流血の錬金術師 (蕎麦饂飩)
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彼は優しいお医者さん

最近、映画化したという事なので書いてみました。


「先生ッ、うちの娘が熱を出したようなんですっ!!」

 

 

日が沈み、月が天の中央を治める時間帯。

解りやすく身も蓋も無い言い方をすれば、診療時間外であるのが当然な夜遅く。

ぐったりとした少女を抱えた、少女と同じ髪と眼の色をした女性が診療所の門を叩いていた。

 

その物音に反応したのか、真っ暗であった建物の中に明かりが灯る。

暫くして、白衣を着たこの建物の住人――――所謂先生(・・)がドアを開けた。

 

「どうかされまし――――失礼、お子さんの熱を測りますね」

 

今まで寝ていたのは間違いないにもかかわらず、その目には眠気では無く真剣さが帯びていた。

 

「娘は、娘は大丈夫ですかっ!?」

 

母親は余裕が無い。旦那がリゼンブールで紛争に巻き込まれて死亡して以来、

心の支えにしてきた一人娘が苦しそうにしているのだから気が気でないのだ。

 

「大丈夫ですよ、お母さん。リリアちゃんはアメストリスの宝ですからね。

お母さんに似て典型的なアメストリス美人に育つ未来の美女を助けなくては、

医者としてだけでなく、男として廃ると言うものですよ」

 

紳士然とした物腰の柔らかさと、女性的な容姿からいまいち似合わない冗談を告げながらも、

医者の頭脳は並行して、その症状から幾つかの病状の候補を絞っていた。

 

 

「リリアちゃんと最近何処かに出かけましたか?」

 

「いいえ、私が忙しくてその様な事はありませんでした」

 

 

「では、最近外国の方と接近した事は?」

 

「いえ、それも――――いや、ありました。

お客さんの中にアエルゴからの旅の方が…」

 

 

リリアの母親アーシアの仕事は花売り。といっても文字通りに花を売るのではなく、

飲み屋の客を相手に己の花(・・・)を売るという隠語だ。

稼ぎは多くなく、社会的地位は低く、病気などのリスクも高い。

 

 

「よりによってアエルゴ熱ですかっ、この熱は何時から…いえ、そんな場合ではありません。

私は直ぐに薬を調合します。お母さんはこの薬をリリアちゃんに飲ませながら、そこの水でリリアちゃんのおでこを冷やしてください。

いいですね」

 

「はいっ」

 

 

医者はアエルゴから以前取り寄せた、高額な植物の葉を二人分(・・・)千切り、

同じく一般人には到底手が出せない薬の原料を同じく二人分(・・・)取り出すと、

何やら円と記号を書いた水の入ったビーカーの上に置いて、その原材料に手を当てた。

 

同時に瞬く光が発生し、その輝きの後にはそれらの材料の姿は無く、白い液体に変わっていた。

ビーカーの中に入ったそれを2本(・・)の注射器に移すと、リリアと母親の所に医者は駆け戻った。

 

「RNAポリメラーゼ結合阻害薬です。今すぐあなた達2人に打ちます。

この病気は再発は無いので、治った後は安心してください」

 

「薬を…私にも…、ですか?」

 

 

「言いにくいですが、アーシアさん。貴女が客から貰った病気がリリアちゃんに移ったんですよ。

貴女は未だ自覚が無いようですが、間違いなく感染しています」

 

「そんな、私が…。私が娘に…」

 

 

「だから薬は2人分です」

 

「…いえ、リリアの分だけで十分です」

 

 

アーシアに2人分の薬代を払うお金など無い事は医師も知っていた。

だが、それでも娘を救おうと言う心意気に貴賤を問うつもりは無かった。

 

「…お金の心配ですか?

病気が治ったらリリアちゃんの未来を買いましょう。

それが料金と言うのはどうですか?」

 

「先生ッ!! あなたって人はっ!!」

 

 

アーシアは今まで弱者の味方だと信じてきた医師に裏切られ、激昂してその憎悪を向けた。

自分の仕事を否定するつもりは無いが、娘には同じことをさせたくは無かったからだ。

 

「…どういう想像をされたかは聞きませんが、勘違いして貰っては困りますよ。

医者と言うのはお金になる仕事です。ですが絶対数が足りません。

リリアちゃんには、私の下で助手として医術を学んでもらいます。少々薄給ですけれどね。

そうすれば、リリアちゃんは将来、美人医師として仕事が出来ますし、

私はアメストリスの医療界に貢献できます。

そしてお母さんは薬代を節約できる。ほら、良い事だらけでしょう?」

 

 

その言葉を聞いたアーシアの頬には涙が流れていた。

こんな夢のような事があるだろうか?

こんな善人がいるのだろうか?

これは夢ではないだろうか?

救いは此処にあったのだ、と。

今は亡き夫と約束した、娘の未来が明るい事を神と医師に感謝した。

 

 

「了承とみて良いですね。では投薬します。

その後はそこの診療台で寝ていてください。…大丈夫ですよ、病人を襲うつもりはありませんから」

 

 

絶望的なまでに冗談が似合わない真剣な表情で、医師はそう告げた。

 

 

彼はシルヴィオ先生。普段は売れない喫茶店を経営しつつ、医師として町の人々を診る優しいお医者さんであり、

実家の伝統の職を蹴りつつも、お金持ちな実家の資産で採算を無視した、道楽医療を行う町の人気者である。

 

 

 

 

そして後に知れ渡る彼の二つ名こそが、――――――――『流血(・・)』の錬金術師である。



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『彼』が生まれた日

何時もの私のノリで行きます。
1話との落差にご注意くださいませ。


それは思い出だった。

 

 

 

筋骨隆々とした威厳のある男性と、どう見ても100パーセント母親似だと断定される男性の息子が庭で戦っていた。

 

父親が腕を振り抜くが、息子は僅かに脇をしめて固定した腕で身体のひねりを利用してはじきながら、反対の肘で頭部を狙う。

それを父親は巨体に似合わない俊敏性で、振り抜いた腕を変則的に曲げる事でガードをして受け止める。

息をつかせぬ応酬の中で、親子は語り合っていた。

 

 

「お父様、私は軍隊式格闘技などに親子のスキンシップの手段以上の興味はありませんよ?

医者には格闘技なんて不要でしょう?」

 

「どうして軍人を目指さないっ!?

惜しいっ!! 惜しいのだっ!! その才がっ!!

眠らせるには惜しいのだっ!! シルヴィオッ!!」

 

 

無駄の無い、次の次の次を常に想定した格闘術。

シルヴィオの父親はその達人だった。

だが、シルヴィオは母方の祖母の影響と、父親の影響の反動で、争いの無い道を目指していた。

具体的には喫茶店のマスターや医者だ。

 

 

 

 

研究所の責任者でありながら、過去の戦乱ではイシュヴァール人を鏖殺付近にまで追い詰めた父親を反面教師として息子は育った。

彼は争いや戦いは好きでは無いのだ。

 

結局は、自分が体験した地獄を思い出させるように突きつけられ、

人間では無く病魔と争う事にすると告げた息子に父親は折れた。

 

家伝の錬金術だけでなく、図書館から父親が借りてきた、一見は一般の書の様に見える錬金術の書を、

難なく解読して使いこなし、

軍隊格闘の大家と呼ばれる父親から見て、大いに見込みのある息子に、

父親は己の後を継がせたかったが、

息子に父親が殺した分の人々を救うと言われては、それもまた正しい道だと思えた。

故に、今からでも遅くないから軍人になれと、普段から言いながら格闘をするのは、

希望している所が僅かにないとは言えないが、最早自分のスタンスを変えられない父親の不器用なポーズであった。

 

 

 

父親が離れた隙に、母親と、

 

「あの人も本当は解っているのよ」

 

「知ってますよ。私はお父様の息子ですよ?」

 

 

そう言葉を交わす事から判る様に、息子にはとっくに見抜かれていたが。

 

 

 

シルヴィオから見て錬金術師であり、軍人である父親の第一印象は、

『絶対に死なない人』だった。研究所の責任者なんていう実に似合わない仕事をしているが、

父親はバリバリの武闘派であり、母親以外に父親に参ったと言わせる人間がいるとは思えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――だが、そんな父親が今死のうとしている。

どうやってかは解らないが、元気に口だけは動いている。

だが、出血量から考えるに既にショック死していてもおかしくは無い量を失血していた。

シルヴィオは医者として自分の父親を治せないなんて、こんな馬鹿な事があるかと思った。

 

だが不可能だった。

何故ならシルヴィオの四肢もまた落石に潰されていたのだから。

 

 

原因は顔に傷が入ったイシュヴァール人。

つい最近偶然街中で出会って、彼の動きで怪我をしているのを悟ったシルヴィオが、御節介にも彼の怪我を治そうかと打診して、

断りを入れられた相手だった。

彼との会話がシルヴィオには思い出された。

 

 

 

 

 

 

 

「イシュヴァール人にも情けをかけるのか?」

 

顔に傷が入った男はそう言ったが、

 

「イシュヴァール人?だからなんですか。

いいから治療をさせなさい。私は医者なんですから。

こう見えて、人の治し方には自信があるんですよ?」

 

シルヴィオはそう返した。

だが、そのイシュヴァール人は、

 

「…少々昔を思い出した。

だが、治療はいらん。直ぐに治る」

 

そう言ったが、シルヴィオは男を無理矢理捕まえて、勝手に流血した皮膚を医療系錬金術で治癒した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのシルヴィオの『元患者』が、

シルヴィオの父親――――、研究所責任者であり、かつてイシュヴァールの戦線で活躍した『鉄血』と名高い高官を暗殺しようとして、

シルヴィオと母親を含んだ周囲を巻き込んで、

父親共々瀕死の状態に追い込んで、父親の警護兵が漸く追いかけてくるのを確認すると去っていった。

 

 

父親はとある研究所の責任者であり、門外不出の研究成果を持っていた。

自身が死んでも使うまいとは思っていたが、家族が犠牲になってはそうはいかなかった。

それは、『賢者の石』。錬金術における完全物質であり、至高の金貨。

苦難に歓喜を、戦いに勝利を、暗黒に光を、死者に生を約束する血のごとき紅き石。

 

その石を代価として、『門』は開かれた。

父親は息子と妻の応急的な怪我の再生に活用して、幾分か消費された賢者の石を使って。

だが、それでは少々料金が足らなかった。

故に死に逝く自分自身(・・・・)を通行料金として門を開いた。

 

 

シルヴィオは何故か、昔父親に手をひかれて入った父親の職場の門を思い出した。

その時との違いは、職場の門をくぐった時とは違い、父親が手を繋いではくれていない事だった。

 

シルヴィオはその理由を聡明な頭脳で理解した直後、膨大な知識の奔流に呑み込まれた。

 

 

「…死ねるものですか、ここで私は死ぬわけには生きませんから」

 

 

その奔流を飲み伏せて見せる。そう意識した時、彼は何時の間にか元の世界にいた。

いや、先程までとは違う事がある。

父親がこの世界にはもういなかった。

 

 

叫びたい気持ちを抑え込んで、シルヴィオは門の向こうでより完全になった治癒能力で母親や周囲の被害者を治した。

だが、一番治癒したい者は、もうこの世の何処にもいない。

 

 

そう言えば、あのイシュヴァール人は父親に何と言っていただろうか?

一言一句忘れない。忘れる筈が無い。

 

 

 

「復讐は終わらない。無限の連鎖になろうとも、()れの復讐は終わらせない」

 

 

シルヴィオはそれを聞いたあの時、憎しみに果ては無いから復讐なんて不毛だと思ったが、

今なら違うと言える。肉親を失った今なら、確かに違うと言える。

 

憎しみには果てが無いからこそ、復讐が必要なのだ。

 

 

 

暗く淀み過ぎて美しく澄んだ瞳で、青年は泣き顔に笑みを浮かべた。

 

「全てのイシュヴァール人に人誅を。

安らぎの無い地獄を作ってやりましょう。人の壊し方には理解がありますから」

 

それは、何時もの冗談では無く、彼の本心からの言葉だった。

 

 

 

 

三日後、国家試験に合格した錬金術師がいたが、彼はそこで二つ名を背負ったわけでは無い。

今、この時を以って、この瞬間を以って『流血』の錬金術師は生まれたのだ。

イシュヴァール人を駆逐する静かな歓喜に生きる、

善良で悪辣な、法と秩序の狗が。




破壊と創造は紙一重。ついでに言えば維持や変化もですね。


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国家錬金術師認定試験

狂信者VS狂心者


大総統キング・ブラッドレイは国家錬金術師の試験会場で逸材を見た。

『鋼』といい、最近の若者は良い収穫が出る。この国の為に()となり得る者達が豊作だと思った。

 

記述試験は満点。更に例題の問題点まで指摘して修正点と改良点まで付け加えていた。

精神鑑定は一切(・・)の問題なしという、逆に人間としての異常を疑う結果。

そして実技試験では、精神鑑定をすり抜けた異常性を自らいかんなく発揮した。

 

 

 

仮面を付けた青年は、自分の実力を披露する場でこう言ったのだ。

 

「死んでも良いイシュヴァール人を5人用意してください

――ああ。イシュヴァール人ならどれでも同じ条件でしたね」

 

怖気がするような冷めた声で。

 

キング・ブラッドレイはその時こう思っていたのだ。

(いや、仮面付けて受験しにくる時点で精神鑑定×だろう。常識的に考えて)

 

だが、そんな余裕があったのは強者である一部だけだった。

 

 

間もなくイシュヴァール人の死刑囚5名が連れてこられた。

 

「無実だっ!!」

「冤罪だっ!!」

「俺達がイシュヴァールの民だからかっ!?」

「裁判を受けさせろ」

「助けてくれ」

 

その様な意味の事を口々に言っていた。

国家錬金術師試験を受けにきた仮面の青年はその言葉に対してこう答えた。

 

「イシュヴァール人として生を受けた事そのものが、どうしようもなく然りとした有罪なのですが、

そうですね、皆さんがどうしても生き残りたいと言うのなら、私が此処の偉い人たちに条件付きで助命を願いましょう。

私は優しいと有名なので。」

 

未だ試験を合格していない、身元不明の者がこう言いだしたので軍部の者たちは何を言ってるんだと思い、

救いの光が見えた囚人たちはその条件を今か今かと聞きわびた。

 

 

「条件は私の殺害。何、異教徒を殺す事に抵抗の無いあなた達なら簡単でしょう?

さあ、Hurry up!!」

 

そう言って仮面の青年が手を交差するように叩いて音を出すと、

囚人たちの前にモーニングスターなどの幾つもの武具が転がっていた。

 

「強度は保証します。私の実家の自慢の錬成ですから」

 

囚人たちは状況の理解が追い付かなかったが、ある事だけは理解できた。

目の前の青年は強い。だが、その青年は1人。その青年を殺す事が出来れば家族の下に帰れる…かもしれないと。

 

5人がそれぞれ武器を持ったと同時に青年は口を開いた。

 

「それでは試験の開始という事で宜しいでしょうか?

あなた達の神様があなた達をお救いになるのかどうか、審判の時と行きましょうか。

――――――願い、祈り、命乞い、その全てが無駄だと知るがいいでしょう」

 

 

 

仮面の青年は自身の指をナイフで傷つけると、囚人の1人に向けて振るった。

青年の血はナイフの様に囚人に飛び、そして突き刺さった。

 

真紅のナイフが突き刺さった囚人は動かなくなり、仲間が其れを心配した直後、

囚人の身体の中身――『血』が胎児を出産するように腹を突き破って人型のままで飛び出し、

また別の囚人に抱きつくように飛び掛かった。

 

血でできた人型に抱きつかれた囚人もまた、血を吹き出して、その血液が他の囚人に飛び掛かって喰らい、

中の血を吹き出させた。

 

そうして囚人たちは全滅し、血でできた人型は弾け飛んで、模様を描く様に綺麗に、

いや、綺麗に血文字の錬成陣を描いた。

 

「家畜に神はいないそうですよ」

 

 

そう残酷に言い捨てる青年に、観客は何も言葉を紡げなかった。

「あ」や「え」等の意味が無い言葉しか誰も紡げない。中には吐いている者も居た。

ただその光景を見て、一人だけ口が動いた者がいた。

 

「合格。ルヴィオ・ラグーン(・・・・ ・・・・)、これより『流血』を名乗るが良い。実に似合いの名だろう」

 

キング・ブラッドレイ。この国の最高決定権者だ。

 

「閣下ッ!?」

 

その場の者達は、この異常な青年を国家錬金術師とは認めがたく不服を申し入れようとしたが、

それもキング・ブラッドレイの一睨みで沈黙した。

 

「錬金術師として十分な能力があり、国家への忠誠を誓うのなら問題は無い」

 

蛮行を黙認するどころか、国家錬金術師としての資格まで授与された青年は、

膝をついて、

 

「在り難き恩情にございます」

 

 

「励めよ、『流血』」

 

「はっ!!」

 

その栄誉を受け入れた。

 

(お父様の二つ名と被せて来たのは偶然では無いのでしょうね。偽名(・・)は見抜かれたとみて良いでしょう。

流石は大総統。片目でも見る()があるお人だ)

 

 

 

彼は不発の血文字の錬成陣で描かれた意味が、(イシュヴァールの民の)神の否定という所まで大総統が理解して尚、

自分を受け入れたと看破して、仮面の下で麗しく微笑んだ。




お医者様「暴力を振るって良い相手はイシュヴァール人共だけです」


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『人間』の定義

脳内お花畑なお医者様、ハートを打ち抜かれる。



尚、お花はアザミの模様。


「良い人柱候補が見つかった」

 

此処はアメストリスのとある建物の中。明りも無く、人間(・・)の気配は無い。

片目を眼帯で隠した男、キング・ブラッドレイは、壁に背中を付けて佇む、影の様な黒いドレスを着た美女にそう話しかけた。

 

「あら、何処の誰かしら?」

 

麗しき黒髪の美女、ラストは艶やかにそう返した。

 

「傷の男に最近殺害された将校の息子――とは別人の設定で国家錬金術師を受験しに来た。

門を通った形跡がある上に、生体に関する錬成の適正もあるだろう。

しかも相手がイシュヴァール人であれば殺人に対する忌避感が無さそうだ」

 

「そう…、それで、その坊やの名前は?」

 

色気の中に真剣みを帯びた美女の言葉に対して、眼帯の男は気兼ねすることなく答えた。

 

 

 

 

「『流血』のルヴィオ・ラグーン……、いや、『鉄血』の一人息子、――――――シルヴィオ・グランだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◎◎◎

 

 

 

「痛いの痛いの飛んで行け~。

どうですか、カール君。まだ痛いですか?」

 

ここは街中の小さな診療所。

遊んでいて怪我をした少年を、服装次第では美少女で通る様な青年医師が優しげな表情で治療していた。

と言っても、治療は生体錬金術の応用であり、およその人間の血管の位置や太さ、神経の構成など、

人体構造をほぼ完全に理解している青年にとっては造作も無い事であった。

傷口は既に痕すらない。

 

「…あれ? 痛くない?

すごいや先生。ありがとう」

 

 

「いえいえ、このくらいお安いご用ですよ。

自分に限界を想像せず、思い切り楽しんで怪我をするのも子供の特権です。

料金はこの国に付けておくので、出世払いでお願いしますね?」

 

要するにこの医師は無料だと言っていたのだったが、

回りくどい言い方をした為に子供には少々わからなかったようだった。

カール少年はキョトンとした顔をしていた。

 

「ああ、そうですね。つまり気にしないでって事ですよ」

 

「…良いの?」

 

 

「良いんですよ」

 

「ありがとう」

 

 

そう言って、少年は診療所を出ていった。

この医師、シルヴィオ・グランは実家が大金持ちな上に、つい最近その遺産を全て相続したので料金を貰わなくてもやっていけるのだ。

近所でも評判の、極めて善良な先生である。

子供だけで気軽にやってくると言うだけで、彼の評判が窺える。

尚、赤字覚悟のスタンスが他の医者の迷惑になる事に気が付かない辺り、

結構なお花畑な思考も窺える。

 

 

 

 

喫茶店兼ねて診療所。

今日はそのどちらもお客がいない。故にのんびりと外を眺めていた。

そんな彼は、空が夕暮れに近づいたころ、ふとシルヴィオは散歩がしたくなった。

 

目的地は近所の国家資料館だ。

ついでに資料を幾つか借りていく予定だ。仮面の国家錬金術師としても、

政府高官の男を父親に持っていたお坊ちゃまとしても可能であったからだ。

 

第一、その資料館は最終的には、かつてはシルヴィオの父親が責任者となっていたのだから、顔パスさえ可能だった。

 

 

今シルヴィオが通っている資料館近くの空地は、先程のカール少年達が普段から遊ぶ広場としても使われている。

シルヴィオは折角なので、またカールが石に躓いてこけない様に、空地の地形を錬成により整地した。

 

 

彼は人が見ていない所でさえ、何処までも善良なアメストリス人であった。

 

 

 

 

自身の身体を生体錬成の応用で少しずつ強化しているシルヴィオの嗅覚は、そこで少々焦げ臭さを感じた。

ふとその方向を見ると、まだ小さくはあるが、明らかに油脂類が燃える時に発される煙が資料館から漂っていた。

 

「火事になったら困る人がたくさんいると言うのに」

 

 

 

そう言いながら彼が手を合わせると、資料館の真上だけに局所的な雨雲が発生していた。

そしてその雨雲は直ぐに豪雨を直下に降らせ、そして雨に濡れた所から次々と氷結が始まっていた。

 

シルヴィオが煙を感知してから僅か数分後、炎は完全に鎮火された。

 

 

 

 

 

火事になりかけていた先程とは打って変わって、白くなった大地を霜柱を踏み潰しながら歩いていくシルヴィオの視界に、

血を流し倒れている2人の警備員がいた。

 

思わず駆け寄ってその状態を確認する。

傷の程度の浅い方は何とか治せないかと思っていたが、其方は既に生命活動を終えていた。

腹に大きな穴をあけて顔が潰れた方の警備員にも、性格ゆえに一応その生体情報を確認し――――

 

 

「貴方は何者ですか?」

 

損失無く、完全無欠な生命活動を行っている、死体の様な姿の警備員にシルヴィオは問うた。

 

 

 

死体の姿に変装していた、擬態能力を持つ人造人間(ホムンクルス)エンヴィーは、シルヴィオに短剣を突き刺そうとしたが、

回避されて未遂に終わった。

 

 

 

 

パチパチパチパチ

 

「流石はシルヴィオ先生。――――いえ、『流血』と呼んだ方が宜しいかしら?」

 

回避したばかりのシルヴィオの真横に、絶世の美女が佇んで拍手していた。

美女は更に言葉を連ねる。

 

 

「情熱的な火遊びに、冷やかな水を注すのは少々無粋では無いかしら?」

 

「火遊びがお好きなら、今から私の家で二人で花火でもしてみませんか? 美しいお嬢さん。

此処に何時までもいるのは良くないでしょう。

今日の此処の天気は火事のち、氷結。

天候も怪しくて、危険な能力と行動をとる人も出ているみたいですから」

 

 

「あら、じゃあ私もその危ない人のお仲間と言ったら貴方はどうするの?」

 

 

その言葉と共に、絶世の美女、『色欲』のホムンクルス、ラストは超硬質な爪をシルヴィオに伸ばした。

 

 

 

しかし、シルヴィオはその爪を撫でる様に躱して、澄んだ瞳でラストを見据えて、優しく伸ばされた爪を摘まんだ。

 

「…この爪はそういう構造になっているのですか。硬いですから、刺さったら大変そうですね」

 

爪を戻して距離を取ったラストは、その視界からシルヴィオを見失った。

 

「ラストッ、後ろだっ!!」

 

エンヴィーの声に咄嗟にラストが振り向くと、シルヴィオはラストの喉に手を伸ばし、

そしてそのまま沿う様に頬に手を当てた。

 

 

 

「折角ですのでお友達から始めませんか?

私としては、是非恋人として母に紹介したいのですけれど」

 

シルヴィオの表情からは、常に真面目で善人そうな表情が変わらない。

ホムンクルス達には、余裕が溢れる強者に映ったかも知れない。

だが、シルヴィオ本人からすればそうでは無かった。

割と、ラストが好みど真ん中だっただけなのである。

 

 

「イカれてやがる」

 

「まったくね」

 

 

そんなシルヴィオにエンヴィーが悪態をつき、首元を押さえられたラストもそれに同調していた。

やろうとすれば、首元を何時でも攻撃できる状態ではあるが、ホムンクルス故に、

ラストは一度首の構成を破壊された位では死なない。

幾多の魂を持った生命体であるが故に。

 

一度死ぬ事を前提に、攻撃を仕掛けたラストだったが、

またしてもその攻撃を回避され、今度は再び後ろに回られたまま抱きしめられる状態になっていた。

所謂、あすなろ抱きというヤツである。

 

 

「1つ解った事があります。貴方達は、私を殺すつもりは無い。

そうですよね?」

 

ラストの耳元でシルヴィオはそう呟いた。

 

確かに『流血』のルヴィオことシルヴィオは大切な人柱候補故に、殺してしまうまでは想定していなかった。

だが、ラストたちにはそれが何故気が付かれたかは解らない。

 

「貴方達の攻撃は、一度たりとも急所には向かっていませんでした。

狙われたのは、3回ともそのギリギリの部位です。きっと本当は優しい方なのではないですか?」

 

 

ラストはゾッとして身震いした。

その震えがおそらく察せられている事が癪だったので、誤魔化す様に一つ尋ねた。

 

「私も判らない事が1つあるわ。聞いても良いかしら?」

 

「美女の頼みは断りませんよ」

 

 

「では、どうして難なく攻撃を避けられたのかしら。完全な不意を突けていたと思っていたのだけれど」

 

まさかシルヴィオはそんな当たり前(・・・・)の事を聞かれるとは想定していなかった。

 

 

 

 

「簡単ですよ、行動を起こすために、他の部位がどう連動しているかを理解していれば難しい話ではありません。

汗の匂い、瞳孔の動き、関連した筋肉の微動――ヒントはたくさんありますから」

 

 

 

「私達が言うのも何だけど、貴方って化け物ね」

 

 

ラストの言葉にエンヴィーも頷いていた。

だが、シルヴィオは平然としている。

 

「貴方が爪が伸びて、何時の間にか死体から生者に戻っているそこの貴方と同じように、

少々個性が強いだけですよ」

 

 

少々の括りに入れて良いものかは判らないが、シルヴィオは少なくともそう思っていた。

世間知らずのお坊ちゃまの感性と言うものは、少々(・・)箱入り過ぎた。

 

 

「…折角だから教えてやるよ。シルヴィオ・グラン。

俺はエンヴィー、そっちのがラスト。

賢者の石で造られた、殺しても復活する人造人間(ホムンクルス)さ」

 

「と言っても、構造や構成物質は同じで、

貴方達と変わらない外見に五感もある。

感情もある。親に対する愛情もある人間よ」

 

 

 

「では、私と同じですね。

同じように手足があり、考える頭脳と感じる心を持ち、

自身を人間と定義する。

そしてアレ(・・)ではない。

ホムンクルスも私達と同じ人間です。

奇遇ですね、私も父の精と母の胎に作られた人造人間とは言えませんか?

 

――それと、願わくば是非とも、私も貴方の愛情の範疇に含まれて見たいものです」

 

 

 

 

ラストとエンヴィーは硬直した。

幾らなんでも、こんなお花畑な人間がいるのだろうか?

エンヴィーに関して言えば、今すぐ『花畑』の錬金術師に改名するべきだとさえ内心では思っていた。

 

「みんなみんなお友達ってか? 頭湧いてんじゃねーか?

じゃあ、イシュヴァール人に親を殺された事はどう説明するんだよ」

 

 

 

エンヴィーはそれを聞いた事を後悔した。

シルヴィオの真面目くさった表情はそのままに、周囲の雰囲気だけが変わった気がした。

正確には、今まで気が付かなかったモノに気が付いたことを自覚した。

 

 

「イシュヴァール人? アレ(・・)は人間ではありませんから。

死んだイシュヴァール人だけが良いイシュヴァール人です。

いえ、死なせただけでは満足は出来ません。死して尚、魂を閉じ込めて苛ませる素敵な手段があればよいのですが、

そう上手くはいかないものですよね。なので今日は、参考とする為に資料館で本を漁りに来ていたのですよ。

少年に、麗しいお嬢さん。暴力を人間には振るわないようにして頂けると、私は大変うれしいです。

殺しても良いのは、イシュヴァール人とその加担者だけですよ?」

 

 

彼の澄んだ瞳は、何も映していなかったからでは無い。

復讐一色だけを映しているから、澄んでいるように見えるだけなのだ。

 

何処まで行っても修羅の道だからこそ、何処までもこの道を歩んでいこう。

彼は、『流血』の道を選んだ時にそう決めていたのだから。




お医者さんの思考

アメストリス人→普通に人間
ホムンクルス→やっぱり人間
イシュヴァール人→テメーはダメだっ!!


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『鋼』から見た医師

日常パートです


『鋼』の錬金術師ことエドワード・エルリックにとって、シルヴィオ・グランという青年は、

凄く良いヤツなんだが、少々モヤモヤする相手、という扱いだ。――主にウィンリィの関連で。

 

 

 

町中で偶々ボロボロになっていたエドワードを見つけて、生真面目な表情で話しかけてきては、

勝手に手合せの錬成で治療を始めた、少々身勝手で、お節介で、善意溢れる医者だった。

そして、エドの身体がオートメイルだと知ると、

骨や血肉だけでなく神経まで用意した生体義手を錬金術で構築して、

 

「貴方がもし望むなら、金属の身体では無く生身の身体はどうでしょうか?」

 

そう、提案してきたのだ。

エドワードは鋼鉄の義手の使い勝手や製作者の事もあり断ったが、代わりに自分の弟の義体を構築して欲しいと提案した。

まことにずうずうしい願いではあるが、と。

 

シルヴィオは快くそれを引き受けた。

 

 

 

…だが、結論からすると成功はしなかった。

マネキンのような簡易的な義体であれば、上手くいっていた。

だが、本人の身体に最大限適応する義体だけはどうしても上手く構築できなかった。

完成品を接続しても、違和感があるだけで上手く反応しなかった。結局欠陥品だったのだ。

 

「何故でしょう、何時もなら上手くいくというのに。

ただ血が通った構成物の構築です。魂の錬成でも何でも無い。極普通の錬成の範疇でしかないというのに…。

お力になれずすみません」

 

「いや、先生は凄いよ。紛い物とはいえ、ここまで人間の構造を理解した人は見た事が無い。

恐らく僕達の肉体は向こうに持って行かれたから、僕達にぴったりの肉体は普通の手段じゃ構築が出来ないんだと思う。

僕の肉体が完全にないから失敗していて良かった。

きっと少し参考資料になる肉体があって、それを元に構築していたらリバウンドの可能性もあったかも知れない」

 

 

自分の肉体の再生が叶わなかったエドの弟のアルフォンスは、少々残念さを滲ませながらも、

善良な医師が錬成の反動(リバウンド)を起こさなかった事を喜んだ。

 

 

 

その様な事から彼らの友諠は始まり、顔見知りとなったエドワードたちが、シルヴィオにウィンリィの両親の話をした時だった。

 

「リゼンブールの幼馴染の両親が、イシュヴァールの戦争の時に傷ついた人々を、できるだけ皆救いたいと言って出て行って、

それっきり帰ってこなかった」

 

そうエドワードが言った時、シルヴィオは聞いた。

 

「その『皆』にはイシュヴァール人も含まれていたのでしょうか?」

 

「ああ、あの人たちが分け隔てする訳が無い。あんたみたいな底抜けのお人よしだ」

 

 

 

 

 

「私など到底及びませんよ。本当に素晴らしい方たちだったのでしょうね。

その結果、亡くなって、確かリゼンブールも奴等の標的になってしまった。

本当に、悲しい事です」

 

この時、エドワードは初めてシルヴィオに違和感の様な何かを感じた。

だが、その何かの正体に気が付く事は出来なかった。

医師の目を見ても、何処までも澄んだ蒼穹の様な瞳があるだけだった。

 

 

「…、ああ、ところで娘さんも医療の道を進んでおられるのでしょうか?

でしたら是非お会いしたいものです。

未来の美人女医に逢えるというのは、心が踊りますね」

 

極めて真面目な顔で言うシルヴィオに、アルフォンスは意外なキャラクターに驚いた後苦笑して、

エドワードはちょっとしたイライラを滲ませて言った。

 

 

「…ウィンリィは美人女医なんかにはならねえぞ」

 

「医師の卵の美少女では無いという事ですか、少々残念です」

 

 

シルヴィオは真剣そうな真顔のままそう言った。

 

「いや、なんだ…、その、世間一般的な評価として可愛いってのは否定しないが、

医者は目指してないんだ。祖母が機械技師でそっちを目指してる」

 

 

「…成程、美少女なのは否定していないのですか。それは良い事です」

 

 

エドワードは、この素直クール系スケコマシに、ウィンリィを近づかせたくないと強く思った。




男の素直クールって誰得…


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『焔』から見た医師と『流血』

何時の間にか、沢山のお気に入りと評価と感想があって驚きました。
感謝と歓喜でいっぱいです。

さて、今回は再び幕間的なお話です。
イシュヴァール人の彼とのお話を制作中なので、しばらくお待ちくださいませ。


『焔』の錬金術師こと、ロイ・マスタング大佐から見て、シルヴィオ・グランという青年は、

一言でいうと、『軍に居なくて良かった男』である。

 

それは主に、錬成能力と女性絡みの理由である。

 

 

国家錬金術師にも、知られる限り、『鋼』以外にはそうそういない、手合せだけで錬金術を行使できる人間であり、

その錬成速度と精度、そして効果範囲が極めて有能であった。

 

おまけに身のこなしも洗練されており、一挙手一投足から彼がかなりの武術の使い手である事が窺える。

そして父があの『鉄血』のグラン准将であったという事から、軍に身を置いていない事が奇跡の様な人材だった。

 

ただ、ロイの出世道のライバルとなられても困るので、親切な町医者で過ごしていくのならそれでもいいと思った。

 

 

 

それに、美女と見間違うばかりのその容姿と、美女を見るたびに真顔で口説くような事を言う性質も少々頂けない。

プレイボーイは共に天を抱かずと昔から言われているように、ハーレム王は只一人で良いという男の性も無視はできなかった。

シルヴィオに熱を上げた美女に、声を掛けたロイが袖にされた逆恨みが、全く含まれていないとは言いきれない。

 

名家故に、グラマン中将の孫娘(リザ・ホークアイ)とも幼いころに面識があったようで、

何時もその美しさを真顔で誉め立てている所も、

煩いお目付け役の目線が逸れると強がっていながらも、思う所が無い訳では無い。

 

 

「ずっと見ていかなければならないモノがあるそうで、どうやら私は眼中にないようです。

実に残念な事ですね」

 

とフラれた事をわざわざロイに言いに来るところも、

溜飲が下がる様な、血圧が上がる様な気分にさせられる。

 

客観的に見れば、有能な善人だが、ロイの主観からすれば只管気に喰わない男である。

 

 

 

 

 

 

 

 

では、最近国家錬金術師の試験に合格した『流血』に対するロイの認識はと言うと、

――――最低であった。

 

というか、普通に『流血』は人に好かれる様な性格はしていない。

『不穏分子処理官』という肩書を与えられて、

イシュヴァール人が行った犯罪履歴(アメストリス人にとって不利益な事柄も全て犯罪とする)を纏め上げ、

イシュヴァール人自体を、野蛮で危険思想を持った存在として排斥する流れを推し進めている。

 

最近では、リゼンブールでのイシュヴァール人の破壊行動の調査結果を民衆に流布して、

反イシュヴァール人の機運を醸成しつつある。

敢えて忘れられつつあった過去を揺り起こして、諍いの火種を作る為に、

夫がイシュヴァール人の暴動で亡くなって、女手1つで娘を育ててきた美女がイシュヴァール人たちを非難する会場を作ったりと、

あの手この手でイシュヴァール人を追い詰めるような動きは、見ていて気持ちの良いものでは無い。

 

今では、自分からイシュヴァール人に石を投げに行った子供たちが、イシュヴァール人たちに追いかけられた事が通報された結果。

石を投げただけで、子どもを殺しにかかる危険集団であると『不穏分子処理官』に判断されて、

錬金術の行使による、無数の石礫でイシュヴァール人20名が抹殺された事もあった。

 

 

かつてと違い、イシュヴァール人の数が少なく、散り散りになっている為に、

イシュヴァール人の子供をアメストリスの将校が殺したことによる紛争が同じ規模で再発する事は無いだろうが、

嘗て起こされた悲劇を、政府が黙認する事に、その戦争を経験したロイにとっては嫌悪感すら感じる流れが出来ていた。

 

寧ろ現在では、積年の恨みによる反撃を受ける前に、

恨みごと纏めてイシュヴァールを全滅させてしまえと言う強硬派の声も、軍内にも聞こえてきた。

 

 

新興宗教が圧巻していた町で、教祖の悪事が潰えた後、その混乱に興じて町に新たな宗教を流布しようとしたとして、

イシュヴァール人達と民衆たちが争いを繰り広げている元凶も、それらの流れの一つであるとさえ言われている。

 

 

かつて仲間達と共に乗り越えて、二度と起こしたくないと思った悲劇の体験は何だったのだろうか?

人は喉元を過ぎれば熱さも忘れるのか?

ロイはその遣る瀬の無い未来に向けた感情を隠す様に、手で目を覆った。




プレイボーイVSプレイボーイなお話でした。


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復讐者と復讐者

さて、恐らく多くの読者の方が期待された(はずの)カード。
上手く描けたか不安は残ります。一応、見せ場なので。


ホムンクルス達を退けたシルヴィオは、帰ろうとした時にエドワードとアルフォンスと遭遇した。

退けたホムンクルスの美女が、

「今度会った時には、死した者を尚苛む方法を教えてあげようかしら」

去る時に言っていた言葉を思い出している時だった。

 

 

「こんばんわ。今宵は美しい夜ですけれど、子どもたちだけで出歩くのは危ないですよ」

 

心からの善意で2人にそう提案したシルヴィオだったが、

どうやら子ども扱いされた事に腹を立てたエドは、

 

「誰が豆粒ドチビガキかーっ!!」

 

と勝手に言っても無い事まで言って自爆していたのは、形式美でご愛嬌だ。

一方、兄より落ち着きのある事に定評のある弟アルは、

 

「シルヴィオさんこそ、最近物騒だから気を付けてね」

 

とシルヴィオの身を案じる言葉をかけた。

実に良くできた弟である。

 

 

 

 

 

二人が資料館に向けて駆けて行くのを見届けたシルヴィオは、物陰に向かって先程とはまるで温度が違う声で語り掛けた。

 

「今から国家錬金術師であると言うだけで、彼らを追いかけて殺しに行くつもりですか?

――――私の父にそうした時の様に」

 

 

シルヴィオを中心とした、周囲の地面が凍りついていく。

その温度よりもさらに冷え切った、シルヴィオの視線を受ける様に、

顔に傷を持つイシュヴァール人が物陰から現れた。

 

 

「…良く気が付いたな」

 

「貴方の気配を忘れる事の方が難しいですよ。

洗っても落ちないイシュヴァール人の臭いをね」

 

 

他者への侮蔑とは程遠い所にいると町の誰もに思われていて、

底抜けのお花畑な思考で以前自身を治療したシルヴィオの侮蔑に、

傷の男(スカー)は少しの驚きを見せた。

 

 

 

「随分と変わったな。以前とはまるで別人だ」

 

「…貴方が其れを言いますか」

 

 

 

 

 

 

「邪魔をするならお前も殺す。

自分を治療した医者を殺すのはこれで2回目だ」

 

殺意を高めていくスカーとは対極的に、

シルヴィオは殺意を高める(・・・)事は無い。

何故なら――――――――高めるべくも無く常に最大限の殺意を心に構築しているからだ。

 

 

 

「イシュヴァール人を治療する医者…」

 

シルヴィオはそう呟きながら、記憶の紐を解いた。

 

 

 

 

 

『リゼンブールの幼馴染の両親が、イシュヴァールの戦争の時に傷ついた人々を、できるだけ皆救いたいと言って出て行って、

それっきり帰ってこなかった』

 

 

先程会った少年がかつて言った言葉を思い出す。

 

「私のお友達のお友達から両親を奪ったのは貴方だったんですね。

生きる価値の無いイシュヴァール人を救いに行った善良な医師夫妻をその手にかけたのですか。

…慈悲はかけません、滅ぶべしイシュヴァール」

 

イシュヴァールを悉く否定するシルヴィオを殺害しようと、スカーは構えを取った。

 

「恨みは散々買ってきた。だが、その全てを返り討ちにしてきた。

貴様の復讐心ごと、呑み込んで己れの復讐は遂行する」

 

 

 

「そうやって、貴方の仇でもない国家錬金術師やその関係者を殺してきたのですか」

 

シルヴィオはスカーに対する構えは一切取っていなかった。

シルヴィオは自然体でイシュヴァールを滅殺する存在故に、構えは不要だった。

が、敢えて軍隊式格闘の構えを取った。

その理由は敢えて問う程では無い。

 

 

「当然だ。あの戦争で幾多もの同胞たちが国家錬金術師たちに殺された。

全ての国家錬金術師を殺すまで己れの復讐は終わらない」

 

 

「…そうですか。

残念ですが奇遇ですね。

私の復讐も、貴方を殺した後も終わりません。

全てのイシュヴァール人を血の海に染めましょう。

死して尚、魂の安らぎが無い地獄へと叩き落しましょう。

 

そこまでやる必要があるかという疑問があるならこう答えましょう。

私は道端にゴミがあればゴミを拾い、傷病人がいれば傷病を払う。

世界のゴミであり、傷病であるイシュヴァールを私は積極的に処分します。

感謝は要りませんよ? ――――ヤらない善より、ヤる偽善というヤツです」

 

 

その直後、二人は急速に接近した。

 

 

シルヴィオの掴み投げを回避した反撃に振るわれる、スカ―の剛腕を、

シルヴィオはその細腕で受け止めた。

 

その直後、シルヴィオの腕が爆ぜた。

スカーの分解の練丹術による攻撃だった。

 

 

血と肉が弾け飛ぶ。

だが、シルヴィオは顔色一つ変えず、衣服に仕込んだ錬成陣を使い、

弾け飛んだ血肉を再結合させて、先程までと変わらない腕を再構築した。

 

驚きを押さえつける様に、シルヴィオの腹を先程同様分解したスカ―だったが、

それもシルヴィオが手を交差するように、パチンと叩いたと同時に再生する。

 

そのまま、シルヴィオは僅かに体内に残す事無く、周囲に飛び散った血液を使い、

矢じりの様な容で、スカーに高速でとばして突き刺した。

 

 

「受けて見て解りましたが、変わった術式ですね。

その腕の模様と見比べて大凡の内容は想定が出来ました。

 

腕が分解されましょうが、胴が分解されましょうが、

私の殺意は分解できません。

さあ、私を殺したいのでしょう?

私に殺される前に、私を殺したいのでしょう?

やってみればいいじゃないですか。さあ、さあ、さあっ!!」

 

 

 

 

そんなシルヴィオに戦慄を感じたスカーはふと後ろに何かが動いているのを感じた。

視界の端におさめたそれは、イシュヴァール人の少年だった。

 

「ひぃっ、助けてっ!!」

 

「早く逃げろっ!!」

 

 

少々歪な(・・・・)声で悲鳴を上げる少年に、退避を勧告するスカーだったが、

シルヴィオはその少年に気を取られながら戦える相手では無い事は自覚していた。

だが、だからと言って、少年から目を逸らしていいわけでは無かった。

 

スカーに向かって近付いてきた少年は、血が入った肉袋として弾け飛び、

その血液全てが巨大なギロチンとなって、スカーに襲い掛かった。

少し離れていた場所に放置していた、イシュヴァール人の死体を使って、

たった今習得した技術体系から読み解いた、効率の良い遠隔式錬金術式を応用しての所業である。

 

「既にそれは死んでいたのです。声帯を振るわせたり、

中の血液を操って、生きているように見せるのは難しい事ではありませんでしたよ」

 

「ぐっ、貴様が…『流血』だったのか。

何時か…、必ず殺す」

 

 

その一撃で大きな傷を負ったスカーは、その場を逃げる事にした。

少年の分も含めて、いつか借りは返さなければならないが、

今此処で死んでは復讐は遂げられない。

 

 

 

故に、今は逃げる他無かった。

スカーは、走りながらシルヴィオの目を思い出す。

シルヴィオもまた、スカーの目を思い出していた。

 

 

 

「己れも、あんな目をしていたのか…?」

「私もあのような目をしているのでしょうね」

 

 

 

 

 

 

それに気が付いたとしても、スカーもシルヴィオも復讐を終われない。

憎しみの連鎖は際限なく膨らんでいくとしても、

相手の復讐心ごと砕くほど、強大な力で踏み潰す以上の選択肢を復讐者達は知らないのだから。

 

怨嗟の輪廻は巡り続ける。

まるで尾を喰らうウロボロスの様に。

いつか自身を全て呑み込むその時まで。




それと、「スカ―さんはもっと良い人なんだー」という、ファンの方々すみません。


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イシュヴァール人の家

実は感想で、タッカーさんが思わず例のセリフを呟きそうな、
勘の良い読者の方々が結構おられたので、驚きました。


今回は無意味なくらいにやり過ぎな描写があるのでご注意ください。
所謂『流血』表現注意です。(タイトル的にも今更かもしれませんが)


シルヴィオによって重傷を負わされた傷の男(スカ―)は逃走していた。

次の闘争に備える為に、次の報復に備える為に。

そして、偶然にも逃亡先で出会ったイシュヴァール人の少年の手引きにより、

アメストリスに住まうイシュヴァール人達のスラムに逃げ込んだ時、

自分を心配する同族たちに安堵したのか、そこで彼は意識を手放した。

 

 

スカーは其処の者達に丁寧な看護を受けた。

イシュヴァールにおいては、錬金術を伴わない医術についてはそれなりに進んだ技術が発達しており、

熱心な医療者と、医療にはスキルが無い故に直接かかわれないものの、

食事を作って運んでくれる温かな人々の優しさがスカーの身体を癒していった。

 

 

 

 

 

…それは偶然だった。

偶々、そう、偶々ある程度回復が進んだのでリハビリがてらに少し離れた町中にスカーが移動していた時だった。

 

 

 

 

女性と聞き間違うばかりの美しい声を持った、身なりの良い服装の、仮面をつけた青年が現れた。

 

「始めましてと言えばいいでしょうか。

私は流血。

アメストリスの人々の為に、防疫として害虫駆除をしているものです。

顔に傷があるイシュヴァール人(の血)に導いて貰い此処までやってまいりました。

ですがどうやらここにはいないようですね」

 

 

「お前はっ、『流血』ッ!!」

 

 

仮面の錬金術師『流血』を識る人々はその名前を叫んで立ち上がると、

直ぐに男衆は何かあった時に戦える体制に、女子供老人は退避行動をとり始めた。

イシュヴァール人のコミュニティで今、一番噂になっているのがイシュヴァール人殺しの『流血』の話題であった故に、

彼ら彼女らの行動は極めて早かった。

だが――――――――

 

 

「直ぐに動ける怪我にしたつもりはありませんでしたが、

…きっと医療に長けた者がいたのでしょうね。イシュヴァール人であることが残念でなりません。

どうですか?スカー。貴方(の血液)が彼らの駆除に貢献したのですよ。

そして貴方の腕の入れ墨の技術が、ここで彼らを殺すのです。

つまり…、――これで、貴方にとって、自分を助けてくれた存在を殺すのは、三回目になるのでしょうね?」

 

そう呟いた『流血』が瞬く間に近隣の老人の頭を掴むと、スカーが今までアメストリス人にそうしてきたように、

老人の頭が爆散した。

そしてその中に在った全ての血が上空に吹き出した後、それぞれ(やじり)の形になって、

一斉に周囲の人々に襲い掛かった。

 

そして刺し抜かれた人々の身体からは異常な程の血飛沫が上がり、

その血飛沫をまき散らして干からびた人々の上空には再び、赤黒い鏃が次の標的に差し向けられていた。

 

文字通り血の雨が降るスラムの中を歩きながら、鏃の届かない家屋の中へと迷う事無く『流血』は歩いていった。

 

「昔から、命の気配には敏感な方でしたが、今では特にイシュヴァール人の気配だけは隠れても判る様になりましたよ」

 

そう言いながら、大きな(かめ)の蓋を開ける。

 

「ひぃぃっ」

「助け、助けて…」

 

そこには小さな女の子と男の子を抱きしめる母親らしきイシュヴァール人がいた。

 

 

『流血』はそれを見て、何事も無かったように蓋を閉じた。

『流血』がその家を出た後、甕の底に空いた小さな穴からは、断末魔の悲鳴と共に血と肉と油が混じったような液体が流れていた。

 

 

 

逃がさず殺し、逃がしては見つけて殺し、隠れているものはその遮蔽物越しに殺して回った。

 

『流血』の主観では目の前にいる一匹のイシュヴァール人を除いては、もう既に『流血』の手を逃れた者はいないようだった。

少なくとも、『流血』の主観においては。

 

 

「ところで、顔に傷がある男の居場所は判りますか?」

 

『流血』が何時もの様に丁寧な口調でそう質問したが、その質問を受けた男は、

 

 

 

「仲間を売る様なイシュヴァール人なんか居る訳が無いっ!!」

 

そう叫んで、次の瞬間周囲に忍び寄っていた血の海に包まれた。

 

 

 

「さて、ここの者達は何処へ持っていきましょうか?

…ああ、良い場所がありましたね。

メッセージを置いてそこに出かけましょう」

 

 

血を抜き切った人々の身体に再び血を流入させ、その血液を操る事でハーメルンの笛吹きの様に『流血』は23名(・・・)の人々を連れ去った。

その中には血液に動かされる死体だけでなく、血液の鎖に引き摺られる人々も大勢いた。

()イシュヴァール人の小規模のスラムには、血痕一滴も残らず、ただ冷たい風だけが吹いていた。

 

 

 

 

 

 

 

スカーがスラムに戻ると、そこには誰もいなかった。

 

「誰か、誰かいないのかっ!?」

 

 

そう叫びながらスカーは周囲を探して回ったが、そこには誰もいなかった。

スカーは嫌な予感がして探し回った後、ある家屋の中に入った。

 

そこには手紙を持った少女と少年がいた。

 

二人は手紙を差し出す姿勢で固まったまま動かない。

スカーの読んだその手紙にはこう書いてあった。

 

 

『お手柄ですね、スカ―。

貴方が誘導してくれたおかげで、多くのイシュヴァール人を発見できました。

ひ、ふみ、よ…と数えると25体(・・・)でした。

ご褒美です、在り難く受け取りなさい』

 

丁度スカ―の一歩前の位置に、アメストリス金貨が1枚投げ捨てられていた。

 

 

「金貨1枚…、たった1枚の金貨の為に俺達を裏切ったのか…っ」

 

少年が怨嗟の声を向けた。

 

「…違う」

 

 

 

そして少女にも言葉の石を投げつけられる。

 

 

「お母さんがあなたの医療の主体になってたのにっ」

 

「それは『流血』が――――」

 

 

スカーがそう言いかけた時、少年と少女が突如苦しそうに倒れ込んだ。

このままでは助からないのは解っていたが、スカーには助ける事は出来なかった。

助ける方法が解らなかった。

その結果、少年と少女は息絶えた。

 

 

スカーは金貨を拾い上げて砕き、両腕を空に仰ぐようにして呟いた。

 

「己れには、壊す事しかできない。己れには、復讐しかできない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スカーがそう呟いている頃、

あの建物の中で『流血』は、そろそろスカーがあのスラムであった場所に戻っただろうかと想像しながら昏く笑った。

 

 

 

「私は医者ですから、人体の治し方を良く知っています。

治し方をよく知っているという事は、壊し方も良く知っているという事です。

それと、壊したまま生かすやり方も――――ですね」



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精製――賢者の石

※人間で賢者の石を作らないで下さいbyとある医者


最近医術を教えている少女にお土産を持たせて家に帰した後、

シルヴィオは郊外の廃墟染みた場所で錬金術の実験をしていた。

 

彼の足元には、アルフォンスの様な一式揃った鎧が倒れていた。

その鎧は、まるで生きているかのようにシルヴィオに襲い掛かって来たのだが、

空気中の水分を急速に集めて作った、渦の中で洗浄している内に動かなくなってしまったのだ。

シルヴィオは、もしその鎧がアルフォンスの様に意志を持って動いていたのだったら、

酷い事をしてしまったものだと、少々落ち込んだ。

 

シルヴィオの右隣りには、周囲を明るく照らすランプがのせられた机がある。

机の上には既に読み終えた書――――資料館で見付けた『賢者の石』の製法を記した、Dr.マルコ―の研究文献が置かれていた。

 

彼が今行っている錬金術の実験とは、即ち完全物質『賢者の石』の錬成。

浅黒い肌と赤い目を持った実験材料(・・・・)達が、口々に命乞いをするが、

シルヴィオは気にも留めた様子も無い。

 

 

「動かないで下さい。大切な実験の最中です。

まあ、手足が無い状態でできる事など限られていますが」

 

彼はごく自然にそう話しかける。

何時もの様な真面目な表情で真剣な目をしているが、その感情は憎悪一色である。

 

(イシュヴァール人を殺す。イシュヴァール人を殺す。イシュヴァール人を殺す。イシュヴァール人を殺す。

イシュヴァール人を殺す。イシュヴァール人を殺す。イシュヴァール人を殺す。イシュヴァール人を殺す。

殺したイシュヴァール人を殺す。殺したイシュヴァール人を殺す。殺したイシュヴァール人を殺した後尚殺す)

 

そんな憎悪を感情の基盤としながら、錬金術師としての好奇心と、探究心を僅かに浮かばせて錬成の準備を終えた。

 

 

錬金術における至高の物質。最高の術式増幅器、至高の対価。

その原材料は――――人間であった。

 

 

(これがあれば、さらに多くの人々を幸せにできる)

(これがあれば、イシュヴァールの魂を更に貶められる)

 

この二つの感情は、シルヴィオの中では同等で同時に同居している。

同居できている。

 

常に人々の幸せを心から願いながら、

常にイシュヴァール人への憎悪一色で塗りつぶされた心。

仮に、彼の心の中を覗ける存在がいれば、発狂して魂が塗りつぶされてもおかしくない代物に成り果てていた。

 

 

ホムンクルスの美女に今度出逢ったら贈ろうと、庭で育ててある薔薇に水や肥料をやりながらも、

(美しく育ってきましたね。イシュヴァールコロス送ったら喜んで頂けるでしょうか?

イシュヴァールコロス贈るにしても花の組み合わせも考えなければ行けませんね。

イシュヴァールコロス見た目の問題だけでなく花言葉も考慮しなくては…

イシュヴァールコロスイシュヴァールコロスイシュヴァールコロス)

 

と呼吸をするように、イシュヴァールへの憎悪が存在しているのだから。

 

 

 

 

 

 

錬成は何の問題も滞りも無く完了した。

熟練の職人の様な手腕と、新鋭的発想を高度に兼ね備えたシルヴィオにとってはそう難しい事でもなかった。

 

数人のイシュヴァール人が消滅して、その後、そこに残った真紅の液体であり固体。

それはまるでイシュヴァール人達の血液を凝縮したようだった。

シルヴィオは聞こえているかどうかは解らなかったが、その賢者の石に呪詛の言葉を投げかけた。

 

「死して尚、貶め、死して尚、恐怖させ、死して尚絶望させた後、死して尚殺してあげます」

 

 

 

シルヴィオは錬金術の至高を、育ちの良さが窺えるも、そこまで丁寧では無い扱いで回収し、

 

一人だけ生かして置いたイシュヴァール人の老人の首を切り落とし、

緋色の血文字で、

 

『イシュヴァール滅ぶべし』

 

と残し、それ以外の全ての痕跡を除去して場を去った。

 

 

 

 

 

 

 

それからしばらくして、エルリック兄弟がシルヴィオの診療所を訪ねてきた。

 

「こんにちわ。今日は何処か怪我をしたのですか?」

 

「いや、そうじゃない。

貸してくれ。持ってるんだろ? マルコーの研究成果」

 

 

 

エドたちが資料館に行くと、目的の探し物は既に、シルヴィオ医師が借りたと貸出簿に記されていた。

それ故に、シルヴィオの所に彼らはやって来たのだ。

 

「ええ、持ってますよ。又貸しは規則では禁止されているので、出来れば此処で読んでいただけると在り難いですね」

 

 

 

シルヴィオはそう言うと、ココアと料理本の最初に在ったレシピを、

解釈を含めずに文字通りに作った料理を用意するために、キッチンへと向かった。

 

 

 

シルヴィオは錬金術を使わず、普通通りに料理を作った後、ココアと共にエドの所に持ってきた。

 

「読み終えましたか?」

 

「――先生、賢者の石の正体、アンタなら理解したんだろ?」

 

 

 

「…、そのように断定されては、態々この料理を作った意味が少し減ってしまいますね。

出来れば貴方達の様な年齢の方との食事中の会話は、錬金術師らしくない会話になれば良いなと思っていたのですが」

 

「ショックなんて言葉じゃ表せない内容だ。優しい先生が敢えて気が付かなかったフリをしてくれたのは解る。

でも俺達は汚いものから目を隠されるだけのガキじゃない。

どうしても手に入れたかった賢者の石の正体は――――――生きた人間だって俺達も知りたくは無かったさ」

 

 

シルヴィオは軽く息を吐いた後、白衣のポケットの中に手を差し入れた。

 

「もし貴方達が、生きた人間(・・)を使うと言うのなら、私はそれを止める様にお願いしたいのですが」

 

因みに、彼が賢者の石を作った時の原材料は生きた人間(・・)ではない。シルヴィオの中においては。

 

 

 

「見縊らないでくれ。他人を犠牲にしてまでそれを求めようとは思わねえよ」

 

シルヴィオは、エドたちがそのような人間でない事に心底安堵した。

彼は人間同士傷つけ合う姿を見たくも聞きたくも無いからだ。

故に、

 

「それを聞いて安心しました。ではこれを差し上げましょう。

使う、使わないはまた別の話ですからね」

 

ポケットの中から手を抜き出して、エドたちに賢者の石を差し出した。

 

 

 

「私の父親が責任者であった、施設の近くにある小屋の中に存在していた物です。

この大きさだと、エド君の足か手を治す程度が精いっぱいかも知れませんし、それもできないかも知れませんが、

貴方達が人間(・・)を傷つけないと言うのなら、どうぞ有意義に使ってください。

重篤の急患がいれば使おうかと思っていたのですが、

今のところ、これが早急に必要な患者さんもいませんし、

私には、薬を買う財力も、医術の腕も既にありますから」

 

その言葉と共に、エドはシルヴィオから賢者の石を受け取った。

そしてエドたちが礼を言って帰った後、シルヴィオはキッチンで皿を洗いながら一人呟いた。

 

 

 

 

 

「彼らの様な若い命に少しでも力になれたのなら、あの石の存在意義もあると言うものです。

それにしても、死んだ方が役に立つなんて、イシュヴァールは悉く生きている意味が無いですね」




場所は伏す(オカルト板感)


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医者の矜持

因みにどうでも良いですが、主人公の名前は父親が『鉄血』なので、
金属の『銀』から来ています。
ちなみに偽名のルヴィオ・ラグーンはアナグラムでもありますが、
RUBIO=スペイン語のブロンド=『金』です。
そう言えば金は、錬金術師に禁止された錬金でしたね。


エドたちが賢者の石を持ち帰って暫く後、

賢者の石の裏に纏わる闇を調査するために動いていたロイの親友、ヒューズはある事実を突き止めた。

 

それは、アメストリス軍が、否、アメストリス国そのものが真っ黒であった事。

それを急いで親友兼、盟友のロイ・マスタングに連絡するために、

軍の連絡回線が傍聴されていることから、部外回線から連絡しようとしたところを、

擬態能力を持つホムンクルス、エンヴィーに襲われた。

 

「軍がヤバい」

 

その一言を、ロイに電話越しで伝えた直後、力尽きて倒れ伏せた。

 

 

 

その時シルヴィオは偶々夜道を散歩していた。

今日は入院している患者がいないので、イシュヴァール人がいたら殺すための捜索がてら散歩をしていたのだ。

 

そこで偶々、ヒューズが倒れているのを目にした。

 

「大丈夫ですかっ、ヒューズさんっ!!」

 

「何故…俺……前を?」

 

目の前に患者(・・)がいるシルヴィオは気が付いてもいないが、

ヒューズとシルヴィオ・グラン(・・・・・ ・・・)が遭遇した事は無い。

あくまで『流血』としてしか遭遇した事は無い。

名前を知られている可能性は著しく低い筈なのだ。

あくまでシルヴィオが遭遇した事があるのは、ヒューズの娘が風邪をひいた時に、

出張診療した際に出迎えたヒューズの愛妻グレイシアと愛娘エリシアだけだった。

 

だが、今はそのような余裕は無かった。

目の前で傷つき倒れている人間を救うのは、シルヴィオにとって、

医者として、いや、人間として当たり前の事だった。

 

すぐさま地面を材料にメスを造り出して切開し、衣服の繊維を糸として縫合しつつ、

錬金術を並行して使い、血脈や肉を生体錬成の要領で結合。飛び散った血を余計な汚れを削ぎ落して再収集して輸血。

 

可能な限り、高い効率と精度を注ぎ込んだ医療だった。

 

 

 

 

だが、それでもあと僅か、あと僅かの部分だけが足りなかった。

単純に処置が遅かったのだ。

故に間に合わなかった。

 

 

シルヴィオが大好きな、温かい血の流れる人間はもういない。

冷たくなって動かない遺体がそこに在るだけだった。

シルヴィオの能力により、外傷だけは僅かな縫合を除き、ほぼ完全に無傷の状態になっていたにも拘らず、

時間だけが足りなかった。

もしくは――――――

 

 

 

「ああ、賢者の石がここに在れば良かったのですが、こういう時に限って、ままならないものですね」

 

そう呟いた後、それを心の中で、

いや、足りないのは賢者の石ではなくて、私の医者としての腕前でしょうね、と訂正した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日、シルヴィオはヒューズの死に立ち会ったが、助けられなかった事をヒューズの家族に詫びに行った。

 

「すみません。私が及ばなかったばかりに…」

 

そう謝罪するシルヴィオに対し、ヒューズの妻であったグレイシアは、

 

「…あなたは良くやってくれました。責めるつもりはありません」

と言っていたが、娘のエリシアは、

 

「どうして、どうしてパパを助けてくれなかったのっ、先生なんか嫌いっ!!」

 

そう言って、その小さな手でシルヴィオの足を叩くと、母の下に走り、そのスカートに顔を埋めて泣き出した。

 

 

 

シルヴィオは只々謝罪する他出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シルヴィオはその日家に帰って、あることを決めた。

 

(人もホムンクルスも、誰もが温かい血が流れる人間です。

死んでよい存在ではありません。

この世は死んでも良い、否、殺すべきであるイシュヴァール人が生きていて、

死ぬべきでない、幸せになるべき人間が死んでしまいます。

そうですね、またこのような事があった時の為に、一つくらいは賢者の石を確保しておかなければなりません)

 

 

今日の捜索で、町中を歩いている時にイシュヴァール人の子供を一人見ました。

子供だけで生活しているとは考えにくいです。

イシュヴァール人は一人いたら、三十人とは言いませんが群れていることが多いので、

今から、探しに行きましょうか。

 

もう次は、罪の無い人々を、生きるべき優しい命を犠牲になんてさせません。

救える命を救える存在になりたいです。

その為にはイシュヴァール人を生きたままどんどん解体して、更に医術を高める事も必要ですね。

どうせ殺すなら、人々の為になる殺しの方がきっと良いでしょうし。

勿論、死して尚苦しめる事も、とてもとても大切ですが。

 

 

 

…あの子には嫌いと言われてしまいましたが、私はこれでも先生ですから。




救う事も考えたのですが、やっぱりここでヒューズさんを生かすと後々書きたいシーンが書けなくなるので、このような結末になりました。
技量と発想力があれば、彼をどうにか生かせたのですけれどね。
生かしたまま、作品を繋げられる作者さんがうらやましいです。


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医者の信条

「お客様の中に~~」


母方の親戚の家に用事があり、シルヴィオは汽車に乗っていた。

序に言えば南方司令部に国家錬金術師として要件が無い訳でもないし、

アエルゴ王国の事でも調べておきたいことがある。

アエルゴ王国はかつてイシュヴァールを支援していたという噂もあったのだから。

もしそれが真実であれば、今イシュヴァールと敵対している可能性と、

イシュヴァールの残党を未だ支援している可能性も捨てきれない。

 

ゴトンゴトンと走る汽車。

車窓の向こう側には美しい風景が流れている。

この様な美しい自然の中に、小さな小屋を建てて、あのホムンクルスと家庭を作るのも悪くない。

いや、寧ろそうなったら万歳だ。シルヴィオがそんな妄想を医術書を手元に置きながら浮かべていた時だった。

 

 

「お客様の中にお医者様はいませんか?」

 

汽車の乗務員が顔に冷静さを張り付けながらも、止まらない冷や汗を流しながらシルヴィオのいる車両へと入って来た。

医者と言う仕事は割に合わないとは良く言われる。最低限度の基準に到達するまでに多大な時間と資金が必要で、

しかも能力が極めて高くあることが前提条件である。

その難問を突破したうえで、失敗すれば強く責められる。

それは高い能力を持つ国家錬金術師が、大衆にとっての都合の良い道具で無いからと、妬まれるのに近い所がある。

故に、この様な時に、普通医者は名乗り出ない。

 

仕事で来ているわけでないので、道具も薬も無く、助手もおらず、汽車の駆動音や車輪の音が大きすぎて症状が掴みにくい。

そして報酬を確実に手にできるわけでは無い。無理に請求すれば他の乗客たちの手前で居心地が悪くなる。

 

だが、シルヴィオという医師にはその発想はそもそも存在もしていなかった。

救えるものがいれば救う。人間の命は尊く、医者はそれを救うものだ、と。

 

 

患者が少女だったので、急いで男性客には他の車両に移る様に指示した後、少女の服を肌蹴させて診察を開始した。

まず最初に判明したのは呼吸と心臓の停止。

呼びかけても反応は一切ない。

このままでは、また(・・)間に合わなくなる。

もう二度と人を死なせない。

あの夜、本当にヒューズを殺したのは、下手人では無く、

ヒューズを救えなかった自分自身なのだからと、シルヴィオは歯を食いしばった。

 

すぐさま素肌に直接手を触れる様に置き、心臓を強く押し込むようにマッサージする。

同時に電子の移動と、効率化の為にランダム軌道を行う電子を一定方向のみに限定する事で電流を生み出す術式を構築。

これらはシルヴィオの専門外の術式だが、シルヴィオの信念において、医者に専門外という言葉は無い。

彼にとって医者とは全ての人々を救う存在の事を指し示すのである。

 

「皆さん、少し離れていてくださいね。少々なれない事をやるので、周囲への影響までは考慮が難しいのです」

 

その言葉を周囲の女性乗客たちが理解して距離を取ったのと同時に、裂ける様な音と共に、少女の身体が跳ね上がった。

 

「もう一度やります」

 

その言葉通りに少女の身体が音と共に再び跳ねた。

 

そのショックで少女は目を覚まし、心臓の鼓動と呼吸は再開したが、少女は再び意識を失いつつあった。

脈拍も徐々に低下している様に思えた。

故に、胸ポケットに入っていた金属板を錬成により簡易な注射器に変えて、

少々美しくないとは思ったが、お弁当と水筒から塩分と水分とブドウ糖を抽出させて点滴の中身を作り、

ゆっくりと血管に流し込んだ。

 

後は経過観察をするしかなかった。シルヴィオの目的地でもある次の駅に着いたら、直ぐに近くの診療所に連れて行こう。

そう考えていたシルヴィオだったが、その次の駅までの時間がとても長く感じた。

だが、シルヴィオは決して人間を死なせたくないと強く思っていた。

 

乗客たちは、邪魔にならない程度に少女と医師を応援し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――結局、意識を失った少女が次のダブリス駅に着く事は無かった。

到着の少し手前で彼女は意識を取り戻したのだ。

倒れた少女は自分の足でホームに降りた。

 

 

少女の感謝や、乗客や乗務員たちの歓声に頭を下げながら、シルヴィオもまたホームに降りた。

ホームでは、少女に治療費の持ち合わせが無いと謝られたが、シルヴィオは休暇中の事なのでと報酬を固辞した。

こういう所は、リスクだけを許容して医者自体の生活を貶める傾向を作る事になるのだが、

実家がお金持ちでお花畑で世間知らずなお医者様にはそれが解らないし、故に気にしない。

 

 

ただ、無駄に死んで良い命など、この世に一つも無い。

其れだけである。

ダブリスの空は、今日も草の香りの混じった良い風が吹いている。




彼は基本何処までも善人なのです。ええ、イシュヴァール人にさえ関わらない事なら。


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ヒトとキメラとホムンクルスと

南方へ行ってみました。


南方司令部付近の喫茶店に仮面を付けずに来ていたシルヴィオは、アームストロング少佐と出遭った。

シルヴィオは、実家が名家である故に、同じく名家のアームストロング家との婚姻の話が出ていたこともあった。

向こうに、「このようなナヨナヨした男は性に合わん」と言われたが、

謎の、シルヴィオの父による、うちの息子は格闘術バリバリアピールにより、

お見合いと言う名前の決闘がアームストロング家の女性に仕組まれた事もあった。

結果は、防御に徹して、攻撃を全て寸止めで終わらせるシルヴィオに対して、相手方のお嬢様が切れて破談。

尚、破談の時の相手の言葉は、

「筋は良い。挑戦は何時でも受ける。もし私に勝てたなら嫁になってやろう」

とのこと。強烈なラリアットと共にお断りされた。

因みに、シルヴィオの心中は、今はホムンクルスの美女にぞっこんなので、次の決闘(お見合い)の予定は無い。

 

また、アームストロング少佐とシルヴィオの父、バスク・グラン准将は特に仲が良かった。

恐らく戦友という事だけでなく、筋肉と頭部の薄さの関係もあるだろう。

基本、筋肉質に悪人が少ないのがこの世界の常である。(但し、スカーは除く)

『鋼』ことエドワードに最初に、国家錬金術師には濃い奴しかいないと思わせたのは何を隠そう彼らだった。

 

 

「お父上の事は、本当に残念でした」

 

「アレックスさんのその友情に、父に代わって御礼申し上げます。

…ところでアレックスさんは、父を殺したイシュヴァール人に遇ったらどうされますか」

 

 

少し、雰囲気の変わったシルヴィオにアレックス・ルイ・アームストロングは一瞬驚いた。

 

「…いえ、気になさらないで下さい。

それより、あの戦争を父と共に体験されたでは無いですか。

その体験談をお話願えませんか?」

 

アームストロングはシルヴィオが、純粋に父親と自分がイシュヴァール戦役で活躍した武勇伝を聞きたいのだろうと思った。

だが、あの戦争は彼にとってトラウマ以外の何物でもなかった。

 

「語る様な美しいものは何も無かった。何もだ。あそこは地獄だった。

人が人を殺す、悪魔の描いた地図が広がっていた」

 

アームストロングはそう話した。

だが、シルヴィオにとってはイシュヴァール人と言うのは人間では無く、憎しみを受けるべき悪魔であり害虫だ。

それらが過去に駆除された話を聞きたいと言う感情もあった。

単純に、父親の話を聞きたかったことと、軍人さんは武勇伝が好きだから会話の糸口にでもと言う事もあったが。

それらは同等にシルヴィオの中で同居していた。

いつか『流血』として共にイシュヴァール人を駆逐したかった。

アームストロングの地形改変能力は極めて集団戦に有効な手段であることも拍車をかけていた。

ある意味、最もイシュヴァール人を苦しめた男がアームストロングであると言えなくも無いのだから。

 

 

「それより、グラン家の後を継いだようだな」

 

「ええ、まあ見ての通り道楽息子なもので、医者として生きて行こうと思っていますが」

 

 

「なら、そろそろ妻を迎え入れるべきではないか?」

 

「お姉様の家庭内暴力が絶え無さそうな所以外は好みではあるのですが、今は心に決めた人がいるので」

 

 

「それは残念、…いや、吾輩はその恋を全力で祝福しようっ!!」

 

「ありがとうございます」

 

やたら熱いアームストロングに、その筋肉の着いた二つ名に相応しい剛腕で、しっかりとがっつりと強烈な握手とハグを受けた。

エドはこういう時に嫌がるだろうが、アームストロングとシルヴィオは昔からの知り合いであるのと、

シルヴィオが照れ屋とは程遠い所にいる為に、嫌がっている様子は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

暫くして二人が別れた後、シルヴィオはフードを被った物乞いのような格好の男を視界に収めた。

 

「もしかして、鼻を骨折していませんか?」

 

「…ヒューッ、見ただけで、解るのか。でも見ての通りだ、あんたに払える金は無え」

 

 

「…あなたの怪我が治る事が私への報酬ですよ」

 

シルヴィオはそう言うと、怪我人ビドーを患者とすることにした。

 

「びっくりするほどお人よしだな、あんた。

そんなんじゃいつか騙されて素寒貧になっちゃうぜ?」

 

「家族が幸せに生きて行ける分だけ残して貰えるなら大丈夫ですよ。

それでは、少しだけ頭部に触れますね」

 

シルヴィオは振動により骨の構造を確認するために、ビドーの顔に手を触れた。

人体の構造骨格は理解していたつもりなのだが、少しバランスが違う。

というか、人間に蜥蜴を組み合わせたような骨格になっていた。

 

 

「キメラ、ですか」

 

「ああ、いかにもキメラさ。化け物さ。あんたの善意に免じて、恐ければ会わなかった事にしてもいいぜ?」

 

 

 

「馬鹿にしないで下さい。キメラを診た事はありませんが、

知り合いの獣医の下で勉強した事はあります。

それと、自分自身を卑下するのは止めて下さい。

人も、キメラも、ホムンクルスも、みんなみんな人間ですから」

 

ビドーは『ホムンクルス』の名前が出た所で、大きく反応した。

 

 

「動かないで下さいね。今から骨と神経を動かしますから」

 

そう言って治療を終えた後、大人しくしていたビドーは口を開いた。

 

 

「ありがてえ。全然痛くなくなった。

それよりもさ、…なあ、あんた今『ホムンクルス』って言ったか?」

 

「ええ、言いましたよ。彼女達もこの星に生きる人間に変わりはありません」

 

 

 

お人よしそうな医者は、お人よしを超えてお花畑だったとビドーは確信した。

 

「もし…、その、『ホムンクルス』に遇えるっていったらどうする?」

 

「ラストさんにですか?

そうですね、それなら先に床屋に行かないと…、いえ、靴を磨くのが先でしょうか?

それとも、今流行のファッションを…

いえいえ、それよりもビドーさん、此処の付近でオシャレだけれど静かな食事をする場所はありますか?」

 

 

 

「うん?

なんか勘違いしてそうだけど、グリードさんは男だぞ」




次回、お医者さん、グリードに少しキレる。


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等価交換

お医者さんが重傷です


ビドーに案内されて、シルヴィオはグリードの住まうデビルズネストにやって来た。

一人だけ随分と偉そうな男がいる。恐らく彼が此処のボスでビドーの言う『グリードさん』なのだろう。

シルヴィオはそう辺りを付けた。

 

「貴方がグリードさんですね?」

 

「ああ、如何にも俺がおまえの探してるグリードさんだ」

 

そう言うと、グリードは、部下に酒をグラス二つに注がせて、テーブルの上に置いた。

 

「さあ、飲めよ。喉が渇いただろ?

――それとも毒が入ってるって疑ってるってか?」

 

シルヴィオは、一瞬迷ったがグラスを手に取った。

 

「いえ、お酒が苦手なだけですよ。二杯目からはオレンジジュースをお願いできますか?」

 

「ここは居酒屋だからな、スクリュードライバーなら構わないぜ?

…冗談だ、呑めないなら無理にとは言わねえ。

後、今日は貸し切りだから何を喋っても構わないぜ?」

 

それを聞いて、シルヴィオは少し安心した。

とはいえ、表情は変わらず真面目なままだ。

 

「では、乾杯」

 

「乾杯」

 

 

チンッと小気味良い音がなると、二人は互いに酒を飲みほした。

 

「何だ、イケる口じゃねーか」

 

「アルコールの味が好きでないだけですよ。

ところで、此処からいきなり本題に入っても宜しいですか?」

 

 

「良いぜ? 俺もまどろっこしいのは好きじゃねーからな」

 

「では、ラストさんの事を教えて欲しいのです。

夫や恋人の有無、好きな男性のタイプ、好みの花、何からでも構いません」

 

 

 

 

 

「はっ、何かと思えばラストの事かよ、

ビドーがホムンクルスを知ってる奴がいるっていうからどんな事情かと思ったら、

あのババアの事か」

 

 

 

 

その瞬間、空気が急激に冷えた。

それは雰囲気的な意味では無い。

 

実際、空いたシルヴィオのグラスに注がれたオレンジジュースは凍っていた。

 

 

「女性に対して、しかもラストさんの様な淑女に対してババアとは如何なるご見解でしょうか?

例え、如何に年を重ねても彼女はきっと美しいのです」

 

ここでグリードを含めて、周囲の者達はラストの悪口は基本彼の地雷なのだと理解した。

 

 

「俺が、悪かった。

まあ、アイツとは姉弟みたいなものだからそれなりには知ってr」

 

「では、お義弟くんとお呼びしても?」

 

 

爽やかに、クールな表情で言ってのけるシルヴィオだが、

レスポンスの速さが全然クールとは程遠かった。

 

「俺が兄っていうんなら許してやるよ。

…まさか、ホムンクルスだと解って惚れるとは思わなかったが」

 

「大した問題では無いでしょう。イシュヴァール人でないなら何の問題もありませんよ。」

 

 

「何でイシュヴァール人が其処で出てくるのかは解らねえが、

教えてやっても良い。

だが、条件がある」

 

「何でしょうか? 人に迷惑をかけない範囲でなら、大抵の事はご協力させて頂きますよ。お義兄さん。

錬金術と医療の事ならこの国でもそれなりの腕があると自負しています」

 

 

 

「いや、何でもうお義兄さんなんだ…いや、ツッコむのは後だ。

俺は強欲だからよ、金も欲しい、女も欲しい、地位も欲しい、名誉も欲しい、この世の全てが欲しい」

 

「その『女』の中に、ラストさんが入っていなければ宜しいのではないでしょうか。

略奪婚は推奨しませんが。

それにしても全てが欲しいですか…………っ、やはりラストさんもカウントしてたりはしませんよね?」

 

 

 

 

グリード以下、デビルズネストの人々は皆この様に理解した。

この見た目だけ美形クール、ラスト関係だと基本めんどくさい、と。

 

 

だから、グリードはその話は放って置く事にしてこう聞いた。

 

 

「おまえはお前の知ってる錬金術と医療の事を全部話せ、俺はラストの好みを全部話す」

 

「ええ、等価交換というヤツですね」

 

 

等価交換。言うのは簡単な言葉だが、

ものの価値と言うのは、人によってそれぞれ異なる。




重症です。
草津の湯でも治りません。


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その業の名は

ちょっと短いです。
因みにタイトルは『君の名は』とルビをふります。


グリードはシルヴィオと分かれた後、イズミ・カーティスやエルリック兄弟となんやかんやあって、

その後に、実はホムンクルスで大総統なキング・ブラッドレイとなんやかんやあって、

今、諸悪の根源、悪の親玉たる『お父様』の前に、囚われていた。

 

周囲のホムンクルス達は勿論『お父様』側で、グリードを助けようとする者はいない。

 

「何故、この父を裏切った?」

 

『お父様』がそうグリードに問いかける。

グリードは自分が『強欲』として生み出された故に、その全てを満たすためには何かの下に居ては達成できないと答えた。

 

故に、グリードは溶鉱炉の中に落とし込まれて処刑される。

だが、死の間際に彼は姉弟達に言った。

 

「俺は親父殿にかくあれと造られた通りに生きただけだ。

おまえ達も同じだ。どうして自分達は裏切らないと言い張れる?

色欲の為、傲慢の為、嫉妬の為、暴食の為、怠惰の為…はなんか違う気もするが、後は憤怒の為。

どうして裏切らないと言い張れる?

おまえ達は俺だ。俺はおまえ達だ。偶々『強欲』が割り振られたのが俺だったてことだけだ。

俺の()に言わせれば、親父殿もおまえ達も、人間達も全部同じだそうだ。

対等の条件なら、どうして争って奪いに行かない!?

親父殿も覚悟した方が良い。何時までも思い通りに行くと思うなよ」

 

そう言って溶岩の如き灼熱の中に沈んだ。

『お父様』がそれを呑み込んだ後、各人その場所を去り、

その場にエンヴィーとラストだけが残った。

 

 

「思う所があるのかしら?」

 

「さあ、そっちこそあるんじゃね?」

 

そう言い終えた二人は互いに顔を背けて、何処かに去っていった。

 

 

 

 

 

ラストは、一人暗闇の中にいた。

 

グリードの言葉のせいか、それともそれ以外のせいなのか、

あの医者の青年の言葉と、触れた時の体温が何故か克明に思い出された。

 

ホムンクルスを人間だと、はっきり言い張る変わった人間。

そして『お父様』の計画の重要な存在である人柱。

 

彼がラストに話した事、そして彼にラストが語った事を思い出していた。

 

 

「構造や構成物質は同じで、

貴方達と変わらない外見に五感もある。

感情もある。親に対する感情もある人間…ね。

自分で言っておきながら、心のどこかで違う物だとも認識していた。

でも仕方ないわね、正体を知った人間達も誰一人私を人間扱い――――

一人以外誰も私を人間扱いしなくなったもの。

 

もし()られるなら、彼になら悪くは無い。

でも、彼を殺す物がいるとすれば、それは絶対に私。

他の誰にも渡さない。

他の誰かに殺させるくらいなら、人柱であっても私が殺してあげる」

 

唇を舐めながら、闇に似た色のドレスを纏った美女は、何処か優しく笑った。

殺意を混んだ執着、(タナトス)(エロス)が対のものであるというのならば、

その感情は、恋に似ていた。




ちょっと、ヒロインっぽくなったでしょうか?


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雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂

いや、特に田原坂は関係ないです(知ってた)

感想や誤字修正ありがとうございます。


シルヴィオは実家の金に物を言わせて新調したスーツと、花束を持ってラストを探していた。

普通に考えれば、アメストリスは広いので、約束も取り付けていないし、

住所も知らない相手が、そう簡単に見つかる筈も無いのだが、

何故かシルヴィオは、今日、ラストと逢える予感がしていた。

 

その予感を裏付ける様に、偶然シルヴィオの視界の端をラストの様な女性が通った。

否、見間違える筈も無かった。

シルヴィオはラストと断定したが、直ぐに視界から消えてしまっていた為に見失ってしまった。

 

だが、この付近にいるのは確実なので、いっそう気合を入れてあくまでも自然に探す事にした。

発想が、ロミオ系ストーカーそのものなのだが、彼は家柄、資産、容姿がとても良いのでストーカーでは無いのだ。

敢えて血痕をGPS代わりにさせる様な気狂いは兎も角、

イケメンはストーカーじゃない。いいね。(嘘です)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◎☆◆

 

 

華やかなカフェやバーとは程遠い地下実験室。

そこで、ロイ達とラストは対峙していた。

 

ヒューズの死について問うロイに対し、からかう様にはぐらかしながらも、暗に自分達だと仄めかせるラスト。

友の敵討ちに燃えるロイの復讐心を燃焼させるには十分だった。

 

銃でその美脚を打ち抜き、姿勢を崩した所でこめかみを打ち抜いた。

戦場で人々を幾人どころでは無い数で殺したイシュヴァールの英雄には躊躇は無かった。

 

ロイ達はホムンクルス達の事を良く知らないが、

アメストリスが真っ黒である故に、ホムンクルス達にはロイ達の情報が筒抜けだった。

国のトップとその周辺が情報漏えいさせているのだから仕方がない。

 

ラストは水管を切り裂いて周囲を水浸しにした。

空気中の塵を導火線にする焔の錬金術の性質上、周囲が著しく湿ったり、発火物を燃焼しにくくすることは効果的であった。

 

だが、ロイはその水を分解して可燃性どころか、発火性の水素と酸素を充満させてラストを焼き殺した。

 

 

 

とはいえ、ラストはホムンクルス。一度くらいでは死ねない。

死んだと見せかけて、ロイと部下であるハボックを貫いて去って行った。

 

 

 

 

そしてラストは違う場所で、裏切り者の生きた鎧を処刑して、

銃を突きつけるリザ・ホークアイ中尉とアルフォンスと正対した。

 

そしてその心理を揺さぶる為に、ロイの死を告げた。

途端にホークアイの中に沸き上がったのは、虚無と、絶望と、悲しみと、苦しさと――――憎悪。

 

 

「貴様ァ」、とラストに吠えながら銃を乱射する。

そこに正常な理性は無い。

全ての銃弾を怨嗟の実体であるかのように射ち放った。

 

全ての銃弾を打ち放った。それはすなわち弾切れを意味する。

カチカチと、無意味な音を鳴らす引き金を引いていたホークアイだったが、

それが最早、貌にならない殺意でしかないと気が付くと、座り込んだ。

 

ただの上司と部下と言う形を超えたロイの死は、それほどまでに大きかったのだろうか?

ラストはそう解釈した。

 

ホークアイを嬲るような言葉を押し付けたのは、何故かは解らなかったが、

 

「本当に愚かで弱い、悲しい生き物ね」

 

と告げた。

だが、それがそれほどにまで悪いものだとも思えない自分がいる事に、少しだけ驚いた。

 

 

止めを刺そうとしたところ、アルフォンスが守る決意を言葉にして立ち塞がった。

それごと止めを刺そうとしたラストだったが――――、

 

 

 

「良く言った。アルフォンス・エルリック」

 

ラストが殺したはずの男の声が届くと同時に、ラストの身体は爆炎に包まれた。

 

 

 

 

ロイは、自分が傷つけられた分だけでなく、部下や友が傷つけ殺された復讐の炎を以って、

ラストを何度も何度も焼き殺した。

その様は正しく復讐の鬼であった。

 

ラストは助けに来てくれた王子様でも見るかのようなホークアイが視界に居たことが、何故か癪にさわったが、

そう言えば、自分には王子様は来てくれる筈も無いわよね、というような自嘲が次いでやって来た。

 

 

あと一回でも焼き殺されたら、再生できずに終わる。

殺されるのなら()が良かった。

ラストがそう観念した時だった。

 

 

 

 

雨が降った。

大雨だ。

この地下室(・・・)の中で大雨が降っていた。

少し先さえも全く見えない豪雨だ。

降った雨は再び雲となって、際限なく豪雨が再現されている。

 

僅かに雨で濡れた足場でしっかりと身を支える余裕も無いラストは、後ろに倒れかけたが、

その背中は地面に打たれる事は無く、どこかで触れた温かい何かに受け止められた。

 

「何処かの大佐殿は、雨の日は無能だと聞いておりますが、

私は雨の日こそ大変有能だと自負しております」

 

 

そう笑う彼女の王子様に立候補したそうな男の胸に抱かれて、ラストはその意識を闇に沈めた。




ストーカーから昇格あるか?


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自分だけの復讐心

お医者さん「私の復讐は、私だけが理解していればいいのです」


視界を覆うような豪雨がピタリとやんだ。

ロイ達が先程までラストがいた位置に視線を向けると、ラストの血に染まったのであろう、

白衣を赤く汚した見知った青年医師がいた。

 

「何をしているっ!!」

 

ロイが叫ぶ。ホークアイも、アルフォンスも同じ疑問を持っていた故に、視線で追及する。

確か人体構造は同じでしたよね、と呟いていた青年はロイ達に視線も向けず、

メスと糸を錬成しながら、錬金術と併用した治療を開始し始めた。

 

 

「何をしている、答えろっ!!」

 

場合によってはシルヴィオごと焼き捨てる。その様な意志を込めて、ロイは再度叫んだ。

そこでようやく、シルヴィオは反応した。

その手の治療を一切止める事無く、冷静な口調で言葉だけを返した。

 

「何をするつもりか、ですか?

決まっているではありませんか。治療ですよ」

 

 

まるで何時もの通りの事だと言う様に、シルヴィオは言う。

その間も手術は一切淀みが無い。

 

「ソイツはホムンクルス、化け物だぞっ!?

色香に惑わされたかっ!?」

 

「美しい女性であることは否定のしようもありませんが、それ以前に、

ホムンクルスだろうと、そうで無かろうと、

私の目の前に怪我人がいて、私が医者である事に違いはありません」

 

 

 

信じられないものを見るかのようなロイ達とは対照的に、

当たり前のことかの様にシルヴィオは告げる。

その光景に思わず、ロイはこう言ってしまった。

 

 

「お前も敵なのかっ?」

 

ロイの発言に、シルヴィオはここで初めて声に不思議そうな疑問を滲ませた。

 

 

「何を言っているのですか?

私は全ての人間の味方です。

ホムンクルスだとかそうで無いとかどうでも良い事ではありませんか。

同じように血が流れている人間です。

私は、人種差別が好きではありません。

 

貴方も、だいぶ深い怪我をしているようですね。

今の治療が終わったら、次は貴方です。

私はもう二度と、助けられる命を犠牲にしたくないって、ヒューズさんの時に思いましたから」

 

 

ヒューズの名前が出て、ロイが硬直した直後、突如にエンヴィーとグラトニーが飛び込んできて、

ラストを連れて行こうとした。

 

エンヴィーがラストを連れて逃げ、グラトニーが残り足止めをする流れなのはその場にいる人間には理解できた。

 

 

「治療は9割終えています。後は安静にして回復を待つのみです。

これから戦うつもりのようですが、治療費代わりとして見逃しては頂けませんか、

今から次の治療があるんですよ」

 

 

エンヴィーに淡々とそう告げるシルヴィオ。

エンヴィーは、ラストの方を見て、次にグラトニーの方を見た。

 

「おい、行くぞ。グラトニー。

今回は見逃してやる。だが、これでラストの恩はチャラだ。いいな?」

 

「エンヴィー、この人ラストの恩人?」

 

 

「ああ、だから今回は見逃してやる。次は喰わせてやる。帰るぞ」

 

「うん」

 

 

 

そういって、3人のホムンクルスは去っていた。

 

「では、ロイさん。貴方の治療を始めましょうか。

応急的なものだけで、続きは診療所でやりますが」

 

当然の事を当然の様に流す様に、振り返り手を広げて近づいてくるシルヴィオに、

ロイは激昂した。

 

「なんてことをしてくれたんだっ!!

後少しでっ、後少しでヒューズの仇がっ!!」

 

 

シルヴィオは立ち止まり、ロイを様々なものが入り混じった目で見た。

その澄み切り過ぎた(・・・・・・・)眼に、アルフォンスは心底ゾッとした。

 

「気持ちが解るとは言いません。ましてや復讐に価値が無いとは絶対に言えません。

ですが、貴方の復讐心は貴方だけのものです。

きっと他者の復讐心は、他者にはその意義を共感されません。

それでも良いのでしょう? ええ、解りますよ。解っておりますとも。

ですが、冷たい言い方をすれば、他人にはどうでも良い事です。

ただ、…貴方がその復讐心を持つ事自体に関しては、

私は全面的に肯定しましょう。貴方の憎しみを、貴方の怒りを。

 

国の為でもなく、仲間を助ける為でもなく、憎しみを晴らす。

ただそれだけの行為に蝕まれている事を、私は悪だとは思えません。

 

――――では、治療を始めましょうか」

 

 

気が付けば、ロイの目の前にシルヴィオがいて、

その細身のどのような力があるのかわからないが、

ロイを横抱きにして、床に寝かせていた。

地面との間には白衣を材料に錬成されたシーツが引かれており、

何時の間にか、先程ラストに行った様な手術道具も用意されていた。

 

 

「ロイさんが終わったら、リザさんの番です。

アルフォンスさんは……、すみません。私は鋼の身体の医療は未経験ですが頑張ってみます」

 

手術を始めたシルヴィオに、ロイは先程シルヴィオから感じた悪寒を誤魔化す様に、

その目を合わせない様にするために、

視線を逸らしたまま、釘をさす様に告げた。

 

 

「先程のホムンクルスの治療データのカルテは確りと出してもらうぞ。

その身体データが今後役に立つかもしれん。気が付いたことは全て報告しろ、いいな」

 

「…いえ、お断りします」

 

 

「何だと?」

 

「見ただけで、骨格も含めて採寸を測るのはとても得意なのですが、

女性のサイズを他の男性に教えるのは少々品が無いと思いますよ。

私でも、ドレスを贈るにせよ、

一度は服屋に測って貰ってから知ったというアピール位はしようと思うものです――――」

 

 

 

シルヴィオはその場にいた全員から、極めてアレな者を見る目で見られたが、

気にすることなく、治療を継続した。




お医者さん「私はイシュヴァール人と人種差別が大嫌いです」







それと、
個人情報の守秘義務ってそう言う理由では無いです。


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森の中にあっても目立つ木

ラストの最強の鉾により、ジャン・ハボックの動かなくなった下半身に対する絶望に激を入れたロイ。

彼が病室を出てから暫く廊下を歩いていると、そこにはあの地下室でハボックの足を奪った者(ラスト)を逃がした医者がいた。

 

「御機嫌ようロイさん」

 

「何の用だ」

 

 

「医者が病院にいておかしな事は無いでしょう?

まあ、私は自前の診療所が職場ですが。

…ところで、下半身不随の治療が可能な勤務医がこの病院にはいないようですね」

 

「貴様ッ」

 

ハボックの事を揶揄されたと認識したロイの目が鋭くなる。

ホークアイとブレダも、同じく眼前の白衣の男を睨みつけた。

 

「誤解しないで下さい。私はジャンさんの様子を見に来ただけです。

絶対の保証は出来ませんが、私なら治せるかもしれない。

そう思って此処に来ただけですから」

 

そう言えば、結果としてラストを逃がすのに加担したが、

基本的にはこの医者は、お花畑の世間知らずで、救えるものを救いたいだけの底抜けの善人であったことを思い出した。

 

「ただし――あの女性の身体データの件は無しという事でよいですね?」

 

無論、善人だからと言って、ロイ達に都合が良いだけの存在でも無かったが。

ロイ達が言葉に詰まっている内に、シルヴィオはそのまま言葉を紡ぐ。

 

 

「まあ、情報を教えろと言われても教えるつもりもありませんし、

ジャンさんを助けなくていいと言われても勝手に助けさせていただきますよ。それでは」

 

白衣を靡かせながら医者はロイ達が先程いた部屋に向かっていった。

 

 

 

 

~◆◆~

 

 

 

 

ハボックの病室からロイ達が出て行ってから暫くして、東部で少しだけ会話した事のある白衣の真面目面の医者がやって来た。

 

「こんにちわ。私はシルヴィオ・グラン。私の事を覚えていますか? ジャン・ハボックさん」

 

「ああ。確か中尉の知り合いで大佐に嫌われてる――」

 

 

 

「その憶えられ方は少しショックですね。

因みに一つ聞きますが、下半身が動かないのは人体錬成をした代償だとか、昔からそういう障害があったとかでは無いですよね?」

 

その質問に否定を返したハボックに、シルヴィオは表情を変えないまま安堵を示した。

 

「では、治せるかもしれません。この私なら。

手元に治療道具(・・・・)が無いので今すぐは無理ですから、今日は診察だけですけれどね。

たった今、この瞬間から――――――貴方は私の患者です」

 

 

 

~◆◆~

 

 

 

「…信用できると思うか?」

 

ハボックの部屋に医者が向かった事が気になっていたロイは、立ち止まってホークアイにその事を質問した。

そして彼女の答えはこうだった。

 

 

「それは、彼の腕でしょうか、それとも本心でしょうか?」

 

「どちらもだ」

 

 

「それでしたら、私の知る限りでは大丈夫でしょう。

腕前は大佐の火傷痕を治療した事でご自身で理解されたでしょうし、

性格は悪い女に騙されて身ぐるみ剥がされそうな類の善人です」

 

 

ホークアイの全面的な信頼に、ロイの機嫌が却って悪くなったために会話が止まったが、

その流れを再び進めたのは、ハイマンス・ブレダ少尉だった。

 

「凄腕だってのは認めますよ。

でも、普通の医者(・・・・・)が下半身不随を治せるって断言できるのはおかしくないですか?」

 

再び会話が止まった。

次に会話を再開させたのはロイだった。

 

「待て。中尉、確かあの医者の父親は――」

 

「グラン准将ですか?」

 

 

何の研究所の責任者だった(・・・・・・・・・・・・)?」

 

「――――賢者の石です」

 

 

「ああ、その通りだ」

 

だが、ホークアイにはある疑問が残った。

 

「ですが、だとすれば未だ息のあったヒューズ准将を救えなかったのは不可思議です」

 

「それもその通りだ。敢えて救わなかったという線は考えないとしよう。

だが、その時偶々持っていなかっただけ、若しくは材料さえあればいつでも造れるとしたら?」

 

それこそホークアイの疑問だった。

 

「それが私には解かりません。彼が人間を材料にする性格とはとても思えませんから」

 

 

ホークアイのその発言の直後に、再びロイは黙り込んだ。何故なら――

 

「……黙り込むほどとは、随分と嫉妬されていますね。

ですが、彼女が私に向ける信頼と、貴方に向ける信頼は違うものだと、

もっと自信を持てば良いじゃないですか。この色男さん」

 

 

――何故なら、ロイ達の背後から、彼らを抜き去って歩いていく、例の医者がいたからだ。




まあ、ラストさんは悪いか悪くないかと言えば、結構悪い女だと思います。


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引き金を引くのは汝の殺意

銃は私が握ろう、装填も私がしよう、撃鉄も私が起こそう、照準も私が絞ろう、だが――――


エドとアルは、ホムンクルスと遭遇するために、ロイからホムンクルスを治療したと聞いた、例の医者の所に向かったが、

ウィンリィの仇がスカーであるという話にすり替えられ、

その後、ウィンリィが将来が楽しみな美少女かどうかという話になり、

エドの言葉が詰まり始めた所で、恋愛がどうだこうだという話に誘導されて、

エドの言葉が詰まったところで、この町で幾つか用事があるからと体よく追い出された。

 

そして、追い出された時に、

「ホムンクルスと都合良く遭遇する方法があるなら私が知りたいくらいだし、

知っていても答えるつもりは無いでしょう」

 

と言われた。

 

 

それ故にエドはホムンクルスとの接触アプローチを変える事にした。

とにかく国家錬金術師(・・・・・・)として目立ちに目立って、スカーをおびき寄せて、

スカーと己が接触する事で、ホムンクルスをおびき出そうとした。

 

 

町中の到る所で困っている人を助けて、困っていない人も助けた。

時折、医療方面で人助けをして回っているシルヴィオとも遭遇したが、

今はとにかくスカーをおびき出すのが優先だった。

 

人助けをしながら回っている時に、エドはアルに一つ問いかけた。

 

「そう言えば、先生も僕達と同じような事をしているけどさ、

スカーに狙われたりなんかしないんだろうか?」

 

「先生は国家錬金術師ではないからね。たぶん大丈夫」

 

アルは一瞬、その先生も自分達と同じ目的で、町中を動き回っているのではないかと一瞬考えが浮かんだが、

その考えを頭を振って追い出す事にした。

 

 

その直後、スカーがエドたちの前に表れた。

闘争が勃発した。

エドとスカーは街中を駆け巡りながら、錬金術と破壊の応酬を行った。

 

それを知った憲兵たちが、スカーの情報を頼りにスカーを追いながら銃撃を加えるが、

流石はイシュヴァールの武僧。至近射撃を行う兵士など、一足飛びの内に既に彼の射程になる。

 

 

憲兵や建物を、エドと戦いながら次々と破壊。

そうしている間に、置いて行かれたアルがロイ達と遭遇して現在の状態を伝えた。

 

ロイ達はエドに協力するために、ケイン・フュリー曹長の通信設備を利用して、

アメストリス軍に錯綜した誤情報を垂れ流した。

それにより、統制した動きが兵士達には取れなくなり、

結果として無謀にスカーに突撃して肉の塊となる兵士は随分と減った。

 

 

アルがエドに追いついた所で、スカーも立ち止まり、会話が始まった。

何故、毛嫌いする錬金術をスカーが行使するのか、と。

 

その結果、壊す行為を神の御名の下に正当化するスカーに対して、

 

「てめぇを助けて、てめぇが殺した医者の夫婦に覚えが無いか!!」

 

エドはシルヴィオから聞いた、スカーこそがウィンリィの両親の仇だという情報を確かめる為に、

強く糾弾した。

 

そのタイミングは、余りにも、余りにも悪すぎた。

エドたちを心配して探しに来ていたウィンリィが、エドの死角である通路から駆けてきていたのだ。

 

エドの言葉に、目の前に両親の仇がいる。

両親は自分が助けた患者に殺されたのだという事実に、ウィンリィは膝の力が抜けたように座り込んだ。

 

一番聞かせたくなかった相手に聞かれてしまって、上手く言葉が出ないエド。

彼の掠れた言葉はウィンリィには届かない。

 

「帰してよ、父さんと母さんを返してよ!!」

 

そう悲痛な叫びをあげる少女の前には、憲兵の所持物であったのだろう血濡れた拳銃があった。

 

 

その拳銃に手を伸ばすウィンリィ。

 

「やめろ、やめてくれ…」

 

復讐に落ちた初恋の少女の姿は見たくない。

故に必死に叫ぶ幼馴染(エド)の声は、けれども少女には届かない。

少女は伸ばした手で、拳銃(殺意)を掴んで己の仇に向けた。

 

 

「あの時の医者の娘か、お前には()れを撃つ権利がある。肉親を殺されたお前には、その正当な権利がある」

 

だが…、その引き金を引く事、つまり殺す覚悟をするのなら、殺される覚悟もしろと冷酷に男は告げた。

 

ウィンリィに手を出すなと、思わず激昂するエドに対し、

スカーは告げた。

 

どちらかが滅ぶまで、憎しみの連鎖は止められない――――と。

 

 

 

 

 

 

 

そう彼が吠えた直後、4回の発砲音が鳴り、スカーは血を吹き出しながら地に倒れた。




スカーさんに言わせればこれは正当な復讐










勘の良い読者にはウィンリィが本当にスカーを撃ったのかおわかりですよね。


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そこに一切の慈悲は無く、そこには合切の慈悲が有り

前回のあらすじ、
ウィンリィがスカーに銃を構えた後、4回も発砲音がしました。


四度の発砲音と共に、スカーは弾かれるように血を吹き出して倒れた。

 

「ウィンリィィィッッ!!!!」

 

絶叫するエドに対して、拳銃を取り落とし、

私じゃない、私じゃないと声にならない声で口をパクパクさせるウィンリィ。

 

すると再度三発の発砲音。

スカーの腹部と足を打ち抜いた銃弾が、血の飛沫を上げる。

 

 

その発砲した銃の持ち主はウィンリィでは無かった。

その者は、エド達の後ろから白衣を棚引かせながら優雅に歩みを進め、

ウィンリィの傍に来ると、彼女が落とした拳銃を拾い、スカーの両腕に

二発ずつ発砲した。

 

その発砲した者はエドの予想の外の人物だった。

 

 

「――――せん…せい?」

 

「はい、エド君。こんにちは」

 

 

そう言いながら、更に二発、スカーの頬を挟むように発砲。

 

 

「先生、なんで、なんでアンタがこんな事をっ!!」

 

「――――理由なら、先程このイシュヴァール人が説明していましたよね。

家族を殺されたものには復讐する権利があると。

殺す覚悟をするなら、殺される覚悟も必要だと、癪に障りますがその通りだと同意しましょう。

私も父親を殺されたんですよ。

肉親とられたら銃をとる、良くあるお話です」

 

 

そう言いながら、更にスカーの胴に二発発砲。

 

 

「ああ、確かこうも言っていましたよね?

――――どちらかが滅ぶまで、憎しみの連鎖は止められない」

 

 

その瞬間、どこにそんな力があったのかスカーは起き上がり、シルヴィオに襲い掛かった。

シルヴィオは、さらりと躱すとスカーは勢い余って地面に倒れ込んだ。

そしてその背中を三発撃ち抜かれたが、また立ち上がった。

 

 

「しつこいですね。まるで害虫のよう…、いえ、病原菌をバラ撒く害虫そのものでしたね。

私の患者が待っているのです。速く諦めなさい」

 

 

スカーは諦める素振りを見せず、雄たけびを上げながら医者に襲い掛かった。

が、その破壊の腕は宙を切り、その手に沿えるようにシルヴィオの左手が添えられた。

 

 

「爆ぜなさい」

 

 

スカーの腕が霧散した。

かつてスカーが幾度も国家錬金術師を死に追いやった様に。

その破壊の錬丹術の刻まれた腕は完膚なきまでに破壊された。

 

 

 

「逃げても良いのですよ。貴方のお仲間の所へ」

 

口ぶりは子供に言い聞かせる様な優しげな口調だったが、

 

 

 

また、逃げ場所を教えてくれるのですか?

仲間を売ってくれるのですか?

 

シルヴィオがそう言う意味を含んでいるのはスカーには解った。

此処ではどうやっても勝てないが、イシュヴァールのスラムには逃げ込めない。

そもそも逃がしてくれるのかも分からない。

 

 

一切変わらない真面目くさった表情のまま、

シルヴィオは左手にあるスカーの返り血で描かれた破壊の錬丹術の紋章をこれ見よがしに見せながら、

スカーの顔にゆっくりと近づけた。

 

 

 

スカーは、今まで散々人を殺してきたが、ここで死にたくないと強く思った。

そして、自分で言った殺される覚悟が出来ていない事に気が付いて自嘲した。

 

だが、彼には彼の神が祝福したようだ。

 

 

 

異国風の背の小さな娘がシルヴィオに跳び蹴りを仕掛けてきた。

シルヴィオは丁寧にそれを止めながら、勢いを回転で流しつつ、

横抱きする様に受け止めて、丁寧に地面に下ろした。

 

 

彼我の圧倒的な実力差を悟った少女、メイは地面に下ろされるや否や高速で飛びのいた。

そして再度構えを取る。

 

そこでシルヴィオは対処しようかと一瞬考えて、スカーの方を見た。

シルヴィオの予想通り、スカーはその隙に逃亡していた。

仕方無さそうに、メイに対話を試みた。

ごく自然にスカーに発砲しながら。

 

 

 

 

スカーが足を撃ち抜かれた衝撃で倒れ込んだのを確認したメイは、

シルヴィオに意識を逸らす作戦は無意味と判断し、

周囲の物を爆破させて砂煙でシルヴィオの視界を塞いだ。

 

 

シルヴィオはそれでもまるで見えているかのように射撃を続けたが、

数発撃つと、銃は両方とも弾切れを起こしていた。

 

 

メイはその隙に自身も逃亡したが、その寸前に聞いた、シルヴィオの酷く自然な声が耳に残った。

 

 

「残念です。また次回頑張りましょう。

ああ、お嬢さん、もし怪我をすることがあればおいで下さい。いつでも治療いたしますよ。

私は、全ての人間の味方ですから」




発砲した犯人が解っていた人は手を上げて下さい。


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臆病な私達

今回は短いです。すみません。


シルヴィオがメイに告げた言葉は、また別の少女にも届いていた。

 

「人間の味方…? だったらどうしてそんなに容赦なく撃てるの…?」

 

ウィンリィは恐る恐る先程までに、静かすぎる殺意をスカーに向けていた両親と同じ様な白衣を着た青年に聞いた。

生真面目そうな青年は、生真面目ななりに親切そうな声色で少女に答えた。

 

「簡単な事ですよ。彼らは――――イシュヴァールは、人間ではありませんから。

ああ、お嬢さん膝から少し血が滲んでいますよ。座り込んだ時に石の破片で切ったようですね」

 

シルヴィオはそう言うと、ウィンリィの前に座り込んでその膝に手を触れた。

先程まで躊躇なく人を殺そうとしていた男に触れられて、ウィンリィは一瞬逃げようとしたが、

先程スカーに殺されかけた時の恐怖で、足に力が入らなかった。

 

その硬直の間に、温かさと柔らかさが足に訪れたかと思うと、傷口が無くなっていた。

 

 

「美しいお嬢さんの御足に傷がついては大変ですからね。

所でお嬢さん、貴方のお名前は?」

 

先程までスカーに容赦が無かった人物と同一だとはとても思えない程、

丁寧で親切そうな、美しい青年は優しくそう問いかけた。

ウィンリィにはこの青年が全く良く解らなかったが、治療された事とスカーを撃退した事で救ってくれたことは事実なので、

自身の名前を告げた。

 

「ウィンリィ。ウィンリィ・ロックベル」

 

 

「成程、貴方が美少女と噂のウィンリィさんでしたか。ええ、納得の可愛らしさです」

 

そう意味深にエドたちの方を見るシルヴィオに嫌そうな顔をするエド。

だが、エドたちから見ても、その姿に先程のスカーを殺そうとしていた人物を見出す事は出来なかった。

 

 

そこに、今更になってエドたちが探していたホムンクルス――――エンヴィーがやって来た。

 

 

「よう、…あの男はいなくなったみたいだな」

 

「態々、救けに来て下さったのですね。ありがとうございます。

ところで、お一人ですか?」

 

 

 

「…言いたいことは何となくわかるが、ラストはいないぞ。

さっきまで一緒に居たが、調子が悪い様だ」

 

ホムンクルスが現れたというのに、普通の人間の知り合いと出会ったかのように平常に話すシルヴィオ。

そしてラストがいなくなったという事を聞いて、ラストの体調を心配しつつも、若干テンションが落ちているかのように傍目にも解った。

エンヴィー的にはラストで無い方のホムンクルス扱いされるのは少し癪だったが。

 

因みに、ラストは本当に先程までエンヴィーと一緒にシルヴィオとスカーを観戦、

というか銃を撃ち放つシルヴィオをじっと眺めていたが、

勝敗が付きそうになり、いざ接触しようとエンヴィーが提案したところで、

「整理が出来ていないし、私はまた今度にしておこうかしら」と逃げ出した。

 

(それでも『色欲』かよ)

エンヴィーは心の中で姉の様な存在のヘタレっぷりに呆れつつ、一人で接触する事にしたのだ。

かつて、恋愛初心者などこかの大総統に、女心やデートプランを、

経験豊富な女性代表の様な顔でレクチャーしていたのは何だったのか?

その皮肉を心の中で押さえながら。

 

だが、その皮肉を感じる自分に、どこか満足の様な良く解らない何かを感じていた。




大総統って恋愛下手どころでは無かったと思うんですよね。


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普通な人間の定義

ラストの話題を中心ながらも、他愛も無い日常的な会話を楽しむシルヴィオとエンヴィー。

皮肉が皮肉として通じないお花畑相手には、流石の皮肉屋も皮肉を続けてはいけないようで、

エドたちと会話する時よりも、幾分素直なエンヴィーが見られた。

敢えて言うなら、少し面倒くさそうだったが。

 

エドたちも、一瞬其の空気が当たり前の日常だと思いかけていたが、頭を振ってコイツはホムンクルスで人類の敵だと考え直した。

――丁度その時だった。

 

黒い影が高速でエンヴィーに接近した。

黒い影、リンは白く光る東洋の刀を振るい、エンヴィーの首元に刃を奔らせ――――

その寸前で止められた。

 

「喧嘩はいけませんよ。どなたか存じませんが。これではエンヴィー君が死んでしまうではないですか」

 

その刃を絡めるように、シルヴィオの足元に集められたスカーの赤い血から構築された、

数十本の鉄のワイヤーがリンの持つ刀を巻き付けるように封じていた。

 

「ソイツは人造人間(ホムンクルス)だ、邪魔をするナ」

 

刀を封じられたまま、その場に立ちすくむのは危険と考えたリンは距離を取って、シルヴィオに忠告した。

だが、シルヴィオは――

 

「知っていますよ」

 

そう平然としていた。それに対して今度はエンヴィーがリンに皮肉を言った。

 

「まあ、意味なんてなかったさ。一度くらい死んでも問題ないからね」

 

「一度だろうが、二度だろうが私の前で死なないでください。

命は大切にしてください」

 

…そしてシルヴィオにお説教される羽目になったが。

 

 

「お前は人造人間(ホムンクルス)の仲間カ?」

 

リンが懐からナイフを取り出してシルヴィオに向けた。

だが、シルヴィオの表情には何ら変わりは無い。いつもの真面目くさった表情のままだった。

 

「ええ、ホムンクルスの味方ですよ。そしてホムンクルスでない人々の味方でもあります。

私は、全人類の味方です。皆さん、もっと仲良く幸せに生きて行きましょうよ」

 

 

勿論、本心からの言葉であるが、先程からの光景を見ていたウィンリィ達にはどこまでも白々しい光景だった。

シルヴィオはエンヴィーに、此処にはエンヴィーに敵意を向ける人物が多いから去ると言われて、

少し残念そうにさようならと言った。

 

 

去り際にリンが爆弾をエンヴィーに投げつけたが、何時の間にかシルヴィオは爆弾の進路に移動していた。

爆弾にさらりとその指が触れた瞬間、その爆弾は大きなビンに変わった。

そして、空気中から生成した水分を凍らせて花を作り、そこに挿してエンヴィーへと手渡した。

 

「ラストさんへ、よろしくお願い致しますね」

 

「…凄いシンプルだよなあ、アンタ」

 

 

そして今度こそ去っていく、エンヴィー。

 

 

 

エンヴィーに手を振って見送って、己に背を向けているシルヴィオに、リンは問いかけた。

 

「お前は何者ダ?」

 

シルヴィオは丁寧に向きなおって答えた。

 

「私はシルヴィオ・グラン。親をイシュヴァール人に殺されただけの一般人ですよ」

 

 

その瞳は今日も澄んでいた。



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不完全で面倒な人々

此処は、大総統が所持する建物の一つ。場所が巧妙に秘匿されている上に、

一般の人間は立ち入りが禁止されている場所である。

 

そこには絶世の美女がテーブルの上の紅茶を前に、大総統キング・ブラッドレイと向かい合って座っていた。

無論、浮気の密会などでは無い。

キング・ブラッドレイの正体であるホムンクルスの仲間との会合である。

 

キング・ブラッドレイは人類の敵に属する側の人間だが、人間の足掻きを楽しんでいるホムンクルスの変わり者だった。

最近は特に面白い人間が多い。例えば『鋼』、『焔』、……そして『流血』だ。

 

 

最初は自己主張が強いのか、正体を隠したい臆病なのかわからない人物であった。

だが、それはイシュヴァール人への強い憎しみに操られた暴走機関車なのかとその評価をブラッドレイは認識した。

 

だが、それもここ最近の行動を見るに評価を改めざるを得なかった。

その行動は極めて理知的で理性的であるようにも思えた。

 

例えば、リゼンブールで畑を焼かれ、それを批難した牧場主の夫を殺された女性を証言させたり、

例えば、イシュヴァールの神学や古代史を研究していて、

その過程でイシュヴァールにとって不都合である事実を含めて記述した本を書いたアメストリス人の作者を、

イシュヴァール人が無残に殺したり、

その本の作成に関わった者達をも同様に殺害したと、その遺族を証言させたり、

それら以外の、かつてイシュヴァール人が行った様々なテロを含む犯罪を証人たちに公表させた事。

イシュヴァール人の少年に、とある将校が発砲した事から始まったイシュヴァールの内戦の原因を、

その少年が実は、例の将校の家族を殺害した犯人であり、

それ以外にも事情があって、殺された側にも十分に原因がある様に捏造(・・)して世論を調整して、

イシュヴァール壊滅戦を正当化する歴史修正を行っている事。

複数の事実に、捏造をかさまししていく絶妙な手腕の隙が無い事。

原理主義イシュヴァール人と、自称リベラル系イシュヴァール人の潰し合いにも、関わっている可能性がある。

 

それらによって、生きたイシュヴァール人だけでなく、死んだイシュヴァール人の誇りをも再度殺しながら、

更にイシュヴァール人を可哀想な被害者では無く、迫害されるに当然な民族だとする地盤を順調に築いて来ている。

イシュヴァール人が逃げる場所を、日の当たる場所から奪い続けながら、日陰の中に、

即ち闇の中に追い込んだ後に、人知れない場所で闇そのものである『流血』が口に入り込んできた愚か者たちを喰らう。

 

 

 

例の穏健派将校の家族は、口封じの為に既に消されている上に、イシュヴァール人の血で既に紋は描かれており、

『お父様』の目的には何の不都合がある行動でもない。

それでさらに多くの血が流れる流れになるならと、大総統は『流血』に『異民族管理官』の役職を授けた。

つまり、イシュヴァール人を生かすも殺すも好きにせよ、と。

 

だが、直ぐにその役職を振りかざして全イシュヴァール人を殺す事に専念する事は無かった。

恐らく自身の正当化が目的では無く、イシュヴァールをとことん貶めて殺すためであろうが、

イシュヴァール人の信じる教義の危険性や、彼らの犯罪率、起こした犯罪を調べ上げ、

少々(・・)誇張して人々に広め、

犯罪を捏造して、イシュヴァール人を捕らえて処刑。

イシュヴァールを『悪』として貶めて殺す事にも力が入っていた。

 

 

やり口は極めて冷酷で冷徹で残酷だった。

それでいて、単身で出向きイシュヴァール人のスラムの根絶も同時進行で進めながら、

ホムンクルスであるブラッドレイを除く軍にも知られていない、

善良な医師、『シルヴィオ・グラン』として人々を治療しているという。

 

 

 

 

「全く、冷静なのか情熱的なのか判らない人間だ」

 

軍にいる手駒共には未だ公表していない、彼と僅か一部だけが知り得ているシルヴィオの情報を資料化した物を机に並べながら、

ブラッドレイはテーブルの反対側に座るものにそう告げる。

 

「彼は冷静と情熱の間に居るのでは無く、冷静で情熱的なのよ」

 

向かいの美女はそう答えた。

その表情は自尊心と余裕に溢れていた。が――――

 

 

 

「高く評価しているのは結構。余裕があるのは結構。

だが、それならなぜ接触を避けた?」

 

末の弟である大総統のツッコミに、表情が崩れた。

 

 

「ほら、そうね、アレよ。そう、所謂ソレね」

 

表情だけでなく、言語機能もバグっていた様だ。

 

「つまり妻帯者の私が助言をすれば良かったと?」

 

「そうなのよ……いえ、違う……違わないわ。

人間と深い関係になった貴方の意見は、諜報活動の為の人間感情の把握の参考になるわね」

 

 

はぁっ、とブラッドレイは深いため息を吐いた。

 

 

「私は妻以外の女性を知らないが、それにしても、だ。

『色欲』と言えど、独身生活が永いとこうも拗らせてしまうものなのだな」

 

「…なんですって?」

 

 

少々ラストの声に険のある色が滲んだ。

 

ブラッドレイと相対している『色欲』のホムンクルス、ラストはホムンクルスの中でも初期の方に作られ、

その容姿をもって様々な諜報活動を行ってきた。その中には色恋営業も含まれている。

彼女は恋愛のエキスパートだ。

ブラッドレイもそう考えていた。……つい最近までは。

 

 

「まさか私に恋愛を教授したお前に、私が恋愛指導をすることになるとはな。

…年若い姿をした姉と恋愛を語らされる、老齢の弟の気持ちを少しは考えるべきだ」

 

「……別に彼の事が好きだとは一言も言っていないわ。

でも仕方ないと思わないかしら? ホムンクルスを深く理解して、私達がそのホムンクルスだと知って尚、

人間扱いする人間の男は人柱よりも余程貴重とは思わないかしら?」

 

 

 

姉本人は余裕ある優雅さを演出しながら語っているようだが、

過去は恋愛ド素人ながらも、妻帯者として至るまでに、不断の努力を実体験で理解した末の弟には、

姉の姿は多少微笑ましいながらも、面倒くささを感じずにはいられなかった。



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何処にでもいる人間

リンの質問にシルヴィオが丁寧に質問に答えた直後、変装したホークアイがリンを車で迎えに来た。

リンの要請で、ホークアイはリンの仲間であるランファンを途中で救助したが、

ランファンはブラッドレイの追跡からリンを逃がすために、自身の腕を切り落として囮にしていた。

彼女の容態は控えめに言って重傷だった。

 

ホークアイからその事を聞いたロイは、

昔から親交のあるノックスにその治療を依頼した。

だが、憎まれ口を聞きながらも承諾したノックスだったが、

自身だけでは不安だった。何せ長い間、検死専門医として死体しか相手にしてこなかった。

 

故に、最近彼が知り合った凄腕の医者という人物を連れてくることにした。

ノックスが評価するには、極めて善人で、秘密は守ってくれそうな人物だと言う。

 

ロイはノックスを先に目的の場所に送った後、再度戻り、

その人物が良くいるという所に移動して、

割と早くその人物を発見して、苦虫を噛み潰したような顔になった。

 

「………お前か」

 

 

 

ロイはその医者を連れて、ノックス達が待つ市街から離れた一軒家に向かった。

ランファンの腕を処置していたノックスは、その医者が来ると患者から視線を外さないまま、ぶっきらぼうに挨拶した。

 

「悪いな、手伝って貰えるか?」

 

「ええ、喜んで。ノックス先生」

 

 

「止めろや、先生なんて柄じゃねぇ」

 

「いえ、今こうして患者に向き合っている貴方が先生以外の何だと言うのですか?

浅学の身にて、それを表す言葉を寡聞として知りません」

 

 

ランファンについていたリンは、その医者を見て驚愕した。

 

 

 

 

「シルヴィオ・グラン。どうしてお前が此処にいルッ!?」

 

その医者(シルヴィオ)はいつもの様に丁寧に答えた。

 

「何故なら私も医者だからです。ですよね、ノックス先生?」

 

「…お前ら、だからコイツの邪魔はするなよ?」

 

リンは納得がいかない事ばかりだったが、自分の不甲斐なさで犠牲になったランファンへの最善がそれだと言うのなら、

それを受け入れる事にした。

シルヴィオは、断りを入れた後、食物庫を漁り始めて幾つもの食材を持ってきた。

それを錬金術で組み替えて、人間の腕としか呼べないものと、余った材料に変えた。

 

「拒絶反応が出なければ上手くいった証拠です。

切り口が鋭利だったのが幸いでした。では神経を一本ずつ接続します。少しだけチクッとしますよ」

 

 

 

実際、それは少しチクッとする規模の痛みでは無かっただろう。

意識が朦朧とする中で激痛に耐えきれず、絶叫したのだから。

 

それを為したシルヴィオに掴みかかったリンだったが、

シルヴィオの冷たい目と、卓越した体術に一蹴された。

 

「邪魔をしないでください。私の患者を助ける邪魔は何人にも許しません」

 

その透き通る目に一瞬恐怖したが、その真剣さがランファンに向けられたものだと理解したリンは、

今度こそ大人しく引き下がった。

 

 

その後も神経を一本繋げる度に、絶叫が木霊した。

全ての神経を接続し終えたとき、ランファンは気絶していた。

 

「終わりました。では、私は此処で帰ります。後はノックス先生がいるから大丈夫です。

それでは皆様さようなら」

 

 

そう言って優雅に去っていったシルヴィオを見届けたリンは一人呟いた。

 

 

 

「アイツは…アイツは一体何者なんダ…」

 

もし、シルヴィオが其れを聞いていたら、きっとこう答えたであろう。

 

「全ての人間が大好きな、ただのお医者さんですよ」と。




深刻な若者の人間離れ


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アメストリスの休日

『鋼』の錬金術師こと、リゼンブール出身の国家錬金術師エドワード・エルリック。

この青年に移り変わろうとしている年齢の少年は、

大人の様に清濁併せ呑む器を見せようとしながらも、何処か青臭い所が抜けきらない。

それがまた、彼の魅力であり、周囲を惹き付けてやまない。

 

彼がパンでも買おうとアメストリスの町中を歩いている時だった。

彼の背後から何やら話し声がした。

 

 

「あの金髪いつみても小さいな」

 

「ええ、小さいわね。でもそういう事は口に出して言っては可哀想よ?」

 

 

エドは激怒した。邪知暴虐たる発言をした背後にいるであろう二人に。

「誰が豆粒ドチビ星人だっ!!」そう言おうとして、その途中で言葉を止めた。

 

 

「どうしてお前達が此処にいるっ!? 一体何を企んでいるっ!?」

 

カフェテリアでサンドウィッチを頬張るエンヴィーと、紅茶を飲むラストが其処に居た。

 

 

「いや、あのホテルの屋上をダブリスでの下宿先にしているらしいんだ。あの医―――」

 

「特に理由は無いわ。ええ、私達が此処にいて何か問題が?」

 

 

エンヴィーが話の途中で口にもう一つのサンドウィッチをラストに強引に押し込まれて、言葉とか喉とか色々詰まらせている内に、

何事も無かったかのように、ラストは優雅に話を打ち切った。

 

 

「他のホムンクルスも来ているのか?」

 

そう問うエドに、ようやくサンドウィッチを呑み込んで、涙目になったエンヴィーが答えた。

 

 

「ぷっはあぁっ、…答える義理も義務もねえだろ?

まあ、睨むなよ。至って平和にしているよ。今はな…。

精々何処かの野郎に、ダイエットと野菜を含めたバランスの良い食事管理を押し付けられたグラトニーが平和じゃないくらいか」

 

「少し喋り過ぎよ」

 

多分今頃は、例の野郎(・・)が目を離している内に、ガッツリと食事をしているであろう弟分を思い出しながら、

からかう様にエンヴィーが口を開き、

ラストが、アンニュイな表情でそれを諌めた。

 

 

「それと、花を貰った誰かさんの内心も最近平和とは――――」

 

「口は災いの素という事をそろそろ学びなおすべきね。

平和な今を大切にしなさい。次の瞬間にはその平和は無いかもしれないわよ」

 

 

 

またしても、余計な事を喋りすぎる、お喋りなエンヴィーは、

ラストにサンドウィッチを3個口に押し込められて平和な呼吸にお別れを告げた。

 

 

 

その内、ラストは上方に何かを見つけたかのように顔を向け、驚いた顔をして急いで会計をエンヴィーにツケる旨を強引に伝えると、

急ぎ足で何処かに去っていった。

 

エドがその方向を見ると、ホテルの最上階のカーテンが先程は閉じられていたのに、今は全開になっている以外に変化は無かった。

 

 

エンヴィーがあまりに苦しそうにむせていたので、エドはサンドウィッチを一つ分引き抜いてやり、

代わりにポットから水をコップに注いでくれてやった。

 

 

エドから急いでコップを奪い取って、喉に流し込んだエンヴィーは、自分でもう一杯コップに水を注ぎ喉を潤した。

 

「はぁ、助かったぜ。

良い所あるじゃねえか。チビの癖に」

 

エドは助けてやった事を心の底から後悔した。

お前だってチビだろうと言おうとしたが、そう言うと自分がチビである事も認めてしまう様で、

その言葉を呑み込んだ。

水は要らなかったが、その分自制心を大幅に消費してしまった。

 

だが、その甲斐はあった。

 

 

「お礼に良い事を教えてやるよ。

イシュヴァールの紛争。あの時将校に化けて、イシュヴァール人の子供を撃ち殺したのが切っ掛けだった。

その将校になりすましたこのエンヴィーが、子供を撃ち殺した張本人!!」

 

 

絶句したエドに対して、エンヴィーは胸元にあるものを突き付けて、

それを硬直したエドの、服のポケットに突っ込んで去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

それは――――――エンヴィーとラストの飲食代金の請求書だった。

 

 

 

 

「あの野郎ーーっ!!」

 

背も小さくて、妙に怒りっぽい国家錬金術師の叫び声が町中に響き渡り、

喫茶店の店員に、他のお客様の迷惑になると怒られた。



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アメストリスの災日

血液の匂いか何かを猟犬の様に追ってくるシルヴィオにより、

これ以上イシュヴァールのスラムが暴露された際に起こる虐殺を避ける為、

隠れて逃げながら、小さい方の東洋人こと、メイ・チャンに治癒錬丹術を行使されていたスカー。

 

傷は早送りで時が経つが如く再生していったが、完全になくなった右腕だけは遂に再生する事は無かった。

スカーは、アメストリス人の入れ墨の彫り屋を探して脅しつけ、左腕に新たな紋章を刻む事にした。

 

その2日後、イシュヴァール人らしい男が、アメストリス軍の弾薬庫を襲撃したと言う情報が入った。

 

 

 

 

 

~◆◆~

 

シルヴィオは、この日も清々しい朝を迎えていた。宿泊しているホテルの最高級の部屋でカーテンを開けて日光を部屋に取り入れる。

町の眺めを一望できるこのホテルのスイートルームは、一泊でも庶民には手が届かないこの周辺の他の宿泊施設とは一線を画す料金だが、

名家の御曹司どころか、当主であるシルヴィオには何の問題も無かった。

 

窓から吹き込む風は、彼の長くサラサラとした髪を靡かせる。

その母親譲りの髪の色は、彼の染み一つない肌に映えて絵画の様であった。

 

 

賢者の石も用意できたので、ジャン・ハボックさんの治療に行きたいですね。イシュヴァールコロス。

それと、今日の朝食は何でしょうか?イシュヴァールコロス。

シルヴィオがそう考えていた時、激震と衝撃が彼を襲った。

 

いや、厳密にはホテルそのものが襲われた。

何者かによる爆弾テロでホテルの一階が強力な爆風で包まれて、崩壊と倒壊が始まった。

 

ホテルの宿泊客、従業員の全てを対象にしたテロ行為であった。

 

 

 

そして、それは連続して他のホテルでも行われていた。

そのホテルは、シルヴィオが宿泊しているホテル程で無いにせよ、

何れも高級ホテルの類だった。

 

未だ砂煙が収まらない町の中を、

悲鳴と、救助を呼ぶ声と、愛しい者を探す声や、喪った悲しみに嘆く声が支配する。

落下物の当たり所が悪かったのか、外傷はそれほどでもないのに動かない子供の名前を呼ぶ母親の声が木霊する。

孫を探す老婆の声が掠れて滲む。

父親の死体を見せまいと娘の目を隠す、死体の妻の嗚咽が響く。

首輪が付いた犬が、岩の下敷きになった飼い主であろう少年の手に頬を擦り付けながら鳴いている。

 

人々が、血を流していた。

人々が、命を流していた。

 

崩れゆく足場を利用して離脱していたシルヴィオは、

所持する賢者の石の力を全解放して、自分にできる限界の基準で救助活動と医療活動を開始した。

 

 

砂煙が少しずつ晴れていく。

シルヴィオが、片足が潰れた裕福そうな身なりを血と埃で汚した少女を治療していた時だった。

何者かが投げたナイフが、シルヴィオに向かって飛んできた。

シルヴィオの両手は二つとも塞がっており、対処の仕様が無かった。

 

 

だが、その少女の父親が咄嗟に飛び出して庇い、シルヴィオは事なきを得た。

だが、代わりにそのナイフは少女の父親の心臓に刺さっていた。

完全に即死だった。

 

 

少女が困惑と絶望の狭間で、声にならない声を上げようとする。

咄嗟に父親の脈を測って、それ以降の治療行為が不可能だと理解したシルヴィオは、下手人を見据えて、

その片腕の男を誰か理解した。

 

 

「何故、罪の無い人間を襲うのですか。何故、人間を害するのですか?

血を吐くか、言葉を吐くか選びなさい。イシュヴァール人のスカー」

 

 

 

その言葉に、その場にいた人々、

シルヴィオに傷を治された人々、

シルヴィオの治療を待つ人々は一斉にスカーを睨んだ。

 

それは正しき怒りに基づく、イシュヴァール人に対する恐怖と憎悪だった。

 

 

憎しみ 悲しみ 怒り 絶望 拒絶 憎しみ 悲しみ 怒り 絶望 拒絶 憎しみ 悲しみ 怒り 絶望 拒絶

憎しみ 悲しみ 怒り 絶望 拒絶 憎しみ 悲しみ 怒り 絶望 拒絶 憎しみ 悲しみ 怒り 絶望 拒絶

憎しみ 悲しみ 怒り 絶望 拒絶 憎しみ 悲しみ 怒り 絶望 拒絶 憎しみ 悲しみ 怒り 絶望 拒絶 

憎しみ 悲しみ 怒り 絶望 拒絶 憎しみ 悲しみ 怒り 絶望 拒絶 憎しみ 悲しみ 怒り 絶望 拒絶

 

 

それらは全てスカーと言うイシュヴァール人に向けられていた。

スカーはそれらの瞳と視線を合わせる事無く言葉を告げた。

 

 

 

「お前達が先にイシュヴァール人を殺した。

これは復讐だ」

 

そう言って、スカーは姿を消した。

エドや他の錬金術師を含むアメストリス軍が集まって来たことが大きかったのだろう。

 

 

 

シルヴィオは、スカーを追わなかった。

そこには、彼の治療を未だ待つ人々がいる。

父親を亡くしたばかりの少女がいる。

他にも家族を喪った人々がいる。

 

彼らを治療しなければならない。

彼らを慰めなければならない。

彼らに仕事を提供しなくてはならない。

彼らに居場所を与えなければならない。

 

 

彼は名家の当主であり、医者である。

それしかできないが、それを怠る事をするつもりは無かった。



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憎しみの加熱

アメストリス軍の爆薬を使って、裕福な層を中心とした国民に著しい被害と恐怖を与え、

反現政府組織や、イシュヴァール人過激派にも少なからず影響を与え、

治安の悪化につながる事が予見できるとして、

アメストリス軍では、スカー抹殺の為の会議が行われていた。

 

その会議に呼ばれた『流血』は、イシュヴァール人の暴走を止められなかった異民族管理官としての不手際を謝罪した上で、

このテロ行動には、一人では成し遂げられない可能性が高く、

表に出てこないイシュヴァール人達のスラムがバックアップになっている。

全てのイシュヴァール人が犯罪者候補だと主張。

 

 

個人の能力に、恐ろしく大きな振れ幅があるこの世界では、それを為し得る人々はいない訳ではないが、

それを説明するよりは、複数犯の方が遥かに人々には想像しやすかった事もあった。

 

また、これだけ大規模のテロ行為が、特定の人々(国家錬金術師)だけを狙ったとは善良な市民には想定しにくく、

無差別テロだと思われるのも無理は無かった。

 

別の世界の話になるが、ある航空会社の123便に乗った僅か17名を抹殺するために、

他の乗客の命の価値を無視して撃墜させられたという事象に近いものが在る。

 

 

アメストリス軍人の中にも、家族・親戚や友人が被害を受けたりした者も少なくはなく、

国民だけでなく、軍の内部にも確実に反イシュヴァールの機運が醸成されつつあった。

 

 

そしてそれこそが、本当にイシュヴァールとアメストリスを分断して、

テロの報復と、それに対する更なる苛烈な報復の連鎖により、より多くの血が流れる事になる。

 

 

 

だが、アメストリス人の被害を最小限に抑える方法がある。

最短時間で全てのイシュヴァール人を塵一つ逃がす事無く殲滅すれば、もうその恐怖におびえる必要はないという、

シンプルで難しい方法だった。

 

 

 

 

 

それらを考察している内に、『流血』に中央に来るように、大総統直属の命令が下った。

大総統、ブラッドレイに人気のない部屋に案内された『流血』は、ブラッドレイに仮面を取るように言われ、その仮面を取った。

 

そのタイミングで、その部屋にラストが入って来た。

 

 

「お逢い出来て望外の喜びです」

 

名家らしい完全な礼だった。

そしてそれをブラッドレイに、大総統に会った時以上に丁寧な礼をするのだなと、冗談交じりに咎められ、シルヴィオは謝罪した。

 

 

 

「ところで、ラストさんのお知り合いという事は大総統もお仲間ですか?」

 

そのシルヴィオの特に含む色も見えない質問に、大総統は真顔になり答えた。

 

「私がホムンクルスだとして、

何か、問題でも?」

 

 

シルヴィオは其処に含まれた威圧感を丁寧に無視した。

 

「いえ、別に問題はありませんよ。

ところで、後学の為にお聞きしたいのですが、奥さまはホムンクルスでは無いのですよね?」

 

「妻は普通の人間だ。ただのアメストリスの王配に過ぎん」

 

 

空気が、一瞬止まった。

それは緊張に似た何かであったと、この瞬間だけはブラッドレイこと、『憤怒』のラースは認識していた。

 

「では、愛があればホムンクルスとそうで無いものでも、子供が作れるのですね。

ああ、安心しました。そうですね、基本構造は同じですからね。

ええ、1から2が生まれないのが錬金術とは言われますが、

親から子供が増える様に、医学的な法則からは特に問題はありませんからね。

ええ、ええ、そうでしょう。これで問題もありませんよね」

 

 

真面目くさった表情の中にも、

少しテンションが上がった様に見えるシルヴィオ。

大総統の息子セリムも『傲慢』のホムンクルスだという、都合の悪い真実はこの際置いておいて、

何に問題が無いのか何となく理解したホムンクルス組は、

ラストは視線を外す様に顔を背けて、ブラッドレイはニヤニヤしながらも、

 

(この男、大総統を前にして、大総統自体にはあんまり興味が無いようだな)

 

と若干だけ呆れていた。

 

 

ちょっとおちゃめな所もあるブラッドレイは、年の離れた姉をからかおうと、

ちょっとした爆弾発言を投げてみた。

 

「私もかなりいい歳だが、私の姉が未だ嫁ぎ遅れているようで心配している。

どうだ? 年上の女性は嫌いかね?」

 

言葉のテロリズムだった。

 

 

「誰がババァですって!?」

 

誰も言ってない。但しエンヴィーは除く。

 

誘発装置は『憤怒』で、火薬は『色欲』だった。

何だか普通は逆だと思われるが、このホムンクルス達にとってはそう不自然な事では無かった。

 

 

「…ホムンクルスは見た目と年齢が違うものなのですね」

 

 

シルヴィオの発言に空気が再び凍った。

ラストも口を開いたまま動かないし、ラースは女性に対して流石に言い過ぎだと、自分を棚に上げて思った。

 

 

 

「えっ、まあ、それは…」

 

何か言い訳するように、そう言い淀むラストに、

 

「ですが、ラストさんのように美しい相手であれば是非にと世の男性なら誰もが思うでしょう。

唯一の恐怖は、老いない相手に釣り合える様に、

男性側が責めて美しく置いていかなければならない努力の大変さでしょうが。

ラストさんの為なら、私ならその努力は苦労とは思いませんよ」

 

 

見た目は女性的なシルヴィオだが、今回ばかりは男前だった。

相手がホムンクルスだと知っても気にしない。

年増だと知っても気にしない。

アメストリスにはそういう男は殆どお前くらいだろう。

そう考えながら、ラースはある事に気が付いた。

 

 

 

あれ?これってプロポーズではないか?

 

 

ふと姉の方を見ると、余裕ありげに怪しく笑っているがプルプルと震えている。

明らかに余裕が無いが、恋は盲目とは言ったもので、

それを言った当の本人は全くそれに気が付いていなかった。

 

 

「…ラース、彼は信用できそうな男でしょう?

『お父様』の所に連れていってはどうかしら?」

 

 

シルヴィオから逸らす様に視線と共に言葉を投げかけられた末の弟は、姉の発言にこう思った。

 

 

あれ? これって親御さんに紹介って奴ではないか? と。



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汝、決意の溝の深さを識れ

親に会って。という意中の女性の誘いに、気分が高揚して喜んで着いていくシルヴィオ。

言った事の内容に、今更気が付いて彼の顔を見ずに余裕がある女アピールに事欠かないホムンクルスの長女。

そして、その様子にニマニマする末の弟は、アメストリス中央の地下にある『お父様』の居城に向かっていた。

 

一方、スカーを襲って返り討ちにあったグラトニーは、途中で遭遇したアルに丸め込まれて同じく『お父様』の所に向かっていた。

そして誰の真似をしたのか、血痕を辿ったりしながらその後を追跡したスカーとメイもその後を追っていた。

メイは、スカーのなりふり構わないやり方に異議を唱える事もあったが、その時はいつも無言で流されていた。

だが、自分自身だって目的の為ならなりふり構っていられない事への自覚もあり、次第に苦言の数も減っていった。

 

 

そしてその後を更に、中央に帰ってきていたエドとリンはつけていた。

 

アル達を尾行するスカー達を尾行するエド達という、訳の分からない構図の一行が地下にある『お父様』の所に向かっていた。

 

 

「お父様、彼が『流血』の錬金術師、シルヴィオ・グランよ」

 

ラストによって紹介された、エドワード・エルリックに非常に似た印象を受ける、ホムンクルスたちの父に対して、

シルヴィオは深々と頭を垂れた。

 

「始めまして義父様。本日は良い天気ですね。

お嬢さんを私に下さい」

 

もうツッコミどころしかない。あえてツッコむとすれば、此処は日の光の届かない地下深くである。

敢えて言うのも野暮であるからして、誰も口には出さないが。

 

「なんだ、おまえは」

 

驚愕する様な、突き放つような表情でそう告げる『お父様』。

まあ、その気持ちは解らなくも無いとラースは頷いた。

 

 

「私はグラン家の当主シルヴィオと申しまして、

現在お嬢さんに交際を心より願うも成功していない、片想い中の男性です」

 

 

 

エンヴィーにも、ラースにも、ラストにも『お父様』の次の発言が理解できた。

 

 

「なんだ、おまえは」

 

 

まあ、そうなる。

 

「因みに、彼も『扉』の先を知る人柱です」

 

仕方ないのでラストはそうフォローした。

それにより、割と現金な『お父様』の態度が軟化した。

 

「貴重な人材だな」

 

シルヴィオは、(娘の婚約者的な男性として)物好き(貴重)な人材という発言として認識した。

なので、自分の娘だからと謙遜する父親に、娘の事は謙遜する必要はないと伝えようと思った。

 

「ラストさんなら引く手数多でしょうが、それでもその中の一番で唯一になりたいと思う程に、お嬢さんは美しい。

その容姿のみならず、その仕草。気品と優美が入り混じった魅惑の虜となってしまいました」

 

 

 

『お父様』はもう一度同じ言葉を述べようとしてやめた。

エンヴィーとラースはニヤニヤした。

ラストは明後日の方向を向いた。

アルとグラトニーは空気を読まずに入って来た。

別経路からスカーとメイが入って来た。

その後ろからエドとリンも飛び込んできた。

 

 

場がカオスになった。

 

 

アルとエドは『お父様』の顔を見て驚いた。

 

「ホーエンハイム……?」

 

 

シルヴィオはその様子を見て、やはり似ていると思った。

もしや、ラストと結婚する事があればエルリック兄弟とも遠縁になるのかと言う思考が浮かびかけたが、

ここにはそれと並列して、それ以上に大きな事象がある。

 

 

 

 

目の前に、『抹殺するべき種族』が立っている

 

人柱に恥じない一瞬の錬成で、大地から百本を超えるナイフを錬成してスカーに投擲するべく、その一本を摘まんで差し向けた。

スカーも隻腕に刻まれた『破壊』の錬丹術を見せつける様に、肩口を破り、構えを取った。

 

 

本来エドたちにとっては敵の親玉がいる処で、関係の無い戦いが此処で起きようとしている。

これだけの戦力があって、それを無駄にする選択はエドには無かった。

 

「スカーッ!! イシュヴァール内乱の真実を教えてやる!!

内乱のきっかけになった子供の射殺事件は――――」

 

そう暴露するエドに思わず、バラした事がよりにもよって、『お父様』や兄弟の前でバレると焦ったエンヴィーが制止するが、

遅すぎた。

 

 

「このエンヴィーってホムンクルスが軍将校に化けてワザと子供を撃ち殺したんだ!!

内乱はこいつらの差し金だ!!」

 

医師とテロリストは互いを視界に収めたまま制止した。

 

 

この時のエドの気持ちを敢えて厭らしい言い方で言うとすれば、

悪いのはエンヴィー。真の敵であるホムンクルスを相手に共闘意識が芽生えるかもしれない。

イシュヴァールの内戦と、それによる憎しみを引き起こした真の敵にこそ怒りを向けるべきだ。

被害者同士のいざこざは一件落着とまではいかなくても、何とかならないか?

 

彼はそう考えていた。

 

 

だが、世界は少年が考えているほど単純なものでは無い。

――――少年が考えている以上に単純なのだ。

 

二人は口を開く。

 

 

 

 

「それがどうしたというのだ」「それがどうしたというのですか?」

 

 

「国家錬金術師は()れの――――」「イシュヴァール人は私の――――」

 

 

「「――――家族を殺したっ!!」」

 

 

 

 

 

エドの言葉に何の意味も無かった。

復讐者が他者に言われて復讐者を辞めるのなら、それは真の復讐者では無い。

 

 

 

残された唯一の腕に再度『破壊』の錬丹術を刻んだ復讐者。

残された唯一の感情に、元来の人間らしさを融合した復讐者。

 

彼等は心の底から復讐を愛して、復讐を称賛している。

復讐の海に溺れて血を流す事を苦痛だとも思っていない。

否、彼らは復讐の概念そのものなのだ。

 

無知や誤解から発生する分断ではなく、正しい知識と高い知恵から生まれた分断なのだ。

 

 

 

 

他人に止められる事など――――絶対に在り得ない。



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父の死

特別な存在が殺される事、特別な存在を、殺す事


告げる様に声を放つシルヴィオと、血を吐く様に叫んだスカーは奇しくも同じ言葉を述べた。

直後、宙に浮いたメスが一斉にスカーへと飛び掛かった。

 

スカーはそれらを躱し、弾き、逸らし、破壊したが、

破壊されなかったメスは再び、反射するようにスカーへと向かってくる。

 

その上、シルヴィオは更に大量のメスを足元から生成し、

スカーをメスが掠めて、彼から零れ落ちた血液までを新たな赤黒いメスとして精製していく。

 

これで未だ賢者の石を使っていないというのだから凄まじい。

賢者の石はスカーが傷つけた人々の治療に使われ切ってしまっていたからだ。

それはハボックの治療が先延ばしにされたという事でもあった。

 

エドやアームストロング少佐の様な力強い錬金術ではないが、

人を殺すのに余りに大きな力は要らない。

鋭く硬い力があれば、人間の柔肌など難なく貫ける。

そして急所を損傷されれば簡単に死に至らしめる。

 

人体を理解した医者らしい戦い方だった。

医学大全書には、逆説的にあらゆる人間が生存できない可能性が示されているのだ。

 

 

 

スカーは、この上では嬲り殺されると多少の怪我を覚悟で吶喊する事にした。

だが――――

 

 

 

 

「片腕が無くなった影響で、以前より前進行動にブレが出ていますね」

 

まるで診療するかの様に呟くと、すれ違い様にスカーの手首を深く切りつけた。

代わりに右肩を破壊されたが、シルヴィオはもう一度スカーの首元近くを切り付けながら飛び散った自身の肉片を再構成して再生した。

 

スカーに駆け寄ったメイがスカーの傷を癒そうとしたが、スカーはそれを跳ね除けた。

この戦場で、シルヴィオがその隙を見逃す相手でも無い上に、

イシュヴァールの味方だと確定された時点でメイに未来は無い。そしてメイの一族にも。

 

メイはその事を理解してその場から飛び退く様に離脱した。

 

 

「良い判断です。ああ、お嬢さん、他のイシュヴァール人の場所を知っていたらこの後教えてくれませんか?

数が増える前にどんどん駆除していきたいので」

 

澄んだ声と瞳で告げながら、シルヴィオは自身の腕に付いた血液を地面に叩き付ける様にして、

硬化させた鉄分を元に足元を破壊。

その破片全てを針の様な物に錬成した。その大きさは先程のメスよりも小さいが、その数は先程のメスとは比較にならない。

 

白衣の下から医薬品の様な粉を取り出して、それを再度錬成。

見るからに変色した液体となった粉を周囲の針にふりかけた。

当たると完全に危ない類だ。

 

 

一切の昂揚感も無く、只々冷静な目でスカーを見つめ、シルヴィオがその腕をスカーに振り下ろそうとした時、

爆風がスカーとシルヴィオの間を抜けた。

 

 

「…ごめんなさイ」

スカーがその小さな声の方を見ると、メイが下を俯いていた。

スカーと自分だけではどうにもならなかった時の為に、スカーが再び無為な大量殺人をした時の為に、

偶々知り合ったイシュヴァール人に連絡が付くような手段を錬丹術の応用で行っていたのだ。

 

 

この爆風は、爆破物で侵入してきた、この場所への更なる乱入者のイシュヴァール人達だった。

その砂煙に、シルヴィオは咄嗟に仮面で顔を覆った。

 

 

そして、乱入してきたイシュヴァール人はどうやらスカーに縁深いものであったようだ。

 

「師父ッ!?」

 

「此処から逃げるぞっ!!」

 

 

 

新たなイシュヴァール人の乱入に、シルヴィオは寧ろ喜びがあった。

これで、更に多くのイシュヴァール人を抹殺できると。

何時もの様に、声も思考も、その瞳も冷静さを宿していたが。

 

「飛んで火にいる夏の虫。

害虫の方から駆除されに来てくれるとは、手間が省けます」

 

 

イシュヴァールの仲間に引き摺られるように逃げるスカーは、

「待て、まだ師父がっ、師父ーーーーッ!!」と叫んでいたが、

傷が深く、抵抗できずに運ばれていった。

 

 

イシュヴァール人がスカーを含め、数人逃げた様だった。

それはとても残念だったが、それでシルヴィオは気落ちして動きのキレを落としたりはしない。

 

 

 

スカーに師父と呼ばれた男の首を、周囲のメスを融合させて巨大なメスへと変えた後、

 

「言い残す事は?」

 

「う――――」

 

何かを言いかけた男の首を切り落とした。

 

 

「さて、良く見える処に晒しておきましょう。

指導者的な立場のようですから、

前回の爆破事件の計画の首謀者として、というのが良いですね」

 

 

復讐は復讐を産み、復讐は復讐を喰らいながら成長する。

その材料の全てが無くなるまで、復讐は終わらない




殺した後、更に名誉まで殺していくスタンス。


後味の悪すぎる作品ですが、感想を頂けると私、喜びます。
返信が遅くなる可能性はありますが、お許しください。


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戦いの裏で

こんなこともあろうかと、ってロマンですよね


シルヴィオとスカーが争いを始めた時、ホムンクルス達は一切手を出さなかった。

それは、人柱候補であるシルヴィオの性能を試験する為だった。

 

他者による綺麗事の言葉には何の価値も無い。

そんな当たり前の事実を今更あらためて思い知った事で脱力感を感じていたエドだったが、

このまま何もしないでいようとも思わなかった。

 

そしてエド以上に何かをしようと考えていたのは、リンだった。

リンの目的であるホムンクルス、そしてそれらを産み出したであろう存在が今、まさに目の前にいる。

ここで何もしないのでは遥々砂漠を超えて、アメストリスにまで来た意味が無かった。

 

だが、動こうとした瞬間リンはその動きを止められた。

首元に添えられたのは鋭利な爪。

ラストの『最強の矛』だった。

 

「邪魔はさせないわ」

 

それは誰の邪魔なのか、何の邪魔なのかは判らなかったが、リンは体の良い人質の様になっていた。

だが、人質とは、本来圧倒的な強者の戦略では無い。相手に何かされては咄嗟に対応する手段が無いから、

行動させたくないものの選択だ。

ラストやラースにとっては人質と言うやり方は重要性を持つが、

『お父様』にとってはそうでもない。

人質など取る意味が無いのだ。故に――――

 

 

「そのまま殺していいぞ。ソイツでは邪魔すらできん」

 

『お父様』はそう冷酷に宣言した。リンを人間とは思っていないような口振りだった。

やはり、諸悪の根源(ホムンクルス達の親玉)だと、エドはそれを聞いて認識した。

お父様の許可と言う名前の命令故に、

ラストは首に添えた爪を滑らせようとして、アルの錬金術による攻撃に弾かれるように飛び退いた。

リンの首元には浅く朱い筋が入っただけで終わった。

 

エドもその流れに乗って、アルを援護しようとしたが、

そこでイシュヴァール人達の乱入があり、一度流れが止まった。

そして止まった流れの中、スカーが師父と呼んだ男がシルヴィオに促された通りに口を開いた瞬間、その頭部を落としたのを見た。

 

イシュヴァール人を見るシルヴィオの表情は『お父様』にどこか似ている。

エドは心の片隅でそう思った。

少なくとも、対等の生命という扱いはしていない。それだけは確実に同じだった。

 

 

シルヴィオはイシュヴァール人に対しては何の容赦も無くその命を絶つ。

では、『お父様』は何に対してそうあるのか?

エドは気になった。

 

「何故、リンを殺そうとした」

 

その怒りを込めた声は、ラストと『お父様』に向けられていた。

 

 

 

「知れた事だ。私にとって必要のない人間だからだ。それ以外に何の理由がある?」

 

 

そう答えた『お父様』にエドが錬金術を仕掛けようとして――――

 

 

「試験は終了にしよう。合格だ」

 

シルヴィオの方を向いて『お父様』がそう言って、軽く足を踏み込んだ。

それと同時に、理解不能の衝撃が奔り、エドの錬成は不発に終わった。

 

 

エドが能力不足で錬金術を失敗する事は無い。彼は天才の類であった。

それは彼を知る者が口を揃えて保証する。

 

エドは再度錬金術を行使しようとしたが、またも不発。

 

その隙を狙ったかのように、エンヴィーが本来の身体でエドをその尾で叩こうとした。

 

 

 

 

だが、それも失敗に終わった。

エドは自分よりも背が高い青年に空中で抱きかかえられていた。

 

「エンヴィーくん、喧嘩はいけません。今のはエド君が大怪我をしてしまいますよ」

 

そう言いながら、なるべくエドに衝撃が掛からないように膝のクッションを利かせて着地したシルヴィオは、

優しくエドを下ろした。

 

 

「ああ、それとリンさんでしたか?

首の傷を治しておきましょうか」

 

そう言って左手にはスカーの師父の頭部を掴んだままリンの下にやって来た。

そしてリンの首筋に手を当てて治癒錬成術を行使するも――不発。

 

そこでシルヴィオはある事を思い出した。

 

 

「そう言えば、エド君、まだあの石を持っていますか?

治療に使うので、少し貸して下さい」

 

例の石の正体と、この医師の正体を知ってしまってからは使うに使えなかった賢者の石。

それを再び、石の制作者に渡すと、

リンに対する生体錬成は滞りなく終わった。

 

「はい、ありがとうございます。お返ししますね」

 

何時もの様に丁寧な態度で、錬金術の秘宝をシルヴィオはエドに返した。

 

 

 

「ああ、そう言えば――」

 

シルヴィオは逃げ遅れたのか、足が竦んで逃げられなかったのかその場に残ったメイにゆっくりと歩みを進めた。

 

「先程はイシュヴァール人を呼んでいただきありがとうございます。

もう一度呼んでいただけますか? できなければ彼らの居場所を教えて下さい」

 

その余りにも平然とした姿に恐慌状態に陥ったメイは、錬丹術を行使。

 

 

『お父様』やホムンクルス達の予想に反してそれは完全に起動した。

その標的はシルヴィオ。

 

メイは錬丹術を発動した瞬間やり過ぎたと思った。

今行使した威力は、防御手段を持たない人間であればそのまま死んでしまう。

 

 

だと言うのに、シルヴィオは驚愕の表情も恐怖の表情をも見せず、冷静にメイを見つめていた。

そして、音を立てる様に手を叩いた。

 

シルヴィオの足元からちょっとした壁が生成されて、メイが生み出した錬丹術を完全に防いだ。

 

「なるほど、あのイシュヴァール人やあなたの技術はこの状況下でも使えるのですね。

もしもの時の為に、複数の手段を持っておくのは大切な事だと改めて思いますね」

 

 

錬丹術を少なくとも実用段階にまで引き上げた錬金術師。

イシュヴァール人の老僧に対して、一切の慈悲なくその首を切り落とした死神。

そして今、イシュヴァール人を殺した時と同じ表情、同じ口調、同じ雰囲気のままで、

極めて親切そうで丁寧に話しかける物語の王子様の様に麗しい青年を見て、

メイは、心の何処かを凍りつかされるような恐怖を感じて逃亡した。

 

リンもそれに便乗して逃げようとしたが、

結局、ラースの足払いにより転倒してしまった。

ラースが止めを刺そうとしたところで、またしてもシルヴィオが錬丹術を発動させてそれを防ぎ、

リンもその隙をついて逃げ出した。

 

 

 

「何をした」

 

そう問いかける『お父様』に対してシルヴィオは、

ルールが変われば、禁止事項や免許事項も変わるのではないでしょうか?

と丁寧に返した。

 

天才。そんな言葉では片付かない存在だとエドたちはその様を見て認識した。

 

『お父様』も只者では無いと理解したのか、またしてもシルヴィオにこう問いかけた。

 

 

 

「何だ、お前は」

 

その答えは決まっている。

 

「ごく普通の医者で、――――――ごく普通の復讐者です」




ごく普通の一般人でも、
『静観決めこもうゆう奴も 肉親殺とられたら銃をとる』というのは良くある話だと、
牧師様が言っておりました。


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マッドティーパーティー

約束と秘密は守りましょうね。


見逃されたと言うべきか、泳がされたと言うべきか、

エドとアルはその後無傷でホムンクルス達の巣窟から出る事が出来た。

 

そして今、彼らは軍本部の会議室の前にいる。

この意味が解るだろうか?

解らなければこう言う他あるまい。

打つ手がない、と。

 

逃げる事も許されず、エドたち兄弟は会議室の中に入った。

そこには優雅に紅茶を飲む『流血』と、コーヒーを啜る『焔』が先んじていた。

そして、もう一人、キング・ブラッドレイも。

 

 

 

仏頂面のまま、視線を合わせる事も無く『焔』の錬金術師、ロイ・マスタングはエド達に自分の部下が散り散りにされたと告げた。

ホークアイに限って言えば、大総統補佐と言う人質の様な立ち位置だった、と。

 

ロイは嘗て親友が伝えようとしたことを、理解して、それを今度は告げる側に回った。

今度は誤解の余地が無いように、完全に理解できるように。

 

上層部は――――――全て真っ黒だ、と。

 

 

大総統と『流血』はそれをのんびりと紅茶を飲みながら聞いている。

 

 

ロイは一瞬、エド達を巻き込めばこの状況で勝てるかと試算したが、

直ぐにそれは無理だと計算し終えた。

 

先程、改めて『流血』の正体を大総統から紹介されている。

当たって欲しくないながらも、それしかない答え合わせの結果がそこに在った。

 

ブラッドレイの余裕もその原因の一つであるし、()を降らせる自身の天敵もその場に同居しているからだ。

彼はきっとロイを殺す事は無いだろうが、ブラッドレイを殺す事は邪魔をするのだろう。

ロイにはそれが解り切っていた。

 

 

そうしている内に、ただ黙って従っていろという、独裁者ブラッドレイによる一方的な要求が突きつけられた。

 

義憤に燃えるエドは、そんな要求を呑めるかと啖呵を切った。

ロイに関しては負けるのが解っているから、今は大人しく飼われると返答。

『流血』は、イシュヴァールを殺せるのならそれで良い。

ただ、人間達が傷つき死ぬのは見たくない。ホムンクルスを含めて。と返答した。

 

 

キレたエドだったが、ウィンリィが何時でも軍の手中にあると言う脅しをかけられてその意見をひっこめざるを得なかった。

大総統に軽くあしらわれたエドはアルやロイと共に、部屋を去った。

去り際にロイは一つ質問をした。親友(ヒューズ)を殺したのは貴方か? と。

だが、その答えはノー。だが、その犯人を知っている様子だったので、それが誰かと問い詰めた所、

大総統は質問は一つしか許可していないと追い出した。

 

 

『流血』はその仮面を外すと先程と何ら変わらない口調で世間話を始めた。

 

「人質と言うやり方はともかく、その人質を傷つけたら私も許せませんよ。

ウィンリィ・ロックベル。彼女は善良な市民です。親をイシュヴァールに殺された可哀想な美少女です。

例え、それらの条件が無くても血を流すと言うのは良くない事ですよ。

…ところで、先程レイブン将軍から私に質問がありました」

 

「何と言ったのかね?」

 

「曰く、不老不死になりたいかと」

 

 

 

「それで、何と答えたのかね?」

 

既にある意味、軍の上層部以上の事を知り得ているシルヴィオに、レイブン如きが何を持ちかけたのかブラッドレイは気になった。

 

 

「お断りしましたよ。私の寿命の間に全てのイシュヴァール人の鏖殺は完了できますから、と。

それに、私の父親がアメストリス人も含めた人体実験を行ったと、裏工作をした方々にとって、

『流血』の仮面の下にグラン家の後継者の顔があると知れば、不都合を抹消しようとした可能性もありましたが、

彼等はそれを知った様子もありませんでした。

あなた方は秘密を護れる人々でしたので、不老不死が少なくとも、私の知る限り極めて眉唾物だという事も秘密にしました。

信頼には信頼で応えたいのですよ。素敵でしょう?

隠し事は少し心が痛みましたが」

 

 

そして本当に、隠し事に罪悪感を感じているようなシルヴィオにブラッドレイは少しだけ笑ってしまった。

これが、イシュヴァール人に悪鬼や死神と畏れられる存在なのか、と。

 

 

「では、私からも一つ質問を宜しいですか?」

 

「一つでよいか?」

 

 

ええ、と爽やかに真面目な顔で頷いたシルヴィオはその質問をした。

 

「今後の親戚問題に大きく関係する事なのですが、

エドワード・エルリックとホムンクルスの父が似ている理由は何故ですか?」

 

ブラッドレイは言って良いものかと思案した。

近くでプライドが見張っている気配もしている。

 

だが、彼は答えた。

 

 

 

「『お父様』の肉体はエルリック兄弟、彼らの父親の血をベースにしており、

『お父様』もヴァン・ホーエンハイムも人間では無いのだ」と。

 

ではヴァン・ホーエンハイムは()なのかと聞こうと思ったが、シルヴィオは質問は一つだけであるという原則を守る事にした。

取り敢えず、仮としてヴァン・ホーエンハイムをホムンクルスに準ずる何者かと考えて、思考を始めようとした時、

会議室の扉が開かれて、ある人物が入って来た。

 

 

「あっ、始めまして、僕はセリム・ブラッドレイです」

 

それは、ブラッドレイ大総統の息子だった。

そして――――――

 

 

「『傲慢』として気になって来たのか? 我が長兄。

ああ、『流血』君。これはオフレコにしてくれたまえ」

 

ブラッドレイは偽装する事無く、その正体を敢えてシルヴィオに明かした。

彼に対して心を開いたところが全くないともいえないし、寧ろそれを知ってどう転ぶか眺めたいというのも大きかった。

また、彼の父親がイシュヴァールとの和解を果たそうとして、その息子がイシュヴァールを殲滅せんとしている事も面白かった。

ブラッドレイにとっては、シルヴィオは友好的な面白い人間なのだ。その褒美とも言えたかもしれない。

そして何より、この情報を彼がどう使うかが、彼がどちら(・・・)につくのかを判別する道具になる。

 

正体を隠して演技していたのを、身内に裏切られて『傲慢』(プライド)は当初誤魔化そうとしていたが、

それが無理だと解ると怒りをあらわにした。

本職たる『憤怒』が怒りを面に見せない分、『傲慢』の方が中々の怒り具合が解りやすい。

 

 

「始めまして。ホムンクルスだったのですね。

私はシルヴィオ・グラン。しがないイシュヴァール人駆除をやっている者です――――」

 

そう言って、シルヴィオは理解した。

ブラッドレイの子供は、ホムンクルスの父親が作った『憤怒』の兄である。

つまり賢者の石的な繋がりはあるが、血の繋がった子供では無い。

そして文献ではホムンクルスに生殖能力が無いのは有名だ。

ブラッドレイは人間との間に子供を為した奇跡の人では無い。

 

 

シルヴィオの中のブラッドレイの株が結構下がった瞬間であった。

シルヴィオの、子供を含めたラストとの幸せ家族計画が潰えた瞬間でもある。

 

だが、そこで先程から並列的に行っていた思考が結論を出した。

では、ヴァン・ホーエンハイムはどうだ? と。

 

エドが、彼が自分に似せて作ったホムンクルスであればそこまで興味は無い。

だが、もし、もし実の子供であれば、夢は広がると言うものだった。

未だ会った事の無い、ヴァン・ホーエンハイムへの株価上昇が止まらなかった。

 

 

「子供と言うのは良いものですね」

 

シルヴィオは口から妄想を垂れ流しにしていた。

だが、プライドは、自分がホムンクルスだと知られて尚、子ども扱いされたと思い不機嫌を隠さなかった。

 

 

憤怒(ラース)は大体、またラストとの家庭生活でも妄想しているのかと理解して、

でも、そう言えばラスト()がシルヴィオとの交際に許諾の姿勢を見せた事はまだなかったな、と思い出してニヤ付いた。



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親友、そして共犯者

やはり、ホムンクルスが何時までも平和でいるのも何か不自然があるのですよね。

ところで、作中でも人気の高い復讐者って、
スカー以外にはどんな人がいましたっけ?


ノックスと言う医師の所で入院しているランファンの所に、リンが訪れていた。

新しい生体義手のリハビリはまだ途中ではあるが、何とか動かしてリンの負い目を軽くしようとする自身の配下に、

リンは思わず寝る事が多くて細くなったその身体を抱きしめた。

 

ランファン、天にも昇りかけた瞬間である。

勿論、彼女が痛む身体を締め付けられて喜ぶドMと言う訳では無い。

ごくごく普通の、想いを告げる立場にない型健気系美少女としてだ。

その時、タイミング良くというか、タイミング悪くフーもその部屋に入って来た。

主従の関係ゆえにその先は無いであろうが、折角の雰囲気が完全にブチ壊れた。

ランファンの祖父への尊敬が地に堕ちた瞬間であった。

放って置けば回復するものなので、特に心配する必要はないが。

 

そこへ、空腹で行き倒れていた少女を保護したノックスが帰って来た。

敵対関係に当たる皇族の候補だと理解するや、フーとランファンは刃物を構えた。

標的はその少女、メイ・チャンである。

 

流石に医者の前で意識朦朧とした少女に刃物を向けるとはどういう了見だと、

ノックスに頭を叩かれたランファンと、諌めるリンに免じて見逃そうと言うフー。

 

流石に助けてくれた恩人に対しては強く出られないランファン。

彼女は恩人を攻撃するほど恩知らずでは無い。

シンの人間は恩義を忘れないのだ。本人たち曰く。

フーは、必要ならばリンの見ていない所で手を汚す必要もあるか、とは心の中で考えていたが、それは仕方がない。一族の為である。

 

 

メイは、彼女のそばを張りついて離れない小さなパンダと共に同じベッドに寝かされる事になった。

 

 

その後、意識を取り戻したメイがリンに襲い掛かろうとしてランファンとフーがガチギレしたり、

それ以上にガッツリとキレていたノックスがその場を取り成したり、

リンがメイたち弱小民族も排除しないと言ったが、メイはその場では信用できないと答えて、

やっぱり主たるリンの事を信用できないのかと、ランファンがプッツンしたが、リンに羽交い絞めにされて宥められ、

この状況は考えようによっては後ろから抱きしめられていると、少々乙女思考になって機能停止したところで、

主に迷惑をかけた上に、呆けるとはどういう事かと祖父の鉄槌を受けたり、まあ色んな事があった。

 

 

 

ランファンとメイは良く喧嘩をしていたが、本気で殺し合う事は無いとノックスが判断できる程度にはなっていた。

そしてランファンがリハビリを十分に終えた頃、

シン組はその場を去る事にした。ノックスと言う医師(・・)に深い礼を述べて。

 

 

 

その数日後だった。

 

ずいぶんと賑やかだった人々が去って、再びさびしい生活が始まったノックスは、

小屋を引き払い、家に帰って、

一人で自分の下を去った、否、自分が一緒に居られなくした写真を眺めていた。

 

すると扉を叩く音がした。

誰かと思い、ノックスは扉を開けた。

 

 

そこには、先程まで見ていた写真に、映っていた自分以外の者がいた。

年は進んでいるが、見間違えようは無かった。

 

 

 

「…お前、たち、なんで」

 

声が掠れて上手く喋れない。

声だけでは無かった。視界も滲んできて、心で会いたい思った末に見る事になった幻が霞んでしまいそうだった。

 

「あなた、久しぶりね」

「父さん」

 

幻聴まで聞こえてきたのか、俺ももう年だな。

そう現実逃避しかけた程、待ちわびた夢だった。

だが、彼らは親子の感動の対面を、感動のまま終わる事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

戸の前に立つ、その二人を包むように爆風が駆け抜けた。

ノックスが目を開けると、そこには生きた人間は残されてはおらず、かつて見慣れた焼死体が二体転がっていた。

 

 

「お前があの時の軍医かっ!!」

 

黒尽くめの恰好をした男二人が、死体を蹴とばして家の中に入ろうとしていた。

顔をマスクで覆っているが、露出した紅い(・・)眼だけが憎しみを映し出していた。

心が壊れかけたノックスを突き飛ばして、家の中に蹴り飛ばした。

 

彼等2人の青年は、マスクを取ると、その浅黒い肌が露出した。

その内、一人の髪が一瞬黒色になった気がしたが、もはやノックスにはどうでも良かった。

その男は、後はごゆっくりと先程までの真剣さが嘘のように去っていった。

もう片方の男は、憎しみを燃やしたまま、再度ノックスを蹴り飛ばして唾を吐きかけた。

 

「軍医ノックスはお前だな。

俺の母を、幼馴染を連れて行っては焼き殺したんだろっ!!

それだけじゃない。あの錬金術師と組んで俺の祖父を焼き払った。

隠れて潜んでいた俺の前でだ」

 

 

もはや、暴力を振るわれる事も憎悪の言葉を吐かれるのもどうでも良かった。

ノックスは聞き流す様に、その言葉を聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~◆◆~

 

 

 

 

次の日、ロイはある家で火事が起きた事を新聞で知って、その家に駆け走った。

検死官が撤収準備をしていて、警察官が周りに近寄らない様にと言っている。

ロイは自分が国軍の大佐であることを明かして、強引に事件の内容を聞き出した。

 

 

 

新聞では自殺という事らしい。首を吊っていたそうだ。

その上での放火、挙句に自分の下を逃げ出した家族を巻き添えにして。

 

だが、ロイはそんな事をする筈が無いと信じていた。

 

 

警察官は、オフレコと言う条件でこっそりと真実を彼に伝えた。

 

 

――――ノックス医師は後ろ手を縛られていた、と。

 

 

かつてノックスとロイは、軍の命令で、戦場でイシュヴァール人を焼いては、火傷の研究をしていた。

また別の件で、ロイは焼死体の偽装をノックスに頼んだこともあった。

色々な意味で、ロイとノックスは共犯者だ。

だが、ノックス自身の死体は本物だった。

 

 

「よくもっ、よくもやってくれたなぁっ!!」

 

親友を殺され、共犯者までもを殺された復讐者は、怒りの焔でその心を染めた。




金髪でお尻がグッドな美女の頑張りは届くのでしょうか?


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冬の女に春は来るのか?

鋼鉄の女、鉄血さんの所の息子に無茶を言う。


『お父様』の錬金術封じをあっさりと破ったシルヴィオ。

彼は地殻変動を利用した本来の(・・・)錬金術が何らかの要因で使えないと言う事実だけに注目して、

錬丹術でその妨害を必要分だけ抉じ開けて、その隙間から本来の錬金術を行使する発想に辿り着き、

その研究をしていた時、軍の依頼という名前の命令で、医者として北に向かう事になった。

 

シルヴィオは寒いのは嫌いではないが、北に向かうのは少々面倒だと思いながらも命令に従う事にした。

丁度支度をして出ようとしていた時に、エルリック兄弟たちと遭遇した。

 

「あの時に発動できた錬金術について教えてくれ」

 

エドにそう言われたシルヴィオは、参考資料を渡して返そうと思ったが、

やはり本人に説明して欲しいと言われたので、エドたちは道中を共にする事にした。

 

向かうは天険ブリッグズ。

 

 

 

水流であれ、風であれ、水蒸気であれ、様々な形でエネルギーは取得する事も、消費する事もできる。

であれば、地殻変動に限定しない様々な錬金術が可能ではないかという理論であり、

この星を一つの生命体と見立てて、

その代謝作用だけでなく、『血流』の様な物を活用させて頂くという考え方をエドたちに示した。

 

教え方は極めて丁寧であり、スカーを前にした時と同じ口調と同じ表情である。

とてもではないが、スカーの関係者を惨殺した様子は其処に覗けない。

そしてホムンクルスとも親しげである故に、当初エド達は100%はその理論体系を信じられなかった。

 

だが、余りに理路整然としており、落とし穴がある様にも見えなかった。

 

 

 

 

シルヴィオ達はブリッグズの麓で金に物を言わせて高級な防寒着を購入して、北の砦への道を登って行った。

険しい吹雪の中の登山だった。

 

そしてその途中、謎の大男に襲われた。

 

喧嘩は良くありませんよとお花畑な事を言っているシルヴィオには、大男は特に脅威とも思っていないのか完全に放置されていた。

逆に、厳めしい義手と全身鎧のエルリック兄弟は明確な敵と認定された。

 

その大男はどう見てもアメストリスの軍人であるから、味方なのだとエド達は主張するが、

話はまるで聞いて貰えなかった。

そして二人が上手く立ち回って、大男の動きを上手く封じたものの、

吹雪が晴れると、ブリッグズの山岳警備兵がエド達の周囲を囲んでいた。

 

 

だが、彼らはエド達に銃を突きつけるのでも、剣を構えるのでも無く、

両手を上に上げていた。

 

彼らの首には何れも氷で出来た、先が鎌の様になった物が足場の雪から生える様に伸びていた。

 

「怪我をしたら治して差し上げますが、なるべく動かないように気を付けて下さいね。

私も貴方達を傷つけたくないのです」

 

付き合いのあるエド達は、その発言が心からの本音だと何となく解るが、

そうで無いものには、動けば首を落とすと言う脅しにしか聞こえなかった。

 

そんなこんなで、彼らを連行しながら、砦へと進むシルヴィオは漸く目的地へ辿り着いた。

 

 

 

砦の上からシルヴィオたちを見下している女性がいた。

彼女は山岳警備兵を捕虜にしてやってきた曲者たちを見て、猛禽の様に口元を吊り上げた。

 

「ほう? 見知った顔がいるな」

 

 

女性と目線が合ったシルヴィオは社交的に礼をしたが、正直帰りたかった。

その女性、オリヴィエ・ミラ・アームストロングはシルヴィオ・グランの婚約者候補であった女性だからだ。

 

 

自分より弱い貧弱な男には興味が無いと豪語しておいて、シルヴィオが見た目とは裏腹に格闘術の天才だと知ると戦いを仕掛けてきて、

挙句にもっと強くなって己を倒せれば結婚してやろうと言う、

婚約の押しつけをしてくる稀代の災女というのが、シルヴィオの印象だった。

見た目は好みではあるが、今となってはラスト一筋なシルヴィオには果てしなく面倒な相手だった。

 

 

シルヴィオの前まで歩いてきたオリヴィエは剣を突きつけてかつてのように吠えた。

 

 

「シルヴィオ、久しぶりだな。

さあ、構えろ。覚悟を決めろ。私と決闘(結婚)しろっ!!」

 

 

「「「「遂に、ブリッグズの万年冬の様に、結婚できないと思っていたボスにもようやく春がっ!?」」」」

 

そう口々に熱狂した彼女の配下のテンションとは対照的に、

シルヴィオのテンションはブリッグスの何時もの気温の様に下がっていた。

 

勿論、失礼な言葉で盛り上がった彼らはこの後罰を受けるのは確定事項である。




勝ったら勝ったで面倒で、負けたら負けたで敗者が従う理論で、
逆光源氏式、養成訓練が始まってしまう。
此処に、お色気さんがもっと素直であれば、既にフリーで無い発言が出来るのに…


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ラブコメの似合わない彼女

彼氏いない歴=年齢


結婚という言葉を聞いて、プロポーズと言う概念を聞いて、一体どのような仕草を思い浮かべるだろうか?

少なくとも、剣を振り下ろしながら突進してくる女性というのを思い浮かべる人間はいない。

シルヴィオは、そう思いながらもオリヴィエであれば普通にありえるという思考も捨てきれなかった。

 

咄嗟に体を捻って躱しながら、手元の剣の峰を抑えて剣を封じる。

その余りにも洗練された行動に、会場は大いに盛り上がった。

そして乙女心とはあまり呼びたくない、アームストロング少将の闘争心も。

 

「やるな、それでこそっ、我が夫に相応しいっ!!」

 

そんな熱烈な逆プロポーズと共に繰り出される回し蹴りがシルヴィオの頭部を襲うが、

それも首元をガードしていた腕に止められた。

そしてシルヴィオは掴んだ少将の足を解放しながら言葉を投げかける。

 

「…諦めては頂けませんか?」

 

「「「「やっぱりボスがフラれたーーっ」」」」

 

観客席から統率のとれたツッコミが入る。

盤石な一枚岩の呼び名は伊達では無い。

勿論、今ツッコんだ彼らにはあとで制裁が入る事は、アームストロング少将の睨むような目つきから火を見るよりも明らかだった。

岩をも砕く怪力の女性がそう心に決めたのだから間違いないだろう。

 

 

その後も、少将が息もつかせない猛攻を続けたが、それらをシルヴィオは全ていなし・躱し・防御に徹した。

彼の父親の見立ては間違っていなかったと言えよう。

彼の戦闘者としての才能は破格だった。

 

だが、久しぶりに骨のある奴が相手というのに、少しオリヴィエには不満があった。

 

「何故だ、何故攻撃に転じない?」

 

その答えは博愛主義の青年にとっては答える必要も無いものだったが、

聞かれた以上は答えなければならなかった。

 

 

「貴女の様な美しい女性に、例えその後私が治療するとしても傷を付けたくは無かっただけですよ」

 

その言葉に、戦士では無く女性扱いされた事にプッツン来た、

彼に逆プロポーズしたはずの女性は、「剣でも何でもよい。構えろ、殺すぞ」と咆哮した。

 

結婚しろと言っておきながら、女性扱いして怒られるのは理に叶わない。

やはり女心は難しいとシルヴィオは納得して、

砦の兵士達も、ボスだから在り得ると納得して、

エド達は、その理不尽に驚愕した。

 

 

攻撃が更に猛吹雪の様に苛烈に加速したので、ご機嫌を取る意味で、シルヴィオは氷で長剣を精製した。

尚、剣を向けられてご機嫌になる女性は世に一人しかいない。

猛獣が牙をむいた様な笑みを浮かべ、シルヴィオに切りかかったアームストロング少将の剛剣を、

薄い氷の剣で角度を調整して、最小限の負担しかかからない形で流す。

 

圧倒的な技量がそこに在った。

とはいえ、シルヴィオの剣は、一見薄くしているものの、その結合密度と強度は見た目とは裏腹に極めて高い。

あくまで、酷く脆そうに見えるのは見た目だけである。勿論ワザとだ。

 

「いいぞっ!!」

 

流されたものの、その勢いを再度利用してオリヴィエは回し切りを見舞った。

だが、シルヴィオの足元から突如柔らかそうな壁の様な物が出てきたために、その物体に剣がめり込んで固められてしまった。

 

 

即座に剣を捨てて、銃による応戦に切り替えたものの、

強固な氷の壁が構築されてシルヴィオには届かなかった。そして透明な壁の向こうからそろそろやめませんかと優男はほざいている。

壁にかけてあった軍刀を二つ取ると、少将は二刀流に切り替えた。

 

先程とは違い、手数が増えたものの、それでいて剛の剣である事には変わりない。

信じられない事だ。彼女は片手(・・)で重たい軍刀に振り回される事無く振るっているのだから。

 

 

シルヴィオはそれをかつての様に防戦一方で対処する。

結局攻めには転じなかった。

それがますますオリヴィエの乙女心という名前の闘争心に火を着けた。

勿論その中身は混じりけ無し100%の闘争心であるので、完全なラベル詐欺である。

 

オリヴィエは攻撃のリズムを敢えてずらして、そこからの急速な連撃を繰り出した。

片方はシルヴィオの頭部への突き、もう片方はシルヴィオの頭上からの振り下ろしだった。

シルヴィオにとってはどちらも同じ縦軸に存在する攻撃なので横に躱せばよかった。

だが、頭上の剣が変則的に斜めに滑り、水平に迫って来た。

 

 

シルヴィオの顔に吸い込まれるように伸びた剣は――――、

 

 

 

 

――――シルヴィオの噛み締めた並びの良い歯に、その動きを封じられた。

もう片方の剣も摘まむように白羽取りされている。

 

口の端が若干斬れるのも厭わず、シルヴィオは首を捻るようにして驚愕したオリヴィエから剣を引き抜き、

それを空いている方の手で奪うと、その剣でオリヴィエの持つもう片方の剣の柄を、

オリヴィエの手に触れないギリギリのところで両断。

 

 

それによって刃が駄目になった、今奪ったばかりの剣を投げ捨てると、

今度は氷の剣を使い、引き絞った弓を放つように、刺突を放った。

 

神速の突きに、思わず腕一本捨てる覚悟で防御をしながら後ろに飛び抜いたオリヴィエだったが、

更に加速したシルヴィオは、

防御に使わずに、拳銃のホルダーに伸びようとしたオリヴィエの肩を押さえつけ、

防御に使った腕を刺し抜く様に剣を持つ手を伸ばし、

その剣がオリヴィエに触れるその寸前で、氷の剣は砕け散って雪の華に変わった。

 

シルヴィオは、驚愕したオリヴィエの足を払いながら、

その肩をそのまま下方に押し付ける様に、雪の上に押し付けて、

その手をずらしてオリヴィエの首の真横の雪の上に置いた。

更にオリヴィエの足の隙間に、己の膝を突き入れて回避さえ封じた。

 

雪という、シルヴィオとは相性の悪くない物質に触れた状態で、相手の首元を何時でも攻められる状態にあるので、

最早勝ちと言っても問題ない状態だ。

彼自身も妙に冷気を纏った小指をオリヴィエの首に触れる程度に押し当てている事からその自信があるのだろう。

 

もう片方の手で胸元に手を置いて、プライドの高い彼女以外の者に聞かれないように配慮して、

その耳元で小声で告げた。

 

 

 

「…私の勝ち、という事で宜しいですか?」

 

 

 

勿論、今の彼と彼女の体勢が周囲にどうみられるかについては、敢えて触れないものとする。




???「私は『嫉妬』ではない別のホムンクルスだから、何の問題も無いわ。
ええ、無いといったら無いの」


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常に余裕を持って優雅たれ

感想欄の返信の内容から、少し書いてみました。


さて、時間は大きく遡る。丁度エド達がシルヴィオと共に北のブリッグズに向かっていた時だった。

ホムンクルス達が一堂に集まっていた。勿論彼らの生みの親のいる場所で、だ。

尚、この会同に『お父様』は参加していない。

 

大総統としての顔のある『憤怒』(ラース)は、人事発令通知書の控えをヒラヒラさせていた。

取り敢えず誰かに突っ込んで欲しそうな感じが凄く伝わって来たので、

意外と面倒見が良い『嫉妬』(エンヴィー)が、

 

「一応聞いてやるよ。それは何だ?」

 

と心底面倒くさそうに聞いた。

そういう優しい気遣いは、流石お兄ちゃんと言った所だろうか?

 

「ああ、これかね?」

 

自分で聞いて欲しそうなアピールをしておいて、あたかも今気が付いたかのように話し始めるラース。

彼も中々に面倒である。彼の姉程ではないだろうが。

 

その書面の内容は、『流血』…では無く、民間の高度な技術を持つ医師、シルヴィオ・グランを北方に派遣して、

凍傷などの治療を行わせると共に、そのカルテを持ち帰り、アメストリスの医療発展に寄与するという内容であった。

 

要するに、中央から遠く離れた所に飛ばした、という事である。

『色欲』(ラスト)の方をチラチラとみる憤怒()の視線を無視しながら、彼女は一言質問した。

因みに、質問は一人一回制度は身内には存在しないので、質問し放題である。

 

 

「…場所は何処かしら?」

 

「ブリッグズ砦。最後の血の紋を描く場所だ」

 

 

左手に持ったグラスの中のワインをクルクルクルクルと回し続ける姉に向けて、

序に何気なく、だが、若干からかう様な声で、一番老け顔な末っ子は告げる。

 

「ああ、そう言えばあそこの責任者はアームストロング家の長女だったな。

いい歳だが、性格が災いして未だ独身だそうだ。

――――たしか何処かの名家の青年と婚約の話が在ったような気もするし、

無かったような気もするが、詳しい事は覚えていない。

全く、年は取りたくないものだ。記憶力が自分の自覚よりも衰えている事に偶に悩まされる」

 

 

ため息をつき、片目をつむり、やれやれと首を振っているが、

そのウロボロスの刻印のある瞳はニヤ付きを隠してはいない。

 

 

「そう、特に興味は無いわね」

 

視線を逸らしながらそう答える長女の右足は、若干震えているし、

ワインを持っていない方の右手の爪が、数センチではあるが、先程から伸び縮みを繰り返している。

 

隣りにいた『嫉妬』(エンヴィー)はそれに気が付いたが、面倒なので敢えて気が付かない振りをした。

あからさまに横にいる姉が嫉妬しているように見えるが、

それを指摘すると自分や姉のアイデンティティが崩れそうな上に、

『色欲』だけでなく『嫉妬』まで兼ね備えたと口に出してしまえば、

大罪(感情)は一人一個までにしましょうと、真面目で委員長気質な長男『傲慢』(プライド)が煩そうなので、

彼には珍しく、災いの素である口を噤む事にした。

彼は学習能力がある、賢いホムンクルスである。

尚、最近『怠惰』の感情が強くなりつつある事は敢えて気にしない事とする。

 

 

現アームストロング家の当主による長女のお見合いの数々の失敗談や、

アームストロング家の当主の妻と、グラン家の前当主の妻が仲がとても良い事、

長女のオリヴィエ・ミラ・アームストロングは巨乳であり、

ブラッドレイとしてシルヴィオと会話した時に、彼はくびれとうなじが好きで、

身体のメリハリは確りした方が好きだと言っていた事。

 

まあ、無駄話がそこまで好きでは無い長男がそろそろ話を打ち切ろうとするまで、

ラースによるそのような話が延々と続いた。

その締めに、権利の上に眠る者は保護に値せず。そう言って。

 

一度も口を付けていないのにも関わらず、既に、ラストの持つグラスには最早ワインは入っていなかった。

 

「で、どうするのだね?」

 

尚も末の弟は煽る。話は終わったのではなかったのか、お前も大概にしつこいなとエンヴィーに言われても、

その煽りは止まらない。ここに既婚者(勝ち組)としての驕りと余裕があった。

 

「もし、将官の結婚式があれば大総統としてはスピーチでもしなければならない。

また、昔の様に文面を考えるのを手伝ってくれるかね?」

 

今の妻に対するラブレターをかつてラストが添削した事を引き合いに出しての、圧倒的な煽り。

尚、その添削をした先生は未だ独身である。

『憤怒』から『煽り』に変えても良いのではと思う程のアオリストが此処に存在した。

 

 

「好きにすればいいわ。私は私のしたい様にするし、

その将官もその将官の欲望の赴くままに行動する事を、肯定するわ」

 

長女はやはり目を合わせる事無く、そう告げる。

尚、本人は余裕があるつもりだが、ラースの持つ『最強の眼』が無くてもその余裕が虚勢なのは良く解った。

『暴食』(グラトニー)ですら、だ。

 

 

 

 

「でも、らすとのこっぷ、ひびがはいってる」

 

頭は良くないが、素直な弟が姉のグラスにワインが入っていない理由を指摘した。

エンヴィーの、俺よりよっぽど嫉妬してないか? という感情が顔に出ていたのだろう。

彼は、口を噤んでもやはり表情だけでも余計な事を漏らしてしまう粗忽者であった。

 

だが、流石にこの状況では長男も、うっかりな弟を責めはしなかった。

 

「おかしいですね。ホムンクルスには単一の感情しか無いはずなのですが」

 

 

それどころか、意外にも妹を弄る側に回っていた。

何だか少し、愉しそうにみえた。

 

 

 

長女はその左手に持ったグラスを遂に、完全に握り砕いてしまったが、

何事も無かったかのようにしている。

その様があまりに滑稽だったので、エンヴィーは口を滑らせてしまった。

やはり、彼はお喋りのエンヴィーである。

 

「彼氏の浮気が心配なら、追いかけて行ったらどうだ?」

 

ラストはエンヴィーに人差し指を向けて、爪をエンヴィーの顔の手前まで伸ばした。

が、ここまで真面目に生きてきた反動か、愉悦を覚え始めてきた長男の援護射撃が入った。

 

「確か、そろそろ『怠惰』(スロウス)があの辺りにいると思うので、様子を見てきていただけると助かりますね。

それに、あの辺りで血の紋を刻むのなら監視役も必要でしょう?」

 

末っ子は無言で頷く。勿論、表情はニヤ付いたままだ。

そしてそれは、長女にとっても良い口実(・・)にもなった。

 

 

「別に、彼氏とかそういうものでは無いわ。それを承諾した事など一度も無いもの。

第一、私は『色欲』であって、『嫉妬』では無いわ。

でもそうね、大切な人柱に何かあっても良くないのは間違いないのも事実ね。間違いないわ。

…お父様、北の方へ敵情視察へ行って来ても良いかしら」

 

プライドは『スロウス』と『血の紋』の事しか援護射撃をしていなかったが、

勝手に妄想上の援護射撃を自己正当化に結び付けて、

何時の間にかその場に表れていた『お父様』にラストは余裕たっぷりに告げた。

尚、彼女のドレスにはワインが付いたままだ。

 

「許す」

 

何時もの様に『お父様』は無機質に答えた。

 

 

 

 

 

 

それから少し経って、

背中がバックリと空いたドレスに着替えて、首元が見える様なポニーテールに纏めた長女を兄弟達は見送った。

 

「相変わらずめんどくせえな」

 

エンヴィーがそう言ったが、ラースはそれが面白いのではないかと笑う。

ラストに懐いているグラトニーが「おでもついていっていい?」と周囲に聞いていたが、

 

 

「少しは空気を読みましょうよ、グラトニー」

 

と長男に叱られてしまっていた。

 

 

 

 

長女は寒くて寒い北の国へ、どう考えても防寒度外視な寒そうなドレスで赴き、

時折、下品にならない様に口元を抑えて、くしゃみをしながらも進んでいった。

 

寒くてもファッションを優先しなければならない女の子はとても大変な生き物だと、

世の男どもは然りと理解しなければならない。

もし、それがオシャレの為ならば雪山で背中バックリで、Xラインベースのドレスで赴く覚悟も必要なのである。

ファッションとは、即ち戦争であった。

 

 

 

この一連の行動は『嫉妬』ではない。

あくまで『お父様』に造られた『色欲』のホムンクルスとしての役割に過ぎない。

単一な感情しか持たないホムンクルスとして、

『お父様』に必要あって与えられた役割を果たさなければならない。

 

そんな強い信念でようやく雪山の頂上付近に着いた時、ふと離れた場所にある砦付近で甲高い接触音が何度も響くので、

その方向を見ると、服越しではあるが、自分以上のバストを持つ女性を、

酷く見覚えのある医師が押し倒しているのが目に入った。

 

 

彼女はこの時、己の大罪(感情)が何であったかを一瞬、完全に忘れていた。



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何故なら最強だから

知らないのなら覚えておくと良い。
なりふり構わない女性に敵う男性は――――存在しない


かつて『色欲』の名前を冠する彼女は一人の錬金術師に全身を焼き尽くされた事があった。

今の彼女の感じている、不快極まりない昂揚感に似た何かは、その感覚に少し似ていた。

 

「こんな雪山だと言うのに、

少しも寒くないわ」

 

雪山で映画のミュージカルシーンのような言葉を宣う彼女の衣装は、薄手のドレスである。

その上背中バックリ露出である。寒くない筈が無いのだが、彼女自身がそう言うのならそうなのだろう。

彼女の中では。

 

 

足跡さえ、直ぐに吹雪に埋もれる天然の要害ブリッグス。

その頂上に聳え立つは、北の大国ドラクマへの最前線を任せられた歴戦の猛者達が集う砦。

そこに淀みなく極めて優雅に足を進める彼女に気が付いた警備兵達は、

彼女を制止しようとして本能的な恐怖を感じて、凍りついたように動けなくなった。

 

エドもアルも、ラストに気が付いたが、何時も以上に余裕ありげな表情に、

何処か非常に恐ろしいものを感じていた。

 

そして、シルヴィオも気が付いたが、彼が何か言おうとした時に、

急遽自分の下にいる美女に腕を掴まれて引き起こされ、

 

 

「お前の勝ちだシルヴィオ。此処ブリッグズの掟は弱肉強食。

さあ、私の夫になるなり、私を妻にするなり好きにするがいいっ!!」

 

勝手にドエライ事を告げられた。

そして残念なことにその選択肢はどちらも同じ結果しか生まない。

周囲のブリッグズ兵は、まるで奇跡が起こったかのように感動の涙を流している。

 

 

だが、その奇跡をぶち壊すかのように、新郎新婦(アームストロング少将調べによる)の前に更なる美女が歩いてきた。

 

 

「兄さん、この状況、ボク、何ていうか知ってるよ」

 

「ああ、奇遇だなオレも同じこと考えてた」

 

 

「「修羅場だ」」

 

エルリック兄弟がこの場の状況を極めて解りやすく解説していた。

 

 

優雅に微笑むラストに対して、好戦的にオリヴィエは笑った。

 

「お前もこの男を狙っていたのか?

残念だったな。この男は私のものだ。この男は私に勝って私と結婚する権利を得た。

だが安心しろ、私の夫になる人間には愛人の一人や二人程度持つ甲斐性を許そう。

好きにするが良い」

 

 

負けたはずなのに、勝者の身柄を勝手に決定して正妻面しているオリヴィエ。

そして未だに状況が呑み込めていないが、真面目面ながらも取り敢えずラストに会えて嬉しそうなシルヴィオ。

何となく状況が解らなくも無い気がしてきたが、だからと言って先程から絶賛燃焼中の感情が沈下するかと言えばそうでも無い。

 

この時のラストは精神的に無敵だった。

もう何も怖くない。今なら何だってやれる気がした。

なりふり構ってなどいられるものか。

――――人はこの感情を一般的にはヤケクソと言う。

 

 

「では、好きにさせて貰おうかしら?」

 

 

ラストは先程から余裕の表情を無理に作り過ぎて固まってしまった顔の筋肉を何とか動かして、なるべく妖艶に微笑むと、

シルヴィオの頬に手を当てて、少しだけ背伸びして接吻した。

 

 

 

ズキューーンと何かが打ち抜かれる様な衝撃が奔った。

オリヴィエは自信ありげに笑っていた。足元に柄だけになった軍刀が落ちているのを見なければ何時も通りの女傑である。

シルヴィオは思考回路がショート寸前になり、もはやイシュヴァールコロス以外の思考が雪の様に真っ白だ。

ブリッグズの兵士達は、「やっぱりボスは駄目だったか」と後で砦の前の広場が白から赤に変わる様な事を言い合っていた。

エド達は、大人だ…としか思えなかった。

ラストは、今になって自分の暴挙を理解して混乱した。だが、余裕な振りは崩さない。此処は正念場だった。

 

一応国のトップをやっている末の弟(60歳)が手配した紹介状をオリヴィエに押し付けると、

同じく砦に宿泊すると一方的に告げて、奥へと入っていった。

 

髪を縛っている紐を解いて、淡々と進む彼女だが、その首筋まで真っ赤であった事に気が付いた者はいなかった。

 

 

 

 

オリヴィエは手に取った書類に目を通す。

ブラッドレイの直筆で、シルヴィオの助手の看護師であるラスト・スルクンムホを、

彼の補佐として付けるので、なるべく連絡調整が密に取れる様に隣室または同室(・・)が望ましいと書いてあった。

 

オリヴィエは紹介状をビリビリに破くとその場に巻き捨てた。

 

周囲の男達は、よっぽど嫌な事が書いてあったのだろうなと思ったが、推測するのも危ないと理解して触れない事にした。

 

 

 

その日、シルヴィオが砦の施設説明で渡された、浴室へと入ってのんびりとしている時だった。

ガラガラと扉が開く音がした。

シルヴィオは、誰かが来たのだなと考えていた。寧ろ砦の人数を考えるとシルヴィオ以外誰もいない今までの時間が珍しかったのだ。

 

湯煙の向こうから影が近づいてくる。

シルヴィオはそれをあまり気にすることなくのんびりと見つめていた。

 

そして、その人物が湯煙の向こうから現れた。

その人物は、オリヴィエ・ミラ・アームストロング。軍の階級は少将。

シルヴィオはまだしっかりとは確認していないが、僅かに湯煙から覗いた光景から判断するに恐らくこの女、

何も身に着けていない。堂々とし過ぎである。

 

 

「此処は男性用ですよ」

 

背を向けてシルヴィオはそう言ったが、相手が去る様子は無い。

 

 

「何を言っている。此処は女性用だ。

そもそも、あの施設案内の地図には男性用か、女性用か書いてあったか?

書き忘れていたかもしれん」

 

 

こういう時は、三十六計逃げるに如かずとシルヴィオは判断し、

目を瞑ったまま脱衣所の場所までの距離や構造の記憶を頼りに駆け抜けようとした。

 

だが――――

 

「今、女湯の前の廊下を部下達が清掃中だ。

まさか、女湯からお前が出てきたら部下達は驚くだろうな。

私が女湯に向かった事を知っているなら、更に別の意味でも」

 

 

それは、既・成・事・実ーーーーッ!!

 

嵌められた。まだ何もしていないけれど、完全に嵌められた。

婚前交渉などもっての他だと、貞淑に護って来たものが、今まさに狙われている。

 

このいい歳で未婚の女、なりふり構わない。

 

 

 

「あら、彼らならもういないわよ?」

 

だが、シルヴィオの足を掬う女神がいれば、彼を救う女神もまた、存在した。

 

「――――彼らに今から私がお風呂に入るのだけれど、ずっと廊下に居直られては安心できないわ。

マナー違反ではないかしらと言ったら、蜘蛛の子が散る様に去って行ったわ?

貴女の部下は、見た目に寄らず紳士的な所もあるのね?」

 

 

バスタオルを巻いて入って来た、数時間前に彼の意識を停止させた美女に、

再び意識を天国へと持ち上げられ、

 

 

「イシ…………ールコ…ス」

 

完全に意識が途絶えた時に唯一残る思考だけを僅かに口から洩らしながら、

彼は昂揚感と倦怠感の極みに達して、鼻から流血しつつ倒れた。

 

――――人はそれを湯当たりと呼ぶ。



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濡れた部屋

厭らしい意味では無いので、ご安心ください


湯当たりしたシルヴィオを看護師であるという偽装情報を最大限に活用して、

様態を見るという名目でラストは自室に連れ帰った。

看護服に着替えてみようかしらと一瞬考えたのは内緒だ。

 

ラストは改めてシルヴィオを眺めてみる。

彼は錬金術に精通していて、ホムンクルスの存在を理解して、

その上でラストがホムンクルスだと知っていて、好意的な人間。

最初はその程度の存在でしかなかった。

 

だが、余りにも稀有なその存在の事をふとした時に思い出す様になり、

家族にからかわれている内に、自覚(・・)がどんどん濃くなっていった。

自分の絶対のピンチを救ってくれたことも大きかっただろう。

イシュヴァールには人間では無いと絶対の憎悪を向けながら、

ホムンクルスには同じ人間だと差別無い態度を向ける青年。

 

その青年の顔つきは女性と見間違うばかりに整っており、

その唇は、温度はそう高くないものの、寒空の下でも潤いがあって――――

 

そこで、冷静さを取り戻したラスト(未婚:年齢ピーー歳)。

思考力を取り戻してよくよくこの状況を考えてみると、今、二人きりである。

 

私は『色欲』のホムンクルスよ、百戦錬磨の恋愛のエキスパートなんだから。

ええ、そうよ。こんなの余裕に決まっているわ。

 

そんな強い覚悟を決めたが、

 

 

「んっ…」

 

シルヴィオが一瞬起きそうなそぶりを見せただけで、その余裕はさらりと流れてしまった。

 

 

弱くなった、ラストは今更ながらそう思う。

かつては意識せずに存在していた余裕が、今では特定の事に関しては無くなってしまっている。

 

変わってしまった、ラストは今更ながらそう思う。

かつては間違いなく『色欲』として生きてきた。だが、正直、『嫉妬』や『憤怒』を感じる事もある。

生まれた時に完全な生命体として不変であることが定まったホムンクルスだと言うのに。

その事に誇りを持って今まで生きてきたと言うのに。一体どうなっってしまったというのか?

これではまるで――――愚かで弱い、普通の人間の様ではないか。

 

 

「…貴方のせいよ。責任、取りなさいよ」

 

そう安らかな寝息を立てる青年の頬を軽くつついた。

そして部屋のカギを閉めて、照明を消した後、彼の温もりを感じる様に掛け布団の中に潜り込んだ。

青年の言うように『色欲』のホムンクルスでなく、ラストがただの一人の女性だというのなら、それで十分だった。

時折聞こえるイシュヴァールへの怨嗟の混じった青年の寝言を聞きながら、彼女は眠りについた。

 

 

 

 

次の日、ブリッグズの寒空に生息する固有種の鳥の鳴き声でシルヴィオは目を覚ました。

掛け布団に少々重みを感じる上に、温かくて柔らかい。

 

ブリッグズは布団も重厚なのですね。そういえば、昨日はいつ眠りについたのでしたっけ?

彼はそう思考しているが、これは厳密には思考と呼ぶのも烏滸がましい現実逃避というヤツである。

青年の胸元には、先程イシュヴァール人を殺している夢に出てきた意中の女性が、

彼の胸元に頭を乗せて眠っている。

 

基本的に常時固定されている一つの思考を除き、全ての思考が停止する。

彼の耳には、鳥の声だけが聞こえている。

そう言えば、鳥が鳴く理由は縄張りの主張と、外敵の情報と、異性への求愛が多くを占めるという、

今はあまり関係ない知識が再起動した思考に浮かんできた。

 

 

(私ッ、冷静になりなさい、何故この状況が生起しているのでしょうか?イシュヴァールコロス

これは役得、いやそうでは無く、ヤってしまったでしょうか、責任を取らなければ、

それは寧ろ好都合、いや、そうでは無く、これは婚前交渉に当たるのでは?イシュヴァールコロス

いや、ラストさん相手なら婚前交渉上等ッ!!イシュヴァールコロス

…では無く、気絶する前に私は、私は…イシュヴァールコロス

バスタオル、胸元、うなじ、くびれ、染み一つない素肌イシュヴァールコロス

あっ、もしかして理性が飛んでこの状況にっ!?イシュヴァールコロス

これは合意だったのでしょうか? あの昼の状況を都合よく考えるに恐らく合意…だったらいいですよね、イシュヴァールコロス

ええ、此処は合意と仮定しましょう。イシュヴァールコロス

それにしてもなぜ記憶が無いのでしょうか、イシュヴァールコロス

今まで全ての学校や資格の試験を全問正解した程度の知能では、ラストさんの圧倒的美しさを記憶できない!?イシュヴァールコロス

これが身の程知らずが真理に立ち向かうという事なのでしょうか?イシュヴァールコロス

ああ、何という事でしょう。イシュヴァールコロス

いえ、それより私の事ばかり考えてはいけません。まずはラストさんの立場とこれからを考えなければ――――イシュヴァールコロスイシュヴァールコロスイシュヴァールコロス)

 

 

この間3秒。

才能の無駄遣いである。

 

その思考中の身動ぎで、ラストが目を覚ました。

どちらも朝起きたばかりの状態で、極めて近い位置に顔があったためにいっぱいいっぱいだったが、

真面目面がそんなに崩れない事に定評のある青年と、余裕を意図的に貼り付ける努力に最近慣れてきた美女には、

何とか普通だと思われる対応が出来た。

 

 

「おはようございます。良い朝ですね。少し寒いですが」

 

「ええ、でも貴方が温めてくれたから寒くは無かったわ」

 

 

そう言いながらも脈が早まり、体温が上昇する感覚が制御できないラストは、これでも色事のエキスパートである。

今では色事のエキスパート(笑)だが。

 

「ところで、昨日の夜、私が何をしていたのかお恥ずかしながら記憶が無いのですが…」

 

シルヴィオのその質問に、ラストは色々恥ずかしい思考を思い出して言葉に詰まった。

一方シルヴィオはその反応を見て、完全に()ってしまったと判断した。

 

だが、それは否定された。目の前にいるラストによって。

 

「あなたがお風呂場で倒れたと聞いて、看護師として此処に来た私が看護する事になった。

それだけよ。」

 

それだけしかなかった。バスタオルを巻いて乱入までしたにも関わらず――とまでは言わなかったが。

 

ここで、都合の良い嘘を吐けば、世間知らずの青年など簡単に丸め込めたのだ。

絶好の状況だとは理解していた。だが、ラストはその選択肢を取ろうとは不思議と思えなかった。

いや、素直に言えば不思議でも何でもないその理由をラストは自覚していた。

 

 

廊下の方から足音が近づいてきている。

そろそろ時間だろう。そう思って、ラストはシルヴィオにその想いを告げた。

 

 

「好きよ。貴方の事が好き。

貴方の一番になりたいって心から思えるの」

 

その表情には張り付けた表情は無かった。そんな余裕は彼女には無かった。

だが、その素直な表情を、青年は今まで見た中で一番美しいと思った。

 

そんな美しい彼女は、彼に恋したからこそ、彼を愛したからこそ、

悲しくて弱くて愚かな生き物に成り果て、

中身の解っているパンドラの箱を開けてしまった。

 

「ねえ、一つ聞かせてくれないかしら。

イシュヴァール人への憎しみと、私だったらどちらを取るかしら?」

 

 

『イシュヴァール』という単語に急激に冷静さを取り戻した青年は、

その問いに答える事が出来なかった。

――――それが答えだった。

 

 

ラストは顔を背けて立ち上がった。

シルヴィオの顔を見る事無く、一方的に言葉を並べ置いた。

 

「解っていたわ。その事は。

私だって『お父様』の命令が第一だもの。

それと、これで両想いで良いのよね。ええ、嬉しいわ。

これからも宜しくお願いするわね」

 

その後、顔を見せる事無く彼女はドアの鍵を開けて部屋を出て行った。

自分がした事で、最も愛する人を傷つけたと理解しても尚、青年は復讐を捨てる判断は理解もできなかった。




ここが、大佐との圧倒的な差。
奴なら「勿論君さ、ハニー」と華麗に答えてエンディング(という名前のR-18)に進んだはず。
これだから、これだからコイツは童貞なんだ。
これだからコイツは…。


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二兎追わぬ者は…

ラスト・スルクンムホという女性は、急遽別の用事が出来たと言って北の砦を去った。

男達は大層残念がった。

だが、その代わりの看護師が数日後にやって来た。

エンヴィー・スルクンムホという女性の看護師で、ラストの妹でもあるのだと言う。

エン子って呼んで下さいと言う可愛らしい自己紹介は、男達には大層ウケていた。

 

しかも、今度はあのモテまくりのいけ好かない美形のお手付きでも何でも無さそうだという。

近々、北の砦唯一の女性である彼女にファンクラブが出来るのだという話も盛り上がっていた。

尚、北の砦に女性が1人だと言った兵士は、頭にクールなコブを作って同じ部屋の兵士を驚かせたと言う。

まあ、それは完全に余談である。

 

名前と、ラストの交代要員というところから完全にエド達には正体の見当が付いていたが、

ホムンクルスに関係の無い人々を巻き込めない為に、周囲に迂闊な事は言えない。

ホムンクルスの事を自分たち以外で知っている人物である博愛主義の医者は、ホムンクルスにも(・・)味方だ。

 

それにしても捻りは無いのか?

ホムンクルスって馬鹿なのか?

なんだ、スルクンムホって、ひっくり返したらホムンクルスじゃないか。

エドは、この国を裏で支配している巨悪達のレベルにある意味で驚愕していた。

 

 

 

 

 

今日、この砦に偶々離れた場所で野営訓練をしていたマイルズ少佐が砦に帰って来た。

マイルズ少佐は、浅黒い皮膚とサングラスが似合うクールな男であると砦でも評判だ。

 

彼は同僚であり、友である何時の間にか頭に大きなコブを作ったバッカニア大尉に、

北の砦に流星の様にキラッ☆とやって来た唯一の女の子、エン子の魅力を帰ってくるや否や教え込まれ、

付き合いでヲタ芸の練習をする事になり、ロザリオから流れる様なサンダースネークが出来るまでの練度に向上したところで、

その日の業務を終えてシャワーを浴びていた。

 

演習帰りで汗をかくような行動をしたこともあって、いつもより念入りな身体の洗いが必要だと言う自覚もあり、

軍人にあるまじき、長風呂をしていた。

 

 

その後、服を着て屋上へと向かう階段を歩いていると、白衣を着た青年が向こうから歩いてきた。

バッカニア大尉から、エン子ちゃんの姉を誑かした嫌味なインテリだと聞いていたが、

そういう偏見の類は、自身の過去の境遇の類もあって余り好きでは無い。

 

軽く会釈をしてすれ違った。

そして、その背後で、足音が止まるのを聞いた。

更に――――

 

 

「ああ、臭いますね。隠しても隠し切れないイシュヴァールの異臭が」

 

澄み渡る様な声で、その白衣の青年はそう告げた。

白衣を着た医者であるシルヴィオは、ラストが帰った事で別段に気が立っているという事は無い。

彼は基本的に常に激情の虜である故に冷静だ。

 

故に、彼は異常だった。

 

 

「排水溝でも匂わないような悪臭が此処まで漂ってきて吐きそうですよ。

排水溝の匂いを嗅いだことはありませんけれどね」

 

振り向いたマイルズのサングラスの奥にある、イシュヴァール人の特徴である紅い瞳を見透すように、

彼はそう真顔で告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==◇◇==

 

 

不倶戴天の敵ではあるが、いなくなると面白くない。

ラストに対してそう感じていたオリヴィエだったが、今がチャンスであることは間違いない。

据え膳喰わぬは女の恥、若しくは据え膳口に押し込まぬは女の恥とばかりに、シルヴィオを探していた。

 

そして、そこで見たのは血を流して倒れたマイルズと、

その横に立って何か小さなものを手の上に乗せたシルヴィオだった。

 

「何の積りだっ!!」

 

咄嗟に剣を目の前の男に差し向けたオリヴィエ。

それに対して、何事も無いように青年は告げた。

 

「このイシュヴァール人が軍内に紛れ込んでいました。

スパイの可能性もあると思いませんか?

アメストリス人の私と、イシュヴァール人のどちらを信用するかなんて難しい事ではありませんよね?

それに、私が殺したとでも思うのですか?」

 

本人的には嘘を吐く心算では無く、ちょっとした小粋なサプライズのノリだった。

だが…、この質問は、オリヴィエ・ミラ・アームストロングには完全に逆効果だった。

 

 

「変わってしまったなシルヴィオ。お前が殺したのだなっ!!

…私は自分で部下を周りに置いている。イシュヴァール人だろうが何だろうが、この私が選んだ部下だっ!!」

 

「ええ、その通りですよ。

私が駆除(・・)しました。未来に残す価値の無い、

…いえ、残してはならない存在を抹消しなければなりませんから」

 

アームストロング少将の本気の怒気を受けて尚、青年は再会した時と同じ表情を変えない。

彼の父親が亡くなった事は知っていた。

復讐とはこうも人を変えてしまうものなのか、彼女はそう思った。

 

 

「だが、どんな事情があれ、私の部下を手に駆けたからには私の敵だ。

排除するっ!!」

 

そう一足飛びに詰めて切りかかるアームストロング少将に対して、

 

「女性を傷つけたくはありませんからやめて頂けませんか?

本気で戦闘したら、貴女が僕に敵う筈が無いでは無いですか」

 

シルヴィオは足元のイシュヴァール人を踏みつけると、

その死体から全ての血液が引き抜かれて人型を造った。

 

その時、突如巨大な揺れが砦を襲った。

それに連動して、あらゆる場所から警報が鳴り響き始めた。

 

「お前の仕業か」

 

「いえ、そうではありませんよ。

怪我人が出ているかもしれませんから、早く向かいましょう」

 

 

人を殺した直後に、いけしゃあしゃあと人を助けなければならないと言う、異常極まりない青年に、

オリヴィエはつい先ほどまで感じていた感情を投げ捨てた。

尤も、彼にそれを指摘したところで、当然の様にイシュヴァール人は人間では無いと言い切っただろうが。

 

 

廊下を駆け抜ける二人の間には、一切の会話は無い。

少なくともオリヴィエは先程のシルヴィオが彼の本性だとすれば、

最早会話にならないかも知れないと感じていたことも大きかった。

その判断は、少なくともイシュヴァール絡みの事に関してだけは、間違いなく正解だった。

 

 

二人が駆けつけて行った先たる最下層には、

床に空いた巨大な穴と、その穴が出来た時に発生したと思われる砂煙が、穴から吹き出す風に乗って待っていた。

そして砂煙を引き起こした張本人であろう、両手に鎖を付けた巨大な男が立っていた。




恋愛レース一名脱落(理由:辞退)


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異常者

その男はどう見ても尋常の人間では無い。

ブリッグズの兵士達は、隣接する敵国ドラクマの改造人間兵器か何かだと推測して武器を構え、

エド達はホムンクルスであると見抜いて戦慄していた。

 

その尋常でない男に近づきながら、周囲の人々に怪我はありませんか? と何事も起きてない様に問診している男がいる。

勿論シルヴィオだ。彼もまた、ある意味において尋常の類では無い。

 

一部、破片が当たって受傷している兵士がいたので、シルヴィオは彼らに速やかに治療を施した。

彼等は治癒して動ける様になるや否や、

「シルヴィオ先生、どう考えても異常事態だ。助けてくれて在り難いが直ぐに逃げろ!!」

 

その様な事を口々に言い放った。

だが、シルヴィオにとって、会った事の無い他者という人間は、

危険かもしれない存在では無く、友達になれるかもしれない人間である。基本的に彼はお花畑で楽観的な善人である。

……勿論、イシュヴァール人以外と言う枕詞が前提である。

 

 

「…シル…ヴィオ…?」

 

ドラクマの新兵器かと周囲に勘違いされたホムンクルス『怠惰』(スロウス)は、その名前に聞き覚えがあった。

 

「おまえ、シルヴィ…オ?」

 

「ええ、そうですが」

 

問いかけるスロウスに丁寧に答えるシルヴィオ。

その直後、彼は十数メートル離れた壁に叩き付けられた。

 

身体の到る所がひしゃげて、その白衣は紅く染まっていた。

だが、その身体は直ぐに巻き戻す様に再生して、白衣の血の染みさえ次の瞬間には消えていた。

 

先程までシルヴィオがいた位置に、何時の間にか移動して腕を振り抜いたままで止まっている、

明らかにシルヴィオに攻撃行動をとったスロウスは、白衣に付いた埃をはたきながら歩み寄る医師に気だるげに告げた。

 

「プライドが言ってた。ラストが泣いていたって。

他の奴も一回殴った方良いって言ってたって、プライドが言ってた。

殴るのも、それを覚えとくのもめんどくせー。

そもそもラストを泣かせたお前、めんどくせー」

 

 

歩みを止めて立ち固まるシルヴィオの横に、エン子ちゃんことエンヴィーが歩みより、その耳元で、

 

 

「ちょっと、失望したよ。まあいいけどさぁ」

 

と小声で告げてまた去って行った。

 

それからほんの少しだけ経った後、危険人物を追い出すか捕縛しようとしたオリヴィエが何かしようとする前に、

スロウスは床を殴り抜き、再び地下に降りると洞窟の採掘を始めて行った。

そのスロウスが開けた穴からは影の刃の様な物が蠢いており、

その影が強度が低下した床が落盤したが地に落ちる前に粉々にされているのを確認したオリヴィエは、

監視を継続させる名目で部下への追撃を止めさせた。

 

 

そこで一先ず段落が付いたところで、シルヴィオによる彼女の部下殺しについて追及しようとしたオリヴィエだったが、

それに邪魔が入った。

 

中央の軍本部のレイブン中将。

所謂、お偉方の視察が事前の連絡無く入って来た。

 

この時点で十二分に異常だった。

タイミングが整い過ぎていた。

 

その上、ご丁寧にオリヴィエの執務部屋に通されたレイブンは、オリヴィエの部下の者に強引に去らせて、

シルヴィオを連れてこらせる様に命じると、

オリヴィエにシルヴィオに関する一切の不利益になる行動の禁止、彼の行う行動の秘匿の強制、彼によって齎された損失(・・)の許諾、

そして延々と続くブリッグズの砦の下の通路は何の問題も無いので気にしてはならない事や、

その洞窟を活用・埋設・調査を含めたあらゆる事項の禁止を求めた。

 

レイブンもシルヴィオの件については、自分も良く解っていない事や、

どういう人間なのか詳しくは知らないともオリヴィエに洩らした。

 

権力上の強者に弱者として扱われたオリヴィエの内心のイライラが、握りしめた拳に見て取れたのか、

レイブンの後ろに控えていた男は、「賢い選択をして頂けると助かりますね」と釘を刺した。

その男の実力はオリヴィエも聞き及んでいた。

艶やかな黒髪をポニーテールにしたその男こそ、つい最近急遽出所になった極悪犯、ゾルフ・J・キンブリー。

人呼んで、『紅蓮』の錬金術師。

 

自己を異常と認識する異常者である。

 

 

 

 

 

「すみません、シルヴィオ・グランです。お邪魔しますね?」

 

その澄み渡る声がノック音の後に扉越しに聞こえた後、

扉の向こうから、声同様に澄み渡った瞳をした青年が入って来た。

 

 

「ほう、コレは中々面白いお方だ」

 

キンブリーはその瞳を見て、込み上がる愉悦を隠しきる事が出来なかった。



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世界に愛と平和の精神が響き渡りますように

レイブン中将もかつては士官学校で好成績で卒業し、イシュヴァールの内戦でも成果を出し、

上の覚え目出度く出世した男だった。

 

だが、老いとは恐いものだ。誰にも訪れる死の恐怖と共に、事実を見据える目に曇りを宿していく。

そしてそれ以上に安寧は恐ろしいものだ。全ての争いが操作上にあるという、

裏を返せば全ての争いを起こさなかった事も出来たという逆説的な平和の事実は、

生き延びる為に、喰いかかる気概を腐らせていく。

 

彼が、後数十年若ければ、属していた陣営も違ったのかも知れない。

 

 

アームストロング少将という女性は、武術に秀でた女傑として有名であるが、

権謀術数渦巻く名家の長女としての側面も持っている。

故に、この年で未婚と言うのはかなりまずいのだが、それは敢えて触れぬものとする。

彼女は喰らい付く獰猛な獣としての面を持っており、

…というか、淑女の血統を持ったただの生物上メスというだけの、立派な百獣の王である。

シンの国に名高い『カン・ウー』という英雄のTSした生まれ変わりと言われても特に違和感は無い。

勿論、シン国の歴史的英雄のTSと言っても、

アダルトなゲームに出てくる主人公に性的な意味で喰われるヒロインに成り下がることなく、

国の覇権を喰らい尽くす威風堂々とした王の立ち位置だろうが。

 

 

レイブン中将は、それなりに優秀ではあったが、どちらかと言えば上の覚え目出度さで出世した努力アピールが得意な類だった。

ムードメーカーな良いヤツで扱いやすい。そう実力のある人間達に思わせるのが得意な人間だった。

だから、彼は上層部に上がるまでは大きな問題は無かったのだ。

だが、アームストロング少将(・・)という、格下の相手に対しては、適切な距離の取り方を知らなかった。

所謂昔の人間である故に、女性が上に登るとすれば、男女雇用機会均等の枠だろうと愚推しても仕方なかったのかも知れない。

彼の若き日では、そう言う側面もあったのだから。

 

レイブンはアームストロングを侮っていた。

矢鱈多いボディタッチの乱発。彼女を知る者は何時そのイライラが破裂するのかとヒヤヒヤだった。

 

 

だが、彼女は内面がブチ切れながらも政治が出来る女であった。これは流石名家の血筋と教育の賜物と言えよう。

例えば、シルヴィオの事を良く知らないにも関わらず、無条件に許せという所から、

強きに靡くレイブン以上の所からその命令が下りてきていることが推測できる。

そしてそれが当てはまるとすれば、その枠は極僅かと言ってよい。

それに加えて、あの異常な人型を放置すること。防衛上大きな弱点になり得る地下にある坑道の放置。

それも流れに乗る事だけは上手そうな、流され続けてきた男の性格を考えるに独断と言うのは考えにくい。

 

後は、シルヴィオと化け物と坑道の事が別件なのか、全て繋がった事なのか?

 

途中でエド達の助言か頼み事かわからない言葉に乗って、上手くレイブンから話を聞き出そうとした。

だが、その目論見は大きく外れた。上に気に入られただけで上に来れたものに、

そこまで詳しい情報がある訳でもない。彼の得意分野である上に取り入る作法は、実力主義の彼女には大凡価値を感じないモノだった。

 

 

 

 

故に、最早価値は無いと一刀の下に切り伏せようとした。

だが、

 

「私の前で、人間が死ぬと言うのはとてもとても悲しい事です」

 

心からそう言っているように、何のからかいも含まない声で、かつて彼女が夫にしようと一時期でも考えていた男に、

引き抜こうとした軍刀の柄を抑えられて止められた。

 

「ヒィィッ」

「貴様ッ」

 

怯えるレイブンに、素の表情を隠さなくなったアームストロング少将。

そして、何時の間にかその場にいたキンブリーは懐かしそうに呟いた。

 

「そうですね、貴方、ロックベル夫妻を思い出させますね」

 

その全ての人間を救おうと言う姿勢は彼が尊敬に値すると判断した人物を思い出させた。

そして、ロックベルと言う名前は、シルヴィオも知らぬ名前では無い。

 

「良いお方々であったと聞き及んでおります。イシュヴァールに殺されましたが」

「貴様だって、イシュヴァールと言うだけで私の部下を殺しただろうっ!!」

 

吠えるオリヴィエに対してシルヴィオは表情一つ変えない。

 

「イシュヴァールだから殺しても大丈夫ですよ」

 

その目も声も、何一つ先程から変わらない。

キンブリーは、これはこれは面白い男だと心の中で称賛した。

 

 

 

 

 

 

 

そんなキンブリー的に面白人間であるシルヴィオは、レイブンに対して、

 

「オリヴィエさんは昔から怒りやすくて、直ぐ人を切り殺そうとしますが、本当は優しい人ですので許してあげてくれませんか?」

 

とギャグの様なお願いをした。無論ギャグでは無く真剣である。彼の中だけではあるが。

レイブンは大総統直々に便宜を払うべき存在だと念を刺されたシルヴィオに対しては、大総統の関係者である以上、

長年のやり口からしても従っておくのが得策だとして承認した。

無論、その後レイブンがアームストロング少将を避ける様になったのは見間違いでは無い。

 

 

 

 

 

 

 

それから数日後、何故か今まで睨んでばかりいたドラクマの兵達が攻めてきた。

どうやら、アメストリスの一部が勝手な戦闘行動を起こして誘発させた可能性があるようだった。

 

レイブンとキンブリーは互いに顔を見合わせてニヤリとしている。

お互い上手くやれたから一杯どうだとレイブンから誘いがあったためだ。

 

「そう言えば、例の彼は今どこにいるのかね?」

 

「ああ、()ですか? 素晴らしいですよ。彼は確かに医師であると言えましょう」

 

 

キンブリーは心よりの称賛を上げる。結局何処にいるかは伝えなかったが。

例の彼こと、シルヴィオ・グランは今戦場の真只中にいた。敵味方全ての兵士を救う為に。

 

「全ての人間は生きる価値があるのです。幸せに生きようとすることに罪は無いのです」

 

 

そう言いながら人々を救っていった。

だが、彼の手元には賢者の石は無い。故に自力だけで人々を救い続けなければならなかった。

それには限界が来る。戦場で危険を顧みず平和を叫び続ける医師。

それは確かに立派だった。だが、立派である事と全知全能である事は全く違う。

 

 

そして、誰の敵でもないからと言って、誰にも標的にされないという事では無い。

彼自身も防御と回避に努めるが、動きながらでは患者を治療できない時には、致命傷で無い場合、

敢えて弾や破片を受けながらも、その痛みに反応しかける身体を驚異的な精神力で押さえつけ医療を実行する。

 

 

戦場と言う最もその言葉が似合わない場所で、平和を謳い続けた青年は遂にその意識が途切れた。

倒れて、それでも尚患者を救うべくメスと薬を探す様に両手は動いていた。

 

 

 

 

 

「…全く仕方ねえなあ。一応人柱だ、死なれちゃこちらも困るんだよね。

……一発殴らせたし許してやれよ」

 

「…そもそも怒る要素が無いわ」

 

倒れ伏したアメストリス人兵士の死体の内一つが、にゅるりと起き上りると、

がっしりとしたドラクマ将校へと変わっていた。

その将校は、青年を抱きかかえて、後ろにいる副官の様に立っている女性と共に雪山の中に消えて行った。



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ラヴ フォー イシュヴァール

『流血』は公的組織、民間組織問わず、多くの反イシュヴァール組織を立ち上げて運営している。

その資金源は、『流血』のものだけでなく、国家の正規・不正規を問わず流入された資金や、

イシュヴァール人による犯罪被害者遺族からの協賛金等で賄われている。

大口のスポンサーとして有名なのはハンベルガング家だろうか?

一人娘のロザリーと当主の妻が、高級ホテル爆破テロに巻き込まれて死亡して以来、

反イシュヴァール活動に極めて好意的に協力しているそうだ。

 

アメストリスに着実に増えつつある、反イシュヴァール組織。

その中には、イシュヴァールの歴史を調査して、イシュヴァール人に都合の悪い事を暴き出す役目を持った組織があった。

その組織において、最も成果を出している男がいる。

その男の名前は、アイディアナ・ショーンス。言語学者にして考古学者の父親の後を継ぐように、

自身もそれらの分野で若くして大学教授になった、フィールドワークが得意な図書室に籠らない学者である。

 

彼の父は、イシュヴァールの神、イシュヴァラの教えの矛盾や、イシュヴァールの指導者や預言者の意見の食い違いを纏めた。

若しくは、国外において存在したその類の本を翻訳した。

その結果、狂信者のイシュヴァラ信仰原理主義者に殺されてしまった。

 

そして更に、その執筆記録を焼却するために、家に火を付けられて彼の母と年の離れた弟は死んでしまった。

 

 

彼はあらゆる所を調査しながらイシュヴァール人の痕跡のある建物を探し、

中にある資料を解読し続けた。

それらは、全てイシュヴァラとそれを信仰する人々の価値を貶める為だ。

 

 

そして彼はある家で、イシュヴァールの古い言語で書かれた本を手に入れた。

途中で片腕の無い男に襲われかけた事もあったが、逃げに徹した彼は何とか生き延びた。

 

彼は今までの考古学と翻訳の知識と能力をフル活用して、その書物の全てを解読した。

異国の技術を使った国家錬成陣。それがその書物の持つ結論だった。

彼は急いで、『流血』に研究成果を送った。

 

 

彼には、また別の仕事がある。

イシュヴァール人が手紙を出した際、イシュヴァール語やイシュヴァールの風習などで暗喩した、

普通のアメストリス人には解りにくい文章が作られる時がある。

それを解説して盲目の凄腕の錬金術師などが所属している駆除部門に回す。

 

何時もの様にイシュヴァール人の資料を漁っていると、今まで知られていないイシュヴァール人のアジトを示す文があった。

彼が何時もの様に、それを駆除部門に回したが、その時ばかりは失敗だった。

その手紙は囮であり、敵が待ち構えていた。

少なくない被害が出た。イシュヴァール人も少しずつ巧妙になってきているのだ。

 

 

 

 

また、医療研究部門は捕らえた実験用イシュヴァール人を使って、日夜研究に励んでいるという。

例えば、最近の実験動物のトレンドは双子と妊婦だ。

双子は対照実験に使える上に、妊婦は胎児の経過も含めて良い研究になる。

この部門にはイシュヴァールを恨む者だけでなく研究熱意に燃える若人(マッドサイエンティスト)も多く在籍しているという。

 

人間に極めて酷似した、処分すべき実験動物を潤沢な資金の下に、愛護意識無く実験できるのだから実に素晴らしい。

人間がどこまでやったら死ぬか、生き延びるかの境目の実験も、好きなだけやれる機会と場所は他にはそうそう無いからだ。

 

 

医療の実験と言えば、『流血』が力を入れていた所としても、組織内では有名である。

 

・一体生まれてくる赤子を何処から生命体とするか?

・命が発生する時に、何を以って命の定義とするか?

・錬金術と異国の同様の術と、医療などの法則の違いの調査と統合計算式

・禁忌たる人体錬成の定義

・何故、死人や生きた動物からは賢者の石は生成できないか?

・人体錬成の一部成功における、一部部分の活用法

・全身義体に置換した人間と、義体で作った全身への魂の転写の違いは何か?

・極めて酷似した全身生体義体に、魂を転写した場合どうなるか?

・生体義内臓の作成

・生命の核とは何か?

・試験管内で受精卵の成長実験

・生殖細胞の作成シークエンス

・人間の定義

 

これらを中心とした様々な資料が、『流血』のノートに書き込まれていた事も有名であった。

恐れ多くて見ようとする他者は、マッドサイエンティストを含めても、そんなにはなかったと言われているらしいが。

 

 

 

また、歴史研究部の情報を元に、学校組織で在職している者達の中にも、反イシュヴァールの組織構成要因は入り込んでいた。

子供達に小さな頃からイシュヴァール人を恐れさせて、軽蔑させて、嫌悪させるにはそれは有効な手であった。

残念な事に、この教育担当の構成員は極めて少ないのでそれが課題であったが。

ただ、一部の学校の子供達が、悪口を言って、

 

「お前の母ちゃんイシュヴァール」

「母ちゃんはイシュヴァールなんかじゃないやい」

 

と、言われた側もむきになって反論する光景が見られる程度には、前進が見られたと言えるだろう。

 

 

直接殺すだけが、イシュヴァールの殺し方では無い。

その誇り、その歴史、その信念、その過去、その未来、…etc

それら全てを殺して殺して殺しつくす事こそ、彼らの復讐なのだ。それが『流血』に齎された彼らの信仰、

――――『反イシュヴァール』教なのである。

 

 

ある意味において、彼等ほどイシュヴァールに熱心な者はいない。

その憎しみは、極論においては、愛に似ていた。



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部屋と看護服と私

彼の夢の中は何時だって同じ内容の繰り返し。

父親がイシュヴァール人に殺されて、己がイシュヴァール人を殺す。

色あせたセピアで描かれた思い出の中で、赤に属する色だけが鮮明に映っていた。

もはやその順序にすら意味は無く、その二つの因果関係は矢印では無く、等号で結ばれている。

救い様が無いかもしれない其れは、唯一の救いでもあった。

 

シルヴィオは唇に僅かな感触と、頬に触れる温かさを頼りに意識を浮上させる。

そこには、知らない天上があった。

 

「気が付いたかしら」

 

そして――彼女がいた。

ベッドの上で起き上がった彼の隣に座り、

手に持ったリンゴを爪で丁寧に剥きながら、切り分けて小皿の上に並べて置く。

 

「動かなくていいわ、食べさせてあげるから」

 

そう言ったラストの言葉に甘えて、シルヴィオは口を開けた。

少々衛生的に問題があるかもしれないが、そのリンゴは直接ラストの指によって運ばれた。

丁度開けた口に入った後、噛み締めるのに楽な大きさで切り分けられたリンゴからは、

甘酸っぱい風味が喉から鼻を抜けた。

 

「ありがとうございます。折角ですのでラストさんもどうぞ」

 

マイペースを地で行く性格で、照れもせず同じことをやり返す青年に、

美女はやはり勝てないと思いつつも、そのリンゴを受け入れた。

正直に言ってしまえば、勢いが付き過ぎたのか口に触れた青年の指の感触が気になってリンゴどころでは無かったのだが。

勿論、表情は余裕を保っているつもりだが、絶対にそうできているかと問いかけられれば、彼女にその自信は無かった。

 

 

「ねえ」

 

「はい、なんでしょうか」

 

 

告げなければいけない事がある。それをしっかりと告げなければ、これから先には進めない。

そう理解していたラストは、目の前で次のリンゴを彼女に食べさせようと手を伸ばしている青年を呼びとめた。

 

「今思えば、初めて出逢った時から貴方の中には復讐心があったのよね。そしてそんな貴方を私は好きになった。

だから――――、改めて告白するわ。復讐に狂った貴方の憎悪ごと、私は貴方が好き」

 

青年はその愛情に、答える言葉を持たなかった。

故に、言葉以外の形で答える為に、その顔を彼女に近づけた。

彼女の肩を撫でながら、もう片方の手を背に回した。

 

ラストがこの後に来る感触を想像しながら目を閉じたその直後――――

 

 

「大変だ、ラースが列車ごと爆破されたかもしれない。

アイツの魂は一つしか無いんだ」

 

 

空気をぶち壊す様に、エンヴィーが飛び込んできた。

極めて大事な用件だったが、変わった青年と看護服を着込んだ姉にとって、完全にお邪魔(・・・)だったのはエンヴィーにも解った。

だが、一応エンヴィーの持ってきた案件も無視すべき要件では無い。

 

特に、ラースはラストとの一件で他のホムンクルス達が一発殴るべきと判断していた中、

一人だけ、世間知らずと女性経験の無さから女性の気持ちや空気を読めない事はあるものだから、

チャンスをくれてやろうと意見していた上に、

レイブンを向かわせて、何かしらシルヴィオが仕出かした後も尻拭いをさせようと動いてくれた、

シルヴィオにとって大恩ある相手だった。

 

少しだけ名残惜しそうだったが、優先すべきことを理解している恋人に続きはまた今度と告げた後、

彼は病み上がりの身体を押して、エンヴィーに詳細を聞く為に着いて行った。

 

部屋に残された美女は、同じく残されたリンゴを口に入れながら、今度(・・)を待つ事にした。

 

 

 

 

 

鉄道の爆破事件があった場所に『流血』として大総統捜索に参加したシルヴィオは、大総統を遂に見つける事は出来なかった。

だが、それこそが大総統の安否における安心材料にもなった。

そして残念な事に他の人々が亡くなってしまった様だったものの、1名だけシルヴィオの速やかな救助で一命を取り留めた。

その意識は未だ回復していないようであったが。

 

また、大総統捜索隊の長であるグラマン中将が、取り敢えずはイシュヴァール人のテロだと原因を仮定した事は、

『流血』にとっては非常に都合が良かった。

アメストリスの罪も無い国民も、高貴な存在も一切問わず対象にするテロ行為は、

イシュヴァール人殲滅の御題目として、ますます強化されてイシュヴァール人の首を絞める事になる。

シルヴィオは今回の結末をそうまとめた。

 

 

 

そして数日後、病院に運ばれた意識不明患者が一名、急変して亡くなった。

これもきっとイシュヴァール人のせいだろうと、グラマン中将は広報雑誌のインタビューに答えた。



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ダーティーペア

あるイシュヴァールの隠れ里。

その周囲を同じ銃器を持った様々な服を身に着けた、様々な年齢の人々が囲んでいる。

性別も年齢も職業も違う彼ら彼女らの共通点は一つ。イシュヴァール人に強い恨みを持つ事である。

勿論、イシュヴァール人には何をやっても良い(・・・・・・・・)事を目的として、

イシュヴァール人を犯し、殺し、奪う事を目的とする者も居る。

まあ、そういう者がいたとして、お気に入りのイシュヴァール人女を連れて帰ろうとしても、

彼らの仲間は親切な者ばかりなので、彼がイシュヴァール人を生かして逃がそうと言う行動を起こして、

護るべき秩序を壊す事が無いように、速やかにそのイシュヴァール人の女を殺してその罪を見逃してくれる。

 

特殊な戦闘訓練を受けていない者は、集落の外で待機して逃げ惑う害虫を駆除する準備をしている。

また、錬金術師や軍隊などでの経験がある者達は、その包囲網の中に入っては次々とイシュヴァールを駆除していく。

 

ある女性が髪を振り乱しながら、家から飛び出して『流血』の配下に襲い掛かった。

とはいえ、彼女は本来なら非戦闘員。彼女が立ち向かった相手である戦闘の心得を持つ者には到底及ばない。

だがら当然の様に、その手にある包丁は空を切り、降り注ぐ銃弾でハチの巣になった。

だが、それで良かったのだ。彼女が敵の目を惹き付けた事で、裏口から彼女の子供が逃げる事が出来た。

 

だが、そのまま逃げ切る事が出来た訳では無い。

母の犠牲を代償に裏口から逃げた少年は、その足首を打ち抜かれて転倒した。

犠牲となった母親の唯一の救いは、その少年が逃げ切れる妄想の中で死ねた事だ。

 

少年が倒れ込んだ場所は、偶然にも彼らが普段、信仰を奉げる高台に向かう広場へ向かう階段の麓だった。

逆光で少年には良く見えないが、何者かがゆっくりと階段を降りて来ていた。

その者の進行経路の階段には、白い鳥が所狭しととまっており、

その者が一歩を踏み出す度に羽ばたいて彼の後ろへと舞い降りて行っていた。

 

見る人が見れば、その様は階段を下るその者に白き翼を与えているようにも見えた。

少年にも最初はそう感じられた。その者の首から上を見るまでは。

その者の首から上についている装飾品は、今、イシュヴァールでは一番有名な物であった。

やがて、階段を降りてきた天使に見間違うばかりの神聖さを備えた者は、

撫でる様に、倒れて動けなくなった少年の頭に触れた。

 

 

次いで、少年の頭が爆ぜた。

階段を降りてきた仮面の青年の行動に、彼の部下達は勢いづき、更に虐殺の速度を速めて行った。

 

そして、イシュヴァールの民たちの戦う気力をへし折ってから、包囲網を形成している人々も狩人の側に回った。

民間人が民間人を撃ち殺していく悪夢の光景がそこに在った。

家族の仇だと銃を乱射する者、口に銃を咥えさせて撃ち抜く者。穴という穴に自身と銃口を交互に突き入れて尊厳を奪う者。

動けない者にしつこく鈍器を叩き付ける者。

助かりたければ自分の赤子の首を絞めろと脅迫して、それが出来なかった母親から赤子を奪って代わりにその首を絞める者。

イシュヴァール人のせいで臓器移植が必要な身体になった息子の為に、イシュヴァール人を殺しはするなと言いながら、

その臓器以外の部分は容赦無く斬り飛ばす者など、様々な者がいた。

 

アメストリス軍に喧嘩を売ったイシュヴァール人のテロリストには何をしても良いという風潮は、特に軍に広まっていた。

そして、『流血』の手の者にはイシュヴァール人は生まれただけで漏れなくテロリストも類であった。

 

今回興味本位で追随する事にしたキンブリーは、

『流血』個人の、そして先導者としてのイシュヴァール撃破の武勇と華麗さには一目置いていた。

どれだけ返り血を浴びても、全身に撥水加工が掛かったが如く、イシュヴァール人の血が触れるのを拒絶するが如く、

その返り血が剥がれては槍となって、別のイシュヴァール人を刺し抜いていた。

 

「仕事熱心ですねえ」

 

仕事に真摯な同僚が横にいる。ならば自分もそれなりに良いところを見せないといけませんねと、

彼は無数のイシュヴァール人を塵へと変えた。

 

その際に、砂煙や血飛沫でスーツが汚れてしまったと不平を漏らすや否や、

ご丁寧にも、それらが拭き取られるかのようにキンブリーの汚れが目立ちやすい白いスーツから剥がれて、

先程同様に、槍となって弾き飛び、イシュヴァール人を貫いた。

 

「これはこれは、後でクリーニングのお礼も言わなくてはいけませんね」

 

 

ますますご機嫌になったキンブリーは、やる気を見せた。

 

 

二人が共同戦線を張るのは初めてだったにも拘らず、古くからの戦友の様に完全な連携を見せた。

『紅蓮』が爆発で弾き飛ばした血肉を『流血』が武器と変えて、

『流血』が射出して突き立てた血肉を『紅蓮』が爆発させて新たな血肉を産み出していた。

 

そして防御と回復を『流血』が周囲を含めてカバーするが故に、『紅蓮』は純粋に攻撃を愉しめたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それだけの虐殺があったにもかかわらず、実は動けなくなったり、降伏したイシュヴァール人達はそれほどは殺されていなかった。

だが、それらのイシュヴァール人達は、それ以上の苦痛を味わう事になった。

 

閉じ込められたイシュヴァールの民たちに、救いの声が掛けられる。

イシュヴァラ神は悪魔だと認めて、イシュヴァールの全てを吐き捨てるのならば赦しがあるかもしれない、と。

 

そこでも厳しい絶対の戒律がある為、周囲の目が気になって手を上げられる者はいなかった。

答えた直後に仲間に信仰への裏切りだと殺されては、結局意味も無いからだ。

だから、一人ずつ集団から引き離して、残りのイシュヴァール人を閉じ込めた檻の前で安全を確保した上で同じ質問をした。

そうしたところ、少なくはあるが、幾人かのイシュヴァール人が命乞いの余り、イシュヴァラ信仰を棄てると言い出した。

 

仲間達から裏切り者と罵られるそれらの者を一か所に集めて安全を確保した。

最初は仲間の憎悪に怯えていた裏切り者のイシュヴァール人達だったが、

自分達と残されたイシュヴァール人達の間には強靭な柵があり、

その柵の内側の者達は全員死ぬ事が告げられると内心ではホッとしていた。

 

そしてその後、殺される柵の内側のイシュヴァール人達と裏切った者達に、最後に触れ合いの時間を作ってやろうという、

『流血』の恩赦で、嫌がる裏切り者たちは無理矢理イシュヴァール人達の檻の中に戻された。

 

裏切り者のイシュヴァール人達は、全員同族達に袋叩きにされて死亡した。

 

その様を仮面をつけた青年は、「全く野蛮ですね」と周囲の者と話した。

周囲の者も、裏切った者と裏切られた者のその浅ましさを嗤っていた。

 

そしてその後、裏切り者を殺したイシュヴァール人達も、その人間としての生命活動を終えた。



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その感情は――『憤怒』

「色々あって、大変遅くなりました。すみませんね」

 

「いや、治してくれた事に関しては感謝してる」

 

 

そんな会話をしたのは何時の事だっただろうか?

ジャン・ハボックにとって、シルヴィオという医師は、大佐に危険な人物だと釘を刺されている相手であり、

自身の恩人でもあった。下半身不随を治せる人間がこの世にいるとは、正直に言うと思ってもいなかった。

 

「脊髄の構造にはこの所随分詳しくなったもので、安心してください」

 

そう言っていた年若い医師の熱意に押されて、ようやく勉強とその他の準備が出来たと言われたハボックは、

シルヴィオの治療を受ける事になった。

その治療はあっという間に終わってしまった。思っていた以上に早く終わった。

 

「終わりました。もう歩けると思いますが、長く使っていなかった筋力が身体を支えるのに不十分な事を良く理解して、

まずは手摺を離さない事を気を付けて下さいね」

 

そう言われたにも関わらず、立ち上がれた事に興奮して、直ぐに歩き回ろうとして、

勢いを足が制御できずにこけたのは良い思い出になっただろう。その後の医師のお説教も含めて。

 

勿論、ジャン・ハボックはこの時、その医療の為に多くのイシュヴァール人が生きたまま脊髄を引き抜かれたかを、

賢者の石に変えられたかを知ってはいなかった。

 

それに、それを知っていたとしても、血に塗れた医師が恩人である事に何の代わりも無かった。

ハボックは、病院の電話を手に取って、ある所へとかけた。

 

 

「なあ、親父、お袋。

信じられるか? 俺また、歩けるんだぜ…」

 

 

 

 

――――かつて、そんな事があった。

そして彼は今、反逆者マスタング組として戦闘に参加して、中央についた『流血』と敵対関係にあった。

北部軍と、表立ってない部分であれば東部軍とも裏で手を組んで、

中央を敵に回し、あろうことか大総統夫人を人質にしたロイ・マスタングを筆頭とする反逆者(トリーズナー)として。

 

あらゆる攻撃を防ぐ盾となりながら、盾の後ろに逃げ込んだ負傷兵達を、

後ろについた糸を伝って遠隔操作される無数のメスと針を使い、同時に十数人を治癒しながらハボック達と戦闘状態にある。

 

ハボックはその絶技が出来るであろう人物はこの世に一人しか知らない。

彼が知るアメストリス最高の医師――――――、シルヴィオ・グラン。

 

 

「先…せ…い」

 

 

 

ロイ・マスタング大佐から一応は聞いていたが、『流血』と『先生』では余りに印象が違い過ぎた。

信じられなかったというより、信じたくは無かったというのが正解だった。

 

「誰のことかは解かりませんが、貴方はどうやら足がぎこちないですね。

最近治癒されたばかりでしたら、リハビリの為に病院に戻る事をお勧めしますよ?」

 

『流血』本人はしらを切っているつもりであったようだったが、患者を心配している余り、語るに落ちていた。

イシュヴァールに対する『流血』のヤバさは誰もが伝え聞いていたが、今の『流血』のイシュヴァール以外に対しての攻撃はあまりにも精彩を欠いていた。

 

 

これ以上敵対行動をとらないのであれば、反逆者組の負傷も責任を持って救護すると言う『流血』。

その普段の評判と余りにもかけ離れた、必死に命を救おうとする姿に困惑したのか、

反逆者側の負傷者が、『流血』を信用できないと逃げようとするので、結局仕方なくその仮面をはがした素顔に驚いたのか、

その場所における戦闘は一時完全に停止した。

 

その戦闘が再び開始したのは、一枚岩と名高い、北の猛獣どもを引き連れてやって来た女将軍の刀が『流血』の身体を射抜いてからであった。

 

 

 

 

 

 

「少しズレたな」

 

「ええ、私の心臓(ハート)は既に別の方に奉げていますので、ご容赦頂けませんか?」

 

何事も無かったかのように、血を吐きながら奇襲により射抜かれた体で飛び込むように回避して、

その刃を身体から抜いたシルヴィオは、無数に伸びる糸で操ったメスと針の一部で自身を治療しながら答える。

どうみてもハード路線な雰囲気の筈にも拘らず、彼には髪と服を揺らす爽やか風が吹いていた。

 

 

「からかっているつもりか」

 

そう怒気を孕ませたアームストロング少将。

だが――――

 

 

「…からかうも何も、それが自然体なのよ彼は。

だから随分と振り回されてしまうわ。

それが不快だと言うつもりは無いのだけれど」

 

 

 

もう一人、怒気を声に滲ませた、とても爪の長い(・・・・・・・)女性が現れた。

 

「でも、貴女の存在はとても不快だわ」



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絆は見せつけていくスタンス

高速で敵対者を切り刻む、伸縮自在の『最強の矛』を構えるラスト。

その伸縮自在と言う上方に向けられた片腕の爪は、天上を易々と貫いていた。

 

「いつか決着をつけてやろうと思っていたが、こうなるとはな」

 

戦闘態勢をとったラストに対して、オリヴィエが好戦的に微笑む。

 

「決着? 何か勘違いしていないかしら。

決着はもうついているわ。最初から貴方に勝ち目なんか無かったのよ」

 

そう言って、爪を伸ばしていない方の腕でシルヴィオの肩にしな垂れる様に撫でた。

その次の瞬間、オリヴィエは直感で真横に飛び抜いた。

 

ラストのもう片方の腕は下へと向いており、その先の爪は地面に突き抜けていた。

オリヴィエがいた位置は、足元から突き出てきた爪に断層が切断されたが如く、周囲の天井や床ごと真っ二つになっていた。

 

 

「此処にはもうすぐ貴方の大親友だと言う男が来るそうだから、エンヴィーの所にでも行ってあげたらどうかしら」

 

ラストは隣に立つ愛しい男にそう告げた。

 

「でも、貴女が…」

 

「大丈夫よ、今度(・・)があるまで死ぬつもりは無いわ」

 

 

そう言ってラストがシルヴィオの唇に指を当てると、シルヴィオは決心が出来たのかその場を去った。

 

残った、ラストに剣を向けたオリヴィエが問う。

 

 

「見せつけてくれるな。だが、一人で私達に勝てるつもりか?」

 

「こういう時は心が繋がっているから寂しくないとでも言えばいいのかしら?

見せつけるのに必要な相方がいない貴女が不憫で仕方ないわ?」

 

互いが先程いた場所に土煙だけを残し駆け跳んだ二人の、

絶対の高度を誇る爪と、家伝の宝刀が激突した。

 

 

超高速の斬撃の応酬。一撃が強いオリヴィエと手数が多いラスト。

その実力は拮抗しているように見えた。

 

「ハネムーンはブリッグズの廃城(・・)を考えているのだけれど、どうかしら?」

「ほざけ、棺桶に入れて送ってやろうっ」

 

 

刹那を切り裂く殺陣を舞いながら、互いの高すぎる技量故の千日手。

 

地面ごと細切れにするラストに対して、崩れた足場から避けながらの破片を蹴る事での行動阻害までこなすオリヴィエ。

先程までのハボック達の部隊と『流血』の部隊の戦いとは破壊力が違い過ぎた。

 

極めて鋭くて凶悪な地形破壊をこなす千日手とはいったいなんだろうかと思われるが、その実例がまさにそこに在った。

 

だが、その千日手もハボック達の援護射撃により徐々に傾き始めていた。

ラストが切り裂こうとする瞬間にその肩を銃撃が掠める。避けようとする瞬間に足元を撃ち抜かれる。

それは、オリヴィエと言う人物を相手にするには致命的すぎる隙だった。

 

「良いぞ、この戦いが終わったら私の部下にしてやろうか?

それとも婿候補の席も空白だぞ」

 

軽口で随分と恐ろしい事を言うオリヴィエ。無論、軽口ではあるが嘘を言ったつもりは無い。

と、その時ハボックは爆風に吹き飛ばされた。

周囲の射撃支援組の部下は文字通りの意味でバラバラにされてしまっていた。

 

「私は『流血』の心の友ゾルフ・J・キンブリー。

巷では『紅蓮』と呼ばれております。皆様ぜひお見知りおきを。

――――良い冥途の土産になるでしょう」

 

知らぬ間に心の友と言う扱いにされていたシルヴィオ。

人間に差別や好き嫌いをしない彼の事なので、拒絶や否定をする事は無いだろうが、

もし聞いていたら、いきなりの大親友の扱いにさぞ驚いたことだろう。

 

 

そこで、二対一の圧倒的な蹂躙が始まったが、それもまた新たなる乱入者によって流れが変わった。

乱入者は、筋肉ダルマ二人と、主婦だった。

 

戦局は一気にオリヴィエ側に傾いた。

 

「このままだとジリ貧ですね。私はホムンクルスと違って一回しか死ねませんから」

 

この状況でもそんな皮肉を吐くキンブリーに対して、

 

「私も死ぬとしても貴方とは一緒に死ねないわ。その相手は既に決めてあるもの」

 

この頃随分と鍛えられた余裕を見せつける演技で戦闘を継続するラスト。

 

 

彼女達は圧倒的に不利な状況で、腕一本失う事も無く二十分も戦い抜いた。

これ以上は先程から集中的に狙われている『紅蓮』が持たない。

しかもかなり有能な回復役が、よりにもよって今此処にはいなかった。

 

そして、運命の時が漸く来た。

 

 

 

 

 

 

「大丈夫だ、私が来た」

 

幾つかの隊に別れた北部軍や、北部軍に偽装した東部軍によって多くのフロアが制圧されていく中、

正門にあの男が帰って来た。

 

 

大総統――――キング・ブラッドレイ。

 

「何故来た、もはやもう遅いぞ」

 

既に北部のブリッグズ兵によって占拠され、

様々な兵器で固められた門に平然と歩いてきたブラッドレイに、怯えながらも彼等は警告した。

 

 

「そうだな、寄り道が長かったせいかだいぶ遅くなってしまった。

旦那が妻を迎えに行くには、遅すぎる程だ。

ところで、妻は丁重に扱ってくれたか?」

 

その日常会話の様な質問に一切答えない敵に対して、ブラッドレイは『憤怒』の本懐を見せた。

正門までの彼を塞ぐあらゆる敵対者(障害物)は一掃されて、彼は自らの家の扉を潜り抜けた。

 

「誰か、『おかえりなさい』を言ってはくれないものかね?」

 

背後に崩れゆく死体と金属の塊を気にすることなく、ラースはそう告げた。



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絶対零度の焔

※原作より多めに殺しております


第三研究所。かつてラスト達ホムンクルスとロイやエド達との戦いが行われた場所。

この場所にエルリック兄弟と、ロイ・マスタングとその腹心リザ・ホークアイは潜入を開始していた。

 

そして彼らは再び死闘を繰り広げた扉の前まで辿り着いた。

扉とは、入る事も出来れば、出る事もできる物である。

エド達が開けようとする前に、内側から扉が開き、津波の様な何かが飛び出してきた。

 

そこには魂を籠められた無数の人形、何処かの医者なら兎も角、普通の感性を持つ人間にとっては、

人の血肉を喰らう理性の無い化け物達が蠢いていた。

 

とはいえ、この四人が本気を出して敵わない相手と言う訳では無い。所謂面倒な少し強いザコだ。

ゲームにおいても物語後半のザコモンスターは、序盤の感覚で言えば強敵ではあるが、

終盤の主人公たちにとってはそこまで危険な存在では無い。

尚、某仮面のライダー龍騎の悪口は言うべきではない。

 

先手必勝という言葉がある。

最初に敵に大打撃を加える事で、敵の攻撃能力に大損害を与え、

それにより自己の被害を著しく減少させることで、更なる戦果獲得に興じられるという意味だ。

 

かつてとある医師から預かった『賢者の石』を、エドは大佐に手渡した。

 

「…結局、持っていても使わなかったか」

 

「使えるわけないだろ、他人の命で身体取り戻しても意味がねぇ」

 

 

「そうか、だとしても私は使わせて貰おう」

 

圧倒的な術式の増幅器、錬金術の秘儀――『賢者の石』。

そして四大属性の一つである彼の師が編み出した秘儀――『焔の錬金術』。

 

それらが此処に結合した。

酸素濃度の限界や、炎との吸着速度などの既存の限定される条件を無視したかのような火力は、

先程の比にならない絶対性のある勝利を承認した。

 

 

人形たちが、燃え尽きて朽ちた後、その残った炎の向こうからある人物がやって来た。

 

「よおロイ、まるで死人を見たような顔じゃねえか」

 

 

その男は、マース・ヒューズ准将。

死んだはずのロイ・マスタングの親友である。

 

焔の様に熱された昂揚感が、氷の様に醒めていくのがロイには自覚できた。

 

そんなロイに向けて、親友(・・)であったはずのヒューズが銃を向けた。

 

「危ない大佐ッ!!」

 

咄嗟に彼を突き飛ばしたホークアイにより、ロイは転倒した擦り傷以外のものを負う事は無かった。

だが、代償としてホークアイは利き腕を負傷していた。

 

「…すみません、腕を負傷しました」

 

クールに答えるホークアイだったが、最早先程まで彼女が見せてくれていた中距離以上の精密射撃という神技は、

これ以降は期待できそうにも無かった。

 

 

「…あーあ、残念。ヒューズの野郎は簡単に殺せたけど、お友達の方はそうもいかなかったか」

 

そう言ってマリア・ロスやヒューズの妻や娘の姿へとコロコロと転じた後、

最終的には普段の姿に変わったエンヴィー。割と悪趣味である。

 

 

「世の中の人間が、愛する者に化けただけで反撃のできない無能ばかりならどれだけか楽だったんだけどな。

その点、あのヒューズは合格…いや失格か? あいつ本当に無能だった、マジ無能。無能過ぎて嗤えたよ」

 

 

「――黙れ」

 

昂揚感が逆転して氷点下に突き抜けた復讐の焔に染められていく男がいたが、

得意げなエンヴィーだけはその事実に気が付かない。

 

「そうそう、イシュヴァール人を煽って何処かの医者を家族ごとぶち殺した時も面白かったよ。

あの時の医者の顔、アイツ誰だったかな? 名前も憶えてないからきっとどうでも良いヤツだ。

家族ぶち殺したら抵抗もせずにそのまま首吊りさせられやがった。

アイツも超無能。すげえ、思い出しただけでも無能過ぎて嗤いが止まらねえ」

 

 

「――黙れ」

 

「後な、お前の養母。従業員を捕らえて人質にしたらな、のこのこと出てきやがった。

お前に関する事は口を開かない立派な態度だったよ。

身を窶しても立派なもんだった。あれがノブレスなんちゃらってヤツか?

首に油が入ったタイヤを被せられて、火を付けられたというのにな。

まあ、身体が脂肪が多いからなぁ、面白いぐらいに燃えたよ。

その時に本物の従業員が出てきて、火を消そうとしてたけど、

油で燃えてるのに水で消える訳ないんだよなぁ。

却って燃え広がるだけだって、炎に詳しいお前だって思うだろ?

ホントあの従業員も無能だったよ、ビックリする位無能。

まあ、ソイツも上半身も顔も大火傷して、

女として駄目になってたからその上で、慈悲として毒薬のビンを目の前に置いてやったからには、

多分この世にもう生きてないだろうけどな?

無能、無能、無能、無能、無能無能無能無能無能無能のオンパレードだっ!!」

 

 

「…いい……べるな…」

 

「うん? 何か言ったか?」

 

 

得意げなエンヴィーは自分の話に夢中で、ロイが何か話しているのを聞き逃したことに気が付いた。

だが、最初からロイの方を見ていたホークアイは、そのロイの表情を見て、エド達を他の場所へ移動するように命じた。

 

その理由は、この後激情に堕ちた大佐がとる行動を見せたくなかったから。

そして――――自分が大佐にとらなければいけない行動を見せたくなかったからだ。



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終炎

ホークアイに去れと言われたエド達だったが、流石にこの状態のロイ・マスタングが放って置ける状態でない事は理解できた。

勿論、自分達の言葉よりも止められる可能性が高いのは、ホークアイの言葉であると何となく理解しつつも、

それでも、例え少しでもその後押しが出来るのなら、

後少しで大佐を止められたのにという後悔を防げるのではないかという結論に行き付いたからだ。

 

正直に言えば、詳しい事は解らないが、

普通の男女とも、普通の上司部下とも違う二人の関係にエド達が入り込める隙間が無い事は理解してはいるが、

それでも、此処まで来て部外者扱いと言うのも水臭さが過ぎるとエド達は主張した。

 

そんなホークアイとエド達の会話はまるで耳に入っていないロイは、

先程から自分の親しい人たちを傷つけて嘲笑っているエンヴィーの事しか見ていないし、聞いていなかった。

 

彼の手の中にある賢者の石が、地獄に堕ちゆく人間を嘲笑するかのように怪しげな光を湛えた。

 

「――無能、無能か。

そうだな、私も嗤って貰おう」

 

 

瞬間、轟音が爆ぜた。ロイによる焔の錬金術による最大火力が、限界を超越する賢者の石により空間を薙ぎ払った。

それは勿論一度で終わるものでは無かった。何度も何度も過剰なまでに焼き払う。

 

「これはヒューズの分だ」

 

焼き焦がす

 

「これはノックスの分だ」

 

焼き焦がす

 

「これはマダム――養母(おばさん)の分だ」

 

焼き焦がす

 

「これは…いや、これまでの全ても含めて、私の怒りだ」

 

焼き焦がす

 

そこには一人の人間では無く、復讐に狂った一人の鬼がいた。

だが、エンヴィーもむざむざやられるつもりは無かった。

 

身体を極めて小さく変身させる。

しかしその質量には変化は無い。つまり、彼は今、極めて強力な質量(衝撃)を持った弾丸となった。

 

その超重の銃弾は、咄嗟に回避しようとしたロイを掠めた。

それだけで、その脇腹は空間ごと食い破られたかのごとく弾け飛んだ。

 

そして、弾き飛んだエンヴィーは再度標的を定める。

標的はロイ…ではない。彼に精神的苦痛を与える為に、ホークアイを狙っていた。

 

 

それが更に復讐の焔の温度を上昇させた。

 

 

高速で飛び掛かろうとする極小のエンヴィーをピンポイントで焼き払う。

範囲は狭くなっているが、酸素圧縮の要領で温度は更に加熱していた。

 

 

 

 

故に、焼き焦がされたエンヴィーは次の手を講じた。このまま良い様に人間にやられっぱなしでは悔しくて仕方がないからだ。

小さくなって駄目ならと、彼は本来の巨大な蜥蜴の様な姿に…それよりも更にに巨大な姿になった。

空間を押し潰しように際限なく広がっていく巨体。それは空間から空気、即ち酸素を押しやっていく事でもあった。

弟を意識したのかしていないのかはわからないが、拘束で拡大していく肉体には、到る所に大きな口があった。

 

だが――

 

「ならば中から焼き尽くしてやるだけだ」

 

 

膨れ上がった体にはそれ相応の呼吸器官が存在する。

ロイの復讐心そのものとも言えるその炎は、エンヴィーの中から燃え上がり、内側から焼き焦がした。

エンヴィーは苦しみで、轟音を立てながらその場に倒れると少し小さくなった。

ダメージで変身が解けて本来のサイズに戻ったのだ。

 

 

だが、高々『復讐』という一心に染まった()一つに負けるつもりはエンヴィーには無い。

一つの感情の支配者と言う点においては、業の名を背負う者(ホムンクルス)の右に出る者はいない。

彼等は人よりも長き時をその感情を名前として生き延びてきた。

 

 

呼吸器官を完全に封鎖して空気の介入する余地を無くしたエンヴィー。

彼は身の内に溜まった文字通り焼き焦がす様な灼熱の痛みに耐えながら再び、いや先程以上に更に巨大化した。

空間いっぱいに広がって敵対者を押し潰すのは明白な狙いだった。

 

巨体は当然大量の酸素を消費する構造になる。

生命体と生物的な基本構造を同じくするホムンクルスにおいてもその常識は変わらない。

 

此処からは我慢合戦。彼の酸素供給が追い付かなくなるか、それとも先に相手を押し潰すか。

そんな勝負の筈だった。

 

 

――――『鋼』の兄弟達が余計な事をしなければ。

 

 

 

「この空間に酸素が足りねぇって言うんなら――――」

 

「――――部屋の枠組みをぶち壊して空気を外から持ってこればいい」

 

 

隣接する他の部屋や通路に繋がる壁を分解・変形、即ち破壊してエンヴィーの周囲に十分な空気(酸素)を用意した。

 

 

 

「…よくやった」

 

土壇場で制空気(・・)権を取り戻したロイは、労いの言葉をかけると、エンヴィーを容赦無く復讐の業火に包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

その炎が収まった時に、その中には巨大な蜥蜴は存在せず、矮小な爬虫類が一匹いるだけだった。

ロイはフラスコに入りそうなくらいその小さな小さな生き物に近づくと、元々壁であった巨大な岩片に向かって蹴り飛ばした。

潰れる様に血を吹き出して、ズリズリと壁から剥がれ落ちたホムンクルスを再び蹴り飛ばす。

再びエンヴィーは壁に赤色を擦り付けた。

 

ロイはその右手に焔を湛えると、ゆっくりゆっくりとエンヴィーの方へと歩き、そしてその手を押し付けようとした。

 

 

 

「そこまでです大佐」

 

彼の背後に立つホークアイが何かが外れる様な硬質な金属音を響かせて制止するまでは。

 

 

 

彼女の方を振り返ることなくロイは宣告した。

 

「撃ちたければ撃てばいい。君なら利き腕でなくてもこの距離なら外さないだろう。

さあ、撃てばいい。その前にコイツを殺す」

 

 

ロイはホークアイの次には一番良く知っていると自負する彼女の銃の安全装置解除の音を理解していたが、

その上でそう宣告した。自身がエンヴィーを殺すのとホークアイが己を撃ち抜くのとどちらが早いか、

比べてみるのも良いだろうと嘯きながら。

彼には邪魔するホークアイを攻撃する積りは無い。第一、此処に来る前に絶対に死ぬなと己が彼女に命令を発したばかりだ。

それに…まあ、それを敢えて語るのは無粋かもしれない。

やはり彼女は、ロイ自身が道に逸れた時に背後から撃ち抜くというかつての約束を守る女性だった。

ロイはその事を少し寂しく、だが、

それ以上に誇らしく感じていた。

 

 

 

「止めろ、止めさせろ大佐ッ!!」

 

だが、エド達の制止はロイの予想とは少し違っていた。

ロイがホークアイを止めると言うのはどう考えてもこの状況ではおかしかった。在り得ない言葉遣いだった。

その違和感に気が付いて、ロイがまさかと思って急いで振り向くとそこには、

 

 

利き腕で無い方の手で、彼女自身の側頭部に拳銃を押し付けて泣きそうに微笑んでいる女性がいた。

 

「さようなら大佐。今の貴方を止めるにはもうこれ(・・)しか無いんです」

 

 

 

 

…そして彼女はその引き金を引いた。




さようなら










おまけ
地獄兄弟(医師)「こちらのせかいへようこそ」
地獄兄弟(傷男)「歓迎してやろう」

地獄兄弟…?(軍人)「えっ、コイツラと同じ扱いっ!?」


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何の為に生まれて

ロイ・マスタングは己の罪を見た。

罪状は復讐の為に他の心を捨てようとした事。

その罰は最も大切な人を失う事。

愚か者が報いを受ける事は真理の証明。

 

叫びながら駆け寄って止めようとするも、スローモーションに映る視界の中で彼女の指は確りと引かれていった。

何度も何度も慣れた、慣れてしまった動作に淀みは無かった。

 

 

 

…だが、その引き金は引かれたものの、発砲音はしない。

もう一度、更にもう一度引き金を引いたリザ・ホークアイは銃弾が全く撃鉄に覚醒させられない事を知ると、全身が脱力した。

彼女が膝の力が抜けて座り込む前に、彼女が止めようとした青年に抱きしめられてその膝が床で汚れる事は無かったが。

 

「すまない…本当にすまなかった」

 

「良かった…帰ってきてくれて」

 

 

ちょっと大人な空気の中、何となく邪魔になっているだろうなとそれとなく存在感を消そうとする二人の少年。

まあ、内一人は酷く大きな鎧の身体なので存在感を消すのは難しくはあったが。

 

 

そんな、少年でも読むべき空気が読めない大人というものは往々にして存在する。

 

「危ない所でした。やはり怪我をする前に予防できるのならそれが一番です。

人間が傷つくところは見たくありませんからね」

 

 

 

そのまま何処かに去っていれば良いものの、態々姿を現したホークアイの銃の不発の原因が歩いてやってきた。

 

 

 

「…礼を言おう」

 

彼の胸元に涙を拭く様に顔を押し当てている女性に代わってロイは、シルヴィオに礼を言った。

 

「いえ、どういたしまして。人として当然の事をしただけですが」

 

「そうか、只人には当然の様にできた事では無いと思うがな、一体何をした?」

 

 

シルヴィオは得意げでも何でも無いような表情で答えた。

 

「貴方も似たような事をされるでしょう?

ピンポイントで銃弾を湿らせたというだけの事ですよ。

焔も火薬もどちらも湿り気の前では無能な事には変わりありません。

お似合いですよお二人は。

…さて、私の前には怪我人がいるので治療をさせて貰いましょうか」

 

 

彼の後ろから無数に伸びた糸の延長上にある針とメスが一斉に、ロイとホークアイに向かって急加速した。

 

 

 

勿論、その行動は手術の為である。

治療用の錬金術、錬丹術、そして第三の要素(・・・・・)をメスや針を通じて行使しながら手術が行われていく。

そして治療が終わった後、彼らは抱き合ったままグルグル巻きにされていた。

 

「その糸は不燃性なので焼き切るのは難しいでしょう。

無理な抵抗はせずに暫く休んでいてください」

 

 

そして治療が終わった患者を放置して、次の患者の所へと歩みを進めていく。

 

「エンヴィー君、重症ですね。

はい、新しい賢者の石ですよ」

 

最近イシュヴァール人で作った新しい賢者の石をエンヴィーに放り投げて食ませるシルヴィオ。

エンヴィーの身体はみるみると普段の人型を取り戻していた。

 

「助かった。コレで元気百倍ってところだ」

 

 

エンヴィーは、シルヴィオと共に先程シルヴィオが来た方向へ去って行こうとして、

残された人々の方へ向いて、嘲笑うようにでは無く、少しばかり真剣に言い放った。

 

 

「認めたく無かった(・・・・)がよ、このエンヴィーは嫉妬していた。ああ、認めてやるよ人間共。

だが、その何が悪い。俺は『嫉妬』のホムンクルスだ。嫉妬して何の問題がある。

上に立つ者を僻む感情、そこに何の問題がある。

このエンヴィーを殺しきれなかった事を後悔し続けるが良い。二度とこの屈辱を味わうつもりは無いからな。

上に立つ者を貶めて引き摺り下ろしてその上に立つ。『嫉妬』の恐ろしさを逆に味あわせてやるよ。

…さて、ラースの所にでも応援に行ってやろうぜ」

 

 

ロイとリザを巻き付けた糸を解除している兄弟達の方に、

そう真面目に言い放っていたが、横の医師に、

 

「あんまり相手をわざわざ怒らせる必要はありませんよ。皆仲良し、仲良しさんでいけば良いでは無いですか」

 

そう窘められていた。

その事が気まずかったのかどうかは知らないが、

 

「悪いな、少し寄る所がある」

 

そう青年に言い捨てた。

 

「何をするにしても無茶はしてはいけませんよ。後、無暗に人を傷つけないでくださいね。勿論貴方自身も含めてです」

 

 

 

 

「…背中が痒く為る様な事を言うなよ」

 

シルヴィオの忠告に顔を背けたまま答えたエンヴィーは、瞬く間に先程まで横にいた青年の遥か先へと駆けて行った。



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造られし者達

正門という正面から堂々と突破した、いや帰還したこの軍事国家の王、キング・ブラッドレイ。

彼は一切の有象無象を蹴散らして、当然の様に執務室(玉座)へと帰って来た。

そこまでの道のりに紅いカーペットをひきながら。

 

執務室に呼びつけた将官達は、彼の帰還に戸惑うばかり、あるいは無責任に賛辞するばかりであった。

ブラッドレイは溜息を吐くとその内の一人であるレイブン中将にこう言った。

 

「喉が渇いた。紅茶はまだかね」

 

 

今も尚、敵対者達は城に帰ったブラッドレイを攻めるべく、攻守が逆転したものの戦闘を繰り広げている。

だというのに、最も命を狙われているはずのブラッドレイは一切気に留めた様子も無かった。

精々、背後の窓越しに狙撃されないように、金属製の屏風を設置するように命じた程度である。

 

レイブンが茶を淹れ終わり、それを飲むブラッドレイ。

その時、扉をノックする音が聞こえた。

敵兵かも知れないとビクビクして警戒する人々を視界の端に、大総統はただ一言、

 

「入れ」

 

と許可を出した。

その扉の向こうから現れたのは黒いドレスの美女。その全身は返り血に染まっていた。

 

「無事の様ね。流石だわ」

 

「君も大したものだ」

 

 

「少々危なかったけど、王子様が助けに来てくれたもの」

 

「そうか、所でその王子様は今何処に?」

 

 

「私が先程までいた場所で、敵味方問わず治療しているわ」

 

「…彼らしいな」

 

 

「でしょう? ところで、彼の部下がお妃様を連れて来てくれたそうよ。

のんびり紅茶を啜る暇が在ったら身だしなみでも整えた方が良いんじゃないかしら?

襟が変に折れているわ、髪も整ってもいないし、全然駄目ね。

まだ覚えているかしら? 異性交遊の鉄則その8、長く付き合った相手にも常にときめきを与える事を怠るべからず。

昔そう教えたわよね、王様」

 

 

そう黒いドレスの美女が告げた後、彼女の後ろからブラッドレイ夫人。

つまり彼が唯一己の意志で手に入れた宝物がやってきた。

ウロボロスの眼など無くても見間違える筈も無い女性が。

 

ブラッドレイは、姉の後ろから歩いてきた女性に手を振った。

 

 

「やあ、ただいま」

「あなた、おかえり」

 

 

やはり、やはりとブラッドレイは思う。

やはりこうでなくては、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

~~◎●◎~~

 

また別の場所では、二人のホムンクルスが相対していた。

一人はエンヴィー。

そしてもう一人は、最初の『お父様』の子、プライド。

 

 

「『お父様』にスロウスとグラトニーが吸収されたそうだ。

用事が済んだから、また別の役目を持たせて造り直すらしいね」

 

「知ってましたよ。ただ『怠惰』と『暴食』が還っただけでしょう?」

 

 

 

「コンセプトを変える為に記憶も何もかも全部ゼロにするそうだ」

 

「ええ、その方が都合がいいでしょうからね」

 

 

 

「それで良いのか。随分と冷たい事を言うね、お兄ちゃん(・・・・・)

 

「余計な事は考えない方が良いですよ」

 

 

 

「プライドは、『お父様』と今の『母親』どちらにつく?

『お父様』の計画が遂行されればその結果はどうなるか解って無い訳じゃ無いだろ?」

 

「………ええ、例外は存在しませんからね」

 

 

 

「今の答えるまでの間、どう説明する?

なあ、プライド。『傲慢』ってのは全て上から俯瞰するから『傲慢』じゃあないのか?」

 

「何が言いたいんですか?」

 

小憎たらしい弟に少々大人げなく本性を覗かせ始める兄、プライド。

最も『お父様』に近いと言われる彼は、その父に似たホムンクルスの本体を滲ませていた。

 

 

「常にNo2の『傲慢』って何だろうなって思っただけさ。特に意味は無い…訳じゃないか。

まあ、実は昔から思ってたんだけどさ、どうしてこのエンヴィーは『嫉妬』なんだろうって。

どうして他者を上から見下ろす完成品(傲慢)じゃなくて、下から妬む立ち位置なんだろうって。

妬んだ。羨んだ。そして未だに『嫉妬』し続けてる」

 

「『強欲』の様に逆らうつもりですか?

反逆者なら処分しなければいけませんね。」

 

 

プライドの殺気の濃度が増していく。

いや、プライド自身が殺気であるかのようにエンヴィーには感じられた。

 

 

「余裕がなくなって来たんじゃないの?

今感じている感情は本当に『傲慢』だけな訳?

『憤怒』では無いと言い切れる?

……こうしよう。勝った方のいう事を聞く。敗者は従う。簡単だろ?」

 

「『強欲』に引き続き、『嫉妬』も失敗作でしたか。

『お父様』に従わぬ反逆者は此処で処分しましょう」

 

 

文字通り空間が歪むほどの悍ましい殺意を被せられて、

尚も何処かの医師の様に冷静なままで、エンヴィーは言葉を止める事は無かった。

 

「処分だとか、そんな恐ろしい言葉は使わないで欲しいな。もっと的確な表現があると思うけど?」

 

「…何だ、言ってみなさい。遺言として聞いてあげましょう、エンヴィー」

 

 

 

 

 

「なあお兄ちゃん、兄弟喧嘩(・・・・)してみない?

――――究極の未完成(嫉妬)、舐めるなよ」



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『人間』の反撃

キング・ブラッドレイ。

彼は複数の意味で『造られた人間』だ。

 

『造られた』ということ。

それには彼が後天的にホムンクルス『憤怒』になった事も含まれる。

それには彼がその為の人材として育てられてきた事も含まれる。

それには彼がホムンクルスになってからも、『父』のレールに従ってきた事も含まれる。

 

だが、彼の『人間』という点について説明するなら、

年を取る事や、再生能力や復活が無い事などよりも、

彼自身が一人の女性を愛した事こそその証明になるだろう。

その出会いや人選が仕組まれたものであったとしても、彼が人間の意志として選び抜いたことこそが、何よりの証明である。

 

 

ところで、彼が造られたというのなら彼の親は誰になるのか?

その答えの一つは、本来の両親であろうし、

その答えの一つは『お父様』だ。

そして、『お父様』の下についてブラッドレイを育て上げた人間、金歯の医者もまた、『憤怒』の親だと言えよう。

さしずめその医者の役割は『母親』とでも言うべきなのかもしれない。

 

 

 

恐るべき叡智を持つ、人類でも最高峰の錬金術の知識を持つ者、

それが彼、金歯の医者である。この老人は、来たるべき鬨の為に用意していた錬成陣を起動して、

アメストリスの『人柱』を召喚した。

 

 

一人はこの時の為にエンヴィーに捕らえさせて、村を人質に『扉』を開かせて、

人々を救う為の両腕を失った義手の医師、マルコー。

彼はその後、村の人々で作られた『賢者の石』を渡されたが、その石を使って腕を復活させる事は無かった。

 

一人は国家では無く、一つの名家に身を奉げた盲目の錬金術師ジュドウ。

その瞳は、敬愛する主家の一人娘を蘇らせるために失った。

 

一人は自分自身の肉体からは一切の代償を払う事無く『扉』を通った医師。

彼は最愛の父親を失い、そして正常な善性をも失ってしまった。

 

後の二人は言うまでも無くエルリック兄弟。

 

 

 

 

彼らを柱として、今此処にアメストリスを代償とした最大の錬成陣が成り立とうとしていた。

だが、それを阻む者がいた。

その名は、ヴァン・ホーエンハイム。

トリシャ・エルリックの配偶者。つまり――――エルリック兄弟の実の父親である。

 

 

最強の力()を取り込もうとする無防備なフラスコの中の小人(お父様)を攻撃。

その攻撃は見事に届くかと思われた。

だが、その『お父様』の受けた直撃はホーエンハイムを欺くためのフェイク。

ホーエンハイムを最も警戒していた『お父様』が、この土壇場での乱入を予知していないわけが無かった。

 

人柱達を捕らえていた6本目の影で出来た触手を、ホーエンハイムを騙すために本体に見せかけていた。

よって、ホーエンハイムの攻撃はその触手を破壊した代わりに、『お父様』本体のカウンターを許す事になった。

 

だが、その攻撃は無駄では無く、触手という一部から、フラスコの中の小人に仇為す方向性を持った魂を注入した。

毒は心臓に打ち込まなくても、手足に打ち込んでさえ最後には心臓に回る。

これが本当の逆転の一手。…そのはずだった。

 

永き刻を過ごしたホムンクルスは遂に、フラスコの外側に出た。

先程まで自分を包んでいた皮を食い破って、卵から生まれたばかりの鳥の雛が最初に殻を食べる様に、その皮を吸い込んだ。

フラスコの外に出たホムンクルスは残念だったなとホーエンハイムを嗤いながら、ホーエンハイムをも新たな人柱とした。

 

 

そして『お父様』は天上に大穴を開けた。

解放された空には、太陽を月が隠す日食が進みつつあり、その時(・・・)が迫ってくるのが誰の目にも解った。

 

 

だが、ホーエンハイムも手詰まりと言う訳では無かった。

必要な点は5つ。

つまり、人柱で無い囚われの者がこの中に一人存在する。

 

 

己のせいで犠牲になった村の人々と、それを実行した存在に怨嗟のを持ちながらも諦観するマルコ―。

こんなやり方は許されるものでは無い。そう抗議しても無駄だと理解しつつも抵抗は行うジュドウ。

そして表情が変えずに、「人類とホムンクルスは共存できるはずです」と『お父様』に話しかけるシルヴィオ。

 

ホーエンハイムの見立てではこの中の誰かがフェイクだった。

囚われているだけで、人柱には指定されていないと断定した。

己の息子たちは指定されているのは間違いなかった。

誰に似たのか持ち前の正義感に溢れているし、その身自体がホーエンハイムの良い人質になったからだ。

 

 

シルヴィオは、真剣にお父様の善性に訴える様な言葉を吐き続ける。

だが、その善性が通用する相手では無かった。相手が悪すぎた。

 

シルヴィオは、断腸の思いで小さく告げた。

「私は、これから『人間』を己の意志で殺します」

 

いよいよ、術式が発動するとなった時、シルヴィオはその身を影から解放された。

地に転げ落ちながらも受け身を取って起き上がった。

その傍らには青年の首元にしな垂れかかる『お父様』の娘がいた。

 

 

フェイクはシルヴィオでは無かった。

恐らくマルコーかジュドウだったのだろう。よって人柱は五人から四人となり術式は途切れた。

それでも、フェイクを本命に代えれば良いだけの話。

 

だが、それよりも、今は問いただすべき事が『お父様』にはあった。

 

 

「何の積りだ『色欲』(ラスト)

 

「いやですわお父様。『色欲』に狂って父親よりも一人の男に溺れた。

言葉にすればただそれだけの事なのですから」

 

 

『お父様』の娘、ラストは余裕に満ちた顔でそう答えた。



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その未来に祝福あれ

このお話と、あと一話です。
鬱耐性が無い方はこのお話でハッピーエンドという事でお願いします。


「お義父様とは仲良くしたいと思っていましたが、こうなっては駆け落ちをする他無いようです」

 

青年はそう告げると、横に佇む美女の手を握った。

それと同時に空が急速に隠れる。織姫と彦星の逢瀬を封じる様に、

雨雲が地上と天を切り分けた。

 

シルヴィオが己の両手を繋げて完成する円の回路の中に、

巨大な賢者の石(ラスト)を組み込んで直列的に回路の圧を高めて作り出した雨雲だった。

 

 

だが、それすらも『お父様』には意味が無かったのかも知れない。

天に向かって手を伸ばし、そこから発せられたエネルギーを放出すると雨雲に大きな穴が開いて太陽が再び顔を出した。

 

 

しかし、雨雲は再び穴を塞ぐ様に結合する。

それを再度撥ね飛ばした『お父様』だったが、元から叩いた方が良いと判断したのか、

シルヴィオに攻撃対象を変えた。

 

 

青年は避ける事に専念していた。

それは暫く持った。例え死にかけても死にさえしてなければ、彼の人体構造を理解した最短最速の自己再生の生体錬成が発動する。

だが、遂にそんな事に時間を費やすのが惜しくなった『お父様』は、

自分の中の『怠惰』と『暴食』を含む大量の賢者の石を代償に、暗雲を薙ぎ払った。

 

 

此処に、アメストリスを包む最大最悪の国家錬成陣が起動し、

それによって、アメストリス全ての人々の魂が『お父様』の糧に…はならなかった。

 

 

目の前で表情一つ変えずに『お父様』を見つめる青年の仕業だとして、再び先程の攻撃力に近い破壊の波を放出した。

それをあっさりと真正面から弾き飛ばしたシルヴィオに、『お父様』は問いかけた。

 

「一体何をした。色欲(ラスト)一体の賢者の石の力では此処まで至らないはずだ」

 

「彼女は起爆剤というスイッチ以上の事はしていません。爆薬はイシュヴァール人でできた各地に用意した賢者の石ですよ。

雨雲はその隙間を埋める時間稼ぎに他なりません。

かなりの賢者の石を消費していまして、実はもっと早く雨雲を消す事に専念されていたら危なかったですよ。ええ本当に。

 

私の部下が、イシュヴァール人の研究資料を見つけ出して解読してくれましてね、

その結果、もしもに備えて対策を命じていただけですよ。

イシュヴァール人を特定の場所に追い詰めてから殺せ。血の染みで図形を描き換えろと命じて、ね。

その新たな錬成陣は元となった錬成陣を蝕んで別の容へ造り替えたのです。

本来のアメストリスの錬金術は地殻変動を利用した物。

その逆転の発想で、エネルギーで地殻変動を操作して陣を書き換えるというだけの事ですよ。

では、造り替えた錬成陣の内容をご説明いたしましょうか?」

 

 

 

 

優雅に気品のある歩みでラストの手を取って各人柱達を解放していく。

その歩みは、まるでキャンドルサービスで各テーブルへと歩いていく新郎新婦の様だった。

 

その間、『お父様』は何もしなかった。正しくは何もできなかった。

シルヴィオは、ラストと共に結婚式に集まってくれた参加者にするように深々と礼をした。

 

 

「それでは医療説明(インフォームド・コンセント)と参りましょうか。

この星を一つの生命体と見立てて、その新陳代謝と血流を利用する術は既に知られているようです。

私は星の体温を利用する方法をこの度発案いたしまして、

これを第三の錬成方法と仮定いたしました。

主に第二の錬成方法をその経路として使わせて頂いて、

その膨大なエネルギーを汲み取り制御するための錬成陣に造り替えたと言う訳です。

地下には錬金術を妨害する硬い皮膚の様な何かがあるようでしたので、

それを越えてその下へと作用する為の注射器を作る為の錬成陣へ変えることとしたと言う訳です

此処でお義父様が、私達の婚姻を承認し、異議の無いものとして世界の人々と共に祝福されるのでしたら、

私達は駆け落ちをしなくても良いのではないかと思うのですが」

 

 

あくまで平然と言葉を紡ぐ青年医師。

それは『お父様』に捨てたはずの『憤怒』の感情を再現させる程神経を逆撫でた。

 

 

その時だった。

ロイに取りついたエンヴィーと、ホークアイの首元を影の刃で押さえながら連行してきたプライドが入って来た。

 

「エンヴィー、貴方負けたの?」

 

そう問いかけたラストに、エンヴィーは、

 

「ボコボコにされた。やはり戦闘(・・)では勝てなかったみたいだね」

 

と答えた。

ラストはそれを聞いてやはりという顔をした。

 

 

「お前達漸く来たか、『色欲』が裏切った。アイツも殺せ」

 

『お父様』はそう告げた。

プライドは、

 

「未婚を拗らせた結果、と言う訳ですね」

 

と『お父様』の横で両手を宙に向けて首を振った。

 

 

 

 

シルヴィオはその『お父様』の発言を聞いて、とても残念そうに額を抑えて、左手を軽く握り親指を押す動作をした。

途端に苦しみ出した『お父様』だったが、何はともあれシルヴィオを抹殺せねばと自身も殺意と共に術式を練りながら、

己の子供達(配下)にも命令した。

 

「やれ」

 

 

お父様の本質に似た生まれの子供、プライドはその命令に忠実にその影を突き刺した。

 

 

 

――――――――但し、その標的は『お父様』である。

 

「な…に…?」

 

『お父様』の行動や思考が同類故に手に取るように判るプライドは、

『お父様』が反撃に戸惑うタイミングで攻撃し、反撃として吸収に移る前にその影を離脱させた。

倒れた『お父様』を上から見下す様にプライドは告げる。

 

「理由は二つあります。

頂点に立つ為には、親を越えなければならないとお母さんが読んでくれた神話の本に書いてあった事が一つ。

それともう一つは、殺し合い(試合)に勝って勝負に負けた…という事でしょうか。

…憤慨ものですが事実です」

 

プライドはそう言ってエンヴィーを睨んだが、エンヴィーは目を逸らしながらも満面の笑みを浮かべていた。

そしてエンヴィーの小さなガッツポーズはある青年に向けられている。

 

 

その青年は、シルヴィオ・グラン。

今現在のシルヴィオの指の形、それは何かを押し込む形に良く似ていた。

そして今、シルヴィオが中心に居る新たな巨大図形は注射器を意味している。

イシュヴァール人の魂と血で造った注射器だ。

その意味は――――

 

 

 

 

 

「先程はエネルギーを採血するのに陣を使いました。

次はその逆の事をしようと思います。

所で、予防接種という物をご存知ですか?

若しくはアレルギーという知識でも構いません。

人体は異物の侵入に抵抗して、その物を拒絶するために過剰に抵抗を行います。

私は、先程この星から抜き出したエネルギーを使ってある物に対して星に抵抗を起こさせました。

さて、このある物とは何でしょうか。解る人はいませんか?

そうですね、アル君」

 

「……解かりません」

 

 

「そうですか、ではそこの眼鏡と御髭の貴方。お答えして頂けますか?」

 

 

 

「ヴァン・ホーエンハイムだ。その答えは――――『賢者の石』で合ってるかい?」

 

 

「えっ、あの人間を妊娠させた賢者の石のホーエンハイムさんですか?」

 

「……凄くアレな覚えられ方だね。…まあ、合ってるよ。

元となったのが人間だからね。そこの二人の父親さ」

 

少し話題が逸れ、序に空気もだいぶ変わったが、やるべきことはしかりとするのがシルヴィオという青年である。

 

人間が核なら(・・・・・・)生殖が可能なのですね。これは良い事を聞きました。

ところで、大丈夫ですか? あなたもこのままだと消滅してしまいますが」

 

「構わないさ。ヤツが此処で死ぬのならここまで生きてきた意味はあった。

後は子供たちが新しい時代に生きるだけの事さ」

 

 

ホーエンハイムが消滅する。

その事に息子たち二人は黙ってはいなかった。

 

「どういうことだっ!!」

「なんで父さんをっ!!」

 

 

彼らを窘める様に諭す様に丁寧にシルヴィオは説明した。

 

「頭の良い貴方達なら解っているのでしょう?

第二の錬金術。つまり東の錬金術の特性に近い事が此処では引き起こされているのです。

星が現在の賢者の石と定義された物を否定する。

そして、その賢者の石の量が、力が大きい程その拒絶の影響は大きくなる。

代謝が早い人の方が影響が大きいのは悪性腫瘍と同じです。

ああ、悪性腫瘍の様だとは表現が悪いかもしれませんね」

 

 

 

「では、そこのホムンクルス達はどうするのかね」

 

エンヴィーに憑りつかれたフリをしていたロイが平然としたシルヴィオにそう質問した。

 

 

 

「結論としては、賢者の石であるホムンクルスは例外なく消滅します。ですが―――」

 

「ですが、何だ」

 

そう促すロイに、表情を変える事無く、何時もの澄んだ瞳で青年は答えた。

 

 

「ですが、A型のウィルスに抵抗があっても、B型のウィルスには免疫は働かない。

生命とはそういうものです。どこにだって抜け穴はありますよ」

 

そう言ったシルヴィオはラストに口づけをした。

キスから始まる契約(新婚生活)とは良く言ったものだ。

ウロボロスの紋様は翼の無い、新たな形へと変容し、

ラストの身を覆う黒いドレスは瞬く間に純白のウェディングドレスへと変わった。

 

星への予防接種の際に僅かに残されたエネルギーを使って、ラストの肉体を代償にラストの肉体を構築してその魂を移し替えた。

もはや、彼女は既存のホムンクルスとは言い難い。その胸の中には賢者の石では無く、彼女自身の意志が宿っているのだから。

以前彼女は自分が弱くなったと言ったが、今回は其の比では無い。

かつての様な再生能力も蘇生能力も攻撃能力も全てを失った。まるで只の人間の様に。

人間として生きて行くために、ホムンクルスとしての特権を対価にしたと言っても良いだろう。

 

 

そして彼は続いて義理の兄と義理の弟達も造り替えた。

勿論、キスでは無く遠隔式の錬金術だ。そもそも弟の一人はこの場所に来てもいない。シルヴィオ達の説得の結果だ。

彼はアエルゴに唆された売国奴達の処分(・・・・・・・・・・・・・・・・)で忙しい。

まあ、全てが終われば都合の良い展開になっているだろう。何せ、死人に口無しだ。

 

 

 

ホーエンハイムには現段階では何もできなかった。

対象の魂が多すぎて、熱による錬金術の保有エネルギーが減少しているシルヴィオには少々厳しいので保留だった。

とはいえ、残り少しともなれば不可能な事では無かった。あくまで中止では無く保留だ。

 

残る賢者の石の生命体は一人。

 

「降参しては頂けませんか? 貴方をトリアージしたくはありません。

貴方は何の力も無い普通の人間としてなら生きて行けます。

それでは満足できませんか? 欲しい物はその肉体で無ければ成し遂げられませんか?

私はそんな事は無いと思うのです。さあ、私の手をお取りください」

 

そう言って、シルヴィオは『お父様』に手を伸ばした。

 

『お父様』にとって、それは屈辱だった。

屈辱の極みだった。認められるわけが無かった。これまでの全てを否定してやり直すなどできる訳が無かった。

己の存在意義が何だったのか、解らなくなる。神を喰らい世界を掴まなければならない。

その目的の為に、これ以上遠回りは出来なかった。

 

 

 

「ふざけるな、ふざけるな人間(・・)ッッッッ!!!!」

 

 

そう立ち上がって咆哮し、全ての力を解放しようとした『お父様』は、

大地から顔を出したミミズが鳥に食まれる様に、雉が鳴いたが故に猟師に撃たれる様に、

白血球に見つかった病原菌の様に、星に呑み込まれて消滅した。

彼はある意味、最初から最後まで己の(フラスコ)の中だけに閉じこもって、

外の世界との交流を、対話を拒み続けた。

彼は真の意味でフラスコの中の小人(ホムンクルス)であった。

 

 

彼は世界に欲情の『色欲』を向け、

彼は世界を『暴食』し、

彼は世界を『強欲』に欲し、

彼は世界がままならぬと『憤怒』し、

彼は世界との協調に『怠惰』し、

彼は世界に『嫉妬』し、

彼は世界に『傲慢』であった。

 

己の子供達がその感情を受け入れて前に進んで言った事に対して、

彼自身は己の感情を否定してその場に留まり続けた。

 

歩みを止めた者に進化は無く、ただ滅びるのみ。

これは只のその結果である。




現在、最終話を書きながら、同時に別の連載を構築しています。

大まかな流れはジャッジ・ドレッド的な鋼の錬金術師。
かつてロイの親友であり袂を別った法の番人の物語。
体制の守護者として、ロイ達の正義を否定する青年の生き様。
タイトルは『アメストリスの絶対法』(仮)です。

もし、書く事になれば是非お読みいただければと思います。
このお話の最終回は今日の夜には完成させる予定です。



今回のお話も矛盾とか問題点とかかなりありましたが、お楽しみいただけたでしょうか?
次回はお愉しみ方向に向かって一直線です。


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ウロボロスの蛇

遂に最終回。皆様どうぞ此処までお付き合いありがとうございました。


『人間』とは、己自身を人間だと自認して、他者と交わり相手も人間だと認められる者。

それが、シルヴィオ・グランの出した最終結論である。

 

彼はその後の人生で一度も傷の男に遇った事は無かった。

彼は今日も街のお医者さんとして、テロを起こす恐ろしい人種イシュヴァール人がいなくなった国、

平和なアメストリスで年を重ねるごとに美しくなる妻と、両親の容姿を継いで天使の様に可愛らしい娘に囲まれて日常を送っている。

 

 

今日もまた、戸を叩く音がする。

 

 

「先生ッ、うちの子供が熱を出してっ!!」

 

駆け込んできた女性は、意識が朦朧としている幼子を連れて来て縋る様に医師を呼ぶ。

かつてその幼子の立場であったシルヴィオの愛弟子は急いでその様子を見ながら適切に処置を始めていた。

 

シルヴィオはその様子を見ながら、そろそろ弟子のリリアも自分の診療所を持っても良いころかなと考えていた。

尚、そんな彼の頭の上には、彼の天使が乗っかって遊んでいる。

娘には詳しい理由は解らないが、夜は彼女の母親が父親を独占しているので、

お昼位は貸して貰おうと一生懸命甘えていたのだ。

 

とはいえ、父親は些細な病気にも真剣に徹する仕事人間な所もある。

今だって、リリアの処置が適切でなければ自分が出て行こうと思っていたくらいだ。

 

それでも、娘は甘えたい盛りである。

ただ、父親のお仕事が大切な事は解っているようで、ほっぺたをツンツンする位で止めておいたようだ。

彼女は将来聡明に育つであろうことは間違いない。

 

 

診療が終わり、患者さんがリリアにお礼を言って帰って行くと、

リリアもそろそろ家に帰る時間となったので、一言帰る旨を診療所の主に告げて帰って行った。

リリアも此処の主治医が好きで恋人を作らずに今まで生きてきたが、

それ故に奥方とのイチャイチャを見せつけられるのは勘弁して欲しかったのだ。

 

 

彼の診療所は基本的に24時間受け付けている。そして名医と評判な事もあって何時だって大忙しである。

隣接してある喫茶店の方は全く以って閑古鳥が鳴いているが、それは気にしないものとする。

 

シルヴィオ医師の助手である、やたらセクシーな看護師と有名な妻が労いの言葉と共に紅茶を淹れて持ってきた。

この看護師、夜になって子供が寝静まり、尚且つ患者がいなくなったとなるや、

直ぐに看護服を押し上げている膨らみを解放するかのように、ボタンを外して衣服を緩め始める。

正しく色欲の権化のようで、彼ら夫婦の二人目の子供誕生の日は遠くないだろう。

尚、何時も勝利しているのは旦那であるという事らしいが、何のことかは良く解らない。

 

 

さて、何故ホムンクルスであったラストが子供を為せるかというと、

当初のホムンクルス、これをA型ホムンクルスと呼ぶ。

このA型ホムンクルスはそもそも生殖を考慮されない、戦闘や潜入に特化した構造であった。

故に、生殖できない。極めてシンプルな仕組みだった。

 

対価を払えば対象物は来る。

複数人の命(賢者の石)という十分過ぎる対価は払われているのにこれはおかしい。

そうシルヴィオは疑問を持った。

 

次に、既にあの戦いの後B型ホムンクルスになったにも拘らず寿命で死んでしまったが、

ホーエンハイムが己が人間であった故に子供を為せたと言った。

 

では、人間であるという事は何なのだろうか?

その結論は冒頭にある。自身で人間と認めて、他者を人間と認める事。

これを人間だと定義した。

 

だが、本質的な意識というものはそうそう変わらないものだ。

これを既に五体満足の人間に戻ったエルリック兄弟がかつて精神が混線していた可能性があったという情報を利用した。

 

シルヴィオは己の魂とラストの魂をバイパスの様に混線させて、シルヴィオがラストを人間だと信じる事だけで押し通した。

其れだけで問題が解決した。俗に言う、「お前を信じる俺を信じろ」というヤツである。

 

彼等は文字通り、病める時も健やかなる時も共に在る存在へとなったのである。

 

 

 

 

 

 

未だに、男か女かわからないエンヴィーについては、

ラストの強い要望で男性という事で再構成された。

これはラストの不安や独占欲の賜物なのだが、シルヴィオは子供がやけに懐いていることから別の意味で心配している。

まるで女性の様に美しい顔の男というのは幼い少女心には危険だと、珍しく他者を警戒する意見を発していた。

勿論、彼は自分の顔を鏡で見た事はある筈なのだが、人間という生き物は何時だって自分の事を棚上げにする傾向がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

……平和な時というのは、勘を蝕む。

例え、極めて正確に物事を判別する機械でさえ、油を刺さなければ性能が低下する。

それは戦乱の憎しみ以上に価値があると、胸を張れる大切な宝物を見つけたとも言える。

消して悪い事だけでは無かった。

 

町の人気者の一家が、復興したばかりのとある町の喫茶店で食事をしていた時だった。

注文の品が出来たというので、忙しそうにしている店員を気遣って、一家のお父様であるシルヴィオが品物を取りに行った時だった。

 

 

彼は胸に熱い何かを感じた。

その熱さの正体は、出来上がったトマトソースパスタでは無く、自身の胸を刺し抜く鈍色の刃だった。

 

久々に感じる懐かしい気配。

あの――――イシュヴァール人の感覚だった。

 

かつてシルヴィオが滅ぼしたと思っていた集落で、唯一逃げ切った26人目のイシュヴァール人の少年。

彼は、アエルゴを本拠地に国家錬金術師を滅ぼそうとする、顔に傷を負った男を総帥とするテロリスト集団の、

総帥直々に殺しの術を学んだ暗殺者だった。

 

背後にいる気配を頼りに触れる事無く、遠隔錬金術でその身体の表面を壊す事無く脊髄のみを破壊した。

 

 

急いで自分の身体を治療しようとしたが、腕を合わせて錬成しようにも身体が動かない。

強力な神経毒のせいだと、自身を診療しながらそのまま彼は息を引き取った。

 

 

 

 

彼の妻は心に繋がった何かが切れたことを知ると、手に持った紅茶の入ったカップをテーブルに置き、

彼女の裾を掴む娘の額にキスをした。

そして塵へと還っていった。

 

 

 

 

その直後、かつての様に周囲の建物が一斉に爆破された。

爆発の中に、錬金術師と今まで何処に隠れていたかわからなかったイシュヴァールの残党達が戦いを繰り広げ、

多勢に無勢でその国家錬金術師は息絶えた。

 

 

 

爆発が有象無象の区別なく人々を襲う。

そして、人間とホムンクルスの間に出来た愛の結晶の上にも爆発によって発生した建物の破片が飛んできた。

 

その結果、血が飛び散り骨と油も周囲を舞った。

 

 

 

――――但し、それは少女では無かった。

 

「おにー…ちゃ…?」

 

娘がお兄ちゃんと呼ぶ相手、エンヴィーが少女を庇った。

かつての彼は無限の命があるが如きの再生能力と蘇生能力があった。

だが、今はそれに特化したホムンクルスでは無く、人間らしく見える事に特化しただけのホムンクルス。

つまり――――、彼は人間でしかなかった。

 

 

故に、笑って塵と消えた。

 

 

 

 

 

 

 

その混沌とした場に救世主がやって来た。

老いて尚恐ろしい片目の鬼神。キング・ブラッドレイ。

 

彼は多数のイシュヴァール人に囲まれたがそれは多勢に無勢。

勿論、これは人数では無く勢力の話である。

当然ながら、ブラッドレイが()だ。

 

 

 

 

鏖殺は一瞬にして完了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

老いた彼は、見覚えのある容姿をした少女の泣き声に目をとめた。

そこには既に彼の息子であるセリムが向かっていた。

青年となったセリムは少女に優しく語り掛けた。

 

「どうか泣き止んでください……、いえ、今泣ける内に泣くのがいいでしょう。

そのままで良いので聞いて下さい。

僕はセリム・ブラッドレイ。あなたの御両親のお友達……みたいなものです。

もし、――――その恨みを晴らしたいのであれば僕の手をお取り下さい」

 

 

 

 

そして、少女はその手をしっかりと握った。

これは世界支配の為に国土の更なる拡大を目指した、第二次ブラッドレイ政権といわれる、超軍事政権の偉大なる指導者である、

国父セリム・ブラッドレイとその妻となった女性の復讐の始まりである。

 

 

永遠の蛇は己の尾を喰らい廻り続ける。

全ての敵を打ち倒すまで、―――――――――――復讐は絶対に終わらない。




皆様の、感想、評価、お気に入り等の有形無形の応援のおかげで完結にまで行き着きました。
まことにありがとうございました。


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おまけ。若しくは足の生えたウロボロス  その後のシン

シンの人々はどうなったの?
というご意見がありましたので、その補完です。
※今更ですが、原作キャラが死亡します。


シンという国は、広大な土地を大勢の民族で構築している。

だが、その皇帝はその全ての土地と人々の中で一人だけだ。

 

どの民族が帝位につくかというのは、酷く重要な問題であり、

これまでに一族規模で滅ぼされた部族が数えきれないほど存在した。

 

ヤオ家のリンは、共にアメストリスへと向かったチャン家のメイを害する心算は無いと告げた。

それは、彼や直臣達の間では確立された約束だったのかも知れない。

メイにとってもその約束は守りたいと思える物だったのかも知れない。

 

だが、メイ個人がそう願っていても、メイの周囲の者も皆その意見を信用して賛同すると言う訳では無い。

そんなお花畑の思考だらけなら、シンはとっくに民族の垣根を取り払った大共圏を構築されていたはずだ。

 

だが、未だにそうなっていないという事が、その理由を暗に示していた。

メイからリンの事を聞き出した彼女の家族は、その情報を一族の者に漏らした。

 

 

その結果、友諠の為に宴を開くという名目でリンをチャン家の所に呼び出した。

本来、皇帝候補としてあらゆる警戒を怠っていなかったヤオ家の者達だったが、

リンが友を疑いたくないと言った一声で警戒態勢が大幅に引き下げられた。

 

 

その結果、リンはその命を落とし、

狂乱したランファンが主人の命を破ってメイを殺害しようとして、すんでのところで失敗。

最早逃げきれぬとチャン家の者に凌辱される前にと、舌を噛み切ってリンの後を追った。

 

後になって解った事だったが、リンを呼び出す様に命じて暗殺を謀る事を企てたチャン家の者は、

第三家のスパイであった。既にその者は口封じを行われており、真実が明らかになったのは全てが終わった後であったが。

 

 

マリア・ロスという名目上の国交がある場所からの、久しく無かった外国人来訪者がいた。

本来、彼女のエスコートとして名乗りを上げたヤオ家の者が、

そのヤオ家を引き下ろす機会として皇帝をその時に暗殺して、ヤオ家に罪を被せてしまおうという計画を逆に利用して、

皇帝を護りその信用を得た可能性もあったのかも知れないが、

なんと暗殺は成功してしまった。

 

それによりヤオ家は一族抹殺の憂き目にあい、その原因となった、現在の皇帝の一族に対する暗殺を目論み、

現在の皇帝はシン中を虱潰しに捜して、ヤオ家の者は赤子であっても両手足を切り落として槍で心臓をついて首を落とす様に命じた。

 

 

その新しい皇帝はチャン家からメイという少女を妻に出せと命じた。

メイにはその心算は無かったが、弱小一族であるチャン家の為にその身を差し出した。

 

その後、彼女の背後にいるチャン家の家の者達は、メイの名前と権力を使って皇帝の他の妻たちを次々と無残に殺し、

遂には皇帝も病気という事で亡くなってしまい、

メイは主観的にはお飾りにして、客観的には己より美しかったり賢い女性を、

片っ端から殺していく恐怖の女帝として後代に知られることになった。

 

 

後に、シンはアメストリスと戦争になり、いよいよ滅ぼされそうになった時、

その様な敗北を招いた天命に見限られた皇帝であるとして、民によるクーデターで死亡した。

 

その死に顔は全て諦めたような目をしていたという。

 

 

 

アメストリスは女帝の首を差し出されても破壊と略奪と蹂躙を止めなかった。

何故ならそれこそが目的であったからだ。

アメストリスだけでは無く、アメストリスの周辺国全てを利用した嘗て以上の大陸錬成陣。

 

 

既に処刑された人物である、元アメストリス軍人グラマン中将を髣髴させる謀略を駆使する、正体不明の焔を駆使して闘う魔法使いの様な男とその一派と、

シンの西よりやって来た、偉大なる傷の男の子であるという年若い指導者を頂点とする暗殺集団が、

アメストリス軍の行動を妨害にはしるも、その戦力差は覆らない。

 

 

父親であるホムンクルスを超える傲慢な性格に成長した、あるホムンクルスの父親越えの証明の為、

今日も、シンは赤く染まっていく。




赤く染まるというのは思想的な意味では無いです。色彩的な意味です。


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