『自称神(笑)』と『転生者(笑)』を赤屍さんに皆殺しにしてもらうだけの話 (世紀末ドクター)
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第一話 『自称神』と『転生者』

 ―――そこは凄まじく広大な図書館だった。

 

 

 中世ヨーロッパの僧院のような造りの内装に、薄暗い空間の中に不思議な光を放つ光芒が空中にあちこちに浮かんでおり幻想的な光景を作り出している。

 ありきたりな言葉であるが、その図書館はファンタジーの世界に出てくる古代図書館その物の雰囲気だった。

 

 

「………」

 

 

 周りには分厚い本を棚いっぱいに納めた書架がずらりと整列しており、どこまで広がっているのか検討がつかない。

 そこは、俗にアカシックレコードと呼ばれるセカイ全ての記録をおさめる場所であり、本来なら生身の人間には決して辿り着くことの出来ないはずの場所である。

 しかし、その図書館の一角を歩く人影が存在した。

 

 

 かつ、かつ、かつ、と。

 

 

 図書館の床を叩く靴の音だけが響く。

 この場所に足を踏み入れている時点でこの人物が普通でないことなど分かりきっているが、その身に纏う雰囲気はやはり只者ではない。

 ただ歩いているだけなのに、見る者の背中がゾワリと沸き立つような禍々しい雰囲気が滲み出ている。

 

 歳は二十代後半~三十代ほどだろう。

 端正な顔立ちをしており、髪も男性にしては異様に長い。身を包む衣服は医者が着る白衣のようだが、黒一色に染められている。

 手袋とシャツだけは対照的な白で着飾っているが、ネクタイも、何故か切り目の入った鍔の広い帽子も、黒衣と同様に真っ黒だった。

 

 ―――通称、Dr.ジャッカル。

 

 最強最悪の運び屋にして、冷酷無比の黒衣の外科医(メッサー)。

 そして、この世の『摂理』を知ってしまった超越者、赤屍蔵人。それがその人影の正体だった。

 

 図書館の中を歩く赤屍の足取りに迷いはない。

 どうやら偶然この場所に迷い込んだのではなく、ここに何らかの目的があって来たのだろう。

 そして、ずらりと並んだ書架の間を通り抜け、やがて彼は重々しい扉の前に辿り着いた。

 

 

「待っていたよ、Dr.ジャッカル」

 

 

 その扉の前には、ウサギの人形を抱いた一人の少女が赤屍を待っていた。

 まるで『不思議の国のアリス』を思わせる幼い外見だが、彼女が実際に何歳なのか分かったものではない。赤屍すらも彼女が本当は何歳なのかは知らない。下手をすれば軽く100歳は超えていそうな雰囲気すらある。とりあえず赤屍は疑問を棚上げすると、帽子のツバを少し持ち上げるようにして挨拶を返した。

 

 

「お久しぶりです、間久部博士」

 

「ああ、大体2ヶ月ぶりかな?」

 

 

 実際、無限城での『悪鬼の戦い』が終わって以来、二人は一度も顔を合わせていない。

 赤屍と間久部博士の関係は、あくまでも「運び屋」と「雇い主」の関係でしかなく、基本的にプライベートで顔を合わせるような間柄ではない。

 だが、逆を言えば、この二人が顔を合わせているということは、間久部博士から赤屍に対して何らかの仕事の依頼があるということである。

 お互いに社交辞令のような簡単な挨拶を済ますと、すぐに話を本題に切り替えた。

 

 

「それで今回は一体どんなご用向きですか? わざわざ私をこんな所に呼び出すからには仕事の依頼があるんでしょう?」

 

「…そうだな。まずはこの扉の先にあるモノを見てもらおうか」

 

 

 そう言って、彼女は後ろにある巨大な扉を顎で示す。

 その扉の先に何があるのかは、赤屍も知らない。

 だが、わざわざ見せようとするからには、今回の依頼に何か関係があることは誰にでも予想がつく。

 

 

「…この先にあるモノが今回の依頼に関係していると?」

 

「そんなところだな」

 

 

 赤屍に返事を返すと間久部博士は扉に向かい合う。

 そして、扉の前に立った彼女は、開錠のコマンドワードを呟く。

 そのコマンドワードは赤屍も聞いたことのない言語で、聞いた者の耳ではなく脳髄に直接響くような不思議な響きがあった。

 

 

 カチリ――…

 

 

 鍵の開いたような金属音が鳴り、ゆっくりと扉が開いていく。

 

 

「これは……」

 

 

 扉の向こうはかなり広い空間が広がっており、その中心には直径5mほどの球体が浮遊していた。

 そして、その球体の正体を知る者は、恐らくはこの世に数えるほどしかいないだろう。

 

 

「君がこれを実際に見たのは初めてかな?」

 

「……ええ」

 

 

 その球体の正体は、『アーカイバ』と呼ばれる機械仕掛けの神だった。

 正確に言えば、「ブレイントラスト」によって作られた巨大な自律機動型コンピューターの一種である。

 科学技術と魔法技術の粋を集めて作られたそれは、無限城セカイの秩序と運命の流れを望むとおりに調整する為の道具だった。

 

 

「これは、今も動いているんですか?」

 

「いや、すでにこれの機能は停止している。無限城世界がアーカイバから切り離されて別のセカイとして独立した以上、これもある意味では過去の遺物の一つだと言っていい」

 

 

 創世の王となった天野銀次の選択によって、すでに無限城セカイはアーカイバからは切り離されている。

 したがって、今のアーカイバは無限城セカイに干渉することが二度と出来ない状態になっているらしい。

 

 

「? だったら、今さらこんなガラクタに何の用があるんです?」

 

 

 赤屍は、疑問に思ったことを尋ねた。

 本来的な用途を果たせなくなった道具など、赤屍に言わせればガラクタも同然である。

 今回の依頼にも関係するとのことだが、今さらこんなガラクタに何の用があるのか赤屍には分からなかった。

 

 

「無限城セカイに干渉する機能が失われたからといって、使い道が全く無いというわけではないさ。単純にコンピュータとしての性能だけで考えても、これ以上のモノは存在しない。出来ることなら、回収したいというのがブレイントラストの本音らしい」

 

 

 何とも面倒な事だと、間久部博士は肩を竦めながら付け加える。

 実際、無限城セカイとバビロンシティが相互不干渉になった今、両者のセカイを行き来できる人間はかなり限られている。

 両者のセカイ間を何の制限も無しに自由に行き来できるのは、今となっては赤屍くらいしか居ないだろう。

 

 

「つまり、私に頼みたいのは、ここにあるアーカイバをバビロンシティに運ぶことですか?」

 

「それも君に頼みたい依頼の一つではあるんだがね…」

 

 

 どうやらそれ以外にも頼みたい仕事があるらしく、彼女はさらに話を続ける。

 

 

「調べた結果、アーカイバの電源コアに相当するパーツが全て紛失している。

 どうやら『創世の王』の行った世界改変の際の影響で、電源コアがどこか別の次元に吹き飛ばされたらしい」

 

 

 創世の王の世界改変とは、文字通りセカイ全てを完全に作り変えることを意味する。

 間久部博士の話では、その時の衝撃でアーカイバは粉々に吹き飛んでも不思議ではなかったらしい。

 …というより、間久部博士がアーカイバの残骸を発見した時は文字通りのバラバラになっていて、バラバラのパーツを組み上げてここまで修復したのだという。

 

 

「電源コアが存在しない今のままでは、これは何の機能も持たないハリボテでしかない。

 よって、君には、別の次元に飛ばされたアーカイバの電源コアを私の元にまで運んでくる仕事を頼みたい」

 

「それらのコアがどこにあるのかは分かっているんですか?」

 

 

 彼女の話を聞いた赤屍は、至極真っ当な疑問を尋ねた。

 間久部博士の話では、アーカイバの電源コアはどこか別の次元へと吹き飛ばされたらしいが、場所が分からなければいくら赤屍でもどうしようもない。

 第一、無限に存在する平行世界や並列世界のどこにあるかも分からない物を探させるなど、まともな依頼ではない。

 

 

「吹き飛ばされたパーツがどこの次元に飛ばされたのかは、すでに判明している。

 だが、観測した結果、それらのパーツはどれも現地の人間に拾われていてね。その所為で少し面倒なことになっているのさ」

 

「面倒なこと?」

 

「ああ、アーカイバの電源コアには、文字通り本物の神にも匹敵する力が秘められている。そして、別の次元に飛ばされたコアの力を手に入れた連中が、『神』を名乗って好き勝手やっているらしいんだよ」

 

 

 赤屍はその話を聞いて、呆れたような顔をした。

 何というか、小物が成金になるとあっという間に増長する典型的パターンである。

 

 

「要するに、アーカイバの電源コアを回収する為には、それらの『自称・神』とやらを始末する必要があるということですか?」

 

「その通りだ。そして、それに関連してもう一つ、あの世に運んで欲しい連中がいる」

 

 

 そう言って、間久部博士は、コアの力を手に入れた『自称・神』がやっていることを話した。

 何でも『自称・神』とやらは、まだ生きている人間を気紛れで交通事故に遭わせたり、それで死んだ者の魂に能力を付与して転生させたり、色々やっているらしい。

 

 

「何というか…その自称・神とやらは随分と意味の無いことをするんですねぇ…」

 

 

 その話を聞いた赤屍は、何とも呆れ果てたような表情で言った。

 間久部博士も全く同意見だと、やれやれと盛大に溜め息を吐いている。

 彼女のいかにも幼い外見と、年寄りくさい仕草とのギャップが可笑しかったらしく、赤屍はクスリと笑みをこぼしながら尋ねた。

 

 

「クスッ、それで『自称・神』以外に始末して欲しいのは、それら『転生者』の方々でいいんでしょうか?」

 

「理解が早くて助かるよ、ジャッカル」

 

 

 ニヤリと冷たい笑みを浮かべながら博士は頷く。

 すでに話の流れから、博士の言わんとすることを赤屍は理解していた。

 話の流れからすると、今回の仕事はアーカイバの電源コアの回収がメインである。

 そのことを考えれば、「自称・神」だけでなく「転生者」の連中も抹殺の対象になっている理由の大体の見当はついた。

 つまり、転生者の連中に分け与えられた能力も、本を正せばアーカイバのコアから分け与えられた『チカラ』であり、それらも回収対象だということだ。

 

 

「やれやれ…自称・神とやらの気紛れで巻き込まれただけの一般人にとっては災難でしかありませんね?」

 

 

 溜め息を吐きながら、赤屍はこれからの仕事で自分が殺すことになる転生者たちに形だけの同情を示す。

 博士が言うには、転生者に分け与えられたチカラは、魂と直接融合している状態になっており、殺さなければ回収は不可能らしい。

 つまり、結局は全員を殺すことになる。

 

 

「フッ、災難も何も君が殺すのだろう?」

 

「クスッ、その依頼を頼んだのはアナタじゃないですか?」

 

 

 その顔に薄い笑いを貼り付けたまま、二人は話を続ける。

 二人の表情と話し方を見る限り、二人とも人を殺すことなど何とも思ってないらしい。むしろ邪魔な人間は、殺して当たり前くらいに考えているのだろう。

 とりあえず、ここで今までの話をまとめると、以下の3点が赤屍に頼みたい仕事だということになる。

 

 1.アーカイバのコア本体の回収

 2.コア本体から転生者の連中に分け与えられたチカラの回収

 3.修復されたアーカイバをバビロンシティへ運ぶこと

 

 ※なお上記の3つの仕事を進める上で邪魔になる者(=「自称・神」と「転生者」)は、すべて抹殺しても構わない。

 

 

「…以上、依頼について何か不明な点はあるかい?」

 

 

 今回の依頼の内容を粗方説明し終えた博士は、質問がないかどうかを赤屍に尋ねた。

 

 

「質問がいくつかあるのですが、よろしいですか?」

 

「何かな?」

 

「まず、回収しなければならないコアの数と、私があの世に運ぶべき転生者の数はおよそ何人なんでしょうか?」

 

「回収するコアの数は5個。始末しなければならないと予測される『転生者』の数は大雑把に2000人くらいだな」

 

「ほう? 2000人とは中々に多いですね」

 

 

 2000人という数字に対しても、赤屍は全く動じない。むしろ、その表情は嬉しそうですらある。

 殺人マニアである赤屍にとっては、殺すことの出来る獲物が増えるのは、むしろ好都合なことでしかないのである。

 なお、現時点での正確な内訳は、始末するべき『自称・神』は5人で、始末するべき『転生者』は1434人らしい。

 もっとも、その自称・神とやらは、今も現在進行形で転生者の数を増やしているので最終的に始末しなければならない数は2000人くらいになると予想されるとのことである。

 

 

「…ふむ。それでは最後に仕事の報酬と、依頼を完遂するまでの制限期間についてお聞かせ願えますか?」

 

「報酬については、日本円で一億ほど用意した。依頼を完遂するまでの制限期間は特に設けていないが、3ヶ月くらいを目処にしてくれると助かる」

 

「なるほど」

 

「訊きたいことはそれで終わりかな?」

 

「ええ」

 

 

 そして、依頼の内容について質問を終えた二人は、次に契約の段階へと移った。

 当然だが、この依頼の契約が結ばれた時点で「自称・神」と「転生者」の辿る運命は『死』以外に無くなる。

 相手が何かの能力を付与された転生者であろうと、自称・神であろうと、赤屍にとってはウサギ狩りと何も変わらない。

 所詮、赤屍にとっては有象無象でしかないのだ。

 

 

「それでこの依頼を引き受けてくれるかい? ジャッカル」

 

「ええ、お引き受けしましょう」

 

 

 かくして、依頼の契約は完了した。

 そして、それと同時に「自称・神」と「転生者」が辿る運命も自動的に決定されたと言える。

 

 

「フフッ、引き受けてくれて助かるよ。それじゃあ、早速行くとしようか」

 

「どこに行く気ですか?」

 

「『自称・神』と『転生者』の居場所は観測結果からすでに判明している。まずは、アーカイバのコアの本体を『自称・神』から回収しに行く」

 

 

 アーカイバのコア本体の回収とは、早い話が「自称・神」のところへの殴り込みである。

 まずは「自称・神」を始末し、余計な転生者が増えないようにした上で、転生者の連中を狩っていくという方針らしい。

 そうして、博士は自分の後を付いて来るように赤屍に促すと、扉の外へと向かった。

 

 

 

「クスッ、楽しい楽しい『ウサギ狩り』の始まりですね」

 

 

 

 赤屍は楽しそうにそう言うと、博士の後ろについて行こうと赤屍も踵を返した。

 そして、赤屍と博士の二人がアーカイバの球体が浮遊する部屋の外に出ると、入ってきたときと同じようにひとりでに扉が閉まって行く。

 

 

 バタン――…

 

 

 扉が閉まった音がした時には、すでに二人は別の次元へと転移した後であり、二人の姿はそこから消えていた。

 

 こうして、赤屍による「ウサギ狩り」が始まった。

 そして、この日から3ヵ月も経たない内に、合計2000人の『転生者(笑)』と『自称・神(笑)』は、赤屍の手によって狩り尽くされることになるのである。

 

 

 ―――赤屍蔵人に命を狙われる。

 

 

 絶対に勝てない相手から命を狙われた転生者たち。

 生き残るどころか、立ち向かうことさえ難しいような絶望的な強敵。

 この絶望を乗り越えて、赤屍から生き残るという奇跡を掴み取れる人間が、果たして一人だって存在するのか。

 一つ言えるのは、もしもこの絶望を覆す奇跡を成せる人間が存在したとしたら、きっとその人間は間違いなく、本物の英雄だろうということだ。

 果たして、そんな英雄が命を狙われた転生者たちの中に存在するかどうかは、赤屍達にも分からなかった。

 

 

 




あとがき:

 この作品の中での「自称・神(笑)」は、アーカイバのコアを拾ったことで力を得た連中と設定しています。
 SSとかでやたらと調子に乗ってる「自称・神(笑)」と「転生者(笑)」を皆殺しにしたかったので、ついカッとなって書いてしまいした。反省も後悔もしていません。
 物語の英雄というのは、どう考えても乗り越えられないような理不尽と絶望を、知恵や勇気、努力なんかで乗り越えるから英雄なのであって、単に能力を振り回してるだけのチート転生者が、自分が子供の頃に憧れた『彼ら』と同じモノであるとは自分にはとても思えません。
 だから、全員をぶっ殺すつもりで、自分の考え得る最大最強の理不尽と絶望を転生者の方々に対して設定してみたのが、本作です。
 転生者であるキミが皆からチヤホヤされるだけの資格がある本当の英雄であるのなら、この絶望を知恵と勇気で乗り越えてみせてくれ!


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第二話 『リリカルなのは』の世界で その1

 ―――結論から言おう。

 

 アーカイバのコアを拾ったことで力を得ただけの「自称・神」など、赤屍の前では所詮はただの雑魚だった。

 あっさりと「自称・神」たちを始末した赤屍と間久部博士であったが、今度は残りの「転生者」達を始末するべく、二人は別のセカイへの転移を繰り返していた。

 いくつかの次元を渡り歩いた後、二人が新たに転移した今度の世界。新たに訪れたその世界は彼らが元々いた世界と殆ど変わらない世界だった。セカイは違えども同じ日本。

 そして、二人の死神が降り立ったその土地の名前は―――

 

 

「ここが海鳴市、ですか」

 

 

 海と山が近くにあり、空気も程良く澄んでいる。

 田舎過ぎず、都会過ぎないという印象の街だった。

 しかし、間久部博士の話によると、この街はある意味『転生者』たちの魔都になっているのだという。

 ようするに、特定の女の子とイチャコラしたいという欲望丸出しの連中たちの巣窟となっているらしい。

 

 

「全く…話を聞いただけで頭が痛くなってくるような連中ですね…」

 

「そうだな。私もそう思うよ」

 

 

 赤屍の隣りに立つ間久部博士もヤレヤレと同意の言葉を返す。

 最初は今回の依頼に乗り気だった赤屍であったが、『ウサギ狩り』の獲物の実態が知れるにつれ、明らかに態度が不機嫌になって行った。

 一番最初に始末した5人の『自称・神』のこともそうだが、これまでに始末してきた『転生者』の連中の大半はどいつもこいつも頓珍漢な独善を振り回すアホばかりだった。

 

 

「自称・神の方々も大したことは無かったですし、思っていたよりも遥かに期待外れな仕事ですね。今回は」

 

「フッ、そう言ってくれるな。せめて報酬分の仕事はしてくれたまえよ?」

 

「余り気は進みませんがね。引き受けてしまった以上は報酬分の仕事はキッチリしますよ」

 

 

 赤屍はそう言うが、それはつまり、報酬分以外のことは一切しないということである。

 これまでにも数多くの『転生者』をあの世に運んできたが、どいつもこいつも変わり映えのしない連中ばかりでいい加減に飽きて来たのだ。

 たとえば―――

 

 

「『私は自分の剣の骨です』だとか、意味不明な呪文を使う人が最低でも50人くらいは居ましたよねぇ…」

 

「確か『無限の剣製』だったか。ひょっとしてああいう能力が流行っているのかな?」

 

 

 いくつもの剣や武器を持っていようが、使いこなせなければ意味が無い。

 何本もの剣を作って投擲武器のように射出してこようが、所詮はただの直線攻撃。

 360度全包囲する形で攻撃して来ようが、赤屍からしてみれば多少厄介な程度で十分対処可能なレベルだ。

 攻撃される側の状況としては、重火器で武装した集団に取り囲まれて一斉に攻撃されているのと状況的には似たようなモノであり、代用が効くということは所詮そこまでの技術・能力である。

 別に『無限の剣製』という能力自体をディスるつもりは無いが、適切な運用がされずに闇雲に使うだけの能力など赤屍にとってみれば何の役にも立たない。自己鍛錬を怠り、与えられた能力に頼りきった戦い方しか出来ない者など、どのような能力を持っていたところで所詮は宝の持ち腐れである。

 

 

「彼らの力の『オリジナル』の方々が、ああいうのを見たらどんな感想を抱くんでしょうねえ…」

 

 

 オリジナルの人物が死にもの狂いの努力、命を賭けての戦いの果てに身に着けた技術。

 それらを何の苦労もなく、ただ神様に与えられたというだけで、いい気になって無暗矢鱈に振り回すだけの連中。

 彼らの能力の『オリジナル』の人物が、ああいう劣化コピーな連中を見たら、「ふざけるな!」と怒り狂っても不思議はない気がする。

 呆れの混じった赤屍の言葉にウサギの人形を抱いた少女は愉快そうに笑う。

 

 

「ククッ、君がそれを言うのかね? 君の方も相手からしてみれば大概だよ。むしろ君に殺された相手からすれば、君の存在こそ『ふざけるな』だろうさ」

 

 

 並のチートなど相手にもならない圧倒的な赤屍の実力。

 それだけの実力を持っていながら格下相手でも紙クズのように切り刻む冷酷さをみせ、人を殺すことを愉しむ殺人嗜好者。

 真っ当な法律に照らし合わせるなら、赤屍蔵人という人物こそ確実に死刑待ったなしの極悪人であろう。そんな極悪人である赤屍が他人を非難する資格など在る筈がない。

 

 

「まあ、確かにそうなんですけどね。実際、私自身、自分が最低の極悪人だという自覚はありますよ」

 

 

 間久部博士の指摘に対して、赤屍は少し苦笑しながら返答する。

 

 

「私が極悪人だということは否定しません。ですが、そんな私の目から見ても相当に不快な連中が多かったのも事実ですよ。たとえば、殺す覚悟だとか殺される覚悟だとか、やたらと『覚悟』なんて言葉を使いたがる転生者も居ましたが、アレなんかも相当に的外れの意見だと思うんですよねぇ…」

 

「ほう? 的外れとはどういう意味かな?」

 

 

 興味深そうに間久部博士は赤屍に聞き返した。

 聞き返された赤屍は少し言葉を選ぶように考えたあと、こう答えることにした。

 

 

「ようするに、殺す側がどんな覚悟や信念を持っていようと、殺される側にとっては何も関係ないってことですよ」

 

 

 赤屍に言わせれば、『殺される覚悟』や『殺す覚悟』なんて何の価値もないものだった。

 そういう覚悟の有無が何らかの違いをもたらすとしたら、それはせいぜい死の間際での潔さぐらいのものだろう。

 覚悟を持っていなかった場合は、『死にたくない』と喚きながら見苦しく死んでいく。そして、覚悟を持っていた場合は、せいぜい死の間際に『仕方ない』と受け入れて、潔く死んでいくだけだ。覚悟の有無が何か違いをもたらすとしたら、せいぜいこの程度でしかない。そんな些細な違いしかもたらさないものなど、赤屍にとってはどうでもいい物でしかなかった。

 

 

「覚悟や信念を持っていることが、殺すことへの免罪符だと勘違いしているんですかね? しかも、そういう連中に限って、いざ自分が殺されそうになった途端に命乞いをするような者ばかりなんですから、全く以って救えませんよ」

 

 

 そもそも、自分には殺される覚悟があるから何をしても許されるという理屈が通用する訳がない。

 赤屍にとって重要なことはただ一つ。それは覚悟の有無などではなく、単純に強いかどうかの一点のみ。

 

 

「覚悟というのが個人の価値観と意思の在り様を指す言葉である以上、当然その在り方は個人によって違うものです。そんなものは義務でもなければ、ましてや他人に押し付けるものでもない。結局、覚悟や信念なんてのは自分の内にだけ秘めていればいいんですよ。戦闘中の相手に覚悟の有無を問うなんてナンセンスです」

 

 

 いかにも不機嫌そうに語る赤屍。

 どうも話し振りから察するに、実際にそういう類の問いを赤屍に投げた転生者(笑)が居たらしい。

 一方、赤屍の話を聞いた間久部博士は、口の端に皮肉気な笑みを浮かべて言った。

 

 

「覚悟や信念は他人に押し付けるものではなく、ただ己の内に秘めるもの―――か。フフッ、なるほど。つまり、それが君にとっての『信念』な訳だな」

 

「……」

 

 

 からかわれるように言われ、不機嫌そうに押し黙ってしまう赤屍。

 そんな赤屍に苦笑すると、博士は少しだけ自分の意見を述べることにした。

 

 

「まあ、君の信念については少し興味はあるが、今はどうでも良い。私達の今回の仕事は『自称・神』がバラ撒いた転生者の連中を問答無用に皆殺しにすることだからな。確かにこれまで君に始末してもらった転生者は君にとっては期待外れだったかもしれないが、実は私にとってはそうでもないよ」

 

「……あんな紙屑みたいな雑魚にどんな見込みがあると?」

 

 

 間久部博士の言っていることが理解できないという風な赤屍の表情。

 そんな赤屍に博士は一つ頷いて言葉を続けた。

 

 

「確かにこれまで出会った転生者の連中は、君にとっては紙屑みたいな連中ばかりだったかもしれないな。だが、それでも私は今回の始末対象である転生者たちに期待しているんだよ。一人くらいは絶望に抗い抜く人間の姿を魅せてくれる者が居てくれるのではないか…、とな。諦めず戦い抜く人間はたとえ敗れようとも美しい。真田幸村を見ろ。関ヶ原の敗軍の将にも関わらず、あれほど世の人々に讃えられているだろう」

 

 

 敗軍の将・真田幸村を引き合いに出して、間久部博士は語る。

 今回の仕事で始末しなければならない転生者たちに抱いている期待を。

 

 

「絶望に真っ向から立ち向かう勇気と諦めない心こそ人の持つ最大の輝きだ。君のお気に入りの好敵手である『奪還屋』の二人組がまさにそうだ。……きっとこのセカイにも居る。絶望に屈せず、不屈の意思を魅せてくれる英雄がな。『Dr.ジャッカル』という最大の障害。その絶望の中で必死に足掻く者の魂の輝き。私はそれを見たいんだよ」

 

 

 もっとも、完全に心が折れて絶望に染まった顔というのもそれなりに味があるがな、と博士は口元を残酷に歪ませながら付け加える。

 まるでどこぞの愉悦部員のようなドS発言をサラリとかますあたり、やはり、この間久部博士という人物も頭のネジが1本や2本ではないレベルで吹っ飛んでいる。

 

 

「なるほど。つまり、他人の不幸は蜜の味、という奴ですか」

 

「悪趣味だと思うかね?」

 

「いいえ? 私の趣味よりはずっとマシだと思いますよ」

 

 

 言いながら、正気のままで狂っている二人は不敵に笑った。

 それは見た者の背筋がゾワリと沸き立つような禍々しさに満ちた悪魔の笑みだった。

 

 

「さて、それはそうと、もうすぐ昼食時だ。まずはどこかで食事を摂らないか?」

 

「ええ、お付き合いしましょう」

 

 

 そう言って、二人は並んで歩き出した。

 この街に血の雨が降るまで、もはや幾許の猶予もない。

 しかし、このセカイの転生者たちは、自分達が最強最悪の死神に命を狙われていることなど、まだ知る由もなかったのだった。

 

 

 

 




あとがき:

 この後、海鳴市に史上最悪レベルの『連続児童殺害事件』が発生します。「リリカルなのは」のSSの転生オリ主って、ほとんどの場合、フェイトやなのはと同年齢だから、こいつらを問答無用で殺していくとなると、赤屍は間違いなく歴史上最悪の凶悪殺人犯として全国ニュースの話題を掻っ攫うことになりますわ。


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第三話 『リリカルなのは』の世界で その2

※今回は、ある転生者の視点での話です。


 ―――突然だが、俺は転生者だ。

 

 トラックに轢かれて死んだ俺に神様が与えてくれたのは二度目の人生だった。

 何やら神の暇潰しというか娯楽の為に、都合良く死んだ俺を別の世界に飛ばすらしい。

 正直、そんな転生とかどうでも良いから普通に元の状態に生き返らせてくれればそれで良いというのに、何でわざわざそんなことをするのか分からない。

 何となく思ったことだが、転生の神様という奴は本当は神様の皮を被った悪魔なんじゃないだろうか。そう思った理由? そんなの周囲の状況をみれば一目瞭然だ。

 転生してから6年が経ち、今は小学校の入学式。

 

 

「えー、君達はこれから---」

 

 

 よくある校長先生の長話を聞き流しつつ、俺は周囲の状況に頭を抱えたくなっていた。

 銀髪オッドアイの男子小学生。炎髪灼眼の女子小学生。果ては某錬鉄の男や金ぴか英雄王の小学生版。

 はっきり言ってこんなのはまだまだ序の口である。きっとコイツらの全員が魔力Sランクを超えていたり、レアスキル持ちだったり骨子が捩れ狂ったりするんだろう。

 正直、俺自身は原作介入とかには興味は無かった。だから、俺は神様がくれると言った転生特典とやらは本当に何も貰っていない。

 

 

『貰えるもの貰わないとかwwwwバカスwwww』

 

 

 転生の際、神様だとか言う奴はそんなことを言って嗤っていた。

 だが、結果的に見るならば、俺のあの時の選択は間違いなく最適解であったことを、この時の俺はまだ知らない。

 今から数年後――つまりは『原作』の開始と同じ時期、海鳴市に存在する『特典持ちの転生者』が揃って皆殺しにされることになるなど、この時の俺達には知る由も無かった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 小学校に入学してから数年の月日が経つのは意外に速かった。

 最初の入学式で、あからさまに転生者だらけだったのを見た時はどうなることかと不安だったが、意外にもそれほど大きなトラブルは無かったみたいだ。

 もっとも、「ハーレム」だの「原作介入」だのとほざく転生者同士の多少の小競り合いなんかはあったみたいだが、死人が出るようなことは無かったみたいだし、ある程度の無難なところに収まったらしい。

 らしい、というのは目の前の『コイツ』に聞いたからだ。

 

 

「けど、びっくりしたよ。キミも転生者だったんだ?」

 

「ああ、アンタもそうだったんだな」

 

 

 さよならの挨拶が終わった放課後の教室。

 教室の掃除をしながら、俺はクラスメイトの少女に対してぶっきらぼうに答える。

 相手の名前は佐倉未来。黒い髪をポニーテールに纏めた凛とした感じの少女で、率直に言って中々の美少女だ。

 容姿的なイメージとしては『ToL○VEる』のサブキャラである九条凛に近い。ひょんなことからお互いに転生者だとバレてからは、一応は友人同士の関係を続けている。

 

 

「まあ、私の場合は『原作』に関わるつもりなんてさらさら無かったからねー」

 

「俺もだよ。原作介入だとかハーレムだとか、本気で言ってるんだとしたら頭が沸いてるとしか思えねえ」

 

「あー…、確かにそういう奴も実際に居たんだけどねえ…。けど、そういう余りにも痛い奴は普通に原作メンバーからも嫌われて、勝手に不登校の引きこもりになったみたいだよ?」

 

「小学生のうちから引きこもりって……」

 

 

 正直、呆れて物も言えない。

 小学生のうちから引きこもりとは、はっきり言って人生を棒に振るに等しいと思う。

 まあ、他人がどんな人生を送ろうと俺の知ったことではないので、そいつの好きにすれば良いとは思うが―――

 

 

「フフッ、確かにねえ。小学生からそんなんじゃ、将来は絶対に苦労するよね。あ、そうだ。ふと思ったことだけど、いわゆる『ADHD(注意欠陥多動性障害)』とか『自閉症』とかの周囲に溶け込めない発達障害扱いされてる子どもの中には、私達みたいな転生者って居たりしないのかな?」

 

「さあ? 実際、何人かは居るんじゃね? まあ、そういう視点で考えれば、いわゆる『性同一性障害』の奴の中にも、TS転生した転生者ってのが居るのかもな」

 

 

 3割くらいの思考で適当に答える。

 そして、そんな適当な発言に返って来た言葉はこうだった。

 

 

「あ、うん、それは間違いなく、居ると思うよ。だって、私自身がそうだしさ」

 

「…は?」

 

 

 余りにも唐突過ぎるカミングアウトに俺は固まってしまった。

 だが、突然にこんなことをカミングアウトされたら、たとえ平静で居られなかったとしても許されると思う。

 数秒の停止の後、俺はどうにか平静を装いながら訊いてみた。

 

 

「よ、ようするに、アンタの前世は男ってことか?」

 

 

 明らかに動揺を隠せていない俺。

 そして、彼女はそんな俺の動揺を完全に見透かしており、ニヤニヤと愉快そうな笑みを浮かべている。

 

 

「クス、まあね。…とは言っても、私の場合、もう女性として生きていくこと自体は納得してるんだけどね。でも、最初はホント大変だったよ。性別って自分のアイデンティティとも結びついてるから、最初は中々納得できなくてさー」

 

 

 サバサバと軽い口調で言う佐倉。

 話し振りを見る限り、どうやら本人の中ではある程度の折り合いがついている問題らしい。

 もっとも―――

 

 

「ただ、今のところ、男と恋愛する気は全く無いけどね。それよりも可愛い女の子とキャッキャウフフしたい」

 

 

 佐倉の返答を聞いた俺は何だか力が抜けてしまった。

 まあ、本人が納得してるなら別にどうだって良いけどさ。

 俺は頭の後ろをガシガシと掻きながら、思ったことを佐倉に言った。

 

 

「ふーん…、レズだか百合だか知らねえけど、本人が納得してるならそれでいいんじゃねえの?」

 

「キミ、結構ドライだよねえ…。特に教師からそう言われない?」

 

「ああ、良く言われる」

 

「やっぱり」

 

 

 納得したという感じの表情。

 しかし、改めて目の前の少女を観察してみると、仕草とか表情とかは完全に女性である。

 これで前世が男でなくて、精神的BLというのがネックにならないのなら、割とタイプの少女なのだが…。

 俺がそんなことを考えていると、ふと佐倉が訊いてきた。

 

 

「あ、そうだ。ところで、キミも転生者ってことは、神様から何か特典を貰ったの?」

 

 

 なるほど。転生特典についての話題か。

 だが、この問いに対して、俺が返す答えは一つしかない。

 

 

「いや、俺は何も貰ってない」

 

「え、本当に?」

 

 

 意外そうな表情。

 そんな彼女に俺は頷いて答える。

 

 

「ああ、前世の記憶を引き継いでいること以外は本当に何も貰ってない」

 

「けど、折角なら貰っとけば良かったんじゃないの? 持ってて困る物じゃないと思うんだけど?」

 

「いいんだよ。確かに少し勿体ないと思うことはあったけど、他人からの『借り物』で粋がっても滑稽なだけだろ」

 

「それはひょっとして私に喧嘩を売ってる?」

 

「何で?」

 

 

 何でも聞いた話によると彼女自身は、どこぞの農民剣士の秘剣『燕返し』や、どこぞの新撰組一番隊の『無明三段突き』なんかを転生特典として貰っているらしい。

 もっとも無暗に対人で振り回すような技でもないため、彼女が通っている道場での一人稽古のとき、誰にも見られていないときに使って、ニヤニヤと悦に入るという使い方をしているという。

 何というか「なり切り遊び」や「ごっこ遊び」をして喜ぶ子供そのものである。いや、実際、今の彼女は外見的には子供なんだけども。

 

 

「や…やっぱり厨二病っぽいかな?」

 

「いや、他人に迷惑を掛けてないのなら別に良いだろ。俺みたいな拗らせ気味の高二病に比べたら―――いや、どっちもどっちか?」

 

 

 結局のところ、何事もバランスが一番大事だと思う。

 不登校の引きこもりになったという転生者は、その辺りのバランス感覚が壊滅的だったということだろう。

 

 

「バランス感覚かぁ。確かにそうかも」

 

 

 そう言って彼女はクスクスと笑う。

 その後、彼女はふと思い出したように言った。

 

 

「ああ、そうだ。けど、気を付けた方が良いよ」

 

「何を?」

 

「そろそろ『原作』の開始時期だからさ。原作へ介入する気の転生者がまだ存在するかもしれない。不登校になった転生者だって、まだ諦めていないかもしれないし、原作の開始時期のタイミングに介入して逆転を狙ってきても不思議じゃない」

 

 

 以前みたいな転生者同士の小競り合いで済めばいい。

 だが、原作の事件の発端になったジュエルシード自体が、次元震を起こす可能性を秘めた最大級の危険物だ。

 下手をしたら海鳴市自体が地図から消える可能性すらあるだけに、注意をするに越したことはない。

 もっとも転生特典を持たない俺にとっては、たとえ注意したところで何の対策も取りようがない訳だが。

 

 

(まあ、俺には関係ないから、アンタらだけで勝手にしてくれ)

 

 

 誰がハーレムを作ろうが、誰が原作キャラを嫁にした所で俺に興味はない。

 最低限、海鳴市が地図から消える危険さえどうにかしてくれれば、俺にとってはそれでいい。

 

 

「じゃあ、また明日ねー」

 

「ああ」

 

 

 そうこうしているうちに教室の掃除も終わり、佐倉とも別れた。

 そして、その学校からの帰り道―――

 

 

「クス」

 

 

 ―――俺はとんでもないイレギュラーに遭遇することになる。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 俺がそのイレギュラーと遭遇したのは下校途中の横断歩道で赤信号を待っている時だった。

 その時、横断歩道の向こう側には確かに誰も居なかったはずだ。だが、目の前を一台の自動車が通り過ぎた後、そこには二人の人間が突然に出現していた。

 

 

(……え? いつの間に…)

 

 

 一瞬、自分の見間違いかと思った。

 だが、俺の見間違いでないのなら、この二人はまるで瞬間移動したかの如く突然に現れた。

 二人のうちの一人は、ウサギの人形を抱いた『不思議の国のアリス』を思わせる少女。そして、もう一人は全身黒ずくめの長身の男。

 親子に見えなくもないが、何というか奇妙な雰囲気を感じる二人だ。

 

 

「クス…」

 

 

 二人の雰囲気を少し奇妙に感じていた俺だったが、ふと男の方と目が合った。

 そして、男の方と目が合った瞬間、俺はまるで金縛りにあったかのように、その場から一歩も動けなくなっていた。

 コイツが一体何者なのかは分からない。だが、俺はこの男を前にして最大級の命の危機を感じていた。

 

 

 ―――もしかしたら、俺はこの場で殺されるかもしれない。

 

 

 何の事前知識も無しに何故かそう確信出来た。出来てしまった。

 恐怖。そう、俺は今、生まれてからかつてない程の恐怖を感じ、ガチガチと歯を鳴らしていた。

 恐怖のあまり呼吸が止まる。指先一つ動かすことも、目を逸らすことも、そして、呼吸さえも許さない。

 しばらくして信号が青に変わり、信号が変わると同時にこちらへ向かって歩み出す二人。

 

 

(ヤバい! ヤベエって! 動けよ、俺の足!)

 

 

 本来なら、すぐにでもこの場から逃げるべきだ。

 本能ではそれが分かっているのに、どうしても足が動いてくれない。

 動けないでいる自分との距離がゆっくりと狭まる。この時の俺はまるで死刑を待つ囚人のような気持ちだった。

 そして、自分との距離があと数歩というところで、相手はその歩みを止める。相手はしばらく俺のことを冷めた視線で見つめていたが、やがて愉快そうな声で言った。

 

 

「クス、命拾いしましたね…。アナタは『対象外』だそうですよ」

 

 

 そう言い残し、その二人は俺の隣りを通り過ぎて行った。

 二人が立ち去った途端、俺はその場にヘナヘナと座り込んでしまう。

 

 

(一体、何だったんだよ、今の!?)

 

 

 この時の俺にはあの二人の正体が全く分からなかった。

 だが、後になって思えば、間違いなくあの二人がこの後に起こる『ある事件』の犯人だった。

 

 

 ―――海鳴市連続児童殺害事件。

 

 

 日本の犯罪史上で最悪と言われる凶悪事件であり、海鳴市を恐怖のどん底に陥れた連続殺人事件。

 世間一般には無差別殺人だったという認識がされているが、この事件の犯人が明確にターゲットを絞っていたのは間違いない。

 巻き込まれただけの第三者を除けば、この事件の被害者は全員が『特典持ちの転生者』であり、俺のような『特典を持たない転生者』は難を逃れたことがその事実を証明している。

 

 

 そして、この事件を通して俺は関わるつもりの無かった原作メンバーや、他の転生者たちとも関わることになってしまうのだった。

 

 

 

 

 




あとがき:

 赤屍と博士が殺害対象にしているのは、あくまで『アーカイバ』の力を分け与えられた転生者であって、力を持たない転生者は対象ではありません。よって、この場合は『特典持ちの転生者』が殺害対象になるわけです。


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第四話 『リリカルなのは』の世界で その3

 

 

(一体、何だったんだよ、アレ…?)

 

 

 自宅に帰った後、俺は自室のベッドに寝転がったまま思い出していた。

 帰宅途中に出会った白い少女と黒い男の二人組。自宅に帰った後も、何故か彼ら二人のことが俺の頭から離れなかった。

 ただ目が合っただけで自分の死をイメージさせられたのなんて、前世も含めて初めての経験だ。一度、前世で『死』を経験しているからこそ分かる。むせ返りそうな程に濃密な死の気配があの男からは漂っていた。

 男が放っていた絶望的な存在感。それは転生の際に出会った神様を名乗っていた奴すらも遥かに上回っていたと俺は確信を持って言える。

 具現化された死が服を着て歩いている。突拍子もない表現だが、俺にはそうとしか思えなかった。

 しかし、何より気になっていたのは、去り際にあの男が言い残した言葉である。

 

 

 ――命拾いしましたね。アナタは『対象外』だそうですよ――

 

 

 あの時、アイツは確かにそう言った。

 その言葉の裏を返せば、もしも俺が何らかの条件を満たす対象者であれば、俺は命を失うことになっていた、ということだ。

 

 

(アイツも…俺達と同じ、転生者なのか?)

 

 

 何となくだがそう思った。

 学校から帰る直前に友人の佐倉は、そろそろ『原作』の開始時期だと言っていた。

 そうであるならば、原作への介入を狙って現れた転生者だというのが一番ありそうな考えのような気がする。

 あの男が原作介入を狙う転生者で、介入の邪魔になりそうな転生者たちを殺してしまおうと狙っているということなら、去り際に奴が残した言葉も納得できるのだが―――

 

 

(けど、今の時点じゃ情報が足りな過ぎる…)

 

 

 あの白い少女と黒い男が何者で、何を目的としているのか。

 はっきりとした確定的なことはまだ何も分からない。いずれにしろ判断するには情報が少なすぎる。

 

 

(明日、学校で佐倉に相談してみるか…)

 

 

 俺はひとまず疑問を棚上げして、明日、友人に相談してみることにする。

 そして、俺がそんな悠長なことを考えていると、遂に『原作』の開始を告げるフェレットの念話が俺の耳に届いた。

 

 

<<――助けて――>>

 

<<――誰か……僕の声がきこえませんか――?>>

 

 

 エコーをかけながら囁かれたような感じの声。

 正直、聞こえるとは思っていなかっただけにびっくりした。

 しかし、この念話が聞こえるということは、俺にもリンカーコアという奴があるということだろうか。

 もしも、ここで念話の発信源へ見物にでも行ってしまえば、あるいは原作キャラとのフラグなり、何なりが立っていたのかもしれない。

 しかし―――

 

 

「……俺が知るかよ、そんなこと」

 

 

 助けを求めるユーノの念話を俺は無視した。

 俺が行かなくても、どうせ『原作』の主人公である「高町なのは」が居る。

 それに加えて、原作介入しようとする転生者どもが居るのだとしたら、放っておいても勝手に解決してくれるだろう。

 そして、何より俺が気掛かりだったのが、今日の昼間に出会ったあの『黒い男』と『白い少女』のことだ。

 

 

(恋愛フラグどころか、死亡フラグが立つのは御免だっつーんだよ)

 

 

 そう思い直して、俺は布団を被りなおした。

 原作の主人公「高町なのは」が魔法に目覚める運命の夜。

 この時の俺は知らなかったが、惨劇の舞台はすでにこの夜から始まっていたのだった。

 主人公「高町なのは」が初めて魔法少女へと変身し、ジュエルシードの怪物との戦いに挑む場面。

 当然、その場面に介入しようとする転生者というのも存在していた。しかし、彼ら転生者の命を狙う最強最悪の死神が既にその場に待ち構えていたことを、彼らは知らなかった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ―――端的に言って、その場所は地獄だった。

 

 主人公「高町なのは」が初めて魔法少女へと変身し、ジュエルシードの怪物との戦いに挑む場所となった夜の動物病院。

 そして、今、その現場で繰り広げられている光景はまさに地獄絵図としか言えないものだった。

 

 

「一体何人目ですか? 『王の財宝』とかいう能力を使って来たのは…」

 

「これまで渡り歩いた別のセカイの分も合わせて、今ので124人目だな」

 

 

 ユーノの前に居るのは『白い少女』と『黒い男』の二人。その二人の足元には過去に人間だったモノがバラバラになった状態で転がっている。

 そして、地面に転がっている部品の数から言って、この場で殺されたのはすでに一人や二人ではない。

 

 

(一体何なんだ、あの二人は…!?)

 

 

 ユーノはフェレットの姿のまま目の前の光景に全身を震えさせていた。

 一方的に殺されていく魔導師の子供たち。おそらくは自分の飛ばした広域念話に反応して来てくれた魔導師ということだろう。

 管理外世界であるこの世界に、こんなに多くの魔導師が存在していたことにユーノは少なからず驚いた。しかも、それらの魔導師は時空管理局が設定している基準から考えたら、いずれも天才レベルの魔導師ばかりである。

 しかし―――

 

 

「い、嫌だッ! 死にたくない!!」

 

「なんで!? なんで通用しない!?」

 

「ぎゃああああああああああああああ!!!」

 

「こ、殺さないでくれ!!」

 

 

 そんな天才クラスの魔導師たちが、あの男の前では何も出来ずに殺されていった。

 圧倒的という言葉すら生温い男の強さと残酷さ。人が紙屑か何かのようにバラバラに切り裂かれて死んでいく様子は酷く現実離れしており、ひょっとして自分は夢を見ているのではないかという気すらしてくる。

 しかし、これは紛れも無い現実だ。周囲にばら撒かれた血と臓物の匂い。むせ返りそうな程に鮮烈なその匂いが、これが夢ではなく現実であることを否応なくユーノに教えてくれていた。

 ちなみにジュエルシードの封印を手伝ってくれた「高町なのは」という少女は、目の前の凄惨な光景に耐えられず、とっくに気絶している。

 魔導師の子供たちが殺されていくのを眺めていることしか出来ないユーノ。

 

 

(やめて―――)

 

 

 ユーノは心の中で懇願するように呟く。

 けれど、惨劇は止まらない。

 

 

(やめてくれ―――)

 

 

 また一人、誰かの首が飛んだ。

 切断面から血が噴水のように吹き出し、血の雨が地面を濡らした。

 

 

(お願いだ、やめてくれ!!)

 

 

 ユーノは心の中で絶叫する。

 しかし、歯がガタガタと震えるだけで声になって出てこない。

 恐怖に竦んで動かないのは身体だけでない。もはや思考すらも止まりかけ、ほとんど何も考えられない。

 しかし、そんな止まりかけた思考でも、ユーノは考えていた。

 

 

(僕が助けを呼んだりしなければ――)

 

(彼らは死ななかった?)

 

(違う!殺したのはあの男だ!)

 

(僕じゃない!!)

 

(でも)

 

(僕が殺した?)

 

(僕の所為?)

 

(違う!!あいつらだ!!)

 

(でも、僕が――)

 

(助けなんて呼んだから――)

 

(彼らが、僕のせいで)

 

(でもでもでもでもでも―――)

 

 

 グルグルと自責の念が頭の中で渦を巻く。

 この夜だけで一体何人の魔導師の子供が殺されたのか。

 辺りは血の海と言って相応しい、おびただしい量の血液が流れている。

 そして、この地獄を作り出した『二人の死神』は、口元に薄い笑みを浮かべたまま血の海の中心に佇んでいた。

 もう周りの魔導師の子供たちは全員が殺され、生き残っているのは、ユーノ自身とジュエルシードの封印を手伝ってくれた少女しか居ない。

 

 

「さて…ひとまずこれで片付きましたか?」

 

「そうだな。―――いや、まだ二人ほど残っているか」

 

 

 ユーノの耳に二人の会話が聞こえた。

 二人ほど残っている? それは一体誰のことだ?

 猛烈に嫌な予感がユーノの背中を走り抜け、冷や汗が滝のように流れ出て来る。

 ユーノは今すぐここから逃げ出したかったが、足が動かない。自分の心臓の鼓動がやけにはっきりと聞こえる。

 

 

「そこのフェレット君―――」

 

 

 呼び掛けられると同時に彼らと目が合う。

 目が合った瞬間、ユーノは自分の心臓が鷲掴みにされる感覚に襲われた。

 いや、実際、自分の生殺与奪の権利が彼らに握られているという意味では間違ってはいない感覚だろう。

 

 

「クス、そんなに緊張しないで楽にして下さい。別にアナタ達二人に危害を加えるつもりはありません。少なくとも今はまだ、ね」

 

「ジャッカルの言う通りだな。そもそもキミ達も今回の仕事の『対象外』だ。必要以上に無駄に殺すつもりはない。もっとも、こちらの邪魔をするというのならその限りではないがね?」

 

 

 そう言って白い少女はニヤリと笑った。

 見た目には完全に幼い少女の姿でありながら、外見不相応に老成した口調。

 実際に魔導師の子供たちを皆殺しにしたのは男の方だが、男の方に負けず劣らず少女の方も不気味な存在だった。

 これだけの惨劇の中にあって、笑みすら浮かべて男の傍に侍る少女。明らかに少女の方も普通ではない。

 

 

「貴方、達は――…」

 

 

 唇が震えて中々言葉にならない。

 

 

「一体…、何者なん、ですか」

 

 

 絞り出すようにして、ようやくそれだけ訊けた。

 気になることや聞きたいことは、それこそ山ほどあったが、それがユーノの精一杯だった。

 

 

「ククッ、私達が何者か? 見ての通りのただの『狂人』だよ。だが、どうせなら自己紹介しておこうか。私は間久部。そこの黒い『運び屋』の雇い主だ」

 

「クス…それでは、私の方も自己紹介しておきましょう。私は赤屍蔵人。『運び屋』をしていますが、親しい人からは『Dr.ジャッカル』とも呼ばれていますね」

 

 

 白い少女と黒い男はそう名乗った。

 胸に抱いた恐れを押し殺しながら、何とかユーノは訊き返した。

 

 

「運び、屋…?」

 

「ええ、その名の通りクライアントに依頼されたモノを運ぶのが私の仕事です。今回の場合は、とある条件を満たす者を片っ端からあの世に運んでくれという依頼で動いています」

 

 

 とある条件を満たす者をあの世に運ぶという依頼で動いていると男は言った。

 つまり、ここで殺された魔導師の子供たちは、その条件に引っ掛かったということだろう。

 しかし、その条件が一体何なのかユーノにはさっぱり分からない。

 ユーノに考えられる可能性としては―――

 

 

「まさか、ジュエルシードを、狙って……?」

 

「ジュエルシード? ああ、あの宝石のことか。我々はあんなガラクタには一切興味はないよ。キミ達があの宝石集めを続けるのなら好きにしたまえ」

 

 

 間久部と名乗った少女はジュエルシードをガラクタと一蹴した。

 だが、次元震を起こす可能性すら秘めたロストロギアをガラクタと断言できる神経がユーノには全く理解できない。

 まるで自分の常識が通用しない異邦に迷い込んだような感覚。その異邦へと自分たちを連れ込んだ二人の死神に、ユーノは例えようのない恐怖を感じていた。

 恐怖に震えるユーノに白い少女は言葉を続ける。

 

 

「だが、キミ達があの宝石集めを続けるのなら一つ忠告しておこう。いや、忠告というよりは質問だが…」

 

 

 少女は限りなく残酷な笑みを浮かべたまま問いを投げた。

 

 

「キミ達が宝石集めを続ける過程で、次に私達の殺人現場に出くわしたら、その時、キミ達はどうする? 私達を止めようとするのかね? それとも、殺される被害者のことなど見捨てて逃げるのかな?」

 

 

 ユーノ達を試すような少女の視線。

 少女の問いにユーノは答えられなかった。

 彼女は少しの間、ユーノのことを見つめていたが、やがて息を一つ吐くとこう言い残した。

 

 

「まあ、命を大事にするなら後者をお勧めするが、次に会うときまでに一体どうするのかを決めておきたまえ」

 

 

 最後にそう言い残し、少女と黒い男は踵を返した。

 一方、ユーノは何も考えられず、しばらくの間、その場に呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。

 

 

 





あとがき:

 自分で書いてみてなんですが、こんな惨劇を目の当たりにしたら普通は間違いなく逃げます。
 ユーノ君やなのは嬢は責任感の強い子ですが、この状況なら逃げた方が良いよ、絶対。逃げても誰も文句は言わないよ、これ…。


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第五話 『リリカルなのは』の世界で その4

※今回は、ある銀髪オッドアイ転生者の人生のDIEジェストです。


 

 突然だがオレは前世というか前の世界というかそういったものの記憶がある。

 トラックに轢かれて死んだオレの前には、気が付けば超越的な力を持った何かが居て、転生についての話を持ちかけられていた。

 そして、奴はこう言った。

 

 

『転生するなら、特典をやろう』

 

 

 具体的な物でも、フィクションのキャラクターの持つ能力でも、あらゆる特典を与えてくれると。

 今にして思えば、いわゆるテンプレ的な展開にオレは舞い上がって、完全に思考停止していたと言って良い。

 転生先が『リリカルなのは』の世界だと知り、テンプレ展開に舞い上がっていたオレが選んだ特典は、これまたテンプレ通りの特典だった。

 まず、容姿は銀髪オッドアイのイケメン。保有魔力は当然Sランクオーバー。レアスキルとして『王の財宝』も保持している。もちろん中身もギルガメッシュの財宝と同じだ。

 

 

(これだけの特典を持ってれば、人生なんてイージーモードだぜ!)

 

 

 …と調子に乗っていたオレの二度目の人生は、実は生まれた直後から微妙に躓いていた。

 つまり、どういうことかと言うと、生まれてから即座に専門の高次医療機関へ搬送されたのだ。

 考えてみれば当たり前だ。普通の日本人の両親から生まれた赤ん坊が、こんな髪色・瞳をしていたら?

 最悪、父親は妻の不貞を疑うし、そうでなければ何らかの遺伝子の異常による先天性疾患を疑うのが普通だ。

 出産に立ち会った医師は、すぐに専門の高次医療機関に連絡を取って、オレは生まれてすぐ精査のために転院・入院することになった。

 転院した先の病院では、染色体の検査や遺伝子検査・他の奇形合併の有無の検査などの一通りの検査を受けることになったが、いずれの検査でも異常なし。

 しかし、奇形の病気は成長の過程で隠れていた症状が顕在化してくることも多いということで、退院してからも数か月に1回の頻度で病院の外来への定期通院は続けている。

 そして、今日はその定期通院の日だった。

 

 

「うん、やはり運動発達は全く問題ないです。むしろ同年代の平均と比べてもずっと優れてるくらいですよ」

 

 

 診察した医者がこの世界での母親に言う。

 オレは内心で「そんなの当たり前だろ、ヤブ医者め」と毒づくが口には出さない。

 転生特典で得たこの身体は運動能力だってチートクラスである。だが、医者も母親もそんな転生特典などという事情など知ってる訳もない。

 そのため、事情を知らない母親などは異常なしという診察結果に胸を撫で下ろしていた。

 

 

「良かった…」

 

 

 しかし、そんな母親のことをオレは冷めた視線で眺めていた。

 この世界でのオレの母親も父親も、まちがいなく一人の意志を持った人間。

 しかし、この時のオレはそんな当たり前のことすら分かっていなかったと言って良い。

 言い方は悪いが、オレはこの世界の両親は自分が活躍するための舞台装置の一つくらいにしか感じていなかった。

 ぶっちゃけた話、持って生まれたチート能力があれば親なんて居なくても暮らして行けるだろうし、この世界の親は自分にとっては煩わしいだけだった。

 

 

(あー…、早く自立できる歳になりてえ…)

 

 

 18歳…いや、せめて15歳くらいになったら、親の元を離れて生きて行こうとオレは考えていた。

 せめてバイトの出来る高校生くらいになれば、親の元を離れて暮らしても不自然ではないだろう。

 

 

(一人暮らしを始めたら…ぐふふ)

 

 

 そうしたら女性に囲まれた環境、所謂、ハーレムを目指す!

 この究極のイケメンであるこのオレに惚れない女などいない。どんな女だって、オレなら簡単に落とせる。

 しかし、オレに相応しい女は決まっている。原作キャラのカワイイ子達だけだ。なのはにフェイトにはやて、アリサにすずか。全員オレのハーレム候補だ。

 そんな欲望まみれの妄想に浸りながら、この『リリカルなのは』の世界に転生してから数年。オレは無事に私立聖祥大学付属小学校に入学できた。

 だが、そこでもオレは予想外な事態に見舞われる。

 

 

(なんぞこれぇぇ!?)

 

 

 小学校の入学式でオレは自分以外の転生者と初めて出会った。…というか、髪色の目立つ連中の大部分はあからさまに転生者だ。

 もちろん、向こうの連中もオレが転生者であることは気付いているだろう。あからさまに敵意の目をこちらに向けて来ている。

 そして、そんな敵意の目を向けて来る連中に負けじとオレも睨み返した。

 

 

(そうは行くか! ハーレムを作るのはこのオレだ!テメェらの出る幕じゃねえんだよ!)

 

 

 だが、そんなオレの意気込みは結果的にはただの空回りに終わった。

 まず最初のクラス分けからして違う。

 

 

(なんで、なのは達とクラスが違うんだよ!)

 

 

 心の中で地団駄を踏むが、決まってしまったものは仕方ない。昼休みに屋上にでも行けば、嫁達が昼飯食べてるだろうから、そこで仲良くなればいい。

 そう思っていた。思っていたのだが―――

 

 

「○○君達なんて、大っ嫌い!!」

 

 

 ある日、小競り合いを続けていたオレ達、転生者組みは原作メンバーから面と向かってそう言われた。

 だが、そう言われた時、オレは一瞬、何を言われたのか分からずに呆けていた。いや、少し冷えた頭で冷静に考えれば分かる。

 簡単に言えば、オレ達はやり過ぎたのだ。インターネット上によくある二次小説の地雷オリ主の性格を客観的に考えてみればすぐにわかるだろう。

 自己中で悪口ばかり、何でも上から目線。他人の都合などお構いなしに、自分の欲望だけを相手に押し付けようとする。普通に考えてそんな身勝手なヤツと仲良くなりたいか? 転生者同士で互いに互いを邪魔し合い、小競り合いを続けるような連中を好きになる要素が何処にある?

 チート能力を特典に貰って舞い上がっていた所為で、オレはそんな当たり前なことにすら思考が及んでいなかった。

 

 

「クソクソクソッ!! こんな、こんなの違う!」

 

 

 こんなことならいっその事、どこぞの『絶対遵守』のギアスの力でも特典に貰っておけば良かった。

 その力があれば、きっとこんな事態にはなっていない。今のオレ達はなのは達の視界に入っただけであからさまに嫌な顔をされるし、話し掛けても無視される。

 いつの間にかエロゲーやギャルゲーでいう所の好感度が最低な状態になってしまっていた。これがゲームであればリセットボタンで最初からやり直せば良いだけの話だが、残念ながらリセットボタンは存在しない。

 

 

「違う! こんなのオレが望んだ現実じゃない!!」

 

 

 オレは八つ当たりで手近な壁を殴りつけた。

 だが、こんな好感度が最低な状態から関係を修復する方法なんてオレには分からなかった。

 前世の死の直前、完全な引きこもりニートであったオレに友達と呼べるような相手は誰も居なかったし、友達の作り方なんて遥か昔に忘れてしまった。

 それは転生後の今の世界でだって同じで、本音で話せるような友人なんて今の世界でも皆無だ。

 だから、こんな状況でどうしたら良いのか、オレには尚更分からなかった。

 そして、そんなオレが考えた末に出した結論はこうだった。

 

 

(こうなったら原作の開始時期に介入して一発逆転を狙うしかない!!!)

 

 

 オレが持っている最大の長所とは何だ?

 そう、転生特典で貰ったチート能力だ。こうなったら嫁候補であるヒロインたちにオレが華麗に戦う姿を披露して、好感度を上げるしかない。

 華麗に戦うオレの姿を見てもらえば、あわよくば「素敵!抱いて!」なんて展開に持っていけるかもしれない。

 よし、ひとまず方針は決まった。けれど、そうすると居心地の悪くなった学校にこれ以上通う意味なんて無いな。

 オレは原作開始の時期まで引きこもって適当に時間を潰すことにした。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 そして、しばらくの月日が経ったある日。

 

 

 <<――助けて――>>

 

 <<――誰か……僕の声がきこえませんか――?>>

 

 

 遂にこの時がやって来た。

 エコーをかけながら囁かれたような感じの声。

 物語の開始を告げるフェレットの念話がオレの耳に届いた。

 

 

(よし、遂にオレの出番だな!)

 

 

 主人公である高町なのはが初めて魔法に目覚める場面。

 適当なタイミングで介入して、ジュエルシードの怪物を華麗に倒してやる。

 欲を言うなら、なのはがピンチになったところで介入出来るならもっと良い。

 ここ数年での引きこもり生活の中で繰り返したイメージトレーニングは完璧だ。オレは意気揚々とした気持ちで、念話の出所である夜の動物病院へと駆け出して行った。

 そして、オレが現場に辿り着いたとき、魔法少女に変身した高町なのはがまさにジュエルシードの怪物と戦っているところだった。しかもどうやら苦戦している。

 

 

(キタコレwwwwwww)

 

 

 登場するシチュエーションとしては最高だった。

 そして、オレが現場へ飛び出そうとしたまさにその瞬間だった。

 

 

「「「―――え?」」」

 

 

 思わず漏れた間抜けな声が唱和し、オレは動きを止めてしまった

 ふと周りを見回すと、オレ以外にも現場へと飛び込もうとしている連中が居る。よく見れば幾人かは学校でも見たことのある顔だ。

 どうも考えることは全く同じだったようで、どうやらコイツらも主人公である高町なのはが初めて魔法に目覚める場面に介入するつもりでいたらしい。

 

 

(ふっざけんな! どこまでオレの邪魔をすれば気がすむんだよ、テメェらは!?)

 

 

 自分のことを完全に棚上げして心の中で口汚く罵るオレ。

 だが、この状況は少しマズイ。

 

 

(今ここで抜け駆けしようとしたら、間違いなく周りの連中に袋叩きに遭う!!!)

 

 

 互いが互いを牽制し、迂闊に動けない膠着状態。

 お互いに動けないまま睨み合いを続けていると、いつの間にかなのは嬢はジュエルシードを封印し終わっていた。

 

 

(おいいいいいい!何でこうなるんだよ!?)

 

 

 結局、オレ達はなのはがジュエルシードを封印するのをただ眺めていただけだった。

 だが、今回のことではっきりした。オレがこの世界で理想のハーレムを築くためには、まずは他の転生者の連中を排除しないとならないらしい。

 こうなったら―――

 

 

(全員、ぶっ殺してやる!!)

 

 

 この時、オレは本気で『殺す覚悟』を決めた。

 オレが悪いんじゃない。コイツらが悪いんだ。オレの邪魔ばっかりするから――!

 宝具である『王の財宝』をいつでも展開できるように戦闘態勢を整える。どうやら相手側もこちらと同じつもりのようで既に臨戦態勢だ。

 上等だ。全員表に出ろ。テメェら全員まとめて殺してやる。周りが全員敵のバトルロイヤル形式だが構わない。本気で殺すつもりで戦うのなら、オレに敵う奴なんて存在する訳がない。

 完全に頭に血が上ったオレ達はまるで事前に示し合せていたかのように同時に表へと飛び出した。

 飛び出してきたオレ達にユーノとなのはは少し驚いた表情をしていたが今は関係ない。

 今はコイツらを始末することの方が先決だ。

 そして、まさにその瞬間だった。

 

 

「――結界!?」

 

 

 突然、辺り一帯が結界のような領域に囲まれた。

 封時結界か? 誰が結界を張ったかは知らないが好都合だ。これならいくら暴れても、周りにバレることも無い。

 そして、オレ達が互いに殺し合いを始めようとする一触即発な雰囲気の中、その二人はまるで夜の闇の底から浮かび上がる様に現れた。

 

 

「意外でしたよ。こういうことも出来たんですか?」

 

「キミに比べたら、手品のレベルだがね。『神の記述』というカードがあるが、あのカードの『領域(テリトリー)』を構築する技術を応用して作った結界だ」

 

 

 現れたのは『不思議の国のアリス』を思わせるウサギの人形を抱いた少女と全身黒ずくめの長身の男。

 その二人の姿を見た瞬間、オレは背筋がゾワリと沸き立つのを感じた。特にヤバい気配を感じるのは黒い男の方だ。

 

 

(何だ、コイツらっ!?)

 

 

 オレの本能が叫んでいた。

 コイツはヤバい。何がヤバいのかは明確には分からないが、とにかくヤバい。

 本来なら一秒でも早くここから逃げるべきだ。それが分かっているのに、オレ達は何故か一歩も動けないでいた。

 

 

「さて、この中に一人くらいは私を愉しませてくれる者が居てくれると良いのですが――…」

 

 

 言いながら、黒い男は手近な少年へと踏み出した。

 あの少年の顔は知っている。確か隣りのクラスだったヤツで、徹底的にオレの邪魔をしてくれた奴だ。

 

 

 ――スパァァン!

 

 

 全く見えなかった。

 爽快な音が響いた途端、少年は一瞬にしてバラバラに切り裂かれていた。

 

 

「なっ……」

 

 

 突然の出来事に唖然とするギャラリー達。

 一瞬、何が起こったのか理解できなかった。

 いや、目の前で起こったそれが余りにも現実離れしていたために、それを現実だと認識するのに時間が掛かった。

 それは周りの人間にとっても同じであり、数秒ほど遅れてようやく周囲が悲鳴に包まれる。

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

「何の迷いも無く殺しやがった!?」

 

「じ、冗談だろ!?」

 

 

 余りの事態にパニックに陥る面々。

 しかし、黒い男はそんな周囲の状況など興味もなさそうに溜め息を吐く。

 

 

「やれやれ…、今のに反応出来ないようでは望み薄ですねぇ…。周りの連中もパッと見では似たり寄ったりですし…」

 

 

 オレを含めた周りの人間を見渡しながら男は言った。

 もはや間違いなかった。この男がオレ達を殺すことを目的にしていることだけは間違いない。

 当然、転移魔法を使って逃げようと試みるヤツも居た。しかし、この妙な結界に阻まれて転移出来ない。つまり、どうやっても逃げられない。

 

 

(こ、こうなったら戦うしかねえ…!!!)

 

 

 逃げられないと分かった転生者の中には、自分のチートスキルを使って戦おうとする者。いや、実際に戦った者も居た。

 オレも『王の財宝』を展開し、一か八かの可能性に賭けて戦いに挑んだが現実は余りにも非情だった。気付いた時にはオレは全身をスライスされ、首だけになっても意識が少しだけあるというのが本当だということをオレは自分の身を以って知ることになった。

 

 

「一体何人目ですか? 『王の財宝』とかいう能力を使って来たのは…」

 

「これまで渡り歩いた別のセカイの分も合わせて、今ので124人目だな」

 

 

 刎ね飛ばされた首だけになり、意識が途切れる直前に聞こえた二人の会話。

 その会話がオレの二度目の人生の最後の記憶だった。

 

 

 

 

 

 

 




あとがき:

 ネット上に氾濫するチート転生者を見る度に、自分は『東京BABYLON』の桜塚星史郎の台詞を思い出します。
 社会の底辺のような前世だったのに転生した途端、好き勝手にTUEEE!している転生者どもに対して、自分は星史郎のこの言葉をぶつけたくて仕方ない。

 星史郎「この世で一番偉いのは、ちゃんと地に足がついて、一生懸命日々『普通』に『生活』している人たちです。毎日早起きして、毎日学校へ行って、毎日働いて、泣いて、笑って、悩んで、苦しんで、一生懸命『現実』を『生きて』いる……それほど『普通』の人たちを笑うのなら、貴方達はその『普通』の人たちと同じように『生きて』いけるんですか?」

 特に『元ニートが異世界でハーレム云々』とか、マジでふざけてんのかと言いたくなります。
 普通の人と同じように生きていくことすら出来ずに引きこもりニートになるような奴が、皆からチヤホヤされるような英雄になれる訳がないと思うんですが…。
 チート能力でTUEEEE!っていうのにも憧れない訳ではないですが、自分は彼のこの言葉で堅実・誠実に生きることの大切さを学びました。



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第六話 『リリカルなのは』の世界で その5

 

(ここは―――)

 

 

 目が覚めた時、なのははベッドの上だった。

 だが、彼女がベッドから起き上がって周りを確認してみると、いつもの自分の部屋ではない。

 

 

(病院?)

 

 

 どうも記憶がはっきりしない。どうして自分はこんな所で寝ているんだろう。

 ぼんやりと記憶の糸を手繰るなのは。霞が掛かったような頭の中の光景を順に思い出し、そして―――

 

 

「―――っ!?」

 

 

 なのはは全てを思い出した。

 ユーノという名前の喋るフェレット。

 そのフェレットから手渡された『レイジングハート』という魔法のデバイス。

 目覚めた魔法の力。その力を使って『ジュエルシード』の生み出した怪物と戦い、そして、封印した。

 その際、自分の他にも魔導師の子供たちが現場に来ていたみたいだ。おそらくユーノが飛ばした広域念話に反応して来ていたんだろう。

 正直、自分の身近にこんなにも多くの魔導師が存在していたことになのはは驚いた。しかし、その場に現れたのは、ユーノの助けに応えようとする善意の魔導師だけではなかった。

 

 

 ――現れたのは『白い少女』と『黒い男』の二人組み――

 

 

 その二人は夜の闇の中から、まるで浮かび上がるように現れた。

 そして、その二人は口元を残酷に歪めながら、その場の魔導師の子供たちを皆殺しにしてのけたのだ。

 昨夜のことを思い出した途端、その時の光景がなのはの脳裏にフラッシュバックする。

 

 

「~~~~~~~~ッ!!!」

 

 

 記憶に焼き付いた血と臓物の匂い。

 その匂いを思い出しただけでなのは強烈な吐き気と眩暈に襲われた。

 

 

「げぶぶ……ごえっ、ぐえぇ゛ッ………が、ぶ、ッ!?………うげええぇ゛え゛えぇえええッっ゛っっ!!!」

 

 

 胃の中のものを残らず吐いた。

 食物も胃液も、泣きながら吐いた。

 

 

「なのは!」

 

 

 なのはが嗚咽に身体を震えさせていると、病室の扉が勢いよく開いた。

 そして、そこから飛び出してきたのはなのはの良く見知った顔だった。

 士郎、桃子、恭也、美由希の4人。

 

 

「なのは、良かった…! 本当に…!」

 

 

 母親である桃子に抱きしめられた。

 触れ合った皮膚を通して伝わる温かさ。

 

 

「お母さん…?」

 

 

 抱きしめられ、なのははそこでようやく落ち着きを取り戻した。

 はっきり言って、自分が生きているということにすら、そこでようやく気付けたと言っていい。

 

 

(わ…、私、生きてる…?)

 

 

 正直、絶対に死んだと思った。

 魔法に目覚めたばかりの自分よりも遥かに強いと思えた魔導師の子供たち。

 そんな魔導師たちが、あの男の前では何も出来ずにバラバラに切り裂かれて殺されていった。

 魔導師の子供たちが無差別に、そして理不尽に片っ端から殺されていく状況。はっきり言って、あの状況なら絶対に自分も殺されると思ったし、むしろあの虐殺の中で自分だけ見逃されて生き残っていることの方が不思議だった。

 

 

「なのは、一体何があった?」

 

 

 父親である士郎がなのはに訊ねた。

 

 

「あなた、目が覚めたばかりでいきなりそんな…」

 

 

 士郎を嗜めようとする桃子と美由希の女性陣二人。

 だが、そんな二人に士郎は頭を振った。

 

 

「現場の惨状を知っているか?俺もさっき警察の人から少しだけ事情を聞いたが、あれは尋常じゃないぞ…。昨日の今日ですぐに思い出せというのは俺だって酷だとは思う。だが、犯人を捕まえるための協力はするべきだ」

 

 

 耳聡く事件を聞きつけたマスコミによって、すでに昨夜の事件は全国ニュースになって流れていた。

 小学生くらい児童が合計で27人。その27人が全身をバラバラにされた状態で発見されたという残虐すぎる殺人事件。

 余りにも凄惨な虐殺現場に、一番最初に現場に到着した警官はそれが本物であるとは思えず、誰かの手の込んだイタズラだと勘違いしそうになったほどだと言われている。

 当然、現場一帯はすでに警察によって封鎖され、現場の検証が続けられていた。

 そして、事件が発覚したのはまだ昨夜に過ぎず、当然ながら犯人はまだ捕まっていない。

 

 

 ――現代によみがえった『切り裂きジャック』――

 

 

 朝の緊急ニュースではそのように報道されている。

 だが、かのイギリスの『切り裂きジャック』が犯行に関わったと言われているのは多くても8~20人。

 それに対して、今回の事件は昨夜だけで27人だ。単純に犠牲となった被害者の数だけで言うなら、『切り裂きジャック』などとっくに超えている。

 そして、生き残りなどいるはずもないと思われた虐殺現場に、ただ一人無傷のままで残された少女。無論、言うまでもなく、なのはのことであり、現場を目撃しているであろう彼女の証言に警察が期待を寄せるのも無理からぬことであった。

 士郎はなのはに目線を合わせながら、話し掛ける。

 

 

「警察の人から身元確認のために来てくれと連絡があった時は、本当にびっくりしたぞ。27人の子供が殺された虐殺現場にただ一人無傷で残されたのが、まさかお前だったなんてな」

 

 

 努めて穏やかに話す士郎。

 だが、目尻には涙が浮かび、声も心なしか震えている。

 桃子と美由希もそれに気付いたからこそ何も言えないでいた。

 

 

「27人も殺されて、お前だけが助かった状況で、これ見よがしに喜ぶのは不謹慎と言えば不謹慎なのかもしれん。だが、殺された27人の中にお前が入っていたらと思うと――…」

 

 

 消え入りそうな士郎の声。

 なのはは抱き締められた腕の中から父を見上げ、はっとした。

 普段は威厳溢れる父親の目は赤く、顔には深い心労の色が浮き出ていた。

 なのはは理解する。お父さんは、本気で私のことを心配してくれていたんだ、と。

 だから、自然と口から謝罪の言葉が漏れ出た。

 

 

「心配かけてごめんなさい……」

 

 

 愛おしそうに娘の頭を撫でた後、再び士郎は問うた。

 

 

「なのは、何があったか教えてくれ」

 

 

 なのははコクリと頷くと、ポツリポツリと語り出した。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 なのはから話を聞き終えた後、士郎と恭也は病院のデイルームへ移動していた。

 病室のなのはの付き添いは桃子と美由希の二人に任せて、今後の方針について話し合うためだ。

 

 

「なのはのさっきの話をどう思う?恭也」

 

「嘘は言っていないと思うよ。流石に27人も死んでるような状況で嘘を言うような奴じゃない」

 

 

 二人はテーブルを挟んで座り、なのはから聞いた話について考えていた。

 だが、常識的に考えたら、とても信じられるような話ではない。

 

 

「魔法に魔導師、か…。とても警察には話せんな…」

 

「ああ。どうせ話しても信じてくれないだろう。……頭がおかしいと思われるのがオチさ」

 

 

 なのはの話では、昨夜、助けを求める声が頭の中に直接響いたのだという。

 助けを求める声に誘い出された先で出会ったのは、ユーノという名前の喋るフェレット。なのはと同様、助けを求める声に反応して来ていたと思われる魔導師の子供たち。

 そして、それらの魔導師の子供たちを皆殺しにしてのけた『白い少女』と『黒い男』の二人組み。

 士郎はなのはの話を踏まえた上で、警察から聞いた話を改めて思い出していた。

 

 

「恭也―――」

 

 

 ふと士郎は恭也に声を掛けて訊ねる。

 

 

「刀で27人の子供をあそこまでバラバラに解体することが、お前や美由希の剣の技量で出来るか…?」

 

 

 27人のバラバラ死体。

 しかもそれは検死官の判断では、鋭利な刃物で一瞬の内にやられたもので、切り口の数から言って一つの死体につき最低でも5太刀以上の斬撃が加えられていたそうだ。

 一人につき5太刀以上を一瞬で、それを27人もだ。一体どれだけの剣の技量が必要な行為だというのか。

 倫理的なことを抜きにすれば今の彼らの技量でも或いは可能なのかもしれない。

 しかし―――

 

 

「いや、俺と美由希じゃ、とても無理…だろうな」

 

 

 恭也は無理だと言った。

 27人の子供をあそこまで残酷に殺すのは恭也と美由希にはとても無理だ。

 どうしても倫理的にブレーキが掛かるだろうし、その迷いが太刀筋にも現れるだろう。

 あそこまでの太刀筋の鋭さを以って27人もの子供を虐殺するというのは、剣の技量もそうだが、精神的な問題も大きい。

 ある意味、精神的に超越している者でなければ、今回の凶行は不可能だろう。

 

 

「剣の技量もだけど、間違いなく精神的にもイカレてるよ。今回の事件の犯人は」

 

「ああ…俺も同感だ」

 

 

 恭也の言葉に士郎は同意の言葉を返した。

 なのはの話では、今回の虐殺を起こした『白い少女』と『黒い男』の二人は口元に薄い笑みを浮かべたまま血の海の中心に佇んでいたという。

 実際に魔導師の子供たちを皆殺しにしたのは男の方だったそうだが、少女の方も明らかに普通ではない。

 どう考えても、ぶっちぎりにヤバい奴らである。

 

 

「父さんは、犯人の目的は何だと思う?」

 

「なのはが言っていた『ジュエルシード』が目的……という訳ではないだろうな」

 

 

 もし、そうなら、ジュエルシードを封印したなのはが真っ先に殺されている。

 ジュエルシードを独占するために邪魔になりそうな魔導師を殺したのだとしても、なのはだけが見逃されたのは余りにも不自然だ。

 

 

「…となると、いわゆる無差別殺人。殺すこと自体が目的なのか?」

 

「いや、だったら尚更、なのはが殺されてないのは不自然だ」

 

 

 正直、なのはから事情を聞いた今ですら分からないことや不可解なことが多すぎる。

 はっきり言って、魔法や魔導師なんて存在だけで、すでに自分達の常識など超えている状態である。

 魔法や魔導師がどのような物であるかは詳しくは士郎や恭也には分からない。だが、なのはの話では、殺された魔導師たちは、魔法に目覚めたばかり自分よりも遥かに強いと思えたという。

 ひょっとしたら、いつもの道場で剣術の稽古をしている恭也や士郎、美由希よりも―――

 

 

「父さん」

 

 

 今度は恭也の方から士郎に訊ねる。

 

 

「父さんは、今回の事件、警察に解決できると思うか?」

 

「いや…、恐らく無理だろう…」

 

 

 士郎は恭也にそう答えた。

 不本意極まりないことではあるが、今回の事件の犯人は警察に捕まえられるような相手ではない。

 実際に見た訳ではないが、残された死体の状況となのはの話を聞いただけでそれが分かる。

 だから、士郎は恭也に念を押して言った。

 

 

「恭也、言っておくが下手なことは絶対に考えるな。もちろん、俺だって思う所が無い訳じゃない。だが、実際に戦えば恐らくお前でも殺されるぞ」

 

「ああ…」

 

 

 酷く苦々しい顔をして恭也は頷いた。

 不本意であるのは事実だが、父親の言うことを無下にして心配を掛けさせるつもりも恭也には無かった。

 

 

「今回の事件、俺は絶対に家族を関わらせん。今回ばかりは反対は許さんぞ、恭也」

 

「いや…俺も父さんに賛成だ。今回の事件はあらゆる意味で普通じゃない」

 

 

 今回の事件の犯人は間違いなく、狂人や外道の類だ。

 笑みすら浮かべて27人もの人間を殺すような外道が何の罰も受けず、のうのうと生きていることに思う所が無い訳がない。

 だが、今回の事件は、そんな安い正義感で下手に関わるには余りにも危険すぎる。士郎と恭也はそう判断していた。

 そして、恭也と士郎の意見が一致したところで、士郎はぼやくように言った。

 

 

「しかし、差し当たっては警察への説明をどうするかだな…。魔法や魔導師なんて、なのはが話したことをそのまま説明しても信じてくれないだろうしな…」

 

 

 今回の事件は警察に解決できるレベルを間違いなく超えている。

 だが、だからと言って、それは警察に協力しない理由にはならない。少なくとも事件の証言を求められたら、それに答えなければならないだろう。

 警察に一体どこまで説明するべきかと、士郎と恭也は大きく溜め息を吐いたのだった。

 

 

 

 




あとがき:

 さすがにこの状況だったら、なのはさんも魔法や魔導師のことも含めて、少なくとも家族には全部ゲロすると思う。30人近くも殺されてる状況で、それでも魔法や魔導師のことを秘密のままにしておくような子ではないでしょう。


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第七話 『リリカルなのは』の世界で その6

 

 

 

 警察に発見されて病院へ搬送されたなのはであったが、別に彼女自身は目立った外傷などは一つもなかった。

 念のため頭部CT検査まで行われているが、診察した医者の判断では身体的には至って健康体だったそうだ。

 目を覚ました以上、退院しようと思えば今日にでも退院可能ではあったのだが、さすがに2~3日は療養のために入院することになった。

 

 

「じゃあ、私は着替えとか取りに一度帰るから。戻ってくるまで、なのはの付き添いをお願いね。美由希」

 

「うん、分かってる」

 

 

 桃子が病室から出て行き、残されたなのはと美由希の二人。

 なのははどこか現実感が希薄に感じられ、窓の外の景色をぼんやりと眺めていた。

 窓の外の空は場違いな程に晴れ渡っており、昨日のことは本当は夢だったんじゃないかという気すらしてくる。

 

 

(だけど、本当なんだよね…)

 

 

 すでになのはもニュースで報道されている程度の内容は知っていた。

 

 

 ―――隠そうとしても、どうせいつかは知られることになる。

 

 

 士郎はそう判断したし、実際それは正しい。

 だから、なのはが知りたいと言えば事件のことは隠さずに伝える方針だった。

 なのはにとっては辛いことかもしれないが、長期的にはそれが最善だろうという判断だった。

 当然、なのは以外の生き残りがいなかったことも彼女は知っている。

 しかし、それでもなのははもう一度訊かずにはいられなかった。

 

 

「美由希お姉ちゃん」

 

「何…?」

 

 

 なのはは視線を窓の外に向けたままで美由希に訊ねた。

 

 

「本当に、私の他には助かった人は居なかったの…?」

 

 

 窓の外に顔を向けているなのはの表情は見えない。

 一瞬、美由希はどう答えるべきか迷ったが、結局は事実をそのまま伝えることしか出来なかった。

 

 

「うん…無事な状態で発見されたのはなのは一人だって…」

 

「そう…」

 

 

 悲しげに一言だけ返すなのは。

 それっきり、二人の間に沈黙が流れる。

 窓の外をぼんやりと見つめ続けるなのはに美由希も何を話せば良いのか分からない。

 心ここに在らずという感じで窓の外を眺めていたなのはだったが、ふと彼女は何かに気付いた。

 

 

「…!」

 

 

 気付いた瞬間、なのははベッドから飛び降りていた。

 

 

「なのは!?」

 

 

 美由希が止める暇もなく、なのはは裸足のままで病室を飛び出して行った。

 ここが病院だということも忘れて、なのはは全力で走る。途中ですれ違った他の患者がポカンとした顔をして見ていたが、彼女はそんなことを気に留める余裕は無かった。

 そして、彼女は息を切らせながら病院の敷地の中庭に飛び込んだ。

 

 

(病室から確かに見えた…! 絶対にここに居るはず…!)

 

 

 キョロキョロと周りを見回すなのは。

 

 

「ユーノ君!?」

 

 

 なのはは切羽詰った様子で呼び掛ける。

 すると、茂みの中から小さなフェレットがひょっこりと姿を見せた。

 ユーノの姿を確認したなのはは、少しだけ安堵の表情を見せる。

 

 

「…良かった。ユーノ君も無事だったんだ」

 

「うん…」

 

 

 フェレットの表情というのも良く分からないが、その表情はやはり暗い。

 昨夜の出来事がトラウマとなっているのは何もなのはだけではない。

 お互いに一体何から話せば良いのか分からないくらいだったが、まずはユーノは意を決したように口を開く。

 

 

「なのは、昨夜は『ジュエルシード』の封印に協力してくれてありがとう。本当にキミには感謝してる」

 

 

 そう言って、ユーノは頭を下げる。

 しかし、なのはは力なく首を振った。

 

 

「ううん…確かにジュエルシードは封印出来たけど、私、何も出来なかった…」

 

 

 現れた『黒い男』と『白い少女』の二人による魔導師の子供たちの虐殺。

 なのはもユーノもそれをどうすることも出来ずに、ただ恐怖に竦んでいただけだった。

 

 

「なのはが自分を責める必要は無いよ…。一番悪いのは考えるまでもなく実際に殺した犯人だし…」

 

 

 ユーノの言う通り、一番悪いのは実際に殺した犯人の二人組だ。

 だが、正直、昨夜の『あの二人』のことは、今思い出しただけでも身体が震える。

 文字通りの地獄絵図を作り出した『黒い男』と『白い少女』の二人。

 

 

「ユーノ君、あの二人は一体何だったの…? 魔導師の中には、あんなのも居るの…?」

 

 

 なのはは声を震わせながらユーノに訊いた。

 だが、実際のところ、ユーノにも分からないことだらけだった。

 

 

「ゴメン、なのは。正直、僕にも分からない…」

 

 

 ユーノにもそうとしか答えられない。

 普通、戦闘用の魔法にだって『非殺傷設定』というモードがあるし、時空管理局の局員などが使う魔法はそのモードが前提となっている。

 そんなモードなど知ったことかという犯罪者だって存在するが、あそこまで愉しんで殺すような人間は普通はいない。

 普段、ユーノが目にする新聞などで話題になるような次元犯罪者と比べてすら明らかに一線を画していると言えた。

 

 

「いわゆる次元犯罪者だとは思うけど…。あんなの、今まで見たことも聞いたこともないよ…」

 

 

 言いながら昨晩の二人のことを思い出すユーノ。

 現れた『黒い男』と『白い少女』は、それぞれ『運び屋』と『雇い主』だと言っていた。

 ユーノがそのことを話すと、聞きなれない言葉になのはが反応する。

 

 

「運び屋…?」

 

「…うん。なのはが気を失った後のことだけど、僕はあの二人と少しだけ話が出来たんだ」

 

 

 そう言って、ユーノは昨夜の二人と話した内容をなのはに語った。

 間久部と名乗った『雇い主』の白い少女に、赤屍と名乗った『運び屋』の黒い男。

 そして、彼ら二人が『とある条件を満たす者をあの世に運ぶこと』を目的に動いていると言っていたことを。

 

 

「彼らの言っていた『条件』が何なのかは僕にも分からない。けど、あの二人は言ってたんだ…。僕たち二人は『対象外』だって…」

 

 

 なのはとユーノが見逃されたのは、偶然に『対象外』だったからに過ぎない。

 だが、彼らの言う条件が何なのかユーノにもなのはにもは全く分からなかった。

 

 

 ――君子危うきに近寄らず――

 

 

 そんな諺が日本にはある。

 危険を避けるためにはそれに近づかないのが一番だという表現の言葉だ。

 あの死神二人の言っていた『条件』が何なのか分からない以上、彼ら二人と接触する可能性のあるような行動は最初から避けるのが無難である。

 しかし―――

 

 

「これからユーノ君はどうするの?」

 

「一人で探すよ。残りのジュエルシードを」

 

 

 ユーノは迷いなく言い切った。

 正直、なのははユーノがそんなことを言うとは思っていなかった。

 だから、思わずなのはは驚いた顔でユーノを見る。

 

 

「本気なの…?」

 

 

 なのはがそう聞き返したのも無理もない。

 だが、この世界に持ち込まれた『ジュエルシード』も危険度で言えば相当なレベルだ。

 正体不明のイカれた殺人狂が暗躍している状況であったとしても、そのまま放置していいものではない。

 だから、ユーノはなのはに頷いて答える。

 

 

「ジュエルシードだってれっきとしたロストロギアだからね。そのまま放置していい理由にはならないよ」

 

 

 それに―――

 

 

「それに、昨日、僕は何も出来ずに彼らを見殺しにした…。もしかしたら、助けられた命だったかもしれないのに…。いや、そもそも僕が助けなんて呼ばなかったら――…」

 

 

 俯きながら、消え入りそうな声でユーノは言う。

 今となっては意味の無い仮定の話だが、そもそもユーノが助けなど呼ばなければ、或いは彼らは死なずに済んだかもしれない。

 そうした殺された者達への罪悪感。そうした罪悪感がユーノを立ち止まらせなかった。少なくとも、自分の所為でこれ以上の犠牲者が増えるのはユーノには御免だった。

 

 

「けど、自分の力じゃ、到底あの殺人鬼二人は止められないと思う…。だったらせめてジュエルシードによる被害がこれ以上増えないようにしないといけない」

 

 

 それが自分が最低限しなきゃいけないことだと思う、とユーノはなのはに語った。

 彼ら本人も言っていたことだが、少なくともあの二人は『ジュエルシード』には何の興味も持っていない。つまり、『彼らの仕事』と『ジュエルシード』は、本来は何の関連もない別立ての問題だということだ。

 実際、『彼らの仕事』と『ジュエルシード』が別立ての問題ということなら、彼らの暗躍と無関係にジュエルシードによる被害は発生する可能性がある。最低でもそうした『ジュエルシード』による被害拡大だけは防ぐ責任があるとユーノは考えていた。

 ユーノが『ジュエルシード』の捜索を続けるという話を聞いたなのはは、恐る恐るといった風に訊ねる。

 

 

「ユーノ君は、怖く、ないの?」

 

「……」

 

 

 怖いか怖くないかで言えば、当然、怖いに決まっている。

 けれど、それを口にしないユーノになのは泣きそうな顔で叫んだ。

 

 

「だって! ユーノ君はジュエルシード探しを続けるって言うけど、もう一度あの二人に出会ったらどうするの!?」

 

 

 昨夜出会った二人の狂気に満ちた残酷な笑みは今でもなのはの脳裏に焼き付いている。

 確かに『彼らの仕事』と『ジュエルシード』が本来は何の関連もない問題ということなら、ジュエルシード探しを続けてもあの二人と出会う可能性は低いのかもしれない。

 だが、それは可能性が低いというだけであって、『ジュエルシード』を捜索する過程であの二人と出くわす可能性が無い訳ではない。

 なのはの叫びながらの言葉に、あの二人が去り際に残した言葉がユーノの脳裏によみがえる。

 

 

『キミ達が宝石集めを続ける過程で、次に私達の殺人現場に出くわしたら、その時、キミ達はどうする? 私達を止めようとするのかね? それとも、殺される被害者のことなど見捨てて逃げるのかな?』

 

 

 あの時の、少女の試すような視線と問いにユーノは何も答えられなかった。

 もしも、昨夜のような状況にもう一度出くわしたとしたら、自分は一体どうするべきなのか。

 勝てないと分かっていても正義のために立ち向かう? それともまた同じように見殺しにするのか? 正直、今でも正しい答えは出ない。

 しかし、それでも、今この時、自分がすべきことだけは決まっていた。

 

 

「なのは、さっきも言ったけど、昨日は協力してくれてありがとう」

 

 

 ユーノは、フッと優しげに笑った後でなのはに答えた。

 ユーノにとって、彼女は偶然に巻き込まれただけの一般人だ。

 偶然に魔法の才能を持ってはいても、それ以外は普通の女の子と同じ。

 そんな彼女をこれ以上、自分の都合に巻き込むつもりはユーノには無かった。

 

 

「ジュエルシードだけは僕が命に代えても回収する。だから、なのは―――」

 

 

 ユーノは意を決した表情で言った。

 

 

「昨夜のことは早く忘れて、キミは元の日常に戻るべきだ」

 

「忘れるって…!」

 

 

 そんなこと出来る訳がない。

 あの時、何も出来ずに魔導師の子供たちを見殺しにしたのはなのはも同じだ。

 恐怖に震えるなのはを見てユーノは本当に申し訳なさそうに言う。

 

 

「なのは、巻き込んで本当にゴメン…。そのお詫びって訳じゃないけど『レイジングハート』は置いて行くよ。ジュエルシードの怪物ならともかく、あの殺人鬼に意味があるかは分からないけど、身を守るための力として持っていた方が良い」

 

 

 そう言って、ユーノは赤い宝石をなのはに渡した。

 暗躍する『殺人鬼』と『ジュエルシード』という二つの厄介事がこの街に存在している以上、最低限の自衛の力は持っていても良いだろう。

 

 

「レイジングハート、なのはのことを守ってあげてね」

 

 

 赤い宝石に言い残し、ユーノはその場を後にする。

 そして、走り出す直前、ユーノはくるりとこちらに振り返った。

 

 

「さようなら、なのは」

 

 

 待てとは言えなかった。

 止める暇もなく、次の瞬間、ユーノは自分の前から走り去っていった。

 

 

「ユーノ君…」

 

 

 呼んだところでもうどうしようもないその名が、自然と口からこぼれたのだった。

 

 

 

 





あとがき:

 どうして転生者(笑)の方々は、自分が存在することで逆に悪い方向に転がるかもしれないと考えないんでしょうかね?
 今回の自分の作品では、『異物である転生者の存在自体』が、思いっきり悪い方向に転がったパターンを描いている訳なんですが、何で転生者の多くがあんなに楽観的なのか自分には不思議で仕方ないです。
 また、物語の世界では『特別な力は、特別な力を呼ぶ』というのが、世界観的な原則・理屈であることが多いです。もしも『特別な力は、特別な力を呼ぶ』というのが、世界観的な原則だというのなら、チート転生者の持っている力こそ、まさにその『特別な力』だと自分は思うんですよねぇ…。個人的には型月系の能力を持ち込んだ神様転生の作品で多い印象ですが、上から目線で『特別な力は、特別な力を呼ぶ』的なセリフを言ってるチート転生者を見ると、正直、自分は変な笑いが出そうになります。

「『特別な力は、特別な力を呼ぶ』って、お前が言うかぁ!? 神様転生で『特別な力』を持ち込んだのなら、それに対しての『特別な力』を呼び寄せないとテメェの理屈に合わねえだろうが!? だったら、俺がテメェらにとびっきりの『特別な力』を呼び寄せてやるよ、このクソ共がぁ!?」

 そんな風に考えて、自分が考え得る最強最悪の『特別な力』を、チート転生者の方々に対して呼び寄せて差し上げたのが本作だと言えます。物語の構造的には、特典持ちの転生者の存在こそが赤屍蔵人という最強最悪のラスボスを呼び寄せてしまったという構図になるわけですが、このあたりも神様転生への皮肉のつもりで書いています。


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第八話 『リリカルなのは』の世界で その7

 

「ユーノ君…」

 

 

 呼んだところでどうしようもない名前がなのはの口からこぼれた。

 走り去っていったユーノを呆然と見送ったまま、なのははその場で立ち尽くしていた。

 

 

(私は…)

 

 

 自分に『魔法』という力を与えてくれた赤い宝石。

 その名に『不屈の心』の意味を持つ魔法のデバイスを見つめながら彼女は思い出していた。

 

 

 ――み、見逃してくれ…!――

 

 ――くあぁぁっっ!!!――

 

 

 記憶に焼き付いた悲鳴と血の匂い。

 昨晩の惨劇からまだ一日も経っていない。

 

 

(…夢じゃない…)

 

 

 あのときの全ては現実だ。

 先程、ユーノは昨晩の惨劇のことは忘れて元の日常に戻るべきだと言った。

 だが、忘れるなんて、とてもそんなこと出来る訳がなかった。さっき、ユーノはたとえ一人でもジュエルシードの捜索を続けると言った。

 しかし、一方の自分は立ち向かうという選択どころか、逃げるという選択すらできず、その場に立ち止まったままでいる。

 

 

「どう…しよう…」

 

 

 俯いたまま結論が出せないなのは。

 そして、その場で動けないままでいるなのはの元へ美由希が追い付いてきた。

 

 

「なのは!」

 

 

 美由希に後ろから声をかけられ、そこでようやくなのはは我に返る。

 

 

「もう!急に病室を飛び出して!心配したじゃない!」

 

「美由希お姉ちゃん…」

 

「中庭に何かあったの?」

 

「うん、さっきまでユーノ君が…」

 

「ユーノって…、なのはが言ってたフェレットの?」

 

 

 美由希は周りを見回すが、すでにユーノは立ち去った後でどこにも見当たらない。

 ひとまずなのはに病室に戻るように促す美由希。

 

 

「なのは、病室に戻ろう」

 

「うん…」

 

 

 なのはは美由希に連れられて病室へと戻っていった。

 そして、彼女らが病室へ戻った頃、士郎と恭也も話し合いを終えて病室に戻って来ていた。

 

 

「二人ともどこに行ってたんだ? しかも、なのはは裸足じゃないか」

 

「ご、ごめんなさい…」

 

 

 素直に謝るなのは。

 そして、士郎はなのはを座らせると、真剣な面持ちで話を切り出した。

 

 

「…なのは、先に言っておく。今回の事件、お前はただの被害者で傍観者だ。

 お前が現場に行った時には、すでに犯人はその場に居なくて、バラバラの死体だけが残されていた。誰に何を訊かれても、それ以外は喋らなくて良い。たとえ警察の人にもだ」

 

 

 士郎の言葉を聞いた美由希となのはの驚いた表情。

 たった今、士郎が告げた言葉が意味するところとは、つまり―――

 

 

「本気なの…?」

 

 

 士郎の言わんとすることを察した美由希が思わず困惑の表情で士郎と恭也を見る。美由希となのはから見ても、士郎と恭也は非常に正義感の強い性格だと言える。

 だからこそ、そんな二人が揃ってこんなことを言い出すなど、美由希にとっても意外なことだった。

 

 

 ――困っている人がいて、助けてあげられる力が自分にあるなら、そのときは迷っちゃいけない――

 

 

 なのはも美由希も父親である士郎からそう教えられている。

 ある意味、その教えに反するような士郎の決定に、なのはも美由希も少し驚かずにはいられなかった。

 確かに「魔法」や「魔導師」なんて、素直に話しても普通の人は簡単には信じてくれないだろうということは分かる。

 だが、今回の事件に関していえば、なのは自身は犯人の姿も顔も見ているのだ。それなのに、警察に対しても犯人について一切の証言すらしないというのは……。

 

 

「で、でも、それじゃあ…」

 

 

 案の定、なのはの方が難色を示す。

 しかし、これに関しては士郎と恭也が考えた結果の結論だ。

 普通に考えて、魔法や魔導師なんてことを素直に警察に話しても信用される訳がない。

 最初は、魔法や魔導師のことをぼかして警察へ証言することも考えていたが、それを誤魔化すためのカバーストーリーを仕立てても、下手な証言はどこかで必ずボロが出る。

 だったら、最初から何も知らないことにして黙秘を貫いた方がマシだろうと士郎と恭也は判断した。

 

 

「なのは、たとえばの話だが魔法や魔導師のことをぼかして証言して、その結果、事件とは関係ない第三者が冤罪で捕まったらどうする?」

 

 

 難色を示していたなのはだったが、士郎の指摘に言葉に詰まる。

 確かに証言を偽るのであれば、そういう可能性もないとは言えない。

 言葉に詰まってしまったなのはに、士郎は酷く苦々しい顔をして話を続ける。

 

 

「正直、実際に見たお前が誰より分かっていることだとは思う。今回の事件の犯人は明らかに常軌を逸しているんだ。そして、おそらく…警察では捕まえられん」

 

 

 実際に見たわけではないが、なのはの話を聞いただけでも分かる。

 圧倒的という表現を軽く通り越した絶望的な強さと、狂気をはらんだ精神性。

 完成された御神の剣士相手では、銃火器を装備したものが100人ほど居ないと倒せないと言われているが、今回の事件の犯人は間違いなくそれすら上回る。

 

 

「俺は以前、『困っている人がいて、助けてあげられる力が自分にあるなら、そのときは迷っちゃいけない』とお前たちに教えた。今でもお前たちにはそうあって欲しいと思う。だが、それはあくまで自分の身の安全が確保されているということが前提だ」

 

 

 正直、事件についての証言をするだけでも、今回について言えば命がけである可能性すらある。

 昨夜の時点で見逃しているなのはに対して今さら犯人が何かを仕掛けてくるとは少し考えにくいが、犯人の気が変わって目撃者・証言者であるなのはを殺しに来ないとは言い切れない。

 この事件を起こした犯人の常軌を逸した精神性を考えれば、その可能性はあり得ないとは言えないだろう。

 

 

「だから、なのは―――」

 

 

 そこで士郎は改めてなのはを見据える。

 

 

「今は、自分のことを一番に考えるんだ。そのことでお前が責められる謂れは何一つ無い」

 

 

 士郎ははっきりと言った。

 実際、父の言っていることは正論だとなのはも思う。

 しかし、頭では分かっていても、心では中々納得できるものではない。

 記憶に焼き付いた犠牲者たちの悲鳴と血の匂いが、怨嗟の声となって彼女を苛む。

 

 

 ――なんでお前だけ助かった――

 

 ――皆、幸せになりたかったのに、お前だけが裏切った――

 

 ――何で助けてくれなかったんだ――

 

 

 昨夜のことを思い出しただけで、聞こえるはずのない声がなのはには聞こえる。

 一般的に『サバイバーズ・ギルト』と呼ばれる心理状態であり、こうした心情を持つ子供のケアというのは実は相当に難しいと言われている。

 特に小学生くらいの年代の子供になると、自分に何か責任があったのかも、あるいは何かできたはずなのになどと思い悩むこともあり、そのような悩みを打ち明けられずにいることも多いという。

 そして、このような場合、悩みを口にできる機会を作ってあげて、当事者の気持ちを汲み取ってあげることが大切なことになる。しかし、なのは自身が自分の内に抱え込みやすい性格であるため、士郎たちも彼女がそうした心情を抱えていることにこの時点では気付くことはなかった。

 

 

(ユーノ君は、自分に出来ることをしようとしてる。だけど、自分は――…)

 

 

 生来の彼女が持つ正義感と、生き残ってしまったことでの罪悪感。

 どこぞの『運命』の名を冠する物語では、その二つが結びついてしまったことで『正義の味方』という強迫観念に突き動かされるロボットのような少年が出来上がってしまった。

 もちろん、なのはの人生が彼と同じようなものになると決まった訳ではないが、もしもこの時、士郎たちがなのはのそうした心情を拾い上げることが出来ていたら、また違う未来となっていたのかもしれない。

 

 

(私は、どうしたらいいの…?)

 

 

 自分のするべきことが分からないなのは。

 何をするべきかも分からず、その場に立ち止まったままでいる自分が酷く情けなく感じられる。

 なのははユーノから手渡された赤い宝石を無意識に握りしめていた。彼女の中の不屈の心は決して燃え尽きた訳ではない。

 けれど、今の彼女は自分を見失ったまま、その場から動き出す勇気すら持てないままでいた。少なくとも、今はまだ―――

 

 

 

 ◆

 

 

 

 なのはが答えを出せずに立ち止まっているその頃。

 海鳴市を恐怖のどん底に突き落とした二人の死神はあるビルの屋上から街の様子を見下ろしていた。

 頬をなでる風を感じながら、間久部博士と赤屍は、昨晩の現場で見逃した少女とフェレットの姿をした少年について話していた。

 

 

「立ち直れるかな、あの二人は?」

 

「さあ? 私としては別にどちらでも関係ありませんね」

 

 

 いかにも興味なさげな赤屍な対応。興味の無いことには徹底して無関心。

 そんな如何にも赤屍らしいセメントな対応に博士は思わず苦笑してしまう。

 

 

「ククッ、実にキミらしいな」

 

 

 赤屍にとって最も重要なことは、強いかどうかの一点のみ。

 相手がどんな想いや信念を持っていようと、相手が弱ければ何の躊躇もなく殺してのけるのが赤屍である。

 そして、それはなのはやユーノが相手であっても変わらないだろう。

 

 

「確かに、純粋な戦闘力で言えば、彼らはキミの足元にすら及ばないだろうがね…。だが、だからこそ私はあの少女と少年にも期待しているんだよ」

 

 

 昨夜、あの少年と少女は赤屍蔵人という最強最悪の死神の強さと残酷さを目の当たりにした。

 普通の人間ならばトラウマ確定の恐怖体験であり、精神的には二度と立ち直れなくなっても全く不思議はない。

 しかしながら、そうした絶望から立ち上がろうとする気概や勇気こそ、人間の持てる最大の輝きだとも言える。

 妖しげな笑みを浮かべながら博士は語る。

 

 

「前にも少し話したが、恐怖や絶望を乗り越えて進もうとする人間の姿は美しい。敵であれ、味方であれ、私はそれを見たいのさ」

 

 

 彼女のこういうところは、赤屍がほとんど相手の強さにしか興味はないのと対照的な点だと言える。

 しかし、一方の赤屍はそんな彼女の言葉も全く意に介さない様子だった。

 

 

「もし仮に立ち直れたとしても、私の前に敵として立つなら容赦なく殺しますけどね?」

 

「フッ、それは分かっているさ。だが、そもそもあの二人のジュエルシード集めという目的と、我々の転生者を始末するという目的は本来的には競合しない」

 

 

 博士の言う通り、赤屍達の目的となのは達の目的は本来的には全くの別問題だ。

 だから、本来ならばあの二人がジュエルシード集めを続けるのだとしても、それはイコールで赤屍たちの敵となるという訳ではない。

 

 

「もしかしたら二度と会うことも無いのかもしれん。だが、もしも彼ら二人が昨夜のような現場に出くわしたとしたら、彼らがどうするのかは少し興味がある」

 

 

 殺される被害者のことなど見捨てて逃げるのか。

 それとも、殺される被害者を助けるために赤屍たちと戦うのか。

 

 

「もしもあの二人が敵として我々の前に立つなら、死ぬことは確実だ。何しろキミが居るからな。しかし、それを分かった上で、それでもなお我々の前に敵として立てるなら、そうした死への恐怖を乗り越えて来たということに他ならない」

 

 

 彼女の語る言葉にわずかだが熱が帯びる。

 

 

「だから、ジャッカル―――」

 

 

 白い少女は改めて赤屍の名を呼んだ。

 

 

「万が一、あの少年と少女が挑んでくることがあるなら、敬意を払って相手をしてやってくれ」

 

 

 敵として前に立つなら誰であろうと容赦はしない。

 しかし、それでも戦って楽しい相手と、そうでない相手はいる。

 それと同じように、尊敬すべき敵手と、そうでない敵手も―――

 

 

「欲を言えば、戦闘力もそれに見合ったモノであれば言うことはないんですけどね」

 

 

 博士の言葉を聞いた赤屍はやれやれという風にため息を吐いた。

 彼女もフッと皮肉気に笑って赤屍に返答する。

 

 

「私とて『勇気があれば弱くてもいい』とは一言も言っていないさ。結局、戦場という修羅場でモノを言うのは冷徹な殺意の刃であることは事実だ。ゆえに―――」

 

 

 そこで白い少女は言葉を切る。

 そして、彼女は後ろを振り返って、残酷に告げた。

 

 

「ゆえに、ここでキミが無様に転がっているのは、単にキミの実力不足だ」

 

 

 彼女が声を掛けた先には、過去に人間だったものがバラバラになった状態で転がっていた。

 バラバラに解体されたパーツはどれも恐ろしく鋭利な切り口をしており、赤屍が殺したものであることは明らかだった。

 

 

「切断された首だけになっても短時間であれば意識は残っている可能性がある。キミにこの言葉がまだ聞こえているかは分からんが、最後に伝えておこう」

 

 

 首だけになった相手は何も答えない。そもそも答えられる訳がない。

 

 

「確かに実力不足ではあったが、まあまあだったよ、キミは。そこらの欲望塗れの転生者の連中と違って、キミは純粋に正義の心で立ち向かってきた」

 

 

 聞こえているかは分からない。

 もはや聞こえていない可能性の方が高いだろう。

 だが、それでも彼女は首だけになった相手へ賛辞の言葉を贈った。

 

 

「惜しむらくは、その心に実力が伴っていれば更に良かったんだが…中々にままならんな」

 

「…ですねえ」

 

 

 博士の言葉に赤屍も溜め息まじりに同意の言葉を返す。

 二人は最後にバラバラになった死体を一瞥すると、その場から立ち去るべく踵を返したのだった。

 

 

 

 




あとがき:

 この作品だと割とまともな転生者も容赦なく死にます。


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幕間 セカイを渡る狭間にて

※時系列は『リリカルなのは』の世界に来る前になります。



 

 どこまでも広く広がる銀河に、汽笛を響かせる一台の列車があった。

 まるで、かの宮沢賢治が描いた『銀河鉄道の夜』を思わせる銀河の中を走る列車。

 その列車が一体どこから来てどこへ行くのかは、きっと誰も知りはしない。

 そう、きっと『この二人』を除いて―――

 

 

「いやはや、素晴らしい眺めですねぇ」

 

「全くだな」

 

 

 銀河の中を走る列車の座席の一角。

 赤屍と間久部博士は列車の窓の外の景色の美しさに感嘆していた。

 

 

「色々な次元とセカイを渡り歩いてきましたが、こういう寄り道もたまに悪くは無いですね」

 

 

 自称・神がばら撒いた転生者を狩るためにいくつもの世界を渡り歩いて来た二人。

 そして、ある世界での転生者を狩りつくし、いざ次の世界へと移動しようという段階になったわけだが、その際、彼ら二人は観光のつもりで寄り道をしてみることにした。

 それが赤屍と間久部博士の二人が銀河を走る列車に乗っている理由だった。

 

 

「そういえば、以前から気になっていたんですが…」

 

「…何かな?」

 

「主人公ジョバンニが持っていた切符は、何の比喩だったんでしょうかね?」

 

「ああ、あれか」

 

 

 宮沢賢治が描いた『銀河鉄道の夜』の主人公ジョバンニが持っていた緑色の切符。

 作中においては彼が持っていた『切符』は、本人が希望すれば天上でもどこでも自由に行ける切符とされていた。

 だが、ジョバンニは何故そんな切符を持っていたのだろうか。何かの比喩表現であるとしたら、それは一体何を意味しているのか。

 

 

「…そうだな。やはり、ジョバンニが『生者』だからだろう」

 

 

 宮沢賢治が書いた『銀河鉄道の夜』という物語には様々な解釈がある。

 博士は赤屍の問いに少し思案した後、自分なりの解釈を語り始めた。

 

 

「銀河鉄道は、死者を運ぶ列車だ。そして、鉄道から見た光景は、死後の世界の情景であり、文字通りこの世の物ではない美しさだ」

 

 

 実際、鉄道の車窓から眺める景色はこの世のモノとは思えない程に美しかった。

 金剛石の輝きのような、或いは草の露の煌めきのような、煌びやかな銀河の川底の上を凍てついた水が音もなく流れていく。

 その川の真ん中に小さな島があり、そこには北極の雪を固めて作ったような美しい十字架が何かを見守るように静かに立っていた。

 

 

「死者の降りる駅は、彼らの生前の行ないに対して決まるもので各人が異なる。そして、銀河鉄道の乗客の中で死んでいないのが、主人公のジョバンニだ」

 

 

 彼女は窓の外を流れて行く景色を眺めながら話を続ける。

 

 

「だから、彼は自分の降りる駅を知らない。彼が持っていた『切符』は、本人が希望すれば天上でもどこでも自由に行ける。つまり、生きているうちはどんな可能性でもあるということだ。天上へさえ行ける切符というのは、努力次第で天上に行けるほどのレベルまで自分が成長できるということでもある」

 

 

 もっとも、多くの人間は自分がその切符を持っていることを知らない。

 さらに、天上へ至るための切符を持っていても、そこに至るまでの道筋は切符にも描かれておらず、車掌にも分からない。

 明確な記述は無いが、おそらく彼の持っていた緑色の切符とは宮沢賢治の理想『まことの幸い』という考え方の象徴の一つだったのだろう。

 間久部博士の語った内容を聞き終えた赤屍は「ククッ」と愉快そうに笑うと、ポケットから一枚の切符を取り出した。この鉄道に乗った時から、いつの間にかポケットに入っていた黒色の切符。

 

 

「…なるほど。それでは、私達の持っている『真っ黒い切符』はどうなんでしょうね?」

 

「さてな? 少なくとも、我々が宮沢賢治の理想『まことの幸い』という考え方の対極の存在であることは間違いなさそうだな」

 

「クス…ですよねえ」

 

 

 彼ら二人の持つ切符は本当に『真っ黒』だった。

 これ以上に黒い色はこの世に存在しないのではないかと思えるほどの漆黒。

 通常の黒色の場合、光の反射で凹凸の有無などが確かめられるので、物質がどんな形をしているのかは目視で確認可能だが、この黒すぎる切符ではそれすら出来ない。

 余りにも黒すぎる所為で、まるでそこに真っ黒な四角い穴が空いているだけに見えるほどだった。

 

 

「凄い! この列車、銀河を走ってる!」

 

「銀河を走ってる、じゃねえよ!? 『銀河鉄道』ってことは…。ああ、クソッ! やっぱり、また死んだのかよ、オレ達…」

 

 

 その時、騒がしい二人の少年が前の車両の扉を開けて、赤屍と博士の座る車両に入って来た。

 おそらく年齢は高校生くらいだろう。そして、高校生くらいの二人の少年は、通路を挟んで赤屍達の隣りの座席へと座った。

 なんのことはない。四人掛けの席で空いてる席で、そこが一番近かっただけの話だ。

 

 

「おや…?」

 

「ん? キミ達は…」

 

 

 ふと赤屍達が気付く。

 通路を挟んで隣の座席に座った少年二人に赤屍と博士は見覚えがあった。

 

 

「「え?」」

 

 

 赤屍達が気付くと同時に少年二人も同じように気付く。

 

 

「「ああああああああああああああああああああああああああ!?」」

 

 

 赤屍と博士の存在に気付いた少年二人の絶叫が響いた。

 少年二人のリアクションは当然だ。何故ならこの少年二人は、このセカイで赤屍が殺った転生者のうちの二人だからだ。

 つまり、「殺し」「殺された」仲であり、自分たちを殺した相手が隣りの座席に座っていたら、こんな反応も当然だろう。

 

 

「テメェら、よくも俺らを殺ってくれたな!?」

 

 

 少年のうちの一人が食って掛かる。

 

 

「死んだというのに元気ですねぇ、アナタ…」

 

 

 若干の呆れが混じったような赤屍の言葉。

 しかし、それはどう考えても、殺った張本人が、殺した相手に言って良い台詞じゃない。

 

 

「くそぉ、俺の仇だ! ここでぶっ殺す!」

 

 

 俺の仇という傍目には訳の分からない台詞を吐きながら少年は、自分の『力』を発現させようとした。

 転生の際に神を名乗る者から特典として貰ったチート能力だ。

 しかし―――

 

 

「発動しない!?」

 

 

 ここがそういう場所だからなのか。それとも、死んだ後だからなのか。

 正確な理由は分からなかったが、全く力を発現出来なかった。そして、かつての自分の力を引き出せずに慌てている少年に『白い少女』は淡々と告げる。

 

 

「残念だが、キミ達の『力』はすでに回収させてもらっている。キミにあの『力』は二度と使えん」

 

「そ、そんな…」

 

 

 力を失ったことに対して絶望的に落ち込む少年。

 そんな少年に赤屍が理解できないという風に口を挟む。

 

 

「…何故、そんなに落ち込む必要があるんですか? 所詮、他人から与えられただけの『借り物』の力でしょう」

 

 

 つまり、元の状態に戻っただけ。

 それなのにどうしてそこまで落ち込むのか赤屍には分からなかった。

 そして、赤屍は口の端を皮肉気に吊り上げながら、少年たちを挑発するように言った。

 

 

「さきほど私のことを殺すと仰っていましたが、出来るものならやってください。『力』を失った貴方に何が出来るのか、是非私に見せて下さいよ」

 

 

 赤屍の挑発まじりの言葉にも少年は動けない。

 なにしろ生前の『力』を持っていた時ですら、まるで歯が立たずにやられた相手だ。今の『力』を失った自分達では尚更、敵う訳がなかった。

 赤屍は動けないでいる少年二人をしばらく見つめていたが、やがて失望したように溜め息を吐いて言った。

 

 

「…『力』を失ったらもう戦えませんか? 私が最も尊敬する好敵手のうちの少なくとも一人は、たとえ『力』を失っても十分に戦える人でしたがね」

 

 

 そう言う赤屍が思い出すのは、奪還屋『GetBackers』の片割れの一人、天野銀次のことだった。

 かつて『鬼里人』との戦いのとき、彼は一時的に『電撃』の力を失った。しかし、力を失ったからこそ、見つけることが出来た強さもある。

 あのときの彼が見せた動きと強さは、赤屍をして美しさすら感じる程だった。もしも、あのまま彼が力を失ったままだったとしても、彼は決して己の戦いを途中で投げ出そうとはしなかっただろう。そういう確信が赤屍にはある。

 だからこそ、『力』を失ったことで戦おうとする意思すら無くしてしまった目の前の少年二人のことが、赤屍には余りにも薄っぺらく見えた。

 

 

「貴方達では所詮、その程度ですよ。実力も、意思の強さも、何もかもが、私の知る好敵手たちには遥か遠く及ばない。所詮、貴方達は他人から与えられただけの『借り物』の力を振り回していい気になっていただけの連中です。だから、その『借り物』を失っただけで、もはや戦おうとする意思すら無くしてしまうんですよ」

 

 

 失望と侮蔑を隠しもしない赤屍の言葉。

 明らかに少年二人のことを格下に見た侮辱だったが、少年たちには赤屍の言葉を否定できなかった。

 己の力を誇示するだけの者は、自分よりも強大な力を前にしただけで簡単に終わる。実際、赤屍と間久部博士が彼ら少年二人の前に現れた時、恐怖に竦んで碌に戦えずに殺されてしまった。

 結局、赤屍に言わせれば、少年達は神様から貰っただけの『借り物』の力を誇示するだけの偽物の勇気しか持たない者でしかなかった。

 

 

「もしも違うというのなら、何か反論してみてください。もっとも、私達が現れたとき、恐怖に竦んで碌に戦えなくなるという無様を晒した貴方達が何を言っても説得力は皆無ですがね」

 

 

 赤屍の容赦ない言葉が少年たちの胸を抉る。

 やや極論に近い赤屍の物言いだったが、全く心当りがない訳ではない。

 何より、この絶望的な化け物に面と向かって反論するだけの勇気を少年たちは、この場においても持てなかった。

 

 

「ククッ…そう苛めてやるな。ジャッカル」

 

 

 苦笑まじりの少女の言葉が響く

 言い返せないでいる少年と赤屍との間に間久部博士が割って入って来た。

 

 

「私の連れがすまんな」

 

「あ、いえ…」

 

 

 一言だけ少年二人に謝罪の言葉を述べると、少女は赤屍に言った。

 

 

「ジャッカル、確かにキミの言い分にも一理ある。だが、キミのお気に入りの好敵手と同じように戦える者は、そうは居ないものだよ」

 

 

 博士はそう言うが、そんなことは赤屍だって分かっている。

 自分よりも強大な敵が現れた時、どんな絶望的な敵が相手であっても、心が折られずに戦い抜く勇気。

 言葉にするのは簡単だが、実際にそんな勇気を持って戦い抜くことが出来るのは、ほんの一握りの人間のみだ。

 

 

「つまり、俺達の勇気は『偽物』だって言いたいのかよ…」

 

「『偽物』とまで言うつもりは私には無いがね…。実際、今回は相手も悪かった。『Dr.ジャッカル』が相手でも、心が折られずに立ち向かえる者など、セカイ中を探し巡っても果たして見つかるかどうかというレベルだからな」

 

 

 赤屍の絶望的な強さを知った時、殆どの人間は心を折られる。

 実際、これまでに渡り歩いてきた別のセカイで始末してきた転生者も、殆ど全てはそうだった。

 

 

「しかし、逆に言えばジャッカルが相手でも、心が折られずに戦い抜くことが出来る者ならば、たとえどんなに実力不足であったとしても英雄と呼んで差し支えは無い。そういう意味では、確かにキミ達は少々期待外れだったのは否めん。だが、英雄になれなかったからといって、そう気にする必要はない。キミ達は確かに凡人だったが、人類のほとんどの人間は凡人なのだ。キミ達はその大多数の一人だっただけに過ぎんよ」

 

 

 無機質に淡々と語る少女。

 その時、ちょうど汽車は月の端を貫通するトンネルを抜け、窓の外の景色がぱっと明るくなった。

 まるで炎が酔うような、赤く煌々と灯る幻想的な光が遠い空の果てに光っている。

 

 

「あれは…?」

 

 

 窓の外の赤い輝きをみた少年のうちの一人が疑問を口にする。

 白い少女は赤い輝きの美しさにわずかに目を細めながら、少年に答えた。

 

 

「あれは『蠍の火』だ」

 

 

 宮澤賢治の書いた『銀河鉄道の夜』には『焼けて死んだ蠍の火』のエピソードが存在する。

 そのエピソードの蠍は最後まで自分の命に執着した結果、無駄死にと言うべき死に方をした。

 この世は食べる者と食べられる者との依存関係で成り立っているのだから、自分が他の虫を食べているように、自分自身がイタチに食べられることは何の不思議も無い。

 むしろその方が生命の連鎖にとっては自然なことであるのに、自分は命を惜しむばかりに、かえって無駄な死に方をしてしまった。そのように反省し、蠍は神様に祈ったのだという。

 

 

『―――どうか神さま。私の心をご覧ください。こんなに空しく命を捨てず、どうかこの次にはまことの幸いのために私のからだをお使い下さい』

 

 

 その祈りが届いたのか、蠍は赤い美しい火となった。

 そして、その蠍は自らの身体を燃やすことで、夜の闇を照らし続けている。

 

 

「…良く言われる解釈だが『銀河鉄道の夜』という作品は、『自己犠牲』がテーマの一つだと言われている」

 

 

 中でも『蠍の火』は象徴的なエピソードの一つとして語られることが多い。

 自己犠牲そのものを肯定すべきか否かという論点で語られることも多いが、彼女にしてみればそんなことはどちらでも良かった。

 何故なら―――

 

 

「ただ、私に言わせれば自己犠牲というのは、本人の中での価値基準と優先順位の問題でしかないがね」

 

「ほう? それは一体どういう意味でしょうか」

 

 

 間久部博士の「価値基準と優先順位の問題」という言葉に興味深そうに訊き返したのは赤屍だ。

 そして、訊き返された博士は少し考えた後、こう答えることにした。

 

 

「単純な話だよ。つまり、物事の価値というのは、他人が決めるものではなく、結局、自分が決めるものだということだ。自己犠牲という行為は、単にその人が自分以上に優先するべき『何か』を持っているというだけの話だろう。自分の『命の価値』が安いのか。それとも『何かの価値』がそれ程までに高いのか。そのどちらなのかは分からんがね」

 

 

 人は誰もが自分の中に物事の価値を測る物差しを持っている。

 だが、ある一つの物事に対して、各人が自分の物差しを使って価値を測った時、全員が同じ数値が出るとは限らない。むしろ、人それぞれ違う数値が出るのが普通だ。

 それどころか、人それぞれが己の命の価値を測ったとしても、出て来る数字は違うだろう。そして、全ての人間は無意識の内に物事の価値を自分の中で比較して、その価値の大きい方を優先しているだけだと間久部博士は言った。

 

 

「私に言わせれば、自己犠牲に限らず人間の全ての行動は、周囲からの評価ではなく、己の決めた価値基準に従った結果だ。人は、自分の命よりも大切だと思えることであれば、時に自己を犠牲にすることも厭わない。だが、己の命の価値がどのレベルにあるか。また、自分の命よりも尊いと思えるモノの価値がどのレベルにあるかによって、自己犠牲のハードルの高さは大きく変わってくる」

 

 

 彼女は自己犠牲のハードルの高さという表現を使って持論を語る。

 いちいち理論立っていて、いかにも学者である彼女らしい物言いだった。

 

 

「正直、ハードルの低い自己犠牲にそれ程の価値があるとは私は思わん。はっきり言って、ハードルの低い自己犠牲というのは単に自分の命を安く扱っているだけだ。つまり、自己犠牲というのは自分を大事にしている者がやってこそ意味がある行為だとも言えるかもしれんな」

 

 

 車窓の外には、ちょうど蠍座の星の位置を象って三角標が並んでいるのが見える。

 そして、蠍座のアンタレスに当たる部分―――『蠍の火』は音も無く、美しく燃え続けていた。

 その赤く燃える火の輝きを見つめながら、白い少女は言葉を続ける。

 

 

「私やジャッカルには、自分を犠牲にしてまで守りたいモノなど何も無い。だが、自分の命の大切さを自覚して、それでもなお自分の命よりも大事なモノのために戦う者達の魂の輝きは、本当に美しいよ。それこそあの『蠍の火』と同じくね」

 

 

 彼女が思い出すのは、無限城世界での『奪還屋』の二人と、その戦友たちだ。

 決して己の命が安い訳ではなく、それが本当に命と引き換えにしても良いくらいに大切だと思うから、それを守る為には命すら賭けて戦える者達。

 今回、博士と赤屍が始末対象とする転生者の中に、彼らに匹敵する魂の輝きを魅せてくれる者が一体何人存在するのかは分からない。

 

 

「彼らに匹敵する輝きを魅せてくれる英雄は、これまで始末してきた転生者の中には、まるで居なかったが―――…」

 

 

 途中で言葉を切ると、間久部博士と赤屍は座席を立ち上がる。

 立ち上がった彼女は、この上なく残酷な笑みを浮かべながら言った。

 

 

「―――次のセカイではどうかな」

 

 

 そう言って、博士と赤屍は踵を返す。

 すると、何もない空間に裂け目が出来たかと思えば、白い少女と黒い男はその裂け目へと吸い込まれる様に消えて行ったのだった。

 

 

「消えた…」

 

「一体何者だったんだよ、アイツらは…」

 

 

 生と死の狭間にあるようなこの列車に、おそらく彼らは生身のままで乗っていたのだ。

 この世の理(ことわり)から半ば逸脱しているような存在であることは間違いない。しかし、その場に残された少年二人の疑問に答えてくれる者は誰も居なかった。

 

 

 




 あとがき:


 直感的にも分かることですが、己の力を誇示するだけの者は、自分よりも強大な力を前にした時に簡単に終わります。
 だから、ネット上に氾濫するチート転生者の連中が、本当のピンチや自分よりも強大な敵が現れた時に、本当に立ち向かって行ける勇気を持っている者なのか自分には疑問で仕方ありません。
 自分が子供の頃に憧れたヒーローは、どんな絶望的な敵が相手でも戦い抜く本物の勇気を持った英雄達でした。チート転生者が自分の力を誇示するだけの半端な勇気しか持たない者でなく、絶望的な敵にも立ち向かって行ける本物の勇気を持った英雄だというのなら、是非その勇気を見せて欲しい。
 そんな訳で今回の自分の作品では、転生者たちへの絶望的な敵として赤屍さんに登場してもらっている訳です。もしかしたら自分が子供の頃に憧れた英雄達も、赤屍を前にしたら心が折られるのかもしれません。ですが、逆に言えば、この絶望的な逆境の中でも心が折られずに雄々しく戦い抜くことが出来る者ならば、たとえ実力不足であったとしても英雄と呼んで差し支えは無いと思います。


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第九話 『リリカルなのは』の世界で その8

 ※今回は、以前の「特典を持たない転生者」の視点から始まります。




 

 ―――翌朝、TVでニュースを見て俺は愕然としていた。

 

 

(何だよ、これ…)

 

 

 27人の子供がバラバラ死体で発見されるというとんでもない大事件。

 海鳴市全体、いや、それどころか日本中がその大事件に騒然となっていた。

 ニュースに映っている現場は、俺にも見覚えがあった。

 

 

 ――海鳴市、槙原動物病院――

 

 

 間違いなく『原作』で主人公が初めて魔法に目覚める現場となった場所だ。

 TV画面を見ると『KEEP OUT』のテープが現場一帯を囲んでおり、完全に警察に封鎖されているようだ。

 しかも、事件が発覚してから殆ど時間が経っていないこともあって、まだ現場検証すら満足に終わっていない状態のようだった。

 

 

(子供ばかりが殺された!? 27人も!? しかもあの動物病院って―――)

 

 

 高町なのはが魔法に目覚める場所で殺された27人の小学生。

 恐らく、殺された27人というのは『原作』に関わろうとした転生者たちだろう。

 そうでなければ、小学生の子供が27人も夜中に同じ場所で殺されるなんていう不自然なことがある訳がない。

 

 

「何て物騒な…」

 

「え?ちょっと待って。ねえアナタ、これって割とウチの近くじゃない!?」

 

「え、本当か!?」

 

 

 ニュースを見たこの世界での自分の両親の反応。

 俺は報道される内容を愕然とした気持ちで見ていた。

 もしも昨日のユーノの広域念話が聞こえた時、興味本位で『原作』の見物にでも出掛けていたらと思うとゾッとする。

 そして、ニュースを見た俺が脳裏に真っ先に浮かんだのは、昨日、帰宅途中に出会った『黒い男』と『白い少女』のことだった。

 

 

(まさか、アイツらが…?)

 

 

 何となくだが、俺は直感的に確信できた。

 この事件の犯人は、間違いなくあの二人だ。

 そして、もしもあの二人が『原作』に関わろうとした転生者たちを選択的に殺したのだとしたら―――

 

 

(やっぱり、アイツらも転生者…、なのか?)

 

 

 昨夜、ぼんやりと考えていた予想が現実味を帯びてくる。

 あの男が原作介入を狙う転生者だというならば、やはり、介入の邪魔になりそうな転生者たちを殺すことが目的なのだろうか?

 俺はニュースを見ながら思考を巡らせていたが、どうやら自分で思っていた以上に深く考え込んでいたらしい。

 

 

「…! ……! ねえったら!」

 

 

 ふと母親に名前を呼ばれて我に返る。

 

 

「…え? ゴメン母さん、聞いてなかった」

 

「大丈夫? 顔、真っ青よ?」

 

 

 自覚は無かったがそんなに深刻な顔をして考えていたのか。

 母親は心配した様子で訊ねて来る。

 

 

「ホントに大丈夫? 学校、行ける? あ、でも、こんな事件が起こったら学校も休校になるんじゃないかしら?」

 

 

 母親の言うことはもっともだ。

 これだけの大事件が起きれば休校になったとしても何ら不思議は無い。

 しかし、事件が発覚したのがまだ昨夜に過ぎないこともあり、学校側も碌に事件の全容を掴めていなかったのが現状であった。

 そのため学校もどう対応したらいいのか決めかねており、今日は休校にはならなかった。その旨を伝える連絡網が回って来たとき、俺は一瞬、学校側の正気を疑ったが、考えてみれば学校の敷地内で起こった事件という訳でもないし、学校側がどう判断するかは微妙なところだろう。

 もっとも、登校に際しては可能な限り集団登校あるいは保護者の同伴ありでお願いしますということであったが。

 

 

(一体…何が起こってる…?)

 

 

 このとき、俺は何とも言えない漠然とした不安を感じていた。

 しかし、そんな不安に対しても自分に出来ることなど何もない。

 

 

「お父さんが送ってくれるってさ」

 

「あ…ああ、分かったよ」

 

 

 俺は漠然とした不安を胸に抱えながらも、父親に連れられて学校へと登校して行ったのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 そうして、学校に到着したが当然、学校中は騒然となっていた。

 教室の生徒達も話題は昨夜に発覚した事件のことで持ちきりだった。

 子供ばかりが27人も殺されたと言っても被害者は同じ学校の生徒だけという訳でもなく、複数の学校に跨って被害者が出ているようだ。

 

 

(この分だと、別の街からわざわざやって来て殺されたような奴も居そうだな…)

 

 

 生徒達の噂話を聞き流しながら、俺はそんなことを思う。

 この学校の生徒の中にも被害者が出ているという噂もあり、周りの生徒達も気が気じゃないようだ。

 教師陣も朝から職員会議で対応について話し合っているところであり、朝からずっと自習時間が続いている。

 しかし、この分だと確実に午後からは休校になりそうだし、事件の全容がある程度分かるまでは休校が続きそうな雰囲気だ。

 

 

「…なあ、ちょっといいか?」

 

 

 同じクラスメイトの女生徒。

 俺は同じ転生者仲間でもある佐倉未来に声を掛けた。

 俺と同様、彼女自身も『原作』には関わるつもりがないと言っていたヤツだ。

 だから、昨晩のユーノの念話が聞こえた時、彼女も『原作』の見物などには行っていないのだろう。

 もしも、見物に行っていたら恐らく彼女はここには居なかったはずだ。

 

 

「…やっぱり『原作』と『転生者』がらみの事件だと思うか?」

 

「…多分そうだろうね」

 

 

 俺と佐倉は屋上に移動してから、事件について話し出した。

 恐らく殺された27人というのは『原作』に関わろうとしたか、『原作』を見物しようとした転生者たちだろう。

 そうでなければ、小学生の子供が27人も夜中に同じ場所で殺されるなんていう不自然なことがある訳がないからだ。

 

 

「でも、そうだとしたら、事件の犯人も『転生者』なのかな…?」

 

 

 やはり佐倉も俺と同じ考えに行き着いていた。

 生徒達の噂話の中には、殺された27人の他に、たった一人だけ無傷で現場に残された少女が居たという噂も存在した。

 無傷で現場に残された少女が主人公である『高町なのは』であるのなら、尚更、これが自然な考えであるように思える。原作介入を狙う『転生者』が事件の犯人で、介入の邪魔になりそうな転生者たちを片っ端から殺した、というのが一番ありそうな考えだとこの時の俺達は考えていた。

 そして、佐倉の意見を聞いた俺は、昨日の下校途中に出会った『白い少女』と『黒い男』の二人組についても彼女に話してみることにした。

 

 

 ――命拾いしましたね。アナタは『対象外』だそうですよ――

 

 

 下校途中に出会った黒い男が去り際に言い残した『対象外』という言葉。

 俺は昨日の校途中に出会った『白い少女』と『黒い男』の二人組について、自分が経験したことをそのまま語った。

 正直、俺はあの二人が事件の犯人だと半ば確信していたが、俺の話を聞いた彼女がどう判断するのかはまた別問題だろう。

 

 

「『対象外』…か」

 

 

 俺の話を聞いた佐倉は口元に手を当てて何か深く考え事をしている。

 特にあの黒い男が言い残した『対象外』という言葉に引っ掛かっている様子である。

 

 

「普通に考えたら、原作に関わろうとしてる連中が『対象者』ってことなんじゃねえの?」

 

「あ、うん、私もそう思うんだけど…。何か引っ掛かるっていうか…」

 

「何が?」

 

「うーん…」

 

 

 腕を組んだ姿勢で考え込む佐倉。

 しかし、考えても今の時点では答えは出ない。

 彼女はひとまず疑問を棚に上げると、一つ息を吐いてから言った。

 

 

「けど、これが『転生者』がやらかした事件だとしたらマジでヤバいよね…。これまでにも転生者同士の小競り合いはいくらかあったけど、こんなトンデモナイ殺し方をする奴は一人も居なかったのに…」

 

 

 明らかに他の転生者の連中とは一線を画している。

 チート能力を貰っているであろう転生者たちを皆殺しにしたという事実。

 その事実とは、つまり、この事件の犯人は他の転生者27人がまるで相手にならない程の圧倒的な実力者だということだ。

 今回の事件の犯人が『転生者』だとしても、間違いなく普通の『転生者』じゃない。ここまで来ると、むしろ最初から殺すことを前提とした能力を修めている可能性が高い。

 そして、それに加えて、おそらくは―――

 

 

「多分、殺人に対する認識が私達とは根本から違う気がする」

 

 

 佐倉はそう言ったが、それは俺も最初から思っていたことだ。

 覚悟云々の話ではなく、ただ敵だから殺す。『殺す覚悟』とか『殺される覚悟』とかの低次元なところで喚いている連中とは、精神構造の在り方が根本的に違う。

 この事件の犯人が、平気で殺人が出来る人間―――いわゆるサイコパスに近い相手であることは恐らく間違いない。

 だから、俺も彼女に同意の言葉を返す。

 

 

「…ああ、俺も同感だよ。今回の事件の犯人は、いちいち『覚悟』なんて言葉を使わなくても人殺しが出来る本物の『殺戮者』だ」

 

 

 この事件の犯人は間違いなく異常者・外道の類である。

 ある意味、『殺す覚悟』とか『殺される覚悟』などとほざいている地雷オリ主の方が『殺人=出来るだけ忌避すべきもの』という認識を持っているだけマシかもしれない。

 もっとも、実際に『殺される側』からしたら、どちらであったとしても結果が変わらないことを考えると殺人を犯すという時点でどっちもどっちということかもしれないが…。

 そして、俺がそんなことを考えていると、ふと佐倉が訊いてきた。

 

 

「…ひょっとして、キミも前世ではネットで二次創作のSSを読んでたクチ?」

 

「まあ、割と読んでた方だと思うけど。何で?」

 

「いや、『覚悟』なんて言葉が出て来たし、ひょっとしてそうなのかなって」

 

 

 佐倉の答えを聞いた俺は「なるほど」と少し納得する。

 実際、一昔前の二次創作の界隈では『殺す覚悟』とか『殺される覚悟』とか喚くオリ主が山ほど存在していたのは確かだ。

 もっとも、やや拗らせ気味の「高二病」である俺にしてみれば、ああいう『殺す覚悟』云々というSEKKYOUはどうしても馴染めなかったし、的外れだとも思っていたが。

 

 

「へえ? 的外れってのはどういう意味?」

 

 

 少し興味深そうに彼女は俺に訊ねてきた。

 そして、俺はその問いに全く迷うことなく次のように即答した。

 

 

「そもそも覚悟があるからって、人殺しが肯定される訳がないって話だよ」

 

 

 どこぞのブリタニアの皇子は「撃って良いのは撃たれる覚悟のあるヤツだけだ」という言葉を残している。

 実際、その言葉は一定の正しさはあると思うし、相手を殺す気でいながら、自分が死ぬ事を考えないなど虫が良すぎる。

 だが、その覚悟があるからと言って、別に人を殺すことの罪が免除されるという訳ではないだろう。俺がそう答えると、佐倉は何か思い当ることがあったのかポンと手を叩いた。

 

 

「あ、それ、私が通ってる道場の先生も言ってたよ。いわゆる『戦う者としての覚悟』っていうのは、いざそういう事態に直面しても自分が動揺せずに平静を保つための心構えに過ぎないものなんだってさ。自分が傷ついても冷静さを保って、相手を殺傷してもそれに動揺せずに次の相手に備えるための『心の技術』に過ぎないんだって」

 

 

 戦う者としての覚悟と罪の免除は全く別の問題だと佐倉は言った。

 彼女の通っている道場の先生の言葉だそうだが、俺はその言葉に全面的に賛成したい。

 

 

「ふーん? じゃあ、もしも本当に正しい『殺す覚悟』ってのがあるとしたらキミは何だと思う?」

 

 

 本当にそんなモノがあるとしたら、それは一体何だろう。

 そう言えば以前、『殺す覚悟』『殺される覚悟』のことを、『いつか自分に降りかかる報いや罰から逃げないこと』だと言い換えた二次小説作品も読んだことがある。

 おそらく世界観や状況によっても変わってくるのだろうが、それらを踏まえて考えると、少なくとも現代日本社会においてはこう答えるのが正しいはずだ。

 

 

「少なくとも現代日本においては、『殺す覚悟』=『殺したら即座に警察に出頭・自首する覚悟』だろ」

 

 

 我ながら身も蓋もない、皮肉まみれの答えだと思う。

 だが、佐倉にとっては全く予想していない答えだったらしい。

 ポカンとした表情をして数秒ほど動きを止めていた佐倉だったが、何かがツボにはまったのか突然にプッと息を吹き出して、大きな声で笑い出した。

 

 

「アッハッハッハ!じゃあ、キミに言わせれば、気に入らない奴を片っ端から殺してるようなオリ主の大半は、『殺す覚悟』なんて全く出来てないってことだね!」

 

 

 実際、『リリカルなのは』の二次小説作品で、殺したから警察に自首しましたというオリ主は見たことが無い。

 彼女は口元を押さえたまま、ふるふると肩を震わせており、俺はそんな彼女に少し呆れながら、ジト目で睨んだ。

 

 

「……笑い過ぎだぞ、佐倉」

 

「ふふっ、いや、ゴメンゴメン。余りにも予想外な答えだったから可笑しくってさ」

 

 

 そうして、俺と佐倉の他愛のないやり取りはしばらく続いた。

 だが、後になって思えば、この時の俺達は完全に楽観していたと言って良い。

 

 

 ―――鍵を握るのは、昨日、俺が出会った『黒い男』が言い残した『対象外』という言葉。

 

 

 この時の俺達は、単純に『原作に関わろうとする者』=『対象者』と考えていた。

 だから、原作に関わろうとしなければ安全のはずだと思い込み、その言葉が本当に意味しているところを俺達は全く理解していなかったのだった。

 

 

 




あとがき:

 最近は減った印象はありますが、人殺しがある程度当たり前の戦国時代や中世ファンタジー系の世界観ならともかく、現代日本で『殺す覚悟』なんて的外れなこと言ってる連中が以前の二次小説の界隈で山ほど居て、イライラして仕方なかったです。
 そもそも、転生オリ主の連中が免罪符のように掲げる『殺す覚悟』というのが何を指しているのか自分にはさっぱり分からない。現代日本で通用する『殺す覚悟』って一体何だよと自分なりに理詰めで考えた結果、少なくとも現代日本においては『殺す覚悟』=『殺したら即座に警察に出頭・自首する覚悟』だろうという結論になりました。
 以前、『殺す覚悟』『殺される覚悟』のことを、『いつか自分に降りかかる報いや罰から逃げないこと』だと言い換えてる作品も読んだこともありますが、本当に『自分に降りかかる報いや罰から逃げないこと』を覚悟しているというのであれば、殺したらさっさと警察へ自首すべきだと思います。
 ちなみにこの理屈を適応すると地雷オリ主の大半は『覚悟』という言葉を都合よく使っているだけの『無法者』であるという結論にも至ります。もっとも法律・ルールを無視する『無法者』であるという点については、赤屍は言うに及ばず、蛮や銀次だって全く同じな訳なんですけどね。


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第十話 『リリカルなのは』の世界で その9

 一晩のうちに27人の子供がバラバラ死体となって惨殺されるという大事件。

 海鳴市どころか日本中がその事件に騒然となっており、案の定、今日の学校は午後から休校になった。

 事件が事件だけに集団下校で帰宅ということになったが、まあ当然の判断だろう。

 

 

(27人のバラバラ死体とか、ホント冗談じゃねえよ…)

 

 

 自室のベッドに横になりながら俺は事件について考えていた。

 殺されたのは間違いなく『原作』に関わろうとした転生者の連中だろう。

 だが、そうだとしたら転生者の連中は何らかの転生特典を持っていたはずだ。

 つまり、そんな特典を持っていた連中がまるで相手にならずに殺られたということに他ならない。

 

 

(一体どんだけヤバい奴なんだ…)

 

 

 俺は、昨日の下校中に出会った『黒い男』と『白い少女』の二人組のことを改めて思い出す。

 出会ったときに感じたヌルリとするような死の気配。明確な根拠は薄いが間違いなくあの二人が犯人だ。

 

 

(やっぱり原作へ介入するのに邪魔な奴らを殺したってことなのか…? いや、でも…)

 

 

 何だろう。何か重大な勘違いをしているような気がする。

 よくよく考えてみれば、ここまで派手な事件を起こして物語が『原作』通りに進むことなんてあるのか?

 ここまでの事件を起こすとなると、むしろ何もかも全てをぶち壊しにするために動いているとしか思えない。

 

 

(いや、ただ『原作』をぶち壊すだけなら、一番手っ取り早いのは主人公である「高町なのは」を消すことだ…)

 

 

 しかし、主人公である「高町なのは」は生存している。

 それを考えると単純に『原作』をぶち壊すことが目的という訳ではなさそうだ。

 だったら―――

 

 

(だったら、『原作』とは無関係…?)

 

 

 何となくそう思った。

 ここが『リリカルなのは』の世界そのもので、転生者の連中も『原作』を知っている者ばかりだった。

 だから、今回の事件を起こした連中も『原作』を知っている者とばかり思いこんでいたが、そもそもその前提が間違っていたとしたら?

 

 

(原作と全くの無関係だとしたら、一体何が目的なんだ…?)

 

 

 ぐるぐると頭の中で考えが巡るが、現時点では全く結論が出なかった。

 オレは少し視点を変えて考えてみることにする。

 

 

(高町なのはが原作通りに動くことは、もうかなり難しいだろう…。だったら、フェイトや時空管理局は?)

 

 

 思えば原作の『リリカルなのは』という作品は、非情な運命に振り回されるフェイトを救済する物語だった。

 こんな事件が起こってしまった以上、もはやフェイトやクロノも原作通りの動きをするとは限らない。ネットで見るような二次創作のオリ主なら、こんな状況であっても、出来るだけ良い結末を目指して奮闘するのかもしれないが、少なくとも俺には関わるつもりは全く無い。

 戦う為の力を持っていないからというのも勿論だが、たとえ戦う力を持っていたとしても俺は絶対に関わり合いになりたく無かった。

 

 

(それだと、フェイトが救われないまま?)

 

 

 それでも俺は構わない。

 所詮、俺にとってはただの他人だ。この世界で救われないでいるのは何もフェイトだけじゃない。

 国家規模な視点では今も内戦が続いている国もあるし、身近な視点では学校でのイジメなんかもそうだろう。

 ネット界隈での二次創作では『確実に不幸になる者が居ると分かっていて、見て見ぬふりをするのは男のやることじゃない』なんてオリ主様も居る。

 オリ主様が積極的に原作キャラを助けに行くのは別に良い。それが偽善だとまで言うつもりは俺には無いし、救われる人間の数が増えるのは間違いなく正義だろう。

 だが、その『見て見ぬふりをするのは男のやることじゃない』という行動原理に則って原作キャラを助けに行くなら、少なくともその行動には一貫した筋を通すべきだとも思う。

 たとえばオリ主の所属するクラスで誰かがイジメられていたとしたら、そいつにも手を差し伸べてやらなきゃ嘘だ。原作キャラだから助けて、原作とは無関係のキャラだから助けないなんてのは不義理に過ぎるだろう。

 それに―――

 

 

(そもそもオリ主が関わったからって、より良い結末が保証されるって訳でもないだろうに…)

 

 

 これは前世で暇つぶしに読んでいたネット界隈での二次創作小説を読んでいて常々思っていたことだ。

 どうしてネット界隈でのオリ主様たちは自分が存在することで逆に悪い方向に転がるかもしれないと考えないんだろう。

 全部が全部そうという訳ではないが、ネット界隈でのオリ主様の多くが何であんなに楽観的なのか自分には不思議で仕方ない。

 俺だったら、とてもじゃないが原作に関わることで変えてしまう他人の人生なんて背負えない。悪い結末になるかもしれない責任をとるのが嫌だと言い換えてもいい。

 

 

(もっともこんな事件が起こってしまったら今更か…)

 

 

 こんな事件が起こってしまった今となっては最早原作の流れなど当てになるまい。

 最早、この世界での『リリカルなのは』の物語は、誰の手からも離れ、誰にも分からなくなった。

 

 

(どうなるんだよ一体…)

 

 

 未来のことは誰にも分からない。

 前世では当たり前の真理だった筈だが、俺は改めてその真理を思い知っていたのだった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 未曽有の殺人事件に騒然となっている海鳴市。

 そして、そんな事件が起こっていることなど全く知らずに新たにその街にやってきた少女が居た。

 海鳴市の一角のビルの屋上から街並みを見下ろしている金色の髪をツインテールにまとめた魔導師の少女。

 本来の『原作』におけるもう一人の主人公であるフェイト・テスタロッサである。傍らには使い魔のアルフも居る。

 だが、その場にはフェイトとアルフだけでなく、もう一人本来の原作の流れの中では存在しないはずの少女が立っていた。

 フェイトとは違って金髪をポニーテールに纏めているが、容姿的には本当に瓜二つで並んで立っていると姉妹にしか見えない。

 いや、姉妹にしか見えないというかこれはどう考えても――…

 

 

(どう考えてもアリシアクローン憑依なんだよね、これが…)

 

 

 私はビルの屋上から海鳴市の街並みを見下ろしながら、ここに至るまでの経緯について思い返していた。

 前世でトラックにはねられて死んだと思ったら神と名乗るヤツに適当な転生特典を持たされて、いつの間にかアリシアのクローン体の一つに憑依していた。

 リリカルなのはの二次創作では「アリシアのクローンに憑依する事で原作に介入して云々~」というのも割と多い気がするが、実際にそうなったら最大の問題点は母親がプレシアな事である。

 プレシアにとって失敗作だった自分は普通に殺処分されそうになったが、幸い転生特典として貰っていた莫大な魔力のお陰で助かった。莫大な魔力を持った自分を生かして利用するメリットが大きいことをリニスがプレシアに説得してくれてどうにか殺されずに済んだのだ。

 

 

 ―――フェイル・テスタロッサ。

 

 

 それがプレシアから与えられた私の名前だった。

 そして、その名前の意味は自分にもすぐに分かった。

 つまり、いくら転生特典として圧倒的な魔法の才能を持っていたとしてもプレシアにとっては自分はフェイル(fail:失敗作)だったということだ。

 

 

「姉さん、ジュエルシードの反応は見つかりそう?」

 

「うん、今やってるよ」

 

 

 フェイトに姉と言われることは悪い気分ではない。

 普通に考えたら、今の自分はフェイトに転写された『アリシアの記憶』と矛盾する立ち位置だ。

 実際、最初にフェイトが目覚めたとき居ないはずの姉が居た所為で彼女も少し不自然に思ったみたいだったが、今は普通に姉妹の関係である。

 だが、原作の事情を知っているだけにフェイトから姉と呼ばれる度に自分の胸がズキリと痛んだ。

 

 

(フェイトの姉、か…)

 

 

 アリシアのクローンという生い立ちは私自身にも当て嵌まる。

 正直、自分を殺処分しようとしてくれたプレシアのために動いてやる気にはとてもなれない。

 フェイトを連れてプレシアの下から逃げ出そうと考えたこともあったが、それをすると原作のジュエルシード事件自体がどうなるか分からなくなる。

 それに今の自分は迂闊な行動をしたらプレシアに殺されかねない立場だ。いくら転生特典でのチート能力を持っていようと頭の中に爆弾を埋め込まれたら逆らいようが無い。

 もしもプレシアの不興を買ってしまったが最後、脳味噌が吹っ飛ばされて即死だ。頭の中に仕込まれた爆弾をどうにかする目途がつかない限りプレシアに従うしかない。

 

 

「…Activate. Detection system.」

 

 

 私はデバイスの補助を受けながら魔力探知術式を起動する。

 ストレージデバイス『サンサーラ』―――サンスクリット語で『輪廻』の意味を持つ私の相棒だ。

 形状としては仏教・修験道の法器である『錫杖』そのものであり、先端に宝珠をかたどった輪が存在しそこに6本の金属の輪が通されている。

 それにしても、フェイトに与えられたバルディッシュはAIを搭載したインテリジェンス型なのに自分に与えられたデバイスはストレージ型なのは少しだが不公平を感じる。

 だが、そのことをリニスに言ってみたときの彼女の言い分はこうだった。

 

 

「何を言ってるんですか? アナタの力量からしたらデバイスの差なんて誤差でしょう」

 

 

 実際、今の自分の魔導師としての実力はフェイトの数段は上を行っている自信はあるし、自分の能力的にもデバイスがAI搭載型である必要性は全くない。

 若干の不公平感は感じるが、玩具の差でグダグダと文句を言うほど精神的に子供という訳でもない。

 

 

「まあ…ね。仮初めみたいなものとはいえ、私はフェイトのお姉さんだからね。与えられた玩具の違いなんかで文句は言わないよ」

 

 

 私がリニスにそう言うと、何故だか彼女はとても辛そうな顔をする。

 何と言ったら良いのか分からないというような表情だったが、やがて彼女は絞り出すように言った。

 

 

「…アナタは、凄いですね」

 

「そうかな?」

 

「自分の生まれについても、自分がどういう立場にあるかも理解している。正直、フェイトよりも辛い境遇の筈なのに、アナタはフェイトにとって良き姉であり続けてくれている…」

 

 

 生みの親に殺されかけ、アリシアのクローンであるという生い立ちも何もかもを理解している。

 リニスの視点で見れば、私の置かれた境遇というのは本当に碌でもないとしか言いようがないものだろう。

 中身が前世持ちの転生者じゃなく、普通の外見相応の女の子だったなら二度と立ち直れないほどのショックを受けても不思議はない境遇である。

 そして、そんな境遇の中でもフェイトのために気丈に振る舞う少女―――リニスの視点での私はそのように見えていたらしい。

 まるで懺悔するかのような、血を吐くような表情で、リニスは最後に私に告げた。

 

 

「…フェイトのことをお願いします。アナタの強さに甘えるだけだった私を、どうか許してください。そして、アナタも、いつか必ず、幸せになってください」

 

 

 それが私が最後に彼女と交わした言葉だった。

 それからしばらく経った後、フェイトを一人前の魔導師に育て上げたリニスは、プレシアとの契約を解いて消滅した。

 

 

(分かってるよ、リニス)

 

 

 私にとってリニスは自分の命の恩人だ。

 本来なら殺処分されるところだった訳だし、そこを助けてくれたリニスには感謝している。

 そのリニスにあんな遺言めいたことを言われたら、フェイトのことを無下に扱う訳にはいかないだろう。

 以前のリニスとのやり取りを思い出しながら、私は術式に集中する。

 

 

「…魔力反応、検知」

 

 

 起動させた術式が妙な魔力の高まりを検知した。

 現物を見たことが無いから何とも言えないが、あれがジュエルシードの反応なのだろうか?

 

 

「姉さん、どうする?」

 

「もちろん確認しに行くよ」

 

 

 フェイトに訊かれた私は迷いなく答えた。

 ひとまず現場に向かうのは私とフェイトの二人で良いだろう。

 

 

「ワタシはどうすりゃ良い?」

 

「アルフはこの街での拠点の確保をお願い」

 

 

 私はお金の入った封筒から、紙幣を一枚だけ抜き取って、残りを全部アルフに渡す。

 そして、私はバリアジャケットを展開し、そのまま一歩前に出た。ちなみに私のバリアジャケットのデザインは、某BRSの服装が元になっている。

 私は肩越しに振り返りながらアルフに言った。

 

 

「何かあったら、念話で声をかけるよ」

 

「ハッ! アンタが居れば何も起きやしないよ」

 

 

 アルフの主人はフェイトだが、私にも信頼を寄せてくれているのはありがたい。

 その信頼に応えられるように私も力を尽くすとしよう。

 

 

「行くよ、フェイト」

 

「うん。じゃあアルフ、行って来るね」

 

 

 そう言って、私たちはビルの屋上から中空へ向かって足を踏み出した。

 そうして、魔力反応が検知された方向へ飛行を続けると、やがて魔力反応の近くにまで辿り着いた。

 果たしてそこに居たのは―――

 

 

「でっかい猫…?」

 

 

 原作の知識は既にうろ覚えだが、そういえばこんなのも出て来た気がする。

 通常の原作通りの流れならば「フェイトの初登場=高町なのはとの出会い」という図式になる訳だが、彼女もここに居るのだろうか。

 とりあえず、あの猫の動きを止めることを優先しよう。そうすれば封印も簡単だ。

 このまま自分が全部やっても良いが、ここはフェイトに任せよう。

 

 

「ここは任せるよ、フェイト」

 

「ん、分かった」

 

 

 私の言葉に頷いて、一気に飛び出していくフェイト。

 

 

『Photon Lance get set.』

 

 

 バルディッシュの斧頭を巨大な猫へと向ける。

 

 

『Fire.』

 

 

 ドドドッと放たれるフォトンランサーの三連射。

 光弾が猫の額に命中し、ウニャーと苦痛に呻きながら猫が倒れる。

 その後のジュエルシードの封印は何事もなく終わり、後には元のサイズに戻った子猫と蒼い菱形の宝石が残っていた。

 だが、フェイトがジュエルシードを封印するのを見物しながら、私は違和感を感じていた。

 

 

(あれ? 原作なら高町なのはと遭遇する筈じゃ…)

 

 

 本来なら起こる筈の高町なのはとの出会いのイベントが起こらない。

 私はこの時まで、極端に大きなことをやらない限り、原作の流れは大きくは変わらないと思っていた。

 実際、それは正しいのかもしれない。だが、もしもそれが正しいとしたら私の与り知らないところで原作の流れを根本から歪める『何か』が起きたということではないのか。

 そして、私がそんな漠然とした不安を感じていると、その二人は現れた。

 

 

「しかし、二人とも随分とそっくりですねえ」

 

「どうやら姉妹ということかな。もっとも我々の標的となるのは一人だけだがね」

 

 

 不意に背後から響いた声。

 その声に振り返ったそこに居たのは―――

 

 

(コイツら…!?)

 

 

 現れたのは『不思議の国のアリス』を思わせる外見の少女。

 そして、その少女の傍らには全身黒尽くめの長身の男が立っていた。

 全身の細胞が最大音量で警報を鳴らしているのを感じるのに、何故か身体が動かない。

 

 

「姉さん、この人たちは…?」

 

 

 ジュエルシードの封印を終えたフェイトが戻って来た。

 その声で我に返ることが出来た私は自分の後ろにフェイトを庇う態勢をとった。

 私はデバイスを構え、すでに臨戦態勢に入っている。

 

 

「…アンタたち一体、何者? 私達に何の用よ?」

 

 

 警戒しながら、目の前の二人に問う。

 そして、その問いに対する答えはよりによってこうだった。

 

 

「―――私は間久部。そこの黒い『運び屋』の雇い主だ。単刀直入に言うと、キミを殺しに来た」

 

 

 さらりとまるで何でも無いことのように白い少女は言った。

 余りにも平然と言ってのけた所為で一瞬冗談かと思ったが、彼女の言葉は断じて冗談ではないことが私には直感的に理解できた。

 このとき、私の二度目の人生における最大の修羅場の幕が上がったのだった。

 

 

 




あとがき:

 リリカルなのはの二次創作だと、アリシアクローンへ憑依転生する作品をいくつか読んだことがあります。たまに性別が男なこともありますが、そもそも性別が変わってたらクローンじゃないと思うんですがねぇ…。
 また、リリカルなのはに限った話じゃないですが、クローン体の性別を変える場合、男→女への変化ならまだあり得るかもしれませんが、女→男への変化はまずあり得ないと思います。女→男への変化させるなら、Y染色体をどこから持って来たんだという話になりますが、今までそこに言及した作品を見たことがありません。
 この辺りは、気にしない人は全く気にしないんでしょうが、自分の場合は職業柄こういう生物的な知識を頻繁に使うので、つい気になってしまいます。



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第十一話 『リリカルなのは』の世界で その10

 本来であれば、原作の主人公である高町なのはとの最初の出会いがある筈の場面。

 だが、どういう訳か高町なのははその現場には来ず、彼女の代わりに現れたのは白い少女と黒い男の二人組だった。

 そして、フェイルの前に突然現れた二人は、彼女に向けてこう告げた。

 

 

「―――私は間久部。そこの黒い『運び屋』の雇い主だ。単刀直入に言うと、キミを殺しに来た」

 

 

 フェイルにとって、間違いなく彼らは初対面の筈だった。

 だが、彼らは間違いなくフェイトではなく、フェイルの方を見据えてそう言ったのだ。

 無論、初対面でいきなり殺されなければならないだけの何かをした心当たりなど彼女には無い。

 だから一瞬、何かの冗談かと思ったが、彼女の本能が直感的に見抜いた。彼らの佇まいの中から感じる静かな殺意。そして、白い少女の傍らに立つ黒い男がその内に秘めた尋常ならざる戦闘力を。

 

 

(コイツ、こんな…一体どれほどの…!?)

 

 

 彼女自身、前世においては少林寺拳法を中心に多くの武道の修練を続けて来た経験と自負がある。実際、前世においては少林寺拳法は六段まで取得しており、路上での実戦もそれなりに経験して来た。

 少林寺拳法 六段というのは一般人からすれば十分に達人の域であり、少なくともそこらの素人相手には負けるつもりなど全く無かった。それに加えてこの世界での魔法を習得してから、彼女の強さには更に磨きが掛かっており、その実力は既に並大抵のものではない。

 真正面からの戦いならば、既に今の彼女はリニスよりもプレシアよりも遥かに強い。

 その彼女が一目で確信していた。

 

 

 ―――何をしてもコイツには勝てない。真っ向から戦えば、間違いなくここで死ぬ。

 

 

 それを一瞬で確信してしまう程に目の前の相手は別格だった。

 よって、この場で彼女が取れる選択肢は『逃走』の一択しかない。

 

 

(ダメだ、ここは逃げるしかない! けど、コイツがそれをそう簡単に許す相手!?)

 

 

 デバイスを構えながら相手を窺うが、当の相手には全く隙が無い。

 それどころか少しでも隙を見せればその瞬間に全身がバラバラにされかねない。

 フェイルが内心で冷や汗をダラダラに流しながら構えていると、ふと黒い男の方が話しかけて来た。

 

 

「フム…無理のない良い『構え』ですね。これまでの連中のとってつけたようなハリボテではなく、長年の鍛錬に裏打ちされた武術的な『冴え』が見えますよ」

 

 

 彼女の構えに『冴え』が見えると黒い男は言った。

 黒い男にしてみれば本心からの称賛の言葉だったが、普通、こんな状況で言われても喜ぶ奴は居ない。

 彼女が何の言葉も返さないでいると、黒い男は何を勘違いしたのか先に名を告げる。

 

 

「ああ、失礼。私の方の自己紹介がまだでしたね」

 

 

 そう言うと、黒い男は帽子のツバを持ち上げるようにして名乗った。

 

 

「―――赤屍蔵人。アナタをあの世に運ぶ者の名です」

 

 

 婉曲な表現だったが、その言葉の意味するところは明確だ。

 思わず何もかもを諦めそうになる心を必死に抑え、フェイルは赤屍と名乗った男に問いを投げる。

 

 

「…こっちは、アンタらに殺されなきゃならないようなことをした覚えはないんだけど?」

 

「クス…、別にアナタに恨みがある訳じゃありませんよ。私は単にそういう依頼を受けただけですので、そうした理由については私ではなく依頼人の方に訊くべきですね」

 

 

 そう言いながら赤屍は雇い主である白い少女へと視線を向けた。

 視線を向けられた少女は肩を竦めながら、それに答える。

 

 

「私もキミ個人に恨みがあるという訳ではないよ? ただ、キミの魂に刻み込まれた『チカラ』の欠片に用があってね。その『チカラ』を回収するというのが我々の目的だ」

 

 

 その言葉に彼女はピンと来るものがあった。

 この世界に転生する前に出会った『神』と名乗る者から与えられた転生特典だ。

 そして、わざわざチカラを「回収する」という言い回しをしているということは、つまり―――

 

 

「つまり、アンタらはあの時に出会った神様の手先ってわけ?」

 

 

 相手の言い回しから考えたらそう考えるのが一番自然だ。

 だが、この次に彼女から返って来た言葉は、フェイルの予想を超えたものだった。

 

 

「いや、違う。神を名乗っていた連中は、すでにジャッカルが全員を狩り終えた。今は、彼らがバラまいた連中を始末している途中だよ」

 

 

 その言葉にフェイルは思わず絶句する。

 この少女の言葉が正しいとするなら、この二人はあの時に出会った『神以上』の存在だということに他ならない。

 フェイルは相手のヤバさに内心で戦慄しながら、後ろに庇っているフェイトに指示を出す。

 

 

「フェイト、今すぐ逃げて」

 

「え、で、でも?」

 

 

 状況を把握できていないフェイトの反応は鈍い。

 だが、目の前のコイツは、とてもじゃないがフェイトを庇いながら対応できる相手じゃない。

 

 

「いいから早く逃げ――…!」

 

 

 そして、彼女がフェイトに逃げるように繰り返し言おうとした瞬間だった。

 その瞬間、何か風を切るような音を聞いた気がした。

 

 

「―――ッッ!!」

 

 

 正直、何故それを防げたのか彼女にも分からない。

 この時の赤屍の初撃を凌げたのはほぼ奇跡だと言っていい。

 彼女の首を狙って横薙ぎに繰り出された赤い斬撃。その斬撃を彼女はデバイスである錫杖の"中の柄"の部分で受け止めていた。

 前世の時点ですでに達人クラスにまで高められ、染み着いた『武』の技術が、頭で考えるよりも先に反応したとしか言いようが無かった。

 受け止めた赤い剣と自分の錫杖との間で、ギリギリと鍔迫り合いのように押し合う形になる。彼女一人だけなら素直に後ろに下がって距離をとるべき状況だが、後ろにフェイトが居る以上、後ろには下がれない。

 

 

「お、う、ぁぁあああああ!!!」

 

 

 恐怖と不安を振り払うように気合を込める。

 彼女はデバイスの錫杖に力を込め、相手の身体ごと赤い西洋剣を押し飛ばした。

 大人と子供。その体格差を普通に考えれば腕力で勝てる訳は無い。だが、体内を循環する莫大な魔力が彼女の筋力を数十倍以上に強化し、人体物理の限界を超えた動きを可能としていた。

 だが、そんな人間離れしたパワーでも、赤屍にとっては余裕で対応可能な範囲でしかなかった。

 押し飛ばされた赤屍は、まるで何事も無かったかのようにフワリと後方に着地している。

 

 

「キミが最初からその『赤い剣』を持ち出すのは珍しいな、ジャッカル」

 

「クス…単に彼女がそれに足る相手だということです。実際、今の私の初撃も見事に防いでみせた」

 

 

 白い少女と黒い男とのそんな会話がフェイルの耳に聞こえた。

 自分の力量を認めてくれるのは悪い気はしないが、実際の彼我の力量差はあまりにも歴然だ。

 今の一瞬の接触でそれは骨身に染みて分かった。まともにやり合っても勝ち目はない以上、方針は最初から変わらない。

 

 

「フェイト!」

 

 

 未だに状況を理解しきれていないフェイト。

 フェイルは最速最短で転送術式を起動させ、フェイトを転移させる。

 

 

「姉さ…!?」

 

 

 転移させる直前、呆けたような表情のフェイトが見えた。

 本当ならフェイル自身も同時に転移できる筈だったが、高速で投擲された何本ものメスに邪魔されてそれは出来なかった。

 

 

「クッ!?」

 

 

 咄嗟の体捌きと振り上げた錫杖で飛来したメスを弾くことに成功した。

 メスという小振りの刃物の質量では、到底あり得ないほどの衝撃が手元に伝わる。

 

 

(手を抜いていて、この衝撃!?)

 

 

 相手との間に感じる絶望的な実力差。

 おそらく本気ならフェイルすら一瞬で殺せるほどの力量を持っている筈の相手だが、明らかに手を抜いて戦っている。

 だが、手を抜かれている現状ですら、すでにフェイルにとってはギリギリだった。

 

 

(本気を出されたらどうしようもない…。けど――!)

 

 

 たとえ、どんなに絶望的な状況であっても、自分のできることを尽くすだけだ。

 絶望的な状況ではあるが、フェイトだけは逃がせたことは大きい。これで気兼ねなく本気が出せる。

 自己暗示の類だが、フェイルはすぐに自らの精神状態を本気の戦闘用に切り替えた。そして、デバイスである錫杖をまるで手足の延長であるかのような滑らかな動作で一旋させる。

 シャラン、と一旋された錫杖から音が鳴り、ある一点で先端がぴたりと止まった。足の震えも、首の後ろを流れていた冷や汗もいつの間にか止まっている。そんな完璧な戦闘態勢を整えたフェイルに対して、赤屍は本心から感心していた。

 

 

「…本当に、これまでの連中とは格が違いますね、アナタは」

 

 

 無論、赤屍からしたら遥かに格下の雑魚に過ぎない。だがそれでも、これまでに赤屍があの世に運んできた有象無象な転生者とは遥かに格が違う相手だと言えた。

 鍛え上げた技と心身は決して己を裏切らない。それは、この世で何よりも信頼できるものの一つだからだ。彼女の立ち姿には、ただ他人に与えられた外付けのハリボテなどではない―――確かな鍛錬に裏付けされた武術的な『芯』が通っている。

 そして、赤屍の見立てではその『芯』となっているのは―――

 

 

「――おそらくは『少林寺拳法』ですかね?」

 

「少林寺…? それはアレかな、サッカーの映画で有名な?」

 

「それは少林拳ですね。よく間違われますが少林拳は中国拳法で、少林寺拳法は一応日本の武術ですよ」

 

 

 白い少女に訊かれた赤屍は自分の知識を説明する。

 実際、赤屍の指摘通り、彼女の戦闘技術のバックボーンにあるのは前世で培った少林寺拳法だ。

 そして、あまり一般には指導されていないが、少林寺拳法の中には『錫杖伝』と呼ばれる技術がある。

 錫杖を武器として扱う棒術の一種だが、素手の技の動きがそのまま棒術の動きに転化できるように組み立てられていて非常に合理的な技術である。

 よく少林寺拳法は弱いと言われるが、それはその流派が強い弱いのではなく単にその人が弱いだけだ。実際、過去の少林寺拳法の使い手の中には、フルコン空手の全国大会に出場して上位入賞したが、それが元で少林寺拳法を破門になった者も居る。

 そして、赤屍の前に立つこの少女は、間違いなく強い部類に入る者だと言えた。

 

 

「クス…少しだけ、面白くなってきましたよ。アナタがどれだけ使えるか試してあげましょう」

 

 

 そう言って、赤屍は嬉しそうに笑う。

 赤屍の嬉気に反応して、彼の纏うオーラとも言うべき雰囲気が明らかに禍々しさを増した。

 そして、赤屍が一歩踏み出そうとした瞬間だった。

 

 

「!」

 

 

 その一瞬前にフェイルが飛び出していた。

 弾丸のような―――いや、実際の弾丸以上の速さの飛び込みだった。

 武術的には『気の先』と呼ばれる機先の制し方。相手が突こう、蹴ろうと思った瞬間、体の動く前の一瞬、その『気配の起こり』に対してカウンターをとる技術。

 

 

 ガキィン!!!

 

 

 突き出された錫杖と受け止めた赤い剣の衝突音。

 だが、その音が周囲に聞こえた時には、二人の姿は既にその場に居ない。

 二人ともが音を遥か置き去りにする領域の速さで動いていた。尋常でない膂力と速さに空気が切れ、1合、2合と打ち合うごとに強烈な振動を帯びた空気が、周囲の物を吹き飛ばした。

 

 

(この速さについてくるのか…!)

 

 

 妹であるフェイトですらこの領域の速さの彼女にはついて来れない。

 想定していた範囲内だとはいえ、この速さに平然とついてくる赤屍にフェイルは内心で舌を巻く。

 フェイルには、射撃系の遠距離攻撃魔法の類は殆ど使えない。だが、その代わりに自分の魔法のスキルの大部分を身体能力を強化する類の術に全振りしていた。

 持って生まれた圧倒的な魔力を、自身の武術の技を強化し、高めることだけに殆ど全てを注ぎ込んだ。その果てに練り上げられたのが、原作のフェイトを遥かに凌ぐスピード特化・接近戦特化型の魔導師であり、接近戦で彼女に勝てる人間は『原作』には存在しない。

 それほどまでに彼女の技は冴え渡っていた。しかしそれでもなお、赤屍には到底及んでいないのがフェイル自身にも分かる。

 

 

(――来る!)

 

 

 幾重にも折り重なる攻防の中、また一段、相手のギアが上がったのが分かった。

 さっきまでの数段上の速さで繰り出される脳天を狙っての振り下ろしの斬撃。その斬撃を横にわずかに転身して躱し、さらに錫杖での『仁王受け』で相手の剣を下に叩き落とす。

 相手の剣を下に叩き落し、間髪入れずに錫杖の頭部での直突き。そこから石突側での横打ち、貫突、さらに横斬払いへと繋げる超高速の連反攻。相手の攻撃を下に打ち落とし、武術的に完全に体を崩した状態からのカウンター。

 普通、この状態からの反撃はほぼ確実に命中する。

 

 

(嘘でしょ!?)

 

 

 当たる筈の攻撃のすべてが空を切った。

 今の彼女は、瞬きすら許されない、時間が止まったと錯覚しそうなほどに圧縮された時間の中に居る。

 しかし、銃弾すら文字通り止まって見える彼女であっても、赤屍の動きは殆ど見えなかった。

 

 

 ―――左腕の肘から先が宙を舞った。

 

 

 左腕を切り落とされながらも、咄嗟にその場から飛びずさり距離をとる。

 そのまま追撃されていれば、間違いなく押し切られて殺されていた筈だが、追撃は来なかった。

 

 

「胴体ごと真っ二つにしたと思ったんですが…。予想していたよりもずっと強かったですよ、アナタ」

 

 

 追撃の代わりに賛辞の言葉が送られる。

 実際、これまでに屠ってきた転生者の連中の中では一、二を争うほど彼女は強かった。

 だが、その強さも片腕を失ったことで、まもなく終わる。元々の実力差に加えて、片腕というハンデは最早どうしようもない。

 普通の人間はそう考えるし、普通の人間はこの時点で諦める。実際、これまでに始末してきた転生者の連中は、この状況になれば確実に諦めた。彼女もまたそうだろうと、赤屍も間久部博士もそう思った。

 しかし―――

 

 

「勝手に、終わらせるな…!」

 

 

 今まで以上の気迫で以って、フェイルは吼えた。

 服を破った布で簡易な止血処置を施すと、彼女は錫杖を構えなおした。

 左腕の肘から先はない。だから、左の持ち手の代わりに、左側の脇に挟むようにして錫杖の支えを補っている。

 その全く気迫の衰えを見せない彼女の姿に、赤屍も間久部博士も瞠目していた。

 言葉に出さなくても、彼女の瞳が何より雄弁に語っていた。

 

 

 たとえ、片腕だろうと最後まで戦って見せる、と。

 

 

 実力は赤屍の知る好敵手にも遠く及ばない。

 しかし、片腕を失って、なお戦う意思を捨てない。その気迫と意思の強さだけは、赤屍たちの知る本物の強者たちを彷彿とさせるものだ。

 これまでの半端な連中とは一線を画す意思の強さ。その強さを見た赤屍と間久部博士は思わず同じ言葉を同時に呟いていた。

 

 

「「―――素晴らしい」」

 

 

 赤屍と博士は心の底から感心していた。

 目の前の少女は、紛れもなくかつての無限城世界での好敵手達と同じ輝きを有する者だった。

 ここ最近は久しく見なかった輝きの眩しさに目を細めながら、赤屍は目の前の少女に言った。

 

 

「アナタは紛れもなく、尊敬に値する敵手です。片腕を失ってなお、それだけの気迫を保てる者はそう多くない」

 

 

 本来的に、戦うこと自体は誰にでもできることだ。

 勝ち負けや優劣は知らない。ただ、その意思さえあるならば、戦うことは必ずできる。

 わざわざ口に出すまでもなく、彼女は自らの死など当然のように覚悟していることだろう。

 だからと言って、ただの捨て鉢などでは決してない。生きることを欠片も諦めず、ただ自分の出来る最大限を尽くそうとしている。

 言葉に出すこともなく、ただ彼女の内に秘められた本気の覚悟を読み取った赤屍は満足そうに一つ頷く。

 

 

「本当に、ここで殺すのが惜しいと思ったのは久しぶりですよ。だから、チャンスをあげましょう」

 

 

 チャンスという赤屍の言葉。

 その言葉の意味が分からず、フェイルは視線で訊き返した。

 

 

「私の次の一撃を凌いでみなさい。それが出来れば、この場だけは見逃してあげます。この世界でアナタを殺すのは最後にしてあげますよ」

 

 

 この少女はきっと強くなる。

 たとえ片腕であろうと、時間さえ与えられたのなら、彼女は今よりも強くなるだろう。

 どうせ最終的に殺すのが変わらないのなら、より強い相手の方が面白い。

 

 

「これで生き残れる者なら、片腕であろうと必ず強くなれます。どうせ殺すのならば、今より強くなったアナタを殺したい」

 

 

 そう言って、赤屍は赤い剣を下段に構えた。

 対するフェイルは『一字構え』という防御主体の構えをとっている。

 赤い剣から感じる瘴気のようなオーラの禍々しさが、さらに強くなっていくのを感じる。

 今から来るのが生半可な一撃でないことが分かる。おそらくフェイルにも反応できるかどうかすら怪しいレベルの一撃だろう。

 前世を含めての人生の中でも、間違いなく最大の修羅場だ。かつてない程に「死」の気配を近くに感じることで、フェイル自身の神経も極限を超えて研ぎ澄まされている。

 

 

(結果は考えなくて良い。今はただ、自分のできることを―――)

 

 

 最後に頼れるのは、鍛え上げた技と心身。

 ジリジリと、二人の間の空気が張り詰めていく。

 

 

「…来い」

 

「ええ、行きます」

 

 

 ―――両者の激突の瞬間、閃光が走った。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 その後、フェイルとの戦いを終えた赤屍と博士は街の路地を歩いていた。

 しばらくお互いに無言で通りを歩いていたが、信号待ちで立ち止まった時、ふと間久部博士が呟くように言った。

 

 

「しかし、少し意外だったな…」

 

「何がです?」

 

 

 赤屍は視線で白い少女へと訊き返した。

 そして、赤屍からの視線を受けた彼女は一つ頷くと、言葉を返した。

 

 

「彼女が尊敬すべき敵手であることは私も認めるがね。キミにとっては、彼女すら実力不足であることには変わりないだろう。片腕を失った相手に、あそこまでの期待を寄せるとは思わなかったものでね」

 

「いいえ、片腕であろうと彼女は間違いなく強くなりますよ。どうせ殺すのなら、より強くなった彼女を殺したい。たとえ、それが短時間であったとしても、時間さえ与えられたなら彼女は今よりも強くなっているはずですから」

 

 

 事実、彼女は赤屍の一撃を凌いで生き残った。

 しかし、それは殺される順番が後回しになっただけであって、最終的に赤屍に殺されることには変わりはない。

 最終的な結果は変らないだろう。だが片腕を失って、なお戦う意思を捨てない。そんな意思の強さを持てる者はそうは居ない。

 そういう意味では、彼女は紛れもなく敬意を払うべき『英雄』だった。

 

 

「そういえば彼女の名前を聞くのを忘れていたな…」

 

「そういえば、そうでしたね…。次に会ったときにでも聞くとしましょう」

 

 

 赤屍がそう言ったとき、ちょうど信号が青に変わった。

 信号が青に変わり、再び歩きだした赤屍に白い少女は後ろから声をかける。

 

 

「しかし、あの傷だ。もしかしたら、もう死んでいるかもしれないが?」

 

「いえ、彼女は死にませんよ。死ぬはずがありません。―――最後に、私が殺すまではね」

 

 

 ある程度の手加減をしたとは言え、己の一撃を凌いで生き残った『英雄』がそう簡単に死ぬ訳がない。赤屍は振り返りすらせず、そう答えたのだった。

 

 

 




あとがき:


「片腕を失っても最後まで戦えますか?」


 変にテンションが高くて、単に与えられた力を振り回すだけのチート転生者どもに自分が叩き付けてみたい台詞の一つ。
 ピンチや逆境にこそ、その人の本当の強さが試されます。たとえば、片腕を失うような事態に見舞われて、それでも戦う意思を捨てずにいられるかどうか。
 最近だと『スマホ太郎』なんかが話題でしたが、仮に彼が勝つのが困難な強敵に出会って片腕を切り飛ばされたら、彼がどういう反応をするのか割と本気で興味があります。
 …というか、極論に近いのは自分でも分かってますが、チート転生者の連中が本当の英雄なのかどうかを見分ける簡単な方法として、とりあえず強敵にぶつけて片腕を切り落としてみたら良いんじゃないですかね?
 バキの愚地克巳や烈海王もそうですが、自分が本物の英雄だと信仰する者たちは、片腕や片足を失くした程度では絶対に止まりません。自分が某『光の亡者』的なことを言っていることは重々承知していますが、チート転生者が逆境にも負けない本物の英雄だというのなら、せめてこれくらいの不屈さを見せて欲しいと自分は心の底から思います。
 そして、その不屈さを体現できる存在として描いたのが今回のフェイル・テスタロッサというキャラクターになる訳ですが、実は彼女の『片腕の英雄』というモチーフには実在のモデルがあります。自分が修練している少林寺拳法には『錫杖伝』という技術があり、この錫杖伝においては『片腕の達人』こと上田先生という伝説的な人物が知られていて、この人の少林寺拳法への入門の経緯は感動的です。
 自分の場合、現実にそういう人間がいたという実例を知っているからこそ、不屈の心と全く無縁そうなチート転生者が薄っぺらく見えて仕方ないんですよねぇ…。ちなみにYouTubeには上田先生の錫杖の演武もいくつか見つかりますので、興味のある方は是非見て欲しいです。片腕が無いにも関わらず、実に力強い演武をなさっています。


→上田先生の錫杖演武: https://www.youtube.com/watch?v=F1kYIZVErug


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第十二話 『リリカルなのは』の世界で その11

 その時のフェイルは、ただ、死に物狂いだった。

 あの交錯の瞬間、ただ何か閃光のようなものが煌いたのを感じただけで、全ては終わっていた。

 自分へと繰り出される赤い斬撃を前にして、自分がどう動いたのか、どうやって相手の攻撃を躱したのかも良く覚えていない。

 全ての力を今の一瞬に注ぎ込んだからか、その場から一歩も動けない。残心をとる余力すら残っていなかった。

 

 

「―――見事です。もう少し時間が経ってから、また会いましょう。その時は、今よりもっと強くなっていることを期待しています」

 

 

 動けないでいるフェイルにそう言い残し、赤屍と間久部博士の二人はその場から去っていった。

 そして、赤屍と博士の二人が立ち去った後、緊張の糸が切れたと同時に、全身から脂汗が噴き出す。

 アドレナリンで誤魔化されていただけの痛みが、今さらのように彼女に襲ってきた。

 

 

「…っあ……っ…ったァ…」

 

 

 ガクガクと全身が震えだし、その場に崩れ落ちる。

 余りの激痛に叫ぶことすらできない。叫ぶのではなく、歯を食いしばってかろうじて息が漏れているという状態だ。

 

 

(ヤバ…、血が、止まらない)

 

 

 どうにか生き残ったものの、このままだと確実に死ぬ。

 湧き上がる痛みの奔流と血の匂いに自分がまさに死に掛けていることを実感する。

 そして、視界が薄れ、意識が遠のいていく中、彼女は何か小さい獣のようなモノが自分の元へ走り寄って来るのが見えた。

 

 

「ちょっ!? キミ、大丈夫!?」

 

 

 この出会いが彼女にとって、本当に幸運だったのかどうかは分からない。

 幸か不幸か、彼女の命の期限はまだ少しだけ残っていた。そして、その残された時間の中での彼女の戦いと生き様は、彼女と関わった者に少なくない影響を与えることになる。

 だが、そのことが当人たちにとって、本当に良いことだったのかどうかは定かではない。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 さて、もしも道端で血塗れで死に掛けている少女を発見したら普通の人間はどうするだろうか。

 しかも左腕の肘から先が切断された状態で倒れていたら、まともな常識を持った人間なら助けようとするだろう。

 俺がその立場であってもそうするだろうし、友人である彼女がそうしたのも理解できる。

 理解できるのだが―――

 

 

「あのさあ、佐倉…」

 

 

 俺は少し恨みがましい視線で佐倉を睨む。

 

 

「いや、分かるよ? 目の前でマジで死に掛けてる奴が居たら、助けるのが普通だってのは分かる。だけどさぁ…」

 

「な、なによ…?」

 

 

 現在、俺は佐倉に相談されて、彼女の部屋に訪れている。

 それにしても、同級生の女の子の部屋に招待されるなんて前世も含めて初めての経験だ。

 ただ、前世が男性だと言っていただけあって、彼女の部屋の雰囲気は可愛らしさというよりも機能性重視という感じなのが微妙に残念な気分である。

 正直、こんな危険な事件が起こっている状態で、いくら近所とはいえ外を出歩きなんかしたくなかったのだが、彼女から相談された内容が内容だけに仕方なかった。

 俺はベッドの上で泥の様に眠り続けるフェレットに視線を移すと、ぼやくように言った。

 

 

「どう考えてもユーノ、だよなぁ…」

 

「だよね…」

 

 

 学校からの帰宅途中、友人である佐倉は中々とんでもない状況に遭遇していた。

 彼女の話によると、フェイトにそっくりな容姿の少女が血塗れで倒れているのを帰宅途中に見つけたそうだ。

 しかも、佐倉が見つけたときには、その少女を守るようにフェレットが寄り添って、おそらく応急処置的な魔法をその少女に使っていたのだという。

 そして、その現場に出くわした佐倉は即行で警察と救急車を呼んだわけで、現在、倒れていた少女は病院で治療を受けている筈だ。

 フェレットの方は治癒補助の魔法に力を使い過ぎたのか、救急車が到着したと同時に気を失ってしまった。

 放置しておく訳にもいかないし、こうして自分の部屋まで連れて帰って来たそうだ。

 

 

「つーか、その血塗れで倒れてた女の子ってのは『原作』のフェイトそっくりだったんだろ? どう考えてもフェイトの関係者だよな? しかも片腕ぶった切られてるとか、どういう状況だよ!?」

 

「そんなの私が知りたいよ!?」

 

 

 まず、片腕が切り落とされていたということからして尋常じゃない。

 状況から考えて、その少女の左腕を切り落としたのは、例の虐殺事件を起こした者と同一犯だとは思う。

 つまり、佐倉が見つけたというその少女は片腕を失いながらも、例の殺人鬼と交戦して生き残ったということだろう。

 だが、まさかユーノまでオマケでついてくるとは一体何がどういうことだ。

 俺も佐倉も、余りにも想定外過ぎる現在の状況に頭を抱えていた。

 

 

「…よし、ひとまずもう一度、状況を整理しよう」

 

「う、うん」

 

 

 まず、ジュエルシードがこの世界に既にばら撒かれていることは間違いない。

 そうでなければ、ユーノがこの世界に訪れる訳はないし、主人公である高町なのはが魔法に目覚めるイベントは起こらない。

 そして、恐らくはその主人公が魔法に目覚める場面において、例の虐殺事件が起こったと考えられる。

 

 

「殺されたのは、私らと同じ『転生者』だよね?」

 

「多分な…」

 

 

 高町なのはが魔法に目覚める場所で殺された27人の小学生。

 恐らく殺された27人というのは『原作』に関わろうとしたか、見物しようとした転生者だろう。そうでなければ、小学生の子供が27人も夜中に同じ場所で殺されるなんていう不自然なことがある訳がない。実際、学校で被害にあったと噂されている者の中には、入学式の段階であからさまに転生者だったヤツも含まれていた。

 

 

「じゃあ、一体誰が何の目的で転生者ばかりを殺したのかな…?」

 

 

 佐倉が現状での最大の疑問を口にする。

 これについては、一つ一つ分けて考えよう。

 まず一つ目の「誰が」という点についてだが、俺は今回の事件の犯人は2日前の下校中に出会った「黒い男」と「白い少女」だと思っている。

 正直、それを裏付ける明確な根拠は薄いが、俺は直感的にそうだと確信できた。

 

 

「キミがそこまで言うなら、そうかもしれないけどさぁ…。でも、いくら何でもちょっと決め付けすぎじゃない?」

 

 

 確かに佐倉の言うとおり、決め付け過ぎは禁物だ。

 だが、俺にはあの二人が今回の事件の犯人だとしか思えない。

 何故なら俺があの二人と遭遇したとき、黒い男の方は俺に対してこう言ったのだ。

 ―――命拾いしましたね。アナタは対象外だそうですよ、と。

 

 

「普通、初対面の人間にそんなことを言う奴が居るか…? あの時のアイツの言葉って、要するに俺が何らかの対象者だったら死んでたって言ったのと同じだぞ…?」

 

 

 原作の主人公である高町なのはは無傷で見逃され、原作に存在しないはずの転生者ばかりが殺された。

 このことから考えて、事件の犯人が転生者だけを狙っていることは恐らく間違いない。だが、単純に転生者であるということだけが、標的にされる条件という訳ではないようだ。

 もしも、俺が出会ったあの二人が事件の犯人で、転生者であることがそのまま狙われる対象ということなら、あの時、俺が殺されずに見逃された説明がつかない。つまり、あの二人は転生者の中でも何か特定の『条件』を満たしている者だけを狙っているのではないかと考えられるのだ。

 

 

「それじゃあ、その『条件』って一体何さ…?」

 

 

 少し上擦った佐倉の声。

 自分達の命が狙われるかどうかに直結する問題だけに彼女もかなり不安そうだ。

 現状で最も考えやすい可能性としては、やはり―――

 

 

「『原作』に関わろうとしたか、そうでないかの違い…か?」

 

 

 現在の被害者は全員が何らかの形で原作に関わろうとした者か、関わってしまった者たちだ。

 高町なのはが魔法に目覚める場面に介入しようとしたと思われる者達は、間違いなくそうだし、佐倉が下校中に見つけたという少女も間違いなくフェイトの関係者だろう。

 

 

「…ってことはさ。これって、もしかしてヤバくない?」

 

 

 そう言って、佐倉はベッドで眠っているフェレットをちらりと見る。

 ベッドで眠っているフェレットが、原作の主要登場人物であるユーノであるということは恐らくほぼ100%間違いない。

 こうしてユーノに関わってしまったということは、ひょっとして自分たちも例の殺人鬼に狙われる可能性があるのではないかと考えるのは至極当然な思考の流れであった。

 

 

「待って! ここまで来たんだから今さら見捨てないでよ!?」

 

「うるせー! HA☆NA☆SE! 俺はまだ死にたくねえんだよ!?」

 

 

 無言で部屋を立ち去ろうとした俺を逃がすまいと後ろから抱き着いてくる佐倉。

 ドタバタとひとしきり暴れ回った俺と佐倉だったが、結局、先に根負けしたのは俺だった。

 ゼイゼイと肩で息をしながら、俺は半ばヤケクソ気味に言った。

 

 

「だーもう! 分かった! 見捨てない! 見捨てないから! だからいい加減に離せって!!」

 

「ホント!? 言質とったよ!? もしも裏切ったら絶対許さないからね!?」

 

 

 必死で縋り付く佐倉に、俺は気が進まないながらも了承する。

 ようやく締め付けから解放された俺は、渋々と床に置いたクッションに座りなおした。

 佐倉もまたテーブルを挟んで向き合う形で腰を下ろす。俺は胡座で頬杖をついた姿勢をとると、ジト目で睨みながら彼女に訊いた。

 

 

「…ってか、今更だけど何で俺に相談したよ?」

 

「仕方ないじゃない…。だって、他に相談できる人が居なかったし…」

 

 

 どうやら彼女の表情を見る限り、自分をいざという時の「道連れ要員」にしてしまったことを悪いとは思っているらしい。

 もっとも実のところ佐倉から今回のことを最初に相談された時点で、こうなることは半分くらい予想していたし、見捨てるつもりも余り無かった。

 俺にとって彼女は貴重な友人であるし、自分の出来る範囲でなら、知恵や力を貸すのは吝かではない。まあ、転生特典を持たないクソ雑魚ナメクジである俺が貸せるのは、せいぜい小賢しい知恵くらいのものであるが…。

 

 

「まあ、俺が佐倉の立場なら多分、同じことをしただろうしな…」

 

 

 こうなってしまった以上は仕方ない。

 過去を悔やむよりも、これからどうするべきかを考えなければならない。 

 差し当たっては、現在ベッドの上で眠り続けているフェレットについてだ。原作のユーノは基本的に主人公である高町なのはとセットで動いていた筈だが、この世界線でのユーノは高町なのはとは完全に個別に動いているようだ。

 

 

(現時点でジュエルシード回収のためにまともに動ける人間って、ひょっとして誰も居ないんじゃ…?)

 

 

 ユーノとなのはが別行動で動いている時点で、もはや原作の流れなどあったものではない。

 そして、主人公である高町なのはが機能不全に陥っているということは、現状でジュエルシード回収のために動いている人間は誰も居ない可能性がある。

 つまり、次元震を起こす可能性を秘めた危険物が、海鳴市にゴロゴロと手付かずで放置されているかもしれないのだ。

 

 

「…それって良く考えなくてもヤバいよね?」

 

「…そうだな」

 

 

 現在の海鳴市には『ジュエルシード』と『正体不明の殺人鬼』という二つの問題が同時に存在している。

 この両方を解決しなければならない訳だが、正直、自分たちだけで解決できるレベルじゃないのは明らかだ。

 ジュエルシードだけならまだどうにかなったかもしれない。だが、最大の問題は、例の事件を起こした殺人鬼の方だ。

 もしも、殺人鬼の狙っている者が俺たちの予想通りだとするのなら、こうしてユーノを匿っているだけでも命を狙われる可能性があるのだから。

 はっきり言って、この状況は自分達だけでは到底解決できない。それならば、他の誰かを頼るしかないだろう。

 

 

「こうなったら、時空管理局に保護してもらうしかないんじゃないか?」

 

 

 現実的に考えれば、それしか方法はない。

 一時期のリリカルなのはの二次創作では無闇矢鱈とオリ主に叩かれていた組織だったが、現状、俺たちが頼れるとしたらこの組織だけだ。

 しかし、時空管理局を頼るとしたら問題となるのは―――

 

 

「だけど、管理局を頼るにもどうやって連絡をとったら良いのかな…?」

 

 

 佐倉の呟きのような疑問。

 実際、管理局を頼るにしても俺たちは連絡手段を持っていなかった。

 唯一の望みはユーノだが、もしも彼が時空管理局への通報・連絡手段を持っていないとしたら完全に手詰まりになる。

 あるいはこの状況なら流石にユーノも管理局に通報しているのではないかと思うが、出来るだけ早期にコンタクトをとりたい所だ。

 そうでなければ、本格的に自分たちは詰む可能性がある。

 

 

「ひとまず、ここから先のことはそこのフェレットが目を覚ましてからだな…」

 

「そうだね…」

 

 

 現状、俺と佐倉の二人では既に手詰まりだ。

 ユーノが目を覚ましたら、彼も交えて今後のことを相談しなければならないだろう。

 俺達はベッドの上で眠っているフェレットの方をチラリと見た。

 

 

「う…、あぁ…、ご、メ、サイ…」

 

 

 悪夢にでもうなされているのか、うわ言のような寝言が聞こえた。

 先程までは泥のように眠りこけていたが、今は眠りが浅くなって夢でも見ているのだろう。

 

 

「…悪夢にでもうなされてるのかな?」

 

 

 そう言って、佐倉は上からユーノのことを覗き込む。

 そして、彼女がそうしたのとほぼ同時のタイミングでフェレットは目を覚ました。

 

 

「うぁぁぁぁあああ!! もうやめてくれぇぇぇええ!!!」

 

「きゃっ!?」

 

 

 絶叫と共に急に飛び起きたユーノに驚いて尻餅をつく佐倉。

 ちなみに彼女のその仕草が不覚にもちょっと可愛いと思ってしまったのは誰にも内緒だ。

 

 

「はぁ…はぁ…、ゆ、夢…?」

 

 

 ユーノは、全身に嫌な汗をかきながら、息を荒くさせている。

 どうもユーノの反応からすると余程の悪夢にうなされていたらしい。

 しかし、フェレットの姿なのに、思いっきり言葉を喋ってしまっている。

 つまり、そうしたことに気を配る余裕すら無くなっているということだろう。

 

 

「えっと…ここは…?」

 

 

 キョロキョロと周囲を確認するユーノ。

 当然、俺と佐倉の存在に気付くユーノだが、同時に人前で言葉を喋るという失敗をやらかしたことにも気付く。

 自分のやらかしてしまった失敗にあからさまに動揺するユーノを見ながら、俺はぼやくように呟いた。

 

 

「喋るフェレットってことは、やっぱりユーノで確定か…」

 

 

 99.99%の確率でそうだろうとは思っていたが、もうこれで0.01%の疑いの余地すら無くなった。

 一体いつからこの世界は、こんな死と隣り合わせの殺伐とした世界になってしまったんだろう、と俺は思う。

 リリカルなのはの二次創作では、バタフライ効果だの何だのとほざいてる作品も多かったが、結局、大して原作の流れが変わらないというのが殆どだった。バタフライ効果の本来的な意味からすれば、原作から完全に乖離した今の状況の方が恐らく正しいのだろうが、実際にその渦中に巻き込まれる側の人間としては、正直、堪ったものではない。

 

 

 ―――未来のことは誰にも分からない―――

 

 

 それは前世では当たり前のことだったはずだ。

 しかし、ここが『リリカルなのは』の世界そのものだったから、俺たちはそのことを忘れていたのだ。

 前世では当たり前だったはずなのに、未来が分からないということを、これほどまでに恐ろしいと思うのは俺も佐倉も初めてのことだった。

 

 

 




あとがき:


 たまーに作品への批判に対して、「批判をするなら書いてみろ」とかいう返しをする人を見掛けます。


「よーし分かった! だったら、実際に書いてやろうじゃねえか、このボケェ!?」


 そう思って、実際に書いてみたのが本作です。
 安直過ぎる神様転生やご都合主義を批判するついでに、クロスオーバー作品としてもある程度は楽しめる作品に仕上げるのが本作の最終目標です。そっちの要求通りに実際に書いたんだから、「批判するなら書いてみろ」とか言ってた人は、まさかこの作品に文句があるとか言わないですよねぇ!?
 まあ、そもそもの話として、作品の批判をするのに作品を書く必要など無いと思いますし、この作品を嫌ったり、否定的な意見を持ったりするのは別に全く構いません。
 この作品に低評価を付けられることは予想の範疇ですし、当然覚悟の上ですが、この作品が嫌いな人が、この作品の何が一番気に入らないのかというのは、個人的には非常に気になるところです。
 ヘイト自体が気に入らない、赤屍というキャラ自体が気に入らない、ヘイトの対象が転生者であることが気に入らない。それとも全く別の理由かもしれません。
 この作品を嫌ったり批判したりすることは別に全く構いませんが、どうせならこの作品の何が気に入らないのかというのを具体的に教えてくれると非常に嬉しいです!




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第十三話 『リリカルなのは』の世界で その12

 ユーノ・スクライア―――言わずと知れた「リリカルなのは」という物語の主要登場人物の一人だ。

 原作においては、物語の主人公である高町なのはに眠っていた魔法の力を目覚めさせ、以降は彼女のサポートとして動いていた人物だ。

 魔法少女に付き物のマスコット的なキャラクターの役割を担っていた人物と言えば、物語における立ち位置は概ね理解してもらえるだろう。

 ようするに原作の流れが普通に進行するならば、俺たちが出会うことなどあり得ないはずの人物である。

 

 

「え、えと…あ、あの、こ、こここ、これは…」

 

 

 現在、俺と佐倉の目の前には、傍目にも分かるほど動揺した喋るフェレットの姿がある。

 一体何がどうなってこんな状況になったのかさっぱり分からないが、とにかく今は情報を集めることが最大の優先事項だ。

 俺は内心で頭痛を感じながら、ユーノに話し掛けた。

 

 

「まず確認するけど、アンタはユーノ・スクライアで間違いないよな?」

 

「え? 僕の名前を…?」

 

 

 初対面であるならば、知る筈がないユーノの名前をいきなりぶっ放す。

 いきなりユーノの名前をぶっ放した俺に佐倉が少し驚いた顔をしていたが、ここは無視する。

 確かに下手をすれば警戒される可能性もあるが、こっちとしても命が掛かっている以上、下手な探り合いなどやっていられないというのが本音だ。

 

 

「ちょっとややこしい事情があってな…。俺も佐倉も、アンタのことは知ってるんだ」

 

 

 そう言って、俺はユーノに自分たちの事情について説明する。

 前世だとか転生だとか、自分で言ってて頭が痛くなってくるが、俺たちにとっては紛れもない事実なのだから仕方ない。

 率直に言って、赤の他人がいきなりこんな戯言を言って来たら、俺なら相手の正気を疑うかもれない。

 実際、俺の説明を聞いたユーノも俺たちの『前世』については半信半疑といった様子だ。

 

 

「え、えーと? つまり、キミ達は『リリカルなのは』という物語を通して、この世界でのことを予め知っていたってこと?」

 

「まあ、そうなる。けど、この世界での流れは、俺たちの知ってる本来の流れとはかけ離れてるんだ。だから、俺たちの知識はもう殆ど当てにならないと考えていいと思う」

 

 

 すでにこの世界線は、本来の原作の流れからは乖離している。

 俺たちの知っている原作の通りに進むなら、こうして俺たちとユーノが出会うこと自体があり得なかった。

 そして、そのことを聞いたユーノは、震える声で俺たちに訊いて来た。

 

 

「じゃ、じゃあ、あの殺人鬼については…?」

 

 

 海鳴市どころか日本中を騒然とさせている例の虐殺事件。

 あの殺人鬼は、この世界に元々存在している存在なのか。

 もしも、元々この世界に存在するものだとしたら、アイツの正体は一体何なのか。

 そんな質問がユーノからなされるが、こういう質問が出て来るということは、やはりユーノは例の虐殺事件の犯人を目撃している。

 そして、そうであるならば、確認すべきことが一つある。

 

 

「その質問に答える前に確認させてくれ。例の虐殺事件を起こした犯人ってのは『ウサギの人形を抱いた女の子』と『黒尽くめの長身の男』の二人で間違いないか?」

 

 

 俺が二日前の下校中に遭遇した異様な雰囲気を纏った二人組。

 その二人のことを口に出した途端、ユーノの表情が変わった。

 その反応だけで、自分の直感は正しかったということを俺は理解できた。

 

 

「アイツらのことを知ってるの!?」

 

「いや、俺らも詳しいことは何も知らない。俺がアイツらを知っているのは偶々だよ。俺らの知ってる物語の中には、あんな連中は存在してないし、こんな虐殺事件も起こらなかった」

 

 

 そうして、俺は二日前の下校中に体験したことをそのまま語った。

 ただ道端で遭遇しただけで、死を予感させるほどの異次元の雰囲気を持つ二人組。

 その二人は何の前触れもなく俺の前に突然現れ、俺にこう言って去って行った。

 

 

 ――命拾いしましたね。アナタは『対象外』だそうですよ――

 

 

 黒い男が去り際に言い残した『対象外』という言葉。

 俺が語ったアイツの言葉にユーノも思い当たるモノがあったらしく、ユーノは叫んだ。

 

 

「ソイツらだ! 間違いない!! 僕もそう言われてアイツらに見逃された…!!」

 

 

 例の虐殺事件のとき、ユーノも『対象外』と言われ見逃されたのだと言う。

 おそらく常軌を逸した虐殺現場を目撃したであろうユーノに、当時の状況を根掘り葉掘り聞くのは正直気が引ける。

 多分確実にトラウマになっているだろうし、訊いて良いのかどうか一瞬俺も迷ったが、結局は訊くことにした。

 

 

「ユーノ、悪いんだが、そのときの状況を出来るだけ詳しく教えてくれ。今は一つでも多くの情報が欲しい」

 

「う、うん」

 

 

 ユーノは声を震わせながら当時の状況を語ってくれた。

 おそらくはユーノの広域念話に反応して来てくれた魔導師の子供たち。

 そして、例の二人は、夜の闇そのものが形を変えたかのように突然に現れ、その場の魔導師の子供たちを皆殺しにしてのけたのだ。

 

 

「全員が天才レベルの魔導師だったはずなのに、アイツには全く歯が立たなかった…」

 

 

 ユーノの話では、集まっていた魔導師の魔力量は全員が規格外の天才クラス。その中にはレアスキルと思しき能力を使っていた者も居たという。

 しかし、そんな天才クラスの魔導師の全員があの男の前では、何もできずに殺されていった。口元に残酷な笑みを浮かべながら、紙屑か何かのように人をバラバラに切り裂いて殺していく姿は紛うことなき死神だった。

 周囲にばら撒かれた血と臓物の匂いが充満した文字通りの地獄絵図。ジュエルシードの封印を手伝ってくれた「高町なのは」という少女は余りにも凄惨すぎる光景に気絶し、ユーノ自身も気絶しないのがやっとだった。

 そして、そんな地獄の中にありながら、その地獄を作り出した二人は笑みすら浮かべて血の海の中心に佇んでいたという。

 

 

「率直に言って、予想していた以上だな…」

 

「完っ全なサイコパスじゃない…」

 

 

 正直、ユーノが語る内容に俺も佐倉も内心でドン引きだった。

 どう考えてもヤバすぎる相手であり、話を聞いた佐倉も明らかに顔を引き攣らせている。

 おそらくは転生特典を貰っていたはずの転生者たちを苦も無く皆殺しにした異次元の戦闘力と残酷さ。

 ある程度は予想していたことだったが、まさかここまでだとは思っていなかったのが本当のところだ。

 俺は内心で冷や汗を流しながらユーノに訊ねる。

 

 

「ユーノも、そいつに心当たりなんてある訳ないよな…?」

 

「そんなの当たり前だよ!? アイツらは自分たちのことをそれぞれ『運び屋』と『雇い主』だって言ってたけど、あんなの、今まで見たことも聞いたこともないよ!?」

 

 

 ユーノの捲し立てるような返答と、その中に紛れ込んでいた何か聞き捨てならないキーワード。

 頭で考えるより先に、俺はその言葉について反射的に訊き返していた。

 

 

「運び屋…? アイツらがそう言ってたのか?」

 

「え? う、うん」

 

 

 何でもユーノは、例の殺人鬼の二人と少しだけ会話が出来たらしい。

 会話といっても簡単な自己紹介くらいのものだったそうだが、それでも俺たちにとっては貴重な情報だった。

 間久部と名乗った『雇い主』の白い少女に、赤屍と名乗った『運び屋』の黒い男。そして、ユーノの話によると、彼ら二人は『とある条件を満たす者をあの世に運ぶこと』を目的に動いていると言っていたという。

 

 

「彼らの言っていた『条件』が何なのかは僕には全く分からない。けど、あの二人は言ってたんだ…。僕となのはの二人は『対象外』だって…」

 

 

 例の殺人鬼が去り際に言い残した『対象外』という言葉。

 その言い回しから考えて、連中が何らかの『条件』に引っ掛かった者をターゲットにしていることは間違いない。

 そして、その条件とは一体何かが最大の問題だった。あの殺人鬼に命を狙われるかどうかに直結する問題なだけに、無視することなど到底できない。

 ユーノは、その条件に全く心当たりは無いとのことだったが―――

 

 

「君たちにはそれが分かるの…?」

 

「一応、予想してる答えはいくつかある…けど、本当に正解かどうかはまだ分からない」

 

 

 そう前置きしてから現状での自分たちの推測をユーノに話した。

 まず、現在までのところ、被害にあっているのは全員が本来の原作には存在しなかった者たちばかりだということ。

 おそらく被害にあったのは、全員が俺や佐倉と同じ『転生者』だ。だが、単純に転生者であることが殺される条件であるというのなら、俺が殺されずに見逃された説明がつかない。

 つまり、犯人は『転生者』の中でも、さらに特別な条件を満たしている者だけを狙っていると俺たちは推測している。

 

 

「…俺の予想だと『原作』に関わろうとしたかどうかが条件じゃないかと思ってる。原作の主人公の高町なのはが魔法に目覚める場面に来てたっていう殺された魔導師の連中は多分そうだし、その片腕が切り落とされてたっていう女の子も多分フェイトの関係者だろうしな」

 

 

 俺は現時点での自分の予想をユーノに語った。

 そして、仮にこの予想が正しいとしたら、どこまでが「原作に関わった」と判定されるのかというボーダーラインについての問題が発生する。

 あまり考えたくない最悪の予想だが、もしかしたら原作の主要人物であるユーノとこうして会話しているだけでもアウトかもしれない。

 

 

「え…? 僕らと関わっただけでアウト…?」

 

 

 俺の話を聞いたユーノは、次第に顔色が青くなって行った。

 ユーノ自身の存在が俺らにとって爆弾かもしれないということを説明されれば、当然の反応かもしれない。

 顔面を蒼白にさせ身体をプルプルと震えさせていたユーノだったが、急にガバッと起き上った。

 

 

「ゴメン! すぐにここを出て行きます!!」

 

 

 そう言って、部屋から飛び出そうとしたユーノを俺も佐倉も慌てて止める。

 

 

「落ち着けって…!!」

 

「そうだよ、落ち着いて!」

 

「離してー! 僕の所為でキミらまで死んだら、もう二度と僕は立ち直れない!!」

 

 

 バタバタと俺と佐倉の手の中で暴れるユーノ。

 なにやら似たようなやり取りが、俺と佐倉の間でもあった気がする。

 ただ、この時のユーノの暴れ具合は本当に凄かった。暴れまくるユーノがようやく落ち着いたときは、俺も佐倉も疲労困憊な状態だった。

 もっとも、ユーノの方は俺と佐倉以上に疲労でぐったりした状態だったが。

 

 

「…暴れて少しは落ち着いたか?」

 

「あ、は、はい…」

 

 

 ゼイゼイと肩で息をしながら俺たちは座りなおした。

 そして、呼吸が落ち着いてきたところで、俺は話の続きを再開する。

 

 

「…とりあえず、さっきまでの話はあくまで俺の予想だ。もしかしたら全く見当はずれの予想をしてる可能性もあるし、現状、情報が足りない。それに今の海鳴市にはジュエルシードがばら撒かれたままになってるんだろ?」

 

 

 正体不明の殺人鬼だけでも手一杯なのに、さらにジュエルシードという問題まで恐らく手付かずになっている。

 虐殺現場をモロに目撃した高町なのはは間違いなく機能不全に陥っているし、下手をしたらフェイトの方もまともにジュエルシード集めが出来ていない可能性がある。

 ユーノと佐倉が出会ったという片腕が切り落とされた女の子はおそらくフェイトの身内だし、フェイトの方も身内が片腕を切断されるような重症を負わされて何の動揺もなくジュエルシード集めを続けることが出来るとは思えない。

 原作の事件の発端になったジュエルシード自体が次元震を起こす可能性を秘めた危険物であり、目の鼻の先でそんな危険物が手付かずで放置されていたら、いくら俺でも何らかのアクションは起こさざるを得ない。

 もし自分が巨大ダムの亀裂を偶然にも発見したら、少なくともどこかしらに通報しようとするだろう。ようするに、そういうことだ。

 

 

「正直、俺らだけじゃ到底解決できないし、俺としてはもう時空管理局に協力してもらうしかないと思ってる。ユーノに訊きたいんだが、管理局への連絡手段はあるのか?」

 

「一応もう時空管理局には通報してるけど、いつ来てくれるかまでは…」

 

「そうか…」

 

 

 どうやら最低限のやるべきことは一応やってくれていたようだ。

 そうであるならば、後はもう祈るしかない。もしも例の殺人鬼に狙われる条件が俺が最初に予想した通りであるならば、最悪の場合、こうしてユーノと会話しているだけでもアウトかもしれない。

 もしもアウトだった場合は本当にどうしようもないが、すでにユーノと関わってしまった以上、もはや今更だろう。

 だったら、今の状況を最大限に活かす方向で考えた方が効率的なはずだ。

 本当は、例の殺人鬼に狙われる対象になる条件として、もう一つ可能性が高いと思っている予想があるにはあるが、今の佐倉の前でこれを言うのは俺には無理だった。

 なぜなら、これを言うと佐倉に対して「俺は助かるけど、お前は殺される」と言うも同然だからだ。

 

 

「ユーノ、俺たちに死んで欲しくないと思うなら、逃げるんじゃなくて協力してくれ。管理局がこっちの世界に来るまでは、魔法関係の知識を一番持ってるのはアンタだ。殺人鬼の方はともかく、もしもジュエルシードへの対処も必要になった場合、ユーノの協力は多分必須になる。だから、頼む」

 

 

 そう言って、俺は頭を下げた。

 少なくとも時空管理局がこちらの世界に来るまでは、なんとか自分たちだけで凌がないといけない。

 そして、そのためには、ユーノの協力はあった方が良いと俺は判断した。

 

 

「ずるいなぁ…。そんな言い方をされたら断れないじゃないか…」

 

 

 ユーノはがっくりと肩を落としながらそう言った。

 そうして、俺たちとユーノは、協力体制をとることになった。

 ひとまず話が纏まったところで、俺はその場から立ち上がった。

 

 

「佐倉、ひとまず俺はそろそろ帰る。しばらくここでユーノを匿うことになっても大丈夫か?」

 

「あ、うん、大丈夫だよ。いざとなったら、ユーノ君を盾にするから」

 

「ちょ!?」

 

 

 サラリとかまされた爆弾発言に驚くユーノ。

 しかし、俺たちが危ない橋を渡ることになったのが、ある意味ユーノの所為である以上、もはや俺たちは運命共同体だ。正直、このくらいのことは勘弁してもらいたい。

 そうして、俺が帰るとき佐倉は家の出口まで見送ってくれたのだが、帰り際に彼女から話し掛けられた。

 

 

「…ごめん。正直、キミを巻き込む形になって悪いとは思ってるんだ」

 

「今さらだよ。俺が佐倉と同じ状況だったなら多分同じことをしたと思う。だから、そんなに気にしなくて良いさ」

 

「うん…、今日は相談に乗ってくれてありがと。私一人だと殆どパニック状態だったし、本当にキミには感謝してる」

 

 

 どうやら俺を巻き込んだことに対して、彼女も多少は負い目に感じていたらしい。

 おそらく相談に乗ったことに対するお礼のつもりなのか、佐倉はこんなことを俺に訊いて来た。

 

 

「ね、何かして欲しいことない?」

 

「急にどうした?」

 

「まー、ほら、元男とは言っても、今は可愛い女の子なわけだし? それなりにされて嬉しいことあるんじゃないの?」

 

 

 何と言うか、非常に魅力的な提案だった。

 正直、外見的にはかなり好みのタイプの美少女だし、一瞬かなりクラッと来たのは確かだ。

 かなり後ろ髪を引かれる気持ちはあったが、鋼の理性で抑えて俺は彼女に返答する。

 

 

「…5年後までとっとくよ。今の小学生の貧相な身体で言われても魅力半減だし」

 

「…何を要求するつもりだったのさ、この変態」

 

「うっせえよ」

 

 

 そんな他愛ないやり取りを交わした後で俺は帰路についたのだった。

 

 

 

 




あとがき:

 この作品は、タイトルからして露骨な神様転生アンチの作品ではあります。
 ネタとして第一話を書いたときは、とりあえず特典持ちのチート転生者を皆殺しに出来れば何でも良かったのは確かで、それ以外のことは何も考えてなかったです。
 ただ、この作品を連載作品として書き直すに当たっては、赤屍蔵人という自分の考え得る最大最強の理不尽・絶望を叩き付けられた転生者が何とか生き残ろうと足掻く様子を描く群像劇というような体裁をとったつもりなんですけどねぇ。
 やたらと低評価をつけられているのは、物語の序盤で転生者YOEEEをやり過ぎたのと、タイトルからして露骨に全方位に喧嘩を売ってる所為ですかね?


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第十四話 『リリカルなのは』の世界で その13

 常軌を逸した虐殺事件を起こした犯人の二人組。

 佐倉の家からの帰宅途中、俺は例の二人組について考えていた。

 最初、俺たちは例の殺人鬼たちも俺たちのような『転生者』だと思っていた。

 だが、ユーノの話を聞いて、そもそもその前提が間違っているのではないかと俺は思ったのだ。

 もしも、転生者が自分以外の別の転生者を殺すことのメリットがあるとするなら、自分が原作へ関わるチャンスが増えるということだろう。

 だから、殺人鬼に狙われる条件は、『原作』に関わろうとしたかそうでないかの違いだと最初は思った。

 しかし―――

 

 

(もしかしたら『転生者』ですらないのかもしれない…)

 

 

 ユーノから聞いた『運び屋』と『雇い主』というキーワード。

 そのキーワードを聞いたときに、俺は思ったのだ。あの連中は、よくある「転生者としての思惑」とは全く無関係に動いているのではないか、と。

 だから、この世界での流れが原作から乖離したところで関係ないし、この世界での流れがどうなったところでアイツらには関係ない。

 そして、そのことに思い当たった途端、例の殺人鬼に狙われる対象になる条件として、俺にはもう一つ別の可能性が思い浮かんでいた。

 先程の話し合いの中では言わなかったが、むしろこちらの方が可能性としては高いかもしれない。

 

 

 ――転生する際、神と名乗る者から転生特典を貰ったかそうでないか――

 

 

 もしもこちらが正解だった場合は、おそらく俺だけは助かる。

 だが、転生の際に特典を貰ってしまった者は、おそらく全員が殺されることになる。

 

 

(…アイツの前で言えるかよ、そんなこと)

 

 

 正直、先程の佐倉の前でこの予想を言うのは俺には無理だった。

 なぜなら、これを言うと佐倉に対して「俺は助かるけど、お前は殺される」と言うも同然だからだ。

 自分だけが生き残るだけなら、こちらの予想が正しい方が好都合なのは理屈では分かっている。だが、友人である佐倉にとっては―――?

 もちろん自分が死ぬのは御免だが、それと同時に友人の死を願うような恥知らずになるのも俺は御免だった。

 

 

(ホントに何が正解なんだよ…)

 

 

 本当の正解が一体何なのか分からない。

 友人の佐倉が顔が頭の中にチラついて、思考が鈍っているのを感じる。

 自宅への帰路の途中、ふと遠くの西の空に目をやると沈みかけている夕日が見えた。

 林立する住宅群に夕日が綺麗に映え、黄金色の光に映し出された建物の黒いシルエットが印象的だ。

 昼と夜の一瞬の狭間にだけ姿をのぞかせる"影絵"の街。恐らく後一時間もしない内に日没だろう。

 

 

(ひとまずは早く帰ろう…)

 

 

 俺は出来るだけ速足で自宅へと急いだ。

 こんなとんでもない事件が起こってる状態で、いくら近所とは言え夜に外を出歩くのは流石にまずい。

 

 

(出来るなら、佐倉とユーノが出会ったフェイトそっくりの女の子とも情報の擦り合わせをしたいんだが…)

 

 

 例の殺人鬼と交戦して生き残ったのは、現時点ではその女の子だけだ。

 病院へ搬送されたというが、警察にとっても事件の重要参考人だろうし、俺たちが接触するのは難しいかもしれない。

 そんなことを考えながら、この日はもう何事もなく終わった。しかし、その翌日に状況をさらに混沌とさせるような事態が起こるなど、俺はまだ想像すらしていなかった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ―――海鳴大学病院。

 

 赤屍と交戦して片腕を切り落とされた少女――フェイル・テスタロッサが搬送された病院である。

 搬送された直後から失血に対する大量の輸血が施され、フェイルはどうにか一命を取り留めた。

 しかし―――

 

 

「あんな幼い子が可哀そうになぁ…」

 

 

 フェイルの治療に関わった医師からため息まじりの声が漏れる。

 当然、切断された左腕の再接合も検討されたが、切断肢の汚染状況が予想以上に悪かったために結局は断端形成術が選択された。

 断端形成というのはようするに切断された断端を丸める手術のことであり、彼女の左腕は永遠に失われたことを意味していた。

 そして、手術が終わってからおよそ半日が経った深夜、麻酔が切れたフェイルはベッドの上で目を覚ました。

 

 

「…っ」

 

 

 ベッドから身を起こそうとして身体に走った痛みに思わず動きを止める。

 呼吸を整えてから、慣らすように今度はゆっくりと身体を起こすと、自分のベッドの傍らに誰かが居ることに気付いた。

 

 

「フェイト…」

 

 

 その誰かとはフェイトであり、彼女はイスに座りながらこちらのベッドに突っ伏して眠っていた。

 そして、傍らで眠るフェイトの頭を撫でようと腕を伸ばそうとした時にフェイルは思い出した。

 

 

(そうか…アイツに…)

 

 

 自らの左腕の肘から先を永遠に失ったことをフェイルは理解する。

 昼間に出会った『黒い男』と『白い少女』の二人組のことは、フェイルにとっても完全に予想外な事態だった。

 最悪死ぬとすら思ったが、周りを見渡すとどこかの病院のようだし、どうやら生き残ることが出来たらしい。

 

 

「目を覚ましたのかい!?」

 

「アルフ…」

 

 

 ちょうど病室に現れたのはフェイトの使い魔のアルフだった。

 獣の姿で病院に入れる訳はないし、当然ながら人間形態だ。

 

 

「フェイトもアタシも心配したんだよ!?」

 

「アルフ、夜の病院では静かに。そんなんじゃ、フェイトだって起きちゃうよ」

 

「あ、ごめん」

 

 

 素直に謝るアルフ。

 しかし、自分が病院に搬送されたのは良いとしても、まさかフェイトとアルフまでここに居るとはフェイルも思っていなかった。

 それほど心配してくれたということなのだろうが、戸籍などといったこの世界での身分は何も持ってない訳だが大丈夫だったのだろうか?

 どう考えても事件性のある怪我で搬送されているし、多分、警察からの事情聴取なんかもあったはずだ。

 

 

「ところでアルフ、病院や警察には何て説明した?」

 

「今は動揺でそれどころじゃないから後にしてくれって、とりあえず全部断ったよ。保護者も外国にいるから直ぐには来れないとか適当に誤魔化しといた」

 

「…そっか」

 

 

 ひとまず対応としては妥当なところだろう。

 しかし、日本の法律的に考えた場合、自分たちが不法入国者という犯罪者に相当することは間違いない。

 警察に身分のことを追求されるとマズイのは確かであり、適当なタイミングで病院から脱走するしかなさそうだ。

 そうして、フェイルがぼんやりと今後の予定について考えていると、かなり狼狽えた様子でアルフが話を切り出してきた。

 

 

「それより聞いておくれよ。今この街でとんでもない事件が起こってるんだよ…!」

 

 

 そう言って、アルフは新聞の号外記事をフェイルに見せる。

 そこに書かれていた事件の詳細を把握したフェイルは思わず絶句する。

 原作の主人公・高町なのはが魔法に目覚める場所で殺された27人の小学生。

 事件のあった場所や犠牲になった者の年齢などを考慮するとフェイルの頭では可能性は一つしか考えられなかった。

 つまり、その事件で殺されたのは―――

 

 

(私と同じ転生者…)

 

 

 そうでなければ、小学生の子供が27人も夜中に同じ場所で殺されるなんていう不自然なことがある訳がない。

 つまり、フェイル以外にもこの世界に転生していた者達が存在しており、そうした者が『原作』に関わろうとしたか、『原作』を見物しようとしたところを襲撃されたということだ。

 

 

「フェイルたちを襲撃して来た奴と同一犯なんじゃないかい…?」

 

 

 アルフがおずおずとした様子で推測を述べる。

 そして、その推測はフェイル自身も完全に同意するところだった。

 

 

「多分、間違いないよ。…アイツらだ」

 

 

 言いながら、フェイルは昼間に出会った『白い少女』と『黒い男』の二人組のことを思い出していた。

 彼ら二人は、フェイルのことを殺しに来たと告げ、実際に彼女のことを殺し掛けた。実際に交戦したのは赤屍と名乗った黒い男の方だが、正直、今も生きていることが不思議で仕方ない。それ程までにあの男の実力は桁違いだった。

 そして、白い少女の方は、フェイルの魂に刻み込まれた『チカラ』の欠片に用があると言い、その『チカラ』を回収することを目的としていると言っていた。

 つまり、あの連中は「リリカルなのは」の原作とは無関係に、フェイルのような転生特典を持っている者を狙っていると考えられる。

 

 

(どうする…。まさかあんな奴らが居るなんて…)

 

 

 正直、原作のジュエルシード事件だけなら、どうにでも出来る自信がフェイルにはあった。

 だが、あんな常識外れの化け物が跋扈しているとなると、全く話は別である。あの連中が狙っているのが転生者だけということなら、原作メンバーが積極的にアイツに命を狙われるということは無いのかもしれない。

 しかし、原作での時空管理局は警察的な役割を担っていた組織のようだし、あんなあからさまな犯罪者に対して無対応ということはあり得ないだろう。下手をしたら、フェイルのような転生者だけでなく原作メンバーにも危害が及ぶ可能性は十分考えられる。

 それに加えて、フェイル自身も完全に助かった訳ではない。

 

 

(まだ私も、命を狙われてる…)

 

 

 あの時のフェイルは、ただ見逃されただけだ。

 ただ殺す順番が後回しにされただけで、いつかまたアイツらはフェイルを殺しに来るだろう。

 そして、それまでにあの連中をどうにかしないと、少なくとも自分はアイツらに殺されて死ぬことになる。

 

 

「……」

 

 

 現在の状況を頭の中で整理したフェイルは思わずその場で沈黙する。

 はっきり言って想定外にも程がある状況であり、ここからどのように行動すれば良いのかまるで検討がつかない。

 そして、フェイルが沈黙して考え込んでいると、アルフが躊躇いがちに口を開いた。

 

 

「あと、その…、アンタの左腕…のことなんだけど…」

 

 

 なんと言ったら良いのか分からない、というようなアルフの表情。

 確かに非常にデリケートな問題だろうし、こうしたことを相手に柔らかく伝えるのは非常に困難を伴う。

 実際、フェイルも片腕を失ったことについて動揺していないと言えば嘘になる。だが、正直なことを言えば、フェイル自身あそこで死んだと思ったし、腕一本と引き換えで済んでいるなら代償としては十分安いとすら思っていた。

 言いにくそうにしているアルフに対して、フェイルは片手を挙げて制した。

 

 

「…いいよ。アルフが言わなくても分かってる」

 

 

 穏やかなフェイルの声。

 彼女のその言葉に思わずアルフは唇を噛んでいた。

 言わなくても済んだことへの安堵と、本当ならば誰よりも辛いはずの相手から逆に気を遣われたことへの情けなさ。

 そんないくつもの感情がごちゃ混ぜになって、アルフは何も答えられない。

 

 

「それより、ちょっと疲れたから休みたい…。これからのことは、明日の朝に相談させて」

 

「ああ…今はゆっくり休みなよ」

 

「…ん」

 

 

 そのやり取りを最後にフェイルはベッドに後ろから倒れ込んだ。

 そこから数分もしない内に寝息が聞こえてきたが、片腕を切り飛ばされ実際に死に掛けるという事態に見舞われれば流石に無理もない。

 ベッドに眠るフェイルと、その傍らに寄り添って眠るフェイトの二人を見守りながらアルフは思う。

 

 

(しかし、フェイルの片腕を奪えるって、一体どんな強さだよ…?)

 

 

 アルフ自身、フェイルの強さは身をもって知っている。

 実際、これまでの彼女との模擬戦では、フェイトとの二人掛かりですらまるで相手にならずにあしらわれたし、彼女に勝てる魔導師などこの世に存在しないとすらアルフは思っていた。

 自分たちよりも遥かに強いフェイルが殺されかけ、しかも片腕を奪われた。その事実にアルフは戦慄するものを感じていた。

 

 

「一体どこのどいつだよ…。こんな良い娘を殺しかけたクソ野郎は…」

 

 

 アルフのその呟きに答える者は誰も居ない。

 その呟きは、誰にも聞こえずに夜の闇の中に消えていった。

 そして、その翌日、状況をさらに混沌とさせるような事態が起こることなど、まだ誰も知らない。

 

 

 ―――翌日、彼女たちのいる病院の敷地内でジュエルシードの暴走体が発動した。

 

 




あとがき:

 こう思っているのは自分だけかもしれませんが、面白い作品というのは、各キャラクターの物語上の役割ということをキチンと意識して書かれている気がします。
 主人公、ヒロイン、主人公の憧れキャラ、師匠キャラ、戦友、お助けキャラ、ライバル、ラスボスなど、キャラの立場を列挙するだけで、それぞれが物語上でどんな活躍・役割を果たすのかという大まかなイメージが湧きますよね。
 この作品におけるキャラクターをそうした役割に当てはめると、自分の考え得る最大最強の理不尽・絶望を投影したラスボスが「赤屍蔵人」、自分の理想の英雄像を投影したキャラクターが「フェイル・テスタロッサ」、そして、そんな英雄に出会ってしまったことでその英雄の背中を追って今後成長していくことが期待されるキャラクターが「名前を出していない主人公」ということになるかと思います。


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第十五話 『リリカルなのは』の世界で その14

 翌日、TVの全国ニュースは新たな犠牲者のことを報じていた。

 最初に27人が殺された後、さらにそこから追加で1人が殺され、それに加えて重症で病院に搬送された者が1人。

 そのどれもが同一犯によるものと見込まれており、テレビ東京を除いたどのチャンネルもその事件についての報道で持ち切りだった。

 

 

(重症で搬送された一人ってのは、佐倉が言っていたヤツのことか…)

 

 

 昨日、佐倉が帰宅途中に見つけたというフェイトそっくりの少女。

 ニュースで報道されている重症で病院に搬送された一人というのはその少女のことだろう。

 だが、ニュースでの報道内容からすると、どうやら他にも殺されていた奴が一人居たらしい。

 

 

(おそらく殺されたのは、俺たちと同じ転生者だろう…。そうだとして、あと何人残ってる…?)

 

 

 この世界に転生した転生者が一体何人いるかは俺も正確には知らない。

 だが、俺と佐倉以外にも生き残っている転生者がこの世界に居るとしたら、そいつらもこれらの事件を把握しているはずだ。

 そして、それらの転生者『リリカルなのは』という物語の原作を知っている者であれば、これらの事件が『原作』の中では到底ありえるはずのない事件だということは簡単に分かる。

 生き残っている他の転生者たちが居たとしたら、もしかしたら情報収集くらいのアクションは起こし始めているかもしれない。

 そして、もしそうならば、何とか他の転生者とも接触して協力体制を作りたいと俺は思っていた。

 何故なら―――

 

 

(…普通にやっても、並大抵のことじゃ『アレ』には勝てない)

 

 

 以前の下校中に遭遇した二人について、俺はそう確信していたからだ。

 むせ返りそうな程に濃密な『死の気配』を纏った『黒い男』と『白い少女』の二人組のことを思い出す。

 はっきり言って、あの連中はチート転生者の一人や二人が居たところで倒せるような相手ではない。実際に30人近くの転生者が殺されている訳だし、生半可な戦力では相手にもならないだろう。

 素人の直感に過ぎないが、少なくとも佐倉レベルの人間が一人や二人居たところでアレに勝てるとは俺には到底思えなかった。戦力の逐次投入など愚の骨頂であり、可能な限りの最大戦力を一気に叩き付けるしかない。

 そのためにはとにかく一緒に協力できる仲間を増やしていくしかないだろう。

 

 

(早く時空管理局とも接触できると良いんだが…)

 

 

 ちなみに当然ながら学校は休校になった。

 流石にこんなとんでもない事件が近所で起こっていたら、しばらくは休校にならざるを得ないだろう。

 そんなことを考えながら朝のニュースを眺めていると、メールの着信音が自分の携帯から鳴った。

 メールの送信元は友人の佐倉からであり、俺は携帯を開いてメールの文面を確認する。

 

 

『今から私の部屋にまで来れない?』

 

 

 ようするに直接会って話がしたいという内容だった。

 だが、事件が起こった直後である昨日までならともかく、二日連続で死人が出ている今となっては子供だけで外を出歩くのは難しいだろう。

 おそらくこの状況で俺や佐倉が単独で出歩こうとしても、多分、親がそれを許さない。この状況で外に出かけるなら最初から親に付き添ってもらうか、あるいは親に無断でばれないように立ち回るかのどちらかだ。

 現状、わざわざ親に無断で行動する必要性は無いし、とりあえず普通に母親に相談してみることにする。

 

 

「母さん、今から友達の家に遊びに行きたいんだけど…」

 

「何言ってんの!? この状況で子供だけで外を出歩かせる訳ないでしょ!?」

 

 

 予想通りの母親の反応。

 実際、こんな常軌を逸した殺人事件が近所で起こっていれば、この反応は当然だろう。

 

 

「いや、だから母さんに車で送り迎えをして欲しいって話なんだけど」

 

 

 かなり難色を示してはいたが、最終的に母親の方が折れてくれたのは有難かった。

 ただ、ここでの友人というのが女の子―――佐倉だということを伝えた途端に母親の態度がコロッと変わったのは何故だろう。

 

 

(これは何か変な誤解してそうだな…)

 

 

 俺と佐倉との関係は、ただの友人関係だ。

 断じて色恋の関係ではないのだが、母親の脳内は俺が思っていた以上にピンク色だった。

 

 

「だから、佐倉とはそんな関係じゃないって…」

 

「え~? でも、あの子、将来は絶対綺麗になるわよ? 今のうちに好感度を稼いでおけば良かったって、後で後悔しても知らないわよ?」

 

 

 そんな会話をしているうちに佐倉の家に到着した。

 世間話ついでに道中での母親との会話の内容を佐倉に話してみる。

 

 

「…ってなことを、ここに来る途中に母親に言われたんだが」

 

「いや、私にそれを言われても…」

 

 

 反応に困るよ、と佐倉は言った。

 実際、俺としてもこれを話題に出したのは単なる世間話という以上の意味はない。

 それに将来的に俺と佐倉が付き合うなんてことは絶対にあり得ないと自分は思っている。それは恐らく彼女の方も同じだろう。

 だが、客観的に考えた場合、俺たちが成長した将来においては、自分と佐倉の関係は『幼馴染』と呼ばれることになる関係である気がする。

 別に母親の言っていたことを真に受ける訳ではないが、幼馴染の立場に胡座をかいて油断してたら、いつの間にか他の人に掻っ攫われていたというのは、男女問わず割りと良くあるパターンではある。

 しかし、基本的に物語における幼馴染キャラというのは恋愛レースにおいては不利な立場にいることが多い気がする。

 

 

「え? 幼馴染ってそんなに不利かな? 幼馴染って割りと王道的な属性じゃないの?」

 

 

 何気なく言った俺の発言に佐倉が反応する。

 世間には幼馴染こそ至高の属性だと考えている連中が一定数居ることは俺も知っているし、この辺りは個人の嗜好の問題もあるから一概には言いにくいところはある。

 だが、俺としては、幼馴染という属性は創作の物語のジャンルによって有利不利の差が大きくなると考えている。

 

 

「ジャンルの違い?」

 

 

 具体的に言うのなら、その物語のジャンルが日常系か非日常系のどちらかだ。

 日常系の物語ならともかく、異能やファンタジーといった非日常系の物語において、幼馴染キャラは空から落ちてくる系の登場人物に大抵負ける。

 そもそも非日常系の物語の構造的に考えれば、幼馴染ではない方のキャラに出会うことから物語が始まっていくというパターンが多いため、必然的に恋愛レースが幼馴染キャラに不利になるのは別に不思議なことではない。

 

 

「なるほどねー。言われてみれば確かにそうかも」

 

 

 俺が語った内容に佐倉は納得したという風に頷いている。

 もっとも、俺が話した内容はあくまでも創作の物語の展開の傾向についてであって、全てがそれに当て嵌まる訳ではない。

 特に現実世界での幼馴染などいつの間にか疎遠になって、お互いに意識することもなくそのままフェードアウトするというのが大部分だ。

 そして、恐らくそれが一番あり得そうな俺と佐倉の将来の未来像だろう。

 

 

「まー、現実だったら幼馴染なんてそんなもんだよねー」

 

「…まあな」

 

 

 しかし、それはあくまでも、俺たちがその未来まで生きていられたらの話だ。

 現在の海鳴市には正体不明の殺人鬼とジュエルシードの二つの問題が手付かずで放置されている。

 これらの二つを何とかしない限り、俺たちが生き残れるかどうかすら怪しい。そもそも俺が佐倉の家に来たのは、それらの二つの問題について話し合うためだ。

 自分から振った話題ではあるが、いい加減に雑談は切り上げてそろそろ本題に入ることにしよう。

 

 

「…ところで、ユーノは?」

 

 

 これからの話し合いには、ユーノも居て貰いたいのだが姿が見えない。

 どこに行ったのか思っていると、当のユーノが少し疲れたような様子で部屋に入って来た。

 

 

「ごめん、遅れて。キミの家族が中々離してくれなくて…」

 

 

 どうやら佐倉の家族にペット扱いされていたらしい。

 本来の原作においても、フェレット状態のユーノは高町美由希なんかに可愛がられていたようだし、こうなるのもある意味当然か。

 とりあえずユーノと合流できた以上、ようやくここから本題に入れる。

 

 

「さて、そろそろ本題に入るが、ユーノも佐倉もニュースの内容は知ってるよな?」

 

 

 ユーノも佐倉も頷いて答える。

 朝のニュースの報道で明らかになった新たな犠牲者の数は二人。

 一人はバラバラの死体で発見され、もう一人は病院に搬送されたということだった。

 

 

「病院に搬送された子ってのは、昨日、私とユーノ君が見つけた子だよね…?」

 

「…多分な」

 

 

 報道された内容からすると、昨日の病院に搬送された少女は、どうやら一命を取り留めたようだ。

 しかし、これまでの犠牲者のどれもがバラバラ死体の状態で殺されていることを考えると、昨日の少女の方は随分と例外的だ。

 

 

「…狙われても全員が殺されるって訳じゃないのかな? もしくは、その女の子が重傷を負わされながらも、例の殺人鬼を倒してくれたとか…?」

 

「いや、残念だけどそれは期待しない方が良いと思う…。少なくとも、あの殺人鬼が倒されたってのは多分あり得ない…」

 

 

 佐倉が願望の混じった予想を口にするが、その予想をユーノが真っ先に反論した。

 そして、これについては、俺もユーノと同意見だ。事件の犯人と思しき二人組に遭遇したのは、以前の一瞬だけだったが、まともに戦ってヤツに勝てる人間が存在するとは俺には思えなかった。

 出会った瞬間にヤツから感じたむせ返りな程に濃密な死の気配は、おそらく実際に会った人間にしか分からないだろう。もしも本気で奴らに命を狙われたら、その時点でほぼ確実に助からない。俺とユーノは、そのことを確信していた。

 

 

「じゃあ、昨日の女の子は何で助かってるわけ? いや、片腕を落とされるってのを助かったっていうのは語弊があるかもしれないけどさ…」

 

 

 なぜ昨日の少女は、他の犠牲者と比べて例外的だったのか。

 頭を捻って考えてみるが、その理由はさっぱり分からなかった。あるいは、完全なサイコパス野郎のやることに常識的な理屈を求めるのは間違っているのかもしれない。

 しかし、今後の対策を練るために今はどんなことでも情報が欲しい。そのためには、実際に交戦して生き残った人間の証言が得られるのならそれに越したことはない。

 出来るなら、病院に搬送されたという少女と何とか接触して情報の擦り合わせをしたいところだ。

 しかし―――

 

 

「だけど、そもそもどこの病院に搬送されたのかも分からないんじゃ?」

 

 

 ユーノの疑問は、もっともだ。

 確かにニュースの報道でもどこの病院に搬送されたのかについては言及されていなかった。

 だが、少女の片腕を切断されていたという怪我の状況を考えれば、搬送先の病院は一か所しかないと俺は思っていた。

 切断肢の治療の場合、切断された四肢の再接合が可能かどうかが検討されるが、切断肢の再接合というのはそこらの市中病院に搬送されてもすぐに出来るような手術ではない。

 そして、切断肢の再接合が可能な施設というのは、大都市を除けば普通は県内に1件あるかどうかであり、俺たちの住んでいる県では海鳴大学病院がそれに当たる。

 つまり、昨日の救急隊がまともな判断をしていれば、少女が搬送された病院は、間違いなく海鳴大学病院だと考えていい。

 

 

「へー、なるほどねー」

 

 

 俺の推測を聞いた佐倉が感心したように言った。

 だが、いくら搬送先の病院が分かっていても、その少女は警察にとっても事件の重要参考人だろう。

 下手をしたら警察がガチガチに見張りについているだろうし、俺たちが普通に病院を訪ねたとしても接触するのは難しいかもしれない。

 

 

「まー、確かにそうかもしれないけど。とりあえず海鳴大学病院に行ってみたら良いんじゃない? 意外に何とかなるかもしれないし」

 

 

 何やら今日の佐倉はやたらと楽観的である。

 しかし、実際、ここで話し合いをしているだけでは埒が明かない状況であることは確かだ。

 この状況で子供だけで外を出歩くのはそれなりにリスクの高い行為かもしれないが、どこかで冒さなければならないリスクでもある。

 親戚が病院に入院している訳でもないし、親に送迎してもらうという手は使いにくい。そうなると、俺たちが病院に行くとしたら親に無断でばれないように立ち回るしかないということになる。

 どこそのNHK教育テレビで放送されていたカードを集める魔法少女アニメでは、出来るだけ周囲にバレないように夜中に行動していたことが多かった気がする。

 だが、こんな物騒極まりない事件が起こっている状況で夜中に出歩くというのはどうなんだろう。

 

 

(出歩くとしたら昼間の方がまだマシか…?)

 

 

 もしも殺人鬼の側が目撃者を出さないように気を配っているとしたら、普通は夜間に活動しそうなものだ。

 しかし、現状においては、夜間と昼間のどちらでも被害が出ている。奴らが昼間にも活動できる理由としては、周囲の空間と断絶させる結界なんかの目撃者対策の手段を持っているか、目撃者の存在などそもそも意に介していないかのどちらかだろう。

 それらの可能性を考えたら、昼間と夜中のどちらに出歩くとしても危険度としては大して変わらないかもしれない。

 だが、敢えてどちらと言うなら周囲の目がある昼間の方がまだマシだろう。

 

 

「…よし、まずは病院に行くだけ行ってみよう」

 

 

 短時間の外出で、尚且つ人目のあるところを選ぶのなら、多分、大丈夫だろう。

 絶対とは言い切れないが、人目のない真夜中に子供だけで出歩くよりも気分的にはマシだ。

 正直、あまり気は進まないが、このまま部屋の中に引きこもっていても事態が好転するはずもない。

 

 

「…一応言っとくが、万が一にも戦闘なんかの荒事になったら俺は役立たずだからな?」

 

「ああ、うん、そのことは分かってるよ」

 

 

 こういう事態も予測して、予め別の靴は用意してはいた。

 しかし、親にバレないように立ち回る、というのは魔法少女やヒーローアニメなんかの主人公にはお決まりの設定であるが、まさか自分がやることになるとは思わなかった。

 そうして、俺たちは外出したと気取られないように、部屋の窓から抜け出したのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 佐倉やユーノが自宅から抜け出したちょうどその頃。

 彼らの目的の少女であるフェイルの方も、現状と今後の方針について考え込んでいた。

 病室の窓から見える外の景色を眺めながら、彼女は思い出していた。

 

 

(まさか、あんな奴らが居るなんて…)

 

 

 赤屍と間久部と名乗った『転生者』を狙って行動している二人組。

 正直、あんな連中が存在するなど、フェイルにとっても完全に想定外だった。

 奴の言葉から考えると、あの二人が狙っているのは、フェイルのような『転生者』たちで間違いない。

 

 

(あの時、あそこで生き残れば、私を殺すのは最後にすると言っていた…)

 

 

 その言い回しから考えて、この世界での『転生者』たちは自分以外にもまだ何人かいるはずだ。

 だが、このまま何もせずにいたならば、この世界の『転生者』たちは自分も含めてほぼ間違いなく全員が殺される。

 そして、それを回避するには、あの二人を何とか倒す以外にはない。しかし、実際に交戦した経験を踏まえて考えるならば、アレを倒すのは自分一人では絶対に無理だ。

 しかも、あの殺人鬼だけではなく、ジュエルシードにまで対処しないといけないとなると、明らかに手が足りない。

 最悪、ジュエルシードは最低フェイトとアルフに任せれば、集めるだけなら多分どうにかなる。

 しかし、あの男に関してだけは、フェイトとアルフに頼るのは無理だろう。

 何故なら―――

 

 

(フェイトとアルフじゃ確実に殺される…)

 

 

 これまでに行った模擬戦を通してフェイトとアルフの実力は知っている。

 その経験から言わせてもらうなら、フェイルの魔導師としての実力は自惚れでも何でもなくアルフやフェイトよりも遥かに上だ。

 しかし、そのフェイルですらあの男の足元にも及んでいないのが実情なのだ。実力的にフェイトやアルフに戦わせられる相手じゃないのは明らかであり、もしもフェイトとアルフがあの男と戦えば、それこそ一瞬で殺されるだろう。

 戦えば確実に殺されると分かっている以上、フェイトやアルフを戦わせる訳にはいかない。戦えば殺されるのはフェイルも恐らく同じだが、あの男は明らかにフェイルのような『転生者』だけを狙って来ている。

 つまり、本来的にフェイトやアルフは巻き込まれない限りは安全なはずであり、安全圏にいるアルフやフェイトをわざわざ巻き込む理由はないはずだ。

 そして、フェイトやアルフで相手にならない以上、なのはやクロノなどの他の原作メンバーも同じようなものだろう。

 原作メンバーの協力を得たとしても、おそらく単に死人の数が増えるだけだ。

 

 

(私たちの所為なの、かな…)

 

 

 何となくだがフェイルはそう思った。

 自分たち『転生者』は、本来ならこの世界に存在しないはずの人間だと言える。そして、この世界に存在しないはず自分たちを殺しに来たのがアイツらだ。つまりは、自分たちの存在こそが、あの『化け物』を呼び寄せた。

 そう考えたら、自分はこの世界に生まれて来るべきでは―――

 

 

「…姉さん?」

 

 

 気持ちが沈みかけていたところで、フェイトに声を掛けられた。

 その声に現実に引き戻され、ふと見るといつの間にか目を覚ましたフェイトが驚いた顔でこちらを見ていた。

 とりあえず朝の挨拶でもしておくことにする。

 

 

「…おはよう、フェイト」

 

 

 穏やかな声でフェイルは言った。

 最初は驚いたようなフェイトの顔だったが、もう今にも泣きそうな顔になっている。

 

 

「おはようじゃない、よ…。本当に、心配で…」

 

 

 フェイトの声は震えていた。

 確かに自分の姉が片腕を切り落とされ死に掛けたとあれば、フェイトのこの反応も当然だろう。

 残った片方の手でフェイトの頭を撫でながら声をかける。

 

 

「うん、心配かけてごめんね。でも、もう大丈夫だから」

 

「大丈夫なわけないよ!? だって、姉さんの左腕…!」

 

「いいよ、そんなこと。それより、フェイトが無事で良かった」

 

 

 優し気にフェイルがそう言うと、とうとうフェイトは顔をグシャグシャにして泣き出した。

 フェイトの所為じゃないし、別にフェイトの左腕が無くなった訳じゃないんだから泣かなくてもいいと言っても止まらない。

 

 

「だってぇ…うぅ…、ひっぐ…」

 

 

 泣き止まないフェイトをフェイルは自分の胸元に抱き寄せる。

 そうしてどれ程、時間が流れたか。延々と泣き続けるフェイトがようやく落ち着いたときには、両目を泣き腫らして酷い顔だった。

 せっかくの美少女が台無しだが、自分のことをそれだけ心配してくれているということなのだからフェイルとしても悪い気はしない。

 泣き疲れて再び眠ってしまったフェイトを自分が使っていたベッドに寝かせると、自らはベッドから離れ、病室の窓際へと足を運んだ。

 フェイルのデバイスはフェイトとアルフが回収してくれたらしく、すでに彼女の手元に戻って来ている。彼女はカード型の待機状態にあるデバイスを介してアルフに念話を送った。

 

 

『アルフ、今、どこに居る?』

 

『フェイルかい? 病院の売店だけど』

 

『そっか。悪いんだけど病室まで戻って来てくれる? ちょっとこれからのことを相談しt――』

 

 

 相談したい、と言いかけた瞬間だった。

 急に何かの気配を感じたフェイルは、周囲を警戒するように黙り込んだ。

 感じる気配の出所は明らかに病院の敷地内。そして、今も感じるこの魔力の波動はどう考えても―――

 

 

(ジュエルシード!?)

 

 

 フェイルは一気に血の気が引いた。

 病院にいるのは基本的に病人や怪我人などの弱者たちだ。

 もしも、このままジュエルシードに暴走されたら、どんな被害が出るか分かったものではない。

 

 

『アルフ、フェイトの傍についてあげて』

 

『ちょっと待ちなよ、フェイル!? アンタ、まさか――!?』

 

 

 そのままフェイルはアルフとの念話を切断する。

 点滴を引き抜くと、すぐさまデバイスを起動した。

 

 

(こういう結界系の術は、得意じゃないけど…!)

 

 

 一般人への被害を防ぐために封時結界を発動する。

 急いでいたこともあり、差し当たり病院の敷地を囲む範囲で魔力反応を有する物体・生物のみを対象に結界内に封じ込めた。

 これで少なくとも魔力を持たない一般人が巻き込まれることはない。

 

 

「―――」

 

 

 すでに彼女の右手には戦闘モードに切り替えた錫杖型のデバイス『サンサーラ』が握られている。

 左腕の肘から先は無い。だが、もう朧気にしか覚えてない前世の記憶の中で、片腕でありながら『達人』とまで呼ばれるまでになった人間が存在したことを彼女は知っている。

 そして、彼女の技は、その人から教わり、受け継いだものだ。

 だからこそ、彼女は確信できた。

 

 

 ―――私は、きっと戦えると。

 

 

 心の中に闘志という名の炎が宿る。

 彼女は無言のまま、黒いコート状のバリアジャケットを展開すると同時に病室の窓から飛び出していったのだった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 病院の敷地内でのジュエルシードの発動。

 高町なのはが、その発動の現場に出くわしたのは偶然だった。

 母親である桃子に車椅子を押され、病院の中庭に散歩に出掛けている時、急に病院全体が妙な結界に隔離されたのだ。

 

 

「…!?」

 

 

 もちろんフェイルが展開した封時結界だが、なのはにはそんなことは分からない。

 しかもフェイルが展開した封時結界は、魔力反応を有する存在だけを結界内に隔離して閉じ込めるものだった。つまり、現在、母親である桃子から引き離され、なのはだけが結界内に隔離された状態になっている。数日前の虐殺事件の時と同じような結界が自分の周囲に張られ、しかも母親と引き離されたことで、なのははの心は一瞬で恐怖に塗りつぶされた。

 

 

『Master! Please, Set up me!(マスター、私を起動してください!)』

 

 

 赤色の宝石が、己が主人を叱咤する。

 何とかデバイスを起動し、バリアジャケットを展開するなのは。

 

 

「…! あれは…!?」

 

 

 以前にも遭遇したことのある黒い影―――ジュエルシードの思念体だ。

 そして、その黒い影はあろうことか、一番手近な所に居たなのはに向かって襲って来た。

 しかし、なのはは恐怖に竦んだまま、その場から一歩も動けない。

 

 

『Protection.』

 

 

 レイジングハートが張ってくれたシールドに助けられた。

 

 

『Master! Pease, Fight or Escape!(マスター!戦ってください!さもなくば逃げて!)』

 

「ダメ…身体が震えて…」

 

 

 戦うことはおろか逃げることすら出来ないでいるなのは。

 なのは自身ですら、まさに絶体絶命だと思ったその時だった。

 

 

「―――えッ!?」

 

 

 凄まじい勢いで横合いから割って入ってきた誰かが居た。

 その誰かは、黒いコートのバリアジャケットを翻しながら、なのはを庇うように飛び込んできた。

 

 

 ―――ガキィン!

 

 

 攻撃を受け止めた金属音。

 ジュエルシードの思念体の攻撃とその誰かの持つデバイスとが接触した瞬間、火花が散った。

 その誰かは錫杖型のデバイスに力を込め、ジュエルシードの思念体を押し飛ばした。

 

 

(誰…!?)

 

 

 いや、おそらく魔導師だということは分かる。

 その手に握られている黒塗りの錫杖はおそらく魔法のデバイスだ。

 おそらく歳の頃はなのはと同じか、もう1~2歳くらい年上だろう。一本に束ねた金色の髪と、黒いコートを翻しながら、なのはの目前に飛び込んで来た女の子の魔導師。

 その魔導師はなのはのことを一瞥だけすると、ジュエルシードの思念体と戦うために突っ込んで行った。

 

 

(速い…!!!)

 

 

 ジュエルシードの思念体である黒い影と、名前も知らない魔導師の戦い。

 その戦いを目の当たりにしたなのはは思わず息を呑んでいた。複数のジュエルシードから力を得ているのか、今回の黒い影はなのはが以前に戦ったものより遥かに強い。

 しかし、それと戦っている女の子の魔導師は、そんな黒い影と比べても明らかに格の違う強さだった。打ち、受け、突き、払い―――彼女の錫杖が相手と衝突する度に火花が散るように見えた。

 だが、それは摩擦で削れた金属によって生じた火花ではなく、彼女の錫杖に帯びた魔力が衝突によって弾ける様子がそう見えているだけだ。まるで蠍座のアンタレスを思わせる赤く酔うような輝きを放つ魔力光。その赤い光が舞い散る様子。その光をまき散らしながら、まるで舞うように戦う彼女の姿は本当に綺麗だった。

 

 

(あの子、左腕が…)

 

 

 目の前で戦う少女の左腕が存在しないことになのははようやく気付いた。

 しかし、彼女の戦いはそんなハンデの存在など感じさせない程に冴え渡っている。少なくとも、なのはが彼女と戦っても勝てるとは到底思えなかった。

 自分とそう年齢の変わらない女の子で、たとえ片腕であっても、あそこまで戦える者が存在することをなのはは初めて知った。

 そして、その事実は、これまでのなのはの人生の中で最大の衝撃となってなのはの心を打ち抜いた。

 

 

「~~~ッ!!」

 

 

 言葉にならない程の衝撃と感動がなのはの胸を震わせていた。

 彼女の戦う姿に、なのはは一瞬で心を奪われた。まるで一切の光の無い暗闇の中で突然に現れた輝く星を目の当たりにしたかのような気持ちであり、彼女の存在自体が奇跡だとしか思えなかった。なのはは呼吸することすら忘れ、目の前で戦う少女に見入っていた。彼女の戦う姿を一瞬たりとも見逃したくない。目を離すことなど出来ようはずもなかった。そして、なのはが見つめる先で、片腕の少女はなのはの想像を超えた戦いを魅せた。

 

 

「ッ!!」

 

 

 鞭のように繰り出された思念体の触手を掻い潜ると同時に横に一閃。

 インパクトの瞬間に錫杖に帯びた魔力が赤い火花となって弾け、ジュエルシードの思念体は凄まじい勢いで吹っ飛ばされた。

 火花のような赤い燐光が舞い散る中を、少女は吹っ飛ばした思念体へ追撃せんと疾駆する。その速さの前には最早、瞬きすら許されない。それ程までに彼女は速かった。

 間合いを詰める彼女へとカウンター気味に幾重もの触手が繰り出されるが、彼女にはそれが全く当たらない。

 

 

(片腕が無いはずなのに…!?)

 

 

 彼女の左腕の肘から先は確かに失われている。

 だから、左手で持つ代わりに左脇に挟んだり、左腕の僅かに残った部分を支えにしたりすることで、技の動きを補っている。

 よく棒術においては棒は手足の延長として扱えと言われることが多いが、彼女の動きはまさにそうだった。

 左腕の僅かに残った部分すらを巧みに使い、振るわれる彼女の錫杖はまさに変幻自在の動きを見せる。

 

 

 ―――その時だった。

 

 

 ズガガガガ!!!

 

 

 予想外の方向から撃ち込まれるいくつもの魔力弾。

 黄色い輝きを放つ魔力弾が叩き込まれ、ジュエルシードの思念体は後方に倒れ込んだ。

 

 

「姉さん、大丈夫!?」

 

 

 片腕の少女とそっくりな顔をした女の子が、空から降りて来た。

 先程の言葉からすると、空から降りて来た女の子はどうやら彼女の妹らしい。

 新たに現れた女の子も明らかに魔導師であり、その手には長斧型のデバイスが握られていた。

 並んで立つ二人は、倒れたジュエルシードの思念体の方を油断なく見つめている。

 

 

『ギッ…グル…』

 

 

 まだ完全に無力化できていない。

 起き上がったジュエルシードの思念体は、襲い掛かろうとこちらをジリジリと窺っていた。

 長斧型のデバイスを持った方の魔導師がデバイスを構え、前に出ようとする。しかし、片腕の少女は手に持った錫杖を彼女の前に突き出すことでそれを制した。

 

 

「手助けは無くていいよ、フェイト。次の一撃で――…」

 

 

 そこで彼女は一度、言葉を切る。

 そして、デバイスである錫杖を構えなおし、改めて前を見据えた。

 

 

「―――終わらせる!」

 

 

 その言葉と共に彼女は地を蹴った。

 眼で追うことすら困難な圧倒的な速さのはずなのに、踏み込んだ音すらしない。

 極限をこえて研ぎ澄まされた『無音』の一撃。その一撃は、なのはの目にはまるで一筋の赤い閃光が奔ったかのように見えた。

 なのはが気付いたとき、彼女の一撃がジュエルシードの思念体を刺し貫いた後だった。

 

 

『ギッ…グゴ…』

 

 

 断末魔の呻き声を漏らしながら、ジュエルシードの思念体は地面に崩れ落ちる。

 地面に倒れた思念体は、黒い煙となって消えていく。やがて元の怪物の姿が完全に消えたとき、そこには青い宝石が4つ転がっていた。

 

 

「…ジュエルシード封印。シリアルNo.04、10、18、20」

 

 

 ジュエルシードの封印を終えた片腕の少女が、こちらへと振り返った。

 振り返った少女のルビー色の瞳と目が合った瞬間、無意識になのはは駆け出していた。

 

 

「―――待って下さい!!!」

 

 

 何を話したらいいかも分からないままに、なのはは相手を呼び止めていた。

 ただ、なのはは知りたかった。片腕でありながら、これまで自分が出会った誰より強く、これまで自分が出会った誰よりも勇ましく戦う『本物の英雄』の名を―――

 本来の『原作』の主人公である高町なのは―――恐怖に竦んで立ち止まったままだった少女の物語は、この時から再び動き始めたのだった。

 

 

 

 




あとがき:

 ネームドの『転生者』のキャラはもう2~3人くらい登場する予定ですが、設定上、ここで描いているフェイル・テスタロッサが、本作における『転生者』の中では、心技体の全てにおいて最強のキャラクターになります。
 片腕を失ったというハンデすら乗り越えてそれでも戦い続ける不屈の英雄であり、転生した先がこの作品でさえなければ、彼女は英雄譚の『主人公』を張れていたんじゃないでしょうか? 片腕を失っても、それでも戦い続ける英雄とか個人的には脳汁ドッバドバですね(恍惚)。
 もしも自分がここで描いたような彼女の戦いを現実に目の当たりにしたら、多分、感動の余り号泣・絶叫しているかもしれません。今回の彼女の戦闘描写は、そのくらいのつもりで書きました。物語上の役割で言うなら、なのはが立ち直る切っ掛けになるキャラクターであり、なのはや主人公達がその背を追いかけることになるキャラクターということになります。
 もっとも、そんな彼女が居たところで赤屍には絶対に勝てないんですけどね…。しかし、勝てそうにない強敵や絶望を前にした時こそ、その人の本当の『勇気』や『知恵』、『仲間の存在意義』なんかを試されると思うんですよ。赤屍に命を狙われるとか、普通に考えたら絶望な案件ではありますが、転生者サイドの人間が生き残ることの出来る着地点は一応想定はしています。
 ただし、想定した着地点に辿り着くには、普通の人間には到底出来ないようなことを転生者サイドの人間に要求することになる訳で、それが出来なければ佐倉さんもフェイルも全員死にます。今のところ想定した着地点に辿り着ける可能性があるとしたら唯一フェイルだけですが、物語のパターン的に考えるならば彼女は途中で死ぬのもアリなキャラなんですよ。いつまでも主人公達の先を行き続けて、意外なところでコロっと死んで、主人公達の中で生き続けるポジションというか…(実際にどうするかは考え中ではありますが)


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第十六話 『リリカルなのは』の世界で その15

 わざわざ部屋の窓から抜け出して海鳴大学病院へ向かった俺たち三人。

 道中は何事もなく病院に到着した訳だが、なんとそこでジュエルシードが暴走する現場にもろに出くわすことになった。

 俺達が病院に着くなり、発動された封時結界。そして、自分たちの居る場所よりも少し遠い距離に見える『黒い影』の怪物。

 

 

「ちょっ!? まさか、あれ!?」

 

 

 どう考えてもジュエルシードによって生み出された怪物だった。

 俺たちの知っている『原作』では病院でジュエルシードが暴走するなんてことは無かった。

 だから、俺としては「まさか」という気持ちの方が強かったし、全く心の準備などといったものも出来ている訳がなかった。

 しかし、封時結界が張られているということは、誰か他の魔導師がこの場に存在するはずだった。

 俺たちは物陰に隠れながら黒い影の怪物の方を窺っていたのだが―――

 

 

「高町なのは…!?」

 

 

 そこには黒い怪物に襲われそうになっている少女が居た。

 栗色の髪の毛を両サイドに纏め、白いバリアジャケットに身を包んだ魔導師の少女。

 その魔導師は間違いなく本来の『原作』の主人公であり、本来の彼女であれば、苦戦はしても倒せない相手ではないはずだと思われた。

 しかし、現在の彼女は恐怖に竦んでいるのか、明らかに精彩を欠いており、素人の俺から見ても碌な動きが出来ていなかった。

 

 

「危ない!!」

 

 

 ジュエルシードの思念体に襲われ、まさに絶体絶命な状況の主人公。

 しかし、初めて目の当たりにする本当の修羅場の前に、俺と佐倉は動けないでいた。

 俺たちの中で動くことが出来たのはユーノだけだ。そして、ユーノが飛び出そうとした瞬間に、その少女は現れた。

 

 

「「「―――ッ!!!」」

 

 

 ユーノよりも圧倒的な速さで飛び込んできた女の子の魔導師。

 その少女は、一本に纏めた金色の髪と黒いコート状のバリアジャケットを翻しながら、高町なのはを庇うように飛び込んできた。

 おそらくは魔法のデバイスである黒塗りの錫杖。その錫杖を彼女はまるで自分の手足のごとく自在に操っている。

 

 

「あれが…昨日の女の子…?」

 

「凄い…。あの子、片腕が無い、のに…」

 

 

 信じられない、というユーノと佐倉の驚いた表情。

 だが、二人の驚きは当然だろう。何しろあの魔導師の少女にとって、片腕を失ったのは昨日の話である。

 普通それだけの大怪我を負わされたら、精神的にも肉体的にも、戦えなくなっても全く不思議じゃない。

 それなのにあの少女は、命の危険がある修羅場に何の迷いもなく飛び込んできたのだから。

 

 

「―――」

 

 

 俺は言葉を発することすら出来ず、彼女の戦う姿に見入っていた。

 彼女の振るう錫杖の打突の瞬間に弾ける火花のような赤い光。その赤い燐光の舞い散る中を、まるで舞うように戦う彼女の姿。

 その余りにも清廉な姿に、俺は完全に心を奪われていた。

 

 

「…おーい?」

 

 

 顔の前で手を振りながらの佐倉の呼び掛け。

 どうやら完全に上の空だったらしく、その声で俺はようやく我に返る。気づいた時には『黒い影』の怪物は片腕の少女に倒されていた。

 そして、彼女がジュエルシードの封印を終わらせたところで、真っ先に彼女に声を掛けた者がいた。

 

 

「―――待ってください!!!」

 

 

 高町なのはが片腕の少女を呼び止めていた。

 その少女のすぐそばには、フェイトもいる。

 片腕の少女の方がフェイトよりも一回り身長が高かったが、並んで立つ二人は容姿的には本当にそっくりだった。

 おそらく二人ともがアリシアのクローンであり、遺伝子的には同じなのだから当然ではある。

 

 

(つーか、高町なのはもこの病院に居たのか…)

 

 

 考えてみれば高町なのはのことも予想して然るべきだった。

 だが、この余りにも混沌とした状況は一体なんだ。この状況で俺達が彼女たちの前に出ていくというのは、選択肢的にアリなのか。

 正直、状況の推移が全く読めず、俺たちは物陰から様子を窺うことしか出来ずにいたのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 一方、高町なのはに呼び止められた二人の魔導師。

 そのうちの一人であるフェイルの方も、現在の状況に内心でかなり戸惑っていた。

 こんなところで『原作』の主人公である高町なのはに出会うとは思っていなかったからだ。

 

 

 

「あ! ま、待って……私、なのは! 高町なのは! 貴女たちの名前を教えてくれますか!?」

 

 

 自分の名前を名乗り、フェイル達の名前を訊ねる高町なのは。

 フェイルは原作の知識から彼女のことは知っていたが、フェイトの方は知らない。

 警戒するようになのはに向けてデバイスを構えるフェイト。フェイトからすれば敵か味方かも分からない初対面の魔導師であり、彼女のこの反応は妥当なものだろう。

 姉であるフェイルが取り返しのつかない重傷を負わされたこともあってフェイトの方はかなり神経を尖らせており、むしろ敵意すらを高町なのはに向けていた。

 

 

「アナタは私たちの敵…?」

 

 

 敵意すら混じった警戒を向けられ、なのはは思わず身を竦ませる。

 なのはは思わず後退りしそうになったが、負けじと踏み止まるとフェイトに向かって答えた。

 

 

「敵なんかじゃ…!」

 

「私達の目的も知らないのに? 軽々しく言い切れる理由は何…?」

 

「だ、だったら、貴女達のことを教えてよ!? 貴方達がどんな娘なのか! 何処に住んでて、何処の学校に行ってて…それから、名前!」

 

 

 高町なのはと同じくらいの年齢の女の子なら当然持っているべきものだろうし、同じ年頃の女の子相手になら妥当な質問だろう。

 だが、生憎とフェイトもフェイルも、そうした普通の境遇の相手ではない。だから、この場合においては、なのはの問い掛けは完全な逆効果として働いた。

 今のフェイトの目には、なのはという存在は、自分とは住む世界の違う何の関わりもない存在としてしか映っていなかった。

 

 

「「……」」

 

 

 なのはのことを見つめるフェイトの冷たい視線。

 フェイトとなのはの二人の間で、お互いに睨み合うような状態になる。

 しかし―――

 

 

 シャラン!

 

 

 不意に鳴らされたその涼やかな音に二人ともが気を逸らされた。

 フェイルが錫杖の石突を地面について鳴らした音であり、二人ともがフェイルの方を見る。

 

 

「フェイト、相手のことをそう怖がらせるものじゃないよ」

 

「で、でも…姉さん」

 

「いいから」

 

 

 フェイルはフェイトを下がらせると、なのはと向き合った。

 

 

「高町なのは…って言ったっけ? 名乗られたからには、まずはこっちも名乗ろうか」

 

 

 同じ金色の髪と、同じ赤い瞳をした二人の魔導師。

 フェイルとフェイトの二人は自分の名前を名乗った。

 

 

「フェイル・テスタロッサ。それが私の名前だよ。そして、こっちが…」

 

「…フェイト・テスタロッサ」

 

 

 さっきまで敵意混じりの警戒を向けていただけにフェイトの方は少しバツが悪そうだ。

 

 

「やっぱり姉妹なの?」

 

「まあね。ちょっと事情があってジュエルシードを集めに来たんだけど…もしかしてキミも集めてるのかな?」

 

「え? いや、私の場合はユーノ君がジュエルシードを回収するのを、1度だけ手伝ったっていうだけなんですけど…。で、でも、ユーノ君から聞いたけど、それってとても危ないものらしいんです。回収したらユーノ君に返した方が良いんじゃないかなって…」

 

 

 彼女の言っていることは正論である。

 しかし、フェイルとフェイトからすると、その正論には素直には頷けない。

 

 

「悪いけど、元の持ち主であったとしても渡せない。ジュエルシードを集めて来いって、母親からの『お使い』なんだ。それに私としても『ある男』と次に戦うときのために自分の戦力の底上げが必要になったから、そのためにも渡すわけにはいかない」

 

「ある男…?」

 

 

 フェイルが口にした『あの男』という言葉になのはが反応する。

 彼女が一体誰のことを言っているのか、なのはには思い当たるものがあった。

 30人近くの魔導師の子供たちを殺してのけ、なのはに強烈なトラウマを刻み込んだ最強最悪の殺人鬼。

 

 

「…! 姉さん、腕から血が出て…!」

 

「大したことないよ。少し傷が開いただけ」

 

 

 フェイルの失った左腕に巻かれた包帯に血が滲んでいた。

 つまり、彼女が左腕を失ってから、そう時間が経っていないということだ。

 なのはの頭の中に朝のニュースで報道されていた内容が思い出される。たしか重症でどこかの病院に搬送された子供がいるという話だった。

 つまり、目の前のこの女の子は―――

 

 

「まさか…あの、黒い男の人と、戦った、んですか…?」

 

 

 震える声でなのはは訊いた。

 なのはの心に深く刻み付けられたトラウマ。

 その完全に怯え切った彼女の様子を見たフェイルは、ある程度の事情を察する。

 

 

「そっか…。やっぱり、キミもアイツに会ったんだ」

 

 

 赤屍と名乗ったフェイルの片腕を切り落とした男。

 そして、おそらくフェイルと同じ『転生者』を殺すことを目的に行動している二人。

 あの絶望的な殺人鬼を目の当たりにしたというのであれば、彼女のこの異常な怯え方も理解できる。

 しかし、あの二人組の目的を考えれば、なのはやフェイトのような原作メンバーは、本来的には狙われる標的にはならないはずだ。

 だからフェイルは、なのはに言った。

 

 

「…大丈夫だよ。アイツはキミやフェイトのことを、積極的に狙うようなことは多分しない。アイツらが狙っているのは、私みたいな『本来なら存在しないはずの人間』だけだよ」

 

「? どういうことですか…? 本来なら存在しないはずの人間って…」

 

「ゴメン、詳しいことは言えない。だけど、少なくともキミやフェイトは、アイツと無理に戦おうとする必要はないし、戦わせるつもりもない。アイツと戦わなければならないのは、この中だと私だけだ」

 

 

 フェイルのような転生者にとって、もはや赤屍と戦うことは避けられない。

 フェイルのように明確に命を狙われて、戦いが避けられないというなら仕方ないが、なのはやフェイトのような原作メンバーはフェイルとは違う。

 ほぼ確実に死ぬと分かっているような戦いに、彼女たちを付き合わせるつもりはフェイルには無かった。だが、だからと言って、大人しく殺されてやるつもりも無い。

 そもそも足掻かなければ可能性すら生まれないのだ。たとえ可能性がゼロだとしか思えなくても、自分の出来ることをするだけだ。

 

 

「勝てる…と思ってる、んですか…? 左腕…だって…無いのに…」

 

「勝ち負けは知らない。それが避けられないなら、私は戦うだけだよ」

 

 

 そのルビー色の瞳に強い意志を宿しながらフェイルは答えた。

 片腕を失う―――普通に考えたら勝てるどころか、戦うこと自体が難しいような状況だろう。

 そんな状況にあって、なお諦めずにいられる不屈の意志。片腕を失っていながら、それでもなお立ち向かう意志を捨てない。こんな強さを持っている人間をなのはは初めて見た。

 彼女の言葉は決して口先だけではない。なのはが碌に動けないでいる中、真っ先に駆け付けてジュエルシードの怪物と戦ったのは他でもない彼女だ。

 改めてなのははフェイルと名乗った女の子のことを見る。自分とそう年齢の変わらないはずなのに、彼女のことが余りにも大きく見えた。

 なのはにとって、目の前の女の子は、まるで物語の中から抜け出して来た不屈の英雄そのものだった。

 

 

「―――…」

 

 

 フェイルの答えを聞いたなのはは愕然としたまま言葉を発することすら出来ずにいた。

 そして、なのはとの会話を終えたフェイルは、すぐ傍に控えていたフェイトに声をかけた。

 

 

「フェイト、そろそろ行くよ」

 

「行くってそんな…昨日、大怪我を負わされたばかりなのに…」

 

「だけど、私達はこの世界の法律的には不法入国者な訳でしょう。いつまでもこの病院に居る訳にもいかない」

 

 

 治療費は踏み倒すことになるけどね、と苦笑しながらフェイルは付け加える。

 実際、日本の法律的に考えた場合、フェイルたちが不法入国者という犯罪者に相当することは間違いない。

 警察に身分のことを追求されるとマズイのは確かであり、適当なタイミングで病院から脱走することは最初から決めていたことだ。

 

 

「二人とも大丈夫だったかい…!?」

 

 

 すると、また一人、別の誰かが空から降りて来た。

 犬を思わせる耳と尻尾がついた橙色の髪の女性―――フェイトの使い魔のアルフだ。

 フェイトとフェイルの二人の傍に着地したアルフは、当然、近くにいる高町なのはの存在にも気付く。

 

 

「…誰だい? そこの白い魔導師は…?」

 

「この世界の魔導師らしいよ。自称・私達の敵じゃないらしい」

 

 

 アルフに答えると、フェイルは封時結界を解除するべく錫杖の石突を地面について音を鳴らした。

 その音が鳴ったと同時に周りの空間にヒビが入った。バリン、と鏡のように世界が砕け、光景を貼り付けたガラスの欠片が、ゆっくりと踊りながら舞い落ちていく。

 全てのガラスの欠片が落ちて結界が完全に解除されるまで、まだもう少しだけ時間がある。その時間を使って空間転移をすれば、周囲にバレることはないだろう。

 

 

「…行くよ、フェイト、アルフ」

 

 

 転移術式を発動させるフェイル。

 そして、彼女たちが転移しようとする直前、なのははフェイルの後ろ姿に向かって叫ぶように訊いていた。

 

 

「わ、私にも――!!!」

 

 

 まるで物語の中にしか存在しないような不屈の英雄。

 今の自分に、とてもこの人と同じことが出来るとは思えない。

 しかし、それでもたった今見た彼女の戦う姿は、なのはの目に強く焼き付いた。

 まるで蠍座のアンタレスを思わせる赤く燃える輝きを放つ彼女の魔力光。その赤い燐光の舞い散る中を、まるで舞うように戦う彼女の姿。

 もしも、魂が燃える色が目に見えるのなら、きっとあんな色をしているのだろうとなのはは思った。

 

 

「―――私も、アナタみたいに戦えるようになれますか!!?」

 

 

 なのはの叫ぶような問い掛けに動きを止めるフェイル。

 そして、フェイルは肩越しに後ろを振り返るとなのはに言った。

 

 

「さっきも言ったと思うけど――…」

 

 

 僅かに苦笑するようなフェイルの表情。

 吹けば飛ぶような薄い笑みだったが、そこには確かな優しさと慈しみが感じられた。

 

 

「キミは無理に戦わなくてもいい。特にキミがあの殺人鬼と戦うなんてただの自殺行為でしかないし、今のキミが出来るとしたらジュエルシードの封印くらいだよ。それにしたって、私達や時空管理局なんかが居る以上、絶対にキミがやらないといけないって訳じゃない」

 

 

 本当の正義や勇気は、自分も深く傷付く。

 取り返しがつかないくらいに傷付くくらいなら、別に逃げても良い。

 フェイルの場合は、単に逃げることが出来ないだけだ。

 

 

「だけど、そうだね…。今回みたいにジュエルシードが暴走したようなとき、私やフェイトが必ず駆け付けられるとは限らない。だから、もしも、キミがその魔法の力で何かをしたいと思うのなら、ジュエルシードの回収だけは手伝ってくれると助かるかな」

 

 

 最後にそう言い残し、フェイル達はその場から立ち去ったのだった。

 

 

 




あとがき:

 この作品は元々は単発ネタで、第一話以降の続きを書くつもりは最初は無かったです。
 そのため特典持ちのチート転生者を善悪問わずに皆殺しにして終わりにするつもりでしたし、それ以外のことは何も考えていませんでした。


「いや、待てよ? もしかしたら、この絶望的な状況でも諦めずに頑張る奴も何人かいるんじゃね?…っていうか、この状況でも諦めずに最後まで戦い抜ける奴がいたら、どんな結果に終わろうが間違いなく『英雄』だろ、常識的に考えて」


 そんな風に考え直して、何とか生き残ろうとする転生者たちに焦点をあてて続きを書いてみたということになります。しかし、今回のエピソードを書いていて思いましたが、どう考えてもフェイルが主人公ですな。いっそのこと、コイツを主人公にして書き直そうかな…。



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第十七話 『リリカルなのは』の世界で その16

 

 

 高町なのはとフェイト達の会話。

 そして、その会話を終えて、その場から去って行ったフェイト達。

 俺たちは彼女達の会話を物陰に隠れながら盗み聞きしていただけだったが、その会話内容はほぼ全て聞き取ることが出来ていた。

 

 

「…ねえ、今の聞いた?」

 

「…ああ」

 

 

 先ほどの彼女たちの会話の内容。

 その内容からすると、さっきの片腕の女の子は、やはり例の殺人鬼と交戦していたらしい。

 そして、彼女の言っていた『本来なら存在しないはずの人間』というのは、間違いなく、俺たちのような転生者のことを指しているのだろう。

 やはり、例の殺人鬼が、本来の『原作』には存在しない転生者だけを狙って来ていることは間違いない。

 

 

「…だけど、あの子、ホント凄かったね」

 

 

 フェイトに姉と呼ばれていた片腕の女の子。

 彼女の戦う姿には、見ただけで全身が総毛立つかのような清廉さがあった。

 魔導師の平均の強さというのを知らないから正確なことは分からないが、彼女は相当に強い部類に入っていると思う。

 もっともあくまで素人の印象だし、実際のところ彼女が魔導師としてどのくらいのレベルなのかをユーノに聞いてみることにする。

 

 

「いや、あの子は本当に格が違う…。魔導師としては間違いなく最強クラスだと思う」

 

 

 管理局が設定している魔力ランク的には、間違いなく天才レベルの魔導師。

 あるいは、あの殺人鬼に殺された他の魔導師たちも魔力ランク的には彼女と同等のレベルだったかもしれない。

 だが、殺された他の魔導師と、先程の女の子を比べたならば、その格の違いは歴然だった。例えるならば本物のダイヤモンドとガラス玉であり、ユーノから見てもその輝きの違いは一目瞭然であった。

 彼女の凄さは単純な戦闘能力だけではない。片腕を失った状態で、それでもなお立ち向かう意思を捨てない。

 そんな不屈の心の体現とも言うべき存在であり、彼女は紛れもなく尊敬に値する『英雄』だった。

 

 

「ちなみに佐倉は、さっきの子と戦ったら勝てるのか?」

 

「多分無理…っていうか、はっきり言って勝てる気がしないよ…」

 

 

 特典を貰っている佐倉から見ても、先程の彼女は別格だと言う。

 某農民剣士の秘剣と某新選組一番隊の隊長の秘剣をレアスキルとして持っている佐倉だが、それ以外にも魔導師としてのアーティファクトや魔力も彼女は保有している。

 ユーノの話では魔力ランク的には佐倉もAAA~Sランクだそうであり、その佐倉が言う以上、さっきの女の子は本当に転生者の中でも別格なんだろう。

 

 

「多分だけど、あの子は、前世からずっと鍛え続けて来た人だと思う…。身体や技だけじゃなくて、その心も…」

 

 

 特典として与えられた力とは無関係の生来の人間的な素質と地力からして彼女は違うと佐倉は言った。

 神様転生系の作品においては、『元ニートや普通の一般人が異世界に転生してチート能力で云々~』というパターンが多い。

 だが、普通に考えれば当然のことだが、転生する前の人間的な素質と地力が違えば、同じ能力を与えられても差が生じるのは当たり前だ。

 全国優勝経験がある空手歴30年の達人と、碌に喧嘩もしたことのない糞ニートが、同じ能力を与えられて転生したとしたら、どちらが強くなれるかなど簡単に分かる。

 そして、先程の片腕の女の子の場合は、間違いなく前者側の種類の人間だとは俺も思う。

 

 

 ―――フェイル・テスタロッサ―――

 

 

 彼女の戦う姿は、かつて自分が幼い頃に憧れた物語のヒーローたちを思い起こさせるのに十分過ぎるものだった。

 何故、英雄は英雄なのか。彼女の戦う姿を通して、俺は、そうした理由をまざまざと思い知らされていた。

 

 

「何とかあの子も、こっちの仲間になってもらいたいところだよね…」

 

「そうだな…」

 

 

 あらゆる意味で、転生者の中でも別格の強さ。

 戦力的に考えるなら彼女を仲間にしないという選択肢は存在しない。

 この場で接触して、俺たちと協力してもらえるように出来ていればベストだったが、もう既に彼女たちはこの場を離れた後だ。そうである以上、俺たちがいつまでもここにいても、出来ることは何も無い。

 

 

「ひとまず、私らもここから帰ろっか」

 

「ああ…」

 

 

 佐倉に促されて俺たちは病院を後にした。

 しかし、その時の俺たちは気付かなかったが、どうやら先程の現場に居合わせていた者が俺たち以外にも一人存在していたらしい。

 現時点での生き残りの転生者たちの中で、俺達や時空管理局との共闘すらを最後まで拒み、唯一フェイル・テスタロッサと戦うことだけに異常な執着を燃やした男。

 もちろんアイツも例の殺人鬼に狙われる対象だった。だが、アイツはそれを分かった上で、自分の命を狙って来ているだろう殺人鬼のことさえもそっちのけで、敢えて彼女と戦うことだけに拘った。

 強烈な出会いは、その人間の運命を変える。だが、それが必ずしも正しい方向に変わるとは限らない。この男の存在を通して、俺は後にそのことを思い知ることになるのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 その病院の屋上で、彼は呆然としたまま立ち尽くしていた。

 すでにフェイトも高町なのはもユーノも、その現場からは離れており、その場に残っているのは彼一人しかいない。

 その場に立ち尽くしている彼の頭の中には、さっきのジュエルシードの怪物と戦う少女が姿が繰り返しリピート再生されていた。

 

 

 ――フェイトに姉と呼ばれていた片腕の女の子――

 

 

 まるで魂が燃えるかのような輝きを放つ魔力光。

 普通の人間なら絶望するような状況の中ですら、なおも諦めず、輝きを失わずに戦う彼女の姿。

 その姿は、かつて自分が幼い頃に憧れた『本物の英雄』だとしか思えなかった。

 

 

「なんで…」

 

 

 呆然としたまま、彼は呟いていた。

 前世での幼い頃、彼もまたテレビの中の英雄たちに憧れていた。

 何か親に買ってもらえるときは、必ず彼らの玩具をねだったし、幼稚園で将来の夢を聞かれたときには、『正義の味方!』と臆面もなく答えていた。

 

 

「なんで、あんな奴が…」

 

 

 作り話じゃん、とからかう奴がいた。玩具を売るためのウソだよ、と諭す奴もいた。

 ウソでもなんでも構わなかった。ただ、彼らが褒めてくれるような人間になりたいと、そう思っていたはずだった。それが変わったのは何時だったろうか。

 

 

「なんで、あんな奴がいるんだよ…?」

 

 

 ある時、同じ幼稚園のやつと喧嘩になった。「毎回倒される怪人とかかわいそうだろ」とか、そういう事を言っていた。子供の浅知恵だ。倒される理由は毎回きちんとあったけど、そういう事を考えずに、ちょっとかわいそうに思っただけだったんだろう。

 ただ、その時の彼は、母親が新たに生まれた妹の育児に掛かり切りでムシャクシャしていた。だから、その場に居て仲の良かった二人と一緒にそいつをとっちめた。突き飛ばして尻もちつかせたとか、玩具を奪って砂場に投げ捨てたとか、そんな程度のことではあったが。

 そいつは泣き出した。友達二人は「ざまあみろ」と言って帰っていった。自分も帰ろうと思って、最後に一度だけ振り向くと、夕日の中、公園で泣いているそいつと自分しか、辺りには居ないことに気づいた。辺りを見回しても大人は誰も居なかった。

 そうして、立ち尽くしている間に、彼は、ふと、気づいた。

 

 

 ―――自分は、怪人で。ヒーローは来なかったのだ、と。

 

 

 それから彼は、『彼ら』を一切見なくなった。

 最初こそ心配されたが、『卒業』したんだろう、ということで、そのうち気にもされなくなった。

 それからの彼の人生については、特筆すべきことはない。言われたことを言われたままにやった。特段頭が良かったわけではないが、サボりもしなかったので家族から文句を言われることも無かった。

 

 

 ―――ただあの時、あの場所で、『彼ら』は来なかった。

 

 

 その空白をずっと埋める事が出来ないまま、高校生の夏に、彼は一度死んだ。

 ぼんやりと横断歩道を渡っていた時に、信号無視の大型車にはねられて、即死だったそうだ。

 最後まで、彼の前にはヒーローは来なかった。この世にヒーローは存在しない。

 だったら、さっきの『本物の英雄』だとしか思えない少女は一体何だ。

 

 

「なんで、あんな奴がいるんだよ…? だって、ヒーローは居ないんだろう…?」

 

 

 死んだ後、神様だとか自称してる奴に会った。

 転生するときに、何でも好きな特典を与えてくれるとソイツは言っていた。

 正義と悪の闘争の世界で、英雄の内の一人に転生することも可能だとソイツは言ったが、彼はそれを断った。

 

 

 ―――彼が選んだのは英雄ではなく、怪人。

 

 

 転生した後、彼が目を覚ました場所は、どこかの次元世界にある違法研究施設。

 そこで生み出された実験体として―――まさしく彼は『怪人』として転生していた。怪人としての彼の姿は、皮肉にも彼の一番好きだった怪人の姿をモチーフにしたものだ。白銀のボディと昆虫のバッタを彷彿とさせる緑の複眼を持ったマスク。シリーズ初の『悪の仮面ライダー』としてデザインされた仮面ライダーBLACKにおける最強の宿敵。

 

 

「……あの日、俺は怪人で。『彼ら』は、あの子を助けに来なかった。彼らは、居ないんだ。そうでなきゃ、ウソだろう…?」

 

 

 ある日、研究施設に時空管理局の武装局員の連中が踏み込んできた。

 彼は局員の誰にも負けなかったが、戦闘の余波で研究施設は壊滅した。

 それ以来、彼は時空管理局にも指名手配されており、いくつもの次元世界を渡り歩きながら、時空管理局の魔導師とも何度か交戦した。

 武術や格闘技なんて上等なものは彼には無い。その怪人としての身体能力に物を言わせて暴れるだけだ。しかし、そんな雑な戦い方であっても、これまでに戦った者の中には、怪人である彼を倒すことの出来た者は誰もいなかった。それどころか、どいつもこいつも片腕や片足の骨を粉砕してやったくらいで簡単に諦める奴ばかりだった。

 この世界にヒーローはいない。だからこそ、彼は転生しても『英雄』ではなく『怪人』を選んだ。それなのに、彼はかつて自分が憧れた『本物の英雄』だとしか思えないような人間に出会ってしまった。

 

 

 ―――どんな困難や絶望にも屈せずに戦い抜いた希望の象徴たち―――

 

 

 彼女の戦う姿に『彼ら』の姿が重なって見えた。

 彼女の存在によって、自分の根幹が揺らぐのを感じた。

 だから、否定するしかなかった。もはや自分を含めた転生者たちの命を狙う殺人鬼のことすらどうでも良かった。

 ただ、自分の全てをかけて彼女と戦わなければ、自分が自分でいられなくなると確信した。

 

 

「…そうだ。俺は、怪人、バッタ男だ」

 

 

 ―――こうして、フェイルにとっては、ある意味で赤屍よりも厄介な敵が誕生していたのだった。

 

 

 




あとがき:

 今回は転生者での新キャラ登場。
 彼のコンセプトを一言で表現するならば『ヒーロー不在』の呪縛にとらわれたキャラクターですかね。
 この世にヒーローはいない。だからこそ、彼は転生しても『英雄』ではなく『怪人』を選んだ。それなのに、彼はかつて自分が憧れた『本物の英雄』だとしか思えないような人間に出会ってしまう訳ですよ。
 かつて自分で英雄を否定してしまったからこそ、彼女のことも否定せざるを得ない。それゆえに自分の命を狙って来ているだろう赤屍のことさえもそっちのけでフェイルと戦うことにのみ執着する、という感じのコンセプトでキャラ設定してみました。
 ヒーローが好きなヤツほど、胸張って彼らに会いにいけなくなったり、彼らと同じものになるとか無理ってなる哀しみもあったり、そういう寂しさも感じていただければ幸いです。ただ、付き纏われる当のフェイルにとっては、多分ひたすらに面倒で迷惑なだけのキャラクターでしかないんですけどね…。
 彼の怪人としての外見はシャドームーンを彷彿とさせるデザインという設定ですが、シャドームーンのデザインはとても30年前とは思えない格好良さですね…。



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第十八話 『リリカルなのは』の世界で その17

 ―――その夜、俺は中々寝付くことができなかった。

 

 

 普段の自分なら既に寝ている時間だが、まるで寝られる気がしない。

 昼間に佐倉たちと訪れた海鳴大学病院で目にした女の子のことが、頭から離れなかった。

 片腕を失った状態でありながら、暴走したジュエルシードの思念体との戦いに真っ先に飛び込んで来た女の子。

 ベッドに寝転んで目を閉じても、思い浮かぶのはあの時の少女が戦う姿だけだった。

 

 

(あんなヤツがいるのか…)

 

 

 彼女の振るう錫杖の打突の瞬間に火花のように弾ける赤い魔力光。

 その赤い輝きを放つ燐光の舞い散る中を、まるで踊るように戦う彼女の姿。

 片腕を失う―――普通なら戦うこと自体が難しいような状況だろうし、自分だったら間違いなく諦めて絶望している。

 普通の人間なら絶望するような状況の中ですら、彼女はなおも諦めずに輝きを失わずにいる。

 その余りにも清冽な姿に、俺は今も心を奪われたままでいた。

 

 

「――…」

 

 

 眠れずにいた俺は、ベッドから起き上がると部屋の窓を開けた。

 夜風が頬を撫でるのを感じながら、夜空を見上げる。輝く星々の中に、あの女の子の魔力光と同じ色をしているものを見付けた。

 

 

 ―――蠍座のアンタレス。

 

 

 宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』という作品の中のエピソードである『蠍の火』のモチーフにもなった星の輝き。

 その輝きを作者である宮澤賢治は、こう表現していたはずだ。ルビーよりも赤く透き通り、リチウムよりも美しく酔ったように燃えている、と。

 そして、あの時、俺の記憶に焼き付いた彼女の魔力光は、まさにその表現そのものの輝きを放っていた。

 

 

『―――勝ち負けは知らない。それが避けられないなら、私は戦うだけだよ』

 

 

 本来の『原作』の物語の中には存在しなかった少女。

 あの時、フェイル・テスタロッサと名乗っていた女の子が、原作の主人公である高町なのはに言っていた言葉を思い出していた。

 その言葉だけで、彼女がどれだけ凄い人なのかが分かる。

 彼女の左腕の肘から先は確かに失われていた。

 それなのに―――

 

 

(あそこまで戦える人間が他にいるか)

 

 

 彼女はまだ戦う意志を捨てていない。

 その並外れた意思の強さこそが、あの輝きの本質だと俺は思った。

 前世を含めてのこれまでの人生の中で、あれだけの強さを持った人間を俺は初めて目の当たりにした。

 

 

 正義や勇気。気高さ。そして、諦めない心。

 

 

 あの時に出会った殺人鬼とは全く違う。

 あの殺人鬼が人間のどす黒い部分を具現した存在だとしたら、あの少女は人間が持てる光の部分を具現した存在だと思った。

 向こうは俺のことなど全く知らないし、今の時点では俺が一方的に知っているだけだ。

 だけど―――

 

 

(―――死んで欲しくない)

 

 

 心の底から本気でそう思った。

 人間の輝きや理想が、絶望や悪意に負けるところなど見たくなかった。

 しかし、そもそもの話として、彼女の左腕を切り落としたのは間違いなく例の殺人鬼だろう。

 つまり、彼女が一人であの殺人鬼と戦ったとしても勝ち目は限りなくゼロに近い。

 どんなに美しく輝いていても、星一つの輝きの強さはたかが知れていた。

 所詮、星一つの輝きは、夜の闇の濃さには敵わない。

 

 

「…世の中、ホントにクソだな」

 

 

 そう小さく呟いた。

 まだ生き残っている転生者が他に何人いるかは分からない。

 けれど、何とか他の転生者とも接触して協力できる体制を作らないと、本当に手遅れになる。

 いや、正直なことを言えば、すでに今の時点でも手遅れというか、手に負えない状態なのが本当のところだろう。

 個々人が適当に動き回っていても、おそらく良い各個撃破の的になるだけだし、これ以上の戦力の低下は避けたいところだった。

 

 

 ―――ピロリン♪

 

 

 ふと、携帯からメールの着信音が鳴った。

 メールの送信元は佐倉未来。携帯に表示されている時刻は結構な深夜なはずだが、彼女もまだ起きていたのか。

 俺は送られてきたメールの文面を確認する。

 

 

『また明日も会える?』

 

 

 本文は一行だけ。

 ようするに明日も直接会って話がしたいという内容である。

 だが、わざわざメールされるまでもなく佐倉たちとは会うつもりではあった。

 だから、寝ていることにして無視しても良かったのだが、一応返信しておくことにする。

 とりあえず明日会えることをメールに書いて、ついでにこう書き加える。

 

 

『良いから早く寝ろ』

 

 

 メールを送信し終えた俺は、再びベッドに横になった。

 これから色々と考えないといけないことが山ほどある上に、さすがに睡眠時間がゼロだと明日に差し支える。

 自分たちが今後どう行動するべきなのか思案しつつ、俺はいつの間にか眠りの中に落ちて行った。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 そして、その翌日、俺は再び佐倉の部屋を訪れていた。

 テーブルを挟んで座る俺と佐倉。ユーノはフェレットの姿で佐倉の左肩に乗っている。

 

 

「…それで、ここからどうしたらいいのかな?」

 

 

 佐倉が訊いてくるが、正直それは俺が訊きたい。

 とりあえず、昨日の海鳴大学病院でのことを通して新たに分かったことがあるので、まずはそれを整理しよう。

 まず、現在の海鳴市には『原作』よろしく、ジュエルシードがばら撒かれている。そして、それに加えて『転生者』たちを殺すべく行動している殺人鬼が存在するというのが現在分かっていることだ。

 つまり、俺たちは、ジュエルシードと殺人鬼という二つの問題に同時に対処しなければならない状況にあるわけだ。

 そして、それに対処するに当たっての問題点とは―――

 

 

「単純に、戦力不足ってことだな…」

 

「だよね…」

 

 

 俺達が味方として頼ることが出来る人間。

 現状、俺たちが頼ることが出来るとしたら、やはり時空管理局だろう。

 それに加えて、俺たち以外にも生き残っている転生者たちが居るのなら、そうした者たちとも協力できるような体制を作る必要がある。

 しかし、俺たち以外の転生者での生き残りで、俺たちが知っているのは昨日の女の子しかいない。

 

 

「何とか、昨日の子も仲間になって欲しいところだけど…」

 

 

 佐倉の言うとおり、今は一人でも多くの仲間が欲しいのは事実だ。

 だが、改めて状況を整理して思ったが、昨日の彼女の立ち位置は、俺達とそう簡単に仲間になってくれるポジションではない可能性がある。

 しかし、佐倉の方は俺の指摘にいまいちピンと来なかったらしく、少しポカンとした表情をしている。

 

 

「え、何で?」

 

「いや、だって、あの子、普通に考えたらフェイトと同じアリシアのクローンだろ…?」

 

 

 フェイトとそっくりの容姿などから考えると、それはほぼ間違いない。

 原作を知っている俺と佐倉にとっては半ば当然の知識と予想ではあったが、ユーノにとってはそうではない。

 やはりというか、クローンという言葉を聞いてユーノは酷く驚いた反応をした。

 

 

「クローンって…確かに二人ともそっくりだと思ったけど…」

 

 

 協力者であるユーノに対して、情報の出し渋りをするつもりは最初から無い。

 この際、ユーノには俺や佐倉の知っている原作のPT事件の知識については全て暴露することにする。

 もしも原作通りに進んでいたなら、これらの知識はユーノも知ることになっていた訳だし、ユーノに教えることはこの状況なら仕方ないだろう。

 事件の首謀者であるプレシア・テスタロッサに、その娘であるアリシア。フェイトの出自や彼女たちがジュエルシードを集める目的など、本来の原作でのPT事件について俺たちが知っていることを説明する。

 原作でのフェイトの姉というと、アリシアがその立場に当たるのかもしれない。だが、あの時、フェイトに姉と呼ばれていた女の子が名乗っていた名前は、フェイル。

 原作でのPT事件の知識、原作のフェイトの生い立ちなどと照らし合わせると、あの女の子の出自についても必然的に予想ができる。

 

 

「じゃあ、やっぱり、あの子も…?」

 

 

 間違いなく、彼女もアリシアのクローンだろう。

 そして、原作のフェイトは、ジュエルシードを巡って時空管理局とも敵対する立場だった。

 そうした原作でのフェイトの立場と同じと考えるなら―――

 

 

「つまり、あの子からすると、時空管理局は頼ることができる相手じゃないってこと?」

 

「その可能性もあるんだよ…。あの子の正確な立場も分かんねえし、どう立ち回るつもりなのかも分からないから何とも言えないけどな…」

 

 

 あの子からすると、時空管理局は頼ることができる味方ではない可能性がある。

 大抵の場合において「敵の敵」は味方になりえるが、「敵の味方」は基本的に敵だ。

 つまり、時空管理局を頼ろうとしている俺たちが、いくら彼女を仲間にしたいと思っても、彼女にとってそれは難しいかもしれないのだ。

 実際、彼女自身は、あの時、こう言っていた。

 

 

『―――悪いけど、元の持ち主であったとしても渡せない。ジュエルシードを集めて来いって、母親からの『お使い』なんだ。それに、私としても『ある男』と次に戦うときのために自分の戦力の底上げが必要になったから、そのためにも渡すわけにはいかない』

 

 

 この言葉からすると、どうやら彼女自身、プレシアの命令としてのジュエルシード集めを続けるつもりであるらしい。

 ジュエルシードを外付けの魔力タンクか何かとして使うことで自分の戦力の底上げを図る目的もあるようだが……

 

 

「…え? 多分、あの子も原作の知識を持ってるんだよね…? ここまで原作がぶち壊されてるなら、プレシアの命令なんて普通は無視すると思うんだけど…」

 

 

 佐倉の言うことはもっともだ。

 もしも俺が彼女と同じ立場なら、プレシアの命令など無視して、無理矢理にでもフェイトを連れて時空管理局に投降して保護を求めている。

 それをしないということは、母親を求めるフェイトに気を遣っているか、あるいは彼女自身にプレシアの命令に従わなければならない事情があるかのどちらかだろう。

 あくまでも状況からの推測だが、下手をしたら昨日の女の子は誰からも孤立した状態であの黒い殺人鬼と戦うことになる。

 

 

「そ、そんなの無茶だよ…!? アイツと一人で戦うなんて…!!」

 

「そんなことは、俺だって分かってんだよ…!!!」

 

 

 ユーノの言葉に、俺は声を荒げて反応していた。

 怒号に近い俺の言葉に、ユーノと佐倉は思わず肩をビクリと震わせる。

 

 

「ど、どうしたの…?」

 

 

 普段のキミらしくないじゃない、と佐倉が言う。

 確かに普段の俺は、佐倉の言う通り、斜に構えたような一歩引いてシラッとした態度をとっていることが多い。

 俺が佐倉に頼られているのも、その辺りの小賢しい思考回路を買われてのことなのだろう。

 正直、こんな風に声を荒げるなんてことは、自分の中でも珍しいことだった。

 

 

「悪い…。今のは俺らしくなかったな…」

 

 

 佐倉に言われて急速に頭が冷える。

 大きく息を一つ吐きながら、頭の後ろをガシガシと掻く。

 原作の流れが何もかもぶち壊しになった今、これから俺達も出来ることをやっていくしかない。

 

 

「それって、具体的には?」

 

 

 佐倉から訊かれる。

 正直、余り気が進まない。

 だが、このまま何もせずにいたら、間違いなく佐倉たちはあの男に殺されることになる。

 それを本気で回避するためには、こちらもある程度のリスクを承知で行動していく必要がある。

 

 

「まずは俺たちもジュエルシードの回収を優先するしかない、だろうな…」

 

 

 はっきり言って、今の俺達ではあの殺人鬼は到底倒せない。

 それ以外で他に出来ることをやるしかない訳だが、差し当たってはジュエルシードの回収だろう。

 実際問題として、時空管理局や他の生き残りの転生者と接触しようにも、家の中に引き籠っていたままでは接触のしようがないことが理由の一つ。

 そして、時空管理局や他の転生者と接触できそうな場所というと、現状で思い付くのはジュエルシードの回収現場くらいしかない。

 

 

「だけど、この状況でジュエルシードの回収のために積極的に外を出歩くってことは…」

 

 

 引き攣った表情でユーノが言う。

 この状況下で積極的に外を出歩くということの最大のリスク。それは言うまでもなく、あの殺人鬼の二人組と遭遇する可能性だ。あの殺人鬼が転生者たちを狙っているのは明らかであり、外を出歩けばそれだけ遭遇する確率も上がる。

 あの殺人鬼との遭遇を極力避けつつ、時空管理局や他の転生者と接触して味方に付ける。そこまで出来て、ようやく最低限のスタート地点に立てるかどうかだろう。

 いや、たとえスタート地点に立てたとしても、そもそも最初から詰んでいる可能性すらある。

 

 

「いくら何でも難易度高過ぎでしょ、このクソゲー…」

 

「本当にな…」

 

 

 引き攣った顔で、現在の状況をクソゲーと表現する佐倉。

 その表現には俺も全面的に賛成するところだが、本気で俺達が生き残るための方法を考えると、俺達が打てる手はそれくらいしかない。

 

 

「出来るか、佐倉…?」

 

「いや、まあ、ジュエルシードの回収だけなら多分私にもできるけどさぁ…」

 

 

 俺達の中で最強の戦力は、間違いなく佐倉だ。

 だから、もしも本当に動くのなら、必然的に一番動いてもらうのは彼女になる可能性が高い。

 だが、やはりと言うか、佐倉の方はかなり気が進まない様子だった。正直、彼女のその気持ちは当然だし、ここで彼女が「自分には無理」だと言っても仕方ないと俺は思っていた。

 このまま何もしなければ、殺されるかもしれない。だが、それが分かっていても、誰もが物語の英雄のように戦えるわけではない。むしろ片腕を失っても戦う意思を捨てない昨日の女の子みたいなのは、例外中の例外なんだろう。

 だから、このまま自宅の中に引き籠って、他の誰かが何とかしてくれるのを期待して待つという選択をしたところで、別に責められるようなことじゃない。

 正直、他の誰かが何とかしてくれる可能性など限りなくゼロに近いと思うが、だからと言って実際に自分が動けるかどうかは別の問題だろう。

 だから、俺は彼女に対してこう言うことにした。

 

 

「佐倉、一応言っとくぞ。無理なら無理だって言え。もう別に、それならそれで――…」

 

 

 仕方ない、と俺が言いかけた時だった。

 

 

「…いや、やるよ」

 

 

 はっきりと、佐倉は言った。

 思わず驚いた顔で彼女を見てしまったのは、俺だけでなくユーノもだ。

 そして、そんな俺たちに対して、彼女は少し苦笑いするような表情でこう答えた。

 

 

「いや、だって、実際それ以外に出来ることが無いっぽいし…」

 

 

 少しでも生き残れる可能性が上がるなら、出来ることは全てやるべきだと彼女は言った。

 それに―――

 

 

「それに、何も私一人で戦わなきゃいけない訳じゃないでしょ? そもそも、協力をしてくれる仲間を集めるってのが、まず最初の目的な訳だし? 昨日の女の子だって、こっちが思ってるよりも簡単に仲間になってくれるかもしれないじゃない?」

 

「そうだといいんだけどな…」

 

 

 そう言って、俺は大きな溜め息を吐いた。

 大きく息を吐き出した後、ふと見ると佐倉がこちらの方をジッと見ていることに気が付いた。その視線を怪訝に思って彼女に訊ねる。

 

 

「…? どうした?」

 

「…ところで、さっきから少し気になってることがあるんだけど訊いていい?」

 

「…何を?」

 

「いや、なんかキミ、昨日の女の子のことを、ずいぶん気にしてるように見えるんだけど――…」

 

 

 言われてみれば、確かにそうかもしれない。

 だが、この時、自分ではまだ『それ』を明確に意識していなかった。

 だから、この次に彼女の口から出た言葉は、俺の思考を停止させるのに十分過ぎるものとなった。

 

 

「…ひょっとして、昨日の子に一目惚れでもした?」

 

 

 その言葉に思考を無視して、身体が反応してしまったらしい。

 余りに予想外な不意打ちに、酸欠の金魚のように口を開閉させてしまう。声が、出ない。

 もはや完全に語るに落ちるというやつだった。

 

 

「―――迂闊…、まさかそこでそんな反応が返ってくるとは予想してなかったよ…」

 

 

 佐倉の方も俺の反応は予想外だったようで、トーンを下げた声で呟いて、視線を逸らした。ユーノですらバツが悪そうな顔で視線を彷徨わせている。

 見てるこっちが恥ずかしいと言わんばかりな様子の佐倉だが、はっきり言って、こっちの恥ずかしさは彼女の比ではない。俺は、恥ずかしさで死にそうになりながら、ただひたすら耐え忍ぶことしか出来ないのだった。

 

 

 

 

 

 




あとがき:

 ヒロインというのは、大雑把に「日常系」と「非日常系」の二つに大別されると思っています。
 つまり、幼馴染のような日常系ヒロインと、空から落ちてくるような非日常系ヒロインの二つです。
 名前を出していない主人公君からすると、日常サイドにいるヒロインは佐倉さんで、空から落ちて来た非日常サイドのヒロインはフェイルになると思います。
 非日常のヒロインに出会うことから物語が始まっていくというパターンの展開の物語の場合、主人公は非日常のヒロインに一目惚れするような形になることが多いですね。
 惚れた女の子のために頑張る男の子というのは物語的には非常に王道なパターンだと思うんですが、最近の「なろう小説」のチート主人公の方々は誰かに惚れられることはあっても、誰かに惚れることは無い印象があります。チート主人公が誰かに惚れる展開だとしても、殆ど最初からその相手からも好かれていて、相手を振り向かせるための努力など全く必要ないというパターンばかりなのが、何というか願望が透けて見える気がします。
 何ていうか「異性からモテたいけど、モテるための努力はしたくない」とか、その気持ちは大いに分かるんですが、正直舐めてるとしか思えません。ヒロインが主人公に惚れる理由として「命を助けられたから」というのも多いですが、チート主人公にとっては本当にただの気紛れでお手軽に助けただけで、そこに真剣さや重さが全く感じられないのが問題だと思っています。ヒロインの好意と主人公の本気度や真剣さが釣り合ってないような場合には、『チョロイン』などと呼ばれるのでしょう。
 個人的には、ガンダムUCのバナージみたいにヒロインのために本気で命を張ってるなら、ヒロインが惚れても仕方ないと思えるんですけどね。…ていうか、バナージくらい本気の命懸けで戦ってくれたなら、惚れない方がおかしいだろ…。


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第十九話 『リリカルなのは』の世界で その18

 

 

「あー…、何て言うか、人が恋に落ちる瞬間を初めてみちゃったかも…」

 

「くそぅ…、いっそ殺してくれ…」

 

 

 絶望的に落ち込んだ気持ちから、俺は未だに立ち直れないでいた。

 我ながら凄まじい無様だったが、ここまでの無様を晒したのは、前世も含めてのこれまでの人生の中でも間違いなく初だと断言できる。

 もう本当に恥ずかしさの余りいっそ殺して欲しいくらいだったが、そんな俺を窘めるように佐倉が言った。

 

 

「まあまあ。でも、しょうがないんじゃない? 実際、あの子は一目惚れしても仕方ないレベルだと私も思うよ?」

 

 

 はっきり言って、全く慰めになっていない。

 だが、正直な話、自分が抱くこの感情が本当にそうなのかは自分ではよく分からない。

 こんな分かりやすい反応を晒しておきながら何を言ってるのかと思うかもしれないが、明確にそうだと言える自覚はまだ無いというのが実際のところだ。

 仮に佐倉の言う通り、これが一目惚れだったとしても、まだまだ恋愛未満であって、その在り方を尊いと感じる憧れというのが現時点では一番しっくり来る。

 

 

「ふーん? F○teでの士郎とセイバーの出会いみたいな感じかな?」

 

「そこで、主人公にさえ自覚が無いのに、空気を読まず『一目惚れした?』なんて訊きやがったのがお前なわけだな…」

 

 

 俺は恨みがましい視線で佐倉を睨む。

 だが、どう考えても弱みを握られたのは俺の方であって、どうにも立場が弱い。

 事実、彼女の方は俺の視線にもまるで堪えた様子もなく、クスクスと愉快そうに笑っている。

 

 

「クス、そうかもね。でも、あの子がヒロインだとしたら、キミは衛宮士郎に当たるわけかな?」

 

「馬鹿言ってんじゃねえよ…。固有結界が使える主人公様と一緒にするなって…。はっきり言って、俺は衛宮士郎以下のクソ雑魚だぞ…」

 

 

 はっきり言って、今の自分は戦闘などの荒事になった場合、完全な役立たずになる。

 ただ、あの時、ユーノの広域念話が聞こえたということは、自分にもある程度の魔力とリンカーコアがあるということなんだろう。

 自分自身は、転生した時に神様から特典を貰っていない以上、純粋に天然物の魔導師としての才能ということになるんだろうが、そう都合よく天才レベルの才能が眠ってたり、レアスキルを持ってたりする訳がない。

 試しにユーノに自分の魔力量がどれくらいなのかを訊いてみる。

 

 

「えっと…キミの場合、Cランク…甘く見積もってもBランクくらい、かな…」

 

「まあ、そう都合良く主人公クラスの才能が眠ってるわけがないよな…」

 

 

 ユーノからの答えを聞いた俺はがっくりと肩を落とした。

 期待していた部分が無いわけではなかったが、やはり、これが現実だろう。

 確か時空管理局の平均の魔導師ランクがBランクだったはずだから、俺の魔導師としての才能はせいぜいが平均以下ということになる。

 もっとも地球人の場合、魔力とリンカーコアを持ってるだけでも十分特別な才能ではあるのだろうが、この程度の才能が何かの役に立つとも思えない。

 F〇te本編での主人公は戦う力を碌に持たないのに何度も何度も危険の中へと突っ込んでいたが――…

 

 

「改めて考えたら、F○teの衛宮士郎がやってたことって無謀なんてレベルじゃないな…」

 

「まあ、そういうのは、いわゆる『主人公補正』ってヤツだよね。でも、そうなると私とユーノ君が動くときは、やっぱり、キミには自宅で待機しておいてもらうしかないかなぁ…」

 

「つーか、お前、その言い方だと、まさか俺まで外に連れ回すつもりだったのかよ…」

 

「あ、いや、ほら、なんだかんだ言っても、やっぱり不安だし? 出来たら、キミにもついて来てもらいたいなって…」

 

 

 役に立つ、役に立たないに関わらず、誰かが傍に居てくれる、というのは意外と大きい。

 実際、逃げたくなりそうな時にも、誰かに見てもらっていることで、逃げずに踏み止まれることもある。

 本当に強い人なら、誰かの目など無くても、己の意志だけで自己を律して行動できるのかもしれないが、きっと大部分の人間はそうではない。

 それを責めることは誰にも出来ないだろうし、友人である彼女が助けを求めるなら可能な限り手を貸してやりたいとは思う。 

 それに、何より、気付いてしまった。

 

 

「――…」

 

 

 最初は見間違いかと思ったし、気が付かない振りをした。

 事実、今の佐倉も表面的にはサバサバとした軽い感じに振る舞っているように見える。

 だけど、さっき彼女が自分たちの出来ることをやっていくと決めたとき、彼女の手が震えていたのを見てしまった。

 

 

(見捨てない…なんて、簡単に言うんじゃなかったかもな…)

 

 

 ついこの前、佐倉に言った言葉を少しだけ後悔する。

 あるいは、ここで見捨てていれば、後々のことを考えれば楽だったのかもしれない。

 はっきり言って、ここから先は俺達にとって完全に未知の領域だ。これからは何が起こるかも分からず、何が本当の正解かも分からない。

 しかし、直感的に自分が運命の分岐路の上に立っていることを理解する。もしも本当に引き返すとしたら恐らく今しかない。

 ふと、俺は俯いたまま目を閉じた。

 

 

 ―――迷い、不安、恐れ。

 

 

 目を閉じた暗闇の中にいくつもの感情がごちゃ混ぜになっているのを感じる。

 運命の選択を迫られたとき、物語の英雄や主人公たちもこうした気持ちを感じていたのだろうか。

 それらの気持ちを飲み込んで、敢えて危険へと踏み込んでいく選択をした彼らが、どれだけ凄いことをやっていたのかを俺は初めて実感していた。

 少しの間、俺は黙ったまま考え込んでいたが、やがて目を開けるとフェレットの方に顔を向けた。

 

 

「ユーノ」

 

 

 フェレットの名前を呼ぶ。

 本音を言えば、ここで佐倉を見捨てて引き返したい気持ちはある。

 だが、このままだと殺されることが分かっている友人を目の前にして、何もしないなんてことが許されるのか。

 はっきり言って、戦う力が無いことを言い訳にして、仕方なかったんだと耳を塞ぐことは簡単だろう。

 だが、彼女たちが自分の出来ることをすると決めたのなら、俺はせめてそれを見届けたかった。

 

 

「…ユーノ、俺に魔法を教えてくれ。どうせ才能なんて期待してないから防御系魔法のどれか一つだけでいい」

 

 

 我ながら凄まじく無謀なことを言っているという自覚はある。

 たとえユーノに魔法を教わっても、この短期間で習得できるとは限らないし、たとえ習得できてもそれが何かの役に立つとも思えない。

 だが、本当に佐倉やユーノについて行くとするなら、何か一つくらいは身を護るための力は持っていたいというのが本音である。

 それが実際に役に立つかどうかはともかくとして、何か頼れる物が有るのと無いのとでは精神的な余裕は大違いだ。

 

 

「え…? いや、確かに防御系の魔法のどれか一つに絞れば、習得できるかもしれないけど…」

 

 

 凄まじく驚いたようなユーノの表情。

 俺が何をしようとしているのかを察したらしい佐倉の方も困惑気味だ。

 

 

「キミ、本当について来てくれるの…? いや、そりゃ私としては有難いけどさぁ…」

 

 

 案の定、ユーノも佐倉も「正気かコイツ?」みたいな表情を浮かべている。

 このまま関わり続ければ命取りになるかもしれないことは、もちろん承知の上だ。

 だが、見捨てないと一度約束してしまった以上は、佐倉に対して俺が出来ることはしてやるつもりでいた。

 

 

「まあ、見捨てないって言っちまったからな…。こうなった以上、もう俺ら全員一蓮托生だろ。ここまで来たら、死ぬときは全員一緒だっつーの」

 

 

 半ばヤケクソ気味に俺は言った。

 もちろん死にたくはないし、もしも本当に死んだらこの世界での両親には悪いとは思う。

 しかし、すでに前世で一人分の人生を全うしている以上、ここで死んだとしても別に不公平には当たらないだろう。

 開き直りとヤケクソに塗れた俺の言葉だったが、何がそんなに面白かったのか、何故か佐倉は小さくクスリと笑った。

 

 

「…? どうした?」

 

「クス…、なんだか愛の告白みたいな台詞だなって思ってさ?」

 

「…はい?」

 

「いや、だって、『死ぬときは一緒だ』って、それってつまり『最後までずっと一緒にいろ』って聞こえるんだけど?」

 

「―――」

 

 

 俺にとって、本日二度目の絶句。

 決して自分としてはそんなつもりで言った言葉ではないが、確かに聞きようによってはそう聞こえる。

 予想外な彼女からの言葉に、顔が赤くなって行くのが自分でも分かった。

 

 

「いや、今のは違…っ!?」

 

「ああ、うん、キミがそういうつもりで言ったんじゃないってことは分かってるよ」

 

 

 慌てて否定しようとした俺に、からかうような表情で佐倉が言った。

 毎度毎度思うが、彼女の言う冗談は自分にとって結構心臓に悪いものが多い。

 

 

「お前なあ…分かってるならわざわざ言うなよ…」

 

 

 溜め息を吐きながらジト目で睨む。

 そして、その視線に返って来た言葉はよりによってこうだった。

 

 

「ふーん? キミにとっての私は、やっぱりそうなんだ。…ちょっと残念かも」

 

「え…?」

 

 

 ちょっと待て。それは一体どういう意味だ。

 いかにも思わせぶりな表情と仕草と共に彼女が口にした言葉に再び思考が止まる。

 

 

「分からないかな? 私の気持ち…」

 

 

 彼女はそう言って、頬杖をついてこちらを試すように見つめて来る。

 

 

「さ、佐倉…」

 

 

 軟らかそうな淡い唇。烏の濡れ羽色の艶のある黒髪。

 透き通るように澄んでいて、それでいて見つめられた者を惑わせるような黒い瞳。普段は意識していない彼女の何もかもが艶めかしく見えた。

 しばらく彼女は、動揺して動けない俺を見つめていたが、やがてニヤリと悪戯っぽく笑って言った。

 

 

「クス…冗談だよ。何を勘違いして気分出してるのかな?」

 

 

 ニヤニヤと愉快そうに彼女は笑った。

 からかわれただけだと分かった俺は、何だか力が抜けてしまった。

 だが、突然にこんなことを言われたら、たとえ俺じゃなくても平静を保つのは不可能だと思う。

 さすが前世が元男と言っていただけあって、女性のどういう仕草・言葉に男心がぐらつくかを知り尽くしている。

 しかも、佐倉の場合、明らかに平均以上の容姿を持っていることを自覚した上でこれを繰り出してくるのだから始末に負えない。もしも、本気で男心を弄ばさせるなら、彼女の右に出る者はおそらく存在しないと俺は思う。

 さっきから佐倉に翻弄され続けた俺は、ゲンナリとした溜め息を吐くと頭をテーブルに突っ伏した。なんだか凄まじく精神的に疲れた。

 そんな俺の状態に同情でもしてくれたのか、ユーノが労いの言葉を掛けてくれた。

 

 

「あの…なんていうか、色々と苦労してそうだね…」

 

「まあ、それなりにな…」

 

 

 テーブルに突っ伏したままユーノに答える。

 もっとも、こうした佐倉との他愛のないやり取りは、何だかんだで嫌いではない。

 俺にとっては、彼女とのこうしたやり取りも何気ない日常の一コマだと言える。

 だが、今の俺たちはこの日常が壊れるかどうかの瀬戸際にいる。

 

 

(まだ、死ぬと決まった訳じゃない…。なんとか上手いことやるしかない…)

 

 

 はっきり言って、この日常が壊れないようにするために自分たちに出来ることは、そう多くはない。

 実質的に俺達だけでは詰んでいる状態であり、もしも望みがあるとしたら俺達以外の『誰か』だろう。フェイルと名乗っていた昨日の女の子をはじめとして、俺達以外の他の転生者とも何とか協力できる態勢を作る以外に方法はない。

 だが、そこまで考えて、俺はふと気付いたことがあった。

 

 

(いや、待て…。他の、転生者…?)

 

 

 フェイト陣営側にもフェイルという転生者がいた。

 転生者たちの転生先というのは指定したヤツを除けば、おそらく死んだ時に出会った自称神とやらに適当に割り振られているんだろう。

 だとしたら―――

 

 

(『闇の書』の陣営…八神はやて側にも俺達みたいな転生者が居たりするのか…?)

 

 

 …というか、はっきり言って、この状況だと居てくれないとマズイ。

 現在の時間軸が原作の『PT事件』のタイミングだったから今まで頭から抜け落ちていたが、こんな事件が起こっていたら『闇の書』事件もどう転ぶか分からない。

 もはや日本に暮らしている人間で海鳴市で起こっている事件を知らない者はいないだろうし、八神はやての監視に当たっているはずのギル・グレアムやリーゼ姉妹も、海鳴市で起こっている事件は知っているだろう。

 グレアム陣営の立場で考えるなら、余計なイレギュラーの介入を防ぐ目的で、『闇の書』の凍結封印の計画を前倒しにしたとしても全く不思議じゃない。その場合、八神はやてに味方をしてくれる『誰か』がいなければ、八神はやては恐らく詰むことになる。

 

 

(マズい…! 最初に予想してた以上に状況が悪過ぎないか!?)

 

 

 考えれば考えるほど、状況が悪いことが分かって来た。

 現在の余りの状況の悪さに思い当たり、俺は突っ伏した姿勢から勢いよく顔を上げた。

 いきなり飛び起きた俺に対して、佐倉もユーノも一瞬驚いた顔をしたが、俺が飛び起きたまさに瞬間に『それ』は起こった。

 

 

「「「―――ッ!?」」」

 

 

 突然、俺達全員の脳内に感じられた異様な気配。

 この感覚は―――

 

 

「封時結界!?」

 

 

 気配の正体を看破したユーノが真っ先に反応する。

 ここから近い場所でかなり大規模な封時結界を発動させた『誰か』がいる。

 結界の範囲は海鳴市のほぼ全域であり、海鳴市に住んでいる者で魔力を持っている者ならば、おそらく全員がこれに気付いているはずだ。

 

 

「ど、どうしよう…?」

 

 

 見るからに動揺している様子の佐倉。

 何が起こっているか分からない以上、迂闊に動くのは危険だというのは間違いない。

 だが、何が起こっているかをある程度は把握していないと、それはそれで今後の方針や対策を立てようがなくなる。

 だから、ここは―――

 

 

「行くしかないだろ…!?」

 

 

 危険なのは確かだが、今後のことを考えればここは行くしかない。

 

 

「俺もついて行ってやる! いざとなったら一緒に死んでやるから、さっさと行くぞ…!」

 

 

 難色を示していた佐倉を自分も同行するからと何とか押し切る。

 ユーノの話では、封時結界の中心から複数の魔力反応を感じるという。

 こうして、俺達は、何が起こっているかも分からないままに現場へと向かうことになったのだった。

 

 





あとがき:

 追い詰められた時やピンチの時にこそ、その人間の真価が問われると思います。
 けれど、一部の「なろう小説」の主人公は、そもそもピンチになったり、追い詰められたりすることが無いんですよね…。
 正直、物語的に考えるなら、神様から貰った能力が通用しない絶望的な敵が現れてからが本番だと思います。神様から貰った能力が通用しないからこそ、その人の生来の『知恵』や『勇気』などのプラスαが問われることになるからです。
 なろう小説なんかだと、変にテンションが高くて、格下相手にイキってる主人公を偶に見掛けますが、ああいうのを見ていると、本当に追い詰められたときに毅然として行動できるのかどうか甚だ疑問です。
 他人から与えられただけの能力で解決できることだけを当たり前に解決していても、心に燃えるものは何も無いと思うんですがねぇ…。
 自分としては困難や絶望を『知恵』や『勇気』で乗り越える物語こそが至高だと思っているので、一部のなろう小説は余りにも温過ぎて、ホント溜め息しか出ませんわ。もっとも、なろう小説を支持している人は、そういう『燃え』をそもそも求めていないと言われればそれまでですが…


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第二十話 『リリカルなのは』の世界で その19

※今回のエピソードは時系列的には、かなり前から始まります。
 とある転生者のキャラと八神はやての出会いからを書いています。




 

 ―――その日、八神はやてが『その人』に出会ったのは偶々だった。

 

 

 その日、はやては自分の下半身の麻痺についての定期通院のために病院を訪れていた。

 何のことはない。はやてが病院を訪れた日が、たまたま『その人』が主宰しているボランティア活動のイベント日だっただけた。

 いつもの診察を終えた後、主治医である石田医師からとても素敵な催し物があるから一緒に参加しようと誘われたのだ。

 

 

「はやてちゃん、この後、予定空いてる?」

 

「…うん? 別に大丈夫やで」

 

 

 最初、石田先生はどんなイベントなのかも教えてくれなかった。

 事前の情報が無い方が絶対に楽しめるからとのことだったが、後になって考えると本当にその通りだったとはやても思う。

 石田先生に車椅子を押されて、やがて病院内の多目的ホールに到着する。

 到着したホールでは何かの作業を進めている一人の女の人が居た。

 

 

(うわ、スッゴイ綺麗な人…)

 

 

 その人を初めて見た時、はやては素直にそう思った。

 もしかするとテレビなんかに出るようなアイドルよりも、この人の方が美人かもしれない。

 それくらい際立った美人だとはやては思った。

 

 

(大学生くらいかな…)

 

 

 おそらく年齢的には20歳に行くか行かないかだろう。

 高い鼻梁と細い顎。バランスの取れた彫りの深い顔立ちは、凛とした美しさがある。

 髪は夜を宿したような紺色だ。髪型は前髪センターわけのショートカットで、髪の内側と顎のラインで、顔の輪郭がちょうど菱形を描くかのようになっている。

 まるで月をそのまま閉じ込めたかのような金色の瞳を宿し、そんなお月様を長く豊かな睫毛が縁取っている。

 服装もシンプルなデザインのブラウスにフレアスカートと、清楚な彼女の雰囲気に良く合っていた。

 少しの間、はやてが見惚れていると、向こうもこちらに気付いた。

 

 

「また、今日もよろしくお願いします。石田先生」

 

「いえ、とんでもない! お願いするのはウチの方です! もう何度も来ていただいて…」

 

 

 こちらに気付いた相手は、作業の手を止めると石田先生に挨拶した。

 どうやら石田先生とは以前から知り合いらしいが、一体どういう人なんだろう。

 話の流れから考えると、この女の人が今回の『素敵な催し物』とやらの主宰者だろうということは分かる。

 石田先生との挨拶を終えた相手は、はやての方に視線を向けた。

 

 

「アナタは今回が初参加だよね? 名前を教えて貰っていいかな?」

 

「え、あ…、八神はやてです。えっと…お姉さんは?」

 

「有希だよ。天音有希。聖祥大学の学生だよ」

 

 

 聖祥大学に通う大学2年生で、大学での天文学サークルの代表だと彼女は名乗った。

 もっともサークル自体は、まだ立ち上げたばかりで、所属人数もまだ彼女一人しかいないらしい。

 しかし、天文学サークルの人が大学病院に何のイベントをしに来たというのだろうか。普通に考えれば、望遠鏡を持ち込んでの天体観測会のイベントか何かだろうか。

 だが、天音有希と名乗った女性が先程から準備を進めているモノは、明らかに望遠鏡などではない。それに、現在の時刻を考えても、とても天体観測が出来るような時間帯ではないのは明らかだ。

 

 

「これは一体何やろ…?」

 

 

 彼女が先程から準備を進めているモノ。

 ホールの中心に設置されているものは、直径4メートルほどの黒い巨大なテント。

 いわゆるエアドームと呼ばれる空気を送り込んで膨らませるタイプのもので、彼女が準備を進めていたのはそれだった。

 はやてが怪訝に思いながら見ていると、はやて以外にも他の何人かの子供たちがホールに集まって来た。

 病衣を着ていることからすると、どうやらこの病院に長期入院している子供達のようだった。

 

 

「おねーさん、こんにちは!」

 

「やった!また来てくれたんだ!」

 

 

 子供達の中でも一部の者は彼女のことを知っているようだ。

 随分と彼女に懐いている子供もいるが、そうした子供はこれからどんなイベントが起こるかを知っているみたいだった。

 

 

「うん、今日は10人か。ちょっと狭くなるけど、まあ、何とかなるかな」

 

 

 今日のイベントの参加人数を把握すると、彼女は子供たちを一か所に集める。

 そうして、一か所に集めた子供たちに彼女は改めて大きな声を掛ける。

 

 

「はい! みんな、こんにちはー!」

 

「「「こんにちはー!!」」」

 

 

 大きな声で挨拶を返す子供たち。

 まるで幼稚園の保母さんやNHKの歌のお姉さんが子供たちとのやり取りみたいな雰囲気だ。

 集まった子供たちの年齢はまちまちだが、実際に幼稚園児くらいの子供も居るので、下の年齢に合わせての対応なんだろう。

 むしろ今日集まっている子供の中では、はやてが一番年長なくらいだ。

 

 

「それじゃあ、みんな、いつもみたいにこの中に入ってくださーい!」

 

 

 パンと手を叩くと、彼女は集まった子供たちを黒いドームの中へと案内していく。

 はやて以外の子供が全員テント状のドームの中へ入っていき、やがてはやてだけが残される。

 

 

「ほら、アナタも」

 

 

 そう言って、彼女は微笑みを浮かべながら手を出した。

 差し出されたその手に、はやては遠慮がちに自分の手を重ねる。

 そのまま彼女にエスコートされ、はやてもテント状のドームの中へと案内された。

 そこで、はやてが見た物。

 それは―――

 

 

「うわ…」

 

 

 それを見た瞬間、はやての口から思わず感嘆の声が漏れる。

 暗闇のドーム上にに映し出されているのは、満天の星空だった。

 投影機から発した光をドーム状の天井の内側をスクリーンにして映し出す装置。

 

 

「プラネタリウム…!」

 

 

 はやても、そういうものがあるというのは知識として知ってはいた。

 だが、足が不自由なこともあり、それを実際に見に行ったことは無い。

 だから、プラネタリウムを実際に経験したのは、今回が初めてだ。だけど、まさか病院でそれを経験できるなんて思っていなかった。

 少しの間、星空に目を奪われたままでいたはやてだったが、ふと話し掛けられて意識を引き戻される。

 

 

「はやてちゃん、見惚れるのはいいけど、地面に寝転ぶ形になってくれない? プラネタリウムの大きさとしては小さいし、寝転んだ状態でないと投影機の光が遮られちゃうんだ」

 

 

 見るとはやて以外の子供はドームの中心の方へ足を向けて、同心円状に並ぶ形で、寝転んでいる。

 はやても彼らに倣って仰向けに寝転んだ。考えてみれば、仰向けになって星空を眺めること自体が初めてかもしれない。

 仰向けに身を投げ出して寝そべると、視界から余計な物は消え去り、星空だけが全視野を覆う。

 遮る物の何もない、その視界全てが星空だった。

 

 

「――…」

 

 

 はやては言葉を発することすら出来ずに星空に見入っていた。

 星座の見分けがつかなくとも、古代から人々を魅了してきた星空の魔力ははやての心を掴むのに十分だった。

 そんなはやての様子を見た彼女は嬉しそうに微笑んで言った。

 

 

「ふふっ…そういう反応を見ると私としても嬉しいよ。でも、プラネタリウムっていうのは、ただ星を眺めるだけじゃないんだ」

 

 

 本番はここからだと彼女は言った。

 そして、彼女は改めて、その場にいる子供たちに静かに語り掛けた。

 

 

「…みんな、『星空』の中へようこそ」

 

 

 とても穏やかで、優しい声の響きだった。

 

 

「星空は季節によって変わります。今、みんなが見ているのは夏の星空です。それも、ちょうど今の季節の海鳴市から見上げた星空と同じものです」

 

 

 季節によって変わる星々の配置。

 投影された星空の中で、真っ先にはやての目についたのは、夜空を横切るように存在する雲状の光の帯。

 それは、夏の北の夜空から天頂を通り、南の地平線にかけて、薄ぼんやりとした淡い雲のように見えた。

 

 

「夏の夜空では、まず大きく流れる『天の川』が目につきます」

 

 

 昔の人は川や乳が流れていると考えたが、天の川とは星の集まりであり、私たちが住む天の川銀河を内側から眺めた姿なのだと説明してくれた。

 そして、天の川についての説明を終えた彼女は、天の川を挟んで存在する夏を代表する星の内の一つを指し示した。

 

 

「この明るい星は一等星の『ベガ』。七夕物語の『織り姫星』としても有名な星です」

 

 

 星座で言うなら、『こと座』を構成する星になる。

 彼女の語りに合わせて、『こと座』を構成する星々を結ぶ星座線が映し出される。

 ギリシャ神話においては、琴の名人であるオルフェウスの竪琴が天に昇って星座になったと伝えられている。

 

 

「『こと座』から少し目線を低くしたところにあるのが『わし座』です」

 

 

 先程と同じように星を結ぶ光の線が映し出され、一羽の鷲が勇ましく飛ぶ姿を描いた星座が夜空に浮かび上がった。

 この鷲は、ギリシャ神話の最高神ゼウスが変身した姿だと言われる。

 

 

「そして、『わし座』の中に見える一際明るい星が一等星の『アルタイル』―――『飛ぶ鷲』という意味です」

 

 

 アルタイルを鷲の胴体に見立て、両脇の星たちが翼。

 古代の人々は星の並びからそのように想像し、真ん中の明るい星を『飛ぶ鷲』『アルタイル』と呼ぶようになった。

 

 

「このアルタイルは、日本では『彦星』としても有名ですね」

 

 

 夏の夜空に見える『織り姫星』と『彦星』。

 この星の間を、二人の仲を裂くように『天の川』が流れている。

 そして、その天の川の中にも、ベガやアルタイルと同じくらいに明るい星が一つあった。

 

 

「天の川の中にあるのが、一等星の『デネブ』」

 

 

 デネブは『はくちょう座』の星で、尻尾とかお尻という意味になる。名前の通り、白鳥の尻尾の辺りに輝いているからそう呼ばれた。

 その星座は天の川の上に翼を広げ、北から南に向けて飛ぶ形をしているが、十字の形に星が並んでいることから、『南十字星』と対比する形で『北十字星』と呼ぶこともある。

 そして、ここまで話したところで、彼女は少し語りの間を空ける。

 

 

 ―――『こと座』の『ベガ』―――

 

 ―――『わし座』の『アルタイル』―――

 

 ―――『はくちょう座』の『デネブ』―――

 

 

 彼女が語りの間を空けたタイミングで、不意に三つの星を繋ぐ赤い線が映し出される。

 これまでに紹介された三つの一等星を線で繋ぐことで大きな三角形が夜空の中に出来上がった。

 

 

「この三つの一等星を結んだ三角形が夏の星空のシンボル―――『夏の大三角形』です」

 

 

 この三つの星はとても明るく、実際の夜空でも見つけやすい。

 だから、覚えておくと夏の星座を探す目印としても役に立つと教えてくれた。

 

 

「星座の起源は古く、紀元前3000年―――今から5000年以上の大昔です」

 

 

 通常、それぞれの文化は、神話に基づいた独自の星座を持っている。

 古代中国では、太陽の通り道である黄道にそって28の『宿』と呼ばれる星座『二十八宿』が作られていた。

 近代の天文学で使われる星座は、国際天文学連合という組織が採択したもので、その多くは古代バビロニア、そして後のギリシアで制定されたものだ。

 だから、星にまつわる物語・神話の中では、必然的にギリシャ神話のエピソードが最も広く知られている。

 

 

「―――夜空の星や星座には、それぞれに色んな物語があります」

 

 

 その言葉と同時に、投影された星々を繋ぐ星座線が一斉に映し出された。

 浮かび上がった星座の中には、はやてが知っているものもいくつかあった。

 そして、夜空に浮かぶそれらの星座を、天の川の流れに沿って、彼女は一つずつ教えてくれる。

 

 

 ―――『ペルセウス座』―――

 

 ―――『カシオペヤ座』―――

 

 ―――『アンドロメダ座』―――

 

 ―――『はくちょう座』―――

 

 ―――『こと座』―――

 

 ―――『ヘルクルス座』―――

 

 ―――『蛇つかい座』――――

 

 ―――『さそり座』――――

 

 ―――『いて座』――――

 

 

 星座ごとに語られる神話の物語。

 それは古代から連綿と続く人類の歴史の繋がりに他ならなかった。

 星と神話を語る彼女の声と話に、その場に集う者たち全てがいつしかグイグイと引き込まれていく。

 

 

「これらの星々は常に私たちの歴史と一緒に在り続けて来ました。そう聞くと一見身近な存在に思えるかもしれません。ですが、これらの星々は、実際には途轍もない遠い場所で輝いています」

 

 

 ふと、はやては語り手である彼女の方を見た。

 そう語る彼女の瞳は、スクリーンに投影された星空よりも遙か遠くのどこかを見つめているように見えた。

 光の速さですら、数年~数百年の時間がかかる距離。肉眼で確認できる最も遠い銀河と言われる『アンドロメダ銀河』に至っては約250万光年という桁違いの距離で離れている。

 

 

「だから、私達が夜空で見る星の光は、実際には何年も前の光で―――場合によっては数百万年もの距離と時間を飛んで来ています。つまり、私達が星を見るとき、何千光年や何万光年もの距離と時間を飛んできた光をメッセージとして受け取っている」

 

 

 人類の歴史すら遥かに超える過去からのメッセージ。

 星の光とは宇宙から送られたメッセージなのだと彼女は言った。

 150億年前という気の遠くなるような昔に起こった『ビッグバン』と呼ばれる宇宙の始まり。それ以来、宇宙は膨張を続けている。

 膨張を続ける本物の宇宙と、スクリーンに投影された作り物の宇宙では、実際の大きさは比べようもない。

 だけど―――

 

 

(まるで宇宙に浮かんでるみたい…)

 

 

 はやてはそう思った。

 事実、今のはやては視界の全てを覆う星空の中にいる。

 たとえ作り物の星空であっても、今、はやてが感じている胸の高鳴りは本物だ。

 天球のスクリーンに投影された星空を通して、悠久の宇宙の歴史と神秘をはやて達は確かに感じていた。

 

 

「あっ!」

 

 

 その時、一筋の流れ星が、地上へ向けて尾を引いて流れた。

 どうやら、その流れ星が終わりが近いことの合図だったらしく、彼女の語りも佳境に入る。

 

 

「…名残惜しいですが、そろそろ終わりの時間が近付いてきました。だけど、終わりにする前に、最後にみんなに一つだけ―――」

 

 

 静かな星空の下、彼女の声だけが響く。

 

 

「…この中にはずっと病院に入院している子もいます。夜眠るとき、親も隣にいない。ベッドからは病室の天井しか見えないかもしれない。だけど―――」

 

 

 そこで彼女は一度、言葉を切る。

 そして、一呼吸ほど置いた後、はっきりと続きの言葉を口にした。

 

 

「―――けれど、その天井の向こうには、いつも変わらずに星々がある」

 

 

 その言葉にハッとするはやて。

 一人ぼっちでベッドで眠る時、天井の向こうでは星々が輝いている。

 言われてみれば当然のことでも、そのことを明確に意識したことはこれまで無かったからだ。

 それと同時に、先程見た彼女の瞳が本当はどこを見つめていたのかをはやては知った。

 

 

「たとえ、雲や天井に遮られていても、その向こうから星は私達を見守ってくれています」

 

 

 どうかそのことを覚えておいて欲しいと、最後に言い添えて今回のはやて達の宇宙への旅は終わった。

 やがて投影機の電源も落とされ、集まった子供たちも解散していった。星の届け手は、今は投影機とエアドームの片付けをしており、ホールに残っているのははやてと石田先生だけになる。

 

 

「お疲れ様でした。天音さん」

 

 

 片づけをしている彼女に石田先生が声を掛ける。

 彼女は声に振り返ると、少し苦笑するような表情で言った。

 

 

「いえ、私は大したことはしてませんよ。本職のプラネタリウムに比べたら、まだまだ粗が目立ちますしね。本当は映像だけでなく、音楽も載せたかったんですけど…」

 

 

 よくできたプラネタリウムというのは、音楽と星空が融合した総合芸術なのだと彼女は言う。

 はやてが聞いた話によると、あの星空の映像と語りは、全てが彼女のオリジナルとのことだった。

 本来なら音楽もプラスされているはずだったそうだが、今回は映像の編集作業に時間を取られ過ぎて映像に合わせた音楽を編集する時間が無かったらしい。

 

 

「いいえ、そんなことありませんよ! 入院してる子供たちにとっても、とても有意義な息抜きになっているみたいで…」

 

 

 病院の子供たちのためのプラネタリウムの上映会。

 移動式の簡易プラネタリウムを使っての活動で、去年くらいから数ヵ月に一度くらいの頻度で何度かこの病院を訪れているらしい。

 もっとも、完全に個人のボランティア活動であり、報酬などは一切出ない。それなのに、病気の子供達のために『ここまで』のことをしてくれる。

 

 

(ホンマに…優しい人なんやな)

 

 

 はやてはそう思った。

 これまでボランティア活動といえば、募金活動くらいしかはやては知らなかった。

 こんな活動をしている人に出会ったのも初めてだし、少しだけでも話をしてみたかった。

 

 

「あの…!」

 

 

 少しだけ勇気を出して話し掛けるはやて。

 

 

「何かな?」

 

「えっと…あの…良かったです。とっても」

 

 

 もっと気の利いた感想やお礼を言いたいのに、緊張して碌な言葉が出てこない。

 しかし、彼女の方は、そんなことを全く気にした様子もなく、はやての相手をしてくれた。

 

 

「クス…ありがとう。そう言ってくれると私も嬉しいよ」

 

 

 小さく笑って、彼女はそう答える。

 その穏やかな微笑みに、この人の優しさだとか人柄が全部詰まっているようにはやては感じた。

 この人がとても優しい人だということは、はやてにも分かる。

 そんな彼女に対して、はやては訊いてみたいことがあった。

 

 

「あの…どうして、こういう活動を始めようと思ったんですか?」

 

 

 少し馴れ馴れしい質問だったかもしれない。

 しかし、ボランティア活動というだけなら、きっと他にも色々あるはずだ。

 それなのに、何故わざわざ個人でこんなことをしているのかを、はやては知りたかった。

 

 

「…実は私も、小さい頃にこの病院に長期入院してたことがあってね。理由を遡るなら、そのときの経験が今の活動を始めた切っ掛けかな」

 

 

 小児急性リンパ性白血病―――それが彼女が子供の頃に罹った病気の名前だと教えてくれた。

 いわゆる血液の『がん』の病気であり、数十年前は完全に不治の病だった。ここ数十年の治療法の進歩によって、約70%は治癒が見込めるようになってはいるが、難病であることには変わりはない。

 治療のためには長期にわたる抗がん剤の治療が必須であり、どんなに上手く治療が進んだとしても治療期間は約2年にも及ぶ。具体的には入院が必要な治療が8~12か月で、入院治療が終わった後に1年~1年半の飲み薬の治療が続くという。

 幸いにして、彼女の場合は治療も上手くいって、今のところは再発も見られていない。

 

 

「私の場合は、大体1年くらい病院に入院してたんだけど、やっぱり、入院生活って大変なんだよ」

 

 

 多くの子供にとって、『入院』という環境を受け入れるのは難しい。

 入院生活が長くなると、子供の成長に大切な、出会いや遊びが制限され、笑顔が減って行くことになる。

 それでも、病気を治すためには入院を続けないといけない。

 

 

「…同じ時期に入院してた子の笑顔が減っていくのを、私は、実際に見て来たんだ」

 

 

 入院生活が長くなると、子供が子供でいられなくなっていく。

 子供にとっての、遊んだり、笑ったりできる時間が、どれだけ大事なのかは考えなくても分かる。

 そうした子供たちが、少しでも子供でいられる時間を取り戻せるようにと始めた活動なのだと彼女は言った。

 

 

「はやてちゃんは、『クリニクラウン』とか『ホスピタルクラウン』って言葉を聞いたことはある?」

 

 

 はやても初めて聞く言葉だった。

 曰く、クリニクラウンというのは、病院を意味する「クリニック」と道化師を指す「クラウン」を合わせた造語らしい。

 日本語では『臨床道化師』と訳され、入院生活を送る子どもの病室を定期的に訪問し、遊びとユーモアを届け、子供たちの笑顔を育む道化師のことだ。

 先進地であるオランダなどでは社会的な認知も進んでいるが、まだ日本では全く馴染みがない活動であり、殆ど一般には知られていない。

 

 

「勉強不足でごめんなさい…。私も、そんな活動があることを初めて知りました…」

 

 

 バツが悪そうに言う石田先生。

 医師である彼女ですら知らないということは、本当にそれだけ知られていない活動なんだろう。

 

 

 ―――普通の子どもならば、当たり前にあるはずの自由―――

 

 

 地面に落ちている葉っぱ一枚に目を丸くしたり、道を横切った猫に大興奮したり。

 目に映るもの、耳に聞こえること、一つひとつに好奇心を持ち、感情を表現すること。

 子どもにとって、遊びや楽しいことや笑顔が大切なのは当然なことなのに、時に医療スタッフですらそのことを忘れがちになっている。

 

 

「―――『病気の子ども』じゃなくて、『子どもが病気』なんだよ」

 

 

 すべてのこどもに、こども時間を。

 病気になってしまった子どもが、子どもらしくいられるための時間を守るための活動。

 それがクリニクラウンの活動の理念であり、自分のプラネタリウムは、単に彼らの真似をしているだけだと言った。

 

 

「だから、本当はプラネタリウムじゃなくても、別に良いんだ。―――病気で苦しんでる子どもが、子どもでいられる時間を少しでも取り戻せるのなら」

 

 

 そう言って、彼女は小さく笑った。

 穏やかな笑みだったが、その下には本物の情熱と熱意。そして、優しさが確かにあった。

 確かな優しさに満ちたその笑みに、言葉さえ忘れてはやては見入っていた。

 

 

「―――…」

 

 

 彼女の存在は、はやてにとって色々な意味で衝撃だった。

 目の前の相手は、ただ外見が美人なだけの女性では断じてない。

 はやてがこれまでに出会ったことが無いタイプの女性で、その魅力にはどうしようもないほど強く惹きつけられていた。

 やがて片づけを終えた彼女は石田先生に別れの挨拶をすると、はやてにこう言ってくれた。

 

 

「ついでだし、よければ車で送っていくよ」

 

 

 そうして、車で自宅まで送ってもらう途中で、はやては彼女と色んな話をした。

 好きな音楽のこと、学校での勉強のこと、趣味のこと。そして、夜空に輝く星々のこと――…

 

 

(できるなら、もっと仲良くなりたいな…)

 

 

 話しながら、はやてはそう思った。

 やがて、はやての自宅のマンションにまで到着しての別れ際―――

 

 

「あの…今日は、本当にありがとうございました。えっと…天音さん」

 

 

 相手の名前を名字で呼ぶはやて。

 そんなはやてに対して、彼女はこう答える。

 

 

「有希」

 

「え?」

 

「有希でいいよ」

 

 

 下の名前で呼んでいいと言われ、はやては一瞬困惑する。

 何しろ10歳も年上の目上の相手だし、少し馴れ馴れしすぎやしないだろうか。

 

 

「あ、やっぱり、急すぎるかな?」

 

「そ、そんなことあらへん!」

 

 

 慌てて否定するはやてに苦笑いしつつ、彼女は言った。

 

 

「クス…はやてちゃんの好きに呼んだらいいよ」

 

「それじゃあ、えっと、その…ありがとう。…有希、さん」

 

 

 照れくさそう有希の名前を呼ぶはやて。

 そして、名前を呼ばれた有希は満足そうに頷くと、何かが書かれた一枚のメモ用紙をはやてに手渡した。

 

 

「これは…?」

 

「私の連絡先。何か相談したいことがあれば連絡してくれていいよ。別に用事がなくても連絡してくれていいけどね」

 

 

 友人同士の付き合いに年齢の差は関係ない。

 はやてと有希の付き合いが始まったのは、この日の出会いからだった。

 この頃のはやてにとって、有希はまさに「憧れ」の対象だったと言っていい。

 

 

 ―――星空を操る魔法使い―――

 

 

 プラネタリウムという星空の下で初めて出会った時、はやては有希のことをそう思った。

 そして、その時に思ったことは、紛れもない真実であることをはやては後に知ることになるのだが、それはもう少し先のことだった。

 

 

 




あとがき:

 キャラの個性というものは、本質的には転生特典で与えられた能力とは無関係だと自分は思っています。
 だから、このキャラは「転生特典でこういう最強の能力を与えられました」とか、自分としては全く以って、どうでもいいことでしかありません。
 今回登場させた天音有希というキャラクターが作中でやっているボランティア活動も、別に転生特典が無くても出来ることですし、世界で最強の力が無かったとしても、その人のアイデアとやる気次第で十分に特別なことは出来るはずだと思います。
 しかしながら、粗製乱造型のなろう小説に代表されるようなチート転生者の活躍は、あくまでも能力を与えられたからこその活躍であって、その能力が無ければ何も出来ないのが丸分かりなんですよ。


 エックス「俺のアーマーは俺が傷を乗り越えた証!俺はアーマーで強くなったんではない!俺が強くなれたからアーマーを授かったんだ!強さは俺の心の中にあるんだ!」


 これは岩本版『ロックマンX2』において「強化アーマー無しで俺に勝てるのか?」という悪堕ちゼロに対するエックスの台詞です。
 物語の主人公や英雄たちは確かに多様な能力を持っていることが多いですが、それはあくまで強くなった証・心の強さの証として能力を与えられているのだと思います。
 本当の英雄は、力を与えられたから強くなったのではなく、強くなったから力を手に入れることが出来たんです。この順番を勘違いしているから、なろう小説のイキリ主人公は馬鹿にされるのではないでしょうか?
 そこを勘違いして、格下相手にイキってばかりの主人公のどこが良いのか自分は理解に苦しみますし、そういう格下相手の弱い者いじめをしているような奴が、その能力を与えられるに相応しい人間であると皆から納得されないのは当然だと思います。
 ちなみに、今回登場させた転生者サイドの新キャラの天音有希さんですが、今回のエピソード中において彼女が活動している『病院がプラネタリウム』という活動は実在のモデルがあります。似たような活動はいくつかあるようですが、山梨の高橋真理子さんという方が主宰しているものが全国的には一番有名ではないかと思います。
 ただ、あくまで狭い範囲で有名なだけで、そもそもこういう活動があること自体を知らない人が殆どですね。自分は実際に見たことがありますが、もっと多くの人に知って欲しいと思ってしまうほどに素晴らしい内容・活動でした。もしも機会があれば是非参加してみることをおススメしますよ!!!



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第二十一話 『リリカルなのは』の世界で その20

 

 

 はやてと有希に出会ってから数ヵ月が経った。

 はやてにとっての有希は、まさに「近所に住んでいる気のいいお姉さん」といった風情で、はやてのことを何かと気に掛けてくれた。

 お互いの自宅に遊びに行ったり、一緒にお菓子を作ったり。

 

 

(もしも私にお姉さんがいてくれたら、こんな人が良かったなー…)

 

 

 そう思ってしまう程に、はやては有希に懐いていた。

 有希の方も両親を亡くしたはやてに気を遣ってか、自分の実家の両親に引き合わせてくれて、いつしか家族ぐるみの付き合いが始まっていた。

 特に有希の母親などは、はやてのことを本当の実の娘みたいに可愛がってくれており、はやてにとっても有希とその家族は、本物の家族と同じくらいに大切な人になっていた。

 こんな温かな時間がいつまでも続いて欲しいと思ったし、続くと思っていた。

 だけど―――

 

 

(なんや、これ…)

 

 

 ある日、朝にテレビを点けた時、ニュースで流れていた目を疑うような大事件。

 一夜のうちに27人の子どもが虐殺されるという事件の報道を聞きながら、はやては自分の背中が凍り付いて行くような感覚を感じていた。

 

 

(ちゅーか、これって、けっこう近所やんか…!?)

 

 

 ニュースで話題になっている海鳴市というのは、間違いなくこの街のことだ。

 自分たちの住んでいる街で、こんなとんでもない事件が起こるなんて、はやても想像すらしていなかったし、想像できる方がどうかしてる。

 はやてがテレビから目を離せないでいると、突然、家の電話が鳴った。

 

 

『はやてちゃん!? そっちは無事だよね!?』

 

 

 受話器を取ると慌てたような有希の声が聞こえて来た。

 どうやら例の事件についての報道を見て、心配して電話してくれたらしい。

 有希の方がはやての予想以上に切羽詰まった様子だった所為か、はやての方は逆に少し冷静になれた。

 

 

「あ、うん、こっちは大丈夫やで。だから有希さんも落ち着いてや」

 

 

 はやての声を聞いて心底安堵したと言うような様子の有希。

 だが、原作を知っている人間ならば、これが絶対に起こり得るはずのない事件だということは分かる。

 もちろん、はやてにはそんなことは知る由もないことだが、原作の流れを根本からぶち壊すほどの『何か』が起こったと有希の方は考えていた。

 現在の時間軸が『PT事件』のタイミングだから、はやてに危害が及ぶことは無いはずだと楽観的に考えられるような状況ではなくなった。

 

 

『…はやてちゃん、しばらくの間、私がそっちに泊まっても良い?』

 

 

 事件が落ち着くまで、誰かがはやての傍にいた方が良い。

 そう考えての有希の提案だったが、はやてにとっては余り予想していない提案だった。

 

 

「え? いや、そりゃ私としては有難いけど、有希さんはええの?」

 

 

 心配してくれるのは嬉しいが、有希がそこまでする必要があるのだろうか。

 確かにとんでもない事件だとは思うが、普通に家で大人しくしていれば巻き込まれるようなことにはならないだろう。

 心のどこかではやてはそう思っていたし、現時点でのはやてにとって、今回の事件も所詮は自分とは関わりの無い『他人事』だとしか感じていなかった。

 

 

『取り越し苦労ならそれが一番いいんだけどね…。ちょっと嫌な予感がするんだ』

 

 

 多くの人間は、根拠もなく『自分は大丈夫』だと都合よく思い込む。

 この時のはやて自身もまさにそうだったし、有希がその場に居てくれなかったら、巻き込まれた最初の時点で終わっていたはずだ。

 そして、この日からわずか2日後、はやては自分の日常が根本から壊れる事態に見舞われることになる。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 二日後、はやての自宅マンションで鳴ったインターホン。

 その呼び出し音と共に訪れたのは、仮面を被った二人の魔導師。

 

 

(リーゼ姉妹…!)

 

 

 本来の『原作』の事情を知っている有希は、すぐさまその正体を看破する。

 ギル・グレアムの使い魔であり、原作においては『闇の書』の完成を手助けするために暗躍していた人物である。

 しかし、とても海鳴市を騒然とさせている虐殺事件の犯人となるような相手ではないだろうし、おそらくこの場合は、想定外の事態が起こる前にはやての身柄を確保しに来たというところだろう。

 実際、仮面を被った二人の魔導師は、こう言ってきた。

 

 

「大人しくその少女をこちらに渡して貰おう。素直に従うなら手荒な真似はしない」

 

 

 はやてを後ろに庇いながら、有希は自らの戦闘準備を整える。

 しかし、戦うにしても部屋の中では狭すぎて、普通に戦うだけでも戦闘の余波ではやてを傷付けかねない。

 だから、ここは―――

 

 

「舌を噛まないように気を付けてッ!!」

 

 

 はやてを抱きかかえて、即座にその場から離脱する。

 次の瞬間にはすぐ近くの窓をぶち破り、一気にマンションの外へと飛び出していた。

 

 

「魔導師だったのか…!?」

 

「関係ない! 追うぞ!!」

 

 

 即座に追跡へと向かう仮面の魔導師。

 空を飛びながら追っ手が来ていることを確認し、有希は内心で舌打ちしていた。

 だが、事情を知らないはやてにとっては、今の状況は分からないことだらけだった。

 

 

「有希さん…!?」

 

「…悪いけど、説明は後でする」

 

 

 自分を狙っての襲撃者がやって来たこともはやての想像の外だった。

 だが、それ以上に、自分の憧れの人が、特別な力の持ち主であったことにも、はやては驚いていた。

 しかも、今の彼女は、明らかにはやてを守るために、その身体を張ってくれている。

 

 

「――ッ!」

 

 

 突然に感じた耳を劈くような衝撃と轟音。

 後ろから追ってきた仮面の襲撃者たちの放った魔力弾と、オート発動の防御術式がそれを防いだ音だった。

 自分のごく身近に危険が迫っていることを実感し、パニックになりそうになるはやて。

 

 

「…大丈夫」

 

 

 必ず守る、と。

 そんなはやてを落ち着かせるように有希は声を掛けた。

 今のはやては、ただその言葉を信じるしかない。無意識のうちに有希にしがみ付く腕の力が強くなる。

 しばらくの間、飛行の魔法を使っての『追い掛けっこ』が続いていたが、やがて有希は高層ビルの屋上に着地し、後ろから追ってきた二人の魔導師へと向き直った。

 

 

「鬼ごっこは終わりか?」

 

「ええ…そっちが追うのを諦めない以上は、逃げ回っても仕方ないでしょう」

 

 

 自分の後ろにはやてを後ろに庇いながら、小規模な結界魔法を発動させてはやてを隔離する。言葉には出さなかったが、後ろをチラリと見た有希の視線がそこから出るなとはやてに言っていた。その視線にはやてが頷いて返したのを見ると、彼女は今度こそ本気でリーゼ姉妹と対峙する。

 

 

「どうして、はやてを狙うの…?」

 

 

 何のためにはやてを狙ったのか。

 原作の事情を知っている有希からしたら、何となく予想はついているとはいえ、それでも一応は訊いてみる。

 視線を強めながら相手側へと問いを投げた有希だったが、碌な答えは返って来ない。

 

 

「…答える必要は無い」

 

「…だろうね」

 

 

 お互いに退くつもりがない以上、もはや衝突は避けられない。

 そう判断した有希はどこからか分厚い書物を取り出していた。

 

 

 ―――『アステル』―――

 

 

 ギリシャ語で『星』の意味を持つ有希の本型のデバイス。

 表紙には六芒星の模様をメインに据えた魔法陣が描かれており、いかにも魔導書といった雰囲気だ。

 デバイスの起動と同時に展開されたバリアジャケットのデザインは、白色がメインカラー、青色がサブカラーとして配色された袖無しのワンピースのような格好。

 腰には黒いリボンが巻かれ、靴は太ももまで覆ったハイヒールブーツ。両手を覆う紺色のグローブは、左右で長さが違っており、左手のみが肘より上まで覆うロンググローブとなっている。

 髪飾りやブローチなどの小物の装飾は金色で、衣装のカラーリングのアクセントとして彼女の美しさを引き立てていた。

 

 

 ―――綺麗だ、と。

 

 

 はやては場違いにもそう思った。

 色々なことが立て続けに起こり過ぎて感覚が麻痺しているのか。あるいは、襲われた恐怖から来る「吊り橋効果」でそう感じているだけなのか。

 だが、はやてを守るように立つ有希の後ろ姿と僅かに見える横顔は、これまでにはやてが見たどんな人よりも美しく感じた。

 

 

「手荒な真似はしたくなかったが…」

 

「…貴様を倒さねばならないというのなら仕方ない」

 

 

 そう言って、二人の仮面の魔導師は一歩前に出る。

 状況的には2対1で、数の上では明らかに向こう側が有利。

 そして、基本的に「追う者」と「追われる者」では、前者の方が強いことが多い。

 だから、このときの仮面の魔導師からすると、自分たちが相手を追い詰めているという認識だった。

 そして、そんな二人の魔導師に対して有希は言った。

 

 

「言っておくけど、別に私は追い詰められて外に逃げた訳じゃないよ」

 

 

 何かが始まる。いや、それは既に始まっていたのか。

 彼女を中心にして微弱な風が起こり始め、彼女が手に持っている分厚い魔導書のページがひとりでに捲られていく。

 同時に彼女の足元に青色の輝きを放つ魔法陣が浮かび上がった。

 

 

「…Astro-Logia」

 

 

 有希が静かに呟いたその一言。

 その言葉が響いた瞬間、周りの世界そのものが塗り替えられた。

 

 

「「「―――ッ!!?」」」

 

 

 その驚愕は、有希以外のその場に居た全員の物だった。

 海鳴市の全域を覆うほどの大規模な結界魔法の単独行使。

 それだけでも驚愕に値するが、それ以上に凄まじかったのが、その魔法の内容だった。

 突然、空が夜のように暗くなったかと思えば、星々の輝きが一瞬で闇空を覆い尽くしたのだ。

 そして、それを見た瞬間、はやては自分の全身の毛が逆立つのを感じた。

 

 

 ―――星空を操る魔法使い―――

 

 

 一番最初にはやてがプラネタリウムの星空の下で有希と出会った時、彼女のことをそう思った。

 その時に思ったことが、比喩でも何でもなく、真実であることをはやては知った。満天の星空の下、その光に照らし出された彼女の後ろ姿は、神々しさすら感じた。

 まるで星空を司る女神か何かを見たような気持ちであり、それを目の当たりにした時のはやての息が止まりそうな感動は、とても言葉では言い尽くせない。

 

 

「まさか…!?」

 

「あの全てが『矢』なのか…!?」

 

 

 漆黒の闇空を、一瞬にして覆い尽くした星の洪水。

 たった今、有希によって生み出された満天の星。漆黒の夜空を埋め尽くす億兆の星々。

 信じがたいことだったが、そのすべてが魔法による『矢』だった。

 

 

 ―――『星の言伝(Astro-Logia)』―――

 

 

 星空そのものを形にした有希の唯一にして最強の攻撃魔法。

 天球を模した大規模な封時結界を展開し、遥か上空に埋め尽くすほどの魔力弾が待機状態でセットされている。

 

 

「「―――ッ!!!」」

 

 

 その時、天上から流れ落ちた一つの星が仮面の魔導師のすぐ近くに着弾した。

 反応さえ許さない亜光速という規格外の速度で撃ち出される魔力弾は、まさに流星としか言いようが無かった。

 この星空の見える場所の全てが攻撃範囲。そして、天上から降る星の一発一発がなのはのディバインバスターすらを上回る威力を有している。

 もしも仮に、上空の星々の全てを一度に降らせたとしたら、その威力はもはや想像を絶する。

 

 

「…ここで逃げてくれるなら私からは追わない。けど、逃げないのなら次は当てる」

 

 

 有希から警告が告げられる。

 やろうと思えば、ここでリーゼ姉妹を消し炭に変えることも出来るが、当然そんなことをするつもりは有希にはない。

 だが、彼女の本音を言えば、一秒でも早くリーゼ姉妹にはこの場から撤退して貰いたかった。

 何故なら―――

 

 

(この魔法は規模が大きすぎるから、絶対に気付かれる…!)

 

 

 海鳴市に住んでいる者で魔力を持っている者ならば、間違いなく全員がこれに気付いている。

 おそらく例の虐殺事件を起こした犯人も気付いているし、最悪の場合、その犯人をこの場に呼び寄せる結果になりかねない。

 有希がそうしたリスクを承知でこの魔法を使ったのは、彼女がまともに使える攻撃魔法が、これしか無かったから仕方なく使っただけだ。

 そのため、有希本人としては、致命的な『何か』を呼び寄せる前に、現在のリーゼ姉妹とのイザコザを一秒でも早く終わらせたい気持ちでいた。

 だが、彼女のそうした気持ちとは裏腹に、結果的に多くの人間がこの場に呼び寄せられることになる。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 呼び寄せられた者達の中には時空管理局のアースラのクルーもいた。

 地球に到着してから程なくして突然に観測された桁違いの規模の魔法に、クロノ達は驚愕していた。

 魔法文明の存在しない管理外世界で、こんな規模の魔法を使える人間が存在するのか。

 

 

「…どうしますか、艦長」

 

「…確認しに行くしかないでしょう」

 

 

 常軌を逸した広範囲の魔法を目の当たりにして愕然とするクロノとリンディであったが、時空管理局の局員である以上、これを無視する訳にはいかない。

 結局、アースラからは執務官であるクロノが先行する形で魔法の発生元に向かうことになった。

 

 

「…気を付けてね、クロノ君」

 

「ああ…、分かってるよ」

 

 

 心配そうにするオペレーターのエイミィに答えてから、クロノは現場へ向かったのだった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 当然、フェイト陣営の人間たちもこの魔法の発動には気付いていた。

 ジュエルシードの回収するために海鳴市を探索していた所で、結界魔法が発動したのだ。

 

 

「姉さん、この魔法って…」

 

 

 そう言って、自分の姉の様子を窺うフェイト。

 だが、フェイルの方は、黙り込んだまま星空をジッと睨みつけている。

 少しの間、自分たちがどう動くべきかを考えていたようだったが、やがて星空を見つめたままフェイルは口を開いた。

 

 

「…フェイトは先に戻ってて。ここは私だけで行く」

 

「え…?」

 

 

 姉からの言葉に戸惑うフェイト。

 そして、フェイトが戸惑いから立ち直る前に、フェイルはその場から飛び出していた。

 大地を蹴って、勢いよく空に舞い上がると、そのままフェイルもまた現場へと向かう。

 

 

「姉さん!?」

 

 

 先に戻れと言われたフェイトだったが、とても素直に従える訳が無い。

 通常ではあり得ないほどの大規模な魔法が展開されているという明らかな異常事態。

 片腕を失った姉をそんな異常事態の中に一人で向かわせるなんて、そんなことがフェイトにできる訳が無かった。

 

 

「一人で行かせられないよ…!」

 

 

 数瞬の逡巡はあったが、フェイトも後を追いかけてその場を飛び立つ。

 着々と役者が揃いつつあったが、現場へ向かったのは彼女たちだけではなかった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 現場へ向かった者ということなら、高町なのはもその中の一人だった。

 その時のなのはは、ちょうど病院から退院して自宅に戻ったばかりのタイミングで発動した封時結界に取り込まれる形になった。

 魔力を持たない家族から引き離される形になったため一瞬パニックに陥り掛けるが、その次の瞬間に目の当たりにした億兆の星々になのはは思わず目を奪われていた。

 

 

「―――!」

 

 

 言葉を失うとは、まさにこのことだった。

 闇空を彩る星々の美しさになのはは息を呑んでいた。

 星空に目を奪われたまま動けないでいるなのはに対して、レイジングハートがこの星空そのものが誰かの発動させた魔法なのだと教えてくれる。

 そうして、なのはが星の海を見上げていると、ふと、その星空の中を横切る『何か』があった。

 まるで闇空を切り裂くかのように空を横切った赤色の閃光。

 

 

(フェイルさん…!?)

 

 

 それは間違いなく、なのはが昨日出会った女の子だった。

 フェイル・テスタロッサと名乗っていた片腕の少女。あの日、なのはの目に焼き付いた蠍座のアンタレスを思わせる赤色の魔力光。

 振り返ることさえ間に合わないくらいの速さだったから、なのはに見えたのは一瞬だけだ。けれど、その中で一瞬だけ見えたフェイルの横顔と眼差しは、どこまでも前だけを見据えており、間違いなくこの魔法の中心へ向かっていた。

 

 

 ―――命の掛かった修羅場の中であっても、自分のできること・自分の力を尽くす―――

 

 

 言葉にするのは簡単だが、本当の命懸けの場面においてそれをできる人間は、きっと殆どいない。

 なのははそれを思い知った。だけど、きっとあの女の子は、それが出来る本物の英雄だ。はっきり言って、今も動けないままでいる自分とは何もかもが違う。

 あの人に追いつくためには、実力も意志の強さも、何もかもが足りていない。

 彼女と同じレベルで戦えると考えるなど思い上がりも良いところだ。

 だけど、せめて―――

 

 

「お母さん、お父さん、ごめんなさい…」

 

 

 せめて、彼女たちが戦うことを手助けしたい。

 たとえ、肩を並べて戦うことは出来なくても、それでも矢面で戦う彼女たちのために何か自分に出来ることがあるのなら――…

 

 

「レイジングハート、力を貸して…!」

 

 

 いつの間にか心に火が灯っていた。

 その心に宿る火を何と呼ぶのかは知らないし、今はどうでも良かった。

 なのはは、レイジングハートを起動し、バリアジャケットを展開する。

 

 

(戦うのは怖い…。だけど…!!!)

 

 

 迷いと恐怖を意志の力で捻じ伏せて、なのははその一歩を踏み出した。

 力強く地面を踏み切って宙へと飛び出すと、なのはもフェイルを追い掛けて現場へ向かったのだった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 舞台の役者が揃いつつある中、当然のことながら、この『二人』も同じ星空を見ていた。

 一人は切れ目の入った帽子を被った全身黒ずくめの長身の男で、もう一人はウサギの人形を抱いた白い少女。

 あるビルの屋上に立っている二人は、天上の全てを覆い尽くした星々の輝きを見つめながら、面白そうな笑みを浮かべている。

 

 

「クス…中々に面白い魔法を使っている方がいるみたいですねぇ」

 

「…そうだな。これだけ美しい魔法の使い手なのだから、とても綺麗な人間なのだろうと思うよ。…きっと、その心もね」

 

 

 天上の星々の美しさに目を細めながら二人は言った。

 

 

「なかなかどうして、この世界の転生者たちは見込みがありそうな人が多いですね。あくまで、これまでの他のセカイの連中に比べたら、ですが」

 

 

 これまでにセカイを渡り歩く中で、赤屍たちが殺してきた転生者たちは既に数百人を超えている。

 その中で、まともに赤屍に立ち向かうことが出来た人間など殆ど存在しなかったが、このセカイでは比較的に見込みのある人間が多い気がする。

 二日前、赤屍に左腕を切り飛ばされても立ち向かって来た少女もそうだ。

 

 

「…確かにそうだな。だが、結局は全て無意味だ。我々が全て殺して、それで終わりだ」

 

 

 相手がどれだけ優しくて素晴らしい人間であっても関係ない。

 たとえ、どれだけ死ぬのが惜しいと思えるような人間であっても、それが今回の仕事の対象であるのなら最終的には全員殺す。そこに例外は存在しない。

 

 

「さて、これだけ美しい舞台ですし…」

 

「ああ、折角だ。招待された訳ではないが、我々も挨拶くらいしに行こうじゃないか」

 

 

 そう言って、最強最悪の死神たちも、その場から動き出したのだった。

 

 

 




あとがき:

 面白い作品というのは魅力的なキャラクターがあってこそだと思います。
 しかし、そうしたキャラクターの魅力を与えられた転生特典だけに求めるのは、自分にとっては全く意味が分かりません。
 たとえば、銃を与えられて、それを撃つだけなら誰にでも出来るように、与えられた力をただ振り回すだけなら誰にでも出来ることです。
 ようするに、読者側から見ると、ただ力を振り回しているだけのチート転生者・主人公がやっていることは本質的には誰にでも出来ることでしかなくて、全然大したことじゃないんです。


「いや、それだけの能力が与えられたら、別にキミじゃなくても誰でもその程度のことは出来るよね? その力を与えられたのが、キミでなければならなかった理由は何なの?」


 全然大したことはしていない・誰にでも出来ることをやっているだけなのに、周りからチヤホヤされるとかいうふざけた状況が反感を買うのではないでしょうか?
 転生特典それ自体が悪いとは言いませんが、本当にそれが「キミのために正当に与えられた力」だというなら、しっかりとそれを使いこなす描写をして欲しいと自分は思います。
 その主人公以外には早々思い付けないような能力の応用をしてみせる・その主人公ならではの機転を利かせて絶体絶命のピンチを切り抜ける。あるいは、何らかの心の素質の証として能力が与えられているというのであれば、自分としては割りと納得できるんですけどね…。
 そのため、この作品の転生者で強キャラに分類されるのは、原則的に全員が与えられた転生特典『以外』の部分で何らかの光るモノ・突出するモノを持っている人間たちです。

『神杖』フェイル・テスタロッサ
『魔拳』怪人バッタ男
『星術』天音有希
『龍剣』クリス・アークライト(未登場)

 彼らは、その生来の心の素質と地力の証として、他の転生者とは一線を画す強さを有しています。もしも、このセカイに赤屍が来なければ、彼らは時空管理局でも二つ名が付けられるくらいの最強エースとして活躍していたのかもしれません。
 ただ、ここで誤解しないで欲しいのですが、決して何の取り得も無い平凡な主人公が悪いと言っている訳ではなく、むしろ物語的にはその方が美味しく出来る可能性もあるはずなんですよ。
 何故なら、取り得の無い・弱い主人公というのは、それ自体で『成長できる素質』があるからです。成長の光というのは、それ自体が美しいですからね。与えられた力に見合った心の成長を見せてくれるのならば、平凡な主人公も大いに結構だと思います。



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第二十二話 『リリカルなのは』の世界で その21

 

 

 ―――その光景を見た瞬間、俺は時間が止まったのかと思った。

 

 

 何者かの封時結界が展開され、佐倉の部屋から飛び出した俺達が、そこで最初に目の当たりにした光景。

 俺も、ユーノも、佐倉も、三人ともがその光景の余りの美しさと迫力に圧倒されて、その場から一歩も動けなくなっていた。

 

 

「信じ、られない…」

 

 

 闇空を彩る億兆の星々。

 本来の都会の空では決して見られない星空がそこにあった。

 魔法によって作られた星空なのだと直感的に理解するが、この魔法の真価はそこではなかった。

 そして、真っ先にそれに気付いたのはユーノだった。

 

 

「ま、まさか…あれが…全部…?」

 

 

 闇空の中で瞬く数え切れないほどの星々の全てが、魔法による『矢』だった。

 遥か上空にセットされているにも関わらず、一つ一つの星がこれだけはっきり見える。

 それはつまり、一つ一つの星がそれだけ大きいということであり、単発だけでも相当な威力を有しているということだった。

 もしかしたら、単発の時点で原作の主人公である高町なのはの得意技『ディバインバスター』を上回る威力を持っているのではないか。

 もしも、あの星々の全てを一度に落としたとしたら、一体どれだけの破壊力になるのか想像するだけで恐ろしすぎる。それ程までに規格外の魔法だった。

 

 

(こんな魔法を使ってる奴は、『原作』には居なかった…)

 

 

 つまり、これは原作には存在しない『誰か』が発動させた魔法だということ。

 ほぼ間違いなく俺や佐倉と同じ転生者だろう。そうでなければ、これほどの魔法は在り得ない。

 

 

(つーか、こんなトンデモない魔法が必要な状況って一体何だよ…!?)

 

 

 はっきり言って、嫌な予感しかしない。

 だが、この魔法を使っている人間も転生者であるのなら、なおさら放置は出来ない。

 俺達としても出来るだけ状況の把握をしておく必要があるし、もしかしたら味方になってくれるかもしれない相手を無駄に失うなんて事態はできるだけ避けたいからだ。

 数秒ほどの逡巡の後、俺は佐倉に指示を出す。

 

 

「…佐倉、戦えるように予め準備しててくれ。その方が絶対いい」

 

「う、うん」

 

 

 戸惑いながらも彼女は指示に従ってくれた。

 俺自身も初めて見るが、彼女が所有している魔導師としてのデバイスは、日本刀を模した片刃の長剣。

 だが、決して日本刀そのものという訳ではなく、柄や鍔などの拵えの部分はメカニカルな意匠が施され、SFチックな仕上がりになっている。

 どこかの古武術系の道場に通っていると言っていただけあって、身に纏うバリアジャケットは、袴と道着をモチーフにしてSF風にデザインし直したような恰好だった。

 ちなみに彼女がバリアジャケットを展開する時、いわゆる魔法少女の変身シーンのように別に全裸になるなんてことはなく、こっちが気付いた時にはすでに変身は終わっている状態だった。

 だが、ポニーテールに纏めた長い黒髪が後ろに流れ、和のイメージを思わせる戦装束に身を包んだ彼女の出で立ちに俺は一瞬、ドキリとする。

 

 

(…って、なに余計なこと考えてんだ)

 

 

 心の中で自分で自分に突っ込みを入れて雑念を追い出す。

 実際、今は煩悩に塗れた余計なことを考えている余裕など全くない。

 俺は緊張した面持ちで佐倉とユーノの二人に声を掛ける。

 

 

「…二人とも、無茶はするなよ」

 

 

 お互いに頷き合い、俺達も現場へと向かう。

 ちなみに、碌に戦う力を持たない自分がそのままついて行くのは、いくら何でも足手纏い過ぎるということで、今の自分はユーノに変身魔法をかけられて彼と同じフェレット状態だ。

 仕方ないとはいえ、まさか自分が魔法少女のマスコットみたいな真似をすることになるとは思っていなかった。

 そのまま現場へと向かう俺達だったが、どうにも俺は嫌な予感を拭えないでいた。

 

 

 ―――佐倉が変身する時に一瞬だけ見えた魔力光―――

 

 

 その魔力光の色がどうしても頭から離れなかった。

 儚げな光を放つ彼女の魔力光の色は、まるで蛍の光を思わせる緑がかった黄色。

 通常、成虫となった蛍の寿命は一週間程度と非常に短い。彼女が、蛍と同じ色の魔力光を持っていることは、果たしてただの偶然なのか。

 ただの偶然だと信じたいが、そのことがこの先の彼女の運命を暗示しているかのように思えてならないのだった。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 そして、その頃、この星空の中心となるビルの屋上では、この星空を作り出した魔法使いと仮面の魔導師とが未だに睨み合っていた。

 その気になれば、上空から降らせる流星のような魔力砲撃でリーゼ姉妹を問答無用で消し炭に変えることも出来ていたはずだったが、彼女の性格がそれを許さなかった。

 あるいは、ここでの彼女の最適解の行動は、一瞬でリーゼ姉妹を撃墜し、そのまま行方を眩ませることだったかもしれない。そうしていれば、少なくとも、今のこの場に『彼ら』が集うことにはなかったからだ。

 有希とリーゼ姉妹が対峙している現場に最初に現れたのは――…

 

 

「ストップだ!」

 

 

 現れたのは、黒いバリアジャケットに身を包んだ少年の魔導師。

 

 

「時空管理局執務官クロノ・ハラオウンだ。この場の全員、武装解除して話を聞かせてもらおうか」

 

 

 はやてにとっては初対面の相手。

 有希からすると知識としてのみ知っている相手。そして、リーゼ姉妹からすると面識のある相手。

 だが、まさかこのタイミングでクロノとバッティングすることになるとは思っていなかったらしく、リーゼ姉妹の方も動揺している様子だった。

 

 

「クッ、まさか、このタイミングで…」

 

「流石に、ここで捕まるわけには…」

 

 

 万が一、ここで仮面の魔導師に化けている状態のリーゼ姉妹がクロノに捕まれば、グレアム陣営としては相当に面倒なことになる。

 そう判断したリーゼ姉妹は、この場からの一時撤退を選択しようとした。しかし、リーゼ姉妹が撤退をしようとしたところで、別の介入者が現れる。

 そして、ここで現れた者達こそ、海鳴市を恐怖のどん底に陥れた最強最悪の死神たちであり、その二人は夜の闇がそのまま形を変えたかのように、音も無くその場に舞い降りた。

 

 

「クス…パーティー会場はここですかね?」

 

「ふむ…少し早く来過ぎたか。我々の標的となるのは、ひとまず彼女一人だけのようだな」

 

 

 その声が聞こえた方に、その場の全員が一斉に振り向く。

 そこに居たのは、全身黒尽くめの長身の男とウサギの人形を抱いた白い少女の二人組。

 当然、この二人と面識のある人間などこの場には居ない。だが、たとえ知識が無かったとしても、その二人の姿を目にした瞬間、そこに居た全員に鳥肌が立った。

 その二人が持つ余りにも異次元めいた異質な雰囲気と危険さを、彼らの本能が直感的に見抜いていた。

 

 

(コイツらか…!!!)

 

 

 この二人こそが、海鳴市での虐殺事件を起こした犯人たちなのだと。

 海鳴市での事件を知っている者達は、クロノを除いて、全員が同時にそれを確信する。

 しかし、この世界に到着したばかりで、事件のことを知らないクロノは、相手が只者でないことは分かっても、それ以上のことは分からない。

 

 

「い、一体なんだ、キミ達は…?」

 

 

 背中に冷たいものを感じながら、現れた黒と白の二人に問い掛けるクロノ。

 その問いを受けた二人は、口元を残酷な笑みで歪めたまま返答する。

 

 

「私は、間久部。そこの黒い『運び屋』の雇い主だよ」

 

「クス…、私の方も名乗っておきましょうか。赤屍蔵人、隣の博士(ドクトル)に雇われた『運び屋』です」

 

 

 赤屍と名乗った男は、帽子のツバを少し持ち上げながら挨拶する。

 その立ち振る舞い自体は、一見紳士的に見える。だが、その佇まいの中に感じるこの異質過ぎる気配は一体何なのか。

 まるで自分たちの常識が一切通用しないような異邦に迷い込んだような気持ちを全員が感じていた。

 

 

「『運び屋』だって…?」

 

 

 聞きなれない言葉にクロノは聞き返していた。

 

 

「ええ、その名の通り、クライアントに依頼されたモノを運ぶのが私の仕事です。今回の場合は、ある一定の条件を満たす人間を全員あの世に運んでくれという依頼で動いています」

 

 

 黒い男はクロノ達に己の目的を告げた。

 あの世に運ぶという婉曲的な表現であるが、その意味するところは明白だ。

 つまり、この二人は、最初から『誰か』を殺すこと自体を目的としてやって来たということ。

 そして、そのことを理解した時、クロノも有希もリーゼ姉妹も、自分たちが感じていた気配の正体を完全に理解する。

 

 

 ―――血の匂いと、死の気配―――

 

 

 むせ返りそうな程に濃密な血の匂いと死の気配が目の前の二人から漂っていた。

 この二人は明確に『誰か』を殺すつもりでここに来た。そうであるのなら、この場で一番の問題となるのは――――

 

 

「…つまり、アナタ達が街を騒がしてる事件の犯人ってことでいいのかしら? 今度は一体誰を殺すつもり?」

 

 

 そう訊いたのは有希だ。

 自分の最悪の予想が現実になってしまったことに内心では相当に動揺していたが、どうにか表面上は取り繕って赤屍たちと相対する。

 そんな有希に対して、三日月のように切れ込んだ笑みを浮かべて白い少女が答えた。

 

 

「ふむ、我々が事件の犯人というのは正解だ。そして、我々が誰を殺しに来たのかという問いについてだが――…」

 

 

 見た目には完全に少女の姿でありながら、外見不相応に老成した口調。

 そして、その少女は他の人間には全く目もくれず、ただ有希の方を見つめて、冷酷に告げた。

 

 

「この場において、我々が殺す標的となるのは、キミだよ。…星空の魔術師さん?」

 

 

 有希からすると、半ば予想していた答えだった。

 例の事件の犯人が、原作に存在しない転生者たちを狙っているということは、これまでの報道内容から有希には予想が出来ていた。

 だが、どうしてコイツらが転生者だけを殺し回っているのかの理由が分からない。

 

 

「…どうして私が殺されなきゃならないのかな? 殺されなきゃいけない程の何かをした覚えは無いんだけど?」

 

「別にキミ個人に恨みがある訳じゃない。ただ、キミの魂に刻まれた力の欠片に用がある。その力の欠片を回収することが我々の目的だ。これまでに殺した者も、全員同じ理由で死んで貰った」

 

 

 魂に刻み込まれた力の欠片。

 それはつまり、この世界に転生するときに神を名乗っていた者に与えられた能力のことだろう。

 有希本人としては「貰えるものなら貰っておこう」くらいのつもりで、特別に能力の指定をしたわけでもなかった。

 有希からしたら、自称神が適当に見繕ってくれたものを、そのまま受け取っただけに過ぎない。それがまさか、こんな奴らを呼び寄せることになるとは、予想もしていなかった。

 ただ対峙しているだけで相手から感じる圧迫感。はっきり言って、目の前の相手は、とても有希一人でどうにかなるような相手ではない。今、有希が展開している魔法でさえコイツらに通用するかは怪しいだろう。

 手は震え、首には冷や汗が流れているが、辛うじてその場に踏み止まる。

 

 

(どうする…? はやてだけじゃなくて、クロノまで…!!)

 

 

 はっきり言って、置かれている状況としては最悪だった。

 有希本人としてもどう行動すべきか決めかねていると、赤屍と名乗った黒い男が愉快そうな顔をして言った。

 

 

「ふむ…、彼女もそうでしたが、やはり、後ろに守る者を持つ人間は違いますね。彼女ほどではなさそうですが、少しは楽しめそうです」

 

 

 その言葉と共に、黒い男は有希に向かって一歩踏み出す。

 しかし、彼のその歩みを止めるために立ち塞がった少年が居た。

 時空管理局の執務官であるクロノであり、はやてを守る有希を、さらに庇うようにクロノが立ち塞がる。

 

 

「僕の前で、誰かを殺すなんてさせると思っているのか…?」

 

 

 クロノの行動は、管理局の局員としては模範的な行動だっただろう。

 赤屍は歩みを止めると、少し意外そうな顔で立ち塞がった少年のことを見た。

 

 

「おや、キミも私の相手をしてくれるんですか? その職責を果たそうとする気概だけは中々ですが、全くの役不足ですよ。この私には、ね」

 

「何だと!?」

 

 

 赤屍という黒い男の前に立ち塞がったクロノ。

 その状況に慌てたのは、むしろ有希よりもリーゼ姉妹だ。

 このままクロノが突っ掛かって行った場合、クロノまで殺されることになりかねない。

 

 

「そもそもアナタは、我々の標的でも何でもない訳ですが――…」

 

 

 そこで赤屍は言葉を切る。

 そして、愉悦の混じった笑みを浮かべて残酷に告げた。

 

 

「―――私の前に、立ち塞がるのなら誰であろうと斬ります」

 

 

 告げられると同時に黒い男の姿が眼前から掻き消えた。

 常人には予備動作すら見えない速さで、クロノの首筋を狙っての赤い斬撃が繰り出されていた。

 それに咄嗟に反応できたのは、予め事件のことを知っていて警戒の強かったリーゼ姉妹と有希の3人だけだった。

 もしもリーゼ姉妹が居なかったら、クロノもここで死んでいたろう。

 

 

「ッ!!?」

 

 

 突如、鳴り響いた甲高い金属音。

 反応出来ていないクロノの前へと咄嗟に割り込むリーゼ姉妹の二人。

 一人は赤屍の放った斬撃を受け止め、もう一人はクロノを後ろへ押し飛ばしていた。

 庇われたのだとクロノが理解するよりも早く、幾条もの流星が流れ落ち、彼らの立っているビルの屋上が吹き飛んだ。

 

 

 ―――閃光、轟音、衝撃―――

 

 

 周りの数棟のビルも巻き込みながらの大爆発。

 何もかもを吹き飛ばすかのような爆風。爆発によって巻き上げられた瓦礫や土埃。

 有希は、はやてを脇に抱きかかえると同時に、クロノの後ろ襟を引っ掴む。

 

 

「うわっ!?」

 

「有希さん…!?」

 

 

 爆発の混乱に乗じての撤退。

 有希は、クロノとはやての二人を抱えて、そのまま一気に屋上から飛び降りた。

 結果として、リーゼ姉妹を置き去りにする形になるが、今は子供二人の安全を確保する方を優先した。

 時空管理局が始まって以来の史上最強の敵との初遭遇。そして、このときに流れ落ちた星々によっての爆発が、まさにその戦いの始まりを告げる号砲だった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 流れ落ちた星々によって引き起こされた爆発。

 おそらくその爆発は、海鳴市のどこにいても確認することができていただろう。

 それくらいの規模の爆発であり、当然、佐倉を含めた俺達にもその爆発は見えていた。

 

 

「ちょっ!?」

 

「何だよ、あれ!?」

 

 

 目的の現場までは、すでに100メートルくらいの距離にまで近づいていた。

 しかし、その目的の現場で突如発生した爆発に驚いて、俺達はその場に足を止めてしまう。

 

 

「…くっ!」

 

 

 ここまで届いた爆風に煽られ、腕で顔を覆う佐倉。

 フェレット姿の俺とユーノは、吹き飛ばされないように佐倉の肩にしがみついている。

 その時だった。

 

 

「「ッ!!?」」

 

 

 さっきの爆風に合わせて飛んできたのか、空から降りて来た『誰か』が居た。

 俺達の目の前に着地したその人が両脇に抱きかかえていた二人を見て、俺と佐倉は言葉を失う。

 茶髪のボブカットの少女と黒いバリアジャケットに身を包んだ少年をその女性は抱きかかえていた。

 

 

(クロノとはやて…!?)

 

 

 間違いなく、原作の登場人物のうちの二人だった。

 そして、その二人を抱きかかえている女性は、間違いなく魔導師だ。

 まるで夜を宿したような紺色の髪に、月をそのまま閉じ込めたかのような金色の瞳。

 思わず見惚れそうになるくらいの美人であり、この星空の魔法を使ったのは、この人だと一目で確信できるほどに綺麗な女性だった。

 

 

「キミは……」

 

 

 向こうもこっちに気付いた。

 明らかに魔導師である佐倉を見て、向こうの女性も一瞬、驚いた顔を見せる。

 魔導師でありながら、お互いに原作には存在しなかった相手。つまり、お互いに同じ転生者なのだと直感的に理解する。

 

 

「キミも魔導師なの…?」

 

「え、はい、一応そうです、けど…」

 

「それなら、キミにこの二人を預ける。だから、この二人を連れて今すぐここから離れて」

 

 

 そう言って、彼女は抱きかかえていたクロノとはやてを地面に降ろした。

 はっきり言って、状況について行けない。だが、状況についていけていないのはクロノも同じだったようだ。

 

 

「一体何なんだ、キミ達は!? 何で管理外世界にこれだけの魔導師が…というか、さっきの黒い男は一体何者なんだ…!?」

 

 

 見るからに混乱している様子のクロノ。

 そんな彼に対して、目の前の女性―――天音有希と名乗った女性は簡単に状況を説明する。

 

 

「ほんの数日前に一晩のうちに30人近くの子どもが虐殺される事件が起こった。…多分、さっきのアイツがその犯人だよ」

 

 

 彼女の説明に、クロノだけでなく俺達も絶句する。

 つまり、彼女らは、例の事件の犯人と遭遇し、そこから逃げて来たということか。

 そうだとしたら、状況的には最悪としか言いようが無かった。将来的には戦わなければならないとしても、碌に戦力の整っていない今の状態ではとても無理だ。

 はっきり言って、今の時点で詰んだ可能性さえある。

 何故なら、もう既にそこに―――

 

 

「クス…」

 

 

 いつかの下校中に一度出会った二人組の片割れ。

 フェレットになって佐倉の肩に乗っている俺の目には、その男の姿が映っていた。

 一体いつの間に追い付いたのか、赤い西洋剣を右手に携えたその男は、ここから少し遠くの方に佇んでいた。

 最初に出会ったときと同じ、見ただけで背筋が粟立つような異質な雰囲気を纏う男。

 

 

(ダメだ…! 今は逃げるしかない…!!!)

 

 

 即座にそう結論し、隣の佐倉に声を掛ける。

 

 

「佐倉!」

 

 

 彼女の肩から耳元で叫んだはずのに反応が無い。

 ふと見ると、彼女は前方に視線を固定させたまま全身を固まらせていた。

 

 

「何…あれ…? あんなの…勝てる、わけ…」

 

 

 呼吸が大きく乱れ、体を震わせながら佐倉が呟いた。

 至近距離でチーターに遭遇したカモシカは絶望的状況に全身がすくんで身動きがとれなくなるという。

 絶対に逃れられぬという絶望からパニックに陥るためといわれるが、そういえばアイツらと最初に遭遇したときの俺もそうだった。

 そして、そんな佐倉の様子を見て、当然と言うべきかクロノ達も気付いた。

 

 

「もう追い付いたのか…!?」

 

「クス…、つれないですね。折角ですし、もう少し遊んでいただけますか? どうやら新しいお友達も来てくれたようですしね」

 

 

 クロノの反応を無視して、黒衣の死神は相手の女性――有希の方へと話しかける。

 この中では唯一の大人の女性であり、おそらくはこの星空を作り出した魔導師。

 

 

「さっきの仮面の二人は…」

 

「当然斬りましたが、それが何か?」

 

 

 まるで何でもない事のように黒い男が返答した。

 その返答を聞いた彼女の顔に明らかな怒りの色が浮かぶ。

 

 

「…この、外道がッ!!!」

 

 

 罵倒と同時に逃げ場がないほどに降り注いだ星の雨。

 幾条もの星々が流れ落ち、黒い男の立っていた場所を中心に辺り一帯がまとめて吹き飛んでいた。

 直撃したならば灰すら残らないと確信できるような威力。その威力が、避けることはおろか反応さえ許さない速さで撃ち込まれたはずだ。

 つまり、普通ならば今ので死んでなければおかしい。しかし、この程度で死んでくれるような相手なら、最初から苦労はしてない。

 

 

「なッ!?」

「後ろ…!!?」

「はや…!?」

 

 

 一体どういう理屈の速さなのか。

 気付いた時には、その男は俺達全員の後ろに回り込んでいた。

 そして、位置的に男の一番近くに居るのは―――

 

 

(((終わっ…!!?)))

 

 

 その瞬間、俺たち全員がそう思った。

 どうしようもなく死ぬ。時間さえ置き去りにしていくような感覚の中で、俺達は「死」というものを実感した。

 死を感じた事により起こる主観時間の拡張の中で、背後に回り込んだ男が、佐倉を含めた俺達に向けて赤い剣を振りかぶるのが見えた。

 だが、それが見えたところでどうしようもない。クロノもユーノも、この場の誰も反応さえ出来ていない以上、次の瞬間には確実に佐倉の首が飛ぶことになる。

 もはやこの場にいる誰も次に起こる悲劇を覆せない。だから、この悲劇を覆せるとしたらここに居ない他の『誰か』でしかありえなかった。

 

 

「「「―――ッ!!!」」」

 

 

 その瞬間に感じた衝撃と驚愕を、何と表現したらいいのか分からない。

 刹那の閃光、突風と共に轟音――目の前に雷が落ちたかと思ったがそれも違う。

 

 

 ―――その時、見えたのは赤い閃光が舞い散る様子―――

 

 

 その美しさは、脳裏に焼き付いて色褪せる事は決してない。

 余りにも速過ぎて、俺の目に見えたのはきっと極一部でしかないだろう。

 だが、たとえ見えなくても、その赤い光が煌く様子を見ただけで、それが誰なのか俺達には分かった。

 あの日、俺達が見た片腕の英雄。

 

 

(フェイル・テスタロッサ―――!!!)

 

 

 気付いた時には、その少女の振るう錫杖が、赤い剣ごと相手の男を弾き飛ばしていた。

 だが、俺達を助けてくれた少女は、前の方を見据えたまま、こちらの方を振り返りすらしない。

 そして、それは当然だった。この男を前にして、いくら彼女といえど余所見をしているような余裕などある訳が無い。

 事実、弾き飛ばされた男は何のダメージもなく着地しており、楽しそうな笑みを浮かべていた。

 

 

「クス…、流石です。貴女が、あの程度で死ぬはずが無いと思っていましたよ」

 

「………」

 

 

 対峙している彼女は黙ったまま、ただ錫杖を構えたまま佇んでいる。

 おそらく原作の登場人物や佐倉みたいな転生者を含めての中でも、彼女は別格の強さの持ち主だ。

 だが、そんな彼女がこうして助けに駆け付けて来てくれたところで―――

 

 

(―――この状況がどうにか出来るのか!!?)

 

 

 絶望的な状況であることは、依然として変わらない。

 そして、俺達がここから体験することになったのは、文字通りの地獄だった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 ―――フェイルと赤屍が対峙しているちょうどその頃。

 

 

 最初に有希が落とした流星によって崩壊したビルの跡地。

 すでに赤屍は獲物を追ってここから出て行ってしまったが、間久部博士だけはマイペースにその場所に留まっていた。

 赤屍が出て行った以上、博士からすれば別に急ぐ必要はない。ウサギの人形を抱いた少女の足元には、赤屍が斬り捨てた仮面の魔導師―――リーゼ姉妹だった残骸が転がっている。

 その血の海を踏みつけながらその少女は、星空を眺めていた。

 

 

「…ジャッカルの言う通り、生きていたみたいだな」

 

 

 たった今、少し遠くの場所で流れ落ちた幾条もの流星。

 そして、その流星が落ちた直後―――星空の中を駆け抜けた赤い閃光。

 その赤い輝きを放つ魔力光の持ち主のことを間久部博士は覚えている。左腕を切り飛ばされてなお赤屍に立ち向かって来た魔導師の少女。

 

 

「最初に出会ったときにも思ったことだが、彼女の魔力光は本当に美しいな…。このセカイに来る前に見た『蠍の火』とそっくりだよ」

 

 

 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の中で書かれた『蠍の火』のエピソード。

 その火の光は、ルビーよりも赤く透き通り、リチウムよりも美しく酔ったように燃えていると表現されている。そして、このセカイに来る前に実際に見た火の輝きは、まさにその表現そのものの輝きを放っていた。

 

 

 ―――蠍座のアンタレス―――

 

 

 天上にある星達の中で、一際強く輝く一等星の一つ。

 その星が、人の姿を借りて空から舞い降りてきたのかと思えるほどに彼女だけは別格だった。

 戦闘能力の高さも勿論だが、何よりその心の在り方が、見た者の心を掴んで離さない。

 

 

「彼女の魔力光があれほど美しく輝くのは、あの心の在り方の象徴だからなのかもしれんな…」

 

 

 まるで自分には辿り着けない場所を夢見るような声で。

 恍惚と憧憬が入り混じった表情で、博士は呟いていた。

 

 

「キミもそう思わないか? ―――小さな魔法使いさん」

 

 

 そこで間久部博士は、後ろの方を振り返ると、そこに立っていた『誰か』に話し掛けた。

 博士からすると名前も知らない相手ではあるが、それでもつい数日前に一度会ったことは覚えている。

 振り返った先には、栗色の髪の毛を両サイドに纏め、白いバリアジャケットに身を包んだ魔導師の少女―――高町なのはが立っていた。

 

 

 

 

 




あとがき:

 この作品における特典持ちの転生者たちの強さは、設定的には、だいたい佐倉さんくらいで標準的なレベルです。
 フェイルや有希は転生者の中でも別格の強さを持っていますが、標準レベルである佐倉さんですらAAA~Sランクと原作キャラとの比較で考えれば、十分に高いスペックとチート級のスキルを持っていると言えます。
 神様転生系の作品では「平凡な主人公が、異世界に転生して云々~」というのが基本パターンですが、転生する際に特典を貰うこと自体は別に構わないと思います。ただ、自分で望んでその特典を貰ってしまったのなら、もう『言い訳』はできなくなると思うんですよ。
 前世では、自分の才能の無さを言い訳にして、色々なことから逃げて来た。だけど、今度は、転生した際に明らかに高いスペックとチート級のスキルを貰っている。他と比べて、明らかに高いスペックとチート級のスキルを持っているのに―――


「―――それでも上手くやれなかったら、お前はどうするんだ?」


 自分がチート転生者の連中(特に引きニートみたいな前世で色んなことから逃げまくってた底辺タイプ)に叩き付けてみたい言葉は多々ありますが、これもその一つですね。
 今作においては、赤屍蔵人という最悪の敵を転生者の方々に叩き付けたので、普通にやればどうやっても「上手くやれない」状況になります。
 しかし、転生した際に明らかに高いスペックとチート級のスキルを貰っている以上、自分の才能の無さを『言い訳』にする資格はないでしょう。そして、こうした「上手くやれない」状況になったとき、その人の知恵や工夫、努力で、それを乗り越えようと出来るかどうか。それが出来る人間なら自分としては肯定できる…というか絶賛したいんですが、そもそもそれが出来る人間は、粗製濫造型のなろう小説の主人公みたいな前世・人生は送らないんですよねぇー…。
 結局のところ、持っている才能や素質の大きさに関わらず、持っているモノで勝負するしかないんだと思います。


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第二十三話 『リリカルなのは』の世界で その22

 

 

 

 漆黒の闇空を覆い尽くす星の洪水。

 その星々の下、崩壊したビルの跡地で向き合っている二人の少女が居た。

 いや、正確に言うなら、二人のうちの一人は、少女の姿をしているだけの別の『何か』だろう。

 少なくとも、笑みすら浮かべて血の海の中心に佇んでいるような相手が、普通の女の子であるわけが無い。

 

 

「確か、キミとは以前に会ったな…。私に何か用かな…?」

 

 

 相手の少女―――間久部博士は、外見と不相応に老成した口調でなのはに訊ねた。

 彼女の足元にはスライスされた誰かのパーツが転がっているのに、彼女はそれを気にした様子も無い。

 そんな余りにも残酷な態度を見たなのはは思わず叫んでいた。

 

 

「どうしてあなた達は…!! どうして、こんな酷いことが出来るの…!!?」

 

 

 怒りで肩を震わせながら絶叫するなのは。

 しかし、そんな悲痛な叫びも相手にとっては大して価値のあるものではない。

 

 

「何だ。そんな下らんことか」

 

 

 興味なさげに溜め息まじりで相手の少女は答える。

 その言葉になのはの感情は一瞬で沸騰していた。

 

 

「くだらない…!?」

 

 

 一体、コイツらはヒトの命を何だと思っているのか。

 これまでに殺された人にだって、家族や友人などの大切な人がいたはずだ。

 それなのに何で平気な顔でそんな酷いことが出来るのか、なのはには全く理解できなかった。

 

 

「死んだんですよ!? いっぱい人が死んだんですよ!!? 死んだ人達にも、きっと大切な人はいた筈なのに…!! それを、それを…こうも簡単に失っていくなんて…!」

 

 

 もはや悲鳴に近かった。

 普通の人間の道徳・倫理観からすれば、こんな簡単に人を殺すなんてことが許される訳が無い。

 しかし、そんななのはの叫びに返ってきた言葉は、よりによってこうだった。

 

 

「これでも、見境なく殺している訳じゃないんだがね…。我々が殺して回っているのは、原則的には『ある特定の条件を満たす者』だけだよ。事実、キミのことは一度見逃しているだろう?」

 

 

 彼女の言う条件とは何なのか。

 その条件が一体何なのか、なのはには分からない。

 だが、これまでに殺された人間たちが、殺されてもいい人間だとはなのはには到底思えない。

 むしろ、そんな人間が存在するとしたら、それはなのはの目の前にいる悪魔たちの方ではないか。

 

 

「そんなの…! あの人たちが殺されなきゃならない何をしたって言うんですか!?」

 

「…別に、彼らに恨みがある訳じゃない。ただ、彼らの魂に刻まれた力の欠片に用がある。その力の欠片を回収することが我々の目的だ。これまでに殺した者も、同じ理由で死んで貰った」

 

 

 魂に刻み込まれた力の欠片。

 そう言えば、これまでに殺されたのは全員が何らかの力を魔導師だった。

 だが、彼女の言う魂に刻み込まれた力の欠片というのは、単純に魔導師としての才能とは違うのか。

 

 

「魔導師としての才能=(イコール)殺される条件ではないよ。もしもそうであるなら、キミが今も生きている訳が無いだろう」

 

 

 もしもなのはがその条件に当て嵌まっていたなら、なのはもあの時に殺されていた。

 しかし、魔導師としての才能=殺される条件でないというのなら、なおさらその条件が何なのか分からなかった。

 そんななのはの心情を察してか、ウサギの人形を抱いた少女はさらに詳しい事情を説明する。

 

 

「…そうだな。かつて我々の出身世界で、ある組織が『人工的な神』を創造することに成功した、と言ったら信じるかね?」

 

 

 かつて『ブレイントラスト』によって作り上げられた人工の神。

 当時最高レベルの科学技術と魔導技術の粋を集めて作られたそれは『アーカイバ』と呼ばれ、セカイの秩序と運命の流れを望むとおりに調整することが出来た。

 そのレベルは、その気になれば、既存のセカイを消去して、新たに別のセカイを創造することさえ可能なレベル―――正に全能の領域に達していた。

 

 

「それの何の関係が…」

 

「まあ、話は最後まで聞きたまえよ」

 

 

 困惑するなのはに対して、少女は淡々と話を続ける。

 そこで語られたのは、一見は荒唐無稽な与太話としか思えない内容だった。

 だが、彼女の語る言葉は間違いなく真実だ。確証は無いし、根拠もないがなのははそう確信できた。

 

 

「我々の組織の人間は、その『アーカイバ』を使って『クオリア計画』と呼ばれる恒久的世界平和を実現させるためのプランを作った。だが、結局は途中で計画は頓挫し、『アーカイバ』自体も廃棄され、そのまま朽ち果てるのを待つだけの筈だった」

 

 

 筈だった、という過去形。

 つまり、そうはならなかったということだ。

 

 

「廃棄されたアーカイバは、次元の狭間の中を漂流していた。そして、こことは違う別の次元で漂流していたアーカイバの『残骸』の一部を手に入れた者達が何人か存在した」

 

 

 残骸とはいえ、かつては神に等しかった存在の一部だ。

 たとえ、手に入れたのがその神の力が一部、一端であったとしても、人間の身には十分に過ぎた力だろう。

 その者たちは、普通の人間からしたら、神にも近しい全能の力を手に入れた―――つまり、およそ人間が考える『神』の概念に近い存在になったと言える。

 

 

「その者達は自ら『神』を名乗って、自分の好きなことをやり始めた。その中の一つが、人間の生死の操作と輪廻転生への介入だ」

 

 

 本来なら死ぬ運命にない人間を交通事故に遭わせたり、病死させたり、犯罪者の精神を操作してその者に殺害させたり、それで死んだ者たちの魂に特別な能力を付与して別のセカイに転生させたりしてきた。

 何故、アーカイバの残骸の拾った自称神たちがそんな意味のないことをしようと思ったのかは今となっては分からない。本来ならその世界に存在しないはずだった人間を送り込むことで、その世界の流れや運命……物語がどう変わるのを見てみたかっただけなのかもしれない。

 あるいは、気紛れや遊び、何かの実験のつもりだったのかもしれないが、そんなことは今更どうでもいいことだし興味もない。

 

 

「だが、そうした自称神たちによって別のセカイに送り込まれた人間―――転生者たちは何らかの『力』を与えられていることが多かった。そして、当然その『力』の元になっているのは、自称神たちが拾ったアーカイバの『残骸』だ」

 

 

 かつての神になるはずだったものの残骸。

 そして、転生者たちに分け与えられた力とは、アーカイバ……神の力の欠片であり、森羅万象の根源。

 

 

「つまり、私たちの目的は、アーカイバの『残骸』とその『力の欠片』の回収だ。すでに神を名乗っていた連中は全員ジャッカルが狩り終えて、残骸の方は回収している。今は、自称神たちがバラまいた転生者たちから『力の欠片』を回収している途中だよ」

 

「で、でも、回収するだけなら殺す必要なんて…!」

 

「いや、残念ながら転生者たちに与えられた力の欠片は魂に深く刻み込まれている所為で、死んでもらわなければ回収できない。だからこそ我々が殺して回っている」

 

 

 自分たちがやっていることはある意味では、自称神たちがやらかしたことの『後始末』だと彼女は言った。

 確かに語られた内容が正しいのなら、彼らのやっていることは後始末という側面もあるのだろう。

 彼らの事情は分かった。でも、だけど、それは、人を殺してまでやらないといけないことなのか。

 

 

「――ッ!!!」

 

 

 その時、少し遠くの場所でまた流星が落ちた。

 なのはがそちらを振り向いた瞬間、目に飛び込んで来た光景。

 流星の着弾で発生した衝撃と爆風によって巻き上げられた瓦礫。その宙に浮いた瓦礫の間隙をジグザグに駆け抜ける赤い閃光と黒い影があった。

 空中に投げ出された瓦礫さえを足場にして飛び回りながらの空中戦。赤い閃光と黒い影の二つが空中で激突する度に赤い燐光が火花のように弾け飛び、舞い散っている。

 あそこで誰が戦っているのか、今さら考えるまでも無かった。

 

 

「片腕で、良くやるものだが…」

 

 

 その光景を見ながら博士は呟いた。

 おそらく手は抜いているだろうが、あの赤屍とあれだけ戦えた人間はこれまでに一人だって存在しなかった。

 ましてや片腕を失った状態となると、普通の人間はそもそも立ち向かおうという気さえ起らない。戦闘能力だけでなく、精神的な強さにおいても間違いなく別格の強さだった。

 その時、空中で激突した赤い閃光と黒い影が互いに反対方向に弾け飛び、両者の距離が開いた。

 瞬間、黒い影を飲み込むように、またもいくつもの流星が落ちる。

 

 

「彼女だけでなく、この『星空の魔法使い』も相当だな…」

 

 

 今も空の全てを覆い尽くしている億兆の星々。

 この星空を作り出した魔導師のことをなのはは知らない。

 だが、少なくとも、なのはよりも圧倒的に実力が上の魔導師であることは明らかだった。

 空から降る流星の一つ一つが、なのはの砲撃を遥かに上回る威力。それに加えて速さと正確性が桁違いだった。

 仮になのはが、赤屍とフェイルの二人が戦っている所に援護射撃を撃とうとしても、余りにも速過ぎてまともに照準をつけることさえ不可能だろう。

 天から降り注ぐ流星のような魔力砲撃。流星の雨によって破壊され、崩壊していくビルの群れ。そして、そんな流星が降る中を掻い潜り、所々で火花のように舞い散る赤い光。

 その残酷なほどに美しい破壊の光景を見ながらなのはは思った。

 

 

(レベルが違い過ぎる…!)

 

 

 この光景を作り出した者たちの圧倒的な実力。

 先程の少女の語った内容が正しいとしたら、あそこで戦っている者達は、神に近しい存在から『力』を与えられている。

 そして、それを裏付けるかのように、彼らの戦場は常人の立ち入れるような領域ではなかった。天才という形容すら生温い、真に選ばれた強者たちにのみ許された神の領域。あの星が降る戦場で戦うことが出来るのは、きっと本当に選ばれた人間だけだ。

 しかし、そうした神に選ばれた人間たちを殺すために、この少女が用意したのが『あの男』だというのなら―――

 

 

(勝てるわけない…!!)

 

 

 そもそもの話として、彼らの『力』の大元になっている神に近しい存在すら、この二人はすでに殺して来ているという。

 それが事実であるなら、あそこで戦っている者達には最初から勝ち目など無いということになる。たとえ、今のなのはがあの戦場に行ったとしても、レベルが違い過ぎて出来ることは何も無いだろう。

 だから、あそこで戦っている人達のために今のなのはが出来ることは、一つだけだった。

 

 

「今すぐ、やめさせて…!!!」

 

 

 なのはは目の前の白い少女へデバイスを突き付けていた。

 だが、そんないつ撃たれてもおかしくない状況であるにも関わらず、相手の少女は全く動じた様子はない。

 

 

「…何のつもりかな?」

 

「あの黒い人に依頼したのはアナタなんでしょ!?」

 

「…そうだが、それがどうしたのかね?」

 

「だったら、アナタがやめさせてよ!! これは脅しじゃない!! そうでないなら…!!!」

 

「私を撃つと?」

 

 

 凄まじく冷静な表情で訊き返された。

 恐ろしいまでに無機質に語る彼女は、まるで人間じゃないみたいだった。

 

 

「確かに、私はジャッカルほどの戦う力は無い。ジャッカルを止めるなら、ヤツを倒すよりも私を殺す方が簡単だよ。奴が仕事をするのは『依頼人』が存在してこそだ。依頼人である私がこの世からいなくなれば、ジャッカルが今の仕事を続ける意味も無くなるだろう」

 

 

 もしかしたら、この少女は、他人どころか自分の命にさえ一切の価値を見出していないのではないか。

 仮定の話とはいえ、自分が殺されるという話をしているのに彼女は眉一つ動かさない。

 

 

「キミが彼らを助けたいというなら、遠慮なく私を殺しに来るといい。実際ジャッカルを倒すよりも、私を殺す方が余程可能性はあるだろう。だが、私の今の話を聞いたのなら分かったはずだ。本来的に、キミは今回の我々の仕事には何の関係も無い。むしろキミは巻き込まれただけの第三者だ」

 

 

 それは紛れもない事実だった。

 本来ならば、この世界はこんなどうしようもない事態にはなっていない。

 この世界が本来の流れから逸脱した直接の原因は、言うまでもなく赤屍と間久部博士がやって来たことだろう。

 だが、この二人を呼び寄せることになった根本の原因は、転生者の存在それ自体だ。

 

 

「転生者である彼らが存在しなければ、我々がこの世界に来ることすら無かった。我々は勿論そうだが、転生者である彼らも、本来的にはこの世界にとっては『異物』……不要な存在だと言える」

 

 

 つまり、今の状況は、この世界にとっての異物同士が勝手に争っているだけだ。

 はっきり言って、この世界の元からの住人にとっては、完全なとばっちりであり、迷惑以外の何物でもないだろう。

 白い少女は、まるで試すような表情で、なのはに問い掛けた。

 

 

「そんな彼らを助けるために、キミが命を賭けてまで我々と戦う必要があるのかな…?」

 

 

 その問い掛けになのはは即答できなかった。

 満天の星空と、流れ落ちる流星。流れ落ちた星々によって破壊されていくビルの群れ。

 そんな現実離れした光景を背景にして、少女はなのはのことを真っ直ぐに見つめて来る。

 なのはにとって、目の前の白い少女の存在自体が完全に理解の外だった。そんな余りにも得体の知れない少女の姿になのはは例えようのない恐怖を感じていた。

 

 

「さて、キミの勇気がどれだけのものか…」

 

 

 言いながら白い少女は、なのはに向かって歩き出した。

 一歩一歩ゆっくりと、なのはが突き付けたデバイスなど全く構わずに近付いてくる。

 

 

「止まれ…!!」

 

 

 普段のなのはからは考えられないような荒い口調。

 しかし、相手の白い少女は止まらない。止まってくれない。

 少女の姿をしているだけの、得体の知れない『何か』が自分の方へゆっくりと迫って来る。

 まるで出来の悪いホラー映画が現実になったような感覚だった。

 

 

「止まれって言ってる…!!!」

 

 

 一歩一歩、距離が縮まる毎になのはの心は恐怖に染まっていく。

 もうすでに手を伸ばせば触れる距離だ。デバイスの先端が相手の少女の胸元に触れそうなくらいの至近距離になって、彼女はようやく止まった。

 そこで白い少女は、なのはの瞳を真っ直ぐに見つめたまま訊いてきた。

 

 

「…どうした? 撃たないのかね?」

 

 

 その言葉が限界だった。

 

 

「あ、ぉう、嗚呼あああああああああああああああ!!!!!」

 

 

 もはや完全なパニック状態だったと言っていい。

 恐怖を振り払うかのようななのはの絶叫。その絶叫と同時に放たれた桜色の魔力砲撃。

 その光は、本来の原作においては、幾多の困難を粉砕して来た希望の光だった。しかし、この世界においても、それが希望の光となり得るかは、誰にも分からなかった。

 

 

 

 






あとがき:

 ネットでのSSを読んでると、原作に巻き込まれたくないとか言ってるチート転生者をよく見掛けます。
 そのスタンス自体は別に否定するつもりはありませんが、何故、彼らは逆の可能性を考えないのか分かりません。
 逆の可能性というのは、つまり、チート転生者側の事情に原作キャラを巻き込む可能性です。今回の自分の作品では、高町なのはやユーノなどの原作メンバーは、特典持ちの転生者達の事情に巻き込まれた形になります。
 チート転生者であるキミの存在そのものが致命的な『何か』を呼び寄せた。その結果、取り返しのつかない事態を引き起こしたとしたら――…


「―――お前は、その責任を取れるのか?」


 これも自分がチート転生者の連中に叩き付けてみたい言葉の一つです。
 フェイルや有希は、そうした責任を果たそうと出来る・戦える人間としてデザインしたキャラクターですね。
 本編のような状況に置かれても、なおも諦めずに、そうした責任を果たそうと出来る人間なら、物語の英雄・オリ主として活躍するだけの資格があると自分としては思います。
 本当にそうした責任を果たそうと出来る善性を持った人間なら、特定の原作キャラを過度に貶めたり、格下への弱い者いじめをしたりということを、そもそもしないだろうからです。
 自分としては、そうした『資格のある』と思えるような転生者たちまでアンチしたい訳ではありません。むしろフェイルを登場させてからの中盤以降は、そうした『資格がある』と思えるような転生者たちを肯定するためにこそ、この作品を書いていると言っても良いくらいです。
 いうなれば、赤屍には『資格のある転生者』と『資格のない転生者』を篩に掛ける役割をして貰っています。だから、この物語上での赤屍と間久部博士の役割は、相手が善人や悪人に関わらず『平等』に殺しに掛かって来る舞台装置というのが一番正確かもしれません。



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第二十四話 『リリカルなのは』の世界で その23

 

 

 結論から言うならば、俺らはこの男のことを舐めていた。

 いや、舐めていたつもりはなかったが、それでも見積もりが甘かったとしか言いようがなかった。

 今、フェイルが先頭に立って対峙している男。これから俺たちが挑むことになる男の絶望的な強さを。

 

 

「クス…、流石です。貴女が、あの程度で死ぬはずが無いと思っていましたよ」

 

「………」

 

 

 割って入ってきたフェイルの攻撃を難なく凌ぎ、悠然と佇む黒い男。

 

 

「ふむ…この場で私の標的となるのは三人…いえ、物陰に隠れている者を含めれば五人ですか」

 

 

 対峙している黒い男が、こちらの方を見て呟いた。

 三人というのは、フェイル、有希、佐倉の転生者のメンバー三人のことだろう。

 だが、物陰に隠れている人間も含めて五人ということは、俺達以外の転生者が来ているということか。

 確かに、これだけ派手な魔法が展開されたなら、原作にかかわるつもりが無かったような転生者だって様子を確認しに来るくらいのことをしに来ても不思議じゃない。

 

 

「これだけ派手な魔法なら、未だに燻っている連中も何らかの動きを見せてくれるかと思ったんですが…」

 

 

 まるで失望したかのような男の表情。

 この街で暮らしているのなら、例の虐殺事件を知らない人間はいない。

 そして、この世界に転生した連中が人並みの思考回路を持っているのなら、この事件が転生者がらみの事件だということは予想がついて当然である。

 男の表情には、この期に及んで自分では何も動こうとしない転生者たちへの失望がありありと浮かんでいた。

 

 

「この期に及んで何も動こうとしない連中は、未だに『他の誰かが何とかしてくれる』のを期待しているんですかね?」

 

「アンタみたいな狂人と関わりたくないってのは至極当然だし、この状況で動かないってのも別に責められることじゃないと思うんだけどね…!」

 

 

 片腕の少女が吐き捨てるかのように言い返す。

 だが、男の方は肩を竦めて見せながら、何でもないことのように言ってのけた。

 

 

「クス…貴女の言う通りですね。ですが、この期に及んで『他の誰かが何とかしてくれる』のを期待して動かない人間など、所詮はたかが知れています。私がこれまでに見てきた本当に強い人間は、自分の足で前に進もうとする者ばかりでしたよ。それこそ―――貴女みたいにね」

 

 

 お互いに面識のあることが察せる会話。

 しかも、男の方は明らかに片腕の少女のことだけは強者として認めるような雰囲気だった。

 

 

「そういえば、貴女の名前を教えていただけませんか? どうせ最終的には貴女も殺すわけですが、尊敬すべき敵手の名を知らないのは寂しいですから」

 

 

 彼女の左腕を奪っておきながら、こいつは一体どの口で言っているのか。

 おそらく彼女からしたら、ほとんど神経を逆撫でされるに等しいセリフだろう。

 しかし、それでも彼女の方は律義に自分の名前を名乗る。

 

 

「…フェイル・テスタロッサ。本当は、アンタみたいな糞野郎に名乗る名前なんて無い…って言いたいところなんだけどね」

 

「なるほど。それではフェイルさんと呼ぶことにしましょう。ああ、他の方は名乗らなくて結構ですよ。私が名前を知るのは、これからの戦いでそれに足るだけの『何か』を見せてくれた人間だけで構いません」

 

 

 たった今、男が口にした言葉。

 そして、その言葉が意味していることと、今から男がやろうとしていること。

 それは言うなれば『選別』とでも言えるものだった。

 

 

「私の眼鏡にかなった人間であるのなら、フェイルさんと同じように殺すのは後ろに回してあげましょう。私にとっては、その方が面白い」

 

 

 ここまで言われれば、彼がここでやろうとしていることを察せるだろう。

 だが、戦闘や殺し合いというのは、普通の人間にとっては完全な非日常だ。

 自分たちを殺そうとする相手がこんな突然に現れたとして、それを簡単に受け入れることが出来る人間は普通はいない。

 

 

「ちょっと、まさか…嘘でしょ…!?」

 

 

 思わずその場から一歩後ずさりする佐倉。

 明らかに恐怖からの逃避行動であり、今の佐倉がヤツと平常心で戦えるとは思えない。

 だから、今の彼女にとって、より正しい選択と言えるのは―――

 

 

「佐倉、早く逃げろ!!!」

 

 

 俺は咄嗟に叫んでいた。

 だが、俺の言葉は、単に事態を動かすだけの合図にしかならなかったようだ。

 俺が叫んだことを合図にして黒い男が踏み込んでいた。

 

 

「な…!?」

 

「消え…!?」

 

 

 速すぎて俺には見えない。

 いや、それどころかクロノやユーノ、佐倉にさえ見えていない。

 だが、次の瞬間、星が降るとしか表現できない上空からの魔力砲撃が降り注いでいた。

 

 

「「「…ッ!?」」」

 

 

 見えないなら、辺り一帯を吹き飛ばす。この魔法を撃ち込んだ彼女が本当にそう考えたかどうかは分からない。

 だが、気づいた時には、俺たちは爆発の中に巻き込まれ、巻き上げられた瓦礫と共に空中に投げ出されていた。

 そして、その中で俺は確かに見た。

 

 

(マジかよ、アイツら…!?)

 

 

 それは残酷なほどに美しい光景だった。

 林立するビル群だけでなく、空中に投げ出された瓦礫さえを足場にして、ジグザグに駆け抜ける赤い閃光と黒い影。

 両者が空中で激突する度に赤い燐光が火花のように弾け飛び、舞い散っていた。だが、今の俺達は爆風に吹き飛ばされて空中に放り投げられている状態であり、その光景に見惚れているような余裕はない。

 

 

「くっ!? 冗談じゃッ…!!」

 

 

 そんな中で、佐倉が飛行魔法を発動。

 空中に浮いている瓦礫を避けて、何とか現場から離脱する。

 巻き上げられた瓦礫の被害が届かないところまで距離を取ったと思ったとき、またしても流星が落ちた。

 閃光と爆音。そして、吹き飛ばされそうになるほどの爆風。

 

 

「スゴ過ぎる…」

 

 

 その流星のような魔力砲撃を見たユーノが呆然とした表情で呟いていた。

 常識では考えられない程の美しさと威力の砲撃だったが、それでもあの男は倒せていないし、倒せない。

 

 

「何なのよ!? そこかしこでドッカンドッカンって…!」

 

「佐倉、嘆くのは後だ! 今はとにかくここから…!」

 

 

 その時、気を失ったはやてを連れたクロノが自分たちの傍に降りてきた。

 

 

「よかった!キミ達も無事だったか!」

 

 

 だが、クロノと合流できたとして、これからどうする。

 現在、あの黒い男とメインで戦ってくれているのは、フェイル・テスタロッサと天音有希の二人。

 フェイルが前衛として戦い、それをサポートする後衛として有希が戦っているという形になっている。

 そして、その二人が繰り広げている戦いは、もはや神の領域としか思えないものであり、ユーノやクロノはおろか佐倉でさえとても割り込めるようなレベルじゃなかった。

 正直、レベルに差があり過ぎて足手纏いにしかならないし、今の俺達の現状では逃げる以外の選択肢が無い。

 しかし、その時、俺たちの誰も予想していなかったことが起こった。

 

 

「なッ!?」

 

「桜色の魔力砲撃!?」

 

「まさか、高町なのはか…!?」

 

 

 突然、空に向かって放たれた桜色の砲撃。

 その桜色の砲撃は、どう考えても本来の原作の主人公のものだった。

 つまり、高町なのはもこの戦場の近くに来ているということになるが、原作の主人公の根性を舐めていたと言うしかない。

 正直、ユーノから虐殺事件の詳細を聞いた時点で、虐殺をモロに目撃した高町なのはは完全に機能不全に陥っていると思っていたし、普通なら立ち直れる訳がない。

 あんな虐殺現場を目撃しておきながら、わざわざこの戦場へと出てくるなどと、もはや正気の沙汰ではない。

 

 

「あ! おい、ユーノ!?」

 

 

 佐倉の肩に乗っていたユーノが飛び出していた。

 だが、俺と佐倉は咄嗟には動けない。高町なのはの元へ向かったであろうユーノを追いかけるか否か。その判断に一瞬迷ったせいで足が止まった。

 

 

「ど、どうしよう…!?」

 

「今さら置いていけるかよ…!? ユーノを追うぞ!」

 

 

 ヤケクソ気味にユーノを追いかけるように指示を出す。

 数瞬の逡巡はあったが、どうにか指示に従ってくれる佐倉。

 

 

「お、おい! 危険だぞ!?」

 

 

 クロノが後ろから声を掛けるのが聞こえた。

 だが、現状で最も危険な状況にあるのは、どう考えても黒い男と戦ってくれているあの二人だ。

 俺達の行動に多少でも無理が利くとしたら、あの二人があの男を引き付けてくれている今しかない。

 

 

「クロノ執務官! アナタはその子…はやてのことを頼みます!」

 

「お、おい!?」

 

 

 とりあえず、気絶しているはやてのことはクロノに押し付ける。

 クロノの方も気絶したはやてを抱えている状態なら安全の確保を優先するだろうし、余計な無茶はしないだろう。

 あの男が原則的に転生者しか狙わないなら、クロノとはやての方は、これでひとまずは安全のはずだ。それよりも現状での問題は、高町なのはの方だ。

 正直、今の高町なのはがどういう状況にあるのかは分からない。そもそも、今の状況がすでに『原作』から完全にかけ離れてしまっている以上、もはや何が起こるかなど予想がつかない。

 

 

(危険なのはとっくに分かってるんだよ…!?)

 

 

 クロノに言われるまでもなく、そんなことは分かっている。

 いや、本来の原作を知っているからこそ、あの男が本来なら絶対にありえない存在だということが分かる。

 どうして、あんな存在がこの世界に現れたのか。そんなことは決まってる。

 それは、つまり―――

 

 

(―――俺や佐倉みたいな転生者の存在こそが、あの男を呼び寄せた…!)

 

 

 薄々感じていたことだったが、おそらく間違いない。

 もはや誰にもどうしようもない状況にまで事態は悪化している。

 原作の流れを狂わせた責任を果たすなんて、大それたことを言うつもりはないし、それが出来るだけの実力も無い。

 もしかしたら、俺達全員が生き残るための選択肢など実は最初から無くて、ただ無駄なことをしようとしているだけなのかもしれない。

 だけど、それでも―――

 

 

(出来ることをやるしかない…!)

 

 

 人は生きる限り様々な選択を迫られる。

 だが、現実はゲームではない。現れた選択肢の中に正解が用意されているとは限らない。

 それでも俺達は、その場面で、出来ること・正しいと思ったことをやるしかない。あるいは、正しいと思っていなくても、選ばなければならないことがあるということを俺は知った。

 自分が選んだ道と選ばなかった道。そのどれが正しくどれが間違っていて、そして、それを誰が間違いだと決めるのか。少なくとも今の俺には分からない。決める事が出来なかった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 そして、当然、高町なのはが放った桜色の魔力砲撃は、赤屍と最前線で戦っている者たちにも見えていた。

 林立するビル群の合間を飛び回りながらの激戦の渦中にあるその二人―――フェイルと有希はその桜色の砲撃を見て愕然としていた。

 

 

「桜色の魔力砲撃…!?」

 

「まさか、高町なのはも来てるの!?」

 

 

 気を取られた所為で一瞬だけ動きが止まった。

 だが、それは音よりも速く動けるような人間にとっては致命的な隙だった。

 

 

「…! 後ろぉ!!!」

 

 

 いち早く気付いたフェイルの叫び声が響く。

 その声に反応して反射的に有希は自分の背後に流星を降らせた。

 降り注いだ魔力砲撃の余波だけで近くのいくつかのビルが吹き飛び、大規模な土煙が発生する。

 そして、その土煙を切り裂いて飛び出してくるのは、黒衣の死神。

 

 

「あぐっ…!?」

 

 

 突撃してきた男の刺突が有希の右眼を貫いた。

 追撃の返す刃が彼女の首を刎ね飛ばす直前で、フェイトの真ソニックを遥かに上回る速さで赤い閃光が駆け抜けていた。

 振るわれた黒い錫杖が赤い剣をはね飛ばし、そのまま赤い剣ごと赤屍を後方に弾き飛ばす。

 

 

「無事ですか!?」

 

 

 焦った様子でフェイルは後ろにいる有希に声を掛ける。

 

 

「ぅぐ…なんとか…!」

 

 

 ギリギリで首を刈り取られるのを防いだ。

 だが、右手で右眼の傷を押さえた場所から、赤い血が流れ出ている。

 傷の深さからして網膜と視神経も確実にダメになっているはずだ。これで彼女の右眼は完全に潰された。

 フェイルからしてみれば、まだ名前も知らない魔導師の女性。現在、彼女が展開している星空の魔法は、フェイルから見ても規格外なものだった。

 攻撃範囲と火力の面で、これ以上の魔法を使える人間は原作キャラと転生者を含めても恐らく存在しない。それだけの支援砲撃をサポートとして受けながら戦っているのに、それでもまるでこの男には届かない。

 

 

「フム…、先ほどの桜色の魔力砲撃を見るに、どうやら博士の方で何かありましたか」

 

 

 突然に放たれた桜色の魔力砲撃。

 そして、その砲撃が放たれた場所は、赤屍が間久部博士を置いてきた場所だった。

 

 

「やれやれ…。折角、気持ちよく戦えていたというのに、水を差される形になりましたね…。どこの誰かは知りませんが、余計なことをしてくれる…」

 

 

 いかにも不機嫌そうに赤屍は吐き捨てた。

 状況を考えるなら、間久部博士の方を『何者か』が襲撃してきたということだろう。

 博士がそこら辺にいるような半端な連中に遅れを取るとは思わないが、一応、『依頼人』である彼女を守ることも赤屍の仕事の中には含まれる。

 それは、つまり、依頼人に危害が及ぶようなことがあれば、そちらを優先する必要があるということだった。

 

 

「さて、貴女達二人とのデートを袖にするのは大変に心苦しいのですが、ひとまずここでお暇させてもらいますよ。一応、依頼人である博士の身の安全は守らねばなりませんのでね」

 

 

 帽子を少しだけ持ち上げ、フェイルと有希の二人に挨拶をする赤屍。

 この化け物が戦闘を切り上げて、引き下がってくれるのなら願ったり叶ったりだろう。

 だが、ここで赤屍を行かせた場合、きっと、高町なのはの方に危害が及ぶ。その可能性を察せない程、この二人の頭の回転は遅くない。ましてや、この男を呼び寄せる原因になったのは、他でもない自分たちの存在だろう。

 もしも、そうであるのなら、高町なのはは巻き込まれただけの被害者だ。今の状況が自分たちの所為であるのなら、可能な限りそうした被害者は減らすべきだし、その責任がある。

 それが分かっているからこそ―――

 

 

「このまま黙って行かせられるかッ!!」

 

 

 まるで血を吐くかのような有希の叫びと共に幾条もの光の矢が落ちる。

 そして、それを目眩ましにして、上空後方に回り込んでいたフェイルが死角から襲い掛かった。

 上空からの突き下ろしの一撃。見えるはずのない攻撃を赤屍は視線すら合わせずに上に掲げた剣の横腹で受け止めた。

 互いの得物がぶつかり合い、発生した衝撃。その衝撃に赤屍の足元の地面がクレーターのように陥没する。

 

 

「――!」

 

 

 赤屍にとっても予想外の一撃の威力。

 その威力を受けた赤屍の表情が微かに変わる。最初に交戦した時からまだ二日しか経っていない。

 二日前の戦いで推し測った実力からは到底考えられない威力の一撃だった。防御に優れた鉄槌の騎士ですら、防御ごと一撃で沈めるであろう威力。これまでにフェイルが回収したジュエルシードの魔力を上乗せしたからこその速さと威力。

 本来ならば切り札として温存しておきたかったが、自分たち以外の人間にまで危害が及ぶかもしれないとあれば、とても出し惜しみなどしていられない。

 

 

 ――ギャリィンッ!

 

 

 金属が擦れる音を響かせて、互いが互いの武器をはねのける。

 はねのけられた互いの武器は、互いに月を思わせる軌跡を描いた。赤い剣はその軌跡を下弦の月に。そして、黒の錫杖はその軌跡を上弦の月に。

 赤屍の横薙ぎの斬撃をフェイルが縦にした錫杖で受ける。そこから切り返しで逆から襲い掛かる赤い剣を錫杖がはねあげた。次の瞬間には両者の武器は、まるでそれ自体が意思を持っているかのように翻り、視認力の限界を超えた音速の刃となっていた。

 二つの月は触れ合うごとに星を撒き散らし、轟音を鳴らす。その圧倒的な破壊力は、その余波だけで周りに存在するものをズタズタに破壊していく。

 

 

(さっきまでより数段速い…!)

 

 

 有希の目から見ても、明らかにフェイルの速さと威力が上がった。

 ここまで急激なペースの変化であれば、普通は対応できずにそのまま押し切られる。

 しかし、そんな急激なペースの変化だろうと、赤屍は即座に互角以上に対応していた。この男の実力の底が一体どこにあるのかまるで分からない。

 選択を一度でも間違えば即死する。そんな嵐のような攻防と緊張に晒され続けた疲労からか、わずかにフェイルの集中の糸が緩んだ。それは隙と言うには余りにも微細なものだったが、それを見逃すことなく赤屍の横薙ぎの斬撃が繰り出される。

 

 

「ぐっ!?」

 

 

 間一髪、首を守ることに成功した。

 だが、受けた衝撃が全身に走り、踏ん張ることも出来ずに吹き飛ばされた。地面を削り、なんとか制動を掛ける。

 もしも、ここで追撃が来ていたら死んでいたかもしれない。だが、追撃は来ない。距離が開いたその瞬間、逃げ場がないと思えるほどに降り注いだ流星が赤屍の追撃を阻んでいた。

 今さらながら、有希の魔法による支援砲撃が無ければ、フェイルもとっくに殺されていておかしくない。

 

 

  ―――『星の言伝(Astro-Logia)』―――

 

 

 星空そのものを形にした有希の最強の攻撃魔法。

 天球を模した大規模な封時結界を展開し、遥か上空に埋め尽くすほどの魔力弾が待機状態でセットされている。

 単純な「流星」や「流星群」での砲撃は勿論、自分の好きな「天体図」を描き、空一面を魔法陣とすることで大規模儀式魔術さえ望むままに発動できる。

 個人の人間が持ち得る火力と攻撃範囲で言うなら、これを凌ぐ魔法はおそらくこの世に存在しない。だが、決して簡単な術式ではないし、当然、ただ展開を維持するだけでも相当な集中力を必要とする。

 たった今、右眼を潰されたというのに、彼女はその痛みを意思の力で捻じ伏せて、この魔法を展開し続けてくれていた。

 

 

「大丈夫…!?」

 

「ええ、どうにか…!」

 

 

 吹き飛ばされたフェイルの傍に駆け寄る有希に対して、肩で息を切らせながら返す。

 

 

「そっちこそ気をつけてください。分かってると思いますが、アイツはあれくらいで倒せる相手じゃない…!」

 

 

 その場から立ち上がると、二人は前を見据える。

 流星が落ちた爆発によって巻き上げられた土煙がゆっくりと晴れていく。

 

 

「「……ッ」」

 

 

 半ば以上は分かっていたことだが、それでも現実として突き付けられると精神的に来るものがある。

 土煙の中から現れた男は当然のように無傷であり、両陣営は距離をあけて改めて対峙する形になった。

 

 

「―――流石です」

 

 

 お互いに睨み合っていたが、ふと赤屍が口を開いた。

 

 

「貴女達二人は、別格だと私も認めますよ。単純な戦いの強さだけでなく、その心もね」

 

 

 赤屍は、素直な称賛を口にすると同時に過去を思い出していた。

 過去に戦ってきた人間たちのことが脳裏に浮かぶ。赤屍自身も含めて大半はロクデナシだったが、たまに星の光を宿したかのような眼をしているような人間に出会うことがあった。

 

 

「フェイルさんの名前はすでに聞かせてもらいましたが、貴女の方も名前を聞かせてくれませんか?―――星空の魔術師さん」

 

「…有希。天音有希」

 

 

 尊敬すべき敵手の名前を聞いた赤屍は満足そうに頷く。

 誰かが被らなければならない危険―――そうした危険を敢えて自ら引き受けるのは、無謀ではなく勇気と呼ぶべきものだ。

 自分以外の「誰か」のために戦うことが出来て、その力を出せる。そして、この二人は実際に、さっきまで以上の力を出してきた。その在り方は、かつての好敵手たちのことを思い出させるのに十分なものだった。

 

 

「フェイルさんに対しては元々そのつもりでしたが、貴女もここで殺すのは止めておきましょう。どうせ殺すのであれば、時間をおいて、より強くなった貴女達を殺す方が面白い」

 

 

 赤屍としては、今の時点ではフェイルと有希を殺すつもりは無くなっていた。

 ただ、この二人は、このまま赤屍が素直に引き下がろうとしても、それを黙って見過ごすことはしない。

 なぜなら、間久部博士の方の様子を確認しに行くために引き下がろうとした赤屍をわざわざ自分たちの元に引き留めるために、この二人は戦っている。

 博士の方に居るであろう「誰か」に危害が及ばないようにするために、この二人は身体が動く限りは立ち向かってくる。そういう確信が赤屍にはある。

 そんな二人に対してニッコリと微笑みかけながら、赤屍は言った。

 

 

「―――そういう訳ですので、貴女達は少し寝ていて下さい」

 

 

 その瞬間、明らかに赤屍の纏う雰囲気の禍々しさが増した。

 ゾクリと背中が震え上がるのをフェイルと有希は同時に感じた。

 

 

(ヤバ…!?)

 

 

 そう思った次の瞬間、赤屍の姿が眼前から掻き消えた。

 有希はおろか、フェイルにさえ全く見えない。

 

 

「……かッ!?」

 

 

 突如、フェイルの後ろの首筋に衝撃。

 本気ならばフェイルさえ一瞬で殺せる実力を有しているのが赤屍だ。

 なす術もなくフェイルが昏倒し、さらに有希も同じ一撃を喰らわされて意識を失った。

 

 

 ―――バリン、と。

 

 

 有希が意識を失ったことで、展開されている結界魔法も解除される。

 周りの空間にヒビが入り、まるで鏡のように世界が砕け、夜空を貼り付けたガラスの欠片が舞い落ちていく。

 そんな幻想的にも思える光景の中、赤屍は崩れ落ちたフェイルと有希の二人を『安全』な場所に横に寝かせた。

 

 

「次に会うときは、今よりもさらに強くなっていることを期待していますよ。二人とも」

 

 

 意識を失っている以上、聞こえてはいない。

 それが分かっていても赤屍は二人に対して言葉を送った。

 

 

「さてさて、博士の方は一体何をやっているのやら…」

 

 

 赤屍は踵を返すと、先ほどの桜色の魔力砲撃の場所へと向かった。

 彼の向かう先には、本来の『原作』の主人公である高町なのはが居る。だが、最も実力の高いフェイルと有希の二人がすでに行動不能にされている状態だ。

 そんな絶望としか言えない状況で、残された人間たちに何が出来るのか。まさに正念場を迎えようとしていた。

 

 

 

 






あとがき:

勇気→わずかな可能性や根拠があり、それに賭けて大胆に行動すること
無謀→策も何も無しにただ闇雲に行動すること

 勇気と無謀は違うとはよく言われるセリフですが、それは概ね上記のようなことを言っていると思います。ただ、本編の転生者と赤屍とでは戦力差があり過ぎて基本的に勝ち目はゼロです。ただ、そうした絶望的な状況こそ、ヒーローとしての本質が問われる場面だと思います。

「相手が勝てそうにない絶望的な敵だからって、アンパンマンや仮面ライダーが、それを理由に戦わないなんてことがあり得るか?」

 この問いに対する答えが『彼ら』の本質だと自分は思っています。もっとも、これはあくまで自分の考えですから当然違う考えもあるでしょう。『彼ら』の本質がどこにあるのか、一度考えてみてもいいのではないでしょうか?




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第二十五話 『リリカルなのは』の世界で その24

 

 

 その時、高町なのはが放った魔力砲撃。

 なのはとしては、積極的に傷付けたり、殺したりしたいと思った訳ではなかった。

 そもそも、間違いなく非殺傷設定で撃ったはずだ。いくら相手が超凶悪な殺人鬼であろうと、デバイスのAIが独断で非殺傷設定を解除するはずもない。

 だから、目の前のこの光景は、きっと何かの間違いのはずだとなのはは思った。デバイスであるレイジングハートにすら何が起こったのか理解できなかった。

 

 

「フム…なかなか痛いな」

 

 

 凄まじく冷静な声。

 焼けた肉と焼けた脂肪の臭いが鼻をついた。

 なんだ、これは。自分がこれをやったのか。目の前の光景に頭の理解が追い付かない。

 

 

「傷口が焼かれているから出血は殆ど無いが…やはり彼女は凄いな。尊敬するよ」

 

 

 なのはの放った魔法が、白い少女の右腕を吹き飛ばしていた。

 肘よりも少し上の部分から吹き飛んだ右腕を見ながら、博士は呟いていた。

 右腕が吹き飛んでいる状況でありながら、少女の方は全く動揺すらしていないように見えた。

 眉一つ動かさずに淡々とした様子で佇む少女はもはや完全に人間を超えていた。

 

 

「ぁ、あ、そん、な…そんな、つもりじゃ…!」

 

 

 見るからに動揺した様子のなのは。

 確かに、非殺傷設定で撃ったはずなのに、相手の右腕が吹っ飛んだ。

 何故、そんなことが起こったのか。普通の魔導師ならば、絶対にやらないことをこの少女はやった。

 基本的に、非殺傷設定というモードは、それを撃つ方の任意で設定している。殺傷設定で撃たれた魔法を、撃たれた側の術式で非殺傷設定に書き換えることでダメージを軽減するような防御は存在する。

 しかし、普通の人間は、その『逆』をしようなどとは考えない。そんな自分からダメージを増やすようなことをする意味など全く無いし、それを自分からやる人間など普通は存在する訳がない。

 非殺傷設定で己に撃たれた魔法を、わざわざ殺傷設定へと書き換えた。今の彼女には、たとえ非殺傷設定の魔法を撃ち込んだとしても、殺傷設定の魔法としてダメージが入る。

 それをいち早く理解したレイジングハートは思わず叫んでいた。

 

 

『Are you crazy !?(気が狂ってるんですか、アナタは!?)』

 

 

 目の前の少女の常軌を逸した異常性と特別性。

 デバイスであるレイジングハートにさえ目の前の白い少女は理解不能な存在だった。

 なのはとレイジングハートに対して、間久部博士はこれ以上は無いというほど冷淡な表情で言ってのけた。

 

 

「それは違うな…。ジャッカルに言わせるなら、戦場で確認すべきは相手が『正気』かどうかではなく、相手が『本気』かどうかだそうだ。…というか、今さら気付いたのかな? ジャッカルもそうだが、我々は正気のままで狂っている」

 

 

 中々痛いと口にはしているものの、表面的には痛がる素振りすら見せない。

 

 

「…というより、逆にキミ達に訊きたいんだが、我々のような凶悪な殺人鬼を相手にして非殺傷設定なんて温いことをやってる場合なのか? こちらからは殺せるのに、キミ達からは殺せないなんて、キミ達にとって不公平に過ぎるだろう。今の状態なら、キミ達も私を殺すことが出来る。こちらとしては、むしろ不公平を是正して、公平を期してあげたつもりなんだが…」

 

 

 むしろ、博士は心底不思議そうな顔をして、なのはとレイジングハートに訊ねていた。

 非殺傷設定の魔法を撃ち込んだとしても、殺傷設定の魔法としてダメージが入る。つまり、ここで間久部博士と戦うのなら、どう転んでも殺し合いになるということだった。

 

 

「キミは私を殺していい。いや、むしろ殺しに来るべきだ。実際、我々は殺されても仕方のない極悪人だからな」

 

 

 これは、覚悟などではない。

 これは、ただの狂気だ。彼女の全身から、むせ返りそうな程に濃密な狂気が漂っている。

 

 

「…ところで、私の右腕を吹っ飛ばしてくれたわけだが、移植用にキミの右腕を貰っても構わないかな?」 

 

 

 そこで彼女は残った左手でポケットから一枚のカードを取り出した。

 取り出したそのカードは『神の記述』と呼ばれ、無限城世界での魔法使いによって作り出された最高位のアーティファクトの一つだった。

 そして、彼女が取り出したカードにタイトルとして刻まれているのは、Dr.ジャッカルと並んで、無限城世界における『最強』の代名詞の一つ。

 

 

「――■■■■」

 

 

 間久部博士が何かのコマンドワードを呟いた。

 そして、その言葉が発せられた直後にそれは起こった。

 

 

『Summoning magic!?(召喚魔法!?)』

 

 

 レイジングハートから驚きの声が上がる。

 ミッドチルダ式、ベルカ式のどれとも違う術式によって編まれた魔法。

 落雷と共にその場に現れたのは―――

 

 

「雷の、魔獣…!?」

 

 

 そうとしか言いようが無かった。

 人間の体に、獣の頭を持った獣人。ルーン文字の刻まれた籠手や肩当といった武装も身に着けているが、そんなものはオマケに過ぎない。狼か何かを思わせる獰猛な顔に、灰色をした筋骨隆々の巨大な体躯はまさしく鋼だった。

 金色の長髪に、鋭い牙と爪。そして、その全身を雷が帯電させており、その身体の周囲にはバチバチと音を鳴らす電流が走っている。無論、まともな生物などではない。『神の記述』のカードの力を使って実体化させた疑似精霊とでも表現するべき存在だった。

 もっとも、かつての本物の『雷帝』に比べれば遥かに劣った存在であり、おそらくフェイルや有希ならどうにか倒せるくらいの相手でしかない。しかし、それでも、今の高町なのは程度を相手にするには十分過ぎる存在だと言えた。

 その身に内包した圧倒的すぎるエネルギー。そして、ビリビリと空気が震えるような殺人的な圧迫感。

 間久部博士の傍らに立っていた雷の魔獣が彼女の前に出た。

 

 

「…ッ!」

 

 

 思わず、その場から後退りするなのは。

 そんな彼女へ向けて、雷の獣の右腕がまるで銃口のように持ち上がり、その右手に莫大なエネルギーが収束していく。

 自分に向けて撃たれようとしているのが明らかなのに、膝が震えるだけで身体が動いてくれない。

 その時だった。

 

 

「なのはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

 凄まじい勢いで駆け付けたユーノのシールド魔法が、放たれた青白い雷光を防いでいた。

 

 

「ユーノ君…!?」

 

「なのは、早く逃げて! はっきり言って、僕じゃ持たない…!」

 

 

 早く逃げろとユーノは叫んだ。

 しかし、彼らが相手にしている雷の魔獣を前にしては、全ての行動が遅すぎる。

 撃たれたプラズマ砲を防いだと思ったのも束の間、踏み込んで来た魔獣の拳がユーノのシールド魔法を粉砕していた。

 砕かれたシールドの欠片が虚空に溶けて消えるよりも早く、魔獣がさらに踏み込んで来る。

 

 

「「―――!!!」」

 

 

 しかし、そのタイミングで、また別の第三者が上空から割って入って来た。

 まるで蛍の光を思わせる緑がかった黄色の魔力光。ポニーテールに纏めた長い黒髪を後ろに流しながら飛び込んできた魔導師。袴と道着をモチーフにした和のイメージを思わせるバリアジャケットに身を包んだ魔導師の女の子。

 駆け付けて来てくれたその女の子になのはは見覚えがあった。クラスは違うが同じ学校の同じ学年の女の子だったはずだ。彼女も魔導師だったのかとなのはは少なからず驚いたが、なのはが彼女の名前を思い出すよりも彼女の行動の方が早かった。

 なのはが気付いた時には、飛び込んできた魔導師の少女の放った渾身の魔力撃が魔獣に襲い掛かっていたのだった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 高町なのはとユーノを襲おうとしていた絶体絶命のピンチ。

 俺と佐倉は、そのピンチにどうにかギリギリで駆け付けることに成功していた。

 だが、やはりというか、彼ら二人の置かれていた状況というのは、『原作』のどこにも存在しないものだった。

 

 

(なんだよ、あの雷の怪物は…!?)

 

 

 あの時に出会った不思議の国のアリスを思わせるような少女。そして、その少女の傍らに立つ雷の怪物。

 もはやこの時点で心が折れそうだったが、はっきり言ってそんな暇はなかった。以前にも高町なのはを助けたこともあるフェイルは、あの黒い男の方に掛かり切りだ。

 放っておいても、あの二人を助けるような人間はきっと誰も来ない。つまり、ここで俺達が止まっていたら、間違いなくあの二人が死ぬことになる。だから、今度ばかりは、俺達が動くしかなかった。

 

 

「佐倉、一撃だけでいい! 一撃叩き込んだらあの二人を連れて離脱しろ…!!」

 

「ああもうっ、何でこんなことに…!!」

 

 

 タイミング的には、本当にギリギリだった。

 ユーノのシールド魔法が砕かれた直後、駆け付けた勢いのままに佐倉は自身の渾身の一撃を叩き込んだ。

 魔力ランク的にはSランクに迫る魔導師の全力攻撃だ。一撃でコンクリートの地面を数十メートルに渡って吹き飛ばしていた。

 ユーノと高町なのはが驚いた表情でこちらを見ていたが、今はそんなこと気にしている場合じゃない。

 

 

「佐倉…!」

 

「分かってるよ…!?」

 

 

 撃ち込んだ攻撃によって発生した大規模な土煙。

 焦燥に駆られながらも、その隙に乗じて、俺と佐倉はユーノとなのはの二人を連れての離脱を試みる。

 なのはとユーノの二人を引っ掴んで、そのまま一目散に逃げようとした。

 

 

「―――他はともかく、転生者であるキミは逃がさんよ」

 

 

 底冷えのするような声が響いた。

 それと同時に何かを砕くような音が聞こえた。

 雷の魔獣が文字通り地面を蹴り砕いて突進した音なのだと理解する前に、その獣は俺達がいるところまで追い付いていた。

 

 

(迅ッ…!?)

 

(デカいくせに…!?)

 

 

 重量級の巨体だとは思えないような圧倒的な速さだった。

 こちらだって全力で逃げに徹したはずなのに、あっという間に追いつかれた。

 切り裂くかのように土煙の中から飛び出してきたと思ったら、すでに横に並ばれている。

 追いついた勢いをそのままに雷を纏った拳が撃ち込まれた。

 

 

「「「「―――ッッ!!!」」」

 

 

 その拳は空振りで、俺達の誰にも当たらなかった。

 だが、その空振りだった拳はそのまま地面にぶち当たり、尋常でない破壊をもたらしていた。

 最初に佐倉が吹き飛ばしたのに比べて2倍近い範囲が、たった一発の衝撃で消し飛んだ。

 

 

(速さとパワーの両方で佐倉以上ってことかよ…!?)

 

 

 速さとパワーの両方でこちらを数段は上回る相手。まともに正面からぶつかっても負ける公算が大きい上に、速さで負けている時点で撤退すら難しい。

 もちろん、今もフェイルたちが戦っている黒い奴に比べれば、コイツが遥かにマシな相手だということは直感的に分かる。

 だが、それでも、自分たちが相手にしている魔獣の戦闘力を目の当たりした俺の背中に戦慄が走っていた。

 

 

「佐k――…」

 

 

 佐倉の顔を見た瞬間、俺は言葉を失う。

 その時の彼女は、怯え切って、今にも泣き出しそうな表情をしていた。

 前世も含めての人生の中で、初めて経験する本物の殺し合い。しかも、こちらを殺しに掛かって来ているのは、明らかに自分たちよりも強い猛獣だ。

 戦うための技術や力を持っていることと、本当に危険な存在に立ち向かう勇気とは全く別のものだということを、俺も佐倉も今更になって思い知っていた。仮にライフルを持っていたとしても、自分に迫り来る猛獣を冷静に撃てる人間なんて滅多にいないのと同じだ。

 それを思えば、本当の土壇場を前にして動きが止まった彼女を責めることは誰にもできまい。だが、この場においては致命的な隙以外の何物でもない。

 

 

「…! 動きを止めちゃダメだ…!!」

 

 

 ユーノの焦った叫び声が響いた。

 あっと思った時には、すでに何もかもが遅かった。

 まさにその瞬間、俺と佐倉の二人は、雷の魔獣に殴り飛ばされていたのだった。

 

 





あとがき:

 以前にも書きましたが、二次創作でオリ主の方々が言っている『殺す覚悟』というのは、本来的に『罪の免除』とは全く別次元の問題だと思います。
 だから、この両者を同列に繋げて論じるような言い方をしているオリ主の方々を見ると、自分としては「何を勘違いしてんだ、テメェは」と言いたくなります。
 今回のエピソードでは、間久部博士の右腕を吹っ飛ばしたことに対して動揺した高町なのはを描きました。それに対して、殺す覚悟・傷付ける覚悟が無いからだというのは、確かにそうかもしれません。そういう意味では、何の躊躇や動揺もなしに敵を殺傷しまくっている一部のオリ主の方々は、確かに殺す覚悟を持っているのかもしれません。
 ただ、そういう何の躊躇や動揺もなしに敵を殺しまくっているようなオリ主様が語る『殺す覚悟』というのが何を指しているのかを分析してみると、せいぜい戦場で相手を殺傷しても、それに対して動揺しないための心構えというくらいの意味しかないように思えます。そして、その心構えに必要なものをさらに細かく分析すると「殺意を高める」「戦う相手に対する共感性の鈍麻」「殺傷することに対する忌避感や罪悪感の軽減」などといった、ようするに『人でなしになる心構え』としか言いようが無いんですよ。
 戦いという修羅場においては必要な心構えではあるのかもしれませんが、普通の思考で考えれば『罪の免除』とは完全に逆のベクトルであり、断じて同列に並べられるものではないと思います。リリカルなのはのオリ主の中には「俺はお前らと違って、殺す覚悟を持ってる」とか自慢するように言ってるアホも居ましたが、これは極端な話、「自分は人でなしです」と公言しているも同然で、普通に考えたら他人に誇ったり自慢したりできるようなことではないと思います。
 少なくとも、自分が憧れた英雄たちは、そんな『殺す覚悟』や『人でなしになる心構え』を他人に誇ったり、他人に自慢するようなことは殆どしていなかったと記憶しています。戦士としてはともかく、人間としてはむしろ恥ずべき事かもしれないと自覚していて、己の内だけに秘めていたことの方が圧倒的に多かったと思います。基本的に自分の内にだけ秘めておくべきものなのに、オリ主の方々はそこを勘違いして他人に誇ったり、自慢したりしようとするから、妙なことになるんですよ。
 Fate/hollow ataraxiaでのランサーなんかは「仲が良くても肉親でも、敵なら殺す」という戦士としての自分の心構えを士郎に語っていたことはありましたが、あれは単に語っただけで、別に自慢したり、押し付けたりしようとしていた訳ではないでしょう。



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第二十六話 『リリカルなのは』の世界で その25

 

 

 俺と佐倉の二人が、雷の魔獣に殴り飛ばされた。

 吹き飛ばされて、宙を舞っている最中に高町なのはの悲鳴が聞こえたが、それもどこか遠くに聞こえた。

 バリアジャケットのお陰で致命傷には届いていない。バリアジャケットに付随する防御フィールドの効果の範囲内にいた俺もどうにか生きていた。

 吹き飛ばされて地面に転がる佐倉。フェレット姿である俺も彼女の肩から投げ出され、地面に叩きつけられる。

 

 

(っ…痛ってぇ…!)

 

 

 全身が痛むが、どうにか動ける。

 佐倉の方もどうやら無事らしく、起き上がろうとしてる彼女の様子が見えた。

 もしも、相手にしているのがあの黒い男の方だったら、さっきの一撃を喰らった時点で俺も佐倉も確実に死んでいる。

 それを考えれば、まだマシと言える状況ではあるが、それでも状況が悪いことは変わらない。起き上がろうとしている佐倉に対し、すでに魔獣の追撃が迫っていた。

 その速さは、ユーノとなのはが割り込む暇すら無い。

 

 

「う、お、ああああ!!!」

 

 

 ほとんどパニック状態だっただろう。

 手にしている刀型のデバイスを無我夢中になって振り回しただけだ。

 佐倉の振るった刀と、雷を纏った拳とが互い違いになるように交錯する。

 形としては拳と刀の相打ちになったが、とても互角とは言えない。同時に当たったはずなのに、一方的に佐倉だけが吹っ飛ばされた。

 血飛沫が舞い、吹き飛ばされる佐倉。まるで大砲の砲弾のような勢いで宙を疾走し、背後にあったコンクリートのビルに轟音を響かせながら激突。そのままビルの壁を突き破って吹き飛ばされた。

 

 

「佐倉…!?」

 

 

 普通の人間なら間違いなく死んでいる。

 だが、Sランクに迫る魔導師である彼女も、当然ながら常人ではない。

 地面を削りながら、どうにか彼女も着地している。だが、そこで終わるわけがない。ほとんど間を置かずに幾つものプラズマ球が佐倉へと襲い掛かっていた。

 

 

「――ッ!!!」

 

 

 悲鳴を上げる暇さえ無いほどの速さだった。

 コンマ一秒の単位で進行する高速戦闘であり、もしも瞬きをしていたら、その瞬間に動きを見失っている。

 迷っている時間も、考えている時間もない。考えるよりも先に身体が動いているような人間でなければ、この状況の中では動けない。

 そして、それが出来るのは、当然、俺ごときの凡人などではない。

 

 

(マジか、あの二人…!?)

 

 

 動けないでいる俺を置き去りにして、ユーノとなのはの二人が動いていた。

 あの黒い殺人鬼よりもマシな相手とはいえ、どう考えても今の二人が勝てるような相手ではない。

 それにも関わらず、相手へと突っ込んでいくなのはとユーノの二人を俺は信じられない気持ちで見ていた。

 

 

「やらせるかぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

 ユーノが発動したチェーンバインドが雷の魔獣へと絡みつく。

 はっきり言って、その圧倒的なパワーを完全に縛り付けるには到底足りない。しかし、一瞬だけ動きは止まった。

 

 

「お願い、レイジングハート!!!」

 

 

 動きの止まった一瞬を見逃すことなく、なのはが魔力砲撃を撃ち込んだ。

 恐怖を振り払うかのような絶叫と共に放った桜色の魔力砲撃は、確実に雷の魔獣を捉える。

 しかし―――

 

 

「■■■■■――――!!!」

 

 

 それは人の声ではなかった。

 爆音という言葉では到底表現しきれないような大咆哮。

 それは、その咆哮を発した魔獣の周囲に視認できるレベルの空気の断層が出来るほどのものだった。

 その音のエネルギーは、発生した音圧だけでユーノのバインドを引き千切り、なのはの撃ち込んだ砲撃さえを掻き消した。

 

 

「「ッ!!!」」

 

 

 その在り得ない光景に愕然とするユーノとなのは。

 だが、そんな二人の驚きなど一切関係なく、事態は文字通りの意味で音の速さで進行する。

 そして、それが音である以上、それは空気の振動を通して周囲に存在する者に無差別に襲い掛かるのは当然だ。

 

 

「「「がッ!?」」」

 

 

 突如、空気の壁を叩き付ける衝撃が俺達の全員を襲った。

 なのはとユーノの魔法を掻き消すような音の衝撃。比較的に距離が離れていたとはいえ、俺などはその場から吹っ飛ばされ、今度こそ本当に意識を失う。

 分かってはいたことだったが、やはり何の力を持たずにここまで付いてきたのは我ながら無謀だったと言うしかない。だが、全身を叩く衝撃に吹き飛ばされて薄れていく意識の端で、蛍の光を思わせるような色の魔力光が煌めいたのが見えた。

 

 

(ああ、なんだ―――)

 

 

 その魔力光が誰のものかを俺は知っている。

 下手をしたらさっきので死んだと思ったが、彼女も何とか生きていたらしい。

 はっきり言って、ユーノ、なのはと佐倉の三人だけで、この状況がどうにかできるかは分からない。

 ただ、俺は祈るだけだ。これが二度と目覚めない眠りではないことを。そして、次に目が覚めた時、ユーノ、なのはと佐倉も、誰も死んでいないことを。

 余りにも速すぎて、そう願うのが精一杯。その思考を最後に、俺は完全に意識を手放したのだった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 雷の魔獣の放った大咆哮。

 実際に音の破壊力というのは馬鹿にできない。

 もしも、誰も何もしなければ、そのまま全員が死んでいたはずだった。

 そんな絶体絶命の状況の中で佐倉が動いた。彼女は、吹き飛ばされて気絶したフェレットをキャッチすると同時に刀型のデバイスを一閃。

 その一振りは、音の壁それ自体を斬り裂いて、掻き消していた。

 

 

「ハァ、ハァ…!」

 

 

 デバイスを振り切った姿勢のまま、肩で息をする佐倉。

 そんな絶体絶命の状況を土壇場で覆した彼女に対して、間久部博士は率直な感想を漏らす。

 

 

「てっきり恐怖に竦んで碌に動けないままで死んでいくと思ったんだが…、どうやらキミのことを少し見くびっていたか…」

 

 

 そう言いながら、博士は少し意外そうな表情を見せる。

 だが、それは彼女の音の壁を斬り裂くという芸当に驚いてのことではない。仮にも『アーカイバ』の力の欠片を与えられている以上、むしろこれくらいの芸当はやって当然だ。

 しかしながら、これまでに殺してきた転生者の連中は一度でも恐怖に囚われると、それだけで碌に動けなくなる連中が殆どだった。仲間や肉親が危機に陥っているような時でさえ脚が竦んだまま動けないような連中。

 だから、真に見るべきは単純な物理的な強さなどではなく、心の素質だ。完全に心が折れていたはずの状態から、彼女を奮い立たせたもの。恋人、家族や友人などの、自分以外の他者を想うことで発揮できる力と勇気。

 

 

(―――実に惜しいな)

 

 

 今まさに赤屍と戦っている二人の魔導師と比べたら、目の前の少女の実力は劣っている。

 そんな弱い人間が健気にも、勇気を振り絞って奮い立つ姿。たとえ、泣きながらでも身体を震わせながらでも、それでも立ち上がった。

 少なくとも、その姿は博士と赤屍がこれまでに殺してきた有象無象な連中とは違う。

 

 

「…巡り合わせが違えば、或いはキミも今よりもっと強くなれていたのかもしれないな」

 

 

 フェイルと有希―――赤屍と戦っている最強クラスの魔導師二人にも実力的には遠く及ばないだろう。

 だが、天上の星々には及ばなくても、確かな輝きを放つ光。その魂の光に目を細めながら、博士は改めて少女へと向き直る。

 しかし、たとえ、どれだけ死ぬのが惜しいと思えるような人間であろうと、最終的には全員を殺す。そこに例外は存在しない。

 あの時、赤屍はフェイルのことを殺さずに見逃したが、それにしたって単に殺す順番が後回しになっただけだ。

 そして、それは、つまり―――

 

 

「…殺す前に、キミの名前を聞いておこうか」

 

 

 どこまでも真っ直ぐに見据えながら、博士は残酷に告げた。

 だが、当然、黙って殺されるなど、到底受け入れられるようなことではない。

 

 

「ふざけないで…! こんなところで殺されてたまるか…!」

 

「…そうだろうな。ならば、死力を尽くして抵抗するといい。個人的には、死ぬまでに名前を名乗ってくれると嬉しいんだがね」

 

 

 言いながら、博士は魔獣を自分の元に呼び戻した。

 博士の傍に侍る雷の魔獣は、野生の猛獣以上の迫力を湛えている。

 フェイルや有希のような転生者の中でも別格の実力を有する者ならば、どうにか倒せるかもしれない。

 だが、佐倉の実力でこれを相手をするには、余りにも荷が重かった。

 

 

「くっ…!」

 

 

 佐倉にとっても、まさに本当の正念場。

 そして、彼女一人だったならば、確実にここで殺されて終わりだったはずだった。

 

 

「…! 二人とも…!」

 

 

 だが、幸か不幸か、この場にいるのは彼女一人だけではなかった。

 佐倉に肩を並べるようにして間久部博士の前に立ち塞がった二人の魔導師。

 

 

「殺させるもんか、もう誰も…!」

 

「佐倉さん、僕らも全力でサポートする…!!」

 

 

 バリアバケットを着込んでいただけあって、ユーノとなのはの怪我は浅い。

 だが、この状況で佐倉を助けるために間久部博士に立ち向かえるのは、明らかに怪我の軽さ云々ではない。

 

 

「…言っておくが、逃げるなら転生者でないキミら二人は無理には追わん。キミらが戦っても死ぬだけだぞ?」

 

 

 実力差は歴然。

 さらに言うならば、本来的になのはとユーノは巻き込まれただけの第三者。

 この状況ならば、ユーノとなのはの二人が逃げたところで誰も非難するようなことはないだろう。

 それにも関わらず、ユーノとなのはの二人は逃げる気配が無い。

 

 

「…前に、アナタは僕に訊きましたよね。次にアナタ達に殺されそうな人がいたら、僕らがどうするのかって…」

 

「ああ…、確かに質問したな」

 

 

 殺されそうになっている者を見殺しにして逃げるのか。

 それとも、自分の命を掛けてまで、殺されそうになっている者に手を差し伸べるのか。

 そして、今の時点で、なのはとユーノの二人が真久部博士に対峙しているということは、そういうことだった。

 

 

「本来的に、転生者たちはこのセカイにとっては『異物』だ。その『異物』を助けることにキミらが命を掛けるだけの意味と価値があると、キミらは信じるのだね?」

 

 

 白い少女はユーノとなのはに問いかける。

 確かに、佐倉のような転生者が、本来のこのセカイにとっては『異物』というのは、ある意味で正しいのかもしれない。

 セカイそのものを管理している神様のような俯瞰した視点で見れば、正しいのはむしろ博士と赤屍の方なのかもしれない。

 だが、なのはとユーノの心の中にある『何か』は、白い少女の言葉を否定していた。なのはとユーノはそれに従う。人間として、正しいと信じて。

 

 

「たとえ、アナタ達が神様以上の存在でも…!」

 

 

 神様以上の存在だろうと関係ない。

 たとえ、本来のセカイにとっては『異物』だったとしても、今のこのセカイでは、間違いなく生きている。

 その今を生きている命を奪う権利は、誰にも無いはずだ。迷い無く、理屈や常識を超えて、なのはは己の心を叫ぶ。

 

 

「新たに授かったこの命は…、この時間は…! 今手放していいものじゃない!! アナタ達は、絶対に間違ってる!!!」

 

 

 今の自分に出せるだけの想いを吐き出して、なのははぶつけた。

 迷い、悲しみ、怒り――全ての人間的感情を一つの意志に束ねて、それを決意としてなのははレイジングハートの切っ先と共に突き付ける。

 物語の主人公たる人間が持つ心の素質。その決死の覚悟に、白い少女さえも心からの称賛で応えた。

 

 

「…心の底から敬意を払うよ。キミらの心の在り方の高潔さと、その心に従って、我々に立ち向かえる勇気にね」

 

 

 まるで眩しいモノを見るように目を細めながら、博士は残った左腕を指揮者のように持ち上げる。

 持ち上げられた左腕を合図にして、傍に控えていた雷の魔獣が一歩前に出た。

 

 

「だが、私とて、勇気があれば弱くても良いとは言っていない。次は、その心に見合うだけの力を見せてくれ」

 

 

 事ここに至っては逃げることは不可能。

 いや、逃げるにしても、戦いの中で何とか隙を作るしかない。

 

 

「佐倉さん…!」

 

「分かってる…!!!」

 

 

 ユーノの呼びかけに刀型のデバイスを強く握り直す佐倉。

 そして、まさに一触即発の状況で対峙する中、最悪なタイミングで『それ』は起こった。

 

 

「「「―――ッ!!?」」」

 

 

 突然に『星空』が砕けた。

 その意味することを察した佐倉達の背筋に戦慄が走る。

 それは、つまり、現在、赤屍と戦っていた者のうちの一人―――天音有希が展開していた魔法が解除されたということ。

 

 

「どうやら、ジャッカルの方も一段落は着いたようだな…。いや、これは――…」

 

 

 砕けた星空を見つめていた博士が何かに気付く。

 そして、それに遅れてユーノが気付いた。

 

 

「ま、まさか…!?」

 

 

 海鳴市の全域を覆うほどの封鎖結界と、その上空を埋め尽くすほどの魔力弾。

 結界を展開している術者が倒されたことで、術者のコントロールから離れたそれらがどうなるか。

 

 

「まさか、あの全部が落ちて…!?」

 

 

 ユーノの最悪の予測は、直感を超えて即座に確信へと変わる。

 もう間もなく結界内に存在する全てを無差別に襲う流星が降ってくる。

 海鳴市の全域を覆う封鎖結界が完全に消え去る前に、上空に待機させていた魔力弾の全てを一度に降らして、結界内の全てを滅ぼす。

 おそらく、たとえ術者である自分が斃れても、最低限、相討ちに持っていくための一種の安全装置という意味もあるのだろう。

 

 

「ふむ…落ちてくるまで、あと十数秒といったところかな?」

 

 

 星の海が崩れ出した。そうとしか表現できない。

 砕けた硝子と輝く星の雨が、万雷すらも掻き消すような荘厳な轟音を鳴らして、大地に向かって迸る。

 

 

「に、逃げないと…!」

 

「逃げるって、どこへ…!?」

 

 

 崩壊しかけた結界内を無差別に襲う流星の雨。

 はっきり言って、この結界内である限り、逃げ場など無いだろう。

 

 

(ジャッカルならともかく、私では、防御と回避に徹しないとマズイか…)

 

 

 あるいは、赤屍ならば最初から流星が落ちて来ない場所を見極められるのかもしれない。

 だが、赤屍に及ばない間久部博士の実力ではそれは到底無理。少なくとも、今のこの状況は、目の前の小さな勇者たちに構っている場合ではなくなった。

 

 

「…キミらは、運が良かったな」

 

 

 佐倉たちに向けて、白い少女は呟くように言った。

 

 

「この流星の雨から生き残れたのならまた会おう。仲間、努力、知恵、勇気…、キミ達の持てる全てを注ぎ込んで挑んでくると良い。ジャッカルではないが、次に会うときは今よりも強くなっていることを期待しているよ」

 

 

 そう言い残すと、間久部博士はその場から立ち去ろうと踵を返す。

 そして、逃げ場が無いほどの流星が地上に降り注いだのは、そのわずか数秒後のことだった。

 

 

 

 

 






あとがき:

 本編での転生者の方々が生き残る戦略を真面目に考えた場合、赤屍と間久部博士を分断して、誰かが赤屍を引き付けている間に、別の人間が依頼人である間久部博士を始末する、というのが最も実現性の高い戦略だと思います。
 それを考えると今回の状況というのは、実はメタ視点的にはチャンスでもあったと言えます。フェイルと有希の二人が赤屍を引き付けている状態で、なのは、ユーノ、佐倉の三人が、間久部博士の方を相手にしている状態だったわけですから、まさに理想的な戦略が実現した状況だったわけですね。だから、もしも佐倉にフェイル並みの実力があったなら、この時点でこの物語は終わっていたかもしれません。あるいは、佐倉以外にも他の転生者が高町なのはを助けようと駆け付けることが出来ていたなら、この時点でも十分に見込みはあったかなと思います。
 物語の英雄たちは、普通ならあり得ないとしか思えないような小さなチャンスを掴み取り、勝利や成功を手にします。しかし、せっかくチャンスが巡ってきても、それを掴み取るだけの実力が無ければ何にもなりません。どうして『彼ら』にそれが出来るのかと言えば、いざ目の前にチャンスが巡ってきたとき、そのチャンスを掴むため・掴めるようにするための努力を続けてきて、それに足るだけのモノを持っているからだと思います。
 だから、異世界転生というのは、考えようによっては、チャンスを掴むための努力から最も遠い位置にあるジャンルであるようにも思えます。


「この主人公は、異世界転生というチャンスを掴むための努力をしてたのか? いや、そもそも異世界転生のチャンスを掴むための努力って何だよ…。努力もクソもない純粋な『運』でしかないじゃねえか…」


 ようするに、大部分のチート転生者って、所詮メッキでしかないんだろうと自分は思います。表面のメッキの綺麗さが無意味とまでは言いませんが、少なくとも自分が尊敬している『彼ら』にとって、その表面のメッキの綺麗さは本質などではありません。与えられたチート能力だけではどうにもならない強い敵が現れたら、それだけで英雄面してイキってる大部分のチート転生者のメッキは剥がれて、地金を晒すことでしょう。
 はっきり言うなら、転生の際にチート能力を貰うこと自体は「どうでもいい」と自分は思っています。ただ、与えられるチート能力がメッキだとしたら、そのメッキの下の地金こそが本人の本当の資質として問われるべきで、それこそを物語として描くべきだと思うんですがねぇー…。
 表面のメッキだけで満足できるような人には良いのかもしれませんが、自分の場合、粗製乱造型のなろう小説みたいな表面のメッキだけの物語はマジで溜め息しか出ませんわ。


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幕間2 どこかの「な●う主人公」の転生先の世界にて

今回はどっかのファンタジー世界に転生した人間のDIEジェストです。
ついでに「怪人バッタ男」のちょっとした過去話でしょうか。


 

 

 ―――異世界転生。  

 

 

 どこぞの小説投稿サイトにて流行している小説のジャンルである。

 現代の日本に生きている平凡な(しばしば社会的・性格的・能力的に平均以下の)主人公が、ある日突然、気がついたら異世界に居た。あるいは一度死んで異世界に転生した、という所から物語が始まる。

 そうした神様転生系の作品の主人公は、異世界に行った時点で何らかの特殊能力を身につける。それは主人公だけが使える能力で、その能力のおかげで主人公は異世界人たちより優位な立場に立てる。そして、出会う女を助けて、それらを悉く落としていく。

 どこかの小説投稿サイトで『テンプレ』などと言われている展開としては概ねこんなところだろう。

 

 

(いっそのことオレもチート能力持って異世界に転生したいなぁ…。そこで適当に活躍してハーレム作って楽しく過ごせるのに…)

 

 

 会社からの帰宅途中、彼はそんなことを考えていた。

 彼が暇つぶしに読んでいたネット上に転がっていたWeb小説の主人公に自分の願望を重ねる。

 何のことはない。現実への不満からのちょっとした妄想のはずだった。だが、幸運なことに彼の場合には、その妄想を現実にするチャンスが巡って来た。

 会社からの帰宅中、信号無視のトラックにはねられて彼は死んだ。

 

 

「転生するなら特典をやろう」

 

 

 まさに妄想が現実になった瞬間だった。

 死んだ後、神様を名乗るヤツからそんなことを言われた。

 彼が望んだのは、剣と魔法と冒険のファンタジー世界。その世界で誰よりも優れたスペックを与えられて彼は転生した。

 

 

(ヒャッハー!! 強くてニューゲームキタコレ!!)

 

 

 転生した先は、中世~近世ヨーロッパを思わせる文明レベルの世界。

 その世界には、普通の人間だけでなく、エルフやドワーフなどの亜人族。そして、ドラゴンを初めとする魔物と呼ばれる生き物も存在している。

 かつて、大いなる存在によって創造されたというこの世界では、科学ではなく魔法が生活の一部として息づいていた。

 大陸には5つの大国が群雄割拠し、それらの国の全てが王と貴族によって治められている。

 

 

 ――大樹の国「ウロナ」――

 

 

 五大国のうちの一国。

 神話の時代に『始祖』と呼ばれた大魔術師ナローシュがその地に植えたとされる伝説の大樹を国の中心に据えた国家。

 その国の辺境の小さな領地を治める貧乏下級貴族の三男として、彼は生まれた。

 

 

(奴隷の生まれとかじゃなくて良かったわー)

 

 

 容姿的にも明らかに平均以上のイケメン。

 さらに下級とはいえ仮にも貴族の生まれである以上、最低限の教育を受けられるだろう。

 少なくともこの世界での読み書きが出来ないというのは話にならないし、出来ればこの世界の魔術なども学んでみたかった。

 普通に考えれば、長男が家を継ぐし、次男は予備と考えて、三男以降は己で生きる道を模索する必要があるからだ。

 そして、ある程度の年齢が進んだ頃、両親に頼み込んで魔術や剣術の鍛錬を始めることが出来た。

 

 

「…天稟がある」

 

 

 剣術と魔術の教育係として付けられた者の誰もが彼の才能を称えた。

 この世界最高の魔術スキルに、世界最高の身体スペック。それもこれも、転生の際に神様を名乗っていた奴から与えられた転生特典のお陰だ。魔術を初めとして、剣術や格闘術もそれなりに学んだ。しかし、技術なんて大して無くても、常人離れした身体能力と反射神経に物を言わせるだけで、師範クラスだという剣術家も誰も彼には勝てなくなる。

 

 

(やっぱり、世の中、持って生まれた才能と環境だな!!!)

 

 

 はっきり言って、彼は調子に乗っていた。

 だが、王都での武術大会に最年少の13歳で優勝するという実績すら挙げているのだ。これだけ周囲の人間と差があったら、調子に乗ってしまうのも無理はないと言えた。

 しかし―――

 

 

「…勿体無いのう」

 

 

 ある時、出会った老齢の剣術家がそう言った。

 彼の剣術の師である人物の、さらに師匠筋の人物だそうだが、その剣術家は、少年の剣技を見るなり「勿体無い」と評した。

 曰く、見た目の動きだけをそれらしく整えただけで、本当の意味での『術理』や『理合』は伴っていない。単純な身体能力と反射神経に物を言わせただけの、ただの力業の剣術。

 しかし、そんな力業の剣術であっても、すでに並みの達人が遥か及ばない強さを有している。『技』や『術理』を使う余地が無いほどの、圧倒的な肉体的な素質。もしも、そこに本当の『理合』や『術理』までもが伴ったとしたら、一体どれほどの境地に―――

 

 

「お主なら、誰も到達できない『極み』に至れるかもしれんというのに…」

 

 

 普通の人間には決して到達できない神の領域。

 その領域に至れるだけの才能・素質がありながら、彼はすでに現状に満足してしまっている。剣術だろうが何だろうが、現状に満足してしまえば、そこから先の成長や上達は大きくは望めない。実際、今の時点でさえ、世界最強と言えるだけの強さは十分あるのだ。そこからさらに技を極めようなんてことが出来るのは、よほどの武術マニア・剣術オタクだけだろう。

 そして、彼の場合、チート能力を与えられて異世界転生して、楽しく過ごしたいとか考えていたような人間である。そこで満足してしまっている以上、そこから更に己の技を高め・極めるということだけを愚直に突き詰めるなんてことが出来る訳がなかった。

 

 

(別にいいじゃねえか!技なんて中途半端だったとしても、どうせ俺の方が強いんだからよ!)

 

 

 彼にとって、武術や魔法なんてのは、自己を高める手段というより、自分が楽しく過ごすための手段の一つでしかない。武術や魔法を学ぶ理由など、それぞれ違うのだから、それはそれで構わないと言えばそうだろう。だから、その老齢の剣術家も、彼のことを勿体無いと思いこそしても、それ以上は何も言うことはなかった。

 そして、この世界で14歳になった頃、冒険者になるという旨を書いた手紙を残し、彼は冒険者になるべく実家を飛び出した。

 冒険者になった彼は、僅か3年で大陸でも数人しかいないSランク冒険者にまで上り詰めた。

 

 

 ――曰く、最高の冒険者。

 ――曰く、最強の魔法剣士。

 ――曰く、大陸史上最強の英雄。

 

 

 誰もが彼のことを英雄と讃えた。そして、彼自身もそれを否定しなかった。

 実際、彼を脅かすような存在や脅威は、この世界には存在していなかった。

 ここまで来ると当然、女性にもモテる。事実、彼の冒険者としてのパーティーは美女、美少女ばかりで構成されている。平凡以下の能力しか持たなかった前世では、劣等感ばかりを感じていたが、今の人生はむしろ劣等感を与える側だ。

 

 

(これよこれ! これが勝ち組の人生よ!)

 

 

 冒険者として完全に成功した勝ち組人生。

 彼の冒険者パーティーは超一流として知られ、王国から直々に依頼を受けることさえある。

 そして、ある日、クエストを受注するために彼のパーティーが冒険者ギルドの支部に訪れた時のことだった。

 

 

「こっちのクエストがいいんじゃない?」

 

「えー?こっちにしましょうよ」

 

 

 銀の鎧を身にまとった女騎士に、女エルフの弓術士。ローブを着込んだロリっ子の少女魔術師に、天秤の意匠が施された長杖を携えた女性神官。

 彼の所属するパーティーのメンバーの女子たちがキャピキャピ話しながら張り出された依頼を選んでいる。

 そして、そんな中、ギルドの受付嬢である女性が、彼のパーティーにお願いがあると言う事で声を掛けてきた。

 

 

「ギルドからのお願いなのです。ギルド支部長の執務室に来ていただいても宜しいでしょうか?」

 

 

 案内されて、ギルド支部長の執務室に向かう。

 そして、案内された執務室に入ると、ギルド長が執務机の椅子から椅子から立ち上がり、ソファに腰を掛けた。

 

 

「来てくれて有難う。まあ、座ってくれ」

 

「いえ、まあ」

 

 

 彼はギルド長の向かいのソファーに座った。

 

 

「お願いと言うのはだな、Aランク冒険者パーティの『黒の剣』が依頼失敗したと思われる、未踏破ダンジョンの探索だ」

 

 

 Aランク冒険者の『黒の剣』と言えば、このギルドの中でも指折りの実力派の冒険者パーティーだ。合同で依頼をこなしたこともあるし、お互いにそれなりの顔見知りの間柄だった。

 

 

「失敗したと思われる、ってのは…?」

 

「ああ、あるダンジョンに向かったきり、メンバーが誰も戻ってこない」

 

 

 おそらく全滅した可能性が高い。

 凶悪な何らかのトラップか、強力なモンスターとの遭遇か。

 何があるかは分からないが、いずれにしろAランク冒険者の集団でダメだった以上、半端な実力者を送り込む訳にはいかないということだった。

 

 

「そんなわけで、ギルドからキミに指名依頼を出すことになった。先行したパーティーの失踪の原因の確認と行方不明者の救出。……生きていれば、だが」

 

「…知らない相手じゃないですし、微力を尽くしますよ」

 

「…頼んだぞ」

 

 

 依頼を引き受ける旨を伝え、ギルド支部長の執務室を退室する。

 そして、パーティーメンバーの4人に声をかけ、目的とする現場へと出発した。

 

 

 ―――南方の古代遺跡―――

 

 

 神紀文明時代の古代遺跡で、すでに廃棄されて八百年の時間が経っている。

 そして、その遺跡の地下に巨大な迷宮が発見されたのが、つい2週間前のことだった。

 およそ2時間ほどギルドの送迎の馬車に揺られ、一行は目的の遺跡に到着する。ギルドからの情報では、遺跡の一画にある神殿が迷宮への入り口になっているという話だ。

 

 

「…ここだな」

 

 

 神殿の奥にある古めかしい祭壇。

 地下迷宮への入り口はその祭壇の後ろに隠されていた。

 隠し扉を開けると地下へと続く階段が現れたが―――

 

 

「この、魔素の濃さは…」

 

 

 地下の奥から漂ってくる魔素の濃さに少女魔術師が思わず顔をしかめた。

 これだけ不気味な雰囲気を持つ魔力を感じたのは、これまでの冒険の中でも数えるほどしかない。

 

 

「中々にヤバそうね…」

 

「『黒の剣』の方々も、ご無事だと良いんですが…」

 

 

 メンバーの女神官が行方不明の冒険者たちを心配する言葉を口にする。

 明らかにヤバい系の雰囲気だったが、この時点での彼らは自分たちは大丈夫だと疑っていなかった。実際、この世界に本来存在するはずのないイレギュラーが現れさえしなければ、彼らなら問題なく切り抜けていただろう。

 

 

「みんな、行こう」

 

 

 地下の迷宮へと降りて行く一行。

 マッピングを行いながら、迷宮の奥深くに進むにつれ、感じられる瘴気も徐々に色濃くなっていく。

 彼らの嗅ぎ付けたか、狼のような魔物の群れに早速の歓迎を受ける。

 

 

(ま、準備運動は大事だね)

 

 

 彼にとっては、何てことのない雑魚敵。

 異様に犬歯の発達した狼の魔物が3体同時に飛び掛かって来るが、こんなのはただの的みたいなものだ。

 速さが違い過ぎて、彼には全ての敵の動きがスローモーションのように見える。すれ違いざまに一瞬で撫で斬りにしてのけた。

 

 

「やっぱり、うちのリーダーは凄いわねぇ」

 

「ええ、流石です」

 

 

 彼の実力を讃える声に、頬を赤らめた熱の籠った視線。

 そうした称賛の言葉や視線を受けて、彼自身も悪い気はしない。

 出現するモンスターを倒しながら、ダンジョンの奥に進んでいく一行。

 途中、謎解きを必要とするようなトラップもあったが、やがてダンジョンの最深部と思しき場所に辿り着いた。

 

 

「ここは…」

 

 

 そこは玉座の間だった。

 玉座の間の奥には短い階段があり、その上には禍々しくも壮麗な大きな玉座が鎮座している。

 そして、そこに座るひとつの影が――あった。

 

 

「―――…」

 

 

 玉座に座る人影。

 その者が纏っているのは、まるで昆虫の外骨格を思わせるような黒と銀の機械的な全身アーマー。近いものを挙げるなら、前世で見た『仮面ライダー』か、あるいは鉄のラインバレルの『マキナ』を彷彿とさせるようなデザインだった。

 そして、おそらくは先行していたはずの冒険者パーティーの失踪の原因なのだが――…

 

 

「…ダンジョンの『ボス』でしょうか?」

 

「…多分、そうでしょうね」

 

 

 警戒しつつ、いつでも応戦できるように戦闘準備を整えるパーティーの面々。

 そのボスらしき人物は、そんな彼らを一瞥すると心底うんざりしたように言った。

 

 

「―――いきなりこのセカイに召喚されたかと思ったら、全く、次から次へと…」

 

 

 言いながらゆっくりと立ち上がる鎧の男。

 こちらに対峙するその姿は、こちらの世界で遭遇したどの存在とも違う違和感を感じる。召喚された、という言葉からすると、やはりこの世界の存在ではないのかもしれない。

 

 

「―――見逃してやるから、とっとと失せろ。そっちから何かをしない限り、俺の方からは何もしない」

 

 

 向こう側からすると、こちら側への興味は無いらしい。

 しかし、行方不明になった冒険者の捜索という依頼で来ているこちら側としてはそうはいかない。

 よく見れば、赤いペンキをぶちまけたような染みが周囲の壁に広がっている。おそらく、それが先行していた冒険者たちの成れの果てだろう。

 

 

「…悪いが、それは出来ない相談だな」

 

 

 言いながら、彼は鞘から剣を引き抜いた。

 彼に対して好意を抱いているパーティーメンバーの女性陣の手前、目の前の相手を黙って捨て置くことは出来なかった。

 何故なら、彼は彼女達にとっての理想の英雄(ヒーロー)であり、それに相応しい振舞いが求められる。要するに、女性の前でカッコつけたいというだけの見栄に過ぎない。

 しかし、結果を言うなら、そうやって普段から周囲の人間に対して、義理人情に厚い完璧超人を演じていることが災いした。

 

 

「お前が何者かは知らない。けど、お前に殺された友人達の無念は俺が晴らす」

 

 

 周囲の壁にぶちまけられた赤い染み。

 それに対して、静かな怒りを燃やしている風に装いながら、目の前の『仮面ライダー』モドキの男と対峙した。

 そして、そんな彼に対して、女性陣は頬を赤らめた熱の籠った視線で見つめている。

 

 

「さっすが、それでこそよね♪」

 

「やはり、あなたは私の『英雄(ヒーロー)』です」

 

 

 蝋が溶けるような熱く、蠱惑的な色を帯びた瞳。

 己の最強の英雄に対して絶対の信頼を寄せる、恋する乙女たちの言葉。

 その言葉の中の一つのキーワードに目の前の鎧の男がピクリと反応する。

 

 

「…―――『英雄』だと?」

 

 

 ギロリとした眼光が彼らを見据える。

 

 

「おい。貴様、『英雄』と言ったか?」

 

 

 今のどこに反応するような要素があったのか。

 全く分からずに、少し困惑するパーティーメンバーの面々。

 しかし、惚れた欲目はあっても、事実としてリーダーである彼がこの世界で最強の英雄の一人と言われているのは事実だ。

 そんな相手が自分たちの仲間・恋人であるのなら、自慢したくなるのもやむを得ないだろう。

 

 

 ――曰く、最高の冒険者。

 ――曰く、最強の魔法剣士。

 ――曰く、大陸史上最強の英雄。

 

 

 彼を称える美辞麗句の数々。

 あるいは、これが他の相手であれば、はったりにはなったかもしれない。

 だが、それらの言葉は、鎧の男の心の中にあるどす黒い感情に火をつける結果にしかならない。

 かつて憧れて、見限った存在。

 

 

「もしも、お前がそうだと言うなら―――」

 

 

 マスクの下に隠れた表情は見えない。

 だが、さっきまでと打って変わって、底冷えのするような声だった。

 そこに感じられるのは、英雄と呼ばれる存在へと向けれられる憎悪。

 

 

「―――『怪人』の俺くらい簡単に倒してみろ!!!」

 

 

 その言葉と共にその怪人を名乗った男は文字通り爆発した。

 全身から魔力を一気に爆発させ、地面すら踏み砕きながらの神速の飛び込み。

 そして、その圧倒的な速さは、彼らに反応すら許さない。

 

 

「がっ!?」

 

 

 魔術の発動はおろか、彼が剣を構えるよりも早く、銀色の怪人の右拳が顔面を打ち抜いていた。

 彼自身は知らないことだが、彼と同じように銀色の怪人も『アーカイバ』の力を与えられた転生者。さらに、別の世界の違法研究室で生み出された改造人間や強化人間の類であるという出自が重なったことも大きい。単純に『アーカイバ』の力だけでなく、初めから特別に強化された『人間以上』の存在としての身体スペックを持った状態で生まれてきている。

 つまりは、この世界に転生して以来、初めて遭遇した対等以上の存在であり、この世界で初めて遭遇する自分と対等以上の速さで動ける相手。

 そして、対等以上の速さを持つ相手に対して、見てから反応するというのは困難を極める。現実の格闘技でもボクシングのジャブを本当の意味で見てから避けるのは不可能に近い。

 

 

(速過ぎる…!)

 

 

 実際は、相対的に考えれば、そこまで速くはない。

 圧倒的なパワーとスピードは技や術を容易く粉砕するのは事実ではあるが、そこまでの極端な差はない。彼が師から習ったモノが本当の意味で身についていたなら、戦術・技術で十分にカバーできる範囲だ。単に、これまでの彼が余りにも緩い環境に居ただけだ。

 

 

「くッ…! この…!?」

 

 

 鼻血を出しながら、何とか反撃を試みるが、まるで追いつけない。

 剣を振るう暇も無く、次々に打ち込まれる打撃。そんな怒涛の連打にさらされて、彼は何もできずに一方的に打ちのめされる。

 

 

「遅えよ、英雄!?」

 

 

 一瞬で距離を詰められ、今度は蹴りが飛んでくる。

 咄嵯に防御するが、それも意味がない。ガードごと吹き飛ばされ、壁際まで転がされたところでようやく止まった。

 

 

「――どうした? 立てよ? 連れの女も、リーダー様のピンチだってのに支援すらしないのか?」

 

 

 言われて、ハッとする。

 慌てて立ち上がり、剣を構え直す。

 そうこうしている間に、先ほどからずっと詠唱を続けていた仲間の一人である魔術師の少女の魔法が完成していたらしい。

 杖から放たれたのは、上級の火炎系魔法の業火。

 

 

「な…ッ!?」

 

 

 しかし、相手は避けるどころか火炎に自分から突っ込んで来た。

 炎の奔流を突き破り、そのままの勢いで飛びかかって来る。そして、そのまま少女の顔面を鷲掴みにすると、後頭部を地面に叩きつけた。

 

 

「……さっき、訊いたな。『英雄』なのかって」

 

 

 銀色の怪人はゆっくりと立ち上がると、右手で握りつぶしていたものを放り投げた。

 言うまでもなく、それは彼らの仲間の魔術師だったものだ。

 

 

「「キャアァアッ!!」」

 

 

 思わず悲鳴を上げる少女たち。

 人の死それ自体は初めてではない。だが、このパーティーのメンバーから死人が出たのは初めてだった。自分たちは最強の『英雄』に守られているから、死ぬはずがない、という無意識の甘えが吹き飛んだ。すでに彼女たちにとって、目の前の存在は恐怖の対象でしかなかった。

 

 

「もう一度だけ言うぞ。『英雄』なんだろ、お前は。なら、さっさと俺を殺してみせろ」

 

 

 何の躊躇もなく、自分の仲間を殺した怪物の言葉。

 本来なら、激しく怒りを燃やして立ち向かって行かなければいけない場面。

 そして、転生して以来、初めて出会った対等以上の強敵。つまりは、間違いなく、彼の100%の力をぶつけられる相手のはずだ。

 それなのに、何故―――

 

 

(クソッ、何でだよ!? こんな展開――転生した時、神様は何も言ってなかったじゃないか!!)

 

 

 目の前の男が怖くて仕方ない。

 足が震え、まともに立っていられない。剣を構える腕が小刻みに揺れている。

 それでも、このままではいけないと、必死になって自分を奮い立たせ、目の前の相手に斬りかかる。

 

 

「う、うお、おおおああああ!!」

 

 

 叫び声と振るわれる斬撃。

 その斬撃に対して、怪人の男は一切の躊躇もなく飛び込む。

 そして、振り下ろされた刃は、怪人の身体に食い込み、深々と切り裂いた。

 

 

(…なっ、えっ!?)

 

 

 自分の刃が相手にダメージを与えた。

 予想外な事態に困惑する彼だったが、その次の瞬間、一気に血の気が引いた。

 

 

 ―――肉を切らせて骨を断つ―――

 

 

 強敵へと立ち向かう者こそが、持たなければならない心構え。

 文字通りの意味で、それをやられたことを悟る。

 

 

(―――どうして、お前にはこれが出来ない)

 

 

 一瞬、そんな失望の言葉が聞こえた気がした。

 銀色の怪人の男は、刃が食い込んだと同時に彼の剣を素手でつかみ、そのまま強引に引き寄せる。その次の瞬間、右腕に走る激痛。右腕の骨をへし折られ、折れた骨が筋肉と皮膚を突き破り露出した。

 

 

「――ッ!!」

 

 

 声にならない悲鳴を上げながら、痛みのあまりに剣を取り落とした。

 もちろん、左腕は残っている。それなのに痛みに蹲ったまま、落した剣を拾うことすら出来ない。もはや、完全に格付けが済んでいた。

 

 

「あぐッ…!」

 

 

 諦めと絶望が彼の心と身体を支配し、もはや完全に心が折れて、抵抗しようとする気力すら沸いて来ないようだった。

 そして、そんな彼の様子を冷めた目で見つめる怪人。

 

 

「――くだらねえ…。お前もその程度で戦えなくなるのかよ…」

 

 

 その銀色の鎧をまとった怪人は、吐き捨てるように言った。

 銀色の怪人は、動けないままでいる彼に既に一切の興味を失くしていた。

 

 

「…やっぱり、お前も『紛い物』だったな」

 

 

 最後にそう言い残し、その怪人は踵を返した。

 転移系の魔法を発動し、銀色の怪人はその世界そのものから去って行った。

 

 

「…見逃され、た?」

 

 

 彼のパーティーの女性メンバーの一人が困惑したかのような声を漏らす。

 彼女達にも一体何が起こったのか全く分からない。そして、この世界で最強の英雄であるはずの彼も、銀色の怪人に打ちのめされたまま、動けないままでいた。ただ、見逃されて自分の命が助かったことを安堵する気持ちしか沸いて来ない。

 しかし、そんな安堵を塗りつぶすかのように、その『二人』は現れた。

 

 

「これは一体どういう状況なんでしょうね?」

 

「…どうやら我々より先に誰かが来て、戦っていたようだな」

 

 

 まるで闇に溶けていたものが浮かび上がったかのような、あるいは、闇そのものが形を変えたとしか思えない突然の出現だった。

 一人は不思議の国のアリスを思わせるウサギの人形を抱いた白い少女。そして、もう一人、全身を黒い衣服に身を包んだ長身の男。無限城世界においては、『Dr.ジャッカル』の二つ名で知られる超一級の危険人物。最強最悪の『運び屋』と言われ、無限城世界の裏家業の人間ならば、赤屍蔵人の名前を知らない者は存在しない。だが、ここが無限城世界でない以上、この場に赤屍のことを知っている人間は誰もいない。しかし、知識としては知らなくても、誰もが無意識のうちに理解していた。

 

 

 ―――さっきの銀色の怪人など問題にならない正真正銘の化け物―――

 

 

 その男は、ただ見ているだけで死の危険の感じさせるような異常な気配を纏っており、その場の全員が金縛りにあったように動けなくなっていた。

 本来ならすぐにでもこの場から逃げるべきだと頭では分かっているのに、どうしても目が離せない。肉体が己の考えに従ってくれない。そのもどかしさを、その場の誰もが漫然と感じていた。

 

 

「お前らは、一体…?」

 

 

 胸に抱いた恐れを押し殺しながら、彼は赤屍たちに訊ねる。

 しかし、当の赤屍は退屈そうな表情を保ったまま、こう答えた。

 

 

「赤屍蔵人。―――アナタをあの世に運ぶ者の名です」

 

 

 目の前の黒い男はそう名乗った。

 抵抗しないと殺されて死ぬ。それが分かっているのに何故か身体が動かない。

 

 

「…どうしました? これから殺されると分かったのに抵抗はしないんですか?」

 

 

 たとえ抵抗したとしても間違いなく死ぬ。

 それを一瞬で確信してしまう程の絶望的な力量差。

 ましてや、先ほどの戦闘で右腕を潰されている。はっきり言って、立ち向かおうという気など全く湧いてこない。初めて直面する本物の絶望を前にして、動ける訳がなかった。

 

 

「ふむ…」

 

 

 周囲を一瞥する赤屍の冷たい視線。

 しかし、その一瞥だけで赤屍の表情に明かな失望の色が浮かんだ。

 標的である転生者だけでなく、その取り巻きの女性たちも、赤屍の放つ禍々しい気配に当てられただけで全く動けなくなっている。

 

 

「やはり、アナタもこれまでの連中と大して変わりませんね…。今回はハズレのようですし、さっさと片付けて次に行きましょう」

 

 

 そう言ってメスを取り出した赤屍が一歩踏み出した。

 スパァン!という、爽快な音が響いた途端、青年は一瞬にしてバラバラに切り裂かれていた。

 

 

「全く…、欠片とはいえ仮にも『アーカイバ』の力を与えられておきながらこの程度とは…」

 

「まあ、力を与えられた時点の素のスペックだけで、この世界では最強クラスだろうからな…。普通の凡人はそこから更に磨き上げようという思考にはなるまいよ」

 

 

 ましてや片腕も潰されている状態となると、普通の凡人では立ち向かおうという気すら起こらないのも無理はない。

 偶然に最強の力を与えられただけの凡人。それが、赤屍と間久部博士の二人が、彼に対して下した評価の全てだった。

 

 

 




あとがき:

 突然ですが、なろう小説のスキルという概念が自分には意味不明です。
 特に「剣術Lv.3」とかいう風にスキルにレベルがついていた場合、習熟度を表しているつもりなんでしょうが、自分にとっては余計に意味が分かりません。
 たとえば、居合の鞘からの抜き打ちの一撃を例に出しましょう。普通、刀を腰を差す時は刃が上向きになるようにしている訳ですが、そこから抜刀して横薙ぎに斬り付けるとなると、どこかのタイミングで刃を横向きに返さなければなりません。刀の柄に手をかけた時点で、最初から刃は横向きに返しておくべきなのか。それとも、刀を抜き終わった時点で初めて刃を返すべきなのか。居合の抜き打ち動作の中の、どこのタイミングで刃の向きを返すのが正解なんでしょうか? 剣術スキルLv.MAXとかいうスキルを持ってるなろう主人公はこういう技術についての質問をされても、ちゃんとまともに答えられるんでしょうかね?
 足運び、手の内、目付け、間合いの取り方だとか、武術・格闘術では考えるべきこと・工夫すべきことは山ほどあります。練習や鍛錬、試行錯誤の繰り返しの中で、よりベターな動き、技術・コツを掴んでいくからLvが上がるのであって、本当に習熟した人間に訊くと、ちゃんとその人が習得した技術やコツについて言葉で教えてくれます。剣術Lv.2→3になったからって、急に間合いの取り方が上達するんでしょうか? 粗製乱造型のなろう小説の主人公で、剣術Lv.2→3に上がったヤツに、そういう習得した技術やコツを教えてくれって言われても絶対に答えられないと思います。
 別に、自分は武術の細かい技術の説明を書けと言ってる訳ではありません。主人公が強くなったことを示すのなら、それを物語として描くべきだと思っているだけです。何の工夫や何の考えもなく、ただスキルを繰り返し使うだけでポイントが溜まってLvが上がっていくなんて、それこそゲームの世界だけです。ようするに、描写の云々の問題ではなくて、因果関係がそもそもおかしいというのが、自分が粗製乱造型のなろう小説に感じる違和感の一つです。
 また、チート能力で周りからチヤホヤされたいというだけの思考の人間に、武術を極めるということが出来る訳がないとも思っています。そういう思考の人間は、もしも大した努力もなしに世界最強の実力を手に入れたとしたら、そこで満足してしまってそこから成長・上達しようとする気は一切無くなるだろうからです。粗製乱造型のなろう小説の主人公を見ていると、実力を手に入れた時点で修行・鍛錬を辞めているような人間ばかりですし、剣術Lv.MAXとかいうカンストスキルとかの表現なんかも良い証拠だと思います。Lv.MAXとかいう表現自体が自分の限界をそこで決めてしまっていて、限界を乗り越えていくという気概が全く無いのがマジで舐めてると思います。
 そもそも武術には『完成』というものが存在しないと考えるべきで、生きている限りは鍛錬・修練を続ける必要があります。たとえば、有能な兵士は、自分の武器のメンテナンスくらい当然のこととして行いますが、武術家にとっての武器とは、己の身体と技に他なりません。つまり、武術家にとっての鍛錬・修練とは、己の心身と技のメンテナンスでもあるということです。だから、鍛錬・修練は武術家にとって当然の嗜みのようなものであって、自分のその技を錆び付かせたくないと思う限り、辞めていいものじゃないんですよ。そんな当然のことすら分かってない人間が『極めた』とか、その時点で舐めてるとしか言いようがありません。
 参考までに言うと、神懸かりの達人と言われた合気道の植芝盛平も、70歳を越えても早朝稽古・午後の稽古・夜の稽古、それぞれ2時間ずつを欠かさなかったと言われています。



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第二十七話 『リリカルなのは』の世界で その26

 

 

 

 

 流星の雨が降り注ぎ、結界内のすべての破壊が終わった。

 スカートの裾に着いたホコリを払いながら、間久部博士は周囲を見渡して呟く。

 

 

「いや、なかなかの魔法だったな…」

 

 

 破壊された廃墟だらけで、まるで終末世界のような様相。

 海鳴市の全てが破壊されたが、所詮は現実世界と隔絶された封鎖結界の中での出来事に過ぎない。

 封鎖結界が解除された瞬間に世界の全てが切り替わり、破壊されたはずの建物もすべてが元通りになる。

 しかしながら、封鎖結界内に取り込まれていた人間たちの被害は無かったことにはならない。

 高町なのはの砲撃魔法を撃たせて、わざと吹き飛ばさせた右腕。

 

 

「どうしたんですか、その右腕は…?」

 

 

 後ろから話し掛けられた。

 その声に振り返りながら間久部博士は答える。

 

 

「なに、ちょっとした悪ふざけの結果だ。キミが気にする必要はない」

 

 

 封鎖結界が解除された後、然したる苦労もなく合流できた間久部博士と赤屍の二人。

 当然のように無傷の赤屍だが、右腕が消し飛んでいる間久部博士を見て、赤屍は少しだけ驚いたようだった。

 もっとも、右腕を失くした本人は全く気にしている様子はなく、逆に赤屍に聞き返す。

 

 

「それはそうと、先程までの星空が砕け散ったということは、あの『星空の魔法使い』は殺したのかな?」

 

「いえ、気絶はしていますが、生きてますよ。彼女も見込みがありそうだったので、とりあえず今は殺すのは止めておきました」

 

「そうか…。それなら、キミが片腕を切り飛ばした魔導師の少女はどうだった? 彼女の赤い魔力光が煌めく様子はこちらからも見えていたが、彼女とも戦っていたんだろう?」

 

「ええ、彼女もお元気そうでしたよ」

 

 

 つい先程まで戦っていたフェイル・テスタロッサと天音有希の二人のことを評して赤屍は言う。

 

 

「これまで渡り歩いた別のセカイの連中と比べてもあの二人は別格でしたが…それ故に、他の連中がいかに駄目かが分かりますね」

 

「フ、そうだな…。キミからしたら、そう見えるのも無理はないだろうが…」

 

 

 そう言って、間久部博士は先程、自分が出会った小さな英雄たちについて語った。

 いつもは冷徹そのものの目に、決して届かない場所にある星々への憧憬を宿しながら。

 自分だけでなく、自分以外の誰かのため、あるいは、自分が正しいと思うことのために、恐怖を押し殺して立ち向かって来た小さな英雄。

 そして、その小さな英雄たちが確かに見せてくれた魂の光。

 

 

「…ああいう魂の輝きは直接には目に見えない。だが、その人間の行動にこそ現れる」

 

「ええ、全く同意見です」

 

 

 困難に直面した時、どんな行動を取るかはきっと人によって千差万別。

 ましてや、今回の彼らが直面するのは、赤屍蔵人という異次元の絶望だ。

 そんな異次元の絶望を前にした人間が、どんな突拍子もない不合理な行動を取ったところで何の不思議もない。

 パニックを起こしたり、諦めたり、それとも、勇気を振り絞って立ち向かってくるのか――

 

 

「それで――キミの場合は、どうするのかね?」

 

 

 彼女が振り返った先には、銀色のアーマーに身を包んだ『怪人』の姿があった。

 この人物が赤屍と間久部博士が標的としている転生者の一人であることは、彼ら二人には一目でわかる。

 そして、おそらく『怪人』である彼自身も、赤屍たちに己が狙われていることは分かっているはずだ。

 

 

「キミも我々に殺される対象であることは分かっているはずだろう? それなのに、自分から我々に関わり合いになろうとするなんて正気かね?」

 

 

 一体何の目的と用事があって、赤屍と博士のもとを訪れたのか。

 少なくとも、赤屍と博士の二人と戦いに来た、という訳ではなさそうだ。

 何故なら、赤屍と間久部博士の前に現れた怪人の少年は、ズタボロにされた少女を引き摺っていた。

 そして、乱暴に引き摺られているその少女は、フェイルに良く似ている。

 

 

「確か、その少女は彼女の妹だったか…?」

 

「ええ、初めてフェイルさんに会った時に見た覚えがあります」

 

 

 怪人の少年が引き摺っている少女について、二人は見覚えがあった。

 もしも、本来の『原作』を知っている者がここに居たなら、彼が引き摺っているその少女の姿を見て愕然としていたことだろう。

 

 

 ――フェイト・テスタロッサ――

 

 

 本来の『原作』においてなら、主人公のライバルとなる魔法使い。

 引き摺られているのは、間違いなく原作のフェイトだ。だが、全身がズタズタに傷付けられて、下手をしなくても半殺しで気絶している状態だった。

 状況を考えるならば、この少年が原作のフェイトを瀕死にまでぶちのめしたということだろうが、一体、何でこんなことになっているのか。

 

 

「…アンタが街で起ってるの事件の黒幕か?」

 

「そうだ。そういうキミは転生者の一人のようだが、一体何をしに来たのかな? 我々と戦いに来たのかとも思ったが、どうやら違うようだからな」

 

 

 少しだけ面白そうな顔で、白い少女は聞き返した。

 もしも、赤屍たちと戦いに来たというだけなら、フェイトをズタズタに打ちのめす意味など無い。

 

 

「…確認と取引をしに来た」

 

「…ほう?」

 

 

 白い少女は目を細める。

 取引という言葉に興味を引くものがあったのか、彼女は視線で続きを促す。

 

 

「アンタらの殺す標的には、俺も入ってるんだろう?」

 

「そうだが、まさか、キミが連れてきた少女を身代わりにするから自分だけは見逃してくれ、とでも言うんじゃあるまいな?」

 

「そんな訳あるか。コイツはただの餌だ。コイツの姉…フェイル・テスタロッサを誘き寄せるための囮…人質だよ」

 

「…人質?」

 

 

 赤屍と博士の二人も思わず怪訝な顔を浮かべる。

 フェイルを誘き寄せるための人質と聞こえたが、この期に及んでそんな転生者同士で争うようなことをして一体何の意味がある。

 普通の思考で考えれば、自分たちの命を狙っている殺人鬼が跋扈している状態でやることではない。

 

 

「…俺は、あの女と全力で戦えれば、もう他のことはどうでもいいんだよ。その後でなら、お前らに殺されようがオレは一向に構わない」

 

「ふむ…。ようするに、彼女はキミの獲物だから、彼女に関してだけは我々は手を出すな、ということかな?」

 

 

 一転して、興味深そうな表情を浮かべる間久部博士。

 

 

「確かに、対象の転生者が全員死ぬという結果が果たされるなら、誰が誰を殺してもいいのは事実だ。キミが彼女を殺してくれるというのなら、依頼人である私としては別にそれでも構わんよ。もちろん、その後にはキミにも死んでもらう訳だが、それは分かっているかね?」

 

「…それでいい。あの女と戦って勝てるなら、俺の命はそこで終わって構わない。俺にとって、それだけの価値があの女にはある」

 

 

 もはや狂気すら感じる程の執着だった。

 だが、その狂気を、白い少女は非常に興味深いもののように受け止める。

 

 

「ふむ…。どうやらキミも彼女に相当思い入れがあるらしいが、彼女を見つけたのはジャッカルの方が先だ。キミの『取引』を受けるかどうかはジャッカル次第だよ」

 

 

 そこで彼女は隣に立つ黒い男の意向を窺う。

 そもそも、赤屍達からすれば、ここで怪人の少年を殺しても全く構わない訳だが――…

 

 

「さて…、どうしたものでしょうか…。断ったとしても別に良いんですが…」

 

 

 苦笑するような表情をして、考える素振りを見せる赤屍。

 はっきり言って、ここで怪人の少年を殺してしまうことは簡単だ。

 しかし、どうせならば、より面白くなりそうな選択肢を選ぶことにしよう。

 だから、赤屍は怪人の少年に対して、次のような『条件』を与えることにした。

 

 

「クス…そうですね。それであれば、キミには他の転生者達の篩い分けをしてもらいましょう。ようするに、この私が殺すまでもない相手は、代わりにキミに殺してもらいます」

 

 

 とんでもなく悪辣な条件だった。

 同じ立場の人間を……転生者を、さらに言えばまだ何もしていない連中を殺せと言っているのだ。

 

 

「――わかった。それでいい」

 

 

 だが、怪人の少年は迷うことなく頷く。

 彼は既に決めたのだ。自分がこの世で最も欲している魂の持ち主との戦いを前にした以上は、それ以外の全ては些細なことに過ぎないのだと。

 

 

「クク…面白いな、キミは」

 

「クス…まさか即答されるとは思いませんでしたねぇ」

 

 

 化け物二人が愉快そうに笑う。

 この少年が逆にフェイルや他の転生者に返り討ちにあうなら、それはそれで良し。

 もしも、この怪人の少年が転生者をフェイルも含めて全員殺せるなら、最後に赤屍がこの少年を殺してそれで終わる。

 結局、どう転んでも赤屍達に損はない。

 

 

「…いいだろう。キミは我々と共に来るといい。味方のはずの人間同士が、鉄火場の土壇場で足を引っ張り合うというのは、よくあることだ。転生者同士で潰し合うという展開になるなら、それはそれで面白い」

 

 

 転生者を殺すための尖兵。

 転生者でありながら、他の転生者を殺す尖兵となることで、殺されるのが後回しになった男。

 そんな『前例』が出来てしまったという事実。そして、その事実は、下手をしたら最悪の発想に繋がることになりかねなかった。

 

 

 ――なんだ。アイツみたいに死神に媚びれば、処刑抽選券から逃れられるのか――

 

 

 そんな風な考えを持つ他の転生者が出てきたって不思議じゃない。

 そして、事実として、ここからの海鳴市での転生者を巡る事件は、さらなる混迷へと向かうことになる。

 間久部博士と赤屍蔵人の二人は、そんな怪人の少年と連れ立って、街の中へと消えて行った。

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 一方、アースラの治療室。

 そこでは先程の赤屍達との激戦を戦った者たちが集められていた。

 あの後、時空管理局の執務管であるクロノが現場の巡回をして、あの場に居た関係者の面々を集めて回ったからだ。

 

 

「つーか、佐倉、よく無事だったな…」

 

「無事じゃないよ…。本当に死ぬかと思った…」

 

 

 佐倉とユーノから自分が気絶した後の顛末はざっと聞いたが、本当に、生き残れたのが不思議なくらいだった。

 辺りをざっと見まわすと、自分たち以外でその場に集められているのは、クロノ、ユーノ、高町なのはに、八神はやての原作キャラの面々。

 それだけでなく、原作には居なかったはずの人物――あの黒い男と交戦していたはずの天音有希までもがその場に居た。

 

 

(あの人、右眼が…)

 

 

 彼女の右眼が眼帯で覆われている。

 その怪我が、有希とフェイルの二人が経験した激戦がどれだけのものだったかを物語っていた。

 そして、そんな彼女を心配そうに八神はやてが傍に寄り添っている。

 

 

「…おい、佐倉」

 

「なに?」

 

「フェイルは?」

 

 

 あの時、あの黒い男と最前線で戦っていたのは、天音有希とフェイル・テスタロッサの二人。

 だが、そのうちの一人である天音有希がここに居るのに、もう一人のフェイル・テスタロッサがここに居ないということは、まさか――

 

 

「…あの子も生きてるけど、こっちとは完全に別行動だよ。クロノもあの子に事情聴取のために同行を依頼したんだけど――…」

 

 

 最悪の予想が頭を過ったが、どうやら彼女も生きているとのことだった。

 しかし、クロノが彼女に同行を依頼した所で、使い魔のアルフからの念話が飛んできたらしい。

 曰く、フェイトが行方不明で、念話も繋がらないという。

 

 

「フェイトが行方不明…?」

 

「その報告を聞いたら、あの子、血相を変えて飛び出して行っちゃって…」

 

「引き止めなかったのかよ…!?」

 

「いや、引き止めようとはしたんだよ? けど、止めようとしたクロノも、逆に一撃であの子に沈められたからね…」

 

 

 佐倉が遠い目になる。

 なるほど、さっきからクロノが治療室のベッドに寝かされているのはそれが理由か。

 しかし、フェイトが行方不明というのは、一体何がどうなってる。

 

 

(まさか、あの殺人鬼の二人組が連れ去った…?いや、アイツらがそんなことをする意味なんて――…)

 

 

 と、その時。

 不意に治療室の扉が開いた。入ってきたのはエイミィとリンディ艦長だ。

 

 

「あら、クロノも気がついた?」

 

「母さ…、いや、艦長……。ええ、なんとか」

 

 

 ベッドから起き上がるとクロノもリンディの隣に並ぶ。

 ちょうど目が覚めたタイミングだったらしいが、その顔色はあまり優れないようだった。

 

 

「…さて、いずれにしろ、まずは自己紹介からね」

 

 

 そう言って、彼女は姿勢を正して、敬礼する。

 そして、その敬礼と同じように敬礼で追従するクロノ。

 

 

「…改めまして時空管理局の本局所属、次元航行艦『アースラ』の艦長、リンディ・ハラオウンです。この度は、此方の任意同行に応じてくれたことを、先ずは感謝します」

 

「…時空管理局の執務官、クロノ・ハラオウンだ」

 

 

 自分たちの所属と立場を名乗るクロノとリンディ。

 そして、彼らは真剣な面持ちで本題に切り込んできた。

 

 

「…それで早速、教えてもらっていいかしら? 貴方達が一体、何者で…この世界、いや、この街で何が起きてるのか」

 

 

 さて、どこから話せばいいのか。

 それに自分たちが転生者であることや、八神はやてや闇の書のことも含めて、一体どこまで話すべきなのか。

 特に、天音有希の方は、八神はやての保護者のような立ち位置みたいだが、彼女の意向も聞かずに『闇の書』のことまで含めてここで話すのは、どう考えても拙い気がする。

 

 

「…分かりました。この中では私が一番年長ですし、私から話します。…と言っても、私だって全部を知ってる訳じゃないでしょうし、キミ達も必要なら補足して」

 

 

 そう俺たちに前置きして、有希は語り出した。

 輸送中の事故でばら撒かれたジュエルシード。そして、それを回収するためにこの世界にやって来たユーノ・スクライア。

 ユーノが助けを求める声に応えて彼の元に向かい、そこで魔法という特別な才能を目覚めさせた高町なのは。

 

 

「…多分だけど、そこであの『化け物』に出会ったんでしょ?」

 

 

 確認するように言う彼女に対して、高町なのはとユーノはこくりと頷く。

 こちら側の事情説明は、主に天音有希が話し、それに対して、他の人達が随時補足するという形で進んでいく。

 そして、彼女が言う『化け物』というのは、言うまでもなく、あの殺人鬼の白黒の二人組のことだ。

 

 

「いま、この街を騒がせてる事件のことね? この世界の新聞とかも見たけど、貴方達二人はそこに遭遇した…、と」

 

 

 報道されている内容では、その場で27人もの人間が殺されたとある。

 その記事の余りにも凄惨な内容に、思わずリンディも眉を顰める。

 

 

「…いや、ちょっと待ってくれ。どうして、キミ達二人は生きてるんだ? それに管理外世界であるこの世界に、そんな多くの魔導師が居るなんて…」

 

 

 クロノからのもっともな疑問と指摘。

 ユーノの広域念話に反応して集まった多くの魔導師たち。

 管理外世界である地球にそれだけの数の魔導師が存在することも不自然だし、それらの魔導師が皆殺しにされている状況で、ユーノと高町なのはの二人だけは見逃されて生き残っていることも不自然だった。

 クロノの指摘に対して、今度はユーノが答える。

 

 

「…ヤツらは自分たちのことを、『運び屋』と『雇い主』だと言ってました。そして、『特定の条件』を満たす人間をあの世に運ぶ、という依頼で動いてるって…」

 

 

 奴らが殺す標的となる特定の条件。

 そして、その条件が一体、何なのかが最大の問題だった。

 正直、俺としては確信に近い答えを持っていたが、それを裏付ける情報はこれまでは持ってなかった。

 そして、その答えを確定させる情報は、この時点では誰も持っていないと俺は思っていた。

 しかし――…

 

 

「あ、あの…」

 

 

 そこで高町なのはがおずおずと口を開く。

 

 

「その…、あの、二人組の白い女の子から話なんですけど――…」

 

 

 嫌な予感がした。

 その先を聞いてはいけない。聞いてしまったら、もう後戻りできない気がした。

 そんな俺の胸の内とは裏腹に、高町なのはは語り続ける。そして、そこで語られた内容は、俺たちにとって絶望としか言えないものだった。

 

 

「人造の神様、だと…?」

 

「私達で言うところの『ロストロギア』の一種かしらね…。レベルは桁違いだけど…」

 

 

 クロノとリンディが、その内容に対して、そんな感想を述べる。

 こことは違う世界で作られた人造の神『アーカイバ』。その残骸を手に入れたことで、神に近しい存在となった者達。

 そうした者達によって、力の欠片を与えられた『転生者』という存在。

 

 

「あの女の子が言ってたんです…。魂に刻み込まれた『力の欠片』を回収するために、色んなセカイを渡り歩いて、転生者を殺して回ってるって…」

 

 

 転生者に与えられた『力の欠片』というのは、転生の際に与えられる特典のことだろう。

 そして、あの殺人鬼に命を狙われる条件が、これで確定的に判明する。

 

 

「じゃあ、なに? 『本物の神様』を殺せるような連中が、コッチの命を狙って来てるってこと…!?」

 

 

 話を聞き終えるなり、佐倉が高町なのはの方に食って掛かる。

 彼女は高町なのはの襟元を掴んで引き寄せると、噛みつくような勢いで言葉をぶつける。

 

 

「そんなの! そんな相手、どうしようもないじゃない…!」

 

「……っ」

 

 

 その剣幕に気圧されて、なのはは委縮してしまって、何も言葉を返せない。

 

 

「おい、佐倉!やめろ!」

 

「あわわっ……、さ、佐倉さん! 落ち着いて……」

 

 

 ここで高町なのはを責めた所でどうにもならない。

 思わず声を荒げてしまう佐倉をユーノと俺が宥めようとした。

 だが、そんな俺たちに対して佐倉は更にヒートアップしていく。

 

 

「っ! なによ…!? こんな話聞かされて、落ち着けっての!? …うぐっ!?」

 

 

 急に胸を押さえてその場に倒れこむ佐倉。

 

 

「お、おい!? どうした!?」

 

「う……、くる……し……」

 

 

 尋常じゃない苦しみ方。

 その様子を見て、高町なのはが慌てて彼女を抱き起した。

 

 

「佐倉さん!? 大丈夫!?」

 

「あ……、ぐぅ……」

 

 

 声を掛けても、まともな反応が返ってこない。

 その間にも彼女の呼吸はどんどん荒くなり、顔色が青く染まっていく。

 

 

「…みんな、落ち着け。おそらく、過剰なストレスからの過呼吸だ」

 

 

 オロオロと俺たちが慌てる中、クロノの冷静な声が響いた。

 時空管理局の執務管だけあって、ある程度の医学的な知識も持ち合わせているらしい。

 クロノは慌てたり、騒ぎ立てることなく、テキパキと処置を施していく。

 

 

「いいかい? まずはゆっくりと息を吐き出して……、ゆっくりとだ」

 

 

 そんな彼の言葉に従って、佐倉は言われたとおりに呼吸する。

 それに伴って、徐々に彼女の顔色も戻りつつあった。だが、ようやく過呼吸が収まっても、彼女はそのままぐったりとしてしまった。

 そんな様子を見てリンディが目を細める。

 

 

「酷い衰弱ね……。もう少し詳しい話を聞きたいのだけど……、今日はここまでかしら」

 

「……そうですね」

 

 

 少なくとも、佐倉に関しては、これ以上の話をするのも、話を聞くのも難しそうだ。

 だが、現状で確認・共有できた情報の内容としては十分だろう。

 

 

「…ひとまず、あなた達の身柄はアースラで保護します」

 

 

 そう言って、リンディは有希とはやての方へと視線を向ける。

 

 

「多分だけど、八神さんもただ巻き込まれただけの一般人…、という訳じゃないんでしょう?」 

 

「…はい」

 

 

 リンディからの問いに有希はこくりと頷く。

 今代の『闇の書』の主である八神はやて。ある意味、リンディやクロノにも因縁のある相手だ。

 事ここに至っては、八神はやての事情のことも彼らに説明する必要があるのは確かだ。

 

 

「…分かりました。詳しい事情は後で聞きます。今日はもう終わりにしましょう」

 

 

 その場から立ち上がると、リンディはクロノに目配せする。

 

 

「クロノ執務管、貴方が彼らの護衛についてあげなさい」

 

「了解です、艦長」

 

 

 どうやらクロノが俺達の護衛についてくれるらしい。

 だが、誰が護衛についていたとしても、あの黒い男が襲って来たなら、護衛など無いも同然だろう。

 神に近しい存在すら殺してのける相手。そんなレベルの相手が、佐倉たちを殺すために襲ってくる。その事実が余りにも重くのしかかっていた。

 

 

「ごめん…。もう少しだけ…、こうさせて…」

 

 

 そんな中、佐倉は弱々しく呟き、俺の手首を掴む。

 俺は彼女に対して碌な言葉を掛けることも出来ずに、ただ、彼女の手を握り返すことしか出来ない。

 

 

(これから、どうしたらいい?)

 

 

 正直、すでに最悪の状態だと思っていた。

 実際に『原作』の事件を遥かに超える絶望的な状況に置かれているのだから。

 だが、まだ最悪ではなかった。多くの場合、最悪の事態というのは想像を超えて来るということを俺は知った。

 

 

 

 ――怪人『バッタ男』――

 

 

 

 同じ転生者でありながら、奴らの尖兵として転生者を殺す役割を果たすことで、殺されるのが後回しになった『怪人』の男。

 まだ、この時点では俺達はその存在すら一切知らない。そして、その男の所為で、事態はさらに混迷へと向かうことになることを俺達はまだ知らなかった。

 

 

 




あとがき:


 クソゲーの難易度がさらに上がります。ただでさえ絶望的な敵が最後に控えてるのに、怪人『バッタ男』という中ボスまで出て来ます。ついでに、他の転生者を殺す尖兵となることで、殺されるのが後回しになったという『前例』のお陰で、転生者同士の仲間割れが誘発される可能性すらあります。


ワイ「うん、これはどう考えても無理やな!」


 自分がこの作品の特典持ちの転生者の立場に置かれたら、間違いなく絶望して諦めます。ですが、この絶望を何とか乗り越えようと出来るなら、精神的には間違いなく『英雄』だと思います。
 しかし、毎度毎度、疑問なのですが、転生特典とかで規格外の力を外から持ち込んだら、それを巡ってのトラブルなんかが起こっても不思議じゃないと思うんですが、転生者の多くはそんなことを全く考えません。
 転生者である自分が『原作キャラの事情』に巻き込まれることは警戒するのに、自分の『転生者の事情』に原作キャラを巻き込んでしまう可能性を全くと言っていい程に警戒しないのは何故なんだぜ?



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