思うから、そこまで厳しく言わなくても……」

「キリトくんとアスナさんの実力はよく知っているわ。フロア攻略の間も同じパーティーメンバーとして戦っているもの。けれど、彼は違う」

 

 アスナが宥めるように言うが、ユキノの視線は一向に鋭さが収まらない。

 

「いつもボス戦のときだけ姿を見せて、それ以外は何をしているかもわからない。そんな彼がボスに通用するだけの強さを持っているか、確認しないわけにはいかないわ」

「それは……そうかもしれないけど……」

 

 アスナの声が尻すぼみになる。せっかく気を遣ってくれたのに悪いことをしたな。

 とはいえ、ユキノの言うことはとても正しく、どこにも非を打つことができない。まったくの真実だった。

 

 短く息を吐いて、右手を小さく振る。出現したメニューのコマンドを二、三操作し、他人でも見られる状態にしてユキノの隣に並ぶ。

 

 ユキノは怪訝そうに俺のステータスを見ると、すぐに驚きを表情に浮かべた。

 

「いつの間にこんな……」

「見ての通り、俺のレベルは40だ。確か今回の足切りラインは38だったよな。なら、俺がボス攻略に参加しても問題ねぇだろ?」

 

 ユキノはしばらく呆然とウィンドウを見つめていたが、やがて目を細く歪めると顔を前に戻してさっさと歩きだした。

 

「……いいでしょう。ボス攻略への参加を認めます」

 

 はぁ……。どうにか参加の許可を頂けたようで何よりだ。

 ユキノのやつ、いつも狙ったように俺のレベルギリギリに足切りラインを設定してくるもんだから、毎度毎度ボス戦までのレベリングが忙しくてしょうがない。ALFの連中もそのせいで攻撃部隊を出せずにいるんだからな。

 

「ハチはソロなのに随分稼いでるんだな。俺やアスナとほとんど変わらないぞ」

「ほんとだよー。わたしたちは三人でガンガン狩ってるから安定して稼げるけど、ハチくんは一人でどうやってそんなに経験値稼いでるの?」

 

 ユキノが離れたのを見て、キリトとアスナがそっと近寄ってくる。単純な興味ももちろんあるんだろうが、それよりも多分、これはこいつらの気遣いなんだろう。

 

「ちょっと穴場な狩り場を見つけてな。このボス戦が終わったら教えるよ」

「それはそれは、楽しみだな」

 

 レベル上げ中毒(レベリングホリック)のキリトがそう呟くと、アスナはクスクスと笑みを浮かべる。最近じゃ、すっかりコンビっぷりが板についてきたな。

 

 

 

 それからも話しながら歩くこと五分ほど。到着したのは一軒のカフェだった。

 どうやらここが俺たちC隊の集合場所らしい。

 

 …………そういや、C隊って四人だけなのか?

 

「なあキリト、俺たちのパーティーって四人だけなのか?」

 

 ぽしょぽしょ耳打ちすると、キリトは同じように耳打ちで答えた。

 

「俺はもう一人いるって聞いてたんだけど……」

 

 どうやらキリトも詳細は知らないらしい。五人パーティーのようだが、それなら最後の一人はこのカフェにいるということなのだろうか。

 

 俺たちと同じく何やら談笑しているユキノとアスナについて店内に入る。白い木材を多用した明るい店だ。カウンター席が七つとテーブル席が四つあって、それなりに広い。

 

 最後の一人はそんなテーブル席の一つに座っていた。

 

「よぉお前ら、会議お疲れさん」

「……最後の一人ってお前かよ、エギル」

 

 そいつは数少ない知り合いの一人だった。

 

 両手斧を使う褐色の大男で、中層のプレイヤー相手の商売を副業としているプレイヤー。レベリングや素材集めの傍ら、余ったアイテムやなんかを中層のプレイヤーに卸しているらしい。

 

「おいおい、随分ご挨拶だな」

 

 エギルが苦笑いを浮かべる。

 真剣な顔をするとおっかないことこの上ないエギルは、けれど笑うと意外に愛嬌があるのだ。人柄も良く、ネットプレイヤーには珍しく人間ができている。

 

「では早速始めましょう」

 

 ユキノはそう言うと、さっさとエギルの隣の席に着いた。

 エギルのお陰で和やかだった空気が一瞬で冷却され、キリトとアスナは揃って苦笑いを浮かべて席に着く。エギルの向かいにキリトが座り、その隣にアスナ、そして俺は一人最下座へ腰を下ろした。

 

「まずは私たちC隊の役割から始めましょう。基本は――」

 

 全員の着席を確認して、ユキノが話し始めた。

 

 

 

 俺たちC隊の役割は単純で、出来る限りボスへダメージを与えることの一点のみ。

 ユキノ、キリト、アスナという攻略組随一の攻撃力を持つ三人を中心に、一撃の重さが必要ならエギル、多方向からのかく乱が必要なら俺という風に、各々の特徴を活かした攻撃を加えていく部隊だ。

 

 第21層のボスは《ウィル・オー・ザ・ウィスプ》。

 火の玉現象の一つとして有名な虚構の産物だが、このボスの場合は伝承やら噂やらにある通りの姿とは言えない。

 

 情報と偵察によれば、このボスの全高は2メートルほど。腕は太く長く、右手には鉈状の曲刀、左手にはランタンを持っているという。全身が影のような黒紫色で脚はなく、頭と両手がどういうわけかカボチャから生えているらしい。頭部にはランタンの灯と同じ色の青い目が揺れているんだとか。

 

 正直かなり不気味なボスだ。場合によっては威力偵察にとどまるかもしれない。

 

 というのも、攻撃力がそれほど高くないボスは必ずと言っていいほど特殊攻撃を持っているからだ。火を吐くとか、ボス部屋を水浸しにするとかな。以前、もっと下の層のボス戦でも特殊攻撃に苦しめられたことが何度かある。

 

 今回の《ウィル・オー・ザ・ウィスプ》に関しては寧ろ怪しい場所が多すぎるくらいだ。ランタンなんてあからさまに怪しいし、カボチャから頭と手が生えてるってのも妙だ。足がないってのも厄介だしな。《転倒(タンブル)》取れないし。

 

 この厄介なボスに対して、ユキノは二隊による攻略プランを提示した。

 ボスの攻撃を防ぐ防衛部隊が一つ、ボスへ攻撃を加える攻撃部隊が一つの二部隊をローテーションで回し、支援部隊二つと手空きの部隊で取り巻きの相手をするというのが基本の戦術となる。

 

 ボスを相手取る二隊は、タンクが攻撃を防いで出来た隙に攻撃を加え、ボスの硬直が解ける前に退避するという堅実な戦法。そして何か特殊攻撃が繰り出された場合は、リザーブの五部隊から二部隊を一時的に前線へ送り、前線の二部隊が態勢を立て直す時間を稼ぐというものだ。

 

「足の無いボスがどう移動するかはわからないけれど、前衛のタンクが対応できないほど素早いということはないでしょう。HPを削った後はともかく、最初は正攻法で構わないと思うのだけれど、異存はないかしら」

 

 一通りの説明を終えて、ユキノはそう締めくくった。

 大したもんだと思う。聞いてた限りじゃ穴らしい穴はないし、とても数か月前までゲーム素人だったとは思えない。

 

「いいんじゃないか。ボス戦なんだし、手堅い過ぎるくらいで丁度いいと思う」

「わたしも、ユキノさんの案に賛成」

「だな。俺もそれでいいと思う」

 

 キリト、アスナ、エギルがそれぞれ頷く。

 ユキノは彼らを順に見て、そして最後にこちらへ視線を向けてくる。

 

「あなたも、それでいいわね」

「……一つ聞いておきたいんだが」

 

 俺も基本的にはユキノのプランでいいと思う。堅実過ぎるせいで時間はかかるだろうが、その分安全性は折り紙付きだろう。想定外の事態に対処する腹案もある。

 

 だが一つ、気になっていることがあるのだ。

 

「今回も、偵察戦はしないつもりか?」

 

 言うと、ユキノの目がキッと細められた。

 

「その必要はないと考えているわ。現状集められるだけの情報は集めたし、把握したボスの外観と整合性も取れている。安全マージンは十二分にとってあるし、各パーティーをギルド毎にまとめているから個々に連携も取れるでしょう」

 

 理路整然と、ユキノが偵察戦など不要と主張する理由が肉付けされていく。それら一つ一つを聞いていけば確かに、余計な手間と費用をかけてまで偵察戦などする必要もないかと思わされそうになる。

 

 だが同時に、俺にはユキノが偵察戦を避けるための言い訳を並べているように聞こえた。

 

「――つまり彼我の戦力に差がある今、偵察戦などする必要はないのよ」

「必要はない、ねぇ……」

 

 果たして本当にそうだろうか。

 より安全に、より確実にボスを倒すために、偵察戦はやはり必要なのではないか。

 

 情報を集めた? 外観を把握した? 整合性が取れている?

 

 だからどうだというのか。

 情報があるから、動きが予想できるから、大丈夫だと言い切れるのか。

 

 情報にない攻撃、動き、状態異常、雑魚mobの出現など、挙げればいくらでもあるのだ。

 そのどれかが致命的な失策に繋がる可能性はあるし、そうでなくても想定外の事態に遭えば動揺もするし、ミスもする。小さな原因が命取りになることもあるのだ。

 

 なら、これで十分などと決めつけることなく情報を集めるべきだし、なんなら偵察戦を何度やってもいい。もちろん回復薬や結晶はタダじゃないが、命には代えられないからな。

 

「本当に、そう思うのか?」

「…………それは」

 

 問い詰める気はなかったが、それでも声音は鋭くなっていた。

 ユキノは一瞬だけ視線を逸らした。長い睫毛がまばたきと同時に静かに揺れる。

 

「…………偵察戦を行うことの有用性は認めているわ」

 

 だが、それもわずかな時間のことでしかない。すぐに視線を戻すと、さっきよりも強い意志を感じさせる瞳で俺を見据えた。

 

「けれど、そのために時間と物資を余計に消費するわけにはいかないもの。有用な情報を持ち帰ろうと思えば、決戦ほどではないとはいえ少なくない費用がかかるのだから。仮に偵察戦を行うことになったとして、そんな利益の無い戦いに今の攻略組プレイヤー全員がわざわざ参加すると思う? 偵察戦には参加せず戦力を温存するギルドが必ず出てくるわ。それならいっそ、主力のプレイヤーは参加させずに二軍以下で……」

 

 鋭い眼差しで俺を捉えながら、ユキノは早口でまくしたてる。思いつく理由をすべて並べ立てようとしているみたいだった。

 それをこの場で唯一の大人であるエギルが窘める。

 

「そのくらいにしとけって」

「…………失言だったわ。撤回します」

 

 確かに失言と言えば失言だろう。ここにはボス戦に参加する人間しかいないとはいえ、参加しない、或いは参加できないプレイヤーを『二軍』と呼んでしまうのは。

 

 スッと、アスナがテーブルに両手を置いた。視線は手元に落とされていて、両手の指は互いを包むように握られている。

 

「ねぇ、その偵察戦ってさ、もしやるとしたら、みんなでやるんだよね?」

 

 確認の言葉なのに、その声音はあまりにもか細いものだった。

 それがいやに耳に残る。

 

「それは……、できる奴がやればいいんじゃねぇの」

 

 そう言いはしたものの、誰が最も適任かなんてわかりきっていることだ。

 最も効率よく、生存性も高く、そして多少の出費では揺らがない資産の持ち主については言明するまでもない。

 

 太陽の高度が落ちてきたのか、店内に差し込む光が赤みを帯びてきた。昼間と違って陰影のはっきりしてくる時間帯のせいか、全員の表情が暗いものに感じられる。

 

 不意にそれまで俯いていたユキノが顔を上げた。

 

「偵察戦は、やはり行わないことにしましょう」

「その方がよさそうだよな……。攻略組も今はまだ完全な一枚岩ってわけじゃないし」

 

 キリトが頷くと、ユキノは短くため息を吐いて続ける。

 

「いずれは偵察専門の部隊、ということもできるでしょうけれど。ともかく、今回は初めから決戦のつもりで戦い、想定外の事態に際しては即時撤退する。この方針で行きましょう」

「いいんじゃないか」

「わたしも、それでいいと思います」

 

 エギルとアスナが賛同し、ユキノはどこかホッとしたように頷く。それから僅かな逡巡を挟んで、目線がこちらへ向いた。

 

「それでいいわね」

「まぁ、そうだな。無理してやる必要もないしな」

「……ええ」

 

 ユキノが言葉少なに答える。それで話はおしまいだ。

 あとは明日、攻略組全員で集合して、ボスを倒しに行くだけ。

 

「じゃあ、俺は帰るわ」

「あ、ちょ、ちょっとハチくん……!」

 

 さっさと立ち上がり、アスナの制止も聞かずに店を出る。

 

 

 

 

 

 

 路地を歩いて角を曲がり、五分ほどで目当てのモノが見えてくる。

 

 《スータック》の東の門。そしてその先に、天の蓋まで続く巨大な柱。

 

 足を緩めず進み、圏外の境界まであと十数メートルというところまで来たとき。

 

「止まりなさい」

 

 背後からユキノの声が聞こえてきた。

 立ち止まり、振り返る。

 

「勝手な行動は許さないわ。もし一歩でも外に出たのなら、攻略レイドから外すわよ」

「……なにしようが俺の勝手だろ。明日の朝までには帰ってくるっての」

「そうはいかないわ。不本意ではあるけれど、現状あなたも攻略レイドの一員で、明日のボス攻略で果たす役目があるの。下手なことをして計算が狂うのは避けるべきだわ」

 

 どうやらお見通しということらしい。

俺がこのまま迷宮区へ行こうとしてたことも、一人で偵察戦しようとしてたことも。

 

「今日は大人しくこの町に留まりなさい。これは、そう、レイドリーダーとしての命令よ」

「…………そうかよ」

 

 回れ右をして歩き出す。東門とは逆方向の、町の中心部へ向かって。

 

 すれ違いざまぽつりと。

 

「……変わらないと、そう言うのね」

 

 ユキノの言葉に自然と足が止まる。

 

 いつかもそんなことを言われた気がする。だが、あの時の言葉とは含んでいる意味がまるで違う。諦めるような、終わってしまったような、そんな温度のない言葉だ。

 それがちくちくと俺の胸を苛んでくる。この四か月間で何度となく感じたものだ。

 

「…………まぁな」

 

 それだけ答えて、足を繰り出す。

 それ以上ユキノが追及してくることはなく、遠巻きに見ていたキリトたちが寄ってくることもなく――。

 

 

 

 第21層フロアボス攻略の前日は、こうして更けていった。

 

 

 

 




次回更新は来週末を目指して頑張ります。


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第三話:依然として、比企谷八幡の道は変わらない

またしても遅刻してしまいました。すみません。

2章の3話です。よろしくお願いします。


 孫氏曰く、『彼を知り己を知れば、百戦して(あや)うからず』。

 

 つもるところこれは情報収集と戦力分析の大切さを説いたものだ。戦う相手の事情に精通し、それに対して的確に自軍の戦力をぶつけることができれば、どんな戦いにも勝つことができるって理屈だな。

 孫氏が言ったと知ってるかはともかく、言葉自体は誰もが聞いたことあるだろう。

 

 だがこの有名な一文には続きがあったりする。

 

 一つは『彼を知らずして己を知れば、一勝一負す』というもの。敵の情報収集が不十分でも自軍の戦力把握ができてるなら、互角に戦うことができるという意味だ。

 

 もう一つは『彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず(あやう)し』というもので、これは情報収集も戦力把握も不十分な場合を示している。言うまでもなくこれじゃ勝負にはならず、孫氏も『必ず殆し』というくらいに負けの目が濃くなるレベル。

 

 敵味方の戦力がある程度拮抗してる場合って前提はあるが、これらの言葉は戦闘――特に現代兵器のような強力な飛び道具のない戦闘においてかなり大事なことだ。まあSAOじゃあ一人一人の戦力が現実と比べものにならないくらい高いから一概には言えないが。

 

 ともあれ、情報収集と戦力分析は大切なことだ。

 では今回のフロアボス攻略にあたって、この二つが十分かと考えてみる。

 

 戦力分析に関しては文句のつけようがない。

 攻略組に所属する七十余人のプレイヤーの大まかなレベル、使用武器、所持スキル、技量、装備の充実度などなどの膨大なデータは、そのほとんどがレイドリーダーであるユキノに集められ、彼女自身の頭脳によって分析・計算・シミュレーションが行われている。

 そこから主要ギルドのリーダーたちを含めた閣僚会議を経て結果がはじき出されるため、殊自軍の戦力分析に関してはこれ以上ないものだ。つまり、孫氏の言う『己を知れば』は達成されていると言っていい。

 

 問題なのは情報収集の方だ。当然、情報収集も戦力把握と並行して行われてはいるものの、こっちに関しては万全とは言い難い状況だった。

 

 そもRPGを筆頭としたゲームにおける情報収集と言えば、多くの人間は真っ先に市販の攻略本やWeb上の攻略ページを思い浮かべることだろう。

 だがSAOに閉じ込められている俺たちにネットサーフィンする手段はないし、攻略本に関しても同じ名前のガイドブックこそあるものの、こっちはアルゴを中心に誰かが駆けずり回って集めた情報をまとめただけの代物だ。

 

 なら俺たちにできる情報収集とは何かと考えると、それは町や村での聞き込みやクエストの過程で耳にする噂話であったり、フィールドやダンジョンに散りばめられたヒントの数々から推察したものであったりと、心許ないものばかりだ。

 

 最近は新しい層に到達したその日からフロア中を駆け回っての情報収集が行われているものの、五日やそこらじゃどこかしらに見逃しが出てくるのは仕方ないことだろう。

その中にボスに関しての情報が――それもとびきり重要な情報が紛れていたとしても、誰かが責任を負うようなことじゃない。

 

 

 

 だからこれも、今直面してるこの状況も、誰かに責任を問う必要はないのだ。

 

 

 

「おいおい、なんだよこれ……」

 

 第21層迷宮区の最奥部。

 このフロアの主が待ち構えるボス部屋の真ん中で、俺は思わずため息を吐いた。

 

 フロアボス攻略が始まって5分と少し。

 事前に集めた情報と多少の齟齬はありながらも、攻略レイドは順調にボスのHPを削っていき、この短い間にもう四本あるHPバーの最初の一本を消し飛ばすに至った。味方には大きなダメージを負ったプレイヤーはなく、順調すぎるくらい順調に戦闘は推移していた。

 

 だがここはプレイヤーの期待を裏切ることに定評があるSAOだ。これまでもあったボスの行動パターンの変化が全体の四分の一でしかないこの時点で早くも発動し、ボスに挑むプレイヤーたちを驚愕させた。

 《ウィル・オー・ザ・ウィスプ》のとった行動とその結果に、俺を含むこの場の全プレイヤーが目を見張ったのだった。

 

 視界前方では、奇怪な見た目のボスがケタケタと不気味な笑い声を上げている。その笑い声が聞こえてくるのはカボチャで出来た顔からなのか、はたまたカボチャの上で揺れるまっくろくろすけのような球状の影からなのか。

 不気味この上ないのは間違いないが、ため息の原因はそこじゃない。

 

 現在進行形で頭を抱えたくなる要因は、ボス自身じゃなくその周囲にこそあった。

 

「なんかしてくるかもとは思ったが、まさかこんなことをねぇ……」

 

 HPバーの最初の一本を失ったボス。奴は5秒ほどじっと動きを止めた後、唐突に左手のランタンから青い炎を周囲にまき散らしたのだ。

 最前線にいたD隊とE隊の面々は即座に後退したお陰で直撃は免れたが、どうやらボスの狙いは単純な攻撃じゃなかったらしい。

 

 突然、炎の着弾した場所からカボチャ頭のmobが這い出してきたのだ。部屋いっぱいに敷き詰められた土から見る見るうちにカボチャが生え、そのまま立ち上がっていった。

 

 冗談のような見た目の怪物だった。

 人間の頭と同じくらいのカボチャには目と鼻、口を模した穴があり、目の奥には先程ボスが放った青い炎がゆらゆらと揺れているのが見てとれる。ボスと同じ影のような手には鍬やらスコップやらの農工具が握られ、どいつもこいつもが歩いてくる。

 

《ジャック・オー・ランタン》と表示されたmobだが、不気味な見た目や武器も去ることながら、なにより厄介なのはその数だ。

 

 ボスの飛ばした炎の玉は約三十個。その大半が地面に落ちてカボチャの戦士に変わったため、出現した敵mobの数も三十くらいだろうか。

 鈍重な動きを見る限り一体一体はそれほど強くないのだろうが、なんせ数が数だ。ボスに二パーティーを割いている今、ほとんど一対一で戦わなきゃならない。

 

 いきなり現れた軍勢を前に、攻略組の面々は息を呑んで硬直してしまう。

 その間にも重い足取りで四方へ歩き出すカボチャたち。そのうちの多くは前衛に立つD、E隊へ向かっていた。このままこいつらを放置してたらやばいのは明らかだ。

 

「……っ! いけない」

 

 俺と同じ結論に至ったんだろう。我に返ったユキノが各方面へ指示を飛ばし始める。

 

「A、G隊は右翼、B、H隊は左翼を迎撃。F隊は距離を取って状況を見つつ各隊の援護を。D、E隊はボスへの攻撃を中断、取り巻きの掃討を優先」

 

 ユキノの指揮に、若干のタイムラグがありながらも各隊から了承の声が返る。各隊のプレイヤーがそれぞれ目標を定めて斬り掛かり、そのまま乱戦に突入した。

 

 一方、ユキノはそれで止まることはなく、今度は俺やキリト、アスナに向かって早口で指令を下す。

 

「C隊は各自散開して各個撃破。敵の数を減らして」

 

 おいおい、随分大雑把な指示だな。けどまあ、この状況じゃ仕方ないか。

 

「「了解!」」

「任せろ」

「はいよ」

 

 返事もそこそこに駆け出す。正面にはキリトとアスナが、左にはエギルが向かったので、俺は右側面へ。

 

 ボス部屋の外周寄りをダッシュしながら、手近なカボチャへ槍を突き込んでいく。ソードスキルは使わず、速度に物を言わせただけの単発突きだ。

 それでも敵HPの三割ほどを削れるのだから、やはりこいつら一体一体は大した強さじゃないんだろう。他のプレイヤーに干渉しないよう動き回りながら槍を振り回していると、あっという間に三体ほどを倒すことができた。

 

 

 よし、この分なら――。

 

「うわああぁぁ!」

 

 直後、爆発音と共に聞こえた悲鳴に、視線をそちらへ向ける。

 

 そこにはHPを大きく減らして倒れるプレイヤーと、メラメラ燻る青い炎があった。

銀の分厚い鎧と群青の衣装を見るに、あれはE隊のプレイヤーの一人だろう。確かDKBに所属する高レベルプレイヤーだったはずだ。装備もタンク役らしく防御力を重視したもので、そうそう大ダメージの憂き目に遭うことはないはずなんだが……。

 

 と、相変わらずのケタケタ笑いを続けるボスが左手のランタンを掲げた。中で燃える青い炎が一層大きくなる。なんだあれ。

 

 ボスの挙動を見てるやつが他にもいたんだろう。E隊の一人が焦ったように声を上げた。

 

「やばいぞ! またあの火の玉だ!」

 

 途端、前線の二パーティーの面々が慌て始めた。ボスから距離を取り、全員の視線が今やランタンを包まんばかりの炎に注がれている。激しさを増す炎は次第にランタンから離れていき、そして――。

 

「……なるほど。さっきの悲鳴の原因はアレか」

 

 ボスの頭上に、直径60センチほどの青い火の玉が発生した。あんなバカでかい炎喰らったらシャレにならないぞ。高レベルのタンクが大ダメージを負ったのも頷ける。

 

 ふと、ボスが一際大きな笑い声を上げ、右手の鉈を振り上げた。それから鉈をくるりと持ち替え、腹を正面に向けて持つ。

 おいおい、まさかとは思うが、あいつアレで火の玉打ってくるんじゃねえだろうな……って、おい、マジで打ってくるのかよ!

 

 ウィスプがカッキーンとホームランした火の玉はまっすぐ正面に飛んでいく。幸い速度自体は大したことない。これならよく見てれば誰も当たったりなんかは――。

 

「――っ、おい、ちょっと待て!」

 

 慌てて駆け出す。道中の敵やプレイヤーは無視し、最短距離をダッシュで抜けていく。

 

 二つに割れて避けるD、E隊。その向こうに、残り少ないカボチャ頭のmobを斬り伏せるユキノの姿が見えた。こちらの状況には気付いた様子がなく、ならば当然巨大な火の玉が近付いてるなんて知る由もないだろう。このままじゃ直撃するコースだ。

 

「ユキノ、避けろ!」

「え……」

 

 ようやく振り向いたユキノが間近に迫る火の玉を目にした。彼女の瞳が大きく見開かれ、逃げようと体の向きを変える。

 だが運の悪いことに、そちらにはまだHPを残した《ジャック・オー・ランタン》が残っていた。駆け出し始めに鎌が降ってきて、ユキノは咄嗟に刃を受け止める。

 

 一瞬の硬直。けれどその一瞬はあまりにも致命的な一瞬だった。

 

 その一瞬で、自力で避けることはできない距離に火の玉は迫っていた。

 

 

 

 気付いたときにはもう動いていた。

 

 

 

 ポーチからナイフを抜き、《投剣》スキルの《シングルシュート》を使用。

 

 《軽業》スキルを使って斜め前方に跳び、空中で《チャージスラスト》を発動。

 

 自由落下の速度に加え、システムアシストの加速も重ね掛けした俺は、ナイフが火の玉に突き刺さるその瞬間、ユキノの間近をSAO至上最速に違いないスピードですり抜けた。

 

 すれ違いざま、がっしりとユキノの腰を抱えて。

 

 その結果――。

 

「きゃっ!」

「うおっ……ああぁぁあっちぃ!」

 

 背中に爆発の熱を感じながら、どうにかこうにか着地に成功。地面を十メートル近く滑った末にようやく停止する。

 

 はぁ、心臓に悪い。二度とやりたくねぇな。どれどれHPはっと…………あー、今ので2割持ってかれたか。思ったよりダメージでかいな。

 

「…………放しなさい」

 

 っと、ユキノを抱えたままだった。

 

「ほれ。……無事でよかったな」

 

 そう言ってユキノを放すと、彼女は切れ味抜群の眼差しで睨んできた。

 

「あなたは……そうやっていつも……」

「はっ? いつも、なんだって?」

 

 なんだ、こいつ。なんでこんな今にも泣きそうな顔してるんだ。俺に腰抱えられたのがそんなに嫌だったんですかねぇ……。

 

「…………いいえ、なんでもないわ。助けてくれたことは感謝します」

 

 ユキノはいかにも事務的な口調でそう言って、ボスへ視線を向けた。

 つられてそっちを見ると、ウィスプは再三の火の玉を作り出しているところだった。奴は三発目のそれをD隊の集団に向けて打ち飛ばす。ゆらゆらと火の玉が空中を走っていく。

 

 とはいえ、大したスピードもない攻撃を避けないやつはいない。D隊の面々は若干焦りながらも移動して火の玉の射線から逃れた。――ように見えたそのとき。

 

「って、おい、追尾すんのかよ」

 

 火の玉は走るD隊の一人を追いかけ、逃げる剣士の背中に当たって爆発した。ぐぐっと目に見えてHPが減り、背中から煙を上げて倒れる。

 

 ボスの笑い声が響く。奴はひとしきり笑った後、またしてもランタンを青く輝かせ始めた。

 どうやらあの火の玉攻撃は何度も繰り返されるもんらしい。波○拳の連発じゃあるまいし、そういう嵌め殺し的なのは勘弁してくれよ。

 

「厄介ね。どうにかしないと……」

「…………手がないこともないけどな」

 

 言うと、ユキノが刺突属性の眼差しを向けてくる。いや怖いから。

 

「お前も見ただろ。あの火の玉は何かしらの攻撃で誘爆させられるんだよ」

「《投剣》で撃ち落とすつもり? けれどすぐに次が来るわよ」

「そうだ。だからできる限り引き付け続ける必要がある」

 

 幸い、あの火の玉はそれほど速くは飛んでこない。射線から逃れるだけならそう難しくもないだろう。

 問題なのはあの追尾性能だ。いくら避けても追ってくるんじゃ、いずれは捕まる時がくる。高確率で当たる大ダメージ攻撃なんて相手にしてたらとてもじゃないがもたない。

 

「できる限り長く回避を続けて、どうしようもなくなったら《投剣》で誘爆させる。そうやって引き付けてる間に、残りのやつでボスを攻撃すればいい」

 

 説明し終えたとき、どういうわけかユキノの目は据わっていた。

 

「それを、あなたがやると言うの?」

「…………他にできるやつがいないならな」

 

 言いつつ、半ば確信していた。今の攻略組にそれができるやつはいない。キリトが惜しいとこではあるが、あいつの《投剣》スキルはおまけみたいなもんで実戦段階にはない。

 

 ユキノはじっとこちらを睨んでくる。腕を組んで、唇を引き結んで。何かを堪えるように喉を震わせて、それでもユキノは何も言わない。

 

 時間にしておよそ15秒。その間にも状況は動き、前線からは新たな爆発音が一つ聞こえた。これ以上は戦線の維持に差し障る。

 

 そう思ったところでようやくユキノが口を開いた。

 

「……そのやり方を認めるわけにはいかないわ」

 

 思わず反論しようとしかけたところで「けれど、」と彼女が続けた。

 

「他に方法がない。すぐには思いつかないのだから、あなたの案を取り入れるしかない。だから――」

 

 腕を解き、ボスへ視線を戻して、ユキノが俺に命令を下した。

 

「躱しなさい。一つたりとも被弾することは許さない。一発でも被弾するようなら、今回の戦闘は中断し、撤退するわ」

「…………そうかよ」

「ええ。そうよ」

 

 まったく。とんだ役目を与えられたもんだ。なんだって? 追尾性能付きの火の玉を引き付けて、なのに一発も当たるなって? 随分無茶なことを言ってくれんじゃないの。

 

 しかも失敗したら撤退するって? それで逃げたんじゃ俺の責任みたいになっちゃうじゃない。後ろ指さされること請け合いよ? あ、それいつものことだったわ。ハチマンうっかりー。

 

「はぁ……。難易度上がってんじゃねえか、まったく……」

 

 よござんす。あっしが引き受けてしんぜやしょう。

 

 軽く一息吐いてから、ボスへ向かって走り出す。《ウィル・オー・ザ・ウィスプ》は相変わらずの笑い声を上げながら、ちょうど火の玉を打とうとしている。

 

 走りつつ、空いている左手でナイフを握る。奴の頭上でメラメラと燃える青い炎を狙って《シングルシュート》を発動。ウィスプが鉈で火の玉を打つ直前、ナイフが刺さり、ボスの直上で青い爆発が起きた。

 

 ボスのHPがぐっとゲージの1割ほど削れる。ふつうにソードスキルを撃ち込むよりデカいダメージだ。投げつけるもんがあるならこの方がよっぽど効率がいいかもしれない。

 

 とはいえ、爆発の煙が晴れると、ボスの目は完全に俺を捉えていた。新たな火の玉が作られ、それをこっちに向かって打ち込んできた。

 ぐんぐん迫る炎を寸でのところで避け、すぐに別の方向へダッシュする。予想通り、火の玉も方向を変えて追ってくる。

 

 さあ、追いかけっこの始まりだ。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 二十分後。

 

 ボス部屋の隅でぐでーっと横になる俺に、パーティーメンバーの一人が近付いてきた。

 

「よぉ、お疲れさん。しっかし、お前さん、またえらく注目を集めたな」

 

 褐色の頭を剃り上げた斧使い兼雑貨屋店主(エギル)だ。

 

「集めたくて集めてんじゃねぇよ。見世物じゃねえっての」

「そうは言っても、あんなもん見せられちゃあな」

 

 確かに自分でもびっくりな動きをしてた自覚はある。けど仕方ないだろ。火の玉が一つ程度なら跳んだり跳ねたりしなくてもわけないが、途中から三つになって、最後には五つになったんだ。《軽業》と《投剣》フル活用しなきゃ被弾してたぞ。

 

「まるでサーカスの曲芸師みたいだったな」

 

 ニカッと笑うエギルにため息を吐いて体を起こす。

 

 見れば部屋の中央ではユキノを中心に話し合いが行われていた。被害や損害の確認と、さっきの戦闘の反省会みたいなもんだな。毎度のことだが、キバオウが何やら噛みついてユキノに一蹴されていた。懲りないやつだ。

 

 少し離れたところではLAを取ったアスナが何人かのプレイヤーに囲まれ、その様子をキリトがどこか面白くなさそうに見ている。するとF隊リーダーの侍っぽいやつが傍に来て、キリトはそいつにどつかれた。いいぞ、もっとやれ。

 

 立ち上がり、軽く服を叩いてから、部屋の奥へと歩き出す。

 

「なんだ、一人で行くのか? もうちっと待ってても……」

「さっさと帰って寝たいんだよ。待っててもやることねーしな」

 

 答えると、エギルは困ったような笑みを浮かべた。やれやれ、しょうがないなとでも言わんばかりの表情だ。見抜かれてるようで面白くない。

 

「んじゃ、後で祝勝会でも開くか。お前さんもちゃんと来いよ?」

「そんなボッチに優しくないとこには行かねぇよ」

「まったく……」

 

 エギルのため息を背に聞きつつ、ボス部屋の奥の扉をくぐる。そこには大きく螺旋を描くような形の階段があって、これが次の第22層へ繋がっているのだ。

 

 ボス部屋を出て階段を上がる。と、ふと視界の隅で何かが瞬いているのが見えた。

 

「……ん? なんかメッセージはいってんな」

 

 視界左上で点滅する手紙のアイコンは、フレンドやなんかからインスタンスメッセージが届いていることを通知するものだ。迷宮区内では基本受信しないんだが、次の階層に繋がるこの階段でだけはちゃんと機能するようになっている。

 

 メニューウィンドウを開いてメッセージ欄に飛び、新着メッセージを開く。

 

 差出人欄にはアルゴの文字、件名は『速報』とある。

 

 ドクンと胸が締め付けられるの無視して中を開いた。

 

 

 

『あのネーチャンの行方が分かった』

 

 

 

 それはここ最近待ち続けた、あいつの――パンの行方についての情報だった。

 

 

 

 




というわけで、3話でした。

今回は構成にえらく悩みました。
戦闘シーンを延々書くのもどうかと思ってのこの形なのですが……。
自分の文章力・構成力の至らなさを痛感した次第です。

仕事の方も落ち着いてきたので、少しは更新ペースを上げられるといいかなと思ってます。なので次回更新は今週末を目指して頑張ります!


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第四話:そこはかとなく、彼らは危険な香りがする

構成の都合上ちょっと短いですが、4話です。
よろしくお願いします。


 例えば。

 例えばの話である。

 例えばもし、一人用RPGのように一つだけ前のセーブデータに戻って選択肢を選び直せたとしたら、人生は変わるだろうか。

 

 答えは否である。

 

 それは選択肢を持っている人間だけが取りうるルートだ。最初から選択肢を持たない人間にとって、その仮定はまったくの無意味である。

 故に後悔はない。より正しく言うのならばこの人生のおよそすべてに悔いている。

 

 そもそもだ。

 今更という話もある。たらればを言い出せばきりがないし、言ったところで何かが変わるわけもない。選択し、決定した時点で引き返すことは不可能だ。

 ifもパラレルもループも存在しない。だから結局のところ、人生のシナリオは一本道なのだ。可能性を論じること自体が虚しい。

 

 俺がまちがっていることなど先刻承知。だが世の中のほうがもっとまちがっている。

 戦争とか貧困とか差別とかまぁいろいろやらかしてくれてるし、人気ギルドにはそうそう入れないらしいし、バイトしようものなら鼠にこき使われるだけなんてざらもざら。

 あっちやこっちの世界のどこに正しさがあるというのか。まちがっている世界における正しさなど、正しさとは呼べまい。

 

 ならば、まちがっている姿こそは正しかろう。

 

 失うことがわかりきっている関係を結ぶことになんの意味があるのか。

 いずれすべては失われる。これは真理だ。

 

 ただ、それでも。

 失われるからこそ美しいものもある。

 

 いつか終わるからこそ、意味がある。停滞も閉塞も、つまりは安息も、きっと看過して甘受していいものではない。

 

 必ず喪失することを意識すべきだ。

 いつか失くしてしまったものを時折そっと振り返り、まるで宝物みたいに懐かしみ慈しみ、ひとりそっと盃を傾けるような幸福も、きっとある。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 嫌な夜だ。

 澄み切ったような星空、そしてさわさわと頬を撫でる涼しい風。木々の間には癒しを齎す甘やかな香り。

 

 まったく嫌な夜だ。

 

 第21層のボス戦を終えてすぐの、眠るには早い時間。

 夜型のプレイヤーが狩りに励んでいてもおかしくないこの時間は、普段なら俺みたいな悪目立ちしてる人間がうろつく時間帯じゃない。現に街からここまで来る間、何組かのパーティーが活動しているのを見かけていた。

 

 彼らが安全な街からフィールドに出るのには理由がある。

 積極的、能動的な理由で行動するプレイヤーも確かにいるだろう。だがまぁ、金がないから、仲間がそうしているから、流れからはじき出されないようにするためだから、なんて理由の奴だっているだろう。

 つまるところ何かを得るため、そして、失わないために人は行動するのだ。

 

 ふと、森の途切れた場所に小さな池を見つける。畔まで歩いていって、そっと水面を覗き込んだ。

 水に映る顔はやはり控えめに見ても並以上には整っていて、それでいながらどんよりとした瞳は並どころか超高校級で腐っていた。

 

 それでこそ俺。これでこそ比企谷八幡(ハチ)

 

 これまでと変わることのない自分に満足して俺は再び足を繰り出す。

 森を抜けると、崩れかかった遺跡が横たわっているのが目に入った。中央やや右手に入り口らしい穴がある。

 

 あの遺跡がアルゴの寄越した情報の――。

 

 脳裏に一人の少女の笑顔が浮かぶ。

 明るく快活で、距離の近すぎる女の子。時々母国の言葉が混じりながらも不思議と話しやすい雰囲気の、年上とは思えない女子大生。繕うことなく好意を表してくれたアイツ。

 

『I love you, Hachi ! Would you marry me ?』

 

 ……まったく。ほんとおかしなやつだ。

 だいたい、知り合って二日で「結婚しよう」とか急すぎるだろ。どんだけ男らしいんだよ。平塚先生以上だわ。危うく惚れて貰われちゃうとこだったぞ。

 

 遺跡の入り口前まで来て、一度立ち止まる。

 外観は石造りのそれほど大きくない遺跡だが、階段が下へ向かって伸びてるのを見る限り広さはそこそこありそうだ。探索には時間が掛かるかもしれないな。

 

 少しだけ躊躇う。

 なんせボス戦からそのままだから回復薬は減ってるし、結晶の残りも若干心許ない。武器の耐久値も万全じゃないし、何より精神的な疲れがずっしりと圧し掛かってきてる。

 

 そもそもアルゴの寄越した目撃情報はこの遺跡の外でのもので、中にアイツが入ったとは限らない。よしんば入っていたとしても、ダンジョンの中で人を探すのは難しい。すれ違いの可能性もあるし、ダンジョンの奥から直接結晶で脱出してる可能性だって十分ある。

 

 諸々の状況を加味し、リスクとリターンを天秤に掛け、そうした上で俺は――。

 

「…………行くか」

 

 目の前に佇む遺跡型ダンジョンへ足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 結論から言って、パンはそこにはいなかった。

 そもそもアルゴが寄越したのも単なる目撃情報で、本人がいるなんて期待していたわけじゃなかったしな。その目撃情報もほとんどないやつだからこうしてわざわざ出向いたってのはあるが、いないもんは仕方ない。

 

 とはいえ、一切の手掛かりも掴めなかったのには少し応えるものがあった。

疲れを押してここまで来て、危険を冒してダンジョンを探し回った。三十近い戦闘を重ね少なくない傷を負い、挙句手に入ったのは美味しくもない経験値と金とアイテムの数々だ。

 

 正直、心身ともに疲れ切っていた。

 

 この日ばかりじゃない。

 およそ一週間おきに行われるボス攻略戦の合間には最前線でのレベリングと情報収集を行い、アルゴの下でバイトをこなし、時間を見つけては行方不明のパンを探し……。

 ほんと、我ながら見事な社畜生活を送ってる。ちょっと前の俺が聞いたら自分の頭の正常さを疑うレベル。いやマジで俺大丈夫か……。

 

 

 

 ――だからかもしれない。

 

 

 

「あの……大丈夫ですか?」

 

 心配そうに覗いてくる彼らの、明らかに中層をメインとする一般プレイヤーとわかる彼らの、どこか温かな雰囲気に惹かれてしまったのは。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

「えっ、一人で三時間もこのダンジョンを探索してたんですか?」

 

 声を掛けてきたプレイヤー――ギルド《月夜の黒猫団》リーダーのケイタは、疲労の理由を問われて返した答えにとても驚いたようだった。

 

 けどまあ、それも仕方ないことだ。こんな辺鄙な場所にあるダンジョンに単独で籠る物好きはそういない。しかも三時間といえば探索時間にしちゃ相当な長さだ。だから彼の反応としては驚き半分で、残りの半分は軽く引いてたってのが正しい。

 

「どうして……そんなこと……」

 

 と、今度はケイタのパーティーメンバーの一人が呟いた。黒髪の大人しそうな少女で、声がどことなくユキノに似ている。

 

「まぁ、ちょっと人を探してて……」

 

 ユキノ似の声だからというわけではないだろうが、何故か正直に答えてしまった。

 

「人探し? こんなところで?」

「どんな人なんだ?」

 

 続けてニット帽のシーフと癖毛の激しい槍使いが訊いてくる。っていうかこのパーティー、後衛ばっかだな。ひと様のパーティー構成にケチをつける気はないが、にしたってこれはバランス悪すぎだろ。

 

「まあまあ、みんな落ち着けって。そんな一気に訊いたら答えられないだろ」

「テツオの言う通りだぞ。すみません、うるさくって」

「いや、別にうるさいってほどじゃないから」

 

 ガタイの良いメイス使いとリーダーに窘められて静かになる一同。随分と仲が良い連中だ。まるで葉山や三浦たちのグループみたいな。

 

「えっと、よかったらその探してる人の特徴とか訊いてもいいですか? もしかしたらどこかで見かけてるかもしれないですし」

 

 ケイタが人の良い笑顔を浮かべる。周りの連中も程度の差こそあれ、みんな似たような笑顔を向けてきていた。

 そこに打算や企みの色はなく、ただ純粋に力になろうと考えているかのようだ。半年間同じ部室で過ごした『彼女』と同じような……。

 

「…………金髪の派手な女性プレイヤー、なんだけどな」

 

 気付けば、そう口にしていた。

 どうにもさっきからおかしいな。言わなくてもいいことを言ってるし、何より頭より先に口が動いてる気がする。

 

 だめだ。どうしてかこいつらといると必要ないことまで口走ってしまいそうだ。

 ここはさっさと別れて宿に帰――。

 

「あ、多分あの人じゃない。ほら、昼間フィールドですれ違ったすごくきれいな外人さん」

 

 思わず黒髪の少女の肩を掴んでしまった。いきなり、割と強めに、けっこうな勢いで。

 

 アイツのことを見たらしい彼女は、驚きを通り越して完全に怖がっていた。

 そりゃそうだ。俺だってこんな目の腐った奴にいきなり肩を掴まれたらビビる。

 

 けど、この瞬間の俺にそんなことを慮る余裕はなく、彼女のパーティーメンバーがギョッとしてるのにも気付かず、ただ一言を口にするのでやっとだった。

 

「その話、詳しく聞かせてくれ」

 

 

 

 

 

 

 所変わって、現在地は第11層主街区《タフト》の酒場。

 詳しい話を聞きたいと詰め寄った俺を諫めたケイタが、とりあえず食事でもとこの店に案内したためだ。

 

「えっと……お昼過ぎにフィールドですれ違った人がそんな感じだったの。金髪で、すごくきれいな人で、多分、日本人じゃないと思う……」

 

 黒髪の少女――《サチ》は、テーブルの対角から震える声で改めて説明してくれた。

 控えめに言っても滅茶苦茶怖がられてるのが少し傷つくが、これに関してはどう考えても俺の自業自得なので仕方ない。

 

「そいつの装備はナックルだったか?」

「なっくる……?」

 

 あらら、サチはナックル自体知らないのか。

 

「簡単に言えば、籠手の大きなやつだ。ボクシングのグローブみたいな」

「あ、それなら確かに付けてたかも……。フィールドにいるのに武器を持ってなくてちょっと変だなって思ったから」

 

 なるほど。どうやら間違いなさそうだ。

 そう思ったとき、サチは気になることを口にした。

 

「でもその人のパーティー、なのかな、ちょっと変わってて……」

「アイツはパーティーを組んでたのか?」

 

 するとメイス使いの青年――《テツオ》が頷く。

 

「ちゃんとパーティーを組んでたかはわからないけど、四人組と合流してたよ」

 

 続けてニット帽のシーフ――《ダッカー》が頭の後ろで両手を組む。

 

「見るからに怪しい連中だったよなぁ」

「怪しい? どんな感じで怪しかったんだ?」

 

 この問いには癖毛の槍使い――《ササマル》が答える。

 

「まあ、女の子以外みんなフード被ってたもんな」

 

 ぞわっと、震えが胸から全身に広がった。

 

「そうそう。遠目だからわかりづらかったけど、腕には包帯が巻いてあったり、妙なお面被ってたりさ。アレ、絶対チューニビョーだぞ」

「なるほど。お前と一緒だな」

 

 からかうテツオに「なんだとぉ」と掴みかかるダッカー。それ見て笑うケイタとササマル。サチもくすくすと笑みを浮かべている。……本当に仲が良いんだな、こいつら。

 

 と、俺の視線に気付いたらしいケイタが苦笑いを浮かべて言った。

 

「いやー、うちのギルド、現実ではみんな同じパソコン研究会のメンバーなんだよね」

 

 ああ、なるほど。

 だから俺はこいつらを温かいと感じたのか。

 

 あの温かい、紅茶の香りのする部屋を思い出すから。

 

「…………情報、助かった。ありがとな」

 

 ともあれ、思わぬところで貴重な情報を貰えた。

 

 アイツがこの11層にいたということ。

 そしてアイツが『奴ら』とパーティーを組んでいるかもしれないということ。

 

『ワタシ、ハッチのためなら何でもするよー。So, anything for you…』

 

 最後に見たアイツの笑顔。

 底抜けに明るいそれまでの笑顔とは違う、甘く痺れるような、人を堕落させる(あやかし)のような笑顔。

 

 アイツは、パンは――。

 

「ハチさん……?」

 

 呼びかけられて我に返る。そこには戸惑うケイタの顔があった。

 

「……なんでもない。情報料は払うし、ここの代金も俺が持つから」

 

 それきり立ち上がり、メニューを操作して食事と飲み物の支払いを済ませる。

 さらにメニューを操作して相場に二割ほど上乗せした額を選択、オブジェクト化しようとしたところで、ケイタが慌てて俺の手を止めた。

 

「あの!」

 

 手を掴まれたのもそうだが、ケイタの真剣な声音にも驚いて手が止まる。

 

「お代は結構です。その代わりと言ってはなんなんですが」

 

 直後、ケイタは俺に驚くべき提案をしてきた。

 

「僕たちに、攻略のアドバイスをしてもらえませんか?」

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 翌日。

 

 俺は16層の主街区に程近いフィールドに来ていた。《月夜の黒猫団》リーダーのケイタから情報の対価として要求された『攻略のアドバイス』を行うためだ。

 

 歩きながらケイタは困ったような苦笑いを浮かべ、敬語の取れた口調で言った。

 

「僕ら、レベル的にはこの層でも十分狩れるはずなんだよ。ただ、スキル構成がさ……もう気付いているとは思うけど、前衛ができるのはテツオだけでさ。どうしても回復が追っつかなくて、戦ってるうちにジリ貧になっちゃうんだよね」

 

 それにはもちろん気付いていた。

 敵の攻撃を受ける前衛が一人しかいないんじゃ、その前衛が回復してる間を支えきれないからな。最低でもあと一人、前衛できる人間が欲しいとこだ。

 

 ケイタもそれは承知なのだろう。

 彼は「それでなんだけど」と手を上げ、パーティーの一人を手招きした。

 

 小走りでケイタの隣に並んだのは、槍使いのサチだった。

 彼女はケイタの陰に隠れるようにしながらそっとこちらを窺い見ていた。明らかに怖がられてるよねこれ。自業自得とはいえ、オレ泣いちゃうよ。

 

「こいつ、見ての通りメインスキルは両手用長槍なんだけど、ササマルに比べてまだスキル値が低いんで、今のうちに盾持ち片手剣士に転向させようと思ってるんだ。でも、なかなか修行の時間も取れなくて。サチの練習がてら、アドバイスなんか貰えたらなーって思ったんだ」

 

 サチの頭にケイタの手が置かれる。

 彼女はそんなケイタを不満げに見上げた。

 

「何よ、人をみそっかすみたいに」

 

 サチはぷくっと頬を膨らませてから、拗ねたような口調で言った。

 

「だってさー、私ずっと遠くから敵をちくちく突っつく役だったじゃん。それが急に前に出て接近戦やれって言われても、おっかないよ」

「盾の陰に隠れてりゃいいんだって何度言えば解るのかなぁー。まったくお前は昔っから怖がりすぎるんだよ」

 

 どうやらケイタとサチはただの高校の同輩というだけでなく、それ以前からの馴染みらしい。大人しそうなサチが不満を隠すことなく口にするのも、ケイタが苦言をさらっと口にできるのも、そんな昔馴染みという関係性からくる気安さなのだろう。他の三人も同じ部活の仲間というだけあって見慣れているらしく笑っている。

 

 けれど、そうして黒猫団の面々が笑っている間、サチの笑顔だけが繕ったもののように見えたのは、似たような笑い方をするやつを知っていたからかもしれない。

 

「……片手剣も盾も門外漢ではあるが、知識と立ち回りくらいなら教えられる」

「十分だよ。よろしく、ハチ」

 

 ケイタの首肯を得て、もう一度サチへ視線を向ける。

 彼女は槍を両手で胸に抱いて、何かを諦めてしまったかのように微笑んだ。

 

「えっと……よろしくね」

「……おう」

 

 その微笑みが、どこか懇願するようなものに見えたのは、俺の気のせいだろうか。

 

 

 

 




今回は短めな話でした。
次回更新は久々に三日以内でいけたらいいなと思います。


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第五話:どこまでも、彼女は底が知れない

黒猫団の扱いに困り、サチへのフォローの仕方にも困りました。
どうにか形にはできましたが、矛盾が生じないかどうか……。

ともかく5話です。よろしくお願いします。


 黒猫団の状況はやはりというかなんというか、なかなかに厳しいものだった。

 

 盾持ち槌使い(メイサー)のテツオが前にいる間はまだいい。敵の攻撃を防ぎ、生じた隙をメイスで広げ、後衛とスイッチしてダメージを与えていく。後衛が攻撃した後は再度テツオとスイッチして前後を入れ替え、再び防御姿勢をとる。

 この繰り返しで安定して戦闘を回すことができている。

 

 だが前衛がいくら盾を持っているとはいえ、すべての攻撃をノーダメージで防ぎきることは難しい。強攻撃を受ければ少なからず防御を抜けてダメージが入るし、手数の多い攻撃では防御が間に合わない場合もある。いずれはHPを回復する必要が出てくるわけだ。

 

 黒猫団の問題はそこにあった。

 テツオが回復をしている間、前衛を受け持てるメンバーがいないのだ。

 

 そこで白羽の矢が立ったのがサチだ。彼女はササマルと同じ両手長槍を主武装としているものの、そのスキル熟練度はいまいちでダメージ稼ぎにあまり貢献出来ていなかった。

 リーダーのケイタはそんなサチを今のうちに盾持ち片手剣士に転向させ、テツオのリザーブをさせようと考えたらしい。他のメンバーもこれに賛成で、パーティーの構成的にも前衛が二人となれば問題は解消されるのは間違いない。

 

 ただ一つ、サチの心情という点を除けば。

 

「シャアア!」

「きゃあっ……!」

 

 モンスターの攻撃をどうにか防ぐサチ。ラージシールドに隠れるように身を竦め、目線は完全にモンスターから離れている。単純な攻撃だからどうにか凌げてはいるものの、動きの素早いやつや力の強いやつが相手では通用しないだろう。

 

「サチ、スイッチ!」

 

 ケイタが叫んでサチと入れ替わり、モンスターにソードスキルを打ち込む。その間にサチは後ずさりし、十分距離を取ってようやく盾を下ろした。傍目から見ても彼女が怖がっているのは明らかだ。

 

 とてもじゃないが見ていられない。前衛転向がどうのというレベルじゃなく、そもそも戦闘自体向いてない。寧ろここまでやってこれたのが不思議なくらいだ。

 

 それから二度のスイッチを経た後、サチと入れ替わりで前に出たテツオの攻撃が決め手となってモンスターは消滅した。直後、一同から歓声が上がる。

 

 敵を倒して喜ぶ彼らをしばらく眺め、それから一度呼び集めた。

 

「お疲れさん。とりあえずここまで見させてもらったわけだが……」

 

 さて、どう切り出そうか。頭ごなしに言っても納得しないだろうし、かといって言わずにおいたら自力で気付くかどうか。

 

 ひとまず、現状の解説から始めるか。

 

「今の戦闘、お前ら自身はどう思った?」

「どう……って言われても……」

 

 問いかけに対し、誰もがどう答えたらいいかわからず首を捻る。ダッカーやササマルに至ってはどうしてそう訊かれてるのかすらわからない様子だった。

 

「……いや、悪い、漠然とし過ぎだった。そうだな、具体的にどこをどうしたらもう少し安全に、効率よく戦闘ができるかってのを少し考えてみてくれ」

 

 いまひとつピンとこないらしいので、具体例を挙げてみる。

 

「例えば今の戦闘の場合、倒すまでに掛かった時間はおよそ5分、消費した回復アイテムは《ポーション》が一つだ。で、さっきの《キラー・マンティス》から手に入る経験値は約1800、コルは900、あとは素材アイテムと極低確率で曲刀がドロップする。確率に関しては一概にゃ言えないが、曲刀はほぼ出ないと見ていい。となると――」

 

 ウィンドウを呼び出し、簡易的なテキスト画面を展開。そこに細々とした数字を入力していき、可視状態にして黒猫団の面々に提示する。

 

「一人あたりの収入は良くて220コル。これじゃ宿代程度にしかならんわけだ。しかも今回は《ポーション》一個使ってるから実際はもう少し減るだろう」

 

 そこまで説明する間に、もう五人の顔から笑顔は消えていた。

 

「……別にお前らのやり方を否定するつもりはない。これでも半日やればそれなりの稼ぎになるしな。生活費としてなら十分だ。けど、もしお前らがもっと上の層を目指すつもりなら、もうちょい考えた方がいいぞ。どうすれば効率よく戦えるのか。どうすれば被ダメージを減らせるのか。どうすればアイテムの消費を抑えられるのか、とかな」

 

 瞬間、五人のうちの一人が僅かに肩を震わせて視線を落とした。

 慣れない前衛を強行して《ポーション》を使う羽目になったサチだ。

 

 正直、サチは戦闘から外すべきだと俺は思う。

 彼女に戦闘は向いてない。前衛なんて猶更だ。

 

 SAOでの戦闘において、前衛に求められるのはステータスだけじゃない。リアリティの段違いなこのゲームの戦闘では、本能的な恐怖心が湧き上がってくる。爪やら牙やら刃やらが自分に向かって襲い掛かってくるんだ。そりゃ誰だって怖いに決まってる。

 

 そんな中で前衛に立つには、恐怖に立ち向かう胆力が必要になってくる。襲い来る攻撃を冷静に見極め的確に防御できなきゃ、いくらステータスを上げようが意味がない。

 

 それをサチのような大人しい女の子に求めるのは酷だろう。

 そして無理を続けた場合、危険な目に遭うのは彼女だけでは済まないのだ。

 

「……少し話せるか。できれば二人だけがいい」

 

 苦い顔を浮かべるケイタを促して場所を変える。

 他のメンバーから離れたとこまで移動して、戸惑うケイタへ単刀直入に切り出した。

 

「サチは、戦闘から外すべきだと思う」

 

 ケイタは驚き目を見張り、けれどすぐに食い下がってきた。

 

「サチが前衛に慣れてないのはわかってる。転向を始めてすぐだからね。けど戦闘から外すべきだなんて、どうしてそんなこと……」

 

 どうやらケイタはサチが必要以上に怖がっていると気付いていないらしい。彼女と昔馴染みでありながら……いや、だからこそ、それが問題だと思ってなかったのか。

 

「怖がりなやつは前衛に向かないんだよ。似たようなやつは半年間嫌ってほど見てきたからな。あいつの場合、前から怖がりだったんだろ。そういう根本的な部分はまず治らないし、なにより本人にとっても酷だろ」

「っ……。ならせめて、今までみたいに後衛なら……」

「それでサチが負い目を感じなくて済むならいいけどな。前衛転向を断念して仕方なしに後衛で付いていくとか、そんな針の筵に耐えられると思うか?」

「…………」

 

 口を引き結び、拳をきつく握って、それでもケイタは頷かない。

 リーダーとして、メンバーのために心を砕いているからこそだろう。

 

「一応、アドバイスは続ける。けど期待はしない方がいい。お前らが上の層を目指すなら、いずれは考えざるを得なくなるからな」

「……わかった。それで構わない。けど僕は、できるようになるって信じてる」

 

 絞り出すように言う。ケイタにとってそれは苦渋の決断のようだ。

 ケイタにはケイタの考えがあるんだろう。本人の希望も、仲間からの期待もあるはずだ。サチ自身が無理だと言わなかったってのもあるかもしれない。

 そういう諸々をひっくるめた上でどういう決断をするかは、ケイタと黒猫団次第だ。

 

 二人でメンバーの元へ戻る。四人は不安げな表情で俺たちを待っていた。

 

「何話してたんだよ」

「ハチは何だって?」

 

 すかさずダッカーとササマルがケイタに駆け寄り、こちらを窺いながら詰め寄った。俺に散々ダメ出しされた後での密談だ。そりゃ気になるのも仕方ない。

 

「いや……ちょっと追加でアドバイスを貰ってただけだから」

 

 ひとまず他のメンバーには話さない方針らしい。ケイタはそう言って誤魔化した。

 

 彼の苦笑いを横目に見つつ、俺は俺でサチの方へと向かう。

 彼女は胸の前で手を握り、じっと俯いていた。

 

「サチ」

 

 呼びかけるとびくっと身体を震わせる。恐る恐る顔を上げ、叱られるのを覚悟した子どものような目で見上げてくる。なんだかこっちが申し訳なってくるな。

 

「まあ、その、なんだ……最初からうまくできるやつはいないんだ。あんま気にすんなよ」

「…………うん」

 

 だからなんでそんな泣きそうな顔するんですかねぇ。俺が悪いみたいじゃないですか。

 いや、まあ、確かに俺が追い詰めるような言い方したんですけどね。仕方ないでしょ。お仕事だもの。

 

 サチの近くまで行って、人一人分離れた場所に腰かける。

 

「なぁ、戦うのは怖いか?」

「それは……」

「ああいや、答えたくなけりゃ答えなくても構わねぇよ」

 

 言うと、サチは少し迷った後、一人分のスペースを保ったままで同じように腰かけた。

 

「……これは俺の友達の友達の話なんだがな」

 

 そう切り出すと、サチは訳がわからないと言った様子で窺い見てくる。

 

「そいつが中学二年のときの林間学校での話だ。一泊二日の林間学校では例年肝試しを行うんだが、そこはさすがに中二。あの手この手で脅かそうと係の奴は盛り上がるわけだ。で、そいつは幸か不幸かその係に任命されていて、他の奴らと一緒にどうしたら肝試しを盛り上げられるか考えていた」

 

 「あ、私もやったことある」と、サチは意外にも食いついてくる。

 

「迎えた本番当日。そいつは与えられた役通りに着替えて配置に付いて、クラスの連中が近付いてくるのを待っていた。真っ暗な林の中、周囲には風が木々を揺らす音。待ってるだけなのに怖くて仕方がない。『早く来ないかな』と震えていたそのとき一組の足音が。満を持して飛び出した。

『う、恨めしや~』

『うわっ! なにこいつキモ!』

『う、恨めしや~』

『きゃあ! キモいのよ!』

『う、恨めしや~』

『はぁ? なにお前キモいんだけど』

『う、恨めしや~』

『えっ、なにこいつ、マジキモい。ちょっとやめてくんない』

 そうして全組が終わった後で俺は月を見上げて涙を流した。しかも翌朝起きてみると、いつの間にかそのときの写真が出回ってたんだ。『怖い(キモい)』とかいうタグ付きで」

 

 するとサチは戸惑いの声を漏らす。

 

「え、えっと、あなたの話だったの?」

「ちょ、ばかお前。誰も俺の話とか言ってねーよ。あれだよ言葉の綾だよ」

「でもさっき俺って……あれ?」

 

 俺の弁解に混乱したようにサチが首を捻る。

 気を取り直して話を続ける。

 

「まあ、要するにあれだ。誰にだって怖いもんくらいあるってことだよ。問題はそれとどう向き合うかだろ。逃げるにしろ立ち向かうにしろな」

 

 そう言うとサチはまた手元へ目を落とした。

 

「でも、みんな頑張ってるのに私だけ……」

 

 自分だけ逃げることが嫌なのか、負い目を感じるのか、或いはそれで関係が壊れるのが怖いのか。サチが何を思ってそう口にしたのかはわからない。

 

 けど、これだけは言える。

 

「一緒に戦うことだけが攻略なんじゃないと思うぞ」

「えっ……?」

 

 何を言っているのかわからないとでも言いたげな顔だ。

 まあこればっかりは人によって意見の分かれるとこでもあるしな。

 

「例えば生産職になって後方支援に回るとかな。人によって攻略に貢献する方法なんざいくらでもあるだろ。言ってしまえば戦闘も手段の一つでしかないんだよ」

 

 サチはきょとんとしている。寝耳に水な話だったかもな。

 

「ま、考え方は人それぞれってことだ。ちょっと考えてみたらどうだ?」

「う、うん……わかった」

 

 とりあえずといった感じではあるが頷くサチ。

 

 これで何かが変わるかどうかはサチ次第だ。それがどういう結論であれ、サチが自分で決めたことなら、ケイタや他の三人も反対はしないだろう。

 

 

 

 その後狩りを再開したもののすぐには上手くもいかず、やはりサチはモンスターの攻撃を怖がっているようだった。結果、連携が安定せず、それを見たケイタが今度は過剰にサチを退かせてはテツオが割を食うという場面も目立った。

 

 その都度メンバーはサチを励ますのだが、サチの性格上それは逆効果だ。恐怖を押して無理をして、挙句不必要にダメージを食うという悪循環。そうなっては俺も止めざるを得ず、二時間の狩りを終える頃には、サチはまたしても意気消沈してしまった。

 

 

 

「なんか悪かったな。アドバイスを依頼されたのに」

「……いや、ハチのせいじゃないよ。多分、遅かれ早かれこうなってたんだと思う」

 

 《タフト》の転移門広場で、わざわざ見送りに来てくれたケイタが言った。

 彼の後ろには黒猫団の四人がそれぞれ違う表情を浮かべて並んでいる。テツオは呆れたような顔で、ダッカーはむすっとして、ササマルは俺を睨んで、そしてサチは申し訳なさそうに俯いていた。

 

 彼らの一歩前に立って、けれどケイタだけは真剣な、決意を宿した目で俺を見る。

 

「でも、今はまだ上手くいかないけどさ、頑張って練習すればサチだって克服できるって思うんだ。誰だって最初からできるわけないんだし、これから練習していけばきっと……!」

 

 そう言って意気込むケイタの向こうで、彼女は一人小さく息を吐いていた。

 極小さな、ため息ともつかない一息は、何を思ってのものだったのだろうか。

 

「……じゃあな。何かあったら、メッセージでも飛ばしてくれ」

「ありがとう。そうさせてもらうよ」

 

 最後にちらっとサチを見てみる。

 彼女は俺の視線に気付くと、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。

 

 

 

 こうして《月夜の黒猫団》への指南は、満足とは程遠い結果に終わった。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 黒猫団と別れた後、俺は宿のある19層の主街区《ナルヴォーク》に戻ってきた。

 

 洞窟の中に築かれた《ナルヴォーク》は、日中でも灯りが欠かせない街だ。

 街だけじゃない。この19層はフロアのおよそ八割が地下空間の地底フロアになっている。しかも残り二割のうちのほとんどが迷宮区だから、実質地上と呼べる場所はほとんどない。

 加えて数少ない地上エリアはすべてがダンジョンの奥地であり、道中には酸性の粘液やら麻痺性の毒やらを多用してくるモンスターがうじゃうじゃいるせいで、このフロアの地上エリアに来るプレイヤーはほとんどいない。

 

 ま、その分、景色は格別なんだけどな。

 深い峡谷にポツンと立つ岩山の頂上から眺める景色は、壮観の一言だ。

 

 切り立った断崖は登るのも下りるのも不可能なほどの急斜面というか最早壁。その所々に鳥の巣が点在していて、人間の倍はあろうかという猛禽類の姿が見える。

 洞窟の中にはあの巣に繋がる道も存在していて、化け物じみたあの鳥とも戦うことはできるが試したことはない。足場が悪すぎるからな。落ちたら即死だし。

 

 遥か眼下には川があり、峡谷の間をあっちこっちへ曲がりくねって流れている。

 川辺に出る穴もあり、そこには魚人型モンスターの集落があるんだが、以前受けたクエストに『魚人族の卵を取ってくる』ってのがあった。報酬が美味しかったんで一度はクリアしたんだが、よくよく考えてみれば「これって子どもの誘拐なんじゃね?」と思い至ってしまいなんとなく後味が悪かった。

 

 遠く東の方角には迷宮区の塔が見える。19層の迷宮区は縦に吹き抜けの構造になっていて、しかもそこかしこに落とし穴のトラップがあって警戒したもんだ。あんまり危ないんで『危険』と書いた看板を置いて回ったら、後でユキノに怒鳴られた。解せぬ。

 

 フロアボスは巨大な鷲で、前にタンクを並べようが問答無用で後衛を狙ってくるもんだから苦労した。翼を燃やせばいいってことに気付かなきゃ、死人が出てたかもしれない。飛べなくなった後は滅多打ちにされていて、あのときは少しボスが気の毒に感じたな。

 

 

 

 山頂の岩に腰かけて、天蓋と地平の間に沈む夕陽を眺める。

 どの層にいようが見られる光景なのでさして珍しくもないが、この19層でならイチャつくカップルを見かけることもない。

 

 だからというわけではないが、ここから見る景色は割と気に入っていた。

 

「…………そういやアイツを最後に見たのもこの層だったな」

 

 ふと思い出す。

 アイツを――パンを最後に見たのはこの19層のとあるダンジョンの中だった。

 

 1月半ばに別行動をとるようになって以来、パンに遭ったのは初めてだった。

 二か月近く探しても見つからず、かといって黒鉄宮に生存確認しに行く気にもなれず、もやもやしたまま攻略を続けていたときだった。

 

 あの日、折悪しくこの19層で口うるさい連中に絡まれていた俺は、面倒だからとダンジョンの中にそいつらを誘導して撒こうとした。レベルもそれなりだったし、放っておいても死ぬようなことはないだろうと高を括っていたんだ。

 

 だがあまりに静かなんで様子を見に行ってみれば、そいつらは全員麻痺毒を喰らって倒れていた。慌てて周囲のモンスターを一掃して、謝罪がてら解毒薬を人数分投げたわけだ。

 

 けどそいつらにとって、俺はよっぽど目障りだったんだろう。解毒薬を飲んで麻痺から回復するや否や、あっという間に俺を囲んで剣を突き付けてきやがった。

 

 仕方なく、結晶を使って逃げるか、《軽業》で強行突破しようか迷っていたそのとき、突然アイツが現れたんだ。

 

 

 

 そのときのことは今でも鮮明に覚えている。

 

 

 心臓を鷲掴みにされたような気分だった。

 

 アイツの言葉に、態度に、行動に、周囲の一切の景色と音が消えた。

 

 目の前のアイツだけしか見えなくなった。

 アイツの囁く声しか聞こえなくなった。

 一挙手一投足が身体を震わせた。

 

 俺はあのとき――。

 

 

 

「ハッチ」

 

 

 

 不意にそんな空耳が聞こえた気がした。

 そんなわけがないと知りながら振り向き、いるはずのない顔を見つける。

 

 そうだ。

 

 アイツはあのときもこんな風に――。

 

「…………久しぶりだな、パン」

「Long time no see. 会えて嬉しいよー」

 

 落ちたら最期の奈落のような、けどどうしようもなく惹かれる笑みを浮かべていた。

 

「今更聞くまでもないが、どうしてこんなとこにいるんだ?」

「ワオ、本当に今更だね。言うまでもないでしょー」

 

 ケラケラと、パンは恍惚の笑みを浮かべる。

 

「11層で見かけて、ずっと追いかけてきたんだよ。Darling♡」

 

 なるほどな。追いかけてるはずが、いつの間にか追いかけられてたってわけか。つくづく前と同じだな。

 

 腰掛けていた岩から立ち上がり、パンと向かい合う。

 

「さあ、Darling――」

 

 パンは蕩けるような笑みを浮かべたまま、両手を広げて歩み寄ってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一緒に逝こう♡」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 笑う彼女のカーソルは犯罪者(オレンジ)色に染まっていた。

 

 

 

 




というわけで、噂のアイツ再登場会でした。

次回更新は週末くらいになるかと思います。


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第六話:いきなり彼女は強襲する

大変お待たせいたしました。
本当に見通しの立たない仕事ほど嫌なものはないですね。
ハァ……。もっと趣味に費やす時間が欲しい。

ということで6話です。
今回も少し短めですが、よろしくお願いします。


「一緒に逝こう♡」

 

 蕩けたような笑顔を浮かべて、パンはそう言った。

 両手を広げ、すぐにでも抱きしめんばかりに歩み寄ってくる。

 鳩尾のあたりがぞわぞわっと震え、思わず一歩身を引いた。

 

「一緒に行こうって、どこに行くってんだよ……」

「アハハ! どこへも、どこまでも、だよー」

 

 まともじゃない。そう思った。

 熱に浮かされたように笑うパンは、パッと見以前の彼女と変わりない。輝く金の髪も色白の肌も青い瞳も、初めて会った頃と同じだ。ここはSAOというゲームの中で、彼女の姿はアバターのものなのだからそれも当たり前のこと。

 

 けれど、目の前にいるパンの雰囲気はまるで違う。

 底抜けに明るくて妙に馴れ馴れしくて、それでいて相手を不快にさせることはない花のような笑顔の彼女とは似ても似つかない。見た目が同じなだけの別人と言われても納得できるくらいだ。

 

 間近に迫ったパンの両手が頬に触れる。白く長い指がそっと頬を撫でて、柔らかく仄かに温かな感触が顎先まで流れて離れる。さっきと同じ震えが下半身まで伝わって、もう少しで立っていられなくなるところだった。

 

「フフ♡ 震えてるDarlingもカワイイ」

 

 パンは痺れるような甘い声で笑い、少し低い位置から見上げてくる。深い海を覗くような色の青い瞳はまっすぐ俺に向けられていて、どうしてか目を逸らすことができない。

 

 気を抜けばへたり込んでしまいそうな自分を奮い立たせ、どうにか声を絞り出す。

 

「お前は……」

 

 どうして、と問いかけそうになる。

 

 どうしてここにいるのか。

 どうして行方をくらませていたのか。

 どうして――そうなってしまったのか。

 

「うん? なぁに?」

 

 けどそれを訊くわけにはいかない。訊いてはいけない。

 

 パンが俺やあいつらから離れたのも、ほとんど行方知れずになったのも、カーソルが犯罪者(オレンジ)色になったのも……。

 

 きっと、俺のせいなのだから。

 

「…………いや、なんでもない」

 

 故に訊くべきことはない。訊いていいことは何もない。

 

 そもそも、今更どの面下げて訊けるというのか。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 あれだけ純粋で真っ直ぐな好意を向けられたのは初めてだった。

 何度も「勘違いだ」「気のせいだ」と言って取り合わなかったのに、彼女は折れることなく傍に居続けた。毎日のように好意を口にし、行動で示した。出会った頃と何も変わらずに接し続けてくれたのだ。

 

 第一層のボス戦で一躍時の人(マイナー)となった俺に、あろうことかこいつは告白を通り越して結婚しようなどと言ってきた。

 訳の分からない申し出を俺は当然のように断ったのだが、パンは「フフ、それでこそハッチだよー」などと言ってパーティー申請を送ってきたのだ。

 

 何考えてんだコイツ、と申請を却下すると間髪入れずに再度申請を送ってきた。意味が解らず却下すると、パンは表情も変えずに三度申請を送ってきた。

 

 そこからはもう意地の張り合いだ。俺が申請を却下すれば、パンが申請を送ることの繰り返し。途中からは追いかけっこしながらのやり取りで、たどり着いたばかりの第二層のフィールドを散々に走り回った。

 三十分近く追いかけっこを続けた末に岩壁の隅に追い込まれ、結果俺が折れて申請を受けることとなったのだ。その後も隙を見てはパーティーを抜けて逃げ出したのだが、その度パンは追いかけてきて、最終的には追い詰められる羽目になった。

 

 そうして強引にパーティーを組まされたわけだが、その後の一か月はあっという間だった。

 フィールドを駆け回って、ダンジョンに潜って、クエストをこなして、飯を食って、同じ宿に帰る……。そんな日々を繰り返す間、隣にはいつも彼女がいた。

 

 楽しかったのだ。三か月近くが経った今になってそう思う。

 

 バカなことを言えば求めた反応が返ってきて、ゲームやアニメ、ラノベのネタも知っている。マイナーな話でも耳を傾けてくれるし、かと思えば俺が知らなくて、けれど興味の惹かれる話を持ち出してくることもあった。

 

 お互い敏捷力特化のステータスで動きを合わせやすかったし、中近距離戦のできる俺と超近接型の彼女とでは役割分担もはっきりしていた。主武装の違いこそあれ、《体術》や《軽業》といったスキル構成も似通っていた。

 

 要するに、気が合ったのだ。少なくとも俺からはそうだった。

 パンから見てもそうだったのか、はたまた意図して俺に合わせていたのかはわからない。

 

 けれどあの一か月を楽しく過ごせたのは間違いなくパンのお陰だ。

 《マイナー》として爪弾きにされ、後ろ指を指されながら、それでも攻略一筋に走ることなく、ある意味余裕を持って過ごすことができたのは、間違いなく彼女のお陰だった。

 

 だが同時に、パンを要らぬ厄介事に巻き込んでいたのも事実。

 あれだけの啖呵を切った後だ。噂はあっという間に多くのプレイヤーの知るところとなって、そのほとんどが敵意を向けてきた。

 

 視線だけならまだいい。あらゆる罵倒も侮蔑も、俺だけに向けられるのであれば受け止められる。敵意に満ちた空気も引き受ける。それらは向けられて当然のものなのだから。

 

 けど、パンは別だ。

 彼女に罪はない。敵意を向けられる要因も、陰口を叩かれる理由もない。

 ましてや剣を向けられる謂れなどあるはずがない。

 

 あのときとった行動を後悔はしない。強いて言うなら、パンを巻き込んでしまったこと自体を悔いるべきだ。

 あの日、俺は彼女の申し出を断るべきだった。どれだけ食い下がられても断るべきだった。

 

 俺の妥協があの結果を生み、あのときを境にパンは豹変した。

 

 最前線の迷宮区で因縁をつけてきたプレイヤーは俺へ一通りの罵倒を並べた後、あろうことかパンへ矛先を向けた。根も葉もないことを喚いた挙句、彼女へ剣を突き付けたのだ。

 

 限界だと思った。これ以上、俺に付き合わせてパンを要らぬ悪意に晒すべきじゃない。今ならまだユキノやキリト、アスナへ合流させられる。そう思った。

 俺はすぐに行動した。適当に方便を並べて、パンへ槍を向けて脅して、それらしいことを言ってパーティーを解散した。お前は用済みだと、ユキノたちのとこへ帰れと吐き捨てた。

 

 仲間を手酷く捨てる薄情者に見えるよう振る舞った。以前と同じ、どこまでも自分本位な《マイナー》と見做されるよう振る舞った。パンは利用されただけの哀れな被害者となるよう振る舞った。少なくとも周囲のプレイヤーにはそう見えていたはずだ。

 

 だが俺の作り上げた空気は、当のパンによってひっくり返された。

 

 俺の並べ立てた方便をすら利用して、彼女は嗤ったのだ。

 高笑いして、腹を抱えて笑って、唐突に剣を向けていたプレイヤーを殴り飛ばした。

 

 頭上のカーソルがオレンジ色に変わったことにも気にした素振りはなく、それまでとまるで違う質の、おぞましい笑いを浮かべた。倒れたプレイヤーに近付いていき、呆然とする俺やそいつの仲間の前で馬乗りになって殴打を繰り返した。

 仲間が慌てて助けに入ったときにはもう、そいつのHPは赤い危険域に至っていた。パンはそれを見て笑っていた。笑いながら、俺に危害を加えたらそうなるのだと、そう言った。

 

 ひとしきり笑った後で彼女は「See you again!」と言い残して立ち去った。俺は呆然と彼女を見送ることしかできず、気付いたときにはもうパンは行方をくらませていた。探そうにもフレンド登録すら解除されてて探せなくなっていた。

 

 以来パンに遭うことはほとんどなく、不穏な噂ばかりを耳にするようになった。

 

 殺人ギルド《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》に入ったというのもそんな噂の一つだ。パンはそんな殺人ギルドで幹部の座に就いているとすら聞いたこともある。ギルドのリーダーである《PoH》と歩いている姿が目撃されたのは一度だけのことじゃない。

 

 だから俺は攻略の合間を縫ってアイツに関する情報やラフコフの情報、PoHの情報を集めた。

 俺自身が手足となって働くことを売りにして《鼠のアルゴ》の協力を取り付けた。

 ボス戦の前日に徹夜を敢行したこともある。そのせいで肝心のボス戦に遅刻してアスナに怒られたが、同じ状況があれば確実に同じことをするだろう。

 

 パンが何を考えてあんなことをしたのかはわからない。何か目的があったのか、衝動的なものなのか。そもそもあれは演技なのか、はたまた彼女の本性なのかすらわからない。

 

 ただ、何かを間違えたのではないかと、そればかりが頭にこびりついて離れなかった。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 パンは変わった。出会ったばかりのときとは別人のように。

 それにはきっときっかけがあって、そのきっかけはきっと俺に原因がある。

 

 だからきっと、これは俺のせいだ。

 

 俺に選択肢はなかった。だが選ばないという手もあったのだ。

 いつもの先送りや時間稼ぎで誤魔化すことができたかもしれない。にもかかわらず、俺は唯一つしかない選択肢を選び、実行し、こうして今に至っている。

 

 なら、俺にできるのは結果を受け入れることだけだろう。

 いつだってそうしてきたように、受け止めて、噛み砕いて、呑み込むだけだ。

 

 改めて、パンの目を見る。

 パンは一瞬驚いたように目を見張り、それからまた蕩けるような笑みを浮かべた。

 

「ハァ……。I’m loving you more……。ズルいなー」

「いや、ズルいとか言われても何のことかわかんねぇ――って、おい、なにくっついてんだよ! こらっ、抱き着くなっての。お触り禁止!」

 

 なんなのこいつ。なんか色っぽいため息吐いたと思ったらいきなり抱き着いてスリスリしてきやがったぞ。気のせいか雰囲気も若干変わったように見えるし、なによりあざと過ぎるだろ。反則っ! レッドカード!

 

「ばっ、お前、やめろ……!」

「Darling……Darling……! スリスリー」

「だぁーくそっ! あざといっての!」

 

 そこからスリスリモフモフとパンの攻勢は続き、柔らかいやら苦しいやら熱いやらいい匂いやらで俺(の精神)は継続ダメージを受け続け、ようやく解放されたときにはもう(精神的に)限界を迎えつつあった。

 

「ハァ……。堪能したよ。ごちそうさまー」

 

 ほくほく顔のパンに対し、俺はドッと疲れて膝をついた。おかしいな、抱き着かれて頬を擦りつけられただけのはずなんだが。

 ペロッと舌なめずりするパンを見てると、もしかしてこいつは吸血鬼的な何かなんじゃないかと思えてくる。ガッとやってチュッと吸われたかもしれない。

 

 荒くなった息を整えて立ち上がる。パンは相変わらずの蠱惑的な笑みで待っていた。

 

「……俺を連れてくんじゃなかったのか?」

 

 訊ねるとパンは頬に指を当てて首を捻る。

 

「んー、そのつもりだったんだけどねー。気が変わっちゃった。Darlingをゲットするのはnext timeにするよー」

 

 なにそれ、俺ってばゲットされちゃうの? ボールに入れられちゃうの? 一緒にチャンピオン目指しちゃうの? 

 

「じゃあ、お前に遭ったらすぐ逃げることにするわ」

「チッチッチ、ワタシからは逃げられないよー。すぐに回り込むからね!」

 

 何それ怖い。それじゃ逃げきれないじゃないですかーやだー。

 

「ちなみにけむり玉とかのアイテムの使用は……」

「Of course not♡」

「ですよねー」

 

 満面の笑みで言われちゃしょうがない。もしものときは捕まらないよう全力で逃げるとしよう。アジリティ極振りの成果、とくとご覧あれ。

 

「…………」

「…………」

 

 それきり俺たちは向かい合ったまま静かになった。

 パンはここに来たばかりのときとは違う穏やかな笑みを浮かべている。何も言わず見つめてくるだけなのは、俺の言いたいこと、問いたいことを見透かしているからだろうか。好き勝手に振る舞っているように見えるが、やっぱり食えないやつだ。

 

 散々考えて延々待たせた挙句、一つだけ問いかける。

 

「…………戻ってくる気はないんだな?」

 

 瞬間、パンの笑顔が困ったようなものに変わる。

 

「んー、どうだろうねー。あ、Darlingがワタシを愛してメチャクチャにしてくれるなら考えちゃうかなー」

「いや、それメチャクチャにされんのはむしろ俺の方だから」

「アハハ! バレちゃった?」

 

 楽しそうに笑うパン。思わず突っ込んじまったが、そのせいで誤魔化されたな。

 

「他には何か訊きたいことある? Darlingからのクエスチョンなら、ワタシなんでも答えちゃうよー。スリーサイズとかー、好きな人とか♡」

「ハイハイ、もう十分だからまた今度な」

「エー、Darlingのいけずー」

 

 パンが不満そうに唇を尖らせる。なにこれあざと可愛い。

 しばらくの間ムー、と唸ったパンはやがて元の笑み――この場に来たときと同じ妖しい笑みに戻ると、一歩後ろへ下がった。

 

「それじゃあDarling、ワタシそろそろ行くねー」

 

 思わずゾクッと震えたところでふと、パンの向こうに人影が出てきた。

 

 全部で四人。全員が全員フードで顔を隠し、ローブやらマントやら襤褸(ぼろ)切れやらを着て全身を覆っている。カーソルの色は揃って犯罪者(オレンジ)色。

 

 その内一人は包帯の巻かれた手で短剣を(もてあそ)び、別の一人はフードから仮面のようなものが覗いている。また別の一人は口元をニヤニヤと歪ませていた。

 

 そして最後の一人、長身の男は――。

 

「…………《PoH》」

「Wow……これはこれは、かの有名な《マイナー》様じゃないか」

 

 奴は張りのある声で呟いた。面白いものを見つけたとでもいうように爛々と目を輝かせる。周りの三人も獲物を前にした肉食動物のように目の色を変えた。

 

 瞬間、胃のあたりが急に熱くなった。

 ムカムカと吐き気に似た何かが込み上げて、知らず知らず奥歯を噛み締める。

 

 いっそここで四人とも谷底に突き落としてやろうか――。

 そんな考えが頭を過った。このままパンをこいつらの下へ帰すくらいなら、と。

 

 けれど俺が槍を取り出す前に、目の前のパンが彼らの方へ振り返った。

 

「Hi, PoH. Thank you for picking me up」

「Pan……. It’s time for work」

「OK, OK. You can go ahead. I’ll catch up to you」

 

 適当な感じでパンがそう言うと、PoHはふんっと鼻息を吐いた。それからチラッと俺に視線を送ってくる。ジッとこちらを睨み、それから二ッと口元を歪めた。

 

 明らかな挑発。俺がコイツを、そしてパンを探してたと知ってるからこそのものだ。

 

 上等だ。全員叩き落としてやる。

 

 俺が槍を出現させたのと、パンが叫んだのはほとんど同時だった。

 

「PoH! Don’t tell me you forgot!」

「チッ……。No way. It’s nothing」

 

 PoHはわかりやすく舌打ちすると、俺たちへの興味を失ったように踵を返し元来た洞窟の中へ潜っていった。取り巻きの三人も反応の大小こそあったもののPoHの後に続く。

 

 ラフィン・コフィンの面々が洞窟の中へ消えるのを見送り、大きく息を吐く。

 

「くそっ……」

 

 これでよかったのか。見逃してよかったのか。

 

 奴らをみすみす見逃せば、それだけ犠牲者は増えるのだ。

 情報屋のネットワークを駆使しても足取りを掴むので精一杯な現状、今のはまたとないチャンスだったんじゃないか。

 

 やはりあのまま谷底へ――。

 

「Darling」

 

 呼びかけられてハッとする。

 我に返ると、青い瞳が目の前にあった。

 

「落ち着いて。大丈夫だから」

 

 パンの両手が頬に添えられる。柔らかくて温かい。不思議と怒りが収まっていく。

 

 間近にあるパンの顔は珍しく強張っていて、けれど俺が見ていることに気付くとすぐに元の蠱惑的な笑みに戻った。それから何かを思いついたように「フフッ」と小さく笑い、チロッと舌を見せる。

 

 さっきまでとは別の意味でゾクッとした。まるで蛇に睨まれたカエルのように身動きが取れなくなる。麻痺毒を喰らったわけでもないのに《麻痺》のバッドステータスにかかったかのようだった。

 

 

 

 ヤバイ。なにがかはわからんが、とにかくヤバイ。

 

 

 

 慌てて離れようとしたが、その瞬間頬に添えられていた両手にギュッと力が込められた。

 

 

 

 アッと思ったときにはもう遅かった。

 

 

 

「…………ッ!」

「…………ちゅ…………ファーストキスよ、Darling」

 

 

 

 ………………………………。

 

 ………………………………。

 

 ………………………………。

 

 

 

「それじゃあDarling, see you again!」

 

 

 

 ………………………………。

 

 ………………………………。

 

 ………………………………。

 

 

 

「…………………………ハッ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正気に返る頃にはもう辺りは真っ暗になっていた。

 ついでに危うく崖から落ちそうになった。

 

 

 




オリキャラは原作の縛りがないので都合よく使い過ぎてしまいそうで……。
もう少し自重しなきゃなーと思いつつ暴れさせちゃうのでした(汗)

次回更新は未定です。来月中にはいけるはず(弱腰)


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第七話:静かに、雪ノ下雪乃は苦悩する

出張とか残業とかこの世から消え去ればいいのにと呪う今日この頃。

みなさんお久しぶりです(汗)

4月中にはとか言っておきながら5月中旬になってしまってすみません。

更新ペース上げられるよう頑張りたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。

ということで、7話です。



 そこはこれまで数多く突破してきた場所とは趣が違っていた。

 

 精緻に配された石畳。高い天井。最奥にあるのは大きな両開きの扉。

 この辺りはこれまでと同じ共通の造りだ。

 

 だがこの場所――迷宮区の24階層にあるボス部屋の視界を保っているのは、松明でもかがり火でも発光するキノコでもない。

 規則正しく並んだ円柱から差し込む月明かり。それがこの第24層のボス部屋における唯一の光源だ。

 

 地上約百メートル(アインクラッド自体が空中城塞な時点で正確な言い方ではないが)という高所にあるボス部屋に『壁』がないという情報は当初、攻略組に大きな衝撃を与えた。

 

 パっと見はギリシャのパルテノン神殿のような構造か。あれが塔の頂上にあると考えてくれればわかりやすいだろう。ミスって落ちればまず生き残れないし、ボスに加えて強力な取り巻きまでいるとなればより落下の危険は高まる。

 

 このボス部屋の様相が判明した当初、攻略は過酷なものとなるように思われた。

 

 

 

 

 

 

 色とりどりの光が瞬き、剣戟の音が響く。雄叫びや指示を飛ばす声、そしてボスの放つ地響きのような唸りが耳に届いてくる。

 ボスが剣を振るえばタンクが五人がかりでガードし、生じた隙をアタッカーが攻撃する。そうやって、少しずつではあるものの確実にボスのHPは減少していく。

 

 そんな風にボスと対峙している二パーティーを、俺は円柱に背中を預け眺めていた。

 

「びっくりするほど順調だな」

 

 隣でキリトが呟く。「そうだなぁ……」と欠伸交じりに答えると、キリトはチラッとこちらを見て苦笑いを浮かべた。

 

「ハチはぶれないな。良くも悪くも」

「初志貫徹がモットーだからな」

 

 ほんと、俺くらい初志貫徹を体現したプレイヤーはいないだろう。人に頼らず人に媚びず、さりとて害をもたらすわけでもなく、思索と観察を繰り返して自己研鑽に努める。

 

 常に己と向き合う孤高の在り方。人はそれをボッチと呼びます。

 

 そんな感じで斜め頭上から降ってくる呆れ声を適当に聞き流した。キリトも同じ円柱に背中を預けてはいるものの、座るまでは気が引けるのか立ったままだ。

 まあボス戦の最中に座って欠伸を漏らしてるとなれば目立つしな。すでに悪名の轟きまくってる俺と違って、キリトはその辺にも気を遣ってるんだろう。

 

「ハチくんはさすがに気を抜き過ぎだと思うけど」

 

 ふとキリトの向こうからそんな呆れ声が聞こえる。こちらも同じく柱に背を預けたアスナのものだ。

 真面目なアスナのことだ。休むだけならともかく、見過ごすのは忍びないのだろう。

 

「とはいっても、安地(安全地帯)みたいなもんだしなぁ」

 

 今まさにボスへ挑んでいる十二人を遠巻きに眺めながら、何度目ともわからない欠伸を噛み殺した。

 

 

 

 発見当初こそ攻略組を戦慄させたこの第24層ボスではあったが、その後で発覚した情報によって心配は杞憂に終わった。

 

 ボス部屋に敷かれた色違いの石材――20×40メートル四方を形作るその石畳から、ボスは一歩たりとも外に出てこないことがわかったのだ。

 代わりに外側からは投擲武器による攻撃なんかでダメージを加えることもできないが、ボスの行動範囲の外側十メートルは実質的に安全地帯なのである。おまけにここのボスは取り巻きもいないから、寧ろ今までで一番落ち着いて戦えるくらいだ。

 

 24層のボスは《デュラハン・ザ・ブラックナイト》。

 一般的にも割とお馴染みの首なし騎士だ。2メートル強の大柄な身体を黒い甲冑で覆った騎士で、鎧と同じ黒いタワーシールドと両手剣を手にしている。

 

 バカでかい盾と鎧で防御も堅い上に、片手で《両手剣》のソードスキルを使ってくる強敵っぷりはボスに相応しいえげつなさだが、腰を据えて持久戦ができるとなれば戦いようもあるというもの。

 

 安全地帯の存在が判明すると、攻略組はアタッカーとタンクを4パーティーずつ均等に分け、2パーティー毎の4交代制で戦う作戦を採用した。

 お陰で自分たちの番以外はこうして休むこともできるってわけだ。

 

 俺たちの第3隊はここまで二度戦っていて、今度は今戦っている第1隊の次の次。回復や武器のチェックもとっくに終わってるし、出番まで余裕もある。ボスのHPもようやく半分を下回ったというくらいだし、まだまだこの長丁場は終わらないだろう。

 

 アスナの言わんとするところもわからないではないが、かといって長いこと緊張し続けても余計に疲れるだけだしな。

 寧ろ仕様上休憩を許されてるってことは、逆説的に休めるときに休んでおくのは義務だとすら言えるのではなかろうか。

 

 

 

「そういう考え方もあるかもしれないけど……」

 

 適当な理由をそれっぽく並べ立ててやると、アスナは「ハァ」とため息を吐いた。それからヤレヤレと首を振り、腕を組んで冷たい眼差しを向けてくる。

 次いで降ってきたのは訝しむような一言だった。

 

「最近、ハチくんってばちょっと変わったよね。余裕があるというか、だらけてるというか」

「ああ、それは俺も思った。なんか急に吹っ切れたような……」

 

 そうキリトも乗っかってくる。問い詰めるような雰囲気のアスナに対して、こっちはまだ興味本位な感じか。

 

 ま、なんにせよ、答えは決まってる。

 

「俺が? ないない」

 

 とぼけるわけでもなく、嘘を吐くわけでもない。

 実際、何も変わってないのだ。ちょっと考えを整理して、当たり前のことを再確認しただけ。方針もやるべきことも変わってない。ついでに俺がボッチなのも変わってない。

 

「ほんとかなぁ。急に真面目に攻略し始めたし、一気にレベル上がったし、なんか怪しいんだけど」

「おい、今までだってちゃんとやってただろ。社畜みたいに」

「24時間ゲームの中にいて社畜っていうのもおかしな話よね」

「朝起きて飯食って攻略、昼休憩挟んで攻略、夕食後も軽くレベリングして就寝って、社畜の鑑みたいな生活じゃねぇか」

 

 「そう?」と首を捻るアスナ。こいつ就職したら絶対仕事人間になるだろ。部下や同僚になる人間が気の毒だな。

 

 ふと、「そういえば」とキリトが切り出した。

 

「『会社』の仕事も落ち着いたみたいだな」

「誤解を招く言い方するな。それじゃあ本当に社畜になっちゃうでしょうが」

 

 まったく冗談じゃない。俺は働く気なんてないんだからな。

 

 キリトの言う『会社』とはアルゴのやつがリーダーを務めるギルドの通称で、正式には《FBI(Find and Broadcast of Information)》というおっかない名称のギルドだ。

 

 名前の迫力はともかく、その名の通り情報の収集と拡散を目的としている《FBI》は《アルゴの攻略本》を始め、様々な情報誌を製作・販売している出版社のようなギルドだ。正規メンバーのほとんどが《印刷》スキルを所持しており、日々の働きっぷりから『会社』と呼ばれるようになった。

 

 この『会社』のリーダーの一人で『調査部門』のトップを務めてるのがアルゴ。やつはギルド内の調査員のみならず、俺やキリトのような攻略組のプレイヤーをバイトとして雇ったりもしている。危険なmobの出る場所やクエストの調査もあるからだな。

 

 そして俺はそんなアルゴのお得意様であり、使いっ走りでもあるわけだ。まあこっちから調査を依頼したことも一度や二度じゃないんで文句は言えないけどな。

 

「……バイト代が割に合わないからな。アルゴのやつ、こき使いやがって」

「ああ、なるほど。それは確かに」

 

 適当に誤魔化すと、キリトは苦笑いを浮かべた。こういう反応をするあたり、キリト少年にも似たような経験があるんだろう。アルゴは守銭奴ってほどじゃないが十分にケチなやつで、隙あらば報酬以上に働かせようとしてくるからな。

 

 キリトと二人で乾いた笑いを上げる。

 その横ではアスナが「ハァ」とため息を吐いていた。

 

「あんまりダラダラしてるとユキノさんに怒られるわよ?」

「あー、確かに……」

 

 あいつ、サボるとうるさいしな。パンを探してるときも攻略サボり気味で嫌味言われたし、ボス戦に遅刻したときもけっこうな勢いで罵倒された。奉仕部でも無断欠席は許さない感じだったし。

 

 ちらっとユキノを窺い見てみる。すると――。

 

「……なんか随分難しい顔してんな」

 

 ユキノは俺たちから少し離れた位置でボスの方を向いて立っている。安全ラインのすぐ後ろで、次に交代で戦う第2隊のすぐ横だ。

 だが戦況を注視しているはずの視線は足元へ向いていて、表情には余裕がなく眉を顰めている。まるで心ここにあらずというような、いつだったか見たことがあるような――。

 

「ユキノさん、また……」

 

 ぽつりと、アスナがそう呟いた。

 

「また? どういうことだ?」

 

 その意味を問い直す。また、と言うくらいだ。攻略中も一緒なアスナには思い当たる節があるのかもしれない。ボス戦の時しか合流しない俺にはわからない何かが。

 

 アスナは少し逡巡した後、躊躇いがちに答えた。

 

「ユキノさん、最近ああやって思い詰めた顔でいることがあるの。それとなく訊いても答えてくれないんだけど……」

「最近はイージーミスも増えた気がする。本人も自覚してるみたいなんだけどな」

 

 キリトからもそんな証言が出てくる。こちらも言うべきか迷った上でのことのようだ。

 

 どういうことだ?

 ユキノは何か思いつめるほどのことを、戦闘に支障がでるほどのことを抱えてる?

 

 しかもそれはここ最近のことのようだ。何かの事情が変わったのか、悩みの種ができたのかはわからないが、ふとした瞬間に考え込んでしまうほどのことらしい。

 

 別にユキノが何を悩もうが俺には関係ない。知ったことじゃないってわけではなく、俺なんかにできることは高が知れてるって意味だ。

 アイツも俺に干渉されるのなんかご免だろう。解決なぞ言わずもがな。詳細を語らせることも難しいに違いない。

 

 だが戦闘中に集中を乱されるような、それでミスを繰り返す程ともなれば放っておくわけにもいかない。いくらユキノが強くなったといっても、集中力の欠如は命取りだ。多少強引になっても何かしらの対処をする必要があるだろう。

 

 そしてキリトやアスナが言えないことなら尚更、普段は会わない俺が言うべきか。

 

「…………だからハチくんには言いたくなかったのよ」

 

 不意にアスナがそう言った。あれ、もしかして口に出してたか?

 

「心配だから問い詰めてやろうって、顔に書いてあるわよ」

「ハチはわかりやすいからな」

 

 呆れ顔でため息を吐くアスナと、ケラケラ笑うキリト。

 

「べ、別に心配とかそういうんじゃなくてだな……」

「ハイハイ、捻デレ捻デレ」

「『捻デレ』なんて言葉、現実では聞いたことなかったけど、ハチくんにはピッタリよね」

 

 だから何だよその捻デレって。多少捻くれちゃいるが、デレた覚えはないぞ。

 

 くそっ、変な言葉広めやがって。全部アルゴの仕業に違いない。今度会ったらバイト代ふんだくってやる。

 

「…………そろそろ交代の時間だな。次は俺らの番だし、一応準備しとくか」

 

 立ち上がって身体を伸ばし、大きく息を吐く。SAOの中じゃ肩や腰が凝るなんてことないが、まあそこは気持ちの問題だ。

 

 あーやだやだ。働きたくないなー。けどまあ、俺ってば社畜の鑑だしなー。

 

「やっぱり捻デレだな」

「うんうん。ハチくんはこうでなくちゃ」

「オイやめろそんな目で見るな」

 

 だから俺は捻デレじゃ(以下略)。

 

 キリトとアスナの生暖かい視線を無視してユキノの方へ足を向ける。

 いつもより意図的に足音を立てて近付く。が、すぐ後ろまで来てもユキノが気付く様子はない。目は足元へ向けられ、固く握った左手は胸の前で僅かに震えていた。

 

 少しだけ、なんて声を掛けるか迷う。

 

 考えてみれば、ここ最近ユキノと攻略以外の話をする機会はほとんどなかった。

 そもそもボス戦の時くらいしかこいつと会ってないってのもある。フロアボスの時以外じゃパーティーも組んでないし、ソロの俺とユキノじゃ狩場も活動時間も違う。町で見かけないこともなかったが、19層でやらかしてからは輪をかけてキツくなったしな。

 

「…………そろそろ交代させるんじゃないのか?」

 

 とりあえず当たり障りのない言い方で注意を引いてみる。すぐそばで第2隊の面々がそわそわしていたし、まずは顔を上げさせることからと思ったのだが――。

 

「…………」

 

 ユキノは振り向かず、それどころか声に気付いた様子もなかった。

 

 さすがにこれは見逃せない。いくら安全地帯みたいなもんだとはいえ、不測の事態はいくらでも起こりえるのだ。気付いたら危機的状況でしたー、なんてのは目も当てられない。

 

 仕方なく、語気を強める。

 

「おい、おいって…………ユキノ!」

「っ! ……なにかしら。急に大声を出さないで頂戴」

 

 ビクッと身体を震わせて振り向いたユキノは本当に今気付いた様子だった。ちらっとこっちを見た後すぐに視線を逸らす。胸の前で握られていた手は所在なさげに反対の腕を抱いていた。

 

 あの雪ノ下雪乃が目を合わせようとしない。それだけでも十分に異常事態だ。

 加えて今のユキノは士気も集中力も欠いているらしい。

 

「……お前、もうボスと戦うのやめとけ」

 

 本人にだけ聞こえるよう静かに言うと、ユキノは負けじと鋭い眼差しを向けてきた。

 

「何を馬鹿なことを言っているのかしら。私はこのレイドのリーダーであり、第3隊のリーダーでもあるのよ。戦わないなんてことはありえないわ」

 

 だが口にした理由はどれも責任感から来るものだ。

 

「集中できてねぇくせに何言ってんだ。いいからお前は指示出しに専念しとけ」

「ふざけないで。あなたに言われる筋合いはないわ。私は戦うためにここにいるのよ」

「ならお前は今戦況がどうなってるかわかってるのか?」

 

 それまで強気な姿勢を見せていたユキノの表情が(かげ)る。気もそぞろだった自覚があるんだろう。唇を引き結んで黙ってしまった。

 

「お前が冷静に戦える状態ならいい。とてもそうは見えないけどな。……ただお前には自分で言ってたようにリーダーとしての役目もある。ボスの攻撃パターンと対処法、各隊の被害と回復の状況、想定される事態への腹案。そういうのも考えなくちゃならないだろ」

 

 ユキノを責める気などさらさらないのに、一語一語が尖ってしまう。

 押し黙ったままのユキノに畳み掛けるような言い方は意図したところじゃない。

 

「……幸いここのボスは時間が掛かっても問題ないしな。アタッカーが減っても影響が小さい。無理せず指揮官としての役目に徹しても誰も文句言わんだろ」

 

 ことはこのボス戦だけではない。今後の攻略にも絡んでくる。

 

 ここを終えたら次は25層。まだ(・・)25層だ。

 ようやく全体の4分の1。あと75層も残っているのだ。これが普通のRPGならまだ冒険の最終目標すら見えてないだろう。

 そんな言ってみればまだ『序盤』のこの段階で、トップ集団の一人でありレイドリーダーまでも務めるユキノに無理をさせるのは、今後の攻略に大きな影響を与えかねない。

 

 ユキノは足元に視線を落としていて、その表情は窺えない。俯いた顔も、固く腕を抱く華奢な指も、細い肩も微動だにしない。

 ただ、小さい呼吸の後に、か細く震える声が聞こえた。

 

「……私なら平気よ。確かに少し注意力散漫だったけれど、もう気を抜くことはしない。指揮も戦闘も予定通り続けるわ。そうでないと……」

 

 何かを言いかけて、そこで口をつぐむ。

 顔を上げてジッとこちらを睨んだ後、ユキノは姿勢を正して振り返った。

 

「第1隊と第2隊を交代させます。第2隊は進入用意」

 

 控えていた第2隊の面々へ声を掛けると、続けて指示を出していく。

 

「進入後は背後からボスに接近して一撃入れ、ターゲットを奪ってください。以降は第1隊が撤退するまでターゲット維持に注力。撤退完了後の戦闘指示はクラインさんに一任します」

「お、おうよ、任されたぜユキノさん」

 

 若干どもりながらも第2隊のリーダーが答える。

 こいつもユキノの様子にはおろおろしてたしな。急に話を振られて驚いたんだろう。

 

「戦況やHPの平均値はこちらでもモニターしていますが、何か不測の事態が生じたらすぐに伝えてください。安全を最優先に。十分後に交代の心づもりで」

 

 ユキノと同じく和風の装束に身を包んだ第2隊リーダーのクラインは、ユキノの言葉に敬礼で応えて振り返り、第2隊を率いてボスへ向かっていった。

 

 第2隊を見送ったユキノはチラッと視線だけを寄越してくる。

 

「予定通り、攻略は続けるわ」

 

 それきり、ユキノの目は戦場へと向く。

 向こうでは丁度、クラインがボスの背中へソードスキルを繰り出しているところだった。

 

 

 

 ああ、そうだ。お前はそうする。そんなのはわかっていた。

 

 あの雪ノ下雪乃が、他人にどうこう言われたぐらいで曲げるわけない。

 指摘されれば即座に正し、意地でも仕事を全うする。そういうやつだと知っている。何度も見てきたからな。

 

 けど――。

 

 今のユキノはそうやって振る舞うことで自分自身を励ましているのだと、そんな風に思えてならなかった。

 

 

 




次回更新は未定です。
可及的速やかに上げられるよう頑張ります!


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第八話:たまにゲームの神様は余計なことをする

お待たせしました。第8話です。久々の戦闘シーンです。
それにしても、このところ書いても書いても話が進まないような……。


 青白く照らされた室内。金属同士のぶつかる音。怒号に似た声が響き、直後には大きな衝撃音が轟く。地鳴りのようなその衝撃が聞こえたときにはもう動き出していて、もう何度目かわからない攻撃を僅かな鎧の隙間めがけて打ち込んだ。

 

 少し遅れて二、三、四撃と続き、視界上方に見えるHPゲージが雀の涙ほど減少する。思わず舌打ちを漏らしてから距離を取ると、首無し騎士がこちらへ剣を向けてきていた。ヒヤリと冷たいものが背中を撫でる。

 

 だがタンクの一人が《威嚇(ハウル)》を放つと、ボスの視線はあっさりそちらへ向かった。作戦通りな上に何度も同じことを繰り返してるんだから、いい加減慣れそうなもんなんだけどなぁ。やっぱ怖ぇよ。ほんと怖い。

 

 《デュラハン・ザ・ブラックナイト》はそのまま幅広の長剣を大上段に構える。右手一本で振りかぶったその剣は本来なら片手で振り回せるような代物じゃない。使ってくるスキルも《片手剣》じゃなく《両手剣》のものだってんだからやっぱずるいよなぁ。

 

「《アバランシュ》だ!」

「ブロック、ツー!」

「よし来た」「任せろ!」

 

 すかさずキリトとユキノの声が飛び、タンク二人がボスのソードスキルをガードした。二人のHPが僅かに減るが、体勢は崩されない。

 一方、ソードスキルを撃った直後のボスは硬直を強いられる。

 

「カウンター、一本!」

 

 生まれたほんの数秒の隙にアタッカー四人の攻撃が集中した。色とりどりのライトエフェクトがボスに吸い込まれる。俺の放った《ツインスラスト》も左側面からボスの脇へ突き刺さり、派手なダメージ光が弾けた。

 

「オラオラこっちだ!」

 

 キリトへ向かいかけたボスの注意を今度はエギルが引き付ける。彼らのお陰で俺みたいな紙装甲のアタッカーが比較的楽に攻撃できるんだから、ほんとタンク様々だな。

 

 ボスは次いで剣を腰だめに構えた。即座にキリトが叫ぶ。

 

「次、《サイクロン》来るぞ!」

前衛(フォワ―ド)は回避、後衛(リザーブ)突進技(チャージアタック)用意」

 

 おっと、全周攻撃か。退避退避っと。

 それにしてもキリトのやつ、構え見ただけでどんなソードスキルが飛んでくるかわかるなんてどんだけやり込んでんだよ。

 

「――今!」

 

 ボスの攻撃がほとんど空振りに終わった直後、ユキノの号令に合わせて後ろで構えてたタンク四人の突進技が炸裂する。

 リーダーがエギルなせいか誰も彼もが重たい両手武器を振るっていて、アタッカーの俺たち以上のダメージだ。

 

 とはいえSTR(筋力)寄りのプレイヤー四人で一斉攻撃しても尚、ボスのHPゲージは僅かしか減少しない。重騎士にしても固すぎだろ。五分攻撃してゲージ一本の二割しか削れないとかどうなってんだよ。

 

 戦闘開始からおよそ2時間半。ローテーションもすでに4巡目に突入している。

 ボスのHPも最後の一段。もうほんの少しで赤色になるだろう。俺たちの番では無理でも次の第4隊、或いは5巡目の第1隊辺りで倒せると思う。

 

 残念だが、このぶんだとLAボーナスを狙うチャンスはなさそうだな。

 

「今度も《アバランシュ》だ!」

「ブロック、ツー!」

「おらぁ!」「来いやぁ!」

 

 唸りと共に振り下ろされた重たい一撃をさっきとは別の二人がガード。その隙に脇から俺やキリト、アスナにユキノが飛び込み、一撃入れてすぐに離脱する。けれどやはり、ゲージはほとんど減りゃしない。

 

「だー、くそっ。ほんっと固ぇなこいつ」

 

 堪らずぼやくと、同じように跳び退ったアスナが一喝してきた。

 

「文句言わない。もうちょっとでしょ」

「そうは言うけどな、こうも同じ攻防ばっかじゃ飽きてくる――っての!」

「せやっ! ――そうならないために散々休んでたんでしょ。シャキッとする!」

「はいはい。わかりましたよ――っと!」

 

 言葉を投げ合いながらも間断なくボスへ槍を突き込んでいく。こんなことができるのも、ボスの攻撃が単調で且つタンク役が奮闘してくれてるからだ。お陰でこっちがもらうダメージも最低限に抑えられてるんだから、あんまり贅沢は言えないな。

 

 なんてことを考えている間に、ボスは次の攻撃態勢を取った。

 切っ先を正面に向けた剣を本来顔がある場所のすぐ横で水平に持ち、デカい盾で身体を隠すように半身に構える。なんかやたら大技っぽい構えだ。

 

 これにもすぐさまキリトが反応した。

 

「《イラプション》だ! 着地時に隙ができる!」

「ブロック、スリー! 前衛は全力攻撃(フルアタック)用意!」

 

 一際大きな声で叫び、ユキノも強気な指示を出す。

 ボスの剣が向いた先でエギルを中心とした三人が防御姿勢を取った。周りではキリト、アスナ、ユキノの三人が各々大技の構えに入っている。

 俺も四連撃技《ヴェント・フォース》を繰り出すべく槍を後ろ手に持つ。

 

 ――ん? 待てよ。

 《イラプション》って確か、斬り下ろしから斬り上げの二段攻撃だったよな。んで、着地の時に隙ができるってことは……。

 

 ふと思いついた策を実行すべく、手首を捻って角度を変えておく。

 

『オオオオォォ!』

 

 その瞬間、ボスが雄叫びと共に飛び出し、ガード姿勢の三人へ剣を振り下ろした。凄まじいまでの衝撃と音が頬を震わせ、思わず目を細める。

 ボスの攻撃はそこで終わらず、首無し騎士は振り下ろした剣を担ぐように振り上げた。堪らずガードの三人がよろめき、二歩、三歩と後退する。重い鎧を纏った騎士はソードスキルの勢いのまま宙に浮かび上がった。

 

 思った通りだ。これならいける。

 

「今――」

「おらっ!」

 

 ユキノの合図を待たずに飛び出し、自由落下する甲冑の足元を狙う。

 

 選んだのは高威力な《ヴェント・フォース》ではなく、高速突進技《ソニックチャージ》。

 出も動きも速い《ソニックチャージ》によって弾丸のように突っ込んだ俺の槍は、上手いことデュラハンの着地前の膝を捉えた。

 

 さて、ここで問題。

 空中にいる人間の足を思いっきり押したらどうなる?

 

 答えはCMの後、なんて言うまでもない。

 

「《転倒(タンブル)》! ナイスだ、ハチ!」

「全力攻撃二本! 後衛も一本!」

「おっしゃあ!」「でかした!」「らぁ、喰らえ!」

 

 着地に失敗して転がったボスへ2パーティー十人の集中攻撃が炸裂する。

 このボス戦始まって以来のタコ殴りだ。これがリアルなら暴れられてこうも上手くはいかないだろうが、SAOじゃ《転倒》はれっきとした状態異常。どう足掻いても十秒ほどは動けない。

 

「さすがに応えたろ」

 

 ようやく起き上がろうと動き出したボスから距離を取る。と、同じように距離を取ったパーティーメンバーが揃って呆れたような声を漏らした。

 

「ハチくんってホント抜け目ないというか性格が悪いというか」

「やっぱそう思うよなぁ。いや、良い手なのは間違いないんだけどさ」

「こういうやり口は妙に手馴れてるのよね。素直に称賛し辛いのだけれど」

 

 いや全部聞こえてるから。なにその微妙な評価。超ファインプレーでしょ。

 頑張っても正当に評価されないのは世の常。これが葉山のようなイケメンなら何でも高評価に繋がるのに、俺みたいなボッチはたまに活躍しても寧ろ苦笑いされるだけだ。やっぱ仕事なんてするもんじゃねぇなと思いましたまる。

 

 ともあれ、さっきの猛攻でボスのHPゲージは一気に減って赤くなった。残り2割を割り込んだってことだ。これならもう次の第4隊で終わるだろう。

 

「上手くダメージも稼げたことだし、そろそろ交代するか?」

 

 騎士様も盾をガンガン床に叩きつけて激おこなようだし。

 

「そうだな。LA取れないのは残念だけど」

 

 相変わらずLAボーナス狙いなキリトはため息まで吐いて残念がっている。これにはアスナも苦笑いを浮かべ、それからユキノの方へ目を向けた。

 ユキノは俺とアスナの視線を受けると小さく頷く。

 

「攻撃中止。前衛は後衛の後ろへ。防御態勢を維持しつつ、後退を開始。第4隊へ合図を送ります」

 

 はい、ということでお仕事終了。

 あとは第4隊の連中――キバオウたち《ALS》にお任せだ。

 

 そそくさと駆けてエギルの後ろへ回り、ちらっと入り口の方を見てみる。

 予想通り、キバオウ率いる第4隊は交代の合図を今か今かと待っているところだった。キバオウに至っては腕を組んで貧乏揺すりまでしてる始末。ありゃ相当焦ってるな。

 

 無理もない。さっきまであいつらがLA狙えるかどうかは微妙なラインだった。それが俺たちの猛攻で一気にボスのHPが削れてチャンスが巡ってきたのだ。ここしばらくLAを取れてなかった《ALS》にとっちゃ嬉しい誤算だろう。

 降って湧いたチャンス。是非ともモノにしたいはずだ。だが他のギルドの連中(特に《DKB》)がいる手前、レイドリーダーのユキノの指示を待たず先走るわけにもいかない。

 

キバオウの心情としちゃこんなとこだろうな。

 

「では第4隊を突入させます」

 

 ボス部屋中央辺りまで後退したところで、ユキノがそう言ってキバオウたちの方へ振り返り、スッと手を上げた。

 

「おっしゃあ! ワイらで決めたるで。全員気張りや!」

 

 待ってましたと言わんばかりにキバオウが叫び、後ろの面々も呼応して鬨の声を上げる。そしてズンズン歩き出して戦闘エリアへ――。

 

 

 

「………………ハッ?」

 

 

 

 入れなかった。

 

 キバオウ率いる第4隊は、色違いの石畳を越えられなかったのだ。

 

 まるで見えない壁があるかのように、彼らは立ち往生してしまった。

 額を打ったらしいキバオウに至ってはリアクション芸人もかくやと仰向けに転んでいた。

 

 けれど誰一人笑う者はいなかった。それどころか、ひっくり返ったキバオウを見ている者もほとんどいなかった。

 誰もが驚愕の表情を浮かべて見えない壁を押したり殴ったり斬りつけたりしている。

 

「おいおい、まさか……」

「まいったな。こんなギミック隠してたのか」

 

 苦笑いのキリトと顔を見合わせる。

 程度の違いはあれ、そこは同じゲーマー。そりゃ思い当たるもんの一つや二つあるわな。

 

 さっきボスが見せた癇癪(かんしゃく)のような行動とそのタイミング。

 現在進行形で何もない空間に体当たりをしてるキバオウら第4隊の面々。

 その辺を繋げて考えれば簡単に予想がつく。

 

「もしかして、さっきのあれ?」

「ったく、味な真似してくれるじゃねえか」

 

 アスナとエギルも察したみたいだな。

 他の連中もため息吐いたり呆れたり笑ったりと、どうやら状況を理解できたらしい。

 

 ついさっきまでは戦闘域と安全地帯の境界だったライン、色違いの石畳は、今や中と外を隔てる進入不可エリアになってしまった。となると、ボスを倒せるのは俺たちだけだ。

 

 当然、危険な状況だ。

 こうなった以上、あの首無し騎士が今まで通りの戦い方をしてくるかはわからないし、とんでもない奥の手を隠してる可能性は十分あるわけだしな。

 

 安全優先で逃げるって手もあるが、けどそれは最終手段だ。

 転移結晶を使えば脱出するのは簡単だが、その後であの進入不可エリアが解除される保証はないからな。最悪の場合、レイド全員が一度ボス部屋から出る羽目になる。

 そうなればもちろんボスのHPは全快し、ここまでの攻略は全て水の泡だ。時間も物資も労力も全部が無駄になる。

 

「そう。そういうこと……」

 

 ユキノがぽつりと呟く。それからフッと小さく息を吐き、顔を上げた。

 

「交代は不可能なものと判断します。第3隊は戦闘を続行。このままボスを倒します」

「わかった」「はい!」「おうっ!」

 

 力強く返事をして、キリト、アスナ、エギルとそのパーティーメンバーらが駆け出す。彼らは一様に笑みを浮かべていて、この予想外の続投にも闘志を燃やしているようだ。

 キリトに関してはLAボーナスを狙えて嬉しいってのもあるか。真っ先に走ってったし。

 

「何をぼさっとしているのかしら。あなたも行くのよ」

「あーはいはい。わかりましたよ」

 

 はぁ。お仕事はもう終わりだと思ったのにな。

 

 ユキノと並んでボスの方へ走り、既に戦闘を再開していたキリトたちに並ぶ。丁度ボスへ一撃入れた後のようで、首無し騎士は右手の剣を振り上げようとしていた。

 

「こっちだぁ!」

 

 エギルが《威嚇》でボスの注意を引く。ボスの首の無い体がエギルを向き、幅広の剣がオレンジ色に輝いた。

 あの構えとソードスキルの色はここまで何度も目にした《アバランシュ》のものだ。

 

「ブロック、ツー!」

「よっしゃあ!」「来いやぁ!」

 

 エギルともう一人が防御態勢を取った。そこへボスの両手剣が叩き込まれる。

 

 派手なエフェクト。強烈な衝撃音。ガードに徹しているにもかかわらず抜けたダメージが二人のHPを1割ほど削る。筋力値の高いタンクがガードしてあれなんだ。俺なんかが喰らったらひとたまりもないな。

 

「カウンター、一本!」

 

 すかさず飛び込む。スキル発動後の硬直を狙ってキリトが、アスナが、ユキノが、そして俺が肉薄する。それぞれの武器を輝かせ、必殺の一撃を打ち込むべく――。

 

「ダメだ! 下がれ!」

 

 瞬間、どこからかそんな叫びが聞こえた。

 誰の声か考える間もなく身体が反応しようとする。だが右手の槍はもう黄色に光っていて、足は全力で地面を蹴っていた。

 

 すでに発動したソードスキルを無理に中断させる。

 SAOの戦闘でやっちゃいけない行動ワースト3に入る悪手だ。

 それをやらかしていた。

 

 ボスへ槍を突き入れる直前ガクッと勢いが止まった。攻撃自体は中断され、なのにスキル後の硬直だけを強いられた身体が致命的な隙を晒す。

 

 やばいと思ったときにはもう目の前にボスの攻撃が迫っていた。

 鈍色の一閃が腹部を直撃し、軽々と吹き飛ばされる。

 

「ガッ……!」

「っ……!」「ハチ!」「ハチくん!」「ハチィ!」

 

 弾き飛ばされ、床を転がり、見えない壁にぶつかって止まった。

 SAOに痛覚がなくて良かった。これがリアルと同じなら、痛みだけで死んでたんじゃないか。まあ痛みの代わりにあちこちがとんでもなく怠いんだが。

 

 顔を上げてボスの方を見てみる。幸い他の面子が抑えてくれたようで追撃はない。

 

「はぁ。さて、HPは……」

 

 げぇ、7割も喰らってるし。こりゃあポーションじゃ間に合わねぇな。

 

 力の抜けた体を無理やり起こし、とりあえず柱に背を預けて座る。腰のポーチからピンク色の結晶を取り出して握る。

 

「だーくそっ、とんだ出費だまったく――《ヒール》」

 

 回復結晶(ヒールクリスタル)は一瞬で砕け、緑色の光が体を包んだ。視界左上のHPバーが赤寸前の黄色から満タンまで一気に回復。ついでに全身の倦怠感がスーッと消える。

 

 まったく。一個3000コルの結晶使わせやがって。何日分の宿代だと思ってんだ。

 

 槍を拾って立ち上がり、ため息と一緒に駆け出して戦列に復帰する。

 

「ハチ、大丈夫か?」

「大丈夫じゃねぇよ。結晶使わされたんだぞ。領収書切ってもらわなきゃ割に合わねぇ」

 

 言いつつ、ボスの横薙ぎをバックステップで避ける。ソードスキルじゃない通常攻撃程度なら避けるのはそう難しくない。

 

「そんでキリト、あれ、どうする?」

 

 問題は今の攻撃に使われたモノだ。

 今ボスがスイングしたのも、さっき俺をぶっ飛ばしたのも、奴の右手の剣じゃない。

 

「まさか盾で攻撃してくるとは思わなかったしな。うーん……」

 

 さすがのキリトもすぐに対応策は出てこないらしい。

 

 正直な話、ただ盾を振り回してくるだけならやりようはある。いくらボスの攻撃とはいえ所詮は盾。防御力なんて紙同然の俺でさえまともに喰らっても耐えられるんだ。タンクなら言わずもがな、キリトやユキノでも防げるだろう。

 

 けど奴の場合はもうちょっと面倒だ。

 

「ブロック、ツー!」

「オウッ!」「任せろ!」

 

 最早見慣れた《アバランシュ》。轟音と共に振り下ろされた剣をタンク二人が受ける。HPは削られるが、倒されるまでにはならない。ここまでは一緒。だが――。

 

「……やっぱりか」

 

 今まで通りソードスキル後の隙を突こうとアスナが接近すると、硬直を強いられてるはずのボスが左手の盾を振り回した。これではアスナも回避を余儀なくされ、その間にボスは剣を構え直してしまう。

 

 この硬直時間を無視した動きこそ一番厄介なとこだ。ここまではボスがソードスキルを使った後の硬直時間を狙うことでリスクを避けて攻撃できていた。

 

 だがこの土壇場になってあの首無し騎士は硬直時間を無視したような動きをし始めた。ソードスキルを使った直後で動けないはずなのに、盾を使って近づくプレイヤーを迎撃しているんだ。何かタネがあるのか、はたまたボスだけの特権なのか。

 

「厄介ね」

「だな。やっぱ一筋縄じゃいかないか」

「スキルの後でも動けるとか反則よ」

「うーん、どうしたものやら……」

 

 反撃できないまま同じ攻防を三回繰り返したところでユキノが眉をひそめた。アスナはご立腹なようで頬を膨らませているし、キリトは腕を組んで考え始める。

 

「俺たちの方はまだ余裕があるからな。焦って特攻なんて真似はするなよ」

「しねーよ。するわけねーだろおっかねぇな」

 

 そんな俺たちの様子を見かねたのか、エギルがやってきてそれぞれに小瓶を投げて寄越した。黄緑色の液体が入ったそれは町売りの回復ポーション。これでも飲んで落ち着きなさいよってことらしい。

 

 特攻云々は冗談として、エギルの言う通り焦る必要はない。

 今のところガードの方は同じ要領で対処できているからな。ボスのソードスキルを防ぐのはもちろん、唐突に振り回される盾は厄介ではあるが、タンクのガードを揺るがすほどのもんじゃないらしい。

 

 だからあとは攻撃だけだ。

 何か、何かないか。あの盾を掻い潜って接近する方法。そもそも盾を振らせない方法。そして確実に攻撃を加える方法が、何か――。

 

「さっきの《転倒》、あれを再現できれば……」

 

 ふと、キリトが思いついたようにそう言った。

 

「確かにそれができたら一方的に攻撃できるけど、どうやって転ばせるの? 都合よく《イラプション》撃ってくるとは限らないわよ?」

「だよなぁ」

 

 アスナのもっともな疑問に、キリトが苦笑いを浮かべる。

 けど待てよ。それならもしかして。

 

「…………いや、案外いけるかもしれないぞ、それ」

 

 呟くと、全員が「説明しろ」と目で言ってくる。っていうか睨んでくる。いや怖ぇよ。

 

「要するにボスをこけさせたいんだろ? なら、そうなるように叩けばいい」

「それが難しいからどうしようかって言ってるんでしょ」

「別に難しくはねぇだろ。相手がデカくない人型のボスならな」

 

 口を尖らせるアスナにはそう返して、ユキノへ目を向ける。

 

「《カタナ》スキルにはアレがあるだろ。そいつでまずボスを浮かせる。一人で足りなきゃエギルも一緒にな」

「……わかったわ」

「俺も了解だ」

 

 ユキノからエギルへ視線を移し、そのままアスナへ。

 

「んで、ボスが浮いたところをアスナが叩いて転ばせる。これで《転倒》取れるだろ。多分」

 

 「多分って……」と呆れ顔を浮かべたアスナからキリトへ目を向ける。

 

「キリトは俺の後に突っ込んで、ユキノとエギルが攻撃する隙を作ってくれ」

「オーケー。それで、ハチはどうするんだ?」

 

 四人の視線が集まる。大した事するつもりはないんですけどね。ええ。

 

「俺? つっかえ棒役」

 

 そのとき四人が浮かべた微妙な表情を、俺は生涯忘れないだろう(嘘)。

 

 

 




というわけで8話でした。
ハァ、必要な文章だけで言いたいことが伝えられるようになりたい。
長々と文字を重ねてしまうのは悪い癖ですね……。


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第九話:未だ溝は埋まらずに、彼の理想は叶わない

お久しぶりです。
仕事とか仕事とか仕事で忙しく、ずるずると執筆が遅くなってしまいました。内容的にも苦しくてモチベーションが保ちにくいというのもありましたが……。

とはいえ9話です。
フェードアウトせず続けていこうと思いますので、今後ともよろしくお願いします。


 ボスがバカでかい剣と盾を振り回している。

 右手で《両手剣》のソードスキルを放ち、左手は盾をぶん回す。雄叫びを上げながらブンブンと両手を振る様子は狂戦士(バーサーカー)染みてておっかない。

 

 だがまあ、それは奴が追い込まれてる証拠でもある。HPが残り少なくなって、ついに奥の手を出してきたってことだ。

 

 何もこういう状況は初めてじゃない。なんならSAOで経験してきた数々のフロアボス攻略戦において、奥の手のないボスはほとんどいなかったとすら言える。最初のコボルト王からして切り札を仕込んでたんだ。今回だけ何もないなどと楽観してたわけがない。

 

 ただこういう奥の手(・・・・・・・)は初めてだっただけ。

 何かしらの特殊攻撃か、雑魚mobの登場か、武器の取り換えか、はたまた真打の登場か。

 これまで経験してきたパターンに対する心積もりはできていたが、ソードスキル後の硬直が無いなんて状況は初めてだっただけだ。

 

 寧ろここで目の当たりにできたのは好都合でもある。

 中盤にすら差し掛かってないこの24層でこんな初見殺しが見られたんだ。これが終盤じゃなくてよかった。一撃すらまともに受けられない化け物相手じゃなくてよかった。

 

 おかげで罠に嵌まるやつが減る。攻略組の生存率向上に繋がる。延いてはSAO攻略の一助となるだろう。警戒するのとしないのとじゃ大違いだからな。

 

 奴の場合、厄介なのは『硬直時間の無視』という一点だ。これは現在ボス攻略において基本とされている戦術からしてみれば天敵とすら言える。

 

 現状、フロアボス攻略の際に採用される基本戦術は『ガード&アタック』。

 耐久力のあるタンクがボスの攻撃をガードし、生じた隙を攻撃力のあるアタッカーが叩く、基本に忠実でそれ故に崩されにくい安定した戦術だ。レイド内のアタッカーとタンクの割合を変えることで状況の変化に対応することもできる。

 

 だがこの戦術は動きの速い敵や隙の小さい敵に対して弱い。ガードで敵の態勢を崩したり、大技を防いだ後の隙を狙うのが前提の戦術だからだ。ガードを掻い潜られたり、ガードしても隙ができないんじゃどうにもならない。

 

 この24層ボス《デュラハン・ザ・ブラックナイト》は後者だ。いや、後者になったと言うべきか。

 

 ボスの使う《両手剣》のソードスキルは威力こそ高いが隙がでかい。しっかりガードできればその隙を狙うのは比較的簡単だ。右手一本で《両手剣》スキルを使っていたとはいえ、生じる隙が同じならやり方は変わらない。

 実際、HPバーの最後の一段が赤くなるまではこの基本戦術で戦うことができた。偵察の段階で割れて、攻略会議で決定した、事前に立てた計画のまま戦えていた。

 

 だからこそ前提から覆してくるような奥の手はほんと厄介だ。事前に立てた対策とかまるで使えないし、硬直時間の無視とかそんなんチートやチーターや。このゲームの設計者、絶対性格悪いだろ。

 

 ともあれ奴に今までみたいな隙はないってことはわかった。

 なら、それを見越した上で動くだけだ。

 

「来るぞ、《アバランシュ》!」

「ブロック、ツー!」

 

 ボスが振り上げた剣がオレンジ色に輝く。タンク二人が前に出てガード姿勢を取り、その直後、重たい一撃が振り下ろされる。

 そんな、もう何度見たかわからない一連の流れを見終わる前に駆け出す。

 

 唸る雄叫び。激しい衝撃音。それらを横目にボスへ肉薄する。

 これまで通り右手を振り下ろしたままの姿勢。けれど鎧に包まれた身体は僅かにこちら側へ開かれ、左手はぐぐっと力を貯めている。

 

 構わず近付く。ソードスキルの射程内に踏み込み、槍をグッと握る。

 待っていたと言わんばかりにタワーシールドの縁が空気を切り裂いて迫る。

 

 その瞬間――頭から滑り込んだ。

 

『オオォォ!』

 

 雄叫びと共に振りぬかれた盾の一閃がうなじを掠めた。ぞわっと背中が寒くなるのを堪えて手を突き、でんぐり返しの要領で飛び起きる。槍を逆手に持ち替え、無防備に脇を晒すボスには目もくれず、全体重を載せて床石の隙間に穂先を突き立てれば――。

 

「これで盾は使えねぇだろ」

 

 左手を振り切ったボスの肘の内側、突き立てた槍の柄が当たるそこを抑えるように全体重をかける。ボスの膂力と俺の筋力値+体重がせめぎ合い、互いの動きが止まった。

 

 これが対策。見たまんまのつっかえ棒だ。

 重い両手剣ならともかく、盾くらいならこれで止められる。一瞬だけどな。こいつ力強すぎるし。っていうかもう押し返されつつあるし。

 

 とはいえ、一瞬でも隙ができれば十分。右手の剣はキリトが抑えてくれてるだろうし、エギルと何よりユキノがしくじるはずもない。

 

「はっ!」

「おら!」

 

 両手を止められたボスへ、ユキノとエギルが迫る。

 

 敵を浮き上がらせる《カタナ》の《浮舟》と、強烈なアッパースイングを喰らわせる《両手斧》の《バーチカル・ブラスト》がボスを打ち上げる。鎧の重量のせいかほんの数十センチ程度しか浮かなかったが、問題ない。

 

「せやぁ!」

 

 ユキノとエギルのソードスキルによって打ち上げられたデュラハンへ、気合いの声と共にアスナが強烈な一撃を見舞った。

 さながら雷撃のような弾丸のような、高速かつ精確な攻撃がボスの股間に突き刺さる。ヒェ。

 

『オォ……』

 

 アスナの無慈悲な一撃を受けたボスはバランスを崩し、そのまま前倒しに落下した。

 派手な金属音を鳴らして倒れ込む首無し騎士。心なしかぴくぴくと震えているようにも見える。合掌。

 

「うわぁ……」

「…………」

 

 ちらっと見てみればキリトは苦笑いを浮かべているし、エギルは頬を引き攣らせている。エギルのパーティー連中に至っては顔を真っ青にして内股になっていた。

 

 一方、アスナとユキノに表情の変化はない。こいつらは女子だからわからないんだろう。

 

全力攻撃(フルアタック)二本!」

 

 ユキノの声で気を取り直し、一斉に全力のソードスキルを叩きこむ。色とりどりの光が炸裂し、残り少ないボスのHPがゴリゴリ削られていく。

 急所を撃ち抜かれて動けないところをタコ殴りにされるとか、デュラハン、お前は泣いていい。

 

 十人に袋叩きにされたボスはそのまま起き上がることなくHPを空にさせた。弱々しく呻き声を上げて首無し騎士は砕け散る。どことなく哀愁の漂う最期であった。

 

 

 

 

 

 

 その後、部屋の中央に《Congratulations》の文字が浮かぶと、そこかしこで歓声が上がった。

 続けて獲得した経験値やコル、アイテムが表示される。残念ながらラストアタックボーナスは取れなかったようだ。

 

「あ、やった!」

 

 ん? アスナがボーナスを取ったのか。急所ぶち抜いてボーナスゲットとか、恐ろしい子!

 

「お疲れ、ハチ」

「ん? ああ、お疲れさん」

 

 キリトとハイタッチをして互いの労をねぎらう。リアルじゃ考えられないやり取りも、半年かけて24もの層を攻略した今ではだいぶ慣れたな。

 

「コングラチュレーション、いい作戦だった」

 

 続けてやってきたエギルとも拳を合わせる。

 

「アスナが全部持ってったけどな」

「ハハハ、そうだな」

「LAボーナスもアスナがもらったみたいだしな」

 

 ユキノと談笑するアスナを見てキリトが微笑む。と、それに気付いたアスナがニッコリ笑ってブイサインを寄越した。

 キリトの反応はわかりやすく、顔を真っ赤に染めてそっぽを向く。

 

 そんな二人を見て、エギルがニヤッと悪い笑みを浮かべた。

 

「なんだキリト、恥ずかしいのか?」

「ばっ、そんなんじゃないって」

「照れるな照れるな。それにSAOじゃあ感情がすぐ顔に出るからバレバレだぞ」

「ぐぬぬ……」

 

 悔しげにエギルを睨むキリト。その顔はまだ赤く、特に暑いわけでもないここじゃ意味は限られる。

 

 っていうか、SAOじゃ感情が顔に出やすいってマジかよ。今度から気を付けよう。

 

「ハチくん」

「ん?」

 

 ふと名前を呼ばれて顔を上げると、そこには神妙な表情のユキノがいた。

 左手で右ひじを抱いた姿勢で立ち、目が合うなりスッと視線を斜め下に落としてしまう。

 

「その……さっきのことなのだけれど……」

 

 ……歯切れが悪いな。言いにくいこともバッサリと斬って捨てるのが雪ノ下雪乃のスタイルなはずだ。それはSAOに来る前も後も変わらず、なんなら昨日の攻略会議のときにもその舌鋒で一刀両断していた。

 

 だが今のユキノは自信のなさや躊躇いみたいなのがわかりやすく見えている。

 デュラハン戦の途中で話したときもそうだったが、ユキノがここまで弱々しい姿を見せるのは珍しい。こんな顔、今まで見たこと――。

 

 そこまで考えたところで、不意に割り込んでくる声があった。

 

「ちょお待たんかい!」

 

 いつにも増してうるさい声だ。

 これにはユキノも言葉を中断して振り向く。

 

 声の主は不満と憤りをこれでもかと顔に載せてズンズン歩み寄ってきた。

 そうしてユキノの前まで来たキバオウは更に大声で言った。

 

「ジブンら、なにを勝手にボス倒しとねん!!」

「え……」

「…………は?」

 

 何言ってんだこいつ。

 

「……ボスを倒しちゃいけなかったって言うのか?」

「25層に上るためにここへきたんですよね。どうしてそんなことを?」

 

 聞き捨てならないとばかりにキリトとアスナが詰め寄る。君たち仲いいのね……。

 これにはキバオウも少しだけたじろいだものの、すぐに勢いを取り戻し食って掛かる。

 

「ええか! ボスのHPが赤くなったとき、もう交代の時間は過ぎとった。つまりボスを倒す権利はわいらにあったっちゅうことや。それをジブンらがチンタラしとる間に壁ができて交代できんかったんやぞ! せやのにジブンらは居座って、挙句ボスを倒してもうとる。そんなん作戦無視もええとこやないか!」

 

 一方的にギャーギャーとわめくキバオウ。勢いで押し切ろうとでもいわんばかりに怒鳴り散らしている。なんだかんだと理由を付けちゃいるが、その魂胆は見え見えだ。

 

「そないな作戦無視した行動でLA横取りされちゃかなわんわ!」

 

 いやもっと言い方考えろよ。露骨すぎるだろ。

 寧ろここまであけすけだと一周回って潔いくらいだ。

 

 奴の無茶苦茶な理屈はともかく、こんなことを言い出した理由については予想がつく。

 《ALS》が最近LAボーナスに縁遠いことは、ここにいる全員が知ってることだ。

 

 

 

 15層を過ぎたあたりから、キバオウ率いる《ALS(アインクラッド解放隊)》はレアアイテム目白押しのLA――ラストアタックボーナスを手に入れられていない。ボスに止めを刺す機会の多いアタッカーを《ALS》が輩出できていないからだ。

 

 アタッカーがいないわけじゃないんだろう。キバオウ自身も盾持ちとはいえアタッカー寄りな装備構成だし、フィールドやダンジョンでは軽装の剣士や槍使いを見たこともある。

 ただレイドリーダーのユキノが設定した『足切りライン』をクリアできるほどのアタッカーがいないのだ。

 

 元々《ALS》はギルドメンバーが平等に強くなることを方針として掲げていたギルドだ。一部のプレイヤーを精鋭化させるのではなく、ギルドメンバー全体のレベルを底上げして総合力を高めることで《DKB(ドラゴンナイツブリゲード)》に対抗してきた。

 

 もちろん攻略の最前線に来るようなメンバーはそれなりに高いレベルとなっている。現にボス戦に参加してる十二人はタンクの(・・・・)《足切りライン》はクリアしてるわけだしな。

 

 ただ精鋭を揃える《DKB》や総勢6名と小規模な《風林火山》、ユキノ・キリト・アスナの三人組やエギル率いる漢集団なんかと比べると、どうしてもレベルが劣ってしまう。

 アタッカー要員はタンク要員よりも高いレベルが要求されるから、必然的に今のような布陣になってしまうわけだ。

 

 ユキノが主導する限り、レベルが足りないとボス戦でアタッカーができない。レイドの方針を変えようにもユキノがリーダーな限り譲るはずがない。

 かといってレベルを上げようにもギルドの方針で精鋭を作るわけにはいかず、より高効率でレベリングをする他の集団になかなか追いつかない。

 そんな板挟みにあって《ALS》はずっとLAボーナスから遠ざかってきたのだ。

 

 だから今回のボスは久しぶりに巡ってきたチャンスだったわけだ。

 千載一遇の好機。キバオウが躍起になる理由も理解はできる。

 

 まあ、だからといって「はいそうですか」と受け入れられるかは別だけどな。

 

 

 

「待ってくれ、キバオウさん。いくらなんでも今の言い分はおかしい。LAボーナスはドロップした人のものだと以前話し合いで決めたはずだ」

 

 手前勝手な理論に待ったをかけたのはリンドだった。

 キバオウはすぐにリンドを睨み、大仰に手を振りかざす。

 

「せやから、ドロップさせる権利を持っとったのがわいらだと言うとんねん。ユキノはんが作戦通り交代さしとれば、ボスに止めを刺しとったのはわいらやったんやぞ!」

「おいおい、あいつらが交代しようと動き出したときにはもうあの見えない壁はあっただろ。あれじゃあ作戦通りにゃいかねーってのは誰が見てもわかるじゃねえか」

 

 あーあー、クラインまで混ざってきやがった。これで隊長四人が勢揃いだ。……ユキノはさっきから黙ったまんまだけどな。

 

「壁ができる前に交代しとりゃよかったやろ。わいは時間計っとったからわかっとる。ユキノはんが交代の指示を出す前に、予定の十分は過ぎとったんや。もう一分でも早く動き出しとれば交代できたやろが!」

 

 それだとボスのHPは黄色のままで、お前らの攻撃力じゃラスト二割まで削れてたか怪しいけどな。

 よしんば削れてたとしても《ALS》の二パーティーで暴走するボスを倒せてたかどうか。結晶で脱出した挙句一からボス戦のやり直しなんて事態になってたかもしれない。

 

 あとは……死人が出ていた可能性もあるだろう。

 

 キバオウが諸々を考慮した上で言ってるんだとしたら、何か切り札があったのか、或いはただのご都合主義か。今までの言動的には後者な気がする。傍から見たら駄々っ子にしか映らないのがわからないのかねぇ。

 

 その後も騒々しくあーだこーだと並べるキバオウをリンドとクラインが根気強く説得しようとする。

 だがそもそも立場も認識も違うのだ。そう上手く話がまとまるわけがなく、散々言い争った挙句キバオウはトンガリ頭をがしがし掻いて振り返った。

 

「だーもう、埒が明かん! ほんなら直接言ったるわ」

 

 そう言って、視線をユキノに向ける。

 すると、全員の視線がユキノに集まった。だが、それでも、ユキノの視線はボーっと足元へ落されたままだ。

 

「なあ。なあて! 聞いとるんか、ユキノはん!」

 

 キバオウから追加で呼ばれて、ユキノはハッと顔を上げた。

 

「え……?」

 

 それから僅かな間があったが、すぐに状況を把握する。

 

「ごめんなさい。同じことを何度も言うものだから。結局、あなたは何が言いたいの?」

「なん、やと……!」

 

 ユキノの返答に、キバオウが顔を歪める。

 あいつに悪気はないんだろうが、その興味もないと言うような淡々とした口調が余計にキバオウの癇に障ったのだろう。今日一番の大声で何度目かわからない持論を叫んだ。

 

「なんべんも言うとるやろが! アンタがもっと早う交代の指示を出しとれば作戦通り交代できたはずや! ほんでけったいな壁のできる前に交代しとれば、わいらがボスを倒せたに違いない! ほんならわいらが……」

 

 ラストアタックボーナスを獲得できたと。そう口にしかけた言葉の続きは聞こえなかった。ユキノにもそこから先は聞こえていなかったはずだ。

 

 けれど、言葉にせずとも伝わる思いはある。

 表情やら仕草やら雰囲気やらで伝わってしまうことはある。

 なんなら言葉の上では隠そうと思っても伝わってしまうこともある。

 

 キバオウの場合、それが伝わり過ぎなくらい伝わってきていた。もはや以心伝心と言ってもいいレベル。ただ一方的に押し付けてくるだけなので反論も文句も否やも受け付けないのがほんと性質悪い。

 

「そう」

 

 キバオウの主張を聞き終えたユキノは小さく息を吐き、改めてキバオウへ向き直った。

 

「そちらの言い分は理解しました。ですが――」

 

 そう言って少しだけ目元を鋭く細める。

 

「ラストアタックボーナスはドロップした人のものとする。以前行った合同会議の場でそう決定したのですから、これが覆ることはありません。それは今回も同じこと。権利がどうこうという話ではありません」

 

 これにはキバオウも面食らったようで、しばらく開いた口が塞がらないようだった。

 しかしユキノの言葉を呑み込み、理解するにつれ逆上するのがわかった。

 

「なんやそれ……。そんなんユキノはんの匙加減一つでどうとでもなってしまうやないか!」

「私はレイドリーダーとして最善の手を取るだけです。そこに私情を挟むことも、ギルド間の戦力バランスに配慮することもありません」

 

 きっぱりと、ユキノはそう言った。

 

 誰かを贔屓することもなければ、誰かに便宜を図ることもしない。

 あくまでもその時々の戦力を使って指揮を執るだけで、戦力拡充への介入はしない。

 それは公正で冷静な雪ノ下雪乃らしい方針だ。

 

 だからこそ――。

 

「ほんなら、ほんならわいらは……わいらにチャンスはないゆうんか!」

 

 ギルドとしての方針。キバオウなりの理想。

 そんな《アインクラッド解放隊》の理念と、ユキノの合理的な戦略構想とは、致命的なまでに噛み合わなかった。

 

「……あなたたち《ALS》が方針を変えない限り、その可能性は高いでしょう」

 

 ユキノが攻略組のリーダーとなってからずっと続いていた確執。

 それが決定的なものになってしまったということに気付くのは、それから少し後のことだった。

 

 

 




次回更新はいつになることやら……。
気長に待っていただけたら幸いです。


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第十話:かくしてそれぞれの舞台が整い始める

三連休です。
もう一度言います。三連休です。
もう何か月ぶりだよってくらい久しぶりな三連休でテンションアゲアゲです。昼寝ができる幸せをかみしめています。休み、最高だな!

と、どうでもいい話はこのくらいで。
第十話です。ここからあのギルドが本格的に絡んできます。


 その知らせは突然届いた。

 

『ケイタです。

 

 急なメッセージでごめん。

 実はサチが出ていったきり帰ってこないんだ。

 クエストから帰ってきた後、いつの間にか姿が見えなくなってて。

 

 マップでも居場所がわからないし、他に頼れる人もいないんだ。

 迷惑なお願いだってわかってはいるんだけど、どうか力を貸してくれないかな』

 

 前に戦闘のレクチャーをした《月夜の黒猫団》リーダーのケイタからだった。しかも結構な緊急事態だ。

 

「どうしたの、ハチくん」

「アルゴからまた何か無茶な仕事でも依頼されたのか?」

 

 片や疑問、片やからかいを口にしながら、キリトとアスナが歩み寄ってくる。

 戦闘の時もそうだがこの二人、こういう何気ない言動も息ぴったりだ。圏外でも街中でも常に一緒にいるイメージだし。

 

 普段ならここにユキノが加わった三人で攻略しているはずだが、今日は別件で忙しいとかで代役として俺がフロア攻略に引きずり出された。せっかく午前の内に行きつけのレベリングスポットで荒稼ぎして、午後からはダラダラしようと思っていたのに……。

 

 しかもこいつらの連携の凄まじいこと。とてつもない勢いでmobを狩り、マップの未踏破域を埋め、クエストリストを消化していくのを見るに「これ、俺要るか?」と思わざるをえなかった。

 まあ、お陰でパーティーメンバーとして得られたおこぼれ(・・・・)は相当なもんだったが。

 

 キリトの恐ろしい冗談に頭を抱えつつ、素直に事情を打ち明ける。

 

「いや、なんか付き合いのあるギルドで問題があったらしくてな。メンバーの行方が分からないんだと」

「えっ!?」

「ハチに、付き合いのあるギルドだって!?」

 

 驚くとこそこかよ。けどまあ俺ってば悪名高きマイナーボッチだしな……。

 

「前にちょっとな。つーわけで探しに行ってくるわ。悪いが夕食は二人で行ってくれ」

 

 一応これから三人で夕食を食べに行くつもりだったんだが、そういうわけにいかなくなった。「どうせなら夕食も一緒しましょう」と笑顔で詰め寄ってきたアスナにはモウシワケナイ。

 

 転移門のある方へ歩き出しながら背後のキリトとアスナへ手を振っておく。

 こんな状況だ。二人も納得してくれるだろう。埋め合わせは後日するとして――。

 

 と、そこでガシッと両肩を掴まれた。チラチラっと左右後方へ視線を送る。

 

「俺たち(私たち)も一緒に探すよ(わ)!」

 

 ほんと仲良いね、君たち……。肩掴むタイミングとかバッチリだったよ。なんなら声も完全に重なってたよ。

 君たち二人、攻略組でなんて言われてるか知ってる? 《夫婦剣士》だとか《狂戦士(バーサーカー)コンビ》とか《ニコイチ》よ。

 

 まったく、攻略のコンビってだけじゃなく、どっちも負けず嫌いな上に妙なところでお人好しだよなぁ。困ってる人はほっとけないタイプなのだろう。自分から首突っ込むとか、お前ら主人公かよ。

 

 とはいえ、行方不明のプレイヤーを探すとなると……。

 

「――助かる。《風々亭》のアップルタルトでいいか?」

 

 言うと二人はきょとんと顔を見合わせ、やがてお揃いの呆れた笑みを浮かべた。

 

「オーケー。ありがたくご馳走になるよ」

「ほんと、ハチくんってば捻デレなんだから」

 

 だからデレてないっての。何度目だこれ。

 

「まあ、人手が増えるに越したことはないからな。よろしく頼む」

 

 手伝ってくれるらしいキリト&アスナと一緒に転移門に立つ。行先を知らない二人が付いて来られるよう、少し大きめの声で唱えた。

 

「転移――《タフト》」

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 攻略組が25層にたどり着いてから既に一週間が経過した。

 《アインクラッド》の丁度四分の一にあたるこの層は今までよりも難易度が高く、攻略は大いに難航している。

 

 第1層を突破して本格的な攻略が始まって以来、攻略組はすべての層を一週間ほどで突破してきた。

 10層と20層ではそれぞれ八日、九日と時間を要したものの、それは単純にボスが強力で準備に時間が掛かったからでフロア攻略自体は一週間も掛からなかった。

 

 そんな目安となる一週間が経過した今、この25層はまだ半分も踏破されていない。

 

 理由は単純。敵が強いのだ。

 半年間このSAOの最前線で戦ってきた攻略組プレイヤーをして苦戦させられるほどに強い。それもフィールドボスやフラグボスですらない、雑多な敵mob相手にだ。

 

 最初にその事実を突きつけられたのは《DKB》だった。

 

 一週間前、25層の主街区《ギルトシュタイン》にたどり着いた後、《DKB》のメンバー数人が街周辺の探索に出た。中には安全マージンの基準である『階層+10レベル』に達していない中層プレイヤーもいたらしいが、それを油断だと指摘するのは少々酷だろう。

 

 これまで、主街区の周辺に強力なmobが出現することはなかった。精々がその層の最下級レベルのmob二、三体が出る程度だったのだ。

 この程度の敵であれば攻略組として最前線で戦う者は言わずもがな、多少レベルや装備で劣る中層プレイヤーでも問題なく戦えていた。少なくとも24層までは。

 

 だがデュラハン戦の二時間後に緊急会議を招集した《DKB》リーダーのリンドは、攻略組の前で自ギルドのメンバーが危うく全滅しかかったと知らせた。

 新しいフロアに来て意気揚々なプレイヤーも、ボス戦の疲れでぐったりなプレイヤーも、これには一転して真剣な表情を浮かべた。

 

 曰く、中層プレイヤーを含む《DKB》の一パーティー六人が武装したゴブリン四体と戦闘になった。ゴブリンたちは今までよりも良質な装備を纏っており、様子を見るようにじりじりと距離を詰めてきたそうだ。

 これまで戦ってきたゴブリンと違う行動に違和感を覚えつつも、彼らは先手を取ってゴブリンへ攻撃を仕掛けた。六人のうち四人が突進系のソードスキルで斬りかかった。

 

 だが彼らの攻撃は全てゴブリンたちの剣や盾で弾かれたらしい。そしてスキル後の硬直で動けない四人はゴブリンの反撃をもろに喰らった。

 幸いレベル差のお陰でダメージはそれほどじゃなかったらしいが、ゴブリンたちの見せた動きにしばらく呆然としてしまった。

 それが大きな隙となってゴブリンたちの追撃を許し、パニックになって陣形が崩れ、あれよあれよという間にダメージは重なっていき……。

 形成不利と判断して逃げ出した頃には六人ともがHPを半減させていた、と。

 

 リンドの説明を聞いた一同は言葉を失った。

 

 敵が攻撃を防ぐ。スキル後の硬直を狙って攻撃してくる。

 プレイヤー側からしてみれば当然の戦い方も、敵が実行してくることはこれまでなかった。一部のボスモンスターにはその兆候も見られたが、フィールドやダンジョンで遭遇する通常のmobが見せることはなかったのだ。

 

 震える声で偶然だろうと言うやつがいた。

 とんでもない話だ。ただの偶然で片付けられるわけがない。

 

 リンドは四人の攻撃全てが弾かれたと言った。一人や二人じゃない。四人ともが揃って防がれたということは、それが偶然ではなくゴブリンの意図に依るものということだ。

 つまり25層に出現する敵は、最低級のゴブリンですら(・・・・・・・・・・・)こちらの攻撃を防ぎ、弾き、カウンターを打ち込んでくる知能があるってことだ。それがどれだけ危険なことか想像するに難くない。

 

 同じ結論に至った者は少なくなかった。命を懸けて戦う攻略組の人間だ。自分の命が脅かされる事態には敏感じゃなきゃとてもじゃないが務まらないからな。

 

 リンドの報告を聞いた攻略組の面々は翌日から何度も主街区周辺での偵察戦を行った。

 クエストボスに挑むくらいの入念な準備をして街の周りを探索し、遭遇するmobと慎重に戦闘を重ねていった。

 

 結果、この25層に出現する敵はこれまでと戦闘の次元が違うとわかった。

 単純な力押し、ワンパターンなカウンター、スイッチを繰り返しての攻防、そしてソードスキルを使用するタイミングなど、これまで通用していた戦法のほとんどが通用しなくなっていた。

 

 丸三日かけて行われた偵察戦は、新たな戦術を構築する必要性を突きつけてきた。

 俺を含めた全員が、より高度な思考を持った敵と戦うにはどうすればいいかを考えなくてはならなかった。

 

 そんなこんなで、25層到達から一週間が経っても攻略の進捗は芳しくなかったわけだ。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

「来てくれてありがとう。突然こんなことを頼んで申し訳ないんだけど……」

「いや、俺も無関係ってわけじゃないからな。気にしないでくれ」

 

 第11層の主街区《タフト》の転移門広場にケイタはいた。

 すぐに行くと伝えてはいたが、まさか広場で待っているとは思わなかったな。

 

「ありがとう。――ところで、その人たちは?」

 

 大げさに頷いたケイタはちらっと俺の後ろへ視線を送る。

 

「あー、協力してくれるってんで連れてきた。黒い方がキリトで、白い方がアスナだ」

「ちょっと、なによその言い方。紹介が適当過ぎるわよ!」

「黒い方って。まあわかりやすいけど……」

「はいはい、今は時間ないから後でな」

「ア、ハハ……。よろしくお願いします」

 

 不満げなアスナとため息のキリトは放っといて話を進める。

 

「それで、状況はどうなってんだ? 今も他のメンバーはサチを探してるんだろ?」

 

 するとケイタは苦笑いを収めて真剣な顔で答えた。

 

「とりあえず心当たりのある場所を回ってる。みんなで食事をした店とか雑貨屋とか……」

「とっかかりとしちゃ妥当だな」

 

 サチがどういう理由でいなくなったかはわからないが、マップで追えないとなると《隠蔽》スキルか何かしらのアイテムで身を隠している可能性が高い。

 他のプレイヤーの手によって隠されてるって線もあるが、いなくなる直前までそばにいたギルドメンバーに気付かれずにってのはちょっと考えづらいしな。

 

「ならそいつらは街中を探させるとして、ケイタ、お前は宿に戻った方がいい」

「えっ……どういうことだい?」

 

 自分も探し回る気でいたんだろう。ケイタは目を丸くした。

 

「複数の人間が手分けするときは情報をまとめるやつが必要だ。その点、お前は俺とも連絡が取れるからまとめ役に適してる。それに、案外ひょっこり帰ってくるかもしれないしな。こっちはこっちで探してみるから、何かあったらまたメッセージくれ」

 

 全員が適当に探し回ったんじゃ効率が悪いからな。誰か一人を司令塔に回した方が抜けや重複を防げるし、サチが宿へ戻ってきた場合の入れ違いをなくすこともできる。

 

 ところがケイタは納得できていないようだった。

 顎に手を当てて、真剣な表情で切り出してくる。

 

「街の外に出たって可能性はないかな?」

 

 おいおい。何を言い出すかと思えば……。

 

 確かに街の中と違って、圏外のダンジョンなんかでは自由にメッセージをやりとりすることができない。同時にマップ追跡もできなくなるから、今の状況はサチがダンジョンにいるからと考えることもできる。

 

 だがケイタは肝心なことを忘れてる。

 

「あいつが一人で敵のいる圏外に出ると本気で思ってんのか?」

 

 ほんの二、三時間レクチャーをしただけの俺ですらサチが臆病なのはわかるのだ。同じギルドのリーダーで、ましてや長年の付き合いがあるケイタにわからないはずがないだろうに。

 

 訊き返すと、ケイタはハッと落ち込んだような表情を浮かべた。

 

「…………そうだね。自分からは出ない、と思う」

 

 どうやら納得してもらえたようだ。ここで意固地にならないあたりが《月夜の黒猫団》でリーダーを務めてる所以なのかもな。

 

「なら、今は街中を集中して探すべきだ。仮に圏外へ出たんだとしたらそれこそ人手が足りない。その場合、もっと人を集める必要がある」

 

 そのときはアルゴにでも頼めばいい。情報と人手の両方をお手頃価格で提供してくれるだろうよ。後で馬車馬のように働かされるだろうけどな。

 

「わかった。ハチの言う通りにするよ。何かわかったらすぐ連絡する」

「ああ、そうしてくれ」

 

 ケイタは頷き、キリトとアスナへ「ご協力お願いします」と一礼してから宿へ向かった。

 走り去るケイタを見送ったところで、アスナとキリトが口を開く。

 

「さて、それじゃあ私たちも探そっか。しらみつぶしって感じになっちゃうけど」

「そうだな。ハチはともかく、俺たちはそのサチって人に会ったことないしなぁ」

「いや、お前らには別に頼みたいことがある」

 

 そう言うと二人は「せっかく探す気満々だったのに……」とでも言いたげな表情で振り返った。やる気出してたとこすみませんね。

 

「ちょっと《はじまりの街》まで行ってきてくれないか」

「《はじまりの街》? 別にいいけど、どうして?」

 

 アスナが首を傾げる。

 一方キリトは少々考えた後、内容に思い当たったようで顔を上げた。

 

「……石碑、だな?」

「あ……そういうこと」

 

 さすがは二人とも普段からユキノに付いていってるだけある。頭の回転が早いな。

 

 《はじまりの街》の中心には《黒鉄宮》という城がある。

 茅場によるデスゲーム宣言の行われた中央広場に隣接したその城は、ベータテスト時には死んだプレイヤーの復活場所だったのだという。キリトから直接聞いたことだから間違いないだろう。

 

 だがSAOが復活のできないデスゲームと化した後、場内の広間には見上げるほどの大きな石碑が建てられていた。そして黒く滑らかな石碑の表面にはびっしりとプレイヤーの名前が彫り込まれていた。

 巨大な城の広間を埋めるほど大きな石碑だ。わざわざ数えるまでもなく、そこには全プレイヤーの名前が記されているのだとわかった。

 

 それだけじゃない。ご丁寧なことにこの石碑、死亡したプレイヤーの名前には横線が引かれ、死亡した日時と死因が追記されるようになっている。

 だから居場所がわからないやつや連絡が取れないやつが出た場合、生きているかどうか石碑を見て確認する必要があるのだ。

 

「まずないとは思うが、可能性はゼロじゃない。けどギルドのやつらに確認させるのもな。気分のいい頼みじゃないが、引き受けてくれないか?」

 

 我ながら嫌な頼み事をしている。

 何事もなければいいが、万が一サチの名前に線が引かれていたら……。そもそも『石碑を見に行った』ということ自体悪印象のもとになることもある。

 

「もちろん、構わないよ」

「そうね。直接会ったことがない私たちの方がいいと思うし」

 

 だが二人は迷うことなく頷いた。

 後ろめたいことなどないというようにはっきりとした態度だ。

 

「……悪いな。せっかく協力してくれるってのに嫌な役押し付けて」

「気にするなよ」

「そうそう。その代わり、ちゃーんとアップルタルト奢ってもらうから」

 

 頼んでるのはこっちなのに気まで遣われてしまったらしい。ほんと、こいつらは物語の主人公みたいにできたやつらだな。

 

「はいよ。なら頼むわ。サチの綴りは《sachi》だ」

「オーケー。じゃあ《はじまりの街》へ行ってくる」

 

 そう言って、キリトとアスナは転移門へ歩いていき、《はじまりの街》へ転移した。

 

 一方、俺は一人、転移門広場に残ってこの後の行動指針を練る。

 《タフト》の地図を開き、周りを見渡して、とある建物に目を留める。

 

「とりあえず、あそこに行ってみるか」

 

 誰にともなく呟いて、広場の外れにひっそりと建つ教会へ足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 第11層主街区の《タフト》は近代ヨーロッパ風な街並みをしている。

レンガ造りの建物が並び、石畳の敷かれた道や鉄製の柵、青銅製の噴水なんかをガス灯が照らす落ち着いた雰囲気の街だ。

 広さはそれほどでもない。端から端まで歩いて三十分といったとこだろう。主街区だからといってどこも広いわけじゃないしな。《はじまりの街》が広すぎるだけだ。

 

 今現在、俺は教会の鐘楼に上っている。他の建造物より高い位置にあるここからなら、街全体を見渡すことができるからだ。

 

 いなくなったサチについて、俺は黒猫団の連中のような心当たりはない。行ったことのある場所やお気に入りの場所なんかも知らない。なんなら彼らが拠点にしている宿すらおぼろげなレベル。

 そんな俺が街中を駆け回っても意味はないだろう。偶然すれ違うくらいならとっくに見つかってる。そうでないというなら、それだけの理由があるということ。

 

 単純な話だ。

 

 今サチが見つかっていないのは、彼女の居場所をマップで追えないからだ。それはつまり彼女が《隠蔽》の効果を受けているということ。自力でのことか、アイテムによるものか、或いは第三者の存在によるものかはわからない。

 

 この場合、第三者の存在による可能性は無視していいだろう。ケイタから聞いた限りじゃ誘拐されるような状況じゃないし、仮に第三者が絡んでいるとなったらもうお手上げだ。

 

 故にサチは《隠蔽》スキルか同じ効果を持つアイテムによって姿を隠していると断定する。

 

 となれば今、サチはきっと一人でいるだろう。

 なら、その思考をトレースすればいい。文化祭で相模を探したときと同じだ。

 

 サチについて知っていることはそれほど多くない。ほとんど知らないと言ってもいいだろう。ほんの二、三時間、戦い方のレクチャーをしただけだしな。

 

 けれど、わかることもある。

 

 サチは怖がりな女の子だ。戦闘で前に出ることが苦手で、敵の攻撃を防ぐのにも怯えてしまう。第1層から上がってくるまでの間、後衛から敵を牽制する役だったらしいのは彼女とケイタのやりとりから読み取れる。

 

 彼女に限らず、世間一般の女子高生が最初から巨大カマキリや凶暴な亜人と戦えるとは思えない。

 だが幾度となく戦闘を重ねれば段々と慣れてくるはずだ。現に最前線まではいかなくとも中層で戦闘に参加している女性プレイヤーはそれなりに出てきている。

 

 けれどサチは《月夜の黒猫団》の一員として数々の戦闘をこなしてきたにもかかわらず、未だに戦闘で怯えてしまっている。本来なら街の外へ出て戦おうとは思いもしないだろう。

 

 ではなぜサチは恐怖をおしてなお戦闘に参加し続けたのか。

 

 以前、サチと話したときに彼女は『みんな頑張ってるのに私だけ……』と零していた。

 何を思ってそう口にしたのかはわからない。だが彼女が仲間との繋がりを失うことを恐れていたのはわかる。

 

 嫌われたくない。置いていかれたくない。

 そんな思いが戦闘への恐怖に勝っていたから、彼女は怯えながらも仲間と一緒に戦い続けたのだろう。怯えながら、震えながら、自身の居場所を守るために戦っていた。

 

 それが今日、ふとした拍子に折れてしまったのだとしたら。

 折れるとまではいかないまでも、擦り減らしてきた心が疲れてしまったのだとしたら。

 

 辛い板挟み状態から逃げ出したくなった人間が望むこと。それは一人になることだ。

 誰の目もない、本音を隠す必要のない場所に行って、大きく息を吐くことだ。

 

 さらにもう一点。

 そう遠くない場所にいるはずだ。逃げ出したいのが本音なら、居場所を守りたいのも本音だろう。なら、ギルドホームからあまり離れたりはしないはずだ。

 

 物理的に入れない場所には行かない。圏外に出ることもない。人目のあるところにも行かないはずだ。

 

 なら、あとはどこだ?

 まだ選択肢が多過ぎる。推測するための材料がもう少し必要だ。

 

 その道のプロに訊くためにフレンドリストを呼び出した。

 数少ないフレンドのうち上から二番目のやつにメッセージを送る。

 

『一人になりたいやつは街の中ならどこへ行く?』

 

 用件も理由もなにも書かず訊きたいことだけを送った。

 普通こんなメッセージをもらったら混乱して詳しいことを訊き返してくるもんだが、速攻で返事を寄越したこいつは違う。

 

『教会の空き部屋、宿の一室、路地裏、外壁の上、あとは橋の下ってとこダナ!(¥200)』

 

 まったく、何でもかんでも情報料取りやがって。

 

 ともあれ、参考にはなった。

 教会の部屋はここへ来る途中にチェックしたし、宿にはケイタが張り付いてる。路地裏なら黒猫団の連中が見つけるだろう。《タフト》に登れるような外壁はない。

 

 橋の下……。水路か。

 

「――いくつかあるな」

 

 鐘楼から街全体を見渡してみると、水路に下りられる階段がいくつか見つかった。その内の一つが転移門広場からそう遠くない場所にある。

 

 俺は鐘楼から下りて路地を走った。人通りの少ない路地は快適なトラックと変わらない。敏捷値に極振りした俺の足なら尚更だ。

 

 歩けば十分は掛かろうかという距離をものの二分ほどで走破した。通り沿いにひっそりと続く下り階段を見下ろして足を止める。

 

 ふと、そのときメッセージの受信を知らせる電子音が鳴った。

 差出人を予想しつつウィンドウを開く。

 

『石碑の名前は無事だった。念のため似たような綴りも調べたけどそれもない。サチさんは間違いなく生きてるよ』

 

 《はじまりの街》へ向かったキリトからだ。仕事が早いことで。

 

 『了解だ。適当な時間にこっちへ来てくれ。多分、もうすぐ見つかる』と返事を出してウィンドウを閉じ、水路への階段を下りる。

 

 石畳の階段を下り、穏やかに流れる水音を聞きながら橋の影に歩み寄る。

 

 そこには若草色のマントを羽織ってうずくまるサチの姿があった。

 

「……サチ」

 

 声を掛けると、肩までの黒い髪を揺らして顔を上げ、驚いたように呟いた。

 

「ハチ、さん? どうして……」

 

 信じられないとでも言いたげの彼女を見て、とりあえず忘れられてなくてよかったと、どうしようもない考えが真っ先に浮かんだ。

 

 




第十話でした。
次回更新は未定です。

三連休パワーで進められれば、多少は早めに仕上げられるかもしれません。
期待せずお待ちください。


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第十一話:またしても、比企谷八幡は元来た道へ引き返す

ぎりぎり三連休中に上げられました。
今回はちょっと長めですが、よろしくお願いします。

ということで11話です。


 転移門広場から程近くの暗い水路にサチはうずくまっていた。

 膝を抱え、背中を丸めて座り込む彼女へ声を掛ける。

 

「サチ」

 

 一瞬だけ震え、ゆっくりと顔を上げたサチの目には驚愕の色が浮かんでいた。

 

「ハチ、さん? どうして……」

 

 その後に続けようとした言葉は何だったのだろう。

 真っ先に浮かぶのは「どうしてここに」だが、同じくらい「どうしてあなたが」もあり得る。「なんで来たの」や「お前なんかが」とか言われたら泣けてくるから勘弁してね。

 

「まあ、色々とな。ここがわかったのは偶然みたいなもんだ」

「……そっか」

 

 サチはかすかに笑った後、再び抱えた膝の上に顔を伏せた。

 彼女の方へ歩み寄り、三人分くらい離れた位置で壁に背を預ける。水路を流れる水へ視線を落とし、未だ顔を伏せたままのサチが聞こえるギリギリの声で呟いた。

 

「ケイタが心配してたぞ。ギルドの連中も街を探し回ってる。早く帰って安心させてやった方がいいんじゃないか?」

 

 答えはない。サチは俯いたままで、顔を上げる素振りすらなかった。

 ふぅ、と一息挟んで続きを口にする。

 

「なんて、そんなのは一般論だ。誰にだって一人になりたいときくらいある。どんなに気の合う集団にいても、その中での役割に縛られることはあるし、それが苦になるときはある。だから、今すぐ戻れとか言う気はない」

 

 今度は反応があった。そっとこちらの真意を窺うようにサチが顔を上げる。

 彼女の目が完全にこちらを向いたところで視線を合わせて言った。

 

「なあ、お前はどうしたいんだ?」

「…………」

 

 サチの目が水面へ落ちる。答えのないまま一分が経ち、二分が経ち、それでも黙って待っていると、やがて彼女は囁くように言った。

 

「私……私は、逃げたい」

 

 逃げたい、か。

 

「それは何から?」

「この街から。黒猫団のみんなから。モンスターから。……《ソードアート・オンライン》から」

 

 即座に答えることができなかった。そこまで思いつめているとは思わなかった。

 それが彼女の本音なのか、あるいは衝動的に出た言葉かはわからない。言葉の意味するところを推し測ることはできても真意まではわからない。

 

 だから結局、わかりやすい問いを返すことにした。

 

「SAOから逃げたいってことは、お前……」

 

 けれど最後まで訊く前に、サチは小さく首を振った。

 

「ごめん、嘘。死ぬ勇気があるなら、こんな街の圏内に隠れてないよね」

 

 自嘲するように笑ったあと、彼女は一転して顔を強張らせる。

 

「私、死ぬの怖い。怖くて、この頃あまり眠れないの」

 

 一度口にしてしまえば、あとは堰を切ったように流れだした。

 

「ねえ、何でこんなことになっちゃったの? なんでゲームから出られないの? なんでゲームなのに、ほんとに死ななきゃならないの? あの茅場って人は、こんなことして、何の得があるの?こんなことに、何の意味があるの……?」

 

 その五つの質問に、それらしい答えを返すことは可能だった。彼女を納得させられるかは別として、事実と推測を織り交ぜた理屈を捻りだすことはできた。

 

 けどそれは欺瞞だ。上っ面だけの詭弁だ。

 なら、そんな気休めはいらない。

 

「さあな。意味なんてないんじゃないか。それこそ茅場本人にでも訊かないとわからないだろ。考えるだけ時間の無駄だ」

 

 突っぱねるようにそう言うと、サチは「……そうだよね」と息を吐いた。

 

 彼女にもわかっているのだろう。

 意味なんてない。理由なんてない。ただ居合わせてしまっただけなのだ。

 

 再びの沈黙。空気はさっきよりも重苦しい。

 こうなるのをわかってて言った身としては心苦しいが、俺が何を言ったところで似たような空気になってただろう。

 

 ちらっと横を見ればサチが泣きそうな顔で、けれど涙は流さず俯いている。じっと水面を見つめる彼女は今、何を考えているのだろうか。

 

 サチは死ぬのが怖いと言った。それが理由で眠れないとも。実際、こうして逃げ出してしまうほどにサチは追い込まれている。

 

 この街や黒猫団から逃げたいと言ったのも、戦うことへの怖さと、仲間との繋がりとの間で苦しんでいたからだろう。彼女が本当に黒猫団という寄る辺を捨てられるなら、もうとっくに捨てて逃げているはずだ。

 

 であれば、黒猫団からは離れず、かつ死の恐怖を和らげる方法を考えなくてはならない。

 できることならこれ以上戦闘には参加せず、その上でギルドに貢献する手段が必要だ。

 

 真っ先に思いつくのは、以前にも話した生産職に転向するという方法。

 前線に出ず、ギルドメンバーのサポートがメインの生産職なら、死の危機に直面する機会はぐっと減るはずだ。それでいて生産職も経験値を貯めることはできるから、効率は劣るものの安全にレベルを上げることができる。

 もちろんメンバーの協力は必要だが、今よりもずっと安全に過ごすことができるだろう。

 

「前にも少し話したが、生産職になるって方法もある」

 

 今のように戦う必要はなくなり、かつギルドへ貢献もできる。そんな感じのことをかいつまんで説明すると、サチは小さく微笑んだ。

 

「ありがとう」

 

 けれど彼女はまたすぐに俯いてしまう。

 口元に浮かんだ笑みも諦めたようなものに変わっていた。

 

「……あいつらは反対すると思うか?」

 

 そう訊くとサチは首を振り、視線を足元へ落とした。

 

「だめとはきっと言わないよ。でも……」

「頑張ればきっと、か」

「…………うん」

 

 以前ケイタの言っていた台詞を口にすると、サチは極小さな声で頷いた。暗く沈んだ表情を見るに、何度も繰り返された言葉なのかもしれない。

 

 ケイタは悪いやつじゃない。それはわかる。

 五人だけの小規模ギルドとはいえ、全員をまとめあげて中層まで上がるのは簡単なことじゃない。メンバーからは慕われているし、ギルドとしての目標も掲げている。リーダーとして信頼に値する人物なのだろう。

 

 だが、考えてみれば、黒猫団はバランスの悪いパーティーだった。敵の攻撃をガードできる前衛が一人しかいないのに、後衛ばかり四人もいるのだ。

 そんな中でサチはスキル熟練度の低さという消極的な理由で前衛にコンバートさせられそうになっていた。なんなら今も練習は続いている可能性すらある。

 

 あれから状況が変わっていないとして、サチが後方支援に回りたいと言い出せばどうなるか。

 

 ただでさえ定員の六人に満たなかった黒猫団のパーティーは四人だけとなる。しかも前衛へのコンバートを進めていたサチが抜けるのだ。残るのは前衛一人に後衛が三人。バランスを考えれば三人の内の誰かを前衛に回す必要が出てくる。

 

 身も蓋もない話だが、メイン武器を変更する場合にはそれまで必死に鍛えてきたスキルを捨てる勇気が要る。その上でまた一から新しいスキルを鍛え直さなくちゃならないという手間も付いてくるのだ。自分から進んでやろうとは誰も思わないだろう。

 

 サチの他の後衛はリーダーのケイタ、シーフのダッカー、槍使いのササマルの三人。

 彼女が本気で話せばダメとは言わないだろうが、その場合、代わりに前衛へ回った一人と仲が拗れるかもしれない。最悪、ギルドが空中分解することも考えられる。

 

 死ぬのが怖い。戦うのも怖い。

 けど自分が抜ければギルドが崩壊する可能性すらある。

 

 でも自分が我慢すれば、少なくとも黒猫団のみんなは一緒にいる。

 だから怖くても戦わなきゃいけない。

 一緒に居続けるために、怖さを我慢して、戦わなきゃいけない。

 

 それがサチの葛藤だ。

 死ぬのが怖いと逃げ出してまで言った彼女は、仲間と一緒にいるためには恐怖を押し殺して戦わなくちゃいけないのだと、そう考えている。

 

「一つだけ聞いてもいいか」

 

 俯くサチへ声を掛ける。

 彼女は未だ泣きそうな顔のままこちらへ向いた。

 

「もしもの話だ。もし、お前がさっき言った後方支援に回れて、かつ黒猫団はバラバラにならず連中の仲も拗れない。そんな方法があると言ったら、お前はどうする?」

 

 そう言うと、サチの目が困惑に揺れた。上目遣いにじっと窺うような眼差しを向けてくる。

 十秒、二十秒と沈黙が続き、やがてサチはか細い声で呟いた。

 

「……ほんとに? ほんとに私は戦わずに済むの? 黒猫団のみんなとも離れずに?」

「ああ。戦闘に参加することも、ギルドがバラバラになることもない。お前も、もちろん他の連中も危険なことはないし、後腐れすることもない。そんな方法だ」

 

 説得力なんてない。内容を一切開示してないのだから、信用に足る根拠は皆無だ。

 

 だが、それでも――。

 サチは目を伏せて少し考えた後、縋るような目を上げ、やがて小さく頷いた。

 

 そっと微笑んだ彼女の瞳から、ツーッと一筋の涙が伝った。

 

 

 

 

 

 

 黒猫団の現状はかつての文化祭実行委員と本質的に似ている。

 ONE FOR ALL。一人はみんなのためにってな。

 

 貧乏くじを引いたやつの事情も心情も知らず、知ろうともせず、知っていても知らないふりをして、周りがそうしてるからと曖昧なままに押し付ける。

 そうやって、見かけの上では上手く回っている裏で誰かが負担を強いられる世界だ。

 

 みんな頑張ってるとか、自分たちも協力するなどと耳障りの良い言葉で誤魔化しちゃいるが、結局のところそれは強要して洗脳しているに過ぎない。

 嫌と言えば応援され、それでも否と言えば『自分勝手なやつ』と非難される。自分から名乗り出たわけじゃないのに『無責任だ』と誹られる。そうした悪意に晒されて脅されて、いずれ考えるのをやめてしまうだけだ。

 

 怖いものを怖いと言って何が悪い。

 死にたくないと泣くことが悪なはずがない。

 なら、怖い、死にたくないと叫ぶやつに押しつけるのは悪だろう。

 

 誰かが泥をかぶんなきゃいけない。それは事実だ。

 ここがゲームの中だとしても人間が人間である限り変わらない。

 

 けど、怖がりな女の子が人知れず震えなくちゃならない世界なら。

 

 彼女には、世界を変えたいと願う権利がある。

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 それからケイタへメッセージを飛ばし、俺たちは《タフト》の外縁部へ向かった。

 

 この街は11層の外周部に位置しており、街の一部はこの外周に接している。

 小さな広場のようなそこはアインクラッドの外、果ての無い雲海を一望することができる絶景スポットだ。同時に最近は滅多にない自殺者の身投げスポットだったりもする。

 

 俺とサチが広場へ着いたときにはもうすっかり日が暮れていた。薄暗い広場には所々ガス灯が立っており、視界もある程度は保たれている。

 とりあえず石造りのベンチにサチを座らせ、ケイタたち黒猫団の到着を待つ。

 

 ケイタへは黒猫団のメンバー全員を連れてこの広場へ来るよう伝えてある。サチは見つかったが疲れてるっぽいからここで休ませておくと、それらしい理由づけもした。『ついでに今後の話でもしたらどうだ』なんて念押しもしたから間違いなく全員で来るだろう。

 

 寧ろ全員が揃ってくれなきゃ意味がない。

 ケイタや他の三人がいて、そこにサチもいる状況が必要だ。

 それでいて人目に付かず、ある程度広い場所であることが望ましい。そういう意味じゃあ、この広場は適度に広くて薄暗く、おまけに空が近い最適な場所だった。

 

 一方でキリトとアスナには申し訳ないがお帰り願った。

 これからやろうとしてることを二人が知れば絶対に止めに入るだろうからな。先に《風々亭》へ行っておくようメッセージを出したから、今頃はアップルタルトが出てくるのを待ってるはずだ。

 

「あ、あの、ハチさん。ケイタたち、ここへ来るんですよね。何をするんですか?」

 

 ちなみにサチにも詳しいことは話してない。知らない方が反応も自然になるしな。

 

「心配すんな。お前はとりあえず座ってるだけでいい。後はこっちでやる。……っていうか、別に敬語使う必要ないぞ」

「はい……じゃなくて、うん。わかった」

 

 納得したわけじゃなさそうだが、ひとまずサチは言う通りにしてくれるようだ。

 であれば、こっちとしても動きやすい。

 

 と、そのとき――。

 

「ああ、来たか」

 

 ふと、夜闇の中からパタパタといくつかの足音が響いてきた。足音の主たちは点在するガス灯の下を駆け抜け、すぐ目の前で止まる。

 

「サチ!」

「どこ行ってたんだよ」

「心配したぞ」

 

 口々に安堵の声を漏らすササマル、ダッカー、テツオの三人。

 先頭のケイタはサチを見てホッと息を吐いた後、笑みを浮かべて俺の方へ振り向いた。

 

「サチを見つけてくれてありがとう。サチも無事でよかった」

 

 言って、ケイタはベンチに座るサチへ歩み寄る。

 そうやって彼が横をすり抜ける直前、俺は進路を塞ぐように割り込んだ。

 

「……ハチ?」

 

 ケイタが困惑顔で立ち止まる。後ろの三人も鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。

 

 そこへ問いかける。

 

「一つ聞きたい。以前、俺はお前に、サチは戦闘から外すべきだと言ったな。それに対してお前は、頑張って練習すればきっとできるようになるはずだ、と答えた。そうだな?」

「っ……。確かに、そう言った」

 

 ケイタの表情が変わる。悔しそうに歯を噛み締めて、絞り出すような声で答えた。

 

「あれから三週間、まさかずっと同じような調子でサチに前衛の練習をさせていたなんてことはないよな?」

 

 応えはない。

 けれど押し黙るケイタの歪んだ表情が何よりも雄弁に答えを示していた。

 

「……お前らはどうだ? サチに前衛を押し付けて、自分たちはやりたいようにやる。そこに何の疑問も後ろめたさも感じなかったのか?」

 

 次いでケイタの後ろに並ぶ三人へ問いかけると、三人は程度の違いこそあれど、三人ともが苦い表情を浮かべて目を逸らした。

 

 思わずため息が出る。

 

 あるいはこの時点で予想とは違う答えや表情が返ってきていたら、これからやろうと考えていた行動を改めていたかもしれない。

 ケイタや他の三人がサチの心情を慮ろうとする姿勢が見えたなら、彼ら自身で解決できるとわかったなら、わざわざ俺が介入する理由も理屈もなかった。

 

 けど、もう遅い。

 

 今さら指摘されて痛いところを突かれてるようじゃ、こいつらが自分たちだけで気付けた可能性は低い。それこそ、手遅れになるまで気付かなかった可能性すらある。

 

 サチは怖がりな女の子だ。

 誰が見ても、それこそ同じギルドの仲間なら余計にわかるだろう。

 

 にもかかわらず、こいつらはサチに前衛へのコンバートを強要した。

 敵mobの攻撃に過剰な反応をする姿に見て見ぬふりを続けた。

 仲間なはずなのに、サチが姿を隠してまで逃げ出した意味に気付かなかった。

 

 警告はした。けど変わらなかった。

 だから次の手を打つのだ。

 

 正攻法と呼べる手は既に打った。

 問題を提起して、原因を示して、自己解決を促した。

 俺が直接かかわる問題ではなかったし、解決策をそのまま伝えるのは半年間あの部活でやってきた理念に反する。だから彼らの問題は彼ら自身が解決すべきだ。

 

 だが三週間が経っても解決はしなかった。解決の兆しもなかった。

 それどころかサチは次第に追い込まれ、ついに逃げ出す事態にまでなった。

 

 であれば、やり方を変えるしかない。

 正攻法ではない、俺のやり方。

 正々堂々、真正面から卑屈に最低に陰湿に。

 

「お前らが自分さえよけりゃいい連中なのはよくわかった」

 

 全員に聞こえるよう呟き、一歩二歩と後退してウィンドウを開く。

 アイテムストレージから槍を取り出して装備フィギュアにセット。オブジェクト化した槍を大袈裟に掴み、腕を振ってメニューウィンドウを消した。

 

「えっ……」

「ハチ……?」

 

 俺が武器を取り出してようやく、ケイタとサチから声が漏れた。俺の行動の意味がわからないのだろう。

 

 当然だ。デュエルを除き、一切の戦闘がありえない圏内で抜き身の武器を持つ必要はない。

 鞘に収めてとかファッション性重視で常に持ってるならともかく、わざわざストレージから取り出してまで持つ意味はないのだ。

 

 また圏内で武器を振り回したところで迷惑行為以上のことはできない。圏内ではHPが固定されるし、仮にソードスキルが直撃したところで軽くノックバックされるだけ。

 

 そう。ノックバックされるだけだ。

 

「なにを……うわぁ!」

 

 ケイタが悲鳴と共に尻もちをついた。

 同時に彼の後ろに並ぶ三人が驚きに目を丸くする。

 

 そりゃそうだ。

 街中とはいえ、ケイタに向けてソードスキルを撃ったんだからな。

 

「お、おい! いきなり何すんだよ!」

 

 すぐに三人がケイタを庇うように立ち塞がった。棍使い(メイサー)のテツオは盾をオブジェクト化させて構える。

 

 そこへ《チャージスラスト》を打ち込む。

 

「うぅ……!」

「テツオ!」

 

 盾の中心に槍が突き立ち、テツオがよろよろと後退した。

 声を上げたダッカーと槍を取り出したササマルが俺を睨みつける。が、あまりに鈍い。

 

「ぎゃっ!」

「あぐ……」

 

 範囲技の《ヘリカル・トワイス》でまとめて弾かれた二人が石畳に転がる。スキル後の硬直が解けて顔を上げると、テツオはメイスを持ち、その後ろでケイタも立ち上がっていた。

 

「ハチ……なんでこんなことを。何かの冗談なのか?」

「冗談でこんなことしたりしねぇよ」

 

 丁度起き上がったダッカーとササマル、テツオにケイタと視線を巡らせて、槍の穂先をケイタへ向ける。

 俺の動きに反応してケイタ以外の三人がすぐに武器を構えた。ケイタは苦い表情を浮かべ、俺の後ろからも小さく悲鳴が漏れる。

 

 俺は槍を向けたまま、わざとらしくため息を吐いて見せた。

 

「やっぱり、お前らみたいな最低な連中にサチは渡せないな」

「そ、そんなこと……!」

「ないってか? じゃあ訊くけどな。お前ら、ちょっと熟練度が低いからって女子にタンク役押し付けて恥ずかしくないのか? 前に出るのが怖いってこいつの言葉、真面目に聞いたことがあんのかよ」

 

 途端、四人の表情が翳った。

 構わず続ける。

 

「今日サチがいなくなったのも、元はと言えばお前らがこいつの声に耳を貸さなかったのが原因だ。お前らといたらいつ死ぬかわからない。死ぬのが怖いって言ってたぞ」

「それは、だめ、やめて!」

 

 ベンチから崩れ落ちるようにサチが叫んだ。

 俺の台詞とサチの剣幕の両方が、ケイタたち四人に驚愕と絶望を植え付ける。

 

 俺は力の抜けた四人に歩み寄っていく。

 

「お前らがどれだけあいつに負担を強いてきたのか。それを教えてやるよ」

 

 言って、槍を後ろ手に構える。待機姿勢を感知したシステムが槍を仄かに光らせ、ジェットエンジンに似た起動音が鳴り響く。

 

「安心しろ、圏内じゃあ絶対にHPは減らない。ただし……」

 

 そこで一度切り、ちらっと広場の一角――小さな手すりの向こうに広がる空を見た。

 

「あそこから落ちたら、死ぬけどな」

 

 悲鳴が上がる。それはダッカーのものであり、ササマルのものでもあった。テツオも声を呑み込んだし、ケイタは声こそ上げなかったものの呆然と立ち尽くしていた。

 

「死にたくなかったら防いでみろよ。つっても、タンクが一人じゃあ全員は無理だけどな」

 

 出来るだけ悪い顔で笑って見せると、ダッカーとササマルが逃げるようにテツオの後ろに跳び込んだ。が、肝心のテツオが及び腰でまともに踏ん張れそうもない。そしてケイタは一人、諦めたように突っ立って動かなかった。

 

「やめて……ハチ、やめて……!」

 

 背後からサチの止めようとする声が聞こえる。

 

 けど、だめだ。これじゃあまだ足りない。

 攻撃に晒される恐怖を、死ぬかもしれないって怖さをあいつらが体感しない限り、彼女の感じてる怖さを理解なんてできない。

 

 本気で当てるつもりはない。ましてや本気で突き落とそうなんて思っちゃいない。

 だがソードスキルを撃つ瞬間までは本気でやらないと意味がない。初めから当てる気がないなんて勘付かれたら、ここまでした意味がなくなってしまう。

 

 だから撃つ直前までは本当にテツオの盾の中心を狙って、踏み込んだ瞬間からはすぐ脇を掠めるように、高速突進技《ソニックチャージ》を放った。

 

 

 

 しかし――。

 

 

 

「ハチ!」

 

 俺の攻撃は、突如割り込んできた剣によって弾かれた。

 

 実用性重視の武骨な片手剣を手に、全身を黒い革や布の装備で覆い、短い黒髪とあどけなさの残る顔立ちの少年剣士――キリトがそこにいた。

 

 キリトは怯えて震えるケイタたちを見て、俺を見て、それから後ろのサチを見て、やがて険しい顔つきで剣を向けてきた。

 

「どういうことだ。なんでこの人たちを攻撃しようとした。答えろ、ハチ!」

 

 そう叫んだキリトの目は、これまで向けられたことのない敵意で満ちていた。

 

 




次回更新は未定です。
我ながらいつになることやら……。


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第十二話:言うまでもなく、彼女の逆鱗はそこにある

またまたやってきました三・連・休!
9,10,11月は祝日が多くてテンション上がりますね。
これを機にちょっとでも話を進めていきたいと思います。

というわけで12話です。
よろしくお願いします。


「どういうことだ。なんでこの人たちを攻撃しようとした」

 

 まっすぐ剣を突き付けてくるキリト。鋭い眼差しでこちらを睨んでくる。いや怖ぇよ。

 というかこいつ、なんでこんなタイミングで来ちゃいますかね。ジャストタイミングだよ。格好良すぎだろ。ほんと主人公力高いな。

 

 ハァ。それにしても面倒な状況になった。

 せっかくギリギリで外して颯爽と立ち去るつもりだったのに、キリトが弾いてくれちゃったお陰で帰るに帰れない。

 今さら「冗談でしたーテヘペロ」とか言える雰囲気じゃないし、キリトもけっこう怒ってるっぽいからタダでは帰れないだろう。そもそもどうしてキリトはこんなに怒ってるんですかねぇ。

 

「答えろ、ハチ!」

「……うるせぇな。どうだっていいだろ」

 

 キリトに事情を説明することは可能だ。だが黒猫団の前ではできない。

 ケイタやテツオ、ダッカーにササマル。こいつら四人にサチの感じた恐怖の一端を知らしめるのはもう十分だろう。最後こそキリトに弾かれはしたが、格上の相手に攻撃される怖さはわかったはずだ。

 

 けど今ここで理由を話してしまえば、サチは黒猫団に居場所を失うかもしれない。

 俺の行動が演技で、それがサチの相談に依るものなのだと知られたら、それは彼らの間に禍根を残してしまう。真偽はどうあれ、サチが俺をけしかけたと捉えることもできるからな。

 

 サチの願いは二つ。恐怖からの解放と黒猫団の存続だ。

 両方ともが果たされるには、今ここで理由を明かすわけにはいかない。

 

「どうあっても答える気はないんだな」

「しつけぇよ。いい加減にしろ」

「…………そうか」

 

 つい荒くなってしまった語気にキリトは小さく息を吐いた。だが固まっていたのも一瞬のことで、すぐに決然とした表情で顔を上げた。

 

「なら、デュエルで決めるしかないな」

「……は?」

 

 いきなりぶっとんだ結論へ至ったキリトに思わず素の反応を返してしまった。え、こいつほんと何言ってんの? 『もはや剣で語るしかあるまい』とかそういうアレか?

 

「ハチが勝ったら、俺は何も聞かない。けど俺が勝ったら、洗いざらい喋ってもらう」

「いや、何言ってんの、お前。誰がそんな旨みのない話に乗るかよ」

「もし断ったら俺の勝手な推測を吹き込むし、ユキノさんにも報告するぞ」

「おまっ……おい、それは反則だろ」

 

 なんだよそれ。いよいよもって逃げられないじゃねぇか。

 キリトはほんの少し笑みを浮かべ、デュエルの申請を送ってきた。

 

 なんなんだよ、まったく。逃げるのも負けるのもダメとか、白状させる気満々かよ。

 

 ため息が漏れそうになるのを呑み込んで《Yes》に触れる。続けて勝負形式の選択肢が現れ、迷うことなく《初撃決着モード》を選択。ウィンドウが消えると同時に、俺とキリトの間にデュエル開始までのカウントが浮かび上がった。

 

 

 

 SAOでのデュエルには三つの勝負形式が存在する。

 

 一つは《全損決着モード》。文字通りHPがゼロになるまで続く形式だ。

 《全損決着モード》はゲーム的にはわかりやすいが、これが使われることはまずない。デスゲームと化したSAOじゃあ本気の殺し合いになってしまうからだ。《降参》すれば死にはしないが、そうするくらいなら初めから選ばないしな。

 

 二つ目は《半減決着モード》。こちらもその名の通り、どちらかのHPが半分になるまで戦闘が続く形式だ。

 SAOが始まった当初、デュエルといえばこのモードが採用されることが多かった。だが『HPが半分ギリギリの状態から強攻撃をクリティカルヒットさせる』という方法でPK(殺人)に利用されるとわかってからは使われなくなっている。

 

 というわけで、今現在最も利用される形式が三つめの《初撃決着モード》だ。

 これは前述の《半減決着モード》のルールに加え、先に強攻撃をヒットさせたプレイヤーが勝利となるモードだ。故に単純な戦闘力よりも技や戦術を読み合う勝負になってくる。

 

 

 

 俺とキリトの間に浮かぶカウントが30をきった。けれどキリトは剣を俺に向けたまま動かず、ソードスキルの構えに入ることもない。

 

 プレイヤー同士が戦うデュエルは、モンスターとの戦闘と大きく勝手が違う。

 単純な攻撃など通用しない。ソードスキルの乱発なんてのはもってのほか。布石に布石を重ねて、いかに相手を出し抜くかが勝負の分かれ目となる。

 

 というのも、互いの知識量に差がない限り、直前の構えで何のソードスキルを撃ってくるかがわかるからだ。動きを読まれるソードスキルはそれだけ対処されやすく、牽制時や確実にヒットさせられるときを除いては使えないってわけ。

 

 キリトはカウントが残り15秒となっても動かなかった。ジッと視線を俺の目に固定し、緊張している様子もない。ほんと、いざデュエルしようとなると厄介な相手だ。

 

 ふつうに戦えば、俺はキリトにまるで敵わないだろう。今まで何度か夕食を賭けてデュエルしたこともあるが、通算勝率は二割程度しかない。

 

 今もあいつが何を狙ってるかはまるでわからない。俺の動きに合わせてカウンターを入れてくるのか、あるいは直前で構えてソードスキルを撃ってくるのか。どっちにしろ戦闘センスは向こうの方が断然上だし、反射神経なんて攻略組でもトップクラスだ。

 

 まともにやっても勝ち目はない。とはいえ――。

 

 

 

 今回ばかりは、負けるわけにいかない。

 

 

 

 右手に持った槍を後ろに、空の左手を前に。半身になって腰を落とし脚に力を溜める。

 カウントが5秒を切った。キリトも俺の動きを見て、同じように半身に構える。

 残り3秒。2、1……。

 

 ゼロになる直前、俺は駆け出して穂先を前に向けた。キリトの目が少しだけ見開かれる。

 寸前までの《ソニックチャージ》の構えをキャンセルし、ダッシュしながら《スラスト》を待機状態に持っていく。

 初期技ということもあって《スラスト》は最も出が早い技の一つ。加えて敏捷力に特化した俺のスピードは一角のものだ。慣れてないやつなら一瞬の出来事だろう。

 

 だがキリトは落ち着いていた。驚いたような顔をしながらもヒラリと身体を滑らせ、槍の射線上から逃れる。即座に振り上げられた剣がすり抜け様に振り下ろされる。

 

 と、ここまでは読めていた。

 

「――っ!」

 

 今度こそキリトは息を漏らした。鳩尾に入った拳でキリトの攻撃動作を遮り、追撃の回し蹴りを見舞う。

 けれどキリトの反応速度は想定以上だった。不意打ちの裏拳こそ入ったものの、回し蹴りは左手で防がれてしまう。蹴りによる衝撃もバックステップをすることで殺されてしまい有効打には至らない。

 

 さすがだな。じゃあ次だ。

 

 回し蹴りの勢いが止まらないうちに脚を曲げて力を溜める。そして勢いそのままに跳躍し、後方宙返りしてナイフを二本たて続けに投げつけた。

 しかし、これも難なく防がれてしまう。おいおい、飛んでくる刃物を剣で叩き落すとか人間技じゃないだろ。

 

 まあでもキリトならやりかねないなぁと思ってはいた。

 だから――俺の勝ちだ。

 

「なっ……」

 

 キリトが驚愕の表情を浮かべて振り返る。そのときにはもう槍がキリトの背中に突き立っていて、一瞬の後にデュエルの終了とウィナー表示が頭上に現れた。

 キリトのHPはまだ7割以上残っているが、『先に強行撃をヒットさせる』って勝利条件は十分に満たしたからな。

 

 悔しげに歯噛みするキリトから槍を引き抜き、こいつにだけ聞こえる声で呟く。

 

「反則チックな攻め方して悪かったな」

「…………負けは負けだ。それより、後で詳しく教えてくれよ」

「勘弁してくれ。さっきのは切り札なんだよ」

 

 お互いにしか聞こえない程度に囁き合い、一歩二歩と下がってから槍を肩に担ぐ。振り返ったキリトは未だ悔しさを滲ませつつも、どこかスッキリとした顔をしていた。

 

 ハァ。ともかくこれで公開処刑は免れた。いや、暴露大会かな。公開告白かもしれない。この場合の告白は女子相手へのそれじゃなくどっちかと言えば懺悔的な意味で。なんにせよ気まずくなるのは目に見えてるし、なんならいるだけですでに気まずい。

 

 ふと、キリトがちらちらっと左右へ視線を配った。その先にいるのはへたり込むサチとケイタたち黒猫団の面々だ。間近でデュエルを見たせいか呆然としている。

 彼らの注意が自分に向いていると確認したキリトは小さく笑みを浮かべ、言った。

 

「ハチが本気出すなんて、よっぽど話したくない理由があったんだな」

「え……?」

「お前、何言って……はぁ?」

 

 突然の言葉に、俺は切れ切れにしか声が出ない。

 

「探られて痛くない腹なら、面倒くさがりなハチが本気で戦うわけないしな。それだけ言いたくない理由があったんだろ?」

 

 訳知り顔でそう言うキリトの言葉にサチとケイタが目を丸くする。

 

「どういう、こと……?」

「言いたくない理由……?」

 

 おいキリト、お前もしかして気付いてやがったな。その上でこんな回りくどい真似までしたってのか。とんだお節介だぞまったく。

 

 考えてみれば第1層でやらかしたときもキリトは気付いてた節があったし、今回も俺のやり口は読まれてたのかもしれない。なんなら俺とケイタたちのやり取りも聞いてた可能性すらある。道理で駆けつけるタイミングが良いわけだ。狙ってやがったなこの野郎。

 

 このままここにいたらキリトにあることないこと吹聴されそうだ。さっさと退散した方がいいだろう。

 

「……んなもんねぇよ。勝手に決めつけて納得してんな」

 

 我ながら安い捨て台詞を残して背を向ける。「素直じゃないなぁ」なんて呟きも聞こえない。聞こえないったら聞こえない。

 

 最後にチラッとサチへ目を向ける。

 彼女は訳がわからないといった様子で広場にへたり込んでいた。

 

 サチの願いは果たされたのか。今すぐにはわからない。

 

 ケイタたちを脅し、彼女の心情の一端を聞かせたことで、今までのように怖さを押し殺して戦う必要はなくなっただろう。

 キリトが乱入してきたせいで中途半端にはなったが、俺というわかりやすい敵も用意した。これで他のメンバーとの関係が悪くなることもないはずだ。

 

 まあ、こんだけのことをやるために随分と怖がらせてしまったのは申し訳ないと思う。その辺りはケイタなりが宥めてくれるだろう。もしかしたらそれがきっかけで落としどころを見つけられるかもしれない。

 

 これから先、怖くて眠れないと震えることなく過ごせればいい。

 失くしたくないと願った繋がりをその手に掴んでいられればいい。

 

 今度こそ本当に背を向けて、広場を後にした。

 五分ほど歩き、適当な路地を曲がる。そこからまたしばらく歩いて狭い路地裏に入った。ここは建物の影になっていて灯りが届かない。遠目には人相などわからないはずだ。

 

 槍をストレージに仕舞い、ふーっと息を吐く。なんかやたらと疲れたな。

 と、そうやって俺が仕事帰りのサラリーマンのように肩を揉んでいると、俺が来たのとは反対側の影から一人の少女が姿を現した。

 

「あらハチくん、奇遇ね。こんなところで何をしてるのかしら」

「……もっと相手を凍てつかせるくらい冷たい声の方がそれっぽくなるぞ」

 

 いまいち氷属性になりきれないその少女は、呆れ顔を浮かべたアスナだった。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 所変わって、第23層の主街区にある《風々亭》の一席。

 アスナに捕まった俺は当初の約束通りここへ連行され、それからキリトの合流を待つ三十分の間、刺突属性の眼差しに晒された。

 夜もだいぶ更けてきたせいか他にプレイヤーはおらず、実質貸し切り状態の店内でチクチクと苛む視線に耐えなければならなかった。アップルタルトの甘味と紅茶の仄かな苦みが唯一の癒しだった。

 

 「待たせて悪い」と合流したキリトがアスナの隣席に着くと、待ってましたとばかりに彼女は笑みを浮かべた。

 

「それじゃあ、まずはあのデュエルについて聞こうかしら」

 

 当然のように聞いてくるってことは君もあの場を見てたんですかそうですか。俺のプライバシーってどうなってんだろうな。

 

「……他人のスキルを詮索するのはマナー違反なんじゃないのか?」

「けど、ハチはデュエルの後で『反則チックだった』って言ってたよな」

「ぐっ……」

 

 せめてもの抵抗にと一般論で躱そうとするも、自分の言葉を盾にされて沈められる。

 ならばと沈黙をもっても答えたら、今度はジトーッとした目で両側から睨まれた。

 

「……ハァ。わかった。教えりゃいいんだろ」

 

 このまま粘るよりも観念して話した方がこっちの精神衛生上よさそうだしな。

 ため息を吐くと、二人の目はすぐ好奇心に満ちたものに変わった。

 

「言っとくが、俺がやったのは別に新しいエクストラスキルとかじゃないぞ。既存スキルの《槍》《体術》《軽業》《投剣》《隠蔽》ともう一回《槍》を連続して使っただけだ」

「連続して……? どういうこと?」

「ヒントはこの前のデュラハン戦だ」

 

 そこまで言っても首を捻るアスナに対し、キリトの方は少し考えただけで合点がいったようだった。

 

「なるほど。確かにあのデュラハンも《両手剣》のソードスキルの後、硬直なしで盾を振っていたな。もしあの盾での攻撃が未発見のスキルに依るものなら……」

「スキル後の硬直を別のスキルでキャンセルできるってこと? もしそうなら……」

「戦い方の常識が変わる大発見だ。あとは条件がわかれば他の人にも教えられるな」

 

 嬉しそうに掛け合うキリトとアスナ。目の前にいても空気と同化できるなんて俺の《隠蔽(ステルスヒッキー)》は今日もしっかりと仕事をしている。

 

「あー、それについては多少わかってる」

 

 なんせ狙って繋げられるようになるまで滅茶苦茶練習したしな。まともに使えるようになる頃にはある程度法則みたいなもんがわかっていた。

 

 そもそもスキルからスキルへ繋げていくためには、前のスキルを使った後の体勢と、次に使用するスキルの待機姿勢が並立できなければならない。

 

 さっきのデュエルを例に挙げるなら、俺は《槍》スキルの《スラスト》に次いで《体術》スキルの《双影(ソウエイ)》を繋げた。

 アレは《スラスト》の『片手を前に突き出した状態』というスキルの終了動作と、《双影》の『半身になって片手を抱え込んだ状態』というスキルの待機姿勢が両立できるからこそ成り立つ連携なわけだ。

 

 同じように《双影》からは《月面宙返り(ムーンサルト)》に、《月面宙返り》からは《ダブルシュート》に無理なく繋げることができる。

 で、あとは投げナイフを弾いたキリトの視線が逸れた隙に《隠蔽》スキルで隠れて背後に回り、こっちを見失っている間に後ろから《ソニックチャージ》を当てただけ。

 

 タネがわかってしまえばなんてことはない。奇襲にしかならない一回きりの切り札だったわけだ。

 

 そして一見便利なこの連携には、他にもけっこう制約がある。

 

 第一に、同じカテゴリのスキルは連続で発動できない。《槍》から《槍》へ繋げたりとかはできないってことだ。ゲームバランス的なことを考えたら当然だな。

 

 第二に、無理矢理体勢を変えて繋げることはできない。槍を突き出した体勢からいきなりバク転したりとかはできないのだ。だから組み合わせはそれなりに限られてくる。人によって所持スキルは違うし、そこは個々人で研究が必要になるだろう。

 

 第三に、発動タイミングが超シビア。許容時間は体感コンマ2秒くらい。スキル発動後から技後硬直で縛られる一瞬の間に次のスキルの待機姿勢を完成させないと、ふつうに動けなくなるだけだ。練習中はこれでかなりダメージを受けることがあった。

 

 第四に、繋げれば繋げるほどタイミングはシビアになり、威力は下がっていくということ。これもまあゲーム的に考えたら当然のことだ。同じ威力のまま永遠に連携を続けられたら、それはもはや作業ゲーになってしまうからな。システムをデザインした茅場が作業ゲーを嫌っているんじゃないか。

 

「――と、わかってるだけでもこれだけある。あとは『個々のスキルのクールタイムがどれくらいか』とか、『スキル間の体勢変えはどこまで許容されるのか』とか、細かいとこはこれから詰めてくつもりだ」

 

 実体験も交えた説明を終えると、いつの間にかアスナは呆れた顔をしていた。

 

「コンマ2秒って、ハチくん、よくそんなの何度も成功させられたわね」

「この一週間、こっそり練習してたからな。お陰で5連続までなら成功率7割ってとこまで持っていけた」

「それでも7割か。模擬戦やデュエルならともかく、実戦じゃちょっとリスクが高いな」

 

 対してキリトは難しい顔で唸る。

 

 キリトの言う通り、成功率7割じゃボス戦やなんかの実戦では使えない。

 上手くいけば大きなダメージを与えたり、一方的に攻撃できるかもしれないが、その分ヘイトを溜めやすく、また失敗した場合のリスクもあるからだ。どのタイミングで途切れるかが仲間はおろか本人にもわからないようじゃリカバリーのしようもない。

 

「あの連携技を公表するのは保留にしましょう。公表するにしても、もっとちゃんと調べてからの方がいいと思うわ」

 

 アスナの判断に頷く。実際まだ公表する気はなかったし、問い詰められなければこいつらにも話すつもりはなかったくらいだ。

 

 キリトもこくりと頷いて、それから思い出したように付け加えた。

 

「なら、彼らにも口外しないようそれとなく言っておかないとな」

 

 瞬間、アスナの雰囲気が一変する。室内温度が2℃ほど下がったように感じられ、思わずカップの中の紅茶を流し込む。

 

 しばらくじっと押し黙ったアスナは、やがて小さな声で呟いた。

 

「私、ハチくんの考えてることわからない。どうしてあんなことをしたの?」 

 

 抑揚のない声だった。怒っているのか呆れているのかもわからず、感情を殺したような声音の問いに肩を竦めて見せる。

 

「あれが一番効率が良かったからな。実際見てきたキリトならわかるだろ?」

 

 話を振ると、キリトは喉に何かが(つか)えたような表情を浮かべた。

 

「確かにあの後ケイタたちはサチに謝ってたし、今後は生産職も兼ねた支援職にするって言ってた。結果だけ見たら万事解決って感じだったけど……」

「ほーん。ケイタにサチね……。随分慕われたみたいだな」

「あ、いや、そういうわけじゃない、と思う。攻略組のこととか色々聞かれてさ。答えてるうちに新しいフォーメーションとかレクチャーしてくれないかって言われてな」

 

 どうやらあのデュエルの後で色々と話したようだ。ケイタたちにしてみれば憧れの攻略組の一員で、俺なんかよりずっと付き合いやすいキリトの登場は渡りに船だったのだろう。ダッカーやササマルに詰め寄られるキリトの姿が目に浮かぶ。

 

「ちょっと複雑だよ。話してみた感じすごくいいギルドだと思った。サチのこととか、前衛をどうしようとかちゃんと考え直しててさ。けど……」

 

 キリトの方も彼らに頼られるのは嬉しいようで小さく笑みを浮かべる。

 だがその笑みもすぐに消え、どこか寂しげに眉を寄せた。

 

「中にはハチを恨んでるようなメンバーもいたんだ」

「そりゃそうだろ。あんなことされて恨まない方がおかしい」

 

 人探しの協力を頼んだ相手からいきなり槍で攻撃されたんだ。恨みつらみはもちろん、憎悪に敵意を持ってもなんらおかしくない。寧ろそうなるように動いたんだ。当然の結果と言ってもいい。

 

 けれどキリトはそうは思っていないようだった。

 軽く睨むような眼差しで問いかけてくる。

 

「ハチはそれでいいのか?」

「……もう関わることなんてないんだ。どう思われようが関係ねぇよ」

 

 

 

「私、ハチくんのそういうところよくないと思う」

 

 

 

 バッサリと斬って捨てるような物言いに思わず彼女の目を見る。

 透き通るような榛色の瞳は鋭く研ぎ澄まされ、炎のように揺れていた。

 

「なんでそうやって『みんな』の中から自分を外すの? なんで自分はどう思われても構わないなんて思えるの? なんでいつもいつも一人で……」

「アスナ……」

 

 キリトが彼女の名前を呟く。

 しかしアスナは応えることなくまっすぐに俺を睨み付け、やがて席を立った。

 

「ごちそうさま。タルト、美味しかったわ」

 

 それだけを言い残してアスナは店を出ていく。この場からすぐにでも立ち去りたいのか、いつもより早足だ。

 

 残されてしまったキリトはアスナの座っていた席をそっと見て、それから両肘をテーブルにつき、組んだ両手に額を当てた。真剣な顔で眉根を寄せて、一言一言を考えながら口にしていく。

 

「俺は……俺はハチのやり方もありだと思う。けど、見てるしかないこっちからしたら、やっぱキツイよ」

「…………」

「悪い。別に責めるつもりはないんだ。けど友達が悪く言われるのを聞くのはちょっとな」

 

 そうやって苦笑いするのはやめてほしかった。

 辛そうで、ひどく痛々しくて、見ていられない。

 そっと視線を外す。

 

「……友達、か」

「ああ。友達だ」

 

 断言したキリトを見やって、窓の外へ目を向けた。

 ぽつぽつと灯りの見える街は厚い雲に暗く淀んでいる。

 月はもう見えなかった。

 

 

 




次回更新は今週か、遅くても来週中に上げられたらと思います。


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第十三話:最後まで、その男には理解できない

13話です。よろしくお願いします。


 

 

 黒猫団と一悶着あったあの日から、十日余りが経っていた。

 その間、俺は宿と前線とを往復するだけの生活をしている。

 

 あれから黒猫団の連中と顔を合わせることは当然なかったし、キリトやアスナとも最近は話さないためリアルに会話がない。いや、ゲームだからリアルじゃないな。仮想世界でも会話がないとかまじボッチの鑑。

 

 今日もお勤めを終えれば、誰に会うともなく、帰ることになるだろう。経験値稼ぎは午前中に済んでるし、装備の強化も今できる最大限まで終わってる。今やってるクエストも、攻略に関わる情報が入手できるらしいからと、アルゴから請け負ったものだ。

 

 難航していた第25層のフロア攻略もようやく終盤に差し掛かっている。迷宮区最奥のボス部屋もすでに発見済みで、今はボス攻略のための情報収集の段階だ。まだボス攻略会議の日取りなんかは出てないはずだが、早ければ明日にでも開かれるだろう。

 

 一番の問題だった敵mobの強化という点も、ソードスキルを用いない攻撃による牽制やフェイント、新しい陣形の構築、複数人による多段攻撃など、戦術を見直すことによって対処できるようになった。

 考案者はユキノという話だが、これにはキリトやアスナを始め、攻略組の他の面々も関わってるらしい。いや、俺はその場にいなかったから又聞きだけどな。

 

 そんなことを考えながら歩いていると、クエストの目的地にたどり着いた。フロアの西端にある小屋で、トンガリ帽子を被ったじいさんが住んでいる。

 扉をノックして開くと、(くだん)のじいさんは暖炉の前で揺り椅子に揺られていた。

 

「探し物はこれですかね」

 

 ストレージから《思い出の指輪》なるクエスト限定アイテムを取り出し、じいさんに差し出す。じいさんはそれを見て顔を綻ばせた。

 

「おぉ、おぉ、そうじゃ。間違いない。見つけてきてくれたんじゃの」

 

 指輪を受け取ったじいさんはそれを大事そうに抱えた。

 嬉しそうに頬を緩めるじいさんの表情はプレイヤーのものと変わらないように見える。このじいさん然り、SAOのNPCは時々本当の人間なんじゃないかと思うくらいに感情表現が豊かだ。

 

「ありがとうの。何か礼をせねばなるまいが、わしには渡せるようなものがなくてのう。長く生きてきた故、知識だけはあるんじゃが……」

「じゃあ、フロアボスについて何か知ってることは?」

 

 そう訊くと、じいさんは「ふむ」と呟いて目を閉じた。

 

 アルゴから依頼されたこのクエスト――《賢者の探し物》というクエストの内容は、この小屋に住む老人の探し物を見つけて持ってくるという定番ものだ。

 ただ探し物が迷宮区の一番奥にあるボス部屋の前に落ちており、またこっちから質問をしないと報酬の『ボスの情報』がもらえない、かなり特殊なクエストでもある。

 

 しばらく黙考していたじいさんは、やがて目を開けると徐に語りだした。

 

「塔の守護者、太古の怪物は、二つの頭を持つ巨人じゃ。かつては別々の体を持っておったそうじゃが、神々の怒りを買い、二人の巨人は一つの体に押し込められた。故にかの巨人は各々が知恵を持ち、一方が眠っても一方が身体を動かすことができるのじゃ」

 

 二つの頭を持つ巨人。偵察したやつらの言う見た目と一緒だな。

 そんでこいつはどっちかだけでも動ける、と。

 

「また、かの巨人は一つの体に押し込められる以前、それぞれ剣と斧を携え、人間では及ばぬ怪力を振るう戦士だったという。加えて胸を覆う鎧は神々からもたらされた特別な品で、あらゆる災厄を払う力があるらしいの」

 

 剣と斧の両方か。それぐらいならまだいいが、後半の鎧ってのは厄介だな。『あらゆる災厄を払う』ってのをゲーム的にとらえるなら、鎧の部分への攻撃は効かないってことになりかねない。

 

「何か弱点とかないのか?」

 

 するとじいさんは顎髭を撫で、また少し考えてから答えた。

 

「さての。何しろ太古の時代より生きておる巨人じゃ。わしには見当もつかぬの」

 

 弱点の情報はなしか。はぁ。

 

「そうか。じゃあ、今日はもう帰るわ」

「すまぬな。また何か聞きたいことがあれば来なさい。お前さんならいつでも歓迎じゃ」

 

 じいさんがそう言うと、目の前にクエストのクリアログが表示された。獲得した経験値とコルも同時に表示される。迷宮区まで行かなくちゃいけないあたり、街で受けられるクエストよりも実入りは美味い。

 

 小屋を出て、南東へ向けて歩き出す。ゆるやかな丘陵が続く草原を一時間も歩けば主街区《ギルトシュタイン》に到着するはずだ。この25層には拠点となる街があそこしかないから、面倒だがそこまで帰るしかない。

 

 道中、クエスト終了の報告と得られた情報をまとめてアルゴへ送る。今頃12層にある《FBI》の本部で攻略情報の編纂をしてるはずだ。

 

 アルゴの下には、俺以外にもボスの情報を集めに散ってるやつは当然いる。《FBI》のメンバーだったり、俺みたく外部の協力者だったりと様々だが、そうして得られた情報は全てアルゴのやつに集積されるのだ。

 そんでもって、集まった膨大な情報を整理して、実際に攻略本を製作する部門に渡すまでがアルゴの仕事らしい。「前より楽できていいヨ」と笑っていた。

 

 製本と複製、販促と販売を手掛けるのは、アルゴと並んで《FBI》のリーダーを任されてる男性プレイヤーだ。名前は確か《シンカー》だったと思う。なんでもSAOに来る前から情報サイトを運営してたって話だ。

 どこで見つけてきたのかは知らないが、シンカーとやらは気の毒に。あの鼠に捕まったら最後、馬車馬のように働かされる未来しかないからな。現に俺も働かされてるし。

 

 荒野で一人ため息を吐いていると、不意にメッセージが届いた。差出人はアルゴ。五分とかからず返信を寄越したらしい。嫌な予感しかしない。

 

『ハー坊に頼みたいことがあるんダ! だから部屋で待っててくれヨ。

 

 大丈夫。場所も部屋も知ってるからナ! オネーサンとの約束だぞ♡』

 

 おいなんだよこれ。わざわざ顔合わせる必要ないだろ。しかも部屋で待ってろって。どこの宿のどこの部屋に泊まってるかまで知ってんのかよ。怖ぇよ。

 

「…………マッ缶飲みてぇな」

 

 もう半年口にしてない千葉のソウルドリンクを求めるくらいには憂鬱だった。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 主街区に戻って軽食を済ませた後、アルゴに命令された通り宿へ帰る。

 ここであいつの言うことを無視しようものなら、どんな報復をされるかわかったもんじゃないしな。大人しく言うことを聞いておくのが一番マシだ。

 

 ベッドに横になってダラダラしていると、二十分くらいでドアがノックされた。無視したい衝動を抑えて、ゆっくりと起き上がり扉を開く。

 

「ヨオ、ハー坊。オネーサンが会いに来たゾ」

「……なんで教えてもいない宿の場所知ってんだよ」

 

 ため息交じりに言うと、アルゴはケラケラと笑いだした。

 

「ハー坊の情報は勝手に集まるからナ。宿くらい朝飯前ダヨ。なんなら今朝からのハー坊の行動でも言い当ててやろうカ?」

「まんまストーカーじゃねえか。怖ぇよ」

 

 というか、俺の情報なんて集めてどうしようってんだ。

 あれか、罠を仕掛けるのに丁度いい場所でも探してるのか。あるいは俺の行動範囲を調べて近付かないよう触れ回るとか。どっちにしろロクなことにならなそうだし、これからは街中でも常に《隠蔽》スキル使って過ごすべきかもしれない。

 

「まーまー、ハー坊の情報を集めてるのは保険みたいなもんだし、気にしなくていいゾ」

 

 保険ってなんだよ、と訊きたくなるも、こいつがこう言うなら放っておいてもいいかと思える。

 アルゴとの付き合いもなんだかんだで半年近い。滅茶苦茶に働かされるし、隙あらば情報抜かれるし、怒らせたらとんでもない目に遭いもするが、他人を貶めるようなことだけはしないやつだと知ってはいるからな。

 

 一歩足を引いてアルゴを部屋の中へ招き入れた。

 

「それで、わざわざ部屋まで来て頼みたいことってなんだよ」

 

 扉を閉め、椅子にすとんと腰かけた彼女へ問いかける。

 アルゴは足をパタパタと揺らしながら答えた。

 

「ンー、それなんだけどナ、ハー坊は今日が何の日か知ってるカ?」

「は?」

 

 何の日かだって? …………何の日だ?

 今日は5月10日。別に祝日でもなんでもないよな。そもそもSAOで祝日を祝うなんて習慣はないし、記念日的なものもない。つまり休み関連じゃないってことだ。ああ、なんかもうこの時点でどうでもよくなってきたな。

 

 ふと、アルゴが苦笑いを浮かべる。俺のやる気が急落したのを察したんだろう。自分でも面倒くさそうな顔になった自覚があるので何も言えない。

 

「ニャハハ……。まあいっか。ハー坊にはこれを渡そうと思ったんダ」

 

 そう言ってアルゴはストレージを操作し、一冊の冊子をテーブルに出現させた。

 

「攻略本か? わざわざ持ってきてもらわんでも、店売りのやつを買ってるぞ?」

「うんニャ、そいつは最新版だからナー。まだどこにも卸してないゾ」

「最新版って、いやお前、もう25層の攻略本は出してたじゃねぇか。あと出すとしたらフロアボスのやつくらいだろ。で、ボスのは攻略会議に合わせて出すんじゃないのか?」

 

 今まで通りなら、フロアボスの攻略本は一発目の攻略会議が行われる日に合わせて出されていたはずだ。ぎりぎりまで情報を集めようとしているからだろう。攻略組の活躍の影に隠れることが多いが、アルゴを筆頭に攻略本を作ってる連中にはほんと頭が下がる。

 

 なんてことを考えていると、アルゴは「あちゃー」と言って額を抑えた。次いでヨヨヨと泣き真似をし始める。騙されない。ハチマンはもう騙されないからね。

 

「ウゥ、ハー坊も苦労してるんだナ」

「いや、そういうのいいから。この攻略本は何かってのを教えろよ」

「ハァ。だから、そいつがフロアボスの攻略本ダヨ」

「…………は?」

 

 手元の攻略本を開いてみる。

 そこには第25層のフロアボスである『双頭の巨人』についての情報が書かれていた。名前、見た目、持ってる武器、《FBI》が総力を挙げて集めた情報がずらりと並んでいる。ついさっき俺が報告したことも書かれてるあたり、滅茶苦茶仕事が早いな。

 《FBI》の仕事の早さはどうあれ、中を見る限りこれは毎層発刊されているフロアボスの攻略本に間違いない。

 

 そのことが意味するのは一つだ。

 

「……なに、攻略会議って今日なの? 俺なにも聞いてないんだけど」

「ドンマイ、ハー坊。ということで、オイラの代わりにそれ持って行ってくれよナ! あ、ちなみに会議が始まるのは今から十分後だゾ♡」

「うるせぇあざとい!」

 

 叫ぶや否や立ち上がり、座ったまま手を振る鼠を置いて駆け出した。後ろから「場所は砦の会議室だゾ♡」と緊張感の欠片もない声が聞こえてくる。

 

 そこではたと考える。

 

 ギリギリまで黙ってたのはアイツだが、ギリギリとはいえ教えてくれたのもアイツだ。

 なら、一応礼くらいは言っておかないと。

 

「くそっ! サンキュー! 愛してるぜアルゴ!」

 

 適当に言い捨てて全力で走った。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 第25層主街区《ギルトシュタイン》は中世風の砦を中心とした城塞都市だ。フロアの南に広がる草原地帯に築かれた都市は《はじまりの街》に次ぐ規模がある。

 

 外周を石壁に囲まれ、東西に水路が走る街には、白壁と赤屋根の地中海風建築が立ち並ぶ。北東と北西にある門からは街の中心へ向けて大通りが伸びており、道の両脇にはNPCとプレイヤー双方の開く露店がひしめき合って賑わっていた。

 

 大通りは街の中央広場まで繋がっており、噴水のある広場からは街の南側にそびえる砦に繋がる橋が一本だけ架かっている。周囲を堀に囲まれた砦は、北側の華やかな雰囲気とは一線を画す重厚な趣があった。

 

 宿屋から転がり出た俺はそのまま路地をダッシュし、《軽業》スキルを使って屋根へ上り、一直線に砦へ向かって走った。攻略組トップクラスの敏捷値に物を言わせ、屋根から屋根へ飛び移り、中央広場の噴水をも飛び越えて、一目散に橋を渡る。

 

 そうして分厚い石造りの砦へと駆けこみ、勢いそのまま砦の会議室へと突入した。

 

「…………ハァ。なんとか間に合った、か?」

 

 膝に手をついて深呼吸を数回。

 顔を上げるとあらあらまあまあ、嫌悪、軽蔑、侮蔑、憎悪の嵐。正面奥からはブリザード、それ以外からは粉雪みぞれに雨霰の眼差しが飛んでくる。

 

 はいはい皆さんお揃いで。ごめんなさいね遅くなりまして。え、呼んでないって。んなことわかってるよ。何年ボッチやってると思ってるの。悪意やら嫌悪やらの視線には敏感なんだよ。

 

 何食わぬ風を装って扉を閉め、部屋の奥へと向かう。

 歩きながらちらっと見れば、ユキノは相変わらずで、アスナもこちらを見ようともせず、キリトは気まずそうな表情で斜め下を向いていた。

 

 思わず苦笑いが浮かぶ。

 

 大方、キリトは『俺が遅刻しそうになったのは自分のせいだ』とか思ってるんだろう。今まで《マイナー》の俺に攻略会議の時間と場所を伝えてくれてたのはキリトかアスナで、黒猫団の一件があって以降アスナとは一切話していないからな。

 

 なんてことはない。あるべき姿に収まっただけだ。

 攻略組でもトッププレイヤーの一角を占める二人がマイナーボッチの俺といる姿なんて見られない方がいい。要らぬやっかみに巻き込むのは忍びないしな。

 

 遅刻しそうになったのも俺自身の認識の甘さ故だ。いつも会議の日程を教えて貰えてたから油断していたのだ。本来ならソロでいると決めたときから自分で情報収集をするべきだった。それこそ情報屋から買えばいいだけの話だからな。

 

 室内をぐるっと半周してユキノの前で立ち止まり、ストレージから攻略本を取り出した。

 アルゴから頼まれたことだ。現在進行形で空気を悪くしようと、これをユキノに渡さなくちゃ依頼を果たしたことにはならない。

 

「……悪いな、待たせて。これがアルゴからの預かりものだ」

「……いいえ。ありがとう」

 

 冊子を受け取ったユキノは目をつぶり、こちらを見ることもない。

 ユキノは俺が離れてからようやく顔を上げ、会議室全体へ通る声で告げた。

 

「では、ボス攻略会議を始めます」

 

 

 

 

 

 

 第25層。

 全体の四分の一にあたるこの層のボスは、これまでのボスとは桁違いに強力だと予想された。

 これまでも5の倍数の階層のボスは他より強力だったし、フィールドに出現するmobやフィールドボスの強さから考えても、フロアボスが強敵だというのは想像がついた。

 

 ボスの名前は《Eoten the double headed giant》。頭が二つある巨人だ。

 じいさんから聞いた通り、両手に剣と斧を持っていて、それぞれの腕を独立して動かせる。実質スキル後の硬直なしで攻撃してくるってことだ。前のデュラハンのときもそうだったが、明確な隙がないとなると攻めるのは難しいだろう。

 

 しかもこいつは胸に『あらゆる災厄を払う』鎧をまとっている。鎧の効果がどんなもんかはわからないが、身体の正面に対する攻撃は通用しないと考えた方がいい。

 となれば背後を取らなくちゃいけないわけだが、頭が二つあるってのが厄介だ。せっかく回り込んでも、どっちかの目があったら意味がないんだからな。どうにか両方の頭を出し抜いて、鎧の防御がない箇所に攻撃を加えなくちゃならない。

 

 

 

 

 

 

「――以上が、現在判明しているフロアボスの情報です」

 

 ユキノが攻略本の内容を読み上げるうちに、会議室には重苦しい空気が圧し掛かっていった。直後からしきりに同じギルドの連中や周囲のやつとで話し合っているが、誰の顔も芳しくない。

 

 それはキリトもアスナも、そしてユキノも同じようだった。室内全体を見てみても、明るい表情のやつは誰一人いなかった。

 

「………………あ?」

 

 ふと、そうして周囲を見渡して違和感を覚えた。

 何かが、誰かが足りないと、そう思った。

 

 ユキノは当然いる。キリトもアスナもいる。

 エギルもいる。いつものパーティメンバーも一緒だ。

 

 あとは誰だ。俺の知るプレイヤーで、誰がいる。

 

 リンドは――いる。真剣な表情で《DKB》のメンバーと話し合っている。

 じゃあ――キバオウは? こっちも《ALS》で固まってるのか?

 

 改めて会議室を見渡して、トンガリ頭を探して……。

 

 そして、この場にそいつがいないことに気付く。

 

「おいキリト、キバオウはどうした? 来てないのか?」

 

 キリトの肩を掴んで振り向かせる。

 突然のことで驚いたような表情を浮かべたキリトは、声を詰まらせながら答えた。

 

「今日は、来てない。何か、ギルドの用事でどうしても外せないことがあるって……」

 

 ギルドの用事? 攻略会議があるってわかってるのにか?

 

 直後、視界左上にメッセージの受信を知らせる表示が点滅した。

 嫌な予感にすぐさまメニューウィンドウを開き、メッセージの中身を確信する。

 

 差出人はアルゴ。内容は――。

 

 

 

 

 

 

『大変なことになった。

 

 今さっき《ALS》がフロアボスに挑んで、結果、ほとんど全滅した』

 

 

 

 

 

 




次回更新日は未定です。


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第十四話:唐突に始まりの終わりが始まる

スマブラSPのPVを見て大興奮してました。
ピンク玉の雄姿を一日三回は見てます。

というわけで14話です。
よろしくお願いします。


『大変なことになった。

 

 今さっき《ALS》がフロアボスに挑んで、結果、ほとんど全滅した』

 

 それがアルゴから届いたメッセージの全文だ。

 

 たったの二行。

 だがそこには目を疑うような情報が書かれていた。

 

「どうしたんだ? 何かあったのか?」

 

 表情で只事じゃないとわかったんだろう。

 キリトが一転、真剣な顔で訊ねてきた。

 

「あ、ああ、なんか……っ」

 

 反射的に答えようとして、寸前で言葉が途切れた。続きを口にできなかった。

 なぜかは自分でもわからない。

 

 事態の深刻さを思えば今すぐにでも公表すべきだろう。より詳細な情報の入手と原因の究明をして、以降の対策を考えなきゃならないからだ。そのためには広く情報を公開していち早く行動することが重要だ。

 

 それに、たとえこの場で情報を公開しなかったとしても、すぐに別のルートから同じ情報は届けられるだろう。情報屋として動いてるのはアルゴだけじゃないのだ。各プレイヤー、各ギルドにお抱えの、御用達の情報屋がいるのだから、こんなセンセーショナルなニュースはすぐにでも拡散されるに違いない。

 

 だというのに、頭ではそうだとわかっているのに、どういうわけか口にするのを躊躇ってしまった。

 

 相手はキリトで、すぐにこの場の全員へ周知しなきゃならないと理解しているにもかかわらず、その先を口にするのは憚られた。

 

「ハチ?」

 

 急に黙り込んだ俺を見かねて、キリトが窺うように呼び掛けてきた。

 急かすわけでも、焦れているわけでもない。じっとこちらが口にするのを待っているのがわかる。きっとそれはキリトの誠実さや優しさの表れなのだろう。

 

 それに応えないのは卑怯だと思った。その場しのぎの嘘や誤魔化しはしたくない。説明のつかないモヤモヤとした気持ち悪さはあるが、だからといって見なかったことにするのは間違ってる。

 そもそも攻略組が揃っているこの場で話しておかない方がリスクも高いのだ。下手に情報が錯綜してしまう前に周知した方がいいだろう。

 

 未だまっすぐに見つめてくるキリトへ頭を振って見せる。

 

「……いや、なんでもない。それよりもまずいことになった」

 

 それだけ言って振り返り、室内全体に聞こえるよう声を張り上げた。

 

「話し中のとこ悪いが、緊急事態だ」

 

 ざわざわとしていた面々が静かになり、視線が向けられる。

 だがそれらは声の主が《マイナー》だと気付くとあからさまに色が変わった。一度は静かになった室内も、今度はひそひそ声で満たされる。

 

 けどまあ、俺にしては上等な反応だ。無視される可能性もあったし、顔を見た瞬間に「引っ込んでろ」なんて怒鳴られる状況も想定できたからな。敵意込みとはいえ、耳を傾ける気になっているだけでも破格の待遇だろう。

 

 すぐ傍からの刺すような視線を感じつつ、聞き取りやすいようにはっきりと言う。

 

「たった今情報屋から届いた報せだ。ちょっと前に《ALS》がボスへ挑んで、ほとんど全滅したらしい」

 

 瞬間、囁き声がピタリと止んだ。

 ゆっくりと言葉の意味を呑み込み、やがて驚愕の表情に変わる。

 

「ぜ、全滅?」

「あの《ALS》が……」

 

 そう呟いたのは《風林火山》の二人。どちらも驚きと困惑がない交ぜになったような顔をしている。

 

 信じられないのも無理はない。

 二大ギルドの片翼である《ALS》は、第3層でギルドシステムが解禁されてからずっと攻略集団の中核を担ってきたのだ。ボス戦のときは毎回ハイレベルのプレイヤーを送り込んでくるし、構成人数も相当なものだった。

 

 それが、全滅だ。

 耳を疑う内容であるのは間違いない。

 

「それってアレだよな、偵察がてらボス戦やって、敵わないから全員逃げたってだけだろ」

「いや、わざわざ全滅なんて言い方してるくらいだ。もしかしたら本当に……」

「そ、そんなわけあるか! 《ALS》だぞ。《アインクラッド解放隊》だぞ! 全滅なんてするはずないだろ!」

「質の悪い冗談だ! そうに決まってる!」

「《マイナー》なんかの言うことが信じられるかよ!」

 

 会議室内は俄かに騒がしくなった。

 信じられないと喚く者。嘘だと叫ぶ者。罵る者。

 それらの声があちこちから上がって収拾がつかなくなる。まあ俺のせいなんだけど。

 

 幸い詰め寄ってくるやつこそいないが、身を乗り出して拳を握る姿を見ればその一歩手前だとわかる。こりゃあ暴発するのも時間の問題か?

 

 そう考えたとき、凛とした声が喧噪を断ち切った。

 

「いい加減にして。これ以上騒ぐのなら退室してもらいます」

 

 レイドリーダーたるユキノの一喝に、攻略組の面々は水を打ったように静かになった。

 それもそのはず、あいつが出ていけと言えば実際そうなるし、追い出されたら攻略会議には参加できない。実質戦力外通告だ。逆らうやつなんてこの場には一人もいない。

 

 ユキノはざっと一同を見回し、やがて落ち着いた声で続ける。

 

「続報を待ちましょう。詳細はもちろん、真偽についてもそれではっきりする。それまで全員、この場で待機とします」

 

 否、と言う者はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 三十分後。

 アルゴを始め複数の情報屋から詳細な情報が届いた。

 

 25層のボスへ挑んだ《ALS》プレイヤーは総勢45名に上るらしい。

 内訳は攻略組としてボス戦に挑んでいるいつもの二パーティーを始め、その交代(リザーブ)メンバー、サポートメインの後衛、育成中の中層プレイヤー、傘下から合流した少数ギルドなど、だそうだ。

 

 合計45人。精鋭揃いの攻略組と比べたら実力不足だが、それでも各層フィールドボスくらいなら犠牲者を出さずに倒せる戦力だ。

 

 それが、それだけの戦力が、壊滅した。

 生き残ったのはリーダーのキバオウ以下、わずか7名。

 それはつまり、38名ものプレイヤーが死んだということを意味している。

 

 もはや会議どころではなかった。

 

 そもそも攻略会議の最中にボスへ挑んでたってだけでも一大事だ。

 フロアボスやフィールドボスとの戦闘は攻略組全体での会議を行った上でってのが取り決めで、抜け駆けにはペナルティが課せられることになってる。第5層で抜け駆け騒動があって以降、この取り決めが適用されてから一度も破られたことはない。

 

 にもかかわらず、《ALS》は自ギルドだけでフロアボスへ挑み、大敗した。

 38名もの死者を出しながら、自身は転移結晶を使って生還したというリーダーのキバオウに、いくつもの厳しい追及がなされることは想像に難くない。

 

 実際、キバオウは《ギルトシュタイン》の砦に引っ立てられた。

 

 会議室に連れてこられたキバオウは茫然自失といった様子だった。

 心ここにあらずというか、現状を呑み込めていないというか。会議室の中心に立ってもぼーっと床を見つめるばかりで、一言も発することはなかった。

 

「キバオウさん。どうしてこんなことになったのか、説明してもらいますよ」

 

 痺れを切らしたようにリンドが言うと、周りにいたプレイヤーが口々に非難を浴びせる。

 

「あんたは自分が何をしたのかわかってんのか!」

「仲間を死なせて、自分だけ逃げ帰って、恥ずかしくないのかよ!」

「黙ってないでなんとか言えよ!」

 

 烈火のごとき怒声にも、ヒステリックな喚き声にも、キバオウは何の反応も示さなかった。 周囲のプレイヤーがどれだけ口汚く罵ろうが、声高に罪状をあげつらおうが、ただじっと床の一点へ視線を落とすばかり。

 

 どうやら自分のしでかしたことに頭が追いついていないようだ。悪い夢でも見てるような気でいるんだろう。だとすれば、今のこいつに何を聞いても無駄だ。

 

 そう思ったのは俺だけではないようで、エギルやリンドなんかは周りのやつらを抑えようと声を掛け始めた。次第に会議室内の熱気は収まっていく。

 だが――。

 

「キバオウさん。あなたには起きた出来事とその理由を説明する責任があるわ」

 

 止せばいいのに、騒がしさが収まりつつある中でその一言は放たれた。

 そして奴は、そんなユキノの言葉にだけ小さく、しかしはっきりと反応した。

 

「…………ゃ」

 

 眼球だけをぎょろりと上向かせ、ぶつぶつと何かを呟いた。

 幽鬼のように不気味な挙動。室内がさーっと静かになる。

 その間にもキバオウは口の中で何かを呟き、一切瞬きをすることもなくユキノをまっすぐ射貫いた。

 

「っ……」

 

 ユキノは奴の挙動に顔を歪める。目の前の男への嫌悪感と、同時に恐怖の色も見てとれた。

 無理もない。こうして脇から見てるだけでも奴の様子は不気味なんだ。真正面から自分に向けられたそれを見て動揺しない方がおかしい。

 

 けれどユキノはすぐに表情を整え、あくまで真剣な眼差しをキバオウへ返した。

 

「言いたいことがあるのなら、はっきりと言ってもらえないかしら」

 

 キバオウの異様な雰囲気にあてられ静まりかけたところへこの台詞。ユキノをよく知らない者からは豪胆に見えるだろうし、レイドリーダーを務めてきた姿を知っている者なら流石だと思うかもしれない。

 

 俺自身、苦しみながら、それでも気丈に振る舞う雪ノ下雪乃を何度も見てきた。

 姉と比較され、仕事に忙殺されかけても尚、信念を曲げずに努力するアイツを知っている。

 だから感心こそすれ、止めようなどとは思わなかった。

 

 しかし、このときばかりは彼女は黙っていた方がマシだったと、止めていればよかったと後になって後悔した。

 

 逆上したキバオウが何を言い出すか。

 それがどのような影響を及ぼすのか。

 誰も何も知らないまま先送りにして、時間が経つのと一緒にうやむやにしていれば、違う未来もあり得たかもしれない。

 

「アンタの、せいやろ……」

 

 抑揚のない鼻声が漏れ聞こえた。乾いたようで涙交じりな、悔しいようで諦めたような、呪詛のような呟きだった。

 ぞわっと悪寒が走り、思わず目の端が引き攣る。

 

「なんもかんも、全部、アンタのせいやろが」

 

 キバオウが顔を持ち上げる。

 両手はだらりと力なく垂れ、頭も軽く右へ傾いている。猫背で前屈みで、脚もまっすぐ立っているわけじゃない。なのに、目だけはブレることなくユキノへ向けられていた。

 

 その不気味な迫力に、ユキノが思わずといった様子で一歩後ずさる。

 

「な、なにを言って……」

「わからんわけやないやろ。アンタはリーダーなんやからな」

 

 ユキノが気圧されたことで調子に乗ったのか、キバオウはニィと気味の悪い笑みを浮かべた。まだ力の入っていない手を持ち上げてユキノを指さす。

 

「アンタが言うたんやで。ワイらがボスを倒すチャンスはない。ワイらにボーナスを取らせる気はないってな。せやから、こないなことするしかなかったんや」

 

 それを奴の曲解だと切り捨てるのは酷だろう。はっきりと言ったわけではないが、実際は奴の言う通りの状況になっていた。ユキノの示した方針は《ALS》の基本方針とは決定的に対立していたのだから。

 

 キバオウは《ALS》のやり方が一番だと、SAO攻略に最適だと信じていた。

 全員が平等に経験値を得て、アイテムを平等に分け合って、平等に強くなる。

 そのためにキバオウはレアアイテムを、ラストアタックボーナスを求めていた。

 

 だから、奴はこんなことをしたのだ。

 

「攻略組と一緒じゃワイらにチャンスはない。それは嫌っちゅうほどわかったわ。ほんなら、もうワイらだけでやるしかないやろ。ワイらだけでボスを倒して、ボーナスを手に入れるしかないやろ。せやから……せやからワイは……」

 

 滔々と捲し立てるキバオウに、ユキノを始めこの場にいる全員が何も言うことができなかった。段々と身を乗り出し、それから徐々に視線を落としていくキバオウを呆然と見ていることしかできない。

 

 やがてキバオウはスッと顔を上げ、再度ユキノへ目を向ける。

 

 そしてポツリと、零れ落ちるような一言を漏らした。

 

「アンタのせいや」

 

「全部、アンタのせいや。ワイは悪ない。アンタがワイらを切り捨てたんが悪いんや」

 

「仲間が死んだんも、なんもかんも、全部アンタのせいや」

 

 誰も、キバオウの言葉に口を挟むことができなかった。

 

 筋が通らないことはわかってる。理屈も何もあったもんじゃないし、責任転嫁も甚だしい。この場にいる全員が、キバオウの主張は間違っていると考えるだろう。

 

 けれど。

 けれどもし、《ALS》が最近一度でもLAボーナスを獲得できていたなら、獲得するチャンスだけでもあったなら、こんなことにはならなかったのではないか。

 キバオウが焦って無謀な行動をとることも、その結果38人もの死者が出て二大ギルドの一方が壊滅することもなかったのではないか。

 

 そう思わせてしまうだけの迫力が、今のキバオウにはあった。

 

 一度疑念を抱いたら止まらない。

 公正に冷徹に、効率を最優先に攻略を進めてきたユキノ政権に対して生じた不信感、不安感は、現体制の犠牲者とも言えるキバオウを前に加速度的に広がっていく。

 

 理屈の上では自爆でも、他人が同情する背景さえあれば被害者となる。

 ギルドのために強敵へ挑み、仲間を失ったキバオウは少なからず同情される。

 

 対して、どんなに結果を残した政権も、大衆の心象や空気が変われば独裁政権となる。

 一日でも早い攻略をと効率を最優先していたユキノは、攻略のためなら他のプレイヤーも切り捨てるのではと疑われる。

 

 するとどうだ。

 首謀者にして戦犯扱いをされていたキバオウは哀れな被害者に。

 攻略組の絶対的リーダーだったユキノは冷酷な独裁者へと変わる。

 

 人間は「共感」する生き物だ。熱狂や憎悪は特に、不安や不信も同じくらい伝播しやすい。集団ヒステリーやパニックなんかがいい例だ。

 生じた不安や不信は伝播し、「いつか自分もキバオウのように切り捨てられるのではないか」という空気が攻略組に広がる。

 

 そしてそれはユキノの求心力の低下に直結する。

 ユキノの求心力が低下すれば、攻略組をまとめることは難しくなるだろう。代わりのリーダーがでなければ空中分解だ。ここまで順調だった攻略ペースは間違いなく落ちるだろう。

 

 そうでなくとも一度疑問を抱いた相手を百パーセント信用することはできない。たとえ言葉にされることはなくても、視線や態度で疑心は伝わる。

 

 いつの間にか、視線のほとんどはユキノへと注がれていた。

 

「わた、しは……」

 

 キバオウから、そして周囲から向けられる視線に、ユキノは言葉を失っていた。

 

 好意的なものも当然ある。これまで攻略組を先導してきたリーダーへ向ける信頼の色に加え、ユキノを知るプレイヤーからの心配げな眼差しもある。無責任な発言を繰り返すキバオウへの厳しい言葉を期待していたやつもいるだろう。

 

 だが非友好的なものも少なくなかった。そもそも効率と成果を重要視する方針に不満を持つ者は以前からいたのだ。

 それでも結果が出ていたこれまでは表立って反抗する者はほとんどいなかった。今回のキバオウの暴走は、そんな反抗勢力の起爆剤になりかねない。

 

 今回の件について、ユキノに責任などない。

 だがまったくの無関係とも言い難いのだ。

 仕方ないことだとはいえ、ユキノの言動や方針がキバオウ率いる《ALS》が暴走する遠因となったのは間違いない。

 

 だからユキノは反論ができない。違うと言い切ることができない。

 

 だからユキノこそが悪であると、あたかもそんな空気ができている。

 

 空気とは数だ。

 大衆とは数だ。

 戦争とは数だ。

 

 数を揃えて相手を非難する空気を作り出してしまえばほとんど勝ったも同然。今や世界は空気で回っている。理路線然とした主張も、清廉潔白な論理も必要ない。敵意に憎悪、同情や共感といった大多数を巻き込む空気によって勝敗が決せられる。

 

 なら、あとはどうなるか。

 

 不平等を押し付けられたギルドが逆境に立ち向かい、失敗し、その多くの仲間を失うという悲劇に遭遇した挙句、《哀れな生き残り(キバオウ)》が冷酷な指導者を糾弾する。

 

 これはそういう『筋書き』だ。

 

「ワイは悪ない。悪いのはアンタや」

 

 うわ言のように繰り返すキバオウに、ユキノは二度深呼吸をすると震える声で答えた。

 

「今は責任の所在を明らかにする場ではないの。必要なのは、起きた事象と理由よ」

「アンタのせいや。全部アンタが悪いんや」

「どうやら、今は何を訊いても無駄なようね」

 

 ユキノが下がらせるように言うと、キバオウを連れてきたプレイヤーが喚き続ける奴を引き摺って会議室から出ていく。

 

「アンタがおる限り、また誰か切り捨てられるで! そんときは――」

 

 バタンと音をたてて扉が閉まり、声が途切れた。

 

 静かになった室内に後味の悪い雰囲気が圧し掛かる。

 

 誰も何も言い出せず、かといって動くこともできない。そんな空気だ。

 

「…………今日は解散としましょう」

 

 沈黙を破って、ユキノが絞り出すように言う。

 

「生き残ったメンバーから話を聞く必要もあるし、抜けた戦力を補う必要もある。時間がかかるでしょうから、次の会議の日程は追って相談することにしましょう」

 

 未だ震えたままの声にあちこちから同意の声が返された。そしてそれぞれのパーティーがぞろぞろと会議室を後にする。

 

 俯くユキノに向けられる視線には、少なからず敵意が含まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キバオウの言葉に嘘はない。少なくとも俺にはそう見えた。

 仲間が何十人も目の前で死んだのに、演技したり嘘をつけるほど精神的な余裕もないだろう。会議室に入ってきたばかりの奴は本当に死んだような顔をしていたしな。

 

 だがそもそもの話として、何故《ALS》は自ギルドだけでのボス戦に踏み出したのか。

 

 動機についてはキバオウ自身が語った通りだ。

 攻略組の方針の下では《ALS》がLAボーナスを獲得する機会はない。ボーナスを得るためには自分たちだけでボスを倒すしかない。そう考えたのが理由だ。

 

 では、その根拠はどこにある。

 攻略組の精鋭を揃えても毎度苦戦するフロアボスだ。いくら《ALS》が大ギルドだとしても、精鋭揃いの攻略組より強いとは思わないだろう。しかもこの25層はかつてない強敵が待ち構えていると予想されていたのだ。勝算はより低くなる。

 

 にもかかわらず、《ALS》が独断専行に踏み切ったのはなぜか。

 俺たちの知らない攻略情報を握っているか、あるいは何かしらの切り札があったのか。

 

 前者の可能性は低い。俺はともかく、《FBI》以上に情報収集能力のあるプレイヤーや集団なんてのはいないはずだ。もちろん、俺が知らない情報屋なんかもいるだろうからゼロとは言い切れないが、少なくとも名の知れたやつじゃないのは確かだ。

 

 だが後者の可能性はもっと低いだろう。キバオウの性格的に、切り札があったなら堂々とユキノへ進言していただろう。その上でアタッカー隊に参入し、LAボーナスを狙いに行くはずだ。この方が二大ギルドとしての面子も保てる。

 

 切り札の線はないとみなしていい。

 となればやはり、他の誰も知らない情報をもとに挑んだと考えるべきか。

 

 考慮すべきは情報の出処と、その真偽だ。

 どこの誰が、どんな情報を《ALS》に流したのか。

 果たしてその情報は本当に正しいのか。

 

 

 

 もしも――。

 

 もしも《ALS》にもたらされたのが偽の情報なのだとしたら。

 

 

 

「間違いない。裏で糸を引いている奴がいる」

 

 

 

 

 




次回更新日は未定です。

最近は書いててモチベーションの上がらないシーンが多いため時間掛かるんですよね(汗)


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第十五話:そして雪ノ下雪乃は宣言する

スマブラ楽しいですね。
収録曲もめちゃくちゃ多くて作業用BGMに最適です。

15話です。よろしくお願いします。


 《ALS》の壊滅から三日が経った。

 

 連日、ユキノやリンドといった攻略組を代表するプレイヤーは、アルゴら《FBI》の協力のもと《ALS》の生き残りに話を聞きに行っている。今回の事態における背景の洗い出しとボスについての情報を集めるためだ。キリトやアスナもユキノに協力しているらしい。

 

 また、エギルや《風林火山》のクライン、その他ユキノに友好的な連中は、低下した攻略組の戦力を補うために色々と動き回っている。準攻略組と呼ばれるプレイヤー層に声を掛けたり、中層プレイヤーのレベリングに協力したりって感じだ。

 

 一方で足並みの揃わない集団も出てきている。キバオウの糾弾に触発された反ユキノ派の連中だ。効率至上主義の犠牲者が出たからか、その先導役であるユキノの退陣を声高に主張し始めている。

 じゃあ代わりのリーダーは誰にするのかという点ではまとまってないようだが、少なくともユキノのリーダー辞任を求める声は大きい。待遇改善ではなくリーダーの交代で意思統一されてるあたり作為的な気もするけどな。

 

 ともあれ、地道に情報を集めつつ戦力の補強に努めるしかない現体制派に対し、反体制派は直近の出来事を追い風に非難と責任の追及を行うだけだ。

 

 正直、風向きはよくない。

 今はまだ事情を知る攻略組だけで収まってるからいいものの、これで中層、下層の一般プレイヤーまで扇動されたら抑えられなくなる。攻略組といえど、他のプレイヤーの協力なくしては成り立たない。

 ユキノはリーダーを辞めるつもりはないようだが、風当たりは今後益々強くなるだろう。

 

 翻って俺は割と余裕のある日々を過ごしていた。

 理由は単純。ひとに嫌われ過ぎてできることがないからだ。《マイナー》の名は伊達じゃないってことだな。

 

 まあ、かといって何もしていないわけじゃない。俺みたいな対人仕事向いてない人間でもできて、ボッチという影の薄いやつに向いていることはいくらでもある。偵察とか情報収集とかいろいろな。

 

 先日の《ALS》壊滅事件――アレには裏で糸を引いてる奴がいる。

 

 根拠はない。より正確に言えば証言や物的証拠はない。

 だが状況証拠ならある。

 

 二大ギルドと呼ばれた《ALS》にしてはあまりに杜撰な計画、無謀さ、被害の大きさがそれだ。本当の命が掛かったSAOにおいて本来これはありえない。

 絶対に負けるとわかってて戦いを挑むバカはいない。もしそんなバカがいたとして、45人も集まるはずがない。命がけとなれば尚更だ。

 

 なら《ALS》は勝算のある戦いに挑んだ、あるいは勝算があると思い込んでボスへ挑んだと考えるのが妥当だろう。

 となれば、それは何かしらの情報だ。

 

 元々ユキノのやり方に不満を持っていたキバオウだ。攻略組の誰も知らない情報を渡されて、それがあれば攻略組を出し抜けると唆されたらどうする。

 

 十中八九、口車に乗るだろう。

 そしてボスへ挑み、負ける。責任を問われたキバオウが持論を叫んでユキノ政権にダメージを与え、攻略組は内部分裂に至る。と、そういう筋書きを書いた奴がいる。

 追い込まれた人間がどんな行動をとるか。俺が文化祭で相模の行動を推察したように、キバオウの行動を予測してこの現状を作り出した奴がいる。

 

 そいつは知っていたのだろう。

 

 適当な情報を握らせた《ALS》がボスへ挑めば、大きな被害が出ることは予想できる。

 被害の大きさに関わらず、独断専行でボスへ挑めば攻略組は黙っちゃいない。

 そうなればキバオウや《ALS》メンバーの誰かが会議室へ呼び出される。

 詰問され、どうしてボスへ挑んだのか理由を訊かれるのは当然だ。

 すると彼らは一様にこう答える。

 ユキノのせいだ、と。

 ユキノが決めた方針のせいで自分たちはLAボーナスが取れない。

 ユキノがリーダーを務める攻略組にいてはずっと変わらない。

 だから自分たちだけでボスへ挑んだのだ、と。

 

 キバオウの、《ALS》の置かれた状況を知っていれば、偽の攻略情報を渡して背中を押すだけで攻略組を内部分裂させられる。そう考えて、実行して、まんまと成功した。

 

 さぞご満悦のことだろう。誰が何の目的でこんなことをしたのかわからないが、ろくでもない奴なのは確定的に明らか。何人ものプレイヤーを死なせ、攻略を遅らせ、現体制を滅茶苦茶にするその発想に、嫌でも犯人像が浮かんでくる。

 

 長身痩躯の黒ポンチョ男――《PoH》。

 殺人ギルド《笑う棺桶(ラフィンコフィン)》のカリスマ。

 

 確証はない。けれどこの内側から引っ掻き回すようなやり口は奴の十八番だ。それこそ一桁層を攻略していたときは毎度のようにちょっかいを掛けられたからな。

 

 この状況を作り出したのが奴かはわからない。目的もわからない。

 だが奴やその仲間が絡んでいるとなれば、今後も何かしら厄介事を投げ込んでくる可能性はある。

 

 今、攻略組は事態を収めるので手一杯だ。

 いるかどうかもわからない黒幕に構っている暇はない。

 そこで、暇で時間を持て余した《マイナー》たる俺が調査を行っていた。

 

 《ALS》に情報を流した奴を探し、黒幕への手掛かりを探し、あわよくば一網打尽にする。そう考えて三日間行動していたのだが。

 

 

 

 黒幕どころか、手掛かりの一つさえ見つけることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 日も傾き始めた午後五時。

 

 「緊急事態だ! 今すぐ来てくれ」とキリトに呼び出されてやってきた砦の会議室には、ユキノやキリト、アスナに加え、リンドやその他攻略組の中心人物が勢揃いしていた。

 全員が全員エスプレッソを一気飲みしたかのような苦い表情を浮かべ、長方形の卓の窓側に腰かけている。

 

 対して通路側に座っていたのはユキノのリーダー辞任を求めていた連中だ。こちらから全員の顔を見ることはできないが、振り返った数人の顔にはどれも勝ち誇ったような笑みが張り付いている。

 

 その中の一つ、廊下側の席の一つに座する男に目が留まる。

 

「お前……」

「やっと来よったんか。待ちくたびれたわ」

 

 トンガリ頭にだみ声の関西弁。眼だけは以前よりも鋭いが、間違いなくキバオウだ。

 マジか。こいつまでいるのは驚きだな。しかも席順的に中心人物っぽいし。

 

 ある意味、感心する。あれだけのことをしでかして、誰が聞いても理屈の通らない主張をして、散々に喚いた挙句追い出されておいて尚この場に出てくるだけの胆力には脱帽する。

 怖いもの知らずというかなんというか。もしかしてMなのかもしれない。Mなキバオウ。マキバオウだな。猪突猛進っぽいし。マキバオーは馬だけど。

 

 長い机を回り込んで、窓際の列の最下座に座る。

 それを待って、キバオウが仰々しく腕を組み口を開いた。

 

「ほな《マイナー》殿も来よったことやし、始めよか」

「……そうね」

 

 キバオウが切り出して、ユキノが同意する。

 何気ないやり取りだが、どちらが主導権を握っているのかは明白だった。

 

「まずはワイらの呼び掛けに応じて集まってもろたことに礼を言っとくわ。それと、こないだは騒いでもうてえらいすまんかった。今後は気を付けるさかい、堪忍してや」

 

 感謝と謝罪の言葉。だがキバオウが頭を下げることはない。言ってることも一見しおらしく聞こえるが、逆にそれ以上の追及を許さない強かなものだ。とてもキバオウの口から出たものとは思えない。

 

「……礼と謝罪は受け取った。それでキバオウさん、俺たちを集めた理由は何なんだ?」

 

 応じたリンドもやはり追及はできず、代わりに本題へ切り込む。少しでも嫌な雰囲気を払拭しようとしたのだろう。

 

 だがキバオウはリンドの言葉に、ニヤリと笑って答えた。

 

「そうせっつかんといてや、リンドはん。《DKB》のリーダーとして《ALS》がおらなった隙に思て焦っとるんはわかるけどな」

「なっ……俺は別にそんなこと」

「ええてええて。同じ大ギルドのリーダーやったワイにはわかる。自分とこのギルドを第一に考えるんは当然のことやからな」

 

 そう言われてリンドは苦しそうに黙り込んだ。リンド個人の考えはともかく、ギルドリーダーとしてはキバオウの言葉のように考えざるを得ないのだろう。

 

 けれど――なんだこれは。

 キバオウの雰囲気。リンドへの切り返し。そのどちらにも違和感がある。

 

 もし、同じことを陽野さんが口にしたのなら、納得するどころか手加減してくれていると感じるまである。あの人容赦ねぇし。ちょー怖い。

 

 しかしキバオウはさほど弁の立つやつじゃない、と思っていた。頭で考えるよりも先に身体や口が動く、戸部のようなタイプといえばわかりやすい。狂化型戸部と言ってもいい。

 

 にもかかわらず、キバオウのこの態度は何だ。『男子三日会わざれば』とは言うが、それにしたってこれは変わりすぎだろ。

 

「ご高説は終わったかしら? ならそろそろ本題に入って欲しいのだけれど」

「……そうやな。無駄話しててもしゃーないわ」

 

 ユキノの皮肉を受けても、キバオウは余裕の態度を崩さない。それがまた違和感の一つとして積み重なっていく。

 

 キバオウは姿勢を改めて卓上に両肘をつくと、組んだ両手で口元を隠す。あ、ハチマンこれ知ってる。ゲンドウのポーズだ。

 

「単刀直入に言わしてもらうわ。ワイを含めた《ALS》と、ここにおる面子のギルド四つを合併する。でもって、ワイらはワイらのやり方で《SAO》を攻略したる」

 

 誰かが息を呑む声が聞こえた。

 キバオウは体勢を変えることなく続ける。

 

「今後、ワイらは《アインクラッド解放軍》っちゅう旗の下で、独自に攻略を進める。下層のプレイヤーにも募集はかけるし、《軍》に入った人間は責任もって食わしたる。ジブンらも、入りたいゆうもんはいつでも声かけぇや」

 

 そこまで言って、キバオウは顔を上げた。口元は笑みが隠し切れずに歪んでいる。

 

 事実上の対立宣言。おまけに勢力を伸ばそうという意図も明らかにしている。

 

 まずいな。正直これは痛恨の一手だ。

 放っておけばすぐにでも攻略組と対立するのは想像に難くない。しかもその場合、中下層の一般プレイヤーも敵に回る可能性がある。

 

 というのも、これまで攻略組は他のプレイヤーに対して明確な援助や支援を行ってこなかったからだ。最前線で稼いだリソースを自分たちで独占してきたツケとも言える。傍から見れば置き去りにしてきたようなものだろう。

 

 もちろん、大規模ギルドやその周囲は恩恵にあずかっているし、ギルド単位、個人単位で支援活動を行っていることもある。友人知人がいるやつは個人的な交流もしているだろう。

 だがそれは攻略組全体のイメージに繋がるわけじゃない。経験値やアイテムを掻っ攫いながら上へ登っていく集団の印象を変えるほどじゃないのだ。

 

 そこへ来てこの《軍》とやらの方針は中下層プレイヤーにとって魅力的に映るだろう。

 最近まで攻略組として活躍していたやつのギルドへ入れば知識や設備の恩恵にあずかれる。フロア攻略にも参加できるかもとなれば、少なからず参入者は現れるだろう。

 

 なにより厄介なのは、この申し出自体に反対できる要素がほとんどないことだ。

 誰もが平等に、という考えは精鋭揃いの攻略組でこそ相容れなかったが、他のプレイヤーを交えて独自の勢力を作るとなれば立派な理念と言える。

 堂々と「みんなで協力して《SAO》クリアを目指そう!」と言われてしまっては、あからさまに反対はできないからな。

 

「そう。つまり攻略組とは別の攻略集団を組織するということね」

「そや。ワイらはワイらで、アンタらはアンタらで別々に攻略を進める。んでもって、ボスについては早く倒したもん勝ちってことでどや」

 

 キバオウは強気なままそう言う。

 対して、ユキノは机の上に置いた自分の手を見ながら答える。

 

「……戦力の分散は避けるべきだわ。危険も増えるし、攻略のペースも落ちてしまう」

「そうは言うても、ワイらは攻略組に戻るつもりないしなぁ。それに、競争意識を持たせるっちゅう効果はあるやろ」

 

 優位に立てているのが嬉しいのか、キバオウは余裕の表情で椅子に背をもたれる。

 両手を頭の後ろで組み、見下すようにこちら側を見渡して、ニヤリと笑う。

 

「まあどうしても言うんやったら、ワイらにも考えがあるわ」

 

 意地の悪い笑みはキバオウだけでなく、向こう側全ての顔に並んでいた。

 キバオウが勿体ぶるように元のゲンドウのポーズへ戻る。口元を隠し、少しの間ユキノをねめつけた後、獲物を前に舌を揺らす蛇のごとく宣った。

 

「ユキノはん、アンタが《アインクラッド解放軍》で参謀役として働いてくれるっちゅうんやったら、フロアボスに限って協力したるわ」

 

 一瞬の静寂。しかし、それはすぐに破られる。

 

「ふ、ふざけないで! そんな条件飲めるわけないじゃない!」

「ほんなら交渉決裂やな。ワイらはワイらで自由にやらしてもらうわ」

「っ……」

 

 噴火したアスナの怒声にもやはり怯まず、キバオウはさらりと流して立ち上がった。

 リーダーが立てばお供も立つのは当然。反体制派改め《アインクラッド解放軍》の面々は、端から会議室を出ていく。

 

 二人出て、四人出て、六人出て――。

 そして最後のキバオウが振り返ろうとしたところで、

 

「待って」

 

 ユキノが、その背中を呼び止めた。

 

 キバオウの足が止まり、半分背を向けたまま首だけを返す。

 表情こそ真顔な眼にユラユラとおぞましい色が揺れて見えた。

 

「その条件で構わないわ。私は今後《アインクラッド解放軍》の一員となり、フロアボスは攻略組と合同で攻略する。それでいいわね?」

「さすが、ユキノはんは話がわかる人や」

 

 言葉とは裏腹、嘲笑するような口調で言う。

 

「引き継ぎなんかもあるやろ。一週間後の正午に《はじまりの街》の中央広場で《軍》の結成式をやるさかい、それまで色々(・・)と準備しときぃや」

 

 最後にそう吐き捨てて、キバオウは会議室を出ていった。

 

 扉は開け放たれたまま、その向こうから聞こえる足音が段々と小さくなる。

 靴音が消え、重苦しい空気に耐えかねた誰かがため息を吐いたところで、ユキノの隣に座っていたアスナが顔を上げた。

 

「どうしてですか? あんな条件を飲む必要なんてなかったのに」

「もしかして《ALS》のことに責任を感じて?」

 

 アスナと、その向こうのキリトからも訊ねられて、ユキノは申し訳なさそうな表情を浮かべる。

 

「それもないわけではないけれど……」

 

 しかし、言ったときには二人から視線を逸らしている。

 

「客観的に、これが最善だと思うわ。攻略組と《アインクラッド解放軍》が競争意識を持って攻略に励めば今以上にペースはよくなるでしょうし、ボス戦では両者の力を集められる。この前のような暴走も抑えることができるし、効率よく進められるはずよ。……それに、私はどこでも構わないもの」

 

 ユキノはそう言い切ると、小さなため息を吐く。対話を打ち切るように下へ向けた顔には物悲しさと、悲壮な決意が滲んでいるようだった。

 

 効率よく、か。

 その言葉がやけに引っかかる。効率を求めるのは彼女だけではない。それを理由に行動する奴に心当たりがある。

 

 だからこそ、効率だけでいうなら他に方法があるのだ。

 

「それはそうかもしれねぇけど、そもそも無視するって手もある」

 

 端から気持ち声を張って言うと、俯いていたユキノが顔を上げた。

 

「それは、《アインクラッド解放軍》を放置するという意味?」

 

 俺に問いかけるユキノの眼光が鋭い。一層のボス戦以来向けられるあの瞳だ。

 

「ああ。そもそも連中は攻略組でも若干劣るやつらばかりだ。《ALS》の生き残りを加えてもそれほどの戦力にはならないし、攻略組が先にここのボスを倒しちまえば差はもっと広がる。最前線から離せれば《軍》に入るメリットは減るし、勢力拡大も抑えられるだろ」

 

 絶対の自信などない。それでも、考え得る手段の中でもっとも確率の高い、それでいて効率のいい手札を切っているつもりだ。

 

「攻略組が万全でない今、ボスに挑むのは認められないわ。戦力不足だったとはいえ、《ALS》が多くの犠牲者を出すほどの敵だもの」

「なら、今の戦力でも勝てる方法を見つけたとしたら?」

 

 安全マージンは満たしているのだ。それで勝てないとなれば足りないのは情報で、情報が足りないのなら更に集めればいい。

 フロアの隅から隅まで。クエスト一つ残さず。なんなら偵察戦に行くのもいい。行動パターンからダメージの通りがいい箇所まで、ボス撃破に繋がる情報すべてを洗い出す。

 

 幸いここは仮想世界。不眠不休で働いたところで頭痛以外はごまかせる。数日の徹夜くらいなんてことない。実際何度かやってるしな。

 

 ユキノはため息を吐く、その一瞬だけ俺から視線を外した。

 そして、今度は俺を睨み据える。敵意にも似た感情の圧力を感じる。

 

「たとえ弱点や攻略法を見つけたとしても、戦力が整うまでは動かないわ。あなた一人の無茶だけで、攻略組が動くなんて思い上がりよ。それだけで、解決するとは私は思わない」

 

 痛いところを突かれた。

 

 ユキノが言うように、俺はそんなに影響力のある人間じゃない。なんならマイナスに振り切ってるまであるだろう。それは充分に自覚している。

 

 知名度はあれど人望や信頼は皆無、最低最悪の《マイナー》がいくら情報を持ってきたところで、それで攻略組が動くわけがない。

 

 アルゴに頼んで攻略本に載せてもらったところで結果は変わらないだろう。情報はただの情報でしかなく、リーダーがノーと言った答えを覆すような力はない。

 

 ユキノの言葉に何一つ反論ができなかった。

 会話が途切れてしまうと、静けさの中をかたかたと風が窓を鳴らした。吹きつける風のせいか会議室は冷え込んでいる。

 

「……あなたと私のやり方は違う」

 

 ぽつりとこぼれた言葉。ただそれにだけは同意ができた。

 

「そうだな……」

 

 本当に違う。王道とか邪道とかそんな手段の是非ではなく、おそらくは(こころざし)が違う。その隔たりが今の俺たちの距離だ。

 

 キリトやアスナ、リンドにエギルにクラインや他のギルドのやつなんかも、会議室に残っていた全員が黙って俺たちの話を聞いていた。

 

 時間が凝り固まっていくのを感じたとき、ユキノがちらと俺を見る。

 

「まだ、何か?」

「……いや、確認がしたかっただけだ」

 

 何を確認したかったのかはわからない。かつてユキノの――雪ノ下のやり方を否定した時とは状況が違いすぎている。なら、安易に否定はできない。最善だとは思わないが、次善くらいには納得ができてしまう。

 

「……そう」

 

 ユキノは返事ともため息ともつかない声を漏らすと、リンドに声を掛けて引き継ぎに関しての話をし始めた。

 

 俺は立ち上がって会議室を出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 石造りの床に靴音が響くのを聞きながら、ただ廊下を進む。

 

 ユキノに反論すべきポイントが見当たらない。

 彼女の言うことのほうが理に適っている。

 そもそも反対していいのかもわからない。

 

 その理由がないのだ。

 

 ユキノが《軍》で参謀役を務めるというなら、キバオウ以下ギルドメンバーの暴走を抑えることができるだろう。監督役としてこれ以上の人間はいない。

 

 また本人の戦闘能力の高さも当然のことながら、指揮能力の高さも疑いようがない。間違いなく《軍》は強大な勢力となるだろう。

 

 おまけに、ユキノの加入を条件にフロアボスでの共同戦線まで約束されているのだ。単純な攻略ペースは今よりも早くなるかもしれない。

 

 呆けたように歩き、街中のベンチに腰かけてから、空が赤く染まっていることに気づいた。

 

 灰色の天蓋に覆われたアインクラッドでは雲海へ沈む夕焼けが見える。

 周囲のプレイヤーやNPCの喧騒をどこか遠くに聞きながら、文字通り別世界の黄昏をぼーっと眺めて過ごす。

 

 やがて日が完全に雲の下へ消えようかという頃――。

 

 

 

「ハチさん……?」

 

 

 

 斜向かいで足を止め、消え入りそうな声で呟いたのは、サチだった。

 

 

 




そろそろまとまった休み欲しいなぁ……(無理)


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第十六話:だからこそ、彼女にはわかることがある

筆が乗ったので今日のうちに。

16話です。よろしくお願いします。


 最後に残った陽の瞬きが果てのない雲海へ沈もうとしたとき――。

 

「ハチさん……?」

 

 すっかりまばらになった人影の一つが不意に足を止めて呟いた。

 ともすれば風に溶けて消えてしまうような囁き。けれどここは現実ではなくゲームの中で、システムが世界の理を定めている。どんなに小さな声だとしても、聞こえるとシステムが判断する範囲にいればハッキリと聞こえる。

 

 でもって、他人に名前を呼ばれると過剰に反応してしまうのはボッチの習性だ。

 

「ひ、ひゃいっ!?」

「ひっ……!」

 

 驚いて振り向くと、そこには俺以上に驚いて怖がるサチがいた。両手を身体の前でクロスしてるあたり、それはもう完璧なまでに引いてらっしゃる。

 

 いやいや、ぼーっとしていたところで急に呼ばれたら誰だってビビるだろ。ドッキリ的な。アレだよアレ。だから俺は悪くない。悪いのはこの目。やっぱり俺が悪いんじゃねぇか。

 

「サチ? あー、その、なんだ…………悪い」

「い、いえ。ちょっと驚いちゃっただけで……。こちらこそ、ごめんなさい」

 

 なんだこのお互い譲りあった結果やっぱり気まずくなって何話したらいいかわからなくてどっちも黙っちゃう感じ。忘れてた記憶が蘇るこの感じはそう、俺が中学二年生の秋……。

 

「……あ、あの」

「え、あ、はい」

 

 サチが何か言いかけたのでおふざけは止めにする。決して黒歴史を思い返して泣きそうになったから止めたわけじゃない。本当に。ハチマンウソツカナイ。

 

「あ、その、ハチさんもこの街に来ていたんですね」

「ああ、そりゃまあ攻略組の端くれだからな。っていうか、前にも言ったけど敬語じゃなくていいぞ、ほんと。敬われるような行動とってないしな」

 

 恨まれるような行動はとってるけどね!

 

「そう、だったね。うん……」

 

 思い出すように胸に手を当てて俯くサチ。表情は暗く、肩は震えている。

 

 ま、当然と言えば当然だろう。彼女からすれば俺はギルドを滅茶苦茶にしかけた奴なのだ。怯えるのも無理はないし、寧ろ顔を見てすぐ逃げなかっただけ温情があるくらい。

 

 ベンチから立ち上がって背を向ける。これ以上ここにいてもサチを無駄に怖がらせるだけだし、少し肌寒くなってもきた。

 頭の中は未だぐるぐると回っているが、どれも要領を得ない上に答えなんて出ない。こんな日はさっさと宿に帰って寝るに限る。

 

「じゃあ、俺は……」

「待って!」

 

 帰るわ、と続けようとしたところで呼び止められた。

 振り返ってみると、サチは左手で胸のあたりを抑えながら、右手は少しだけこちらへ伸ばしている。

 

 目が合うと、サチは怯えたように手を引きかけて、けれど途中で止めて握り込んだ。

 

「あの、少しだけ話してもいい、かな。あ、時間があればで、いいんだけど」

 

 未だ肩は震えている。だが弱々しくも確かにそう言って、さっきまで俺が座っていたベンチをちらと見た。

 

 女の子にこう言われて断れる男がいるだろうか。いや、いない(反語)。

 

「まあ、時間とかは別に大丈夫だけど」

 

 っべー、なんかめちゃくちゃ恥ずかしいなんでだこれ。

 

 内心で悶えながら元居たベンチに腰掛ける。

 サチはくすっと少しだけ笑って、一人分開けた隣に座った。

 

「ありがとう。ハチは優しいね」

「バ、バッカお前、俺が優しいとかねーから。アレだよアレ。おもてなしの心? みたいな?」

 

 なにこいついきなり訳わかんないこと言ってんだよ。うっかり惚れちまうとこだっただろ。そんで告白して怖がられてフラれるまである。怖がられた上にフラれちゃうのかよ。

 

 俺の反応を見てクスクス笑ったサチは、しばらくすると笑みを潜めて申し訳なさそうな顔になった。そのままこちらを向き、スッと頭を下げる。

 

「……ごめんなさい。ずっと謝りたいと思ってたんだけど勇気が出なくて。偶然会えなかったら多分、ずっと謝れなかったと思うから」

 

 突然そう言い出したサチに困惑する。

 恨まれることこそあれ、謝られることなんてないと思っていた。

 

「あれから、私は前に出なくてよくなった。黒猫団のみんなとも変わらず一緒にいられて、みんなも前よりずっと真剣に最前線を目指してる。キリトも手伝ってくれるし、稼ぎもすごく良くなったの」

 

 ゆっくりと、噛みしめるような口調。だから俺はただ黙って聞いていた。

 だから、とサチは続ける。

 

「全部、全部あなたのおかげ。だから、ありがとう。ごめんなさい」

「よせ、別になにもしてねぇ」

 

 それは全部、黒猫団の五人が努力した結果だ。

 俺はただ引っ掻き回して滅茶苦茶にして、元々あったものを台無しにしただけ。寧ろ、彼らの関係を修復不能なまでにぶち壊しかねない真似をしたのだ。

 

 そんな自省の念は多少声に現れていただろう。

 だというのに、あろうことかサチは笑みを浮かべていた。

 

「…………なんだよ」

「ううん。ふふ、ほんとにキリトの言った通りだなって思って」

「な、くそっ、あいつ」

 

 余計なこと吹き込みやがって。

 

 俺がイライラ悶々としてる間に、サチは夜の雲海へ目を向けていた。

 

「キリトが色々教えてくれるお陰でみんなすごく強くなったの。ササマルも盾を持つようになったし、ダッカーはスキル熟練度をいっぱい上げてる。テツオはSTRを伸ばして大きな盾に変えたし、ケイタなんて、フルプレートに両手剣で「これで重剣士だー」なんて言い出して。…………みんな、みんな真剣なんだなって」

 

 へぇ。あいつらがそんな風にねぇ。心を入れ替えたって感じか?

 

 サチの言ったパーティー構成なら、レベルとスキル熟練度が上がってくれば十分攻略組でも通用するだろう。

 四人ってとこが気になるが、他のギルドのプレイヤーを入れて暫定パーティーを組むなんてのはよくあることだしな。

 

 と、そこで彼女自身はその後どうしているのだろうと思った。

 

「お前は後方支援に回ったのか?」

 

 訊ねると、サチは少し恥ずかしそうに頬を染めて俯いた。

 

「えっと、私は《裁縫》スキルを取ったの。今はまだ熟練度も高くないからあんまり貢献できてないんだけど」

「まあ、二週間そこそこじゃなぁ」

 

 プレイヤーの取得できるスキルは熟練度によって強化されていくシステムで、これはそのスキルによる行動を繰り返して行うことで熟練度が溜まっていく仕様だ。

 

 使えば使っただけ熟練度は上がるんだが、如何せんこの熟練度は恐ろしく溜まるのに時間が掛かる。

 例えば俺の《槍》スキルはゲーム開始とほぼ同時に獲得し今まで使い続けているが、熟練度はようやく600を超えた程度。一番使用頻度の高いスキルですら半年かけてもそれしか上がらないのだ。

 まあ同じく最初期に取得した《隠蔽》はどういうわけか900を超えてるんだが。《ステルスヒッキー》の名は伊達じゃない。

 

 俺の《隠蔽》スキルの成長スピードはともかく、このようにスキル熟練度を鍛えるのはやたらと時間が掛かるものなのだ。

 しかも《鍛冶》や《調合》といった職人系のスキルはもっとキツイという噂すらある。

 

「こればっかりは気長にやるしかないんじゃないか」

 

 ギルドの稼ぎに貢献できないという負い目はあるかもしれないが、それもしばらくの辛抱だ。プレイヤーメイドの商品を売りに出せるくらいまで熟練度が上がれば貢献度は逆転する可能性も十分ある。

 

 サチもそれについては承知しているのだろう。

 うん、と頷いて続けた。

 

「みんなもわかってくれてるし、《裁縫》はじっくり育てていくつもり」

「そうしてくれ。一流になってくれたら俺も依頼できるし助かるからな」

 

 パッと思い付いたことを口にする。

 すると――。

 

「ほ、ほんと!」

 

 サチは勢いよく振り向いて顔を寄せてきた。近い近い。

 

「あ、ああ。ほんとほんと。ハチマンウソツカナイ」

「絶対だよ、約束ね」

「はいはい約束約束」

 

 わかったからとりあえず離れてくれませんかね。

 

 顔を寄せてくるサチの頭に手を乗せて押し返す。

 サチは笑顔のまま元の体勢に戻り、俺が触っていた頭に自分の手を当て、やがて正気に返ったのか顔を真っ赤に染めた。そして頭に手を乗せたままプルプルと震え始める。

 

 え、なにこの可愛い生き物。思わずこのまま抱きしめてやろうかと思ったが、その場合あっという間に《黒鉄宮》の監獄に飛ばされるのが目に見えてる。

 

 赤くなって震えるサチを横目に見つつどうしたものかと考えていると、やがて落ち着いたらしいサチがまだ少し赤い顔で口を開いた。

 

「あの、あとね。私、まだみんなと一緒に戦ってるんだ」

「は? けどお前、《裁縫師》でやってくんだろ?」

「そうなんだけど、それだけじゃなくて、一緒に戦うのもやめずに頑張ろうって思って」

 

 おずおずとそう言う。あれだけ戦うのを怖がっていたサチが、自分から戦闘を続けようと考えるなんてな。他の連中と同じように、彼女にも心境の変化があったのかもしれない。

 

「つっても、さすがに前衛はやってないんだろ?」

 

 戦闘と生産の兼務って時点でかなり厳しいのに、怖がってた前衛までやってるとは思えない。だとすればあとは《シーフ》のような冒険を補助するタイプか、或いは――。

 

「うん。みんなの後ろからデバフ付きの槍で攻撃したり、《鼓舞》スキル使ったりとか、そんな感じ」

 

 典型的な支援タイプだな。フロアボスみたいなレイド組んで戦う敵を相手にするときは連れて行きづらいが、少人数の黒猫団なら縁の下の力持ちになれる。

 

「みんなからはもう無理して戦わなくていいって言われたけど、でも私、SAOをやって初めて自分から強くなりたいって思ったの」

 

 そう言って、サチはちらっと俺の方を見た。

 

 

 

「私も、あなたみたいに強くなりたいから」

 

 

 

 まっすぐな言葉だった。

 本当に眩しいくらいまっすぐで、だからこそ目を逸らしてしまう。

 

 俺は彼女が言うような人間じゃない。

 少なくとも強くなんてない。褒められることや評価されるようなことは何一つ。ただそれこそ手前勝手な理論を振りかざしてきただけだ。

 

 だから、そんな憧憬を持たれる人間じゃない。

 

「そんなんじゃねぇよ」

 

 口をついて出た声は自分でも驚くほど鋭いものだった。

 声音に現れた色に、サチもビクッと身体を震わせる。

 

 また怖がらせてしまったと思うも、一度口にした言葉は取り消せない。あとは流れ出るままだ。

 

「俺は強くなんかないし、お前が気に掛けるような大層な人間じゃない。ボッチだし、悪名高い《マイナー》だしな。実際、ここ数日忙しい攻略組の中で俺だけなんもしてないまである」

 

 この三日間、俺は何もできなかった。

 

 黒幕の手掛かりを探すだのと息巻いた結果が空振りで。

 キバオウや反ユキノ派の連中に注意を払うことも忘れていて。

 ユキノの《軍》への引き抜きに反論することすらできない。

 

 どうすればいいのかも、どうすべきかもわからず、そもそもなぜこんなに考えているのかもわからない。

 理屈ではユキノの《軍》入りに納得しておきながら、どういうわけか何度も繰り返し考え続けてしまうのだ。

 

「今、攻略組が大変ってキリトから聞いてるけど、何かあったの?」

 

 黙り込んだ俺に、サチは恐る恐る訊いてきた。

 

 無関係なサチに話すべきか迷ったが、これは退く気がないなとサチの表情を見て思った。

 仕方なく、先日の《ALS》壊滅からさっきの会議室でのやり取りまでを説明する。黒幕云々については話がややこしくなるためにカットした。

 

 説明を終えると、サチは表情を曇らせて俯いた。

 キリトが彼女に何と説明したのかはわからないが、様子を見る限りじゃ詳しいことは知らなかったようだ。

 

 やがて、長い静寂の後にサチは顔を上げた。

 

「ハチは、そのユキノさんが《軍》に入るのに反対なの?」

 

 かけられた問いはそれだった。ずっと考え続けていることだ。

 

「……正直、わからん。あいつが参謀として《軍》に入るメリットは多いしな。《ALS》の二の舞を未然に防げるし、《軍》が強力な集団になった上でボス戦にも参加するとなれば攻略のペースも早くなる。強いてデメリットを挙げるなら攻略組のリーダーが代わることぐらいだな」

 

 文句のつけようがない上策だ。

 攻略組のリーダーが代わるのも、ユキノと同等のリーダーが出てくればデメリットにならない。しばらくはリンドになるんだろうが、リンドが成長するか別のやつが出てくれば解決だ。

 

 言うと、サチは「んー」となにやら考え始める。

 途中、姿勢はそのままでこんなことを訊ねてきた。

 

「ユキノさんとはいつからの知り合いなの?」

「ん? ああ、言ってなかったか。あいつはリアルで同じ部活なんだよ」

 

 正直にそう答えると、途端にサチがこちらへ振り向いた。

 

「なんだ、じゃあハチはユキノさんが大切なんじゃない。大切な友達、大切な仲間だから、攻略組のために《軍》へ入ろうとするのが嫌なんでしょ」

 

 簡単なことだと、そう言わんばかりに。

 呆れたような笑顔で、ため息すら吐きながら、サチはそう言った。

 

 

 

 胸にストンと落ちた気がした。

 

 

 

 ユキノが《軍》へと入れば、攻略組の様相も変わるだろう。

 ユキノと、キリトと、アスナと、おまけで俺とでパーティーを組むことはなくなる。それは仕方のないことだ。

 

 ユキノが納得した上での選択なら、それで構わない。俺個人の感傷は人の選択を左右していいものではない。

 

 ただ。

 ただ、それでも。

 誰かに役を押し付けてしまうのは、苦しい。

 大切に思っているものを守ろうとして、その結果手放してしまう。そんな彼女の姿を見ることは、それはとても苦しいことだ。

 

 何かを犠牲にすることなくして、集団は成り立たない。そう知っていながら。

 自分は犠牲なんかではないから憐れみも同情も必要ない。そう偉そうに宣っていながら。

 なんてひどい矛盾だろう。

 

「…………あいつは友達なんかじゃねぇよ。俺はボッチだからな。友達なんていない」

「えっ、友達じゃないって……。じゃあ、恋人、とか?」

 

 一部に修正を入れてやると、どういうわけかサチはひどく狼狽え始めた。

 しかもありえない上に恐ろしいぶっとんだ予想を返してくる。

 

「んなわけねぇだろ」

 

 こいつはユキノの舌鋒を知らないからこんなことが言えるんだ。

 あいつと恋人? そんなの命がいくつあっても足りない。一日に何度も精神的に殺されるぞ。

 

「あ、あはは……。そっか。そうなんだ。へぇ」

 

 苦々しく思ったのが表情に出ていたのだろう。

 サチは俺を見て苦笑いを浮かべ、俯くように手元へ視線を落とした。

 

 視線を外周の方へ向ける。

 すっかり日も暮れ、雲は月の光を受けて青白く染まっている。ふとメニューウィンドウを開いてみれば、時刻も19時を回っていた。

 

「そろそろ帰るか」

「あ、うん。そうだね」

 

 言うと、サチは素直に頷いて立ち上がった。

 俺も立ち上がり、メニューを閉じながら訊く。

 

「ホームはまだ《タフト》なのか?」

「うん。変わってないよ」

 

 となると、今から転移門広場まで行って11層の《タフト》に転移し、そこから宿まで歩いて行かなくちゃならないわけか。

 

「あー、その、なんだ…………近くまで送る」

 

 普段なら言わない台詞だが、気付いたら口にしていた。なにこれ恥ずかしい。

 

「あ、ありがと……」

 

 サチもはにかみながら、けれど否とは言わなかった。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 25層の《ギルトシュタイン》から11層の《タフト》までサチと並んで歩く。

 

 途中、25層に来ていた理由を訊ねたところ、最前線で手に入る《糸》や《革》の素材を使って《裁縫》スキルを鍛えるため、買い出しに来ていたのだとか。

 

 そういうことならとストレージ内の要らない素材を渡した。

 初めはお金がないからと遠慮されたが、いつか依頼を出したときに商品で返してくれればいいと言うと、妙に気合の入った顔で頷かれた。

 

 そして《タフト》の転移門広場から十分ほど。

 《月夜の黒猫団》がホームにしている宿が遠目に見えたところでサチが立ち止まった。

 

「ここまででいいよ。送ってくれてありがとう」

「そうか。《裁縫》の熟練度上げ、頑張れよ」

「うん」

 

 頷いたサチが振り向く。

 と、その先に見知った顔があった。

 

「あ、キリト」

 

 黒ずくめの剣士は軽く手を挙げながら近づいてくる。

 

「サチ、遅かったな……って、ハチ? なんでここに?」

 

 が、横に立つ俺を見て怪訝な表情を浮かべた。

 どうどう。そう噛みつきなさんな。

 

「たまたま会ってな。っていうかお前こそなんで?」

「ケイタたちに22層のフロア情報を教えてくれって言われてな」

 

 なるほどなぁ。しっかり教師役を務めてるわけだ。

 にしても、あいつらもう22層まで来たのか。俺が付き合ったときは16層かそこらだったのに。攻略組を目指してるってのは本気だったのかもな。

 

 俺が黒猫団の奮闘ぶりに心の中で賛辞を送っていると、キリトがハッと何かを思い出したように一歩踏み込んできた。

 

「これから夕食食べに行くんだけど、ハチも一緒にどうだ?」

 

 お、おう。なんで踏み込んできたのかは知らないけど、とりあえず落ち着こうか。そういう海老名さんが喜びそうな行動はやめようね。

 

「いや、別にいいけど、お前だけか?」

「あー……」

 

 訊くと、キリトは途端に苦い表情を浮かべた。

 相変わらずわかりやすいな、こいつは。

 

「……アスナも、一緒に」

「じゃあな。お疲れさん」

 

 予想通りの名前が出てきたところで踵を返す。

 するとキリトは慌てて回り込み、俺の進路を塞いできた。

 

「待て待て。大丈夫だから。俺も説得するし。何より今日のこと、ハチの意見も聞きたいんだよ」

 

 正直、会う度ご機嫌斜めになるアスナと顔を合わせるのは勘弁だが、今日のことを引き合いに出されたらノーとは言いづらい。

 

「ハァ……。わかった」

 

 メリットやデメリット、生じるストレスやその他諸々を秤にかけ、結果として渋々了承するとキリトはあからさまに顔を綻ばせた。

 

 思わず苦笑いが浮かぶ。

 

 ほんと、こいつはわかりやす過ぎて困る。

 そういう顔をされたら放っておけなくなるから。

 

 小さくため息を吐いて、じっと待っていたサチへ目を向ける。

 

「ってことらしい。じゃあな」

「それじゃあサチ、また今度」

「うん。またね」

 

 俺とキリトがそう言うと、サチは嬉しそうに微笑み、胸の前で小さく手を振った。

 

 

 




明日12月10日は本作の一周年となります。

お気に入り登録して頂いている皆様、ありがとうございます!
貴重な感想を頂いている皆様、本当にありがとうございます!!
そして本作を読んでくださっている皆様、本当に本当にありがとうございます!!!

更新間隔が空いたり、後書きで愚痴をこぼしたりと不安定な作者ではありますが、今後も頑張って続けていきますのでよろしくお願いいたします!

ではでは!


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第十七話:言うまでもなく、彼らの優しさはそこにある

メリークリスマス!

17話です。よろしくお願いします。


 キリトに連れられ、夕食へと向かう。

 場所は黒猫団とひと悶着あったときにも利用した《風々亭》らしい。

 そういえば、最後にアスナと話したのもあの店だったな。

 

 正直なところ、アスナに会うのは気が重い。

 あの日、面と向かって嫌悪感を表されてから、アスナとは一度も話していない。顔を見るのも嫌らしく、そういうときはプロのボッチたる俺の方が遠慮して席を離れるまである。というか、ユキノにしろアスナにしろ、どうして美人はああも目力があるんだろうな。

 

 前を歩くキリトは時々ちらっと振り返りこそするものの話しかけてはこない。

 以前は攻略に関する情報の交換やどこそこの料理が美味いだのという話をとりとめもなくしたものだが、黒猫団の一件以来なんとなく気まずくて話が続かない。そうなるとお互いにコミュニケーションスキルの低い俺たちの間からは自然と会話がなくなる。

 

 今も二人でというよりは、一人と一人で歩いているという距離間。

 だからこそ、静かな分、頭の中ではずっと同じことばかり考えていた。

 

 よぎるのは《軍》のことだ。もう何度この問答をしたかわからない。

 

 ユキノが《アインクラッド解放軍》に入った場合、起きうる問題はなんだ。

 

 攻略組の戦力が落ちることか。

 いや、ユキノの参入で《軍》の協力が得られるなら、全体としての戦力は寧ろ強化される。指揮系統の統一がし辛いという弊害はあるが、それは今までも同じだった。

 

 ならユキノとキリトとアスナの三人がパーティーを組めなくなることだろうか。

 確かにユキノたち三人のパーティーは攻略組でもトップクラスの戦力だった。だが同時に戦力の一極集中状態になっていたことも事実だ。これでパワーバランスが改善され、より効率の良い攻略に繋がる可能性は大いにある。

 

 なら、何が問題だ。

 ユキノが攻略組を離れて《軍》へ行くことに何の問題がある。

 

 いや待て、そもそもなぜ問題を探そうとしている。

 寧ろ問題を見つけようとしているという問題こそが問題になっていてつまりパルスのファルシのルシがパージでコクーン……。

 

 真剣に考えてもふざけて考えても、答えなど出なかった。

 俺は天蓋を見上げて深いため息を吐く。

 問題もわからないのに、答えなど出るはずもない。

 

 つまるところ、それは前提条件となる『理由』がないからだ。

 動くだけの、行動を起こすだけの理由が。その問題を問題として捉える理由が。

 

 起因となる理由がないから、問題が成立しない。

 今回の件についてはユキノが《軍》に参謀として入ることでほぼ決まってしまった。あちらの方が確実性が高い上策だといえる。そもそも《軍》側から提案してきたことだしな。

 

 なら、俺の出番はない。

 だから、《軍》絡みでユキノと対立する理由はもうないのだ。

 

 だというのに、何かしなければという焦燥感だけはある。このままでいいのかとそればかりを問うている。

 そして、その度に自分をことごとく論破し、また問題提起がなされ、またそれを論破しを繰り返している。

 まったく難儀な性格だ。中途半端に知恵が回るというのも考えものである。

 

 しかし、これまでは、たいていの問題をなんとかこれで解決してきたのだ。

 そもそも悩みを相談するような相手もいなかったし、いたところで相談はしなかっただろう。

 

 人は自分に手が出せる範囲、支えられる範囲にまでしか寄りかかってはいけない。

 限界を超えて寄りかかれば共倒れになる。例えるならフレンド登録をした程度の薄い付き合いで一緒に最前線の攻略に乗り出すようなものだ。

 

 その論法でいくと俺は頼れる範囲がすごく狭い。

 うまく誰かの支えになることができない以上、支えてもらうわけにはいかない。

 共倒れになってしまったら、俺に手を差し伸べてくれた人の優しさを踏みにじることになる。俺を頼ってくれた人の信頼を踏みにじることになる。

 

 ボッチは他人に迷惑をかけないように生きるのが信条だ。誰かの重荷にならないことが矜持だ。

 故に、自分自身でたいていのことはなんとかできるのが俺の誇りだ。

 だから、誰も頼りにしないし、誰にも頼られない。

 

 ただひとつの例外といえる『家族』は、SAO(ここ)にはいないのだから。

 

 また小さくため息を吐いていると、目的の場所が見えてくる。

 《風々亭》の立て看板が置かれた軒先には、後ろで手を組んで立つアスナの姿があった。「アスナ」と声を掛けながら駆け寄るキリトに、その相貌がパッと華やぐ。

 

「キリトく……」

 

 答えかけて、アスナの笑顔が凍り付いた。視線はキリトから、その後ろの俺に向けられている。見る間に笑みは消え、眼差しは怪訝に細められていく。

 

「えっと、来る途中でばったり会ったんだ。それでどうせならハチの意見もと思って連れて来たんだけど……」

 

 アスナの表情が変わったのを見たキリトがすぐに口を開くが、アスナの目は鋭いままこちらを射抜いていた。キリトを見た瞬間の和やかさは欠片も残っていない。

 

 どうして来たのかと問うような眼差しだった。

 敵意や憎悪とまではいかないが、少なくとも歓迎されていないことはわかる。

 

 やっぱり来るべきじゃなかったな。誘ってくれたキリトには悪いが、ここは大人しく去るのが正解か。

 

「やっぱ帰るわ。じゃあな」

 

 言って振り返り、元来た道を帰ろうと足を踏み出す。

 しかし――。

 

「待って」

 

 透き通るような声に呼び止められて、仕方なく振り向いた。

 アスナは鋭い眼差しのまま僅かに逡巡すると、やがて小さく息を吐き、拗ねたような表情になって目を逸らした。

 

「今の態度は失礼だったから、だからごめんなさい」

 

 アスナは一度頭を下げ、それから真剣な顔になって続けた。

 

「虫がいい話なのはわかってるわ。けど、なりふり構ってられないの。ユキノさんのこと、相談に乗ってください」

 

 そして、アスナは再び頭を下げた。その横にキリトが並ぶ。

 

「俺からも頼むよ。っていうか、そのためにハチにも来てもらったんだしな」

 

 キリトも真剣な目でそう言った。

 

 というか、え、なんなのこいつら。いつになく殊勝な上に本気のお願いとか、ユキノのやつどんだけ愛されてんだよ。アスナに関しちゃ「お姉さま!」とか言い出しかねない雰囲気があるぞ。ゆるゆりはともかく、ガチ百合は勘弁だっての。

 

 ――なんてふざけて誤魔化すわけにもいかず。

 

「あー、なんだ、その…………わかった」

 

 二人の呆れたような笑みが妙に懐かしく感じられた。

 

 

 

 × × × 

 

 

 

 食事中は誰も何も話さなかった。

 それこそ重力が三倍になったんじゃないかってくらいに重苦しい雰囲気の中、どうにか皿を空にして、よくわからない味の紅茶を飲み下す。

 

 キリトも緊張した面持ちで自分の分を食べ終え、カップを口元に運んでいる。時折チラッとアスナに目を向けるが、声を出すことはしなかった。

 

 そして、この場で唯一アスナだけは平然と食事をしていた。

 少なくとも表情はふつうで、何かを気にするような素振りも見せない。マイペースにナイフとフォークを操ってアップルパイを平らげ、両手を合わせて「ごちそうさまでした」と呟く。

 それからカップを手に取って中身を一口飲むと、静かに置いて口を開いた。

 

「ハチくんは、ユキノさんが《軍》に入ること、どう思ってるの?」

 

 まっすぐな問いかけだった。言葉も姿勢も眼差しも、誤魔化すことを許さないとばかりな直球で、思わずたじろいでしまう。

 

 一度紅茶で唇を湿らせる。カップを置き、アスナとキリトを交互に見やって答えた。

 

「どう思うも何も、あいつの言った通りだろ。ユキノが《軍》に入れば連中が妙なことしないように見張れるし、効率もよくなる。それにキバオウから言ってきたことだ。《軍》から文句を言われることも……」

「そういうこと聞いてるんじゃない」

 

 けれど切り捨てるような声に遮られ、閉口する。

 

「私はハチくん自身の考えを聞いてるの。理屈ならこうとか、効率がいいからとか、そんなことは聞いてない」

 

 ジトーッと据わった目で睨まれる。姿勢の良いやつに凄まれると迫力がヤバイ。というか、アスナさん、怖いです。

 言葉に詰まって目を逸らすと、アスナはふんっと鼻を鳴らした。

 

「私は、ユキノさんが《軍》に入るのには反対」

 

 きっぱりとそう言って、アスナはティーカップを口元に運ぶ。眉根を寄せた表情のまま一口呷り、けれど音は立てずにカップをテーブルへ置いた。

 

 どうやら相当ご立腹らしい。ただ口調も声音も尖ってるのに、動作の端々に育ちの良さが見えるのはどこかの誰かと一緒だな。

 

「だいたい、どうしてユキノさんが悪いみたいな雰囲気になってるのよ。ここまでずっと攻略組を引っ張ってきたのはユキノさんでしょ。ユキノさんがまとめてくれたからこんなに早く25層まで来られたのに。それに《ALS》のことだって、ユキノさんが責められるのは絶対おかしいと思う」

 

 つらつらと文句を重ねるアスナ。その表情や姿勢は変わっていないが、なんとなく不機嫌になってむくれたときの小町と雰囲気が似ているように思えた。

 

 自然と口元に笑みが浮かぶ。小町のことを思い出したせいかもしれない。

 ふと見ると、キリトも何やら笑みを浮かべていて、目が合った俺たちはそれでまた小さく笑った。

 

「どうしてそこで笑うのよ」

 

 目敏く気付いたアスナがジト目で口を尖らせる。すかさず紅茶を口元に運んで逃げれば、アスナの目はキリトへ向き、キリトはたじたじになって口を開いた。

 

「あ、いや、俺もキバオウたちの主張は筋が通ってないと思う。ギルドの方針を優先して協調性を欠いたのは《ALS》の方だ。ユキノさんの責任だっていうのはお門違いだし、たぶん、攻略組のほとんどは同じ考えじゃないかな」

 

 キリトが苦笑いを浮かべてそう言うと、アスナはバツが悪そうに目を逸らした。よく見れば少し顔が赤くなっている。八つ当たりっぽくなってることに気づいて恥ずかしくなっちゃったのかね。

 

「……じゃあ、どうしてこんなことになってるのよ」

 

 ぽつりと零れたその疑問は、きっとアスナの本音なのだろう。

 

「ユキノさんは何も悪くない。それはみんなわかってるのに、どうしてユキノさんだけが《軍》に入らなきゃいけないの。どうしてあんな自分勝手な人たちの思い通りにされなくちゃいけないの。……どうして、誰も止めようとしないの」

 

 アスナは言いながら俯き、口を引き結んだ。

 

「アスナ……」

 

 呟いたキリトがこちらへ振り向く。

 

「ハチはなんか思いつかないか。何か別の解決策とか、ユキノさんを説得するにはどうしたらいいとか」

 

 言いたいことはわかる。わかるが。

 

「現状考え得る手段としては、あいつの言った手が一番確実で効率がいいし、《軍》も納得する。他の手を考えようにも、あれ以上の策はない。それに、説得してやめるようなやつじゃないだろ」

 

 言うと、キリトもアスナも怪訝そうな顔になった。

 

「ハチくんは、ユキノさんが《軍》に入っちゃってもいいと思ってるの?」

「……あいつが自分で決めたことだからな。反対も何もないだろ」

 

 なんせもう答えは出ているのだ。

 キバオウからの申し出に、ユキノが応えた。その時点で既に解は出ている。

 なら、俺が反対する理由も、否定する権利もない。

 

 だというのに、アスナは納得しない。

 

「じゃあ、どうしてハチくんはあんなこと言ったのよ」

「あんなこと? 何の話だよ」

「会議室で言ってたじゃない。《軍》の要求なんて無視して攻略を進める手もあるって。そのために、また一人で偵察戦に行こうとしてたんでしょ」

 

 「バレバレだから」と鼻を鳴らすアスナ。俺の浅はかな思惑なぞお見通しらしい。

 

 まあ、何度かやってるし、なんなら一回死にかけたくらいだからなぁ。あのときはユキノとキリトとアスナと、三人に寄ってたかって怒鳴られて大変だった。

 特にユキノはえらい剣幕だった。青く燃える眼が、苛烈な冷たさを潜ませた声が、氷柱を喉に突きつけられたような迫力が、今でもまざまざと思い出せる。

 

 十九層のあの件以来、独りでの偵察戦は厳禁され、実際一度もやってないわけだが、未だに信用は得られていないらしい。当たり前か。俺自身も信用してないし、なんなら今日破りかけたわけだし。

 

 とはいえ、今それを考えてもしょうがない。

 アスナが聞いてるのはそういうことじゃない。

 

「その方が効率がいいと思ったから言っただけだ。けど、あいつが言ってたように、俺一人がちょっと働いた程度じゃ攻略組は動かないからな」

 

 現リーダーのユキノが動かないと言っている以上、人望も信用もない《マイナー》の俺なんかの言葉で動くわけがない。

 《軍》を出し抜いて攻略を進めることができないとなれば、考え得る最上の策はユキノの示したものだ。だとすれば、反対する理由はない。

 

「ハチは、それでいいのか」

「……いいもなにも、俺がどう思おうが関係ねぇだろ」

 

 キリトのまっすぐな問いかけに、つい目を逸らしてしまう。たぶん苦々しく思ったのが表情にまで出ていただろう。目は口程に物を言うらしいし、目を逸らして表情を歪めてるようじゃあ、どう思ってるかなんてのは一目瞭然だろう。ヤダ、ハチマン恥ずかしい!

 

 なんて頭の悪いことを考えていた、そのとき――。

 

「なんだ、やっぱりハチくんも同じなんじゃない」

 

 安堵したような声がアスナの口から漏れた。

 意外な言葉に思わず「はぁ?」と訊き返すと、アスナは得意げに笑みを浮かべた。

 

「理屈の上ならともかく、ハチくんだってほんとは嫌なんでしょ」

「理由なんてそれでいいだろ。どうしても理屈がないとダメってわけじゃないんだからさ」

 

 キリトも笑ってそう続ける。って、いやいや、そんな私情だけでどうこう言うとか、おかしいでしょ。おかしくないの? え、俺だけ?

 

「いや、けど」

「けど、じゃない。ほんと、ユキノさんもハチくんも、どうしてこんなに頑固なのかしら」

 

 反論しようと言いかけた言葉を遮られ、挙句ため息まで吐かれてしまう。

 

「アスナがそれを言うのかー」

 

 しかし当のアスナもキリトにしみじみとそう言われて真っ赤になる。キッと隣へ睨みを利かせた後、それまでよりも一回り大きな声で続けた。

 

「とにかく! 私もキリトくんも、ハチくんと一緒なの。ユキノさんが攻略のため、攻略組のために《軍》に行くのが嫌。自分が行けば丸く収まるなんて思わせない。ユキノさんがそれでも構わないって言っても譲る気はない」

 

 嫌だから、と。それはいっそ清々しいまでの感情論で。

 けれど確固とした意志を感じさせる表情だった。

 いうなれば過程を飛ばして最善の結論を出そうとするように。

 

 言い切ったアスナは「それに」と付け加え、

 

「本当はユキノさんだけに言いたいことじゃないけど」

 

 そう言って、じーっと上目遣いに睨んできた。ナ、ナンノコトカナー。

 

「アハハ……。でも、そうだな」

 

 一方で、キリトは乾いた笑いを漏らし、それから表情を改め言葉を続けた。

 

「もし、ハチがそれで納得できないっていうならさ、俺たちに、俺とアスナに協力してくれないか」

 

 それはきっと、キリトが俺にくれた一つの答えだ。

 

 たぶんそう言われなければ動き出せない。

 どこかでずっと理由を探していた。

 俺があいつを、あいつの居場所を守ってもいい理由を。

 

「…………なんで俺に言うんだよ。他にもいるだろ。エギルとかクラインとか」

 

 性懲りもなく卑屈に言い訳を続ける俺に、キリトは呆れたような笑みを浮かべた。軽くため息を吐き、そんなこともわからないのかと問うように言う。

 

「なんでって、そりゃあ、友達だからな」

 

 一瞬、意味が解らず呆ける。

 キリトはその間にニッと笑い、拳を突き出してきた。

 しばらく顔と手を交互に見て、ようやく意味を呑み込んだ俺は、鳩尾のむず痒さを堪えて右手を持ち上げる。

 

「……そういうことならしょうがねぇな」

 

 素直じゃないなー、と言うキリトと拳を合わせる。

 隣ではアスナも「ほんと、ハチくんってめんどくさいんだから」と呟いていた。

 

 

 

 

 

 

 それから、キリトとアスナはさっそく打開策を話し合い始めた。

 俺は二人の声を耳に入れつつ、カップの底へ目を落とす。

 

 理由も、問題もちゃんと手にした。

 

 ユキノの真意はわからないままだ。だから未だ何も言うことができない。

 ただ、そのやり方を理解することはできた。それは俺のやり方に似ていたからだ。

 

 かつての俺のやり方はけして犠牲なんかではない。まちがってなどいない。

 数少ない手札を切り、効率化を極め、最善を尽くした。その結果、得たものが確かにある。

 

 だから、俺の主観においては、これは完璧だと言える。

 しかし、客観が存在した場合、その完璧性は崩れる。

 

 憐れみや同情の視線によって、それは陳腐なナルシシズムにさえ映ってしまう。

 憐れみと同情は他者を貶める感情だ。自己憐憫は己を卑下する行動だ。どちらも唾棄すべきものであり、まったくもって醜悪だ。

 

 だが、憐れみと同情以外の客観性もおそらくは存在し得る。

 目の前でまざまざと見せつけられ、言い当てられて、初めて自覚した。

 

 ――ただ傷ついてほしくない。

 

 その感情は憐れみや同情とは別のものだろう。

 だから、彼女の行動を犠牲とは絶対に呼ばない、呼ばせてはならない。

 

 ユキノを《軍》に行かせないために。

 比企谷八幡にできることは、なんだ。

 

 

 




以上、17話でした。

おそらく年内の更新はこれで最後となります。
よいお年を!


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第十八話:比企谷八幡にできることは――

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

2019年一発目の投稿です。が、自分でも驚くほどに話が進まない。どうしてこうなった……。

ともかく、18話です。





 

 

 

 キリト、アスナの二人と《風々亭》に来てから早二時間。

 ああでもないこうでもないと侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論を続ける二人の傍らでずっと考えていた。

 

 比企谷八幡にできることは、なんだ。

 それが全然なくて結構本気でビビっている。あ、あれー? おかしいな……。なんかさっきまではなんでもできそうな気がしてたんだけど……。

 

 考えてみれば、そもそも今の俺のポジションでは取れる選択肢自体が少ない。

 

 例えば、ユキノの代役を立てて《軍》に売り込むとか。《軍》の戦力となることができ、同時に連中の暴走を抑えられ、尚且つ攻略組にも繋がりのあるプレイヤーを見つけられれば、あとは誇張に脚色を加えて売り込むことができるかもしれない。

 だがそんな優秀で都合の良いプレイヤーがいるわけもなく、仮にいたとしても替え玉なぞユキノを納得させられるはずがないので却下。

 

 あるいは《軍》の設立自体を妨害する。キバオウには話が通じないとしても、流れに乗っただけの取り巻きを説き伏せてしまえば《軍》の結成を阻止できるのではないか。

 そう考えはしたものの、そもそも俺は《マイナー》と呼ばれるユキノ以上の憎まれっ子だ。そんなやつが説得に回ったところで余計な反感を買うだけだろう。

 

 すでに手元の紅茶は三杯目となり、それも間もなく尽きようとしている。これがドリンクバーなら遠慮なくおかわりするとこだが、ここは千葉の高校生の聖地サイゼリヤじゃない。追加で注文をすれば金がかかるし、この店の価格帯は決して安くない。

 何が言いたいかというと、もう頭も体もついでにお財布も疲れたよパトラッシュ。

 

「――はぁ。もういっそ、俺たち全員ユキノさんと一緒に《軍》に入ったらいいんじゃないか? それなら《攻略組》から《軍》に旗が変わるだけで、今とほとんど同じだと思うけど」

 

 キリトも疲れたような顔で息を吐く。ついでにと投げ出された案は一見妙案のように思えなくもない。しかし――。

 

「キリトくんはあの(・・)キバオウさんに背中を預けられるの?」

「…………後ろが気になって前が疎かになるな。一人の方がまだマシだ」

 

 アスナの身も蓋もない言葉に深く頷くキリト。ハチマンも禿同です。

 ほんと、キバオウの信用できなさっぷりはヤバイ。顔を見るたびにトンデモ発言を警戒するレベル。むしろ一周回って期待してるまである。いや、やっぱり迷惑だな。カエレ!

 

 実際、『みんなまとめて《軍》に入っちゃえ!』論は危うい。キバオウが幹部ポジションにいるのもさることながら、反ユキノ派のギルドが中心となるということは、ユキノがこれまで敷いていた効率重視のやり方がとれない可能性が高いのだ。

 

 俺やユキノ、キリトにアスナといったギルドに所属していないプレイヤーは、当然のことながら装備や育成など諸々自由だ。言い換えればそれは、攻略で得たアイテムや経験値や金といったリソースを、すべて自分のために利用できるということでもある。

 

 だがギルドに入るとなると、それらの収入の一部はギルドのために使われる。ギルドメンバーの育成に協力する場面なんかも出てくるだろう。育成方針をメンバー構成に合わせて調整する必要が出てくるかもしれない。そうなると、どうしても個々のプレイヤーの育成効率は落ちる。

 

 メンバーにどれだけの貢献を求めるかはギルドによって違うが、《軍》は効率重視の攻略に反発した連中が集まって出来たギルドだ。メンバー全員の足並みを揃えようとした《ALS》ほど極端にはならないだろうが、これまでのように自分勝手なレベリングや攻略はまずできなくなるだろう。

 

 あれこれ制約をかけられ、稼ぎを徴収された上で、キバオウの下に就く。

 考えただけでもゾッとする。むしろゾゾっとした上にタウンへ繰り出して服や靴なんかの装備をポチるまである。そろそろ《腕装備》更新しなくちゃなー。

 

「うーん、これっていうわかりやすい考えは浮かばないな。ユキノさんが《軍》の申し出に反対してくれてたら動きやすかったんだけど」

 

 キリトが背もたれに寄りかかって腕を組む。

 今キリトが言ったとおり、厄介なのはユキノが《軍》の提案を受け入れてしまっている点だ。

 

 仮にユキノが《軍》への参入を拒否、あるいは保留にしていたなら、いくらかやり方はあっただろう。連中が本格的に攻略へ乗り出す前に戦力を強化することも、ユキノという御旗があれば可能だっただろうし、戦力面でも戦略面でも《軍》はさほど脅威になり得なかった。

 中層のプレイヤーが攻略組と《軍》の両方から勧誘を受けた場合、《軍》を選ぶ可能性は低かっただろう。

 

 だがユキノは《軍》へ入ると明言してしまった。それはあの会議の場にいた全員が知っている。そして《軍》側はこれを大々的に宣伝していくに違いない。

 

 ユキノが抜けることで攻略組の戦力が低下するのは明らかだ。また彼女を慕って付いてきたプレイヤーも少なからずいる。全員が《軍》へ流れるとは考えづらいが、全員が攻略組に残るとも考えづらい。

 

 指揮統率という観点からも弊害は出てくる。

 これまではどこのギルドにも所属していないユキノだったからこそ、《DKB》や《ALS》といったギルドの人間とも対等でいられた。

 だがユキノに代わるリーダーがリンドのようにどこかのギルドに所属しているとなれば、どうしたって平等性は損なわれる。少なくとも他のギルドの人間からの色眼鏡をゼロにすることはできない。

 

 パッと思い付く限りでも、ユキノの《軍》参入宣言はこれだけの影響を及ぼすのだ。

 

 ユキノの言質をとった《軍》はより大きな宣伝効果を得て勢力を拡大し、

 ユキノを失うと知った《攻略組》は綻びが広がって勢力を減退させる。

 

 この流れを止めるのは簡単じゃない。噂は勝手に広まるのが常だ。誰もが都合よく解釈して、いつの間にか既成事実となって現実を押し固めていく。現実とは違う仮想空間の《SAO(ここ)》でも、人間の思想や行動は変わらない。

 

 まあ、なにより厄介なのはユキノ本人だけどな。めちゃくちゃ頑固で負けず嫌いだし。一度やると決めたら倒れてでもやり抜くのが雪ノ下雪乃だ。《軍》をどうこうするより、ユキノを説得する方が骨が折れるだろう。

 

 どうしたものかしらんと途方にくれていると、不意にアスナが顔を上げた。

 

「ねぇ、ひとつ気になったんだけど、これって攻略組全体に関わることよね。私たちだけで勝手に動いちゃっていいのかしら?」

「あ……」「確かに……」

 

 至極まっとうな御意見に思わずウンウンと頷く。そんな動きが隣のキリトと見事にシンクロし、アスナは呆れ半分の笑みを浮かべた。

 

「もう。とりあえず《DKB》のリンドさんだけには話しておかないと。向こうもユキノさんが《軍》に入るつもりで動き始めてるでしょうし」

 

 これまたごもっともな意見だ。こういう自然に周囲を気遣う発想は俺やキリトといったボッチからは出てきにくいからとても助かる。やはりアスナのように社交性の高い美人は違うな。

 

 アスナの常識的な発言に触発されてか、キリトの口からもすらすらと言葉が出始める。

 

「なら、報告ついでに意見を聞いてみたらいいんじゃないか? リンドだって《軍》の設立には何か思うところがあるかもしれない」

「キバオウと一番張り合ってたのはリンドだったしな」

「それなら、リンドさんだけじゃなくて他の人にも声を掛けましょう。エギルさんなら、きっと参加してくれるんじゃないかしら」

「クラインも呼んでみるよ。一応、あいつも《風林火山》のリーダーだしな」

 

 リンドは攻略組随一の勢力を持つ《DKB》のリーダーで、第一層から最前線で戦い続けるトッププレイヤーの一人だ。

 

 エギルは有力プレイヤーの一人でありながら雑貨商も兼務しており、商人ギルドや生産ギルドとの繋がりも強い。

 

 クラインは小規模ギルド《風林火山》のリーダーで、戸部に似たお調子者だが、キリト曰く義理堅いやつらしい。

 

 三人とも《ALS》の一件以来、攻略組の立て直しに奔走していた。だからというわけじゃないが、アスナやキリトが薦めるまでもなく、異論はない。

 

 うんうんと満足げに頷いた後、アスナはちらっとこちらに目を向ける。

 

「ハチくんは誰か呼んだ方がいいと思う人、いる?」

「お前、ボッチの俺になんてことを」

 

 交友関係がないことを揶揄する高度な嫌味ですかそうですか。

 なんて思った矢先、一人の顔が思い浮かんだ。

 

「あっ…………いや、でもアイツはなぁ」

「誰? 私も知ってる人?」

「まあ、そうだな。けど、アイツを呼ぶとなぁ。リスクが高いというか、弱みを握られるというか……」

 

 頼りにはなる、と思う。頭の回転も良ければ能力もあり、ユキノの性格についても知らないわけじゃない。俺自身もそれなりに付き合いがあり、なんならフレンドリストにも名前が載っている。

 けれど、アイツの場合は頼りになる以上に厄介でもある。主に性格とか性分とか。事あるごとに猫なで声で擦り寄ってきては無理難題を吹っかけるのはやめろください。

 

 俺が遠い目をしていると、キリトは大体想像がついたらしく深々と頷いた。

 

「あー、なるほど。確かにアイツは……」

「もう、もったいぶらないで教えなさいよ」

 

 会えばわかると、頬を膨らませたアスナを宥めてその場は解散の運びとなった。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 翌日の正午。

 少し背の低い円形テーブルを囲むように、7人のプレイヤーが腰かけていた。

 

 場所は22層の森の中。フィールドに敵mobが出現しないこの層には、圏内圏外に関わらずNPCの家や店が点在している。

 今いる店もその一つで、周囲を木々に囲まれた隠れ家風のロッジだ。主要な道から外れたところにあり、マップにも載っていないため密談をするにはもってこいの店だとか。

 内装も木材のみを使用した落ち着いた雰囲気で、なんということでしょう、今座っているテーブルも大木の幹をそのまま利用した趣深い造りなのです。

 

 円卓に着いているのはキリトにアスナ、リンド、エギル、クラインとおまけに俺。

 

 そしてもう一人。

 昨日、会談の話を持ちかけたときこの店を勧めてきた張本人であり、今もシリアスな雰囲気の中で唯一スイーツを頬張るオヒゲがトレードマークの小柄な女。ギルド《FBI》のリーダーを務め、自身もアインクラッド有数の情報屋を営むその女の名は――。

 

「あの、アルゴさん? そろそろ話を始めたいんですけど」

「むぐむぐ。んぐっ。――あーごめんごめん。オレっちのことは気にせず始めてもらっていいゾ、アーちゃん」

 

 おまっ、ふざけんなよ。アスナのやつ、キレる寸前じゃねぇか。ヤメテヨネー。後で当たられるのはお前を呼んだ俺なんだからさー。

 

 アスナはアルゴの煽りに耐性がないようでしばらく怒りに震えていたが、やがて状況を思い出したのか大きく咳払いをした。

 

「――んんっ。それじゃあ、始めたいと思います」

 

 その一言でグダグダに弛緩していた空気が引き締まる。

 

「まずはリンドさん、エギルさん、クラインさん、そしてアルゴさん、急な呼び出しに応じてくださってありがとうございます」

 

 アスナとキリトに並んで俺も頭を下げる。

 それに対してエギルとクラインが友好的に、リンドは事務的に、アルゴはニヤニヤと笑みを浮かべながら応じた。

 

「それで、このメンバーを集めた理由はなんなんだ? てっきり攻略組の今後についてだと思っていたんだが、ユキノさんがいないのはなぜだ? それもこんなところで……」

 

 リンドが早速とばかりに訊ねてくる。疑問の方はごもっともで、こんな秘密の会談めいた場所に呼び出されたことに困惑するのもわかる。もし俺がこいつの立場なら、森に誘われた時点で逃げだしたかもしれない。

 エギルやクラインも心境はともかく、疑問としては同じなようだ。アルゴだけは相変わらず笑っていて何を考えているかわからない。

 

 アスナはリンドの問いに真剣な顔で答えた。

 

「攻略組の今後に関わるというのはそのとおりです。ただ、私やキリトくん、ハチくんは、ユキノさんの出した結論とは違う解決方法を模索しています」

「別の解決方法……。具体的には?」

 

 リンドの反問にも、アスナは躊躇うことはない。

 

「私たちは、ユキノさんが《軍》へ入ることに反対します」

 

 三人は心底驚いたようだった。アルゴでさえ「へぇー」と声を漏らしていたほどだ。

 目を丸くする彼らにアスナが続ける。

 

「ユキノさんが《軍》に入ることなく、かつ《軍》との決裂も避けられ、アインクラッドの攻略も続けられる。そんな方法を考え、実行していきます」

 

 そこまで言い切り、アスナは息を吐いて紅茶を一口飲んだ。

 釣られてクラインがカップを口に運ぶ。エギルは大きくため息を吐いて腕を組み、リンドは顎に手を当てて視線を落とした。アルゴはまたしてもスイーツを口に運びだす。

 

 その後、最初に沈黙を破ったのはクラインだった。コーヒーの入ったカップを置き、恐る恐るといった感じで口を開く。

 

「そりゃあ、アスナさんが言うみたいにできりゃいいけどよ。今さらそんな都合よくいくとはおりゃあちょっと……。《軍》の連中も黙っちゃいないんじゃねぇか」

 

 なるほど。心情としては賛成するが、成功するとは思えないって感じか。

 

 自信なさげなクラインに対し、アスナは強気な姿勢で答える。

 

「できます。必ず何か方法があるはずです。そもそも《軍》の言い分は一方的で、裏を取る時間もなかったんですから。情報を精査して、突破口を見つけられれば絶対に――」

「だが、ユキノさんは結論を出しただろう。リーダーの決定には従うべきじゃないのか。第一、それでユキノさんを説得できたとして、キバオウさんや《軍》の人たちが納得するとは到底思えない」

 

 アスナの持論に、リンドが待ったをかける。

 明確な事実と常識。加えてキバオウら《軍》の反応も簡単に想像がつくもので、それ故に説得力のある反論だった。

 

「でも、ユキノさんがあの場で話を受けたのは、そうしないと《軍》が抑えられないからでしょ。攻略組のためにユキノさんが自分を犠牲にするなんて、そんなの私……!」

「それも覚悟の上だったんだろうさ」

 

 賛同が得られず感情的になるアスナを、落ち着いた響きのバリトンが諫めた。

 

「ユキノも《軍》が自分を利用しようとしてることくらい気付いてるだろう。主義主張の違う集団に取り込まれて苦しい思いをする予想もついてるはずだ。その上で、彼女は《軍》に入ることを決めたんじゃないのか。攻略組と《軍》が共存できる道を残すために」

 

 エギルの諭すような言葉に、ヒートアップしていたアスナも悔しげに息を吐く。

 

 アスナもわかってはいるのだろう。

 

 俺たちが思いつくことを、あのユキノが失念するはずがない。《軍》に行けばどういう扱いを受けるか。想像しなかったはずがない。

 それでも敢えて《軍》の提案を呑んだのは、それが思いつく限りで最良の手段だったからだ。キバオウらの暴走を抑え、攻略組と《軍》が協力して攻略に挑むために、ユキノは最も効率が良い手段を選んだ。

 たとえ、それで自分がつらい思いをすることになるとしても。

 

「《軍》と協力して攻略を続けるのが最善だとユキノさんは言った。後を託された身として、俺はその想いを叶えたい」

 

 リンドが決意に溢れた言葉を口にする。

 

「ユキノさんのことは俺だって悔しいさ。けどよ、だからって攻略っつー本来の目的を忘れっちまったら、それこそユキノさんの行動が無駄になっちまうんじゃねえか」

 

 クラインは心情を酌みつつも、現実的かつ建設的な意見を言った。

 

「そうかもしれないけど……。でも、私は……」

 

 三人に諭されて、アスナはすっかり肩を落とした。

 

 論理的に考えて、反論の余地はない。エギルやクライン、リンドの言葉の方が筋が通ってる。憂慮や悔しさこそあるものの、それはユキノ本人の選択を覆すべきものじゃない。

 

 だから、アスナの想いは通じない。

 理屈の伴わない感情だけでは彼らを動かすことができない。

 

 このまま誰も何も言わなければ話はそれで終わりだ。

 ユキノは《軍》に入り、攻略組は戦力を減らしつつ、それでも《軍》と共同で攻略を続けるだろう。形の上ではそれで丸く収まるようにも見える。

 

 けど、それは欺瞞だ。

 誰かに犠牲を押し付けて、正論で押し固めて、見て見ぬふりをしているだけだ。

 

 キリトからの依頼は、二人に協力することだった。

 それはつまり、ユキノの《軍》参入を「嫌」と言い切ったアスナの願いを叶えることだ。

 

 アスナの『想い』では動かなかった。『想い』だけでは動かせなかった。

 ならば。

 感情だけで動かないのなら、理屈を加えればいい。

 情に訴えるでもなく、泣き落とすでもなく、理性に働きかければいい。

 動くだけの理由を、そうするだけのメリットを提示して、協力者を集めればいい。

 

 ユキノが《軍》に入ることなく、《軍》との決裂もなく、攻略を続けていける。

 そんなアスナの願いを叶えるために。

 

「なあ、お前らさっきからなにかっこいいこと言っちゃってんの?」

 

 比企谷八幡にできることをしてみようか。

 

 

 




本当にどうしてこんなに話が進まないのやら……。

まだまだ掛かりそうな2章ですが、今後ともよろしくお付き合いください。


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第十九話:つつがなく、会議は踊り、もはや戻らず

お久しぶりです。
殺人的な仕事の忙しさで遅くなってしまいました。

19話です。よろしくお願いします。


 

 

 

「なあ、お前らさっきからなにかっこいいこと言っちゃってんの?」

 

 しんみりとした、なんなら映画のお涙頂戴シーンにも似た空気が一瞬で霧散した。

 エギルは冷たい視線を寄越してくるし、クラインはドン引きだし、リンドに至っては完全に睨んでいる。アスナもお怒りの表情で、キリトは呆れ顔。アルゴはなぜか大爆笑だ。

 

 掴みは上々。あとはこの色々と台無しな雰囲気をどうにかすればいい。

 

 そもそもの話、俺たちは意見を聞くためにこいつらを呼んだのだ。

「ユキノの決定に反発するけど、なにか言いたいことある?」と挑みに来たのだ。

 

 すでに決まった話をどうにかしようとしてる時点で反対されるのはわかっていた。

 それもリンドはともかく、エギルやクラインは見ての通りの大人。常識的な反応が返ってくるのは予想ができた。

 

 最初から反対されるのはわかっていたのだ。

 なら、その上で説得するための策を用意しておく必要があった。

 

 キリトやアスナはピュアピュアだから言葉を尽くせば説得できると思ってたのかもしれない。逆に説き伏せられちゃってることからも二人の純粋さはよく窺える。

 けれど、俺は違う。常に相手の言葉の裏を読んでしまうくらいには意地が悪いし、根拠もなしに他人を説得できると思えるほど人ができちゃいない。

 

 協力すると決めた以上、二人にできない部分を補うのは俺の役目だろう。なにせSAOに来てからは天下に名前を轟かせる日陰者だ。陽の当たる彼らにはできないことでも、俺にはできる場合がある。まあ、できて当然のことができない場合も多いんだけど。

 

 正面から挑むアスナのやり方は通用しなかった。

 なら、取るべきは搦め手。感情ではなく、理性に訴えるやり方だ。

 

 ユキノを引き留めることによって得られるメリットを提示し、それが継続するシステムを提案する。目に見える実益が出るとなれば説得力も増すはずだ。

 《軍》とは対立するかもしれないが、それで起きる面倒や損失を越えるメリットがあれば協力を取り付けることもできるだろう。リスクとリターンを考える大人なら尚更だ。

 

 だから俺は事務的に、淡々と、あくまで実益だけを提示すればいい。

 

「ご大層な決心固めてるみたいだが、いいのか? ユキノが《軍》に入っちまったら、攻略組はすぐになくなっちまうぞ?」

 

 口元を意地の悪い笑みで歪ませる。意図せずとも勝手にそうなる。その表情のまま、一同をぐるりと見渡した。

 ネガティブだった反応が困惑に変わった。キリトとアスナも眉を(しか)めている。アルゴだけは相変わらずのニヤニヤ笑いだが、こいつのこれはいつものことだし放っておこう。

 

「ったく、お前は……。まあいい。それで、どうして攻略組がなくなるってんだ?」

 

 エギルが呆れたようにため息を吐いた。さっきまでの冷たい眼差しは消えている。

 強面エギルからの威圧感が薄れたことに内心でほっとしつつ、答えた。

 

「単純な話だ。あいつを渡したら、《軍》の方が多数派になるんだよ」

 

 そう言ったのを皮切りに全員が真剣な目を向けてくる。

 

「現時点なら、攻略組は《軍》よりも上だ。人数もレベルも装備も、おまけにリーダーの能力も劣る要素がない。だがユキノが《軍》に入ったと仮定すると、状況はだいぶ変わる」

「……少なくとも作戦面や指揮能力では攻略組と同等以上になる、か」

「ユキノさん以上に作戦を立てるのが上手い人なんて思いつかないものね」

「悔しいが、確かにユキノさんよりも上手く攻略組全体を指揮できるとは思えない」

 

 俺が言ったことに対し、キリトとアスナ、そしてリンドが苦い表情を浮かべる。

 けど、そんなのはまだ序の口だ。

 

「いや、その見通しは甘過ぎるな」

「……どういうこと?」

 

 訝しむような眼差しを送ってくるアスナ。それ、おっかないからやめてもらえます?

 

「ユキノが《軍》に入れば、必然的に《軍》の戦力は上がる。アイツは戦闘能力も作戦立案能力も指揮統率力も優秀だからな。当然、ユキノを放出した攻略組の戦力はそれだけ落ちるだろう。と、ここまでは直接的な影響だ」

「直接的……。ということは、間接的な影響もあるってことか」

 

 キリトの呟きに頷いて答える。

 

「能力があってカリスマ性があって、おまけに見た目はSAOでも指折りだ。《FBI》の新聞にもスクショ付きで何度も取り上げられてる。ファンがいるのは間違いないだろう。《軍》が中層以下にプロモーションを掛けるとき、ユキノの参入は大きな宣伝材料になる」

 

 そう言ってすぐに反応を見せたのはアルゴだ。両手を頭の後ろに組んで背もたれに寄りかかり「なるほどナー」と長い息を吐く。

 

「確かにユッキーの記事は何度も出したナー。売れ行きも明らかに良かったはずだゾ」

「私も、ユキノさんに憧れてるっていう人、何人も知ってるわ」

 

 あなたも憧れちゃってますしね。「お姉さま!」とか言い出しそうだしね。

 

高嶺の花(アイドル)を加えたギルドが中層下層の隔てなく入団希望を受け入れるってんだ。志願者は山ほど出てくるだろう。攻略組の中にもアイツを慕ってるやつがいるかもしれないし、当然攻略組の戦力補強にも少なくない影響が出る」

「……ユキノが《軍》に行くことで人が集まり、結果攻略組の存続にも関わる、か。ありえないことじゃないな」

 

 エギルは腕を組み、顎に手を当てて呟いた。

 一同がうーんと黙り込む。と、しばらくしてクラインが身を乗り出してきた。

 

「なあ、一個訊きたいんだけどよ。もしハチが今言った通りだとして、じゃあユキノさんさえ引き留められりゃあ、全部解決すんのか?」

「クラインさんと同意見だ。というより、俺はユキノさんが残るだけじゃ駄目だと思う。それじゃあ今までとなにも変わらない。寧ろ《軍》との関係が悪化する分、もっと悪い状況になるんじゃないか?」

 

 ご名答。リンドの言う通り、ただユキノが残るだけじゃ意味がない。

 攻略組を今のまま、《軍》の動きを静観したままユキノを引き留めても、状況は悪くなる一方だ。攻略組の体質は変わらないまま、《軍》は中層以下のプレイヤーを取り込んで勢力を増すだろう。そもそも今説得したところでユキノが応じるわけがない。

 

「だから、攻略組の体制を変えるんだ」

 

 そう言うと、キリトが少し身を乗り出してきた。

 

「体制を変えるって、どんなふうに?」

「まず、《攻略組》っていう漠然とした枠組みを確固とした組織にする」

 

 瞬間、六人の目が揃って見開かれた。

 まるでありえないものでも見たように。失礼だな、おい。

 

「組織? それはまた、とてもハチのする発想とは思えないんだが……」

「ほんとに失礼だな。確かにボッチの俺が組織とか何言ってんだって話だが、ちゃんと理由があんだよ。言わせんな恥ずかしい」

 

 失礼なキリトを始め、未だ半信半疑な様子の六人へ説明する。

 

 これまで《攻略組》と呼ばれてきた集団は、SAO攻略の最前線で戦う数十人のプレイヤーを総称していただけだった。

 そのほとんど全員が戦闘に特化したプレイヤーであり、フロアボス攻略戦に参加する候補者たちの呼称でしかなかったわけだ。

 

 そういう経緯な所為か《攻略組》はプレイヤー間、ギルド間での交流が薄く、フィールドボスやフロアボスと戦う時ぐらいしか集まることすらなかった。無償での協力はもちろん、情報すらタダで提供することはない。

 なんてったって自分たち以外はライバルで、限られた資源(リソース)を奪い合う敵同士でもあるんだからな。効率の良い狩場を巡っての睨み合いなんて日常茶飯事だ。

 

 そんな《攻略組》がボス戦ではどうにかまとまってこれたのは、ユキノの手腕に依るところが大きい。

 

 あいつの指示に従っていれば、手柄はともかく安全かつ確実に戦えた。

 その事実によってユキノは長いことリーダーを任されていたのだ。

 

 だがそれは同時に、攻略に関するあらゆる不平不満を向けられることにも繋がっていた。

 良くも悪くも、リーダーに被せられる責任が大きすぎたのだ。

 

「だから責任が分散するよう、役割ごとにトップを立てる。で、そのトップたちが集まって《攻略組》全体の方針を決める会議を開くんだ」

 

 いうなれば役員会議みたいなものだ。

 合議制にすることで責任の分散が図れるし、対外的にも公平さをアピールできる。

 これまでのようなスピード感は損なわれるかもしれないが、一人当たりの負担はだいぶ軽減できるはずだ。

 

「責任の分散ね……。ハチくんらしい考え方だとは思うけど」

「それだけで本当に解決するのか?」

「しないだろうな」

 

 首を振って即答した。

 

「会議形式にするだけじゃあ《攻略組》のトップの首が増えるだけだ。少数の大ギルドが力を持つだけで、今までと状況は変わらない」

 

 訝しげだった一同の表情が引き締まる。

 自分で自分の考えを否定したことで、より強く興味を引くことができたようだ。

 

 少し身を乗り出して説明を続ける。

 

「SAOのシステム上、攻略で割を食わされるやつはどうしたってでる。それ自体はどうしようもない。問題なのは《攻略組》が見て見ぬフリをしてきたことだ」

 

 LAボーナスの奪い合いがわかりやすい例だ。

 ボスに止めを刺さなくちゃならないってシステム上、壁役のタンクプレイヤーはその恩恵に与れない。だから《ALS》のようにボス戦へタンク隊しか輩出できなかったギルドは、いつまでたってもLAボーナスを得る機会がなかったのだ。

 

 そして《攻略組》はそんな《ALS》のようなギルドに何らかの報酬ないし補償をすることはなかった。

 当然だ。同じ《攻略組》とはいえ、ライバルであり敵なんだからな。

 

「しょうがないと呑み込めるやつはいい。けど、どっちにしろ不満は溜まるだろ。《軍》はそんな不満を抱えた連中の集まりなんじゃないか」

 

 そう言うと、アスナやキリト、それにリンドやクラインなんかは苦い顔で俯いた。四人ともアタッカーで、それぞれLAを取ったこともあるからだろう。

 逆にこの中で唯一タンク寄りのステータスをしているエギルは腕を組んで目を閉じ、沈黙を守っている。どんな感情を抱いているかは表情からは読み取れない。

 

 重苦しい沈黙が圧し掛かる。なんだ……この圧力(プレッシャー)は……。

 自分で作っといてなんだが、この重たい空気どうにかならないかなぁ。助けてド〇えもん!

 

「つまり、損失の補償をするってことカ?」

 

 おお! ありがとう、アルえもん! 

 

「ああ。それが第一の目的だな」

「ニャハハ。とてもハー坊の口から出た言葉とは思えないナ!」

 

 うわーん。ひどいよ、アルえもん!

 とはいえ全くもってアルゴの言う通りなのでぐうの音も出ない。

 

「第一の目的ってことは、第二、第三があるのか?」

 

 アルゴの茶々で雰囲気が軽くなったからか、キリトも苦笑いだ。

 頷いて答える。

 

「そこまで明確に考えてるわけじゃないけどな。損失の補償ってのも含めて、プレイヤーやギルドが互いにサポートし合う体制を作ってやれば不満も抑えられるだろ。なんなら生産ギルドとか商人ギルドを抱き込むのもありだと思ってる」

 

 これまで《攻略組》のプレイヤーは装備の更新や修理、アイテムの購入なんかは、各々がバラバラの店で行っていた。知り合いのプレイヤーショップや職人に頼むやつもいれば、すべてをNPC商店で済ませる俺みたいなやつまで様々だったわけだ。

 

 すべての層で画一的な値段、質になるNPCショップは別として、プレイヤーショップの場合は当然ながら店によって値段や質に差が出てくる。加えてお得意様と一見客でも差が出てくるのだから、どこの店の誰の仕事が良いかというのも重要な情報となるのだ。

 

 しかし、そういった職人や商人の情報は出回りづらい。《攻略組》の人間が頼るほどともなれば尚更だ。他人よりも優位に立ちたいと考えるやつが多いからか、《攻略組》の人間は余計に隠したがる傾向がある。

 

 ならばどうするか。

 抱き込んで、情報共有してしまえばいい。

 組織化した《攻略組》に加えて、《攻略組》の誰もが利用できるようにすればいい。

 

 そこまで言ったところで一人が反応した。

 

「ほう。じゃあ一介の商人プレイヤーとして訊くが、それで俺たちにはどんな利益がある。《攻略組》は俺たちに何をしてくれるんだ?」

 

 エギルは《攻略組》有数のプレイヤーであると同時に、中層へ顔の利く商人でもある。

 《攻略組》に非戦闘系ギルドを加えようなんて言えば、最初に反応するのはエギルに違いないと思っていた。

 

 だからこの問いも予想出来ていた。

 

「SAOでも一番金を持ってる層が客になるんだ、値段交渉で困ることはないだろ。となれば、素材を優先的に卸すとか、店舗の貸し出しなんかが妥当なとこじゃないか」

 

 用意しておいた答えを返すと、エギルはニッと笑みを浮かべた。

 

「そうだな。商人たちはそれで十分だろう。あとは職人系のプレイヤーに対して、スキルを鍛えるまでの間、助成金を出すのもありだと俺は思う」

 

 なんだ、あっさり納得した上に追加で提案してくるとか、思ったより食いつきが良いな。

 

「ああ、確かにありだ。けど真面目にやるやつばっかりじゃないだろ。その辺の線引きはどうするんだ?」

「その辺りは調査と面接だな。それで確実とは言いきれないが、成果報告を上げさせて継続するかどうかを見極めていけばいいだろう」

 

 どうやらエギルは乗り気なようだ。この分なら職人と商人との交渉に関しては丸投げしていいかもしれない。

 

「だな。あとはスキルの強化がひと段落したときに何かしらの報酬でも出せば良い宣伝になるんじゃないか。仕事道具を提供したり、工房を買う金を立て替えたりとか。飴舐めさせとけば働くだろ」

「……なんというか、お前は本当に妙なところで頭が回るな」

「まぁな」

 

 代わりに意地と性格が悪い。

 

 エギルが呆れながら納得したところで、今度はアルゴから声が上がった。

 

「オイラとしては、《FBI》にも一枚噛ませてもらいたいナ」

 

 その一言に、今度はアルゴ以外の全員が驚愕した。ハチマンも驚いた。

 なんせ《FBI》は創設以来、決して他のギルドと関わることはなかったからだ。

 

 《FBI(Find and Broadcast of Information)》はその名称からもわかるとおり、情報の収集と拡散を目的としたギルドだ。リアルで言う出版社のようなこのギルドは、アインクラッドでは希少なマスコミ的ポジションを確立している。

 唯一無二のギルドとして評判を得ている《FBI》は、一方で大きな発信力、影響力を持つが故に中立でなければならないとして、他のギルドと関わることを徹底的に避けてきたのだ。

 

 そんな《FBI》の、それもリーダーの一人が、明らかに一勢力に肩入れしようとしている。驚き戸惑うのも仕方ないだろう。俺は悪くねぇ。俺は悪くねぇ。

 

「願ってもない話だが、いいのか?」

「いいんじゃないカ。持ち帰って聞いてみないと確実じゃないけどナー」

 

 おいおい。トップがそんな適当でいいのかよ。

 半眼で見るも、アルゴはどこ吹く風と動じない。

 

「……まあいいか。ありがたいことなのは間違いないしな」

 

 《FBI》が味方に付く。

 それはとんでもなく大きなことだ。

 

 《FBI》がいれば情報収集に人手を割く必要がなくなり、戦力を攻略に集中させることができるようになる。そうなれば必然的に攻略のペースは上がるのは明らかだ。

 

 それだけじゃない。

 《FBI》には情報収集のプロが所属しているのはもちろん、事務処理、会計処理のプロも所属しているのだ。

 もしアルゴが彼らを派遣してくれれば、貴重な事務員が得られることになる。これまでユキノを中心とした少数で賄っていた負担が一気に軽くなるだろう。

 

 ふと、キリトが大きく息を吐く。

 

「なんだか随分と大きな話になってきたな」

「俺には何が何だかさっぱりだけどよ。とにかく、今までの《攻略組》とはガラッと変わるのは間違いなさそうだな」

 

 クライン……。お前、アホだったんだな。

 

 

「相互扶助に商人と職人の援助、かぁ。なんだか組合みたいね」

「なるほど。組合か。言い得て妙だな」

 

 アスナの呟きにエギルが頷いた。キリトも「ああ、そういうことか」と納得の表情を浮かべ、アルゴはふむふむと顎を撫でている。

 

「どういうことだ?」

 

 すぐには思い至らないのか、リンドが問いかけた。クラインもわからないらしくエギルへ視線を向ける。

 

「MMOで《ギルド》といえばチームとか集団のことだが、本来《ギルド》ってのは組合を意味してる。ハチの言い出したこの組織こそ、本来の《ギルド》の形に近いんだよ」

 

 エギルの説明に感心する二人。うん、そこまで考えてたわけじゃないけどね。なんか全員納得してるっぽいし、もうそれでいいか。

 

「――じゃあ、お前らはこの案に乗るってことでいいんだな? 言っとくが、これきり《軍》とは完全に対立することになるぞ」

 

 改めて訊ねると、全員が真剣な眼差しを返してきた。

 

「もちろん。俺は賛成だ」

「私も賛成。ハチくんにしてはまともな案だと思うし」

「難しいことはわかんねぇけどよ。これならイケそうな気がするぜ!」

「商人としても旨い話だからな。俺も乗らせてもらう」

「オレっちも乗っかるゾー」

「俺も、これで《攻略組》が守れるなら」

 

 六者六様の答えを聞いて、小さく息を吐く。

 

「助かる。で、具体的にどうしていくかだが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、話し合いは数時間続き、解散する頃には全員が疲労困憊となっていた。

 

 俺も疲れた体を引き摺って宿へ帰り、すぐさまベッドに横になる。

 

 睡魔に抵抗する気もなく、どうにか目覚ましだけをセットして意識を手放した。

 

 

 

 理由をもらい、問題を設定し、手段を得た。

 

 あとは実行するだけだ。

 

 

 




我ながら話が進まない……。
プロット段階だともっとサクサク進んだんだけどなぁ……。


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第二十話:満を持して、比企谷八幡は語りかける

お陰様でお気に入りが1000件を突破しました。
ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

ということで、20話です。
今章ももうあと僅かですが、もう少しだけお付き合いください。


 

 

 

 

 

 

 深夜、俺は《FBI》の本部で、翌朝の新聞記事をチェックしていた。

 情報に漏れはないか。逆に漏らしてはいけない情報が入っていないか。記事の端から端までを何度も読み返し、修正箇所のないことを確認する。

 

「…………問題ない。これで頼む」

「ハイヨー」

 

 記事をアルゴに渡す。アルゴは欠伸を漏らしながら、けれど確かな足取りで部屋を出て階段を下りていった。階下のギルドメンバーに複製作業のGOサインを出すためだ。

 

 明日、さっきの記事はアインクラッド中に配られ、多くのプレイヤーの目に留まるだろう。

 ここまでの反響からすると、それで大勢は決まるはずだ。

 

 これでようやくユキノと話ができる。

 交渉するに足る、説得力を持った材料を揃えることができた。

 

 《攻略組》の再編に動き出してからの四日間、ほとんど寝ずに動き続け、あれこれと手を回してきた。

 組織の編成、体制の確立、財源の確保、戦力の補強、各所との交渉などなど……。

 

 一人ではとてもじゃないができなかった。

 キリトとアスナとの三人でも不可能だったろう。

 エギル、クライン、リンド、そしてアルゴを巻き込んだことでようやく実現の可能性が生まれたのだ。

 

 時間的にはぎりぎりだったが、どうにかここまで漕ぎつけることができた。やはり《FBI》の協力を得られたのが大きい。本当にアルゴさまさまである。

 

 あとは仕上げの部分をどこまで詰められるかだ。

 

「あー……」

 

 メニューウィンドウを開き、時刻を確認する。

 

 午後十時十二分。

 約束の時間まで半日近くある。

 

 疲労で気怠くなった身体を起こし、頭の鈍痛を堪えて部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 明けて、5月19日。決戦の日である。

 

 といっても別にボス戦をするわけじゃない。《軍》の結成式の日でもない。

 むしろ、そこに間に合わせるために今日という日はある。だから、決戦というより決着という方が正しいだろう。

 

 もっともそんなふうにかっこよく言っていられたのも、キリトとアスナに会うまでだ。二人に会うとさすがに落ち着かなくなってきた。

 

 この後は約束が控えている。

 

 午前十時に第25層主街区《ギルトシュタイン》砦の会議室。

 そこで、ユキノと会って話す約束をしている。

 

「行こう」

「行きましょう」

 

 声を揃えて歩き出した二人の後を追って足を踏み出した。

 

 ゆっくりと石畳を歩き、橋を渡り、廊下を進む。

 何度か通った道だというのに、初めて来たかのように遠く感じた。

 

 会議室の前に立ち、扉に手を掛ける。

 小さく息を吐き出して、中に入った。

 

 ユキノは窓の傍に立ち、外を眺めていた。

 こちらへは背を向けていて表情はわからない。

 

「悪い、待たせた」

 

 一声かけて長机を回り、近くまでいった。

 

 ユキノは俺を見て、次いでキリトとアスナへ順に視線を送った。

 それから俺へ視線を戻し、厳しい顔で引き結んだままだった口を開く。

 

「わざわざ呼び出すなんて珍しい真似をするのね」

「いや、俺たちの結論を言おうと思ってな」

 

 言うと、ユキノは少し驚いたような顔をし、それから訝しげに視線を巡らせた。

 

「あなたたちの、結論……?」

「ああ」

 

 ちらっと後ろの二人を見やると、キリトもアスナも真剣な顔で頷いた。

 俺に任せるということらしい。

 

 視線をユキノへ戻し、一言だけ告げる。

 

「俺たちは、《軍》とは組まない」

 

 驚きはない。表情も一切変わらない。何を言われるか予想できていたのだろう。

 この三日間、《FBI》の新聞は売れに売れた。一つでも目を通していたのならすぐにわかることだし、人伝に聞いていてもおかしくない。

 

 ともかく、こちらの言いたいことは言った。

 次は問いかける番だ。

 

「それで、お前の意志は変わらないか?」

 

 ユキノは俺をひたと見据えると、その眼光を少しも和らげることなく、即座に言い切った。

 

「変わらないわ。一度決めたことだもの」

 

 芯の通った、打ち付けるような声音には、けれど空虚さが滲んでいた。

 そんなユキノへ小さな、けれどその分染み透るような声が掛けられる。

 

「どうして……。ユキノさんだってもう知ってるはずなのに」

 

 アスナの声色はただただユキノを案じたものだった。

 彼女の切々とした雰囲気を目の当たりにして、ユキノは唇を噛む。

 

「前にも言ったわ、これが最善だと。私が《アインクラッド解放軍》に入ることで《攻略組》と《軍》の力を合わせることができるなら、それが一番効率の良いやり方よ。だから……」

「でも……っ!」

 

 反論しようとアスナが顔を上げた。だが、沈痛な面持ちのユキノを見て、言葉の続きをなくしてしまう。

 その先は俺が引き取った。

 

「けど、前とは状況が変わった。それはお前も気付いてるだろ」

 

 ユキノは口を引き結んだまま動かない。

 俯いたまま答えないユキノから一度離れ、アイテムストレージからここ三日分の新聞を取り出して机に並べる。

 

「風向きが変わった。もう《軍》の顔色を窺う必要はなくなったんだ」

 

 俺が取り出した三日分の記事。

 そこには大きな見出しがズラリと並んでいた。

 

『《攻略組》――改革の末《ギルド連合》に』

『《DKB》が複数のギルドと合併。《聖竜連合》が結成』

『《ギルド連合》の組織編制が公開。非戦闘系ギルドへ助成金も』

『《血盟騎士団》、《天穹師団》が《ギルド連合》に参加』

『《アインクラッド商工会》結成。《ギルド連合》への参入も明言』

『《アインクラッド解放軍》が組織編制を公開。指導者不在に懸念の声』

『《ギルド連合》――20日午後に25層フロアボス挑戦を表明』

 

 アスナに手を引かれ、ユキノが机の傍まで来る。視線が記事に落とされ、軽くさらっただけで流れていった。

 内容に目を通さないということは、もうすでに内容を知っているのだろう。

 

 ここまでは予想通り。

 本命は次だ。

 

「……で、こっちが《攻略組》の、いや、《ギルド連合》の資料だ」

 

 再度ストレージを開き、数十枚に及ぶ紙の束を取り出す。

 

 編成から運営方針とその詳細、予算の素案や遵守されるべきルールに加え、現時点での所属ギルドに加盟希望のリストまで。《ギルド連合》の現状がすべてまとめられている。

 新聞記事のような公開されたものではなく、関係者だけが知り得る内部情報だ。

 

 ユキノは今度こそ手に取って資料をめくっていく。真剣な表情で端から端までを読み込んでいく姿からは、さっきまでの消沈ぶりが嘘のように消えていた。

 

 たっぷりと時間をかけ、資料の三分の一ほどを読んだ時点でユキノは顔を上げた。

 

「……これは、あなたがやったの?」

 

 ユキノは俺の前で紙束を指し示しながら聞いてくる。強く握っているせいか、その手は小刻みに震えていた。

 

 肩をすくめて答える。

 

「そんなわけないだろ。俺にできる仕事に見えるか?」

「……資料をまとめるだけならともかく、とてもあなたにできるとは思えないわね」

 

 わかってるじゃないの。

 俺に務まるのなんて精々が記録雑務ぐらいだよ。

 

 実際、俺がしたことといえばそのくらい。

 他の連中が動き回って生み出した成果をまとめた程度だ。

 

 《攻略組》の連中に協力を依頼して回ったのはキリトとアスナだ。

 初めからこちら側だった連中への説明と、どっちに就くかで揺れてた連中への説得をして回っていた。

 何度も疑われたり、渋られたりしたようだが、本人たち曰く「根気強く頼み込んだ」らしい。アスナの笑顔の迫力と、キリトの純粋故の強引さが活きた結果だろう。

 

 クラインとエギルはアルゴと協力して、準攻略組や中層から有力なギルドやプレイヤーを勧誘していた。

 《軍》の連中が抜けた分の戦力補強と、商人や職人なんかを囲い込むためだ。

 

 戦力補強の方は新たに二つのギルドが加わることで決まった。

 《血盟騎士団》は即戦力になり得る実力集団だったし、《天穹師団》はレベルこそ今一つだがハイレベルの職人を何人か抱えている。どちらも攻略組入りを目指していたのもあって、快く《ギルド連合》への加盟に動いたそうだ。

 《風林火山》を率いるクラインは「負けてられねぇな!」と息巻いていたが、リーダーとしての風格じゃどっちにも負けてたなあれは。

 

 商人や職人なんかのサポート組については、エギルが交渉したお陰でけっこうな人数が集まった。

 しかも驚いたことに、彼らは自発的に集まって、たった数日で新たなギルドまで立ち上げた。熱心に口説かれたエギルを幹部に据えるというおまけ付きで。

 《アインクラッド商工会》と名付けられたギルドには連日、加入希望の商人、職人プレイヤーが後を絶たないそうだ。エギルは「忙しくてかなわん」と言いつつも嬉しそうにしていた。

 

 アルゴに関しては見えている通り。《FBI》の仲間をあっさりと説得し、大々的に《ギルド連合》の記事を掲載し始めた。

 内々で繋がってるために情報集めも早く、お陰で《ギルド連合》の噂はあっという間にアインクラッド中に広まった。

 

 さっそく《軍》から抗議が入ったらしいが、逆に《軍》の情報を要求する切り返しで対応したらしい。「笑うのを堪えるのが大変だったヨ」と大爆笑していた。合掌。

 とはいえ、二日かかってようやく届いた《軍》の編成は、構成員が揃って横並びで指揮系統も何もなしという冗談のようなものだった。基になったのが《ALS》なのを考えればギリギリ理解できないこともないが、あれで本当に上手くいくと思っているんだろうか。

 

 そんな《軍》に直接対抗するべく動いたのはリンドだ。「どんな経緯だろうと、キバオウさんのギルドに負けるわけにはいかない」と言って、リンドは《DKB》の組織強化に乗り出した。

 思想の近いギルドや得意先の職人らを吸収した《DKB》改め《聖竜連合》は、結果として総勢65人の巨大ギルドとなった。人数的にも戦力的にも《軍》を大きく上回っている。

 

 こうして《聖竜連合》は名実ともに《ギルド連合》の初代盟主となり、リンドは記念すべき第一回代表者会議の議長に選ばれた。

 全12ギルドの代表が集まり開かれた会議は白熱し、その場で第25層フロアボス討伐戦の実施が決定されたのだという。話ススミスギー。

 

 戦力は揃えた。サポート体制も整った。

 《軍》への対抗馬も立てたし、情報の逐次投下による印象操作も行った。

 

 そして、組織の編成表には一つ、意図して空白を残してある。

 部門の名称は『作戦部門』。役職名は『参謀長』。

 

 これを誰が務めるかについては一切の情報を出していない。

 けれどだからこそ、新聞でこの編成表を見たやつは、そこに誰の名前が入るのかを想像するはずだ。

 作戦立案に優れ、リーダーシップがあり、表のどこにも書かれていないプレイヤーの名前を。

 

「そう……、ここまで大きな組織なのね……」

 

 資料の続きに目を通したユキノがぽつりと呟いた。

 

 現時点で加盟したギルドの数は12、プレイヤーの総数は196人。

 希望者を加えればさらに増える上、今後も追加で出る可能性だって充分ある。

 

 これが《軍》と袂を分かつ根拠となる。

 

 説明はこれで十分だろう。

 俺は机の上の新聞記事をまとめると、ユキノが読み終えた資料と一緒にストレージへ収める。

 

「攻略組のために《軍》との対立を避ける理由は全部なくなった。だから……」

 

 そして、正面から彼女を見て、ゆっくりと言う。

 

「もうお前が《軍》に行く必要はないんだ」

 

 こんな、なんてことない言葉ひとつ言うために、随分と時間がかかった。

 

 だが、これが俺たちの結論だ。

 一人にダメージを負わせず、一人に罪を問わず、一人が責められることがない。

 その責も傷も、代表者会議の名の下に、等しく全員へ降りかかる。

 

 アスナとキリトがスッと横に並んだ。

 

「もうユキノさんだけに背負わせたりしない。これからは、私たちも一緒に」

「ああ。俺も、俺にできることをしていく」

 

 決意を伝えるかのように、背筋をしゃんと伸ばして、ユキノへ視線を向ける。

 俺はちらちらと左右を見て、改めてユキノへ振り向いた。

 

 その時、目に入ってしまった。

 

 ただ一人。

 ユキノは黙っていた。

 

 静かで、物音ひとつ立てず、出来のいい雛人形みたいに。

 瞳は硝子や宝石のように透明で、だからとても冷たい。

 

 それはいつものユキノのはずだ。落ち着いていて、物静かで、冷静で、淑やかで、そのたたずまいは一般的概念に照らし合わせても美しいと言える。

 

 けれど、今はそこに、触れれば消えてしまいそうな儚さがあった。

 

「……そう」

 

 小さなため息を漏らすような言葉とともに、ユキノは顔を上げる。

 けれど、その眼差しにはいつものような力がない。

 

「なら……、問題も、私が動く必要性も、なくなったのね……」

 

 遠く、窓の外へとユキノは視線をやる。

 

「そういうことになるな」

 

 俺もつられて同じ方向を見たが、あるのは変わらぬ街並みだ。

 差し込む陽光と、空を覆う天蓋。ただ、いつもと同じ喧噪が遠くから響いてくる。

 

「……ええ」

 

 短く答えると、ユキノはそっと顔を伏せ、眠るように瞳を閉じた。

 

 

 

「できるものだと、思っていたのにね……」

 

 

 

 ユキノの声は誰の方向にも向けられていない。

 だからどこか空虚な響きがあった。

 

 その言葉が心をざわつかせる。

 けれど、ただ、遥か昔を懐かしむような、自身の限界を悟ってしまったような、その言い方は俺に問うことを許さない。

 

 ユキノは静かに立ち上がる。

 

「――キバオウさんの話、断りに行ってくるわ」

「わ、私たちも」

 

 アスナが胸を押えて一歩踏み出すと、ユキノは穏やかな微笑みでそれを押しとどめた。

 

「一人で充分よ。……説明に時間がかかると思うから、あななたちはこれで解散に」

「いや、一人で行かせるわけねぇだろ。このタイミングで断って、あいつらがはいそうですかって納得するわけがない」

 

 会議室を出ようとしたユキノの進路を遮る。

 

 最初からユキノの同意が得られた時点で《連合》の名前で断るつもりだったのだ。

 それをユキノが自分で行くというなら止めはしないが、穏便には済まないとわかってるところに一人で行かせるわけにはいかない。

 

 たとえ反対されても、無理矢理にでもついていくつもりだった。

 だが――。

 

「そう、ね……。ええ。確かにその通りだわ。なら、やっぱり一緒に来てもらおうかしら」

 

 そう言って、小さく微笑んだ。

 

 その態度も、アスナに向けた微笑みもいつもと変わらないはずだ。

 なのに、そこに違いを見出そうとしているのは、何故だ。

 

 まだ心はざわついている。

 ユキノの言った言葉が耳から離れない。

 

 けれど、それからどれだけ考えてみても、理由はわからなかった。

 

 ただ。

 

 自分が何かまちがえたのではないかという、その疑念だけが残った。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 第1層《はじまりの街》の中央広場で《軍》の結成式が開催された。

 

 総勢58名にも及ぶ大ギルドの誕生。

 《攻略組》のトッププレイヤーを迎え、中層下層の数多くのプレイヤーを受け入れ、華々しい門出を迎えるはずだった《アインクラッド解放軍》の結成式。

 

 開催予定とされていた5月20日の正午を10分過ぎた現在、広場にはおよそ300人程度のプレイヤーが集まっていた。

 

 少ない数じゃない。むしろアインクラッドでこれだけのプレイヤーが一堂に会する機会は滅多にないだろう。

 だが主催者側の中心人物としては、とても満足のいく人数じゃなかったらしい。開催時刻を過ぎてるにもかかわらず、遠くに立つキバオウは愕然とした表情で広場を眺めていた。

 

 司会進行の上擦った声が響くたび、広場に歓声が上がる。

 《軍》結成の経緯が語られると、あちこちから囃し立てるように声がかけられる。

 集まった300人の内にサクラが混ざっているのかはわからないが、全体的に見ても受け自体は悪くないようだ。

 

 だが、本来想定されていたであろう盛り上がりにはほど遠い。

 そのことははっきりとわかった。

 

 中央広場の西側。

 ちょうど茅場のデスゲーム宣告があったときにも立っていた場所から結成式の様子を見ていた俺は、キバオウが前に立つのを見て視線を向ける。

 

「ええか! ワイらはワイらのやり方で、こんクソゲームを攻略したるんや! 《攻略組》の奴らに、目に物見せたるでー!」

 

 それが本心だとは俺はまったく思わない。出し抜かれた怒りであるとか、思う通りにいかないもどかしさで、内心は腸が煮えくり返る思いだろう。

 

 うまくいってると思ったところを突き落とされる悔しさはよくわかる。もっともその不条理を叩きつけたのは俺なので、そのあたりはわずかながら申し訳ないと思ってる。

 

「やっぱり来ていたのね」

 

 ふと、後ろからかけられた声に振り向くと、そこにはユキノが立っていた。

 

「今日はここには来るなって言っただろうが。なにお前、そんなに後ろ指さされたいの?」

 

 冗談めかしてそう言う。実際、入隊拒否を突き付けたのは昨日だしな。

 

 ユキノは少しだけ驚いたように目を開いて、それから視線を逸らした。

 

「あなたの居場所を追跡したらこの場所だったものだから……でも、確かに軽率だったわ。ごめんなさい」

「お、おう……。いや、その、なんだ。気にさせちまったのは、こっちも悪かった」

 

 すんなり謝られて、思わず謝り返してしまう。

 てっきり軽口には辛口で返ってくるものだと思っていたんだけどな。

 

 そうして落ちる沈黙。

 何を言えばいいのか。何か言わなくちゃいけないんじゃないか。

 そうやって迷って、悩んで、結局何も言い出せない。

 

 そのうちに、思いがけない方向から棘のある声が届いた。

 

「なんやジブンら、ワイらを笑いに来たんか」

 

 振り向くと、キバオウら《軍》の連中が十数人近付いてくるところだった。

 どの顔も不機嫌に歪み、俺とユキノを交互に鋭く睨み付けてくる。

 

「昨日の今日でよくもヌケヌケと、ワイらの前に顔を出せるもんやな」

 

 吐き捨てるように言って、キバオウはユキノへ目を向ける。

 

「ユキノはん、アンタよくも裏切ってくれたやないか」

 

 ユキノはじっとキバオウの視線を受け止め、逸らすことなく答えた。

 

「昨日話したとおりよ。今後、《ギルド連合》はあなたたち《軍》の協力を求めることはない。だから、私も《軍》に行く理由はもうないわ」

 

 ユキノの身も蓋もない言葉に、キバオウは眉を引き攣らせる。

 

「そいつは契約違反っちゅうことやないんか?」

「前提条件が崩れたのだから、契約も何もないでしょう」

「ハッ! ホンマ、弁の立つやっちゃで」

 

 キバオウはトンガリ頭をがしがし掻くと、おもむろに背中の剣へ手をかけた。

 

「まあ、ええわ。別に今は話しに来たんやないしな」

 

 そのまま仰々しい動作で剣を抜き、切っ先をユキノへ向ける。

 

「ユキノはん、ワイとデュエルせんか?」

 

 それは私怨をぶつけるためのものか。あるいはキバオウなりのけじめのつけ方か。

 感情の抜け落ちた顔で問いかけるキバオウからは、どちらの意図かは読み取れない。

 

「安心しぃや。負けたら《軍》に入れ、なんて言わんさかい。ただ、世話になったリーダーはんがどんだけ強いんか知りたいだけや」

 

 剣を向けられ、敵意を向けられ、それでもユキノはたじろぐことなく頷いた。

 

「……いいでしょう」

 

 返事を受け、キバオウがウィンドウを操作する。

 ユキノの前にデュエルの申請画面が現れ、ユキノがそれを受理した。

 直後、二人の間に60のカウントが表示される。

 

 止めるつもりはない。

 キバオウに同情する気持ちがないわけではないし、何よりユキノが自分で決めたのだから俺が口を挟んでいいことじゃない。

 

 そもそも、止める必要ないしな。

 ユキノがキバオウに負けるなんてのは十中八九ない。

 

 互いに無言で互いの出方を窺う。

 キバオウは何度か構えを変え、対してユキノは抜いた刀を腰だめに持った。

 

 そうして、カウントがゼロになる直前、キバオウが先に動いた。

 

 単発突進技《ソニックリープ》。片手剣のソードスキルの中でも最速の技だ。

 発動速度も移動速度も速い優秀な技だが、代わりに動きが直線的で見切るのは割と簡単でもある。少なくともデュエルに慣れてるやつなら躱すのは難しくない。

 

 ユキノは猛スピードで迫るキバオウに一切焦る様子もなく、わずかな姿勢の変化だけで刀身を水色に輝かせた。

 

 交錯。閃光が瞬く。

 一拍遅れて、デュエル終了の表示が浮かび上がった。

 

 勝ったのはユキノ。

 キバオウの攻撃に自身のカウンターを合わせた見事な一撃だった。

 

 負けたキバオウは何が起きたのかわからないといった顔で立ち尽くしていた。

 周囲を取り囲んでいた連中も、ほとんどは何が起きたのかわかっていないようだ。

 

「行きましょう」

「……ああ」

 

 《軍》の連中を一切気にせず、ユキノは刀を鞘に納めてそう言った。

 青の結晶を握っているのを見て、俺もポーチから転移結晶を取り出す。

 

 そのまま立ち尽くすキバオウたちを視界の隅に収めつつ、同時に呟く。

 

「「転移、ギルトシュタイン」」

 

 

 

 

 

 

 こうして、俺たちは《軍》と完全に決別した。

 

 

 

 

 

 

 

 




20話でした。
なんだか尻切れトンボ感があるなと思いつつも、次話を考えるとこんな感じになってしまいました。
まだまだ文章力、構成力が足りてません。精進します、ハイ。


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第二十一話:鮮烈に《聖騎士》はデビューする

タイトル通り、『例のあの人』の登場会です。

どうも自分は戦闘シーンが冗長になりがちなので、上手に描写できる人が羨ましい……。勉強せねば!

というわけで21話です。
よろしくお願いします。


 

 2023年5月20日 午後2時――。

 

 新生《ギルド連合》の旗の下、48人のプレイヤーが25層迷宮区の最奥に集まった。

 

 ボス部屋へと続く扉はかつてないほどに重厚で禍々しい。表面には二体の巨人が武器をぶつけて争うレリーフが象られ、外縁をびっしりと見たことのない模様が覆っている。

 突入前の最終チェックをするプレイヤーたちの顔にも緊張が表れていた。

 

 選抜された戦力は以下の通りだ。

 

 まずは《聖竜連合》から18人。

 《DKB》を前身とした名実ともにアインクラッド最大のギルドで、リーダーのリンドを始め18人全員がハイレベルのプレイヤーで構成されている。バランスもよく装備も十分で、今回のボス攻略の主力となるのは間違いない。

 

 《風林火山》はクライン含め6人。

 全員が和風の装いに身を包んだ変わり種だが、実力は折り紙付きと言っていいだろう。人数こそ《聖竜連合》には敵わないが、一人一人のレベルや装備で言えば劣っていない。

 

 新規参入の《血盟騎士団》からも6人が名を連ねている。

 《風林火山》とは違った意味で目立つこのギルドは、全員が全員フルプレートに盾持ちと徹底した騎士装で統一されている。武器こそ剣や槍、斧や棍といった違いがあるが、白銀の鎧姿で揃えられた集団には言い知れぬ威圧感があった。

 リーダーは《ヒースクリフ》という壮年の男で、ロングソードにカイトシールドという正統派騎士といった出で立ちのプレイヤーだ。レベルも相当に高く、なんで今まで攻略組にいなかったのかってレベル。

 

 同じく新規参入の《天穹師団》からは中心メンバーが3人。他の連中はレベルが足りなくて連れてこれなかったんだとか。

 《天穹師団》は戦闘班と支援班に分かれてるらしく、最前線で戦えるプレイヤーはリーダー以下8人だけだという。今回はボス戦ということで更に厳しい基準が設けられた結果、参加できたのは3人ということだそうだ。

 まあ、全部受け売りだけどな。《パーシアス》って名前のイケメンが誇らしげに挨拶回りをしていたんで、たまたま耳に入ったんだよ。多分、あいつがリーダーなんだろうな。

 

 とまあ、ここまでの33人に加えて、俺とユキノ、キリトにアスナ、《商工会》からエギルとその仲間3人、あとは《連合》に加盟してるギルドから1、2人ずつ参加して、合計48人のフルレイドってわけだ。

 

 《ALS》の壊滅から10日。

 よくもまあ、たった10日でこれだけ立て直したもんだと思う。

 

「みんな聞いてくれ」

 

 張りつめた声が響く。

 瞬間、扉の前に集結した47人が口を閉ざし、声の主へ視線を向けた。

 

 25層ボス攻略戦のレイドリーダー――リンドが一同をぐるっと見渡す。若干緊張しているようで表情は硬いが、変に気負ってしまっている感じはない。

 

「まずは短い準備期間の中、今日この場に集まってくれたことに感謝する。知っている人も多いと思うが改めて、俺は今回のレイドリーダーを務めるリンドだ。よろしく頼む」

 

 言って、リンドは再度視線を巡らせる。

 

 野次もからかいもなければ、囃し立てる声も励ます声もない。

 真剣に冷静に、リーダーの器量を推し測るように。今後続いていくボス戦において、リーダーとして選出するに足るかを見極めるように、この場の全員がリンドの言動を注視していた。

 

 リンドは値踏みするかのような視線を受け止めると、小さく息を吐いて続けた。

 

「この扉の向こうにいるのは《ALS》を壊滅に追いやったボスだ。これまででもひときわ強力な敵に間違いない。苦戦は免れないと思う」

 

 《ALS》の名前を出したところで何人かが顔を落とした。

 半年近く同じ最前線にいたんだ。知り合いを亡くしたやつもいるだろう。トップギルドが為す術もなくやられた事実にショックを受けた者も多い。

 

「――けど俺たちは違う。可能な限りの情報を集め、戦力を整えて、この日に備えた。《攻略組》は《ギルド連合》に生まれ変わり、新たに頼もしい戦力を加えて、今日、俺たちはここにいる」

 

 演説を続けるリンドがヒースクリフとパーシアスに目を向けた。ヒースクリフは表情を変えず、パーシアスは笑みを浮かべサムズアップして応える。

 片や重装備のタンクに、もう一方は軽装の曲刀使い。雰囲気も戦闘スタイルも正反対な二人の反応に、けれどリンドは大きく頷いた。

 

「《ギルド連合》としての初陣だ。華々しくとは言わない。誰一人欠くことなく、勝って次の層に進もう。それがみんなの――アインクラッドに暮らすみんなの希望になる!」

 

 声高に締めくくり、リンドが扉の方へ振り向く。

 剣を抜き、重い扉を開いて、暗い部屋へと剣を突き付けた。

 

「行くぞ! 《ギルド連合》、攻撃開始!」

 

 号令と共に石畳を蹴ったリンドを追って、47人のプレイヤーが一斉に駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 戦いは壮絶なものとなった。

 

 全長6メートルの見上げるような巨体が、両手に剣と斧を持って振り回してくるんだ。反撃で蹴られるだけでもそれなりのダメージを喰う上、ソードスキルの一撃は高耐久のタンクですらHPの2、3割を削られる。俺なんかがまともに喰らったら一撃で消し飛ばされるだろう。

 

 動き自体はそう速くない。むしろ前回のデュラハンの方が速いくらいだ。

 

 だがコイツの場合、厄介なのは頭が二つあること。

 二つの頭がそれぞれ独立してるせいで、どちらかの死角に動いたとしても、もう一方の頭が追ってくる。互いに死角をカバーするように動いてくるわけだ。

 

 しかも脳みそも二つなせいか、両手が別々にソードスキルを撃ってくるからたまったもんじゃない。

 近付くだけならともかく、まともに攻撃を加えるのは至難の業だった。

 

 加えて《鎧》の存在もある。

 『あらゆる災厄を払う力』があるという《鎧》は硬いこと硬いこと。両手斧の重い攻撃ですらビクともしなかった。つまり《鎧》が覆っている胸から腰までは攻撃が通用しないってことだ。こんなんチートやチーターや!

 

 とまあ、そんなかつてない強敵を相手に30分かけてようやく一本目のゲージを半分にした時点で単純な戦術は通用しないと判断された。

 

 というわけで、第二案の発動が決定されたのである。

 

「ではユキノさん、手筈通りにお願いします」

「ええ。任せてちょうだい」

 

 リンドとユキノの間で意思決定が終わると、ユキノをリーダーとしたF隊は事前に打ち合わせた通り動き出した。

 

 F隊のメンバーは六人。

 パーティーリーダーのユキノと俺、キリト、アスナの四人に加え、《ハシーシュ》と《マリア》という二人組の女性プレイヤーだ。

 どういうわけかF隊は男二人で女四人という妙なパーティー構成だが、これは厳密にパーティーの戦闘スタイルで組み分けた結果であって他意はない。というかそもそも俺が決めたわけじゃない。決定権も当然のごとくない。

 

 ともかく、俺たちF隊はユキノ、俺、ハシーシュの三人とキリト、アスナ、マリアの三人に分かれてボスの左右へと配置に付いた。

 

 互いに位置取りを終えたことを確認して、武器を構える。

 それを見てとったリンドが前衛でボスに攻撃を加える部隊へ声を上げた。

 

「A、D隊、スイッチ準備! フルアタック一本!」

 

 打てば響くような雄叫びと共に《聖竜連合》と《風林火山》のA、D隊が続けざまに一撃を入れる。ボスのHPが目に見えて減り、当然のように繰り出される反撃をブロッカーのB、C隊が受け止めた。

 

 その隙に入れ替わる。

 後退するA、D隊をすり抜けて、F隊の6人が左右から挟撃を開始した。

 

「各自隊形を崩さずに攻撃、フルアタック一本!」

 

 ユキノの下知で飛び出す。

 高威力の突進技《フェイタルスラスト》を右ひざに突き刺し、後続二人と共にボスの攻撃範囲から逃れた。反対側でも同じようにキリトたちが攻撃して距離を取っている。

 

 威力の高い技を受けて、ボスのターゲットが変わる。

 短髪で無精ひげを生やした頭は俺たち三人へ向き、もう一方の髪もひげも長い頭はキリトら三人を見た。

 

 留まることなく、次の行動に移る。

 

「行くわよ」

 

 ユキノの合図で駆け出し、出せる限りの速度で石畳を走り抜ける。

 正面からはキリトたちが同じようにダッシュしてきている。正面衝突すればそれなりのダメージを受けるだろう。

 

 ぶつかる恐怖を堪え、速度を落とすことはしない。

 ちらっと左側面を見ればボスが武器を振りかぶっていて、今にもあの重たい武器を振り下ろさんとしていた。

 

 息を呑む。直後、グッと巨人の腕に力がこもった。

 右腕の剣にオレンジの、左腕の斧にライムグリーンの光がそれぞれ灯った。

 

 そのとき――。

 

『ゴオァ!?』『ウグォ……!?』

 

 轟き声が二つ(・・)上がり、ボスのHPバーが冗談のようにごっそりと減った。

 

 苦悶に呻くボスはそのままフラフラと後ずさりし、ゆっくりと背中側へ倒れていく。

 地響きを立てて仰向けになったボスの頭上には、ご丁寧に二つの円が回っていた。

 

「《気絶(スタン)》だ! 総員、畳み掛けろ!」

 

 リンドの掛け声を待つまでもなくレイドメンバーが殺到する。

 これまでの鬱憤をはらすかのような総攻撃により見る見るうちにボスのHPは減少していき、巨人が起き上がるころにはゲージの一段目を削りきっていた。

 

 やがてふらつきながら立ち上がった巨人は二つの頭で睨み合い、俺たちプレイヤーをそっちのけで言い争いを始めた。

 言葉はまったくわからないが、何やら罵っては頭突きをして両者とも痛みに呻く姿は一昔前のコントを見ている気分だった。しかも頭突きの度にHPも減るというおまけつき。

 

 緊張感に満ちているはずのボス部屋でシュールなコントを見せられ、広間は微妙な静寂に包まれていた。誰もが唖然とした顔で目の前の寸劇(コント)を眺めている。

 

 思いがけずに生まれたこの隙に考える。

 

 あのまま自滅してくれるわけもないだろうし、ここからどうしたもんか。

 とりあえず、もう一度さっきの動きを試してみるのがいいかもしれない。見た感じ両方ともバカっぽいし、ダメならダメでまた考えればいいだろう。

 

 そう思いつつボスを眺めていると、そっと隣に立ったユキノから声を掛けられた。

 

「あなたの持ってきた『情報』通りだったわね」

「……ほんと、びっくりするぐらいにな」

 

 言って肩をすくめると、ユキノは小さく笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 遡ること、およそ36時間前――。

 

 俺は25層のとある場所を訪れていた。

 

 真夜中にもかかわらず迎え入れてくれたその人物は投じた質問に目を見張ると、穏やかに笑みを浮かべて頷き、ゆっくりと詳しい話を始めた。

 

 まるで教師が生徒に教え聞かせるように。

 まるで好々爺が孫へ語り聞かせるように。

 

 そのじいさん――賢者は柔らかな口調で語った。

 

『ほっほっほ。お前さんの言い当てた通り、かの巨人の仲はすこぶる悪い。かつては目が合う度に争う犬猿の仲じゃった』

 

 きっかけは《賢者の探し物》クエストでボス部屋の扉を見たときだ。

 クエストをやった直後は気になった程度だったが、よくよく思い返してみればボス部屋の扉に妙な彫刻があった。

 

 武器をぶつけ合う二体の巨人と、双頭巨人型ボスの《エオテン》。

 加えてじいさんの『一つの体に押し込められた』という発言。

 

 『ケンカするほど仲が良い』とは言うが、それにしたって限度があるだろう。

 殴り合いならともかく、剣と斧で斬り合ってる奴らが仲良しと言えるだろうか。

 

 だから俺はじいさんに訊いたのだ。

 巨人の二つの頭は互いをどう思っているのか、と。

 

 そう訊ねた俺に、じいさんは破顔して語りだした。

 

『巨人があのような姿となったのも、彼の者らの争いによって土地が荒らされぬよう神々が憂慮した結果なのじゃよ。ああなっては相手を傷つけることもできぬ。身体と共に痛みも分け合っておるゆえにのぉ』

 

 さも愉快そうに哀れな巨人の境遇を笑うじいさん。

 「さてはこのじいさんがカミサマ本人なんじゃね?」と疑うほどだった。

 

 それはさておき、ようやくボス攻略のヒントが得られた俺は、そのままギルトシュタインへ取って返し、同じく徹夜を敢行していたレイドリーダーのリンドとアルゴへこの情報を伝えた。

 

 説明を終える頃にはもう朝になっていて、その日はユキノとの決戦日でもあったために眠れず。ユキノを説得してからも《軍》へ話をつけに行ったり、新しく仕入れた情報を加えての作戦立案をしたり、ボス戦に向けての準備をしたりと、色々あってほとんど寝る時間はなかった。

 

 いったい何十時間労働なんだ……。これじゃあブラック通り越してエスプレッソだ。とても眠気の覚めそうな職場だなと思いましたまる。

 

 

 

 とまれこうまれ。

 

 こうして巨人の仲の悪さにつけこんだ『オデコごっつんこ大作戦♪』はこのように相成ったのである。なんて頭の悪い作戦名だ。名付親がアルゴじゃ仕方ないね!

 

 発案と命名はともかく、効果は驚くほど高かった。

 

 一回目は《気絶》と仲違いによる追加ダメージを稼げた。

 

 二回目は《気絶》こそしなかったものの、ケンカダメージが倍増していた。

 

 三回目に至っては短髪無精ひげの方が、長髪顎ひげの方を殴り倒してしまった。残りHPはきっちり半分まで減って最後の一段に食い込んだ。

 残った方の頭も痛そうに呻いてたあたり、巨人的には苦渋の決断だったのかもしれない。

 

 その後、頭が一つになった巨人は戦い方が豹変した。

 静かになった方の頭が担当していたのだろう斧を捨て、大剣を手に駆け出したのだ。

 どうやら左右の頭で半々ずつコントロールしていた身体が、脳みそが一つになったことで統一されて軽快になったようだった。

 

 『オデコごっつんこ大作戦♪』の効果に高揚半分、戸惑い半分で構えていた攻略レイドは、巨人の豹変ぶりに驚愕して固まってしまった。

 

 被害が出なかったのは《血盟騎士団》のお陰だ。

 まっさきに進路へ立ち塞がった《血盟騎士団》のリーダーに続き、5人のメンバーも揃って盾を並べ、巨人の強烈な一撃を防いでみせた。

 

 リンドの喝で気を取り直すことができたのは、その時間を稼いだ彼らの尽力の賜物だ。

 

 その後はふたたびプレイヤー側に流れが傾いた。

 

 全長6メートルの巨体で暴れる巨人。

 けれど左手の斧は捨てていて、死角をカバーする片頭が沈黙したせいでソードスキルは連発できない。頼みの《鎧》も背中までは覆っていないと判れば最早こっちのものだ。

 

 正面にタンクを集めて防ぎ、後ろへ回り込んだアタッカーで攻撃する。

 単純で使い慣れていて、けど25層が始まってからは通用しづらかった戦法が、巨人には面白いほどにハマった。

 じいさんの話からして脳筋っぽかったし、頭の一つ一つはバカなのかもしれない。

 

 リンドの指揮の下、《ギルド連合》は一丸となってボスに挑みかかる。

 

 

 

 

 

 

 やがて攻略開始から2時間が経過した頃――。

 

 ついにボスのHPが赤く染まった。

 

 

 

 

 

 

 あれだけあったHPもあと僅か。

 

 もう少し。あと少し。

 

 そう誰もが思った――そのとき。

 

『ヴォアアアア!』

 

 ボスが猛烈な雄たけびを上げた。

 こういう兆候を見せたときはほぼ必ず何らかの特殊な攻撃をしてくる。

 

「何か来る! 注意しろ!」

 

 リンドが広間全体に呼び掛ける。その声で浮足立っていた連中もハッと身構え直した。

 

 ボスは鼻から大きく息を吐いた後、バカでかい剣を逆さにして持ち上げた。

 柄を両手で握り、剣先を下に向け、弓を引き絞るように両手を高く持ち上げる。

 

 意図を悟って動き出したときにはもうギリギリだった。

 

「うおっ……と!」

 

 とてつもない勢いで突き立てられた剣から衝撃波が広がる。辛うじて跳んで回避したそれは瞬く間に広間全体へ拡散し、48人のプレイヤーのほとんどを呑み込んだ。

 

 視界左側に並ぶHPゲージが軒並み減少する。パーティーメンバーのHPゲージがそれぞれ3割ほど削られていた。直撃したわけでもないのに、威力高すぎだろ。

 

 だが事態はそれだけにとどまらなかった。

 

 ダメージを受けた4人のゲージ――その脇に稲妻のアイコンが表示されたのだ。

 

 おいおい、《麻痺》とかでたらめすぎるだろ!

 

 《麻痺(パラライズ)》はあらゆるバッドステータスの中でも最悪な一つだ。

 威力や耐性にもよるが、数秒から下手をすれば数分もの間、ほとんど動くことができなくなるのだ。手先だけはゆっくりとなら動かせるから結晶を使えば《麻痺》を解除することもできるが、それにしたって十数秒はかかる。

 

 剣を引き抜き、獲物を物色するボスを前にして、その時間は長すぎる。

 

 ここで倒しきるしかない。

 そう思ったときにはもう駆け出していた。

 

 駆け寄るうちにボスの目が一つの方向で留まる。

 その先にいるのは集団の最前で倒れるリンドだ。

 

 みすみすリーダーを死なせるわけにはいかない。

 リンドをあいつの――ディアベルの二の舞にさせてはならない。

 

「よそ見してんじゃねぇよ!」

 

 全速力で接近してからの《ツインスラスト》を膝裏に叩き込んだ。足元へのダメージにさしもの巨人もたたらを踏む。

 

 それでもボスのHPはほとんど減っていない。

 俺の軽い一撃じゃあ手数が足りないのだ。

 

 出し惜しみできる状況じゃない。

 後ろの連中に見られてしまうが、今はこの場を切り抜けるのが最優先だ。

 

 決断したらあとは行動するのみ。

 槍を突き出した体勢から最小限の動きで《双影(ソウエイ)》、《ヘリカルトワイス》、《水月(スイゲツ)》、《月面宙返り(ムーンサルト)》、《ダブルシュート》へと繋ぎ、空中で槍を構える。

 

 ここまですでに7つのスキルを繋いだ。練習では成功率3割ってとこだったが、土壇場で上手くいってよかった。

 

 とはいえ、この先の8つ目。

 これは今まで一度も成功したことがない。

 現にソードスキルの待機姿勢を取っているにもかかわらず、槍の光は明滅していて安定しない。いつもならこのまま光が消え、硬直しながら無様に落下するだけだ。

 

 けれど今回は、今回だけは成功させなきゃならない。

 軋む全身に神経を張り巡らせ、ブレる槍を無理やり抑え込み、巨人の額その一点だけに集中する。

 

 体感時間の引き延ばされた一瞬が経過した後――。

 

 明滅が収まり、深紅の光が槍を包んだ。

 

「……らぁ!」

 

 内心で「ゲイ・ボルク!」と叫びながら槍を投げ放った。

 

 

 

 《デスペレイト・ジャベリン》。

 

 

 

 名前の通り、装備している槍を全力投球するソードスキルだ。

 有効射程距離はおよそ30メートル。飛翔時間はゼロコンマ2秒。

 威力は他の《槍》ソードスキルと一線を画す超強力なもので、両手剣の単発重攻撃に匹敵する。

 

 投じた槍は過たずボスの頭部に直撃した。

 それまでの連撃と合わせ、ボスの残りHPの約半分を削った。

 

 悲鳴を上げるボスの前で、スキル後の硬直に縛られ無様に落下した俺は、周りのプレイヤーと同じように石畳の上に転がった。ついでにHPが1割ほど削れた。

 

 

 

 この強力なソードスキルの欠点は2つ。

 

 一つはスキル後の硬直の長さ。

 きっかり15秒という、とんでもなく長い硬直を強いられる。

 

 もちろん、こんなものをホイホイ使っていたら、硬直中にタコ殴りに遭って殺されるだろう。

 乾坤一擲。文字通りのイチかバチかなスキルなのである。

 

 

 

 そしてもう一つ、このソードスキルには重大な欠点がある。

 

 

 

「……強化値+7までいってたのになぁ」

 

 投擲した槍は耐久値が全損し、お亡くなりになってしまうのだ。

 お陰で22層から使い続けてたお気に入りを失ってしまった。鍛え直しとかホント勘弁して欲しい。ただでさえ職人クラスとの付き合いがなくて苦労してるってのに……。

 

 とはいえ、後悔している場合じゃない。

 

 一気に大ダメージを与えたせいで、ボスの目は完全に俺へ向けられていた。お陰でリンドへ向いていた視線は逸れ、鼻息荒くこちらへ歩いてくる。

 

 スキル後硬直を強いられてる中であの大剣の一撃を喰らえば、紙装甲の俺なんてあっという間にお陀仏だろう。

 

 腹の奥がキュッと締め付けられる感覚。

 けれど恐怖はそれほどでもなかった。

 

 

 

「おおぉぉ!」

 

 もう一人、動けるやつがいることはわかっていたから。

 

 

 

 雄叫びと共に飛び込んだキリトの六連撃技《スター・Q・プロミネンス》が、ボスの無防備な背中で炸裂した。

 筋力値の高いキリトだけに、一撃一撃がガリガリとボスのHPを削っていく。

 

 断末魔の叫びを上げる巨人。

 確実に減少していくHPはそのままゼロまで――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 届かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 技を終え、キリトの身体が固まる。

 

 

 

 ボスが新たな狼藉者へと向きを変え、剣を振りかぶった。

 

 

 

 大剣の切っ先が頂点で止まり、やがて動き始める。

 

 

 

「キリトくん!」「キリト!」

 

 

 

 誰かの悲鳴が上がる。

 

 けれど無慈悲な巨人は止まらない。

 

 

 

 驚愕の表情を浮かべるキリトが目を閉じ、その頭上に大剣が振り下ろされる。

 

 その瞬間――。

 

 

 

「むん!」

 

 

 

 白銀の影が割り込み、長大な盾で大剣を受け止めた。

 

 一瞬の拮抗。滑る剣。割れる盾。

 

 ポリゴンの舞う中、クリムゾンレッドに染まった剣がボスの胸元を一閃した。

 

 

 

 静寂が広間を包む。

 

 この場の全てのプレイヤーが固唾を飲んで見守る中、ほんのわずかに残っていたボスのHPは今度こそゼロになり、消えた。

 

 

 

 強烈な光が弾ける。

 

 思わず目を閉じ、ゆっくりと開く。

 

 

 

 

 

 

 ボスを構成していた欠片が晴れたその場所には、一人の騎士が立っていた。

 

 

 

 後に《聖騎士》と呼ばれるヒースクリフの、鮮烈なデビューの瞬間だった。

 

 

 

 

 

 




次回で2章は完結となる予定です。


……終わる予定です。メイビーネ!


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第二十二話:ようやく彼と彼女の間違った始まりが終わる。

今回は長めな構成になっています。

22話です。よろしくお願いします。


 

 

 

 一瞬の出来事だった。

 

 俺の連続攻撃とキリトのソードスキルを受けてなお、わずかにボスはHPを残した。

 ほんの少し、あと一撃加えるだけで倒せるだろう針のような赤(HP残量)

 背中からの攻撃によろめくボスに、けれど止めを刺せる者はいなかった。

 

 いなかったはずだ。

 

 《デスペレイト・ジャベリン》のスキル後硬直で落ちる間、俺はボス部屋に散開したレイドメンバーが見えていた。少なくとも《血盟騎士団》が配されたC隊ははっきりと見えていた。

 

 彼らは一人残らず先のボスの一撃で倒れていたはずだ。

 白銀の鎧を着た騎士が六人、《麻痺》で動けなくなっていたはずだ。

 

 にもかかわらず、絶体絶命のキリトは守られた。

 動けないキリトとボスの大剣の間に滑り込んだ人影は、大質量の剣を受け止め、流した。

 ボスの一撃で盾こそ壊されたものの、反撃で巨人の胸を薙ぎ、倒した。

 

 砕けたボスのポリゴンが晴れたとき、そこに立っていたのはヒースクリフだった。

 寸前まで《麻痺》で倒れていたはずの男だった。

 

 一体どうやって――。

 

 そう考えた瞬間、広間を歓声が包み込んだ。

 

 ボスが倒れて《麻痺》が解除されたのか、誰もが立ち上がって喜びを分かち合う。

 ギルドメンバーと、パーティーメンバーと、隣にいるやつと、手を叩き、握手をし、激戦を制したことを喜び合っていた。

 

 キリトはアスナに飛びつかれ、ポカポカと胸を叩かれている。こらそこ、イチャイチャするんじゃありません。

 しどろもどろになってキリトが謝るもアスナは離れず、結局キリトはそのままの体勢でヒースクリフへ顔を向けた。

 

「ディフェンス感謝する。お陰で助かった」

「なに、こちらこそ美味しいところ取りをしたようですまないね」

「いや。あの盾さばきも、鎧の上の隙間を狙う技量も見事なもんだった。一瞬とはいえ、あの攻防を見たんだ。誰も文句は言わないさ」

 

 そう言って、キリトが手を差し出す。アスナもさすがに空気を読んで離れた。

 ヒースクリフはわずかに逡巡した後、小さく笑みを浮かべ手を握った。

 

 少しだけ、その笑みが引っかかる。

 

 どうやって《麻痺》を解いたのか。解毒結晶を使ったのか。

 解毒結晶だとしたら、どうしてあんなにも早く取り出せたのか。

 俺と同じようにボスの挙動から勘付いたのか。それとも――。

 

「なにをそんなに胡乱な、いえ、腐った目で見ているのかしら?」

 

 ふと横から涼やかな声がかけられた。

 振り向くと、そこにはユキノが立っている。

 

「おい今の言い直す必要あったか。それと、目つきが悪いのは元からだ」

「あら、ごめんなさい。胡乱なのはあなたの方だと思っててっきり」

「失礼だなオイ」

 

 ほんと失礼なやつだ。連日朝から晩まで酷いときには朝から朝まで働いているまじめな俺を捕まえて胡乱だとは。嘘もつく上に仕事は適当なマイナーだし間違ってないな。

 

 せめてもの反抗にとジト目を向けると、ユキノはクスリと笑う。

 

「それで、なにを気にしていたの?」

 

 問われて、もう一度ヒースクリフへ視線を向ける。

 

 ヒーローインタビューを受けるかのごとく何人ものプレイヤーに囲まれる騎士の顔に先程感じたような違和感はなく、《麻痺》からの驚異的な持ち直しの早さを気にかける者もいない。

 

「……いや、なんでもない」

 

 たぶん、過敏になっていたんだろう。

 今回のボス戦は戦闘時間も長かったし、緊張状態が続いて疲れたのかもしれない。

 

「…………そう」

 

 答えた俺に、ユキノは微笑みかけてくる。

 

「なら、これでこの層の攻略は終わりね。お疲れ様」

「……ああ、お前もお疲れ」

 

 頷きを返して、歩き出す。

 

 熱戦の余韻は、その後もしばらく冷めることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 その夜。

 第26層主街区《オブシディア》にて、祝勝会兼《ギルド連合》結成記念パーティーが開催された。

 

 場所は《オブシディア》中央に建つ大きな屋敷の庭先だ。

 25層の砦も立派なもんだったが、こっちの大邸宅も負けてない。

 

 主催はエギルも参加している《アインクラッド商工会》。数多くの商人や職人が名を連ねているだけあって、企画から会場設営までを驚くほどの手際で進めていた。

 加えて職人クラスの中には《料理》スキルに熟達しているやつもいるらしく、会場に置かれた長テーブルの上には所狭しと目にも美味しい料理が並んでいる。皿の近くにはプレイヤーの名前や店の名前らしきものが書かれたプレートがあるあたり商魂たくましい。

 

 お陰でリンドが乾杯の音頭を取って始まったパーティーは当初、参加者のほとんどが並んだ料理をかきこむという趣旨とはかけ離れた光景が繰り広げられた。肉まんが最高に美味かった。

 

 その後ある程度腹が膨れると談笑が始まり、中でも今回ラストアタックボーナスを獲得したヒースクリフは数多くのプレイヤーに囲まれていた。

 

 特にその左手。

 巨人の攻撃を防いだ際に失ったものの、新たに得た『盾』に羨むような視線が送られる。

 

 中央に女神の姿が象られた純銀のそれは、あの巨人型ボスの胸にあった鎧とよく似たデザインをしている。仮に同じものが『盾』としてドロップしたのであれば、『あらゆる災厄を払う』と言われるほどの防御力を持っているはずだ。

 

 そんな25層フロアボスのLAボーナスだという盾の名前は――。

 

「『アイギス(Aigis)』か。見事な品だ。できることなら私が勝ち取りたかったが……」

 

 ヒースクリフを囲む一人、《天穹師団》の女性プレイヤーは、悔しそうに唸った。

 放っておけば頬擦りでもしそうな雰囲気の女性を、斜め後ろに立つ青年が諫める。

 

「確かに君はアテナって名乗ってるわけだし、アイギスって聞いたら欲しくなっちゃうのもわかるけど、いくらなんでも自重してくれよ」

「……わかっている。だがヘルメス、せっかく《連合》に名を連ねたんだ。これを機に私も新しい盾が欲しいぞ。いや、戦力的にも作るべきだ。そうに違いない」

「わかったわかった。ヴァルカンに頼んでおくよ」

 

 ため息を吐き、青年はヤレヤレと首を振る。

 そんな二人のやりとりを見ていた《天穹師団》リーダーは、ヒースクリフに対してスッと腰を折った。

 

「すみません。彼女も悪気があるわけではないんです。ただ少し欲望に忠実なだけで」

「無論、気にしていないさ。このような逸品は誰しもが求めるもの。ましてやそれが思い入れのある品ともなれば尚更だろう」

 

 ヒースクリフが大人の対応をすれば、パーシアスは再度一礼して振り向き、ギルドメンバー二人を連れてその場を後にした。

 

 それにしても《パーシアス》に《アテナ》、《ヘルメス》ねぇ。見事にギリシャ神話で統一されてるわけだ。《天穹師団》ってのはみんなそんな感じなのかねぇ。

 

「けど、じゃあ《ヴァルカン》ってのは……」

「《ヴァルカン》は《ウルカヌス》の英語読みよ。そして《ウルカヌス》はローマ神話における鍛冶の神。ギリシャ神話でいう《ヘパイストス》ね」

「ああ、なるほどな」

 

 さすがユキペディア。神話にまでお詳しいとは恐れ入る。

 

 ちらっと視線を横へと向ける。

 圏内でパーティー会場ということもあり、今のユキノは白地に青い雪模様があしらわれた羽織に紫紺の袴の和装だ。いつもは括っている髪も下ろしている。

 

 白い肌に腰まで届く黒髪の和服美女だ。西洋ファンタジーが主体のSAOでは異質だが、細かいことを気にさせない(・・・・・・)華やかさがあった。

 となると必然、目立つ。元《攻略組》の人間は見慣れたものだとはいえ、こういう大人数の集まる場では恐ろしく人目を惹く。

 

 現にこちらを見て気を窺ってる輩はそこかしこにおり、同時に隣の冴えない男を嘲る眼差しも多々あった。1層のアレ以降で慣れたから何とも思わないけどな。寧ろ存在を認められて嬉しいまである。

 

 一方、現在進行形で奇異の目にどぎまぎしている俺と違い、ユキノはどこ吹く風とばかりに泰然としていた。周囲の視線を気にする素振りもなく言葉を続ける。

 

「あなたのここ数日の行動、アルゴさんに聞いたわ。また無茶をしたものね」

「まったくだ。もうしばらく徹夜はしないし、なんなら休暇をもらうね」

「徹夜の方はともかく、攻略を休むことはできないのではなくて」

 

 くすっと笑みを浮かべて、ユキノが目を向けてくる。

 

「聞いたわよ。あなた、自分からあの役職を選んだのでしょう。ねえ、たった一人の『先行偵察隊員』さん?」

 

 あーくそっ、アルゴのやつ、喋り過ぎだろ。

 

 顔が苦々しく歪むのがわかる。

 ユキノはしばらくその挑発的な眼差しを続けた後、わずかに目を伏せた。

 

「リスクに見合わないと知っていながら、それでもあなたはそうするのね。一度死にかけたというのに、懲りていないのかしら?」

「我が身が一番のマイナーボッチだからな。他人と合わせる必要がない仕事の方がいいんだよ。ソロで稼いでる分レベルもそこそこ高いしな」

 

 そう。たとえ組織に所属したとしても、所詮は『マイナー』。

 自分が生き残るため、自分の願いのために行動する、自分勝手な地雷プレイヤーだ。

 人に関わればロクなことにならず、引っ掻き回して迷惑をかけるだけ。

 

 最低最悪の『マイナー』がそれでも最前線に残るなら、吸った蜜の分くらいは働かなきゃ追い出されちゃうからな。少々のリスクくらい呑み込むべきだろう。

 

 そんな俺の浅はかな考えなどお見通しらしい。

 ユキノは横目にジッと見てきた後でごく小さな声で呟いた。

 

「……すべての人があなたを気に掛けて、嫌っているなんて自意識過剰よ」

 

 零れ落ちたユキノの言葉に鳩尾の奥がずきりと痛んだ。

 反論の余地もない不意打ち。視線が足元へ落ちる。

 

 けれど――。

 

「少なくとも――」

 

 口を閉じた俺に、ユキノは囁くのをやめない。

 

「私は、あなたを知っている。だから私も一緒に行くわ。あなたの卑屈な思い込みを矯正する必要があるし。それに……」

 

 そこで一度息を継ぎ、小さく深呼吸をして、困ったように微笑んだ。

 

「傍で見ていないと落ち着かないもの」

 

 

 

 そのときの感情をなんと言い表すのか、俺にはわからない。

 

 苦しいような甘いような、痺れるような感覚。

 

 頭も顔も熱いのに、身体は冬の日のように震える。

 

 そしてなにより、ユキノをまともに見ることができない。

 

 

 

 強張った体をどうにか動かして、ため息に似た深呼吸をする。

 

「…………好きにしろよ。どうせ断っても無駄なんだろ」

「どうかしら。本気で嫌と言われれば考えるけれど」

 

 珍しく殊勝な態度の彼女に、思わず視線を送る。

 するとそこには待ち構えていたユキノの笑みがあった。

 

「でも、そうね、部長命令ということでどうかしら」

 

 いつだか聞いたのと似た言葉。

 確かあのときも一緒に行くと言って聞かなかったんだったか。

 

 一応の言い訳として暦を考え、総武高校の部活動の常識と照らし合わせて答える。

 

「まだ5月だしな。引退するには早いか」

「ええ」

 

 諦めて息を吐き、差し出されたグラスに自分のものを合わせる。

 ガラスのぶつかる音が鳴り、どちらともなく中身を口にした。

 赤ワインのようなそれはしっとりと甘く、そしてほんの少しの渋みがあった。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 祝勝会の夜は更けていく。

 

 広い会場の端から全体を見渡すことはできず、かといって俺もユキノも人を訪ねて歩き回るような性分じゃない。

 時折、俺たちを見つけて近付いてくる顔馴染みとは言葉を交わすものの、そいつらが去ってからはまた静かに会場を眺めているだけだった。

 

 そんなことだから、『彼ら』がここにいるとは思ってもいなかった。

 

「あ、やっと見つけた」

 

 声に振り返ると、そこには――。

 

「サチ?」

 

 水色のワンピースに身を包んだサチがいた。

 

「こんばんは」

「お、おう。え、っていうか、お前なんでいんの?」

 

 思わず正直すぎる問いを返してしまう。

 言った後で失言だったと気付くも遅く、サチは苦笑いを浮かべた。

 

「アハハ……。なんていうか、予想通りの反応だね」

「すまん。今のは言い方が悪かった」

「ううん。いいの。驚かそうと思って黙ってたのは私の方だから」

 

 黙ってた? なんのことだ?

 

 いまいち話が呑み込めずにいると、今度は背中を突かれた。

 振り向いてみれば、ユキノが訝しげな顔で覗き込んでいた。

 

「ハチくん、そちらは?」

「ああ、お前は初対面だったか。こいつはサチ。ギルド《月夜の黒猫団》のメンバーで、職人クラス兼務の支援職だ」

「は、初めまして」

 

 ユキノにサチを紹介する。

 サチは若干上擦った声で言って腰を折った。

 

「で、こっちがユキノ。ちょっと前まで《攻略組》のリーダーを務めてた」

「ええっ! あなたがあの(・・)ユキノさん!?」

「『あの』というのが何を指しているのかはわからないけれど。初めまして」

 

 苦笑いを浮かべてユキノが手を差し出す。

 するとサチは焦ったように両手で手を取った。そのまま握った手を自身の胸元へ持っていき、ユキノにぐいっと詰め寄る。

 

「あの! あの、私、ユキノさんにずっと憧れてて、ユキノさんみたいに強くなりたいって思ってて、いつか会ってみたいと思ってたんです!」

 

 ああ、こいつもファンだったのか。そりゃ興奮するわけだ。

 

 一方、握手のつもりで差し出した手を抱え込まれ、キラキラした目で間近に迫られたユキノの方はというと、どうしたものかとタジタジになっていた。

 普段は落ち着いてるくせに、純粋無垢なやつに接近戦を挑まれると弱いからなぁ。

 

 このままゆるゆりシーンを眺めててもいいのだが、悪乗りすると後が怖いのでこの辺りで助け舟を出しておく。

 

「で、お前は結局なにしに来たんだ? あと、ケイタたちはどうした?」

 

 訊ねると、サチはようやく我に返ってユキノから離れた。

 気恥ずかしそうに手を揉みつつ答える。

 

「ケイタもみんなも来てるよ。今は向こうでキリトと話してる。私は、ここでならハチに会えるかなって思って探してたの」

「全員来てるのかよ。ってことはなんだ、お前らも《連合》に入ったのか?」

「うん。キリトに誘われてね」

 

 ほーん。あのキリトがねぇ。よっぽど気に掛けてるんだな。

 

「なるほどな。お前がここにいる理由はわかった。で、じゃあ何で俺を探してたんだ?」

 

 するとサチは視線を逸らし、またしても恥ずかし気に手を揉み始める。もじもじちらちらとこちらを窺い、やがてストレージから折り畳まれた布を取り出した。

 

「前に《裁縫》スキルが育ったらって話をしたでしょ。熟練度はまだまだなんだけど、ハチから貰った素材で作ったのが上手くいったからお礼にと思って」

 

 差し出された布を受け取り、ステータスを表示させる。

 ふむふむ。《シーカーマント》ね。防御力はほとんどないが、敏捷力にボーナスが付くのか。なかなかいいな。――ん?

 

「おいおい、《索敵》と《罠解除》が50も底上げされるじゃねぇか」

 

 最前線で目にする防具や装飾品と比較しても破格の効果だ。

 《索敵》の補正値もそうだが、その派生である《罠解除》まで付随しているのは滅多にない。これだけ効果が高いものとなれば初めてだ。超が付くレアアイテムと言っていい。

 

「すごいでしょ。追加効果の判定がたまたま上手くいったの」

 

 サチがそう言ってはにかむ。地道に《裁縫》スキルを鍛えてきた結果が早くも現れたということだろう。

 

「これ、売ったらかなりの高値になるぞ」

 

 俺に譲るより売ってサチとギルドの収入に充てた方がいい。

 そう言外に匂わせて伝えたが、サチは困ったような顔で首を振った。

 

「《商工会》の人にもそう言われた。けど、それはあなたに渡そうって思ったから」

「……ダッカーのやつはシーフだったよな。あいつに使わせた方がいいんじゃないか?」

「それも考えたけど、やっぱり最初はハチにって思って。みんなにも訊いて、それでいいって言ってもらえたから」

 

 みんなとは黒猫団の連中だろう。が、あれだけの真似をした俺にこんなレアアイテムを譲ろうと考えるだろうか。

 考えられるとすればサチへの配慮か、あるいは手切れ金代わりか。どちらにせよ受け取るのが正解な気もする。いや、けどなぁ……。

 

「要らないことを悩んでいないで、黙って受け取りなさい」

 

 ぐずぐず悩んでいると、ユキノにバッサリ言い切られてしまった。

 

「いや、けどな……」

「けども何もないわ。そもそも女性から贈り物をされて断れるほど、あなたの半生は満ち足りたものではないでしょう。寧ろここは涙を流して喜ぶ場面ではないかしら」

「失礼だなオイ。俺だって贈り物を貰った経験くらいはあるぞ」

「小町さんと親御さんを除いても?」

 

 なんでだよ。お袋はともかく、小町からのはカウントしたっていいだろ。確かにここ何年かはもらってないが。

 最後にもらったのは二年……いや、三年前か? 聖ヴァレンティヌスの日にチョコパイもらって「ホワイトデーはよろしく♪」って言われたような……。

 

「目を腐らせるのは結構だけれど、ともかく彼女からの贈り物は受け取りなさい」

 

 呆れたようにため息を漏らすユキノの声で我に返り、サチへと目を戻す。

 どうしようもない会話を前に困った顔を困惑顔に変えたサチは、それでも目が合うとはっきり頷いた。

 

「……わかった。ならありがたく貰っとく」

「うん!」

 

 観念してそう言うと、サチは顔を綻ばせた。純粋な笑顔が眩しいです。その輝きは大天使トツカエルに勝るとも劣らず。これが大天使サティエルか。

 

「サチ。ここにいたんだな」

 

 頭の悪いことを考えていると、天使に近付く黒衣の剣士が一人。

 

「ハチにユキノさんもお疲れ様」

 

 そう言ってキリトはグラスを差し出してくる。

 

「ええ。あなたもお疲れ様」

「お前、あいつに捕まってたんじゃなかったのか?」

 

 先にユキノが、次いで俺がグラスを合わせると、キリトは苦笑いを浮かべた。

 

「ハハ……。まあ、ここに来るまではな」

 

 どうやらあのボス部屋からここまでアスナに引きずり回されたらしい。キリト本人は困った顔だが、そんなんじゃお前、いつかあいつのファンに刺されるぞ。

 

「えっと、キリト……? どうしたの?」

 

 微妙な空気を察して、サチが恐る恐る訊ねる。キリトの態度とか捕まるとか、事情を知らないやつからしたらそりゃあ不穏だよな。

 

 キリトは慌てたように手を顔の前で振った。

 

「いや、なんでもない。……それより、さっきケイタから誘われたんだ。俺も《月夜の黒猫団》に入らないかって」

 

 へぇ。キリトが黒猫団にねぇ。よほど信頼されたんだな。

 キリト自身彼らのことは何かと気にしていたし、そういう話になるのが自然か。

 とはいえ、キリトがギルドに入るとなると黙ってないやつが一人いるんだが、その辺りわかってるのかねぇ。

 

「断る理由もないし、喜んで仲間に入れてもらおうかと思ってさ。それで、そうとなったらフォーメーションの練り直しだって話になって、サチを呼びに来たんだ」

 

 あー、これはわかってないな。というよりも寧ろ、視野が狭くなってる感じか。

 わざわざ呼びに来るあたり気があるんだろう。本人が自覚しているかはともかくとして。

 

「そっか。うん。わかった。キリトが入ってくれるなら頼もしいね」

 

 サチはニッコリと微笑む。それだけでキリトはわかりやすく頬を緩めた。

 なんとも言い難い心境のこちらを他所に、丸見えの喜色には気付くことなくサチは振り向いて表情を改めた。

 

「じゃあ、私は戻るね。ユキノさんも、ありがとうございました」

「また攻略で」

「ええ。また」

「じゃあな」

 

 穏やかな顔のサチと満足げなキリトに答えて見送る。

 遠ざかっていく二人の背中――特に背筋がピンと伸びている黒服の方を見ていると、思わずため息が漏れてしまう。

 

「キリトが黒猫団にねぇ」

 

 おいおいこれどうするんだよ。アスナが怒鳴り込んでも知らねぇぞ。

 

 先に待つ修羅場を想像してもう一度ため息を吐く。

 ユキノも表情こそ変わらないものの、困ったように小さく息を吐いた。

 

「突然のことだけれど、アスナさんは納得しているのかしら」

「納得してるわけないじゃないですか」

 

 うおっ! なんだこいつ、いつからいたんだよ。

 

「ずっと一緒にやってきたのに、何の相談もなくギルドに入るなんて信じられない!」

 

 振り向いた先でアスナは腕を組み、頬を膨らませて仁王立ちしていた。

 そりゃあ1層からずっとコンビ組んでたんだし怒るのはわかるが、それにしてもスニーキングは愛が重いんじゃないですかねぇ。

 

「あー、一応訊いとくが、お前も黒猫団に入る気は……」

「ありません! そこまで見境なしじゃないわよ」

 

 あーよかった。これで『私も入ります。彼の隣は譲れません!』とか言い出したらどうしようかと思った。いや、言われたところで止められるわけがないんだが。なんというか物理的に。

 

 アスナの冷静(?)な切り返しに、ユキノはふむと顎に手を当てる。

 

「そうね。彼の方から距離を取ったのだもの。何か思うところがあるのかもしれないわ。加えて《攻略組》という集団は《ギルド連合》という組織になった。いつまでもギルドへ入らずに個人参加というのは現実的ではないでしょうね」

 

 確かに。《ギルド連合》が攻略の主体になる今後は、ギルドに未所属のまま攻略に参加していくのは難しいかもしれない。

 

 《連合》の一員なら優先的に受けられるサポートもなく、外様の立場は益々厳しくなる。

 俺みたいなはみ出し者ならともかく、キリトやアスナのような主力プレイヤーは遅かれ早かれどこかのギルドに所属する必要があるだろう。

 

 そういう意味でいえば、キリトがこのタイミングで黒猫団に入るのは間違ってない。

 トッププレイヤーの一人であるキリトが加入すれば、《連合》に加盟したばかりの《月夜の黒猫団》の知名度・地位の向上に繋がる。淡い期待だけで決めたわけじゃないだろう。たぶん、恐らく、メイビー……。

 

 アスナもその辺りは理解しているのか、大きく頷いて答えた。

 

「はい。なので私もどこかのギルドに所属しようと思うんですけど、ユキノさん、一緒に有力なギルドはどこか見極めに行きませんか?」

 

 なるほど。そういうことか。

 

 つまりアスナは自分が所属するギルドを探していて、そのためにユキノの意見を欲しがっているのだ。

 ユキノが認めたというだけで信用できるし、なんならユキノ自身が加入する可能性もある。なんせ自分で勧めたギルドなのだから。

 

「私が? いえ、けれど私は……」

 

 戸惑うように呟いて、ちらっとこちらへ視線を送ってくる。たぶん、さっき言ったことを気にしているんだろう。

 俺個人の意見としてはこのままアスナと一緒にどこかのギルドへ腰を落ち着けてもらいたいが、ユキノの性格上それはない。

 

 となれば、俺にできるのはユキノが戻ってくるまで待っていることだけだ。

 

「行ってこいよ。別にお前自身が入らんでも見繕うくらいはできるだろ」

「……そうね。では行きましょうか」

「はい!」

 

 納得したらしいユキノがアスナと一緒に歩き出す。

 去り際、アスナが振り向いてウィンクしてきた。

 

 ハァ……。そういうのはキリトにやってくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。

 晴れて一人(ボッチ)になったことだし、のんびりしますかね。

 

 会場の隅に背中合わせのベンチを見つけ、どっさり腰掛けた。

 三分の一ほど残ったワインのようなジュースをちびちび飲みながら、ぼーっと灰色の天蓋を見つめる。

 

 そうしていると、段々瞼が重くなってきた。

 思えば今日まで三日間、ほとんど寝ずに動いてきたしな。ユキノが戻ってくるまではそれなりに時間もかかるだろうし、タイマーかけてひと眠りするか。

 

 そう思ってウィンドウを開いた、そのとき――。

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様。とーっても大変だったね、Darling♡」

 

 

 

 

 

 

 耳元で囁かれた声に、意識が一瞬で覚醒する。

 

 バッと音が鳴るくらいの勢いで振り向く。

 背中合わせになった反対側に、輝くような金髪があった。

 

 見間違いじゃない。見間違えるはずがない。

 完全に背を向けていて顔は窺えないが、それでも絶対に人違いなんかじゃない。

 

 いつの間に、とは思う。

 音も気配もしなかったし、当然《索敵》スキルにも反応はなかった。

 ウトウトしていたとはいえ、声を掛けられるまで気付かなかったのはなんとも迂闊だ。

 

 けれどそんなことはいい。

 ただ一つだけ。気になるところがあった。

 

「お前、いつの間に……」

「DarlingのことならAlwaysお見通しだよー。それともこっちのことかな?」

 

 俺の疑問を見抜いたように、背中越しに話すパンは自身の頭上を指し示した。

 

 前回会ったときは《犯罪者》を示すオレンジ色だったカーソル。

 それが今は緑色に、『元の色』に戻っていた。

 

「なんでわかるのかって? フフ、power of loveよ。もっとDarlingの傍にいたくてね。Clean upしてきたの」

 

 ニコニコと笑っているのがわかる声音だった。

 こっちの疑問も呆れも、なにもかもさらって笑い飛ばすような快活さ。

 

 気が付けば息を吐いていて、眠気も緊張もどこかへ消えていた。

 

「カルマ回復クエスト、か。今さらグリーンに戻って、どうするつもりだ?」

「それはsecretだからねー。Darlingにも教えられないかな」

 

 その言い方でなんとなくのところを悟る。

 つまるところ、これは改心の証ではなく、今後のための布石なのだ。

 

 ため息を吐いて、元の背中合わせに戻る。

 

「奴らと縁を切ったわけじゃないんだな」

 

 ごく小さく、パンが息を呑んだのがわかった。

 それからいつものようにおどけた口調で訊ねてくる。

 

「……Darlingにはわかっちゃうんだね」

「お前が本気で足を洗ったんなら、こんなコソコソしたりせずに正面から乗り込んでくるんじゃねぇの。知らんけど」

 

 たぶん、そのときは真正面から、ユキノを猫可愛がりながらやってくるのだろう。

 ほんの数回しか見ていないというのに、そんな光景がありありと思い浮かんだ。

 

 お互いに何も言わない時間が過ぎる。

 一分経って、二分経って、三分が経過するかという頃。

 

 パンは穏やかな、それこそ温泉にでも入ったときのようなため息を漏らした。

 

「ハァ……。You always make me happy, Darling♡ だから教えてあげる」

 

 言って、ベンチが軋む音がする。

 

 そうして両の肩に手が置かれ、耳元に寄せられた口から甘やかな音が零れた。

 

 

 

 

 

 

「Congratulations.予想以上の結果だったよ」

 

 

 

 

 

 

 耳元で囁かれた言葉。

 それを聞いた瞬間、身体が震えた。

 

 

 

 ずっと、探し続けたやつがいた。

 

 そいつはキバオウたち《ALS》を唆し、壊滅させ、《攻略組》を分裂させた。

 情報一つで大ギルドを動かし、《軍》の結成に働きかけ、ユキノを陥れようとした。

 

 事態を裏から操っていた黒幕。

 俺はそれが《笑う棺桶(ラフィンコフィン)》リーダーの《PoH》だと考えていた。

 

 だが。

 

 だがもしも、奴一人の仕業でないとしたら。

 

 殺人(レッド)ギルドが、今ここにいる『こいつ』までもが絡んでいたとしたら。

 

 もしかして、こいつは――。

 

 

 

「パン、お前――」

 

 振り返ると、そこには誰もいなかった。

 ベンチの裏には背の高い茂みと、その向こうには夜の暗闇が広がっている。

 人影一つ、痕跡一つ見つけることはできなかった。

 

「See you again, Darling」

 

 ただ一言。

 呆然とする俺の耳にふと、そんな声が届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第二章 完

 

 

 







というわけで、これにて第2章も完結となります。

振り返ってみれば、描きたい情景が上手く表現しきれずモヤモヤした章でした。



次章は各層を飛び飛びに、数話ずつで構成していくつもりです。

可及的速やかに仕上げていきますので、今後ともよろしくお付き合いください。


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第3章
第一話:その部屋には、甘い紅茶の香りがする


なかなかまとまった時間が取れず、少し遅くなってしまいました。

今話から第3章の開始となります。
よろしくお願いします。





 

 

 六月に入ってからというもの、アインクラッドでは頻繁に雨が降るようになり、どこにいても不快指数の高い日が続いていた。

 

 今年も梅雨がやってきた。

 天蓋で覆われてるはずのアインクラッドでなぜ雨が降るのかは知らないが、気温が上がって湿度の高くなるこの頃は、SAOに過ごす者にとって最も鬱陶しい季節である。

 

 なんせSAO(ここ)には満足に入れる風呂がない。

 いや、あるにはあるのだが、風呂付きの宿は値段が三倍に跳ね上がるし、シャワーのように便利なものはない。精々がバスタブに湯を溜め、石鹸で身体をこするくらいしかできない。

 

 幸いここはゲームの中なわけで、風呂に入らなかったからといって《不潔》や《悪臭》なんかのバッドステータスがあるわけじゃない。雨で濡れたとしても着替えるだけで問題ないし、最悪放っておけば勝手に乾く。風邪をひくようなこともない。

 

 合理性だけを考えるなら風呂に入る必要は全くないのだ。そりゃあ中には効能付きの温泉に入ることで一時的にステータスを上昇させることができる場合もあるが、わざわざ通うほど効果が高いわけでもない。

 

 とはいえ、纏わりつくような空気と滲み出る汗が不快なことは変わらない。臭いも汚れも残らないとはいえ汗が染みた服を着続けるのは気分が悪いし、『汗をかいた』と脳が知覚したのならそれらを流してさっぱりしたいと思うのはもはや本能に近いのだろう。

 

 だからこそこの部屋を選び、29層攻略までの拠点としているのだが。

 

「待たせてしまってごめんなさい」

 

 そう言って、ユキノがバスルームから出てきた。しかも攻略時の袴姿ではなく、シンプルな浴衣姿だ。昼間は括っている髪も下ろしている。

 時と場所と状況が違えば(ねんご)ろな関係と疑われるかもしれないが、もちろん違う。っていうか、こっちがビビるくらい無防備が過ぎる。

 

 一方で、ユキノの方は特に気にした様子もなく近付いてくる。

 

「昨日も私が先にお湯を頂いたけれど、いいの? この部屋の賃料は折半なのだから、入浴の順番も交互にするのが妥当だと思うのだけれど」

「ああ。俺は別にいつでもいいからな。それにお前は和服で俺より厚着だろ」

 

 以前までのユキノならこういう気遣いにも「あら、そんなに私の残り湯を楽しみたいのかしら。変態谷くん」と憎まれ口を返してきただろう。

 だが――。

 

「そう。ありがとう。なら、その厚意に甘えさせてもらうわね」

 

 ユキノの声は穏やかで、言いながらフッと微笑を湛える。そうして濡れた髪をタオルで撫でつつ、二つある内の奥のベッドへ腰掛けた。

 

 そう。この部屋は風呂付きのツインルーム。

 つまり二人で一つの部屋を借りているのである。

 

 言い訳をすれば、こうすることを提案したのはユキノの方で、俺は寧ろ反対した。

 当然だ。SAOはれっきとしたゲームでシステムに保護されているとはいえ、高校生の男女が同室で寝泊まりするのは問題がある。決して問題のある行動を起こそうとかそういうわけじゃないにしても、一般常識的に考えて大問題だろう。

 

 だというのに、ここ数日ユキノは色々と理由を付けては同じ部屋で寝泊まりすることを要求してきた。

 俺もなんだかんだと抵抗はしたが、「勝手に部屋を抜けださないよう見ているため」と言われてしまったら何も言えなかった。なんせ前科持ちだからなぁ……。

 

「それで、明日はどうするの?」

 

 俺が遠い目をしていると、ユキノが問いかけてきた。

 

「――明日も迷宮区でいいだろ。そろそろボス部屋も見つかるだろうしな」

「なら、そうしましょうか」

 

 頷いて、ユキノは立ち上がる。もう髪は乾いたようで、手にしたタオルを片手間にストレージへ収めていく。

 

「紅茶でも淹れるわ。あなたは?」

「あー、じゃあもらうわ」

「ええ。少し待っていて頂戴」

 

 振り返り、備え付けのかまどへ向かったユキノは、ストレージから取り出した金属製のやかんで湯を沸かし始めた。

 

 ユキノと行動を共にするようになって変わった内の一つがこれだ。

 いつの間にか取得していたらしい《料理》スキル。ユキノはしばしばこれで紅茶を淹れており、こうして俺にも振る舞ってくれる。

 

 彼女は流れるような動作で紅茶をティーカップに注いでいく。まだSAOを始める前、あの部室で何度か見た姿だ。

 ユキノは二つのティーカップに朱色の紅茶を注ぐと、一つを俺の方へ差し出した。

 

「どうぞ」

「おう。サンキュ」

 

 受け取った俺の向かいにユキノが腰かける。そうして二人向かい合い、同時に口元へカップを運んだ。

 

「……美味いな」

「そう。それはよかったわ」

 

 俺の感想に笑みを浮かべたユキノは、そう言って再度カップを口にした。

 

 

 

 

 

 

 25層を突破してからこちら、すべての日で似たような時間を過ごしていた。

 

 ユキノは《軍》の一件以来まるで変わってしまった。

 いや、表向きは同じように、変わらぬように振る舞っていた。けれど随所に違いは現れていて、誰の目にもそれは明らかだったと思う。

 

 物静かで、でもちゃんと反応は返してくれ、時折柔らかな微笑みを浮かべる。

 けれど、あんなにひどい微笑み方はない。

 届かぬものを羨むような、大人に縋る幼子のような、そんな求めていたものを諦めてしまったような、あんな微笑み方は見る者の心を苛む。

 

 けれど、彼女を責めることなどできはしない。

 俺も、それに付き合うようにしていたのだから。気を遣ったふりをして、無理矢理に理屈を捻りだして、彼女の態度に合わせるようにしてきた。

 

 どんな意味があるのかわからない、明らかに異なる彼女の態度。こうなる前には想像もつかなかった関わり合い。

 これが、方々に手を尽くして、俺が守ったと、そう信じたものだ。

 

 俺はまちがえはしなかったかと、再三問い続けたことをもう一度問う。

 自身の策に溺れ、自身の考えに浮かれ、自分に酔ってはいなかったかと。

 俺がすべきことは策を弄することではなく、他にあったのではないかと。

 

 それでも答えが出せないのは、きっと俺自身に原因があるのだろう。

 

 眼前で静かに佇むユキノを見る。

 同じ人のはずなのに、まるで違うように感じる。

 首を傾げる仕草も。口元の穏やかな笑みも。柔らかな眼差しも。

 

 かつての彼女は、もういない。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 朝7時のアラームで目を覚ました俺たちは朝食(ユキノが作った)を食べた後、迷宮区へ向かった。

 

 5日前に始まった第29層の攻略も終盤に差し掛かっている。

 《連合》の把握している攻略最前線は迷宮区第16階層で、恐らく今日中にはボス部屋が発見されるだろう。

 

 最奥部が見つかれば、そこからは『先行偵察隊』の出番だ。俺と、どう言っても付いてくるユキノの二人でとりあえずボスの顔を拝むことになる。

 とはいってもまともに戦うわけじゃなく、外見や初動の速さを見るくらいだけどな。後の本格的な偵察戦に向けた情報収集が目的だ。偵察のための偵察という位置といえば多少は聞こえがいいだろう。

 

 アインクラッド攻略の主体が《攻略組》から《連合》に変わってからというもの、フロア攻略の効率は目に見えてよくなった。クオーターポイントである25層から明らかに難易度が上がっているにもかかわらず、一層あたりの経過日数は以前と1、2日しか増えていないのがなによりの証だ。

 

 それもこれも《連合》に名を連ねるプレイヤーが明確な役割を持って攻略に当たっているのが理由だ。

 各々が自分の仕事に励み、成果には報酬で応える。これが徹底されているからこそ、攻略プレイヤー以外も自分の役割を全うしようとするわけ。まんま会社じゃねぇか。転職しようかなぁ。

 

 そんな《連合》には今のところ5つの部署が存在する。

 

 ハイレベルなプレイヤーから成り、迷宮区を踏破してボスに挑む『攻略班』。

 

 《FBI》のメンバーを中心にボスや重要なクエストの情報を収集する『情報班』。

 

 効率の良い狩場やクエストを探し、公表することで自他の育成を促す『錬成班』。

 

 物資の売買や装備の作成・メンテナンス、食事の提供等を行う『支援班』。

 

 各班からの報告を基に方針の決定と調整を行う『司令部』。

 

 《連合》に所属するプレイヤーは全員がギルドとは別にこれらの部署へ割り振られ、日々仕事に精を出しているわけだ。

 

 ちなみに『先行偵察隊員』の俺は『情報班』の管轄下にあり、ボスはあのアルゴだ。

 だからだろう。仕事柄ボス部屋が見つかるまでは基本フリーなせいで、頻繁にお使いに走らされたりする。

 

 一方ユキノは『司令部』の一員なはずなのに、どういうわけか俺への同行が認められているらしい。

 曰く、いつどこでやらかす(・・・・)かわからない俺を見張るためだとか。それで通っちゃうあたり《マイナー》の悪名は推して知るべしだろう。ぐうの音も出ない。

 

 とまれこうまれ、ギルドの垣根を越えた協力体制を敷くことで実現した《ギルド連合》は快調な滑り出しを見せ、ハイペースかつ安定した攻略体制を築きつつあった。

 

 

 

 

 

 

 槍を振る。二連撃薙ぎ払い技《ヘリカルトワイス》で胴を薙ぎ、動きが止まらないうちに回し蹴り技《水月》を繰り出す。続けて《ツインスラスト》で突き放し、反撃しようと腕を振りかぶったラミア型mobから《月面宙返り》で距離を取った。

 

 ここまでで敵の残りHPはおよそ3割。このまま《シングルシュート》なりで削った後に突進技からの連撃で倒してもいいのだが、無理して一人で倒しきる必要もない。

 

「任せた」

「ええ」

 

 着地の間際、居合のような姿勢で構えるユキノに一声かけた。

 ユキノは視線をmobに向けたまま静かに答え、這い寄る敵を待ち構える。

 間もなく、蛇の声を漏らしながら迫るmobがユキノの間合いに入った。

 

 瞬間――一閃。

 

『ァァ……』

 

 力のない悲鳴を漏らして、レベル36モンスター《エンビアス・ラミア》が砕ける。散り散りに消えていくポリゴンの向こう、ユキノは堂に入った所作で刀を鞘に納めた。

 

 その後ろ姿に歩み寄る。

 

「お疲れさん」

「ええ、あなたもお疲れ様」

 

 互いに労をねぎらい、戦利品の確認を済ませると、どちらともなく歩き出した。

 

 迷宮区へ入ってから5時間、途中の昼休憩を除けば4時間弱といったところか。

 それだけの時間をかけて未踏破領域を進んできた俺たちは、ついに20層目に到達していた。

 

 程なくボス部屋も見つかるはずだ。ここまでの消耗も大したことはないし、時間もまだ余裕がある。このまま偵察戦までやっても問題ないだろう。

 

「それにしても、あなたのアレは本当に何でもありなのね」

 

 不意にユキノがそう言ってため息を吐いた。

 ひどく曖昧な言い方ではあるが、まあ思い当たるのは一つしかない。

 

「何でもありってほど便利なもんじゃねぇよ。繋げられるスキルは限られてるし、タイミングがズレれば目の前で動けなくなるしな」

 

 実際、それで殴られてHPが半減したこともある。AGI極振りで紙装甲なやつが目の前で無防備を晒せばそれも当然だ。以来、一人のときはあまり使っていない。

 まあ、ここ最近は二人でいるのが当たり前になってきたからか、多少無茶をすることも増えてきた気がするが。

 

「けれど、《月面宙返り(ムーンサルト)》に関しては万全なのでしょう?」

「……そりゃあ、練習したからな」

 

 おいやめろそんな目で見るな恥ずかしい。

 

「あなたのことだから、距離を取るスキルから鍛えるだろうとわかってはいたけれど、でも、それを聞いて安心したわ」

 

 見透かしたようなユキノの微笑みに、思わず顔を逸らす。

 

「できる限りカバーはするけれど、あまり無茶はしないで」

「……おう」

 

 あー、くそっ。ここまで毒も棘もないと本当にあの雪ノ下雪乃なのか疑いたくなる。

 別に罵られたいとか嫌味を言われたいとかじゃない。俺はMじゃない。じゃないが、憎まれ口の一つもないとなると、違和感があるというか拍子抜けというか……。

 

 歯痒いような気まずいようなモヤモヤを抱えたまま迷宮区を歩く。

 道中、何度か同じようなラミアやコウモリ型のmobが出現したが、俺は手数に物を言わせて、ユキノは手堅く強力な《カタナ》スキルの一撃で沈めていく。

 

 AGI極振りの俺とは違いSTRにも相応に振り分けているユキノは高いクリティカル率もあってか一撃の威力が高い。さっきラミアを倒した《絶空(ぜっくう)》もHPの3割以上を削ったし、単発技の威力はキリトよりも上だろう。

 

 敵の動きを見極め、ダメージ効率の良い箇所に最速かつ強力な一撃を加える。

 冷静沈着で合理的なユキノらしい戦闘スタイルだ。

 

「――と、ここがボス部屋か」

 

 そうこうしているうちに迷宮区の最奥部へたどり着いた。高さ5メートルはあろうかという大扉には物々しい彫刻が施されている。

 ユキノも隣に並び、重厚な扉とそこに描かれたレリーフを眺めて言った。

 

「これは、クモかしら」

 

 その言葉通り、扉の中央にはクモを模したような彫刻があった。

 八本の尖った脚と顎には二本の牙、大きな腹と無数の眼が描かれている。これまでの経験上ボスの大きさについては想像するしかないが、恐らく全高2メートルは下らないだろう。これで糸まで飛ばしてこようものならかなりの難敵だ。

 

 加えて、気になることがもう一つ。

 

「なあ、いまいちハッキリと覚えてないんだが、クモって背中あったか?」

 

 訊ねると、天下のユキペディアも気付いて腕を組んだ。

 

「……いいえ。クモは昆虫とは違って身体が腹部と頭胸部の二つで構成されているはずよ。けれどこの絵では頭部と胸部が別れている。これは現実のクモとは全く違う特徴だわ」

「つまり、この背中だか胸部だかが描かれてるとこには何かがあるってことだな」

「そういうことになるのでしょうね。なんとなく人の顔のようにも見えるけれど」

 

 ハハハ、それはシミュラクラ現象って言うんだよー。

 などとジョークの一つでも飛ばせれば良かったのだが、残念なことに横長の楕円が三つ並んだその模様は俺も顔に見えた。

 

 クモの身体に人の顔とくれば、文系的には心当たりがあるが――。

 

「まあ、入ってみればわかるか」

 

 ボスの正体が予想できようができまいが、偵察には行くのだから結果は同じだ。

 弱点を探るのも、対処法を考えるのも、本格的な偵察戦をしてからの話。情報部がフロアに散りばめられた情報を全部集めてからの話である。

 

 扉に手をかけると、ユキノが一転して物憂げな表情を浮かべた。

 

「やっぱり行くのね」

「ああ。……お前はどうする?」

 

 答えはわかってる。だから訊ねることに意味はない。

 それでも万が一を思えばユキノを連れて行くのは躊躇われる。だからこその問いは今回に限ったことではなく、そして返ってくる答えもいつも通り。

 

「当然、行くわ」

「そうか。転移結晶だけは用意しておけよ」

 

 もはや定型句になりつつある忠告を並べて、扉を押し開いた。

 

 

 

 

 

 

 扉の中はまっくらだった。

 入り口から差し込む仄明かり以外に一切の光源がない。これまでの層ではあった松明も灯っておらず、窓のようなものもなし。上下左右完全な暗闇だった。

 

 慎重に、一歩一歩様子を窺いながら部屋の中へと歩を進める。

 

 隊形は俺が前で、ユキノが数メートル後方。

 AGIが高く《軽業》もある俺が前でボスの注意を引き、ユキノが後ろからボスの動きを観察する、そういう布陣だ。

 

 静寂に包まれた部屋にあって、唯一の音は俺とユキノの靴音だけだった。ブーツと床石が触れた際に鳴るほんの小さな音が室内に響き、耳に残る。

 けれど五歩、十歩と進んでも未だに灯りは点かず、ボスの気配も感じられなかった。

 

 嫌な予感は当然する。

 ここまで何度もボス部屋に入ってきたが、ここまで姿を現さないボスはいなかった。

 部屋自体も暗いままなのはこれが初。これまでは最初から明るいか、すぐに明るくなるかのどちらかしかなかったのだ。

 

 もう一分以上経つのに気配すら見せないというのは、絶対に何か意図がある。

 そう思いつつ、何歩目かわからない右足を踏み出したその瞬間――。

 

 なにか柔らかなモノを踏んだ感触と共に、強烈なプレッシャーが部屋全体を覆った。

 

「――っ!」

 

 咄嗟に《月面宙返り(ムーンサルト)》で飛ぶ。

 直後、さっきまで俺が立っていたところから硬質な音が響いてきた。まるで金属で石を叩いたような音だ。

 

 不意に明かりが灯る。

 壁に設置された松明へ一斉に火が灯り、円形をした広間の全容が浮かび上がる。

 

 空中で身を捩り、眼下に佇む巨体を見て、予想が的中していたことを悟った。

 

「《Arachne the arrogant spider》――やっぱ《アラクネ》だったか」

 

 タランチュラのようなおっかない外観のクモ。その背中らしき位置からは人間の女の上半身が伸びている。クモ部分の赤紫色とは対照的な白い肌をした女は、脚の下に侵入者がいないことを見て悔しげに口元を歪めていた。

 

 アラクネがこちらを見失っている間に着地。そして止まることなく踵を返す。

 その音に気付いたアラクネがこちらを見て牙を鳴らすが、奴が動き出したときにはもう俺とユキノは駆け出していた。

 

 

 

 

 

 

 開きっぱなしの扉を駆け抜け、そのまま最寄りの安全地帯まで走る。

 

 道中会話はなく、抜き身の武器を手にしたまま《安全地帯(セーフティエリア)》を示す白いラインを跨いだ。

 

 途端、疲れがドッと押し寄せる。

 抑え込んでいた緊張と恐怖が湧き上がってきて、堪らず壁にもたれて座り込んだ。

 

 あー、びっくりした。まさか暗闇からの奇襲攻撃をしてくるとは思わなかった。

 運良く避けられたからいいものの、俺の紙装甲じゃアレで大ダメージを負っていてもおかしくない。下手すりゃ死んでたかもな。

 

 内心でぼやきながら荒くなった息を整える。と、その間にユキノが隣へ腰かけた。

 

「また無茶をしたわね。相変わらずの悪運の強さだわ」

「だな。すげービビった」

 

 肩を落としながらため息を吐く。緊張と一緒に力も抜け、だらしなく足を伸ばした。

 

 そのままぼーっとすることしばらく。

 

 ふと、左手に温かく柔らかい感触が重ねられた。

 そちらへ視線を送ると、ユキノは膝を抱えた体勢で右手だけを伸ばしていた。

 

 …………え、なにこれ、新手の嫌がらせかなにかなのん?

 

「……いや、なんだってばよこの状況」

 

 思わず某忍者風に問いかける。

 けれどユキノは黙ったまま、顔を膝に埋めたままで答えず、なんとも言い難い雰囲気が流れた。

 

 それがおおよそ十分ほど続いた頃。

 

「…………ごめんなさい。もう大丈夫よ」

 

 ユキノは顔を上げ、重ねていた手を離した。

 立ち上がり、軽く埃を払うような仕草をして、こちらへ振り向く。

 

「あなたはどうかしら。もう動ける?」

 

 ああ、またこの笑みだ。

 優しく儚げで、どこか甘えるような色を帯びた笑み。

 鳩尾が痺れるような、うなじが熱くなるような、甘く痺れる感覚。

 

「……んじゃあ、行くか」

「ええ。行きましょう」

 

 立ち上がり、ユキノの隣に並ぶ。

 心なしかSAOに来たばかりの頃よりも近い距離間。

 転移結晶を取り出し、顔を見合わせ、主街区の名前を唱える。その動作もほんのわずかに俺の方が早くて。

 

「「転移、《エムナイク》」」

 

 視界が変わる瞬間、そっと袖口を握られたような気がした。

 

 

 

 

 

 







以上、第3章 第1話でした。


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第二話:ふたたび、彼らは判断をまちがえる

もうすぐゴールデンウィークですね。
幸運なことにばっちり休みがもらえそうなので、色々と捗りそうです。


ともあれ、第2話です。
よろしくお願いします。


 

 

 

 

 

 走る。

 

 暗く見通しの悪い道をひた走る。

 

 幾何学的な、直線だらけの迷宮。

 曰く、自然界には曲線がほとんどで、直線で形作られたものは人工物なのだという。

 であれば今走っているこの場所も人の手によって作られたものなのだろう。

 まあSAOがゲームである以上、目に見えるすべては人工物どころかデザイナーが作ったポリゴンの集合物でしかないのだが。

 

 こんな建造物が九十九本も積み上げられてるとか、創造主の頭の中身は理解できない。バカと天才は紙一重というが、茅場も頭のネジが数本飛んでいるんじゃなかろうか。

 少なくとも、各階層で最も難易度の高いダンジョンをトラップ多発地帯に設定してるあたり、性格が悪いのは確定だろう。ほんと茅場は余計なことしかしない。

 

 ため息を吐きたくなる衝動を堪えて走る。

 

 痕跡を辿って来た迷宮区もすでに16階層目に突入しており、ここまで来て見つからないとなるといよいよ絶望的だ。

 

 ここから先は、進めば進むほど厳しくなる。

 敵mobの強さも、地形の厭らしさも、トラップの残酷さも。

 

 それでも、諦めるわけにはいかなかった。

 この状況を生んだ原因の一端は俺にもあるのだから。

 

 なによりも。

 俺なんかに感化されて戦闘職を続けた結果、こんな危険なところへ来る羽目になってしまった、彼女のために。

 

 やはりボッチが人に関わると碌なことにならない。

 先導するキリトに付いて走りながら、もう一度ため息を呑み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 その知らせはまたしても突然に届いた。

 第29層主街区《エムナイク》に転移した直後、視界の端っこでメッセージの受信を知らせるアイコンが点滅した。

 

 迷宮区に籠っている間はメッセージが届かないから、この手の転移後受信はままあることだ。マイナーの俺ですら割と頻繁にあるくらいには。まあ、仕事とお使いと催促が大半だけど。

 

 見ればユキノも何かしらメッセージが届いているようだった。

 目配せをして広場の端に移動し、どれどれっと差出人を確認していく。

 

 ふむふむ。アルゴが二通にキリトからが一通ね。この辺はいつも通りだ。

 が、今日は少し珍しい相手からも届いていた。

 

 送り主の名前は《サチ》。タイトルは《急にごめんね》とある。

 そこはかとなく嫌な予感がするんだが、いったいなんの用だ。

 

 とりあえず、他のメッセージを置いてサチからのものを開く。

 

 

 

『こんにちは。

 急にメッセージ送ってごめんね。

 

 ちょっと知らせておきたいことがあって。

 忙しかったら気にしないでもいいから。

 

 実は黒猫団のギルドホームを買うことになったの。

 それで今日、キリトとケイタが出掛けたんだけど、私たちも家具を買うお金を稼ごうって狩りに出ることになったんだ。

 

 27層の迷宮区がいっぱい稼げるみたいだから、そこに行くつもり。

 私はちょっと怖いけど、連合に入って、キリトがギルドに入ってくれて、みんなどんどん強くなってるから、きっと大丈夫だと思う。

 キリトやケイタには内緒にしようってみんなには言われたんだけど、ハチになら話してもいいよね。

 

 それでここからが本題なんだけど。

 あのね、もしもハチに予定がなければ、私たちを手伝ってくれないかな。

 

 気が向いたらでいいの。

 忙しかったら断ってくれて構わないし、疲れてたら無理してもらわなくていいから。

 

 急に変なこと言ってごめんね。

 迷惑かもって思うけど、でももし気が向いて、来てくれたら嬉しいです』

 

 

 

 読み終わった直後の感想としては、相変わらずだなというものだった。

 いまいち腰が低いというか、気を遣い過ぎというか。キリトとケイタの次に頼る相手が俺みたいなマイナーってのはどうなんだろうな。

 

 メッセージのタイトルから感じた嫌な予感も気のせいだったのだろう。あるいは気にしすぎと言うべきか。

 

 《月夜の黒猫団》に関しては何度か関わってるし、ケイタらギルドメンバーの至らないところも目にしている。

 だからどうしても彼らの能力を過小に評価してしまうんだが、キリトが指導し始めてからは着実に腕を上げていると聞いている。連合内での評価も手堅いものだし、レベル的にも27層なら問題なく狩りができるはずだ。

 

 一応、受信履歴を見る。これはどちらかといえば確認作業のようなもの。ほら、メッセージに既読が付かないままだと心配するやつもいるだろ。アレだよアレ。

 誰にとも知れない言い訳をしながら履歴を見ると、やはりメッセージが送られてきたのは午前中で、俺たちが迷宮区に入ったすぐ後だった。ほとんど入れ違いだったらしい。

 

 現在時刻は夕方の5時を回ったところ。

 さすがに今から行ったところで手伝えることはない。

 むしろもう探索を終えて帰ってる頃合いだ。

 

 今頃、新居での宴会の準備に追われてるだろう。

 ここぞとばかりに隣に座っておきながら固まって動けなくなったキリトが目に浮かぶ。

 

 気の抜けたことを思いながらメッセージを閉じ、次いでアルゴからのものを開く。

 こちらもこちらで相変わらずの人を食ったような文体で、けれど内容は仕事の依頼と催促だった。やべっ、そういえば一件討伐系クエストの報酬を報告するの忘れてた。

 

 慌ててアルゴへの返事を打つ。

 あいつからの催促メールを無視なんかしようものなら、翌日には黒歴史を撮影したスクリーンショットが出回ることだろう。

 

 アルゴへのメッセージを送信し終え、自然とため息が漏れる。

 これで明日の平穏が保たれた。《ロリコン地雷野郎》などと揶揄される未来は回避されたのだ。世界は明日も平和である。

 そもそも、アレはクエストの依頼人が小町に似た少女だったから思わず頭を撫でてしまっただけで、決してロリコンだからではない。むしろシスコンと呼んで欲しい。どちらにせよ変態なのは変わらないんだよなぁ……。

 

 小町の手料理が食べたいなぁ、と遠い目をしつつアルゴからのメッセージを閉じる。

 

 これで残るはキリトからのものだけだ。

 どうせ新しい情報の交換か、はたまたアスナの様子を訊ねるものだろう。

 

 あいつ、自分からアスナと距離を取っておきながら気に掛けてはいるんだからほんと質が悪い。直接会って確かめるわけでもなく、けれど俺とユキノを介して様子だけは聞いてくるのだ。

 

 呆れたことに、アスナの方も似たようなことをしてるあたりため息しか出ない。

 お陰で俺もユキノもあいつらの仲介役みたいな真似をさせられてる。もう勝手にやってくれと言いたいもんだが、あいつらにはいくつも恩があるからなぁ。

 

 半ば内容を予想しながら最後の未読メッセージを開く。

 

 送られてきた時間はほんの三十分前。

 タイトルは『大至急』とある。…………大至急?

 

 メッセージを開く。

 そこには僅か二行だけの、簡潔な文章が書かれていた。

 

 

 

『急に悪い。サチたちが見つからないんだ。

 

 何か心当たりがあれば教えてくれないか』

 

 

 

 そこに描かれた内容を一度読み、再度読み返して見間違いでないことを確認する。

 キリトからのメッセージと、さっき見たサチからのメッセージを関連させ、状況を理解して初めて、俺は事の重大さに思い至った。

 

 思わず駆け出す――寸前で腕を掴まれた。

 

「何があったの?」

 

 振り向いた先には、真剣な表情をしたユキノがいた。

 けれど今は説明している時間も惜しい。

 

「詳しく説明してる時間はない。ともかく27層の迷宮に向かわないと」

 

 言って手を振りほどこうとする。

 けれどユキノは先程以上の力で腕を掴み、放さない。

 

「放してくれ。今行かないと間に合わなくなるかもしれない」

 

 間に合わなくなる。

 口にして、その状況を想像して、自分の浅はかさに吐き気がした。

 

 嫌な予感は的中していたのだ。なぜ気のせいなどと思ったのか。

 SAO(この世界)の理不尽さなど、嫌というほど思い知っているはずなのに。

 

 時刻は午後5時を回り、間もなく半になろうとしている。

 サチからのメッセージが届いた時間から考えると、彼らは優に六時間近く迷宮区にいる計算になる。

 

 27層迷宮区は敵mobの強さこそそれなりだが、トラップ多発地帯だ。

 悪質なトラップもあるせいか、連合の《攻略班》ですら完全踏破はしていない。逆に未踏破エリアを探索する《錬成班》ではレベルが足りず、結果、未進入の部屋や未発見の隠し部屋が残されている。

 

 ああ。確かにレベルの上では黒猫団の連中でも問題ないだろう。

 だがそれは常識的な(・・・・)敵と通常の(・・・)戦闘を行ったときの話だ。

 毒罠、麻痺罠、転移罠にモンスターハウスなどなど……。レベルを上げるだけでは対処できないトラップなどいくらでもある。

 

 あいつらが陰湿な罠の一つを踏み抜いていないなどと、そんな保証はどこにもない。

 キリトとケイタを驚かすために迷宮へ行った彼らが、こんな時間になっても戻っていないというのが何よりの証拠だ。

 

「放してくれ」

 

 もう一度告げる。今度はさっきよりも強い口調になってしまった。

 ユキノへ当たっても仕方ないのに、焦る気持ちが言動になって表れる。それがまた吐き気を増長させ、堪らず顔を逸らした。

 

 しかし、ユキノは腕を放さなかった。

 それどころか筋力値に物を言わせ、強引に引き寄せられる。

 

「っ! おい、なにを……」

 

 思わずよろめいた俺を、ユキノは胸を押えることで支えた。

 彼女の左手が右胸に当てられ、間近から覗き込まれる。

 

「落ち着いて。あなたがこのまま一人で行ったとして、目的は達成できるの?」

「それは……」

 

 即答できなかった時点で認めたようなものだった。

 トラップ地獄の迷宮で人探しをするとなれば、俺だけじゃ何もかもが足りない。

 

 言葉に詰まった俺に、ユキノは諭すように続ける。

 

「加えて、私たちは迷宮区から帰ってきたばかり。一度補給に戻らないとアイテムが足りないわ。結晶もそれほど余裕があるわけではないのよ」

 

 つくづく彼女の言う通りだった。

 ぐうの音も出ない正論だ。

 

 目を閉じ、努めてゆっくりと深呼吸をする。

 そうして初めて身体が震えていたことに気付いた。

 焦って震えるとか、ほんと情けないな。

 

「……悪い。焦ってた。ちっと落ち着くわ」

「ええ。とりあえず、宿に帰りながら詳しい話を聞かせて頂戴」

 

 頷くと、ようやく腕が解放される。

 左手も離れて、満足げな笑みを浮かべたユキノは宿の方向へ歩き出した。

 

 

 

 

 

 

「――そういうこと。なら、必要なのは適切なスキルを持った人材ね」

 

 道すがら事情を説明し、宿で話を終えると、ユキノは腕を組んでそう言った。

 その姿はかつての文化祭で辣腕を揮っていたときのように頼もしく見える。

 

「スキルか……。《索敵》と《罠解除》は当然として、後は……」

「《挑発》持ちのタンクも欲しいところね。仮にモンスターハウスに閉じ込められているとすれば、必要になるでしょうから」

 

 なるほど確かに。俺みたいな紙装甲が盾にすらなれないしな。

 

「なら必要なのは《索敵》、《罠解除》、《挑発》持ちのタンクだな」

 

 《索敵》はキリトが相当な熟練度に仕上げているから問題ない。そもそも《索敵》スキルで人を探すときは、相手がフレンドかギルドメンバーじゃなきゃダメだしな。

 

 《罠解除》はアルゴが持っている。《FBI》のトップでありながら自身でも情報を集めて回るアルゴは、単独でダンジョンに潜ることもある。《隠蔽》でゴリ押す俺に対し、「ソロでやるなら《罠解除》スキルは必須だヨ」と苦笑いを浮かべていた。

 

 キリトは当事者だから呼べばすぐに駆け付けるだろう。

 アルゴも報告への返事がすぐに返ってきたくらいだ。報酬さえ払えば協力を取り付けるのは難しくない。

 

 問題は《挑発》スキルだが……。

 

「ユキノ、お前――」

「皆まで言わなくてもわかっているわ。《挑発》スキル持ちのタンク役でしょう? こちらが提案したことだもの。目星は付けているわ」

 

 お、おう。さすがに仕事が早いな。

 

「わかった。じゃあ出来るだけ早く《ロンバール》の転移門広場に来るよう伝えてくれ」

「ええ」

 

 ユキノの返事を待たず、キリトとアルゴに向けてメッセージを送る。

 

 方針とメンバーは決まった。

 あとは迅速かつ確実に行動に移すだけだ。

 

「――よし。メッセージは送った。俺たちも行くぞ」

 

 言って部屋を出ようとしたところ、またしても腕を掴まれて止められた。

 

 今度はなんだと思って振り返る。

 と、ユキノの左手には見慣れぬアイテムが握られていた。

 

 《転移結晶》に似た、けれど色が格段に濃い結晶アイテム。

 

「《回廊結晶》? お前、それ――」

「以前手に入れたきり使う機会のなかった物よ。持ち歩いても仕方ないからこの部屋のチェストにしまっていたのだけれど」

 

 《回廊結晶(コリドークリスタル)》は超が付くほどのレアアイテムだ。

 

 効果は《転移結晶》の比じゃない。

 使用者一人を任意の転移門へ瞬間移動させる《転移結晶》に対し、《回廊結晶》はあらかじめ設定したポイントまでのワープゲートを作り、効果時間が続くまでの間、無制限の転移を可能とする。

 

 この《回廊結晶》が発見されて以降、有効な活用法はいくらでも挙げられた。

 例えばボス部屋の前にゲートの出口を設定しておけば、最大戦力を一切の消耗なくボス戦に送り込むこともできる。《連合》やその前身である《攻略組》でも、このレアアイテムを活用しようという案は何度も出されたものだ。

 

 だが現状、継続的な運用は限りなく不可能に近いとされている。

 なぜならこの《回廊結晶》は《転移結晶》と違い、NPCショップで入手することができないからだ。ダンジョンの宝箱から出てくるか、極低確率のモンスタードロップでしか手に入れることができない。流通量が極端に少ないのだ。

 

 そんな希少品を、ユキノは微笑んで俺の手に載せた。

 そうして掴んでいた手を放したユキノは、その手を胸の前で握って頷く。

 

「このアインクラッドに、あなた以上に速く走れる人はいない。なら、やることはわかるわね?」

 

 ……当然だ。ここまでお膳立てされてわからないはずがない。

 

「ありがとな」

 

 礼を言って振り向き、顔だけを向けて言う。

 

「じゃあ、ちょっと行ってくるわ。お前は――」

「ええ。《ロンバール》の転移門広場で事情を説明しておくわ」

 

 まったく、話が早いことで。

 

 気付かぬうちに口元を緩ませながら。

 今度こそ、俺は部屋を飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 その後、全力疾走でフロアを走り抜けた俺は、わずか10分で27層迷宮区の入り口にたどり着いた。起伏の少ないフロアだとはいえ、およそ4キロメートルのクロスカントリーをこのスピードで踏破したのは俺が初めてだろう。

 

 《回廊結晶》の出口を設定して《ロンバール》へ戻った俺の前には、見知った顔が待ち構えていた。

 

 焦りと心配を顔に張り付けたキリトとケイタ。

 

 「オー、随分早かったナ」と口笛を吹くアルゴ。

 

 「及第点といったところね」と笑みを浮かべるユキノ。

 

 そしてもう一人。褐色の禿頭に両手斧を背負った大男――エギルが片手を挙げていた。

 

 なるほど。確かに《挑発》持ちのタンクとしてエギルは適任だ。

 夕方なら連絡が付きやすく、人柄も申し分ない。こうして駆け付けてくれていることからもそれはよくわかる。

 

「話は聞いての通りだ。ともかく急ぐぞ」

 

 言って、返事を待たずに振り返る。

 ストレージから《回廊結晶》を取り出し、右手で持って掲げた。

 

「コリドー・オープン」

 

 発声と同時に砕ける結晶。

 直後、眼前の空間に青白く揺らめく光の渦が出現した。

 初めて使ったが、どうやらこれが《回廊》らしい。

 

 少しの緊張と、焦りが原因の心音を堪えて、光の渦へ飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 迷宮区へ突入してからは、キリトが先陣を切った。

 《索敵》スキルを頼りに足跡を辿り、迂回しながらも着々と上階へ登っていく。

 道中仕掛けられた罠は一つ残らずアルゴが解除・回避し、最前線ではないとはいえ迷宮区をかつてないスピードで進んでいった。

 

 出現する敵mobもキリトの高い攻撃力の前にHPの大半を削られ、残りも後続のメンバーが消し飛ばす。

 レベル由来の火力とダッシュの勢いで強引に蹴散らし、進んでいく様は、傍から見ればタイムアタックでもしているかのように見えただろう。

 

 そうして迷宮区を駆け抜けること、およそ三十分。

 

 17階層の中程に差し掛かったとき、突然アルゴが声を張り上げた。

 

「この先ダ! オレッちの《索敵》に複数のモンスターの反応がある!」

「サチッ!」

「みんな!」

 

 すぐにキリトとケイタが飛び出した。

 二人は四つ辻を右に折れ、その先の通路へ駆け込んだ。

 その後を俺、アルゴ、ユキノ、エギルの順に続き、通路を曲がった。

 

 瞬間、遠くから硬質なアラームが聞こえ始める。

 

 ダンジョンや迷宮区で稀に聞くその音は、数あるトラップの中でも最悪なものの一つ。

 

「くそっ、よりにもよってアラームトラップかよ!」

 

 繰り出す足を速めながら、彼らの、彼女の無事を切に願った。

 

 

 

 

 

 

 




以上、第2話でした。

次回更新はゴールデンウィーク中ですかねぇ。


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第三話:時には報われることもきっとある

お久しぶりです。そして《令和》初投稿です。
みなさんGWは楽しまれていますか?

GW前半は別のことに手を出していまして、こうして少々遅くなってしまいました。申し訳ありません。詳細はあとがきにて。

というわけで、第3話です。
よろしくおねがいします。


 

 

 世の中は罠に満ちている。

 

 黒板消し落としのようにベタなものもあれば、テレビ番組で見るような手間と時間と金の掛かった大掛かりなものまで、罠やトラップと言われて思いつくものは多い。

 

 あるいは偽のラブレターや嘘告白なんかで精神的ダメージを与えるものもある。

 そんなもの引っかかるわけないと思っていたが、実際にやられたら舞い上がって騙されるのは必定。同じクラスだった中島は絶対に許さないリストのトップ。

 

 罠を張るのは子どもだけじゃない。大人だって罠を張る。

 よくある話じゃあ政治家が政敵を陥れるために仕掛けるらしいが、実際は政治家だけじゃなくそこらの会社でも上役の政争はままあるって話だ。むしろ子どもがやるより徹底的で陰湿で悪質なぶん余計に質が悪い。

 

 世に言うブラック企業も罠の一つと考えていいだろう。

 耳障りのいいことだけ聞かせて、実際の状況はひた隠し。雇用後は反抗する気力もなくなるほど徹底的に働かせ、追い込み、壊れたらあっさりと切り捨てる。これを罠と呼ばずしてなんと呼ぶのか。ブラックだな。

 噂じゃ公務員すら真っ黒らしい。国や地方自治体が直轄してる組織が黒いとか、もう日本に黒くないとこなんてないんじゃなかろうか。坂本さん、もっかい洗濯してくれないかなぁ。

 

 というわけで、やっぱり一番ホワイトなのは専業主婦である。最近じゃなりたがる人も少ないらしいし、人手の足りない仕事に就こうとするのは褒められこそすれ、貶められていいはずがない。なれる!HW。

 

 俺の就職希望はともかく、世の中には罠がたくさんあるし、なんなら一生罠に気を付けて生きなくちゃならない。人生という高難度クエストに比べれば、RPGのトラップとか大したことないのかもしれない。

 

 とはいえ、こればっかりは例外だ。

 SAOの中でも最悪のトラップの一つ――この《アラーム・トラップ》は。

 

 

 

 

 

 

「サチ!」

「みんな!」

 

 キリトとケイタが飛び込んだ部屋へわずかに遅れて突入する。

 直後、目の前に広がった光景に息を呑んだ。

 

 見渡す限りの敵、敵、敵。

 その数は十や二十じゃ下らず、百平米は優にある空間を埋め尽くさんばかりだ。

 顔ぶれこそ低級のゴーレムや《ゴブリン・ドワーフ》といった大したことのないmobばかりだが、なんせその数が異常だった。

 おまけに室内にはけたたましいアラーム音が鳴り続いていて、音の発生源をどうにかしないとモンスターは半永久的に湧き続けるのだ。

 

 部屋の奥からはキリトやケイタのものとは違う声が聞こえてくる。

 黒猫団の連中と決まったわけではないが、誰かが奮戦しているのは間違いないだろう。

 この数を相手に逃げていないのを見るに、ここは結晶(クリスタル)無効化エリアなのかもしれない。

 

 先に斬りこんだキリトとケイタはすでに半狂乱になって敵を攻撃している。手近なゴブリンやゴーレムが次々に斬り倒され、ポリゴンの欠片となって消えていく。

 だが祭りの人混みよろしくひしめき合うmobの集団は、一向に減る気配がなかった。

 

 このままじゃ埒が明かない。

 向こうで戦ってる連中がどれだけもつかわからないし、あんまり時間を掛けたら俺たち自身も危ないのだ。

 

 《アラーム・トラップ》の厄介なところは、アラームが鳴っている間中敵が出現し続けることだ。いくら一体一体が弱かろうと数の暴力には勝てない。

 

 だからまずやるべきことはアラームを止めること。それには《罠解除》を使うか、音の発生源を壊せばいい。

 今はモンスターの群れの中にあって見えないが、大体部屋の真ん中あたりにあるだろう音源を止めるか壊すかすれば、後は残ったmobを蹴散らすだけでいい。

 

 なら、必要なのは跳躍力と突破力だ。

 

「エギル、正面をこじ開けろ。その後は《ウォークライ》からの防御だ」

「任せろぉ!」

 

 返事を背中に聞きつつ、駆け出した。

 入り口付近で暴れまわるキリトとケイタを押し退け、エギルの攻撃する間隙を作る。

 

 直後、エギルが両手斧ソードスキル《エクスプロード・カタパルト》で正面に並んだゴブリンやゴーレムをまとめて吹き飛ばした。生まれた隙間の向こうに宝箱が見える。

 

「アレか!」

 

 再度ダッシュして、起き上がりつつある敵集団の目の前で《軽業》スキルを発動。スイングされたゴブリンのつるはしを避け、生じた空間の上を飛び越えていく。

 着地したところを狙ってきたゴーレムは槍の一振りで黙らせ、けたたましい音を出す宝箱の前へたどり着いた。

 

 ここから《罠解除》スキルのない俺が取れる手立ては一つ。

 槍を振りかぶって、穂先を宝箱へ叩きつけ――。

 

「っ! くそ、めちゃくちゃ硬ぇ!」

 

 なんだよコレ。こんなもんキリトみたいな馬鹿力でもなきゃ壊せねぇだろ。

 

 悪態を吐いてる内にまたゴーレムが襲ってきたので一度《ヘリカル・トワイス》でスペースを確保する。一応ソードスキルに巻き込んでみたが、やはり宝箱は壊れなかった。

 

 どうする。このまま地道に殴っていれば壊せるかもしれないが、いつまでも囲まれてる中にいたら俺の方がヤバイ。なんといっても紙装甲だし。ゴブリンだろうがゴーレムだろうが、2、3発殴られたら終わりだ。

 

 《体術》スキルの《水月》でゴブリンを蹴り飛ばし、《軽業》のバク転で硬直をキャンセル。着地と同時に槍を薙ぎ払い敵を遠ざける。

 極力ソードスキルは使わず、槍での攻撃と隙の少ない《体術》でとにかく攻撃を受けないように立ち回る。

 

 くそっ、これじゃあジリ貧だ。どうにかしてアラームを止めないことには敵は減らないし、敵が減らなきゃユキノたちもむやみに突入できない。

 

 そう思いつつmobへの攻撃の合間に宝箱を殴りつけるも、なかなか壊れる気配はない。

 かといってそちらばかりに集中するわけにもいかず、迫りくるmobを遠ざけるために宝箱を背に槍を振るった。

 

 そうして戦っている内にふと、あることに気付いた。

 

 周囲を敵に囲まれてる現状、攻撃はどうしても範囲技か薙ぎ払いばかりになる。敵も一方から来るわけじゃないのでその都度向きを変えて。

 するとくるくる回りながら戦うことになるんだが、そのとき自然とはためく布が目に入った。

 

 濃い灰色の、影のような布。

 俺が着ている、最近もらったばかりのマントの生地だ。

 

 こいつをくれたのはサチで、名前は《シーカーマント》で――。

 

「……あるじゃん、《罠解除》」

 

 思い出すのは25層突破を祝うパーティーでのこと。

 あのときサチがこのマントをくれたとき、こいつのプロパティには確かに《罠解除》の文字があった。

 俺自身が《罠解除》スキルを持ってないために効果は最低限だが、このまま延々と効いてるのかわからない打撃を続けるよりはマシだろう。

 

 迫るゴブリンを隙の少ない《スラスト》で押し返し、わずかな隙にうるさく騒ぐ宝箱へ向き直る。

 

 槍を左手に持ち替え、右手の人差し指で宝箱に触れる。するとわずかなタップ音と共にウィンドウが現れ、『罠解除』の選択肢が表示された。

 迷わず押す。直後、アラームが急激に小さくなっていき、やがて嘘のように止まった。

 

 静かになった室内に、困惑したようなゴブリンの呻きが漏れる。あれだけつるはしを振り回していた手も止まり、キョロキョロとあたりへ視線を配っている。

 

 一瞬の静寂。

 状況の変化に気付き、それを頭で理解した面々は――。

 

「総攻撃!」

 

 ユキノの号令で出し惜しみのない攻撃を開始した。

 

 俺も鳴かなくなった宝箱を背にゴブリンやゴーレムに攻撃を加える。

 とはいえ、相変わらず囲まれてることには変わりないので回避を最優先に。

 だが確実に数を減らせるよう、残りHPの少ない敵から順に狙って攻撃していった。

 

 徐々に敵の数が減り始め、mobの間に隙間もでき始める。その結果、俺のいる部屋の中央部からも入り口付近の状況が見えるようになった。

 敵の攻撃の波が緩くなったのを見計らい、派手な光芒が瞬く方へ視線を向ける。

 

 そこでは思わずこちらが引いてしまうような光景が繰り広げられていた。

 

 敵の無限湧きは止まり、あとは片っ端から倒していくだけ。

 となれば、主役はより殲滅力のあるプレイヤー――キリトになる。

 

「うおおぉぉ!」

 

 雄叫びを上げて、キリトが縦横無尽に暴れ回っていた。

 五連撃技のソードスキルで三体のゴブリンを倒し、硬直が解けるや否や今度は四連撃技でゴーレム二体を消し飛ばす。些細なダメージは無視して突進技でゴブリン二体を串刺しにする姿は、完全に狂戦士(バーサーカー)のそれだ。

 

 キリトの後ろで両手剣を振るうケイタも結構な迫力だが、目をギラつかせて暴れるキリトはもはや鬼の形相だった。今ならあいつ一人でフロアボスも倒せるんじゃないかってぐらいに。

 

 

 

 主にキリトの活躍で敵は瞬く間に倒れていき、やがて最後の一体が消滅した。

 

 十五分ほど前には敵mobで埋め尽くされていた部屋はがらんどうになり、立っているのは俺やユキノ、アルゴにエギル、キリトとケイタと、そして――。

 

「ハァ……ハァ……」

「俺……たち……」

「生き、てる……?」

 

 装備はボロボロ。肩で息をしていて、表情には疲労の色が濃く出ている。

 先頭の青年は盾に縋りつくようにしてどうにか立っている有様で、一番奥の少女はぺたりと座りこんでしまっていた。残る二人も満身創痍なのは同じ。

 

 けど、生きていた。

 テツオも、ダッカーも、ササマルも、そしてサチも、みんな生きていた。

 

「みんな……」

「……ケイタ? どうして……」

 

 ケイタが進み出る。四人は彼を見ても呆然とするばかり。

 

 たぶん、まだ理解が追いついてないんだろう。

 死に物狂いで戦って戦って戦い続けて……。何時間ここで戦っていたのかはわからないが、生き延びるために必死で戦い、粘り続けたのだ。

 

「サチ!」

「キリ、ト……? ……キリト! 私……私……!」

 

 キリトがサチに駆け寄る。サチはキリトを見上げ、だんだんと状況を飲み込むと、目に涙を浮かべてキリトの胸に飛び込んだ。

 

「大丈夫。もう大丈夫だ。みんな、ちゃんと生きてる」

 

 胸に顔を埋めて泣くサチ。

 キリトはサチの肩に手を乗せ、穏やかに微笑んだ。

 

 うんうん。完全に蚊帳の外ですねわかります。

 まあ、危うくギルドが壊滅するところだったのだ。野暮なことは言うもんじゃないだろう。

 

 ちらっとユキノに目を向けると、彼女は微笑んで頷いた。

 

「んじゃ、先に帰るか」

 

 ユキノに言って、アルゴとエギルにも了承をとる。

 その際、エギルはやれやれと頭を掻いていただけだったが、アルゴはニヤニヤ笑いを浮かべながら「これはいいネタになるナ!」と恐ろしいことを呟いていた。キリト、お前あとでふんだくられるぞ……。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 一時間後。

 一足先に《ロンバール》へ戻り、転移門広場近くの店で食事をしていた俺たちのところへ、黒猫団の六人がやってきた。

 

 六人は揃ってテーブルの横に並び、全員が一斉に腰を折る。

 

「迷惑をかけてすまなかった。それと、助けてくれて本当にありがとう」

 

 代表してそう言ったケイタに追従し、五人が謝罪と感謝を口にした。

 

 うんうん。礼儀としてはまともだし、実際苦労したから礼を言われるのはいいんだが、きみたちもうちょっと場所を考えようね。ほら、他のお客さんだっているんだから。

 

「とりあえず、座ったらどうかしら」

 

 ユキノが困ったような口調でそう言うと、六人は顔を見合わせてから店内をそっと窺い、やがて恥ずかしそうに隣のテーブルを寄せてきた。

 

 全員が腰を下ろしたところで、もう一度ケイタが頭を下げる。

 

「改めてお礼を言わせて欲しい。あなたたちがいなかったら、みんなは助からなかった」

「俺とケイタだけじゃあのモンスターの群れは突破できなかったし、そもそもみんなを見つけることもできなかった。本当にありがとう」

 

 次いでキリトが頭を下げ、すると自然に残り四人も頭を下げる形になった。

 さっきほどじゃないが、これはこれで周りの視線が痛い……。

 

「無事だったならよかったじゃないか。あとは今後、同じようなことにならないよう気を付けるだけだ。そうだろ」

 

 エギルが大人の対応で口火を切ると、それにユキノが続いた。

 

「そうね。あの大群の中を生き延びることができたのだから、自信を持っていいんじゃないかしら。これからはしっかりとした情報収集と適切な対応を心掛ければいいと思うわ。あとはそうね、どこかの誰かさんのように無茶をしないことかしら」

 

 ハハハ。いったい誰のことですかね。

 

「オイラとしては、キー坊の美味しいネタを仕入れられたってことで満足しておくヨ。……あの場所の攻略情報が間に合ってなかったのは《FBI》の責任でもあるしナ」

「おいアルゴ、なんだよネタって。お前まさか……」

「いえ、そんな! 僕たちが先走ったのが悪いんです。寧ろ《FBI》の攻略本にはいつもお世話になってて……」

「そうかい? じゃあオレッちはどういたしましてと言っておくヨ♪」

 

 哀れキリト。アルゴのペースに飲まれて追及できなくなっている。

 しばらくの間はこれをネタに働かされることだろう。なにせアスナにバレたらあいつ、背中から刺されそうだしな。

 

 

 

 エギル、ユキノ、アルゴからの『御言葉』を受けた彼らは、ちらっとこちらへ視線を向けてきた。

 キリトとサチを除く四人の顔には『気まずい』と楷書で書かれているように見える。

 

「その……」

 

 ケイタがなにやら言いにくそうに口を開く。が、その後がなかなか続かない。

 

 ふむふむ。なるほど。

 これはアレですね。気の利いたセリフを言う場面ですね。

 

「俺に感謝とかする必要ないぞ。お前らを助けたのはキリトで、知恵を出したのはユキノで、それにエギルとアルゴが協力した。俺はこいつらが動きやすいようにしただけだ。だから迷惑とも思ってないし、感謝してもらう必要もない」

 

 こう言っておけばこいつらの溜飲も下がるはずだ。

 なんせこいつらにとって俺はギルドをバラバラにしかけたマイナー野郎だからな。今回は助けられたとはいえ、そうそう割り切ることもできないだろう。

 

 さあ、これで話は終わり。さっさと飯食って帰って寝よう。

 そう思ったのだが――。

 

「ハァ……」

 

 隣のユキノがあからさまにため息を吐き、頭を抱えたのを見て思わず振り返る。

 

「あなたは本当にどうしようもないわね。謝罪くらい素直に受け取れないのかしら」

 

 そんなしみじみと言われることですかねぇ……。

 というか、迷惑じゃないって言ってるのに、謝罪されることなんか何もないだろ。

 

 訳がわからずにいると、ユキノはケイタらに顔を向けて言う。

 

「あなたたちも、つまらない意地を張るのなら早々にお帰り願えるかしら」

 

 意地? なんのことだ?

 

 と、今度はサチがいつになくムッとした顔でケイタの肩を押した。

 彼女の隣ではキリトが苦笑いを浮かべている。

 

「…………その」

 

 やがて、ケイタが視線を泳がせながらも切り出した。

 

「今まで謝らずにいて、ごめん」

 

 なんか謝られるようなことしたか? まるで心当たりがないんだが……。

 そう思っている間に、向かいのテツオが続いた。

 

「誤解だっていうのはわかってたんだけど、なんだか謝りづらくて」

 

 ササマルが後を引き継ぐ。

 

「それでも、今日生き残れたのはガードがしっかりできたからで……。それは結局、あのときのことがきっかけだったんだと思う」

 

 そこまで言われて、ようやく何の話をしているのか見当がついた。

 あのとき、なんて曖昧な表現なのに、いつのことを言ってるのかわかってしまった。

 

「今さら何言ってんだって話だけどさ。その、やっぱちゃんと謝んなくちゃって……」

 

 ダッカーはそう言って唇を噛んだ。

 言葉の続かない彼に代わって、ケイタが口を開く。

 

「俺たちギルドの問題なのに、ハチには随分と迷惑を掛けてしまった。本当に申し訳ないと思っているし、同時にすごく感謝もしてるんだ」

 

 ちらっとサチへ視線を送ると、なんだかいい笑顔で頷かれてしまった。

 キリトの方も似たようなもんで、こっちは世話が焼けるなーとでも言うように納得顔を浮かべている。なんだろう。ハチマン、イライラする。

 

 

 

 ……なんというか、つまるところすべて明らかにされてしまったということだろう。

 

 サチもキリトも、ケイタら他のメンバーに話してしまったわけだ。

 《タフト》で俺がケイタたちを攻撃した理由も、その目的も、彼らは既に知っていたのだ。

 

 なんならさっきの発言的にユキノも知っていたまである。

 ユキノとキリトとサチと。三人ともがこの機会を窺っていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 椅子の背にもたれて天井を見上げる。思わず、ため息が漏れた。

 

 

 

 なんだか無性に疲れた気がするし、肩の荷が降りたような気もする。

 

 

 

 とはいえ、決して嫌な気分というわけでもなかった。

 

 

 

 

 

 




というわけで、3話でした。

次回更新は早ければGW中、遅くとも来週には仕上げられたらと思います。



《追伸》
前書きでも少しだけ触れましたが、GW前半に本作とは別の短編を執筆していました。

https://syosetu.org/novel/190090/

『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』を原作とした独自解釈モノとなっております。

お手すきの際にでもぜひ読んでいただけたら嬉しいです。



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第四話:されど、その部屋には甘い香りが漂い続ける

結局GW中には間に合わなかった……。
物語が進むと整理する情報も多くなるので、筆は遅くなる一方ですね。


というわけで、第4話です。
よろしくお願いします。


 

 

 ===

 

 

 

 

 

 

 独りで眠るようになったのはいつの頃からだろうか。

 

 両親とは仕事の関係もあって物心ついた時には別々に眠るようになっていた。

 けれどもう一人の家族とは、それからもしばらく同じ部屋で寝ていたはず。

 

 なにがきっかけだったのか。きっかけなどなかったのか。

 もう遠い昔のようであやふやだけれど、遅かれ早かれ別々になっていたのだと思う。

 

 けれど、それも当然のこと。

 たとえ仲が良かったとしても、家族だったとしても、いずれは独りで眠るようになるのは当たり前のことだった。寧ろいつまでも一緒な方が不自然で、まちがっている。

 

 だから、独りで眠ることを寂しいとは思わない。

 独りで眠ることを怖いとは思わない。

 

 ずっとそうしてきた。当たり前のことだった。

 それは一般的に考えても常識で、特別な関係を除けばふつうの感覚だった。

 

 ゲームの中に閉じ込められてからもそれは同じ。これまでの半年あまり自分もそうしてきた。

 これからも続くのだと、意識するまでもなくそれが当然だと考えていた。

 

 だというのに。

 

 こうして血の繋がりのない、同性ですらない相手と寝食を共にする日が来るなんて。

 一日のほとんどすべての時間で顔を合わせて過ごすことになるなんて。

 

 ――そのことに、言い知れぬ安らぎを感じているなんて。

 

 人は本能的に欲していることをすると安らぐのだという。

 なら、これはきっと自分自身の本性なのだろう。だから色々と理由を付けて、自分を納得させて、今の状況を容認している。

 

 けれど、いつかは考えなくてはならない。

 

 そっと寝返りを打ち、隣のベッドを覗き見た。

 穏やかな寝息を立てる背中を見ていると、ほうと小さなため息が漏れる。

 

 この感情をなんと呼ぶのか。

 自分はこの先どうすべきなのか。

 

 これから、考えなければならないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 ===

 

 

 

 

 

 

 七月も終わり、現実ならうだるような暑さの続く八月がやってきた。

 ここアインクラッドではリアルのように「冷房の効いた部屋から出たくないー」なんていうほど暑くはないものの、それでも時々刻々とやる気を削がれる程度には気温と湿度の高い日が続いている。

 

 毎年夏になると「夏休みは休むためにあるのだから外出して疲れるのはまちがっている。先生からは夏休みを満喫しろと言われたのだから、誰より夏休みを全うするために俺は部屋から出ない。出ないったら出ない!」と主張していた身としてはアインクラッドにもぜひ夏休みを導入したかったんだが、会議で提案する前にユキノに一蹴された。解せぬ。

 

 暑い中をあくせく働いた甲斐もあって攻略は順調に進んでおり、一昨日も34層のボスを無事討伐した。

 最近ずいぶん活き活きしているキリトと、すっかり《連合》の重鎮ポジションに落ち着いたヒースクリフの二人が大活躍だった。というか、目立つのは大体いつもあの二人だ。

 

 35層の主街区は《ミーシェ》という小規模な農村で、フロア全体にはいたるところに森が広がっている。

 迷宮区の塔はミーシェからも見えているが、途中の森を抜けていかなくちゃならないようだしそう簡単にはいかないだろう。

 

 アインクラッドの各層にはそれぞれテーマがあり、中にはパズルだらけの層やら洞窟が九割の層もあった。

 今回は《森》という比較的わかりやすそうな地形ではあるが、この層のテーマ如何によっては時間が掛かることもある。

 

 そういうわけで35層解放の翌朝、俺とユキノはそれまでの宿を引き払って《ミーシェ》へと移ってきた。持ち歩くには邪魔なアイテムとか予備の装備とかをまとめて移動させるから、ある意味引っ越しみたいなもんだな。

 

 簡単そうなフロアだったり居住性の悪そうな街だったりするときは拠点を移さないこともあるんだが、昨日偶然入った店のケーキを気に入ったユキノが「ここにしましょう」と主張した結果こうなった。いやまあ、確かにケーキは美味かったけれども。

 

 そんなこんなでミーシェに来てから初めての朝食を終え、それじゃあ攻略でもするかーと思った矢先、部屋の扉がノックされた。

 紅茶の準備をしていたユキノが手を止め、扉を開いた。

 

 扉の前に立っていたのは、ある意味で予想通りの人物だった。

 

「オハヨー、二人とも。朝早くごめんヨ。それとも、お取込み中だったかナ?」

「ハァ……。おはよう、アルゴさん」

 

 呆れてため息を吐くユキノの向こうにいたのはアルゴ。いつもどおりヒゲのペイントが描かれた頬をニヤリと歪めている。

 

 念のために言うと、俺もユキノも彼女に引っ越しのことは教えてない。

 いつも通り、知らぬ間に俺たちの居場所を調べ、こうして押しかけて来たのだ。

 

「それで、今日は何のご用かしら?」

 

 慣れた様子で招き入れ、追加のカップを準備するユキノ。

 アルゴの方も勝手知ったる我が家とでも言わんばかりに、テーブルの向かいへ腰かけた。

 

 こうしたアルゴの突撃訪問は初めてじゃない。なんなら日常の一部と言ってもいいくらいだ。週に一回は来るしな。ここに来ればユキノの淹れた紅茶が飲めるからってのもあるんだろう。

 

 けどまあ、基本的には何かしらの用事があって訪ねてくるのが常だ。

 

「ありがとユッキ。……ハァ、やっぱりユッキの紅茶が一番だナ。あ、今日はハー坊に仕事の依頼を持ってきたんダ」

 

 受け取ったカップをそのまま口にしたアルゴは、表情を緩めて長い息を吐いた。ひとの部屋でくつろぎすぎじゃないですかねぇ……。

 

 とりあえず返事の前に俺もカップを受け取り、隣に座ったユキノと揃って紅茶を一口。うん。相変わらず美味い。

 

「ていうか、どんどん美味くなってんじゃね? お前《料理》スキルどんだけ上がったの?」

「――現時点で熟練度が626ね。苦労して手に入れた茶葉にしてはいまひとつ足りないところだけれど、以前までに比べれば及第点といったところかしら」

「けっこう上がってんだな。けどこれで及第点とか、どんだけこだわるんだよ。もうこの前みたいなクエストはやらねぇぞ。ゲームの中なのに腰痛くなるかと思ったし」

「そうね。茶葉はたくさん貰えたけれど、経験値はそれほどでもなかったし。香りも少し強いから、好みが別れるかもしれないわ」

「へぇ、そんなことまでわかるんだな」

 

 呟いて、もう一口飲んでみる。

 うむ、わからん。ふつうに美味いとしか思えない。

 

「やっぱりわかんねぇな」

「そう。なら、しばらくはこのままこの葉を使うわね」

 

 「おー」と気のない返事をしてカップを置き、さてと正面に視線を戻す、と。

 

 アルゴがニヤニヤとこちらを見ていた。

 

「いやー、ハー坊とユッキのやり取りは見ていて飽きないナー。けどお二人さん、イチャイチャするのはそこまでにして、とりあえずオイラの話も聞いてくれないカ?」

「いや、別にイチャイチャはしてねぇだろ」

 

 ちょっとこのネズミは何を言っているんですかねぇ……。

 ほらユキノさん、あなたからも何か言ってあげなさい。

 

「そうね。ハチくんの鈍さを嘆いていただけだもの」

「舌の、な。なんで俺自身が鈍感みたいな話になってるんですかねぇ」

「あら、自覚がないところなんてまさに鈍感じゃない」

「いやいや、プロのボッチは空気を読めなきゃやってけねぇんだぞ。鈍感じゃあない」

「あなたの場合、空気を読んでいるのではなく、あなたが空気なだけでしょう」

 

 ぐっ……否定できないのがつらい。

 俺が言い返せなくなっているのを見て、ユキノがテーブルの下で小さく拳を握った。ほんと、負けず嫌いにも程があるだろ。

 

 ため息を吐きたくなる衝動を堪えて視線を戻す。と、いつの間にかアルゴは机に突っ伏していた。

 

「ん、どうした。紅茶の飲み過ぎか?」

「いんやー。ちょっと甘すぎダナーって思ったんだヨ」

「砂糖の入れすぎか? 程々にしとけよ」

「あなたがそれを言うのね……」

 

 いや、甘いほうが美味いし。紅茶はともかくコーヒーは尚更。人生もMAXコーヒーぐらい甘かったらいいんですけどねぇ。

 

 もう一度紅茶を口にし、カップを空にしたところで本題に戻る。

 

「で、なんだっけ。俺に依頼ってことは、偵察か調査か?」

「そんな感じだナー。それも《連合》からの直々な依頼だゾー」

 

 ……なんだかえらい投げやりだな。まあいいか。

 

 ともあれ、《連合》からの依頼ねぇ。それはまたなんとも珍しい。

 以前ほどじゃないとはいえ、《連合》の中には未だ『マイナーを許すな!』キャンペーンを行っているやつはいる。そうでなくてもソロで美味しいとこを掻っ攫っていく俺みたいなプレイヤーを嫌っているやつは少なからずいるだろう。

 

 にもかかわらず《連合》の名前で、《FBI》の顔であるアルゴが依頼を持ってくる……。

 正直、キナ臭い匂いしかしない。

 

「……で、どんな仕事なんだ?」

 

 まったく、我ながら社畜根性が染みついちゃってるなぁと思う今日この頃。

 色々としがらみがあるとはいえ、こうして自分から仕事内容を訊ねるようになるとは、ちょっと前の俺には思いもよらないだろう。

 

 訊ねるとアルゴはようやく顔を上げ、たて肘をして笑みを浮かべた。

 

「この村の北西にひときわ深い森があるのは知ってるカ?」

 

 ひときわ深い森ねぇ。周囲一帯森だからどこが深いとか考えなかったな。

 ちらっとユキノを見ると、彼女も気付いていなかったようで首を振った。

 

「まあ入ってみればわかるヨ。ともかく、そこは《迷いの森》っていうダンジョンになっててナ。名前からして厄介そうだから、詳細がわかるまで誰も入れないようにしてるんダ」

 

 《迷いの森》……。またなんともベタなネーミングだな。

 

 退魔の剣があるかどうかはさておき、もしそのダンジョンが名前のとおり『迷う』のだとしたら下手に手出しができないのも頷ける。

 どういう理屈で迷わせてくるのかもわからないし、万が一迷ってしまった際に生き残る術も必要だろう。結晶が使えるかどうかも重要だな。転移結晶で脱出できないんなら相応の準備もいるし。

 

「つまりその森がどんなとこで、探索に何が必要かを調べてくればいいんだな?」

「ご名答―。まあフィールドダンジョンだし、それほど強い敵もいるとは思わないけど一応ナー。報酬は弾むから、よろしく頼むヨ」

 

 さて、どうしたものか。

 別にそれほど危険じゃないと思うし、フィールドダンジョンなのだから最悪逃げればいい。何をどうして迷わせてくるのかわからないが、慎重に行動すれば命の危険とまではならないはずだ。いくらSAOに初見殺しが多いとはいえ、本当に死ぬような目にはそうそう遭わないしな。

 

 未踏破どころか手つかずのダンジョンに潜れってんだから見返りはあるだろう。

 報酬も相応に用意してくれるらしいし、途中でレアなアイテムを見つけられれば稼ぎはより増える。貯金はいくらあっても困ることはない。

 

 それに、俺みたいなマイナーに回ってくる仕事を他の誰かに任せるわけにはいかないしな。普段好き勝手にやってる分、こういうときくらいは働かないと後ろ指差されちゃうし。それはいつものことか。

 

「わかった。やるよ。お前はどうする?」

 

 頷き、それからユキノへ視線を送る。

 彼女は考える間もなく首肯した。

 

「当然、私も行くわ」

「そうか。じゃあ、準備すっか」

 

 言って立ち上がる。

 

「ごちそうさん。流しに置いておけばいいか?」

「ええ。後で片付けておくわ」

「はいよ」

 

 返事を背中に聞きながらカップを置いて振り返る。

 と、アルゴはまたしてもげんなりした顔でため息を吐いた。

 

「これでただのルームメイトだって言うんだもんナー」

 

 ……なんだよ。なにか変なこと言ったか?

 

 疑問に思いつつも口にはせず、ダンジョンに行くための準備に向かった。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 というわけで依頼された場所に到着。

 場所はミーシェから北西に徒歩15分ほど。周囲には穏やかな野原と林が広がっており、小川はまっさらに透き通っている。実に長閑な光景だ。

 

 目的地の《迷いの森》を除いては。

 

「見るからに怪しげな森だな。なんか出そうなんですけど」

 

 不気味な森だった。木々が鬱蒼と生い茂り、枝と蔦が絡まって先の見通せない暗い道が奥へ奥へと延びている。入り口から窺い見ても5メートルくらいしか見通すことができなかった。

 

「こりゃあ油断するとはぐれかねないな。お前も気を付け……」

 

 言いながら振り返ろうとして、ふいに背中を少し引かれる。

 見ると顔を強張らせたユキノがマントの裾を握っていた。目が合って、驚いたように目が見開かれて、それからようやくユキノは自分の行動に気が付く。

 

「ぁ……ごめんなさい」

 

 放した手を所在なく胸の辺りで握り、ユキノはそっと目を伏せた。

 

「あーその、なんだ。苦手なのか、こういうとこ」

「……そう、ね。少し苦手かしら」

 

 ほーん。素直に認めるなんて意外だな。

 なんて思っていると、ユキノはぷいと顔を逸らした。

 

「別に幽霊だとかそういった非科学的なものが苦手というわけではないの。そもそもそんなものいるわけがないのだし、信じられる根拠もないのだもの」

 

 そんな全力で否定されると逆効果なんだよなぁ。

 と、早口で捲し立てていたユキノが視線を落とす。

 

「ただその……昔、姉さんによく脅かされたから」

「ああ、お前の姉ちゃんか」

 

 雪ノ下陽乃。ユキノの姉にして、ユキノを凌ぐ完璧(パーフェクト)悪魔超人。

 最近のユキノはすっかり大人しくなっているが、SAO(ここ)へ来る前の、現実の雪ノ下であっても敵わない優秀さを雪ノ下陽乃は持っていた。

 

「姉さんはいつもそうだった。私がいくら言ってもやめてくれなくて……」

 

 ぽつりとユキノが言った。

 腕をかき抱き、寂しげに、けれどどこか懐かしそうに。

 

 だがユキノはそれきり押し黙る。

 言葉は尻すぼみに小さくなり、その先は声として届くことはない。

 

 やがて彼女は小さく首を振り、顔を上げた。

 

「ごめんなさい。こんなことを話している場合ではなかったわね。もう行きましょう」

 

 言って、ユキノが森の方へ足を踏み出し、そのまま暗がりへ入っていく。

 

 鳩尾にちくりと刺さる刺激を感じながら、その後を追った。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 フィールドダンジョン《迷いの森》は、十数メートル四方のエリアを転移で繋いだ構造をしていた。

 

 入り口から森へ踏み込んだ俺たちはまず一本道のエリアに飛ばされた。

 突然変わった景色に驚きつつも道を進み、次に三差路のエリアに入ったところで俺が仕組みに気付いたわけだ。

 

 戸惑いながらも俺とユキノは道を進んでいった。

 途中で現れるゴリラのようなmobも一撃こそ重そうだったが難なく倒し、道なりに奥へ奥へと歩いていく。

 

 敵もそう強いわけではなく、道も今のところわかりやすい。《迷いの森》なんて名前にしては拍子抜けなくらい順調だ。そう思っていた。

 

 だが何度目かの転移を終え、エリアの中央付近まで来たところで、それに気付いた。

 

「ん? ここ、さっきも来なかったか?」

 

 目の前に広がる三差路。Y字に広がったその道には既視感があった。

 俺の隣で立ち止まり、同じように周囲を見渡したユキノはけれど首を捻る。

 

「どうかしら。似たような景色が続いているから」

 

 確かにそう言われてしまえば絶対とは言えない。

 だが忘れるなかれ。ユキノは方向音痴なのだ。自分が通った景色を正確に覚えているかはかなり怪しい。っていうか、たぶん覚えてない。

 

 まあマップ見りゃわかるか。

 ついついと指を動かし、ウィンドウから周辺マップを開く。

 

「どれどれっと…………はっ?」

「どうかした?」

 

 思わず素っ頓狂な声が漏れ、ユキノが訝しげな顔で覗き込んでくる。

 俺はウィンドウを可視状態にしてユキノに見せ、改めて地図を見る。

 

 

 

 ふつう、マップは通ってきた場所が自動で記録され、帰り道や行っていない場所が一目でわかるようになっている。

 

 だからこそ迷宮区を含めたダンジョンのマッピングは多大な時間と危険が伴うキツイ作業だし、未踏破区域のマップは情報屋に売ることもできるのだ。これで稼いでいるやつもいるし、俺も何度か小遣い稼ぎに利用したことがある。

 

 

 

 今回も同じだと思っていた。

 今まで例外なんてなかったから、疑うことすらしなかった。

 アルゴから依頼された『調査』の内にはこのマッピング作業も含まれていると踏んでいたし、だからこそ当てもなくふらふら歩くのもマッピング作業だと割り切っていた。

 

 だが、ここまでそれなりの距離を歩いてきたというのに、手元のマップはほとんど全体が灰色の未踏破領域扱いになっていた。

 加えて現在地を示す光はマップ左上の端近く。ここまでのルートが一切記録されないままに、だ。

 

 いつの間にかこんな遠くまで来た? いや、そんなはずはない。

 森に入ってから精々15分ってところだ。全力で走ったならまだしも、歩いてた上に戦闘までしててこんなマップの端まで来られるわけがない。

 

 考えられるとすればここまで繰り返してきた転移だ。この森は各エリアの端に転移結晶に似た色の石が並んでいて、その間を通ることで次のエリアに移動することができる仕組みらしい。

 もし、あの転移が隣接するエリア以外を結んでいるとすれば、少々歩いただけの俺たちがこんなマップの端にいることも頷ける。

 

 だとすれば、仮にマップが役に立たないとしても帰り道はわかる。来た順とは逆のルートを通ればいいだけだからな。ユキノみたいに方向音痴だとそれも難しいが、あいにく俺の帰巣本能はかなり強い。方向感覚には自信がある。

 

 問題ない。多少面食らいはしたが、まだ問題ないはずだ。

 ……けど、なんだこの違和感は。なにか、なにかが引っかかる。

 

 見通しの悪い森。エリア移動用の結晶。現在地以外わからないマップ。

 

 この中で違和感があるとすればマップだ。

 マップを役に立たなくさせるなら、そもそも使用できなくすればいいはず。これまでのダンジョンにもそういう場所はいくつかあった。

 

 にもかかわらず『現在地以外わからない』なんて状況を生み出す必要がある。

 

 仮に、俺の気付いていないマップの使い道があるとしたら。

 自分の周囲しか見られないこのマップに何か使い道があるとしたら。

 

 これは一度ミーシェに帰って情報収集した方がいいな。

 

「まさかマップが埋まらないとは思わなかった。一旦戻って出直した方がいいかもな」

「そうね。それがいいと思うわ」

 

 街へ戻ると決め、ユキノを促して元来た道へ転移する。

 

 と――。

 

「なんだ、これ……」

 

 そこはまったく見知らぬ場所だった。

 間違いなく来た道を戻ったはずなのに、目の前に広がる景色はさっきと違っていた。

 

「ハチくん、ここは……」

 

 道はわからなくても見たことがあるかどうかはわかるのだろう。ユキノはキョロキョロと周囲の様子を窺いながら問いかけてきた。

 

「……あー、悪い。道をまちがえたっぽいわ。一つ前のエリアに戻るぞ」

 

 方向音痴なのは俺も同じだったのかー。他人のこと言えないなーアハハ。

 

 口元が引き攣るのを堪えて頭をかき、振り返ってユキノの背後を示す。

 

「ほれ、あっちだあっち」

「え、ええ。……さすがに今来た道をまちがえることはないけれど」

 

 ユキノは少し不満げに口を尖らせる。ごめんなさいね。ちょっと急いで欲しいからね。

 

 ともかく、前のエリアに戻ろうと結晶の方へ歩き出した。

 その瞬間、一瞬だけ両脇の結晶が青白く光った。

 

「今の……」

 

 ユキノも気付いたようで訝しげな声を漏らした。

 

 嫌な予感がする。

 そう思いつつも境界線を跨ぐと――。

 

「……やっぱりか」

「また、知らない景色……っ!」

 

 間違いない。これはランダム転移だ。

 

 しかも――。

 

『グルルル』『ガァルルゥ』

 

 ご丁寧なことに、お迎えのワンちゃんまでいらっしゃった。

 

「い、犬……」

 

 マントの裾が引っ張られるのを感じながら、大きくため息を吐いた。

 

 いつの間にか人を迷わせ、偶然とはいえユキノにとって天敵のmobをけしかける。

 ほんと、このゲームの開発者=茅場は余計なことしかしない。

 

「やっぱ、まじめに働くもんじゃねぇな……」

 

 真夏のアインクラッド、その35層にある深い森の端で、改めて就労意欲を失うのであった。

 

 

 

 

 

 







以上、4話でした。

次回更新は早くて来週、通常進行なら再来週ですかね。


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第五話:繰り返し、比企谷八幡は自らに問いかける

お久しぶりです。
遅くなりまして、ごめんなさい。
季節柄か、最近は仕事もモチベーションも上がらないので辛いですね。

などと下らない愚痴はともかくとして。
第5話です。よろしくお願いします。





 

 

 みなさんこんにちは。

 アインクラッドを賑わす『マイナー』、ハチこと比企谷八幡です。

 

 今日は第35層にある《迷いの森》へ散策に来ています。天気も今週一番の晴れ模様で、木々の間を抜ける風に木洩れ日がとても心地良い一日となりそうです。

 

 ご覧ください。この青々とした葉を茂らせた木の数々。鳥たちはあちらこちらでさえずり、暗がりの奥からは動物たちの鳴き声も聞こえてきますね。まさに生き物の楽園!

 木々の間から差し込む陽の光が充分に足元を照らしてくれるので、松明のような灯りも必要なさそうです。ただ暗い場所がないわけではないので、準備だけはしておくに越したことはないでしょう。

 

 《迷いの森》はその名の通り、プレイヤーを道に迷わせる仕掛けのある森です。

 専門家によればこの『迷わせる』という仕組みにはいくつかパターンがあり、その中でもこの《迷いの森》は極めて珍しい仕組みをしているとのこと。

 

 森は一辺十数メートルの正方形のエリアに区切られていて、各エリアは転移の仕掛けで繋がっています。道の先がどうなっているのかわからないんですね。

 加えてこのエリア間の接続は、一定時間で切り替わってしまうようです。来た道を戻っても違う場所に出てしまうということですね。

 極めつけはこの森がマッピング不可だということでしょう。通常のダンジョンと違い、この森は通って来た道がマップに記録されないのです。

 

 いかがでしょうか。

 最近《ギルド連合》をも悩ます《迷いの森》。こんなに厄介な場所だとわかれば、早急な対策が必要だと判断されるのも頷けますね。《連合》による攻略法の早期解明に期待しましょう。

 

 あ、ちなみにこの森では転移結晶は使えませんので、挑戦される方はご注意ください。

 

 さて、といったところで我々は森の中を歩いてきたのですが――。

 リポーターのユキノさーん。現在はどういった状況でしょうか。

 

「い、犬……」

 

 おー、なんとも立派なワンちゃんですねー。それも二頭も! ハスキー犬でしょうか。黒灰色の毛並みも滑らかで整っていて、がっしりとした体付きからは力強さが伝わってきますよ。元気に唸り声を上げているのも好印象ですねー。

 

 では、私も一緒に遊んでみたいと思います!

 さあユキノさん、行きますよー。

 

 

 

 

 

 

 …………はい。というわけで、現実逃避終了。

 まったく、厄介な状況にしてくれちゃいやがって。どうすんだよコレ。

 

 前方には唸り声を上げる狼が二頭。

 名前は《ハンティング・ウルフ》。レベルは35。

 

 これまで見てきた狼型mobの中で最もレベルが高く、体格もひときわ大きい。森の暗がりに同化して見えにくい体毛は茂みに潜む時さぞかし役立つのだろう。臭いと音でプレイヤーの接近を感じ取って間近から飛び掛かるのだとすればハンティング(狩り)という名前にも納得がいく。

 

 幸い、今回は転移直後で目の前にいたから奇襲はされなかった。これで背後から襲われていたら相当危なかっただろう。俺だけならともかく、今はユキノがいるのだから。

 

 (くだん)のユキノはさっきから俺のマントの裾を握って竦んでいる。座り込みこそしていないものの、とてもじゃないが戦える状態ではない。

 

 そうなると、取れる選択肢は限られてくる。

 

「おい、お前はさっさと逃げろ。来た道戻って、転移先で待っとけ」

 

 言ってから、ふと前にも同じような状況があったなと思った。

 あのときも狼型の敵が出て、ユキノが戦えなくなったんだったっけか。

 

 マントがきゅっと引かれ、それから弱々しい声が聞こえてくる。

 

「私は、大丈夫。だから……」

「いやお前は犬ダメだろ。無理する場面でもねぇし、大人しく逃げとけって」

「…………わかったわ」

 

 そんな言葉を最後に手が離れる。すぐに地面を踏む音が聞こえてきて、それに気付いた狼の片割れが動いた。激しく吠えながら、俺の横を抜けて追いかけようとする。

 

 当然、通さない。

 

「悪いな、ここは通行止めだ」

 

 バッティングの要領で走り抜けようとした狼を打ち返し、慣性を利用した《水月》で飛び掛かってきたもう一頭を蹴り飛ばす。

 間合いが開いた隙にバックステップで結晶までの距離を稼ぎ、再度向かってきた狼を槍と体術で跳ね返す。と、ちょうどそのタイミングで背後が青白く光った。

 

 一転、背中を向けて全力で走る。筋力値にもポイントを振ってるユキノならともかく、敏捷値極振りの俺なら追いつかれる心配もない。一層の頃ならともかく、今さら狼程度でビビることもないしな。

 

 追いすがる狼を振り切り、結晶の間へ飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 《ハンティング・ウルフ》を振り切り違うエリアへ転移した俺たちはその後、アルゴへメッセージを送って状況を報せ、とりあえず落ち着くために《安全地帯(セーフティエリア)》を探して歩いた。

 

 途中、何度かさっきと同じ狼に遭遇したが、相手が一頭なら俺が倒し、二頭以上なら逃げるという方法で対処した。ゴリラに関してはユキノに慈悲もなく斬り捨てられていた。南無。

 

 

 

 そうして歩いて逃げ回ること一時間あまり。

 もう何度目かわからない転移の先に、一本の大きな木が立っていた。

 

「雰囲気の違う場所に出たな」

 

 そこは一本の巨木を中心とした広場だった。これまで通ってきたエリアよりも明らかに広く見通しもいい。巨木の周りには茂み一つなく、円を描くように進入不可の木々のオブジェクトが置かれている。

 

 ユキノも広場を一望してから頷いた。

 

「そうね。何かのイベントスポットなのかもしれないわ」

「だな。とりあえずまだマップは使えねぇし、この場所のこともアルゴに伝えとくか」

 

 言いながら振り返り、二つの結晶の方へ目を向ける。

 と、結晶の外側に白い帯が浮いているのが見えた。どうやらこの広場全体が《安全地帯》として設定されているらしい。

 

 中心の木に向かって歩きながら、ウィンドウを開く。

 

「ついでに、ここで休んどくって言っとくわ。散々歩き回って疲れたしな」

 

 宛先にアルゴの名前を打ち込んだメッセージを送る。俺たちが何かのイベントスポットっぽい広場にいること、自力での脱出は難しいこと、今いる広場は《安全地帯》だからここで休んでおく旨を書いておいた。

 

 ひとまずの対応としてはこれでいいだろう。

 あとはアルゴがこの森を攻略するための情報を集めてくれるはずだ。さすがに依頼を出しておいて見捨てるなんてことはしないと思いたい。ここにはユキノもいることだし。

 

 木の傍まで歩いて振り返り、幹を背に腰を下ろす。

 

「っこいせっと」

 

 あー疲れた。やっぱ仕事なんてするもんじゃねぇな。

 美味い話には裏があるように、お高い依頼には危険や面倒がもれなく付いてくる。《連合》から回ってきたこの仕事にもやっぱり厄介なとこがあったというわけだ。

 

 欠伸と一緒にため息を吐いて、ぐーっと伸びをする。

 そうしてから隣で木に寄りかかるユキノを見上げた。

 

「お前も座ったらどうだ? 助けが来るまではしばらくかかるだろうし、下手すりゃ一日二日はここで野宿だからな。立っててもしんどいだけだぞ」

「……そうね」

 

 ユキノは俯いて幾ばくか逡巡した後、諦めたように小さく息を吐いて膝を折った。

 

 それから静かな時間が流れる。

 俺もユキノも何かを話すでもなく、ただじっと天蓋や足下を見つめる。

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさい」

 

 不意に、隣から呟き声が聞こえた。

 

 謝罪の言葉。だが彼女が何を以て謝罪を口にしたのかがわからない。

 

「急にどうした?」

 

 問い返すと、ユキノは膝を抱えて俯いた。

 

「ここまでずっと、あなたに頼りきりだから」

 

 言われて、この森に入ってからのことだと思った。

 

「あれはしょうがないだろ。人間、どうしてもダメなもんの一つや二つあるしな。お前が犬苦手なのは知ってたし、別に気にしてねぇよ」

「それだけではないのだけど……」

 

 ユキノは足元を見つめて、ふっと息を吐く。

 そして俺へと顔を向けた。

 

「私は、あなたに寄りかかり続けているのだから」

 

 最初はなんの話をしているのかわからなかった。俺もユキノも木の幹を背に座っているので言葉通りの意味ではないのだろう。そもそもこいつが誰かに寄りかかっている姿なんて一度も見たことがないし。

 

 けれど、続くユキノの言葉で思い出した。

 

「あなたが以前言っていたことよ。『人』という字は支え合っているのではなく、一方が寄りかかっているのだと」

 

 ああ、あのときのことか。

 それはまだSAOに閉じ込められる前のこと。文化祭のスローガンを決める会議で言ったことだ。もう一年近く前のことなのによく覚えているな。

 

「ここへ来てからの私はあなたに頼るばかりで、あなたに負担を強いて、にもかかわらずあなたを排除しようとする人を止めることができないでいる」

 

 ユキノは視線を足元に落とし、つらつらと口にしていった。

 

「それどころか、私は一人で立つこともできないでいた。そのことに気付いてすらいなかったわ。糾弾されて、追い詰められて、どうしたらいいかわからなくなって、結局また救われて、そうして初めて気付いたの」

 

 言って、自嘲するように小さな笑みを浮かべる。

 

「お笑い種よね。自分は他人よりも優秀だから、強いからと言って傲慢に振り回しておいて、実際はなにもできていなかったのだから」

 

 彼女が何をもってそう自己評価したのかはわからない。

 だがユキノには目に見える功績があるはずだ。

 

「いや、お前は《攻略組》のリーダーとして攻略を牽引してきただろ。お前がやらなきゃ攻略はもっと遅れてたかもしれない」

 

 ユキノの指導者としての手腕は《攻略組》に所属していた誰もが認めるところだ。

 冷静かつ合理的に判断を下すことができ、自身もトップクラスの実力を持っている。だからこそ派閥争いのあるトップ集団で長らくリーダーというポジションを務められたのだ。

 

「私がレイドリーダーの立場でいられたのは、私が二大ギルドのどちらにも入らず中立でいられたからよ。攻略がスムーズに進んだのは常にFBIからの情報提供があったから」

 

 けれどユキノは小さく首を振り、穏やかな声音で続けた。

 

「そしてそのどちらにも、あなたは大きく関わっていたわね」

 

 それは問いかけの体をなしてはいたものの、ユキノには確信があるようだった。

 とはいえ答えは決まっているんだが。

 

「俺は何もしてねぇよ。ただ情報屋とパイプがなきゃソロでやっていけないから、アルゴからの仕事は断らなかっただけだ。ALSとDKBに関しちゃあ、連中が牽制し合ってただけだろ」

 

 実際、特定の誰かに肩入れするような思惑を持って動いたことはない。

 ただ自分が生き残るため、生きてこのゲームを終わらせるのに効率がいいと思う行動をとっていただけだ。

 アルゴの使い走りをしていたのも、邪険にされながらボス戦に参加し続けたのも、客観的に考えて効率がいいからだった。

 

「そうでしょうね」

 

 ユキノも俺の行動原理はわかっているのか、また小さく頷く。

 そうしてから、ちらりと視線を寄越してきた。

 

「けれど、どうあれきっかけを作ったのはあなただわ。私たちがALSやDKBとは違う思想を持っていると明らかにしながら、敵意を向けられることのないようにした。そのために自分は嫌われ者役を引き受けて、その上で私たちを遠ざけたのでしょう」

 

 そうだと肯定することはない。

 同時に違うと否定することもできなかった。

 

 かつての俺のやり方は犠牲などではない。

 けれどユキノが身を賭して《攻略組》を守ろうと動いたのを見て、客観的な視点を得たのも確かだった。

 

 それ故に――。

 

 あのときの俺の行動はまちがいなんかじゃない。

 俺の主観においても、また効率の面で見ても、俺に取り得る最善の手を打った。

 だから同情も憐憫もいらない、感謝も謝罪も受ける謂れはない、と。

 

 はっきりとそう言うことが、今はできなかった。

 

「あなたがいなければ、私はここにいなかった。右も左もわからないこの世界で生き残ることはできなかったわ。第一層を突破した後、キリトくんとアスナさんと一緒にいられたから攻略を続けることができた。どれも、みんなあなたのおかげ」

 

 「それなのに」と、ユキノは顔を落とした。

 

「私はあなたに何も返せないでいる。あなたに頼って、助けられて、寄りかかっているだけ。今度は私がって、そう思っていたのに……」

 

 ユキノは消え入るような声で呟いた。膝を抱えて小さく震える姿は弱々しく、そんな彼女を俺は一度も見たことがなかった。

 

『できるものだと、思っていたのにね……』

 

 以前そう言ったときのユキノも同じ声音をしていた。

 諦めてしまったような、限界を悟ってしまったような、空虚で物悲しい響き。

 

 

 

 ――俺はまちがえはしなかっただろうか。

 あれからずっと問い続けたその答えは今、こうして目の当たりにしている。

 

 きっとまちがえたのだと思う。

 《連合》結成からの日々がそれを如実に語っている。ユキノのあの諦観に満ちた微笑みが示している。縋るような眼差しが突き付けてくる。

 

 ただ傷ついてほしくない――。そうした想いが動く理由になることもあると、俺はあのとき知った。なら、他にそういうやつがいたっておかしくない。

 

 もし……。

 もしも、彼女も同じだったのだとしたら。

 もしも、守りたいと願ったものによって逆に自身が守られたとしたら。それを突き付けられたとしたら。

 

 だとすれば、彼女は――。

 

 

 

「その、なんだ……。寄りかかられてる方も、案外それで支えられてるのかもしれないぞ」

 

 気が付けば、そんな言葉を吐き出していた。

 

 考えて言ったことじゃない。けれどまったくの虚言というわけでもない。

 口を衝いて出たそれは、自分でも不思議なほどすんなりと胸に収まった。

 

「ハチくん……?」

 

 目を丸くして、ユキノが振り向く。

 

「あれだ。『人』の字でも、小さい方の線はパッと見寄りかかられて見える。けど、あれだって大きい方の線がなきゃ倒れるだけだろ。それと同じだよ」

 

 ユキノの縋るような眼差しに、知らず知らず口が回る。

 

「っていうか、普段俺もお前を頼りまくってるしな。助けられたことも一度や二度じゃない。なんなら、むしろ俺の方が寄りかかってるまである」

 

 だから気にするなと、そこまでを口にすることはできなかった。

 俺にそんな言葉を口にする資格も権利もない。

 きっと、願うことさえ、許されていない。

 

「…………そう」

 

 ユキノは長い時間をかけて飲み込んだ末に呟いた。

 それからまたじっと手元を見つめ、何かを考えこむ。静かな時間がしばらく続き、やがて小さな息を吐いた。

 

「なら、しっかりと寄りかかってもらわなきゃだめね」

 

 そう言ったユキノはおもむろに足を伸ばし、腰を浮かせてすぐ傍までにじり寄ってきた。

 それから両手を持ち上げ、こちらへ伸ばしてきたかと思うと――。

 

 

 

 俺の頭を引き、倒して、伸ばした膝の上に載せた。

 

 

 

「…………はっ?」

 

 え、なにこの状況。

 これっていわゆるアレか。思春期男子の妄想の産物であるところの膝枕的な。

 

「おい、ちょっ、お前なにして……」

「あら、お互いに寄りかかるものだと言ったのはあなたよ。だからここは大人しくしていなさい。……今はそれで、納得できると思うから」

 

 見上げた先にあった物憂げな顔を見て、それ以上言えなくなってしまう。

 ユキノがこれで通り飲み込むことができるというのであれば仕方ない。多少どころかかなり恥ずかしいが、ここはグッと堪えることにしよう。

 

「少しだけだぞ」

「ええ。少しだけよ」

 

 小さくため息を吐いて横目に見る。

 ユキノは勝ち誇るでもなく、縋るようでもなく、ただ穏やかな笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ん? ああ、寝ちまってたか。

 なんか知らんが久しぶりにがっつり寝た気がするな。

 

 今が何時だかわからないが、ともかく起きるか――。

 

「……スー……」

 

 ………………………………ナンダコレ。

 後頭部には柔らかい感触があって、目の前にはユキノの寝顔がある。

 

 待て待て。落ち着け。クールになれハチマン。こういうときは素数を数えるんだ。で、素数ってどんな数だったっけ。

 

 確か、ユキノが膝枕を強要してきて、少しだけと了承したんだったか。

 結果俺もユキノも眠ってしまうとか、どんだけ疲れてたんだって話だな。

 

 とにもかくにも、まずはユキノに目を覚ましてもらわなきゃならない。体を起こそうにも、未だにユキノの手が俺の頭を押さえていて動けないからな。こいつマジでどんだけ筋力値上げてんだよこいつ。

 

 今頃アルゴはこの森の攻略法を探してるだろう。だとすればいずれ誰かが来るはずだ。

 わざわざ捜索に来てくれる連中にこんな状況を見られるわけにはいかない。見たとこ時間もけっこう経ってるみたいだし、そう先のことじゃないと思う。

 

「おい、起きろ。いい加減起きねぇと、色々まずい」

 

 少し強めに声を掛けると、ユキノは「んっ」と息を漏らして目を開けた。が、まだ寝起きで頭が働いていないのか表情はボヤーッとしている。

 

「起きたか? んじゃあ手を退けてくれ」

 

 頭を押さえてる手をポンポンと叩くと、ユキノは呆けた目でそれを見て、また視線を戻した。それから何を思ったか、額の右手はそのままに、左手が頬に添えられた。

 

 え、なにこれ。これじゃあ頭を起こせないだけじゃなく、振り向くことすらできないんですけど。どういうことですかね、ユキノさん。

 

 なんて身の危険を感じたのもつかの間、ユキノは腰を曲げ始めた。

 寝ぼけ眼のままじっとこちらを見つめ、だんだんと距離が近付く。

 薄く開かれた唇から吐息が漏れ、吐息が口元に当たると身体が震えた。

 

 これはマズい。どうにか目を覚まさせないと。

 頭ではそう思うのに、身体も口も《麻痺毒》を受けた時のように動かない。

 ぼんやりと、けれどまっすぐに見つめてくる視線から目を離すことができない。

 

 

 

 逃げることも止めることもできず、間近に迫った薄紅色に目を奪われる。

 

 距離は徐々に近づき、間もなく鼻先が触れようかというところで――。

 

 

 

 一瞬青白い光が瞬き、今度こそ覚醒したユキノはハタと止まった。

 間近に見える瞳は動揺しきっていて、白い肌に朱が灯る。呆けたように開いた口からは言葉はなく、ただ戸惑うような吐息が漏れるだけ。頭と頬に添えられた手も硬直して震えている。

 

 動こうにも動けない俺の目の前で固まるユキノ。

 そんな彼女が再起動を果たしたのは、脳の処理が追いついた時ではなかった。

 

 

 

「あー、その、助けに来たんだけど、お邪魔だったみたいだな。ごめん」

 

 

 

 ものすごく聞き覚えのある声がしたかと思えば、バッと勢いよくユキノが顔を上げる。

 その際、勢い余って木に頭を打ったらしく、後頭部の辺りに《破壊不能(Immortal)オブジェクト》のシステムメッセージが表示されていた。

 

 顔を真っ赤に染めて、ユキノが捲し立て始める。

 

「いいえ、助けに来てくれてありがとう。それにあなたたちが来てくれなければ私たちはここから動くことができなかったのだから、邪魔だなんてことは絶対にありえないわ。そもそも邪魔かそうでないかで言うのなら、こうしていつまでも人の上で横になっているこの男のほうが邪魔をしていると言えるのであって……」

「はいはい悪かったな。今起きますよっと」

 

 身体を起こして立ち上がり、入り口の方から歩いてくるやつを見る。

 

「わざわざ迎えに来てもらって悪かったな」

 

 キリトはニヤニヤ笑いを浮かべて応えた。

 

「気にするなよ。それに、アルゴに売れるとびきりのネタも手に入ったからな」

 

 でしょうねぇ。今のなんてあの鼠の大好物だしなー。

 

 ため息と共に頭を掻いていると、キリトの後ろからひょこっと黒髪の少女が顔を出した。

 普段は穏やかで癒し効果抜群の笑みを浮かべる彼女が、今はジトーッとした目で睨み、頬を膨らませて呟く。

 

「せっかく心配して来たのに、ハチってばユキノさんに膝枕してもらってたんだね。もし私たちが来てなかったら、なにするつもりだったの?」

 

 サチからの毒気たっぷりなお言葉を頂戴し、もう一度深いため息を吐くのだった。

 

 

 

 

 

 







以上、5話でした。
次回更新日は未定です。なるはやで出来ればと思います。


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第六話:相変わらず、彼女はかき乱してくる

お久しぶりです。本当にお久しぶりです。

約半年間、大変長らくお待たせいたしました。

見苦しい言い訳はなしにして、本編をどうぞ。


 

 

 

 それは暑い夏が過ぎ去った9月のこと。

 一日の攻略を終え拠点へと戻る帰り道、俺たちの前を複数のプレイヤーが駆け抜けていった。

 

 人数は10人。それが4人と6人の集団に分かれて走っていた。

 どちらも脇目も振らずといった様子の全力疾走。ただ、前を走る4人のカーソルは明るい緑色なのに対し、後ろの6人は全員がオレンジのカーソルを浮かべていた。

 

 ほーん、カーソルの色で分かれるなんて変わったケイドロだなー。いや、この場合犯罪者(オレンジ)側が追いかけてるからドロケイか? どっちにしてもボッチの俺はまともにやったことないんだけどな。

 ちなみに我らが千葉じゃあこのゲームを《ケイドロ》と呼んでいるが、同じ関東でも東京や神奈川、埼玉なんかでは《ドロケイ》と呼ぶのが一般的らしい。「首都圏では――」なんて括り方をする場合もあるが、千葉が入ってないのに首都圏っていうのはおかしいからあれは間違いな。

 

 なんて、どうしようもない豆知識は置いておくとして。

 俺はユキノと目配せをすると、彼らの後を追って駆け出した。

 

 

 

 グリーンのパーティーに続く犯罪者(オレンジ)プレイヤーたちは、高笑いを上げながら獲物を追いかけていた。

 人数では勝っているし、対人戦に関しては自信があるのだろう。笑う余裕すら見せて走る6人は、だからこそ自分たちが追われているとは思いもよらないらしい。

 

 敏捷値の差に物を言わせ、あっという間に追いついた俺は右手の槍を構えた。システムが挙動を感知して、槍が仄かに輝き始める。

 

「ハッハッハー! どこまで逃げるんだあがっ!」

 

 下品な笑い声を上げた男は無防備な背中にソードスキルを受けて派手に転がった。そうなってからようやく気付いたらしく、連中は振り向いて、全員が顔を歪めた。

 

 転がった男も立ち上がり、苛立たしげに舌打ちする。

 

「チッ、《マイナー》かよ。自己中野郎が正義のヒーローごっこか」

「最前線から脱落者を出したくねぇだけだ。仕事が増えちゃうからな」

 

 ただでさえこの層は厄介だってのに、人手が減っちまったらどうしてくれるんだ。

 

「おいおい《マイナー》さんよぉ。いくら強いからって、スピードタイプのあんたがこの人数相手は厳しいんじゃねぇの」

 

 今度は別の男が進み出る。人を食った口調に、ニヤニヤ笑いを浮かべてだ。挑発のつもりなのか、嘲笑のつもりなのか。どちらにせよ、もっと質の悪い連中を知っているだけに小物臭しかしなかった。

 

「あー、確かに1人で6人を相手にするのはきついな」

 

 気の抜けた返答に連中は戸惑い半分、嘲り半分といった様子だった。

 追いかけられていた4人も立ち止まり、距離をとってこちらを窺っている。

 

 それからオレンジ連中は俺と向こうの4人を見比べ始めた。どちらが獲物として上等かを計っているらしい。じりじりと通路いっぱいに広がりつつ、それぞれの武器を持ち出す。

 

 結果、連中は俺を狩ることに決めたようだ。一応の警戒に1人を残し、残る5人がこちらへ武器を向けてくる。

 

「パンピー狩るよかアンタ潰した方が美味いからな。俺たち的にゃあツイてるぜ!」

 

 痺れを切らした一人がそう言って手にした曲刀を構えた。――ところで追いついてきたユキノが姿を現す。

 

「そう。こちらとしても逃げないでくれるのは助かるわ」

 

 言いながら飛び込み、男の曲刀を弾き飛ばした。

 ユキノはそこで止まらず、左手で拘束用の縄を取り出すと、唖然としたままの男を転ばせつつ捕縛してみせた。

 

 見事な手際。流れるような動きだ。何かの武術の動きだろうか。そういえば、リアルで合気道をしていたこともあるって言ってたような……。

 

「まずは一人。これで5対2になったわけだけれど、まだ抵抗するかしら?」

 

 仲間の一人が一瞬で捕らえられ、残った5人は少なからず動揺したようだ。

 視線は刀を手にしたユキノに釘付けで、少しずつ後ずさりを始めている。とっても隙だらけなんだよなぁ。ポチポチっと。

 

 やがて先頭の男、先ほど俺が突き飛ばした男が悔しげに吐き捨てる。

 

「くそが……」

 

 それから反転。ユキノとは反対側のグリーンの4人がいる方へ駆け出した。

 

 はい、ここで《隠蔽》を解除。これでユキノに夢中だった奴らには、俺が突然現れたように見えるだろう。無防備な連中のうち、手近な一人を《水月》で蹴り飛ばす。

 

「なっ! てめぇ、いつの間に……」

「いや、ぼーっとしてたのはそっちなんだ。そりゃあ回り込まれるだろ」

 

 転がった男へ《麻痺毒》付きのナイフを投げつける。これで残りは4人。

 

 ユキノと俺に挟まれた奴らは悪態を吐きながらポーチへ手を突っ込んだ。

 

「でたらめ過ぎるだろ! くそっ、《転移》、アルカ――」

「せやっ!」

 

 男の声を断ち切るような裂帛(れっぱく)。クリスタルが3つ輝く前に地面に落ち、同じ数だけ鈍く生々しい音がたった。結晶を掲げていた男たちは呆然と失った手首を見つめている。

 

「……化け物かよ」

 

 最後の一人は腰を抜かしたようで尻もちを着いた。身体が小刻みに震えているのを見るに、これ以上の抵抗はないと思ってよさそうだ。

 

 悠然と刀を収めるユキノへ視線を送る。

 

「だってよ」

「そうね。私もその眼は人間のモノではないと常々思っているわ」

「誰がゾンビの眼だ。っていうか、俺じゃなくてお前のことだろ今のは」

 

 なんせ《転移結晶》を取り出した瞬間には動き出してたしな。しかも三連撃のソードスキルを一撃ずつ使って三人の手首だけをバッサリ落としたんだ。

 敏捷値極振りの俺ですら、速すぎて目で追うのがやっとだった。それでいて手首だけを正確に斬るんだから、怖がられるのも当然というものだろう。

 

 早々に捕まえた男に加え、戦意喪失した4人と《麻痺》状態にあった1人を拘束すると、ユキノは立ち上がって振り向いた。

 

「では行きましょう。彼らは3人ずつ……いえ、ステータス的に私が4人を連れた方がいいかしら」

 

 挑発するような表情のユキノに、両手を上げて答える。

 

「むしろ5人、なんなら全員連れてってくれてもいいくらいだな」

「……呆れた。あなたには男性としてのプライドはないの?」

「効率の良い割り振りをしてるだけだ。男だからとか関係ない。それに現実ならともかく、このゲームじゃあ俺よりお前の方が明らか力は強いだろ」

 

 そう言うと、ユキノは小さくため息を吐いた。

 

「現実でもあなたに組み敷かれるようなことはないと思うけれど。まあいいでしょう。その代わり、道中出てくる敵はあなたが倒して頂戴ね」

「ハイハイ。言われなくてもそのつもりですよっと」

 

 結局、助けた4人が護送の手伝いを申し出てきたので、1人が1人を連行する形となって丸く収まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインクラッド第40層は『監獄』がテーマの層だった。

 

 どこへ行っても暗く見通しの悪い石造りの通路が続き、出てくるmobも囚人服を着たアンデット系か鞭や棍棒を持った獄吏役の獣人や亜人たち。

 フロア全体が階層構造になっているらしく、上階へ上がる階段の前にはフィールドボス扱いの獄吏長が待ち構えている。こいつを倒すと上階への階段が解放されるほか、その階層をショートカットするための近道ができる仕組みらしい。

 

 これだけでもこの40層は今までと違うとわかるのに、加えてここには重大かつ決定的な違いがあった。

 

 新しい層に上がって最初に訪れる街、フロア攻略の拠点となり、街開きともなれば転移門を通ってアインクラッド中からプレイヤーの集まる場所――。

 

 『主街区』が、ここ40層には存在しなかった。

 

 いや、主街区だけじゃない。

 これまでの各層には大小の違いこそあれど、主街区の他にも拠点となり得る町や村があった。一歩敷居を跨げば、そこはもう《決闘(デュエル)》以外にHPの減らない安全地帯で、宿屋や酒場、各種アイテムなんかを販売する商店なんかが売っている憩いの場だ。

 

 ここにはそれすらない。街や村どころか、家の一件もないフロアがここ40層だった。

 当然、HPに保護のかかる《圏内》はほぼ存在せず、それどころか転移門すらない特殊っぷりであった。

 

 加えて、この層に来るためには39層の迷宮区を踏破してくる以外に方法がない。出るぶんには転移結晶で出られるが、その場合戻ってくるにはまた39層迷宮区を抜けなくちゃならないのだ。

 

 主街区がない。転移門もない。そもそも安全な《圏内》がほとんどない。

 それなりの戦力がないと訪れることすらできない上、戦力があっても毎度迷宮区を踏破しなくちゃならないという面倒が付いて回る。

 

 40層到達から1週間。

 攻略は遅々としたペースでしか進んでいなかった。

 

 

 

 

 

 

 重く硬質な音が鳴り、鉄格子の扉が開く。

 軽く屈んで扉を潜り、外となんら変わらない石の床を踏むと、目の前に《INNER AREA(圏内)》の表示が現れた。紫色のウィンドウのそれを見て、ようやく緊張の糸を解く。

 

 振り向いて扉を閉め、かんぬきを下ろして鍵を掛ける。

 

「お疲れ様。紅茶でも、と言いたいところだけれど、ここではそれも難しいわね」

「店どころか調理場の一つもなしだからな。安全に寝れる場所があるだけマシとか、誰だよこんな層デザインしたの」

「この世界を作ったのは茅場晶彦なのでしょう。なら、この場所も彼の設計ということなのではないかしら。せめて外から見えない造りにして欲しかったのだけれど」

 

 槍を組み上げて布を被せただけのお手製パーテーションを見ながら、ユキノは大きなため息を吐いた。腰かけたベッドも固く、自前の毛布がなければ寒くて眠れたもんじゃない。

 

 居住性は最悪。とはいえ、この場所は40層じゃ数少ない《圏内》かつプライベートな空間だ。まあ、牢屋の中なんだけど。

 

 39層の迷宮区を越えて最初に足を踏み入れるエリアには、こうした鍵付きの牢屋が無数に存在していた。

 狭くてベッドが置いてあるだけの空間で当初は見向きもされなかったが、HPの減らない《圏内》な上、鍵を掛ければ誰も入れないことがわかった今では宿代わりとして利用されている。

 

「とりあえず、食事にしましょうか。――はい、あなたの分」

「サンキュ」

 

 差し出された黒パンを受け取り、一口かじる。表面は硬く、中はパサパサとした食感の黒パンは仄かに塩味がするだけの素朴な味わいだ。

 お世辞にも精の付く食べ物とは言えないが、39層から迷宮区を越え、さらに日持ちする食べ物となるとこの黒パン辺りが限界らしい。

 

 グルメなユキノですら質素な黒パンを食べていることからもわかるとおり、現在の攻略最前線における食料事情は困窮極まっている。

 なにせこの層には食材アイテムが存在しない。全域が監獄フィールドなため採集できないのはもちろん、敵mobも食材関連のアイテムは一切落とさないのだ。

 

 ならばと39層から食材を持ち込んで40層で調理をすることも試みられた。が、火を起こした傍から敵がわらわらと湧いてきたせいで調理どころの話じゃなかった。

 そのときは飢えたプレイヤーが集まっていたお陰で事なきを得たが、食事のために危険な目に遭うなんてのは誰一人として望まなかった。

 

 結果、40層に来てからは食事の大半がこの黒パンだ。

 週に2回、39層から物資が運び込まれる日の夕食だけはもう少しマシな物が食べられるが、それにしてもではある。

 

 アインクラッドにおいて娯楽と呼べるものは少ない。最前線ともなれば尚更だ。

 食事はそんな攻略集団にとって最大にして唯一の娯楽だったと言っても過言じゃない。

 

 食事という楽しみを奪われたプレイヤーたちの士気はあっという間に落ち、最近じゃあ仕事に疲れたサラリーマンのような目をした連中も増えている。ヤッタネハチマン、社畜仲間が増えたよ! 冗談じゃすまないんだよなぁ……。

 

 実際、やる気や士気の低下で集中力を欠いた挙句、凡ミスをしたり簡単な罠に引っ掛かったりする例も増えているらしい。そうしてイライラを溜めた結果、不覚を取って撤退なんて事象も多いんだとか。

 

 加えて厄介な点がもう一つ。

 

「今日で逮捕者も二桁を越えたな」

「ええ。先週から8人、今日の6人を入れて14人……。確実に増えてきているわね」

 

 逮捕者――拘束に成功した犯罪者(オレンジ)プレイヤーは、40層到達後一週間で14人に上っていた。

 これまで週に1人捕まるかどうかだったのが、ここへ来て検挙続出。今日のようにオレンジプレイヤーに追いかけられる事案も少なくなく、目撃情報も後を絶たない。

 

「見通しが悪い迷路のようなフィールド。《圏内》エリアは限られ、補給もままならない。疲弊した上位プレイヤーを狙うには格好の場所ということかしら」

「ついでにここは監獄だからな。雰囲気的にも寄り付きやすいんじゃねえの?」

「死者が出ていないことが救いかしら。『攻略班』と彼らではレベル差もあるし、いざとなれば転移することも可能なのだから、そうそう危機に陥ることは少ないと思うけれど」

 

 楽観はできないわね、と加えてユキノは息を吐いた。それから手にしたパンを少し齧り、ゆっくりと時間をかけて飲み込む。

 

 同じように黒パンへ口を付けながら考えを回していく。

 

 ユキノの言う通り、《連合》の主力が簡単に後れを取るとは考えにくい。単独行動は慎むように言われているし、牢屋の外はいつ敵が出てもおかしくないことからも、ここにいる連中は常にパーティー単位で行動している。現状大きな被害の出ていない理由がそれだ。

 

 問題は今後どうなっていくか。

 これから先オレンジの人数は減るのか、減らないのか。

 

 この一週間、オレンジプレイヤーが立て続けに捕まったのがただの偶然ならまだいい。最前線の様子を耳にして欲をかいたか調子に乗ったか。監獄の雰囲気にあてられた連中の暴走というだけなら、今後事態は収束していくだろう。

 

 だがこれが作為的なものだったとしたら。扇動による結果か、あるいは計画的なものだとしたら、裏で糸を引いている奴が必ずいる。その場合、犯罪者プレイヤーの数は増える可能性すらある。

 

 現状、『攻略班』が苦戦するほどの凶悪なプレイヤーは目撃されていない。対処できないほどの人数が集まったこともない。性質の悪い手口や罠を使われたことも今のところはない。

 

 けれど、この先どうなるかはわからないのだ。

 

 オレンジの数が減ることなく、増え続けるようなら。そうでなくとも、焦りや疲労で攻略に行き詰ってしまったら。

 過程はどうあれ、被害が出る可能性はある。最悪の場合、《連合》結成以降初めての死者が出ることだって考えられる。もしもを言い出せばきりがないが、細心の注意を払う必要があるのは間違いない。

 

 いっそのこと連中(・・)のうちの誰かでも出てきてくれりゃあ、黒鉄宮にぶち込めてラッキーなんだけどなぁ……。

 声に出さず愚痴って、最後の一口を飲み込んだときだった。

 

 不意に、鉄格子の向こうを誰かが駆け抜けていった。

 パーテーションで見えない上に一瞬のことだったからどこの誰かはわからないが、足音を聞くにかなり急いでいたらしい。

 

 トラブルの匂いを嗅ぎつつ立ち上がる。と、今度はさっきよりも重たい足音が牢屋の前を通り過ぎていった。

 数は5つ。目でも見たから間違いない。加えて連中の頭上にはオレンジ色のカーソルが浮かんでいた。本日二度目の現行犯である。

 

「行きましょう」

「おう」

 

 一足先に装備を整えたユキノに促され、牢から出る。ついでにこのゲームからも釈放されないかなーなんて下らないことを考えつつ、走り出した。

 

 

 

 

 

 

 オレンジの連中には存外早く追いつくことができた。

 そもそも大してレベルの高い連中ではなかったのだろう。長物持ちが二人と盾持ち槍使いが一人、残る二人は曲刀と犯罪者パーティーにしてはえらくバランスの取れた集団ではあったが、軽装じゃないぶん足の速さはお察しレベル。

 ただ運良く袋小路に追い詰められたようで、連中は襲い掛かるよりも先に逃げられないことを優先していた。

 

 先頭に盾持ちの壁役が、次陣に曲刀二人が、最後列にランス使いが並ぶ。

 よっぽどレベル差があるか、俺みたいな《軽業》持ち、あるいはタンクごと薙ぎ払える剛腕の持ち主でもなければ突破は難しい布陣だ。

 

 まあ、後ろから攻撃されたら意味ないんだが。

 

「背中ががら空きだぞーっと」

「なっ、いつの間に……」

 

 とりあえず曲刀使いの一人に《麻痺毒》ナイフを投げつけ、ランスの二人を《体術》スキルで転ばせる。もう一人の曲刀使いは振り返ったところでユキノに吹き飛ばされ、最後のタンクは振り返るまでもなく刀を突き付けられて降参した。

 

 はい、お仕事しゅーりょー。槍持ち二人が起き上がる前に麻痺ナイフを一本ずつ投げつけ、ユキノに並ぶ。

 と、段取り通りならロープで残る二人を縛り上げているはずのユキノは、どういうわけか刃をタンクの男へ突きつけた姿勢のまま固まっていた。

 

「どうした、そんな幽霊でも見たみたいな顔で……」

 

 言って、視線の先を見て、比喩じゃなく息が詰まった。

 

 

 

 

 

 

 壁にもたれてへたり込み、呆然とこちらを見上げる青い色の瞳。

 

 大きく肩で息をするたびに揺れる金糸のような輝く髪。

 

 数多くいるプレイヤーの中で、そうした西欧的な色合いの似合う人間を、俺は他に知らない。

 

 

 

「ハァ……ハァ……I did it. 見つかっちゃったかー」

 

 

 

 呟いて、苦笑いを浮かべた彼女の頭上には、ライムグリーンが踊っていた。

 

 

 

 

 

 

 




以上、第六話でした。
今後も更新に時間が掛かるとは思いますが、完結まで漕ぎつけられるよう頑張りたいと思います。どうか気長にお待ちください。






原作最終巻もついに発売されましたね。
読みながら随所で感動のようなカタルシスのような身悶えをしてしまうくらいに最高のラストでした。
不器用な人たちの不器用なやり取りはもちろん好きなのですが、個人的には結衣、いろは、小町の掛け合いがツボでとてもエモかったです。
次回の短編集も正座して待つことにします。それでは。


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第七話:いつの間にか、その人は居座っている

す、進まない……話が進まないぜ……。



どうも。お久しぶりです。
どうでもいい話は後書きにするとして、第7話です。
よろしくお願いします。


 

 

 

 

 ===

 

 

 

 

 

 

 街を歩いているうちにふと気づいてしまうことがある。

 正確に言うのならば、引き戻されてしまうことがある。

 ここでの日々は、求めていたものに近しいと感じられた。自分の願い、あるいは渇望とも呼ぶべき欲求に応えてくれているのではないかとさえ思った。

 

 けれど、違うのだ。

 諦めきれず、飽きもせず、関わり合いを続けた。

 言葉を弄し、行動を交え、かたちを確認し続けてきた。

 

 けれど、やはり決定的に違うのだ。

 ここでも、仮想世界においてでさえも、願いが満たされることはなかった。

 

 少なくない苦労を経て、ようやく得た日々がまったくの別物だったというのは絶望以外の何物でもない。

 相似、類似する点があればこそ、その違いが気になる。浮き彫りになる。よく似ているからこそ、その違いが許せない。

 

 期待をした自分が、上手くいったと思った自分が、これでいいと思った自分が許せない。

 

 きっと自分はこのゲームから解放される日を待つだけの人よりも、もっと矮小で卑怯で低俗なのだ。未だ《はじまりの街》で過ごす人ですら受け容れた艱難(かんなん)に煩わされている。

 だったら、自分は彼ら以下の存在ではないか。ただ待ち続けている人よりもよほど我儘で疑心に満ちているではないか。

 

 さらに。極個人的な願いを満たすためにだなんて、そんな極めて私的で利己的なことのために大勢を巻き込み利用している自分に嫌悪する。

 なんと浅ましく、愚かしく、醜いのだろうか。このゲームを始めたときには、願いが叶うなど考えもしていなかったというのに。

 

 ただ、ふと思ってしまったのだ。

 真に命の掛かったこの仮想世界でなら、見つかるのではないかと思ってしまったのだ。

 

 だから、期待していた。

 ここでなら。あるいは邪悪なようで人一倍無邪気なあの人なら、もしかすると見つけられるのではないかと。わかってくれるのではないかと。

 

 だというのに、この手に掴んだと思ったのはよく似た紛い物で、求めていたものには程遠くて、けれど手放すこともできなくて、安堵してしまう自分が確かにいる。

 

 それは孤独でいるより、手に入らずにいるより、なにより辛いことだった。

 

 

 

 

 

 

 ===

 

 

 

 

 

 

 25層突破の祝勝会で姿を見て以降、俺はずっとパンを探していた。

 《ALS》壊滅事件の重要参考人として。ラフコフの幹部として。かつてパーティーを、コンビを組んだ関係者として。その所在と目的を掴むために情報を集めていた。

 

 しかし、結果は芳しくなかった。

 《FBI》の情報網を駆使しても行方はおろか足取りすら追うのも困難で、あのアルゴをしてお手上げだと言わしめさせた。

 それはあいつのカーソルが犯罪者(オレンジ)色だった頃よりも顕著で、徹底して人目に付くのを避けていることが窺えた。ステルス能力に定評のある俺といい勝負だな。

 

 パンが何故元の色(グリーン)に戻ったのかはわからない。

 

 そもそもオレンジプレイヤーがグリーンに戻るのに必要な《カルマ回復クエスト》は、数多あるクエストと比べ手間も難度も段違いだ。一日二日でどうこうなるもんじゃないし、何よりクリアするためにグリーンの協力が必要となる。

 

 殺人(レッド)ギルド《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》は、SAOで最も有名なギルドの一つだ。当然、主要な構成員の名前も警告込みで広く報道されていて、その中には《Pan》の名前も含まれている。一般的な感性を持ったプレイヤーであれば、パンに協力することはまずないだろう。

 

 そうなるとパンのクエストに協力したのは犯罪者(オレンジ)側のプレイヤーと考えるのが妥当だ。犯罪者ギルドと呼ばれる集団の中にもグリーンのプレイヤーはいるし、そういうやつがパンに協力したというのが可能性としては一番高い。

 

 問題はやはり動機だが、それについては本人に訊くか、あるいは実際に事が起きてからでないと判断のしようがない。行動から推察することもできるが、その行動が掴めないんじゃやはりどうしようもない。

 

 などと考えていたのに――。

 

「ハァ……ハァ……I did it. 見つかっちゃったかー」

 

 あろうことか、当の本人が目の前にいた。

 

 石壁にもたれて座り込むパンの姿に、俺とユキノはどちらも声を失っていた。

 本日二回目の逮捕劇なつもりが、助けたのはSAOイチ有名な犯罪者集団の一員でけれども今はグリーンで尚且つ顔見知りともなれば多少のフリーズは仕方ないだろう。

 

 何を言うべきなのか。何を問うべきなのか。

 あまりにも想定外の事態に対し、頭の中には疑問質問文句に皮肉に憎まれ口と様々な言葉が浮かんでは行き詰まる。言いたいことは数あれど、言うべき言葉は見つからない。

 

 そうやって言いあぐねている内、先に再起動を果たしたのはユキノだった。

 

「ともかく、まずは彼らを連行しないと。こんな状況だし、回廊結晶を使うわ。いいわね?」

「……え、ああ。お前が構わないならそれでいいが」

 

 言うまでもなく回廊結晶(コリドー・クリスタル)は貴重な品だ。攻略最前線だからといって簡単には手に入らないし、そうおいそれと使えるものじゃない。

 彼女が取り出したのも40層の事情にかんがみて《連合》が入手したもので、数少ない結晶はユキノを含めた首脳部の一部にしか配られていない。

 

 それを今ここで使おうとしている。

 それだけ今のこの状況が異常かつ緊急なのだと、ユキノも思っているようだった。

 

「そう。なら私が彼らを送還している間、彼女がどこにも行かないよう見張っていて」

 

 ユキノはそう言うと返事を聞く間もなく動き始めた。刃を突き付けていた男をロープで拘束し、倒れていた曲刀使いも同じように縛り上げる。ストレージから回廊結晶を取り出し、「コリドー・オープン」と呟くと光の渦が現れた。

 

 それからユキノは五人へ回廊を潜るよう言いさす。あの先は第25層《ギルトシュタイン》の砦にある監獄エリアへ繋がっていて、今は《ギルド連合》が砦と収監者の監視を行っている。回廊を抜けたらそこはもう牢屋の中という寸法だ。

 

 縛られた二人は自分の脚で、麻痺で動けない三人はユキノが引き摺って、五人ともが回廊の向こう側へ消えるのを、俺は横目に眺めていた。意識と身体は正面のパンへ向けて逃げ出さないよう気にしてはいるものの、パンは壁にもたれたまま動く気配がなかった。

 

 やがて光の渦が消え、ユキノが隣に戻ってくる。

 

「ハァ……。それで、あなたはここで何をしているのかしら」

 

 ため息を吐いて腕を組み、呆れたような口調で訊ねる。声に敵意はなく、むしろどうしようかと案じるような色があった。

 

 一方、パンはそんなユキノの声音に気付いた様子もなく、疲れた顔で首を捻る。

 

「Hmm……。escapeかなー。それともrunaway?」

「私に訊かれても困るのだけれど。どちらにせよ、追われているということには変わりはなさそうね」

 

 言って、組んでいた腕を解いたユキノが振り向く。それから少し躊躇いがちに訊ねてきた。

 

「どうする? ひとまず落ち着いて話の出来る場所に連れて行くべきだと思うけれど」

 

 訊かれて、見られて、見つめられて、そうして初めて俺は息を詰めていたことに気が付いた。槍を持つ右手もいつになく握りこめているし、どんだけ動揺してんだよまったく。

 

 溜めこんでいた息を吐き出し、槍をストレージに収めながら答える。

 

「……そうだな。じゃあ牢屋に戻るか」

「ふふ。あなたが言うと妙な説得力があるわね」

「囚人みたいな目で悪かったな」

 

 ささやかな毒に拗ねたような言葉を返しつつも、内心ではなるほど確かにと思う。

 この40層での監獄生活はなんとなく居心地が良いというか、しっくりくる感覚があったのは確かだった。

 

 まあ主街区もなければデートスポットみたいな場所もないからな。人は少ないし道行くカップルもいなくてボッチには優しい生息環境ではある。

 食事と寝床には困るが、俺みたいなマイナーが歩いても嫌な注目を集めることがないというのは楽でいい。

 

 そんなくだらないことを考えていると、小さく弱々しい声が零れ落ちた。

 

「どうして――」

「ん?」

 

 その声はへたり込んだパンが口にしたようだった。俯いていて表情の窺えない彼女は、絞り出すように続ける。

 

「どうして、そんな簡単に信用してくれちゃうの。ワタシはcriminalなんだよ。ふつうはさっきの人たちみたいに捕まえようって思うはずでしょ。それなのにどうして……」

 

 パンが顔を上げる。同行した時間はそれほど長くないが、そんな短い中ですら一度も見たことがない弱々しい表情と縋るような眼差しに再び息が詰まった。

 

 言いたいことはいくつもある。訊きたいことも一つや二つじゃない。この場で多少なりと詰問して、その上で縛り上げて引っ張っていく選択肢もあった。多分、パンも抵抗はしなかっただろう。

 

 けれど数秒悩んだ挙句に出てきた言葉は、我ながら捻くれているとしか言えないものだった。

 

「なんだ、お前は今グリーンだからな。一般プレイヤーが犯罪者(オレンジ)に追われてたら助ける。最近のトレンドだ」

「そんな建前の話ではないでしょう……」

 

 すかさずユキノが頭を抱える。すみませんね捻くれてて。

 もしここにアルゴがいたら「ハー坊は捻デレだなー」とか言って盛大にため息を吐くんだろう。デレたことなんてないから。

 

 そんな微妙な空気に拍子抜けしたのか、パンは呆然と俺たちを見上げ、やがて噴き出すように笑みを浮かべた。

 

「ア、ハハ……。ハッチは相変わらずだね。So, always you…」

 

 力なく囁くパンの眦にはうっすらと小さな雫が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 我が家ならぬ我が牢屋に帰ってきた。

 居住性は最悪なのに、《Inner Area》の表示を見るとどうしても一息ついてしまうのは一年近く続いた攻略による癖みたいなもんだろう。一種の職業病だな。働きたくないでござるー。

 

 狭い牢屋の中、パーテーションの裏でベッドに腰かけて年上の女性を問い詰める。ふむ、こういう言い方をするとそこはかとなくエロい感じがするな。

 字面だけみたら犯罪の匂いしかしないが、雰囲気は真逆というかなんというか。すっかり調子を取り戻したパンのペースに巻き込まれてシリアスさんはどこかへ行ってしまったらしい。

 

「へー、ここがハッチとユッキのnestかー。うんうん。ちゃーんと見えないようにしてあってとってもグッドだと思――」

「待って。どうして今"nest"だなんて表現したのかしら。ふつうならそこは"home"か"prison"ではない?」

「……? だってここは二人の"love nest"――《愛の巣》でしょ?」

「わざわざ日本語で言い直さなくても全然違うわ。おかしなことを言わないで頂戴」

「Really? でもユッキはここだけじゃなくて、宿のある街でもハッチと同じ部屋に泊まってるんだよね。それってもう二人がloversだからじゃないの?」

「ら……! 確かに状況だけを見れば誤解されるかもしれないけれど、私たちはその……」

 

 パンの勢いに押されてしどろもどろになるユキノ。愛の巣だとかラヴァーズだとか根も葉もない憶測だが、陽乃さんに似た雰囲気のパンに問い詰められては答えに窮するのだろう。

 加えて《つぶらなひとみ》と《じゃれつく》に弱いことには定評のあるユキノだ。フェアリータイプに弱いとか、あくタイプ持ちかな。こおりタイプも持ってるとして、あく・こおりといえば《ニューラ》あたりか。なるほど猫だしあながち間違いじゃない。

 

「その辺で勘弁してやってくれ。実際、同じ部屋で寝泊まりしてるのも、俺が勝手な行動をしないように見張るためってだけだ。お前が考えてるようなことは一切ないんだよ」

 

 そう言うと、パンは首を傾げながら振り向いた。

 

「んー、よくわからないけど、OK」

「…………」

 

 やれやれ、こいつが意地の悪いやつじゃなくてよかった。ちなみにそこなユキノさんはなにゆえご機嫌斜めなんですかねぇ。

 

「じゃあ、そろそろ本題に入るとして――」

 

 気を取り直してパンに向き直る。そもそも仮にもラフコフの一員であるこいつを前にしてなんで俺たちはこうもお気楽に話していたのだろうか。顔見知りだからって油断しすぎだろ。

 

 形だけでも真剣な風を装い、取り調べを開始する。具体的にはゲンドウのポーズで。

 

「そうだな。まずはお前がグリーンに戻った理由から訊くか」

「んー。It’s secretカナー」

「ならこの層に来た目的は」

「それもsecret」

「んじゃあPoHや他のメンバーの居場所」

「I don’t know. 最近は会ってないからねー」

「は? ならお前はラフコフを抜けたのか?」

「それはsecretだよ」

 

 ふむふむ。なるほどわからん。というかここまで情報ゼロだ。

 強いて言うならしばらくラフコフの連中から遠ざかってるってとこだが、それも何らかの目的があってのことかもしれない。

 

「埒が明かないな。やっぱもう捕まえて――ってのもグリーンじゃできないしなぁ」

 

 ため息を吐いてポーズを解く。これでこいつが犯罪者(オレンジ)のままなら拘束した上で監獄に閉じ込めることもできるんだが、グリーンに戻った今じゃそれは難しい。方法がないわけでもないが、そこまで素直に従うとも思えない。

 

 どうしたもんかねぇ。と考えていたところで。

 

「どうして、追われていたの?」

「っ……」

 

 ユキノの放った一言。パンはそれに今までと違う反応を見せた。

 表情を強張らせて俯く。先程までの受け流すような雰囲気はそこにはない。

 

 黙り込んでしまったパンに代わり、推理の続きを促す。

 

「たまたまプレイヤー狩りの標的にされたんじゃないのか?」

「それにしては彼らのパーティー構成は偏って、いえ、考えられていたわ。追い詰め方も陣形を組んで包囲してと、事前に打ち合わせをしたかのように徹底されていた」

 

 言われてみれば確かに。攻撃性能に偏りがちなオレンジ集団にしては、がっちりと陣形を組んでいた。それはつまり標的が定まっているということに他ならない。

 

「タンク一人にアタッカー、サポートが二人ずつ。これは狭い場所で動きの速い敵を相手にするときの構成よ。その優位性はスピードタイプのプレイヤーが相手でも変わらない」

 

 パンの装備は軽い布系統だけ。そしてスキル構成の傾向が以前と変わっていないのであれば、彼女は俺と似たような敏捷特化型であるはずだ。

 

「つまり彼らは初めからこの40層にいるあなたを狙っていたということになる。……まあ、そこのマイナーさんも同じスピードタイプだから絶対にとは言い切れないけれど」

「なるほど確かに。恨みつらみに妬み嫉みは爆買いしてる自覚があるからな。いつ誰に狙われても不思議じゃない」

 

 そんな風に軽口で茶化してみてもパンは俯いたままだった。口は固く結ばれていて、膝の上の両手も強く握りこまれている。

 

「どうあっても話せないのね」

 

 真剣な顔でユキノが訊ねる。それでもパンは動かず、何も言わない。

 やがてユキノは小さくため息を吐き、やれやれと首を振った。

 

「なら仕方ないわね。グリーンのプレイヤーを拘束することはできないし、処遇については――ハチくんに任せるわ」

「俺かよ。いやまあ、拘束もできない見逃すわけにもいかないじゃあ、もう連れてくしかないんじゃないか。《連合》の連中は納得しないだろうけど」

 

 実際、下手に投獄するよりも連れて行ったほうが安心な気もする。

 口が上手いこいつのことだ。牢番のプレイヤーを丸め込んで脱走するかもしれないし、あるいはPoHが手引きして逃がす可能性もある。行動を監視する意味でも、寧ろパーティーに入れてしまった方が手綱を握りやすい。

 

 思い立ったが吉日。俺はさっそくウィンドウを操作して、パンにパーティー加入申請を送った。

 パンは目の前に現れたそれを呆然と見つめる。そのまま顔を上げ、俺とユキノをそれぞれ見やると困ったような笑みを浮かべた。

 

「オレンジプレイヤーを誘うなんて、ハッチとユッキはcrazyねー」

「お前にだけは言われたくない」

「まったくね」

 

 憎まれ口を叩きながら視線を左に向ける。

 そこにあるのは自分のHPバーと少し小さなユキノのHPバー。この数か月、ボス戦を除いて常に二本だったその場所にもう一本、淡い緑色のバーが並んだ。

 

 ため息の予兆を感じて口を開く。

 けれど、漏れ出たのはため息ではなく、穏やかな安堵の息だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 










ということで、第7話でした。いやー話がなかなか前進しない。



早いもので、拙作も連載開始からおよそ2年が経過してしまいました。
お、おかしい。予定ではとっくに完結させているはずだったのに……。

それもこれもここ2年間に登場したゲームが面白すぎるのがいけない――なんて責任転嫁はやめて、ひとえに作者自身の根気のなさが原因です。

プロット自体はSAO終了まで組み上げてあるのに、いざ物語を動かそうとすると登場人物たちがあっちへ行ったりこっちへ行ったり終いには戻ったりと好き勝手に動き回るもので。
無責任に行動させるわけにもいかず、結果話が遅々として進まないという現状になるわけです。
まあ私の筆の遅さが最大の原因ではあるのですが。



ともあれ、そろそろ折り返し地点まで来ている拙作ですので、めげずに完結まで導けたらなーと思います。
今後とも辛抱強くお付き合いよろしくお願いいたします。ではでは。




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第八話:颯爽と、彼女は暗闇に去っていく

明けましておめでとうございます。
拙作も早3年目に突入してしまい、いつ完結を迎えるのか予想が付きませんが、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

というわけで第8話です。








 

 

 

 パンをパーティーに加えた翌日。

 俺たちは最前線の攻略に励んでいた。

 

 豚頭の獄吏3頭を攻撃範囲の広い技で削っていく。振り回される棍棒は大して速くもないので余裕を持って避けられるが、如何せんHPが高くてなかなか倒れりゃしない。

 突進技から回転蹴り、回転斬りへと繋ぎ、右から迫る1頭を蹴って離れる。勢いを利用して距離を取る《キックバック》という《体術》スキルだ。宙返りと同じく超便利。

 

「――っと、あと2本でナイフが尽きる。前衛代わってくれ」

「了解。では次の連撃でスイッチするわ」

 

 後ろで待機していたユキノが刀を構える。居合のような姿勢のあれは恐らく《絶空》だろう。目にも止まらぬ速さで前方の広範囲を一閃する強力なソードスキルだ。なら次はムーンサルトで帰らなきゃマズい。でなきゃまとめて真っ二つにされてしまう。

 

「はいよ。……って、悪い。一匹そっち行ったわ」

 

 返事をしつつ視線を戻す。と、ユキノの動きを察知したのか、豚頭の内の1頭が抜け出した。棍棒を振りかざし、ユキノの方へ走る。

 

 このままだとスイッチで入れ替わるのは無謀だ。強行すればユキノが攻撃される。

 いつものように2人での攻略をしていたなら、スイッチするのは止めてユキノがあいつを倒すまで粘る必要があった。

 

 けれど、今日に限ってはもう1人いる。

 

「No problem.ワタシに任せてー」

「そう。ならハチくんはそのまま続けて」

「了解」

 

 横合いから割り込んだパンが豚頭を吹き飛ばして進路を開いた。

 それを横目に捉えつつ、突進技で飛び込んでいく。突進突き、裏拳、薙ぎ払い、回転蹴りまでを繋ぎ、最後に二連突き技を一撃ずつお見舞いする。

 

「そらよっと」

 

 そのまま宙返り。反撃の棍棒は空を切り、一拍遅れて紫色の一閃が居並ぶ2頭の間を斬り抜けた。

 

「スイッチ」

 

 淡々と呟かれた一言。それでHPを余さず失ったらしい豚頭は、断末魔の呻きを漏らしながら揃って消滅した。いや交代するまでもなく終わっちゃってんじゃねぇか。もっと早く代わってくれよ。

 

 俺が削り、ユキノが止めを刺すいつものスタイル。

 けれど今日はその流れを補強する3人目がいて、1人増えただけなのに安定感も安心感も段違いだった。

 

 槍を担いで振り返る。パンの援護に回ろうと思ってのことだが、要らぬ心配だった。

 俺が近付く前に、最後の1頭はもうHPを赤く染めていた。接近戦を挑むパンの方は一切ダメージを受けておらず、口元には微かに笑みまで浮かんでいる。

 

 パンはダンスでも踊っているかのように絶えずステップを踏みつつ、間合いを保って攻撃し続けていた。クローを装備した拳だけじゃなく、脚や膝、肘も使って敵を翻弄している。

 

 一発一発のダメージは少ないが、連続して攻撃することで豚頭のHPは減り続けている。まるで《毒》のスリップダメージだ。対人戦でやられたらHPより先に心が折れる。アイツとは絶対に戦いたくない。

 

 対する豚頭の棍棒は大振りな所為でまったく当たらず、適当に振り回すだけの腕も躱されている。あいつの動きを捉えようと思ったら《短剣》か《体術》でなきゃ厳しいだろう。鈍重なmobではパンにダメージを与えるのは難しい。

 

 そのまま為す術もなく打ちのめされた豚頭は恨めしそうに呻いて砕け散った。四散するポリゴンの欠片の中でパンが大きく息を吐く。

 

「お疲れさん。相変わらずの腕前だな」

 

 振り向いたパンはどこか晴れ晴れとしていた。昨日の張り付けたような苦笑はなく、楽しげな微笑みを浮かべている。

 

「レベルは離されちゃったけどねー」

 

 そう言って笑うパンは今朝聞いた時点で俺より5レベル低い。マイナーとして荒稼ぎしている分俺は最前線でもレベルが高い方だが、それを差し引いてもこの40層で戦うには心許ない。まあ、あくまで数値だけを見ればの話だが。

 

「いや、そんだけ動けりゃレベルの差なんて気にならないだろ。一対一なら《連合》でもトップを狙えるぞ」

「アハ、Thank you so much.ハッチにそこまで言われるなんて嬉しいよー」

「うわっ、バッカお前放せ、抱き着くな!」

 

 だからそういう行動がですね、世の男子たちを勘違いさせるんですよ。わかったら抱き着かない、胸を押し付けない、手を握らない。徹底してくださいね。

 

「その辺にしておきなさい。いつどこで誰が見ているかわからないのだから」

「OK, OK. I’ll take your advice」

「まったく……」

 

 ハァ、ようやく解放された。ほんと、苦しいやら重いやら柔らかいやらいい匂いやらでツラいのなんの。ホントダヨ、ハチマンウソツカナイ。

 

「何を呑気にしているのかしら。鼻の下伸び谷くん」

「語呂悪すぎだろ……」

 

 細やかな抗議は取り合われることもなく、ユキノは先に歩き出す。

 パンはちらっとこちらへ振り向き、パチキュルンッとウィンクを飛ばしてから小走りでユキノを追いかけていった。

 

 ハァ、これだから美人は。妙に様になってるから困る。というか原因はだいたいアイツだっていうのに、俺ばっかり罵倒されるのはなぜなのかしらん。

 

 益体もないことを考えながら、2人の後を追って歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 投獄する代わりにパーティーへ加えて動向を見張る。そう決めたはいいものの、俺たちにもやらなくちゃならないことはある。

 《連合》の参謀役でありトッププレイヤーの一人でもあるユキノはもちろん、俺にも偵察要員としての役割があるからにはのんびり監視だけしてればいいわけじゃあない。

 

 ならばどうすると考えていたところ、パンの方から自分も攻略を手伝うと申し出があった。得意げな顔で胸を叩く姿は、第1層で出会ったばかりの頃と重なって見えた。

 

 他の連中に見つかったらどうするだとか、目を離した隙にいなくなるんじゃないかとか諸々のリスクはあったものの、最終的には俺もユキノも頷いていた。

 いや、もうほんと気付いたら頷いてた。覚えているのは腕に抱き着かれたってことだけ。すごく柔らかかったです。ちなみにユキノは《じゃれつく》一発で落とされていた。

 

 とまあ紆余曲折どころか5分もない簡単なやり取りの末、パンは俺たちの攻略に同行することとなったわけだ。

 

 攻略自体は特段何かがあったわけでもない。

 未踏破の領域に繰り出してマッピングをし、敵が出たら対処する。マップデータは数十分おきに《連合》の司令部へ送信し、同じタイミングで統合された最新のマップデータを受け取る。

 また道中で罠があればなるべく解除して、報告代わりのメッセージを攻略班の各リーダーに注意喚起をする。やばくなったら即退散。

 

 戦闘に関してはさっきのように安定して戦えている。レベル的にも俺やユキノは充分に高いし、パンは少し劣るが配役と技術でカバーできる。フィールドボスに挑むならともかく、その辺に湧いて出るmobを相手にするぶんには問題ない。

 

 至って順調な攻略だ。強いて言うなら、他の《連合》所属プレイヤーとはなるべく鉢合わせないようにして歩いていたせいで回り道が増えたことぐらいか。

 けどそれもそろそろ終わるだろう。この1週間で2つの階層を上がってきたが、フロアの面積的にいい加減上り階段が見えてくると思う。

 

 などと考えていた矢先、突き当りの曲がり角から話し声が聞こえてきた。

 

「――多分ここが――」

「そうだと――。――報告し――」

「賛成だ。この人数じゃ――」

 

 まだ距離があってはっきりとは聞き取れないが、多分《連合》の誰かだろう。

 ユキノと目配せをして、それからパンへ視線を送る。

 

「オーケー。じゃあワタシはhidingしておくねー」

 

 言って、パンは《隠蔽》スキルを発動。気配を殺して通路脇の暗がりに身を隠す。

 

 パンの《隠蔽》は見事なもので、直前まで目の前にいた俺やユキノでさえ注視しなければ見失ってしまうほどだった。多分、熟練度は俺と同等以上だろう。

 パーティーメンバーとしての補正が掛かってコレだ。情報屋が束になっても見つからないのも納得できる。

 まあ俺にはシステム的な《隠蔽》に加えて生来の《ステルスヒッキー》もあるから隠れることに関してはまだ負けてないだろう。べ、べつに拗ねてなんかないんだからね。

 

 パンが姿を隠したのを確認してから、ユキノと一緒に通路を曲がる。曲がった先は少し開けた空間になっており、そこには10人ほどのプレイヤーがいた。

 

 白地に赤いラインの入った騎士装。

 ほとんど全員が盾と鎧で身を固め、タンクとアタッカーを両立する実力集団。

 25層のボス戦以降、すっかり《連合》の主力の一角となったギルド。

 

「《血盟騎士団》……。と、アスナか」

「ハチくん? と、ユキノさん。2人もここまで来てたのね」

 

 集団の内の一人、彼らの中で唯一の女性プレイヤーで、かつ唯一盾を持たない軽装アタッカーのアスナが振り向いた。すっかり見慣れた紅白の衣装を翻し、こちらへ歩み寄ってくる。

 

 アスナは25層を突破した後、この《血盟騎士団》に入団した。ギルドリーダーから熱心に勧誘されたのと、長いことコンビを組んでたキリトがあっさり《月夜の黒猫団》に入っちまったことへの当てつけみたいな部分もあったかもしれない。

 

 騎士団に入ったアスナはその後すぐに頭角を現し、今や副団長にまでなったんだとか。

 まあ元々戦闘のセンスも良かったし、ユキノにくっついて戦術的なとこも見てきたんだろうから、幹部ポジションに収まるのも当然といえば当然かもしれない。

 

 とはいえアスナが《血盟騎士団》に入ったせいで、というかキリトと別行動をとり始めたせいで生じている問題もあるにはあるのだが。いや、問題というほど問題でもないか。単にアスナが一方的に噛みついてるだけだし。

 

「2人が私たちより後になるなんて、珍しいこともあるのね」

「あー、まあな。ちょっと罠の処理に手間取ったんだよ」

 

 パンのことを正直に言うわけにもいかず、当たり障りのない理由で誤魔化しておく。同時にユキノが恨めしげに睨んできたが、口を挟んでくることはなかった。

 

 ちなみに罠の処理に手間取ったこと自体は本当だ。簡単な待ち伏せトラップだったんだが、出てきたのが犬頭の獄吏だったせいでユキノが委縮してしまって倒すのに手間取った。

 完全な犬じゃなかったから動けなくなったわけじゃないが、火力のあるユキノがビビって攻撃できない分時間が掛かったのだ。

 

「そう。問題がなかったならそれでいいわ」

「ええ。心配してくれてありがとう、アスナさん」

 

 ツンツンした態度で頷いたアスナだったが、ユキノにそう言われるとすぐにデレデレ照れ始める。大方ギルド内では憧れのユキノのような毅然とした態度を装っているんだろうが、メッキが剥がれるの早すぎじゃないですかねぇ。

 

「で、扉の向こうにいるのはこの階のボスって認識でいいのか」

 

 どことなく漂う百合百合しい空気にため息を吐くなるのを堪え、アスナに訊ねる。

 

「……んんっ! そうね。私たちも確認したわけじゃないけど、間違いないと思う」

 

 我に返ったアスナはテレテレモジモジとした顔を改め、軽く咳ばらいをしてから答えた。ふむ、まだ少し顔が赤いのは黙っておこう。話が進まなくなりそうだし。

 

「そうか。なら他の連中にも伝えて、明日にでもボス戦だな。偵察戦は――」

 

 言いつつちらりとユキノへ視線を向けると、ヤレヤレと言わんばかりにため息を吐いてから頷いた。参謀長殿の許可も頂けたところで視線を戻す。

 

「俺たちの方でやっておくわ。騎士団は先に戻って通達と準備を進めといてくれ」

 

 偵察戦は俺の、『先行偵察隊員』としての仕事だ。

 普段好き勝手にやってても許されるのは、危険なとこで働いてるってお題目を頂いてるから。なら自分の仕事くらいきっちり果たさないと申し訳が立たない。

 

 そういう事情は《連合》のやつらも、当然アスナも知っているわけで。

 だから偵察戦は任せろと豪語しても口を挟まれるとは思っていなかった。

 

「勝手に決めないで。元々は偵察戦も私たちでやっていくつもりだったし、ハチくんとユキノさんが戻ってくれても全然構わないんですけど」

「は? いやそりゃ無理だろ。お前だけならともかく、他の連中にはいざって時の逃げ足がない。万が一結晶使って離脱なんてした日にゃあ、損失は俺らの比じゃないんだぞ」

 

 想定外なことを言われ、思わず畳み掛けるような言い方をしてしまった。

 気付いた時にはもう遅く、売り言葉に買い言葉でアスナは語気を強める。

 

「逃げなければいいんでしょう。私たちなら、フィールドボスくらい2パーティーでも倒してみせるわよ。レベルも装備も、《連合》でトップクラスなんだから」

 

 リーダー格のアスナが強気に出たからか、後ろの連中も声を上げ始める。そうだそうだいけるいける頑張れ副団長そんなやつに負けるなこのゾンビ野郎帰れ帰れだのなんだの。おい誰だ今ゾンビって言ったやつ。絶対に許さないリストに入れとくから覚えとけよ。

 

 ちらっとユキノを窺うも、フイッと顔を逸らされる。偵察戦を請け負う件に関してはユキノからも散々苦言を言われて続けているだけに、助け舟を出してくれる気はないらしい。

 

 仕方ない。コミュ力激低の俺だけで上手くいくとは思えないが、どうにか説得するしかないか。

 

「そういう問題じゃねぇだろ。倒せるかどうか試すんじゃなく、どんだけヤバいやつかを量るために偵察戦をやるんだからな。ロクに調べもせずに突貫するなんて無謀もいいとこだぞ」

「それだけなら私たちがやっても問題ないじゃない。どうしてハチくんはそんなに……」

 

 ああ言えばこう言う、か。これじゃあ埒が明かないな。感情的になったアスナに何を言っても火に油だろうし、こんなときにあの聖騎士様がいれば……って、うん?

 

「なあ、ところでヒースクリフのやつはどうした? 来てないのか?」

「急になに? 話を逸らすつもりなの」

「いやいや、単に気になっただけだ」

 

 できるだけ友好的な態度に努めると、アスナは不承不承ながら答えてくれた。

 

「団長なら、多分ギルド本部にいるわ。普段は団長自身とかメンバーの訓練をしていて前線には来ないもの」

「ほーん、前線には来ないねぇ」

 

 言われてみれば各層の迷宮区やフィールドなんかでもあまり見かけない気がする。顔を見るのはもっぱら会議とボス戦の時くらいで、圏内ですら出歩いてるところを見たことがない。

 

 しかし、自分とギルドメンバーの訓練をしているといっても、そこまで姿を見せないものだろうか。とはいっても俺自身それほど出歩いてるわけじゃないし、普段の攻略に来てないなら会わなくてもおかしくはない、か。

 

 考えていると、アスナが焦れたように咳ばらいをした。

 

「もう質問には答えたでしょ。なら今回の偵察戦は私たちが――」

 

 あー、どうやら話を逸らして落ち着かせるのは失敗のようだ。正面からの説得とか無理に決まってるので搦め手を使ったんだが、それで収まってくれるほど大人しい性格でもなかったらしい。

 

 やれやれ、どう説得したもんかねぇ。

 

 

 

 

 

 

 ――なんて、呑気に息を吐いた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

「な……んだ……」

 

 突然、全身から力が抜け、膝が折れてうつ伏せに倒れ込んでしまった。

 

 すぐに視線を左上に持っていく。するとHPバーが普段はない緑色の枠に囲まれているのが目に入った。加えて稲妻のアイコンがレベルの脇に表示されている。間違いない。これは《麻痺毒》だ。

 

「ち、ちょっと、どうしたの?」

 

 突然倒れた俺に驚いたのだろう。アスナが覗き込むように見てくる。

 

「ダメだ。離れ……」

 

 満足に動かない口をどうにか動かして警告しようとする。

 けれど時すでに遅く、悪ガキのような声がすぐ傍から聞こえてきた。

 

「ワーン、ダウーン」

「ハチくん! っ……」

 

 事態に気付いたらしいユキノの声が聞こえる。だがその直後、金属同士のぶつかる音がいくつも響いてきた。遅れて怒号や雄叫びが続き、すぐに乱戦になったのがわかった。

 

「皆さんはお姫さまたちの相手をよろしくお願いしますね」

 

 次いで、そんな声が頭上から降ってくる。横倒しの視界に2人分のブーツが並び、見たことのある顔が覗き込んできた。

 

 《笑う棺桶(ラフィンコフィン)》の幹部、《ジョニー・ブラック》と《モルテ》。

 殺人ギルドきっての狂人たちが2人も目の前にいる。そうわかった瞬間、背筋が震えるのと同時に腹の奥底に燻るような熱が生じた。

 

「ボスのお気に入りなのでどれだけ苦労するかと思いきや、意外とあっさりでしたね」

「……買い被りどーも。野郎も相当捻くれてるしな。似た者同士ってことで気になってるだけじゃねーの」

「ヘッドとアンタが似てるって? ハッ、笑えねー冗談かますなよ!」

 

 吐き捨てたジョニーが鋭い蹴りを見舞ってくる。つま先が腹に食い込んで、鈍い衝撃が全身を響かせた。HPを見ると《体術》スキルでもないのに1割ほど削られていた。

 

 このままだと間違いなく殺される。

 こいつらが俺を煩わしく思ってるのは知ってるし、なんならそれはお互い様なわけだが、人殺し好きなこいつらが目の前に置かれた餌を我慢できるわけがない。

 

「おいおいおい、そりゃあねーよ。たかだか蹴り一発でどんだけHP減らしちゃってんのさー。これじゃあ痛めつけて楽しむことも――」

 

 悪辣な笑みを浮かべるジョニー・ブラック。

 だが奴が言い終える前に底冷えするような声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

「What are you doing?」

 

 

 

 

 

 

 不意の一言に奴らは勢いよく振り返る。咄嗟に得物を構えるあたり、言動はともかく腕は立つのだろう。

 

 けれど視線の先にいたのが顔見知りだったからか、すぐに警戒を緩めた。

 

「あれー、誰かと思えばパンの(あね)さんじゃん」

「あらら、すごい偶然。こんなとこにいたんですねー」

 

 2人は喜色交じりの声を上げる。対してアスナや《騎士団》の連中からは苦々しげな声が漏れた。厄介なラフコフ幹部が2人から3人に増えたのだから、パンがいたのを知らない連中はそりゃビビるに決まってる。

 

 けれど俺はパンが隠れて見ていたのを知っているし、ラフコフの連中が出てきて黙っているわけがないとも思っていた。

 

 だから、これは勘違いだ。知らない土地で知り合いに会ったみたいな、そういう類の安堵に違いない。アイツの声が聞こえてきて安心した気がしたのは、きっとそういうことだ。

 

 隠れていた暗がりから姿を現したパンは、そのままジョニーとモルテへ近付いていく。

 歩みは自然で力感もない。口元にも小さく笑みを浮かべていて、なんならモデルがキャットウォークを歩いているようにも見える。その異様な雰囲気さえなければ。

 

「彼らをstopさせてくれない?」

 

 声音はいたって穏やか。表情も薄く笑みが浮かんでいる。

 にもかかわらず、有無を言わさぬ迫力があった。

 

 だが獲物を前にして昂っているらしい2人はそれに気付かない。

 

「アハハ、何言ってんですか。こんな美味しい機会滅多にないんだし」

「まずは目障りなマイナー様から殺してやりますよっと!」

 

 モルテが手斧を、ジョニーブラックがナイフを振りかぶる。蹴りだけで目に見えるほど削られた紙装甲だ。残りHPなんて消し飛ぶに違いない。

 くそ、《麻痺》がそう簡単に解けるはずもないし、解毒ポーションも間に合いそうにない。パンが説得しようにも聞かないし、マジで詰んでるぞこれ。

 

 無様に足掻こうとも、俺にできることは凶刃を見上げることだけ。

 やがて振り下ろされる二つの刃。けれど、それが俺の背中に突き刺さることはなかった。

 

 いつの間にか、目にも止まらぬ速さでパンが割って入っていた。後に続いて硬質な落下音が二つ鳴り、周囲が静寂に包まれる。

 

「Hey guys, never hurt him, I said. Otherwise…」

 

 一瞬の出来事だった。

 ジョニーとモルテが俺を殺そうとする瞬間、ユキノやアスナを始め、《血盟騎士団》の連中も、暴れるオレンジの集団も、すべての人間がこちらへ視線を送っていた。

 この場の全員が注視する場所で、オレンジ側であるはずのパンがモルテとジョニー・ブラックの凶行を阻止した。得物を握った腕の2本を同時に、正確に打ち抜き、静かに立ち塞がっていた。

 

 目を奪われ、息を呑み、混乱故の処理落ち(フリーズ)をした、その一瞬――。

 

 

 

 

 

 

「You shall die」

 

 

 

 

 

 

 囁かれた一言は、けれど全員の耳に入ったことだろう。

 耳朶を揺らし、脳に伝わり、生物としての本能が身体を震わせる。

 

 これが俗にいう殺気なのだろうかと、どうしてか他人事のように思った。

 

「わ、わかった。わかったって。そんなに怒んなよー姉さん」

 

 先に音を上げたのはジョニーだった。腰が引け、後退りながら震え声でとりなす。

 パンがそれに答えることはなかった。背を向けているために表情は窺えないが、雰囲気は変わることなくモルテの方へ首が傾く。

 

「ハハ、どうやらここは大人しく退散した方が身のためっぽいですね。殺し合いならまだしも、虐殺されるのは趣味じゃないですし」

 

 視線を向けられたモルテの顔も引き攣っていた。取り落とした斧を拾い、ストレージに収めると固まったままのオレンジ集団に向けて撤収の合図を送る。

 

 モルテに指示されて初めて我に返ったのだろう。ハッと身体を震わせると、さっきまで対峙していた騎士たちに一瞬だけ視線を送り、けれど何もすることなく背を向けた。

 

 ぞろぞろと歩き去っていく連中を倒れたまま見送る。

 大半が通路の向こうに姿を消し、残ったのが幹部二人となったところでパンは異様な雰囲気を収めた。

 

「ふー、これで一安心かなー」

 

 パンは振り返ろうとはせず、背を向けたまま大きく息を吐いた。

 それはきっと、俺やユキノに配慮したからなのだろう。

 

 こんな事態になって、けれどアイツをパーティーに入れていたと知られれば間違いなく問い詰められる。アイツがいたせいで襲われたのだと、そう言われてもおかしくない。

 

 実際、その可能性はゼロじゃない。が、昨日のパンの様子を見る限り、ないと断定してもいいだろうと思う。

 だがそれは俺とユキノにしかわからないことであり、説明しただけで納得させられることではない。

 

 パンがいたから襲われた。そう言われ、疑われるだけでも、信頼を失うには十分だ。

 俺みたいな『マイナー』だけだったなら構わないが、ユキノが疑われるのはマズい。

 

 パンはそんな俺たちの状況を見透かした上で、俺たちに都合よく振る舞っているのだ。

 

「安心してるとこで悪いんですが、さすがにあなたを見逃すわけにはいきませんよ。ボスから見つけ次第絶対に連れて来いって念を押されてますし」

「オーケーオーケー。わかってるよー」

 

 モルテの言葉を聞いて、アイツがオレンジ連中に追われていたことを思い出した。あれはPoHの指示だったってことか。

 

 けど、それならなぜパンは奴らから逃げていた。

 

「そういうわけだから、ワタシは戻るねー」

 

 くそ、考えがまとまらない。

 パンを引き留める方法も、なぜ引き留めようと思っているのかもわからない。

 

 そうこうしている内に、パンがそっと振り向いた。

 

「Good bye, ハッチ、ユッキ。……and thanks」

 

 いつもと違うセリフ。表情もこれまで何度も見た張り付けたような笑みではなく、どこか惜しむような、寂しげな苦笑いだった。

 

 思わずその後ろ姿に手を伸ばす。けれど未だ痺れの残る腕はわずかにしか持ち上がらず、去り行く背中を引き留めることはできなかった。

 

 少しだけ浮いた手がぺたりと石床に落ちた。

 直後、視界の左側に表示されていたHPバーの一本が音もなく消える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オレンジ集団と一緒に暗闇へ消えたパン。

 以前と同じようにその足取りはパッタリ途絶え、その後の行方を知ることはできなかった。

 

 

 

 

 

 







8話でした。

第3章もあと2話、長くても3話ほどで終わるかと思います。

また時間をおいての投稿となるかもしれませんが、気長にお待ち頂ければ幸いです。



ではでは。




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第九話:それでも、比企谷八幡は――

まだまだ寒い日が続きますね。
最近は寒さのせいか引きこもりがちで、休みが続くと二、三日外出しないなんてこともある始末。炬燵でミカンは正義ですよね。



なんて、どうでもいい話はさておき。
第9話です。少し長くて迷走気味ですが、よろしくお願いします。


 2023年11月24日。

 アインクラッド第47層フロアボス攻略戦は大詰めを迎えていた。

 

 

「触手攻撃が来る。B、D隊、前へ。C隊はこの隙に背後へ」

「了解。行くぞお前ら。走れぇ!」

「A隊はB隊と交代の用意を。我々E隊はその間、ボスの注意を引きつける」

「わかった。よろしく頼む」

 

 そのとき、巨大な食虫植物のようなボスが地面に無数の触手を突き立てた。

 ボスのHPは既に大半が失われており、ちょうど最後のゲージが赤く染まったタイミング。毎度恒例、死に際の悪あがきだ。

 

「団長! ボスのHPが回復し始めました!」

 

 騎士の一人が振り返り叫んだ。その声には逸るような色こそあれど焦りはない。それはそいつ一人だけに限らず、この場にいるほとんどが同じだった。

 理由は単純。ここにいる全員が、ボスのこの行動を知っていたから。

 

 『この階層の主は命の危機に陥ると、大地から生命力を吸収する』――47層で受けられるクエストにてもたらされる情報だ。数多く見つかったボス関連の情報の一つで、死に際の行動に唯一言及しているものだった。

 

 撃破目前の特殊な行動については毎層の定番で、だからこそ事前の会議で周知され、対策も十分に議論された。

 だから待っていたとばかりに逸る気持ちの方が強くなるのも仕方ないことだろう。気持ちが先行してミスをするほど経験の浅いやつもいないから問題ない。

 

 考案された対処法は三つ。短期決戦、妨害、持久戦だ。

 

「情報通りか。――作戦変更。E隊を除く全隊は各個全力攻撃。ボスの体力を削りきる」

「了解。全員行くぞ! ラストスパートだ!」

 

 今回のレイドリーダー――ヒースクリフは総攻撃による短期決戦を選んだらしい。

 確かに回復スピードはそれほどじゃないし、触手もほとんどが地面に立っているからボスの攻撃手段も少ない。本体に加えて触手にも攻撃できるとなれば倒しきることも可能だろう。

 

「各自散開して攻撃。本体へはハチくんとキリトくんが、残りは触手の排除を」

 

 走りながらユキノが簡単な指示を出す。大雑把だが、俺たちF隊は例によって余りものの集団なので、ある程度個人の裁量に任せた方が上手くいく。

 

 指示通り、集団を抜けてボス本体へ駆け寄る。キリトよりも敏捷値の高い俺が先行し、ソードスキルを発動。そこから《体術》を織り交ぜて四つのスキルを繋げた後、飛んできた棘を宙返りで回避する。

 ボスの反撃が空振りに終わると、空いたスペースへキリトが飛び込んだ。

 

 一瞬、キリトの視線が空中にいる俺を捉える。それから口元に小さく笑みを浮かべ、ペールブルーに輝く刀身を振り上げた。

 ライトエフェクトを引いて、キリトの剣がボスの身体を斜めに切り裂いた。片手剣の単発技《スラント》だ。衝撃と音が周囲に響き、ボスのHPが僅かに減少する。

 

 そんなキリトのらしくない(・・・・・)攻撃を見て、ふと考える。

 

 おかしい。どうしてキリトはあんな技を放ったのか。今ボスは大きな隙を晒していて、脅威になるような反撃はないというのに。

 大技好きなキリトのことだ。大きなダメージを稼ぐなら、もっと手数も多く威力も高い技を使ってもおかしくない。

 

 いくらあいつのSTR(筋力値)が高いとはいえ、あんな初歩的なスキルで与えられるダメージはたかが知れている。《体術》と《投剣》を繋げて手数を稼ぐ俺ならともかく、一撃の大きなキリトがそうする理由はない。

 

 加えてさっきのキリトのあの視線。意味深なあの眼差しの意味はいったい……。

 

 と、そこまで考えてようやく思い至った。

 

「そういうことかよ、くそっ。これだからセンスの塊は」

 

 土の地面に着地し、左手で握り拳を作るキリトを見た瞬間に確信した。

 

 なるほど。そりゃそうだ。俺にできてキリトにできないはずがない。

 敏捷値極振りな俺の槍や、俺には視認もできないユキノの一閃すら防ぐことのできるあいつが、タイミングさえ掴めば誰にでもできる(・・・・・・・・・・・・・・・・・)技術をモノにできないはずがない。

 

 キリトの拳が輝きを纏って突き出される。

 《体術》スキルの基本技《閃打》。威力も低く射程も短い代わりに隙が小さく、ほぼどんな体勢からでも発動できるのが売りのスキルだ。俺もよく使う。

 

 キリトの拳がボスの身体を捉え、HPが極僅かに減少する。それでも一発の軽い俺が打つよりもはるかに大きなダメージだ。しかも、それで終わりではない。

 左手を打ち込んだキリトは当然左半身が前に出た体勢で、それはつまり右手の剣は自由に構えられるという意味でもある。

 

「はあっ!」

 

 続く雄叫びと共に、三撃目が放たれた。垂直四連撃技《バーチカル・スクエア》は無防備なボスのHPを一撃ごとにごっそり削っていく。赤く染まったHPバーが残り一割ほどにまで落ち込んだ。

 

 キリトの猛攻に加え、実に42人の総攻撃を受けるボスのHPは回復を含めても尚減る一方で、触手や棘による悪あがきを繰り出しても歯止めはかからない。

 各所で攻勢をかけるプレイヤーたちはこのまま押し切れると確信して我先にと攻撃を激しくさせている。

 

 このままあと十秒もすればボスは倒されるだろう。毎度恒例のラストアタックボーナスは今この瞬間も激しく攻撃している誰かのモノになるに違いない。

 

 ――なんて、みすみすくれてやるわけにはいかないんだよ。

 

 急いでメニューウィンドウを開き、あらかじめ登録してあったショートカットコマンドを発動。右手の槍が瞬時に溶けて消え、代わりに別の槍が姿を現した。

 これは《クイックチェンジ》といって、武器の持ち替えを瞬時に行える補助スキルだ。

 

 新たに出現した槍を強く握る。穂先はシンプルだが鋭利で、柄は軽く短めないわゆる『投擲槍(ピルム)』。ただ一度きりの目的のために用意したそれを、俺は弓を引くように構えた。

 

 一拍遅れてシステムが挙動を感知し、槍が深紅の光に包まれる。短い装填時間が終わり、いつでも投擲できる体勢が整う。だが、まだだ。もう少し、あと少し待って……今だ!

 

 キリトの連撃、そして他の連中の攻撃も合わせて虫の息となったボスに向け、俺の出せる最大威力のソードスキル、《デスペレイト・ジャベリン》を撃ち放った。

 長い硬直と武器の損失を代償とするこのスキルは、その分最低限のSTRしか持たない非力な俺でも大きなダメージを稼げる一発逆転技だ。撃破目前のボスのHPを確実に削りきるには、もうこれしか方法がない。

 

 極短い飛翔の後、槍はボスの胴体に突き刺さった。ひときわ大きな悲鳴を上げて、ボスが身体を硬直させる。同時に針くらいまで細くなっていた赤い線(HP)が消え、空になった五本のバーがまとめて消失した。

 

 やがてボスは青白い光の塊となり、大きな破砕音とともにバラバラに飛び散った。

 攻略の完了を示す《Congratulations》が浮かび上がり、がらんどうとなった部屋に歓声が満ちる。

 

 斯くして、たっぷり15秒のスキル後硬直が解け一息ついた俺の前に、今の戦闘のリザルトが表示された。獲得経験値、獲得コル、獲得アイテムとが一覧として現れた後、もう一つのリザルトウィンドウが出現する。

 

 【You got the Last Attack!!】という英文。それに続いて表示されたウィンドウには俺が掠め取ったラストアタックボーナスが表示された。

 アイテムの名前は《アームレット・オブ・ローレル》。効果は状態異常に対する耐性の強化と効果時間の軽減。かなり有用な効果だ。ふつうに嬉しい。

 

 と、LAボーナスを確認していた俺のもとへ数人のプレイヤーが近付いてきた。

 

「ハチくん、お疲れ様」

「お疲れ、ハチ」

 

 言いながらユキノとキリトが歩いてくる。戦果の確認と回復を終えたのだろう。どちらともが穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「お疲れさん。今回もどうにかなったな」

 

 答えつつ、隠すようにウィンドウを消す。誤魔化すように薄ら笑いまで貼り付けて。

 自分以外に内容はわからないと知ってはいるものの、少しでも後ろめたさを繕おうということか。そんな無意識の行動すら気持ち悪い。

 

「……どうかした?」

 

 苦々しく思ったのが表情に出たのかもしれない。ユキノが目敏く気付いて訊ねてくる。

 とはいえ、訊かれたところで答えは決まっているのだが。

 

「なんでもない。というかキリト、お前あの連続技使えるの黙ってやがったな」

「あはは……。いや、ギリギリまで黙っておいて驚かせようと思ったんだけど、せっかく切り札切ったのにLA取り損ねたな」

「うるせぇよ。まったく、ひとの専売特許真似しやがって。しかもお前の方が一発一発が重い分滅茶苦茶ダメージ稼いでるじゃねぇか」

 

 恨めしげに睨んでやるも、キリトは「あれ、ヘイト管理が大変だよなー」なんてまるで応えてない。これだからセンスの塊は。

 諦めてため息を吐いていると、二人の後ろからケイタがやってきた。その向こうではエギルとアルゴが談笑している。

 

「たまに隠れて練習してたのはそのためだったんだな。心配して損した気分だ」

 

 ケイタは頭を抱えて大きく吐いた。その様子を見る限り、キリトは黒猫団の一員として、少なくともケイタとは打ち解けているようだ。

 

「型破りが服着て歩いてるようなもんだ。お前も苦労するな」

「まったくだよ」

 

 「そこまで無茶なことやってるつもりはないんだけどなぁ」と呟くキリトを見て、ケイタは苦笑いを浮かべる。ほんと、あいつの手綱を握るのは苦労するだろうに。合掌。

 

 斯く言うケイタも順調にレベルアップを重ね、最近ではボス戦にも参加できるようになってきた。今回もキリトと二人で参加し、同じパーティーで戦ったわけだ。

 

「まあでも、キリトのお陰で僕らも《連合》で活躍の機会をもらえてるわけだしね。キリトほどじゃないけど、僕も何かの役に立てていればいいかな」

「いや、俺たちのパーティーはどうしてもアタッカーに偏るからな。ガードのできる両手剣使いがいるのは助かる」

 

 言うと、ケイタは本当に嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

「そう言ってもらえると参加した甲斐があるよ。いずれは黒猫団みんなで来れたらいいんだけどね」

「レベル上げ、順調なんだってな。あんま無理すんなよ」

 

 そのうちキリトを含めた六人でパーティーを組んで参加なんてことも実現するかもしれない。そうなるとまたレイド枠争いが激しくなるな。当然、いい意味で。

 

 そんな、当たり障りのない、薄ら寒いまである会話をしていると――。

 

「…………」

 

 気付けばユキノがもの言いたげな眼差しを向けてきていた。

 責めるようでも訝しむようでもないのがまたわからない。ただじっと、何かを訴えかけるような目で見つめてくるのだ。

 

「……なんだよ」

「……いえ、なんでもないわ」

 

 問いかける声がきつくなってしまったのは余裕のない精神状態の表れだろうか。

 誰かに当たりたいわけでも、かといって慰撫してもらいたいわけでもないのだが、内心の焦りは知らず知らず言動に滲み出てしまう。

 

 俺の語調がきつかったせいか、ユキノはそれきり黙ってしまった。こちらとしても「何でもない」と言われたからにはそれ以上追及することはできない。

 だからこそ、気まずい。何が気まずいって、何か言いたげだったのはユキノなのに、こっちが訊いたら途端に悲痛な表情になるのが一番気まずい。

 

 キリトとケイタも、そして合流したエギルとアルゴもどうしたものか測りかねるようで、視線を俺たちの間で行ったり来たりさせながら、なんとも言い難い表情を浮かべている。

 

 わいわいと盛り上がる空間にあって場違いな気まずい空気は、けれど複数の闖入者によって破られた。

 

「少しいいだろうか」

 

 いかにも真面目な口調でやってきた人物へ目を向ける。

 そこには《連合》でも最有力なギルドのリーダーと、彼の仲間が立っていた。

 

「マナー違反なのはわかってる。けどそれを承知で訊かせてもらいたい。もしかしてだが、ハチ、君はまたLAを獲得したのか?」

 

 先頭にいたリンドが訊ねてくる。その後ろで《聖竜連合》のメンバーは一様に不満げな表情を貼り付けていた。

 

 リンドが自分で断った通り、この質問はマナー違反だ。というより、タブーに近い。

 

 以前、SAO攻略が始まったばかりの頃、当時の攻略集団の間ではLAボーナスの奪い合いでいざこざが絶えなかった。

 手に入れた人の物とする派と、攻略にあたるギルドで平等に分ける派で揉めに揉め、一時は殺し合いにすら発展しかけたのだ。

 

 それからしばらく主張は対立していたものの、最終的にはドロップした人の物とすることで決着がついた。

 某トンガリ頭は最後まで反対し続けていたが、多数決という民主主義の前に黙らざるをえなかった。

 

 以来、フロアボスやフィールドボスでの戦いで得られるLAボーナスについては、誰が獲得したかを探る真似は禁忌とされたわけだ。

 止めを刺したのが誰か明らかな場合でも本人に報酬を訊くことはせず、唯一獲得者が自分から打ち明けた場合のみ触れられる話題になる。そんな風潮が出来上がっていた。

 

 だというのにもかかわらず、リンドは俺に件の質問をしてきた。

 獲得してそうな候補者は他にもいたが、俺のところへ真っ先に来たからには何か思うところがあるのかもしれない。

 

 本来なら一蹴する質問。あるいは周囲がマナー違反を窘める場面だろう。けれど彼らの纏う雰囲気を察してか、後ろの五人はとりあえず静観の構えだった。

 ありがたい。変に話をややこしくして欲しくないしな。余計なやっかみを受けるのは俺だけで十分だ。

 

「だとしたら、どうする? まさか提供しろなんて言わないよな?」

 

 言うと、取り巻きの一人が「お前」と口を開きかけた。が、リンドはそいつを視線で黙らせると真面目な顔を崩さずに向き直る。

 

「もちろん、そんなつもりはない。けどもしそうなら、君はこれで3層連続でLAボーナスを獲得したことになる。加えて言えば42、44層はキリトだったが、43層は君だった」

 

 後ろから息を呑むような声が聞こえる。間違いなくキリトだろうが、別にあいつが気にすることもないだろう。むしろキリトのボス戦に対する貢献度なら妥当だとすら言える。

 

「……それで?」

 

 言外に「だからどうした」と告げると、さすがのリンドも眉をひそめた。

 

「俺たちは君が意図的にLAボーナスを狙ってるんじゃないかと疑ってる。例えばボスのHPが低くなってきたら攻撃の手を緩めて、確実にLAが取れるタイミングを狙ってるんじゃないかとね」

 

 ふむ、ほぼほぼ正解だな。違うのは「攻撃の手を緩めて」ってところぐらいか。タイミングを計ってるのは事実だし、そのために色々と手を回してるのも間違いない。

 

 けどまあ、それをここで正直に言うほど真っ当な性格じゃない。

 

「答える意味ねぇだろ、それ。俺が「そんなつもりはなかった」って否定したからってお前の後ろにいる連中は納得するのか? 疑うのは勝手だが、証拠もなしに言い掛かりをつけんじゃねぇよ」

 

 それで我慢の限界が来たのか、リンドのすぐ後ろにいたやつが口を開いた。

 

「お前! リンドさんが穏便にって言うから黙って聞いてれば、このマイナー野郎!」

「やっぱり狙って取ってるんだろ! ちょっとレベルが高いからって調子に乗るなよ!」

「おい、やめろ。言い争いはなしだって言っただろ」

 

 一人が爆発すれば残りが続くのは当然で、そうなるともうリンドが止めようとしても退き下がりはしない。

 

 嫌われ者の《マイナー》相手だ。何を言ってもこうなるのは目に見えていた。

 仮にこの場をどうにか取り繕ったところで、次回も俺がLAを取れば彼らは噛みついてくるだろう。口でなんと言ったところで貼られたレッテルが剥がれることはないのだから。

 

 しかも今回に限って言えば、彼らの疑いは的中しているのだ。正直に言おうが取り繕うが、俺に対する疑いや敵意が晴れることはない。煙に巻いておくのが一番効率が良い。

 

 そうして小さく息を吐こうとした。そのとき――。

 

 ふと、脳裏に誰かの声が響いた気がした。

 

 

 

『Never hurt him, I said. Otherwise…』

 

 

 

 感情の抜け落ちたような囁き声。

 けれど口元には笑みが浮かんでいて、それは後に続くセリフと一切相容れない。

 

 アイツがどんなことを考えてあんなことを言ったのかはわからない。

 けど、このまま《聖竜連合》と睨み合っていたらどうなるか。それを想像して、気が付けば口を開いていた。

 

「……いや、確かに俺の言い方が悪かった。謝る。だがLAに関しては偶然だ。手を抜いたり狙ったりしたわけじゃなく、ヒースクリフの各個全力攻撃って言葉に従っただけだ」

 

 絵に描いたような嘘、口から出まかせだ。

 事情を知ればなんて醜い自己保身だと思うだろう。実際、こんなことを何食わぬ顔で言ってる自分が気持ち悪くて仕方ない。いっそ嘘だと断じて欲しかった。

 

 だが、リンドは頷いた。

 表情こそ真面目なままだが、周りの仲間へ有無を言わさずに頷いた。

 

「それが聞けて納得した。だから話はこれきりだ。こちらこそ疑って悪かった」

 

 そう言って、リンドは踵を返した。

 仲間を促して振り返り、そのまま歩き去っていく。

 

 後ろ姿を見送ってから振り返る。五人はそれぞれ複雑な表情を浮かべていて、なんでもないと肩を竦めて見せてようやく和らいだ。

 

「……ああ、この後48層主街区で例によって祝勝会をするが、お前らはどうする?」

 

 口火を切ってエギルがそう言うと、それに乗る形でめいめいが答える。

 

「いいな、それ。俺たちは参加するよ。いいよな、ケイタ」

「もちろん。黒猫団のみんなも連れてきていいですか?」

「構わんぞ。人数が多い方が盛り上がるからな」

「んじゃあ、オイラも参加しよっかナー。今日は定休日だし、うちの『社員』も連れてっていいカ?」

「おいおい、『社員』ってお前……。まあ俺は構わねぇが」

「決まりだナ! いやー、まともに食べてないのもいたから、助かるヨー」

「なんてブラックな会社なんだ……」

 

 ドン引きするエギルとにっこり笑いのアルゴ。

 二人のやり取りを笑って見ていたキリトは、それからこちらへ振り向いた。

 

「ハチとユキノさんはどうする?」

 

 なんでもない、本当に気軽な口調での誘い。それが今は少しだけ嬉しく感じられる。

 

「私は……」

 

 ユキノは呟いて、それからちらっと視線を寄越してきた。あなたはどうするのかと、その瞳が問うていた。

 

 キリトも、ケイタも、エギルもアルゴも、きっと色好い返事を期待していただろう。

 他人の行動や言動の裏を読む癖は続いていても、彼らの言葉に裏がないことくらいはさすがにわかっている。

 

 だというのに――。

 

「悪い。俺はパスだ。やることあるからな」

 

 今はそれが、どうしようもなく他人事のように感じられた。

 こうして話している自分を、冷めた目で見ている自分がいた。

 

 俺が断ったのを見て、ユキノは短く息を吐いた。

 

「……ごめんなさい。私も少し、片付けなくてはならない用事があるから」

 

 穏やかに言って、小さく笑みを浮かべる。

 

「そっか……。わかった。それじゃあ、またな」

 

 キリトは寂しげに呟き、けれどすぐに表情を改めて片手を挙げた。

 そうして気を遣わせている自分に苛立つのに、だからといって行動を改める気にはならなかった。

 

「じゃあな」

「ではまた」

 

 簡単にそれだけを言って、盛り上がりの続く広間を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぜ、あんな嘘をついたの?」

 

 ボス部屋を出て階段を上がり、48層の入り口から主街区へ向かう道すがら。

 ユキノは唐突にそんなことを言ってきた。

 

「……なんのことだ?」

「とぼけても無駄よ。あなた、普段は人とのコミュニケーションが苦手なくせに、嘘を吐くときや誤魔化すときだけはやたら饒舌になるんだもの」

 

 思っていたのと斜め上な答えが返って来て、思わず振り向いてしまった。

 

「どんだけ人のこと観察してんだよ。なにお前、ストーカーなの?」

「そうね。現状の私はあなたのストーカーと言われても否定できないかもしれないわ」

 

 おいちょっと待てなに言ってんだこいつ。

 思わずドン引いた俺を見て、ユキノはくすっと笑った。

 

「冗談よ」

「質の悪い冗談はやめてねほんと」

 

 はぁ。マジで焦った。

 いや、ユキノが本当に俺なんかを付け回すストーカーになるなんてことはないとわかってはいたが、言われて見れば26層からこっちはずっと同じパーティーを組んでて、なんならほとんどの層で同じ宿の同じ部屋に泊まっているわけであれやっぱりなんかおかしくねこれいやでも……。

 

 あまりの突飛な発言のせいで思考の渦に飲み込まれていると、間隙を突くようにまたしても不意打ちが飛んできた。

 

「あの人のことが心配?」

 

 息を呑む。そして、それがこいつの作戦だったのだと悟った。

 顔を上げると、そこには穏やかな笑みを浮かべたユキノがいた。

 柔らかな眼差し。まるで「しょうがない人ね」とでも言うような、出来の悪い生徒の生意気な発言に困った恩師のような、優しい笑みだった。

 

 危うく漏れ出そうになる言葉を飲み込んで、どうにか虚勢を絞り出す。

 

「……なんの話だ。あの人とか言われても誰のことかわかんねぇよ」

「ダウト。また饒舌になったわね」

 

 言い当てられ、堪らず閉口する。

 今なにかを言うと、余計なことまで口走ってしまいそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは俺の問題だ。俺が自分でどうにかしなくちゃいけない問題だ。

 

 誰かに言って、そいつを巻き込んでしまうわけにはいかない。だから他人を頼ることはできない。

 

 以前とは状況が違う。これは必ずしも《連合》に利する事じゃない。

 寧ろ状況を悪化させる可能性すらある。だからユキノやあいつらの力を借りるわけにはいかない。

 

 故に、一人で粛々と行動するのだ。

 たとえ嘘と欺瞞に塗れようと。何度無理を重ねようと。

 

 アイツをこちら側へ連れ戻す(・・・・)ために。

 比企谷八幡にできることは、なんだ。

 

 

 

 

 

 

 









以上、第9話でした。
本章も残すところあと2話。可及的速やかに仕上げていきたいと存じます。


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第十話:そして、雪ノ下雪乃は――

 少しずつ日照時間が長くなり、なのに寒い日が続く今日この頃。
 みなさんいかがお過ごしでしょうか。

 1月も終わりに差し掛かり、私はまた仕事が忙しくなってきました。
 もう、ほんとにね……。仕事しないで遊んでてもお金が貰える。そんな生活ができたらどんなに嬉しいことか。まあ多分、それはそれで暇すぎて死にそうな気もするんですが。

 さて、雑談はさておき、第10話です。
 恐らく、今話と次話で第3章も結びに持っていけるんじゃないかと思います。次話は長くなってしまう予感がしますが。

 ではでは、そんな感じでよろしくお願いします!





 

 

 

 

 

 

 明けて11月25日。

 

 頭の中に直接響くアラームで目を覚まし、重たい身体をのろのろと起こす。

 伸びをして、欠伸を一つ。と、鼻腔をくすぐる香りに気が付いた。すっかり嗅ぎ慣れた紅茶の香りに惹かれて視線を上げると、食卓にはすでに朝食が用意されていた。

 

「随分と大きな欠伸ね。目も以前に増して死んでいるし、いよいよ本格的なゾンビらしくなってきたのではなくて。――ほら、早く座って頂戴」

 

 どうやらユキノは先に食べ終えていたらしい。促されるまま、ティーカップを口元へ運ぶ彼女の対面に腰かける。

 

「のっけから罵倒とか、朝の挨拶にしちゃあ随分アグレッシブだな。っと、いただきます」

「そう? 所謂アンデット系のあなたには誉め言葉でしょう。最近はすっかり夜行性なようだし、順調にゾンビライフを歩んでいるじゃない」

 

 いやなんだよゾンビライフって。目が覚めたらゾンビでしたとか? 首がもげるくらいヘドバンしながらデスメタ歌えばいいんですかね。「これが俺のゾンビライフ・サガ()!」みたいな。

 

「っていうかバレてたのかよ。色々偽装工作してたのに」

 

 草木も眠る真夜中、眠るユキノを起こさないよう細心の注意を払って部屋を抜けだしてたってのに。《隠蔽》スキルまで使ったんだぞ。どんだけ勘が鋭いんだよ。

 

「これだけ長く一緒に過ごしていて気が付かないわけがないでしょう。こんなこともあろうかと《索敵》スキルは常に使っているし、そう簡単に出し抜けるとは思わないことね」

「さいで……」

 

 いやそれやり過ぎだから。いくら監視対象とはいえ圏内のしかも宿で寝てるときまで《索敵》使って見張るとか引くわ。

 とはいえバレてるんじゃあしょうがない。今後は一声かけてから出るとしますか。

 

 ついと紅茶で少し口を湿らせつつユキノを窺う。口にしたセリフはともかく見た目には涼しげな顔でカップを傾けており、内心の感情を読み取ることはできない。

 見慣れた表情だ。けれどこいつの性格上、今の話の流れでこういう態度を取るのは妙だと思った。

 

「……理由は訊かないのか?」

 

 堪えきれずに訊ねると、ユキノは待っていたとばかりに目を光らせた。

 

「あら、訊いたところで答えるつもりもないくせに何を言っているの。それとも、あなたは私に心配して欲しいのかしら」

 

 そう返されてようやく失敗を悟る。こいつの言う通り、まるで気にして欲しいみたいな言い方をしてしまった。寝起きな所為か、気が緩んでいるのかもしれない。

 

 苦々しげに目を逸らしたことで、何を考えているか見抜かれたのだろう。ユキノは満足そうに笑みを浮かべてからカップをソーサーに置いた。

 

「心配したかと言われれば当然心配したわ。最初に気付いたときはとても慌てたもの。けれどマップで追跡することもできたし、あなたがいた場所を思えばおおよその目的は見当がついた。どうしてそんなことをしていたのかは推測するしかなかったのだけれど」

 

 そこまで言ってからユキノは視線を上げ、まっすぐにこちらを見据えてきた。

 

「それで、なぜあなたはあんな時間に、あんなことをしていたのかしら?」

 

 眼差しの強さに思わずたじろぐ。視線を逸らしてもぐもぐと口の中の物を飲み込み、口直しに紅茶を一口。そんな時間稼ぎにも、ユキノの眼光は揺るがない。

 

「……なんだ、答えるつもりはないってわかってんだろ」

「ええ。けれどあなたも、私が退くつもりはないってわかっているでしょう?」

 

 細やかな抵抗すら、強硬な姿勢を崩すことはできなかった。そしてユキノが一度こうと決めたら曲げないのも知っている。

 

 こうなったらもう我慢比べだ。ただ俺の方が握られてる弱みが多いので、その辺りをちらつかされたら折れるしかないのだが。

 

 数十秒ほどの沈黙。睨み合いというには一方的な圧力の拮抗。

 しかし、先に折れたのはユキノの方だった。

 

「――はぁ。もういいわ。話したくないほどの理由がある、ということはわかったから」

 

 完全に読まれていて引き笑いを浮かべることしかできない。

 俺は残り少なくなった紅茶を流し込み、両手を合わせる。

 

「ごちそうさん。毎度のことだが美味かった」

「そう。ならよかったわ」

 

 ユキノは素っ気なく言って、空いた食器を片付け始める。俺も後に続いて、自分の分の皿とカップを流し台へ運ぶ。

 

 そうすると必然、食器を洗うユキノの隣に来るわけで。

 ユキノはそのタイミングで小さく呟いた。

 

「……いい加減、終わらせなくてはね」

 

 それが何を指して言ったことなのかはわからない。

 けれど曖昧な返事や相槌を打ってはいけないと、どうしてかそれだけはわかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前十時。

 俺たちは攻略再開前の小休止という名目で、48層主街区の散策に出た。

 

 48層の主街区は《リンダース》という名前の町で、長閑な丘陵地帯に広がっている。町中には小川とそれを利用した水車小屋が点在していて、まさに中世ヨーロッパの片田舎といった景色だ。

 

 石畳の小道を歩き、目ぼしい宿や食事のできる店、NPC商店などをチェックしていく。規模が小さいときや利便性が悪いときなんかは拠点を移さない方がいいこともあるため、こうした確認は毎回欠かさず行っているわけだ。

 

 今回も一時間ほど掛けて町を巡った後、転移門のある広場からは少し離れた道を歩きながら互いの感想や意見なんかを交換していく。

 

「NPCの店もそれなりに充実してるし、鍛冶屋もある。飯も見た感じパンと肉料理で外れもなさそうだし、いいんじゃないか」

 

 素直に良いと思ったところを挙げていくと、ユキノも満足げに頷いた。

 

「そうね。町の雰囲気も落ち着いているし、見通しも良くてどこに何があるかわかりやすい。今回はここを拠点にしましょう」

 

 うんうん。確かに見通しの良さは重要だな。主にユキノが迷わないという意味で。

 

 ユキノの方向音痴ぶりはともかく、俺としても拠点をこの《リンダース》に移すというのには賛成だ。

 現在拠点にしている《フローリア》も景色としては悪くないのだが、どうにも落ち着かないというかイライラするというか許せないことがあるからな。

 

 47層主街区の《フローリア》は、街が解放された直後から『フラワーガーデン』と呼ばれるほど色とりどりの花で溢れた街だ。

 街並みも白壁に三角屋根の欧風建築で、景観の良さはアインクラッドでも1,2を争うほど。特に女性プレイヤーからの受けが良い街である。

 

 そんな巷じゃあ大人気な街の何が嫌かって、そりゃあ街のそこかしこにイチャつくカップルが溢れかえっていることだ。

 《連合》が必死こいて解放したってのに、ほんの2,3日経つ頃にはもう頭の中までフラワーガーデンみたいな連中が集まっていたんだからほんと呆れた。甘い匂いに釣られて集まる早さはお前らミツバチかよって疑うレベル。

 

 そんなこんなで複雑な心境の数日を過ごしたもんだから、早いとこあの街からはおさらばしたい。長閑で田舎なここに越してくれば煩い連中を見なくて済むしな。

 

「またくだらないことを考えているようだけれど。そんなに《フローリア》は嫌だったのかしら?」

「ああ嫌だね。具体的には毎朝同じベンチに座ってた英雄と女神とか。イチャつく暇があったらさっさと攻略しろよあいつら。ああ、あと、どこかの黒髪二人組もいたか」

 

 片方は「ううん。ちょっと買い出しに来ただけ」と言っていたが。もう一方がそれでちょっとがっかりしてたのは気の毒だと思いつつも笑えた。

 

「ただのやっかみじゃない。性根の悪さが滲み出ているわよ」

「いや、実際やる気が削がれたしな。お前も煩く思ったりはしただろ?」

「あなたと一緒にしないで頂戴。……それに少しだけ、わかるもの」

 

 何を、と問いかける前に、ユキノがふと立ち止まった。

 釣られて足を止め、振り返る。

 

 視線の先には一軒の水車小屋が佇んでいた。小屋と呼ぶにはしっかりとした造りの家屋で、水車の設置された石壁は煙突のように伸びている。暖炉、あるいは炉のような設備があるのかもしれない。

 

 ユキノはなにを思ったのか、その家の門戸まで歩いていった。それからおもむろに手を伸ばしたかと思えば、小さなウィンドウが浮かび上がる。

 

「ねえ、これを見て。ここ、プレイヤーホームだわ」

 

 言われて近付き、ユキノの手元に浮かんだウィンドウへ視線を落とす。するとそこには結構な金額と【購入しますか? Yes/No』という文言が書かれていた。

 

「へえ。家が買えるってのは知識として知ってはいたが、実際に見たのは初めてだな」

「そうね。攻略に掛かりきりだったから、今まで決まった家を持つなんて考えたこともなかった。けれど、いずれは家を買って腰を落ち着けるのもいいかもしれないわね」

「ああ、そりゃあいい。帰る家があるってのは嬉しいもんだからな。俺も早く自分の家を買って悠々自適なインドアライフが送りたい。なんならずっと引きこもりたいまである」

 

 言うと、ユキノはため息を吐いてジトーッとした目で見てきた。

 

「呆れた。あなた、どこにいてもやることは変わらないのね。それじゃあ前と同じじゃない」

「ほっとけ。初志貫徹がモットーなんだよ俺は。それにせっかく買った家なんだったら可能な限り自宅生活を満喫した方が掛けた金に見合うだろ。必要な時以外は家を出ない。それが正しいマイホーム生活だ」

 

 ちなみにこの家の値段は三百万コル。高いことは高いが、いかんせんプレイヤーホームの相場に詳しくないから判断がつかない。一応、全財産を(はた)けば買えないこともないな。

 

 そんな風に、実際には買うつもりもない家の前であれこれ話していたところで。

 

「ちょおっと待ったー!」

 

 何やら気合の入った一喝が聞こえてきて、思わずユキノと二人して振り向く。

 

 そこにいたのは一人の少女だった。落ち着いた髪色に野暮ったい服装の真面目そうな女子だ。そんな少女は現在進行形で敵意丸だしな目つきをこちらに向け、親の仇でも示すように指差してきた。

 

「ちょっとそこの二人、アンタたちみたいなバカップルにこの家は渡さないわよ!」

「…………は?」

 

 鼻息荒くそう宣言した彼女に対し、俺たちは揃って呆気にとられたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数十分後。

 

「ほんっとーにごめんなさい! アタシの早とちりで変なこと言っちゃって」

「はぁ。誤解が解けたならもういいわ。顔を上げて頂戴」

 

 あれから場所を町のカフェへと変え、見事荒れ狂う絶叫女子を説得することに成功。何を言っても噛みついてくるので当初は手を焼かされたものの、最終的にはユキノの凍てつく眼差しの前に黙り込んだところへ説明を投げ込んだ次第だ。

 

 《リズベット》と名乗った少女に、今度はこちらから問いかける。

 

「んで、どうしていきなり怒鳴りこんできたりしたんだ?」

 

 まだ後ろめたさがあるのか、リズベットは俯き気味にぽつぽつと語り始めた。

 

「昨日の街開きで見たときからあの家が欲しいって思ってたのよ。でもお金が足りなくて買えなくて」

 

 まあ最前線のプレイヤーホームを即決で買える資金力があるのは、それこそ最前線で稼いでるやつぐらいだろうからな。見たとこ中層プレイヤーのリズベットには手が出ないのも仕方ない。

 

「それで、せめて眺めるだけならって今日も来たんだけど、そこであんたたち二人が話してるのを見ちゃって。てっきり恋人同士で新居でも買う相談をしてたのかと思って、羨ましいのと譲りたくないのとでカッとなってつい……」

 

 シュンとして完全に俯くリズベット。そもそもどこをどう見たらそんな想像が働くのかはわからないが、敵意やら噛みつきの理由についてはわかった。

 

 苦虫をまとめて噛み潰したような表情になっているのを自覚しつつ、チラッと傍らのユキノを見てみる。するとどういうわけか、ユキノは口元を抑えてプルプルと小刻みに震えていた。

 理由はわからんが、しばらく再起不能らしい。仕方ないので当たり障りのなさそうな話題で生ぬるい湿った雰囲気を晴らしにかかる。

 

「あー、その、なんだ。どうしてあの家にこだわるんだ? 庭付き戸建ては確かに利点だが、三百万コルも出せばもっといい部屋が買えるだろ。前の《フローリア》とか、なんなら《はじまりの街》とかな」

 

 景色なら《フローリア》、利便性なら《はじまりの街》に軍配が上がるだろう。それ以外にも様々な利点を持った家は数多くあるはずだ。

《リンダース》で売りに出てる家にしかない特徴もあるだろうが、正直なところ広さの割に値段が高い気もする。プレイヤーホームの相場に詳しいわけではないが、下層に行けばそれだけ値が下がる傾向があるのは装備品やアイテムに限ったことではない。

 

 その質問にリズベットはようやく顔を上げた。それからやや遠慮気味ではあるものの、ゆっくりと事情を語り始める。

 

「中を見ればわかるけど、あの家、奥に工房があるのよ。つまり職人クラス用のプレイヤーホームってこと。外の水車も工房に繋がってて、製鉄用のふいごとか砥石の駆動に使われてる。だから職人にとって、あの水車と工房が付いた家は最高の物件なのよ」

「ほー。あの家、中はそんな感じになってたのか。ん? だとしたら、お前は……」

「そっ。あたしは武器専門の鍛冶職人で、だからあの家が欲しいわけ。って言っても、お金が足りなくて当分は手が出ないんだけどね」

 

 言って、リズベットは苦笑いを浮かべた。

 

 なるほど。そういう理由だったのか。

 確かに、是が非でも欲しい工房付きの家を先に買われそうになったら止めたくもなるだろう。恋人同士云々はこいつの勘違いだが、傍目に見てていい気分じゃないってのはよーくわかる。

 

 なんというか、ほんと偶然に間が悪かっただけなんだろう。

 そうして納得していると、ユキノも得心がいったのか「そういうことね」と呟いた。顔を上げ、リズベットへ小さく微笑みかける。

 

「なら、アドバイスができるかもしれない。無用な勘違いをさせてしまったお詫びではないけれど、どうかしら?」

「アドバイス……。それってどんな?」

「そう難しいことではないわ。リズベットさん、あなた、《ギルド連合》が職人クラスのプレイヤーに対して援助を行っていることは知っているかしら」

「もちろん。あたしも《アインクラッド商工会》の一員だし、スキルを鍛えるときに素材の費用を《連合》に援助してもらったことがあるから」

「なら話が早いわね。いい、職人クラスへの援助というのはいくつか種類があって……」

 

 

 

 ユキノが切り出したのは《連合》による職人クラスへの支援策の話だ。

 

 《ギルド連合》では加盟しているギルドの生産・商業職プレイヤー向けにいくつかの援助を行っている。それぞれのスキルに合った環境の提供や、未熟なプレイヤーがスキル熟練度を上げる間の資金・物資援助なんかがそれだ。

 

 その中の一つに、工房や商店を購入する際に資金援助をするというものがある。

 

 資金援助といっても、システムとしてはほぼ投資みたいなものだ。《連合》が支援を行ってきた職人や商人が独り立ちできるまでに成長した場合、本人や推薦人の呼び掛けによって投資を募り、専用の工房や商店を購入できるだけの資金を用立てるという仕組み。

 

 これによって投資した側は行きつけの店ができ、また支援を受けた側は自分の店が持てると同時にお得意様が付いてくる。

 また《連合》が加盟ギルド中に宣伝することで更なる顧客獲得にも繋がり、《連合》としても組織の活性化とその後の長期的な資金集めが可能になる。まさにWin-winの関係だ。

 

 まあうまい話には裏があるように、これに関しては審査が厳しかったり、投資する人間が出てこなきゃ実現しなかったりと一筋縄じゃいかないんだが、以前から《商工会》の一員だったってんなら問題ないだろう。一応、後でエギルにそれとなく評判は聞いておくか。

 

 

 

 そんなこんなで説明を終え、再度「どうかしら」と問いかけるユキノ。

 終始真剣な顔で聞いていたリズベットは即決で頷いた。

 

「早速《商工会》のリーダーに掛け合ってみるわ。教えてくれてありがとう」

「気にしないで頂戴。《連合》としても腕の良い職人が増えるのは歓迎だし、なにより実際に資金提供してくれる人を探すのはあなた自身なのだから」

 

 ユキノの言う通り、この支援策は他と違って依頼者側の努力次第な部分が大きい。

 

 工房や商店とはいえプレイヤーホームであり、プレイヤーホームはSAOで購入できるものの中でも特に金が掛かる代物だ。

 当然、《連合》もほいほいと資金を提供できるわけもなく、精々が金持ちとの仲介に立つくらいが関の山。最終的には依頼者が投資人と直接交渉しなくちゃならない。なので《連合》の仕事は支援より斡旋と言った方が正確だろう。

 

 とはいえ、リズベットもその辺りは承知の上らしく「だとしても、ありがとう」と笑みを浮かべた。

 それからふと、リズベットは訝しむような表情に変わる。

 

「それはそうと、今さらだけどあんたたちって何者? なんだか《連合》の仕組みに詳しいし、昨日の今日でここにいるってことはレベルも相当高いんでしょうけど」

 

 ああ、そう言えば勘違いで怒鳴られてからこっち、リズベットの方は名乗ったが俺たちはまだだったな。

 

 答えようと口を開きかけたところで、先んじてユキノが言い出した。

 

「自己紹介がまだだったわね。私はユキノ。そしてこっちの死んでいる人はハチくんよ」

「いや目だけだから。なに勝手に死んだことにしてくれちゃってんのお前。そこまでゾンビゾンビしてないだろ」

 

 こいつはほんといつもいつも……。紹介の度に俺を罵倒しないと気が済まない病気なのかしらん。

 

「嘘、ユキノにハチって、《連合》の攻略班でもトップクラスの実力者じゃない。あ、あの、ごめんなさい。アタシ、つい気安く話してしまって」

 

 俺たちの名前を聞いたリズベットは大層驚いた様子だった。それから焦ったように居住まいを正し、言葉遣いを変えて腰を折る。

 さっきまでの勝気な印象とのギャップはなかなかのもの。とはいえこれはなあ。

 

「気にしないで。むしろ畏まられると居心地が悪いから、今まで通りでお願いするわ」

「無理して敬語とか疲れるだけだろ。どうせゲームの中なんだ。誰も気にしねえよ」

「あなたはもう少し気を遣った発言をすべきだと思うけれどね」

「いや、めちゃくちゃ気遣ってるだろ。むしろ気遣い過ぎて話さないレベル」

「あら。あなたの場合、単に話をする相手がいないだけでしょう」

 

 失礼な。俺にだって話し相手ぐらいいるっての。キリトとかエギルとか。アルゴ? あいつはダメだ。ちょっと話してる間にポンポン情報抜かれるからな。

 

 俺とユキノのどうしようもないやり取りを見て呆気にとられたのか呆れたのか。ともかくリズベットの緊張は解けたらしい。ふっと笑みを浮かべて肩の力を抜いた。

 

「……そっか。うん。じゃあお言葉に甘えさせてもらうわ」

「ええ。ぜひそうして頂戴」

 

 笑み合う二人を傍目に、ちらっと視界右側に表示されている時計を見る。

 現在時刻は11時47分。昼飯にはまだ若干早いが、この後の予定を考えるとそれほど余裕はない。このあたりで切り上げて宿に帰るのが無難だろう。

 

「――と、もうこんな時間か。悪い。午後からは攻略に行くから」

 

 今気付いたという体を装って切り出す。理由は簡潔かつ曖昧に。それがスムーズに離席するためのコツだ。長年ボッチを貫いてきた、云わば人と別れるプロならではの技だな。

 

 なんて自画自賛で慰めていると、ユキノがしらーっとした目で見てきた。おいやめろそんな冷たい目で見るな。

 

「そうなんだ。さすがだね」

 

 一方、これが初対面のリズベットに見抜かれるようなことはさすがになく、素直な称賛を送られる。おいやめろそんなきれいな目で見るな。

 

 居たたまれない内心を胸に秘め、何でもない風に立ち上がる。

 視線や態度はともかく行動方針自体は同意なようで、ユキノもスッと席を立った。

 

「じゃあな、資金集め頑張れよ」

「では、また」

「お店が開いたら、ぜひ来てちょうだい。いい仕事するから」

 

 リズベットは座ったままでそう答えて、軽く右手を挙げる。

 

 俺は会釈を返し、ユキノと一緒に店を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リズベット――。パトロンを募集する鍛冶屋、か。

 

 俺やアイツの立場を考えれば、職人クラスの協力者が必要なのは間違いない。

 これは懸念事項を一つ解決できるかもしれないな。

 

 拠点へ戻る道中、そんな打算に塗れた目算を立てていた。

 

 

 

 だからだろう。

 

 隣から向けられる視線には、終ぞ気付くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 







 というわけで10話でした。

 次回は可及的速やかに、具体的には来週あたりで投稿できたらと思います。
 裏の見えない思わせぶりな展開で恐縮ですが、次回で全部回収していけるよう頑張りますので、どうぞ気長にお待ちください。


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第十一話:おのずから、二人は一歩を踏み出す

こんにちは。

第3章はあと1話で終わると宣言しておきながら、予想外に文字数が嵩んでしまったので2話か3話に分けることとしました。

今話はそのうち最初の1話です。
よろしくお願いします。





 

 

 

 

 

 深夜。

 

 闇を貫く《チャージ・スラスト》の黄色の閃光が、大型昆虫モンスターのHPを余さずゼロにした。

 ポリゴンの欠片が四散するのを視界の端に捉えながら、スキル後硬直に縛られる前に回し蹴りで右手から迫りつつあった鋭い大顎の下を蹴りぬく。

 ギイイイと耳障りな鳴き声を上げて仰け反る巨大アリを、回転の勢いを利用した槍技で仕留めて宙返り。次に狙う得物を見定め、再度《チャージ・スラスト》で飛び込んだ。

 

 ほんの三日前、《体術》スキルが熟練度800に達すると同時にリスト入りした《旋風(つむじ)刈り》という蹴り技は、その使い勝手の良さで俺を驚かせた。

 出も早く、ほとんどどんな体勢からでも繰り出すことができ、後の連撃に繋げやすい。スキルを繋げて手数を稼ぐ俺にはピッタリの技だ。

 

 無論、人間相手に何度も繰り返せばすぐにタイミングを読まれてしまうだろうが、単純なAIの動かすmobを狩るのには関係ない。

 《チャージ・スラスト》、《旋風刈り》、《ヘリカルトワイス》、《月面宙返り》の繰り返しで、押し寄せる敵群を一匹ずつ確実に潰していく。

 

 とはいえ、薄暗闇の中で三十分もぶっ通していれば、さすがに集中力が切れてくる。特にスキルを繋げて戦う俺にとって集中力は生命線だ。何かの拍子に連携をミスれば、それはそのまま命の危険に繋がる。

 

 そも、ここの大アリはHPと敏捷性は低いものの攻撃力はそれなりに高い。

 さすがに一撃でHPを全損することはないだろうが、連携ミスで硬直したところを囲まれようものなら即ゲームオーバーだ。

 

 そんな危険を冒してまでこんな戦闘を続けているのも、単純に経験値効率が良いから。

 最前線である49層までのどの場所と比べても、このアリ谷での狩りは非常に効率が良い。先の理由で耐久力の低い大アリは短時間で多くを倒すことができるため、被弾さえしなければ高効率の狩りを続けることが可能というわけ。

 

 それが理由で人気スポットになっているために一パーティー一時間までという取り決めはあるものの、今のような深夜であればさほど待つことなく順番がくる。

 

 回し蹴りで正面のアリを砕き、《ヘリカルトワイス》で襲い来る二体をはじき返す。そのまま宙返りで距離を取ろうとしたところで、ほんのわずかだが始動が遅れたことに気付いた。

 幸い硬直に捕らわれる前に逃げることはできたものの、イメージと実際の身体の動きにずれが生じたことは間違いない。

 

 ここまでだな。時間的には――35分か。まあそんなもんだろう。

 

 俺は迫るアリの軍勢を《軽業》で飛び越え、谷の入り口に向かってダッシュする。

 途中、横から湧いて襲ってくるアリはナイフを投げて牽制しつつ、無事に谷を出ることに成功。並んでいたパーティーに「次いいぞ」と一声掛けてから、手近な木にもたれて座りこんだ。

 

 軽く息を吐く。肉体的疲労はまだしも、精神的な疲労はゲームの中でも溜まるんだから難儀なもんだよなぁ。

 

 なんて今さらなことを考えていると、足音が近づいてくるのが聞こえた。またぞろマイナーマイナー騒ぐ煩い連中かなと振り向くと、そこにあったのは良く知る顔だった。

 

「ユキノさんに黙ってレベリングか? バレたら怒られるぞ」

「残念だったな。もうすでにバレてるし、嫌味も散々もらってる」

 

 俺の返しにため息を吐いて、キリトは遠慮なく隣に腰かけてきた。向こうを見ると、一緒に狩りに来たらしい一団が待機列に並んでいる。

 あの赤くて和風な集団は《風林火山》だろう。先頭のクラインと目が合ったところで片手を挙げてきたので、おざなりに手を振って返しておく。

 

「今日は黒猫団と一緒じゃないんだな」

「まあな。黒猫団の活動時間はもっぱら昼間なんだよ。今日はクラインに頼まれて、ここでの立ち回りとかをレクチャーしに来た」

「昼間働いた上で夜中もとか、ご苦労なことで」

 

 言ってからストレージを開き、コーヒーに似たドリンクを取り出す。瓶に入ったそれを一息に半分ほど流し込んで、強い苦みに顔をしかめた。

 

 最近になってようやくほぼコーヒーと呼べるこいつを見つけたものの、いかんせん苦みが強くて好みの味とは言い難いんだよなぁ。眠気が覚める気がするんで買ってはいるが、やっぱりコーヒーは甘いものに限る。誰かマッ缶の味を再現してくれないかな。

 

 なんてくだらないことを考えながら、一つ大きく息を吐いた。

 

「随分疲れてるみたいだな。ハチはいつからここに来てるんだ?」

「ん? あー、何時だったかな。多分、一時間くらい前じゃね」

「となると、今が午前2時だから1時くらいか?」

「さあな。そんなもんじゃねぇの」

「それまでは宿で寝てたのか?」

「いや、なんでそんなこと聞くんだよ。別にどうでもいいだろそんなの」

「まあまあ。いいだろ、それぐらい答えてくれても」

 

 なんだ。今日は随分しつこく聞いてくるな。

 普段はここまで詮索してくるやつじゃないのに、何を企んでるんだ。

 

「……まあ、確かにここ来るまでは寝てたが」

 

 キリトの意図が読めない。俺がどこで何してたかなんて大したことじゃないはずだ。にもかかわらず、なんでこいつはそれを知りたがるんだ?

 

「そっか。ならハチは1時ごろここに来て、それまでは寝てたんだな」

 

 腕を組み、大仰に頷いて見せるキリト。

 けれどその直後、キリトはよりわざとらしく首を傾げる仕草をした。

 

「でもそれだとおかしいんだよな。実はアスナから珍しくメッセージが届いてさ。23時過ぎにハチが《ミュージエン》の転移門広場を歩いてたって言うんだ。で、こっそり後をつけて行先を聞いたら今いる46層の主街区だったらしい」

 

 なるほどそういうことか。

 つまりこいつは俺がいつからここにいるか初めから知ってて、その上で探りを入れてきたってことか。毎度毎度、お節介焼きなやつだ。それで何度も助けられてる身で言えたことじゃないが、ほんとこいつは主人公気質というかなんというか。

 

 とはいえ、こんな回りくどい真似をするからには、それだけの理由があるのだろう。

 

「アスナの見間違いって可能性もなくはないけど、俺はやっぱり……」

「遠回しに言わんでいいっての。で、何が訊きたいんだ?」

 

 端的に言うと、キリトはとぼけるのを止めて真剣な表情になった。お互い木に背を預け、正面を向いたまま、けれど意識は注意深く相手を探る。

 

「ハチのレベルって今いくつなんだ?」

「それを訊くのはマナー違反じゃないのか」

「それを承知で訊いてるんだ。なんなら、先に俺のレベルを言っても構わない」

 

 まったく。何をそこまで知ろうとする必要があるんだか。

 

「……さっき上がって67だ」

 

 答えると、キリトは驚いたようにこちらを見てきた。

 

「すごいな。しばらくここに潜ってるって聞いたから上がってるとは思ったけど。まさか5以上も離されてるとは思わなかった」

 

 ふむ。となると、キリトのレベルは62より低いってことになるな。まあ今の最前線が49層なのを考えれば、60もあれば十分なんだが。

 

 以前の、それこそユキノやアスナと三人で行動してた頃のキリトは、当時の攻略組でも五本の指に入るほどレベルが高かった。

 ユキノとアスナも揃って高かったせいで、『インフレ三銃士』なんてネタにされることもあったくらいだ。

 

 その後、黒猫団に入ってからはあいつらの攻略に付き合うことが多く、キリト自身のレベリングの機会は減った。

 おかげで現在は攻略班でも平均より高い程度の位置に落ち着いている。数値的な面だけで言えば、最前線で攻略を続けてるアスナの方がレベルは高いだろう。

 

 とはいえ、キリトの強さはレベルだけに依るものじゃない。こいつにデュエルで勝てそうなプレイヤーなんて思いつく限り二人だけだ。もちろん俺は逆立ちしたって敵わない。

 

「なんで、いきなりそんなハイペースでレベルを上げるようになったんだ?」

 

 キリトは視線を正面に戻し、落ち着いた調子で訊いてきた。表情も直前の驚きようから、元の真剣なものへと戻っている。

 そんな表情の変化を横目に見つつ、口を開いた。

 

「ま、俺だってネットゲーマーの端くれだしな。前にやってたゲームでも必死こいてレベリングしたりしてたし、レベリングの楽しさに目覚めたってやつじゃねーの。こう、強くなること自体が楽しい、みたいな」

 

 言うと、キリトはさも面白そうに笑みを浮かべた。

 

「俺も似たようなところあるから絶対ないとは言い切れないけど、ハチのそれに関しては嘘だってわかるよ」

「いやなんでだよ。俺だって結構なインドアゲーマーだぞ。好きなゲームが出たらしょっちゅう引きこもってやってたくらいだ。レベル上げに目覚めてもおかしくねぇだろ」

 

 そうして食い下がっても、キリトはあっさりと首を振る。

 

「わかるさ。ハチは合理性で動くからな。紙装甲のハチが一歩間違えたら死ぬような状況でレベリングするなんて、そんなリスキーなことを好んでやるはずがない」

 

 絶句する。反論も誤魔化しも、相槌の一つも打つことはできなかった。

 

「間違ってたら悪い。けどこのところ、ハチは何か焦ってるように見えた。レベルを上げて、LAを稼いで、とにかく急いで強くならなくちゃって、そんなふうに見えたんだ」

 

 キリトの言葉は正鵠を射ていた。

 焦っている自覚はある。早く強くなる必要性を感じているのも確かだ。態度に出ていることもわかっているし、だからいずれは問い詰められることも覚悟していた。

 

「これは推測でしかないんだけど、もしかしてハチは《マイナー》として侮られてる現状をどうにかしようとしてるんじゃないか。それも自分じゃなく、誰かのために」

 

 推測と言いながら、何らかの確信を持っているようにキリトはそう言った。

 

「――仮にお前の予想が当たっていたとして、だったらお前はどうする。無茶なレベリングはやめろとか言うのか?」

 

 問いかけると、キリトはあっけらかんと言い放つ。

 

「しないさ、そんなこと。止めようが邪魔しようが無駄だってわかってるからな」

「ほーん。ならどうするつもりなんだ」

 

 止めるわけでもないなら、こいつは一体どうするつもりなんだ。

 

「ハチが協力して欲しいって言うんなら、俺は手を貸すよ。けどハチが独りで動くのは、もうそういう習性なんだって知ってるからな。諦めて、勝手にすることにした」

「いや、勝手にって何をだよ」

 

 するとキリトは振り向いて、口元にニヒルな笑みを浮かべた。

 

「決まってるだろ。勝手に協力するんだよ。俺は俺自身の判断で、勝手にハチに協力するんだ。俺が勝手にやることなんだから、異論反論や文句に難癖は認めないからな」

 

 予想も覚悟もできていなかった宣言に、思わず言葉を失った。

 何か言い返そうとして口を開くが、返す言葉のほとんどを封殺されて何も言えない。

 

 結果、俺の口から出たのは大きなため息だけだった。

 

「…………ハァ。なら好きにしろよ」

「ああ。そうさせてもらうさ」

 

 呆れと諦めの一息に、キリトはしてやったりとばかりに笑みを深めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明くる日の午後。

 《聖竜連合》のギルド本部にある会議室で、アインクラッド第49層のフロアボス攻略会議が開かれた。

 

 

 

 俺とユキノが会議室に到着したのは会議が始まる20分ほど前。

 俺一人ならギリギリに来ることもざらだったが、ユキノがいると時間管理が正確なため、遅刻どころかこうして早めに来るのが常だ。

 

 とはいえ、時間に余裕があるということは時間を持て余すということで。

 参謀役の一人として各所に顔を出す必要のあるユキノはまだしも、名前だけで実質一人な『先行偵察隊』の俺にはやることがない。

 

 そういうわけで俺の特技であるひたすらぼーっとする術を使っていると、ちょいちょいと肩をつつかれた。

 はて、俺に用とかどこのどなたかしらんと振り返ると、紅白の衣装に身を包んだ副団長様が鋭い眼差しをお送りくださっていた。

 

「ちょっと話があるから、こっちに来て」

 

 有無を言わさぬ口調。ご丁寧に手首をつかんで引き摺られては逆らいようもない。こいつ俺よりSTR(筋力値)高いしな。年下(だと思う)の女子に力で負けてるとか情けなくもあるが、女子に逆らえないのはいつものことなので今さらだな。

 

 アスナはそのまま会議室を出て、廊下の端の狭いスペースまで俺を引っ張っていった。

 石壁に囲まれた2畳ほどの空間で、楕円形のステンドグラスが一つはめ込まれている。

 

 立ち止まったアスナは手を解放し振り返る。不機嫌そうに口を結び、ジトーッと上目遣いに睨んでくる彼女には、言い知れぬ迫力があった。

 

「キリトくんから聞いたわ。あなた、相当無茶なレベリングしてたんですってね。いつの間にか私まで抜かれてるなんて思ってもみなかったわ」

 

 おいおい。俺の個人情報筒抜けかよ。そういうの、今の世の中じゃあ厳しく取り締まられてるんですよ。どぅーゆーのう、個人情報保護法?

 

「まあ、それについてはハチくんの自由だからいいわ。最近ラストアタックを取られ続けてることも含めてすっごく悔しいけど、文句は言わない」

 

 はぁ、そうですか。現在進行形で恨み言は言ってますけどねぇ。

 

「それで、じゃあハチくんは彼女をどうするの?」

 

 言われて、しばし呆然とする。

 

「いや、いきなり彼女とか言われても何のことだか……。アレか。お前に彼女なんて一生できるわけないだろって遠回しな罵倒か?」

「そんなわけないでしょ。っていうか、ハチくんの恋愛事情とか気にするだけ無駄よ。散々思わせぶりなこと言って、当の本人が捻くれ者なんだからすんなりいくわけないじゃない」

 

 おいそれ罵倒よりも酷くないかすみませんね捻くれ者で色々あったんですよ察しろ。

 

 苦々しい表情を隠す気にもなれず、なに言ってるんだこいつと言外に訴える。

 しかしアスナはどこ吹く風とばかりに流し、改めて問いかけてきた。

 

「だから、あの人――パンさんのことは、どうするつもりなのかって訊いてるの」

 

 嘘も誤魔化しも許さないと視線が語っている。というかこいつ、目だけで色々と語り過ぎじゃないですかねぇ。目力半端ないし迫力も段違いなんですけど。

 

「なんでそんなこと気にするんだよ。お前はアイツを嫌ってたんじゃなかったのか」

 

 実際、アイツが犯罪者(オレンジ)になったと聞いて一番荒ぶってたのはこいつだ。だからてっきり、アスナはパンの行為を裏切りと断じているのだと思っていた。

 

 けれどアスナははっきりと首を振った。

 

「いいえ。私はただ、あの人が犯罪者(オレンジ)になった理由が理解できなくて歯痒かっただけ。別に嫌ってたわけじゃないわ。それに――」

 

 そこまで言ってから、少しだけ言葉に詰まり、視線を落とした。

 わずかな逡巡。それから小さく、消え入るような声で続けた。

 

「あんなの見せられたら、何か事情があるんじゃないかって思うわよ」

 

 『あんなの』というのがいつのことか、聞くまでもなく察することができた。

 

 40層での短い邂逅。《ジョニーブラック》と《モルテ》に殺されそうになった俺を助けた一幕。

 その後でアイツの放った一言が、アスナにも聞こえていたのだろう。聡明な彼女のことだ。アイツが英語で言った言葉の意味を理解できないはずがない。

 

 アイツはただの犯罪者じゃない。それを理解したからこそ、アスナはパンの行動に疑問を持ったのだろう。

 そして今俺を問い詰めてきているのは、俺が一番の関係者だからだ。

 

「ハチくんがいつから無茶なレベリングを始めたのかは知らない。けどあなたは43層で一度、45層からは4層連続でLAを取っている。これが無関係だって思えるほど、ハチくんのこと知らないつもりはないわ」

 

 なるほどな。確かに、思えばアスナとも一年弱顔を合わせる機会はあったし、何度かパーティーを組んだりもした。俺の習性みたいなところは多少なりと知られていたということだろう。俺がこいつのことを多少なりと知っているのと同じように。

 

 問い詰められて、言い当てられて、思わず大きなため息が漏れた。

 

 ほんと、昨日のキリトにしろこいつにしろ、俺みたいな捻くれボッチなマイナー野郎にどうしてここまで関わろうとしてくるのか。要らぬ風評被害を受けるのはわかりきってるのにな。

 

 とはいえ、こうまで言われてしまっては誤魔化すのも不誠実というものだろう。

 だから俺は努めて真面目に、けれどこれ以上の追及を許さぬように、シンプルに答えた。

 

「アイツをこちら側に連れ戻す。俺がやってんのは、そのための根回しだ」

 

 言う間、アスナはじっと視線をぶつけてきた。しばらく黙って何かを考え、やがて小さく息を吐く。

 

「そう。わかったわ」

 

 それきり踵を返したアスナは、会議室の方へ歩き出した。

 何を言うでもなく、ただ了承だけを返したアスナに若干の疑問を覚えつつ、俺も彼女の後を追って会議室へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会議は定刻通りに始まった。今回の議長は《聖竜連合》のリンドで、彼は攻略レイドのリーダーも務めることになっている。

 

 リンドの司会進行の下、会議はいつも通り進んでいった。

 情報部の集めた情報を公開し、司令部が事前に協議を重ねた作戦を説明。必要な役割ごとに8つのパーティー分けをして、参加者をそれぞれのパーティーに振り分けていく。パーティーが決まったら顔合わせをして、パーティー内での役割分担を決めて、とそんな感じだ。

 

 49層のボスは《Bitebone the Moss Troll》。和訳するなら『骨喰いトロル』ってとこか。

 全身に苔の生えた巨人種で、全5種の骨からできた武器を持っている。5段あるHPゲージの一本がなくなるごとに武器を持ち替えるというわけだ。

 

 一昨日ちょっかいを掛けた感じではゴリゴリのパワータイプで動きは遅く、スピードタイプのやつなら問題なく避けられるはずと報告した。実際、俺はボスの初動を見てからでも避けられたし、同行していたユキノも避けられるだろうと口にしていた。

 

 だが昨日行われた偵察戦では、タンク役のプレイヤーがガードするたびに《遅延(ディレイ)》を喰らったらしく、相応に苦戦するだろうと思われた。

 いくらボスの攻撃がのろくても、《遅延》をもらった状態で避けられるほど甘くはない。アタッカー役のプレイヤーは極力ボスの攻撃を避けられるよう、敏捷性の高い者を配置することで決まった。

 

 斯くして、今回のボス戦ではタンク部隊が5つと、アタッカー部隊が3つの計8パーティー構成となった。ボスの《遅延》攻撃に対応するため、いつもよりタンク隊を厚めにした構成だ。加えて攻撃を担当するアタッカー隊にもガードできるプレイヤーを2人配置することとされた。

 

 俺やユキノはアタッカー隊の一つに配置された。同じパーティーには《黒猫団》からキリトとケイタ、《商工会》からのエギルで計5人。

 定員には一人足りないが、これは今回のボス戦参加者が47人しかいなかったため。大ギルドに所属してるわけでもない余りものパーティーには避けようのない宿命だ。

 

 顔合わせも終わり、いつもの面子ということで連携の確認も速攻で終わる。あとは他のパーティーが終わるのを待って解散だな。

 

 そう思っていたところ、不意にキリトが立ち上がって声を上げた。

 

「リーダー、一つ提案がある」

 

 おいおい、キリトのやつどうしたんだ。ボッチにあるまじき行動だぞ。あ、そういえばキリトのやつもうギルドに入ってるからボッチじゃねぇじゃん。この裏切り者-。

 

 わざわざ会場全体に聞こえるような声量でなされた問いかけに、会議室は異様な静寂に包まれた。そうして全員の注目を集める中、リンドがキリトに応える。

 

「ああ。なんだ」

 

 応じた声には若干の警戒感が滲み出ていた。そりゃそうだ。こんな注目を集めるような真似をしてまでする質問なんて、誰だって嫌な予感がする。なんなら俺も嫌な予感がしてるまである。

 

 リンドに発言の許可をもらって、キリトは小さく深呼吸をした。

 それから僅かに瞑目し、顔を上げたキリトはまたも会議室全体に聞こえる声で話し始める。

 

「今回の参加者は47人、そして俺たちのパーティーは5人だ。つまり、あと一人参加する余地があることになる。そこで提案なんだけど、今、俺の知り合いが攻略班に参加する準備を進めてる。苦戦してるらしくて、合流できるのはギリギリになると思う。だけどもし、明日のボス戦に間に合ったら、その人の参加を許して欲しい」

 

 キリトの発言を聞いて、大方の反応は「なんだそんなことか」や「いいんじゃないか別に」といったものだった。

 実際、傍から聞いてるだけならキリトの所属する《月夜の黒猫団》から一人連れてくるんだろうと踏むに違いない。

 

 けれど、俺にとっては違った。

 あいつが言ってる「その人」ってのは、ケイタのような《黒猫団》の一員じゃない。

 

 これが、キリトの言っていたことか。

 「勝手にやる」と言っていたのは、この流れを作ることだったのか。

 

 やってくれやがってと思いつつ、リンドの様子を窺う。

 周りがどう思おうと、レイドリーダーであるリンドが了承しなければ実現しないことだ。

 

 俺やキリトを始め、多くの視線が向けられる中、リンドは腕を組んで真剣に考えを巡らせているようだった。じっと考える素振りをして、それから顔を上げる。

 

「……難しいな。確かに一人欠員が出ていることは確かだが、だからといってボス戦の経験がないプレイヤーを加えるのは危険だ。最悪、その人がきっかけでレイドが崩れることもあり得る」

 

 保守的なリンドの答えはけれど、現実的かつ堅実だった。実際、素人を入れればそれだけ伴うリスクも増える。現状で十分に勝算があるだけに、危険な橋を渡る必要はないのだ。

 

 周囲のプレイヤーたちもそう考えたのだろう。まだどちらに賛成すべきか悩んでいるようなやつも多いが、ちらほらと頷いている者もいる。

 

 このままじゃマズい。せっかくキリトが道を整えてくれようとしてくれたのに無駄に終わってしまう。

 どころか、この流れからもしアイツを連れてこようものなら、非難の目はキリトにまで飛び火するだろう。

 

 どうにかしなくては。そう思うが、当事者たる俺が何かを言うのはそれこそ後々爆弾になりかねない。

 

 そうして途方に暮れていると、今度は別の方向から声が上がった。

 

「私は賛成します」

 

 凛とした声でそう言ったのはアスナだった。取り巻きの騎士が驚きに目をむく中、表情を変えることなく言葉を続ける。

 

「確かに危険は増えます。ですがそれ以上に、攻略に携わるプレイヤーが増えるのは大きな利点です。加えて経験の話をするなら、明日のボス戦はそれこそいい経験になるんじゃないでしょうか」

 

 そう言って、アスナはちらっとキリトへ視線を送った。キリトはニッと口元を綻ばせ、小さく頷く。途端、アスナの頬がわずかに赤く染まったのがわかった。

 

「ともかく、《血盟騎士団》としてはキリトくんの提案に賛成します。戦力の補強は常に考えるべきです」

 

 言い切ると、後ろにいた取り巻きもアスナ様が言うならとばかりにドヤ顔を浮かべた。いや、お前らさっきまで「アスナ様、ご乱心か!」みたいな顔してたでしょうが。

 

 俺の呆れはともかく、それで流れが変わったのか賛同する声が増え始める。

 次いで《風林火山》のクラインが賛成し、パリピ勢代表《天穹師団》のパーシアスも同調すると、完全に流れは可決の方向へ傾いた。

 

「ユキノさんはどう思いますか。不安要素になるというリスクと戦力増強というリターン、どちらを優先すべきなのか」

 

 最後の抵抗にと、リンドはユキノの意見を求める。

 ユキノはちらっと俺へ視線を送った後、「そうね」と呟いた。

 

「どちらの言い分も理解できるけれど、今回に限って言えばタンク隊を増やしているのだから、不測の事態に陥っても立て直すことは充分に可能なのではないかしら」

 

 ユキノの半ば賛成の言葉と共に、キリトの提案は押し切られる形で可決された。

 

 リンドが渋々ながら頷くのを見て、キリトが振り返る。

 

「これで、あとはハチ次第だ。昨日言ったように、異論反論や文句に難癖は受け付けないからな」

「するかよそんなこと。…………助かる。ありがとな」

「気にするなよ。俺が勝手にやったことだからな」

 

 どこかの誰かのようなことを言って、キリトは不敵に笑って見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会議が終わり、解散の運びとなると、参加者はそれぞれ部屋を後にする。

 

 居残ってアスナと話していたユキノを待って、俺も会議室を出た。

 

 

 

 転移門を潜り、《ミュージエン》の宿まで戻ってくる。

 

 借りている部屋の扉を開き、中央のテーブル傍まで歩いたところで、ふと声が掛けられた。

 

「ねえ、ハチくん」

 

 立ち止まり、振り返る。

 

 ユキノは未だドアの前で、片手を胸に当て、何かを堪えるように立っていた。

 

 

 

 いつか見た、今にも消えてしまいそうな、儚い笑みを浮かべていた。

 

 

 

「話があるの。聞いてもらっても、いいかしら」

 

 

 

 

 

 






ということで第11話でした。
残りの1,2話も可及的速やかに仕上げていきます。


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第十二話:そして、その部屋から甘い香りがなくなる

第三章最終部分の2話目です。
前話をご覧になっていない方はご注意ください。

今回は短いですが、大事な部分なので単独で。

第12話です。よろしくお願いします。


 

 

 話があると言ったユキノだったが、まずは食事をということになり、彼女は調理台へと向かった。

 

「すぐに用意するから、少しだけ待っていて頂戴」

 

 そう言ってユキノは調理台のメニューを操作し始めた。

 簡略化されたSAOでの調理は使用する食材を選択し、調理法や時間を設定するだけでいい。食材の処理も包丁やなんかの道具を持って触れるだけという簡単な作業だ。ユキノは「単純すぎて工夫する余地がないのよね」と不満がっていたが。

 

 料理をするユキノの後ろ姿を見ながら考える。

 

 『話』の内容については予想がつく。切り出すタイミングに悩み続けた挙句、ここまで引っ張ってしまったのは寧ろ俺の方だ。数か月続いた今の生活に慣れ過ぎて、まだ大丈夫だとつい引き延ばしてきてしまった。

 

 慣れて、馴れ合った、なれの果て。

 互いに互いへ寄りかかる。それをよしとして、歪んでいると知りながら過ごしてきた。

 

 安らぎを得ていたのは確かだ。互いを知り合った相手となら、自分を偽る必要もないのだから。

 俺は俺のまま、ユキノはユキノのまま、奉仕部で過ごしたときの自分でいることができる。それは時に虚勢や演技を強いられるこのゲームにおいて、心穏やかでいられる時間だった。

 

 それを、俺は一方的に捨てようとしている。

 寄りかかられる方も支えられているだなんて(のたま)っておきながら、支えを外そうとしている。

 

 完全になくなることはないだろう。

 結果がどうなったとしても俺は攻略を止めるつもりはないし、そうならずに済むよう動いてきた。2人が3人になったとして、パーティーを解散する理由にはならない。

 

 一方で、今のような生活を続けることはできない。

 俺たちはただのパーティーメンバーであり、リアルからの知り合いであり、そしてただそれだけの関係だ。高校生の男女が同じ部屋で生活をする理由にはならない。今までのように二人きりなら言い訳のたてようもあるが、三人ともなれば話は別。

 

 まして、俺のしようとしていることを考えればなおさらだ。

 

 25層での《軍》との一件以来ずっと続いた、甘いぬるま湯のような日々。

 朝起きて、攻略に励んで、夕方には帰って眠る。そのほとんどすべての時間を隣で過ごしてきた。いつまでも続けばいいのにと望んだ回数は数えきれない。

 

 ユキノが振り返る。両手には料理の盛られた皿を持って、テーブルまで歩いてくる。

 

「どうぞ」

「お、おお。サンキュ」

 

 皿の片方を受け取り、手元に置く。ローストされた鶏肉、火を通して柔らかくした人参、蒸かした芋に付け合わせのウインナー。加えてユキノがストレージから取り出したバケット。同じものをNPCの店で食べようと思っても簡単には叶わない。

 

 ユキノは対面に腰かけると、穏やかな微笑を浮かべた。

 

「では、いただきましょうか」

「……いただきます」

 

 穏やかに言って、ユキノはナイフとフォークを手にした。そのまま静々と食べ始める。

 彼女に合わせるように食器を手に取り、ローストチキンを一口。瞬間、口いっぱいに広がる肉汁と塩味。油分が多いが胡椒がアクセントになってくどい感じは一切ない。

 

 ユキノは工夫ができないと言っていたが、これだけの味を調理時の設定だけで再現できるのはやはり経験の深さに加えて味覚が優れているからだろう。少なくとも俺にはスキル的にも技量的にもマネできない。

 

「美味いな」

「そう。ならよかった」

 

 何でもない言葉のやり取り。にもかかわらず、胸が軋むように痛んだ。

 それはきっと、終わってしまうものを惜しむような、諦めと寂しさの入り混じった声をしていたからだろう。

 

 数えきれないほど問い続けたことをもう一度問いかける。

 俺は、まちがえはしなかったかと。

 

 結論はすでに出ている。俺は、まちがえたのだ。

 あのとき見せた表情が、その後の変化が、そして今目の当たりにしている微笑みが、それを何より克明に物語っていた。

 

 考えているうちに表情に出ていたのだろう。

 

「どうしたの。口に合わないものでもあったかしら」

 

 ユキノが食事の手を止め、そう問いかけてきた。

 咄嗟に表情を改めようとする。だが表情筋への信号をナーヴギアが読み取っていないのか、うまく表情を繕うことができない。

 

「いや、そういうわけじゃない。これは、アレだ。明日のボス戦、相当苦労するだろうなと思ってちょっとな。飯に関しては文句ない。寧ろ店で出るもんより美味いまである」

 

 言って、肉と野菜をかき込むように口へ運んでいく。

 どれもこれも確かに美味いのに、どれだけ食べても表情が戻る気配はなかった。

 むしろどうにかしようと焦るほど目つきが悪くなっていく気がする。

 

 ユキノはそんな俺を見て小さく息を吐き、それから笑みを浮かべた。

 

 

 

「しょうがない人ね。そんなに気を遣わなくてもいいわ。私は大丈夫だから」

 

 

 

 言われて悟る。こいつはすべてお見通しだったのだと。理解した上で、せめて食事くらいはと穏やかに笑っているのだ。

 

 

 

「言ったでしょう。傍で見ていないと落ち着かないって。それが変わることはない。ただ――」

 

 

 

 ユキノはそこまで言った後、ほんのわずかに視線を落とした。

 

 

 

「これまでのようにはいられない。だから、明日からは別々の部屋を取りましょう」

 

 

 

 それは俺がついに言えなかったことだった。

 

 同じ部屋で過ごすのをやめる。

 そんな、常識的に考えれば当たり前なことを言うことができずにいた。

 いずれは終わりが来るのだと知っていながら、いつまでもぬるま湯につかり続けていたいと思ってしまった。

 

 なんて浅ましくて気持ち悪い。

 傷ついてほしくないと願った末の結果がこれか。

 

「……今日はもう休みましょうか。先にお湯を頂くわね」

 

 そう言って、ユキノは立ち上がった。自分の皿を流しに置き、メニューを操作してバスタオルを取り出すと、そのままバスルームの方へ歩いていく。

 

 俺はどうにか最後に残ったウィンナーを口に入れ、ほとんど丸呑みした上で彼女を呼び止める。

 

 

 

「雪ノ下」

 

 

 

 ユキノ――雪ノ下はバスルームへ続く扉の前で立ち止まった。

 振り返ったその顔には少しばかり驚きの色があって、同時に咎めるような眼差しでもあった。

 

 俺は彼女の目を見て一つ息を吐き、どうにか一言だけを絞り出した。

 

「ごちそうさん。……ほんと、美味かった」

 

 雪ノ下は一瞬だけ呆けたように目をみはり、やがて小さな、本当に小さな笑みを浮かべた。

 

「そう。それなら、よかったわ」

 

 呟いて振り返り、彼女はバスルームへと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「比企谷くん……。まだ起きているかしら?」

 

 

 

「ああ。……どうした?」

 

 

 

「……その、お願いがあるのだけれど、いい?」

 

 

 

「俺にできることなら。で、何をすればいい」

 

 

 

「これきりなのだと思うとなかなか寝付けなくて。だから……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今晩だけ、一緒に寝させてもらえる?」

 

 

 

「…………はい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝目が覚めると、ユキノはすでに食後の紅茶を飲んでいた。

 のそのそと起きだしてベッドを降り、食事の並べられたテーブルに着く。

 

「おはよう、ハチくん」

「お、おお。おはよう」

 

 挨拶を返すと、ユキノは小さく頷いてからカップを口元へ運ぶ。

 その澄ました表情も、スッと伸びた背筋も、凛とした声も、どれもが自然で違和感がなく、だからこそ問いかけずにはいられない。

 

「その、なんだ……。もう平気なのか」

 

 訊ねてからしまったと思う。どうしてこんな曖昧で意味のない問いをしてしまったのだろうか。本音で答えるとは限らないし、仮に本音が返ってきても望む答えを用意できるはずもないのに。

 

 ユキノはちらっとこちらを見て、それから仕方ないとばかりにため息を吐いた。

 

「ええ。平気よ。だからあなたは彼女のことに集中して頂戴」

 

 そう言って、ユキノは穏やかな笑みを浮かべた。

 まるで言い聞かせるような、だからそれ以上問うなと諭しているようだった。

 

「そうか――」

 

 つくづく、俺はユキノの気遣いに助けられている。

 俺の我儘で、身勝手で、《連合》は一切得をせず、むしろ厄介事の種を増やすだけの行動。彼女を傷つけると知りながら選んだ行動。

 にもかかわらずユキノはそれを認め、背中を押してくれさえした。

 

 その厚意に報いなければならない。だから――。

 

「ありがとな」

 

 ただ一言、それだけを口にした。

 それ以上を言葉にするわけにはいかない。それは彼女の決断を踏みにじる行為であり、なによりこの苦しみは俺自身が苛まれるべきものだから。

 

「いいえ。その代わり、必ず彼女を連れ戻して。なんなら首輪を付けてでも構わない」

「首輪ってお前……。まあ、俺にできる手は全部打つつもりだが」

「それでこそ、往生際の悪いあなたらしいわ」

「ハイハイ。精々足掻いてみせますよ」

 

 苦笑いに意地の悪い笑みで返される。

 

 俺たちらしい、歯に衣着せぬ言葉遊び。

 これから先もこんなやり取りは続くのだろう。

 けれど、いつか終わってしまうものはきっとあるのだ。

 

「……それじゃあな。後でまた来るから、準備だけはしといてくれ」

「ええ」

 

 扉の近くで小さく手を振るユキノに頷いて、俺は部屋を出た。

 

 これでもう、ここはユキノ一人の部屋だ。

 

 

 

 小さく息を吐き、顔を上げる。

 

 そうして右足を踏み出して、独り宿を後にした。

 

 

 

 

 

 






というわけで、12話でした。

ここで謝らなければならないことなのですが、最終部のラストを仕上げるのに思った以上の時間が掛かってしまい、近日中の更新は厳しいと言わざるをえません。
なにぶん仕事の都合でPCに触れなくなってしまうので……。

状況が好転し次第、可及的速やかに更新したいと思いますので、気長にお待ちいただけますようよろしくお願いします。


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Interlude

お久しぶりです。
仕事の都合でしばらくPCに触れることができず、時間が空いてしまいました。

これが最終話の3話目と言いたいところですが、そちらはもう少しお待ちください。

今回はそこに至る前の、文字通り間話ということで。
では、どうぞ。












 

 

 

 

 

 

 薄暗いバーのカウンターで一人、グラスを傾ける。

 琥珀色の液体がスッと喉に流れ込み、ひりつくような辛さがお腹の中に落ちていく。ここはゲームの中であって、本当にウイスキーが流れていくわけでもないのに、脳に送り込まれる信号はこういう細かいところまで再現可能らしい。

 

 美味しいとは思わない。ただなんとなく飲みたかっただけ。

 やり場のない淀みと濁りを誤魔化したいと思っただけ。

 

 現実でお酒を飲んだ時もあんまり美味しいとは思わなかった。

 向かいや隣、果ては斜向かいなんかからも飛んでくるマシンガントークを笑顔で躱す時間は、アルバイトをしているときや踊っているときと比べてあまりにも無益で面白味のない時間だった。

 

 話しただけで話をした気になっている(・・・・・・・・・・・・・・・・・)人ばかりで、彼らの目はどう必死に繕っても色情に染まっていた。興味のない相手から向けられる情欲ほど気持ちの悪いものはない。

 

 わたしは、ただ一人のひとを探していた。

 他には何もいらないと思えるただ一人を探して、ついに見つかることのないままこのゲームに手を出した。

 

 はじめは驚いて、どうしようと途方に暮れたけれど、2,3日も経てば落ち着いて、どうせならこの状況を楽しもうと思った。

 学校もなければ仕事もない。煩わしいサークルの人たちもいなければ、強引にスカウトしようとしてくる大人もいない。

 

 たくさん踊って、時には戦って。

 そうやって楽しんで過ごせる。そう思った。

 

 けれど、そうして諦めていたわたしの前に、あの人が現れた。

 

 最初はただ変わった人だなと思った。コボルトと戦う私を遠巻きに見て、けれど本当にただ見ているだけ(・・・・・・・・)だったから。

 

 自慢じゃないけれど、わたしの容姿は世界的な価値観のズレを加味しても美しいと呼ばれる範疇にある。

 日本に来てからの反応を見るに、純度百パーセントの日本人から見ても相応の評価をされる容姿ではあるはずだった。

 

 にもかかわらず、彼はわたしを見て態度を変えるどころか、色めき立つ様子もなかった。

 試しにスマイルを送ってみると、寧ろ警戒されてしまったくらいだ。

 

 だからこそ、興味を持った。

 ステイツにいたときも、日本に来てからも、わたしの容姿を見て近付いてくる人は多かったけれど、わたしの方から近付いてるのに離れていこうとする人は初めてだったから。

 

 一緒にいた女の子との会話も見ていて面白かった。

 

 ふつう彼くらいの男の子が女の子と話すときって、話題に気を遣ったりご機嫌を取ったり、少しでも印象を良くしようとするものでしょう。

 なのに彼も彼女もそういうことは一切せず、本音で言葉を交わし合っていた。気を遣っていないわけじゃないのだろうけど、自然体で、飾ることなく会話をしていた。

 

 それがとても面白くて可愛くて、なにより羨ましかった。わたしもこんな風にお話したいと思った。

 だから二人と一緒のパーティーに入れてもらって、フレンド登録もしてもらった。

 

 思えばあの時点で、わたしの心は決まっていたのかもしれない。

 自分でも気付かないほど無意識に、理想の形を思い描いていたのかもしれない。

 

 そして、あのボスとの戦いの後、私の心は完全に彼に奪われてしまった。

 

 彼の所作の一つ一つ、彼の声の音、彼の瞳に浮かぶ色、すべてが愛おしく思えた。

 彼が幸せになるためなら何だってできる、してあげたいと思った。

 もし彼を不幸にする人がいたらきっと衝動を抑えられない。そう思っていて、実際にそうなってしまった。

 

 彼の傍を離れてほとんど一年が経ったけれど、熱が冷める気配は全くない。どころか、たまに顔を合わせる度に、益々深みに嵌っていくのがわかる。

 SAOを始める前には想像もつかないほど、今のわたしは『恋する乙女』になっているんだと思う。

 

「こういうところも、遺伝なのかなー」

 

 呟いて、グラスを口につける。

 

 以前3人で飲んだときと同じウイスキーは、けれど前よりも少しだけ甘く感じた。

 つい口元が緩んでしまう。心境が変わると味まで変わるなんて、わたしも存外単純だったんだなー。

 

 なんてほくそ笑んでいた、そのとき――。

 

「嘘じゃないって。確かに聞いたんだ。こう、全身黒尽くめの格好した奴がさ、今日の午後、ボスに挑む予定の攻略レイドを襲うって」

「……本当か? だとしたらその話、早いとこ伝えてやらないと」

「だよな。けど迷宮区って確かメッセージ送れないはずだろ、どうやって伝えるんだよ」

「そりゃあ、誰かが走っていくしかないだろ」

 

 お店の端から聞こえてきたのはそんな会話だった。

 

 一つ息を吐き、もう一度グラスを傾けて、残っていたお酒を一息に飲み下す。

 

 グラスをカウンターへ置き、立ち上がったわたしは、お店を出てすぐに駆け出した。

 

 

 

 

 

 










最終話も可及的速やかに仕上げていきますので、今しばらくお待ちください。


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第十三話:それぞれの、掌の中の灯が照らすものは。

お待たせしました。第三章最終話です。
あれもこれもとシーンを加えている内に長くなり、気付けばいつもの倍近い文字数となってしまいましたが、飽きずにお付き合いください。

それでは第13話です。
よろしくお願いいたします。





 

 

 

 

 

 

「はい、これが頼まれてたやつよ」

「ああ、サンキュ」

 

 ウィンドウ越しにアイテムを受け取る。ついでに受け取ったモノをオブジェクト化して、出来栄えを見てみることにした。

 

「あたしが偉そうに言うのもどうかと思うけど、それ、彼女が手掛けた中でも最高の品になったらしいわよ。貰った素材が良かったからって」

「現状狙えるだけの一級品だけを渡したんだ。素材が良いのは当然だろ」

「うわ、さすがは天下の《マイナー》様ね。言うことがいちいち嫌味っぽいわ」

 

 冗談めいた戯言は聞き流し、アイテムをストレージにしまう。これで落とすことも失くすこともない。あるとすれば、アイテム名を忘れて探す羽目になるくらいだろう。

 

 ストレージを開いたついでに、所持金のタブから適当な額の金を取り出す。革袋の中に納まった状態で現れたコルを、俺はリズベットに向かって投げた。

 

「うわわっと。ちょっと、いきなりなによ――って、なにこのお金!」

「良い品仕上げてくれた礼金と仲介料ってとこだ。例の細工師と分けてくれな」

「う、受け取れないわよ、こんな大金! そもそも、あたしは借金まであるのに……」

 

 そうか? そんなに大金を渡したつもりはないんだが。

 精々が一か月分の食費と宿代ぐらいだ。あのアリ谷に籠ってれば三日で稼げる。

 

「要らないなら、全額細工師の方に渡しといてくれ」

「それはそれでちょっと納得いかないというか……。ああもう、わかったわよ。ちゃんと話し合って分配しておくから。それで文句ないでしょ」

「べつに文句を言うつもりはないんだけどな」

 

 苦笑いを浮かべていると、彼女は不機嫌そうに唇を尖らせて言う。

 

「なによ。ちょーっと余裕があるからって。あたしだって、すぐにガッポガッポ稼いでやるんだからね!」

「ま、スポンサーとしてはそうしてもらった方が助かるからな。期待せず待っとくわ」

 

 言って、扉の方へ足を踏み出す。

 時間に余裕があるわけでもないし、ぐずぐずしてはいられないからな。

 

 真新しい扉の取っ手に手をかける。と、そこで背中に大声が叩きつけられた。

 

「借りたお金はちゃんと返すから、それまでは武器や装備のメンテしにここへ通いなさいよ! 絶対ですからね!」

「へいへい。せめて常連として利用させてもらいますよっと」

 

 片手を挙げて応え、店を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2023年12月10日。

 場所は第49層迷宮区の最奥。

 

 今日このとき、アインクラッド第49層のフロアボス攻略戦が行われる。

 これが上手くいけば、このSAOというゲームもようやく中間地点にたどり着くことになるわけだ。

 

 ここまで来るのに約一年が掛かった。

 だが逆を言えば一年でここまで来れたという意味でもある。

 

 SAOが始まった当初、第1層の攻略が完了するまでに1か月も掛かったのだ。それを考えれば、その後の10か月余りは順調だったと言っていい。

 途中で《軍》の一件はあったが、寧ろあそこで《連合》が起ち上がったことにより攻略の安定感は増した気もする。

 

 とまれこうまれ、どうにか半分まで来た。

 もう残りあと半分登れば、現実に戻ることができる。

 

 俺はちらっと視界端の時計を確認する。

 午後14時50分。ボス攻略戦開始まで、およそあと10分だ。

 

 ボス部屋の前では今回のレイドメンバー46人が各々最終確認を行っている。

 装備の確認を行う者。アイテムをポーチから取り出して数えている者。パーティーメンバーと連携について話している者。準備体操とばかりに剣を振る物。

 

 銘々に準備を続ける攻略レイドの面々。そんな彼らを、俺は何をするでもなく眺める。

 と、不意に肩をつつかれた。そのまま振り返る前に囁かれる。

 

「来たぞ。見えないけど、多分間違いない」

「そうか。ギリ間に合ったな。サンキュー」

 

 声を潜めて告げるキリトに言葉だけで答えて、通路へ視線を送る。

 ボス部屋の前へ繋がる道は薄暗く、松明の心許ない灯りだけでは人影の判別などつかない。ましてや相手が《隠蔽》を使っているともなればまず見つからないだろう。

 

 現に俺の目にはそこに誰かがいるようには見えない。が、高い熟練度の《索敵》を持つキリトが言うのなら、見えずとも誰かしらがそこにいるはずだ。

 

 一本道でそこに人がいると予めわかっているのなら、どんな《隠蔽》スキルの達人でもやりようはある。

 幸いSAOの《隠蔽》は長時間凝視されると効果が薄れていく仕様だからな。見えてなくても、潜んでいそうな場所を予想して視線を向けていれば、いずれは看破することができるわけだ。

 

 餌に釣られて来た熊猫を捕まえるべく、俺も《隠蔽》を発動し、こっそりと集団から抜け出した。壁沿いに小走りで近付いて、入り口の脇から通路の暗がりへ目を向ける。

 揺れる灯りに照らされる下、最も明かりが薄くなっている箇所を探し、アイツが潜んでいそうな所へ視線を固定した。

 

 正直、そこが正解かはわからない。わからないが、いくつかある候補のうち身を潜めるに最適な暗がりはそこだった。

 

 言動や動機はともかく、行動自体は合理的なアイツのことだ。最適解から順に潰していけば当たりを引く可能性は高い。

 第一、《隠蔽》は俺の最も得意とするスキル。最適な隠れ場所の選定など朝飯前だ。《ステルスヒッキー》の名は伊達じゃない。格の違いというものを教えてやる。

 

 そうして暗がりを見つめること、およそ二十秒。

 果たして、《隠蔽》を看破した先に潜んでいたのは、一人のプレイヤーだった。

 

 輝く金髪に、透き通った海のような瞳。

 背はそれほど高くなく、けれどスタイルは抜群なモデル体型。

 彼女は小刻みに息を吐きながら、戸惑いを露に攻略レイドの様子を窺っていた。

 

 思わず笑みが浮かぶ。目論見通り見つけられたのもさることながら、ここと予想した場所が見事的中していたことに少なくない興奮を覚えた。ざまあみろ。

 

 アイツ――パンがこの場にいるのは、そうなるよう仕込みをした結果だ。

 企画・進行は俺で、ユキノやキリトを始め、事情を知る連中の協力も得た上で一芝居打ってやった。

 

 実際にはアイツが食いつきそうなネタを聞こえるように流してやったってだけなんだが、相手が神出鬼没なやつだけにけっこう苦労した。こうしてボス戦に間に合ったのは運が良かったというほかない。

 

 さて、釣り上げるまでは上手くいったからな。お次は退路を断つとしますか。

 

 気付かれてないことを確信した俺は、アイツの視界に入らないギリギリまで近づいて《軽業》を発動。金色の頭上を飛び越え、音をたてないよう細心の注意を払って着地。未だどうしようかと集団を見つめる彼女へそっと近付き、その肩を叩いた。

 

「誰っ! ――って、Darling?」

「よお、お疲れさん。どうした、そんなに慌てて」

 

 誘い出しておいてこんな台詞が出るあたり、自分でも相当意地が悪いと思う。

 けど、こいつには何度も出し抜かれたんだ。ちょっとくらい反撃してもバチは当たらないだろう。

 

 呑気な物言いに呆気にとられたのか、パンは2,3秒フリーズし、それから思い出したように詰め寄ってきた。

 

「こ、ここにいちゃダメ! 今すぐCrystalを使って街に――」

 

 パンはまるで何かを警戒するようにあっちこっちへ視線を巡らせた。

 

 このまま勘違いさせといても問題はないんだが、それだとさすがに性格が悪すぎる。

 というわけで、ここらでネタばらしをすることにした。

 

「まあ落ち着けって。俺たちを襲いに来る奴らはいない。それは全部ガセネタだからな」

「戻っ…………What?」

 

 パンの顔が訝しげに歪む。俺の言葉の真意を探ろうと、表情や声を観察しようとしてるのか。上等だ。耳かっぽじってよく聞いとけ。

 

「いいか、お前が聞いたであろう話は、全部でっちあげだ。何故ならアレは、俺がエキストラ雇って言わせたデタラメだからな」

 

 そう言ってやると、パンは徐々に状況を理解し始めたようだ。半眼になって上目遣いに睨んでくる。

 

「Darlingの意地悪……」

「何とでも言え。こちとら散々お前を探し回ったんだからな。偶然お前を見たってやつがいたからその周辺だけで済んだが、そうじゃなきゃアインクラッド中の街や村にエキストラばら撒くつもりだったんだぞ」

 

 おかげで費用も抑えられた。エキストラの用意から目撃者とのやり取りまで、あれこれ協力してくれたアルゴには今度何か礼をしなくちゃならない。まあ十中八九面倒なクエストをタダ働きさせられるんだろうが。

 

「It’s so crazy……。ハァ。 それで、じゃあ何か理由があって呼んだんでしょ?」

「もちろんだ。けど、その前に言いくるめなきゃならないやつがいる」

 

 半眼になって見上げてくるパン。

 頷き、ストレージからフーデットケープを取り出して押しつける。

 

「とりあえずコレ被って、その目立つ髪を隠してくれ。で、あとは口出しせずに後ろで見てること。理由やら説明やらの諸々は後でする」

「ハイハイ、オーケーオーケー」

 

 あまりにもあんまりな作戦に呆れた笑いしか出ないパンを説き伏せる。

 返答如何によっては縛り上げることも視野に入っていたが、どうやらそのプランを発動する必要はないらしい。

 

 これで第一条件はクリアした。次だ。

 

 フードで顔を隠したパンを連れ、レイドの方へ歩いていく。

 途中、ユキノやキリトとすれ違ったものの、事前に知らせてあった二人に表情の変化はない。強いて言うならユキノが小さくため息を吐いていたくらいか。

 

 集団の間をすり抜け、最前列でパーティーメンバーと話すリンドの下へと近付いていく。

 

「ちょっといいか」

 

 声を掛けると、リンドとそのパーティーメンバーがこちらへ振り向いた。

 リンドの目が俺とその後ろへ向けられ、パンを捉える。

 

「ハチ。その人が例の新人か?」

「ああ。どうにか間に合ったんで、昨日キリトが言ったように俺たちのパーティーへ入れようと思う」

 

 そう言うと、リンドはパンを値踏みするように見た。全身の装備や表情、態度から実力を推し測っているのだろう。お眼鏡に適わなければ反対される可能性もある。

 そうでなくても、リンドがパンの顔を覚えていた場合はバレて面倒なことになるのだ。一応言い訳も考えてはあるが、できれば今はバレない方が都合がいい。

 

 幸いにして、リンドはこいつが殺人(レッド)ギルドの一員と噂されるプレイヤーだとは気付かなかったようだ。真面目な表情のまま、レイドリーダーとしての評価のみを下してくる。

 

「見たところ、そこまでレベルは高くないみたいだが、大丈夫なのか?」

「問題ない。確かにレベルはちょっと足りないが、俺と同じ敏捷特化型ビルドで経験もそこそこある。回避優先でやれば、今回みたいなパワータイプのボスの攻撃を受けることはほぼないはずだ」

 

 俺の言い分にリンドはしばらく黙考していたが、やがて顔を上げると渋々頷いた。

 

「わかった。昨日話し合って決めたことでもあるから、今回は認める。だが、次はないからな。飛び入りでボス戦への参加を認めるのは今回だけだ」

 

 少し不服そうに言って、リンドはそれきりパーティーメンバーの方に向き直った。

 俺も余計なつっこみを受ける前に、パンを連れてそそくさと離れる。

 

 ふー、とりあえずリンドを言い包めることはできたか。このボス戦の間にはバレるだろうが、まあ今日を凌げば明日からは明日の俺がどうにかするだろう。これをただの先送りと言います。

 

「それでDarling、そろそろどういうことか説明してくれるかなー」

 

 リンドや他の攻略集団から距離をとったところで、パンが待ちきれないとばかりに口を開いた。

 振り返り、肩をすくめてみせる。

 

「ふつうに呼び出したんじゃあ、お前は出てこないだろ。だから一芝居打ったんだよ。一方的に絶交宣言(フレンド登録解除)されて、どこにいるかもわからなかったしな」

 

 さも傷つきましたという風を装うが、パンの表情は変わらず、ジトーッとした視線を向けてくるだけだった。

 

「ふーん。じゃあ、Darlingはワタシを呼び出してどうしようっていうの?」

 

 訝しむように訊いてくる。わざわざこんな面倒で回りくどい手を使い、悪名高い元犯罪者(オレンジ)プレイヤーを呼び出したのはどうしてか、と。

 

 いっそ睨むくらいにまで強い眼差しを向けてくるパン。

 そんなパンの目を努めてまっすぐに見返し、その上で答える。

 

「端的に言えばスカウトだな。今回のボスはゴリゴリの脳筋タイプで、下手にガードするより避けた方が確実性が高い。で、前に組んだ感じ、お前なら余裕で避けれるだろうってことで急遽お呼び出ししたってわけ」

「それはpublic face、ただの建前でしょ。本音は?」

「今言ったのも本音って意味じゃあ間違いじゃないんだけどな」

 

 据わった目のパンに苦笑いで応じる。当然ながら納得した様子はない。

 とはいえ、これについては織り込み済みで、なんなら見抜かれるのもわかっていて口にしたことだ。場を温めるわけじゃないが、本題に入る前のちょっとした与太話に過ぎない。

 

 無言で続きを促すパン。そんな彼女の視線に、俺は観念して居住まいを正した。

 ただ、いざ本人を前にすると気後れするというか気恥ずかしいというか。どうにもはっきりと言い辛いが、だからといって言わないわけにはいかない。

 

 だからせめていっそひと思いにと、覚悟を決めて告げる。

 

「お前をこっちに連れ戻す。今回のは、そのための印象操作の一環だ」

「ハッチ……」

 

 意外なものを見たと、パンの表情が明確に変わった。

 

「お前が何を思ってラフコフの連中と一緒にいるのかはわからない。何かどうしようもない理由があるのか、それとも単に居心地がいいだけか、そんなのはお前の口から聞かなきゃわからないからな。ただ――」

 

 途中、パンが何か言いたげな目で見てくるが、口を挟まれる前に続けた。

 

「40層で会ったとき、お前はあいつらから逃げていた。どうしてかは知らないが、一人で最前線まで逃げ込んでくるくらいの理由があったはずだ。なのに……」

 

 それなのに、パンは俺を庇ってモルテとジョニーブラックの前に姿を見せ、あの場にいた連中から手を引かせた。

 ボロボロになるまで逃げていた、そんな奴らの下へ戻るのと引き換えに。

 

 どうして、パンは俺と奴らの間に割って入ったのか。

 

 俺のことが好きだからなんて、そんな都合の良い理論を唱える気はない。そんなものを信じられるほど順風満帆な人生は送ってこなかったからな。他人の好意はまず疑えと言い聞かせる程度には性根が捻じ曲がっているのが比企谷八幡という人間だ。

 

 ただ――。

 ただもし、以前に俺が抱いた想いと同じだったのなら。

 ただ傷ついて欲しくない。そう思われる程度には至っていたとしたら。

 

 パンの行動原理を理解しているわけじゃない。目的も、動機も、願いも何も知らない。他人の考えなんて、どれだけ考えたとしてもわかるわけがない。

 

 これがただのお節介な可能性は十分にある。

 勝手に勘違いして、見当違いなことをしている可能性は低くない。

 ヒロイックな妄想に酔い、気持ちの悪い道化を演じてるだけかもしれない。

 

 仮にそうだったとしても――。

 

「俺はお前に救われた。あの時だけじゃない。お前が最初にオレンジになったときも、俺はお前に救われたんだ。なら、その借りは返す。俺は養われる気はあっても、施しを受ける気はないからな」

 

 そう言って、俺はウィンドウを開き、パンにパーティーの加入申請を送った。

 

「無理にとは言わない。色々と面倒なことになるのは間違いないし、最悪《連合》とは縁を切ることになるかもしれない。けど、そういう諸々への対策は考えてあるし、ユキノや他の何人かの協力も取り付けてある」

 

 パンは鋭い眼差しをまっすぐに向けてくる。推し測るようにこちらを見つめ、それから手元に現れたウィンドウへ視線を移した。

 彼女はそのまましばらくウィンドウをジッと睨み、やがて呟いた。

 

「……OK, I’ll join you. ただ、一緒にやるのはこのボス戦だけね。Darlingやユッキのところに戻るのは――――やっぱり、ダメ。できない」

 

 その言葉に一瞬息が詰まった。

 多分断られるだろうと予想はしていたものの、それでも声音が震えてしまうのは抑えようがなかった。

 

「……そうか。悪い、忘れてくれ」

 

 これでもう打つ手はない。パンをこちらへ連れ戻すための『作戦』はこれだけだ。

 それに、何よりパン自身に戻る意志がないのだ。少なくとも現状では、何を言ったところで返事が変わることはないだろう。

 

「ハッチ、ごめんね」

 

 眉尻を落とすパンに、俺は力のない微笑を浮かべて応える。ゆっくりと、誰に言い聞かせてるつもりなんだか、何でもないと虚勢を張るように口にしていく。

 

「気にすんな。実際、断られたとしてもそう痛いわけじゃない。とりあえず今回のボスだけでも協力してくれるんなら、手間暇かけた甲斐も――」

 

 けれど、そこまで言ったところで不意に割って入る声がした。

 

「それだけじゃないでしょう。まったく、この数か月、散々ひとを心配させた挙句振り回したくせに、この期に及んでなにを躊躇っているのかしら」

「ほんと素直じゃないよな。正直になったら死ぬ病気にでも罹ってるんじゃないか」

「こいつのこれは筋金入りだからな。叩いても治りゃあしねぇだろうよ」

 

 振り返ると、ユキノとキリト、エギルが呆れ顔でため息を漏らしていた。三人の後ろでは、ケイタが苦笑いを浮かべている。

 

 事前に協力を取り付けた彼ら4人には、こうして結果を聞くまで口出しをしないよう頼んであった。待ちきれずに口を挟んできたのは、俺があまりにも不甲斐なかったせいだろう。

 

 一方、事情を知らず、ユキノたちに言われたことの意味もわからないパンは首を捻る。

 その前で、最初に表情を改めたユキノが問いかけた。

 

「彼に任せた手前、私から言うのも筋違いなのだけれど、本当にいいのね?」

 

 問われて、パンはユキノを見つめ返す。

 互いに逸らすことなく視線を交わし、やがてパンは小さく頷いた。

 

「……もちろん。もう決めたことだからねー」

「そう。なら、これ以上は何も言わないわ。とはいえ、ボス戦には参加するというのだから、その対策だけは話し合っておかないと。時間もないし、手短にいきましょう」

 

 それきり、ユキノは淡々とボスの情報や対策を伝えていく。

 彼女の言う通り突入まで時間もないので間違ってはいないのだが、これだけ変わり身が早いと戸惑いがどうしても先に出てしまう。それは俺だけじゃなかったらしく、キリトやエギルも苦笑いで顔を見合わせていた。

 

 そうしている内、あっという間に話は終わった。

 

「――こんなところかしら。あとは個人の判断で臨機応変に動いてもらって結構よ。何かあればその都度指示を出すから」

「OK. I see」

 

 時間としてはものの3分程度。攻略情報の伝達としては驚異的な早さだが、しっかりと頷く姿を見るに理解は充分らしい。

 

「そろそろ時間ね」

 

 ユキノが呟く。時計を見れば14時59分で、周りの連中も突入に備えて各々得物を手にしていた。

 俺も槍を取り出し、リンドの号令に備える。

 

 と、何やら言いたげな表情のパンと目が合った。

 

「ハッチ……」

「なんだ、さっきのことなら気にすんな。それより、ちゃんと集中しとけよ。お前、ボスと戦うのは久々なんだろ?」

 

 言いたいことはある。訊きたいことも少なくないし、文句なら山ほどある。

 けれど、今だけは何も言わずにおくことにする。

 

 交渉自体は不調だったが、このボス戦には参加するのだ。

 それはパンとコンビを組んでいた時以来、初めてのこと。

 なら、今ここで言うべきはこうだろう。

 

「せっかく手間かけて呼んだんだからな。しっかり働いてもらうぞ」

「……オーケー。 Darlingの期待、ちゃーんと応えてあげる」

 

 パンが不敵に笑って応える。

 その直後、リンドの声が部屋中に響いた。

 

「時間だ。勝って50層に上がるぞ。総員――攻撃開始!」

 

 レイドリーダーの号令で、48人のプレイヤーが一斉に駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第49層フロアボス《Bitebone the Moss Troll》は、予想通りタンク泣かせな敵だった。

 

 手にした骨製の武器はどれも一撃が重い上、盾や武器でガードしても《遅延(ディレイ)》の状態異常を強いられるという厭らしい仕様。しかもHPバーが一本なくなるたびに武器を換え、攻撃パターンも変わるというおまけつきだ。

 

 初めのうちはまだ余裕があった。《遅延》を受けるといっても、一段階目は曲刀、二段階目は片手ハンマーでそれほどダメージの大きい武器ではなかった。対応が遅れてガードできなくてもそれほど問題にならなかったわけだ。

 

 だがトロールのHPゲージが三段目に入ると状況が変わった。

 曲刀、片手ハンマーときて、3つ目の武器が両手剣だったためだ。

 

 基本的に筋力値(STR)が同じなら、一撃の重さは片手武器より両手武器の方が高い。

 それはプレイヤーのみならずモンスターにも言えることで、ボスの武器が両手剣に変わってからはタンク隊のダメージが目に見えて大きくなってしまったのだ。

 

 《遅延》でガードが遅れ、直撃を受けて大ダメージを受ける。それを間近に見た仲間は更に焦り、見かねたリンドにより前線の交代が指示される。

 ボスの武器が両手剣に変わってからは、そんな流れが頻発するようになった。幸いにしてポーションによる回復ローテは間に合っているものの、焦りとダメージによる精神的疲労は隠し切れなかった。

 

 そんな中、武器の交換を気にも留めず暴れ回っていたのが、俺たちのパーティーだ。

 

 俺やパンのような敏捷特化型はもちろん、ユキノも敏捷値偏重のステータスで悠々と避け、キリトは筋力優先だが持ち前の反射神経で回避して、と。

 アタッカー4人がことごとくボスの攻撃を避けるもんだから、ガード役のエギルとケイタが暇を持て余す始末だった。

 

 タンク隊が《遅延》に手こずっているのを尻目に、鈍重な武器を軽々避けつつダメージを稼ぐ寄せ集めパーティー。

 当然ながら注目を浴び、ユキノやキリトはいつものことと呆れられ、俺は「これだから《マイナー》は」と舌打ちされる。ボス戦では割とよくある光景だ。

 

 が、今回はそこにもう一人目立つ存在が加わっていた。

 

 まるでダンスでも踊るように無骨な武器を避け、流れる動きの中で鋭い攻撃を的確に打ち込んでいく。揮うは世にも珍しい《ナックル》のソードスキル。《体術》、《軽業》と組み合わせることにより、途切れることなく輝きが続く。

 

 初めて見たときから褪せることのない、華やかな舞踏。

 以前よりもさらに磨かれたそれは、広間で戦うプレイヤー全てを魅了した。

 

 戦闘の最中、フードが外れて金の髪が露になったときなんか、どこかからため息の音が聞こえたくらいだ。幸い、それですぐパンの正体に気が付く者もいなかった。

 

 飛び入りで参加してきた新人が常識外れな戦い方で、驚くほど強く、しかもとびきりの美女ともなれば、レイドメンバーの士気は否応なしに上がる。

 結果、一度は崩れかけたタンク隊もHPバーが四段目に入る頃には持ち直し、最後の五段目になればもう危なげなく戦えるようになっていた。

 

 ここまででおよそ40分の戦闘において、飛び入り参加した金髪美女(パン)の貢献度は相当に高かったことだろう。

 

「ハッチ、ラストスパートだよ」

「はいはい、わかってますよっと」

 

 並走していたパンと同時に地面を蹴り、真上から振り下ろされた斧を避ける。

 三段目の両手剣から四段目の槍を経て、最後は両手斧へと持ち替えたトロールは、ここまで幾度となく俺やパンにも攻撃を加えているが、どれ一つとして俺たちを捉えられていない。

 

 まあ、これだけ大振りされる両手武器をAGI極振りの俺やパンが喰らうわけがない。

 今度の一撃も衝撃波ごと《軽業》で悠々と回避して、俺はがら空きの腹に、パンは腕を駆け登ってトロールの頭部に、それぞれソードスキルを打ち込んだ。

 

 追撃はせずに飛び退り、ボスのHPへ目を向ける。

 トロールのHPは最後の五段目も残り僅か。今の一撃で丁度赤く染まったところだった。

 

危険域(レッドゾーン)だ。例によって、何かしてくるかもしれないぞ」

「ええ。わかっているわ。全員、攻撃の手を止めて」

 

 ユキノの指示でパンとキリトも大きく距離を取る。すかさずケイタは両手剣を、エギルは斧を構えて、いつでもガードができるように備えた。

 

 他のパーティーの連中も各々がボスの行動に備えて動く。こうした対応の早さは、《攻略班》として何度も激戦を切り抜けてきた賜物だろう。

 

 一方、ボスのトロールはHPが危険域に突入するや、斧を投げ捨てて地団太を踏み始めた。それが何かの特殊攻撃の前兆なのか、それともただの癇癪なのかは判断がつかない。

 

 やがてトロールの地団駄が止まる。

 すると直後、トロールの身体が急激に細くなり始めた。おいおい、なんかいきなり結果にコミットしだしたぞこいつ。

 

 寸胴型の身体に全身を覆う苔が特徴だった《Bitebone the Moss Troll》は、苔が落ちて細マッチョな身体へと変貌を遂げた。誰もが驚きのダイエット効果に言葉を失う。

 

 その隙を突いて、トロールが動いた。

 痩せた影響か、目を疑うような俊敏さで駆け出す。向かう先には散々おちょくるように攻撃したアイツの姿が――。

 

「エギル!」

「応!」

 

 トロールの振り下ろした腕を、間一髪エギルがガードすることに成功した。庇われたパンもすかさず回り込み、空いた胴に一撃を入れてから距離を取る。

 続けて俺とキリトが切り込むが、トロールは俺たちに気付くと大きく跳んで、離れた位置に着地した。なんということでしょう。すっかり身軽になりやがって。

 

 さてどうしたもんかと思案していると、後ろからエギルの声が聞こえてきた。

 

「今の一撃、《遅延》はなかった。落ち着いて防げば反撃のチャンスは十分にあるぞ!」

 

 なるほど。武器を捨てて身軽になった代わりに、一撃も軽くなったわけか。

 

 もしかすると、このトロールの変化は攻略レイドの裏をかくための仕様かもしれない。前半で回避するのが優位だと思わせておいて、最後には敏捷値寄りのプレイヤーを陥れるみたいな。そうだとすればこのボスをデザインしたやつは相当に性格が悪いに違いない。

 

 幸か不幸か、俺たちはタンク隊を厚くしたレイドだ。

 それ故に前半はむしろキツイ部分もあったが、こうなったら逆にやりやすい。

 

「よし、なら正攻法だ。タンク隊、前へ! 《遅延》さえなければ反撃もできる!」

 

 リンドの声に、ここまで鬱憤を溜められたタンク隊が応える。5つあるタンク隊のうち3つで半円状にボスを囲み、徐々に包囲を狭め始めた。

 

 堪らずボスが突破を図るも、軽くなった素手での攻撃ではタンクビルドのプレイヤーを揺るがすには至らない。盾で防がれ、反撃を受けて後退する細マッチョトロール。

 

 このぶんならもう俺たちアタッカーの出番はないだろう。

 ユキノと視線を交わし、どちらともなく頷いた俺たちは、一応の警戒は続けつつ戦闘の行末を眺めることにした。

 

 

 

 不意に、パンがそっと近づいてくる。

 ボスから視線を外すことはなく、けれどどこかリラックスした歩調で隣まで寄ってきたパンは、耳もとで囁くように言った。

 

「お疲れ様、Darling. 久しぶりに一緒に戦えて、とってもエキサイティングだったよ」

 

 甘く蕩けるような囁き声。

 俺にしか聞こえないだろう声は鼓膜から脳へと響き、全身にえも言われぬ震えが走った。

 

 こいつ、まだボスは倒れてないってのにこんな……。

 

 せめて恨めしげな視線でも送ってやろうと振り向く。

 瞬間、パンの表情を見て思わず息を呑んだ。

 

 彼女は、笑っていた。

 今にも泣きそうなくらいに瞳を潤ませて、それでも笑っていた。

 名残惜しそうに俺の手を取って、けれど力は込めない。

 

 彼女が何を考えているか、俺にはわからない。

 ただ、この震える手を放してはいけないのだと、それだけを思った。

 

 と、そのとき誰かの声が上がった。

 

「倒した、倒したぞ!」

 

 思わず振り向く。同時に、するりと手が離れた。

 

 声の主はタンクを務めていた《聖竜連合》のプレイヤーで、明るくなった広間の中央で雄叫びを上げていた。あるいはラストアタックを取ったのかもしれない。

 

 歓声は広間の中央から広がっていった。

 それぞれのプレイヤーの前にウィンドウが表示され、獲得した経験値にコル、アイテムなんかがズラリと並んで表示される。

 

 何とはなしにそれらを眺めて、ハッと気付いたときにはもうパンの姿はなかった。

 すぐに辺りを見渡して、目立つ金色の髪を探す。

 

「……逃げ足速すぎだろ」

 

 小さく呟いて、ひっそりと去り行く背中を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開け放たれたままの入り口から広間を出て、通路の暗闇へ消え入ろうとするアイツを呼び止める。

 

「このまま行くのか?」

 

 振り返ったパンは当たり前と言うように笑みを浮かべ、コテンと首を傾げた。

 

「Yes, of course.ワタシはオレンジだからねー」

「前までならともかく、今はグリーンだろ。ボス戦の前にも言ったが、お前が戻ってくるための方法やなんかは考えてある。今回の活躍もあるし、連合の連中を納得させるのも十分に――」

 

 言うと、パンはコロコロと笑った。

 

「それだとDarlingに迷惑が掛かっちゃうからダメ。ただでさえDarlingには敵が多いのに、これ以上増やそうなんてワタシ良くないと思うなー」

「ハッ、そんなもん今さらだ。伊達に《マイナー》なんて呼ばれてねぇからな。悪意も敵意も、今さら少し増えたくらいじゃなんとも思わねぇよ」

 

 すると今度はムッと唇を結んで、上目遣いに睨んできた。

 

「Darlingはよくても、ユッキは違うでしょ。Darlingはユッキが傷つけられてもいいの?」

「その点はユキノも承知の上だ。むしろ首輪付けて連れてこいって言われたくらいだしな。これで勝手に抜けたら、地獄の果てまで追いかけられた挙句、怒ったあいつの怖―いお仕置きが待ってるぞ」

「アハ、It’s terrible. それならユッキに捕まらないようにしなくちゃね」

 

 最後に、パンは困ったような笑みを浮かべた。

 聞き分けのないこどもを諭すような、留守番を言いつける姉のような笑み。引き留めようとしてもできないと思わざるをえない、そんな微笑みだった。

 

 軽い口調とは裏腹に、その意志が覆る様子はない。

 ユキノを引き合いに出しても、パンの意志は変わらなかった。

 どう言い説いたところで変える気はないのだろう。

 

 ここまできたら、説得してこいつを引き留めるのは諦めるしかない。

 どうせ何を言っても聞かないし、もう二度と同じ手で誘い出すことはできないだろう。きっとあの手この手を尽くしても、次は裏が取れるまで姿を見せないに違いない。

 

「それじゃあね、Darling. See you next time」

 

 話は終わりだと、いつもと同じセリフを残してパンは振り返る。

 背を向けて、通路の向こうの暗闇へ足を踏み出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――その袖口を掴んだ。

 

 思ったよりも細い手首が驚いたように強張ったのがわかった。

 

「まあ待てって。もう一つ、言いたいことがあんだよ」

 

 わざとらしく声音を変えて言うと、パンは訝しげに振り向いた。

 無言で何事かと問う彼女へ、大袈裟に首を振り応える。

 

「わかってるよ。お前を引き留めるのは諦める。けど今日のボス戦、無理矢理呼び出して手伝わせた礼をしてなかったからな」

 

 言葉通り、パンを引き留めるのは諦めた。

 真っ当な方法でこいつを連れ戻すことはできないのだと。

 策を弄してでは翻意させられないということは十分にわかった。

 

 

 

 

 

 

 だからこそ、奥の手を切る。

 

 

 

 

 

 

 パンの手を放し、逃げないことを確認してからウィンドウを開いた。

 アイテムストレージの欄に移動し、数あるアイテム群の中から目当てのモノをオブジェクト化する。

 

「知り合いの伝手で作った品だ。敏捷値+10にクリティカル率+3%と、まあ効果としてはそれなりなんだが、製作者も仲介人も女子だからデザインについては保証できると思う」

 

 左手の上に現れた小箱をパンの方へ差し出す。

 パンは箱を見て大きく目を見開き、それからひどくゆっくりと、震える手を持ち上げた。

 

 彼女の手が伸びてくるのを待って、蓋を開く。

 

 瞬間、松明の光を受けてサファイアブルーが瞬いた。

 大きさこそ控えめな玉石は、けれど白銀の台座の上で確かな存在感を放っている。

 

 性能的な部分はともかく、見た目に関しては想像していた以上の逸品だ。

 細工師と、仲介をしてくれたリズベットには当分頭が上がらない。

 

 ふと、宝石と同じ色の瞳が潤んで揺れ、やがて両の目から涙が零れた。

 伸ばした左手とは別に、右手は口元を覆って震えている。

 さっきまでのすまし笑いは嘘のように崩れていた。

 

 ニヤリと口元が歪む。弄ばれてばかりだった彼女に一矢報いられたようで気分が良い。

 小さく咳払いをして、続く言葉を口にする。

 

 

 

「その、なんだ…………一年前の返事ってことで……」

 

 

 

 途中で猛烈な気恥ずかしさに襲われて目を逸らした。というか、こんなこと真顔で言えるわけないだろ恥ずかしい。

 

 それでもどういう反応をするのかと気になり、横目でパンを窺う。

 そうして目に入った光景に、気恥ずかしさはあっという間にどこかへ飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

 いつか月明かりの下で見た微笑み。

 

 満開の花にも似た笑顔を、彼女は湛えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第三章 完

 

 

 

 

 

 










というわけで、これにて第三章は閉幕となります。


思えば第一章の最終話を書いたのが2年前と2か月前ですので、作中の倍以上の時間が掛かってしまいました。
当時から最後のシーンは描きたいシーンの一つでしたので、とりあえずここまで続けられて一安心です。

今後も時間は掛かりつつも完結まで導いていきたいと思っていますので、長い心でよろしくお付き合いください。

それでは。


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第4章
第一話:冬は、その始まりを知るとき既に過ぎ去っている


どうぶつの森、楽しい。

臨界ブラキ、ツラ楽しい。

そんな感じで睡眠時間がガリガリ削られる日々です。



というわけで、今話から第4章となります。

お読み頂ければわかるかと思いますが、しばらくは糖分マシマシが続くと思われます。ブラックコーヒーの準備をお勧めします(マッ缶飲みながら)。








 

 

 

 朝。

 

 頭の中に直接鳴り響く音で意識が覚醒した。

 もはや見るまでもなく位置のわかる停止タブを押して目覚ましを止める。と、指先がなにやら柔らかいものに触れた。

 

「っん……」

 

 一拍遅れて艶のある声が降ってくる。

 同時に後頭部を押され、顔が枕に押しつけられた。

 

 …………待て。これ、本当に枕か?

 

 状況を確認すべく目を開く。しかし目の前は真っ暗なままで変わらず、顔全体が何やらふかふかしたものに包まれている感触だけが残っていた。イイニオイダナー。

 ならばと顔を上げようとするも、首を抑えられていて動けない。っていうかマジで少しも動かせない。ヤワラカイナー。

 

 このまま現実逃避して寝たふりを続けてもいいのだが、そうすると本当にいつまでも解放されないことはここ数日で身に染みて分かっている。

 というわけで、首をガチガチに固めている腕をタップする。状況としては、よく学校とかで友人同士首を絞め合って遊んでいるようなアレだ。それが後ろからじゃなくて前からで、相手がモデル並みな美女って点が違うとこだが。

 

 その後も弾力があって柔らかい『枕』から逃れようとモゾモゾゴソゴソ抵抗する。

 が、AGI極振りの俺が締め上げられた状態から逃げ出せるわけもなく、結局5分ほど容赦なく堪能させられた末に解放された。

 

「……プハッ! ハァ、ハァ、ようやく解放されたか」

「おはよ、Darling. 目は覚めた?」

「ハイハイ覚めた覚めた。ったく、毎度とんでもないやり方で起こしてくれやがって、アメリカじゃあ同衾者を締め上げて起こす文化でもあるんですかねぇ」

「んー、そういう話は聞いたことないなー。でも、steadyをkissで起こすのはよくあるよー。明日からは、そうしてみる?」

「やらねぇよ。そんなこと許したら、朝から襲われるだろうが。色んな意味で」

「Exactly! でも悲しいなー。Darlingはワタシとkissしたくないんだー」

 

 オロオロと泣き真似をするパン。

 それが演技で、実際には逃げたところでパンの方からしてくるのはわかっている。

 けれど――。

 

「…………したくないとは言ってねぇだろ」

 

 たとえここがソードアート・オンラインというゲームの中だとしても。

 たとえそれが彼女を引き留めるための手段だったとしても。

 

 女性から好意を向けられて、それは間違いだと誤魔化すこともできなくて、どんな理由だろうと応えようという想いがあるのなら。

 

 行動で示すことに躊躇いなどあるはずがない。……まあ、恥じらいはあるんだけど。

 

「Darling!」

「うわっ」

 

 言ったそばからパンが飛びついてきた。首元に抱き着かれ、押し倒され、柔らかい立派なものが薄い服越しに激しく主張してくる。イイニオイダナー。

 

「ばっ、放せこの……」

 

 引き剥がそうにも、肘や脚で四肢を器用にロックされていて動けない。あれ、マジでこのまま襲われるんじゃね?

 

「Darling、やっぱりこのままkissしていい? いいよね」

「だから朝一でそれはやめろって言ってんぐっ……」

 

 抵抗する口を文字通り塞がれて、為されるがまま蹂躙される。

 熱いんだが恥ずかしいんだか苦しいんだかわからないままに好き放題され、いっそ反撃にでも移ってやろうかと考え始めた矢先、突如声が降ってきた。

 

「起きてくるのが遅いと思って見に来てみれば、朝から何を発情しているのかしら」

 

 極寒の声に思わず震えが走り、それでようやく解放される。

 息なんて吸う必要もないのに荒く呼吸をして、ちらっと来訪者へ目を向ける。

 

「あら、随分と気持ち悪い顔をしているじゃない。やっぱりあなたに初めて会ったとき感じた悪寒は正しかったみたいね。汚らわしい」

 

 いや、自分からは何もしてないからね。確かに美味しい思いをしているのは否定できないけど、どっちかと言えば被害者だからね。

 

「Good morning, ユッキ! ユッキもする?」

「するわけがないでしょう。彼とそんな、キ、キス、するだなんて、ありえないわ」

 

 そこはユキノに同感である。っていうか、いくらここがゲームの中でシステム的な話だとはいえ、一応俺たちは結婚したことになっているはずだ。だのに、立場上は夫の俺を別の女に差し出すとか、こいつの倫理観はどうなってるのだろうか。

 

 なんとなく納得のいかない心地でまじまじ見ていると、パンはさも楽しげに口元を歪めた。

 

「んー? ワタシは別にkissとも、ましてや相手がDarlingとも言ってないのに、よくわかったねー」

「なっ……。それは、その、め、目の前であんな光景を見せられたのだからそう予想するのは当然でしょう。決して私自身がそれを望んでいるとかではなくごく一般的な観点から考えればそう予想されるのは必然という話でだから――」

「アハハ、本当にユッキはcuteだねー」

 

 そう言ってパンはユキノに抱き着き、ユキノはそのままもみくちゃにされる。ああはいはい、百合百合しくていいですねー。こっちまで勘違いしただろまったく。

 

 その後も満足するまでユキノを猫可愛がりするパン。

 彼女の左手には、あの日送った指輪が青く輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 10日前、《ギルド連合》はアインクラッド第50層に到達した。

 

 50層の主街区は《アルゲード》という名前だった。

 第1層の《はじまりの街》に次ぐ広さの街で、西洋風で整った造りの《はじまりの街》に対し、こちらはとにかく雑多で入り組んだ街並みをしている。あちこちへと伸びる路地で迷おうものなら、2,3時間どころか2,3日は出てこられないなんて噂もあるくらいだ。

 

 どことなく中華風の雰囲気の街なんだが、実際、台湾や香港なんかの街並みに似ているらしいというのがアスナの弁だ。所々漢字で書かれた看板もあるし、モチーフとしては間違ってないんだろう。

 

 そんな馴染みのある雰囲気が幸いしてか、《アルゲード》では街開き以降プレイヤーの数が増加の一途を辿っている。

 街の広さや作り、加えてNPCレストランの味も色々と評判で、観光として訪れる者も多い。が、それ以上に定住を望むプレイヤーはかつてないほどだった。

 

 理由はいくつかある。商店として使える物件が数多くあって、最前線ということもあり商人プレイヤーが続々と集まっていること。

 また街に点在する安宿は、攻略に行くパーティーの拠点として人気が高い。雑魚寝だったり狭かったりと条件はあるものの、最前線に安く泊まれるというのは他に代えがたい利点だ。

 

 そんなこんなで、《アルゲード》はものの数日も経たず《はじまりの街》に次ぐプレイヤー人口となり、10日が経った今じゃあプレイヤーとNPCが入り混じって大賑わいだ。

 

 だが、当然良いことばかりではない。

 迷いやすいとか変な店があるとか、そういったマイナスポイントもあるにはあるが、何よりも問題なのはこの50層というフロア自体の構造にある。

 

 アインクラッドの中間点である50層は、街だけじゃなくフロア自体が第1層に次ぐ広さを持っていて、《アルゲード》はそんなフロアの中心に位置している。

 これはリアルで測量士の資格を持つプレイヤーが、《アルゲード》で一番高い建物の屋上から見た結果なのでほぼ間違いないだろう。ちなみにこのプレイヤーは《FBI》の一員で、アルゴがスカウトしたらしい。

 

 そんなフロアの中央に位置する《アルゲード》だが、先ほどの測量士プレイヤーが周囲一帯を見渡した際、気付いたことがあった。

 

 フロアのどこにも、迷宮区の塔がないのだ。

 

 上の層へと続く迷宮区の塔。それがどこにも見当たらず、そんなわけがないと《連合》の情報部が丸3日探してもついに発見できなかった。

 

 一時は「このゲームはここまでで、これ以上攻略不可能なのではないか」、「茅場は俺たちを騙していて、実際はログアウトさせる気なんかないんじゃないか」などの憶測が飛び交い、混乱しかけたこともあった。

 だがその後の調査で、何らかの条件を満たせば迷宮区は出現するという情報がもたらされ、混乱はそれほど大きくなる前に沈静化した。

 

 実際、この50層でゲームが事実上のクリア不可になったと仮定した場合、これまで茅場がお膳立ててきた状況はすべてが無駄になる。

 こんな大それた事件を引き起こしてまでSAOなんてモノを作り出した茅場が、ここへ来てそんな無意味な真似をするとも思えない。

 となれば、迷宮区は何らかの理由やギミックで隠されていると考えるのが妥当だろう。

 

 ユキノやパンも同じ考えに至ったようで、ならばできることから始めようということになったのが先週のこと。以降は地道に攻略を進め、フロアのマッピングも一週間で8割方終わっていた。

 

 

 

 

 

 

 そうして迎えた12月20日。

 

 俺とパン、ユキノの三人は《アルゲード》の一角にある建物の前に立っていた。

 三階建ての石造りで、シックな木目の扉と、脇には黒猫の描かれた看板が置かれている。

 

 ユキノが扉を押し開くと、カランコロンとベルが鳴った。

 音に反応して顔を上げたプレイヤーが、手を止めてこちらへ振り返る。

 

「こんにちは。サチさん」

「ユキノさん! いらっしゃいませ。パンさんとハチもいらっしゃい」

「ハロー」

「うす」

 

 出迎えたサチへめいめいに挨拶を返すと、サチは普段と変わらぬ笑顔で応えた。

 

 初めはパンの経歴を聞いてびくびくしていたサチも、こうして何度か顔を合わせる内に打ち解けることができたようだ。

 まあ、パンはコミュニケーション能力の化け物だから、上手いこと懐柔されたとも言える。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、今日訪れたのは《月夜の黒猫団》の新たなギルドホームだ。

 

 元は《タフト》の宿を拠点としていた彼らもレベルが上がり、今じゃあ《連合》の攻略班に食い込むほどの実力を得た。

 さすがにフロアボス戦ともなると全員が参加するのは厳しいが、ダンジョンのマッピングやフィールドボス討伐のレイドなんかには、ギルドの5人ないし6人で挑んでいるらしい。

 

 念願叶って攻略集団の仲間入りをした《月夜の黒猫団》。彼らは50層到達を機に拠点を移すことに決めた。

 長らく11層の《タフト》で節約生活をしていたお陰で資金にも余裕があったらしく、せっかくだからとここ《アルゲード》に拠点を持つことにしたんだとか。

 

 そうして購入したギルドホームがここだ。

 市場や転移門のある街の中央からは少し外れた立地ではあるものの、広さと設備、値段が好条件でまとまった優良物件だ。

 人が集まって取り合いになる前にと、先週の街開き後、早々に購入したらしい。

 

 一階はダイニング兼応接スペースで、キッチンもそれなりの設備が整っている。広さも3パーティーくらいは余裕で入れるので、これまで二度お邪魔してくつろがせてもらった。

 二階から上はメンバー用のリビングと寝室、浴室などがあって、部屋数にもまだ余裕があるんだとか。その段階でキリトから勧誘を受けたが、丁重にお断りしておいた。

 

 そんな黒猫団のホームだが、引っ越しから十日間、なにかと顔見知りが集まる機会が多かった。

 

 理由は大きく二つある。

 

 最前線の《アルゲード》にあり、道が入り組んでいるために場所の特定もし辛いことが一つ。

 黒猫団にはキリトがいることに加え、ここならアスナやエギル、クラインにアルゴといった顔馴染みを呼んで集まっても無用な注目を集める心配がないのだ。

 

 もう一つは設備の良さだ。ユキノとアスナの高い《料理》スキルに耐え得る設備が揃っているのが何より大きい。

 普段使うサチも《料理》スキルを持っていることもあり、知り合いが勢揃いした初日なんかは高級レストランも顔負けなご馳走が並んでいた。

 

 そういうわけで、ここ一週間は攻略に関する情報交換の場としても利用させてもらっているのである。美味いラーメン屋には週3で通うのと同じ原理だ。なりたけとか。あー、考えてたらラーメン食いたくなってきた。もう一年以上たべてないんだよなぁ……。

 

 

 

 

 

 

 少しずつ小物の増えてきた室内を見渡して、ふと誰もいないことに首を捻った。

 

「まだ誰も来てないのか? キリトやクラインはともかく、アスナとエギルが遅いのは珍しいな」

 

 訊ねると、サチは「えっとね」と首を傾げた。

 

「キリトはさっきまでいたんだけど、アルゴさんに呼ばれて行っちゃったの。ケイタたちは買い出しで、エギルさんとクラインさんは《連合》の用事が終わってから来るって。アスナさんはギルドの方で少し調整することがあるから遅くなるみたい」

 

 ほーん、なるほどな。まあ明確な時間を決めてたわけでもないし、こんなもんか。

 などと納得していたところに、横から飛んでくる声があった。

 

「理由もなく遅刻する人はいないでしょう。あなたと違って」

「俺が訳もなく遅刻してるみたいな言い方はやめようね。ちゃんとあるから、理由」

「そうかしら。色々と難癖をつけて遅刻して、あわよくばサボろうとするのがあなたの常套手段なのでしょう?」

 

 おいなんで知ってるんだよ。ボッチ検定2級ないとわからないはずだぞ。ああ、そういえばこいつも元はボッチだったなるほどね了解了解。

 

 反論できずに苦い顔をしていると、今度は反対側から別の声が弾んだ。

 

「That’s wrongだよ、ユッキ。 Darlingが遅れちゃうのはね――」

 

 言って、パンが左腕に抱き着いてくる。ぎゅっと包むように腕を抱かれ、思わず半歩身を引いてしまった。そうして空いた距離を、パンはすぐに詰めて顔を寄せてくる。

 

 呆気にとられるユキノとサチ。

 パンはそんな二人をちらちらっと見ると、ナパーム弾もかくやの爆弾を投下した。

 

「ワタシとvery hot な夜を過ごしてるから、ね♡」

 

 着弾、爆発。その瞬間、あらゆる音声が消失した。

 ところで爆弾というからには相応の熱量がもたらされるはずだ。にもかかわらず、空気が一瞬で凍り付くのはおかしくないか。熱力学さん、仕事、しよ♡

 

 などと現実逃避を試みたところで状況が改善されるはずもなく。

 

「呆れた。そんな理由でここ最近遅刻を繰り返していたのなら、あなたたちの処遇についてもう一度考え直す必要があるわね。一応は《連合》の一員であり、監督責任は私にあるのだから。パーティーリーダーとして、部屋割りを変える権限があることを忘れないように」

「ア、ハハ……。ほんと、仲良いんだね」

 

 ユキノからは諫言、サチに至ってはドン引きしていた。

 

「待て待て誤解だ。俺は悪くない」

 

 左手に熊猫を引っ付けたまま言うのもどうかとは思うが、とりあえず弁解はしておく。

 

 すると相変わらずの冷たい目で睨んでくるものの、ユキノは小さくため息を吐いた。

 

「……一応、弁明を聞こうかしら」

 

 発言の御許しが出たところで、パンを引き剥がそうと頭に手を置く。

 そのまま押して剥がそうとするが、あろうことか気持ちよさそうに頬擦りをし始めた。

 

 おいおいなんだよこの可愛い生き物。ゲーム内とはいえこんなのが俺の嫁さんなわけ? 最高かよ。こっちは離れろって意味で頭押してんのに、撫でられてると勘違いしちゃうとか懐き度高すぎでしょ。これがイーブイならあっという間にニンフィアに進化してるレベル。けど鳴き声はイーブイのときが一番可愛いんだよなぁ。小町にそっくりだし。

 

 そこまで考えたところでふと我に返ると、二対のジトーッとした眼差しがこちらを射抜いていた。

 もう手遅れだと諫める心の声を無視して、仕切り直しに一つ咳払いをする。

 

「いいか。そもそも遅刻が悪いという風潮がおかしいんだ。重役出勤って言葉があるだろ。重役、つまりエリートなら遅くなっても許される。なら逆説的に考えて遅れてくるのはエリート、意識が高いということだ。攻略に対して高い意識を持つことは悪いことじゃないだろ」

「そう。なら、とても高い意識を持っているハチくんには、今後しっかりと働いてもらうわね」

「今は疲れを癒してくれる奥さんもいるんだし、どれだけ働いても大丈夫だよね」

 

 おやおやー、二人のヘイトがとてつもなく高いですね。かー、ヘイト管理もまともにできないとか、やっぱタンクは向いてねぇなと思いましたまる。

 

 

 

 

 

 

 その後、参加者が揃うまでの間、俺は会場設営のために右へ左へとこき使われた。

 ユキノとサチが作った軽食をテーブルに並べ、罵倒と嫌味を受けながら食器なんかを準備し、挙句サチからも重いテーブルやイスの移動をお願い(命令)されること約一時間。終わる頃にはもう疲れてテーブルに突っ伏していた。

 

 ちなみにこの間、元凶のはずのパンは何故か女子3人でのお喋りに興じていただけだった。解せぬ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とまれこうまれ――。

 

 波乱と緊張と後悔に塗れたSAOでの日々において、かつてないほど賑やかな一時が始まろうとしていた。

 

 

 

 










以上、第1話でした。

次回はちゃんと他の男性プレイヤーも登場しますので、ご安心ください(?)


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第二話:或いは、それは誰の願いでもない

コロナウイルスが猛威を揮う今日この頃。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。

私は楽しみにしていた映画が延期になったり、東京オリンピックが延期になったり、毎週通っていたラーメン屋が休業になったりと外の世界に楽しみを見いだせなくなりつつある(大袈裟)ので、連日部屋に引きこもっています。

みなさんも体調管理には気を付けてお過ごしください。



というところで、第2話です。
よろしくお願いします。





 

 

 クリスマス。

 

 それは子どもにとって誕生日や正月に並ぶ一年で最も特別な日の一つだ。サンタクロースに願いを掛け、良い子にしていれば欲しい物を無条件で得られる一夜である。

 そういうわりに他人に迷惑を掛けず、他人の邪魔もしないとびきりの良い子だったはずの俺は欲しい物貰えたためしがないんですけどバグってるんじゃないですかね。

 

 一方で、大人にとっては意見の分かれる日だろう。

 最高の一日だとドヤ顔する奴もいれば、一部の特権階級がこよなく愛する催しで持つ者と持たざる者の差を明確かつ残酷に知らしめる奇祭だと血涙を流すやつもいる。

 俺クラスともなるとクリスマスなんざただの平日と変わらないと思えるのだが、そこに何か特別な意味を見出そうと躍起になる人間はどんな世代にも少なからずいるのだ。

 

 12月も終盤を迎えた現在。世はクリスマスムード一色であり、それはこのアインクラッドでも同様だった。

 街を歩けば雪化粧を施した木々や建物が並び、ガス灯やら松明やらが照らす下ではカップルたちが聖夜の訪れを今か今かと待ちわびている。

 

 だが少し待って欲しい。

 仮にも聖人が生誕したとされる日に(かこつ)けてワイワイガヤガヤイチャイチャと騒ぐのは如何なものか。

 

 そもそもが神道の国である日本においてクリスマスというのは外来のイベントである。しかも本来は粛々と家族や身近な人と過ごすための厳かな日のはずが、何故こうもリア充御用達のお祭りになってしまったのか。

 何かと理由を付けて祭りを開きたがるのは江戸っ子の性と言うが、生粋の千葉生まれ千葉育ちである千葉っ子の俺にはその辺りの経緯とか機微とかはさっぱりわからん。

 

 クリスマスなんて、カーネルさん家のチキンと不二さん家のケーキを買って小町と慎ましく仲睦まじく過ごせればそれでいい。いや仲睦まじくはやりすぎか。けど千葉の兄妹なら許されるだろ多分。

 

 ――なんてことをちょっと前までの俺なら思っていたし、なんならしたり顔で演説を披露することも吝かではなかった。

 それで女性陣がドン引きしようがちょっと傷つくだけで今さらだし、男連中が苦笑いを浮かべる姿も容易に想像できた。

 

 しかし、事ここに至ってそれは不可能だろう。

 なぜなら――。

 

「おいこらハチの字、てめぇよくもぬけぬけと俺の前にツラ出せたなこの野郎! お前は、お前だけは俺と同じこっち側だと思ってたのによぉ」

「同感。連れ戻すために色々やるっていうのは聞いてたけど、まさか結婚までするとは思わなかったからなぁ」

 

 嫉妬と羨望に狂ったクラインと、どこか不機嫌そうなキリトの言う通り、俺は晴れて既婚者、つまりパートナーを得ているのだ。

 俺自身がいくら「クリスマスなんて平日だ平日」と宣ったところで客観的事実がそれを許さない。というか、いくらなんでも今そんなことを口にする勇気はない。さもなくばパンダに食い殺されるだろう。色々な意味で。

 

 遺憾の意を示す二人に対し、エギルは戸惑いが強いようだった。

 

「俺はいつか落ち着くだろうとは思っていたが、まさかあのときの嬢ちゃんとはな。てっきり10層手前で別れたっきりだと思ってたんだが……」

「まあ、色々あったんだよ」

 

 ほんと、色々あったなぁ。散々探し回っても見つからず、かと思えば向こうから接触してきて、黒幕ムーブで惑わされたかと思えば捨て猫みたいに弱った姿で現れたりもした。

 いつだって肝心なことは口にせず、今に至ってもその辺りは語るつもりはないらしい。そのくせ何かと庇ってくるもんだから、あまりの都合のよさに勘違いしてしまいそうになる。

 

 ただ、あの笑顔は嘘ではないと、信用に足るものだということはわかっている。

 俺やユキノに向ける笑みも、俺たちを見るときの眼差しも、あの部室で一緒に過ごした『彼女』と同じ色をしていたから。

 

「その『色々』も含めて、二人には訊きたいことがいっぱいあるのよね」

「あ、私も。ハチとパンさんって、攻略以外のとき何してるのかなーって」

 

 アスナがニヤリと意地の悪い笑みを浮かべれば、サチが軽く手を叩いて乗っかる。

 そんな二人を見てまっさきに反応したのは、ユキノだった。

 

「聞かないことをお勧めするわ。ロクな答えが返ってこないから」

「ンー、そう言われると益々聞きたくなっちゃうナー。二人の新婚生活について♪」

 

 言って、アルゴがニタリといやぁな笑みを口元に湛える。これは根掘り葉掘り聞かれた挙句、数千コル分の情報を抜かれるやつだろうなぁ。

 

 そうしてお年頃の淑女であるアスナとサチ、アルゴを筆頭に、同じくお年頃の黒猫団男子組、野次馬根性丸出しのクラインが俺とパンに視線を集める。

 そんな彼らにユキノは「忠告はしたわよ」とこめかみを抑えてため息を吐き、エギルはテーブルの端で苦笑いを浮かべていた。

 

「や、別になんもないぞ。朝起きて攻略行って、宿帰ったら風呂入って寝るだけだし」

 

 一応の抵抗というか弁明のためにそう言うと、途端にアスナから睨まれる。

 

「ハチくんには訊いてません。そもそもハチくんにそういうの期待してないし」

 

 アスナの言に、うんうんと頷く一同。いや、全員揃って同じ反応とか、さすがに失礼じゃない? ハチマン泣いちゃうよ。

 

「それで、二人っきりのときってどんな感じなんですか?」

 

 サチがパンへ訊ねる。その目には純粋な興味が浮かんでいた。

 

 問いかけに対してパンは「そうだねー」と曖昧な相槌を打つと、ちらりとこちらへ視線を送ってきた。それから悪戯を企てる子どものような笑みを浮かべる。

 

 とても嫌な予感がした。こういうとき俺の勘は大抵当たるのだ。

 活き活きとした表情のパンとは対照的に、俺の目は死に死にとし始める実感があった。

 

「Darlingと二人っきりのときはねー、ずーっとくっついてるよ。バスルームではDarlingの身体をワタシが洗ってー、ベッドではAll nightで抱きしめてるの。「やめろ」って言いながら恥ずかしそうにモゾモゾするDarlingがso cuteでー♡」

 

 のっけからアクセル全開な発言に、さしものアルゴですら引き気味だった。もちろん、他の連中は軒並み目が点になっている。

 その中でアスナは顔を真っ赤に染めながらも顔は逸らさず、一方サチは処理が追いつかないのか表情がフリーズしている。

 

 ユキノが再度ため息を漏らす中、パンは調子に乗って更に続ける。

 

「エッチのときも最初はワタシがDarlingにゴホーシするんだけど、途中からはDarlingにメチャクチャにされちゃうの。そのときのDarlingとってもwildでカッコいいんだよー♡」

 

 そう言って、パンからちらりと見られ、俺はこそっと視線を逸らす。

 

 ハハ、誰だよそのDarlingって。どう考えても俺のことですねありがとうございました。というか、アレはパンが散々煽ってくるのにイラッときただけで決して……。

 

「二人のときはずいぶんイチャイチャしてるんだね」

 

 ア、ハイ……。

 

 視線を逸らした先のサチからゾッとするほど冷たい目で見られ、逃げ場所に困った視線は手元のカップに落ちる。

 だがそこに逃げ場などあるはずもなく、中のコーヒーが揺れるだけだ。気を紛らわせるために一口。んー、コーヒーが旨いと気分がいい。砂漠の虎のごとく余裕のある大人になりたいどうも俺です。

 

 居心地の悪さにモゾモゾしながらコーヒーをちびちび飲み下していると、不意に視界が暗くなった。ちょっとどうなってんの。照明暗いよ。

 

「なぁ、ちと向こうで話さねぇか? いやいや、ただほんのちょびっとレクチャーしてもらいてぇことがあんだよ」

 

 声と一緒に肩へ手が置かれる。顔を上げると、クラインが満面の笑みで見下ろしていた。

 そして気付けばいつの間にやら周囲を取り囲まれている。クラインに加え、テツオにダッカー、ササマルといった黒猫団の面々もだ。全員が全員、張り付けたような笑みを浮かべていた。いい、笑顔です。

 

 ははーん。ハチマンわかったぞ。これアレだろ。新人ホストとかが指名貰いすぎて先輩ホストに締め上げられるアレ。「調子乗ってんじゃねぇぞ」って言われちゃうアレだ。

 

「……わかったよ。で、何をすればいいんだ。土下座か靴舐めか。金やアイテムは難しいが、謝罪や誠意ならいくらでも払えるぞ」

 

 媚びるときはプライドを捨てて全力で媚びること、それが俺のプライド。

 

「お、おう」

 

 俺のかつてないほど本気のドヤ顔に、さしものクラインも引いていた。テツオたち三人もドン引きしていて、ユキノとパンの他は全員が苦笑いだ。ちなみにユキノは頭を抱えていて、パンはほわほわと微笑んでいた。

 

 そんな俺だけがどうしようもなく居堪れない、もしくは痛々しい雰囲気の中で、沈黙を破るが如く、ユキノのため息が三度吐き出される。

 

「ハァ……。そろそろ本題に入ってもいいかしら」

 

 頭痛がするのか目頭を押さえて言うユキノに、誰一人反抗する者はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 およそ一か月前。たしか48層の攻略が終盤に差し掛かった頃だったと思う。

 二度目のクリスマスを前に、アインクラッドの各層で同じ内容の噂がまことしやかに囁かれ始めた。

 

 曰く、十二月二十四日の深夜0時ちょうど、どこかの森にあるモミの巨木の下に《背教者ニコラス》なる伝説の怪物が出現する。もしこいつを倒すことができた暁には、怪物が背中に担いだ袋の中の財宝を手に入れることができる、らしい。

 

 当初は48層のボス目前、次いで49層のボス戦と立て込んでいたために明確なアクションはなかったものの、50層に来て攻略が停滞し始めたこと、またせっかくの限定ボスなのだから倒してクリスマスプレゼントを頂戴しようという風潮が出始めたことで、今じゃあ《連合》の攻略班も巻き込んだプレゼント争奪戦の真っ最中というわけだ。

 

 俺やユキノ、パンは当初このクリスマスイベントには静観の姿勢で以て対していたのだが、キリトやサチら《黒猫団》とクラインら《風林火山》、それにエギルやアルゴも加えたメンバーに誘われた結果、こうしてこの場にお呼ばれしている。

 

 最終的なメンバーは《黒猫団》の6人に《風林火山》の7人、エギルとアルゴの2人に加え、俺、ユキノ、パン、アスナの4人で計19人だ。

 そのうち《風林火山》は各層に点在する有力ギルドの拠点に張り付いて偵察しているので、ギルドリーダーのクラインだけがこの場にいた。

 

「結論から言うと、これまで有力とされてきた候補の中に『モミの木』はなかった。どれも『巨木』っていう意味では間違いないんだけど、全部スギだったんだよなぁ」

 

 調査担当の黒猫団を代表してキリトが言う。実物を知っているらしいキリト氏が言うんだから間違いないんだろうが、そこのところどうなんですかねユキペディアさん。

 

「確かにモミとスギはよく似ているから、遠目では判別がつかないでしょうね。『巨木』というキーワードに引っ張られてフィールドから見える樹木しか探していなかったのが失敗だったのかも」

「となると、もう一回候補を洗い出す必要があるか。……間に合うのかこれ」

 

 キリトの報告を聞いて、期限までの日数から残り時間を逆算していく。

 残り三日で僅かなヒントから目標を探し出さなくちゃならないんだが、候補となり得る場所が多すぎて困っているのだ。なんだよ『どこかの森』って。せめて何層辺りかだけでもヒントくれよ。

 

 ちなみに、俺たち三人の担当は新しい候補の探索だ。1層から順にマップ上の森という森を渡り歩き、今日で20層までが探索済みとなった。

 結局ほとんど徒労に終わったんだが、賑やかすやつがいたからか不思議と無駄な時間を過ごしたという気はしない。

 

「《FBI》の方でも探してるけど、このリストに挙がってる以外のものはないナー」

「幸いなのは、《聖竜連合》や《天穹師団》もまだ絞りきれてないってことか。連中の尾行が付いたままってのが何よりの証拠だな」

「私もフレンドとか知り合いに当たってはいるんですけど、目ぼしい情報はないですね」

 

 アルゴとエギル、アスナが口々に言う。

 この三人はそれぞれ所属ギルドが違うということもあって、別ルートから情報を集めようとしている。が、天下の《FBI》や最強ギルドと呼ばれ始めた《血盟騎士団》であっても有力な情報は掴めていないらしい。

 

 と、そこでふと何かに気付いたようにキリトが振り向いた。

 

「今さらだけど、アスナ、《血盟騎士団》の方はいいのか? さすがのヒースクリフも年一のボスなら挑戦しそうなもんだけど」

 

 キリトからの問いに一瞬だけきょとんと首を傾げたアスナは、質問の意図を察すると口元を緩ませ、今度はそれを誤魔化すべく大仰に両手を上げて見せた。

 

「それが全然。ギルドのみんなは興味あるみたいなんだけど、団長はいつも通りなの。『フラグmobよりも自己研鑽の方が大事だ』って。あ、でもちゃんとこっちに参加する許可は貰ってきたから、私は最後まで付き合わせてもらうわ」

 

 最後にアスナが「だからよろしくね」と含みのある笑顔で言うと、キリトは心底から嬉しそうに微笑んだ。

 

「そっか。じゃあボス戦以外じゃ久々に一緒に戦えるんだな。またよろしく」

 

 これにはアスナも堪えきれず、顔を真っ赤に染めてぷいと逸らした。相変わらずキリトが関わるとわかりやすいやつだな。

 アスナとしてはいつかコンビを解消されたことへの皮肉も含んだつもりなんだろうが、キリトの純粋過ぎる反応には敵わなかったらしい。

 

 キリトとアスナによって生まれた甘い空気に、周囲は軒並みニヤニヤ笑っている。さっき俺がやり玉に挙げられたときとはえらい違いだ。これが人徳の差か……。

 

「よかったね、アスナさん」

「いやー、アーちゃんが嬉しそうでなによりだヨ」

「アスナ、Now or never! このままアタックだよ!」

「そ、そういうんじゃないですから! 違いますから!」

 

 サチにアルゴ、パンの三人から囃し立てられ、アスナは赤い顔のまま抗議する。特にアルゴとパンはわかってるのに敢えて弄ってるから余計に質が悪い。まあ完全に蚊帳の外の人なので見ているだけなんですけどねー。

 

 しかし女三人寄れば姦しいというが、四人も集まって騒いでるのを見ると逆に微笑ましく思えてくるから不思議だ。

 本当はもう一人女子がいるはずなんだが、当のユキノは「しょうがない人たちね」と言わんばかりに微笑を浮かべている。いやお前なに目線なんだよ。うんうん頷いてるのを見る限り祝福してるのは間違いないんだろうが。

 

 そんな和気藹々ぐだぐだな時間がしばらく続き、弄られ続けたアスナの呼吸が整ったところで、弛緩した空気を払うような咳払いが響いた。

 それまでそれぞれにお喋りをしていた全員が口を噤み、振りむく。そうして全員の注目が集まったところで、エギルがミーティングを仕切り直しにかかった。

 

「さて、そろそろ気を取り直して今後の話だ。現状、俺たちがやるべきことは三つある。ボスの出現場所の特定、戦闘に向けた準備、他の陣営の偵察だな」

「そうね。そのうち偵察については今もクラインさんのギルドに担ってもらっているからいいとして、残るは――」

「戦闘の準備はともかく、やっぱりボスが出現(ポップ)する場所がわからないことには何も始まらないな」

 

 ユキノの言葉をキリトが引き継いで締めくくる。こいつの言う通り、いくら対策を立てても出てくる場所がわからないんじゃ意味がない。

 

「一度情報を精査し直しましょう。方針を立てるにも必要なことだし、もしかしたら何か見落としがあるかもしれない」

 

 ユキノがそう提案して一同を見渡す。

 すると、珍しくアルゴが疲れたような顔で愚痴をこぼし始めた。

 

「そうは言ってもナー。どの層のNPCもみんな同じようなことしか言わないから、正直お手上げって感じだヨ」

「何か法則とかがあればわかりやすいんだけどね」

「法則って、例えば?」

「あれだろ。ボスの出てくる層のNPCだけ他と違うこと言ってくるとか」

「そこまであからさまならとっくに見つかってると思うけど」

 

 ケイタが乗っかるように言うと、ササマルやダッカー、テツオがそれに続いた。

 

 ふむふむ。法則……。法則ねぇ。

 

「アルゴ、ボスの情報を教えてくるっていうのは街にいるNPCか?」

 

 訊ねると、アルゴは面倒くさそうに振り向いて頷いた。どうでもいいけどきみ、やる気失くしすぎでしょ。

 

「アー、ニコラスの情報は各層の主街区にいるNPCが口にするんダ」

「ってことは、それなりに人数がいるってことか。それぞれの層ごとで何人のNPCが言ってくるか、人数わかったりしない?」

 

 俺がそう言うと、それで興味が湧いたのかアルゴは目を光らせた。

 だらけていた身体を起こし、ニンマリと笑みを浮かべる。

 

「フムフム。確かに人数までは数えてなかったナー。オーケー、ちょっと数えてみるヨ」

 

 言って、アルゴはウィンドウを開いた。そのままものすごい勢いで何らかの操作をし始める。

 え、なにこいつ、もしかして該当するNPCの位置全部チェックしてるんじゃないだろうな。だとしたらさすがは一流を自称する情報屋と称賛するべきだろうか。

 

 やる気全開でお仕事に励むアルゴを見て息を呑む面々。そんな中、ユキノがそっと顔を寄せて訊ねてきた。

 

「件のボスに関しての発言をするNPCが多い層にボスが出現すると、そういう解釈でいいのかしら?」

「さあな。まだわからん。けど、ヒントくらいにはなるんじゃないか。50層以下を総当たりするよりかは、まだこの方がアプローチとして間違ってないだろ」

 

 というかそんなことよりあなた近い近い近いですよいつからそんなにパーソナルスペース狭くなったんですか。ともあれこの子の場合、身を寄せてきても顔以上に接近するパーツがないので気持ちまだ余裕があるとも言えるが。

 

 そんなこんなで反対側に身を引くと、ユキノは一瞬きょとんとしてマジマジ見てくる。それから何かに思い当たったのか軽く頬を染め、ぷいっと音が鳴るくらいの勢いでそっぽを向いた。なんだよその反応ちょっと可愛らしいなとか思っちゃったじゃないですか。

 

 と、その瞬間、反対側から異様な雰囲気を感じて震えが走る。そーっと顔をそちらへ向けると、パンがとってもいい笑顔を浮かべていた。なぜかグッとサムズアップまでしてくる始末。こいつマジで何考えてんだかわかんねぇな。

 

 真意の読み取れないスマイルに戦々恐々としていると、作業を終えたらしいアルゴの声が聞こえてきた。

 

「――でもって50層が9人っと。お待たせ、ハー坊。結果が出たゾ」

 

 ナイスタイミングだ、アルゴ。

 

「全部列挙するのも面倒だし、大体でいいよナ。ンー、結論から言うと、一番人数が多いのは45層で12人ダ。でもって43から47層が10人、あとは45層から離れるごとに人数が減る感じだナ。今いる50層は9人で、35層が6人。それ以下の層は一気に減って1人か2人になってるヨ」

 

 アルゴがウィンドウを見ながら言う。メモか何かに書き留めてあるのだろう。

 

「ってぇことは、45層のどっかの森が正解ってことか?」

「単純に考えたらそれが正解かもしれない。けど、たしか45層は――」

「フロア全体砂だらけの砂漠エリアだったな。どこかに秘密の森があるって線も捨てきれないが、いくらなんでもなぁ」

「砂漠の真ん中でクリスマスボスと戦うなんていうのはちょっと……」

 

 男連中が揃って首を捻る。彼らの言う通り、砂漠エリアの45層で仮にもクリスマスボスである《背教者ニコラス》が出現するとは考えづらい。

 

 女性陣もそれぞれ頭を悩ませている。こちらはユキノを中心にアスナとサチが議論を交わしているようだ。パンとアルゴも考えてはいるようだが、これといって思い当たることがないのか、口は開いていない。

 

「45層ではなさそうね。とはいえ、NPCの人数に何らかの法則性があるのは間違いなさそうだけれど」

「そこを中心に人数が減るってことは、45層にいるプレイヤーが一番の対象ってことよね。その条件って何なのかしら」

「暑いところにいる人に、今度は寒い場所で涼んで欲しい、とか?」

「いえ、45層付近の層にもそれなりの人数がいる以上、気候や地形なんかは関係がないのでしょう。もっと別の意味や条件があるのではないかしら」

 

 そこまでユキノが口にしたところで一つ思い至る。

 同時にパンもなにか思いついたようで、あからさまに表情を明るくした。

 

「ハイハイ、ワタシわかったかもー」

「俺もわかったわ、多分だけどな」

 

 一同の視線が集まる。それぞれの目には驚愕や感心、悔しさが滲んで見えた。特にそこの二人、ユキノさんにアスナさん、きみたち負けず嫌いが過ぎるから。そんな親の仇みたいな目で見ないでもらえる。

 

 小さくため息を吐いてから一度パンと視線を交わし、どちらが予想を口にするか伺いを立てる。すると笑顔で「Darlingに任せるよー」との答えが返ってきた。

 

 はいはい、任されましたよっと。

 では皆々様、不肖この比企谷八幡が答えと解説を申し上げてしんぜやしょう。ここ、次のテストに出るから、よく覚えておくように。

 

 

 

 

 

 

《to be continued...》

 

 







かつてない締め方になりましたが、以上第2話でした。
答え合わせは次話となります。

答えがわかったという方、SAO原作を読まれて知っているという方、どちらの場合も感想等でネタバレをするのは控えて頂けるとありがたいです。勝手ながらお願い申し上げます。

次回は答え合わせもありますので、なるべく早めに投稿できればと思います。それでは。



P.S
先日、本作はタイトルを変更しました。
その理由については活動報告の方に挙げておりますので、興味があれば覗いてみてください。大した理由ではないですが(苦笑)


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第三話:そのうち、野武士な彼にもわかる簡単な謎かけがたぶん見つかる

無人島を開拓していて遅くなってしまいました。すみません。

とはいえ、今作はシステムもクラフトも家具も衣装もBGMも全部最高ですね。河川工事や崖工事や道路整備をしていると時間を忘れてしまいます。



とまあ与太話はこのくらいにして。

第3話です。あまり話は進みませんが、よろしくお願いします。





 

 

 

 間もなくCM明けまーす。5秒前―。4、3、2、1……。

 

 ――はい。それじゃあ答え合わせの方ね、やっていきましょう。

 昨今アインクラッドを賑わしている『ニコラスサンタはどこに来る?』問題について、前回は各階層に点在するNPCの人数という切り口から読み解こうとしてきました。

 

 今回は解答編ということでね、《マイナー》のハチこと比企谷八幡が答えの方、解説していきたいと思います。よくよく聞いてね、理解してもらえればと思います。はい。

 

 なんて、まるでどこかの動画配信者みたいに与太話をすることで段取りを整理していく。ユーモラスに脳内会議を行うことで自分のどうしようもない部分を再確認出来て落ち着くことができるのだ。おい誰だ今どうしようもないって言ったやつ。

 

 そんなこんなで、こちらへ向けられている顔を見渡し、ゆっくりと解説を始める。

 

「例のクリスマスボスが出現するのはどこか。俺たちは今までNPCが口にした『モミの巨木』って情報をもとにボスの出現場所を探していた。けど現状、その木が何層のどこの森にあるのかすらわかってない。ここまではいいか」

 

 全員が無言で頷く。誰もが真剣な顔で、いっそ怖いくらいに睨んでくるやつもいて頬が引き攣る。あなたたちですよユキノさんにアスナさん。

 

「各層のNPCから得られる情報はほとんど同じもの。つまり、クリスマスボスを狙うすべてのギルドやパーティーは同じ条件で競っているわけだ。《聖竜連合》や《天穹師団》といった大ギルドでも条件は変わらない」

 

 そしてそれは《FBI》に関しても同じことが言える。だが情報に関してはアインクラッド随一の《FBI》でも、出現場所の特定には至っていない。

 専門家たちをも悩ませるというのなら、そこにはそれだけの理由があるに違いない。

 

「これだけ探し回ってそれらしいポイントは見つかってないんだ。こうなったらもうNPCの情報だけを頼りに探すだけじゃ見つかる可能性は低い。だから、目線を変える」

 

 言って、一同を見回す。

 首を捻るやつが多いなか、ユキノだけが納得したように頷いた。

 

「与えられた情報を活用するだけではなく、情報を流した側の意図を推察するのね」

「正解」

 

 そう言うとそれまでの鋭い視線はどこへやら、ユキノはテーブルの下で小さく拳を握った。ほんと、こいつの負けず嫌いっぷりはどこでもブレないなぁ。

 

「Darling? ユッキが可愛いのはわかるけど、そんなにジーッと見てたら話が進まないよ」

 

 ニヤニヤ顔のパンに言われ、ジトーッと睨んでくるいくつもの視線に気が付く。どれもが冷たく射竦めるような眼差しで、居心地の悪さを感じながら説明を再開する。

 

「んんっ、本来、クリスマスボスなんてのはアインクラッド中に知らせるべき情報だ。なにせ年に一度しかないイベントなんだからな。なのに、実際は情報を口にするNPCの人数には偏りがあった。イベントに関わるプレイヤーを局限しようとしていたわけだ」

 

 その理由について考えれば、おのずと見えてくるものがある。

 

「今回、《背教者ニコラス》の情報を口にするNPCの人数は45層が一番多かった。これはアスナが言っていた通り、45層にいるプレイヤーに一番話を聞かせたかったからだ。なら、なぜ45層なのか」

 

 言って、俺はアルゴへと顔を向けた。釣られてほぼ全員の視線がアルゴへと向かう。

 

「例の情報を口にするNPCは45層を中心に離れるほど減っていく。それは間違いないんだな?」

「ちゃーんと数えたからナ。間違いないゾ」

「45層から離れるほど減る。これはつまり、45層から離れるにつれてボスへの挑戦に推奨される条件を満たすプレイヤーの数が減っていくということだ」

 

 例えば、新しくオープンするスイーツ店が広告を打ち出すとする。内装も商品も可愛らしさを前面に出したものだったとして、じゃあ広告をどこに展開するか。

 当然、メインの客層となる若い女性の目に留まる場所だ。間違っても男ばかり集まるところに力を入れたりはしない。まったく宣伝しないかは経営側の方針次第だろうが、優先度は高くないはずだ。

 

 この場合、推奨される条件とは『可愛らしいものを好むかどうか』だ。

 男よりは女の方が可愛いものを好む傾向があるのが一般常識であり、だとすればより多くの集客を見込めるよう、女性の目に留まりやすい場所へ広告を集中するのは当然の戦略である。

 

 《背教者ニコラス》についての情報も、性質は違えど原理原則は変わらない。

 必要な情報を適正な相手に集中して宣伝する。今回は45層にいるプレイヤーが最適だったということ。だから件の情報を口にするNPCも45層が一番多く、離れるにしたがって減っていったのだ。

 

 じっと話を聞く彼らのうち、まっさきに口を問いかけてきたのはアスナだった。

 

「その条件って?」

 

 声音に棘はなく、眼差しに険もない。負けず嫌いっぷりはひとまず落ち着いたようだ。

 そっと息を吐いて、答える。

 

レベル(・・・)だよ。もっと正確に言うなら、安全マージンを考慮に入れたレベルだな。ボスの強さから考えて、推奨されるレベル帯のプレイヤーが一番多いのが45層だったってわけだ」

 

 そう言うと、どの席からも納得したような声が漏れた。

 

「なるほど、レベルか。それなら離れるほどNPCの数が減る――対象のプレイヤーが減っていくのにも説明がつく」

「気候や地形も関係ない、シンプルで判りやすい物差しね」

 

 キリトが頷き、アスナがそれに同意するように笑みを向ける。

 一方で、エギルやユキノは腕を組み思案顔を浮かべた。

 

「そうだとすると、ボスの強さは45層クラスってことか。俺たちだけで倒せるか、ちと微妙だな」

「それも問題だけれど、もう一つわからないことがあるわ。ボスの強さに関してはあなたの言う通りかもしれない。けれど、ならそのボスはどこに出現するのかしら」

「それについても、推奨レベルって観点から説明ができる」

 

 とはいえ、ユキノの問いに答えるにはひとつ認識の共有が必要となる。そしてそれは俺が自分で言うより、第三者の口から語られる方が望ましい。

 

「キリト、仮にお前がレイドを率いるとして、45層のボスを安全に倒そうと思ったら最低限レベルはいくつ必要だと思う?」

「はい?」

 

 そこで自分が呼ばれるとは思ってなかったのか、キリトは一瞬呆気にとられる。が、すぐに表情を改めると目を閉じ、ウンウンと唸ってから回答を口にした。

 

「……階層+10だとして、やっぱり55くらいじゃないか」

 

 さすがはキリトさん。百点満点な答えだ。お前ならそう言ってくれると思ったよ。

 

「そう。階層の数+10レベル。ボスという強敵を安全かつ確実に倒すなら、それぐらい必要だ。そしてそれはこのSAOがただのゲームだった場合でも(・・・・・・・・・・・・・)同じだろう」

「っ! なるほど、そういうことか。なら、ボスは45層クラスじゃなくて……」

 

 どうやらキリトはわかったらしい。ぶつぶつと独り言を呟いた後、すぐに「なるほどなぁ」と得心したように顔を上げた。

 

 その後、アルゴもわかったようで笑みを浮かべる。他の連中も頭を捻って考え込むが、それから後に続く者はなかなか現れなかった。

 仕方ないか。これがわかるのはネットゲームをそれなりにやり込んだやつだけだろうし。アルゴに関してはベータテスターだったってのが大きいだろう。

 

 あんまり待っていてもしょうがない。答え合わせの続きに入りますか。

 

「このSAOがデスゲームじゃなくただのゲームだったら、つまり命の懸かってない一般的なMMOだったとしたら、そもそも安全マージンなんてものは必要ない。それはわかるよな」

 

 自信のあるなしはともかく、全員が頷いたのを見て続ける。

 

「安全マージンがいらないとなると、大多数のプレイヤーが適正レベルギリギリかあるいは少し低いくらいで攻略に挑むだろう。経験値効率を考えて、挑戦する層の数字と同じくらいのレベルになってたはずだ。つまり本来のSAOなら45層にいるプレイヤーのレベルは45前後だったということになる」

 

 実際、ベータテストのときは無茶な挑戦もしていたらしい。適正レベル以下でボスに挑むこともあり、その場合はもれなく全滅していたんだとか。

 

「《ソードアート・オンライン》は本来『ただのゲーム』だった。当然、各層の難易度と同様、今回のようなイベント事に関してもそれを前提に作られてる。となれば、クリスマスボスであるところの《背教者ニコラス》の強さも予想することができる」

 

 と、そこまで言ったところでおずおずと手が挙がった。

 視線を送って促すと、ケイタは少し自信なさげに問いかけてきた。

 

「その理論でいくなら、ニコラスのレベルは45ってことになるんじゃないのか?」

 

 ご指摘はごもっとも。実際、その可能性も考慮に入ってはいた。

 しかし、この《ソードアート・オンライン》が一般向けに販売されたコンテンツだからこそ、より可能性の高い推論を導くことができる。

 

「言っただろ。『ただのゲーム』だって。言い換えるなら『ゲームであって遊びでもある』だな」

 

 キリトとエギル、クラインにアルゴといった連中が皮肉げに口元を歪めた。

 彼らの共通点といえばSAOをやる前からゲーマーだったということ。だからこそ雑誌やネットニュースなんかでよく似た言葉を知っていたのだろう。

 

 発言者はこのデスゲームの元凶となった男なんだが、ここでそれを明かして要らぬストレスを抱える必要もない。このまま話を続けていくとしよう。

 

「ゲームにはプレイヤー、つまり消費者がいる。企業は消費者を満足させることで対価を得られ、逆に満足させられなければ消費者――プレイヤーはゲームから離れていってしまうわけだ」

「……なるほど。そういうことだったのね」

「ああ。俺もわかった」

 

 この時点でユキノとエギルが答えに行きついた。残り7人。

 

「現実的に考えて、クリスマスっていう年に一度のお祭りに全滅前提の攻略を強いるなんてのはさすがに苦情が出る。ツリー探しの時点で(ふるい)にかけた上、難易度まで高いとなったらクリアはほぼ不可能だからな」

「あ……。そっか」

 

 今度はアスナが小さく声を漏らした。それからムッと悔しげに唇を引き結ぶ。

 これで残りは6人。

 

「《背教者ニコラス》を強くし過ぎると苦情が出る。かといって弱すぎても歯応えがないって文句を言われる。適度に強く、参加者が楽しんで攻略できる難易度にしなくちゃならないわけだ」

「けどよ、だったらボスのレベルは45より低いってことしかわからないんじゃねぇか?」

「だな。だからさっき言った安全マージンを参考にする」

 

 クラインの問いに頷いて、キリトへ視線を送る。ボスと戦うならどれくらいのレベルが欲しいか、キリトはその具体的な数字を挙げてくれた。

 

「ボスの出現場所を探すって謎解きをクリアしたパーティーやレイドに、ほどほどのスリルを提供しつつ倒してもらう。だからボスよりも高いレベルを持つプレイヤーを対象にしているわけだ。具体的には、10レベル上のプレイヤーたちを」

 

 そこまで言うと、「ああ」という声がちらほら漏れた。

 

「ここまでくればわかっただろ。SAOがただのゲームだったとして、45層を拠点にするプレイヤーよりもレベルが10低い敵の出る層はどこか。ついでに言えば、そこを皮切りに情報を語るNPCの人数が一気に減っている層といえば――」

 

 そこで言葉を切る。

 僅かな間の後、最後の一人(クライン)が興奮気味に答えを叫んだ。

 

「35層…………《迷いの森》か!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日は変わって12月24日。

 俺たちは例によって《月夜の黒猫団》のギルドホームに集まっていた。

 

 クリスマス仕様の飾りつけが施されたダイニング。テーブルにはポテチやクッキー、饅頭といった菓子類に加え、大皿に山と積まれたパンと人数分のグラス、ワインのボトルが並んでいる。

 

 それぞれの席の前には取り皿が置かれ、あとはメインのチキンとケーキが来ればすぐにでも始められる状態だ。顔馴染み連中で開催するパーティーの準備は三日前から行われ、食材の調達から雑貨の買い出し、ワインの選別まで手分けして用意してきた。

 

 すでに参加者は集合を終え、全員が静かに開始の時を待っている。

 チラッと時計を見れば、時刻は23時27分を示していた。開始予定は23時30分と決めていたのでもう間もなくだ。

 

 けどまあ、これから始まるのはクリスマスパーティーじゃあない。

 

 改めてダイニングを見渡してみる。

 

 キリトはクライン、エギルと三人で談笑している。主にクラインのボケにキリトとエギルが二人掛かりでツッコミを入れる形だ。平常運転だな。問題なし。

 

 続いて《黒猫団》のケイタ、ササマル、ダッカー、テツオの四人。彼らも笑顔で話をしていることからリラックスできているといっていいだろう。《攻略班》の一員になりつつある今、相応の経験を積んできた賜物か。

 

 逆に《風林火山》の6人は緊張しているのか、背筋を伸ばしてチラチラと視線を二か所に振っていた。視線の先を追ってみれば、なんてことはない、ただ女性陣を盗み見ていただけだった。

 まあアインクラッドでも随一の綺麗どころが揃ってるので仕方ないといえば仕方ない。余裕の表れと見做していいだろう。はい次。

 

 隅の方でパンと何やら商談らしき話をしているのはアルゴ。パンはともかく、アルゴは《連合》内でも後方支援なわけだし多少気を張るかもしれないと思ったが、表情を見る限り緊張の『き』の字もないようだ。ある意味いつも通りだな。

 

 最後にキッチンスペース。ここには少し前まで料理を作っていたユキノ、アスナ、サチの三人がいて、作業を終えた今はティーカップ片手に笑みを浮かべている。歴戦の2人はともかく、サチも一緒に料理を作ったことでいい具合に緊張が解れたようだ。

 聞こえてくる声から察するに、《料理》スキルに関する話をしているのか。ユキノは和食、アスナは洋食、サチはお菓子と、それぞれ得意分野が違うぶん意見交換でもしてるのかもな。

 

 和気藹々と過ごす一同。クリスマスという雰囲気に中てられている様子もなく、かといって変に緊張しているわけでもない。これなら何も問題ないだろう。

 

 と、そこで時計の表示が23:29から23:30に変わった。

 

「時間だ。そろそろ始めるぞ」

 

 俺が言うと全員が話を止め、ダイニングの開けた場所に集まってくる。

 クリスマスらしい楽しげな表情で、クリスマスらしからぬフル装備を纏って(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「《背教者ニコラス》かー。どんなやつなんだろうな」

「あれじゃないか。おとぎ話でいうブラックサンタみたいな」

「ってことは袋で殴ってくるのか。何系統のスキルになるんだろ」

「袋なら打撃系……。ならテツオと同じ《片手棍》?」

 

 ケイタたち黒猫団の男性陣はニコラスについて興味津々。けど、袋でソードスキルはさすがにないとハチマン思うな。

 

「《迷いの森》か。マップがなきゃあまず攻略できないらしいが、その点は?」

「抜かりないヨ。オイラはもちろん、キー坊とハー坊、ユッキ―にアーちゃんも持ってるからナ。あとクラインも持ってるんだったカ」

「ギルド全員で前に探索したことがあったからよ。そんときに購入済みだ。なんせハチのやつが持ってなくてえらい目に遭ったって聞いたからな」

「35層が解放されてすぐの日だろ。あのときはまだ《迷いの森》の仕組みがわかってなくて、ハチとユキノさんが迷子になっちゃったんだよなぁ」

 

 おい待て。なんか聞き捨てならない暴露が聞こえてきたんだが。

 

「なに勝手に人の恥ずかしい話暴露してくれちゃってるのお前。言うなっつったろーが」

「あ、そういえばあのとき、ハチとユキノさんがね――」

「んんっ! サチさん、それ以上はプライバシーの侵害だから止めてもらえるかしら」

 

 ユキノも一緒になってこれ以上の暴露を防ごうとする。が、既に手遅れだったらしい。

 

「ええー、いいじゃない話しちゃってもー。ワタシは聞きたいなー。Darlingとユッキがなにしてたのか♪」

「あ、私も聞きたい。教えてよ、キリトくん」

「んー、まあ本人たちの了承がとれれば」

「「いいわけないだろ(でしょう)」」

「ハハ、息ぴったりだな」

 

 並んで詰め寄るとキリトは苦笑いで口を噤んだ。

 これでとりあえずは一安心。かと思いきや――。

 

「そこまで言うと逆に聞きたくなってくるな。果たして迷い込んだ先でハチとユキノの二人はなにをしていたのか……」

「ちなみにこの件、アルゴは知ってるのか?」

「ああ、けどこのネタは2万コルだゾ」

「に、2万……」

「おいおいなんでそんな高ぇんだよ」

「そりゃあ口止め料をもらってるからさ。ハー坊から、ナ♪」

 

 全員の視線がこちらへ向く。当然だろう。個人情報漏らされるどころかそれで商売されかねないのに対策しないわけがない。

 

「くそー、2万か。出せないこたぁねぇが」

「言っとくが俺の資金力は53万だからな」

「どんだけ本気なんだよ……」

 

 バカ言え。こんなんじゃあ本気出したパンには2,3日で買われるぞ。まあ同じ場所で稼いでる分、値段を吊り上げることはできるが。

 まあ最終的には押し切られるだろうから、情報の存在自体をアイツに知られた時点でアウトと言っていい。

 

 それで弄られる未来を想像して身震いしていると、後ろの方からそれはそれは大きなため息が聞こえてきた。

 

「そろそろ出発しないと間に合わなくなるわよ」

「っと、そうだな。じゃあ行きますか。キリト、合図よろしく」

「俺がやるのか……。まあいいけど」

 

 キリトは一度苦笑いを浮かべるも、すぐに気を取り直して前に出た。玄関扉の傍まで来て一同を見渡し、いつもより大きめに声を張る。

 

「それじゃあみんな準備はいいか。合図でスタートするからな。5秒前。3、2、1……GO!」

 

 キリトが扉を開き、ダイニングを飛び出した。

 すぐ後にアスナが続いて、黒猫団の5人、クラインと風林火山の面々、エギルとアルゴが続々とダイニングを飛び出していく。

 最後に俺、ユキノ、パンの三人が走り出て、総勢19人のレイドは《アルゲード》の市中を駆け抜けていった。

 

 

 

 言うなればこれは他の有力ギルドを撒くための力業。年に一度の祭りに相応しい、傍迷惑な強行突破だ。

 今日に至っても監視の目がなくならなかったことから考え出された作戦で、要は『尾行される前にダッシュで逃げよう』という行き当たりばったりな策だ。

 

 本当は《回廊結晶》を使用して見つからずに《迷いの森》の最深部へ行くことも検討されたんだが、「いくらフラグmobのためとはいえそこまで手間と金を掛けて《連合》の仲間を欺くのはちょっと……」という主にキリトからの苦言もあってお蔵入りとなった。

 

 仕方ないので、《聖竜連合》や《天穹師団》が出した偵察要員を出し抜くことは諦め、せめて追いつかれないようにギリギリに出てダッシュで行こうという結論になったわけだ。

 

 そんなこんなで、俺たち19人は雑踏の中を駆け抜けているのである。

 道行くカップルたちを押し退け、群衆の合間を縫って転移門へ向かう行軍は、聖夜を楽しむ人々へ多大な迷惑を掛けていたことだろう。深くお詫び申し上げます。っしゃオラァリア充爆発しろ。

 

「ならあなたも爆ぜ散ることになるわね。ご愁傷様」

「おいなにさらっと人の思考読んでんだよ。なにきみエスパー?」

「その小悪党じみた顔を見れば大体予想がつくわ。不本意ながらね」

「アハハ! ユッキもDarlingのことよーくわかってるもんね!」

 

 すぐ後ろでじゃれ合う声を耳に留めつつ、俺は《アルゲード》の道を走るのだった。

 

 

 

 

 

 







以上、第3話でした。

今回の《背教者ニコラス》戦は割としっかり描いていく予定です。
SAO原作ではキリト氏が単独で打ち破っていたボスですが、拙作では複数パーティーで戦わせたいと思います。

それでは。


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第四話:こうして聖夜の試練は進んでいく

お久しぶりです。大変お待たせしました。
世はコロナの影響で自粛が求められる中、変わらず続く仕事に追われている内に一か月以上が経過してしまいました。

というわけで、御託は後にして4話です。
よろしくお願いします。





 

 

 

 

 

 

 アインクラッド第35層《迷いの森》の深部――。

 

 年に一度のクリスマスボスが出現するかもしれないポイント。その一つ前のエリアまで来たところで、先頭のキリトはようやく足を止めた。

 

「ふぅ、どうにか間に合ったな」

 

 時計を見てみれば、時刻は23時56分を示していた。

 最前線から15階も下の層とはいえ、黒猫団のギルドホームを出てからここまで30分弱というのは驚異的なタイムだ。邪魔なmobが出なかったのも運が良かった。

 

「どうやら尾行もないようね。目論見通りといったところかしら」

 

 ユキノが背後を見ながら呟く。目がぼんやり光っているのを見るに、《索敵》を使って確認しているのだろう。

 こいつのスキル熟練度は《連合》でもトップクラスだし、ユキノがいないと言うなら本当に誰もいないと見做していい。

 

 まあ、そもそもが尾行を撒くために取った手だったわけだしな。一介の偵察要員が単独ないし少数であの猛ダッシュに付いて来れるとは考えづらい。

 最前線に出られるほどの実力があって尚且つユキノやキリトにも見破れない《隠蔽》持ちのプレイヤーなら可能性は残るが、だとしても今から上司に報告してたんじゃ追いつかれる心配もないだろう。

 

「着いたばっかりで忙しいけど、ゆっくりしてる時間もない。事前の打ち合わせ通り、無理せず戦うってことだけ守ってくれ。でもって、帰ったらみんなで打ち上げだ」

 

 キリトの掛け声に各々が「おー」と腕を上げた。

 俺もこのノリには逆らわず、申し訳程度には腕を上げる。と、横合いから腕が伸びてきて手首を掴まれ、そのまま頭上高く持ち上げられた。

 

「Follow me, darling」

「ハイハイワカリマシタヨ」

 

 そのまま腕を引かれ、先を行く連中に続いて最終エリアへ足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 転移の光が収まると、目の前には見上げるほど大きな木が立っていた。灰色の天蓋へ向かって梢を伸ばす巨木は、広場の中央奥で静かに深緑を揺らしている。

 キリトやユキノ曰く、モミの木はその葉の部分が特徴らしいんだが、少なくとも俺には違いはわからない。

 

 本当にここで合っているのか。

 そんな疑問と少しの不安に応えたのは、木に近付いていくキリトではなかった。

 

「……あれ、何か聞こえない?」

「私も聞こえる。これは――鈴の音?」

 

 サチとアスナが呟いて辺りを見渡す。すると次第に、遠くからシャンシャンと音が聞こえてきた。

 鈴の音は周囲一帯、特に頭上から鳴り響いているようで、自然と全員の視線が持ち上げられる。

 

 段々と大きくなる音。加えて、雲もないのに雪が降り始めた。

 灰色の天蓋にしんしんと落ちる雪。静まり返った雪原に響くのは鈴の音だけで、不気味さの中にもどこか神秘的な印象がある。どう考えてもシリアス極まりない雰囲気だった。

 

 …………あれ、これもしかしてやばいんじゃね?

 

 おいおい、こうもガチガチな空気になるとか聞いてないぞ。誰だよ安全マージン込みで35層クラスとか言ったやつ。3パーティーいれば問題ないだろとかドヤ顔してバカじゃねぇの。こんな雰囲気の中で出てくるボスとか絶対ヤバいやつだろ。

 

 演出に飲まれて恐々としている間に、いよいよ鈴の音が大きくなってきた。

 再度顔を上げると、さっきまではただ天蓋が広がっていただけの空にスーッと光の線が伸びていくのが見える。まるで雪原に(わだち)が残るように、2筋のラインがまっすぐに伸びる。

 

 間もなく、その上を何やら大きな、そして奇妙な形のモンスターが駆け抜けていった。見ようによってはトナカイに見えないこともないくらいの微妙なデザインだが、多分トナカイなのだろう。角あるし。ソリ引いてるし。

 

 奇怪な見た目のモンスターが引くソリは、モミの巨木の上を通り抜けていった。おやっと思ったのも束の間、ソリから何やら大きな影が飛び出してくる。

 影は段々とその大きさを増し、そのままモミの木の前に落下した。

 

 雪が舞い上がり、視界が真っ白に覆われる。咄嗟に顔を庇っていなければモロに被っていただろう。現に被害を被ったらしいクラインが悶えている。

 一応、どれだけ雪を被ろうが、それが敵の攻撃でもない限りダメージはない。けど心境は別だ。痛覚がほとんどないSAOでも冷たさや寒さは変わらず残っているからな。

 

 そうこうしている間に打ち上げられた雪は落ち、視界がクリアになっていく。

 薄っすらと影が見え始め、その巨人のような体躯に息を呑むこと数秒。

 やがて靄が晴れ、そびえる巨体を目にした一同は声を失う――ことはなかった。

 

「えっと……何あれ」

「《背教者ニコラス》だろ。多分」

「…………なんか想像してたのと違う」

 

 ボスを見たアスナが不満げに呟く。

 あまりにあんまりな反応だが、悲しいかな、全面的に賛成だ。

 

 確かに威圧感みたいなものはある。5メートルは優にある巨体で、右手には鈍色に光る斧を持ち、赤く輝く目はギラギラと俺たちを見下ろしている。青白い肌も不気味さを増長させる一因となっているだろう。

 

 けど、他の様々な部分がそうしたシリアス風味を台無しにしていた。

 現にユキノやエギルの表情は苦々しく引き攣っているし、パンやアルゴなんかは腹を抱えて爆笑している。斯く言う俺も緊張感とやる気が急速に萎んでいっているしな。

 

 件の《背教者ニコラス》を一言で表すならこうだろう。

 

『女サンタのコスプレをした髭オヤジ』

 

 どう考えても変態だ。頭の先からつま先まで、あらゆる好意的な解釈(フィルター)を通して見たところで文句のつけようもない変態。あれをデザインしたやつは余程倒錯的な趣味をしているか、頭のネジが飛んでいるだろう。

 

 まあ、クリスマスという年に一度の祭りにひと時の笑いを提供しようとした線も捨てきれないが。現に何人かは爆笑しているわけだし。

 

 変態オヤジのニコラスはその赤い目で俺たち一同を見渡すと、建物の軋む音にも似た耳障りな雄叫びを上げた。不協和音っぷりも相まって滅茶苦茶うるさい。

 

 ギギギと鳴る音に顔をしかめていると、青ざめたおっさん顔の横に4本のHPバーが出現した。見た目のシュールさはともかく、れっきとしたボスなのは間違いないようだ。

 

「なんだか想像してたのとは違うけど、一応ボス戦だ。慎重かつ確実に行こう」

「あーはいはい。やりますか」

 

 キリトの声に、削がれたやる気をかき集めて応える。《クイックチェンジ》のスキルで槍を取り出し、ユキノとパンへ視線を向けた。

 ユキノはため息を吐き、パンは笑いを収めてから、二人も各々の武器を取り出して臨戦態勢を整えた。周りの連中もそれぞれ得物を取り、ニコラス爺さんへ向き直る。

 

 すると俺たちの動きを察してか、ボスが動き出した。

 例の不協和音を上げながら、右手の斧を振り上げ、叩きつける。

 

 雪の舞う派手なエフェクトと共に迫る衝撃波によって、戦端は開かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「次、薙ぎ払い来るぞ」

「任せて!」

「効かないよ、っと」

 

 エギルの指示の下、テツオとササマルが盾を構えてがっちり受け止める。二人は身体が少しだけ後退したものの、ダメージは僅かで体勢を崩すこともなかった。

 

 そうして受け止めた斧へ、横合いからエギルが走り込む。

 

「オラァ!」

 

 裂帛の声と共に青い光を引いて振りぬかれたエギルの戦斧は、ニコラスの手斧を大きく跳ね上げた。堪らずたたらを踏み、隙を晒す髭面のボス。

 

 明確に生まれた攻撃のチャンス。

 攻略の最前線で難敵と戦い続ける彼らが、それを見逃すはずもなかった。

 

「フルアタック一本!」

「行くぞお前ら!」

 

 右手からはキリト、アスナ、ケイタ、ダッカーの4人が。

 左手からはクライン率いる風林火山のアタッカー4人が。

 

 それぞれ持ちうる中でも強力なソードスキルを順番に叩き込む。一人の攻撃が入る毎にボスのHPがガリガリと削られ、ただでさえ青いニコラス爺さんの顔が真っ青になっていくようですらあった。

 

 そんな様子を少し離れた位置で眺めるのは、俺を含む攻撃要員の残り4人。

 

「やっぱ格下だとボスでも楽に戦えるナー」

「そうだな。変に事故ったりしなけりゃあこのままいけるだろ」

 

 アルゴの呟きへ呑気に答える。

 

 直前のシリアスな演出など不確定要素はあったものの、《背教者ニコラス》の強さは概ね予想通りだった。

 

 右手の斧による直接攻撃や衝撃波に加え、左手に抱えた大きな麻袋でも殴打を繰り出しては来るものの、どれもタンク役の防御を抜けるほどではない。

 エギルやテツオ、ササマルに風林火山から3人を加えた6人で問題なく受けきれる上、とある理由によりPOTローテを回す必要もない。

 

 攻撃に関しても順調そのものだ。四人一組のパーティーを3つ組み、うち2つが攻撃、1つが待機というローテーションで着実にダメージを稼ぐことができている。

 

 できれば全員で総攻撃を掛けたいところなんだが、でかいとは言っても人型で痩せぎすのニコラス爺さんへ12人が一斉に攻撃するのは難しい。

 なので待機中はさがって見てるしかないんだが、これはこれで楽できていいな。寧ろもうずっと休みでもいいんじゃないか。キリトもアスナも活き活きしてるし、交代する必要ないだろこれ。

 

 と、アルゴとの会話を耳聡く聞きつけた一名から冷たい眼差しが飛んでくる。

 

「そんなことを言って、危うく死にかけたのはどこの誰だったかしら」

 

 ダレノコトデスカネー。ハチマンワカンナイナ。

 

「まったく。あれだけ気を付けるよう言ったのに、案の定足を滑らせるのだから。キリトくんがカバーしてくれたからよかったようなものの……」

「be carefulよ、darling」

 

 二人掛かりで言われてはぐうの音も出ない。実際俺のミスだしな。お前らは保護者かと憎まれ口を叩きたいとこだが、余計な心配を掛けたことに関しては平謝りするしかない。

 

 仕方ないので顔を背けると、サチがくすくすと笑っているのが目に入った。そんなに滑稽でしたかそうですか。

 自虐的に口元を歪めていると、サチは笑いを苦笑いに変えて言った。

 

「ごめんね。けど、なんかおかしくて。いつも頼りになるハチが冗談みたいに転ぶんだもん。しかもユキノさんとアスナさんに脚を引っ張られて引き摺られて……ふふ」

「あーはいはい笑え笑え。自由に動けない分、好きなだけ笑っとけ」

 

 本人の希望もあるとはいえ、戦うのが苦手なサチにある意味一番危険な役目を負わせているわけだしな。

 

 そんな風に考えていると、サチはふっと口元を緩めた。

 

「ありがと。でもみんなの姿を見てるだけでも楽しいから。それにこうしてれば、私もちょっとは役に立ってるかなって思えるし」

「ちょっとなんてレベルの貢献度じゃないけどな」

 

 なんならこのレイドで一番の功労者と言ってもいい。

 

 今、サチは俺たち控えの攻撃メンバーよりも更に後ろに立ち、攻撃にも防御にも参加せず一人雪原に屹立している。

 とはいえ別に怖がって非難しているわけでも、ましてやサボっているわけでもない。

 

 表情は真剣そのもので、けれど過度な緊張はなく、泰然と戦場を見据えている。

 まっすぐ伸ばした両手で握るのは、石突きを雪に突き立てた槍の柄だ。穂先の形状はシンプルで、けれどその根元には華やかな意匠の旗が風になびいて揺れていた。

 

 そこはかとなく既視感のあるポーズだ。具体的には某サーヴァントの登場するゲームやアニメなんかで。そう思って見れば、服装や胸当ての形状もなんとなく似ているような……。タグ付けしなくて大丈夫かこれ。

 

 見た目の危うさはともかく、効果の方は破格の一言。なんせあの旗、レイドメンバー全員の能力を底上げする能力があるのだ。

 

 曰く、与ダメージと被ダメージをそれぞれ5%増減させ、一定時間毎に範囲内の全プレイヤーのHPを一定量回復するんだとか。タンク連中がポーションを必要としていなかったのはそれが理由だ。

 

 一方のデメリットとしては、ああやって旗を立てていないといけないこと、周囲20メートル以内にしか効果が及ばないこと。加えて範囲内に存在する敵mobのヘイト値を徐々に上げてしまう効果もあり、放っておくと四方から狙われてしまうという。

 

 とはいえ、それらを差し引いてもかなり有用な効力だ。

 聞けばこの旗槍は48層にある廃墟の砦で見つけたらしい。48層は主街区の《リンダース》からして欧州田舎風だったし、本当に元ネタの絡みで作られた武器かもしれない。

 もしかしたら製作陣に型月ファンがいるのかもな。だったら例の朱槍も出てくれないかねぇ。

 

 そんな超の付くレアアイテムと言えるあの旗槍。ただまあ、最前線で使うのは正直難しい。

 効果範囲の20メートルは強力なボスを相手にするには安全な距離とは言えないし、なにより旗持ちの一人はその間無防備になってしまうわけだからな。ヘイトを稼いじまう効果もあるし、危険な最前線ではデメリットが重すぎる。

 

 今回はボスのレベルが十分に低かったのと、ボスの攻撃手段がほとんど近接攻撃一本だったからこそ問題なしと判断されたわけだ。

 いざというときにはキリトが身を挺してでも守るつもりらしいしな。その台詞にアスナが笑みを引き攣らせていたのは見なかったことにしておく。

 

「なんにせよ、もし狙われるようならすぐ逃げろよ。ダメージ負ってまでバフ維持しなきゃならないほど切羽詰まった戦闘でもないんだ」

「うん。わかってる。心配してくれてありがとう」

 

 我ながらお節介な小言だという自覚があったものの、サチは気にした様子もなく素直に頷いた。

 

 ハァ。これだからこいつはまったく。そういう無邪気で純粋な笑顔がですね、多くの男子を惑わせることになるんですよ。中学生男子なら一撃だ。某K氏とかも被害に遭ってるわけだし。

 

「今がその戦闘中だということを忘れないでもらいたいわね、鼻の下伸び谷くん」

「いや忘れてないからね。というか語呂悪すぎでしょ。フルネームみたいになってるから」

 

 すかさず横から飛んできた言葉へ反射的に応えると、ユキノはフッと優しい笑みを浮かべた。おいやめろそんな目で見るんじゃない。

 

「これで今後は自己紹介に困らないわね。よかったじゃない。インパクトだけは絶大よ」

「それ以外が致命的過ぎるだろ……」

 

 相変わらずの舌鋒に思わずため息を漏らす。と、ユキノとの応酬を見ていたらしいサチ、パン、アルゴの3人が脇で何やら笑い合っていた。くすくすと、それはもう楽しそうに。

 

「……きみたち随分と楽しそうね」

「ふふ。そうかも」

「Yes. とっても楽しいよ、darling♪」

「ハー坊の周りはいつも面白いネタに事欠かないからナ」

 

 何がお気に召したのかはわからないが、3人ともがご機嫌でご満悦らしい。おいおい、そんな顔をされたら憎まれ口の一つも叩けないじゃねぇか。

 まあ、和気藹々としているところに水を差すのもどうかと思うし、深くは訊かないでおきますか。

 

 

 

 

 

 

 そんなことを考えていた時だった。

 

 

 

 

 

 

 ふと、俄かにボスの方が騒がしくなった。

 ワーワーと騒ぐ声が聞こえ、俺たちは揃って振り返る。

 

「ん? 何が……」

 

 俺はそこまで呟いて、けれど続く言葉は出てこなかった。

 開いた口が塞がらないとはこういう状況を言うのだろう。目の前に広がった光景にただただ目を見張るしかなかった。

 

「全員逃げろー!」

 

 切羽詰まったクラインの声。脱兎のごとく駆けるギルドマスターを追って6人の武者が続き、その後ろからはエギルとアスナ、そして黒猫団と最後尾にキリトの姿。そして――。

 

 《背教者ニコラス》と対峙していた14人の、その向こう側。

 そこには相変わらずの不協和音を叫ぶ変態髭オヤジが腕を滅茶苦茶に振り回していて。

 

 冗談みたいに大きな雪の壁――雪崩が濁流となって押し寄せてきていた。

 

 

 





以上、4話でした。



働きたくても働けない方も居られる中で、変わらず仕事を頂けていることをありがたいと思いつつも、それはそれとして働きたくないでござるとぼやく自堕落ですが、今後もエタらせることなく続けられたらと思います。

相も変わらずのマイペース更新が続くかと思いますが、今後ともお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。




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第五話:思いがけず、彼らの行動がもたらすものは

段々と暑い日が増えてきた今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
私は外出自粛にかこつけて、仕事以外は引き籠る日々が続いています。

とまあだらだらとした挨拶はこのぐらいにして。
第5話です。よろしくお願いいたします。





 

 

 

 

 

 

「全員逃げろー!」

 

 クラインの只ならぬ声色に思わず振り向く。

 そうして目に映ったのは狂乱状態のニコラス爺さんと、脇目も振らずに走るレイドのメンバー、そして真っ白い雪の濁流だった。

 

 十中八九、あの髭オヤジの仕業だろう。何がトリガーになったのかはわからないが、あんな雪崩攻撃をしてくるなんて事前情報にはなかった。

 

 こうした未知の攻撃に対する行動は一つだ。

 

「森まで走れ!」

 

 言いつつ、振り返って駆け出す。あの雪崩がどれほどの威力かわからない以上、巻き込まれるわけにはいかない。紙装甲の俺やアルゴなんかは余計にだ。

 

 談笑から一転しての即時後退。こういうとき、経験の差というのは大きい。

 慌てた様子もなく走り出すユキノはさすがといったところで、すでに先行しているパンも色々と場慣れしているためか動きに淀みがない。戦闘職ではないアルゴも、仕事柄逃げ足の速さは一級品だ。

 

 そんな中、サチだけは走り出しが遅れてしまっていた。

 俺たちと話していたせいで反応が遅れたのが一つ。加えて常より重い旗槍を支えていたことも要因の一つだろう。逃げようとして振り返ったまではいいものの、旗の重さに慣れていないせいか繰り出す足の回転が鈍い。

 

 あれじゃあ間に合わない。どうにか槍をストレージに仕舞えればいいが、ウィンドウを操作している余裕もないだろう。少なくとも通常の手段では無理だ。

 

「こっちで預かる。急げ」

 

 速度を落としてサチに並び、左手を差し出す。

 サチは戸惑うような表情を浮かべたが、すぐに旗槍を渡してきた。

 

「う、うん。でも、それけっこう重いよ」

「問題ない」

 

 旗を受け取ると同時、右手でウィンドウのショートカットコマンドを操作した。瞬間、手にしていた旗槍がストレージに収まり、代わりに出てきた投擲用の短槍を掴む。

 

「あ、そっか。《クイックチェンジ》で……」

「感心するのは後だ」

 

 言って、走るスピードを上げる。すでにパンとアルゴは森まで辿り着いており、ユキノももう間もなく着くというところだ。

 対して俺とサチの場所からはあと約30メートル。雪崩はもうすぐそこまで迫っていて、この分だと俺はともかくサチはギリギリ間に合わないか。

 

 仕方ない。ちょっと強引だが、手がないわけじゃないからな。

 

「サチ、掴まれ」

 

 言いながら槍を後ろ手に構え、ソードスキルを待機させる。

 突然のことに混乱した様子ながら、サチは素直に俺の左手を掴んだ。振り落とさぬようしっかりと握り込み、それからスキルを解放する。

 

 《槍》のソードスキルの一つ、《ソニックチャージ》。

 出の早い技が多い《槍》の中でも最速の突進技だ。射程は最大でも10メートル程だが、だからといってそこでぴったり足が止まるわけでもない。

 

「ひゃっ!」

 

 急な加速に、サチが悲鳴を漏らす。左手を握る感触が増え、しがみつくような体勢になったサチと一緒に雪上を高速で滑空する。

 背後から迫る雪崩を引き離しながら木立へ向かって突っ込んでいき――。

 

「Darling!」

「こっちへ!」

 

 突進の慣性で束の間のスキーを繰り広げた末、パンとユキノに受け止められた。

 そのまま木の下に駆け込み、《軽業》で枝の上へ飛び乗る。そこにはすでにアルゴがいて、彼女は《軽業》スキルのないユキノとサチをロープで引っ張り上げた。

 

 直後、足下を雪崩が勢いよく通り過ぎていく。

 

「ふー。間一髪だったナ」

 

 アルゴがしみじみと呟く。

 

 言う通り、あと数秒遅ければ誰かが巻き込まれていた。

 木々の間に入っても尚あの勢いだ。生き埋めになっていたのはまず間違いないし、下手をすればそのまま、なんてことにもなっていたかもしれない。

 

「で、他の連中は……」

 

 独り言ちつつ、眼下を見渡す。

 けれど目に映るのは白ばかりで、動くものといえば遠くヒイラギの下で首を振る《背教者ニコラス》のみ。

 

 まさかと思い、視線を左に運ぶ。レイドで戦うボス戦の場合、そこに各パーティーの平均HPが表示されている。

 

 幸い3本あるHPゲージはどれも8割方残っていて、それはつまりあの雪崩攻撃では一人も大ダメージを負っていない計算になる。派手な演出の割にダメージは大きくなかったらしい。

 

 とはいえ、誰の姿も見えないことから雪の中に埋まっているのは確実だろう。普段なら頭上に見えるはずのカーソルもないし、特殊な状態異常のような扱いなのかもしれない。

 

 

 まずは全員を掘り起こすのが先か。今のとこ毒みたいに継続してダメージを負ってる様子はないが、時間経過でどうなるかもわからないしな。

 自力で脱出できればいいが、そうできない場合を想定して動いた方がいいだろう。どちらにせよ、助けるやつがいた方が早いのは間違いないわけだし。

 

 と、そこまで考えたところでパンがボスを指差した。

 

「Darling、ニコラスが動きだしたよ」

「手当たり次第に攻撃されたら厄介だ。足止めと救助、同時進行で進めるべきだな」

「なら、私たち3人は足止めにあたりましょう。《挑発》の使えるタンクがいない以上、相手をするのが2人以下では支えきれないかもしれない」

 

 そう言ってユキノが木から飛び下りた。後に付いてパンも枝を下り、ユキノに続いて駆け出す。

 

 否やはない。ユキノの言う通り、タゲ取りが2人以下じゃあ、もしもダメージを負った際にスイッチで交代することができなくなる。

 そうなればどうしても攻め手は慎重になるし、ダメージが稼げないとタゲ取りはできない。必然、ボスは別のプレイヤーを狙いに行ってしまい、足止めの意味がなくなる。

 

 2人の後に続いて木を下りる。と、すぐ後ろの雪上に残る2人も着地してきた。

 

「オイラとサッちゃんで連中を掘り出して回るヨ。《索敵》もあるし、なんとかなるダロ」

「気を付けてね」

 

 飄々と語るアルゴはともかく、サチは不安げな表情だった。

 

 彼女が何を気にしているか大方の予想はつく。

 キリトたちがどこに埋まってしまっているのかわからない以上、捜索には時間が掛かるかもしれない。そうなればニコラス爺さんを抑える俺たちの負担は大きくなる。危険な目に遭う可能性も上がると、そう考えているんだろう。

 

 侮られているわけじゃないだろう。優しい彼女のことだ。憧れのユキノや仲良くなりたてのパン、あとはついでに俺のこともまとめて心配してくれているのだと思う。

 まったく。これでも一応、攻略班の端くれなんだけどな。

 

 晴れやかとは言えない表情を浮かべるサチ。その頭に手を乗せてぽんぽんと叩く。

 

「大丈夫だ。キリトが来るまでもたせる。任せとけ――っと、忘れるとこだった。ほら」

 

 ストレージから預かっていた旗槍を取り出して差し出す。サチは槍を受け取ると、なにやらぼーっとこちらを見上げてきた。何を言うでもなく、ただ呆然と見てくるだけ。

 

 あー、もしかしなくてもこれはやっちまったか。思わず小町相手に鍛えたお兄ちゃんスキルが発動しちまったが、いきなり触れられていい気はしないだろう。

 

「悪い。リアルで妹相手にやってたからつい、な。気に障ったなら謝る」

「う、ううん。別に嫌だったわけじゃないから」

 

 セクハラで黒鉄宮送りにされてもおかしくない行動だが、サチは苦笑いを浮かべただけだった。

 どうやらお咎めなしで許してくれるらしい。が、やはりいい気分ではなかったようだ。気を遣わせてしまったようで申し訳ない。

 

「悪いな。それで、全員引っ張り出した後はまたバフ掛け頼むわ。有るのと無いのとじゃ全然違うからな」

「うん。わかった。任せて」

 

 今度はちゃんとした笑みを浮かべたサチへ頼むとだけ伝え、俺もニコラスの方へ走り出した。

 

 

 

 先行したユキノとパンは左右から交互に《背教者ニコラス》へ攻撃を加えていた。

 どちらもダメージを負った様子はなく、ニコラスの足も止まっている。あとはこのまま的を絞らせないように攻撃して、キリトたちが復帰するまでの時間を稼げばいい。

 

「随分と遅かったのね。足が速いのが売りではなかったの?」

 

 追いついた俺へ、肩越しに振り返ってユキノが嫌味を口にする。

 挑発的な言動とはいえ、実際俺が悪いので文句は言えない。

 

「悪かったよ。ちょっとお兄ちゃんスキルが暴発してだ、なっ!」

 

 言いながら槍を突き出す。単発技の《スラスト》でニコラスの注意を逸らし、ユキノが間合いから出たところで俺自身も大きく跳んで距離を取った。

 

 続けてパンが懐に潜りこんで二連撃技のソードスキルを打ち込む。脇から攻撃されたボスはすかさずターゲットをパンへ移すも、顔を向けた瞬間にはユキノの突進技を受けてたたらを踏んだ。

 

 続けて攻撃するべく槍を構える。と、ちょうど跳び退ってきたパンが何やら困った顔で呟いた。

 

「Hmm……。Darlingってばすぐ女の子をドキドキさせちゃうからなー」

 

 危うくソードスキルが途中でキャンセルされてしまうところだった。

 というか、え、あいつの中で俺はそんなキャラなわけ?

 

「ボッチの俺にそんなキリトさんみたいな真似ができるわけないだろ。さっきのも、ただちょっと頭を撫でただけで――っとと」

セクハラな上にトドメじゃないそれ

 

 ユキノが何やら呟いたが、斧を避けるのに集中していて聞こえなかった。まあセクハラって単語は聞こえたから、多分いつもの罵倒コレクションだろう。

 

 一方、パンはパンで何やらぶつぶつと呟いていた。

 

「やっぱりそうなっちゃうのかな。だとしたらそのうち……でも……」

 

 何が『やっぱり』で『そう』なっちゃうんですかねぇ。あと、できれば早いとこ攻撃してもらいたいんですが。そろそろポーチのナイフがきれそうなんで。技繋げらんなくなっちゃうから。早く、お願いだから。

 

 内心で懇願していると、不意にパンは勢いよく顔を上げ、拳を構えた。

 クリムゾンレッドに輝く右手。いつにない真剣な表情。そうして僅かな溜め時間を終えた後、パンは強く雪を蹴ってニコラス爺さんへ跳び込んだ。

 

「もう、Darlingはワタシたちとあの子、どっちが大事なの!」

「いや、『ワタシ』ならともかく『ワタシたち(・・)』ってなんだよ」

 

 叫びながら弾丸のように突っ込むパン。ツッコミは雪に解けて消え、彼女は構わず飛翔する。

 間もなく、派手な衝撃音とエフェクトを伴い、髭オヤジの腰元へ彼女の右腕が突き刺さった。ナックルのソードスキルの中でも特に強力な単発重突進技、《デッドリー・ブロウ》だ。

 

 八つ当たり染みた一撃ながら、威力は推して知るべし。俺と同じAGI極振りで最低限のSTRしか持たないにも関わらず、《背教者ニコラス》のHPがごっそりと目に見えて減少している。

 

 見た通りの大技であるこのソードスキル。それだけ使用後の硬直は長く、本来なら威力に見合ったリスクがあるはずなんだが、パンが使う場合は例外となる。

 

 ニコラスが反撃とばかりに麻袋を振りかぶる。通常、ソードスキルの技後硬直の只中にあるパンにこれを避けるのは不可能。さっきのような大技であれば尚更だ。

 

 けれど、パンは迫りくる攻撃をもう一度懐に潜りこむことで回避した。スキル後硬直を《体術》スキルでキャンセルし、モーションの挙動を妨げない範囲で前進、溜めた脚(・・・・)で爺さんの膝を蹴りぬいた。

 

 自分よりもでかい相手に蹴撃を加えたパンは、反動でふわりと浮き上がる。そうして空中で体勢を整えたパンはそのまま拳を構えたかと思うと、ちらりとこちらへ視線を寄越し、斯くもステキなウィンクを飛ばしてきた。

 

 はいはい。わかりましたよっと。

 

 俺は槍を雪に突き立てながら、スイッチのためにニコラスへ迫るユキノへ一言を言い添える。

 

「デュラハンの時と一緒だ。浮かせ(・・・)!」

 

 どうやらそれだけで通じたらしく、ユキノは直前までの構えを変え、薄赤の軌跡を引いて飛び込んでいった。

 

 《カタナ》のソードスキルの一つ《浮舟》。下段から掬い上げるように斬ることで敵を空中に撥ね上げる技だ。

 浮かせる高さは使用者のSTR(筋力)と対象の重量から決まるため、いくらSTR値がそれなりに高いユキノといえど、全高5メートル近い《背教者ニコラス》をそう高く打ち上げることはできない。

 

 とはいえ、狙いは地面から足が離れること。ほんの数十センチでも浮かせることができれば目的は達成されるのだから。

 

 ほんの僅か、雪上約30センチの高さまで浮き上がったニコラス。一瞬しかない滞空時間ではあるものの、すでに構えを取っている彼女にしてみればタイミングを計るのは簡単だっただろう。

 

「Burning Love!」

 

 某戦艦娘のセリフを叫んだパンは空中でソードスキルを発動、金色に輝く拳で爺さんの額を打ちぬいた。

 これには堪らず、《背教者ニコラス》の巨体が後ろ倒しに雪へ沈む。もれなく《転倒》の状態異常となったニコラス爺さんはもぞもぞと雪の中でもがくばかり。

 

 一方で、攻撃したパンの方もスキル後の硬直に縛られながら落ちてきた。足場のない空中では《体術》も《軽業》も使えず、硬直のせいで体勢を立て直すこともできない。このままだと爺さんと同じ末路を辿るだろう。

 

 まあ、そうならないために槍を置いたんだけど。

 

「――っと、危ねぇ」

「Thanks, Darling♡」

 

 落ちてきたパンをどうにか受け止め、小さく息を吐く。俺のSTRじゃギリギリだったから危うく落としそうになったが、どうにかお望みに応えることができた。

 

 満面の笑みを浮かべるパンを下ろす。が、パンは首に回した手を放そうとせず、すりすりべたべたと擦り寄ってくる。おいバカやめろ押しつけるないい匂いだなとか思っちゃうでしょうが。

 

「せっかくの機会を無駄にするつもり? あなたたちも早く攻撃しなさい」

 

 パンはユキノから呆れた声と冷たい眼差しを向けられてようやく俺を解放した。ただ悪びれる様子はなく、ホクホク顔で返事をし、ニコラスへ向かっていく。

 この切り替えの早さ、喜んでいいのやらどうやら。軽くため息を吐いたところで、身の竦むような視線を感じる。

 

「何を呑気に呆けているのかしら。あなたも行きなさいほら早く」

「はいはい。今行きますよっと」

 

 今のは俺が悪いのかとか、そういうお前は行かないのかとか、色々と口を衝いて出そうになる言葉はあったものの、そこは短くない付き合い。しっかりとお口にチャックをして頷いた。

 ともあれ俺も槍を手に一撃加えるべく走り、ボスの背中側へ回り込んで重ためなソードスキルを撃ち込んだ。

 

 そんなこんなで3人ともが二回ずつソードスキルをお見舞いしたところでニコラスの《転倒》状態は解除され、髭オヤジが立ち上がった。

 むくりと緩慢な動作で立ち上がるニコラス爺さんを見ながら、近くに寄ってきたプレイヤーに向けて呼び掛ける。

 

「さて、奴さんのHPもあと一本弱。いい加減、さっさと終わらせて帰ろうぜ。なあ、キリト」

「ああ。ダメージはない代わりに随分凍えさせられたからな。寒くなった分、ガンガン攻撃して身体温めないと」

 

 肩回しをしながら応えたキリト。お馴染みの黒コートやブーツ、果ては頭にも所々雪が付いていて、雪崩に飲み込まれた名残が見受けられた。

 キリトの後ろにはアスナが居り、彼女の方はキリトほど雪に塗れた様子はない。

 

 しかし、なんだろう。アスナのやつ、なんか妙だな。

 見た目よりも大人びていながら、折に触れて年相応の面も見せるのが彼女の特徴だ。普段のあいつなら、生き埋めにされた恨み言の一つや二つ口にしていてもおかしくない。

 

 にもかかわらず、今のアスナは何やらしおらしかった。右手で左肘を抱え、恥ずかしそうに俯いている。心ここにあらずといった様子で足下に視線を送っている姿には違和感を覚えずにはいられない。

 

 そんなアスナの異変を目にしてユキノが声を掛けないわけがなかった。

 

「アスナさん、どうかした?」

「ひゃい! あ、いえ、なんでもないです。なんでもないですよ、アハハ……」

 

 誤魔化すように笑うアスナ。その頬はわかりやすく朱に染まっており、凍えたらしい割には熱そうに――火照って見える。

 見るからに何かあった感じなんだが、そこんところどうなんですかねぇ。

 

 チラッとキリトへ視線を送ると、キリトも何やら恥ずかし気に頬を掻いていた。

 この反応を見れば大体察しがつく。大方、何かしらのラッキースケベイベントでもあったのだろう。さすがキリト氏は主人公の素質に溢れていらっしゃる。

 

 アスナは未だ赤い顔のまま大袈裟に咳ばらいをした。

 

「ンンッ! もう、今はそれよりボス戦でしょ。あとちょっとなんだから、早く終わらせちゃいましょう」

「いや、それさっき言っ――」

 

 そこまで口にした瞬間、一瞬で目前まで迫ったアスナに胸元を締め上げられた。

 間近から見上げてくるアスナの表情は笑顔で、けれど目は完全に据わっていた。

 

「何か?」

「……なんでもないです」

 

 おいおい、なんだよその視線だけで人が殺せそうな目は。怖えよ。あと怖い。

 

 年下の少女の威圧にあっさり白旗を揚げ、間もなく解放される。鼻を鳴らして振り返るアスナを見送り、小さくため息を吐いた。

 ほんと、美女ってのはどうしてこうも迫力があるのかねぇ。

 

 向こうからはもう完全に立ち直ったらしい《背教者ニコラス》が一歩ずつのっしのっしと迫ってくる。が、特に緊張や高揚といったものを感じたりはしない。

 

 キリトとアスナが戦線復帰した以上、3人で戦うよりも楽になるのは明白だ。他の連中も間を置かずに戻ってくることを考えれば尚更。

 そもそもが左程苦戦することもなく戦えていたのだ。雪崩攻撃という大技を凌いだ以上、撃破は間もなくといったところか。

 

 さっさと倒して帰ってメシを食おう。一応、せっかくのクリスマスなわけだし。

 どうせ明け方近くまで騒ぎに付き合わされるんだろうが、まあ偶にはそんな日があってもいいだろう。そうでなくてもどうせ昼近くまで寝てるだけだろうし、攻略ペースに変わりはない。

 

 槍を軽く振って握り直し、ボスへと視線を送る。

 

 ユキノがいて、パンがいて、キリトとアスナも合流した。

 あの時からおよそ1年。奇しくも第1層のボスへ挑んだパーティーメンバーが揃っていた。

 

 

 

 

 

 







以上、第5話でした。
クリスマスパートはもう1話だけ続くんじゃよ。



お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、先日拙作の原作欄を「俺ガイル」から「SAO」に変更させていただきました。
私はこれまで、私なりの解釈というか拘り的な部分から「俺ガイル」を原作として貫いてきたのですが、運営サイドからのご忠告もあり変更する旨となったことをご報告いたします。

というわけで、原作欄は変更になりましたが、今後とも気長にお付き合い頂けたらと思います。


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第六話:こうして、女だらけのお祝いが始まる(男もいるよ)


女性陣が張り切ってしまったせいで文字数嵩んでしまいました……。
そのお陰か、後半は糖分マシマシになってます。



また、今回は出張前に駆け込みで書いたので描写が足りない部分があるかもしれません。ご容赦ください。



というわけで第6話です。よろしくお願いします。








 

 

 

 

 

 

 槍を構える。《背教者ニコラス》を正面から見据えて、踏み込むタイミングを計る。

 半円状に取り囲んだ右側面からはキリトが斬り込んでいて、ニコラスの気が逸れた隙に左前のパンが後退している。

 次に打ち込むのは俺で、その後にユキノ、アスナと続く段取りだ。その後はまたパンに返り、キリト、俺、ユキノ、アスナと続けた後、またパンに戻り……と、その繰り返し。

 

 5人の中に爺さんの攻撃をガードしきれるタンクがいない以上、比較的安全に攻撃するにはスイッチは必須。でもって、5人もアタッカーがいるなら連続してスイッチし続ければいいじゃないと考え出されたのがこの陣形だ。

 さすがに最前線のボス相手にやるのは危険だが、紙耐久の俺でも2発は耐えられるニコラスの攻撃力なら万が一にも逃げられるからと実行に至った次第である。

 

 今の陣形は中心に《背教者ニコラス》を見据え、時計でいう0時の位置に俺、1時半にアスナ、3時にキリト、9時にユキノ、10時半にパンがいるといった配置。

 ニコラスの体格的に同じ方向から攻撃するのは難しいので、入れ替わり立ち代わり別の方向から攻め込んでるってわけだ。

 

「ハチ!」

「はいよ……っと!」

 

 ボスの目がキリトへ向いた瞬間、《チャージスラスト》を脛のあたりに打ち込む。続けて回し蹴り技の《水月》でもう一度脛にダメージを与えると、爺さんのHPがわずかに減少し、呻き声を上げながらこちらへ視線を向けてきた。

 普段なら《水月》の後にもう一度《槍》のソードスキルを使うか、そのまま《軽業》スキルで逃げるんだが、今はそのどちらも必要ない。

 

 視界右側、ニコラスから見れば左側面から、刀を構えたユキノが走り込んでくるのが見えた。彼女はそのまま間合いに進入し、待機させていたソードスキルを発動する。

 変則の縦斬り技《幻月》。予備動作の間に上段か下段のどちらかへ動きを変えることができる、対人戦にはもってこいのフェイント技だ。ニコラス爺さんを相手取っても腕を掻い潜るか、それとも飛び越えるかを柔軟に切り替えられる。

 

 果たして、ユキノは左腕を掻い潜り、膝から腰まで届く逆袈裟斬りを放った。一撃で俺の倍以上のダメージが入り、ニコラスは何度目とも知れない呻きを漏らす。

 

 ダメージが大きくなれば、それだけリアクションも大きくなる。よろめく爺さんの前から悠々と離脱して安全な距離まで退避した俺は、相変わらずの攻撃力に舌を巻いた。

 

「ほんと、デタラメな攻撃力だなあいつ。火力お化けのキリトと変わんねぇぞ」

「ユッキはほとんどの攻撃をcritical hitさせちゃうからねー」

 

 呟くと、少し離れた先でパンが苦笑いを浮かべた。

 戦闘中でちょいちょい呻きが聞こえてくるとはいえ、基本的には静かな雪原だ。3メートルほどの距離じゃあ小さな声も耳に届くのだろう。

 

「ワタシ、今のユッキには勝てないなー」

「俺だって勝てねぇよ。というか、あいつとまともに戦えるやつなんてほとんどいないだろ。キリトを含めても数人じゃねぇの」

 

 片や鋭い観察眼で攻撃を見切り、小さな隙にクリティカルを刺し込むユキノ。

 片や驚異的な反射神経で攻撃をいなし、重たい攻撃を次々に叩き込むキリト。

 

 瞬間火力ではユキノに、DPSではキリトに軍配が上がるだろう。そうしたスタイルの違いはあるが、いずれも攻撃力の高いダメージディーラーだ。短期決戦となるのが大半の対人戦に強いのは間違いない。まあ、ごく一部例外はいるが。

 

 「I think so too!」と応えたパンはそのまま駆け出し、拳での2連撃に加えて前方宙返りからの踵落とし、最後に落下を利用しての叩きつけをニコラスの膝へ浴びせた。

 

 うんうん、そうは言うけど、きみも負けてないからね。

 今の、《ナックル》と《体術》、でもってもう一度《ナックル》を繋げてるんだよなぁ。途中まったく硬直した様子がないとか、どんだけスキル繋げるの上手いんだよ。毎度毎度神経使ってる俺とは大違いじゃねぇか。

 

「何度見てもすごい連携よね。あれでずっと最前線から離れてたんだから、私、自信失くしちゃいそう」

 

 交代で戻ってきたアスナがしみじみと呟く。表情には呆れが、口元には苦笑いが浮かんでいて、言葉通り複雑な心境なのだろう。

 

 けれど一つ言わせてもらいたい。

 

「いや、お前も大概だからな。なんだよアレ。その剣、分身でもしてるの?」

「分身? するわけないでしょ」

 

 いやわかってるよそんなの比喩に決まってるだろ。だからそんな汚物を見る目で「何言ってるんだコイツ」って顔するのはやめてもらえませんかね。うっかり死にたくなっちゃうんで。

 

 当然、剣が分身するわけがない。ただそう見えるくらいに速くて、速すぎて、剣筋を目で追うことができなかっただけだ。

 それでもダメージエフェクトは認識できるため、ほとんど同時に複数個所で発生するそれから『見えない剣が何本も爺さんのふくらはぎを貫いた』ように見えたってわけ。

 

 改めてこの面子の異常さを身に染みて感じる。

 キリトのやつは言わずもがなの火力お化けで、ユキノはクリティカル製造機、消える魔剣のアスナに、パンは非常識が服着て歩いてるようなもんだ。

 こいつらに比べれば俺なんてただ足が速いだけのマイナー。影の薄さは《ステルスヒッキー》の名を欲しいままにしているし、なんなら埋もれて気付かれないまである。

 

 まったく、第1層のときからじゃ考えられないな。強くなるだろうと予想はしてたが、こんな怪物揃いにまでなるなんて誰が思うかよ。

 

「ほんと、頼もしいことで」

 

 独り言ちて、槍を構える。

 今はキリトが斬り込んだところで、次は俺が攻撃する番だ。

 

 せめて足手まといにならないくらいには働かないとな。

 使い慣れた突進技で一撃を入れつつ、さっきまでよりは少しだけ気合を入れて攻撃を繋げていく。《槍》から《体術》へ、追加でもう一つ《槍》を突き入れたところでユキノの一撃が決まった。

 

 交代して退がる。

《背教者ニコラス》のHPを見ると、ちょうど減少が止まり赤く染まったところだった。

 

 あと少し――。

 そう思った瞬間、ニコラスが動いた。

 

 右手の斧を振りかぶり、刃先が頭の後ろにきたところで止まる。ぐっと力を溜めるような間があり、やがて両の赤い目がこちらを捉えた。

 

 アレはヤバい。

 そう直感した瞬間、雪を蹴って思いっきり横へ跳んだ。

 

 寸での所で斧がブーツを掠め、粉塵を巻き上げて背後の雪原へ突き刺さった。危うく大ダメージを受けていたところだ。間抜けな顔して偶に本気で危ない攻撃してくるのやめてくれませんかね。

 

 斧を投げ捨てたニコラス爺さんはその後、徐に腰を落とすと左手に持っていた麻袋を物色し始めた。明らかに隙だらけなんだが、あれ多分攻撃しても無駄だよな。

 

 試しにナイフを投げてみるも、紫色の障壁に阻まれてしまう。

 案の定、システムで守られていて攻撃が通らないらしい。

 

 まあ驚くほどのことでもない。以前からこうした挙動のボスはちょいちょい居たし、タイミング的にもHPが赤く染まったから何かしらあるかもとは思っていた。

 

 爺さんは袋からよく分からないモノを取り出しては矯めつ眇めつ眺め、首を捻っては捨てるという行動を繰り返している。この時間、特に何かあるわけでもなさそうだ。

 

「とりあえず小休止ということかしら」

「かもな。オッサンはあの調子でゴソゴソやってるし、ダメージが入る様子もない。態勢を立て直す時間を与えるっていう製作者の配慮かもな」

「いまいち信用できないんだけど、ダメージが入らないんじゃしょうがないわね」

 

 不満げなアスナに苦笑いを浮かべるキリト。

 ふと、そのキリトがアスナの背後に視線を送り、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

「けど、お陰でこっちも戦力が整った」

 

 釣られて振り返り、どうにか間に合ったかと胸を撫で下ろした。

 

「悪ぃな。待たせちまった」

「しゃあ! この借りは万倍にして返してやるぜ」

「遅れてごめん。加勢する」

 

 エギル、クライン、ケイタの3人だ。続けて風林火山の連中や黒猫団の面々も並び立つ。

 最後にヤレヤレと首を振るアルゴと、旗を持ったサチが駆けてくる。

 

「みんな大丈夫だよね。間に合ったよね」

 

 不安を湛えた表情で駆け寄ってくるサチを見て、思わず笑みが浮かんだ。

 あれだけ大丈夫だと言ったのに、ほんと心配性だな。

 

「問題ねえよ。というわけで、例のバフ掛け頼むわ」

「うん……! 任せて」

 

 サチは大きく頷くと旗を掲げ、それから地面に突き立てた。

 石突きから波紋が広がっていき、足下を抜けたプレイヤーの身体がぼんやりと光る。同時に視界左上、HPバーの上に旗のマークのアイコンが表示された。

 

 これで攻防がより有利になるし、HPも勝手に回復する。至れり尽くせりだな。

 

 さてと一つ息を吐いて振り返る。と、ユキノたち4人が驚いたような表情でこちらを見ていた。いったいなんなのよ、きみたち。

 

 訳がわからないので睨み返してやると、それで我に返ったのか全員がぱちくりるんと瞬きをする。

 それからアスナはジト目を、ユキノは極寒の眼差しを、パンは苦笑いを返してきて、唯一キリトは穏やかな笑みを浮かべて頷いていた。なにこれ。

 

「よし、じゃあ全員揃ったことだし、ラストスパート、やってやろうぜ!」

 

 何やら得心顔で張り上げたキリトの号令へ、一同は銘々に応える。

 そして『いざボス討伐へ!』とばかりに振り返り――。

 

 目を丸くして息を呑んだ。

 

「えっと……何あれ」

「ベル、だよな。多分。音鳴ってるし」

「…………ほんと何なのこのボス」

 

 何なんだろうね。製作者の悪ふざけかな。あるいは頭のネジが何本かぶっ飛んでる。

 

 爺さんが右手に掴んでいたのは金色に輝くベルだった。

 ご丁寧にリースやらで飾りつけられた華やかなやつで、ニコラスは目玉をギョロギョロさせながらベルをかき鳴らしていた。

 

 シュールすぎてどう反応していいかわからない。爆笑してる若干名を除いた全員が微妙な表情を浮かべている。直前まで満ちていたやる気が急速に萎んでいくのがわかった。

 

 いや、確かにサンタとかクリスマスとかのイメージには合ってるが、だとしてもここまで来てそれを出してくるか。さっきまで斧振り回してたんだぞあいつ。

 

「……あー、気を取り直して、ラストスパート、頑張ろうぜ」

 

 微妙な雰囲気をとりなすようなキリトの言葉に、それぞれが武器を構え直す。

 

 そうして始まった最後の攻防は、戦闘というより八つ当たりに近いものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって、第50層主街区《アルゲード》の黒猫団ホーム。

 

 無事《背教者ニコラス》を討伐した俺たち一行は勝利の余韻に浸る間もなく、他のギルドの偵察員に見つかる前にと転移結晶で《アルゲード》まで戻ってきた。

 すでに深夜1時を回っていたものの、予定通り打ち上げ兼パーティーをしようと《月夜の黒猫団》のギルドホームに集まったところだ。

 

 一同が装備をストレージに収め身軽な格好になったところで、幹事役のエギルが前に出てバリトンボイスを張り上げる。

 

「全員グラスは持ったな。それじゃあ、イベントボス討伐お疲れ&――」

 

「「「「「メリークリスマス!」」」」」

 

 唱和された祝詞と共にグラスが合わされる。

 途端にワイワイガヤガヤと喋り始める面々。隣近所との談笑は盛んで、つい先刻まで《背教者ニコラス》と戦っていたこともあり話題には事欠かないようだ。

 

「Merry Christmas, Darling, Yukki!」

「おう」

「メリークリスマス」

 

 パンとユキノとグラスを合わせ、スパークリングワイン(風味の炭酸水)を口に運ぶ。瞬間、ブドウの渋みと仄かな甘味、そして強めの炭酸が疲れた身体に染みわたった。

 

「お、けっこういけるな、これ」

「ええ。後味もさっぱりしていて、とても美味しい」

「ンー! It’s tasty!」

 

 ユキノは頷き、パンも頬に手を当ててため息を漏らす。以前パンに連れられて行ったバーで飲んだウィスキーもどきは辛すぎてダメだったが、これなら美味いと思えた。

 

「これ、どこで手に入るのかしら」

「エギルが持ってきたモノだからな。あとで訊いてみればいいんじゃないか」

 

 各テーブルに2,3本ずつ並んでいるワインはエギルが仕入れてきたものだ。手に入れるまでそれなりに苦労したとか言ってたが、今回は折角のパーティーということで差し入れに持ってきたんだと。

 

 そんなこんなで3人揃ってワインに舌鼓を打つ。

 パンからのちょっかいに耐え、ユキノとは言葉遊びを繰り広げ、時折飛んでくるやっかみを受け流す。合間に料理とワインを味わって、クリスマスの宴会は進んだ。

 

 そうして1時間ほどが経った頃。

 

「そうそう、ちょっとDarlingに相談なんだけどねー」

 

 ふと、囁くような声でそう言って、パンがストレージから何かを取り出した。あまり見られたくないものらしく、膝の上に直接ブツを置かれる。

 

「これ、checkしてくれる?」

 

 どうやらユキノは聞こえないふりをしてくれるらしい。一瞬だけ視線を送ってきた後、グラスにワインを注いでそちらへ集中し始めた。

 

「はいよ。というか、ストレージは共有されてんだから出さないでもよかったんじゃね」

 

 言いつつ、渡されたモノを見てみる。

 薄青い玉石を金属の枠が囲んだ見た目の小さな宝石系アイテムだ。名称は《環魂(かんこん)聖晶石(せいしょうせき)》。それで、効果は――。

 

「っ……」

 

 アイテムの説明欄を読んだ俺は言葉を失った。

 パンも珍しく神妙な顔でこちらの反応を窺っている。

 

 そこにはこう書かれていた。

 

【このアイテムのポップアップメニューから使用を選ぶか、あるいは手に保持して《蘇生:プレイヤー名》と発声することで、対象プレイヤーが死亡してからその効果光が完全に消滅するまでの間(およそ十秒間)ならば、対象プレイヤーを蘇生させることができる】

 

「……噂は本当だったのか」

 

 《背教者ニコラス》の出現が囁かれ始めたとき、同時に流れ始めた噂があった。

 曰く、『ニコラスの大袋の中には、命尽きた者の魂を呼び戻す神器さえもが隠されている』と。

 ガセネタだと思い信じてはいなかったが、実物を前にしてはそうも言ってられない。

 

「Darlingはどう思う?」

 

 具体的な部分を一切伏せられた問いに、腕を組んで考える。

 

 蘇生アイテム。

 通常、RPGにおいては割と一般的な存在であるアイテムだが、このSAOにおいてはその希少価値も貴重さも段違いだ。

 理由は言うまでもない。制限時間こそ設けられちゃいるが、それで人一人の命が救えるとなればどんなレアアイテムよりも貴重な代物だ。

 

「少なくとも吹聴して回るものじゃない。攻略を仕切るやつらの中で信頼できるやつに渡すかそれとも…………いや、だめだ」

 

 真っ先に思いついたことを口にして、けれどすぐに取り消す。

 理由は単純。使える状況がほとんどないからだ。

 

 仮にこいつをリンドやヒースクリフあたりに預けたとする。

 

 フロアボス戦においてHPを全損するやつがでて、これを使わなくちゃならない事態になった場合、果たしてすんなり蘇生させられるだろうか。

 

 ボスの目の前で戦っていたパーティーの誰かがやられたとして、リーダーが即座にこのアイテムを使うことができるだろうか。

 

 HPを失い、ゲージの消えたプレイヤーの名前を即座に発声することができるだろうか。

 

 簡単だとは思えない。寧ろ限りなく不可能に近いだろう。

 

 誰がやられたのかを即座に把握し、ストレージ内に数多あるアイテムの中から《環魂の聖晶石》を見つけて取り出し、間違えることなく名前を発声する。

 余裕を持ってそんな作業ができるほど十秒という時間は長くない。ましてや焦りのある中でメニューを正確に操作するなんてのは無謀だ。

 

 そうしてミスを犯した場合どうなる。

 

 助かると思った命を助けられなかった。それは単純に死ぬことよりも大きな衝撃として残るだろう。

 同じパーティーの人間、同じギルドの人間がその時のリーダーを責めない保障はない。

 

 このアイテムを使える状況は、予め使う状況を想定していないと起こり得ないものだ。

 

 名前をよく知る人物が死ぬかもしれない。

 そんな最悪の状況を想定し、いざという時のためにポーチへ仕込んでおく。その上でアイテムの存在自体は誰にも悟らせない。

 

 それぐらい条件を整えない限り、この蘇生アイテムを利用することはできないだろう。

 正直そんな想定をするぐらいならまず死なない方法を考えた方がよほど建設的だ。

 

「これは隠しておくべきだ。少なくとも公にすべきじゃない。持ってるってことが知られるだけでデメリットが多すぎる上に、こいつ目的で狙われてもおかしくない」

「I’m with you. うーん、でも、だったらどうしようかな」

 

 パンはそう言って、いつになく真剣な表情で考え込む。

 テーブルの下で宝石を握り、反対の手を口元に添えて。じっと机上のグラスを見つめていて、答えを出すまでそのままなんじゃないかと思ってしまう様相だった。

 

 初めて見る表情だなと、そう思った。

 同時に、このまま放っておけばいずれ誰かに気付かれるだろうとも思った。

 

「まあ、そんな難しく考える必要ないだろ。いざって時の保険が手元にあると思えばいい。でもっていつか俺がやらかしたときにでも使ってくれ」

「Darlingにもしものことがあったときに……」

 

 茶化すように言ったことにパンはなにやら思案すると、俺の肩越しにユキノを見てぼそりと呟いた。

 

「んー、じゃあこれはユッキに渡して――」

「嫌よ。お断りするわ」

 

 どういうつもりかはわからないが、パンはユキノに蘇生アイテムを渡そうとしてすぐに拒否された。

 ところでユキノさんは聞いてないふりしてやっぱり聞いてたんですね。顔もほんのり茹ってるし、あれもう酔いかけだろ。

 

「大体、この男の妻は貴女でしょう。なら彼のフォローは貴女の役目よ。それにあなた達のストレージは共有されているのだし、どちらもが使うことのできる状況にしておけば、いざという時のチャンスは増えるでしょう」

 

 色々と理由を並べて、理由を付けて、結局ユキノがそれを受け取ることはなかった。

 

 2人は俺を挟んでまま無言で視線を交わし始める。そこにどんな意図があるのかは知らないが、せめて人を間に入れてやるのはやめてくれませんかねぇ。

 

 やがて納得したのか、パンが小さく頷いて立ち上がった。

 

「うん。わかった。Thank you so much, Yukki!」

「……近い」

 

 そのままユキノの隣へ回り込み、ぴったりと寄り添うように座る。腕を取り、スリスリと肩に顔を寄せる姿はまるで親猫にじゃれつく子猫のようだ。

 ユキノも口では弱々しく文句を吐きながらも、頬を染めてされるがままになっている辺り本気で嫌がってるわけではないのだろう。

 

 突然の百合の波動に中てられて顔を逸らす。

 すると視線の先にも何やらくっついている2人がいた。

 

「――私は、ずっとキリトくんと一緒に攻略できるって思ってたのに。どうして何も言わずギルドに入っちゃったのよ」

「それについてはほんとごめんって。話が弾んだ拍子にOKしちゃったから……」

「その後もずーっとほったらかしだし、ちょっと前まで避けられてたし」

「ほったらかしって、そんなつもりはなくてだな。ただその、黒猫団の方に力を入れてたのと、副団長になったアスナに気安く接していいのか迷ったというか」

 

 なんだよこっちはただイチャイチャしてるだけじゃねえか。

 というかアスナも顔が赤くなってるし、あいつも酔ってるんじゃないだろうな。

 

「…………じゃあなんで今日は助けてくれたの。ギルドの人もいたのに」

「それはその……なんとなく、身体が動いたというか……」

「ふーん、なんとなくなんだ。なんとなくで私のこと抱きしめたんだー」

「ちょっ、アスナ、それは黙っとていてくれって――」

 

 ほーん。なるほどね。あの雪崩のときそんなことがあったわけだ。それでアスナは恥じらっていたわけですか。けど、そんなに騒いでたらそのうち――。

 

「よおキリト、随分楽しそうな話だな。オレもちょいと混ぜてくれよ」

「オイラも聞きたいナー。キー坊がアーちゃんを抱きしめてた件につ・い・て」

 

 案の定、キリトとアスナの会話を聞きつけたクラインとアルゴに絡まれていた。

 クラインの目は嫉妬の炎に燃えていて、アルゴは完全にネタを仕入れにいく顔だ。さて、キリトのあの情報にはいくらの値がつくことやら。

 

 なんて傍観者面で面白がっているときだった。

 

「だーれだ」

 

 そんな言葉と共に視界が塞がれた。

 同時に頭をグッと掴まれ、背中に温かい感触が触れる。

 聞き覚えのある声。普段よりも上機嫌で、けれど少し幼い印象のする声。

 

「……あのー、サチさん? なんのつもりなんですかねぇ」

「ふーんだ。乾杯しに来てくれないハチなんて知ーらない」

 

 頭が解放され、振り向いたそこではサチが頬を膨らませていた。

 頬は赤く染まり、目元も何やら熱っぽい感じがする。覚えのあり過ぎる表情に、思わず口元が引き攣る。

 

「お前も酔ってるのか?」

 

 ユキノにしろアスナにしろサチにしろ、ちょっと酔い過ぎじゃない? 大丈夫? いくらクリスマスだからって、本当にアルコール摂ってるわけじゃないんだぞ。

 

「酔ってなんかないよぉ。アインクラッドでは酔わないもーん」

 

 それ、酔っぱらいのセリフだから。言い逃れできないから。

 

「あ、それワタシの持ってきたアイニッシュだ」

 

 ふと、横から覗いてきたパンがサチのグラスを見て中身を言い当てた。というか原因お前かよ。

 

 パンの言葉通りなら、サチの持っているグラスの中身はあのウィスキーの味がするやつだ。

 ユキノという前例があるわけだし、サチが二の舞になっても不思議ではないかもしれない。まあ実際にアルコールが脳に作用しているわけではないが。

 

 サチは先刻までパンが座っていた位置に腰を落とすと、そっと窺うように訊ねてきた。

 

「ねえハチ、今日の戦い、私、役に立てたかな」

 

 おずおずと、上目遣いで訊ねてくるサチ。

 これをアルゴあたりがやってきたら「あざとい」の一言で誤魔化せるんだが、サチの場合天然でやってるようなので破壊力が凄かった。

 

「役に立つも何も、殊勲賞貰ってもいいくらいの貢献度だぞ」

「ほんと? じゃあ私、ハチからご褒美が欲しいな」

 

 任せんしゃい。おいちゃん何でも()うちゃる。

 

「あんま高いもんじゃなければ何でもいいぞ」

「そうじゃなくて、もっと違うのが欲しいの。だから、はい」

「…………はい?」

 

 頬を膨らませたサチは、唐突に頭を寄せてきた。

 いや、急に頭向けられても何がしたいのかわかんねえよ。

 

「もう、なにしてるの。妹さんで慣れてるんでしょ」

 

 そう言われて思い当たる。

 思い当たるが、すんなり応えられるかどうかは別の話だ。

 

「あ、ああ。いや、確かに妹相手は慣れてるけどな」

 

 とは言うものの、戸惑いが大きい。

 兄が妹の頭を撫でるという行為は兄妹だから許されるのであって、赤の他人にそれを実行した場合は犯罪にすらなりかねない。

 アインクラッドでもセクハラは一発退場の要件であり、触られた側の処置があれば即座に黒鉄宮行きだ。

 

「早くー」

 

 しかしサチは引かず、頭をずいずいと押しつけてくる。

 これ、やんなきゃ永遠に終わらないかもしれないなぁ。

 

「わかったわかった。まったく……ほらよ、これでいいか」

「ん……。うん。ありがとー」

 

 根負けしてサチの髪を撫でると、彼女は心底嬉しそうに笑みを浮かべた。

 ニコニコと笑い、それから何か思いついたかのように立ち上がる。

 

「そうだ。せっかくパーティーなんだし、歌でも歌っちゃおうかな。私、ちょっと歌得意なんだよ。んー、そうだなぁ。じゃあクリスマスだし、あれにしようっと」

 

 そう言うや否や、サチはとててて、とダイニングの端に駆けていった。

 

「はーい。1番手、歌いまーす!」

 

 サチが歌い始めると、周囲の連中も何だ何だと顔を向け、誰もが知っている歌だと判り盛り上がる。

 

 身体を左右に傾けながら歌うサチ。

 やいのやいのと盛り上げる黒猫団のケイタたち。

 肩を組み、同じように身体を揺らして唱和する風林火山の野郎連中。

 アルゴとエギルも笑顔でグラスを掲げ、キリトもアスナに体重を預けられながら笑顔を浮かべている。

 

 どいつもこいつも少なからず雰囲気に酔っていたのか、最後には大合唱になった。

 子供向けの歌を大の大人が合唱する光景には、何やってんだかと思ってしまう。

 

 そうして歌う連中を見ていると、隣からクスクス笑う声が聞こえた。

 見るとユキノが口元を抑えて笑っている。こいつがこれほど表情を崩して笑うなんて珍しいな。

 

 するとユキノは「珍しいのはあなたの方よ」と応えた。

 

「あなたでも、そんな風に笑うことがあるのね」

 

 言われて気付く。

 いつの間にか、本当に気付かぬうちに、俺は笑っていたらしい。

 

「Darlingのそういう笑顔、初めて見たなー。すごくドキドキしちゃった♡」

 

 そう言って見上げてくるパンに、思わず身体が熱くなった。

 いつか見た、花の咲くような笑顔。普段見せる人当りの良い笑みではなく、偶に見るあの笑顔だ。

 

 世の男子を悶え死にさせるような破壊力に耐えかねて顔を逸らす。

 しかし、逸らした先にはユキノの笑みがあった。

 

 こちらもこちらでいつになく穏やかで、春の風を思わせるような暖かい微笑みだった。優しく細められた目に常の鋭さはなく、揶揄うような雰囲気でもない。

 

 いつにない調子の2人と並んで、そっとグラスを口へ運ぶ。

 ワインの渋みが口に広がり、けれど後を引くように甘さが喉を抜けていく。

 

 

 

 

 

 

 アインクラッドで二度目のクリスマスを祝う夜は、賑やかに更けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







以上、6話でした。



前書きでも申し上げた通り、出張が来てしまいましたので一月ほど更新できなくなります。
戻り次第再開しますので、今後ともよろしくお付き合いください。
それでは!


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第七話:もしくは、それは誰しもの願いでもある

お久しぶりです。
出張から戻り、色々と忙しくしている間に2か月も掛かってしまいました。スミマセン。

第7話です。よろしくお願いします。









 

 

 

 本来なら大掃除やら初詣やら親戚を巡ってのお年玉集め(小遣い稼ぎ)やらで慌ただしいはずの年末年始も、ここアインクラッドにおいてはあまり関係ない。

 物はチェストとストレージに投げ込めば散らかりようがなく、神社も寺もないので詣でようがない。もしかしたら茅場からお年玉アイテムなんかが送られてこないかとほんのひと匙程度の期待はあったが当然何事もなし。

 

 正月なんて関係ない攻略を進めようとワーカホリック(紅白の女騎士)が意気込むような騒ぎもあったが、日本人らしく正月くらいは休もうと有志代表(黒猫印の剣士)に宥められ、結果《ギルド連合》は束の間の小休止と相成った。

 

 年中無休の攻略班にあって滅多にない休みだ。だらだらまったりとした日々を過ごせるかつてないチャンスだし、むしろ休暇なんだからしっかりがっつり休むべき。

 そう決意した俺は「三が日は一歩も外に出ない」と堂々宣言し、拠点としていた宿での引きこもり作戦を決行。数多の妨害が予想される中、聖戦へと果敢に立ち向かった。

 

 しかし、結果は惨敗。寧ろ屋内にいた時間の方が短い始末。

 

 下手人は当然パン。次点でユキノ。第三位にはアルゴがランクイン。

 なんなら始まる前から敗色濃厚で、元日どころか大晦日の夜からパンに連れ出されユキノと3人で19層の山頂で初日の出を拝まされた。

 それを皮切りに挨拶回りやら買い物やら情報収集やらに駆り出され、気付いたときにはもう3日の夜だった。情報収集に関してはすでに仕事だし結局働いてんじゃねぇか。

 

 そんなこんなありつつクリスマスに続いて攻略を小休止(休みとは言ってない)した《ギルド連合》であったが、三が日を過ぎるとまた普段の忙しなさを取り戻した。

 

 難航の続く50層攻略へ向け、いよいよ本腰を入れて動き始めたのだ。

 

 フロア中央に主街区《アルゲード》を据えた第50層は東西南北の四方に特徴的な地形を備えている。東に森、西に峡谷、南に山岳、北に湿地といった具合だ。

 それぞれ全く違う地形と気候であり、対応した装備を整えるだけでも数日を要する面倒極まりない造形と言える。

 

 また、各方面にはフィールドボスが配置されているらしいことがNPCの口から明かされている。

 どうやら中国神話の四神を基にしているらしい。《アルゲード》も中国っぽい雰囲気であることを考えると、それが50層のテーマということなのかもしれない。

 

 一方で、迷宮区の塔に関しては50層到達から少なくない日数が経過した今でも見つかっていない。

 無論引き続き捜索は行われているが、四神が潜んでいるらしいダンジョンを除いたほとんどのエリアは踏破され、にもかかわらず迷宮区に関する情報は皆無だ。

 

 こうなってくると、いよいよ各地のフィールドボスを倒さないことには情報が得られないのだと嫌でも想像がつく。

 東西南北それぞれには大樹やら遺跡やら火山やら地底湖やらのダンジョンが配置されていて、どこにどんなボスがいるのかを教えてくれるNPCもいるわけだし。

 

 休暇が明けて以降、攻略班は四方のどこから攻略すべきかを議論し、結果としてまずは西に進路を取ることとなった。

 

 《アルゲード》の西に広がるのは所々に下草の生えた平野とあぜ道。平野は見通しがよく足下もしっかりしていて、なにより広くて大人数で歩くことができる。

 これが現実なら日差しや水源の無さが問題になったかもしれないが、暑さも気にならなければ水分も大量に持ち歩けるSAOでは関係ない。

 

 昨日偵察した感じでは道中のmobも大したことなかった。多少素早いやつが多いが、攻略班のレベルなら問題なく対処できるだろう。ボスの白虎に関してはちょっかい掛けるだけでもヤバそうな雰囲気だったんでノータッチ。

 

 事前情報をまとめ、先行偵察も終え、満を持してのフルレイドで挑む今日。

 集合時間30分前を迎えた現在、俺たちはというと――。

 

「ん。旨いな」

「そうね。コーヒーはあまり飲まないのだけれど、これはとても美味しい」

「ハァ。落ち着くなー」

 

 三人揃ってカップ片手に息を吐いていた。普段は紅茶党のユキノも含め、中身は全員コーヒーだ。

 試飲を頼まれたので素直に一口頂いたのだが、想像以上の味わいに美味い美味いとあっという間に飲み干してしまった。あ、すいませんもう一杯貰えます?

 

 言ってカップを差し出すと、バリスタが直々に御代わりを注いでくれた。

 

「そう言ってもらえてよかった。実は練習し過ぎて味がわからなくなっちゃって」

 

 ユキノやパンにも好評なこのコーヒーを淹れたのはサチだ。彼女はほっとしたように胸を撫で下ろしてはにかみ笑いを浮かべた。

 

 ということで、場所は黒猫団ホーム一階のダイニングスペース。

 転移門広場での集合前に本日のパーティーメンバーと合流すべく顔を出した俺たちは、ちょうどキッチンにいたサチに出迎えられ、ついでにと新作コーヒーの試飲を頼まれたという次第だ。

 

 それにしても、ここでこうして一服するのも随分と馴染んできた気がする。

 サチのやつ、ここへ来る度にコーヒーやらお菓子やらを振る舞ってくれちゃうんだもんなぁ。餌付けされてる気分だ。悪くない。

 

 そして毎度ご馳走になるこのコーヒーだが、クリスマスの時よりもさらに味が良くなっている。

 この短期間で改良を加えたとなると余程練習したのだろう。飲み過ぎて味がわからなくなったというのも納得だ。

 

 そもそもSAOにおいてコーヒー作りというのはかなり難しい。

 ここ最近はプレイヤーメイドの品やNPCレストランなんかでも飲めるようになってきたが、まだまだ味に関してはいまいちな物が大半だ。

 

 仕方ないことではある。なにせここは現実とは違う仮想世界なのだ。

 SAOにおける《料理》は味の調整が難しく、また材料となる素材も現実には無いものばかり。それぞれの素材が味に与える影響も複雑で、《料理》スキルで創作をする連中はこれらの素材を試行錯誤して組み合わせている。

 

 以前《アルゲード》の一角でラーメン屋らしきNPCの店を見つけたんだが、いかんせん醤油の味がしないせいでどうにも納得いかない出来だった。

 後で醤油に相当する調味料はないのかユキノに訊ねたところ、近いものはできつつあるが完成はしていないらしい。《料理》の熟練度800越えのユキノですら作れないとか、醤油作るのどれだけ難しいんだよ。

 

 醤油の話はさておくとして。

 リアルでも愛好家が多いコーヒーは《料理》スキル持ちによる試作が続けられていたこともあり、現在では基本となる素材やレシピが公開されている。

 とはいえ、それで出来るのはインスタントのような素朴な味のもので、自称バリスタの連中は更なるアレンジを加えてより良い一杯を淹れることにご執心なんだとか。

 

 そんな各人のこだわりが強く表れるのがコーヒーという嗜好品だ。

 かくいう俺もリアルでは(MAX)コーヒーソムリエを自任してきた身だ。この一年ちょっとの間も安いものから高価なものまでそれなりに口にしてきた。中には一杯で一日の食費より高いものもあったが、苦みが強かったので好みではない。

 

 そんな風に数多くのコーヒーを口にしてきた俺だが、今飲んでいるこれが一番美味しく感じられた。程よい酸味と苦みのどこか優しい味のする一杯。

 

 もう一口飲んで、温かな味わいが染みわたるのを感じながら呟く。

 

「あとはマッ缶が飲めたら最高なんだけどなぁ」

「マッ缶……?」

 

 おや、マッ缶をご存じない。では不肖この比企谷八幡がマッ缶のなんたるかをじっくりとお教えして――。

 

「MAXコーヒー。ミルクの代わりに練乳を使った一部地域では有名な缶コーヒーよ」

 

 仰々しく構えている間にユキノが淡々と答えてしまった。出鼻を挫かれた腹いせに睨んでみるもすまし顔に些かの揺らぎはない。

 

 そうしている内に、今度は隣から呆れたような声が漏れた。

 

「ワタシも飲んだことあるけど、あれはコーヒーの甘さじゃないような……」

「バッカお前あの脳みそ蕩けるぐらいの甘さがいいんだよ」

 

 得てして人生は苦いものだ。ならコーヒーくらいは甘くていい。狂おしいほどに甘いMAXコーヒーを飲んで世界中の人間が脳みそ蕩けさせてしまえば争いなんてものはこの世からなくなるだろう。つまりマッ缶は世界を救うのだ。まーたこの世の真理にたどり着いてしまったかー。

 

「……? よくわからないけど、ハチはそのMAXコーヒーが好きなんだね。んー、再現とかできたらいいんだけど」

「マジか頼むお願いしますぜひ作ってください」

「あ、はは……。すごい圧力」

 

 思わず前のめりになって迫ると、サチは苦笑いを浮かべて後退った。どう見てもドン引きですありがとうございました。

 

「ハァ。その男の言うことは気にしなくていいわ。需要もないから労力に見合わないし」

「うんうん。それに今のDarlingはとってもsweetな毎日を送っているんだから、甘―いコーヒーは必要ないんじゃないかな♡」

 

 ユキノが向かいでため息を吐き、隣のパンはしたり顔で腕を取って抱き締めてくる。右腕に柔らかいものが押し当てられているのも意図的な行動だろう。途端に冷たくなる視線が鳩尾の辺りへ突き刺さる。

 

 なるほど。確かにこれ以上糖分を求めるのはよくないな。なんか胸やけしそうだし、なにより心臓によくない。

 

 冷温それぞれの視線から逃れるようにカップを口元へ。若干温くなったコーヒーでゆっくりと喉を潤す。程よい苦みも時には必要なのだなとしみじみ思いましたまる。

 

 

 

 

 

 

 その後、準備を終えてダイニングへ降りて来たキリト、ケイタと合流した俺たちは、サチへコーヒーの礼を言って黒猫団のホームを出た。

 

 アルゲードの入り組んだ街中を、世間話を交えて歩いていく。

 穏やかな雰囲気なのは大いに歓迎。だが同時に一つの疑問が浮かんだ。

 

「というか、なんでわざわざ集合前に合流したんだ。圏外へ出るわけでもなし、直接集合場所に集まってもよかっただろ」

 

 今朝の時点では何かしらの理由があって呼びだされたのだと思っていた。

 宿を早めに出て黒猫団のホームを訪れたのも、ギリギリに行ったんじゃ話もできないと思ったからだ。

 

 けれど蓋を開けてみれば、キリトもケイタも特に何か話があるわけでもなく、寄り道をするでもなく、まっすぐ目的地へと向かっている。これなら個々に行っても違いはなかったはずだ。

 

 振り返ったキリトはなんだか恥ずかし気に頬を掻き、ぽつりと答えた。

 

ただそうしたかったから(・・・・・・・・・・・)って理由じゃあ、納得できないよな」

 

 思わず閉口してしまった。軽口も相槌も口にできず、ただまじまじと苦笑いを浮かべる少年を見ることしかできない。

 

 理屈に合わないとは思う。意味もなければメリットもない。

 そのくせリスクだけはあるのだから諫言したくなるほどだ。

 

 けれど理由としてそれを考えたとき、諫めることはできなかった。

 そうしたいと、そうあって欲しいと願い、行動した誰かを知っているから。

 

「――いいえ。十分に納得できる回答よ。ありがとう」

 

 言葉に詰まった俺に代わって、ユキノが柔らかく微笑んだ。

 

 なんとも言えない雰囲気が流れる。

 むず痒く、震えるようで、それでいて温かい。

 

 満足げに頷いたキリトから目を逸らすと、ユキノのしたり顔が目に入った。いつになく口元を緩めていて眼差しは穏やか。慣れない表情に鳩尾のあたりが悶える。

 

 かと思えば今度は左手を握られて、見ればいつもより若干遠いパンの姿。普段はべったりなこいつのいじらしい様子がむしろ普段以上に握った手の熱さを意識させてくる。

 

 キリトとケイタは生暖かくも柔らかな笑みを浮かべていて、ツイと睨んでみればサムズアップまでされる始末。

 

 思わずため息が漏れる。

 けれど吐いた息は存外軽く、繰り出す足も重くはない。

 

 アルゲードの石畳を歩く十数分は、そんな感じで過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 集合場所である転移門広場には5分前に到着した。

 すでに参加者の大半が集まっているようで、特徴的な色合いのグループがそこかしこで談笑している。が、俺たちの姿を目にした瞬間、表情も雰囲気もガラッと変わった。

 

 とりあえず、向けられる視線はすべて無視する。

 様々な感情の込められたそれはマイナーとして一年を過ごした俺にとって慣れきったものだし、理由も心情も理解しているから疑問に思うこともない。

 

 ユキノも特に気にした様子はない。SAOを始める前から視線には晒され慣れている上、あの性格だ。仮に何かを言われたとしても正論で言い負かしてしまう気がする。

 パンもどこ吹く風といった表情で歩いている。モデルにスカウトされた経験もあると言っていたくらいだし、いちいち視線に気を留めることはないのだろう。

 

 一方で、キリトとケイタへ向く目がほとんどないのは幸いだった。あったとしても同情の色がほとんどで、悪意のある視線は今のところ見受けられない。

 

 本音を言えば、二人を巻き込みたくはない。

 

 今は問題ないとしても、いつ状況が変わるかわからない。そも同情すら嫌悪する者もいるだけにこの光景自体避けたいところだった。

 実際、広場へ入る前に少し離れた方がいいとは言ってみたのだ。食い気味に拒否された結果が今なわけだが。

 

 本人たちは気にしないと言っている。が、要らぬ負担を負う必要はないのだ。心遣いには感謝しているし、頼るべきときは頼らせてもらうとも言った。

 それでも完全に納得はしなかった点、キリトもケイタも人が良い。もしくは俺が信用されていないか。散々振り回してどうしようもない姿を見せているのだから是非もないね。

 

 決して触れようとはせず遠巻きに、けれど確実に向けられる視線。

 敵意というほど鋭くはなく、隔意というには受け入れがたい。関わらないように、けれど目は離さないようにとでも言うような色合いがあって、だから直接踏み込んでくることはほとんどない。

 

 つまるところ、恐れられているのだ。

 よく知らない。理解できない。関わったらどうなるかわからない。

 そんな人間がいて、そいつと親しくしてるやつがいる。遠巻きに見る理由なんてのはそれだけで十分だった。

 

 とはいえ、全員が全員そうだとは限らないらしい。

 

「こんにちは。キリトくんとケイタさんも一緒だったのね」

「お前らがギリギリってのは珍しいな」

 

 同じ赤系統をパーソナルカラーに持ち、片や騎士装、片や武者然とした2人が近付いてくる。

 

「黒猫団のとこに寄ってたからな」

「ちょっと準備に時間が掛かってさ。ギリギリなのはそれでだよ」

 

 苦笑いで答えるキリトに、アスナは「誘ってくれれば私も一緒したのに」と唇を尖らせた。

 いやお前は騎士連中の引率があるだろ。お宅のリーダーは普段攻略に出てこないんだし、しっかり手綱握っといてくださいね。

 

 厄介事の種に恐々としていると、横合いから不意を突いた口撃が飛んできた。

 

「あら、誰かさんが歩くのが遅かったのも原因だと思うけれど」

「おい待て俺は悪くねぇ。なんならそれは手を掴んでた――」

 

 咄嗟に反論するもそれは悪手。口を滑らせた俺にユキノはニヤリと口元を歪め、待ってましたとばかりにそれは聞こえてきた。

 

「ワタシの所為、だよね。Sorry, darling. ……グスッ」

「うわ、女の子泣かせるなんてハチくん最低」

 

 それが演技なのはわかっている。潤んだ瞳も演技で、片腕を抱くような仕草も演技なはずで、無理に笑んだような表情はもしかして演技じゃないんじゃないかもしそうなら悪いのはやはり俺か俺ですねごめんなさい。

 

「すいませんでした。俺が悪かったです」

「スン……。ショッピング、付き合ってくれる?」

「わかった。今度の休みでいいな」

「うん。いいよ…………クスッ♡

 

 何か最後に聞こえた気もするが、とりあえずは落ち着いたのでよしとしよう。

 貴重な休みに部屋でダラダラできなくなるのは痛いが、休日の使い方としては悪くない方だろう。少なくとも働かされるよりはいい。

 

 小さく息を吐いていると、何やらクラインが微妙な顔でキリトに耳打ちをしていた。

 

なあキリトよぉ、女の子ってみんなけっこう怖ぇのな

俺にわかるかよ。ハチの周りだけじゃないのか

キリト、お前……そうか。お前は何も知らねぇんだな

「クラインさん? キリトくんに何か変なこと吹き込んでないですよね?」

「いえっ! なんでもありません!」

 

 何やら密談めいたことをしていた2人。そこへアスナが詰め寄るとクラインは見事な敬礼で答えた。マジで何の話してたんだあいつら。

 

 

 

 

 

 

 その後も同じような雰囲気で振る舞う俺たち。

 

 周囲から向けられる視線は、心なし温くなっているような気がした。

 

 

 

 

 

 

 







ということで、7話でした。

次回もいつになってしまうかわかりませんが、気長にお待ち頂ければ幸いです。


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