とある仮想の幻想絶剣(ソードアートオンライン) (To2)
しおりを挟む

プロローグ 『不幸と病』

ツンツン頭の少年は、今日も誰かを救っている。

少年は超能力者ではない。右手に奇怪な力が宿っているものの、それは異能の力が相手でなければ効果が無い。

 

故に、人助けの方法など、自分が囮になって救出の対象から敵を誘う他ない。

 

 

「んだよあのウニ頭!陸上選手並に速えぞ!?」

 

「ち、くっしょ……酒なんて飲むんじゃなかった……か、身体が上手く動かねえ……」

 

「だから普段から酒臭えから止めろっつってんだろうが!!!」

 

『学園都市』と呼ばれる巨大な近未来都市が夜に包まれているにも関わらず、活気溢れる少年達は帰路にすらついていなかった。

むしろ鬼ごっこをしているのだ。追いつかれればリンチという罰ゲームが課せられた最悪の追いかけっこだが。

だが追っ手の一人が酒の影響で苦しそうなので勝敗は決したのかもしれない。

 

(ん?一人酷くバテてるな。追っ手は残り一人。上条さんには楽勝で逃げ切れるレベルですのことよー)

 

追いかけられる対象である中学生の無能力者、上条当麻(かみじょうとうま)の顔が余裕に満ちていく。

中学二年生の彼が夜と呼ばれる時間帯になっても寮に帰っていないのは、単に行きつけのスーパーで売れ残りをちびちびと弄っていただけである。

 

一口に言えば上条は貧乏学生だ。

奨学金は一人暮らしなら大丈夫な金額なのだが、何分彼は不幸という厄介な体質なのだ。

折角手に入れたセール品が全滅したりするのはしばしば起こることなので、日々涙を飲む始末である。

 

「んじゃあ振り切りますか!」

 

筋肉の動きを最大限に高め、文字通り全力疾走する。

彼は人助けをするという一風変わった少年なので、このような鬼ごっこなど何度も何度も行っている。

それは時に不良十人以上を敵に回すことだってある。

今回はたったの二人。一言で言えば楽勝である。

 

一分後、不良二人は上条当麻を見失った。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

紫色の短髪の少女は、今日も病院のベッドに横たわる。

長らく動かせていない痩せ細った手足はとても痛々しいと誰もが思う。

主治医である倉橋もまたその姿に目を痛めている。

医療技術がどうこうの前に、自分には彼女の命を助ける事ができないという無力感が、奥歯を噛み締めさせていた。

 

延命させる事が精一杯。それが現実で限界だった。

 

「調子は、どうだい?」

 

「……いつも、通り、です」

 

弱々しく開閉する口からは干乾びた声。

水を得ればその音色はどんな音楽よりも聴き心地の良いだろうに。

白衣の医師は張っていた糸を緩ませたように口角を綻ばせた。

 

「そうか。安心したよ」

 

唇を一定に固めた状態で吐き出すように言葉を絞り出す。

長年の経験から詮索しても、こんな気持ちになるのは初めてだと彼自身も思った。

 

「……紺野君」

 

「……はい」

 

紺野君、と呼ばれた少女―――紺野木綿季(こんのゆうき)は虚ろな瞳を目蓋の下から覗かせる。

病に侵されていなければ、光が灯っていたならば、こんな―――

 

「また数時間後、来るからね」

 

「……はい」

 

そう言って、彼は無菌室の窓から遠ざかった。

 

―――また、独り。彼女はいつもここにいる。

 

用途の分からないメディキュボイトという医療機器の下に頭を置いているが、こんな生活が死ぬまで続くのかと思うと、乾いた肌の上を涙が伝った。

目蓋の裏に現れるのは、父親の顔、母親の顔、ただ一人の姉の顔。

今は亡き、家族の姿。

 

―――神様は私たちに耐えられない苦しみはお与えにならないわ。

 

脳裏に響くのは、クリスチャンの母の言葉。

姉とよく聞かされていたものだ。

けれど、本当に母が信じた神様がいるのなら……

 

(……辛いよ、ボク)

 

その訴えは、誰にも届かなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一話 『リンク・スタート』

私こと上条当麻は、実に不幸な毎日を送っている。

外を歩けば植木鉢が降ってきたり、買い物袋がぺしゃんこになったり、犬に噛みつかれるのはしばしば。

 

おまけに途轍もなく運が悪い。

じゃんけんをすれば必ず負け、くじを引けば必ずハズレが出るのだ。

以前百本の中から九十九本のくじを引いたところ、見事全てハズレという結果に終わった。

ついでに言えば、この前寮の扉が能力者達の遊びの火の粉が飛んできて愉快なオブジェに変わり果てていた。

溜息をつく日などない人生を謳歌している。

クラスメイトの委員長からは不幸自慢と言われるが、『不幸の避雷針』などと莫迦にされている為共感の一つもしてもらいたいだけなのである。

 

今、希望も無い瞳で福引きをしているが、どうせ当たらないと分かっているのに、どうして俺はやってしまうのであろうか……

 

「おめでとうございまーす!!!」

 

「……え?」

 

金色のビー玉が出てきた途端、目の前の活気溢れるポニーテールのお姉さんが叫んだ。

いつもならここでポケットティッシュを貰うところだが。

 

「特等!特等ー!!!お客様にはナーヴギアとソードアートオンラインをセットでプレゼント致しまーす!!」

 

「……ええ?」

 

周囲の人々が『特等』が出た事に驚いているようだった。いや、それよりも特等品の内容が気になる。

ナーヴギア?ソードアートオンライン?

流れで受け取った品々は、不幸な俺にとっては重すぎた。

 

 

「はー、上やんが特等取るとは、運が良いんだか悪いんだか」

 

「どういう意味だよ」

 

「上やんのことだから、翌日ヘリコプターが寮に墜落なんてあるかもしれないってことだぜい」

 

んだと!?とあまりの言い分に怒声を吐いた。

ヘラヘラと嘲笑うのは隣人の土御門元春。金髪に染めてサングラスをかけ、チャラチャラとした格好をする中学生とは思えない中学生だ。

青髪ピアスも土御門の影響を受けて見事チャラ男となってしまったものだ。

 

……まあ、幼児期は幼児期だった俺にとって土御門の言い分も充分にあり得ると思う。

 

「上やん。まあナーヴギアとソフトが当たったことは素直に喜ぶべきだぜい。なんつったって世界初のフルダイブ技術を組み込んだゲームなんだからにゃー」

 

学園都市の世界最高の科学技術と一人の男が生み出したフルダイブ技術。それは世界中から注目を集めた。

 

茅場彰彦という男によれば、VRMMOとは『Virtual Reality Massively Multiplayer Online』の略称で、仮想現実大規模多人数オンラインゲームのことだ。

視覚聴覚のみのVRゲームではなく、五感全てを没入した、言わば異世界に飛び込むようなものなのだ。

 

「今のところはナーヴギアは限定品だぜい?上やん、手に入れられなかった皆の分まできっちり楽しんでおくんだにゃー」

 

顔は相変わらずニヤついているものの、稀有な幸運を祝っているのは確かなようで。

俺は今月一番の笑いを翳した。

 

「……ああ!」

 

今、俺ははっきりと実感した。

これは、不幸ではなく幸福なのだと。

 

パッケージに記載された文の羅列。

『SWORD ART ONLINE』。

これらを使えば、剣の世界へと飛び込める。

ゲームは金銭問題で基本的にやらない為、貧乏生活初の家庭用ゲームだ。

心を弾ませながら、俺は緩みまくる顔を整えたまま一目散に隣の自分の部屋に戻った。

 

 

 

「……フルダイブ?」

 

「うん。メディキュボイトを使っての、ね」

 

世間の話題となっているらしいVRMMOというものは、五感全てを仮想世界に挿入するフルダイブ技術を使って行うオンラインゲームの事を指す、という情報は断片的に入手している。

何分彼女は満足に歩くことすら叶わない、無菌室から出られない身だ。

世の中の変化、流行など、それらは全て主治医の倉橋から聞いたものに過ぎない。

 

「それを使えば、寝転ぶだけの日々は終わりだ。

君だって、歩いたり走ったりしたいだろう?」

 

「……はい」

 

歩く。走る。そんな事ができていた頃が懐かしい。

笑って過ごせていた思い出が、日々心を穿つのだ。

 

口がキュッと締まる。

目を閉じたまま目蓋の裏に映すのは幼児期の自分。

まだ病がそれほど重度ではなく、笑って公園を走り回れた自分だった。

今、ふつふつと内側から込み上げてくるものがある。

それが喜びだと気付くのに長い時間は要しなかった。

 

「メディキュボイトはナーヴギアの代わりを果たす。だから、ソフトさえあれば至って問題はないんだ」

 

朧げに耳にする倉橋の言葉は、木綿季の心を沸き立たせた。

それを表面に表す事ができないのが唯一の不満だった。

口角が僅かに綻んだ彼女を見て、倉橋の顔には驚愕が張り付いた。が、すぐに彼もまた頬を緩ませた。

患者が笑ったら医者も笑うのが当然だろう。

 

 

希望がある。夢がある。見えない光が今灯った。

少年少女は目を瞑る。未知の世界を夢見て。

 

不幸な少年はナーヴギアを被る。

重病の少女は痩せこけた頬に赤みを宿す。

 

仮想に飛び込む呪文を唱える。

謳うように、奏でるように、嬉しそうに。

幸せそうに。

全ての始まりを。

 

 

 

―――リンク・スタート。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 『剣の世界』

青空の下に、始まりの街が広がっている。

ファンタジー世界定番の中世ヨーロッパを模した風景で、人々の服装までもが現代服とはかけ離れていた。模様の少ない衣服、その上には光沢を放つ武装の鎧で身を包んでいる。

腰、或いは背中に各々の武器を掲げ、その重厚感ある劔がこの仮想世界を剣の世界だと証明していた。

 

良く目を凝らして見れば、美男美女が多いことが判る。

仮想世界に飛び込む前に、ログイン画面に突入する。その際アバターの顔貌を自由にできるのだ。

その為自分を美化したりする者が多い。性別も変更できるようで、性別詐称もまた起こりうる。

 

仮想世界。それはこの一万人のプレイヤー達に感動を与えた。

そして一人、また一人とログインを完了し、仮想世界に降り立つ者がいる。

その中には、あのツンツン頭の少年も。

 

 

「……仮想世界……これが」

 

黒いツンツン頭がトレードマークの上条当麻―――トウマはこの場から観える景色を隅まで観た。

現代の日本とは全くの別物と言える街並み。それだけならば異世界だが、左上に表示される緑色のHPのゲージが仮想世界だという証だ。

 

彼はオンラインゲームというものを初めて体験した。

ゲームセンターで要す金は基本百円程度だが、貧乏という肩書を持ってしまっているトウマはゲームなんて殆どしない。

稀に悪友の土御門や青髪ピアスが自費で出してくれる事もあるが。

 

こんなにも早くにVRMMOで遊べる者など日本全国を詮索したところで一万人しかいない。

ナーヴギアは一介の学生が買おうと思えない価格で販売されている。当然ながらトウマにとってとても遠い金額なのだ。

 

「これってやっぱりラッキー、なんだよな」

 

ラッキー、という縁遠い単語を口に出してみる。

彼の人生はアンラッキーの連続だ。ラッキーと思える出来事など片手で足りる。いや、もしかしたら片手も必要としないかもしれない。

 

試しに一歩踏み出してみる。足は思い通りに動くし、足の裏に伝わる固い石畳の感触も忠実に再現されている。

初期装備として最初から与えられている背中の剣の重さもちゃんと揺れている。

素直にこのフルダイブ技術というものが本当に凄いのだと体感した。

 

「ベータテスターって奴らは、一足先にこの世界を体感してるのかよ。羨ましい」

 

だがこれ以上の贅沢を望んではいけない。望めばバチが当たるというものだから。

トウマは羨ましいという僅かな妬みを断ち切り、走り出した。その時だけ昔に戻ったように。

幸福(ラッキー)を心に噛み締めながら。

ただ、笑って。

 

 

トウマが走り去った十分後、また一人プレイヤーが現れた。

鮮やかな紫色の髪の毛を流し、綺麗な肌を有する少女が目を開いた。

まず解った事は、自分は今『立っている』ということ。

立つことすらできないリアルの身体では実現不可能な行為だった。

それだけで、彼女は笑うことができた。

―――彼女のプレイヤー名は『ユウキ』。紺野木綿季のアバターだ。

 

「…………」

 

手を握る。手を広げる。膝を曲げる。歩く。走る。

なんと久しい行動だろうか。ますます笑みが深くなる。

ここに誰もいなかったら、間違いなくはしゃぎ回ったところだ、と震える心の中で蠢く衝動に自制する。

 

「はあ……ボク、今凄い幸せだよ」

 

満ち溢れる解放感に心が落ち着き、瞳の色が透き通る。

リアルとは違って髪の毛が長いのは、亡き姉の藍子を意識したからだ。

藍子を知る者がユウキを見れば、すぐに分かる。

『似ているな』と。

 

「早速堪能しよっか!折角なんだからね!」

 

そう言って、ユウキもまた駆けた。

始まりの街と呼ばれるその領域を。ひたすらに。

ただ笑って。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

ソードスキル、というものがあるらしい。

らしいというのは、トウマもまだ使ったことがないからだ。少数のベータテスター達と違って殆どのプレイヤーは攻撃法がままなっていない。

試しに手にした剣を振るっても、逆に剣の重心に身体が持っていかれる始末なのだ。

 

誰もいない緑の丘で、トウマは背の鞘から刀身を顕にする。

勇者をイメージしながらなんとなく構え、目の前にモンスターが居ると仮定する。

腰を少し落とし、相手を穿く姿勢に入る。

切っ先を仮想の敵の眼光にぶつけ、そのまま―――

 

「―――そうらッッッ!!!」

 

一本の光沢が仮想空間を走った。

頭の中で思い浮かべた猪のようなモンスターは、頭部を穿かれ霧散した。

一瞬の変化を、トウマは見逃さなかった。

エフェクトの青白い光が刀身に帯び、雷光が発生したのを。

―――今のが、ソードスキルか。

トウマは慣れない剣を鞘に納める。適当に構えただけだったが、どうやらソードスキルは構えに応じて発動するスキルらしい。

そして、ソードスキルを放った直後は、僅かな硬直を伴うという事も。

 

「……なんつーか。俺からすればスキルに頼らない方が良いかもしれないな」

 

己の技、自己の剣戟で行こうと言う。

トウマは一呼吸おくと、暫くスイングの練習のように剣を振り続けた。

慣れない重さがその手に馴染むまで。

 

 

気がつけばもう日は赤みを帯びていた。

空がオレンジ色になっていると気付いたのは、ログインしてから二時間以上経過した後のことだった。

ユウキはアイテムストレージに入っていた説明書らしきものを読み、まずはアイテムの調達をしていれば、彼女を照らす陽光は、既に赤かった。

 

「もうこんな時間……」

 

ゲームの時間は現実時間と連動している。その為時間の流れは同じだ。

ログインした時の空は、たしか青かった。

相当な時間を楽しさで忘れていたのだろう、とユウキは呆れて苦々しく笑う。

 

「あ、プレイ時間ってあと三十分も無いや。もっとこの世界にいたいなー……」

 

倉橋からプレイ時間を定められ、それにユウキは了承している。約束はしたのならきっちり守りなさいと母親にも良く言われていた。

 

まあいいか、とユウキはこの世界からログアウトする為に、メインメニューを開いた。

項目欄から一つ選び、メニューを開いた途端、ユウキは首を傾げるような光景を目の当たりにした。

 

「……あれ?」

 

 

一閃、一閃、また一閃。

剣が彩る雷光が空間を奔る。精神力を消耗するソードスキルのエフェクトではない。鈍い光沢を放つ剣の刀身が描く薄らかな残像だ。

その右手にも重さが馴染み、振り慣れてきたところで、トウマは一つ休憩をとることにした。

鞘に剣を納め、近くの岩にどっと腰を落とす。

 

「だはー……野球の練習もこんな感じなのか……?」

 

野球そのものに興味がないトウマはわからないが、少なくともそれと同じような感覚を覚えたのは確かだ。

疲れ切った視界に、ふと無精髭が映り込んだ。良く見てみると、それはプレイヤーの不思議そうに首を傾げる顔だった。

 

「おめーさん……何でソードスキル使わねえんだ?」

 

自分の名前表記の下に、新たな表記が追加された。

『Klein』、『クライン』、と。

 

「別に良ーだろ。ソードスキルに頼らない方が向いてるかなって思っただけだ」

 

「それだとすぐにやられるぞ」

 

新たな声を聴覚が感知する。クラインというプレイヤーの背後に、好青年そうな男がどこか呆れたようにトウマを見つめていた。

 

「ソードスキルは速度、攻撃力がただの剣戟よりも強いんだ。バトルにおいてソードスキルは必須。忠告しておくと、使った方が良いぞ」

 

「なんでえお前」

 

自分はコミュ障だとか言ってたくせに、とクラインは矛盾を訝しげに唱えるとムッ、と唸る青年。

青年の名は『Kirito』、『キリト』と言うらしい。

 

「そういえばクライン。お前ピザの出前頼んでなかったか?」

 

「あ……あーそうだった!!!」

 

大声を宙に置き去りにしながらクラインはメニューを開き、現在の時刻を確認すると、注文の時刻はとっくに過ぎていた。

トウマも「あ、やべ宿題してねえ……」と蚊帳の外にされながら冷や汗を流した。

 

「悪いキリト!!ありがとな!!俺ログアウトするわ!!!」

 

「ああ」

 

高速で指先を動かし、メニュー欄をスライドさせるクラインをキリトは苦笑いを浮かべながら半目で見つめている。

トウマもまたログアウトしようかと左指をスワイプさせようとしたところで

 

「……あり?」

 

クラインが訝しげな一声を漏らした。

キリトがすかさず質問を投げる。

 

「どうした?クライン」

 

「……ログアウトボタンが無えんだ(・・・・・・・・・・・・・)

 

「……はあ?」

 

陰鬱なトーンで語ったその言葉は、キリトの眉をひそませるには充分な内容だった。

トウマとキリトがメニュー欄を開こうとしたところで

 

 

それは起こった。

 

 

三人のアバター体が、いきなりエフェクトの光に包まれた。

 

「ッ!?おいどうなってんだキリト!!」

 

「俺が知るか!!」

 

「なんですか一体!?イベントか!?」

 

三人が各々の叫びを丘に残し、その仮想の姿は夕暮れを背に瞬く間に消えた。

トウマの持ち前の不幸のおかげで鍛えられた直感は、嫌な出来事の予兆を大音量で告げていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 『全てが終わり、始まった』

ちょっと短いです。すみません。


ここに集うのは―――ざっと一万人。

システムによってドーム状に表示された夕暮れの紅色の下には困惑の色が全体に彩られている。なんて、トウマのとても冷静な思考がこの場の状況を文字に起こした。

 

「どうなってんだよ、おい……」

 

「俺に聞くな」

 

側にいるクラインがぼやき、キリトが茫然を隠せていない表情で応答する。トウマは会話には参加せず、ただ漠然と今起こった現象について思案していた。

 

強制転移。一人や二人ではなく、このソードアートオンラインにログインした一万人近いプレイヤー全員がだ。おそらく殆どのプレイヤーがこんな事を考えている。

何が起きたのだ?と。

何とも言えない。僅かなベータテスターを除いた者達皆が今日初プレイする初心者なのだ。

 

「何がなんだか……あ?」

 

また転移かと思ったが、トウマの目が見開かれたのには理由がある。

 

何か、トウマの真上に、プレイヤーが転移したのだが。

 

「んごっ!?」

 

「うわっ!?」

 

アホみたいな少年の声と、何とも可愛らしい短絡な少女の悲鳴が重なった。

少女がトウマに覆い被さる、いや、トウマが少女の下敷きになる体勢となったため、後頭部を打ち付ける始末。

ゴンッ!なんて釘を打ち付けるような音が鳴り響く。

 

「いだっ!!」

 

「ご、ごめんなさい!」

 

トウマの視界に飛び込んできたのは紫色の髪の美少女。謝罪の言葉がトウマの瞳を射抜いていた。

ああ、仮想世界でもこんな事が起こるんだなー、とトウマは受け流すが、クラインの嫉妬に満ちた顔は角度的に見えなかった。

 

「い、いや、大丈夫だから。仕方ねえよさっきのは」

 

ヒリヒリ痛む後頭部を押さえながら上半身を起こすが、その際キリトの不思議そうな顔が横切ったのは何故だろう。

少女プレイヤー―――ユウキもまたトウマから離れる。

その時、だっただろう。

 

紅色の世界に、あの男の絶望の声が轟いたのは。

そして思い出す。上条当麻の幸福は、決してラッキーで終わるような代物ではないことを。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「上やん!!」

 

隣人の、科学と魔術の多重スパイ、土御門元春は上条当麻の部屋へ鍵を壊し飛び込んだ。

とても、焦ったような表情で。ベッドにナーヴギアを装着した状態で死んだように眠る少年を見て、焦りが絶望へと成り変わる。

知ってしまった。彼がプレイしているソードアートオンラインは、ゲームであっても、遊びでは無いことに。

 

「……畜生……!!!」

 

精々付き合いは二年だが、それでも仲の良い悪友だ。

幻想殺しとの友好関係を築いていた方が良い為にこれまで接してきたが、いつしか良い友になっていた。

そして、幻想殺し(上条当麻)は、あの野郎のメインプランだということを知る土御門は、鍛え上げられた拳を砕く思いで握り締めた。

 

「アレイスター……予想外の事態になって、何をやらかすつもりだ!?」

 

学園都市統括理事長、世界最高の魔術師、アレイスター=クロウリーの思惑が大きく外れた。

その男は今―――プランのスケジュールに大きな障害が生じたことに、とても、焦っている。

 

「高をくくって油断した……やはり私もまだまだ人間のようだ……!」

 

 

 

この日、全てが終わり、始まった。

 

これはゲームであって、遊びではない。

 

 

 

―――ああ、不幸だ。

 

 




最近、カクヨムのウェブ小説コンテストに応募作品を執筆していた為、遅くなりました。
「幼馴染の殺害衝動」というタイトルで投稿しているので、読んでくださるととても嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 『我武者羅』

ただ我武者羅に、トウマはその剣を振り続けた。

モンスターへの恐怖はもう無い。片手剣の重さに動じることも無い。

やはり、ソードスキルのエフェクトは走らない。

黄昏時の色の空は、もうじき月が昇るようプログラミングされている。

 

―――私の世界へようこそ。

 

「ッ!!」

 

あの男の幻聴が、今も尚反響している。この木霊は、一体何時まで続くのだと、トウマの奥歯を噛み締めさせた。だとしても、彼は剣を振るうことを止めはしない。

 

―――このアインクラッド及び現実世界から永久退場している。

 

苛立ち混じりに地面に初期装備の剣の切先を突き刺す。

ここが現実世界だったならば、疲労の汗が流れているだろう。今このアインクラッドは、夜に片足を突っ込んだ状態だ。東の空を見上げれば、暗闇が侵食しているのが分かる。

 

「……ったく、涙は出るくせに、汗は出ないんだな」

 

嫌な仕様だ、と吐き捨てる。

先刻抱いた絶望によって、トウマの顔は苦痛に歪んでいる。現実世界のその顔で。

あらかた狩り尽くしたモンスターは、ポリゴン片となり彼の経験値となった。レベルは4にまで上がっている。

……とはいえHPは最大値からかなり減っている。

無理もない。今の今まで、斬り続けてきたのだから。

 

「ガウウウッッ……!!!」

 

「…………!」

 

新たな狼型モンスターが出現した。

精神的にも疲労仕切った彼にとって、その滾る殺意だけでも倒れ付せられそうだった。

剣を引き抜き、構える。ソードスキルのエフェクトは、やはり一ミリたりとも発生しない。

 

視界が淀む。気のせいか、立ち眩みか、そんな事はどうでも良かった。モンスターがその隙を突いて襲い掛かってきたからには。

 

慣れた筈の重さが、右手から滑り落ちた。

 

「しまっ……」

 

「バウウッッッ!!!」

 

喰らおうと襲いかかる狼の口内が目の前に広がる。

涎を撒いてトウマの頭を齧り取ろうと。

その手に武器はない。……死ぬ。

 

 

瞬間、紫色の雷光がモンスターを斬り裂いた。

 

眼前に迫っていた『死』は、あっという間に無数の欠片となり飛散した。

 

「……大丈夫?君」

 

先程の剣戟の主の声は、純真で可愛らしい。

今の光がソードスキルなのだと、多少遅れて疲れ切った思考がようやく理解してくれた。

振り返った先には、あの広場で出会った長い紫色の髪の少女が剣を片手にそこにいた。

 

「無理は、良くないと思うな……気持ちはわかるけど」

 

「はは……慰められるのは、久しぶりだな」

 

不幸に見舞われれば、かかってくる声は慰めなどではなくただの冷やかし。「まーたいつもの不幸か」と嘲笑われるのがいつものパターンだ。

 

「君、名前は?」

 

「ユウキだよ」

 

「そうか……俺はトウマだ」

 

トウマ、と復唱し、ユウキという少女は近くの岩に腰掛ける。トウマは背の鞘に刀身を仕舞い、リアルに草の感触を味わえる地面に尻をつける。

 

 

ユウキは、アイテムストレージに手鏡が入っていなかった。

トウマ達とは違い、一人だけ何故かアバターの顔なのだ。……まあ、顔自体はリアルと変わらないのだが。

 

「ユウキ、レベルは幾つなんだ?」

 

「さっき3になったところかな。……トウマは何であんなに必死になってたの?」

 

それを聞かれると、途端に答えられなくなる。

正直、何もかもが見えなくなった、というのが本音だ。遊び心が綺麗さっぱり消え失せ、海にでも沈められた気分だった。

トウマは、重い口をゆっくり開くと

 

「正直何も考えてなかったな……クリアしようとも、強くなろうとも、何も。体を餓狼の心に任せてた」

 

ユウキはトウマに寄り添い、半分以上が青黒く染まった空を無言で見た。散りばめられた微小な発光体が、まるでプレイヤー達の陳腐な命のようで。

相対的に、トウマは両膝の間から草原を見ていた。ゆらゆらと揺れる名も分からない草が、プレイヤーの悲壮を物語っているようで。

 

「何を、すべきなんだろうな」

 

「……100層、クリア」

 

トウマの呟きに答えたのか、それとも関係ない独り言か、ユウキはその二単語を発声する。その何でもない筈の単語が、心を重苦しくさせるのは、このソードアートオンライン、いや、ナーヴギア開発者の茅場彰彦が原因となる。

 

 

ソードアートオンラインは、史上最悪のオンラインデスゲームである。

茅場。その名はsaoプレイヤーだけでなく、日本中、いや世界中の人々が忌み嫌うだろう。凶悪犯罪者というレッテルとともに。

 

絶望を抱かせた張本人が消えた後、誰よりも強くなろうとする者がいた。現実逃避をする者がいた。クリアをしようと志す者がいた。生き抜く事を決めた者がいた。仲間に気をかけていた者がいた。

此処に、我武者羅にモンスターを駆逐する者がいた。

此処に、その者を宥める者がいた。

 

 

 

「……そういや、泊まる宿とか考えてなかった」

 

「それなら、始まりの街に安い宿があるよ。……凄く、年季が入ってるけど……」

 

「なんでもいいさ。屋根の下で寝られるんならな」

 

重い腰を上げて、トウマは膝を伸ばす。

爪先を始まりの街の方角へ向け、ありがとな、とユウキに告げると、そのまま歩き去っていく。

そのまま見送ろうと思っていたユウキだったが、無性にそれは嫌だと思い、立つ。

 

腰の剣に重心を持って行かれバランスを崩しそうになるも、慌ててトウマの跡を走って行った。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

現実世界は、オンラインゲーム事件について世界中のメディアが取り上げていた。

ネットも社会もその話題でもちきりで、学校全体ではソードアートオンライン関連のことしか話していない。

 

「ほんま、けったいな事件が起こったもんやわ……」

 

「………………」

 

「まさかこの学校にもその被害者が……」

 

「……………………………………」

 

「なあ、つっちー?」

 

「青ピ……悪いが、今は話しかけないでくれ」

 

あまりの重圧に、謝りながら仰け反る悪友青髪ピアスを気にもとめず、前代未聞の事件の被害者―――上条当麻とこの街の理事長の事で多重スパイの頭はいっぱいだ。

アレイスターのメインプラン、幻想殺しが仮想世界に囚われた。

 

現状最も問題なのはアレイスターの方針だ。予想外の事態すらも、あの『人間』はメリットに変えてしまいそうだ。

今のところ、アレイスターの思惑が全く不明だ。ただ、幻想殺しこと上条当麻が必須というだけで。

 

科学と魔術の両立。魔術師が科学の街の長をしているというだけで全魔術師達の敵だと思われて当然のこと。その一見危うく見える立場を利用して、何かを企んでいる。

やりかねない。あの人間ならば。

アレイスターは、誰が倒せる?土御門が思い当たる人物は、たった一人しか該当しない。

 

(上やん……無事に還って来いよ……!)

 

役に立たない固い拳で、無力感を握り潰した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 『メリット』

今日は書くだけ書いて投稿しなかった分を投下しました



「随分焦っているようだな。アレイスター」

 

底無しのこの男にも抜け目があるのだと、若干人間味を感じ取る土御門は、窓のないビル内でアレイスターと相対する。

 

 

「……そうだな。本格的なプランの進行は暫く後であり、幻想殺しの不運は本物だからな。油断していた」

 

「いつもより薄ら笑いがぎこちないな。それに、お前なら仮想世界から上やん……幻想殺しを連れ戻す事はできるんじゃないか?」

 

重々しく跳ね返る土御門の問いかけは、アレイスターとの会話を寸断する。……が、アレイスターはすぐに語り始めた。

 

「ナーヴギアの内部構造やらは網羅している。……だがな、『制御権利』はどうしようも無い。茅場彰彦のみが握っている」

 

「それならさっさと奪えば良いだろう?何故お前が手も足も出せない?」

 

「手も足も出せない事はない。茅場彰彦の居場所も既にわかっている」

 

プランに関してはいるものの、プランの内容ではないからか、アレイスターはよく喋ってくれた。

慣れない空気に戸惑いつつも、土御門は飄々とした『魔術師』の顔でアレイスターを見る。

 

 

「茅場彰彦……特に目をかけてはいなかったが、やってくれたものだ。まさか、『制御権利』は機械では無かったとはね……」

 

「……機械ではない?」

 

科学ではない、と言っている。

では……なんだ、と土御門は目で訴えると、アレイスターはすんなり答えてくれた。

重々しく。

 

 

「概念―――魔術だ」

 

 

魔術。それはつまり、魔術師。

 

「茅場彰彦は、魔術師だったとでも言うのか!?」

 

「……そのようだ。コントロールラインを自身の魔力に置き換えたのだ。正式なラインを切断して、な」

 

規格外の真相に、土御門は普段アレイスターの前では見せない驚愕を顕にする。そんな土御門を馬鹿にしたりはしない。

VRMMOは上条当麻に影響は及ばないと思い、開発の許可を下ろしたが、今になってアレイスターはその事を後悔していた。微笑みを浮かべて。

 

「茅場彰彦が私の予測以上に科学を自分のものにしていたようだ―――今の会話も、聞かれていたようだ」

 

 

直後だった。

白衣を纏う、あの男の幻影が現れたのは。

 

 

■ ■ ■

 

 

『久しぶりだな。学園都市統括理事長』

 

「……茅場、彰彦」

 

半透明な茅場が映るサングラスの下に、心理状態の揺らぎが確認できる。

いつものポーカーフェイスも、機能しない。

 

『魔術師……か。科学者からすればとても信じられるものではない存在だが』

 

「何故お前が魔術を心得ている?茅場彰彦」

 

『話さなければ駄目か?……まあ良い。理由など、アレイスター=クロウリーからの圧力対策というだけだ』

 

「君しか持たないラインを行使したということか……私が魔術師だと、何処で知った」

 

冥土返し(ヘヴンキャンセラー)、だよ』

 

冥土返し。上条がいつもお世話になり、アレイスターの恩人且つ、学園都市をアレイスターと共に創造した人物。

余計な事を吹き込んだものだ、と皮肉げに歯噛みする。

おそらく、滞空回線(アンダーライン)を寄せ付けずに話したのだろう。

そしてこの男、どうやったのかは知らないが、滞空回線を乗っ取っている。

 

『アレイスター。君の計画しているプランとやらは、随分と危険なものらしいのでな。下手すれば私の計画にも支障が出るかもしれないので、先手を打っておいた』

 

アレイスターの一歩先を行く茅場に、土御門は文章に起こせない未知の恐怖を感じた。思わず足が後ろに仰け反る。

 

『さて、私はそろそろ"あちら"へ戻らせてもらおう。アレイスター、今は国家がピリピリと張り詰めていr そのaiに、君hどus動kr……』

 

砂嵐に掻き消されるように、その幻影は姿を消した。

残ったのは、茫然とする土御門と、微笑みを消したアレイスターのみ。

 

「さあ……土御門。そろそろ戻ることだ。学校を抜け出して来てるのだろう?」

 

「…………そうさせてもらう。これ以上ここに居たところで、無駄のようだ」

 

土御門が諦めたように背を向けた瞬間、"案内人"結標淡希が出現し、土御門を連れて空間移動を行使した。

 

 

 

「…………」

 

「……………………」

 

「…………………………………………………………………………………………………………………………クク」

 

一人となり、ビーカーの中の溶液に満たされながら、アレイスター=クロウリーは

 

 

嘲笑っていた。我慢しきれなく、なったように。

 

 

 

(演技は成功した(・・・・・・・)。……先手を打っていた、だと?)

 

茅場は言っていた。先手を打っておいた、と。

アレイスター=クロウリーを、出し抜いたと。

バカめ。

 

そんな程度で学園都市統括理事長を務めている訳がないだろうが。

 

(むしろ計算内だ茅場彰彦。確かに単純計算でソードアートオンラインをクリアするには二年はかかる。しかし)

 

 

外部からの介入で、その時間を縮める事は可能だぞ。

 

 

(プランに問題は無い(・・・・・・・・・)。寧ろ、saoという新たな要素が追加したことにより、初期構想よりも面白い結果になりそうだぞ……)

 

悪魔にも見える、神にも見える、人間にも見える、聖人にも見えるその嗤いは、何よりも恐ろしく、狂気的に思えた。

 

 

 

 

 

(やれやれ、アレイスターめ、遊び感覚だな)

 

 

その様子を、黄金色を放つ『ドラゴン』は、天使のような微笑みで一部始終を見届けていた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話 『ダンジョン』

短くてすみません


目覚めた瞬間に身体を包んだのは、慣れないベッドの弾力性。まあこれも、幻想でしかないのだが。

 

微睡む目を醒まし、トウマは朝を迎える。

仮想世界で朝を迎えるとは、二日前の彼には想像もつかないだろう。

床に足を下ろすと、ミシミシッ!という軋みが発生した。これはトウマの体重が重いのではなく、単に今回宿泊した宿がオンボロだっただけである。

 

「リアルだな……今にも床が抜けそうで怖い」

 

そんな言葉を残して、トウマは音の酷い扉を潜った。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

特に、これといった目的はなく、噴水の音を聞くだけだ。

視界の端に見えるプレイヤー達の顔は、沈んでいる。

……無理もない。二度とこの仮想世界から出られないかもしれないのだから、絶望に押し潰されるのは当たり前だ。

生きる気の無くなった瞳は、ただ下だけを見つめていた。

 

(…………この剣も、無力なのか?)

 

何となく抜いた剣は、無色な銀色を放っている。

分断してやりたい。皆を取り巻く幻想を、トウマの剣で断ち切ってやりたい。

現実世界の日の目を見る事を叶えたい。

そう思っている。

 

「おはよう。トウマ」

 

隣に腰を下ろしたのは、紫髪のユウキ。

トウマよりも幼い顔立ちは、気遣いをしているように匂わせている。

 

「どいつもこいつも顔色が良くねえな。……俺もか」

 

「君もだよ。……ボクもだね」

 

他愛もない会話だ。そう思える程に、トウマは冷めきっていた。やはり彼もまた、心は沈んでいる。

 

「……これから近くのダンジョンで経験値を稼いでくるが、ユウキはどうするんだ」

 

「暇だからね……ボクも一緒に行くよ」

 

「そうか。なら一緒に行こうぜ」

 

そして、その小さくも可愛らしくも頼もしそうな手を握って、三日が経過した。

 

「ッッッ!!」

 

「ヤアッッッ!!!」

 

剣の雷光と、刀身の残像。それぞれが迸り、モンスターの肉体を穿った。

ポリゴン片を撒き散らし、それを経験値へと、仮想のお金へと変えていく。

トウマは金を多く取れるモンスターが多数いると知ったときから取り憑かれたように狩り尽くしていた。現実で貧乏な彼は、目の色を$やら¥やらに変化させながら猛威を振るっていた。

 

「必死だねー……正直ちょっと惨めに見えてきたよ」

 

レベルは二人共に上がっている。トウマの方は必死になって討伐し尽くした為、ユウキよりもレベルが2上なのだ。

倒すたびに手に入るお金の額に目を光らせる光景に、ユウキは「そんなにもリアルでお金に困っていたのかなーアハハ」と笑顔に同情の余地が芽生えていた。

 

 

 

 

「―――!!」

 

暗闇に、緑色のエフェクト。

飛び散ったのは無数のポリゴン片。

 

「ッ……ッ、!」

 

精神的に磨耗し、瞳の鋭気を磨り減らしながら、長い髪を揺らして、舞う。

レイピア使いの少女は、駆逐を始めて三日目だ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 『迷い』

展開に長いこと行き詰まってました


「ねえ……ちょっと訊いていいかな?」

 

「どうした?ユウキ」

 

 何匹狩った頃だろうか、トウマの横で剣を振っていた少女が儚げに言った。何事だろうかと、トウマは彼女を見遣った。

 先刻まで少年少女の闘志とモンスターの絶叫が響いていた回廊が、自然と静けさを充満させた。そこでユウキが剣の切先を落すように床へ当てたものだから、痺れるような音波が揺さぶられながら木霊した。

 

「こうやってさ、ボク達必死にレベル上げしてるけど、この先どうしようかなって……」

 

「この先?」

 

 目を細めてユウキの顔を覗き込むと、花が萎れたふうに俯かせる面貌は不安を寄せ集めていた。思わず胸が痛んだが、その血相を綺麗だと思ってしまった自分に、投げられない怒りが瞳に滲んだ。

 彼女が言いたいのは、プレイヤーとしてどう生きるか。

 

「最前線でクリアを導くか、他人に運命を委ねて空でも眺めて待っているか……」

 

「そりゃあ……俺は待つばかりじゃ嫌だしな。正直、確かに命の危機に脅えている自分がいるけど……俺は、戦おうと思う」

 

 彼の中にあるヒーロー気質が、武器を携える手に力強さを込み上げさせた。分っていたような微笑みをふと魅せると、ユウキは己の意気地を晒した。

 

「……そだね、トウマは多分そう言うだろうと思ってたよ。

……けど、ボクは、トウマのようにはいかないな」

 

「え……てことは、後者を選ぶってことか?」

 

「ああいやいや、そうじゃあないよ。ただ……」

 

「ただ?」

 

 彼の追及に応えるように、ユウキの瞳は一層小さく凋んで、噤もうとしていた唇が、僅かに開いた。

 

「……迷ってる。ボクはこの世界で戦って死ぬべきなのか、現実世界で死ぬべきなのか」

 

 トウマは思った。"何か訳ありなのか……?"

 

 仮想世界で現実世界の話を持ち出すのはマナー違反なのは彼とて百も承知だが、詳しく問い詰めるのが彼女を傷つけてしまうかもしれない可能性を考慮してでも、事情を知りたいと思っている。それがトウマが"お人好し"などと称される所以である。

 自重すべきだという自制心と、ユウキを理解してあげたいと偽善めいた思念を抱いている始末で、そうこうしている内に、ユウキはトウマの方を向いていた。

 

「こんな事訊いて申し訳ないけれど……ボクは、どうすべきなんだと思う?」

 

「………………俺に訊くなよ」

 

 そう言って思わず目を逸したところで、何かが倒れる音が聞こえ、トウマとユウキは重たい頭を上げた。少しばかり目を合わせると互いに頷き、駆け出した。

 

 駆けつけると、何かが横たわっていた。栗色の絹織物がばら撒かれていると思ったが、近付くにつれて人間の長い髪なのだと分った。近くにレイピアが転がっていることから、恐らくはプレイヤーだろう。

 少女だった。抱き起こすと、朧げな目をしたまま息を荒くしていた。仮想世界において疲労は無い筈だから、疲弊しているのは心理であると断定した。

 

「疲れてるね、この人……」

 

「こりゃあ精神的にやられたな。悪いが手伝ってくれ、ユウキ。取り敢えず安全なエリアまで運ぶから」

 

「うん、分った」

 

 付近に放られていたレイピアを手に取ると、疲弊しきった少女を横抱きして、トウマとユウキは歩き始めた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話 『アスナ』

 取り敢えず安全エリアで少女を寝かすと、トウマは一息つくように肩を鳴らして腰を降ろした―――ユウキもつられて坐り込む。

 

「そんな精神的にまいっちゃうほどモンスターを狩ってたのかな……」

 

「まあそうだろうな……デスゲームに囚われたって現実に、酷く苛まれて半狂乱になったんだろ」

 

「…………」

 

 少女の徒労はどれ程までに及ぶのだろう―――ユウキは横たわる少女の顔を見つめながら、その思考を張り巡らすのだが、答の見つからないまま行き場を無くし、徒労に終わった。葛藤から抜け出して、彼女をまじまじと見つめ直せば、栗色の妖艶な色彩に釘付けになりそうだった。

 固唾を飲んでじっとそれを視界に納めていると、少女の睫毛がぴくりと動いたのを、ユウキもトウマも見逃さなかった。

 

「……貴方達は?」

 

 段々と瞳に光を宿しながら、少女は問を投げかけた。

 双方迷わず即答した。

 

「俺はトウマ」

 

「ボクはユウキだよ!」

 

「…………トウマ……ユウキ……」

 

 復唱しながら起き上がるが、バランスを崩して倒れそうになった。側にいたユウキが慌てて支えると、栗色髪の少女は僅かに笑いかけ、背筋をピンと伸ばして言った。

 

「その……助けてくれて、ありがとう。……でも、これ以上貴方達の邪魔はしたくないから、もう行くわね」

 

 言い残して立ち去ろうとする少女の肩を掴んで、トウマは言い返した。

 

「おいちょっと待て。さっき倒れて起きたばかりなんだぞ、もう少し休んでから……」

 

「良いのよ。まだ目標を達成できてないから」

 

「……目標って?」

 

 ユウキが眉間に皺を寄せると、少女は至って当然のように答えた。

 

 

「"このダンジョンで三日間モンスターを狩り続ける"。それが私の目標」

 

 

 その衝撃的な回答に、二人は絶句せざるを得ず、瞼を見開いた。

 

「まだ二日目だから、もう一日、頑張らなきゃいけないの」

 

「待て!……三日だと?自暴自棄になるのは仕方がないけどな、そりゃ無茶振りってもんだ!!」

 

「そうだよ、またさっきみたいに倒れたら、今度こそモンスターに襲われて死んじゃうよ!!?」

 

 激しさを備えて各々の叫びを連ねると、少女は落ち着いた様子のまま二方の訴えを聞き入れるが、やがては冷たい表情で俯かせた。

 次に向けたのは穏やかさの消えた能面……鉄のように冷徹な面貌だった。

 

「……どうせ、皆死ぬのよ」

 

 

 

 

 

 

 深く考えずとも、その最悪の未来を想像するのは容易なことだった。

 

 これまで当たり前にそこに有った筈の現実が、遥か遠くへと行ってしまったのだ。

 

 百層なんて到達できる訳がない……皆、死んでしまう。

 

「…………かも、しれない。だがな」

 

 希望を持てだなどと無責任極まりない発言はしないが、それでも、身を投げるようなことは止めてほしい―――彼はこの時自覚した。自分は偽善者なのだと。

 

「それでもな、お前に死んでほしくない奴だっている筈だ」

 

「…………」

 

 少女は悲壮な表情で説くトウマを、ただ見つめていた。徐々に鉄の仮面が剥れていくのにも気が付かぬまま、家族の居る現実を思い出すと、くしゃりと顔を歪めた。

 

 ユウキはもし現実世界へと帰還できたら、と想像すると、哀しみを彩った。

 誰も待ってはいない。強いて言うなれば担当の医者のみで、父母や姉は、もう居ない。友はとうの昔から見捨てられ、周りを見渡しても、誰も居ないという事実を噛み締めるだけなのだ。

 このまま仮想世界に囚われているのもまた美味か……とも思っていた。蝕まれた身体は、命を延命させる力はもうほとんど残していない。

 仮想世界も現実世界も、変わらない。

 

「……強要はしないでおくけど、これを持っていけ」

 

「……これって」

 

 渡されたのはポーションだった。それはトウマが狩りの最中に手に入れた、ドロップアイテムだ。

 

「……良いの?」

 

「死んでほしくないからな。焼け石に水かもしれないし、余計なお節介かもしれないが……」

 

「…………ううん、ありがと」

 

 一滴の雨が垂れたように、静かな声でそう述べた。

 

 彼女の名はアスナ。

 その少女との関わりが、自分たちに課された過酷さの認識を一層強めた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話 『再会、また誘い』

「ごゆっくりどうぞー」

 

 ウエイトレスが立ち去る姿を、トウマは眉間を狭くして見つめ続けた。今しがた朝食のセットを持ち運んできたのはプレイヤーではなく、コンピューター―――機械というのだから、その柔軟な表情と挙行に驚いていた。

 その外見が彼の好みの女性に該当していたのもあって、目だけではなく心を奪われていたのは、彼自身も気付いてはいない。NPC故の流るような艶めいた黒髪と、しなやかな縊れ、そしてしなをつくる太腿―――興味深そうに眺めていると、一声。

 

「……どうしたの?トウマ」

 

「……んっ、あっいや、何でもない何でもない」

 

 俄づくりの言い訳を口走りながら戯けたような表情を浮べるも、ユウキは彼が見ていた方向を見遣ると、その瞳に悪戯心を宿らせた。

 子供の恋話を聴く母のような穏やかな笑みを振り向けたのだが、トウマにはそれが反って不気味に思えた。

 

「違うな、決して違うんですよユウキさん?心身休める時間としても、さっきのウエイトレスにうつつを抜かしていた訳では……」

 

「うんうん分る、分ってるよボク。トウマも男の子だからね。仕方ないよね」

 

 必死の弁解もその意味は皆無、無論のことだがユウキは聞き入ってくれる事はなく、その無意義な会話は続けられた。話し終えて朝食に手を付けると、少しばかり冷めていた。

 弄ることに満足したのか、ユウキは満面の笑みで頬張った。

 

 

 

 

 

「……何だか、トウマと話していると、気が安らぐな」

 

 一滴の雫が水面に垂れたような一言が、トウマの食事の手を止めた。

 

「……まだ弄ってんのか?俺のこと」

 

 少々疑り深く返答するが、彼女は小さく首を横に振った。その瞳からは悪戯心は消えているものの、薄っすらと幼い母ぶりを残していた。その眼を紫の前髪越しにじっと見ていると、虚構に吸い込まれるような情感を抱いたものだから、思わずテーブルから僅かに胸を乗り出させた。

 

「誰かと、まともに話したことなんてあまり無かったからさ。嬉しいよ……ボク」

 

「……そうか」

 

 にっと笑うと、彼女も微笑った。指先で弾けば砕け散ってしまいそうな、脆弱な笑みであった。今にも目尻に透明な雫が滲みそうだったので、何故そんな悲壮感に見舞われているのかと、訳も分らず心を打たれた。

 どんな意味を込めて語りだしたのかは彼が知る由もないのだが、彼女の赤みを帯びた頬が濡れた時は、優しく拭い取ってやりたいと思ったのだ。……それもまた、ただの偽善なのかもしれない。

 トウマはどうにかして憂愁に濡れた少女の顔を和ませようと慮るが、頭に浮ぶ言葉はどれもこれもが反って落ち込ませるような気がしてならず、ただ焦燥が募るばかりであった。

 

「……いや、にしても驚いたな」「まったくだ。あの情報屋、一体どうやって仕入れてるんだろうな」

 

 背後の席から聞こえる談話が自然と耳障りに思えた。咽仏を熱くしながらようやく絞り出せた言葉が、何とも陳腐だった。

 

「ほら……そんな顔すんなよユウキ。あ、そら、お前これ好きだったろ、食べるか?」

 

「…………、」

 

 しだれていた顔が上がった。仄かな陽光が少女を射していた。

 

「……あははっ、そんな必死にならなくても。ちょっと過去を思い起こしてただけだよ」

 

「……なんだ、もう……心臓に悪い」

 

 肩透かしをくらった気分だったが、心配無用と分るとほっとした。

 

「さ、食べよ食べよ!全然食べてないからね」

 

「ああ、そうだな」と、スプーンを動かした。

 

 

「あ、それくれるんだったよね?」

 

「お前なぁ……」

 

 苦々しく笑うと、そっとくれてやった。硝子の盃を口にすると、背後の会話はまだ続いていたようで、談笑が聞こえた。

 

「……でも、まさかこの一ヶ月で200人も死んだとはな」

 

「ああ……最初に茅場が言っていたのを合わせると、もう2000人近く死んでることになる」

 

 眼球だけが背を向け合う男たちの方へ振り向いた。それはユウキもまたそのようで、手と口は休めなくとも、聞き捉えようと心掛けていた。

 

「自殺者、発狂者……いずれも絶望して死んでる」

 

「憶えてるぜ、茅場が去った直後の怒涛の絶叫……」

 

 ユウキはそこで、ダンジョンにて倒れていた少女を思い出した。アスナはこの仮想世界から出られないと絶望し、自身の命など顧みずに狩り続けていた。

 あの後どうなったのだろうと、そんな不安が胸を押し寄せた。ポーション一つを渡してから、ユウキもトウマも彼女とは一度も会ってはいない。輝くことを止めた瞳を思い出して、まさか死んでしまったのではないか―――最悪を催す可能性が眼に浮んだ。

 

「アスナ……」

 

 フォークが止まった。

 皿の上に栗があったものだから、ユウキは思わず通路の方へと視線を走らせた。ただ汚れることのない無機質なタイルが囲碁のように並ぶだけの通路だが、革靴を履いた脚が自分たちのテーブルの前で止まっているのが見えた。ゆっくり視野を上げてみると、鮮やか色の長い髪色が胸のあたりに垂れていた。

 

 トウマの視界に映るユウキは、驚愕していた。眉を顰めて彼女の視線を辿ると、フードを深く被った少女がそこにいた。顔は隠れていたのだが、見憶えのある髪が答を導いた。

 

「……アスナ」

 

「生きてるわよ、この通りね」と、二人を睨んだ。

 

 

「あのポーション……ありがとう、ね。足しになったわ」

 

 微小の恥ずかしさで頬を染めて言うと、トウマは笑い返した。

 

「ともかく生きてて良かった。あれから一度も会ってなかったからな」

 

 無事な姿を間近で見ると、ユウキはそっと安息を吹いて、柔かに微笑んだ。久方ぶりの対面に心躍らせる反面、アスナはすと冷静に切り込みだした。

 

「……近いうちに、ボス攻略を始めるそうね?」

 

「え?」

 

 ユウキが眉を顰めた。今のところボス戦を行ったという噂は聞いておらず、そもそもそのような意欲的なプレイヤーを見かけたことも無かった。

 識らなかったと分ると、アスナは語り始めた。

 曰く、

 

「第一層のボスを討伐すれば、プレイヤー達は活気を取り戻し、ゲームクリアに近付くだろう……と考えてのことらしいけど、どう? 貴方達は行く?」

 

「俺は、行くが……」

 

 ユウキはどうなのだろう……そう思い、見遣ると、顎に指を添えて、考え込んでいた。折角レベルを上げたのだから行くべきだという思案も、一度HPバーがゼロになれば文字通り死亡するという現実が掻き消そうとするものだから、決意はまとまらないでいた。段々と焦りを表し始めるも、トウマは宥めるように囁いた。

 

「無理に行こうとする必要なんて無い。今決めなきゃいけないなんてことも無い。焦らずゆっくり考えるんだ」

 

「……うん」

 

 紫の瞳が微笑った。つられてトウマも笑うと、アスナはその仲に何らか感心を抱いているようであった。一ヶ月は長そうであるが、実は意外でもなく短い時間だ。その間に深い関係を築いたようであるが、どことなく感じる二人の距離感に、一層興味を強めたのだった。

 

 そこで、ふと、

 

「あり? お前紺野か?」

 

 隣のテーブルの者から声をかけられた。アスナの苗字は結城である故に、トウマかユウキに呼びかけられたのだと思った。

 トウマはその見知らぬ人を訝しんで見ていた。ならばユウキであろうか―――そう思い見遣ると、彼女の表情は固まっていた。

 その者は目を細めて嗤った。

 

「久しぶりだな、紺野。お前まだ死んでなかったんだな」

 

「…………んだと?」

 

 久方ぶりの再会に似つかわしくない発言に眉を歪めた。怒りを覚える前に、まず疑念を持った。

 トウマはユウキの方へ振り向いた。彼女は眼を見開いて、脅えたように揺らいでいた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一○話 『慰め』

「まだ死んでなかったんだな、ね……」

 

 そう呟きながら、眼球を泳がせる。あの男が放った言葉は、アスナには理解し難いことであったが、どうもユウキの心には深々と突き刺さったようだった。何処かへと走り去ってしまったのだ。泣きそうな表情をしていたものだから慌てて追いかけたものの、二人は彼女を見失ってしまった。

 

「まいったわね……」

 

 そう言って目を伏せる。

 始まりの街だけでも相当な規模だ。一万人近いプレイヤーが集う第一層の中から、ユウキただ一人を見つけ出すのは至難の業であるのは鈍麻そうなトウマにも分ることだ。

 

 空が橙色を帯びてくると、トウマはすっと見上げた。上京して故郷を懐かしむような面貌であった。アスナも別段どうと思った訳でもないが、無気力に顎を上げる。

 瞳孔に映る夕焼け雲は、たとえどれだけ美しくとも、決して本物ではないのだと思う度、茅場晶彦が如何に獰悪であるかを改めて思い知るのだ。

 こうして見ていると、親の期待に応えられず、咽ぶ際に見上げていた夕焼け空を思い起こす。還りたいという願望が一層強まり、また途端に虚しくなる。

 

「…………彼処か」

 

「へ?」

 

 トウマが呟いた。振り向けば、山へと鼻先を向けていた。山と一口に言っても、毛が生えた丘のようなもので、その標高は一見低そうに見えた。

 何を考えているのか―――アスナには理解が及ばなかったが、トウマが何も呼びかけずに走り出したので、アスナは疑念をいだきながらも後を追いかけた。

 

 

 

 

 木の葉の隙間から通る風に背筋を撫でられるのが心地良いものだから、昔は何度も裏山に通っていた。大樹の根本で蹲るユウキは、淡い懐かしさに浸かっていた。

 逃げて来てしまった。怖ろしかったのだ。あのままAIDSに侵された過去を知られたくはなかった―――折角一ヶ月関係を築いたツンツン頭の少年が離れる光景が何よりも怖ろしかった。

 あの後二人はどんな顔をしただろうかと朧げに考えながら、赤らんだ頬を起した。涙が流れた筋がほんのりと残っていて、その筋は濡れたようであるが、既に乾いていた。くうと腹が可愛らしく鳴った。喉も些か渇いてきた。

 トウマと微笑み合っていた時間が、何十年も昔に思えてきて、一層涙が溢れて、また項垂れるのであった。

 

 

 ……何処からか足音が聞こえる。

 迎えにきてほしいなどという身勝手な願望が生んだ単なる幻聴なのかもしれなかった。だから顔は上げなかった。

 

 足音が止まり、幹と衣服が擦れる音が聞こえた。

 

「どうしたんだよ、急に走り出しやがって」

 

 彼だった。嬉しさはあったけれど、どことなくやるせなくて、眼が熱くなるばかりであった。

 トウマの声は至って穏やかで、一切の侮蔑語は無かった。むしろ、心配そうに問いかけたのだが、格子を填められたように心は温もりを感じなくて、反って辛いのであった。

 

「何か言ってくれよ。俺だって、アスナだって……」

 

 区切って、土を踏み鳴らした。やがて、ユウキの傍らに屈みこんだ。右肩が仄かな感触を覚えた。

 

「お前のこと、これっぽっちも嫌っちゃあいない」

 

 思わず伏せていた視線を上げてみると、トウマの視線と絡まった。そのまま結ばれたかのように、彼の眼に釘付けになってしまった。

 

「病気? だからなんだよ」

 

「……どうして?」

 

 ユウキは尋ねた。

 心底不思議そうに、トウマは言った。

 

「毛嫌いなんかしねえよ。むしろ励ましてやらなきゃ、仲間として最低だろ?」

 

 ―――仲間。

 

「……なかま」

 

 小学校時代が蘇る。

 彼女の手を引っ張り合って、仲間に引き入れようと争っていたことがあった。確かドッヂボールを行う際のチーム決めであったか。病弱な身体なので、先生の一言で双方諦めたものの、仲間に入れようとしてくれたことが、どれだけ嬉しかっただろう。だが小学生の仲間意識など脆いもので、砕かれた瞬間の痛みもまた思い出した。

 トウマの瞳には同情が芽生えていた。奇異なことに、彼が疫病神呼ばわりされていた幼少期の瞳に似ていた。

 

「……一緒に居て、良いの?」

 

「今更何言ってんだユウキさん? じゃなかったら、今頃俺はソロだと思う」

 

 茶化しているようには見えなかった。瞳がどこまでも真直ぐであったからだ。じっと見つめていると、自然と涙も収まり、伴って弱りきった心を委ねそうになる。それはトウマという少年が魅せる一種の魅力なのかは分からないが、ユウキにはそうであるとしか思えなんだ。

 

「………………ありがとう」

 

 脆い音色だった。胸に水溜りでもできたのであろうかと思うほどに、倒れ掛かってきた少女は軽かったものだから、胸中で受けとめた。肩に頬を乗せて、如何ほどなものかは定かではないが、安らぎを感じているようであった。

 

 

 アスナは樹木の影から、少し妬ましげに注視していた。どこか相通ずる二人が、自身の理想像のようで。

 "思えば、誰かにああして甘えたことなどあっただろうか……" 父は仕事で殆ど言葉を交えず、兄は多忙を極め、母はまた厳格な人間である。言わずもがな、プレッシャーが降り注がれる毎日だったのだ。

 

 他人の胸に寄りかかるユウキが羨ましくて、そんな彼女を優しく受け入れる少年が、何よりも胸を打つのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユウキはそのまま眠りこけた。トウマは彼女を背負い、根城にしている宿まで向かった。温かな夕闇は消え、暗然たる空に濃い藍色が滲みていた。星屑が見えるのではないかと空を仰ぐが、細かな雲がぼんやりと覆い隠していたので、微かな希望も塵となり、落胆した。

 

 傍らを歩いていたアスナが止まり、訊いた。

 

「……貴方の服装、随分と現実を強調してるのね」

 

 トウマはこれといった柄物は着ておらず、艶のあるシンプルな黒いズボンと、縫目の目立たない白いTシャツで、その容姿はまるで、学生であった。

 

「この格好が一番落ち着くんだ。服に関しては特に拘りはないけど、な」

 

 ふうん、とだけ呟くと、目を細めて再度問うた。

 

「……そういえば、何で分ったの? あの時、その子の場所」

 

 まさか気配を感じたと吐かすのではあるまいな―――そう訝しむ目線に応えようと、トウマはこめかみに指先を触れさせ、記憶を捻った。

 

「…………ああ」

 

 少し間をおいて、思い起こしたらしい彼は、神妙な顔つきになって、アスナを見つめた。

 

「なんていうんだっけな……、既視感(デジャヴ)だ」

 

「デジャヴ?」

 

「前にもこんなことがあったんだろ……多分な」

 

 些か簡単には呑み込めない理論だが、まあ良しと肩を落し、既に暮れた空を刹那見遣った。

 

「そろそろ私は帰るわよ。ここから宿遠いし……それと、ちゃんと彼女に聞いときなさいよ?」

 

「おう、気をつけてな!」

 

 トウマが手を振ると、アスナは踵を返して憮然と去った。やがて姿が見えなくなると、門戸を開けた。

 

「……さてと、こいつは何時まで寝てるんだか」

 

 やれやれといったふうに呟くが、

 

「……ボク、起きてるんだけど」

 

 うなじから不機嫌そうな声が耳を震わせた。ぎょっと驚いて振り返ると、瞼に朧気を乗せた少女が、瞳を開かせていた。

 

「ユウキ……起きてんならそう言えよ」

 

「だって、あったかいんだもん……トウマの背中」

 

「え……? VRMMMOは体温も再現してんのか……」

 

 そうじゃない。そう突込みかけたが、トウマは滅法鈍いことを思い出して、溜息を吐いた。そして、

 

「……ボク、行こうと思う。ボス攻略戦に」

 

「……ほんとか?」

 

 うんと囁くと、彼の首に回している手を肘にまで持っていき、一層身体をトウマの背に預けた。

 

 一段と、その背中は優しさを放った。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一一話 『攻略会議』

 会議場に辿り着いてみれば、人は中々集まっていた。

 

 一通り見回して、紫髪の少女が佇んでいるのを見つけると、感心するように微笑を浮かべて下った。

 ユウキが何やら眠たげに欠伸をあげると、トウマは背後から勢い良く肩を掴んだ。

 

「わっ!?」

 

「よう、ユウキ」

 

 彼が傍らに腰を降ろすと、ユウキは頬を赤らめた。しばし頬を膨らませて睨んだものの、互いに笑い合った。

 トウマは問うた。

 

「ユウキ、アスナは何処だ? あいつも此処に来てると思うんだが……」

 

 すると、彼女は少しムッとしたものの、ユウキは微笑を浮べて指を差した。その細い指をじっと辿ると、また深くフードを被った、栗色の髪を覗かせる少女が、一人寂しげに坐っていた。

 また独りか、と呟くと、アスナはトウマに気付いたらしく、そっと手を振った。彼も振った。

 

「はーい! それでは、始めさせてもらいまーす!!」

 

 青髪の剣士の呼びかけにより、攻略会議場が一斉に話し声を消した。

 ユウキとトウマは心して聞いた。

 

「俺はディアベル、職業は……気持ち的に、ナイトやってます!」

 

 どんと胸を小突くと、そこらから笑いがこみ上げた。

 学校で委員長でもやっていそうだな、などと思いながら、トウマは陽気に進めるディアベルを見つめた。

 

 すると、ディアベルの目付きが変わった。

 

「今日、俺達のパーティが、あの塔の最上階で、ボスの部屋を発見した」

 

 一同が唸り、当惑した。

 

「俺達は第二層に到達して、このデスゲームを、いつかきっとクリアできるってことを、始まりの街の皆に伝えなくちゃならない。そうだろう? 皆!!」

 

 観衆は少しばかりか決意が揺らいだものの、気を取り直して、ゆっくり頷いた。トウマとユウキも互いに顔を見合わせ、首を縦に振った。

 やがて観衆からは拍手喝采が起き、彼を賞賛した。

 

「じゃあまずは、六人のパーティを組んでみてくれ」

 

 

 

 それを聞いたキリトが、ぎょっとした。

 慌てて周囲を見回すと、既にパーティ申請をして、気付けばただ独りで坐っていた。

 "これは、マズイ!!" そうおもいながら、誰か居ないかと探し回った。誰も彼もが六人揃えて談話している光景があちらこちらにあり、確かな焦りを感じていた。

 

 ふと、目に止まったグループがあった。

 見覚えのあるフードを被ったプレイヤーが申請を受理し、三人組となったパーティだ。よくよく見れば、人数にはまだ余りがあるではないか。

 しめた、と思いながら近寄った。

 

「な、なあ」

 

 呼びかけると、ほぼ同時に三人の男女が振り向いた。

 複数人に注目されると、どうも息が詰まってしまったような不快感が喉を襲って、思い浮べる言葉が出てこなくなる。同じ言葉を延々と繰り返してしまう。

 キリトはコミニュケーションが苦手なのだ。

 

「あの、その……」

 

 コミュ障は簡単に治るものではなく、今回もまた口をあわあわと動かすだけになってしまっている。

 そんな不思議そうに見るな……そう思っていると、

 

「俺達のパーティに入りたいのか?」

 

 幸いなことに、ツンツン頭のプレイヤーが話しかけてくれた。

 

「あ、ああ、そうだ。い、入れてくれないか?」

 

「良いぜ」

 

 キリトに比べ、軽々しい様子でパーティ申請を申し込む少年を、少し羨ましいと思ってしまった。

 『YES』を選ぶと、無事パーティに加われたという安堵感に潰されそうになった。胸が焦げてしまうようだった。

 ほっと息をつくと、隣のプレイヤー……アスナに囁いた。

 

「君も来てたんだな」

 

「ええ」

 

 "何やら冷たいな……" 機嫌を損ねてしまったかと妙な不安を抱いてしまうのだが、とりあえず自分に落ち着けと祈る。

 掌に伝わる心臓の鼓動が穏やかになったところで、ディアベルが話を再開しようとした。

 

 その時だった。男の叫びが響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょー待ってんかー!?」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一ニ話 『ヒーローの憎悪』

思いの外、遅くなりました。


 攻略会議の後、キリトは噴水前で一人ホットドッグを齧りながら燻らせていた。がやがやと談笑して騒ぎ立てる他のプレイヤー達が、自分とはなぜだか相対的な存在に思えて、忌まわしく思った。

 

 

 ―――こんクソゲームが始まったその日に、ビギナーを見捨てて消えよった!!

 

 

 キバオウという男の発言が、未だ脳裏に残響する。瞼を閉じると、一ヶ月前に出会い、別れて以来会わずじまいの、野武士面の男の顔が浮んで、"ベータテスターがビギナーを見捨てた"という事実が苛むのだ。

 

 エギルという男は「ベータテスターは決してビギナーへの配慮を怠ってはいない」と指摘したが、キリトはどうであろうか。

 

 ビギナーであるクラインを、結果的に見捨てたのは、揺るがない事実だ。

 

 “これは罰だ……俺は、最低だ……!”

 

 そう自らを虐げて、眉を顰めていると、

 

 

「あれ、キリトじゃねえか。一人か?」

 

 振り向くと、パーティメンバーの男……プレイヤー名はトウマといっただろうか? フランクフルトを片手にキリトを見つめていた。

 

「……まあ、な」

 

 ぎこちなく答え、そっぽを向いた。

 

「君の方こそ、一人なのか? あの二人は?」

 

「アスナとユウキはまだ屋店をうろついてると思う。あいつら、すぐに意気投合したな……」

 

 何処かを向きながら呟くトウマに、キリトはそっと首を向き返す。

 この少年は、見たところ張り詰めている様子はない。

 デスゲームに囚われて一ヶ月も経ったのだから、ある程度は惨憺が薄れたのだろう。

 

 それにしても前向きな男である。

 常に後ろを振り返って俯くばかりの自分とは大違いだ……キリトがそう思うと、

 

「一つ、お前に聞きたいことがあるんだ」

 

「……何を」

 

 

「怖いか?」

 

「…………」

 

 キリトは黙り込んだ。

 トウマはそれ以上追求はしなかったが、キリトとて、怖いとは感じているはずだ。

 

 これはゲームであって、遊びではない。

 

 その事実を忘れずに、改めて命を投げ打つ覚悟を決めた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ―――並のモンスターとは比較にならない威圧感だ。

 

 トウマは第一層ボスの咆哮に思わず仰け反った。

 ユウキが息を呑んで、アスナはレイピアをぎゅっと握った。

 

「来るぞ、気をつけろ―――!!」

 

 先導するディアベルが叫び、瞬間、待ち構えていた四体の巨大なモンスターが駆け出した。

 それに応戦するべく、集った戦士達はその刀身をエフェクトで染め上げた。

 

 

「あああああああぁぁぁーーー!!!」

 

「ずらっ!!!」

 

「ぜいっ、!! おるぁっ!!!」

 

 

 イルファング・ザ・コボルドロードより小さな兵隊はそれほど脅威ではなく、パーティ数人で充分に対応できた。

 むしろ圧しているのはこちらの方で、問題はなかった。

 

 

 だが、注意すべきなのはやはり本命のボスだ。

 

 

「うおっ、ぐぅっ……!!!」

 

「ご、がああああ!!!」

 

 度重なる悲鳴、吹き飛ばされるプレイヤー。

 

 明らかな異彩を放つコボルド。

 思わずトウマは笑った。

 

「……俺達も行くぞ、ユウキ」

 

「……うん」

 

 返事は小さかったが、その顔に浮き出ていたのは、紛れもない闘志だった。

 

「それじゃ―――

 あの幻想を、ぶち殺してやるとするか」

 

 トウマは愛剣を握りしめた。

 かつて人助けの度に、右手を拳にしたように―――。

 

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

「おおおおおぉぉぉーーー!!!」

 

「やあああぁぁぁぁーーー!!!」

 

 思いの外、順調にHPバーを削り取ることができている。

 その戦況はみるみるプレイヤー達に希望を促し、段々と笑みが溢れるようになった。

 

 

「いけるんじゃないか!? 俺たち、勝てるんじゃねえか!?」

 

「ああ、勝てる! きっとだ!!」

 

 調子に乗らせない程度に励ますディアベル。

 いつ何時も、先導者(リーダー)としての役割を全うするディアベルに、少年は更に微笑んだ。

 

 だが、勢い余った。

 

「よっしゃあ…………うがぁっっ!!!」

 

 コボルドへの警戒を怠ったのだ。

 斬撃で上半身と下半身が分断されることはなかったが、血のように赤い傷が刻まれて、地べたを数メートル転がった。

 

 そんな少年の耳に、一人男の声が響いた。

 

「大丈夫か!?」

 

「ああ、大して体力は減って―――ん?」

 

 見やった顔には見覚えがあった。

 男は少し首を傾げた。駆け寄った少年も、また同様の様子だった。

 

 真っ黒なツンツン頭……学生服のような格好……以前何処かで…………。

 

 

 

「……そうだ、お前、確か紺野と一緒にいたやつか」

 

「……そういうお前は、あのときの」

 

 対する少年、トウマも彼が誰であるかを把握したようで、神妙な表情を浮かべた。

 トウマは忘れた訳ではない。彼の発言で、ユウキという少女がどれだけ傷ついたか、決して忘れてはいない。

 トウマは目の前の少年に、確かな憎悪を感じていた。

 

 少年は憐れむようにトウマを見つめた。

 

「お前も外見に騙されたんだろ?

 おれもそうだった。可愛い皮を被った()()()だよ、あいつは。精々気をつけろよ」

 

 少年はそう言い残して、再び挑みかかっていった。

 

 

 その姿を見つめるトウマの目は、傍から見れば、血走っているように見えるかもしれない。

 向けるだけで何者でも射殺せるのではないかと思えるまでの眼力、視線は魔剣のように鋭い。

 

 憎悪が湧いた。

 それほどまでの、憎悪が湧き上がった。

 

 

 

 

 

 ―――何が何でも、あいつはユウキの目の前で土下座させてやる……!!!

 

 

 

 

 

 これも偽善なのかもしれなかった。

 或いは、知らず知らずの内に募った、想いなのか。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一三話 『ディアベル』

 ―――実のところ、罪悪感を感じている。

 ディアベルは順調にボスの体力ゲージを削りながら、段々と増えていくプレイヤー達の微笑みに顔を険しくしている。

 ボスのトドメをさした者に与えられる、ラストアタックボーナス。ベータテスターならばその仕様は識っている。つまるところ、()()()()()()()()()()()()()()。そうであることを、彼が率いるおよそ五十人のプレイヤーの誰にも話してはいない。

 

 ディアベルは少しばかり恐れていた。

 皆の中にベータテスターがいる可能性だって否めない。だとすれば、ボーナスの事を必ず識っている。自分のように、狙っているのかもしれない。先取りされるかもしれない。

 ディアベルはそれを恐れていた。

 

 

 

 コボルドロードが斧を投げ捨てた。

 

「情報通りみたいやな……!」

 

 サボテン頭の男が叫んだ。

 ボスの体力ゲージは残り僅か……残り一ゲージ、それもデッドゾーンに突入していた。あれくらいならば、ディアベルの最高のソードスキルでトドメを刺せる。

 ラストアタックボーナスが手に入る!!

 

 そう思うと、彼は表情に歓喜を滲ませながら飛び出していた。

 

「俺が出る!!」

 

 

 

 その声を聞いて、ボスの側近を斬り伏せたキリトは当惑した。“一人で? ここはパーティ全員で包囲するのがセオリーな筈……” キリトはディアベルの顔を凝視して、思わず声を上げそうになった。

 

 笑っている。この時を待っていたかのように。

 ネットゲーマーであるキリトは、直感した。

 ―――LAが狙いか……、待て!!

 

 ディアベルの剣がソードスキル特有のエフェクトに包み込まれた瞬間、ボスは腰の鞘から新たな武器を抜いた。

 暴力的なまでに黒い光を放ち、斬るというよりは殴るような形状。どう見ても、タノワールなどではない!

 

 

 ―――あれは、野太刀! ベータテストと違う!!

 

 

「ダメだ!! 全力で後ろへ飛べぇッッ!!!」

 

 キリトは力の限り叫んだが、かろうじてディアベルの耳には届かず……コボルトロードが、アクロバティックな動きで上へ跳んだ。

 

「―――!!」

 

 野太刀とタノワールでは、必要な動作がまるで違う。

 予期せぬ動きに、ディアベルが思わず足を止めた、瞬間のこと。

 

 

「■■■■■■ーーーーーーッッ!!!」

 

 

 巨大な刃を以て、ディアベルの胴体を叩き斬っていた。

 

 

 更にこれがトドメだと言わんばかりに、衝撃で吹き飛ばされたディアベルの胴体に、もう一筋の追い打ちをかけた。

 

「うああああぁぁぁッッッ!!!」

 

 

 

「、ディアベルさん!!」

 

 宙を舞うディアベルを見て、ユウキが早急に駆けつけようとした直後、コボルトロードがその巨体を着地させた。ユウキは顔を顰めた。

 今ディアベルの元へ行こうと背中を向ければ、間違いなく斬り殺される!

 

「……ぎっ……!」

 

 人一倍ディアベルを尊敬していたキバオウは、目の前に立ちはだかる巨大な鬼を、歯を食いしばって睨みつけた。

 

 

 

 

「ディアベル!!」

 

 キリトは剣を放って、ディアベルを抱き上げた。

 そして目で訴えた。何故こんな莫迦な真似をしたのかと。

 

「……君もベータテスターなら分かるだろ……。欲が、出てしまったんだ……」

 

 ラストアタックボーナスによるレアアイテム。

 HPが零になれば文字通り死に絶えるこの仮想世界に縛られた状況下、喉から手が出る程欲しいモノだ。

 ディアベルとて人間だ。ウソはつく。隠し事はある。欲だって出る。

 一致団結、切磋琢磨し合って生き抜かねばならないにもかかわらず、皆を裏切るような行為を働いた彼は、勇猛果敢に戦う戦士達を見つめた。

 キリトはすかさず回復薬を飲ませようとした。だが、ディアベルの手がそれを拒んだ。

 

「……頼む。ボスを、倒してくれ」

 

 キリトは悟った。

 ……皆を裏切り、危険に追いやった罪を償う為に、死ぬ気なのだと。

 

 ディアベルはゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 直後、蓋が開けられた小瓶が彼らの頭上を舞い、ディアベルの顔面に回復薬が降り掛かった。

 

「―――がっ!?」

 

 思わず目を見開いて、ディアベルは己のHPバーを確認した。

 体力は多少回復して、レッドゾーンからは脱していた。

 ……誰がやった? ディアベルは辺りを見回して、やがて、こちらを眉間に皺を寄せて見つめるツンツン頭の少年を見つけた。

 

 その少年―――トウマは迫真に迫る表情で叫んだ。

 

「何してやがんだ、ディアベル!!!」

 

 あまりの勢いに、ディアベルとキリトは息を呑んだ。

 

「ふざけんなよテメエ!! 死んで詫びるつもりだったのか、そんなのは()()だ―――ぐっ!?」

 

 不意の一斬に何とか対応する。トウマは圧倒的な腕力で叩き潰されそうになりながらも、尚ディアベルに呼び掛け続ける。

 

 

「償いてぇんなら、生き延びて、今まで以上に、皆を、引っ張りやがれ―――!!!」

 

 

 剣の刃で滑らせ、ボスの野太刀を床にめり込ませた。刀に乗り、トウマはコボルトロードの腕の上を駆けた。腕に切り込みを入れて、切っ先をボスの右眼に突き刺して、舞った。

 

「■■■■ッッ……!?」

 

 赤いエフェクトに染まった右の眼球を右手で抑えながら、もう片方の眼でトウマを睨んだ。コボルトロードは鬼よりも恐ろしい般若面を浮かべた。

 左腕を伸ばし、トウマの脚を掴んで―――

 

 

「なっ……!?」

 

「■■■ッッッ!!!」

 

 

 ―――そのまま、床へ叩きつけた。

 

 

「トウマ!!」

 

 ユウキが叫び、彼の傍らへ寄り添った。体力を大きく消耗し、衝撃から抜け出せずにいるトウマの背を起こした。

 

「大丈夫? トウマ」

 

「……何、とか」

 

 脊髄を揺すぶられたようで、上手く立ち上がれない。仮想世界であるから痛みは無いものの、目眩みが起きた。

 

 ひとまずほっとするユウキを、大きな影が覆った。振り向くと……コボルトロードが野太刀を振り翳していた。

 トウマは剣で防ごうとして、右手に己の剣の重さが無いことに気付いた。

 

「くっ!!」

 

 ユウキは即座に防御の姿勢に入ろうとしたが……。

 

 “……ま、間に合わない!!”

 

 

 

 

「―――カアアッッ!!!」

 

「■ッ!!?」

 

 真っ直ぐ振り下ろされた刀は、瞳に闘志を漲らせたディアベルが受け流した。

 加わって、ソードスキルの硬直で動けない隙を狙って、キリトとアスナが斬撃を繰り出した。

 

「……すまない。卑怯者だったな、俺」

 

 新たな決意が宿っているのが目に見えた。

 

 トウマは微笑むと、近くに落ちていた剣を手に取り、立ち上がる。

 ユウキは言った。

 

 

「残り僅かだね。……いける? トウマ」

 

「ああ、ラストスパートだ。キメるぞ、いつものように」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一四話 『独り』

最近更新速度が最悪だな……


 

 

 残り一押しのところまで来ていた。トドメを刻み込めば、眼前で咆哮するコボルトロードの息の根を止めることができる。

 

 だが、その決定打を叩き込むタイミングが掴めない。

 体力が残り僅かということも相まって、攻撃は更に凶暴性を増し、前衛で防護を試みるトウマの表情を苦渋に歪めていた。

 

「……くっ……!!」

 

 五十人近いプレイヤー達は既に精神的な摩耗が現れ、以降の続行は見込めず、限られた者しか動けずにいた。

 アスナは闘志さえ失せてはないが、心臓がはち切れんばかりのプレッシャーと畏怖で、呼吸が荒くなっている。

 

 そんな中、長々と息を吐き、焦燥感を宥めたキリトはある提案をした。

 

「これじゃ埒があかない。俺が何が何でも猛攻をどうにかするから、トウマ、お前はユウキと一緒に突っ込んでくれ」

 

「……了解」

 

 即興の作戦だが、最早感覚が鈍ってきているトウマからすれば、勝機を見出す唯一の方法だった。トウマは自分と同じくレッドゾーンに突入しかけているユウキを従えた。

 

「……ってことだ。イケるな? ユウキ」

 

「勿論。今までずっと、トウマとコンビ組んで来たんだからね!」

 

 その意気だ、と笑いかけ、トウマは切っ先をコボルトロードの心臓部へと定める。目付きを鋭く尖らせ、ユウキもまた、覚悟を一本の槍に束ねた。

 

 

「おおおおおおぉぉぉぉーーーッッッ!!!」

 

 高速で振り下ろされる野太刀に向かうキリトは、自らの剣をソードスキルで染め上げる。雷光を迸らせながら、荒々しいまでの光線を宙に描きながら、キリトは真っ向からコボルトロードにぶつかった。

 

 ガラスが削れるような甲高い音に耳を苛まれながらも、キリトの黒い剣はじりじりと太刀の付け根へと滑り込む。手首を捻じり、細かな火花を散らしながら、キリトは全身全霊の力を込めながら、咆哮を木霊させた。

 

「アアアアアァァ―――!!!」

 

 直後に重なる刃の反響音。弾かれたように飛んだ野太刀は、高速回転しながらコボルトロードの手元を離れた。

 

 ―――今だ!

 

 

「行くぞユウキ!!」

 

「うん!!」

 

 

 トウマとユウキは雄々しく踏み込んだ。

 ユウキの刃が紫色のエフェクトを帯び、鋭いまでの闘気を滲めた眼光と共に、コボルトロードの腹を深々と斬り裂いた。

 更に十字を刻むが如く、トウマは縦真一文字に斬らんと、下半身から頭までを一筋に―――。

 

 

 

 その瞬間だった。

 

 爛々と光っていた赤眼は色を失い、その巨体は忽ち幻想のように、何処か美しく、花びらのように散った。

 

 

 

 膝をついて終幕を見届けたキリトが目にしたのは、トウマとユウキを讃えるように表示された、【CLEAR】と綴られた、アルファベットの羅列だった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 勝利を喜び合う声が沸き上がると、やがてトドメを刺したトウマとユウキを褒め讃える称賛の言葉が皆の口々から次々と飛び出した。

 

「凄いわ、二人共」

 

「大したもんだぜ、Congratulations! 俺なんてあの時はへばってた」

 

 喝采しながら、アスナと色黒の斧使い―――エギルは微笑みながら彼らの元へ歩み寄った。

 思わぬ称賛にユウキは顔を赤くして身を縮め、トウマは少し照れたふうに笑いかけるが、そんなことはねえよ、とやや謙遜気味な言葉を放った。

 

「褒めるならキリトだ。あの時キリトがいなきゃ、本当にやばかったんだ。ありがとな、キリト」

 

 そう言うと、彼らの視線はキリトへと集まった。他人から褒められることに慣れていないキリトは、どうすれば良いのかと戸惑った末、白い犬歯を見せて笑った。

 

 

 ……その背後で、サボテン頭の男が恨めしそうにキリトを凝視し、敢えて彼らに聞こえる音量で言った。

 

「……ソイツは褒められてもええんか?」

 

 トウマらは眉を顰めてその男の方を見た。あぐらをかいてキリトを睨みつけるのは、攻略会議にて人一倍元ベータテスターを嫌悪するキバオウという男だった。

 何を言っているのか分からない、というふうなキリトの面貌を見ると、腹立たしげに本音を吐き出した。

 

「何でや、何でや!? ソイツはディアベルはんを見殺しにしようとしてたんやで!?」

 

 怒濤の叫びに、誰もが喜笑を引っ込めた。

 ディアベルはより当惑した様子で、己へ尊敬の念を向けていた男を眺めた。

 

 エギルが顔を顰めて言った。

 

「おいおい、そりゃどういうこった」

 

 憤慨したキバオウは、顔を真っ赤にしながら、指先をキリトへと向けた。

 

「どうも何もワイが言った通りや!

 ワイはしっかりと見とったでぇ? コイツが、ディアベルはんがポーションを拒んだからって理由で、救おうとせんかった! トウマはんのように、無理矢理にでも助けようとせんかったんや!」

 

 キリトは言い返せなかった。

 自分でも、何故ディアベルの最期を看取ろうと思ったのか、思い返しても分からなかったからだ。ポーションを拒絶したから? 無理にでも飲ませれば良かった。

 

 あの時の自分は、本当に、一体何を考えていたんだ?

 

「それに、コイツはボスの技を知っとったやないかい! きっと元ベータテスターに違いないわ! 他にもおるんやろ、この中に!!」

 

 ディアベルは顔を反らした。彼もまた、元ベータ上がりのプレイヤーなのだから。

 

 だだっ広い部屋に不穏な空気が流れ始めた。

 誰も彼もが、どいつが元ベータテスターだと、勘繰り始めていた。

 

「トウマ……」

 

「分かってる……だけど」

 

 どう、対処すれば良い?

 この不穏分子をどうにかせねば、次回の攻略などしようにもできない。終始火花が弾け合うことになる。

 アスナとエギルが場をおさめようと呼びかけているが、傾聴する者は殆どいない。

 

 

 まずい。これは非常にまずい。

 俺は構わない、だがアルゴ達に火の粉を被らせるわけにはいかない……キリトは何か案はないだろうかと模索した。

 ―――刹那。

 とある案が閃いた。……しかし、今後どのような扱いを受けるか分かったものではない。

 

 ……まあ、良いか。

 半ば諦めたように微笑うと、言い放った。

 

「……元ベータテスターだって? 俺をあんな素人連中と一緒にしないでもらいたいな」

 

「な、何やと!?」

 

 キバオウが声を荒げた。それを無視して、キリトは尚も冷ややかに言う。

 

「SAOのベータテストに当選した千人の内の殆どは、レベリングのやり方もしらない初心者だったよ。今のあんたらの方がまだマシさ

……でも、俺はあんな奴等とは違う」

 

 “おい、キリト。まさかお前……”

 トウマは彼の考えがうっすらと読めた。ユウキの咽喉から息を呑む音がして、二人は当惑した表情で顔を見合わせた。

 ユウキの紫色の瞳からして、彼女もキリトの策を悟ったのだろう。剣呑でたまらないくらいに揺らいでいた。

 

 悪を振る舞うことで、場をおさめ、元ベータテスター達への嫌悪の殆どを自らへ向けることで、他のテスターは同族嫌悪を浴びずに済む……そのことは、キリトを『ビーター』と蔑称し、侮蔑する者達以外は分かっていた。

 

「そうだ。俺は『ビーター』だ。これからはそこらのテスター如きと一緒にしないでくれよ」

 

 最後にキバオウに一睨みきかせると、キリトは非情の仮面を被ったまま、第二層への扉を有効化するべく、階段へと足を向けた。

 

 

 直後。固い拳が彼を殴り飛ばした。

 

 

「なっ……!!」

 

 転がった身体を起こして立ち上がると……目の前に、ツンツン頭の少年が、拳を固く強く握りしめていた。

 見るからにトウマは激昂していたが、轟々と燃え滾るというよりは、物静かな陽炎のような怒りだった。

 

 皆々の怒りを代表して殴ったのか。

 こうなることは覚悟していた、とでも言うふうに、キリトは殴られた頬をおさえた。

 

 トウマの口が開いた。

 

 

「……そうして自分だけで何もかも背負い込みやがって。そこまで俺達が信用ならねえのか」

 

 “……え?”

 

 キリトは茫然とした。

 トウマはキリトに背を向けた。彼を庇うように。

 五十人近く集うプレイヤー一同に、彼は高らかに宣言した。

 

「キリトを嫌悪するなら幾らでもしろ。

だが俺はキリトを味方する! だから俺のことも蔑め」

 

「……トウマ……おい、お前」

 

 戸惑うキリトを見つめて、トウマはにやりと笑った。

 

 群衆は困惑の渦に呑まれた。

 その中で、鮮やかな紫髪の少女、ユウキは意を決してトウマの前へと躍り出た。

 

「トウマを見下すのなら、ボクも軽蔑してよ! ボクはトウマを見捨てたりしないから!」

 

 その決意表明に、トウマまでもが眼を丸くした。

 

 最近の若者は肝が据わってるな、とややジジ臭い感想を懐いたエギルは、微笑を浮かべて彼等の前に出ると、アスナも口元を緩めてトウマ達の元へ向かった。

 

「な、何なんや……」

 

 次々と躍り出る助っ人に困惑していると、キバオウの肩に手が置かれた。

 振り返ると、ディアベルが神妙な顔をしていた。

 

「ディアベルはん……」

 

「もう良いだろう。キバオウさん。それに、元ベータテスターを恨むのなら、是非、この俺も嫌悪してくれ」

 

「ッ…………!」

 

 自らが尊敬する者にここまで言われると、キバオウは苦々しく皺を寄せた。

 後、ヤケクソ気味にサボテン頭を掻き毟った。

 

「あーもうやめややめや!! 第一層クリアしたんや、祝うのが筋やな。……悪かったわ」

 

 その発言を皮切りに、皆々が募らせていた嫌悪感は、霧の如くすうっと消えていった。

 

 

「……なあ、トウマ」

 

 キリトは恐る恐るといったふうに尋ねると、トウマはきょとんとした面貌で振り返った。

 

「どうして……助けたんだ?」

 

 トウマは目を据わらせた。さして考えたような挙動も見せず―――一瞬だけ物悲しそうに目を伏せると―――当然のように言い放った。

 

「そりゃあ、仲間だからな。トウマさんは仲間を見捨てる程、落ちぶれちゃいませんのことよ」などと陽気に答えるが、最後の一言は真剣極まった相貌で言った。

 

「……独りにはさせねえからな」

 

 

 ―――胸のうちをそよ風のようなものが通り過ぎた気がして、ユウキは胸を軽く抑えた。

 異物が除去されたかのように遺憾が無くなった胸元をさすると、ユウキの肩にトウマが手を置いた。

 

「行こうぜ、ユウキ」

 

「―――うん!」

 

 

 階段の果てで、アスナが手を振って呼んでいる。

 

 彼等はそれに笑って応えると、仮想世界の出口へと、一歩、足を進めた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一五話 『土御門元春』

そろそろ矛盾出てきそうで怖い。


 土御門元春が教室を後にしようとすると、悪友の青髪ピアスに呼び止められた。

 

「なあつっちー。実は新しいメイドカフェを発見したんやが、一緒に行こうや?」

 

 土御門はほんの少し間をおいて言った。「悪いにゃー青ピ、今日は欠かせない用事があるんだにゃー」

 

 金髪で、サングラスをかけ、いつも能天気に振る舞う土御門に、心境の変化が現れていることを、青髪ピアスはちゃんと見抜いている。

 青髪ピアスは小さく笑うと、メイドちゃんは一人占めさせてもらうでー!と言い残し、全速力で階段を駆け下りて行った。

 

 心境の変化の原因は、無論、不幸の代名詞ともいえる悪友、上条当麻である。

 上条がソード・アート・オンラインという仮想世界に囚われてからというもの、メイドや義妹にうつつを抜かすことは欠かさぬが、それでいて、見舞いを怠ったことはない。青髪ピアスは知っている。土御門にとって、上条当麻という少年は唯一無二の親友である。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ヘルメットのような形をした、誰もが忌まわしいと思っている機械を見るなり、土御門の表情は沈んだ。

 

 上条当麻は相変わらず目が覚めない。一ヶ月もの間、チューブで養分を送られ、病院のベッドに眠ったまま、ぴくりとも動かない。

 

「……………………」

 

 土御門元春はおもむろに、USBメモリに似た機器を取り出した。それをナーヴギアに近づけると……その機器のランプが点滅し、消失した。

 

「駄目だな」

 

 仮想世界の上条当麻の記録を読み取ろうとしたのだが、その試みは失敗した。

 茅場晶彦が創り上げた仮想世界のシステムは科学だけでなく魔術を織り混ぜている。即ち、科学と魔術のハイブリッド―――前代未聞の代物に、アレイスター・クロウリーでさえ手を焼いている。

 このようなことを過去何度か行なったが、全て失敗に終わった。茅場の妨害はアレイスターをも手こずらせるのかと思うと、末恐ろしい。

 

 滞空回線(アンダーライン)で結果は知っただろう。何も語れぬ屍同然の友人に話しかけたところで、虚無感に苛まれるだけである。

 

 土御門は椅子から腰を上げ、病室を後にした。病院の外に出ると、懐の携帯が震動した。

 彼は黙って通話ボタンを押すと、不気味なまでに落ち着いた音声が聞こえた。

 

『やあ、土御門。どうだった、あの試作品は』

 

「訊くまでもないだろう。どうせ滞空回線でみていた癖に」

 

 ハハハ、と短い笑い声がした。より一層不愉快になり、土御門は思わず舌を鳴らしそうになった。

 

「何の用だ。糞野郎(アレイスター)

 

 侮蔑を込めて言い放った。

 

 

『ふむ。では言おう。

 ……これは私が先程下した結論なんだがね、取り敢えずは……"お手上げ"、といったところだ』

 

「……何だと?」

 

 

 土御門元春は愕然とした。優秀を隠して莫迦なふりをしていたから、本当に莫迦になったのか? 一瞬そんな考えが頭を過った。

 まさか、奴は、アレイスターだぞ? 世界最高の科学者だぞ? 茅場晶彦という男の前に、負けを認めたというのか?

 

『あのシステムは世界の理と同義だ。

 茅場晶彦……確かにあの男は天才だ。"ソード・アート・オンライン"という仮想世界は、最早異世界と称しても過言ではない。まあ、あれは世界と呼ぶにはまだ不完全な部分もあるがね』

 

「……何が言いたい」土御門は焦燥した。

 

『そう急かすな……まあ良い。

 君は重村徹大という男を識っているか?』

 

「東京工業大学電気電子工学科の教授だな。それが何だ」

 

『実はあの男、SAOの初期構想段階で捨てたデータを入手したらしい。これは朗報だ』

 

「そんなデータがどうしたというんだ。まさか、そこからSAOの仕組みが解明できると?」

 

『その可能性もある。全て暴けはしないだろうがね。

 私はこの重村徹大という男を利用してみることにした。土御門。早速、働いてくれ。また後で連絡する』

 

 このクソ野郎。そう吐き捨てると、土御門は乱雑に通話を切った。

 

 アレイスターが何を考えているかは分からないが、奴の手足とならねばならないのは非常に虫唾が奔る。科学サイドへスパイとして潜り込む事自体反対だった。代償として魔術が使えなくなるということは、舞夏を守れないではないか。

 

 ……しかし、幾ら述べ立てても無駄な徒労だ。

 

 土御門は大人しく寮に帰ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 ……そして西暦はまた増え、二○ニ四年、二月ニ三日になった。

 

 

 黒い剣士の少年はビーストテイマーと出会い、

 

 ツンツン頭の少年は、かつてなく絶望していた。

 




ここからはどちらの原作にもないオリジナル展開が多いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一六話 『ユウキの消失』

毎度亀みたいな更新頻度だというのに、いつもより遅くなりました。
すみません……。


「最近、『タイタンズハント』が、またギルドを滅ぼしたみたいだね」

 

「……本当か、それ」

 

 

 傍らでサンドウィッチを頬張るユウキの話に、眠気に微睡んでいたトウマの目が見開かれると、波が引いたかのように、瞼にこびりついていた睡魔が飛んだ。

 ユウキの頬は至って赤い。しかし、涙の一粒も浮かべぬ際に染めるのは、憤りを感じている時だと、トウマは知っている。仮想世界に囚われてから、ずっと共に時間を過ごしてきた仲である。寧ろ知っているのは当然のことだ。

 

 神妙な表情に上塗りされたトウマの顔を覗うと、ユウキは話の穂を紡いだ。

 

「生き残ったリーダーさんが、広場で仇討ちしてくれる人を探してたんだって。武器も無くして、必死に」

 

「……それで、見つかったのか?」性分が疼き、半ば食い入るように、トウマは尋ねた。

 

「見つかったらしいよ。一人」

 

 にっ、とユウキの奇麗な唇が弧を描いた。

 

「キリトが、やってくれるみたい」

 

 思わぬ名であった。

 度々再会してはまたふらりと何処かへ消える、仲間の名だ。

 

「……キリト。キリトが……」

 

 懇願を引き受けた彼の情景を想像しようというふうに、トウマは少年の名を復唱する。

 

 直後に思い浮かんだのは、黒塗りの衣に身を包んだ剣士の姿。一度孤独を貫こうとした、自分と大して歳の違わぬ姿態の、冴えない少年。

 

 ユウキは語る。どこか嬉しそうに。

 

「快く引き受けたその姿は、まるでヒーローめいていたって話だよ。何処かのウニ頭の男の子の影響かな?」

 

 それまで親孝行された親の顔をしていたトウマの眉が、疑念を含んで捻れた。トウマには、『ウニ頭』なんて詞が、やたら強調されたように聞こえたものだから、思わず彼女に問いかけた。

 

「……なあユウキ。ウニ頭って、俺のことか?」

 

 うん、とユウキはあっさり頷く。

 

 再度トウマは少女の笑顔を見やった。すると、純粋で可憐だが、悪戯心が芽生えているではないか。

 

「いやいやいや、かっこいいだろこの髪型! この独特なセンスの良さが分かりませぬかユウキさん!?」

 

 憤慨したトウマは自らの頭を指さしながら抗議するが、後に返ってきたのは「ちっとも」という些か莫迦にするような言葉だった。情けなく押し負けたトウマは、諦めて腰を下ろした。そんなに変ではないだろう……。

 

 ユウキはくすくす笑っていた。

 苦く笑って応えると、トウマは表情に影を落として言った。

 

「……俺は別に、ヒーローじゃあない。

 それに、ヒーローじゃなくたって、必死に探してたっていうんなら、誰だって受け持つだろ」

 

「そうでもないよ」

 

 返ってきたのは、意表をつく答えだった。トウマは思わずユウキを見やった。

 ユウキの表情は、幾分か悲嘆しているふうであった。

 

「キリトに出会う前にも、そのリーダーさんは何人ものプレイヤーに懇願してたみたいだよ。涙を流して、何度も"頼む、俺は情けなくて弱いから、仲間の敵を討ってくれ"ってさ。何度もそれを口にしながら、土下座して。

 

 ……でも、断られた。キリトがその依頼を受理したのは、それを見かねたからってのもあるみたい」

 

「―――」

 

 乾いた現実だな……トウマは悲観的な眼で、虚空を見つめることにした。別に、他のプレイヤーのことを軽蔑したのではない。寧ろそれは当然であるとさえ考えている。

 自己保身といえば聞こえは悪いが、何処の馬の骨とも知れぬ他人の為に、一つしかない命を賭けるなんてのは、莫迦呼ばわりされても不思議ではない。言ってしまえば正気の沙汰ではない。

 実際人助けを生き甲斐とするトウマもそうだった。ただ傍観するだけでも、咎められることは無いというのに、彼は、自ら盾になろうと身投げ紛いの行為をしてきたのだ。

 

 

「……トウマはさ、誰かの為に、全てを投げ捨てる覚悟を持てる?」

 

「―――え?」

 

 詰問。

 ぽつりと滴るように糺され、トウマはすかさず答えようとしたが、息が詰まったかのように、喉から声が出てこない。脳味噌に血が集中していく錯覚を覚え、無意識に目が泳ぐ。これを葛藤というのだが、トウマはただただ困惑の二文字に苛まれていた。

 

 “全て、とは一体如何ほどなものだ”

 トウマの考えを汲み取ったかのように、ユウキは付け加えを口にした。

 

「命だけじゃない。家族含めた仲間から縁を切って……たとえ世間から、その、悪者扱いされると分かっていても……トウマは、その人を救ける覚悟が持てる?」

 

「………………」

 

 この質問には、安易な心構えで答えてはならない。

 そんな気がしてならず、トウマは学生服じみたズボンの布地を歪めた。

 

 

 痛感した。

 これに明白は答えを出せぬ自分は偽善者で、どうしようもない愚か者であるのだと。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 トウマは先に宿に帰った。ユウキは買い物をする為、夜空の下で繁盛する商店街を彷徨っていた。

 

 先程アイテムストレージを覗いてみると、ポーションが足りないことに気付いた。回復アイテムが足りないというのは、一度でもHPバーがゼロに達すれば文字通り『死』を意味するこの世界において、危険極まりない。早急に補充しておく必要がある。パートナーが補ってくれるとは限らない―――尤も、トウマがしない訳が無いのだが。

 

 仮想世界限定のフルーツに目を奪われながらも、ユウキは帰路につくことにした。

 商店街から宿までは人気が少なく、夜ならば薄暗い道であるが、真っ直ぐ進めば問題は無い。

 

 ―――だが、ユウキは足を止めた。

 

「…………あれって……」

 

 裏路地に入っていく人影に、ユウキは目を見張った。

 真っ黒なツンツン頭、学生服じみた衣、腰の日本刀。見間違える筈がない。間違いなく……トウマである。

 

「なんで? 宿に帰ってる筈じゃあ……」

 

 ユウキは心配になった。爪先を裏路地へと向けると、ユウキは迷わず入っていった。

 

「……トウマー?」

 

 暫く行ったが、トウマの姿は全く見当たらなかった。

 “どういうこと?” 当惑せざるを得なかった。見間違いではない。あれは確かにトウマという少年だった。

 

「おっかしいなー……ボク、幻覚でも見たのかな?」

 

 そう呟いた時だった。

 

 

「幻覚って、こんな感じのかぁ?」

 

 

 男の声。しかし、死神めいた雰囲気を孕んでいた。

 ユウキは総毛立ち、間髪入れず抜刀しようと腰の剣に手を伸ばした。

 

 でも、遅かった。

 

 その前に、正体不明の声の主の方が、ユウキの動きを封じた。

 首をしめ、うなじにナイフの切っ先を当てられ、ユウキは身体を強張らせた。息苦しく悶える中、ユウキは相手の顔を見てやろうと眼球を動かした。

 

 トウマだ。外見的特徴は全て合致している。……だが不気味なまでに口端を吊り上げている。そんな表情を、あの少年は絶対にしない。

 偽者だ。

 

「だ、誰…………!?」

 

「俺か? 俺は『PHO(プー)』。笑う棺桶(ラフィン・コフィン)のリーダーだよ」

 

 低く、それでいて美声。だからこそゾッとする。

 何もかも見透して、腸を撫でるような声色だ。

 

「にしても、"擬態スキル"ってのはこういう時に便利なもんだよな。お前もそう思わねえかァ?」

 

「……擬態スキル…………!?」

 

 聞いたことがないスキルだ―――すると、トウマの姿が煙のように消え、本来の姿態が顕になった。

 ポンチョとフードを目深に被り、僅かに美貌を覗かせるといった、薄気味悪い風采であった。死神のようだとユウキは思ったが、まさしその通りだ。

 

「ボクを、どうするつもりなの……!?」

 

「んあー、人質だなァ。お前が溺愛してる"トウマ"って奴を誘き出すためのな」

 

 ……トウマを!?

 口から臓腑が飛び出してきそうな感覚だった。

 

 この男は危険だと、頭の中でセンサーが警報をけたたましく鳴らしているというのに、PHOはよりにもよってトウマに狙いを定めている。

 ユウキは首をしめられながら必至に願った。

 

 ……逃げて。トウマ。

 

 

 

 

 

「さァーて―――イッツ・ショウ・ターイム……」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一七話 『ラフィン・コフィン』

遅くなりました……


 “……遅い”

 いくらなんでも遅すぎる。ユウキと別れてから二時間以上は経過しているが、メッセージを送っても返信すら返ってこない。女の買い物は長いと聞くが、たかだか買い忘れたものを買うだけに時間をかける必要が何処にあるだろうか。

 

「……まさか、俺、見限られちゃったり?」

 

 トウマは即座に首を振った。

 “いやいやまさか! あのユウキに限ってそんな……” テーブルに突っ伏したり、頭を抱えたりした後、マイナス思考から抜け出し、もう一度考え直した。

 

「……流石に心配だ」

 

 迎えにいくべきだ。この時間帯、どんな危ない奴が徘徊しているか分かったものではない。

 トウマは席を立つと、部屋の出口である扉に手をかけようとすると、ノックがした。

 

 ―――ユウキか!?

 若干笑みを滲ませてドアを勢いづけて開けると、栗色髪のレイピア使い……アスナという少女がそこにいた。ユウキではなかったことで落胆したトウマをじろりと睨むと、彼の部屋をざっと見渡して言った。

 

「ん……貴方、ユウキと一緒じゃないの?」

 

「んあ? ……ああ、買い忘れたものを買いに行ったんだが……もう二時間は経ってるのに、未だに帰ってこねえんだ」

 

 フレンド登録の話を持ち込んでいたが、それは瞬く間に霧散し、アスナは忽ち不審な表情になった。

 

「それ、マズいんじゃない? 最近『タイタンズハント』よりも危険なギルドが活動しているって、アルゴから聞いてるけど……」

 

「その、ギルドってのは?」トウマは無性に気になった。

 

「『笑う棺桶(ラフィン・コフィン)』。今はまだあまり知られてはいないけれど、とても危険なギルドよ。人殺しだって躊躇わず行う、狂人ギルドって恐れられてるわ」

 

 人殺しすら躊躇わない―――直後に、ユウキがそのギルドに殺される想像が芽生え、頭痛に似た感覚が迸った。

 “莫迦、何考えてんだ、俺は! ユウキは最前線で戦うプレイヤーの一人だ。そうやすやすと殺されはしない!” 心の声を読み取ったが如く、アスナは彼を落ち着かせた。

 

「探しましょうか。私、そういうのちょっと得意だから」

 

「ああ、そうする―――ん?」

 

 彼の元にメッセージが一通届いた。何の気無しに開くと差出人ユウキからだと思うと、メッセージ内容を速読した。

 トウマは数度瞬きした末、目を疑った。

 

 

「……は?」

 

 

 傍らのアスナが眉を顰めるのと、トウマが彼女を横切って部屋を飛び出したのは同時だった。

 

「えっちょ! トウマ君!?」

 

「アスナ、お前はついて来るな!! いいな!?」

 

 そう叫んで駆け下りていくトウマは、必死の形相をしていた。あまりにも張り詰めた声だったものだから、アスナは肩を強張らせ、足を動かせなかった。

 

 

 ―――彼に送られたメッセージはただ一言。

 

『ユウキは我が手中に有り。

 救いたくば第四〇層の墓地へ参れ。

 

            ラフィン・コフィン』

 

 

 何も、それを百パーセント鵜呑みにした訳ではない。ひょっとしたら、ユウキの悪戯のかもしれない。頭ではそうであってほしいと願っている。くすくす笑う彼女の額にチョップを下してやる。そして優しく諭し、笑って帰ろう。けれど、これが虚偽でないのなら―――。

 

「……くそ!!」

 

 ツンツン頭の少年は、激しい憤りを感じていた。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 彼は一人、墓標の傍らに佇んでいた。

 今晩の天気は荒く、生々しい雨粒が霊園を濡らしている。彼は雨具も持たず、ずぶ濡れになりながら、奴等が現れるのをじっと待っていた。

 

 やがてその者達は姿を現した。

 フードを深々と被り、強い雨もあって、面貌の把握は不可能。剣士というよりは暗殺者の雰囲気を漂わせる。中には惜しげもなく短剣をいじる者もいた。

 

 雨音に掻き消されないよう、トウマは叫んだ。

 

「ユウキは何処だ!! 連れて来るんじゃないのか」

 

 誰かが堪え切れず笑った。

 先頭のメンバー……クラディールという男だ。

 

「連れて来る訳ねえだろばーか! 返してほしいなら条件を呑め」クラディールはにたにたと笑った。

 

 その笑顔が癪に触り、今すぐ殴り飛ばしたい思いを堪え、トウマは押し殺したような声で言った。「条件?」

 

「ああ、条件だ。何、攻略組の中でも際立って強いって評判のあんたなら、難なくできるだろうがな。ははっ!」

 

「……何が言いてえんだ」

 

 クラディールは口端を吊り上げた。

 

 

「とあるギルドを壊滅させろ。文字通り、()()んだ」

 

 

 何…………!? トウマは息を呑んだ。

 その顔が見たかったというふうに、静かな笑い声が上がった。やはり、奴等は狂人だ。狂ってる。

 

「『エターナル』ってギルドだが……そいつ等は攻略組に所属してるだけあって、結構な腕だ。

だが、トウマさんよ。あんたなら簡単だろ」

 

 “冗談じゃない! 俺に人を殺せというのか!?” そう言い返して反発したかったが、言えなかった。その場合、ユウキがどうなってしまうか、察しがついてしまったからだ。

 

「一人を救う為に数人を屠れ。いいな?」

 

「………………」

 

 そんな提案、跳ね除けてやりたかった。

 

 けれど、もし彼女が、永遠に帰ってこないのなら―――

 

 

「………………わかった」

 

 

 ―――そんなこと、耐えきれるとは思えなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一八話 『綻んだ刃』

すみませんでした…………まさかこれほど時間が経っていたとは……。

病院でお世話になっててすっかり忘れてました。

本当に、申し訳ありません!


 上級者ギルド『エターナル』は、第三九層のある森にいた。人数はせいぜい五名程度だが、その誰もが攻略組の中では最有力には及ばぬものの、上位に食い込むレベルではある。

 

 ギルドのリーダー・ベティスは、焚火を見るや、現実世界の妻を想起した。三十路にさしかかったが、まだ新婚である。新妻の亜麻色の髪、シルクのような手、穏やかな瞳を頭に描いて、ベティスは初めて彼女に出会った時のような顔をした。

 それを見たメンバーの親友は、唇を引き攣らせて呆れた。“またか。この愛妻家め”

 

「溺愛してるな、ベティス。ちょっと気持ち悪いぞ」

 

「そうか? でも良いじゃないか」

 

「そりゃあ悪いとは言わねえがな、ベティス。気付いたらにやにやされてるこっちの身にもなれってんだ」

 

「お前まだ独身だったな。学生時代はナンパ王とか自称してたくせに」

 

「うっせ!」

 

 愉快な笑い声が上がる。

 

 そこから鋭い顔付きに一転したのは、きっと、突然現れた一人の少年が剣を抜いたからであろう。

 

 警戒心を顕にして、ベティスは大剣の鍔に手をかける。ゆらりゆらりと近付いて来る少年はあまりにも不審で、殺気を滲ませた雰囲気を振り撒いてるので、もしや笑う棺桶(ラフィン・コフィン)のメンバーではないだろうかと、エターナルは疑っている。

 

 少年は黒髪だ。ウニのようにツンツンした頭で、学ランを纏っているが、ぐっしょりと濡れている。第四〇層では強い雨が降ったらしいが……。“それにしても、あの少年、何処かで……”

 

「どうした、森で迷子になったか?」

 

 ベティスは敢えて優しくしてみせたが、少年はまるで反応しなかった。

 

 

 代わりに、彼の姿が突然ブレた。

 

 

「―――――――――!」

 

 瞳には殺意の焔を燃やし。

 右脇腹から左肩へと抜ける太刀筋を描く為に。

 この剣の世界においてトップクラスのスピードを以て。

 ベティスの懐に潜り込んでいた。

 

 しかし、剣が脇腹に触れる寸前、少年の瞳で燃えていた焔は大きく揺らいだ。

 

 

「かっ!!!」

 

「―――あ」

 

 

 だから、ベティスは一瞬の隙の間に、己の武器で防ぐことが出来た。

 

「……君は、攻略組の」

 

「……………………」

 

 鍔迫り合いになる直前、少年の顔が垣間見えた。見覚えのある顔であった。

 しかし、少年から感じる違和感は否めなかった。

 

 

「……君は、こんなに鈍かったか?」

 

「―――」

 

 刀身を弾き、少年はベティスから距離を取った。いつもなら剣のように鋭い闘志は綻びていた。

 

「そういえば……いつも君と一緒にいる少女はどうしたんだ」

 

「……ッ」

 

 奥歯を噛み締める音がした。しかしそれ以上に、剣を握り締める音の方が大きかった。

 

 ベティスは切っ先を少年に向けた。

 

「何故、君が僕を狙ったかは訊かないでおくがね。今の君では……僕の命には届かないだろう。普段の君ならば、僕なんて簡単に屠れる筈だ」

 

 先程の行為は見逃そう。去れ。

 

 そう告げると、少年は肩を震わせながら姿を消した。もしかしたら、涙を流していたかもしれなかった。

 

「何だったんだ、一体」「あの顔、まさか……」

 

「やめろ」ベティスはざわめき出した彼等を制した。

 

「何か訳があるのだろう。あまり人に言いふらしたりもするなよ」

 

 

 

 

 

 その一部始終を、高みの見物していた者が、二人。

 陰に紛れて消えてしまいそうなくらい、彼等は気配を薄くしていた。

 

「いい揺らぎっぷりだ……奴がヒーロー気質だからだろうな」

 

 にたり、とその男は薄気味悪く笑った。

 傍らの男も、また愉快げに微笑む。

 

「いつまでも紺野にうつつを抜かしているからだ。ねえPHOさん、さっさと紺野は殺しましょうよ」

 

「それじゃダメだ」PHOは少し強めに言った。

 

「それだと壊れない可能性がある。散々痛ぶり尽くし、罪悪感と絶望感を募らせ、その末に殺すんだ……王道だが、麻薬のように気持ちいいもんだ」

 

 男は面白そうに笑った。

 

「それはいいな……最高に」

 

 

 

 

 

 

 森の中にある川を辿ると、やや大きい滝があった。トウマは崖っぷちに坐り込むと、頭を乱暴に引っ掻き始めた。

 

「……くそ…………クソッ!!!」

 

 少女が一人いなくなって、

 その少女を救うことすらままならず、

 情けをかけられて、おめおめと退散した。その事実が、

上条当麻(トウマ)という人間の矮小さを

 

 ―――あまりにも不甲斐ない! 情けない!! でもどうすればいいんだ? 人を殺さねばならない? 人を殺せと言われても、できる訳がないだろうが!!!

 

 トウマは地面に拳を打ち付けた。何度も、何度も、何度も、何度も、

 

 何度もだ。

 

 

 

「……あ」

 

 だから、トウマは気づくことができなかった。背後にゴリラ型のモンスターが迫っていることにすら。

 

 背中……より正確には背骨に、重たい衝撃が加わった。

 普段ならば直感で察知できるモンスターの接近にさえ、対応どころか反応すらままならなかった。

 

 トウマはあえなく落下し、水に沈んだ。もう這い上がる気力も沸かなかった。全身を投げ出し、また攻撃してくるであろうモンスターの気配を感じながら、トウマはそっと目を閉じて…………。

 

 

「トウマ君!!」

 

 

 突如として、水しぶきが上がった。思わず瞼を開けて水面上に顔を出すと、胴体に巨大な穴を空けた巨大なゴリラのモンスターと、栗色の長い髪を翻し、閃光の速度を以てレイピアを振るった、一人の少女。

 

 アスナだ。彼はすぐに分かった。

 “来てくれたのか、こんな俺の元に”

 

 アスナはぼろぼろのトウマを水辺に運ぶと、回復ポーションを取り出し、優しく飲ませた。減少したHPは最大値になったが、胸元に空いた"穴"だけは、どうしようもなかった。

 

「すまねえな、アスナ。不覚をとった」やんわりと笑ってみせた。それがアスナの眼にどのように映ったのか、彼は分からなかったが、ひどい顔をしていたのだろうと予想はついた。アスナはトウマを抱擁した。

 やがてトウマは、いつも幻想を殺してきた右手が、小刻みに震えていることに気付いた。おかしいな、今までこんなこと、無かったのに。

 

「……ユウキが、絡んでいるのね?」

 

 ああ、とトウマはあっさり頷いた。

 

「……トウマ君。あまり、あまり一人で、抱え込まないで。私だって……これでも、君たちの仲間のつもりだし……」

 

 ―――仲間。

 この時トウマは、学園都市に入って間もない頃を思い出した。初めて仲間というものを得て、実感して、だらしなく涙を流したのだ。歓喜のあまりで、だ。それから泣いたことは一度も無い。あるとすればタマネギを切っている時くらいというもの……だから、ここで、少しくらい、泣いても良いだろうか。

 

 そう思って目を閉じると。

 

 

 ユウキの笑顔が瞼の裏に浮かんだ。

 

 

「―――――――――あ」

 

 そうだ。

 ここで、アスナに甘えている訳にはいかない。これは、俺が終わらせなければならないことだ―――トウマはぐったりしていた身体を起こし、双眸を向ける。

 

「悪い、アスナ……お前には頼れない」

 

「どうして……!?」アスナは泣きそうな瞳で言った。

 

「これは、俺が……やらなきゃならないことなんだ」

 

 彼は立ち上がる。

 

 未だ、迷いはある。希望も視えない。どうすればいいのだと苦悩している。

 

 それでも、絶望《げんそう》だけには屈服しない。

 

「正直なところ、お前に甘えたいところだ。

 でもな……それだと、俺の中の大切な"何か"が、壊れてしまいそうなんだ」

 

 彼は少女に背を向ける。

 アスナは引き止めたい気持ちに駆られながら、それでも、その手を伸ばすことができなかった。

 

 森の暗闇に彼が消える。

 力になれないと分かりつつも、アスナは名残惜しそうに見つめ続け、そして、静かに応援する。

 

“頑張って……トウマくん”

 

 

 

 ヒーローと呼ばれた少年は、その右の拳を握り直し、絶望の最中を踏みしめる。

 

 今にみてろ、ラフィン・コフィン。

 

 俺は弱い。でも、今度ばかりは脆くないぞ。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。