Kanmusu has Gone to the Rapture -幸福な消失- (焼き鳥タレ派)
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その地に降り立つ

 

──私はキャサリン・コリンズ博士。これを聞く人はいるのだろうか。

  何もかも終わり。残されたのは私だけ。

 

大英帝国からの最後の通信より

 

 

 

 

 

──エンコードと保存に送受信が追いつかない。

  もう2つもプロセッサがオーバーヒートしたわ。

 

──ケイト、愛してる。そこは危険だ、外に出るんだ。

 

──手伝ってスティーブン、助けが必要なの。ゲートは手動で開けられるわ。

 

──危険なんだよ、外で何が起きているかわかっているのか。

 

──わかっていないのはあなたよ!なんとかなるわ、絶対に上手くいく。

 

──ケイト、人が姿を消しているんだよ。今すぐやめるんだ!

 

──いやよ!手伝ってくれないなら……ひとりでやるわ。

 

──全て僕達の責任だ。君と僕の。

 

──今更“君と僕”なんて言わないで。

 

 

 

 

 

その、大きなゲートの前にたどり着いた。

照りつける夏の日差しを、両脇の広葉樹が遮ってくれる。一歩前に踏み出す。

すると、輝く光の球体が尾を引きながら、導くように視界を飛び回る。

どのみち目的など無い。その光の珠に付いていくようにゲートをくぐる。

眼前に広がるは巨大な軍港。あまりに広くてどこに行けば良いのかわからない。

ちょうどよかった。光の球を追いながら、皆の痕跡を辿るとしよう。

時間はいくらでもあるのだから。

 

まずは光の帯に沿って、西へ進んでみる。子供がいたのだろうか。

小さな敷地にブランコや滑り台といった遊具が設置されている。

その中の、円錐のように、円形の椅子をワイヤーで釣った乗り物に目を引かれた。

少し揺らして乗ってみる。

……そして、少しの間童心に帰って気が済んだら、遊具から降りた。

おや、これはなんだろう。勲章だろうか。

いつの間にか、子供が描いたようなイラストが施されたバッジが手に収まっていた。

 

使い道のわからないそれをしまうと、今度は目の前の大きなホールに向かった。

両開きの扉を開くと、広い廊下が奥まで続き、いくつもの会議室らしき部屋がある。

ドアのひとつに手をかけてみる。ガチャガチャと音を立てるだけで、開かない。

たくさん部屋はあるのに、どれも鍵が掛かっていて、入れない。

最後のドアを試してみると、ノブを回り、今度は開いた。

やはり会議室のようで、楕円形のテーブルに10個ほどの椅子が並べられている。

 

一歩部屋に入った。そこで不思議なものを見る。

光の糸が、内部の粒子を守るように渦を巻いているのだ。渦は二つ。

ちょうどテーブルの両端で向かい合うように存在している。

そのひとつに近づこうとすると、渦と光が収束し、やがて一瞬強く光り、

粒子がまるで人の形のような集まりになった。

すると、粒子のかたまりが、記録を再生するように語り始めた。

 

『山本御大将自らがお越しになるとは光栄です。本日は一体どのようなご用件で?』

 

『大本営の決定を伝えに来た。

君も、大英帝国、フランス、同盟国独逸、ソ連、中国との交信が途絶えたことは

知っていると思う』

 

『はっ。新型の伝染病によって大量の死者が出ていると』

 

『違うのだよ。これは伝染病なのではない。何一つ確証はないのだが、

私は、人智を超えた何かが迫っているのではないかと考えている。

人が触れてはいけない、何かに触れてしまったのだと』

 

『と、おっしゃいますと?』

 

『……いや、すまない。私の勘でしかないのだ。本題に入ろう。

大本営は、“伝染病”らしきものの侵攻を食い止めるため、近畿地方以西の主要都市に、

絨毯爆撃を敢行することを決定した』

 

『なんですって!?正気なのですか!

病原菌を駆除するために、日本の半分を焼き払えと、そうおっしゃるのですか!』

 

『馬鹿げた作戦でしか無いことは私も承知している。

しかし、もう決まってしまったことなのだ。私ひとりの権限で覆せるものではない。

天皇皇后両陛下には、既に北海道に避難して頂いている』

 

『それでは一時しのぎです!米国と一時的に停戦協定を結び、亡命して頂くべきです!』

 

『私も、そのように奏上した。

しかし陛下は、日本国を見捨てて自分だけ逃げることは出来ないと仰られた』

 

『何か、何かできることは無いのですか!?感染者の血液を調べ、血清の製造を……』

 

『残念だが、感染者と呼べる者は皆、消えてしまった。文字通り跡形もなく。

そして、もう一つ伝えるべきことがある』

 

『消えた……?あ、いえ、それは、なんなのでしょう』

 

『深海棲艦が和平を申し出てきた』

 

そして、光の粒子は消えていった。

後には誰も座っていない椅子、テーブル、書類。

そして表紙に鳥のマークが描かれた本だけが。光も、気配も、全てが消えた。

何の気なしにしばらく部屋を眺めていると、光の球が急かすようにぐるぐると回る。

会議室から出る。“多目的ホール”というプレートの張られたドアがあったが、

やはり入ることができなかった。ここでできることはもうないだろう。

廊下を後戻りして、外に出る。

 

ドアを開けて屋外に出ると、景色が一変していた。

あちこちに先程見た光の渦が点在している。ここに生きた者たちの欠片に違いない。

皆は何を想い、去っていったのか。心の断片らしきものを集めてみよう。

そう決めると、ホールから足を踏み出した。それが、短く永い旅の始まりだった。

 

 



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天龍

ホールから出て公園から改めて軍港を見下ろす。やはり広い。

さて、どこから見て回ろうか。なだらかな坂を下りながら考える。

途中、先程見たような人型の粒子が立っていた。

今度は光の糸が凝縮することなく初めから人の形をしている。様子を見てみよう。

 

『ねえ日向。例の伝染病って私達艦娘にも感染するのかしら』

 

『さあな。医者でもない私に聞かれてもわからん』

 

『ほんとに、よくそんなに落ち着いていられるわね。

もうすぐ中国大陸まで拡大するって話なのに』

 

『慌ててどうにかなるならそうするさ。流石に私の主砲も病原菌を狙い撃てはしない』

 

『はぁ、どうして同じ姉妹でこうも違うのかしらねぇ』

 

そして、短い会話を終えた粒子は徐々に薄くなり、消滅した。

細かな断片は収束することなく、また、すぐに消えてしまうのだろうか。

どうやらこの基地、いや、この国は伝染病のパンデミックの危機に晒されていたらしい。

ふと気になる。

 

さっきのホールで話していた二人の欠片によると、

伝染病とやらは既に日本にまで達していたらしいが、

彼女達の話では、まだそこまでは及んでいない。

それぞれの心の断片には時間的なズレがあるようだ。

混乱しないよう、見聞きした出来事を整理して置かなければ。

 

さらに坂を進んでいく。途中、巨大な白亜の邸宅のそばに、また光の粒子を見つける。

誰かが壁のそばで愚痴を漏らしている。

 

『まったく、誰がこんないたずらを!掃除する私の身にもなってもらいたいものだ!

大体こんなものは提督の仕事ではないぞ!綱紀粛正を図らねば』

 

壁を見てみる。真っ白な壁に、鼻の長い誰かが壁から覗き込むような落書きがある。

落書きながら愉快な顔だったので、少し立ち止まって見ていると、

やはり粒子が空気に溶け込んで消えていく。もう行こう。

 

少し進むと、連れ合いのようにそばを舞い続ける光の珠が、

誘うように前方で旋回を始めた。確かに、そこには2つ目の心の断片が存在した。

今見たような儚いものでなく。断片に近づくと、光の糸と内部の粒子が集まり、

まばゆい光を放った。すると、3つの人の形が現れ、会話を始めた。

 

『何しに来やがった、この死体野郎!!』

 

『いたい!』

 

『天龍ちゃんやめて!もう決まったことなの!

お互い矛を収めて協力して病原菌に対処するって!』

 

『こいつらに何ができんだよ!散々やりたい放題しといて、

自分がヤバくなったら協力してだと?馬鹿にするのもいい加減にしろ!』

 

『おねがい ていとくに あわせて……』

 

『どの顔で言ってやがる!お前らに何人仲間が殺されたと思ってんだ!

オレの目が黒いうちは提督にも建物にも指一本触らせねえ!』

 

『天龍、龍田!一体何の騒ぎだ』

 

『チッ、知らねえよ!』

 

『提督……天龍ちゃんが、まだ和平条約に納得してないみたいなの。

さあ、港湾夏姫さん、彼がこの鎮守府の提督。渡すものがあるんじゃないかしら?』

 

『ていとくさん 親書を もってきました わたしたちの きもち』

 

『そんなもん受け取るんじゃねえ!』

 

『やめるんだ天龍。お前の気持ちは、痛いほどわかる。私も多くの大切な部下を失った。

しかし今は、闇雲に戦争を続け、病原菌を放置して共倒れになるべきではない。

……散っていった仲間もそんなことは望んでいない。お前もわかってるだろう』

 

『……ふん、どいつもこいつも、馬鹿ばっかりだ!』

 

ひとつの人影が去っていく。同時に他の姿も消えていった。かなり強い心の断片だ。

彼女の思念を追うことに決めた。導いてくれ、光の球よ。

今度は東に進んでいく。光の帯を追っていくと、白い建物の前。

広場のベンチにまた心の断片を見つけた。

 

彼女は何を思うのだろう。はっきりした姿はわからないが、

声を聞く限り、きっと女性だ。断片のそばに寄る。

例によって光の糸と粒子が収束し、視界が白に。そこにはやはり3つの姿が。

 

『……天龍ちゃん、気持ちはわかるけど、やっぱりさっきのは良くないわ。

彼女に謝って』

 

『お前までこいつをかばうのかよ!いつからそんなに急に物分りが良くなったんだ?

お前だって、こいつらをぶっ殺すときは胸が高鳴るって言ってたじゃねえか。

獲物なら隣に居るだろうが、撃てよほら、早く!』

 

『いい加減にして。確かに死と隣り合わせの戦いは、私にとって悦びでもあった。

でも、それは何があっても人々を守り抜くという艦娘の誇りが前提だったのよ。

あなたはそうじゃないの?』

 

『オレが暴れたいだけの単細胞だって言いたいのか?

オレだってみんなを守りたいから戦って来たさ。

だがな、それとこの死体女と仲良くするのは全然別なんだよ!』

 

『おねがい わたしのせいで けんか しないで』

 

『黙ってろ、バケモンが!誰のせいだと思ってんだよ!

どうせ何もできやしないくせに、今更ノコノコ陸に上がってきやがって!』

 

『ごめんなさい あなた まちがってない わたしたち なにもできない

おねがい たすけて おねがいします たすけてください』

 

『口先だけで謝ろうが床に頭擦り付けようがな!……ずっ、オレはお前らなんかと』

 

『落ち着いて、天龍ちゃん。ほら、鼻血。これで拭いて』

 

『放っとけ……とにかくオレはこんな奴らと関わるつもりなんかないからな!』

 

また一つの人の形が離れていく。残された二人。

 

『てんりゅうさん ごめんなさい たつたさん ごめんなさい……』

 

『いいの。天龍ちゃんを許してあげて。まだ心の整理ができていないの』

 

そこで二人を形作っていた粒子もまた散らばって消えていった。

彼女はどこに行ったのだろう。立ち去った彼女が座っていたベンチには、

また表紙に鳥のマークがある本が残されているだけだ。

 

広場の真ん中に案内板がある。どうやらここは軍港のやや南寄り。

白い邸宅を中心としているらしい。おっと、こんなものは必要なかったな。

光の球が待ってくれている。また歩き出すと、光の球が飛び始めて私を導く。

今度は少し長い道のりになった。邸宅の東側の道を、逆戻りするように北へ進む。

 

途中、高いアンテナが設置されたコンクリート製の建物や、煙突のある家屋が見えた。

しかし、光の球はそれには目もくれず、北へ飛び続ける。

それに追随していると、木製の集合住宅がいくつも並ぶエリアに到着した。

 

光の球はその一棟に入り込む。風通しの良い屋内を光の球が明るく照らす。

一定間隔で10ほどのドアが並ぶ。

取っ手を引いてみるが、ガタガタと音を立てるだけで開かない。

ひとつひとつドアを開けようと試みるが、拒まれているかのように鍵が掛かっている。

やはり光の球に付いていくしかなさそうだ。とある一室の前でふわふわと浮かんでいる。

 

その時、手の中に小さなバッジが収まっている事に気がついた。

ホール前で手に入れたものと同じく、簡単なイラストが施された物。

相変わらず使い道はわからない。

 

気にしても仕方がない。とにかくその部屋のドアに手をかけると、今度は開いた。

少し焼けた畳に本棚、背の低い机、布団、洋服タンス。一人暮らしの部屋。

探すまでもなく、机の前に心の断片があった。もう慣れた。

臆することなく近づくと、また光の粒子がはっきりした形になった。

今度は一人きり。机に置かれたラジオの前で膝を抱えて座り込んでいる。

 

『……わかってるさ。

オレたちはみんなを守るのが使命だって。

オレにだって病原菌をどうこうできるわけじゃないって。

でも、だからって……今更あいつらとどうしろっていうんだ。

どうすりゃいいんだよ、誰か教えてくれよ……』

 

そして、彼女の姿は消えていった。ただそれだけの短い言葉だったが、

はっきりとした断片になるということは、よほど強い葛藤があったのだろう。

机に置かれたラジオ。スイッチを入れてみる。

勇ましい音楽とともに、男がニュースを読み上げる。

 

──臨時ニュースを申し上げます!

──舞鶴鎮守府の第一木村艦隊は、去る十一月一日よりソロモン諸島攻略の命を受け、

──鉄底海峡へ進撃を開始!作戦行動中の木村艦隊は同月十四日午後、

──ついに戦艦棲姫を撃滅。ブーゲンビル島奪取に成功。凱旋式を挙行せり!

──深海棲艦の残存兵力は南部へ敗走、

──もはや一はぐれ艦隊の様相を呈するのみであります!

 

しばらくラジオを聞き続けていたが、同じ内容を繰り返すばかりだった。

恐らく、放送機器が録音した内容を流し続けているだけなのだろう。スイッチを切る。

さて、彼女は自分なりの答えを出せたのだろうか。彼女を探さなくては。

さあ、道を示しておくれ。

 

光の球が部屋の外へ飛び去る。慌てることなく付いていく。

光の球は、時々遠くに行ったり脇道にそれたりするが、

決して目の届かないところに行くことがない。

たまに視界から外れてもすぐに戻ってきてくれる。

 

集合住宅から出ると、光の球はまた逆戻りを始めた。

つまり、南へ戻っていくということ。別に構わない。

さっきも言ったが、時間はいくらでもあるのだし、急ぐことに意味などないのだから。

やはり緩い坂をのんびりと進んでいく。先程の広場を横目に、更に南へ。

海にたどり着くと、光の球は港に沿うように西へ誘う。

 

どこまでも広がる大海原を眺めながら、前進を続けると、

いつの間にかコンクリートの堤防の上に居た。

見下ろすと、2,3mほど下には砂浜が広がっている。おや、あれは。

海にきらめく日光で見落とすところだった。心の断片だ。

 

階段から砂浜に降り、彼女の元へ。煌めく光の糸が渦を巻き、中で光の粒子が舞う。

人は、心だけになるとここまで美しい存在になるのだろうか。

その輝きに目を奪われていると、心の断片は強い光で視界を白く染め、

寄り添う二人を形作った。

 

『なあ……オレたちって、なんで戦ってたんだろうな』

 

『わからない でも わたしたちは この海が だいすきだった それは ほんとう』

 

『ああ、そうだな。でも、オレたちは戦っちまった。同じ海を愛していたのに』

 

『とても かなしい どうして こうなったのか わたしも おもいだせない』

 

『でも、もう違う。最後くらいは、一緒に海を眺められてよかったと、オレは思う』

 

『わたしも あなたにあえて よかった』

 

『もっと違う形で会えてたら……いや、もういいんだ。もうすぐ終わるんだからな。

それまでは、ここにいてくれ』

 

『うん みて みて やってくるわ』

 

『本当だ。なんだ、病原菌なんていうから、

気持ち悪いヘドロみたいなやつかと思ってたが……綺麗なもんだな』

 

『ええ おそらが かがやいてる』

 

『あの中で消えるなら、悪くもねえかもな』

 

『てんりゅう なかないで』

 

『お前だって泣いてるじゃねえか』

 

『うん とっても むねが しめつけられる』

 

一人がもう一人の手に、自分の手を重ねる。

 

『……いつか生まれ変わったらその時は、ダチ公になれるといいな』

 

『だいすき』

 

二人の姿が、細かい光の粒になり、空高く舞っていく。

その儚くも美しい輝きは蒼い空に吸い込まれ、あっという間に見えなくなった。

こうして、彼女の物語は結末を迎えた。なぜそんなことがわかるのかはわからない。

ただ、もうどこにも彼女の気配を感じない。それだけだ。

 

潮風に吹かれながら振り返る。堤防の壁にはまた奇妙な長鼻の落書き。

こんなところにまでわざわざ出向いてご苦労なことだ。

それを見ながら階段を上ると、また光の球が心の断片を見つけたのか、

赤レンガの建物へ向かって飛んでいき、待ちくたびれたようにふらふらと揺れる。

さあ、次の物語を紐解くとしよう。

 

 



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金剛

光の球は自由に宙を舞いながら次の断片へと導こうとする。

海岸から邸宅前広場に戻ると、今度は邸宅の玄関の前に浮かんでいた。ここか。

立派な作りの木製のドアをゆっくり開くと、

3階まで吹き抜けになった広々としたホールに入った。

その中央には2階へと続く左右に分かれた大きな階段があった。

手すりは細やかな意匠が施されて、滑らかなカーブを描いている。

 

2階へ上がると、光の球が一直線に、とある部屋に飛んでいった。

そんなに急がなくても、どこにも行きはしないよ。

光の球は、特に高級感を感じさせるドアの前で、

中に入りたそうにぐるぐると回っている。

辺りを見回すと、他にもたくさん部屋はあるが、きっと入れはしないだろう。

時が来るまで。

心を決めると、その真鍮製のドアノブを回して中に入った。

 

その部屋には、品の良いアンティーク調のデスク、向かい合う2つのソファ、

小さな給湯室があり、何らかの責任者が事務仕事を行っていたのだろうと思われる。

そして、探すまでもなく部屋の中央に心の断片。

 

光の球が部屋に飛び込み、断片の周りをゆっくり回る。

ひょっとしたらこいつには、好奇心というものがあるのかもしれない。

ならば満たしてやろう。

一歩前に進むと、光の糸、そして粒子が収束し、誰かの心を再現した。

 

『ヘーイ提督!今日の出撃で私、練度が九十九に到達したヨー!』

 

『ああ報告を聞いたよ。よく頑張ったな金剛君!君は我が艦隊の誇りだ。

……これからも、貴官の活躍に期待している!』

 

『エヘヘ、そんなに褒められると照れちゃいマース。ところで提督?

目標達成記念にぃ、何かプレゼントが欲しいナー、なんて……』

 

『ふふっ、しょうがないやつだな。何か欲しいものを買ってやる。

私の小遣いの範囲内だがな。みんなには内緒だぞ?』

 

『ノープロブレム!それは~もうこの鎮守府にあるものなのデース!』

 

『既にあるもの……?応急修理女神か?それとも間宮で食事?』

 

『提督。私に、“指輪”をください』

 

『……金剛、私はあんなものは誰にも渡すつもりはない』

 

『どうして!?ずっと一緒に居た私の事が嫌いなの?

指輪があれば、私、もっともっと提督のために強くなれるのに!』

 

『あれは君達、艦娘全員を愚弄している!

確かに際限のない練度の上昇は軍縮条約に抵触する。

制限解除に慎重にならざるを得ない事情も理解している。

だからと言って、あんな玩具のような指輪で結婚した風な気になって、

ひとまず喜んでまた強くなって戦えなどという、軍部の思惑を許すわけには行かない!』

 

『それでも構いません!あなたが、その手で薬指にはめてくれるなら……』

 

『あの指輪で結婚の約束をしたからと言って戸籍上の夫婦にはなれないんだぞ!

……私はあんなものには反対だ。制限解除が必要なら書類による申請で済むはずだ。

それを粗末な輪っかで満足させて、艦娘の人権問題は見て見ぬふり。

そんな君達を人として尊重しない連中が作ったお仕着せの制度になど従う気はない!』

 

『……嘘つき』

 

『何だって?』

 

『どうせ、他に女が居るんでしょう!そうだ……!最近フランスから来た戦艦の娘。

彼女のこと、やけに気にかけてるじゃないですか。

いつも彼女とお喋りしてて、私にあまり構ってくれなくなりましたよね!』

 

『馬鹿なことを言うものじゃない。リシュリュー君は、まだ日本の文化に慣れていない。

それにまだ練度も低い。如何に強力な戦艦でも、

演習を重ねてある程度練度を上げなければ、大破の危険性が極めて高くなる。

今はまだ注意深く気を配らなければならない時期なんだ。

君にもそんな時があっただろう?』

 

『もっともらしいこと言わないでよ……!

結局あなたも色白で青い目の女が好きなんでしょう!?』

 

『落ち着くんだ金剛』

 

『散々その気にさせて利用しておいて、最後に選ぶのは白人の女!男なんて……最低!』

 

『金剛君、待ちたまえ!』

 

一人がこちらに向かって走ってきた。

恐らく、その時ドアから飛び出していったのだろう。

同時に室内に残されたもう一人が消えていった。

ひとりで使うには広めの部屋を調べてみる。デスクの上に一冊の本。

やはり表紙には鳥のマーク。開け放たれた窓から心地よい風がそよぐ。

さあ、彼女を追いかけよう。

 

ドアを開け部屋を出る。光の球は廊下を奥に進んでいく。

そして、奇妙な部屋の前で止まった。追いついた先は、何かの部屋の前。

不思議な部屋だ。ドアに6文字の英数字が書かれたプレートが貼られている。

 

何かのパスワードだろうか。何も書かれていないより余計わからなくなった気がする。

入って確かめるしかないだろう。ドアを開ける。

中に入ると、そこは物品の保管室らしき場所だった。奥の棚の前に心の断片。

そっと近づくと断片が人に変わる。

 

『……くそっ、こんなものがあるから!』

 

人の形は何かを床に叩きつける動作をした。

 

『すまない、金剛……』

 

この断片は提督と呼ばれていた人物のものらしい。他人の存在まで心に取り込むとは、

金剛という女性にとって、提督はよほど大きな存在だったようだ。

棚に近寄り、足元を見る。

踏み潰された指輪のケースと、宝石すら付いていない小さな鉄の輪。

 

彼は、これを渡すのをためらっていたのか。用は済んだので立ち去ろうとすると……

おやおや、よく見ると床にも例の長鼻だ。相当ないたずら好きが住んでいたと見える。

 

不思議な番号の部屋を出ると、

待ちかねたように光の球が元気よく螺旋を描きながら空を飛ぶ。

ついていくと、1階のホールへ。外に出ろということなのだろうか。

でもその時、なんだか、ただゴールを目指して歩くことに飽きが来た。

ちょっと光の球には待ってもらって、この階をうろついてみることにした。

例え入れないところだらけだとしても。

 

玄関ホールから広い廊下を西に進みながら、開けられる部屋がないか調べて回る。

やはりどれも鍵がかかっていて、返事はガチャガチャの一点張り。

わかりきってはいたことだが。そのうち、とても広い空間に出た。

 

大きなテーブルと椅子がたくさんある。少し奥には、ステンレス製のカウンターがあり、

奥には厨房が見える。どうやらここは食堂らしい。

開け放たれた空間には行く手を遮るドアがなく、気が済むまで見て回ることができた。

かつてはここで大勢の住人が、

友人達と会話を楽しみながら食事を取っていたのだろうか。

 

厨房に入ってみる。カウンターの脇に入り口があったので入ることができた、

というより初めからドアがなかった。

清潔さの保たれた調理台や食器棚、コンロなどが並んでいる。

そして厨房の片隅には電子レンジが。

なんとなく試したくなったので、1分ほどに設定してみる。

 

すると、不思議な事に電気が通っているのか、何も乗せていない皿が周りだした。

設定時刻に達すると、小さな鐘の音と共に電子レンジが止まった。

面白い現象に出会えた。やはり散策はのんびりと行うとしよう。

また、新たな発見があるかもしれない。光の球が待っている。そろそろ戻ろう。

 

重いドアを開け、邸宅から出ると、待ちかねた光の球が一気に外に飛び出した。

思わず釣られて走り出すところだった。そんなことは無意味なのに。

とにかく次が待ちきれない光の球を追いかけて、

邸宅隣のコンクリートで舗装された道、といってもさっき通った道の続きだが、

それを南に進むと、倉庫の並ぶ区画にたどり着いた。

 

大型シャッターが開いているものもあれば、閉じているものもある。

光の球は、開いている倉庫に入り込んだ。ここに次の断片があるに違いない。

内部に入ると、高く積み上げられた資材の山がいくつも並んでいた。

その山の隙間に隠れるように、心の断片が。待たせてすまない。

さあ、次の記憶に触れようか。

断片が収束すると、密談でもするように倉庫の隅に二人分の姿が現れた。

 

『ねえ……フランスに帰って』

 

『こんなところに呼び出したと思ったらいきなりなに?』

 

『あなたが提督を誑かしてるのはわかってるの!さっさと国に帰って!』

 

『ちょっと~あなた何を言ってるのかさっぱりだわ。少し頭を冷やしたら?』

 

『うるさい!あんたみたいな女を日本語で泥棒猫って言うのよ!

返してよ……私の提督を返してよぉ!!』

 

『誰か~?ちょっと助けてくださいな。おかしな人に絡まれて困っているの』

 

『金剛君、何をしているんだ!』

 

『……提督』

 

『Amiral.ここのエースはどうなってますの?

いきなり呼び出されて、さっきから謂れのない罵倒を受けているのですけど』

 

『リシュリュー君すまない。金剛君は今、少し精神的に不安定なんだ。

今日のことは後日謝罪させる。とにかく今は連れて帰ってもいいだろうか』

 

『ふぅ、そうなさって』

 

『嫌です!!』

 

『金剛君、聞き分けないか!』

 

『ここで、選んでください!私か、リシュリューさん。どっちに指輪を渡すかを!』

 

『自分が何を言っているのかわかっているのか!

……リシュリュー君、申し訳ないが金剛君から距離を置いてくれ。

勝手なことを言っているのは承知している』

 

『つまり、もう帰ってもよろしいのね?では、さようなら』

 

『待ちなさいよ!!』

 

『金剛!』

 

『あ、あ……叩いた。私を叩いたわね!

指輪もくれない、白人女にうつつを抜かす、挙句の果てに、私に手を上げるなんて!

やっぱり私に飽きたのね、この裏切り者!もう嫌、こんな鎮守府!』

 

『待つんだ金剛!』

 

二人の姿が倉庫の外へ出ていった。倉庫から出ると、もうどちらも居なかった。

この断片はここでお終いらしい。光の球よ、次はどこへ行けば良いのかな。

それは意外と近くだった。倉庫区画の隣。工場のような施設に飛び込んでいった。

倉庫と同じく大きなシャッターが開け放たれ、内部の様子が見える。

 

中に入ると、天井から吊られた船体の一部や、砲塔らしきものに、

たくさんの小さな光の粒子の塊がくっついている。一体これはなんだろう。

小さな存在が工場内の至る所で動いている。

かつてはそんな姿をしていたのだろうか、想像もつかない。

 

それより今は追跡だ。わからないことにはいつまでも固執しない。

答えが出ることなど、もうないのだから。

光の球はどこだ。軽く見回すとすぐ見つかった。溶鉱炉のそばに心の断片。

その近くを舞っていた。わかってる。今、解き放ってやる。

溶鉱炉に近づくと、光の線が渦を巻き、中に人の型をした粒子が現れた。

 

『ですから!明石の権限じゃ解体処分なんてできないんですよ!

ヤケを起こさないでください!』

 

『いいから!もう生きててもしかたないの!

どんなに頑張ったって、報われやしない、あの人は振り向いてくれない……』

 

『金剛!』

 

『提督……』

 

『ああ、提督!お願いしますよ!金剛さんが自分を解体処分しろって聞かなくて』

 

『そうか。手間を掛けた。この問題は私が片付ける』

 

『……なら、早くして。面倒くさい戦艦をただの鋼材に戻して』

 

『金剛』

 

『はっ……?』

 

『キャー……こんなところで提督ったら大胆』

 

『金剛。結婚指輪というものは、上層部から貰う景品なんかじゃあない。

宝石店で愛する人の顔を思い浮かべながら、精一杯の気持ちを込めて選ぶものなんだ。

私のわがままで君を待たせ、傷つけてしまったことは詫びようもない。

この戦争と感染症騒ぎが終息したら、一緒に指輪を買いに行こう。

二人で、一生の思い出になる結婚指輪を』

 

『ごめんなさい、提督……私、不安だった。

提督が私を選んでくれないんじゃないかって。

他の素敵な人と結婚するんじゃないかって。

ごめんなさい……でも、もっと抱きしめて。お願い』

 

『ああ、ずっと離さないさ』

 

『こういう時、外野はどこに行くべきなんでしょうねえ?困ったなぁ、アハハ。

……あれ?向こうの空から光が降ってきますよ。なんだろう』

 

『本当だ、あれは一体……』

 

『でも、綺麗。まるで天使の羽根みたいデス……』

 

『ああ、そうだな。いつか、こんな光の中で、結婚式を挙げたいものだな』

 

そして、3人を取り巻く光の線は徐々に薄く消えていき、放たれた粒子が宙を舞い、

少しずつ小さくなって、風に運ばれ消えていった。

工場を見渡す。さっきの小さな存在もいなくなっていた。

ただ、わずかに揺れる鎖が、悲しいほどに小さく音を立てるだけだ。

彼女の物語は終わり。外を眺めるが、真夏の太陽が照りつける青空が見えるだけだ。

もう行こう。次は誰の物語を見せてくれるのかな。

 

 



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大淀

工場から立ち去ろうと振り返ると、奇妙なものが視界に入る。

鎖で吊られた船体に、邸宅で見たような6文字の英数字。なんなのだろう。

船体番号にしては全く規則性が見られない。

まったく、軍事基地というものは謎だらけだ。

もっとも、それが楽しみでこの小さな旅を続けているのも事実だが。

 

もう行こう。一歩前に踏み出すと、光の球が引き止めるように縦に回転を始めた。

まだ何かあるというのだろうか。振り返ってみると、

確かに工場隅の作業台のそばに心の断片が。

さっき消え去ったばかりの明石という女性だろうか。

 

まあいい。物語を聞かせてくれるなら、誰であろうと構わない。断片に近づく。

光の線、そして粒子が一点に収束し、音もなく破裂する。

そして、作業台のそばに二人の人の型が現れた。

 

『一週間で防毒マスク一万個!?できるわけないじゃん!』

 

『司令部からの通達なの。

無茶なお願いだとはわかってる、でもあなたにしか頼めないの。お願い、明石』

 

『その“無茶なお願い”、何度目だと思ってるの?

そもそも一万個分の資材も部品もないよ!

大淀から司令部に言ってよ、馬鹿なことはやめてって!』

 

『仮にも艦隊旗艦として上層部の決定に背くわけにはいかないの。

海軍だけじゃない。陸軍も製造ラインをフル稼働して生産に当たってるの。

私達だけ何もしないわけには行かないでしょう?』

 

『一億二千万人分の防毒マスクを?間に合うわけ無いじゃない!

みんなおかしいよ……日本を焼き払うための特殊焼夷弾、

撃つ相手すらわからない新型三式弾、おまけに今度は、

効果があるかもわからない防毒マスク?

明石、もう疲れちゃったよ……私達、一体何と戦ってるの?』

 

『いいえ、一億二千万人じゃない。六千万人よ。もう西日本には誰もいない』

 

『嘘……』

 

『本当よ。昨日、和歌山・京都・滋賀からの通信が途絶した。

もう伝染病は関東にまで迫りつつある。お願い、もう少しだけ頑張って』

 

『そんな凶暴な病原菌に防毒マスクが何になるのさ!仮に用意できたとしても!』

 

『1%でも可能性があるならやるしかないの。作ってちょうだい。

全ての小人達の作業を中断させて手伝わせてもいい』

 

『……っ!大淀はいいよね!“やれ”って言うだけで済むんだからさ!』

 

一人が振り返り、肩を怒らせて去っていった。

残された一人はしばらくその場に佇み、つぶやく。

 

『私だって、こんなこと言いたくないわよ……』

 

そして、光の糸が解け、粒子が消えていった。

大淀、そして、明石。二人の人物が現れた。今度はどちらの物語なのだろうか。

さあ光の球、お前の出番だ。

視線を向けると、光の球はどこか嬉しそうに工場から、

すうっと綺麗な曲線を描いて飛んでいった。後を追う。

 

だが、目の前に光の粒子、つまり人の型が見えた。断片ですらない、儚い欠片。

これまでにも何度か見た。まずは彼または彼女の声を聞いてみよう。

光の球をそのままにしておいて、欠片に歩み寄る。

邸宅前の広場で二人の光の粒子が語り合う。

 

『最悪や!ツバメさんこんなに死んどる……』

 

『本当、かわいそうに』

 

『どこか埋めたらなあかん。スコップ取ってくる』

 

『龍驤ちゃん待って』

 

『どないしたん?飛鷹』

 

『もしかしたら……これって例の病原菌の仕業なんじゃないかしら。

だとしたら下手に触るのは危ないわ。まずは提督に報告するべきよ』

 

『そっか。うち、提督呼んでくるわ!』

 

『お願いね』

 

その言葉を最後に二人の欠片は小さな粒となり、やがて消えた。

天龍という人物の唐突な鼻血。ツバメの大量死。

この世界に起きた出来事には、なにか予兆があったというのだろうか。

今更考えても手遅れ……いや、この表現は適切ではないな。

ならどう言い表すべきなのかと問われても、これもまたわからない。

とにかく心に留めておこう。

 

光の球の元へ戻る。

コンクリート製の建物の前で輝いていたので、探さずとも見つけられた。

鉄製の暗証番号入力式の鍵が設置されていたが、ドアは施錠されていなかった。

内部は、様々な通信機材、小さな会議室、大型コンソールがある通信施設だった。

コンソールの回転椅子の上に心の断片が浮かんでいる。

そばに寄ると、やはり光が収束し、そこにいた人物が粒子の集まりとなって現れた。

 

『モスクワ、モスクワ?こちら日本海軍。大使館、応答願う!……ダメ』

 

『同盟国独逸、こちら日本国海軍!貴国の状況連絡を乞う!……お願い、返事を!』

 

『中国の全周波数に呼びかけます!私は日本国の艦娘、大淀です!

生存者は返信を!……どうしてっ!』

 

その時、背後からもうひとつの人物が入室した。つまり、外から入ってきたのだ。

その人物と重なる格好になり、光の粒子が少し眩しい。

 

『大淀……状況は?』

 

『駄目です!

敵国含め、あらゆる主要国家に通信を試みましたが、まったく応答がありません!

司令代理、これからどうすれば』

 

『そうか……感染の拡大は想像以上に早いな。

念のため、もう一度独逸の大使館及び、通信可能な軍施設全てとの交信を試してくれ。

私は提督に結果を報告し、今後の対応を話し合う。頼んだぞ』

 

『了解しました』

 

そして、後から入ってきた人物がまた外に出ていった。

椅子に座る断片はきょろきょろと周りを見回すと、またコンソールを操作し始めた。

 

『……呉鎮守府、呉鎮守府?こちら(ノイズ)鎮守府です。

誰か、誰か一人でも生きていたら、返事をしてください。お願い、お願いだから。

誰か、応えて……』

 

小声で日本のどこかと通信しようとしている大淀という人物。

しかし、スピーカーは沈黙を保ち続ける。

 

『呉のみんな、お願い、生きていて……』

 

そこで、断片は途切れた。大淀を形作る粒子が消滅していく。

完全に彼女の型が消えると、残ったのはゆっくりと回る回転椅子。

そしてコンソールの上には……鳥のマークの本が一冊。

屋内にもう断片はないが、まだ終わりではないはずだ。行こう。通信施設の外に出た。

 

光の球がふわふわ飛んでいく。

急ぐ様子もないということは、それほど遠くではないのだろう。

実際、次の断片は近くにあった。邸宅前の広場。

ちょうど案内板の前に、断片が一切揺れ動くことなく空中で静止している。

 

歩道を一歩一歩前進して、どこか堅い決意のようなものを感じさせる断片に近づいた。

それは収束を開始し、ひとつの点になった瞬間、まばゆい光を放った。

光が収まると、そこには多くの人の型を前にした、ひとりの断片の姿があった。

大勢の人物が、次々に声を上げる。

 

『お願い、ドイツに帰らせて!きっとみんな大変なことになってるの!』

 

『私からも一時帰国の許可を頼む!』

 

『こんなところでじっとしてられません!みんなの無事を確かめなきゃ!』

 

『ワタシ、フランスが心配なんです。様子を見るだけでいいんです!

すぐに帰ります、お願いです!』

 

『提督には申請を出してくれたのだろう!?』

 

すると、ひとり案内板のそばにいた人物が、意を決したように告げた。

 

『結論から申し上げます。皆さんの、帰国申請は、却下されました』

 

怒りを含んだざわめきが起きる。

 

『どうして?生まれ故郷で大勢人が死んでるのに、黙って見てろって言うの!?』

 

『この期に及んでまだ戦えと言うのか!深海棲艦と和平を結んだ今となって今更!!』

 

『和平を結んだ意味を考えてください。

彼女達の情報によると、日本より西の世界は、失われました』

 

今度はざわめきがはっきりとした罵声に変わる。

 

『ふざけるな!そんなもの、日本に逃げ込みたい奴らの法螺話に決まってる!』

 

『嫌です、ワタシ、祖国を見捨てられません!』

 

『もういい!Bf109Tに乗ってでも私は帰るぞ!』

 

『艦隊旗艦として、それは許可できません。本件につきましては、

提督から皆さんの勝手な行動を禁止する権限をお預かりしています』

 

『なんだと!大淀、貴様……!

お前には人の心がないのか!故郷を思う、人の気持ちが!』

 

『病原菌の爆発的大流行以後、西に向かった航空機は、全て消息を断っています。

それだけ病原菌は強力だということです。皆さんを犬死にさせるわけにはいきません。

どうか、ご理解ください』

 

『ご理解くださいだと!?

お前は、ご理解くださいで日本を見捨てることが出来るのか!答えろ!』

 

『質問がなければ報告会を終わらせて頂きます。失礼します』

 

『待て、逃げるな!……この馬鹿野郎!』

 

この断片はその大声で消滅した。

今までにない数の光の粒子で照らされていた広場が、元の明るさに戻る。

大淀は何を思っているのだろう。行こう、光の球。

光の球はゆっくりと、歩いてきた道を戻っていく。またあの通信施設に行くのだろうか。

そう、思った通りだった。

 

開けっ放しにしていた入り口から入ると、屋内の隅に心の断片。

今度は迷うように、ゆらゆら漂っている。あなたの気持ちを聞かせてほしい。

断片に触れると、また光の線、粒子が収束。視界を光で満たす。

そこには、隅で膝を抱え込む大淀の姿が。

 

『ぐすっ……ううっ、わたしだって、広島に帰りたいよ……あの街が恋しいよ……

どうしてみんなわかってくれないの……?』

 

大淀はとめどなく流れる涙を拭いながら、嘆きを漏らす。

 

『こんなに悲しい気持ちになるなら、艦娘になんてなるんじゃなかった……

あのまま沈んで、ただの鉄くずのままでいればよかったのに……』

 

だが、その時、ハッと何かに気づいた大淀が顔を上げた。

そして、通信施設から慌てて飛び出す。彼女の姿を追う。

彼女は見晴らしのいい邸宅前広場にいた。大空に向かって手を振っている。

 

『迎えに来てくれたのね!ここよ、私はここよ!』

 

西の空から、幾千幾万もの光の糸が流れてくる。これほど間近で見るのは初めてだ。

息を呑むような光景。

 

『また海に連れていって!また、みんなであの海に!』

 

あの光の糸はなんなのだろう。あんなにか細い糸なのに、力強い存在を感じさせる。

やがて、一本の糸が空から伸びて、大淀に優しく触れた。

 

『懐かしい。また来てくれて、ありがとう……』

 

すると、大淀の姿を作り出していた粒子が舞い散り、分裂し、

小さくなりながら消えていく。気づくと、そこにはもう何もなかった。

光の球がそばに寄り添う。彼女の物語は終わったということらしい。

また逢う日まで。あなたの物語をありがとう。

まだ散策をやめようとは思っていない。次の断片へ向かおう。

光の球を促して、再び物語を探し始めた。

 

 



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ウォースパイト

大淀はかつての仲間のところに還っていったのだろう。

その結末を見届けると、言い表し難い感情のようなものが湧き上がってきた。

これは悲劇なのか、それとも幸せな結末なのか。答えは彼女しか知りようがない。

ただ潮風に吹かれながら、そんなことを考える。

できることといえば、ただ光の球についていくことだけだ。

今度は、再び海岸に向かって螺旋を描くように飛んでいく。

 

正門から初めて眺めたときは、とても広く感じたが、実際中に入って彷徨ってみると、

それほど移動に苦労はしないものだ。入れない場所が多いということもあるが。

光の球を追って、邸宅前広場を抜け、しばらく歩くと堤防に沿った砂浜にたどり着いた。

 

待っていたよ、と言ってくれるかのように、光の球はそこにいた。そばには心の断片。

新たな物語を紐解こう。

断片に近づくと、光の線と粒子がぎゅっと固まり、静かに閃光を放った。

そこには、大勢の人の型と対面するひとりの存在。

はじめまして、いや、さようならだろうか。あなたの物語を見せてください。

 

『この疫病神!イギリスのせいで世界中の人が死んだ!遺体すら残せないまま!』

 

『あたしは最初から反対だったんだよ!敵国の艦娘なんざ入れちまうなんて!』

 

『……』

 

『黙ってないでなんとか言ったら!?ネタは上がってんのよ!

感染症……いや、細菌兵器をイギリスが開発してたってね!』

 

『違うわ。国王陛下に誓って大英帝国はそのような非人道的な行いは──』

 

『とっくに死んだオッサンに誓ったって意味ねえんだよ!

イギリスが最後の通信で言ってたぜ。

VALISって研究所が怪しいウイルスの実験に失敗して、村ごと毒ガスで一掃したってな!

実際病原菌の拡散もイギリスから始まったって話じゃねえか!

どうしてくれるんだよ、人類の半分を殺した鬼畜野郎!』

 

そう言った人の型が、砂を拾って、ひとりの存在に投げつける動きを取った。

 

『……っ!みなさん、どうか気が済むまで私を責めて、打って。

でも、国王陛下への暴言だけはやめてください。私は、まだ信じています。

陛下はまだ、ご健在だと』

 

『ならお望み取りぶちのめしてやるよ!余裕こいて、椅子座ってんじゃ……ねえ!』

 

人の型が、今度はその手のようなもので、ひとりの存在を殴るように動いた。

粒子の固まりは、輪郭がはっきりしないので、

前後の会話の内容と合わせて判断しないと、何をしたのかわかりにくい。

 

『あぐっ!』

 

『俺達はまんまと嵌められたんだ!何が“講和に向けた日英艦交換条約”だ!

コイツだって、どんなバイ菌持ってるかわかりゃしねえ!

みんなも好きなだけやっちまえよ、どうせ俺達は……とにかく、こいつは敵なんだ!

許しちゃいけねえんだよ!』

 

すると、他の人の粒子たちが、少し戸惑ったあと、

足元の何かを、孤独な存在に投げつけはじめた。

恐らく、砂だけでなく、ぽつぽつと見られる小石も飛んでいったことだろう。

しかし、逃げもせず、助けを呼ぶでもなく、ひとりの粒子はその場で耐えていた。

 

『やめなさい!』

 

その時、後ろからもう一人の人物が階段を下りて両者の間に入ってきた。

そして、ひとりきりの存在を守るように、その前に立った。

 

『鳳翔さん……なんでそんな奴かばうんだよ!

そいつのせいで世界に病原菌が……あっ!』

 

今度は新しく現れた人物が、皆を扇動していた者の頬のあたりを叩く仕草をした。

 

『恥を知りなさい。立場上言い返せない相手を寄ってたかって責め立てる。

あまつさえ暴力を振るうなど、五省にもとる所業です!』

 

『だって、だってよ!イギリスのせいで世界がめちゃくちゃになったんだぞ!?

どうせ日本だってじきに病原菌の餌食になる!

悔しくないのかよ!わけのわかんねえもんに殺されて……』

 

『彼女が病原菌の発生に関わったという根拠でもあるのですか。

確かに、イギリスの何某という組織が作り出した生物兵器が、

事の発端であるのは間違いないのかもしれません。

しかし、彼女にそれを予見し、阻止できたと本当に思いますか?』

 

『思わない……けど!』

 

『わかっています。私とて理不尽な死は本来なら御免被ります。

ですが、ここまで事が大きくなった以上、最期の時は避けられないのでしょう。

だから、その時までは、同じ艦娘同士で笑って生ききってみませんか?』

 

『……ちくしょう、俺は、あんたみたいに優しくなれねえんだよ』

 

『なれます。いえ、もともとそうじゃありませんか』

 

すると、砂浜に集っていた大勢の心の断片は消えていった。

この軍事基地を包んでいる不可思議な現象はイギリスから始まったらしい。

静かなさざなみが打ち寄せる音が心地いい。

だが、こうして海を眺めているわけにもいかない。次の断片を探そう。

 

光の球が一旦空高く舞い上がってから堤防を戻っていく。

時々意思があるかのような動きを見せる光の球は、どこか可愛げがある。

この基地を訪れて初めて出逢ったが、なぜだろう、

ずっと昔から知っていたような、そんな気がする。今度はどこに行くのだろう。

 

一旦邸宅前広場に戻ると、光の球は水路に掛けられた小さな橋の上を飛んで、

雑木林の中を走る遊歩道を進んでいく。ここには初めて足を踏み入れる。

木漏れ日がきらめき、遊歩道に影と光の複雑な表情を描いている。

そんな美しい緑の中を歩いていると、小さな飲食店のような建物が見えた。

 

雑木林を抜けると、開けた敷地に出る。

その飲食店のドア、というよりガラス張りの引き戸を開ける。

店先には短いカーテンのような、何等分かに切った長い布が垂らされている。

何か、この国の言葉で店名らしき文字が書かれているが、なぜか読むことができない。

 

確かに読めたはずなのに、“必要ないだろう?”と誰かに言われているように、

頭に入ってこない。残念ながら、世界に拒まれては、できることは何もない。

早々に諦めて店内に入った。カウンター席が10席ほど。座敷が3つの小さな店だった。

そして、店を心の断片が照らしている。さっそく近づいてみる。

光の線と粒子が2人の人物を形作る。

 

『さあ、手当が終わったわ。美人さんなのに痕が残ったら大変』

 

『Thank you. 鳳翔。もうどこも痛くない』

 

『ウォースパイトさん、でよかったかしら。……どうして、あんな無茶をしたの?

あなたもやり返したり、助けを呼ぼうとは思わなかった?』

 

『It’s my duty.(私の義務なの) わかってるの。

みんな、本当はただ恐ろしいだけなんだって。

本当は優しい、けど、今は見えない何かに心を曇らされているだけだって』

 

『そうね。でも、だからって、あなたがそのはけ口になる必要はないんじゃないかしら』

 

一方の人物が首を横に振る。

 

『それで、少しの間でも、みんなが恐怖から逃れることができるなら、

それは私がやるべきことなの』

 

『あなたは、優しいのね』

 

『いいえ。Noblesse Oblige.(高貴なる者の義務)

大英帝国を代表する、気品を備えた戦艦として生まれた私には、

みんなを率先して守る義務があるの。心の内に巣食う、恐怖という敵からね』

 

『そう。優しくて、強いのね』

 

音もなく二人の姿がほどけ、粒子が散って消えていく。店内にはもう誰の気配もない。

少し視線を走らせると、カウンターの奥に酒らしき瓶が並んでいた。

待っていたら誰かビールでも持ってきてくれるんじゃないか、

そんな馬鹿なことを考えてしまい、

無駄だと知りつつカウンターの前で立ち止まってしまった。

 

なにをやっているんだ。

数分を浪費してしまったが、全く無駄だったというわけでもない。手の中にまたバッジ。

酒を飲む男の姿が描かれている。せっかくだから店内を見せてもらおう。

小さな厨房に入ると、木製のまな板や、鍋がある。

そして業務用冷蔵庫のそばに、また電子レンジ。

 

食堂のレンジが動いたのなら今度も動くはず。1分に設定。

すると、唸りを上げてやはり動き出した。

しばらくオレンジの光を眺めていると、鐘の音と共に停止した。

この電気は、誰がどこからどうやって送っているのだろうか。

考え込んでいると、また手の中に妙な感触。

 

今度は電子レンジの絵が書かれたバッジだ。

このバッジも結構貯まってきたが、何か使い道はあるのだろうか。

それとも、ただ世界がからかっているのだろうか。答えは教えてあげないよ。

そんなふうに笑いながら。それならそれで構いはしない。

ただ、全ての事柄を受け入れるだけだ。もう行こう。

物語の主人公はウォースパイトというらしい。彼女の元へ連れて行ってくれ。

 

光の球は店から飛び出すと、雑木林を戻っていく。

行き先などわからない。ただ付いていくだけ。

遊歩道を歩いて雑木林を抜けると、再び邸宅前広場に。すると、あった。

ここからでも見えるほど近くに、心の断片。別に宝探しをしているわけではない。

ペースを崩すことなく近づいて、断片に触れる。

それが放つ光に包まれ、二人の人物の姿を見る。

 

『済まなかった……鳳翔さんが言ってた通りだよ。あんたには何の責任もないのに。

俺、最低だよな』

 

『No problem. 気にしないで。こんな非常事態だもの、あなたは少し迷っていただけ。

これからも一緒に戦ってくれる?』

 

『俺を、許してくれるのか?……ああ、もちろんだ!

つっても、もう戦う相手なんていなくなっちまったけどな』

 

『That’s wrong.(違うわ)まだ、いるわ』

 

『えっ、まだ誰と戦うってんだ?深海棲艦はもう……』

 

『恐怖という悪魔と戦うの。鳳翔が言っていたように、

みんなが笑ってその時を迎えられるように、せめて私達は最後まで友達でいましょう』

 

『俺なんかで、いいのか?』

 

『あなただけじゃない。艦娘みんな、よ』

 

『ああ、そうだな……今度艦娘みんなでパーティーやろうぜ!

提督にバレたらゲンコツ食らうから、こっそりお菓子持ち寄ってさ!

あんたも来てくれる……かな?』

 

『Of course, with pleasure.(もちろん、喜んで)』

 

『やったぜ!俺、みんなに声掛けとくよ。じゃあ、また後でな。提督には内緒な!』

 

『……Good bye』

 

走り去る人影に、もうひとりが小さく手を振る。

そして、記憶を再現した心の断片が、徐々に細かくなり、空に消えていく。

それを待っていたかのように、光の球が飛んできた。今行くよ。案内を頼む。

彼女の断片を求めてまた歩きだす。

 

最後の断片はそう離れてはいなかった。なぜ最後だとわかるのかは、やはりわからない。

初めて彼女の断片を見つけた砂浜に、再び心の断片を見つけた。

光の球が海岸を気ままに飛び回っている。断片に向かって歩を進める。

視界を一際強い光が包み、そして、二人の人物を映し出した。

 

『どうしても……行くというの?』

 

『ええ。祖国が何をしてしまったのか、確かめないと。

これは、私にしかできない義務だから』

 

『一人で世界の半分に広まった病原菌と戦うつもり?』

 

『That’s wrong. 私の背中には仲間がいる、友達がいる。だから、ひとりじゃない』

 

『必ず、帰ってきてね……』

 

『大丈夫。必ずイギリスにたどり着いて、病原菌を除去する方法を探してくるわ。

……それじゃあ、しばらくお別れね。見送ってくれてありがとう、鳳翔』

 

『ずっと、待ってますから』

 

すると、ひとつの人の形が海面へ踏み出す。

不思議とそれは沈むことなく、数歩進むと、告げた。

 

『……Sally go!(出撃)

 

その掛け声と共に、彼女は水平線の向こうを目指して走り去っていった。

やがてその姿を形作る光の線や粒子が、

海を疾走する彼女から置いていかれるかのように、どんどんほどけ、こぼれ、

やがて人の姿から完全に崩れ去った。

そして、空に浮かぶ線と粒子は、海を駆ける一陣の風に運ばれ、消えていく。

 

見えない何かに戦いを挑んで消えていった。初めて見る結末に、

最後の断片が消え去っても、しばらくそこから動くことができなかった。

ウォースパイト。あなたの気高い心は決して忘れない。

“見る”ことしかできない存在に残してくれた、高潔な精神を確かに受け取りました。

ありがとう。

 

海に背を向け、再び進み出す。次の断片を見届けなければ。

遊ぶように波打ち際を飛び回っていた光の球が、急いでこちらに飛んでくる。

さあ、次の物語へ案内を。長鼻の落書きを横目に堤防の階段を昇る。

 

 



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由良

気高き女性の旅立ちを見届けた後、

また光の球が次の断片へ向けてふわふわと飛び立った。ただそれに付いていく。

堤防から邸宅前に向けて歩いていくと、

例によって広場の真ん中で光の球が動きを止めた。見つけた。心の断片。

ゆっくりと前進を続けて歩み寄ると、断片は収束して光を放ち、

一瞬視界を白で埋めた後、多くの人影を形作った。

一人の大人を大勢の子供らしき人の型が取り巻いている格好だ。その様子をただ見守る。

 

『由良さん、戦艦の人たちが、どこにもいないんです!

みなさんどこにいったんですか?』

 

『大丈夫よ、みんな。皆さんは、少し長い遠征に出ているんです。心配いらないわ』

 

『本当でちよね!?変な病気にかかっちゃったんじゃないでちよね?』

 

『落ち着いて。病原菌はまだずっと遠くにいるわ。だから、落ち着いてね。ね?』

 

『由良さん、怖いよー』

 

『何も怖がらなくていいの。由良が一緒にいるから』

 

『本当に?リベたちきっと助かるよね?』

 

『もちろんじゃない。そのために提督方も頑張ってくださってるんだから』

 

『なら、安心……です』

 

『さぁ、みんな持ち場に戻って。

皆さんがお戻りになるまで由良達が鎮守府を守らなきゃ』

 

『わかった!由良さんの言葉で少し元気が出た。みんな行こう!』

 

そして、大人の人の型を囲んでいた小さな姿が三々五々散っていく。

大人はそれを見送るようにしばらくその場に留まり、

皆の姿が見えなくなってから、そっと呟いた。

 

『……ごめんなさい。もう、だめなの』

 

心の断片はそこで終わった。

大人の姿を形成していた光の糸と粒子が空に舞い、散っていく。

どうやら、由良という女性は、正体のわからない現象が迫っていることに、

気づいていたらしい。

あなたは子供たちにどのような結末をもたらしたのでしょうか。

光の球が次の断片に導く。

 

あまり遠くはなかった。というより、目と鼻の先。

邸宅のドアの前で光の球がふらふらと漂っている。たった十数歩の距離。

あっという間に邸宅に戻ると、ドアを開いて中に入る。

光の球は廊下を進んで、鉄製の扉の前で、ここだよと言いたげに左右に揺れる。

 

その冷たい感覚を覚えさせるドアを開けると、そこは倉庫らしき部屋だった。

雑多な荷物が積まれ、棚には文房具、非常食、救急箱という、

統一感のない物資が置かれていた。その積み上げられた荷物のそばに断片を見つける。

ゆっくり歩いて近づくと、心の断片が物語の続きを見せてくれた。

 

『確かこのあたりにあったはずなんだけど……あ、あったわ!』

 

『ええと、提督からお借りした鍵で、と』

 

『うん、ちょっと古いけど、問題ないわ。みんな気に入ってくれるといいんだけど』

 

『下読みして、少し練習しなきゃ。あ、あ、ええと。まず一枚目はどんな感じ?』

 

ここで断片がほどけて、小さな光の粒となって薄暗い部屋に消えていった。

由良は一体何を見ていたのだろう。ロッカーの中を見ようとしたが、開かない。

少々もどかしい気持ちになるが、きっといつか明らかになるだろう。

彼女の心として残るくらいなのだから。次の断片を追おうかと思ったが……

せっかく入れた部屋なのだ、この部屋を少し見て回ろう。中をうろつく。

 

壁には色あせたカレンダーや、

やはり何と書いてあるのかわからない注意書きらしきもの。

あとは、はじめに見た通りの各種物資。最後に残ったのは……隅の小さな本棚。

読めはしないが、色とりどりの背表紙を見ているだけで楽しい。

 

倒れている本の中に、またいつもの表紙に鳥のマークが描かれた本を見つけた。

やはり作者もタイトルもわからない。

興味は尽きないが、読むことはおろか、触れることもできない。

その代わりなのかどうか、また手の中にバッジ。この鳥の本が描かれたもの。

これで我慢してね、ということなのだろうか。

 

世界が見せてくれないなら、できることは何もない。

仕方なく、それを他のバッジの仲間に入れると、心の断片を探しに戻った。

さあ、光の球。彼女は何をしようとしているのかな。案内を頼むよ。

 

光の球は部屋から出て、邸宅の出口に向かった。後を追い、ドアを開けてやると、

そいつ自身も楽しみにしているかのように、断片を求めてまっすぐに飛び続ける。

今度の心の断片も近くだった。場所は一つ目と同じ広場の中央。わかってるよ、今行く。

断片に近づくと、それが光を放ち、見慣れた光景が広がった。

 

『由良さん、本当!?』

 

『ええ、みんなに楽しいものを見せてあげる。

最近は変な噂ばかりで、気分も良くないでしょう?たまには楽しいこともなくちゃね』

 

最初の断片と同じく、大人の姿を大勢の子供と思しき姿が囲んでいる。

 

『ねえ、いつやるの?楽しみでち!』

 

『あの、電も……早く見たいです』

 

『私は!そんな子供みたいなもの興味ないけど……

みんなが見たいって言うなら付き合う、わよ?』

 

『早く見たいなあ!日本のストーリーテリング!』

 

『じゃあ、みんな。30分後に第六倉庫にある防空壕に集合ね』

 

『防空壕?どうしてそんなところでやるんですか?』

 

『う~ん、なんていうか、ここにいるみんなだけでこっそり開く、

秘密のパーティーって感じにした方が面白いと思わない?』

 

『あっ、それ楽しそう!なんだかワクワクする!』

 

『決まりね。じゃあ、私は準備があるから一度解散しましょう。防空壕で、またね』

 

『はーい!』

 

そして、子供の姿は去っていく。

皆がいなくなり、一人残された由良が遠い目で海を眺めながら独り言をこぼした。

 

『……間に合うと、いいのだけど』

 

そこで彼女を形作る光の線と粒子が散り散りになり、消え去った。

由良は何をしようとしているのだろう。きっと次の心の断片はその防空壕にある。

そうだよ。光の球がそう告げるように倉庫区画へ移動する。

 

赤レンガの倉庫へと飛び去るが、ただ一歩ずつ歩くだけだ。

走らない、急がない、ただそれだけを旅の決まりにしている。

別に世界にそうしろと告げられたわけじゃない。

ただ、がっつくように続きを求めることに意味を感じないだけだ。

 

確か6番目の倉庫にある防空壕で何かをするらしい。

幸い倉庫には番号がペイントされていて探すのに苦労はしなかった。

数字なら読める。読むことを許してもらっている、というべきかもしれないが。

とにかく、光の球と共に6番の倉庫に入った。

やはり木製のパレットに積まれた資材が整列されている。防空壕はどこだろう。

すると、光の球が倉庫の奥でぐるぐると回りだした。

 

そこには、地下に通じるハッチがあった。少し重いコンクリート製の蓋を開ける。

すると、中に入るための鉄製のハシゴがあった。

ハシゴを下りると、これまた四方をコンクリートで固められた、

丈夫そうな防空壕が広がっていた。

内部はかなり広く、子供たちが集まってもまだ余裕がある。

その隅に心の断片が浮かんでいた。由良の心に歩み寄ると、断片は収束を起こし、

ひとつの点になると、パッと光を放って景色を一変させた。

 

由良と思われる大人の姿の前に、大勢の子供たちが座っている。

彼女が用意した何かを待ちきれないように、ガヤガヤと声を立てる。

そして、彼女が倉庫で見つけた何かと思われる物を背の低い棚に立てた。

残念ながら、粒子の固まりでしかないそれがなんなのか、やはりわからない。

由良が皆に呼びかけた。

 

『さあ、皆さんお待ちかね。紙芝居がはじまります。みんな揃いましたか?』

 

『はーい!』

 

『それでは』

 

由良はオホンとひとつ咳払いをすると、声色を変えて語り始めた。

 

『黄金バット“悪魔が狙うは無限の力”。はじまりはじまり~』

 

子供たちがパチパチと小さな手で拍手する。

彼女がやろうとしているのは紙芝居というのか。芝居がかった口調で彼女は続ける。

 

『天才科学者のオノデラ博士が、

ついに無限にエネルギーを生み出すエンジンを発明した!』

 

『やった、これで人類は地球から石油がなくなることに怯えなくて済むぞ』

 

『喜ぶ博士。しかし、そんな彼に邪悪な影が忍び寄る!』

 

『ロンブロゾ~……オノデラ博士、新型エンジンの設計図は渡してもらうぞ!』

 

『誰だね君は!このエンジンは平和利用するために作ったのだ!

君のようなものに渡すわけにはいかない!』

 

『渡さないというなら力ずくで奪うまで!見よ、俺の開発した超巨大戦車を!』

 

『なんと恐ろしい姿!大砲を40門備えた巨大戦車が窓の外からこちらを狙っている!』

 

紙芝居というものは、ナレーションと登場人物の台詞を全て一人で語る劇なのか。

彼女の演技にも熱が入る。しかし。

 

『なんだあれは!あれで一体何をする気だ!』

 

『博士が設計図を渡さないなら、あれで東京を火の海にしてやる!さあ、どうする!』

 

『くそ、私は一体どうすればいいのだ!』

 

『窮地に陥るオノデラ博士。だがその時!不敵な笑い声が夜空に響く!』

 

子供向けとは言え面白い。次の展開が気になって聴き入ってしまった。

だが気がつくと、防空壕一杯にいた観客の固まりに隙間ができている。

 

『フハハハハハ……』

 

『むっ、その声は!』

 

『そこに現れたのは、黄金色に輝く身体を赤いマントに包んだ謎の影!』

 

『怪人ナゾー!お前の思い通りには行かないぞ!博士も設計図もお前には渡さない!』

 

『おのれまたしても黄金バット!超戦車ジャガーノートよ、奴を粉々にしてしまえ!』

 

正義の味方と怪人ロボットの激しい戦いが始まった。

子供たちが笑顔を浮かべて盛り上がる。

だが、その目に浮かぶ涙を抑えられない者が現れ始めた。皆、気づき始めたのだろう。

 

『戦車の40門砲が火を噴いた!

しかし黄金バットはマントの力で空を飛び、ヒラリと避ける』

 

『くらえ、シルバーバトン!』

 

『黄金バットは自慢の武器を振り下ろす!戦車の大砲が次々と叩き壊されていく!』

 

『おのれ、大砲が全て壊されてしまったではないか!

ジャガーノート、かくなる上は奴を道連れに自爆するのだ!』

 

『黄金バット、絶体絶命の大ピンチ。戦車は動きを止めて秒読みを開始した!

どうするどうなる、黄金バット!』

 

皆、すすり泣きながら紙芝居を見つめている。もう、子供たちの姿もまばらだ。

黄金バット、せめて、どうか最後まで皆のヒーローでいておくれ。

 

『なんの!こんなもので私は倒せない!』

 

『すると黄金バットは、爆発寸前の戦車を持ち上げ、再び空を飛んで、

マッハの力で彼方の海へあっという間にすっ飛んだ。

そして戦車を深い海へと投げ捨てた!』

 

『ドゴオオン!すると、海の中で戦車が大爆発し、再び地球に平和が戻った』

 

『今に見ておれ黄金バット!俺は必ず宇宙を支配する!』

 

『ナゾーは逃げていく。

危ないところを助けられたオノデラ博士は、黄金バットにお礼を言った』

 

『ありがとうございます。おかげで私も新型エンジンも助かりました。あなたは一体?』

 

『私の名は黄金バット。地球の平和は私が守る!では、さらばだ!フハハハハハ!』

 

『彼は高笑いを上げて何処かへ飛び去っていった。

頑張れ黄金バット、ぼくらの地球を守ってくれ!……おしまい』

 

パチパチ……

 

残っていたのは、たったひとりだった。

由良は物語の終わりを告げると、涙を拭い続けるその子に近づき、そっと抱きしめた。

 

『由良さん……みんな、行っちゃったよぅ……』

 

『大丈夫、みんな、先に遠征に出ただけなのよ。とても素敵なところへ、ね。ね?』

 

『僕、消えたくないよ……』

 

『泣かないで。由良たち、きっとまた逢える。心配しないで。

ずっとこうしててあげるから』

 

『由良さん……』

 

抱きしめ合う二人の姿が薄くなっていく。

光の糸が一本、また一本と舞い上がり、光の粒子が分裂と消失を繰り返す。

 

『ずっと、こうしてて』

 

『大丈夫、ずっと一緒だから。少しの間、お昼寝しましょう』

 

由良の姿が間もなく消え行く。ひとり残った子供の頭をなでながら。

 

『ね?……ね……』

 

次の瞬間には、二人の姿は消えてなくなっていた。

子供たちを、捉えようのない不安から救おうと、

最後まで母のような愛を注ぎ続けた由良。

自らも脅威に晒されながら、子供たちのために恐怖と戦い続けた、

勇気と愛に敬意を表します。決してあなたの物語を忘れることはありません。

ひんやりとした空気に満たされた防空壕にはもうなにもない。

鉄のハシゴを上ると、次の断片を求める旅に戻った。

 

 



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鹿島

シャッターの開いた大きな出入り口をくぐり、倉庫から出る。

すると、潮気を含んだ突風が叩きつけてきた。驚いて思わず目を背ける。

改めて前を向くと、光の球は平然とした様子で待っている。

実体のない存在は時として便利だな。実体か。

ひょっとしたら、ただ観察するだけの存在にも、そんなものはないのかもしれないが。

旅に戻ろう。さあ、次はどこに行けばいいのかな。

 

光の球は倉庫区画をさらに南に下ったところにある、

小さな行き止まりのスペースにふわふわ漂っていく。

今度は暖かく緩やかになでてくる潮風に吹かれながら歩を進める。

よく見ると、大分日が傾いてきた。今日はどこかで寝ることになるのかな。

いや、明日も存在していられる保証などどこにもない。世界は気まぐれだからな。

まあいい。ただ最後まで観察を続けるだけだ。

 

小さなスペースにたどり着くと、そこに心の断片。次は誰の心を見せてくれるのだろう。

そばに寄ると、断片が収束。まばゆい光を放つと、二つの姿を生み出した。

小柄な人物と、子供らしき小さな姿。今度はどちらの物語だろう。

眺めていると、会話が始まった。

 

『なんで……あんたなんかがここに居るのよ!』

 

『こうわ した 港湾棲姫 いってた……』

 

『私は認めてないから!あんた達みたいな化け物と寝食共にするなんて真っ平よ!』

 

『おこらないで ゼロ レップウ ない だから これ あげる』

 

子供の姿が小柄な人物に何かを差し出す。

 

『何かと思えば飴玉?一体どこからくすねてきたのかしら。馬鹿にしないで!』

 

そして、差し出された手をはたいた。

 

『いたい!……ごめんなさい だから おこらないで』

 

すると、背後からもう一つ人の形が走ってきた。

 

『何をしているの鹿島!』

 

『香取姉ぇ!

……私はただ、深海棲艦に、もう少し慎んだ振る舞いをするよう、指導してただけよ』

 

『今の暴力が指導?いい加減になさい。

講和条約が結ばれた以上、彼女達とは友人とまでは行かなくても、

せめて民間人として接しなければならない。あなたもわかっているでしょう?』

 

『嫌よ!つい一週間前まで私達を殺そうとしてた連中と仲良くするなんて、

私は絶対嫌だから!』

 

『鹿島、待ちなさい!』

 

そして、鹿島と呼ばれた女性の姿が走り去っていった。

すると、残った二人の姿も消えていった。

どうやら次は鹿島という人物の心を見ることになりそうだ。

この軍事基地と深海棲艦という存在が敵対していた事実は既にわかっている。

鹿島、あなたが心に抱く葛藤を見届けさせてください。

 

小さなスペースから立ち去ると、さっそく光の珠が先導し、

倉庫の立ち並ぶエリアから連れ出そうとする。

ここじゃないよ。そう言いたげに、一歩歩くたび、大げさなほど前に進む。

待っておくれ。急いでるわけじゃないけれど。

 

光の球を追いかけながら進むと、妙な落書きを見つけた。長鼻ではない。

倉庫の壁に、白い蝶のような絵がたくさん。何を意味しているのだろうか。

歩きながらそれを見ていると、いつの間にか邸宅に足が向いていた。

おや、遠くに断片のきらめきが見える。

 

邸宅の影にそれはあった。一歩踏み出して近づくと、

心の断片を構成する光の線と粒子が凝縮され、ひとつの点になると、

一瞬視界を光で白く染め、物語の続きを映し出した。そこには人の形が2つ。

一人は先程の女性と思しき小柄な人物。もう一人は彼女より背の高い誰か。

 

『……どうして、さっきはあんなことを?あなたらしくない』

 

『香取姉ぇはおかしいと思わないの!?

なんであんな奴らが、鎮守府を当たり前のようにうろついてるの?みんなもみんなよ!

命惜しさに擦り寄ってきた連中を平気で受け入れて!私は絶対嫌だから!』

 

『そこまで、彼女達を嫌う理由は何?』

 

『敵だったからに決まってるじゃない!他に理由がいる!?』

 

『本当に、それだけ?』

 

香取という女性が問うと少しの間が。そして、鹿島の姿が叫んだ。

 

『ええ、そうよ!奴らがちやほやされてるのが気に入らないのよ!

香取姉ぇは腹が立たないの?どうして書類一枚にサインされただけで、

あいつらが鎮守府を自分の家みたいに堂々と歩いて、私達は相変わらずなの!?

……香取姉ぇだって知ってるんでしょ。私達が影で“箸置き”って言われてること!』

 

『あなたも堂々とするべきなの。練習巡洋艦としての誇りを持って』

 

『そんなものどうすれば持てるのよ!“居ても居なくても一緒”なんて言われて!

おまけに感染症騒ぎで、提督は忙しくなって、ますます私に構ってくれなくなった……

確かに、金剛さんっていう想い人がいるってことはわかってる。

でも!それでも、こんな事になる前は私にも優しくしてくれた。

それが今じゃ、“別命有る迄待機”の一点張りだものね!』

 

『……お姉さんじゃ、だめ?』

 

香取という女性が鹿島の姿を抱き寄せる。すると、鹿島が涙混じりの声で語り始めた。

 

『香取姉ぇ……私、悔しいよ。

どうして明石さんみたいな、みんなに頼られる技術を持ったり、

長門さんみたいに強い艦に生まれてこなかったのかな……』

 

『あなたが生まれてきてくれて、お姉さんは嬉しい。

軍艦として命尽き果てた後、こうして艦娘という姿に生まれ変わって、

あなたとまた巡り会えたときは、本当に嬉しかった。

あなたはお姉さんにとって、代わりのいない、かけがえのない存在。

そんなあなたが、自分を否定ばかりしているのは、お姉さんも悲しいの。

だからお願い、自分を大事にしてあげて。

あなたを必要としている人が必ずいることを、忘れないで』

 

『ぐすっ……お姉ちゃん、お姉ちゃん……!』

 

そこで心の断片は一旦の終わりを迎える。香取という女性が気になることを言っていた。

まるで自分には前世の記憶があって、

しかも艦の姿をしていたとでも言うような表現だった。

だったら、今まで見てきた心は人であって人でないということなのだろうか。

わからない。

 

とはいえ、こうして旅を続けているあやふやな存在も、

誰かを定義できるほどはっきりした代物ではないのだが。

行こう。考えてわからないことにはいつまでも固執しない。いつも通りじゃないか。

光の球、次の断片へ案内を頼むよ。

 

光の球は嬉しそうにぐるぐる螺旋を描きながら次の目的地へ誘おうとする。

が、壁をよく見ると、久しぶりに長鼻の落書きだ。

日陰になっているから見落とすところだった。確か西側の壁にもあったな。

提督という人物が見たら、またまた怒り心頭だろう。

 

ずいぶんな物好きがいるものだ。その時、手の中に慣れた感触。

この長鼻が描かれたバッジだ。このバッジの存在も謎だ。世界をよく見たご褒美なのか。

 

わからないことだらけだ。これで旅と言えるのかわからない。

しかし、旅を続ける以外にできることなどない。

ただ皆が残していった心を見つめるだけだ。光の球を追う。今度は南の方角だ。

海へ向かって歩く。木でできた桟橋の上を光の珠が飛んでいく。

 

長い長い桟橋の先端にきらきらと光る心の断片。少し歩いてようやくたどり着く。

さあ、次の物語を。断片に近づき、収束を促す。閃光が止むと、2つの人影。

ひとつは幼子、もうひとつは小柄な人物。

 

『あっ かしま……』

 

『さっきは、ごめんなさいね。あなたに八つ当たりなんかして……』

 

『ごめん わたし うみに かえる かしま かなしくない』

 

『駄目よ!』

 

『えっ』

 

鹿島が幼子の姿を抱きしめた。

 

『ここに、居てちょうだい。私、やっと認められるようになったの。

あなた達を嫌ってたんじゃない。自分で自分を嫌ってたんだって』

 

『かしま あったかい』

 

鹿島の姿は、懐から何かを取り出し、子供に差し出した。

 

『ごめんね。烈風はあげられないけど、

日向さんにお願いして1機だけ分けてもらったの。これで、許してくれる?』

 

『やった! ズイウン! すいてい!』

 

『喜んでくれて、嬉しい』

 

『かしま これ あげる』

 

『飴玉?……ありがと。ふふ、おいしい。……ねえ、ほっぽちゃん』

 

『なあに』

 

『私の力じゃ、病原菌騒ぎを解決なんてできないし、戦にも勝てない。

それでも、私と最後まで一緒にいてくれる?』

 

『うん! かしま ともだち』

 

『そう……ありがとう。ありがとう』

 

二人は夕陽できらめく海を背に抱きしめ合う。海はどこまでも凪いでいた。

そして、子供が空を指差す。

 

『かしま みて』

 

『あっ……そっか。あれが、そうなのね』

 

『きれい』

 

『本当。素敵な光。きっと病原菌なんてただの噂で、私達を迎えに来てくれたのね』

 

『かしま……』

 

『うん。ずっと、一緒だからね……』

 

そして、二人の姿はゆっくりと解けていき、光の粒となり、

紅く光る大海原の景色に同化していった。もう、鹿島の心は感じられない。

彼女の言うとおり、幼子とともに旅立っていったのだろう。

光の珠は、ただそばでふわふわと浮かぶだけだ。

 

素敵な物語をありがとう。誇りなどという概念を持てない存在にとって、

最後に自らの在り方を認識し、受け入れることができたあなたは、

とても羨ましく感じられました。

……さあ、もう行こう。じきに日が沈む。きっと次の断片で最後になると思う。

光の球が直線的に伸びる桟橋の上を飛び始めた。

 

 



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大和

桟橋を渡って陸に戻ると、光の球が迷うことなく白い邸宅を目指して飛び立った。

立ち並ぶ庭石を縫い、芝生を撫でながらそこを目指す。

邸宅の玄関に行き着くと、そこで止まった。

なんだか寂しそうに、ただそこに浮かんでいる。今、開けてやるから。

やはり立派なドアを開けると、見覚えのある玄関ホール。すいっと中に入る光の球。

 

中に入ると、光の球が階段の上を進んで2階へ上がったので、ついていこうとしたら、

奇妙な現象が起きた。

ホール隅に並んだ公衆電話の一つが、ジリリリと呼び出し音を鳴らしている。

公衆電話に電話がかかってくることがあるのだろうか。少し迷ったが、受話器を上げた。

まさか電話が爆発するわけでもないだろう。二人の人物の会話が聞こえてきた。

 

 

──でもどうしてそこにいるの?なぜ家から電話しないの?

 

──説明しづらい、「それ」を追って移動してるんだ。

  「それ」は宿主を見つけて増殖を……

  すまない、混乱していて……

 

──インフルエンザと隔離のことはラジオで聞いたけどこんなことは……

  あなたは医者でもないのに、なんだかすごく気味が悪いわ。

 

──まだなんなのかは分からないけど、この前の晩に関係があるはずだ。

 

──スティーブン、その顔の痕、もしかして感染しているの?

 

──病気じゃないんだ、リジー。別のものだよ。

  ケイトがパターンについて何か言ってたが、まだ正確に把握できていない。

 

──ねえ、うちに来てお昼を食べてちゃんと話をしましょう。ケイトとは話したの?

 

──観測所に閉じこもっている。データに埋もれているよ。

  でも「それ」はすでにここにいるんだ 適応方法を明かさないと。

 

──何のこと適応って?スティーブン、ちゃんと説明……(ノイズ)

 

──時間だ!リジー、いいか。準備しておくんだ。行かなきゃ。また移動してる。

  あとで電話するよ。

 

 

リジーとスティーブンという人物の会話だった。

情報が断片的で、正確なことはわからないが、

恐らくスティーブンが口にしている「それ」が世界に広まった伝染病、

らしいものと考えて間違いないだろう。

そして、「それ」は生物のように生物に寄生して増殖する性質を持っているようだ。

この基地の住人を飲み込んでいった存在が、「それ」なのだろう。

しかし、その正体については何もわからない。もっと情報が必要だ。

今は心の断片を追おう。

 

階段を上ると、光の球は提督の部屋の前で待ってくれていた。ドアを開く。

すると、部屋の中央に断片が。さっそく触れてみよう。

教えてください。あなたは誰ですか。

断片が収束すると、デスクに座る提督と思われる人物、

そして両脇に大きな何かを背負った背の高い人影が現れた。

 

『提督、お願いがあって参りました』

 

『大和君じゃないか。改まって、何かね?』

 

『お願いします、大和に完成した新型三式弾をください』

 

『……今更そんなものを、何に使う気だい』

 

『大和の、本懐を成し遂げる為です!』

 

『君のやろうとしていることは、大体察しが付く。そんな事を認めるわけには行かない。

先の戦争で何も学ばなかったのか!』

 

『違います!これは決して特攻などではありません!

しかし、大和はこうして生きています。身体も動きます!

なのに、やるべき事をやり残したまま、残された日々をただ安穏と貪っていては、

かつてわたくしに乗って死んでいった方々に申し訳が立たないのです!』

 

『だからと言って、航空機の援護もなく、たった一人で、

艦娘すら消滅させる正体不明の病原菌とどう戦うつもりなのだ!』

 

『46cm砲の対空砲火で少しでも熱消毒できるはずです。

大和が時間を稼ぎますので、後のことは、提督の采配にお任せします……』

 

『それが特攻なのだと言っている!そんな無謀な作戦、私は承服しない!』

 

『提督は、大和に皆を守るなと仰るのですか!?

戦う術があるのに、指をくわえて見ていろと!』

 

『もう手遅れなんだよ……行方不明者が現れ始めている。

我々に時間など、もうないんだ』

 

『それでも、大和は諦めません。それが、大和の存在理由なんです!

お願いします、もう一度大和を、生きさせてください!』

 

『……』

 

その時、デスクに着いていた人影がため息をついてゆっくり立ち上がり、窓際に立った。

 

『……明石君には、連絡を入れておく。工廠に行くといい』

 

『ありがとうございます!』

 

すると、大きな人影が一礼して急ぎ足で退室していった。

同時に、窓際にいた提督も、その姿を形作っていた光の線がほどけ、粒子が舞い散り、

消え去った。提督の姿は何度も見た。

今度の物語は、大和という女性のものだろう。

一度調べたことのある部屋を出ていこうとすると、また電話が鳴った。

デスクの上に置いてある。受話器を上げると、

先程聞いたスティーブンという人物の声が聞こえてきた。

 

 

──僕は、事態を正そうとしている。自分を隔離して変電所の古い貯蔵庫にいる。

  生きているならこの回線に……繋げておいてくれ。1時間おきに確認するよ。

  ガスを使うよう説得した。それ以外道がなかったんだ。みんなを守れなかった。

  「それ」は僕達の中にもいるんだ。僕は……攻撃が終わった後の用意を済ませた。

  役目を果たしてからのね。君も考えておいて。すまなかった。何もかもすまない。

 

 

やはり、いつか聞いた通り、「それ」の駆除に毒ガスが使われたのは事実のようだ。

スティーブンが言うには、病原菌とみなされていた存在は、

寄生虫のように人間の体内に侵入するらしい。

そして、彼らは「それ」ごと毒ガスで焼かれてしまった。

 

それでも世界を侵食し、日本にまで到達したということは、

作戦は失敗したということになる。

悲劇的な事実を耳にしても、やはりただの観察者にできることはなにもなかった。

もう行こう。心の断片を追うんだ。

 

彼女は工廠に行くと言っていた。つまり工場のようなところ。あそこしかない。

光の球と一緒に階段を下りて外に出る。コンクリートの道を少し南に歩き、

船体や砲身が吊られている工場に入る。すると、作業台のそばに心の断片。

 

そう言えば、光の球の案内なしで断片にたどり着いたのは初めてだな。

大分ここに慣れてきたということなのかな。

どうでもいいことを考えつつ、断片に秘められた記憶を開放する。

まばゆい光の後に残ったのは2人の姿。さっきの大きな人影と、成人の姿。

 

『明石さん。新型三式弾を受け取りに来ました』

 

『うん、今提督から電話があったよ。でもさ……やめようよ、やっぱり』

 

しかし、大きな姿は首を振る。

 

『例え状況がどうあろうと、大和には成すべきことが残されているんです。

それには明石さんの武器が必要。お願いです。あなたの力を、大和にください』

 

『絶対……絶対帰って来てね!』

 

成人の人影が、大きな姿に何かを手渡す動きをした。

その時、いくつもの人影が工場に入って来た。

 

『少し待て。その三式弾だが、私にもくれないか』

『あ、日向だけじゃなくて、私らもね~』

 

『伊勢さん、日向さんまで……』

 

『うむ。当鎮守府所属の戦艦は、全て揃っている。大和一人で行かせはいない』

 

『長門さん。……駄目です、こんな無謀な作戦に付き合うなんて!』

 

『お前は勝算の無い戦いに命を投げ出すつもりだったのか?

それは提督に対する裏切りだぞ。

彼が教えてくれなければ、お前の暴走を見過ごすところだった。

まったく、このじゃじゃ馬め。大和撫子が聞いて呆れる』

 

『皆さん……本当にすみません!』

 

『そうじゃなくてさ~こういう時は、

“すみません”じゃなくて、“ありがとう”、でしょ?』

 

『ぐすっ…そうですね。皆さん、本当に、ありがとうございます!』

 

『そうそう、それでいいの。それじゃあ、明石。三式弾よろしく~』

 

『はい、喜んで!

作ったはいいけど、使う機会なんてなかったんで、無駄に数はありますから!』

 

明石と思われる人物が奥に走り、光の箱を見えない何かに乗せて引っ張ってきた。

そして、蓋を開けて中身を全員に配り始めた。

何かが皆に行き渡ると、全員がお互いに目線を合わせた。

 

『さあ、大和。お前が狼煙を上げろ!必ず勝つための戦いに相応しい開戦の合図だ』

 

『はい!……では、第二次決号作戦、ここに発動します!

各艦、総力を上げて国土を防衛し、侵略者を駆逐せよ!』

 

“応!!”

 

全員が拳を振り上げ、勇ましい声を上げると、同時にその姿が消えてなくなった。

皆、姿すらわからない敵との戦いに赴いたのだ。

彼女達の勇気に敬意を表しながら、工場から立ち去ろうとした。

その時、壁掛け式の電話が呼び出し音を立てた。

ひょっとして、提督からの連絡だろうか。確認する必要がある。

受話器を上げると、言い争う二人の声が聞こえてきた。

知らない声の男性とスティーブンだ。

 

 

──電話は禁止されているだろう!

 

──今更知ったことか。

  通信遮断を迂回する方法をみつけたみたいだ。

 

──何?

 

──想定外だよ。ケイトは「それ」の適応能力の高さも賢さも知ってた。

 

──おいおい、まるで生きているみたいに話すなよ。

 

──ここにいる全員が感染していると考えるべきだ。

 

──それはわからないだろ……

 

──感染しているんだよ!

  鳥を全部殺して人間に感染し、なんとかこの谷を出ようとしている。

  隔離だけじゃ足りない。キャリアを排除しなきゃだめなんだ。

  エネルギー源を排除するんだよ。

 

──その話はしただろ。空爆を要請するつもりは……

 

──するんだ。僕らが気づいたと知って全速力で広がりつづけるぞ。

 

──隔離と通信遮断で食い止められるだろう。

  電話回線も遮断したから、外部と連絡が取れるのはお前だけだ。

 

──聞こえてたのか?回避方法を見つけたんだよ!ラジオの電波か何かだ……

  すべての回線を遮断したはずなのに電話は生きている。

  ……正しい対策は取ったが、十分じゃなかった。また適応する前に止めなければ。

 

──スティーブン。私の……私の家族が、妻と子供が……

 

──何をすべきかわかっているだろう。

 

──無理だ、そんなことできない!

  お前は死刑執行をくだせといっているんだぞ、自分の家族に。

 

──そんなこと僕だってわかっているさ!

  僕だって爆撃のときはここにいるつもりだ!

  自己犠牲について僕に説教するつもりか、この意気地なしが!

  お前に考えがあるっていうならここに来てなんとかしてくれ!

  もう僕らに……選択肢はないと伝えるんだ。

  やれと言え。今すぐに伝えるんだ。

 

 

きっとガス攻撃前の会話だと思われるが、一体どういうことなのだろう。

病原菌は生物だけでなく、電話回線やラジオの電波まで媒介して感染するというのか。

そもそも、「それ」は本当にウィルスだったのだろうか。

 

噂だけが独り歩きした結果で、山本大将が述べていたように、

人智を超えた何かだったのではないか。空恐ろしい気配が心を支配する。

出発しよう。恐怖から逃げるように工場を後にした。

 

光の球と工場から出ると、コンクリートの道を南へ。この分だと行き先は。

予想通り、光の球は海に沿って飛び続ける。

やがて表面のゴツゴツした海岸沿いの堤防にたどり着く。

堤防から砂浜を眺めると、真ん中に心の断片。

 

もしかしたら、これが最後の断片になるかもしれない。

一歩ずつ階段を下り、断片のそばに近づく。

光の線と粒子が収束し、日の沈みかけた薄暗い海岸を一瞬明るく照らす。

光が止むと、そこには多くの人影が。皆、大和のように大きな何かを背負っている。

 

『ウォースパイトさんと鳳翔さんが消息を絶ったのはここです!

きっとこの辺りから病原菌が流れ込んでいるんです!』

 

『ああ。これだけの人数で三式弾を放てば、

せめて空気感染を遅らせることくらいはできるだろう』

 

『そうね。ありったけの弾ぶっ放してやりましょう!』

 

『うむ。今こそ戦艦たる我々の矜持が試されている。頼んだぞ、大和』

 

『それじゃあ、皆さん。始めましょう。

その前に、危険を感じたら即時撤退すると約束してください。

これは、特攻作戦ではないのですから』

 

『そんなのわかってるって。もっとさ、パーッと盛り上がるような号令掛けてよ』

 

『そうですね……では。各員、全砲門開け!目標、敵性生物兵器!』

 

全ての人影が背負った大きな何かを空に向ける。

 

『撃ちー方始めー!!』

 

同時に、何も聞こえないのに、猛烈な波動が絶え間なく押し寄せてきた。

それは止まることなく、ずっとずっと続いていく。空を撃っているのだろう。

だとすると、皆が背負っているのは大砲か何かだということになる。

あいにく、輪郭が大きくぼやける心の断片から、その形を判別することはできないが。

それでも彼女達は戦い続ける。

 

『撃ち続けて!空を焼いて侵攻を食い止めるの!』

 

『こんなに激しい砲撃戦は久しぶりだな!』

 

『事務仕事ばかりで身体が鈍っていないか心配だったが、

私も41cm砲も捨てたものではないな!』

 

『絶対病原菌を押し返して、提督から指輪をもらうデース!』

 

そして、時が訪れる。

炸裂する数トンに及ぶ三式弾をものともせず、光の波が空の彼方からやってきた。

 

『来たわ!みんな、絶対ここを守りきりましょう!』

 

『あれが病原菌?なんだか想像してたのと違うんだけど!』

 

『構うな!あれが皆を消し去ったのだ!総員で焼き払うぞ!』

 

尚も攻撃を止めない彼女達だが、

やがて、一人そしてまた一人と異変を訴える者が現れる。

 

『ねえ……あれって、本当に私達を殺しに来たの?』

 

『聞こえる。みんな、あの中にいる。あれは、私達を迎えに来たのよ……』

 

『何を言っているのだ!攻撃の手を緩めるな!』

 

『だって、あの中に、みんなが……』

 

『駄目だ、お前は撤退しろ!敵に惑わされて……待て、確かに、呼びかけているぞ』

 

『皆さん下がってください!光の影響を受けているんです!ここは私が引き受けます!』

 

大和が叫ぶ。最前列の彼女は「それ」の影響を強く受けているはずだが、

やはり攻撃をやめようとしない。

しかし皆は既にその場に立ち尽くし、ただ光の奔流を見つめるだけだ。

 

『帰ってください!みんなを、返してください!

私達は、まだ一緒になりたくなんかないんです!』

 

彼女の叫びとともに、意識に響いてくる波動。大和は戦い続ける。

 

『みんな、まだまだ別個の存在で居たいんです!

お互いに触れ合ったり、言葉を交わしたり、手を取り合って生きていたいんです!

ひとつになったら何も出来なくなるじゃないですか!』

 

迫り来る「それ」に訴え続ける大和。だが、彼女も何かに気づいたらしい。

 

『えっ……みんなも、いるの?声が聞こえる!来てくれたの!?

また、巡り会えるなんて……!そうよ、大和よ!みんなが生きた証!

生まれ変わることができたのよ!』

 

ついに大和も攻撃をやめ、胸の前で両手を握り、「それ」に身を委ねる。

 

『温かい。みんな、おかえり。ただいま……』

 

そして、光の線が構成する波が彼女達を飲み込むと、砂浜には誰もいなくなった。

戦いの後に残る静けさ。

ただの心の断片でさえ、その激しさを垣間見ることができたのだから、

当時の彼女達の戦いは熾烈を極めたことだろう。自らの使命を全うし、

最後に真実を掴んだあなたの燃えるような魂には敬服するばかりです。

 

もう日が沈んだ。太陽は水平線に隠れてしまった。

彼方で照らされる空の色が、わずかな光をもたらすだけだ。戻らなければ。

おや、光の球がいない。どこに行ってしまったのだろう。出てきておくれ。

お前がいなければ、どこに行けばいいのかわからない。一旦邸宅の前に戻ろう。

階段を上ると、暗がりで見えなかったが、段差に何かが置かれている。ラジオだ。

スイッチを押してみる。

 

 

──私はキャサリン・コリンズ。

  これを後世に残します。

  すべて終わった。

  私も直にいなくなるだろうか。

  あの飛行機が落としたもののせいで肺が焼け付きそう。

  多分神経ガスだろう。

  パターンに接触したことでここまで生き残れたに違いない。

  これから6号塔に向かい、光学アレイからの信号を融合させようと思う。

  たどり着けるならば……

 

 



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このパターンは私のもの

軍事基地に夜の帳が下りる。連れ合いだった光の球はもういない。

どこに行ってしまったのだろう。

もう、この観察者は用済みだとみなされてしまったのか。

あるいは……真実は自分の目で見届けろという、世界の意志なのか。

いずれにせよ、旅が終わりを迎えようとしていることに変わりはないようだ。

勇気を奮い立たせて一歩を踏み出す。

 

幸い真っ暗闇の中での探索を強いられることはなかった。

光の粒が宙を舞い、あちらこちらに散らばり、行き先を照らしてくれる。

それらはただ浮かんだり、地に落ちるのではなく、

まるで遊んでいるかのようにアーチを描いたり、幾何学的模様を形作る。

気がつくと、前方からひらひらと何かがこちらに飛んでくる。光の蝶。美しい。

 

どこへ行くべきなのか。その場でぐるりと一回りして景色を見回す。

すると、なぜ気づかなかったのだろう。広場に隣接する雑木林のそばに高い崖があり、

頂上に向かって長い階段が伸びている。

その階段をゆっくり、ゆっくりと上っていき、途中の踊り場で一度立ち止まる。

見上げると息を呑むような満天の星空。こんなに星が美しいと思ったのは初めてだ。

 

吸い込まれるような美しさにしばし立ち止まっていたことに気づくと、

また足を持ち上げて階段を上りだした。長い長い階段。

ようやく頂上にたどり着くと、基地とはまるで雰囲気の異なる光景が広がっていた。

 

天文台のようなドーム状の屋根の建物がいくつも並び、

広いアスファルトの道路で繋がっている。

道路にはチョークで難解な数式らしきものが延々と記されていた。

1号塔の門をくぐる。建物前の階段に無造作に置かれたテープレコーダーがある。

再生すると、オープンリールが回り、磁気テープを送りだす。そして音声が流れ始めた。

 

 

『飛行機でスティーブンは窓の外を指さした。「あそこだよ」といって。

「我が家だ」でも、ただの模様にしか見えなかった。

私はこの瞬間まで、何かが他者を完全に包み込めるなんて思いもしなかった』

 

 

それだけでテープは終わった。

この声は、世界の終わりを告げたケイトという女性のものだ。

彼女は何を思い、去っていったのだろうか。彼女は6号塔にいると言っていた。

足取りを追いつつ、5号塔までを周ってみよう。

光の球の導きではなく、“私”の意志で。

 

やはり謎の数式が敷き詰められる舗装された道路を歩くと、3号塔に行き着く。

簡易テーブルにまたテープレコーダー。再生すると、またケイトの独白が聞こえてきた。

 

 

『誰も傷つけるつもりはなかった。なぜ身ごもったリジーが逃げようとし、

それを止めるのが間違いだったのか。説明しようとした。間違いを犯していたのだと。

スティーブンとリジーは一緒になったけれど。それでよかったと思う。

フランクはメアリーと農場を歩いている。

ウェンディーとエドワードは仲睦まじく寄り添っている。

ジェレミーはようやく神とともに安らかに横たわる。みんな一つになれて……幸せそう。

今ならよく理解できるわ。それは時と蝶を、寄せ集める存在』

 

 

ケイトと彼女と関わっていた住人の間に、

かつては軋轢が走っていたことを予想させるような内容だ。

しかし、わからないことも増えてしまった。時と蝶を、寄せ集める存在。

それは一体何なのだろうか。今更私が頭をひねった所で答えは出ないのだろうが。

 

“私”?いつの間に私は一人称を使うほど確固たる存在になったのか。いや、いい。

結末が近づいている。私の存在など些細なことだ。

小さな階段を上って道路に戻り、また緩い坂道を戻る。

少し進むと2号塔。小屋の中にテープレコーダー。再生する。

 

 

『蝶が陽の光の中で踊っているのをみつめた。たった1日に凝縮されたその命を。

黒ずんでいく引き潮の間でまばたきをする。

横たわる私をパターンが取り巻き、必然性を感じた。

欠如から生まれる存在の必然性。普遍的な変化』

 

 

蝶とは、夜になってから見かけるようになった光る蝶のことだろうか。

凝縮された命とは、「それ」に飲み込まれていった命を指しているのだろうか。

難しい言葉が多く、私の理解が追いつかない。

ケイトを取り巻く“パターン”とはなんだろう。

次々新しい言葉が出てきて私を悩ませる。

彼女の言葉を頭のなかで反芻しながら歩いていると、次は4号塔。

また、屋外の簡易テーブルにテープレコーダー。

 

 

『パターンが傾き、時がゆっくりと止まりゆくのを見つめた。

スティーブンの手から炎が飛び出したその瞬間が永遠に宙に漂う。

確かに最後の瞬間、彼が私を……見ていた気がした。怖がっても、怒ってもいない。

あの時の表情を……まるで初めて見た時のように覚えている。

はじめての時のあの表情と同じ表情。朝早く目を覚ました彼は寝ぼけ眼でこういった。

「愛しているよ」愛しているから、彼を炎の中へと私は行かせた。

でも私はまだ行けないの。私達はこの場所で時間を独り占めした。

迫り来る暗闇を恐れて地面に明かりを照らした。

でも今なら、生とは光に固執することじゃないと理解できる。

私は、百万もの死の星から届く光の意味を理解せずに、ただ観察する人生を送ってきた。

私たちが照らす光は……死さえも超越する。

その命から生まれたパターンは、暗闇に架け橋をかける』

 

 

あまりに難解でほとんどが理解できない。ただ、私との共通点。それは、“観察”。

何百光年も離れた、今は滅びている星が放った光を、私達は見ている。

そう、この軍事基地でいくつも見てきたような、かつてそこで生きていた人たち。

ケイトたちが照らす光は、死さえも超越する。

 

すると、光に飲み込まれていった人たちは、死んでしまったのではなく、

新たな存在に昇華したということなのだろうか。

ろくに使ったこともない言葉を引っ張り出して、

考察という名の無駄な抵抗を試みていると、5号塔の敷地にいた。

箱の上にテープレコーダーがある。スイッチを押す。

 

 

『それは塔の陰から現れて、観測所から谷へと進み世界を破滅させる。

すべてのものが光となり、すべてのものが動きを……止めた。

世界は私たちが刻んだ痕で成り立っている。

いたるところに存在し、この物語の架け橋となる。

この世界は私たちが生まれる前から存在し、いなくなっても続く。

空っぽの牧草地や家々に、私たちは光を放ち、みんながその光のなかで舞い踊る。

恐れず静かに消えゆこう。何も変わることはないのだから』

 

 

ようやく具体的な話になり始めた。

やはり、世界を包んだ“光”は、この天文台から生まれた。

そして全ての命を光に変え、あとに残されたのは空っぽの痕跡。皆が生きた証だけ。

やはり皆は光の中に存在する。ケイト自身もきっとそこに。

 

ようやくたどり着いた6号塔。

一際立派な観測所。巨大なパラボラアンテナや望遠鏡が設置されている。

私を招き入れるように光の線が奥に伸び、

キャンドルを灯すように粒が地面の散らばり足元を照らす。

ドアが開いている。私は心を決めて中に入った。

 

そこは一面板張りの床が広がる、広大な空間。

ただ中央に小さなテーブルと椅子があり、テーブルにはテープレコーダー。

そして、最後の心の断片。私の旅の終着点。

 

テープレコーダーの前に成人の姿。

きっと、ここで必死に「それ」を食い止めようとしていたケイトという女性だろう。

彼女がテープレコーダーのスイッチを入れた。

 

 

『終わりが近づいてくる。怖くはない。一緒にいるから。

みんなと離れて暮らし、ようやく理解した。触れて属することができなかったと。

でももうどうでもいいこと。みんないなくなって、私達もそこへ行く。

離れ離れで生まれ、果てしない暗い海の岸辺に流れ着き、直に波に連れ去られるだろう。

でもそれまでの間、命を噛みしめるその一日。

陽の光の中で踊りながら、逃したものを見つけよう。

私達をひとつにする愛。神の内在。一人の人なんていない。このパターンは私のもの』

 

 

カチリと音を立て、オープンリールが止まった。ケイトの最後の言葉。

最後ではなく始まりなのかもしれないが。そして、世界が光に包まれる。

終わることのない光。そうか、そうなのか。

私も、ひとりぼっちなんかじゃなかったんだね。

皆も大いなる神をその身に宿し、その名の元に一つになった。

愛が、とても、温かい。

 

 

 

 

 

──私はキャサリン・コリンズ博士。これを聞く人はいるのだろうか。何もかも終わり。

  残されたのは私だけ。

 

 




すべてを手に入れた そう、すべてを


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