元ロード・エルメロイII世の事件簿「case.砂中の聖なる杯」 (赤雑魚っ!)
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序章

東京喰種さんの方でも一つ書いております。
一応ながら私の型月歴は佐々木少年の真月譚月姫、空の境界、ステイナイト、蒼銀のフラグメンツ、プリヤ、ロードエルメロイII世の事件簿、ストレンジフェイク、Zeroのアニメ、そしてFGOです。それらの知識を網羅しているかと言われると不安ですが、それ以上の知識はないです。
なかなかにわかな部類に入ると思いますがよろしくお願いします。


 眼前に広がるのはまるで荒波で揺れ動く海の水面の一瞬を切り取ったかのような、それこそ砂の海と言っていいような光景だった。

 照りつける日差しは倫敦のそれとは比較にならないが、自分は顔を隠すためにいつもフードをかぶっているし、ここ数年でそれなりに達者になった『強化』を使って強い日差しにも、それが連れてくる熱気にも耐えられる。もちろん多少なら風で舞い上がった砂が目に入っても平気だった。たぶん自分の同行者たち(一人を除いて)もそうだと思う。

 ただ鼻を通る砂の匂いはどうにもならない。自分は緑豊かな土地で育ったせいもあり、その匂いだけはこの砂漠を訪れた当初から苦手だった。

 

「ハァ…ハァ……」

 

 同行者は三人、自分を含めれば四人で行動している。唯一この中で息が乱れ気味な師匠が気になって仕方がない。いつもはスーツを着こなし長身の英国紳士と言った風体の御仁なのだが、『強化』を含め魔術が平凡な彼は用心に用心を重ね極力肌の露出を控えた衣装をしている。ラクダが一歩進むたびに揺れ動く師匠の後ろ姿しか見えない。だが、特徴的な長い黒髪は被り物からはみ出て体とともに揺れ動いているのがわかる。

 

「し、師匠……」

 

 休憩した方がいいだろうか?しかし、歩くラクダに乗っているだけであるので、ただ歩くよりもずっと疲れないはずなのだ。ここで止まる利点はあまりないような……。

 

「気にする、ことは…ない、レディ」

 

「それならいいのですが…こまめに水を飲んでくださいね」

 

 繋げられた4騎のラクダが向かう先は()()()()()()()()。ただ先頭を行く『魔術使い』の傭兵であり、占星術師(アストロロジャー)であるフリューガー の占った方角に進んでいるだけだ。

 本人曰く「俺が最も金儲けできる方位を占った」らしい。面識はこれが二度目なのでよく知らない自分が語るのは憚られるが、なんとなく彼らしい気がする。

 

「おいおい時計塔の()君主(ロード)様がそんな体たらくで大丈夫なのか?」

 

「我が兄なら旅先では基本あんなものだ。気にすることはないさ」

 

 雇用主に途中で死なれては元も子もないフリューガー は後ろを向いて師匠に声をかけた。それに先頭から二番目のライネスが師匠を小馬鹿にするように返答する。返事をする気力も、ライネスの冗談に付き合う元気もない師匠は片手を上げて「問題ない」とジェスチャーする。

 しかし、その手の動きも力無くて最後尾を行く自分は不安を覚える。かれこれ二日くらいこの状態が続いているし、もし師匠やライネスの目当てが眉唾物で、自分たちはそれに気づくこともなく彷徨ったあげく、食糧不足でのたれ死んだらどうしようとか、そうなったら真っ先に死んでしまうのが師匠だとか、そんな嫌な想像ばかりが頭を巡り始めている。

 

「グレイ」

 

「はい」

 

 師匠が後ろを向いて自分を呼んだ。汗まみれで頰がこけているように見える、今にも死にそうな顔だった。

 

「そんな不安そうな顔をするな。引き際くらいはわきまえている」

 

 無理やり作られた笑顔。どこか歪んでいて、自分を安心させるために魔術で表情を作っているのだと気づくにはそう時間がかからなかった。度重なる疲労で魔術の精度が落ちているのだろう。師匠は魔術が苦手なのではなく、才能がないだけなので簡易的な魔術ならば普通にこなして見せるだけの力量はあるはずなのだから。

 

 

 

 

 なぜエルメロイII世こと我が師匠がこんな醜態を晒してまで砂漠をさまようことになったのか、それは二週間ほど前に話を戻さなくてはならないだろう。

 




次回からは長めに書こうかと思っております。


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灼熱する砂漠

ちょっと不慣れながら戦闘描写もあります。


 時計塔十二科の中で最も小さい現代魔術科(ノーリッジ)の学術棟。そこにある師匠の私室は手前と奥とで隔てられており、手前の部屋の入ってすぐの場所には靴棚が置いてある。

 自分はそこの丸椅子に座り、靴クリームとリムーバー、布を使い師匠の靴を磨くのが倫敦に来てからの数年間、仕事というよりは日課の一つになっていた。無意識のうちに鼻歌を歌ってしまうくらいに、この時の仄かな油の香りが安らぎを与えてくれる。

 光沢を持った靴がぼんやりと自分の姿を映し出すくらいに磨き終えたので、別の靴を磨こうと思っていた時だった。手前の部屋の入り口が開かれたのだ。

 入ってきたのは金髪の美人だった。その肌は陶器のように白く、高価な人形ようだといつも思う。

 

「やぁ、グレイ」

 

「こんにちわ、ライネスさん」

 

 ライネス・エルメロイ・アーチゾルテ 。少し前に成人し、師匠が保持し続けたエルメロイの君主(ロード)の称号を継承した女性だ。

 貴族と田舎出身とでもともと離れていた立場がさらに離れたので、多少なりとも自分との関係に変化があるものかと思われたが、前と違わず接してくれる良き友人であり、師匠の義妹でもある。

 彼女の後ろにはいつも通り水銀メイドのトリムマウが付いている。

 

「そう毎日毎日靴磨きというのは飽きないのか?」

 

「毎日と言うほどでは…」

 

(…せいぜいが週に一度だろう)

 

 同性の自分でもはっと息を呑むほど美しい彼女の微笑みで、どうやら今の質問はちょっとした冗談であったことに気がついた。真面目に返してしまったのが恥ずかしくて顔が少し熱くなった。

 

「ふふ、気にしなくていいさ。それより兄はいるかね?」

 

「はい、奥に」

 

「ありがとう」

 

 そのまま奥の部屋に行くものかと思われたが、ライネスはまじまじと自分の顔を見つめている。自分は顔を見られ続けるのは苦手な(たち)なので、目のやりどころに困ってしまう。

 師匠の靴を膝の上に置いたまま数秒ほど視線を泳がせているが、ライネスは自分の顔から目を離してくれない。

 

「あ…あの、()に何か?」

 

「ふむ、そうだな……」

 

 ライネスが考え事をするかのように顎を触り、その美しい焔色の眼がやっと自分から離れてくれて、今度は床を向いた。そしてまた数秒後に自分を見る。

 

「兄と二人きりで話そうと思ったが、やっぱり君にも話しておくべきだろうな」

 

「はい?」

 

「さぁ、早くその靴をしまえ。手はこれで拭くといい」

 

 そう言われ、すぐに靴を棚にしまうと差し出されたのは真っ白で綺麗な刺繍の入ったハンカチだった。これをこの手が汚すと思うと罪悪感で胸がいっぱいになる。

 

「せ、拙は自分の物があるので…」

 

 断ってしまったことを不快に思われないだろうか。これでまた罪悪感を覚えるのだから自分という人間は面倒なやつだと思う。

 

「そう気にすることもないのだがね。ただその気遣いはありがたく頂戴しよう」

 

「す、すみません」

 

「ふふふ、君は本当に生真面目だな。見ていて面白い」

 

 綺麗なハンカチをしまって、「早く行こう」とライネスは自分の手を引っ張る。まだ手を拭いていないのだが…。

 ノックもなしにライネスが師匠の部屋のドアを開けた。

 夏を迎えつつあるが涼やかで微かなタバコのかおりの風が吹き込む。

 部屋を見渡せばスライド式の本棚にはジャンルとサイズごとに並べられた師匠の蔵書コレクションの一部。机上には裏返された資料と万年筆やギロチン式のシガーカッター、その隅に最近買った新しい携帯式のゲーム機が置いてあり、師匠のアパートとは違って片付けられていて生活感に溢れている。

 部屋の奥のアンティークの椅子に座り、師匠は一服しているようだった。このタバコの匂いも自分は好きだ。

 自分たちが部屋に入ってきたことにより、三十半ばという歳のせいか、それとも日頃の疲れのせいか浅くシワが刻まれた眉間をさらにしわ寄せている。

 ウェイバー・ベルベット。元ロード・エルメロイII世にして、祭位(フェス)の位から上に行けずにいる魔術師である。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何の用かね、レディ…」

 

 レディ、今のこれはライネスに向けられたものだろう。時折自分もそう呼ばれるので判然としないがたぶんそう。

 

「ご機嫌よう我が兄上。あいかわらずの仏頂面だな。目の前にロードがいるのだから畏まってくれてもいいんだよ、元ロード・エルメロイII世?」

 

 ライネスがロードになり師匠がロード・エルメロイII世の名を返還してからは実の名前を名乗っているが依然として周囲の人間はロード・エルメロイII世呼びが抜けずにいる。

 実は自分も師匠はロード・エルメロイII世の方が未だしっくり来る。他にも色々ニックネームがあるのだが、ここでは割愛しようと思う。

 ライネスの嫌味ったらしいからかいはいつものことなのだが、師匠は負けず嫌いの一面があってか皮肉で返すのが常だ。ライネスはそういう師匠の姿を見て悦に浸る。なかなかいい兄妹仲だと自分は思っている。

 だが今日に限ってライネスはすぐに話題を変えたのだ。

 

「今日はちょっと依頼があってね」

 

 そう言ってライネスは後ろについているトリムマウの方へと手を伸ばす。するとトリムマウが彼女に何か一枚の紙を手渡した。

 

「っ!それは…」

 

 師匠は驚き、危うく指で挟んでいたタバコを落とすところだった。

 見たところ何かの約定だろうか、紙面がこちらに向かないので印が押されてあることしかわからない。

 

「第四次聖杯戦争の生還者ならば気になる話題だろう?」

 

 聖杯戦争。かつてウェイバー・ベルベットを名乗っていた(今もだけど)師匠が彼の大王と駆け抜け生還した殺し合い。

 師匠の先代にあたるエルメロイのロードであったケイネス・エルメロイ・アーチボルトがその戦いで命を落とし、その一端を担ったとされる師匠がエルメロイのロードの地位を守るためにロード・エルメロイII世を名乗ることになった原因だ。

 ライネスは口角を釣り上げ、師匠の反応を見てしたり顔だ。早々に話を切り出したのはこのためか。

 

「中東の砂漠に現れたという聖杯。それの調査を承って来た」

 

「あんな根拠もなくただ流れて来た噂話を鵜呑みにする馬鹿がいたとは法政科の連中も顎を外しているだろうさ」

 

「おやおや兄よ、まるで他人事のように言っているが」

 

 ライネスが師匠の机上にあった資料を表に返し、

 

「君も調べているじゃないか」

 

「………」

 

 見透かされていたことに腹を立てて歯ぎしりが聞こえる。

 

 

「イッヒヒヒヒ!聖杯だってよグレイ!これまた『縁』ってヤツなのかねぇ!?」

 

 

 自分の右手の辺りから友人の声がする。彼の発言は少し皮肉めいていた。確かに『縁』なのだろう。だけどそれは自分には()()()なモノだけど。

 

「もちろんエルメロイから君を推薦すると進言して来たよ。ここに魔術協会の印も押してある」

 

「勝手な真似を…」

 

「どの道行くのならばバックアップを得られる方がいいだろう?お情けで経費や役立ちそうな魔術礼装を拝借させて頂いたよ。あとはその土地に詳しそうな、それでいて魔術を知る者がいればいいのだが……」

 

「それならばもう目星を付けている」

 

 ライネスの読みは当たっていたようで、師匠は行く気満々だったらしい。

 

「君が今持っているその資料の二ページ目を開きたまえ」

 

 話しているうちに短くなってしまったタバコを一回吸って灰皿で潰すと、師匠が言った。

 

「数年前の知人でね、中東あたりを中心に活動している魔術使いが一人いる」

 

 ライネスが見ている顔写真付きの資料を自分も斜め後ろから拝見させてもらうと、自分も知っている人物だった。

 遊牧民を連想する民族衣装に筋肉質で髭面、垢と埃で黒ずんだ男だ。

 フリューガー 。名前を気に入っていないのでフリューと名乗る傭兵だ。

 剥離城アドラではあのルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトが一時雇用するほどの占星術師である。

 

「すでに彼とのコンタクトはとってある。『金さえ払えばOK』と言われたよ」

 

「手回しが早くて何よりだ」

 

 師匠は「お前だけには言われたくない」と一蹴する。

 

「ふふ、どうやらその様子では私との約束は忘れていなかったようだね。結構結構。君は見事に君主(ロード)の座を守りきり、私に家庭教師つけた。残る契約はあと二つ。聖杯とやらが真に万能の願望機たりうるならば……」

 

 

「先代から回収できたエルメロイの源流刻印。それを一瞬で修復できるだろうな」

 

 

 師匠がライネスの言葉を引き継いだ。どちらも思惑は同じようで、やはりこう言うところは血ではない何かしらの兄妹愛の証ではないだろうか。

 ライネスは「ついでに君が負っているエルメロイ派の借金の返済も願ってくれて構わんのだよ?」と冗談めかして言っている。

 源流刻印——エルメロイ派の魔術刻印だ。師匠の先代の死体にあったそれはひどく損傷しており回収できたのはわずか。師匠をウェイバーと呼び続ける親友(向こうの自称だが)、調律師であるメルヴィン・ウェインズでも五十年という気の遠くなりそうな調律を計画するほど甚大らしい。

 その源流刻印を受け継いだのがずば抜けて適性があったライネスというわけだ。

 

「ところで我が兄よ、向こうでは銃火器が火を噴くことなどそう珍しくないらしいぞ。おや?困ったなぁ。未熟な私では己が身一つしか守りきれん。これは愛しい兄を守ってくれる騎士(ナイト)が必要だなぁ……」

 

 ちらりとこちらを見るライネスの口調がわざとらしい。師匠をからかっているのか、自分をからかっているのかわからない。

 師匠は一度咳払いをして、

 

「そのようだな。グレイ…」

 

「は……はい」

 

「その、なんだ…いつものことなのだが、君がいないと私は簡単に死んでしまう人間だ。付いて来てくれないか?」

 

 本当にいつものことなのだが、改まって頼まれるとむずがゆく感じてしまう。顔が熱くなり、無意識のうちに被ったフードを両手で握っていた。

 それでも自分も改まってこう言うのだ。

 

「…はい。いつものことなので、付いていきます。………どこまでも」

 

 

 

 …その時ばかりは自分もにやにやしていたライネスを恨めしく思ってしまった。

 

 

 そして味気のない初めての飛行機旅を経て、現在に至る。

 日暮れ時となりフリューガー が休むことを提案してくれた。死にそうだった師匠の顔色も幾分良くなりつつある。

 こういう時には「私は都会育ちなのだ」という決まり文句が出るのだが、暑さにやられたせいか今回は聞けていない。

 ライネスが協会から拝借したという魔術礼装は基本的に魔力で稼働するようなサバイバルグッズだった。冷凍保存ができる旅行鞄ほどの大きさのケース、荷物をコンパクトにできるバッグ、一瞬で簡易的な結界を張る宝石とか、他には攻撃的なものが少し。結界に関しては風避けと使用者が身内と定めていない人間が入ると警報を鳴らす仕組みだ。防御壁ではないので決して安全というわけではない。

 

「師匠…頑張りましたね」

 

 唇がカサカサになっている師匠にペットボトルの水を渡す。すでに息は整っているようだった。

 

「すまないレディ」

 

 こうしている間にも、フリューガー がテントを二つ設置し、ライネスがトリムマウに指示を出して料理を作っている。正直言って自分と師匠は現段階で役に立っていない。むしろ食料の関係上邪魔である。

 

「早く食事を終えて明日に備えよう」

 

 もっともらしいことを言っているようで、その実自分が食べたいだけというのが師匠らしいといえばそうだが、少しは反省したほうがいいのではないだろうか。

 ふらついている師匠の体を支えながらライネス達の元へ歩いた。こんな過酷な地でも美味しい料理が食べられるというのは本当にありがたい。

 無駄な光がない分より鮮明に見える美しい星空の下、焚き火を囲んで食べるのは野菜と豚肉のスープ、味付けはコンソメだろうか。それに加えて主食はライスだ。小食な自分は一杯だけで十分だが、師匠とフリューガー は二杯は食べる。ここは性別の差だと思う。

 ふと、ライネスの手が止まっていることに気がついた。

 

「……ライネスさん?」

 

 その眼の色は視線の先にある焚き火に負けぬくらいに燃えるような焔色だ。

 刹那、ライネスが立ち上がった。そして視線を結界の向こうへ。自分も同じ方向を見る。

 

 

 そこには、炎の化身と呼ぶにふさわしい魔物が立っていた。

 

 

 その足が一歩を踏み出した瞬間に、耳障りな警報音が鳴り響く!

 

「っ!………アッド」

 

 すぐに立ち上がって、不慣れな砂上を駆けていた。

 いつも大きめで灰色のフードによって右手あたりに隠してある鳥籠のような檻。その中にいる人格を備えた匣型の魔術礼装。自分の友人の名前を呼ぶ。

 匣型のアッドはその姿を変える。それは、誰もが知る収穫の形状。魂を刈り取るカタチ。

 

 

 —————死神の鎌(グリム・リーパー)

 

 

 拙が走り出すとほぼ同時に、魔物も炎を纏ってこちらに向かってきた。

 近づいてみてわかったが頭に二本の捻れた角が生えていて、二メートル長の人型だった。そして、これも近づいてわかったが()()()()()()()()()()()ということだ。

 その魔物は夜を迎えた砂漠に堕ちた太陽の如く煌めき、そして熱かった。

 魔術回路を限界まで回し、自分を『強化』する。

 魔物の拳が降りかかる。紙一重で避け、拙の鎌が虚空に弧を描いた。

 魔物の鮮血が空中を舞い、星空の光を乱反射する。

 

「っ!」

 

 確かに斬った。やっぱり、これは……。

 

「おいおいおい!ヤバイぜグレイ!こいつ精霊や悪霊の類じゃ無いみたいだぜ!?」

 

 アッドが自分の思いを代弁した。アッドの言う通り、この魔物は()()を持っている。墓守りの特性上、遠巻きでは霊に近いものだと感じていたのに。

 墓守りである自分の魔術礼装のアッドは、霊体や魔力を捕食することでその真価を存分に発揮する。相手が肉を持つ異形では精々が大気の魔力を喰らうことしかできないだろう。

 だが僥倖もあった。この魔物が持つ魔力が滲み出て逆に死神の鎌(グリム・リーパー)に流れ込んでくるようだ。

 さらに自分は集中して、『強化』をより深化する。ひとえに『強化』と言っても身体面だけでは無い。『強化』とは性質に働きかけることこそが本質なのだと聞いたことがある。

 電球をより明るく、石をより硬く、そして技術をより巧みにすることもやろうと思えばできる。

 自分の場合は身体能力と技術を『強化』し敵を斬る。

 一閃。またも闇に赤色の液体が飛び散る。

 

「■■■■■■!!!」

 

 魔物の咆哮。刹那、さらに炎を纏って灼熱の化身へと変貌を遂げた!

 咄嗟に飛び退いた。振り下ろされた拳が砂を溶かしたように見えたのは見間違えじゃ無いだろう。あの熱には死神の鎌(グリム・リーパー)も溶かされてしまう筈だ。

 魔物の進撃は止まらない。自分が後ろに行くたびに、師匠達の方へと近づいていってしまう。

 灼熱の化身が手のひらをこちらに向けた。そして、その手のひらに炎が集まって行く。

 

「アッド、第一段階限定応用解除!」

 

「ははは!無茶無謀だなぁオイ!」

 

 アッドに魔力を込める。大鎌から匣型に戻り、ルービックキューブのように表面が回転、そして展開されたカタチは大きな盾だ。

 刹那、灼熱の化身から一筋の炎が放たれた。自分はその一線を大盾で受け止める。

 その圧力に自分が押されて行くたびに、砂の大地が焼け焦げて溶かされて行く。だが盾状のアッドは影響を受けていないようで安堵する。

 

「おい、このままじゃあの娘さんがやべぇんじゃねぇのか!?」

 

 フリューガー が気にかけてくれているが、それは杞憂だ。その証拠に師匠もライネスも静観しているし、自分もこの攻撃はしのげる自信がある。

 

「行けるぜグレイ!」

 

 盾の表面から炎が吹き上がった。敵のものではない。この盾は単に防御力だけを兼ね備えているわけでは無いのだ。

 

———反転(リバース)!」

 

 自分が叫ぶ。すると、炎から魔力が放射される。

 アッドの核となっている『宝具』には及ばないが高密度な魔力の塊だ。

 敵の攻撃による圧が減少して行く。盾から放たれた魔力と灼熱の一線が衝突しあい、魔物と自分の中間で爆発が起こった。

 すでに結界の中とあって風を避けるすべがない。足元の砂が、砂嵐のように舞い上がって視界を奪う。

 だが、砂塵の奥の煌めきはまるで褪せてなかった。それどころがより強くなっている。

 

「嘘……」

 

 魔物が二体に増えた。

 

「グレイ!逃げるぞ!」

 

 師匠が叫ぶ。振り向いた瞬間、今度は自分が叫んだ。

 

「師匠!後ろ!」

 

 三人の背後に複数人の影が見えた。その手にはだいぶ昔にエルメロイ教室のみんなで観た映画の突撃銃らしきものが見える。

 魔物の侵入によってすでに耳障りな警報は意味をなさずにいるので、その者達の見逃してしまったのだ。水銀メイドのトリムマウがいち早く反応しているが、手数が足りない!

 再び魔術回路を回す。より速く走るために『強化』を施す。

 

(間に合って!)

 

 師匠達に向けられた突撃銃が火を吹こうかという瞬間だった。

 師匠達と侵入者達の中間辺り、闇の中で美しい何かが星々の光を反射して光ったのだ。とても小さい何かだった。

 刹那、その何かが内側から眩い光を放つ!

 その光によって視覚を奪われている間に、聞き慣れない詠唱が聞こえてきた。

 

 

———投影(トレース)開始(オン)

 

 

 眼を開く。侵入者達と師匠達の間に、近代的なゴーグルを付けた赤銅を思わせる色の短髪の男がいた。

 その人の右手付近、何もなかった空間に大きな鉄板が出現するのが見えた。直後に発砲音が聞こえ、その鉄板が弾丸を阻んでいる。おそらく鉄板は『強化』されている。

 そして、赤銅色の男は『強化』されているであろう腕で豪快に鉄板を投げつけたのだ。

 

———投影(トレース)開始(オン)

 

 再び詠唱。右手に現れたのは太い紐だった。それで気絶した侵入者達を縛っている。

 乱入してきた彼に気を取られていると、背後、つまりは魔物達がいた方向から大きな音が轟いた。

 そちらを見やればどこかで見たことある黒装束、それを着た金髪の男性が信じられないことに一本の剣を持って二体の魔物と拮抗していた。

 

(あれは確か……)

 

 その黒装束は神父服だ。そして、その手に持っているのは黒鍵だった。

 かつて出会った聖堂教会の老戦士が持っていたのを思い出す。

 金髪の男は二体の魔物の拳や炎の乱舞を超人的な動きで躱し続けている。とあるタイミングで、彼は魔物の片割れとの間に開いた空間を黒鍵で斬り裂いた。地面と垂直で一切のブレが見られない見事な斬撃だったが、

 

(斬撃を外した…?)

 

 金髪の男のミス…それにしてはあまりに間抜けだと言わざるをえないものだった。

 そして、次の瞬間に魔人が彼に接近して拳を振り上げる。これは流石に自分も間に合わない。

 

 

 刹那、男の目の前の魔物が頭から断裂された。

 

 

 金髪の男はその時ただ立っていただけにも関わらずだ。

 文字通り真っ二つに引き裂かれた魔物は多量の血を垂れ流し、その肉塊を砂の上に落とした。

 

(あの魔物を…殺した?)

 

 だけど、どうやって?にわかに信じ難い光景だった。そして男はまた黒鍵で空を裂いた。生き残っている魔物がいる方向に、今度は美しい横薙ぎを。

 そして豪速で接近した灼熱の魔物の身体が男の眼前で胸部から横に斬り裂かれる。その瞬間また男は悠然と立っていただけだったのに。

 

「グレイ!」

 

 師匠が駆け寄ってきた。

 

「怪我はないか?」

 

「拙は平気です。師匠は大丈夫ですか?」

 

「私は闘ってなどいないからな。…まさかこんな所で()に助けられるとは」

 

 師匠は赤銅色の男性を眺めながら呟いた。師匠の知り合い……いや、よく見れば自分にも見覚えのある人だった。

 

(えっと……確か名前は……)

 

 極東の冬木の地から一時期二人の日本人が来ていた。彼はその一人だった。もう一人は何度か声をかけて来てくれたので記憶しているのだが…とにかくその一人であるリン・トオサカとルヴィアの赤銅色の彼を巡る殺し合いは時計塔の名物になっていたという割とどうでもいい情報が浮かんでくる。

 

(なんだったっけ?)

 

 彼の名前は……、

 

 

「あ、シロウ・エミヤだ」

 

 

 



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理想の王の生き写し

クリスマスイベントが始まりましたね。イベントでアイテムをもらえる鯖が術ギルとマシュだけだったことを知って悲しくなりました。

*すごくどうでもいいですが私の型月歴にカ二ファンを入れるのを忘れてました。


 あれからもう六年になる。一人の少女に出会ったのだ。

 風が強くて雲が多い夜だった。赤い装束の夫婦剣の使い手と、青い装束の朱色の槍使いが校庭で闘っていたのだ。

 未熟だった俺は彼らを目撃していたことに気づかれ、一度槍使いに殺され、そこに居合わせた遠坂に命を救ってもらった。その時はまだ助けてくれたのは遠坂だとは知らなかったけどな。

 朦朧とした状態で冬木にある俺の屋敷に帰ってすぐにまた槍使いは現れた。槍使いからの一方的な攻撃に耐えながら、武器を求めて屋敷にある土蔵に走った。

 そこでまた追い詰められ、尻餅をついた俺に朱色の槍が走る。

 ふざけるな。助けて貰ったのだ。助けて貰ったからには簡単には死ねない。

 生きて義務を果たさなければならないのに、殺されてしまっては果たせなくなる。

 こんなところで死んでなるものか。何もできない身体とは裏腹に、心はそんな気持ちで煮えたぎっていたその時だった。

 少女は魔法のように現れた。俺に向かっている朱色の刺突を弾き、槍使いを土蔵から追い出しのだ。

 強い風が吹く。雲の隙間から月光が差し込み少女を照らした。

 片手に不可視の剣に、纏うは蒼銀。綺麗な金髪を靡かせて、宝石のような眼は夜空の月と一緒に俺を見下していた。

 

 “—————問おう。”

 

 その言葉を、その問いを、その声を、そしてその美しさを、今でも覚えている。

 

 “貴方が、私のマスターか”

 

 その出会いは俺の人生の変節点と言える闘いの幕開けだった。

 そして今、あの日とは全く違う夜だ。雲一つなく、月もない。代わりに眩い星々が煌めき砂ばかりの不毛の大地に光をもたらしている。

 俺の視線の先にいる灰色の少女。彼女に駆け寄っているロード・エルメロイII世の内弟子であることは知っている。フードをいつも被っている姿は印象的だった。話したことはない、いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 いつも被っていたフードは戦闘の中で脱げたのだろう。顔があらわになっている。その顔を見て思ってしまう。

 

(ああ、やっぱり君は………)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「早くこの場を離れたほうがいいわ。またいつ襲われるかなんてわかったもんじゃない」

 

 衛宮士郎の後ろから現れた遠坂凛がそう進言した。おそらくあの発光体は彼女の宝石だったのだろう。

 自分たちは荷物をまとめ始めた。散らかしていないのですぐに片付く。ラクダとテントは置いていくしかない。

 魔物を二体も相手にしていた神父は未だにその死体の前で佇んでいた。

 

「そこの神父!あんたも早くしろっての!」

 

 凛の怒声に神父は振り向いた。星のせいだろうか?一瞬だけ、その眼は遠くからでも美しいと思える多彩な光を放ったように見えた。

 凛は神父の帰還を待たずに出発。彼は後ろから自分たちを追って走っている。

 

「あ、あの遠坂さん……あちらの方は?」

 

「あれは見た通り聖堂教会の神父。そこの第八秘蹟会に属する人間よ。所属が違うんだから、あんまり仲良くするのはお勧めしないわ」

 

 秘蹟とは聖堂教会の教義において神から与えられた七つの恵みのことだ。その教義に属さない恵みを『第八秘蹟』と呼ぶ。その名を持つ第八秘蹟会は聖遺物の管理または回収するのが仕事だという。確か師匠が参加した聖杯戦争の監督役も彼らの役目だったはずだ。

 

(つまり彼の狙いは……)

 

 自分たちと同じく聖杯なのだろう。

 歩く自分たちと距離を縮めている神父は癖っ毛の金髪だった。肌が白く、白人だと思われたのだが眼は碧眼やそれに近い色ではなく茶色だった。

 見た目は優しそうで、表情は柔らかい。時計塔への所属意識が低いか高いかと言われると微妙な顔しかできない自分はどうにも敵対心を持てなかった。

 

「はじめまして」

 

 微笑んだ神父が自分に話しかけてきた。自分は会釈する。

 

「先ほどの闘いぶりは女だてらに見事でした。……おそらく相性が悪かったのでしょう」

 

 穏やかな声だった。聞く人全てを安心させるのではないかと思われるほどに。

 

「ゆっくり自己紹介…と行きたいところですが、今は早くしたほうがよさそうだ」

 

 神父は前方を指差した。その指が示す先には二台の軽トラックと褐色の男たちがいる。

 

「衛宮殿!また他所者を拾ってきたのですか、これで二度目だぞ!」

 

 自分や師匠達を見て褐色の肌の眼鏡をかけた男性がまるで野良猫を拾ってきた息子を叱るが如く士郎に怒鳴っている。他の同じ色の肌の二人が、士郎とトリムマウが運んだ襲撃者達を荷台に乗せている。

 

「我らの集落に金銭的にも食料的にも余裕がないことはあなたは承知している筈だ!」

 

「ま、街に出て買いに行かなきゃだな…」

 

「その金は誰が負担すると…」

 

「まぁまぁサームさん、落ち着いてください」

 

 いつのまにか自分の後ろから神父が二人の元へ歩み寄って仲裁に入る。

 

「なんの用だアレクセイ?異教の徒が我が集落の問題に口を出すな」

 

「やれやれ、元は同じ神を信ずる者として仲良くしていきたいのですが……もちろん特別置いていただいている身として極力そちらの事情に関わらぬように気をつけております。

 しかしながら一言だけ。客人を受け入れるか否かはあなたが決めることではなく、あなたの兄上であり、集落の長、『ハサン』殿が決めることでは?」

 

 何故だろう?師匠の表情が強張った気がした。

 

「そのは……そうだが」

 

「ふははははは!また口上で負けておるな弟よ。お前は感情に流されすぎだ」

 

 アレクセイと言うらしい神父とサームという現地人の間の闇に白い髑髏の面が浮かんだ。微かに覗く肌はサームと同じ色だが、全身がぴったりと肌にフィットした黒装束の男が立っている。

 その髑髏の面が現れた瞬間、師匠が今にも声を上げそうな表情をしてたじろいだ。自分と初めて会った時もこんな表情をしていたので、きっとトラウマを刺激されたのだと思う。自分の顔を見た時のように素っ頓狂な声を上げないだけマシだ。

 

「兄者…また受け入れるのか?」

 

「攫われそうになっていた我らが同胞を助けた衛宮殿と遠坂殿の客人だ。もてなすとも。…見たところ全員が魔術師か。荷台ですまないが乗りたまえ」

 

 サームは『ハサン』の言うことに従い、大人しく運転席に乗り、集落とやらの仲間達とともに襲撃者を運んで行った。残ったのは他所者の自分たちと『ハサン』のみだ。

 

「お騒がせして申し訳ない。アレは宗教や金銭が絡むとどうにも口うるさくなってしまうのです」

 

「いえ、拠点が出来るだけ我々としては僥倖だ。短い間だろうがよろしく頼む」

 

 膝が震えている師匠が言う。

 

「?顔色がよろしくないようですが…」

 

「も、問題ない。ちょっとした旅疲れですよ。決して昔あなたのような髑髏の面を被った集団に幾度か背後を取られたなんてことはありませんとも、ええ。……名乗るのが遅くなりましたが、ウェイバー・ベルベットです」

 

 …どうやら背後を取られたらしい。あの様子では殺されかける寸前だったのではないだろうか。

 

「面白い御仁だ。ではウェイバー殿、そのお連れの方々。荷台にどうぞ」

 

 気丈に振る舞ったつもりだろうが師匠は完全に怯えきってしまっている。それにも関わらず目の前の髑髏仮面に自ら握手を求める。

 師匠の膝が笑う。冷や汗が滲み出る。顔から温度がなくなっていく。

 

「では、我らが集落へご案内しましょう」

 

 師匠と『ハサン』の手が離れ、『ハサン』が運転席へ乗り込んだ。

 刹那、師匠が白眼をむいて卒倒した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 11世紀から13世紀にかけて存在していたイスラム教イスマイリ派のニザリ教団は有名だろう。

 彼らはアラムート城を本拠に、『山の翁』を最高指揮官と仰いだ。

 マルコ・ポーロ曰く、山の翁はアラムートの高い山と山の谷間にかつてないほど美しい花園を作ったという。そこにはあらゆる果実が実っており、小さな清い水の流れ、葡萄酒の流れ、(ミルク)の流れ、蜂蜜の流れがあった。

 誰も見たことがないような豪華絢爛な宮殿は金銀で飾られ、壁にはこの世の美しい万物が描かれ、そこに住まう美しい女性はありとあらゆる楽器を奏で、歌い、踊るのだそうだ。

 山の翁は宮殿をパラダイスと呼称し、人々に信じ込ませる。彼は預言者がパラダイスに行った者は誰でも多くの美女に取り巻かれ、堪能するまで楽しめると説いたと教えた。

 このパラダイスに入ることが許されるのは暗殺者のみ。

 山の翁は十二歳から二十歳の屈強な男をそこに連れて行ったそうだ。何日もそこに滞在を許された若者たちは皆そこに住み続けたいと思い込むようになる。こうして山の翁は素朴な山の民から山の翁こそが預言者であると信じ込ませた。

 彼が誰かを殺したいときはパラダイスにいる若者を使う。彼らは山の翁に忠実だからだ。暗殺を終えるとまた若者はパラダイスを楽しめる。当然、彼らは死に帰らぬ者も多かった。

 暗殺者を派遣するときには必ず山の翁の家来が若者を尾行し、その者がどれほどの勇者かを報告させた。

 こうして山の翁は多くの高位の人間を殺し、多くの王族貴族を脅かして服従させ、貢物を取り上げたという。

 パラダイスに行くためには薬を飲む。その薬を飲み、寝て起きるといつのまにかパラダイスいるらしい。

 この手の話はマルコ・ポーロ以外の人間も残していて、おそらくその薬こそがハシーシュ。麻薬の一つで一説ではアサシンの語源とも呼ばれている。

 

 

 

 

「……教団の開祖であるハサン・サッバーハはたいそうな勉強家でもあったらしい。幼い頃から学問を志し、唯一神、預言者、イマーム、楽園と地獄の実在を確信、信仰するようになった。

 前述のような逸話の中にはイスラムの信徒でありながら魔術を勉強していたと言われていることもある。一般的側面から見た史実や逸話と魔術的側面から見たそれらでは得られる情報も変わってくるからその可能性もなきにしもあらずだろう。………すでに滅びた存在だと思っていたが、まさか続いているとはな」

 

 荷台にて目覚めた師匠に『ハサンとは何か』と尋ねてみると、虚ろな目で一人ぶつぶつと話し続けてしまった。とても眠そうな声で、聞き取るのがやっとなので内容の半分も頭に入っていない。

 

「古き名を継承することが時に意味を持つということもある。名前そのものに信仰や神秘、象徴性が宿るならば続ける…価値も、ある、だろうが………」

 

 ぱたりと師匠の体が倒れた。寝息を立ててすやすや眠っている。今度は溜まった疲労によって糸が切れたかのように気絶したのだろう。

 ちょうど自分の膝の上に師匠の頭が来た。荷台の上で正座して、手櫛で申し訳ないが乱れた髪をすく。明日の朝にはちゃんとした櫛で整えてあげよう。

 

 

「イッヒヒヒヒヒ!唇奪うなら今がはぎゃあああああああああああ!!」

 

 

 人前で恐ろしいことを言おうとしたアッドが入っている檻を右手で振り回した。どうせ隠し通せる存在でもないので、初対面の三人にもバラしてある。これでお仕置きがしやすいというものだ。もっとも時計塔にいた頃、最終的にエルメロイ教室に来ていた凛はアッドを知っていたが。

 

「こういう如何にも教師ってヤツは嫌よねぇ。聞いてもないことをベラベラ喋るし」

 

 倒れた師匠見て凛が言う。しかしこれこそ師匠らしさと言えばそうであり、元気がなかったここ数日見られなかったものだ。正直言って自分は安心している。

 

「方向性のない魔力に名前を与えて魔術に使う、そういう意味ではハサンの名前は継承されてはないでしょうね。見た限りではありますが、何か秘奥を隠しているようには見えませんし」

 

 アレクセイが言う。だいぶ前になるが、師匠から同じようなことを聞いた気がする。あの時は確か天使という名前を曖昧な魔力に与え、魔術にするという内容だった。

 

「あんたの場合は毛嫌いされているから秘奥なんてあったところで見ることなんてないでしょう」

 

「遠坂さんの言う通り。返す言葉もありませんね。置いていただけているのは貴方方のおかげですよ」

 

 凛とアレクセイの様子から察するに、彼らは自分たちよりもかなり早い段階で現地入りしているようだった。襲撃者や魔物の件と言い、事態は予想よりも混沌としているようなので彼らからの情報が欲しいところだ。

 そんなことを考えていると、自分の服をちょこちょことライネスが引っ張ってくる。

 

「先ほどから気になっているんだが、黙り込んでいる衛宮士郎が君をチラチラと見ているんだ」

 

 なにやら隠し事を話すのかと思われたが、そんなことはなかった。普通に周囲にダダ漏れする大きさの声でライネスが言う。

 

「気をつけたほうがいいぞ。時計塔での彼の噂は酷いものでな、そこの遠坂凛やエーデルフェルトの次期当主だけに飽き足らず数多の女性を誑かしていたらしい」

 

「はぁ!?何よそれ!?」

 

 凛が叫ぶ。士郎が「落ち着いてくれ遠坂、誤解だ!」などと彼女をなだめているが、まるで浮気した夫の言い訳にしか聞こえないのが不思議だ。

 

「ほう、あのエーデルフェルトの嬢ちゃんを口説き落とすとはやるなあの兄ちゃん」

 

 今度はフリューガーだ。そのフリューガーにライネスが、

 

「やはりモテる男は羨望の的か?」

 

「あーいや、アレと同じ人生を歩むのは占い師としての本能がちょっと………」

 

 フリューガーが士郎を神妙な顔で凝視する。知り合って以来初めて彼の真面目な顔を見た気がする。

 

「ありゃー今生きてるのが不思議なくらいだぞ。おそらく十七歳かそこらの時に一瞬のミスが死に直結、または精神的にヤバくなるようなシチュエーションが四十回程度……しかもそのほとんどが女が原因で、選ぶ女によってルートが違う。まさしく女難の相だ。これを羨むべきかどうか」

 

 即席にしてはかなり具体的なものだ。というかルートとは一体なんのことなのか教えて欲しい。

 

「最もやばいことになるルートへ導くのは身近にいた女だな」

 

「あらあら、藤村先生のことかしら?へぇ、衛宮くんは女教師にも興味があったってわけね」

 

「ちょっと待てって!藤ねえは本気でアウトオブ眼中だから…」

 

「歯を食いしばれこの浮気野郎!」

 

「なんで……さ」

 

 疑わしきは罰せず……そんな理屈は浮気の前には通用しないのだろう。事実かどうかは置いておく。とりあえず士郎は歯を食いしばったのに腹に拳を見舞われ失神した。

 気絶した士郎を見ていると、フリューガーの言うこともあながち間違いではないような気がしてきた。現に凛一人にこんな感じだし…。

 ライネスはそんな士郎を見てご満悦だ。師匠を弄ぶ時のように口角を上げている。一見蠱惑的に見えて、実は悪戯を考えているなど誰がわかろうか?

 

「オモチャも増えたし今日はもう寝よう」

 

「オモチャって……あの、遠坂さん、ここから目的地まではどれくらいなんですか?」

 

 これは私の物だと言わんばかりに士郎の頭を膝に乗せている凛に訊ねてみる。気絶させたのはあなたですよ?

 

「夜明け頃だと思う。寝れるなら寝たほうがいいわよ。詳しい話は後日にしましょう」

 

「…わかりました」

 

 その言葉を機に皆が寝入り始めた。

 自分はなかなか寝付けず、周囲の景色を眺めているが変わり映えがない砂の海が続いている。

 

(…何もない)

 

 故郷にいた頃は考えもしなかった。こんな砂だらけの場所に来ることも、師匠やライネスとの出会いも、時計塔に行くことすらもだ。

 ふと目を落とすと寝ている師匠の顔がある。その眉間に浅く刻まれたシワを優しく伸ばすが消えてくれない。歳を取るとはこう言うことなのだろう。

 すでに自分も十八歳を過ぎていて、つまりは成人しているのだが、なかなかどうして自分の道というものが見えてこない。このまま師匠の元にずっといられるのだろうか?ずっとこのままでもいいのだろうか?

 ずっとグレイ(どっちつかず)のまま師匠の隣に置いてもらえるならば幸せなことだ……いや、それ以上のことを自分は考えられるほどの想像力など持ち合わせていないのだと思う。

 ……だったら考えるだけ無駄なのだろう。

 

「おやすみなさい、師匠」

 

 何も考えないように、灰色の自分は目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝、日が昇ったあたりで目を覚ました。

 砂ばかりだった景色が岩と砂に変わっていて、集落とやらにはもうすぐ着くのだろう。

 自分は師匠を起こして、バッグにしまってあった櫛で師匠の髪をすく。所々で砂が混ざっていて、いつものようにスムーズにはいかない。その上師匠が「あと五分」と言うものだから手間がかかる。

 

「君の場合は尻に敷くより尽くすタイプなんだろうな。甘えてくれる男を探してやろうか?」

 

「…い、いえ、拙と好んで一緒にいる人なんて」

 

 何故だろうか?ライネスならば遊び気分で変な人を紹介して来そうだ。そして遠巻きから彼女は楽しむのだろう。

 そうこうしているうちに車が止まった。そこでみんなが降りる。少し遅れて自分も眠そうな師匠を連れて降りた。

 

「車を隠して来るので少々お待ちを」

 

 ハサンはそう言いまた運転席に行った。どうでもいいことだが、あの格好で軽トラックは似合わない。

 サームたちは自分たちよりも早く到着したのだろう。すでに姿がなかった。もしかしたらハサンが休む自分たちに気を遣って速度を落としていたのかもしれない。師匠から伝え聞いた伝説からはまるで想像できないような紳士だ。もっとも脚色が多く、魔術的側面の事実と史実がどこまで正しいのか分かったものではないのだが。

 

「まずは朝ご飯からだな……と言っても山道が長いんだけど」

 

 お腹はもういいのだろうか?士郎は元気そうだった。

 

「日差しが強くなる前に着きたいところだな」

 

 師匠……それはとても個人的な意見ではないでしょうか?

 

「お待たせしました。では早速行きましょう」

 

 気配もなく現れたハサンがそう言い、岩山を歩き出した。

 刹那、少しの違和感が体を通り過ぎた気がした。

 

「結界だな」

 

 ライネスが呟く。焔色の瞳が山を一望していたので誰に向けたものでもないのだろう。

 この山に張られている結界はとても自然なものだ。通り過ぎるまではまるで気配を感じなかった。

 

「人避けと、悪意のあるものが近づけば警報を鳴らす仕組みです。サームから皆様への嫌疑も晴れるでしょう。我々も反省いたしましたので」

 

「反省?襲撃でも?」

 

「人攫いでございます。……半年ほど前から頻発しておりまして」

 

 師匠の問いにハサンが答える。そして凛が、

 

「そこら辺のこと全部この人たちにも教えてあげてもらえる?」

 

「勿論ですとも。事の発端は五年前に遡ります。我々の集落のごく一般的な夫婦の間に一人の少女が産まれました。

 その少女が言語を理解し始めた頃、呪術師によって死病に罹った者がいたのです。その者、我が弟サームが呪術師を殺す際に攻撃を受けたようでして……その呪いは集落にいる呪術使いではどうにもできず、術者を殺しても呪いはサームの魔術回路を犯し小源(オド)を喰らい続ける。集落の皆はかなり慌てました」

 

「ミスタ・サームが長であるあなたの親族だからですか?」

 

「ええ。それに集落において最も教養のある男ですので……子供達に勉学を教え、時に産まれた赤子に名を授ける役目を担っております。私は暗殺一筋でしたのでどうにもアレに頼りきりでしてね。

 …我が弟が床に伏した時、私含め集落の皆が神に祈りました。どうか彼をお救いくださいと。そこに件の少女がやって来たのです。名をアラー。サームが名付け親でよく弟に懐いておりました。

 …お見舞いに来た彼女とサームが触れ合った瞬間、驚くべきことにたちまち呪術が解けました」

 

「…なるほど、その少女こそが噂の聖杯」

 

「その通り。その後は色々と彼女について調べてみました…無論、子供に酷なことを強いるような真似はしておりません。せいぜいが『この水を沸かしてみよ』など、その程度。見事に我らの指示を聞き届けた彼女は過程を省いてそれらを成しました。

 ……ただ我が集落はあの子の力を使おうとは思わなかった。あなた方魔術師には理解できないでしょうが万能の力に頼るなど、それは堕落であると結論づけた。世の理を捻じ曲げるような願いなど言語道断だ」

 

「…だが、その聖杯は盗まれたと?」

 

「はい。半年ほど前に襲撃を受け、混乱に乗じて彼女は連れ去られました。どこから情報が漏れ出たのかは我々もわかりませんでしたが、その少し前に数十名の集落の信者たちがいなくなったことで恐らくは彼らが情報を漏らしたのかと」

 

 つまりは宗派の分裂、と言うことか。

 

「それ以来、あの得体の知れない魔物が跋扈し、情報が着々と広がりあなた方のような異国の魔術師が砂漠を訪れるようになりました。人攫いもこの時からです」

 

「あの魔物、減る気配は?」

 

 ハサンはかぶりを振る。

 

「おそらく敵の魔術師が彼女の万能の力によって作り出したこの世ならざるものかと。砂漠を彷徨った魔術師や一般人が襲われるのは珍しくありません。そして、集落からも人攫いの被害が出た時にちょうど居合わせた衛宮殿たちが彼らを助けてくれまして…」

 

「旅の途中で俺と遠坂も噂を聞きつけてやって来たんだ。聖杯、それがあるだけで争いは絶えなくなる。……俺はそれを止めたいんだ」

 

(つまり彼には何も願いがない……?)

 

 ただ止めたいという理由で、アレクセイのように仕事でもないのに来たというのだろうか?衛宮士郎の眼は真っ直ぐだ。到底嘘を言っているようには見えないが…、

 

(それは、どこか……)

 

 その志が本当ならばとても美しいことだと思う。だが、その行いはどこか歪んでいる気がする。自分本位な人間には理解が及ばないだけかも知れないが。

 

「あなた達も聖杯に願いがあるならば覚えておきなされ。あれは無垢なる少女の偉業。それに頼ることがどれほど恥知らずな行いであるのかを」

 

 ハサンの言葉にみんなが黙った。ここにいるのは魔術師または魔術使いだ。多分、衛宮士郎以外は彼の価値観をわかっていても理解はしない。ただ穏便に済ませたいから返事をしないのだ。

 標高が高くなる。足場はお世辞にも良いと言えない岩肌で、自分の故郷に続く山道とはまるで真逆だった。少しだけ地衣類や蘚苔が見れるので不毛というには抵抗がある。

 ハサン以外の者は『強化』を行使していて、ハサンは日々の修行からか強靭な肉体を活かして一般人では土台無理なペースで登るっていると、人の声が聞こえて来た。

 

「さぁ、着きましたぞ。ここが我らの集落でございます」

 

 そこは本当に自然に合わせて作られた場所だった。いや、そこに集落があることが自然だとでも言うか。

 岩を削って作られた穴蔵のような、確かに人工的だけど自然なカタチで作られている。

 中に入る。そこはアリの巣を横にしたような構造をしていた。壁にはランプがつけられていて視界もいい。窓こそあるが奥に行くにつれ、風の通りが悪そうなのが難点だろう。

 

「基本的には標高が低い場所に子供やアサシンでない者達を、標高が高い場所にアサシン達が住まい、代々受け継がれた修行を行なっております。裏手には綺麗な渓流がありますので水浴びなどもできるでしょう」

 

 女の自分やライネス達はどうすれば水浴びなどできるだろうか?せいぜいが顔を洗うことだろう。けど水源は有難い。この山は生態系の境目に位置しているのかもしれない。

 

「兄者!」

 

 遅れて来た自分たちの元にサームがやってきた。後ろに一人の男がついている。

 

「遅かったな。昨夜のうちに拷問を終え、情報は引き出した。これで敵の魔術師からアラーを救い出せる!」

 

 涙ぐんで自分たちには目もくれずといった感じだ。名付け親であるサームはアラーという少女には人一倍執着があるのだろう。

 なぜ自分たちのいた場所に彼らが現れたのかもこれで納得した。彼らは襲撃者を捕まえて情報を引き出す算段だったのだ。

 

「落ち着けサーム。まずは我々も休もう。お前も私も不眠不休で闘えるほど強くはない」

 

「しかし!」

 

「ハサン様の言う通りだサーム。お前は交代もせずに運転して寝ていないだろう。ハサン様もご客人を乗せていて恐らく寝ていない」

 

 サームの後ろにいた男性が彼を鎮める。皆体格が良く、身長で互角の師匠が小さく見えて仕方がない。

 

「紹介が遅れました。オルハンとお呼びください」

 

 オルハンはとても落ち着きのある男性で、出会った現地人の中でやっと普通の人に会った気分だ。サームは排他的だし、ハサンはもうハサンだし……。

 

「じゃあ早く飯にしよう。そしてハサン達は一旦寝てくれ。仕掛けるのはそれからだ」

 

「私も手伝うわ」

 

「では私も」

 

 士郎はサームの肩を叩き、凛ならびにアレクセイと何処かへ行ってしまった。厨房でもあるのだろうか?

 

「ウェイバー殿達も朝餉が出来るまで好きにしていて構いませんが、慣れるまでの間はあまり奥へ行かないほうがいいでしょう。中は入り組んでおりますので。…オルハン、済まないが彼らに部屋を割り振ってくれ」

 

「承知いたしました。ハサン様はどのように?」

 

「サームを自室に送り届けたら少し寝る。朝餉は皆より遅れて取ることになるがいいか?」

 

「では四時間後に起こしに行きます」

 

「ああ、よろしく頼む」

 

 落ち着いた、と言うよりは取り乱して意気消沈したサームを連れてハサンもその場を去った。

 

「では行きましょうか」

 

 オルハンの案内により、穴蔵を歩く。なんだか不思議な気分だ。岩の洞窟を進むのは初めてだからだろうか?

 

「部屋はかなりの空きがございますが、一人部屋にしますか?相部屋にしますか?私としては後者をお勧めしますが…」

 

「それは何故?」

 

「暗殺教団は昔に比べれば一枚岩とは言い難いのです。呪術使いも優れた暗殺者も多うございます。証拠も残さず来客を殺害するなど容易いのです」

 

 師匠の問いに丁寧に答えるオルハンだが、内容は物騒だ。

 自分はライネスの服をちょこちょこと引っ張り、耳打ちで質問した。

 

「あの、魔術使いでも魔術師でもなく呪術使いが多いのは一体…?」

 

「ん?あぁ、中東圏の魔術基盤と協会が相容れないものだからこちらでは呪術が発達…と言うよりは協会側は遅れているのさ。呪術は学問じゃないとさ。ここの山にあった結界からして魔術使いがいないわけじゃないと思うが、それでも敢えて呪術使いを名乗るのは呪術を専攻しているんじゃないのか?もしくは我々に気を使っているのやもしれん」

 

 こう言うところでサラリと回答してくれるライネスを尊敬する。

 

「では相部屋にしよう。三人はそれでいいか?」

 

 自分たちに師匠が確認を取り、オルハンが「では一番大きな部屋へ行きましょう」と言う。そして師匠は、

 

「その、一枚岩でないと仰いましたが、半年前に出て行った方々も…」

 

「ええ、過激派…とでも言いましょうか。いや、決してそう断言できるわけではないのですが、私の知る限りでは先代と当代のハサン様は万物に寛容ではありますが、布教をしないで伝統を漏らさぬようにという方針を取られておりまして、拡大を図ろうとはしないのですよ」

 

「なるほど、私の口からは言いづらいがあなた方の宗派は衰退しつつあると?」

 

 オルハンは頷いた。

 

「かく言う私も一歩違えばあちらについて行ったでしょう。それくらいに今は不安定な状態が続いております」

 

「ハサンの座を継承する人はどのように決めるのですか?やはり先代のハサンが?」

 

「いいえ。今はハサンの名を冠する血族、その兄弟の一番上のものがその座につくのです。男女は関係ありません」

 

 ならば昔はどうなのだろうか?気になるが、自分たちの部屋についてしまったようだ。

 

「では、朝餉が出来次第およびいたします」

 

 オルハンはそれだけ言って去って行く。

 

「ライネス、フリュー…」

 

 師匠の呼びかけ。その先は言わずとも二人は理解したようだ。自分はずっとライネスが重量を軽くする魔術をかけていたカバンから水銀メイドのトリムマウを出して、彼女と一緒に部屋の整理に取り掛かる。結界を張っている師匠達の邪魔にならないように。

 やはりオルハンの話は警戒にたるものだった。信頼を得た士郎たちならばいざ知らず、分裂後もこの集落は揺れ動いている。いつハサンに反旗を翻し、自分たちを殺しにくるものがいたとしても不思議ではないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 朝食は美味しかったが多かった。外に出て、列に並んだものたちが士郎から料理を貰うのだが、自分の分が余りに多くて残してしまい、

 

「君はいっぱい食べると思ったんだけどな……悪い、次からは少なめに分けるよ」

 

 それはどこの誰の情報なのだろう?士郎は笑ってそう言うと残飯を回収した。そんな何気無いやりとりの後は付近を散策するのは憚られ、師匠も部屋に残るように言ってきたのでずっと篭っていた。

 ドアはなく、入口がひらけているのがこの部屋の難点だ。どの部屋の作りも同じものでドーム状に近い形をし、壁には廊下と同じくランプがある。

 とはいえ娯楽はないが、アッドは言わずもがな、ライネスもフリューガーも喋る方だし、師匠だって話しかければ無駄に長く話してくれるので、暇ではなかった。

 そして夕方になった頃だった。オルハンが呼びに来たのだ。

 

「ハサン様とサームがアラーの救出に向かわれるそうです。皆様の協力を得られればと仰っております」

 

「わかった。行こう。我々も無関係のままではいられない」

 

「ありがとうございます」

 

 師匠の返事に丁寧に頭を下げたオルハンに案内され、外に出た。

 自分たちは士郎達やハサン達と合流して元来た山道を降りていく。敵の拠点は無理のないペースで今から行けば明け方には着くとのこと。また荷台で寝ることになるが仕方がない。

 運転手であるサームとオルハンが交代交代で車を走らせる。向こうについてもすぐに動けるようにこまめに交代していた。

 いつのまにか寝入ってしまい、気がつけば明け方だった。荷物は部屋に置いて来たので、師匠の身だしなみを整える道具がなく、師匠のしつこい寝癖と格闘していると目的地に着いてしまった。

 

「まずは山を登って敵の警備体制を見なければなりません」

 

 着いたのは低い岩山だった。集落がある山の半分もなく下からでも頂上が見ることが出来た。

 ハサンの言う通りに自分たちは山を登り始めた。敵があの魔物を創り出したと言うのならば聖杯の力を魔術に利用した魔術師の仕業だろう。ならば少女は魔術工房に閉じ込められている可能性が大きい。すぐに仕掛けて罠が発動してしまえば敵の思う壺だ。

 低いとはいえ存外にもすぐ登り終え、見渡しのいい場所から景色を一望すると、それは驚きの光景だった。

 まるで山々がその内側と外界を隔てる城壁のように円柱状に聳え立っているのだ。その中心にもまた岩山。ドーム状で、結界が張られた大きな扉があるのでおそらくあれが魔術工房なのだろう。

 

「うようよいますね」

 

 アレクセイが呟く。彼の言う通り、件の魔物は五体ほどいる。

 

「ここは私とグレイさんが先行します。皆さんは魔物ではなく人間がいないかを注意してください」

 

「二人で行くのか?」

 

「ええ。あの魔物と拮抗できるのは私と彼女しかいませんし」

 

 アレクセイは士郎の言葉に鷹揚に答える。確かに、強力な攻撃手段があるのは自分と彼だけだろう。

 

「…もしもハサン殿が秘奥を用いて彼らを倒せるならばご協力願いたいのですが」

 

「ははは、厳しいことを言ってくれる。グレイ殿はそれでよろしいのかな?」

 

「……拙は、大丈夫です」

 

「では、参りましょうか」

 

 途端、アレクセイが飛び出した。自分もアッドを死神の鎌(グリム・リーパー)に変形させ、斜面を駆ける。

 魔物達がこちらに気づいた瞬間には斜面を蹴り、空中を舞っていた。足を使い身体を縦に回転させ、遠心力で一閃。そして着地。脚は止めない。灼熱されれば厄介だ。

 一体ずつに負傷を負わせた自分たちは荒れ狂う五体の魔物の中心で躍動する。降りかかる拳が二つ。躱してそのうちの一つを足場に蹴り、鎌で弧を描くと、フードが脱げた頰に鮮血が一滴。直後に魔物の頭が地に落ちた。

 

(まずは一体…)

 

 大丈夫。ちゃんと応戦できている。砂漠では不意なことで焦ったが、一度相手取った敵だ。

 しかし、うまく事が運べるほど敵は弱くはなかった。

 

『■■■■■■■!!!!!』

 

 自分が一体を殺した瞬間に魔物達が吠えた。ありえない形をした岩山が彼らの声を反響させ耳に刺さる。

 そして魔物が怒り、灼熱する。大気の水分が全て蒸発された錯覚を全身で感じる。『強化』を施してなければ唇が裂けていたかもしれない。

 

「これは…思った以上に厄介ですね」

 

 アレクセイが言う。…確かに厄介だ。

 異変は魔物の灼熱だけではなかった。正面にあった工房の扉が勢いよく開いたのだ。

 

 

 —————そこから出ずるは無数の悪霊だった。

 

 

 万物を溶かさんと燃え盛り、火炎を撒き散らす灼熱の魔物。

 行き場を見失い、身体を求め彷徨い続ける悪霊。

 まだ互角に立ち回れると思っていた矢先だったのに、気がつけば魔物の群れから自分たちは抜け出し、壁際に追い込まれていた。

 

「全く幸先が悪い。グレイさん、魔物の方をどうにかできる手段はありますか?」

 

 こんな状況でも、アレクセイの言葉は穏やかだった。少しだけそれに安心させられる。

 

「…時間がかかりますが、一つだけ」

 

「ならばそれに賭けさせて貰っても?」

 

 自分は無言で頷いた。

 

「よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よろしくお願いします」

 

 金髪の神父はそう言うと、壁際からもう一度駆け出した。灰色の少女は遅れて跳躍する。

 刹那、二人がいた場所に魔物の拳が降りかかり地面を溶解する。その様子を一瞥しながら神父は黒鍵を両手に三本構えて、異形の者達の中心で舞う。

 

———Give me.(与え給え)

 

 それは詠唱。“本来ならば”神父が使わぬモノ。出自が特殊な彼だから使う邪道。

 黒鍵に魔力を込める。その刃に付与するのは耐熱性。これで熟達した剣技を持つ彼ならば魔物に黒鍵を当てても数秒の間は溶かされずにすむ。

 

「私が殺す。私が生かす。私が傷つけ私が癒す。我が手を逃れうる者は一人もいない。我が目の届かぬ者は一人もいない」

 

 剣戟の最中、その言の葉が紡がれる。

 

「打ち砕かれよ。

 敗れた者、老いた者を私が招く。私に委ね、私に学び、私に従え。

 休息を。唄を忘れず、祈りを忘れず、私を忘れず、私は軽く、あらゆる重みを忘れさせる」

 

 乱れる炎、悪霊の嵐。その中心で黒衣が翻るたびに、鷹揚な声が反響する。視界の端で灰色の少女もまた何かを口ずさんでいるようだった。

 

「装うなかれ。

 許しには報復を、信頼には裏切りを、希望には絶望を、光あるものには闇を、生あるものには暗い死を。

 休息は私の手に。貴方の罪に油を注ぎ印を記そう。

 永遠の命は、死の中でこそ与えられる。

 許しはここに。受肉した私が誓う」

 

 彼の名はアレクセイ・フランプトン。第八秘蹟会の末席にして、代行者(エクスキューター)

 彼が唱えるは“洗礼詠唱”。それは人々の心を癒す「魂に訴える」奇蹟。

 今、最後の言葉をもって、迷える魂は還るべき座に送られる。

 

———この魂に憐れみを(キリエ・エレイソン)”」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よろしくお願いします」

 

 神父が駆け出すと少し遅れて少女は跳躍した。

 彼女が元いた場所に灼熱の拳が放たれた。少女は岩山の壁を蹴り、大鎌を大きな盾に変形させる。

 灼熱の魔物へ盾を持って落下する。頭を打たれ、たじろいだ魔物が少女を見据え、その太い両腕を払い続ける。一撃、二撃、三撃。刹那、四撃を受け止め一拍おいて盾に炎がともる。

 

———反転(リバース)!」

 

 炎から放たれる魔力が、魔物の肉体を至近距離から貫いた。これで残るは三体……そして悪霊だ。盾を大鎌に変えて、悪霊達の奔流の中を突き進む。

 

(怖い…)

 

 少女は霊が怖かった。その身体はあまりにも霊の本質を捉えすぎるから。

 悪霊達の奔流が肌を這いずり回り、ありとあらゆる穴から少女に入ろうとしている。

 それが不可能だと悟った彼らは少女の肉を喰らわんと牙を向いて襲いかかる。

 今でも少女にとって彼らは恐ろしくて忌まわしくて呪わしくておぞましくて穢れていて渇いていて餓えていて鋭くて夥しくて狂おしくて痛々しくて吐き出しそうで叫んでいて葬られていなくて抉れていて惨たらしくて埋葬されるべきで晒されていて苛まれていて滅ぼされるべき存在である。

 少女の持つ鎌により、白昼に三日月が描かれた。

 悪霊の奔流の一部を切り裂いたそれは、ゴキリ、と音を鳴らす。

 

 ゴキリ、ゴキリ、ゴキリ……

 

 音は続く。

 奇怪で奇妙で耳を塞ぎたくなるようそれは悪霊達が死神の鎌(グリム・リーパー)に刻まれた口に咀嚼される音だ。

 

 

「イッヒヒヒヒヒ!美味い美味いぜぇ!予期せぬご馳走にありつけなたぁ!!!」

 

 

 ——『お前が滅ぼすべきはアレだ。アレだ。アレだ。アレだけだ』

 

 

 アッドの声よりも少女の鼓膜を打つのは故郷で言われ続けた言葉。

 

その通り(Exactly)

 

 その通り。その通りだとも。

 そのために彼女は作られた。だから彼女は滅ぼさなければならない。

 そのために本来の機能が蘇生する。感情が停止する。

 少女の身体が揺らめいた。刹那、三体の魔物へ肉薄していた。

 少女が駆動する。

 死神の鎌(グリム・リーパー)が廻る。

 本来の速度を超えて、技量を超えて、魔物達を蹂躙する。圧倒的速度と魔力の前に、灼熱による溶解など意味をなさない。

 

Gray(暗くて)……Rave(浮かれて)……Crave(望んで)……Deprave(堕落させて)……」

 

 その言葉が唇から漏れ出る。

 途端、大気の大源(マナ)が消し飛んだ。

 否、死神の鎌(グリム・リーパー)が周囲の魔力を喰らったのだ。

 

『■■■■■■!!!!』

 

 それは雄叫びか、それとも悲鳴か。三体の魔物が叫びが乾いた大気を震わせる。

 

Grave(刻んで)……me(私に)……」

 

 紡がれる言葉がさらに少女の感情を殺していく。

 

Grave(墓を掘ろう)……for you(あなたに)……」

 

 完全に心を殺した少女に再度、悪霊達が牙を向く。しかし、

 

———この魂に憐れみを(キリエ・エレイソン)”」

 

 神父の言葉が悪霊達を霧散させる。

 視界が晴れる。

 邪魔者は消えた。

 目の前の魔物達ですら、少女に恐怖し動けない。

 

「疑似人格停止。魔力の収集率、規定値を突破。第二段階限定解除を開始」

 

 死神の鎌(グリム・リーパー)からアッドとは思えない無機質な声がした。刹那、大きな鎌が『槍』へと姿を変えた。

 

「聖槍、抜錨———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聖槍、抜錨———

 

 眼下で闘うグレイが唱えた。

 

「アレが彼女の持つ『宝具』。アッドという魔術礼装の疑似人格はその神秘を保持するための装置なんだ」

 

 元ロード・エルメロイII世が語る。だが、それ以上は無粋だとばかりに口を噤んだ。彼はこう言いたいのだ。『見ればわかる』と。

 魔力を喰らい、悪霊を喰らい、本来只人が発せる魔力量を超えているグレイが聖槍の真名を解き放つ。

 

 

最果てに(ロンゴ)———

 

 

 槍が蠕動する。

 それに岩山が震撼する。

 未だに大源(マナ)を喰い尽くさんと吸収を続けるそれは、神霊級の魔術行使。

 膨大な魔力の塊と見紛う輝ける槍。それが振るわれる。

 

 

———輝ける槍(ミニアド)————!」

 

 

 

 

 それは叛逆の騎士モードレッドを討ち果たした聖なる槍。

 アーサー王が握った最後の武器。

 顕現した捻れる光が全てを覆う。

 紅蓮の光は魔物を超える灼熱を帯び、魔物を蒸発させた。

 まさしく災害。まさしく裁き。まさしく暴威。

 目の前に立つものに等しく消滅の二文字を与える絶対の一突き。

 

 光が途絶えた。

 

 魔物とともに工房の結界を蒸発させたグレイは、何事もなかったかのように佇んでいた。その顔はやはり、土蔵で出会った()()に似ている。

 

(ああ、やっぱり君は……)

 

「彼女こそ、私が参加した第四次聖杯戦争、その時に召喚されたセイバー・()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 




書いてて少し洗礼詠唱の使い方が間違ってないか不安になりました。


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消失と召喚

クリスマスイベントを機にアガルタ以降ストーリーを進めることをせずにログボだけを貰うクソプレーをしていた私が復帰。この頑張りの全ては溜まりに溜まったログボ石でセイレムガチャのロリっ子アビゲイルを引くために他ならない。見事12/20前にセイレムクリア。
その勢いで英霊剣豪も消化してフィニッシュ。ボス戦で武蔵縛りはやめて欲しい。せめて概念礼装つけさせて!
そんなこんなで執筆を再開。何遍か書き直しを重ねて気がついた。


戦闘描写のないストーリーを私が無理に盛り上げようとしても無駄。


というわけで大人しめな展開です。


 感情が死に絶えた。

 紡がれる言葉は自分のものではなく、この体を操るもう一人の自分のもの。それは故郷がつくりあげた怪物。自分の中に潜む者。

 魔物を殺した後、最果てに輝ける槍(ロンゴミニアド)の光の余韻の中で自分の体は空を仰いだ。具体的に言えば上で自分とアレクセイの闘いを観ていた師匠達の方を見たのだ。

 何故だろう?その視線は、赤銅色の彼に向けられているように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 斜面から滑り降りてきた師匠達と合流し、魔術工房の扉へ向かう。周囲の円柱の中身をくりぬいたようなおかしな地形といい、このドーム状の岩山で作られた魔術工房といい、こんなことができるのが聖杯なのかと思うとぞっとする話である。

 

(ただこれで……)

 

 師匠とライネスの目的、源流刻印の修復も件の少女を救い出せば可能な気がした。…もしもこれが全てその少女の力によるモノだったらという前提は付き纏うけど。

 最果てに輝ける槍(ロンゴミニアド)に抉られた地面を歩き、扉に到達する。

 

「では、開けましょう」

 

 ハサンがそう言うと、サームとともに大きな扉をゆっくりと開き始めた。

 途端、開かれた扉の隙間から銃口が二つその頭を覗かせ、ハサンとサームに向けられていた。

 

「っ!」

 

 死神の鎌(グリム・リーパー)を出そうと自分が反応する。水銀メイドのトリムマウは自動的に腕の形を変形させて水銀の壁を作ろうとした。

 しかし、次の瞬間に響くはずだった発砲音は鳴らなかった。

 銃口を向けられたハサンとサームが腿の辺りに忍ばせていた黒塗りの短刀を振るったのだ。その黒い二つの筋が赤い軌道を描くときには銃を握った二本の腕が地面に落ちていた。

 二人の男の悲鳴が聞こえるより先に、ハサンとサームが敵の頸部に斬り込みを入れる。この間およそ二秒といったところか。かなりの早業殺人だ。

 これがかつて猛威を振るい、流れる時代の中でひっそりと続いてきた暗殺教団。もしも敵に回ったらと思うと恐ろしくなる。

 

「彼の異形には敵いませぬが、人間相手ならばお任せを」

 

 白い髑髏の面、その奥の顔はきっと無表情なのだとわかるほど冷淡な声が鼓膜を震わせる。

 今度こそ開かれた扉の奥へと進む。そこは外から見た通りのドーム状。柱はなく、壁には色があれば美しいであろう幾何学模様が彫られている。飾り気はないが、建物そのものが美しい。地形こそ不自然であるが、集落と同じでこの建物はとても自然なカタチをしている気がした。

 

「ここは……」

 

 ハサンが呟く。まるで見覚えがあるかのように。

 

「心当たりがおありですか?」

 

「…いいえ、見間違いでしょう」

 

 アレクセイの質問にハサンが返すとその会話はそれっきりだ。

 しばらくの間、美しいドームの中を歩く。少し歩いてすぐに自分は違和感を感じ始めた。それは魔術に精通する者なるば感じざるを得ないモノだと思う。

 

「…あの、師匠。ここって」

 

「あぁ、やっぱり君もそう思うか」

 

 やはり師匠も、そして恐らくライネス、凛、士郎やフリューガー、もしかしたら暗殺教団の三人も感じているかもしれない。

 ここには魔具が一つもないし、この規模でありながら魔力の経路も張り巡らされてなどいない。外部に魔力を漏らさぬ構造はほぼ完璧でありながら大気の魔力は外とほぼ変わらない。

 

「魔物と悪霊を除けば警備が二人…もしや敵からしてみればここは重要なところではないと言うことか?」

 

 天井や壁の揺らぎ続ける蝋燭の火を見ながら、ハサンが言った。自分も彼と同じ意見だ。

 

「その可能性は高いわね。もしかして嘘の情報をつかまされたんじゃない?」

 

「そんな訳がない!ここは彼らにとって最も重要な場所だ!」

 

 凛の発言の後にサームの声が響く。敵の工房の中かもしれない場所だと言うのに……。

 

「そうでなくては……そうでなくては困るのだ!」

 

 鈍くて短い音が鳴る。サームが岩からなる壁を殴ったのだ。

 

「落ち着けって。そうなんでもかっかしていちゃ何も解決しないぞ?」

 

「そうだサーム。冷静で賢明なことがお前の取り柄だろう。御客人の前で無様な姿を晒すな」

 

 そんな彼を士郎とオルハンの両名が宥める。この二人はサーム相手にも意見できて頼もしい。

 

「……すまない。わかっているつもりだ。最近は冷静を保てていない。私はここに来るべきじゃなかったのかもな」

 

「気にしなくてもいいさ。誰かを守りたいって気持ちはよくわかる。大切な人なら尚更だろう。それに今は警備が甘いみたいだしな。……少し時間をくれ」

 

 周囲の気配に敏感なのだろうか?このドームの中に敵が潜んでいないことを士郎は確信しているようだった。そして士郎は近くの壁に触れ、目を瞑る。

 

同調(トレース)開始(オン)

 

 詠唱。士郎は建物の表面を魔力でなぞっているようだった。たっぷり三十秒程度。少し長い沈黙の後に目を開き、建物の端の床を指差す。

 

「…遠坂、あそこら辺の床にガンドを撃ってくれ。分厚い壁を破壊できるくらいのを頼む」

 

「?まぁ、いいけど」

 

 士郎が指で指し示した辺りの床を、今度は凛が指差した。

 その指の先に魔力が凝縮していく。呪文もなしに放たれるそれは魔術刻印に刻まれた魔術の一つなのだろう。

 ガンド。指差した者を病に陥れる軽微な呪い。しかし、その秘奥〈フィンの一撃〉に達した場合は指差した者の心臓を止めて即死させると言われている。凛の放つガンドもそれに達していた。

 黒と赤が混在する魔弾が着弾すると床がたやすく砕かれる。すると空気に流れが生じた。

 

「なるほど。建物に魔力を伝せて、設計を把握したのか」

 

 砕かれた床の下には地下につながるであろう穴があった。流れる空気の行き先はそこの穴の下のようだ。

 

「あぁ、非効率だけどな」

 

「あぁ、確かに非効率だ。この規模の建物を相手にすれば魔力消費が嵩むだろう」

 

 師匠の率直な言葉に士郎は苦笑した。

 師匠と士郎は親しくはないが、なんというかどうにも師匠が彼の何かを評価して特別視しているように思えた。

 

「地下の構造は読み取れたか?」

 

「結構深い場所にこのドームほどじゃないけど少し大きめで、壁が一つもない空間があるのか、それとも異界化させて外部からの干渉を拒んでいるのかのどちらかだ」

 

「いいだろう。行けばわかる」

 

 穴に掛けられた梯子を使い自分を含めた女性陣が男性陣よりも先に降りた。底が見えるまで数分ほどかかるくらいに深く、下に行くほど肌寒さを感じる。

 刹那、自分の体を魔力が掠めた。そこから下に行くにつれてより強い魔力の気配を感じ始める。士郎の言う通り、上のドームと地下では異界化によって隔てられているようだ。その異界を構成する魔力は常に肌を刺すような冷たさを思わせ、それが緊張や焦燥に近い感情が湧き出させる。

 しかし侵入時には拍子抜けするほど何事もなく、地下に足をつけると魔力によって淡い光を放つ石が壁に埋め込まれた回廊が姿を現した。

 

「予想よりも少し魔力が濃いな…いや、あんなバケモノを用意できる敵の工房ならば当たり前か」

 

 異界化の魔力を感じながら、ライネスの焔色の瞳が回廊の奥を見据えている。左右と前方の三叉路になっていて、どの道をまっすぐ行っても壁に突き当たるようだ。

 

「ライネスさん…」

 

「いや、気にすることはない。この程度ならば許容範囲さ。ところで悪霊やその類の者はこの工房にどれほどいそうだ?」

 

「いるにはいるでしょうけど、問題視するほどの数ではないかと」

 

「うんうん。なら安心だ。正直、君が彼らに怯える様はマジ過ぎて愉悦を感じられないからね」

 

「…ありがとうございます?」

 

 …これは心配してくれていると言うことでいいのだろうか?表現が微妙すぎてよくわからず疑問形になってしまった。

 自分とライネスが話しているうちに全員が降り終える。ここからが本番だろう。

 

「トリムと私が先頭を行こう。正面からの銃弾ならば水銀の壁でなんとかなるだろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Lead me(導きたまえ)!」

 

 回廊の十字路。詠唱を響かせたフリューガーが黄道十二宮の記号が刻まれたナイフの一本を空中に放り投げた。

 彼の指が虚空に魔法陣を描くと、壁にある石の淡い光で煌めく刃が宙を舞いながら自然の法則を無視した動きをし始める。…今度は右か。

 

「はっ、敵の魔術師はド素人なのか?結界の一つも張りゃしねぇなんてよ」

 

 ナイフが指し示す方角は聖杯の少女いる座標。決して人の顔を見て女難の相を言い当てるインチキ占いがフリューガーの専門ではないのだ。

 時に飛んでくる弾丸をトリムマウの防御と凛のガンドの繰り返しで圧倒し、時にアレクセイが黒鍵を投擲して悪霊を殺し、時に接近されようものならハサンら三人の暗殺技術で返り討ちで難なく歩を進めている。

 そんな自分たちは、曲がり角につく度にフリューガーの占いにより目的地の方向を確認している。これでナイフが地上を指し示そうものならば損をしたことになるが、今のところそのような事態になっていない。

 

「逆に不気味ですね。順調すぎる」

 

「お堅いこと言ってんじゃねぇよ。これだから神父って人種はよぉ!」

 

「いやはや申し訳ない」

 

 方角を調べ終え、また歩き始める。先頭はライネスとトリムマウ、そしてフリューガーの三人。次いでオルハンとサーム、ハサンとアレクセイ、凛と士郎、自分と師匠という風に並んで歩いている。

 

「趣味の悪い工房よね。壁に練り込まれた呪いが漏れ出て空気が淀んでいるわ」

 

 凛の指先が壁に触れる。その細くて白いしなやかな指に壁から黒い何かが流れ込む。凛が魔力をもって押し返すと呪いは彼女の魔力に圧殺された。

 

「魔力を扱える者が触れる程度なら問題はないでしょうけど、傷口から侵入されると蓄積して体内の魔力を喰べられ増大するでしょうね」

 

「ふむ、我々を負傷させる算段があるということですね。罠でもあるのでしょうか?流石に警備がザルすぎる」

 

 オルハンの一人合点。言っていることは確かだ。

 

「そこの占い師が間違えなければ罠にかかるようなことはないんじゃない?」

 

「おいおい今更疑われちゃ悲しくなるぜ?やっと仕事らしい仕事ができたってのに」

 

「冗談よ。占いに限って言えば知り合いの中であなたほどの人は見たことないもの。あの成金女が雇っただけはあるわ」

 

 最後の一文に殺気が込められていたのは気のせいだろう。……たぶん。

 

「この回廊、少し広過ぎでは?衛宮殿の話では上のドームほどの大きさではないということでしたが、あちらよりも横幅がある気がするのだが」

 

「仰る通りでしょう、ミスタ・ハサン。この異界は内側の空間を引き延ばす仕組みにしてあるようだ」

 

「魔術師が工房の規模を拡大する利点はありますかな、ウェイバー殿?」

 

「そうだな。使う魔術によって様々ですが、今回は予想がつきやすい」

 

「と、言いますと?」

 

「牢屋ですよ」

 

 ぴたりと一同の動きが止まり、視線が師匠に集中した。それが予想外だったのか、師匠は半歩ほど後退った。

 

「な、何を驚くことがある?人攫いが頻発しているのだろう?召喚術や人工生命の創造において贄は珍しい話ではない」

 

「じゃあ何だ?あんたはあの魔物たちの基や代価は人間だって言いたいのか?」

 

「一つの可能性を提示しただけだろう。ミスタ・衛宮、君とて時計塔にいたことがあるのだ。いかに君が魔術師向きではないとは言え、大成を為す魔術師の過半は成果のために倫理を売り渡すことくらいは承知のはずだ。もっとも、好ましいやり方でないのは同意だが」

 

「師匠、捕まっている人がいるなら見て回ったほうが……」

 

「グレイ殿、今はアラー救出を優先なされた方がよろしいかと」

 

 意外にもオルハンが口を挟んで来る。

 

「アラーを使い、彼らを贄に魔物を量産しているならば敵からあの子をいち早く取り戻した方が捕虜の身の安全を確保できるでしょう。まさか無闇に虐殺するような真似はしないでしょうし」

 

「それは、確かにそうですね」

 

 オルハンの言葉を皮切りにまた歩き出した。するとすぐに角に差し当たる。段々警備が薄くなっている気がするが、もしかするともうすでに敵は逃げ出したのだろうか?

 フリューガーの占いを、と思ったのだが今回の角は一方向のみだ。そのまま迷わず曲がると先頭にいた三人の足が止まった。三人の先には通路でなくて部屋があるようだ。

 

「何かあったのか?」

 

 士郎の質問。直後に漂う匂いが嫌なことを連想させた。自分以外の人も同じようで、空気に緊張が走った。

 

(鉄の…匂い)

 

 つまりは血。

 再び先頭の三人が歩き始め、その部屋の全容が明らかになる。まだ乾ききっていない部分と、乾いて黒くなった部分が入り混じる多量の血痕が残されて、部屋の中央には炎、そして炎を中心とする魔法陣。

 

「まともな研究をしていたとは思い難い光景ね」

 

 凛が侮蔑交じりに言った。

 

「ここの調査は、後で…いいだろう。…それよりもこの奥、何かあるぞ」

 

「おっと大丈夫かよ、嬢ちゃん?」

 

 ライネスが立ち眩む。倒れそうになったところをフリューガーに支えてもらい事なきを得た。彼女の言う通り、大きな魔力が壁を突き抜けて魔力の濃度を濃くしているようだ。

 

「ありがとう。問題ないさ、ちょっとした体質的なものだからね」

 

 フリューガーの腕から離れ、気丈に振る舞うが顔に熱を帯び始めたのか、ライネスの顔が赤い。言葉に反してあまりいい兆候ではなさそうだ。

 この奥————部屋の奥にまた通路がある。自分たちは儀式陣を一旦素通りしてその先に進む。そして、また一方向へ曲がる角がある。

 そこを曲がると、ライネスの言う通り、通路の奥に何かがあった。しかしそれは魔物や魔術師、魔具でも何でもない。黒い髪と赤い瞳、褐色の肌が特徴的な小さな女の子だった。壁際に四肢を鎖で繋がれ、両腕には包帯が巻かれている。

 

「アラー!」

 

 声をあげたのはサームだ。震えた声でとても嬉しそうに長い通路を走り、少女に近づいていく。

 

「…おじ、さん?」

 

 サームは少女の下までたどり着くと我が子のように彼女を抱きしめた。少女もまた鎖が手首につけられた細腕でサームを抱き返す。

 

「よかった…本当に良かった。怖いことをされなかったか?」

 

「い、いっぱいのひとに……いろんな呼ばれ方されて怖かった」

 

 如何な異能を持ち合わせていようと中身はまだ少女なのだろう。嗚咽交じりで滴る涙や鼻水をサームの服で拭っている。

 

「そうか…」

 

「あと…注射。包帯ぐるぐるするくらいに血をたくさんぬかれた」

 

「そうか……早く集落に帰らないとな」

 

「うん…」

 

 サームたちは本当に嬉しそうで、こちらも魔物や悪霊を相手取ってここまで来られたことが少し嬉しくなる。しばらく二人を眺めていると少女の肩に手を当てたまま、泣き顔のサームが振り向く。

 

「兄者!オルハン!この子の拘束を解こう!」

 

 呼ばれた二人も駆け寄って行く。

 

 —————その時だった。

 

 がしゃりと鎖が地面に落ちる音。そして、少女の肩に当てられていたサームの腕がだらりと下がった。否、サームが両手を当てていた少女が光の粒子となって消えたのだ!

 

『っ!』

 

 全員が驚愕する。

 

「幻術?いや……転移魔術か!」

 

 師匠が言う。直後に空間が揺れ始めた。

 少女のいた場所の少し前の通路がひび割れ、少女に駆け寄った三人に天井から瓦礫と粉塵が降ってくる。

 

「トリム!三人を守れ!」

 

 自分達より少し前にいるライネスの指示によりトリムマウは大きな水銀の雫と化し、地面を這うように走り出した。こうなってしまった以上、トリムマウは命令を遂行するまで元に戻ることはない。

 月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)。師匠の先代のロード・エルメロイが使っていた攻防一体の魔術礼装。水銀メイドの基となっているモノはそれなのだ。

 だが、通路の崩壊は三人の頭上だけでなく、こちらまで及び始める。ライネスとフリューガーがいるところも、自分、師匠、アレクセイ、凛と士郎がいる場所までもだ。

 そして途端、空間に生じた違和感が自分の思考を巡らせた。

 

(…異界化の魔力がなくなっている?)

 

 それに気がつくと今起きている現象に合点がいった。

 師匠曰く空間を引き延ばすものらしい。ならば異界化が解けた場合、内側はどうなるのか?簡単だ。その大きさのまま現世に現れ、元々あった地下の空間の中に割り込むか、外部から異界化されていた範囲に圧縮されるかのどちらかだ。

 

 そしてそのどちらであろうとも、結果的に内在していた工房は崩落する。

 

 崩落の原因は十中八九それに違いない。

 自分の視界の端で、月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)はハサンらを守るように包み込んだ。

 

「グレイ!」

 

 揺れ、砕けていく工房の中で師匠が自分を庇うように覆い被さる。違う。立場が逆だ。師匠を守るために自分がいるはずなのに…。

 

 

—————I am the bone of my sword(体は剣で出来ている).」

 

 

 降り注ぐ粉塵と瓦礫で視界が覆われようとしていた時、それは聴こえてきた。

 

 自分たちの目の前で赤銅色の彼が左手で右腕を握り、その右腕を天に掲げていた。

 

 

 

 

「“熾天覆う七つの円環”(ロー・アイアス)————!」

 

 

 

 

 目を瞑る直前に、赤くて大きな七枚の花弁が咲くのが見えた気がした。

 しかし同時に目に映ったのは、瓦礫に飲まれていくライネスとフリューガーの姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜になって集落に戻ることができた。穴蔵にある部屋の一つ。そこに横たわるライネスの白い肌にはいくつもの黒い線が生き物のように這ってうねっている。黒い線がない部分には無機質な赤いラインが通っていて、まるでライネスの体の上で領土争いでもしているかのようだ。

 

「私がこの子を呪うことで呪い同士を拮抗させているけれど、術式の解析までは現状維持が手一杯ね。これ以上私が魔力を込めたらぶつかり合ってこの子を殺しかねないもの」

 

 日本語では(のろ)いと書いて(まじな)いと読むことがあるらしい。今回、凛がライネスに行使したのはその類のモノだ。体を侵す(のろ)いと対になる体を癒す(まじな)いらしい。

 

「…いや、本来ならば致命傷を負っていたのだ。贅沢は言えない」

 

「先に言っておくけど今回消費した宝石の額の倍はエルメロイに請求するから覚悟なさい」

 

「君が義妹(いもうと)を助けてくれたならば幾らでも払おう」

 

 あの後、自分が目を開いたのは崩落の数秒後だった。

 師匠、自分、凛、アレクセイ、そして自分たちの前に立っている士郎も無事だった。彼が何をしたのかは不明だが、きっとそのおかげで助かったのだろう。水銀の球体も健在でその中から出てきたハサンたちも無傷だった。

 だがライネスとフリューガーがいない。焦燥が募る。自分に覆いかぶさっている師匠を跳ね除けて探しに行こうとすると突如として瓦礫が動き出し、ほぼ無傷のフリューガーが出てきた。…しかし、彼の腕の中にいたライネスは血まみれだった。

 しかも工房の壁に練り込まれていた呪いをもろに浴び、崩落による傷から浸透されていたのだ。

 

「言質は取ったわよ?」

 

「約束しよう。…何か手伝えることはあるか?」

 

「何もないわ。部屋に帰って休んでもらって結構よ。というか邪魔」

 

 辛辣な言葉を吐く凛に促され部屋を出た。今日一番魔術を行使したフリューガーが半ば気絶するように寝込んでいる自分たちの部屋へと歩き始める。

 

「なぜ、ライネスさんだけがあんな風になったのでしょうか?」

 

「契約を結ぶ時にフリューから彼の魔術について少しは教えてもらっている。恐らく彼は崩落を察知するとすぐに因果律への超短期的な干渉を図ったのだろう。そして『自分の安全な場所』を創り出し、ライネスもそのスペースに引き込んだ」

 

「なら助かるはずじゃないですか?」

 

「逆だよレディ。だからこそライネスは助からなかったんだ。誰の『自分』にも他人が含まれるはずがないだろう?いかに愛し合う肉親であろうとその事実は変わらない」

 

 …確かにそうだ。

 

「だが即死を免れたのは奇跡だ。その奇跡を起こしてくれた彼には感謝しても仕切れない。本当に雇って正解だったよ」

 

「ライネスさんは……助かりますよね?」

 

「遠坂凛ならばたぶんなんとかしてくれるだろう」

 

 そこから無言が続き、師匠が煙草とギロチン式のシガーカッターを取り出し、葉巻の端っこを切り落とす。マッチを擦って火を付けると煙草から煙が浮かび上がる。

 

(この香りでいつもは落ち着くはずなのに…)

 

 まるで煙が空に向かうことも、大気に拡散することもなく底に溜まっていくような息苦しさを覚える。

 遠坂凛は天才だ。五大元素使い(アベレージ・ワン)で、魔術への理解も深くて、技能は大人の魔術師顔負けで、その名に違わずいつも凛としていて優雅な麗人だ。

 彼女にかかればライネスにかけられた呪いも数日のうちには解ける見込みは十二分にあるというのに、それなのに自分の頭の中では嫌な想像しかできていない。何より友達の危機に居合わせて何も出来ずにいた自分が腹立たしい。

 

「…あまり思い詰めるのは良くないことだ。部屋に戻ったらすぐに寝るといい。君も疲れただろう」

 

 煙を吐いた師匠が言う。

 

「師匠は悔しくないんですか?」

 

「私は……そうだな、聖杯を求めると決めた時点で犠牲が出ることくらいは覚悟していた。今回のことは運が良かったと言えるだろう」

 

「じゃあ、師匠は…師匠は………」

 

(ライネスさんを傷つけられたことをなんとも思ってないんですか?)

 

 喉あたりにせり上がっていた言葉を飲み込んだ。

 

「…なんでもないです」

 

 また無言。穴蔵の道を長く感じる。すると、前方から複数の足音が聞こえてきた。前を見ると人影が三つ。闇に髑髏の面を浮かばせるハサンと集落の若い男女の二人組だ。どうにも男女の表情が暗く見える。

 

「ウェイバー殿、グレイ殿…」

 

 ハサンに呼びかけられ、師匠は慌てて煙草の火を携帯式の灰皿で潰した。

 

「お前たちはもう戻りなさい」

 

 ハサンは後ろの二人にそう言って、二人は黒い瞳をこちらに向け、会釈をして去っていく。

 

「アラーの両親です。明日は金曜日だと言うのにこの時間まで我々の…いえ、あの子の帰りを待っていたようです。その親心が我が弟の傷心を抉ってしまいましてね」

 

「ミスタ・サームは?」

 

「衛宮殿とオルハンに連れられ部屋に篭ってしまいました。新たな情報が入らない限りはこちらも動きようがない。あの子を救い出せなかった今、考える時間ができただけでも彼奴にとっては僥倖でしょう」

 

 ハサンは歩く方向を変え、「お送りいたします」と言い付いてくる。

 

義妹(いもうと)君の件は申し訳ございませんでした。我々の力不足故に…」

 

「アレの行いに感謝するのは勝手だが、謝罪はやめて欲しい。……それに言葉をかける相手が違う」

 

「………」

 

「私は先に戻る。グレイ、君も早く戻ってきなさい」

 

 師匠は歩速を上げて部屋に戻っていく。残された自分はハサンと隣り合う。

 

「…怒らせてしまいましたか」

 

「あまり気にしないでください。師匠は時折子供っぽくなるので」

 

 完全に八つ当たり。擁護をしようにも怒る相手が違うのでどうにもできない。

 

「見送りは止めておきましょう。部屋に戻って顔を合わせるのも失礼でしょうし」

 

「…そうですか」

 

 どうにもハサンがかわいそうだが、確かに気まずいだろう。

 

「では、おやすみなさい」

 

「はい、おやすみなさい」

 

 それだけ言い交わし、自分とハサンは別れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とある魔術工房にて、1人の魔術師に()()は呼び出された。

 掴むことが出来ず、見ることも難しく特定の姿を待たない邪悪な()()は収束し、輪郭を帯び始める。

 

「泥人形の末裔よ、貴様が我の召喚者か?」

 

 幾重にも重なり揺れるような声に魔術師は頷く。

 

「くっ、フハハハハ!我らを遠ざけようとする人間は見飽きたが、よもや現世(うつしよ)にて我を呼び寄せた泥人形が二人も湧いて出るとは驚きだ」

 

 カタチが定まるに連れて、()()の声は安定していく。

 

「で?何故(なにゆえ)我を呼び寄せた?つまらぬ理由ならば陵辱の果てに喰い散らかすが?」

 

 魔術師は語る。その口調は淡々と、朗々と、揚々と、感情のままに変化し自身の目的を言葉をもって紡いでゆく。

 召喚された()()の姿が定まった。全身を覆う黒い布に、ヒトの成人男性の平均程度の背丈。しかしその布から漏れ出る悪意は本物だ。それだけが既に呪いであり、言葉に乗せてヒトに聞かせれば心の毒となるだろう。

 ()()は魔術師の目的を聞き終える。そして一旦の間を置き、

 

 

「ふ、ふふふふ、フハハハハひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!!」

 

 

 身体を盛大に仰け反り、邪悪に笑い始めた。

 

「これは面白い!なんたる冒涜!なんたる背徳!なんたる信仰!なんたる狂信であろうか!?よかろうよかろう。仕えはせぬが助力しよう!虐殺しよう!誘惑しよう!この現世(うつしよ)に混沌を(もたら)そう!」

 

 そして()()は魔術師に問うた。

 

「して、魔術の徒にして信仰を開闢せんとする愚か者よ、貴様の名はなんと申す?」

 

 魔術師は答える。()()は黒い布の奥で口を歪める。

 

「よろしい。契約は成された。我の呼び名はそうだな……ふむ、やはりこれがよかろう」

 

 この世ならざる悪の具現はこう続ける。

 

 

「“復讐者(アヴェンジャー)”。そう呼ぶが良い」

 

 

 魔術工房に、禍々しい声が木霊した。

 

 

 




年明けの前後に次話更新を予定しております。
復讐者は便宜上の呼び名でありクラス名ではありません。


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暗転

明けましておめでとう御座います。そして今年もよろしくお願いします。

正月は実家に帰るなり従姉妹の双子の片割れのJKに宿題を手伝わされてました。
なんでも複数人の男と取っ替え引っ替えでデートしていたとかで宿題はノータッチ。いつ後ろから刺されてもおかしくなさそうな冬休みを過ごしていたそうです。東京で家庭教師のバイトをしているとみんな信じられないほどやる気に溢れていたので、やる気のない従姉妹を見た瞬間に「田舎なんてこんなもんか」と思いました。
…今年から受験生のくせに大丈夫かしら?


今回は書きたいところまで書くと文字数がやばくなりそうだったので途中で切り上げました。ちょっと中途半端に思う方もいるかもしれません。文字数管理って大変ですね。

*私の持っていた知識の中に勘違いというか間違えが見つかったため、そこの文章だけ修正いたしました。もう少し深く調べてからいつか後書きか前書きでそれついて書こうかと思います。


 早朝に目を覚ました。

 半球状の岩の部屋を見渡すと、意外にも静かな寝息を立てるフリューガーと珍しく自分よりも早起きした師匠がいる。

 師匠は髪が乱れたままメモ帳になにかを書いているようだった。

 

「おはようございます、師匠。今日は早いですね」

 

「あぁ、おはよう」

 

「なにを書いてるんですか?」

 

 バッグから櫛を取り出し、師匠の背後に行き彼の寝癖を直し始める。ついでに後ろからメモ帳を覗き込んだ。

 

「昨日起こったことの整理と地下で見た魔法陣さ。君はアレをどう見た?」

 

「アレ…ですか」

 

 師匠のメモ帳には大きな円に五芒星が内接し、接点を中心に小さな円が描かれている。大きな円には小さな文字が縁取るように描かれていて、自分には普通の魔法陣に見える。

 

「拙は中心の炎と一面の血に目を取られていたので…」

 

 そもそも大部分が血に染められて見えなくなっていたはずだ。恐らくこれは師匠が記憶を掘り起こし、復元と予測によって描かれたものなのだろう。

 

「小さな円の中で見えたのはこの二つだけ。あと一つは半分以上が血によって見えなかった。残りの二つは全くだ」

 

 手に持った万年筆で示された小さな円の中には黒い円が描かれている。半分以上見えなかったというものは端っこの部分に幾本かの波線……でいいのだろうか?他の三つは空白のままだ。

 

「あの、師匠、もう一つの見えた円は?」

 

「見ての通りの空白だよ。この中には恐らく何かの象徴(シンボル)が描かれていたのだろう、と思ったのだが…」

 

「空白がその仮説を否定している?」

 

 自分の言葉に師匠は頷き、こう続けた。

 

「…質問を変えよう。あの魔物たちと戦った時に感じたことはなかったか?」

 

「感じたこと……」

 

 一旦櫛を動かす手を止めて、彼らとの殺し合いを反芻する。

 

 肌を焼くような灼熱を。

 目を潰すような煌めきを。

 大気を震わせる咆哮を。

 人ならざる圧力を。

 他を蹂躙する剛力を────

 

「あ……」

 

「何か思い出したか?」

 

「はい。拙は初めて魔物を見たとき、アレは霊の類だと思いました。でも実際は肉体を持っていて……」

 

「限りなく霊に近い生命…アレの体はエーテルではないのだろう?」

 

 自分は頷く。聖杯戦争に呼び出されたサーヴァントなどがエーテルによる体を持つらしいが、あの魔物は確かに一つの生命だった。

 

「あの、他の疑問な点は一体何なんですか?」

 

「そうだな、まずはなぜ聖杯の少女は逃げ出さないのか」

 

「拘束されているからじゃ…」

 

「違う。()()()()()()()使()()()()()()()()()()と言いたいんだ。我々はもっと根本に立ち返るべきなのかもしれない。

 例えばミスタ・ハサンは彼女の力を使わないように集落で決めたと言っていたが、そもそも無差別的に人々の願いを叶える能力ならばそれ相応の措置は必要だ」

 

「措置、ですか?」

 

「彼女が人々の願う心を受信することができるなら、周囲が他へ発信する想念全てを遮断しなくてはならない。そのための結界の中であの少女をいつまでも閉じ込めておくほど彼らは非人道的だと思うか?その力が一生のモノかもしれないのに」

 

 非人道的…だが彼らは昨日、躊躇もなくヒトの喉を引き裂き、心臓を穿ち、その命を確かに奪っていった。

 

「拙には測りかねます」

 

「そうか?私には彼らがそこまで非道に見えないが」

 

「師匠がそう思うなら、そうなのかもしれません。あの、他には?」

 

 頭の良くない自分が考えても仕方のないことだったので話題を変えた。これ以上考えすぎて彼らとまともに話せなくなるのも避けたい。

 

「なぜ少女が忽然と姿を消したのか。それも転移などという魔法に近いモノを使ってだ。敵魔術師が彼女と一緒に逃げればいい話だ。姿をくらませていたということは我々の侵入も予想していた事態だったはずなのに」

 

「わざわざ自分たちに彼女を見せびらかす理由でも?」

 

「馬鹿馬鹿しい。単なる嫌がらせじゃないか」

 

 止まっていた手を動かし、師匠の髪をとき始める。今日の寝癖はしつこくないようで、やはり寝床があるのはいいことだと実感する。

 

「あの工房の警備をわざと緩くして我々が逃げられないほど奥に進んだところで崩落させる。ただ殺すと言う観点から見れば成功率は高い手段ではあるが、代償が大き過ぎる。そしてやはり彼女と我々を会合させる意味がないし、なにより魔術師としての在り方に疑問を呈さざるを得ん」

 

 魔術工房。魔術師の陣地であり研究所みたいなものだ。当然そこには代々の研究成果や資料が多く貯蔵されていて、家柄を尊重し、継続を考えるならば命よりも大切なもので、幾重にも罠を仕掛けるのが普通なのだ。そんな場所を敵もろとも捨て身を考えない限りはあんな真似はしないだろう。

「しかも私たちがライネスを運び、地上に上がって撤退する時に見たドームは無傷だった。彼らにとって下の工房よりもなんら魔術的措置が施されていないあの空間が貴重だということを意味しているかもしれないことにもなる」

 

「あの、変な言い方になるかもしれませんが…あそこの工房は仮置きだった、とかは?」

 

「根拠は?」

 

 半分だけ後ろを見た師匠が言ってくる。突き刺すような視線が痛い。

 

「あの岩山の地形があまりに不自然だったので、聖杯の力を使って新たに建てられた工房なのかなって……。だから、魔術師の本当の工房は別の場所にあって、あそこはただあったら便利な拠点でしかなかったのかな、と」

 

 寝癖が直った。幾らか絡まった髪を櫛から取って櫛をバッグにしまう。

 

「あったら便利、その程度であの規模のモノを造り出した…」

 

「すみません。忘れてください」

 

 随分的外れなことを言ってしまったらしい。師匠の眉間にシワが刻まれているであろうことが容易に想像できる。

 

「いや、候補の一つに入れておこう」

 

「はい?」

 

「何かおかしなことでも?」

 

「いえ…なんでも」

 

 振り向いた顔は小難しそうであるが、苛立ちはなさそうだ。

 

「あ、あの、拙はライネスさんの様子を見てこようかと思っているんですが…」

 

 「師匠も一緒にどうですか?」そう言おうと思ったのだが、

 

「そうか。私はここでもう少し考えている」

 

 そう即答されてしまった。

 

「…じゃあ、一人で行ってきます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ライネスの見舞いのために廊下に出た。ガラスのない窓の外は空が白み始めている。

 

「イッヒヒヒヒヒ!さりげなく誘ったデートを振られちまったな愚図グレイ!」

 

「デート…」

 

「ああいうお堅い殿方にはよぉ、もっとこうグイッと強引にだなぁ…」

 

 べらべらとアッドが喋るのを聞き流していると人の声が複数聞こえて来た。どこの部屋もドアがないので声が漏れているのだ。こんな早朝から何をしているのだろう?

 少し気になるが、あまりじろじろと見ていいものでもない気がしたのでライネスや凛のいる部屋へ早足で向かう。

 アサシンたちが住む上の層ではなく、自分たちは下の層に部屋を借りており、凛たちの部屋も同じく下である。

 部屋に着くと夜通しライネスを診てくれていたのか凛の目の下にはクマがあった。相部屋なのか士郎もいる。

 

「おはようございます」

 

 顔を覗かせて挨拶する。

 

「おはよう、グレイ。よく眠れたか?」

 

「はい。砂漠や車の荷台なんかよりはずっと」

 

「ははっ、確かにそうだな」

 

 凛は眠いのか、こちらに目をくれず、といった感じだ。

 

(あれ?そういえば…)

 

「あの、トリムマウは…?」

 

 ここに残ったはずのライネスに付き添う水銀メイド兼護衛の姿がない。

 

「あの水銀ゴーレムならそこにいるわよ」

 

 不機嫌そうな凛が指差した先にあったのは水銀が入った大きな容器だ。

 

「ライネスの魔力消費を減らすために一時停止中。『I'll be back.』って言って親指立てて水銀の海に沈んでいったわ」

 

 絶対にフラットが教えた映画のセリフだ…。

 

「で?何の用?」

 

「え、あの…ライネスさんの様子を見に」

 

 苦しそうに眠る彼女は昨夜と変わり映えなく、言葉通りの現状維持なのだろう。

 自分の言葉がまずかったのか、凛は一度ため息をつく。

 

「崩落の時のショックで寝込んでいるだけよ。解呪ができなくても目覚める時には目覚めるわ。

 …あんまり頻繁に来られるようになったら迷惑だから言っておくけど、何かあったらこっちから士郎でも使って連絡するから、あんたは今後のことを心配なさい」

 

「今後?」

 

「敵の主戦力はあの魔物。だけどあんたやあの神父にはまるで通用しない。だったら今度はもっとタチの悪い奴が出てきてもおかしくないでしょ?加えてこちらは情報なし。後手を取らされざるを得ないのよ」

 

 まるで諭すかのように凛は言う。彼女が言うのだからきっと間違いではないのだろう。

 

「あんたの専門があのへっぽこ講師の世話と戦闘ならそっちに気を向けなさい。今ここにいて何ができるわけでもないし、私は集中したいから」

 

「…はい」

 

「それとこれ」

 

 差し出されたのはハンカチだ。赤い布地に黒猫が刺繍されている。

 

「まずはその埃だらけの顔を洗ってきなさい。こんな環境でも身だしなみを整えるのは淑女としての基本よ?」

 

 優しくそう言われ、ハンカチを受け取る。

 

「じゃ、俺は朝食のために水汲みに行かなくちゃいけないからグレイを案内してくるよ。遠坂も休めるときに休んでおけよ。倒れられたらこっちが困る」

 

「わかってるわよ。どこぞの馬鹿と違って身の程は弁えてますし」

 

「その馬鹿が誰なのかは聞かないでおくよ。じゃ、行こうか」

 

 若夫婦でも見ているかのような気持ちになっていると、士郎が立ち上がり自分とともに外に出た。

 

「ごめんな。遠坂の言い方はああだったけど、きっと君を心配してるんだと思う」

 

 士郎は穴蔵の出口にあった持ち手のある大きな容器を二つ持つ。

 

「いえ、どういう人なのかはわかっているので。…一つ持ちましょうか?」

 

 確かに傷つく言い方だったが…。それでも気遣いを忘れずにいる素敵な女性だと思う。

 

「女の子に持たせるのは抵抗があるんだが…」

 

「いえ、大丈夫ですよ?」

 

「…そうか?じゃあよろしく頼む。まずは渓流に行こう。晴れてるし景色が綺麗だと思うぞ」

 

 穴蔵の外に出て、整えられていない岩肌を下ると同時に迂回して山の裏を目指す。

 

「ここの裏にも険しい山が幾つか続いていてさ、歴代のハサンの一人がそこの山で修行していたらしいんだ」

 

「もしかしてここに集落を作った理由って…」

 

「あぁ、俺も詳しくは聞かなかったけど、彼らにとって所縁(ゆかり)の地なんだろう」

 

 魔術師だからこそのペースで歩いていると流水の音が聞こえてくる。思った以上に早く着きそうだ。

 士郎は話題選びに困っているのか、地面と靴底が擦れる音が続く。とはいえ話題がないのは自分もそうなのだが。

 

「そういえば……」

 

 途端に思い出した。

 

「何かしたか?」

 

「その、昨日はありがとうございました。師匠と自分を助けていただいて」

 

 どんな方法を用いたかは聞かない。術式の話になれば基本的に理解が及ばないし、魔術師同士で魔術の詳細(ディテール)を言わないのは暗黙の了解だ。

 

「ん?あぁ、崩落の時の…そうだな。確かに俺がやったけどお礼はいいよ。当たり前のことをしただけだし、ライネスは救えなかったからな」

 

「あの崩落は師匠も気づけなかったことですので…何もできなかったという意味では拙の方が…」

 

「何言ってるんだ。グレイはあの魔物たちを倒しただろう?」

 

「でも、もし拙が倒さず逃げ帰れば……」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 見透かされていたような発言。途端に足が止まった。自分が止まったことに気づいて士郎は数は先で振り向き、こちらを見上げる。

 

「結果論でモノを言っちゃ意味がないぞ。そしたらサームが納得しないままになってしまう。誰かが心身ともに無事だったなんて保証はどこにもないんだ。きっと聖杯をめぐる争いってのはそんなものなんだと思う」

 

「わかりません。サームさんだって目の前からあの子が消えて…」

 

「それでも無事…とは言い難かったけど安否は確認できただろう?それだけでも希望につながるはずさ」

 

 刹那、風が吹いた。

 フードが風にさらわれ脱げてしまう。

 士郎が少しだけ息を飲むのが見える。

 そして、優しく微笑んだ。

 

「それにさ、グレイはアーサー王の生き写しなんだろ?その力を振るった先にあったことを卑下しないで、堂々としていてくれた方が俺は嬉しい」

 

 彼の言葉が温かい。だが、その分だけ恐ろしい。きっと彼は誰かと自分を重ねて話しているから。

 慌ててフードを被り直し、目を伏せる。

 

「あ、いや…悪い。君の事情を何も知らないのに勝手なことを……無神経だったな。そのことで嫌な思いもしたかもしれないのに」

 

 士郎は、「やってしまった」そう言いたげに眉間に手を当てている。

 

「いえ、気にしないでください」

 

 そういう風に気遣ってくれた人はどれほどいただろうか?後にも先にも自分の状態を知った人でそうしてくれたのは師匠やライネスだけだったかもしれない。

 

「そっか。まぁ、色々言ってしまったけど、要するに昨日のことはあんまり気にするなってことさ。目に見える全てを救いたいなんて壊れた幻想を抱く奴は、たった一人で十分なんだから」

 

「…拙は、そこまで利他的にはなれません。ただ親しい人だけは守れればそれでいいと思っています」

 

 どこか自虐的に響いた言葉にそう返した。

 

「そうか。それはいいことだと思う。本当に」

 

 そこからは無言で歩いた。景色が変わり出したしたのは歩き始めてすぐのことだった。

 ここの土地に来て景色といえば岩か砂だけだったが、眼前に険しくも美しい山々が現れた。眼下にはハサンが言っていた渓流があって、水のすぐ近くの岩にはへばりつく緑色が多い。

 

「な?綺麗だろ?」

 

「はい…とても」

 

 自分と士郎は斜面を下り、渓流に近づいていく。

 底が見える透き通るような水。触れれば冷たくて気持ちいい。

 手ですくって顔に当てる。それを数回繰り返し、凛から借りたハンカチで拭いた。そのあとはハンカチを水に浸して絞る。

 

「スッキリしたか?」

 

「…はい」

 

「じゃ、とっとと水汲んで厨房に運ぼうか」

 

 自分と士郎は容器に水を汲む。ひょっとしたら五リットルくらい入るのではないだろうか?

 

「持てるか?」

 

「問題ないですよ」

 

「へぇ。…グレイは力持ちなんだな」

 

「ある程度鍛えてはいるので」

 

 何気ない言葉を交わしていると、足音が一つ。それが聴こえた瞬間に二人揃ってそちらを見やる。

 

「あぁ、おはよう。朝早くから何してたんだ?」

 

 先に声をかけたのは士郎だ。

 

「おはようございます。ちょっとした散歩ですよ。思いの外時間を食ってしまいました。グレイ殿もおはようございます」

 

 オルハンはいつもの如く丁寧な口調で挨拶をする。

 

「…おはようございます。あの、ここら辺に何かあるんですか?」

 

「特にはありませんね。強いて言うなら上流には山々、下流には麓の結界の起点でしょう。起点は魔術に精通した者が定期的に確認することになっています」

 

「朝の祈りはいいのか?やっと時間ができたのに」

 

「時間になったかもしれないと思ったので道中で済ませてしまいました」

 

 初めてオルハンの真面目な顔が綻ぶのを見た。というか祈りとはなんなのだろうか?

 

「我々は明け方から日の出(ファジャル)正午から昼過ぎ(ゾフゥル)昼過ぎから日没(アッサル)日没直後(マグリブ)就寝前(イシャ)の五つの時間帯にメッカのカアバ神殿を向いて神への祈りを捧げることになっているんですよ」

 

 自分の頭の上に疑問符でも浮かんでいただろうか?オルハンは聞かずとも丁寧に答えてくれた。

 

「もしかして、それを毎日ですか?」

 

「はい。特別なことがなければ毎日。それと今日みたいに金曜日はサームが代表して街のモスクで礼拝をするのが基本なのです。流石に集落全員が街に行くだけの足はありませんので、ゾフゥルの時は集落の全員が集まり、祈りを捧げることになっています」

 

 六信五行は知っていたが、これほど大変だとは思わなかった。

 オルハンは「持ちましょうか?」と自分が持っている水の容器に手を伸ばす。その指が自分の手に触れた途端、

 

「──っ!」

 

 

 ────自分の全身が何かを感じ取った。

 

 

 熱くて冷たくて停滞するようで痺れるようで蠢いていて狂おしくて欲深くて悍ましくて恐ろしくて揺れていて重なっていて震えていて嫌に誘惑的で近づきたくない何かがすぐ近くにいる。

 すぐさま周囲を見渡すが何もない。

 でも確かに何かが自分を刺激したはずだ。

 何度も何度も首を振って周囲を探す。

 何処だ?何処だ、怖くて怖くて怖い何かは何処にいる?

 

「…い?…レイ?おい、大丈夫かグレイ?」

 

「……へ?」

 

「どうかしたのか?すごく顔色悪いぞ?」

 

 士郎がフードの中を覗き込むように、自分の顔を見ている。気づけば冷や汗をかいていた。容器を落としていたようで、地面に水が溢れている。

 

「へ?あ、いや…その」

 

 顔と顔が近くて、自分はフードを深々と被って俯いた。

 

(今のは一体…?)

 

 何もいない。何もいないはずなのに何かがいた。

 

「大丈夫ですか?やはり私が代わりに持ちましょう。きっと疲れているのですよ」

 

 オルハンはいち早く容器を拾い上げ、水を汲み、たくましい腕で軽々とそれを持ち上げた。

 

「いえ、勘違いだったようです。大丈夫ですので拙が持ちます」

 

「ダメだ。オルハンに持ってもらえ」

 

「でも…」

 

 何かしていないと落ち着かないのだ。そのせいか、親しいわけでもない人に図々しく食い下がってしまう。

 

「わかった。じゃあ、こうしよう。戻って顔色が良くなっていたら料理を手伝ってくれ」

 

 士郎は、「仕方ない」とでも言いたげな表情だ。

 

「…わかりました」

 

 これ以上しつこくするのも申し訳なく、自分は渋々頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 士郎が厨房と呼ぶ場所は、下の集落の隣に掘られた比較的通気性のいい場所だった。一般的な鍋やフライパンなど調理器具は充実しているようだが、火元は車で片道四時間くらいの街で買った木材を燃やすらしい。

 

「火加減が慣れるまで苦労したけど、そこらへんは俺が調節するからグレイは気にしなくて大丈夫だ」

 

「はい」

 

「そういば、羊の肉は余ってたっけ?」

 

 これは自分に向けられた質問ではなく、さきほど水を運び終えたオルハンと入れ替わるように入って来たアレクセイに投げかけられたものだ。

 

「えぇ、残りわずかですが朝食で使い切ってしまっても問題ないでしょう。私はライスを炊きますので、後はお二人でごゆるりと」

 

「…含みのある言い方はやめてくれないか?」

 

「え?グレイさんを狙ってるんじゃ…」

 

「誤解だって言っているだろ!?この際だから言っておくけどな、遠坂は……遠坂は誤解だけで人を殺しかねないおっかない女なんだぞ!」

 

 食い気味に士郎が言う。その必死さから彼の苦労が滲み出ている。本当にいつか女性が原因で死にそうだ。

 

「ははっ、面白い冗談だ」

 

 半笑いのアレクセイはそれをさらりと流してライスの調理に取り掛かり始めた。口だけ笑って目は全く笑っていないのは見間違いじゃないと思う。

 

「はぁ……とりあえず俺たちは野菜を小さめに切っていこう。羊肉はその後だな」

 

 自分が頷くと、士郎も頷いてジャガイモの皮を剥き始める。

 

「グレイは普段から料理するのか?」

 

「料理というほどかはわかりませんが、師匠にトーストや目玉焼きとか軽いものを作ったりはします。スープも作るので野菜を切るのは慣れてます」

 

「ハッ!エルメロイの奴は生活力ゼロだもんな!」

 

 アッドが声を上げた。自分のフードの下ではなく、部屋の隅からだ。流石に料理をするにはアッドを持ちながらじゃ不便だったのだ。

 

「そうなのですか?てっきり私生活もきちんとした方だと思っていたのに」

 

「神父さんよぉ〜、荷台の上で年下女子に髪を整えて貰う男がそんな奴なわけないだろうが」

 

「あぁ、言われてみればそうですね」

 

「そうだぜ!英国紳士を名乗って都会に憧れていた田舎娘のグレイを騙して連れて行った先は散らかり放題のクソアパート!それからコイツは掃除やら何やら身の回りの世話を押し付けられたんだ!」

 

 嘘と事実が混同していてどこから突っ込めばいいのやら。というかアッドはことの詳細を全て知っているだろうに。

 

「それはお気の毒。にしても意外ですね。グレイさんは上品なお顔立ちからどこぞの都市のお嬢様か何かかと予想していました」

 

「世辞はやめとけ!調子にのるぞ!」

 

 なぜのあの匣と神父は仲良さげに話しているのだろうか?いや、そんなことはどうでもいいから話題を変えて欲しい。あんな虚言に耳を傾けつつも慣れた手つきでライスを研いでいるのもまた腹立たしい。

「しかし本当によく喋る魔術礼装だな。時計塔にいた頃でも見たことがない」

 

「初めて見た時は師匠も驚いてました。拙にとってはアッドが喋るのはごく普通なんですが」

 

「…あの人が何かに動じる姿はイメージしづらいな」

 

人は見かけによらずと言うが、師匠はまさにそれを体現しているのだろう。中身は膨大な知識を持った貧弱な現代っ子である。

 

「師匠はライネスさんが持ってくる無理難題に割と取り乱したりしてますよ」

 

 そのせいで胃が華麗に三回転半を決め、さらに胃に穴が開くのではないかと思うほど胃液が働きすぎることもある。あとはフラットの常軌を逸した言動に対してもそんな感じだ。

 

「血が繋がってないって聞いたけど、それでも仲がいいんだろうな」

 

「拙も、そう思います」

 

 そうであって欲しい。でなければ自分が見てきた彼らは一体何だったのかわからなくなる。そんなことを思っていると、いつのまにかライスを研ぎ終え、釜に熱を加えている神父が口を開いた。

 

「情や絆の前に血筋なんてモノを持ち出すのは愚かなことですよ」

 

 首に掛けられている錆びついた十字架に茶色の目を落とし、懐かしむようにいじりながらアレクセイは言葉を綴る。

 

「…血統とは一生解けることのない呪いに等しい。足掻き続けても、己の身の内に確かに流れているのだから、肉体を捨てずしてそれから逃げることは叶わない。私はそんなものが絶対の愛の証明だなんて考えたくはなですね」

「…なんだかキリスト教徒らしからぬ言葉ですね」

 

 愛の宗教と呼ばれるキリスト教の神父の言葉とは到底思えない。まるで神の愛(アガペー)以外は認めないとでも言いたげな口調だ。

 

「お恥ずかしながら周囲からもそう言われます。ですがこの考えだけは捨てなくないのですよ」

 

「…まともな神父は良いことを言うな」

 

 まともじゃない神父でも見たかのような呟きが士郎の口から漏れた。

 

「まぁ、血の繋がりだけで家族と言うのは俺も抵抗があるな。そんなモノがなくても気持ちが繋がれば誰だって家族にはなれるし」

 

「…なら師匠とライネスさんはちゃんと家族でしょうか?」

 

 ライネスを心配するそぶりを見せない師匠を思い出す。もっと表に出して貰わなければ分かりづらくて仕方がない。考えれば考えるだけ不安になる。

 

「それは俺たちに聞いても仕方がないことだぞ?彼らのことをよく知っているのはグレイの方なんだからさ」

 

 まったくもって士郎の言う通りだ。

 

「…浮かない雰囲気だな。やっぱりライネスの方が心配なのか?」

 

「そんなの……当たり前です」

 

「そんなに心配なら遠坂に頼めばいいじゃないか」

 

「いえ、邪魔するのは嫌です。…ただ、少しでもそばに居られればいいな、と」

 

自己満足なのは重々承知だ。傍に自分がいて何ができるわけでもない。今のライネスに必要なことではないのだ。

 

「だったらさ────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日の荷台はこれまで乗った車とは違って覆いがあり、砂の煩わしさはそう感じない。

 厨房での士郎との会話から朝食を終えて、自分は士郎の提案により彼の代理として車に乗り込み、砂漠の中にある街へと向かっている。運転手は知らない人物で、荷台にはサームと神父服から民族衣装に衣替えしたアレクセイのみだ。

 一応、凛の代理としてアレクセイが来ているのだがサームと一緒というのはなかなかの人選ミスだと思う。

 

「あの…今更ながら拙が乗ってよかったんですか?」

 

 サームに向かい尋ねてみる。

 

「本当に今更だな。別に買い物と積み荷を手伝ってくれるならば誰でもいい。あとくれぐれも礼拝の邪魔はするなよ、そこの神父」

 

 睨みをきかせるサームにアレクセイはにっこりだ。それがサームの神経を逆撫でしている。笑顔を作るのはアレクセイなりの処世術だと思うが、もしもこれを狙ってやっているのならば、この神父は聖人に見えてその実とても性格が悪いのではないだろうか?

 

「邪魔などしませんよ。崇拝する神を同じくする者の祈りを邪魔立てするなど罰当たりにもほどがある。それよりも貴方は昨日の今日で大丈夫ですか?」

 

「貴様に心配されるまでもない。昨日オルハンに指摘された通り来訪の者の前でいつまでも弱気ではいられん。何より公私混同はしない主義だ」

 

 立ち直りが早いのか、それとも見栄を張っているのかはわからないがそういう風に振舞ってくれるのは見ていて安心する。士郎が言ったように少女が生きていたことが彼に希望をもたらしているのかもしれない。

 

「そういえば…今朝オルハンさんから聞いたんですけど、なんで集落の代表がハサンさんではなくサームさんなんです?」

 

 質問した自分の方を向いたサームは一瞬だけ固まった。まさか聞いてはいけないことだったのだろうか?

 

「あの、失礼な質問でしたか?」

 

「いや、無知は罪でも悪でもない。知ろうとしないことこそ怠惰故に悪しきことだ」

 

「はぁ……」

 

 いきなり教師のような口調になったサームに間の抜けた返事をしてしまう。その切り替えの早さは少しだけ師匠を思わせた。

 

「我が集落が今衰退しつつあることは言わずともわかっているだろう?なぜだと思う?」

 

「宗派の分裂があったと聞きましたが…」

 

「それはある意味衰退の結果に起こったことだ。まぁ、言ってしまえば一番の原因はハサンにある」

 

 まっすぐ向けられた視線に射抜かれる。猛禽類を思わせるような眼力に目を逸らしたくなるが、その反面で逸らせない何かを感じる。ある種のカリスマというやつかもしれない。

 

「聞き及んでいるかは知らんが今のハサンは血統によって決まる。だが昔は違った。厳しい修行の末に暗殺の秘奥“××××(ザバーニーヤ)”を得た者を山の翁として崇めていたのだ」

 

「ザバーニーヤ…」

 

「いつから秘奥がそう呼ばれていたかは知らないが、ザバーニーヤは地獄を管理する十九人の天使の名であり、その名を冠する秘奥に至った翁もまた十九人。伝承を聞いた何者かがそう呼んだという説がある。

 ……ザバーニーヤは一子相伝の秘奥ではなく、個々人が持ち得た超常の力と思えばいい。たとえ過去の翁のそれを模倣できたとしても、その者が翁に選ばれることはない。つまりザバーニーヤはその代の翁の代名詞だったわけだ。だが時代が進むと同時に科学が発展し、地上の神秘が薄れた。今のアサシンに修行の末に得られるものは技術の他に何もない」

 

 …なるほど。なんとなく話は見えてきた。

 

「得心いったか?」

 

「はい。その代名詞があったからこそ、山の翁はアサシンたちに崇められていた。だけど今はそれがないから昔ほどの支持が得られないわけですね」

 

 だから宗派の中でも思想が入り乱れて分裂を引き起こした。

 

「その通りだ。今の山の翁を象徴する物はあの髑髏の面のみ。故にたとえ見知らぬ者の前であっても仮面を外すことは許されないのだ。流石に街に髑髏の面をつけた男がいては怪しいから私が代表として来ているわけだよ。

衰退の最中、宗派の拡大を図らない翁に付き従わなくなる者がいても不思議ではないだろうな」

 

最後の言葉を言う時には鋭い眼光が消え失せていた。そして最後に付け足すように、

 

「とは言え、布教をしないという兄者やそれ以前のハサンの考えを責めるわけにもいくまい。我らが生業とし、極めるものは所詮は人殺しに他ならない。愚者の手に渡れば無差別な殺戮が繰り返されるハメになる」

 

 そう言った。

そして車が止まった。降りてみればすぐそこでバザーが催されていた。街並みはまさしく発展途上で古い建物と真新しい建物が混在している。唯一目を惹かれるものといえば人の流れが向かう先にある宮殿のような建物だ。

 

「時間が迫っている。礼拝を済ませたらここで買い物をしよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゾフゥルの時間にギリギリ間に合ったサームと付き添いの人が礼拝堂の中へと入っていくのを見送り、流石に大勢が礼拝をしている場に居合わせるのは憚られ、礼拝堂の外でアレクセイとともに待ちぼうけしている。

 モスクと呼ばれる礼拝堂は外観が豪華絢爛な宮殿のようで、どうしてか既視感を覚える建物だった。初めて見たもののはずなのに……どこか似た場所に入ったことがあっただろうか?

 

「そういえば以前から気になっていたのですが、グレイさんは霊媒師か何かなのですか?」

 

 暇を持て余し、壁に寄りかかるアレクセイの唐突な質問が飛んで来た。

 

「…何ですかいきなり?」

 

「いえ、単なる興味本位です。答えたくなければ今の質問は取り消しますよ」

 

 神父は「事情は人それぞれですし」と続ける。それを見て自分は、

 

「…拙は、とある霊園出身の墓守りです」

 

 そう答えた。この人はおそらく他人の事情に深く踏み込むことないだろう。

 

「どうりで。昔仕事で出会った人と似ていると思いました」

 

「似てる?」

 

「外見じゃなくて身体のない者の本質をが見えすぎるという意味ですよ。まぁ、貴女のは些か度が過ぎるようですが」

 

 身体のない者。

 それは死者よりも死者らしく。

 生者よりも生者らしく。 

 故郷で、自分がいくつもいくつも見てきた光景。 

 不条理で、不合理で、生きても死んでもいないもの。

 

 

 ────『お前が滅ぼすべきはアレだ。アレだ。アレだ。アレだけだ』

 

 

 その存在を感じるたびに、故郷の空気を、土を、緑を、そして言葉を頭の中でリフレインする。衰えるどころがより鮮烈に色を帯びていく。

 

「元ロード・エルメロイはなぜ貴女を内弟子に?」

 

「できればII世をつけてあげてください」

 

「これは失敬」

 

 礼儀正しく頭を下げるアレクセイを一瞥し、自分は答える。

 

「師匠は、第五次聖杯戦争に参加するつもりでした。英霊を使い魔(サーヴァント)とするあの闘いに臨むため、墓守という対霊戦に特化したスペシャリストを求めていたんです」

 

 民族衣装に身を包んだ神父は黙って耳を傾ける。人の話を聞き慣れているのか、その態度は話す者の言葉を引き出すためのものだろう。

 

「当時の拙の先生に当たる方は最初はどうするつもりだったかは知りませんが、色々あって結局師匠に拙を預けました」

 

「で、貴女を授かり、内弟子にしたにもかかわらず結局彼は第五次には参加しなかった」

 

「なぜそれを?」

 

「言峰神父…同僚からの報告は教会で目を通してますので」

 

 第五次で監督役は死んだと聞いているので、言峰という人はすでにこの世にいないのだろう。別段仲のいい存在でもなかったのか、アレクセイは淡々と言っていた。

 

「そうえいば、彼の報告の中にマスター登録した人のリストがあったのですが、遠坂さんと衛宮さんは参加していたようですね。知ってましたか?」

 

「衛宮さんもですか?」

 

 少し意外ではある。

 

「はい。彼の気質からすると儀式に巻き込まれた感じだと思いますがね」

 

「あ…」

 

 ────『聖杯、それがあるだけで争いは絶えなくなる。……俺はそれを止めたいんだ』

 

 

 途端に彼の言葉を想起した。あの言葉を聞いた時点で決めつけてしまっても良かったかもしれない。師匠が士郎を少しだけ特別視している要因は彼が第五次聖杯戦争の生存者だからだろうか?

 アレクセイとの数分ほどの会話の途中で人々が出入り口から流れ出てきた。さらに二、三分くらい待っているとサームたちがこちらに寄ってくる。

 

「待たせたな。では、買い物をすませようか」

 

「すみません。その前にここの中を見てもいいでしょうか?」

 

 アレクセイがモスクの出入り口を指差してサームに尋ねる。それに対してサームは怪訝そうな顔で口開く。

 

「異教徒の貴様が何をしに入るんだ?」

 

「なに、観光がてら社会勉強みたいなものですよ」

 

「…まぁ、いいだろう。時間などたっぷりあるからな」

 

「そんなに長居するつもりはありませんよ」

 

 アレクセイの言葉の後に、サームの案内で中に入った。そして自分はここにきてから感じていた既視感の正体、それにようやく気づくことができた。

 神秘的な幾何学模様の壁に、飾り気のない美しい建物。昨日見たドームに雰囲気が似ている。むしろ色があるので、見た目だけで言えばあそこよりも神聖さを増しているようにも思える。

 

「…やはり昨日の空間はこれを模していたんですね。ハサン殿はここに来たことがあるのですか?」

 

「先代…我らの父が亡くなるまでは兄者が代表として街に来ていたからな。見間違いと思ったのは久しくここに来ていなかったからだろう」

 

「貴方とオルハンさんはなぜ黙っていたのですか?貴方は毎週ここに来ているし、オルハンさんも付き添いでいくらか来ているのでしょう?」

 

 神父の茶色い瞳から柔らかくも力の込められた視線がサームを貫くように放たれる。疑念を孕んだそれに対して抗議の意が含有された猛禽類のような眼力がぶつかり、不思議な緊張感が生まれ始めた。

 

「兄者が見間違いだと言ったからだ。オルハンの方もそうだろう」

 

 その口調に棘がある。放っておけばサームが殴りかかってもおかしくなさそうな雰囲気だ。

 

(これは…少しマズい)

 

「その…そう言えば、ぐ…偶像とかはないんですか?拙は興味があるのですが……」

 

 雰囲気が悪くなる前に(すでに悪いが)自分は話題を変えるため、ふと思ったことを口にする。

 礼拝といえばマリア像のイメージが強い自分には、この飾り気のない空間を礼拝堂と呼ぶにはしっくりこない。

 

「ありませんよ。イスラム教では偶像崇拝より固く禁じてますし、三位一体の思想を否定していますからね。我々と考えを(こと)にする一つの要因ですよ」

 

 建物の中を見渡すように首を動かすアレクセイが自分の問いに答えてくれた。そして幾らか見渡した後に、

 

「どちらが劣っているとも思いませんが、彼らの方が神をより神聖なものと見ているのかもしれませんね。……見たいものは見れましたし、買い物に行きましょうか」

 

 自然な微笑みを作り出してそう言った。さきほどの無礼を詫びるかのように一歩譲った言い方だった。

 

「……」

 

 アレクセイが踵を返す。サームが彼の背中を睨みながら歩き始めた。自分ともう一人の集落の人は二人の後ろを黙って歩く。

 まだまだ日が高い時間帯。気まずい雰囲気の中、自分たちは食糧を求めてバザーへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は進み、砂漠の向こうに太陽が沈んだ頃。

 街に向かった一行は未だ集落についていない頃。

 夕餉が終わり、士郎は大鍋を片付けるべく穴蔵を歩いていた。

 

「ん…?」

 

 聞こえてきたのは泣き声だ。

 幼い喚きに足が向き厨房とは真逆の方向、つまりは穴蔵の奥へ奥へと進んでいく。光源の蝋燭の火が揺らぐ薄暗い空間だ。

 泣き声を上げている少年はそこにいた。

 

「どうしたんだ?友達と喧嘩でもしたのか?」

 

 士郎は集落に長期間滞在しているため、大半の人間とは顔見知りだ。少年もその一人。集落において数少ない子供達は外部の者の珍しさからか、よく遊ぶ間柄でもある。

 少年は肩に添えられた手に気づき、半身で後ろを振り向き目の前の空間を指差した。

 

「────っ!」

 

 

 

アカイロだ。

 

 壁も、床も、全部が全部滴る液体にアカく、紅く、赤く塗りたくられている。

 液体の源は黒い瞳の眼球を床に転がし、喉を引き裂かれ、壁に貼り付けられている二つの肉塊。士郎はその基となった人間も知っている。

 件の聖杯の少女の両親だ。彼らの先には無造作に投げ捨てられた複数の死体が寝そべっている。

 

(この殺し方は……)

 

 不意な出来事に驚きはしたものの、死体を見慣れている彼はすぐに落ち着きを取り戻し、泣きじゃくる少年の両目を手で覆った。

 

「…見るべきものじゃない。まずはここを離れよう」

 

 囁きかけて少年とともに踵を返した。

 刹那、蝋燭の火が強く揺らぎ暗転した。

 暗黒にて鼓膜を弱く、しかし印象的に叩くは卑しい嗤い。

 周囲を確認するため、二人は一度足を止めた。

 

 ────次の瞬間、士郎の喉元に斬撃が疾った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほぼ同刻。

 半球状の部屋にて元ロード・エルメロイII世とフリューガーは体を休めていた。

 

「なぁ、酒持ってないか?手持ちの分を切らしちまった」

 

「初対面の時に言わなかったか?私には酒を持ち歩く習慣がない」

 

 フリューガーの何気ない質問に、葉巻を吸いながら、万年筆を片手にメモ帳と睨み合う元エルメロイII世は即答する。

 

「んな六年以上も前の話なんざ覚えちゃいねぇよ!じゃあ、葉巻を一本くれ!」

 

 フリューガーに葉巻を一本渡した後、元エルメロイII世はメモ帳の一ページを破り、丸めて部屋の隅に投げ捨てた。これを何度も繰り返しているので、その分だけ部屋の面積を丸め込まれた紙に侵食されている。

 

「ありゃ?初対面の時は葉巻はやらんと息巻いてなかったか?」

 

 わざとらく眉を顰めるフリューガーは「毒でも入れてんのか?」と冗談めかす。

 

「なに、ほんの気持ちだよ。吸わないならば返してもらっても構わんがね」

 

 そう言いながら元エルメロイII世はギロチン式のシガーカッターとマッチを手渡す。

 

「ははっ、ありがたく頂戴するさ」

 

 葉巻の両端を切断し、マッチを擦り火を付ける。二本の葉巻が煙を上げ、部屋に充満しだした頃だった。

 

 

 ────卑しい嗤いが木霊する。

 

 

 廊下の蝋燭の火がいつのまにか消されており、二人の部屋の出入り口の前に見知らぬ褐色の男が佇んでいた。

 その口から漏れる嗤いが、同時に長い詠唱であることに気がつくのに数十秒。二人はいきなりのことに唖然としていた。

 男がこちらに手をかざす。刹那、数多の呪弾が顕現、そして射出された。

 

「「な────!?」」

 

 紫と黒の呪弾が二人に迫る。

 しかし、逃げ場のない彼らを撃ち殺さんと大気を走るそれは出入り口を通過しようというところで『壁』に阻まれた。

 その『壁』は彼らがここに来たばかりの時に元エルメロイII世の指示の下、フリューガーとライネスが展開した結界だ。

 

「おいおいおいおいおい!!!何だあいつは!?」

 

「私が知るものか!いいから結界に魔力を込めるぞ!」

 

 男の手のひらから溢れ出る呪弾は底知れず、未だに結界を叩き続ける。

 二人は部屋の中心に寄り、結界の起点に魔力を込める。しかし、元はライネスの細かな魔力調節を当てにした結界だ。すぐにそれは軋みを上げ始めた。

 

「おいエルメロイ!あんたのせいで魔力の込め方にムラができてんだよ!」

 

「私はこと実技に関しては平々凡々なのだ!それと“元”と“II世”をつけたまえ!」

 

 繰り返される軋む音が、今度は結界に亀裂をもたらした。

 

「あぁクソが!あんたはもう魔力を込めるな!俺が一人で負担する!」

 

 フリューガーの提案をすぐに飲み、元エルメロイII世は引っ込んだ。

 亀裂の修復と破壊が応酬される。

 フリューガーの魔力が底尽きるかのが先か、敵の魔力が枯渇するのが先か。

 拮抗は続く。卑しい嗤いも止まらない。

 しかし刹那、大気を震わす衝突音が鳴り止んだ。同時に男の頸部から噴水の如く赤い液体が湧き上がっている。

 

「お二人とも、お怪我は!?」

 

 血を伝わさせ、地面にしとしととそれを落とす黒塗りの短刀を持った男が声をあげた。

 

「…ミスタ・オルハン。感謝する」

 

「いえ、こちらの不手際ですので。付いて来てください。ここからあなた方を逃すようにとハサン様に仰せつかっています」

 

 そう言った。オルハンの背後へ、元エルメロイII世は葉巻を投げた。

 途端、ぼうっ、と葉巻が発火しオルハンに迫っていたもう一人の男を怯ませる。

 すぐさま振り向いたオルハンが短刀で敵の心臓を突く。

 

「…やはりこの土地では火力が鈍いな」

 

彼でも即興で使える簡易魔術。幾らか私物には仕込みは施してある。

 

「おい、何だよその葉巻?凶器を人にお裾分けしてんじゃねぇよ」

 

「ちょっとした護身術だ。気にしなくていい」

 

 さらりと答える元エルメロイII世にフリューガーはため息をつく。そしてオルハンが今一度口を開く。

 

「ありがとうございます。状況の説明は走りながらで」

 

頷く二人。そして三人で穴蔵の廊下を走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 首元の鋭い悪寒。士郎は少年を抱えたまま体を後ろに倒した。

 

「──投影(トレース)開始(オン)!」

 

 倒れながら右腕を薙ぐ。詠唱の直後に右手に鉄パイプが現れ、暗闇に潜む影へ弧を描いた。

 打撲音が聞こえ、鉄パイプが叩いた人物は壁に衝突したようだ。

 少年を横に避け、立ち上がった士郎は襲撃者を確認する。

 

「…何であんたが」

 

 その男にも見覚えがあった。

 上に住まうアサシンの一人だ。

 

「あんたが彼らを殺したのか!?」

 

 激昂し、男を揺さぶる。男は狂ったように嗤い、顔を上げた。暗闇の中で光るその黒い瞳には狂気が内包されている。

 

「声が……」

 

震える唇が、不安定な声を漏らす。

 

「声?」

 

「あぁ、声が聴こえたんだ!今宵ここでの悪徳総てを神が黙認する!殺して殺して殺して殺して殺し尽くしたところでこれは裁きに値しない!」

 

「ふざけたことを…!」

 

 ぎりり、と歯を鳴らし士郎は男を睨む。

 しかしそれでも口からよだれを、目から涙を、全身から欲望を滲み出し、狂ったように男は叫び続ける。

 そして途端に囁くように、

 

「ふふ…ふははっ!なぁ?なぁ?衛宮士郎?……君にはこの声が聴こえないのか?」

 

 高揚する男は士郎に問いかけた。

 

 これは幕開けだ。

 強きが弱きを蹂躙し、欲と殺意が入り混じる。

 血に塗られた夜が始まったのだ。

 

 

 ────刹那、暗転した穴蔵を数多の悲鳴が支配した。

 

 

 

 

 




次回は事件簿七巻を読み終えたら書き出そうかと思っております。


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炎上

なぜかいきなりお気に入りが増えていた……。ありがとうございます以外に言葉が見つからないのでありがとうございます。

七巻を読み始めて思ったことといえば読んでから前話を書けばよかったと言う若干の後悔でしょうね。ベルサックさんが普通にII世にグレイを預けるつもりだったって言ってるし……。
まぁ、6巻時点の知識と自分の妄想だけで書き綴るつもりなのでいいとしましょう(私の中では)。

今後もしも何かしらの報告があった場合に便利なので正体を晒そうかと思います。


 買い物はおおよそ三時間ほどかかり、そこから帰る途中ですっかり暗くなってしまったらしい。自分たちよりも奥にはシートとロープにより固定された一週間分の食料が詰められていて、気を抜いて寝てしまえば荷台から落とされそうなところにサーム並びにアレクセイと座っている。

 

「良いものが買えたようですね」

 

 自分の膝の上に乗せられた袋を見てアレクセイが話しかけてくる。

 

「はい、そうですね」

 

 後はライネスが目覚めて、これで彼女が喜んでくれれば言うことはない。もっとも、貴族故に普段の食の良さが自分よりもはるか上なので『喜んでもらう』というのがなかなか難しい話なのだが。

 

(それでも…)

 

「拙は…喜んでもらえたらと思います」

 

 

 

 

 

 

 

 

 穴蔵の一室。暗転した空間で甲高い音とともに火花が散った。

 闇に浮かぶ髑髏は襲撃者を捕らえる。

 

「────Anfang(セット)!」

 

 次いで女性の声が響く。

 それは詠唱。魔術回路を回す言の葉。

 

Licht im Dunkeln(闇に光を)────!」

 

 彼女──遠坂凛の手のひらから眩い光が現れる。

 照らされた周囲を確認し、横たわるライネスに向かう男を指差した。放たれるガンドが男を吹き飛ばす。

 

「────Löcher blockieren(穴を塞げ)!」

 

 さらなる詠唱。部屋の唯一の出入り口、つまりは敵の侵入口を赤い宝石を思わせる半透明で無機質な肌の壁が塞ぐ。

 

「何よこれ。…一応聞くけれど、あなたの指示じゃないわよね?」

 

 二人の襲撃者を縛り上げるハサンに凛は問う。

 

「…まさか。だが、この者たちは間違いなく我が集落の者だ。そこだけは弁明のしようがない」

 

 その背中には落胆の二文字が浮かんでいる。彼の様子を見て、凛は一度だけため息をつく。

 

「私は事態の収拾に向かいます。遠坂殿は…」

 

「悪いけどパス。ここでライネスにもしものことがあったら、偉そうなこと言った癖にあの娘に示しが付かないもの」

 

 耳を突き刺す悲鳴に申し訳なさを感じながらも、凛はハサンの申し出を断った。ライネスを心配するグレイにやるべきことを示したのだ。ならば彼女が安心して役割を果たせる状況を作るのは当然のことだ。

 

「手狭だけど、もし助けられた人がいたらここに連れて来なさい。詰めれば保護くらいはできるから」

 

「…礼を言う。ライネス殿へのお礼はまた今度参ります」

 

 半球状の部屋を立ち去ろうとするハサン。しかし彼を凛は呼び止める。

 

「あと一つだけ。あのお人好しがいたら存分に使ってあげて。ちょっとやそっとのことじゃ死なないし、いざって時には案外頼り甲斐があるんだから」

 

 その確信に満ちた笑みは硬い信頼からくるものだろう。未だ衛宮士郎の本気は見たことがないハサンはただ一度だけ頷き、赤い壁をすり抜け闇に溶けて行く。

 魔術など普段は使わないが、拙いながらも視覚と触覚、聴覚、嗅覚、身体能力に『強化』を施した。

 途端に鮮明になる劈く悲鳴と木霊する嗤い。

 

 

 ────そして、空気を震わす乱れた斬撃。

 

 

 ゆらりと躱して黒塗りの短刀・ダークを弾いた。

 

「戯け、乱れた切っ先で一体何を斬る?…私欲に溺れず、感情に流されず、ただ懺悔する。それが我ら暗殺教団の殺人であることを忘れたか」

 

 その暗殺者の口から詠唱が漏れ出て、手のひらから呪弾らしきものが浮かび上がった。単純な一工程(シングルアクション)により起動したそれが放たれるよりも前に、ハサンは暗殺者の腕を深々と斬り付ける。

 疑似神経や内臓とも言われる魔術回路もまた斬撃が届きさえすれば傷が付く。その傷による綻びがもたらすは魔術の強制解除、又は暴発だ。

 呪弾は定められた軌道を逸れて、暗殺者の顔面に走った。呪弾の直撃により、男の体が壁に衝突する。

 同時に、ぐしゃり、と音が鳴る。それは男の頭蓋が砕かれ、脳を潰された音であることは確かめるまでもない。飛び散った脳漿の水溜りを気にせず踏み込み、さらに奥へ。

 髑髏の面越しにも感じる殺意は数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほどだ。

 彼は一層闇に溶ける。

 空を裂く斬撃も、大気を伝う毒の芳香も、走る呪弾も何もかも、山の翁の前には無意味に(つい)えた。

 

(嗚呼、これが結末か…)

 

 古くはモンゴルの襲撃を受け衰退し、暗殺の象徴(ザバーニーヤ)をなくしながらも存命を続けた暗殺教団。山の翁の名と仮面を滞りなく次代に引き継げるものであると心の何処かで思っていた。

 

 いつからこうなった?

 どうしてこうなった?

 誰がこんなことをした?

 

(それとも────)

 

 世界が、時代が、或いは神が、暗殺教団は要らぬとでも言っているのか?

 

「嗚呼……嗚呼、考えるだけ無駄なことよ」

 

 心は黒くなれど、その感情には流されない。

 自棄ではなく、ただ救うために短刀を振るうのだ。それが手一杯。それが限界。

 

「来るがいい()()()ども。真なる暗殺が如何なるものか、その身をもって知って逝け」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗殺者(アサシン)たちが暴れている?」

 

 最後尾を元エルメロイII世、真ん中をフリューガー、そして先頭をオルハンが走る。彼らは暗闇が支配する穴蔵をいち早く抜け出し、裏手の渓流を目指していた。

 不安定な岩肌でもスムーズに目的地を目指せるのは、細い三日月による明かりと、星々の煌めきが視界を照らし、集落よりも遥かに鮮明に景色が伺えるからだ。

 

「ええ。『声が聴こえた』などと戯言を漏らすばかりで……先ほどの者のように暗殺とは言えない殺し方で下の層の者たちを殺して回っているのです。上の層にいた暗殺者(アサシン)のみに聴こえたものだと思うのですが…」

 

 先ほどの元エルメロイII世の問いにオルハンは答える。

 

「声?暗示みたいなもんか?」

 

 この問いはフリューガーのものだ。

 

「おそらく。瞑想(メディテーション)は暗殺教団で最も先に身に付けるものだというのに情けない話です」

 

「何者かに侵入されたということか?……麓の結界の起点はどこに?」

 

「渓流を下った先にあります。遠坂殿や義妹(いもうと)君と合流したら向かいますか?」

 

「あぁ、頼む」

 

 襲撃はなく、彼らはひたすら走る。

 そして、流水の音が聴こえてきたところだった。ふと、元エルメロイII世の脳裏に疑問が浮かぶ。

 先ほどの説明でオルハンは声についてまるで他人事のように言っていた。つまり………

 

「待て、ミスタ・オルハン。君やミスタ・ハサンにはその声は聞こえてこなかったのか?」

 

 

 ────その問いかけの直後だった。

 

 

 目の前を走るフリューガーが倒れた。遅れて血潮が彼の白い民族衣装に数滴落ちる。

 フリューガーの巨体が倒れると血に塗られた短刀を天に掲げるオルハンの姿がある。指先を器用に使い、オルハンは短刀を逆手持ちにし倒れたフリューガーへと振り下ろした!

 すかさず元エルメロイII世が魔弾を放つ。

 しかし、オルハンの短刀は魔術的措置がなされているのか、魔弾を切り裂いても刃こぼれ一つしていない。それでもさらに一発、二発と放ち続け、元エルメロイII世は『強化』した細腕でフリューガーを強引に手繰り寄せる。

 

「なんのつもりだ貴様?」

 

 オルハンを睨み、元エルメロイII世は尋ねた。

 こうしている間にも、じわりじわりとフリューガーの民族衣装が赤く染められていく。腹部に一突きと言ったところか。

 

「…なに、グレイ(あの少女)の精神的主柱を折れば幾分楽になると思っただけですよ」

 

 その眼に映るは狂気にあらず。平静を保った声音と双眸がこちらを捉えている。

 否、今は敵の観察をしている場合ではない。

 

「フリュー、意識はあるかね?」

 

 敵の動向を伺いつつ、問いかける。

 

「あぁ、なんとか…」

 

 弱々しい言葉が返って来た。さらに元エルメロイII世は彼に対してこう言い放つ。

 

「…軽量魔術を施行しろ」

 

「いや……あんただけでも、逃げろ」

 

 刹那、天体の光を反射し短刀が煌めいた。

 元エルメロイII世はフリューガーの腰のベルトにしまわれた占い用のナイフを出して迎え撃つ。

 それらの衝突は金属音とはあまりに言い難い砕音(さいおん)を鳴らす。

 よく鍛えられているとは言え、オルハンには見合わない剛力が占い用のナイフを砕いたのだ。

 

「おい!雇用主に助けられてそいつに死なれたらそれこそ傭兵の名折れだろうが!いいから早く逃げやがれ!」

 

 絞り出したかのような怒声が背後から響く。しかし、

 

「ふざけるな!」

 

 元エルメロイII世が叫ぶ。短刀の横薙ぎを屈んで躱すと、オルハンの脚が元エルメロイII世の体を蹴り、倒れるフリューガーの下まで後退を余儀なくされた。

 

義妹(いもうと)を助けて貰った挙句に君を殺してはエルメロイの名に傷が付く!…我々は死なない。いいから言う通りにしたまえ」

 

 意地でも引かない。そう言いたげな視線がフリューガーを射抜いた。珍しく声を荒げた元エルメロイII世に気圧されたのか、フリューガーは一度ため息を漏らし、

 

「はぁ……勝手にしろ」

 

 指示通り、軽量魔術を自分の体に施工した。

 その体は元エルメロイII世によってふわりと持ち上げられる。

 

「…飛ぶぞ!」

 

 背後よりオルハンの斬撃が走る。しかし、それよりも早くフリューガーを担いだ元エルメロイII世が山の岩肌を跳躍する。

 刹那、自然法則を無視して大人の男性二人が夜空を舞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────『■■■■■には倒すべき悪が必要だ』

 

 

 かつて俺の矛盾を指摘した神父の言葉だ。

 目に見えるモノ全てを救いたいという願望の前に、それは痛烈に響くものだった。

 今ならばその言葉の意味をじかに感じられる。

 見渡す限りの闇。

 差し込む僅かな光りを乱反射するのは赤い液体。

 昨日まで笑いあっていたはずなのに、強い者が弱い者を殺して回る惨状。

 俺が守るべき存在はどちらかなど聞かれるまでもない。

 

「────投影(トレース)開始(オン)…」

 

 握る夫婦剣が一体何人の血を吸うのだろう?

 一体何人を殺さずに済むのだろう?

 

(あぁ、きっと()()()も…)

 

 こういう風に自己矛盾に喰い潰されて行ったのだろう。磨耗したその先に見た景色を、俺はもう知っている。

 

(だけど、それでも……)

 

 俺の目指す地平はその先にある遠坂凛とともに歩む正しい最後なのだから。

 だから、苦しくてもなんでも進まなきゃならない。だって俺は────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ…はぁ……」

 

 山の淵から飛び降りた元エルメロイII世はフリューガーを背負い、渓流に着水した。飛び降りる際にオルハンの短剣が投擲されたが、頰に掠る程度でことなきを得た。

 流れ着いた先でしばらく泳ぎ、洞窟らしきものを発見。そこでフリューガーの応急措置に入る。

 

「ナイフを借りるぞ」

 

 フリューガーの腰からナイフを取り出し、髪を少し切り取り胸元にしまっていた試験管に入れる。その試験管に入っていた液体が髪の魔力を欲して、髪を溶かし、無色から黄緑へとその色を変えた。

 

「お、おい…なんだその気色の悪い液体は?」

 

「時計塔の植物科(ユミナ)に所属していれば幾らか習うものの一つだ。まぁ、肌から浸透する強力な局所麻酔だと思えばいい」

 

 それをフリューガーの腹部の傷口へと注ぎ込んだ。

 

「痛みが消えたら言ってくれ」

 

「…マジでキモいな。もう感覚がないんだけど」

 

「ならば結構」

 

 元エルメロイII世は湿った葉巻を取り出し、それをフリューガーの腹部に押し当てた。

 

「悪いが遠坂凛ほど魔術は達者じゃない。焼いて塞ぐが異論はないな?」

 

「あぁ、勝手にしやがれ」

 

 合意を得た上で、ぼうっ、と葉巻が炎を上げる。腹部の感覚を奪われたフリューガーはそれをただ見つめているだけで、声すら漏らさない。

 

「しばらくここで安静にしていたまえ」

 

 そう指示するが、返事がない。どうやらフリューガーは意識を失ったようだ。彼も魔術を使う者の端くれならばこの程度で死ぬことはないだろう。

 元エルメロイII世は洞窟の少し奥へと進む。ここは明らかに人工的だが、それでいて自然な構造をしている。集落の穴蔵と同じ感覚を覚える。

 程なくして奥に着くと明らかな人工物があった。

 石台の上に球状の魔具があり、チェスのポーンを思わせる。

 

「結界の起点か…」

 

 影響を及ぼさない程度に触れてみる。

 どうやらここらの山々には霊脈(レイライン)が通っており、それから魔力を引いて起動しているようだ。術式はライネスが魔術協会から拝借した結界を展開する宝石の個人を識別する効果とそう違いはない。魔力が滞っている形跡はなく、何者かに妨害されている様子もない。

 つまり、麓の結界はしっかりと機能していることになる。

 

(だとすればやはり犯人は……)

 

 否、それは早計だと首を振る。そして元エルメロイII世はフリューガーの元へ戻る。

 

「必ず回収しに戻る。大人しくしていろ」

 

 寝ている人間に何を言っても無駄だが、そう口にしてナイフを一本いただいて洞窟を後にした。

 ぬかるんだ石の上を渡り、緑がこびりつく岩の足場に飛び移る。そこに周囲を見渡している褐色の男がいた。

 鍛え抜かれた風体と、人を殺さんばかりの鋭い眼光が合わさって黒豹を想起する。その男──オルハンはこちらに気づき、お互いにゆっくりと距離を詰めていく。

 

「聞こう。集落のアサシンたちを誑かしているのは貴様か?」

 

 途端、しなやかな筋肉が連動しオルハンの身体を駆動した。

 

「────っ!」

 

 肉薄され短刀の切っ先が元エルメロイII世の眼球を穿たんと放たれた。

 半ば後ろへ倒れこむように躱すとオルハンの蹴りにより吹き飛ばされる。地面に身体が擦れ、その度に擦り傷が増えていく。

 

(強化魔術か…?)

 

 オルハンの不可解な魔術行使の正体を読み解こうと、血反吐を吐きながら思考する。

 

「『誑かしている』、と言うのは語弊があります。正しくは『誑かした』、ですね。彼らが声を聴いたのは最初の一回だけです。あとは全て彼ら自身が生み出した幻聴だ」

 

 立ち上がり、移動しながら、何度も何度も攻撃を躱し続ける。

 

「時にロード・エルメロイ殿?我々がどのように金銭を得ているかご存知ですか?」

 

「“元”と“II世”を付けたまえ。そのまま背負うには、私の肩には重すぎる名だ。…現在の暗殺教団についての情報の秘匿を条件に信頼の置ける組織に雇われているのではないか?歴史においても暗殺料を貰っていた経緯があるだろう?」

 

「その通り────!」

 

 また蹴られた。渓流沿いにあった岩に背中をぶつける。

 

「我々は殺すと言うことを知っている。だが暗殺教団の殺しはあまりに禁欲的だ。ただ淡々と指示された者だけを殺す。その一瞬のために技術を磨く」

 

 黒塗りの短刀が投擲された。それが岩にもたれかかる元エルメロイII世の右肩を貫く。

 

「ぐっ…」

 

 右肩を左手で押さえつけ、オルハンを睨む。

 

「今夜の混乱の最中、とある者は絞殺を選びました。じわりじわりと獲物が死んで逝く様を見たかったのでしょう。

 とある者は短刀を身体の末端から刺し続け、最後に心臓を抉りました。途中で失血死されようが御構い無しに。

 とある者は毒殺を。多種多様な毒による標的の七変化は彼を高揚させるものだったでしょう。

 とある者は虐殺を。ただその体に鮮血を一身に浴びることを選びました。

 ただ殺すと言うだけでこれだけ多種多様な嗜好に溢れているというのに、彼らはそれを我慢することを強要される」

 

「その声が彼らの殺人欲求を刺激したと?なるほど確かに人を殺させるには彼らは都合がいいだろう」

 

「ええ。欲に溺れるにはまずその欲を知らなくてはならない」

 

 オルハンは音もなく駆け出し、元エルメロイII世の肩に刺さった短刀を引き抜き、首を狙う。しかし、その斬撃は元エルメロイII世の腕に阻まれた。

 反撃とばかりに元エルメロイII世がフリューガーからくすねたナイフによる刺突を放つが、儀式用のナイフに殺傷能力は期待できず、また短刀に砕かれた。

 

「ちっ…!」

 

 すぐさま横に避けるが腹部を足蹴にされ勢いよく吹き飛んだ。

 

「他愛ない。これがかつて十二の君主(ロード)に名を連ねた者の実力ですか?」

 

「いや耳に痛い。自分でも不思議なほどだよ」

 

 刹那、ぼうっ、と二筋の炎が地面を平行に走る。それの末端がオルハンの足元に来るが、彼はものともしない。

 

「………」

 

 オルハンは無言で足元を見つめ、視線を元エルメロイII世に戻した。

 

「その声とやらは彼らになんと言ったのかね?」

 

 全身の痛みからどこを押さえようが変わらないと気づき、尻餅をついて脱力した元エルメロイII世はオルハンに問う。

 

「『私欲のままに殺すがいい。神は今宵の貴様らの悪徳を見過ごすであろう』と。馬鹿な者たちだ。その言葉の真意にも気付かず、時間をかけて己が欲望を増幅させた」

 

 一歩一歩、オルハンは近づいていく。

 対して元エルメロイII世は微動だにしない。

 

「神は確かに見過ごすだろう。しかし、彼らは裁かれないわけではない。むしろ来世はここで決定した」

 

「来世……壮大な話だな、最後の審判かね?彼らの行き先は地獄だとでも?」

 

 身体を前のめりにするが、それが精一杯。動く気力は薄れている。

 

「一つ確認しよう。まるで君は主犯であるかのように語るが、実際のところどうなんだ?」

 

「どう、とは?」

 

「言葉通りの意味だよ。貴様のことを全て知っているわけではないが、見てきた限りでは人を先導する器が決定的に欠けている。貴様は下にいて初めて輝く部類の人間だろう」

 

 先導する器。彼の中では彼の征服王イスカンダルの背中が思い浮かぶ。彼と比べるのはあまりに酷だが、やはりオルハンはその器ではないと直感が告げている。

 

「…それでも貴様が主犯を騙るならば構わんさ。虚偽であろうが、冗談であろうが容赦はしない」

 

「こんな火遊びで一体何を?」

 

「……ルーン魔術を知っているかね?時計塔でおっかないレディが復活させたモノだ。有名どころで言えば北欧神話のオーディンや、ケルト神話の英雄アイルランドの光の御子、その師である影の国の女王ならばわかるのでは?」

 

「………」

 

 無言。それでも元エルメロイII世は話し続ける。

 

「ルーン文字はゲルマン人が用いた古いモノでね。その起源は未だ正確にはわかっていない。

 ルーン魔術はその文字に宿る神秘を用いることを指す。無論、ここでルーンに神秘が宿るか否かという論点はその土地の魔術基盤に関わる。場合によってはルーンの神秘への信仰がなく、全く発動しないということもあるわけだ」

 

「……まさか!」

 

 はっ、と息を飲むオルハン。その両眼が見開かれた時には元エルメロイII世の足元の石には肩から滴る血を使い指先が記号を描いていた。そして、その記号が光りだす。

 

「気づいたかね。その二つの炎の線は貴様が私の体でフットボールを楽しんでいる間に仕込ませて貰った。

 私の葉巻の裏地にはルーンが刻んである。見ての通り、一本だけではこの土地ではバーベキューに最適な火力だが、こうやって無理やり火力を上げればヒト一人を殺せる程度にはなるだろう。

 ……本来ならば文字を敷き詰めるのが定石なのだが、流石に貴様を相手にそんな隙はあるまい」

 

 彼の足元の石の記号は崩れた『F』の形をしている。

 先ほどの二筋の炎の両端には同じルーンを刻んだ葉巻が設置してある。足元の石に刻まれたルーンは向かって左側の末端へと一筋の炎を走らせ、計三筋の炎がまた崩れた『F』を描いた。

 

「可愛いあまりうっかり首を絞めたくなるような義妹(いもうと)とフリューの分の仕返しだ。地獄の業火はこれほど微温(ぬる)くはないと思え」

 

 名を、アンザス。

 それは火のルーンと呼ばれるモノ。

 地上に炎によってそれが刻まれた瞬間、岩の大地に業火が具現した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぎあぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!!」

 

 轟く断末魔。

 業火の目の前で元エルメロイII世はへたりと座り込み、全身の痛みが収まるのを待っていた。

 業火の中のオルハンの影が悶え苦しむというお世辞にも良いとは言えない景色を眺めながら断末魔が止むのを待つ。

 今思えば貴重な情報源である気がしたが、もう遅い。彼は助からない。ならば最後の抵抗ができないほどになるまで炎への魔力供給は絶たない。

 ふと、業火の向こうの黒い目と視線が合った気がした。直後に断末魔が止む。

 魔力供給を絶ち、すぐに炎が沈静化する。もともと火元らしい火元といえばオルハンの肉体だけなのだから当たり前と言えば当たり前である。

 そして、炎が完全に消え失せると同時に元エルメロイII世は目の前の光景に驚愕した。

 

「…ファック(くそったれ)

 

 先ほど視線を交わしたばかりだ。つまり死体は灰にはないっていない。……だと言うのに炭になったであろう身体が何処にもない。

 

(…逃げられた?)

 

 ならば渓流か?確かに水源があれば多少マシになるだろうが……。

 

(まさか転移魔術?聖杯もなしに?)

 

 ありとあらゆる可能性を吟味する。まるで五感を遮断し、全ての意識が思考を巡らせるために脳細胞へと集中しているようだ。

 

 

 

「ほう、饒舌だけが取り柄かと思えば、そうでもないらしい」

 

 

 

 幾重にもブレて、重なるような声がする。

 思考の最中、()()は現れた。

 空気が凝集されるように黒い何かが集まり一つのカタチを成して行く。

 

「…貴様は────!?」

 

 黒い布に全身を包み込んだ()()は明らかな超常の存在。

 元エルメロイII世の脳裏をよぎったのは英霊。かつて聖杯戦争で争いあった六騎を、そして自分を導いてくれた一騎を思い出す。

 しかし、同時にその可能性はあまりに低いと断定した。彼らの召喚は術式、土地、聖杯の三つの要素を必要としたモノ。聖杯だけでは成し得ることができない御業。まさかそれを盗み出し、亜種聖杯戦争でも始まったと言うのだろうか?

 

「…馬鹿馬鹿しい」

 

 与えられる情報量に比例してわからないことが増えて行く現状に、そう吐き捨てる。

 そして、彼は()()に問うた。

 

「貴様は何者だ?」

 

  「考えてダメならば答えをくれ」そんな表情だった。

 

復讐者(アヴェンジャー)原初(さいしょ)の復讐者故にそう名乗ろう」

 

 黒い布の隙間から声が漏れ出た。その言葉は、まるで毒だった。人を殺すためのものではなく、惑わすためのもの。滲み出る悪意が肌を震撼させる。

 あの英雄王ギルガメッシュとてこのような恐ろしさは感じなかった。否、彼とはまた別のベクトルで恐ろしいのだろう。

 全てを憎み、全てを見下し、全てを嬲る。ただそのためだけの存在だ。

 

「精々思考しろ。それが今の貴様には苦痛なのであろう?」

 

「私を殺しに来た分際で何をほざく…」

 

「ふははっ、ここで貴様を殺して何になる?断言しよう。貴様一人がいようがいまいが我が後悔することは未来永劫ありはしない」

 

 それは慢心ではない。純然たる事実だろう。

 

「だが────」

 

 途端、黒い布に包まれた左腕が伸び、元エルメロイII世の頭を鷲掴みにした。

 

「如何せん協力者は貴様を殺したがっているようでな。依り代との縁を剥奪される前に有用さを示さねばならぬ。ここで死ね」

 

 その手に力が込められて行く。頭蓋が軋みを上げる音が脳内を反響する!

 

「嗚呼、勿体無い話だ。これほど見応えのある泥人形もそうはおるまいに…」

 

 嘆くように、慈愛に満ちるように、しかし見下して、復讐者(アヴェンジャー)は言う。

 

「望んだ才能が得られぬ貴様のような人間こそ愛でるべきモノだ。協力者の指示さえなければ一考していたのだがなぁ……」

 

 あまりの握力に、とうとう頭の皮膚が千切れ、だらだらと血液が滴り始める。軋む音が強くなり、死を実感していたその時だった。

 

 

 

 ────地上に三日月が描かれた。

 

 

 

 その軌道上の復讐者(アヴェンジャー)の首を刈り取らんと走るそれは、死神の鎌(グリム・リーパー)

 同時に復讐者(アヴェンジャー)の背後へ一閃が走っている。それは黒鍵だ。

 途端、まるで気化するように黒い布が揺らぐ。二つの斬撃により、煙のように乱れ、黒い気体はそのまま襲撃者たちと距離を取り、離れた場所でカタチを得る。

 

「来た来た来た…」

 

 元エルメロイII世と自分の間に割って入って来た金髪の民族衣装の男と、フードの少女を眺める復讐者(アヴェンジャー)の嗤い声が木霊する。

 

「件の神父に墓守か。よかろうよかろう。貴様らが如何程のものか、楽しみ尽くして陵辱しよう。精々足掻けよ、泥人形」

 

 

 

 

 

 




英語はそこそこ知っているつもりですがドイツ語なんて門外漢なので検索した私です。間違いがあったら言ってくださいまし。


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出来損ないと贋作者

センターですね。
便りのないのがなんとやらと昔から言うようですが、三人の教え子が誰一人として一日目の様子を連絡しないのは凹んでいてそれどころではないのか、それとも「お前に話すことなんかねぇよ」という意思表示なのか……。
まぁ、そのうち結果はわかることですね。
私もそろそろ進級をかけたテストを控えているのでうかうかしていられませんけど、彼らが自主的に私立対策をしっかりやって滑り止めに受かることを祈るばかりです。それでも欲を言えば国立ですよね。旧帝大。



 車から降り、麓の結界を通り過ぎた瞬間に()()を感じ取り、身震いがした。

 

 何故こんなモノが結界をすり抜け、その内側に顕現したのか。

 何故こんなモノがこの世に存在しているのか。

 何故こんなモノの存在を今朝見逃したのか。

 

 それら全てに憤りを感じ、自分は駆け出した。

 岩山をある程度登ったところで迂回し、地上を燃やすような業火の具現と消失の一部始終を目に焼き付ける。そして、とうとうカタチを帯びた()()を黙認し、自分の体が宙を舞った。

 がちん、とフックが外れ、アッドが入った檻を出し、アッドの表面がルービックキューブのように回転。そして死神の鎌(グリム・リーパー)を展開する。

 

(とった────!)

 

 上空から自分が、付いて来たらしいアレクセイが背後から斬撃を加えようと武器を振るっている。敵は師匠の頭を鷲掴みにしたまま、こちらを一瞥さえしていない。

 まさしく必中不可避。死神の鎌(グリム・リーパー)が描く三日月と、黒鍵が刻む扇が()()の命を刈り取る────筈だった。

 刹那、()()の姿が霞み、二つの斬撃により煙のように揺らいだ!

 

「「────っ!?」」

 

 アレクセイも驚いたように眼を見開いた。

 危うく師匠の首を刈り取る寸前だった黒鍵を急停止させ、漆黒の気体となった()()に向き直った。

 

「来た来た来た…」

 

 嗤いめいた声が、黒い布の奥から漏れ出てくる。呟きに等しいそれが、どうしてこうも響いて聞こえるのか。

 

「件の神父に墓守か。よかろうよかろう。貴様らが如何程のものか、楽しみ尽くして陵辱しよう。精々足掻けよ──────」

 

 一度カタチを帯び、途端に姿が消えた!

 

「泥人形────!」

 

 言葉とともに、()()は眼前に現れる!

 天を突かんと振り上げられた左腕が振り下ろされる。後退して躱すか?いや、そうすれば背後にいる師匠が危うい。

 魔術回路を限界まで起動する。体全身に魔力を回し、『強化』を深化する。そのまま死神の鎌(グリム・リーパー)の長い柄を盾に、ピンポイントで手刀を迎え撃つ!

 

「っっ!!」

 

(…一撃が重過ぎる!)

 

 足場の岩にヒビが入った。腕力だけで言えば、過去に対峙したフェイカーのそれを遥かに凌駕している。

 さらに追撃が来た。左腕とは非対称で細い右腕が弧を描いた。握られている刃物は月光を跳ね返し、闇に淡い残像を映し出す。

 高速の右腕と自分の間にアレクセイが割って入り、黒鍵で刃物の進行を止めた。アレクセイの技量故か、それとも神父らしからぬ魔術故か、黒鍵にはヒビが入った様子はない。

 左手を懐へ、そして黒鍵の柄を取り出し魔力で編まれた刃を作り出し、それを横薙ぎする態勢へとアレクセイが移行する。

 一秒足らずのモーション。しかし、漆黒の敵は自分を押さえつけていた左腕を握り拳にし、アレクセイへと差し向ける!

 

「な……」

 

 その声が漏れ出た直後に、アレクセイの姿が消え、渓流の対岸──そこの山の岩肌から砂塵が舞い上がる!

 

「……馬鹿な」

 

 師匠の声だ。たしかにそう言いたくなる。第八秘蹟会所属の代行者(エクスキューター)をいとも簡単に……。

 フードの下の冷や汗がひどく鬱陶しく感じる。

 この黒い敵の底知れなさが、ただただ恐ろしい。

 

「…嗚呼、塵のようだ。協力者はこのような者ども警戒したのか?愉しむ(いとま)もなく踏み潰してしまうではないか」

 

 剛力の左腕に、高速の右腕。師匠とそう変わらない身長で黒い布に覆われた()()

 あまりに異形。あまりに怪異。あまりに超常。

 その全身から滲み出た黒くて黒くて黒い魔力の強大さが連想させるのは………。

 

「サーヴァント…?」

 

 自分の唇が、そう紡いだ。

 

 

 ────その言葉がまずかったのだろう。

 

 

使い魔(サーヴァント)だと……?それは、この我に向けた言葉か?」

 

 空気が、否、この身が震え出した。布の奥から殺意が溢れ出し、それら全てを一身に浴びせかけられている!

 

「アッド!」

 

 不安で不安で仕方なくて、友達の名前を叫んだ。そして、一瞬の葛藤の後、言葉を吐き出す。

 

「第一段階応用限定解除!」

 

 死神の鎌(グリム・リーパー)が匣に戻り、表面が回転し始める。展開されたカタチは破城槌。

 滲み出る()()の魔力を喰らう。

 英霊スキルに換算すればDランクの魔力放出。

 “最果てに輝ける槍(ロンゴミニアド)”を除けばアッド最大の一撃。

 至近距離かつ高火力の不意打ちを、漆黒の敵に見舞う!

 

 

 

「もう一度だ……」

 

 

 

 大槌が、止まった。

 

「え────?」

 

(嘘……どうして…)

 

 何度も何度も何度も何度も魔力を放出し続けているのに、()()の左腕が筋力だけで破城槌を握って微動だにしない!

 

「もう一度言ってみよッ!!そう言ったのが聞こえなかったか小娘ッ!!!!!!」

 

 ()()の左腕が自分ごと破城槌を持ち上げる!

 

「馬鹿野郎!オレなんざ離して逃げやがれ愚図グレイ!!」

 

 手元からアッドの声がするが、手遅れだった。

 その左腕が破城槌ごと自分を叩き落としたのだ。

 轟く音が地面を砕き、軋む音が自分の体を壊す!

 

「っ〜〜〜〜!!」

 

 かつてないほどの激痛が全身を巡る!

 

「嗚呼!嗚呼!!嗚呼嗚呼嗚呼!!!嘆かわしい!現世(うつしよ)はこれほどまでに身の程知らずが跋扈するのか!?神秘の時代は我らを恐れ!時に我らを崇拝し!欲望のまま望みを曝け出す泥人形が溢れかえっておったというに!我が使い魔(サーヴァント)だと!?」

 

 ()()の怒気が傷口から染み渡る。

 毒々しくて、苦々しくて、夥しい不快な怒気が思考を停止させる。

 

「…グレイ、コイツはヒトの手に余るモンだ。なんとかして逃げろ」

 

 アッドの言葉が鼓膜を打つ。

 

「でも、師匠を守らないと…」

 

 そう、どれだけ恐ろしくても、思考を捨てても、それだけは自分がしなければ。凛が言っていたように、それが自分の専門なのだから。

 

(立たなくちゃ……)

 

 ある種の強迫観念が、この体を突き動かした。

 だが、さらなる絶望がこの身に迫り来る。

 

「貴様らは不出来故に我らを恐れなければならない!それをも忘れし小娘は、最早泥人形にも劣る屑である!!」

 

 逃げろ、逃げろ、頭に響くそれはアッドの言葉なのか、それとも自分の本能が叫んでいるのかわからなかった。

 

「おう、故人を尊ぶ者よ!人より魂に近しいヒトよ!愚かにも我を見下した貴様に最大の恐怖をくれてやろう!墓守の魂よ、凍り付け!灰も残さず燃え尽きろ!!」

 

 左腕の指先から、紅蓮の焔が漆黒の布を燃やしていく。

 

 

 

 

「────我が悪意を見よ…!」

 

 

 

 

 大源(マナ)が喚き、エーテルが忙しなく()()の左腕に集約されていく。

 それを直視した瞬間、自分の魔術回路を流れる小源(オド)が凍り付いていった。

 

 

 

 

 ────自分の中の、何もかもが停止した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女が停止する。だが、それと同時に表層化する者がいる。それは彼女の故郷が育て上げた怪物。彼女の中に潜む者。

 怪物が、少女の唇で口ずさむ。

 

 

Gray(暗くて)……Rave(浮かれて)……Crave(望んで)……Deprave(堕落させて)……」

 

 破城槌が死神の鎌(グリム・リーパー)へ変貌し、大源(マナ)を吸い上げる。凍り付いたはずの小源(オド)を溶かすように、魔術回路に流れ込む魔力が、少女の身体を稼働させる。

 対して復讐者(アヴェンジャー)。露わになった左腕は、霊感が強い少女の心を凍りつかせるに足るものだった。かつて覗かされた蒼崎橙子のバッグの中身の魔物を凌駕するほどに、少女にとっては刺激が強いものだった。それは宛ら悪意の具現。

 欲にまみれ、殺意にまみれ、穢れにまみれたそれは、生者よりも生者らしく、死者よりも死者らしい。しかし、そのどちらでもないのだろう。

 

 

Grave(刻んで)……me(私に)……」

 

 

 続く言葉は、無感情に……。

 

 

Grave(墓を掘ろう)……for you(あなたに)……」

 

 

 それでいて、力強く……。

 

 

 少女が持つ死神の鎌(グリム・リーパー)が輝きだした。

 地上に降りた太陽の如く、紅蓮の光を帯び、万物を蒸発せんと灼熱する。

 

「聖槍、抜錨────」

 

 言葉通り、槍へと姿を変える死神の鎌(グリム・リーパー)

 しかし、それの蠕動よりも早く、復讐者(アヴェンジャー)の左腕が動き始める。

 凝縮されたエーテルが塊となって少女の生命を奪わんと迫り来る。

 宝具の開帳よりも早く左腕は届くだろう。そして、少女は死ぬ。間違いなく、その命を潰される。

 だが、それを阻止すべくいち早く動いていた者がいた。

 その者は復讐者(アヴェンジャー)の腕よりも早く動き始め、少女の真横に到達し直進してくる手のひらの軌道から少女をずらした。

 名など言うに及ばず、この場に居合わせたものなど一人だけ。他でもない元ロード・エルメロイII世その人である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 肩に温かいものが触れ、途端に凍り付いた心が蘇生した。

 迫り来る巨大な手のひらが横にずれる。いや、自分の体が横にずれたのだ。優しく紳士に自分の体を抱きかかえるようにずらし、己が身を投げ出したのは師匠だ。

 

「しっ────」

 

(違う!立場が逆です!)

 

 まただ。地下崩落の時とまるで同じだ。守るべき自分が、守られるべき師匠に助けられようとしている。

 本当は死ぬのだって怖いくせに、なんでそんな無茶を……。

 途端に師匠の唇が動いた。言葉に魔力を乗せて、何かを呟いたようだ。

 おそらく声に指向性を持たせ、本来声が伝わる速度よりも速く敵の耳に届かせたのであろう。すると、直進していたはずの敵の腕が師匠の眼前で動きを止めた。

 

 

「────I am the bone of my sword(我が骨子は捻れ狂う).」

 

 

 作り上げられた間隙に、何処かで聞いた響きの詠唱が耳を刺した。

 

 

「────“偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)”!」

 

 

 刹那、自分と師匠の顔と顔の間を、螺旋の突風が通過する。それは敵の手のひらを、腕を、悉く貫通し、その身体に風穴を開けた!

 その拍子に敵の体も吹き飛び、山肌に衝突する。

 盛大に舞う砂塵。あの左手のエーテル塊と、敵の身体を射抜いていなければ地形を変えていたであろう一撃の余波が瓦礫を生み出し、漆黒の敵を生き埋めにした。

 しかし間を置かず、瓦礫が動き出す。砂塵の中から大きな岩が投げつけられ、先ほどの一撃を加えた赤銅色の男の真横の地面へと落下する。

 漆黒の敵が砂塵より姿を現した。あの一撃は完全に入ったようで、しっかりとその血液を垂らしている。

 

「そこな男よ……問おう、貴様は何者だ?」

 

 自分への怒りなど忘れ去り、完全に雰囲気を一変させた敵は赤銅色の彼に問う。よく見れば彼も血だらけだった。

 

「俺は────────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一体俺は幾つの命を奪ったのだろう?

 覚悟はしていた。覚悟はできていた。だけどこんな覚悟がしたかったわけではない。俺はもっと綺麗で理想的で、非現実的なものの為にこの身を捧げたかった。

 この姿を見て万人は思うだろう。愚かだと。

 この姿を見て誰もが思うだろう。壊れていると。

 あぁ、誰だ?誰がこんなことをしたんだ?

 殺され、嬲られ、壊されて、伽藍堂と化した幸せの情景には作為的で、悪意的で、快楽的な意図が感じ取れる。まさしくそいつは俺が倒すべき悪だろう。

 そう、悪を倒すべき俺は────────

 

 

「俺は、()()()()()…」

 

 

 赤い外套の背中を幻視する。あの日の剣戟で継承された技術があるのに、まるで指が届かない彼の英霊の背中を。

 

「その背中を追う者──贋作者(フェイカー)とでも名乗ろうか」

 

 今日も無意味に無力に指を伸ばし、

 

「────投影(トレース)開始(オン)…」

 

 偽者の口はそう唱える。顕現する陰と陽の双剣の柄を握りしめた。今日浴びる返り血が、あいつで最後になりますように、と願いを込める。

 

「ふっ、滑稽よな。返り血まみれの義の者か。嗤えるあまり傷口に触りそうだ」

 

「…今度はこちらが問おう。集落の暗殺者(アサシン)たちを誑かしたのはお前か?」

 

 こんな質問になんの意味はないのはわかりきっている。対峙する漆黒は、邪悪であると魔力だけで告げている。

 

「ふははははっ!愚問ッ!あまりにも愚問ッ!!そんなことはわかりきっていよう!?見ての通り我は誑かす者!それ以外の何に映る!?

 聞けば奴らは暗殺教団なる者共らしいではないか。貴様らを殺すついでに興が乗ったに過ぎんよ。嗚呼、今でも耳に残っているぞ。殺される者の怨嗟と嘆きが!殺す者の奇声と嘲笑が!!」

 

「テメェ…!」

 

 口の中で歯と歯が擦れ合う。嫌に耳障りな音が鳴った。

 

「来るがいい、贋作者(フェイカー)。貴様が倒すべき悪はここにいるぞ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 士郎が弾けるように踏み出した。

 復讐者(アヴェンジャー)に肉薄し、まずは陽の剣を袈裟懸けに振るう。敵は右腕を構え、その手に握る刃物で受け止める。

 続いて陰の剣を水平に。復讐者(アヴェンジャー)の首を捉えたかと思いきや、黒い気体と化した復讐者(アヴェンジャー)が士郎の背後に出現する。

 刃物が煌めく。背後を向きながら、士郎は迫る一撃をいなす。

 堅実かつ厳格。心に邪なものがないが故に、清流のような太刀捌き。闘いに派手さなど要らない。ただ基礎だけを積み上げた絶技──その発展途上の剣技だ。

 対して敵は真正面からやり合う剣技ではないのだろう。しかし、それは気化という能力と合わさり、より危険性を増している。

 剣戟の最中、復讐者(アヴェンジャー)が距離を取り、負傷した左手を大地に密着させる。

 刹那、紅蓮の焔が渦となって顕現した!

 

「────投影(トレース)開始(オン)!」

 

 周囲の空間が歪む。現れたのは多種多様な剣の群れ。それら全てに異なる幻想──謂わば過去の持ち主と剣との記録や技量が込められている。降霊技術の応用、憑依経験。降霊科(ユリフィス)で学んだ知識が活かされ、より純度の高い幻想を込めることが可能となった異能。

 

「────全投影(ソードバレル)連続掃射(フルオープン)……!!!」

 

 それら全てが闇を走る。紅蓮の渦と衝突し、内包された幻想が暴れる焔の渦を相殺する。

 

「…ちぃ!」

 

 衝撃に紛れて復讐者(アヴェンジャー)の舌打ちが聞こえてくる。

 焦っているかのように。否、実際に焦っているのだろう。完全な不意打ちでケルトの英雄フェルグス・マック・ロイが所持した螺旋剣(カラドボルグ)、その投影に改良を加えた一撃を受けたのだ。元来動ける方が異常なのである。

 再び二つの影が相見え、甲高い音が空気を震わせる。

 復讐者(アヴェンジャー)が右腕しか振るえない今こそ、近接戦闘は好ましい。六年の研鑽を全てをかけて、この悪を殺すための剣となろう。

 

(そう、衛宮士郎の体は剣で出来ているのだから)

 

 双剣を振りかぶった瞬間、魔術回路を廻す。両手に握る陰陽の剣に『強化』を施した。

 途端、それらの丈が伸び、宛ら鶴の翼のような形状へと変形した。

 

「────ッ!?」

 

 驚愕する復讐者(アヴェンジャー)

 

「…なるほど、異常者め。中々やりおる」

 

 士郎の本質を見抜いたように、そう呟く。

 そして、左手から紅蓮の息吹を吹き荒らせ、焔の嵐を具現させようとする。しかし、

 

「────そうはいきませんよ」

 

 その背後より声がした。

 

「貴様────!」

 

 刹那、復讐者(アヴェンジャー)の胴体を、左手を、細い刀身が貫いた!左腕から溢れ出ていた焔が消える。

 さらに左右からハサンとサームが詰めている。

 

「我が拳を(じか)に受けておきながら、何故立ち上がれる!?」

 

 民族衣装に身を包む金髪の男。アレクセイ・フランプトンが復讐者(アヴェンジャー)の背後に姿を現した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロシアの魔術師家系に少年は産まれた。

 その血統は協会に属さず、一つの魔術にしか適正を持たないなり損ない。

 少年が一歳の誕生日を迎えるよりも前に、その家に一人の日本人が招かれた。その男の表情には、常に苦悩が刻まれていたことを少年は()()()()()

 

「人は無意味に殺し合う。二百年を超える我が生の中で私は愚かな人間どもの真なる価値を問いただして来た」

 

 まるで一歳足らずの少年がその言葉の意味を理解していることを見抜いているかのように、男は語っていた。少年はただ苦悩に満ちたその顔を眺めている。

 

「だがこの世界のどこにもその答えはありはしない。故に世界の外側──貴様らと同じ目的の地、『根源の渦』を目指し始めた。

 人の死を辿ることで『根源』に至るため『死の蒐集』をし、彼らの死を明確に記録した結果、死は六十四に分けられると結論づけた。貴様らのやり方とは真逆と言えるだろう」

 

 そう真逆だ。だから男は招かれた。互いにアプローチが真逆だからこそ、気づけることもあるだろう。

 

「新たな道を開くことこそ抑止力の妨害を受ける要因だと考えたが、なるほど、その方法ならば或いはそれにも耐えられよう。……だが、惜しいな」

 

 その厳つい手のひらが少年の顔面を覆った。そして、男はこう言い残す。

 

「次代に期待するといい。おそらく今代には至らないだろう。

 何故なら幼子よ、貴様の起源は───────」

 

 哀れむような口調だった。その少年──当時のアレクセイがその言葉の真の意味を理解するのは十年以上先のこととなる。

 

 ────そして、今。

 

「我が拳を(じか)に受けておきながら、何故立ち上がれる!?」

 

 アレクセイは復讐者(アヴェンジャー)の背後を陣取り、二本の黒鍵で動きを封じた。

 左右をハサンとサームが、正面を衛宮士郎が。逃げ場は完全に塞ぎ切った。

 

「……まぁ、強いて言うならば『出来損ない』、だからでしょうね」

 

 左右の二人の二閃が走る。そして、士郎の陰陽の双剣が復讐者(アヴェンジャー)の身体を引き裂こうと振るわれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒と白の剣を同時に振るった。

 その悪の血を浴びることが、この戦いの幕引きにつながるだろう。そう思った時だった。

 その漆黒の悪者が、光の粒子となって消失したのだ。

 聖杯の少女が消えた時と同じ、転移魔術だろう。

 

 

 ────そして、干将・莫耶が空を裂く。

 

 

 その手応えのなさが、俺の心の虚しさを代弁しているように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつしか無意識に座り込み、傍観に回っていた。いや、目の前の光景に圧倒されていた。

 桁違いとは、このことを言うのだろう。敵の一撃をモロに受けて立ち上がったアレクセイもそうだが、士郎の『投影』が常軌を逸していることには自分でも気づけるほどだった。

 曲がりなりにも『宝具』を扱う自分ならわかる。彼が投影していたのは全て『宝具』だ。それをまるで我が物のように使う姿に英雄の影を見た。

 

「…圧巻だったな」

 

 隣で尻餅をついている師匠が呟いた。

 その何事もなかったかのような態度が、どうにも今の自分の癪に触った。

 

「何が……『圧巻だったな』ですか……!」

 

 自分にしては珍しく、言葉に怒りが孕んでいたが、そんなことは気にならなかった。

 

「なんで…あの時あなたは拙を庇ったんですか!守るべきは拙の方なのに!」

 

「…レ、レディ、待ちたまえ」

 

「師匠はだらしなくて貧弱なんだから!拙が側にいるなら危ないことは全部…全部、拙丸投げすれば良いのに!

 ……あなたがいなくなれば悲しむ人や、困る人がたくさんいます!馬鹿なフラットは一生卒業できないし!スヴィンはワンワン鳴くでしょうし!なんやかんやメルヴィンさんだって思うところがあるはずですし!…ライネスさんだって……絶対………絶対傷つきます。あなたは、あなたはもっと多くの人を、導かなきゃならないのに……拙だって…」

 

 こんなこと言ったって八つ当たりにしかならないのに…言い知れない感情が口に出さなきゃ心を圧迫するようだ。

 

「……拙は師匠に死なれたら、どう生きて良いかわからないです」

 

 気づけば師匠に縋り付くように泣きべそをかいていた。そんな自分の様子に呆れたのだろう。師匠はため息をつき、自分の頭に手を乗せる。

 

「落ち着きたまえ。……たしかに、戦闘という君の領分を犯してしまったことは謝ろう。…だがどうにも、私は非情になりきれない。聖杯を巡る争いに犠牲がつきものだと覚悟したつもりで、その実まるで覚悟ができていなかった。どう振る舞おうが、強がろうが、その事実は変わらない。

 ライネスが傷つけられて憤りを感じているし、一度借りができてしまえばフリューだって失いたくなくなった。……君が目の前で殺されることにも耐えられない」

 

 いつもの講義のような口調ではない。師匠は不器用に思いの丈を綴る。

 

「ならば自分の命を勘定に入れる他ないだろう?」

 

「違います!」

 

「違わんよ。グレイ、先ほどから私にばかり焦点を当てているが、君が死んだことを悲しむ人間はいないのかね?メルヴィンは微妙だが、先ほど名前を挙げた者たちは、君の死になんの感情も湧かないとでも?」

 

「それは……」

 

 違う。彼らはきっと泣いてくれるし、自分だって彼らのために泣くだろう。

 

「そう、君が死んだら悲しむ人間がいる。その筆頭に私を置いてやってもいいくらいだ。他の誰かと繋がるとはそういうことだ。

 私以外の人間と関係を築けた君が、私がいなくなったぐらいで生き方を見失うなんていうのは自己評価があまりに低い。君には才能がある。それで苦しい想いもたくさんしただろうが、その分だけ人を救えるような希少なモノだ。もしも君がそれを活かすための生き方を見つけ、そちらに進みたいというならば、私は師として全面的にバックアップするし、貯金を崩して豪勢な送迎会だってしてやろう」

 

 言葉に詰まり、少しの間隔を空けてから師匠はまた喋り出した。

 

「…あぁ、結局何を言いたいのやら、全く要領を得んな。各々お互いを守りたいと思ってしまえば犠牲になるのは自分自身……我々は一体、自分以外の何を失う覚悟をすればいいのだろうな」

 

「その前提が間違ってるんじゃないか?」

 

 自分たちの会話に入って来たのは士郎だった。自分は泣きじゃくった表情のまま、彼を見やる。

 

「たしかに、何かを失ってしまうのは簡単で、一番覚悟しなきゃならないのがそれなんだろうけどさ、やっぱり誰だって何も失いたくないんだよ。

 ……だからきっと、これが一番難しいんだろうけど、何かを失う覚悟より、自分の命も何も失わない覚悟を決めればいい。俺はいつもそうしている」

 

 その過程で、彼はどれほどのものを取りこぼしたのか。まだ彼が時計塔を出て間もないというのに、その旅路の険しさを、それ以前の歩みの厳しさを、想像せずにはいられない。

 

「……悪い、なんか偉そうなこと言ってしまった。結局のところ、俺自身が半人前なんだから含蓄がないんだろうし、いざとなったら自分の身を投げるんだけどな。それでも今夜みたいなことは絶対に嫌なんだ。世界中の誰にも涙して欲しくないし、笑っていてほしい」

 

「…なるほど」

 

 師匠はそう呟いて、自分を丁寧に避けてから立ち上がった。自分もそれにつられて立ち上がる。

 

「衛宮士郎…君は初めて話した時から変わらんのだな。悪いが私は君ほど大きな覚悟はできやしない。自分がどれほど非力かなんてとうの昔に知ってしまったからな。

 …だからせめて、私は大切なヒトが悲しまない結末を目指そうと思う」

 

  「これでもこの身に余る偉業だと思うがね」と師匠は続ける。

 自分はどんな覚悟も中途半端なままだが、知らない誰かであろうとも、やはり目の前で死なれるというのは少し嫌で、二人ほど胸を張って宣言できるわけではないけれど、

 

(せめて、目の前にいる誰かを、出来うる限り救おうと思える自分でありたい)

 

 ただ心の内でそう唱えてみた。

 

 

 

 

 



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山の翁の…

時間が取れました。長らくお待たせしてしまい申し訳ありません。


 大地を潤す二本の大河。

 草は茂り、実のついた木々が聳えている。

 様々な動物の声が入り混じる。

 とても豊かな場所だった。

 

(…まるで楽園だ)

 

 動物たちの糞尿で肥えた土壌の匂いが懐かしい。

 

(何でだろう……?)

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()……?

 

 その体は草をかき分け、楽園の中央へと向かっていく。そこにいた女性を目を細めて見上げている。

 

「…そこな女よ────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぱちり、と瞼が開いた。疲れているのか不思議な夢を見た気がした。あまりに現実味を帯びて来ない場所をほふく前進していたのだろうか?あいにくながら自分の姿は映し出されなかったのでわからない。

 

(…ただの夢か)

 

 なら考えても無駄だろう。そう思い、これで三度目になる岩の天井を見つめ、上体を起こす。隣を見れば師匠が、師匠を挟んでフリューガーが眠っている。

 部屋の外を見ると日はまだ昇っていない。就寝中だが蝋燭の火は付いていたようだ。

 自分たちが到着するまでに起こったことは聞いている。光源を絶たれ、何も見えない中で多くの人が多くの人を殺したらしい。きっと、生き残った人たちは皆揃って暗闇を怖がったのだ。だから物資の無駄遣い覚悟で火が灯っている。

 もともと百七十人程度であった集落は四十人の暗殺者(アサシン)の内、二十九人、一般人が百一人亡くなり四十人余りらしい。

 昨日今日で死体を見えないところに集め、後日に葬儀の準備に取り掛かるらしいが、土葬のための穴を掘る時間はかなりかかるだろう。大きな穴を開けて、家族は一纏めにするから腐敗が始まる前に埋葬できるかもしれないとサームは言っていた。

 

(風に当たろうかな…)

 

 立ち上がって修復された結界をすり抜けた。

 咽びそうになる鉄の匂いは既にしない。昨日のうちに、あの夥しい血液の沼は凝固したからだ。だが、赤黒い壁や床、呪弾や魔弾に削られた跡。そして、濃縮された死の概念が殺戮の凄惨さを物語っている。

 よくない者が寄り付きそうだ。そう思って不気味な廊下をほぼ駆け足で通り過ぎて外に出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日照が始まり、朝食を終えると遺体の回収が開始された。

 穴蔵は思っていたよりも広大なので遺体がどこにあるのかを発見することから始めなくてはならない。さらに精神的に安定している人が少なく、今日で終われるかどうかも怪しい気がしてくる。

 

「………」

 

 斜め前を歩くハサンは無言のままだ。負傷している師匠とフリューガーは用心のために、凛のところで時間を潰している。本当に彼女には何から何までお世話になりっぱなしだ。

 ぴたり、とハサンの足が止まった。彼の背中を見て、自分も立ち止まる。

 

「いないと思えば……」

 

 仮面の下から声が漏れた。

 横にずれて、彼の視線の先にあるものを見せてもらう。すると、地面に転がる生気を喪った黒い瞳がこちらを見つめている。

 

「あ………」

 

 この声は自分のものだ。

 黒い瞳を内包した眼球の先には、壁に貼り付けられた二つの遺体。……聖杯の少女の両親だった。奥にはまだまだ複数の遺体が転がっている。

 

「酷いことをする。彼らに限った話ではないがな」

 

 目玉をくり抜かれた二人だが、中には修復不可能なまでに酷い状態の人もいる。変な言い方になってしまうが、見て来た中でも綺麗な状態ではあるのだ。

 ハサンは彼らの体を下ろし、眼球を丁寧に埋め込んだ。

 

「グレイ殿、すまないが…」

 

「わかっていますから」

 

 自分は聖杯の少女の父親の遺体の両脇を持ち、ハサンが両脚を持つ。持ち上げられた遺体をこれ以上傷つけないよう慎重に運ぶ。

 

「本来ならば我々で済ませるべき仕事だ。手伝わせてしまい申し訳無い」

 

「いえ、置いていただいている分だけ働かないといけませんし……たぶん、拙に出来るのはこの作業だけですので」

 

 体無き者を怖がる自分だからか、遺体を怖いと思うことはなかった。ある意味適任だと思うのだ。

 ふと、耳に馴染み始めた声──彼らの祈りの声が流れ始めた。しかしその声の中に、どこか鬼気迫るモノを感じる。

 

「……休めば良いものを。こんな時は我らの主も大目に見てくれるだろうに────」

 

 祈りの声を耳にしたハサンが嘆く。

 

「────これでは祈っているのではなく、縋っているようではないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さらに二日を経て、葬儀が執り行われることとなった。とはいえ、師匠や自分たちは士郎たち三人とは違い、滞在期間が短い。葬儀の間は静かに待機することにした。

 昼は厨房を使わせてもらい、軽く三人分の料理を用意しようと裏手の渓流へ水汲みに行った。

 水面に映し出された顔は、自分でも自覚できるほどに陰りを纏っている。その顔を見るとさらに気分が陰鬱になるような気がした。気づけば大きなため息を吐いて背中が上下する。

 先日の戦いでここも荒れ果てていた。

 復讐者(アヴェンジャー)なる強敵の剛力が砕いた地面。紅蓮の炎が焦がした大地。衛宮士郎の投影宝具が崩した山肌。

 それらを見渡していると太陽の光を反射して赤く光るモノが目に入った。近寄って見ると赤い液体……血、だろうか?

 

「おはようございます」

 

「ふぇ!?」

 

 背後からの声に驚き、間抜けな声を上げてしまった。何者かが音もなく近寄って来たのだ。後ろを振り向くと、無表情な水銀メイドがしゃがみこむ自分を見下ろしていた。

 

「…トリムマウ!?」

 

「Yes. おはようございます」

 

「………こ、こんにちわ」

 

 こんな時間におはようございますを言うのは彼女が稼働していなかったからだろう。ひどく久しぶりな気がする彼女の登場に見開いた目をぱちぱちさせ、次の言葉を待つ。

 

「お嬢様は常々おっしゃっております。『グレイは頭の回転が鈍くてトロいところが可愛い。いじめがいがあるから』と。たしかにグレイ様は察しが悪いようです」

 

 人のカタチをしているのに無機質な唇が発した言葉、その意味がよくわからず自分は聞き返す。

 

「……えっと、その、つまり?」

 

「この水銀メイドが『I'll be back』の宣言通りに帰還したことが何故なのかを考えればすぐにわかるものかと思われます」

 

 彼女の銀色の肌を見つめながら、数秒ほど停止していた。自分たちの静寂の中に渓流の音が流れ出す。

 答えを出せない自分に助け舟を出すがごとく、彼女は言った。

 

「つまり、お嬢様が目を覚まされました。口には出しませんが、グレイ様に会いたがっておいでです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トリムマウの報せを聞いてから直接ライネスの元には向かわず、まずは食事を用意した。

 

 ────『だったらさ、ライネスが目覚めた時に備えて食材を用意しておいたらどうだ?寝起きならスープとかの材料がいいと思うんだが…』

 

 あの日、士郎の代理で街に出向いたのは彼の提案で食材を買いに行っていたのだ。

 自分でも調理できそうなモノを買い、集落の貯蔵庫から羊肉を少しだけ頂いて作ったスープだ。普段からいい食材を使った料理を食べている彼女の口に合うかどうかは不明だが…。

 部屋を訪ねてみると上体を起こして部屋の中央に座っているライネスがいた。解呪はなされておらず、白い肌の上で黒い(のろ)いと赤い(まじな)いが拮抗している。少し頰がやつれているように見える。

 

「ライネスさん!」

 

 スープを置いて思わず抱きついてしまった。それでも体重をかけないように控えめにしたつもりだ。

 

「お久しぶり、です」

 

 虚を突かれたようで驚いているライネスは一拍遅れて口を開く。

 

「やぁ、グレイ。まさか君がこんなに大胆なことをしてくるとは思わなかったよ。…この場合は『久しぶり』と言うべきなのかな?私からしてみれば寝て起きたら色々起きていた、と言った状況なんだが」

 

 少しだけ目元が熱くなる。本当に色々あって経過した時間以上に会っていなかった気すらする。

 

「あの、話は誰から…?」

 

「ん?我が兄から聞いている途中だったが?」

 

 ライネスを抱きしめていた腕の力を緩めると、彼女は自分の後方を指差した。言葉通り師匠が、その隣にはフリューガーがいる。…全く気づかなかった。

 

「まぁ、なんだ?大変だっただろう?」

 

「…ライネスさんに比べればずっとマシな方です」

 

「二人とも……話を戻しても構わないか?」

 

 後ろからの師匠の声に二人で頷くと、まだ説明しきっていなかった部分の話に入る。

 士郎が現れた時の話から始まり、あの日亡くなった人たちの葬儀が渓流へ向かう迂回ルートの真反対で執り行われているという話で終わる。大方のことは自分が来る前に話し終えていたようだ。

 

「衛宮士郎の宝具投影に、サーヴァント級の敵──復讐者(アヴェンジャー)、ね。どこからどこまでが嘘なのか聞きたくなる話だな」

 

「別に、信じたくなければ勝手にするといい。私とて馬鹿馬鹿しい事態に頭を抱えている有様だ」

 

 裏切ったオルハンにやられた傷を覆う包帯をさすりながら、師匠は吐き捨てる。随分と不機嫌そうだ。傷が痛むのもあるだろうが、葉巻を切らしてしまったのがおそらく一番腹立たしい事態なのだろう。流石に未開の地に携帯ゲームを持って来るほどの余裕はなく、落ち着きがない挙動不審な時間が多くなった。あと貧乏ゆすり、これはいただけない。

 

「あの、ライネスさんにスープを用意したんですが…」

 

 話が終わる頃には冷めてしまっていた。

 

「…温め直してきますね」

 

「いいや、すぐに頂こう。なにも食べていなかったせいか、いまだかつてないほどの空腹でね」

 

  「そうですか」と返して、床に置いておいた器をライネスに渡す。

 すると、器を受け取った彼女がまじまじとスープを眺め始めた。そのまま静止したまま黙り込む。

 

「…虫が入ってました?」

 

 こんな高所にも生存しているのか…。彼らの生存力も侮れない。

 

「いや……時にグレイ。このスープには呪いに効く魔術でもかけたのか?」

 

「え…?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 魔力を感知すると色が変わる彼女の魔眼が自分のスープに反応したということだろうか?しかし、自分は彼女が今言ったような魔術ができるほど芸達者なわけではない。すぐに首を横に振った。

 自分の反応を見たライネスが「ははぁん」と呟く。

 

「だそうだ。我が兄よ、少しリハビリに出かけたいのだが付き添いを頼みたい。グレイもね」

 

 そう言った彼女はトリムマウに抱え込まれる。…トリムマウがメイドではなく執事ならばどれだけ絵になっただろうか。

 

「…わかった。だが、君を黙って動かしたことを知られれば遠坂凛に殺される。悪いがフリュー、言伝を頼めるか?」

 

「…一体何しに行くんだ?」

 

 フリューガーの質問には同意だ。二人だけで話を進めないで欲しいのだが…。

 

「なに、後手を取らされると痛い目に合うからな。先手を取らせて貰うだけさ」

 

 立ち上がり、師匠は半球状の部屋の出口へと向かう。

 

()()()()()()()()()()()()()。早く出よう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 師匠とライネスに(いざな)われ、着いたのは先ほどトリムマウと自分が話した渓流だった。水辺の岩にこびりつく緑を踏みつけるトリムマウに抱え込まれた状態で、ライネスは流水を凝視した。

 

「どうだ?」

 

「普通の魔術師には感知できないほどに薄いが、確かに魔力の残滓が感じられる。灯台下暗しと言うやつかな?」

 

 師匠の質問にライネスが答える。

 

「あの、そろそろ拙にも状況を教えて欲しいのですが…」

 

「ああ、歩きながら話そう」

 

 そのまま師匠とトリムマウの足が上流へと向かう。続く山々の険しさに辟易しつつ、師匠は説明を始める。

 

「簡単な話だ。君のスープに混入していた魔力は渓流の水に混じっていたものだった」

 

「そのようですね」

 

「……君はこれに違和感を覚えないのか?」

 

 なぜか落胆された…。師匠は溜息をついてから、

 

「つまり、この上流で魔術を行使した者がいると言うことだ。こんな僻地にいるのは我々と集落の者だけだろう」

 

 呆れ顔でそう続けた。だからなんだと言うのだろう?考え込もうとしたところで、ライネスの声が耳を刺す。

 

「麓とは別方向に魔力を感じるな。たぶん、人避けの結界だろう。罠を張って誤作動を起こそうものなら、それこそ我々に気取られる」

 

「…いや、この地形そのものが罠だろう」

 

「それは君が軟弱者だから出る意見だ」

 

 あいかわらず辛辣な言い様だが、久々のやり取りに頰が緩む。ライネスが指し示す方向に足を進めて行くと、段々と高度を上げて行くのがわかる。師匠が音を上げないことを祈るばかりだ。

 足が進む先は渓流に沿っているようだ。だが、進むにつれて人が歩くには不親切な地形が増えて来る。存外にも師匠の言う通り地形こそが罠なのかもしれない。

 

(…ん?罠?)

 

「……なんだかこの先に敵の工房でもあるような言い方ですね」

 

「ははっ。グレイ、私たちはさっきからそう言っているんだぞ?」

 

「え?そうなんですか?」

 

 師匠が黙り込むほどの高度になったところでを渓流沿いから逸れて、入り組んだ岩壁の中を進む。途端、魔力が体を通り過ぎる。

 

「…結界ですか?」

 

 自分の質問に、ライネスが頷いた。

 

「たとえ地図を持っていても人がここに辿り着くことは不可能だよ。結界の精度によってはフリューの占いでもね。……ああ、結界を通り過ぎたならば当然来るよな」

 

 彼女の視線の先で、四足歩行の動物が十数頭ほどの群れを成して牙を向けている。そのどれもが正気とは思えないほどによだれを滴らせて唸っている。

 

(犬……?)

 

 それとも狼だろうか?

 

(…でも、この感じは)

 

 鼓動が速くなる。

 果たして彼らは()()()()なのだろう?

 

「ジャッカルだな。死肉を漁る姿から死を連想するモノに例えられるイヌ科の一つだ。……グレイ、頼む」

 

 その言葉を聞き、がちん、と肩のフックを外す。アッドを死神の鎌(グリム・リーパー)へ変貌させ群れへと突進した。

 先陣を切っていた一匹を両断。直後に周囲のジャッカルたちがしなやかに跳躍する。体を回して死神の鎌(グリム・リーパー)で回転斬りを繰り出すと、単調な動きをする彼らの命を刈り取る。

 

(…手応えがない)

 

 確かに斬っているのに、まるで空気を斬っているような感覚だ。

 刹那、周りのジャッカルたちが煙のように霧散する。転がっている死骸もだ。

 

(…やっぱり、そちら側の存在だ)

 

 それら一つ一つが、巨人へと姿を変えた。下半身は煙のようで、自分たちの周囲の岩壁にギリギリ隠れるくらいの大きさだ。

 

「…なるほど、ジャッカルはアラビア圏ではジンが化ける姿の一つだったな」

 

 師匠の呟きが聴こえる。

 

「グレイ!斬撃ではなくアッドに喰わせてしまえ!人に使われている時点で底は知れている!」

 

 師匠の指示を聞き、魔術回路を回した。体全身に『強化』を施し、ジンなるバケモノの眼前まで跳躍する。そして、一閃。死神の鎌(グリム・リーパー)が巨人の顔面に刺し込まれる。死神の鎌(グリム・リーパー)の刃に刻まれたアッドの口がその巨人を咀嚼し始め、奇怪な音が響く。

 途端、巨人の体が崩れ、その存在が消える。

 

「どことなく人工的な味わいだなぁ…」

 

 気味の悪いモノでも食べたかのようにアッドが呟いた。

 

『■■■■■■────!』

 

 刹那、巨人たちが雄叫びを上げ、両手から巨大な魔弾を発射する。

 自分はアッドを大きな盾に変えて、魔弾を受け止める。衝撃を流しきれず後方へと吹き飛びつつも、盾の表面に灯った炎を確認した。

 

反転(リバース)────!」

 

 盾からの高密度な魔力放射。迫り来る魔弾を貫通し、巨人の数体を消し飛ばした。

 同時に後ろに流されていく自分の体を、柔らかい何かが受け止める。

 

「いやはや、君は相変わらず性格とは裏腹にお転婆だな」

 

 ライネスの声だ。彼女を片手で抱える水銀メイドのもう一方の手が水銀の膜となって、自分を受け止めたようだ。

 

「トリム、投げてやれ」

 

Yes,my master(はい、お嬢様).」

 

 トリムマウは無表情のまま、その可憐な見た目では想像できない腕力で上空へ自分の体を投げ飛ばす。

 いま一度、巨人の群れ──その頭上へと移動した自分はアッドの姿を今度は破城槌へと変形させた。

 破城槌の魔力放出で勢いを付け、巨人たちへそれを振るう。同時に聴こえるアッドの咀嚼音。彼らを喰らうことで破城槌の速度はブーストされていく。

 

 そして、最後の一匹の体を破城槌が殴り付けた。

 

「あ……」

 

 …高く飛び過ぎた。このまま地面に叩きつけられればスプラッタ確実だ。しかし、地面と自分の間にトリムマウの水銀の膜が現れた。それに包み込まれて事なきを得る。

 

It's alive! It's alive!(生きてる!生きてる!)

 

 直後にトリムマウが叫ぶ。

 

「…なんの台詞ですか?」

 

「Frankenst○inです」

 

 絶対にシチュエーションが違う気が……。

 

「フラットに植え込まれた無駄な知識は逐一削除しろといつも言っているだろ」

 

「申し訳ございません、お嬢様」

 

 水銀の膜から地面に降りると、師匠が近づいてくる。そして、

 

「君たちには緊張感というものがないのかね」

 

 咳払いの後にそう言ってきた。

 

「ふん、暗い雰囲気よりは幾分マシだろうに。お堅い兄上だな」

 

「もう少し君の中の呪いには働いてほしいものだ。生意気な義妹(いもうと)が大人しい方が私の胃袋も安泰なんだが」

 

「あの……喧嘩しないでください」

 

 自分の言葉に二人とも我に返ったようだ。剣呑な雰囲気を収め、師匠は周囲を見渡す。それにつられて自分やライネスも眺め始めた。

 とは言え、見えるものといえば岩の壁だけで、他には何もない。

 

「ここに警備があったということは確実に何かあるはずだが…」

 

「ふむ、一番魔力を感じるのは……」

 

 トリムマウに抱えられたまま、ライネスは岩壁に触れた。

 

『────!』

 

 彼女の手首が消えた!否、その壁は幻術の類だったのだ。

 

「入るぞ二人とも。嫁入り前の私を傷物にした輩の本拠だ」

 

 ニヤリ、と怪しくも美しい笑顔が向けられる。やはり彼女はブレない。そういところが同性として少し羨ましい。

 幻術を通り過ぎると、そこはまるで集落の穴蔵と同じ構造をしていた。もしかしたら技術的な観点から見れば一歩勝るほど自然な構造だ。光源である壁に埋め込まれた光る石はあの地下で見たモノと同じだろう。

 

「…規模は集落に劣るようだな」

 

 先頭を行くライネスが言う。

 入ってすぐの場所に書物庫。そこを一旦無視して進んだ先には扉があった。

 

(水の音…?)

 

 渓流から引いているのだろうか?この空間のどこかを、微量ながら流れているようだ。

 

「工房にしてはあまりに無防備だな。いや、構造的欠陥と言うべきか。自然に忠実であるが故に、魔力や術式残留物を外に漏らさざるを得ない。それを最低限に抑える措置はしているようだが…」

 

 なんにしても、敵にとってライネスの存在が想定外だったという話だろう。

 

「…なんとなくですが、古い感じがしますね」

 

 代継ぎの工房なのだろうか?それにしては管理が行き届いていない気がする。自然の風化の影響を受け、壁の表面の所々で脆くなった部分が目立つ。

 進んだ先の扉には防護結界らしきモノが掛けられている。ライネスの指示により、トリムマウが腕を水銀の鎚にし、遠慮なく破壊した。

 

「…これは────!」

 

 その先にあったものを見て、師匠が呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの後、工房に師匠達を残し自分だけ集落に戻った。

 葬儀を終えたばかりのハサンたちと、集落に残してしまったフリューガーを呼ぶためだ。

 師匠たちを残して行くのが不安であったが、トリムマウがいれば大抵のことはやり過ごせると言われたので仕方がない。

 彼ら──オルハンを除いてあの日、地下にいたメンバーを連れて元来たルートを辿り、外に出ていた師匠たちと合流した。流石に人避けは術者かライネスがいなければ突破できない。警備がなくなった工房に入ると師匠は一つの古めかしい書物を脇に抱えながら話し始める。

 

「わざわざお呼び立てしてすまない。あなた方が葬儀を執り行っている間にこの工房を発見したのでね。そろそろこの茶番にも終止符を打とうと思う」

 

 一同は不思議そうに工房を見渡している。

 

「ここはかつてこの山で修行していたという山の翁の魔術工房だ」

 

 その言葉を発した師匠にこの場にいる全員の視線が集中した。しかし、地下の時のようにみっともなくたじろぐことなく師匠は堂々と話し続ける。

 

「起こったことから整理していこう。理由づけはその後だ。まずは敵魔術師──いや、敵の魔術使いは少女の血を多量に抜いたという。これは術式を解析した少女の聖杯の力を使える使い捨ての魔術礼装を作るためだ」

 

 全員が黙ったまま扉があった場所に向かい歩く師匠について行く。

 

「壁や床に練り込まれた呪いは傷一つない死体を作るモノ。身ぐるみを剥いで縛ってしまえば、たとえ魔力を扱えるものであっても恒常的に供給される呪いに耐えられず、そのうち死に至るだろう。そして死んだ者の体に、創造した擬似精霊である魔物を押し込めた」

 

「ちょっと待って────」

 

 凛の声だ。

 

「────なんでわざわざ肉体なんて与えるのよ?力が弱まるんじゃない?」

 

 彼女のの質問に、師匠は頷く。

 

「敵にとってはそれでいいんだ。力が弱まることで使い魔としてやっと支配できる存在だからね。何より、魔物の存在を保つ魔力を補うために聖杯と複数のラインを作っていたら、彼らの目的が果たせなくなる。だからこそ、肉体を与えて独自に魔力を賄わせる必要があった。

 あの儀式陣には多量の血があっただろう?おそらく乾いた血は擬似精霊が無理やり肉体を変貌させる際に流したモノで、乾いていなかったのは先ほど言った少女の血で作られた礼装。中央にあった炎は擬似精霊を産み出す基となったものだ。彼らのオリジナルは煙のない炎と熱風から作られたという。煙のある炎から生み出されれば不完全であるのは当然だ」

 

 思い出したのは渓流で見た乾いていない赤い液体だ。今思えばあそこは復讐者(アヴェンジャー)が消えた場所だ。その礼装とやらを使えば転移魔術が可能ということだろうか?

 師匠は壊された扉の前で立ち止まった。

 

「擬似精霊の正体は悪性のジン──この辺りでは悪魔と言うことになるか。その中でも火の魔神と名高いイフリートと呼ばれる者だ。シェヘラザードのアラビアンナイト(千夜一夜物語)に登場する()()()()()()ランプの魔神であるとも言われている。少女の血の礼装は創造時の魔力供給とともに触媒として機能していたわけだ。もっとも、力を抑えられていた彼らには願望機としての機能はなかったようだがね」

 

 背中を向けていた師匠が振り返る。果たして誰に視線を向けているのだろう?

 

「あそこで少女が拘束されていたのは工房の異界化と壁や床の呪いへの魔力供給のため。世界は異物を嫌う。少女が転移魔術で工房から消えれば魔力供給を断たれた異界がいち早く崩れ去る。あそこには警備があっても罠はなかったが、状況が揃ったから敵の魔術使いは我々を殺すことを目的に工房を破壊した。

 それと、これはミスタ・ハサンの言葉から推測したことだが、少女が逃げ出せなかったのは聖杯としての能力が『言われたことしか叶えられない』という極めて受動的なものであったからだ。敵の魔術使いが事前にそのことを知っている。この古い工房が使われた形跡あるという事実で犯人は絞り込める。

 その人物は復讐者(アヴェンジャー)の言葉を聴くことがなく、正常を保ち、一連の出来事の現場に居合わせた者──」

 

 師匠の解説を聞き、自分の視線が動いた先は白い髑髏面の男だ。彼は集落にいながら暗殺者(アサシン)の中で唯一正気を保てたらしい。少女と復讐者(アヴェンジャー)が消えた現場にも居合わせていた。

 おそらく周囲の視線が彼に向いていたであろうその時、師匠はまた口を開いた。

 

 

 

「────貴様だろう、サーム」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




一応次回のあとがきは読んでいただきたいと思います。


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白い仮面

次回作の構想を練っているとどうにもフラットくんがチート過ぎないかと思ってしまって仕方がない今日この頃。…代わりに別の人を持ってこようかなと考えたり、スポーツ系の小説を書こうかなと考えたりなど妄想が膨らみます。マジでどうしよう…

今回は会話が多くて読むのが大変かもしれません。どう改変してもセリフが長くなってしまいました。まじで小説家の皆様を尊敬いたします。

*前回のあとがきでも書きましたが、出来ることなら今回のあとがきには目を通してください。


「───貴様だろう、サーム」

 

 師匠の言葉を聞き、ハサンに集まった視線がサームへと移される。当のサームは落ち着いた態度だ。

 

「……」

 

「否定も肯定もなしか?」

 

 沈黙を続けるサームに師匠が問い詰める。

 

「いや、疑うならばそれ相応の理由があるのだろう?全て話すといい、元ロード・エルメロイII世」

 

 あくまで挑戦的にサームは言う。

 

「そうか。では、先のことを話そう。

 貴様が最初にやっていたのは聖杯の術式の解析だろう。集落で聖杯を使わない。この取り決めに従っていた。そしてある日、貴様の元にも集落を離れようとする者たちから声がかかった。貴様はこれを好機と見、彼らを懐柔した」

 

「私の元に話が来た、か。何故そう思った?」

 

「集落に来た時にミスタ・オルハンは言っていたよ。『一歩間違えばあちらについて行った』とね。だから集落を離反した者たちはミスタ・ハサンを除いてある程度の人間には声をかけていたのは容易に想像できる」

 

 論に根拠があると納得するように、サームは頷く。

 

「だが、オルハンは君たちを殺しにかかったのだろう?その言葉に嘘がある可能性は吟味したか?」

 

「問題ない。我々を襲った彼は()()()()()()()()()()。おそらく殺戮が起こった夜の前日には死んでいる」

 

『───!?』

 

 サームを除いて全員が驚愕した。では、自分と士郎があの日の朝に話したオルハンは一体何者だと言うのだ。

 

「…まずは話を戻そうか。貴様が引き入れた仲間は集落を離れると勢力拡大を図る。そして聖杯の力を使い、彼らは事前に貴様が指示した通りにあの拠点を作り上げ、数日ないし数週間かけて少女の血を多量に摂取した」

 

「一つよろしいかな、ウェイバー殿?」

 

 ここでハサンが師匠の解説に割って入る。口調は丁寧なのに、煮え滾るような怒気が秘められている。

 

「出来事ばかりを並べられても、我が弟が犯人である確たる証拠がなければ納得できる話ではない。そもそもその礼装とやらを一体いつサームは手に入れたのだ?」

 

「彼は毎週金曜日になれば街に出るのだろう?その時に血を受け取ることも、加工した礼装を引き渡すことも十分に可能だ」

 

「……ならば根拠はなんだ?このような吊るし上げをしておいて、荒唐無稽な推理を聞かされては私も我慢はできんぞ?」

 

 明確なる殺意が師匠に向けられている。だが、師匠は身じろぎひとつせずに、ハサンへと返答する。

 

「根拠、ね。…すまないがミスタ・ハサン、魔術に精通する者の犯行において『どうやってやったか(ハウダニット)』も、『だれがやったか(フーダニット)』も論を確立する根拠たり得ない。どんな魔術であれ、使いようによっては同じ手品を可能にしてしまうからだ」

 

「なればこそ───!」

 

「だが、『どうしてやったか(ホワイダニット)』には意味がある。だからまずは私の仮説を聞いてもらえないだろうか?」

 

 ハサンの声を遮って師匠は言う。そしてハサンは、

 

「いいだろう。だがウェイバー・ベルベット、貴様の推理が間違っているようならば、その首は数分後に繋がっていないと思え…!」

 

 丁寧であった口調を崩して威嚇した。

 

「構わんよ。恥ずかしながら魔術刻印を移植するような相手がいない身でね、死後この体がどう扱われようと困ることはないんだ。首を跳ねるだけと言わず好きなように殺すといい。もしもの場合、あなた方にはその権利がある」

 

 思えば二人が話すのは師匠が一方的にキレた時以来だ。終始客人に礼儀を払ってばかりいたハサンにとって今の状況はあまりに不服なものだろう。実の弟が、あの殺戮を引き起こした犯人であると言われているのだから。

 

「では、私がサームを犯人だと断定するに至った鍵、この工房の主──山の翁がなんの研究をしていたのか、中に入って解説しよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 師匠に続き、破壊された扉を通過する。その先のものはさっき自分も目撃した。大きな円に、内接した五芒星の接点にはまた小さな円があり、一つを除いて絵が描かれている儀式陣。その図形を描く線は窪みとなっていて、渓流から水が流れ込んでいる。

 

「これが山の翁の研究成果だ。私が持っているのは彼の日記でね、研究資料はアラビア語で、しかも暗号化されていて解読する時間がなかった。日記によると、ここでの研究は暗殺の秘奥××××(ザバーニーヤ)なるモノを手に入れるためのものだったらしい。…儀式陣を見たまえ」

 

 小さな円の中には、裸の男、裸の女、空白、蛇、小さな黒い丸。師匠のスケッチで見た幾本かの波線は裸の女の髪だろう。

 

「裸の男女、数いる動物の中で選ばれた蛇だけでも連想できると思うが、この陣は小さな円に内包された象徴(シンボル)と流水により一つの世界、または物語を作り上げている。ただし、地下にあったのはサームがこれを基にして組み上げた創造陣。こちらは召喚陣だ」

 

 師匠はこの前、自分で否定した論を提示した。ではあの空白も象徴(シンボル)と言うことか?

 

「あぁ、なるほど。創世記ですね」

 

 アレクセイが合点がいったとばかりに呟いた。師匠は彼を向いて頷く。

 

「さすが神父。反応が早いな。彼の言う通り、これは東方のエデンの園を表している」

 

「では、流水はエデンに流れていた大河。空白は……なるほど。教義に則るならばあのお方しかいないでしょうね」

 

「あぁ、空白は君たちが主もしくは神と呼ぶ者。目無くして見、耳無くして聞き、口無くして語る存在。時間と空間に縛られない描くことを禁じられた超常だ。だからこそ、何も描かないことが正解だと山の翁は考えた。おそらく黒い丸は禁断の果実だ」

 

 アレクセイとの礼拝堂での会話を思い出した。崇拝する対象にカタチを与えてはならないならば、たしかに師匠の言う通りだ。

 

「そして、大円に内接するのは蛇の接点が聖地の逆を向く逆五芒星。よくバフォメッドとセットにされることがあるが、逆五芒星は地獄のつながりを表す。陰陽道では五芒星の向きが逆さになるだけで効果が反転することがあるらしい。いわば、聖地が天でその真反対は地獄ということだろう。なんであれ、見るべき方角を定めることは必要だからね。

 ───この中で、地獄に連なる者は一つだけだ」

 

 師匠は聖地とは真反対を向いているという蛇の接点を指差した。

 

「創世記の顛末はこの場にいる方々なら知っているだろう。エデンの園の中央に置かれた二本の樹の果実、神が食べることを禁じたそれの一つ──知恵の樹の果実をアダムのつがい、イヴが口にした。イヴはアダムを言いくるめ、彼にもそれを食べさせる。禁忌を犯した二人を、神はエデンから追放し、園につながる道を智天使ケルビムと回る炎の剣に守らせたという話だ」

 

 一息ついて、師匠はまた話し出す。

 

「イヴが禁断の果実を口にする原因を作ったのがこの蛇だ。アダムとイヴは禁断の果実を食べると死ぬと伝えられていたが、蛇は二本の樹の果実を食べれば神と同じになれるという真実を伝えたそうだ。

 その蛇の正体こそが、広くは悪魔の王サタンと知られ、光より産まれた天使たちの中で、例外的に炎から産まれた天使イブリース。この日記に沿うならば“シャイターン”と呼ぶべきかな」

 

 淡々と話す師匠とは裏腹に、一同に衝撃が走った。だって、それでは山の翁が呼び出した者は………。

 

「曰く、神はアダムを自身の代理者として地上に置こうと考えたが、天使たちはそれに反対したという。天使たちの反応を見た神はアダムに天使たちが知らない知識を与え、彼らに問答を投げかけた。神より賜った知識しか知らない天使たちは答えられないが、アダムはそれに答えられた。そして神は天使たちにアダムに(こうべ)を垂れさせた」

 

 師匠は蛇の円を示していた指を元に戻す。

 

「だが、イブリースは『炎より創られた自分が、泥から創られた者に劣るはずがない』とそれを断り、天界から堕とされた。彼は最後の審判の後、地獄の業火に焼かれるまで猶予をもらい、それまで人間たちを惑わすと誓ったそうだ。そして蛇に化けてイヴを誑かし、原初(さいしょ)の復讐を遂げた。

 これらの点を踏まえれば、我々を『泥人形』と言い見下して嘲笑い、『原初(さいしょ)の復讐者』と名乗っていたのも頷ける」

 

「悪魔の王を呼び出すってのはどれくらいの魔力が必要なんだ?」

 

 話に一区切りついたところを見計らってか、士郎が質問する。

 

「私や君、遠坂凛が参加した聖杯戦争でサーヴァントを呼び出すよりもずっと楽だろう。悪魔は現存するからね。ただ、悪魔の王と呼ばれる存在に見合う器はおそらく見つけるのも一苦労だろう。アレは聖杯からの魔力供給によって実体を保っているはずだ。

 今回ライネスの魔眼が反応したのは召喚の際に、流水に溶け込んだ術式残留物だ。ここは水を溜めないように渓流へと水を返しているからね。ちなみにもうわかっていると思うが、麓の結界が反応しなかったのは内側で召喚されたからだ」

 

 一つ一つ疑問を解消した師匠はここで話題を変える。

 

「では私が先ほど言ったオルハンであって、オルハンではなかった人物についてだ。これは想定だが、本物のオルハンはサームが自棄を起こさないように見張っていた。そして深夜に抜け出しシャイターンを召喚しに行ったサームの後をつけ、その瞬間を目撃しシャイターンに喰われた。オルハンの不在を埋めるため、シャイターンは彼に化ける」

 

「おいおい兄上、らしくないなぁ。カタチばかりを似せたところで君の内弟子の知覚を誤魔化しきれんだろう?」

 

 わざとらしい口調のライネスは師匠を冷やかしているようだ。その実、師匠ならば何かしら結論づけているのだと確信しているのだと思う。

 

「誤魔化す術はある。それのヒントはこの日記に書かれてた」

 

 師匠は日記を開き、それをめくると目的のページを開いて静止する。

 

「山の翁はザバーニーヤを得るために、自己に非自己を取り込む為の技術(スキル)──“自己改造”を身に付けた。取り込むモノによってはソレの在り方に体が引かれることもあったそうだ。

 もしも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?シャイターンが元から持つ能力と相乗して、自分をも騙すほど精巧に取り込んだ者に化けられるんじゃないか?彼は光ではなく、ジンたちと同じく炎から創られ、悪性のジンたちの長なのだから」

 

 煙のように霧散して、カタチを変えて再構成する。先ほど戦ったジンたちもそうしていたし、シャイターンも戦闘中に煙になっては実体化を繰り返していた。もしも翁の能力と相乗するならば、或いは自分の知覚を持ってしても見抜けないかもしれない。

 

「生命を構成する三大要素──肉体、精神、魂に至るまで精巧にオルハンに化けた後は自分の行動にズレが生じていても、自分がオルハンであると疑うことなく行動していたはずだ。でなければわざわざ部屋に張った結界に籠る私とフリューを外に出すこともせずに奴は我々を殺せただろう。不可解な身体能力上昇も、彼がシャイターンであったことを踏まえれば当然だと言える。

 そして、私の魔術に焼かれ、オルハンの体が崩れていくと自分がシャイターンであることを思い出し、炎の煙に紛れて私の前に姿を晒した。だからオルハンの死体がどこにもなかった」

 

 ならば、彼の指先が自分の手に触れた瞬間に感じた悪寒も所々で表層化していたシャイターンの側面であったというとになる。それでも彼を疑わなかったのはシャイターンが一枚上手だったということだろう。

 師匠の説明が続く中、士郎が申し訳なさそうに手を挙げ、また質問した。

 

「悪い。話が戻ってしまいそうなんだが、配下の擬似精霊もまともに扱えないのになんでシャイターンなんて呼び出したんだ?流石に危険な気がするんだが…」

 

 この質問は根本的ではあるが、師匠の論の前提を確立するには必要なことだろう。だが、それも師匠には思い至る節があるらしい。表情には余裕が見られる。

 

「いい質問だよ、衛宮士郎。それこそ今から話そうとしていた彼らの目的につながり、さらにはサームのホワイダニットにもつながる」

 

 師匠はサームを睨みつけ、こう続けた。

 

「───“九十九の美名”だろう?」

 

 その単語を聞いた瞬間、沈黙を保っていたサームが笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 師匠がその単語を口にした途端に、拍手の音が鳴り響いた。わらいながら、サームが手を叩いているのだ。

 

「流石にそこまで考え至っているならば、これ以上の沈黙は嘘になるな。それは私が崇拝するあの子に対する冒涜だ」

 

「やはり、君の中ではもう彼女こそが信仰の対象なのか」

 

 サームが犯人であると自供し始めた途端に、空気が張り詰める。

 刹那、サームが赤い液体が入った試験管を取り出し、中の液体をばら撒いた。すると、彼は光の粒子となり、離れた場所に自分たちと対面する形で現れる。ハサンはそんな彼を見て言葉を失っている様子だ。

 

「工房と渓流でもその礼装を使ったな。少女を見つけるとすぐに走り出し、我々と距離をとった貴様は、ミスタ・ハサンたちを呼び、彼らが魔術礼装の効果範囲に入った瞬間に少女を転移させた。その後で隠し持ったストックで二人を自然な形で助ける算段だったが、月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)が来たから使用は控えた。

 渓流では衛宮士郎の宝具投影と不意打ちに面喰らったシャイターンを斬りつけるふりをして、短刀にでも仕組んでいたそれを発動させたな」

 

「魔術基盤一つで軽蔑の目を向けてくる時計塔のお堅い連中にも、貴様のような者もいるのか…。一体いつ気がついた?」

 

「この工房を、正しくはこの召喚陣を見た時だよ。復讐者(アヴェンジャー)がジンであることは煙のような姿になるから想像できていた。それでいてこれを見せられればシャイターンであることは明白だ。ならばなぜシャイターンが敵の魔術使いに手を貸すのか?それを逆算していけば答えは出る」

 

 サームは「なるほど」と言いながら、メガネのブリッジに触れる。

 

「わざわざ俺たちまで呼びつけたんだ。二人で話を進めてないで教えてくれ」

 

 まさしく自分たち全員の気持ちを士郎が代弁してくれる。師匠は、一度からの方を向く。

 

「そうだったな。時に衛宮士郎、君は聖杯の条件とはなんだと思う?」

 

「ん?なんだよ唐突に……そりゃあ……ほら、願いを、叶える杯?」

 

 たどたどしい口調で士郎が答えてみたが、師匠は呆れ顔だった。

 

「赤点だ。論外だ。魔術師の答えじゃない。君は時計塔で何を学んだ?…いや、もういい。……では、遠坂凛。君はどう思う」

 

 貶しにけなして、「なんでさ…」と呟く士郎を無視し、代わりに凛を指名する。

 

「大まかに言えば、願いを叶えるための術式という器に、無色かつ膨大な魔力が注ぎ込まれたモノ、かしら?」

 

「私もそう思う。たしか君の報告では冬木の聖杯はなんらかの要因で汚染されているらしいな」

 

「えぇ、それがどうかしたの?」

 

「今回サームが行ったのはそれに近しいことだ。もっとも、汚染などではなく、もっと神聖なものだがね」

 

 師匠はサームを指差して、話を続ける。

 

「そこの男はね、彼らの神を讃える九十九の美しい名前──『神』を表す美名から、『永久』を表す美名に終わるモノを聖杯の術式に組み込むことで、『力の器』を形成しようとしているんだ」

 

『──────!?』

 

「少女が言っていただろう?『いろんな名前で呼ばれた』と。だが、命名というのはありふれていふようで特別な儀式でもある。何かしらの周期性や儀式性がなければ陳腐なものになってしまう。だから、礼拝堂を模した建物を作り上げた」

 

「…あれが礼拝堂を模していると知っていたんですか?」

 

 自分が質問してみると、当たり前のように師匠は頷いた。

 

「君と同じくらいの頃に私は旅をしていた。その時に覗いたことがあるくらいだ」

 

 そういえば第四次聖杯戦争が終わった後に、征服王の旅路を巡礼していたと言っていた気がする。

 

「…話を戻そう。君たちが神に捧げる毎日の祈り、その中でも金曜日の礼拝は最低でも一回は礼拝堂を訪れることが推奨されていると聞く。サームの仲間たちは日々の祈りを彼女に捧げ、金曜日には祈りとともに名前を与えた。聖杯の魔力を使い、聖杯の術式に美名という力の器を組み込むように願望を口にしていたんだ」

 

 以前師匠は、現代の魔術師とは天使を蒐集する職業である──つまりは天使の名前に宿る神秘を利用する職業であると言っていた。まさしくこれは、神の名前に宿る神秘を使い、彼女を神に仕立て上げるための儀式ということになる。あまりに冒涜的な行いだ。

 

「だからシャイターンはあいつに協力したってわけ?神の威厳を貶めるために」

 

 凛の言葉に、師匠は頷く。

 

「すでに聖杯の術式はあの少女を神にするために特化したものに変わっているだろう。だから計画を始める前に時間をかけて血を抜き取り、礼装を作った。一日礼拝は五回ならば、最短で二十週間で完遂するはずの計画にタイムラグが生じているのはこのためだ。だが、その判断は正しい。『根源』に興味がなかろうと、奴がやろうとしていることは抑止力による妨害を招く。対抗策の一つでも考えておくのがセオリーだろう。実際に聖杯の噂が漏れたという例もあるしな。まぁ、それで集まってきた有象無象は全てイフリートの器と、門番の悪霊にされたようだがね」

 

 話しながらサームを見て、師匠は鼻で笑った。

 

「皮肉なものだ。神をも恐れぬ貴様が、人間の集団無意識を恐れるなんてな。いや、仕方のないことではあるんだ。君のホワイダニットを考えれば、見えない存在よりも見える存在の方が怖かろう。……そろそろ自分で話す頃合いだと思うが、まだ私に喋らせるか?それとも…」

 

「───二年前だ」

 

 師匠の言葉を遮り、サームが言った。

 

「その様子ならば兄者から聞いているだろ。二年前、あの子が三歳の時に私は死の淵にいた。神には何度も救済を求めたが、一向に振り向いてはもらえなかった」

 

 その表情には当時の苦悩が見て取れる。本当に死ぬ間際だったのだろう。

 

「頰はこけ、体全身が骨と皮だけに見えるほどに痩せ、動くこともままならない。だが、そこで死ぬならば、別にいいと思っていた。祈りを忘れなかった私は来世できっと天へ行けると」

 

「……だが貴様は」

 

「……あぁ、私はあの子の権能のごとき力によって救済された。その瞬間だよ、私の信仰が一変したのは───!」

 

 途端に高揚を見せるサーム。そこに狂信的な何かを見たのは自分だけだろうか?

 

「見えないはずの存在を──神をあの子の中に見出した。それが私の源泉だ。だが、彼女の力はあまりに受動的すぎる。だから思いのままに権能を振るえるようにするのは信者として当然のことだろう?」

 

「サーム、狂信的でありながら、ここまで冷静に計画を練ったんだ。理解しているだろう?それでは君の目的に届かない。神の美名は神の様々な性質を表すが、その実九十九以上あると言われている。それら全てを網羅し、彼女に与えることができても、神、すなわち全能とはいずれ言葉では言い表せない領域に達してしまう。

 二種の禁断の果実を食べる以外に他に手段があるとすれば………それはあまりに残酷な方法だ」

 

「舐めるなよ、ロード・エルメロイII世。私はその残酷な方法をとると言っているんだ。何のためにシャイターンを呼び、何ために多くを殺してきたと思う?私にその覚悟がないとでも?」

 

 ここで、言葉を失っていたハサンが二人の会話に口を挟む。

 

「…何をするつもりだ、サーム?」

 

「簡単な話だ。あなたの弟は少女への信仰が芽吹くまで、異教の人間を殺し続けるつもりなんだ。畏怖からも信仰は生まれるからね。強大な力を持つならば、それが一番手っ取り早い。そうすることで彼女は新たな神となる」

 

「それではまるで邪神ではないかッ!神の威厳を揺るがし、そんなものにあの子を仕立て上げるつもりか!?そんなことのために……オルハンや、集落の者たちを───!」

 

「違うよ兄者。さっきそこの男が説明した通り、オルハンの件は不慮の事故だった。ここに人避けと警備をつけるのがもう少し早ければ、あいつも死ぬことはなかっただろうな。

 集落は……私が開祖となる教えの中でまた新たに作り、その力をあの子のために使うといい。私は見えないものを信仰しなくなっただけで、山の翁は未だ信仰しているよ。だからシャイターンには兄者に声を聞かせぬよう配慮を求めた」

 

 だからハサンはシャイターンの声を聞かなかった。これで最後の謎が解けた。

 

「そうだな。貴様は確かに目に見えるものならば崇拝するし、()()()()()。だからグレイの最果てに輝ける槍(ロンゴミニアド)の光を見、彼女こそが次なる抑止力であると考え、シャイターン召喚という強攻策に出た」

 

「………」

 

 二人が話す中、ハサンは全身に力を込めて、沈黙する。形容し難い感情と怒りが渦を巻いて、なんとか言葉を吐き出そうとしている様子だ。

 

「痴れ者め。貴様の行いは棄教に当たると言うことはわかっていような…?」

 

 吐き出された言葉が内包するのは怒りと侮蔑だ。そんなハサンとは裏腹に、サームは微かな高揚を見せつつも落ち着いている。

 

「何故わかってくれない?私はあの子が神になる世界が平和であって欲しいだけだ。兄者とて知っているだろう?一見平穏に見えるが、外界に触れれば紛争が起きている。我々は紛争の要人を殺し、また新たな頭が選出されれば、殺しを繰り返してきた。あまりにも歪んでいて醜い世界だ───」

 

 まるでカルト教団の演説でも聞いている気分だ。だが、引き込む力があるからこそ、サームは集団のリーダーとして計画を進めてきた。

 

「だから世界を作り直そう。個人の思想から、人の数に至る全てを!そう思って何が悪い!?たとえ億単位で殺そうが人類は滅びないだろう!?」

 

 サームの声が空気を震わせると同時に、自分の中で胸騒ぎが起こり始めた。

 

「世界の皆が一つの見える神を、信ずる者全てを救う神を崇める平和こそが、私があの子に捧げる御礼だ!」

 

 サームの言葉が鼓膜を打つ中、自分は天井に視線が移る。

 

「似た存在が増えただけで揺らぐ威厳?信者に手を差し伸べることのない主だと?そんなもの───」

 

(何か……来る!)

 

 

「───我らが神に呑まれてしまえ」

 

 

 刹那、天井が溶解し、閃光と灼熱の塊が降ってきた!

 イフリートの群れが侵入してきたのだ。

 

「翁の工房を荒らすような真似は避けたかったが、致し方あるまい。我らが神に拝すると言うならば貴様らの命は助けてやらんこともないが、どうする?」

 

 自分たちとサームの間の空間に、目算するのが馬鹿馬鹿しくなるくらいの数のイフリート。宝具の開帳などさせまいと、彼らの手のひらには灼熱の炎が凝縮しつつある。

 

「沈黙は否定と受け取ろう。…焼き払え───!」

 

 サームの指示により、イフリートたちが一斉に光線を放った!

 橙色の光の筋がいくつも重なり、自分たちへと迫り来る。

 誰もが打開策を打とうと思考を巡らせている刹那に自分たちの先頭に躍り出る影が一つ。

 

「“熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)”────!」

 

 衛宮士郎だ。彼がその言葉を紡いだ瞬間、地下で見た七枚の花弁が開花した。

 花弁と熱線が衝突する。しかし、花弁に隔てられた自分たちには熱風一つ届いていない。これもまた彼の投影宝具なのだろう。

 さらに士郎は花弁の盾を展開したまま、新たな詠唱を紡ぎ出した。

 

 

「────I am the bone of my sword(体は剣で出来ている).

 

 

 これまでに何度か耳にした呪文。だが、今回の異様さはどこか違った。

 

 

「────Steel is my body(血潮は鉄で), and fire is my blood(心は硝子).

 

 

 まるで世界が悲鳴を上げているように────

 

 

「────I have created over a thousand blades(幾たびの戦場を越えて不敗).

 

 

 侵食されるように────

 

 

「────Unaware of loss(ただ一度の敗走もなく). Nor aware of gain(ただ一度の勝利もなし).

 

 

 ────空間が震撼する。

 

 

「─────With stood pain to create weapons(担い手はここに独り),

waiting for one's arrival(剣の丘で鉄を打つ).

 

 

 足元で、世界を隔絶するかの如く炎が走る。

 

「────I have no regrets.This is the only path(ならば、我が生涯に意味は不要ず).

 

 隔絶された世界に、彼の魔力が満ちていく。電撃と見紛うエフェクトを撒き散らし、自分の色に染め上げていく。

 

 

「───My whole life was“unlimited blade works”(この体は、無限の剣で出来ていた).

 

 

 

 ───途端、目の前の風景が一変した。

 

 

 無数の剣が突き刺さった広大な丘。壮大で殺風景なそこは衛宮士郎の世界だろう。

 世界を自分の心象で塗り潰す魔術の最奥。

 師匠曰く、至った魔術師は軒並み封印指定確実とされる禁忌。

 魔術師たちが魔法に近いと位置付ける固有結界と呼ばれるモノだ。

 士郎は自分たちとサーム率いるイフリートの群れのちょうど中間辺りに佇んでいる。

 

「固有結界か……面白い芸当を持っているな」

 

 イフリートの群れの奥で、サームが言う。

 

「君には魔術への興味はなさそうだが、一点特化の魔術師として大成できる才能だ」

 

「やめてくれ。褒められたってあんたを逃す気にはなれないよ」

 

 士郎は両手に陰陽の夫婦剣を投影する。

 

「助けてくれた人に特別な感情を持って、それが生き方を変えるなんてよくあることだ。俺はあんたがあの子に肩入れすることには大して思うところはないよ。……ただ、その先のことについては看過できない」

 

「そうか?あの夜に君は言っていたじゃないか。『世界の誰にも涙して欲しくない』と。私の目的が達成されれば、君のあの言葉も叶うだろう」

 

「その過程であんたは何人殺すんだ?一体それでどれくらいの人が泣くと思う?」

 

「………」

 

 士郎の言葉を聞き、サームは驚いたように目を見開いた。

 

「なるほど。思った以上に病んでいるようだ。てっきり君は急を要する時にはリアリストなのだと思っていたんだが………そうか、本当に何も失わずに平和を実現しようとしているのか。とんだ夢想家だな」

 

 その言葉には確かな憐れみの念があった。士郎の言っていることが、あまりにも子どもじみていたからかもしれない。

 

「悪い事は言わない。その理想は捨てておいたほうがいい。その先にあるのは君にとって地獄でしかない」

 

「────見誤るなよ、地獄なら既に見た」

 

 

 刹那、周囲の剣が浮かび上がる。

 

 

「だから俺は理想に準じるって決めたんだ」

 

 

 その言葉の直後、無数の剣が走り出す。赤熱したイフリートにその切っ先を向けている。

 

「見誤っているのは君だよ衛宮士郎。イフリートに刀剣は通らない」

 

『■■■■■■■───!!!』

 

 イフリートたちが雄叫びを上げ、士郎へと踏み出した。このまま剣と魔物が衝突すれば溶解される。自分がそう思った時、宙を走る剣の群れが幻想色の爆発を引き起こした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『■■■■■■■───!!!』

 

 魔物たちが雄叫びを上げる。太い脚をバネに、強靭な脚力で衛宮士郎に接近する───筈だった。

 複数本の剣が降りかかった瞬間、それが幻想的な色の爆発を引き起こし、イフリートの体を四散させる!

 壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)──本来の持ち主である英霊が行えば、自身の象徴を失う自爆に等しい一撃。これぞ量産可能な投影宝具の強み。内包された幻想を起爆剤に引き起こされる強大な爆発だ。

 次々とその爆撃を受け、サームの使い魔たちが一瞬で壊滅する。

 

「サアァァァァム!!!」

 

 幻想色の爆風を追い風に、跳躍した衛宮士郎が上空から斬撃を仕掛ける。だが、サームは悠然と衛宮士郎を見上げている。

 刹那、二人の間の空間に紅蓮の炎が溢れ出した!

 そこから衛宮士郎の心象世界がひび割れ、漆黒の布に包まれた人型のバケモノが現れる。

 

「…大源(マナ)の震えを感じて来てみれば、また会ったな」

 

 その剛力の左腕が、士郎が払おうとしていた莫耶を砕く!

 さらに干将を振るえば、高速の右腕が刃物を使い、斬撃を受け止めた。

 刃と刃を押し合い、鍔迫り合いに持って行く。

 

「どうやって人の心象世界に入り込んだんだ…?」

 

 鍔迫り合いの最中、士郎は問う。

 

「貴様らが固有結界と呼ぶそれは、真性悪魔(我ら)が生来持ち得る奥義だぞ?猿真似で作り上げられた世界に干渉するなど造作もないわ」

 

 その答えを聞いた途端、士郎は体を沈ませる。直後に、士郎の体をブラインドに二本の剣がシャイターンに刺さらんと飛んで来た。

 シャイターンがそれらを躱し切ると、砕かれた莫耶を投影し、士郎の斬撃が下から上へと昇っていく。後ろへと避けたシャイターンだが、頭を覆っていた黒い布に斬撃が入った。

 

 

 ────その布がめくれ上がる。

 

 

『──────!?』

 

 刹那、元エルメロイII世とサームを除いた全員がシャイターンの素顔に驚愕した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 素顔を見た士郎の僅かな動揺の隙をついて、シャイターンは左腕を振るった。その拳を防ごうと、双剣を前に突き出したが難なく砕かれ、士郎は自分の心象世界を舞った。

 

「士郎───!」

 

 凛が前に出て、『強化』された体で士郎を受け止めるが、勢いを殺しきれずに体勢を崩した。すかさずアレクセイが助けに入り、二人ともことなきを得る。

 

「あぁ、なるほど。確かに恐ろしい奴ではあったが、悪魔の王様って言う割には迫力不足だと思っていたんだ」

 

 凛と共に立ち上がった士郎が、シャイターンの顔を見ながらそう言った。

 

「師匠…これは一体?」

 

 自分はシャイターンの()()()()()を見ながら、隣の師匠に聞いてみる。

 

「簡単な話だよ。さっき話題に出した自己改造の技術(スキル)だ。あれは取り込んだモノの在り方に引かれることもあると言っただろう?シャイターンがあの右腕を受け入れる条件は、山の翁の体を出来得る限り模倣することだった。……そのせいで実力もいくらか翁に引っ張られているんだろう」

 

(…何故そうまでして翁の右腕を受け入れているのだろう?)

 

 人を見下しているはずのシャイターンが、どうしてそこまで…。

 

「左腕の傷はもういいのか?」

 

「無論、山頂にほど近い場所から魔力を吸い上げていたからな」

 

 シャイターンはサームの質問に、大きな左手を広げて、また握る。サームは自分たちを一瞥する。いや、その目は明らかにハサンへ向いている。

 途端、サームが試験管を取り出し魔術礼装をばら撒いた。

 赤い液体は自然法則を無視して、サームの前で円を描く。サームが右腕をそれに突っ込むと、ハサンの顔の前に彼の右腕が現れ、髑髏面を鷲掴みにする。

 

「…私を否定するならばそれでいい。兄者に次いで、私が翁の仮面をいただこう」

 

 半ば引き剥がすように、ハサンの髑髏面が奪われる。そして、サームは奪った髑髏面を被り、こう言った。

 

「───我は“予言のハサン”。いずれ生誕せし神の声を聞く者。神の啓示を受け取る者」

 

 さらに魔術礼装を展開し、今度は空中に大きな楕円を縁取った。

 

「私はただ次の金曜日──九十九の名前があの子に集約する日を待つだけだ。それまであの礼拝堂で貴様らを待つ。元より貴様ら程度、跳ね除けられなければ我らに先はない」

 

 高らかに宣言すると、サームはシャイターンとともに楕円のゲートを通っていく。

 無策に止めるべきではないと、その場の全員が理解していた。いずれにしても、全開のシャイターン相手に互角に振る舞える者などいないからだ。

 敵が消えたからか、士郎が固有結界を消滅させると、天井から夕陽が差し込む魔術工房へと景色が戻った。

 

「どうする兄上?さしずめシャイターンが来る前にサームを袋叩きにする予定だったのだろう?」

 

「まぁ、現実的な手段だからな」

 

(素直に認めた……)

 

 自分が師匠に呆れていると、仮面を奪われたハサンが口を開く。

 

「…ウェイバー殿、先ほどの非礼を詫びよう」

 

「問題ないさ。身内が疑われているならば当然の反応だ」

 

 頭を下げるハサンに師匠はそう言う。それを聞くと、ハサンは頭を上げる。

 

「あなたの推理を聞いた限り、もうあなた方が望んだモノは存在しないのでしょう?」

 

「あぁ、そう言うことになる。…だが、あなたの弟がやろうとしていることを知っておきながら放置というのも体裁が悪いし、後味も悪い」

 

「…それを聞いて安心いたしました」

 

 フリューガーに負けないくらいの髭面が微笑んだ。

 

「私に考えがございます。金曜日まで日がありませんが、私が二日経っても戻らぬ場合は後のことをお任せしてもいいでしょうか?」

 

 今日は火曜日、しかも夕方だ。二日経てばすでに木曜日。ギリギリのラインだが、闘いが相当長引いてもそう時間はかからない。

 

「何か対抗策が?」

 

「はい、もしかしたら我らに加勢して下さるお方が一人。しかし、会いに行って私が殺される可能性が大きいお方でもある」

 

「そのお方とは?」

 

「私も詳しくは聞いていませんが、助力を得られればシャイターンとも互角に振る舞えるであろうお方です」

 

 その目に嘘はないように思えた。師匠も同じことを考えたのだろう。彼の言葉に頷いた。

 

「…わかった。では、我々は二日間で、いざという時の対抗策を練るとしよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハサンが車で消えてから二日が経とうとしている夜。移動時間を考えればあと数時間後には集落をたたなければならない。

 集落の外で警備の目を光らせているが、敵からしてみれば仕掛けるよりも籠城を選んだ方がいいのは明白だ。しかし、シャイターンの趣味趣向であの虐殺が引き起こされたならばと思うと、念には念をと言うやつだ。

 自分がこうしている間、もしも助力が得られなかった場合に備えて、師匠たちは対シャイターン用の作戦を部屋の中で立てている。

 

「…静かですね」

 

 後ろから落ち着きのある声がした。振り向いてみると、アレクセイが佇んでいる。

 

「警備を交代しますよ。さすがに長時間ここにいるのは辛いでしょう?」

 

 ありがたい提案だが、自分はかぶりを振った。なんとなく寝付けない気がするのだ。自分の反応を見て、「そうですか」とアレクセイは言う。

 

「ハサンさん……遅いですね」

 

 まさかあの雰囲気で逃げ出したと言うことはないだろう。もしかして、会いに行った人物に殺されたと言うことだろうか?

 

「ハサン殿は責任感の強いお方です。……きっとご自身の弟を止めるために出来うる限りの手を尽くそうとなさるでしょう。それ故に可哀想なお方だ。あれほど親愛に満ちているのに裏切られた。…サームさんが、少女の力こそ我らが主がもたらして下さった救済であると気づけたならば、こんなことにはならなかったでしょう」

 

 その声は怒りはなく、ただ慈愛に満ちている。これほど他人を思う人間も珍しい。

 

 

【左様。異教の司祭でありながら敬虔な男だな】

 

 

「「───!?」」

 

 これは声なのか?頭に直接響くようなそれの出所の方へ顔を向けた。

 

「青い……炎?」

 

 夕闇に浮かぶ冷たい印象を受ける青く揺らぐモノがあった。途端、その中から一つの影が放り出された!

 

「!ハサン殿!」

 

 自分とアレクセイが投げ出されたハサンに駆け寄る。そして、アレクセイが青い炎を睨みつけた。

 

「…何者ですか?」

 

【我に名はない。好きに呼ぶがいい】

 

 声が聞こえたのか、中にいた師匠たちが集まってくる。

 

【事情は知っている。我が助力が欲しくば試練を受けよ】

 

 ……この炎の先には何がいるのだろう?シャイターンと同等か、それ以上の何かを感じて震えが止まらない。

 

【誰でも良いぞ?異常者か、魔術師か、異教の司祭か、それとも墓守か?はたまたその全員か?試練を受けようと言う者はこの炎を通り、アラムートの麓に出るがいい!

 ───我はその山頂、アズライールの聖廟にて貴様らを待つ!!】

 

 

 

 

 

 




見ての通り神を取り扱わせていただいておりますのでこの小説を書き始めるにあたり気をつけたことを上げておきます。

・今後の展開で神そのものを扱わない。
・神を貶めるような展開はない。
・味方サイドは冒涜的な敵を否定する立場にあること。
・政治的な宗教問題には絶対に触れないこと。←伊藤計劃さんも言っていました。
・現地語で「神は偉大なり」と言わないこと。←レアルタでは改変されてましたね。
・敵は棄教者であること。

ネットを漁っても偏見混じりの意見ばかりで明確な基準が定まらなかったのですが、以上の点に注意して書いております。
もしも「ここはこう言う風にしたほうがいいんじゃないか?」と言う場合は助言していただけたらと思います。また、「お前はもう詰んでいる」といった場合は感想欄や私に言わずに運営様に直接報告してください。私は専門家ではないので議論ができません。もしも運営様の方から諫言があった場合は大人しく従う所存です。


以下は今回の解説です。

・イスラムにおいてイブリース=イフリートという説もあるようですが、私が読んだ岩波文庫の日本語訳コーランはイブリースを途中から『シャイターン(サタン)』と表記していますので、こちらを採用。
・シャイターンは悪魔の総称でもあるので、狂信者ちゃんは似たような能力を持つ悪魔から左腕をかっさらったことにしております。
・呪腕さんがどうやって右腕を貰ったのかという詳しい経緯を私は知らないので独自設定が多いです。
・自己改造スキルはステイナイトのHFルートで兄貴の心臓だか霊核だかを食べて性格が兄貴に似ていたと言うところを参考にしております。

なにぶん独自設定が多いですが、よろしくお願いします。


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開戦

テストも終わってひと段落。テスト期間中は隙間時間にちまちまやっていましたが、やっと纏まった執筆時間が取れます。
衛宮さん家のご飯とエクストラがアニメで始まったようですね。ご飯は漫画を持っていますがエクストラは未プレイですので今後に期待(今の所ワケワカメ状態)。どうでもいいですが衛宮さん家のご飯みたいに型月のキャラがほのぼのしてるのっていいですよね、ひむてんとかカニファンとか。


 初代ハサン・サッバーハ。

 

 曰く、ずっと在り続ける者。

 曰く、暗殺者(アサシン)を殺す暗殺者(アサシン)

 曰く、神より冠位(グランド)を賜った強者。

 

 彼の居場所と存在を知るのは白い髑髏面を受け継いだ者たちだけ。そして、彼が殺すのは決まってその代のハサンが衰えた時、私欲に身を任せて殺しを行った時だけだったそうだ。ハサンの口はぶりから察するにザバーニーヤを失った今は違うのだろう。

 冠位を所持する以上、彼が何者かに肩入れして動けるのは人類史が危機に瀕する場合のみ。もしも例外があるとすれば、それは手を貸すに相応しい相手──試練を超えた者がいた場合。

 

 ハサンから聞けた情報はこれくらいだった。どこからどこまでを信じるかは、あの青い炎から発された言葉を聞いた自分には、全てを信じるとしか言えない。あれもまた、人の手には負えない何かだった。

 

「試練を受けるのは自由だそうです。……申し訳ない。二日もかけて、私ではここまでしかあのお方の譲歩を引き出すことが叶いませんでした」

 

 受けるか否か。誰が行くのか。時間的に即決しなくてはならない。

 

「試練の内容は?」

 

 師匠がハサンに問う。

 

「────あのお方に一撃を加えることです」

 

 一同に沈黙が走る。力に枷がついたシャイターンを相手にギリギリだったと言うのに、あんなバケモノに一撃を加えるなど、誰が考えても不可能だと言わざるを得ない。

 

「時間的にも、人数的にも厳しそうね。さっき立てた作戦でなんとかシャイターンを倒せるなら問題ないけれど……」

 

「問題は失敗した場合、ですね。ですが試練を受けるにしても、全員で敵の礼拝堂に行くにしても、勝てる見込みは薄いでしょう。もしも試練に割ける人員がいるとすれば────」

 

「私か士郎、グレイの中から一人か二人選ぶことになるわね」

 

 アレクセイと凛が言う。自分はずっと外にいたので作戦の概要を聞いていないが、どうやら替えが利く人員らしい。

 

「なら、俺が行こう」

 

 ならば同行者は凛だろう。凛を含めて全員がそう思っていた時、

 

「グレイ、すまないがついて来てくれないか?」

 

 名指しされたのは、自分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へー、ライネスの言ってた通り衛宮くんって浮気性なのねぇ。いや、別に私は引く手数多だから構わないけど」

 

「いや、あれにはワケが…」

 

「冗談よ、冗談。なんとなくだけど、士郎があの子を選ぶんじゃないかって気がしていたし、理由もはっきりわかってるもの」

 

 士郎も凛も割り当てられた半球状の部屋で、出発前の準備に取り掛かっている。グレイ含め、他の人間も各々準備中だ。

 

「あの子はセイバーに似てる……というよりはセイバーと全く同じね。色違いだし、雰囲気も性格もまるで違うけど」

 

「あぁ、そうだな。セイバーほど堂々としているわけでもないし、人として強いわけじゃない。本当に見た目が同じなだけの別人だ」

 

「で、時計塔の頃はなんであの子に話しかけなかったの?」

 

 その質問に士郎は少しだけ固まり、数秒後に口を開く。

 

「いや、遠坂だってグレイに関しては何も言わなかっただろ?」

 

「だって、あなたがあからさまに避けてるって感じだったもの」

 

「……そう見えたか?」

 

 凛は「少しだけね」と言い頷く。

 

「そういうつもりはなかったんだけどな。ただ話しかけられなかったってだけで……」

 

 何かを思い出すかのように、士郎は部屋の中央の虚空を見つめる。

 

「たぶんだけど…いや、実際そうだったが俺はグレイとセイバーを重ねてしまって、目の前にいるあの子を見ないまま話してしまう。それは凄く失礼なことだろ?」

 

「そうね。士郎は不器用だから仕方ないわ」

 

「む、言い返したいが反論の余地がないのが困る」

 

「そりゃそうよ。事実を言ってるんだもの」

 

 凛に笑われ頰が紅潮する士郎は軽く頭を掻く。

 

「なぁ、遠坂。俺にはセイバーとあの子が無関係のようには思えない」

 

「えぇ、そうね」

 

「きっと俺はセイバーに『俺がどこまで至ったか』を見て欲しいだけなんだと思う。ただそれの代理に、自分の身勝手にあの子を巻き込んでしまっている」

 

 彼女が消えた時、士郎はその場にいなかった。

 最後の戦いに挑む前に、彼女がいた確かな証を残そうとしたが何も残せなかった。彼女との何気ない時間だけを心に刻み込むだけが精一杯。当時はそれこそ正しいことだと感じていたのに、士郎の中には心残りが生じている。それはきっとグレイが原因であることくらい士郎自身、自覚済みだ。

 

(いや、それは責任転嫁だ。問題は心残りを作っちまった俺の心の『弱さ』なわけで…)

 

  『弱さ』を乗り越えるために見届けて欲しい。私情まみれでグレイにはまるで関係のないことだ。

 

「…らしくないわね」

 

「そうか?」

 

「えぇ、とても。だって、ただ一度の例外を除いてあなたはいつも他人のために戦ってきたのに、今口にした理由は自分のためだもの。それだけでも、士郎とグレイが出会ったことに意味はあるわね」

 

「なんでさ。勝てばみんなを救えるかもしれないだろ?」

 

「まぁ、結果としてはそうね。一理あるから士郎がそう思うなら、そういうことにしといてあげる」

 

 凛は一瞬だけ間をおく。

 

「でもね、やっぱりあなたたちの…いいえ、人の出会いっていうのは偶然見えて実は必然だと思うの。士郎がセイバーに出会えたのだって、私とこうしているのだって全部必然よ。だから、グレイとだって『縁』がある。あなたたちはきっとあのバケモノめいた暗殺者の試練を乗り越えられる何かを持ってる」

 

「遠坂のお墨付きがもらえれば安心だな」

 

 頰を緩めた士郎に、凛が縋り付くように密着して彼の胸板に顔を埋める。

 

「…無茶しないでね」

 

「遠坂は心配性だな。俺は昔ほどヤワじゃないぞ?」

 

 頭を撫でると、凛は顔を上げた。頰が赤らみリンゴのようだ。

 

「なぅ…!心配なんてこれっぽっちもしてないだから!てゆーか自惚れんじゃないわよ!私の魔力供給あっての投影魔術と固有結界でしょうが!そ、そうよ、あんたがあんまり無茶するとこっちにしわ寄せがくるって言いたいだけなんだからね!宝石魔術が専門だからって魔力を使わないわけじゃないんだから!」

 

 照れ隠しのつもりで全く出来ていない凛の頭を撫で続けると、途端に大人しくなる。

 

「無茶しないで勝てる相手じゃないだろうから、先に謝っとく。だけど、必ずグレイと二人で帰ってくる」

 

「…約束だからね」

 

「何だよ、その顔は。さっき自分で俺たちは勝つって言ってたろ?」

 

(そうだ。勝って全てを救うんだ)

 

 そのために剣製し、剣戟を打ち交わす。

 単純ながらに歪な行動原理。

 衛宮士郎にとってそれだけで十分な理由だった。それ加えて今回は戦う理由も、勝ったねばならない理由も増えている。それらはあまりに自分の双肩には荷が勝ちすぎると士郎は思うが────

 

(────こういうのも悪くはないな)

 

 ただ背負うものの多さを考えながら、士郎は胸中で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────青い炎を通過した。

 

 

 特にこれといった助言もなく師匠達に見送られ、ついた先は暗殺教団がかつて本拠にしていたアラムートの麓。そこにはハサンが運転したであろう車が乗り捨てられている。

 ここは観光地としても有名らしく舗装された道がある。緑をつけた木々に枯れかかった草が目に入り、なんだか懐かしい気分にさせられるが足場は依然として硬い質の土だ。

 

「あれを辿って来いってことなのか?」

 

 隣にいる士郎が、自分が向いている方向とは違う場所を見上げて呟いた。彼が見ている先には全く人の手が入っていない山肌に、自分たちが通ったような青い炎が燃え盛っている。それが上の方にもいくつか並んでいて、道しるべとなっているようだった。夜間のせいか、気味悪いもの見ている気分だ。

 舗装道路があるのにハサンの車がここに捨てられているのはそもそも車が通れるような道では行ける場所ではないからだろう。

 

「たしか君の師匠が言っていたな、ハサン・サッバーハは魔術を勉強していたって。()()はその名残なんだろう」

 

 青い炎によって道を示された自分たちだからか、はたまたハサンにより初代の存在を知らされたからか、()()を感知できる。士郎が言う()()とはこの山全体を覆う認識阻害と人避けの結界のことだ。()()を名残と言うべきかどうかは判断しかねるが、高度なモノとなればそれこそ目撃されようが、写真に写されようが誰も気づかないこともあるらしい。アズライールの聖廟が人の目に付かないのは結界の効果なのだろう。

 

「行こう。時間もあるってワケじゃないからな」

 

 歩き出した士郎を追う。とても常人では登りきれないような岩場を時には手を使って登っていく。

 

「あの、一つ聞いてもいいですか?」

 

 自分の少し先を行く士郎に声をかける。士郎は立ち止まって、自分を見下ろす。

 

「衛宮さんが拙を同行者に選んだのは、聖杯戦争と関係があるんですか?」

 

 少しだけ士郎の目がいつもより大きく開く。

 

「…遠坂から何か聞いたのか?」

 

「いえ、アレクセイさんから衛宮さんも参加者だったって……」

 

 そしてあの日、自分と士郎が話した時の彼の言葉や懐かしむような表情から察しの悪い自分でも答えが導き出せる。士郎は「そうか、あいつ神父だったな…」と納得したように呟く。

 

「つまり君は、俺の召喚したサーヴァントがアーサー王なんじゃないかって聞きたいんだな?」

 

 その言葉に、自分は首を縦に振った。

 

「そうか、やっぱり……。よし、わかった。歩きながら話そう。だからグレイも聞かせてくれ。彼女(セイバー)と君の関係を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青い炎を通過する二人を見送ると、残された元エルメロイII世一行は行動を開始した。山の麓まで降りた後は隠された車を出しに行ったハサンを待つ。

 

「フリュー、今更ながら君の仕事はもう終わっていると言える。我々についていかずに逃げたって誰も責めはしない」

 

「馬鹿言うなよ。まだ報酬貰ってねぇのに雇用主に死なれちゃ困るんだ。あ、もちろん今回ついていくのは追加料金な」

 

ファック(くそったれ)…」

 

 ライネスの応急処置に消費した遠坂凛の宝石代の倍額にフリューガーの追加料金、さらに聖杯はもう願望機としての機能が限定的で目的が果たせない。リターンに見合う金額か、と聞かれれば元エルメロイII世は全力でかぶりを振るだろう。

 

「行きましょう」

 

 車を運転してきたハサンから声がかかった。全員で荷台に乗り込む。

 

「さて、即興が多いが勝てるかな?」

 

 乗り込むより前にトリムマウに軽量魔術を施行したライネスが言う。彼女の肌にはすでに呪いの跡は残されていない。解呪は成功したらしい。

 

「五分五分…いや、勝てる確率が低いな。ほぼ賭けに近い」

 

 負ければ世界中で虐殺が起こる。だが、この場にいる者の大半は別に世界を救おうなどと大層な動機で動いているわけではない。

 元エルメロイII世やライネスは虐殺が起これば不利益を被るのが自分やその周囲であるから、ハサンは弟の愚行を止めんがため。各々が小さな理由を胸に抱いている。

 

「だが運良く人員が揃っている。全員が役割を果たせば勝てない相手ではない。特にミスタ・ハサンの生還は僥倖だった」

 

 むしろあの二人が試練に向かったことは彼らにとって好都合だったかもしれない。なぜなら────

 

「それでもダメな場合は、シャイターンを足止めして少女を殺しにかかるしかないだろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男は悪魔に問われた。何故、召喚したのかを。

 

『今代のハサンに私はなる。そのためならば犠牲も厭わぬ。そんなことは貴様には視えているだろう』

 

 悪魔は嗤う。男の言う通り、悪魔の眼には視えている。ヒトの欲を──即ち其の者の本質を知り、弱みと見つけて誑かす。狭義的には外れてしまうかもしれないが、広義的に見れば魔眼の一種と言ってもいい。

 

『己の欲に正直なものこそ手を貸す価値がある。汝の強欲は実に良い。欲しい才能が神より与えられず、秘奥をその手に出来んとは』

 

 悪魔は嗤う。何度も何度も何度も、男の無様さを無力さを嘲笑う。

 

『願望を言うがいい。代償次第では汝の願いは叶わんこともない』

 

 その映像(ゆめ)はぷつりと途切れた。

 サームは目覚めとともに今見ていたのはシャイターンの記憶、その中でも呪われた右腕を持つ山の翁が彼を召喚した時の記憶だろうと思考する。

 シャイターンとサームも聖杯に魔力のラインを繋いでいる。冬木の聖杯戦争においてもサーヴァントの記憶がマスターに流れ込む例がある以上、このことは何ら不思議なことではない。

 

「他人の記憶を覗くとは悪趣味な男もいたものだ」

 

 煙がカタチを帯びていく。瓦礫だらけの地下を一部だけ片付けた場所で睡眠をとっていたサームは、瓦礫の上に座り込むシャイターンを見上げる。

 

「……貴様を召喚してから気になっていたが、なぜ翁に右腕を差し出した?わざわざ憎む人間の姿になってまで」

 

「おお、勘違いしているようだな」

 

「なに?」

 

「我は貴様らを見下しているが憎んでいるのは神と、神に見初められた原初(さいしょ)の泥人形のみよ。他の泥人形はむしろ愛でるべき産物だ。その醜さ故にな」

 

 シャイターンは煙と化して、瓦礫の上から地面へ移動してカタチを得る。

 

「天使は皆知っていた。貴様らの不全さを。故に神の代行に相応しくないと異を唱えたが受理されず、あろうことか神の奸計に騙された」

 

「だからお前はヒトの愚かさを神に知らしめたのか。アダムのつがいを誑かして」

 

「フハハハハッ!!あれは傑作だったわ!!!」

 

 当時のことを反芻し、シャイターンは体を仰け反り盛大に嗤う。

 

「あれこそ人間が初めて見せた醜悪の具現よ。一言二言誑かすだけで禁断の果実を口にするとは滑稽であったわ」

 

 シャイターンはサームへと歩み寄る。

 

「良いか協力者よ。見下すと言うことは愛でることだ。貴様らとてそうであろう?幼童を大人が愛でるも、獣を飼いならし(こうべ)を撫ぜるも全てがそれに帰着する」

 

「愛でるが故に翁に右腕を?」

 

「否、そうではない」

 

 さらに一歩。足音までもが異音めいていて不気味だった。

 

「汝も知っておろう。元来悪魔とはヒトに憑き、その内側(たましい)から腐らせ、災厄を撒き散らし、その身体を徐々に変革させていく」

 

 サームの創り出したイフリートの偽物はそれらの工程を無視している。短期決戦に向けた量産品であり、日持ちは良いとは言えない。長くて二週間。失敗作ならば一瞬で体が拒否反応を示すこともある。

 

「なるほど。貴様は翁の体を使い受肉しようとしていたのか」

 

 そのために右腕を交換し、二つの体の間にパスを作った。右腕から流し込まれたシャイターンの因子と自己改造技術(スキル)により、翁の体は普通の食事すら要らぬヒトならざるモノへと変わっていった。

 

「左様。我に見合う器が無いのならば造れば良いだけのこと。奴の死の間際にその体を貰い受け、魂を腐らせるつもりだった」

 

「今の状態を見るに失敗したようだな」

 

「おうとも。奴の()()が殺されてしまったからな。しかしこの右腕を切り落としたところで我の腕が戻るわけでもない。何よりこれはこれで人を騙すのに便利ではある」

 

 シャイターンは座ったままのサームを見下すように立ち止まる。

 

「……貴様も我も人類を滅ぼすつもりは毛頭ない。万が一にも()()が動き出すならばそれは汝の失態だぞ、“予言のハサン”」

 

「……()()?何のことだ?」

 

「知らぬならば良い。貴様は予定通りことを為せ」

 

 座っていたサームは立ち上がる。二人の目線がちょうど同じくらいの高さになり、さながら至近距離で睨み合うようだ。

 

「貴様こそわかっていような。渓流の時のような失態は許さぬぞ。衛宮士郎への警戒を怠るな。奥の手は極力避けたい」

 

「…あの若造か。確かに面白いが警戒すべきは寧ろ……」

 

「なんだ?」

 

「否、どちらも所詮は泥から出来た下等種。脅威になりはしないだろう」

 

 黒い布が霧散する。直後にブレて重なるような声が反響する。

 

「そこな()()への信仰と祈りを忘れるな。貴様らに出来ることなど超常に縋ることのみよ」

 

 邪悪な気配が消え、サームの視線が動く。

 そこには自我を喪失した赤い瞳の少女が壁を背もたれに座っている。集落の血統はほぼ近親であり、その瞳は黒いものだったが聖杯の術式に力の器を組み込む過程で赤く変色していたが、とうとう精神や魂に至るまで影響し始めている。

 

「次の金曜日で全てが揃います」

 

 両膝をつき、(こうべ)を垂れる。まるで祈るように。

 

「どうかそれまでご辛抱を……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜、木曜日になるかならないかというところで車が止まった。

 こんな乾燥地帯ではあり得ないだろうが大雨が降り続ければ火山湖のようになりそうな不自然な岩山を登り、その頂上で一同は眼下の景色を見下ろした。

 前と変わらずドーム状の建造物が中央にあり、門番の代わりに大勢の人間がこちらを見上げていた。夜営のためか、彼らの傍には炎がある。

 

「…武装無しか」

 

 元エルメロイII世がそう口にする。

 

「地下工房を破壊したんだからイフリートの創造はもう出来ないってことよね?」

 

 あそこに縛られていたであろう多くの人間たちも生き埋めにされ、素材がない。凛の読みは当たっている。

 

 

 そう、()()()()()()()()()使()()()()

 

 

『────!?』

 

 こちらを見上げていた人々が、一斉に試験管の赤い液体を飲み干した。途端に地面が光り出し、暗闇に儀式陣が浮かび上がる。

 彼らの傍にあった炎から火の玉がいくつも飛び出て彼らの胸の中に入っていく。

 擬似精霊イフリートを己の中に創造することでいわゆる悪魔憑きになったのだ。

 

「狂信もここまで来ると見上げたものだな」

 

 ライネスが嘲笑気味で呟く。

 

「笑い事でない。魔術礼装を飲んだ以上、ただの悪魔憑きとは勝手が違う」

 

 元エルメロイII世の言葉通り、彼らは明確なる意思を持って両手に炎を顕現させる。その炎が収束され火球に変わる。

 

「来るぞ────!」

 

 火球が投げ飛ばされる。

 見下ろしていた元エルメロイII世たちの頭上へ昇り、放物線を描くように降り注ぐ。

 

 

「────Give me(与え給え).」

 

 

 火球が降り注ごうとする刹那、穏やかな詠唱が木霊する。それを唱えた神父は近くに落ちていた石ころを投擲し、一つの火球を射抜いた。

 射抜かれた火球に圧縮されていた炎が暴発し、他の火球が連鎖的に爆発を引き起こす。夜空を彩った火炎の閃光がその場にいた人間の視覚を奪った瞬間、悪魔憑きたちの群れの中心に黒衣の男が侵入する。

 アレクセイは両手に一本ずつ黒鍵を出し、二つの刀身で幾何学模様を描き出す。飛び散る鮮血に、無惨に斬り裂かれる身体が地面を赤く塗りたくる中、彼は細身の容器から透明な液体をばら撒いた。

 それに被弾した悪魔憑きたちが呻き声を上げ始める。

 

「今回は使う機会もないかと思ったんですけど…」

 

 微笑みながら、怯んだ彼らにさらなる斬撃を浴びせかける。

 代行者(エクスキューター)が相手取る吸血鬼──死徒はさることながら悪霊にまで広く効果を発揮する聖水。悪魔とてその例に漏れることはなく、さらにアレクセイの魔術により効果を際立たされたそれが悪魔憑きを蝕んでいく。

 

「貴方方が新宗教を語り、我々を殺そうというのであらば()()()としてこの世から排斥いたしましょう」

 

 それは代行者(エクスキューター)本来の仕事。

 故に慈悲を持って彼らを狩る。彼にはその権利がある。

 一瞬だけ岩山の上に目配せすれば作戦通り凛とフリューガーも動き始めている。それだけ確認し、アレクセイは視線を戻した。

 

「真に信仰ある者は命を懸けなさい。そうしなければ異端の牙は我らが主に届きはしない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目に見える青い炎はこれで最後。もう少しでアズライールの聖廟に辿り着くはずだ。

 士郎から聖杯戦争の話を聞いたところで、別段親しくなったということない。ただ、少しだけ自分の故郷がどれほど高潔な王へと自分を仕立てあげようとしていたのかがわかっただけ。

 自分の話だって大したことは話せなかった。士郎からしてみれば彼の特別だった人と自分が無関係でなかったと知れたくらいだろう。

 

「じゃあグレイは故郷を追われる形で出て行ったのか?」

 

「そうですね…師匠に連れられて。あとはなんとなく魔術を習う毎日です」

 

「やりたいこととかないのか?」

 

「…昔はありました。でももうどうやっても叶わないことなので」

 

 第五次聖杯戦争に師匠を参加させて征服王イスカンダルと再会させたい。彼らの闘いを自分の力でサポートできればいいと思っていた時期があった。

 

「正直、目的もない自分が意味なく師匠のそばにいていいのか不安ではあります」

 

「グレイは……なんというか面倒くさい奴だな」

 

「…………」

 

「あ…いや、悪い。ただ俺は家族や仲のいい人とか、好きな人と一緒にいる意味を問いただすなんて疲れるだけだと思って」

 

「つまりは無駄なことです?」

 

 士郎はぎこちなく頷く。

 

「そこに自分の居場所ってのがあるんだったらそこに居ていいんだよ。自分を豊かにしてくれるヒトと過ごす時間が無駄なわけないんだから」

 

 その言葉は、自分が気にしていることが馬鹿馬鹿しくさせるくらいに単純で的を射ているモノだった。同時に自分がどれほど面倒な人間かを思い知らされ、顔が熱くなる。

 そんな士郎の言葉とともに山を登り終えると、その先にあったのは古めかしい石造りの寺院だった。

 大きな扉の前に女の像が二つ。彼女らの両手には髑髏。いや、この廟の至る所に髑髏があった。それが本物なのか、それとも廟と同じく石でできているのかは判別がつかない。

 

「さ、早く入ろうか」

 

 士郎がそう言って、廟へ繋がる階段を上がり始める。自分も後に続く。すると、登り終える一歩手前で士郎が振り向いた。

 

「そう言えば一つ確認したいことがあったんだ。グレイはセイバーが怖かったのか?それとも自分が別のモノに変わってしまうかもしれないのが怖かったのか?」

 

「…どちらかと言われれば、後者でしょうか」

 

 士郎の話を聞いて、アーサー王が怖い人だとは思わなかったのは事実だ。ともあれ自分がアーサー王になることなど恐らくもうあり得ない話なのだが。

 

「うん、ならよかった」

 

 そう言い、士郎は一歩を踏み出した。遅れて自分も階段を上り終えた。

 途端、鼓動が早く、そして大きく高鳴り始めた。

 自分だけでなく士郎もまた同じ感覚に見舞われているのか、多少の動揺が見られる。まるで存在そのものを否定されているような、ここにいるだけで死んでしまいそうな感覚だ。

 

「………」

 

 無言のまま士郎は歩き始めた。自分も後を追い、大きな石の扉の前へ歩を進める。すると、扉が耳障りな摩擦音を上げて開き始めた。

 二人で並んで入ると青い炎が光源となり、屋内を照らし始めた。淡い光を反射する髑髏が床に散在していて、その中で最も禍々しい髑髏は奥に祀られるように鎮座していた。周囲には見覚えのある髑髏面を被った十八の首が台座に飾られてある。

 

 

「────よく来た」

 

 

 その声を直に聞いただけで、その姿を目視しただけで後悔した。少なくとも自分はここに来るべきではなかったと。

 シャイターンが誑かすための怪異なら、初代ハサン・サッバーハは────

 

「我が廟に踏み入った者全て死なねばならぬ。これ即ち貴様らは死者であることを示す」

 

 

 ────殺すための異形だ。

 

 

「汝らは死者として生を摑み取れ。さすればこの剣はあの異教徒の首を狩に参ろう」

 

 刹那、自分の心が凍り付き首筋に悪寒が走った。

 

 

 

 

 

 

 




タイプムーンウィキを参照して、グランドクラスは人類滅亡を阻止する存在って解釈したんですが、じゃあ英霊エミヤとかの位置付けはどうなるんだろうと疑問が湧きました。
それに初代様がティアマト龍に死の概念を付与するために冠位を手放したのは主人公に肩入れしたからだと書いてあったのですが、ならば六章でガウェイン相手に斬り結んだ時点で冠位を破棄したことになるんじゃないかなって思ったりしてしまう。こういうところで自分がどれほどのにわかなのかがわかってしまいますね。

あと数話で終了ですので今後ともよろしくお願いします。
とりあえずグランドクラスに関しては自己解釈で進めようかと思います。


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聖なる言の葉

長らく留守にしてしまい申し訳ありません。時間ができれば執筆時間が取れると同時に人付き合いの時間が増えると言う落とし穴にはまってしまいました。
展開的に二手に別れてしまったせいか一話にまとめようとするとどうにも時間がかかり過ぎてどうしようもないので一話あたりの文字数を減らして投稿頻度を改善しようかと思います。それでも書き方は変えないので小説全体の総合文字数には全く影響はないと思います。


 ────青い炎がゆらりと揺れる。

 

 

 炎と共に暗殺者は消え、直後にグレイの背後で青い炎が再び燃え盛った。薄暗い廟の暗闇から現れた暗殺者が少女の首を刈り落さんと大剣を天へ掲げているの士郎は目視した。それは一秒足らずの出来事。思考より先に士郎の体が動き、投影した干将・莫耶を以って大剣とグレイの首の間に割って入る。その拍子にグレイと衝突し、彼女の体が力無く倒れる。

 この異界と見紛う空間に来て初めての剣戟。あまりに重い。だが、屈辱的にもそれは暗殺者にとって全力とは程遠い小手調べなのだろう。きっと今の斬撃は反応出来たのではない。()()()()()()()()()

 

「うむ、初太刀は上々…」

 

 がちゃり、と暗殺者らしからぬ鎧が音を立てた。先ほどの不意打ちの時にはまるで聴こえなかった音だ。一挙動だけで次元の違いを感じさせられる。額から滲み出た汗が頬を伝い、顎から床へ落ちる。雫が足下で弾けた刹那、士郎は踏み込んだ。一歩二歩、三歩と同時に夫婦剣を振りかぶる。

 

「───っ!」

 

 知らぬ間に暗殺者の剣が振るわれていた。振りかぶっていた剣の重さがなくなったことに気がつき、踏み出そうとしていた三歩目が反射的に後ろへと退く。

 

「…人外にもほどがあるぞ、あんた」

 

 人生を一変させた英霊の影法師たちとの戦いでも、これほど異様な存在はいなかっただろう。敵わないことには変わりはないが、それ以上に底知れない。深淵がカタチを成したような不気味な存在。一層緊張を高め、砕けぬ強固な双剣を投影(イメージ)し、さらに鶴の翼のように肥大化させる。

 

「グレイ、立てるか?」

 

 暗殺者から目をそらすことなく、士郎はグレイに尋ねた。

 

「─────────」

 

 無言。呼吸すらも聴こえない。

 

「無駄だ、異常者。『勘』の良い人間でこの廟で正気を保てる者はそう居まい」

 

「なに?」

 

「汝にはわかるまい。此処には『死』が漂っている。この名も無き暗殺者が刈り取って来た命の痕跡は蓄積し、只人を侵す呪いの如き瘴気と化す。故に此処は悪霊好みの環境と言えよう。奴らの侵入など許すはずもないが……」

 

「普通に動ける俺は悪霊に向いてるってか?これはまたひどい言われようだな」

 

「何を言う。一度は死ぬ筈だった命なのだろう?地上を彷徨う霊魂とそう違いはなかろう」

 

 道中の会話でも聞いていたのだろうか?あまりの皮肉に士郎の口角が微妙に引き攣った。

 

「増して此の身を前にしてそこの墓守が動ける道理など有りはしない。どうせ動けぬならば先に殺された方が楽だろう。嘆かわしい。そこな墓守に信仰の精神があればまだ動けていただろう」

 

「ふざけるな。グレイは連れて帰るし、あんたには協力してもらう」

 

「ならば()()()力を示せ。晩鐘が鳴り響く前に───」

 

 暗殺者が動き始め、がちゃり、と鎧が音を鳴らすこと四度。その姿が消え、瞬く間も無く眼前に現れた。

 一斬───否、そう見えた二斬。またも干将・莫耶が破壊される!

 

「案ずるな。手心は加えてやろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 眼下が赤く染まり続けている。元エルメロイII世は期待以上の神父の働きに驚愕しつつ、一種の恐れを抱き始めた。もともとは洗礼詠唱を含め、黒鍵や聖水など祓魔用の武装を所持していることが決め手となり、アレクセイをこちらに連れて来たが、ここに来て目を惹くのは彼の常軌を逸した魔術行使だ。戦えば戦う程に強くなっている、と言うよりは魔術を持続的に使い続けていることで手が付けられないほど猛威を振るっていた。

 

(あの魔術は……いや、それでは法則が成り立たなくなる)

 

 観察を続けているうちに悪魔付きの半数は既に地に伏していた。これだけ長時間魔術行使を見ておきながら暴けないのが悔やまれる。

 

(いや、本当はこんな悠長に観察している予定ではなかったのだが……)

 

 この段階では恐らくアレクセイの援護に回る予定だったが、中途半端な援護こそが邪魔になりそうだ。

 

「どうする我が兄よ。私たちだけでも礼拝堂に急ぐか?」

 

「いいや、我々だけではあの悪魔をどうにかできない。ここは───」

 

 言いかけた途端、話しかけて来たライネスの視線が走った。共に来ていたハサンの後方──そこには火元のない煙が立ち込めていた。

 

「やれやれ、できればあちらに行って欲しかったのだが敵もそう思い通りには動いてくれないね」

 

 カタチを帯びて行く煙を眺めながらライネスは笑っている。逆境にこそ笑うのが彼女の気質だ。尤も、元エルメロイII世からして見れば笑える展開などではないのだが…。

 黒い布に包まれた暗殺者の姿が浮かび上がった。元エルメロイⅡ世はその悪魔を見据えて口を開いた。

 

「てっきりアレクセイの方に現れると考えていたが、彼には敵わないとでも思ったか?」

 

 あくまで強気にしかし、その足は震えている。下手な英霊を凌駕しているであろう相手。本来ならば勝てる見込みなどゼロに等しいのだ。

 

「アレはどうにも()()()でな、まずは横槍を折りに来た。まさか無策で乗り込んで来たわけではないのだろう?」

 

「当たり前だ。ここに来たのは貴様を殺し得る人間たちだ」

 

「ほう────」

 

 空気が凍りつく。確かに悪魔は髑髏面の下で嗤った。

 

「威勢がいいではないか!」

 

 シャイターンの左腕が紅蓮に輝いた。圧倒的な熱量を持つ炎を纏わせこちらを見据える。

 

「ならば喰らうがいい、我が業火を────!」

 

 左腕が振るわれる。その瞬間に三人は散開した。とは言え両端は斜面、まとも足場といえば背後だけだ。元エルメロイⅡ世とトリムマウはアレクセイが戦っている方へと滑り降りていった。ライネスとハサンは反対方向へ。

 背中に炎が掠め、熱を感じるが回避には成功した。

 

「何をしている!?策を郎せよ、ウェイバー・ベルベット!!!」

 

 斜面の途中で追い付かれる。シャイターンは既に振り上げていた左腕を振り落とす。

 

月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)!」

 

 左腕が直撃する瞬間、元エルメロイII世が声を上げた。呼びかけられたトリムマウは身代わりになるように元エルメロイⅡ世を突き飛ばし、シャイターンの一撃をその身に受ける!

 

「───!?」

 

 水銀で構成された体が液状になり可憐な乙女の原型が崩れていく。シャイターンの攻撃は文字通り受け流され、地面を砕くだけにとどまった。水銀の魔術礼装は体の一部をシャイターンの足に絡ませ一間ほど距離をとって再度、少女の体を作り上げる。その右腕に水銀が集中し大きな槌を形成し、勢いよくシャイターンめがけて伸びていく。

 

「────小癪ッ!」

 

 悪魔は暗殺者の右腕を動かした。右られた刃物による一閃。水銀の槌を両断する。

 

「泥より上等な物質でありながらそのカタチに押し込められているとは憐れな…」

 

 シャイターンの左腕が再び燃え始める。

 

「その忌々しい姿から解放してやろう」

 

「それはあなたに対する皮肉でしょうか?このトリムマウ同様、たいへん人間に酷似しているように見えます」

 

 無機質な唇から紡がれた言葉。明らかな挑発──に見えるが、見たままを口にしただけだろう。

 

「操り人形の分際でよく喋る…」

 

 紅蓮に燃え盛る炎は足に纏わりつく水銀を蒸発させる。自由になった足で踏み込んだ。一間ほどの距離がなくなり次の攻撃で水銀メイドの体が蒸発させられるだろう。真正面からの攻防はわずか一回。実力差を考えれば当然の結果だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 想定外のことではあった。兄上の予定ではあの神父とシャイターンが戦っているまさにその時、横槍を入れるつもりだったのだ。

 まぁ、何にしても慌てずに大見得を切り、シャイターンを上手いこと自分の方へ誘導したのはさすが聖杯戦争を生き残っただけあって肝が座っていると言うべきか……近しい人間からしてみれば腑抜けであるのは否めないが。

 

「ライネス殿、前倒しにはなりますが…」

 

「あぁ、そうだね。始めてしまおうか。噛まずに詠みたまえ。私が補助するし、必ず()()()()

 

 ハサンは頷き、目を瞑る。そして深く息を吸った。

 

()()で状況がどれほど傾くのやら……)

 

 兄上の予想では効果はかなり期待できると言うが……。

 ここで深く息を吐く。魔術回路を回し、自分が使う魔力に反応し魔眼が熱を帯びていく。

 

「…どうでもいいか。効果があろうがなかろうが、君は負けるわけにはいくまい」

 

 兄上が何かを守りたいのかとか、そう言う話ではない。きっとこれは思想の問題だろう。

 

 

 かたやヒトの可能性を信じ導く者。

 かたやヒトの限界を見定め嗤う者。

 

 

 こんな者たちが会すれば相容れぬのは必然だ。お互いを分かっておらずとも、否定せずには──潰し合わずにはいられない。

 まぁ、悲しいことに我が兄が自分の限界だけは自分で見限っているのは皮肉以外のなんでもない気がするけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水銀メイドにとどめの一撃が加わらんとしたその時、男の声が響いた。

 悪魔の動きが止まる。同時に振るわれた左腕の炎が消えた。刹那、銀色の光沢を持った刺突が漆黒の悪魔の体を貫いた!

 

『主は如何なる者にも越えられぬ試練を与えず。得るも失うもこれ全て己によるものなり』

 

 それは荘重かつ壮厳な言の葉だった。

 

「これは…」

 

 体を貫かれたシャイターンにトリムマウの槌が薙がれた。先ほどまで躱すどころか刃物一つで砕破した攻撃をまともに受け、暗殺者を模した体が岩肌に衝突する。

 

「覚えているか?渓流で私が貴様にしたことを」

 

 元エルメロイⅡ世が口を開く。立ち上がってもなお動きが鈍いシャイターンは怒気を放ち、踏み込んだ。

 

「おうとも!貴様は神の名を口にした!!」

 

 刃物が動いた。かつての暗殺者の技術故か、鮮やかな太刀筋が元エルメロイⅡ世の頸部を捉えようとする。だが、その斬撃を高密度の水銀の壁が阻む。

 ジンを除ける(すべ)の一つに、神の名を唱えると言うものがある。これもまた『力の器』の一つと呼べるだろう。グレイがシャイターンに殺されそうになった時、元エルメロイⅡ世はそれを用いた。結果としてシャイターンの動きを一瞬だけ封じることに成功したのだ。

 

『主よ、我らの忘却を、過ちをどうか御咎めなりませぬよう。

 主よ、先人に背負わせなさった重荷を我らにお負わせになりませぬよう』

 

 曰く、聖書には魔を祓う力があると言う。例えば聖書の(ページ)の切れ端の魔力で剣を編む黒鍵、聖堂教会が唯一認める神秘──洗礼詠唱。いずれも聖書無くしては存在し得ない退魔の(すべ)。特に洗礼詠唱は信仰が広く伝わっているが故に大抵の魔術基盤の中で用いても絶大な威力を誇る。

 今ハサンが唱えるモノは彼らの聖典の一節。聖書と並び、これもまた魔の者に対して有効である。この地の魔術基盤に沿った洗礼詠唱といっても差し支えないだろう。前例を踏まえれば、この詠唱はシャイターンに十分すぎる効果を示すだろうと、元エルメロイⅡ世は考えた。だからこそ、今回ハサンの帰還は僥倖だった。

 腕を構成する水銀を自由自在に変形させ、トリムマウはシャイターンの刃物をいなし続ける。だが、それまで。先ほどのように不意の一撃でなければ攻撃は通らずじまいだ。攻勢は依然としてシャイターンにある。仮にもし月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)のままそれを十分に使いこなせる魔術師がいたところで結果は大して変わらないだろう。

 

退()け!!」

 

 シャイターン左腕が横に払われ、とうとうトリムマウが吹き飛ばされる。シャイターンは直進し、元エルメロイⅡ世に肉薄する。そして刃物が放たれる。後ろへ倒れこむ形でなんとか躱しきった。が、追撃までは躱せない。刃が走る。元エルメロイⅡ世の喉元を掻き斬るためのそれは、弧を描いていた。

 

『主よ─────』

 

 しかしそこにシャイターンのものとはまた別の刃が弾丸の如く飛んで来た。それを防ぐためにシャイターンの刃物は軌道を曲げる。

 

『我らの力量では敵わぬことを我らの背にお乗せになりませぬよう。

 我らを宥し給え、

 我らを赦し給え────』

 

 火花が散る。同時に甲高い金属音が耳を劈いた。さらに一撃。それを防ぐと鍔迫り合いで二つの影が向かい合う。

 闖入して来た鮮血にまみれた金髪の神父。その背後には無数の死体。立っている者は誰一人いなかった。

 

『────汝こそは我らの守り神。罪深い者共に打ち勝つことができますよう、何卒我らを助け給え』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




もっと文字数欲しいと思われる方がいましたらお伝えください。最大限改善できるよう努めます。ちなみにこれで平均文字数の半分よりちょっと少なめと言った感じです。
コーランの一節はそのまま引用はまずいと思ったので多少日本語を変えております。


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