その一滴を極めるまで (恋塚灰羅)
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日記(選抜まで)
日記その一


 私は99%の石でしかない。

 

○月×日 晴れ

 なんとか進級試験に合格できた。心機一転、これから日記でもつけてみようと思う。

 

 とはいっても改めて何を書けばいいのか分からない。ええと、うん、そうだ。進級試験で作った料理について書こう。

 私が作ったのはごく普通のフリッタータ。単純な料理ながら何を具材にするか、卵液への味付けはどうするかなど色々な工夫が出来る一品だ。具材はパンチェッタ、マッシュルーム、みじん切りにしたニンジンと玉ねぎ、後は香り付けにハーブを少々だ。私の料理はぎりぎり高等部に進級を認められるかどうか程度だったと思う。それほどまでにオーソドックスで面白みもない一品だった。薙切えりなさんのような完璧な舌も無いし、葉山くん(下の名前忘れた)のような香りへのこだわりもない。たぶん遠月で中学生活過ごしてたら誰でもできるんじゃないかな。

 

○月△日 曇り

 先輩に合格を報告したところ、お祝いをしてもらえることになった。遠月の生徒でも味わえるのは一握りの先輩の一品、もちろん速攻で頷いた。先輩の料理はほっぺたが文字通り落ちそうになった。口の中で文字通り融けていって味が爆発するように広がっていく極上の一品だ。

 お礼にというかいつものことというか、私の秘蔵っ子パート10を渡した。この子も私なんかより先輩に使ってもらった方が嬉しいと思う。先輩ほどならもっと美味しく出来るだろうに、長い付き合いのおかげか快く受け取ってくれた。ありがたいことだ。

 

◇◇◇

 

●月◻日 晴れ

 今日は遠月の入学式だった。何事もなく普通に終わるかと思いきや、総帥が一石投げ入れてきた。『諸君の99%は1%の玉を磨くための捨て石である』。それほどまでに厳しい競争にさらされるのだろう。今から怖くなってくる。

 それで終わればまだ平和だったのだけれど、さらに編入生の何ちゃらソウマ(漢字分からない。総真?)くんがぼちゃーんと大岩を落としてきた。『踏み台にしか思っていない』、『現場に立っていない奴らに負ける気はしない』。すごい度胸と自信だ。

 これでも遠月で三年学んで来た身、そう簡単に負ける気は無い。無いのだけれど、もしもえりなさんみたいな玉なら仕方ないのではとも思ってしまう。果たしてどうなんだろう。彼と一緒の授業が楽しみだ。

 

●月☆日 曇り

 幸平創真くん(あの編入生の名前)はすごかった。笑わない料理人ことローラン・シャペル先生の授業でその実力の一端が見られた。

 彼と一緒の授業は別にこれが初めてではない。その時は言ってはなんだが知識不足で、でも技術はしっかりと身についているなあくらいにしか見てなかった。このシャペル先生の授業でそうならなかったのは、大きなアクシデントがあったからだ。

 ブッフ・ブルギニョンを作る課題だった。肉をじっくり煮込む性質上調理の中盤以降は失敗が許されないのだが、やっかみを受けたのか煮込んでいる最中の肉に何やらアクシデントが起こって使えなくなったらしい。作り直す時間はない。もう無理だろうって思った。

 詳しくは見れていないけど、彼はなんと時間に間に合わせて料理を提出した。それにシャペル先生から最大級の賛辞も受けていた。自分の課題に手一杯で見れなかったのが惜しい。

 

●月◆日 たぶん曇り

 秘蔵っ子がまた一つ出来上がった。前回の旨味ドーンとは少し方向性を変えて、控え目清楚で、でも芯のある大和撫子みたいな子だ。牛とか豚とかみたいな強い子はもちろん、ミルポワも選別して派手派手しくないようにしたつもりだ。

 っと、詳しくは料理ノートに。そうしないともっと書いちゃいそうだ。

 今日は特に何もなかった。普通に授業を受けて、合格点をなんとか貰えたくらいか。あ、そういえば同じ授業を受けていた新戸さん、薙切さんの付き人だけあってすごかった。基本に忠実なのはそうなんだけれど、調味料のバランスとか野菜の扱いとか丁寧だ。一緒の班だったからだいぶ参考にさせてもらった。彼女の技術をもっと見てみたい。

 

●月◎日 雨

 なんか食戟を申し込まれた。せっかくだし受けてみることにした。食戟の相手は美作くん。今日のケーキ作りの授業でペアを組んでくれた男子だ。

 お題も決めて日取りも決めて、いざ賭け金の話になったところ、美作くんは包丁が欲しいと言ってきた。互いに互いの誇りを賭けあう、それでこそ真剣勝負だろうと。そこまで言われれば受けるしかない。こういうのが好きなのはあの先輩の影響があるのかもしれない。

 結局私の賭け金は包丁一本と秘蔵っ子を一つになった。そうでなくちゃ私の誇りを懸けたことにはならないと私から追加で出した。美作くんからは包丁と、デザート作りの技術。追加の賭け金に合わせて、ケーキ作りで随所に見た彼の工夫を教えてほしいとお願いしただけだ。

 

▽月※日 晴れ

 今日は食戟があった。私の品は地中海風リゾット、美作くんも同じものだった。私のレシピを忠実に再現しつつ随所にアレンジを仕込んで確かに違う一品を作り上げていた。野菜の下味付け、海老へ仕込んだ旨味のエキス、口に広がる多層的な味はあまりにも強かった。

 審査の結果は2対1で美作くんの勝ち、私は約束通り包丁と秘蔵っ子を渡した。

 彼のパーフェクトトレースは、少し寒気はしたけど、見ているとこれがたぶん総帥の言っていた玉ってものなのかなとも思ってしまう。すごかった。やっぱり私じゃ玉には敵わないみたいだ。

 

▽月★日 晴れのち曇り

 今日も美作くんと同じクラスだった。グループでやる授業だったから、同じグループに入らせてもらった。美作くんは少し驚いていたけれど、これでも私は図太いのだ。それに近くで見てる方が技術も盗めるというもの。料理は結局誰かのレシピの真似がベースなのだ。(なんか言い訳してるみたい)

 思い出すのは少し恥ずかしいからあまり書きたくないけど、うん、これだけ書いておこう。悔しかったけどそれ以上に楽しかったし、たくさん学べたから美作くんには感謝してるのだよ。うむ。

 

◇◇◇

 

▽月%日 曇り

 宿泊研修のしおりが届いた。五泊六日の楽しい研修らしい。私知ってる、石(私)をふるい落とすための研修だって。頑張って落とされないようにしなくちゃ。使えるか分からないけど、もしものために今日作った秘蔵っ子パート24とパート27を持っていくことにする。使えなくてもレシピの研究には使えるだろう。そんな余裕があるかは分からないけど。

 



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日記その二

結構読んでもらえていることに驚いて、慌てて仕上げました。すごく駆け足です。日記だもの、そうなっちゃうよね


▽月#日 晴れ

 一日目終わった。疲れた。詳しいことは後で書こう、ちょっと余裕ない。今日はいきなり堂島先輩のクラスだった。それとたくさんのステーキ。あと、いちめんのきんにく。いちめんのきんにく。いちめんのきんにく。

寝る。

 

▽月$日 晴れ

 二日目終わり。筋肉祭はちょっとだけ余裕があった。心構えが出来ていたからかもしれない。

今日の担当は乾先輩だった。なんとか先輩の課題をクリアできた。(詳しくは後で書く)

 今日もまたたくさん調理する課題があったけど、心構えが出来ていたからか意外とあっさり終わらせれた。せっかく余裕があるから秘蔵っ子パート27の研究をすることにする。調理場は借りれた。

 

追記

 霧の女帝を垣間見た。優しげでとっつきやすい雰囲気と違って鋭い刃のような先輩だった。それでも退学にされなかったから、及第点は貰えたのだろう。すごく疲れたけどだいぶ勉強になった。

 

▽月&日 

 時間割きたくないからメモだけ。今日の担当はドナート梧桐田先輩だった。なんとか合格できた。明日の朝食の草案は出来たから少しだけ休憩中。すぐに再開しなくちゃ。

 

▽月¥日 晴れ

 ぎっりぎり。なんとか茶碗蒸しは合格点貰えたみたい。平凡と侮るなかれ、即席で用意したパート7を混ぜたからすっきりした強い味を出せたのだ。充分驚きがある一品だろうと褒められた。よし、残りも頑張る! それはそうと午後の課題の前に少し寝ます。疲れた。

 

▽月£日 晴れ

 天国とはこのことだろうか。何とか課題をすべて終わらせた私たちに、先輩たちは腕によりをかけたフルコースで祝福してくれた。敢えて書く必要も無いだろうけど、めちゃくちゃ美味しかった。このフルコース、いったい何十万するんだろうか。遠月学園の高等部に進級出来て良かったと強くおもった。

 それはそうと、使わないという厨房を少し借りることが出来た。パート24もそろそろ完成ってことにしてもいいと思う。ここまで手間をかけたんだから美味しくなっていてほしいものだ。これから試作して色々と試してみたい。それに、今日の先輩たちの料理を一通り作ってみないとね。たぶんあの料理は先輩たちからの宿題だから。

 

▽月§日 快晴

 ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って!思い出すだけでもう何も言葉が出てこなくなる。やばい、すごく嬉しい。ありがとう、乾先輩。うんめっちゃ嬉しい。

 

 

 落ち着こう。えっと何から書こう、何から書けばいいんだろうか。そうだ、書く書く書いてたし、最初から振り返ろう。たぶんそれで少しは落ち着くかも。落ち着くよね、たぶん。落ち着いてほしい。っていうか待って、やばい、嬉しすぎる。

(以下しばらく蛇がのたうったような文字)

 

 合宿一日目。堂島先輩のクラスで出された課題は『メインの肉料理』。コース料理のメインを張る一品を仕上げるのが課題だった。私も聞いて少し拍子抜けしたし、たぶん周りもそうだったと思う。元十傑を納得させる品にしなければならないのは大変だが、課題の内容としては平凡極まりなかった。このお題に合う料理はこれまでの授業で何度もやってきた。

 でもそんな生温いことは無かった。続けて堂島先輩が言った言葉には思わず耳を疑った。

「調理時間は30分。材料はここから持っていってくれ。当然のことだが、時間がいくら短いと言っても評価基準を緩めることは無い。それじゃあ始めてくれ」

 メインの肉料理と言ってすぐに浮かぶのはローストビーフだけど、じっくり焼き上げるのに少なく見積もっても30分はかかってしまう。いくらか工程を省略して火も強くすれば短縮は出来るだろうが、それじゃあ不合格になるのは目に見えている。

 煮込み料理も時間が厳しい。ソテーなら間に合うだろうけれど、そこまで行き着くのは皆同じだ。皆が皆、同じ料理を作ってしまったら、一つ一つの印象が薄れてしまうに違いない。それにソテーするにしても、肉を事前にマリネしてやれないから、これまで授業で作ったそれよりも味が落ちる。メインに求められるのは強い味だ、そんな薄味は許されるわけがない。

 私が選んだのはポワレだった。いつだったかシャペル先生が授業でポワレについて教えてくれたことがある。今でこそ表面をかりっと焼き上げることを指しているのだが、元来のエスコフィエの定義は違うのだという。私の仕上げるポワレはまさしくエスコフィエのそれだ。

 時間はぎりぎり間に合うかどうか。手順はシャペル先生の話を聞いてから何度も練習したから問題無い。味も保証できる程度には作れる自信があった。

 果たして結果は合格、なんとか退学を免れたと一安心した。まあそのあとステーキ50食の課題が来て死にかけるんだけどね。

 

 合宿二日目。乾先輩からの課題は分かりやすく、そして厄介だった。

「おはようございます。皆さんは一日目の課題を潜り抜けた優秀な方々と聞いています。気を抜かずに無事に合宿を終えることを期待しています。さて今日の課題ですけれど……」

 乾先輩が私たちをくるりと見渡して、面白いことを思い付いたとでもいうように柏手を打った。

「今日は人数が少しだけ少ないみたいですし、一品と言わず三品作ってもらうことにしましょう。懐石料理の基本の構成要素から、向付、煮物、焼き物を仕上げてみてください。制限時間は二時間とします」

 向付――すなわち刺身――、煮物、焼き物。今までの授業では二時間かけて一品だったところが三品だ。単純に時間の配分が厳しかった。それに単に美味しい三品ではなく懐石料理としての三品、どこで主張してどこで引くか、バランスも考えなくちゃいけない。

 何を作るかにもよるが、一番時間がかかる煮物と焼き物をほぼ同時に調理し、頃合いを見て向付を作るのがいいだろう。あまりしっかり見れてないけど確かみんなそんな感じで取り組んでいた。だけど私は少し順序を変えた。煮物のための出汁取りを最初に、向付(・・)から調理し、それが終わったら煮物、焼き物と調理していく順だ。向付を最初にする理由は単純、昆布締めにするからだ。あとはバランスを考えて昆布、鰹節、椎茸など適当な出汁で具材を煮て、焼き物も適切に調理するだけ。もちろん今こうして遠月に残っているということは合格できたのだ。良かった。

 ところでその日の夜、調理室で研究をしていたら乾先輩が覗きに来た。消灯忘れのチェックらしい。せっかくだからと私の作っていた煮物を食べ比べてもらえたのだけど、改善点がぼろぼろと出てくる。目つきはきつかったしなんだか纏っているオーラも変わった気がする。

 出汁に合わせた野菜への味付け、野菜の切り方、煮込む時間、煮込む温度、何から何まで改善案を出された。何が辛いって、どれも的確で私には思い付かなかったものだということ。こうなると少し精神にくる。嬉しくもあったけどね。

 この会は一時くらいに終わりになった。最後の完成品はタッパーに等分して詰めて持ち帰った。

 

 合宿三日目。っといつの間にかこんな時間だ。少し一気に飛ばそう。時間があったら後でまたまとめる。

 まあ三日目もなんとか課題をクリア、四日目五日目もそんな感じで六日目――つまり今日。帰り際に乾先輩に呼び止められて、連絡先の交換をお願いされた。これだけでも嬉しいのに、さっき審査と二日目夜の試食のお礼のメールを送ったら、なんとこのあとの連休に何も予定が無ければ霧のやに来ませんかと誘われたのだ! ちょうど定休日らしく、特別価格で料理してくれるらしい。実際格安だったから二つ返事でお願いした。凄く嬉しい!

 



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日記その三

▽月∞日 京都は雨

 新幹線で東京からはるか500km、昔懐かしの面影を残す古都京都。少し歩いてみれば幾多の寺社が旅人を出迎えて、あたかも時代すら越えたような錯覚を与えてくる。瞳を閉じればほら目の前には平安の都の風景が……、なんて書いてみたけど、なんか私には似合わない。こういった文章の才能は無いのだ。

 今日はのんびり観光しようと思って、なぜか食べ歩き三昧になった。たくさん寺社見るぞーって思っていたのに、結局私が見たのはいつも通り味ばかりだった。いや、だいぶ勉強にもなったけどね。いつだったか先輩に教えてもらった名店は一通り回れたし、十分十分。

 ……やっぱり金閣寺とか見に行くべきだったかなあ。

 

▽月¢日 雨

 今日は朝ごはんを控えめにして、しっかりと禊も済ませてから旅館を出た。今日この日のために京都まで来たのだから、真剣に全力で向き合わなくちゃいけないと感じていた。そう、今日は霧のやでご馳走してもらう日だった。

 霧のやは少し奥まったところにある。中心部から離れていて立地に恵まれているとは言いづらいけど、そのぶん広いスペースを使って来客を楽しませる工夫がいっぱいあった。美しい日本庭園もその一つだ。あの空間すべてが霧のやの世界を作り上げ、それはすべて料理のためのものなのだ。あそこでのんびりと過ごせるだけでもとても贅沢なことだと思う。

 

 今日のコースは一番簡素なものだった。飯と汁と向付から始まり、煮物、焼き物、八寸と続き湯の子で〆る懐石だ。いわゆる会席料理のような豪勢さは無いけど一つ一つが芸術作品のような美しさを持ち、乾先輩の顔が目の前に浮かぶ料理だった。少し口に入れただけでも全身に食材の旨味が響いて、気がつくと身体いっぱいに溶けて消えていった。衝撃的な美味しさだった。合宿最後のフルコースのことを悪く言うわけじゃないけど、それ以上に強く訴えかける美味しさがあった。

 食後は少し乾先輩と話してから厨房に上がらせてもらえた。料理を食べさせてもらっただけじゃなくて教えてもらえた、すごい一日だった。

 

▽月@日 東京は晴れてた

 遠月に戻ってきた。久しぶりに研究会に顔出してこれまでの成果を纏めてきた。それから家に戻って少し試作してみた。乾先輩から教えてもらった技術はしっかり身につけたいし、インスピレーションを形にもしたかった。まだまだ全然って感じだけどね。

 それと最近の食戟に関する資料も調べることにした。今までは興味のある分野のレシピしか見てなかったけど、少しくらい頑張ってみたいと思う。あの乾先輩に直々に教えてもらえたのだから、ただの石コロのままなのは不義理というものだ。自分が宝石だなんて自惚れてはいないけれど、せめて一歩でも近づかなくちゃ先輩たちに悪い。

 美作くんとの一回しか食戟やってなかったけど、ちょっと頑張ってみよう。

 

 

 

⬛月∴日 晴れ

 食戟は順調だ。成長していく実感があって楽しい。

 って、そんなことよりも。選抜の出場が決まった!

私なんかでいいのかなとも思ったけど、やっぱり嬉しい。先輩たちに恥じないくらいには成長できたと見てもいいんじゃないかな、うん!

 

 

 

⬛月∈日 晴れ

 選抜出場決まってからもずっと食戟してた。だってなんか楽しいもん。食戟のおかげで、試作品だから~っていう生ぬるい意識が消えて、一つ一つに今まで以上に真剣に取り組めるようになった。相手と料理の刃を合わせてする一進一退の攻防、力任せの鎚に潰されることもあったし細く鋭いレイピアに貫かれたこともあった。玉に違いないあの先輩はこういった場ですべてを斬り伏せたんだろうと思うと、やっぱり自分はまだまだだなあって思う。

 今日の食戟で一先ず食戟漬けの日々は終わり。最後の記念の料理は和風キッシュだ。干し椎茸と昆布から取ったオーソドックスな出汁の旨味を野菜に詰め込んで口いっぱいにぶつける渾身の一品。野菜から溢れる旨味を受け止める生地はあえて淡白にほんのり香る程度の味付けだ。中々上手く出来たと思うし、審査員の皆にも褒められて嬉しかった。

 今日で食戟巡りが終わりなのは他でもない、選抜のお題がつい二日前に決まったからだ。私はともかくタクミくんに悪いと思って取り止めようと言ったんだけれど、気にしなくていいと言ってくれたからなんとか今日の食戟はやれた。感謝、感謝だ。

 さて、お題はカレー料理と来た。スパイスをどう使うかが問題だ。単なるカレーライスでもいいんだけれど、それじゃあつまらない料理しか出来ない。どうしようか。

 

⬛月∋日 そろそろ暑さが厳しい

 一先ずスパイスの組合わせを色々と試してみた。途方もない作業は大変だ。舌がバカにならないうちに何か見えるといいのだけど。

 

⬛月⊂日 暑い

 カレーばっかりやってて私の料理を見失わないようにするために、出張料理サービスに登録してみた。普通なら料理人見習いの私がなれるはずもないけれど、そこは遠月ブランド、遠月学園生だと伝えると顔色を変えて受け入れてくれた。遠月学園からは無様を晒すようなことがあれば退学とだけ宣告されたけど、つまりそうならなければ問題ないらしい。

 出張料理サービスの業者さんとの話し合いで、二週間に一回程度の頻度で依頼を受けて料理をしに行くことになった。

 

⬛月∪日 暑い

 ずっとスパイスと向き合ってた。終わり

 

⬛月⊇日 暑い

 ずっとスパイスと向き合ってた。終わり

 

 

⬛月⊆日 暑い

 少しずつ満足のいくスパイスの組合わせが増えてきた。これでまだスパイスの入口なのだから途方もない。そろそろカレー料理に固めていくべきか、もう少し試行錯誤するべきか。

 あ、そういえば出張料理の予約が入った。そっちの方も少しずつ取り組んでいこう。

 

 

⬛月∧日 ちょっと風があって凉しめ

 スパイスと向き合ってた。終わり。

 じゃなくて、今日は午後の時間は出張料理のメニューを少し練習した。上手くいけるといいな。

 

 

 

⬛月∩日 曇ってくれた。暑さはマシ

 記念すべき最初の出張料理は無事に終わった。息子さんの誕生日ということで少し贅沢なフルコースを食べたいという依頼だった。

 四日前にお母様と打ち合わせした時は私の年齢に不安がっていた。まだまだ高校生の私に任せて大丈夫なのかって口にはしてなかったけど、顔にしっかりと映っていた。確かに不安になるのも仕方ない。出張費や食材費など諸々込みで今回の出張料理はお父様とお母様と息子さんの三人分、二万円を超すほどの値段である。中々の御値段だと私も思うのだけれど、これくらいで値段設定してほしいと言われたから仕方ない。

 だけどまあそれだけの力は尽くした。これまでの授業で習ったことを余すことなく生かしてフレンチのフルコースを仕上げてみた。自家製オイルサーディンと旬の野菜のガトー仕立てから始まり、海の香漂うヴィシソワーズ、イサキのポワレ 特製ハーブソース、うずらのロースト オレンジソースを添えて、レモンのフロマージュケーキの五品に、遠月学園の珈琲研究会から教わったオリジナルブレンドの珈琲。高級料理店で出してもあまり遜色はないラインナップにお父様とお母様はもちろん今回のお祝いのメインである息子さんもご満悦で一安心。ちなみに息子さんには珈琲じゃなくてカフェラテにしておいた。まだ10歳ということだから、珈琲は苦手だろう。

 後片付けを終えて帰ろうかなって思った時にお母様と息子さんから料理を少し教えてほしいとお願いされた。まだまだ若輩者の私がなんて思ったけど断る理由もなし、今日の料理の余った食材で軽く一品作ることにした。三人ともお腹いっぱいだろうし、明日に食べてもあまり味が落ちないものってことで、煮凝りにした。この暑い時期にもぴったりだ。

 

 

⬛月≪日 晴れ、暑い

 いくつか満足のいく組合わせが出来た。これでルウの基幹部分は完成ということにしよう。あとはこれに合う具材と食べ方を探そう。香辛料の組合わせが数パターン残っているのは、具材との食い合わせを見てみたいからだ。

 

★月Γ日 暑い

 鶏肉、豚肉、牛肉、羊肉。どれも美味しいのだけれど、それだけって感じ。これでも十分恥ずかしくない出来ではあるのだけれど、たぶん駄目だ。あの葉山くんを筆頭に今年はごろごろと玉の料理人がいるからこれで満足してたら勝てない。せめてあともう少し。

 

★月Δ日 晴れ。風のおかげで快適

 試作を重ねている時に呼び鈴が鳴った。誰かと思えば先輩だった。鍛錬に励む後輩を覗きに来たとのこと。せっかくだから先輩にどうして私なんかが選抜に選ばれたのか聞いてみた。普段から頑張っているつもりだけれど、私よりも成績のいい人はいるし食戟で勝ちばかりなんてこともないもの。

 そうしたら先輩は、「確かに勝ててはおらぬが、完全に負けたわけでもないのだろう」と言った。ぽかんとしてたら呵呵と笑い言葉を濁してしまった。どういう意味か教えてくれてもいいのに。

 試作中のカレーの味見をしてもらって(勝手に食べられたとも言う)、それだけじゃ申し訳ないから簡単な料理を振る舞った。用件は本当に何も無かったみたいで、先輩はすぐに帰っていった。帰り際に「お主らしさが見えぬありきたりなカレーだったな」と言われた。

 

★月Θ日 やっぱり晴れ

 むむむ、私らしさが分からぬ……。普通に香辛料をブレンドして軽く焙煎した後に水で煮込んで香辛料の香りを鮮烈にする。うん、これでいいはず。むう、いいはずなのに先輩の言葉が気にかかる。

 スープストックを使ったら香辛料の香りが薄れるってのは知っている。一番最初に私も試してみたのだ。それで水から煮出すときに最も強い香りをぶつけられるブレンドも考えた。ルウはこれでいいはずなのに、なんだかモヤモヤする。具材が駄目なの? それともルウが問題あるの?



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日記その四

〓月Φ日 晴れ

 選抜に出す料理はひとまず完成、かな。長かったけれど自信作ではある。あの葉山くんに勝てるかは分からないけれど(たぶん無理だけど)、全力で頑張ろう。

 それにしても先輩には感謝が尽きない。先輩のあの言葉のおかげでこの料理が出来たのだから、ほんとありがたいことこの上ないよ。あとでお礼しなくちゃね。

 

 

〓月Ц日 晴れ

 今日は選抜があった。私の出したカレー料理は好評で、なんと90点の大台に乗ってくれた! すっごい嬉しい! ……とは言っても予選突破は出来なかったんだけどね。やっぱり今年の皆はすごいなあ。聞いたところによると例年なら80点後半取っていればまず予選突破できるらしいのに、今回は最低ラインが91だって。

 遠月の十傑に入るにはこの予選を突破しなくちゃいけないって言うし、やっぱり玉にはなれなかったのかな。まあ石でも玉に磨かれれば輝けるんだよって証明できたし、ひとまずは満足ってことにしておく。うん。

 選抜が終わった後にタクミくんと話していたらその場のノリで極星寮のお祝い兼お疲れ様パーティーに参加することになった。悠姫ちゃんとは授業でペアを組むこともあって親しかったから、まあすっごくアウェーみたいにはならないと思いたい。うん、そろそろ行かなくちゃね。

 それにしても、うん、悔しいなあ……。

 

〓月Ч日 晴れ

 朝帰りって書くと少しエッチな響きがあると思う。一晩中皆で飲んで食べて騒いでいただけなんだけどね。

 皆疲れてたのもあってかぐっすりと眠ってて、私の方が早く起きることになった。せっかくだから皆の分の朝御飯も作っちゃおうかなって厨房を借りに行くと、一色先輩がいた。そういえば何か用事があるみたいなこと言っていたなあって思いながら、簡単なコンソメスープと洋風きんぴら、アスパラのベーコン巻きを作った。一色先輩にも食べてもらって、一色先輩からは炊き込みご飯と秋刀魚の塩焼きを頂いた。さすが第七席、美味しかったです。

 少し遅れて幸平くんと恵ちゃんが起き出してきて、三人が出かけてからたぶん一時間くらいたってから皆が起きた。幸平くんたちにも悠姫ちゃんたちにも食べてもらって好評をもらえた!

 

 それと少し覚え書き。まだ二ヶ月は前なんだけど、先輩から学園祭のお手伝いを頼まれた。去年はそんな話無かったから、少しは認められたのかな。板場に立つ練習しておこう。

……先輩の言っていた「お主ならスタジェールも抜けられるであろうしな」という言葉が怖い。期待が怖いのもあるけど、スタジェールって抜けられなかったら退学、とか? ……ありそう。

 

〓月Щ日 晴れ

 選抜は終わったけれどお仕事は終わらない。出張料理に行ってきた。なんというかもうそこそこ慣れてきたし、評価もしっかり頂けているからか退学を言い渡されることもない。

 今日のご依頼はお昼のママさん会のカジュアルなフレンチ。コースほど格式ばったものじゃないけれど他のママさんたちにしたり顔出来るような小綺麗な料理という依頼だった。曖昧なのはまあ私の説明文のせいもあるから仕方ない。

 いつものように数日前に事前に決めて伝えておいたメニューを作って食べて頂いた。相変わらずというかシェフとしてママさんたちの前に顔を出した時には驚かれた。息子さん娘さんに私と同じくらいの年齢がいるというママさんもいて、すごい可愛がりを受けた。(受けざるをえなかった?)

 

〓月Ы日 晴れ

 私の選抜は終わったけれど選抜は終わっていない。つまり今日は選抜本戦の一回戦だった。

 一試合目はアリスさん対幸平くん、二試合目は黒木場くん対恵ちゃんで、どっちも見応えのある試合だった。食材の質は言うまでもなく調理技術は目を見張るものばかりだったし、何よりも料理の発想が素晴らしかった。アリスさんの冷製手毬寿司、幸平くんの三段海苔弁当、黒木場くんのポワソンラーメン、恵ちゃんのこづゆベースの野菜ラーメン、どれも美味しそうで涎が止まらなかった。

 特にラーメンの二人はすごい! 出汁って一時間程度で取れるものもあるけれど、ものによっては八時間かけて取ることもあるし、一日じっくり煮ずに水出しして風味を馴染ませることもある。正直に言うと事前に用意したスープストックを使わないなら選抜の時間じゃ全然足りないし、事前に用意したものだと生半可なものでは味が落ちちゃう。行儀よく纏める程度なら時間内でも出来るけど強いコクと風味を出すのは相当の難行だ。それを――いつお題を出されたか知らないけれど――最長でも一週間、短ければ一日とかけずに仕上げるなんて、ほんとにすごい!

 せっかくだから私も「私だったら」のラーメン作ってみようかな。明日も選抜二回戦目があるから、ひとまず明日の朝までで一区切りにしよう。

 

〓月Ю日 晴れ、少し曇り

 今日の選抜は新戸さん対葉山くんと、タクミくん対美作くんの二試合だった。うん、まあどっちの試合も衝撃的だったかな。前者は葉山くんの武器が炸裂して、後者は美作くんのパーフェクトトレースがやっぱりすごかった。

 というか美作くんが悪役ぶっているのがびっくりだった。私の時はそんなに悪役感無しで正々堂々戦ったし、自分のアレンジに自信を持ってて向上心もあるしゃんとした料理人だったから少し違和感。

 試合の後で美作くんに一回戦突破おめでとうって言ったら驚かれた。前もそうだったけど、別に私は包丁取られて怨めしく思ってるわけじゃないし、選抜予選で抽選で負けたのも仕方ないくらいにしか思っていないしね。それからあの時のリゾットについてだったりあの時渡したあの子についてだったり色々と雑談した。

 準決勝も頑張れってことで試作のラーメンを振る舞った。いや、ひとまず形にしたから助言と感想が欲しかったってだけなんだけど。

 

 

〓月Ж日 曇り

 イサミくんと同じ授業(集中講義。選抜組は免除されてるみたい。出てもいいらしいけど)だったからタクミくんのこと聞いてみると、やっぱり負けたことがすごくショックだったようだ。今も塞ぎこんでしまっているみたい。んー、確かに全部先回りされて負けちゃうのはだいぶくるところあるから仕方ないのかな? 私みたいに玉には勝てないやなんて諦めてるわけでもなし、むしろ自分こそ玉って自負で戦っているなら相当辛いだろう。私も経験あるから分かるんだ、うん。

 きっとここがタクミくんの分水嶺になるかな。私はあの時ぽっきりいったけど、タクミくんはどうだろう。食戟一回くらいしかしてない知り合い程度の仲だけど、きっと立ち直るって思うよ、うん。タクミくん強いし。

 イサミくんは少し安心した表情だった。それから「兄ちゃんに伝えておくね! それともし良かったら後で直接言ってあげてね」とお家へのお誘いを受けた。明後日はちょうどフリーだったし何か手土産持って行こうかな。

 

 

〓月Й日 晴れ

 タクミくんたちのお家にお邪魔させてもらった。もうある程度落ち着いたみたいで、いつもの調子で歓迎してくれた。のんびり話して、それからキッチン借りてリボッリータを作った。もともと見舞いの品ってことで作らせてもらう予定だったし。ミネストローネの余りで作るのが本場風だからそれにあわせて私も秘蔵っ子パート12を使うことにした。普通のブイヨンじゃ旨味が足りなさそうだからって思ったけれどやっぱりその通りだった。

 

 

〓月Л日 晴れ

 選抜準決勝戦だった。幸平くんは美作くんに勝って、黒木場くんと葉山くんは異例の引き分けになった。うん、どの料理もすごかった。

 再来週が選抜の決勝かあ。やっぱり決勝だけあって試行錯誤の時間は長いみたいだ。三人がどんな秋刀魚料理を出してくるか楽しみだ。

 

 

〓月Ъ日 晴れ

 今日は悠姫ちゃんに呼ばれて一緒に料理して、ついでに幸平くんの試行錯誤のお手伝いを(成り行きで)することになった。といってもそこまで出来ることなんてなかったけど。熟成は私の専門じゃないし、それこそ焼物にするなら私の出番なんて殆ど無いようなものだしね。煮物鍋物なら任せて――そんなに強気で言えるほどじゃないけど――なんだけどね。

 

 

〓月Э日 晴れ

 幸平くんに呼び出された。ある程度料理の形はまとまったみたいで少し手伝ってほしいということだった。秋刀魚の炊き込みご飯は確かに、うん、少しなら手伝える料理だ。基本的に料理を考えるのが私であってはいけないから、いくつか基本的なことを教えるだけだったけど。基本的な旨味の相乗作用は意識的にすることが無い(だいたい無意識にやってる気がする)からその再確認と、効果的な旨味成分の引き出し方、それと噛み合う食材の例をいくつか紹介した。実際に飲み比べもしてみたから、きっとある程度分かってくれたと思う。

 

 

〓月Я日 晴れ

 豆乳ベースに味噌とチーズ、それに予めご飯に入れておいたカリカリ梅で酸味と食感を合わせてくる。うん、ずるいと思ってもいいよね。あの発想力はすごいよ。出汁を強くするには、コクを出すには、単調にならないようにするには。色んな試行錯誤を繰り返したんだろうけれど、それでもたった三日だよ? なんでそんなに洗練された料理になるの?

 うん、ちょっとした愚痴は終わり。幸平くんだけじゃなくて黒木場くんも葉山くんもすごかった。どれも傑物ばかり、きっと三人とも将来的には十傑入りするんだろうなあ。

 




選抜終わり。早いでしょう? 早いんです。


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日記その五

∮月∀日 晴れ

 明日からスタジェールだ。私の派遣先は都内のホテルの厨房で期間は一週間。頑張ろう。

 

∮月∃日 晴れ

 スタジェール初日だった。なんというか予想外?だった。まさか向こうの料理長が私のことを知っているなんて、そんなこと思いもよらないよ。話を聞いてみると同じ出張料理のサイトに実は登録してる方で、私の年齢もあって頭に残っていたとのこと。そんなこともあっていきなりある程度料理を任せてもらえることに。

 実際の現場は次々とタスクが舞い込んできて大変だったけどなかなかしっかりこなせたかなと思う。

 

∮月∠日 曇り

 二日目。今日は昨日と同じ感じだった。終わり。

 じゃない。いやまあ今日のことは終わりなんだけど、明日から比較的ゆっくりできる昼だけじゃなくて夜にも入るようにお願いされた。本当ならそんな予定は無かったけれど、実力は充分あるし手際もいいからとのこと。認められたみたいで嬉しかった。頑張ろう。

 

∮月⊥日 曇り

 大変だった。最低限の仕事は出来たと思いたいけれどほんとその程度だけ。足を引っ張っているんじゃないかなって不安になるくらい動けなかった。

 それと今更だけれど目に見える成果を出せていないって気付いた。目に見える成果……、売り上げとかじゃないだろうし何だろう。劇的な変化?

 

∮月⌒日 晴れ

 少しずつ動けるようになってきた。少し余裕が出て回りを見る時間が出来た気がしなくもない。他のシェフの方々とも馴染めてきてアドバイスを気軽に聞けるようになった。遠月の学生さんだから凄いんだよねみたいに言われたりもしたけど、まだまだ若輩者の私なんかより丁寧な仕事ぶりの皆さんの方がすごいです。うん、すごく勉強になりました。

 ところでもう折り返しだって。危機感で胃が少し痛くなってきたかも。

 

∮月∂日 晴れ

 料理長さんと少しバトルした。内容はとある料理のルセットについて。美味しいよ。料理長さんのルセットでもすごく美味しいんだよ? でも私だったらこうしたいってのがあって、料理長さんも興味津々でどんどん白熱していった。それで最終的にお互いのルセットで競い合おうみたいになった。料理対決の開催は明日の22時30分、審査員は厨房にいる全員になった。

 書いてて思ったけど、最初のバトルは言い過ぎだったかも。お互い改善案を出すのに楽しんでいたし。とはいってもお互いダメ出ししあったりもしたからバトルなのかも。

 

∮月∇日 晴れ

 勝った。第三部、完。

 少し前の出張料理の時にテレビから聞こえたセリフなんだけれど言いやすくて好き。アニメの内容は知らないけれど。

 まあそういうことだ。レギュレーションとしては単価1500円以内のスープメニューで、ここのコースのスープのアレンジであること(つまり食材を元から変えすぎないこと)、そしてフレンチであることだった。選抜前に先輩に言われて改めて分かったことだけれど、こんな玉に届かない私にも武器はあるみたい。だからそれを全力で凝縮して出してみた。もちろん特別高級な食材は使っていない。料理に使わない廃棄予定の白身魚のガラを朝からじっくり煮出して作った特製ブイヨンとかそんな感じのを使ったくらい。とにかく頑張ってみた。

 

∮月≡日 晴れ

 今日でこの厨房でのスタジェールも終わりだった。お仕事中は特に何も無かったけれど、仕事が終わってから料理長に呼び出しを受けた。内容は新メニューの試し刷りを見せてくれるってことで見せてもらったけれど、ぱっと見た感じあまり変わってなくて何で見せてきたのか分からなかった。それでまあそう言うと、よく見るようにって言われた。ざっと見た時には気づかなかったけれど、改めて見て、うん。スープのメニューが変わっていた。

「昨日のあれを少し上品に整えたメニューだ。もしもお前さんが許してくれるんならこの新しいメニューでいきたいと思ってるんだがどうだ?」

 なんて言われたら頷くしかないでしょ。

 別れ際に連絡先を頂いて、卒業後に行くところ無かったら連絡してくれって言われた。うん、とってもいい経験だった。

 ……目に見える成果出せてるのか不安だったけれど、新メニューのあれがそうみたい。いきなり退学にならないで良かった良かった。まだまだスタジェールは続くんだけどね

 

 

∮月≒日 晴れ

 スタジェール二ヶ所目は『志絡鮨』という鮨屋だった。年若い者や女子は板場に立たせないという旧来の方針のままの鮨屋もあると先輩に聞いていた通り、私を見た途端に露骨に嫌そうな空気を見せてきた。私だってまだまだ粗削りだって分かっているけれど、板場に立ってもいいって先輩に言われたのだから少し不満。私が軽く見られるのは構わないけどなんだか先輩まで見下されてるように感じてしまった。

 とはいえ変に問題を起こして退学になったらそれまでだ。先輩に学祭のお店に誘われた以上退学は絶対に避けておきたいから、今日は無難にあまり逆らわないように頑張った。

 

∮月√日 曇り

 ……今日も無難に頑張れた。うん、今日も無難に頑張れた。大丈夫、大丈夫。掃除して仕込みを少しだけ手伝って掃除して、うん頑張った。

 明日からはある程度仕込みを任されるみたい。念のため私の包丁も持っていこう。あと白衣も。お店の借りて済ませられればいいけれど、他のお弟子さんたちの表情的に、まあうん。最悪の事態にならないといいのだけれども。

 




次の日記は飛んでスタジェール後になる予定です。


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彼らから見た彼女
早坂美海という料理人①


少し短いですが


 真似をしてやればいい。ひたすらに真似て真似て真似て、相手の一歩先を進みさえすれば絶対に負けやしねえ。相手の強みを研究し、相手の弱みを研究し、すべてを少し上回る一品を作るだけだ。別物を作って生真面目に自分をぶつける必要はない。全く同じ品で所々上回ればそれで勝てる。

 遠月学園に入ってからずっと俺は戦い続けてきた。誰も勝てなかった。誰にも負けなかった。ただの真似事でしかない俺の料理に、誰もが膝を着いた。

 なんだ、この程度か。所詮はこの程度、真似事に勝てない本物なんてあるはずもない。どいつもこいつも偽物だ。

 中等部の三年間だけで勝ち星は八十に達した。中等部二年から本格的に食戟を始めていたのだから、ほぼ一週間に一度食戟をやっていると言うのはハイペースだろうが、美作昴という男は簡単にやってのけた。

 美作昴を虜にしたのは勝利の味ではなかった。勝利に起因するものではあるだろうが、そんな清々しい綺麗なものではなかった。

 全く同じ料理で一歩上回られた時に料理人が見せる絶望の表情がたまらなかった。美作昴はその表情が見たいがために食戟を続けてきた。毎回毎回命に等しい包丁を賭けさせ、毎回毎回勝利を重ね続けた。

 

 高等部に上がった美作は新しい獲物を見つけていた。

 早坂美海、16歳。中等部からの内部進学で、成績は中の上か上の下。調理技術に関して目を見張るものは無いが、研究会では一目置かれた存在である。彼女の食戟の記録は中等部二年の時に一度きり。相手は高等部一年で、成績はゼロ対五と圧倒的な敗北を喫している。これはまあ火を見るより明らかな結果と言えよう。この相手とは今でも交流があるというが、その点については詳しく調査出来ていない。これだという得意料理は無く、というよりも多くの料理のベースの部分が彼女の得意なものだからこそ、彼女の得意は広範に渡ると言うべきだろうか。

 一見すると彼女の料理への熱意は薄いようにも思える。最低限の料理人としての――自らの技術を鍛えよう、美味しい料理を作ろうという――熱意はあるのだけれど、普段の授業で一番を取ろうという餓えにも似た強い向上心が見られなかった。それは同世代に薙切えりなのような優れた人物がいたからかもしれない。

 それだからこそ彼女の怒りの琴線が美作には分からなかった。もう少し調査していれば分かったのかもしれない。しかしそうしなかったのは、彼女に食戟を受けさせる方法が明確に浮かんだからだ。美海という人物は一番になろうという意思はないものの、自らの料理への向上心はある。加えて彼女は真面目な性格であった。同級生の頼みを殆ど断ることは無かった。食戟のような大きな舞台ではないが、普段の授業での同級生との小さな勝負事――どっちの方が評価が高いかという小さなもの――を正々堂々受けていた。であればそれに準じて進めていけば食戟を挑めるに違いないだろう。

 美作は授業で美海に近づいた。同じペアとなって一緒の課題に取り組み、授業の終わりに食戟の約束を"正々堂々"取り付けた。

 あとはトレースだ。美海の購入した食材をリサーチし、彼女の普段の会話の端々から彼女の作る料理を推測し、彼女の料理の研究から調理手順を辿っていく。いつもと同じことである。

 だから――

「何を使うのか、何を作るのか、どうやって作るのか、すべてすべて調査済みだ。その上で至る所に俺なりのアレンジを加えさせてもらったぜ。メインの海老を引き立たせるために舌平目の上品な味がほんのり香るフュメ・ド・ポワソンを事前に米に浸透させた。同じ出汁につけることで野菜にも異物感を与えずに自然な調和を奏でさせた。メインの海老は事前にマリネしてあるから、噛み締めた瞬間にハーブの香りを含んだエキスが口いっぱいに広がって爽やかに通り抜けていくはずだ」

 負ける要素は無い勝負だ。すべてにおいて上位互換である美作の料理に美海という料理人は打ち砕かれるのは必然だ。そして結果が出る。美海の料理は奮闘むなしく美作に敵わず、美海は約定通り彼女が誇りとして賭けた包丁と自信作を差し出すことになった。

 当然結果にショックを受けるのは美海で、余裕の笑みで見下すのは美作のはずだ。至当な結末を迎えていればそうなっていたのかもしれない。しかし実際には違った。美海は一切取り乱さず、美作が結果に慌てふためいていた。

 二対一。美作の料理に一票入らなかったのだ。それはすべてにおいて一歩先んじる美作にとってみれば敗北のようなものだろう。しかし二票入っているのだから確かにパーフェクトトレースが出来ているのは間違いない。

「――私の負け、かあ。うん、約束通り……」

「どうしてだっ! 確かに俺は完全にトレースしたはずだ。そして勿論アレンジも微に入り細を穿ってミスなくこなした! にもかかわらずなぜおまえの方に票が入っている!?」

 本来ならば勝者が言うべきではないセリフ、さながら自身が敗北したかのような叫びに美海は首を傾げるばかりだった。それに応えるように立ち上がったのは、美海に票を投じた審査員の男だった。

「先に断っておくが、私は勿論誓って目の前の皿だけで判断させてもらった。君がこうして同じ料理を出して見せたことに思うところはあるけれど、この評価にそれは一切関係していない」

「なら、どこが――」

「君の皿は非常に素晴らしかった。メインの海老を引き立てるための細かな工夫、丁寧な仕事ぶりは力強く伝わってきた。けれども私には、こちらの早坂氏の皿の方がより深く(・・)感じられた。そうだな、深海のイメージとも言うべきか。言ってしまえば君の皿は丁寧に設えられた水族館、早坂氏の皿は自然のままのともすれば粗野とすら言える深い海だ。どちらも甲乙付けがたいのだが、私は早坂氏を評価させてもらった。とはいえこの食戟は君の勝利なのだけれどね」

 美作は美海の出したリゾットを口にした。そして気づいた。この料理、この深い味は未だ玉とも石とも分からぬ未鑑定の原石だ。それは確かに内に輝きを秘めている。しかし削り方を間違えてしまえば当然無価値な代物となるだろう。いや、そもそも輝き自体が砂金のようなごく僅かなものか、巨大な宝石かも分からない。言ってしまえば可能性の化け物か。

 何はともあれ美作は食戟に勝った。美海から包丁と彼女曰くの"秘蔵っ子"を受け取った。

 

 美作はこの食戟を経て美海への認識を改めることになった。これまでの獲物とは違う存在だ。だが本物かどうかまだ判別できない。『得体の知れないもの』。それが彼女への評価だ。

 




他のキャラ視点の話はスローペースで書き進めていきます。


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