真・恋姫✝無双 魏国 再臨 (無月)
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始まり
1,始まり


原作を知らない方には説明不足な点があるかと思いますが、よろしくお願いいたします。
試験的な物なので、場合によっては消すかもしれません。


 俺はあの日、現実へと戻ってきた。

 大切な者の全てを、もう戻ることができないだろう魏に残したまま。

 

 最初の一年を抜け殻のように無為に過ごした。

 心をあの場所に置いてきてしまったように、ただ生きていた。

 そして、一年たったある日、俺は魏に戻るためにがむしゃらになって勉強を始めた。

 

 

『そんな醜態で私に会うつもりなの? 貴方は』

 華琳の一喝が夢の中の俺に衝撃を与えた。

 

『華琳様の臣たる自覚が足りんぞ! 北郷!!』

 春蘭に殴られる。いつもなら剣を持って追いかけてくるのに、俺を殴り飛ばした。

 

『北郷・・・・・いつまでそうしているつもりだ?』

 秋蘭がため息をつきながら、俺を期待するように見た。

 

『兄ちゃん、たまにならいいけどサボりすぎだよー』

 季衣が肉まん片手に、俺の左肩に飛びついてきた。

 

『兄様、兄様は魏の柱石だったんですよ? なんだってできます』

 流琉が俺の右肩に抱きつきながら、勇気づけるように笑っていた。

 

『アンタ、何やってんのよ! 戦場でだってもっとマシな顔してたわよ?!』

 桂花がいつものように俺に酷いながらも、激励をくれた。

 

『隊長・・・・会いたいのは私たちも同じです』

 凪が手を胸に当てながら、何かを堪えるように笑った。

 

『そやで、隊長がそんな姿じゃまた会うたときにがっかりしてまう』

 凪を支えるように右に真桜が立ち、俺の頭を叩いていく。

 

『そうなのー。絶対会えるから、それまでもっと前を見るのー!』

 凪の左側には沙和、拳を前に突き出しながら俺をまっすぐ見つめてきた。

 

『一刀、いつもみたいにそこで見守っててよ。いつもの一刀でね?』

 天和がふわりと笑いながら、俺を見てくれた。

 

『バーカ! ちいたちと過ごした日々を無駄にする気?』

 地和が怒りながら、いつものように俺を指差していた。

 

『私たちが好きになったあなたは・・・そんなあなたじゃないですよ?』

 人和がそっと他に聞こえないように、俺に耳打ちをしていく。

 

『約束破ったんや、ちっとはマシになって会うくらいしてな』

 偃月刀を担いで、絶対にこっちを振り向こうとしない霞は泣いてるように感じた。

 

『お兄さんー。こんな多くの女性を泣かして、さすが魏の種馬』

 風はいつものように俺をまっすぐ見つめて、そんなことを言ってくる。

 

『一刀殿、私たちに会いたいならそれなりの努力してください』

 稟も鼻血を出さない以外はいつも通り、真摯なその言葉は俺に突き刺さった。

 

 

 夢の中にまで俺に説教をしに来た彼女たちを見て、今の自分が恥ずかしくなった。一年間の下を向くだけの生活をやめて、俺はいつか帰るための準備をした。

 戻るために知識を、魏で見続けた武術を、耳で聞き戦場で学んだ兵法を、拙かった馬術をありとあらゆるものに対して貪欲にかぶりついた。

 武は魏でずっと見ていた。弓は秋蘭、大剣は春蘭、薙刀は霞、拳は凪、小刀二刀は沙和、鎌は華琳、鎖に繋がった錘系は季衣と流琉、脳裏に焼き付いている全てを何度も繰り返しては今の時代にある限りの流派を極めようとした。

 兵法は魏で散々読まされた。この世界では原本に等しい物が字も読めなかった俺の教本だった。稟も風も、桂花からも聞いていた兵法を思いだしながら、さらに様々な兵法を脳に叩き込んでいった。

 馬術も皆を、特に神速の張遼を間近で見ることができた。高校にあった馬術部に入り、高校を卒業してもクラブや農場を探して馬に乗る機会を作った。乗ることに上達したら、一頭の馬に慣れすぎないように乗る馬は毎回変えてもらった。

 端から見れば異常なその光景だと自覚していても、俺の中には魏に戻ることしか頭にはなかった。

 

 

 大学三年の夏、恋人ができた。

 その二年後、俺はその恋人と結婚し、一男二女に恵まれる。

 俺がいつか、『現世から居なくなる』と言っても、他人が嘲り笑った魏の話も笑わずに真剣に聞いたうえで、彼女は俺と『結婚したい』と言ってきた。

 他にも俺の容姿と、物事に対する貪欲さに惹かれて求婚する者はいたが、その誰もがあの日々の話をすると鼻で笑った。

『ありもしない夢の日々にあなたは、いつまで囚われてるの?』

『一刀さんでも冗談言うんですね』

 そんな言葉を言った相手にはその場で断った。そして、二度と近寄ることなどないように意図的に工作した。(別の男と引き合わせたり、仕事や別の物に執着するように仕向けたり)

 だから、俺は彼女を受け入れた。

 誰もが否定したあの日々を否定せずに受け入れてくれた彼女を、俺は愛した。

 

 だが、俺は彼女をその手に抱きながら、彼女たちを考えていた。

 デートしても、食事をしても、夜を共にしても、子を抱いても、その成長を見ても、全てがガラスを挟んだ向こう側の光景に見えた。

 人並みに幸福なはずの日々に、どうしても愛着を見出すことが出来なかった。

 人として恵まれた環境、幸せな家庭、魏に戻るために身につけた学は収入を安定させた。

 だが、それでも俺の心は満たされなかった。

 俺が生まれた世界(故郷)

 一度は追い出されたこの世界、その上で身勝手な神によって引き戻された世界。

 俺の愛した世界ではない場所、俺が居場所を見つけられない世界の、人としているべき場所。

 

「あなた、行くのですね?」

 背中から投げかけられた妻の問いに、俺は振り返ることはしない。

「あぁ、ずっと決めていたからな」

 あれから三十年が経過した今ですら、俺の心には魏しかなかった。生まれることが叶わなかった世界の、華琳に拾われることで得られた居場所であり、今の俺を作った様々な出会いと別れ、そして多くの経験をした愛しい世界。

「私では・・・・あなたをこの世界に繋ぎ止める鎖にはなれませんでしたか?」

 悲しみで声を荒げるわけでもなく、ただ残念そうに悔しそうに、それなのに悟っているようなそんな声。

「・・・・なってたさ」

「嘘つき」

 言いよどんだ俺の答に彼女はすぐに切り返した。背中から手が回され、俺は少しだけ驚いていた。

 彼女は自分から俺に触れ合うことなど、今まで数える程度しかなかった。

「あなたはどこに誰と居ても、遠いあの国を思っていたんでしょう?

 私を通して、あなたは一体だれを見ていたの?」

 責めるような言葉だというのに、怒りはない。

「みんな、かな・・・・・・この世界には居ない。俺が大切だと思って、あそこから消えてしまっても誰一人として欠けてほしくないと願った十五人を、どんなときだって思い出してた。

 君がそこにいるのに、『ここに居るのが彼女たちだったら』と・・・・・どんなにやめようとしても考えてしまっていた」

 彼女の傍に居ながら俺は、ずっとここに居るのが彼女たちだったらと考え続けていた。どんなに嬉しかったか、どんな反応するかを、どんなに幸せだったかを。

 

 彼女の一定の線引きの中に入るまでの人の接し方を無意識に華琳と比べていた。

 それはどこか才ある者を見つけたときの彼女に似ていると感じてしまっていたから。

 

 彼女の部屋に招かれた日に食べた手作りの杏仁豆腐は、無意識に春蘭の物と味を比べていた。

 あの性格そのものの料理は、料理としては駄目だろうけど彼女そのものだと感じた。

 

 子どもたちの成長を見守る様子は、まるで秋蘭がそこにいるようだった。

 冷たく見えるその様子は愛情を向ける者に対して、決して突き放すことはないあの眼が好きだった。

 

 成長期の子どもたちの旺盛な食欲は、季衣を見ているようで懐かしさを覚えた。

 楽しそうに、嬉しそうに誰かと食事をする姿は見ている側も笑顔にしてくれた。

 

 

 そんな子どもたちを見守りながら手料理を嬉しそうに振る舞う彼女の姿は、流琉と同じだった。

 小さな体で料理を作る彼女の作業を見ていることが、幸せだった。

 

 年上だろうと男だろうと、間違ったことを正すときの彼女の言葉の辛辣さは、桂花だったらどういうかを考えていた。

 あの多くの言葉の中に隠された気遣いが、癒しをくれた。

 

 息子が剣道に対して向けるあの熱心さは凪を見ているように心地よかった。

 だから、俺は俺の知る様々な剣技を息子に教えた。楽しい親子の時間、それすらも魏に通じていた。

 

 年頃になった娘たちが熱心に服を選ぶ様子は、沙和が二人いるようだった。

 現代の服装を見ても、彼女がどう夢中になるかを考えて自然と笑みがこぼれた。

 

 現代のどんな機器を見ても、あの時代で真桜ならどう作ってくれるかを考えた。

 そして、俺自身がどう口頭でそれを説明すればいいかを考え続けてはメモに取った。

 

 初めてのデートのときに遠くから花火は、霞との最初の雰囲気づくりをした時を思い出した。

 あの時の思いと似て非なる感情を抱きながら、涙を必死に隠していた。

 

 この世界でどんな音楽を聞いても、少しも心に響くことがなかった。

 天和、地和、人和、機材も機器も劣る筈の三人の歌を聞きたいと思ってしまう自分がいた。

 

 道端で会う気まぐれな猫や気まぐれな季節風を見るたび、感じるたびに風のことを考えた。

 あの捕らえ所のない不思議な心地よさは類を見ないものだった。

 

 豊富な知識を持ちながらどこか不器用な人間に関わるたびに稟を思いだし、そういう人間に対して心を広く持つことができた。

 不器用で一途だった彼女と似た人物をどこかで探していた。

 

 

 三十年も過去のことは今も俺の中に刻まれていて、声も、姿も、性格も、思い出すらも忘れたことなんてない。

「・・・・ずるいわね、その人たちは。ここに居ないのにあなたにずっと想われて、私は傍に居ながら見もされなかった」

「一度も君を思わなかったわけじゃないさ。でなければ、俺は今でも独身のままだった」

 そう、俺は独りでもよかった筈だ。いや、むしろあの世界に戻るというのなら、独りであるべきだった。戻ると思いながらも、どこかで諦めていたのかもしれない。

「育っていく子どもと孫たちを見守りながら、君と一緒に老後を過ごすことも悪くないと考えたさ」

 そう、そうすることもできた。

 そうなることも悪くないと、考えていた。でも

「そうすると、あいつは泣いたままなんだ。

 あの寂しがり屋で、弱いところを見せようとしない強がりな女の子が・・・・・・別れた月の下で泣いたままなんだよ」

 最後に見てしまった華淋の泣き顔が脳裏を離れない。泣き顔など一度しか見せなかった華琳が、消えていく俺に涙を流した。

 あの優しき鬼を、誰よりも民を思う魏王を俺は泣かしてしまった。

「そう・・・・・・・・あーあ、結局ずっと私の片思いのままなのね」

 腕は離され、遠ざかる。俺は振り向こうとして

「振り向かないで!」

 拒否された。

「あなたは私たちを置いていくのだから、泣き顔なんて見る権利ないわ」

 もっともだと思った。だから、俺は振り向かないと決めた。もう二度と、ここに戻ってくることはないだろう。

 ここでの記憶をみんなに話すことはあったとしても、俺の思いは動かない。『戻りたい』などと、思うことはきっと一度もない。

「あぁ、ないな・・・・・ある筈がない。俺はお前たちを捨てて行くんだ。

 恋をしてたわけでもないのに結婚して、父親として、夫としての義務を果たすことを途中で放棄する」

 俺は今ここで何を言っても、それは罪悪感から生まれた言い訳でしかない。

 どんな言葉も自分の心を軽くするためだけで、彼女に対する思いじゃない。

「こんな最低の男ことなんて早く忘れて、幸せになってくれよ」

 顔を見ないようにして、彼女に笑う。

「俺は、ここには帰らない。もう二度と、何故なら俺はもう一人の俺がいるだろう時代に行くから。

 ここでの関わりの全てを捨てることで、俺はあの世界の一部になりに行くんだ。俺という存在をあの世界に捻じ込むことで、俺はようやくあの世界に留まることが出来る。だから、本当にお別れだ」

 華琳、今だけは魏を思わないことを許してくれ。

 三十年間、片時も思わぬ日がなかったけれど・・・・・どうか、今だけは見逃してくれ)

 今でも誰よりも愛する人へと心の中で頭を下げながら、俺は少しだけ上を向いた。

『そうね・・・・・・ただし、今だけよ?』

 脳裏に聞こえたそんな声に礼を告げながら、俺はこの世界に生まれた北郷一刀として、目を閉じる。

「・・・・・こんな最低な俺だけど、君を大切に思っていたのも嘘じゃない。愛していたよ、優希(ゆき)

 この言葉と一瞬だけ、俺の心は彼女にのみ捧げよう。

 俺は目を閉じながら、これまで付き添ってくれた妻の唇をそっと奪う。目を閉じていてもこれまでの思い出と経験が正確に唇を奪い、そっと離れた。

「酷い人・・・・・私はずっとあなたを思っていたのに、あなたが私を見てくれるのが別れの時なんて、本当に勝手ね」

 閉じたままの視界、でも俺の胸にしみいる涙と声だけがはっきりと届く。

「でも、許してあげる。最初で最後でも、あなたはちゃんと私を見てくれたもの・・・・さよなら、愛しい人。どの世界の誰よりも、私はずっとあなただけが好きだったわ」

「ありがとう、優希。

 ごめん、俺がどの世界の誰よりも愛したのは君ではなかった。

 だけど、間違いなく俺は、この世界のどの女性よりも君を愛していた」

「知ってるわ。でも、この世界であなたの一番だもの。

 人生が終わる最後まで誰になんて言われようと誇ってあげるから、もう二度と会えない人に私は一生分の恋をしたってね」

「お前だけは笑っていいんだぞ?

 『頭のおかしな男に引っかかって人生を無駄にした』って・・・・・お前だから、言っていいことだ」

「バカ、あなただから私は全部信じたんじゃない。

 あんな本気の目で努力してるあなたのこと、他の見る目のない人たちが何て言おうと私が誇ってあげる。だから、あなたは胸を張って、帰ってあげなさい。あなたの好きな人たちが待つ場所にね」

 不覚にも涙が出そうになった。

 俺には過ぎた良き伴侶、素晴らしい女性に出会えていた。だが、魏がなければ彼女に会うこともなかっただろう。これは絶対にあるべき出会いであり、別れ。

 華琳、俺はこんな女性を置いてでもお前に会いたいんだ。

 彼女から唇が重ねられる。俺はそれを受け入れる。

 これが最後だと、互いにわかっていた。だから、同時に背を向けた。

「じゃぁな、この世界。さよなら、この世界で俺が誰よりも愛した人・・・・・・元気でな、俺の家族」

 後悔もここに置いていこう。

 この三十年という時間の中で育んだ愛と、俺には惜しいほどの妻と子を捨てて、その時間で得た多くの智と武を持って、あの愛しい魏へ帰ろう。

 光に包まれながら、俺は必要なものだけを入れて少し膨れた鞄をしっかり抱いた。

 今度こそ、全てを失わずにみんなと生きるために。

 



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2,帰還 二つの流星

サブタイトルがこれであってるかなぁ?
そして、前回より文字数が少ないです。


北の空に、一筋の赤い流星が落ちていく。

光はまっすぐ進み、月にも負けぬほど輝いていた。

それは大陸中どこであろうと見えるように大きく、誰も見逃すことのないようにゆっくり流れていく。

まるで戻ってきたことを、強く主張するように。

その喜びを、大陸中に見せびらかすかのように。

 

 

 

「フフ、凶兆の星に乗って帰って来るなんて・・・・あなたも随分わかってきたじゃない? 一刀」

 曹孟徳は笑う。

 突然、溢れ出してきた記憶、感情、それら全てを戸惑うこともなく受け止め、流れゆく赤き星へと呟いた。言いたい言葉は多くあるが、今は伝えたいのは一つしかない。

「おかえりなさい、一刀。

 でも少し、待たせすぎじゃないかしら?」

 

「・・・・一刀?」

 夏候元譲は空を仰ぎ見る。

 自分の口からこぼれた名、そして記憶。それらをどうすればいいかわからないが、まず生まれたのは怒りだった。誰にも何も言わずに、天へと帰った男へと叫ぶ。

「早く来い! この馬鹿者がぁ!!」

 

「やっと・・・・戻ってきたか、北郷」

 夏侯妙才はわずかに口元をゆるませる。

 記憶の中、まず彼にしなければならないことを思い描きながら、今はただこの再会への喜びに浸っていた。それは美酒を味わうときのように、ゆったりとしたものだった。

「早く来なければ、姉者が何をするかわからんぞ? 一刀」

 

「流琉! 兄ちゃんだ!! 兄ちゃんが帰ってきた!!」

 許仲康は喜びを全身で表していた。

 難しいことなんてわからずとも、好きな人と再会できることをただ喜ぶ。そして、流琉の料理をつまみながら星へと語りかけた。その時が楽しみでしょうがないと、その笑みは語っていた。

「兄ちゃん! 会えたら、絶対に一緒に流琉のご飯食べようね!」

 

「にい、さま?」

 典韋は目から涙を零した。

 季衣の言葉に戸惑ったまま、手が止まる。だが、その手はすぐに元の調理を再開し、涙は拭われた。そして、頭では思い出されていく男の味の好みに添う料理を探していた。

「兄様、たくさん食べてもらいますからね? 私、それまでにもっと上達しますから」

 

「・・・・・」

 荀文若はその星にしばし見惚れた。

 ふと我に返り、頭を激しく振る。その頬は少し赤く、目元はわずかに濡れていた。だが、口から出たのはそれとは真逆のものだった。その思いを知るのは、再会を果たした時であろうことは明らかだった。

「アンタなんか、次会ったら罵倒してやるんだから。この下半身男!」

 

「隊長―――!」

 楽文謙は吼えた。

 今すぐにでも駆けていきたい衝動に駆られながら、前を見据える。拳と足に気を纏わせ、大木を穿つ。自分の心に刻みこむように、赤き星へ拳を掲げた。

「今度こそ、隊長を天からだって守ってみせる!」

 

「あぁん? 妙に外が・・・」

 李曼成は目を見開く。

 口元はすぐさま弧を描き、固まりきった体を伸ばした。ニヤニヤと笑いながら、その手は一枚の図面を引きだした。それを見たとき、男があの頃のように褒めてくれるように。

「隊長、隊長がびっくりするようなもん作っておきますよって。楽しみにしとき」

 

「隊長、登場派手なの・・・」

 于文則は呆気にとられる。

 すぐさま体を起こして、二人の元へと駆け出していく。三人でこの星を、光を見ていたかった。何故なら自分たちは、三人で北郷隊。男と三人が揃ってこその部隊。

「隊長にいーっぱい奢ってもらうのー。それから、それから三人で『おかえり』っていうの」

 

「~~~~♪」

 張角は上機嫌に鼻歌を歌う。

 その星の光が温かくて、思い出の中の彼の笑顔が愛しくて、また会えることに歓喜していた。再会出来たら、まず何をしてもらうかを考えながら星を見続ける。

「今度はちゃーんと、私たちが三国一になるのを傍で見守ってね? 一刀」

 

「遅い!!」

 張宝は罵倒する。

 その星に聞こえるような大声で叫びながら、いずれ出会う本人すら全く同じことを言ってやると心に決めた。そして、星を見て浮かんできた言葉を、再会までに歌にすることをひそかに誓う。

「今度同じことしたら、もう歌ってあげないんだからね! バカ一刀!!」

 

「・・・・・まったく、姉さんたちったら好き勝手なことばっかり」

 張梁は苦笑する。

 二人の姉のそれぞれの反応を見ながら、そんな自分たちを笑顔で支えてくれた彼を思い出して、そっと微笑んだ。胸に手を当て、思い出されていく記憶に浸るように目を閉じた。

「早く会いたいです。一刀さん」

 

「ハハ、えぇやん! えぇやん!! 一刀、かっこえぇで」

 張文遠は陽気に酒を飲む。

 遠い日に自分に『雰囲気』を教えてくれた彼のことを振り返る。そして、あの日と同じように盃を掲げた。星はあの日のよう美しく、耳には男の言葉がよみがえる。

「『宙天に輝く銀月の美しさに』やっけ? あれは笑うたなぁ。今は赤き星の輝きに、乾盃!」

 

「お兄さん、やっと帰ってきましたねぇー」

 程仲徳は目を細める。

 全てが天が決めるものならば、あの別れもまた天命であった。それでも彼女は今流れゆく赤き星へと願う。一度は彼を奪われた天ではなく、この天命の先が男との幸せに繋がっていることを。

「まずは、風達と出会ってくれるんですよね?」

 

「赤い星、ですか」

 郭奉孝は考える。

 自分の中に突然生じた記憶、感情。そして、靄がかかった記憶の欠片たち。だが、そんな思考よりも今だけは彼のために言葉を紡ごうとした。しばし迷って、それは苦笑とともに零れ落ちた。

「策とは違い、うまい言葉が出ませんね。会う時までには見つけておきますよ、一刀殿」

 

 

 

 時同じくして、南の空にもまた一筋の白き流星が落ちていた。

 その光は決して強くはないが白き光を確かに放ち、まっすぐと進んでいく。

 今はまだ何も知らずとも輝きには一片の曇りもなく、その光は見る者を安心させる何かを持っていた。

 

 

 落ちていく二つの星を見ながら、外套を被った女性は星空を撫でるように手を掲げる。

「フフ、北郷一刀。あなたほど面白い存在を私は未だかつて見たことがないわ」

 それはまるで子を見守る母のように優しげでありながら、獲物で遊ぶ肉食の獣のようでもあった。

「何者にも染まらぬ白でありながら、どの色にもなりうる存在。

 あなたという存在はどこに行ってもぶれることを知らず、だというのに周りの色を殺すことはない。

 否、むしろその色をさらに美しいものへと昇華させている」

 それはまるで全てを知っているかのような口ぶりで、星の光にわずかにうつった口元は緩やかな弧を描いていた。

「今回はどうかしらね? あなたはどうするのでしょうね?」

「うもぅ~~~、人が悪いわね。管路ちゃんは」

「まったくよな、漢女たる我々には出来ぬ所行」

 突然、背後に響いた二つの野太く甘ったるい言葉に管路と呼ばれた外套の女性は決して振り返ろうとはしない。

 そこに居たのは二人の筋骨隆々の生物だった。

 一人は白髪に上着と現代のネクタイ、褌姿。名は卑弥呼。

 もう一人は左右のこめかみあたりからおさげを垂らした、褌一枚。名は貂蝉。

 現代であろうと、三国の時代であろうと、どこに出しても恥ずかしく、怪しい変態二人組だった。

「あら、そうかしら?

 最初に彼を外史に連れ込んだあなたたちが言うなんて、それはとても面白いわね? 貂蝉、卑弥呼」

「「だって、好みだったんだもん」」

 正常な男性が耳元で聞けば、まず気絶するだろう声音。

 管路はその声を何ら反応することもなく、星を仰ぎつづける。

「まぁ、いいわ・・・・ 私は、占いを広めなければならないわね。

 これまでの外史にも前例のない、新しい占いを」

「しかし、管路よ。お主は一体、この外史をどうするつもりなのだ?」

 卑弥呼の問いに、管路は答える。

「どうかするのは私じゃないわ、彼自身よ」

「それはそうだけど、二人もご主人様を呼ぶなんて正気の沙汰じゃないわよぉ?

 しかも、一度は役目を終えたご主人様を・・・」

「本来、在るべき時代から彼を抜き去り、ここへ連れてきて別の時代を歩ませる時の管理者たる私たちが、正気など保っているわけがないでしょう?」

 貂蝉の言葉に割り込みながら、管路は楽しくてしょうがないとでもいうかのように笑う。

「この世界は、この時代は・・・いいえ、正しくは『北郷一刀』が関わることが定められ、そこから枝分かれした多くの外史は、私たちが歪ませると言っても過言ではないのだから」

「管路! 貴様、時の管理者の責を何と心得る!」

 卑弥呼の非難の声などどこ吹く風、管路は笑いながら愛しげに流れゆく赤き星を眺めた。

「ウフフ、知らないわ。

 それに二人は蜀と呉の彼をかっているんでしょうけど、私は魏の彼をかっているのよ。だから、独断でこの外史を作ったのだから」

「ということは、彼女たちの記憶はあなたがいじったのね?」

 貂蝉の言葉に管路は否定することなく、赤き流星を背に手を広げた。

 それはまるで赤き流星を背負うように、あるいはその二人から流星を守るかのようにも映った。

 逆光のせいで口元しか見えていなかった彼女の表情は完全に見えなくなり、声だけが彼女の感情を表すものとなった。

「あなたたち二人と、許子将が別の外史へと彼を向かわせたように、私も彼をここへ運んだ。

 あなたたちは何も知らない彼を、私は一度終わりを迎えた彼をね。彼女たちの記憶は、私から彼への贈り物」

 あくまで楽しげに、その場で数度地面を蹴るように飛び跳ねた。

「                           」

 管路はそっと口元へ人差し指を持っていき、その場で小さく何事かを呟く。

 そして次の瞬間、彼女は音もなく、その場から消え去った。

「奴め、一体何を考えておる」

「あらぁ? 卑弥呼。わからないの?

 彼女もまた、あたしたちと同じ恋する漢女っていうことよ」

 貂蝉のその言葉に、卑弥呼はわずかに眉を寄せたが何かを理解したのか顎に手を当てて頷いた。

「フム・・・ なるほど。ならば我らも、蜀のご主人様にしっかりご奉仕せねばな」

「あらぁ~! それは名案!!」

 貂蝉は手を合わせて、右の頬にそれを合わせる。卑弥呼もまた、自分の体を見せつけるようにして両手を頭に当てて体を逸らす。

「我らの肉体美、そして漢女心でご主人様を魅了しようぞ! 貂蝉!」

 二人はまるで競うように、そのままそこで様々な姿勢を繰り返す。

 

 正常な人間がそれらを見たら、卒倒するようなおぞましい光景はそのまま一晩繰り広げられた。

 




次で再会させられるといいなぁ・・・・


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3,二度目の始まり

前回より、千字ほど多くなりました。
そして、この後活動報告にてアンケートを取りたいと思います。
興味もある方は是非、そちらもご覧くださいませ。


 頬にあたるのはどこか乾いた風、あの日と同じ砂の匂い。

 だが俺はあの日と違い、安心して目を開けられる。

 右も左もわからないでいたあの日、持ち物なんて本当に身一つだけだった。携帯も、最低限にしか持っていなかった筆記具も、使えないものばかり持っていた。

「まぁ、それは今も似たようなもんか」

 鞄に詰められているのは本ばかり、しかも帝王学や治世に必要なものではなく、水道、衣服や食、生活に関するものばかり。

「桂花辺りにはど突かれそうだな・・・・

 『アンタ、こんな使えないものばっかり持ってきて!』とか言って、でも、治世とかは華琳がする方法で間違ってないと思うんだよなぁ」

 人が多いこの大陸の、人が毎日死ぬのが当たり前の現状で、まず優先されるのは壊れない地盤を作ることだ。

 

 一つの国を守り、衛生を管理し、治安を維持する。地道で決して楽ではないが、確実に人は増え、国は豊かになる。

 多くの才あるものを見出し、育て上げ、文化としていく。

 

 そのどちらも聞くだけならば容易だが、上に立つ者は才を見出す眼力と、確かな判断力がなければ実現は不可能だ。

「はぁー・・・・ やっぱり、凄いなぁ」

 武も、智も、いくら学んでも、みんなに届いた気がしない。

「それでも、俺なりに頑張りますかねっと」

 砂だらけの地面から立ち上がって、ジーパンに着いた砂を払う。

「あぁ、来た来た」

 あの日と同じ荒野、そこに来る黄色の布を纏った三人組。

「ハハッ、あんたたちにもある意味、会いたかったよ」

 この出会いも前は全然嬉しくなんてなかった。

 状況すら呑み込めずに、突然刃物を突きつけられて、俺は何も出来なかった。

 だが、もうあの日ほど俺は今、無力じゃない。

「あぁん? おかしなこと言う、兄ちゃんだな」

「まったくだな、兄貴」

「んだんだ」

「俺自身、あんまし考えて言ってないからね」

 そう言いつつも、口から笑みが消えることはない。

 地面に立つ、人と出会う、呼吸する、風を感じる、空を仰ぐ、この世界に戻ってきたんだと実感できる一つ一つ、それら全てが嬉しくてたまらない。

 この空の下に会いたい人が生きている。たったそれだけが、何て幸福なことだろうか。

 

 会いたくて、会えてなくて、時代も世界も違う場所へと追いやられ、砂粒ほどの可能性に縋り付いて、努力を続けた。

 この努力が無になるんじゃないかと、思わぬ日がなかった。

 あの世界で得た幸せに甘えることは、いつだって出来た。

 不安と恐怖に挟まれてもなお諦めることは出来ず、何もせずとも得られる幸せをかなぐり捨ててでも会いたかった。

 この世界に戻りたい。誰よりも彼女たちの傍に居たい。

 狂おしいほどの思いからか、気がつけば髪は白くなっていた。

 

「まぁ、そんなことはどうだっていいんだよ。頭おかしくても、金さえ持ってりゃぁな。

 さっ、兄ちゃん。死にたくなけりゃ、金出せや」

 俺を囲むようにしてから、三人の内の頭であろうヒゲが剣を突き付けながらそんなことを言ってくる。

「俺、こっちの金持ってないんだよなぁ・・・・」

 あの日のような恐怖なんて、少しも抱かない。

 それはそれ以上に恐ろしいものをたくさん感じてきたからなのか、それとも

「これすらも、嬉しいとか思ってんのかな?」

「はっ?」

 その言葉に理解できてないヒゲが呆けた顔をするのを、俺は見逃さなかった。

「刃物を人に向けちゃいけませんよっと」

 ヒゲの手首を手の内側へと回すようにしてひねりあげ、体勢が崩れたところで足を払う。剣は空いた左手でしっかりと保持し、倒れたヒゲが逃げないように背中から一度怪我をしない程度に踏んでおく。

「えっ?」

「うおぉぉ!」

 何が起きたかわからずにとまるチビとは違い、デブの方はそれにかまわずに突進してくる。剣をどうしようか迷ったが、足元で震えているヒゲが戦力になるとは思えなかったので地面へと突き刺した。

 俺は突進してくるデブの勢いを利用して襟と手首を掴み、膝を曲げて押し上げる。もちろん、デブの頭が地面へと激突しないように掬い上げることも忘れない。だが、受け身も取れずに地面へと当ったことと、何が起きたかわからずに放心したこの状態じゃ襲ってくることはまずないだろう。

「う! うわあぁぁぁ!!」

 錯乱して突っ込んでくるチビへと、シンプルに首を刈るようにして横から手刀をくらわせる。

「はいっ、終わりと」

 吹っ飛ばないようギリギリで服を掴んでそっと地面に降ろしたところで、拍手の音が聞こえた。

「いやぁ、お見事」

 艶やかな蝶をあしらった着物のような服と、忘れたくても忘れられない真名の意味を教えられた物騒極まりない、形状が独特なあの槍。

「見ていたなら、手伝ってくれてもいいんじゃない?」

 俺が呆れて肩をすくめていると、彼女は楽しげに笑う。

「いやいや、あまりにも手際が良かったので思わず見惚れてしまったのですよ。ずいぶん、お強くいらっしゃる。おっと、申し遅れた。

 私の名は趙子龍、ここで会ったのも何かの縁、覚えていて損はさせませぬ」

「お世辞でも嬉しいよ。俺の名は・・・」

「お兄さん、ですよね?」

 割って入ってきたその声に振り返ると、柔らかそうな淡い黄の髪、その頭にはあの人形、いつも眠そうな深い緑の瞳、それは三十年間ずっと会いたいと願い続けた一人。

「・・・・・久しぶり、風」

「えぇ、風は風ですよ。

 お兄さんはずいぶん姿が変わってしまいましたねぇ、もう白髪が生えていますよ?」

 風はそう言いながら、俺の傍まで来て俺の体に真正面からもたれかかってきた。

 チェック柄の上着と下に来ていた白のシャツのところに、風の小さな体がすっぽりと収まる。

「おいおい、風?」

「・・・・ぐー」

「寝るな」

 酷く懐かしいやり取り、あの日々のようにデコピンを額に当てる。

「いいじゃねぇか、許してやれよ。この色男」

「宝譿、あのなぁ・・・」

「風は寂しかったですよ、お兄さん」

 風の口からこんな声など一度として聞いたことがないほど小さく、か細く、弱々しい言葉だった。

「・・・・俺もだよ、風」

 頭のいい彼女のことだ、本当はもっと聞きたいこともあるだろう。確認したいこともあるだろう。

 だが、それらを差し置いていってくれた短い一言が、心に染み入る。

 そっと彼女の体を抱きしめ、その頭を撫でる。体にあたる彼女の温もりが、自分自身がここに居ることに実感する。

『お兄さんはここに居ますよ』と、無言で示してくれる。

「私もいますよ」

 その言葉に顔をあげれば、茶の髪、夜明けごろの空色の瞳。お世辞にも優しくは聞こえないその声が、嬉しかった。

「お久しぶりですね・・・・・ 今は何とお呼びすれば?」

「久しぶり、稟・・・・ そうだなぁ、『(じん)』とでも呼んでくれよ」

 本当にこの二人は敏い。俺が説明しなくても、八割はわかっているんじゃないか?

 風も体を反転させ、俺の右側によって左側に空間を作る。そして、俺の右腕に栗鼠(りす)か何かのように両手を乗せて、稟を見た。

「稟ちゃんも、ここ来ます? まだ、空いてますよぉー」

 って、そんなこと言って稟が来るわけ・・・・

「フフ、ではお言葉に甘えて」

 そう言うと稟はすぐに風と同じように、俺の左側へとすっぽりと収まる。あっという間に、腕の中の栗鼠が二匹に増えた。

 

 あー! もう、可愛いな! この腕の中の二人をどうしてくれようか!!

 

 悶えそうになるのを必死にこらえ、優しく抱きしめる。

「会いたかったですよ、刃殿」

「俺もだよ・・・・ 稟」

 耳元で囁かれたその言葉がくすぐったくて、その嬉しさに少しだけ強めに二人を抱きしめる。

「だけど、ずっとこうしても居られないだろう? そろそろ行かないとな」

「残念ながら」

「まぁ、またすぐに会えますよー。お兄さんがこちらに居てくれるんですから」

 『そうでしょう』とこちらに笑顔を向けてくる風へと、同じように微笑みかけながら頭を撫でる。

「あぁ、それは絶対だ。

 もう二度と、俺はここから離れるつもりはないよ」

 二人と話しながら、すっかり置いてきぼりになった趙雲さんを見る。

「二人が真名まで許しているとは、説明してもらいたいものだな。稟、風」

 腕組みをして、どこまでも面白そうに笑いながら、こちらを見守っていた。

 理解できない状況下を楽しむ、この人の神経の太さに驚嘆する。

「まぁまぁ、星ちゃん。それは後ほど。

 今は少し面倒なので、我々はおさらばしましょうか~」

「そうですね、陳留の刺史殿がこちらに向かってきていますからね」

 風がなだめるようにそう言い、凛が指差した方向の地平線の向こう側から砂煙が上がっていた。

「むっ、確かに。

 面倒ごとは面白いが、官が絡むと途端に面白みがなくなる。それでは、ごめん」

「ではでは、お兄さん。またお会いしましょう」

「それでは」

 三人はそう言いながら、あっという間に姿を消していく。

 一人は武将だけど、二人は軍師だろうにあの身の軽さ。以前はおかしいと思う隙がなかったが、妙だよな。

「まぁ、会えたからいいか」

 とりあえず、転がったままの三人組をそれぞれの上着を裂かせてもらって、簡易の捕縛紐にする。

 がたがた文句も言いそうなので、口にも紐を噛ませておくとしよう。

 

 

 俺がそんなことをしていると、騎馬が周辺を囲っていく。

 二度目であっても慣れない、威圧感ある光景。

 全員兵装だし、敵かもしれない相手を囲っているのだから当然だが。

「華琳様、殴ってよいですか?!」

「第一声から物騒だな?! オイッ!」

 顔を見た瞬間にそう言った黒の長髪に、青紫の瞳が眩しい春蘭へと俺は怒鳴り返した。

「うるさいうるさい! 貴様は一発どころか、百発殴っても飽き足らん!!」

「会って次の瞬間、ボロボロにされてまるかー!」

 怒鳴ってくる春蘭へと俺も全力で怒鳴り返す。って、七星餓狼は掲げやがった!?

「姉者、嬉しいのはわかるが落ち着け」

 苦笑気味に現れたのは陽だまりのような橙の瞳、涼しげな氷のような色の髪。苦笑と呆れが入り混じった表情で、いつものように春蘭を止めてくれた。

「だがな、秋蘭。こいつは、こいつはぁ・・・」

「言いたいことはあとで言えばいいさ、今は再会を喜ぼうじゃない。なぁ? 一刀」

 こちらをちらりと見ながら浮かべた笑みは、一瞬見惚れてしまうほど綺麗で、俺は強く頷いた。

「今は『刃』で頼む・・・ あとで説明するけど、俺の名は『刃』だ」

「フフ、了解した。刃。

 騎馬隊、そこの三名を引っ立てろ!」

 七星餓狼を掲げた春蘭を押さえながら下がり、俺が捕縛しておいた三人へと連行するために部下たちへ指示を出した。

 そして、騎馬が作業をしていく中で、彼女が俺の前へと歩み出てきた。

 一歩一歩確実に歩むさまは、彼女の生き様によく似ていた。その生き様に惹かれて、多くの者が彼女の元に集う。

 彼女はそれを背負うことを苦だとは思わない。義務だと言って、誇らしげに背負ってみせる。

 だからこそ、俺はそんな彼女を支えたい。その隣で、共に生きていたい。

 力不足で、役者不足であっても、俺は見ることが叶わなかったあの日々の続きが、彼女が作る未来(さき)が見たい。

「・・・・あの三人はあなたが捕らえたのかしら? 刃」

 日の光を浴びてよりいっそうに輝く金の髪、そして俺をまっすぐに見つめてくるのは青空の瞳。

 魏の日輪、誇り高き覇王。

 大陸を、民を守ろうとする優しき鬼。

 そして、どこにでもいる寂しがり屋な女の子。俺がどの世界の誰よりも愛している女性(ひと)

「あぁ・・・・ あぁ!」

 涙を堪えて前を向く。彼女の瞳をまっすぐ受け止めて、俺は一歩前へと出る。

「ずいぶん、姿が変わったわね。髪なんて真っ白じゃない」

「ひでぇなぁ・・・・ でも」

 地面を足先で数度蹴って、華琳の瞳と同じ色をした空へと両手を広げた。

「こんな姿になるほど、俺はここに帰ってきたかったんだよ。華琳」

 そう言って俺は笑う。

 本当は嬉しくて泣きそうで、華琳を見るたびに抱きしめたくてしょうがない。

 それでもせっかくの華琳との再会を涙で始めることは、俺のなけなしの誇りが許さない。

 そんな俺の気持ちを察してくれたのか、華琳もまた俺をまっすぐ見てくれた。

「刃、屈みなさい」

 俺は言われるがまま、その場に膝を折った。そうするとすぐにやわらかな香りが包み、それが華琳だとわかるのにほんの少しだけ時間がかかった。

「おかえりなさい、一刀」

 華琳の手が俺の頭に触れ、そっと撫でられる。

 世界を、家庭を、人が幸せだという環境を捨ててでも、俺が一番会いたかった女性(ひと)

 俺は無意識に華琳の腰へと手を伸ばし、抱きしめていた。

「ただいま、華琳」

 もう絶対に、あの日々を繰り返しはしない。

 もう二度と、この世界から離れてなんかやらない。

 あの日見ることの叶わなかった未来(さき)を、彼女たちと共に見てみせる。

 

 華琳の温もりを感じながら、俺は心でも、天でもなく、愛する彼女たちへと誓った。

 




いつも、キャラたちが本家からぶれていないかが心配・・・


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 二度目の始まり 【風視点】

戻ってまいりました。
三つほど書いてきましたので、連続で投稿します。
いきなりに戻っての風の視点ですが、どうかお楽しみください。


 おぉ、これは夢ですね。

 いわゆる胡蝶の夢というものですねぇ、とても珍しい経験です。

 空には白い真ん丸の月、とても綺麗で神秘的な夜。風はこの空を知っているのですよ。

 あの日、ですか・・・・・ 少し、苦しくなってきますね。

 昔、そうとても昔であって、どこかに存在した遠い未来のこと。

 この大陸に存在する本当に一握りしか知らない、大きなもの ――― 仮に『時の管理』としましょうか ――― によってお兄さんを失わされた日。

 

 

「風・・・・・一刀は、天へと帰ったわ・・・・」

 華琳様からその事実を最初に受け取ったのは、風でした。

「やはりですかー」

 悲しみよりも先に来るのは、不思議な思い。

 望んではいなかったことであっても、あの時から頭の片隅を離れずに在り続けてしまった予測でしたからね・・・・

「あなたも、わかっていたのね? 風」

「なんとなくですが」

 最初は勘に近いものでしたが、お兄さんが体調を崩したときからそれは確信へと変わりました。

 病ではないもっと大きな何かが、お兄さんをさらおうとしている。

 お兄さんをこの世界から奪おうとしていることを、風は知っていて何もできなかったのですよ。

 いえ、これはいらないですね・・・・ 風が言いそうに、考えそうになってしまったことは全て言い訳ですし。

 それよりも今は、現状を何とかしなければなりません。

「祝いの席ではありますが、皆に伝えなければなりませんねぇ」

「えぇ、そうね・・・・・ いつであっても混乱は避けられないもの、早いほうが良いでしょう」

 風には背を向けたまま、華琳様の声はいつも通りでした。

 ですが、華琳様。

 風は見ていたのですよ、大陸の覇王、魏の日輪、民を思う優しき鬼であるあなたが『ただの女の子』であった姿を。

「華琳様、皆には風が伝えておくのですよ」

 ですから、せめて今だけ、今夜だけはご自分にそうあることを許してあげて欲しいのです。

「風・・・?」

「明日にはこの事実を呉と蜀に報告しなければなりませんし、戦も終わったばかりですから。

 これ位は風に任せてほしいのですよ」

 風は笑えているでしょうか? お兄さん。

 お兄さんがそうであったように、誰かがつられて笑ってくれるような笑顔は出来たでしょうか?

「・・・・・・申し訳ないけれどお願いするわ、風」

「お任せください、華琳様」

 華琳様に背を向けて、風は歩き出しました。

 お兄さんがいつも無意識に支えてくれていたように、堂々とはしていないかもしれません。

 風は非力ですから、全部を支えることは出来ないかもしれません。

 ですが、お兄さん。

 風はお兄さんが帰ってくることを、いつまでも信じているのですよ。

 どこにいても、どれほどの時が経とうとも、お兄さんの居場所はここですよ?

 国としては、『天の遣い』であるお兄さんを。

 人材としては、警邏隊を指示する一人の隊長としてのお兄さんを。

 そして、女としては、『北郷 一刀』というお兄さん自身がどれほど重要かを風がじっくり・・・ それは風の仕事ではありませんね。桂花ちゃんにでも任せましょう。

 

 

 お兄さん、お兄さんのせいで風は月が嫌いになりそうです。

 だから月見をすることは、お兄さんが帰ってくるまできっとありません。それまでふて寝でもしていましょう。

 お兄さんがいつものように『寝るな』と言って、デコピンをして起こしてくれる日を風は何時までも待っているのですよ。

 

 

 

 乾いた風、陳留の近くのこの場所。うーん、あの日ですねぇ。

「おぉ! 稟、風。あれが見えるか?」

「どれです? 星?」

 二人のその会話を聞きつつ、星ちゃんが指差す方向へと視線を向けました。

 そこにいたのは黄の頭巾をかぶり帯刀した男三人を、無手で相手どる見たこともない衣服をまとった白髪の男でした。

 あぁ、お兄さん。随分、逞しくなって帰ってきたのですねぇ。

 管路の占いを聞いたとき、まさかとは思いましたが無手で三人を相手にすることができるほどですか。

「私は先に行くぞ」

「星! ちょっと・・・!」

 言葉と同時に駆け出した星ちゃんに稟ちゃんの制止の声がかかりますが、もう行動に移ってしまった時点で止めるのは無理ですねぇ。

「稟ちゃん」

「風! あなたも星を少しは止めて・・・・・ 風?」

 おやおや、どうして風を見て驚いたような顔をしているんでしょう?

「あなた、泣いているの?」

「・・・・おぉ、これは気づきませんでしたね。うっかりしていました」

 目元を拭うと、布が濡れています。風は泣いていたのですね。

「稟ちゃん・・・・・ 風はあの時、お兄さんが消えることを知っていたのですよ」

 星ちゃんがより近くで見学しに行ったのをいいことに、風の口はいらぬことを語りますよ。

「・・・・・」

 何を言うでなく黙って聞いてくれる稟ちゃんは、果たして聞き上手なのでしょうか。 いえ、今はきっと話の全容が解るまで答えようがない、といったところでしょうかね。

「お兄さんが倒れた時、八割予想は出来ていました。

 ですが、止めることが出来なったのですよ。お兄さん自身、それをわかっていた上で望んだのです」

 これは言い訳なのです。

 お兄さんの事を知っていながら、どうすることも出来ずにいたあの日の自分自身の。

 お兄さんは恐れていました。どうなるかわからない自分自身、天へと帰る保証などなくそのまま死んでしまうことすら考えていました。

「ですが、お兄さんは自分自身よりも風たちを選んでくださったのですよ」

 それでもお兄さんは風たちの内、誰か一人でも欠けることを拒んでくれた。今思い返せば、もしかしたら稟ちゃんも死ぬ定めだったのかもしれませんね。風土病に関して進言していたのはお兄さんですし。

「そんなことは、わかっています。

 あの方がどんなに優しいか、どんなに私たちが傷つくのを拒むかくらい」

 そう言って稟ちゃんはふと手を見ています。おそらくは稟ちゃんにはその手が手袋以外の何かがあるでしょう。

「こんな手を握ってくださる方は、あの方以外いません」

 掌を握って目を瞑る稟ちゃんを見ながら、風は今のお兄さんを見ます。武の心得のない風でもわかる鮮やかなお手並み、しかも誰一人として殺してはいません。

 もしかしたら、甘さはそのままかもしれませんね。まぁ、それでこそお兄さんなのですが。

「それでも、お兄さんは帰ってきたのですよ。凛ちゃん。

 さてさて、風は先に行くのですよ。稟ちゃんはもう少し後から来るといいのです」

 稟ちゃんを置いて前へ進みます。あまり見られたくないものでしょうし、すぐに来てくれるでしょう。

「あぁ、そうでした」

 ふと思い出して、振り返らずに手をたたきます。さぁ、宝譿どうぞ。

「星が落ちた日以来、夜中にこそこそと考えていた言葉はあの色男にはいわねぇでやるから安心してもいいぜぇ」

「なっ!!??

 風! あなた、聞いて!?」

 フフフフ、風が知らないことは多いですが、稟ちゃんのことで知らないことは多くないのですよ。

 

 

「お世辞でも嬉しいよ。俺の名は・・・」

「お兄さん、ですよね?」

 お兄さんは割って入った風を見ます。以前とは異なる、それでいて見たこともない衣服。

 髪は何故か白、それでいて瞳はあの日と何も変わらない。

 いいえ、違いますね。かつてよりずっと強い何かが宿っていて、とても眩しいですよ。

「・・・・・・久しぶり、風」

 声は変わっていないのですねぇ、風はこの声を聴くと眠くなるのですよ。

 とても心地よく、落ち着きますね。ですが、まだ寝るわけにはいきませんね。

「えぇ、風は風ですよ。

 お兄さんはずいぶん姿が変わってしまいましたねぇ、もう白髪が生えていますよ?」

 さぁ、久しぶりにお兄さんを困らせて遊びましょうか。

 そそくさとお兄さんの傍に寄って、その体の正面からもたれかかります。

 おぉ! 以前よりも胸板が厚いのです! とても頼もしく感じるものなのですねぇ、おもわぬ新発見です。

「おいおい、風?」

 少しだけ戸惑うようなお兄さんの声が上から降ってきますが、遊ぶとしましょう。

「・・・・ぐー」

「寝るな」

 おぅ、お兄さんのデコピンが額に当たりますが、それを嬉しいと思うのはおかしいのでしょうか?

「いいじゃねぇか、許してやれよ。この色男」

「宝譿、あのなぁ・・・」

 二人(?)のやり取りが頭上から聞こえますが、風はその間必死に言葉を探していました。

 何と言うのが正しいのでしょう?

 溢れる喜びは瞬時に記憶の寂しさを呼び起こし、それでいてその傷を癒してくれますねぇ。

 多くの疑問をぶつけたいと思う反面、推測の域を抜け出せずにいる今の考えが正しいかを問いたいとも思います。

 それでもあの別れから、あの時の終わりまで風自身がずっと抱いていたのは

「風は寂しかったのですよ、お兄さん」

 たった一つだけなのですよ、お兄さん。

「・・・・俺もだよ、風」

 お兄さんの手が風を包んでくれます。

 とても温かく、お兄さんが確かにここにいると、幻なのではないと、証明してくれました。

 たったそれだけ、たったそれだけがどうしてこんなにも嬉しいのでしょうねぇ。

「私もいますよ」

 稟ちゃんの声が聞こえ、お兄さんの体の動き一つ一つ、心臓の鼓動まではっきりと聞こえますね。お兄さんの鼓動が風たちを見て速いのは嬉しいのですが、もっとゆっくりでもいいのですよ。

「お久しぶりですね・・・・・ 今は何とお呼びすれば?」

 稟ちゃんはいきなりそれですかぁ、練習していたのは使わないのですかね?

「久しぶり、稟・・・・ そうだな、『刃』とでも呼んでくれよ」

 お兄さんも否定しないのですねぇ。まぁ、どうせ星ちゃんには意味が通じませんし、良いのですが・・・・

 稟ちゃんは不器用さんですからね、風が一役かいましょう。

「稟ちゃんも、ここ来ます? まだ、空いてますよぉー」

 お兄さんの左半分に空間を作り、お兄さんの逞しい腕に両手を乗せます。やはり、お兄さんの腕の中は良いですねぇ。このまま眠ってしまいましょうか。

「フフ、ではお言葉に甘えて」

 そう言って稟ちゃんも、お兄さんの腕の中へと納まります。

 お兄さんの腕の中、あの頃も苦楽を共にした稟ちゃんと一番乗り出来るなんて風は幸せ者ですねぇ。

 二人のやり取りを聞きながら、この幸せの中で眠りには落ちずに目を閉じましょうか。

「だけど、ずっとこうしているわけにもいかないだろう? そろそろ行かないとな」

「残念ながら」

「まぁ、またすぐに会えますよー。お兄さんがこちらに居てくれるんですから」

 風と稟ちゃんの考えがどこまで正しいかはわかりませんし、予測の域を超えることはありません。

 ですからお兄さん、お兄さんからこのことだけは教えて欲しいのです。

 お兄さんは、風たちの傍をもう離れませんよね?

 もう、風たちを置いては行きませんよね?

「あぁ、それは絶対だ。

 もう二度と、俺はここから離れるつもりはないよ」

 これで言質はとれました。これで風たちは安心して、別行動をとることが出来るのですよ。

「二人が真名まで許しているとは、説明してもらいたいものだな。稟、風」

「まぁまぁ、星ちゃん。それは後ほど。

 今は少し面倒なので、我々はおさらばしましょうか~」

 説明はどうしましょうかねぇ、うまく誤魔化しておきましょうか。いえ、それは出来ませんね。真実をある一定まで話すとしましょう。

 友達に嘘をつくのは辛いですからねぇ、信じてもらえる部分まで語るとしましょうか。

「――――――― それではごめん」

「ではでは、お兄さん。またお会いしましょう」

「それでは」

 お兄さんを置いて、風たちはどんどん離れていきます。

 ですがそこには、寂しさはありません。

 何故なら、お兄さんはこの世界にいるのですから。『ここから離れるつもりはない』と言ってくれました。

 それならば、風は風なりに動くとしましょう。

 かつてお兄さんが戻ってくるかもわからない世界で続けたことよりも、比べものにならないほどやる気に満ちてきますねぇ。

 実に単純ですね、もう風は春蘭ちゃんのことを笑えません。

「風? 笑っているのか?」

 星ちゃんの声に、顔に手を当てます。おやおや、無意識に口元が緩んでいたのですね。

「星の普段のにやけ面が、風にも移ったんじゃないですか?」

 稟ちゃんの援護が入りますが、そう言っている稟ちゃんの顔にも自然な笑みが浮かんでいました。

「ならば稟の笑みもまた、私のせいとなるのか?」

 星ちゃんは怒る様子もなく、楽しげに笑いました。これは完全に何かを察していますねぇ、どこまで話すか加減が難しくなりそうです。

「そうなりますね」

 稟ちゃんも楽しそうですねぇ、いえもしかしたら風と同じことを考えているのかもしれません。

「・・・・・ぐー」

「「寝るな!」」

「おぉぅ、会話の和やかさについ眠ってしまいました」

 楽しげに笑いながら、三人で荒野を駆けていきます。

 

 さぁ、お兄さん。これからどうするのです?

 風たちは今しばらく別行動となりますが、風に限らず皆がお兄さんを思って動いていることでしょう。

 お兄さん自身の力、行動はまだ風にはわかりません。ですが、魏の、華琳様の、お兄さんの為に可能な限りは動くとするのですよ。

 それでは次の再会の日を、風は心待ちにしているのですよ。

 

 



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4,帰還 そして 事情説明

書くたびに、一話の文字数が増える?!
また千字近く増えております。

そして、サブタイトル・・・・
これでいいんだろうか。


「刃・・・・ いいえ、ここでならばあなたを一刀と呼んでも問題ないでしょうね。

 一刀、あなたは今の自分の現状をどこまでわかっているのかしら?」

 場所はかつてのような茶店ではなく、陳留の城の玉座。

 そこに華琳は座り、隣にはいつものように春蘭と秋蘭が並ぶ。

 その光景の懐かしさに思わず見惚れるが、見惚れてばかりもいられない。

「・・・・・・どこから話せばいいんだろうな?」

 俺は頭を掻きながら一つずつ整理していく。

「馬鹿か、貴様は。

 知っていることを全て話せばいいではないか」

 春蘭が馬鹿を通り越していっそ清々しいほど単純にそう言ってくるが、そんなに簡単に全てを話せたら、人は考えることを放棄していると思う。

「姉者・・・・」

 秋蘭も呆れ気味に春蘭を見るが、同時に可愛くてしょうがないとでもいうように笑ってもいた。変わってないことが嬉しいが、今は少し呆れもする。

「私たちの現状は一月前、夜空に落ちた赤い星を見てからのことだったわ。

 その星を見て、ここではないここであなたと出会い、過ごし、別れた記憶を思い出した。

 春蘭、秋蘭もそうだったことから、ここに居ない彼女たちもそうだったのではないかしら?」

 言葉を迷わせた俺に、華琳からこちらの現状と予想が混じったことが話される。そして、風達の様子を見る限りではその予想は当たっている。

 正直俺自身、みんなに記憶があることは想定外だったのだから。

 風と凛との再会を果たしたときは戸惑いより嬉しさが勝り、頭の隅に追いやっていたが何故みんなに記憶があるのか。

「秋蘭」

「はっ」

 華琳が秋蘭を促し、俺はその声に下げていた頭をあげた。

「そして、赤き星が落ちた翌日、管輅はこの占いを世に流したわ」

 その言葉と同時に、秋蘭が俺に一つの書を差し出してきた。

『天より二つの星、降臨せん。

 一つは白き星。いまだ何も知らず、大器と深き情持ちし天の使い。

 一つは赤き星。多くを知り、武と智をもってこの世に再び帰還せし天の使い。

 その存在、同一でありながら相違。

 抱きし思いは近しく遠く、願いは一つなれどその道は一つにあらず。

 行く道違えども見つめる先は等しく、目指すものは唯一つ。

 それ即ち、この大陸に生きる者が願う、世の平定なり』

「あ、あいつ・・・ こんな風にしやがったのか・・・」

 おもわず表情がこわばり、そう言うのが精一杯だった。

 そんな俺を見つつ、華琳は自分の考えを続ける。

「この占いから私が予想できることは、あなた以外のあなたがここに来ていること。

 そしてもう一人のあなたは、以前のあなたと同じ何も知らない状況であること。

 だけど、私たちと出会ったのはあなた一人、ならば・・・・・・もう一人のあなたは、あの決戦の時に対峙した劉備、孫策のどちらかに今頃どこかで出会っているのではないかしら?」

 腕を組んで、俺を見る。

 確信に満ちたその目は、俺が知っていることを見透かしているようだった。

「ハハッ、やっぱり華琳は凄いよ」

 俺の肩から力が抜けていくのがわかった。

 予想だけでここまでいろいろと当てられると、隠す気も失せてくる。

「なぁ、華琳、春蘭、秋蘭」

 俺は今一度、三人へと向き直った。

「何かしら?」

「うん?」

「あぁ」

 三人のそれぞれの返事を聞きながら、俺は一度深呼吸をした。

「ここから話す全部を、信じてくれるか?」

 それでも不安で確認してしまう俺は、なんて臆病だろうか。

「呆れたわね。

 信じていないのなら、曖昧な記憶しかないあなたを玉座まで連れてきたりはしないと思うのだけど?」

「うぐっ、それもそうだろうけどさ」

 もっともなことを華琳に突かれ、俺は出鼻をくじかれる。

「貴様は馬鹿か?

 華琳様が聞いている時点で、お前はありのままに話せばいいだけだろう?」

「今回は、姉者の言うとおりだぞ? 一刀」

「ぐうぅぅ・・・」

 二人にも追い打ちをかけられ、もう言おうとした言葉がうまく出てこないんですけど。

「まぁ、いいでしょう。一刀、言ってみなさい」

「へいへい」

 若干拗ねるようにそう言って俺は、曲がりかけた姿勢を正す。

「まず、俺は天に帰ってからここに戻ってくるまで三十年かけた」

「三十年?!」

「・・・・ほぅ?」

「それで?」

 春蘭の当然の反応を気にせずに、俺は続ける。

「天だと、前のこっちのことはたった一夜の夢だった。それが辛くて、虚しくて、俺、一年間何も出来なかったよ。

 全部がつまらないし、実感がわかなかった」

 軽い口調で続けながら、あの日々を思い出す。

 みんなとの出会いが、あの忘れられないほど濃い時間が、たった一夜の夢だったことを知った時の絶望は、他の何にも例えることが出来ない。

 食事も、学校も、趣味も、生きて活動している全てのことに現実味がなく、感情が上辺だけしか動かなかった。

 みんなの存在が夢で、俺の妄想だったなんて思いたくなかった。

 だけど、それを『違う』と証明するものを俺は形のない記憶しか持っていなかった。

「一年、そうしてたら、みんなが夢に出てきてさ」

 涙が零れてくるが、笑う。

「全員で俺を怒るわ、励ますわ、罵倒するわ、凄いもんだったよ」

 みんなが夢に出てきた日を、俺は忘れない。

 俺がここに戻ってくることを決意した日であり、前を向けた日。

 そして、その前を向かせたのは間違いなく、人が『所詮、夢だ』と笑った彼女たちだった。

 夢だろうと、夢でなかろうと、もうどうでもいい。

 ただ、会いたかった。

「それで?

 どうやって戻ってきたのかしら?」

 華琳が聞きたいのはむしろここからだろう。

 俺の思い入れではなく、現状を求めている質問から的外れな答えではあった。俺もそれを理解していたが、伝えておきたかった。

「天で管輅に出会ったんだよ」

 彼女と出会えたことが、ここが存在する証明だった。

「? こちらの世界の管輅が、どうして天に居るのだ?」

 春蘭が首をかしげながらそう言うと、俺は少しびっくりしていたが話が進まなくなるので放っておくとしよう。

「春蘭でもわかることだけど、そこから説明してもらえるかしら? 一刀」

「あぁ、そのつもりだよ。

 それがもう一人の俺がここに居ることにも繋がってくる」

 だからこそ、さっき『信じてくれるか』とも聞いたんだけどな。

「前、俺が知ってる歴史とここが違うって言ったよな?」

「えぇ、言っていたわね」

 俺が知っている歴史、天の歴史では三国の武将の全ては男だ。そして、歴史通りの部分もあれば、年代的におかしい部分も数か所存在する。

 貂蝉が存在しないこと、董卓の死亡がはっきりとしなかったこと、呂布の裏切りがなかったこと、歴史的なことは一つずつ挙げればきりがない。

 そして、文化。

 真名というものもその一つだし、真桜が使っていたドリルのような武器も、厳顔が使っていた豪天砲もだ。

「どうして、違うのかをずっと考えた結果、俺は一つの結論を出した。

 この世界は俺の世界とは別モノで、この歴史の未来(さき)は、どうやったとしても俺の世界とは繋がってないんじゃないかって」

「それでは何故、お前はあの時消えた?! それでは辻褄があわなくなるだろう!」

 意外なことに俺へと怒鳴ったのは秋蘭だった。

 その目は険しく、その目を見た瞬間に俺は秋蘭がいつのことを考え、言ったのかを察することが出来てしまった。

 俺が消えた後、おそらく秋蘭は気づいてしまったのだろう。俺のあの体調不良が消える前兆だったこと、あるいは自分が死んでいれば俺が消えることはなかったかもしれないと考え続けていたことがその様子から容易に想像することができた。

「その答えをくれたのが、管輅だったよ」

 俺の出した結論では、その矛盾は解消されることはなかった。

 世界自体が天とは違うのなら、いくら歴史から遠ざかっても俺がここから消えることにはならないし、現に歴史と違うものは多く存在しても消えることはなかった。

 それなのにどうして、俺だけが消えたのか。ここから去らなければならなかったのか。

「・・・・その答えとは?」

 華琳の声が珍しく緊張したもので、俺は少しだけ笑う。

北郷一刀()という異物が来ることで、この世界はいくつかのの可能性に分かれた」

 俺が来ることは本来、この世界からしてみれば予想外のことだった。

 もし俺が来なければ、案外この世界の歴史は天に近いものになっていたのかもしれない。

 だが、それも今となってはわからないことだ。何故ならこの世界は、もう俺が来ることが必然の世界へと変わってしまった。

『あの筋肉ダルマどものせいよ』とかなんとか言っていたが、俺自身意味の分からなかったことを今、華琳の耳に入れるべきではないだろう。

「俺が管輅から聞いた大きな可能性は三つ。

 劉備に出会う北郷一刀()、孫策に出会う北郷一刀()。そして、曹操に出会う北郷一刀()

 指を順番に立て、最後に自分自身を逆の手で指差す。

「一つの世界に降り立つのは俺一人。

 だけど、世界はいくつかに分かれて並行して行われる」

 ここまでわかっているかを確認して、華琳を見る。

「つまりあなたはあらゆる可能性を持っていて、同じだけど違うところであなたは劉備や孫策に拾われていたのね?」

「その通り。

 機密事項ってことで詳しくは話してもらえなかったんだけど、終わりだけは教えてもらえたよ。

 蜀の北郷一刀()は一切の犠牲を出すことなく三国の統一を果たし、呉の北郷一刀()は呉のためだけに生きる。だけど、その二つでは俺は・・・」

「貴様はいるではないか!! ならばなおさら・・・」

「春蘭! 今は黙っていなさい」

 今まで黙って聞いていた春蘭が突然声をあげ、それを華琳が止めた。

 そして、春蘭が言おうとしたことは間違っていない。

 蜀でも、呉でも、歴史が変わっても俺はこの世界に留まることができていた。

 現にこの事実を知った時、俺はさっきの春蘭のように管輅に掴みかかった。

『それならどうして! 魏の俺だけが天へと戻されたんだよ!!』

 激しい怒りをぶつけた俺に、管輅が教えてくれた答えは呆気ないものだった。

「この三つが並ぶとき、どうしても世界に負担がかかりすぎるらしくてな。世界にどうしても歪み(ひずみ)が出来るんだそうだ。

 この世界に大きな三つの可能性の終わりは入りきらずに、どれかが欠けることでしかこの世界は保っていられないらしい」

 経験も、想いも、実績も、積み重ねることで重みを得たそれぞれの可能性。それら全てが完全に幸福な状況で終わりを迎えることはこの世界には出来ない。

 そして、その歪み(ひずみ)の影響を一番に受けたのが、偶然魏の俺だったというだけ。

「だから俺は、蜀の北郷一刀()がいるここに割り込んだ。

 管輅に頭を下げて、無理やりこの世界に戻ってきたんだ」

 三つの可能性があってどこかが欠けるのなら、一つをなくして二つで一つにすればいい。

「三つだったのを二つにすれば、歪み(ひずみ)はなくなる。

 少なくとも三つが並ぶよりは負担が減る。俺はこの世界から消えないで済むんだよ」

 俺が少し熱を帯びて、そう言いきる。

「プッ、アハハハハハ」

 華琳は突然、笑い出した。

「? 一体どういうことだ?」

 春蘭は首をかしげて、呆ける。

「一刀・・・・・ お前という奴は」

 秋蘭は呆れていながらも、笑ってくれた。

「アハハハハ・・・・ 一刀、あなた。

 そうまでして、この世界に帰ってきたかったというの?」

 華琳は目元に涙すら浮かべてひとしきり笑うと、呼吸を整えながらそんなことを聞いてくる。

「何度も言ってるだろう? 俺は魏に、またみんなに会いたかったんだよ。

 どんな方法をとってでも、俺はこの世界で生きたかったんだ」

 何度だって言おう、俺はここで生きていたかった。

 魏で、みんなと共に生きていたかった。

「その話が本当ならば、私たちがあなたを覚えている可能性なんて欠片もないじゃない。

 私たちとの関係は一からやり直し、あなたはそれすら覚悟してここに戻ってきたのね?」

「あぁ!」

 おそらくは管輅がしてくれただろう、記憶の操作。予想外のことだったが、それがどんなに嬉しかったかはきっと当人である俺たちにしかわからない。

「あなたは三国一の大馬鹿者よ、一刀」

 そう言いながらも華琳は嬉しそうで、俺もそれにつられて笑う。

「春蘭以上かよ?!」

「どういう意味だ! 貴様!!」

 俺がそう言うと春蘭が拳を掲げて追いかけてくるが、それすら嬉しかった。

 

 本当にいくら感謝してもしきれないよ、夢那(むな)

 

 俺は心の中でこの世界に連れてきてくれた、あの妖艶な美女へと感謝した。

「だが、一刀。この世界にもう一人お前がいるなら、同じ名を名乗るわけにはいかないだろう?

 見た目もその白髪で多少違うとはいえ、隠さなければまずいのではないか?」

 俺と春蘭が追いかけっこしている中で秋蘭がふとそう言い、俺も走りながらそれを聞いていた。

「秋蘭の言うことはもっともね、顔は隠しましょう。

 とりあえず、真桜と再会するまではこれを被りなさい」

 投げられたのは仮面舞踏会で使いそうな、目元だけを隠す木彫りの仮面。

 うまく受け取りすぐさまつけようと、紐を後ろで縛るなんて走っている最中にできるか!

「って、逃げながらこれ無理だろ?!」

「一発くらいは、殴られておあげなさい。

 それから、あなたの名前だけど『曹仁』はどうかしら?

 『刃』ではなく『仁徳』の『仁』、そして、曹は私の曹。字は子孝」

「それならば、拾われた際『天に居た』ということ以外の記憶がないとするのはどうでしょう?  華琳様」

 なんか恐ろしいくらい順調に、今の俺の設定が決まっていく?!

 いや、必要なことだけどさ! それよりも助けてくれると嬉しいなぁ!?

「真名は・・・・・・さすがに即興では決められないわね。

 これは後日、改めて決めましょう」

 華琳と秋蘭はそう言って頷き合う中で、春蘭と俺は玉座の間を舞台に盛大に追いかけっこを続けていた。

「だー! 何でもいいから、春蘭を止めてくれよ!?

 春蘭!? 七星餓狼抜くのは卑怯だろ! 俺は何も持ってねぇんだぞ!!」

 俺は追い詰められないように、壁のぎりぎりで方向転換を繰り返してなんとか逃げ回る。

「うるさい! ならば、ちょこまかと逃げないで大人しく一発殴られろー!!」

 春蘭の動きは一撃で仕留めてくる気満々だからこそ、直線的だ。それをうまくかわすよう逃げればいいんだけど、これは絶対戦場じゃ出来ない。

 何故ならこれに殺気が混じり合い、鋭い視線が混ざれば相手は蛇に睨まれた蛙のごとく動けなくなる。って、そんなことは今はどうでもいい!

「絶対一発じゃ済まないよね!?

 ついでに今のお前じゃ、斬りかねないだろうが!」

 本気で互いに逃げて、怒っているというのに俺も、春蘭も、見ている華琳と秋蘭も笑っていた。

 こんな馬鹿なことがまた出来ることが、ただ嬉しかった。

 

 俺の名が『北郷一刀』から、『曹子孝』へと変わっためでたい日。

 その日は俺が、春蘭が疲れ果てるまで追いかけっこをして、無事に逃げ切った日にもなってしまった。

 




改行しすぎたでしょうか?

そして、この考えで意味が通っているといいなぁ。

『貂蝉がいないこと』と書きましたが、歴史的に正確に言うならば『貂蝉らしき存在がいない』でしょうね。
歴史上に『貂蝉』らしき存在はいたらしいですが、存在しないですから。


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5,真名 授与

・・・・サブタイトルが毎回、微妙な気がする。


このあと、活動報告にてまたしてもアンケートを取りたいと思います。
どうか、ご協力よろしくお願いします。


 俺がこちらに戻ってきて、早数日が経過した。

 もちろん、『働かざる者食うべからず』がモットーの華琳が俺をたった数日だけでもそのままでいさせてくれたわけがない。

 まずは軽く学力の試験を受けさせられ、運動能力については

『春蘭から逃げ回ったというだけで体力は十分ね、あとは追々でいいわ。

 素手で剣を持った相手を三人も捕縛できたんだもの、今はそれがわかっていれば十分よ』

 という言葉を賜り、免除となった。

 部屋はかつてと同じ、城の一部屋を使わせてもらっている。

「休み、か・・・・ 前は何してたっけなぁ」

 書類仕事は陳留の刺史である現状ではあまり多くない。そして、警邏隊を発足するにはまだ管理できる人材が少ない。今はまだ待つ時だ。

「待つのは得意だけど、好きじゃないんだよなぁ」

 かつてほど学ぶことがあるわけではないが、兵法はやはりここでの原文を見たほうがいいだろう。天にもあるがやはりそれは風化し、何度も何度も書き写されてきたものだ。どこで曲げられているかわかったものじゃない。

「それに・・・・」

 ここに来るとき三十年分、若返った自分の体を見る。肉体は春蘭から逃げ切った面を考えるとほぼ鍛えたものをそのままこっちに来れたのだろう、動きも、技もあらかた覚えてはいる。

「それでも鍛えなきゃな」

 まだ、届かない。届いた気がしない。

 冷静に分析することが出来ても、それはあそこが戦場ではなかったからだ。あとはこれをどれだけ実践に活かすことが出来るか、そのために体力はいくらあっても困る物ではない。

 それに俺が学んだのはあくまで現代の武術、こちらでは護身術程度のものばかりだ。

「よし!」

 上着を脱いで、床へと倒れ込むように腕立てを始める。

 まずは腕立て、腹筋、背筋を百回ずつだな。

 

 

 そう思い立ち、やること半日。俺は二時間に一度は休憩をとりながら、何度かそれを繰り返す。

「仁、入るわよ」

 突然聞こえた扉を叩く音と華琳の声に俺は顔をあげ、すぐさま起き上った。

「ちょっと待ってくれ。今、汗を拭いて上着を着るから」

「そんなことを気にする仲かしら?」

「『親しき仲にも礼儀あり』だろ?

 それに好きな女の前で汗だくなんて、恰好がつかないだろ」

 扉の向こうから聞こえた華琳の茶化すような声に、俺は苦笑交じりにそう返す。

「・・・・・馬鹿」

 扉の向こう側からわずかに聞こえたその声を俺は聞き逃さない。

 きっと、顔を真っ赤にして、俯いて言ってくれただろうその言葉を俺は胸にしまいながら上着を羽織った。

「どうぞ」

「えぇ、入るわ。あなたも入ってらっしゃい。白陽(はくよう)

「・・・・はい」

 俺がそう言って促すと、華琳ともう一人が入ってくる。全体的に色の白い小柄な少女、髪はうっすらと青が混じり、その髪は肩のあたりで切り揃えられている。右目は穢れを知らぬ水面を映した青、左目はまるで秋の稲穂のような力強い黄。

 天で言うアルビノで、オッドアイの持ち主だった。

「綺麗な目だな・・・・」

 おもわず俺は、反射的にそう漏らしていた。

「えっ・・・・・?

 この目が綺麗、でしょうか?」

 華琳よりも早くその言葉に反応したのは、本人である少女だった。

 そして、彼女はすぐさま右目を前髪で覆ってしまった。

「あぁ、右目はまるで湖面を映したみたいな青、それなのに左目は金の稲穂みたいに輝いてる。

 隠すなんてもったいないと思うな」

 名前も知らない少女へと、俺はそう言い切る。

 仮面越しの限られた視界の中で、華琳から半歩離れた位置にいる少女もまた俺を見つめた。

 戸惑いはあっても、恐れのないまっすぐな瞳。春蘭に似ているが、知性の輝きもある。そんな気がした。

「仁・・・ 話をしたいのだけど、いいかしら?」

 呆れ果てた声に俺たちは同時に我に返り、視線を華琳へと向けた。

「あぁ、すまん」

 俺は軽く謝りつつ、椅子を示して座るように促すが華琳はそれを手で断った。

「私はすぐ戻るからいいわ、彼女をあなたの補佐に使いなさい」

「俺に補佐が必要なほど仕事をさせる気かよ・・・・」

 おもわず苦笑と共にそんな言葉が零れ、華琳は悪戯そうに笑って俺の手へと触れてくる。

「当然じゃない。

 人材は眠らせておくものじゃない、使ってこそ真価を発揮するわ。あなたも、彼女も、眠らせておくなんてもったいなくてできないもの。

 休日だというのに、休まず鍛錬に励むくらいだものね?」

 俺の全てを見透かす蒼天の瞳、それが不快ではない。

 むしろその優しげな瞳に吸い込まれそうになる。

「暇だっただけだよ」

「フフッ、そう言うことにしておきましょう」

 俺は視線を逸らしてそれだけを応えると、華琳は愉快そうに笑って少女を手で促した。

「姓は司馬、名は懿、字は仲達。真名は白陽(はくよう)と申します。

 白陽とお呼びください」

「俺は赤き星の天の使い、姓は曹、名は仁、字は子孝。真名は・・・・・まだないんだよなぁ」

 そう、あれから数日経つというのに俺の真名は決まっていない。

 本来は生まれた時に親から授かるものらしく、この世界に真名がない者がいない。どんな捨て子も真名だけは授かってから捨てられるらしく、途中からつけてもらうという前例がないのだ。

『しっくりくるものが見つからないのよ。私たちでは半端にあなたを知りすぎていて、つけられないわ』

 というのが華琳たちの弁だ。

 気持ちはわからなくはない。子どもに名をつけるときだって多くの祈りや意味を込めてつけてはいるが、それはその子のまだ見ぬ将来を期待してつけるものだ。

 その子がどんな人間になるかどうかがわからないからこそ、つけられるとも言える。

 固定された概念がないからこそ、人の本質を直感的な何かで感じることが出来る。

「・・・・・」

 俺と華琳の会話の中、白陽はまっすぐに俺を見つめていた。

 なんとなく俺も彼女と目線を合わせ、ふと思いついたことに口元が弧を描いていた。

「なぁ、華琳」

 俺は小声で華琳に語りかけた。

「好きにしなさい」

 俺が何を言うかわかっているかのような口ぶりだった。

「俺はまだ何も言ってないぞ?」

その子(白陽)に真名をつけさせる気でしょう?」

 間を置かず応えられる答えに笑みがこぼれる。さすが華琳、俺の考えなんてお見通しだ。

 俺なんかじゃ届くはずもない高みにいる、愛しき王。だけど俺は、その背を支えてみせる。

「私は仕事に戻るわ、決まることが決まったら報告しに来なさい」

 そう言って身を翻し、俺へと通り過ぎ様に小さな声で囁いていく。

「しっかりやりなさい。私の一刀」

 

 ヤバい、惚れる。

 あっ、とっくに惚れてた。

 頭の先からつま先まで嫌いなところなんて、一つもねぇわ。

 

 心の叫びをなんとかしまい、やるべきことを成す。

 そして俺は白陽の前に立ち、そっと手を差し伸べた。

「なぁ、白陽。

 さっき会ったばっかりで、何も知らない俺に真名をつけてくれないか?」

 俺がそう言うと彼女は目を見開き、瞳がわずかに揺れる。

「その前に、一つだけお聞かせください。曹仁様」

 白陽はけして目を逸らさず、仮面に隠れた俺の目を見ていた。

 綺麗な青と黄の瞳が俺を確認して、何か答えを欲していることがよくわかる。

「俺が答えられることなら、喜んで」

 俺はそれに笑顔を作って答え、彼女の瞳を見つめ返した。

「あなたは何故、私の目を厭わないのですか?

 そして、何故あのような言葉を言ってくださったのですか?」

 あのような? 最初の『綺麗』ってところか?

「白陽は、自分の目が嫌いか?」

「はい、嫌いです」

 間髪入れずに帰ってきたその返事は、今まで彼女がその目によって何があったかを語っているようだった。

 捨てられない自分の体の一部、しかも隠すことが出来ても自分自身が不利になる目という器官。

「我が司馬の血筋の者は皆、左右の色が異なります。

 ですが、私以外の誰もが近しい色で人に気づかれないのです。その中で私は、こんな色を持ってしまった!

 同情、憐み、畏怖、多くの感情が私を襲ってくる!

 聞こえてくるんです!! 周りの人間が私を厭う言葉が!

 耳を塞いでも、目をつぶってもあの視線が見えてしまうんです!!

 この目がなければ! こんな色でさえなければ!!」

 右目を握りつぶさんばかりに顔に手を当てる彼女を俺はそっと抱き寄せ、その手を押さえた。

「体の一部が異端であること、それによって伴った痛みは俺にはわからない」

 俺の体には、どこもおかしなところがない。

 標準的な体型、今こそ精神的なショックで真っ白な髪だが、かつてはどこにでもあるこげ茶にも見える黒の髪。

 どこかに特殊なあざが存在したわけでも、生涯体に残る傷があるわけではない。

 しかも、この子は女の子だ。

 周囲の心ない言葉と、無意識の同情的な視線がどれほど辛かったかことだろう。

「だけどな」

 俺は抱きしめた白陽の顔を見ながら、もう一度彼女の瞳を見る。

 うん、やっぱり綺麗だ。

「俺は何度見ても、白陽の瞳が綺麗だと思う。ずっと見ていたいって思うくらいに」

 白陽の瞳にかかった前髪をあげてから、零れていた涙を指先で拭う。

 アレ? 顔が赤い?

「大丈夫か? 顔が赤いけど、目元擦ったからかな?」

 失敗したな、濡れた布で目元に当てるべきだったな。

 女の子の肌は繊細だということを失念した、男の手じゃ目元とか繊細なところは傷つくか。

「そうじゃありませんよ・・・・クスクスッ」

 何がおかしかったのか、白陽は俺の腕の中で笑いだし、俺はその柔らかな笑顔を見て自分の口元が上がっていくのを感じた。

 その衝動に任せて俺は白陽を抱いたまま、俺はその場でクルクルと回りだす。

「そ、曹仁様?! ちょっ、これは恥ずかしいです!?」

 腕の中で白陽がそんなことを言うが俺は笑いながら、そのまま回転を繰り返す。

「ハハハハ、俺を止めたきゃ気絶させてみろー」

「えぇ?! そんなこと、立場もありますから出来ませんよ!」

 『立場』って言ったね、つまり出来るってことだよね?

 この密着状態で攻撃を繰り出すことが出来るのは精々首、何より俺が白陽の腰を抱いているので足技もあまりうまく決められないだろう。だとすると・・・・・

「立場なんてまだないようなもんだし、遠慮なんてしなくていいぞ?

 じゃないと俺、ずっと回ってるぞ」

「その言葉、忘れないでくださいね? 失礼します!」

 その言葉と同時に、俺の意識は見事な手刀によって刈り取られた。

 

 

 あぁ、柔らかい。

 目覚めてまず思うのは、そんな馬鹿なことだった。

「曹仁様、お気づきになられましたか。その、大丈夫ですか?」

 俺を覗きこんでくるのはやっぱり綺麗な青と黄の瞳で、やっぱり不安げに揺れていた。

「あぁ、膝枕が気持ちいい、かな」

 なんとなく右手を伸ばして、彼女の右顔を撫でる。

「もぅ、曹仁様ったら!」

 俺の言葉に対しては怒っていながら、まるで猫のように顔を俺の手に寄せてくる。

「白陽は隠密だったか、あの見事な手刀は」

「はい、司馬は主に軍師ではなくその斥候を行う隠密の家系です。

 情報収集に長け、あらゆるところに飛び回っています。

 ですから・・・・ あなた様の秘密も知っております」

 俺へとそう囁いてくる白陽を撫でながら、俺は微笑んだ。

「そっか」

「口止め、なさらないのですか?」

 俺のどうともないような口振りが気になったのだろう、白陽は聞いてくるが俺は笑ったまま撫でている逆の手で仮面に手をかけた。

「華琳が補佐に選んだ時点で、俺から話すことは決まってたようなもんさ。

 これは別に隠すことじゃない。ただ、同じ顔、同じ名前が居たら多少めんどうなことが増える。

 それを避けるためだけのものだよ」

 この仮面も、名も、服も全ては一つの面倒事を避けるためだけに用意されてる。

「だから、本当はここじゃまだ必要ないのかもしれない」

「情報はどこから漏れるかわかりません。国内でも徹底するのは当然です」

 その通りだ。

 行商人だって行きかう町の中で、どこで情報は洩れるかがわからない。だからこそ、華琳は司馬家をこの国の中枢に引き入れたいのだろう。

 情報は何にも代えがたい貴重なもの、その重要性を誰よりも知っている。

「曹仁様・・・・あなたは雲、冬の雲です」

 俺がまだ眠い目でぼんやりと白陽を見ていると、彼女は突然そう言ってきた。

「あなたの真名は冬雲(とううん)

 冬の空に優しげに浮かんでは、空を覆って日を隠す。

 大地を見下ろしては楽しげに風に舞う、そんな方」

 俺はもう手を下していて、今度は白陽の手が俺の頭を撫でていた。

 心地よい微睡み(まどろみ)の中、わずかに見える彼女の目にはもう戸惑いも、怒りも、恐怖もなかった。

 

 真名の通り、春の白き陽の光りように俺を照らしていた。

「私、司馬仲達は、冬雲様(あなた)に生涯お仕えすることをここに誓います。

 皇帝でも、王でも、国でも、家でもなく、ただあなた様のために私はこの身を捧げましょう」

 

 心地よい眠りにおちながら、彼女の誓いを俺はしっかりと心に刻み込んだ。

 




ちなみに彼女の真名である『白陽』はポプラの中国名となります。


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 真名 授与 【白陽視点】

活動報告通り、今日中に挙げることが出来ました。
司馬懿の視点でございます。

楽しんでいただけたら幸いです。

作者が寝不足気味なので、文章等でおかしな点がありましたら感想へとお願いします。
また不明な点、誤字等もありましたらお願いします。


『妙な目をしやがって!』

 あぁ、またこの夢。また私は、同じ夢を見てる。

『ひっ?!』

 誰もがそう。私のこの目を見ては恐れて、遠ざける。

『やーい、妖怪女!』

 黄と青、左右で色が違うこの瞳。人から石を投げられたこともあった。

『・・・可哀想に』

 憐みも、同情も、欲しくなかった。

『ごめんね・・・・・ 白陽(はくよう)

 母の涙声を聞きたいわけじゃない。

 むしろそれを聞くたびに、尚更この目が嫌いになった。

 

 母さん、あなたにとっても、この瞳は泣くほどあってはならないものなのですか?

 あなたすら、この瞳を受け入れてはくれないのですか?

 私は、生まれてはならなかったのですか?

 この瞳を宿し、私が私として存在することは、それほどあってはならなかったのですか?

 父さん、答えてください。

 行動ではなく、言葉で。あなたの思いを知りたかった。

 あなたの顔が、私を見るたびに辛そうに歪むのを私は気づいていたのです。

 ですが、そんな視線を向けられても私は・・・・

 

 お二人の色を宿したこの瞳が、好きでした(・・・)

 大切な自慢でした(・・・)

 

 

 

「白陽、華琳様がお呼びよ」

 その声に私は閉じていた目を開き、すぐさま意識を覚醒させる。そして、左目で声の主を確認する。

黒陽(こくよう)姉さん」

 そこに居たのは私と同じ青みがかった白髪を腰の長さまであり、目は金に近い黄の瞳。よく見れば若干だが左の方がその色が濃い。

 声の主である姉を軽く見つつ、私はすぐさま腰をあげた。

「寝てたの? 白陽」

「えぇ。

 最近、紅陽(こうよう)青陽(せいよう)の訓練に一日中付き合わされてまして」

「大変ねー」

「姉さんがうまく逃げているからでしょう。そのしわ寄せが私に来ているだけです」

 他人事のように笑う姉を軽く睨み、どうせ聞いてはくれないだろうが苦情を言っておく。

「あなたは優しいのよ、白陽。

 放っておけば、下六人で取っ組み合いでも何でも始めるでしょ。一人ずつ相手して、わざわざ指導なんて、面倒なことしなくていいでしょうに」

 姉は笑いながら私の髪を撫で、その手が右目に触れようとした瞬間、私は身を引いた。その様子に姉は困ったように苦笑し、中途半端に宙をさまよった手を誤魔化すように私の肩に触れた。

「休むなら今度からちゃんと寝台で横になりなさい。椅子だと腰を悪くするわよ?」

「はい・・・・・ それでは、行ってまいります」

 私は姉から目線を逸らし、その横を通り過ぎる。

 姉は悪くない、いつだって気にしすぎているのは私自身だ。

「白陽・・・・」

 後ろから声をかけられたが、私はそれに対して振り返ることはない。

 この声の時の姉妹たちの目はいつも同じで、憐みでも、同情でもなく、家族である私を思ってくれるものだと知っていた。

 だからこそ、振り返りたくない。

 あの目で見られると、私はいつも自分がどうすればいいのかわからなくなる。

 逃げる以外の選択肢が見つからずに、私は今日も目を背けた。

 

 

 

「司馬仲達、参りました」

 私は執務室の戸を軽く叩き、その戸を開けた。

 一つの大きな机の上に書類をいくつか広げ、椅子へと座るは陳留の刺史である曹孟徳その人である。

「来たわね、白陽」

 筆を置き、書類から目を外して私を見てくるのは眩しい青の瞳。

「あなたは数日前に来た天の遣いを知っているかしら?」

「はっ、話は聞いております」

 知らない筈がない。

 国中に流されたわけではないが、華琳様が重鎮である春蘭様、秋蘭様両名を連れ、見たこともない衣服をまとった男を連れていればその考えに行き着くのはごく自然のことだろう。

 それに真偽は定かではないが、兵士の間では素手で剣を持った男三名を捕縛したという噂も流れている。

「あなたには本日付けで、彼の、曹子孝の補佐になってもらいたいのよ」

「ですが・・・・・私のような者をお傍に置いては、不快になられるだけかと」

 華琳様の言葉に逆らうわけではないが、こんな私を傍に置いて不愉快にならない人間は少ない。もっと言えば、私が知っている範囲ではこの国で姉妹たちと華琳様、春蘭様、秋蘭様だけだ。

「・・・そう言うと思っていたわ」

 溜息と共に零れたその言葉に嘲りは混じることはない。この方はその者の身分関係なく、相手のことを知らずして物を語ることがない。

 相手を観察し、真価を見出し、向上させ、どんな相手であっても成長を促す。

 その方法を受け入れた者だけが高みへと昇り、現状維持を選んだ者はある一定の段階で止まる。この方の人の見る目の正確さは、ある種の恐ろしさすら抱いてしまう。

「白陽」

「はっ」

 私の目前まで迫った華琳様は不意に私の右目に触れようとする。私は先程の姉同様に身を引くが、華琳様は私の右目に触れてきた。

「彼はきっと、あなたを変えるわ」

 そう言う華琳様の顔は、私がこれまで見たこともない笑みを浮かべていた。

 しいて何が近いかと問われれば、春蘭様、秋蘭様、姉の前で浮かべる談笑の笑み。だが、それも近いというだけでしかない。

「強制はしないわ。

 補佐になるかどうかは会ってから、あなた自身でお決めなさい」

 そう言って、私を置いて扉の方へと消えてゆく華琳様を追いかけた。

 

 

 

「仁、入るわよ」

「ちょっと待ってくれ。今、汗を拭いて上着を着るから」

 華琳様が扉越しに声をかけると、少し荒い呼吸でそう返って来る。言葉とその声から何らかの運動をしていたことがわかるが、華琳様の話では本日は休みだった筈。

「そんなことを気にする仲かしら?」

 華琳様の顔は見えないが、聞くだけで面白がっていることがわかり、その顔はおそらく先程と同じ笑みが浮かんでいることだろう。

「『親しき仲にも礼儀あり』だろ?

 それに好きな女の前で汗だくなんて、恰好がつかないだろ」

「       」

 そんなやり取りだけを聞いていると、まるで恋人同士のように聞こえる。華琳様が何事かを呟いているがそれは私には聞こえなかったが、どこか心地よい沈黙が流れた。

「どうぞ」

「えぇ、入るわ。あなたも入ってらっしゃい。白陽」

「・・・・はい」

 華琳様に促され、私も入室する。

 そこには話に聞いていた彼が立っていた。

 身長、体格ともに標準的、髪はまるで色が抜けてしまったかのような白さがあり、窓からの日でわずかに透ける。顔の上半分は木彫りの仮面で隠し、そこから見える瞳はどこにでもある茶の瞳。

 だがその眼差しは、私が見てきたどんな人間よりも優しげだった。

「綺麗な目だな・・・・」

 その言葉を一瞬、理解できなかった。

 だが私は、幼い頃からの習慣から反射的に前髪をおろし、右目を隠した。

「えっ・・・・・?

 この目が綺麗、でしょうか?」

 『思ったことを反射的に口にしてしまった』様子の彼に、おもわず問い返す。

 私の目を初対面でそんなことを言ってくる者など存在せず、恐れもせず、厭わない者でもまず私に『あなた、その目は?』と問うてきた。

 だというのに彼は、『綺麗だ』などと口にする。

「あぁ、右目はまるで湖面を映したみたいな青、それなのに左目は金の稲穂みたいに輝いてる。

 隠すなんてもったいないと思うな」

 問い返した上で彼は、何ということもないように繰り返す。

 むしろ『どこかおかしなところでもあったか?』と不思議そうに首をかしげて、私の目をまっすぐに見つめていた。

 私のこの瞳をここまでまっすぐに見つめる他人を、私は彼以外あと三名しか知らない。

「仁・・・ 話をしたいのだけど、いいかしら?」

 陳留の刺史であり、司馬の血が仕える曹孟徳。そして、夏候元譲、夏侯妙才。

 彼女も初めて出会った時私の瞳を見て、何を言うわけではなかった。姉の才を見出し、司馬の能力を高くかっていることから私もまたこうして仕えることになった。姉を経由して私の話を聞いていたこともあり、彼女が瞳の件で触れてくることはなかった。

 春蘭様、秋蘭様も私の瞳にあまりにも何も言ってこなかったので、『私の瞳について聞かないのですか』とお二人に聞いたことがあった。

『瞳の色が違うから、どうかしたのか? 貴様は黒陽と同じで優秀なのだろう?

 それに華琳様の瞳に近しい、とても綺麗な色を片目に持っているだけで私は羨ましいぞ?』

『二つの異なる色を持つなど、そうあるものではない。ましてや、両親の目を片方ずつ持っていることなど素晴らしいことではないか。

 誰がなんと言おうと、お前のその瞳に宿るのは家族の証だろう?』

 言われたことのない言葉ばかりで、その時は素直に受け入れることは出来なかった。

 それを何故、今となって思い返すのだろうか?

 視線は自然と華琳様と楽しげに話している彼へと向け、仮面に隠れた目を見つめた。

「――― そう言うことにしておきましょう」

 華琳様がそう言って、私に名乗るよう手で促した。

「姓は司馬、名は懿、字は仲達。真名は白陽と申します。

 白陽とお呼びください」

「俺は赤き星の天の使い、姓は曹、名は仁、字は子孝。真名は・・・・・まだないんだよなぁ」

『真名がない』

 それはこの大陸で生きる者はあり得ないことだった。改めて彼が、天の遣いであることを感じる。

 公には天での記憶はなく、華琳様が直々に名を考えたというのは本当なのだろう。

「私は仕事に戻るわ、決まることが決まったら報告しに来なさい」

 私が考えているうちに華琳様は部屋を出ていき、扉が閉まった。

 そして、それを見送る私の前に立って、彼は手を伸ばしてきた。

「なぁ、白陽。

 さっき会ったばっかりで、何も知らない俺に真名をつけてくれないか?」

 私に真名を?

 何故この方はさっき出会ったばかりの私に、真名まで委ねようとしてくださる?

 もっとふさわしい方がいる筈だ、それこそ華琳様や春蘭様、秋蘭様だっているというのに、何故こんな私をここまで信頼してくださる?

「その前に、一つだけお聞かせください。曹仁様」

 私は感情の一片も見逃すまいと、彼の目を見つめた。

「あなたは何故、私の目を厭わないのですか?

 そして、何故あのような言葉を言ってくださったのですか?」

 何故、恐れない? 怖がらない? 異物を見た時の反応を示さない?

 どうして、そんな言葉をくださる?

 私にはわからない。

 嫌われてきたこの瞳、疎まれてきたこの目を好意的に見られることが理解できない。

「白陽は、自分の目が嫌いか?」

「はい、嫌いです」

 彼の問いに私はすぐさま答えた。

「我が司馬の血筋の者は皆、左右の色が異なります。

 ですが、私以外の誰もが近しい色で人に気づかれないのです。その中で私は、こんな色を持ってしまった!

 同情、憐み、畏怖、多くの感情が私を襲ってくる!

 聞こえてくるんです!! 周りの人間が私を厭う言葉が!

 耳を塞いでも、目をつぶってもあの視線が見えてしまうんです!!

 この目がなければ! こんな色でさえなければ!!」

 抉ろうと何度もした。そのたびに姉妹たちが止めに入り、実行に移せたことがない。

 どれほど目をつぶろうと、耳を塞ごうと、夢となってまで襲ってくる多くの感情、視線が私を苦しめる。

 強く、強く右目を握りつぶすように顔を覆う私を、不意に包まれた。手がさらに大きな手によって掴まれ、逆の手が私の腰へと伸ばされる。

「体の一部が異端であること、それによって伴った痛みは俺にはわからない」

 まず降ってきたのは正直な言葉。

「だけどな」

 そう言って彼は私の顔をあげさせ、まっすぐと見つめてきた。

「俺は何度見ても、白陽の瞳が綺麗だと思う。ずっと見ていたいって思うくらいに」

 そう言って、優しく微笑んで私の涙を拭ってくれた。

 

『彼はきっと、あなたを変えるわ』

 

 先程、華琳様が私に言った言葉が蘇る。

 あぁ、これは・・・・ 変わってしまう。

 こんなまっすぐに心に響く言葉を言われてしまったら、石とて華に変わるだろう。

 私はこの方のために、華となりたい。

 この方の傍らで咲くだろう多くの華の、一輪でありたい。

 

「大丈夫か? 顔が赤いけど、目元擦ったからかな?」

 私が抱く思いにも気づかずに彼は、そんな的外れなことを言ってくださる。

「そうじゃありませんよ・・・・クスクスッ」

 私がそんな鈍い所を笑っていると、彼は私以上に嬉しそうに笑っていた。そして、私を抱き上げて、その場で回りだした。

「そ、曹仁様?! ちょっ、これは恥ずかしいです!?」

「ハハハハ、俺を止めたきゃ気絶させてみろー」

「えぇ?! そんなこと、立場もありますから出来ませんよ!」

 本当に楽しげに笑いながら、狭い部屋の中で私を落としたりしないようにしっかりと抱きしめてくれていることがわかる。

 本当に、なんて優しい方なのだろうか。

 ずっと見ていたいと、思ってしまう。この方はまるで・・・・

「立場なんてまだないようなもんだし、遠慮なんてしなくていいぞ?

 じゃないと俺、ずっと回ってるぞ」

 嬉しくても恥ずかしいので、その言葉に甘えることにしよう。

「その言葉、忘れないでくださいね? 失礼します!」

 そして私は、容赦なく彼の首元へと手刀を叩き込んだ。

 倒れていく彼の体と私自身の体を支えるほどの力はないが、頭だけをしっかりと抱えて床へと倒れる。私が下手に体重をかけなければ腰への負担もなく、頭をぶつけなければ変な後遺症も残りはしないだろう。

 部屋を見渡し、汗を拭うのに使っていただろう水桶と数枚用意されていた布の一枚を濡らしてから手刀を振り下ろした場所へと当てる。

 本当ならば床よりも寝台の方よいのだろうが、私の力では彼の体は持ちあがらない。

「床よりは良い程度でしかありませんが、私の膝でお許しを」

 聞こえていないのはわかっていても、何故か声に出していた。

 仮面の中、わずかに見える目は閉じられ、私は意味もなく彼の髪を梳いてはぬるくなってしまった布を何度か取り替えることを繰り返し、彼は目覚めるのを待っていた。

 

 

 しばらく経ってから、彼はふと目を開けた。まだ眠そうに、数度瞬きを繰り返す。

「曹仁様、お気づきになられましたか。その、大丈夫ですか?」

 状況を理解しているのか、いないのかわからないような意識がはっきりと覚醒していない様子で・・・・・ 少し手刀が強すぎてしまったかもしれない。

「あぁ、膝枕が気持ちいい、かな」

 返ってきた言葉はそんな暢気なもの、その言葉と同時に私の右顔へと手が伸ばされた。

「もぅ、曹仁様ったら!」

 この手は怖くない、むしろもっと触れてほしいと思う。自然と私はその手へと頬を摺り寄せていた。

「白陽は隠密だったか、あの見事な手刀は」

「はい、司馬は主に軍師ではなくその斥候を行う隠密の家系です。

 情報収集に長け、あらゆるところに飛び回っています。

 ですから・・・・ あなた様の秘密も知っております」

「そっか」

「口止め、なさらないのですか?」

 自分の秘密を知られているというのにその返答はあまりにも呆気なく、むしろ公になっても問題ないかのような様子だった。

「華琳が補佐に選んだ時点で、俺から話すことは決まってたようなもんさ。

 これは別に隠すことじゃない。ただ、同じ顔、同じ名前が居たら多少めんどうなことが増える。

 それを避けるためだけのものだよ。

 だから、本当はここじゃまだ必要ないのかもしれない」

「情報はどこから漏れるかわかりません。国内でも徹底するのは当然です」

 仮面をとろうとする手をとり、私は彼の顔へと触れていた。

「曹仁様・・・・あなたは雲、冬の雲です」

 冬の凍える寒さの中で、人々が見上げる青い空。大地が力を失い、日輪すらも衰えるような季節()

「あなたの真名は冬雲(とううん)

 冬の空に優しげに浮かんでは、空を覆って日を隠す。

 大地を見下ろしては楽しげに風に舞う、そんな方」

 だがそれは、芽吹きの春のために必要な休息の時。

 そしてその中で、大地と日輪が寂しくないように浮かび、全てをその優しさで包み込む。

 この方の心の在り方にふさわしい、(まこと)の名。

 

 どこまでが華琳様の策だったかはわからない。あるいは私を呼んだ時点で、こうなることは予想がついていたのかもしれない。

 だが、それでもかまわないと思った。

「私、司馬仲達は、冬雲様(あなた)に生涯お仕えすることをここに誓います。

 皇帝でも、王でも、国でも、家でもなく、ただあなた様のために私はこの身を捧げましょう」

 私はこの方に全てを捧げよう。

 この方が何に仕えようと、何のために生きようと、どこを見ていようと、私はこの方だけを見ていよう。

 冬の雲に運ばれし、白き陽となろう。

「私はあなたと共に生きてゆきます。冬雲様」

 

 




(名) (字) (真名)
司馬孚 叔達   紅陽(こうよう)
司馬馗 季達   青陽(せいよう)
司馬恂 顕達   灰陽(かいよう)
司馬進 恵達   橙陽(とうよう)
司馬通 雅達   藍陽(らんよう)
司馬敏 幼達   緑陽(ろくよう)

今のところ出す予定はありませんが、司馬八達の名前を。
一番上である司馬朗伯達は本編に出ている通り、真名は黒陽です。


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6,覚悟

サブタイトルが何だかシンプルになってしまいました。

作者の諸事情により、来週の日曜まで投稿が出来なくなります。
その間、考えることは出来ますがおそらく書ける環境に居ませんので、次の投稿は遅れます。
誠に申し訳ございません。

文章中におかしな点がございましたら、感想等によろしくお願いします。



「華琳、入るぞ」

 日は落ち、町は既に静まりかえっている時間、俺はいまだ灯りがともったままの華琳の部屋を訪れた。

「来ると思っていたわ、仁。

 さぁ、報告をしてもらいましょうか」

 書類を傍らに置きながら、おそらくは俺の要件がわかっていたのだろう春蘭と秋蘭も待機していた。

 そして、もう一人俺は始めて出会う女性がそこに居た。

 白陽と同じ青みを帯びた白い髪、その目元と口元は何が楽しいのか笑っているように見える。

「華琳、彼女は?」

「あぁ、仁は初めて会うのね。黒陽」

 華琳の言葉に彼女は俺の前へとふわりと立ち、恭しく頭を下げた。

「姓は司馬、名は朗、字は伯達。真名は黒陽(こくよう)と申します。

 黒陽とお呼びください」

 そう言って彼女は俺の手をとって、突然その場に跪いた。

「えっ?」

「妹を、白陽を救ってくださり・・・・ ありがとうございます。

 本当に、なんと感謝すればよいか・・・」

 戸惑う俺を置いて、彼女は俺の手へと顔を当てるようにして頭を下げていた。

 彼女の涙が俺の手を濡らし、それでも彼女は感謝の言葉を俺に告げた。

「救うなんて、思ったことを口にしただけで。

 それに俺がしたことなんて、大したことじゃないよ」

 彼女が今まで命を絶たずにいれたのは、涙を零すほど思ってくれた家族が居たからだろう。

 どれほど周りに否定されても、どれほど自分自身で嫌っても、それでも立っていられたのはきっと、最後の最後に彼女を現世に留めるものがあったからだ。

 そうでなければ彼女は、どんな反対があったとしても自ら命を絶っていただろう。

「あなたたち家族がいたから、彼女は生きていられたじゃないかな?

 それに比べれば、俺がしたことなんて最後の一押しくらいだよ」

 俺は彼女へと手拭いを渡しながら、その頭を撫でる。

 俺がしたことは、出会ったばかりの他人だからできたことでしかない。

 『彼女を否定しない』たったそれだけ。

 周りに否定され続けてきただろう彼女だからこそ、それがどれほどの喜びだったのだろう。

 否、むしろ家族以外のものから己を否定されるということはどれほど辛かっただろうか。

「変わった方ですね、あなたは」

「そうかな? 俺は思ったことを正直に言ってるだけだよ」

 涙を拭いて笑う彼女は、どことなく白陽と同じ陽のような温かさがあった。

「仁、黒陽、そろそろいいかしら?」

 苛立つ様子もなく、華琳は微笑んでいた。

 その目が語るのは俺への労い、俺はそれに対してわずかに笑って答えた。

「あぁ、華琳」

「はい、華琳様」

 黒陽はすぐさま後ろへと下がり、俺はその場で居住まいを正す。

 俺が来ている服はここに来た時のジーパンとシャツではなく、華琳が特注で用意してくれた礼服。

 全体は深い紫が包み、襟や手首などはおそらくはかつてのイメージが抜けなかったのだろう白が使われ、その白の上に赤の線が奔らされた意匠。そして、背中の内側には大きく『曹魏』の文字が刺繍されていた。しかも、これは華琳が自ら縫い込んだものらしく、魏の文字の下には小さく『華』と足されている。

 俺が支えたいと願ったことすら、お見通しだとでもいうような手際の良さが恐ろしく、同時にとても可愛らしく見えた。

 俺は華琳の前に立ち、跪いて手を伸ばした。

「華琳、この世界で最初に俺の真名を受け取ってくれないか?」

 それはまるで天で見た、愛する女性へと求婚する騎士のような姿勢。少し気障だったかもしれないと、内心で笑う。

「えぇ、仁。

 あなたの真名、誰よりも先に私が預かりましょう」

 そんな俺のことを笑いもせずに、華琳は俺の手に自分の手を乗せる。

「俺の真名は冬雲。

 白陽曰く『冬の空に優しげに浮かんでは、空を覆って日を隠す。大地を見下ろしては楽しげに風に舞う』そんな雲らしい」

 自分で言ってみても、過大評価だと感じる。

「俺は魏の空に浮かび、華琳(日輪)を包む雲となってみせるよ」

 『背負う』という言葉を使えないのが、実に俺らしい。意気地がない、ともいうかもしれない。

「良い名だわ、冬の雲。

 あなたにしっくりくる、素晴らしい名」

 だが、華琳はそうは思わなかったらしく満足そうに微笑んだ。

「確かに受け取ったわよ、冬雲。

 私の傍で、共に在りなさい。魏の雲、私の愛しい仁」

 そして、華琳が視線を春蘭、秋蘭、黒陽に向けると三人は察してすぐさま俺の元へ来た。

 俺は立ちあがり、三人をしっかりと見つめた。

「春蘭、秋蘭、黒陽」

「うむ!」

「あぁ」

「はい」

 本当にこの国に集まる人間は協調性がないよな、返事を合わせる気が全くないし。

 まぁ、だからこそ華琳によってまとまってるんだろうが。

「俺の真名は冬雲だ、受け取ってくれ。三人とも」

「確かに受け取ったぞ! 冬雲!!」

 俺がそう言って笑うと、まず春蘭から拳と共に気持ちの良い返事が返ってきた。

 俺は何とか春蘭の拳を掌で受け止めると、春蘭はさらに笑みを深めた。

「・・・・冬雲、か。華琳様の元に四季が揃ったな? 冬雲」

「建国の暁には、三人で『曹魏の四季』とでも名乗るか? 秋蘭」

 俺は秋蘭の言葉にそう返すと、秋蘭も満更でもなさそうに微笑みを浮かべてくれる。

「妹がつけた真名ですか、不思議なものです。

 出会ったばかりの私ですら、その名がしっくりくるなんて」

「そうなのか? 俺自身はもったいない名だと思うよ。

 華琳にもらった名と、白陽にもらったこの真名に恥じない生き方をしないとなぁ」

 俺は頭を掻きながらそんなことを言うと、四人が顔を見合わせて笑う。

「な、何だよ? 四人とも」

 俺はわけがわからず、首をひねったが四人の笑いは止まる様子はない。

「ハハハ、冬雲は本当に馬鹿だな!」

「知らぬは亭主ばかりなり、とはよく言ったものだな。黒陽」

「これで自覚まであったら大変よ、秋蘭。

 行く先々で彼と話した女性が皆、彼について来てしまうわ」

「大丈夫よ、冬雲は私の元へ帰って来るために居るのだから。

 自覚があったとしても、この雲はここでしか雲にはなれない」

 楽しげに話す四人を見ている。ただそれだけで、とても温かな気持ちになる。だが、ずっとそうしているわけにもいかないだろう。それに、もう夜も深い。

「そろそろ俺は行くぞ。

 華琳、白陽にいろいろと動いてもらうが、かまわないよな?

 それから明日の休みは少し町に出てくるよ」

 俺がそう言って扉の前に行くと、華琳は俺の言葉の真意を読み取ろうとしている気がした。

「・・・・・フゥン、何をする気? 冬雲」

「一つはお前がかつて望んだ戦を、もう一つは現状次第かな?」

 一つは出来ることがわかっている。願わくば、手遅れでないことを祈ろう。

 もう一つは情報が欲しい。白陽ならば実行は可能だが、あとは相手の判断次第と言ったところだ。

 彼女を救う利点はあるが、今後のことを考えれば非常に危険でもある。

 いや、それはどっちも同じか。

「欲しい情報は何?」

「海に住む大虎の生死」

 短く答えると華琳、秋蘭、黒陽は驚いたようだった。

 春蘭は意味がわからず首をかしげているが、真剣な空気を察して口を挟んではこない。

「危険ではないか? 冬雲」

 まず口を開いたのは秋蘭だった。

「どっちも安全ではない。それに先を考えれば、しない方がいいとは思う」

 その通り、けして安全ではない。俺の言葉を信じるかどうかもわからない。

 仮にうまくいったとしても、その先で大きな障害となって現れることだろう。

「ですが、恩を売っておいて損はないとも取れるわ」

 黒陽の言葉に俺は頷く。それも事実だ。

 いつ返されるかはわからないが、売れる恩は売っておきたい。

 二人の言葉を受けて、華琳を見た。

 最終的な判断は彼女のもの、俺がしたのは俺が出来る範囲でのことだ。俺が持ち得る力を使って、この二つを何とかすることが出来る。

 そして華琳は

 

 腕を組んで、心底楽しそうに笑んでいた。

 

「冬雲、あなたはどこまで私を喜ばせれば、気が済むのかしら?」

 言葉には隠すことのない歓喜に満ち、戦意が溢れ出てくるのが見えるようで、そんな彼女すら美しいと見惚れてしまう俺は、どれだけ彼女を愛してしまっているんだろう。

「どこまでも、だよ。お前のために雲はある。

 日輪の輝きを大陸に広めるために、時には影すら作ってその輝きの尊さを教えないとな?」

 俺の大好きな華琳の笑みを見ながら、俺も微笑む。

「思う存分、やりなさい。

 私はその全てを飲み込んで、先へ進むわ」

 許可は降りた。ならば俺も、迷うことなく行動するだけだ。

「あぁ、俺がやれる範囲でやるさ」

 そう言って部屋を後にした

 

 

 通路は月の明かりのおかげか、目が慣れるまでの時間も必要なかった。

「月、か・・・・」

 今宵は淡い白のような色をした満月、俺をこの世界から奪ったあの日と同じ色。

「・・・・白陽、いるか?」

「お傍に」

 すぐに返ってきた返事に、俺は驚くことはない。

 おそらくは華琳にとって黒陽がこんな存在なのだろうことも、予測がつく。

「話は聞いてただろ?」

 言葉は少なくていい。少ない言葉を彼女は理解してくれる。

「はっ。私が居ない間は妹たちがお傍に居りますので、いつでもお使いください」

「あぁ、ありがとうな。

 それから念のため二人ほど連れて行ってくれ。

 何もしてこないとは思うが、万が一にでも白陽を失うわけにはいかない」

 過保護かもしれない。だが、本能で生きる獣の勘は常人では測りきることは不可能だろう。

 俺もまだまだ経験不足、ここで自分の判断を過信して、間違えるわけにはいかない。

「承知いたしました」

 短い返事を背で聞きつつ、背後の気配が消えるのを感じていた。

「まず一手、か」

 おもわず溜息が零れるが、まだ安心はできない。

 白陽たちが無事に戻ってくるまで、この不安は拭われることはないだろう。

「ハハッ、今日から寝れるかな?」

 本当に心臓に悪い。だが、華琳を始め魏の軍師たちはこの思いを常に戦場で抱えてきた。

 たった一つの指示、たった一つの命ですらここまで重いというのに、幾千、幾万の命と真名を預けた多くの仲間たちの命を背負ってきた。

 己の軍を、将を、仲間を、民を信頼しなければそんなことは出来ない。

「凄いなぁ・・・・ みんな」

 桂花も、風も、稟もそんなことを顔にも出さずに、弱音すら吐かずに立ってきた。

 多くの死と、仲間の死の可能性を考えてなおも立ち向かっていた。

「俺は・・・・・ あの時、何も知らなかったんだな。

 天の知識だけ持って、何も出来ていなかった」

 力がないことを理由に部隊に指示を出し、ただしがみつくのに必死な毎日だった。

 置いていかれないように、必要なことを詰めこんで『命』など、他の視点なんて考える暇がなかった。

 だがそれも、今となってはただの言い訳でしかない。

「今更だけど、俺も背負うからな?

 全部を背負うなんて言えないのが不甲斐ないけどさ、その一端でも担ってみせる」

 誰も聞かない独白、誰が聞いていてもいいと思う。

 わかる者にはわかるし、わからない者には絶対にわからない言葉の羅列だと知っているから。

 

 あの時の俺は、みんなの力に頼り切っていた。

 ただ天の知識が多少持っていて、俺は体を鍛えてすらいなくて、人並み程度の腕っ節。

 責任も、まともに担えていたのは警邏隊ぐらいじゃないだろうか?

 立場上は同じか、上司ですらあったが俺は結局誰一人として同じ目線に立てていなかった。

 

「今度は同じ目線で、みんなの横に堂々と立ってみせる」

 意味もなく、月へと手を伸ばして握りしめる。

「えぇ、そうして頂戴。冬雲」

 背後から突然聞こえた声に、俺は思わず苦笑いした。

「あぁ、そうするよ。華琳」

 振り向くとやっぱりそこには華琳がいて、俺へと優しげに微笑んでいた。

「・・・・だけど、一つだけ間違っていたわよ。冬雲」

 そう言って華琳は俺の顔を掴んで自分へと向けさせる。

「あなたは自分を『何も出来ていなかった』と言ったけれど、そんな人材を私が手元に置いておくと思うの?」

 思いはしない。だが、俺は・・・・ 俺は結局、必死だっただけだった。

「あなたがどれほど否定しようと、あの時も、今も私たちを惹きつける何かがあなたにはあった。

 これは紛れもない事実よ。

 そして、これを否定することは、私たちを否定することだとわかっているかしら? 冬雲」

 その目はあまりにも真剣で、ほんの少しの怒りを混ぜていた。

「・・・・・わかったよ、華琳」

 本当にかなわない。

 俺の返事に華琳は離れ、俺もまた名残惜しみながらも離れた。そして、部屋の方へと足を向ける。

 あぁ、そうだ。一つだけ言い忘れていた。

「だけどな、そんな俺を惹きつけてやまなかったのはみんなだった。

 そして、そんなみんなを惹きつけたのは華琳、他の誰でもないお前だぞ?」

 俺はそう笑いながら言って振り向くと、いつの間にか華琳が俺の元へ来ていて・・・・

「当然じゃない。私を誰だと思っているの?

 あなたが仕えるべき唯一絶対の王、曹孟徳よ」

 まるで悪戯っ子のように微笑んで、俺にそう言ってくる彼女。

「あぁ、知ってるよ。

 誇り高き我らが覇王、全てを照らす魏の日輪。俺の大好きで、大切な女の子」

「フフッ、これは帰ってきた分の褒美よ。受け取りなさい、冬雲」

 俺の口元を柔らかな感触が支配する。

 それはどれほど振りか、懐かしい口づけ。

 正確な時のながれなど誰にもわからないほど離され続けた俺たちの、ここでの初めての口づけだった。

 

 かつては別れを告げさせられた月の下で、彼女たちと共に背負う覚悟を魂に刻む。

 そして同時に、この世界で生きることのできる喜びと、愛する者と共に居られる幸福を感じていた。

 




・・・・ストーリーが進むのが遅くて、申し訳ありません。
作者も早く全員と再会させたいのですが、考えれば考えるほど何故か先延ばしになってしまいます。


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7,道中 【稟視点】

二つ目の投稿は、原作では鼻血軍師で有名な稟の視点となります。
風と彼女の考えの違いを出したことが、作者なりのこだわりです。
主人公との距離感がそれぞれ異なる彼女たちの考えの差。
今回連続投稿する彼女たちの考えの違いを楽しんでいただけたら、幸いです。


 一刀殿 ――― いえ、今は刃殿ですね ――― と再会し、別れてから早数日が経過しました。

 今は幽州へと向かう道の途中、ある宿にて休息を取っています。

 星は先ほど『町をぐるりと一周してくる。月が出るまでには戻る』と言って、外に行ってしまいました。

 もっとも酒と好物であるメンマの瓶も持って出て行ったので、月が出ても戻ってくる可能性は低いでしょう。

 私が昨日、宿に入る前に買った書物を数冊山にして読書に励む傍ら、風は空を眺めています。

「風、これからどうするつもりなのかしら?」

 私は視線をそのままに、風へと問いかける。

 多くの意味を含んだ問い、この言葉はどうとでも解釈できるようになっていますから、誰に聞かれても問題はありません。

「どうとは~?」

 風もまた視線を変えずに、私の問いを問いで返してきます。

「これからの道中よ。

 星は幽州へ行くみたいだけれど、私たちはどうしましょうか?」

 幽州、そこを治めるのは公孫賛。かつても、今も、目立った将こそいないが善政を敷いていることで有名。そして、その位置から他国からの者たちへの対応にも慣れている。

 華琳様の様な天才ではなく、努力によってそれらを補う秀才。かつては圧倒的な数で袁紹に倒されましたが、もし彼女の元に優秀な人材・・・・ そう例えるなら、関羽、張飛、そして孔明のような臣がいれば、間違いなく最後に残っていたのは彼女でしょうね。

「お馬さんが居るところですよね? 『白馬義従』、でしたっけー。

 稟ちゃんはお馬さんが好きですからねぇ」

「当然でしょう?

 あれほど雄々しく、速く、知性のある動物を私は知りません。馬とは乗り手次第で全てが変わってくるのです。また、接し方も重要項目の一つですからね」

 『馬』、そういえば、あの西涼に負けぬほどの技術も持っていましたね。

 霞さんだけではどうしても不足してしまっていた騎馬部隊、霞さん自身言葉での説明が苦手でした。あの時はほとんど霞さんが主戦力、私たち軍師の中で常にあった最悪の事態 ―― 霞さんが負傷、あるいは死亡した際の騎馬隊の指揮者がいないこと。

 幸いなことに必要に要することはありませんでしたし、そうさせぬための補佐もつけてきました。ですが、人材はあるに越したことはありません。

「馬の調教は難しいですからね。

 だというのに、それを軍にしてしまうなどとは凄い方もいたものですね。風」

「そうですねぇ、個の強さなら洛陽にいると聞く張遼殿は相当らしいですが、軍という規模となると他は西涼の騎馬民族くらいじゃないですかぁ?」

 風は立ち上がり、鞄の中から二本の水筒を取り出し、私の前へと腰かけました。

 眠そうな目が、今はどこか真剣みを帯びている気がします。差し出された水筒をもらいつつ、私は本から目を離しません。

「ですが、騎馬民族と並ぶほどとはよほど何かを教える事がうまいのですねぇ。

 幽州は善政を敷いているということでも有名ですし。生涯をのんびり過ごすなら、幽州も住みやすそうですねぇ」

 風も同じことを考えているようですね、ならばこの一件は決まりですね。

 私は落ちてきた眼鏡を中指で上へと押し上げ、次の本を手に取ります。

 大陸の地図として売られていた書物。これらは正しくもあり、正しくはない代物。正式な地図を持っている者は少ないのはわかっていますし、行商人たちにとって必要なのは『自分たちが安全に通れる道』ですから、それ以外の山道等は不要。ただどこかへ旅する分にはこれで事足りるのが事実、ですが軍略ではそうはいきません。その土地を知っている者こそ有利となる中で、相手の裏を突くのはほぼ不可能と言っていい。

 だが、それでは駄目でしょう。足りない部分を妥協するなど、軍師がしてはならない。軍師の策一つで、勝敗は決まるのならば可能な限りの下準備をすべき。

 地図もどうにかして手に入れたいものです。あるいは多くの地図が間違っていると知っている、正確な地図を見たことがある人材が欲しいですね。

 悔しいですが、これは現状ではどうしようもありません。

 ならば、不確定要素は二つと言ったところでしょう。

「話は変わりますが、噂に流れる『白き星の天の遣い』と『赤き星の天の遣い』は本当にいるのかしら?」

「何とも言えませんねぇ、所詮は占いで、根も葉もない噂のようなものですから。

 まぁ、娯楽の一つとしては上等の品かと。何でしたっけぇ? 後ろについていた言葉は」

 風は微笑みながら、机上にあった菓子へと手を伸ばして頬張る。

 そんな風を見ていると、肩の力が抜けていくのを感じる。頬が膨れてまるで栗鼠の様になっています、刃殿が見たらどんな表情をするでしょうね?

「稟ちゃんもどうです?

 さすがメンマ好きの星ちゃんがメンマ以外に目が留まって、買ってきたものですねぇ。美味しいのですよ」

 確かに、あの菓子も食事もメンマがあればいいとすら豪語する星がごく稀に買ってくる菓子は当たりばかり。一時期はメンマばかり食べている星に、ちゃんと味がわかるのかも疑い、偶然だろうと思っていましたが買ってくる菓子が毎回美味しければ彼女の舌の正しさを認めざる得ない。

「ありがとう、風。

 確か・・・・・『いまだ何も知らず、大器と深き情持ちし天の遣い』と『多くを知り、武と智をもってこの世に再び帰還せし天の遣い』だったかしら?」

 書物を置き、お菓子を口に運びつつ答える。

 このことから天の遣いが二人であることは明白、そして私たちは刃殿の事を覚えている。

 ならば、彼は『あの日戻って以降記憶を所持して、あちらで武と智を得て戻ってきた』と解釈するのが妥当でしょうね。

 ならば、もう一人は?

 あの日の彼の様に『何も知らないでこの世界に降り立った』とするなら、彼は誰に拾われた?

 そして、そのことがどんな不確定要素を広げていく?

 私は、私たちは、どうすれば彼を『何か』から奪われずに済む?

「稟ちゃん」

 不意に風が私の手に触れてきたので、私はいつの間にか下げていた視線を風へと合わせた。

「噂は噂ですよ、どうなるかはわかりませんが風たちはのんびり旅でも続けましょう。

 士官先も見つけなければならないのですし、それまでは手に入れられものはどんどん手に入れて、まだ見ぬ主へとお土産としましょう」

「風・・・・・」

 風、あなたはきっと私たちの中で誰よりも強い。

 あの時、全てを知っていて何も出来なかった無力感はどれほどだったの?

 何も知らずに彼を失った悲しみに暮れる私たちを支えたあなたは、どれほどの思いだったというの?

「そうね・・・・」

 私は、焦っていたのかもしれない。

 あの時、自分は策を出し続けた。その結果、劉備の伏兵にまで頭が回らず秋蘭殿を失いかけ、挙句彼がどうして消えてしまったかもわからずにいたことに。

「ありがとう、風」

 だが、焦ってどうなるというのだろうか?

 明日どうなるかわからないのは誰もが同じ、かつてとは異なるものが複数名いることなど当たり前。

 ならば、私が今からどうするかが問題であって、後悔などしている暇などない。

「郭奉孝殿と、程仲徳殿とお見受けいたします」

「「!?」」

 突然の声に私たちが振り返ると、そこには白髪で顔を隠した者が立っていました。

「ご安心を、お二人に危害を加えるつもりはありません。

 これをお読みください」

「まず、あなたは何者ですか? 一体どこから?」

 声から女性だとわかりましたが、いったい何者でしょう?

 風が差し出された書を受け取りはしますが、まだ開く様子はありません。

「日輪の使い、としか今は名乗ることが出来ません。

 そして、私の主は『あの二人ならばそれで伝わる』と言われておりますので」

 『日輪』、その言葉に私は瞬時に風を見ますが、風は・・・・・眠そうな顔をしていますね。

「疑うのは後からでも出来ますね。

 あなたの本当の名も、いずれわかるのでしょうか?」

 あの方の筆跡は脳裏に焼き付いたまま、書類仕事をおろそかにしていた一部の方々以外、あの方の筆跡を見間違える者などあの時の仲間にはきっといないでしょう。

「えぇ、私とあなた方が同じ日輪の下に集ったとき、私の名もお教えできるかと」

「・・・・ぐー」

「寝るな!」

 風から聞こえた声にほぼ反射的に怒鳴り、近くにいたので頭を軽くはたく。

「おぉぅ、あんまりにも真面目な空気が続いてしまったので、つい眠ってしまったのですよ」

 風・・・・ あなたという人は。

「クスクスッ、それではお二人とも、またお会いましょう」

「これの返事はどうすればいいのでしょうかぁ?」

「全てはその中に書かれております」

 風の問いに短く答えながら、彼女はその場から掻き消えていく。

 しかし、あの方の傍にいる隠密? 覚えがないですね。味方であるのが幸いですが、やはり情報が不足していますね。

「フフフフ、間違いなくあの方の筆跡ですねぇ。

 お兄さんも、この辺りは変わらないですねぇ」

 この上なく幸せそうな顔をして、風が口元を緩めているなんて珍しい。ということは、刃殿からも何かあるのですか。

「風、書には何と?」

 緩んだ顔の風に無言で書を渡され、それに目を通す。

『再会の言葉、現状の報告、多くをしたい事でしょうが、今は全てを省略する。

 あなた達が私の元に訪れるのを待ちきれず、こうして連絡を取る事に成功したわ。

 一刀との件、多くの疑問がある事でしょう。それは再会をした時にでも問い詰めなさい。

 あなた達が判断したこと、正しいと思ったことを成して私の元に来なさい。あなた達が何を連れてこようと、何を行ってから来ようとも私は受け止めましょう。

 あなた達と再会を心待ちにしているわ、私の愛しき者たち。

 追伸

 返事は、また使いを出したときにでも渡して頂戴』

 何と言うか、あの方らしい。短く、それでいて私たちが何かを成すことを見透かしていらっしゃる。

「あの方らしい」

 おもわず零れる笑み、これだけで私が為そうとすることに自信が持てる。

「風は二枚目を見ることをお勧めするのですよぉ、お兄さんからですね」

 やはり刃殿ですか。

 風がこれほど笑顔になる理由とは、何でしょうね?

『誰かに文を送るなんてしたことがないから、少し照れくさいなぁ。

 多くの言葉を伝えたいけれど、それは再会を果たしたとき面と向かって伝えたいからここには書かない。

 とりあえず、こちらでの一つの混乱を避けるため、俺の名が決まったんだ。

 姓は曹、名は仁、字は子孝、真名は冬雲。

 二人にもそう呼ばれたい、どうか俺の真名を受け取ってくれ。

 西涼、海の虎に関しては俺の方ですでに動いている。その件の詳細も再会を果たしたときに伝えたいと思う。

 追伸

 風、周りに気を使うだけじゃなく、自分を休めることを忘れるなよ?

 稟、一人で抱え込まずに周りを頼って、無理だけはするなよ?

 二人とも、くれぐれも無理はせずに、絶対に再会しような。それじゃ』

「まったく、あの方は・・・・」

 書を懐にしまいつつ頬が熱くなるのを感じ、水筒を額に当てる。

 直接的な言葉は何一つ入っていないというのに、文からすら感じる優しさは一体何なのでしょう?

 それに筆跡も随分変わりましたが、何と言うかその・・・ 華琳様とはまた違った美しい字、華琳様が思わず見惚れてしまうような芸術品のような物なら、この方の筆跡はもっと身近で、それでいて眺めているとほっと落ち着くような優しげな字。

「それにしても冬の雲、ですか。

 あの方にふさわしい、とても良い名です」

 空に浮かぶ白い雲、青い空に浮かぶ柔らかな雲。本当に彼自身を現した、真の名。

「まったくですねぇ。

 どの女性に留まらずに、あちこちに浮かんでは心にその姿を残していく種馬なお兄さんそのものです」

 風のその言葉に椅子ごと倒れかけるのを何とこらえ、ずれた眼鏡を苦笑交じりに押し上げた。

「クスクスッ、確かにそうとも取れますね。

 再会の時までに、一体どれほど冬雲殿を想う方が増えているのやら?」

 先程の方も、彼の傍にいる限りは避けられないでしょうね。あの方には華琳様とは似て非なる、人を引き付ける何かがある。

 人の心にそっと入り込み、その優しさでいつしか包まれている。しかし、それは押し付けられるようなものはなく、不快感などない。否、むしろその優しさを知った時点でこちらから触れていたい、触れて欲しいとすら思わせてくれる不思議な方。

「それにしてもこの名、あの方がつけたとするなら・・・・

 フフフ、あの方も随分と素直になられましたね」

「仁、ですからねぇ?」

 名につけられた思いを察し、私たちは微笑みあう。

 『刃』から『仁』とした理由、そして自身と同じ『曹』の姓。

 『仁』とは慈しみ、思いやり。あるいはその人物を指し示す語。

 この名が意味することは二つ、『曹操()の思いやり』、『曹操()の人』。

 そして、推測にしか過ぎない事ですが、『仁』の下には隠れているのだろうもう一字は『愛』。

 それを合わせ、意味するところは『曹操()の愛する人』。

 華琳様・・・・ あなたと言う方は。

「日輪と雲、そしてその下に集う私たち。

 そこで誰も欠けることなく、笑むこと。

 それこそ私たちがかつて望み、今成し遂げたい願い」

 私が掲げるように菓子を持つと、風も同様に菓子を持ち上げてくれた。それは祝いの席で杯を交わすように。

 私がお酒のないことを残念に思う日が来るなんて、考えもしなかったですよ。

「風は日輪を支え、雲を運びましょう。

 稟ちゃんはぶれる事のなく、華の支えとなってください」

「今度は風にだけ支えさせませんよ。

 日輪と雲に惹かれた者は、風だけでも、私たちだけではないのですからね」

 一瞬だけ風が驚いたように目を丸くして、私はそんな珍しい風の表情を見ながら菓子を口元に運ぶ。

「こいつぁ、一本取られたなぁ。風」

 宝譿のそんな言葉を聞きながら、風の顔を見ないようするために視線をそらす。私は輝く日輪と蒼き空、そこに浮かぶ白き雲を見上げた。

 




当初は『刃』をそのまま使う予定でしたが、史実の魏の四天王に合わせたことと上の意味を持たせたいがために『曹仁』となりました。


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8,絶対の勝利を掴むために 【桂花視点】

今までとは少し、異なります。
心情面は書いていますし、基本は変わらないつもりですがコメディ要素が強くなっています。
そして、現段階ではこれに登場してきた彼の視点が次話となっています。
それが書けても、次は前回の主人公視点での伏線をたてた二人組の視点を書きたいと思っています。
次の主人公視点はもう考えてあるのですが・・・・
本当にストーリーが進むのが遅くてすみません。


 赤き星が落ちた日、私はあの日の記憶を全て思い出した。

 華琳様に仕え、策を捧げ、多くの仲間たちと共に三国を統一まで導いた輝かしい日。

 しかしその日、あの男は消えた。

 宴の途中、風によって伝えられた事実に私はいない相手に罵声を浴びせることも出来なかった。

 原因がわからない。理由がわからない。

 しいて心当たりをあげるなら、秋蘭を失いかけた時の体調不良だがそれも繋げるような明確なものがない。

 ただ一つ、記憶を戻ってから揺るがずにある思い。

 私の使える力の全てを使って、魏へ、華琳様へ、完全な勝利を捧げること。

 そして、完全な勝利とは私たちが『誰も欠けることなく、笑むこと』。

 原因がわからないのならば、現状がわからないのならば、私が出来る全てを行うこと。

 もう、絶対にあいつを失ってなんかやらないんだから!

 

 

 

「というわけで、愚弟。

 アンタ、水鏡女学院に行くから付き合いなさい」

 私はそう言って目の前で正座をする愚弟・荀攸 真名は樹枝(きし)を指差してそう言った。

「何が『というわけ』ですか!?

 っていうか! 『女学院』の時点で男である僕が入れるわけがないでしょう!? というよりも、入りにくいですよ!?

 ついにボケましたか! 姉上!

 歳ですか? 歳なんですね?! 姉上という名称で呼べと言う叔母上!!」

 私の前にいるのは甥である荀攸がそう叫ぶが、言葉の途中に非常に不愉快な単語が混じっていたわね。

 右手に持った革製の鞭を振るって、首をこっちに持ってくる。

「何か言ったかしら? 愚弟。

 年齢に関することを言ったような気がしたんだけど、それは父上か、母上、もしくは姉上に文句を言ってもらいたいものね?

 私だってほぼ同年齢の甥っ子なんて持ちたくなかったわよ!」

 太ももを踏みつつ、鞭で縛り上げる。

「理不尽だー!!

 僕だってこんなに年が近くて、体のどこもかしこも成長してない叔母なんて御免ですよ!」

 ・・・・・へぇ、アンタそんなこと思ってたんだ。

 ちょっと本格的なお仕置きが必要みたいね。

 

※大変悲惨かつ、残酷な光景が広がっています。しばらくお待ちください。

 

 華琳様は好きって言ってくれたもの・・・ それにあいつだって。

「り、理不尽・・・・・だ」

 足でしっかりと愚弟を押さえつつ、私は別の事を考えていた。

 

 そういえば前聞いた話では今頃、風たちは趙雲とともに行動しているのだったかしら?

 趙雲は確か・・・・ 幽州で一時期客将をしていたわね。となると、風たちもともに行動しているか、別に行動をしているかのどちらか。あの二人になら、この方面は任せて大丈夫ね。

 荀家の情報網では既に陳留の刺史が天の使いを拾ったっていうことはわかっているのだから、これがあいつとみて間違いない。それならば陳留の心配はもうしなくていい。

 三羽烏も、季衣も、流琉もまだ村の方で手一杯でしょうね・・・・ まぁ、あの子たちも馬鹿ではないから、今頃何かしらの対策を作っているかもしれないけれど。

 一つ、疑問があるとするなら黄巾の乱が起こってしまっていることだけど、これは本人たちに会ってからどうとでも出来るわね。華琳様たちと再会する機会を得たと思えばいいわ。

 あとは霞の動き、ね。どう動くつもりなのかしら? 霞はどうも私では動きが読めないのよね・・・・ 風か、稟なら読んでくれるんでしょうけど。これも出会ってからね。

 樹枝がいる時点でこの世界が、かつてと全く同じではないことがわかっている。ならば、再会するまでのこの時間を、私たちがどう有効活用するかにかかっている。

 おそらくそれは、全員同じ気持ちだろう。そして、彼女たちが動いていることを信頼できる。各々、得意分野で動いているだろうことが簡単に想像できてしまう。

 かつての私だったらありえない考え、それをさせたのはおそらく・・・ あいつだろう。

 

「姉上、そろそろ降りて下さい・・・」

 足元から聞こえたその声に、私は思考の海から這い上がる。

「私がさっき言った言葉に、大人しく頷くのならね」

「どうでもいいですけど、最近、何をそんなに必死に動いているんですか?

 あの赤い星が落ちてきた辺りから変ですよ? ついでにあの赤き星の天の使いが陳留に降り立ったとか聞いた頃から」

 愚弟のくせに鋭いわね。さすが私と同じ血が混じっているだけはあるわ、その洞察力だけでも華琳様への良い土産となるわね。

「いつか話すわ。

 とりあえず、水鏡学園に行くけれどついてくるわよね?」

 現状では、いつになるかはわからないけれどね。

「あぁもう、理不尽だーー!!

 行きます! お供させていただきます!!

 そのかわり、ちゃんと責任とってくれるんですよね!?」

「えぇ、取ってあげるわよ」

 持てるだけの多くの利を、魏へと持ち帰るためにね。

「準備はしてるんですか?

 馬は? 食料は? 水は?」

「してあるにきまってるじゃない。

 あとは私たちが乗るだけよ」

「僕が頷くこと前提でしたよね?! というか、頷かせるつもりでしたね?! 姉上!?」

 私はそれには答えず、用意しておいた手荷物を持って外へと足を向けるが、訂正のために一度だけ振り返る。

「一つだけ間違っているわね、樹枝」

「えっ?」

「頷かなくても、気絶させて連れて行くつもりだったわよ?」

「り・ふ・じ・ん・だーーーーーーー!!!」

 愚弟の叫びを背に聞きながら、私は馬車へと入って女学院に着いてからの策を脳内で描いていた。

 

 

「それで姉上、これからどうするんですかぁ?」

 水鏡女学院を前にして、私にそう問いかけてくる。この子は何をいまさら言っているのかしら?

「普通に入るわよ?」

「えっ? 入るって・・・・・ あぁ、僕が護衛としてお供するんですね」

 何を言っているのかしら、最初に説明したっていうのに頭から抜けたのかしらね。

「いえ、違うわよ。アンタはこれを着るの」

 そう言って差し出したのは女学院の制服、服の色は個々の好みによって注文する物だったからとりあえず真名を意識して緑にしたけれど。あとは胸に詰め物でもさせておきましょう。化粧は・・・・・ こいつ普通に女顔だから、最低限しかいらないわね。

「何で持ってるんですか!? ってそこじゃない!

 姉上? 今、なんとおっしゃいました?」

「アンタが、これを、着・る・の・よ?」

 愚弟を指さし、制服を指さし、ゆっくりと伝わるように言う。

「・・・・・えっ?

 で、ですが、僕は男ですよ?! 絶対にばれますよ!? 顔とか、体格とかでばれますって!!」

 ・・・・こいつ、自覚ないのかしら?

 というか最近、私兵の一部(男)がこいつを変な目で見ているのだけど。

「大丈夫よ、アンタ女顔だから大した違和感もないわ。

 化粧も必要最低限しかいらないし、体格に合わせて胸に詰め物でもすれば完璧ね」

「嫌ですよ!

 というか、母上もそうですがおばう・・・ 姉上もどうしてそんなに僕に女装させたがるんですか!?」

 あぁ、姉上もしていたのね。

 姉上、昔から『男の子じゃなくて女の子が欲しかった』ってぼやいていたものね。私は単純に面白いからだけど。

 まぁ、樹枝がこれだけ美形だったのが幸いね。姉上が面白がっている程度で済んでいるし、女の子だったら下手すれば籠の鳥になっていたわね。

「あなたにそれだけの才能があるっていうことよ」

 適当に返事をしつつ、これからの事をもう一度脳内で想像する。

「理不尽だーー!! というか、そんな才これっぽっちも嬉しくないですよ!?」

 ・・・・うん、これで行けるわね。あとはどう相手に操縦されないか、ね。相手にも利益がある内容かつ、私の最終目標はこちらの最大の利。

「叔母上!

 聞いてますか? 聞いてませんね!? その目は」

「叔母・・・・?」

 私は鋭く愚弟を睨み付ける。

「うるっさいわね! アンタ、ここまできたなら諦めなさい!

 大体、私がアンタを姉上から引き受けたのだって社会勉強なのよ!

 多くの事を経験し、聞き、学ばせることが姉上に私が任せた理由なのよ!!」

 私だって面倒だったわよ! 私自身の勉強の片手間に、弟の躾までしなきゃならないのよ!?

「母上ーー!? そんなこと、聞いたこともありませんよ?!

 というか、こんな経験嫌だー!! 理不尽だー!!!」

 ・・・・面倒になって来たわね。

 私はそう思い、気絶用の鞭を振り上げた。

 

「僕、もうお婿に行けない・・・・」

 馬車の隅でしくしくと泣く愚弟を縄でくくり、そのまま引きずり始める。

「ちょっ?! 熱い! 熱いぃぃーーーー!?

 歩きます! 歩きますから、引きずらないでぇーー?! 服が、服が焦げる!!」

 あらっ、結構余裕あるわね。自分じゃなくて服の心配が出来るんだもの。

「なら、とっとと歩きなさい」

「ふと思ったのですが、姉上って結構怪力・・ いえ、何でもありません」

 私は何か余計な事を言おうとした愚弟を、睨み付けて黙らせる。

 はぁ・・・・ こいつのせいで脳内での予測が数回しか出来なかったわね。まぁ、何とかするからいいのだけれど。

 あの時、何が原因かは私にはまだわからない。

 だけど、可能性があるとするなら何度か衝突した劉備陣営との関係だろうというのが私の予想。

 仮に外れていたとしても、衝突は避けられないだろう陣営の戦力を減らしておいて損はない。

 臥龍と鳳雛、劉備の智の翼。その片翼を奪ってみせる。

 

 

 

「荀氏の方ですね? 話は伺っております。

 ではこちらにどうぞ」

 丁寧な対応の女子生徒に連れられ、私たちは水鏡塾の師である司馬微の私室へと通される。

 向かう途中に樹枝が何かをぶつぶつと私に言ってきたが、放っておいた。

「ようこそおいでくださいました。荀彧殿」

 私へと微笑みを向けて、迎え入れたのは白の髪を長く伸ばした、穏やかそうな女性が座るように促してくる。

「本日の話はこちらの生徒を斡旋したいとのことでしたが、どういうことでしょうか?

 これまでどこであっても前例のないことで、大変喜ばしい事ですが突然のことで戸惑っているのがこちらの本音でしてね」

 微笑みと共にいきなり斬りこんできた。

『こちらの利しかないこの交渉の、そちらの利は何だ?』と直接聞いてきた。

「私が仕官するにあたって、士官先への手土産として優秀な人材が欲しかったのよ」

 これは事実だ。ただし、私が手土産として持っていきたい最終的な場所は違う。

「袁紹殿の所ですか、確かに家柄、土地、材として申し分ありませんね。

 ですが、その先は? 今、世は乱れ始めていますからね。大切な生徒たちを預けられるほど、あなたは考えているのでしょうか?」

「勿論、その先の士官先も保障するわ。荀氏はこれからもこちらの支援を強める事でしょう。

 それに乱れた世でこそ、ここで培った才が試されるものじゃないかしら?

 それともこの塾に通う者たちは乱世を生き抜くことは出来ないと?」

「姉上?!」

 愚弟が非難めいた言葉で私を呼ぶが、私はにやりと笑って司馬微を見つめた。

 この程度、春蘭相手に何度もしてきたもの。もっともあいつとの喧嘩じゃ、こんなに頭をひねる必要はなかったけれど。

「フフッ、そこまで言われてしまったら、こちらも拒むことは出来ませんね。

 あなたに人材を提供しなければ水鏡塾は世間にこの程度と、認識されてしまいますからね。

 ならばこちらからは、最高の人材を提供いたしましょう。

 朱里と雛里、千里(せんり)を呼んできてください」

 司馬微の言葉に私たちを案内した生徒が動き、しばらくして三人の少女が入ってきた。

 一人は茶の制服、柔らかそうな黄の髪、赤紫の瞳の少女。

 一人は青の制服、長く伸ばした紫の髪、若草色の瞳の少女。

 一人は赤の制服、一本に編みこまれた赤の髪、白の瞳の少女。

「我が水鏡塾が誇る三人の教え子です。

 『臥龍』の諸葛孔明。

 『鳳雛』の鳳士元。

 そして『麒麟』の徐元直。

 どれがよろしいですか?」

「あー、先生。何の話か大体察しはつきましたけど、あたしは無理っすよ?

 董卓様のところに行くって決めてるんで、あたし戻りまーす」

 そう言って出ていくのは『麒麟』と称された徐庶だったが、とりあえず彼女が董卓陣営に行くという情報が手に入っただけでも良しとしよう。

 『片翼をもぐ』ということが成功すれば、私にはどちらでもいいのが本音。どちらも使えるだろうということは戦場でわかりきってもいる。

 それならと思い、愚弟を思いっきり蹴り飛ばす。

「あでっ!?」

「はわわわ?!」

「あわわわわ?!」

 よし、決まりね。

「『鳳雛』をいただいていくわ」

「どういう決め方ですか!?

 ついでに僕を蹴り飛ばした理由を答えて下さい! このクソ叔母ぁ!!」

「おばぁ、ですって?」

 睨み付け、おもわず蹴り飛ばした足をそのままに愚弟の背へと強打させる。数度愚弟へ蹴りを入れつつ、胸の詰め物がずれるようにする。

「女学院に入れるためにこんな格好をさせたけど、これは男なのよ。

 騙すようなことをして、申し訳ないわね」

「・・・それは構いませんが、大変言い難いのですが本当にその、本当にその方は男性なのですか?」

 司馬微が問うこともわかるが、偽ってもしょうがない。というか、倒れている樹枝が静かに涙を滂沱させてるわね・・・

「えぇ、一応男よ。

 武官としては中の下、文官としては上の下と言ったところかしら?」

 でも、女顔であることは私のせいではないし、制服が予想以上に似合ったのは偶然よね。

「姉上えぇぇーー」

 あっ、実力を認めるようなことを間違えていってしまったわね。

 ・・・・まぁ、たまにはいいわよね。荀家の人間にとってそれくらい当たり前だし、私が実力を認めている者しか、そうは言わないもの。

「それを聞いて安心しました。

 それでは雛里、準備はしてありますね?」

「あわわ、頑張りましゅ。

 姓は鳳、名は統、字は士元。真名は雛里と申します。

 よろしくお願いします」

「私の姓は荀、名は彧、字は文若。真名は桂花よ。

 こちらこそ、よろしくお願いするわ」

 手を伸ばされたので、手を取り軽い握手を交わす。挨拶をしろという意味を込めて、愚弟を蹴り上げる。

「いちいち蹴り上げないでください!」

「この場で鞭を出すわけにはいかないでしょう? だから、蹴りよ。

 良いから名乗りなさい。樹枝」

「理不尽すぎる!?

 姓は荀、名は攸、字は公達。真名は樹枝です。よろしくお願いします」

「よ、よろしくお願いしますでしゅ」

 こうして改めてみると自分で女装させといてなんだけど、男には見えないわね。まぁ、いいわ。

「すぐに出発したいのだけれど、準備は大丈夫かしら?」

「は、はひ! 水鏡先生には前もって言われていたので、あとは取りに行くだけでしゅ」

 私の言葉もすべて予測済み・・・・と言ったところね。

 そう思い司馬微を見るが、来た時と変わらない微笑みを作るばかりだった。

 まだまだ上がいることを実感する。だがそれは、立ち止まる理由にならない。上がいるなら、這い上がっていくだけ。

 華琳様と、あいつのために、私は、私たちは強くならなくちゃいけない。

 もう二度と、あの日々を失わないために。

「感謝するわ、司馬微」

「いえいえ、こちらこそ感謝しています。

 引きこもりがちの生徒を、外に連れ出す機会をいただけるのですからね。お互い様と言ったところでしょう。

 それに私も、結局身内には甘いのです」

 背を向け、最後に言われた言葉の意味がわからなかったが気にせず、二人を連れて歩いてゆく。

 さぁ、次は顔良ね。

 次の人材を確保しに、私は旅路へともどった。

 



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9,姉と理不尽 【樹枝視点】

本当は昨日投稿したかったのですがまとまらず、今日何とか投稿することが出来ました。
少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。


 あの赤き星が落ちた夜から、姉上が変わった。

 いや、変わってない。姉上によって振るわれる理不尽はいつも通りだったが、どことなく加速した。

 というより、使い潰しにかかっている気がする。

 共に成長してきたと言ってもいい僕は、叔母であり姉である荀彧文若という人間をよく知っている、つもりだ。

 男を目の敵にし、女を尊び、知恵ある者、力ある者を認め、それでいて向上心にあふれている。ある意味、欲の塊のような人だと思う。

 だがあの夜、姉上が星に見惚れ、頬を赤くし、涙を零していた。そして、意味不明な誰かへと当てたあの一言。

『アンタなんか、次会ったら罵倒してやるんだから。この下半身男!』

 ・・・・・僕ですか?

 そしてその日以降、姉上の鞭さばきが鬼となった。というか、俺に振るう以外練習する姿を見るようになった。

 ・・・・僕、殺されるの?

 あの星か? あの星のせいなのか?!

 一体誰だよ!? あの星、落とした奴!!

 星が落ちてから流れてきた噂を、姉上の耳に入れた時の反応も凄かった。

『なんですって?! あの下半身男ーーー!!』

 そんな謎の言葉を叫びながら、僕へと振るわれる理不尽な鞭の乱舞。幸い軽傷用だったため、大きな怪我はしなかったが一日は残る擦り傷を山ほど作られた。

 まぁでも、何故だか男嫌いだった前の姉上とは何かが違う気がした。

 空を見ては溜息をつき、星を見ては覚悟を決めた者の目をする。僕の知らない姉上の目、そしてそれを向けているのが誰なのか、僕にはわからない。

 それはいいんですけど、

 どうして僕に対しては理不尽ばかりなのですか!? 姉上ぇぇぇーーーー!!

 理不尽だーーーー!!

 

 

 はい、どうも。樹枝です。

 現在、水鏡女学院へと向かう最中なのですが、僕は何故馬車でも、簡易の天幕でもなく直に大地の上で寝ているのでしょうか?

 僕から見て右側に見えますのは天幕、今頃姉上は中で健やかに眠っていることでしょう。ちなみに作ったのは僕です。僕がかつて材料から何まで厳選して作った家出用の(・・・・・・・・・・・・・・・・・)天幕です。

 僕の天幕がどうして積んであるのでしょうか? 家出未遂の際に燃やされていたのは何だったのですか? 母上。

 あの頃の僕の知識の粋を詰め込んだ力作を燃やされたと思い、一週間部屋に引きこもったんですよ?

「・・・・理不尽だ」

 僕から見て左側に見えるのは馬車を引く馬二頭、穏やかで話も聞いてくれる僕が一番愛情を注いでいると言ってもいい二頭。仔馬のころから手をかけて育てた、荀家の中でも僕に一番懐いていてくれる子たちです。そして、この二頭は(つがい)

 いいんですけどね、二頭の幸せは僕の幸せですからいいんですよ。でも、どうしてだろう? 涙が止まらない。

 あぁ、東の空が明るくなってきました。そろそろ朝食の準備をしなければ、間に合いませんね。

 そう思い体を起こし、釣り道具と桶を担ぎ、馬を引いて川へと向かいます。

 馬たちを近くの木に結び、水を桶に注ぎいれ、釣った魚を入れる袋を傍らに置きます。釣り糸を垂らしながら、ふと目に映ったのは水面の魚。

「あぁ、僕は魚になりたい」

「じゃぁ、一泳ぎしてくるといいわ」

 その言葉と共に後ろから衝撃が襲う。

 鞭(衝撃用)を振るい、良い笑顔の姉上の顔が着水寸前に映る。そして、僕はいつもの口癖を叫んでいた。

「理不尽だーーーーーー!」

 着水しながらも今までの経験から、泳ごうとはせずに体を浮かせる。

 無理な体勢での着水の際は慌てず騒がず、むしろじっとしていた方が良い事は今までの経験によるもの。

 ・・・・・理不尽な目にあってきましたからね。ハハッ、川なのに水がしょっぱいなぁ。

「さっさと魚を確保してきなさい。私は少し山菜を収穫してくるわ」

 水に浸かりながら、僕は口に入った一匹をしっかりと手で押さえる。

「あと三匹・・・・」

 陸へと泳いでいくと、愛馬二頭が同情的な視線を向けてきた気がする。僕はそれに目を合わせないようにしながら、釣りへと集中した。

 

 魚の内臓を取りつつ、その中へと香草を詰めてから火にくべる。これで魚の泥臭さが多少緩和され、食べられるものになる。

 山菜は少量の干し肉を戻した汁とともに煮て、汁物が一品出来上がります。

 ここに穀物があれば完璧なのですが、補給がいつになるかわからない道中あまり贅沢は出来ません。干し肉を使っている時点で贅沢ですが、これより質を下げると姉上はおそらく食べないでしょう。

「姉上、どうして今回水鏡女学院に向かうんですか?」

「まず自分で考えなさい」

 すぐさま帰ってきた答え、これは姉上に問わず、母上、祖父母もそう返してくるでしょうね。

 我が家の教えともいえない初歩中の初歩、まずは己で考えることを重要視される。初めから相手に答えを求めてはならない、自分で決断することを育むための考え方。

 もっともこれは、前向きに考えればですが。

「そうですね・・・・・

 まず一つは、水鏡塾に荀家が支援するだけの価値があるかどうかの見定め。

 二つ目は、姉上の士官先への手土産でしょうか。それなりに知られている『水鏡女学院』の名があれば、その時点で姉上のお株は上がることでしょうね。

 三つ目は・・・・」

 言いかけて言葉を濁す。明確なものがない考え、予測にしか過ぎない。否、僕の妄想と言ってもいい。

「樹枝、予測であっても、妄想であっても、自分の考えには自信を持ちなさい。

 それを笑っていいのは、その意見を間違っていると明確に指摘できる者だけよ。

 そして、文官は言葉を扱うのが仕事、いかに相手に笑われないように言葉を使うかが私たちの仕事なの。あなたは武官でもあるけど、武官もそう。

 いかに短い言葉で軍を動かすか、戦場で長い言葉なんて邪魔でしかない。将がいかに策を理解していても、部下にそれをわかりやすく伝えるかが問題なのよ」

 言いよどむ僕を見て、姉上は魚を食べ終えた串で僕を指してくる。その目は僕に読み書きと同時に、兵法を読み聞かせた教鞭を振るう者の目だった。

 姉上は理不尽なことを多くするが、決して間違った意見に対して笑うことはない。

 罵倒はするがそれは上辺だけで、結局はその考えの真意へと相手が到達するように導いてくれる。

 罵倒を混ぜはするが、相手がわかるところを少しずつ自分で気づかせてくれる。あるいはその意見を一つの考え方として受け止め、その考え方に対して意見を述べてくれる。

 どんな理不尽なことがあっても、僕が姉上を嫌いになりきれない要因の一つだろう。

「まぁ、無理に言えとは言わないけれどね」

 そう言って姉上は立ちあがり、いつもの頭巾をかぶった。

「姉上? どこへ?」

「軽い運動をするのよ、アンタはいろいろと片づけておきなさい」

 その言葉からいつもの鞭の修練だとわかり、僕は複雑な表情でそれを見送る。これ以上強くなられても、精度が増しても一番被害を受けるのはおそらく僕だろう。

「はぁ・・・・ 姉上。

 あなたは何のためにそんなに必死になってるんですか?

 一体、何を見てるんです?」

 こればかりは考えても、わからない。

 現状でわかることは、あの赤い星が落ちてから姉上の異常なほどの集中力と向上心が湧いていること。

 何よりも体を動かすことを不得手とし、その分を智で補おうとしていた姉上が命中率を重視され、なおかつ隠し持つことが出来る鞭を覚えようとしたこと。

 本人曰く『最低限、助けが来るまでの時間稼ぎ程度は出来るようにするのよ』らしい。筋は通っているが、『赤い星が落ちてから』というところが気にかかる。

「まるで、何か大きなことを成し遂げることが前提のように見えますよ?」

 言いよどんだ三つ目、それは『姉上が士官という身近なものではなくその先の大きな何かを見つめているのではないか』ということ。

 だが、これはあまりにも曖昧すぎる。二つとは違い、明確な情報が揃っていない。これではまるで

「姉上が、この先で何が起こるかを知っているみたいじゃないですか。

 まさか、そんなわけがある筈もないでしょうが」

 あるわけもない予測が脳裏をよぎって頭を振り、僕は片づけへ集中した。

 

 

 

 水鏡女学院に無事に到着し、僕は気絶をさせられ、着替えさせられてしまいました。

 姉上は自身が施した化粧と用意した衣服を見て満足そうに頷いてから、おそらく脳内でこれからの会話を想像しているのだろう。目が『話しかけてくるな』と語っていた。

 そして、案内の生徒も、すぐ隣を通り過ぎていく生徒たちも何故僕に対して何も言わないだろうか?

 ま、まさか気づいていないとかないですよね?

 優秀なことで有名な水鏡女学院の皆さんのことだから、気まずい僕を気遣ってくれているんですよね、ね?

 変態扱いされているとか、本当に気付いていないとかではないことを心から祈る。それでも姉上に向けて、囁き声で文句を言わせてもらう。

「姉上? 僕って実は女装しなくてもよかったんじゃないですか?

 というよりも、単純に姉上が化粧をしたかっただけとかありませんよね?」

「・・・・・・」

 姉上は考えることに集中しているのか、僕の言葉に気づく様子はない。

 この機を逃す手はないでしょう!

 姉上への不満点を囁き声ではあるが、言いたい放題なのだ。ならば言うしかあるまい!

「母上や叔母上とは違い、姉上の体の凹凸は残念なのは何故なのでしょうね。

 あぁ、母上たちが吸い取ってしまったのですね」

 ちなみに口の悪さは下に行けば行くほど酷くなり、姉上の口が悪いのは必然だろう。体型にも恵まれず、口の悪さしか残らないとは姉上は何と不憫な。

「・・・・・」

 本当に聞こえていないようで、僕はそのまま私室に着くまで姉上に対する日ごろの不満を口にし続けた。

 

 この言葉を姉上が聞いていて、あとからどういう仕打ちをされるかをこの時の僕はまだ知らなかった。

 知らないで、いたかったなぁ・・・・

 

 

 姉上と司馬微殿の間で話し合いが進められていく中、僕はただ気まずい表情でその場にいた。

 ここに着いても一切言及されないこの格好について、だ。

 まさか、本当に気づかれていないのか。

 それとも、僕が変態扱いされているのか。

 はたまた、全員が状況を理解していて、僕を放って置いてくれているのか。

 どの選択肢も、僕の救いにならないのは何故だろう?

 いっそ面と向かって叫ばれた方が良い気がしてきたのだが、自分から正体をばらしなどすればその場で荀家の面目も関わって・・・・来ない気がする。

 この程度で潰れるほどの家ではないし、むしろどこからか拾ってきた相手の弱みを使って逆に潰しにかかるのが荀家。我が家ながら恐ろしい。

 そんなことを考えていると三人の女子が入ってきて、一人は退室し、姉上に僕が蹴り飛ばされた。しかし、蹴りよりも辛い一言が僕へ追い打ちをかけた。

「・・・それは構いませんが、大変言い難いのですが本当にその、本当にその方は男性なのですか?」

 誰か、聞き間違いだと言ってください。

 この人、アレですよね? 数は少ないけれど優秀な文官を輩出することで有名な女学院で、教鞭振るっている人なんですよね?

 智の才ある者を導き、大成させることで有名な凄い方の筈ですよね?

 理不尽だーーーーーー!

 叫ぶわけにもいかずに、内心で精一杯叫ぶ。

「えぇ、一応男よ。

 武官としては中の下、文官としては上の下と言ったところかしら?」

「姉上えぇぇーー」

 どうして、良い言葉になりかけているのに『一応』をつけるのですか?

 せっかく褒めてもらえても、素直に喜べないですよ?!

 

 

 三人で水鏡女学院を後にし、姉上と雛里は馬に軽やかに乗って駆けだしていくのを僕は見送った。

「何故だーーーー?!」

 その声に姉上が一度だけ振り返り、極上の笑みを僕へと向けてきた。

 その笑みを向けられ、寒気が止まらない僕は反射的に肩を抱いていた。

「体型が姉上たちに吸い取られてしまって、悪かったわね?

 荀家の口の悪さが下に行けば行くほど酷いとか、あるいは胸と反比例しているとかずいぶん好き勝手に言ってくれたじゃない。

 ねぇ、樹枝?」

「あわわあぁぁ?!」

 姉上は鞭を振るっていないし、罵倒などしていないというのにこの威圧感は何なのだろう?

 姉上は武人としても、普通にやっていけるのではないかと思ってしまうほど殺気にも似た怒気。

 正直、今すぐここから逃げ出したい。

 というか、俺だけじゃなくて雛里も怯えているのですが。姉上。

「あまり重すぎるのも大変だし、到着を遅れたくもないのよね。でも、しっかり罰は受けさせたいし。

 そうね・・・ 次に言う私の問いにあなたが正確な答えを出せたら、荷物を限界まで私たちの馬に乗せましょう」

「本当ですか?! 姉上!」

 歓喜する僕に対して、姉上は鞭で地面を叩くことで黙らせる。

「ただし、答えられなかったら荷はそのまま、ついでに私が後ろから馬で追い立てるわよ」

「理不尽だーーーーーー!」

 一瞬でも姉上に優しさがあると思った僕が馬鹿だった。

 そして、どちらにせよ馬車は引かせるのですね?!

 やっぱりこれは罰なのだと、深く実感した。

「今回はそうでもないわよ。

 アンタが私が聞いてないと思い込んで、言いたい放題していた当然の報いよ」

「言うような原因を作っているのは誰ですか?!」

「弟をこき使うのは、姉の権利ね」

「り・ふ・じ・ん・だーーーーーーーーーーーーー!!」

 そう叫んで、僕は姉上を見る。

 姉上も馬上から僕を見ていて、その目は真剣だった。

「アンタ、最近馬を操るばかりで運動不足だからちょうどいいでしょう。

 一応武官でもあるんだから、体を動かしなさい」

「・・・・わかりましたよ」

 姉上のその言い分には多少同意するところがあったので、渋々と頷いた。

「それで? 問いは何ですか?」

「さっきアンタ自身が聞いてた、私が雛里を選んだ理由を答えてみなさい」

「あわっ?! あれって理由あったんでしゅか!?」

 僕よりも早く、指名された雛里自身が驚き、姉上はそれに対して頷く。

「うーん・・・・」

 状況は俺が突然蹴り、二人が驚いただけ。しかも姉上は、瞬間的に雛里を指名していた。

 驚いたというところに何かありそうだが、たったこれだけじゃわからない。

 姉上は考え込む僕を見て苛立つ様子もなく、雛里もわからないようだった。

「はぁ・・・ 質問を変えるわ。

 軍師とはどんな人間かしら? これが精一杯の妥協よ。

 ただしこれは考えを聞いているのではなく、私が一つだけ明確な答えを持っているから答えにずれは許さないわ」

 軍師がどんな人間?

 答えの幅が広いというのに、姉上はそれを一つだけという。

「あわ! なるほどぉ」

 雛里は気づいたらしく、感心するように何度も頷き姉上を尊敬の目で見つめていた。

「・・・・知識のある人間でしょうか?」

「違うわ、それは結果よ」

「結果?」

 姉上は僕の疑問に対して頷き、馬を一度降りた。

「いい? 樹枝。

 軍師は相手の裏を読んで行動し、常に最悪の事態を想像していながらも最善へと物事を持っていこうとするわ。それはどうしてだと思う?」

 姉上は地面に大きな丸を一つ書き、そこを二つに分けて○と×を描く。おそらく大きな円が思考、そして○と×が最善と最悪なのだろう。

「軍師だからでしょう?」

「それは結果だと言ったわ。

 念入りに準備し、知識を必要とするのは最悪にしないための用心をする。

 これはつまり『軍師』という人間が、臆病であることを示しているの」

 ×の方を枝で指しながら、姉上は自嘲気味に笑っている。が、それはすぐさま誇らしげなものに変わった。

「だから、私は雛里を選んだのよ」

 その言葉に僕はついさっきの出来事を思い出した。

 

『あでっ!?』

『はわわわ?!』

『あわわわわ?!』

 

 だから姉上は、より驚いていた(臆病な)雛里を選んだのか。

 たった一字だけだが、雛里の方が『わ』が多かった。それを判断材料にし、それでいて蹴られた俺自身も、その周りにも意味不明の事態にしか映りはしなかった。

「す、すごいでしゅ! 桂花さん!!」

「そ、そんなことないわよ!

 樹枝!! アンタ、答えられなかったときのことは覚えてるわね!

 行くわよ!!」

 姉上が馬で後ろに回り込むのを見つつ、聞こえないように俺は呟いた。

「ハハッ、姉上のやり方は荒っぽすぎますよ」

 突然すぎるあの理不尽な暴力にそんな意味があるなんて、気づくわけがない。

 いや、もし仮に百人があの光景を見ていたとして、一体何人が姉上の理由に気づくだろうか?

「でも、凄いなぁ。姉上は」

 立ちあがり、馬車の縄を体に括り付けて引いてみる。

「軽い?」

 見れば荷の中で一番重量を占めていた書と、食材の一部がない。目に映ったのは雛里の馬に括られている荷と、姉上が乗っていた馬の蹄の跡。

 普通ならば気づかないだろうが、この二頭は仔馬の頃から僕が丹精込めて育てた馬たちだ。この二頭たちのことで僕がわからないことなどない。

「姉上・・・・!」

「さぁ! 出発するわよ!

 樹枝、行きなさい!」

 感動で震える僕の背を押したのは姉上の罵声。

 まったく、優しいなら優しいことをもっと表に出せばいいのに、不器用な叔母上だ。

「はぁ、まったく。理不尽だ」

 こんなに優しい姉上を優しいと正直に言えない僕も、そう思わせることを拒む姉上も、人がそう思うべき道理に合わないようになっている。

 なんて理不尽なのだろう。

「アンタが答えられないのが悪いのよ!」

 背中にあたる鞭(軽傷用)を受けながら、僕は思いっきり息を吸い込んで叫んだ。

「理不尽だーーーーーーー!!」

 




数少ない男キャラです。
もう一人彼の相方として出る予定ですが(ヒントは魏の四天王)それは伏線をたてた二人を書いてから、本編で登場する予定です。

誤字脱字報告、疑問点等々お待ちしております。


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10,馬寿成 【浅葱視点】

本当に一日で書けましたー。
まず一つ目の伏線の彼女の視点です。
タイトルがそのまんまなのは・・・ すみません。浮かびませんでした。
どれもしっくりきませんでした。


「良い月だな、(ほむら)

 愛馬と共に見る月は少し欠け、アタシは馬上で酒を呷る。

「ヒンッ!」

「わかってるよ、『そんなに飲むな』ってんだろう?」

 愛馬から短い非難の声を聞きつつ、鬣をそっと撫でる。

 傷だらけの愛馬とはもう十年近く付き合いだ、この馬の親が私の初めての馬だった。手をかけ、一番の戦友(とも)として生き、この景色の中で死ぬと思っていた。

「そのアタシが病、ね。

 人生、どうなるかわかったもんじゃないよ。なぁ、旦那よ」

 馬上で死ぬこと叶わずに、病で先立った旦那を思い出す。

 馬の尾のような髪を長く伸ばした、優男。

 幼馴染で、いつ惚れたかなんてわからない。傍に居ることが当たり前で、共に生きることが運命だったと思えるそんな男。

 男のくせに気が弱く、アタシよりもずっと槍が下手糞で、そのくせ戦場じゃアタシの背を守るほど強くなる不思議な奴だった。

 戦なんかよりも馬たちの世話の方が得意で、旦那が世話をしていた馬は今もアタシたちを支え続けている。

「もうすぐ、会えるぞ。(りゅう)

 目を閉じると、困ったように笑う旦那の姿が見えた気がした。

「母さん! 変態が二人も来た!!」

 ・・・・さすがお前の娘だ、空気が読めん。

 アタシはにっこりと笑いながら、旦那の髪とアタシの瞳、そして性格はそのまま旦那の物が受け継がれた娘の馬超を見た。

「ほぅ? 翠。

 お前は変態二人如きもどうすればいいかわからずに、母の憩いの時間を邪魔するか?」

「憩い・・・・って、また酒飲んでやがったのか?!

 母さん! あれほど体に悪いからやめろって言っただろう!!」

 目じりをあげて酒を奪おうと馬で追いかけてくるが、アタシはそれに対してひょいひょいと馬を走らせる。

「あー、小言の言い方まで旦那に似やがって・・・・」

 溜息をついて、空を見る。

 しっかし、病気のアタシが余所見しながらでも逃げられるって、馬術はまだまだだなぁ。

「あいつ、馬だけはアタシに勝ってたもんなぁ」

「また父さんと比較しやがったなぁーーー!!」

 おぉ、速い速い。やれば出来るじゃないか。さすが旦那とアタシの自慢の娘だ。

 やっぱり翠をからかうのは面白いなぁ。つーか、こうでもしないとこいつ本気出せないんだもんなぁ。だから、いつまで経っても姪の馬岱(蒲公英)と組ませてなきゃいけないんだよなぁ。

「お姉さまー? 遅いよー。どうかしたの・・・・って、またですか。叔母様」

 そんなことを考えていたら蒲公英が、翠がいつまでも帰ってこなかったのを心配したんだろう、呆れた顔でこちらを見ていた。

「おー、蒲公英。

 こいつ、からかうと楽しいだろ?」

「気持ちはわかりますけどね」

 私が悪い笑みでそう言うと、アタシと同じ笑みで蒲公英もそう返してくる。こいつの悪戯に関して入れ知恵してきたのって、アタシだしな。

 悪戯は発想と才能が大事だ。蒲公英にはその才能があったし、アタシも楽しかったしな。

「蒲公英!」

 こいつはアタシの娘なのに、どうしてこんなに真面目なんだろうな・・・・

 旦那の性格がそのまんま過ぎてアタシは面白いが、言っちゃ悪いが絶対いろいろ損しそうだよなぁ。

「お姉さまも怒らない、怒らない。

 叔母様とお姉さまがあんまり遅いから、一応客として迎えたけど・・・ 自称医者と、筋肉の塊みたいな人」

 蒲公英が青ざめるほどか・・・ 行きたくないな。

「母さん、今行きたくないとか思っただろ?」

「ハハハ、そんなわけないだろう。アタシを誰だと思ってるんだい。

 馬一族をまとめる馬寿成だよ?」

 いつの間にかアタシの横に並んで肩を押さえた翠に、うまく動かない表情で笑う。

「叔母様・・・ 棒読みになってますよ」

 諦めて愛馬の向きを変えて、自分の城へと進めた。

 

 

「遅くなってすまないな、客人」

 そう言いながら入るとそこには、裸体に褌一枚、おさげの変態がいた。

 その横に普通の服を纏っている赤い髪の男が、なんともないように座っていることが余計に異様さを生んでいるような気がしてならない。

「母さん、進めよ?」

 笑顔を貼り付けて後ろからそう言ってくる娘に苦笑いを返しながら、アタシは飾り同然の玉座に数日ぶりに座る。

「・・・・それで? 変態と自称医者と聞いているが何用だ?」

 アタシは自分を落ち着かせるために、煙管を取り出して深く吸い込んだ。それでも落ち着きそうにないのは、異常な生き物が視界に映ってしまうからだろう。

「だーれが、一目見ただけで卒倒するような変態ですって?!」

「「お前だ!!」」

 アタシが叫ぶと同時に翠も叫んだ。

「ちょっ?! 叔母様、お姉さま、普通は『そこまで言ってない』じゃない!?」

 笑いをこらえながらも蒲公英が突っ込んでいるが、仕方ないだろう!

 アタシは本気で卒倒しかけたぞ?!

「貂蝉は俺の大事な仲間だ。そう言わないでほしい。

 しかし・・・・ 本当に気が乱れてるんだな。馬騰殿。

 歩くのも辛いんじゃないか?」

「えっ?」

「叔母様?! それ、本当なんですか!?」

 アタシは二人の反応を見ながら、溜息をこぼす。

 他の者はいないし、気配もない。なら、隠さなくてもいいか。

「医者っていうのは嘘じゃないようだな、坊主。あんたの名は?

 ここまで来れたんだ、アタシの名は知っているだろう?」

 アタシは目を細め、男を見る。

「俺の名は華佗。

 流れの医者をやっている・・・・ いや、今は友人の使いとして各地を歩いているな」

「ほぉ・・・・

 それで華佗殿よ、アタシが病だと誰から聞いた?」

 アタシは腕を伸ばして、愛用の槍を手に取った。そして、玉座から飛び、華佗の首元へと槍を突きつける。

 翠と蒲公英の息を飲む音がするが、アタシは返答次第ではこいつ(華佗)を容赦なく殺すつもりだった。

「怖い顔しないの。馬騰ちゃん」

 殺気にも近い怒気が貂蝉と呼ばれた変態から漏れたが、アタシはそれに対して睨みを利かせて殺気で返す。

「黙れ、変態。

 ここを治めているアタシが病なんてことを、流れの医者にすらばれていたら困るんだよ」

 口から煙を吐き出しつつ、アタシは笑う。

 こいつと殺しあったら楽しそうだなと、一瞬でも思うアタシはまだ武人として死んでいない。

 最期は母親として死ぬのか、治める者として死ぬのかと思っていたが、やはりアタシは根っからの武人のようだ。

 窮屈な城も、息の詰まる部屋も好きじゃない。

 どうせ死ぬなら空を見ながら、馬の背で果てたい。

 病にこの身を喰われかけている今でも、心からそう思う。

「この大陸に降り立った二人の天の遣いを、知っているか?」

 アタシと変態が睨みあっている中で、華佗がふと呟いた。アタシはおもわずそちらを見た。

「あぁ、聞いたことがあるね。

 大陸中に広まってる管輅の占いだろう、白き星と赤き星の天の遣いとか言ってたな」

 二人いるからどこに落ちてくるか、部下と賭けてんだよなぁ。

 槍を下ろさずに視線を変え、華佗の目を見る。

 まっすぐな若者特有の強い目、覚悟と信念を持った男の目。

「赤き星の天の遣いが、ここに患者がいることを教えてくれたんだ」

「フゥン、それで?

 それが偽りだったら、あんたはアタシに殺されるところだったんだが、そいつにはあんたの命を賭けるほどの価値がある男なのか?

 それともアレか?

 医者という存在は患者が居れば、いつわりであってもこんな辺鄙なところにも訪れるのか?」

 だからこそ、問うてみたくなる。

 一人の男をこんな目にさせる男に対して、興味が湧く。

「俺の友は、人が傷つくような嘘を決して吐かない。

 そして俺は、そんな彼の友であることに誇りを持っている。

 医者としての誇りや意地なんてものが如何にくだらないかを、俺は彼に教えられた」

「そうよぉ、ダァーリンはそんな彼の友人で、絶対に嘘をつかないのよぉ」

 野太い雑音が入ったが気にしないでいよう、主にアタシの精神衛生のために。

「・・・・・悪くない」

 アタシは槍を下ろして、玉座へと座りなおす。

 あぁ、まったく悪くないね。

 こんな若者を寄越す男がいる時代、死んでなんかいられない。

「母さん? まさか、治療を受けるのか?」

「叔母様、こんな二人組を信じるの?」

 二人がそんなことを言ってくるが、アタシはゆっくりと頷いた。

「・・・・二人とも、その言いぐさじゃアタシに死んでほしいみたいだよ?」

母さん!(叔母様) そんな筈が(そんなわけ)ないだろう!!(ないじゃん!!)

 二人がアタシを挟んでそう大声を叩き付けてくるから、どっちが言ってんだかわけがわからん。

 つーか、耳が痛い。

「あー、アタシが悪かった」

「「病気が悪化していたことを隠してたこともだよ(です)!!」」

 二つの意味で耳が痛くなってきた。

 アタシが悪いんだけどさ、隠しとかないと絶対療養になるだろうが。

 寝台で寝たままなんて、それこそ死んでもごめんだっつの。

「あーあー、悪かったって言ってんだろうが!」

 二人の頭を押さえて、そのままぶつける。

 良い音がし、二人がのたうち回るのを見て少し気が晴れた。

「馬騰、すぐに治療を始めたいんだが、かまわないか?」

 華佗がそう言って、懐から針が入れられた帯のようなものを出す。革製のずいぶん丈夫そうな代物だな。

「別室の方がいいか?」

「うむ、肌を晒すことになるし、そちらの方がいいと思う。

 気の流れに衣服は関係ないんだが、針を刺すからな」

 話を聞きたいのは華佗だけだし、変態は二人に任せるか。

 そう思い、足で二人を軽くつついておく。

「二人とも、変態の方を頼むぞ。

 アタシはこれから治療を受けてくるからな」

 ぷらぷらと腕を振って、二人と変態を置いて部屋を出る。

「ダァーリンに手を出すんじゃないわよ! この年増!!」

「ハハハ、時の流れで増すものは年齢だけとは限らんぞ? 変態」

 変態のその言葉に笑いながら、アタシは玉座を後にした。

 

 

 私室に移動し、前を隠した状態で上着を脱ぐ。

「気がずいぶん乱れているな・・・

 あと数日遅れていたら、手遅れだったかもしれない」

 治療を受けながら、アタシは華佗に問うた。

「なぁ、華佗よ。

 あんたはさっき『医者としての誇りや意地なんてものが如何にくだらないかを、俺は彼に教えられた』とか言ってたが、そいつはあんたになんて言ったんだ?」

 華佗が数本の針をアタシに刺しつつ、どこか言いにくそうな沈黙が流れた。

「言いにくいか?」

 アタシが苦笑気味に言うと、華佗は首を振った。

「いや・・・・

 俺はかつて、師から教わったことは自分にしか出来ないと思っていた。

 教えを広めることを拒み、俺は大陸の患者全てを救えたつもりでいた。

 だが、そんな俺の考え方を直してくれた人間それが、赤き星の天の遣いだった。

 俺が二人に教えれば、医者は三人に。三人がまた二人に教えれば、医者は増えていく。この大陸に少しずつ医術が広まり、医者が増えて、救う人数が増えていく。

 恥ずかしいことに俺は、そんな当たり前のこともわかってなかったんだ。

 独占して、自分だけが医術を使えることに奢っていた。

 そんな俺に彼は

 『華佗が知っている医術の可能性を、多くの人々を明るい未来(さき)へと導くことが出来る。

  だから、頼む。

  その医術で、もっとたくさんの人々を救ってくれないか』と頭を下げられたんだ」

「ほぅ・・・・」

 人は自分の間違いを、自分で正すことは出来ない。

 間違っているというのは誰かに気づかされるものであり、改善もあれば改悪も存在する。

 考えを改めさせるのは容易なことではないし、そうさせることはある種の才能と言ってもいいだろう。

 華佗の医術を赤の天の遣いは改善へと持っていったのか、大したもんだ。

 それにしても『多くの人々を明るい未来へ』ね、まさかアタシまでその人々に入ってるとでもいうのかい?

「アタシがもし断ったら、どうするつもりだったんだい?」

「ハハッ、それについても伝言とそれを聞かないのなら無理やり治療してこいと言われていた」

 華佗が笑いながら、針を刺す。

「何?」

「『あなたは病なんかで死ぬべき人間じゃない。

  この大陸の未来(さき)にあなたのような人が必要なんだ』と言っていたよ」

「はっ、こんな年寄りがか?

 子を残し、命すら病に食われかけたアタシなんざ、あとは若者の壁にしかならんさ」

 おもわず笑ってしまう。

 ついさっきまで死ぬことをどこかで覚悟し、時の流れに身を任せようとしていたアタシが未来(さき)に必要? 馬鹿なことを言う。

「『若者だけで作れる未来(さき)なんてない』と、別れ際に言われたよ。

 あとは本人に会えた時にでも、直接聞けばいい」

「そうだな・・・・ そうするとしよう」

 柳、お前の元へ逝くのはまだ先になりそうだ。

 どうしても一度、会って話をしてみたい人間が出来てしまってな。

「よし、これが最後の針だ。

 病巣確認! 気力入魂! 絶対命中! 五斗米道(ゴッドヴェイドー)は世界を照らす!!

 げ・ん・き・に・な・れーーーーー!!!」

 ・・・・・この口上って、必要なのか?

 

 

 翌朝、華佗と貂蝉はすぐに旅立つらしく、荷をまとめていた。

「もう行くのかい?

 治療の礼をしたかったんだがな・・・・」

「それは俺じゃなく、赤き星の天の遣いにしてくれ。俺は当然のことをしているだけだからな。

 それから治療したと言っても、まだ完全じゃない。しばらくの間は、酒と煙管はほどほどにした方がいい。

 完全に痛みがとれたら、好きなだけ飲むといいさ」

 笑いながらそう言う華佗に、アタシは翠に顎で指し示す。

 翠は華佗へと二つの袋を渡して、アタシの後ろへと下がる。

「そうするさ。

 少ないが路銀と食糧だ、これだけは持っていってくれ」

「ダァーリンといつ来てもいいように、私は別荘が欲しいわぁ」

「お前は死ね。変態」

 アタシは笑いながら、槍を繰り出すがそれをありえない速度で避けられる。

「チッ!」

 アタシの精神衛生のために死ね。

 筋肉達磨が旅路を闊歩するなんて、誰も喜ばないんだよ。

 つーか、アタシが世話になったのは華佗とそれを差し向けた赤の天の使いだけだ。

「あっぶないわね! この年増!!」

「女にもなりきれない変態が、よく言った!」

 互いに睨み合い、一触即発の事態になりかけるが三人が割って入ってきた。

「母さん、何やってんだよ」

「叔母様、少しは体を休めてよ」

 娘と姪に呆れられたな、いつものことだが。

「貂蝉、患者と喧嘩をするなとあれほど言っただろう」

「はぁい、ダァーリン」

 割って入った向こう側でもそんな感じになっていて、華佗はこちらを見て一礼してアタシたちに背を向けた。

「華佗!」

 アタシは一つだけ聞き忘れたことがあったことを思いだし、華佗を呼び止める。

「赤の天の遣いは、良い男か?」

 その問いに華佗は一瞬驚いたような顔をしてから、笑った。

「あぁ!

 俺が知る範囲で、この大陸で一番の良い男だ」

 そう言ってこちらに腕を振りながら、華佗は去っていった。

「叔母様、まさか・・・・」

 蒲公英がひどく微妙な顔をして、アタシを見てくるが気にしない。

「母さんには父さんがいるだろ!」

 翠の言葉に、アタシが思い出したのは旦那の最後の言葉だった。

 

『浅葱、浅葱の自由なところが僕は好きだよ。

 僕が死ぬことで浅葱のそんなところがなくなるなら、いっそ僕のことなんて忘れてくれ。

 草原を駆ける馬みたいに美しくて、逞しくて、素敵な、僕の大好きな人。

 最後まで君らしく、生きてくれ』

 

「もう七年さ、柳に対して義理は果たした」

 それを知っているのはアタシだけ。

 『自分の最後は浅葱とだけと居たい』

 それがアタシの知る限りでの、旦那の最初で最後の我儘だった。

「っ! そうかよ!!」

「お姉さま!

 叔母様・・・・」

 怒ってアタシに背を向ける翠に対して、アタシは溜息をつく。

 蒲公英が気にかけて振り向くが、アタシがそれに対して手で促すと翠を追いかけていった。

「・・・・・はぁ、うまくいかないもんだな。親子ってもんは」

 そんな言葉は、澄み渡る蒼い空へと吸い込まれていった。

 




原作でも少し出てきた彼女に対して、私が抱いたイメージを元に書きました。
原作で彼女は毒酒を呷って死んだのはどうしてか。
武人として死ななかったのはどうしてか。
それを考えたとき、病で動けぬ体で『武人』として死ぬことが叶わないなら最後は『治める者』として死ぬことを選んだんじゃないかぁなと思った次第です。



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11,孫文台 【舞蓮視点】

試しに話数を振ってみました。わかりやすいといいんですが・・・
内容的には同じのに同じ番号を振ろうとも思ったんですが、話数をわかりやすくするためなのでこうなりました。

また、本編でルビを振ってありますが『舞蓮』の読みは『ウーレン』です。
今回は中国読みを採用しました。



舞蓮(ウーレン)、そう先走るな!』

「珍しいわね、秋桜(しゅうおう)。あなたが夢に出てくるなんて」

 夢に出てきたのは懐かしい人、私の夫だった存在。

 私の言葉には何も返さず、ただ過ぎ去った思い出だけが繰り返されていく。

 思い返すほどの思い出なんてない。

 あるのは戦場ばかりで、『夫婦』というよりも『相棒』という言葉がしっくりくる。

 武骨で、口数の少ない、ぶっきらぼうな武人である夫。

 戦場では人が変わったようになる私の背を、黄蓋()とともに守ってくれた存在。

 愛していた。だから、三人の娘を授かり、共に生きた。

 だが、結局家族五人で過ごした思い出では一度だけ。

 しかもそれは戦場、最初で最後の一家団欒は彼の死の間際だった。

 

 

 肩から腹まで斬られた夫を見て、私はようやく彼がどれほど自分にとって大切だったかを思い知らされた。

 知っていたつもりだったのに、いつしか当たり前となって抜け落ちていた。

 孫家の血の衝動すら忘れて、戦場を駆ける。

 あの時の私は王でも、将でも、武人でもなく、ただの女であり、妻であり、母だった。

 夫の最期を三人の娘に見せなければならない、会わせなければならない。それはいつもの勘でも、冷静な考えでもない、より本能に近いもの。

『最期だけでも家族五人で、迎えさせてほしい』

 戦の勝利すら祈ったことのない私が、初めて神に祈り、願った。

 

 そしてその願いを、神は聞き入れてくれた。

 

『舞蓮、雪蓮、蓮華、小蓮。

 こんな俺だが・・・・ お前たちを、心から愛していた』

 私によって担ぎ込まれた夫が最後に言ったのは、そんな言葉。

 武骨な夫には似合わない。だが、単純で一番下の小蓮にもわかる言葉だった。

 

「あなたと、もっと話せばよかった」

 もうじき、八年。

 後悔は今も尽きない。

 思いは消えない。

 記憶も、愛することも、少しも霞まない。

「もっと、愛せばよかった」

 もっと、家族でいる時間を増やせばよかった。

 もっと、傍に居ればよかった。

 もっと、好きだと伝えればよかった。

『舞蓮・・・・ いや、なんでもない』

『雪、華、小・・・・ もし、娘が生まれたら、お前の「蓮」の字にあわせて、真名にそうつけよう。

 どれも儚く、美しく、小さな・・・ 俺の守るべき大切なものだ』

『戦場の武人たるお前も、政務を行う王たるお前も、女であるお前も・・・ 全て舞蓮だ。

 俺の愛する孫堅文台、そのものだ』

 少ない筈の彼の言葉が、私の中で繰り返される。

 口数は多くなかったくせに、大切なことは言ってくれた。

 欲しい言葉をくれた。行動で示してくれた。

 そうしていつも、私を支えて、守り、愛してくれていた。

 ねぇ、秋桜。それなのに、どうして今日はそんなに悲しげなの?

 どうして、そんなに心配そうにしているの?

『舞蓮、自分を奢るな。

 俺が守れれば良かったが、俺はもうそこに居ない。だがな、舞蓮。

 俺は居ないが、お前は独りではないんだ。お前の周りには祭が、まだ未熟ではあるがたくさんの者がいる。

 自分一人で立っている必要なんてない』

 夫からは聞いたこともない言葉、珍しく雄弁な夫の言葉に私は笑う。

「私を一人にしたあなたが、よく言うわよ。

 あなたのせいで私がどれほど寂しい思いをして、立っていると思っているの?」

 どこか拗ねたようなこの言葉は、祭も知らない。

 夫しか知らない私、そしてそんな私の不器用なところを一番に受け継いでしまったのはおそらくあの子(蓮華)だろう。

『すまない』

 他人にはとてもそうは思っていそうにないようにしか見えない表情、けれどそれが彼の最大の謝罪の表情だということは、結局私と祭しか知らなかった。

「いいのよ、私だっていつかあなたの元に逝くのだから。

 それは意外と早いかもしれないじゃない?」

『いや、それはない。お前にはまだ天命が残っている。

 そしてそれを導く者は、もうそこに降りている』

「秋桜? 何を言って・・・?」

 私は夫の言葉にわけがわからず、問い返す。

『生きろ、舞蓮。

 だが、それは王としてだけじゃない。お前自身として』

 夫がそう言って、消えるような笑みをこぼした。

 そんな夫へと私は瞬間的に、激しい怒りを抱いた。

 そんな笑みは認めない!

 あなたは江東の虎の夫、たとえ死んでもそんな笑みをすることは許さない!!

「秋桜! あなたを忘れるなんて、してあげないわよ!!」

 忘れてなんかやらない。

 一生、それこそ呪いのように執着し続ける。

『それでお前自身の良さを殺すというのなら願い下げだ!! 舞蓮!』

 獅子のような金の髪、海の色を映しこんだような瞳に私が今まで見たこともないような怒りが宿っていた。

 私はそれを見て、肩を下ろした。

「・・・・・それでいいのよ、あなたにあんな弱気な顔は似合わないわ」

『なっ?! 舞蓮・・・ お前。

 ・・・・・はぁ、死んでもかなわない』

 頭を抱えて、心底疲れたように溜息をこぼす。それが一番見慣れた表情だった。

「それじゃぁね、秋桜。

 これがあなたに会える、最後なんでしょ?」

 夫は頷いて、私から離れていく。

「さよなら、愛してくれた人。

 私は次の恋を探すわよ」

 そう言って私も背を向けて、光の方へと歩いていく。と思ったが、一つだけ言い忘れたことを思いだして振り返った。

「だけど、忘れてなんかあげないからね? 秋桜。

 あなたは私を最初に愛してくれた人で、三人の父親なんだから」

 そう言ってほほ笑む私に対して、他所を向いてから実に夫らしい言葉が返ってきた。

『・・・・勝手にしろ』

 

 

 

「堅殿!」

 私を起こしたのは祭の声だった。

「祭・・・」

 自分の口から出たことを否定したくなるような不機嫌な声音が発生し、祭を睨みつけた。

「今度、私を『堅殿』って呼んだら、祭のことを『蓋殿』と呼ぶわよ?」

「うなっ?!

 いい加減、主従なのだからそう呼ぶことを諦めんか! 舞蓮!!」

「主従だからって長年一緒にやってきた親友にまでそう呼ばれるくらいなら、こんな座いつでも娘にくれてやるわよ!」

「冗談でも言うではないわ! 馬鹿君主!!」

 私たちが周囲をかまわず怒鳴り合っていると、雪蓮がケラケラと愉快そうに笑っていた。

「祭だけよねぇ、そうして母様と対等に喧嘩できる人なんて」

 目尻に涙すら浮かべている娘へと笑い、祭の肩を抱きよせた。

「そうよ、雪蓮。

 友はね、どこまで行っても友なのよ。主従なんて関係ないわ。

 私にとって祭は、あんたにとっての冥琳よ」

「やめんか! 暑苦しい!!」

 払われかける直前に手をどかし、祭から逃れながら私は雪蓮の頭を通り過ぎ様に撫でていく。

 あの人と同じ、海色の瞳を受け継ぐ愛しい娘。私よりもずっと孫の血が濃く、血の衝動が強すぎるのがこの子の欠点。

 将としては優秀でも、この子は王には向いていないだろう。

「あらっ、母様。ご機嫌ねぇ?」

「えぇ、久しぶりにあの人が出て来たわ。

 私のところにはもう来ないそうよ、あなたたちの夢に出てくるんじゃない?」

 上機嫌な私をおかしそうに見ながら、雪蓮は困ったような顔をする。

 あらっ、この子はあの人が苦手だったのね。

「父様、ねぇ。よくわからない人だったなぁ、私には。

 物言わぬ岩みたいなのに、戦場じゃ荒れ狂う嵐みたいなのに綺麗で、それなのに私たちを見る海色の目はいつも凪いでて・・・・」

 ・・・・正確に理解してるじゃない。

 そう思うとどこか嬉しくなり、雪蓮の頭をもう一度撫でる。

「それだけわかってれば、十分よ。

 あの人はそんな人だったもの」

 秋桜、この子の中にあなたはちゃんといるわよ。

 だから、大丈夫。あなたはいつまで経っても、この子たちの父親よ。

「どこへ行く気じゃ! 舞蓮!!」

「風が・・・ いえ、雲が私を呼んでるのよ!

 私の好きな、海が運んだ雲がね」

 祭の止める声も聞かずに、私は何かに導かれるようにして駆け出す。

 長く伸ばした紅梅色の髪が翻り、髪留めが心地よい音を鳴らしていく。

「フフッ、そう言えばあなた、この音が好きだったわね」

 自分自身が動いて鳴る音なんて気にかけたことなどないのに、今日はどうしてか夫を想うことが多くてしょうがない。

 そんなことを考えながら私は、あの場所へと向かっていた。

 

 

 

 樹に隠れて日中でも人気がない、川のすぐ側。

 ここはずっと私のお気に入りの場所。

 もし死んだら堅苦しい墓など立てずに、ここに何も刻まないで石でも置いてくれればいい。

「まぁ、『石すら置かずに、樹でも植えておけ』なんて言う変り者もいたけどね」

 ここに来る途中にあった私たちの髪と同じ色をした花が咲く樹が、彼の墓標だと知る者は私と祭だけ。

 それを知らずに、三人の娘たちはあの花を好んでいた。

「ねぇ、そろそろ出てきてもいいんじゃない? どこかの隠密さん?」

 私はそう言って南海覇王を抜いて、その場に殺気をまき散らす。

「じゃないと、殺しちゃうわよ?」

「そのようですね」

 その言葉と同時に降りてきたのは、白い装束の顔を隠した小柄な存在だった。

 南海覇王の切先が向けられた先で顔をあげずに、こちらを見ようとはしない。

 殺意もなく、ここで殺されてもどうとでもないかのような無防備な姿だった。

「・・・・あなた、ずっと見ていたわね。何しに来たのかしら?

 殺意が全くないから最初は偵察だけかと思ったのだけど」

 彼女はわざと、私に感づかせている節があった。

 私以外、それこそ祭の目すら誤魔化せるほどの隠密がどうしてそんなことをしたのかがわからない。

 今もそう、私の声を聞いて逃げるわけでなくこうして姿を現した理由に興味を惹かれた。

「ある方より、あなたにこれを預かりました」

 顔をあげず、一つの書簡が捧げられる。

「・・・・これを見ている瞬間、襲ってくるとかはなしよ?

 そこの樹の上に居る、お仲間さんらしき二人とかね?」

 私の言葉に震える様子もなく、隠密は立ちあがって懐から小刀を取り出す。

 私が構える暇もなく、隠密は

 

 自らの左腕へと小刀を突き立てた。

 

「・・・へぇ?」

 血が飛び、白い装束が赤く染まっていく。

 その行動に私は驚きながらも、平静を保つ。

 樹の上は少し騒がしくなったけど、仲間内でも予想外の事態だったのかしら?

「望むならば、右腕も。

 命さえあるのならば、私はどこが傷つこうとかまいません」

 そう言って私へと柄を向けて、手渡してくる。

「あなたにそれほどまでさせるほど、価値があることなのね? これは」

 私の問いに短く頷き、隠密は血が滴る左腕を気にする様子もない。おそらく私が読むまでは治療する気などないだろう、あるいはこの用事が済むまで、かもしれない。

「フフッ、あなたを気に入ったわ。

 欲しいわね、あなたのような人材が」

 私はそう笑いながら、書を開く。

 

『突然の文、大変驚いていることだろう。

 まず、名を明かさぬこと、また自身でもなく、こうして正式な使いの者ですらない、このような形で文を渡す非礼をお詫びする。

 俺は「赤き星の天の遣い」と呼ばれている者だ。

 俺はあなたとは違うが、同じような存在を知っている。そして、その者の最期があなたと同じになる確率が現状では高い。

 そのため一つ忠告をと思い、こうした手段をとらせてもらった。

 こんな曖昧な情報を正式な使いなど出せば、突き返されることは目に見えている。故に、こんな形でしか送ることが出来なかった。

 

 どうか自分の力を奢らず、友を、部下を頼ることを忘れないでくれ。

 

 何の事だかわからなくてもいい。だが、気に留めておいてほしい』

 

 曖昧な内容、予測なのか、事実なのかもわからない。

 あまりにも一方的で、もし当たっていたとしてもこれを送った側の利益が見えてこない。

 視線は先程、何の躊躇いもなく左腕を突き刺した隠密へと向ける。

 これほどの臣を失うかもしれないことを覚悟してまで送られた文が、伊達や酔狂で書かれた物とは思えなかった。

「・・・・これを真実だと示すものはあるのかしら?

 というか、あなたはこの書の内容を知っているの?」

「いいえ、何一つとして知りません」

 私が何気なく問うと、答えはすぐさまに返ってきた。

 が、私は返答されたことと、その言葉を聞いて驚愕する。

「あなた、この書の内容を知らずに何の躊躇いもなく左腕を傷つけたというの?!

 いいえ、それだけじゃないわ!

 もしかしたら、私があなたを殺していた可能性だってあったのよ?」

「存じております」

 返ってきたのは短い『知っていた』という言葉、私はおもわず書を落としそうになる。

 この隠密をここまでさせる『赤き星の天の遣い』(存在)とは、一体何者なの?

 

『舞蓮、自分を奢るな。

 俺が守れれば良かったが、俺はもうそこに居ない。だがな、舞蓮。

 俺は居ないが、お前は独りではないんだ。お前の周りには祭が、まだ未熟ではあるがたくさんの者がいる。

 自分一人で立っている必要なんてない』

 

 そして、夢の中で夫が言っていた言葉とかぶる忠告内容。

「・・・・・・興味深いわね、赤き星の天の遣い」

 もしこれが当たっていれば、私は彼に大きな借りを作ることになる。

 どうすれば返せるかわからないほどの、大きな借りが。

 あるいは私の対応すらも、試されていたのかもしれない。

「見定められているのは私、ね」

 私は南海覇王を鞘へと納め、書を川へと放り捨てる。本来ならば燃やしてしまいたいところだが、それが出来ない今はこれが証拠隠滅の簡単な方法だろう。

「あなたの主に伝えなさい。

 『ご忠告、ありがたく受け取らせてもらう』とね」

 これほどの覚悟を見せつけられて、相手の善意を悪意で返すことは出来ない。

 相手の利益が見えない今、受け取る以上の最善の方法はないだろう。

 何よりも、私の勘が『信じろ』と言っていた。

「はっ」

 短い返事をして、その場から気配が三つ消えていく。

「羨ましいほど有能ね・・・・

 ウチにも三人とは言わないから、一人くらい欲しいものだわ」

「舞蓮は甘いの」

 木陰から聞こえ来たその声に、私は肩をすくめる。

 やっぱり、彼女は気づいていた。どれほど私が気づいていないと思っても、私とほぼ同じ感覚で共に並んでくれる。

 貴重な友であり、信頼できる部下であり、かつては同じ男を取り合った宿敵だった。

「気づいていたのなら、言ってくれればいいのに。祭ったら、性悪ね。

 だから、婚期を逃すのよ?」

 私は祭が一番気にしているところを、わざと口にした。

「誰のせいだと思っておる!

 お主に秋桜をとられさえしなければ、儂とて今頃三児の親じゃ!!」

 額に血管を浮かべて怒りだす祭を見ながら、私は陽気に笑う。本当に面白いわね、祭をこれでからかうのって。

「あらあら、負け犬の遠吠え?

 大体それは秋桜に言ってよね、私は祭となら一緒でもよかったのよ?

 責めるべきはあいつの狭量でしょ? 『たった一人しか愛さない』なんて、どこの考え方だ! ってのよね」

「じゃが、儂も主もそんな奴に惚れたんじゃろうが。どっちもどっちじゃ」

「それもそうね。

 それで祭、そのお酒は何?」

 祭の肩に担がれたのは大きな酒瓶。そう言えばこの印、見たことがあるわね。確か・・・

「あぁ、奴の好きだった酒蔵の新酒じゃ。

 たまには三人で飲むのもよかろうて」

「・・・・そうね。

 いつ振りかしら? 三人だけで飲むなんて」

 私は祭の横に並んで歩きだす。

「奴も酒が好きだったからのぅ。

 久方ぶりの酒じゃ、泣いて喜ぶことじゃろうな」

「あいつが泣くところなんて想像できないわねぇ」

 これから、まだどうなるかはわからない。

 だけど今、一つだけわかることがある。それは

「カカッ、言えておる!」

 久しぶりの古き友だけで飲む酒は、きっと格別に美味しいだろうことだけだった。

 




誤字脱字、感想等々お待ちしております。


・・・・次、どこ書こうかなぁ。


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黄巾の乱
12,再会と出会いと弟分


サブタイトルがどんどん微妙になってる気がします・・・・
内容には沿ってると思うんですが、サブタイトルはもうチョイ考えないといけないかなーと思う最近です。

明日はこの続きか、顔良スカウト編を書きたい。
もしくは視点変更。


「冬雲兄者、こちらの準備は整いました」

「・・・・・・」

 隊の整列した、あとは部隊の装備も出来た。最近は俺の隊って形で任された部隊も、賊討伐の実践を何度か経験しているから動きも悪くない。

 黄巾の賊の影響がこれでいくら減っているかはわからないが、何も出来ないよりはマシだと思いたい。

 それに俺たち四人の交代制のおかげもあってか、疲労の影響はみられていない。

 あぁ、それにしても白陽は平気かな・・・・

 まだ、戻ってきてないことが気にかかるが、無事だといいんだが。

「兄者?」

 突然肩に触れられ、俺は反射的に腕を掴んで、膝を軽く曲げて投げる体勢に・・・ なりかけたところでそれが誰だかを気づき、何とかやめることができた。

樟夏(しょうか)か・・・・ 悪い、考え事してた」

「呼び止めを気づかれず、肩に触れた瞬間投げかけられる世。無常だ・・・・

 かまいませんが、まだ慣れませんか? この呼び方は」

 そこに居たのは俺を『兄』と呼び、ある種の尊敬の念を抱いてくれている曹子廉。真名はさっき俺が呼んだ樟夏で、髪は長く伸ばした髪をまっすぐに降ろしていた。

 しかし、あの世界と繋がっていないとわかっていても、あの有名な曹魏の四天王が勢ぞろい。しかも俺がその一人として、ここに居ることが何だか不思議な気分になってくる。

 しかも、冗談で言った四季が揃ってるし。

 つーか秋蘭は絶対知ってたよな? 出来ればその時教えてくれてればあんなに驚かずに済んだんだがなぁ。

 春蘭は・・・・・ きっと、素で忘れてたな。絶対に。

「正直、慣れないし、何だかこそばゆいな」

 俺は頭を掻いて笑い、傍に来ていた兵たちの装備を見る。渡された書類の内容に軽く目を通しつつ、間違いがないことを確認した。

「慣れてください、兄者。

 それにあなたにその名をつけられた時点で、あなたは・・・・」

「おっと、足が滑った」

 突然秋蘭によって横合いから迫りくる鋭い蹴りを、俺はその場で跳んで避ける。避け損ねた樟夏の腹部に見事命中し、その場で悶絶する。

 風が切る音がするぐらいの威力だったけど、大丈夫か?

「おぉっと、手が滑ったーーー!」

 と言いながらも、すごい勢いで突進してくる春蘭を俺はどうしたものかと考えていると秋蘭が横から俺だけを引く。悶絶していた樟夏にもちろん避けることなど出来る筈がなく、軽く吹き飛ばされていく。

 って、駄目じゃん?!

「二人とも?!  何やってんだ!?

 出陣前に樟夏に怪我をさせる気かよ!」

 そう言いながら俺は樟夏の元へと駆け寄るが、樟夏は立ちあがりながら大丈夫だというように手で遮ってくる。

「二人の連撃に慣れていますので、大丈夫です。兄者。

 あぁ、だが世は・・・・・ 無常だ」

 そう言って一筋の涙をこぼしながら、俺にはわからない遠いどこかを樟夏は見ていた。

「いやぁ、すまんすまん。そこで躓いて、踏ん張りが利かなくなってな」

 朗らかに笑いながら、そう言う春蘭には・・・・何だろう、この懐かしさ。

 俺もかつて、こんな良い笑顔で自分が理不尽な暴力をされたことがあった気がする。

「すまないな、樟夏。

 だが一つだけ忠告しておこう。

 秘めたる乙女心を男は気づいても、語るべきではないな。ましてや・・・ 当人が気づいていないのなら尚更な」

 ?? 何を言ってるんだ? 秋蘭は?

「三人とも、準備は終わったのかしら?」

 華琳が来たことにより、四人がその場で軽く姿勢を正す。

「はい、華琳様。

 四部隊とも整列を終え、あとは・・・・」

「糧食だけってところだな」

「うむ!」

 秋蘭がそう答え、視線を向けたので俺が言葉を引き継いだ。春蘭がそれに対して頷き、俺たちの高揚を感じ取った樟夏が首をかしげているが、俺たちの口元から笑みは消えない。

「そう・・・・ それはそうと冬雲、あなたの武器はそれでいいのかしら?」

 俺は衣服と同じような色に揃えられた鎧と、とりあえず差してある一般兵と同じ剣を見た。

「あぁ、とりあえず当分はこれでいいさ。

 一応、どんな武器も一通り使えるしな」

 あくまで仮のもので、真桜と再会したら作ってもらうつもりではある。それも遠くはないし、今は焦るほどのことじゃない。

「しかし兄者、使いやすい得物があるならば用意いたしますが?」

 そう言ってくれる樟夏の武器は偃月刀を小型化し、さらに逆側にも刃をつけたもの。一度触らせてもらったが、その芯にはさらに鎖が通っており中距離から近距離までの戦闘が出来る代物だった。

「いや、いいさ。

 何度か賊討伐にも行ったし、多少使い慣れたこれを使うよ」

「そうね。

 後々どうにかしないといけないことだから、しっかりと考えておくようになさい。

 全体の準備を終わったのなら、私たち全員で糧食の件を確認に行くわよ」

 華琳はきっと俺が考えていることが察しているのだろう、より具体的に想像しておくように釘を刺された。

 華琳が歩き出したことにより、俺たちもその背に続いて歩き出す。

「どんな武器をお考えなのですか? 兄者」

 華琳の横に春蘭、秋蘭が並び俺たちはその後ろに並んで続くと樟夏が俺に問うてきた。

「そう、だな。樟夏には教えとくか。

 もしかしたら用意する時、協力してもらうかもしれないし」

「私に出来ることなら、協力を惜しみませんよ。兄者」

 ・・・・・人たらしは曹家の血だと、最近つくづく思う。

 普通にこういうこと言うあたりが、人間として好まれる部分だよなぁ。

「出来ないことの方が少ないと思うけどな?

 華琳の実弟ってことに捻くれも、驕りもしないで努力する樟夏だしな」

 そんな弟分の頭を軽く撫でながら、俺は笑った。

「冬雲」

 突然華琳に呼ばれ、俺はすぐさま駆け出す。

「そんなことを自然と言ってくれるあなただから、ですよ」

 最後に樟夏からそんな言葉が聞こえたが、俺にはよく意味がわからなかった。

 

 

「どうかしたか?」

「あなたが最初に会っておあげなさい」

 俺がそう尋ねると華琳が足を止め、それに続いて三人の足もとまる。

「そりゃ俺は嬉しいけど、まずは華琳の方が桂花は喜ぶんじゃないか?」

 桂花は本当に華琳が好きだったし、しかもここから見える限りじゃ・・・・

 えっ? あれは鳳統さん? あと、顔良さんだっけ? あと、あれは誰だ?

「・・・・・俺を実験台にするんじゃないよな?」

「ふざけてないで、さっさと行きなさい。

 本当は、わかっているんでしょう?」

 華琳の呆れたような言葉に俺は苦笑して、頷く。

 でも、華琳の方が喜ぶっていうのは嘘でも、冗談でもなく、本気なんだけどなぁ。

「だけど、俺よりも華琳の方が・・・・」

「冬雲・・・ いいから行ってやれ」

「でもな、秋蘭・・・・」

「まだ言うか! この馬鹿が!

 とっとと、行ってこんかーーーー!!」

 秋蘭の呆れたような声の後に、春蘭の怒声と突然の背後から蹴り飛ばされた。俺はそれに成す術もなく、吹っ飛ばされて無様に地面を転がっていき誰かの足にぶつかって止まる。

「誰だかわからないけど、すまん!

 これはわざとじゃなくてだな・・・」

 俺が起き上がりながらすぐさま謝罪の言葉を並べようとすると、見上げた先には彼女が居た。

「アンタ・・・・・」

 俺が会いたかった十五人のうちの一人、罵倒の中には常に気遣いと優しさを含ませた天邪鬼。

 『王佐の才』とすら呼ばれた、魏の猫耳頭巾の名軍師だった。

「よっ、久しぶり」

 伝えたいことは山のように、おそらく桂花が問いたいこともたくさんあるだろう。だけど、まず口から出たのはそんなどこにでもある言葉だった。

「アンタなんか、アンタなんか・・・・・」

 拳と体を震わせて、俺は次に振ってくるだろう罵倒を待っていた。

 緑と青の中間のような色をした瞳が揺れ、その中に俺が映っていることが嬉しかった。

 だって俺は、桂花の優しさを知っている。

 秋蘭が定軍山で死ぬかもしれない時、城壁で心配そうにあの方角を見つめていたことを。

 倒れていく俺への、あの必死な声を俺は忘れたことなんてない。

「会いたかったよ、桂花」

 俺がそう言った瞬間に桂花は堪えきれなくなったかのように、抱きついてきて

「うわあああぁぁぁぁーーーん」

 泣かれた。

 俺はそれにどうしていいかわからず、とにかく桂花が落ち着くようにと頭を軽く撫でようと手を伸ばした。

 

「姉上が泣いたあぁぁぁーーーー?!

 僕に理不尽を敷いては傍若無人に振舞い、言うこと聞かなかったら鞭を振るうあの姉上が?!

 男嫌いの女性至上主義、『無能な人間、特に男は塵芥』と言い切る姉上が男に縋り付いて泣くだなんて嘘だぁーー?!」

 が、その直前に桂花の泣き声と同じくらい大きな声が響き、おもわず視線がそちらを向く。

 そこには先程確認した男性が居て、どことなく顔つきが桂花に似ていることにようやく気づいた。ということは、桂花の血縁者か?

 そうして驚いていると、周りの兵たちが一斉にその男性を取り囲んで襲い掛かった。

 って! お前ら、何やってんの?! しかも、俺の顔見知りばっかだし?!

「曹仁様の再会らしき場面を台無しにしてんじゃねーよ! このボケがぁ!!」

「そうよそうよ! なんてことしてくれてんのよ!! アンタ!」

「みんな、一斉に動いて! 取り押さえるのよ!」

「猿轡噛ませろ!」

「誰か! 太い縄を持ってきて!!」

 鍛錬のおかげかな、連携が堂に入ってきたなぁ。

「あわわぁぁー?! 凄い連携でしゅ!」

「雛里ちゃん、感心するのはわかるけど。今はそこじゃないと思うよ・・・」

 わーい、天然で言葉を噛むんだね。鳳統さん。

 そして、確か武将だった筈だけど、意外と冷静なんだね。顔良さん。

 この二人はなんだか、見ているこっちがほんわかしてくる組み合わせだなぁ。うん、寒い日に傍に居ると温かくなりそう。

 

 って、現実逃避してる場合じゃない! 止めないと!

 そうして俺が動き出そうとするのが腕の中に居る大切な人(桂花)がいたことを思い出して、行動をやめる。見ると、桂花が物凄い形相で睨んでいた。

 何だろう、さっきも感じたこの懐かしさ。

 あぁ、桂花に落とし穴に落とされてた頃の俺って、こんな顔向けられてたっけ?

「桂花、あれは誰なんだ?」

「弟よ、正確には歳の近い甥だけど。

 それにしても・・・・・ どうしてくれようかしらね? 私とアンタの再会を邪魔してくれたのは」

 苦笑しながら俺が聞くと、桂花も溜息をつきながら答えてくれる。が、それは途中から悪鬼羅刹も真っ青の表情となっていた。

「勘弁してやれって、あんだけやられてるんだから」

「アンタは! 私との再会が邪魔されたのをどうとも思わないわけ?!」

 猫耳の頭巾を揺らして怒る桂花の頭を撫でて落ち着かせながら、俺は桂花を離さない。

 どうすればこの思いは伝わるのか、言葉の不便さが嫌になる。

 華琳たちと再会した時もそうだったが、愛しさが溢れてとまらない。ずっと、こうして抱きしめていたいくらいだった。

「そりゃ少しは怒ってるけどさ、あれだけボロボロにされてる奴に追い打ちなんてかけらんないだろ。

 それに・・・」

 桂花をもう一度優しく抱きしめて、その耳元で囁いた。

「怒ることがどうでもよくなるくらい、桂花とまた会えたことが嬉しいんだよ」

「・・・・馬鹿」

 頭巾に隠れて見えない顔、その中でわずかに見えた桂花の赤くなった頬を見逃さない。

 あぁ、可愛いなぁ。本当に、どうしてこんなに可愛いんだろう。でも、指摘したらそれすら隠すだろうから、指摘はしないけど。

「だけど、することもしないとな? 桂花。

 それにしてもあの二人を連れて来たのか、さすが王佐の才。我らが魏の猫耳軍師様」

「アンタに言われなくてもわかってるわよ!

 当然でしょ? 私は荀文若、華琳様の筆頭軍師なのよ?」

 俺の腕の中をすり抜けて、得意げに笑う桂花に一瞬見惚れる。

 彼女の栗色の髪が日に照らされて輝き、それはとても綺麗で、愛おしい光景だった。

「ハハッ、そうだったな。

 あぁ、そうだ。改めて名乗らせてくれよ、桂花。

 姓は曹、名は仁、字は子孝。真名は冬雲。

 それが俺のここでの、みんなと共に生きるための名を、受け取ってくれ。桂花」

 俺がまっすぐと見つめるその先で、桂花は俺がこれまで見たこともないような幸せそうな笑みを見せてくれた。

 自惚れかもしれないが俺がここに居ることが、ここに居られることがわかったそれだけが何よりも最高の知らせだとその笑みが教えてくれるようだった。

「受け取ってやるわよ、冬雲。

 今のアンタが華琳様の傍に居ることがふさわしいかどうかを、私がしっかりと見定めてやるんだから!」

 強気な言葉が桂花らしさを引き出してくれる。

 それでいて『もっと向上しろ』『努力しろ』『結果を見せろ』と俺に促してくれる。

「あぁ、しっかり見ててくれよ」

 華琳の元へと駆け出す桂花の背へとそう呟いてから、すっかり簀巻きにされて転がっている彼に近づいた。

 あーぁ、完全に気絶してるよ・・・ どうすんだ、まったく。

「みんな、気遣いとか、気持ちは嬉しいけどやり過ぎだ・・・

 背を預ける相手を傷つけてどうする!」

 俺のことで怒ってくれたことは嬉しい。だけど、気絶はやり過ぎだ。

 俺たちは、軍は、個が生みだし、全となるもの。その中で仲間同士の諍い、禍根なんてもってのほかだ。

 全体の動き、連携が乱れれば軍なんて簡単に崩壊する。蟻の穴からも堤は崩れる、そんなことはあってはならない。

『すみませんでした!』

 一糸乱れぬ声は叱り飛ばす俺へと向けられたものだ。だが、向けるべき相手が違う。

「謝る相手が違うだろ! 彼が目覚めたら、全員ちゃんと謝罪をしろ。

 それから罰として、帰還後俺たちの隊はいつもの筋力鍛錬を行うぞ!!」

『はい!』

 叱り飛ばし、厳しい言葉を言いはするがやっぱり俺は

「だが、俺のことで怒ってくれた気持ちの礼として、そのあとは俺の奢りで酒家に行くぞ。

 今日非番の奴も呼んで来いよ? 飲み損ねましたなんて、あとから聞かないからな!」

『どこまでもついて行きます! 曹仁隊長!!』

 嬉しかった分だけの礼はちゃんとしたかった。

「あわぁー・・・ 凄いでしゅ」

「本当だね、これは好きになっちゃうよね」

 そう言う二人は簀巻きの荀攸を担ごうとしていた。

「俺の隊がやったことだから、俺が担ぐよ。

 悪いな、突然こんなことしちゃって・・・・ あぁ、俺の名は曹子孝、真名は冬雲だ。

 まぁ、『赤き星の天の使い』の方が有名かな?」

 俺がその手から彼を受け取り、背へと担ぐと二人の顔が・・・・ どうして赤いんだろう? しかも鳳統さん、顔良さんの背中に隠れちゃうし。

 俺のこの仮面、怖いか? でも、真桜と再会したら、別のにしてもらうつもりなんだよなぁ。

「あわわっ、姓は鳳、名は統、字は士元。真名は雛里でしゅ。

 どうぞ末永くよろしくお願いしましゅ!」

「いきなり告白しちゃうの?! 雛里ちゃん! それなら私も!

 姓は顔、名は良、字はなくて、真名は斗詩です。私もどうか末永くよろしくお願いします!!」

 二人そろっていきなりそんなことを言ってきて、俺は嬉しいが正直戸惑いの方が大きかった。俺、何もしてないよね?

「ちょ!? 嬉しいけど、二人とも早まらないでくれ!

 二人とも可愛いんだから、俺なんかよりもっと素敵な男がこれから・・・

「「あなたがいいんで(しゅ)!!」」

 そう言ってくれる二人を何とか宥めながら、苦笑を浮かべる樟夏と秋蘭、いつも通りだとでもいうように受け入れている華琳に、こうなることを予測していた桂花と当然だと何故か得意げにしている春蘭たちを追いかけた。

 




やっと最初の時から考えていた、荀彧との再会を書けました。
まぁでも・・・・ 本当は季衣とも再会させたかったんですけどね。
それは文字数とキリの良さの関係で、次話になってしまいました。

感想、誤字脱字報告等々お待ちしております。


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13,問いかけと再会 そして 成長

サブタイトルが・・・ これでいいのかな?

投稿出来るかはわかりませんが、明日もこれの続きを書く予定です。



あっ、日刊ランキングに載ってましたね。
読者の皆様あってのもの、本当にありがとうございます。
そして、これからもどうかよろしくお願いします。


 糧食を減らす等のことを説明され、俺たちは行軍の真っ最中だった。

 先頭は春蘭、そこからいつでも援護が出来るよう中距離の樟夏、その後ろに秋蘭。そして後ろには斗詩が配置され、その間に挟まれるように華琳、桂花、雛里となる。

 ちなみに俺は、華琳たちの傍に配置されている。

 信頼されているととるべきか、まだ戦力としてわかっていないからここなのかは不明だ。

 まぁ、俺としては華琳たちの表情がよく見えるから嬉しいんだけど。

 しかし、意外と大所帯になってるなぁ。

 俺はいまだに気絶している荀攸を背に乗せ、申し訳ないが手首を俺の腰のあたりで縛って乗せている。

 桂花には『そんな奴、馬で引き摺っていいわよ!』なんて言われたけど、そんなこと出来るわけないだろ・・・・

 樟夏は『私の馬に乗せましょうか』と言ってきてくれたが、やはり気絶までさせたのは俺の隊だし責任をとるべきは俺だろう。

 かといって、彼の愛馬だというのどちらかに縄でくくりつけるとか・・・・・ いつかの自分を思い出させるから勘弁してほしい。

 というか、女性を乗せてるわけでもないのに視線が刺さるのは何故だろうか?

 いや、正しくは俺の後ろ、か?

「樹枝、あとで覚えておきなさい」

「むぅ・・・ なんだかもやもやしてくる」

「姉者、それは正しい思いだ。何も案ずることはない」

「羨ましいでしゅ・・・ 樹枝さん」

「・・・・ずるいですよ、樹枝さん」

 ・・・・・あっちこっちから聞こえてくる、この声は何だろう?

「冬雲」

「うん? どうかしたか? 華琳」

 俺は振り向くと、華琳は有無を言わさぬ表情をしていた。

 何故?!

「今度の視察の時に、あなたを連れて行くことにするわ」

「あぁ、俺でいいならいいが・・・・」

 まぁ、近隣の村とか見て回るだろうし、その機会はいくらでもあるだろうなぁ。

 だけど、何で今それを・・・・

「馬は一頭で」

「はいっ?!」

 続いた言葉に俺はおもわず奇声にも近い声を出して振り返ると、乗っていた馬が耳元であがったその声に対して不満そうに鼻を鳴らす。

「あら? 嫌なのかしら?」

 挑発するように俺を見てくる目は、答えなんてわかりきっているという顔でそれがまた華琳らしかった。

「嫌なわけないだろ? 俺が華琳たちと過ごすことで嫌なことなんて、あるわけがない。

 なんだか次の視察が、楽しみになってきたなぁ」

 視察だし、帰り道ぐらい近くの川とかでのんびり過ごすのはいいかもしれない。

 もしくは市に寄って、華琳に似合うものを物色するのも楽しいだろうな。

 そう考えると頬が自然と緩んでくる。

「フフッ、仕事は仕事でしっかり手伝ってもらうわよ? 冬雲」

「わかってるよ、そっちも手を抜くつもりはないさ」

 俺たちは互いに見つめ合い、微笑みあう。

 あぁ、幸せだなぁ。

 おっと、そうだ。

「その時はみんなにも何か買おうと思うんだけど、みんなは何がいい?」

 俺がそう笑ってみんなを見ると、全員の顔が瞬間的に音を立てて赤くなる。

「みんな? どうかしたか?」

 俺がきょろきょろと全員を見ると、樟夏だけが俺を見て苦笑いをしていた。

「兄者・・・・ 自覚がないことは時として良い場合と悪い場合が・・・」

「『男が語るべきではない』と言った筈だが、お前は学習するということを知らんらしいな? 樟夏。

 飛ぶといい、真横に」

 何かを言いかけた樟夏が、駆け寄った秋蘭の蹴りによってその宣言通り真横へと飛んでいく。が、それを待機していた樟夏の部下が途中で受け止め、樟夏の馬が傍まで駆け寄って元の隊列に戻る。

「ならば、今度は私だな!

 飛んで行けえぇぇーーーーー!!」

 戻った瞬間に春蘭による拳が振るわれ、先程と同様に軽やかに飛んでいく。しかしそれにも部下たちが走り、樟夏を拾っていた。

 部下に愛されてるなぁ、樟夏。

 って、違う!

「またか! 二人とも!!」

「・・・・はっ?!

 理不尽な同朋がいる気配がする!」

 それを眺めていたら背中から、不思議な第一声がした。どうやら意識が戻ったらしい。

「よかった、やっと意識が戻ったか。

 すまん、彼の馬を連れてきてくれ」

 俺は彼へと笑いかけながら、腰の縄を外して解放する。近くにいた部下の一人に指示していると、視線を感じてそちらを見る。

 アレ? 桂花と斗詩、雛里の目が怪しく光ってる気がする。

「ちょうどよかったわ、ちょっと吹き飛んできなさい」

「そうですね、元はと言えば樹枝さんが気絶しなければよかったんです」

 桂花が鞭をならして、獲物を見つけた肉食獣の笑みをしていた。

 正直、昔より怖さ倍増してないか? いや、そんな桂花も好きだけどな?

 武なんてまったくしてなかったのに、護身術として覚えたのか。だとしたら、実戦では必要ないくらい俺が守れるようにならなきゃな。

 斗詩、その大槌って片腕一本で持つものじゃないよね? 馬上で振り回せるものでもないよね?!

「意識覚醒したばかりなのに、理不尽だーーーーーーー!!」

 そんな声と共に荀攸が吹き飛んでゆくが、俺はおもわず叫ぶ。

「曹仁隊! 一班、行け!!」

『了解です!』

「二班は樟夏と彼の治療の準備だ、馬上でも出来る程度でいいからな」

『既に出来ております!』

 すまん、俺に出来ることはこの程度だ。

 内心で合掌しつつ、もう一人増えただろう弟分に謝罪する。

 あっ、樟夏と彼がなんか話してる。

 固い握手を交わしてるみたいだし、友達になれたならよかった。

 男は少ないからなぁ、今度一緒に飲みにでも行くとするか。

「男同士の友情・・・・・ あわわわわ」

 ・・・・・何だろう。

 これは俺、初めてだからどうすればいいかわからない。

 いや、知識としては知ってるんだ。知識としては。

 だけど、男がこれを口に出したら格好の餌を持っていくだけな気がして・・・・

 そのなんていうか、本当にすまん。

 無力な俺を許してくれ、二人とも。

「興味深いわね、雛里。

 それについては一度是非、読ませてほしいわ」

「はひ!」

「華琳?!」

 腐の汚染が広まったら、ただでさえ肩身の狭い男たちが死ぬぞ?!

 俺が言いかけたことを何か察したのだろうが、その目は政を行う王の目だった。

 まだ、王じゃないのに考えは最初から王だったよな・・・ 華琳って。

「良い商売になりそうじゃない?

 ただし、冬雲を出演させたら(出したら)どうなるか。わかっているわね?」

「勿論でしゅ!

 冬雲さんは私たちの王子様ですから!!」

「桂花もいいわね?」

「はい、華琳様!

 愚弟が華琳様のお役に立つのならば、どうぞ如何様にでもお使いください!!」

 ・・・・・無力な兄を許してくれ、二人とも。

 目からつたう熱いものを、俺は止めることが出来ずに目を逸らす。

「やっと、戻って来れた・・・・

 改めて名乗らせていただきます」

 俺たちの横に並び、華琳と俺、春蘭、秋蘭を見る桂花とよく似た髪色をした青年。瞳の色は桂花よりも緑が濃く、はっきりと開き、全部を見ようとしてるようだった。

 体は文官をしてるだけではこうは鍛えられない、それは彼が武官も兼任出来ることを表していた。

「姓は荀、名は攸、字は公達。

 ですが、真名を名乗る前に曹操様に一つお聞きしたいことがございます!」

「いいわよ、言って御覧なさい。荀攸」

 華琳はその真剣の声音に俺へと視線をやり、足を止める。

 俺はそれに従って、行軍を止めさせる。おそらく、前方へはもう灰陽(かいよう)が伝達しに行っていることだろう。

「あなた方は、一体どこを目指しておられるのですか?

 姉の行動も、陳留刺史であるあなたの行動も、全てが赤き星が落ちてから急激すぎる。

 まるで何かに備えているかのように、僕には映りました。

 あなた方は一体どこを目指し、何を成そうとなさっているのですか?!」

 流石、最初に華琳を試すような真似をした桂花の甥だなぁ。

 いろんなことをちゃんと気づいているし、肝も据わっている。

 これは当然と言えば、当然の疑問。

 いつかは誰かから問われるだろうと、俺も華琳も覚悟していた。

 ましてや、あの時居た俺たちと時の管理者たち以外はこの事実を知らない。

 あとは知っていたとしても、司馬家が正確には意味を理解出来ずに、予測の域で全体図を想像している程度だろう。

 樟夏は生来の性格からか直接聞いてくることはなかったが、それは俺がもう先手を打っておいたからだ。

「樹枝! 身のほどを弁えなさい!!」

「たとえ姉上の言葉でも、今回は聞けません!

 いいえ、むしろ何かを知っているだろう姉上の言葉だからこそ、聞けません!!」

 桂花から叱責の言葉がとぶが、彼はそれに対して怒鳴って返す。

 その通りだ、桂花は知らずともなんとなく理解していただろう。

 記憶が戻って、星が落ちたこと、そして陳留の刺史(華琳)が天の遣いを拾ったとわかった時点である程度の予測は出来ていた筈だ。

「答えてください。曹操様。

 あなたが目指すものとは? そして、何を成し、欲するのですか?」

「いいわ、答えましょう。荀攸公達。

 私が目指すものはこの大陸の平和。

 まず、成すことは大陸の平定。そして、欲することは・・・・」

 華琳は俺へと見る。

 『あなたもそうでしょう?』とでも聞いてくるようなその目に、俺は深く頷いた。

 俺はそのために、そうしたいからここに帰ってきた。

「その平定した未来(さき)を、私は見たいのよ」

未来(さき)・・・・・?」

 突然、壮大な話をされて驚いている荀攸に華琳は楽しげに笑っていた。

「えぇ、私も一人の女。愛する者との子も抱きたいわ。

 ねぇ、冬雲?」

 俺はその言葉に一拍遅れて、意味を理解した。

 俺との子を、望んでくれるのか? 華琳。

 俺と共にそうしてずっと、生きてくれるのか? 俺、幸せすぎて死ぬぞ?

 みんなに会うまでは死なないし、華琳とそんな未来(さき)を見るために死ねないし、みんなを幸せにするまで死にたくないけど。

 もう俺、幸せだ。

 俺は胸がいっぱいになって、涙を堪えることに必死だった。

「兄者、これを」

「すまん・・・・ 樟夏」

 手拭いを渡されて、俺は目元を拭った。

 何も知らないというのに、こうして俺に言及しないでいてくれる配慮に長けた弟に深く感謝した。

「・・・・お答えいただき、ありがとうございます。

 ですが、まだ不明な点もありますが・・・ それはいつか答えていただけるのでしょうか?」

「えぇ、あなたが私の側を離れなければ、いずれ伝えることになるでしょうね」

「では、その時をお待ちします。

 真名は樹枝と申します。

 どうかお受け取りください、曹操様」

「えぇ、確かに受け取ったわ。樹枝。

 私のことは華琳と呼びなさい」

「はっ、華琳様」

 そうして荀攸は俺へと向き直る。

「先程はありがとうございました。

 背に乗せてここまで運んでいただいただけでなく、部隊の方に救助までしていただき、本当にありがとうございます。

 華琳様に名乗った通り、どうか曹仁様も真名を受け取ってください」

「確かに受け取ったよ、樹枝。

 俺は曹子孝、真名は冬雲だ」

 丁寧に頭を下げて礼を述べる樹枝の肩に触れ、名乗る。

「冬雲様・・・・」

「やめてくれよ、様付けで呼ぶなんて。それに華琳に真名を許されたんだ。

 俺たちの立場は同じで、もう仲間だろ?」

 そう言って俺が手を伸ばすと、俺とその手を見比べてからゆっくりと伸ばしてきた。

「その、あの・・・・ 冬雲兄上と呼んでも、よろしいでしょうか?」

「あぁ、もちろんいいとも。樹枝」

 弟いなかったから、二人もできるなんて嬉しいなぁ。

 そう思って頭を撫でていると、樹枝の背後へと桂花が近づいていき、樹枝と入れ替わるように雛里が俺へと頭を差し出してきた。

 樹枝は桂花へと引きずられながら、後方へと消えていく。

 すまん、樹枝。それは俺にはどうすることも出来ないんだ。無力な兄を許してくれ。

「その・・・・ 冬雲さん、頭を・・・」

「うん?

 あぁ、もちろんいいよ。よしよし」

 雛里が言わんとしていることがわかり、三角の帽子の上へとそっと手をのせて左右に動かす。

 帽子越しなのが少し残念だけど、雛里が嬉しいならそれでいいか。

「あわわわわぁぁぁ~~~~」

 目を細めて、まるで猫のようにする雛里の表情に俺の口元も緩む。

「行軍を始めましょう。

 これ以上の遅れは許しがたいわ」

 華琳の言葉に全員が動きだし、行軍が再開された。

 

 

「華琳様、前方に賊が居ます」

「「きゃっ?!」」

 華琳の影の中から突然這い出してきた灰陽に二人が驚き、灰陽はそれに対して反応せずにすぐに消える。

 叫ばれた一瞬、表情が強張ったのが俺には見えていた。

 傷ついたんだろうなぁ、あとで何か出来ることがあればいいんだが。

「数は?」

「二十弱に対し、少女が一名奮戦しております」

「冬雲、春蘭、行きなさい」

 そう言われ、俺が馬の腹を蹴とばす。

「申し上げにくいのですが、春蘭様はもう・・・」

「あの猪、相変わらずね・・・」

 続いて出てきた橙陽(とうよう)の報告に、桂花の溜息が聞こえた。

 まぁでも、しょうがないだろ。

 特にあの二人は仲が良かったし、季衣は春蘭が大好きだったからな。

 それに桂花だって、そう言いながらも口元は上がっていた。

 

「兄ちゃん! 兄ちゃん兄ちゃん兄ちゃん!!」

 そして、俺を迎えてくれたのは季衣の満面の笑みだった。

 俺もそれに応えようとすぐに馬を降りると、襲ってきたのは強力なボディブローに似た季衣の突進。

 俺は何とか踏ん張り、倒れないようにしっかりと受け止める。

「おいおい、季衣。

 嬉しいのはわかるけど、昔の俺だったら吹っ飛んでたぞ?」

「吹っ飛ばなかったからいい!」

 きつく抱きしめられ、俺も季衣も抱きしめ返した。

 そしてそのまま脇へと手をやり、季衣を高く両腕で持ち上げた。

「ただいま、季衣」

「おかえり! 兄ちゃん!!」

 俺が持ちあげるのも、声をかけるのも全部に嬉しそうに笑う。

 薄桃色の髪、山吹に茶を足したような瞳が俺をまっすぐに見つめていた。

「おぅ! 相変わらず、元気そうだな。

 流琉はどうした? 一緒に来なかったのか?」

 てっきり一緒に来ると思ってたんだが近くには居ないようだし、さっきの灰陽の報告でも『少女は一人』だった。

「流琉はね、村の人たちが、自分たちでも守れるようにもう少し鍛えてからくるって!

 兄ちゃんに教わったことを活かして、僕たち頑張ったんだよ!

 それに、あの辺なら僕たちの方が詳しいからいろんな対策を練れたんだ。

 落とし穴とか、丸太とか、狩りに使う罠とかで、力がなくても賊を捕まえたり出来る方法いーっぱい考えたんだよ! 流琉が!!」

 その言葉に俺は、目を見開いて驚いた。

 この子たちはまだ幼いのに、自分たちから出来ることを探して動いていた。

 いや、何かしら行動はしているだろうと信じてはいたし、わかっていたつもりだ。

 俺の予想ではそれは精々体を鍛えるだけだと思っていたし、それで充分だと思ってる。

 だがこの子たちは、良い意味で俺たちの期待を裏切ってくれた。

 自分たちで考えて村を守ろうと動き、誰かを守るために動いていたんだ。

「偉いぞぉ! 季衣!!」

 本当に、なんて勇気がある子たちだろう。

 俺は季衣を抱えたまま回り、手を離して季衣を受け止める。受け止めてからも、腕の中で頭をくしゃくしゃに撫でた。

「くすぐったいよぉ、兄ちゃん」

「曹子孝、真名は冬雲。それが今の俺の名だ、季衣。

 受け取ってくれ」

「うん! わかった!! 冬雲兄ちゃん!」

 あぁー、もう! 可愛いなぁ!!

 強くて、賢くて、可愛いなんて完璧すぎるだろ!

「冬雲! ずるいぞ!!

 季衣を独り占めするな!」

 春蘭が怒って、俺に不満を言ってくるが俺はその場でさらに手を伸ばした。

「じゃぁ、春蘭も来いよ!

 二人で季衣を、たっくさん褒めてやろうぜ!!」

「それは名案だな!

 季衣、何の事だかよくわからんがよくやったんだな。偉いぞ!!」

 春蘭も飛び込んできて、季衣の頭を撫でた。

 言葉は凄く春蘭らしいが、それでも季衣は嬉しそうには笑う。

 

 俺は二人を抱きしめて、春蘭が季衣を褒めて、笑いあうのは華琳たちが呆れながらそこに到着するまで続いた。

 




なんだか書くたびに、作者が想像しているよりも話が進まない・・・
ようやく季衣と再会させることが出来ました。

誤字脱字、感想等々お待ちしております。


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14,義兄弟 そして 白き陽帰還

一日で書けました。

・・・・・今回はどうでしょう。ちょっと不安ですね。
いえ、不安じゃないときなんてないんですが。

読んでくださっている皆様、お気に入りにしてくださった皆様、本当にありがとうございます。
作者はいつもUA数、お気に入り数に励まされています。


「兄上」

「うん? どうした? 樹枝」

 樹枝の声に俺は振り返ると、どうしてこんなところに居るかわからないという表情をした樟夏と樹枝が居た。

「僕たちは戦闘に参加せずに良いのでしょうか?」

 そう、俺たちは部隊を残し、みんなの元を離れ別行動をとっている。

「樟夏、樹枝、あそこにいる戦力を言ってみろ。

 冷静に分析して、だ」

 だから俺はわざと二人に気づかせるように言って、まず樟夏を見て促した。

「大剣を使うことに長けた近距離戦では恐らく負け知らずの春蘭の『七星餓狼』。

 遠距離からの恐ろしく正確な矢を放つ秋蘭の『餓狼爪』。

 そして、姉者もまた中距離、近距離兼用の大鎌『絶』・・・・・ そして、先程遠くから見ましたが季衣の中距離の武器と怪力」

 そして、樟夏の言葉に樹枝が続く。

「近距離と中距離を兼任した斗詩の大槌『金光鉄槌』。

 戦いには参加しませんでしょうが姉者の『曹命彩鞭(そうめいさいべん)』・・・・」

 そんな名前だったのか・・・・・ あの鞭。

 なんていうか、桂花らしいなぁ。

「あれだけある戦力の中に俺たちって、必要か?

 頭脳としても華琳、桂花、雛里がいて、主戦力と言ってもいい三人が居る。

 しかも、あの二人がじかに鍛えた部隊と俺たちの部隊も連れてるんだ。

 黄巾の百姓あがりの賊もどきなんて、敵じゃないだろ」

 俺がそう言って笑うと、二人も苦笑しながらも頷く。

「それでは兄者、私たちはどうするのです?

 しかもたったこれだけの人数で」

 連れてきたのは俺の隊の一班である十名と、俺たち三人を含めた十三名。

「いや、ちょっとした実験をな・・・」

「隊長! 川を発見しました!!」

「おう! 全員、そこで待機するように伝えてくれ」

 部下の一人の報告に俺は指示を出す。

 川がないと始まらないんだよな・・・・ 今回したいことは。

「川? 何をする気ですか? 兄者?」

「泳ぎでも、訓練させるのでしょうか?」

「泳ぎは半分正解なんだけど・・・・ もう一つしたいことがあるんだよ」

「緊急性のものなのですか?」

 ・・・・・・実はあんまり緊急性はない。

 ぶっちゃけ、片方はおまけ同然だし、だけど本拠じゃ仕事に追われてちょっとしたことも出来ないんだもんなぁ。

 人手不足が辛いよ、まったく。

「「どうして目を逸らすのですか、兄()?!」」

「ハハハハ・・・・ まぁ、行けばわかるさ」

 俺は二人を連れて、部下が待つ川へと進んでいった。

 

 

「隊長、用意はできております」

「あぁ、助かるよ。

 じゃぁ、全員にこれを配ってくれ」

 俺はそう言って道具を全員に配るように指示し、十人に行きわたるのを見る。

「さて、問題だ。これを何に使うと思う? 樹枝」

 俺は道具を二人に見せる。

 そこに在るのは太めの竹筒に小さな穴を開けたものと水筒に使われるような細めの竹筒、砂、小石、たき火の燃えカス、竹筒を包めるほどの布と小さな布の切れ端、そして細めの縄。

 竹筒と布以外は正直どこでも手に入るもので、もしこれが成功したら一般にも広めることが出来る。

 それに戦いの場でもこれは十分、意味を成してくる。

 最悪の場合、縄はなくてもいい。固定するのは手でも可能だ。

「? いえ、わかりません」

 まぁ、だよな。

 俺も調べるまではこの原理を知らなかったし、ましてや俺が居た国はどの時代でも水には困ることはなかった。

「樟夏はどうだ?」

「見当もつきません・・・・

 何なのですか、これは?」

「うん。まぁ、二人もちょっと俺の指示に従って、やってみてくれ。

 全員、用意いいか?」

『はい!』

「それじゃ、まず太い竹筒の穴が開いてる外側に布を張って、縄でしっかり固定しろ。

 そうしたら、筒の中に半分ほど砂を入れて、その後に燃えカスを入れるように」

 俺も全員と同じように入れていく。

 そして燃えカスの上から、小石を敷く。最期にそこに布きれを入れて、これで準備はできた。

「全員、そこに水を入れて、穴が開いたところの下に細めの筒を置いてしばらく待っててくれ」

 全体を見て、それらが順調なのを見る。原理は簡単だし、

「兄上? これは一体何なのです?」

「水の濾過装置・・・・ 綺麗にするものだな」

 前はどうとも考えていなかったが、衛生面の質をあげるなら水の質をあげたほうがいいと考えた。

 それにこれならさほど難しくもないから、真桜が来る前にも簡単に広めることが出来る。

 まぁ、あいつならもっと簡単に量が飲めるように考えるだろうが。

「兄者が居た天の国のもの、ですか?」

「まぁ、そうなるな。

 俺の国は幸い水源に恵まれていたから困るようなところじゃなかったけど、こっちの水には黄砂が混ざってるし、衛生面をあげたいと思ってた。

 まぁ、これでも飲むときは一度沸騰させた方がいいけどな」

 欠点はどうしても濾過に時間がかかるのと、沸騰させることでさらに燃料を使うことなんだよなぁ・・・・

 燃えカスは再利用できるし、灰は確か江戸とかの農業で田畑にまけばいいんだけど。あと時間の短縮はどうするか。

 水に関しては雨水の方も再利用できるんだけど、それを利用するのには貯めておく巨大なものが必要だし。

 ・・・・いや、作物を育てるだけならその水でも大丈夫か。

「兄者?

 何を考え込んでいるかはわかりませんが、十分画期的ですよ?」

「そうですよ、この方法なら戦中でも飲料水に困ることはありません。

 それにこの十名を選んだのにも、何か理由がおありなのでしょう?」

「あー、この部隊本来は構成が違ってな。

 いつもいる隊から一人ずつ、一度は水場で遊んでた奴らに集まってもらったんだ」

 一人が知っていれば、その隊はもしものとき水に困ることはない。それに

「今回は水練も兼ねてるんだよ」

 凪たちには昔教えたが、部隊全員に一から教えるのはやはり手間だ。

 ならば、教える側の人間を少しでも増やしておけばいい。

「まぁ、もともと泳ぎがうまい連中を集めてはいるから、口頭での説明で出来るだろうけどな」

 昔は泳ぎ方を教えたが、正直立ち泳ぎが出来れば十分だし、最悪溺れなければいい。それに、一人っきりになるなんて最悪な事態を避けるための班制度だ。

「それじゃ、全員。

 そのまま水中に入って、動くぞ!

 俺が良いというまでは、そのままの状態で泳いでいろ。

 今回は鎧を着たままで、水中で歩くことだけを行う。その動きにくさを体に覚えさせろ」

 俺は部下の十名へとそのまま指示する。

 以前は水着にしていたが、あれでは駄目だ。

 着衣のままでなければ、効果は薄い。脱衣も水中では不可能と言っていいだろう。ならば、とにかくこのままの状態で立ち泳ぎの訓練をするしかない。

 鎧のままで浮くのも難しいだろうし、とにかく慣れさせるしかない。

 

「二人はどうする? 水練、やるか?」

 俺がそう言うと、二人は意外そうに目を丸くしていた。

「? 私たちも付き合わせるために連れて来たのではないのですか?」

「いや正直、二人に濾過の原理を見てもらいたかっただけだな。

 戦闘には俺たちが居なくても十分だと思ってたし、さすがに華琳たちをあそこから引き抜くのは立場として駄目だろ」

 それに俺たちはまだそこまで有名じゃない。だったら別の部分を補った方がいい。

「それに、二人なら俺以上にこの知識を活かしてくれるだろ?

 何か気づいたところがあったら、どんどん言ってくれ」

 この二人はきっと、俺に出来ない面で多くのことをしてくれると信じてる。

 俺が多くのことをしたくとも、結局体は一つだけだ。

 考えることもそう、自分一人で偏ってはいけないんだ。多くの意見を取り入れて、そこからさらによりよりものにしていかないといけない。

「頼りにしてるぞ、二人とも」

「「・・・・・!!」」

 男より女が強いこの世界で、この二人は生まれついでのものもあるだろうがここに居る。

 しかも、あの華琳と桂花の厳しい目を前にして育ってきたのだから、俺よりもずっと多くのことに対しての素質があるだろう。

 きっと魏の強者と肩を並べ、大成する。

 そう思って、二人の肩に触れると二人はじっと俺を見ていた。

「兄者、私は己に才がないと思って生きてきました」

 不意に樟夏がポツリとつぶやき、樹枝と俺は黙って耳をかたむけた。

 その眼は、あまりにも真剣みを帯びていた。だからこそ、俺たちは黙って聞くべきだとわかる。

「全てにおいて、万能の才を発揮する姉者。

 近距離において勝てる者なし、といっても過言ではない春蘭。

 そして、弓において負けなしでありながら、文にも才を見せる秋蘭。

 私など、あの中では平凡そのものです。

 故に私は、速いうちに多くのことを諦めておりました。

 努力は天賦の才には勝てぬと・・・・

 あぁ、世は無常だと」

 細い目がさらに細め、樟夏はどこか遠くを眺めていた。

「兄者、赤き星が落ちてから、姉者は多くのことが変わりました。

 曖昧に全てを得ようとしていた姉者が、まるでしっかりとした目標を得たように私には映りました。

 女性を無差別に閨に連れ込んでいたのが、厳選するようになりましたね・・・」

 最後の言葉にすっころびにそうになるのを耐え、俺は真面目の話の方だけを拾うように努力する。

「兄者、あなたはそんな私の元に来た時に言ってくださいましたね」

 あれはそう、華琳によって連れられて一番最初に出会った時、樟夏は一枚の絵を描いていた。

 墨による白黒ではなく、鉱石を砕いて粉にした色彩のある絵。

 そこに描かれていたのは、宵闇の空に流れ込む赤き流星の絵だった。

「『何て凄いんだ! こんな圧倒されるような絵は初めてだ』と。

 飾ることもなく言われたその言葉が、私には本当に嬉しかったんですよ」

 樟夏は穏やかに笑み、そこには多くの感謝があることがわかった。

「俺は大したことしてないだろ? 

 樟夏が持っていた(もの)を褒めただけだって。

 それは俺じゃなくて、樟夏。お前が最初から凄かったんだよ」

 俺は頭を掻いて、目を逸らした。

 樹枝を見ると、その両目から涙をこぼしていた。

「わかるぞ、その気持ち! 樟夏!! いや、兄弟よ!

 兄上! 今ここで僕たちと義兄弟の契りを結んでは貰えないでしょうか!」

 樹枝? なんかキャラが崩れてないか? お前。

 戸惑う俺をよそに、樹枝ががっちりと樟夏と共に抱き合った。

「わかってくれるか! 樹枝殿!!」

「あぁ! わかるともさ!!」

「「兄()! 義兄弟の契りを交わしていただきたい!!」」

 嬉しいんだが、流石の俺でもこの勢いは引くぞ。弟たちよ・・・・

「いいけど、あとにしような。

 今じゃ、何も用意できないだろ?」

 それで何とか二人を落ち着かせていると

「冬雲様、ただいま戻りました」

 俺の背後から突然声がし、二人が瞬時に武器を構えようとした。俺はそれに手で下ろすように促して、その声に振り返る。

 そこには白の装束を赤く染めた白陽と、それを気にかけるように視線を左腕に向ける紅陽と青陽。そして、俺を頼る目をした二人にしっかりと頷いて答えた。

「・・・・・白陽、左腕を見せてくれ」

「大したことではありません。

 冬雲様に怪我をお見せするなど・・・」

 

 すぐさま姿を消そうとする白陽の腕を俺は掴み、腕の中に抱え込んだ。

 

 無事に帰ってきてくれたことが嬉しいというのに、無傷で帰ってきてほしかったと望む俺はなんて欲が深いんだろう。

 死ぬ可能性だってある場所に彼女たちを送り、俺はそれを覚悟したはずなんだ。

 命を背負うと、彼女たちを失うことすらも考えの中にあった。

 それでも、辛い。

 もう俺の中の『大切』に入った者たちが傷つくことが、悲しくてたまらない。

「樟夏、樹枝は部下たちに撤退の用意をさせてくれ。

 紅陽、青陽は報告を頼む。あと傷薬があるのなら、貸してくれ」

 それでも俺は将になった。

 上に立つ者、指示を出す者になった。

 みんなと同じ目線に立つと決めたのならば、やるべきことはしなければならない。

「承知いたしました。兄者」

「了解です。兄上」

 二人の返事を聞きながら、俺は白陽の左腕の傷を確認する。

 刃物による切り傷、これは斬られたものではなく、刺したものだな。

「・・・孫堅文台からの返答は『ご忠告、ありがたく受け取らせてもらう』とのことでした。冬雲様」

「そうか・・・・ それで青陽、白陽のこの怪我は?」

 紅陽の報告にこれで彼女は死なずに済むことがわかり、安堵する。

「はっ、書を読む際にあちらの疑いが来たので姉さまは・・・」

「大丈夫、もうわかった。

 二人もお疲れ様」

 二人の頭を撫でると、二人はその場で涙ぐむ。俺はそれに困って少し笑ってから、白陽を見た。

「白陽、お疲れ様」

 俺はここで謝ってはいけない。

 俺は間違ったことなどしていないし、それを実行した彼女たちもそんなもの(謝罪)なんて望んでいない。

「よくやった」

 そう言って俺は白陽の頭を撫でると、白陽はふわりと笑う。

「あなたがそう言ってくださる、それだけで十分です。冬雲様」

「だけどな?」

 その笑顔を見てから、俺は少しだけ怒るような表情をしてその額を軽く小突く。

「自分で刺したなら、もう少し加減できただろ?

 これじゃ、せっかくの綺麗な肌に傷が残るだろ」

 将としては平気でも、大切な女の子が傷つくことを良しとする男なんているわけがない。

「あなたが命じたことでつく傷ならば、私はそれを誇りに思いましょう。

 この身はあなた様に捧げたのですから」

 むしろ誇らしそうにする白陽の額に、今度は少し強めに小突く。

「痛いですよ、冬雲様」

 それでも嬉しそうに笑う彼女に対して、俺はちょっと不機嫌になって傷口に薬を塗って、包帯を巻く。

「そう言ってくれるのは嬉しいけどな、俺に捧げたなら尚更怪我なんてしないでくれよ」

 俺にそう言う権利なんてないかもしれない。

 危険な場所に送ったのは他でもない俺で、選んだのは俺だ。

 

 だったらせめて・・・・

 

 そう思い、白陽を抱き上げる。

 腰に左手で支え、右手で背中から頭を支える。いわゆるお姫さま抱っこと呼ばれるものだ。

「よっ! この色男!!」

「冬雲様・・・ あなたという御方は本当に・・・・」

 俺の行動を察した紅陽は俺を囃し立て、青陽は額に手を当て溜息をついていた。

 何故?!

「冬雲様? 何を・・・」

「さてっと、そんな怪我をした可愛い部下を走らせるなんてことを俺はさせたくない。

 というわけで、白陽は俺の馬に一緒に乗って帰ることが次の指示だ」

 俺がそう言うと白陽は少しだけ驚いた顔をしてから、幸せそうな顔をして俺の首へと腕をからませてきた。

「そう言う方だということは、よく知っておりますよ。冬雲様。

 だからこそ、そんなあなた様を私は心からお慕いしています」

「俺もそんな風に、まっすぐに思いを伝えてくれる白陽が好きだよ」

「「あまーーーーーーーい!!!

 失礼しました! 出直してきます!!」」

 耳に響く大きな声で弟二人が叫んでから、砂煙を立てて消えていく。

「・・・・・アノフタリ、コロス」

 白陽? ちょっとどす黒い何かが見えるんだけど、俺の気のせいだよな?

「大丈夫、白陽姉さま。

 姉さまがしなくても、今から私たちが飛ばしてくるから」

「そうね、紅陽姉さま。

 白陽姉さまの幸せひとときを台無しにしたんだもの。ちょっと飛んでも仕方ないわよね」

 紅陽? お前、凄い良い笑顔で何を言ってるんだ?

 青陽? 冷静に何を怖いこと言ってるんだ?!

 そう言って二人も、樟夏と樹枝が去っていた方向へと走り去っていく。

 ・・・・・うん、とりあえず華琳たちと合流して帰ろう。と、その前に

藍陽(らんよう)緑陽(ろくよう)、二人のことを任せていいか?」

「私も姉さまのひとときを邪魔されて、怒ってるんですがぁ」

「藍姉さまに同意です」

 ・・・・ですよねー。

「すまん。そこを何とか・・・」

 俺は両手がふさがっているので、二人に頭を下げて何とか頼みこむ。

「そうですねぇ、冬雲様の次のお休みに私たち全員と居てくださることで手を打ちましょう」

 藍陽のその言葉に俺は目を丸くして、驚いた。

「えっ? それって俺にとって嬉しいことだけど、良いのか?」

「「「それがいいんです」」」

 白陽、藍陽、緑陽の三人にそう言われ、俺はそれに対して頷いた。

「あぁ、わかった。約束するよ。

 二人のことは頼んだぞ」

「わかりましたぁ」

「了解です」

 二人を見送って、俺はそっと溜息をつく。

「さっ! 本隊と合流して、帰るぞ!!」

『はい!』

「だけど、俺の部隊は筋力鍛錬だけどな!」

『・・・はい!』

「そのあとは酒家で、飲むぞー!

 俺の奢りだ、思う存分飲むといい!」

『おおぉぉぉーーーー!』

 そう言って俺たちは本体と合流して、帰路に着く。

 白陽にしていることと、初対面な桂花たち四人には視線を送られたが事情を説明すると溜息をつかれ、『冬雲さん(アンタ・兄ちゃん)らしいです(わ・や)』と苦笑いされた。

 

 大切な人たちが居る、弟がいる、仲間が増える、たくさんの部下がいる。

 その幸せを抱きながらも俺は、その上で今ここにいない彼女たちはどうしているかを気にかけていた。

 




この次は二つほど視点変更が続きます。
といっても、投稿したものの視点変更ではなく、まだ再会を果たしていない子たちの視点となります。
その二つを書いてるうちに、次の本編の書き出しが決まるといいのですが。


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 過ぎ去りしものと今だからこそあるもの 【霞視点】

月曜に書いたストックを投稿ですね。

・・・視点変更の方が最近、サブタイトルがしっくりきますね。というか長い。
そして、無駄に意味深。
作者は早く投稿して、流琉と本編を考える時間を増やしたいと思います。
読んでくださる方が多いので、やる気が増加されています。
本当にありがとうございます。

読者の皆様、本当にありがとうございます。


「あー、空が青いなぁ」

 ウチは晴れ渡る空の下、あの日を想って立ってる。

 目の前にいる、多くの黄巾の兵たちなんて見とらん。

 ウチが今、一番会いたい、見たいのはたった一人だけや。

「あぁ、会いたいなぁ。一刀」

 そう言いながらウチは、迫りくる兵たちに偃月刀を振るう。

 縦横無尽に刃を走らせて、愛馬を足のように使う。

 ちゃうか、足以上に有能なウチの相棒は察してくれる。ウチが行きたい方向へ、行ってくれる。

 

 

 

 ウチが見とったのは、いつも強い奴やった。

 恋、惇ちゃん、関羽・・・・ もっとたくさん()ったし、毎日が楽しゅうてどうしようもなかった。

 武しかない、戦うことしか知らん。

 それでええって、今でも信じとる。

 後悔だって、なーんもあらへん。

 そんなウチを一刀は、自然と変えてったんや。

 一刀はきっとなんもしてへんって思ってるやろし、ウチもなんかしてもらったんわけやないと思う。

 最初はほんとに、『どうしてこんな普通の男が、こんなとこにおるんやろ?』って思っとった。

 武もない、これと言って文があるわけやない。華琳みたいに何でもできるわけやあらへん。

 馬も下手糞で、酒も弱い。誰にだって優しいお人好しや。

 やけど、なんちゅうか・・・・ ずっと、見てたくなっとった。

 誰と居ても笑って、一般兵でも楽しげにしとる一刀は眩しくてたまらんかった。

 一刀の傍にはいつも誰かの笑顔があって、見とるこっちも幸せな気持ちになれる。そんな一刀は、ウチにも当たり前のように手を伸ばしてくれた。

 強ない酒を付きおうてくれて、ウチのために『雰囲気』を教えてくれた。

 『宙天に輝く銀月の美しさに乾杯』

 華琳に教わった言葉を言うて、ウチがあんまりも笑うもんやから一刀は拗ねとったっけ。でも、ウチがそれ言うたら二人で大爆笑。

 ウチにすら当たり前に『女の子の幸せ』ちゅうもんを教えてくれた。

 幸せやった。

 ウチ、初めて『あの瞬間に死にたい』って思った。

 でも同じ(おんなじ)くらい強く『死にたない! ずっと、一刀と一緒に生きてたい!!』って思ったんや。

 

 でも、戦乱はいつか終わるもんや。ウチはそれがわかっとったし、覚悟しとった。

 ウチみたいな戦いの中でしか生きれんもんは、この国に居れへん。

 華琳たちが作る未来にウチみたいなのは邪魔なんや。

 そう思っとった。

 そんなこと考えて、一人城壁にぽつーんと座っとったら、また一刀は来てくれたんや。

 いっつもそうや、桂花や惇ちゃん辺りは認めへんやろけど一刀はいつもみんなが困ってる時来てくれる。

 『どうしたんだ?』なーんていうて、誰にだって手を伸ばすんは誰にだってできることやあらへん。

 一刀が、一刀だからしてくれるんや。

 武しかないその未来(さき)をぐじぐじ悩むウチを『大切で、必要な人間』って、言うてくれた。

 でも武は、ウチの存在意義やと思っとった。

 それがないウチなんてただの血袋や、って考えとった。

 そんなウチに一刀は、『西方にでも旅するか』って、言うてくれた。

 ウチはそれを信じとった。

 

 あの日、風からあの報告を聞くまでは。

 

「皆さん、宴の最中に大変恐縮ではあるのですが、聞いてほしいのですよぉ」

 宴の中で皆がざわついて、風の話をまともに聞こうとはせんかった。

「お兄さん・・・ 北郷一刀はつい先程、天へと還りました」

 やけど、次の言葉が聞こえた瞬間に宴の席は静まりかえとった。

「ちょ、冗談キツイで? 風」

「風は冗談が得意ではないのですよ、霞ちゃん」

 ウチの言葉に風はいつもの声で返して、ウチはそれが癇に障った。

「・・・・清々したわよ、あんなのいなくなって」

「一刀が? どうせその辺、うろついてるだろう。なぁ、秋蘭」

「私のせい、なのか・・・? まさか、あれが・・・」

 強がる桂花、事実であることを拒む惇ちゃん、思いつめる秋蘭。

「・・・・僕、兄ちゃんを探してくる」

「そ、んな・・・・ だって、今やっと兄様の好物が出来たのに」

 外へとあてもなく駆け出す季衣、手に持った料理の皿を落とす流琉。

「隊長が・・・ まさか・・・」

「嘘に決まってるの! だって、隊長は・・・ 隊長はぁ・・」

「待ちぃや、二人とも。まだ、話は続いてる。それ、聞いてからでも遅くはないやろ?」

 顔面蒼白になる凪、泣き崩れる沙和、必死に冷静であろうとする真桜。

「嫌! 嫌だよ!! 絶対嘘じゃなきゃ、嫌ぁ!!」

「そうよ! だって、だった一刀は約束したのよ?! ちぃたちの三国統一を見るって・・・・」

「姉さん、落ち着いて。大丈夫、きっと何かの間違いよ」

 あたりはばからずに混乱する天和、泣き出す地和、認めようとしない人和。

「風、それを華琳様は?」

 辛そうな目で真偽を確かめようとする稟やって、唇を噛みきらんばかりにしとった。

「お兄さんを最後に見届けたのは、華琳様なのです。

 そして風は今、華琳様の元へ誰も行かせるつもりはないのですよ」

 その目は戦場で華琳に策を献上しとった時のもんより真剣で、譲れないもんを持っとった。

「ウチらがそれで納得すると思っとんのか?!

 『帰りました』の一言で納得できるほど! 華琳にとっても、風にとっても一刀はどうでもええ存在やったんか!?」

「・・・・だとすれば、どうだというのですかぁ?」

 風のその一言で、その場の全員が殺気を放った。

「許さへん!!」

 ウチが手を振り上げて、張り手をかますと風は呆気なく吹っ飛んでいった。もう一度と思い掴みあげると・・・・ 風はただ悲しげな顔でウチを見るだけ。

「・・・・悲しくないわけ、ないのですよ」

 小さな声やった、か細い声やった。

 やけど、その声はやけに響いとるみたいやった。

「気は済みましたかぁ? 霞さん」

 起き上がる風はいつも通りで、さっきん言葉が嘘みたいやった。

「他の方も風で気が済むのなら、いくらでもどうぞぉ。

 どうしてお兄さんが還ったのかは、誰にもわかりません。その上で『お兄さんが居なくなった』事実からは目を背けないでください。

 お兄さんが望んだこと、夢見たことを、ここに居る皆さんならわかると思いますが?」

 風のその言葉に、誰も言い返すことは出来んかった。

 誰も知らん筈がなかったんや、一刀が望んでたことなんてわかりきっとったから。

 

 

 

「だから、ウチ嬉しかったんやで。一刀」

 ウチは笑って、空を見る。

 あの赤い星落ちた時、全部全部思い出したん時・・・・ ウチは嬉しくてたまらんかった。

 『一刀はこの空の下に居る』、それだけで十分やったんや。

 どうしてなんかは、頭のようないウチにはわからへん。

 わからんでもえぇ。ただ今は

「会いたいなぁ」

「霞殿ーー!」

「霞・・・」

「おぉー、音々音に恋かぁ。終わったんか?」

「ん・・・・」

「終わりましたぞ、お疲れ様なのです。二人とも」

 頷く恋を見て、ウチはその頭を軽く撫でる。あぁ、ホンマ二人とも可愛えぇなぁ。

「ありがと、音々音。

 さっ、帰ろか。恋」

 そう言って、ウチらは洛陽へと帰って行った。

 

 

「戻ったでー、月、詠、華雄、千里」

 そう言って玉座に入ると、屑が()った。

 あっ、まちごうた。十常侍の馬鹿共がアホ面下げて、月たちをたかっとった。

 あり? まちがっとらん?

「邪魔やで、十常侍の無能共」

 ウチはわざと苛ついたふりして、しっしっと手を振りながら中央まで歩く。

 そうしてると千里がウチに一瞬すまなそうな顔して、目で謝ってくる。

 千里が謝ること、ちゃうやろ。

「霞! ちょっと・・・・」

 詠の怒るような声なんて、ウチ聞こえんもーん。

「恋・・・・ お腹すいた。

 機嫌、すごく悪い」

 おぉ! 恋まで乗ってくれるんか。ノリ、意外とえぇやん!!

「そうだな、私も内容が進まない話にいい加減飽き飽きしたところだ」

 おぉ!! 華雄までか!

 でも、アンタにはちぃっと怒らんといかんかな?

「そうやでぇ?

 ウチら今、黄巾賊とかいうあんたらが全く動かんところの小部隊を潰してきたんで気が立っとるんや。

 腹も減るし、苛々しとるし、目障りやからとっとと失せや!」

 ウチがそう怒鳴ると、蜘蛛の子散らすように十常侍のアホ共は逃げてく。

「ざまみぃや、逃げてくで」

 ウチが笑いながら、華雄を軽く睨みつけた。

「そんで? アンタは何やっとったんや? 華雄。

 まさか、三人の傍に居ったんは飾りとか抜かさんよな?」

 何しとるんや? このアホは。

 ウチらが何のために、一人は必ず三人の傍に置いてると思ってるんや?

「くっ! だが、私は武官だぞ! 文官相手に言葉で勝てるわけあるまい!」

「ウチが今、言葉であのアホ共に勝とうとしたか?

 武があるなら威嚇くらいせぇ、三人を守るんがここに残ったもんの役目や。

 そう言うたやろ? 華雄、あんたも頷いたやろが!」

「霞、そんくらいにしときなって・・・」

 千里の止めに入る声がして、ウチは舌打ちしながらもう一度華雄を見る。これだけははっきり言っとかんと、気が済まん!

「ウチら武官は矛で、盾や!

 守るべきは誇りでも、自分でもない! その後ろのもんやろが!!

 ちゃうか?! 華雄!」

「ぐっ・・・・」

 何にも言い返さなくなる華雄を見ながら、ウチはもうええかと思い背を向けた。

「でもまぁ、さっきの乗ったところに免じて許したるわ。

 次は自分で何とかできるやろ?」

「・・・あぁ、すまない」

 華雄の謝罪に頷きながら、ウチは次に詠を見る。詠ならまだ仕事知ってそうやしな。

「詠、もう仕事ないか?」

「え? 少しは休みなさいよ。霞。

 アンタずっと働きっぱなしでしょ?!」

「動いてたいんよ。

 ウチに出来るのはこのくらいや、せめて出来ることはやらせてや」

 ウチだけ何も出来んのはいやや。

 きっとみんな、動いとる。

 あそこに居たみんなが、あの日の続きのために動いてるんや。ウチだけじっとはしてられん。

「体を壊したら、元も子もないわよ?」

「こんくらいで壊れるような、やわな体してへんて。心配性やなぁ、詠は。

 ちゃうか、優しいんやな」

「霞!」

 ウチは赤面する詠を見て、怒られんうちに駆け出していく。

 

 さて、兵の調練でもしよか。

 頭使うことはウチには無理や。なら、少しでも兵の練度あげて、一兵でも多くの使える奴らを連れ帰るだけや。

 考えることはウチなんかよりもずっと得意なのが居るし、下手に考えてその邪魔したらあかんやろしな

「あーあ、一体誰を殺したら世の中は平和になるんやろなぁ?」

「し・・・」

 ぶっちゃけ、早く一刀に会いたいねん。

 今すぐにでも駆けていきたいのを、こうして耐えてなあかんのは誰のせいやろなぁ?

 どうすれば、それが一番早く出来るんやろ?

「うん? 今、誰か居ったような気がしたんやけど、気のせいか?」

 うーん、あっ・・・・ そもそもウチらが負けたんが悪いんか?

 そうや、汜水関であの華雄()が突っ込んだせいやったよな・・・・ それがなければもう少し結果変わとったよなぁ。

 それに華雄には死んでほしくないんよな、まだ真名も渡してくれへんし、猪やけどえぇ奴やし。

 それに猪がなければ、惇ちゃんやウチと同じくらい強いんや。手綱を握れる奴、もしくは本人にそれを覚えさせればえぇんや。

 ・・・・ウチがそれやればえぇか、華雄しごくか。

 どうにかして魏に連れてきたいなぁ、出来るんなら、みんな一緒に。

「でもまぁ・・・・ とりあえず、何するかは決まりやな」

 そう思ってウチは偃月刀を担ぐ。

 あーぁ、はよ真桜に会って、作ってもろて飛龍偃月刀にしたいわぁ。

 これも使いにくくはないんやけど、いまいち気分が乗らんのよなぁ。

「「霞ーーー!」」

「うーん? なんや? 詠。千里。

 そんな大声で、千里はともかく詠が走って来よるなんて珍しいなぁ」

 ウチがそう笑うと詠と千里が真剣な目をしてから、二人してウチの肩に手を置いた。

「「休みなさい!!」」

「えー? 何でぇー?

 せっかく今から、華雄鍛え直したろ思ったんに」

「あなた最近、黄巾賊相手に連戦でしょうが!

 それに馬の上だけじゃなくてたまには町にでも繰り出して、前みたいにお酒でも飲んでなさい!!」

 詠がここまでウチに迫ってくるんは珍しいなぁ。

 あっ、ウチに限らんか。詠は月にはこれくらいの距離になるんやけど、ウチらには全くしてこんからなぁ。

「前はウチに働けって、言うてたやーん」

「うっ!」

 膨れっ面になって抗議すると、詠はたじろいでる。詠はえぇんやけど、問題はこっちやなぁ。

 説明ほしいなぁって、千里に目を向けると溜息をついてるー。何でぇー?

「霞、華雄を鍛えるのは明日でも出来るっしょ?

 だから、今夜はあたしに付き合ってくれない? 奢るよ?」

 わー・・・ この目、なんか華琳思い出すなぁ。ウチ、喋らんでいられるかなぁ。

「しゃーないなぁ、千里に言われたら断れへんよ。

 何より、奢りやしなぁ」

「じゃっ、今から行こっか。霞」

「ちょっ、千里!」

「いいっしょ?

 あたしの仕事は終わらせたし、明日の分はまとめてあるし、緊急事態はいつもの酒家にいるっていえばあたしの部下なら誰でもわかるから。

 んじゃ、行ってくんねー」

 ウチの肩に手を回してくる千里に、ウチも同じように肩に手を回す。

 駆け出すんはやっぱ文官やからか遅いなぁ、そんな千里をウチがそのまま腰を抱いて持ち上げる。

「おぉ! これ、いいねぇ。速い速い」

「あんなぁ・・・ もうちっとマシな言いくるめ方とかあったやろ」

「ふわはははは、こっちの方が面白いじゃん?

 詠ってからかうと面白いしさ」

 満面の笑みかいな・・・ でも、千里と居ると楽しいなぁ。

 きっと凪たちや風と稟とかも、こんな気持ちやったんやろなぁ。

 前はおらんかったんけど、こうして酒を一緒に飲める友ってええよなぁ。やっぱ、どうにかして連れて行きたいなぁ。

「どうかした?」

「なーんもあらへんよ。いつもの酒家でえぇんやな?」

「はいよー、霞号―!」

「ウチは馬かいな!」

 

 

「おやっさん! いつものところ、借りるよー」

「またかよ! 徐庶の嬢ちゃん。今度は何連れてきやがった!

 って、なんだ。張遼の嬢ちゃんか。いらっしゃい」

「おう、おっちゃん。

 いつも通り、適当につまみ見繕ってやー」

 ウチも千里も勝手知ったる店やから好き勝手にして、いつもの奥の個室に入る。じゃないと千里が客に絡むんよなぁ。

「おう、特別にうまいの作ってやるからな」

 おっちゃんのいい笑顔にウチもいい笑顔を返す。料理がうまいし、ここのおっちゃんのノリが一番好きや。

「おっちゃんが作るもんに、まずいもんなんてあらへんがな」

「いやいや、時々辛子たっぷりの焼売混ざってるから。辛子八、具二ぐらいの」

「ホンマか?! ウチ、当たったことない!

 何で今まで言わへんねん」

 千里、ずっこい! ウチもそれ食べてみたかった!!

「そりゃ、徐庶の嬢ちゃんの酔い覚ましにわざと入れてるからだよ」

「「なんでやねん!」」

 三人でそう言って笑うと、店にいた客たちも笑う。

 えぇなぁ、この空気。ウチ、大好きや。

「さぁ、行こ行こ! お酒様飲もう!!」

「そうやな、千里の奢りやし」

「じゃぁ、店で一番高いのだすか」

「勘弁してよ、おやっさーん」

 ウチらは笑いながら、店の奥へと入ってった。

 

 

 うまい料理は酒が進む進む、どんどん飲んで二人で何気ない話をして笑う。

 ホントにそれだけやった。

 んで、辛くなったんはウチやった。

 帰り道、互いに肩を支え合って、歩くウチら。

 前はこうして肩預けんなんて、一刀以外にはしたことあらへんなぁ。

「なぁー、千里ぃー」

「うーん? なーに?」

「なーんも、聞かへんの?」

 多分、千里は頭がごっつえぇからウチが思ってる以上にいろんなことを知っとるし、感づいてると思う。

「あたしがあの中で一番霞と付き合いが短いけどさ、一番こうしていることが多いよね?」

「そうやなぁ、ウチも千里とこうして飲んどる時は気が楽やわ」

 これは本当や、正直一人酒の方が多かったんウチは他と飲むんがあんまり得意やない。やけど、千里と飲むんは悪くない。てか、楽しいんよ。

「ありがと、あたしも楽しいよ。

 だからさ、なんか頑張ってるのはわかるんだよ。んで、霞って嘘得意じゃないじゃん?

 嘘はついてないけど、頑張ってる真名まで許した友達をさ。疑うなんてあたしには出来ないよ」

「千里ー、えぇ女やなぁ」

「おー、惚れただろー?」

「惚れた惚れた、べた惚れやぁー。嫁に欲しいわー」

 あぁー、ホンマ魏に連れて帰りたいわ。

 失いたないなぁ、千里も、華雄も、詠も、月も、恋も、音々音も。

 みーんな、魏へ行って、一刀に惚れてまえばええんや。

「でも、ウチの旦那はもう決まっとんねん」

 だから、これだけはええよね? 一刀。

「うーん? 誰よ?」

 ウチは星が輝く空を指差して、笑って言う。

「『宙天に輝く銀月に美しさに乾杯』なんて言うた、ちょっと気障な天の使いや」

 そう言ってウチは、零れそうなほどの星空の中にある赤い星を見上げた。

 




関西弁がわからない・・・・(作者は東北まじりの関東人)
作者の脳内でキャラに違和感がないように書いたつもりですが、言葉におかしな点があったらお願いします。

霞には同僚、部下はいても友達がいないと思ったので、彼女になっていただきました。
そして、記憶があるからこそ生まれた責任感等が表現できてたらいいなぁと思います。


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 今 あなたを想う 【流琉視点】

サブタイトルが今までの中で一番乙女チックに?!
ちょっと難産でした・・・ 口調難しいです、この子。


読者の皆様にご報告が一点、作者は学生のため明日より授業があります。
大変申し訳ありませんが、これまでのような毎日投稿はおそらく厳しいです。
作者としましては二日に一度、三日に一度は投稿したいと思っていますが・・・ 週に一度になる可能性もあります。
待っていてくださる皆様、大変申し訳ありません。
ですが、途中放棄だけはしないとお約束しますので、こんな作者を見捨てないでください。
よろしくお願いします。


 青い空に柔らかい雲が浮かんでいて、とてもいい天気。

 洗濯物がよく乾きそうな、気持ちいい日です。

「季衣はもう兄様たちに会えたかなぁ」

 数日前に一足先に華琳様たちの元へと会いに行った季衣が少し羨ましく思うけど、私もここでやることをやらなくちゃ。

 季衣が兄様を守ってるのは少し不安だけど、春蘭様も秋蘭様もいらっしゃるから大丈夫だって安心できますね。

「あっ、もう時間かな?」

 そう思いながら私は、村の人たちの元へと駆け出した。

 

 

 

 思い出すのはあの日、赤き星が落ちた日の翌日のことだった。

「流琉! 早く兄ちゃんのところに、華琳様たちのところに行こうよ!!」

 必要な荷物を持って朝一番の私のところに来た季衣に私は少し戸惑ったけど、季衣の言葉を理解して頭を叩く。

「いったーい!

 何すんだよ・・・」

「季衣! もっと冷静になって!!」

 季衣と睨みあいになる前に、私は叩き付けるように叫んだ。

「流琉?」

 驚いて目を丸くする季衣の手を引いて、家の中に入れる。

「季衣、落ち着いて。

 昨日思い出したこととかを、整理してみて」

 私は季衣から荷物を取り上げて、座らせる。

 ついでにお茶とお菓子を出して、いつも通りであることを心がける。

「昨日思い出したこと・・・・

 あの赤い星が落ちてから、華琳様たちや春蘭様、兄ちゃんのことを思い出して、ここじゃないけどここで会った事を思い出したんだ。

 三国を統一して、やっと全部終わったっていう日の宴のとき、兄ちゃんが還ったって聞いて・・・・・ ずっと探し回ったのに、兄ちゃんはいなかった」

 少しだけ笑顔になってから、それは暗くなる。

 私と同じ、あの日の記憶だってわかってる。

 兄様がどうして消えたのか。

 どうして帰ってしまったのか、私たちはずっとわからないままで。

 泣いて暮らすわけにもいかなくて、前を向いてるふりをしていた。

 兄様が望んだ未来(さき)、それは本当にただ漠然としたもので、それが当たり前になったらどんなに素敵だと思ってた。

 事実、三国統一後それは成し遂げられた。

 三国の王が手を取り合って共に作った世は、とても素晴らしい世だった。

 

 だけど私たちにとってそれは、完全なものではなかった。

 たった一人、北郷一刀(兄様)が居ない。

 ただそれだけで私たちは、心の底から笑顔にはなれなかった。

 誰も口にはしなかったけれど、『ここにあの人がいれば』と思い続けていたと思う。

 そして同時に私たちは、きっと認めたくなかった。

 

 たった一人いないだけでも世界が回る。

 たとえ、それが大切な誰か(存在)であったとしても。

 そんな残酷な世界の真理を、私たちは直視したくなかった。

 

「兄様はあの時、どうしてかはわからないけど帰った」

 でもこれは、どうしようもない事実だった。

 私たちはそれを忘れちゃいけないし、忘れていいわけがない。

 ううん、きっとどれだけ忘れたいと思っても、私たちはずっと忘れられない。

「だけど、今は変えられるよね?」

 何が原因かわからないなら、あの時と同じことを繰り返さなければいい。

 もう二度と、あんな思いを繰り返さないように行動をすればいい。

 私たちまだ今は二人だけど、魏には、華琳様の元には皆さんが居る。

 考えること(原因究明)は私たちじゃなく、もっと得意な風さんたちがしてくれると信じられるから。

「だからすぐに!」

「それは違うでしょ! 季衣!!

 私だって兄様たちに会いたい! 

 だけど、私たちがこのまますぐに、華琳様や秋蘭様に合流したってどうするの?」

 これが季衣なりに考えた末の行動だって、本当はわかってる。

 すぐ傍で兄様たちを最初から守ることが、変えられる可能性だっていうこともわかる。

「けど! 僕たちがここに居たって!!」

「村は?! 私たちが居なくなって、誰がこの村を守るの?!

 ここの人たちを放ってまで会いに行って、兄様たちが褒めてくれると思うの!?」

「っ!」

「私たちは、私たちがここで出来ることを全部してから胸を張って兄様たちに会うべきでしょ?!

 それにあの兄様なんだよ? 私たちに会えなかった時、何にもしてなかったと思う?」

 兄様は弱かった。

 でも兄様は、将の中で一番自分が弱いことを知っていた。

 いつも、誰よりも私たちのことを見ていたのはきっと他の誰でもない兄様だろう。

 もしかしたら、私たちよりも私たちが何を出来るかを知っていたかもしれない。

 

 だけど兄様は兄様でいいと、私たちはずっと思っていたから。

 有能じゃなくていい。何かに秀でていなくてもいい。

 人を傷つける度胸なんて持っていなくていい。意気地なんてなくていい。

 弱くても優しい、誰よりも私たちを『将』としてではなく、『普通の女の子』として見てくれた兄様がいい。

 

 でもきっと、だからこそ兄様は・・・ 誰よりも自分を責めてる。

 優しい兄様はきっと残された私たち以上に私たちのことを考えて、考え続けた末でやっと方法を見つけたんだとなんとなくだけど、わかってしまう。

「兄様はきっと、凄くなって戻ってきてる。

 それなのに私たちは、自分たちのことだけを考えて華琳様たちのところに行くの?」

「っ!!

 じゃぁ! どうすればいいって言うのさ!」

「一緒に考えようよ、季衣。

 私たちは一人じゃないし、二人だけでもないんだよ?」

 そう言って私は季衣に手を伸ばす。

 兄様がいつも誰にでも当たり前にしていたことを、私たちは完全に出来るまでとはいかなくても近づかなくちゃいけない。

 あの時の私たちの憧れは春蘭様や秋蘭様、それはきっと今も変わらない。

 でも、平和を目指すとき、目標とすべきはきっと兄様なんだ。

 

「それで? 具体的にはどうするの? 流琉」

「・・・・まず、前の私たちを見直してみよう。

 そこから兄様がしたことを比べてみようよ」

 前私たちがしていたことは、村を守ること・・・・ だけど、それは誰と?

「私たちって・・・・ 二人で村を守ろうとしてなかった?」

「そりゃだって、みんなには力がないし、僕らにはあったから・・・・ あっ!」

 それは兄様もそうだった。

 というか、兄様に限らず、兄様の周りに居た警邏隊の人もそうだった。

 誰しも力を持っているわけじゃないし、弱くても町の安全をちゃんと守っていてくれた。

「村のみんなにも手伝ってもらおうよ!

 みんなも鍛えて、山賊をやっつけるんだ!!」

「・・・・やっつけることだけが、山賊を倒す方法なのかな?」

 季衣のその言葉に私は疑問を抱く。

 殺すことだけが選択肢じゃないことを教えてくれたのは、華琳様だった。

 華琳様は間違った者たちは確かに討伐していたけれど、その人たちがどうしてそうしてしまったのかを考えていた。

 賊だって元は私たちと同じ農民で、飢えたから立ちあがるしかなかった人たち。

「・・・そうだよね、兄ちゃんは警邏隊で町を守ってたけど、それだって取り押さえてただけだもんね」

 二人で腕を組んで考える。

「ねぇ、季衣。

 私たちって、あの時焦ってなかった?」

「焦る?」

 私たちはあの時『自分たちしか力がないから守らないといけない』って思っていた。

 今もそうだと思うし、周りからの期待もあった。だから私たちは、それに応えようと必死だったんだと思う。

 華琳様たちに会うまで、自分たちよりも強い存在なんていないとすら思っていた節があったし、だから私たちは自分たちよりも凄い春蘭様や秋蘭様に憧れた。

「兄様、いつだか言ってたよね。

 『困ったら、周りに頼っていいんだ』って」

「周りに頼る・・・ 村長の話してみようよ!

 みんなで対策を練れないかって、僕たちの話なら聞いてくれるよ!」

「うん! 行こう!」

 そう言って私たちは二人で村長の元へと駆け出した。

 そこから村の防衛策はみんなで増やしていくことができ、村全体で対策を練ってだんだんと被害を減らしていけました。

 最初の内は大変だったけれど、兄様がしていたみたいにゆっくりと少しずつ理解してもらえるように何度も何度も話し合いました。

 やっぱり鍛錬とか私たちが中心になってしまったけれど、それ以外の罠とかは私たちだけでは無理だったし、学ぶところも多かったです。

 まだ更生の余地がある人は役人に引き渡しはしないで、田畑を耕して一緒に村で過ごして村の一員であり、働き手が少しずつ増えていくことまで成功しました。

 

 

 

 本当は私も一緒に行きたかったけれど、鍛錬の方はもう少しの間どちらかが居ないと駄目だと思ったし、それ以外にもう一つだけしなければならないことがあります。

 

「はい、今日の鍛錬はここまでです。

 皆さん、この後はゆっくり休んでくださいね。

 あと食事も用意してあるので、どうぞ食べていってください」

 他の人たちが食事の方へと流れていくのを見ながら、私は袋に木片と小刀、食事を入れて森へと走っていく。

 途中いくつかの果物をとりながら、見晴らしのいい樹の上に乗って周りを見渡した。

 食事をとりつつ、周りの地形を見る。それにそって、大雑把でもいいから小刀で木片を削っていく。

「・・・・でも、役に立つのかな」

 近隣の山や谷を彫ったそれらは、私にしかわからないように番号が振ってあり、手作りの地図におけば地形がわかるようになっています。

 実際に歩いてもいるから距離もなんとなく掴んでいますから、この辺りだけなら私にわからないことはないと言ってもいいです。

「だけど・・・ この周辺だけの地図じゃ、足りないですよね」

 問題は私が村から離れられない現状、ここの近辺しかできないということ。

 昼間じゃないと地形はわかりませんし、かといって昼間には他のしなければならないこともありますからね。

「・・・何とか出来ないかなぁ」

 地図を作ることは罠を設置する時にどうしても必要だったこと、そして村の人たちだけがわかればいいから設置した場所には穴を開けていました。

 そして、子どもたちが作っていた、泥で作った山を見て浮かんだのがこの方法でした。

 地図があっても地形だけは記憶だけを手さぐりにしていかなければわかりませんでしたし、距離はどうしても掴みきれないのが地図の欠点です。それに地図があるからと言って実際行った人の話を聞かないと、どれほどの日数がかかるかもわかりません。馬でもそれは同様です。

「はぁ・・・・」

 こうしていることも本当に無駄なんじゃないかと、思う時もあります。

 季衣と共に兄様たちのところに行った方が役に立つんじゃないかと、思わないときがありません。

「兄様・・・・ 会いたいです」

 一言、褒めてほしい。

 一目でいいから会いたい。

 そればかりが浮かんでは消えて、結局は村のことを放ってはいけないからここに残ったことを改めて思い出しました。

「駄目駄目!

 やることを全部やってからじゃないと、兄様たちに会わせる顔がないもの!」

 そう言って自分に喝をいれ、立ち上がります。

 兄様たちに会うまで、せめてこの辺一帯だけでも地形を完成させないといけません。

 そう思って再び小刀を手に取って、作業を続けました。

 

 

 兄様、再会したらいろんなことを聞かせてください。

 私たちにはわからなかった多くのことも、私たちと出来なかったたくさんのことも、思い出してから私たちが頑張ったことも・・・ 話したいことはたくさんあるですよ。

 兄様たちと会うその日まで、私は私の出来ることをやってみます。

 だから兄様、そこに居てください。

 絶対にもう、私たちから離れないでくださいね。

 




次は本編を予定しています。
もう書き出しが出来ていますので、早ければ明日。遅くとも明後日にはお届けできるかもしれません。

感想、誤字脱字等々お待ちしております。


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15,柳緑花紅の誓い

何とか書けました。予定通りの本編です。
サブタイトルは読んでいただければ、わかると思います。

読者の皆様、本当にありがとうございます。
作者は何とか勉強と執筆を同時進行に勧めたいと思っていますので、せめて週に一度は投稿できるよう頑張りたいと思います。



「冬雲様、玉座にて皆さまがお待ちです」

 俺は白陽の声を聞いて、下げていた頭をあげる。

「・・・大袈裟だなぁ、あの二人と義兄弟になるのに今いる全員集めてやるのはどうかと思うぞ?」

 俺は零れた苦笑を隠すことが出来なかった。

 てっきり三人だけで、どこか適当な酒家で飲み交わすだけかと思っていたのに、玉座なんて大袈裟すぎる。

「冬雲様、まさかどこか適当な場所で、三人で酒を飲み交わして終わらせるつもりだったのですか?」

 ・・・どうして俺の考えが読めるんだろうか?

「だとしたら、そんなことさせられるわけがありません。

 あなた方三人は武器を持ったただの一般人でも、義賊でもないのですから」

 たしなめられながら、俺は立ちあがる。

「わかってるけど、大袈裟すぎるだろ」

「『大袈裟』という時点で、あまりわかっているとは思えません。冬雲様」

 苦笑する俺に白陽はあくまで譲るつもりもなく、やめさせるつもりもないようだった。

「まぁ、いいんだけどさ」

 そして、最早体の一部になりつつある仮面に触れて、ふと思ったことを口にする。

「やっぱり誓いをするなら、これは外した方がいいかな?」

「・・・・それはそうでしょうが、華琳様たちが許可するでしょうか?」

 これも、どうにかしないといけないかな。

 もし万が一、北郷一刀と会った際に外れてしまったら、少し面倒なことになる。

「刺青でも入れるか?」

 俺が冗談めかしに笑うと、白陽が鋭い眼で睨んできた。

「冗談でもそんなことをおっしゃらないでください、冬雲様」

 そう言ってから俺の顔に手が添えられ、少し冷たい手が俺の仮面へと触れる。

「あなた様の顔に傷などついたら、私は自分が何をするかわかりません。

 いいえ、おそらくそれは私だけではなく、華琳様、春蘭様、秋蘭様、桂花殿、雛里殿、斗詩殿、樟夏殿、樹枝殿・・・・・ それどころか、あなた様の部下までもが、傷をつけた者を殺しにかかることでしょう。

 冬雲様、あなたはご自分が思っている以上に皆に敬われ、愛されておりますよ」

 そう言ってほほ笑む白陽はあまりにも真剣みを帯びていて、それなのにそれが誇りであるかのように微笑んでいた。

 

 こりゃ、うかつに怪我も出来そうにないな。

 

 内心でそう思いつつも、どこかで喜んでいる自分に溜息をついて、白陽の後を追った。

 

 

「冬雲、遅いわよ!」

 ついて早々にそう言ってくるのは桂花だったが、その顔はどこか嬉しそうだった。

「ごめんごめん」

 謝りつつ周りを見ると、そこには桂花と同じ色の服に一筋の深い緑の線が入った服を着た樹枝と、俺と同じ深い紫の服に淡い黄を各所にちりばめた服を着た樟夏が待っていた。二人は俺が来るのを見ると安心したかのように肩を下ろした。

 

 ・・・・・その姿が縛られてさえいなければ、どんなに様になっていたことだろう。

 

「・・・・・状況説明が欲しいな、華琳」

 そう言って俺が視線を移すと、華琳はいつも通り玉座で座っていた。

 そして、雛里。どうしてそんなに楽しそうな顔で二人を見ながら、筆を持った手が凄い勢いで動いてるんだ?

 桂花、お前の鞭は本当にどれだけ種類あるんだよ。こないだ見た奴はそんなに長くなかったよな?

 斗詩? どうしてそんな一仕事した後みたいな汗のかき方してるんだ?

 春蘭と秋蘭は今回不参加・・・・ じゃないな。春蘭がまだ動き足りない感じで七星餓狼を素振りしてるし、季衣もそれに付き合ってるし。

「私がご説明しましょう」

 そう言って出てきたのは黒陽、かつて同様魏の色である紫の薄手の服を纏い、いつも通り楽しげに微笑んでいた。

「曹家と荀家、そして天の者が義兄弟になるというのに『町の酒家でいいですよ』なんて言った二人に制裁を加えた。というところですね」

 凄くいい笑顔で言われると怖いです。

 そして、それ俺も言いました。ごめんなさい。

「あなたたちは自分がどれほどの立場に居るかを、ちゃんと理解してもらわないと困るわ。

 冬雲、あなたもよ?」

「・・・・すまん」

 華琳のその言葉は、まだそれほど重くはない。

 だが、現状でも主戦力である隊の一つを俺と樟夏は任されている。

 それに樹枝の立場も桂花に次ぐ武将兼任の軍師という位置、それもまたけして低いものではない。

「ですが・・・ 朝食の真っ最中に何気なく言った発言でこうなるのは理不尽かと・・・」

「樹枝殿、諦めよう。どうせ、世は無常だ」

「樟夏殿! 諦めないでください!

 世は理不尽で、無常ですが、諦めたらそこで終わりです!」

「こら、二人とも。

 俺たちの立場は食事の最中であろうとなかろうと、軽んじていいものじゃないだろ?」

 文句を言う二人に、俺自身そう言っていた面もあるからきつくは言えない。だからこそ、俺たちはこうして全員の前で誓わなければならない。

「・・・すみませんでした、兄上」

「申し訳ありません、兄者」

「樟夏は冬雲だと素直だな」

「樹枝さんもですよ」

 二人のその言葉に秋蘭と斗詩が笑い、それにつられるように周りも頷く。

「「そりゃ、(他の方々)違って(違い)()は暴力振るわないし(いませんし)」」

 あっ・・・ 馬鹿。

 周囲から殺気が溢れ、俺はおもわず身を震わせ。冷や汗が止まらなくなってきた。

「冬雲様、これを」

「ありがとう」

 そう言って白陽から、布を受け取る。冷や汗を拭いつつ、いつ襲い掛かる二人を庇ってやろうかといつでも動けるように軽く膝を曲げておく。

「それからご安心ください、冬雲様」

「うん?」

「とりあえず、誓いが終わるまでは何もいたしませんので」

 白陽ーーーー??!! いい笑顔でそんなこと言わないで?!

 そしてみんなも頷かないでーーーー!?

「桂花、もういいだろ? 放してやってくれよ」

「チッ、しょうがないわね」

 苦々しく舌打ちをしながら桂花が離れ、鞭から二人が解放される。

「二人とも、すまん・・・・」

「そう言ってくださるだけで、十分です・・・ 兄者」

「右に同じく」

 二人の各所についた埃を払ってやりながら、体を見る。

 その割には加減が完璧だよな、傷は残ってないし、衣服の痛みも少ない。二人が避けられるくらいには加減してくれてる、ってところか。

 なんだかんだで、みんな優しいなぁ。

 そう思いみんなを見て軽く微笑むと、それぞれが頬を赤らめながら個々の反応を返してくれた。

 あぁ、本当にみんな可愛いなぁ。

「「兄()?」」

「あぁ、すまんすまん。

 さぁ、行こう」

 俺と二人が軽く服装を正し、姿勢をしゃんとする。俺の剣はいまだ仮のもので一般兵士が使うそれと変わらないが、二人は自分の得物を片手に持っていた。

 樟夏の武器である双刃剣(そうじんけん)の『霧影無双(むえいむそう)』。

 樹枝の武器である棍の『理露凄然(りろせいぜん)』。

 どっちも凄い名前なんだけど、儚い漢字が入っているのはどうしてなんだろうな・・・

 

 玉座からよく見える中央で、俺たちはまず得物を掲げてぶつけ合う。

「我ら三人!」

 先陣をきるは樟夏、玉座に響くほどの大きな声だった。

「兄弟の契りを結びしからば!」

 次いで樹枝が叫び、その後の言葉はどうやら俺に託されたようだ。

 なんだか俺、責任重大だな。

 内心で苦笑しつつも、誓いの言葉は決まっていた。

 そして俺たちは同時に武器を下げ、杯を掲げた。

「ここに繋がりし(えにし)に感謝し、共に我らが仕えし日輪の道を創らん!!」

 俺がそう言うと二人が驚いたようにしたので、俺は笑いながらそのまま言葉を繋げた。

「同年、同月、同日、同じ世界に生まれること叶わずとも!」

 彼女たちと、彼らと同じ世界に生まれることすら、俺には出来なかった。

 だが、違う世界だったからこそ、俺はみんなに出会えた。

 俺はそれに後悔はないし、これからもするつもりはない。

 また、こうして出会えた。

 再会しても、初めて出会った白陽や黒陽たち、樟夏と樹枝ともこうして義兄弟になれた。

 辛かった思いすら呑み込んで、俺はここにいる。

 ならば、前に進もう。

 今いる全員が幸せになれるように、あの日々以上の幸せな未来(さき)を作り上げてみせよう。

「願わくば、死してなおも永久にこの縁が断たれんことを!!」

 俺は同じ日に死にたいなどと、けして思わない。

 一度別れを経験した俺だからこそ、同じ日にみんなに死んでほしいなんて望まない。

 死んで、また別人となって、それでもなお俺はみんなに会えると確信している。

 どんな姿であっても、どんな場所であっても、俺にはみんながわかるから。

 それに一度の別れさせられた程度で断つことができるほど、やわな絆なんかじゃないと俺は証明してみせた。

 ならば、何度別れを繰り返そうと、俺はあらゆる手段を使ってまた会いに行ってみせる。

「「「乾杯!!!」」」

 杯がぶつかり合い、三人で一斉に呷った。

 これが誓い、俺がこの世界で初めて家族を得た瞬間となった。

 

 そんな俺たちを見て居たみんなから、拍手が送られる。

「確かに見届けたわよ、冬雲、樟夏、樹枝」

 みんなを代表するように華琳がそう言って笑う。

「三人のこの誓いに敬意を示し、私からこの誓いを名付けさせてもらうわ。

 冬雲、あなたは『死してなおもこの縁が断たれんことを』と言ったわね?」

「あぁ、言ったな」

 俺は頷くと、華琳はこれで決まりだとでもいうように深く頷いた。

「この誓いの名を『柳緑花紅(りゅうりょくかこう)の誓い』とするわ」

 柳緑花紅?

 確か意味は『美しい景色』『悟りを開いたこと』『自然のまま人が手をくわえないこと』だった筈。

「柳が緑であることも、花が紅いのも当然のこと。

 あなたたちはそう(兄弟で)あることが当たり前で、自然だわ。

 だからこそ、この名に決めさせてもらったの」

 『納得したしら?』と俺を見てくるその目は、本当にいつも俺のことを見透かす王の目であり、愛しい女の子の目だった。

「あぁ、素晴らしい名をありがとう。華琳」

「「ありがとうございます! 姉者(華琳様)!!」」

 俺がそう言うと二人も頭を下げ、俺はふとさっきも疑問を抱いたことを言った。

「そう言えば二人は俺の顔、気にならないのか?」

 もうすっかり慣れてしまった狭い視界の中、二人を見ると帰ってきたのは意外な返答だった。

「出会った当初は気になりはしましたが、今はそれよりも兄者はその仮面のせいで生活は不便ではないのかと心配に思っています。

 視界が狭い中、私が知る限り鍛錬中もずっとつけていらっしゃるでしょう?」

 樟夏の言葉に樹枝も深く頷き、口を開いた。

「樟夏殿とほぼ同意見です。

 それにまだ話してくださっていない部分も含め、いつか見せてくれるのでしょう? 兄上」

 二人から信頼の目を向けられ、俺は二人からは顔が見えないようにするために乱暴に二人の頭を撫でる。

「あ、兄者?」

「兄上?」

「まったく・・・・ あーぁ、こいつらは」

 同性からのこうした尊敬の目なんて初めてだし、華琳たちとはまた違うこの不思議な気持ちがなんていうか、その・・・・ 照れくさかった。

「二人とも、本当にいい弟だよ。

 なぁ? 華琳、桂花?」

 二人を乱暴に撫でつつ、二人の実姉を見ると華琳は微笑み、桂花は鼻を鳴らしてそれに応えてくれた。

「フフッ、当然でしょう? 私の実の弟よ」

「当然じゃない! 私が躾けた弟なのよ?」

 その答えには俺だけじゃなく、他のみんなからも温かな笑いが漏れる。だからもう少しの間だけ、俺はこいつらを少し痛いくらい乱暴に撫でておくことにしよう。

 みんなきっと察しているだろうし、見えたとしても誰一人としてそれを笑う者なんていないってわかってる。

 だけど、男よりも女が強いこの世界でも男にだって意地がある。

 たとえそれが嬉しいから出ているものであったとしても、見せたくなんてないからな。

「それで? 順番はどうする?」

「「言うまでもなく兄()が長兄です」」

 二人の息のあった言葉にこれは俺が断っても無理そうだと思い、頷いておく。

「二人はどうするんだ? どっちが上にする?」

「そう、ですね・・・・ 兄者が長兄であること以外は正直決めていませんでした」

「樟夏殿と同意見です。

 正直僕らって、上下なくてもいいくらいですし。明確に『誓い』という形で繋がりが欲しかっただけかもしれないですね」

 照れくさそうに二人は笑い、俺は苦笑する。

 やっぱり、言わずともわかってしまうのだろう。

 俺たちの過去からある記憶という繋がりが、こうして出会ったみんなにもなんとなくわかるんだろう。

「まったく、困った弟たちだな」

 二人を撫でながら、俺はまた一つ心の中で誓う。

 あの日の全員が揃った日、こうしてここで出会ったみんなにも全てを包み隠すことなく話そう。

 俺の口から、俺の言葉で、ありのままの全てを話して、みんなの答えを受け入れよう。

 それが俺のすべき義務だと、蜀の北郷一刀が居るこの世界の歴史を変えてまでここに来た俺の贖罪としよう。

 

 

 

 二人が収まった後、さっきの件で二人は桂花、春蘭、秋蘭、斗詩と司馬八達にどこかへと連行されていった。

 季衣だけは兵士の鍛錬の時間だから、真面目に仕事をしに行ってくれた。

 ・・・・雛里は何故か筆と書簡を片手にそれについていっていたけど。

 いろいろな意味で、すまない。二人とも。

 でも兄としては、少しだけ自業自得な気がしないでもない。

「それで華琳、今後の予定は?」

 俺は隣に座る華琳の横に居て、問うた。

 が、華琳は不満そうに椅子から立ち上がり、椅子を指差した。

「冬雲、そこに座りなさい」

「・・・・そこ、玉座なんですけど」

 俺が苦笑気味に答えると、華琳はもう一度指差して今度は強めの声で言った。

「いいから座りなさい。どうせここには今、私とあなたしかいないわ」

「はいはい」

 俺が椅子に座った上から、華琳が俺の膝へと座ってくる。

「華琳は甘えん坊だな?」

「たまにはいいでしょう?

 誰もいないのだし、私もあなたに触れていたいわ」

 華琳はそう言って、深く溜息をついて背を預けてくる。俺もまたそんな華琳を両手で包み込み、抱きしめる。

 柔らかく、女の子特有の甘い香り。

 でもそれは、けして不快じゃない。天の国とは違い、作られた香りはそこにはなく、自然の彼女そのものの香りがした。

「それで? 近いうちのご予定は?」

「・・・・そうね、黄巾の少し大きな集団が幽州からさほど離れていないところにあるそうよ。それを近いうちに叩くわ。

 稟たちからの情報で幽州に劉備と白の天の使いが現れたようだし、一度会っておいてもいいんじゃないかしら?

 フフッ、どうやら風達は面白い動きをしてから、私たちの元に帰ってきてくれるみたいよ?」

 華琳は楽しげに笑いながら、懐から一本の書簡を出すが俺には見えないうちに片付けてしまった。

「みんなが心配だよ。

 洛陽の方では霞は『神速の張遼』じゃなくて、『鬼神の張遼』なんて呼ばれているみたいだし。

 天和たちもどうしているかが知りたいのに、情報が錯綜しすぎてる。俺がじかに足を運びたいけど、それは許してくれないだろう?」

 どうして二つ名が変わったのかがわからないし、天和たちの行方もまだわかっていない。どうして黄巾の乱になってしまったのか、非戦闘員である三人が無事かどうかも気にかかる。

 それにもう一件、俺自身がやはり行かなければならない場所がある。

「・・・・もし、一度だけその時間をあげるとしたら、あなたは最善の動きが出来るかしらね?」

 華琳のその真剣な言葉に俺は首を振り、華琳の手に自分の手を重ねた。

「それはまだわからない。

 だけど、後悔しない一手を打ってくることを約束するよ」

 でも、それは今じゃない。まだ、早い。

「わかったわ、あなたがそこまで言うなら必ず時間を用意しましょう。

 ただし何をするのであれ、けして・・・・ 死なないで」

 そう言って鍛錬の結果で固くなりつつある手に、華琳が頬を寄せた。

 どうも俺の手には、みんなを触れたがる何かがあるらしい。

 俺としては嬉しいから、大歓迎なんだけどな。

「あぁ、やっと会えたんだ。そんなにすぐに離れてなんかやるもんか。

 俺はみんなと一緒に、未来(さき)を見るために帰ってきたんだ。

 それが出来ても、そこで一緒に笑って、老衰するまで元気に生きてやるって決めてるんだよ」

「フフッ、あなたらしい。

 少し眠るわ、このままでいさせて」

「あぁ、もちろんいいとも。

 愛しき我が覇王、大陸の日輪・・・・ 俺の大切な華琳」

 俺はそうして抱きしめながら、穏やかな華琳の寝顔を見守り続けた。

 




ストーリーにないオリジナルって、楽しいけど難しいですねー。
次回はようやく蜀の彼が出るかと思います。

誤字脱字、感想等々お待ちしております。


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16,現状と過去 そして目前に迫りし時

なんとか土日に本編を書けました。

なるべくすぐにもう一話あげたいのですが、平日はあまり時間が取れそうにないです。
申し訳ありません。
ですが、週に一度は必ず投稿するつもりですので、どうかよろしくお願いします。

読者の皆様、本当にありがとうございます。


 いよいよ、蜀の北郷一刀()とのご対面か・・・

 そんなことを考えながら、出立前に厩舎へと足を運ぶ。すっかり俺の顔を知っている兵はいい笑顔で俺を迎え入れ、馬用の櫛と布を渡してくれる。それに手をあげて礼をすると、頭を下げてくれる。

「来たぞ」

 俺がそう声をかけてやると厩舎から愛馬が顔を出し、『早く早く』と前足で地面を叩く。

「午後から出立だからな、また頼むぞ」

 俺がそう言って櫛をかけてやると嬉しそうに顔を摺り寄せ、上機嫌に嘶いて答えてくれた。

「冬雲さん?」

 後ろから聞こえた声に振り返ると、そこには斗詩が俺と同じ櫛を持って立っていた。

「よっ、斗詩。

 ここで会うなんて珍しいな」

 俺が櫛を動かしつつそう言うと、斗詩は近くの馬を撫でつつ頷いた。

「馬の世話ですか?」

「あぁ、こいつらも俺の仲間だからな。

 手をかければ、何だって答えてくれるのは一緒だろ?」

「仲間・・・・・ 私も、ですか?」

「? 何言ってんだ? 当たり前だろ」

 俺は斗詩の言葉に首をかしげると、斗詩の顔はどこか暗くなっていた。

 俺は愛馬の頭を一撫でしてから軽く手を布で拭って、斗詩の頭を撫でた。

 この程度しかできないけれど、気持ちが楽になってほしいと思う。

「・・・気持ちいいんですね、これ。

 実はしてもらってる雛里ちゃんや季衣ちゃんが少し羨ましかったんです」

「こんなのでよければ、いくらでもするよ。

 どうかしたか?」

「あっ・・・・ いえ、その・・・・」

「話を聞くぐらいなら、俺にもできるぞ?

 役に立つかは微妙だけどな」

 苦笑しながらそう言うと、斗詩はそこで少しだけ笑ってくれた。

「・・・・私、麗羽様・・・・袁紹様のところで仕えていたんです。

 そこで桂花さんたちに誘われて、ここまで来たんです」

 俺はそれにただ黙って頷き、続きを促す。

「文ちゃんとは同僚で、友達で・・・・ でも、仲間と言ったことはありませんでした。

 麗羽様も・・・ 私たちを仲間とは思っていなかったことでしょう。

 それだけじゃありません。多くの兵の方々も、私は仲間とは思ってはいませんでした。

 あそこに居た日々を間違っていたとも、楽しくなかったとも言いません。

 苦労は絶えませんでしたけど、私はあそこに居ることで確かに満たされていました」

 それは不思議な語りだった。

 懺悔ではない。後悔でもない。かといって、もう過去だというにはまだ日は浅い。

 斗詩の顔に辛さもなければ、悲しみもない。しいて言うならば、本当にただの思い出話を語るときのような穏やかさを持っていた。

「でも・・・・ どうしてでしょうね?

 私はもう、あそこに戻りたいとは思わないんです」

「・・・・どうしてだ?」

 俺はそれだけ尋ねると、斗詩は俺をまっすぐに見つめてきた。

「ここでは誰もが当たり前に、他の人たちを『仲間』と呼んでくれます。

 日数も、性別も、所属も何もかも関係なく、手を取り合っているんです。

 これって実はとってもおかしくて、珍しいことなんですよ? 冬雲さん」

 言葉の内容の割には、斗詩はとても楽しそうで、いつもはしない悪戯っ子のような笑みをする彼女にしばし見惚れる。

「そして冬雲さん、それはあなたを中心に起きているんです」

 俺を指差しながら、とても楽しそうに何故か頬を赤らめていた。

「俺は普通に接しているだけだよ、誰も彼もね」

「そう! そう言うあなただから、誰も彼もがあなたを好きになってしまうんです。

 華琳様も、春蘭さんたちも、雛里ちゃんも、樟夏さんや樹枝さんも、他の人たちもみんな・・・・・ それから、私も」

 そう言って俺の顔へと近づいて、頬に柔らかい感触が当たってから斗詩は俺の横を通り過ぎていく。

「あなたのことがだーい好きですよ! 冬雲さん」

 そう言って、厩舎を走り去って行ってしまった。

 俺はしばらく呆気にとられ、その場に座り込む。

 顔が隠れていてよかったと、初めて思う。

 きっと今の俺は、人に見せられないぐらい顔を赤くしているだろう。

「・・・・・不意打ちだ」

「本当に・・・ お前は好かれやすいな。冬雲」

 突然降ってきた言葉に俺は大して驚かず、そのまま返した。

「・・・・秋蘭、ずっと居たんだったら出てきてくれればよかったんだよ」

「フフ、私もそこまで野暮じゃないさ。

 それに斗詩も、お前だからこそ聞いてほしかったんだろうさ」

 そう言って俺の頬に秋蘭の手が触れ、俺もその手を掴んでいた。

 弓を引くからか、その指先は少し硬い。それでもやはり女の子の手で小さく、可愛らしい。

「そうかな、そうだと嬉しいな」

 あれはきっと、誰かに聞いてほしかったのだろう。

 場所が変わってしまったことでの戸惑い、変化、そして今の気持ちを。

 あれは彼女の心の整理の仕方で、俺への思いの告白。

 思い出すとまた少し、頬が熱くなってきた。

「なぁ、冬雲」

 秋蘭が俺を呼ぶその声は、いつもと同じだけど違っていた。

「私はいつ、お前に謝ればいい?」

 いつのことかも、何の事かも聞かなくてもわかる。

 それほどの付き合いで、絆がある。

 昔はそんな風にまっすぐ言葉にすることは出来なかったけれど、誤魔化すのも嫌になるほど会えなかった俺はもう、言葉を飾ることはない。

 そしてその答えも、俺はあの時からずっと決まっていた。

 あの日の俺に後悔はなく、もしまた同じことがあっても俺は同じことをするという確信もある。

「秋蘭が謝ることなんて、何一つないさ。

 俺がしたいからしたことで、秋蘭に生きて欲しかったからしたことだ。

 自分が消える以上に俺は、秋蘭にも流琉にも死んでほしくなかった。

 だから、謝られるよりも、その真逆の言葉の方がいいな」

 謝罪なんて欲しくない。

 何故ならあれは、俺が勝手にしたことだから。

 体調が崩れた時点で自分が消えることがわかっていたのに、俺はそれでも華琳へとその事実を叫んだ。

 俺が消えても、二人には生きて欲しかった。

 いやきっと、あの時あそこに居た仲間の誰であっても俺は同じことをしていただろう。

「そう、か・・・・・

 実にお前らしい答えだな、冬雲」

 そう言って後ろから抱きつかれ、首に優しく腕が回される。

「私と流琉を救ってくれて、ありがとう。一刀」

 耳元で俺にしか聞こえないように囁かれるその言葉は、あの日々の分。

「さて、私はそろそろ行くとしよう。

 姉者の準備も手伝わなければならないのでな」

 楽しげに立ちあがり、春蘭のことを考える秋蘭はあの日々と変わらずに楽しげだった。

「留守は誰に任せるんだったっけ?」

「桂花、樹枝、斗詩、季衣。そして、司馬八達の下四人だな。

 留守を任せる者がいるというのはいいな、安心できる」

 秋蘭は微笑みつつ、立ち上がる俺を見上げた。

「うむ・・・・

 以前の優しげなお前もいいが、こうして逞しいお前もよいものだな。冬雲」

「そうなのか?

 俺としてはそう言って貰えるのは嬉しいけど、昔が軟弱だったとも取れるぞ? それ」

 俺がそう言って笑うと、秋蘭は否定もせずに笑う。

「お前がここに居るなら、どっちでもいいさ。

 愛しているよ、冬雲。

 華琳様とも、姉者とも違う、異性として私が唯一愛する者よ」

 秋蘭のその言葉に、俺は優しく彼女を抱きしめる。

「俺も愛してるよ、秋蘭」

 そう言って俺たちはほんの少しの間、過去と今のどちらともいえぬ時間をわかちあった。

 

 

 

 桂花たちに見送ら、俺たちは行軍していく。

 ・・・・劉備に拾われる北郷一刀()か、想像できないな。

 仮にあの時と同じようにどこかの雑軍として彼女が居たならば、俺ならどうやってのし上がる?

 土地も、守るべき民もなく、背を任せられる兵もいない状況下で、俺ならどう兵を用意する?

「兄者?」

 民に理想を持って語りかけるか? いや、無理だな。

 民は自分の生活で手一杯、そんな中で現実性がないものを追うなんて商人だってしやしない。

 ・・・あぁ、関羽と張飛がいたか。となると将が不足していても、有能ではあるな。だが、関羽はともかく張飛は幼い、相談役は結局関羽か。

 劉備自身、前は・・・・ 全てを受け止める器。いや、違うな。定位置を持たないところからむしろ袋か。

 俺にはよくわからなかったが、彼女には間違いなく華琳同様に人を惹きつける何かがあるだろうな。

「兄者!」

 そもそも孔明が、どの時点で入ったかがわかっていないんだよな。

 董卓連合時には居たと思うんだけど、それがいつなのかによっても兵の集め方が変わってくるんじゃないか?

 『歩のない将棋は負け将棋』、兵がいなくて戦える戦なんてありゃしない。だから、俺たちは基礎から固めてきた。

 兵の練度をあげて、中間管理職にも等しい将がそれをまとめ上げてきた。

 それらを前提からぶち壊す劉備軍は、どうして出来上がっていけたんだ?

「兄者!!」

 突然俺の肩に手が乗り、俺は我に返って周囲を見渡す。

 手の主は樟夏、そして雛里もそんな俺を見て心配そうに見ていた。

「あっ? あっ・・・・・ あぁ、樟夏。すまん、考え事してた」

 頭を軽く振って、眉間に手を当てる。

「眠れていないのですか?」

「いや、大丈夫だ」

 心配そうにそう尋ねてくる樟夏に、俺は苦笑で返す。

 考えすぎてもどうしようもないのは、わかっている。

 ここは『三国志』の世界なんかじゃない。

 ただ偶然(・・)三国の有名な武将たち(・・・・・・・・・・)の名を持った者たちが(・・・・・・・・・・)生きる別の世界(・・・・・・・)

 彼女たちはここで、彼女たちとして生きている。

 迷い、選び、喜び、悲しみ、怒り、嘆きながら必死に生きている。

 それを歴史の者たちと重ねるかつての俺の方が間違っていることを、俺はあの生活の中で知った。

「冬雲さん、本当に大丈夫でしゅか?」

「あぁ・・・ そうだ。華琳」

 心配してくれる雛里を見て、ふと思いついたことがあった。

「何かしら?」

「先に動いて、劉備の軍を遠目から見てきてもいいか?」

「「「ちょっと待て(待ってください)(!)」」」

 樟夏、春蘭、秋蘭の声が器用に重なりあい、樟夏の手とは逆側に秋蘭の手が乗った。

「お前は、自分の立場をいい加減理解した方がいい。冬雲」

「秋蘭に同意です。

 兄者、そのようなことは隊の者に任せた方がいいかと」

「そうだぞ! 大体、お前の隊はその間にどうするというのだ?!」

 春蘭にすら常識を説かれた、だと?!

 そのことを言えば馬上からでも鋭い拳がとんでくるだろうからいいはしないが、俺は普通に驚いていた。

 春蘭もかつてのままではないことが、少し嬉しい。

「・・・雛里を見て浮かんだようだけど、何かあるのかしら?」

「軍の動きで、軍師が居るかいないかぐらいは雛里ならわかるんじゃないかと思ってな。だから、雛里と俺が一頭の馬で遠目で見てきたい。

 部下たちに任せられないのは、任せるとなるとどうしても一班は護衛につけなきゃいけなくなる。そうすると動きが遅く、どうしても本隊(こっち)との連絡が遅くなる」

「連絡手段を黒陽たちに任せても?」

「一班と黒陽たちを一時的でも抜かすくらいなら、俺たち二人が少しの間だけでも直接見てくる方が確実で早いだろ?」

 俺のその言葉に華琳は顎に手を当てて、しばらく思案していた。

「そうね・・・・ いいでしょう。

 ただし、制限時間を設けるわ。

 四半刻・・・・ いいえ、半刻で戻ってきなさい。

 あなたの腕とその馬なら、二人乗りであってもそれが出来る筈よ」

 制限時間は一時間か、十分だな。

「もし出来なかったら?」

 俺は少しだけ華琳をからかうように笑うと、華琳は真剣な目で俺を見てきた。

「やりなさい。

 あなたにはそれが出来るし、雛里を守ることも可能だわ」

 あぁ、俺は華琳のこの目が好きだ。

 本当に部下を、仲間を信じきって何かを任せるときの、この覚悟に満ちた青い瞳が好きでたまらないんだ。

 この目で見られると俺は、何が何でも全力で応えたくなる。

「・・・了解。

 雛里、そう言うわけだからこっちに来てくれ」

「ひゃ、ひゃい!」

 雛里を俺の前に乗せつつ、馬の首筋を撫でる。

「最近、二人乗り多くて悪いな。夕雲(シィーユン)

「ヒンッ!!」

 なんともないかのように数度地面を蹴る愛馬に俺は笑い、雛里はそれに不思議そうに首をかしげた。

「言葉がわかるんでしゅか? 冬雲さん」

「なんとなくだけどな」

 そう言って笑うと、雛里はふわりと笑って俺を見てきた。

「冬雲さんが優しいのが、この子にも伝わるんですよ」

 ・・・・・なんだろう、今日はやたらこういう言葉が多くて照れるんだが。

「・・・行くぞ」

「照れているのですか? 兄者」

「余計なことを言わんでいい」

 俺は最後に余計なことを言ってきた樟夏の頭に軽く拳を一つ落としてから、雛里を俺の前へと乗せた。

「結構飛ばすから、しっかりつかまっていてくれ。ただし、無理ならちゃんと無理って言うんだぞ。

 我慢は絶対にしないこと、こいつのことだからなるべく配慮はしてくれるだろうけどな」

 こいつ、俺が乗ってる時二人乗りが当然だと思ってる節があるから、自然と道選んでくれるんだよなぁ。

 まぁ、俺もそれで助かってるんだけど。

「はひ! わかりました!!」

「よし! 行くぞ!!」

 

 

 なるべく高い場所を目指しつつ、俺は目で劉備軍を探す。

「いました!」

 雛里のその声に俺よりも早く愛馬が反応して、すぐさま見える位置へと向かってくれた。俺はあくまで夕雲にあわせて体を動かしているだけの状態だが、それに不満はない。

「・・・・確かここ、地図だとなにもなかったよな?」

 軍は少ない部隊で賊を引きつけ、わざと自分たちを行き場をなくしたことにより殿(しんがり)を務めた者と先に走っていた者たちを入れ替わる。狭い道を利用した、大人数を少人数にして叩くというものだ。

 ・・・危険な策だ、仮に新手が来た場合これでは追い詰められて終わり。自分たちに力にある一定の自信がなければ無理だし、少数ならば勝てるという考えが透けて見える。

 だが、戦術としては間違っていないだろう。少数の部隊がより多くの者に勝利する確実な方法だ。

「はひ、そうです。

 ここは枯渇した川で、地形が独特な形なっているんです。

 となると、正確な地図を知っている者がいるのは間違いないでしょうね」

「正確な地図なんて知っている者は多くないよな・・・・ 雛里は誰か心当たりはあるか?」

「水鏡女学院の一部の人、それから洛陽の一部の方しか正確な地図を知らないでしょうから、この策を考えられる方はかなり限られてくると思いますでしゅ」

 そう答えてから雛里は、しばらく考えるように顎に手を当てた。

「朱里ちゃん・・・・ 私の友達の諸葛亮ちゃんなら知っていると思います。

 だとすれば、この策も納得がいきます」

「地形をうまく利用し、少数で敵を叩くか」

 だが、平原の義賊がこんな兵をどこから?

 そんな疑問が脳裏をよぎるが、夕雲が俺へと首をめぐらして太陽を見る仕草をした。

「・・・雛里、もう時間だとさ」

 俺が苦笑してそう答えると、雛里も笑ってくれた。

「賢いお馬さんですね」

 雛里に鬣を撫でられると上機嫌に、目を細める。俺もそれに続いて撫でてやりながら、声をかけた。

「さてっと、わかるところはわかったし、さっさと戻るか。

 また、頼む。夕雲」

 俺がそう声をかけると短く嘶き、俺の動きに合わせて翻って一直線に本隊へと向かって行く。

 

 俺が蜀の北郷一刀()に会う瞬間(とき)は、もう目前へと迫っていた。

 




どうして、作者が考える以上にストーリーが進まないんでしょう・・・
20話も書いてるのに黄巾の乱すら終わらないって・・・
早く次が投稿できるよう頑張ります。

誤字脱字、感想等々お待ちしております。


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17,邂逅

難産でしたね、今回は。
あまり自信がありませんが、どうかお楽しみください。
そして、文字数がいつもよりも二千字ほど多いです。
キリが良い所まで書いていたら、想像以上に長くなりました。

読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。
そして、これからもどうぞよろしくお願いします。


 俺たちと合流してから、華琳はすぐに本隊を劉備たちの元へと動かした。おそらく、俺たちが行動していた際に黒陽あたりに偵察を命じ、大まかな位置だけでも把握していたのだろう。

「それで二人とも、軍を直接見てきた感想は?」

「はひ!

 少数であることを自軍と地形をうまく利用した戦術、相手が多数であることで持った余裕を利用した道幅を狭めて相手の数を減らして叩く作戦でしゅた」

「・・・なるほど、あちらにも正確な地図を持った者がいるのね。

 冬雲、それを見ての感想は?」

 俺の方を向かずに声だけを向けてくる華琳、春蘭、秋蘭、樟夏も俺の意見に興味があるのか、わずかにこちらを見ていた。

「手段としては間違っていないと思う。

 少数が多数に勝利する、実に確実な方法だ。知識も雛里が言ったようにあることが見えるし、将も自信があるんだろうな。

 あれは先陣に立つ者と、軍師の目がなければ立てられない最良策だと感じた」

 俺はそこで一拍置き、心から沸き起こる怒りを何とか押さえ込んでいた。

「『少数の軍があれほどの数に勝てた』という結果だけを見るなら、『見事』といってもいいと思う。

 だがあの策は、力ある将だけしか生き残ることが出来ないな」

 最良の策であっても、最高の策ではない。

 どこから集めた兵かは、わからない。

 だが彼らは兵であると同時に、俺たちが守るべき民でもあるのだ。

「俺にはあの軍が、功績を欲しいためだけに戦っているようにしか見えないな」

 そう吐き捨てた。

「珍しいわね、あなたがそこまで言うなんて」

「俺はこの中で誰よりも民に近い位置にいる武将だからな、可愛い部下たち誰一人失いたくないんだよ。

 その真逆を平気でやられれば、不愉快にだってなるさ」

 今言った言葉にも、嘘はない。

 だが、理由はもう一つある。

 この策を立てた者にもそうだが、それに対して実行を許した上は何を考えているんだ?

 劉備か北郷一刀はまだわからないが、どちらにせよ()を犠牲にすることを厭わない。その姿勢が気に入らない。

 俺が見てきた華琳がどんなに堅実に現実を己の理想へと近づけていたのかを、俺は知っている。

 『天賦の才』を持っていても、それを磨くことが出来ぬなら飾りと一緒だ。

 才を持つ者はそれに応じた努力が必要であり、それを自在に動かす能力、責任が常について回る。

 それとも、それもわからない馬鹿共なのか?

「冬雲!!」

「いでっ?!」

 突然背中を叩かれ、俺は馬上で体勢を崩すが夕雲のおかげで馬から落ちずに済む。

「春蘭! 突然何すんだ!?」

「お前らしくない目をしていたから、喝を入れてやったんだ! 感謝しろ!!」

「俺らしく、ない?」

 そう言ってから周りを見ると秋蘭と樟夏、雛里が深く頷いた。

「姉者の言うとおりだ、今のような濁った目はお前らしくない」

「まったくです」

「冬雲さんが悲しむことじゃないでしゅ」

 俺はそれを聞いて、苦笑する。

「ったく、本当に俺は仲間に恵まれてるよな」

 そう言ってから俺は近くまで来ていた春蘭の頭を撫で、首に腕を回して俺の元へと落ちない程度にひく。

「何をするか?!」

「殴った仕返しだ。しばらく撫でられろ、春蘭」

「むうぅぅ~~、嬉しいが兵の前でするな! この馬鹿者!!」

「俺だってみんなの前でぶん殴られたんだから、お相子だろ?」

 春蘭はそう文句を言いながら、無理やり払ってくることはない。ついでに、猫のように顎を指先でくすぐってみる。

「にゃにをするか?! ゴロゴロ」

 酔った時は虎かと思ってたけど、基本は猫だよな。普段の戦いぶり的には熊だけど。

 しかし、熊と猫・・・・・ あぁ

大熊猫(パンダ)か」

「ぶふっ!」

 樟夏が俺の発言に吹き出し、秋蘭が俺の発言からおそらく大熊猫耳をつけた春蘭を想像したのかにやけ顔が止まらなくなっている。雛里は俺の発言がよくわからなかったのか小首を傾げ、華琳は『なるほど』と手を打った。

 春蘭は俺にされるがままになっているが、樟夏を射抜かんばかりの目で睨みつけている。

 こりゃ樟夏の奴、あとで飛ばされるな。

 ていうか、俺たち行軍中だよな? つーかこの後、敵陣にも等しい所に行くんだよな?

 俺が作った空気だけどこの緊張感のなさ、やばいんじゃないか?

「華琳様、もうすぐ到着いたします」

「ご苦労様、黒陽。

 皆、気を引き締めなさい!」

 よく響く華琳の声で、兵も、俺たちも一斉に空気が変わっていく。

 そしてその引き締まった空気すら、俺はどこか心地よさを感じていた。

 

 

 

 ・・・・・うわー。

 目を点にするのは驚く時だが、目を三角にするときは相手に対して失望あるいは、相手が驚愕以上に馬鹿だと感じた時なのだと俺は今、理解した。

「兄者、考えていることを当てましょうか?」

「言ってみろ、当たってたら今度兄弟三人で飲むとき俺の奢りだ」

 樟夏が俺にだけ聞こえるように言ってきたその言葉に先を促し、ついでに三人で飲む口実を作って置く。

 最近黄巾の賊関係で忙しく、誓い以後三人で飲み交わせてないんだよな・・・・

「『あの数を養うほどの食糧等が揃っているとは思えない陣だなぁ』と、言ったところでしょうか?」

「大正解」

 さすが金の収支をほぼ管理している樟夏、よくわかってるな。

「ですが何故、そのようなことをお思いに?」

 ・・・・俺ってそんなに考えが顔に出るのか?

「糧食って大事だよな? 樟夏」

「? えぇ」

「俺たちの軍の場合、最低二人は食料の天幕のところに見張りをつける。人手不足の場合でも一人はつけるな?」

 その言葉を言った後、俺は一つの天幕だけを眺めた。

「あぁ・・・ なるほど」

 俺の視線を追って樟夏はそちらを見てから、納得した顔で頷いた。

「仮に違っていたとしても、護衛をつける天幕なんて上の者がいる天幕だろう。

 が、それは戦いが終わった直後の今、状況整理のため上の者は指示等に追われてる筈だ。天幕に入ってなんかいられないだろ」

 さて、どうするんだろうな? 北郷一刀は。

 俺はそう思いながら、華琳たちが対応するのを待っていた。

「春蘭、樟夏、秋蘭、冬雲、雛里、行くわよ」

「は? 我々から出向くのですか? 華琳様」

 華琳のその言葉に一番に反応したのは春蘭だった。

「えぇ、私たちがお邪魔する側だもの。

 こちらから向かうべきでしょう?」

 そう言って笑う華琳はどこか面白がっているように、俺には映った。

「しかも将たる我々全員で、ですか?

 姉者、何をお考えで?」

「この状況下、あちらは仕事に追われていることでしょう。

 そしてそこには、全ての将が集っているわ。あなたたちを連れていくのは護衛であり、あちらの武将たちも見定めなさい」

「あわわ、了解でしゅ」

 その言葉に疑問の声が終わり、俺は影を見る。

「白陽」

「承知いたしました」

 即座に帰って来た短い返事に俺は笑い、見れば華琳も黒陽と同じようなやりとりをしていた。

「さっ、向かいましょう」

 そう言って俺たちは華琳の背を追った。

 

 

「――――― 来てもらってくれ」

 そこに、かつての俺が居た。

 聖フランチェスカ学園指定の白い制服、茶の髪、茶の瞳。

 どこにでもいる日本人の学生だった俺が、そのままの姿でそこに居た。

 でもあれは、俺であって俺ではない。

 俺はもう『北郷一刀』ではなく、華琳たちと共に生きることを選んだ『曹仁子孝(冬雲)』だ。

 華琳の左右に秋蘭、春蘭が並び、その後ろに俺たちが控え、秋蘭の脇に雛里が立つ。

「アンタが曹操か?」

 俺を指差して、そう言ってきた。

「ククッ」

 秋蘭がこらえきれずに、吹き出した。

 間違えたこともそうだが、これが北郷一刀(俺の可能性)だということにも笑っているんだろうなぁ。

「っ!」

 春蘭が襲い掛かりそうになったのを、樟夏が何とか抑えている。

 怒りの理由は二つ。

 華琳を真名でないとはいえ義賊が呼び捨てにしたことと、こんな者が北郷一刀()だということ。

 春蘭は本当にまっすぐで、『忠臣』という名がよく似合う。

 俺はそんな春蘭の頭を掻き撫でてから、前へと歩み出る。

 どうやらあちらの北郷一刀()は、まず冬雲()をご指名したようだしな。

 

 正直俺はその場で頭を抱えたくなるほど、恥ずかしくてたまらない。

 自分が反省して改善した恥ずかしいものを全部持って、目の前で見せつけられたらこんな気持ちになるんだろうなぁ・・・

 きっとこいつの頭の中では『三国志』の彼らと、ここに生きる彼女たちの違いは性別だけだとでも思っているんだろう。

 劉備の敵であり、乱世の奸雄。それが曹操孟徳だとでも考えていることだろう。

 だが(・・)そんな者はこの世界(・・・・・・・・・)に居ない(・・・)

 他の誰でもない彼女たちが、ここに生きている(・・・・・・・・)ことをお前はわかっていないんだよ。北郷一刀。

 

「おいおい、秋蘭。気持ちはわかるが笑うなよ。

 というか、お前は初対面の人間を指差すな。

 そしてまず、相手に聞く時は自分から名を名乗ることが礼儀だ」

 俺も最初、これだけ華琳たちに失礼だったんだろうなぁ。

 俺はそこで一区切りつけ、華琳へ手を差し出すようにして示す。

「俺は赤き星の天の遣い、曹仁子孝。

 そしてお前が呼び捨てにした我らが主、曹孟徳はこの方だ」

「赤き星の天の遣いだと?! ならば何故、そのように私たちに近い名を持っている?!」

 偃月刀を俺へと向ける関羽に対して、春蘭だけでなく秋蘭と樟夏からも殺気が溢れ出た。心なしか雛里の目にも、どこか冷たい怒りを宿しているように見える。

「三人とも控えなさい。

 そして、あなたの武は何も構えぬ者に対して、振り回す程度のものなのかしらね?

 だとするならば、あなたの誇りはその程度ね」

 鼻で笑って、俺と関羽の間に立つ華琳は何て美しいのだろうか。

 あぁ、でも駄目だ。

 俺は彼女に背負われる(守られる)立場にいたくない。

 俺は共に背負うために帰ってきた。後ろではなく横で、後ろであったとしてもその荷を共に背負えるように背中合わせでありたかったんだ。

「愛紗、武器を下ろしてくれ。

 こうして来てくれた曹操さんに失礼だろ?

 俺の名は北郷一刀、白き星の天の遣いなんて呼ばれてる者だよ。

 それで何しに来たんだ? 曹操さん」

 春蘭じゃないが、俺もキレそうだな。

 こいつは自分が、華琳と同じ目線でいるつもりなのか? 

「この軍の責任者はあなたかしら?」

「責任者は俺ってことになってるけど、ほとんどみんなのおかげだね」

 そう言って北郷が振り向くと、後ろには見覚えのある顔が並んでいた。劉備、張飛、諸葛亮・・・ そして、誰だ?

「私は関平、覚えなくて結構」

 一人一人名乗ってから、最後の一人である女性 ―― 関羽に比べれば目が穏やかな、短髪 ―― は素っ気なくそう答えた。

「簡潔に言うわ、あなたたちだけではとてもじゃないけれどこの黄巾の乱を止めるだけの力はないわ」

 華琳のその言葉にあからさまに関羽と関平が眉をあげ、張飛が表情をしかめ、劉備が不満げな顔をし、ただ一人諸葛亮だけが理解しているらしく下を向いた。

「劉備、あなたの理想は何?」

 華琳はほぼ相手に考えさせる間もなく、問うた。

「えっ・・・ 私の理想はこの大陸で誰もが笑っていられるようなところにしたい、弱い者が虐げられないそんな国にしたいです」

「そのための力が、今のあなたたちにあるのかしらね?」

「貴様! 桃香様への無礼は許さんぞ!!」

 また偃月刀を構えようとする関羽へと俺は静かに剣を抜いて、華琳の前に立つ。

 隣を見ると俺とほぼ同時に動いていたらしい春蘭と樟夏たちと共に、華琳の壁となるように並び立った。見れば秋蘭は雛里の傍で安全を確保しつつ、左手に弓を持ち、右手は矢筒へと添えられていた。

「その言葉、そっくりそのまま返そうか。関羽。

 少しでもその刃が華琳にあたった瞬間、お前もここに居る者たちもまったく同じ場所に、同じ傷をつけてやるからな?」

「まったく兄者は優しすぎる・・・ その程度で済ましてくださるのですからね」

「まったくだな!」

「フフフ、姉者に同意見だな」

 一触即発の事態の中、俺は周りを見る。

 関羽同様に既にそれぞれの得物を構えた彼女たちが見え、もしもの時のために思考を巡らせる。

 面倒なのは関羽と張飛、そして実力がわかっていない関平だろう。春蘭、樟夏、俺が当たって行けば将は抑えられるが、周りの兵が心配だな。

 いや、それも異常事態を察知して、白陽たちが動いてくれるから平気だな。

「「「やめなさい(やめてくれ・てよ!)四人とも(みんな!)」」」

 華琳の声に俺は剣をしまうが、警戒を解くことはない。樟夏は納得できないかのように指先で双刃剣をいじり、春蘭は舌打ちをする。

「劉備、この乱を早く治めたいのならば私に力を貸しなさい」

「・・・ご主人様、どうしよう?」

 華琳の言葉に劉備は助けを求めるように北郷を見て、他の者たちも北郷を見ていた。北郷はしばらく考えるような仕草をしてから、顔をあげた。

「受けよう、桃香。

 朱里、今の状況だとそれが一番だよな?」

「はい、悔しいですがこのまま私たちだけでやっていても、乱は治まりません」

 そう言った感じであちらはあちらで会話しているのを聞き流しつつ、俺は怒りが冷めない春蘭たちの肩に触れる。

「怒るなって、二人とも」

「だがな、冬雲!」

「兄者だけでなく、姉者にも奴らは刃を向けたのです! 許せるわけがないでしょう!」

 怒りを抱きながらでも、それでも小声で叫ぶ二人はまだ冷静でいてくれた。

「この乱の被害者は常に民たちだ、一刻も早く終わらせたい華琳の気持ちもわかるだろ?

 それにだ、やり方が気に入らなくとも、人柄が気に入らなかったとしても、有能な者は使わなきゃ損だろう?」

「ですが、兄者!

 おそらく、奴らが協力することへの交換条件で出してくることは兄者もわかっているでしょう?!」

 樟夏のその言葉に俺は苦笑しながら頷き、華琳を見る。見ると華琳は肩をすくめて、苦笑していた。

 

 華琳も交換条件がわかってるんだろうな・・・ はぁ、それでも持ちかける辺りが華琳らしいよ。

 

「曹操さん、協力する代わりに条件があるんだ」

「何かしら?」

「糧食と装備をくれないか」

 俺たちの想像を悪い方に斜め上へと突き進んだ条件が出て、俺は言葉を失くす。

 気がつけば俺は拳を硬く握りしめ、北郷の前へと進み、その胸倉を掴んで持ち上げていた。

「「「「兄者(冬雲さん)!?」」」」

 樟夏たちの驚愕の声が聴こえる。さっき二人に『怒るな』と言った本人が、怒るなんて本当に自分勝手だと思う。

 だが、あまりにも図々しく、無知なその言葉に俺は怒りを止めることが出来なかった。

 首を絞めるようにして手に力を込めていき、吊し上げる。

「「っ!?」」

「貴様ぁ! ご主人様に何をするか!!」

「兄ちゃんを離すのだ!」

「我が主人を離してもらおうか!」

「これが主? 笑わせてくれるなよ」

 五人のうち二人は驚き身を固め、三人の言葉に対して鼻で笑う。

「俺たちが国を守り、民が作りし糧を得て、さらに彼らの生活を改善していく中で捻出した資金で装備は買われていることを、貴様ら雑軍にわかるのか?

 装備も、糧食も降ってくる物でも、湧いてくる物でもないんだよ」

 彼らの生活を改善しつつ捻出させる策もまた軍師の務め、軍師とは戦のためだけに知恵を使うわけではない。

「あれだけ持っているんだ!

 力を貸すんだから、それくらいくれたっていいだろう!!」

「お前が言う『それくらい』が、あらゆる苦労の元に生まれていることをお前はもっと知るべきだな!」

 俺はそう言って手を離し、地面へと落とす。

「穀物を得るために、民はほぼ一年をかけて畑を管理する。

 天候、土地、賊・・・ 多くの被害に怯えながら生活のために、丹精込めて育てているんだ!

 そこで俺たちが彼らを賊から守り、税をとる。

 その税を受け取り、管理し、国へと一部を納めながら、民へと還元するために(まつりごと)を行う。その一部が糧食であり、装備だ。

 わかるか? 白き星の天の遣い」

 俺はそれを、この世界で知った。

 最初の俺は、そんな当たり前のことすらも知らなかった。

 民に触れ、治安を守り、文化を学んでいってようやく俺はそれを理解することが出来た。

「治める者とは一見は民を守り、仕えられている者に見える。だが、その本質は逆だ。

 治める者こそが民に守(・・・・・・・・・)られ(・・)民に仕えているんだよ(・・・・・・・・・・)

 お前たちは知ってるか?

 民から志願してきた兵は、俺たち将なんかよりもずっと勇敢であることを」

 何かを守ると決めた者は強く、民たる彼らにはそれがある。

 故郷を、愛する人を、家族を、行きつけの店を、あの風景を守りたいと思う者たちは誰よりも強い。

「冬雲、やめなさい」

 華琳の涼しげな声が響き、俺はおもわず怒りを向ける。

「だが! 華琳!!」

「あなたの気持ちはわかるわ。けれど、ここで争って乱は治まるのかしら?

 私たちは、一刻も早くこの乱を治めるためにここに居るのよ?

 それに力を貸してもらうように仰いだのはこちらよ、可能な限り協力するのが義務でもあるわ」

 頭ではわかっている。だが、感情の面で納得することが出来なかった。

「あなたがそれをわかっていてくれる、それで私たちは十分よ。冬雲」

 耳元でそう囁かれ、華琳は俺を通り過ぎてからあいつらへと頭を下げた。

「部下の非礼をお詫びするわ、そちらの条件を飲みましょう」

「いや、かまわないよ・・・・

 助かるよ、曹操さん」

 

 

 その後もあちらとのやり取りが行われ、本隊へと戻るまでの間、俺は一言も話すことはなかった。

 

 

「冬雲様、いかがなさいましたか?」

 用意された天幕の中で俺は寝そべっていると、白陽が問うてきた。

「俺が感情的になったばかりに、華琳に頭を下げさせちまった。

 俺はもっと、冷静でなくちゃいけないのにな」

「冬雲様」

 寝そべる俺に白陽が顔を覗くようにして、俺の頭の近くに座る。

「雲もときとして雷を生むこともあれば、雨を降らすことも、空の全てを覆い隠すこともありましょう」

 そう言って俺の頭に触れ、そのまま膝へと乗せる。

「雲が陰りし時は、私たちがそれを支えたく思います。

 日輪も、季節も、木々も、花も、鳳も、詩も、陽も、あなた様によって支えられる者の全てがあなた様を支えたいと願っているのです」

「常に支えられているさ、みんながいるから雲は浮かんでいられるんだよ」

「えぇ、そう言うと思っていました」

 そうして白陽は俺の顔を覗きこみながら、自分にしか見えないように俺の仮面をずらした。

「たとえお二人が同じ人間だったとしても、私たちは刀ではなく雲を選ぶことでしょう。

 何も知らずに人を無意識に傷つけ、自分の背だけを守ったつもりでいる刀ではなく、多くを背負い、それでもなお楽しげに私たちの傍に浮いてくださるあなた様を」

 久し振りの広い筈の視界は、白陽によって隠される。

「私たちはあなた様が天の御使いだからでなく、冬雲様が冬雲様であったからこそ惹かれたのです」

 微笑みと共に言われたその言葉、そしてその目は自分だけではないことを静かに語っていた。

「それに、冬雲様の怒りは間違っていません。

 間違っていたのならば、今頃華琳様自身から何かしらの処罰があることでしょう」

 白陽はそう言って珍しく楽しげに笑い、そっと俺の目元に唇を落としてから仮面を戻した。

「ハハッ、それもそうだな」

 俺も笑ってそれを肯定し、白陽を顔に触れる。

 大切な者がそう言ってくれているのに、いつまでもへこんではいられない。

 なら、俺は次のために動き出すとしようか。

「ありがとな、白陽」

 白陽に礼を言いながら、立ち上がる。用意されている筆と硯を用意して、一本の木片を取った。

「さて、突然だけど一つ頼んでいいか?」

 そう言って俺は次のためへと、一本の書簡を書きだした。

 




共同戦線は次ですね、あんまり次の内容決まってませんが。
作者の思い付き次第で、こっからはかなりオリジナルになりますのでお楽しみください。

誤字脱字、感想等々お待ちしております。


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18,戦没者

週一を守れました。
前回投稿後いろいろ迷い、内容も見失いかけましたが読んでくださっている方が毎日いてくださることが嬉しかったです。
とても励まされました。ありがとうございます。
自分の書きたいようにやっていくので、これからもどうぞよろしくお願いします。

今回はちょっと見直しにあまり時間が取れなかったので、誤字脱字等がありましたらお願いします。


「冬雲様」

 耳元で囁かれたその声に俺はすぐさま起き上り、日の昇り具合を確認するとまだ夜明けにもなりきらない時間だった。

「今回はずいぶん早かったな」

「近くでしたし、どうやらお見通しだったようだったので文を受け取るだけで済みました」

 そう言って手渡された書簡を見て、俺はおもわず額に手を当てる。

 友人である公孫賛の元にて、しばらくの間を過ごし、そこで兵を集めていたことがわかったのはいい。

 だが、世話になる際も兵を偽って、面会を求めた、ね。

 ・・・・確かに、やり方として間違ってない。いや、むしろこうでもしなければ面会すら出来なかっただろう。

 だけど、これはいくらなんでも友人にすることじゃないだろう?!

 というか、人が良すぎないか? 公孫賛殿。

 兵を集めなくても普通に『友人だから』という理由だけで、呆気なく面会も許してくれたんじゃないだろうか?

「やり方は間違ってない。

 間違っていないが、これはあまりにも・・・・ 酷過ぎるだろう」

 いくら今、客将の身分で風と稟と趙雲殿がそこに居ても、あれだけの兵力を奪われて幽州は大丈夫なのか?

「いかがいたしますか? 冬雲様」

「現状、俺たちにはどうにも出来ない。

 この情報を他に出しても意味はないし、それでも兵は公孫賛殿でなく彼らを選んだのは事実だ。

 怒るにしても俺たちがそれをするのは筋違いだし、それは公孫賛殿だけがしていいことだろう」

 それだけ惹かれる何かがある。それは将であることを選んだ俺にはわからないことであり、それがわかるのは俺たちの中で華琳だけだろう。

「もし、仮に出来ることがあるとしたら・・・・」

 それは精々、公孫賛殿が危機に陥った際に最大限の助力することくらいだろう。

「・・・冬雲様、雲とて届く場所と届かない場所があることをどうかお忘れになられぬよう、あなた様が無理をして倒れなどすれば私はどうすればよいかわかりません」

 ・・・俺って、そんなに考えていることがわかりやすいのか?

 白陽のどこか心配そうな目に、俺は頭を撫でる。

「大丈夫だ。絶対に無理はしないよ」

 そう言いつつ起き上がり、鞍を手に取った。

「どこへ?」

「白陽は休んでいるといい。

 昨夜、突然に頼んだから、疲れてるだろう?」

「あなた様の傍に居ることが私の至福なのです。

 私は常にあなたのお傍に、影として在り続けましょう」

 その言葉と同時に俺の影へと消えていく白陽を見ながら、苦笑する。

 陽なのに、影とはこれ如何に。

 だが、常に一人じゃないというのは心強いと思う。

「・・・・物好きだなぁ、白陽は」

 そう言ってから俺は、行動を開始した。

 

 

 

 白陽の気配を背中に感じながら、俺は夕雲に道具等を乗せた荷車引かせてある場所へと向かっていた。

「・・・・ここだな」

 ついた場所は昨日の戦場となった地、多くの死体が雑多に転がり、死体を食しに来た獣たちが映る。

 そこで留まりつづけているかのように錯覚する血の匂い、怪しく映る死体の影、死体の最期の瞬間の苦痛の表情。

 それは人同士が争い、勝敗を決した結果の残り。

 考えと考えがくい違い、互いに剣を取り合うことで生じる現象。

 王が選び、軍師が策を練り、将が指揮して、兵が動く。だからこそ、上に立つ者(俺たち)が目を逸らしてはならない残酷な現実。

 俺はその全てを焼き付けるように全体を見てから、一度固く目を閉じる。

「ごめんな・・・・ お前たちも、生きることに必死だっただけだ」

 俺は誰に ――― いや、何に向けているのかもわからない言葉を呟いて、深く呼吸する。

「恨んでくれ・・・・ だけど、俺は」

 獣たちへと広く、鋭い殺気を放つ。

 多くの獣たちが俺を一度見てから、すぐさま森へと駆け出していく。

「全てを受け止めて、この大陸の未来(さき)を見る」

 どんな謝罪の言葉を並べても、彼らが生き返ることはない。

 彼らの命も、思いも、俺たちは背負うことしか出来ないだろう。

 罪悪感からでも、後悔からでもなく、今生きる者のために未来(さき)を創る。

 それこそが華琳が歩んできた道であり、これからも進んでいくだろう道だ。

 共に見据え、背負っていく。それが共に歩くことを決めた俺たちの義務であり、揺らぐことのない信念。

「さて、始めるかな」

「お手伝い致します」

 頬を叩いてそう言った俺の隣に、すぐさま白陽が並んだ。

「白陽には休んでほしいんだがな・・・・」

 思わず苦笑いしてしまう。

 返事が用意されていたことを考えると、白陽はほとんど間も置かずに走ってきたことが簡単に予想できる。

「冬雲様が休まれるのなら、私もそういたしましょう」

「いやいや、俺は寝てたし」

 俺が手を振り白陽へと視線を向けると、その手は不意に仮面に触れてくる。

「・・・・この仮面の下には、どれほど濃い隈が出来ているのでしょうね?」

 その困ったような微笑に俺は固まり、何も言えなくなる。

「はぁ・・・ 無理はしないでくれよ? 白陽」

「承知いたしました」

 俺たちはそう言いながら、広く開けた場所を捜す。幸い、地理的にはあまり使われていない場所だ。

 どこでもいいと言えばいいんだが、道全体をそうするのは危険すぎるだろう。

「・・・・ここでいいな。

 すまん、白陽。力仕事になるぞ」

「私が望んだことですので・・・・・ それに」

 白陽は不意に俺の背後へと視線を向け、嬉しそうに目を細めた。

「あなた様の行動を見透かしていたのは、私だけではないようですよ? 冬雲様」

「はっ? 何を言って・・・・」

 その視線を追いかけて、背後を振り返るとそこには

 

 紫の腕章に白抜きの円、そこに書かれたのは赤字の『曹』。

 それは春蘭と秋蘭が描いてくれた俺の旗印の意匠であり、俺の部隊の証。

 そして、それが表す通り、そこには俺の隊の者たちが立っていた。

 

「お、お前ら・・・・・」

 呆気にとられ、それだけを口にする。

 日もまだ昇りきっていない早朝・・・・・ いや、深夜といってもいい時間だというのに、見間違いでなければ俺の部隊の全員が、そこに勢揃いしていた。

「今、何時だと思ってんだ?!

 昨日はほぼ一日中行軍してたんだ、しっかり休めと言っただろ!」

 しかも全員分の馬なんてあるわけがなく、騎馬隊もまだごくわずかしかいない。食料等を荷車で引かせていても、当然鎧と武器は常に持っていなければならない。進軍するだけでも兵たちの疲労は将の倍以上だろう。

 それだっていうのに、こいつらは一体何を考えてんだ?!

「いやいや、隊長には言われたくないですって」

「だけど、隊長の言い分ももっともだよな? どうする?」

「交代制とって、休憩取りながらやりゃいいだろ?」

「だな。となると・・・・・ 三隊編成か?」

「そうね、死体を運ぶのと、休憩と・・・・・ 近辺の捜索ね」

「死体を運ぶのは積むのは隊の半分でいいだろうしな」

「隊長、それでいいですか?」

 あっちこっちで声が上がり、それが一つに収束していく。

「あのなぁ・・・・ お前たちは全員休めって・・・・」

「水臭いっす! 隊長!!」

 俺の言おうとした言葉に割り込まれ、見れば誰もが同じような笑みをしていた。嬉しいようにも、呆れているようにも、苦笑いにもとれる不思議な笑み。隣を見れば、それを向ける者たちがいることに俺以上に誇らしそうに微笑む白陽が立っていた。

 そして、何気なく上を見れば崖の上に見慣れた金の髪が見えた気がした。

「俺たちに黙って一人でこんなかっこいいことするなんて、手伝わせてくださいよ」

「そうですよ! いつもの鍛錬をやってんです、ただ歩いてるだけの行軍じゃ体が鈍っちゃいますって」

 俺はそれを聞いて、肩の力が抜けていくような気がした。

「・・・・ハハッ、馬鹿ばっかりだ」

 そう言ってからわずかな間、俺は仮面の上に手を置いた。

 俺は華琳にあれほど一人で背負わないように言っていたのに、俺自身は一人で多くを抱えもうとしていた。それが少しだけおかしくて、おもわず口元は緩んでいく。

「冬雲様、ご指示を。

 あなた様が指し示さなければ、隊が困ってしまいます」

「あぁ、そうだな・・・」

 俺は隊を見渡してから、苦笑する。

 本当に仕方のない奴らばかり、だけど・・・・ 本当にいい奴ばかりだ。

「曹仁隊は今より、遺体の処理作業に移る!

 隊は三隊編成、第一隊は二つに分けて遺体運搬および焼却作業、第二隊は周囲の捜索、第三隊は陣へと戻り休息をとれ。交代の時間はいまから一刻後、それまでしっかりと休んでおけ。

 第一隊の焼却作業は青陽、第二隊の捜索の指揮は白陽を任命。運搬の指揮は俺がとる!

 各隊、対処出来ない事態が起こった場合はすぐに隊長へと報告。

 遺体に紛れて賊がいる可能性もある! 全員、油断はするな!!」

『はいっ!』

「では、作業開始!」

『はいっ!』

 

 各々動き出していく中で、俺もまた隊と荷車を馬に引かせながら動き出す。

 見渡す限りの黄巾を巻いた死体、俺はまとまった死体がなくなる手前で止まる。

「なぁ、お前たち。

 この光景を忘れないでくれ」

 本来は忘れるべき景色だろう。否、見るべきではない光景だろう。

「これが、守ることの難しさだ」

 『守るため』に剣をとった俺たちと、『生きるため』に剣をとった彼ら。

 俺たちが守ることに必死だったように、彼らもまた生きることに必死で、どんなことをしてでも生きていたかった。

 そこに正義も、悪もない。

 どちらかが間違っていたなんて、誰にも断言することは出来ることではない。

「隊長・・・・」

「それでも俺たちは、前に進まなきゃいけない。

 守ることは誰かの大切を奪うこと、失わせることだ」

 死体の鎧と武器を丁寧にとり、最後に開いたままの目を閉じさせて荷車に乗せる。

「それと同時に、俺たちは常に背中を預けた誰かを失うかもしれないんだ」

 俺の言葉を誰もが真剣に聞き、俺の行動を見続けていた。また一人、俺は鎧と武器をとって、荷車へと乗せる。

「この死を俺たちは忘れてはいけない。だけど、俺たちはこの死に囚われてもいけない」

 俺はそこで一呼吸おいて、全員を見る。

 誰もが辛そうな顔をして、視線を下げている者さえいる。

「だけどな?」

 俺たちがしていることで確かに誰かが死んでいる。誰かが悲しんでいる。心は常に、仲間を失う恐怖で覆われている。

 だけど、それだけじゃない。

 俺たちがしていることが間違っているなどとは思ってはいけないし、思わせない。

 たとえ誰に後ろ指刺されようとも、俺は彼らを誇りに思っている。

「俺たちがしたことで背を預けた友が、家族が、町が守られたことを誇りに思え!」

『・・・・・っ! はいっ!!』

「やり方はわかっただろ? 全員、作業を開始しろ。

 バラバラになった体も、全部回収して燃やすぞ」

『はい!』

 そう言って全員が作業へと開始した。

 

 

 作業は順調に進み、三刻(六時間)後には全ての死体を炎へと投げ入れられることが出来た。休憩していた奴らも一度の休憩を入れた後からは、全員が自主参加する形になってしまった。

 そのおかげで作業が早く進んだんだが、休んでほしいと俺としてはひどく微妙な気持ちだった。

「炎の番は俺たちがしますよ? 隊長」

「却下だ、却下。

 最初に決めたとおりに動かずに自主参加なんて命令違反した奴らは、とっとと陣に戻って休んでろ。休まない奴は筋力鍛錬を普段の倍やらせるからな!」

 俺はそう脅して隊の者を散らし、全員が行ったことを確認してから俺はその場に座り込んだ。

「「冬雲様!?」」

 白陽と青陽の声が重なり、俺はどうってことないように手を振ってみせた。

「疲れただけだよ・・・・ 問題ない」

 その場で座りながら、俺は燃え続ける炎を見る。本来ならば野晒しとなり、疫病を運ぶ恐れのある死体が灰となって天を舞い、大地へと還って行く。

「黄巾を巻いていない者はどれほどいた?」

「・・・・正確にはわかりませんが五百弱だったかと」

「そっか・・・・ 個人を特定できそうなものはあったか?」

「いえ、ありませんでした。

 装備も剣などは少なく、ほとんどが農具でした。おそらく多くの者は農家の次男・三男ではないかと思われます」

「だろうな・・・」

 兵として国を離れた以上、家族はもう会えないことを覚悟しているだろう。だが、彼らは幽州の民だった。公孫賛殿には、被害を知る権利がある。

「公孫賛殿に文を書かなくちゃいけないかもな。

 いや、むしろ風や稟を経由した方がいいか。いきなり他勢力からの文なんて怪しまれるし、説明が面倒だ」

「それがいいわね」

「冬雲、お前はじっとしていられないのか?」

 俺が独り言のように言ったのに、背後から来た二人から返事が返ってきた。振り返れば珍しく華琳と春蘭だけしか立っていなかった。春蘭は太い枝を担ぎ、俺の横に置いてそこに投げ捨てるようにして小刀が刺さった。

 ・・・だから何で、俺がしようとすることはこんなに全員にバレバレなんだよ。

 思わず頭を抱えたくなるがそれは思うだけに留め、華琳へと苦笑いを向けた。

「おいおい、大将が陣を離れるなよ。華琳」

「頭脳としても、判断としても私の代わりを務められる者を置いてきたつもりよ。

 それに連絡用に紅陽も置いてきたわ」

「ハハハ、なら大丈夫だな」

 俺は笑いながら、春蘭が持ってきた枝に触れて小刀で削りだす。枝ははらわれているし、結構な太さの枝の先端を尖らせ、それを下にしてから一文を日本語で彫る。

 これならばこの大陸に生きる者たちのほとんどの者はわからないし、現状王である北郷一刀を賊がまだ残っているかもしれない戦場跡を訪れる可能性は低いだろう。

「あなたの国の言葉ね? なんて書いたの?」

「『戦没者、ここに眠る』だ。

 賊だろうと、敵だったとしても同じ戦で死んだんだ。死んでまで賊として扱うなんて、あんまりだろう?」

 これは華琳の考えを俺が真似た物だと、自覚している。

 華琳は賊すらも『人だ』と、『民だ』と呼んだ時、俺は最初ひどく驚かされた。戦いながらも彼らの考えを認め、誰かを『悪』とは断じない。一つの考えとして対等に立ち向かっていく姿を、俺には眩しく見えた。

「そうね・・・・・」

 俺の考えとは裏腹に、華琳は日本語をじっと見ながら考える仕草をしていた。

「・・・・この字は使えるわね。私たちの字と同じだけど違う、暗号に使えないかしら?」

「北郷一刀は読めるぞ?」

「公に使わなければ問題はないわ。

 それに彼は王だもの、先陣をきることはないでしょう。伝令するまでの時間に相手が動けなくなれば、儲けものだわ。

 付け足すなら、意味のない言葉の羅列でもいいでしょうね」

 華琳のその言葉に、俺も少し考える。

 まぁ確かに、国語の辞書も俺の持ち物の中にあるし、文を出すなら見られても問題のないようにそれで出してもいいだろう。戦場でも何かの合図として出すとき、日本の漢字一字を旗として振れば相手にもわからないで作戦を行える。

「・・・・そうだな、将とかにだけやってみるか」

 俺が教えなくても、独学でいけそうなのが何名かいるけどな。軍師のみんなとかは独学で出来そうだし、華琳も辞書でも渡しておけば大半出来るようになるんじゃないか?

「頼んだわよ、冬雲。

 戻ったら、さっそく私に教えなさい」

「・・・最初に教える相手がもう責任重大なんだが」

 春蘭に彫り終えた枝を渡して、白陽と青陽が掘っていた穴の数歩前にそれが立てられる。

 普通は木槌とかでゆっくり支えながら刺すものなのに、どうして一回で自立させることが出来るんだ? 力じゃ、何があっても春蘭に勝てない気がするなぁ。

「教える立場の人間が責任重大なのは当然でしょう? しっかり学ばせてもらうわよ」

「わかったよ、華琳」

 笑う華琳に答えながら、俺はすっかり燃えて灰になってしまった死体の欠片を穴へと入れていく。そこへ土をかぶせて、死体の処理は完全に終わった。

「春蘭、白陽、青陽、先に戻っていなさい」

 華琳のその言葉に二人は頷き、春蘭も空気を察してくれたのだろう大人しく戻って行ってくれた。

「ご苦労様、冬雲」

「まぁ、俺が勝手にしたことだけどな」

 土がついた手を払いながら、俺は木製の碑を見る。

「それでも、あなたが教えてくれたこの方法で疫病が流行ることは抑えられる。

 私では出来ない部分をあなたがやってくれることを、本当に感謝しているわ」

 土と血で汚れた手に華琳が触れてくる。だが、それは違う。

「・・・・俺は華琳がしたいことをしてるだけだよ、それに華琳は常に背負ってくれてるじゃないか。俺たちの命も、民の命も、全部全部持ってくれてる」

 この小さな背にどれほどの命と、責任が背負われているのか、俺は知っている。

「それに、俺がしたかっただけだしな。

 華琳たちと明るい未来(さき)を見たいのだって、俺の欲だよ。

 俺は自分の欲望に忠実なだけさ」

 そう笑って言いながら、華琳の手を引いて夕雲へと跨る。華琳の愛馬である絶影もいるが、あの賢い絶影のことだ。もう陣へと戻っているかもしれない。

「そのようね、まったくあなたは・・・ 本当に大馬鹿者よ」

 そう言った華琳が笑っていることが嬉しくて、俺は腕の中の彼女を抱く力を強めていた。

 

 せめてこうして二人でいるだけのひとときの間だけでも、彼女が王でなく少女として在れるように、俺は願っていた。

 




次は共同戦線となります。
もしかしたら蜀には少し辛いかもしれないことを見せますし、させる予定です。
そして、今話は次話のために存在すると言っていいでしょう。

命の重みに現実味を持たせることをどこまで文章に出来るか、正直書いている作者自身が楽しんでいる気がしますね。
これからもよろしくお願いします。


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19,戦への備え

サブタイトルが微妙ですね・・・

そして予告通りにいかない作者で申し訳ないです。
どうしても話の流れ的に、前回の予告まで持っていけませんでした。
ですが、この次に前回の予告のようになると思うんですよね。多分。

読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。
これからもどうか、よろしくお願いします。


 死体処理後、俺は白陽と青陽、黒陽に勧められるがまま、秋蘭と樟夏と共に食事の席に着いた。食事を一口取ったところまでは確かに記憶があったのだが・・・・

 

「よく眠れたか? 冬雲」

 目覚めると、俺は荷車のようなところに横にされていた。しかもどうやら移動の真っ最中らしく、背中はガタガタと揺れを感じる。

「・・・・・いろいろ言いたいけど、とりあえず今は進軍中であってるか?」

「あぁ、最初の軍議ではどうも話が進まなかった。

 それにどうやら本隊ではないが糧食等を蓄えている場所があるらしく、そこに向かう際中、といったところだな」

 これで状況もわかった。よし、本題に入ろう。

 冷静に考えて食事に一服盛られた、と考えるのが自然だろう。

 最近働き尽くしだったのは他所に飛んでもらっていた白陽にすらばれていたし、部下たちとの筋力鍛錬で体を動かしつつ、文官的な書類仕事もしていた。事実、仕事に夢中になりすぎて、気がつくと朝になっていたこともたびたびあった。

 うん、俺が休まないからこうしてくれたんだろう。その気持ちはすごく嬉しい。けどさぁ

「一服盛るのは、やり過ぎじゃないか?」

 おもわず苦笑しながらそう言ってしまう。

「フフ、お前はそうでしなければ休息をとってくれないだろう?

 多少強引でも休ませた方がいいということに、皆が頷いてな」

 秋蘭は悪びれることもなくそう言い、俺の髪を梳くようにして撫でる。その目は彼女が愛する者(仲間)にしか向けることのない、慈愛に満ちた眼差しだった。

「あまり無理をしてくれるな、冬雲」

「ごめん。でも、ありがとな。

 ・・・・で、誰がこの件に噛んだんだ?」

将、兵ともに全員が(・・・・・・・・・)ですよ。兄者」

 荷車の上で体を起こすと、その横を並走していた樟夏が答えた。

 はっ? 今、なんて言った? 全員・・・・・って、全員?!

「全員って、全員?」

「えぇ、無害な睡眠薬の調合は荀家の資料を桂花殿、樹枝が漁り、そこへ季衣殿が猟師の方から教わっていたという薬草の知識が少々、兄者に気づかれぬよう斗詩殿には自然な形で接触をしてもらうことで兄者にその姿を見せずに済みました。

 雛里殿からは策を、そして言うまでもなく場を整えるのは私たちが行うという流れです。

 それにこの件の発端は、兄者の部隊から秘密裏に提出された嘆願書でしたからね。

 兄者、あなたは皆に愛されていますよ」

 樟夏のその言葉に俺はもう嬉しいやら、恥ずかしいやら、自分が情けないやらで、その場に穴があったなら埋まってしまいたいくらい顔が熱くなっていた。

「あぁーー! まったく! お前たちは総出で何やってんだよ!?」

 照れ隠しに、そこいる全員に聞こえるように叫んだ。

「冬雲しゃんが! そうでもしなければ休んでくれないのが悪いんでしゅ!!」

「うっ・・・・」

 珍しく声を大にしていったその言葉に樟夏たちだけでなく周りの兵たちも深く頷き、俺もその事実に返す言葉もなかった。

 あっ・・・ だから、さっき春蘭が妙に大人しく俺と華琳を二人っきりにしてくれたのか、それに出発時の斗詩の言葉も全部。

 

 全てが音を立てて、まるでパズルのように合わさっていき、俺はもう笑うしかなくなっていた。

 

 自分でいくつかの策を巡らしてきた筈なのに、仲間のこんな些細で大掛かりな策に俺は気づけなかったことが妙に可笑しくて、本当に多くの優しさに満ち溢れた策に俺はあっさりと嵌ってしまった。

「冬雲!」

 そう言って春蘭から投げられたのは数個の握り飯と水筒。それをうまく受けとめ、早速食べる。

「心して食え!」

 春蘭が得意げに腕を組むのを見て、俺は首をかしげる。

「どうしてだ?」

「私と華琳様が、お前専用に握ったからだ!」

 得意げに胸を張りつつ、顔を赤くして、じっと見る俺と目が合うとそっぽを向いた。その春蘭の可愛さに米を吹きかけるが、何とか飲み込んで水を含んで対処する。

 くそっ、何だ。この可愛い奴は!

「兄者、気を付けてください」

 突然、樟夏が真面目な顔をして俺へとそう言ってきた。

「姉者はともかく、春蘭が握るなどはずれが入っているに決まっています!

 私は無常にも、何度美しい花畑をこの目で見たことやら・・・」

 言葉の途中、樟夏の言葉は途切れていった。しかし、俺の見える位置から春蘭は動いていないから、どうやら今回は秋蘭が実行したみたいだな。

「そ、そんなことないよな? 今回は華琳様に聞きながらちゃんとやったのだ?

 具合、悪くなってなどいないよな?」

 春蘭が涙目(!?)で俺を見てきたので、俺はすっかりなくなった握り飯を見せることで安心させる。少し握りが強く、固いものがあったがその程度で普通に食べられるものだった。というか、しっかり握られている分携帯するならばこの方が便利かもしれない。

「うまかったよ。ありがとな、春蘭」

 そう言って不安定な足場で立ち上がり、頭を撫でる。

「危ないだろう!? それにいちいち頭を撫でるな!」

 怒っているような声を出しながらも、真っ赤になった顔じゃ少しも怖くなんてない。

「嫌か?」

「・・・・・・嫌じゃない」

 俺がそう笑いかけると、春蘭はまるで拗ねた子どもの様にそう答えてくれた。そうしてしばらくの間春蘭を撫でてから、俺はもう一度荷車に寝そべった。

「着いたら起こしてくれ。

 この配列で夕雲呼んだらまずいし、全員の言葉に甘えてしばらく寝てる」

「そうしてくれ。冬雲。

 どうせ陣が組めるような場所に行ったら、まずはあちらと軍議だ。

 それまでしっかりと休むことだ、私たちの雲よ」

「ハハッ、日輪と三つの温かい季節、四つの陽射しに鳳、空に包まれて雲はゆっくり休ませてもらうとするさ」

「あぁ、おやすみ」

 秋蘭のその言葉を最後に、俺はまたゆったりと眠りへとおちていった。

 

 

 

「冬雲さん、着きました」

「あぁ」

「あわっ?!」

 雛里の一声ですぐさま体を起こす俺に、何故か声をかけた本人が一番驚いていた。何でだ?

「本当に一声で起きるんでしゅね」

 雛里は俺を見てまだ目を丸くしていて、俺はなんとなくその頭を撫でる。

「まぁ、習慣みたいなものだからな。

 この後はすぐに軍議か?」

「いえ、劉備軍が陣を作るのに手間取っているので、もうしばらくは時間があります。

 多分、あちらの方がこちらの陣に赴くことはないでしょうし、私たちから行く形になると思いましゅ。こちらから協力を仰ぐ形ですから・・・・ それに将の方々から警戒心は消えてないかと」

「・・・・すまん、俺があんなことしたばっかりに」

 俺があの時感情で動いてさえいなければ、こちらから何かを申し出る形にもできた可能性がある。少なくとも、こちらから出向くなんて面倒なことはしなくて済んだだろう。

「ん~~! 冬雲さん!!

 ちゃんと! こっち向いて! ください!!」

 本日二度目の雛里の大声に、俺はおもわずそちらを見る。見れば雛里は俺を見上げるのに邪魔だったのか、大きな帽子をとって俺を見上げていた。

 その目を見れば誰もがわかるだろう怒りを見せて、そしてそこにわずかに涙が溜まっていた。

「あなたがしたことは! 間違ってなんかいません!!」

 言葉を噛まないように、区切られて叫ばれるその言葉に俺は少しだけ驚いていた。

 この子はどうも他の者に遠慮して、自分を出さない傾向にある。ちゃんと意見を持っているのに、促されなければ自分の意見を出すことはない。だが、それは『言われなければ何もしない・出来ない』というわけではなかった。あの城の中で自分の役目を見つけ、必要ならば斗詩を連れては行きこそするが自分の目で市場を見てもいる。

「あの時の朱里ちゃんの策は、それしか方法がなかったとしても! あの策は守るべき民を見ずに、功績ばかりを見ていました!

 『功績をあげること』は、確かに今のあの軍にとても必要なことです! でも!!」

 雛里はそう言って懐から一冊の本を出し、そこには『水鏡女学院』と書かれていた。

「私たちが習ったことは! 力ある者たちだけが生きることでも! 手段を選ばずに平和を創ることでもないんです!!

 どれだけ権力者が立派だったとしても、そこには民が居ないと全てが意味をなさなくなる! 彼ら()を蔑ろにする策なんて、策として愚策以外の何物でもありません!!」

 溜まっている涙がこぼれ落ち、俺を見る目は真剣そのものだった。

 そして俺は、彼女が怒っていることをようやく理解した。

 真名らしきものを呼んでいる辺りから察するに、雛里と彼女は本当に仲が良い親友だったのだろう。それこそ生涯の友と呼んでもいいほどに、大切な存在なのだとわかる。

 だからこそ、彼女は許せないのだ。

「だから、冬雲さんは何も間違っていないんです」

 俺の右手が雛里の小さな両手に包まれ、彼女の温もりを感じる。そこにはけして見えはしないが、俺を励まそうとする彼女の健気な心があった。

「でも、軍師として言うなら朱里ちゃんを間違っていると、私には言えません・・・・

 きっと私も同じ立場なら、この策を行っていたでしょうから」

 雛里の顔が少しだけ陰るが、俺はそんな彼女の頭に開いた左手を乗せる。いつもとは違い少しだけ強く、撫でた。

「それでいいんだよ、雛里。

 誰かが間違っているなんて強く言えなくたっていい、その考えを理解してなおも自分を貫き通せるかが大事なんだ。

 俺たちは喧嘩してるんじゃなくて、互いの正しい考えをぶつけ合ってるんだよ」

 どちらも目指す未来(さき)は同じ筈なのに、ほんの少しだけ生じるずれから俺たちは争っていく。本当は最初から手をとり合えればいいのに、俺たち(人間)はそれがなかなか出来ない。

 だからこそ、互いに憎みあうのではなく、認め合うために戦っているのだと俺は信じたい。

「慰めたつもりなのに、結局私が慰められてましゅ・・・・」

 少しだけ拗ねるような雛里の表情に俺は笑い、さっき彼女が掴んでくれた右手に左手を繋いだまま歩き出す。

「俺もこの手に、たくさん慰められたからお相子さ。

 さっ、行こう。華琳たちがきっと待ちくたびれてるぞ」

「はひっ!」

 そう言って俺と雛里は、共に手を繋いで駆け出した。

 

 

「よく眠れたかしら? 冬雲」

 俺が天幕に入ってすぐに言われたのは、華琳からのそんな一言だった。

「・・・・華琳も絡んでたのか、あの一件」

 俺が呆れながら言うと華琳はさも当然のように頷いてから、雛里へと視線を向けた。

「ご苦労だったわね、雛里」

「はひ、華琳しゃま」

 俺たちが座るのを確認して、華琳は一枚の地図をそこに広げた。

「早速だけれど、雛里。

 あなたなら、一つの砦に引き籠る軍をどう対処するかしら?」

 地図上には一つの砦、背後はその砦を見下ろすように崖があり、門は三つ。相手は軍を出しやすく、閉じられればこちらからは手が出しにくいことが一見でわかる。

「・・・・この数を利用して門を破壊し、倒すことも十分できると思います」

 雛里は少しだけ考える仕草をしながら、顔つきを険しくさせた。

「ですがおそらく、それは朱里ちゃん・・・・ あちらの軍は拒むかと」

「何故だ? 雛里」

 雛里の言葉に春蘭が首をかしげて、正直に問う。

 わからないことをわからないと言える、それは大切なことなのに誰もが無知であることを認めたがらず、拒むが故に出来ない行為だ。春蘭のこうしたところを、俺は好ましく思う。

「それはあまりにも、こちらの力を頼りにしすぎますからね・・・・」

「功績を欲しくて行動しているあちらからすれば、あまり好ましい事態ではないだろうな?」

 樟夏と秋蘭がそう言い、俺もまた地図を見る。俺たちの軍だけならば、俺たち四人の部隊で本隊と各門で分担して叩けばいい。

 だが、今回は俺たちだけじゃなく劉備たちの軍もここに加わってくる。

 戦力としても、一つの意見としても、だ。

 そしてこちらはあちらの意見を尊重せざる得ない状況に、俺がしてしまった。

「すまん・・・・」

「あなたが悪いと思っていることこそが、一番の問題ね」

「次、謝ったら殴るからな!」

「後悔しているのならば、許さんぞ?」

「兄者、その発言はどうかと・・・・」

「冬雲さん? 怒りましゅよ?」

 俺が一言そう謝っただけで、すぐさま帰って来た全員の言葉に言うんじゃなかったという後悔した。

 華琳からは盛大な溜息をもらい、春蘭は拳を打ち鳴らす。秋蘭は睨みを利かせ、樟夏は心底呆れたように俺を見る。雛里からすら怒りの目で見られた。

 ごめんなさい、今の俺の方が昨日の千倍は失言でした。

「それでは雛里、あなたが孔明ならどう動くかしら?」

「そう、ですね・・・・・」

 華琳のその問いに、雛里は少しの間地図を見ながら考える。

「物資を心配することもなく、規模が小さい軍が誰にでもわかる形で功績を得る・・・・・・・ しかも、自分たちよりも大きい軍との共同作業でしゅから、私たちの策に協力という形では功績は少なくなります。

 となると、策は自分たちが出したということにはこだわると思います。そしてこの地形でとなると、砦に火を放って逃げ出す兵を弓と隊を配置する火計が妥当かと思いましゅ」

「それが妥当、でしょうね」

 華琳はもう一度地図を見つめ、眉間にわずかに皺を寄せる。

「仮に賊が迎え撃ってきても、あちらの部隊を主体に砦へと追い込む形に持っていくでしょうね・・・・

 そこから門を塞いで、この崖から狙い打つことも出来ます」

 樟夏はそう言いながら崖を指し示し、そこから砦へと指を動かした。

「そうなるだろうな、火計の中に豊富となった物資を利用して矢の雨を降らせばいい」

「仮に門が開いたとしても、その後ならば逃げ出してくる者も少数の部隊で殲滅できてしまうな」

 樟夏の考えをつけたしながら言う二人の目は将の目をしていて、戦場での動きを想像しているようだった。

「それも関羽たちに指揮をとらせたがるだろうな、策を立てたことからあちらの軍が中心になった方が動きやすいのも事実だ」

「となると、私たちは本隊の護衛が主な仕事になると思いましゅ」

 俺たちの意見が出て、全員が一度華琳を見る。華琳もまた俺たちを見て、満足げに頷いた。

「さすが私の愛しき者たちね、素晴らしい読みだわ。

 黒陽!」

「お傍に」

 華琳の声と共に、背後には黒陽が立つ。すでに見慣れたその光景は、雛里すらも驚くことはない。

「今の読みの通り、動けるように隊を用意しておきなさい」

「矢はあるだけ全て、油と火種も用意しておきましょう。

 伏兵は春蘭と樟夏、冬雲様の部隊からでよろしいでしょうか?」

「えぇ、秋蘭の部隊には矢の方に集中させましょう。

 伏兵の方に関しては、あちら次第で必要になるかわからないから少数でいいわ。

 白陽、紅陽、青陽は黒陽の補佐に付きなさい!」

「「「「承知いたしました」」」」

 声が重なり合い、四つの影が天幕を飛び出していった。

 それを見届けた華琳もまた立ちあがり、俺たちもまた華琳に続く形で立ち上がる。

「私たちはこれより、劉備たちの元へ向かうわよ」

 そう言って俺たちの前を歩く彼女の背に、俺たちも続く。

 右には春蘭、左には秋蘭、その左に雛里と続き、少し下がって右に俺、左に樟夏が並び立つ。

「冬雲」

「うん?」

 俺は急に呼ばれたことで適当な返事を返しながら、華琳を見る。

「向こうにつくまでの間、私に右手を貸しなさい」

 照れるでもなくそう言われたその言葉に、俺はそっと右手を差し出した。

 好きな女の子にそんな嬉しいを言われて断る男なんて、天にだっていないだろう。

「仰せのままに、我らが王」

 そうして握る華琳の手は小さく、それでも多くの書類仕事や日々の鍛錬によって硬くなっていた。そしてその手は、握らなければわかないほど小さく震えていた。

 俺はその震えが誰にもわからぬように、掌に包み込んで隠す。俺のその行動に華琳が俺を少しだけ見て、口元だけで笑う。

「あなたの手は固いのね? 冬雲」

「お前の手は綺麗だな? 華琳」

 互いに誤魔化すようにそんな言葉を言い、二人で笑いあっていると俺の左肩に背後から春蘭がもたれかかり、空いている左手が秋蘭に繋がれる。そして、服の端を雛里が掴んでいた。

 何? この状態?

 俺たち、他人様の軍に向かう途中だよな?

「フフッ、向こうにつくまでくらいはいいでしょう。

 愛しているわよ、冬雲」

 そんな風に華琳の極上の笑みを向けられ、囁かれるように言われてしまったら、悪いなんて言えるわけがない。

 

 そうして俺たちは、彼らとの初めての軍議へと向かった。

 




雛里の良い所を見せられたかなぁと思うのですが、どうでしょう?
どうも、腐に偏っていた傾向があったので、軍師としても頑張ってもらいます。
あと個人的に春蘭との絡みが笑いしかなかったので、乙女チックな春蘭を出したかったのです!

感想、誤字脱字等々お待ちしております。


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20,共同戦線 間近

宣言通り、投稿できました。

蜀への意見、厳しめな回です。これまでも割と厳しいですが・・・・
ですが、欠点を知らないで人は成長できないと思うので、一度容赦なくやっておきます。
蜀の一刀にとってある意味次話からが、本格的な始まりになるかと思います。

読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。


 劉備たちの陣へと近づいた俺たちを出迎えたのは、怒りで顔を真っ赤に染め上げた関羽の青龍偃月刀の一閃だった。

 俺はとっさに華琳と雛里を春蘭たちの方へと押し、四人を庇うように一歩前へと歩み出る。右斜め下から迫りくる偃月刀へと気休め程度に両手で持った剣を盾代わりとしながら、わずかに見えた背後から俺をどうにか守ろうと走り出す樟夏が映った。

 

 そこから先は妙に世界がゆっくり流れていくような、錯覚に陥る。

 自分自身の行動は早くはならないのに妙に全てが遅く、思考が長く感じられた。

「死ねえぇぇぇぇーーーーーー!!」

 どうやら本気で俺を殺しにかかってきている彼女に叫びに対して、俺はおもわずポツリと呟いていた。

「それは困るなぁ・・・・」

 やっと再会を果たせた、愛する者たちがいる。

 未だ再会を果たせていない、愛しい者たちがきっと再会を待っていてくれる。

 新しく出会った将来有望な弟たちが、大切な者たちが出来てしまった。

 これからも守りたいと願いたい多くのものが、この世界にはある。

 たとえどんな怪我を負ったとしても、俺は死にたくはない。

 華琳に、あの日と同じ涙を流させたくはない。

 いや、華琳だけじゃない。誰にだって、あの日と同じ苦しみをさせたくない。

「俺は死ぬわけにはいかないんだよ」

 偃月刀と剣がぶつかり合い、俺の剣はあっさり砕け散っていく ――― もしこの剣を真桜が作ってくれていたなら耐え切ってくれたのかもしれないと思うが、もうどうすることも出来ない ――― 体勢的にわずかに前へと出ていた顔面を刃が通過していく。刃は右頬から眉間を通過し、仮面を両断しながらその刃は俺の顔に決して浅くはない傷を残していった。

 

「「「「「冬雲(兄者)(さん)!!??」」」」」

 五人の悲鳴にも似た声にどうにかして応えたかったが、俺にその余裕はない。

 役には立たないだろうがなけなしの武器である折れた剣を右手に持ち、左手で顔面の傷を隠すようにして俺は立っていた。左の視界は流れる血で見えず、右の武器は無いも同然。

 どうする? どうする? どうすれば、生きられる?

 どうすれば、背後(大切な者)を守れる?

「関羽・・・・ 貴様ぁーーー!!」

 背後から駆け出そうとする春蘭の道を俺が前に立つことで塞ぎ、わずかに振り返る。不満げな顔が一変し、俺の傷を見て泣きそうなる春蘭の頭を撫でる。

「華琳の傍を離れるなよ、春蘭」

 春蘭はまるで、曲がることも、刃こぼれをすることを知らぬ大剣のようだ。

 振るう者のない剣など、ただの凶器。正しく使ってこそ凶器は振るわれる意味を知り、大切な者を守る剣となる。

 おかしなことに春蘭が熱くなってくれたから、俺はかえって冷静になっていた。

「さて、これは何の真似だろうか? 関羽殿」

 傷を隠しながら、俺は平静を装って問う。

 彼女は荒い呼吸を繰り返しながら、偃月刀を下ろそうとはしない。それを警戒してか、樟夏が俺の隣に守るように並んだ。

 だが、並んでいる樟夏から漏れる気は穏やかなものではない。春蘭のような溢れ出る殺気でも、秋蘭の潜める殺気でもなく、その場に居る者をその空気で殺してしまいそうな冷たいものだった。

「貴様は! 私たちと共に戦った同朋たちを賊などと共に弔い、彼らの魂を汚した!!

 それだけはなく! その遺体を燃やし、彼らの死すらも冒涜したのだ!!

 その罪が、この程度で(あがな)われるとは思っていないだろうな!!」

 その言葉に俺は少しだけ状況を理解することができ、どう言葉を返すかと少しだけ迷う。

 賊たちと共に弔う点に関しては潔癖な関羽が気づけば考えそうなことだと思っていたし、そのために俺個人で動いたのだが予想外なことに一部隊とはいえ、軍が動いてしまった。将の全員とは言わずとも、誰かしらは気づいてしまうだろうことは予測できていた。

 遺体を燃やす点については、かつてこちらでも問題視された。桂花に関しては、もしかしたら前の記憶がなかったら説得は不可能だったのではないかと思う。桂花に限らず誰もが儒教の教えにそれほど執着しているわけではないが、大陸を広く覆ったこの考えを理解してもらうには華琳の協力がなければ難しかっただろう。

「返す言葉もないだろうな!

 貴様がご主人様に言った言葉は所詮口先だけのもの、貴様は人の死を冒涜したのだ!!」

「ふざけるのも大概にしてもらいましょうか?」

 彼女の言葉に苦笑交じりに何かを返そうとした俺によりも早く、樟夏が口を開いていた。

「樟夏?」

「兄者はしばらく黙っていてください」

 俺の言葉に樟夏はすぐさまそう返し、俺よりも前へと歩み出た。

「自分が知っている範囲でしか物を考えず、それ以上考えようとした形跡が全く見られない。

 昨日の一件もそうですが・・・・ 主君も主君ならば、将も将ですね」

 そう言って失笑しながら、樟夏は劉備たちの陣を見る。

「どこで集めたかもわからない兵士たちに私たちから受け取った糧食と装備、あなたたちが守るべきものなど、それこそ己の身と真名を預けし者たちだけなのでしょう」

「なっ?! 貴様ぁ!!」

「樟夏! 言いすぎだぞ!!」

「聞こえませんね、兄者。

 守るべきものが何一つなく、挙句、物事の一面を見ただけで全てを理解したつもりでいる愚か者にはこれくらいがちょうどいいでしょう?

 本来感謝してしかるべきである死者を弔った兄者を、己で考えることもせずにあり余る武を振り上げ、負傷させた。

 そもそも軍議にわざわざ赴いたこちらに出会いがしらに刃を向けた時点で、私たちを敵に回す理由には十分すぎるのですが?」

 俺の注意も聞かず、関羽の怒りの声も聞こえぬふりをして、樟夏は語り続ける。

 そこには消えることのない怒りが宿り、それはとても冷静で、冷酷でありながら、口元には笑みすら浮かべていた。

「大方、この情報すら自分で仕入れたものではなく、他の者か、兵の誰かから聞いたことを中途半端に聞いて飛び出してきたというところでは?

 だとすれば、とんだ猪ですね」

「それ以上の侮辱許しがたい、斬る!」

「やはり、あなたが武を振るう理由は自分を守るためではないですか?

 『誰もが笑っていられる』? 『弱い者が虐げられない』? 兄者に対して貴女は『口先だけ』と言いましたが、あなたの主である二人こそ(まさ)しくそうでしょう。

 現実を見ようとせず、理想だけを掲げて多くにすがって、己の無力を知ろうとしない。そしてあなたも孔明も、そうあることを許しているように見える。

 主君も、将も救いようがないほどの愚か者ですよ。あなたたちは」

 再び激しい怒りで偃月刀を掲げる関羽に、樟夏も双刃剣を構えて、臨戦態勢になる。

「やめろ! 樟夏!!

 俺たちの目的は乱を治めることであって、こんな争いをするためじゃないだろう!」

「その火種を生んだ貴様が、何を語るか!!」

 偃月刀が振るわれるがそれを樟夏の双刃剣が弾き、俺は無傷だった。

「一度ならず二度までも・・・・ そして、今ので三度。貴女は、私の義兄に刃を向けましたね?」

「愛紗姉上! これは・・・・・」

「「愛紗ちゃん!!」」

 ようやく駆けつけてきたのだろう関平と劉備たちが俺たちの間に割って入り、俺は座りかけるのを何とか我慢する。そんな俺を察してくれたのか、秋蘭が背後からこっそりと支えてくれた。

「秋蘭、あなたは冬雲を連れて陣に戻りなさい。

 こちらの話し合いは私たちがするわ」

「だが、華琳・・・・」

 今の状況じゃ、最悪の事態しか浮かばないんだが・・・

 俺の考えをわかったのだろう華琳は俺の元に近づき、そっと顔の傷に触れた。

「大丈夫よ、あなたが心配しているようなことにはならない。

 それに今回は、知っている私たち以上に怒っている樟夏に任せようと思っているもの」

「・・・・それが不安なんだが?」

 今の樟夏だったら、猪状態の関羽に膝をつけることは出来なくても、軽くいなすことで、相手の勢いだけを利用することを簡単にやりそうだしな。

「そうさせたのは向こうよ?

 ちゃんと治療を受けて待っていなさい、冬雲」

「わかったよ、華琳」

 華琳の言葉に頷いて、今以上に悪いことにならないことを、心中で祈りながらその場を後にした。

 

 

 

 顔を押さえながら、陣へと戻っていると兵の一人が俺に気づいてしまった。

「あっ、曹仁様おかえりなさ・・・・・」

 兵はしばらく硬直し、口を大きく開いて息を吸い込む。

 どうしよう・・・・ とてつもなく嫌な予感がする。

 何とかして、その口を押さえたかったが左手は傷を押さえているから無理だし、右手は秋蘭によってがっちり押さえられている。

「曹仁様、負傷! 繰り返す! 曹仁様負傷!!

 医療部隊にすぐさま伝達せよ!」

「やめろ?!」

 おもわず秋蘭の手を振り払って、陣の前で番をしていた兵の口をふさぐ。そんなことを言ったら、誰よりも先に白陽が来るに決まっているだろうが?!

「誰が、あなた様を傷つけたのでしょうか?

 この傷は剣ではありませんね、ましてや顔を傷つけたのです。長柄の武器・・・・・・ ならば該当者は一人、関羽で間違いないでしょうね。正面からやり合うには面倒な相手ですが、私は隠密。相手の武に対して礼儀正しく戦う必要は欠片もありません。では、少し行ってまいります。冬雲様」

 白い影が俺の前に降り立ち、俺の傷口にそっと触れてからその顔は悪鬼羅刹へと変わっていた。ほぼ息継ぎもしないで俺にそう言ってから、関羽の元へと駆け出そうとする彼女の手を俺はしっかりと握る。

 今、手を離したら、白陽は確実に関羽を殺してくるに違いない。だが、それは劉備たちと俺たちの間に二度と修復されない亀裂を作ってしまう。それだけは避けなければならない。

「白陽? それも大事だけれど、まずは冬雲様の怪我の治療よ。

 でしょう? 秋蘭」

 白陽に続いて俺たちの前に来た黒陽が冷静にそう言い、指摘した。

「あぁ。

 それに向こうにお前たち隠密が公に見られるのはよくない、私が選ばれたのはお前たちの行動を押さえるためでもある。

 何より華琳様や姉者たちが残って話し合いをしている。それを壊しに行くのか? 白陽」

「っ! ですが!!」

「非常に言いにくいのですが、姉さま、秋蘭様」

 二人の会話に割って入ったのは青陽、その隣で紅陽が集まってきている兵たちに説明してこの場所を納めようと動いていた。

「まず優先すべきは冬雲様の治療。そして、場所を移すことだと思われます」

 青陽のその言葉に全員が頷き、俺は集まっていた兵たちに担がれるようにして天幕へと連れて行かれることになった。

「足とかは全然何ともないんだからやめてくれーーーー?!」

 過剰な優しさは、受けている側は非常に恥ずかしいものだと俺は身を持って実感した。

 

 

 白陽によって丁寧に傷口を洗われ、青陽が傷薬を塗り、秋蘭が俺の顔に包帯を巻いていく。黒陽と紅陽は俺のことを心配して集まった兵たちを散らし、指示をしてから戻ってきていた。

「・・・しかし、どうするかな」

 右目ごと覆い隠すように巻かれた包帯に触れ、両断されてしまった仮面を見る。もともと変えるつもりではあったからいいんだが、こんな形で壊されるのは予想外だった。

「冬雲様? 今は仮面(それ)よりも今の状況でしょう」

 黒陽の心底呆れたような顔を見ながら、俺は笑う。

「どうせ、今回の策をあちらは何があっても譲る気はないだろうさ。

 あの場所に俺が居ても関羽に油を注ぐだけだしな、俺たちは華琳たちが状況を収めて帰って来るのを待てばいい」

 不安といえば不安だが、俺が樟夏の立場なら同じことをしていただろうから強く責めることも出来ない。

 関羽に対しても、怒りに我を忘れての行動でやり過ぎた面もあるが、俺の行動を理解しろというのは無理な話だった。

「俺がやり過ぎた面もあるさ、本来なら放っておいてもよかったようなことをしたんだからな」

 弔ってやりたいという部分が大きかったが、装備がもったいないと思ったのも事実だ。

 あの状況下で劉備軍が装備を回収することも、遺体を葬る時間がないこともこちらにはわかりきっていたのだから。

「だが、お前がした行動で防げる面もある。

 樟夏の怒りは、私たちの思いの代弁だったさ」

「そう言ってくれると、救われるよ」

 秋蘭がそう言って背後から、俺の頭を抱えるようにして抱きしめてくれる。

「白陽ではありませんが、私たちも本当ならば関羽を殺してしまいたいんですよ?」

 そう言って黒陽が秋蘭に競うようにして、俺の右肩にもたれかかり血が滲む包帯へと触れた。

「黒陽姉さま、ずるーい! 私も冬雲様にくっつく!!」

「それなら、私も」

 そう言って紅陽と青陽は座っている俺の、左太腿と右太腿へと乗ってくる。白陽は一瞬迷うようにしてから、正面から俺の胴へと手を回して抱きついてきた。

「・・・嬉しいけど、動けないんだが?」

「「「「「あなた(おまえ)は動けないくらいにしないと動くでしょう(動くだろう)?」」」」」

 五人の声が重なり合い、それはとても耳に心地いいのは響きだけでその内容に俺はおもわず苦笑いしてしまう。

「顔なんだから大したことないし、鍛錬したいんだけどなぁ」

 事実、その通りだから反論することは出来ないが、それでも俺は動いていたかった。

「「「「「「「「「却下(です・だ)!!!!!」」」」」」」」」

 戻ってきた四人も合わせて、九人から一斉に怒られました・・・・

「・・・・意外と早かったな?」

 四人が戻ってきたことにより、五人はさっと離れ、俺たちはいつもの定位置である場所に座り直す。

 俺は空気を換えるように話題を変えて、華琳たちへと視線を向ける。

「樟夏が関羽の阿呆に、一撃当ててきたからな!」

 春蘭が誇らしそうに背を逸らして、樟夏の背を叩く。

「何やってきたんだよ、樟夏」

 俺は呆れながら樟夏を見るが、樟夏は双刃剣に軽く触れてにこやかに笑った。

「猪の頭を軽く叩いてきただけです。

 少しは冷静になったんじゃないですか?」

 俺はその説明に俺は頭痛がし、顔に触れていた。

 何だろう、今日の樟夏は凄く華琳の弟っぽい。

「どういう意味かしら? 冬雲」

 そう考えた瞬間、ついさっき見た樟夏と同じ笑みをした華琳が俺を見ていた。

「・・・・俺は何も言ってない」

 俺は冷や汗をかきながら、華琳から目を逸らす。

 こういうところが似ていると思ったなんて言ったら、何をされるやら。

「幸いなことに、あちらに兄者のしたことの意味を理解していた者が少なからずいましたので、本当に一撃入れただけで済みましたよ。

 どれほど強くとも、怒りで単調になった攻撃は読みやすかったのでごく短時間で済みました」

「そっか・・・・ ありがとな、樟夏。俺のことで怒ってくれて」

「礼を言われるようなことは、何もしていません。

 私が我慢ならなかっただけですよ、兄者」

 俺の言葉に対して、少しだけ照れくさそうにして笑う樟夏に俺は目を細める。俺は本当に良い弟を持ったと、つくづく思う。

「そろそろ軍議の話をしたいのだけれど、いいかしら?」

 華琳のその言葉に俺たちは華琳へと注目し、華琳は視線で雛里を促した。雛里も頷きながら、地図を広げた。

「あちらが提示してきた策は、やはり火計でした。

 布陣も、あちらが主導となって動くところもこちらの推測どおり。

 ただ、冬雲さんが負傷することはこちらにとって予想外のことだったので、冬雲さんを含め曹仁隊は今回本陣の守りに集中した方が良いことと、なるべくあちらと共に行動させることは避けるべきかと」

「そうなるだろうな・・・・」

 雛里の言葉に秋蘭が応え、皆も頷く。俺が負傷したことは既に兵内で広まってしまっているため、そのことで兵同士の争いになりかねない。

「籠城している彼らに火矢を放ち、三門それぞれに待ち構える形で兵を配備します。

 弓矢兵もあちらは不足していますので、私たちが脅かした相手をあちらが討つ形になります」

「完全に劉備軍が良い所をとる形だな!」

 不貞腐れるように言った春蘭の言葉は、皆の本音の代弁だったのか全員から苦笑が漏れる。

「雛里、一つ確認していいか?」

「何でしゅか? 冬雲さん」

 俺は手をあげ、一つだけ雛里に確認したいことがあった。

「その間、武のない劉備と北郷はどこに居るんだ?」

「本陣になるかと思いましゅ。

 状況を見渡せる場所にこそ本陣を置くべきでしゅから、弓矢隊と同じ崖の上になるかと思います」

 雛里のその言葉に頷きながら、俺は顎に手を当てる。

「兄者、おそらく孔明は機を見計らうために前線にいることになるかと思います」

「付け足すなら、あちらの関羽・張飛・関平も前線に立つことになるため、本陣の守りは実質私たちだけとなるでしょう」

 そんな俺に樟夏と黒陽が俺の考えていることを理解しているかのように、必要なことを言ってくる。

 そして、許可をとるために華琳の方を見ると、華琳は俺を見て微笑んでいた。

 いや、華琳だけじゃない。そこに居る全員が、俺へと優しく微笑んでいた。

「俺の考えることなんて、お見通しか・・・・」

 そうつぶやくと、華琳が俺へとあの眩しい瞳を向けて言い放つ。

「思いっきりやりなさい、冬雲」

 その笑みはこの大陸を自分の持てる力の全てを持って挑む、覇王のものだった。

 




あー・・・
樟夏の視点を書きたいのですが、この本編の最中に樟夏の視点を入れるのは何となく嫌なので樟夏の視点は黄巾の乱がひと段落してから、番外に置く予定です。
本編はどうしても冬雲視点ですので、わからないところはわかりませんからねー。

感想、誤字脱字等々お待ちしております。


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 共同戦線 間近 【樟夏視点】

サブタイトルで番号は今の状況的に直す作業が大変なので、黄巾の乱が終わってからまとめて直します。
そして、今回は話の辻褄は合わせてあるつもりですが、正直自信がありません。
ですが、これでいいと判断した結果でもあります。
楽しんでいただけるとよいのですが・・・・

いつもありがとうございます。


 あの赤い流星が落ちた日から、姉者と春蘭、秋蘭がどこか変わったことは気づいていました。

 明確に『何か』が変わったわけではありません。

 だが、ただ欲するがまま全てを吸い込んでいた姉者は、一本の芯が通ったように感じられました。

 盲目的に姉者に仕えることを目的としていた二人は基本変わりませんでしたが、これまで以上に自己の研鑽に割く時間が増えていました。

 これを『違和感』と呼べるほどこの三人の傍に居る者など私しかおらず、周囲の誰もが気づかないまま過ごしていました。

 

 そしてあの日、兄者と出会ったのです。

 

 兄者は私に、何かをしたわけではありません。

 普通に接し、話し、わかり合う。

 当たり前のように誰にも彼にも手を伸ばし、話しかけ、笑いあう兄者。

 そして、私が見てきた誰よりも、それこそ私の『自分は努力家だ』という自負すら霞んで見えてしまうほど全てに対して努力を惜しまぬ方でした。

 日が昇りきらぬ早朝の素振りの音、深夜まで消えぬ部屋の明かり、休憩の時間すらも町を歩いては民に話しかけ、困っていることがあれば手を、知恵を貸して笑顔を作る。

 人にも、勉学にも、鍛錬にも、全てに対して貪欲に吸収するその意欲は、私の中で並ぶ者などいないだろうと思っていた姉者に匹敵するほど。

 だが、兄者はその全てに対して笑みを浮かべて行っていたのです。

 目元に仮面をつけていてもわかるその笑みは、まるでこの世界の全てが愛お(・・・・・・・・・・)しくてたまらない(・・・・・・・・)とでも語るように。

 

 だからこそ、私には疑問と違和感が尽きることがありませんでした。

 

 姉者だけでなく春蘭たちまでその日に真名を許し、何も言わずとも互いにわかり合えているような言動と行動。

 それはいくら兄者が人に好かれやすいと言っても、説明がつかない。

 桂花殿、季衣殿との出会いでもそれは見られ、樹枝が姉者に問うたことはまさに私が知りたいことの代弁でした。

 そんな多くの違和感を抱きながらも兄者の傍に居た理由、それは

 

『何て凄いんだ! こんな圧倒されるような絵は初めてだ』

『頼りにしてるぞ、二人とも』

『樟夏が持っていた(もの)を褒めただけだって。

 それは俺じゃなくて、樟夏。お前が最初から凄かったんだよ』

 

 

 兄者がくれた多くの言葉が、嬉しかったから。

 他人は些細なことであり、笑われてしまうようなことだとわかっています。

 が、この女尊男卑の世界で、なおかつ己よりも優れた三人に囲まれて生きてきた私にとって、兄者がくれた多くの言葉は自分の全てを肯定されたように感じられてしまうほど大きなものだったのです。

 姉者たちの見えぬ繋がりを羨み、だからこそ『義兄弟』という明確な形で繋がりを持てることには樹枝と共に歓喜しました。

 そして何よりも、あの姉者自身から『いずれ伝えることになる』と口にしたのです。

 ならば、私たちは姉者たちを信じてその時を待つだけのこと。

 

 

 

 そして、時は今に舞い戻ります。

 偃月刀が兄者へと迫る中、周囲の音が妙にはっきりと聞こえます。

 雛里の悲鳴や春蘭の怒声、秋蘭の弓をつがえようとした音。そして、兄者の声。

「それは困るなぁ・・・・」

 苦笑交じりのその声は、こんな状況下であってもいつも通りで、そんな中で私はただ兄者が負傷しないようにと走りました。

 だというのに、その背には届かないのです。

 自分の体と足が鈍くなり、流れる時すら遅く感じられました。

 兄者の背が大きく、そして手の届かぬこの距離がひどく遠い。そんな錯覚すら抱いてしまう。

「俺は死ぬわけにはいかないんだよ」

 その言葉が発せられると同時に剣が砕ける音が響き、血が舞いました。

 

「「「「「冬雲(兄者)(さん)!!??」」」」」

 

 私たちの重なり合った声に振り向きもせず、兄者は立っています。

 その右手には砕けた剣を持ち、左手を傷に当て、目は関羽から逸らすことはありません。

 怪我を負ってもなお兄者は、私たちを守ろうとしていることがその背からはっきりと伝わってきてしまう。

 そして、そんな兄者の隣へと並ぶ瞬間、視界の端に移った姉者がわずかに顔をしかめ、何かに耐えるように拳を握るのを映りました。

「関羽・・・・ 貴様ぁーーー!!」

 私たちの怒りをそのまま表すように春蘭が飛び掛かろうとするが、兄者はその前に立つことで行動を遮る。そして、春蘭へと優しい声音で語りかけました。

「華琳の傍を離れるなよ、春蘭」

 その一言と傷を見て、沈静化した春蘭はどこか落ち込みながら姉者の傍に戻りますが、その目は関羽への怒りはけして冷めてはいませんでした。

 かつての春蘭なら誰が止めたとしても、溢れる感情に逆らうこともなく先程の関羽のように剣を振るっていたことでしょう。兄者の存在の大きさを、こんな些細なことからも実感します。

「さて、これは何の真似だろうか? 関羽殿」

 平静を装っているとわかっていても、冷静すぎるその対処に尊敬と同時にある種の恐怖すら感じました。

 自分へと刃を向けた者がまだそこに居る状況下、しかも相手はまだその凶器を持って襲い掛かってくる恐れすらある中でどうしてそこまで冷静で在れるというのでしょうか?

 だがその疑問以上に、私自身春蘭と同様に関羽へと冷たい怒りを抱いていました。

 

 こいつは一体、何をした?

 姉者たちの愛する者であり、陳留の民に愛されし赤き星の天の使い。

 曹の元に集う四季の一角であり、私の義兄に怪我?

 大陸のどことも知らぬところから出た雑軍の、将ということすらもおこがましい存在が兄者に怪我をさせた。だと?

 

「貴様がご主人様に言った言葉は所詮口先だけのもの、貴様は人の死を冒涜したのだ!!」

 関羽が何か言っているが耳に入ってこず、最後の言葉だけで大体の怒りの理由は簡単に想像することが出来ますね。

「ふざけるのも大概にしてもらいましょうか?」

 兄者ならば笑って誤魔化すでしょうが、私はもう我慢の限界が来ているんですよ。

 この『軍』ということすらおこがましい集団に対して、ね。

「樟夏?」

「兄者はしばらく黙っていてください」

 兄者の止めの言葉すら一言で斬り捨て、私は一歩前に歩み出る。

「自分が知っている範囲でしか物を考えず、それ以上考えようとした形跡が全く見られない。

 昨日の一件もそうですが・・・・ 主君も主君ならば、将も将ですね」

 『火葬』という未知なることに対して考えようともせず、ましてや聞こうとする耳も持たずに武器を掲げた。

 いえ『争いをしたくない』と言いながら、武器を持った彼女たちならばおかしくはないことなのでしょうが。

 言葉で解決すると言いながら、『賊を殺す』という手段をとった彼女たちならば今のような猪じみた行動もむしろ納得がいくというものでしょうね。

 そして私は、わざとらしく失笑する。

「どこで集めたかもわからない兵士たちに私たちから受け取った糧食と装備、あなたたちが守るべきものなど、それこそ己の身と真名を預けし者たちだけなのでしょう」

『お前が言う『それくらい』が、あらゆる苦労の元に生まれていることをお前はもっと知るべきだな!』

 あの時の兄者の怒りは、正当だった。

 今、あちらの軍を成り立たせている糧食も、纏っている装備も陳留の民の税。

 私たちが民と交わした『軍が民を守る』という、無言の契約の元に託されたもの。

 彼女たちに守るべきものなどなく、先日の戦いを見ても民を見ているとは思えない。

 守るべき土地も民もなく、ただ旗を掲げて兵を集め、黄巾賊と争うことは彼女たちの自己満足以外の何物でもない。

「なっ?! 貴様ぁ!!」

「樟夏! 言いすぎだぞ!!」

 怒りだす関羽、強い口調で兄者が注意してくるが私は言葉を撤回する気も、やめる気もさらさらありません。

「聞こえませんね、兄者。

 守るべきものが何一つなく、挙句、物事の一面を見ただけで全てを理解したつもりでいる愚か者にはこれくらいがちょうどいいでしょう?

 本来感謝してしかるべきである死者を弔った兄者を、己で考えることもせずにあり余る武を振り上げ、負傷させた。

 そもそも軍議にわざわざ赴いたこちらに出会いがしらに刃を向けた時点で、私たちを敵に回す理由には十分すぎるのですが?」

 そして、兄者を負傷させた今回の一件。姉者はまだ黙っていますが、一体どう対処成されるのでしょうね?

 陳留に残っている将と兵、そして民が聞いたらどうなることやら?

 正直今から、その混乱が目に見えるようですよ。

「大方、この情報すら自分で仕入れたものではなく、他の者か、兵の誰かから聞いたことを中途半端に聞いて飛び出してきたというところでは?

 だとすれば、とんだ猪ですね」

「それ以上の侮辱許しがたい、斬る!」

「やはり、あなたが武を振るう理由は自分を守るためではないですか?

 『誰もが笑っていられる』? 『弱い者が虐げられない』? 兄者に対して貴女は『口先だけ』と言いましたが、あなたの主である二人こそ(まさ)しくそうでしょう。

 現実を見ようとせず、理想だけを掲げて多くにすがって、己の無力を知ろうとしない。そしてあなたも孔明も、そうあることを許しているように見える。

 主君も、将も救いようがないほどの愚か者ですよ。あなたたちは」

 掲げられ自分が無知であることを改善しようともしない白の遣いと劉備も、それを指摘せずむしろ包み込もうとする関羽と孔明も、それを見ようともせずに放置している関平も、年齢を言い訳にして理解しないことを許されている張飛も、全員が愚かだ。

 その言葉に関羽が再び偃月刀を構えるのを見て、私も愛剣である『霧影無双(むえいむそう)』を構える。

「やめろ! 樟夏!!

 俺たちの目的は乱を治めることであって、こんな争いをするためじゃないだろう!」

「その火種を生んだ貴様が、何を語るか!!」

 関羽が振るった偃月刀を軽く弾き返し、私は鋭く睨みつけました。

「一度ならず二度までも・・・・ そして、今ので三度。貴女は、私の義兄に刃を向けましたね?」

 私の怒りの声にあちらの軍から複数の足音が聞こえ、私はそちらにわずかに意識を向け内心で舌打ちをしてしまいました。

 数が増えるのは面倒ですね。

「愛紗姉上! これは・・・・・」

「「愛紗ちゃん!!」」

 関平と無能主君達ですか。

 私はいまだに武器を構えたまま、そちらも関羽同様に睨みつけました。

「秋蘭、あなたは冬雲を連れて陣に戻りなさい。

 こちらの話し合いは私たちがするわ」

「だが、華琳・・・・」

「――――― ちゃんと治療を受けて待っていなさい、冬雲」

「わかったよ、華琳」

 姉者の言葉に兄者が渋るという珍しいやり取りを聞きつつ、兄者は秋蘭と共に陣へと戻って行きました。

 そうして兄者が去った後、硬直して動かないその場を変えるように手を叩く。

「まず樟夏、剣を引きなさい」

「ですが! 姉者!!」

 想定外の姉者の言葉に、思わず振り向いて怒鳴り返すと姉者の冷たい目がこちらを見ていました。

 そこには言葉と行動にこそ出していないが、確かな怒りがあることを示しいます。

「私たちはこちらに軍議をしに来たのよ? 本来の目的を忘れないことね、樟夏」

「・・・はい」

 怒りを抱いているのは私だけではない。

 今回それを露わにしているのが、私と春蘭というだけで雛里も、秋蘭も同様でしょう。

「軍議を行う天幕に案内なさい」

「軍議だと?!

 貴様らと話すようなことは・・・!」

「黙りなさい。関羽」

 怒鳴ることもない姉者のその言葉に、その場にいた誰もが威圧されたかのように押し黙る。

「自分がした行動の重みもわからない人間とは、会話をしたくないのよ」

「何だとぉ!!」

 姉者へと振るわれかけた偃月刀、これで四度目だ。

 ただし、姉者に言われたとおり、私たちはここに軍議をしに来たとわかっています。

 ならばと思い、私は姉者の前へとさりげなく歩みより、愛剣で関羽の足を払う。

「なぁ?!」

 無様に転ぶ関羽はそのまま体勢の崩れ、顎が来るだろう場所へと回した勢いをそのまま生かす形で拳を振り上げる。

「がっ?!」

 何をされたかもよくわからないといった表情で、そのまま崩れ落ち静かになりました。どうやらうまく当たりすぎて、気絶してしまったようですね。

「「愛紗(ちゃん)?!」」

 現に、そのまま倒れたまま起き上がらない関羽へと主君二人は大慌てを始めました。

 どうやら目で追えていたらしい関平は、私へと何やら複雑そうな視線を向けてきますが、結局は何も言わずに関羽を担いで別の天幕へ連れて行きましたね。

 それと入れ違いに孔明が走ってきて、その手には何やら書簡を持っていました。

「こんな状態じゃ、とても軍議は始められないので・・・・ はぁ、はぁ・・・・

 今回の・・・ この一件は、後日再び話をするという形で、先日の一件もありますし、こちらの顔を立ててくだしゃいませんか?」

 書簡を受け取りながら、姉者の顔は変わらない。

 それはつまり、こちらの予想していた通りの策だったことの証明。

「いいでしょう。

 本陣は手が空いているこちらの兵が守りを固めるけれど、大丈夫かしら?」

 さりげなく劉備たちがいることになるだろう本陣の守りをとる辺り、流石は姉者だと思います。

 おそらくはその際に、何かしらの行動を起こすのでしょうね。

 兄者も何もしないという筈がないでしょうし、人材の少ないあちらが前に出るというのならその全てを投入しなければ功績を得るほど動けないことは明白ですし。

「はひ! お願いしましゅ!!

 それでは、私たちはこれで失礼します」

 孔明は考えている余裕もないのか、その場で軽く賛同を示した後、その場を走り去っていった。

 そして、孔明が完全に見えなくなってから突然背中に衝撃が走りました。

「樟夏!! よくやった!」

 春蘭からのお褒めの言葉とともに、何度も背中を叩かれ、満面の笑みを向けられるなんて初めてのことで戸惑いますが、嬉しいものですね。

 おもわず口元に笑みがこぼれますが、姉者はそんな私たちに聞こえるように溜息をこぼしていました。

「・・・・まぁ、今回は不問としておいてあげましょう。

 関羽も何をされたかわかっていないでしょうし、あれ以上の最善の行動はなかったわ。

 何よりもこちらの想定通り且つ、劉備たちが本陣にいるこの策で私たちが本陣で彼らの安全を守るという建前を使えるようになったんだもの」

「樟夏さんは一体何をしたんでしゅか???」

 頭痛を堪えるように眉間へと書簡を当てる姉者と、私が一体何をしたのかわかっていない雛里に姉者が『あとで説明するわ』とだけ言って、その身を翻しました。

「さぁ、戻るわよ。三人とも。

 一度、軍議をしてから、戦闘準備よ!」

「「「はいっ!!」」」

 姉者のその言葉とともに、私たちは兄者たちが待っているだろう天幕へと向かいました。

 




そして、予告通り書けなくて申し訳ありません。
お菓子のネタは書いているのですが、まだうまくまとまってません。
本編も以下同文です。

感想、誤字脱字お待ちしております。


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21,共同戦線

書けました。
いろいろ苦戦しましたし、苦悩もしましたが、私は好きなように書いていきます。
その結果、読者の方が楽しんでいただけたら幸いです。

これからもどうぞ、よろしくお願いします。


 俺は崖の上から砦を見下ろしながら、傍らにいる右目代わりの夕雲をそっと撫でる。

 軍議後、策は日が暮れぬうちに実行されることが決定し、他のみんなは準備に移った。俺は視界不良のため危険であることと、本来の目的からずれた戦意向上を防ぐためにうろつくことを禁じられた。

 戦闘開始寸前の今も、黒陽たちと共に本陣にて待機をするように命じられた。

 過保護な白陽には杖を用意され、影の中に控えられている状態だ。

「劉備、か・・・・」

 かつての俺にとって、彼女は理解できない者だった。いや、それは今も同じかもしれない。

 俺が見てきた王が華琳だったということもあるが、警邏隊の隊長でしかなかった俺が彼女と接する機会などなかった。今回のように顔を会わせて名乗り合うのも初めてのことであり、あの時の彼女にとって俺は『天の御使い』という『理解できない何か』であったことだろう。

 

 だがそれは、俺にとっても同じことだった。

 

 黄巾の乱の頃にいつの間にか現れ、董卓軍連合にて活躍し、袁紹から逃げ延びた先で大きな勢力となって、俺たちと対峙した厄介な存在。

 優しき理想を掲げ、有能な将を持ちながら、何故か土地を持たずに転々としていた。だが不思議なことに、将も、民も劉備(彼女)へとついていく。

 争いを嫌い、人の死を拒んでいながら、彼女はあまりにも現実を見ていない。

 正直、どうして華琳と対立していたのかも、俺にはよくわからなかった。

「・・・・厄介なのは、関羽だよなぁ」

「殺ってしまいましょうか?」

「うん、それはないからな? 白陽」

 俺の独り言に、すぐさま返してきた白陽へと答える。

 影の中から溢れてくる静かな殺気を感じながら、俺はただいつもと変わらない声で何ともないように返せていた。

「殺させてください、冬雲様。

 劉備軍をこの先に残しておいたとしても、厄介な存在にしかなりません。特に関羽の独善的な正義感は危険であり、白の天の遣いの知識も良い方向へと向かうとは思えません」

 鋭い、というのが率直な感想だった。

 今後のことを考えるのなら、確かに劉備たちの矛である関羽を奪った方が楽ではあるだろう。

 だがそれは、俺たちが目指す未来(さき)ではない。劉備たちとの間に治すことのできない亀裂を作ることは避けるべきだ。

「却下だ。

 華琳と俺が目指しているものを、白陽たちならわかっているだろう?」

「ですが! 関羽は冬雲様を傷つけました!!

 華琳様たちに刃を向け、あなた様の命すら危うい状態に追いやったのです!」

 出会って日以来聞くことのなかった白陽自身の感情を露わにした声は、彼女がそれほど怒っていることを示していた。

 そして恐らく、この思いは白陽に限らず、将の、兵たちの思いでもあるだろう。

「あと一歩! あと一歩でも前にいたら、あなた様の命はなくなっていました!!

 いいえ、仮に命は奪われずとも! あと少しでもずれていたら、あなた様の目が斬られていたのです! もし、そうなっていたら私は!

 誰の制止があろうとも、関羽を殺しにかかっていました」

 最後の言葉だけがそれまでの熱を帯びた声とは違い、温度が急激に下げられた。

 そして俺はその言葉に、返す言葉もなかった。

 かつてのままだったなら、俺は確実に死んでいた。かろうじて華琳たちを庇うことは出来ても、自分のことまで頭が回らず、避けることは行動に移すことも出来なかっただろう。

 死ぬことはなくとも、剣で防ぐことも、ずらすことも出来ないまま、これ以上の怪我を負っていたことが簡単に想像できてしまう。

「かもな」

 だというのに、俺は笑っていた。

「冬雲様! 笑いごとではありません!!」

「だけどな? 白陽。

 俺はこの怪我をしたとき、ほっとしたんだ」

 俺はあの瞬間、死ぬわけにはいかないと思っていた。

 だが、同時に考えていたのは過ぎ去ったあの日に抱いた思いと同じで、俺はそれが少しだけ誇らしかった。

 『あぁ、俺は変われているのだ』と、無力のままでないことを誇らしく思えた。

「あぁ、華琳たちが怪我をしなくて、傷つかなくてよかった。

 この程度で済んで、俺でよかったってさ」

「冬雲様・・・・ あなた様はご自分の立場を低く見過ぎです!

 あなた様が死んでしまわれたら、どれほどの事態が起こるかをいい加減正確に理解なさってください!!」

 その言葉は軍議を終え、天幕を離れる間際に華琳に言われたことと重なった。

 

『冬雲、あなたはいつまで警邏隊の隊長のつもりでいるのかしら?

 いい加減、責務以外の自分の立場を正確に理解しなさい』

 

「・・・・あぁ、わかったよ」

 わかっていてもきっと、俺の行動基準はあの時から変わらない。

 だからこそ、変えることのできる未来(さき)を、少しでも成長できた今を使ってやりきってみせる。

 今よりも、もう少しだけ胸を張って、堂々としなければ、後ろの部下を不安にさせてしまうことを、今やっと気づかされた。

「もう少し堂々と、胸を張って歩いてみるよ」

「そうなさってください。冬雲様」

 その言葉を最後に俺たちの間には沈黙が流れたが、その沈黙はけして重苦しいものではなく、穏やかなものだった。

 

 

「・・・・そろそろだな」

 華琳と劉備の口上の元に鬨の声があがり、俺は兵たちの雄叫びを聞く。それと同時に背後から三つの気配を感じ、俺は呼ばれる前にそちらを向いた。

「冬雲、待たせたわね」

「待ってないぞ? それよりも華琳の口上を間近に聞けなかったのは残念だ」

 鎧姿の美しい華琳の背後に、どこか緊張した面持ちの劉備と北郷が立っていた。

 二人は俺が視線を向けると、さらに体を強張らせ、どこか申し訳なさそうに眉間にしわを寄せた。

「今回は、その・・・・」

 劉備が口を開くが、俺はそれを手で制し、首を振った。

「謝罪の言葉は不要だ、劉備殿。

 そちらの言い分もわかるし、関羽殿に関してはやり方は間違っていたとしても仲間を思いやっての行動だとわかっている。

 死者の弔いに関してはそちらに声をかけ、説明の場を設けてから行うべきだった」

 こちらにも不足があったのは事実だ。

 儒教の考えの元、理解されにくいことを一度経験しておきながら、相手への配慮が欠けていた。

 しかも、ついさっきまで敵として憎んだ相手を、共に戦った同朋と弔われれば怒りもするだろう。

「・・・・やっぱりあれは、火葬だったのか」

「あぁ、その通りだ。

 土葬ではあまりにも時間がかかりすぎるし、土地にもよくない。かといって野晒しは、次の賊を生んでしまう。儒教に反するが、これよりも良い方法が浮かばなかった」

 北郷の言葉に俺は頷き、さらなる説明を付け加える。

「ご主人様、火葬って?」

「あとで説明するよ、桃香。

 ありがとう、曹仁さん。俺たちじゃ手の回らないところをやってもらったこと、本当に感謝してる」

 俺たちを静聴し、戦場から目を逸らしていなかった華琳が、一瞬だけ俺にしかわからないように厳しく睨んできた。

 わかっているよ、華琳。『それはそれ、これはこれ』だろう?

「関羽殿に対する罰の件だが・・・」

「「っ!!」」

 俺がそう言った瞬間、緩みかけた二人の表情はあからさまに硬くなる。

「正直、俺としては罰がなくても良いだが、それはどちらの軍に対しても示しがつかない。

 それに、この傷に関して俺以上に怒りが収まらない者が多くてな」

 ちらりと見るのは護衛として立っていた兵の一人、今回本陣の守りを俺の部隊が行っているから当然だが俺の顔見知りの一人で在り、一班の隊長を務めている猛者だ。周囲に気を配ってはいるが、二人へと向ける怒りを隠そうともしていない。

下の者()の失敗は、上の者()が責任を持つべきだ。

 それがどんな独断の行動であっても、だ」

 たとえそれをどれほど将自身が否定したとしても、己がしたことは何らかの形で王に返って来ることを学ばなければならない。また王も、彼らが何を成しても受け止める義務がある。

 王は無知であってはならない。

 それは知識の面においても、責任の面においても、だ。

「今から始まることを劉備殿、北郷殿が目を逸らさずに見ることが、俺が劉備軍に下す罰だ」

 そう言って華琳を見るとわずかに頷き、俺もそんな彼女の隣に立つ。

 華琳が背負う多くの命の一端を背負うと、俺は決めたのだから。

「黒陽! 弓隊に火矢を放つように伝えなさい!!」

「はっ!」

 華琳の影から黒陽が飛び出していき、最初の一矢が紅陽と青陽が砦内に積み重ね、油をかけておいた食糧に刺さり、炎が生じた。

 そこから少しずつ混乱が生み、その混乱を飲み込むように黄巾の兵たちの頭上に火矢が降り注ぐ。

 混乱が混乱を呼び、人が人を押しのけ必死に生きようと出口へと向かって行く。

 火達磨になる者、矢が体に刺さり泣き叫ぶ者、水をかけ消火しようとする者もいるがそうした者は次々と降り注ぐ矢によって死んでいく。

 門から出ても待ち構えていた将、兵たちが彼らを次々と殺していく。首を斬り、腕を離れさせ、地面に倒れた者にもとどめを刺す。

「う・・ぁ・・」

「・・・ひどい」

「・・・・酷い、ね」

 二人の言葉におもわず零れてしまったらしい華琳の言葉は、どこか怒りと悲しみを帯びていた。

「その命を奪っている関羽殿を、二人は恐れるのか?

 この策を立てた孔明殿を、二人は『人でなし』と罵るのか?」

 俺はそう言って砦の外を、おそらく劉備軍が交戦しているだろう場所を指差した。

 死を恐れてなおも、大切な者のために立ち向かおうとする勇者たちがそこにはいる。

 いや、彼女たちだけではない。この場にいる者たちは誰もがそうなのだ。

 明日のため、家族のため、大切な何かのために、ただ必死になって生きている。

「多くの命を奪い、己の命をかけてまで大切な者を守ろうとする『将』を。

 人の命を奪うことを前提に策を立て、その未来(さき)を描こうとする『軍師』を。

 『王』の理想のために、あそこで多くの責任を背負って立っている者たちがしていることから、お前たちは目を逸らすのか?」

「「?!」」

 俺の言葉に二人が驚くような気配がし、わずかな間背後から二人が会話するような言葉が聞こえた。

「あなたは甘すぎるわ、冬雲」

 華琳が苦笑気味に俺へと囁くのを聞き、俺は首をかしげる。

「そうか? かなり残酷だと思うけどな。

 こんな光景を、死を日常的に感じることのなかった者に見せるんだからな」

 これを乗り越えなければ、劉備にも、北郷一刀にも華琳に並び立つほどのものがなかったというだけ。俺たちが何かしなくとも、大陸の塵となるだろう。

「これを超えたら、彼女たちは厄介になるわよ」

 その言葉とは裏腹に、華琳は心底楽しそうに笑んでいた。

「どうだかな。

 だけど華琳だって、こうするつもりだったんだろう?」

 俺はそれに対して、肩をすくめて苦笑するに留めた。

「どうかしらね?」

 互いにわずかに笑いあいながらも、俺たちは眼下に広がる光景を見続けた。

 黄巾の乱(これ)はまだ、始まりにしか過ぎない。

 これらも多くの血が、この大陸に流れてしまう。

 そしてこの乱の上に立つ俺たちは、この光景から目を逸らしてはいけないんだ。

 一つの命を軽んじることをしてはならない。

 だが、多くの命を見渡すことも忘れてはならない。

 王とは、なんと苦難の道を歩むのだろうか。

「王は、大変だよな」

 そっと華琳の左手と自分の右手を重ね、指を交差させるように握る。いわゆる恋人つなぎと言われるものなのだが、ただ重ねるのではなく今はこうしていたかった。

「そうね・・・・ 『王は孤独』だと、かつてはそう思っていたこともあったわ。けれど・・・」

 そう言ってから、華琳が俺の手を握り返してきて、少しだけ視線をこちらに向けてきた。

「私は、けして独りではなかったわ。

 この責務を共に背負ってくれるあなたが、多くの愛しい者たちがいる。

 それらは全て、私が望んで得たもの。『当然だ』と胸を張ることも出来る。

 けど一つだけ、私の予定に全くなかったものが、幸運なことに手に入った」

 そう言いながら華琳は手を伸ばして、俺の傷を包帯越しに指で撫でていく。

「それは・・・・ あなたよ」

 蒼き瞳が俺だけを見ている。俺はそこに吸い込まれるように、ずっと見つめ続けていた。

「あなたがいたから私は私を捨てずに、王となれる。

 愛しているわ、私の雲。

 どうかいつまでも、そうして浮かんでいて頂戴」

 その目は戦場を前にしているだけあって城ほど余裕はないが、それでも誇り高く美しい花が咲いていた。

「あぁ、勿論だ。

 俺の日輪、誇り高く美しい華。

 ふわふわ浮かんでた俺すら捕まえて、変えさせてくれた誰よりも愛しい人」

 俺を変えてくれたのは華琳、それをさらに高めてくれたのはみんなだった。

 なぁ? 北郷一刀。

 お前にとっての彼女たちも、きっとそんな存在だろう?

 天ではどこにでもいるような俺たちを出会い、必要とし、支え、変えてくれる。

 だけど、そこからは俺たちの努力次第。彼女たちと共に居たい俺たちがどうするかにかかってる。

 今、お前が立っているのは、歴史のどこにだって存在しない場所。

 天とは環境も、時代も違ってはいるが、人の本質は何も変わってなんかいない。

 何かを選んで、誰もが必死になって生きていることだけはまったく変わらないところなんだよ。

 

 しばらくすると、一歩また一歩と恐れながらも二人は俺たちの横に並んだ。

 その足は震えているが、二人で手をとり合って、まるで互いに互いを支えるようにして立っていた。

 まるで新兵の初陣を見ているようなその姿は弱々しく、だが必死に恐怖と立ち向かおうとする覚悟をその目に宿っているように見えたのは、見間違いではないだろう。

 (げん)に彼らは、そこからもう二度と目を逸らそうとも、後ろに下がろうともしなかった。

 『厄介な存在になったぞ?』と俺が視線を向けると、華琳はどこか満足そうに目を細めていた。

「なぁ・・・ 曹操さん、曹仁さん。

 この戦いの後の死体を片づけるのを、俺たちにやらせてもらえないか?」

 その申し出に俺は少しだけ驚いたが、いつも通りを心がけて答えた。

「かまわないが、王であるお前たちが現場に立つことは出来ないと思うが?」

「いいえ! 私たちも現場に立って行います!!

 私たちは・・・・ 朱里ちゃんや愛紗ちゃんたちが背負っている物を、恥ずかしいことに、何も知らなかったことが今やっとわかったんです・・・」

 劉備殿の言葉に華琳は本当にわずかだけ嬉しそうに目を細め、楽しげに笑っていた。

「こちらとしては一向に構わないわ。

 けれど、そちらの将たちが何というかまでは知らないわよ」

「「それは()たちが何とかします。どうかやらせてほしいんです!」」

 二人のその言葉に俺たちはゆっくりと頷き、二人はもうじき終わる戦いのために俺たちに背を向けたが、北郷は一度だけ振り返った。

「あの・・・ 申し訳ないんだけど、死体の処理の方法を教えてもらってもいいかな?」

 その申し出に俺は頭を掻きながら、まだあれが残っていたかどうかを思い出そうとしていた。

「あー・・・ 白陽。まだあの書簡、残ってたか?」

「ここに」

「あぁ、助かる」

 火葬を説明する際、多くの村で話し合いの場を設け、そのやり方に賛同してくれたところにはやり方等を説明する書簡を渡した。その余りが今、白陽が出してくれたこれだ。

 土葬はどうしても、農作業並の労力がかかってしまう。それをなくすための手段でもあったし、疫病を流行らせないための手段としても有効なため、官よりも民には受け入れられるのは比較的楽だった。

「ありがとう。

 それじゃぁ、また」

 そう言って駆け出す北郷を見ながら、俺は彼に多くの可能性を感じていた。

「これから大変だな、こりゃ」

 責任と命を見つめた彼らは今後、王と将、兵と共に強力な結びつきをもって俺たちの前に立ちはだかってくることだろう。厄介な敵になることは、間違いない。

「だからこそ、そのときが待ち遠しいわね」

 そう言って笑う華琳は楽しげで、俺はそれにつられて笑う。

 

 

 譲れぬ信念と信念のぶつかり合い、華琳が望む戦いの種がここに播かれた。

 いつか訪れるだろう彼女たちとの戦いは、きっと憎しみなど抱くことのないかもしれない可能性がここに生まれた。

 




次は前線での雛里・朱里、関羽・関平の会話を予定しています。

あともしかしたら、番外を消してこちらにまとめるように設置するかもしれません。
それは黄巾の乱を終えてから、のんびり考えたいと思います。

感想、誤字脱字等々お待ちしております。


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 共同戦線 直前 【雛里視点】

書けましたー。
雛里視点ですね、時間軸的には二十五話の前なんですが、ここの方が流れが自然だと思うのでここに置きます。
本当は昨日投稿したかったのですが、苦戦しました。

あー、番外書きたい。でも、本編も書きたい。
というか、未登場のキャラがいいキャラすぎて早く出したい。でも、展開的にまだ先になりますねー。はぁ・・・



 軍議が終わり、将である春蘭さんたちと兵の皆さんの準備が終わるまで私は天幕で待機中です。

 書簡に目を通そうと思い、手を動かしてもそれが止まってしまいます。

 手が、震えていました。

 あぁ、私は怖いんだと気づき、そして、これが初陣であることを今更ながら自覚しました。

 だけど、それと同時に脳裏によぎったのは、冬雲さんが怪我をする瞬間。

 私と華琳様を押した瞬間の彼の、あの必死な表情が忘れられません。

 まるで一度、自分が何も出来ずに失(・・・・・・・・・・)いかけたのではないか(・・・・・・・・・・)と思ってしまうくらいの必死さがそこにはありました。

 私たちを押しのけて向かってくる関羽さんの攻撃を受けてからも、彼は決して私たちの前から退()こうとはしなかったんです。

 倒れることも自分に許さず、叫ぶことも、呻くこともなく、私たちを守ろうとしてくれました。

 あれこそが全てを守ろうとする者の背なんだと、私はあんな状況の中で見惚れていました。

 それと同時に強く、思ったんです。

 

 私はこの人と同じ場所に立ちたい。

 守られる側じゃなく、守る側として横に立ちたい、と。

 

 力では役に立たないだろうけど、自分の出来ることで、この人の守る多くのものを一緒に守っていきたい。

 そして、冬雲さんがそうまでして守る華琳様の創る未来(さき)を見たいと心から思いました。

 華琳様を含めた数名が何を知っていようと、私たちが知らない過去があっても、そんなものは私たちには関係ないんです。

 今ここで皆さんが成していることこそが、私たちの全てであり真実。

「だから、私たちは戦います」

 おそらくは斗詩さんや樟夏さん、樹枝さんや司馬の皆さんも思っているだろうこと。

「私たちは他の誰でもない、皆さんに惹かれて、好きになったんでしゅ。

 守りたいんです、私たちの未来(さき)を」

 『誰もが笑っていられる世界』、それが劉備さんの掲げるもの。

 けど、華琳様が築こうとしているものは『誰もが幸せになる世界』。

 それは似ているけど、きっと違う。

 おそらく華琳様の『幸せ』の中には、自分()も、私たち(将と軍師)も含まれている。

 そして、華琳様にそう思わせたのはきっと冬雲さんなんでしょう。

 少しだけ、その絆が羨ましいとも思ってしまうけれど、絆はこれからも深めていけます。

「頑張りましゅ!」

 そのために私たちは戦う(守る)んです。

 私が戦う理由、それが少しでも冬雲さん(あの人)に近いもので在ったらいいと心から願いました。

 

 

「雛里ちゃん? なんか孔明さんが呼んでるみたいなんだけど、どうするー?」

 紅陽さんの声に私は少しの間、閉じていた目を開き、そちらを見ます。

 司馬家の三女である彼女は、何故かほとんど私についてくれています。

 逆に青陽さんは桂花さんについているときが多いです。むしろ性格的には逆の方が適任だと思うのですが。

「雛里ちゃん?」

「あわっ?!」

 そんなことを考えていると目前まで紅陽さんの顔が迫っていて、やや赤よりの黄の右目がはっきり見えて驚いてしまいました。

「あっ、ごめんね?」

「紅陽さんも、目の色が少し違うんでしゅね?」

「ハハッ、綺麗っしょ?

 でも、白陽姉さまの目はもっと綺麗なんだよ」

 言った瞬間に失言だったかと思いましたが、紅陽さんは気にする様子もなく笑ってくれました。

「白陽さんが大好きなんですね、紅陽さんは」

 おもわずもれた言葉に、紅陽さんは嬉しそうに目を細め、胸を張ります。

「当然!

 ぶっちゃけ私も含めた下六人は、黒陽姉さまよりも白陽姉さまの方が好きなくらいだもん。

 あっ、黒陽姉さまも、もちろん好きだけどね?

 だから、白陽姉さまを救ってくれた冬雲様もだーい好き」

 白陽さんのことは以前に紅陽さんと行動しているときに聞いたことがありましたが、なんていうか本当に『冬雲さんだなぁ』と思って笑ってしまいました。

「私たち司馬家はみーんなしてこんな目だからさ、幼い頃は大なり小なり人に除け者にされるんだよ。

 でも、黒陽姉さまは周りを気にせずに早めに多くのことを学んでたから忙しくなっちゃったし、除け者にされる私たちを守ってくれたのって白陽姉さまだったんだよね。

 その守り方も不器用そのものでさ」

 嬉しそうに語っていく中で、紅陽さんはそこで苦笑いをしていました。

 遠くを見つめる目に、少しだけ後悔と寂しさを宿るのが見逃すことが出来なくて私は考えるよりも早く言葉に出していました。

「聞かせてもらってもいいでしゅか?」

 朱里ちゃんを待たせるのは気が引けるけど、さっきの件でこちらに対して強く言えない筈です。

「別に楽しい話じゃないよ? それに孔明さんは親友なんでしょ?

 友達は大事にした方がいいと思うなー? そう簡単にできるもんじゃないしさ」

 いつものように楽しげに笑って言う紅陽さんの目は真剣そのもので、それでも軽く言ってくれるのは、私を気遣ってくれたからなんだとそれだけでわかってしまいます。

朱里ちゃん(親友)は確かに大事でしゅけど、紅陽さんだって大事な仲間でお友達です!」

「えっ?」

 私の言葉に鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、口を開いたまま顔を真っ赤にしてしまいました。

「あ、えっと・・・ その、雛里ちゃんを仲間に思ってないというわけじゃなくて、ね?

 友達?って、私が?」

「はい? 何かおかしかったでしゅか?」

 そう言って私が頷くと、紅陽さんは顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまいました。

「あー!

 ・・・・なんか冬雲様が来てからこんな人ばっかりで調子狂っちゃうなぁ、もう」

 そう言って紅陽さんはしばらく髪をいじったり、熱くなった顔を隠したりしていたけれど私に目を合わせた。

「面白い話じゃないよ? ついでに言うと、大して長くもないよ?

 それでも聞く?」

「はい!」

 冬雲さんのように自然に誰かを救うことは、私には出来ないかもしれない。けど・・・ 悲しそうな仲間(友達)を放って置くことなんて出来ません。

「わかったよ、手短に話すから聞いてね」

 そう言って紅陽さんは語りだしました。自分の、自分たち姉妹の話を。

 

 

 私さ、子どもの頃って、きっと人が一番純粋で一番残酷な時だと思う。

 人のどこかが変だと除け者にして、それを理由に徒党を組んで仲良くなる。私たちのこれ()はさ、それの格好の的だったんだよね。

 黒陽姉さまは割と早い時期にいろいろ諦めて、外に出なくなったりしてたんだけど、白陽姉さまはわざと外に出てたんだよ。

 どうしてだと思う?

 ・・・・うん、そう。

 白陽姉さまはわざとそうして、自分が矢面に立ってくれた。

 姉さまに比べれば、私たちは本当に色がちょっと違うだけだからってさ。

 たくさん傷ついて、悲しんで、抱えて、それなのに私たちにはずっと優しかった。

 だから私たち下六人はね、ずっと姉さまに恩を感じてる。

 これは一生かかっても返しきれない、恩。

 でもさ、いくらこの恩を返したくても、守られた側の私たちじゃ駄目だった。

 いくら命を絶つことが止めることを出来ても、姉さまにとって私たちはね。

 いつまでも可愛くて自分よりも弱い、守るべき妹でしかないんだよね。

 悔しいけどさ、私たちじゃ一番守りたい姉さまを守れない。

 あとは雛里ちゃんなら、わかるでしょ?

 冬雲様が白陽姉さまを変えてくれた、救ってくれた。たったそれだけの話。

 

 

「ね? 大した話じゃないでしょう・・・

 って?! 白陽姉さま、いつの間に?! 冬雲様はいいの?」

 語り終ったところで紅陽さんは周りを見渡す余裕が出来たらしく、ずっと居た白陽さんにようやく気付いたようです。

「一時的ではありますが、青陽に任せてきました。

 それにしても、あなたの気配が一か所から動かないから来てみれば・・・

 一体他人様に、何を話しているんです? 紅陽?」

「・・・・私はそろそろ朱里ちゃんのところに行きますね」

 寒気がするほどいい笑顔で紅陽さんを見る白陽さんは怒っているようなので、私は苦笑しながらその場から立ち上がりました。

「送ってくよ?」

 紅陽さんは気まずい空気を逃げ出したい様子もなく、いつものように笑ってそう言ってくれましたが、私はそれに首を振ります。

「すぐそこでしゅから、大丈夫でしゅよ」

「そっか・・・

 ありがとね、雛里ちゃん」

「あわわ! 私は何にもしてません!」

 そう言って天幕を駆け足で去っていく最後に聞こえたのは

「私はあなたたちに守ったつもりはありませんよ、紅陽。

 あなた達が傷ついたことで傷つく、自分自身を守りたかったんです」

「でも、私たちはそれでも!」

「そして私は、あなた達に救われてもいました。

 私を慕ってくれるあなた達にも、こっそりと私を気にかけてくれた姉さんにも、ね」

 そんな温かな、互いを思いやる姉妹の言葉でした。

 

 

 

「朱里ちゃん」

「雛里ちゃん、来てくれたんだね」

 そう言って互いに微妙な顔をして、私たちはどちらともなく歩き出しました。

「ねぇ、雛里ちゃん。

 こっちの軍に来ない? 二人で桃香様に仕えようよ」

 朱里ちゃんの言葉に私は、ただ驚かされました。

「何を言ってるの? 朱里ちゃん。

 私は荀家のご厚意と、水鏡先生の信頼を背負っているんだよ?

 そんな身勝手なこと、出来るわけないよ」

 そう私はあの時、桂花さんたちを通じてこうして軍師という立場を用意してもらった。本来なら自分たちから飛び出して士官先を探さなくてはいけないのを、厚意によって用意していただいた。

 桂花さんがそうしたのも、ひとえに『水鏡女学院』という銘のついた存在が欲しかったという理由が大きいと簡単に想像できます。

「だけど! ご主人様の話してくれた天の歴史では、雛里ちゃんは・・・・!!」

 『天の歴史』、冬雲さんは一度として口にしたことのないものをあの人は語っていることがわかり、私は自分の中で何かが冷めていくのがわかりました。

 そんな言葉で朱里ちゃんを焦らせたんだね、あの人は。

 朱里ちゃんは私の視線を感じ取ったのか、途中で言葉を止めてしまいました。

「続けてみてよ、朱里ちゃん。

 あの人が朱里ちゃんになんて言って振り回したのかを、ね」

 私は怒っていました。そう、とても。

「振り回す・・・って、ご主人様はただ自分が知っていることを私に話してくれただけだよ!

 私たちがやりやすいように、先を示してくれただけで酷いことなんて何も・・・」

「それが『酷いことだ』って気づけないほど無知であることが、一番酷いよ!」

 反射的に怒鳴り、私は怒りで熱くなるのを感じていました。

「どこが? あぁ・・・・ そっちの御使いさんは未来の知識を話してくれないだね。

 だから私に嫉妬・・・・」

「嫉妬してるのは朱里ちゃんでしょ!!

 本当のことを言いなよ! 朱里ちゃん!!」

 冷静で、余裕ぶった朱里ちゃんに私は怒鳴り、隠された本音を親友として聞いてあげたかった。

 だから、朱里ちゃん。降ろしてよ、その重そうなもの(責任)を。

 それは本来、一人で背負うものでも、一軍師が背負うもの(責任)じゃないんだよ?

「人材も不足して、どこで集めたかもわからない兵を使い潰すみたいな策をとってまでして功を得ようとする。

 そんな策をとらなきゃいけない状況下で、朱里ちゃんは焦ってるだけじゃない!!」

「っ!!」

 私の言葉に下を向いて目を逸らすのは、朱里ちゃんの悪い癖。

 だけど、下を向いていても何も解決はしない。

 前を向かなければ、私たちは何も守れない。

 民も、仲間も、想い人も。

 そして今、背負える以上のもの(責任)を背負って苦しんでいる親友も。

「ほらっ、またそうやって下を向く!」

「雛里ちゃんにはわからないよ!!!」

 私の言葉に、朱里ちゃんはやっと怒鳴り返してくれました。

 顔を真っ赤にして怒るのを見るのは、水鏡女学院にいた時も見たことのない彼女の怒った顔。

「人材も、物資も、曹操さんっていう名も、御使いでありながら優秀な曹仁さんも、何もかも持ってる雛里ちゃんにはわかりっこない!!

 あんな策でもとらなくちゃ、功績をとれないこっちの現状なんて、私がしなくちゃ駄目なんだよ!!

 大体、そっちの人はみんなおかしいよ!」

 溢れ出した感情はまるで嵐のように激しく、朱里ちゃんが我慢していたことが一斉に言葉になってきました。

「官に刃を向けた時点で私たちは殺されたって文句が言えないのに、どうして私たちを許せるの?

 あの申し出だって本来なら殺されたっておかしくないのに、どうして結果的に受け入れてくれるの?

 一番わからないのは曹仁さんだよ!

 あんな言い争いをした軍の兵を、憎むべき黄巾賊の死体をどうして弔おうなんて思えるの?

 大怪我をしながらも、何であんなに冷静に私たちに向き合えるの?」

 私は朱里ちゃんの怒りの叫びを聞く。

 その叫びこそが、今まで朱里ちゃんがあの軍で背負わなければならなかったものだと思うと悲しくてたまらなかった。

「曹操さんも、他の将の人も・・・ 兵すらも怒っていたのは『自分たちが馬鹿にされた・見下された』からなんかじゃない!

 たった一人、曹仁さんが傷ついたっていうことにしか怒ってない!!

 私にはそれが、どうしてなのかわからないよ。

 ねぇ! 答えてよ!! 雛里ちゃん!

 どうして、どうしてそうしていられるの?!

 何で天の歴史も話そうとしない、あの人をそんな風に想えるの?」

 これは軍師の考え方だ、と思った。

 理論的で、全てに理由がないと落ち着かない。

 『相手の考えを想定し、その上を行く策を作る』という使命の元に動く、軍師の考え方。

 だけど私は、怒鳴り終った朱里ちゃんをそっと抱きしめていました。

「大変だったね、朱里ちゃん」

「雛里、ちゃん・・・・」

 驚いたような声を聞きながら、私は冬雲さんがいつもみんなにしてくれているように頭を撫でました。

「ごめんね、親友なのに・・・・

 そんな朱里ちゃんを支えてあげられなくて、こんな方法で聞いてあげることしか出来なくて、ごめんね」

 同じところに並んであげることも、一緒に背負ってあげることも、もう出来ない。

 それでも私は、親友を放って置くことは出来ないから、こんな方法しか取れない。

「ひな、りちゃん・・・・ うえぇぇぇーーーん!!」

 そうしてしばらくの間、泣いてる朱里ちゃんとこっそりと一緒に泣きました。

 

 泣き終わった朱里ちゃんと手を繋いで、私たちは一緒にその場で座っていました。

「朱里ちゃん。一つだけ確認したいんだけど、あの人が話した『天の歴史』の中に御使いなんて出てくる?」

 これは素朴な疑問でしかない。

 でも、これは決定的な違いだと思う。

「それは・・・・」

 言葉に詰まる朱里ちゃんに私はそれが正解だとわかり、ほっとする。

 きっと冬雲さんは『天の知識』という自分がいることで既に不確定となってしまったものを私たちに話しても、混乱しか招かないと思ったのか。あるいは、華琳様によって話すことを禁じられていたかの二択。

 私はそれだけを答えてから、そこから立ち上がりました。

「『木を見て森を見ず』、『天の歴史』なんて一つの考えばかり見てたら周りなんて見えないよ。朱里ちゃん。

 戦場も、軍も、未来(さき)も見えなくて不安で、怖いけれど、私はあの場所で一人じゃないことを教わったの。

 朱里ちゃんも一人じゃない。周りを見れば、たくさんの人がいるよ?

 何でも一人で背負っていたら、それは軍である意味はないよね?」

 きっとあの人たち(北郷さんと劉備さん)にも華琳様か、冬雲さんが何らかの処罰を下すだろうし、それも何をするのかは見当がついているけれど、私がここで言うべきことではないと思う。

 多分、朱里ちゃんが知ってしまったら、何としてでも防ごうとするだろうから。

 私はそのまま朱里ちゃんに背を向けて、軍へと向かおうとします。

「待って、雛里ちゃん。

 さっきの質問に答えてもらってないよ」

『何で天の歴史も話そうとしない、あの人をそんな風に想えるの?』

 私はその言葉にさっきの質問を思い出して、瞬時に想い人(冬雲さん)の笑顔が浮かんで顔が熱くなりました。

 だから私は振り返って、口元に指をあてながら微笑みました。

「朱里ちゃんも恋をすればわかるよ?

 この気持ちは理論でも、言葉でもうまく説明なんて出来ないことがわかるから」

 だってほら、笑顔を浮かべただけで私は、こんなに幸せになれるんだもん。

 驚いた表情の朱里ちゃんを置き去りにして、私は大切な皆さん(仲間)の元へ駆けていました。

 




雛里の成長が半端ないです。
ギャグパートが多かった分、その取り返しが来てますね。

次は関平視点の予定です。その後本編のつもりですねー。
合間にハロウィンが入るかもですが。

感想、誤字脱字等々お待ちしております。


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 共同戦線 直後 【愛羅視点】

書けましたー。

オリキャラの視点はやっぱり苦戦しますね。
ハロウィンが書ける気がしません・・・
というか、投稿が無事終了しましたら、作者は寝ます。

読者の皆様、いつもありがとうございます。


 遠目から事態を確認し、私はすぐさま主であるお二人の元へと駆け出していた。

『兄者はしばらく黙っていてください』

 だが、その直前に聞こえた怒りを宿した言葉に一瞬だけ振り返り、足を止めて声の主を視認する。

 まっすぐな金の髪を、肩を少し超えたあたりまで伸ばし、負傷した曹仁殿を守るようにして前に出た彼の姿に私は目を見開く。

 

 あの姿こそが、私が行うべきことだったことではないのか?

 姉上の言葉にただ従うのではなく、他の将たちに遠慮するのではなく、姉上の行為を律することこそが、私のすべき行為だったのではないのか?

 

 彼のその姿と言葉に、私は頬を叩かれたときのような衝撃を受けた。

 

 

 

 どこか浮かぬ顔で次々と黄巾の賊を斬っていく姉上の横顔を見つつ、私もまた姉上と同じ偃月刀 ――― 愛刀である『碧蛇下弦(ひゃくじゃかげん)』 ――― を振るう。

 戦いながら私は、姉上と共に歩んだこれまでに思いを馳せていた。

 たとえ玄徳様であっても語ろうとしない武人としての姉上の始まり、そしてそれはその場で共に変わってしまった(・・・・・・・・)私だけが知っている過去の出来事。

 

 

 姉上は昔から優しく、武芸に秀でた方だった。

 目上の者を敬い、幼い子どもたちにも笑顔を向けて遊ばせることが得意で、同じ年の者には好まれた。商家の娘でありながら、それを鼻にかけるわけでもなく誰からでも愛される不思議な力を持ちあわせ、人の中心にいることを自然にできてしまう存在。

 かつての姉上は、主である玄徳様とそう変わらぬ人柄を持っていたのだ。

 それに対して私は、幼い頃からそんな姉上と比べられてきたことによる反発心から、その真逆に育った。

 いや、『自分は自分だ』と叫び、そのありのままを周囲に認めさせたくて、自分から全く違うものになろうとしていたのかもしれない。

 大人の意見には反発し、すぐに泣く幼い子どもは不得手とし、同じ年の者からは疎まれる。そして、そんな者たちに対して、私自身すぐさま暴力を振るってしまい、その親からすらも疎まれた。

 武芸も、学問も両親が用意してくれた指導者ではなく、村はずれに住んでいた軍人崩れの老人から習い、文字もその老人から学びながら、あとは家にあった書物から独学で会得していった。

 私の味方は、姉上と師に等しい老人だけだった。

 『村で偏屈で有名な老人を慕う変り者で、乱暴者』、それが周囲からの私の認識だった。

 当然、そんな子どもを親が愛してくれる筈がない。そしてそれは、両親が渡してくれた偃月刀に銘となってはっきりと現れた。

 姉上の『青龍偃月刀』、私の『碧蛇下弦』。

 その頃から勝手に考えていたことのなのだが、おそらく姉上の武器の本来の銘は『青龍上弦』だったのだろう。

 満ちていく月には希望が宿り、天には青き龍が昇る。

 欠けていく月には絶望が溢れ、地には碧の蛇が降る。

 だが姉上はその武器を見て、私に言ってくれた。

「私たちが二人揃ってこそ、この月は満ちるのだな。

 これからもずっと共にいて私の背を守り、私の行いを正してくれないか? 愛羅(あいら)

 その一言で私がどれほど救われたかを、姉上はきっと知らない。

 私は両親を愛することも、私を疎んだ村の者たちを許すことも出来ない。

 だが、こんな私でも姉上と共に並び立つことが出来るのならば、私は上弦の片割れである下弦でいい。

 他の誰に言われようとも、私は姉上と実の姉妹であることこそが誇りだと感じた。

 だが、姉上は変わってしまった。

 いいや、違う。

 『変わらざるえなかった』という方が、正しいだろう。

 私と姉上が共に任された商人としての初仕事、苦戦しながらも成功させることの出来たことを報告しようと戻ってきた私たちを待っていたのは、変わり果てた故郷の姿だった。

 

 その日、私たちは初めて人を殺した。

 

「愛羅」

 姉上の短く私を呼ぶ声には、静かな怒りを宿していた。

「はい、姉上」

 答える私もまた、静かに偃月刀を抜く。

「行くぞ」

「えぇ、参りましょう」

 策もなく、互いにそれ以上の言葉も必要とせず、私たちは賊たちの中央へと突っ込んでいった。

 急を突かれた賊たちは戸惑い、私たちは次々と首を刈り、腹を裂き、肉を、骨を断っていった。

「ば、化け物だ!!」

「なっ・・・・ 貴様ら、自分がしたことを棚に上げて・・・!!」

 怒りで言い返そうとする姉上に私は手で遮り、笑う。

「あぁ、そうだろうな。

 だが、私たちが人でないのならば、貴様らもまた私たちにとって人ではない!!

 死ね! 畜生にも劣る塵芥ども!!」

 それ以上の言葉はそこから消え、ただ二振りの偃月刀は銀閃となって、辺りを血に染める。

 その場にいた全ての賊を斬り殺した後、私はただ空へと吼えた。

 人は失ってから、失くしたものが如何に大切だったかを気づくという。

 それが真実であることを、私はあの日に身をもって知った。

 故郷を失ってようやく私は、あれほど嫌っていた両親も、自分を疎んでいた村の者たちすらも、愛していたことに気づかされた。

 母の料理をもう味わえず、父の苦言を聞くことはかなわない。

 五月蠅いと思っていた子どもたちの遊ぶ声も、煩わしいと思っていた妙齢の女たちの井戸端会議も、酒を飲んだ男たちの活気も、全てがもう存在しない村であり、故郷だった(・・・・・)土地。

 燃え盛る生家、転がる知り合いの死体。そして、そこにはまだ新しい自分たちが生みだした賊の死体。

 私は全てを憎んだ。

 税を民からとっておきながら、賊を放置した官も。

 何の罪もない私たちの家族を、友を、故郷を壊した賊も。

 それを許す世すらも、私は憎い。

 誰を殺せばいい? 何を壊せばいい? どうすればよかった?

 どうしていたら、私たちは失わずに済んでいた?

 多くの疑問すら、怒りに飲み込まれて消えていく。

 不意に肩を叩かれ、そちらを見ると姉上の目にはかつてとは違う、燃えるような光が宿っていた。

 かつて宿していた包み込む光はなく、何かを壊すことでしかそこに在れない炎のような目。だがその光は、復讐しか考えられず、どこかが冷えきってしまった私には温かなものだった。

「共に弱き者を守ってくれないか、愛羅」

 その言葉がどれほどの怒りと悲しみを隠し、その思いの末に生まれた正義感だと知っていながら、私は姉上を肯定した。

 あてもなく、ただ賊がいると聞けばそこへ行って『民を守るため』と言って、賊を斬り殺す。実に馬鹿げた、それだけの日々。

 一歩間違えば賊と何も変わることのない、民から見れば賊と変わらない危険極まりない力を持つ放浪者。

 その過程でほとんど同じ境遇である翼徳殿と、主である玄徳様に出会った。

 だが私は、お二人と真名を交換することはなかった。姉上に促され真名を渡すことだけはしたが、私はお二人の真名を呼ぶことを拒んだ。私は姉上たちのように正義感から行っているわけではなく、ただの復讐心から行動だと自覚していたためだ。

 そんな私が、幼いながら槍をとって民のために在ろうとする翼徳殿の横に並ぶことも、武がなくとも民を守ろうとする玄徳様の真名を呼ぶ資格など存在する筈がない。

 同様の理由から、北郷様と三人が行った桃園の誓いにも参加しなかった。

 孔明殿が混じってもそれは変わらず、私はただ唯々諾々と指示に従っていただけ。

 

 だが、それは間違いだった。

 

 時が今に戻り、燃え盛る砦と多くの賊の死体が転がっている。

 姉上を見れば、先程と何も変わらない浮かぬ顔をしたまま、ぼんやりと空を見上げていた。

 私が思考を放棄していた結果が、姉上のあの行動だ。

 私は何をしていた?

 失くした故郷に縛られ、姉上すら見ずに拗ね、また失いかけた。

 それだけではない。

 私は一体どれだけの責任を、無意識に、誰かに押し付けていた?

「姉上、少しいいだろうか?」

 私が正さなければならなかったんだ。

 

 

「どうかしたのか? 愛羅。

 こんなところまで連れ出して、兵はいいのか?」

「翼徳殿に戦の前に伝えてあるので、問題はないだろうさ。

 さて、姉上。久しぶりに実の姉妹、水入らずの話をしないか?」

 曹操殿たちが居る崖からも死角になり、人気の少ないこの場所ならば私たちが何を話しても問題はないだろう。

「一体、何の話をするつもりだ?

 私は少しでも早く桃香様たちの元に・・・!」

「そのお二人の命どころか、軍の命すら己の短絡的な思考で危険に晒した自覚が姉上にはおありか?」

「っ!!」

 その言葉に私から背を向けて駆け出そうとしていた姉上は、こちらを鋭く睨みつけていた。

 これは私が見ようとしなかった物の一つ、姉上の怒り。

 だから私はわざと姉上の癪にさわるように、笑って見せた。

「一度目は曹操殿に刃を向けたこと、二度目は先程の件である曹仁殿に負傷させたこと・・・・ あぁ、二度目のことに付け足すならば官軍であり、装備・糧食を補ってもらった恩人の重鎮の方に刃を向けたことも、ですな?

 ハハッ、我らが掲げていた義すらも崩壊してしまいましたな」

 姉上の前でおどけながら、指折り数えていく。そうしていると姉上の眉間が動き、まるで怒りがそこに現れているようだった。

 すっかり鋭くなってしまった目つき、深く皺の刻まれた眉間。私が復讐以外を見ることを放棄していた間に出来てしまった、背負わせてしまった責任の副産物。

「だが!

 奴らはご主人様と桃香様を愚弄し、我らが同朋の遺体を焼き払ったのだぞ!?

 愛羅、お前はそれを許せるというのか!!」

「前から思っていたのだが、姉上はいつまでお二人を穢れの知らぬ存在にしておくつもりで?

 旗にするのは大いに結構ですがお二人が人間であることを忘れ、宝のように人々に遠目に見せてはその手に抱いて隠し続ける。

 傷の痛みも知らず、悲しみもわからず、死の重みを感じない。

 はたしてそれは、姉上が望む『王』なのか?」

 だがそれは、私も同じだ。

 私にとっても姉上とは、強く、明るく、何でも出来てしまう。笑うことはあっても、泣くことも、怒ることもしないそんな存在だった。

「孔明殿も、姉上もそうだが、何故お二人に現実を見せない!

 何故、二人だけで背負い込む?!

 穢れを知らぬ王を望むというのなら、生まれたての赤子でも、物の道理を知らぬ幼子でも玉座に据えておけばいい!!」

「愛羅!

 いくらお前であっても、言っていいことと悪いことがあるぞ!!」

 そう言って私との距離を縮めくる姉上に、私はさらに笑う。

「はっ! 怒るのか? 姉上よ!!

 姉上はただ過去に縛られ、故郷を失った(現実を知った)ことで変わってしまった自分に玄徳様を重ねて恐れているだけでしょう!!」

「っ!?

 違う! そんなことはない!!」

 私の胸倉を掴み、耳に痛いほど怒鳴ってくる姉上を私はまっすぐ見続けていた。

 私はもう、この表情から目を逸らしてはいけない。

「火葬に関しても、同様にあの日の村の光景に重ねた。

 そして、私たちの故郷を守ってくれなかった官が正しく力を振るうことも、人としてみていない賊を弔っていたことも気に入らなかった!

 そうでしょう?!」

 私は気に入らなかった。

 私たちの大切だったものを何一つ守ってくれなかった官が正しい力を持って戦い、その上で共に戦った者たちと賊が一緒に弔われた事実が許せなかった。

「違う!!」

 言葉とともに姉上の平手が左頬に当たり、私はそれをあえて避けなかった。それに対して私は、姉上と全く同じように右手をあげて、姉上の左頬を張った。

「そんな姉上を止めようともせず、全てを放棄していた私にも責任がある!」

 そう言って怒鳴った私に対して姉上は、ひどく驚いた表情で私を見ていた。

「愛羅・・・?」

 幼いころから乱暴者や変り者として知られた私だが、家族にだけは手をあげたことはなかった。

「私こそが! 姉上を支えなくてはいけなかったんだ!!」

 翼徳殿にも、玄徳様にも、ましてや主にもわからないあの日を知っている私こそが姉上を止めなくてはならなかった。

 私はそれを、曹洪殿の行動を見ることによってようやく思い出した。

 そして同時に、姉上も同じことをしてしまっている。

「姉上は一体何を思って、あの方々を旗とした?!

 『劉』の名を、『天の御使い』という名を欲したがための行動だったのか!」

 いまだに驚いたままの姉上へと、私はさらに叫んでいた。

「姉上があの方々と『主従』でなく、『姉妹の契り』を結んだのは何のためだった?

 甘やかすため? それとも裏切らせぬためか?」

「そんな筈があるまい!

 私は桃香様とご主人様、鈴々たちと共に姉妹として支え合っていくために、契りを交わしたのだ!!」

 互いに胸倉を掴み合い、至近距離で怒鳴り合う。

 これが生まれて初めて行う、姉妹喧嘩だった。

「支え合う? はっ、笑えますな!

 姉上の頭では『支え合う』という言葉を、『庇護』と勘違いしているのではないのですかな?」

 『支え合う』とは、互いに助け合うことだ。一方的に守る『庇護』ではない。

 そして今の私たちは、その負担があまりにも姉上と孔明殿に偏りすぎている。それは支え合ってなどいない。

「なんだとぉ!!」

「何も知らぬものを王とし、ただの理想だけの張りぼてなど今の漢王朝と何が違うのです?!

 それが何を生んだかを、私たちはこの身をもって知っている筈でしょう!」

「ならば・・・・ 私はどうすればいいというんだ!」

 そこでようやく姉上の目に涙が浮かび、自分の胸倉を掴んでいた姉上の手を掴んだ。

「私もその責任を背負いましょう。

 少し違いますかな、これは本来全員で背負うべきものだった」

 私はもう逃げない。

 どんなことからも、決して目を逸らさない。

 そして、姉上の前に『碧蛇下弦』を見せるように差し出した。

「二つ揃ってこそ満ちる月のように。

 今度こそ私は姉上の背を守り、その行いを正しましょう」

 私は今までこの二刀を、両親が姉上と私を比べた結果だと思っていた。

 だからこそ、同じ『青』を『碧』に変え、『龍』ではなく『蛇』としたのだと思い込んでいた。

 だがその解釈は間違っていたのかもしれないと、今なら思える。

 天と地、上弦と下弦、右と左。

 どんな言葉で説明されたとしても、素直に聞き入れることを知らぬ私のためにわざと遠まわしに込められた思い。

《姉妹で支えって、生きて欲しい》

 遠回しすぎるその思いは、言葉にしてしまえばなんと呆気ないものだろう。

「愛羅・・・ ありがとう」

 姉上もまた私に答えるように、『青龍偃月刀』を差し出した。

「愛紗ちゃーん! 愛羅ちゃーん! どこーーー?!」

「二人ともー、どこまで行ったんだーーー!!」

「遅いのだー! もうお兄ちゃんも、お姉ちゃんも来ちゃったのだー!」

「愛紗しゃーん! 愛羅しゃーん!」

 遠くから聞こえる自分たちを探すその声に、私たちはおもわず顔を見合わせて笑ってしまった。

「さて、姉上。

 お互い頬が腫れ、妙な顔をしておりますが、我らが主君と同朋が待っています。行きましょうか」

「そうだな・・・・

 しかし、この顔の言い訳はどうしたものか・・・・」

 こうして姉上と笑いあうなどいつ振りだろうか、また姉妹で笑えたことが嬉しく、私は腫れて痛む頬を精一杯持ち上げながら笑っていた。

「仲良し姉妹の、数年ぶりの姉妹喧嘩だとでも言っておきましょうか」

「・・・・とても嘘くさいな」

「それでも、事実ですから」

 そう言って私たちは互いに手をとり合って、歩き出す。

 だが姉上は一度歩みを止め、私へと真剣な目を向けていた。

「今回の件で、私が罰せられた時は皆を頼む。愛羅・・・ いたっ!」

「姉上? ふざけるのもいい加減にしていただきたい」

 覚悟をした目を私に向けてくる、猪特性を持ち馬鹿な姉上の腫れた頬を指で突く。

「ふざけてなど・・・!」

「あなた一人が勝手に背負って、死ぬ気満々なことを喜ぶ者があそこに居るのですか?」

 そう言って私たちの視界に映ったのは、私が距離を置いてしまっていた仲間たちだった。気のせいかも知れないが、そこに並ぶ彼らの顔は皆どこかすっきりした様子でそれぞれの覚悟が瞳に映っているように見えた。

 その姿に『私たちはこれからなのだ』と、曖昧だが確かな予感をどこかで感じていた。

 




次は本編の予定です。
この話はもしかしたら、蜀編を書いたらそっちに移動させるかもですね。


ある意味ここからが、北郷一刀の物語が始まりとなります。
そして作者は書きだした当初より、こうすることを決めていました。

感想、誤字脱字等々お待ちしております。


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22,別離

ギリギリ午前中に投稿できたかと思います。
焦った・・・ 超焦った。
宣言通りに投稿できないとか、かっこ悪いことするところだった(汗)

今回のサブタイトルは結構適当ですね、始まりが『邂逅』だったのでその対義語にしたかったんですが明確な言葉がなさそうだったのでこれになりました。


 共同戦線から数日、劉備軍の死体処理指導や近辺に残っていた黄巾賊の小部隊の殲滅を行うなどと慌ただしい日々を過ごした。

「冬雲、入るわよ」

「あぁ」

 その忙しい中で俺は、今回の件で出た被害やそれに類する書類等の処理を任されていた。

 負傷していたことが理由の一つにあげられるが、糧食や装備、被害等のことをまとめる者がどうしても必要だった。

 本来は文官である雛里の方が向いているのだが、状況的に雛里には軍師としての仕事をやってもらうしかなく、書類仕事を片づける暇がなかったためだった。

「今回の被害は軽いようね、問題は装備面かしら?」

 笑いを含みながら、俺の書いていた書簡を覗きこむ華琳に対しておもわず俺は呆れてしまう。

「どうすんだよ、この装備とかの損失。

 あっちの軍の助力を得るためだったとはいえ、けして少なくはないんだぞ?」

「あら? あなたは、私がこの程度も相手に施せないような狭量な王にしたいのかしら?

 それとも、あなたたちの力ではこれくらいも補えないのかしらね?」

 すぐさまそう返してくる我らが愛しの覇王様の答えに苦笑しつつ、俺は書簡を書き上げる。

 今回の被害は少ないのは事実だが、正直得る物も少ない。

 今回の黄巾賊討伐の手柄は孔明の狙い通り、劉備軍の物となるだろう。だが、この近辺の民の一部は陳留へと流れてくる。

 しいて言うなら、この民こそが今回得るものだが、それにはまず民に投資しなければならないだろう。

「まったく、無茶言うよ。

 この後帰ってからも、またいろいろ忙しくなるっていうのに」

 戸籍も徐々にだが基礎を作れているし、それをどの機を使って実行に移すかが難しい。おそらくは、魏を建国した後となるだろうが、その前から軽く把握しておいた方がいいだろう。それに難民に等しい彼らには、住居と職も必要だ。

 現状では技術として取り入れられているのは火葬と浄水だけだが、それ以外もいろいろと取り入れたいことはある。浄水もまだ効率がいいとは言い難いし、改善の余地がある。

 だが、それにやはりまだ人材が足りていないし、技術が足りない。

「今はまだ焦るときではないもの、全てがこれからの私たち次第。

 そうでしょう? 冬雲」

 まるで俺の思考を読むように、華琳の青い瞳に見つめられる。

 やはり俺は、どうやっても華琳には叶わないようになっているらしい。

「それに今は、彼女たちが次にどうするかを見るべきでしょうね」

「そう、だな」

 いつまでも劉備軍と動く理由は俺たちにはない。ましてや、利益が薄いのならば尚更だ。

 俺たちには帰るべき場所があり、無事目的である功績をあげることが出来た彼女たちも俺たちと共に行動する理由はない。

「関羽の一件も、まだ終わっていないわ。

 あなたもあの程度で済むとは思っていないでしょう?」

「罰として足りないのはわかるけど、ここからは俺の分じゃない。

 むしろ、重鎮である俺を傷つけられたことと陳留の刺史である華琳に刃を向けたことだからなぁ」

 罪には罰が必要とされる。

 上に立つ王と将がこれを破ってしまえば、兵たちへの示しがつかない。ましてや、俺の分はほとんど兵たちには何をしたのかがわかっていない。

 だからこそ次は、誰の目からも明らかな形での罰が必要となる。

「それで? 華琳はどうするつもりなんだ?」

 決定権は華琳にしかない。

 そして俺は、なんとなくだがその答えをわかっていた。

「彼女たち自身に決めさせるわ。

 私はあれを見たあの二人がどういった決断をするのか、見てみたいのよ」

 そこには、俺が誰よりも愛する王の姿があった。

 あぁ、華琳。お前はどうしてそう在れるんだろう。

 あの過去よりも強靭に育つ恐れのある劉備に成長を促し、むしろ戦うことを望んですらいる。

 どこまで正々堂々と、自らが見定めた相手へと向かって行く姿はまさに『覇王』の名に相応しい。

「まったく、華琳は物好きだ。

 今なら弱小勢力である劉備なんて、すぐに潰せるのにな」

 おもわず零れた俺の言葉に、華琳は俺の口元へと指をあてて顔を覗きこんでくる。

「私は覇王となる者よ? 冬雲。

 今の劉備たちを潰して、一体何の意味があるのかしら?

 互いに譲れぬ信念のもとに最大の武を振るい、勝利を得ることにこそ価値がある。

 けれど今となっては、これすらも通過点に過ぎない」

 『わかっているんでしょう?』と目で問うてくる華琳に、俺は笑う。

 統一したその未来(さき)こそ、俺たちが見たい光景が広がっている。

「それとも、覇王たる私は嫌いかしら?」

 悪戯そうにそう言って笑う華琳に、俺は首を振って否定する。そして、華琳の腰へと手を伸ばして、軽く抱きしめる。

 彼女こそ俺が恋した覇王・曹孟徳であり、魏の日輪、俺の愛する寂しがり屋でどこか意地っ張りで、全てにおいて万能な少女。

「俺は覇王である華琳も愛してるよ。

 女好きな華琳も、料理に厳しい華琳も、将を信頼する華琳も、全部大好きなんだ」

 その全てが彼女自身であることを、俺は誰よりも知っている。

 そしてきっと、あの時のみんなもそうだってわかる。

 ただみんなは俺よりも将として優秀で、少女の華琳でなく王としての華琳に心酔していただけだ。

「フフッ、そうよ。

 覇王たる私も、私の一部でしかない。

 あなたがそれを、教えてくれた」

 今この時、この瞬間、華琳の笑顔は俺だけのもの。

 それがどれだけ誇らしいかなんて、誰にも教えてなんかやらない。

「仲睦まじいところ、大変羨ましく、微笑ましいのですが・・・・」

「?!」

 突然華琳の影から飛び出て来た黒陽に俺はおもわず腰を浮かし、目を開く。気配でそこに居るのはわかっていたが、いつものように空気を読んでそっとしておいてくれるものだと思ったんだが?!

 そして、腰を浮かすとか我ながら情けない上に、みっともねー・・・

「あら、残念ね。

 それともあなたも混ざりたいのかしら? 黒陽」

 さすが華琳、いつも通りの対応がいっそ清々しい。

 しかも混ざることを提案するとかね? もう華琳が、華琳だなぁと実感したぞ?

「それはとても魅力的且つそそられる提案ですが、今回は非常に残念なことに遠慮しておきましょう」

 笑顔でそう答える黒陽も、なんていうか流石華琳の隠密だよな。

 言葉に込められた熱と、送られてくる視線が本気だと語っているような気がするのは何でだ?!

「さて、本題です。

 あちらからお話があるそうです。

 天幕等の片づけも同時に行っているようなので、おそらくはこちらに別れの挨拶でもするのかと」

 話していた直後にこれ、か。

「どうする気だろうな?」

 こればかりは俺にも想像が出来ない。

 あちらが何を考え、思い、行動するかなど俺たちにはわからない。

 だからこそ、俺はここに生きている(・・・・・)ことを実感できる。

「それは見てからのお楽しみ、というものじゃないかしら?

 黒陽はこのことを春蘭たちに伝達、私たちが先に向かっているわ。それに追いつくように言っておきなさい。

 雛里の元にいる紅陽、秋蘭の元にいる青陽、曹仁隊の牛金には軍の撤退準備を指示。

 白陽は私たちについてきなさい」

「承知いたしましたわ、我らが覇王様」

「はっ!」

 次々と指示を出す華琳、それに笑みをたたえて答える黒陽、どこまでも真面目に短く応える白陽。

 黒陽はすぐさま天幕を飛び出して行くのを見てから、俺たちもゆっくりと立ちあがる。

「行くわよ」

 そう言って俺の前を歩む彼女の背に、今ここに居ない筈のあの仲間たちを幻視する。

 かつてはあれほど寂しく見えた背が、なんて多くの者に守られているんだろうか。

「あぁ」

 幻視した仲間たちを追いかけるように、俺は華琳の背に続いた。

 

 

 

「わざわざ呼び出して、申し訳ないね。曹操さん、曹仁さん」

 そう言って俺たちを苦笑で迎えたのは北郷と劉備、孔明。そしてあちらの軍の三人の将たちだった。

 用心のために帯刀はしているが、そこには最初ほどの警戒も殺意もない。

「それで、私たちを呼び出した理由は何かしらね?」

 行く途中で合流を果たしたこちらも、将の全てが揃っている。

 いまだに樟夏は関羽に対して警戒心が強く、いつでも動けるようにはしているようだが、この様子ならばその心配は無用だろう。

「曹仁さんを傷つけた件と、これからのことを話して別れようと思ったのと・・・・

 その後に、個人的に曹仁さんに聞きたいことがあるんだ」

 そう言って劉備と北郷は、今回の当事者であるために横に並ばされていた俺と華琳の元へと出てきた。

 そこに始めて出会った時の弱々しく、流れに身を任せていた者たちの姿はない。

 歩みだしたばかりではあるが、覚悟を決めた二人の王が俺たちの前に立っていた。

「今回の一件は全て、私たち二人が無知だったことから引き起こしてしまったことです。

 将であり、義姉妹である愛紗ちゃんを止められなかった責任は私にあります」

 劉備の言葉は自分が無知であったことを認め、彼女をいさめられなかったのは自分が悪いという。

 それは事実だ。姉妹の契りを結んだのならば、尚更彼女は『王』としてだけでなく、『姉妹』としても関羽のことを理解するべきだった。

「そして俺は、彼女たちの主としてもっと慎重に動くべきだった。

 天の情報も良かれと思って話して、朱里を焦らせて、結果的には愛紗を追い詰めてしまった。これは俺の責任だ」

 その通りだ、北郷が最初から天の歴史などに振り回されず、彼女たちを、環境を知ることから始めればこんなことは起こらなかった。

 そして二人は、俺たちへと同時に言う。

「「だから、罰するというのなら、()を罰してほしい(ください)」」

「「「「なっ(にゃっ)?!」」」」

 二人のその言葉に俺たち以上に後ろの将たち四人が動揺していることに、俺は大して驚くことはなかった。

 それは華琳も同じようだが、こちらも後ろの四人は少しだけ動揺しているかな?

「桃香様! ご主人様! あれは私が・・・・!!」

「そうでしゅ! 私たちが勝手にやったことです!!」

「何もお兄ちゃんたちが受けることないのだー!」

 二人の行動に対して、三人は口々に異論を唱えるが関平だけが驚いてはいるがすぐさま冷静になっているのが目に見えてわかる。

 この中で今、一番厄介なのは彼女だな。

「・・・・朱里殿、姉上、鈴々殿、主たちの会話は続いている。

 私たちが口を挟むべきではないと思うが?」

「「「だが(ですが・でも)!」」」

 そこで彼女は一度だけ蛇を模した偃月刀を地面へとぶつけ、音を立ててから三人をきつく睨みつける。

「主たちの決断に水を差し、覚悟を無駄にするというのならば、私は誰であろうと容赦はしない。

 これもまた、軍でありながらそれぞれ勝手にしてきた我らが受けるべき罰だ」

 関平のその言葉に三人が顔を伏せ、彼女は俺たちと主である二人に向かって頭を下げた。

「話に割っては言ってしまい、申し訳ございませんでした。我が主よ。

 そして、大変見苦しい所をお見せして申し訳ない」

 俺たちはそれには答えずに、俺は少しだけ華琳を見る。一見は厳しい表情を取り繕って腕を組んでいるが、コレは相当楽しんでるな。

「あなた達の将は納得していないようだけど、いいのかしらね?」

 苦笑交じりに頭を下げたままの二人へとそういう華琳は、楽しげでも真剣でどこまでも二人の真意を確認しようとしている。

「これは俺たちが決めることであり、話し合いの席を設けたら絶対に許してくれないことがわかってた」

「だから、勝手ではあったけれど二人で話し合ってこうすることを選んだんです」

「なるほど、ね」

 わざと少しの間の沈黙をもって、いかにも『どうするかを迷っている』と相手に思わせる行動をとってから華琳は口を開いた。

「では、処罰を下すわ」

 周囲はその言葉の次を聞き漏らすことのないように静まり、緊張した重々しい空気がそこに流れた。

「あなたたち自身が、自分の罰をこの場で決めて見せなさい」

 華琳の言葉に頭を下げていた二人はすぐさまあげ、顔を見合わせる。

 無論、後ろがまた騒ぎかけたが、それも先程のように騒ぐ前に関平が視線でそれを押さえていた。

 だが、王たる彼らには迷いがないように俺には見えた。

 北郷の視線を受け取った劉備が頷き、北郷はその場で制服の上着を脱ぎ、劉備は腰に差している『靖王伝家』を俺たちへと差し出した。

「・・・ほぅ」

「これは・・・」

「・・・確かに、相応でしゅね」

 それを見て、今度はこちらの背後から驚きと感嘆の声が漏れていた。

 俺も目を開いて驚くが、華琳の目はまだ厳しい。行動だけではその真意はわからない。ならば、次に華琳が言う言葉には察しがつく。

「この二つがどんな意味を持っているか、あなた達は本当に理解した上でこうしているのかしら?」

 皇帝の血族である証とされている『靖王伝家』と、『白き天の遣い』の証拠である白き衣は兵を集める理由となったものだ。

 それを捨てることがどれほどの意味があるかをわかっていなければ、たとえ兵への示しになったとしても罰には値しない。

「今の俺たちには『白き天の御使い』の名も、『皇帝の血縁』という名も相応しくない」

「私たちは無知で、今まで理想だけを掲げて何も見ていませんでした。

 この名に縋って、みんなに責任の全てを押し付けて、立っていました」

 覚悟を決め、己の無知を知った彼らは語る。

 そして、二人で支え合うようにそこに居る二人の姿が、俺にはひどく眩しく映った。

 俺とは違う北郷()がそこに居て、初めから何もかもが違うとわかっていても、彼女とは初めから対等に並んで立っていることが、ほんの少しだけ羨ましく思う。

「「これが今、将や兵を失わずに、()たちに出来ることの最大限の罰(です)」」

 今一度頭を下げ、白き衣と剣を捧げる二人の言葉に華琳は満足そうに頷いた。

「あなた達の覚悟と決意、確かに見届けたわ」

 そして一拍置いてから、華琳は俺に受け取るように促してくるので俺は二人から受け取る。

「白き衣と王家の剣はあなた達がこの名に相応しくなり、必要となるその時まで私が預かっておきましょう(・・・・・・・・・・)

「「えっ?!」」

 驚く二人に対し、華琳はそれ以上何か言うつもりはないようで、すぐさま背を向けた。

 本当に楽しそうでしょうがないと言った覇王の笑みを湛え、春蘭たちもまた華琳に続いていく。俺もまたそれに続こうとしたが

「あっ! 曹仁さん。

 聞いてもいいか?」

 立ち去ろうとする俺を呼び止める声に立ち止まり、俺は振り返った。

「何だ?」

「あんたは、天の歴史を知っているんだろ?

 どうして、そうしていられるんだ? 何で・・・・」

 俺は苦笑しながら、北郷へと向き直った。

 かつての俺には、そう考えている余裕もなかった。

 『天の歴史』に縋る前に命の危機にさらされ、真名を知らずに殺されかけたのは大きく、華琳自身がそれを広めることを禁じた。

「なぁ、北郷。

 お前にとって、関雲長とはどんな存在だ?」

「えっ?」

 俺の突然の問いに間の抜けた顔をした北郷を笑いながら、俺は続ける。

「直情的ではあるが仲間思い、武は強くともそこに居るのは、一人の女性じゃないのか?」

 たった数日、別に傍に居たわけでもない俺でも数度の行動でこれほどのことがわかる。

 それはより近くにいる北郷ならば、もっと多くのことを知っているだろう。

「俺にとっての曹孟徳という存在は強く、気高く、まさに覇王の名に相応しい存在であると同時に・・・ 寂しがり屋で、意地っ張りな、誰よりも大切な女の子なんだよ」

 俺にとって華琳たちがそうであるように、北郷にとっての劉備たちが支えであり、この世界で初めて出来た繋がり。

「俺は好きな女の子の前で少しだけ、胸を張りたい。

 ただそれだけのことに、こんなに必死なのさ」

 俺はそう言って腕を広げて、笑う。

 俺を支えてくれる彼女たちの隣に並びたい。恥ずかしくない自分でいたい。

 そう思う気持ちの根本にあるのは天だろうと、ここだろうと関係ないちっぽけな、それでも誰にも譲れない男の意地。

「・・・・そうか。

 あぁ! 俺も愛紗たちの良い所ならいっぱい知ってるんだ!

 どんなに魅力的で、素敵な女の子なのかをさ!!」

「「「ご主人様?!」」」

 劉備、関羽、孔明が顔を赤くして、北郷の口を塞ぎにかかっているところ見て俺たちも笑うが、華琳が意味深な笑みを浮かべて俺を見て呟いた。

「ご主人様、ね?」

 その目は『あなたもあちらにいれば、そう呼ばれていたのね?』と語り、俺の額に冷や汗が流れた。

「冬雲・・・ ご主人様・・・」

「冬雲ご主人しゃま?」

 ぶつぶつと小さく練習している春蘭と、もう言い出してこっちを向いて首を傾げている雛里が可愛い。じゃなくて!

「さすが天の御使い、あの強者揃いな将たちに『ご主人様』呼びをさせているとは私は恐ろしくて無理ですね」

「どういう意味だ? 樟夏」

 驚きの声をあげる樟夏は秋蘭によって、飛ばされている。

 あの野郎、余計な地雷を設置しやがった・・・・

 俺はこれ以上被害が拡大しないうちに、北郷達から背を向けて走り出す。

「曹仁さん!!」

 呼ばれた声に走りながら振り返ると、どこかすっきりとした顔で劉備たちに囲まれる北郷がいた。

「俺も頑張ってみるよ!!

 頑張って、みんなと一緒に並んでも恥ずかしくないくらいにはなれると・・・ いいなぁ」

 苦笑しながら、最後は尻すぼみになってはいる。そんなところが、かつての俺を思い出させた。

「『なれるか』じゃない、『なるんだ』!

 俺だってまだその途中だけどな!!」

 そういうだけ言って、俺は兵たちと共に天幕の片づけの指示をするために北郷達から走り去っていった。

 

 




さて、次は・・・・(ニヤリッ)
シリアスではないとだけ、言っておきましょう。

感想、誤字脱字お待ちしています。


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23,帰路 そして 再会

活動報告の宣言通り、書けましたー。

ただあまり時間がないので、見直しがあまりできていません。申し訳ないです。
それから土日は私用があるので投稿できません。
構想はねっておきますし、週一は守りますのでご安心を。
また、それに伴い今日の十五時以降から日曜の十五時までは感想の返信が出来そうにありません。
その辺りをご了承ください。

いつもありがとうございます。


「あぁ、冬雲。

 あなたに一つ、言い忘れていたことがあったわ」

 陳留への帰り道、華琳が俺を見てふと思い出したように口を開いた。俺はその次の言葉を待ちながら、聞き逃さないように夕雲に合図して近くに寄ってもらう。

「冬雲、あなたにはしばらくの間、左手に盾を装備することを義務付けるわ」

「はっ? 何で・・・・」

「『何で』ですって?」

 俺が疑問を口にしかけた瞬間、極寒の風が華琳から巻き起こったような気がしたのは俺の幻覚だろうか?

 助けを求めようと近くにいた雛里を見るが、雛里の背後に猛りくる鳳凰を幻視した。

 怖っ?!

 そして、二人だけじゃなく、周囲の空気もなんだか冷たくなった気がするんだが?!

「今回の件、あなたが持ち歩いていたのが一般兵と同じ安物の剣でなく、それなりの剣であったなら、たとえ関羽の一撃だったとしても壊れることはなく、こんな怪我を負わずに済んでいたと思うのだけれど?

 そしてそれは、『まだ、これでいい』などと言ってきちんと装備を揃えなかったあなたの不備によるものよ」

 華琳から怒りの笑みと共に語られるその事実に、俺はぐうの音も出なくなる。

「だ、だけどなぁ・・・」

「あなたがしたこと、したかったことはこの際、関係ないわ。

 戦力面としても、あなたは抜けられたら困る位置にいる。

 今回の一件は軍としての最良であっても、最高の状態ではないもの」

 そう言った後、馬上から俺に視線を向けて声には出さずに、口元だけを動かす。

 俺はその言葉を理解し、おもわず顔が熱くなる。

『それに私も、あなたが傷つくことが嫌なのよ』

 くっそ! 何だ、この可愛いさ!

 正論で負かされて言い返せないものあるけど、何も言えなくなるじゃねぇか!

「盾は既に作成の依頼は出しましたし、戻って数日すれば届くことでしょう。

 その時に使い勝手等を確認なさってください」

 黒陽の補足説明を聞きながら、俺は額には冷や汗が流れた。

 それって留守組のみんなが、もうこの怪我のことを知ってるってことですか?

 そんな俺の肩を秋蘭が叩いてきたので、俺がそちらを見ると何故か寒気のする笑顔がそこにあった。

「冬雲、安心するといい。

 おそらくはまだ、桂花たちはこのことを知らない」

 安心したいのに、秋蘭の笑顔にはそうさせてくれない何かがあった。

「初めから全てを説明させた方が、良質な反省材料になるだろう?」

「お前たちは鬼か?!」

 おもわず俺は叫ぶが、そんな俺を同情的に樟夏によって肩を叩かれた。

 が、そんな中でただ一人だけ、春蘭が地図とにらめっこしていた。

 言っちゃ悪いが、かなり珍しいな。

「どうかしたのか? 春蘭」

「いや・・・・ この辺りの村に何故か覚えがあるような、ないような?」

 首をかしげて不思議そうにしている春蘭に、俺も地図を覗きこむ。

 あれ・・・ 確かに、なんか見覚えがあるな?

「確かこの辺りの村は・・・・

 何でも気を使う者を中心にし、自警団が発足し、それをまとめる者と、村のあちこちに罠等を仕掛けてあるとか・・・ 黄巾賊が攻めてはいるようなのですが返り討ちにしているという情報が・・・・」

 樟夏のその言葉にあの三人が浮かび、苦笑いを作って華琳を見る。

「華琳・・・」

「・・・迎えに行って、おあげなさい。

 ただし、私たちは先に戻っているわよ。

 今回の件で民が流れてくることと、もう一件仕事が増えることが確定してしまった。

 桂花や樹枝、斗詩たちだけでは書類処理が間に合わないでしょうし、あまり責任者である私が留守にしているわけにはいかないもの」

 溜息を吐きつつも、華琳の表情に喜びが垣間見え、俺も笑う。

「冬雲、樟夏、曹仁隊の二十名を連れ、近辺の村の調査をしてきなさい。

 使える人材がいたら、その場で引き抜いてきなさいな」

「了解」

「はっ!」

 俺と樟夏は短く応え、隊から離れる。

 樟夏が不思議な視線を向けられながらも、俺は可愛い部下三人と再会出来ることが嬉しくて、口角が自然とあがっていた。

 頑張ったみたいだから、たくさん褒めてやらないとな。

 

 

 

 俺の白抜きの円に赤字の曹の旗、樟夏の紫の色に書かれた白銀の曹の旗を持って近づくと村全体に柵に囲っているところから、砂煙をあげて何かが近づいてくる。

 戸惑いながらも俺たちを守ろうと構える兵たちに、手で武器を下ろすように示してから、俺は夕雲と共にそっと前に出る。

 そして、夕雲に被害が及ばないように、そっとその背から降りた。

「兄者?!」

 俺のその行動に、樟夏がさらに戸惑いを見せるが俺は砂煙の中から見えた三人の人影を待っていた。

「隊長! 隊長!!」

「隊長なのー! 本物なのーーー!!」

「隊長! ウチら頑張ったんや!! 褒めて、褒めてぇ!!」

 俺の胸に文字通り飛びついてきた三人をしっかりと抱きしめて、倒れないように踏ん張っているとそんな言葉の嵐が巻き起こる。

「あぁ・・・ 頑張ったんだな」

「隊長! たいちょ・・・・」

 俺がそうやって順番に頭を撫でていると、不意に顔をあげた凪の顔が硬直する。

「そのお怪我は・・・・?」

 あっ・・・・ 包帯は取れても、傷はこのまんまだからなぁ。

 俺は先程も流したばかりの冷や汗がまた、額に流れている気がした。

「隊長に怪我をさせた、蛆虫以下の××野郎は一体誰なのー?」

 ・・・やっぱり自警団をまとめてたのって、お前か。沙和。

 ここでももうその方法やっていれば、そりゃぁ相当な守りを発揮するだろうな。

「ウチもそれ知りたいなぁ?

 ウチらの隊長に傷残るほど怪我させたんや、それなりの覚悟はあるんやろしなぁ?」

 ・・・・コレ、帰ってからもあると思うと滅茶苦茶しんどいな。

 どうしたもんかなぁ。多分先に帰ってても、さっきの感じだとみんな絶対に説明しておいてくれないだろうし。

「この怪我は、知っているかどうかわかりませんが、関羽が・・・・」

 樟夏の説明に三人の顔がどす黒い怒りに染まっていくのが目に見えてわかった。

 そして俺はそんな三人の表情を見て、あの(俺が消えた)後三人がどう思ったのかをなんとなく理解した。

 立場としてはあの時の仲間で最も低く、劉備たちとの関わりも薄い彼女たち。

 だが共に過ごした時間は華琳よりも長く、俺もまた部下として三人を可愛がり、手をかけた。

 わかっている情報も少ない中で、他のみんながどう説明したかはわからないが、一番関わりが深かった蜀が原因であることは想像できてしまったことだろう。

 だからこそ、三人はあの中の誰よりも蜀の面々を許せなかった。いいや、憎んだことだろう。

「関羽! あの軍はまた隊長を!!」

 そしてその考えが正しいことを、凪の言葉で確信する。

「三人とも」

 だが、守ることに憎しみはいらない。

 あの日々はきっと消えないし、傷は確かに残ったままだ。

 だけど・・・

「ただいま」

 たとえ結果論だったとしても、俺はここに戻ってくることが出来た。

 多くのことがあの日々と違うこの世界で、関係の全てを一からやり直すことも覚悟の上だったのに、彼女たちの記憶すら夢那が与えてくれた。

 その言葉に毒気が抜かれたように、呆気にとられる三人だが俺はそこに畳み掛けた。

「この傷はな、華琳たちを守った証なんだ。

 凪の傷と同じ、誇ることはあっても誰に恥じることはない。

 だからさ、久々に会ったんだから、そんなに怒るなよ。三人とも」

 まず、手始めに凪の頬を軽く引っ張ってから、沙和と真桜の頭も軽く小突く。

「た、隊長・・・・」

 凪は目を潤ませて、俺の胴へと回した腕に力を込めてきた。

「呆れるくらい、何にも変わってないの」

 俺の左手は沙和に固く結ばれ、肩に抱きついてくる。

「ホンマやなぁ。見た目はこんだけちゃうのに、ウチらが大好きな隊長のまんまや」

 真桜も幸せそうに笑いながら、右腕に絡みついてきた。

「それにしても、村からじゃ旗くらいしか見えなかっただろ?

 よく俺だってわかったな?」

「一目でわかります!

 こんな美しい雲のような白は、隊長の御心そのものです!!」

「そうなのー。

 隊長が沙和たちをいつも包んでくれたのー。でも、風みたいに悪戯じゃなくて雲みたいに柔らかそうな感じだったの」

「風に飛ばされて、あっちこっちうろつくとこもぴったしやな!

 一つのところに留まれんくせに、誰も見捨てないでいてくれはる。ウチらの大好きな雲や!」

 凪たちの熱い言葉に、突然影から白陽が出てきた。

「「「うわっ?!」」」

 三人が驚くのも気にせずに、白陽はその場で深々と頭を下げた。

「私の名は司馬懿、真名は白陽と申します。

 冬雲様の影を務める者、どうかこれからもよろしくお願いします。

 あなた方の冬雲様への思い、同じとは言いませんがひどく近しく感じます」

 そう言って頭をあげる白陽。そして、その目を見て凪は微笑んだ。

「私は楽進、真名を凪と申します。

 あなたも、隊長に救われたのですね」

 それは問いではなく、確認のようで、白陽もまた両目を隠すこともなくとても嬉しそうに微笑んだ。

「はい。この方が私を、救ってくださったのです。

 そしてあなたも、そうなのでしょう?」

 どちらともなく手を取りあい、固く結びあう二人を見て、俺は心からその光景が美しいと思った。

 凪の傷は、自分を顧みずに村を守ろうとした証。

 白陽の目は、一族の、彼女の両親の子である証。

 どちらもとても美しく、恥じることなど一片もありはしない。

「ウチらも忘れんといてや!

 ウチは李典、真名は真桜や!」

「私は于禁なのー、真名は沙和なのー!」

 そんな二人に突っ込んでいく二人を見ながら、俺は穏やかに笑っていた。

 そして、目を逸らしつつ、遠目で村を確認する。

 しっかしまぁ、周りが柵で囲まれて、村のあちこちに罠。そうでなくても先陣をきっただろう凪の気弾と、沙和が育て上げた自警団。

 ・・・・うん、一つの村がここまで力を持つのは危険すぎる。

 ていうか、三人がうまくやってなかったら、馬鹿なことを考えた奴が反乱の材料になりかねない。

「兄者、あまり時間をとられてはまずいのでは?」

 樟夏の俺を促す言葉に頷き、俺はその場で手を叩く。

「さてっと、嬉しいけど準備してきてくれないか?

 どうせ俺たちが来ることをわかってたんだろうし、それなりの準備はしてきたんだろう?」

「勿論や!

 隊長に贈りたいもんもあるし、そのための沙和による躾や!」

 し、躾か・・・・

 教えた俺も俺だが、そう言い切られるとなんだか苦い顔しかできないんだがな。

「村には沙和たちは飛び出すって言ってあるから、大丈夫なの!

 しっかり仕込んであるから、反乱しないようにしてあるの!!」

 沙和の説明に俺は笑顔を向けながら、『お前、どんな指導をしたんだ?!』というツッコミが口から出かかったが何とか飲み込んだ。

「それに、いつ来られてもいいように荷物もごく少量にまとめてあります。

 が、どうしても真桜の物は量が多くなってしまいますが・・・」

「「いつの間に(いつしてたの)?!」」

 凪、もうその縁の下の力持ち的なところが大好きです。

「荷車を一台、売ってもらってそれに積むか。

 少しなら手持ちもあるし、荷車を引く余裕もある」

 難点をあげるなら到着が少し遅れることだろうが、それも準備を一から始めた場合を考えれば短いものだ。

 俺はそう言って凪に財布を渡し、行くように促す。

「これで必要な物を買ってこい、

 俺たちはここで待ってるからな?」

「はい!

 隊長、天の遣いはお二人いると聞きましたが、今の隊長のお名前を聞きたく思います!」

 凪の言葉に自分が名乗ることを忘れていたことに気づき、自分に対して苦笑いした。どれだけ会えたことが嬉しかったのか、そればかりに夢中になってしまっていたようだ。

「俺の名は曹仁子孝、真名は冬雲だ。

 お前たちが『らしい』って言ってくれた通りの雲が、俺の真名だよ」

 真名を言わずとも、俺のことを知っていてくれる可愛い三人の部下へと笑った。

 

 

 三人を待つこと約半刻、おそらくは大半が真桜の機材だろう物を荷車に乗せて戻ってくる。そして、真桜が布に包まれた何かを抱えて、俺の元へ駆け寄ってきた。

「隊長!

 隊長に渡したいもんはこれや!!」

 それは一本の細身の剣、俺はそれを真桜に手渡されながらそっと鞘から抜き放った。

 そこに現れたのはやや赤みを帯びた刀身、まっすぐな剣をそのまま軽く素振りをするとなぜか不思議と手に馴染む。

 俺のためだけに作った真桜の心を表すかのように、振るっても動いても違和感がない。

「えぇみたいやね」

「真桜・・・・ この剣」

 まるで俺が何を使うかわかっているかのように誂えた剣に、ただ驚かされた。

「ほんまはもう一本用意せなあかんと思ったんやけど、あっちこっちから隕石の欠片かき集めるんはちょい金が足らへんかったんで、一本しか出来んかった~」

「しかも、隕鉄を使ったのか?!」

 俺はおもわず目を開いて驚き、三人を見る。

「そうなのー、集めるのに結構かかったけど、何とか一本分は三人で出し合って間に合ったの」

「幸い、自警団等の剣で村人たちからいくらか援助はしてもらえました」

「・・・・まったく、お前たちは」

 本当に可愛くてしょうがない、俺の大切な部下たちを見つめた。

 俺の前に集まって鳴いていた三羽の烏は、こんなにも自分たちで考えて行動していてくれた。

 三人の頭で考え、一つのことへと向かって突き進むその姿は三つ首の狼(ケルベロス)のようだ。

「ありがたく使わせてもらうぞ。

 それで、この剣の銘は?」

「『連理』や。

 まぁ、もっとも比翼はなくても、いつも隊長の傍にはウチらが()りますよって」

 一度だけ鞘越しに刀身を撫で、俺は三人へと笑いかける。

 俺の大切な、愛する人は多すぎる。

 なんて枝の広い連理だと呆れられるだろうが、これは俺の本心だ。

 みんなが好きで、愛おしい。これからも守りたいと思う。

 だけど、俺一人の力できることなんてたかが知れている。

 みんなの力があるから、俺はここに居られる。

「さっ、行くぞ。

 きっとみんな待ってるし、たくさん紹介したい奴らがいるんだ」

 三人を見ながら、俺は帰ってから起こる大変なこと以上に楽しみな嬉しいことに心躍らせながら、陳留への帰路についた。

 




この後は拠点ですね、その後はオリジナル要素が入ることを予定しています。

感想、誤字脱字お待ちしています。


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24,拠点 また 再会

活動報告で応援されたら、本当に実行させたくなりますよね?

単純バカでもいい。嬉しいじゃないですか、期待されたり、応援されたら。
読んでくださる方がいるから、書き手は頑張れるんですよ。

いつもありがとうございます。


「・・・・城に裏口があればいいのに」

 俺はもうすぐ着く陳留を前にして、思ったことが口から零れ落ちていた。

「冬雲様、裏口などが出来てしまったら、戦略的にはそちらを突かれるのですが?」

 白陽の現実的な意見に少しだけへこみつつ、夕雲にもたれかかる。

 あぁ、自分より大きな生き物の温もりっていいよなぁ。

「んで? 隊長。

 戻ったら何から作れば、えぇんですか?」

 真桜が俺を見て、にやりと笑ってくれたので俺は自分の足元にある木製の鐙を指差した。電車のつり革のような形をした木製のそれは、騎馬隊がまだ少ないからこそ出来た即席の代用品。

 だが、これによって安定感はだいぶあがり、まったく馬の訓練をしていない者であっても鐙がない状態の者に逃げるだけなら十分出来ることがわかっている。

「・・・・大量生産でっか」

 単純作業だと知ると嫌そうに顔をしかめつつ、もう何かを描きだしている真桜に軽く頷く。

「これは型が出来ればあとから楽なんだよ、鉄を流し込めば出来上がるようになれば、効率もいい。

 まぁ、華琳とか、一部の拘る奴らは特注品にするだろうけどな」

「そうやろなぁ、簡単に作れるっちゅうことは、装飾をつけるのも手間次第で自由自在や。

 ウチの腕の見せ所でもあるし、意匠はそれぞれの意見聞きながらやなぁ」

 ぶつぶつ言いながら、歩きながらも次々と書簡に多くのことを書いていく真桜に『あの頃もそれくらい真面目に書類やってくれればなぁ』とか考えてしまった俺は悪くない。どうやら同じことを考えているらしい凪も、苦い顔をしていた。

「それと俺用に仮面を作ってほしい」

 ついでに俺も一つ、注文しておく。

 これは今後のために必要な装備であり、もしかしたら戦場では常に装備するかもしれない。

「はいな、髑髏でえぇでっか?」

 髑髏か・・・ 確かに華琳の髪留めとか、春蘭たちの肩当て、実は他のみんなも髑髏の何かをつけてたりしているんだよなぁ。

 前はそれが少しだけ羨ましかったりもしたんだけど、俺はどの形にするかを決めていた。

「いや、鬼の面にしてくれ」

 真桜がその言葉に少しだけ驚いたようにしたが、察したのかニヤニヤしながら俺を見ていた。

 また見透かされてる気がするんだが・・・ そんなに俺ってわかりやすいのか?

「なら、白陽にも作りまひょか。

 隠密なら、顔は隠した方がえぇやろ?」

 どう見ても楽しんでいる真桜の言葉に、白陽が驚いたのが伝わってくる。

 それが何だか珍しくて、三人は白陽をいい意味で脅かせてくれてばかり。それが微笑ましかった。

「姉と妹たちの分も含め八つ、頼めるでしょうか?」

「まっかしとき!

 個々になんか特徴入れるかどうかも聞きたいし、あとで会わせてや」

「はい、お願いいたします」

 真桜の言葉がよほど嬉しかったのか、白陽は嬉しそうに口元を緩めていた。

「白陽ちゃん、今度お休みの時にでも服屋さんに行こうなのー。

 四人でたくさん、たくさん遊ぶのー」

「えっ? ふ、服屋ですか?

 あまり派手なのは苦手なのですが・・・」

 顔を赤くして、凪に助けを求めるように視線を移す白陽が何だか可愛らしくて、凪もそんな白陽に仲間を見つけたように苦笑いをしていた。

「白陽、諦めが肝心です」

「諦めなのですか!? 凪!?」

 ・・・・凪と白陽は似た者同士なのかもしれないなぁ。

 でも、真桜と沙和が緩んだところは二人がしっかり支えてくれるようになるだろう。

 きっとこの四人は、呼吸の合う最高の仲間になってくれる。

 俺がそう思いつつ四人を見て微笑んでいると、樟夏も笑っていた。

「楽しそうですね? 兄者」

「楽しいさ、白陽があんなふうに笑っているところを俺は初めて見るよ」

 年相応の笑みは俺へと向けてくる者とはどこか違うことが少しだけ寂しくて、嬉しくて、それを出してくれたのが三人であることが誇らしくてたまらない。

「兄者は本当に・・・ 雲のような方だ」

「うーん? そうかぁ?

 あんなに自由なつもりはないけどな」

 俺は笑いながらそう言うと、樟夏は表情を苦笑いに変えたのは何故だろうな?

 そんなやり取りをしながら城へと進みつつ、俺たちは陽だまりと戯れる三羽の烏を見守り続けた。

 

 

 

 俺たちを待っていたのは、門の前に仁王立ちをした桂花を筆頭とした留守番組だった。

 わー・・・ 軍師なのに、どうしてそんなに仁王立ちが似合うんだろうね?

 覇王が従えるのは仁王、鳳凰、大剣・・・ たった三人しか挙げてないのに、誰も勝てる気がしないのは何でだろう?

「兄者、そろそろ現実逃避をせずに進んでください。

 世は無常、それが理なのです」

 そう言って肩を叩く樟夏の悟りきった眼を見て、俺は諦めて歩き出した。

「ただいまぁ?!」

 俺が夕雲を引いて傍まで行くと、桂花がどうやったのかを確かめたくなるような形で飛びついて来た。

「桂花! 今の体勢じゃ俺が倒れた時、お前が怪我してたぞ!!」

 そう注意すると桂花は俺をきつく睨んだが、俺の顔を見てその目には涙によって潤んだ。

「この馬鹿! 何、私たちの許可も無しに、怪我をしてるのよぉ!!」

「あ、いや、その・・・ これには事情が・・・」

 俺の胸をポカポカと叩きながら、泣きながら怒鳴る桂花。その涙に言い返すことも出来ず、俺はとりあえず誤魔化すように桂花の頭を撫でる。

 そうしていると俺を囲むような形で、留守番組の季衣、斗詩、樹枝、灰陽、橙陽、藍陽、緑陽・・・ そして、流琉が立っていた。

「兄上?! そのお怪我は!?

 樟夏! どうして兄上が怪我をしたか教えてもらおうか!」

 俺の顔を見ながら、驚愕の顔をした樹枝が樟夏にほとんど怒鳴るように状況説明を求めていた。

「兄ちゃんに怪我をさせた悪い奴がいるんだね?

 僕がやっつけてあげるよ」

 あぁ、季衣まで怒ってるよ。

 なんか最近、怒り方まで春蘭に似てきたよね?

「兄様、やっと会えたのにどうして怪我をしてるんですか?!

 一体誰が・・・・!!」

 流琉?! せっかく再会できたのに、こんな怪我してごめんな。

 あぁ、でも会えて良かった。

「冬雲さんの顔に傷・・・・?

 冬雲さん! 大丈夫なんですか?!」

 そう言って俺の右側から、顔に触れてくる斗詩の目は涙に濡れていた。

「大丈夫だよ」

 右腕に桂花を抱きしめつつ、左手で斗詩の涙を拭ってから頭を撫でていく。そうした後に流れるような動作で左手は季衣を撫で、流琉を見た。

 桂花も再会を邪魔する気はないらしく、そっと俺の腕から離れた。

「流琉、頑張ったんだってな? 偉いぞぉ」

 再会したとき、季衣にもしたように俺は流琉を持ち上げて、そのまま強く抱きしめた。

「兄様・・・ 兄様ぁ!」

 そのまま流琉をお姫様抱っこしつつ、視線を樹枝に向けると・・・・

 あれ? 門の警備はどこに行った?

『曹仁様負傷、曹仁様負傷!』

 そう言って数十名の顔見知りの兵たちが町へと駆け出していくのを見て、俺は硬直し、冷たい汗が一筋額から流れていくのを感じた。

 最近多いなぁ、冷や汗。

「ちょ!? お前ら、何しに行きやがる!」

 そして、兵たちの言葉を聞き、注意の声に俺がいることを理解したのだろう民が一斉にこっちを見てくる。

「曹仁様がお怪我を?!」

「一大事じゃ!! 祈祷を!」

「見舞いの品を!」

「薬を!!」

「看病を!」

「これ、持ってって食ってくれよ!」

「酒もだ!!」

 俺は巻き起こりつつある事態に、流琉を抱えつつ決断した。

 

 戦略的撤退は、恥ではない。

 問題はその後、どう事態を丸く治めるかにかかっている。ならば、今は逃げよう。

 

「凪、真桜、沙和、早速仕事だ。

 アレ、任せた」

 うまく動かない顔に笑顔を貼り付けてそう言って、夕雲へと飛び乗った。

「お任せください!」

「冬雲隊、初仕事なの!」

「正式に発足しとらんから、やってえぇんか微妙やけど」

 打てば響くような心地よい凪の返事と、沙和の合いの手、真桜だけが割と現実的な意見を言ったけど、今は知らん。

 だって、この混乱の中心、俺の部隊だもん!

 ていうか、率先して広めてやがるし!

「樟夏、樹枝は桂花たちを安全に城まで護衛。

 俺は一足先に、報告をするために華琳たちのところに戻る」

「もっともな理由を作ってますけど、自分がここから逃げたいだけですよね?! 兄上!!」

「あー! あー! 聞こえん!!」

 樹枝からの正論に声をかぶせ、手綱と流琉を抱いているから手は空いていなかったが流琉が耳を塞いでくれた。

「兄者・・・・ 子どもですか・・・」

 そんな二人とは別の意味で女性陣からは何故か注目を浴びているが、俺は夕雲を撫でて走ることを促した。

 城までの短い距離だったが、流琉が終始顔を赤くして嬉しそうに微笑んでいてくれたから、俺もつられて笑っていた。

 

 

「意外と早かったわね? 冬雲」

 兵士の一人に見られるたびに大騒ぎされ、半ば逃げ込むように玉座の間へと駆け込んでくるとそこには先に帰ってきていた四人が集まっていた。

 しかもなんか全員、笑ってやがるし!?

「華琳、ここまで予測して、わざとやっただろ?」

 流琉をやっと降ろして、俺は荒い息を整えながらそこに座った。

「秋蘭が言ったでしょう?

 これはあなたの反省を促すためのもの、良質な材料がちゃんと効果を発揮した結果よ」

 楽しそうに笑みを浮かべつつ、俺の腰に差した剣を見つめる。

 俺もその視線に気づき、俺は身なりを整えつつ、立ちあがった。

「近辺の村の調査にて、気の使い手、兵の調練および指揮、そして腕に確かな技術を持った三名を確認し、連れ帰ってきた。

 現在は・・・ 俺が負傷したことによって起きた騒動の処理を、試験的に受けさせている」

「フフッ」

「物は言い様でしゅね、冬雲さん」

 俺の言い訳に秋蘭が笑い、雛里も笑みをかみ殺して苦笑している。

「反省したかしら?」

「そりゃもう、たっぷりとな」

 意地悪くそう言ってくる華琳から拗ねるように目を逸らしつつ、俺の脳裏はみんなの泣き顔や辛い顔が思い出される。

 ましてや、仕事や日常の些細なかかわりしかしていない民すらあの反応だ。正直、今から他のみんなに再会するのが嬉しいけれど、同時に悲しませてしまうことがわかっているからこそ辛い。

 だけど俺はどれほど泣かれると理解しても、みんなの命が自分の命と天秤にかけられた時、この命を投げ出すだろう。

 そうしないための今であったとしても、俺の気持ちはあの頃と変わってはいない。

「なら、この話はこれで終わりよ。

 どうせあなたの性格的に、どうしても変えられない部分もあるでしょうしね」

 溜息交じりのその言葉に雛里たちも同意するように頷いてから、席を立つ。

「では、私たちは桂花さんたちと合流して、他の仕事を片づけてきましゅね。華琳様」

「えぇ、しっかり頼むわよ。

 今回は秋蘭も、雛里たちの方を手伝いなさい。

 春蘭はいつも通り、兵の鍛錬を行いなさい。

 流琉はさっき言った通り、頼むわ」

「はっ」

「はい! 華琳様!!」

「お任せください」

 それぞれに指示を出しつつ、俺も何か手伝おうとその背を追いかけようとすると

「冬雲、あなたには話すことがあるわ。

 ここに残りなさい」

「了解」

 俺はそのまま華琳の横に立つような位置に移動すると、腰の剣へと触れてくる。

「真桜ね?」

「あぁ、作っておいてくれたらしい。

 俺が何を使うか知る筈もないのにな?」

 なんだか照れくさくて、自然と笑みがこぼれる。

 男だろうと、女だろうと大切な人からの贈り物は嬉しいもので、事実斬られた仮面は今も俺の懐に存在している。

「銘は?」

「『連理』だとさ。

 本当はもう一本作りたかったらしいけど、あの感じじゃ作りそうにないなぁ」

「あなたの比翼は、いつも傍にあるもの。不要だわ。

 まぁ、それにしては枝の広い連理で、誰とでも一緒に飛べてしまう比翼だけれどね?」

 真桜と同じ言葉と、どこかいたずらっ子のような笑みを浮かべ言われたその言葉に、俺は苦笑しつつ華琳の手を取った。

「俺と同じくらい枝の広い華琳がよく言うよ・・・

 話すことって、何かあったのか?」

 華琳はそこで地図を広げながら、洛陽から海へと矢印を描くように一見すれば十にも見える動作でそこを指し示した。

「近々、洛陽から海の方へと大風が来るそうよ?」

「・・・・何らかの対策を練った方がいいな、現地に赴いて確認してくるか」

 こちらにも被害が出ないという確証がないのなら、兵ではなく将の確かな目が必要になるだろう。

 だが、大勢ではそれはあまりも悪目立ちしてしまうし、民を怯えさせてしまう。ごく少人数にすべきだ。

「そうね、やるべきことをしっかりやった後、大風が被害を出す前にあなたが行ってくるといいわ。

 海の風は冷たいけれど、陽射しがあなたを照らしてくれるから問題ないでしょう」

 そして、黄色の布が置かれた場所へと×を描く。

「黄巾賊はまだ動きが見えないわね」

 眉間に手を当て、地図を凝視する華琳の目に映っているのはあの三人のことだろう。

 黄巾が騒ぎ出し、今に至るまで三人の情報が一切入ってきていない。

「あっちこっちで動いてるしな・・・ どこも情報が曖昧すぎる」

 あちこちで動いているから、情報が錯綜しているのも勿論あるだろう。が、それにしてはどこか違和感があるような気がしてならない。

 まるで誰かが意図的に情報を弄っているような、妙な統一性があるのだ。

「歌によって集められた兵、村を襲って金銭および食料を奪っていく農民崩れの賊・・・ たったこれしか情報が集まらないのは妙だ」

 民すら知っているようなことしか、情報として集まらない。

「そうね・・・ 誰かが裏で糸を引いている可能性があるわね。

 けれど、兵の数は無限ではないわ。

 この長期的な戦いであちらも疲弊してきたことでしょうし、そろそろ情報にも綻びが生じる筈よ。

 黒陽、白陽」

「フフッ、承知いたしましたわ。華琳様」

「吉報をお待ちください」

 話を聞いていた二人がすぐさま影から飛び出してきて返事をすると、珍しく華琳が黒陽の肩を掴んで制止させた。

「ちょっと待ちなさい。

 今日は流琉が、全員分の食事を作っているのよ?

 出発は明日、食事をちゃんと食べてから行きなさい」

 有無を言わさぬ笑顔を貼り付けて二人を怒る華琳の姿は、まるで子どもを叱る母親のようで俺は笑いを耐えていた。

 

 その夜、行われた食事は『宴』というにはあまりも穏やかで、『ただの食事』というには将全員が揃うというおかしな状態。

 仕事が山積み状態なので酒が入ることも、大騒ぎすることなかったが、何気ない会話が途切れることはなく、幸せな時間を過ごした。

 




次の内容は大筋は決めてあるんですが、一話にまとめられるかがちょっと自信ないですね。

感想、誤字脱字お待ちしております。


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25,幽州にて 【白蓮視点】

位置的に迷いましたが、とりあえずここにしました。

今日中に番外でもう一本書けるといいなぁと思っています。

読者の皆様、いつもありがとうございます。


 桃香たちが幽州を出立して早数日、私は今日も客将として留まっていてくれる稟、風、星と共に書類仕事に追われていた。

 何故か机の上を隙間なく埋め尽くしている書簡。

 そしてそれは、『済』と『未』と書かれた板が置かれた場所にはそれぞれ山のような書簡が、山脈のように連なっている。

 ・・・・気絶してもいいかな?

「何でこんなに書類があるんだー!!」

幽州(ここ)が比較的黄巾賊の被害を受けず、豊かだからですよー?

 白蓮ちゃんはお馬鹿さんですかー?」

 おもわず叫ぶ私に、風が書簡から目を逸らさずに答えてくれた。

 が、その答えはけして温かく、優しいものではない。

「国が豊かになれば、文官の仕事が増えるのは当然のことであり、それを行うのは為政者の義務です。

 叫ぶ暇があるのなら、一つでも多くの書簡を片付けてください」

 稟もそう返してくるので、私は最後に星へと視線を向ける。

 そこには非常に珍しいことにメンマを食べながらではあるが、机に向かって書簡を片づける星の姿があった。

「左様。

 白蓮殿の最終確認しなければならない書簡も多いのですから、しっかり頼みましたぞ?」

「何故か飴代やメンマ代、酒代の領収書も混ざってるけどな!!」

 出会ったばかりの頃は『気を抜くな』っていう激励とか思ってたけど、絶対違うよね?!

 おかげで給与から引かなきゃいけないから、どんなに疲れていても気が抜けないっていうね!

 十分割して、その一割くらいは負担してるけどもね?!

「それだけじゃないですよー」

「まだ増えるの?! 飴代!?」

「以前立ち寄った陳留にお気に入りのお店があるので、そちらから取り寄せていいのなら、そうしますよ?

 まぁ、それもなのですが、華蝶仮面による住宅等の破損費と鼻血による清掃代が回ってきていましてー」

「それくらい、自費でなんとかしようよ?!

 っていうか、片づける側の人間が率先して書簡の数を増やすようなことをするのやめないか?!」

 私のその叫びに当の本人たちはどこ吹く風で、涼しげな顔で書簡を片づけていた。

「冗談はこの辺りしておきましょうかぁ。

 ですが、この書簡の多さの要因は白蓮ちゃんにもありますよぉ?」

「まだ、言われるのか・・・ その件」

 痛い所を突かれて、私は机に突っ伏す。

 というか、桃香たちが提案してきたときも、その場で二人には言われたんだよなぁ。

「完全に、白蓮殿の自業自得です。

 彼女たちの協力によって助けられた面があるとはいえ、あれは気前が良すぎです。

 事実、前回の劉備たちの引き抜きによって生じた人手不足が、一部の農村から出始めています」

 稟も眼鏡を押し上げつつ、現状報告と共に苦言と呈される。

「次の収穫の遅れと収穫量の減少は、想定しておかなければなりません。

 そこを賊に狙われる可能性も高まるので、やはり警戒は必須ですね」

 桃香たちに兵の招集を許可してしまった時点で、覚悟していた事態ではあった。かつてなら手が回らずに困り果てていたところだろうが、今は客将である三人が居てくれるからこそ補えている。

「それに関しては星、頼んでもいいか?」

「任された。

 しっかりと務めると致しましょう」

 心強い言葉だと思った。

 このまま三人が幽州の将となってくれればどんなに良いかとも考えてしまうが、力を借りている側の私がそこまで望むのは図々しいし、『王』と『将』としてではない今の『友人』としての距離感が気に入っている。

「それと白蓮ちゃん、それに関することでもう一つ、報告があるのですよ」

 さっきまで浮かべていた笑みを消し、真剣な顔をして私に向き直った風に何事かと思い、私も書きかけた書簡を一度置いて向き直った。

「劉備軍となった兵の内、五百余名が先日の黄巾賊との戦いで亡くなったそうなのですよ」

「!?」

 その情報に対して一瞬腰を浮かしかけたが、冷静であることを心がける。

 ここを治める者として、取り乱してはいけない。いかなる理由があっても、感情で動いてはいけない。

 犠牲のない戦などない。

 それがどんな形であったとしても、互いに剣を持った時点で無傷であることなんてありえない。

 命の重さだけは為政者としての在り方や勉学をいくら学んでも、経験と自覚がなければわからないものだ。

「そっか・・・・

 ところで風、その情報はどこから得たんだ?」

「そうですねぇ・・・ 優しき雲が、陽の光りに乗せて風に教えてくれたのですよ」

 明確に名を言わないが、風はどこか嬉しそうに目を細めて窓から空を眺めた。

「また戦没者は丁寧に埋葬し、故人の所有物も少しではありますが届けられています。

 こちらがその書簡です。」

 稟も懐から出した一本の書簡を私へと投げつつ、風の視線を追いかけるようにして空を見ていた。

 私は二人にはあえて触れず、書簡を開く。

 

『まず、正式に名乗ることもなく、使者を出すわけでもない、こうした形で文を送る非礼をお詫びする。

 俺は、「赤き星の天の遣い」と呼ばれている者だ。

 彼女たちから聞いただろうが、戦没者である五百余名の亡骸はこちらの「火葬」というやり方で身勝手にも葬ったことを報告する。

 (「火葬」のやり方に関しては最後に記してあるのでここでは割愛させていただく)

 本来ならばあなたでなく、劉備殿に言うべきなのだろうが、彼らはあなたの民だった。

 あなたにはこの件の詳細を知る権利があると判断した結果であり、この件に関して一切の礼は不要。

 こちらが勝手にしたことであり、名も名乗らぬ者の言葉を信用することは不可能だろう。

 今回の戦没者は共に戦うことはなく、劉備殿の戦を遠目で眺めただけだが、あなたの民は黄巾賊相手に恐れもなく戦っていた。

 そしてそんな民であったのは、噂に聞く善政を敷くあなたの影響があったのではないかと感じた。

 

 この件はあなたの民と、あなたに敬意を表しての行動だと思ってもらいたい。

 

 最後に、あなたの民の冥福を祈らせていただく』

 

 気がつけば、目からは涙が零れていた。

 丁寧な文、そこからは書いた当人からのこちらへの気遣いを感じ、埋葬だけでなく遺品までわざわざ送られたことに心が震えた。

「赤の御使い殿は・・・・ 随分、優しい方なんだな」

「赤の御使い殿ですと?!

 もしや、風! 稟! あの方なのか?!」

 私が涙を拭っていると、星がその言葉に反応して勢いよく立ちあがった。

「星まで会ったことがあるのか?」

 私の言葉に星はまるで恋する乙女のように目を輝かせ、熱く語りだす。

「左様。もっとも短い時間ではありましたが、あの御仁とはぜひ会いたいと思っておるのですよ。

 あの方とならこの乱世、舞ってみるのも悪くないでしょうな」

 今、仕えてもらっている私としてはひどく微妙な気持ちになるが、星がここまでいう赤の御使い殿に興味を惹かれた。

 こうした心遣いをでき、星にここまで言わせる者がどんな方なのかが気にかかる。

「それで、白蓮ちゃん。

 この件に関して、劉備軍を責めないのですかぁ?」

 風の言葉に私は、釘を刺されたような気がした。

 おそらく赤の御使い殿も言外に、『あなたには彼女たちを責める権利がある』と告げてくれているのだろう。

 だが、それでも、桃香たちに兵を集めることを許したのは私だ。

「確かにその権利はあるんだろうけど、それでも民が選んだのは私よりも桃香だったんだよ」

 私に何か足りないところがあったから、あれだけの民が北郷と桃香たちについていった。

 それは誰に言われても変わらない事実であり、私自身がよくわかっている。

 たとえ現実味がなかったとしても、あの二人の言葉は民の希望となった。

「それに桃香は友達なんだ。

 私よりもずっと賢いし、広い器を持ってる。

 きっとこれから、多くのことに気づいていってくれるさ」

 世は乱れつつあるし、大陸に争いは絶えない。現実という残酷なものを見ずに済む筈がないし、身近な存在を失うかもしれないという恐怖に向き合って行かなければならない。

 ましてや、為政者としてやっていくつもりなら尚更だ。

「はぁ・・・・ 白蓮殿は本当に人が良い」

 稟は呆れを隠すこともなく、溜息を吐いた。

 その言葉に私は返す言葉もなく、赤の御使い殿の書簡を丁寧にしまっておく。

「そして、恋愛の面においても『良い人』どまりですよねぇ、白蓮ちゃんって」

「好意が好意のまま気づかれず、恋愛に発展しないで終わる奴だな」

 その後、続いた風の溜息に宝譿が同意して、私の方をビシリッと指(?)で指してきた。私はそれが悔しくなって、おもわず反論の体勢に入る。

「ふ、ふんっ!

 私は知っているんだ、文官や武官なんて我の強い女性よりも、男はみんな私みたいな普通の女がいいってことを!」

 結局男は、我や武、智が自分よりも凄い存在や、個性の強い相手は苦手なんだ。だから、普通の私の方が・・・

 自分で考えておいて、なんだか悲しくなってきた。

「フフフフ、風と稟ちゃんにはもう心に決めた方がいますからぁ」

「心に決めたあの方とあんなことや・・・・ こんなことを・・・・ ブフー!」

 風は勝者の笑みを浮かべ、稟は何を想像したのやら鼻血を吹き出していた。

「遥か高みから見下された?!

 ていうか、書簡が!?」

 風と星は慣れてるのか、さりげなく自分の書簡を汚れないようにしてるし?!

「風! その話、詳しく聞かせてもらおうか!」

 星は星で風に詰め寄ってるし?! お願いだから、書類を片づけてからにして!

 ていうか、ツッコミが追いつかないよ!

「白蓮ちゃんが如何に『良い人』で止まるか、という件についてですね?」

 風は風でずれたことをいってるし、今の絶対わざとだよね?

「そんなわかりきっていることはどうでもいい!」

「わかりきってるの?!」

 流石にそれは酷くないか?!

「当然でしょう?

 私塾で同じだったというだけの友人が応援のために来てくれたかと思い、中に入れて見れば予想していた以上に酷い裏切りに近いことで返されている。

 滞在中も主君と仰がれていた北郷殿、劉備殿は書類仕事もせずに、民と遊びほうける始末。まったく、酒を飲んで、メンマを食していた私すらも驚かせるほどでしたな。

 挙句民の一部まで兵として持っていかれても、白蓮殿は未だに劉備殿を『友』と呼ぶとは。

 これまで多くの者に会ってきたつもりではありますが、今の世に白蓮殿ほど人の良い方など会った事がありませぬ」

 えっ・・・・ なんか私、これまでにないくらい褒められてる?

 おもわず言葉が理解できずに固まる私に、風の頭から宝譿が飛び降りてどこかへと去っていく。

 そうすると四半刻も経たないうちに、風きり音と共に四人分のお茶を小さな手で掲げ持ってきた。

「まぁ、お茶でも飲めよ。白蓮嬢ちゃん」

 私も返事もせずに頭だけ下げて、お茶を啜る。

「はぁー」

「白蓮殿・・・・ もしや、褒められることに慣れていないのですか?」

 稟が気まずそうにそう問うてくるが、私にとっては大したことではないからむしろ問い返していた。

「えっ?

 だって、努力するのは当たり前のことだし、勉学に学べる立場にあるのなら国に仕えるのは普通なことじゃないのか?

 それに私、桃香と違って出来もよくなかったしなぁ。自慢の友達に少しでも近づきたかったし、傍に居るなら近づける努力ぐらいはしたいだろ?」

「「「何この子、健気で不憫・・・・!」」」

 三人が一斉に目頭を押さえ、目を逸らすのは何でだろう?

「それに不満があるわけじゃないけど、麗羽ほどの名家でもないしさ。

 財があればもっと民に出来ることがあるだろうけど、ないからって何もしない理由にはならないよ」

 桃香にも、麗羽にも心のどこかで嫉妬しているのはわかっているし、劣等感も抱いている。

 だけど、それは私が壮大な夢を抱かなくなる理由にはなっても、努力しない理由にはならなかった。

「普通な私は、自分が出来る範囲をわかっているつもりさ。

 この幽州だって、三人の力があって保っていることもわかってる」

 自分が無力なことは、自分が一番よく知ってる。

 私塾の中でも成績が中の下だった私が、どうして桃香の友人なのかを疑うような声もあったほどだ。

 私自身、それを知っていながら、桃香に問うことも、そう言った言葉に言い返すことも出来なかった。

「・・・・白蓮ちゃんを見ていると、昔の誰かさんを思い出すのですよ」

 頭に置かれた手の感触に私はおもわず顔をあげると、そこには目を細めた風が立っていた。そして、そのまま手が左右に動かされ、私はこの年齢になってあまりされることのない感触に身を任せる。

「白蓮ちゃんは無力じゃないですよぉ。

 それはここ数か月、仕事の様を見ていた風達が保証します」

 風の包むような言葉にがストンッと音を立てて、どこかに収まっていく。

「幽州の豊かさも、白馬義従を作り上げたのも全てはあなたの手腕。

 あなたがしたことは、この地に明確に形となって現れているのです」

 稟のその言葉はただ事実を言っているだけなのに、いつになく優しさを感じた。

「他の領地をいくつか見てきましたが、この土地ほど旅人や異民族に対して親切な民は見たことがありませぬよ。

 あなたの為政が作りあげたものをご覧あれ、白蓮殿」

 そう言って星が大窓を開けると、そこには町が広がっていた。

 昼が近いこともあって人が賑わい、こちらに気づいた何人かが手を振ってきた。私もそれに応えるように軽く手を振ると、満面の笑みを返してくれた。

「素晴らしいではありませんか。

 劉備殿たちが作り上げると言ったものを、白蓮殿はこの地ですでに成しておられる。

 あなたのどこが、現状言葉だけの劉備殿と家柄にしがみつく袁紹などに劣りましょう?」

 星は大袈裟に身振り手振りをつけて、笑ってそう言ってくれた。

「・・・・ありがとう、風、稟、星」

 三人の心遣いが心にしみて、私はまだ熱いお茶を呷った。

 まだ熱くても口内を火傷するほどじゃないし、気分を変えることは出来た。

「それで?

 赤の御使い殿に感謝の文だけでも送りたいんだけど、書いたら風たちに渡せばいいのか?」

「はいー、勿論風達による確認が入りますけどね?」

 一瞬だけ、風の背後に暗い影があった気がするけど気のせいだよね?

「・・・いつも以上に丁寧に書くように気をつける」

「そちらも、ですよ?

 白蓮ちゃんも、女の子ならばわかりますよねー?」

 怖い怖い怖い?!

 この殺気にも似た空気を出せるって、風って本当に文官なの?!

「あぁ・・・・ またぜひともお目にかかりたいものだ、赤の御使い殿」

 しかも星は星で上の空になってるし?! 作業の効率が!?

「風、ここ。計算間違えてるわよ」

 稟だけが真面目に書簡を片づける手を止めていない。その姿が鼻に栓をしていなければ、どんなに格好よく映っていたことだろうか。

「稟ちゃんはいいのですかー?」

「強い者に惹かれるのは女の性。

 そして強さとは武だけではないことを、私たちが一番よく知っているでしょう? 風」

 風の言葉にすぐさま切り返してくる辺り、話をしっかり聞いていたことを窺える。

 ・・・・あえて言うならどれだけ凄い人なんだよ。赤の御使い殿。

 そして私は気を取り直して、三人に聞こえるように言った。

「さてっと! 冗談もこの辺で切り上げて、仕事をしないと! 三人もよろしく頼む」

「わかりましたよー」

「はい」

「承知した」

 三人の合わない返事を聞きつつ、私も自分の仕事へと戻った。

 




次は番外、書いてきます。
もう過ぎ去ってしまった、お菓子の日ネタです。

感想、誤字脱字お待ちしております。


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26,陳留にて その後 虎との出会い

今週一つ目は、先週書けなかった本編の続きを。

どうでしょうね?
うまくまとめたつもりではありますが、詰め込み過ぎた気もします。

読者の皆様、いつもありがとうございます。


 陳留に戻って早半月、忙殺されるような毎日も徐々にだが解放されつつあった。

「まぁ・・・・ それでもこの書簡の山だけどな」

 俺たちは玉座を使わなければ置ききれない書簡の山に包まれ、処理している手が休むことなく動き続けている。そして作業を行っている机上も、書簡が小高くほぼ隙間なく配置されていた。

 動きが最小限且つ、決まった動きが出来る面子だからこそできる芸当であり、他の者にちょっかいを出されなどすれば崩れて大惨事を起こすことだろう。

 共に机に向かうのは華琳、桂花、雛里、秋蘭、斗詩という文官としての主戦力が注がれている。

 本来なら文武両道を()でいく樟夏、樹枝もここに投入される筈なのだが、武官としての仕事もあるし、何よりも本来は武官である俺と秋蘭、斗詩の分を補ってもらうために走り回ってもらっている。

 付け足すならば、文官の仕事は書簡を書き続けるだけではない。

 現地の状況を冷静に判断できる人材がいなければならない、そのためのこの配置だ。

「口よりも手を動かしなさい。冬雲」

 そう言った華琳も書簡からはけして目を逸らさず、半刻ほど前に流琉が休憩時間に入れてくれたすっかり冷めてしまった茶を啜る。

「あぁ」

 返事をしつつ、俺も次の書類に目を移す。

 つい先日、正式に発足された警邏隊についての書類だ。

 凪、沙和、真桜は警邏隊の隊長と隊長補佐という形で収まり、戦場では遊撃隊という一つの部隊となることになった。

 せっかく成長したあの三人を、俺の下に置くにはあまりにももったいない。『もっと力を活かせる所属を任せるべきだ』という俺の進言があったことと、華琳も他の皆も頷いたためだ。

 まぁ、当人たちは渋々だったが、力がある三人にはそれなりの地位についてもらわないと力を活かしきれない。

 全体を動いて柔軟に対応する部隊があると何かと便利だし、先陣の凪、統率の沙和、発想の真桜、一部隊としてのこの三人に隙はない。しいて言うなら軍略が足りないが、それもこちらが指示を出すか、雛里と行動を共にしてもらえばいい。

 騎馬隊ほどの速さはないが、どの部隊にも加勢できる部隊が一つあるだけで戦場の動きは柔軟さを増し、戦術の幅は広がっていく。

「五人とも、今手を付けている書簡が終わったら、四半刻ほど休憩を挟むわ。

 早く終わった者は補佐・・・は正直、邪魔にしかならなそうね。お茶の用意でもしてきなさい」

 俺がそんなことを考えていると、華琳から休憩の宣言が入った。

はいっ(了解・はっ)!』

 が、俺はもうこの書簡が終わるため、無事書き終えて周囲を軽く見渡す。

「俺、終わったから茶の準備してくるわ。

 ついでに終わった書簡を貸してくれ、厨房に行くときに置いてこれそうな書簡は置いてくる」

「あっ、ありがとうございます。冬雲さん」

「悪いわね」

 斗詩と桂花から終わった書簡を受け取り、書簡の量の多さのために真桜に先日即席で作ってもらった台車に乗せていく。

 ついでに買い置きしておいた菓子でも出すかな。

 そんなことを考えながら、軽い足取りで台車を押していった。

 

 

「みんな、菓子でも・・・・」

 俺がそう言いながら、手に茶と菓子を持って扉を開けるとそこには

 

「おかえりなさいませ、ご主人様」

 白と青を基調とした裾の長めのスカートと上着、服の要所には赤のリボンがあしらわれ、そこには職人の遊び心が見える。作業の効率を重視した服装はまさに古典的なメイドさん、その衣装を纏った斗詩が満面の笑みで俺を出迎えた。

「冬雲ご主人さま?」

 視線を移すとそこには犬耳をつけた雛里が俺を見上げるようにして、首をかしげていた。斗詩と形が近くはあるがややフリルが多く、まるで物語に出てくる小動物のようだ。

「と、冬雲・・・・様・・・」

 言葉を尻すぼみにさせながらも、俺を見る桂花は短めのスカートと半袖の上着。なんか桂花だけ、肌の露出多くないですか? 華琳だろ? 絶対コレ、指示したの華琳だろ?!

「フフ、主殿よ」

 そう言って俺の背後に回り、顎を指先で触れてくる秋蘭は・・・・ 何故執事服?! 秋蘭の凛々しい雰囲気と、きっちり着こなされたその姿。似合いすぎだろ?!

 

 ・・・あぁ、ここはきっと桃源郷に違いない。

 

 ってそうじゃないだろ! 俺!!

 冷静になれ。

 いろいろと言いたいことはある。というか、聞きたいところしかない。

 が、まずはこの素晴らしい光景へ賛美の言葉を贈るのが俺の役目、いや義務と言ってもいい。

「綺麗だよ、みんな」

 俺のその言葉に斗詩と雛里は頬を染め、桂花はそっぽを向き、秋蘭は笑みを深める。

「それで華琳、状況を説明してもらえるよな?」

 その光景を目に焼き付けるように視線をそらさず、元凶であり実行犯であろう華琳へと問うた。

「向こうの御使い(北郷一刀)が『ご主人様』呼びをしていることを言ったら、この通りよ。

 愛されているわね? 冬雲」

 やっぱりその件か、コン畜生!!

 叫びを内心に留め、とりあえず書類が置いていない方の机へとお茶と菓子を配置する。

「とんでもない地雷を投げやがった・・・・ あの野郎」

 おもわず苦笑いしか出来ず、俺はその机に突っ伏す。

 いや、もうなんか・・・・ 力が抜けた。

「いいじゃない。

 あなたはこの子たちの可愛い姿を見られる、私も目の保養になる。

 損はまったくないでしょう?」

「否定する気は全くないし、その通りなんだけどな?」

 脱力し、五人が俺へと笑みを浮かべて茶と菓子を食べ始める。

 そんな中、何を思ったか斗詩が自分の菓子を俺の口元へ持ってきて、あの言葉を言ってきた。

「はい、ご主人様。あーん」

 からかわれながらだが、俺はそれを拒む理由もなく口を開いて咀嚼する。

「ありがとう、斗詩」

 仕事の疲労と、さっきの精神的な疲労が甘い物で癒されていく。まぁ、『ご主人様』っていう発言で若干減ってるが、それも彼女たちの笑顔があれば全く問題ない。

 俺がそう言って茶を啜ると、茶碗を置いたら口元に次の菓子が来ていて、雛里が上目づかいでこっちを見ていた。見れば順番待ちをしているとしか思えない他三名もいる。

 絶対したことがないのに、妙な既視感(デジャヴ)が俺を襲ってくる。何故だろう?

 まぁいいかと思い、俺はそのまま茶の時間を過ごそうとした。

 が、俺と華琳、秋蘭と斗詩が気配に気づき、天井を見上げる。

「司馬懿、帰還いたしました」

 音も立てずに着地し、その場で膝をついて頭を下げる白陽に華琳が頷く。

「ご苦労だったわね、あなたが戻ってきたということは何か天気に異常でもあったのかしら?」

「はっ、大風があと数日中に海へと抜けるかと思われます」

 雛里と桂花は意味を理解したらしく、難しい顔をしだす。が、これが起きた時の対処は決まっていた。

 俺は体を伸ばしながら立ちあがり、不意に義弟二人の顔が浮かんだ。

「樟夏と樹枝には『仕事が増える?!』とか泣かれそうだな・・・」

 おもわず零れた言葉に、華琳を除いた四人がクスクスと笑いだす。

「はぁ・・・・ 馬鹿なことを言ってないで、予定通り対処に行ってきなさい。

 あなたがすると言っていた仕事よ?」

 華琳だけはしっかり溜息を吐き、俺を促す。

「ハハハ、わかってるよ。華琳。

 じゃ、少し行ってくるよ」

「えぇ、いってらっしゃい。

 供は白陽だけで平気ね?」

「それ以上、この修羅場から引き抜いていったら恨まれそうだしな」

 俺は笑いながら、扉の方へと向かう。

 そう、これはあの時から決めていた。

 俺が出来る最大限のことをする、してみせる。

「あぁ、そうだわ。

 忘れものよ、冬雲」

 華琳は何かを思い出したかのように呟き、俺はとっさに振り返る。

「えっ? 今から装備とかは取りに行くから、ここに忘れ物はないは・・ず・・・」

 その瞬間、唇を奪われ、呆けた俺の顔を撫でて囁いてく。

「見送りの口づけは、あなたの国での習慣なのでしょう?

 やることをやって早く帰ってきなさい。

 それから真桜のところに寄って、盾と仮面を忘れないように」

「突然すぎるんだよ・・・ 華琳はいつも」

「あなたの不意を打つのはかつてよりも随分難しくなったわ。

 けれど、あなたの驚いたその表情が私は好きなのよ」

 酷いなぁと苦笑を浮かべ、俺は順番待ちが出来ないうちに部屋を飛び出した。

「白陽、準備は?」

「既に出来ております。

 全てを厩舎前、夕雲も待機済み。今回は戦場での重装備の鎧ではなく、必要最低限の装備を揃えました。

 そして、こちらが真桜により作られた鬼の面でございます」

 顔の上半分を隠す真っ赤な面には二本の金の角、顔はしかめておらず、むしろ表情は無に近い。みんながつけている髑髏の細さをなくし、角を足しただけのような意匠だった。

 俺はそれを手早く括り付け、走りながら白陽から装備を受け取ってつけていく。

 厩舎前へと到着する頃には大雑把な装備は終わり、俺は腰に剣を、左手に盾を装備し、夕雲を走らせた。

 

 

 

 そのあとは現地に着くまで、強行軍だった。

 白陽から休憩をとるように言われながら何度かはとったが、正確な時かがわからない以上急ぐに越したことはない。

 今回の一件、正確な情報の元に動いてはいるが、それも予測の域を抜けない。

 それに天気によって、その予定は大きく変わってしまうこともあり得た。

 夕雲もそんな俺の気持ちに察してくれたのか、通常の馬ならば潰れているような速さで走っても物ともせずに走り続けてくれた。

 

 

 

「前方、目標発見!

 中央赤の衣、二名。敵影、およそ三十! その後衛に弓兵の影あり、その数およそ十!」

 目の前に広がっていたのは襲撃者と交戦する、鮮やかな赤を基調とした服を纏った特徴的な紅梅色の長髪。

 一人は妙齢の女性が大剣を振るい、拙いながらもその背を守ろうとする娘らしき女性が映る。おそらくは彼女たちが、孫堅殿と孫権殿だろう。

「俺はこのまま行く! 白陽は弓兵を殲滅しろ!!」

「はっ!」

 そのまま飛び込んでいく俺と弓兵の元へと回り込むように駆け出す白陽、俺は夕雲の足であと数歩のところで、遠目から矢が放たれたのが映る。

 邪魔な兵たちを斬り捨て、夕雲で蹴り倒しながら、二人の女性を守るように俺は左手の盾を掲げた。

 盾は二人へと降り注ぎかけた矢を弾き、夕雲から降り立つと同時に孫権殿と斬り合っていた賊の一名の首をはねる。

「父・・・さ・・・ま?」

 突然の救援に驚いたのか、彼女は一瞬の間だけ俺を父たる人に重ねたらしくそう呟いたのを俺は聞いた。

「あなたは・・・?」

「名は名乗れない。だが、敵ではないとだけ! 言っておくとしよう!!」

 戸惑う彼女に対して、俺は剣を振り上げた敵の胴を両断する。血が舞い、今度は二人、三人と一度に襲ってくるが、俺は焦らない。

 左の盾で相手の攻撃をあしらいつつ、致命傷となる首・胸部・腹部・太腿を目掛けて剣を振るう。三人目の攻撃を盾であしらおうとした瞬間、月に照らされて紅梅色の髪が揺れた。

「ついに来たのね、赤き星の天の遣いさん?」

 その笑みはまるで獲物を捕らえた肉食の獣、恐ろしいというのに吸い込まれるような魔性の美しさを持っていた。

「俺の正体はお見通し、か。孫堅殿」

「いいえ、ただの勘よ!」

 孫権殿を挟んで背を預け合う形となり、俺は右手の剣を振るい続ける。

「それにしても盾が使いにくそうねぇ、これあげるわ!」

 そう言って戦いながら一本の細剣を投げられ、俺もまたそれを振り向くこともなく受け取った。

 が、鞘からは抜かず、落とさないように腰へと差す。

「申し訳ないが、主君との約束で自粛期間なんだ!

 それにこんな業物、貰ってもいいのだろうか?」

 鞘の造り、彼女たちの衣服と同じ赤を基調とした装飾。そして何より、連理を持った時のような他の剣とは違う感覚がこれを名剣だと語っていた。

 右からくる者を連理で腕を斬り、左からの者の攻撃を俺が押さえれば孫権殿が加勢に入ってくれる。

 後ろからの者には一切心配する必要はなく、距離のある敵は白陽ともう一つの影が圧倒的な速さを持って斬り殺しているのが見えた。

「大したものじゃないし、命の礼よ!

 むしろ、冥琳の元を訪れた華佗とかいう医者の件を足したら、これでも安すぎるわ!」

「母様!

 恩義に対しての礼をすることには異論はありませんが、父様の形見の一つであり孫家の『四海王剣』の一本、『西海優王(せいかいゆうおう)』を軽んじるのは聞き捨てなりません!!」

 続いた孫権の言葉に、俺はおもわず驚くが状況が状況だ。詳しい話を聞いている暇はない。

「それに冥琳の一件とはどういうことです?!」

「それに関しては! 本人か、雪蓮にでも聞きなさい!

 ただ私たちは、この人に宝剣の一本平気で渡すくらいの恩義があるのよ」

 そう言いながら、彼女は最後の一人を斬り殺す。

「特に、私はね?」

「詳しく聞かせてください! 母様!!

 大体、姉様と母様は説明を省きすぎなんです!!

 先程の発言もそうですが、十常侍相手に父様も母様も何をなさったんですか?!」

 そう言って孫堅に詰め寄る孫権を見ながら、俺は白陽を示してそっとその場から離れようとする。

「逃がさないわよ? 赤き星の天の遣いさん?」

 その肩を押さえられ、俺はどこかで諦めていたので大人しく振り返った。

 猫のような金の瞳が俺を写し、その目はまるで見定めるように細められる。

「それにしても、見ても、触れても、いい男ね。

 ・・・決めたわ! 私は彼についてく!!」

「「はぁっ??!!」」

 あまりにも突然すぎる宣言に俺と孫権殿が揃って、間の抜けた声をあげる。

 今、この人なんて言った?

「どうせ、十常侍が何かを企んでるのはわかってるんだし。

 暗殺が失敗したとなるといろいろ面倒でしょ? この際、私はいったん死んだことにして、あなたのところに行くとするわ」

 『名案でしょ?』とでもいうようにそう言ってくる彼女に、俺は開いた口が塞がらなかった。

「母様?! 何、そんな思い付きで行動をしようとしているんですか!!

 大体、命を助けてもらったとはいえ、どこの誰ともわからぬ方なんですよ!?」

「『赤き星の天の遣い』って名乗った時点で、それはここのところ有名になりつつある曹操のところ者だって言っているようなもんでしょう?」

「祭や姉さま、美羽たちにはどう説明するおつもりですか?!」

「その辺は蓮華に任せたわ、うまくおやりなさい。

 それに思春も状況がわかっているし、話を聞いていたわ。

 二人で何とかなさい」

「ですが!!」

 まだ反論しようとする孫権殿に対して、孫堅殿は彼女の腰の剣を指差した。

「私が何故、雪蓮に『東海(とうかい)武王(ぶおう)』を渡し、あなたに『北海(ほっかい)賢王(けんおう)』を渡したかをよく考えなさい。

 あなたと雪蓮、形で見える武は誰でも比べられるわ。

 けれど、あなたについてきた者がそれ以外を見ていることを、そろそろ気づくべきよ?」

 俺が立ち入ってはいけない親子の会話を静観し、その間に考えをまとめていた。

 おそらく会話中に出てきた『雪蓮』とは孫策のこと、そしてもう一つの『美羽』というのは袁紹の真名が『麗羽』であることから推測するに袁術のことだろう。

 真名を許しているのなら、少なくとも孫家と袁術の関係は噂通りの悪いものではない。なら、こちらを心配する必要はない。

 それに孫堅殿が言った通り、暗殺が失敗したと知られたならもっと厄介なことになることは目に見えている。

 ・・・・それでも連れ帰る必要はまったくない。

 というかむしろ、袁術との仲が悪くないのなら、本拠であるこちらで大人しくしててくれるのが最善だろう。

 が、孫堅殿の目は華琳と同じ我が道をゆく王の目だった。俺ごときが止められるわけがない。

「何をするかは決まったかしら? 赤き星の天の遣い殿?」

「・・・・何を言ってもついて来るんでしょう?」

「勿論」

 弾むような返事をする孫堅殿に呆れながら、俺は厄介を任された孫権殿のためにその場で仮面とる。

「俺は陳留刺史、曹孟徳の元に舞い降りし赤き星の天の遣い。

 名のない俺が主君より賜りし姓は曹、名は仁。字は子孝」

 そう言って頭を下げ、顔をあげると何故か孫権殿は夜でもはっきりとわかるほど頬を赤く染め、孫堅殿は驚いたように目を丸くしていた。

 ・・・・俺の顔に、何かついてますか? 傷しか心当たりがないんだが?

「失礼しました。

 私の姓は孫、名は権、字は仲謀と申します。

 そして、命を救っていただいたお礼として・・・ どうかわが真名である、蓮華を受け取っていただきたいのです」

「知っているだろうけど、一応名乗って置くわ。

 私の姓は孫、名は堅、字は文台。真名は舞蓮(ウーレン)よ」

 何でこの人たち、真名を軽々しく預けるの?!

 顔に書いてあったらしく、二人はむしろ不思議そうに同時に首をかしげてきた。

「「理由もわからず、利益も見えずに命を助けたあなたが言いますか(言うの)?」」

 俺は諦めたように息を吐き、白陽に少しだけ視線を向ける。その目にあるのは俺がする行動への、絶対の信頼だけだった。

「俺の真名は冬雲。

 蓮華殿、舞蓮殿、どうか受け取ってくれ」

 信頼には信頼を、義には義を返す。

 それが真名というものの重さならば、返さないのは礼儀に反する。

 それはきっと、華琳が忌み嫌う行動だろう。

「それじゃ、行きましょうか。冬雲」

 そう言って俺の手を引き、急かす舞蓮に引っ張られていく。

「申し訳ない、蓮華殿。

 何か困ったことがあったら、隠密を通して連絡をくれ。それ以外で文を渡したい場合は・・・・ これを見せればいい」

 俺はそう言って、常に予備を持ち歩いている俺の部隊の腕章を手渡した。これで大抵の者は通してくれるだろう。

「あ、ありがとうございます。冬雲殿」

「あ、そーだ。蓮華。

 証拠を求められた時のために、コレも持って帰ってー」

 そう言って長い紅梅色の髪を掴んで、自分の大剣でバッサリと切って投げ渡す。

 いちいち豪快だな!? この人!

「母をどうか、お願いします。いろいろと・・・」

「蓮華殿もこの後いろいろ大変だと思うが、お互い頑張るとしましょう」

「はいっ!」

 

 そう言って蓮華殿と別れ、舞蓮殿と共に陳留へと戻ることとなった。

 あーぁ、華琳怒るだろうなぁ。

 今はただ、それだけが恐ろしく、足取りが重くなっていった。

 




次はこの続きか、このときの蓮華視点ですね。
どっちが書けるかは、まだわかりません。

感想、誤字脱字よろしくお願いします。


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 大器の目覚め 【蓮華視点】

やっと書けました。
流琉並みに難産でしたね・・・・
内容は決まっていたにもかかわらず、どこまで彼女に知っていることにするかの加減が難しかったです。

そして、オリキャラが名前と容姿だけ登場しています。
キャラが多い原作ですが、オリキャラも出します。蜀にも未登場のオリキャラいっぱいいます。

まぁともかく、これからもよろしくお願いします。


 父様の最期を。

 家族で過ごしたあのひとときを。

 私は決して忘れない。

 

 

 戦場の最前線にいた筈の母が、本陣へと駆け込んでくる。

 背には血まみれの父が背負われ、母の後を追ってきた姉の顔は涙で歪んでいた。突然すぎる事態と、初めて見る姉の泣き顔に私は驚きと戸惑いを隠せなかった。

 母の背を守り、祭の援護をする父。

 数多くある武勇を、私は幾度となく耳にしてきた。

 その父が今、私の目の前で大量の血を流して倒れていることが信じることを出来なかった。否、認めたくなかったのだ。

 私同様に周囲の者が混乱し、騒ぐ中で、母だけは違った。

「蓮華、シャオを呼びなさい!!」

 周囲のどんな声よりも大きく、響く声で私へと叫ぶ。

「母様、何を言ってるんですか?! 今はそんなことより父様を!!」

 母の背中を濡らす血の量は多く、その血が父のものだというのは誰が見ても明らかであり早く治療しなければ・・・

「黙りなさい!

 まだ戦場に立っていないあなたでも、負傷兵は多く見てきた筈よ!

 この傷が助かるか、そうでないかぐらいは見ればわかるでしょう!!」

「母様、怒鳴らないの。私が連れてくるわよ。

 だから父様、それまで死んじゃ嫌よ?」

 静かに流れる涙などまるで存在しないかのように、姉はどこまでもいつも通りにずっと羨んでいた父の髪に触れていく。

「あぁ・・・ 約束しよう」

 母に背負われたまま、頭を下げた状態で近くにいた私たちにしか聞こえない声。だが、その言葉は姉同様にいつもと変わらぬ短い返答だった。

「喋らないでください! 父様!!」

 母の背から降ろされる父に駆け寄り、その顔に苦悶の表情はない。

 寝かされた体には右肩から左腹まで長く深く刻まれた傷があり、矢が刺さっていたらしい場所からは今も血が溢れている。

「痛みをもう、感じない。

 あと・・・・ わずかのようだ」

「そう・・・・

 あと少しだけ、せめてシャオが来るまでは待ちなさい」

 父の言葉に返答しながら、父を抱える母の手にわずかに力がこもる。

 回された手、込められた力、最前線から駆けてきたと思われる母、その一つ一つに行動の全てに母の感情があるように感じられた。

 『王』と『将』としか見えなかった二人の繋がりを、私はそこで初めて垣間見る。

 戦場の前線を担い、士気を上下させる『王』がたった一人の存在のために本陣へと戻るなどあってはならない。

 その行動は『王』としても、『武人』としても褒められたものではない。いや、軽蔑すらされることだろう。

 だが今ここに居る孫文台は『母親』であり、『妻』であり、ただの『女』だった。

 そして、そうして父を抱える母の表情には既に焦りや悲しみは見られない。このわずかな時間の中で父の死を覚悟し、受け入れようとしている。

 奔放で多弁な母と、真面目で寡黙な父。

 それはまるでわかり合うことなどないような存在で、軍議も二人でいる時すらも会話は少ない冷めた夫婦だと思っていた。

 だが、それは違う。

 信じ、愛し、真逆だったからこそ互いを必要とした。

 それこそ言葉など不要になるほどに、互いを理解し合っていたのだろう。

「あぁ・・・・ 祭はどうした?」

「私とあなたが抜けた戦場を指揮できるのなんて、祭しかいないでしょ?

 押し付けてきたわよ、あなたが倒れて()る気満々だったしね」

「・・・・これからの祭の苦労が、見えるようだ。

 だが祭になら、お前を任せて逝ける」

 右手をあげようとわずかに動き、私はその手を母の元へと届くように補助をする。父は視線だけをこちらに向け、わずかに目を細めた。

「少しでも長く、生きてください。父様。

 お願いですから、どうか一瞬でも長く・・・ ここに居てください」

 私の突然の言葉に父はわずかに目を伏せ、『それは無理だ』と言外に告げられる。

 理解していても、私はまだ母のように父の死を受け入れることは出来ない。

「あら、祭を振っておいて、身勝手に私を押し付けていくの? 酷い人ねぇ、秋桜は」

 先程の姉同様、軽口を叩く母の頬へと父の手が触れた。

「俺も・・・・ 誰にもこの位置を譲りたくは、ない。

 死など怖くはない。俺にしては悪くない人生だった。だが・・・・」

 父の口元が動くが、それは言葉にならない。

 だが、何を言いたいかを察した周囲の兵は目を逸らし、この言葉は父を『将』として見る者は聞いてはならない。

 私は父の思いの吐露に、気づけば目から涙が零れた。

 

『お前たちにもう会えぬこと、置いて逝くことは少し辛いな』

 

 それは『武人』である父らしくない言葉であり、『父親』としての言葉だった。

「連れてきたわよ。

 まだ死んでないわね? 父様」

 降ってきた姉の言葉に父の視線はそこに行き、姉の手からシャオが飛び降りて駆けてくる。

「父様? 父様! どうして、どうしてこんな怪我してるの?!」

「シャオ・・・」

「医者は?! どうしてみんな、動かないの?

 これじゃ、父様が死んじゃうよぉ!!」

 泣きじゃくり、喚き散らすシャオを誰も止めることはない。

 そこに居る者の思いの代弁をシャオがしてくれた。

 助かるのならば、実行に移したいことを幼い妹がはっきりと言葉にしてくれる。

「何で? 何で誰も医者を呼ばないの?!

 父様、待ってて! 今すぐシャオが呼んでくるから!!」

 また駈け出そうとするシャオの手を取ったのは姉だった。

「姉様! 離してよ!!」

「父様の状況を見れば、シャオでもわかるでしょう?

 父様はもう助からない、私たちは最期を見送るためにここにいるのよ。

 黙って父様の傍に行きなさい」

「それはみんなが何もしないから・・・・!!」

「小蓮!」

 その声の発生源に私と姉が振り返り、呼ばれたシャオも驚く。

 母の腕の中で荒い呼吸を繰り返す筈の父から、その声は確かに生まれていた。

「今、起こっている全てから・・・・・ 目を逸らすな。

 人はいつか、必ず死ぬ。だが、その時のために多くを残す。

 武だけの俺すら・・・・ 残せた」

 目を細める父の視線の先に居たのは、私たち。

 そのことにシャオの目から大粒の涙が溢れ、父に抱きつく。

「舞蓮、雪蓮、蓮華、小蓮」

 私たち四人を呼ぶ父の表情は、ほんのわずかだが笑んでいるように見えた。

「こんな俺だが・・・・ お前たちを、心から愛していた」

 その言葉が言い終え、父は眠るように目を閉じていく。

 私たちを置いて逝くことを拒んだというのに、父の死に顔は穏やかなものだった。

 

 その後は慌ただしいものだった。

 父の死を確認した母と姉は遺体を置いて戦場へと舞い戻り、いつも以上に激しく繰り広げられた戦場から満面の笑みの母と姉が帰還した。

 戦いが終われば祭が父の遺体を殴りつけ、怒鳴り散らしていた。

 もっともそれを聞くことは母によって禁じられ、その後遺体がどこに埋葬された場所すら私たちは知らない。

 母に問うても答えてはくれず、祭の答えも同じであった。

「いつか言うわ」

 ・・・この奔放な母が言う『いつか』はあてにならないことは、姉妹共通の認識である。

 

 

 

 冬雲殿と会ったあの日、私は母と共に行った視察の帰りであり、人数も最小限の母と私、そして思春の三人で本拠へと走っていた。

「しかし、母様。

 今回の件、どうして姉様ではなく私を?」

「あら? 嫌だったかしら?」

「そんなことはありません。

 ですが、何故私なのかがわかりません」

 月夜の中で馬を駆る母はこちらを振り向こうとはしないが、肩をすくめて溜息を吐かれた。

「適材適所、よ。

 真面目な蓮華と思春なら、私がやり方を一度教えれば次からも視察をしてきてくれるでしょうけど・・・ あの子に村の視察なんてさせてご覧なさい。仮に冥琳や(エンジュ)柘榴(ザクロ)をつけたとしても、帰って来るのは何日後かしらね?

 それになんだかんだ言いながら冥琳は雪蓮に甘いし、槐に至っては自分の時間が出来たとなるとすぐに書を取り出して何も見なくなるし、柘榴は雪蓮と一緒で愉快犯だし、困ったものだわ」

「そ、そうですね・・・」

 姉の傍に居る三人を思い出し、おもわず苦笑する。

 黒の長髪、若草の瞳の周瑜こと冥琳は姉とは幼い頃からの付き合いと『断金の契り』を交わしたということもあり、なんだかんだ文句を言いながら甘い。

 亜麻色の長髪に、葡萄色の瞳の諸葛瑾こと槐は・・・ そのなんというか、本の世界の没頭しすぎるのだ。陸遜()のように興奮するのではなく、本の世界こそ『至上の楽園だ』と平然と断言する。

 萌黄色の短髪、深緋の瞳の太史慈こと柘榴は根っからの武人であり、楽しければいいという姉に非常に近い価値観を持っている。そのため、姉と一緒に行動すると被害を必ず大きくして帰って来る。私にとっては、母と姉に次ぐ問題児だ。

 (たち)が悪いのは、この四人全員が自分のすべき仕事は(・・・)できるという点。武官は武官、文官は文官としての仕事をやれば(・・・)出来る人材が揃っている。

 が、問題点は武官二人がやる気がある時しかしてくれないことと、本来制止役になるべき文官二人が制止をしないということだ。

 冥琳が姉の行為を許し、槐は大した事態でなければ我関せずの姿勢に切り替えてしまう。

「それに、あなたにはいろいろ自信をつけてもらわないと困るのよ。蓮華。

 美羽とシャオに何かを任せるにはまだ幼いし、あなたを含めた数名は経験次第で伸びてくれるもの。

 まったく、叡羽(えいは)も、秋桜も人に押し付けてばかりで困っちゃうわよ」

 叡羽というのは美羽の母であり、力で今の地位を得た母とそれ以前から親友だった方の名。

 祭と同じで昔からの親友であったらしく、母曰く『駄目な男を支えるのが好きな奴』だったそうだ。私も数度お目にかかったことがあり、美羽と同じ色の目をした儚げな方だったことをうっすらと覚えている。

「・・・・母様はどうしてそう、強く在れるのですか?」

 残されていくばかりの母は何故、強く在れるのだろうか?

 私ならきっと、耐えられない。

「うーん? 強いからじゃない?」

「母様! 私は真剣に聞いているんです!!」

 茶化すように言う母に対して私は怒鳴り、母は月を見上げた。

「ここにいないだけで、私の中から消えたわけじゃないもの。

 私が覚えている限り、秋桜も、叡羽もここにいるわ。残した物は良いものばかりじゃないけどね」

 母は自らの胸を数度叩いて示し、笑う。

 直後突然馬を止め、私もそれに続いた。

「舞蓮様、蓮華様」

「思春? 母様・・・・ これは」

 思春の警戒した声に周囲を見渡すとぼんやりと見える人影、月光によってわずかに刃が煌めくのが見えた。

「はぁ・・・ 本当にもう、まともな仕事はしないのにこういうこととなると早いわねぇ。

 だから、中央でぬくぬく育って『仕事は無能、腹は真っ黒』な奴らは嫌いなのよ。

 私は私が知りたいことを、少し調べただけじゃない。

 ねぇ、男もどきの十常侍?」

 どこまでもいつも通りの母は愛剣『南海覇王』を抜き、私も『北海賢王』を抜いて構える。

「十常侍って・・・ 母様、何をしたんですか?!」

「・・・・そこですぐさま私を疑うあたりに、秋桜の血を感じるわね。

 それにこの件は、秋桜がしたことよ?」

「父様が? 一体何を・・・・?」

 短気で喧嘩っ早い母を差し置いて、あの父が何かをしでかすとは思えない。

「昔、私を見下した挙句、体に触れてこようとした十常侍の下っ端どもを斬り捨てちゃった。

 秋桜がせずとも私が殺しちゃう予定だったんだけど、私よりも早く動いてくれたのよね。

 もうその姿はおもわず惚れちゃうほど、かっこよかったのよ?」

「惚気ですか!? 母様!」

 というか、父様も何をしているんですか?!

「まぁ、それ以外にも十常侍が気に入らなくて、いろいろしたけれどね。

 今回調べてたのも、それ関連で聞き捨てならない情報を耳にしたからだけど・・・」

 母はそう呟きながら、腰に差していた父の愛剣の内の一本『西海優王』に触れていた。もう一本の愛剣である『東海武王』を主とした父が腰に差していながら、ほとんど使うことのなかった細剣。

 本来ならばシャオが持つはずだったが、シャオの得物は家族内で唯一剣ではない。

「それになんだか、今夜はまた別のいい男に会える予感がしてるのよね」

「母様・・・・ どこまで暢気なのですか」

 私が怒りを交えても、母はどこ吹く風といった様子で楽しげに剣先を揺らしていた。

「蹄の音だわ」

「はっ? 何を・・・・」

 弾むような母の声と、空気を裂くような音に上を見上げる。

 月に映る黒点は矢、既にここまで迫った矢を避けきれないことはわかっている。私の腕では全ての矢をを払うことなど、出来そうもない。そのため腕を交差し、来るだろう痛みに備えた。

 

 だが、その痛みは訪れることはなく、代わりに蹄の音と矢が何かに弾かれる音が降ってきた。

 

 何事かと思い目を開くと、月光に照らされ輝く白銀のような白き髪。盾と剣を掲げ、私たちを守った者の背がそこにあった。

「父・・・さ・・・ま?」

 髪の色は真逆と言ってもいい色だというのに、私はその背中に在りし日の父の姿を重ねた。

 母様とも、姉様とも違う戦いに酔う武ではなく、私が憧れた父と同じ誰かを守り、援護する者の背がそこにあった。

「あなたは・・・?」

 父ではないその誰かへと、私はあんな状況下だというのに問うていた。

「名は名乗れない。だが、敵ではないとだけ! 言っておくとしよう!!」

 私へと言葉を返しながらも剣を振るい、数人が束となっても軽くあしらっていくその姿は見事だった。

 戦いながら母とその方の会話から彼があの噂の『赤き星の天の使い』であること、母様と冥琳で恩があることがわかったが、詳細がわからずかえって私は混乱させた。

 しかも母様自身は私には理解できない『勘』で行動を共にし、全ての責任を丸投げしていった挙句、他の説明も全てを私が行うように追い込んでいった。

 

 

 そして時は、ようやく今に繋がる。

 現在私は、何故か姉に押し付けられた母の仕事に苦戦しながらも取り掛かり、中央の十常侍を誤魔化すための書類を書いている最中である。

「恨みますよ、母様」

 帰ってきてからも、祭に詳細を話すと

『舞蓮ばっかり狡い! 儂も今から陳留へと赴くぞ!!』

 などと叫ぶ祭を、武官総出で押さえつけることが最初の仕事だった。

 次に美羽や小蓮には詳細ではなく大まかな話をすれば、美羽は泣きだし、シャオには怒鳴られた。

『どうして止めなかったの!!』

 そして、本来なら上に立つべき姉に事の詳細を話し、判断を仰ごうとしたのだが・・・

『任されたのは蓮華なんだし、いろいろとお願いねー』

 と笑顔で政務を押し付けられた。

 冥琳の件は本人から聞き、以前に華佗という医者が訪れ、初期の段階で治療したことだということを語られた。

 そして、その道を示したのが赤き星の天の使い(冬雲殿)であったことを知る。

 懐の深さと武、そして万人へと向けられる彼の優しさ。

「どうしてあなたは、誰に対してでも手を伸ばせるのですか?」

 私には彼が助けた理由も、天から訪れた彼がどうしてこの世界に優しさを向けられるのかもわからない。

 だが、その行動を不快には思わず、彼のことを知りたいと思う自分がいた。

 手の中にある、彼から貰った腕章を見る。

 白抜きの円は彼の真名を思わせ、赤字で描かれた曹は彼が天の使いであることと名。そして、彼が仕える曹操を示していることがわかる。

「冬雲殿、私はあなたに近づきたい」

 抱く思いを知りたいと思い、武だけではない強さに憧れる。

 だが彼を真似ではなく、ましてやかつてのように『母や姉のようになりたい』とも思わなかった。

「私は母様のようにも、姉様のようにも、父様のようにもなれない。

 あなたには他の誰でもない『孫権』として、見てもらいたい」

 初めて抱く思いを言葉とし、その言葉は私の心に強固な基礎を築いていく。

「私は私の方法で、母に任されたことに全力を尽くします。

 だから次、会えた時は・・・・」

 どうか私にも、あなたの背を守らせてほしい。

 

 




次は本編を華琳の視点で書きます。
黄巾の乱、最終決戦の始まりとなるかと思います。
だいぶ前から決めていた黄巾の乱の最終決戦、作者自身楽しみでしょうがないです。

感想、誤字脱字お待ちしております。


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27,雲 帰還 大虎を連れて

本編でしたー。

本当は昨日投稿したかったんですけど、うまくまとまりませんでした。

これからもよろしくお願いします。


「や、やっと着いた・・・・」

 精神的に削られながらも、俺はどうにか陳留へと辿り着く。

 が、一足先に白陽が城に戻っていることを考えると気が重い。

「ほらっ、暗ーい顔してないの。冬雲。

 私、噂の曹操ちゃんに会えるのを結構楽しみにしているんだから」

 主にその原因を作った舞蓮は弾んだ声でそう言いながら、俺の肩に纏わりついてくる。

「俺がこんな表情をしてるのは、舞蓮のせいだけどな!」

「あらっ、こんな美人に抱きつかれて、嬉しくないの?」

 さらにくっついてくる舞蓮を手で遠ざけながら、俺は苦笑する。

 戻ってくるまでのしばらくの間を共に過ごしたが、舞蓮の気を許した相手に対して全てを公開するところは嫌いじゃない。むしろきっぱりした物言いは見ていて清々しい。

 勘で動くことも多々あるが、それはまったく考えがないというわけではないということも先日蓮華殿との会話からも窺えた。

「そりゃ、嬉しくないことはないけどな・・・・

 真名の件もだけど、俺のことをそんなに信頼しきっていいのかよ?」

「私の勘は外れないわ、それに命を救ってもらった相手を疑うなんて不義理にもほどがあるでしょ?

 あなたが何故私を助けたのか、それもよくわかっていないのだしね」

 珍しく真面目な顔をする舞蓮に、違和感を覚えるのもどうかと思う。

 が、それ以外のことに対して疑問に抱き、おもわず問う。

「なぁ、舞蓮」

 いや、これは俺が天の世界(向こう)の住人というのが抜け切れてないのもあるだろうが、どうにも納得いかない。

「何かしら?」

「人が人を助けることに、理由がいるのか?」

「は?」

 外套を被っていてもはっきりわかるほどの驚いたような顔をしてから、彼女は腹を抱えて笑い出した。

「あははははははは!

 あーぁ、冬雲は本当に面白いわね。それを本気で言っているのなら、相当な変わり者よ?

 それとも、天の世界ではそれが普通なのかしら?」

「いいや、向こうでも人は何も変わらないさ。

 損得で動く奴だって、そりゃたくさんいる。

 けど、綺麗なこと言ってる俺自身の行動だって、欲望そのものだよ」

 俺がそう言って街並みに目を移すと、俺へと手を振られ、声をかけられる。

「あっ、曹仁さんだ! おかえりなさい!!

 コレ、よかったら貰ってください」

「オイオイ、いいのかよ?

 また、おやっさんにどやされっぞ?」

「親父が怖くて、息子がやってられませんよ」

「ははは、ほどほどにしとけよー」

 投げられた(スモモ)二つを受け取りながら、一つを舞蓮に渡す。

「冬雲の欲?

 さっきの言葉からも、今の慕われ方を見ても、とてもあるようには思わないわ」

 不思議そうに首をかしげながら、李へとかじりつく舞蓮を見る。持っているだけで甘い香りをするそれは美味しかったようで、舞蓮はおもわず笑みをこぼしていた。

 その笑みを見て、俺の頬も自然と緩んでいく。

「ほら、今そこに俺の欲があるぞ」

 俺がその笑みを指差すが、舞蓮はさらにわからないと言ったように首をかしげた。

「舞蓮がこの甘い李を食べて、笑った」

 そう言ってから李にかじりつき、少し硬めだが甘酸っぱくてとても美味い。舞蓮がおもわず笑みをこぼすのも納得してしまった。

「俺はそれを見て、とても幸せな気持ちになった。

 ほらな、一つ得したぞ?」

「それをするために、あなたは命をかけたとでも言うのかしら?」

 俺の真意を探ろうと見つめてくる舞蓮に、俺はただ笑う。

「いいや、これは偶然の副産物だな。

 でも、生きててほしいと思ったのは本当だよ」

 『生きているなら死んでほしくなかった』 本当にただそれだけで、俺は彼女を救った。

 もし仮に下心があるとしたら、『江東の虎』に借りを作っておくのも悪くないくらい程度。

「・・・ふふ、やっぱりあなたは私の死んだ旦那に並ぶほどのいい男だわ。冬雲。

 まぁもっとも、旦那よりもずっと素直に思いを伝えてくれるけどねー」

 そう言って腕を組んでくる舞蓮の声は、いつものからかいとは違う何かを宿している気がした。

 

 この後、門から城まで、誰一人として将に会わなかった。

 嫌な予感しかせず、俺を迎えてくれた知り合いの兵たちも苦笑か、同情的な視線。しまいには、『頑張ってください。隊長』と激励してくれる者すらいた。

 それが示すところはこの事態がすでに帰還している白陽によってありのままにこの数日を報告され、将の全員がこの事態を知っているということだった。

 俺・・・・ 終わったな・・・・

 

 

 玉座までの道のりがこれほど遠くあってほしいと願ったことは、はたしてこれまであっただろうか?

 いや、ない。

 というか、こんなこと何度もあったら俺の胃に穴が開く。

「曹子孝、帰還した」

 顔を隠すように外套を被せた舞蓮と共に玉座の中央まで歩み、俺だけがその場に跪く。そこには華琳は勿論、凪たちを含めた将の全員が並び立っていた。

 嵐の前の静けさ、それがとても恐ろしくてたまらない。

「初めましてー、曹操ちゃん」

 そんな俺の気も知らずに軽く挨拶をする舞蓮には、もう慣れたよ・・・

「冬雲、あなたは何でそんなに疲れているのかしら?」

 陳留へと着いたときの解放感に似た気持ちはこの事態になることを気づいたときに霧散し、俺はうまく動かない首をどうにかあげて華琳を見る。

 そこにはとても眩しい笑顔をし、怒りで眉間を動かす覇王様が降臨していた。

「ヤァ、カリン。タダイマ」

 俺は逃げ出したい衝動を抑え、何とかそれだけを言う。

「えぇ、おかえりなさい・・・・・・冬雲。

 白陽から事のあらましは聞いたわ、うまくやったようね。

 あとで桂花たちも交えて、その辺りの話をするとしましょう。けれど」

 必要なことをそれだけにまとめ、華琳は笑みを深める。

 怖い怖い怖い?!

「その大虎は、元いた場所に戻してきなさい」

「そんな野良猫や野良犬じゃないんだからさ?!」

 怒られているにも関わらず、そんな突っ込みが出来る俺はまだ余裕があるようだ。まぁ、多分諦めたんだろうが。

「その野良猫や野良犬の感覚で、『江東の虎』を拾ってきたあなたがよく言えたわね?」

「華琳並の大物を俺程度が振りきれるわけないだろうが!!」

 しかも経験なのか、気質なのかわからないけど、一枚も二枚も上手(うわて)だし!

「それでも、もっとうまく出来たでしょう?

 終わり次第、とんぼ返りしてくればよかったのよ!」

「しようとしたら、喰らいついてきたんだよ!」

「あはは、可愛いわね。喧嘩しちゃってるー」

 俺たちがそう言いあうのをみんなは見守っていたが、やはり空気の読まない舞蓮の一言が入り、ほぼ同時に華琳と睨みつけた。

「「誰のせいだと・・・・!!」」

「まるで夫婦の痴話喧嘩みたいよ?」

「「なっ?!」」

 が、その二言目に不意を打たれた。

 俺はおもわず熱くなり出す顔を左手で隠し、視線を逸らす。

 そこで何気なく指の隙間から華琳を覗き見れば、俺と同じように顔を赤く、その姿を見るとおもわず胸が高鳴った。

 あぁ、やっぱり華琳はどんな顔をしても可愛い。

『・・・・・・・・』

 しゅ、周囲の視線が痛い!

 俺の考えを見透かしたみんなから厳しい目を向けられ、元々低かった体感温度はさらに低くなった気がする。

 俺のせいじゃないんだけどね?! いや、元凶を連れて帰ってきたのは俺だけども!

「可愛いわねぇ、曹操ちゃんは」

「いい加減、名乗るぐらいしたらどうなのかしら? 『江東の虎』。

 私は曹孟徳、この陳留の刺史をしているわ。

 そしてそこに居る曹子孝は、私の(・・)最愛の人よ」

「ちょっ?! 華琳!?」

 何言ってるんですか?

 いや、否定する気はないし、俺も同じ気持ちだけどさ?!

「白陽からそれはもう、いろいろ聞いているわよ?

 冬雲は私たちのものであり、寝込みを襲うなんてこの忙しさのせいで私ですら出来ていないことをやりかけたらしいじゃない?」

 

『・・・・・? ・・・・・!!』

 華琳のその言葉によってその場に一瞬沈黙が訪れ、音が爆発した。

 

「隊長?! それはどういうことですか!!」

「そんな羨ましいこと、沙和たちですら出来てないのー!」

「まったくや! 羨ましすぎるで!」

 凪、沙和、真桜が怒りを露わにしながら叫ぶ。

「おのれぇ! 『江東の虎』ぁ!! 私たちを差し置いてそんなことを・・・」

「あぁ、どうしたものかな。こんな思い、そう抱いたことがない」

 春蘭はもう隠すこともなく正直に思いを吐露し、秋蘭は何かを押さえこむに胸を押さえる。

「冬雲の寝込みを襲ったですって?! この発情虎ぁ!!」

「冬雲さん・・・・ 襲われちゃったんですか・・・・?」

 桂花がどこからか鞭を出しかけ、雛里が悲しげに目を潤ませる。

「と、斗詩さん?! 武器を出すのはまずいです!! 季衣も止めるの手伝って!」

「えー、だってあの人攻撃しても、片手で押さえそうじゃん?」

「止めないでください! 流琉ちゃん!! 一発だけ、一発だけですから!」

 斗詩が本当に(いつ持ってきたかを聞きたい)大槌を振り上げかけ、流琉が止めようとしている。季衣は季衣で冷静に舞蓮の強さを理解してるし。

「兄者は大変だな、樹枝」

「笑っている場合か!? 内部崩壊するわ!」

 樟夏はいつものように悟りを開いたように穏やかに笑い、樹枝はその状況下に正しい言葉を叫ぶ。

 

 舞蓮・・・・ お前はとんでもないものを盗んでいきました。

 それは、俺の平穏です。

 いや、本気で洒落にならない。

 

「・・・・白陽、逃げていいか?」

 俺はその場で頭を抱え、影へと語りかけた。

「かまいませんが、事態が悪化するだけと思われるので推奨は致しかねます」

 まったく、その通りですねー。

 華琳の目は『あなたが原因なのだから、うまくまとめて見せなさい』と語り、俺もそれに苦笑した。

 多分、これが罰なんだろうなぁ。

 俺は騒ぎ出すみんなの元へ歩き、とりあえず一番危なそうな斗詩の頭を撫でてその手からそっと『金光鉄槌』を奪う。

「俺は何もされてない。だから、大丈夫だ」

 そう言ってから大きく手を広げて、なるべく全員を包み込むようにして抱きしめる。

「落ち着けって、な?」

 全員が驚いたようにしてから、しばらく俯いて頷くのを確認する。

「大体、歴戦の猛者である『江東の虎』が俺如きを相手にするわけないだろ?

 からかわれてるだけだよ」

 俺がそう言うと全員が目を三角にして、じとっと睨んでくる。

 ていうか、背後の舞蓮からも睨まれているような気がするのは何故だ?!

「むぅ~、お前のそういう所は好きだが、嫌いだー!」

「そうやなぁ、春蘭様の言う通りやで」

「隊長の優しさは、まるで媚薬のようです・・・・」

 春蘭が子どもの様に叫べば、真桜が同意し、凪が付け足す。

 だから、何故だ?!

「あのなぁ・・・・ 俺は思っていることを言ってるだけだし、誰にでもそうするわけじゃな・・・」

『それは嘘(ですね・やね・だわ・です)!!』

 俺がその大合唱を聞いて戸惑っていると、背中にはすっかり慣れてしまった感触と肩に美しい褐色の肌にまだ斬り残してある紅梅色の髪が揺れた。

「・・・・ちゃんとしたところで散髪しなおさないと、綺麗な髪がもったいないな」

 肩に降りてきた髪を掬うようにして、何気なく呟くと・・・・ また驚いたような顔をした舞蓮がいた。

「沙和、どっかいい店知らないか? 近いうちに連れてってやってくれよ。

 それから凪、しばらくは居るだろうから、警邏隊にも伝達を頼む。

 あと桂花、どっかに手頃な空き家なかったっけ?」

 とりあえず、現状での舞蓮の場所は決めたほうがいい。

 それも最終的に決めるのは華琳だが、身近なものは町で安く手に入れたいしなぁ。住居も探しておいて損はないだろうし。

「え? あ、うん! わかったのー。

 沙和、行きつけのお店を紹介するの!」

「はっ!」

「そうね・・・

 けれど、匿っている形になるのなら、下手に家とかは用意しない方がいいわ」

 仕事のこととなると空気を換えてくれるから、助かるなぁ。

「流石は兄上!

 突然話題を何気ない且つ仕事に関わることに変えることにより、自分への被害を削減させるのですね!!」

「私たちにはとてもではありませんが、出来ない避け方です。

 今後、この教訓をうまく活かしていきたいと思います」

 どうしよう、俺も春蘭たちが樟夏たちを殴る理由がわかった気がする。

「あの、秋蘭様」

「どうかしたのか? 流琉」

 流琉が秋蘭の裾を引き、俺もこんな時にどうしたのかと思い耳を傾ける。

「あの、もしや樟夏さんと樹枝さんって男の方なのでしょうか?」

「「?!」」

 ・・・・ちょっと待て。

 流琉が知らないってことはまさか?

「え? 二人とも女の人じゃないの?」

「そやそや、樹枝なんか一部の男衆からやたら人気やし。男なわけないやろ?」

「女性の方、ですよね?」

 沙和、真桜、凪の順番でさらに追い打ちをかけていき、二人は『嘘だと言ってくれ(言ってください)』と泣き顔になっていく。

「「「「「ブフゥ!」」」」」

 その質問に対して、残りの桂花、雛里、斗詩、春蘭、季衣が吹き出し、天井からもわずかに笑い声が聞こえる。

 うん、みんな。そこまで笑ったら、むしろ大声で笑ってやった方がかえって傷つかないんだぞ?

「・・・一か月ほど共に仕事をしていて、男だと気づかれない。あぁ、世は無常だ。

 フフ・・・ あの高飛車な幼馴染に女装させられ、『光栄に思いなさい! この(わたくし)とお揃いですわ!!』などと呼ばれて巻き毛にされかけたこともありましたし・・・ えぇ、慣れていますとも」

 いつもと同じ悟りを開いた目は、遠いどこかを見ていた。

 ・・・というか、その口調はどこかで聞いたことがあるんだがまさか?

「樟夏! 戻ってこい!

 世は理不尽ばかりだが、立ち向かわなければ相手の思うツボだぞ!

 うん? ちょっと待て。

 ・・・今、お前が懐から出した書簡は何だ?」

 樹枝の言葉の最中に樟夏は懐から書簡を取り出し、目を細めていた。

「これか? これは関平殿からの文だな」

「はっ?」

「あぁ、心配することはない。姉者も内容は確認しているし、大した内容ではない。

 日々のちょっとした悩みを聞いている程度だ」

「この裏切り者があぁぁーーー!!」

 そんな二人を見ながら、俺は華琳の元へと近づき定位置になりつつある傍らに立って問う。

「なぁ、あれってまさか・・・?」

「えぇ、樟夏は気づいていないけれど、恋文よ。

 彼女、なかなか可愛らしい乙女よ。

 あなたがいなかったら、おもわず樟夏から奪ってしまいたくなるほどね」

 本気の目で語る華琳は心底楽しげで、同時に樟夏を見る目は姉らしい温かな眼差しでもあった。おそらくは本気と冗談が半々なのだろう。

「・・・・何ていうか、華琳らしいよ」

 王であり、姉であり、女の子であり、俺の愛しい人でもある華琳。

 人は、関わる人の数だけ多くの『自分』があり、でも結局たった一人の『自分』。

 今の華琳は姉たる彼女で、俺にとってはそれすらも愛する彼女の一部でしかない。

「面白いわね、ここは。

 気に入ったわよ、曹操ちゃん!」

「それは何よりだわ、孫堅」

 そう言いながら華琳の元に近づいてくる舞蓮は、やっぱり笑っていた。

「真名、許してくれないのかしら?」

「そこまで許し合う仲かしらね?

 あなたが王座に着く可能性も残っている今、私たちの関係はそこまで親しいものであってはいけないと思うのだけど?」

 短い言葉と、交わした視線が語り合う二人の間から俺はその場を離れない。

 連れてきた俺がこの会話を聞かずにいるのはあまりにも身勝手で、まだざわつく将たちもこちらに注意を向けていることはわかる。

「大丈夫よー。

 だって私、仮にこの事態が早く収まってももう面倒だから二番目の娘に押し付ける気満々だもの」

 軽く言われたその言葉に、俺はおもわず蓮華殿に対して同情する。

 今頃、向こうも苦労してるんだろうなぁ・・・

「・・・本当かしらね?」

「何なら一筆書くわよ?

 それに私、もう恋した相手とはくどいくらいたくさんの思い出を作るって決めてるのよね」

 華琳が疑うのも無理はないし、舞蓮もそれは納得しているようだ。

 蓮華殿、今度何か物でも贈っておくか。

 一筆まで書かれたら、苦労することは確定しているだろうしな。

 きっと今も苦労しているのだろうし、出来る範囲で協力をすることを心に誓う。

 この程度しかできないが、何もしないよりはマシだと思いたい。

「是非、そうして欲しいわ。

 けれど、冬雲を渡す気なんてさらさらないわよ?」

「私、好きなものは奪ってでも手に入れる主義なの」

 

 ・・・・うん、聞かなかったことにしよう。

 

 俺はとりあえず一段落したことがわかり、近くにあった椅子に腰かける。

 本来なら眠りにはつけないような騒がしい中、俺は眠気に襲われ瞼が下りていく。

 みんなの声と気配に包まれて、俺は穏やかな気持ちで眠りへとついた。

 




黄巾の乱も終わりが見えてきまましたね。
あと数話ですね、多分。

次はこの前の話の蓮華視点を投稿したいと思っています。
今週中に書けるといいのですが・・・

感想、誤字脱字お待ちしています。


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28.決戦 始まり 【華琳視点】

昨日の今日で、投稿できましたね。

黄巾の乱、最終決戦の始まりです。

これからもよろしくお願いします。


「・・・・・そぅ、黄巾の乱はそうなっていたのね」

 私は一人、私室にて黒陽から調べさせていた件の報告を受けていた。

 内容は黄巾党の現在の実情と指揮者。そして、それを裏から操っているらしき者たちの影。

「はい」

 真桜が作った真名にあわせて色を塗られている顔の上半分を隠す鬼の面をずらし、黒陽らしくもなくその顔は曇る。

 おそらく冬雲がこの話を聞いたときのことを、想定しているのだろう。だが、それも瞬時にいつもの笑みを浮かべたものに戻った。

 この子は本当に、感情を殺すことに長けた子ね。

「ご苦労だったわね、黒陽。今日はゆっくり休みなさい。

 おそらくは遠くないうち・・・・ いいえ、明日にでも動き出す可能性がある今、情報の要であるあなた達にはしっかり休んでもらわないと困るわ」

「ですが、これからを考えるのならば、少しでも情報を集めたほうが良いのでは?」

 黒陽のことも一理ある。けれど、本来兵数の把握だけもいいと言ったのに私が欲しい情報を得てきてくれた。

「あなたがもしもの時に動けない方が問題だわ。

 あなたは最高の結果を持って帰ってきたのだし、今はこれで十分よ。

 それにだいぶあちらの数も減ってきていることもわかったのだし、次は大きな戦いになることでしょうね」

 既に黄巾党も集まりつつあるとの情報まであり、中身が如何に腐敗しつつも建前として討伐を命じざる得ない状況になっている。そして、彼女たちが行動を移すのもおそらくはこの混乱に乗じて、だろう。

「承知いたしました。

 それでは失礼させていただきます」

「えぇ、しっかり休みなさい」

 そう言って彼女が天井へと飛び、去っていく姿を確認してから私も部屋を出る。

 急ぎの書簡も片付き、かといって眠気はない。

 私は何かに呼ばれるようにして城壁へと歩を進めていた。

 

 

 城壁に辿り着くと、舞蓮がまるでここが自分の城だとでもいうかのように杯を傾けていた。

「あら、珍しいわね。華琳」

「・・・・あなたは何をやっているのかしらね? 舞蓮。

 自分が身を隠すためにここに居ることを忘れているのかしら?」

 おもわず皮肉を入れながら、私は彼女から少し離れた位置で町を見る。

 月が昇り、星が輝く時間、とても静かな夜。

 それを眺めているのは私と彼女だけ、仕事に追われる私と町という範囲だけではあるが自由を満喫している彼女が並ぶのは初めてのことだ。

「あなたも飲む?」

 そう言って懐からもう一つ杯を出して私へと向けてくるが、私はそれに首を振った。

「遠慮しておくわ、今日は気分じゃないの」

 視線を上に向けると満月がそこに在り、私はあの日を思い出していた。

 月の明るい、まるでそこだけが音をなくしたような静けさの夜はあの日々を思い出してから、どうしても好きにはなれない。

 それに今回一番期待していたあの子たち(張三姉妹)の情報は、まったく得られなかった。

 考えることが多すぎる今、酒を楽しむ余裕はない。

「難しい顔をしているわね。

 黄巾党のことかしら?」

「えぇ、だいぶ数は減らしたから、一か所に集まってきているわ。

 けれど、それ以外の情報はさっぱりよ」

 私が肩をすくめて、苦笑する。

 確かにいる筈の兵を集めているらしい彼女たちの情報が、あまりにも少なすぎる。

「あとはそれとの大きな戦を待つだけってところ、ね。

 それにしてもおかしいわよねー、この戦」

 舞蓮は口元に酒と肴を運びながら、とても楽しそうに笑っていた。

「ただの百姓の集まりが、どうしてここまで長期に戦えているのかしらね?」

 やはり彼女は気づいていた。

 そして、舞蓮の暗殺も黒陽が持ち込んだ情報通りだと仮定するのならば、全てが繋がる。

「えぇ、それに情報の統制が出来すぎているわ。

 何故、百姓に過ぎない彼らが砦の位置を知り、軍を持つ諸侯相手にここまで戦えているのか。おかしなところばかり」

 どちらともなくクスクスと笑いあい、自分たちの答えが同じであることを確信する。

 私は情報で、そして恐らく彼女は孫家の者が持つ勘でそれを感じ取ったのだろう。

「華琳との会話は楽しいわね。

 友とは少し違うけれど・・・・ 同朋、いいえ同類なのかしらね?」

 目を細め、意味深な言葉を呟く舞蓮に私もまた笑う。

「かも知れないわね」

 私は一度、人生を終えた『私』の分の記憶を所持している。だが、彼のいない生も確かに存在していた。

 『覇王』として生き、三国の王と共に生きたあの生に悔いはない。

 私は私として生き、後悔することなく、果てたのだと今でも胸を張って言える。

 子を残し、次の世にすらあの平和を残すこともした。

 だが、常に心に居たのは彼だけ。

 私を『王』でなく『少女』としたのは彼だけだった。

 あの後、彼が居なくなっても、それはけして変わることはなかった。

「舞蓮・・・・ あなたの前の夫はどんな方だったのかしら?」

 私は自然と舞蓮に問うていた。

 夫を亡くした彼女は、一体何を思っていたのか。

 単なる興味と言ってしまえばそれで終わりだが、形は違えどかつての私と同じように失った者は何を思ったのかを知りたかった。

「そうねぇ?」

 その問いに彼女はその場で立ちあがり、私の真意を探るように、何の意味があるのかを知るように目を覗きこんできた。

 やがて、私の中に見た何かに満足したのか彼女は背を向け、月を仰ぐ。

「私の旦那は、海みたいな人だったわよ」

 月を背にして笑う彼女に、悲しみなどなかった。

「海、ね」

「そう、海。

 一見は凪いでいて、大きな寛大な心を持っているように誰もが思う。けど、それは一面だけだったわ。

 戦場に限らず彼の内面は誰よりも激しく、目の前に広がる全てに対して嵐のように戦う人だった」

 亡き夫を語る舞蓮の声に悲しみはなく、むしろ今もなお愛していることがその言葉から伝わってきた。

 それはまるで、我が子に彼のことを語るあの日の私がかぶって映る。

 かつての彼の生き方を、他人事のように書に残すことは距離感が近すぎた私たちには出来ず、子たちに言葉で語ることしか出来なかった。

 それも英雄譚のような美談ではなく、彼がしたこと、失敗したこと、私たちを呆れさせたことばかり。けれど、子たちはよく彼の話を私たちにせがんだ。

 どこにでもいるようでいない、何かを明確に残したわけでもない男の話。

 だが、平和の基礎の一端を作った、平凡極まりない一警邏隊長であった彼の話を。

「愛していたのね?」

「えぇ、当然じゃない。三人の娘を残すほど、愛し合った仲だもの。

 けれど、もうあの人を想ってなんかやらないわ。

 私は生きて、冬雲のことを愛するのよ」

「あげないわよ?

 彼は私の、私たちのものだもの」

 彼が全てを受け入れるほどの器を持っていたとしても、その心は私だけのもの。

 彼の隣だけは、誰にも譲らない。

 もう天にだって、彼を奪わせない。

 彼だけじゃなく、私は欲しいものの全てをこの手に掴んでみせる。

「フフ、愛とは勝ち取るものよ。

 その愛も、私は当たり前すぎて忘れていたけれどね」

 どこか遠い目をしてから、彼女はそれを誤魔化すように背を向けて城へと歩き出す。

「あなたは忘れないことね、人生の先輩からの忠告よ」

「・・・・えぇ、大事な者を失う悲しみは私もよく知っているわ」

 彼女に聞こえたかどうかはわからない。

 聞こえていようといまいと、この言葉の真意をわかる者などこの世界には一握りしか存在はしない。

「天和、地和、人和」

 町の先に広がる荒野へと目を向け、彼女たちを思う。

 私たちの中で唯一、何の力も持たない彼女たち。ただ歌の才に溢れ、その歌を歌っていたかっただけのあの子たちがこの騒乱の中にいる。

 記憶を持ちながらこの事態が起きた時点で、彼女たちの身に何かがあったのは明白。

 何よりも司馬八達の力を使っても集めることの出来た情報は、『三人の歌姫が兵を集めている』ことだけだった。

「三人とも、無事でいなさい。

 あなた達が死んだら、彼は今度こそ壊れてしまうわ」

 冬雲が三十年という長い間、ここに戻るためだけに努力を続け、あらゆるものを捨て、縋り、利用してでも得たかった私たちとの日々。

 それを己の無力から失ったら、彼はどうなってしまうのか。想像することも恐ろしい。

「生きていなさい」

 願うことしか出来ない現状に、私はこの生で初めて無力を噛み締めた。

 

 

 

「華琳様!!」

 その翌日、私たちが朝の会議を行っているところに朝の警邏をしていた筈の凪が一人の男を担いで飛び込んできた。

「何事かしら?」

「はっ! たった今、数十名の負傷者が町へと飛び込んできたので警戒しつつ保護したのですが・・・・」

「赤の御使いってのはどいつだ!!」

 凪の言葉の途中に割り込むように傷だらけ、泥だらけの男は叫んだ。特徴的な薄桃色の法被(はっぴ)には三人の真名が書かれ、その額には『親衛隊 隊長』と書かれた鉢巻を巻いている。

 男の言葉に冬雲は医者の準備を指示してから、その男の元へと駆け寄った。

 すると男は突然、冬雲の胸倉を掴み、頭を下げた。

「頼む!! 天和ちゃんを、地和ちゃんを、人和ちゃんを助けてくれ!!

 俺たちじゃ、何もできねぇんだよ!

 救ってもらったのに、生きる希望を貰ったのに、俺たちじゃこの恩の欠片すらあの三人にゃぁ返せねぇんだ!」

「っ! 三人に何かあったのか!?」

「俺は波才(はさい)、彼女たちにアンタに書簡を渡すように頼まれたんだ!

 頼むから早く三人の元へ行ってくれ・・・ アンタにしか頼めねぇんだよ!

 そうしねぇと三人は・・・・ 三人は・・・!」

 そう言って泣き崩れ、その場で糸が切れたように気絶する波才を受け止める。

「この勇士たちを休ませろ!

 彼らを生かすことに最善を尽くせ!!」

 冬雲が叫ぶのに、近くにいた兵士たちが走っていく。

 周りの関係を知らない樟夏、樹枝、雛里、斗詩たちがよくわからない顔をしているが、それを聞ける事態ではなかった。何故ならその場にいた三人を知る全ての者が深刻な顔をし、その言葉に耳を傾けていた。

「華琳様、これを」

「・・・・これは?」

「内容は確認していませんが、この筆跡はおそらくあの三人のものかと思われます」

 凪が書簡を手渡し、一番上に来ていたところに書かれた字。

 『我が王と友 そして愛しき方へ』

 それは三人の筆跡であり、その字は涙で滲んでいた。思わず力が籠りかけるのを懸命に我慢し、冬雲へと投げる。

「冬雲、彼女たちからよ」

「俺が読んでいいのか?」

 ここに居る全員に宛てたものだが、彼女たちが読むことを望んでいたのは私ではない。

 内容を見ずとも彼女たちが誰を思って書いたのかは、一目瞭然だった。

「早くなさい」

 私がせかすと、彼は震えた手で書簡を開いた。

 

 

『ごめんね、みんな。

 こんなつもりじゃなかったのに、またこうして乱を生んでしまって、あれだけみんなの生き方を見てきたのに、ごめんねぇ。

 私たちが歌わなければ、こんな乱は生まれなかったのに、また歌いたいと思ってごめん。

 何にも出来なくて、むしろ酷いことになってごめんね。

 

 天和姉さんがまともに書ける状態じゃないから、ここからはちぃが書くわ。

 私たち、うまく出来ると思ってた。

 あの言葉を『大陸が欲しい』って言葉を使わずに、ただみんなのところに辿り着くまで、他の人たちを歌で癒せたらって、思って歌ってたの。

 けど、馬元義の奴があの太平要術の書を持って現れて・・・ いつの間にか兵士を集めるようなことをさせられて、全部を台無しにされて、何とか止めようとしたんだけど・・・・ 力で脅されて、誰にも助けも求められなくて、ごめん。ごめんね。こんなんじゃ、みんなに会わせる顔なんてないよ。

 こんなちぃがあんたに会うなんて、恥ずかしくてできない。

 

 ここからは私が。

 馬元義は太平要術だけではなく、洛陽の十常侍が関わっていることがわかりました。これまでの支援や情報の統制、人員はそこから来たものです。

 今、各地に散っていた黄巾党は一か所に集まり、私たちはその本陣にいます。そして、指揮官である馬元義たちも。

 この機を逃すわけにはいきません。無謀ではありますが、私たちが始めてしまったこの乱の責任をとりたいと思います。

 この命をかけて、馬元義に一矢報いてみせます。

 

 あなたに会いたかった。けど、こんな私たちがあなたに会うことなんて出来ません。

 どうか皆さんと、幸せになってください』

 

 

 書簡が冬雲と手から落ち、彼が放つ気にその場にいた者たちの空気が凍る。

 そこには私たちですら初めて見る、激しい怒りを宿した彼がいた。

 あまりにも静かで、一見ではそれが恐ろしいものだと気づくことの出来ない積乱雲(雷雲)が渦巻いていた。

「『歌いたいと思ってごめん』? 『会わせる顔がない』? 

 『皆さんと幸せになってください』?

 ・・・・・ふざけるな」

 激しい怒りの一つ一つがうねりあげ、落とすべき場所を求めていた。

「三人は歌うことを望んだだけだろ? 民を自分たちの出来ることで癒そうとしただけだ。

 三人を利用した奴がいて、希望を与えた歌を道具にしやがった奴らがいる」

 拳が固く握られ、堪えきれなくなった彼は柱へとそれをぶつける。拳から血が溢れ、柱の一部を破損させた。

「会わせる顔がないっていうなら、俺こそがそうだ。

 あの時みんなを悲しませ、全てを捨ててきた俺こそがみんなに会わせる顔なんざない」

 あの時、彼はけして怒ることはなかった。

 自分の無力を嘆いても、戦場でも、定軍山の時すらも彼は一度も怒ることはしなかった。

「誰かが欠けて幸せになんて、なれるわけがない。

 俺はあの時出来なかった全てを、それ以上の幸せを得るためにここに戻ってきたんだ」

 白の遣いと会った時ですら、彼は苛立ちこそしたが怒ることはなかった。苦笑し、相手を見る余裕があった。

 だが今の彼は、違う。

「俺は、誰も失わない。

 天にも、運命にも、歴史にも、俺の大切なものを何一つとして奪わせない。

 くれてなんか、やらない」

 それは宣言であり、覚悟だとでもいうかのように私へと血が滴る左拳を向けた。

「当然だわ」

 冬雲の手から落ちた書簡から見えるのは、涙で滲んだ血文字。

 墨も用意せず、時間がなかっただろう。ところどこ掠れ、涙で震えた手で書かれただろうほとんど読むことが難しい。

 そこに彼女たちの思いがあり、決意があった。だが、そんな決意は私たちが許さない。

 死ぬことなんて、私たちが認めない。

 全員で会い、笑い、あの日叶わなかった幸福な未来(さき)を。否、それ以上に幸福は未来(さき)を共に見ることが彼女たちの義務だ。

 彼が何をする気なのか、したいのかが手に取るようにわかる。

 そして、私たちはそれを止めることはない。

 私たちの気持ちは一つだった。

「華琳、あの話は無しだ。

 この国の根元は、腐りきってる」

「えぇ、そうね。

 援護はするわ、早く行っておあげなさい。冬雲。

 あの制限もとくわ、思いっきり暴れなさい」

 私の言葉を背に聞き、冬雲が扉を開く瞬間に最後に付け足す。

「その怒りがあなただけのものじゃないということを、この乱を起こした馬鹿共に刻みつけてきなさい!」

「あぁ!!」

 私たち全員の怒りを背負った冬雲が、黄巾党を貫く一本の槍となるために飛び出していった。

 




次は荒れ狂う彼の視点、雲が危険なものであることを証明しましょう。

感想、誤字脱字お待ちしております。


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29,決戦 雷雲 大樹と共に

なんとか、大して間もおかずに投稿できました。

雲を支えるのは、同じ空に浮かぶものだけではありません。
雷になろうとも、大地は常に空を、雲を見ているのです。

読者の皆様、いつもありがとうございます。


 俺は何をしていた?

  最善を尽くしていた、つもりだった。

 

 俺は何を驕っていた?

  彼女たちなら大丈夫だと、何か他の意味があるのだと思っていた。

  情報が入らない不安を、そう考えることで誤魔化していた。

 

 何故、彼女たちを優先しなかった?

  他の誰よりもただの一般人であった三人を、俺は守るべきだったんじゃないのか?

 

 

「邪魔だあぁぁぁーーーー!!!」

 夕雲の背に乗り、連理を右手で振るい強引に道を創っていく。

 鎧を着る間も惜しく、俺が身に着けている物は鬼の面と連理。そして、腰に差したままの西海優王のみ。

 だが、今はそんなことはどうでもいい。

 三人が行動を起こす前に、何としてでも間に合わなければならない。

「冬雲様」

 夕雲と並走しながら、小剣二本と足の仕込み刃で俺の周囲を守る白陽が声をかけてきた。

「このまま、まっすぐお進みください。

 事態がわからずとも、あなたの行動から部隊は既に後方より援護を開始しております。

 ですが、それもこの圧倒的な数、進軍は遅々たるもの。そして、事態の説明等により、他部隊からの援護は遅れることでしょう。

 洛陽から出撃してきたと思われる飛将軍たちも、到着までは今しばらくかかるかと思われます」

 白陽の報告を上の空に聞きながらも、俺は最初の情報だけをしっかりと耳に入れた。

 紅陽、青陽も途中までついて来ていたのはわかっていたが、夕雲の速さに追いつけたのは白陽のみだった。

 このまま、まっすぐ進めば彼女たちが居る。

 それだけわかれば十分だ。

「他の全てはどうでもいい!

 俺が今目指す場所は唯一つ、彼女たちの元へ辿り着くことだ!!」

 多くを斬り捨てでも、守りたい。

 どんなものを捨ててでも、会いたかった彼女たちを。

 自分の命すら天秤にかけても、失いたくなかった彼女たちを。

 誰一人として、失いたくない(欠けさせはしない)

「夕雲、全速力で向かうぞ!

 立ちふさがる全てを潰して、進め!

 俺は、邪魔する全てを薙ぎ払う!!」

「では私は、あなた様の背後を守りましょう」

 十常侍よ、お前たちは俺を怒らせた。

 たった一握りの欲から彼女たちを利用したことを、俺が必ず後悔させてやる。

 

 

「前方本陣中央、天幕内に複数の気配あり!

 おそらくは目標かと!!」

「このまま突っ込む! 白陽は三人の安全確保を優先!

 俺は、奴らを斬る!!」

 白陽の情報に俺は叩き付けるように指示を出し、返事を聞くわけでもなく天幕へと夕雲ごと突っ込んだ。

「天和! 地和! 人和!」

 視界に入ってきたのは、縛られた彼女たちへと拳を振り上げ、何故か半裸になっている数名の男ども。

 

 俺の中で、糸が切れる音がした。

 波才の言葉を聞いてから、徐々に左右に引っ張られ、書簡を開いてから張りつめつづけていた『理性』を宿す糸がついに臨界点を突破した。

 

「この! 屑どもがあぁぁぁーーーーーー!!!!」

 夕雲から飛び降りながら、着地寸前に傍に居た者の背後から連理を心臓へと突き立てる。

「え?」

 何が起こったかわからない様子で倒れていき、怒りのままにそれを引き抜く。と同時に、天幕の内部にかけられていた布を三人へと投げ彼女たちが血で汚れることと、混乱を防ぐ。

 天幕内に血の雨が生じ、俺はその雨に濡れながら軽く周囲を見渡した。

 

 ほとんど半裸になり、現状が理解できずに呆けた男ども。

 机に置かれた血が乾いた硯と筆。

 少し離れた場所に落ちている小剣が三本。

 隅に置かれ、あと少しで火をつける筈だったと思われる香炉。

 そして、口の開き、近くに杯の転がる酒瓶。

 

 俺は近くに転がっていた香炉を、怒りのままに踏み砕く。

 見るからに高価そうなそれは、十常侍が与えたことを言外に告げていた。

 彼女たちで性欲すら発散しようとしたのか、この(ゴミ)ども。

「あぁ? 誰だ? てめぇは・・・」

「黙れ死ね塵。

 俺はお前たちに関心がない。お前たちはただ死ねばいい。

 いいや、俺が殺す。この手で殺す。どいつこいつも生かしておかない」

 あと五人、どれが馬元義だか知らないが、全員斬り捨てればいい。

 どちらにせよ、ここに居るならこの乱の中心人物であることは確定している。

 布を被せた三人の前に立ち、俺との間にさらに夕雲が入ってくる。

 三人にこんな光景を見せる必要はない。

 本来傷つく必要もない三人を、この塵どもはどれほど傷つけやがった?

 これ以上、傷つく必要なんてある筈がない。

 もう俺が、傷つけさせやしない。

「白陽、しばらくの間三人を頼む」

 自分の声でありながら、それは酷く冷めていて、自分が発したことを疑ってしまいそうだった。

「援護は不要。

 それに、すぐ終わる」

 その言葉に怒りを抱いたのか、各々棍棒、槍、剣を持つが、その構えは酷いものだった。

 まるで子どもが初めて木の棒を持った時のような無知な子ども。あるいは天にもたまにいた危険な刃物を持つことで自分が強いと錯覚する、馬鹿な若者の目をしている。

「承知いたしました」

 白陽の短い返事を聞くと同時に、俺は動いていた。

 直後、その場に二度目の血の雨が降る。

 したことはいたって簡単(シンプル)

 目の前にいた人間の懐に入り、血管が集中している首を目掛けて、剣を抜くように下から上へと振り上げただけ。

 失血死するまでは苦しむだろうが、それは知ったことではない。

 だが、彼女たちに苦悶の声を聞かせる気はさらさらなく、その喉を潰すように倒れたところを踏みつける。

「まず一人」

 足元で足掻く鬱陶しいものへとさらに体重をかけ、俺は左手で西海優王を引き抜いた。

「ひぃ?!」

 数名が逃げ出そうとするが、俺に逃す気はない。

 むしろ敵に背中を向けるのは、獣相手でも愚かなことだと教えてやろう。

 俺が逃げた者たちの方向へと、西海優王へと気を流して軽く振るって見せる。そして、天幕から出たところで、背後を向けて逃げ出した二名の首が吹き飛んだ。

 自分でやっておいてなんだが、それはまるで突風で吹き飛んだ建物の屋根のようだと他人事のように思う。

 だけどやっぱり、気の扱いが下手糞だなぁ。俺。

 でもまぁ、今回は加減する理由も、必要もない。問題ないだろう。

「な、何だっていうんだよ?! あんたは!! 今のは・・・・」

 ガタガタと震えだす残り二人が、その場で腰を抜かしていた。武器もまともに握れないようで、剣先は安定しない。

「今の? 気だよ、気。

 もっとも俺は加減が出来ないから、使うことは自粛してたけどな」

 日本にも合気道は存在し、それを学ぶことで俺は少しでも凪に近づこうとした。

 だが、気を発することは出来ても、物を破損させるほどの実力はあちら()では得られなかったのだ。

 だから、ただひたすら気を流し、気を溜める方法を修行し続けた。

 だがこちらに戻ってきて、試してみた際に成果は急激に表れ、俺自身も酷く驚かされた。

 気を発し、物理的に物を壊すことが意図もたやすくでき、それどころか使わないように加減しなければ危険なものに昇華していた。

 どうやら気で物を壊す行為は、この世界特有のものらしい。

「化け物があぁ!!」

 めちゃくちゃに剣を振るう奴の隣へと、凪と同じ気弾を打ってみる。

 すると男の顔はなくなり、その場に倒れた。

「『化け物』?

 大いに結構だな、俺はお前たちを殺すための化け物になってやるよ。

 彼女たちを利用したお前たちも、その裏も壊そう。

 腐敗しきったこの国の根元を一掃し、曹孟徳という日輪でこの大陸を照らす。

 我らの偉大な覇王がこの大陸を照らすのを、陽の光りが届くことのない地獄で聞くといい。

 俺が必ず、お前たちと共謀した塵どもを、そこに落としてやる」

 剣先をゆっくりと首へと近づけ、言い聞かせるように、死んでもその魂に刻みつけるように聞かせた。

「た、たすけ・・・・」

「命乞いしても、もう遅いんだよ」

 そう言って俺は、男の首を刈った。

「・・・・十常侍、か。想定外だったな」

 もし、そいつらがいなければ違う可能性があった。

 別の形で、この大陸に幸せを作ることも出来ていた。

 これから起こるだろう多くの戦が避けられることを、心のどこかで願っていた。

「壊したのは、貴様らだ」

 そう言ってから俺は死体に背を向けて、白陽が傍に付く三人の元へ仮面をとりつつ駆け寄った。

 

「天和! 地和! 人和!」

 俺が声をかけ、かけていた布を取り払う。

「か・・・ず・・・と?」

「かずと・・・・ なの?」

「一刀さん・・・?」

 服が破かれ、顔や腹には血が滲んだ怪我が見える。

 本当ならば多くの言葉をかけたい、今すぐにでも抱きしめたい。

 だが、今は時間がない。

 ここには間もなく、多くの兵が集まってくる。

「三人とも、ただいま。

 いろいろ話したいことも、伝えたいこともある。けど今は、三人には安全なところに行ってもらう」

「かずと・・・・ かずとぉ!」

「ごめん、ごめんねぇ! こんなことになってごめんねぇ」

「・・・・・ごめんなさい」

 泣きだす三人を一度だけ抱きしめ、一人ずつ抱えて夕雲の背へと乗せた。

「三人は悪くないんだ。だから、自分をそう責めなくていい。

 姓は曹、名は仁、字は子孝。そして、真名は冬雲。

 今の俺の名を受け取ってくれ、三人とも」

 俺の言葉にまだ泣く三人へと姿を隠すようにして布を被せ、白陽へと目を向けた。

「白陽! お前は・・・・」

「却下です。

 彼女たちの護衛は、今やっと追いついた紅陽と青陽で事足ります。

 ですが、あなた様一人でここに来る兵を相手取るにはあまりにも無謀です」

 三人の護衛を頼もうとした瞬間に却下され、二人が既にそこに居た。

「私はあなたの影、雲があってこその私。あなたが降らす全てが私なのです。

 あなたが落とす(怒り)、それもまた共に在りましょう」

 俺がここから何をするのかをわかっているかのように言う彼女に、驚きを通り越して呆れてしまった。

「・・・・お前は俺以上に変わり者だ」

「主が大陸でも有数の変り者ですし、家が仕える主もまた人材収集好きの変り者ですので」

 間髪なく切り返してくる白陽へと、俺は少しだけ笑い夕雲へと乗った三人へと軽く微笑みを向ける。

「城で待っていてくれ、三人とも」

 そう言うと三人は不安げな目をして、俺を見た。

 あんな別れ方をしてしまった俺が、この状況下でまた別れるとなれば不安を抱くのも仕方ない。

「大丈夫、絶対に俺は帰るからさ。

 それに俺たちは一人じゃないだろ? みんな、三人のことを待ってる」

 ただ、この姿を見たら俺と同じように飛び出してきそうなのが数名いるが。

「冬雲・・・さん、今度はあの時の約束を、守ってくれますよね?」

 俺が見ずに終わってしまった『役満姉妹』の大陸制覇。

 この目で、いつものように舞台袖から彼女たちが輝く姿を見たかった。

 俺は無論、頷いた。

「当然だろう?

 いつかみたいに、舞台袖からみんなを見守るよ。

 三人が一番輝く瞬間を、他の誰にも譲らない場所から、今度こそ見届けてみせる」

 だから、安心してくれと言って、頭を優しく撫でると人和は目に涙を溜めて頷いた。

「紅陽、青陽、夕雲、三人を任せたぞ」

「「「はっ(ヒンッ)!」」」

 二人と一頭が返事と同時に駆け出すのを見送り、天幕を出る。

 本陣で何かがあったことがわかったのだろう、一直線に俺の元へと多くの兵が集まってきている。

「白陽、兵数は?」

「その数、およそ八万。

 本来ならば洛陽から飛将軍が三万、他五万を諸侯が分割する形で討伐する予定だったようですが・・・・ 見ての通り、冬雲様が開けた穴のせいで一直線にこちらへと向かってきています。

 いかがいたしますか?」

 わざとらしく俺へと問いかけながら、俺は迫ってくる多くの者たちに殺意を向ける。

「選択肢なんてないだろ。

 三万だろうと、五万だろうと、八万だろうと、関係ない。

 全部、斬り捨ててやる」

 これは十常侍への見せしめだ。

 お前が誰を怒らせ、何をしたのか、そしてその結果がどうなるかを教えるための公開処刑の場。

「では、その背中を私は守りましょう」

「どうせ、駄目って言っても守るんだろう?」

「無論です」

 その言葉に肩をすくませて、俺は向かってくる兵たちを前に深く息を吸い込んだ。

 考えるのはあの書簡、三人の姿、そして、己自身への尽きぬ怒りだった。

「行くぞ、白陽」

「あなた様とならば、どこまでも」

 連理と西海優王を抜き、俺は背中を白陽へと任せて俺たちを囲んでくる者たちの一部へと突っ込んでいった。

 

 

 敵の数が多いため、どこに振るっても刃は当たり血が噴き出す。その中でどれほど的確に急所へと当て、如何に早く数を減らすかが俺の生死の境目だろう。

 何人斬ったのかもわからない中で俺と白陽が背中を合わせ、互いにやや乱れた呼吸を整える。

「数えているか? 白陽」

「二万を超えたのを境に、数えることを放棄いたしました。

 援護は始まっているのでしょうが・・・ やはりこの数、人の壁が軍の進行を遅れさせているのかと思われます」

「だろう、な!」

 連理と西海優王に気を乗せ、近づいてきた兵たちの歩をわずかに遅れさせる。

「まだ、いけるか?」

「無論です」

 そう言ってたがいに駆け出した瞬間

「兄上の阿呆んだらあぁぁぁぁーーーーーーー!!!」

「兄者の考えなしがあぁぁぁぁーーーーーーー!!!」

 馬の蹄の音と共に聞こえたその二つの声に俺は剣を振るいつつ、額に冷や汗が流れるのを感じていた。

 わずかに視線を向ければ、激しい土煙と血飛沫をあげながら、それぞれの得物と鎧を汚した義弟二人がこちらへと向かってきていた。

「・・・・本当にどいつもこいつも、馬鹿ばっかりだよ! この軍は!!」

 笑いをこらえながら剣を振るい、また敵兵たちと間をとった。

 二人が穴を開けるようにして、俺が立つところで馬から飛び降りる。

 樟夏が右に立ち、双刃剣『霧影無双』を軽く回転させる。

 樹枝は左に立ち、棍『理露凄然』を構えた。

「兄上、まず何から言ってほしいですか?

 常識から説きましょうか? それともあなたの立場から説きましょうか?」

「姉者が許したとはいえ、兄者は自分を蔑ろにする行動が多すぎるかと。

 以後、控えていただかなければ・・・」

「自分の身よりも、大事なものがある!」

 二人の言葉を聞きながら、一歩踏み出した形で迫っていた矢を薙ぎ払う。俺の背後から弓兵を殺すために暗器が飛び、俺はそのままの勢いで前衛の敵兵の数名の首を目掛けて斬り込んでいく。

 そんな俺に慌てた二人が追ってくるのを感じとり、俺は笑っていた。

「ほらな?」

 俺がそう言いながら一人、また一人と命を奪っていく中で二人へと呟いていた。

「だから、いったい何のことを言っているんです?!」

 樹枝の怒鳴り声を聞きながら、俺は楽しくてしょうがなかった。

 俺たちがこうして共に並ぶことは戦場ではいまだ経験はなく、だというのに近距離の俺を二人が援護してくれる。仕損じた相手は白陽が拾い、その間の白陽を誰が指示したわけでもなく守っている。

「俺を追ってここまで来たお前らも、俺と同類だ!」

「はっ?

 あっ・・・・ ですが、それは兄上が!!」

「・・・・反論できませんね。

 無理にしたとしても、兄者を笑わせる理由が増えるだけですからやめておきましょう。樹枝」

「ハハハハハ、俺の周りは変り者や馬鹿ばっかりだ。

 だけど・・・ なんて気持ちよく、背中を預けられるんだろうなぁ」

 ここに居ないみんなも、同じ戦場で戦っているだろうみんなも、なんて心地よい仲間ばかりなんだろう。

 憎しみと怒りに囚われているのが、馬鹿らしくなってくる。

 そう言って俺たちはもう一度だけ、互いに背を預けた。

「樟夏、樹枝、白陽」

「何でしょう?」

「わかってますよ」

「はっ!」

 三人の返事を聞き、俺は笑った。

 背を預けるのはたった三人だというのに、なんて心強いことだろうか。

 いや、違うか。

 ただ傍にいないだけで、ここに居ないみんなにも背を預けている。

 なんて、頼もしいんだろうな。

「行くぞ!!」

「「「はいっ(はっ)!!」」」

 俺たちはそう言って、万の敵へと突っ込んでいった。

 




雷を雲に戻すのは、彼女たちだけの役目ではありません。
時には、下に気づかされることもあるでしょうね?

感想、誤字脱字お待ちしております。


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 決戦 始まり直後 本陣にて 【秋蘭視点】

決戦時、冬雲が飛び出していった直後から向こうの本陣で無双が起こってる頃の視点ですね。
流琉しかり、愛羅しかり、どうもこの口調の子は難産です・・・・

これからもよろしくお願いします。


 冬雲の手から書簡が落ちる。

 瞬間、場の空気が凍った。

 冬雲が放ったとは思いたくない『気』がその場を支配し、冷たく重い殺意が溢れ出ていた。

 真正面から受け止められている華琳様を除き、あの頃を知っている者たちですらその事態に目を疑う。

 私たちは誰一人として彼が『怒る』ところを見たことがなく、その矛先を向けられたことがない。

 たった一人、訳も分からぬままこの世界に投げ出されたあの日の出会った時ですら、傍目からは異常なほど冷静であった男。

 いつも微笑みを浮かべ、その口から生まれる言葉は不思議と人を笑顔にさせた。

 理不尽だった桂花の言葉も、姉者の照れ隠しだった暴力も、日々の警邏も、苦笑しながら受け止め、改善に努める。

 戦場ですらそれは変わらず、むしろ弱いことを自覚し、自分に出来る範囲で最善を尽くした。

 お人好しで、笑みが絶えない。人の悪意を知っていながら、善意を信じすぎる。

 それが私たちの知る冬雲(一刀)という存在だった。

 

 

「『歌いたいと思ってごめん』? 『会わせる顔がない』? 

 『皆さんと幸せになってください』?

 ・・・・・ふざけるな」

 発せられる言葉から気が漏れ、どれほどの怒りが込められているのかが肌で感じられる。

 あの白く楽しげに風に舞う雲が、黒く重い(怒り)を宿した雲へと変わっていく瞬間を、私たちは()の当たりにした。

「三人は歌うことを望んだだけだろ? 民を自分たちの出来ることで癒そうとしただけだ。

 三人を利用した奴がいて、希望を与えた歌を道具にしやがった奴らがいる」

 異常なほどとれていた情報統制、わからない張三姉妹の安否に華琳様は勿論、桂花も常に軍師として最悪の事態を考えていたことだろう。そして恐らく冬雲自身、その考えを抱いてなおも認めたくなかった。

「会わせる顔がないっていうなら、俺こそがそうだ。

 あの時みんなを悲しませ、全てを捨ててきた俺こそがみんなに会わせる顔なんざない」

「っ!」

 冬雲の言葉に足が動きかけ、それは姉者に掴まれたことによって止まる。だが、それによって行動は止められても、思考は止まらない。

 私こそがそうだ。皆に、誰にも会わせる顔などない。

 冬雲が消えた理由が明確にはわからずとも、その一端は確実に私が担っていた。

 誰もが前を向いたふりをして懸命に生きていく中、私は己を責めた。

 私が死ねばと、何度思ったことだろう。

 あの世界で何度、自刃を試みただろう。

「秋蘭、それは違うだろう?」

 不意に姉者に囁かれ、私が振り返ると姉者は優しげに笑っていた。

 おそらく表情に出ていたのだろうが、前の姉者とは比べ物にならないぐらい今の姉者はいろいろな面で成長している。

 まるでこの後、冬雲が何を言うかわかりきっているかのように姉者は冬雲を顎で指し示した。

「誰かが欠けて幸せになんて、なれるわけがない」

 不覚にも、その言葉に涙が出そうになった。

 だが冬雲(一刀)、お前自身がその言葉をちゃんとわかっていなかった。

 三国が手を取りあい、将の誰もが互いを真名で呼び合うほど仲を深めていったあの日々は確かに幸せに溢れていた。

 家の義務として子を残し、平和を後の世にすら作り上げた。

 愛しき者がそこに居なくとも残酷に時は過ぎ、幸せは掌の上に別の形となって存在していた。

 だがそれは、最善であっても最高ではない。

 愛していることに偽りはなくとも、隣に立つことを望んだ者はずっと一人だけ。

 妻となっても、母となっても、そこに本当に居てほしかった者のいない世はなんと味気なかったことか。

「俺はあの時出来なかった全てを、それ以上の幸せを得るためにここに戻ってきたんだ」

 力強く放たれる言葉一つ一つに、心が揺さぶられていることを自覚する。

 姿も変わり、持っていた技術と知識を向上させ、全てが変わっているかのように見えても、冬雲はあの日私たちの前に現れた北郷 一刀のままだ。

 

 だがな、冬雲(一刀)

 そんなお前だからこそ、私はずっと問いたかった。

 だからこそ、お前はその優しさからどれほど己を責めた?

 武と智を多く吸収し、あの世界で一体何を思って生きていた?

 お前は気づいていないのだろう?

 自分が私たちを見ている時、ごく稀に後ろめたさを宿した悲しげな眼をしていることを。

 

「俺は、誰も失わない。

 天にも、運命にも、歴史にも、俺の大切なものを何一つとして奪わせない。

 くれてなんか、やらない」

「・・・・それはこっちの台詞だ」

 傍に居る姉者にすら聞こえないような声で呟き、先程とは違った意味で空気が変わった周囲に目を向ける。

 事情を知らない雛里、斗詩、樟夏、樹枝は何かを察し、口を挟もうとはしない。

 四人のことだ、私たちの接し方や行動で何かしら感づいていてもおかしくはないだろう。

 樹枝の問いに華琳様が以前答えた通り、傍に居るならばいつか必ず話すことになる。

 そしてそのいつかは、あの時の者たちが揃った時になることだろう。

「その怒りがあなただけのものじゃないということを、この乱を起こした馬鹿共に刻みつけてきなさい!」

 華琳様の言葉を最後に飛び出していく冬雲を見送り、重い空気がそこを包みかけた。

 が、その直後響いたのは意外な者たちの声だった。

「姉者、兄者の援護をするため軍を動かして構わないでしょうか?」

「曹仁隊は、兄上の行動からすぐさま動き出しかねません。

 曹仁隊だけではあまりにも数が足りませんし、我々に行かせてください! 華琳様!!」

 樟夏と樹枝の二人がこれまで見たこともないような必死な目をして、そこに立っていた。

「・・・・いいでしょう。

 冬雲が開けた穴を、あなた達が責任もって繋いで見せなさい」

 華琳様の決断は早かった。

「樟夏、樹枝は曹仁隊、曹洪隊、荀攸隊の三部隊を率い、中央の道を切り開きなさい!!」

「「ありがとうございます! 姉者(華琳様)!!」」

 言葉と同時に立ちあがり、二人は冬雲の後を追うようにその場から駆け出していった。

 

 

「フフ、私はこれまであんなに必死な樟夏を見たことがないわ。春蘭、秋蘭」

 驚きつつも優しげに微笑まれる華琳様のその表情は、弟の成長を喜ぶ姉たる御姿だった。

「樟夏はようやく理解者を得て、今まで磨き続けた力を誰に遠慮することなく使うことが出来るのね」

「華琳様・・・」

 三人が出ていった扉を見つめ、そういう華琳様の言葉は弟を思っていながら守ってやることの出来なかった思いが乗せられていた。

 

 幼い頃から樟夏は、姉である華琳様と常に比較されて生きてきた。

 樟夏は華琳様と似た人を惹きつけ、多くの知識を理解し、武に通じる万能の才を持っていた。

 だが、同じ『才ある者』でも『天才』と『秀才』は、その成長の速さが違う。

 飛躍的な伸びを見せぬ樟夏を、浅慮な愚か者たちは認めようとはしなかった。

 努力を積み重ね、華琳様の倍の時間をかけて樟夏が素晴らしい物を作っても、誰も見向きもしなかったのだ。

 だからこそ樟夏は、いつの頃からか今も続く口癖を言うようになっていた。

『世は無常だ』

 それはいかに努力しようとも、結果を出しても認められることのない自分自身を守るための鎧だったのだろう。

 認められることを諦め、それでもなおも努力をやめぬ樟夏を慕う者は多く、おそらく我々の中で冬雲に次いで兵たちからの人望も厚い。いや、付き合いから考えれば、今も樟夏の方があるかもしれない。もっとも本人は気づいていないようだが。

 樟夏にとって冬雲は自分の才能を認めてくれた者であると同時に、実力を持ちながら、なおも努力をやめようとしない自分を超えた『努力の天才』に尊敬の念を抱くのは当然のことだろう。

 私たちがそうであったように、冬雲(一刀)は多くの者を変えていく。

 その変化は最後のほんの一押しであったとしても、それによって世界は全く違う景色が見える。

 本人は『樟夏のしたことを褒めただけ』と言うだろうが、たった一言で救われる者は案外多いということを奴はそろそろ学ぶべきかもしれない。

 

 本当に、我々が恋した男はいい男だ。

 大陸中に自慢したくなるが、大陸中の女が惚れそうで誰にも見せてやりたくないような複雑な気持ちになるじゃないか。

「雛里、斗詩、あなた達から質問があるならば聞くわ。

 何かあるかしら」

 内容は口にはしないが華琳様はこの場で話すことも考えているらしく、今いる中で事情を知らない二人へと視線を向けられる。

「でしたら、一つだけお聞かせください。華琳様」

「何かしら? 雛里」

「お話しいただけるのは、あと何名の方がここに揃った時なのですか?」

 雛里のその言葉に数名の者が目を丸くし、斗詩は同意するように頷いた。

「敏い子ね、あと三名・・・ いいえ、今回の件に関わっている子たちも含めれば六名。

 張角、張宝、張梁、張文遠、程仲徳、郭奉孝たちが揃った時、あなた達に話せるでしょう」

「き、『鬼神の張遼』ともお知合いなんですか?」

 華琳様の言葉に斗詩が青ざめながら言い、その言葉に今の通り名を知らなかったらしい真桜たちが驚いた顔をしていた。

「鬼神て・・・・ 姐さんなにしとんねん」

「霞様・・・・」

「でも、しょうがないと思うのー。

 隊長に会えない思いは、八つ当たりに使うしかないのー」

 三人のそれぞれの感想に近い言葉を言ったところで、筆頭軍師である桂花が手を叩いて場の空気を換える。

 華琳様もその行動に対して視線で労をねぎらい、言葉を紡がれた。

「この答えで構わないかしら?」

「ありがとうございましゅ! 今はこれで十分です!!」

「悪いわね。

 さて、これからだけどもう飛び出していった三人を援護する形しか取れない現状で、あなたならどうするかしら? 桂花」

 雛里の答えに嬉しそうに目を細めた後、華琳様の目は既に王たる目をしていらした。

 戦いに向けた王の目、我らが敬愛し、命を捧げると誓った覇王たる華琳様が姿を現す。

「はっ!

 相手の数は多く、この開けた地形では各個撃破も出来ません。

 ですが、我らの目的はあくまで本陣へと駆けていっただろう冬雲の援護。

 ならば、一点突破し、本陣へと道を創るのが上策かと」

 桂花らしくない手柄を捨てた、かつてはあれほど嫌った猪の戦法。

 だが、その方法をやらざる得ない状況ということなのだろう。

「手柄を捨てたやり方ね? それは何故かしら?」

「今回、裏を操っているのが十常侍ならば、冬雲の存在が危険視されかねません。

 最悪の場合、勅命を使ってこちらを潰しにかかってくることでしょう。

 ならば、遅れてくる飛将軍や諸侯たちに全ての手柄を与え、今はまだ目立たない方がいいかと」

 董卓連合も実態は、麗羽が手柄を欲するための嘘八百だった。

 欲におぼれた者たちは目的を達するためであれば、いかなる手段を用いてくる。桂花の言うとおりになる可能性は、十分あり得るだろう。

「そして、全諸侯を相手取るほどの戦力がまだこちらにはない・・・ ということね。

 それを採用しましょう。なら雛里、兵の配置は?」

 言葉とは裏腹に華琳様の焦った様子はなく、今の力不足を認められ、次に雛里を見た。

「最前線の配置は三隊で進めるとは思いますが、このままでは道が塞がれ囲まれるのも時間の問題です。

 そのため早急に後方から春蘭さん、季衣さんの部隊を突入させ、道の維持のため後衛から秋蘭さん、流琉さん、斗詩さんといったところでしょうか。

 真桜さん、凪さん、沙和さんたちは戦場を見ながら・・・・」

「ちょい待ち、雛里。

 ウチは今回、本陣を守らしてほしいんや」

 雛里の言葉に割り込んだのは、意外なことに真桜。

「ほぅ、何故だ?」

 私がおもわず問うと、真桜は苦い顔をして書簡を拾い上げにいった。

「隊長のことや、多分自分の馬にでも三人乗せて、先こっち来させる思います。

 隊長はきっと時間稼ぐためとか言って、あっちの本陣に残るやろし。この状況で、あの三人はめっちゃくちゃ不安になってると思いますねん。

 やからそんな三人を迎える知り合いが、誰か一人でも本陣に知り合いおった方がえぇと思うんです。

 だから、頼んます! 華琳様! 桂花様! 雛里!

 身勝手やってわかってるし、凪と沙和にウチの部隊任せるんは無茶やって思うけど、三人を迎える役目を、ウチにやらせてもらえまへんやろか?」

「真桜・・・ 華琳様、私からもお願いします!

 部隊は我々だけで、動かしてみせます!! ですから、どうか」

「お願いしますの!」

 思えば、張三姉妹との距離感が一番近かったのはこの三人だった。

 町の警邏と三人が公演を行う場所の整備、人の列を整えることも彼女たちの仕事だったためだろう。将としてだけでなく、友としても力になりたいがために生まれた発想だった。

 真桜に続いて、凪と沙和も頭を下げる。それを見る華琳様はどこまでも嬉しそうに微笑み、桂花と雛里を見る。

「本陣の守りは任せたわよ、真桜。三人をちゃんと迎えてあげなさい。

 けれど真桜の部隊は本陣に配置、あまりにも本陣が手薄すぎて落とされなどしたら、笑いの種にしかならないわ」

「おおきに! 華琳様!!」

「感謝はこの戦が終わり、皆で祝杯をあげる時まで取っておきなさい。

 全員、指示は聞いていたわね?」

『はっ!!』

「それでは、ただちに行動へと移しなさい!

 解散っ!!」

 その号令と共に将たちは先程三人が出ていった扉へと走り、軍師たちは華琳様のところへと動き出していった。

 

 

 準備を整え、城の前に今揃う全ての隊が並び、華琳様の言葉を今か今かと待ちわびている。

 既に自分たちの戦友たちが先陣をきっているということと、兵たちの中では自分たちの兄のような冬雲が駆け出していったことが広まっている。

 だというのに、通常ならば起きかねない混乱ではなく、『仲間の元へ一刻も早く向かいたい』という考えがいつの間にか生まれ、通常の倍以上の速さで準備を終えた。

 他部隊にすら影響している冬雲の人望には、ここまで来ると溜息しか出てこなかった。

「聞け! 陳留の兵よ!!

 これまで多くを奪い、小競り合いを繰り返した黄巾の者たちが今!!

 一つに集結し、この地へと攻め込んできている!

 奴らはこれまでも弱き村々を狙い、兵糧を奪い、多くの罪なき民を殺し続けた!

 それだけでも飽き足らず、奴らは何の罪もなき歌姫たちを利用していたのだ!」

 華琳様はそこで言葉を止め、まっすぐにあちらの本陣を指差した。

「我が将、曹子孝は歌姫たちを救うべく、本陣へと一人突貫した!

 今もなお、あの戦場の中央で剣を振るい、義弟である曹洪、荀攸もそれを追い、最前線を維持し続けている!!」

 全隊から驚きが伝わり、誰もが見えぬはずの本陣へと目を向けられる。

「我らが目的は戦功にあらず!

 民を! 罪なき歌姫を!

 そして、義と勇を持って最前線に立つ、我らが誇りたる将兵たちを守るための戦なり!!」

 士気が高まり、確固たる意志を得た兵たちに浮き立った様子はない。

 華琳様が絶を抜き、振るって叫ばれた。

「全隊! 突撃せよ!!」

『おおおおおおぉぉぉーーーーーーーー!!!!!』

 天をも揺らすような雄叫びがあがり、私たちは想いを一つにして戦場へと駆け出した。

 




もう一本、樹枝の視点変更を挟む予定です。
目標は月曜ですかねぇ・・・ 土日にちょっと出来そうにないので、もしかしたら火曜かもしれません。

感想、誤字脱字お待ちしております。


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30,決戦 最前線にて 【樹枝視点】

なんとかもう一本、投稿できました。
本編にするかどうかは迷いましたが、時系列的には本編かなと思ったので本編として設置しました。


番外は別に設置した方がいいですかね?
ですが、本編に必要でも読まない方が現れ、そちらに促すようになってしまうんですよね。
視点変更は流れ的に必須なもの以外は後回しになっているものもいくつかあり、どうしても更新が今の形になってしまいます。
何かいい案がある方、メッセージかコメントにてお知恵を貸していただけると助かります。

これからもよろしくお願いします。


 最前線を部下に任せ、樟夏と共に無理矢理作り上げた一本の道をただ必死に馬を駆り、走り抜けた。

 本陣を目指すその道を、二人がかりでなんとかこじ開けていく。

 自分の実力を驕るわけではないが、おそらく僕らの実力は現在の陳留にいる武官内ならば十本の指には入る筈だ。

 しかし兄上はその道を、本来はこうした戦場は専門外である隠密の白陽殿を連れて作り上げた。

 白陽殿の合いの手があったとはいえ、それはほぼ一騎駆けによって成し遂げてしまった。否、先程の兄上の怒りのほどを見る限りでは、おそらく白陽殿すら共に来ることは頭になかった筈だ。

 つまり兄上は、自分がどうなるかを考えることが出来ぬほど、怒りを宿していたということ。一つの感情に縛られ、こんな戦場の敵本陣に二人だけなど危険極まりない。

「樹枝! 前方奥、目標らしき影在り!!」

 樟夏のその言葉に首を軽く回すが、確認できなかった。

「視認出来ず! 突き進む!!」

「異論無し!」

 馬上から歩兵相手には有利な状況とはいえ、これほどの数がいると馬の脚が進まない。長柄である僕らの武器ですら苦戦しているというのに、剣を振るう兄上は一体どうしたというだろうか。

 そして兄上もだが、兄上の怒りを受け止め、迷うこともなく付き従った白陽殿。殺気にさらされながらも、その背に乗せ人の壁に気圧されることもなかった愛馬である夕雲に対しても驚きを隠せなかった。

 あれほどの殺気と怒気を真正面から受けながら怯むこともなく、これほどの戦場を共に駆けることを即決することが出来てしまうことには疑問すら抱く。

 そんな驚きと問いを抱きながらも馬を走らせ、得物を振るい続けると、ようやくあちらの天幕が見える位置に出た。

 

 まず目に入ったのは、赤黒い円とその周りに並ぶ多くの死体。

 死体を見て、ようやく円を描くものが敵兵の血だと知り、背筋が凍る。

 その中央にいたのは青だった筈の衣を血で紅く染め上げ、二本の剣を振り回す赤き鬼。

 仮面を被ってその瞳は見えずとも、顔の下半分から垣間見える表情は激しい怒りを宿していることは、誰の目から見ても明らかだった。

 敵兵を憎み、怒り、そうする己自身すらも殺さんばかりの鬼気迫るものが、溢れ出る殺気と怒気から滲み出ていた。

 その背を守り、まるで雷撃のように飛び回るは白き鬼。

 表情を見せず、その白き鎧を血に汚すこともなく、赤き鬼の行動へと合いの手を入れる。

 呼吸を合わせることが当然だとでもいうように、むしろそうあることが必然であるかのように、ただひたすらその身を守り、支え続けていた。

 

 本来恐ろしいはずの光景を、僕はひどく羨ましく思った。

 そしておそらくは華琳様や姉上、同僚の誰が見たとしても同様の感想を抱く確信がある。武官の誰もが、あの場所で共に立っている白陽殿に嫉妬するだろう。

 互いに言葉を交わすこともなく、その背を預け合い、支え、守り、活かし合う完成しきったその連携は恐ろしく、同時に美しいとすら感じてしまうほど、見事な戦ぶりだった。

 が、見惚れている場合ではない。

 安堵の思いもあるが、それ以上に腹の底からこみあげてくる怒りと言葉を僕は吐きだした。

「兄上の阿呆んだらあぁぁぁぁーーーーーーー!!!」

「兄者の考えなしがあぁぁぁぁーーーーーーー!!!」

 ほぼ同時に樟夏も叫び、その勢いのまま飛び込み、流れるように馬から降り兄上の左右に並び立った。

「兄上、まず何から言ってほしいですか?

 常識から説きましょうか? それともあなたの立場から説きましょうか?」

 顔の傷の件があったというのにまったく学習せず、感情のままに突っ込んでいった兄上に対して怒りは尽きない。

 たとえ僕らの知らぬ理由があったとしても、己の命を危機にさらしすぎている点については義兄弟として一度じっくり話し合いの場を設ける必要があるだろう。

「姉者が許したとはいえ、兄者は自分を蔑ろにする行動が多すぎるかと。

 以後、控えていただかなければ・・・」

 樟夏も同意見らしく、義兄弟による話し合いは必須だろう。だが、兄上は聞いているのかいないのか、その場から一歩踏み出した。

「自分の身よりも、大事なものがある!」

 兄上の剣は振るうと同時に気を放っていたらしく、刃の届かなかった矢すらも落ちてゆく。そしてその背後から、まるでその行動がわかっていたかのように白陽殿の暗器が飛ぶ。兄上は踏み出した勢いを殺すことなく、不意打ちを失敗して戸惑いを見せる敵兵たちへと斬り込んでいく。

 兄上の突然の行動を読み切れなかった僕らは、その背中に刃が来ないように追うことが精一杯だった。だというのに、兄上は剣を振るい、多くの命を奪いながらも嬉しそうに笑っていた。そこに先程あった鬼気迫るような怒りの表情はない。

「ほらな?」

「だから、いったい何のことを言っているんです?!」

 理解できないことへの苛立ちと、この状況下であっても僕らに頼らずに平気で命を投げ出す兄上へと怒りを抱く。

 兄上は傷ついてほしくないと願う者の数を知っているにもかかわらず、誰よりも前に出て自らその身を盾とし、矛とする。

 兄上のその在り方は将として、臣として正しい。

 それでも、その背に守られている者がどれほど辛いか、そんな兄上を守りたいと思うかをいい加減・・・・!

「俺を追ってここまで来たお前らも、俺と同類だ!」

「はっ?」

 兄上のその言葉に、僕は直前まで考えていたことが兄上の行動や『大切な者に傷ついてほしくない』という考えと類似するものだということを知り、顔が熱くなる。

「あっ・・・・ ですが、それは兄上が!!」

「・・・・反論できませんね。

 無理にしたとしても、兄者を笑わせる理由が増えるだけですからやめておきましょう。樹枝」

 反論しかけた僕をいさめ、いつものように樟夏は溜息を吐く。まだ諦めきれずに言い返そうとするが、そんなことをお構いなしに兄上は笑いだす。

「ハハハハハ、俺の周りは変り者や馬鹿ばっかりだ。

 だけど・・・ なんて気持ちよく、背中を預けられるんだろうなぁ」

 『兄上にだけには変り者や馬鹿とは言われたくない!』と瞬時に思い、喉まで出かかった。

 が、続いた言葉にその思いが霧散した。

『背中を預ける』

 尊敬し、目標とする兄上から口にされたその言葉に胸を強く叩かれた気がした。

 頼りにされることの心地よさが胸を支配し、表情は自然と引き締まる。見れば樟夏も同様に引き締まり、だがその口元はわずかに弧を描いていた。

 この戦ぶりを見る限り、一人で万の兵すら斬り伏せることが出来る兄上が僕らを信頼し、背を預けてくださる。

 その信頼は厚く、責任は重大。

 陳留の将の誰もが羨むこの位置、敵本陣中央、自軍は遠く、援護は遅れる可能性が高い中で、たった四人だけの無謀な戦。

 だというのに、何故か心は歓喜し、満たされている。

「樟夏、樹枝、白陽」

 いつもと同じ兄上の声、異常なほど落ち着いているその声が今はただ頼もしく、心地よい。

「何でしょう?」

「わかってますよ」

「はっ!」

 あわない返事、だが言葉を一つにする必要もないほどに思いは重なっていることを信じられる。

 『殺す』ためではなく、互いを『守る』ため。

 どんな綺麗ごとを紡いでも消えぬこの罪を犯す理由は唯一つ、誰かの欲を壊し、命を奪い、それでもなおも自分の大切な者たちと『生きていたい』という欲だった。

 人は身勝手で、信ずるものは人の数ほどあるというのに、己の周りをよくするためだけに一つの我を通す。

 規模は変われど、根源たる思いは皆等しく、『大陸を守ること』も、『誰かの笑顔を作ること』も、最初の欲から生まれた延長線にあったおまけでしかない。

 わかっていても、守りたい。失いたくない。そう叫ぶのが人間だ。

「行くぞ!!」

「「「はいっ(はっ)!!」」」

 兄上のその言葉に、僕たちは同時に万の敵兵へと突っ込んでいった。

 

 

 前方を突き進む兄上を、左右の僕らが援護し、背後を守りながらも周囲を飛び交うのは白陽殿の暗器。

 そうしてしばらく四人でそれぞれの得物を振るう中で、自分のこれまでの人生を思い返していた。

 いえ、別に走馬灯とかじゃないですけどね?

「樹枝、あなたは何か余計なことを考えているでしょう?」

 おぉ、流石義兄弟であり、心の友。

 横合いから来た矢を払ってくれたので、後ろに来た兵の頭を棍で砕く。

「これまでの人生について、少し思い返していただけですよっと!」

 棍を右手で半回転させつつ、周りの兵へと距離をとり樟夏へと背を預ける。

「・・・・ずいぶん余裕ですね、あなたは」

 と言いつつも、同様に長柄の双刃剣を回転させて、一度距離を置く。

 互いに不思議と息は上がっておらず、ここに到着する前よりも心音が穏やかな気がした。

「と言いながらも、樟夏も動きが軽いように見えるんだが?」

 僕がそう言って笑うと、同じように晴れやかな笑みをした樟夏がそこに居た。

「フフッ、当然でしょう!」

 そう言って楽しげに双刃剣を相手の喉元目掛けて振るっていく樟夏の動きは軽く、そんな姿を見て負けていられないと棍を振るう。

「私たちはようやく、私たちを!

 己を殺さずにいられる場所を得た!」

 得物を分割させ、槍の形態から双剣へと変えてその場で舞うように、相手の内臓を切り裂いていく樟夏がやり損ねた者の頭や咽喉、急所にあたる部分を砕き進んでいく。

「あぁ! そうだな!!」

 思い返すは姉上たちにはわからない。いや、わかる者など一握りしかいないだろう。大陸に住む高い身分に生まれた男たちの運命(さだめ)だった。

 

 

 

 荀家の長女の息子として生まれた僕は、多くのことを叩き込まれてきた。

 兵法は勿論、武術、馬術、舞踊を学び続ける毎日。庭という範囲でしか外を知らず、家の中で多くのことを吸収し続けるだけの軟禁に近い状態で生活していた。

 だが、五歳の誕生日に始めて出会った姉上が、僕に世界を与えてくれた。

 いや、『無理やり引っくり返した』という方が正しい気がする。

 当時から知識を得ることに対して貪欲だった姉上は、姉である僕の母や、父母である祖父母の目を盗み、幼い僕を外へと連れ出した。

 本を読んでいることを理由に嫌がる僕を引っ(ぱた)き、姉上は言った。

「何、つまんなそうに本を読んでるのよ!

 アンタなんか、何にも知らないことを私が教えてやるわ!!」

 そう変わらない年齢の筈だというのに、姉上はその頃から姉上だった。

 今でこそどうとも思わないようなごくごく近所にあった市、初めて見る多くの他人や知らない物ばかりのそこに僕は目を奪われ、夢中になった。

「ほらっ、ちゃんと手を繋いでないとはぐれるわよ」

 姉上に手を引かれながら、子どもの僕は目に映る多くの物に見惚れた。

 姉上が買ってくれた湯気の立つ肉包(肉まん)は最初こそ戸惑ったが、口に入れた瞬間に広がった味と感動は今も色褪せることなく、肉包は僕の好物となっている。

 もっともすぐに母にばれて連れ戻されてしまったが、『馬鹿なことして!』と叱り飛ばす母に対して姉上は毅然とした態度で言い返した。

「危険なことを触れさせずに力で囲い、その中で現実という中身を知らずに知識だけを叩き込む方がよほど馬鹿がすることでしょ!

 それとも姉上は、そんなこともわからないのかしら?」

 そのあとは姉上と母上の間で醜い舌戦が繰り広げられたが、結果は姉上の勝利で終わり、姉上はおそらくその際に僕のことを母上に任されたのだろう。

 この舌戦を祖父母は止めるでもなく、お茶を片手に見守っていたことをはっきりと覚えている。

 十にも満たなかった子どもであった姉上が母を舌戦で負かしたことは荀家内で語り草となり、女学院での件を独断で行えるほどの発言力を持つ一因となった。

 経緯はどうあれ、姉上は僕に世界をくれた。

 あのままであったなら知識だけを持ち、世間を知らないまま、多くに疑問を持たないまま優秀な種馬の一人として家の道具となっていただろう。

 だがそうして生を終えるものもこの大陸には確かに存在し、そうなることを拒んだが故に欲へと走る輩もいる。そして恐らくそれが・・・・

 

 

「樹枝!」

 兄上のその声に、思考へと沈みすぎていたところから現実へと戻った。ほぼ無意識に動いていたが、最期は余計に考え込みすぎたために手元が疎かになったようだ。

「何を考えてたのかは知らんが、ほどほどにしとけよ?

 まぁ、この程度なら俺たちが援護するけどな」

 深くは聞かずに、笑い飛ばしてくれる兄上に僕も思わず笑みを浮かべた。

 家に流され、運命(さだめ)に流されかけたのを姉上によって()われ、その流れ着いた場所で僕は自分の居場所を見つけることが出来た。

 『荀家』も、『高い位にある(種馬)』であることも、それらを当たり前のように『おまけだ』と言ってくれる義兄弟がここに居てくれる。

「兄上こそ、そろそろ息があがってんじゃないですかぁ?

 休んでもいいですよ、守りますから!」

 この不思議な昂揚感の原因を作っている義兄に対し、おもわず軽口を叩いてしまう。

「余所見をしていた方が面白いことをおっしゃるのですね? 樹枝殿」

「白陽殿に同意ですね!」

 互いに手を止めずに叩く軽口に珍しく白陽殿が参戦し、樟夏もそれに同意する。

「そう言う白陽殿こそ、お疲れなんじゃないですかー?

 なんせ隠密はこうした戦場は専門外ですから、休んでもいいんですよ?」

 振り下ろされる剣を押さえると、白陽殿の暗器が飛び、振り返ると同時に白陽殿の背後へと迫る敵兵の頭を砕く。

「文官の仕事を主とし、日々机にへばりつきながら、桂花殿に鞭を振るわれる樹枝殿ほどではございません。

 なにより隠密は体力勝負、機会があれば隠密の仕事を体験させてさしあげましょう。

 樟夏殿もいかがですか?」

 背を預ける者が変わり、樟夏が白陽殿を支える位置となり、双刃剣を回転させ相手を蹴散らしていく。

「何故、私まで?!

 樹枝! あなたのせいですよ!!」

「ハハハ、何事も経験だぞ? 二人とも。

 一日隠密、なかなかやると面白い」

「「体験したことあるんですか?! 兄()!」」

 驚愕の事実におもわず突っ込みを入れるが、誰一人として動きを止めることはない。

「白陽と出会ってすぐの休日に、ちょっとだけ、な!」

 兄上が新しい場所へと斬りこんでいくのを見て、僕らも守りながら徐々に移動する。少しであっても、本陣中央から場所を移動し合流を早めるようにしているのだろう。もっとも微々たるものだが。

「実際は何が目的だったんですか? 白陽殿」

「・・・・あの頃はまだ、妹たちが冬雲様を認めていなかったのです」

 兄上からやや離れた位置で樟夏が問い、白陽殿はやや答えにくそうにそれだけを言う。

 それをさも楽しげに語るということは、兄上・・・・ いつも通り接して、いつも通り落としたんですね?

 えぇ、わかりますとも。想像も簡単ですねぇ!

 樟夏も最近、なんだか書簡を見るたびに幸せそうですし、僕だけ置いてきぼりに幸せ満載ですか! 羨ましい限りで、真桜さんの実験のように爆発して欲しいですね!

 そのまま人生の墓場になり、何なりに直行すればいいじゃないですか! 畜生!!

 そんなことを思っていると、自軍の本陣の方から雄叫びの声が聞こえた。

「三人とも! 聞こえたな?」

 兄上の嬉しさを隠すこともないその声に内心呆れつつも、おそらくは先陣をきってくるだろう春蘭様たちが脳裏に浮かび、おもわず笑ってしまった。

 いつもは怖いだけの方々が、こんな時はとても心強かった。

「あと少しだけ、踏ん張るぞ!!」

「春蘭が駆け込んでくると思うと、少し怖い気もしますが・・・・」

 樟夏のつぶやきに同じ考えを抱いた僕はおもわず笑い、兄上は苦笑する。

「今の一言は、戦が終わった後に春蘭様に耳に入れておきましょう。

 おそらくは同様のことを考えたであろう樹枝殿も」

「無常な?!」

「心まで読めるんですか?!」

 そんな理不尽な宣告を受け、僕らの背へと迫った敵兵を斬り捨てた兄上に軽く頭を小突かれた。

「今から少しだけ、軽口無しで本気でやるぞ」

 そう言って剣についた血を払うように大きく振ってから、僕らに背を預けて気を放つ。だが僕らはその気を恐ろしいとは思うことはなく、むしろ背を守られている安心感を抱いた。

「背中は任せたぞ?」

「「「(はい・おう)っ!」」」

 兄上の信頼にこたえるために僕は疲れを感じることも忘れ、より一層武を振るい続けた。

 




この後は本編か、もう一本、星あたりの視点変更を挟みたいですね。
来週はクリスマスですし、その番外も書きたいです。
どんな幸せをヒロインたちにプレゼントしましょうかね?

感想、誤字脱字お待ちしております。


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31,決戦 本陣帰還

クリスマス番外よりも先に、本編を。
今夜か、遅くとも明日までには番外も投稿できるように頑張りたいと思います。

読者の皆様、いつもありがとうございます。


「冬雲ーーーー!!」

 戦場に溢れる音をものともせずに響いたその声に、俺は振り返る。

 見慣れた黒髪に広い(ひたい)、紅の瞳を炎のように燃やし、大剣を振り回しながらまっすぐにこちらに突き進んでくる春蘭。

 すぐ後ろから、その背を必死に追うのは季衣。

 春蘭同様に先陣をきる者としての役目を果たすかたわらで、後陣が続きやすいように得物である『岩打武反魔(いわだむはんま)』を大きく振るって道を広げていく。

「春蘭様と季衣殿が怖すぎる!?

 兄上のように仮面を被っているわけでもないのに、角を幻視しましたよ?!」

「樹枝に激しく同意!

 あの姿を見たら、地獄の鬼すら裸足で逃げ出すでしょう?!

 というか、味方でなければ私ならば逃げだしますね」

 そんな雄々しい姿に見惚れる間もなく、義弟二人からいつも通りの言葉が叫ばれる。

 戦場にいても変わらないその余計なひと言。安心する時もあるけど、いろいろと心配になるときがあるな。

 そして俺は、春蘭と季衣が二人を見てから一瞬の間、異常なほど晴れやかな笑みを浮かべたのを見逃さなかった。自業自得の面が大きいので、俺は他人事のように笑うしかない。

 俺、知ーらないっと。

「・・・・お二人は私が言うまでもなく、自ら墓穴を掘られるのですね」

 白陽もそれを見えていたようで、苦笑している。

 どれほどの時間が流れたかはわからないが、あれほど多く隠し持っていた暗器が尽きたらしく、今はさらに身軽になった状態で速さを生かしながら、小剣のみの戦闘方法へと変更していた。

 だが、軽口を言いながらも三人の表情にはわずかに疲労が見える。

 軽口でも叩いていないと、疲労を隠していられないのだろう。

「だな!」

 同意しつつ、俺はさらにその後方から来ている秋蘭たちの姿を確認し、安堵する。

「まっ、俺にはこんなところまで勝利の加護を届けに来てくれた、戦女神に映ったけどな!」

「「あんな荒々しい女神が居てたまりますか!!!」」

「荒々しいじゃなく、あぁいうのは猛々しいっていうんだよ!

 戦場に強く、美しく咲く華は最高だろ?」

 っていうか、秋蘭とかに聞こえてたら、戦が終わった後の方が二人ともボロボロになる可能性が高いんだが?

 二人と怒鳴り合うような形で言いあいながら、最後の一押しをするように援護を白陽に任せて三人で道を斬り開く。そうして作った道に季衣を始めとした兵たちがなだれ込み、俺たち四人を守るように囲む。

 そして、そんな中で春蘭が俺の胸へと、文字通り飛び込んできた。

「しゅ、春蘭? ここ、戦場だからな?」

 突然且つ、春蘭がここまで俺に行動的に抱きついてくることはなくおもわず戸惑っていると、春蘭は小さな声で何かを呟いた。

「・・・ぁくなるかと思った」

「えっ?」

 うまく聞こえなかったのでおもわず問い返すと、頭を押し付けるようにして下を向いた春蘭がいつもの行動からは想像できないような弱い拳で胸を叩いてくる。

「またお前が、いなくなるのかと思った・・・・」

 その言葉と拳には、あの日俺が居なくなってからの春蘭の思いが込められているようだった。

 馬鹿だ、馬鹿だと言われる春蘭だが、春蘭はけして馬鹿じゃない。

 智という面において情けなく見えるのは、それが智に特化する軍師のみんなやそれなりの知識があることが前提である者たちに傍に居たからであって、むしろあの環境に居ながら難しい論理にとらわれずにいる春蘭という存在は希少とすら言えるだろう。

 その素直な考えには、複雑に考えすぎる桂花辺りは不意を打たれることすらある。

 血に濡れた俺の体を離さぬようにしっかりと抱きつかれ、俺はその頭を軽く撫でるにとどめた。

「いなくならないさ。

 俺は、ここに居るよ」

 そう言ってすぐさま、やや乱暴に春蘭の頭を撫でた。

「さっ、我らの惇将軍が戦場の真ん中でこんな姿をしてたら、兵の士気にかかわるだろう?

 曹孟徳が大剣の力を、見せつけないとな」

 無理やり春蘭の顔をあげさせ、ほんの少しだけ潤んだ紅の瞳を見ていた。

 俺はどうしたってみんなを不安にさせてしまうし、心配させてしまう。

 けれど、それは争いが続く限りは誰もが、常に感じてしまうこと。

 『心配しないでくれ』とは互いに言う権利はなく、『生きて再会を果たす』という結果をもってでしかその思いは拭えない。

 だからせめて、この一瞬だけでもその不安を誤魔化せるように、見えないようにするために俺は笑う。

「フンッ! 言われるまでもない!!」

 俺へと背を向け、その肩に『七星餓狼』を乗せて、無意識なのだろうが気を放ち、わずかに髪を浮かせていた。

「それに、あの三人を随分好き勝手に使ってくれたようだしなぁ!

 その落とし前はきっちり払ってもらおうかぁ!!」

 うん、言葉的には落とし前はつける(・・・)ものな? いや、払うでも間違ってなくもないんだが。

「春蘭が言葉を間違えると、なんだかなごむ自分がいる」

 これ、もうある種の病気だと思う。

 でも多分、華琳や秋蘭も同じ病気を発症してると思うんだ。

「冬雲様、その発言はどうかと思われます・・・・」

 俺のその正直な言葉に、白陽から珍しく心底呆れたような視線を向けられた。

「その気持ちには深く同意だが、ここは戦場だぞ?

 ここは我々に任せて、四人は本陣へと下がるといい」

 その言葉と共に駆けていく春蘭とは入れ違いに、秋蘭が俺たちの傍に樟夏と樹枝の愛馬、そして二頭の馬を連れてくる。

「筆頭軍師のお考えかな?」

 俺が苦笑しつつそう言うと、軽く頭を小突かれた。

「全員の総意であり、軍としても疲労しきった将を働かせて失うわけにはいかないさ。

 それから冬雲、何度か言っているがお前は少し自重することを知るといい。

 今回は仕方ない面もあるとはいえ、な」

 何度も聞かされている言葉だが、俺の辞書の『自重』という文字は赤文字で書いてあるから怒りで我を忘れた時とか、危険な時には見えなくなるようになってるしなぁ。

「と・う・う・ん・さ・ん?」

 そんなことを考えているのを見透かされたのか、今度は斗詩から拳骨が落ちた。避けずに受けたのは、これくらいはされるべきだと思ったため。

「悪かったってば、そう怒らないでくれよ」

 さすが大槌を振り回しているだけはあり、春蘭並に痛い。

「樟夏、よく冬雲を守ってくれたな」

「秋蘭?

 珍しいですね、あなたがそんなことを言うなど」

「フフ、感謝しているさ。

 お前たちのおかげで、冬雲が生き残る可能性は格段に上がり、無茶を最後までやり通すこともなかった」

 目を開き驚く樟夏を見ながら、秋蘭はどうということもないように答え、俺がしようとしていたことを予測されていたことはもう諦めた。

 俺はみんなに感情を隠せるほど、器用ではないんだろうさ。

「僕は?! ブフゥッ?!」

 秋蘭が樟夏へと投げかける労いの言葉に、樹枝が入り、白陽がそんな樹枝の腹に拳を叩き込んだ。

「桂花にでも言って貰うといい。

 今回の戦、一番の功労者は間違いなくお前たちだろうさ」

「ですが、公になったら厄介なことが起きると思うので・・・・ 早く本陣へと戻ってくだしゃい」

 秋蘭の後ろから顔を出した雛里の言葉にいろいろと納得しつつ、流琉が驚いた様子で後方を見ていた。

「兄様! 兄様の夕雲がこちらに向かってきています!!」

 流琉のその報告に驚きよりも先に来るのは、安堵の思い。

「三人が無事着いたんだな・・・ あー、よかった」

「兄上、普通はそっちよりも先に驚くべきでしょう?!

 実に兄上らしいですが・・・・」

 樹枝の驚きと苦笑を聞こえないふりをしつつ、一直線に書けてくる夕雲に、夕雲(あいつ)がすることを理解して、俺はにやりと笑う。

 剣を二本とも鞘に納め、立っている位置を通るだろう道のぎりぎりに立つように微調整する。

「じゃ、みんな。後は頼むな?

 くれぐれも無理はしないでくれよ」

「兄様にだけには言われたくありません!」

「早く行ってやるといい」

「本陣には真桜さんが待機してます。

 あとその歌姫さんたちを、紹介してくださいね?」

 俺のその言葉に、流琉、秋蘭、斗詩から返事が聞こえ、夕雲が通り過ぎる瞬間を狙って、その背に飛び乗る。無論、それを読んでいた白陽が並走しようとしたが、俺が手を引いて半ば無理やりに後ろに乗せた。

 

 後ろから『白陽ばっかり、ずるいっ!!』という声が聞こえたから、今後何か埋め合わせをすることを硬く決意した。

 

 

 

 本陣に到着してまず見えたのは、真桜が顔を怒りで真っ赤にして『螺旋槍(らせんそう)』を持って突貫しようとするところを部下に止められている姿だった。

「曹仁様! 李典隊長を止めてください!!」

「やかましっ! 止めんなや!!

 黄巾のアホ共に、ウチの親友傷つけたんを後悔させたるんや!!」

 完全に怒りに支配されている様子の真桜、怒りを露わにして奴らを斬り殺した俺には叱る権利なんてない。

 それに今も戦場を駆けている春蘭たちを始めとしたあの時を知る者たちは、その怒りを理由に武を振るっている面も小さくはないだろう。

 だが、珍しく真桜が凪と沙和と別行動しているということは桂花たち軍師の判断か、それ以外の理由があったはずだ。

 とりあえず、夕雲を白陽に任せて、俺はその場に降り立った。

「真桜、お前は何で本陣にいる?

 感情で動いていいほど、ここに居ることは軽いものだったのか」

 なら、目的を思い出させればいいだけのことだ。

 俺は兵たちの中へと入って行き、真桜の肩を叩いた。

「そりゃ、三人が・・・・! あっ、隊長・・・」

 今やっと俺に気づいた様子で俺へ見て、血まみれの服に一瞬驚いたような表情を見せる。が、俺に大きな怪我がないことがわかり、どうやら察したらしい。

「隊長・・・ 三人とも、怪我は酷くないんやけど、疲れきっとった」

 怒りの表情はどこへやら、先程の荒げた声は消え、俺に助けを求めているようだった。

「やのに、ウチに笑顔向けてくれたんや。

 『会えたね』、『久しぶり』、『ごめんなさい』って謝るんや・・・・

 三人は(なん)にも悪ぅないんに!」

 それは無力な自分に対する、悲痛な叫び。

 誰かを憎むこと以上に、己が何もしなかった・出来なかったことを責める自責の念。

「ウチ、何にも出来へんかった!

 精一杯やってるつもりやったけど、大事な親友たちのこと『信頼』なんて言葉引っ付けて、放って置いたんや!!

 ウチは悔しい! 悔しいんよ!! 隊長!

 だからお願いや、隊長。

 三人の傍に()って。救って、泣かしてあげて欲しいんや!!

 こんなん頼めるんは! あの三人救えるんは隊長だけなんや!!

 ウチは何にも、出来へんかった・・・」

 泣くことすら己に許さないように、螺旋槍を握りしめ叫ぶ真桜の姿はまるで、さっきまでの俺だった。

 だけど俺は、一つだけ間違っている真桜の頭を小突いた。

「隊長?」

 驚く真桜の頭をそのまま、乱暴に撫でる。

 三人を救えるのが俺だけ? 何も出来なかった?

 何、馬鹿なこと言ってんだ。こいつは。

「バーカ。

 お前が出迎えてくれたことだけで、三人がどれほど嬉しかったか、心強かったかなんてその場にいなかった俺にだってわかるぞ?

 お前がここに居たから、三人は泣き顔じゃなくて笑顔が出来たんだ。

 辛い時に泣きつくことが出来るのも親友だけどな。

 三人にとってお前は、どんなに辛くても思わず笑顔を向けたくなるほど大事な親友なんだよ」

 悲しみや辛さを確かに親友だから、心許せる者だから打ち明けることが出来るものだ。

 だが、そんな心許した者だからこそ心配をかけまいと強がりたいときがある。そこに再会できた喜びがあるのなら尚更だ。

 どっちが上というわけじゃない。表現の形は違っても、そこにあるのは友を想う偽りなき思いだけ。

「!!」

「わかったんなら、行ってこい。

 どうせ本陣は俺たちの部隊の一部もいるようだし、本陣の守りは平気だろ。

 まっ、この様子じゃ本陣まで来るとは思えないけどな」

 なんせ武官総出且つ、今の騒ぎに華琳がいない様子から察して、華琳自身も戦場に出ているのだろう。

 そこに加えて飛将軍、各地の諸侯が出ているなら、もう間もなくこの戦は終わる。

「三人のことは俺に任せて、その怒りを思う存分ぶつけてこい。

 なんてったって、華琳お墨付きの許可が出てるんだからな」

 

『その怒りがあなただけのものじゃないということを、この乱を起こした馬鹿共に刻みつけてきなさい!』

 

 この言葉は俺だけに向けられていたんだろうが、全員が怒りを持って行動にするには十分な許可材料になる。

 もっとも、あの戦場にあれ以上の戦力が必要かどうかは微妙だが。

「はいな!

 李典隊! 出撃するでぇー!!」

『はい! 李典隊長!!』

 そう言って出陣する真桜を見送り、俺は血に塗れた上着を脱ぎ、仮面をとる。近くに来た兵が手渡してくれた手拭いで顔を拭くと、それは真っ赤に染まっていた。そして、最低限拭き取れるところの血を拭いておく。

 血塗れ状態で会ったら、三人とも悲鳴こそ上げないだろうがいろいろ悲しい表情をさせてしまう予感がした。

 華琳の刺繍が入れられた物じゃなかったのは幸いだが、この上着はもう駄目だろうな。

 そんなことを思いつつ、兵の一人に案内を頼んで三人の元へと急ぎ足で向かった。

 

 

 休もうとしない白陽を途中で無理やり司馬家の使用人たちに預け、今は白陽と交代する形で本陣に残っていた緑陽が陰に潜んでいる。

 部屋の寝台の上で寄り添いあうようにして、三人は眠っていた。

 頬や腕に見える包帯が痛々しく、疲労を隠しきれていない目元の隈。

 自分の中で怒りが再燃することがわかり、天和の髪にそっと触れる。

 髪留めすらとっていない姿から、寝台に横になってすぐに眠ってしまったことを窺えた。三人の髪留めや眼鏡を起こさないように慎重に外し、穏やかに眠る三人を見守る。

 大事な歌姫、俺の想い人たち。

 歴史を知っていようと、かつてのここでの記憶があっても意味がないことをわかっていながら、防ぎきれなかった事態。

「くそ・・・・」

 もう起こってしまったこととはいえ、後悔は尽きない。

 三人が傷つき、悲しんだ。

 決死の覚悟すらさせ、俺があと一瞬でも遅かった時のことなど、考えたくもない。

「とう、うんさん?」

 人和が微睡(まどろ)みの中で俺へと視線を向け、俺の手を掴んできた。

 温かく、弱々しいその手が俺の手を握り、顔に持っていき、頬摺りする。

「起こしたか?」

「たくさん変わっても、あなたが好きです。

 今も、前も、どんな私たちでも支えてくれようとするあなたが、大好きです」

 寝ぼけているのか、起きているのかわからないような目。

 事実、すぐさま人和の瞼はおり、規則的な寝息をたてている。

 会話ではなく、独白であり、宣言のような言葉。だがそこに在るのは、彼女の想い。

 だが、それは逆だった。

「逆だよ、逆なんだ」

 今も、昔も、俺の心を支えてくれたのは、みんなだ。

 こんなに情けない俺を、何も出来なかった俺を、みんなが変えてくれた。

 だから、守りたいと思った。

 共に並びたいと、相応しい存在になりたかった。

 そうできずとも、せめてみんなに恥ずかしくない思いをさせないくらいにはなりたかった。

「大好きだよ、天和、地和、人和。

 ゆっくり休んでくれ」

 

 

 俺はそれからみんなが帰還するまでの間、彼女たちの傍を離れなかった。

 それが今、俺に出来る精一杯のことだと信じて、寝台の横で彼女たちの寝顔を見守り続けた。

 




終わるかと思ったんですが、冬雲視点でもう一本必要ですね・・・・
サブタイトルは『決戦 終わり』になるでしょう。
星視点、恋視点も書きたいんですが、年内に蜀本編書きだせますかねぇ・・・
とりあえず、次はクリスマス番外だと思います。

感想、誤字脱字お待ちしています。


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32,決戦 終わり

なんとか、年内に本編だけでも黄巾の乱を終えることが出来ましたね。

書き上げたばかり且つ、ちょっと冷静に読み直せていない気もしますが多分大丈夫だといいですねー。
あと二つばかり視点変更を書く予定ではあるんですが、次は番外ですかね?
なるべくは視点変更を書きたいです。
ぼちぼち蜀の方も書きだしたいですしね。

読者の皆様、いつもありがとうございます。


 眠る彼女たちを見守る中で、一体どれほどの時間が経っただろうか。

 外からは大地を揺らすような勝鬨の声が響き、黄巾の乱の終焉を知らせる。

 根元はまだ断ち切れず、彼女たちの傷は癒えないが、『黄巾の乱』という表立った騒ぎは一時的に大陸から消えることだろう。

 本当ならばすぐにでも根元を断ち切りたいが、下手に行動を移して華琳が今まで積み上げたものを壊すことになる。それは絶対に避けなければならない。

「待つしかない、か」

 奴らを殺す時機は必ず来ると信じて、行動をとるしか方法がない。

「くそ・・・・・」

 もうじきここにみんなが本陣(こちら)に戻って来る。

 そうすれば俺は、自然と報告という形で呼び出しをくらい、ここを離れなければならない。

 と言っても、戦が終わってすぐは誰もが忙しく、それらが済み全員が揃い次第これからの話はすればいい。もしかしたら、桂花辺りはもう脳内で次の策を考えているかもしれないが。

 呼び出されるぎりぎりまでは彼女たちの傍に居ることを決め、もし俺が呼ばれたときに備え、天和たちが安心するように一筆残そうと筆をとろうとしたとき寝台で天和がもぞもぞと動き出した。

「うぅ、ん?」

 可愛らしい声を出しながらもぞもぞと動き、寝ぼけた状態で必死に状況を理解しようと辺りを見渡す。その視点は俺の顔でとまり、でもまだ眠いらしいその顔にわずかに安堵が浮かんだ気がする。

「おはよう、天和」

 目が合ったので、笑みを浮かべて挨拶する。

 それを見た天和もわずかに笑みを浮かべてくれたので、俺はさらに目元を緩ませた。

「おはよ、かず・・・ あっ、違うんだよね?

 名前、なんだっけ?」

「姓は曹、名は仁、字は子孝。

 真名は冬雲、だ。冬の雲って書いてな」

「冬雲、冬雲・・・・

 うん、とっても素敵。一刀にぴったりの優しい真名」

 何度か繰り返して、天和は寝台の上で立ちあがった。

 そのままよろよろと二人を起こさないように注意しながら、寝台から移動してこようとしたので、俺はその危ない足取りにおもわず天和を抱き上げる。

「危ないから、な?」

「・・・・あんなに非力だったのに」

「少しは成長してないと、みんなに愛想尽かされると思ったんだよ」

 頬を赤らめる天和に、俺は笑いながらそう答える。けれど嫌がることはなくむしろ俺の肩へと手を絡め、首へと抱きついてくる。

「うぅん、きっと変わってなくても、みんなは歓迎してたよ。

 厳しいことを言う人はやっぱりいただろうけど、きっと華琳様は『なら、鍛えるだけよ』とか言って、勉強漬けにされてたかも」

「想像できるところが怖いな、自分でしてきてよかったよ」

 天和の発言がありありと聞こえ、鍛えていなかった存在していただろう地獄の勉強漬けと、春蘭、秋蘭を始めとした将による鍛錬地獄が脳裏に浮かび、改めて自分で鍛えてきてよかったと実感する。

 自分でしてなかったら、あの時以上に厳しいしごきが待っていたに違いない。考えただけでも恐ろしい。

「おかえり、一刀。

 初めまして、冬雲」

 優しく耳元で囁かれるその言葉は、まるで天使の祝詞。

 さっきまで考えていたことが吹き飛び、心が喜びで満たされる。

「あぁ、ただいま。天和」

 温かな体、優しい声、やわらかな髪、女性特有の甘い香り。

 それら全てが、彼女がここに居ることを示し、生きていてくれることを実感させてくれる。

「ずっと、ずっと待ってたんだよ。

 あの後も、星が落ちるまでは思い出せなかったけど・・・・ きっとこれまでもずっと、ここで待ってた。

 あの時、あそこに居た男も女も関係なく、誰もがあなたを、待ってたの」

 俺がそんな感動に打ち震える中で、首に抱きつく天和は語る。

「あぁ」

 その言葉を受け止め、俺はただ優しく彼女の頭を撫で続けた。

「けどごめんね。

 たくさんたくさん、迷惑かけて、あんなことになっちゃって、ごめんねぇ」

 俺の肩が涙で濡れても、かまわない。

「頑張ったんだな」

 こんな軽くて、小さな体でどれほどの悲しみを背負わなくならなかったのか。

 どんなに苦しかったか、心細かったか、我慢しなければならなかったのか、それらの気持ちがなくなることはなくとも、ほんの少しでも軽くなることを願う。

「私が、私がもっとうまくやれたら、二人だけでも逃がせたのかなぁ?

 はっちゃんに手紙だけじゃなくて、二人も・・・・」

「馬鹿なこと言わないよ! 姉さん!!」

「ちぃ姉さんの言うとおりです!」

 俺が何か言う前に、聞いたらしい二人が言葉とともに天和の横へと立った。

「あの状況で姉さん一人っきりになんて、認めるわけないじゃない!」

 地和は怒鳴りながらもその目に涙を溜めて、天和へと顔を押し付けてポカポカと叩き出した。

「姉さんにもしものことがあったら、私たちはどうすればいいのかわからないんです」

 人和は一歩離れたところから、静かに涙を零していた。

 

 あぁ、この三人はとても弱い。

 だが同時になんて、強いのだろうか。

 俺が知っているどんな三姉妹よりも固い絆で結ばれ、支え合うことが当たり前。

 誰か一人に振り回されるわけでもなく、意見を蔑ろにするわけでもない。

 一見は人和に苦労がかかって見られがちだが、そんなことはない。

 地和が多くの意見をだし、人和がまとめ、天和が最後に決断する。

 偶然とはいえ、武も、智も持たない三人が、この大陸を動かしたのはこの分担がうまく行われたいたからだろう。

 

 一度目は偶然、起こってしまった戦乱。

 二度目は、利用されてしまった戦乱。

 その二度目を止められなかったことで、自分たちの命をかけて責任をとろうとした三人。

 そして、それを利用した者とそれを背後から操り、金と欲に溺れた者たち。

 その者たちに対しても、防ぎきれなかった自分自身に対しても怒りは尽きないが、今はそんなことを考えている場合じゃない。

 大事なのは、何よりも優先すべきは目の前にいる三人だけ。

「三人とも、無事でよかった」

 手を大きく広げて、三人をまとめて抱きしめる。

 一人ずつ頭を順番に撫でてから、さっきよりも強く抱きしめた。

「でも、もう大丈夫だ。

 三人はたくさん頑張ったんだから、あのことは俺たちに任せてくれ」

「でも、でもちぃたちは・・・・・ そんなこと言って貰うような」

 地和が何かを言いかけたところで、俺は首を振った。

「『権利がない』なんて、言わないでくれよ?

 自分なりに頑張ろうとしてた三人にそんなこと言われたら、俺こそどの面下げてみんなに会うんだよ」

 わざと笑いながら、からかうように言いながら少しでも三人が笑ってくれるように楽しげにすることを心がける。

「俺は三人にまた会えて、幸せなんだ。

 戦いの方は全部俺たちに任せて、大好きな歌を、この大陸のみんなが笑顔になるような声を聞かせてくれ。

 そしてどうか、俺に見せてくれよ。

 あの時は見ることの叶わなかった、三人の大陸統一をさ」

「うん、うん! 今度こそ、絶対だよ。

 どんな仕事も放って置いて、私たちの舞台を見ててね」

 天和が涙を零しながらも、笑ってそう言ってくる。

「だったら、いなくなるんじゃないわよ! バーカ!!

 馬鹿馬鹿! 馬鹿冬雲!!」

 地和がポカポカと叩く対象を俺へと変え、痛くもない拳が何度も振りあげられ、その顔は見えないように胸に押し付けられた。

「冬雲さん・・・・ 約束ですよ」

 人和は姉二人を見守りながら、俺の小指にそっと自分の小指を絡めて何度か上下させる。

「仕事を放って行ったら、華琳達に怒られそうだけどな」

 俺がそう言って笑うと三人も笑い、俺たちはそうしてみんなが来るだろうほんの少しの時間を触れ合って過ごした。

 

 

 その後まもなくして、俺たち四人は華琳の元へと呼び出された。

「華琳、入るぞ」

「えぇ、入りなさい」

 軽く扉を叩き、華琳の返事と共に先に扉を開いて三人を入れてから俺も入室する。

 三人の顔を見て、華琳は笑みを見せる。だが、その目は三人の怪我も映っており、表情のどこにも出されていない華琳の怒りを俺は察した。

「天和、地和、人和」

「は、はい」

「なによ」

「はい、華琳様」

 呼びかけながら華琳は笑みを見せることなく、真剣な表情で三人を見つめた。

「言いたいことは多くあるけれど、とりあえずはあなた達のこれからのことを話しましょう。

 けれど、現状の報告はいらないわ。おそらく私の方が、あなた達が知らない情報を持っている可能性が高い。それに今のあなた達から話を聞くほど、急いではいないもの。

 もう少し落ち着いてから、茶会でも開いてその時にでもしましょうか」

 起こったことの全てを外側から見ていた俺たちと、混乱の中央にいた三人では情報が違う。が、中央にいたからと言って、利用されていただけの三人が何かの情報を掴んでいる可能性は低い。

 華琳自身もっともらしい理由を述べてはいるが、それは建前だ。実際は、三人への配慮だろう。

「それで?

 俺はともかくとして、三人まで呼び出すなんてどうしてなんだ? 華琳」

「あなたを呼び出すことも本来はないのだけれどね、今回のあなたの独断専行と思われている行動は私の許可の下で行われていた。

 それに今回、あなたの独断専行と思われた行動が功を成したと言っていいわ」

 えっ・・・ それってあれじゃね?

 功を成してなかったら、他を納得させるためとか言って、何らかの方法で罰を与えられてたっていう意味じゃね?

 恐る恐る影にいるだろう黒陽へと確認の視線を送ると、いつものように笑っていた。だけど、気持ち楽しげに笑っているので事実だったのだろう。

 そして、何をする気だったんだ。華琳。黒陽が楽しそうな罰って・・・・

「『功を成した』って、俺は好き勝手にしただけだぜ?

 あいつらに怒りを抱いて、許可を貰えたから考えなしに突っ込んでいった。白陽の援護だって、正直予想外だっ・・・・ いでぇ?!」

「失礼、冬雲様。

 着地を失敗いたしました」

 突然天井からまっすぐと()ってきた白陽が、俺の頭へと激しい衝撃を与えて俺の背後に降り立った。

 謝っている割には涼しい顔をしているので、おそらくわざとだろう。

「あなたの失言ね」

「わかってるよ・・・・

 それで? どういうことなんだよ?」

 痛む頭を軽くさすりながら、俺は華琳に説明を求める。

 勿論、三人もそれがどういう事かもわかっていないためか、神妙な顔で華琳の言葉を待っていた。

「冬雲、あなたは知っているでしょうけど、今回の乱で彼女たちについての情報は『三人の歌姫が兵を集めている』というものだけだった。

 顔も、名も、場所も、その姿すらも何一つとして明かされることはなかったわ」

「あぁ」

 俺たちが三人を事前に助けられなかったのはそのためであり、恐ろしい位取れていた情報統制と管理のせいで今回の戦いが起きるまでは首謀者の一人である馬元義の名すらわからなかった。

 小競り合いを続けた程度の者たちはほとんど何も知らず、『戦いに参加すれば飢えずに済む』程度の認識だったのだ。

「そして今回の戦を行う際、私は兵たちにこう言ったの。

 『奴らは何の罪もない歌姫たちを利用し、曹子孝はそれを救うべく、一人で本陣へと突貫した』とね。

 それに加え、戦闘中の戦場のあちこちで黒陽たちの妹たちに同様の内容をあちこちで叫ばせた。今頃はあちこちの村々へと走っていることでしょうね?」

 『今のあなたなら、これだけ言えばわかるでしょう?』とでもいうように華琳は笑い、あの状況でそんなことを瞬時に決断し、すぐさま行動に移すことの出来た華琳にただ驚かされた。

「どういうことなんですか? 華琳様」

 状況の掴めない三人を代表して、人和が華琳に問う。

 華琳は楽しげに笑いながら、言葉を続けた。

「戦いが終わり、兵たちが帰還してからも、『本陣へと一人突貫し、歌姫を救った将が居る』と口々に家族に語るでしょうね」

「民は美談を愛します。

 大陸中に、黄巾党によって利用された歌姫を救った一人の男の話が語られ、それを誰もが一切の疑いもなく信じることでしょう。

 冬雲様の起こした独断専行とも言われる行動は戦功よりも得難い徳を生み、それは我らに得となって還ってくることでしょう」

 華琳の言葉を黒陽が引き継ぎ、楽しげに笑って俺を指差した。

 今回俺たちはあらゆる面で後手に回らざる得ない状況だったというのに、表立った戦功という手柄を捨てながら、華琳は自分に欲しいものの全てを得てしまった。

 それでもまだ不思議そうな顔をする三人へと、華琳はわかりやすく最後に付け足す。

「つまりね、天和、地和、人和。

 あなたたちは名を捨てる必要はなく、張角、張宝、張梁として、この大陸にその歌声を日々聞かせることが出来るのよ」

「え・・・・ 歌っていいの?」

「あたしたちの名を、隠すことも、捨てることもなく、堂々と・・・?」

「夢みたい、です」

 驚きの中には確かにある喜び、それを見ていた俺と天和の目が合い、天和は笑みを深めた。

「全部、全部冬雲のおかげ!」

「ちょっ?!」

 飛びついて来た天和を受け止め、倒れかけた背は白陽が優しげな笑みを浮かべて支えてくれた。

「俺はただ腹立って、突っ込んでいっただけで美談にされるようなことはしてないから!

 ていうか、あの状況下で瞬時にその判断をとった華琳にこそ礼を言うべきだから!!」

 まさか、ほとんどありのままの事実を流すことで三人を救うなんて、俺なら考えられなかっただろう。

 黒陽たちにも何らかの礼をしないとなぁ、情報等のことだからもしかしたら黒陽から出した案もあるかもしれないし。

「でも、一番に飛んできてくれたのはアンタだもん!

 ちぃたちのだーい好きな旦那様」

「気が早い!?」

 そう言って右腕に絡みついてくるのは地和、『旦那様』発言辺りで華琳たちの目が怖くなってるし!?

「もう絶対に離しません」

 左腕を占領し、寄り添ってくる人和はやっぱり二人に比べれば控えめだが、当分離れてくれそうにないです。

 そんな俺を華琳は嫉妬とは違う、真剣な目で見つめていた。

「冬雲、『黄巾の乱の英雄』の名は重いわよ。

 背負う覚悟はあるかしら?」

「あるさ」

 即答してから、俺は笑う。

 俺よりもはるかに重いものを背負って立つ『王』であり、その『英雄』すらも手放す気のない強欲な少女がそこにはいた。

「俺よりもずっと重たいものを背負って生きて、それでも諦めようともしないで自分の夢を叶えようと努力をやめない奴が目の前にいるんだ。

 そんな『英雄』の名如きで潰れてたら、愛想尽かされちまうだろ?」

 華琳だけじゃない。きっと舞蓮も、劉備も、孫策も、蓮華殿も、なんらかの夢を持って、それを叶えるために多くの覚悟を決めただろう。

「それに・・・・ こんな俺を支えたいと思ってくれる奴って、なんかいっぱいいるらしくてさ。

 俺もそんなみんなを支えたい。『英雄(この名)』が錘じゃなく、支える力の一端になったら最高だな」

 『英雄(この名)』すらも踏み台にして、華琳を、みんなを支えられるような男になりたい。

 俺のその答えに華琳は満足げに笑い、一つの書簡を投げられた。

「それでいいわ。

 次が起きるまではいろいろと大変になりそうだけど、そちらの覚悟はいいかしら?」

 書簡を開かずに懐に納め、俺はうんざりしながらも頷く。

「はぁ・・・ また書類とにらめっこか」

「えぇ、それが政を行う者の責務よ」

 そう言った後、華琳は手を叩き、全員の注目を集める。

「天和、地和、人和。

 あなた達は怪我が治るまでの間だけでも、どうかゆっくり休みなさい。

 活動をするのにも、いろいろ必要なものがあるのだし、状況的にはすぐに準備できそうにないわ」

 事務的なことを言ってから、華琳は改めて三人へと微笑んだ。

「よく帰ってきてくれたわ。

 あとの問題は私たちに任せ、あなた達は思いっきり歌いなさい。」

「「「はい」」」

 綺麗に揃った声に頷いてから、すぐさまその目はジト目に・・・・ 何故?!

「最後に、冬雲を独占するのはほどほどにするように」

「出来ませーん」

「それは無理ね」

「華琳様の言葉でも、それだけは聞けません」

 ・・・・・・・うん、逃げよう。

 即断即決、俺は脱兎のごとく仕事が残っているだろう自分の部隊の元へと走り去った。

 




もしかしたら、視点変更増えるかもですね。
戦いが終わった後の誰かの視点・・・・ 沙和とか、季衣あたりでしょうか?
当初の予定通り、星視点、恋視点も書きたいですし、番外も書きたいですね。

感想、誤字脱字お待ちしています。


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 決戦後 幽州にて 【星視点】

書けました。
明日もこの調子で、大晦日番外を頑張りたいと思います。

時間軸的には決戦後、数日経過したころでしょうね。

読者の皆様、いつもありがとうございます。


 平和な幽州、そこで我々はいつものように書簡を片づけていた。

 本来、それは正しい行い。上に立つ者の責務であり、義務。

 だと、思ってはいるのだが、私は武官。逃げさせてもら・・・・

「せーいちゃーん? 逃げられると思ったら大間違いですよぉ?

 宝譿、お願いします」

 行動を起こしかけた私に向けられる風の声は冷ややかで、それでいてどこか楽しげだった。

「やってやるぜー!」

 妙にやる気が漲っている宝譿の声、だが所詮人形。何が出来るというのだ。

「フッ、日頃から風の頭上で日向ぼっこを楽しんでいるような阿呆人形に何が出来・・・・るーーーー???!!!」

 いつものように小馬鹿にしながら宝譿へと視線を移すと、本体の倍以上の大きさのある筈の(かめ)を抱え、帽子を四つに分けて回転させながら宙へと浮かぶ宝譿の姿があった。

 前回もそうだったが、あの手でどうやって茶を汲んだのか。そして、あの帽子は一体どうなっている?!

 器用な奴め!! 今はそれがただ憎たらしい。

 いつ落ちても仕方ないような重量を抱え、人形の癖にどこか得意げな笑みすら浮かべてる宝譿はわざとらしく低い位置から高い位置へ飛んでみせる。

 が、今問題なのはそこではない。その瓶に書かれている文字と中身に問題がある。

 そこに書かれているのたった三文字、だが私にとっては宝たるものの名。

 

『メ ン マ』

 

 私の命にも等しく、数年に一度しか手に入らない限定物の最上級品。

「クックック、こいつの命が惜しけりゃ、精々真面目に働くんだなぁ」

 瓶を見せびらかすように、私の手の届くギリギリの範囲を滑空する宝譿が憎たらしい。

 くそっ、私の保管庫がいつばれたのだ・・・!

「おのれ、風! 人質をとるとは卑怯な!!」

「何とでも言ってくださーい。

 仕事をしない星ちゃんが悪いのですよ?

 これくらいは必要な犠牲、星ちゃんにサボり癖がついて腐ってしまわぬように必要な処理なのですよー」

 静かに笑いながら、こちらを見る風は余裕に溢れ、その手には硯がいつでも投げられるように手がかけられている。

 私が行動を起こしたら、その硯を宝譿(配下)ともども撃ち落す気か・・・ 容赦のないことだ。

「クッ・・・・ いいだろう。今回は私の負けだ。

 だが、次はこうはいかないからな」

「ふふふ、楽しみにしておくのですよ」

 私の負け惜しみを余裕たっぷりの表情で応え、風の手元にメンマの瓶が渡され、懐にしまわれた。

 まず、メンマ(彼女)を取り返すことを考えなければならないだろう。

「仕方ないから、書簡をやってや・・・・」

 そう言って私が椅子に手をかけ、座ろうとした瞬間

「何、三文芝居やってんの?!

 そんなことやってる暇があるなら、仕事しようよ!

 ていうか! 噂に聞いてる華蝶仮面と、悪役の一角の風鬼ってお前らか!!」

 白蓮殿が怒鳴り、私と風を順に持っていた書簡で順に殴りつけた。うむ、地味に痛い。

「白蓮殿、少しは静かにしてください」

「私?! 今のは、私が悪いのか?!」

 稟の頭痛を堪えるような不満の声に、白蓮殿の悲鳴にも似た声があがる。

 いや、愉快愉快。

「白蓮殿、あなたが手を止めると滞る書簡がいくつかあるので、対処した方があなたのためです。

 もっとも、それは二人にも言えることですが、ね?」

 基本、私と風のノリに慣れている稟は対処に慣れたもので、厳しい目つきを私たちに向けてくる。もっとも、その程度でびくついていたら、悪戯など(はな)からしないのだが。

「はい・・・・」

「白蓮殿、気になさるな。

 稟が少々、真面目すぎるのですよ」

 落ち込む白蓮殿の肩を叩き、私は置いていた酒を呷る。

「何、真っ昼間の仕事中に酒飲んでんの?!」

 おぉ、気づかれたか。

 うむ、やはりコロコロと表情が変わる白蓮殿は、からかい甲斐があって実に良い。

「何をおっしゃられる、これは水。

 そう、疲れに効く職人たちが丹精込めて作りし、奇跡の水というだけの代物」

 変わらずに酒を呷り、書簡を読み、書き綴ることも忘れない。

「それ、完全に酒だから!!」

 それにしても、白蓮殿の目の隈が酷くなっているような?

 そう思ったので二人に視線をやると稟は書簡の数を確認し、内容を見てから頷き、風は親指を立ててきた。おそらくは問題ないということだろう。

 白蓮殿に聞かれないところで、二人とも話したいとは思っていたところではあるし、ちょうどいい。

「まぁまぁ、白蓮殿も一献」

「ちょっ?!」

 と言いつつ私は、頭を掴んで一気に呷らせる形で口へと酒を注ぎ入れた。大抵の人間はこれで沈む。無論、危ないが。

「何するんらよー、星の阿呆ー」

 よし、呂律が怪しい。

 あとは風に任せれば、一発で寝ることだろう。合図しようとしたときには既に風が傍に寄っていて、宝譿をその頭に乗せて白蓮殿の前でトンボを捕まえる時のように指先で円を描く。

「はーい、白蓮ちゃん。

 あなたはだんだん、眠くなーるー」

「らりほーま、だぜー!!」

 ・・・・宝譿が聞き慣れぬ言葉を言ったが、気のせいだと思っておこう。どうせ奴の言葉が理解できないことは、これまでもたびたびあったことだ。

「さて、白蓮殿を部屋に運んでもらいましょう」

 呼んでおいたのだろう兵に白蓮殿を担がせ、部屋に運ぶように手配する稟はなんというか手慣れているな。

 まぁ、私が酔っ払い相手にたまにすることではあるし、風が誰かを眠らせるのもこれが初めてではないのだから当然と言えば当然だが。

「・・・・星、尻拭いをさせられているだけですからね?」

 寒気のするような笑顔を向けられ、体を温めるために酒を補給して私は口笛を吹く。風は風で飴を咥えながら、外を見ていた。

「さて、白蓮殿に酒を飲ませて潰した以上、責任もって二人は仕事をしてくれるんですよね? それとも・・・」

 目を細め、私を見る稟は先程とは違う冷ややかさを持ち、私はそれを見ておもわず笑む。

「何か、聞きたいことでも?」

 あぁ、流石は軍師の才を持つ我が友。

 名のある武将すらも気圧されるような気は、『見事』の一言に尽きる。おもわず私もそれにつられるように気を放ち、その場に穏やかではない空気が流れる。

「星ちゃーん? 稟ちゃーん?

 いろいろお話したいことがあるんでしょうけども、一旦休憩してお茶にしましょうかぁ」

「「何を暢気な?!」」

 その空気をぶち壊すような風の言葉に、おもわず二人して突っ込みを入れてしまった。が、風はそんな言葉も、状況すらも気にした様子はなく、穏やかに微笑んだ。

「全てを話すことはなくとも、疑問程度は答えられますからねぇ。

 いずれにせよ、星ちゃんと行動を共にする限りは避けられないことでしたからぁ。

 星ちゃんは不真面目な癖をしながら、鋭いですからねー」

 目を細め、やや面倒そうに一部の書簡を『未』と書かれた板の方へと運ぶ風に、やれやれと言った様子で稟も手伝いを始めた。

「話す気があったと?」

「まぁ、それなりには。

 いずれわかることもありますから、その時まではと思っていましたが、そうもいかないようです。

 星はお茶に相性のいいお菓子を持ってきてほしいのですが、かまわないですか?」

 稟の口調も普段のものへと変わり、表情に硬いものもない。嘘はないのだろう。

「私を追い払い、話し合いでもするのか?」

「それが必要でしたら、今この場において話し合いをすることはあり得ません。

 もっと準備をしてから、あなたを完全に騙す方法を二人がかりで用意しなければなりませんから」

「星ちゃんは武官でありながら言葉もうまいですからねぇ、勘もききますし。

 それに風達の癖は身近にいた星ちゃんならわかりきっているでしょうから、二人がかりでも即興で騙すことは不可能ですねぇ」

 笑いながら勘ぐる私に、二人も笑みを返してきてくれる。

「フフフ、最上の褒め言葉。

 最高の菓子を持ってこよう、茶と場の準備は任せた」

 そう言って私は部屋を飛び出し、行きつけの店へと駆け出す。

「メンマ以外でお願いしますね」

 最後に稟に釘を刺され、舌打ちをしたのは秘密だ。

 

 

 菓子を用意し、茶を入れ、窓を開いて外を眺めつつ、私たちは茶を啜った。

「フム、やはり不思議だ。

 どうして宝譿が淹れる茶は、どこであってもうまいのだろうな」

 指もなく、絶対に一つのことをしてる間は他のことが出来ない筈の体の大きさだというのに、どうしてこうも選ぶ菓子に合う茶を淹れられるのだろうか。毎回、不思議でならない。

「隠し味はひ・み・つ!」

 機嫌よく応える宝譿を(つつ)きつつ、用意した菓子を三人でつまむ。

 やはり、饅頭はあの店が一番だと、自分の見る目を自画自賛しつつ、二人もいつも通り満足げな顔で食している。

「さて、どこから聞きたいです? 星ちゃん」

 切り出してきたのは、風からだった。その目は『ある一定の範囲ならば、答えてあげましょう』とありありと語り、私はあの日抱いた疑問から口を開くことをした。

「ではまず、一つ。

 いつ、あの方・・・ 赤の御使い殿には以前どこで出会ったのだ?

 正直に言うのなら、二人が軽々しく真名を預けるとは思えないのだが?」

 あの日、私が最初に抱いた違和感。

 私が行動を共にしている間、知っている限りは彼とは会った事がなかった筈だ。それに知り合った程度で、二人が真名を許すとは思えない。

「以前、こことは違う遠い場所で、とても長い時を共に過ごしました。

 事情があり、しばらく会えませんでしたけどね」

 苦笑しつつ、答える稟に言葉には引っかかる点が多くあるが、私はひとまず頷く。

 共に過ごした時間があるならば、時間など関係なく信頼関係が気づけたことにも納得がいく。ましてや再会だったのなら、あの時の触れ合いも納得がいくというものだ。

「ほほぅ? つまり、二人が以前言っていた『心に決めた方』とは赤の御使い殿なのだな?」

「うふふふふ」

「えぇ、まぁ・・・・」

 私がからかうとこの上なく幸せな顔をして笑う風と、鼻血を噴くこともなく顔を真っ赤にする稟。

 羨ましいというか、正直とても妬ましい。

 あの方と一体どんな日々を過ごしたのかを問い詰めたい思いに駆られるが、二人が曖昧に答えたということは今は答えられる時ではないということだろう。

「二つ目は、あの書簡が来たことからわかった情報網の件、だな」

「・・・・それは秘密ですねぇ、いずれわかるとしか言えません。

 ですが、白蓮ちゃんを始め、こちらが不利になるような情報は一切流していませんねぇ」

 わずかに考えるそぶりを見せながら、よどみなく応える風。

 その目に偽りは一切見えず、むしろ私の方をその黄緑の瞳でまっすぐと見つめてきた。

「というか、『赤の御使い』の時点で白蓮ちゃんも、星ちゃんも私たちがどこと通じているかはわかっているんじゃないですかぁ?」

「当然だろう。

 あの方が自ら文にて『赤き星の天の遣い』と名乗った時点で、自分が曹孟徳のものであることを隠しておられなかった。

 それでもなお相手へと礼儀を尽くす姿勢と、民を思う優しさに白蓮殿はあれほど感動し、感謝をしているのだろう。それに優しい白蓮殿のことだ、問い詰めなかったのはその件に関しての感謝も含めての行動なのではないか?」

 『王』や『為政者』としては問い詰めたい部分も多いというのに、『友』として、一人の人間としての感謝を御使い殿とそのことを知らせてくれた二人への感謝としてしなかった白蓮殿は、やはり人としてとても好ましい方だ。

 身内という贔屓目を無しにしても、大陸を治めるほどの大器はなくとも、一つの国を治めるには十分すぎるほど優秀。民の目から見ても、これほど良い領主はそうはいないだろう。

「白蓮殿はこの乱れた世には異端なほど優しく、出来の良い方ですからね。

 その期待を裏切るようなことを、我々はする気はありませんよ。勿論、あの方々も」

 まるで我が事のように自慢げに語る稟、その微笑みは私が知るどの彼女の笑みよりも満ち足りていた。

 やはり、妬ましい。

 あの方とその笑みを浮かべるほどの思い出があるということが、とても羨ましい。

「さて、まだ何か聞きたいことはありますか? ほ・・・・」

 話を続けようとした稟の声を遮ったのは、扉の奥から聞こえてくる誰かが走ってくるような音だった。

 もっとも、この部屋に向かって走ってくるような者は、一人しか心当たりがないが。

「領主を酒で潰すとは何事だーーーー!!!」

 扉を勢いよく開け、白蓮殿がその場で仁王立ちをする。

 流石、領主であり、武人でもある方。あれほどの勢いで走ってきたというのに息がまったく切れておらず、こちらを睨んでくる目の鋭さは相手を射抜かんばかりのもの。一度、馬上でも、それ以外でも本格的に手合わせを願いたいものだ。

「しかも、仕事してないし?!

 何、暢気に茶会開いてんの!?

 しかも、それに私を混ぜてくれないとか、どんないじめだ!」

 連続の突っ込みをしてもその鋭さは衰えず、とりあえず私は席を用意し、稟があらかじめ用意していた湯呑に茶を注ぐ間に、風が白蓮殿の手を引くために立ちあがる。

「まぁまぁ、白蓮ちゃん。

 最近、あまり眠っていなかった罰として、強制的に眠ってもらったのですよぉ」

「あー・・・・ うー・・・・ ごめんなさい。

 けど、今回の黄巾の乱の戦いで参加できなかったし、せめてこれぐらいはしようと思ったんだよ。

 赤の御使い殿が成したようなかっこいいは出来ないけどさ、私が出来る範囲であんな乱がもう起きないように民の生活を豊かにしたいんだよ」

 風の言葉に謝罪しつつ、落ちこむように肩を落とす白蓮殿を見て稟と共に溜息を吐いた。

 まったく、白蓮殿のように考える領主ばかりなら、あのような乱は起きずに済んでいたというのに。

「そうですねぇ、まさか歌姫を救うために、一人本陣へと突貫するとは思っていませんでしたよー」

 褒めつつも、風の顔に確かな怒りが浮かんでいることを私は見逃さない。

 そして、その怒りに対しては私の少なからず同意する。結果として成功したから良いものの、最悪の事態と背中合わせ、危険で、策も何もあったものではない。軍としても褒められた行動ではない。

 風と稟からすれば、この話は『愛しき者が無茶をやらかしました』という報告に他ならないのだろう。

「それに白蓮殿、あなたとあの方とでは立場が違い、すべきことが違います。

 比べること自体が間違っていますね」

 稟が菓子を白蓮殿の前に置き、茶を啜る姿は何というか・・・・ 年寄りくさい。

 まぁ、我々が訪れるまでは一人でこの地を切り盛りしていたのだから、その分の苦労が老けさせてしまったのだろう。

「そうなんだけどさぁ・・・」

 まだぶつぶつ言おうとしていた白蓮殿の言葉を遮るように、突然宝譿から聞いたことのないような異音が鳴り響く。しいて近いものをあげるのならば、心得のないものが笛を吹いたときに出すような甲高い音といったところだろうか。

「風!

 今、ある占いの結果で白蓮嬢ちゃんに近いうち、運命的な出会いがあると出たぜ!!」

「本当か?! 宝譿」

 喜びのあまり宝譿を握りしめて、問い詰める白蓮殿とは対照的に私たちはいっせいに茶を啜り、稟が溜息交じりに一言つぶやく。

「風、そろそろあの人形(宝譿)は替え時なんじゃないかしら?」

「かもしれませんねー。

 まさか占いとはいえ、こんなありえないことを口に出すとは思っていませんでしたぁ」

「南の方へ行った時の、土産物だったか?」

 稟の言葉に賛同する風と、いつから居たか曖昧な記憶を引っ張り出し、おもわず呟く。ここでも代わりになるようなものがあるといいんだが。

「俺、まさかの職を失うの?!」

「というか、そんなに私が運命的な出会いをすることはありえないの?!」

 二人の驚きの声が響きつつ、まず思う。

「風の頭の上にいることは職だったのか?」

「おう! 風の相棒という名誉ある役職さ!!」

 腰らしき部分に手を当て、胸(?)を張って答える宝譿。が、そんなことはかまわずに無常なる稟と風の言葉が放たれる。

「風、あなたはあれを置く前は湯呑を頭に置いていましたよね?」

「頭の上に何かがあると適度に刺激となって良いんですよねぇ」

 その言葉に真っ白になって落ちていく宝譿を白蓮殿が受け止め、頭を撫でていた。

「ていうか、私は?!」

「・・・・・さて、休憩もこの辺りにして、仕事に戻りましょう」

「ですねー」

「白蓮殿も、頼みましたぞ」

 私たちはそれぞれいい笑顔を向けつつ、その場を片づけていく。

「そんなにありえないのかよー、私の出会いはぁ!」

 泣きだした白蓮殿に私たちは片づけながら、どうしたものかと視線を交わし合うが風が仕方ないといった様子で口を開いた。

「そうですねぇ、結果はどうあれ宝譿の占いはまず外れたことがないとだけ言っておきましょうかぁ。

 それに以前も言いましたが、白蓮ちゃんは優しくて頑張り屋さんです。それにこの幽州という地を治め、噂が流れるほど善政を敷くようなことが出来ています。

 それだけで白蓮ちゃんは魅力的な女の子だと思いますよ?」

「な、にゃにを言ってるんだ?! 風!

 ちょ、ちょっと頭冷やしてくるーーーー!」

 その言葉に白蓮殿は顔を真っ赤にし、手を上下に動かして、扉の向こうへと消えていった。なんというか、忙しない御方だ。

 

 そうして今日も、幽州での日々は過ぎていく。

 あの方に会いたいと思う一方で、あの方とはまた道が交わるような日々が来るそんな予感がしているので、少しも焦ることはない。

 が、それをわかっていても、出会ったあの日のお姿が忘れられず、おもわず口に出てしまう。

「あぁ、早くお会いしたいな。赤き御使い殿」




次は番外を二本挟むことになるかと思います。
大晦日と正月、可能なら七草粥も書きたいですね。その間にいかに恋の視点をまとめられるでしょうねぇ?

感想、誤字脱字お待ちしています。


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 決戦 董卓陣営 【恋視点】

書けました。

が、恋の視点だとどうしても説明が不足してしまうため、後書きにて少し補足します。
(説明するのは名前だけですが)

読者の皆様、いつもありがとうございます。


 赤い星落ちた日から、霞おかしくなった。

 毎日、空見て、とっても楽しそうに笑う。

 何か、どこか、誰か、見てる?

 探してる? 会いたいと思ってる? そんな気する。

 あと、お酒飲んでると、たまに『ぐへへっ』って笑う。ちょっと怖い。

 その後、小さく小さく、恋にも聞こえない声で誰か呼んでる。

 その時、すごく嬉しそう。けど、悲しそう。

 嬉しいのに悲しい? 恋にはよくわからない。

 でも、霞変わった。

 よく笑う、お酒飲む、戦う、変わらない。

 

 でも、戦ってる時、違う。

 

 楽しそうなだけだった霞、いない。

 星落ちる前の霞、クロしか信じてない。

 前しか見てない。猪と一緒。恋と華雄と同じ。

 『戦うことがウチや! ウチの生き方なんやぁ!!』って言ってた霞、違う。

 戦っても、みんな見てる。

 一番前に立ってるのに、後ろ振り向くようになった。

 恋の背中、守ってくれる。

 華雄の援護、入る。

 芽々芽(めめめ)が危ない時、飛んでく。

 音々音(ねねね)が動く時、兵のちょっと強い人ついていかせる。

 みんな、守ってくれる。

 笑って言う『好き』、本気の『好き』だって、行動で教えてくれる。だから今の霞、怖いけど好き。

 

 兵も同じ。前は弱い部隊、見捨ててた。

 『弱い奴が悪い』って言ってた霞、もういない。

『ウチが鍛えたる!』 『そんなんやと、戦場でダチ守れんでぇ!』

『騎馬隊の強さは速さや!

 ウチだけに頼っとったら、『隊』の意味あらへんぞ!!』

 たくさん、たくさん声かける。

 みんな、引っ張ってく。けど、音々音の策もちゃんと聞く。

 引っ張ったままじゃなくて、ちゃんと繋いだ相手見てる。だから、痛くない。

 強い時ある。けどそれ、大丈夫な強さ。痛いけど、平気。

 兵のみんなも、霞のこと怖いけど好き。

 『戦う時、守ってくれる』 『あの人がいるから、戦える』 『鬼みたいに怖いんですけど、俺たちにとって神様みたいな人っす』って言ってた。

 みんな言わないけど、霞のこと好き。

 怖いけど好き。これも不思議。

 でも、胸あったかくなる。だからこれ、良い事。

 

 

 

 前、黄巾党倒して帰ってきた後、月たちを変な目で見る変な人たち来てた。

 月、困ってる。詠、怒ってる。千里、ごめんしてくる。

 『ごめん』、何で? 千里たち、悪くない。たまに来るその人たち、恋嫌い。

 

 

 恋、知ってる。

 月、すごく怒ってる。悲しんでる。

 でも、わからない。

 詠と千里、何か知ってる。でも、教えてくれない。

 月に何かしたあの人たちのこと、嫌い。

 あの人たちのせいで、牡丹様来なくなった。

 八重(やえ)様、千重(ちえ)様見なくなった。

 三人、いない。悲しい。寂しい。

 でもそれ、恋より月が思ってること。

 だから千里たち、何か言うまで恋待つ。

 月、早く悲しくなくなればいい。

 詠と千里、考え込むこと少なくなればいい。

 恋、戦うしか出来ない。出来ないこと、苦しいって思う初めて、なんかやだ。

 みんな、守りたい。誰にもいなくなってほしく、ない。

 

 

 千里の目、霞の方見てる。恋もそれ追いかける。霞がすっごく怖い顔した。笑ってるのに、怖い。

 霞、怒ってる。雷みたい、怖い。

 不機嫌なのをわざと言って、変な人たち追い払ってく。

 恋も手伝った。華雄も手伝ったの、驚いた。

 仕事たくさんしようとする霞、詠心配そうな顔する。それ、わかる。最近の霞、真面目。おかしい。

 出ていく霞、ついていって声かけようとしたら

 

「あーあ、一体誰を殺したら世の中は平和になるんやろなぁ?」

 

 恋初めて、誰かから怖くて逃げだした。

 いつもと同じ霞の言葉。たくさん難しい言葉知ってるのに、簡単なその言葉怖かった。

 しかも霞、いつもと同じ。変わらないのが怖い。

 戦ってる時あんな霞、見たことない。

 怖くて、走って、月にぎゅってした。

「恋さん?」

 霞怖い霞怖い霞怖い霞怖い。

 震え、止まらない。怖い怖い怖い。

「恋?! ちょっと、一体どうしたのよ?!」

「あーぁ、こんなに震えちゃって。

 よしよし、ここは大丈夫だからねー。

 何があったか、言ってみ? この千里さんが出来る範囲で、何とかしてあげるからねー」

 千里、頭撫でてくれる。あったかい。

「霞が・・・・」

「フンフン? 霞がどうかしたの?」

「『あーあ、一体誰を殺したら世の中は平和になるんやろなぁ?』って、言ってた・・・」

「はぁっ?!

 ついに、仕事ばっかりしすぎて壊れた?!

 僕、ちょっと霞のところ行ってくる!」

「詠、待ちなって!

 まだ場所も聞いてないのに、どこ行こうって・・・ あぁ、もう遅いか」

 怖い。思い出したら、なんか目から出てきた。

 月がそれ拭いてくれる。だから、さらにぎゅってした。

 月、あったかい。落ち着く。

「えっと、月。恋、任せてもいい?」

「はい、任せてください。千里さん」

「お願いね、月ならおちびさんたちも嫉妬しないだろうし。

 あっ、あと二人に状況説明もお願い。多分喧嘩しながら来て、恋のこの状況見たらいつもうるさいのが、さらにうるさくなると思うからね」

 芽々芽と音々音、いつも喧嘩してる。でも、恋が言うと二人とも笑顔で握手する。とっても仲良し。

「千里・・・ 霞、怖くなくなる?」

 千里に聞くと頭撫でて、笑ってくれた。

「まぁ、千里さんに任せておきなさいって!

 霞がどこ居たか覚えてる?」

 胸叩く千里、何でもできる千里、すごい。

「クロに会いに行く道、ご飯のところに近い方」

「ありがと、あの運動不足の詠になら私の足でも追いつけるから、ちょっと行ってくるー」

「いってらっしゃい、千里さん」

 千里の結んである髪、セキトの尻尾みたいに揺れる。可愛い。

 月、あったかい。落ち着く。眠い。

「恋さん? 眠いんですか?」

 月、頭撫でてくる。あったかい。気持ちいい。安心する。

「ん・・・・」

「寝てもいいですよ、夕食には起こしますから。

 今日はお疲れ様でした」

 月、子守唄歌ってくれるの聞こえる。

 優しい声、気持ちいい。あったかい、優しい匂い、気持ちいい手、大好き。

 

 

 

 別の日、恋みんなの朝の散歩行ってきた帰り。

 霞が華雄、捕まえてた。

「霞!? 私は今日、月様の護衛の任があるんだが?!」

「黙り!

 猪が治って、誰かと一騎打ちしても負けんくらいの強さになるまではウチと特訓や。

 拒否は認めへんから、覚悟しときやぁ」

「いやいや、華雄殿は苦労が絶えないご様子。

 芽々芽は恋殿とこれから張々たちのご飯を用意でござる」

「だ・か・ら! お前はいらんと言っているのです! 芽々芽!!」

「お主こそお邪魔虫、文官は文官らしく書庫に閉じこもっておくことをお勧めいたす!」

「なんですとー!? お前のような脳まで筋肉がついているような奴はむっさい兵どもに紛れて、汗でもかいておけばいいのです!!」

 顔合わせて、笑ってる。でも、張々たち怯える。よくないことみたい?

「二人とも・・・・ 仲良く」

「「仲良しですとも!!」」

 握手する二人、張々たち見る。尻尾振ってくれた。平気みたい。

「ん・・・・」

 でも多分、三人でご飯あげるの無理。だって、霞がこっち見てる。

「恋と芽々芽、二人も鍛錬行くでぇ」

「・・・・・うん」

 だと、思った。

 張々たち見て、小屋戻っておくように伝える。セキト頷いて、みんなに言う(吠える)。みんな、セキトについてく。

 セキト、賢い。みんなの隊長、あとで一緒にお昼寝する約束した。

「嫌でござるぅーーー!

 恋殿と一緒であっても、霞殿との特訓だけは勘弁願いたい!」

「拒否権なんてあるわけないやろ。

 大体、恋が居なかったらやる気出さん時点で、戦場じゃ無能やろが!」

「芽々芽は常に恋殿と共にあり、恋殿のいない戦場で力を振るう意味などござらん!」

「そう言う偉そうなことは、恋より弱いウチを一度でも負かしてから()くんやなぁ。

 武官が戦う場所選べるっちゅうが、そもそもの間違いや!

 その考え、根本から叩き直したる!」

 霞が芽々芽、親猫が子猫を叱るときみたいに首元引っ張ってく。逆の手には華雄を持って、肩に芽々芽担ぐ。

 芽々芽の髪、音々音と同じ色。でも、髪留めで尻尾上に来るようにしてる。髪飾り、白黒じゃない方の大熊猫(パンダ)の形してる。可愛い。

「恋?」

 霞の強さ、千里に聞いたことある。

 千里、言ってた。

 

 

『霞はね、個の強さを、全の強さに引き上げようとしてくれてるんだよ』

『? わからない』

『うーん、わかりやすく言うとさ。

 全員が全員、恋みたいに強くはなれないし、霞みたいに馬には乗れないじゃん?』

『出来ない・・・』

『それをさ、霞が鬼みたいになって鍛えることで、少しでも強くなるように、近づけるようにしてくれてんの。

 たとえ、誰に憎まれたって、怨まれたって、それこそ怖がられたって、後ろのあたし達に危険がないようにしてくれてる』

 千里、悲しそうだった。でも千里、いつもみんな見てる。

 笑わせてくれる。ご飯くれる。

 月はいつも楽しそうに笑って、詠に呆れられる。華雄に鬱陶しがられて、芽々芽と音々音は苦手みたい。霞とはよく遊んでる。

 でも、恋知ってる。千里、それ、わざとやってる。

 みんな大変な時、わざと笑わせてくれる。みんなの空気、あったかくなる。

 みんな、千里に包まれてる。千里の優しさ、みんな包んでる。あったかい。

 それ千里の強さ、恋にない強さ。恋には出来ないこと。

 なのに、どうして悲しそう? 千里たくさん、たくさんすごい。

『だからさ、恋は知っておいてあげてよ。

 鬼にだって血も涙も流れてて、何であたしが霞に「鬼神」の名を贈ったか。

 どうして「神」が「鬼」にならなくちゃいけないのか、大好きなものを守る恋ならきっとそれが頭で理解出来なくても、きっとわかるから』

 悲しそうな千里、やだ。だから、千里ぎゅっとして、良い子良い子した。

『千里、すごい。強い。優しい』

 月、してくれたこと思い出す。そのまま、頭何度か触って、離す。

『痛いの、痛いの飛んでけー』

『ぷっ、あたしはどこも痛くないよ? 恋』

 立ち上がった千里に、ぎゅってされた。

 頭、くしゃくしゃに撫でられて、強めにぎゅーってされた。ちょっと苦しい。

『恋は良い子だなぁ、もう! よし、決めた!

 恋が誰かと結婚することになったら、せめてあたしくらいには勝てる男じゃないとお嫁にはあげない!』

 笑う千里、いつもと同じ。明るい、大好きな笑顔だった。

 でも言ってること、よくわからない。

 

 

「どうかしたんか? 恋」

 こっち向く霞、怒ってない。さっきのも怒ってるようにしてただけ、

「霞、弱くない。とっても強い」

 千里の強さ、霞の強さ。違うけど同じ。

 月も、詠も、千里も、霞も、恋もってない強さ持ってる。それ、とってもすごい。

 でも、みんな『弱い』っていう不思議。

「おおきにな、恋。

 さっ、行こか」

「ん・・・・」

 恋も守りたい。大好きなみんな、守りたい。

 

 

 

 黄巾党、いっぱい集まってるところある。だから、詠たちに言われて行った。

 本当は霞行きたがってたけど、華雄に押さえつけられて、月に諭されて、詠に叱られて、千里に宥められて、恋出発できた。

 ちょっと戻るの、怖い。霞怒った後、試合強い。怖い。

「恋殿! あと半刻ほどで到着しますぞ!」

「ん・・・」

 人、いっぱい。旗、いっぱい。

 けど向こう側、ずっと黄色。

「・・・・・!」

 その黄色をまっすぐ進んでく何か、いる。

「如何された? 恋殿」

「何か怖いもの、いる」

 まっすぐ、まっすぐ、たくさん斬って前に進んでく。

 青と白が作る赤い道、通り過ぎた後にその激しさわかる。雷みたい。

 声じゃない声、あげてる。悲しそう。

 どうして? どうしてそんなに悲しそう? 怖いのに、どうして目離せない?

 頭、逃げろって言ってる。怖いって言ってる。

 でも、恋逃げない。どうして?

「恋殿? 何を見ているのでござるか?」

「黙れです! 芽々芽!

 恋殿の集中を途切れ指すな、なのです!」

「・・・・青い雷」

 もう見えないくらい、動き早い。雷、二つ。危ない。

「芽々芽、音々音・・・ 行こ。

 策、は?」

「恋殿を中心に一点突破、なのです!

 他諸侯は、それに合わせることしか出来ないのです!」

「その点においては同意!」

「お前は精々、恋殿の足を引っ張らないよう兵でも引っ張って行けなのです!」

「お主こそ、千里殿に預けられた護衛達に迷惑をかけぬようにするのだな!」

 二人とも、仲良し。良い事。

「二人、無理駄目。

 中央、絶対行っちゃ駄目。危ない何か、居る」

 二人頷くの見て、恋走る。

 怖い何か、知らないとわからない。

 たくさんたくさん斬って進んで、あの人探した。

 

 

「見つけた・・・・・」

 恋、戦う。でも、そこも見た。

 距離あるのにわかる冷たい気持ち、霞よりもっと怖いあの人いる。

 逃げ出したい。足、向こう行きたがる。けど、見なきゃ駄目。

 そこに居たの赤い鬼と白い鬼。

 真っ赤な丸出来て、その周りたくさんの死体転がってる。

 今もたくさんの敵、囲まれてる。

 表情、見えない。でも、なんとなくわかる。この二人、時間稼いでる。探してた誰か、逃がそうとしてる?

 見てたら、鬼二人増えた。

 その二人、赤い鬼笑った。白い鬼、変わらない。けど、少し嬉しそう?

 空気変わった。怖いだけ、冷たいだけの空気なくなった。

 戦場なのにあったかい、千里たちと一緒に居る時みたいな空気。

 でも鬼四人、ずっと戦ってた。

 

「恋殿! 見てくだされ、敵兵も次々と敗走していきますぞ!

 変わらず素晴らしいお手並みですな。このまま、本陣を落としましょうぞ!!」

 芽々芽、恋怖がって敵逃げてると思ってる?

 それ、違う。敵怖がってるの、恋じゃない。あの四人。

「もう、落ちてる・・・・」

「? もう落とされたのですか? 恋殿」

「違う・・・・ 恋、やって・・・・」

「うわあぁぁーーー! 飛将軍の呂布だーーー!」

「うるさい・・・」

 騒ぐの斬って、前進む。

 多分あの人、もう終わらせてる。

 向こう見ると、もう四人の鬼いない。

 雷みたいな人、もういない。

「馬元義、死亡!」

「おぉ、やはり恋殿がもう斬ってしまわれたのですな。流石は恋殿」

「・・・・・恋、やってない」

「謙遜されなくてもよいですのに」

 芽々芽、聞いてくれない。

 戦い終わる。みんな、帰ってく。恋も月たちのところ、帰る。

 

 

「おー、おかえり。恋。

 お疲れ様、ご飯たくさん用意してあるからね」

 千里とセキト、迎えてくれた。

 ご飯。ご飯。たくさん食べたい。

「ただいま・・・・・ 月の、手作り?」

「そうだよー、あたし特製の杏仁豆腐とか甘い物もあるから、たくさんお食べ」

 月のご飯と、千里の甘い物。嬉しい。

 千里の甘い物、好き。たくさんいろいろ作ってくれる、千里すごい。

「恋殿から離れるのです! 千里!!」

「恋殿を甘い物で釣るなど、油断も隙もない!」

「あはは、二人は叫ぶ元気があるみたいだから、詠と霞のところに報告しに言って貰おうかなー。

 ねっ? 二人とも」

 千里の甘い物、月のご飯。楽しみ。

「さっ、おちびさんたちを黙らせたし、恋とセキトはご飯にしよっか」

「ん・・・・」

 一緒に歩く、千里好き。でも、行くとき、あの人思い出して、千里と話す。

「千里、戦場怖いのいた。とっても怖いのいた」

「怖い? どんなのが居たの?」

「雷みたい、速くて、強い人。

 戦うとき、鬼みたい。すごく怖い」

 あの人、怖い。

 恋、あの人のこと嫌いと違う。けど、近づけない。怖い。

「鬼? もしかして仮面被ってた?」

 千里の言葉頷くと、難しい顔してから笑う。恋の頭を撫でてくれた。

「・・・・よしっ!

 いろいろ考えるのは後にして、今はご飯にしよう。恋。

 月が待ってるから、走ろっか? って、またこれ?!」

 走るって言われて、千里持つ。

 千里、とっても軽い。心配。

「千里、走るの早くない。だから、恋連れてってあげる。駄目?」

「ははは、みんなにそう思われてんだね・・・・

そりゃまぁ、武官ほどは早くないんだけど、そこそこなんだぞぉ?」

 千里の言葉聞きながら、恋ご飯のところ走った。

 




芽々芽:高順 牡丹:劉宏(霊帝) 八重:劉弁(少帝) 千重:劉協(献帝)

名前のみに説明、お許しください。
このことは連合にて、予定している詠か千里の視点にて明らかになります。
また、朝急ぎで投稿しているため見直しちょっと雑です。すみません。

感想、誤字脱字お待ちしております。


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反董卓連合
33,乱の始まり 呉にて 【柘榴視点】 


「ん? 祭のババァが来るぞ。冥琳」

 俺は持っていた杯の酒を一気に飲み干して、自分の寝台にて雪蓮に膝枕をしている冥琳へと視線を向けた。

 そんな俺の言葉に対して冥琳は眉間に皺を寄せ、頭痛を堪えるように手をあてた。多分、俺が冥琳の表情で一番見慣れてるのってこれだよなぁ。

「はぁ、嫌な予感しかしないな・・・」

 終いには深い溜息までついて、雪蓮の頭を枕へと乗せ換える。雪蓮が嫌がって、実行に移せてねぇけど。

「おいおい、んな疲れ切った溜息つくなよー。

 久々に俺たち四人が揃う休日だぜ?」

 冥琳と雪蓮が揃って休みを取るのは珍しくないし、むしろいつも通りだが、俺と槐は別に合わせるなんて面倒なことしねぇからな。俺は部屋に閉じこもることはまずないし、休日は馬を駆って山に行くか、海で喰い物を採って酒盛りをしているかのどちらかだ。

 槐は書庫か自分の部屋から出ようとしなくなっちまうし、下手にそれを邪魔したら何されるかわかんねぇし。

 だから四人揃った時は冥琳の部屋で杯を傾け、いろいろ話すことが通例になっている。

「お前たちに関しては、仕事があろうと何だろうと自分の欲求に素直だがな。

 まぁいい、あとどれくらいで来る?」

「雪蓮ー、槐ー、賭けよーぜ。

 今回は勝った奴が負けた奴に、酒二瓶分なんか奢るってことでどうだ?」

 冥琳の苦言を聞こえないふりをしつつ、俺は部屋のあちこちで好き勝手なことをしている二人へと目を向けた。

「そうねぇ・・・・」

 雪蓮は冥琳の寝台で膝を枕にして寝転がり、果物にかじりつく。こいつ、本当に姿勢正してる時よりこういう格好の方が似合うよなぁ。自然体っつうか、へらへらして酒飲んでるこいつを見てるとなんかホッとする。

「・・・・その報酬だと、新作が数冊買えますね」

 槐は・・・ うっわ、信じらんねぇ。書を片手に筆を持って、なんか手直ししてやがる。俺がそんなことしろって言われたら、死ぬな・・・ 俺にそんなことを頼む奴、この陣営にはいねぇだろうけど。

 酒を飲み続ける俺同様に遠慮の欠片もなく、自分の部屋のようにくつろぐ二人を笑いながら、俺はまた杯へと酒を注ぎ入れた。

「四半刻ね!」

 突然飛び上がり、指を立てて楽しそうに雪蓮がはしゃぎだす。

 この辺、小蓮お嬢と雪蓮は似てんだよなぁ。突発的ってか、人にはどうしようもねぇ天災っつうか、行動が突飛っつうか・・・ 蓮華様って秋桜の旦那に似すぎて損しそうで心配だわ、俺。

「では、私はその半分で」

 顔を上げずに、視線すら向けないで応える槐の姿はいつも通り過ぎて、俺もいつもの言葉を言わずにはいられねぇ。

「ちっとくらいは顔あげて話そうな? 槐。

 んじゃ、俺はその中間で」

「お前らは・・・・

 二人まで乗るということは来るのは確実、か。また、あの一件だろうな」

 眉間の皺がさらに深くなってっけど、真っ黒な髪を持つ冥琳が白髪になったらさぞや目立つだろうなぁ。白髪が生えたら、一番に指さして笑ってやろう。

「おい、柘榴。今、私に対して失礼なことを考えなかったか?」

 俺は怒りの視線を向けてくる冥琳から目を逸らし、口笛を吹きつつ、外を見る。

 俺たちのこうした日常的なことでの賭けはいつものことだし、俺の気配を読むのと、雪蓮の勘。んで、槐の理性的な考え方。そのどれが当たるかは運次第、けど俺たちがこの賭けを始めるっつうことは何かが起こることの前兆って言ってもいい。

 冥琳にとっちゃ危険を楽しむ馬鹿共の面倒が増えるんだろうけど、俺たちはやめる気なんざさらさらない。

 命の危険こそ楽しい俺と雪蓮、今生きている瞬間を本以外は暇つぶしとしか思ってない槐。そんな俺たちから遊びをとったら、それこそ退屈でおかしくなっちまうっての。

「柘榴が余計なことを思わない日があったら、それこそおかしいわよ? 冥琳。

 柘榴の半分はおふざけで、もう半分は自由で出来てるんだものねー?」

「うっせ! つーか、俺がおふざけなら、お前は酒だろうが!

 槐、お前もなんか言えよ」

 にやにや笑ってそう言ってくる雪蓮に対して怒鳴ってから槐を見るが、やっぱりこいつ顔を上げやがらねぇ?!

「自由、おふざけ、酒・・・・ そんなものより素敵な物があるというのに、あなた達はどうしてそういう物ばかり目が行くのか、不思議でならないわね。

 私の全ては書物、物語があればそれでいい。あぁ、どうして物語はこんなにも素晴らしいのかしら? ふふふ、書物があるだけで、この世界は何て美しい。なくなってしまったその時、この世界に存在する価値なんてあるのかしら? いいえ、ないわね。そんな世界は滅んでしまえばいいわ。

 あぁ、書、書、書。人の叡智の権化、人が創りし最も尊き、小さな世界。何て美しく、優しく、麗しい。そしてなんて、脆い。そこがまた愛おしい。

 それにしても祭殿も、最近は特に忙しない。そんなに焦っても、婚期はとっくに過ぎているというのにね?」

 筆を口元にやってクスクスと笑うとか、その深い目の色と合わさってこえぇよ?!

 冥琳が母親的な恐ろしさなら、こいつの場合は理解しきれない怖さってとこだな。兵どころか、距離感が近い筈の将ですらこいつのことを苦手としてる奴は多いくらいだ。

 まぁ、容赦のない言葉が気を許した証拠だってことは、ある程度付き合えばわかるけどな。報酬をつければ賭けにだって乗るし、見返りがつくとはいえ頼めばいろいろとやってくれることもあるし。

「祭のババァ、最近は特に(さか)ってっからなー。

 ただでさえ嫁き遅れてんのに、勝った相手が若い男見つけりゃしゃーねぇか」

「まぁ、そうよねー。

 父様に振られた後も、随分自分以上の存在を探したみたいだけど、駄目だったみたいだし。祭も大変よね」

「あまり言うと、祭殿と矢が飛んでくるぞ。雪蓮、柘榴」

「お前も笑ってんだろうがよ」

 そうして俺たちが笑っていると、突然槐が窓から一歩離れ、ほんの少しだけ笑った。

「今回の賭けは、私の勝ちのようね」

 その言葉を合図にするかのように窓から一本の矢が飛来し、俺は瞬時にその場から飛び退く。さっきまで俺の頭があった場所には矢が突き刺さり、俺は次に来るだろう第二射へと向けて、矢が飛んできた方を見ていた。

「こんの! 糞餓鬼どもがーーー!!」

 が、来たのは矢ではなく、角を生やした鬼ババァだった。

「糞餓鬼と嫁き遅れのババァなら、若い分だけ餓鬼の勝ちだな。

 つーか、何で俺だし!?」

「お前が歳の話を始めたからに決まってるじゃろうが!

 お前も遠からずしてこうなるんじゃ! 早いか遅いか、それしか違いなんぞないわ!!

 大体、お前のような快楽主義者に嫁の貰い手なんぞありゃせんわい!」

「ババァは正々堂々、真正面から秋桜の旦那に振られたもんなー!

 まっ、俺だって旦那ほど良い男が居りゃ考えるけど、それ以外だったら俺が一人の男のことを考えるなんざ想像もできねーし、したくもねーや」

 舞蓮様と秋桜の旦那の背を見て育った呉の女の多くは、誰もが届かないとわかりつつ旦那に初恋を捧げる。

 そして、女らしさの欠片もない俺もその例外じゃぁなかった。

 あの強さに焦がれて、思春が蓮華様に抱くような思いを持って、俺はあの人に恋をした。

 そんなことは口に出す必要もなく、顔に出すヘマなんざしねぇ。ババァと怒鳴り合いつつ、俺の得物である『猛爪硬牙(もうそうこうが)』とババァの矢の応酬は続く。

 そう、これが俺とババァの日常風景である。

 新兵はまず目を疑うし、将でも新入りは俺を止めようとする恒例行事。まぁ、古参の将でもババァのことをババァって呼ぶのは俺ぐらいだから当然なんだけどな。

「あ、それといつかババァになるにしても、今はちげーからどっちみち俺の勝ちだな」

「お・ま・え・はーーーー! 育ての親の顔が見てみたいわい!!」

「鏡ならそこだぜー? 武の育ての親―」

 最古参の将たるババァの背を追って、呉の将は育っていく。

 特に俺は『孫』という天性の才を持つ血を持っていたわけでも、冥琳のように文に走ったわけじゃない。槐は比較的に入って日が浅いからな、明命たちも同じくらいだったし。

「大体、俺に武を叩き込んだ張本人がよく言うぜ」

 そう言いつつ俺は場所を替えるべく窓へと足をかけ、前庭へと飛び出す。俺とババァが暴れたせいで部屋は酷いことになってやがるし、後がこえぇけどどうにかなるだろ。

「だったら何故、穏や明命のようにならんのじゃ?!

 大体、あれはお前が何度叩き伏せても、しぶとく突っ込んできたからじゃろうて!」

「片方は特殊性癖、片方猫神信仰者。どっちもまともじゃねぇー」

 軽口を叩き、腹を抱えて笑うのとは裏腹に、本当に言いたい言葉は沈んでいきやがる。俺って、素直じゃねぇよなぁ。

 

 

 俺は冥琳と共に、ババァを『師』として育ってきた。

 同じ道、同じ導きを受けた俺たちの進む先はまったく違って、それぞれ自分だけの色を、自分だけの物を得ようと足掻いていた。

 冥琳は雪蓮の足りない部分を補う中で、武将ではなく軍師として生きる道を見出した。譲れない場所(雪蓮の隣)を不動のものとし、武将(ババァ)の背を後ろから支え、その方向を指し示す役目を担うことを選んだ。

 でも、俺は違う。

 俺はあくまで武将として、ババァを超えたかった。

 舞蓮様や旦那、そして雪蓮に並びたかった。

 舞蓮様のような猛々しさが、旦那のような豪胆さが、ババァのような精確な武が欲しかった。

 

 旦那が倒れたあの日、俺はあの戦場でババァの嘆きと怒号を誰よりも近くで聞き、感じていた。

 精確な矢が怒りを示し、気迫の声が涙を消すための物だってことは、部隊の一兵にすらわかりきっていた。だが、共に戦う俺たちだからこそ、止めるなんざ出来ない。直接鍛えられ、今その一瞬を共に戦う俺たちだから、痛いほど気持ちがわかっちまったんだよ。

 戦いが終わった後も、幕越しに聞こえたババァの怒号。血塗れの姿のまま、顔の血化粧はまるで何かを隠すみてぇだったな。舞蓮様に言われずとも、あれを聞く権利は誰にもありゃしねぇ。

 翌日、いつものようにしているババァに対して、舞蓮様だけがいつも通り接していた。

『祭になら、安心して任せられる』

 それは寡黙な旦那の、数少ない口癖だった言葉。

 そして、ババァ以外には言われることのなかった『任せる』、ただそれだけの言葉に俺は嫉妬してたんだよ。

「ずりぃよ、アンタは」

 きっと旦那は最後もそう言って、ババァはそれを守ろうとしている。

 本当は誰よりもそこ(舞蓮様の背)を守りたかった旦那の分も、ババァは睨みをきかせて立ってやがる。

 けっ、かっこいいじゃねぇかよ、クソババァ。

「ならさ、旦那。私も・・・・ いいや、()は!」

 本当は一番そこ(雪蓮の背)を守りたかった、武の才が欠片もありゃしないあいつ(冥琳)の分も俺が睨みをきかせること。

 でも俺は、ババァの真似をするわけじゃない。後進が先達の恩に報いる方法を俺は一つしか知らねぇ、それは

「アンタ達を超えてやるよ!!」

 

 

 笑いが止まらないのは軽口に対してなのか、それとも呉の中でなんだかんだで苦労性なババァを笑ってるのか、はたまた俺自身の天邪鬼さに笑ってんのか、自分でもわけわかんねぇ。

「あれ(特殊性癖)は儂がしたわけじゃなく、勝手になっとんたんじゃい!

 儂にあんな奇抜な性癖なんぞ、ありゃせんわい!」

「クククク、年齢的にぎりぎりでさらに性癖なんぞあった日にゃ、貰い手つかないどころか悲惨なことになるもんな」

「まだ言うか!」

 そんな風に笑い、取っ組み合いを続けていた俺たちに注意を引かせるように、突然鞭が打ち鳴らされた。

「・・・・ババァ、一時休戦して協力しねぇ?」

 首は決して動かさずに、止まらない冷や汗を拭って、逃走経路を脳裏に描き出す。城は俺たちの庭にも等しいが、それは冥琳も同じだ。

「そうじゃな。では、行くぞ!」

「おうよ!」

 数年ぶりに師弟の心は一つになった今、俺たちに起こせない奇跡はないに決まってる!

 

 

 

 無理だったぜ!

「さて、祭殿、柘榴。

 私に何か言うことは?」

「「部屋を滅茶苦茶にして、ごめんなさい」」

 師弟共々もう一人の弟子に頭下げてる光景を、当然のようについてきた雪蓮が爆笑してやがるしよ!

「まぁ、脳筋師弟だから、こうなるわよねー」

「雪蓮にだけは言われたくねぇ!」

 今は牢っていうか、簡易の説教部屋の中だ。俺には慣れ親しんだ部屋であり、もう一つの部屋と言ってもいい。冷たい床が気持ちいいんだよな、ここ。

 腕を背中で肘の辺りからぐるぐる巻きにされてなきゃ、もっと最高なんだが。

 まさか、俺とババァを捕まえるのに思春と明命までかりだすなんざ思わねぇっつうの。

「祭殿、あなたは年長者としてもう少し落ち着きを持っていただきたい。

 私のところに来たのも大方、『陳留に行かせろ』とでも言いに来たのでしょう?」

 あー・・・ やっぱりその件だよなぁ。つか、『舞蓮様が惚れる男』ってところで俺も気にはなってるし。噂じゃかなり腕が立つみてぇだし、戦場でもどこでもいいから手合せしてみたいもんだな。

「おぉ、流石冥琳! 話がわかるのぅ!

 ならば、儂が陳留に行く許可を・・・」

「そんなことを許可が下りるとでも? そもそも、私に許可を求めること自体がお門違いです。

 私はいまだに過保護な雪蓮を始めとした皆の声で療養中であり、実権を握っているのが蓮華様。筆頭軍師は現在、仮とは言え穏・・・ そして、亜莎が務めることを前提に日々励んでもらっているところでしょう」

「だって冥琳ってば、放って置いたらまた無理して病気になりそうじゃない」

「私は同じ轍は二度踏まないとあれほど・・・」

 断金の契りをして以降、触れ合いが過度になってる二人は放って置くとして、冥琳が言っていることは事実だ。

 舞蓮様が突然の状況下で下した判断とはいえ、後継者には蓮華様が名指しされちまった。雪蓮自身はどうとも思ってないどころか、自由にできることを喜んですらいるってのに、長子である雪蓮が後継じゃないことを騒ぐ連中はいなかったわけじゃない。

 その手のことに文官連中はずいぶん苦労したみたいだし、雪蓮と冥琳たちが蓮華様が当主であることを公に話す場を作らなかったら、今頃そんなことは望んでない身内同士で血を見ることになってただろうさ。

「大方、あなたが頷いたことを理由にあの子たちを説得させるつもりだったんでしょう。

 いまだ未熟であるあの子たちはあなたの判断に頼り切り、自立しきれていないところがあるもの。

 主君は連れてきたわよ、冥琳。やることがあるので、私はこれで失礼するわ」

 そんな容赦のない言葉を言って入ってくるのは予想通り槐で、その後ろには俺たちが転がる姿で事態を把握したらしい蓮華様が額に手を当てていた。思春はさっき会ったばっかりだってのに、何で蓮華様の傍に居るんだろうな?

「槐、わざわざすまんな」

「いえ? 私はこの本を貰ったし、あの本をこちらで増版することも確約してもらったもの。でも、少し報酬過剰気味で気持ち悪いわ」

「では、その分は必ず回収するとしよう。

 物語に没頭しすぎて忘れるなよ? 槐」

「あなたも雪蓮の面倒ばかり見て、回収を忘れないように」

 ・・・・俺、こいつらのこういうやり取り見るたびに、武官と文官って別の生き物なんじゃねぇかって思うんだよな。多分、文官にとっても俺たちがやってることってそんな感じなんだろうけど。

「祭、何度話せばわかってくれるのよ・・・

 黄巾の乱が収まったとはいえ、私が君主についたことに納得してない老公は多い。その老公たちを押さえられるのは祭だけなのよ?」

 困り顔で正論を言う蓮華様にもすっかり見慣れちまったなぁ、ただでさえ姉である雪蓮で昔から苦労が絶えねぇっつうのに。

「柘榴、あなたもよ。

 祭を止めてくれるのは嬉しいけど、もう少し被害を押さえて頂戴」

「へーい」

「柘榴はいつも、返事はいいのよね・・・」

 気が付いたら物が壊れてるから、直しようがねぇんだよなぁ。

 酒盛りの時の飯や酒と一緒で、そんなに食ったわけでもないよう気がするのに、空っぽになってる。不思議だよな?

「とにかく! 祭、あなたが陳留に行くことに許可は・・・・・」

「蓮華様ぁ~~~~、どこですかぁ~~~?」

「もう! 今度は何なの?!」

 蓮華様がそうまとめようとしたとき、こっちが欠伸しそうな間延びした声が聞こえ、珍しく怒りに耐え切れず怒ってんなぁ。雪蓮も一回に怒るのがこれくらいだったら、可愛げがあんのによ。

「つい先程、あちらの袁家から『董卓討つべし』という檄文が届きましてぇ~~」

「次から次へと・・・・! 今、向かうわ!!」

「これじゃ!」

 穏の一言を聞いて蓮華様が駆け出し、ババァが立ち上がって去っていく。ババァに縄って意味ねぇな、次は足を押さえる系のも必要じゃね?

「ねぇ、柘榴、冥琳。面白い予感がしてこない?」

 そんな二人を珍しく見送る形になった雪蓮が、俺を見下ろして心底楽しそうに笑う。俺は悪戯をするときのような笑みに同じ笑みを返し、冥琳は呆れながらも口角をあげていた。

「だな。この戦い、乗らないわけにはいかねぇだろ」

「ふっ・・・ 止めても無駄なんだろうさ。いや、違うか。

 止まることなど、この時代に生きる者なら誰もが不可能だな」

 『何かがおきる』そんな確信を持ちながら、俺たちは蓮華様が下すだろう言葉に心を躍らせていた。



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34,乱の始まり 魏にて

 黄巾の乱から少し経ち、徐々にではあるが書簡に追われるだけの日々から解放されていた。武官と文官を兼任する秋蘭や樟夏、斗詩たちも、春蘭や凪たちに任せきりになってしまっていた自隊の調練に戻った。連日行われていた朝の会議も週一になり、しばらくなかった休日も順に数名ずつとれるほどの余裕も出来た。

 俺は書簡を片づける傍ら天和たちの精神面と、舞台に関連する仕事に追われ、そのための人材育成も先日ようやく片が付いた。

 

 

 

 ぼんやりとはっきりしない視界の中で、最初に映ったのは天井。

 なんか久しぶりに見た気がするなぁ、寝台で寝たのっていつ振りだろう?

 仕事してたら夜が明けてて、朝もそのまま水とかで眠気を無理やり覚醒させた状態で会議出席とかザラだったし。あぁ、それにしても部屋が明る・・・ 明るい?!

「今、どれくらいの時間だ?! 白陽!!」

「あっ、兄ちゃんが起きた」

 おもわず飛び起きて辺りを確認すると、何故か俺の部屋なのに酒を飲んでる舞蓮と俺のことを真横で観察してたらしい季衣が寝台の横にへばりついていた。

 ・・・・・状況がわからない。

 よし、整理しよう。

 俺は昨日、いつもの日課をして、朝の会議に出席。午前はそのまま桂花たちに混ざって書簡仕事を手伝い、午後は兵の調練をする牛金たちを軽くあしらった後に天和たちのところに行った。

 夜は部屋に戻った後は白陽と書簡を片づけて、珍しく黒陽が持ってきてくれた夜食を二人で茶を飲みつつご馳走になって・・・・ 夜食の後の記憶が、ない。まったくない。

「黒陽・・・・ 盛りやがったな」

 ってことは今頃、白陽も自室で無理やり寝かされてるんだろうなぁ。藍陽と緑陽辺りが見張りについてるかもしれない。白陽も最近俺に付き合って随分遅くまで仕事をさせてしまったから、いい機会だろう。

「起き抜けだっていうのに頭の回転速いわねー、冬雲」

 ケラケラと楽しそうに笑って俺を見る舞蓮は、傍に来た季衣の頭をかき撫でていた。

「おはよう、舞蓮。

 何で当然のように俺の部屋で酒を飲んでるんだ?」

「華琳が休まないあなたに一服盛って、面白そうだったからあなたを襲おうと思ったんだけど、この子を見張りにつけられちゃった。

 この後食事にするから、さっさと着替えなさい。厨房で待ってるわよー」

「え? あぁ、わかった?」

 舞蓮にしては珍しく、こっちが拍子抜けするくらいあっさりと部屋を出ていったので俺は驚きを隠せずに呆然としてしまった。

「兄ちゃん、なるべく早くねー」

 季衣の言葉に我に返って、俺は寝台から立ち上がる。

「あぁ、わかったよ」

 

 

 なるべく早く着替え、身支度を整えてから向かうと、そこには俺は想像していなかった光景が広がっていた。

 いや、厨房が半壊してるわけでも、異臭が漂っているわけでもない。ただ俺にとってはその光景はあまりにも予想外のことだっただけだ。

「何で舞蓮が厨房に立ってるんだよ?!」

「失礼ねー、これでも三児の母よ?

 料理ぐらい出来て当然じゃない」

 手慣れた様子で鍋を振るい、皿に盛られたのは鮮やかな赤に包まれた海老。隣の蒸籠を開ければ魚がその姿を見せ、俺はおもわず厨房を見渡し流琉たちを探す。

「こーら! 失礼なことしてないで、さっさと席について食べなさいよ。冷めちゃうじゃない」

 頬を膨らませ、まるで子どものように怒る舞蓮を少し笑う。そのまま後ろを振り向くとそこにはいつも通り、最高の食いっぷりを見せる季衣が座っていた。

「美味しいよー。兄ちゃんも早く食べよ?」

「ははっ、季衣のこの食いっぷりを見ると安心できるなぁ」

 かつて俺の財布を圧迫しまくっていたのが懐かしい。あの頃から季衣の薦めてくれた所はどこも安くて、つけもきくような人柄のいい店ばっかりだったんだよな。

「うん! すっごく美味しいよ!!

 僕、お母さんのこと覚えてないけど、町の人が言う『お袋の味』ってこんな味のこと言うのかなって・・・・ あっ、ごめんなさい。孫堅様」

 年齢的なことを言ったのを気にしたのか、それとも実母でもないのに母と呼ばれるのを嫌がられると思ったのか、季衣はすぐさま頭を下げた。

「謝ることなんかないわよ。

 なんだったら冬雲を物にした暁には、私の娘にでもなる?」

「ちょ?! 舞蓮、おまっ」

 この状況でさりげなく俺の所有権を得ようとするのは、年の功があるからこそ出来る技だよな!

 でも、舞蓮は年齢気にする様子なくて、むしろ誇ってすらいる節がある。多分それは、酒の席で聞いた前の旦那さんとの思い出があるからこそなんだろうな。

「あはははー、それは無理ですよー。

 だって僕、兄ちゃんのお嫁さんになるし」

「あら? こんな小さな子にも手を出したの? 私の想像以上に節操がないわねー。

 この子でもいいなら、ウチのシャオも恋愛対象になれるかしら?」

 手は出してない! ていうか、シャオって誰?!

 二人の話が続いているので口を挟めず、俺は聞かないふりをして黙々と料理を食べ続ける。うん、季衣の言うとおり、凄くうまい。具は海鮮系が多く、店で食べるような味ではないが、食べていると不思議と懐かしい気持ちになってくる。

「兄ちゃんに節操がないわけじゃないですよ。

 ただ僕らが兄ちゃんのことを好きになっちゃっただけで、兄ちゃんはほとんど変わってないもん。

 強くなくても強くなった今も、優しくて、守ってくれて、僕らを僕らとして見てくれる。それがなんかくすぐったくて、すっごく嬉しいんです!

 兄ちゃんは誰に対しても兄ちゃんのままで、いつだって一生懸命で、みんなを見てくれてた。

 そんな兄ちゃんだから、僕らはいつの間にか、もう二度と離れたくないくらい大好きになっちゃった」

 照れくさくて、俺はそんなに凄い奴じゃないって否定したくて、でも季衣の自信満々なその言葉は否定することを許さない強さを持っていた。おそらく満面の笑みでそう言っているだろう季衣に、俺は聞こえないふりをして料理にがっつくことしか出来ない。

「愛されてるわねー、」

 呆れるような、からかうような舞蓮の言葉は妙に優しく響いて、さらに頬が熱くなるのを感じていた。自覚はあっても、改めて人から指摘されると少し恥ずかしい。食事は止めずに舞蓮を覗き見ると、歯を見せて笑う彼女の目はまるで獲物を狙う肉食の獣のように危険な美しさを持っていた。

『勿論、私も負けず劣らずあなたを愛してあげるから、覚悟しておきなさい?』

 口元だけがそう動き、返答代わりに肩をすくめる。恐怖を抱きながらも、そこにある好意を断る理由が俺にはなかった。

「舞蓮でいいわよ、許緒ちゃん。私もあなたを季衣って呼ぶから。

 何て言ったって、同じ人に恋する乙女だものね」

「はい、わかりました! 舞蓮様!」

 そんな二人のやり取りを見つつ、厨房から出た舞蓮とは入れ違いに俺は茶を淹れに厨房へと入っていった。

 

 

 食後に三人でお茶を飲みつつのんびりしていると、突然華琳から緊急の招集がかかった。呼び出された件に思い当たる俺たちはその場の片づけを舞蓮に任せ、すぐさま玉座へと向かった。

 

 

 しばらくすると華琳を中心に右側が武官、左側が文官となっている席に現在陳留に居ない樹枝を除いた全員が揃う。

「皆、揃ったようね。

 今回、緊急で招集をかけたのは麗羽・・・ いいえ、袁紹から送られてきた檄文よ」

 そのことに全員が沈黙し、目を伏せる。

 もはや漢王朝に大陸を治めるだけの力がないことは黄巾の乱からわかりきっていたことであり、袁紹が行動をしなくとも誰かが起こしていただろうことは明らかだ。

 黄巾の乱を終えたここ一月ほどから、まるで機を見計らったかのように董卓に関する是非のわからぬ噂があちこちで飛び交っていた。

 

『董卓が霊帝を病死に見せかけ、暗殺した』

『洛陽の財をかき集め、日々酒池肉林をしている』

『黄巾の乱を裏から操っていたのは、実は董卓である』

『自分と対立した者をその場で叩き斬り、一族郎党を根絶やしにした』

 

 その噂の出所は、風たちの話によると豫洲、あるいは洛陽から訪れた商人たちからもたらされているらしい。

 噂の是非を問われることを拒むように洛陽の警戒も厳しくなり、乱以前は取れていた霞との連絡も、洛陽の状況からとることが出来ずにいた。

「こちらが檄文も模写となります。ご覧ください」

 そんなどこか重々しい空気の中で、武官、文官の席に一部ずつ渡された檄文の模写を文官側は桂花が、武官側は秋蘭が開く。

「あはは・・・ 麗羽様らしい」

 書簡を開いてすぐに苦笑するのは、この中で唯一彼女を知っている樟夏と斗詩。彼女を知らない俺はその意味がわからず、とりあえず書簡を読み進めた。

 まず最初に目に飛び込んできたのは挨拶ではなく、自分が如何に身分の高い者か、袁家が名家であるかを長々と語られていた。

「麗羽は変わりませんね。

 ですが私にはいつだって自信満ち溢れ、堂々と立っていた彼女のことが・・・・」

 樟夏の言葉は最後まで聞こえずに終わり、元々細い目をさらに細め、どこか遠くへと思いを馳せているようだった。

 それを気にかけつつも、俺は今重要な書簡へと目を落とす。八割以上が自慢で終わり、最後の数行に付け足すように今回の肝となる内容が書かれていた。

 

『同朋たる諸侯よ、(まこと)の忠義ありし(つわもの)たちよ。

 帝の臣たることを忘れ、暴虐を尽くす董卓に我らが手で天誅を下そうではないか』

 

 その文章だけ書く人が違うように感じたのは、俺だけじゃない筈だ。

「姉者、いかがなさるのですか?」

「愚問ね、樟夏。

 大陸中の諸侯が、この乱に乗じて行動を始めることでしょう。そして、私たちもその例外ではないわ」

「「それでこそ、華琳様!」」

 樟夏の言葉にすぐさま切り返し、不敵な笑みを浮かべる華琳に春蘭と桂花がとろけるような笑みを浮かべる。

「では、現状の勢力を確認しましゅ。

 皆さん、こちらを見てください」

 そうして雛里が持ってきたのは滑車の付いた移動式の板、そこには簡易ではあるが大陸の地図が描かれていた。台車を作るときについでに真桜に頼んでおいた物だが、早速有効活用されていて嬉しい限りだ。

「今回檄文を送ってきた袁紹さんですが、おそらく現在の諸侯の中で兵力、財力共に現在諸侯の中では最大でしゅ。次いで益州の劉璋、彼女の異母姉妹である袁術。荊州の劉表、西涼の馬騰と続き、我々、そして孫家となります」

 棒でそれぞれの土地を指し示しながら、説明する雛里に全員が頷く。

 やはり名家という看板は厚く、今回の檄文も袁家の彼女が出したからこそ意味があるのだろう。それは同時に、おそらく諸侯の中でもっともこの乱を知っているのも彼女であることを示している。

「あとは善政を敷くことで有名な公孫賛殿、徐々にではあるが豊かになりつつある平原の白の遣いと劉備殿、ってところだな」

「そうね。

 あの子たちがどれほど成長しているか、とても楽しみだわ」

 その言葉は劉備たちだけではないことを察して、俺は少しだけ笑う。だが、風や稟、霞の変化と同様に劉備たちの成長も華琳は楽しみでしょうがないだろう。

「やっと関羽に会えるのですね」

「えぇ、楽しみです」

 凪と白陽から穏やかじゃない気が放出してるけど、俺は絶対に後ろを振り向かないぞ。連合に到着するまでにどうにかしないとな、連合内での仲たがいなんて面倒事しか生まない。何かしらの手は打っておいた方がいいだろう。

「ですが、華琳様。

 今の現状では、私たちはこの程度のことしか話し合いを出来ません」

「そやろなぁ。

 武将で有名なんは『鬼神の張遼』、あとはあの呂布とか、隊長ぐらいやし」

「事実、今わかっているのは『小覇王』孫策と『常山の昇り龍』趙雲。

 そして我々が実際に出会っている劉備と白の遣いぐらいのもの。情報も圧倒的に不足しています」

 真桜がさらっと俺まで霞と同列に並べるが、雛里と秋蘭の言っていることは事実だ。黒陽たちの情報も軍事に関しては踏み込めていないし、むしろ噂の出所をより詳しく探るために民の情報を得ることを中心に動いてもらっていた。

 なにより今回の連合で初顔合わせとなる諸侯たち、それらがどう動くかが問題となってくる。

「えぇ、無論わかっているわ。

 今回は私たちがどうするかを明らかにし、状況を整理するための招集よ」

 華琳は地図を軽く見渡し、さっき名のあがった諸侯の土地を順に指し示した。そして地図上に一本の線を書き足し、線上に二つの×印をつける。

「この戦いで一番の難関となるのは、泗水関と虎牢関でしょう。

 相手の動き次第でもあるけど・・・ 戦はその時々で変わるもの、今から策を考えてもどうしようもないわ」

 一つの陣営ならこの時点でいろいろ考えようがあるが、全体で動くとなるとそうはいかない。相手勢力は勿論のこと味方勢力すら不確定要素が多い今、推測すら出来ないのが実情だ。

 結局、現状の俺たちには行動に移す以外の選択は残されていない。

「ならば、我々は全身全霊を持って前進あるのみですね! 華琳様!!」

『・・・・・・』

 重い空気を物ともしない春蘭の単純明快な言葉に、俺だけでなくその場の全員が呆気にとられ、おもわず全員が春蘭へと視線を向けていた。

「うん? 何で全員、そんな驚いたような目で私を見るんだ?」

 俺たちの視線に不思議そうな顔をして、首を傾げる春蘭。その仕草はなんだか小動物のようで、自然と口元が緩んでくる。

「はははは! 春蘭の言うとおりだよな。

 わからないんだったら、俺たちは全力を尽くせばいい。それだけだ」

 春蘭の頭を書き撫でて、俺はわざと思いっきり笑う。

 先がわからないのはいつだって、どこでだって、誰だって同じだ。

 でも、不安になっても俺たちは一人じゃない。

 出来ることをやって前に進むしかないんだと、重苦しい空気の中で考える余裕もなかった俺たちに春蘭が教えてくれた。

「単純馬鹿も、たまには役に立つのね」

「何だと?!」

「この程度で怒るところが、単純馬鹿だって言ってるのよ」

 桂花と春蘭のいつものじゃれ合いを見ながら、みんなの顔にも笑みが浮かぶ。

「二人とも、じゃれあいもほどほどにしておきなさい。

 出立は十日後とするわ。

 皆、それまでにしっかりと準備をしておきなさい」

 華琳がそう言って微笑むだけで二人の目の色が変わって、すぐさまおとなしくなる。

 二人が静まったところで華琳の表情は一瞬にして引き締まり、空気を裂くようにその手を俺たちへと向けた。

「争乱の種は既に黄巾から始まり、今ここに明確な形で争乱が起ころうとしている。

 今こそ! この大陸に名乗り上げる絶好の機!!

 けれど何も案ずることはない。失敗の責任は主君に、成功の功績は家臣に。あなた達の成した全ての責任は私が持ちましょう。

 思いきりおやりなさい! 我が愛する者たちよ!!

 我が名の下で剣を振るい、己が名の下に名誉を得、その手に勝利を掴みなさい!

 そしてその名を、我が名と共に後世に伝えよ!!」

はいっ(おう・はっ)!!!』

 まるで心臓を貫くような華琳の口上に、俺たちはすぐさま応える。

「では、解散!

 全員、すぐさま行動に移りなさい!!」

 華琳の号令と共に俺たちは、自分が今成すべきことへと行動を移す。

 その目には不安も、恐怖もなく、ただ前を見据えて突き進むのみ。

 



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 黒き陽と知らぬ者たち 【黒陽視点】

「あら、懐かしい」

 いつ振りかに見る夢の中、私はまるで他人事のように遠くから(それ)を眺める。

 そこに居るのは幼き日の私自身であり、闇に包まれたその場所は私が数年間籠り続けた修練場。夜は知識を詰め込み、昼間はただ闇を模した道場で、刃物を持った大人相手に体術を会得していく日々の一場面。

 血走った眼、鋭い目つき、今よりもっと冷めきった私がそこに居る。そんな幼い私自身を見て、『あぁ、若かった』と思わず笑みがこぼれてしまう。

「ふふっ、愚かな私」

 すぐ下の(白陽)のように耐えることなく、他の妹たちのようにいつか支えたい目標がいたわけでもない。

 周囲の視線も、言葉も、血を残し続けた先祖も、こんな容姿で私達を産み落とした母も、事実を受け止める度量もなく私たちと関わることを避けた父も、全てを憎み、力を欲した。

 幼き頃に抱いた怒りを根源とし、狂気にも似た感情のままにいつか全てを壊すためという執念だけを持って得た、醜い力。そしてそれは皮肉なことに、憎んでいた一族の者を喜ばせるような結果となった。

「まぁ、だからこそ今の立場があるのだけど」

 けれどそんな私にも『運命の出会い』というものが確かに存在し、その出会いがあったからこそ、私は今もここにいる。

 あの日の空と言葉は、よく覚えている。

 あの方の瞳と同じ蒼天の色、太陽は酷く眩しく、そこにある街並みも、幸せそうに暮らす者たちすらも憎む私はあまりにも醜くかった。

「ねぇ、私」

 昔の思い出が繰り返されていく眼前で、私は声の届くことのない自分へと笑い続ける。

「私たちはどれほど陽の光りを浴びても、白くはなれない。

 花々にも、木々にも、大地にも・・・ そして、人々にも豊かな色を注ぐことなど出来はしないけれど」

 暗闇の室内に突然の光りが差し込み、そこに並ぶのは四つの影。

 私にきっかけを与えられた日、夢から覚めていく中で聞こえたのは黒き陽すらも『光』と言った大陸有数の変り者の声。

「司馬伯達、あなたのその憎しみ、怒り、その全てを私が受け止めてあげるわ。

 だからあなたは あなたの持ち得る全てとあなたのこれからを、私に捧げなさい。

 私が往く道の影として、そして黒き陽として、私の傍に在り続けなさい」

 

 

 

「黒陽?」

 聞きなれたその声に私の意識は浮上し、その声の先へと視線を向けると華琳様が微笑んでいた。

「はい、華琳様」

 そうして向ける私自身の声も自然と優しくなり、偽りではない笑みを華琳様へと向ける。場所は執務室、出陣に向けて多くの書簡が重なり、普段ならばここで共に執務を行っている方々もあちこちに飛び、それぞれの仕事に就いている。

「あなたと二人きりは、随分久しぶりね。

 最近は私もあなたも仕事ばかりで、こうして触れ合うこともなかったものね」

 彼女の手が私の体へと伸び、私もそれを拒むこともなく、互いに笑みを深めていく。それが私とこの方の接し方、心酔しきった春蘭や秋蘭にはないこの方の影たる私だからこそ出来る表現。

 触れ合わずとも私はこの方の影であることへの自負、触れ合ってなおも自分はこの方の影でしかないという曖昧な線引き。

「でも、私はいつであってもあなたの影。

 それだけは誰にも変えることは出来ないわ、華琳」

 だからこそこの方と触れ合うことへの背徳感も、二人だけの時にのみ許される呼び方も、押さえきることの出来ない高揚感も、全てが愛しい。

「ふふっ、変わっていないと思っていたあなたも、冬雲に出会って変わっていたのね」

 どこか自慢げに微笑む彼女へと私は肯定も否定もせず、口づけを交わそうと顔を近づける。

 が、感じた気配に私はやんわりと遠ざかり、やや不満げな顔をする我らが主君の額へとそれを落とす。

「残念、虎が来たようです」

 そう言ってから私は素早く扉の横へと移動し、迫りくる足音からその時を待つ。

「かっりーん! 今、暇かしら?」

 私の予想通り、扉を壊しかねないような勢いで『江東の虎』こと孫堅様が飛び込み、私は彼女が一歩入った瞬間を狙って足をかける。

「あら危ない、っと!」

 軽く跳躍されてしまいましたね、残念。

 春蘭ならばこれで盛大に転んでくれるのですが、やはり孫家(野生)の勘と経験には勝てないか。

「何か用かしら? 舞蓮」

 華琳様も私がしたことを咎めることなく、孫堅様へと質問を向ける。私があの時間を奪われたことへからの軽い報復であることを、熟知しているんでしょうね。

「今回はどうするのかと思って、聞きに来たのよ。

 あぁ、それと冬雲を襲うのにちょうどいい頃合いも教えてくれると嬉しいわねぇ?」

 この虎は、そろそろ毛皮にした方がいいかもしれないわね。この直感も、冬雲様を狙っていることも厄介にしかならない。

 が、華琳様はそんな彼女をどうするかもう決めてしまっているようだし、私はただそれを受け入れるのみ。

「どちらも愚問ね。

 というよりも私が何て答えるか、わかって聞いているでしょう?

 あなただったら行うこと、それが二つの問いの答えよ」

「華琳のけちー!

 でも、そうよねぇ。ここは乗るわよね。

 乗らなきゃ、この大陸に生きる力ある者じゃぁないわよね」

 互いに楽しげに笑い、おそらくは王たる器の者たちにしかわからない会話。あるいは王たる器の彼女たちは、自分以外の誰にもわからせる気などないのかもしれない。

 私たちには見えないどこか遠い未来(さき)の展望を見ていながら、その目は常に戦いを見過ごすことはない。千里眼、戦利眼、どちらの目も持つ大陸へと立つ強者たる彼女たちはなんて恐ろしい。

 割って入ってはいけない。入れるような余地などないそこを、私もまたいつものように微笑んで見守る。何故ならそんな王たる者たちに仕える私達は、信頼を乗せられたその恐ろしい目で見られることをどんなことよりも歓喜してしまうのだから。

「あー、華琳にもだけど、司馬朗ちゃんにも一個聞いてもいーい?」

「答えるかどうかは内容によりますが、どうぞ」

「あなたはどうして、華琳に仕えているのかしら?

 あなただけどうにも他の子たちと違って、心酔って感じがしないから不思議だったのよねー」

 笑っていながら、人の核心を突く。この方は本当に掴みどころのない。

 けれど、その問いの答えを誤魔化す理由も私にはなく、この乱世に乗り出す今ならば、華琳様にも聞かれてもかまわない。

 いいや、違う。知っていてほしい。私がかつて持っていた目的を。

「否定はしません。

 私は元譲、妙才と共に最古参の臣として他の方より長く仕えていますが、私の目的はこの方の元でただ殺戮を行うことのみを求めていましたから」

 自分も、周りも、全てを壊すこと。それが私の望みだった。

 強さと理想を持ちながら、そのために手段を選ばないという考えが見え隠れしていたあの頃の華琳様の元でなら、私は目的を果たせるという確信すら抱いていた。

「ですがそれも、もはや過去です」

 そう、それらの思いは全てが過去。もうここに、愚かな復讐心に駆られるだけの私はいない。

 人々を遠ざけるしかないほど力を持った日輪が人々を包み、優しく照らす日輪へと変わったように。

 ただ闇を与えるだけの影も、赤き星が落ちた日に日輪の元に現れた雲から、私は教わった。

 

 

 あれはそう黄巾乱の以前、何かの拍子に偶然の二人きりになった時のことだった。

「太陽がくれる物にだって、影はあるぞ?」

 何気ない会話から、私が自分の名について語った時のこと。

「はい? 何を・・・」

 戸惑う私に、彼は地面に『日陰』と『日影』という二つ字を描く。

「これは同じ『ひかげ』って読みだけど、前者は太陽の光が当たらない場所を意味するんだけど、後者は太陽の光を意味するんだよ」

 そうして語る彼はまるで自分のことのように嬉しそうに笑い、私の髪を優しく触れていく。

「黒陽は華琳の陰(闇)であり、影(光)でもある。

 違うけど同じで、離れることのない絶対の存在。

 俺はそんな黒陽が少し、羨ましいよ」

 

 

「日輪と雲、この二つの下で変わらぬ陽射しなどありません。

 たとえ黒き陽であっても、この方たちの元でなら何かを照らすこともあるでしょう」

 黒き陽すらも受け入れた日輪と、司馬家を肯定してくださった一つの雲。

 たったそれだけが司馬家(私達)をどれほど救い、変えたかなど誰にもわからない。

「って言ってるけど、華琳は知っていたかしら? この子の目的ー」

「私は聖人君子を部下にしたつもりは一度もないわ。

 それに今は、身も心もこの子が私の物であることを私は誰よりも知っているもの。

 ねぇ? 黒陽」

「えぇ、勿論」

 この方が居たから、今の私がある。

 それはどれほどの者に出会ったとしても、変わることなどない。

「こっちが妬けちゃうくらい素敵な絆ねぇ、祭に会いたくなってくるわ。

 あと、司馬朗ちゃんに今夜お酒を付き合ってほしいんだけど、借りても平気かしら?」

「この子だけじゃないでしょう?」

「あら、ばれちゃってる?」

 肩をすくめながら笑う華琳様に、孫堅様も隠す気などないように舌を出して笑う。

「どうせ、駄目と言ってもあなたは勝手にするでしょう。

 これが終わった後もあなたはそうしているつもりなんでしょうし、好きにすればいいわ」

「えぇ、好きにさせてもらうわ。

 ここに居るのはもう『江東の虎』じゃない、一人の恋する女だもの」

 笑みが絶えることも、心地よい緊張感もなくなることはない会話を華琳様と交わすことが出来る存在を、私はあの方以外見たのは初めてかもしれない。

 その時同様に湧き上がる嫉妬心を押さえつつ、私は平静を保ち続ける。

「それじゃぁ、あとでこのお店に来てね。司馬朗ちゃん」

「えぇ、承知いたしました。孫堅様」

 そう言ってあらかじめ用意してきたのだろう店の名前を記した書簡に渡し、その場からさっさと立ち去っていく。本当に掴みどころのない、しかし、それが嫌味とならぬ不思議な方。

「興がそがれてしまったわね・・・」

 溜息を吐いて少々嫌そうな顔をする華琳様へと私は近寄り、顔を近づけて囁く。

「では、今度は夜に」

 私の言葉が想定外だったのか、華琳様は一瞬驚いたような顔をしてからすぐさまいつものように余裕の笑みを浮かべる。

「フフ、この城でここまで私を挑発していくのは、あなたくらいなものよ? 黒陽」

 私も笑い、改めて自分の衣服が乱れていないことを確認する。

 普段の白装束ではなく、昔から彼女が好んで纏う紫を基調とし、春蘭たちと同様にその半身の黒へと変えた衣装。公の場での私の服であり、形としては文官の司馬伯達の姿。

「では、行ってまいります」

「行ってきなさい。任せたわよ、黒陽」

 

 

 

 書簡に記されていたのは華琳様御用達の店であり、彼女が数日前から私たちで話をする気があったということを感じさせられる。

 大方、あの檄文が来たことを勘で察し、民たちが騒ぎ出したことによって確信を持ったという所だろう。

「遅くなりました」

 そう言って入っていくと白陽がすぐさま席を引き、雛里殿が酒を注ぎ、斗詩殿が私にも料理を回す。私はそれらを会釈で返し、席へと座った。

「揃ったわね」

 孫堅様は満足げに笑い、私は改めてそこに揃っていた予想通りの面々へと軽く見やる。円卓を挟んで私の目の前には孫堅様。その右には樟夏殿、白陽。左には斗詩殿と雛里殿が座っている。

 並ぶ誰もが表情をどこか硬くしているが、それも仕方がないこと。何故ならこの面々は、自分たちがどんな共通点を持っているかを既に理解している。そしてそれを、ここに居る誰よりも部外者である彼女から追及されることを恐れている。

 だからこそ、私がこの場に居る。

 華琳様と孫堅様、あの二人のやり取りを誰よりも傍で見ていた私が、この場を任された。

「孫堅様、あなたがこの話し合いに参加し、こちらに踏み込むということを本当にわかっていらっしゃいますか?」

 あくまで冷ややかに、向ける言葉に殺意を乗せて、それでも顔には笑みを絶やすことなく、虫すら殺せぬ菩薩のように。

 たとえ華琳様が許していても、彼女は明確な形で我々に示さなくてはいけない。

 彼女が今、どの立場で発言し、誰としてここに在るのか。

 答えによってはどうなるかなど、敏いこの方には言葉にする必要もない。

「えぇ、勿論よ。

 なんなら真名にでも誓ってあげましょっか?」

 それでもこの方は変わらない。どこまでも飄々と、『真名に誓う』ことすらどうということでもないかのように。

 けれど、口よりも、行動よりも雄弁に私から逸らすことのない目が、偽りではないことを語っていた。

「それほどまで、何故あなたは・・・・・」

「私は」

 樟夏殿の問いを遮り、彼女は杯へと酒を注ぐ。そして、円卓の中央へと伸ばすように掲げ、まっすぐな瞳を私達へと向けた。

「一度失敗して後悔したから、次は愛した人とくどいくらいたくさんの思い出を作りたいのよ。

 愛した者の全てを知りたいって思うことは、自然でしょう?」

 どこまでも堂々と、恥などどこにもないように。

 『それが己の生き様だ』と歩む姿は、野生の虎が悠然と縄張りを歩く姿を幻視させた。

「それは・・・・ 今の立場を捨て去ってでも、ですか?」

 控えめに漏れた発言をたどれば斗詩殿がどこか厳しい目で彼女を見ていて、それが他の者たちの思いでもあることは明らかだった。

 あの(・・)袁家で彼女がどんな苦労をし、檄文を送られたことに関してもおそらくは彼女が一番袁家の状況を理解している。あの家もまた少々複雑だものね、彼女の性格から言っても思う所だけでなく、後ろめたさがあるのかもしれないけれど。

「何かを守るのに立場は必要だけれど、誰かを愛することに立場なんていらないわ。

 それとも、あなた達が愛している相手は立場なんか気にするかしら?」

 孫堅様のその言葉にそこに居る全員がほぼ同時に溜息を吐き、呆れと、喜びと、先程まで占められていた空気が彼の影が見えた途端に緩み、優しくなってゆく。

 冬雲様、やはりあなたはとても変わった方ですね。

「では、そろそろ話を進めましょう。

 出陣も近く、ここに居る者は一人を除いて暇ではない筈です」

「は、白陽さん・・・ 流石にそれは酷くないでしゅか?」

「事実ですから」

 妹がこんなに強かになったのは、あなたの影響かしら。

 いえ正確には、あなたに恋をして積極的になってしまった周りの影響が正しいかもしれないわね。

「ていうか言い返さないんですか?! 孫堅さん」

「もー、舞蓮でいいわよ。顔良ちゃん。

 いつまでもみんなかたっ苦しいんだから、それとも華琳が話してくれるその時まで、あなたたち全員真名を許してくれないのかしら?」

 今度は私と発言した孫堅殿以外の全員がその場で固まり、彼女から出た発言を信じられないかのように目を疑っている。まぁ、無理もないでしょう。彼女が華琳様のことを真名で呼ぶことを知っているのは、常にお傍に居る私ぐらいだったのだから。

「姉者は、あなたにそこまで言ったのですか?」

「そうよ?」

 そう言った後、樟夏殿は天井を仰ぎ、深く溜息を吐く。見れば斗詩殿と雛里殿も同様の表情をし、頭を抱える、苦笑いなどそれぞれの表現をしていますね。

「我が姉ながら、本当に何を考えているのかわからない方だ・・・

 黒陽、白陽殿、あなた達ならば姉者たちが我々に隠し、そして話すと誓ってくださったことの全貌を知っているのではないのですか?

 特に黒陽。姉者の影であるあなたに、知らないことなどありはしないでしょう?」

「否定はしないわ。

 あの方が話すと言った以上、私からその内容を話すことは出来ないけれど・・・ そうね」

 私自身、あの話の真偽はどちらでもよく、受け入れてしまった事実。なおかつ私達も、ここにいる面々同様に推測の域を抜け出してはいない。話を聞いていても、明確に経緯を語られたのは冬雲様があの玉座にて名を授かった時のみだったし、わからないところはいまだ多くある。

 でも、私が驚き、どうすることも出来ずに戸惑わせたことは一つだけあった。

「自分がここに居ない世界を、あなた方は想像できますか?」

「なっ?!」

「ましゃか・・・?!」

「え?」

「へぇ?」

 各々、何かを理解したような顔つきになり、私は視線を白陽へと向ける。

 表情を変えず・・・ いいえ、むしろ微笑んですらいる妹は、私が何を言ってほしいかを察しているかのようだった。

「白陽、あなたはどう思う?」

「仮に私が居ない世界があったとして、何か変わるのでしょうか?」

 素朴な疑問のように一言置いてから、白陽は席を立って、酒瓶を持ちながら勢いよく呷った。この子はあまり酒を好んで飲むようなことはしないから、とても珍しい。誰の前であっても己から酒を飲むことはなく、一杯付き合う以外は酒を飲まないのがこの子の飲み方。

 白い顔をわずかに赤くしながら、白陽はこれまで見たことないほど優しく穏やかな顔をする。それは、華琳様が冬雲様と共に居る時の表情によく似ていた。

「あの方が私にくださったものはけして幻などではなく、あの方への想いはここに在ります。

 想いを、居場所を、友を、生きる意味をくださったあの方と共に居られる。

 これ以上幸せな現実が、どこにありますか?」

 それまで全てがなかったかのような物言いを、家族である私すら否定することは出来ない。この子にとって生きることは、それほどまでに無意味で辛いだけの日々だった。

「ありませんよね・・・ ないですよね」

 白陽の言葉に斗詩殿がまだどこか不安げに、何か別の悩みを抱えた瞳で同意する。

「その通りです!!」

 雛里殿も強く同意し、立ち上がる。

「兄者たちが何を知っていようとも、何を抱えていようと私たちが何をするかは変わりません。

 ここに繋がりし(えにし)に感謝し、共に我らが仕えし日輪の道を創らん」

 樟夏殿、あの誓いから何も変わりはしないことを誇らしげにしている。

 そして私は、最後に孫堅様へと目を向けた。

「アハハハハハ、ほんっとうにあなた達は気持ちのいい子たちね!

 嫉妬するのも馬鹿らしくなってくるくらい素敵な絆、と言うわけで私は今から冬雲とそんな絆を作ってくるわね!」

「「「させませ(しぇ)ん!!!」」」

 飛び出していく孫堅様を三人が追い、私は笑みを浮かべて見送る。冬雲様も大変ね。

「兄者の貞操が?!」

 一呼吸遅れて、樟夏殿も追って行き、私一人がその場へと残される。乗り遅れてしまいましたが、のんびり行くとしましょうか。

「あぁ、なんて世界は愛しい」

 黒しかなかった私に、色がつく。優しい色が、音が、人が溢れていく。

 もう、眩しくなどない。憎くなどない。壊したくなどない。

「共に在りましょう。

 日輪と雲、その影として」

 これからどんなことがあろうとも、この思いは永久に変わることなどないのだから。



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 千里の道に咲くは満天の星 【千里視点】

 洛陽の城の一室にある自分の部屋で、あたしはいつものように書簡を片づけていく。

 まぁ、あたしの場合は他の文官たちが集まる全体の執務室にも机があるんだけどねー。あんまり人が多い時は気が散っちゃうから一人でやった方が捗るし、詠と音々音が担当してくれてる軍事・策略とか、それにうちの陣営の武官はみんな優秀だからね。

 『鬼神の張遼』、『飛将軍・呂布』、涼州からずっと月たちを守ってきた華雄に、恋と一緒に戦うとそこらの武将だって目じゃない芽々芽(高順)。傍から見れば問題しかない子たちだろうけど、みんな凄くいい子たちだと思う。

 戦い以外の仕事はお世辞にも出来るとは言えないから、あたしの仕事はもっぱら四人が苦手な分野である人事や雑事。

 特に人事は人に見られていいもんじゃないから、なるべく部屋でやるように月に頼まれてる。前に執務部屋でやってたら、詠に『むしろ部屋でやんなさいよ! 馬鹿!!』って怒られちゃった。

「しっかしまぁー、あたしってどこでも似たようなことしてるねー」

 女学院時代のあれこれを思い出して笑っちゃうけど、なんだかんだ今もあの時も逃げないってことは、あたしはこういう性分なんだろうなぁ。

 自分よりもずっと凄い子たちを後ろから支えることはやりがいがあって、嬉しくて、そしてちょっとだけ・・・・

「なーんて、らしくないよね」

 考えかけたことを笑い飛ばして、手元の書簡に視線を落とす。そこには不足している人員を募集した結果集まり、一次面接を抜けた数名の候補者たちの詳細。

「んー・・・ でも、それだって厳しいことで有名な女官のおばあちゃんの面接通った人だから、よっぽどのことがない限り問題ないしなぁ」

 指先で三つ編みの先端を弄りつつ、面接を通った人たちの様々なことが書かれた書簡を見ていく。その中の一つに『個人面接必須』と書かれた物があり、それだけを別に分けて、机のすぐ出せる場所に放り込む。

「千里・・・・」

「わっ?! ・・・って恋かぁ。

 びっくりするから入る時は声かけてってば」

「ん・・・ ごめん、なさい」

 しゅんっと頭を下げ、あんまり変わらない表情で少しだけ不安そうにあたしの方を見てくるこの子が、あの天下無双の飛将軍なんて誰も思わないよねー。

「怒ってないから、大丈夫。

 でも、今度から気をつけよー。私はいいけど、やっぱり嫌がる人もいるからさ」

「うん・・・・」

 同じ赤毛でも黒みを帯び、ふわふわな恋の髪を軽く撫でつつ、一応注意を忘れない。あんまりそういうことすると別の厄介ごとに巻き込まれそうだし、たとえ恋が自分の力で解決するだけの力を持ってても、心配はしちゃうんだよね。

「それで今日はどうしたの?

 恋は今日、休みじゃなかったっけ?」

「お昼寝、したい・・・・」

 そう言った後にあたしの膝へと視線を止め、首を傾げる。

「千里の膝枕・・・・ 駄目?」

 何その仕草、可愛い!

 ちょっとだけ視線をあげて、あたしの方を見るとかもう! うちの子はお嫁にあげません!!

 まぁ、それは置いといて、あたしは軽く自分の机にある書簡を確認する。

 見られて困るような書簡はなし、急ぎの仕事もなし。やるべきことはその場で終わらせる主義なのもあって、仕事も溜まってない。さっきの書簡の中にあった面接も数日後の午後と明記してあったし、突然呼ばれたりする心配もない。

「うん、いいよー。

 じゃぁ、いつもみたいに中庭行く?」

 そう言って椅子に腰かけたまま、軽く伸びをする。

 恋に膝枕をお願いされるのはこれが初めてじゃないし、恋がしてるのを羨ましがった霞もあたしに膝枕を頼むことも多いしねー。

 でもこれやると詠と華雄が呆れ顔でこっち見たり、おちびさんたちが嫉妬の視線を向けてくるんだよね・・・ まぁ、そんな子たちにはくすぐりの刑やちょっと変わった味をしたお菓子を投げ入れたり、無理やり膝に乗せると真っ赤な顔して黙ってくれる。あの二人の真っ赤な顔は珍しいから凄く可愛いし、正直面白い。

「ううん、ここでいい・・・ ここ、好き。

 お酒と、墨と、木と・・・・ 千里の匂い・・・ くぅ、すぅ・・・・」

 そう言ってからしゃがんで私の膝に頭を乗せたと思ったら、すぐに規則的な寝息が聞こえてくる。

「もう・・・ せめて寝台行くくらいまでは頑張ろうよ、恋」

 呆れてるのについつい顔がほころび、あたしに安心しきった寝顔を見せる恋を抱きかかえて寝台に寝かせる。

「うっわ、軽い。あれだけ食べてるのはどこにいっちゃう・・・ ってわかりきってるか」

 言いかけた言葉をとめ、この子が戦ってることに行き着いて私は髪を優しく撫でる。

「こんな軽いのに、守ってくれてるんだもんね。

 たくさん食べても仕方ないかぁ」

 そう言ってから離れようとすると服の裾を引っ張られ、その先を見ると眠っている恋が私の上着をしっかり握っていた。

 ・・・そんなに私の膝がいいのかなー?

「わかったってば、もう・・・ 恋は寝てても、甘えん坊さんだなぁ」

 あたしは壁へと背を預け、寝てる恋を起こさないように膝に乗せる。

「そう言えば・・・ あたしも一度だけ名前も知らない人に膝を借りて、寝たことがあったっけ」

 女学院の敷地内、あたしが一人で過ごしたいときだけに寝転がっていた野原でたまに見かけた儚げな空気を纏ったその人は、歳は正姐さん達とほぼ同じくらいに見えた。何故かいつも幸せそうな笑みを浮かべて、優しげな眼差しで全てを見る不思議な人。

 まるでそう、ただ生きてそこに居るだけのことが、何よりの幸せみたいに。

「本当に居たのかな? あの人は」

 誰かもわかない、それどころか存在しているかも怪しい人を頭の片隅に押し込め、あたしは思考を切り替える。

 書簡を持ってなくても、寝台の傍に置いてある机にいつも墨と筆、木片は置いてある。これで十分、あたしの仕事は出来るしね。

 

 

 

 そんな状態のままで仕事をしてると、遠くからでもよく響くあの独特な履物の音にあたしは顔を上げる。窓から見える太陽はすっかり中央に来ていて、そろそろお昼だから恋が起きるかな?

 けど、おかしいなぁ。何でこんなに何度も止まったり、進みが遅いんだろ? いつもの霞ならもっと勢いよく駆け込んでくるのに・・・ あっ、また止まった。

「うーん・・・ 霞がねぇ?」

 霞がここまで足を止めるような戸惑うこと・・・ あたしの作った新作のお菓子をこっそり食べた時はむしろ開き直ってたし、お菓子に使おうとしてわざわざ取り寄せた上物のお酒を飲んだ時もご機嫌だったんだよね。

「恋殿ぉーーー! 見つけましたぞぉ!!」

「おのれ、千里! お主はまた恋殿を膝枕で誑かし・・・・ くうぅ~~! 羨ましいでござる!!」

 真面目に考えようとしていた頭が大声によって揺さぶられ、形になろうとしていた考えが霧散していく。

 それにしても、膝枕で誑かすって・・・ そんなこと出来たらあたし、器用なんてもんじゃないでしょ。あーぁ、恋も飛び起きちゃったじゃん。可哀想に。

 ぼんやりとした顔で大きな音にびっくりしたせいか、少しだけ体を震わせて、あたしの方に尚更寄り添ってくる。

「はいはい、恋。びっくりしたねー。

 だいじょーぶ、だいじょーぶ」

 そう言ってぽんぽんと背中を叩き、軽く抱きしめながら、原因であるおちびさんたちに視線を向ける。

「やっほー、おちびさんたち。

 二人は確か、今日はお仕事だったと思うんだけどなー? 音々音は詠と一日楽しい勉強会、芽々芽は賊討伐、その後に鍛錬じゃなかったっけ? まさか、軍の一角を担う文官と武官が揃って休みの将軍様()を探すために仕事をしてなかったとか、言わないよね?」

 あたしがほぼ一息でそういうと、二人は少しだけ青ざめた顔を逸らし、その目を追いかければ逃げるように泳いでいく。

 いやぁ、ほら? やらなきゃいけないことはやるべきだよね?

「ふわはははは、別にあたしは怒ってないよ?

 ただ仕事をやってない二人を怒るのは詠と華雄ってだけで、あたしはぜーんぜんいいよー」

 霞のおかげで華雄も猪癖もだいぶ治ったし、いまじゃ恋と霞と並んで称されるほどだからねぇ。何か呼び名贈らないといけないけど、それに伴って元々の真面目さに磨きがかかったところが、あたし的にはそこがすこーし心配でもある。

「しゃ、謝罪する! だからどうか、その顔はやめてほしいでござる!!」

「そ、そうなのです! ねねたちが悪かったですから、笑顔のままお説教するのはやめるのです!!」

 あっ、そっちやっちゃってたか。意識してないとすぐそうなるんだよねー。

 あたしは笑いながら、抱きしめていた恋の体をゆすって起こす。軽く二度寝しちゃってただろうけど、もうお昼だしね。

「恋ー? そろそろ起きよっか。お昼になるからね」

「ん・・・・ お腹すいた」

 今の一言で、あたしから二人への罰は決ーまった。

 どうせあたしが言わなくても詠が勉強会さぼった音々音を許すわけないし、音々音が捕まったら芽々芽も芋づる式だろうから一緒にお説教になるのは確定だろうし。

「あたしはこの後ちょっとやることがあるから、恋は二人と一緒に町で食べてくるといいよ。二人がたくさん買ってくれるだろうから、お腹いっぱい食べるんだよー?」

 わかる人にしかわからない程度に目を輝かせる恋を見て、二人にはいつもの悪戯用の笑みを向けておく。

「ほーら、おちびさんたちも。

 そんな顔しないで、恋とご飯に行ってきて楽しく過ごしておいで」

 あたしの財布の内の一つをさりげなく渡しつつ、何か言われる前に二人の頭もかき撫でる。これだけじゃ絶対足りないだろうけど、まぁせめてもの手向けかな?

「千里! 頭は撫でるなと、あれほど言っているのです!」

「子ども扱いはよしていただきたい!」

 あっ、つい癖が・・・・ これくらいの身長の同輩をいつも撫でてたから、手が勝手に動くんだよねぇ。

「それより早く行かないと、めぼしい店が混んじゃうよ?」

「お主に言われずとも」

「わかっているのです!」

「「恋殿、行きますぞぉ!!」」

 そう言って恋を引っ張って走り去っていく後姿を見送りながら、あたしは溜息を吐いて後ろを振り返った。

「そろそろ入りなよ、霞。

 そんなところにいつまでも突っ立ってないでさ」

「あっちゃー・・・ 千里にはバレバレかいな」

 額を叩きながら入ってくる霞の声にはいつもの元気がなくて、なんていうからしくない。

「ふわはははは、霞の自称親友様を舐めるなよ?

 あたしには出来ないことも、知らないこともあるし、届かない人もたくさんいるだろうけど、霞のことならこの都に居る誰よりも知ってるつもりー」

 霞の首に腕をからませて、馬鹿みたいに明るく笑ってみせる。それなのにいつも返ってくる言葉はなくて、気まずそうに視線を逸らされる。

「なんかあたしに話したいけど、話しにくい事でもある?」

「・・・・! 千里、気づいてたん・・・」

 なんか言おうとした霞の口を手で塞いで、逆の手で自分の口元に指を立てて笑う。

「どーだ、参ったか。

 自称親友様の観察眼は、結構凄いんだぞー?」

 そうやって冗談交じりに笑えば、霞はようやくあげてくれた顔で苦笑いして、あたしの頭を小突いてきた。

「あいてっ」

「当てずっぽうのかまかけやったくせに、よう言うわ。

 それに、自称なんかやあらへん。千里は正真正銘、ウチの親友や」

 そう言ってあたしに寄りかかり、抱きついてくる。それはいつもと違うまるで縋ってくるみたいな、弱々しいものだった。

「はーぁ、千里には敵わんわぁ。

 考え込んで、抱えとる自分があほみたいやん」

「得意じゃないことしてるからじゃん?」

「うっわ、流石にそれ酷ない?」

 霞の頭を撫でながら、そっと抱きしめ返す。もう、みんな甘えん坊で困ったもんだね。

 でもさ、こんな顔した親友を放って置くことなんて、あたしには出来ないんだ。

「霞はまず行動に移してくれたらいいんだよ。

 その隣を恋と華雄は走ってくれるし、後ろから芽々芽が追いかける。策は詠と音々音、あたしが考えるし、責任は全部月が持ってくれる。

 言いにくいことがあっていい、人に秘密があるなんて当然じゃん。気にすることなんか何にもない。

 真名を預けた日からあたしはみんなを信じてるし、力になるって決めてるんだ」

 姐さん方の真名への真剣さと重さ、朱里たちの優しさと尊さ。

 一見は正反対に映る考えを聞いてきたあたしなりの考えがこれ。まっ、あたしの力なんて大したことじゃないけどね。

「それが誰も信じへんような・・・ ううん、ウチかて理解しきれてへんようなおかしな話でも?」

「誰も信じないことが、あたしが霞を疑う理由にはならないよね?」

 大体、『大勢の意見が正しい』なんて考える馬鹿な子は女学院に採用されないんだよねぇ。創立者がそもそもあたしが知ってる限り、大陸一の変人だし。

「ウチがやろうとしとることに、巻き込むことなるで?

 ついでに言うとくとウチ、この事を千里以外に話す気ないで?」

「望むところだね、霞が一人で抱えて何しでかすかわからないよりもずっといい。

 二人っきりだけの秘密? 光栄だね。そんだけあたしを信じてるってことでしょ」

 真剣な目をした霞に対し、あたしはあえてどうとでもないかのように笑ってみせる。

「・・・・おおきに、千里。

 聞いてや、ウチの話を。

 ウチが恋した一人の男と、同じやけど違う場所で確かにあった大陸の話・・・ なんていうて、半分も理解できてへんことなんやけど」

 嬉しそうに、恥ずかしそうに、でもやっぱりどこかに不安を残して霞が語ったのは信じられない話だった。

 

 

 この大陸を舞台に今とほとんど変わらない将たちが揃い、巻き起こる戦乱。皇帝が倒れ、三国が争い、統一へと結ばれるそんな世界。

 陣営のちょっとした違い、居た人、居なかった人、分からずじまいに終わったこと、わかっていたこと。

 霞から見たその世界の全て、知ることの全部を私へと教えてくれた。

 

 

「これが、ウチに起こったことの全てや」

 霞が最後にそうしめて、あたしは耐え切れなくなった感情を爆発させようと口を開いた。

「ぷっ・・・・ ふわはははははは、あははは!」

「ちょっ?! 人が真剣に話したんに、爆笑かいな!?」

 あー、霞が怒ってる。けど、あたしが笑ってんのはそうじゃないんだ。

「だ、だって・・・ くくくく、あの霞が話しずらそうにしてるから何かと思えば・・・」

 馬鹿にしてるんじゃない、信じてないわけじゃない。だってあたしが笑ってるのは・・・

「でも、ホンマやで! ホンマにウチは・・・」

 あたしが冗談だと思って怒ろうとする霞が口を開いた瞬間、あたしは逆に問うた。

 記憶を持ってる? 似たようなことが起こった? あたしがいない? 複数、同じような状況の人がいる?

「んで? 霞はあたしが居る(世界)と、居ない(世界)

 どっちが好き?」

 そんなこと()であたしが霞を嫌いになるなんて思ってた、本当はとっても寂しがり屋な鬼神様を笑ったんだから。

 あたしが居ない世界は、あたしにとっても存在しなかった。知ったこっちゃないし、正直興味もない。

 今、この瞬間のあたしには親友がいて、仲間がいる。これ以上に大切なことなんて、どこにもないよ。

「千里・・・ 信じてくれるんか?」

「質問してるのはあたしだよ?

 てか、信じるって何回言えばいいのかなー?」

 そういったらあたしに抱きつく力増して、腕を回されているところが痛くなってきた。まぁ、痣くらいは我慢してあげますか。

「今の方がえぇに決まってるやん!

 千里がおらん世界を、もうウチは考えられへん」

「うん、それでいいんだよ。あたしにだってそうだもん」

 それにしても、だからあそこまで必死になってたんだね。

 華雄の猪癖を直したり、黄巾賊を討伐したり、兵を調練したり・・・ でもむしろ、あたしが聞きたいのはこの先かな。

「そんで? 霞はこれからどうしたい?

 もういろいろ違うことはわかってるし、曹操さんたちを始めとした霞の友達の思い通りにはいかないってことはわかってるよね?」

 もうその時と同じ華雄はいないし、芽々芽も、あたしもいる。

 他の諸侯がどう動くかはわからないし、天の遣いは二人もいる。

 黄巾の一件で帝への不信感は募り、姿を見せないことが不安がる民の声は絶えないけど、それはこれから取り返せばいい。

「ウチはウチや、武官の張遼。

 それをやり通してこそ、ウチを好いてくれた男が惚れたウチはそんなウチなんや」

「はいはい、ごちそー様」

 答えにならない答えに適当に返して、あたしと霞は遠くから響いてくる足音に視線を向ける。

 この軽い足音と、何度か転ぶなんて不運が混ざる音は詠だねぇ。

「千里!!」

 いつもならからかって出迎えるけど、詠の顔は真剣で、あたしは笑顔をしまう。

「牡丹様の死去が諸侯と民に・・・・ 知らされたわ。

 それと、どこから月に関するおかしな噂が流されてるみたい。噂の詳細は今、音々たちに調べてもらってるけどおそらくは・・・」

「何やて?!」

「あー・・・ やられた。

 最近静かだと思ったら、この時を狙ってたのね・・・ あの玉無しどもめ」

 黄巾の乱、霊帝死去。ぜーんぶ月のせいにして、袁家辺りでもけしかけてくるよね。

 となると、霞が話してくれたことと似たようなことが起きることはほぼ間違いないか。

「んじゃ、恋たちが戻ってきてから作戦会議といきますかね」

「少しは取り乱しなさいよ! 千里!!

 今まで僕たちがしてきたことが、全部ぱぁになったのよ?!」

 詠の言うとおり、霊帝(牡丹様)が十常侍によって病死に見せかけて殺された時から御二人をある場所に避難させたり、積極的に黄巾賊を潰して民からの信頼を回復させようと頑張ってた。

 本当ならこのまま信頼を回復して、十常侍を粛清。その頃にはお二人の心の傷が癒え、あたしたちも涼州へと戻るつもりだったんだけど・・・ それはもう難しいだろうねぇ。

「はぁ・・・ まぁ、詠の言い分もわかるけど」

 そりゃ、あたしも取り乱したいよ?

 だって、月が洛陽を任されてからずっとやってきたことだし、ここでの暮らしがなくなるかもしれない。でもさぁ・・・

「あたしより泣きたい月と、怒りたい詠が我慢してるのに、あたしが取り乱せるわけないっしょ?」

 詠のほっぺをつまむと詠が驚いたような顔をして、すぐさま怒ろうと目を吊り上げる。でも、そんな顔で怒った振りされても少しも怖くないんだな。これが。

「ぼ、僕は怒ってるじゃない! 頭、おかしいんじゃない!?」

「はいはい、そういうことにしといてあげるー。

 ほら、霞。詠を持って、この真っ赤な顔した筆頭軍師様をぎゅーっと抱きしめてあげてー」

「まっかしとき。

 おぉ、詠は軽いわぁ。可愛くてついぎゅってしてまうやん」

「ちょっと霞まで・・・! 痛いってば!」

 詠を抱えた霞を従えて、あたしは霞の話を脳内で反芻しながら、あたしが何をすべきかを考える。とりあえず今は会議と、その後は人材不足を補わないとね。

「さて、千里の道も一歩から。どんなに険しくとも、歩いて行きますかね」




カスミソウは中国名で満天星というそうです。
そして千里は、原作でどこか一人で在ることを望んでいるように見えた霞を一人にしないために『居てほしかった子』として書き出しました。

千里の道に咲くは満天の星であり、月が詠い、恋の華が芽吹き、音を鳴らす。
それがどんな道か、星がどう瞬き、何を詠うか。次話をお待ちください。


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35,樹の枝は広く伸びゆく 【樹枝視点】

 何で僕はこんなことになってるんでしょうね。

 世間はとても冷たく、現実はあまりにも無情であり、日々が如何に理不尽だと実感する。

 仕事中に声に出すわけにもいかず、息を吐きだすことに留め、僕は改めて今いる場所を見渡した。

 洛陽の一室、ある選ばれた者たちしか入ることを許されない政の中枢と言ってもいい文官たちの部屋で僕は今、真面目に筆を執っています。

「あっ、攸ちゃん。そろそろお昼休憩取ってきていいよー」

「何度も言ってますけど、その呼び名勘弁してもらえませんか! 徐庶さん!!」

 反論する僕に対して、声の主である徐庶さんは笑みを変えることもなく、口を開く。

「攸ちゃんは攸ちゃんだしねぇ。もう定着してるから、変えるのめんどくさいし。まぁ、とにかくお昼に行っておいでよ。

 あたしのおすすめは、中央通りから右に一本ずれたところにあるおばあちゃんがやってる肉まんかな。味は他よりさっぱりとしてるから、味濃い方が好きなら物足りないかな?」

「あ、ありがとうございます」

 徐庶さんの言葉に甘え、僕は仕事着から普段着へと着替えてから外へと足を向ける。

 蒼天の空を見ながら、僕は洛陽に着くまでの過程を思いかえしていた。

 

 

 

「樹枝、あなたには陳留から出てもらうわ」

 突然呼び出された僕は華琳様のその一言に、汗がとまらなかった。

 室内には僕以外に居るのは黒陽、姉上だけであり、その二人を覗き見ればうっすら笑みを浮かべている。

 まさか先日の樟夏と話した姉上たちの愚痴がばれたのか? いや、それなら僕だけじゃなく樟夏も呼ばれる筈・・・ それに如何に華琳様や姉上と言えども、罰で職を奪うなどする筈がない。だが・・・

 僕の視点は黒陽殿でとまり、彼女もそんなに僕の心境を察するように笑みを浮かべる。

 この人(黒陽殿)ならやりかねない・・・・!!

「私個人にはそこまでの権力はありませんよ? 樹枝殿」

「心を読まれた?!」

 ていうかこの人、『個人には(・・)』って言いましたよね?! 家の権力使えば出来るって、遠回しに言いましたよね?!

「あぁ、安心して頂戴。

 あなたと樟夏が定期的に行っている、ある酒家で私たちの愚痴を肴にしている程度で、私が優秀な人材であるあなたたち二人を放逐することはないわ」

 やっぱりばれてるんですね! 黒陽殿がわかってる時点で察しはついていましたとも、えぇ!

「流石、華琳様! なんて懐が深く、お心が広い!!」

 姉上ぇぇーーー! あなたはどこに居てもぶれませんよねぇ!!

「そ、それでは、僕はどうしてこの場に?

 放逐ではないのなら、何故陳留から出なければならないのですか?」

 思ってることを叫ばないように心に留め、僕は華琳様へと問う。

「ハッ、愚問ね。樹枝。

 アンタ、今の陳留を見たら答えは出るでしょう」

 何故かその問いを華琳様ではなく姉上が答え、僕を鼻で笑い、『自分で考えろ』と突き放されました・・・ いつものことですけどね。

「今の陳留、ですか・・・・?

 黄巾との戦いが終わり、民は落ち着きを取り戻し、それに伴い少しずつだが活発となっていく物流によって町は賑わう。そして、それをまとめようとする僕らは毎日が忙しい・・・ といったところですかね?」

 僕の答えに華琳様が満足そうに笑い、姉上は『これくらいは当然よね』と言った様子で腕を組む。

「いい答えだわ。

 付け足すのならば、仕事に慣れてきていた凪たちの働きもあってむしろ人材は余裕があると言っていい状態よ。

 そこで樹枝、あなたには他の場所を見ることで学ぶ機会にはちょうどいいとは思わないかしら?」

「いいんですか?! 華琳様!!」

「えぇ、あなたは前回の戦いでそれほどのことをしてくれたわ。

 これはその褒美として、あなたには陳留以外の場所を見てきなさい」

 華琳様・・・・!!

 樟夏の愚痴もあって、好んだ相手は男だろうと女だろうと見境なしに食べてしまう存在だと思っていましたし、正直姉上に崇拝の対象として見られている時点でおかしな人だと思っていましたが、やはりこの方は人を見ていてくださっているんですね。

「樹枝、アンタ全部表情に出てるわよ?」

 こめかみを動かしながら、鞭を鳴らしだす姉上を見ないようにしつつ、僕は隠しきれない冷や汗を流して華琳様へと視線を向けた。

「それで、僕はどこへ行けばいいのでしょうか?」

「けれど、ただ学ぶだけではつまらないでしょう。

 学ぶ傍らであなたには情報収集を行ってもらいたいの。そう・・・ 洛陽で」

 『洛陽』

 その言葉に僕は止まり、冷静に思い返す。

 黄巾賊に関する推測が文官による軍議の中で何度か出た名称であり、張三姉妹の文によって十常侍が何らかの行動をとっていることが明らかになっている場所。

 だが、司馬八達ですらその詳細は掴みきれず、乱が終わった今は洛陽へと入ることすらも徐々に厳しくなっているのが現状だった。

 情報が入らず、現在洛陽を治めていると聞いている董卓もまた、その姿を見たことがないという。身分が高くなればなるほど謎に包まれていることの多い地。

「司馬八達ですら情報を集めることが出来ずにいる場所に、僕が潜入し情報を集めろということですか?」

「司馬家で集められない情報を、ただのちょっと武が優秀な文官に調べられるわけないじゃない。アンタ、馬鹿じゃない?」

 はい、その通りですね・・・・

「では、何故僕を?」

 だとするなら、なおさら洛陽に行く意味がわからない。潜入しやすい場所はいくらでもあり、勉強という環境的な面を考えるならそれこそ女学院でもいい筈だ。

 いや、駄目だ! そんなことしたら女装させられることが目に見えている。

「言った筈よ。今回、それはおまけであり、成果はあまり期待していない。

 けれど、今回の乱から察するに、洛陽を中心に何かが起こることは誰の目からも明らかだわ。それに仮に潜入できたとしても、連絡をとれない中であなたと情報を共有することは出来ない。

 私達に出来るのは洛陽までの共として誰かをつけ、どこでどうしているかが決まった後は・・・ 樹枝、全てあなた次第よ」

「僕次第、ですか?」

 華琳様はその言葉に頷き、まっすぐ僕を指差す。

「あなたが洛陽を見て何を想い、行動し、選ぶか。

 あなたが私の元に戻ってきたとき、どんな変化しているかを私は楽しみにしているのよ」

 僕が選び、行動し、想うこと。僕が自由にしていいということ。それはなんて、責任重大なのだろうか。

 そしてその上で、何をしてもこの方は僕を受け入れてくれると言ってくれているのだ。

 なんて、器の広い御方だろう。

「はっ! この荀公達、洛陽にて学び、必ずや華琳様の元へ帰還いたします!!」

「それでいいわ。

 準備が出来たら出発なさい、職が決まるまでは共として緑陽を連れていきなさい」

「はっ!」

 そうして僕は陳留を出て、洛陽へと向かうことが決まったのだ。

 僕の背後で黒い笑みを浮かべていただろう姉上たちに、一切気づくこともなく・・・

 

 

 陳留から愛馬を駆って、どうにか辿り着いた洛陽で僕は黒陽殿に渡された書簡を見て、立ち尽くしていた。

「もうここまで来てしまいました。

 諦めてください。樹枝殿」

 司馬家の中で特に感情の抑揚が希薄な緑陽が僕を急かし、進むように促す。

 けど、一つだけ聞かせてください。

「だから! 何でよりによって城仕えの女官の採用試験を僕が受けなければならないんですか?!」

(くろ)姉さまに聞いてください。聞く度胸がおありなら」

 僕、黒陽に恨まれるようなことしましたっけ?! してないですよねぇ!

 確かに多くを学ぶことでき、なおかつ情報を得ることが出来るでしょうけど、何で女官の採用試験なんですか?!

「だからと言って、書類を出した時で落とされるでしょう!」

「そのための布石が私、です」

「はっ? 何を言って・・・」

「次の方、どうぞ」

 そうこう言ってるうちに呼ばれ、目の前には年老いてなおも凛々しい老女が席に座っていた。片眼鏡を軽くあげ、僕を確認し、書簡へと目を落とす。

「・・・・ここは女官を募集しているところだと、わかっているでしょうか?

 あなたの顔の造形はとても女性に近しいですが、男性ですよね? 荀家のご子息様」

 老女は厳しい目を向け、僕を見る。その目は僕が名門であるからこそ通したことを語り、本来ならば門前払いされてもおかしくないことなのだ。そう、たとえ待っていた場所で僕に誰一人として違和感を抱かなかったのもそれが理由であるに違いない。

 はい、その通りです。失礼しました。と僕が言おうとした瞬間、隣に控えていた緑陽が音をたてて、立ち上がる。

「待ってください。面接官殿。

 あなたの言葉は正しい・・・・ ですが、どうか聞いてほしいのです」

 緑陽はそう言ってカッと目を開き、突然机を強く叩いた。

「この方は心が女性なのです!」

 あ な た は 何 を 言 っ て る ん で す か ?

 脳が理解することを拒否し、僕は面接用に向けていた緊張した顔のままで表情を凍りつかせる。

「彼は正真正銘男性です・・・

 そのため彼は、幼い頃から女性となることを心に秘め、隠れて生きてきたのです」

 いや、秘めてねぇよ。

 むしろ昔から女装も、化粧も拒否し続けましたよ! 無意味でしたけど!!

 つーか、素であるあの表情の希薄さどこ行ったんですか?

 何、間違ったことをこれまで見たこともない真剣さで熱弁してんですか?!

「ですが、彼は諦めることが出来なかったのです。

 そう、自分がどうして女性となることを『そう生まれなかった』というだけで諦めなければならないのか、と。

 自分の文官としての才を生かし、なおかつ自分の夢であり、望みであった女性としての暮らしを手に入れたい・・・! そう思い、彼は面接を受けに来たのです」

 だから! 何で涙すら浮かべて、熱弁してんですか!!

「そう、ですか・・・・ 苦労、なさったでしょう」

 そう言って、老女は懐から布を取り出して溢れ出た涙を拭い、僕の肩へと手を置く。

「あの子も・・・ そう思っていたんでしょうね・・・・

 もう、何も我慢することはありません・・・!

 どうかこの地であなたの才を生かし、人生を好きなよう謳歌してください。

 あなたはあなたらしく、女性らしく生きていいのです」

 あ な た も な に を 言 っ て い る ん で す か ?

 驚きによって、言いたいことが口から出てこない僕と、涙を零して真剣な目で僕を見てくる老女。

「徐庶殿には私から言っておきましょう。

 直に会っての面接は避けられないでしょうが、私からの言(げん)とわかればあの方も悪くは取り扱わないでしょう」

「それでは、この方は・・・・?」

「採用です」

 何、絶妙に合いの手いれてんですか。緑陽。

 しかも老女から見えない位置から、いつもの表情で親指立てて得意げにするな。

「ア、アリガトウゴザイマス・・・」

 それだけを言葉にするのが、その時の僕の精神状態的ではやっとだった。

 

 これは後日明らかになったことだが、あの老女には一人の息子さんがいたらしい。真面目で、しっかりと仕事に励む絵に描いたような孝行の息子だったらしいが、ある日母親である老女と意見が合わず、家を出てしまったそうだ。

 何でもある夜、逞しい筋肉を持つ二人の男・・・・ いや、漢女(おとめ)の踊りを見て、その堂々とした姿と自分の道を何に恥じることもなく堂々と歩む姿に自分が本当になしたいことに気づいた。

 そう、それが『自分は昔から、女性になりたい』と望んでいたことだった。

 今は自分の夢を気づかせてくれた二人のように、堂々と大陸を踊り歩いているそうだ。

 老女は息子が去り、失意を仕事にぶつけるように厳しくなっていったそうだ。そして、だからこそ息子さんの思いを受け入れることが出来なかったことを反省し、こうした結果に至ったのだろう。

 ですが、正直いい迷惑です。この野郎!

 ていうか、夜に逞しい筋肉で踊るっていう時点で、そいつら変態ですよね!

 洛陽にはそんな変な生き物がいるかと思うと、怖いんですが・・・・ そういえば、そんな者をどこかの医者が連れて歩いていると聞いたことがあったような?

 そんなことはいいとしてその面接後すぐに緑陽殿と別れ、僕は数日後に徐庶殿と面接を行うことになりました。

 

 

「「変態さん、いらっしゃーい」」

「変態じゃないですよ!?」

 僕を迎え入れたのはそんな重なり合った第一声で、扉を開けると同時に失礼を承知で怒鳴り返す。

「えー? だって、書簡に書かれたとおり、女になりたい男なんでしょ?」

「完全に変態やな、否定することなんてあらへん。しかも、連れがそれ熱弁したんやろ?」

「いや、そう・・・ ですけど・・・!」

 どれだけ否定したくともそれは事実であり、僕は力無く下を向く。

「「じゃぁ、やっぱり変態じゃーん(やん)」」

 そんな僕に容赦ない言葉を同時に言い放ち、笑う存在を見るために僕は顔を上げた。

 片や赤い髪を三つ編みにして、雛里が着ていた制服とは色が異なる臙脂色に黄の線が入った服装の方。

 もう一人は羽織に胸にさらしを巻くなどという大胆な格好をした、気の強そうな方が並んでいる。

 けど今は冷静に服装を分析している場合ではない。

「僕は変態じゃありません!

 そもそもこんなことになったのは僕だって想定外で、女官として採用されるなんて思っていませんでしたよ!」

 それでも僕は、理不尽に立ち向かう。認めてたら、大切な何かを失ってしまう。諦めてはいけない。

「まっ、おふざけはここまででいいとしてさ。

 あたしは徐元直、こっちはあの有名な『鬼神の張遼』ね。

 それで何しに来たのかな? 曹操さんのところに居ることで有名な、あの荀彧の甥っ子ちゃん?」

 そう言って僕を覗き込む彼女の目は冷たく、この眼と同じものを僕は何度も目にしていた。けれど、今の僕は恐れることはない。何故なら今の僕は、華琳様の配下の荀攸ではなく、『荀家の子息』という、生まれながらにしてつけられていた名称しかない。だから僕は焦る必要も、偽る必要もどこにもない。

「洛陽で学んで来いと言われ、おそらくは同僚のせいで女官の採用試験を受けるように仕向けられました・・・」

 あれ、何でだろう。本当のことを言ってるだけなのに、目から伝う熱いものは何だろう。でも、あえて言わせてください。華琳様も姉上も、絶対知ってましたよね?

「えー? ってことは君も何も知らないのかな?

 霞、その辺どう?」

「こんな奴、知らへんて。

 こんな変態居ったら、一発で覚えるに決まってるやろ」

 『何も知らない』? 『こんな奴、知らない』?

 まさか、彼女たちもそうなのか? 兄上たちのように何かを知っているのか?

「張遼殿宛てに二つほど、文を預かっているのですが・・・ 赤の遣いと、曹操様からなのですが・・・」

「それをはよ言わんかい!

 むしろ、洛陽に着いたらすぐに渡しにこんかい!!」

 そんな理不尽な?!

 言葉を発したと思ったら僕は真横に吹っ飛ばされ、手から離れた書簡をすぐさま奪われる。そして、その書簡に目を落とした彼女は片方を手で砕かんばかりに握りしめ、片方を懐へとおさめた。

「ハハッ、えぇやん。華琳も、かず・・・ 冬雲も変わらへんなぁ。

 なら、ウチもそうぶつかったる。ウチが今もっとる全部で、本気で冬雲を奪いにいったるわ」

 好戦的に笑い、僕らなど目にくれない鬼神に恐ろしさを感じつつ、僕は徐庶さんを見た。張遼殿の様子に肩をすくめて、この方が雛里やあの孔明に並び称される『麒麟』の徐庶であることが信じられなかった。いや、雛里もとても『鳳雛』とは思えないんですが、主にあの趣味()のせいで。

「霞は決めたねー。

 まっ、あたしは月たちから離れる気なんてさらさらないんだけど。みんな好きだし、あたしはここがあってるんだろうしね。

 さて、君はどうする? もういろいろばれちゃってるし、今ならぎりぎり帰ることが出来るよ?」

 張遼殿に倒された僕の近くには居ても、彼女は決して手を伸ばそうとはしてこない。それがきっと、彼女の線引きの仕方なのだろう。

 誰であっても手を伸ばす兄上、伸びる気力のある者に手を伸ばす華琳様、相手を選んで手を伸ばす姉上、僕に手を伸ばしてくれた人とはまた違う在り方がここに在る。

 経験する全てを学びとし、僕自身が選んで行動し、何を想うか。なら僕は・・・

「僕がここに残る、と言ったらどうなりますか?」

「不思議なこと聞くねぇ、女官としてこき使うに決まってんじゃん。

 そのための面接だし、人手不足だから優秀な人材は一人でも欲しいんだよねー」

 指先で髪を弄りながら、彼女は楽しげに笑いながら、僕を見ていた。

「しかも、こっちでもちょーっと厄介なことになっててさぁ。

 かなりこき使うし、結構中枢って言ってもいい場所に入れるつもりなんだけど、君にその覚悟はある?

 たとえ、曹操さんたちと戦うことになっても、君はちゃんと君として選んで戦える?」

 笑っているのに、その目は真剣で、相手の感情を乱れさせることなく本音を見出そうとする。

 これがあの女学院の三軍師の一角たる『麒麟』、なんて底知れない方だろう。

「ここに居るのは、ただの荀家の子息であり、ここに仕官にしに来たただの男です。

 僕は僕として選び、行動し、学びに来たんです。やってやりますよ」

 きっと華琳様はこれすらも想定して、僕をここに送り込んだのだろう。いいや、わからなくてもいい。

 これは僕が選んだ、僕の道なんだ。

「『ただの男』の前に、でっかく変態ってつくけどなぁ」

「つきませんから!!」

 

 

 

 そうして僕は、今も洛陽に居る。

 しばらく徐庶殿のもとで働いた後、董卓殿たちにもお会いし、関わり、十常侍や霊帝様たちの実情を知った。

 袁紹によって諸侯に檄文が送られたことも十常侍から情報がもたらされ、軍が慌ただしく動いていく。同様に徐庶殿、賈詡殿も動き出している。

「僕は下っ端であり、何が出来るかわかりません。それでも」

 目を閉じて浮かんだのは、初めて目にした董卓殿と彼女を支えるようにして立つ賈詡殿。多くがあってなおもそこから逃げることもなく、立ち向かおうとする強い女性たちの姿だった。

「僕は彼女たちの力になりたいんです」

 それが今ここに居る僕が想ったことであり、行動し、選んだことだった。




短いので、お供の緑陽の視点での後日談はこちらに。


       ×


「―――― 以上が、洛陽にて樹枝殿の採用までの報告です」
 樹枝殿と別れ、私は陳留の城にて報告を行っています。
 場所は華琳様の執務室、その場にいるのは華琳様、黒姉さま、桂花様の三人であり、私が顔を上げると、華琳様が桂花様へと視線を向けました。
「まさか・・・ ね」
「こうなるとは、流石の私も想定外でした」
「本当、採用されるなんて・・・・」
 三者三様、わずかに口元を動かし、ついには堪えきれなくなったように一斉に笑い出しました。
 しかし、黒姉さまに指示されていたとはいえ、我ながら名演技だったと自負しております。あの時の樹枝殿の表情を私では表現しきれないことが惜しいほどに。
「しかし、華琳様はこれを見越して樹枝殿をあの場に送り出したのではなかったのでしょうか?」
「いいえ、あなた達(司馬八達)ですら掴めない洛陽の情報を・・・ しかも、個人的なことまでわかるわけがないもの」
 私が問えば、華琳様は何とか笑いをおさめながら、答えてくださります。
「あの愚弟の女顔がまさか、ここまで・・・ ぷぷ、それとも洛陽まで樹枝を題材にした本でも出回っているんでしょうか?」
 最後に黒姉さまへと視線を向ければ、初めて見る黒姉さまの声をあげて笑う姿に少し見惚れてしまいます。この姿を、姉妹全員の時にもう一度見たいものです。やはり、姉さまたちの笑顔が私は一番好きなのです。
「私もまさかこうなるとは思っていませんでした。
 笑いのタネになればそれでいい、程度の物でしたからね」
 黒姉さまの言葉に、お二人も表情を元に戻し、一斉にある言葉をおっしゃいました。
「「「まさか、採用されるなんて思っていなかった」」」
 ・・・・さすがにここまで言われると、少々不憫になってきます。樹枝殿、強く生きてください。
 そして私は、そんな樹枝殿がより強く生きていけるようにしっかり踏みつけたいと思います。麦は踏むと強く育つそうなので、それに倣いましょう。
「それでは私は、このことを冬雲様以外の武官、文官の皆様に広めてまいりますので。失礼いたします」

 その日、陳留のあちこちで笑みが溢れることとなる。
 同日、ある都にてくしゃみがとまらない女顔の男がいたという。


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36,過去と今 そして 二人の天の遣い 【沙和視点】

「凪ちゃーん、必要な装備の確認終わったのー」

「じゃぁ、次は・・・・・ この書簡を読んでおいてくれ。

 移動時の配置についてのもので、多分沙和が一番大変なところだからと隊長がわかりやすくまとめてくれた物だと白陽殿が言っていた」

 反董卓連合が起こって、沙和たちは初めての遊撃隊としての出陣で準備に勤しんでるの! 前とは違って、隊長が負担してくれてた書簡仕事も任されて、凪ちゃんと真桜ちゃんと分担して頑張ってるの。

「わかったのー。

 ここで読んでも平気?」

「読みながら他の仕事は出来ないだろうし、いいと思う」

 書簡に目を落とす凪ちゃんを見ながら、沙和も書簡を軽く眺めることにするの。

 こうしてることなんて前の時は考えられなかったもんね、沙和も真桜ちゃんも不真面目だったもん。でも、もしまた隊長が消えるかもしれないってなった時、何にも出来ないのはもう嫌なの。何にも知らないで、何一つ出来ないでいるよりかは何か出来るようにしたい。それに・・・・

 覗いた先にいる凪ちゃんの顔は前と変わらない真面目で、前よりもずっとやる気に満ちてる。それは形として凪ちゃんが隊長を任されたことと、多分沙和たち三人の中で一番あの日のことを気にしてるからだと思うの。

「沙和、ちゃんと読んでるか?」

 おっと、危ないの。

「読んでまーす。

 ようするに先頭に凪ちゃん、後ろに真桜ちゃん。沙和は真ん中でクソ虫どもを怒鳴って整列させればいいんだよねー?」

「・・・・あぁ」

 凪ちゃんも、真桜ちゃんも、教えてくれた隊長も沙和がこの言葉使うと微妙顔するのなんでなのー?

 もー、沙和は隊長に最初に教わったやり方を少し強めに言ってるだけなのにー。

「凪ー、沙和ー、おるー? ・・・・おぉ、よかった。居ったな。

 二人の武器、整備終わったからちょっと調子見てほしいんやけど?」

「あっ、真桜ちゃん。

 その辺りの書簡にまた樟夏様から苦情まがいの、経費に関しての書簡が回ってきてるのー」

「またかいな?!

 ウチ、あとでいつもことしてくるわ」

「今回は駄目だ。

 戦前にいつものようなことをして、時間をとられるわけにはいかない」

 そう言いながらも真桜ちゃんは私たちに武器を渡して、外に来るように促してくるの。読み終わった書簡に『読了』って書いてから積み上げて、外に出る。

「そうは言うてもなぁ、凪。

 これはウチの・・・ いいや、工作隊にとっては死活問題なんや!!」

 真桜ちゃんが書簡を見て面白い顔になってて、凪ちゃんの制止に抗議してるの。

 経費に関しての苦情は月に一度は必ず来てるし、そのことで毎回樟夏様のところに突貫しに行くことがお約束になってるの。お互い一切譲らずに言葉だけ、その上で沙和がやってるみたいな言葉も使ってないのに凄い舌戦になるの。

 大抵騒ぎを聞きつけた隊長が間に入ったり、秋蘭様とか、桂花様が間に入らなくちゃ終わらなくて、その内会議で正式に議題になる予定なの。

「・・・・戦が終わってからじゃ駄目なのか?」

 凪ちゃんの拳が真桜ちゃんへと迫って、真桜ちゃんはそれを受けずに後ろへと避ける。沙和は拳を伸ばしきった凪ちゃんへと走って、二天を思いっきり振りおろす。けど、やっぱりすぐに腕で防がれて、左足で吹っ飛ばされちゃった。

 凪ちゃんが心配そうにこっちを見るけど、着地できたし、動きの練習だけだから力がこもってないから全然問題ないの。

「あかんあかん。

 樟夏様もこの忙しい時期を狙って必要経費と苦情回してきたんやろうし、ここでウチの部隊が黙っとったら、認めることになってまう。

 二人の武器の調子もええようやし、ウチ、今から行ってくるわ」

「樟夏様も忙しい身、特に今はあちこち飛び回って部屋に居られない可能性の方が高い。

 これで隊の準備に支障が出ても問題だし、やめた方がいいんじゃないか?」

 んー、これじゃぁ凪ちゃんと真桜ちゃんの間で喧嘩になっちゃいそうなのー。もー! 樟夏様の経費関連になると真面目な凪ちゃんと、職人としてこだわりたい真桜ちゃんの意見が真っ向から対立して大変なの!

 だから、真桜ちゃんの味方して、遊撃隊(沙和たち)の良い方にすすむようにしちゃうもん。

「だったら、お昼ごろに行けばいいと思うの。その時間ならよっぽどのことがない限りは、食堂に居るの。

 それに短く終わらせたいのは向こうも同じだろうし、真桜ちゃんがごり押すか、隊長に一筆書いてもらえばいいと思うの」

「な?!

 沙和! 隊長もお忙しいんだ。そんなことを頼めな・・・」

「その案貰うで! 沙和!!

 ついでに隊長に一筆と、ここにぶっちゅーっと接吻もろうてくるわ!」

 真桜ちゃんが指差したのは唇、あっ、凪ちゃんから流れてくる気が怖くなった気がするの。

 それに沙和もちょーっと、イラッとしたの。普通はこういう時ってほっぺた指差すもんなのー!! なんで遠慮の欠片もなく唇指差すかなー、もー!!

「抜け駆けしたら、真桜ちゃんでも許さないのー!!」

「流石にそれはじょーだんや、冗談。

 ウチらは三人一緒で、冬雲隊や。今も、昔も、ウチらは三人で隊長と一緒におるんや」

 真桜ちゃんを見送りながら、凪ちゃんは口をぱくぱく動かして、行き場をない手を宙に彷徨わせてるの。

 あっ、考えるの放棄して空を見始めたの。

 沙和もそれを追いかけると、綺麗な青い空に白い雲が浮かんでて、楽しそうにしてるの。隊長は前から晴れ男なの。隊長との思い出は全部青い空の下で、でも陽射しが辛いとかお肌に悪いとか感じたことがなかったの。それはきっと、隊長と一緒にいたからで、いつもさりげなく沙和たちに日影の方を歩かせてくれてたからなの。

「沙和、この後も準備はあるんだ。

 やるべきことを済ませるぞ」

「はいはーい。

 沙和はここで少し休憩してから行くの」

 そう言ってその場に寝っころがると、凪ちゃんが凄い目をして睨んでくるの。こーわーいー。

「沙和?」

「大丈夫なのー。やるべきことはやってあるから、お昼になったら動き出すの。それまではちょっときゅーけー。

 凪ちゃんもほどほどに休憩入れないと、隊長が心配して白陽ちゃんが来ちゃうかもよー?」

「そう、だな。

 隊長はお優しく、心配性だから。私もほどほどに休むことにする・・・・ でも、その」

 凪ちゃんの言葉は優しくて、幸せそうな恋をする乙女の顔になっててすっごく可愛いの。

 隊長の幸せ者めー、どれだけ沙和たちに愛されてるかちゃーんとわかってないと怒っちゃうもんね。

「隊長に心配されるのは申し訳ないけど・・・・少しだけ、嬉しいんだ。

 おかしいかもしれないけど、隊長が自分を気にかけてくれる。

 それだけで凄く、ここがあったかくて・・・ 幸せなんだ」

 後ろめたそうに、恥ずかしそうに言って、やや速足で戻っていく凪ちゃんの足音を聞きながら、沙和は二天を空に掲げるの。

 二人とも頑張ってるし、勿論沙和も頑張ってるけど、二人はどこか気負ってる気がしてならないの。

「凪ちゃんも真桜ちゃんも何も言わないけど、本当はあの日を気にしてるんだろうなー」

 そう言って思い出すのは遠い昔、頭のよくない沙和にはよくわからないこと。

 でも、『北郷一刀』という名前だった隊長との思い出はとても楽しくて、幸せだったことだけは確かなの。

 だって、違和感なんて覚えることもないくらい、この気持ちは自分のものなんだってすぐにわかっちゃったんだもん。

 

 

 あの後も頑なに蜀のみんなと立場の差とか、警邏隊の任務が忙しいことを理由に関わろうとしなかった凪ちゃんと、一見は楽しそうに会話もできるけど、何かと研究とかを理由にして距離をとってた真桜ちゃん。

 結局、北郷隊の中でまともに蜀のみんなと会話して、あの三国統一の中でちゃんと笑ってたのは沙和だけだったの。

 でも、それは当たり前。

 だって、他の陣営の子たちにとって隊長は『天の遣い』で、『魏の将を誑し込んだ男』でしかなかったの。いくら否定したところで、広まった噂を消すことがどれだけ難しいかを沙和はよく知ってたから、笑って誤魔化すことしか出来なかったの。

 隊長の良い所も、残したものも、この子たちにはわかりっこないって諦めてたし、隊長のいない以上言い返すことは無意味なの。

 だって隊長が望んだのは争うことじゃないもん。

 みんなが笑う、沙和たちが幸せになる大陸を、夢見てくれてたんだもん。

 戦うことを恐れてた隊長が、自分がいなくなってでも欲しかったのは沙和たちの涙でも、怒ることでもなくて、笑顔なんだもん。

 だから沙和は笑ったの。

 いつか戻ってきてくれる隊長が褒めてくれるように、誰に対してでも笑顔を向けたの。

 

 

 隊長が居なくなってしばらくした時、凪ちゃんから沙和たちをお酒に誘ってきたの。

「沙和はどうして・・・ いや、私が間違ってるのも、隊長がこんな私を望まないことはわかってる。

 けど! 私にはどうしても納得出来ない!!

 華琳様が成し遂げ、春蘭様たちを追いかけ、桂花様に指揮の元、手に入れた平和。それは尊く、得難く、守らなければならないものだ。

 けれど、三国が手を取りあう未来を誰よりも見ることを望んでいたのは! この夢を私達と共に見てくれたのは隊長じゃないのか!?

 先日、警邏隊の者たちとある騒動を止めた時、その喧嘩の要因は何だったと思う?!

 『他国から来た者が何も知らずに北郷様の悪口を口にし、許せなかったから喧嘩になった』と聞いたとき、私は職務でありながら、どうすべきか迷ったんだ!

 いいや、それだけじゃない! 私はその乱闘に参加したいとすら思ってしまった!!

 私達は隊長と共にこの時を、この日を見たかったからじゃないのか?!

 ただ、隊長と一緒に生きて、幸せになりたかったからじゃないのか? そのための平和だったんじゃないのか!

 私たちの目的は! この先にあったものじゃ! なかったのか!!

 他の陣営なんかじゃない、隊長と一緒に居たかったからこそ私たちは頑張れたんじゃないのか・・・!」

 その悲しい叫びは、きっとあそこにいた人の多くが抱いた想いだったの。

 隊長が居ないのに、隊長が残したものは悲しいくらいたくさんあって、それはとても身近でいつも誰かを助けてくれる。

 それが今は悲しくて、でも隊長が居た証があることが嬉しくて、抱える思いにおかしくなりそうな気持ちが痛いほどわかっちゃう。

 それなのに、何も知らない人たちだけが、噂だけの隊長を悪く言って去っていく。

 辛くないわけない、悔しくないわけない、怒ることを我慢しろっていう方が酷なことなの。でも、隊長が居たら言うことは決まってるの。

『他が言うことなんか気にすんなって、俺のことはみんながわかってくれてればそれでいいんだよ。それに、これから俺のことをどんどん知ってもらえばいいんだからさ。

 だからそんなに怒るなって三人とも、可愛い顔が台無しだぞ?』

 でも隊長はいない。どんなにみんなが悲しんでも、ここに居てくれないの。

 だから沙和は泣き崩れた凪ちゃんのことを、真桜ちゃんと一緒に抱きしめることしか出来なかったの。

 

 

 ある時はベロベロに酔っぱらった真桜ちゃんが、沙和の部屋に突然やってきたの。

「沙和は凄いなぁ・・・ ウチには出来ひんよぉ。

 笑顔は出来る、名乗ってももえぇ、でもな・・・ 隊長が居らん。

 いないっちゅうことに考えられるんは、やっぱあそことの争いやん? 何度もぶつかって、隊長が苦しい思いしてたんもやっぱりあそことの戦いのときや。

 泣くんも、辛いってことすらも、ウチらには見せてくれへんかったけど、隊長が強がって無理してるんは、なーんも言われんともわかるに決まっとるやんけ。どんだけ見てたと思っとんねん・・・ あんだけ傍に居たんや、ウチらに隠し事なんて出来るわけないやん。それなのに、ウチらには心配かけんとあの笑顔なんやもん。

 あー! 隊長はずっこい! ずっこいよぉ! 惚れて、惚れて・・・ 隊長なしには生きるのがしんどくなるくらいウチらに恋させた癖に、今ここにおらんねんもんなぁ。

 なぁ、沙和ぁ。何でウチらは、憎んじゃあかんのやろ?

 何で隊長を悪く言う、なーんもしてへんで理想だけ語る奴らにこの怒りぶつけたらあかんのやろな? なんで隊長のことなんも知らへん、華琳様たちや、みーんなの悲しみの欠片もわからん奴らにウチらの宝もんの思い出すら、否定されなあかんのやろな?」

 沙和はこの時、ようやく真桜ちゃんが一番強がってたことを知ったの。

 話を聞いた時ですら冷静で居ようとして、周囲を笑わそうと動いてた真桜ちゃんがようやく言ってくれた本音がそこにはあったの。笑いながら泣いて、本当に辛くてどうしようもなくて、それでもお酒の力を借りなきゃ本音を言えない親友がそこには居たの。

「何でなのかは、沙和にもわかんないよ・・・」

 だって沙和だって、毎日思ってたの。

 みんなと楽しい筈のおしゃべりをしてる時、楽しい筈の時間がまるで何もないみたいで、本当に居てほしい人の姿が目の裏に焼き付いたままで。

「どうしてここに居るのが隊長じゃないだろうって、思わない時がないんだもん」

 それは隊長が居なくなった後の、沙和たちの思いだったの。

 

 

 

 反董卓連合の拠点までに移動中も、ずーっとそういうことを考えてると一つの結論に達したの。

「ねー、(らん)ちゃん」

 行軍中で他のみんなには聞こえないように、常に沙和たち三人の傍に居る司馬家の姉妹一人である藍陽ちゃんを呼ぶ。

「何でしょうかぁ? 沙和ちゃん」

 白い髪に青い目がとっても綺麗で、お洒落に興味があるみたいだったから沙和とお化粧の話ですっごく盛り上がってくれる子なの。

「すこーし、協力してほしいんだけどいーい?」

「あらあら? (隠密)の力でなくては困るようなことをなさるんですか?

 沙和ちゃんは悪戯っ子さんですね」

 沙和を軽く叱るみたいに笑ってくれる藍ちゃんは、言葉と違って全然怒ってなんかいなかったの。むしろ、沙和がしたいことを察してるみたいだったの。

「えへへ・・・ 連合の陣幕についてからね」

 だから、あんな風に隊長を言ってた劉備ちゃんたちのところに、もし隊長と同じような天の遣いがいたらどうなるかを沙和は一番気になってるの。

 それに・・・ 心配するなんて本当はおかしいのかもしれないけど、やっぱりあの時の沙和たちと同じような思いはしてほしくないの。どれだけ前のことが許せなくても、ここに居る劉備ちゃんたちは同じだけど別の人だもん。恨むのは少し違うと思うんだ。

「沙和ね、白の遣いを見てみたいの」

「あらあら、冬雲様がお怪我されたことへの復讐なら駄目ですよぉ?」

「ぶー、違うのー。

 凪ちゃんじゃないんだから、いつまでもそんなことで怒ってたら、隊長が気にしちゃうじゃーん。

 単純にどんな人か気になってるだけだし、華琳様たちとは違う視点から見た方がいいと思ったの。沙和はやっぱり農民出身だし、身分とか『高い』以外わっかんないもん。『劉』なんて『李』さん並にありふれた名前だし」

 それに日常的なことから見えてくる物って、すっごく大事だと思うの!

 身だしなみとか、周りの人との関係とか、それはその人のことを示す重要な物なの!!

「本音と建前の位置が逆ですよぉ? 沙和ちゃん。

 まぁ、私も興味がありますし、建前があるなら大丈夫でしょうけど、一応いろいろしておきましょうかぁ。(ろく)ちゃーん?」

 顎に指を当てて、少しだけ考える仕草をする藍ちゃん可愛いの!

 白陽ちゃんの妹ちゃんってみんなすっごく可愛くて、凄い子ばっかりなの。姉妹がいっぱいでいいなぁって少しだけ思っちゃうの。

「はい、藍(あい)姉さま。

 私は沙和様がいない間、沙和様に扮して部隊を回せばよろしいのですね?」

「えぇ、お化粧はお姉ちゃんに任せなさいなぁ。

 緑ちゃんを沙和ちゃんそっくりにしてあげる、うふふふ」

 藍ちゃんのこれもあって、緑ちゃんってば演技力が凄くなったの。だからいつかは、天和ちゃんたちみたいに舞台で演じてみたいって言ってたの。

 その夢はぜーったい、叶うの! だって、隊長と華琳様がいるんだもん。

 

 

 さぁ、連合の陣営に着いたの!

 藍ちゃんについて早速一つの陣幕を覗いたんだけど、そこに在ったのは衝撃的なものだったの。

 

「はぁ、ようやく縛り終った・・・」

 そう言って一息ついてるのは白い服こそ着てないけど、前の隊長にそっくりな青年なの。見れば見るほどそっくりで、おもわず目を疑っちゃったの。

 でもなんだか、隊長と同じ顔をした人が居るのってなんだか複雑な気分なの。

「はーなーせー! ほーどーけーー!」

 その子が太い縄で縛ってたのは、深い緑の髪の見たこともない女の人なの。なんだか春蘭様に近い雰囲気がしてきて、凪ちゃんと同じくらいかそれ以上の力がある予感がして怖いの。

 でも、縄が意味ないんじゃないかなーってくらい嫌な音をしてるし、結び方も普段縄を使ってない雑な縛り方なの。これじゃぁ、半刻持たないで縄が耐え切れなくなって、ちぎれちゃうと思うの。

「王平さん、どうして突然暴れ出したりなんか・・・」

「うっさい! 君にはわからないの?!

 この過去の深さを感じさせる濃厚な香り、それでいて自己の研鑽を忘れることのない強い意志を窺わせる輝くような気配!

 超、私好みの年配の男性がいるんだよぉーーー!!

 あっちに絶対いる! 私の勘が言ってる!!

 私に今すぐ駆けていけという天の啓示に決まってるんだよぉ!

 私から希少ないい男を見る機会を奪う気かー!」

 もしかして隊長のことなの?!

 良い男なのは否定しないけど、流石に他陣営からこう言う人が来たらまずいと思うの・・・ 下手すれば始まる前から、連合が崩れちゃうの。

「そんなのがわかってたまるか!

 ていうか、あっちってさっき到着したばっかりの曹操さんの陣幕しかないですよ?!

 曹操さんのところに確かに落ち着いた雰囲気を持った曹仁さんがいますけど、王平さん好みの年齢じゃないですし、絶対気のせいでしょう!

 それに今から力合わせて戦おうとしてるのに、問題起こすわけにはいきませんから!」

 雛里ちゃんたちから聞いてたよりもずっとまともそうな発言で、沙和ちょっとびっくりしてるの。

「曹仁! その名前に私の勘が『それだ!』って告げてるーーー!

 何が何でも、連合中に会ってやるぅーーー!!」

「あらん、ご主人様。

 お疲れ様、王平ちゃんのせいで疲れた体はあたしが優しく癒してあ・げ・る」

「嫌だあぁぁぁぁーーーー!!!」

 そう言って出てきたのは・・・ 筋肉むきむきの化け物なの?!

 しかも、白の遣いくんがそれに連れていかれちゃったの?!

 まさか、雛里ちゃんが言ってた『男の秘め事』ってこれのことなの? つまりその、白の遣いくんは・・・・

「だ、男色家なの・・・?」

 隊長と同じ顔をした白の遣いくんが連れていかれるその姿は、なんだかいらない不安を沙和に募らせるのー?!

 

 ・・・・なんていうか、隊長は本当に沙和たちのところに来てよかったの。

「藍ちゃん・・・」

「はぁい?」

「沙和、すっごく疲れたから、隊長に癒してきてもらうの。

 隊長と愛を確かめてくるのー!!」

 そう、隊長はそうじゃないことを確認しないと、沙和の心の安定が保てないの。

 隊長は違うもん。男色家なんかじゃないもん! 仮にそうだとしても、絶対にそんな間違った道には沙和たちが行かせないのー!!

 隊長、今行くのー!



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37,反董卓連合 魏陣営 冬雲の幕にて

 連合の拠点に到着し、幕の設営や食料・武具などの確認をみんなに任せ、華琳と俺、樟夏の三人でこの連合の中心実物たる袁紹たちの元へと軽く挨拶を済ませてきた。

 袁紹は相変わらずだったが、その隣には田豊(でんほう)という少年がいた。

 その間白陽は隠密としてではなく表の顔である文官として、牛金の補佐を務めてくれていた。

「あー・・・ 疲れた・・・」

 俺がそう言いながら蒼い上着を脱げば、白陽がそれを受け取り丁寧に埃を払いながら干していく。その間に俺は二人分の席を用意し、先に椅子へと腰かける。それとほぼ同時に白陽が振り向き、水筒を手渡してくれた。

「お疲れ様でした。冬雲様」

「白陽も疲れただろ。

 連合の会議までは少し時間があるから、白陽も座って休んでくれよ。どうせここには俺しかいないからな」

「・・・・では、失礼いたします」

 今の間は少し断ろうかどうか考えたんだろうが、まぁ断っても俺は強制的に座らせることはわかりきっているため、諦めて自分から座ってくれたんだろう。

 白陽が席につき、珍しく纏っている文官服へと目がいってしまう。

 文官服の纏う際は人の目があるため、右目を前髪で隠してしまっているが、髪のすきまからわずかに垣間見える瞳は俺の前では穏やかで、優しげな雰囲気を感じさせ、そんな彼女を見て俺も目を細めてしまう。

「冬雲様、会議までのわずかな間ではありますが、横になられてはいかがでしょうか?」

「いや、流石にそれはまずいだろ」

 白陽らしからぬ発言におもわず苦笑するが、白陽は自分の膝を数度叩き、手で招いてくる。

ここ()ならば何かあった際すぐに起こすこともできますし、私の行動からあなた様はすぐに目覚めることでしょう。

 それに眠らずとも体を横にするだけでも、良い休養になりますので」

 舞蓮のせいで白陽が凄く積極的になった気がするのは俺だけかな?

 夜這いやら、俺が仕事で行く先々に現れて触れ合おうとするもんだから、最近白陽が常にぴりぴりしている。

 今回は流石に立場的に居たらまずいだろうってことで陳留に残っている筈だけど・・・・ 出発する時に顔を見せなかったところが少し気にかかるんだよなぁ。

「冬雲様・・・」

 でもまぁ、滅多にない白陽のささやかな我儘を断る理由が俺にはなかった。

「じゃぁ、膝借りるぞ。白陽」

「はい、喜んで」

 白陽の膝に頭を乗せ邪魔な仮面の紐だけを解き、顔に乗せるだけの状態にしておく。白陽は俺の髪や頬をそっと撫で、手の温もりの心地よさ俺は目を閉じる。

「他の陣営はいかがでしたか?」

「直接全員と会ったわけじゃないから、何とも言えないかな。

 今回の主要となる二つの袁家と孫家、公孫賛殿と西涼の馬家、平原の劉備殿たちは揃っているようだが、会議の時にどう動くかまではわからない。

 ただ袁紹の話によると、馬騰殿と袁術殿の付き人として孫権殿、公孫賛殿と劉備殿と白の遣いも挨拶には来ていたらしい」

 陣営の上に立つ者たちが順に集まり、その責務を果たしていることがわかる。

 袁家が呼び、その建前ともいえる檄文に集って彼女に挨拶をしている以上、会議では彼女がまた連合を取り仕切ることとなるだろう。

「どうなるかは、これからの話し合い次第だろうな」

 霞と樹枝が向こうに居る以上、この戦がどうなるかは俺たちすら掴めない。十常侍の残党がどう動くかにもよるが、俺があまり自由に動けないことには変わりはない。

 まぁ、もしもの時は牛金に身代わりを頼むことになるだろうが、それはあくまで最後の手段だろう。

「どうなろうと、私はあなた様についていきます。

 たとえあなたの行うことを誰が悪と断じても、誰かが偽善と罵ろうと、冬雲様の後悔なき道をお進みください」

「精々そうしてついて来てくれる白陽に、愛想尽かされないようにするさ」

「私があなた様に愛想を尽かすことなど、この世界が終わったとしてもあり得ません。

 生がもし繰り返されるというのなら、何度生まれ変わろうと私はあなた様のお傍に在り続けることでしょう」

 互いの頬や髪に触れながら過ごす、わずかな休息の時。

 そのわずかな時を俺は楽しんでいた。

 

 

 

「冬雲様、黄蓋と名乗る将の方が訪ねてきておられますが、どうなさいますか?」

 俺たちがそうしてしばらくのんびりしていると、幕の外から聞こえた兵の言葉に立ちあがる。

「あぁ、来てもらってくれ」

 流石に幕の外では目立つし、おそらく舞蓮の事だろうしなぁ。

 白陽も察したらしく短く頷き、文官服を正し、幕内の準備へと動き出す。俺も白陽と同様に身なりを整え、仮面の紐を固く結び直して蒼の上着を羽織る。

「お連れしました」

 兵の声を聞き、俺は幕を開くと、そこにはかつて目にした時と変わらない姿の黄蓋殿が立っていた。

「お初にお目にかかる赤き星の天の遣い殿よ・・・ いや、黄巾の乱の英雄・曹仁殿よ」

「初めまして、黄蓋殿。

 干果程度しか出せませんが、どうぞお入りください」

「では、失礼する」

 幕内へと招き入れ、彼女も一礼して俺に促されるがまま用意されていた椅子へと腰を下ろす。

 ほんのわずかな時間ではあったが、白陽によって用意された今できる範囲のもてなしを眺め、隅へと控える白陽を視線で労う。

「しかし、貴殿は自身が『英雄』と呼ばれることを否定せぬのじゃな?」

「やはり、少々図々しいでしょうか?」

 言葉の割に彼女は楽しそうに笑い、俺はその笑みの意味が分からずに問い返す。

 まぁ、人によっては図々しく、なおかつ自信過剰に映ってしまうかもしれないだろうな。

「いや・・・ なに。

 少々話を聞いていた貴殿の姿と重ならず、意外に感じたというだけじゃ。儂個人としては、むしろ好ましくすら思うがの」

 蓮華殿? 俺のこと、周りになんて言ってるんですか?

 それとも舞蓮か? 蓮華殿より可能性高そうだし、舞蓮が情報源だとするならかなり内容が不安になってくるんですけど?!

「私には過ぎた功績と名だとは思いますが、その名(英雄)を背負うと覚悟し、誓ったので」

 でも俺はもう、この名(英雄)を背負うと決めてしまったから。

 一切恥じることもなく、胸を張って堂々と立っていること。

 誰になんと言われようと、この答えは絶対に変わることはない。

「ふむ・・・ 聞きしに勝る良き男ぶり。

 聞けば仮面で隠した顔の傷も、賊から曹操殿を庇って出来たものとのこと。

 何とも素晴らしき忠誠、曹操殿は果報者じゃのぅ」

 ・・・・・ちょっと待とうか。

 俺、その話知らない。いつの間にそんな話になった?

 あの時は仕方ないっていうか、そもそも華琳じゃなくて最初から彼女は俺を狙ってたわけで、庇えたわけじゃないし。そりゃ傷は残ってるけど、今も仮面被ってるのはこの傷を見るとみんな悲しんだり、関羽殿に殺意を抱いたりするのを防ぐためであって、俺自身はあの時は痛かったけどあってもしょうがない黒子みたいにしか思ってないのが実情なんだが。

 そんな思いは当然叫ぶわけにもいかず白陽を見ると、気まずそうに目を逸らすこともなく、『我々にとってはそのような認識ですが、何か?』とむしろ見つめ返してきた。

 司馬八達とは詳しい話を聞くとともに、話し合いの必要性を感じる。まぁ、傷つけた当人の名前を出すよりかはいくらかマシな状況ではあるが。

「そして今回、儂がこの場を訪れたのは貴殿に感謝を告げたかったからじゃ」

 黄蓋殿は隅に居る白陽へと軽く視線を向け、口を開こうとしたが俺はそれを手で制した。

「彼女は、私が最も信頼を寄せる優秀な補佐官です。

 他言にすることはありませんので、ご安心を」

「ほう?

 英雄殿にここまで言わせるとは、何とも羨ましいかぎりじゃな」

「えぇ、彼女にはどんな仕事も安心して任せられる。

 私のもう一つの右腕のような存在です」

 これは俺の、偽りなき本音だった。

 白陽だからこそ俺は安心して多くを任せられるし、俺だけでは届かない筈だったところも届くようになった。勿論、それは他のみんなにも言えることだが、補佐官という距離の近さは白陽だからこその特権だろう。

「ふふ、それはそれは。何とも羨ましい」

 そう言って微笑んだ後、黄蓋殿は姿勢を正してから俺へと深く頭を下げた。

 顔は完全に見えなくなるほど深く、されている俺の方が恐れ多くなってしまうような、土下座にも近い礼。すぐに止めに入ろうと彼女の傍に寄った時、俺はようやく彼女の体が震え、地面へと雫が落ちているのに気づいた。

「我が君主を、友である孫文台の命を救ってくれたこと。

 そして我が弟子、周公瑾を病から守ってくださったこと」

 涙で声は歪み、彼女はなおも頭を下げたまま言葉を続ける。

「儂は貴殿に、この恩をどう返せばいいのかわからぬ。

 儂が知る何をもってしても、あの二人の命の対価には釣り合わぬ」

 その一言一言が彼女がどれだけ二人を想っているのかが、痛いほど伝わってくるようだった。

「頭をあげてください。黄蓋殿」

 彼女の泣き顔を見ないようにしながら、俺は懐から布を取り出し、彼女へと差し出す。

「曹仁殿、貴殿にとって些細なことであっても、儂はお主に二度救われた。

 奴の亡き夫と交わした約束、そして呉の将来を担う我が弟子の命。

心も、未来も救われてしまっては、儂はこの想いをどうすればよいのかわからん。ゆえに・・・」

 黄蓋殿は左手で受け取り、右手で強く俺の手を握って、自分の方へと体ごと引き寄せた。俺も油断しきっていたためにそれに逆らうことも出来ず、彼女にされるがまま、押し倒される。距離は自然と縮まり、彼女の表情は泣き顔から一変。妖艶な笑みを浮かべた獣へと変化していた。

「儂を、貰ってはくれぬか?」

 耳元で囁かれたその声は、まるで脳を麻痺させる媚薬のようだった。

 これは危機だと本能が告げているし、拒まなければならないことは重々承知。

 だが、客である以上空いている足で蹴り飛ばすわけにもいかず、腕も塞がれ、流石は将というだけもあって、俺の体は完全に固定されていた。

 この状況下では、俺は硬直することしかできない。

「うむ・・・ 間近で見れば尚よし。

 また、鍛えられた肉体がなんとも・・・」

 密着した状態で彼女の手が体に触れていき、自分の心臓が喧しい。

 そのせいか周りの音もよく聞こえず、全ての音が遠すぎて、周りを確認したくても出来ない。彼女からそれ以上何もされないように、目を逸らさないでいることが精一杯だった。

「「祭!!」」

「私を差し置いて、羨ましいことやってるじゃなーい? 私も混ぜなさいよー!」

「勝手に何を・・・・!

 冬雲殿?! 祭、あなた・・・ というより、何故母様がここに居らっしゃられるのですか?!」

 聞き慣れた本来ここに居ない筈の舞蓮の声と、状況を見て驚く以外の選択肢がないだろう蓮華殿の声がとても遠い。

 それはきっと、声よりもはるかに存在感を漂わせる部屋の片隅から溢れる殺気の性だろう。

「むっ! これは最大の危機にして、絶好の好機じゃな!!」

 オ願イデス。目ヲ輝カセナイデクダサイ。死ンデシマイマス。

「では、曹仁殿。

 いただきます」

「はっ? ちょっ、まっ・・・・」

 彼女は俺の体をしっかりと押さえつけ、頭と顎を固定しながら唇を近づけ、その距離は完全に零となった。

 柔らかな唇とどこか得意げな黄蓋殿の顔が瞬きの間に近づき、遠ざかった時、俺は口づけをされたことに気づいた。

「「あっーーー!」」

「こっの、色惚け老将が!」

 驚く二人の声と、それよりも早く罵倒とともに動いた鈴の音が俺と黄蓋殿を引き剥がしていく。

「は、白陽?」

 まずは状況を確認したいが、その前に部屋の隅で俯き、殺意のみをまき散らす白陽へと声をかける。

 すると白陽はいつものように顔をあげ、満面の笑みで口を開いた。

「ご安心を。冬雲様」

 どこか寒気を覚えるその笑顔は、白陽が黒陽に一番近い姉妹なのだと実感させられる。そして白陽は流れるような動作で懐から短剣を取り出し、構えた。

「虎二頭の皮を剥ぐなど、造作もございませんので」

「いやいやいや?! 白陽、止まれえぇぇーーーー!!」

 俺が白陽を羽交い絞めにして押さえている間、俺と同じように黄蓋殿を押さえ縛りつけている甘寧殿と不意に目があった。俺は軽く会釈し、お互い苦労すると笑みを向けるとすぐさま顔を背けられてしまう。

 何故だ?

「祭! 母様!

 二人とも、もっと自分の立場というものを考えて行動してください!!

 特に祭、あなたは一体冬雲殿に何を・・・」

「良き男を我が物にしたいと望むことは、何もおかしなことではありますまい。

 蓮華様とて曹仁殿に真名を許し、互いに呼び合うほどの仲。ならば、恋慕の情を持っていないわけでもなかろうて。

 なにせ蓮華様は、真名を他者に許すのに相当な時間がかかりますからのぅ」

「い、今はそんな話していないでしょう!」

 ・・・・なんか俺が首を突っ込んだらまずそうだし、蓮華殿そっちは任せた。頑張ってくれ。

「白陽、落ち着けって!」

「今日という今日は許しません。大虎のみならず、その部下である白い虎も加わり、冬雲様を組み伏せ、挙句唇を奪うなど見過ごすことが出来る筈がありません。大体、呉に居る虎は何です? 揃いもそろって盛りを過ぎたにもかかわらず発情を迎え、夜這いや接吻・・・ やはり、一度徹底的に懲らしめ、こちらが危険なものであることをその身に理解させなければなりません」

 早すぎて全部は聞き取れなかったけど、白陽が怒ってることだけはよーくわかった。

「だから、落ちつ・・・」

「たーいちょー!!」

 声と同時に幕が開き、俺の腰辺りに何かが抱きついてくる。

 白陽に回した手を緩めないようにしながら振り返ると、何故か涙目になった沙和がくっついていた。

「どうした?

 何か異常事態でもあったのか?!」

「白の遣いが変態だったのー!」

「はぁ?!」

 白の遣いって・・・・ あっちの北郷だよな?

 俺が会った時はまともだったし、別に変態なんて思うようなところはない筈なんだが?

「女の人を縄でぐるぐる縛って、筋肉ムキムキな化け物に連れて行かれちゃったのー!!」

「ごめん、言っている意味がよくわからない・・・」

 筋肉ムキムキな化け物には心当たりがなくもないが、女の人を縄でぐるぐる巻きってどういうことだ?

「隊長は・・・ ぐすっ、違うよね?

 男色家でも、変態性癖でも、ないよね?」

 そして何故、そこで俺が出る?!

 あいつ(北郷)と俺は確かに同じ天の遣いで、同一人物っちゃ同一人物だけども!

「沙和、俺がどれだけみんなが好きなのかはよくわかってるだろ?

 それに万が一、やむ得ない理由もあるかもしれないんだし、そんな男色家とか変態扱いなんてしてやるな」

 樹枝と樟夏の例もあるわけだし、根も葉もない噂や誤解から生じた可能性もあるだろう。

 それに俺はむしろ女好きだ。

 好意をもってくれたらそれを返すのは礼儀だし、俺には誰か一人を選ぶなんて不可能。

 優柔不断の節操なし? その通りだが何か?

 責任もって全員を幸せにする覚悟はとっくの昔に決めて、腹くくってんだよ俺は。

「隊長、大好きなのー! 超愛してるのーーー!!」

「俺もだけど、そろそろ周りの状況を見ような! 沙和」

「だって隊長の周りに女の子がいるなんて、いつものことだもん。

 それに隊長だから仕方ないの」

 話し合いの必要があるのが増えた気がする・・・・ いや、どっちも俺の自業自得だけど。

「で、白陽ちゃん。何かあったのー?」

「そこの白い虎がどさくさ紛れに冬雲様を組み伏せ、唇を奪いました。

 現在、孫権殿・甘寧殿が説教をしていますが、馬の耳に念仏。ならばやはり、ここは冬雲様の補佐官である私がその息の根を・・・・」

「死刑なの!」

「そこまではやりすぎだからな?!」

 というか、男の唇にそんな価値はないから!

 むしろ形として奪われたものであっても、黄蓋殿の唇を俺が貰ってしまってよかったのかを問い返したい。

「あー・・・・ いろいろ納得なの・・・

 それでどうして陳留の檻の中に入れてきた筈の孫堅様がここに居るの?」

 あぁ、だから舞蓮は見送りに来なかったのか。そっか、檻・・・・

「檻?! 何で檻?!」

 沙和の言葉に混じった信じられない内容に理解が追い付かずおもわずそのまま流しかけたが、すんでのところで気づき驚きの声を上げた。

「だって孫堅様、そうでもしないと一将としてついてきちゃいそうだったんだもん。しまいには隊長の夕雲に相乗りするなんて言い出すし。

 結局暴れられても困るからお酒で釣って、華琳様公認で檻の中に入れてきたの!」

 あぁ・・・ もうどこからツッコめばいいのやら。

「その檻を夜のうちに破って、冬雲の衣服関連の荷物の中に紛れ込んできたのよ!」

「母様!

 本当にうちの母がご迷惑をおかけしているようで、申し訳ありません・・・」

 沙和の言葉に正座をしていた舞蓮が得意気な顔をして答え、すぐさま蓮華殿の怒号が飛ぶ。そして、申し訳なさそうにこちらへと頭を下げてきた。

「それはいいのー。悪いのは孫権様じゃなくて、そっちの孫堅様なのー。

 それで孫堅様―、隊長の服に埋もれて運ばれた感想はー?」

「もう、最高だったわ・・・・」

「うっとりした顔で何言っちゃってんの?!

 沙和も何聞いてんだよ!?」

「万死に値します」

「白陽も止まれーーー!!」

 片や、母と宿将を正座させ、説教をする孫家の跡取り。

 片や、補佐官を羽交い絞めにし、部下に泣きつかれる乱の英雄。

 ついさっきまでの平穏が嘘だったかのように俺の幕は混乱を極め、まさに混沌という言葉を体現するにふさわしい場となってしまった。

 あぁ、もう誰でもいいから助けてくれ。

 内心で抱いた思いを溜息に変化させたその時、再び幕の入り口が開かれた。

「天が呼ぶ! 地が呼ぶ! 人が呼ぶ!!

 そんなのはどうでもよくなるくらい素敵な年上男性が私を呼んでいる!!

 水鏡女学院、第六期生! 『年上狂いの王平』、推・参!!」

 なんとかならない気がしてきた・・・

 突然その場に響いた声に誰もが視線を向けるが、口上を聞いた後に向けられたその大半は残念な者、あるいは奇怪な者を見る目であったのは仕方のないことだろう。流石の俺も言葉をなくし、ここに彼女の言う『素敵な年上男性』など存在しない。というか、男が俺しかいないしな。

 だが、一つだけ言わせてほしい。

 この世界の神が大概鬼畜で、狂っていることは百も承知だが、混沌に混沌を突っ込むとはどういう了見だろうか。

 鮮やかな色に鮮やかな色を混ぜ合わせすぎると、その色はむしろ黒などに近くなる現象と言えばいいのだろうか。

 あぁまどろっこしい。わかりやすく言えば、俺いつか神の野郎殺すんだ。

「すみません!

 こちらに年上狂いとか馬鹿なこと言ってる人知りませんか・・・って、やっぱりいた!!

 というか、何でこの部屋女の人ばっかり?! ここは曹仁さんの幕の筈じゃ・・・・」

 王平と名乗った女性の後から入ってきたのは、緑を基調とし、袖のあちこちに桃色や黄色などの色とりどりの花片(花びら)が舞った華やかな上着を羽織った北郷の疑問は当然であり、そんな北郷へと俺は挨拶代わりに軽く手をあげた。

「よぉ、北郷」

「いきなり、押しかけてしまってすみません! そして、こちらの客将が言っただろう奇怪な言葉も本当にすみません。連合の会議が終わってからにでも、正式に挨拶には来ようと思ってたんですけど、この人の暴走を止めきることが出来ませんでした。重ね重ね、ご迷惑をおかけしてしまって本当にすみません。

 でも、失礼を承知で一言だけ言わせてください。

 リア充、爆発しろ!!!」

「この混沌を見ての感想が、まずそれか?!」

 丁寧に会釈をし、こちらへの謝罪やら何やらをしている辺り、あの後も成長は続いたのだろう。

 だが、今はそんなことをしみじみ思っている場合ではない。

「俺の現実は確かに充実しているが、この状況のどこをどう見たらそんな感想になる?!」

「困っているのは見ればわかりますけど、自分の幕の中に女性がいる時点で俺からすれば羨ましいんですよ!

 俺の幕なんて華佗と貂蝉と一緒で、『おはよう』も『おやすみ』もいの一番に言う相手が華佗ですよ?!

 しかも、貂蝉に警戒してほとんど誰も近寄ってこないし、来たかと思ったら愛紗は貂蝉と試合をしだすか、仕事の呼び出しだし・・・・」

 後半になるにつれて俺でも聞き取れないくらい小さな声になり、走って疲れたのもあって土下座のような状態で普段の愚痴を言い始めてしまった。

 ・・・・機会があったら酒にでも誘って、愚痴を聞いてやろう。

 人が増えるにつれ混沌を増していく幕の中、変わらずに白陽を押さえつけながら、俺は天井を仰ぎ、小さく呟いた。

「本当に・・・ 誰か助けてくれよ・・・」

「冬雲、入るわよ」

 声と共に現れたのは、俺の最愛の女性。そして同時に、この場を治められる唯一の存在。

 通常ならば驚き、大声をあげても仕方のない状況でありながら、彼女はいつものようにゆっくりと幕の中を一通り眺めてから、最後に俺へと視線を向ける。

 そこに怒りも、嫉妬も感じられることはなく、むしろ状況を察したかのように温かな労いの視線を向けてすらくれていた。

「華琳・・・」

「これはどういう状況なのか、説明してくれるわよね?」

 その言葉は俺だけでなく、この場にいる全員へと向けられたものだということは誰の目から見ても明らかだった。



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38,反董卓連合 魏陣営 冬雲の幕にて(続)

「なるほどね・・・」

 現在俺の幕では華琳を中心にそれぞれの陣営に分かれ、そこにいる誰もが姿勢を正して座っている。

 沙和は遊撃隊の仕事が残っているとのことで凪によって隊へと強制回収され、先程まで殺気をまき散らしていた白陽は黒陽によって大人しくされ(気絶させられ)、今は幕の片隅で眠っている。同様に接吻等の問題を起こした黄蓋殿は甘寧殿によって縛られ、白陽とは逆の隅へと転がされていた。

「まず、舞蓮。

 あなたには陳留に戻るか、これを機会に自分のいるべき場所へ帰ってほしいのだけれど?」

 華琳がまず切り出したのは、本来この場に居てはいけない舞蓮からだった。

 だが、流石華琳。真名を呼ぶことと、『娘』や『部下』という言葉を使わないことで舞蓮が何者であるかまでは言及されることのないようにしている辺り、心遣いが細やかだ。

 もっともあんな混沌の(醜態をさらした)後に、はたしてすぐさま勢力やら他陣営のことを探ろうとする者がこの場に居るかどうかは微妙だが。

「えー? まず、私ー?」

 不満げに頬を膨らませる舞蓮に対して華琳は怒る様子もなく視線を向け、腕を組んで笑顔を向ける。

 華琳のこの笑顔懐かしいなぁ、俺も昔怒られたりするときよくやられたものだった。

「ここに居る者の中で、あなたの存在が最も不適切だから言ったのよ。

それでどちらを選ぶのかしら?

こちらとしては後者でも一向にかまわないのだけど?」

「ぶー。言い繕っているけれど、結局それって嫉妬じゃない。

 華琳たら、かーわい!」

 その一言に周囲の空気が凍りつき、蓮華殿がすぐさま舞蓮を睨みつけるが睨まれた当人は気にした様子もなくケラケラと笑っている。華琳も一見は表情が変わったようには見えないが、ほんの一瞬だけ眉が釣り上がったのを俺は見てしまった。

 いろんな意味で華琳にこんなことを平気で言えるのって、舞蓮ぐらいだとしみじみと実感する。あんまり嬉しくないけどな。

「それに前にも言ったでしょう?

 ここに居るのはもう虎じゃない、一人の恋する女だもの。

 帰ってあげないわよ? 冬雲の傍が今の私の住処だもの」

 そう言って俺へと片目を瞬かせ、指先に唇を当てた後俺へと投げつけるような動作をする。

 本当に舞蓮って、この手の動作を自然にやるよな・・・・ その行動が今この場に相応しいかどうかは別として。今の行動でさらに華琳の目が厳しくなったし、挙句華琳が視線を俺の方にも向けてきたんだが?

「そう・・・ わかったわ。

 あなたに何を言っても無駄なことぐらい、わかっているもの。

 あなたへの話(説教)が、あとでいくらでも出来るということもね」

 それ、俺も出席かな? 出席だよね・・・

 舞蓮に関しては俺が責任者みたいなもんだし、今回の当事者俺だし。

「次に黄蓋との接吻の件については・・・・ そう、ね。

 冬雲、私の傍に来なさい」

 他陣営を流石に怒るわけにもいかないだろうし、接吻に関しては俺が油断しきっていた責任もある。黄蓋殿に唇を奪われた瞬間から、一人一発ずつの張り手ぐらいは覚悟していた。

「・・・了解」

 返事をして華琳の傍へ寄ると自分の前を指差し、笑顔で『ここに座りなさい』と示してくる。無論、俺はそれに従い、華琳が何をしてもいいように片膝立ちの姿勢をとる。

「黄蓋に奪われたのは唇だったわね?」

「あぁ」

 ここで言い訳を口にするのも、彼女の性にするのも筋違いだ。

 形はどうあれ俺はこの陣営以外の女性に唇を奪われてしまったし、俺も客だからと言って拒まなかった。

「そう・・・」

 華琳は指先で俺の頬をなぞり、顎を掴んで自分の顔の方へと向ける。その手があまりにも優しく触れてきたことに驚き、華琳は心底楽しそうに笑っていた。

 華琳さん? 何でそんな悪戯を思いついた子どものように、それでいて当然の権利だとでも言うように笑っていらっしゃられるのでしょうか?

「では、消毒しなければならないわね」

 そう言って俺は、再び唇を奪われる。

 みんなの前だとか、見せつけすぎだとか、いろいろ言いたいことはあるが口は塞がれているため何かを言えるわけがない。

「それでこそ華琳様。

 我々を魅了してやまない、実にあなたらしい行動です」

「あっ! 華琳、ずっるーい!」

「これが! 格差社会か!!」

「・・・・羨ましい」

 周囲の戸惑いが伝わり、称える声、抜け駆けを責める声、落ち込む声、羨む声など多く聞こえてくる。

 だが、華琳を止めるような挑戦者(強者)はここには居ないだろう。

 何よりも最愛の女性との接吻を拒む男がいるだろうか。

 いや、いる筈がない。もし居たら、俺はそいつが本当に男かどうかすら疑う。

 唇が離れ、顔を赤らめることもなく、俺を見る華琳におもわず微笑んだ。

「華琳は嫉妬深いな」

「嫉妬じゃないわ。

 あなたは私の物であり、あの子たちも私の物。だからあなたはあの子たちの物であり、私達もあなたの物。あなたの所持者の代表である私が、他の女に匂いを付けられたあなたを消毒するのは当然の権利であり、義務だわ」

「あぁ・・・

 俺の全てはみんなの物で、華琳の物だよ」

 まるで子どものような独占欲をわざとわかりにくく告げてくる華琳に苦笑しながら、顎へと伸ばされていた手をそっと掴み、手の甲へと口づけを落とした。

「心から愛してるよ、華琳」

「私もよ、冬雲」

 華琳と見つめ合い、互いに笑みを浮かべて立ちあがる。

 多分これは嫉妬半分もあるんだろうが、俺が華琳の物であることの見せつけためでもあるのだろう。そんなことせずとも、俺は何を言われても華琳たちのところから離れる気なんてさらさらないが。

 立ち上がって周りを見てみれば、何故か膝をついて静かに号泣する北郷と、何やら眉間に皺を寄せて考え込んでいる王平と呼ばれた女性。

「どう見ても北郷と変わらないか若干年上にしか見えないのにこの落ち着きと熟年夫婦ぶり、そして何よりこの老成した風格。仮面で隠れてなおもわかる優しい眼差し、動きの一つ一つから伝わってくる鍛えられた体、行動から垣間見えるのは一途な愛と揺るがぬ信念!

 今回は被害者と言ってもいい状況下ですら女性を言い訳にせず、自ら罰せられるかもしれないところに踏み込む潔さまで持ち合わせいるなんて、あなたかっこよすぎでしょ!!

 しかも突然の口づけも拒むこともしなければ、流れるような動作で手の甲に接吻とか、超・う・ら・や・ま・し・い!!!

 この際、どうしてその年齢にもかかわらずそんな素晴らしい風格を所持しているのかなんてどうでもいい!

 こんな素敵な熟成された雰囲気を持つ男性に私が言うことはひとーつ!!」

 え・・・・ この人、どうすればいいの?

 結構いろんな人に会ってきたつもりだけどこんな人は初めてだし、しかもよく聞いてると自分の欲望だけで俺の重要機密も言える部分に無自覚に近づいてきてないかこの人?!

「北郷・・・ 苦労してるんだな・・・」

 この人と同じ陣営に居るってだけで、北郷が苦労しているだろうことが容易に想像できてしまい、樹枝や樟夏(弟たち)を見るような気持ちになってしまった。

 彼女からそっと目を逸らし、蓮華殿と甘寧殿へと視線を向けてみれば、何故か二人揃って頬を赤らめ、俺を見つめていた。何故だ?

 最後に舞蓮を確認しようとしたその瞬間

「冬雲ーーー!

 私にも接吻してーーー!!」

「この唇に今一度、貴殿の熱を感じさせていただきたい!」

 横っ飛びで俺の腰へと、二頭の虎が抱きついてきた。

 黄蓋殿、あなたはついさっきまで部屋の隅で芋虫みたいになっていたにもかかわらず、どうやってあれを解いたのかと疑問に思うが、そんなツッコミをしている余裕は俺にはない。

 腰を挟まれる形での強打(タックル)にわずかによろめくが、華琳が後ろにいる以上倒れるわけにもいかず、どうにか足を踏ん張る。意地で体勢を保つ俺へと追い打ちをかけるように、目の前で王平殿は膝を折り、真剣な顔をして口を開いた。

「生まれる前から好きでした!

 あなたの妾にしてください!!」

 だから、この人は一体何なんだよ?!

 発言の一つ一つが俺の想像の斜め上すぎて、心臓に悪すぎるんだけど?!

 でも一つだけ、はっきりと伝えておかなくてはいけないことがある。

「初対面である俺に好意を抱き、告白をしてくれるのは凄く嬉しい。

 だが俺はこの軍に、そして主である曹孟徳に全てを捧げているんだ。

 友となることは出来ても、この先どうなるかわからない現状の中で他陣営であるあなたの気持ちに応えることは出来ない。

 身勝手且つ守りきれる根拠のない契りを結び、あなたを縛る権利は俺にはない。それに・・・」

 真名を許し、あれほど言葉を交わし、触れ合う中でも俺は舞蓮にも唇を許していない。

 他陣営で唇を奪われたのは本当に今回が初めての事であり、俺はこの乱世が終わるまで他陣営の者とそうした関係になるつもりはなかった。

 互いに剣を向き合うかもしれない相手とそうした関係になってしまうことは、どちらにとっても好ましい状況ではないだろう。

「俺よりもっといい男に会えるかもしれないだろ?」

 笑いながら彼女の髪をそっと撫でると、まるで草木の若葉のように柔らかかった。

 発言はともかく短く揃えた緑の髪、明るく常に笑顔の絶えない楽しげな雰囲気。こちらへと向けてくる感情に裏も表もなく、とても心地よいもの。

 悪い人ではない、と俺の勘が告げていた。

「やっぱり私の目にも、勘に、嗅覚にも狂いはなかった!!

 私は決してあなたの妾になることを諦めな・・・」

「冬雲ー! 接吻! 接吻! せっぷ・・・」

「曹仁殿、その唇を儂に今いち・・・」

 どうしよう・・・ 俺、自分の勘に自信なくなってきたわ。

 なおも諦めずに俺へと詰め寄ろうとした三人の言葉は、三つの重なりなった鈍い音によって強制終了される。

 舞蓮は蓮華殿が、黄蓋殿は甘寧殿がそれぞれ一撃を入れていた。

「いったーい!

 母を()ったわねー?」

「えぇ、打ちますよ?

 行動があまりにも羨まし・・・ ではなく、目に余りますから」

「色惚け老将もとい黄蓋様。

 今後曹仁殿にこのような行動をするたびに、鈴の音が鳴ることを心に留めておかれるように」

「フンッ、思春も蓮華様も想いのままに行動しなければ、男になど伝わりはせんのじゃ!

 行動せずに後悔し、泣きを見ても知らぬぞ!」

「じゃないと、祭みたいに嫁き遅れるわよー?」

「「黙りなさい(れ)! この盛り年増共!!」」

 そんなやり取りをしながら、両隣ではもう一度鈍い音が響いた。

 一方、俺の前に居た王平殿の隣には雛里とよく似た服を身を包む一人の女性が立っていた。黒というよりも紺に近い髪色をした涼やかな印象を与えるその人は杖を軽く払った後、自然な動作で俺と華琳へと深く頭を下げた。

 足が悪いのか右足に体重をかけないように杖をつき、杖に描かれた意匠に目がいってしまう。水仙と檜扇、まったく共通点のない・・・ いや、毒と薬という意味では真逆ともいえる花がそこには描かれていた。

「突然の訪問と入室、そしてこちらの主と同門の者が大変ご迷惑をおかけしているようで申し訳ございません。曹孟徳殿、そして乱の英雄・曹子孝殿。

 私の姓は法、名は正、字は孝直と申します。現在平原の地に身を置き、劉備、そして白の遣いの元にて客将として仕えている者。

 正式な謝罪は後日こちらから出向きますので、今回はこのような簡略な挨拶をお許しください」

「これはご丁寧に。

 迷惑をかけたって言っても大したことじゃなかったんだし、謝罪とかあまり気にしないでほしい」

 俺の唇奪われて、詰め寄られて、告白されて、大騒ぎになっただけで、誰も怪我もない。誰も謝る必要なんてない、というのが俺の結論だった。

「これほどの騒ぎになったにもかかわらず、何もなかったと?」

 真意を探るようにする彼女の目を、俺はまっすぐと見つめ返す。

「俺の幕で個人的に騒がれた程度、どうと言うことはないさ」

 彼女もまた俺を見つめ返し、髪と同色の瞳は俺を見定めているようだった。

 しばし見つめ合った後、彼女がほんのわずかだが微笑んだように俺には映った。そして俺たちから背を向け、呟いた。

「あなたとはいずれ立場も関係なく、会話をしてみたいものだわ。曹仁殿。

 いいえ、曹孟徳に愛されし赤き天の遣い殿」

 俺は後半の言葉の意味が分からず首を傾げてしまうが、背後で華琳が笑ったような気がした。

 彼女は右手に杖をつき、左手で王平殿を引きずりながら、いまだに蹲って静かに涙を流していた北郷へと近寄り、一切の容赦なく杖を振り下ろす。

「いっだあぁぁぁーーーー!」

「他人様の幕で、あなたは何をやっているのかしら? 北郷。

 付け加えるのなら、一陣営の主を務める者がそのような姿勢であることがどういうことかもよく考えるといいでしょうね。

 それと平の脱走まではかろうじて許しにしても、回収が遅すぎる。

 私はあれほど平を押さえるのは縄でなく、鎖を用いなさいと言った筈だけれど?」

 冷ややかに注意と正論と忠告を混ぜ合わせた言葉で北郷と話し始める彼女を見送りながら、俺は最後に視線を華琳へと戻した。

 さっきから何も発言しないことには、正直嫌な予感しかしていない。

「華琳?」

「ふふっ、孫権もなかなかいい感じに育っているわね。

 やはり跡取りという責任を持たざる得ないからかしら? それともあなたに出会ったからかしら? とてもいいわ。

 個性的且つとんでもない行動力を見せた王平、法正の頭の回転と大胆な行動も素晴らしいものね。

 香り高い南国の果実のような孫権、若木のようなしなやかさを持つ王平、儚げでありながら凛と咲く法正。

 よりどりみどりの花々に、魅力的な肢体。実にそそられるわね」

 華琳の目は、被食者の成長を待つ捕食者のものだった。

「華琳、よだれよだれ」

「おっと・・・」

 あの華琳が俺一筋なわけがなく、むしろ趣味嗜好はかつてよりも広がりをみせ、留まるところを知らない。

 だが正直俺のことしか見ない華琳なんて想像出来ず、この節操のなさに安心感すら抱いてしまう俺も大概だと思う。

「欲しいわね、全部まとめて」

「無茶言うなよ・・・」

「不可能を可能にしてこそ、行う意味があるわ。

 それに今すぐでなくとも、いずれ全てが私たちの元へ揃えばそれでいい」

 どこまでも先を、この中の誰よりも華琳は前を見ているのだろう。

 本当に、華琳らしい。

 なら俺も、その視線の先を共に見るだけ。そして、前を見る華琳の支えとなればいい。

「曹操殿、私達はこれで失礼いたします。

 それで・・・ その・・・」

 言いにくそうに華琳へと礼をしながら近寄る蓮華殿の手の先には、俺の荷物にかじりついてまで離れるのを拒む舞蓮の姿があった。

 流石に俺でもその恰好はどうかと思うぞ? 舞蓮。

「わかっているわ。

 あれはこちらが責任を持って預かっておきましょう。

 ただ、余りすぎたことをしていると手が出るかもしれないけれど、それは許して頂戴」

「ありがとうございます。

 というよりも放っておくと付け上がりますので、遠慮なく」

 蓮華殿が最初に出会ったころよりも、大胆になってる気がするのは俺の気のせいだろうか?

「冬雲殿」

 華琳から視線を俺へと変え、蓮華殿は俺の手を握り、見つめてくる。

「母でも、姉でも、父でもなく、私は私になります。

 そして、他の何者でもない『蓮華』として、あなたを振り向かせてみせます」

 それは彼女の一方的な宣言だった。

「それまではあなたとは、この距離で」

 そう言って彼女は手を離し、甘寧殿と共に己の陣へと戻っていった。

 彼女たちの後姿を見送りながら、俺は呆然とすることしかできない。

「ふふっ、次から次へと大変ね? 冬雲」

 楽しげにからかう華琳の声に俺は何も返すことが出来ず、ただ肩をすくめて苦笑するのみだった。

「それはそうと華琳、洛陽に向かった樹枝は今どうしてるんだ?」

 空気を誤魔化すように、俺はここに居ない樹枝の事を尋ねる。

 洛陽に行かせることは聞いたが、それ以降のことを俺はまったく知らず、知っていそうな桂花や秋蘭に聞いても、何故か笑うだけで教えてはくれなかった。

 まぁ、洛陽に居るなら酒屋にでも行けば霞に会えるだろうと思って手紙は渡したけど、俺が知っているのは司馬家の推薦を使ってある仕事へと捻じ込むということぐらいだ。

「洛陽の都で女官をやっているわよ?」

「はっ?」

 今日何度目かの信じられないことに、俺はおもわず問い返す。

「冗談のつもりだったのだけど本当に採用されてしまうのだから、凄いものよね?」

「まさか・・・ いつだかみんなが大笑いしてたのって、それか?!」

「えぇ、そのまさかよ」

 男にもかかわらず、女官として働いている時点で嫌な予感しかしない。

「樹枝の奴、無事だといいけどな・・・」

 洛陽の状況のわからない俺にはここで全力を尽くすことと、弟とまだ再会を果たしていない想い人達の無事を祈ることだけだった。



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39,洛陽にて 【華雄視点】

「変態が!」

「恋殿に!」

「近づくなです(でござる)!!」

「ちんきゅーきぃーっく!」

「高! 順! ぱんち!!」

「ただ挨拶しただけなのに、理不尽だーーー!!」

 午前の鍛錬を終え、街で適当に食事を済ませてきた私の目に飛び込んで来たのはもはや日常の一部となってしまいつつある光景。

 おもわず溜息をつきながら、眼前へとまっすぐ飛んできた荀攸を後ろに数歩下がることで回避する。

「受け止めてくれたっていいじゃないですかぁーーーー!」

「飛んでいる最中に叫ぶ元気がある奴に、気遣いなど不要だ」

 叫びながら通り過ぎていく荀攸へと短く返しながら、私は吹き飛ばした当人たちへと目を向ける。

「か、華雄殿?!」

「んな? 何で華雄がこの時間にここに居るのです?!」

 私が視線を向けると二人は何故か驚き、表情を硬くする。それはおそらく私が怒っていることが顔に出ているからだろう。

「芽々芽、音々音」

 私が呼べば二人はその場で直立姿勢となり、ガタガタと震えだす。

 よく見ればその傍には恋もいるが、私が怒るところまでが日常の一部だとでも言うようにセキトと共に欠伸をし、壁に寄りかかり日向ぼっこに興じていた。

「荀攸を飛ばすのはかまわんが、室内で飛ばすのはやめろと私と千里が何度も言っている筈だが?

 今通りかかったのが私だったから良かったものを、月様や詠様だった場合どうするつもりだ!」

「月殿はいろいろな意味で心配無用かと・・・」

「珍しく芽々芽に同意なのです・・・」

 二人がぼそぼそと言った言葉を鋭く睨みつけて黙らせると、恋がふいに立ちあがって私の裾を引いてきた。

「華雄・・・」

「恋、どうした?」

「おなかへった・・・」

 言葉を追いかけるように腹の音が鳴り、恥じるように顔を赤くして下を向く姿は正直とても愛らしく感じられた。

 察するに恋が昼に行こうとしたところに荀攸と鉢合わせ、軽い世間話をしていたところに恋を探していた二人が通りかかり、問答無用に飛ばしたのだろう。

「はぁ・・・・

 大方、荀攸も余計なことを言ったのだろう」

 再び溜息を付き、心配するように私を見る恋を安心させるためにそっと頭を撫でる。

「芽々芽、音々音。

 今は恋に免じて見逃してやるが、次に同じことがあった場合はわかるな?」

「しょ、承知!」

「き、気を付けるのです!」

 私はあまりこういうことをしないんだが、今回は仕方あるまい。

 姿勢を正して、何度も頷く二人を見ながら、恋の背を軽く叩いた。

「なら、食事に行って来い。

 大通りは何かと混む、人には気を付けろ。

 それと芽々芽、準備は出来ているだろうな?」

「その辺りに抜かりはござらん。

 食事から戻り次第、すぐに出立できるようになっているでござる」

「ならばいい。

 それから、これで好きなだけ食ってくるといい」

 それだけ確認を済ませ、私は懐から財布を投げる。

 仕方がないとはいえ、しばらく三人で食事をすることは出来ないのだ。ならば少しでも長く三人で昼を過ごしてきても、この陣営に野暮なことを言う者は誰一人としていない。

「華雄・・・・」

 最後に恋がこちらを振り向き、ほんのわずかだが口元をあげ、笑う。

「ありがと、大好き」

 三人を見送り慣れない言葉におもわず動きが止まってしまい、あげたままの手が中途半端に宙をさまよった。

 行き場のなかった手を顔へと当てると顔が熱く、自分が照れていることを自覚した。

「どうかしたんですか? 華雄さん。

 顔がありえないくらい真っ赤ですよ? 熱でもあるんじゃないんですか?」

「顔を見るな!

 その一言が余計だから、お前は毎度飛んでいるのだと自覚しろ!」

 先程飛んでいった筈の荀攸が私の傍へと寄ってきていらん一言を言い放ち、挙句顔を覗こうとしてきたので思わず手が出てしまう。

 無論、誰にもぶつからないように配慮し、左にあった壁へと荀攸の頭を叩き付ける。

「理不尽!」

 荀攸が復活するまでの間にどうにか顔の熱を散らし、改めて荀攸を見る。

 女官として勤める経緯は千里から聞いているが、何故仕事についている今も女性の服を纏っているのだろうか?

 というより、女の私よりも女官服が似合うという事実が純粋に腹立たしい。

 私がほんの戯れで試しに着た際は肩幅の性で似合わず、誰かに見られる前に早々に着替えてしまった。しかしそれを千里に見られてしまい、笑うこともなく、普通に露出度の高い服や可愛らしい服装を進められてしまうという珍事になってしまったが、それは今はどうでもいい。

「まったく・・・ お前はその余計な一言と、女装癖がなくなれば、人材としてはまともに使えるというのに。

 大体、趣味ではないと言い張るのなら、どうしていまだに女官服を着て仕事を行っている?

 それではいくら否定しても、お前が変態だということを広めていくだけだろう」

「華雄さん! 褒めるのなら、最後まで褒めてくださいよ?!

 というか、僕が変態だということは確定しているんですね!」

「お前は、今の自分の姿を姿見で見直して来るといい。

 そこにはきっとどこに出しても恥ずかしくない美少女がいるが、本来の性別を知った時、どこに出しても恥ずかしい変態へとなり下がるぞ」

 小柄な体、整った顔、栗色の髪は優しげで、ややたれ目。

 男でありながら不本意なことにその容姿は十分愛らしい。そしておそらく千里が選んだであろう女官服は足を露出するように短めに作られ、緑を基調とした服の中に淡い紫の花が散りばめられていた。

 女らしくない私にはいっそ妬ましくなるほど、完璧な女性だった。

「チッ、似合っていることがまた腹立たしい」

 女性らしさの欠片もない自分のことなどとうの昔に諦めたが、流石の私であっても異性に女らしさに負ければ、悪態が出ても仕方がない。

「まったく嬉しくない嫉妬、ありがとうございます!

 ですが何度も言いますけど、僕はこの服を好き出来ているわけでないですから!

 徐庶さんと張遼さんがわざわざ自分の権力を使って、この服じゃないと城の中に入れないように徹底したせいなんですけども!?」

「それはなんというか・・・・ 止められなくてすまなかった」

 荀攸を採用にするにあたって行われた会議の一部を思い出し、おもわず謝罪する。

 月様はそう言ったことを個人の自由とするし、詠様は千里や霞の口車によって軽く乗せられてしまう傾向が強い。しかもそれが千里によって人材としての有能さを説きながら、霞によって連合に参加しそうな軍の一部の情報が得られることの優位性を語られれば断る理由などないだろう。

 人材という重要な話であったためにそのことに目がいってしまい、服装などという些事は頭の片隅へと追いやられ、おもわず全員が頷かざる得ない状況にされてしまったのだ。

「ここはいっそ笑ってくださいよ・・・

 真剣な顔をして謝られたら、むしろ悲しくなりますから・・・」

 落ち込んだ声をしている荀攸へとさらに声をかけようとした瞬間、遠くから規則的な音を立てて千里が駆けてくるのが見える。

 相変わらず、軍師とは思えぬほど軽快な音をたて、走る姿はどこか美しさすら感じてしまう。全体で動く軍には向かない軽装備の個人で動くためだけの動きであり、武には精通こそしていないが自衛は出来ることがその動きに現れていた。

「やっほー、華雄。珍しいねぇ、攸ちゃんと一緒に話しこんでるなんてさ。

 それで泗水関に行く準備は出来てる?」

「あぁ、心配はない。

 芽々芽の準備も出来ているとのことだ、日が暮れる前には出立できるだろう。

 それよりも千里こそ平気なのか?

 装備や兵糧など、出立に関わるほぼ全て千里の担当だと聞いているが・・・」

 詠様と音々音が得意とするのは軍事であることに対し、千里は人事や経理など他全ての文官の仕事に精通している。それでいて軍事が出来ないというわけでもないため、ここの所部屋以外の場所で見かけることも少なかった。

「へーき、へーき。

 あたしの仕事って結構雑務が主だし、どれも大した内容じゃないから。

 それに攸ちゃんがいるから、多少は楽させてもらってるしねー。

 あとごめん、王允からの兵断れなかった・・・」

 明るく笑って言いながら、その目元には暗い影が落ちていた。

「兵が増えるならかまわんが、それがどうかしたのか?」

「いやぁ、ちょっとねー・・・・ 何もなければいいんだけど・・・」

 言っている意味が分からず、私は首を傾げる。

「その時は私が何とかするしかないか・・・」

 そう言って千里は、儚げに笑った。

 こいつはいつもそうだ。

 笑って平気で嘘をつき、その嘘はいつも周りへの気遣いばかり。何があろうと冷静を心がけて一見は一歩引いているように見えはするが、誰よりも早く次の行動を移すことを考えている。

「それよりもさ、結構しんどいとこだと思うよ? 泗水関。

 今頃反董卓を掲げた大陸中の領主たちが一か所に集まってきてる中で、最初にぶつかる関を華雄に守ってもらうことになる。

 で、攸ちゃん。

 一番最初に出てくるのは、どこからだと予想する?」

 私が何かを言おうとする前に話題を替え、いつの間にか復活を果たしていた荀攸へと話を向ける。

 しかし、こいつの体はどうなっているんだ?

「まず間違いなく勢力の中で弱小の平原の劉備・白の遣いが先陣をきってくるかと思われます。

 理由としては位が低いこと、新参であること、そして新参ゆえに早々に手柄を得ようとするのではないかと」

「平原の劉備かぁ・・・ 黄巾の時もどたばたしてたからなぁ。

 てか攸ちゃんが意外と詳しくて、千里さんびっくりなんだけど?」

 軽い口調、ふざけたように笑いながら赤い三つ編みを揺らす千里はどこか真剣な目で荀攸を見つめていた。荀攸が元の所属である曹操軍ではなく、こちらの陣営として戦うことは先日の話し合いの場にて明らかになっている。

 『己として選び、行動していく』と宣言した姿には、普段の姿からは想像出来ぬほど男らしさを感じ、悪くないと思った。

「黄巾兵との小競り合いの際、少々劉備と曹軍にて関わりもちまして。その時、僕は現場に居なかったのですが、義兄弟関係でいろいろありまして、個人的な恨みを抱いているんです。

 特に関羽とか言う偃月刀の使い手にあたった場合は、遠慮なく叩き斬っちゃってください! 華雄さん!」

「そ、そうか」

 もはや清々しいほどの笑顔で言い切る荀攸に、私は若干顔を引き攣る。反論や大声で叫ぶことこそ多いがあまり怒らないこいつを怒らせるとは、その陣営は一体何をした?

 というよりも、個人名を言われても乱戦となることが主な戦場ではあまり意味がないのだが?

「んじゃ、反対にいろんな陣営がいる中で攸ちゃんが警戒するのはどれ?

 いっぱいいるよねー、今回。

 二つの袁家、曹操、呉の孫家、幽州の公孫賛、まだ日が浅い劉備。まぁ、正直西涼の馬家は予想外だったけど」

 指を立て、現在判明しているらしい陣営の名をあげ、最終的に涼州にて親交すらあった馬家まで出てきたことに私は驚きを隠せなかった。

「馬家までもか・・・」

「まぁ、断ったら面倒なことになるだろうし、あんまり前に出てこないとは思うけどね。

 狭い関攻めるのに馬使う馬鹿いないだろうし、一つだけ方法あるにはあるけどその方法は馬を道具としてみるような酷い方法だしなぁ。

 とにかく、攸ちゃん的にはどこが一番危なそう?」

 千里が再度問い直すと、顎に手を当てて考えていたらしい荀攸がゆっくりと口を開いた。

「自分がいた陣営且つ身内贔屓がないとは言い切れませんが・・・」

「そりゃ、曹操軍やろ」

 荀攸の言葉にかぶせるように千里の肩に腕をからませながら、霞が突然降ってきた。

「ちょっと待て、霞。

 お前はどこから来た? そして、どこに居た?」

「そこの梁の上やで?

 今日はウチの部隊は特にすることあらへんし、ここでみんなを見とったんよ。

 まぁ、どっから見てたかは言わへんけどな」

 にやにやと笑いながら私を見てくることから察するに、最初から眺めていたのだろう。本当に質が悪い。

 千里の肩から荀攸へと視線を向けた霞は、さらに楽しそうに尋ねる。

「んで? 誰が一番強そうや?」

「夏候惇殿、夏侯淵殿などの武将筆頭は言うまでもなく、位こそ下の方ですが楽進殿、李典殿、于禁殿も皆それなりの武を持っています。

 また、今回前線に立つことはないと思われますが、私の義理の兄でもある曹仁の行動は読み切れません」

 夏候惇、夏侯淵、曹仁は曹操の配下の中でも有名だが、他三名は聞いたこともない。千里も同様のことを思っていたのか、何度も頷き納得していた。

「付け足すのならば、司馬の者とはぶつかることは避けてください。

 彼女たちは武人ではありません。そのため勝つことに手段を選ぶことはありませんし、一人一人が相応の実力者でありながら、影はいくつにも分かれます。

 兄上同様前線に出ることはないでしょうが、特に司馬仲達にはご用心を」

 司馬家、か。

 荀攸から挙がった将の名を覚えつつ、私は霞へと視線を向けた。

「夏候惇・・・・ えぇな、戦いたいなぁ。

 んでもって、勝ちたいなぁ」

 ぎらぎらと目を輝かせ、そこに居るのはまさに鬼神。

 鬼のように血を求め、神のように背の者を守る。恐ろしくも、その恐ろしさすらも神々しさと錯覚させてしまう存在がそこには居た。

 どこまで行っても、我々は武将が考えることはみな同じか。

「フム・・・

 だが、向かってくるというのならば、誰であろうと全力で相手をするのみだ」

 どれほど直そうとしても、強者と戦うことへの高揚感があるもの。それは武将の(さが)であり、宿命と言ってもいい。

 だが今はそれ以上に、守りたいものがここにある。

 主を、友を、仲間と呼んでくれる者たちの盾に、私はなりたい。

「張遼殿、華雄殿? どうしてやる気満々です!?

 ここでは普通、警戒して牙はしまっておく所でしょう?!」

「あほか、荀攸。

 そんなんで怖気づいて、尻もちついてもしゃーないやろ。

 相手はもう向かって来とるんや。なら立ち向かって、ヤバそうになったら逃げればえぇ。

 重要なんは逃げる時を見逃さんことと、その瞬間まで勝つことを信じることや」

 荀攸の言葉を斬って捨て、霞は断言する。

 負ける気で戦いに挑むものなど、どこにもいない。

 たとえ不利な状況下であっても、立ち向かう以外の選択が許されない今であっても、私達は死ぬ気も、負ける気もありはしないのだ。

「今回はみーんな必死だろうしなぁ、なんて言ったって今こそ大陸に自分がいるっていうことを示す最大の好機だし。

 あー、やだやだ。あたしら、乱世の生贄?」

 千里はその場の空気を換えるようにわざと大声で言いながら、笑う。

 だがその目は、笑ってなどいなかった。

 ただで食われてやる気も、全てをくれてやるつもりもないと目が語り、千里が普段から装備している足の装具が叩いて軽く音を立てた。

「そうはさせんさ、絶対にあの方を守る。

 ・・・では、私はそろそろ隊の者たちのところへ戻る。

 洛陽と虎牢関は頼んだぞ、それと・・・・ 私にもしものことがあった時は月様たちを任せた」

「「華雄」」

 私が背を向け、言葉を言い放った後、二つの低い声と両肩にかけられた二つの手が私を止める。

 殺気ではなく、純粋な怒気。

 慣れ親しんだと言ってもいい気に、おもわず私の額には冷や汗が流れた。

 また、やってしまった。

「生き恥やら、武人の面子やらのために死んだら、許さへん。何度も言うてるやろ?

 生きるんが恥、死ぬことは誇りなんてあほなこと、ウチの前では誰であろうと言わさん。

 草の根かじってでも生き残りや」

「かーゆーうー?

 月を、詠を、恋を泣かすことはあたしが絶対に許さないって言ってるっしょ?

 華雄は『魔王の盾』、だけどその魔王()が盾が壊れてまで自分の身を守ることを望むと思う?」

 『魔王の盾』

 それは『魔王』と呼ばれている月様に合わせて名付けられたものであり、千里が私に贈ってくれた二つ名。

 名を貰うのはこれで二度目でが、どちらの名も私の最高の宝だ。

「わ、わかっている!

 あの方を泣かすようなことはしない!」

「ちゃんとわかっていますかー?

 この戦い終わったらみんなで酒宴するんですから、ちゃんと戻ってきてくださいよ。華雄さん」

 からかい半分で荀攸も加わり、私も思わず振り返り怒鳴った。

「お前はその恰好(女装)でだがな!」

「言われなくてもわかってますよ!

 どうか、御武運を!!」

「死んだら殺すでー」

 そうして同僚と友に見送られながら、私は隊の元へと向かった。

 友との約束を果たし、守るために、私は全てを守る盾となろう。



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 記憶持ちしモノ 【△視点】

だーれだ?


「今日は暖かい、いい日ですねぇ」

 ある部屋の一室からぼんやりと空を眺める白髪交じりの淡い金髪を揺らしたその少女は、窓から映る蒼天の空を見上げて微笑んでいた。

 老女にも、童女にも見える外見で浮かべる笑みは、若かりしときと何一つ変わることのないあどけないもので、そしてどこかつかみどころのない悪戯気なもの。

「そろそろ行きますかね」

 長い髪を揺らし、扉へと向かおうとする途中、何かを思い出したのか不意に立ち止まり、棚の上から見ていた俺へと手を伸ばす。

 耳らしき部位のない俺に話しかける彼女はいつものように俺へと触れ、定位置である頭に乗せて呟いた。

「今日もよろしくお願いするのですよ、宝譿」

 その言葉が『俺』という意識を持った日、相棒である風にかけられた初めての言葉だった。

 

 

 見慣れているようで初めて見る魏の景色を風の頭の上から眺めながら、ここ数年・・・ いやこれまでになかったと言ってもいいほど多くのところを自らの足で訪れていく風に、何か予感めいたものを俺は感じていた。

「風様ー、どこですかー!」

「おっと、こちらはやばそうですねぇ。

 あちらへ向かうとしましょうか」

 遠くで聞こえてくる声を避けるように足を向けて、時には警邏隊の者や町の人たちの手を借りて見つからないように行動していく風。

「ふふ、いつもならこの辺りで見つかってあげるのですが・・・ 今日だけは風の我儘を通させてもらうのですよ。

 それに今日はたくさん回るところがあるので、ちゃんと最後にはお城に帰るのでそれで許してほしいのです」

 旦那がいた時と何も変わらない悪戯気な姿、俺が『俺』となる前から見てきた相棒はいつものように笑う。

「宝譿には最後まで付き合って貰いますがねぇ~」

『おぅよ! なんて言ったって俺は、風の唯一無二相棒だからな!』

 風の腹話術によって答えとなる俺の言葉は、風の言葉でもあるが間違いなく俺の言葉だった。

 なんてったって俺は稟の嬢ちゃんよりも、旦那よりも風との付き合いがなげぇからな。

「ふふふ、風の相棒は稟ちゃんで、想い人はずっとお兄さんですから、宝譿は正確にはちょっと違うかもしれませんねぇ。

 宝譿は・・・ そうですねぇ、『もう一人の私』といったところでしょうか」

『おぅ?! 俺様、大出世だな!』

 それは変わった独り言だった。

 まるで誰にも聞いてほしくないと望みながら、誰かに聞いてほしいなんて矛盾するおかしな気持ちを吐露するように。

「まぁもっとも、稟ちゃんも・・・」

 風はさらに言葉を続けかけたが、結局話すことなく口を閉じた。

「さて、もう少し回るべき場所を回って、花でも買っていきましょうかね」

 花を買った風は俺を乗せて、ただ一人で歩いていく。

 愛しい魏国の街を見守りながら、もう共に時代を駆けた者が誰一人も残っていないこの大陸で、戦友たちが残した愛しい名残に追いかけられながら、風は何を思うのだろう。

 

 その後も、風は様々なところへ足を向けた。

 店主が代替わりした魏の将たち行きつけの茶店と飯店、魏国の王御用達だった菓子屋。警邏隊の詰所、服屋、川辺、屋上、執務室、玉座。そして最後に訪れたのは・・・

 

「お兄さん、入るのですよ」

 数度叩いて扉を開けた先は、やっぱり旦那の部屋だった。

 風は部屋の机へと抱えていた花束を置き、旦那の席へと深く座った。

「やっぱりここは、落ち着きますねぇ」

 何年経とうと埃一つ積もることなく綺麗に保存された部屋を、風は満足そうに見渡して目を細める。

「お兄さん、風は頑張ったのですよ」

 多くに置いて逝かれ、それでも多くを支え、最後の最後まで風は魏を、三国を支え続けたことを俺はずっと見ていた。

「支えきったのですよ」

 満足げに呟いて、目を閉じる。

 もはや旦那と実際に話した者は風しかいないこの大陸で、今なお旦那の名は語り継がれ続けている。

 街を守る警邏隊に、街を作る大工の商会に、人々の笑顔を作る一座に。

 旦那本人が橋渡しをした土地の碑に、旦那と関わった者の書にその名は刻まれている。

「そして皆さんも長短に差はあっても、懸命に生ききったのです」

 魏国の将の誰もが後継者を残し、基礎を創り上げ、勤め上げた。

 その最期は病に倒れた者、死期を悟って行く宛ても知らぬ旅へ向かった者とそれぞれだったが、誰もが皆、己から死を選ぶようなことはしなかった。

 風はそんな友人たちを誇るように胸を張り、そこに居ない旦那へと報告しているようだった。

「華琳様は最期に言っていたのです。『また、皆で会いましょう』、と。

 だから風は、少しだけ期待しているのですよ。お兄さんと会える次を・・・・ お兄さんと皆さんと過ごせる日々を。

 どんな場所でもお兄さんたちと、皆さんと居られるのなら、風にとってそれ以上の幸福はないのです」

 最後に華琳の嬢ちゃんが言ったあの言葉にわずかに期待を込めて、風は深く息を吸い込み、吐き出した。

「今日はたくさん歩いたので、風は疲れたのですよ。

 少し、眠るとしましょうかね」

 俺を頭から降ろし、旦那の机の上へと置いた風は綺麗に笑って、俺の頭部に触れた。

「宝譿もたくさん付き合って貰いましたからねぇ、本当にお疲れ様でした」

 風はそう言ってまるで眠るように安らかに、もう再び目覚めることのない眠りへついた。

 最後まで寂しいとも、悲しいとも、辛いとすら言うこともなく、満足げに風は自分の生涯を終えた。

 

 苦楽を共にし、死に別れても、再び出会いたいと思うのは果たして人だけなのか?

 そんなわけがねぇだろ。

 俺だって見てきたんだぜ?

 旦那の良いところも、スケベなところも、男を見せたところも、かっこわりぃところもよ。

 なぁ、風。

 次はありえねぇぐらい幸せになろうぜ。

 今度は俺も、俺としてそこに居るからよ。

 

 

 

「何、人の頭の上で黄昏てるんだ? 宝譿」

 白蓮嬢ちゃんの言葉に我に返った俺は、気持ちのいい青い空を見ながら、遠い日の名残りを振り払った。

「なーに、男にはどうしようもねぇ過去を振り返っちまう日があるもんなのさ」

 ある化け物どものおかげで俺は今ここに居るわけだが、それはまぁいつか話すことになるだろうよ。もっとも話しても楽しいかどうかはわからねぇがな。

「ふーん? お前、男だったのか」

「男かどうか見た目じゃわからなかったら、その心の在り様を見るんだぜ。白蓮嬢ちゃん。

 たとえ男に見えなくても、男らしさなんてもんは行動から溢れ出てくるもんなのさ」

「ふーん? よくわかんないけど、まぁいいか」

 白蓮嬢ちゃんらしいどこかずれた返事をもらいながら、俺は軽く周囲を見渡した。

 今俺は白蓮嬢ちゃんのお供をし、袁紹の嬢ちゃんのところに挨拶をしてきたところだ。袁紹の嬢ちゃんのところには前には居なかったちっさい坊主がいたけど、白の旦那のとこにも知らねぇ嬢ちゃんがいたからいろいろ違うっつうことはわかりきってるし、驚くことじゃねぇな。

「それにしても、麗羽は相変わらず楽しい奴だよな。

 私が来ても嫌な顔はしないし、高笑いとかはしててもちゃんと話は聞いてるし」

「・・・・嬢ちゃんはあれだよな、人に優しすぎるところが美点であり欠点だよな」

「そうか?」

 俺の警告を交えた一言に対し、嬢ちゃんは不思議そうに首を傾げるだけで意味を分かっていない様子だった。

 前の時に居たかどうかは知らねぇが、赤根嬢ちゃんの苦労が見えるようだぜ・・・

「それはそうと・・・ あの占いの件は一体どうなったんだよ?」

 嬢ちゃんは話を変えるように頭の上の俺へと話しかけつづけ、俺も俺で嬢ちゃんの尻尾みたいな縛り目に背中を預けて問い返す。

「占い? 管輅嬢ちゃんのか?」

「そうそう、あの白の使いと赤の遣いの・・・・ って、そっちじゃない!

 前に言ってた私に・・・ その、運命的な出会いがあるとか言う奴の方だよ」

「あぁ、そっちか」

 俺は半ば忘れかけていた件を話されたもんだから、おもわず両手を打って音をたてる。

 あの占いやる時は半ば覚醒状態にちけぇから俺自身適当に言ってるに等しいんだよなぁ。神のお告げっつうか、何かのお告げっつうか、風の知らせっつうか、考えるもんじゃなくて感じるもんなんだよな。

「そっちかって、まさかあの時適当なことを言ってたのか・・・?」

 声だけで落ち込んでいくのがわかる白蓮嬢ちゃんに俺は慌てて、否定する。

「そりゃねぇよ。

 適当なこと言ってたら、風とか稟嬢ちゃんがあれだけで済むわけねぇだろ。

 俺だって、言っていいことと悪いことぐらいの区別はつくぜ?」

 まぁ、白の旦那の方にゃそれがあんまりなかったみたいだけどな。

 旦那にそっくりな見た目して、まったく違うからたまげたもんだぜ。

「じゃぁ、あの占いは本当なんだな?」

「おぅよ! 俺様は、嘘はつかねぇぜ!」

 ただそれがいつかまでは、保証できないんだけどな。

 俺自身、風に会えるかもしれないと思って通りにあった適当な店に入って商品やってたけど、かれこれ十年ぐらい風を待つことになっちまったしな!

 あん時は辛かったぜ・・・・ 風が店を訪れて、俺を手に取ってくれた時は人目をはばかることも忘れて泣いちまったもんだった。風からは記憶が戻ってなかったからめちゃくちゃ怪しまれたし、そのせいで一から全部説明することになっちまったんだけどな。

「おい、宝譿?

 何で急に黙るんだ?」

「いや、何でもねぇよ。白蓮嬢ちゃ・・・ ん?」

 嬢ちゃんの返事を誤魔化しながら、俺が何かを感じて空を仰ぐとそこに見えたのは黒い点。嫌な予感がすると同時に、感じられた何かはあの占いの時と酷似していて、俺は一瞬判断に迷う。

 避けた方が安全だけど、ついでに何かの危機を与えてしまうような気がすんだよな。主に白蓮嬢ちゃんが結婚できるかどうかについて。

「んー・・・ でもなぁ」

「宝譿?」

 まだ気づいていない白蓮嬢ちゃんは不思議そうに俺の名を呼び、俺は腕を重ねて考えつつ、距離を測る。落ちてくる速さと、わずかに聞こえてくる悲鳴らしきものから考えて、これはどうやら人間っぽい。

 晴れ時々人間、すげぇ天気もあったもんだな。

 あっ、そろそろ距離的にまずいわ。こりゃまぁ、うん・・・ 賭けだな。

「白蓮嬢ちゃん、避けろ!」

 これで嬢ちゃんが避けられたら避けられたで、怪我がしなくて最善だし。

「はぁ? 突然何言ってんだ?」

 本気にとるわけねぇよな、俺だって信じたくねぇし。他人に言われたら信じない自信あるどころか、そいつの頭の心配すると思う。

 でも、本当に飛んできちまってるから、どうしようもねぇし。瓶を抱えて飛ぶことは出来る俺でも、流石に大人一人を何とかする力はねぇよ。

「上から人が降ってくるんだよ!」

 もし、これがあの占い通り運命の出会いだとしたら、嬢ちゃんにとっちゃきっと最高の出会いになる筈だ。多分きっと、おそらくは。

「そんな斬新天気があるわけ・・・・」

 俺が頭の上で飛び跳ねればやっと上を見た嬢ちゃんの目に飛び込んできたのは、おそらく突然降ってくる人らしきもの。

「本当に降ってきてる?!

 でも、避けたらあの人危ないよね?! 助け・・・ でも、私も避け・・・」

 あー・・・ 白蓮嬢ちゃんの人の良さって筋金入りだよな・・・

 普通は自分の安全確保するもんだっつうのに、相手も助けようとかするとかもう・・・ だから劉備に兵とか渡しちまうんだよ。まったく。

「わりっ! 白蓮嬢ちゃん。

 俺は先に離脱するわ!」

 下手な角度でぶつかって俺に付き刺さったらあぶねぇし、そのついでに嬢ちゃんも危なくないように軽く後ろへ引いておく。つっても、一歩か二歩ぐらいしか下げらんないんだが、脳天同士がぶつかるよりかはいいだろ。

 俺が離脱した瞬間聞こえたのはぶつかり合う音と、少しの砂埃が辺りに立ちこめる。

「おーおー、どんな勢いで飛ばされたんだか。

 嬢ちゃん、無事かー?」

 つーか、連合外から飛ばされてこない限りは方向からして旦那とか、華琳の嬢ちゃん所から飛んできてんだよな。旦那とかなんか妙なことが起きてなきゃいいけどな、主に風達の機嫌のために。

 そんなことを思いつつ、砂埃が落ち着いた現場を見ているとまず目に飛び込んできたのは華琳の嬢ちゃんを連想させる金髪長髪の優男。そして、その下敷きになるような形になった白蓮嬢ちゃん。

 目を回してるから嬢ちゃんが無事はわかったが、問題は優男の手の場所。

 白蓮の嬢ちゃんって昔から地味地味言われてるが、無い乳どもに比べりゃ胸はあるし、上下の均衡もとれてて、ぶっちゃけ美人だ。

 そりゃ華琳の嬢ちゃんたちみてぇに芸術的な美人ってわけでも、劉備の嬢ちゃんみたいな和む感じはねぇが、村に居たら軽く振り返るぐらいの美人ではあるわけだよ。

 つまり、だ。

「事故とはいえ、そんな女の胸触るのは犯罪だと思わねぇか。優男。

 つーわけで起きろ! ゴラアァァ!!」

 俺は叫びながら、偶然胸に手を置いてしまった男へと回転しながら突撃する。

 お前はあれか? 旦那か? 何、ラッキースケベかましてんだ?

 それとも日常的に接吻とか、触れ合いとか普通にしてた華琳の嬢ちゃんか?

「ごふっ!

 う、うぅ・・・ こ、ここは?」

 優男の背中に乗りながら、とりあえず事態を見守るに徹する。

 大抵の奴は俺が話しかけると夢扱いしやがるからな、白蓮嬢ちゃんの意識が戻るまではその方がいいだろ。

 つーか手、胸をさらに押してるんだが・・・

「はっ?!

 こ、これは失礼しました!!」

「ん? あ・・・・」

 とりあえず嬢ちゃんを下敷きにしていることに気づいたらしく優男はさっさとその上から退き、手をどけようとしたんだが、手をどけるほんの一瞬早く白蓮嬢ちゃんは目覚め、二人は互いに見つめ合い、二人して顔を真っ赤に染め上げた。

 おーおー、嬢ちゃんと髪色とおんなじ色になっちゃってまぁ・・・ 初々しいなぁ、おい。

「本当に申し訳ありませんでした!

 突然降ってきたこともですが、その・・・ 事故とはいえ女性の胸に触れてしまうなどと、本当になんと謝罪したらいいやら」

「い、いや、これは事故だからしょうがないし、そ、それに私の胸なんてあってないようなもんだから、別にそんないいもんじゃないなかっただろうし」

 おーい、嬢ちゃん? なーに、言ってんだー?

 それ、無い乳の奴らの前で言ったら呪い殺されんぞー?

「そ、そんなことはありません! とても柔らかで、その私は好きです」

 おーい? お前も何言ってんだー?

 んで、その会話で何で二人して頬染めてんだよ?!

 あー、もう。俺が独断でやっちまうか。

 この二人じゃ、いつまでもうこうして二人で見つめ合って動かないとかありえそうだしな。

「ヒューヒュー!

 もうお前ら、結婚しちまえよ!」

「はっ?! け、結婚??!!

 宝譿、お前一体何を言って・・・・」

 俺がヤケクソ気味に突飛な発言をすれば、予想通り白蓮嬢ちゃんが食いつき、顔をこれでもかってくらいに真っ赤に染め上げる。

 そんな嬢ちゃんを相手にせずに、俺は優男の肩に乗ってぽんぽん数度叩く。

「なぁ、優男の旦那。

 未婚の女の胸を事故とはいえ触っちまって、しかもそれが見も知らぬ自分を身を挺して救ってくれた女。それも見ている限り、お互い悪い印象も抱いてなけりゃ、むしろ好印象ときた。

 これはもう胸触った責任云々とか無しにして、旦那と嬢ちゃんを合わせる運命の悪戯だと思わねぇか?

 まるで見えない何かで繋がった縁に導かれるように、旦那はここに飛んできたんだぜ?」

「運命・・・ 縁・・・」

 もはやいろいろありすぎて麻痺しているこの事態の中で俺の存在はツッコまれることもなく、優男の旦那は白蓮嬢ちゃんを真剣な表情で見つめ、頷いた。

「胸を触った責任ではなく、私は・・・・ その」

 優男は一度顔に手を当て、何かをいおうとして迷っているようで、それでも懸命に言葉を探していることが俺にすら伝わってくる。

「知らない誰かを助けようとするあなたを・・・・ いいえ、違いますね・・・」

 何かを振り払い、飾ることをやめるように、優男の旦那はその場で声を大にして叫んだ。

「私、曹子廉は、名も知らぬあなたに一目惚れをしました!

 どうか私と、結婚を前提に付き合ってはいただけないでしょうか!!」

 それは一世一代の告白で、俺が優男の旦那を華琳嬢ちゃんの実弟だと理解したのはその数秒後だった。



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 反董卓連合 幽州陣営 【稟視点】

 幽州太守・公孫賛陣営の幕にて、私はただ今武具および食料等の管理の書簡を片付けています。

 現在、白蓮殿は袁紹殿のところへ挨拶に向かい、それの伴として宝譿を付き添わせましたが、果たしてあれに仕事を果たすことが出来るのかどうか・・・ 不安でなりません。

「まぁ、もっとも・・・ 私が問題とすべきはこちらの管理よりも今の勢力図の方なのですが」

 以前の私たちはこの戦には参加せず、どの陣営が芽吹くかどうかを風と共に見定めている最中であり、風の噂や商人に紛れながらこの乱を静観していました。

 この連合で特に注意すべき陣営は袁家、前回最後まで残った華琳様、孫家、劉備の三陣営。そして病に倒れたと聞いていた西涼の馬騰。しかも今回は娘ではなく、当主である彼女自身の参加とはこれも前回との差異ですか。

 前回との差異が生まれていることは赤根殿と知り合ったことで理解していたつもりでしたが、『臥龍』や『鳳雛』以外にも『麒麟』。他にも同門であり、彼女たちの先達にあたる他三名。

「知識はあてにならない、ですか」

 ですが、所詮はその程度。

 彼が帰ってくることへの代償がその程度で済むというのならば、私は喜んでこの苦悩と、苦難の道を歩むことでしょう。

 この程度彼のいないあの日々(地獄)に比べれば、どうということはありません。

「さて、こちらはこれでいいですね。

 そろそろ幕へと戻るとしましょう」

 なすべきことを終え、まとめられた書簡のみを持って立ち上がる。

 そして私は、風と星が待機しているだろう幕へと向かいました。

 

 

 

「こちらの仕事は終わりましたよ、風」

 幕を開けば、誰かを歓迎したらしき後があり、それを気にしつつも二人へと声をかけました。

「お疲れ様なのですよー、稟ちゃん」

「うむ、ではこちらにて白蓮殿の自室から持ち出した秘蔵の酒を飲むとしよう」

「流石は星ちゃん、抜かりがないですねぇ~」

「二人とも・・・・」

 何と言うか抜かりのない、本当に二人らしい。

 酒の飲めない白蓮殿が日々舐めるようにして少しずつ飲んでいた物を持ってくるとは・・・・ 白蓮殿が怒ることが目に見えるようですね。

「それはそうと、誰かが来ていたのですか?」

「えぇ、まぁ・・・」

「あぁ、劉備殿がな。

 以前のことを謝罪しに訪れていたが、当事者である白蓮殿が居なかったため再び来るそうだ」

 苦笑して言葉を濁した風とは違い、星はきっぱりと答える。

 それにしても、劉備ですか。

「そうですか・・・・」

「稟にとっては、劉備殿のことは面白い話ではなかったか。

 我々の中でもっとも劉備殿たちに手厳しく、嫌っているようだったからな。

 まるで親の仇でも見つけてしまったように、映っていたものだ」

 当たらずしも、遠からずといったところでしょう。

 本当に以前の記憶を所持していないのかと、疑ってしまうほどに星は鋭い。

 それにしても『親の仇』ですか・・・ 割り切ってはいるつもりなのですが、そう映ってしまいましたか。

「そんなことはないですよ、自分がかかわった仕事を横から掻き乱されれば不愉快でしょう?」

「ふむ・・・ そういうことにしておこう」

 当たり障りのない答えを出せば、星は目を細め、何かを察しているようでしたが深くは追及してきませんでした。

 が、星を誤魔化すのはもはや限界でしょう。

 いずれ冬雲殿から話があるとはいえ、そこに彼女がいると思うと・・・ まず間違いなく競争率が上がる。以前よりも彼の周りで咲く華は増えていることが前提でしょうし、そこに星が増えるとはいささか面白くない。

 かつてはとれていた二人の時間がさらに短くなるなど、それだけは避けなければなりません。

「稟ちゃーん、百面相してますよー?

 何を考えてるかが丸わかりですよー?」

「風・・・」

 話しかけてきた風に対して、私は今検討していた事案を口に出す。

「星をあの方に会わせないようにするには、どうしましょうか?」

「本人を前にして話し合うことか?!」

 星が驚愕していますが、私にとっては幽州の政よりも重要な事。

 特に私はかつてあの方と素直に接することが出来ませんでしたから、今度こそあの方との幸せな時を過ごしたいのです。

「あー・・・ どうしましょっかねー」

「風も検討するな!」

「でないと星ちゃん、出会いがしらに告白とか絶対にしそうですしー。

 それに仕方ない面もあるとはいえ、これ以上お兄さんの競争率を上げたくないんですよねー」

 やはり風も、同じことを不安に抱いていたのね。

 彼に出会った女性が彼に惹かれるのは自然の摂理とはいえ、無尽蔵に彼を想う者が増える事はやはり歓迎できないもの。

「思い切り私欲だらけの上に、言いたい放題だな!

 というか流石の私でも、いきなり告白などという非常識なことはしない!!」

「それはどうだかー。

 白蓮ちゃんも占いの一件がありますからねぇ、運命の相手がお兄さんである可能性もあるので油断が出来ないのです」

 それも確かに、その可能性は捨てきれません。

 彼は本当に、以前と変わらず・・・ いいえ、それ以上に優しく、大きくなられた。

 あぁ、早く再びお会いしたい。冬雲殿。叶うことならば、今すぐにでも飛んで行ってしまいたい。

「むぅ、確かにあれほど細やかな気遣いをされれば、悪い気はしないだろう。

 だが風、稟よ。先ほどから聞いていれば、自分達のことだけしか考えていないではないか?」

「聞こえないのですー」

「そうですが、何か?」

「聞こえないふりをするな! 風!!

 堂々と開き直るな! 稟!!」

 本当に二人といる事は楽しい。

 かつても共に旅していましたが、あの時は本当にわずかなときであり、同じ陣営に並び立つことなどなかった。

 ここに白蓮殿と宝譿、幽州を任せた赤根殿が居ればなおのこと心地よいことでしょうね。

 

 

「おぅ、ただいま帰ったぜ!」

「「「おかえり(なさい)、宝譿」」」

「あなたが言うんですか?!」

 口火を切ったのは宝譿であり、いつもならば突っ込みを入れるのは白蓮殿なのですが、何故か見知らぬ男性が突っ込みを入れていますね。誰でしょう?

 そしてその背中から顔を覗かせた白蓮殿の顔は赤く、熱でもあるのでしょうか?

「白蓮殿、熱でもあるのですか?」

「えっ?」

「顔が赤いですよ?」

 私が指摘をすれば白蓮殿は目に見えて焦りだし、手で顔を隠す。

「顔が赤いなんて、べ、べべ別に・・・・

 なぁ、別に何にもないよな? 樟夏殿」

「え、えぇ! 私が白蓮殿に告白しただけです!!」

「って、いきなり何を言ってるんだ!」

 照れ隠しでしょうか、白蓮殿の拳が男性の腹へと決まりましたね。

 なかなかお目にかかれない、体重の乗った素晴らしい拳でした。普段からこれほどの力を出せれば、他の諸侯から舐められずに済むのですが。

「うわあぁぁ、だだ大丈夫か?! 樟夏!?」

「大丈夫ですよ・・・ 愛する者の拳ならいくらでも」

 何でしょう。心の底から湧きあがってくるこの苛立ちは。

 隣を見れば風も同様の顔をし、笑っているように見えますが額には十字のような印が浮かんでいました。

「それで宝譿、これは一体何事だ?

 そして彼は何者なのだ?」

 星が我々を代表して事態を理解しているだろう宝譿に問えば、宝譿は白蓮殿の頭から星の頭へと飛び移ってぺしぺしと叩く。

「いやー、会っちまったんだよ。白蓮嬢ちゃんは。

 運命の相手、ってやつによ」

 宝譿の突拍子もない発言にさすがの私たちもしばし絶句し、いまだに二人だけの空間に入り浸り、桃色の風を撒き散らす存在へと目を落とす。

「風、いい加減あれ(宝譿)は替え時じゃないかしら?」

「買った時から呪われたようなものですしねー。

 いきなり泣き出すほどですし」

「そりゃねぇだろ?! 稟の嬢ちゃん! 風!」

 視線を宝譿に戻し、八つ当たり気味に指させば、風もほとんど同じような応対をしてくれました。

 何でしょう、私たちはしたくともできないことを目の前でされると羨ましく、妬ましい。

 一言でいうなれば、とてもムカつきますね。

「それで運命の相手だとして、どんな出会いだったのだ?」

「空から降って来たぜ!」

 宝譿の発言に対し、私たちが再び言葉を失っていると桃色空間から脱出した男性がこちらへと向き直りました。

 端正な顔立ちと、誰かを思い出させる金の髪。細い目つきの奥には、空のような青い瞳・・・・ まさか・・・

「そこから先は私に説明させていただきたい!」

「まだ二人だけの世界に行ってなかったんですかー」

「そのまま戻ってこなければよろしいのでは?」

「ひいぃ、な、何か怒りに触れるようなことをしましたか?」

 私と風が瞬時に切り返すと、真冬に冷や水を浴びせられたような声を出されましたね。まぁ、当然ですが。

「私は曹子廉と申します。

 曹孟徳の実弟であり、曹子孝の義弟。そして、先ほど公孫賛殿に婚姻を申し込んだ者です」

 三度言葉を失い、私と風、星は顔を見合わせました。

 華琳様の弟と言うだけでも驚きだというのに、その上冬雲殿の義弟。挙句、白蓮殿に婚姻を申し込んだ?

「風、劉備軍に確か医者が居たわね?」

「華陀さんですねー。

 腕前は確かと聞いていますし、患者がいるとなると飛んでくるそうなのですぐ来てくれることでしょう。

 じゃぁ、星ちゃん。お願いするのです」

「あぁ、そうだな。

 すぐに行って来るとしよう」

「どういう意味だ!」

 白蓮殿の突っ込みに対し、私は真剣な表情をして、彼女に詰め寄りました。

「白蓮殿、冷静に考えてみてください。

 曹孟徳様の弟であり、あの英雄殿の義弟が空を飛び、白蓮殿に婚姻を申し込むなど現実としてあり得ないでしょう」

「そ、それもそうだよな・・・・ 地味な私が婚姻を申し込まれるなんて」

 やはり白蓮殿はどこか論点がずれますね、白蓮殿の立場的にむしろ婚姻はいつ申し込まれてもおかしくはないのですが。

「白蓮殿が地味でも、婚姻を申し込まれることがおかしいのではなく、あれほどの大人物の弟に当たる方が『空を飛んでくる』という事態がおかしいのです」

「いや、あの・・・・ 空ぐらい日常的に、誰でも飛びませんか?」

「飛びません。どんな日常ですか」

 曹洪殿の反論を切って捨て、私はすぐさま言葉を返します。

 が、風が何かを思いついたのか、口を開きました。

「まぁ、それこそあれですね。

 力持ちな女の子たちが、思い切り空に向かって打ち上げでもしない限りは無理ですねー」

 まさか彼女たちが?

 ですが、さすがに立場も高い彼をそこまで飛ばすようなことをするでしょうか?

 年功序列とまでは言いませんが、年上などを彼女たちは敬うことが出来ていましたし。

「まさにそれです!」

「ハッハッハ、貴公は面白いことを言う。

 そのような人体実験のようなことをする者など、そうはいないだろうに。

 それとも飛ばされるようなことを、貴公がしでかしたとでも?」

「まぁ、その・・・・ そのようなものです」

 曹洪殿の目が泳ぎ、言葉を濁しましたね。察するに何かをした自覚はあるのでしょう。

 しかし、彼女たちが人を飛ばす理由、少々興味がありますね。

「あのー、すいません。

 公孫賛様が戻られたと聞いて、来たんですけど・・・」

 その場の空気を読まない発言へと目を向ければ、幕を恐る恐るめくっているのはあの劉備。

「おぉ、桃香。

 いらっしゃい」

「お久しぶり、白蓮ちゃん・・・ じゃなくて、公孫賛殿」

「おいおい、桃香。

 そんな他人行儀の呼び方をしないでくれよ、友達だろ?」

 相も変らぬ劉備への対応、本当にこれだから白蓮殿は・・・ 人が良すぎるのも困りものですね。

「うっわー、出来た人だな。本当にお前の友達かよ、馬鹿君主。

 あっと、申し遅れました。私は周倉、この馬鹿君主に仕える愛羅様に忠誠を誓う者です」

 周倉・・・ これもまた会ったことのない存在ですが、あまり劉備を敬っているようには見えませんね。

「その、さっきそこで聞いたんだけど・・・ 曹洪さんが白蓮ちゃんに結婚を申し込んだってその・・・ ほほほほ、本当なのかな?」

「おや、聞こえてしまいましたか。お恥ずかしい」

 何照れているんですか、この男は。

 そして劉備も、まずそこですか。

「スミマセン、サケバセテクダサイ」

「ん? いいけど、何をだ?」

「愛羅ちゃん、連れてこなくてよかったーーーーー!!!!」

「黙れ、馬鹿君主。

 他人様の陣営で何わけわかんねぇこと叫んでやがんだ、呆け」

 突然叫んだ劉備の肺の辺りへと、周倉と名乗った女性の拳が突き刺さる。ついでに言葉も突き刺さっていきますね。

 それにしても本当に容赦のない、君主に忠誠を誓っていない将などとは珍しい。以前はその逆、盲信者がいたのですが、彼女と出会った時どうなるかが見物です。

「何も、殴らなくてもいいんじゃない・・・? 紅火ちゃん・・・」

「うるせぇ、愛羅様の真名を大声で叫ぶんじゃねぇ」

「で、でもね、大事な妹のね」

「愛羅様は愛紗様の妹であって、お前の妹じゃねぇ」

「私に全く容赦ないよね! 紅火ちゃんって!」

「当然だろ?」

「当然なの?!」

「この馬鹿君主相手にしてたら、いつまでも話が進まないんで。

 公孫賛様、これが前回の一件に関しての謝罪の文書と、今後何かあった際協力等をすると明記した文書です。

 また、今回の連合内でも経済的に助力なども致しますので、何かありましたらご遠慮なくどうぞ」

 あぁ、ようやく本題へと入りましたね。

 なるほど、そのための訪問だったのですか。ということは、あの陣営も少しは進歩しているということでしょうか。

「別にそんなこといいのに、それに桃香とは友達だしな」

「本当に出来た人っすね、本当にこの馬鹿君主の友達なんすか?」

「おいおい、自分の君主をそうな風にいうもんじゃないぞ?」

「はぁ、まぁ・・・・ そう、っすかねぇ?

 あと、こっちがウチの客将である法正って人からの個人的な文書っす。

 んじゃ、お騒がせしましたー。おらっ、行くぞ」

「ひ、一つだけ、曹洪さんにお願いがあります!」

「は、はい? 何でしょうか?」

 頭を押さえられたまま、誰かにお願いをする人なんて始めてみました。新鮮ですね。

「妾を、妾を娶る際はウチの愛羅ちゃんをお願いします!!」

「はっ? 愛羅殿を妾?」

 劉備殿の発言に曹洪殿は戸惑っていますね、しかし曹洪殿と関平に面識があったとは。黄巾の乱の折でしょうか?

「なぁに言ってんだ! て・め・ぇ・は!!」

「で、でも、お姉ちゃんとしてやらなければならないことなの!」

「だ・か・ら! 愛羅様は愛紗様の妹であって、てめぇの妹じゃねぇつってんだろ!!」

「妹だもん! 義妹の妹は妹だもん!!」

「黙れや!」

 締め上げましたね、しかも片手の握力のみで。

 見所ある武将ですね、引き抜きたいくらいです。

「ウチの馬鹿君主が馬鹿なこと言って、すんませんでした。

 それじゃ連れて帰りますんで、失礼しまーす」

 ついに沈黙した劉備を引きずりながら、周倉はその場を後にしていきました。曹洪殿が何やらぶつぶつと言っているようですが、何でしょう?

「思う所があったあなたですが、今は不思議と同類のように感じて仕方がないです」

「何でだろうな、桃香。

 昔より親近感が増したような気がするぞ、同類的な意味で」

 なんですかこの二人は、夫婦ですか? 爆発してください。

 劉備が去ったところで私は改めてその場を見渡し、行動へ移すことを決意しました。

「風、このままでは埒が明かないわ。

 いっそ曹軍へと赴き、詳しい話を聞かせて貰ったらどうかしら?」

「それは名案ですねぇ~。

 どちらにせよ、ご挨拶には向かわなければなりませんし。ねぇ、白蓮ちゃん」

 私の発案に風が手を叩いて頷き、白蓮殿へと目を向ける。

「そ、そんなご家族に挨拶なんて」

 そして、何故か言葉の一部分に反応して顔を赤らめる白蓮殿が今は非常に腹立たしい。

「白蓮殿、陣営としての挨拶であり、ご両親への挨拶などではありませんからね?」

「わ、わかってるとも」

「そういう稟と風も、愛する者に会えるからといて浮かれぬようにな」

 私が白蓮殿に釘を刺せば、あらぬ方向から釘を刺され、私は風と一瞬だけ目を合わせる。

「ですね~、星ちゃんはこちらの陣営にお留守番ですもんねー」

「何故だ!」

「赤根ちゃんがいませんからねぇ、完全に陣営を留守にすることなどできないのですよ。

 星ちゃん、お留守番お願いしたのですよ~」

 風の言葉と共に私たちはそれぞれ曹洪殿と白蓮殿の手を取り、幕から飛び出して行きます。

 今、会いに行きますよ。冬雲殿。



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40,会議前 再会

 ついさっきまでの混乱はすっかり収まり、蓮華殿も北郷もそれぞれの仲間を連れて自分たちの陣へと戻っていった。俺たちも会議の前ということもあり、ひとまず自分たちの本陣で待機することが決まり、まだ眠っている白陽を灰陽に任せて自分の幕を後にする。

 俺が陣から出ることはあまりないだろうし、この連合がどうなるかわからない上、今後突然変わってしまう事態に備え、隠密である白陽たちをまともに休めるのは今だけの可能性も高い。

「はぁ・・・・」

 ようやく俺は本陣で腰を下ろし、人心地つくことが出来た。

「冬雲? どうかしたのか?」

 何かの騒ぎがあることは知らされているが、その内容をまだ知らないのだろう春蘭が不思議そうな目を向けてくる。

「あー・・・ さっきまでいろいろあったから、少し疲れてさ。

 でも、まぁ・・・ なんていうか・・・・」

 確かに精神的に削られるものはあったし、一歩間違えれば問題に発展しかねないようなこともちらほら存在していた。

 舞蓮に関しては他の陣営に知られてはまずいだろうし、それにより孫家とこちらが繋がりを持っていることが明らかになれば、他諸侯に目を付けられる可能性は非常に高かった。

 ただでさえ前回の乱で民に『英雄』と称えられ、『赤の遣い』という大陸の異端者()を抱え悪目立ちしているこの陣営が他との繋がりが明らかとなれば他諸侯が一斉に攻め込まれ、潰される危険性もはらんでいた。

 だが幸いなことに、その状況に陥ることはなかった。

 あそこにいる誰もがそんなことを気にすることもなく、あえて指摘するようなこともなく、笑い合う。

 各陣営のそれなりの身分にある者が集まり互いに叫んだり、泣いたり、怒ったり、笑ったり・・・・ 素の表情を、言葉を、想いを曝け出して、ドタバタ劇を繰り広げる。

 そんなこの連合にそぐわない、おもわず聞いたものが笑うことしかできない場があそこには生まれた。

「悪くなかった、かな」

 ひとときの偶然によって出来上がった混沌。

 まるでいつもの俺たちみたいに、誰も彼もが笑い合える空間。

 あそこにあったのは、間違いなく俺の理想に近いものだった。

「ふむ?

 まぁ、よくわからんが、お前がそういうのならよかったんだろう」

 よくわからなくても、俺の表情を見て納得してくれた春蘭に頷き、おそらく何があったのかをわかっている秋蘭がからかうような笑みを向けてくるが、今は見ないふりをしておく。

「この後は会議をして、その後は泗水関か・・・」

 泗水関と虎牢関、俺たちが洛陽に着くまでに突破しなければならない文字通り二つの関門。

 誰が配置されていてもおかしくはないし、関ゆえに攻め方は限られてくる。しかもこの連合は、あくまで他陣営が集まったというだけ寄せ集めに等しい状況、利害関係が一致しなければ協力しあうことにも積極的ではない。

 どの陣営が先陣をきるかによって、攻め方は大きく変わってくるだろう。

「だが、まず我々が先陣をきるということはないだろうがな」

 俺の言葉を秋蘭が腕を組みながら短く答え、洛陽までの地図を広げる。

 洛陽と書かれた場所から流れるように書かれた一本の線、そして凸とされている上には『虎』と『泗』という一文字のみが書かれている。

 その場にいる俺たち四人が地図へと目を落としながら、華琳は●で記されているおそらくは今の俺たちの現在地へと指を置いた。

「私達は黄巾の乱で有名になりすぎたわ。

 他諸侯たちからすればこれ以上民の支持が私達に向くことも、武功をあげられることも避けたいのが本音でしょう。

 乱戦でもない限り私達はこの戦で表立って戦うことは出来ないけれど、逆を言えば『ここに居る』、それだけで乱世に名乗りを上げるという目的を果たしているとも言えるわね」

 華琳は楽しげな笑みを浮かべ、地図の先にある何かを見るように目元を緩めていく。

 目的はそれだけじゃないことを無言で語り、その瞳は欲しい物が自分の手の届く場所に来た時の子どものような輝きを宿していた。

 俺たちが愛する彼女の、傍に居る者にしかわからない表情に俺はおもわず頬を緩め、見れば春蘭も秋蘭も同じような表情で華琳を見ていた。

「なぁ、華琳。それはそうと、樟夏はどこに・・・・」

「華琳様ー! すみません!!

 大切な報告があって来たんですけど、今大丈夫でしょうか?」

「つい、いつもの癖で樟夏の兄ちゃんを飛ばしちゃいましたー」

 あぁ・・・ 今の季衣と流琉の報告でいろいろと納得した・・・・

「あら、そう。

 また樟夏が何かを言ったんでしょうけど、ここは陳留ではないのだから気を付けなさい。

 二人には罰として、樟夏が戻ってくるまで樟夏の部隊のまとめること、それから書簡仕事よ」

「はい・・・ 申し訳ありませんでした」

「わかりましたー」

 何事もないように罰則を科し、樟夏の仕事の穴埋め作業を行う華琳の慣れが怖いです。

 でも罰則としては妥当であり、今わかっている範囲では最善の行動を指示するところは流石華琳。

 二人は言い渡されてすぐに幕を出ていき、流琉は一度俺を見て苦笑を浮かべてから仕事へ向かった。

 流琉が知ってるってことは、司馬八達による連絡網であの一件(黄蓋殿による接吻)は全員に知れ渡ってるんだろうなぁ。

「冬雲、しけた顔をしないで堂々としていなさい。

 それとも、私にもう一度消毒されたいのかしら?」

 華琳は俺の考えてることを察して、誘うように自分の唇へと指を当て、投げるように俺へと指を向ける。

 あぁもう! 可愛すぎだろ!!

「そ、それより樟夏がどこに飛んだか捜索しないとな。

 他の陣営に何かの被害を出してたら大変だろ?」

「曹操様、幽州の公孫賛殿がお見えになりました。

 挨拶とのことですが、如何なさいますか?」

 俺がそう言って立ち上がれば、まるで機を見計らったかのように兵の声が響く。

「こちらが出向くわ。

 行くわよ、三人とも」

はっ(おうっ)

 華琳の言葉に俺たちもすぐさま立ち上がり、その背へと続いた。

 

 

 

 華琳が前を歩く中、定位置である右側に春蘭、左側に秋蘭。そしてやや離れた右側に俺が続く。

 しばらくそうして歩いていると、まず見えたのは四つの影。順に金髪、濃い桃色、淡い黄と茶。

 ん? 金?

 て、あれ? なんか一人が突然走り出して、しかもこの進路って間違いなく華琳じゃなくて俺に来る?

 え? でも茶ってことは・・・・ 稟だよな?

 何で俺? 華琳じゃなくて、何で俺にそんな笑顔を向けてくれるんだ?

 その表情は華琳に向けてたものじゃぁ?!

「冬雲殿!」

「り、稟?!」

 俺の名を呼び、正面から両手を体にしっかりと回して抱き着いてくる稟を受け止める。こっちで最初に会った時もそうだけど、稟がなんだか前より変わっている気がして俺は少し戸惑ってるんだけど?!

「冬雲殿、私はもうあなたに言葉を言わずに後悔するのはごめんです。

 心からお慕いしています。愛しています。もう離れないでください、お傍に置いてください。この心と体の全ては華琳様と冬雲殿、お二人のものです」

 やや早口で放たれていく言葉の数々を避けることが出来る訳もなく、とりあえず稟を抱きしめ返した。

「稟が壊れた?!」

 突然駆けだした稟を追いかけて来たのだろう三人へと目を向ければ、そこに居たのは何故かいる樟夏と風、そしてもう一人おそらくは公孫賛殿であろう人へと目を向ける。

 ていうか、『壊れた』か・・・

 まぁ、普段の稟を見ていたら突然駆けだした上に、誰かに抱き着いたらそう思っても仕方ないか。

「やはり兄者ですか・・・

 というより、程昱さん。あなたも止めてくださ・・・・」

 呆れるような、慣れたような表情をして樟夏が風へと視線を向ければ、風はうずうずと体を動かし始め、稟も何かを察したかのように俺の右半分を開けるように左へと移動する。

「おにーさーん!!」

「おっと、緊急離脱の時間だぜ!」

 風が駆け寄ろうとした瞬間、宝譿が風の頭から公孫賛殿の頭に飛び移っていくのが見え、俺の腹に二度目の軽い衝撃と共に風が飛び込んでくる。

 今の宝譿に関していろいろツッコみたいところがあったけど、とりあえず置いておくとしよう。

「「お前もか!!」」

 二人の息のあったツッコミを聞きながらも、俺はゴロゴロと猫のように甘えてくる二人から手を離す気なんてあるわけがない。

「幽州の公孫賛とお見受けするわ、私は陳留で刺史を務めている曹孟徳。

 なんだか申し訳ないわね、こちらの曹仁がそちらの軍師を抱きしめてしまっていて」

 華琳? 俺、何もしてないってわかってるよね?

 その言い回しだと、俺が突然抱きついた変態みたいに聞こえるよな?

「いやいや、こちらこそ突然訪問するなんて失礼なことをしてしまって本当に申し訳ない。

 突然叫んだりしてしまって・・・ それに客将とはいえ、こちらの軍師二人が・・・」

「あなたが気に病むことではないわ、公孫賛。

 こうして顔を合わせるのは随分と久しぶりになるのだけど、彼女たちとは知り合いなの」

 華琳は公孫賛殿と軽く言葉を交わした後、優しげな眼差しを風と稟へ向けた。

「風、稟」

「は~い、お久しぶりなのです。華琳様。

 あの時、華琳様が言われた言葉の意味を風は今、噛み締めているのですよ~」」

「お久しぶりです。華琳様」

 俺に抱き着いたまま顔だけを向けて、華琳に可能な限りの頭を下げる二人は希少どころかあの時じゃありえなかった光景。

 後ろめたいような、気まずいような、恥ずかしさもあるけど、それ以上に嬉しくて、俺の顔は今みっともなく緩んでいるだろう。

「そのままでいいわ、二人とも元気そうで何より。

 稟は、随分素直になったわね」

「はい・・・・」

 稟の照れ顔、超可愛い・・・!

「冬雲、顔が大変なことになっているぞ」

 秋蘭から呆れたような声で注意されるけど、もうこれはどうしようもない。

 顔を元に戻そうとしても、久しぶりに会った二人とこうして触れ合っているだけで嬉しくてしょうがなかった。

「姉者、そして兄者も、そろそろ本題に入ってもよろしいでしょうか?」

 樟夏がちらちらと俺の方を見ながら窺ってくるけど、その視線はむしろ二人に頼む。俺は二人を振り払うことなんて絶対できないし、したくないからな。

「冬雲たちのことは放っておいてあげなさい。

 樟夏、あなたは先程季衣と流琉に飛ばされたと聞いたのだけど、どうして公孫賛と共に居るのかしら?

 そして、何故あなたが切りだすのかしらね?」

「それはその・・・・ 飛ばされた先に偶然白蓮殿がいまして・・・」

 何故か赤くなって口籠る樟夏の言葉の中には、おそらく公孫賛殿の真名らしきものがあり、俺は首を傾げつつ耳だけはしっかりと話を聞いておく。

 が、そんな中公孫賛殿の頭の上から笑い声が漏れ、俺はさらに驚愕し、その姿を確認してしまう。

 え? 宝譿は今、風から離れてるよな?

 前は腹話術で通ったけど、まさかこれも俺がこっちに来たから起こった変化だっていうのか?

「やっぱしあれは、ちびっこ嬢ちゃんたちが飛ばしてきやがったのか。

 華琳の嬢ちゃん、簡単に言うとだな。この嬢ちゃんが歩いてるところに突然曹洪の旦那が落っこちてきちまって、ついでに二人して『運命の恋』っつう抜けられない穴にも落ちちまったのさ。

 しかも胸に触るなんて旦那みたいな幸運なスケベをかましやがって、そんな珍事を前にしても二人揃って初心(うぶ)な空気をかもしやがったもんだからよ。俺がちーっとけしかけてみたら、告白までしちまいやがった。

 話を聞いたら華琳嬢ちゃんの弟だってんで、流石の俺も驚いたもんだったぜ。ハッハッハ」

「そう・・・ わかりやすい説明、感謝するわ。宝譿。

 あなたについても詳しく話を聞きたいところだけど、流石にそんなに時間は取れないでしょうし、今は追及しないでおくわ」

「あなたが説明するんですか?!

 というか、姉者もそれで納得しないでください!

 発言しているのが、この原理の良くわからない者なんですよ!?」

 ありがとう、樟夏。俺の気持ちを八割がた代弁してくれて。

 でも、出会いがしらに告白とか、一瞬『当たり所悪かったんじゃないか』と心配になってしまった兄を許してくれ。

 付け加えるのなら、どうやらそれを拒まなかったらしき公孫賛殿も。

「けれど、事実なのでしょう?

 あなたの隣で、火のように真っ赤に染まっている彼女自身が何よりの証拠ね」

「えっ? 白蓮殿?」

「おーい、白蓮嬢ちゃーん? 大丈夫かー?」

 華琳の指摘に樟夏が隣に並んだ公孫賛殿を見ると、真っ赤に頬を染め上げて樟夏を頼るように服の裾を掴み、頭上の宝譿にぺしぺしと何度も叩かれている。なんか立っているのすら精一杯っぽいな。

「ぱ、白蓮殿? 大丈夫ですか?」

「その・・・ あの・・・ こ、これからよろしくお願いします! お義兄さん、お義姉さん!!」

 その発言についに秋蘭が吹き出し、静かに肩を震わせ始める。春蘭は首を傾げ、とりあえず状況を静観することに徹しているようだった。

 秋蘭、気持ちはわかるけど笑いすぎだからな?

「お兄さん、白蓮ちゃんはとっても面白い子でしょー?

 基本的に真面目で、とってもお人好しでもあり、なんだか放っておけない小動物のような、おもわずからかって遊んでしまいたくなってしまうような人なのです」

「あぁ、風が普段どう接してるのかが目に見えるようだよ・・・・」

 主に風に遊ばれてるんだろうなぁ・・・ 趙雲殿はよく知らないけど、風に近いものを感じたし、稟も真面目な顔して悪乗りする時あるし。

 判断を仰ぐように華琳へと視線を向ければ、華琳は楽しげに、だがどこか嬉しそうに笑っている。

「あら、樟夏。

 彼女はあなたのことを本気だけれど、私はあなたの本気を見ていないわね」

 ん? 華琳?

 そこで樟夏を挑発するって、何をする気だよ?

「ふふっ」

 華琳は頭を下げる公孫賛殿の頭をあげさせ、その体へと触れようとした瞬間・・・

「姉者であっても、駄目です!

 彼女は私の妻となる女性であり、誰であっても・・・・ それこそ兄者であっても彼女を譲る気はありません!!」

 樟夏が背後から抱きしめる形で彼女を引き寄せ、俺はそんな独占欲を丸出しな樟夏の行動におもわず笑ってしまった。俺は華琳達ほど樟夏のことを見てきたわけじゃないけど、あの常にどこか諦めたような樟夏からは想像できないような行動や言動に溢れている。

 まるで華琳に出会ったばっかりの時の、天じゃ想像できないほどがむしゃらになってた俺みたいじゃないか。

「そうだよな」

「冬雲殿?」

「かっこつけたいよな、好きな人の前では」

 『大好き』なんて言葉じゃ満足できなくなった『愛する』という思いが、臆病な気持ちすら引っ込めさせて、ただ行動だけが前に出ていく。

「華琳、意地悪しないで認めてやれよ。

 こんだけ必死なんだ、本気なのはわかってるだろ?」

「ふふっ、そうね。

 欲しかったら、次は堂々と彼女を勝手に口説くとしましょうか」

 華琳が笑いながら言えば、秋蘭がその場からくっついたままの二人を眺め、にやにやと笑っていた。

「な、なんです? 秋蘭」

「いや何、お前のことを好きになる女が麗羽以外いるのかと思い、見ているだけだが?」

 麗羽? それって確か、袁紹殿の真名じゃなかったか?

 前もそうだったけど、華琳と袁紹殿の関係って全然知らないままなんだよな。

「ふむ?

 私にはよくわからんが、これが終わったら陳留で祝いの準備でいいのか?」

「「いわっ?!」」

「だな。

 婚儀までは行かなくても、婚約とかの手続きで必要な物とか用意しないといけないだろうし。

 とりあえず、樟夏。公孫賛殿。おめでとう」

 首を傾げながらも大まかな内容を理解していたらしい春蘭からもっともな発言が出て、俺も頷く。

 なんでか祝われる当人たちは驚いてるけど、自分たちが婚約とか言い出しておいて何を今更驚くことがあるんだろうか?

「詳細は今後、話していきましょう。

 もうそろそろ連合の会議が始まる頃でしょうし、準備が必要でしょうから一度陣へと戻りなさい」

「あぁ、ありがとうございます」

「安心なさい、樟夏にはしっかり責任をとらせるわ。

 私の可愛い義妹さん?」

「は、はひ! お義姉さん!」

 これから公孫賛殿の苦難が見えるようだなぁ。なにせ華琳の妹になっちゃうわけだし。もっともその苦労の分、楽しいことがあることも俺が保証するけどな。

「華琳様も弄ってますねぇ」

「白蓮殿は弄り甲斐がありますから、当然でしょう」

 そう言って俺にくっついたままの二人は、公孫賛殿を見送るようにしている。

「って! 何で二人はこっちに残ろうとしてるの?!」

「冬雲殿成分がまだ不足しているので」

「お兄さん成分が足りないと、生活に支障をきたすので貯めているところなのですよー」

「あー・・・ まだ旦那成分は二十パーセントぐらいしか貯まってねぇなぁ」

いつから出来た? 俺の成分。

 ていうか、どうしてわかるんだ。宝譿。

「二人とも、そうは言ってられないだろ?

 まだやるべきことがあるんなら、精一杯頑張ってきて、また会おう。

 どうせ、公孫賛殿と樟夏の婚約でいろいろと話し合う場はあるだろうしな」

「むぅ~、仕方ありませんねぇ・・・・

 あちらの仕事もありますし、今は戻りますか。稟ちゃん」

「非常に残念だけれど、あまり待たせて星がこちらに来ても厄介だものね。

 ですが・・・」

 二人は俺からしぶしぶ腕を離し、稟が視線で風に何かを合図する。

「「お兄さん(冬雲殿)」」

 二人が同時に俺の首元を引き寄せ、顔を挟まれる形で俺の頬へと唇が二つ触れる感触が残り、耳元へと囁いていくのは一つの愛の言葉。

「「心から愛しているのですよ(います)」」

 俺の顔は瞬時に熱くなり、すぐに離れていく二人を止めることも出来ず、二人は公孫賛殿のところへと並んだ。

 見れば公孫賛殿は樟夏のことをちらちらと見て、樟夏も戸惑いながらも意識しているのが垣間見える。だが、結局二人は何もすることはなく、公孫賛殿は一礼して去っていった。

 甘酸っぱい青春の一場面を見てしまったためか、俺は生暖かい視線を樟夏に向け、最早みんなからは喪失されてしまった初心な反応を懐かしく思っていた。

「接吻くらいすればいいのよ、意気地のない男ね」

「兄者と姉者が開放的過ぎるのですよ! 普通はこんなものなんです!!」

「開放的とかを初対面から告白した奴に言われても、痛くもかゆくもないなぁ」

「ククク、まったくだ」

「接吻に恥ずかしい事でもあるのか?

 むしろ嬉しい事だろう?」

 俺たちは準備のために陣へと戻る際中、そうしてずっと樟夏をからかって遊んでいた。

 



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41,会議にて

 あの後、俺たちは陣へと戻り、会議へ連れて行くのは俺だけであることを華琳から説明された。『英雄』の名で呼ばれている俺が出席することはわかっていたが、筆頭軍師である桂花を連れて行かないことに関しては少々驚いた。

 華琳曰く『私達が先陣をきらないことをわかっている現状で、あの子を会議に連れていく必要はない』とのこと。俺たちにとってこの会議は正式な顔合わせ程度で、且つ誰が先陣をきるかを聞くだけの場となる。

 史実とも、あの頃とも、何もかもが全て違う。

 一つとして前例のない今が、進んでいく。

 当たり前なのに、今は少しだけそれを怖いと感じてしまっていた

「冬雲、緊張しているのかしら?」

 連合の会議が開かれている幕の前で華琳が俺をからかうように笑い、俺はそれに肩をすくめて答える。

「こんな立場で誰かの前に立つことなんて、考えたこともなかったからなぁ」

 あの頃の俺は『天の遣い』という名すらあってないようなものであり、立場はまだまだ駆け出しの新米隊長。

 慣れない仕事に毎日がただ必死で、他諸侯なんて頭の端にだって存在しなかった。そんなことよりも自分の部隊をみんなの指示に従って、如何に誘導できるかばかりを考えていた。

「大したことじゃないわ、いつも通りにしていなさい。

 ただいつもの会議とは違って大半が見知らぬ者たちというだけで、その重要性もあまり変わらないもの」

 事も無げに華琳は言いきり、俺はおもわず苦笑する。

 他諸侯のことをそんな風に言いきれるのは、この大陸に果たしてどれほどいるだろうか。

「行くわよ」

「あぁ」

 俺たちが幕へと入ると檄文の送り主たる袁紹殿を中心に、連合に集った諸侯たちがそこに並んでいた。

 多くの諸侯が並ぶ中、やはり目を惹くのは袁紹殿、袁術殿、蓮華殿、劉備殿、公孫賛殿などの名立たる諸侯たちであり、その背後には副官である稟や関羽殿たちが控えていた。

 失礼のない程度に視線を向ける中、黒髪に少々白が混じり、髪を一つのまとめた女性が俺へと笑みを向けてくる。その後ろに控えるのは前回見たことのある馬岱殿から察するに、彼女が馬騰殿だろう。仮面越しに視線が合わさると、彼女はさらに笑みを深めた。

「遅かったですわね、華琳さん。

 皆さんの中でも最後に到着だなんて、一番を愛するあなたらしくありませんこと。

 勿論、このわ・た・く・しは一番に到着していましたのよ」

「えぇ、準備に少し手間取ってしまったの。

 私塾では私に次いでいつも次席にいたあなたに、たまには一番を譲ってあげたのよ。

 嬉しいでしょう? 麗羽」

 袁紹殿が笑顔で向けてきた言葉に華琳もにこやかに対応しながら、空いた席へと腰を下ろす。俺も全体へと一礼して、華琳の後ろへ控える。

 英雄と言えどこの場において大きな顔をすることなど出来ないし、するつもりもない。発言を許されるまで何かを言うつもりもなく、何より俺はあくまで華琳の将として扱われるべきだろう。

「かの英雄殿とお見受けしますが、これは連合の会議の場。

 面をとられ、顔を晒すのが礼儀では?」

 突然声をかけてきたのは、中央の袁紹殿に近い場所に座る髪の薄い男性だった。

 細い口髭を撫でつけながらこちらへと向ける視線は好意的なものではなく、俺は視線を向けながら用意しておいた答えを告げる。

「刀傷がありますので、わざわざ晒して皆様が不快に思われることもないでしょう」

 この傷を恥じてはいないし、醜いなどとは思わない。だが、わざわざ傷を晒し、見せびらかすものでもない。

 だが、顔を隠していることに『意味があるか』と言えば、それもなくなりつつある。

 当初こそ北郷と似ているため顔を隠していたが、いかに顔つきが類似していても、髪の色と顔の傷、鍛えてることから体格も俺の方がごついし、ほとんど別人になってしまっているのが現状だった。仮に似ているように見えたとしても、それは精々親類に見られる程度だろう。

 俺が現在も顔を隠し、傷を晒さないのは他の者たちに不快な思いをされないことへの配慮でしかないのだ。

「ほう? 貴殿はたかが傷一つで、顔を晒すのが嫌だと?

 戦を前にして立ち向かう我々が、傷など気にする筈がないというのに」

 嘲笑するように笑う男に対して、一部の名も知らぬ諸侯からも笑いが生まれる。

 天の世界でもたまにいる手合いだが、どこであっても言葉が通じる気がしない。どれほどこちらが言葉を介しても、どんな言葉も逆手にとってあげつらい、さも自分が正しいかのように言い連ねるだけだろう。そんな相手には論ずるだけ無駄と判断し、俺は仮面の紐へと手を伸ばした。

「やめぬか、許攸。

 傷を仮面で隠す程度で、お嬢は気分を害しておられぬわ。

 それどころかこの場において、そのような些事を気にかけているのはお主ぐらいなものじゃろうて」

 やり取りに割って入ったのは田豊殿であり、隣の袁紹殿も深く頷いた。

「傷なんて、見たくもありませんわ。

 英雄さん、その仮面を私の前では絶対にとらないでくださる?」

 袁紹殿は仮面をとりかける俺を嫌がるように手で払い、許攸と呼ばれた男から顔を背けた。

「ですが・・・」

「さっきからうるっさいねぇ、あんたは」

 まだ言葉を続けようとした許攸へと今度は馬騰殿の言葉が響き、彼女は華やかな扇子を取り出して音を立てた。

「大体英雄殿が曹操殿を庇って負傷したのは有名な話じゃないか。

 そんなことを指摘して、あんたは一体何がしたいんだい?

 それともあれかい? あんたは、英雄殿の顔を一目見たいだけの物見遊山でここに来たってのかい?」

「なっ! 貴様!!」

「怒鳴って返すんなら、袁の本家の筆頭軍師らしいことでもしてみたらどうだい?

 英雄殿に嫉妬して、みっともない発言ばかり言い連ねるなんざ、それこそ名門たる袁家の恥だろう?」

 馬騰殿の挑発に、許攸殿が顔を真っ赤にして怒りを露わにしている。だが、馬騰殿はそんな彼に対して相手にする気など微塵もないかのように、袁紹殿へと視線を向けた。

「さて、話を次に進めようじゃないか。袁紹殿。

 まずは盟主でも決めないとねぇ」

「えっ、えぇ・・・」

「それは袁紹様以外に相応しい方がいるのでしょうか?

 いいえ、いる筈がありませんねぇ。これほどまで多くの諸侯を集め、名家である袁の本家の当主である・・・・」

 突然話を振られた袁紹殿は戸惑うように何かを応えようとしたが、すぐさま許攸殿が前に出るように口を開いた。

 その復活の速さには驚きを隠せないが、馬騰殿は不快感を隠すこともなく、口を開きかけた。

「もう結構よ、許攸殿。

 ねぇ? 麗羽。盟主はあなたがやってくれるんでしょうし、あなたも話したいことがあるんじゃないかしら?」

 くどいほど話へと参加しようとする許攸に対し、冷たい目をした華琳が発言を遮った。

 行動自体はいつもの華琳だったが、その目に宿る感情の(たぐい)は憎しみや殺意によく似ていた。詳細を問いかけたい衝動に駆られながら、俺はそのまま聞き手へと徹する。

「えぇ、盟主の任、この袁本初が引き受けてあげますわ。

 感謝してくださいな、華琳さん。オーホッホッホ」

 高笑いをしながら、偉そうに振る舞う彼女を見る多くの者の目は冷たいが、心なしか華琳の目が優しいものに変化していた。

「それではまず議題にあげるのは、連合内で白蓮さんと樟夏さんが腕を組み、仲睦まじく歩いていたことから。

 何でも婚姻という話まで出来上がっているとのことですけれど、その辺りの真偽はどうなっているのかしら?」

 袁紹殿の発言により、幕内に沈黙が降り立つ。

 幕にいる大半の者が口を開けたまま呆然する中、馬騰殿はさっきの表情とは一変させ口に手を当てて肩を震わせ、田豊殿は何を言うかをわかっていたかのように溜息をつきながらも愛おしげに袁紹殿を見守っていた。

「れ、麗羽ねえさま?

 その話よりも、話すべきことがあると思うのじゃが・・・?」

「あら、美羽さん。何もおかしなことではありませんわ。

 連合内での婚姻となれば、これから攻め込む二つの関への連携なども関わってきますし、とても重要なことでしょう?」

 若干引き攣りながら発言する袁術殿に対し、袁紹殿は優しく微笑んで見事な正論を並び立てる。瞬時にそこまで理由を並べられる頭の回転は見事の一言であり、流石華琳の学友だと思ってしまう。

「ねぇ、白蓮さん。

 その辺りの真偽はどうなっているのかしら?」

「えっ?!

 あー・・・ その・・・」

 あくまでにこやかに公孫賛殿へと言葉をかけると、公孫賛殿は頬を染め、誤魔化すように髪へと触れたりと忙しない。

「あぁ、まぁ、うん。

 曹洪殿と、結婚を前提に付き合うことになりました。今後は婚約の話も進めていく予定で・・・・」

「愛羅ちゃん、連れてこなくてよかっ・・」

「姉上、会議中に叫ぼうとなさらないでください」

 公孫賛殿の発言に対し、何かを叫ぼうとした劉備殿の脇に関羽殿により素早い肘鉄が決まる。それによって劉備殿の体が少し揺れ、涙目で関羽殿へと視線を向けた。

「ぐふっ・・・ あ、愛紗ちゃん、最近お姉ちゃんに加減なくなってない?」

「時と場合を考えてください、姉上。

 我が主が申し訳ありませんでした。どうぞ話を続けてください」

 謝罪をしつつ、話の続きを促す関羽殿や劉備殿のやり取りを見ている限り、あの後も成長が続いたことを感じ、何よりも以前よりずっと姉妹らしいその姿に自然と笑みがこぼれた。

「今後はその、曹洪殿と婚約の話を進めていく予定なんだ・・・」

 本当に幸せそうに頬を染めて言葉を続けた公孫賛殿に対して、袁紹殿の視線は華琳へと向き直り、翠玉(エメラルド)のような色をした目が何かに燃えていた。

「華琳さん、これはどういうことです?」

「あら? 何を苛立っているのかしら? 聞いたままのことが事実だったというだけじゃない。

 欲しいものがあるなら、理想があるのなら、自分自身が動き、勝ち取りに行く。

 私達が先達から学び、夢を描き、己で在り方を決め、立ち向かうだけ。

 いつだってそうでしょう? 麗羽」

 華琳は華琳でそんな袁紹殿の発言を軽く受け止め、むしろ打ち返し挑発するように笑う。袁紹殿もまた、華琳の笑みに対して笑っていた。

「えぇ・・・ えぇ、そうですわね。

 もっとも、華琳さんの身長と胸の在り方は随分昔から定まってしまったようですけれど」

「・・・・えぇ、そうね。

 一度も私の上に立てないあなたに対して、身長と胸ぐらいは気を使ってくれたんじゃないかしら?」

 前もそうだったけど、なんか華琳って袁紹殿の前だとやたら年相応になる気がする。それが彼女たちの付き合いの長さであり、関係だと思うと少し羨ましい。だけど、年相応の華琳も凄い可愛いなぁ。

「さぁ、白蓮さん。

 私と二人でじっくり話し合いをしましょうか」

「えっ・・・ ちょっ?! 今、連合の会議中じゃ・・・」

「副官さんが居るじゃありませんか」

「いや、麗羽は盟主・・・」

「私が居ないぐらいで困るようなお爺様と軍師ではありませんわ」

「でも、民への外聞・・・」

「英雄さんがいる時点で、民にはこちらが正義ということを示すことは十分ですわよ。

 それに関攻めに騎馬隊の出番なんてありませんわ。さぁ、何があったか一から十まです・べ・て、話してもらいますわよ!!」

 公孫賛殿の反論を全て一刀両断し、どこかへと引き摺って行く袁紹殿を誰も止めることもせず、それどころか稟まで手を振って見送っている。

 権力的に逆らえないとはいえ、少しは止めようぜ。稟。

「さて、盟主もいなくなってしまったが、会議を続けるとしようかの。

 泗水関攻めについての事じゃが、何か意見がある者はおるか?」

 場を仕切り直すように、田豊殿が地図を開きながら諸侯たちへと問う。

「泗水関、ねぇ。

 さっき袁紹殿が言ったように、騎馬隊のあたし達には向かない仕事だな」

 馬騰殿は腕を組み、地図を眺め、他の諸侯も同様。

 ただでさえ地形的に堅牢な泗水関を守るのは、『魔王の盾』と呼ばれる華雄。

 一番手柄を立てる絶好の機会とも言えるが、同時に失敗する可能性の多い泗水関攻めを自ら進んで手を挙げる者はいないだろう。

「田豊殿、私に策が」

「・・・なんじゃ、許攸」

 手を挙げたのはまたもや許攸殿であり、田豊殿は訝しげな視線を向けつつ尋ねる。

「ここは我々、袁家が正面から攻め込めばいいかと」

「この堅牢な関の前でそのようなことを言うことは、何か勝機となりうるものでもあるのかのぅ?

 生憎儂にはわからんが、その辺りの説明をしてもらってもかまわんか?」

「詳細を明かすことは出来ませんが、必ず機はくることでしょう。

 そして、それは私にしかわからないのです。

 ですので、私に連合の指揮の全てを一任してくだされば、必ずこの連合に勝利を捧げましょう」

 口元を吊り上げた笑みを浮かべ、自信に満ち溢れたその意見に多くの者が田豊殿と同様に訝しげな目を向け、不信感を隠そうともしない。

 詳細を明かせない情報にもかかわらず、堅牢な関を叩く機がわかる、か。

「どこからその自信がやってくるかは知らんが、曖昧すぎる情報を信ずるに値せん。そんなもののために兵を無駄に死なすわけにはいかぬ。

 加えるのなら、連合はお主一人で動いているわけでもない。お主にしかわからない時点で、そんな策は無意味じゃな」

 田豊殿に限らず、誰もが同様の返答するだろうことを返され、許攸殿は一瞬不快そうな顔をしてから、全体を指し示すように手を広げた。

「では、田豊殿はそれ以外に何か策がおありだと?

 いいえ、他の諸侯の皆様も、とてもあるとは思えないのですが?」

「関に多くの兵を一度向けるなど、的にしてくれと言っているようなものじゃ。

 ならば、少数の兵を偵察として向ければいい、じゃろう?

 兵は少数、それでいて無名に等しい者がいいのぅ・・・ ふむ・・・

 先程叫びかけた、そこの桃色の髪のお嬢さんや」

 最初に攻め込むことではなく、偵察することを掲示しながら田豊殿は劉備殿に声をかけ、話を聞いてはいたのだろうが突然話を振られるとは思っていなかった劉備殿はどこか緊張しているようだった。

「は、はい!

 平原の劉備です」

「では、劉備殿。

 お主に先兵隊を頼みたいんじゃが、良いじゃろうか?

 何、先兵隊と言っても軽く偵察をしてきてもらうだけじゃ。突然何か起こりでもしない限りは、安全じゃろう。

 その間に袁術殿の軍には、投石器等の準備をしてもらいたいんじゃがよいか?」

「は、はい!」

「はーい、お任せくださいー。

 ではでは、もう解散でよろしいでしょうかー?

 お嬢さまがそろそろお花摘みに行きたそうにしていられるのでー」

「七乃?!

 (わらわ)は別にそんなことないぞ?!」

 田豊殿の采配にそれぞれが頷きながら、最後に張勲殿の言葉に周囲に和やかな笑みが生まれ、田豊殿も目を細めた。

「うむ・・・ そうじゃな。

 他の諸侯たちはいつでも動けるように待機、というところじゃな」

 田豊殿のまとめに全員が頷き、退席のために立ち上がっていく。

 そんな中、許攸殿が退席する劉備殿たちへと聞こえるように吐き捨てた。

「フンッ、確かに平原の弱小勢力には相応の任ですなぁ」

 その言葉に劉備殿は立ち止まり、にっこりとほほ笑んで答えた。

「はい、小さな勢力ですから、最初の先兵隊の任をしっかりこなそうと思います。

 皆さん、改めてよろしくお願いします」

 そうして流れるような動作で一礼し、まさかそう返されるとは思っていなかったのか許攸殿は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。

 関羽殿も怒りを露わにすることもなく、劉備殿に黙って付き従っている。以前の関羽殿ならこの場で激昂し、斬り捨てるなどのことになりかねない勢いだったが、そんな様子は一切見られない。

「ふふっ、実に美味しそうに育っているわね」

「おいおい、華琳」

 華琳はそんな二人の姿に軽く唇を舐め、楽しそうにそのやり取りを眺め、俺たちも退席しようと立ち上がる。

「おぉ、そうじゃ。

 華琳嬢、あとで樟夏の坊主は借りるぞ。

 あの婿殿にはお嬢だけでなく、儂からもいろいろと話があるでのぅ」

「えぇ、かまいませんわ。田豊のお爺様」

 幕へと出ようとした瞬間、田豊殿から声をかけられ、華琳も簡単に頷く。

が、俺はその内容と『お爺様』という言葉に耳を疑い、再度田豊殿へと振り返ると、彼は外見にはそぐわない好々爺のような笑みを浮かべていた。

 だがその背後に、夜叉が映ったように見えたのは俺の気のせいだろうか・・・?

 

 

 

「華琳、お疲れ様」

「私達は何もしてない上に、話を聞いていただけに過ぎないわ。

 何も疲れることなんてないでしょう?」

 自分たちの陣へと戻る際中に声をかければ、華琳は足を止めることもなく言葉を返してくれる。

「まぁ、そうだけど・・・

 いろいろと大変なことになりそうだし、俺の知らない人も数名いたしなぁ」

「そうね、思っているようにいかないことは初めからわかっていたことだけれど、その話は後よ。

 それに許攸には、個人的な借りがあるしね」

 会議中にも見た冷たい目をしながら、俺はそんな華琳を後ろから抱きかかえる。

「あら、冬雲。

 私に甘えたかったのかしら?」

 華琳のからかうような言葉を聞きながら、俺はさらに優しく華琳の体へと触れ、右手を頭へと伸ばして撫でていく。

「何があったかは華琳が話すまで聞かないけど、華琳の借りは俺の借り。

 当然、俺も手伝うからな?」

 俺の発言に少し驚いたような間が空き、大きな溜息を吐かれてしまう。そして、体を抱いていた左腕に抱き着かれた。

「そんなの当り前でしょう?

 私とあなたは一心同体で、比翼の鳥と連理の枝のように共にあるわ」

 華琳の優しい声が嬉しくて、俺はさらにぎゅっと抱きしめ、仕返しと言わんばかりに華琳も腕に抱き着いてくる。

「もっとも、あなたは随分多くの者と一体となるし、枝も広いようだけれど」

「それは華琳もだろう?」

「それもそうね」

 互いに笑って、触れ合いながら、俺たちは会議で決まったことを話すために陣へと戻っていった。

 




次は陣営会議ですが、来週はこちらではなく、白の次話を投稿すると思います。

【先兵:軍隊の行動中、本隊の前方にあって警戒・偵察の任に当たる小部隊】


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42,会議後 本陣にて

 華琳と共に本陣へと戻ると、その中にいたのは桂花、秋蘭、凪、樟夏の四名だけだった。

「おかえりなさいませ、華琳様。

 あんたもお疲れさま」

「えぇ、戻ったわ」

「ただいま、みんな」

 桂花へとそう言って軽く幕内を見渡すと、華琳は満足げに微笑んだ。

「必要なだけの人員の選抜と会議の準備、優秀な部下を持つと安心して留守を任せられていいわね」

「華琳様・・・! もったいないお言葉です!」

 とろけるような笑顔をする桂花に俺も頬が緩み、用意されていた席へと座る。

 桂花による人員の選抜が行われたということは、おそらく会議で行われた内容を想定してのことだろう。

 俺たちが先陣をきらない以上、泗水関での戦はないことがほぼ確定している。なら、この会議に全員が揃う理由はなく、出席する者に必要とされる能力は会議での内容をわかりやすく全員に伝えられることだろう。

「では、会議を始めましょうか」

 華琳が口火を切れば、秋蘭が地図を広げ、凪と樟夏も姿勢を正す。

「まず、最初の関門である泗水関についてだけれど、私達は完全に傍観に徹することとなったわ」

「やはり、ですか・・・」

 華琳の言葉に全員が沈黙する中で秋蘭が代表するように答え、華琳が俺へと促すように視線を向けたので俺も頷き、口を開く。

「最初は平原の白・劉備軍が先兵隊で様子見を行うように田豊殿から指示を受けた。これはあくまで偵察で、よほどのことがない限りこちらから動くことはしない。

 その間に袁術殿の軍が後方で城攻めの用意をし、そこからが泗水関を落とす手筈になるだろうな」

 それに霞が何かをしたんだろうが、『魔王の盾』と呼ばれる華雄殿がかつてのように自分から突っ込んでくるとは考えにくい。劉備殿たちもあの様子なら、わざわざあちらを刺激してまで功を得るようには思えない。

 泗水関を攻め落とす方法はこのまま袁術軍の準備終了を待って門を壊し、なだれ込むと言ったところだろう。そうなれば、数の多いこちらが負けることはまずない筈だ。

「偵察だけの先兵隊では協力することもありませんね・・・

 我々はその間、いかがしますか? 姉者」

「何もしないわ。というより、私達が表だって動くことが出来ないのが、今の現状だもの。

 あえてやることをあげるとするのなら・・・ あなたと公孫賛の婚姻の話を進めるか、冬雲と愛を育むか、他の陣営で美味しそうな果実を収穫してくるぐらいかしら?」

「姉者!?

 最初はともかく、最後は表だって動くよりもまずいでしょう!

 というか、他陣営の将をどうするつもりですか?!」

「あら? 樟夏。

 私はただ適期に果物を収穫すると言っただけよ?」

 華琳は何事もないかのように聞き返し、楽しげに笑う。

 暗にほのめかしただけでわかった樟夏の方が悪いようにいう辺りが、またなんとも華琳らしい。

「そうです! 華琳様!

 冬雲と愛を育むのなら、この桂花も混ぜてください!!」

「やっぱりですか! 桂花殿!

 あなたならそう言うと思っていましたとも!」

 桂花が大きな声を上げたかと思えば、樟夏からの鋭いツッコミが入り、秋蘭が口元に手を当てた後、口を開いた。

「ふむ・・・ 何を言っているんだ? 桂花」

「そうです、秋蘭。あなたからも言ってくださ・・・」

「ここは公平にくじで、華琳様と冬雲に抱かれる順番を決めるのが先決だろう」

 その手にはいつの間にか箸のような物が用意され、軽く音をたてながら、床へと置かれる。

 あれ? なんかこのくじ、よく見たらすり減ってる? 普段、何の目的でこのくじを使ってるんだ?

「あなたもですか!」

 そんな楽しげなやり取りを見て、俺は頬を緩める。

 凪が参戦しないのはやはり立場が一番低いことを気にしているのか、それとも単純に入りにくいのか。とりあえず俺は相変わらずふわふわとして触り心地よい髪を撫で、しばらく撫で続けていると不思議そうな顔をした凪が俺を見上げてきた。

「隊長、どうかしましたか?」

「いや、なんでもないよ」

 身長の関係で自然と上目遣いになる凪を見て、さらに頬が緩みつつ、俺は連続のツッコミでやや疲れている樟夏へと視線を向けた。

「ところで樟夏、お前は田豊殿や許攸殿と会ったことはあるのか?」

「はい? えぇ、まぁ・・・・

 そもそも私と姉者、秋蘭たちは麗羽と幼馴染ですから、麗羽のお目付け役である田豊殿には昔からお世話になっていました。その関係で猪々子・・・ いえ、文醜殿もよく知っていますし、斗詩殿とも顔見知りではありました。

 許攸殿の方は名こそ知っていますが面識はなく、麗羽の母である綾羽(リョウハ)様が亡くなる少し前に中央から派遣された程度しかわかりません」

 樟夏までお親しげに話すということは、あの人はあの姿のまま年を取ってるのか。いろいろツッコみどころはあるが、俺の存在がそもそもおかしい事を考えると『なんかそういう人もいるよね』と普通に受け入れちゃえるんだよなぁ。

 それにしても許攸殿は中央から、か・・・・ 尚更胡散臭くなったが、その辺りは華琳にもう少し話を聞かないと明言は出来ないな。

「なるほどな。

 田豊殿からお前の呼び出しかかっているから、この会議の後にでも袁紹殿の陣へ向かうことになるぞ」

「はっ?!

 な、ななななな・・・ 何でですか?!」

 俺が伝えたことに驚き、慌てふためく樟夏へと華琳が追い打ちをかける。

「そんなの決まっているでしょう? 樟夏。

 あなたと公孫賛の婚姻の話が、口の軽い兵士たちによって麗羽にも伝わってしまったからよ」

「だから、何で私が呼び出されなければならないんです?!

 私と彼女の婚姻はまだ正式のものではありませんし、正式になったとしてもそれは田豊様にも麗羽にも一切関係な・・・」

「苦情は私達にではなく、お爺様と麗羽に言いなさい。

 けれど、樟夏。

 姉として、そして彼女たちと同じ恋する乙女として、あなたに一つだけ言っておくことがあるわ」

「はい?」

「あなたはもう少し視界を広く持ちなさい。

 あなたが考えてるよりずっと、あなたを認めていた者も、想っていた者もいたのよ」

「姉者? そもそも同じ恋する乙女というのは・・・」

「これ以上のことを言う権利は、私でも持っていないわ。

 ・・・いいえ、違うわね。私だからこそ、尚更その権利を持ちえない。それはあまりにも多くのことに反するもの」

 そんな姉弟のやり取りを聞きつつ、俺は桂花へと視線を向けると、桂花も察してくれたらしく頷いてくれた。

「それで桂花は許攸について何か知らないか?

 袁紹殿のところにしばらく居たよな?」

「まぁそうね・・・

 どこにでもいる権力者の男だったわよ」

「桂花様、それは一体どういう意味でしょうか?」

 『どこにでもいる権力者の男』という辺りで俺が首を傾げていると、同じことを疑問に持ったらしい凪が問いかけ、桂花は肩をすくめた。

「力ある女が恐ろしくて近づきたくないくせに、平気で遜るし、おべっかも使う。けれど一度向き合えば、心の底では軽蔑しているのがあの目から透けて見えてくる。

 下手に身分が高いものだから欲も人一倍みたいで、袁家に居た時は許攸のところは頻繁に賄賂が行き交っていたわ。

 まさに権力者の男で、あいつを見てると虫唾が走るのよ。

 そんなのが樹枝を欲して、身内になりかけた時は寒気がしたわ!」

「樹枝を?」

 というか、前は大陸の他の男の事なんて考えなかったけど、いろいろと納得してしまった。

 樟夏のように自信を失っている者、樹枝のようにそれでも自分なりに動く者。

 牛金のように開き直り、完全に素直にあろうとする者。そして、身分が高いが故にそれらを利用とした者、か。

 やっぱり、あの時の俺の視界は狭かったよなぁ。警邏隊のことで手いっぱいで、他の事なんて見る余裕がなかった。

「大方荀家の名が欲しかったんでしょうけど、案外本当に惚れてたのかもしれないわね。噂じゃ愛好する趣味もあったそうだし。

 すぐさま断った姉上からも詳細は聞いたけれど、あの子を金で買おうとしてたらしいわ。荀家が金で身内を売るなんて思われたことが、すでにこちらを馬鹿にしているのよ!

 たとえいくら積まれようともあんな下衆にウチの樹枝をあげないし、仮に姉上が頷いた場合でも私の持てる権限の全てを持って反対したわよ!」

 何でそれを本人で言ってやらないんだか、まったく。

 相変わらず素直じゃない桂花に愛おしさを覚えつつ、同時に酷く驚かされてもいた。

 桂花が男嫌い・無能嫌いなのは以前から重々承知だが、かつてこれほどまで嫌悪感を丸出しにする相手を俺は知らない。小馬鹿にしても、罵倒しても、そこには必ずどんな形であれ笑みを浮かべていたというのに、今回はそれが一切なかった。

「・・・どちらにせよ、許攸は要注意ってことか」

 会議中の発言にあった『私にしかわからない』という言葉と同じ陣営に身を置きながら険悪に近い状態にある田豊殿との口論、そしてわずかに垣間見えた中央との繋がり。

 だというのに、現状は洛陽とも連絡は取れず、連合という中であるがゆえに下手に動けず、その上『英雄』という看板が俺の動きを封じていた。

 今は待つしかない、か・・・

「会議中、失礼いたします」

 幕へと音もなく降り立つ黒陽に全員の視線が向き、黒陽はそんな視線を気にせずに頭を下げた。

「西涼の馬騰が、冬雲様にある一件について礼を言いに来たとのことです。

 現在、会議中ということで別の幕にてお待たせしていますが、冬雲様と華琳様との対面を希望しています」

 黒陽の発言に全員の視線は俺に集まり、再び場は静まり返る。

 そんな中で最初に出た溜息は、一体誰のものだっただろうか。

「・・・虎の次は狼か? 冬雲」

 呆れたようにしつつ、どこか楽しげに笑う秋蘭。

「本当にあんたはっ・・・!

 一体何回同じことをやれば、心の機微ってもんがわかるようになるのよ!」

 今にでも掴みかかってきそうな桂花。

「ですが、それが隊長ですから」

 どんなことをしても、俺が俺であったら受け入れてしまいそうな凪。

「兄者、流石に節操がなさ過ぎでは?」

 樟夏の言葉に関しては納得がいかないが、俺は手も何もだしてない。むしろ、華琳や秋蘭の言葉から察するに樟夏も人のことを言えない気がする。

「華佗の奴、黙っててくれって言ったのに」

 見も知らぬ医者と、見も知らない上に得体も知れない赤の遣いなんて名称の男。

 どちらを信じるかと言ったら前者だし、もし問われても偶然立ち寄ったとかで済む話だと思って、俺は華佗に頼んだけどなぁ。

 それに華佗は人の気を見ることも出来るのだから、相手が不調かどうかは見ていればわかることを理由にすればいくらでも治療しようがあったはずだ。それでも馬騰殿がここを訪れたということはあの天然で熱血な性格がいつも通り発揮され、ありのままに全部を話したんだろう。

 伝言は本当に話を聞かない場合のために頼みはしたが、使われることはないだろうとも思っていたんだがなぁ。

「あの天然熱血患者馬鹿・・・・」

 正直なのも、天然なのも、熱血なのも、患者馬鹿なのも全部美点の筈なのだが、それが合わさると欠点になることがよくわかった。

「来訪者も来たようだし、会議はこれで解散としましょう。

 紅陽、青陽、灰陽、橙陽、藍陽、緑陽は各部隊へ伝達。

 他の者は、それぞれの仕事へと戻りなさい。

 秋蘭、あなたはこの後も護衛として付き合いなさい。

 樟夏はお爺様のところへちゃんと行くように。もっともあなたなら、お爺様の呼び出しを無視したらどうなるかわかっているでしょうけどね」

 流れるように会議を終了し、次々に指示を出していく。

 というか田豊殿の呼び出しを無視したことあるのか、樟夏。

「はい・・・

 納得はできませんが、行ってまいります」

 樟夏を送り出した後、本陣の留守を桂花に任せ、俺たち三人も馬騰殿が待っているだろう幕へと足を向けた。

 

 

 

 そうして幕へとやってきたはずなんだが・・・

「大体、あんたの元旦那には男らしさってものが足りないって前から思ってたのよ!

 舞とか、馬の世話とか、あんなひょろひょろな優男を好きになるなんて・・・ 昔から思ってたけど、浅葱ってば男の趣味が悪いんじゃない?」

「はっ! それを言ったらお前の元旦那なんざ、物言わぬ岩みたいに固く口閉ざして、なーんにも言わない男だったろうが!

 言葉も、優しさも、笑顔も惜しまずに、帰る場所で在ってくれる。それこがいい!

 あんな仏頂面して、嵐みたいに戦う男の隣で笑う舞蓮の気がしれないねぇ!」

「はっ、ばっかじゃない!

 その嵐を乗りこなしてこそ、女が試されてるってもんじゃない!

 隣に並んで、剣先を揃えて、一緒に駆けて行ってくれる男こそ至上よ!

 あーんな一回乗ったら潰れそうな男、どこがいいってのよ!

 戦場じゃ強いとか聞いたことあるけど、必死だっただけじゃない!」

「あぁ、そうさ! あいつは必死だったのさ!

 臆病で、怖がりで、誰よりも気弱な癖に、戦場に出たらアタシの後を必死についてこようとしやがった。

 あんたの元旦那と違って、ウチの元旦那は優しいんでねぇ!」

 一度開いた幕を静かに閉じ、目頭へと手を当て、数度擦る。

 幻覚かな? なんか舞蓮とさっき会議であったばっかりの馬騰殿が言い争ってる気がする。

「冬雲、現実を受け止めなさい。

 秋蘭はもう先行してしまったわよ?」

「はっ? 先行って・・・」

 再び幕を開くと、二人の喧嘩に等しいやり取りに秋蘭が歩み寄っていく姿があった。

「旦那自慢とは、何とも素晴らしい事をしているじゃぁないか」

 一切目を向けようともしない二人の間で秋蘭は立ち止まり、何故か一度俺たちの方に視線を向けて得意げに笑った。

 何をする気だ? 秋蘭。

 でも正直、そのドヤ顔には嫌な予感しかしない。

「フッ、私の夫である冬雲はな・・・」

 そう言って得意げに語りだそうとした秋蘭にさすがの二人も視線を向け・・・

「って、ちょっと待てーーーー!!!」

 俺も全力疾走で幕へと入り、秋蘭の肩を掴んだ。

「何故止める? 冬雲。

 私達は夫婦と言ってもいいほど長い時を過ごし、互いに想いあってきた。それに婚姻をしていなくとも、事実婚というものがあってだな」

「秋蘭、お願いだから黙ってください!」

 秋蘭の口を押え、必死になって止める中、当然舞蓮と馬騰殿の視線は俺へと集まり、馬騰殿は深い笑みを浮かべた。

「やぁ、英雄殿。

 つい先程会ったばかりだけど、やっぱりいい男だねぇ」

「それはどうも・・・」

 かろうじてそれだけ返し、俺は二人を交互に眺める。

 かつて華琳が会うことを切望した英雄と、あの江東の虎が並び立つ姿は見ているだけでこちらが圧倒されるようだった。

「いろいろ言いたいことはあるんだけどねぇ・・・

 けど、この馬鹿(舞蓮)がいるんじゃ静かに会話も出来そうにないし、手短に済ますよ。

 英雄殿・・・・ いや、曹子孝殿」

 近づいていく距離に俺は警戒し、構えかけるが、顔を近づけた彼女は俺の顔に一枚の扇子を押し当てた。

「ひとまず礼として受け取っておくれ。

 アタシの旦那の形見だが、なかなかいい物だ」

「えっ・・・

 そんな大切な物を、それに礼を受けるべきは病気を治した華佗に」

「ククッ、二人しておんなじことを言うんだねぇ・・・ あんた達は」

 俺の言葉を馬騰殿は笑い、返品を拒むように俺とは入れ違いでさっさと幕の外へと出ていく。

「馬騰殿、この扇子は・・・・」

 『受け取れない』と続けようとした時、馬騰殿は言葉を遮るように声をあげて笑った。

「そいつは旦那が死んだ時から不貞腐れて姿を消してたってのに、この連合に行くことを決めたら呆気なく顔を出しやがった。

 他の誰でもないそいつ自身が、あんたの所に居たいって叫んでやがるんだ。受け取っておくれよ、英雄殿」

 そう言って歩き出す彼女は何かを思い出したのか、不意にこちらを振り向いた。

「命の礼には、命を持って返す。

 それはとりあえず利子の分ってことにしておいておくれ、英雄殿」

 まだ支払いをするという遠回しの宣言をしつつ、彼女は堂々とした姿で去っていった。

 




説明回というか、なんというか冬雲がいまいち動きが取れない回が続いております。


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43,泗水関にて 傍観 【華琳視点】

 会議から一日が経過し、私は朝早くから黒陽と共に自陣内のある幕を訪れていた。

「あら、おっはよー。華琳」

「早いわね、舞蓮」

 幕に入るとその中で朝から愛剣を振るって体を動かす彼女が目に入り、当然彼女は私が訪れた程度で自分の行動をやめるようなことも、変えるようなこともありはしない。

 私も特に気にすることもなく、彼女が動く範囲で邪魔にならない場を選んで、腰を下ろした。

「それで華琳、こんな朝早くから何か用?

 朝からお小言とか、お説教は勘弁よ?」

「あら? あなたは私が小言を言った程度で、行動を改めてくれるのかしら?」

「それはありえないわね。

 だって私は、海に咲く桜に愛された虎で、雲に恋した剣舞蓮(けんぶれん)

 私らしく生きて、私のやりたいように進む。それが桜との約束で、雲に出会って決めたことよ。

 華琳だって、あの雲に出会って決めたことや誓ったことがあるんじゃない?」

 彼に出会って決めたこと、ね。

 どちらともなく笑いあい、舞蓮は何を思ったのか、私へと訓練用の木剣を投げてきた。

「華琳も体を動かしたらどう?

 昨日はずっと座りっぱなしで、体を動かしてないんじゃない?」

 私が受け止めれば、挑発するように木剣の先を揺らして、目を細めて笑う。

「それはむしろあなたの方じゃないかしら?

 話ではずっと冬雲の荷にまぎれていたらしいじゃない。

 しかも冬雲の服に包まれるために狭い荷の中でずっと動かないまま気配を殺して・・・・ 流石の私も呆れたものよ?」

「華琳が私の行動に呆れなかった日なんて、冬雲に連れられてきた時から一度でもあったのかしら?」

 大袈裟に肩をすくめて呆れて見せても、彼女は一切悪びれる様子もなく開き直る。そんな実に彼女らしい対応に、怒ることも馬鹿馬鹿しくなってくる。

 どちらともなく型を構え、刃先を軽くぶつけた後、舞うように順序良く足を運んでいく。

 互いにこれが遊戯であり、幕内で行う程度に加減しなければいけないとわかっているからこそ、型式通りの動きに沿い、互いに軽く木剣をぶつけていくだけに留める。

「ねぇねぇ、冬雲の服に包まれてた私が羨ましい?

 流石の華琳でも、こんなことはしたことないんじゃない?」

「・・・・確かにないわね。けれど、私はあなたに嫉妬なんてしないわ。

 何故なら私は、冬雲に誰よりも愛されている自覚があるもの」

 自慢してくる彼女に対して得意げに笑ってみせると、彼女はすぐさまその頬を膨らませる。

「何、その余裕―!

 私だって冬雲といちゃいちゃしたいのにー!!」

「・・・・けれど、あなたがあんなことをしてまで冬雲から離れなかったのは、冬雲との触れ合いだけが目的ではない、でしょう?」

 私の言葉にほんのわずかに空気が変化し、先ほどまで膨らんでいた彼女の頬は元に戻り、私の目を見つめている。

 肯定も、否定もせず、かといって軽口を叩くわけでもない。そのわずかな沈黙は、言葉の続きを促しているようだった。

「舞蓮、あなたは冬雲を守りたかったんじゃないかしら?」

 私の言葉に目の前で木剣を交わしていた舞蓮だけではなく、黒陽からもわずかながら驚きのようなものが感じられた。

 けれど私は、それに構うこともなく言葉を続ける。

「あなたは私たちのところ来てからずっと・・・ いいえ、それどころか冬雲が連れてきた時から、あの白陽ですら怒りを露わにするほど執拗に冬雲と触れ合い、傍に居ようとしていた」

 私達と冬雲が恋仲にあるのを知り、嫉妬心を煽るように舞蓮は冬雲と触れ合い続けた結果、私達は夜すらも警戒して冬雲の傍にいるようになった。

「けれど、おかしいでしょう?

 『奪ってでも手に入れたい』というのなら、あなたにはいくらでも冬雲を物にする機会はあったわ。それこそ白陽が報告に戻った時、冬雲との二人旅の間に襲ってしまえばよかったのよ。

 『江東の虎』と呼ばれたあなたなら、冬雲を適当に言いくるめ、つながりを持つことは出来た筈だわ」

 いくら強くなったとしても、冬雲に舞蓮を抑えるほどの力はない。それに彼の甘さと立場、状況から彼女を拒むことはなかった。

「そして黄巾の乱後、冬雲が『英雄』と呼ばれるようになってからはその頻度がさらに増した」

 昼夜問わずに冬雲の元を訪れ、時に天和達のところで待ち伏せされていたということも冬雲から聞いたことがある。

 けれど、彼女はこれほど接触を図っていながら、一度として実力行使をしようとしなかった。確かに接吻や夜這いを仕掛ける時はあったが、場所は城であったり、私達の誰かの目が必ずある場所で行われ、それは余りにも不自然だった。

「これではまるで、私達に常に警戒しろと言っているようなものだわ。むしろあなたには不都合しかない状況の筈。でも、それこそがあなたの狙い。

 自分の本音の一つをあからさまにひけらかすことによって将の全員に危機感を抱かせ、彼が何かに狙われることを暗に示したかった、というところかしら?」

 そこまで言って舞蓮が降参するように両手を上げて、持っていた木剣を放り投げた。

「もう降参よ、降参!

 もう! 華琳には何でもお見通しなのかしら?」

「いいえ、見通しているわけではないわ。

 これは私の勝手な想像であり、ただの女の勘よ」

「女の勘、ね・・・ それは鋭いわけだわ。

 アハハハ、かなわないわね、華琳には」

 私が言い切れば舞蓮は大笑いし、顔を隠しながらその場に寝そべった。

「ふふふふ、本当に底が知れないわねぇ。本当にうちの娘と同じ年頃なの? ぜーんぶ正解。

 あと私が話すことなんて、こんなことをした理由ぐらいだけど、それも華琳なら想像できているんじゃない?」

 指の間から私へと視線を向けて、彼女の纏う空気はほんのわずかだが変化したような気がした。

「ねぇ、華琳。不自然だとは思わない?

 何故、この大陸で優秀と称された者が次々と早死にするかを。

 馬騰の夫も、私の夫も、病死と戦死。

 性格も、死に方も、死んだ年も違えば、場所も違う。

 ただ一つ共通点があるとしたら、都まで響くほど何かに秀でていたこと」

 私に問うておきながら舞蓮は自ら口を開き、彼女は顔を隠した左手を硬く握りしめた。顔全体を見せようとはしない様子は、子どもが泣くのを必死に誤魔化そうとしている姿にとてもよく似ていた。

「調べたわ。八年もかかっちゃったけど、確かな証拠も掴んだ。

 まっ、詰めが甘くて、逆に目を付けられて冬雲に助けられちゃったんだけど」

 口元では笑みを作り、声は明るい筈だというのに、隠された手から零れる涙。それでも嗚咽を漏らさないのは彼女の意地。

「そりゃ、守るわよ。

 私以外に殺せる相手なんていないって、死ぬ筈がないって思ってた旦那が、力も何もない・・・ 権力しか持ってないゴミどもの使い走りに殺されたんだもの。

 しかもこんな方法しか浮かばなくて、白陽ちゃんは本気で怒るし。あぁでも、二番目の娘に()たれたのは新鮮だったかも」

 自嘲し、私に笑ってほしいかのように言う彼女のことを、笑うことなど出来るはずがなかった。

 何故なら、私が彼女の元を訪れたのは笑うためでも、責めるためでもないのだから。

「舞蓮、私はあなたの行動を言及しに来たわけではないわ。むしろその逆よ」

「え? 逆って?」

「私は、あなたに礼を言いに来たのよ。舞蓮」

 私の言葉に驚き、顔を上げた舞蓮をまっすぐ見つめ、告げる。

「ありがとう、舞蓮」

 本来なら彼のことをここまで愛し、想っている彼女に嫉妬しなければいけないのかもしれない。

「冬雲のことを想ってくれて、愛してくれて、そして守ろうとしてくれて、ありがとう」

 けれど私は、嫉妬などしない。

 多くの女性に愛されても、想われても、彼の優しさを多くにふりまかれても、彼が、冬雲が最後に帰るのは私の元。

 たとえ世界が違っても、大陸が乱れようとも、それは絶対のことなのだから。

「ねぇ、華琳。

 今の言葉を、笑顔で、もう一回言ってくれない?」

 舞蓮は鳩が豆鉄砲をくらったような顔で、もう一度求めてきたので笑顔でそれに応じた。

「えぇ、勿論。

 ありがとう、舞蓮」

「・・・いつ振りかしらねー、面と向かって誰かにお礼を言われるなんて。

 でも、今になって冬雲があの時に言った言葉の意味がわかった気がするわ」

 舞蓮は再び寝そべりながら、私にはよくわからない独り言を言う。

 言葉から察するに冬雲が何かを言ったのでしょうけど、彼女の思い出に突っ込んで聞くほど私は無粋ではない。

「それじゃ、舞蓮。

 私はこの後、やることがあるから失礼するわ」

「はいはい。

 華琳達は先陣きったりしないでしょうし、他のところを眺めるぐらいしかすることないでしょ。それなら冬雲は華琳と一緒に行動するでしょうから、この幕で大人しく寝てることにしますよーだ。

 気が向いたら、冬雲の幕で寝てるかもだけど」

「好きにするといいわ」

 さっきまで涙を零していたはずの彼女は笑顔を取り戻し、どこかで見ていたのではないかと思うような慧眼を見せつけられてしまうと、もはや呆れる事しかできない。

「あっ! 華琳。このことを冬雲には・・・」

「言われなくてもわかっているわ」

 もっとも、今の冬雲なら察していそうな気もするけれど。

 

 

 

「さて、あの子たちはどう動くのかしらね?」

 冬雲、春蘭、秋蘭、樟夏、桂花の五人を待ちながら、私は泗水関の前に用意された簡易の陣へと目を向ける。

「劉備、関羽、孔明。そして、白の遣い。

 あなた達は私がおもわず求めてしまいたくなるような、そんな存在になっているかしら?」

 関の前で一人立つ関羽の後姿を見つめながら、私は零れる笑みを止めることが出来ない。

「さぁ、あなた達の成長を、私に見せて頂戴」

「華琳、その発言はどうなんだよ」

 冬雲の呆れたような声に私は数瞬前までとはまた違う笑みを浮かべて、問う。

「あら、こんな私は嫌い?」

「そんなわけないだろ。

 大好きだよ、華琳」

 背後から彼の温もりに包まれ、耳元に聞こえる言葉は私に安らぎをくれる。

「知っているわよ」

 ずっとずっと昔から、今の私が始まる前から。

「それはそうと、さっきから華琳が熱心に見てるのは関羽殿か?」

「えぇ、この先陣で彼女たちがどう動くか。とても興味深いわ。

 あの時ほど向こうが愚かではないのなら、尚更ね」

「あの時、か・・・・

 俺はこんなところに立ったり、他の陣営を知ろうとする余裕なんてなかったから、あの時の状況はほとんど知らないのが正直な所なんだよなぁ」

「でしょうね。

 あの時のあなたはそれほど未熟で、努力が足りていなかったもの。

 第一、駆け出しのあなたが他陣営のことを把握しても、他に情報を漏らす可能性も十分にあったわ」

「否定できないところが痛いなぁ・・・・」

 苦笑いし、かつての己の未熟さを指摘されても、彼は怒ろうとはしない。そのための今とでもいうように、私を抱く手にわずかながら力が込められ、人の気配を感じてその手は離された。

「「華琳様ーーー!!!

  冬雲ーー!!」」

 聞き慣れた二人の愛しい部下の声を聞きつつ、かつてと少し違う点にまた笑みがこぼれる。

「これもまた、かつてとは違うわね」

「何がだ?」

「私だけしか呼ぶことのなかった、あの子たちのことよ」

 そう言えば冬雲は少しだけ驚き、彼もまた微笑んだ。

「あぁ、嬉しいな」

 かつてなら照れたり、否定していたかもしれない彼が恥じることもなく受け入れる。成長したこと、慣れたこと、理由はいろいろでしょうけど、そんな些細なことですら誇らしく感じてしまうのは何故でしょうね。

「華琳様、全員揃いました。お待たせしてしまい、申し訳ありません」

 冬雲も、待たせてしまったようだな」

「いえ、私達が早すぎただけよ。

 皆もこちらへ来なさい」

 全員が私の半歩後ろに立ちながら、平原の彼女たちの旗の立つ陣を眺める。

 劉備や白の遣いが見えたところから察するに、今は話し合いでもしているのでしょう。

「先兵隊、か。

 どうなるだろうな」

 この場の思いを代弁するような冬雲の問いは場に吸い込まれ、誰かが反響することもない。

 この先兵隊はこのまま功績をあげることもなく、睨みあいで終わる可能性も十分あり得る。

 否、むしろ状況から言ってあちらが動かない可能性の方が高い。

「難しいでしょうね。

 それこそ向こうが妙な動きでもしない限り、劉備たちは功績なんてあげられっこないわ」

「だろうな。

 だが同時に、ここで功績をあげられなければ、劉備たちは機を失うだろう。

 『犠牲を出さない』という点においては歓迎される事態でもあるがな」

 桂花と秋蘭の言葉にそれぞれ頷き、考えを巡らせているのが空気となって伝わってくる。

「ましてや相手はあの『魔王の盾』、泗水関を守る魔王の強固なる盾がそう簡単に動くとは思えません。

 春蘭、あなたは・・・・」

「・・・・」

「春蘭? どうかしましたか?」

 樟夏の言葉に春蘭は何も答えず、真っ直ぐ何かを見つめている。

 その表情は厳しいながらも、ほんのわずかに笑っているようにも感じられた。

「来る・・・・!」

 

「我が主に、都へと迫る連合の者たちよ!

 正義を語り、天を語り、偽りに塗り固められた欲にまみれた者たちよ!

 我が名は華雄!

 鬼神・麒麟と並び、魔王の盾と呼ばれし者なり!!」

 私達が春蘭の視線の先を確認するよりも早く響き渡るのは、華雄の名乗り上げ。

「諸国から将を集い、群れを成し、実に滑稽だな!

 はっ、諸侯は皆、我が主である董卓様が怖いと見える。

 たかが関一つ、大勢でよってたかり、攻め滅ぼすことも出来ぬとはな!

 だが、安心するといい。

 我等は貴様らのように卑怯者でも、臆病者でもない!」

 目の前の者だけでなく、連合の全てを自分が相手どると宣言するかのように。

「私はここに! 一騎打ちを申し込む!!」

 

「あの姿、誰かさんにとてもよく似ているわね」

 斧槍を構え、泗水関を守るように仁王立ちをする彼女の姿。

 私はあの背に守られている者の喜びも、悲しさもよく知っている。

「えぇ、似ていますね・・・」

「えぇホント、私が一目惚れさせられて、努力を見せつけられて」

「いつの間にか懐に入られ、愛おしさを感じ、私達を守ろうとしてくる」

「本当は・・・ そんなお前を見ていると不安になる。

 だが、お前の優しさと温もりから離れることなんて・・・ もう考えられん」

 四人の言葉の最後を締めくくるように、私は話に一人置き去りにされた冬雲を見つめた。

「そんな私たちのものである、あなたにね」

 大きく目を開いて驚きながらも、その表情はすぐにほころび、嬉しそうに笑う。

「樟夏。

 お前も、大好きな人からこんな風に言ってもらえるようになれよ」

「照れも何もなしで、開き直りですか?!

 というか、痛いです! 背中を叩かないでください! 兄者!!」

 照れ隠しなのか、樟夏の背を叩き、首に手を回して捕まえる。

 あらあら、こんな冬雲も悪くないわね。

 あの時は、こんな風に彼が親しくする同年代の男なんていなかったものね。

「まっ、お前にも樹枝にもその手の心配は少しもしてないけどな。

 俺にもなれたんだ、お前たちになれないわけがない。

 お前たちは俺をここまで押し上げて、変えてくれて、支えてくれて、愛してやまない大事な人の弟なんだからな!」

「結局、惚気(それ)ですか!」

 二人のじゃれあいから関羽たちへと視線を戻すと、何やら関羽と白の遣いが抱き合い、何かを話している様子がうっすら見える。

 戦場で抱き合うなんて、流石は北郷一刀ね。

 

「我が名は平原の相・劉備・白の遣いの将、関羽!

 その一騎打ち、この私が受けよう!!」

 

 華雄へと向き合い名乗り上げる彼女は、かつてとは何かが違うように感じられた。

 もっと言えば、彼女が成長していなかったなら、華雄の名乗り上げに対して突っ込んでいくことも考えられた。

「桂花」

「おそらく、華琳様のご想像通りかと・・・」

 劉備たちもこの連合が嘘から生まれたことを理解して行動しているのだとしたら、華雄を殺すことはない。

 けれどそれは、捕まえたら終わりなどという簡単なものではないわよ? 劉備、白の遣い。

「黒陽」

「ふふっ、委細承知。

 少しばかり探ってきますわ。白ではなく、金にある異色を」

 名を呼んだだけで全てを察する優秀な子たちに頷き返し、黒陽の気配がその場から掻き消えていく。

「それにしても、見事だわ。華雄、関羽」

 こちらまで響く激しい武の衝突、互いに間をとり、牽制し、幾度もぶつかり合う偃月刀と斧槍は近くであっても目で追うことは難しいだろう。

 そんなやり取りを武人である春蘭は目を離すこともなく見つめ、おそらく無意識に笑んでいた。

「姉者・・・ 彼女は強くなりましたね。

 おそらく今の私では敵わないほど、強く・・・・!」

 樟夏は悔しそうに拳を握り、春蘭同様に素晴らしい一騎打ちから目を逸らすことはない。

「えぇ、彼女はとても強くなったわ。

 けれど樟夏、今のあなたになら関羽が強くなった理由の一端がわかる筈よ」

 勝敗が決するであろう最後の一撃が振るわれ、斧槍が宙を舞っていく。

 そして、本来なら誰も気にも留めないであろう一人の存在がその場へと駆けていくのが視界の端に映り、私は微笑んだ。

「はい? それはどういうことです? 姉者」

 連合を訪れる前の樟夏ならば、きっと彼女が強くなった理由がわからなかっただろう。理解できないと、呆れはてすらしたかもしれない。

 だが、今の樟夏なら理解できるでしょうね。

「何故なら彼女は、恋をしているんだもの」

「は? 姉者?

 それはその・・・ 愛しい者が出来た私にも気持ちはわからなくはありませんが、あまりにも・・・」

 呆然とし続ける樟夏に対し、桂花たちは納得するように強く頷いていた。

「ただの自己犠牲でもなく、闘争本能から戦いを求めるわけでもない。

 生きて、共に歩きたいという存在がいる。

 ただそれだけで、人はいくらでも強くなれるものよ」

 私達がかつてそうだったように。今もそうであるように。

「以前の関羽にはなかった想いが、未来という夢が彼女を強くしているのよ」

 あの時、行き場のなかった想いと具体性に欠けた夢があの子たちをそうさせたというのなら、やはり天の遣いという存在は特別なのかもしれない。

「天の遣いにもし何かの力があるとするなら、それは未来という夢を見せることだわ」

 もっとも当人たちにそんな自覚もなければ、否定すらすることだろう。けれど今、もう一人の天の遣いを・・・ 北郷一刀を遠くから眺めてみることでよくわかる。

 乙女たちと恋に落ち、互いに想いあいて夢を描き、姫武将たちはその想いを力として無双となす。

「夢想で無双なんて、本当に奇跡のような力ね」

 言葉と共に、覇王()恋する乙女()へと変えた愛しい人へと視線を向けた。

 



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44,泗水関にて 英雄

 華雄殿と関羽殿による泗水関での一戦から早数日、先兵隊に出された劉備・白の遣い軍や、関への探索などを行った袁紹軍以外の陣営は暇を持て余し、もっぱら日々の雑事やそれぞれがある一定の節度を持ってしたいようにしているのが現状だった。

 当然、俺もその中の一人なのだが、『英雄』という肩書きによって自由に動きが取れるような状況ではなかった。何せ他諸侯は『英雄殿に挨拶をしたい』ということを理由に、こちらへと足を運んでくる。人を出迎えるのに汗だくというわけにもいかず、隊のことを牛金に任せ、俺はずっと本陣で書簡仕事を行うこととなった。

「俺なんか見て、何が楽しいんだかな・・・・」

 この数日、数えるのも嫌になるほど多くの者と会い、流石にげんなりとしてきた俺は机に突っ伏す。

 書簡仕事を行うと言っても、そのほとんどは来る諸侯たちに関する情報を頭に入れ、軽い腹の探り合いなどを行う羽目になってしまった。

「あら、それをあなたのことを見て一番楽しんでいる私達の前で言うのね?」

 そんな俺を見て楽しそうに笑う華琳と、『仕事をしなさい』とでも言うように強く視線を向けてくる桂花に対し、俺も力無く視線を向ける。

「あの人たちが見てるのは『冬雲()』じゃなくて、『英雄』だから華琳たちとは根本的に違うだろ。

 いや、英雄の重要性はわかってるし、そう言うもんだっていうのはわかるけど・・・ 俺はただの野郎だし、見てて面白くもなんともないと思うんだけどな」

 あちこちで俺を引き抜こうとする動きはあるようだし、実際今回もいくつかそう言う話は存在した。

「まぁ逆に、他が俺をどう見ているのかもよくわかったけどな」

 他諸侯からしてみれば、赤の遣いである俺がここに居る理由なんて『拾われた恩を返すため』としか見えていない。

 その上、今回が以前のような一兵からの叩き上げでなく、初めからそれなりの立場を与えられたことによって、俺が権力や金・・・・ そして、華琳たちの体によって籠絡されたとみなされていることもよくわかった。

 もっとも、そんなことを言った諸侯に対して俺がどんな印象を抱いたかは言うまでもないが。

「ハッ! そんなことはどうだっていいわよ!

 いいから、シャキッとしなさい!!」

 言葉と同時に背後から背中に平手打ちを貰い、俺の背筋は強制的に伸ばされる。

「ていうか、前よりも平手打ちの痛さが比べ物にならないぐらいに強くなってるのは気のせいか?! 桂花!?」

「鍛えてんのよ!! 脳筋にならない程度には!

 いい? 一度しか言わないから、よく聞きなさい」

 想像していなかった強さにおもわず声が大きくなったけど、それに負けないぐらいの大声で返され、振り返った俺の鼻先に書簡を突き付けられた。

「あんたのことをどの陣営の誰が・・・ この大陸中の、天の世界の人間がどう語って、笑って、馬鹿にしても!」

 ほんの一瞬だけ、説教している時の桂花らしくない悲しげな表情見えたのは何故だろう。

 だけど、その言葉には力があって、俺は圧倒されるように桂花から目を逸らすことが出来なかった。

「あんたの事ばっか見て、もうあんたのことしか考えられなくて、あんたのことを離したくないっていう人間がここにどんだけいるかを数えてみなさいよ!

 っていうか! わざわざ言わなくても察しなさいよ! この馬鹿!!」

 とても桂花らしくて、でも前よりもずっと素直で、想いは真っ直ぐで。

 いや、違うか。桂花はずっと素直だった。

 ただ少しだけわかりにくくて、その真っ直ぐな思いに耐え切れない奴が多いだけ。

「あんたがなんて言われようと、あたし達がそうじゃないって知ってんのよ!

 それともあんたは、あたし達のだけじゃ不満なわけ?」

 現に今も、暗くなりかけた俺の思考を払うように叱咤をくれた。

「ちゃんと聞いてんでしょうね! 馬鹿冬雲!!」

「聞いてるって・・・ みんなにはいつも本当に世話になってるし、本当に感謝してる」

 桂花の説教中だというのについつい考えたことから顔が緩みそうになり、顔を背けて相槌を打つ。

「なら、しっかりこっちを向きなさい!」

「それは勘弁してくれ!」

 緩んだ顔を引き締める努力をしつつ、桂花との攻防を繰り返していると華琳からの生暖かい視線を感じ、そちらからも必死に目を逸らす。

 絶対俺が考えてること、理解してますよね? 華琳。

「桂花、ほどほどにしてあげなさい。

 冬雲はあなたのことが可愛くて仕方がなくて、顔が緩んでいるんだから」

「ですが華琳様! って・・・ え?」

 華琳?! 何言っちゃってくれてんの?!

 桂花が俺の顔見て固まっちゃったじゃん!

「あ、あんたねぇ・・・」

「本当に、誠に申し訳ございません」

 想像していた通り、呆れと戸惑いが混ざったような表情で睨まれ、俺は謝ることしか出来ない。

「・・・・馬鹿」

 目を逸らして、終わったはずの書簡を開きだす桂花を可愛いと思ってしまった俺に、反省の色は実はないのかもしれない。

 あぁもう・・・ みんなが可愛すぎて、生きるのが楽しい。

「「華琳様、失礼します」」

 俺も誤魔化すように近くにあった書簡に目を通そうとした時に幕が開き、斗詩と雛里が入ってくるのが見える。

 が、片や斗詩は不自然なほどの笑顔、片や雛里は自分を責めるように顔を俯ていた。

「二人とも、どうかしたのかしら?」

「あの・・・・ その・・・」

「では、まず私から」

 何かを言おうとして口籠ってしまう雛里に、斗詩は肩を叩いて後ろへと下がらせる。どう見ても笑っていない笑顔をしていても、こうしたささやかな気遣いを忘れないのが斗詩の良い所だと思う。

「華琳様、樟夏さんを月まで吹き飛ばしていいですか?」

 いや、何でだよ。

 会話に口を挟まずに内心でツッコみを入れつつ、書簡に書かれていることを頭に叩き込んでいく。

 まぁ、樟夏が吹き飛ばされるなんて恒例行事だから仕方ないけど、斗詩がここまで怒ってるのなんて珍しいなぁ。

「昨日、こっちに訪問してきた猪々子に関することね」

「はい。

 文ちゃんがようやく自覚したこともですけど、あの鈍感男が何気ない一言で文ちゃんを傷つけたのは許せません。ただでさえ、今回の一件は麗羽様も・・・!」

「あの子が想いに自覚したのは祝福すべきことね。

 無自覚で終わり、『気のせい』で終わってしまう恋よりもずっといいわ。

 それに猪々子も、『諦める』とは口にしていないのでしょう?」

 俺にはよくわからない上に、絶対に割って入ってはいけない乙女の会話が始まり、意識を書簡に集中させる。

「文ちゃんも自覚するのが遅すぎますけど、樟夏さんは鈍すぎます。

 いろいろな方に想いを寄せられていたにもかかわらず、自分から恋をしたときにだけ気づくなんて・・・

 あれではあまりにも・・・ 想った側が不憫です・・・」

「寄せられた想いの全てが綺麗なものばかりではなかったけれど、ね・・・

 擁護するわけではないけれど、樟夏があぁなった原因は私にもあるわ。あまり責めないでやって頂戴」

 言葉のあちこちに、俺が知らない今のことが垣間見えていく。

 今も、前も俺は袁紹殿と華琳の関係を全く知らないし、あえて聞くこともなかった。高い地位に生まれたから顔見知りということは想像が出来たし、袁紹殿のことを知っているわけでもない俺が話題に出すことはおかしかった。何より、あの頃は自分のことで精一杯だったし。

「あなたが親友を想っていることはわかるけれど、恋する者を憐れむことだけはやめなさい。それは彼女たちへの最大の侮辱だわ。

 許可書を出してあげるから、虎牢関で忙しくなるまでの間は親友として傍に居ておあげなさい」

「華琳様・・・! ありがとうございます!!」

 華琳はあらかじめ用意していたらしい書簡を斗詩に手渡し、斗詩は深く頭を下げたと後に幕を飛び出していく。

 仕事に関して一切触れないのは華琳の優しさか、それとも既に終えていることが前提のどっちかなんだろうなぁ。

「雛里、あなたも私に話があるんでしょう?」

「はい。その・・・

 朱里ちゃんのところへ・・・ 白の陣営のところへ向かいたいので、許可をいただきたいんでしゅ!」

 途中からはもう勢いで言いきった雛里の言葉に、華琳からの返事はない。

「・・・それは、昨日袁家から通達が来た捕虜の文書に関係しているのかしら?」

「はい・・・

 朱里ちゃんが今回得られるとは思っていなかった功績を得て、何か間違いを起こそうとしているのではないかって・・・・」

「そんな繊細な玉じゃないでしょ、あの臥龍は」

 ・・・・前から思ってたけど、桂花って孔明さんのこと好きじゃないよな。

 いやまぁ、呂布さんの時とか、秋蘭の一件とか、赤壁とかのことを考えれば納得もするけど、なんかそれ以外を含んでる気がすんだよなぁ・・・ 俺の気のせいかもしれないが。

「冬雲、あなたは昨日の通達を見て、孔明の行動をどう感じたのかしら?」

「えっ・・・

 あー・・・ そうだなぁ」

 話を振られるとは思っていなかったから、軽く目を通したあの文書の内容を頭から引っ張り出す。

 孔明さんによって行われたという情報を得るための捕虜虐待。

 禁止するというまでには至っていないが、捕虜の扱いを取り決める文書が袁紹殿直筆によって各陣営へと渡されていた。

 建前は『殺さずに、兵として使いなさい』という指示であり、本音はそのまま人を気遣う優しいものだということは見て取れた。

「うーん・・・

 泗水関を一騎打ちによって明け渡させたことと、一番乗りしたっていうのはかなり大きい。けど、今回の功績でどのみち白と劉備陣営は後ろに下げられる。それなら少し欲をかいて功績を取りに行くのは納得・・・ ていうのが、俺の将としての意見かな」

 集まった諸侯の中で駆け出しであるあの陣営が功績を得た以上、虎牢関では自分たちが功績を得ようと我先にと動く者が増える事は目に見えている。

 そして、俺たちは今回と同様に本陣を守るという建前の元で、よほどのことがなければ兵を動かすことが出来ないこともわかりきっている。

「では、あなた個人としてはどうかしら?」

「犠牲を嫌うあの陣営らしくない、っていうのが率直な感想だな。

 降った華雄殿からわざわざ不信や嫌悪を抱かれるようなことをしている理由も納得がいかないし、袁紹軍がどこからこの捕虜についての知ったかはわからないけど、あまりにも情報が早すぎじゃないか?」

 泗水関で捕虜を劉備たちが保護したことは聞いているが、その扱いまでとなると袁紹軍が直接視察に行くか、連合内で噂となることでしか知ることは出来ない筈。

「なら、この策がどんなものなのかは調べる必要があるでしょうね。

 大人しく教えてくれるとは思っていないけれど、雛里の不安を取り除くことはしなければならないわ。

 冬雲、あなたは雛里と共に白と劉備の陣営に向かいなさい。

 護衛にはそうね、凪を連れていきなさい」

「見てくるって、俺が動くのは不自然すぎだろ・・・

 大体、もしこれが何かの手段だったら、向こうは俺たちに明かすことだって拒むだろうし」

 たとえ友であっても、同じ連合に属する者であっても、自分たちの陣営に関わることをおいそれと口外にするとは思えない。

 それに、孔明殿にいたっては俺を嫌ってもおかしくないからなぁ。

 親友奪うし、主である二人にとんでもない物を見せてるし、俺が直接やったわけじゃないとはいえ劉備殿と白の遣いから象徴である剣と衣も奪ってる。

 ざっとあげただけでも、俺は後ろから刺されそうだな。

「黄巾の乱の英雄が、彼の諸侯に泗水関での戦いに敬意を示し、挨拶に訪れる。何か不自然なところがあるかしら?

 それにあなたと雛里なら、あの時のようにある程度現場を見れば想像できるでしょう?」

 あの時って、随分前の事なんだけどな・・・

 指示を撤回する気もないらしく、華琳は俺を促すように手を動かした。

「行ってきなさい、二人とも」

「ありがとうございます! 華琳様」

「了解っと」

 雛里の感謝の言葉と、言葉と同時に立ち上がる俺に華琳は満足げに頷いて、俺たちは幕を後にした。

 



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45,孔明の策 種明かし

 幕を出た後に凪と合流し、珍しく俺たち二人を雛里に引っ張られる形で劉備殿たちの陣営へと向かっていた。

「雛里、そんなに慌てなくても大丈夫だと思うぞ?」

「で、でも!

 私が朱里ちゃんを一人にしちゃったから、一人でまた背負い込もうとしてるんだったら・・・・」

 『また』ってことは、最初に会った時もそんなやり取りしたのか・・・

 俺も怪我してたりして、目の前の状況以外を見ることが出来てなかったからなぁ。

「通達でしかわかってない現状なんだから、考えすぎだって」

 口ではそう言いつつも、俺は黄巾の乱で三人のことを思って怒りを露わにしていた真桜の姿を思い出して、仕方ないと感じていた。

 真名を重んじるこの国は身分なんかよりもずっと信頼のおける友や部下を大切にするし、長く付き合った分だけ思い出が増し、繋がりは強くなる。だからこそ、雛里が孔明殿に対して抱く思いがどれほど強く、大切なものなのかは俺にも想像出来た。

「友達って、いいもんだな」

 雛里を見ていて思ったことを口にすれば、凪は俺の隣で静かに頷いてくれた。

「はい、隊長。友とは、とても良いものです。

 真桜も、沙和も、白陽も、私にはもったいないほど素敵な友人ですから」

「っ?! な、凪?!」

 凪のそんな言葉に俺が顔を緩めてると、どこからか狼狽えたような声が上がり、俺たち三人は揃って噴き出してしまった。

 ほらな? 白陽。

 お前はこんなにも、ちゃんと凪と友達になれてる。何も心配することなんてないんだよ。

 きっと顔を真っ赤にしているだろう白陽を想像して、気持ち和やかになった状態で俺たちは劉備殿たちの陣へと向かった。

 

 

 

「えっと・・・ 鳳雛が来たとお伝えくだ・・・・」

「えっ、英雄様?! 何故こちらに?!」

 雛里の言葉の最中にそんなことを言う兵士に内心苦笑いだが、それをどうにか抑え込む。

「こちらの軍師の付き添いと、泗水関での一戦においての劉備殿たちの英断に敬意を表し、劉備殿と白の遣い殿に話を伺おうと思いまして。

 孔明殿を呼んでもらえるでしょうか?」

「は、はい!

 すぐに呼んできますので、少々お待ちください!」

 英雄という名によって、他陣営に行くにしても応対するほとんどの一般兵はこんな感じなんだよなぁ。街を視察に行くときなんてたまに俺を拝む人もいるし、英雄という立場には慣れてきたつもりだけど、あの対応にはいつまでも慣れない。

「雛里ちゃん、いらっしゃ・・・・」

「そう! じん! どのーーーー!」

 孔明殿がこちら・・・ というか、雛里に手を振って駆けてくるよりも早く、俺の方へと一つの影が突進してくる。

「白陽が言っていたのは、これか・・・」

 が、その瞬間に凪がぼそりと何かを言い、常に装備している閻王(えんおう)を構えた。

「だが、隊長には指一本触れさせん!」

 瞬間、火花が散り、何が起こったかもわからないうちに凪と王平殿が両手を合わせて、がっつりと組みあっていた。

「やぁ、お久しぶり! 曹仁殿! あなたのお妾希望の『年上狂いの王平』、ここに登場!!

 あなたの匂いがする方向に飛んできてみれば、あら不思議。今回は前回の白い子とは別の、灰色の子がついているとは!

 いやー、あなたに警戒されてるのか、正妻らしさを無言で醸し出す曹操殿に警戒されてるのか非常に迷う所なんだけど、その答えや如何に?」

 そんなことをやや早口で言いながらも凪とすさまじい勢いで拳の応酬をし、凪も容赦なく拳を叩き込んでいるのがわかる。

「王平しゃん! 戻るか、仕事するかのどっちかをしてください!!」

 孔明殿が言葉と同時に王平殿を引っ張り、俺も同じように凪を後ろに下げる。

 連合内で殴り合いとか、勘弁してくれ・・・

「えー? だって今、正ちゃんいないから暇だし。

 やることはほとんど片付いちゃった所に彼が来るなんて、これはもう運命だとしか思えない!

 関係を作るためには、襲うしかないでしょ!」

 俺はこれまで、何度か破天荒な人に会ったことがある筈だった。

 華琳の発想なんてまさに破天荒だし、春蘭や霞の雄々しい武、秋蘭の正確無比な弓の腕、軍師であるみんなの発想は、まさに前人が成しえなかったことを行うという意味に沿っていた。

 けど、個人の性格でここまで破天荒という言葉が似合う人は果たしていただろうか?

「王平さん!

 話は聞いていましたけど、本当にそちらに居らしたんですね」

「やぁやぁ、士元ちゃん。

 相変わらず小っちゃい上に、趣味も相変わらずみたいで安心してるよー。正ちゃんはその趣味で凄い困ったような顔をしてたけど、正ちゃんには会った?」

「いえ、まだ・・・」

「まっ、そのうち会えると思うけどねー。正ちゃん、結構気分屋だし、いつになるかはわかんないけど」

 その言葉の後に、王平殿は何かに気づいたのか雛里の全体をきょろきょろと見渡して、最後に首を傾げた。

「ん? んー・・・・ 小っちゃいっていうのは軽く前言撤回かな?」

「え? それってどういう・・・」

「うーん! 言わない!

 というわけで、私は特に仕事がないので、あちこち物色してくるねー!

 それでは運命の人・曹仁様。また必ずお会いしましょー!」

 王平殿も女学院出身どうこう言ってたから、先輩と後輩なのかなぁとか俺が考えている内に王平殿は嵐のように去っていた。

 でも、次に会う時まで彼女の対処法が浮かぶとは到底思えないんだけど。

「その・・・ 王平さんがすみません。曹仁さん」

「いや、俺は特に何もされていないから・・・

 むしろ友人である雛里はともかく俺まで突然訪問してしまって、本当に申し訳ない」

 自然と互いに頭の下げあいとなり、俺たちの間にはどこか親近感というか何とも言えない空気が流れる。

「いえ、かまいません。

 本日はどのようなご用件で?」

 その言葉に俺は雛里の後ろへと下がり、雛里へと軽く視線を向けた。

 今回のこの陣営に来たのは俺のためじゃないし、むしろ俺はおまけだ。だから、本当に聞きたい雛里こそがそれを聞くべきだと思った。

 実際俺は『らしくない』ぐらいしか感想を抱かなかったわけだし、何かしようにも袁紹殿が既に動いて、捕虜の取り扱いを定めていた。

 本当にただ居るだけしか出来ていない自分に嫌気がさそうとも、俺は・・・・

「朱里ちゃん・・・ その、捕虜を拷問してるって・・・ 本当なの?」

「あぁ、その一件で雛里ちゃんは来たんだ。

 そっか、連合内全部に行き渡るんだったら、雛里ちゃんが心配することは考えてなかった・・・・」

 孔明殿はぶつぶつと言いつつ、腕を組んで何かを考えているようだった。

 しばらくそうした後、何かの結論が出たようで俺たちへと手を伸ばして、促した。

「詳しい説明は現場を見た方が早いから、案内するよ。雛里ちゃん。

 よろしければ曹仁さんもご一緒にどうぞ」

 その笑顔に俺たちは首を傾げつつ、大人しく彼女の背へと続く。

「実は先日、袁紹軍に報告書などの提出と共に文醜将軍が視察に参られて、ある現場へとお連れしたんです。

 もっとも幕内には入らずに、私と王平さんが軽く説明をしただけで何故か途中で逃げ帰ってしまわれたんですけど」

 先日のことを説明されつつも進んでいくのは、本陣からやや離れた場所にある大きな幕。そこからは何故か煙が上がり、肉が焼ける音と共に香ばしい香りも漂ってくる。幕のあちこちには何故か血痕らしきものも見られ、骨も転がっていた。

「説明しようにも『自分にはわからないからいい』と断られてしまったので、詳細を説明することも出来ず、それで拷問などという勘違いをされてしまったようなんです」

 

「頼むから! 俺はもう治ったから! それ以上近づくなぁーーー!」

 

 孔明殿の言葉とは裏腹に、幕に近づけば近づくほど聞こえてくる悲鳴。

 ん? これって悲鳴か?

「それがこちらです」

 俺たちが促されるままに幕へと入ると、視界に飛び込んできたのは

 

 

「ご主人様、気が足りないわん♪

 私に気力充電のための、愛のあ~んをちょ・お・だ・い!」

 ナース服を着込んだ貂蝉が

「ハイ、ア~ン」

 灰のように煤けた北郷によって、焼肉らしきものを口に運び

「うふふふふ♪ 気力満タンよ~♪

 さぁ、この白衣のなぁ~すが、毒に侵されたあなたの心と体を癒す愛の口づけをあ・げ・る♪」

「い、嫌だ! 来るな寄るな近づく・・・・ あぁーーーー!」

 体をがっちりと両腕で固定した男性兵士へと、唇に口づけをするという地獄絵図だった。

 

 

 なんだ、こりゃ・・・

「私は文醜将軍に拷問なんて一言も言っていませんよ?」

 頬が引き攣り、最早言葉すら口に出ない俺たちに孔明殿はにっこりと笑って、言い放った。

「諸事情により毒に侵されていた皆さんを保護しているのですが、何せこちらの陣営は資源などが不足していまして、華佗さんと貂蝉さんの協力によって気での解毒を行ってもらっているんです」

 あぁ・・・ それで貂蝉があんなことを・・・

 まだ頭が目の前の事態を受け入れることが出来ない中、傍らの雛里はぷるぷると震えていた。

 親友がこんな奇妙なことをして、挙句こんな風に開き直ってたら、そりゃ怒るよなぁ。

「朱里ちゃんは天才なの?!」

 ・・・はい?

「解毒だけじゃなくて、貂蝉さんと男性兵士さんの絡みを直接作ることで新しい物語の始まりを創りだそうとするなんて・・・

 うん! 確かにこれは有効な情報を捕虜さんたちの協力の元に生み出して、物語へと発展させる。公になってる情報は少しも嘘になってない。

 こんなことを思いつくなんて・・・ 朱里ちゃん、凄いよ!」

「そこまでわかってくれるなんて・・・ 流石は雛里ちゃん!」

 やおい本書いてる人たちが、百合っぽい空気醸し出してまーす。誰か助けてくださーい。

 もう、いろいろありすぎて俺の思考回路がうまく動いてくれないぞー?

 凪は凪で貂蝉に何かを熱心に聞きに行っちゃうし、俺はもうどうすればいいのかなー?

 ていうか、悲鳴の理由と煙の理由はなんとなくわかったけど、血痕の理由が・・・ あぁ、捌いた肉か・・・

「あっ、曹仁さん。お久しぶりです・・・って言っても、私は会議でお会いしたからそうでもないですよね。

 それじゃはい、どーぞ」

「あ・・・ あぁ、劉備殿。お邪魔している。

 けれど、この焼肉は・・・・ というか、それ・・・ うぐっ?!」

 劉備殿の言葉に我にかえり振り返ると、タレの入った小皿と肉を持った状態でこちらへと駆け寄り、振り向きざまに口へと肉を放り入れられた。

「この焼肉は捕虜の皆さんとの親睦会も兼ねて、北郷から言い出してくれたんです。

 だからもうお肉とか全然足りなくて、王平さんとかウチの妹ちゃんたちには狩りに行って貰ったり、捌いてもらったりって凄い忙しくって・・・

 北郷と私だけ何もしないわけにもいかないからその間の書簡仕事とかを任されたり、北郷は貂蝉さんの気力回復がかりをずっとやっててもらったんです。

 それにこのタレとか、麦飯にかけるフリカケも北郷には作ってもらっちゃいました」

 そんなにべらべら俺にいろいろと話していいのかとか、いつ北郷呼びになったんだとか、貂蝉のあれを容認するってまずどうなんだよ・・・ 等々、いろいろツッコみたいところはあるが、俺はどうにか口の中にある肉を飲み込んだ。

「それで曹仁さん? 何か御用ですか?」

「いや、孔明殿を気にかけた彼女の付き添いとして来ただけなので、その目的もほとんど果たしました」

 俺がそう言ってちらりと雛里へと視線を向ければ、さっき本陣で見せていた不安げな表情は欠片も見られない。

 友人と笑い合う雛里の姿はやっぱりいいもので、俺の口元は自然と緩む。

「そうですかー。

 うーん、やっぱり曹仁さんはウチの北郷と違って落ち着いてて、大人な方ですね。

 流石、英雄ですね」

「いや・・・ そんなことはないよ。

 いつも、目の前にあることに精一杯だ」

 多くを学んできたつもりでも、目の前のことにぶつかっていくということに変わりはなくて、英雄になれば何かが出来るかと思えば、そうでもなかった。

 むしろ英雄(この名)によって俺には多くの制限がかかり、身動きが取れなかったというのが現状。

 だが、彼は・・・ 北郷は今回、関羽殿の武と孔明殿の策、そして華佗や貂蝉の協力によってこれだけの命を救ってみせた。

 同じ俺。だけどもう、違う自分。

 あの頃の俺には出来なかったことを成し遂げる彼が、とても羨ましく感じた。

「劉備殿、北郷殿」

「はい?」

 きっと彼に聞いている余裕はないだろうが、俺は彼の名も呼んだ。

「この泗水関での一戦・・・ そして、その後の今にいたるまで犠牲を減らし、命を守ろうとするあなた達に敬意を表します。

 あなた達の言葉はもう、あの時のように理想だけではなくなった。

 どうかこれからも、あなた達の選んだ道を突き進んでください」

 彼女たちの中に籠っていただけの種は芽をだし、大きく成長を始めている。

 いずれ枝を広げ、太陽へと近づき、いずれはこの大地を包もうとするだろう。芽を摘み取るならば今。いいや、あの時に摘んでしまえばよかったのかもしれない。

 だが華琳は、それをけして望まない。

「曹仁さんって、本当に女ったらしさんなんですね」

「さぁ? 自分ではよくわからないよ。

 ただ素直に、思ったことを言ってるだけさ。俺は先に失礼するよ。

 それではまた、劉備殿」

「はい、また」

 軽く挨拶を交わして劉備殿と別れ、まだ孔明殿と熱心に語り合っている雛里を白陽に任せて、俺は自分の幕へと戻っていく。

 じきに虎牢関への移動が行われ、次の先鋒をどの陣が務めるかが話し合われることだろう。

「何も出来ないなら、俺はその中で出来ることをやってみせる」

 立場は違っても変わらない答えに、俺はあの日と変わらない綺麗な蒼空へと笑いかけた。

 



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46,虎牢関 戦前 【千里視点】

「なぁ、千里ー」

「うーん?」

 『馬鹿と煙は高い所が好き』なーんて言葉の通りに、あたしと(シア)は関の一番高い所で厨房から見繕ってきた食事を口に運ぶ。平時で霞と一緒ならお酒も入ったんだろうけど、当然今日はお酒なんてなくて、お互いのんびりしているのは口調だけ。

 霞は視線を関の外に向け続け、私は私で定期的に送られてくる攸ちゃんからの報告書と、泗水関・虎牢関にそれぞれ配備した十人ほどの馬の腕だけは鬼神御墨付きの伝達兵から、交代で送られてくる報告書に目を落としていた。

「この戦い、どうなるんやろうなぁ?」

「はっはっは、あたしがそんなこと知るわけないじゃん。

 軍師の仕事はー」

 あたしは頭の中にある書を捲るように、女学院時代のことを思い出す。

 水鏡先生によって各地から選ばれ、時に自ら門を叩く大陸の才女たち。

 時に師から学び、時に自ら創り、確たる己を持っていなければ落ちぶれていく場。

 個を尊重し、尊重するが故に自由であり、その自由さこそが時として、自らを襲う刃となる。

 けれど同時にその刃の痛みは、常に優しさと表裏一体のものであり、その意味すらわからずに学院を去る者もけして少なくはなかった。

 思い出から呼び起された多くを振り払うように、あたしは頭の中にある古びた基礎たる知識を引っ張り出す。

「多くの状況を想定しつつ、現場で臨機応変に対応し、正確な判断を下すこと。

 だから、状況がどう動いてもいいようにするのがあたしがすることー。

 むしろ霞の方が知ってんじゃない?」

 そう言って見上げたら、何かまずいものでも食べたような顔をした霞があたしを見下ろしていた。

「うっわー・・・

 仕事熱心な千里とか、ひくわー・・・」

「いや、あたしは霞よりよっぽど仕事熱心だから。

 ていうか、そんなこと言いながら霞だって別にサボりばっかりってわけじゃないじゃん」

「まぁ、そうやけどなー。

 それとな、千里。ウチの方が知っとるなんてことは、もう何にもあらへんよ。

 なーんもかーんもが違いすぎてあてにならへんし、ウチ自身も多分前とはちゃう」

 そう言いながら霞はあたしの三つ編みに触れて、編んだ髪を上から下へと撫でていった。

「ウチがこんなあけっぴろげに全部話す親友はおらへんかったし、知らん奴も多い。

 都のことはどうやったか知らんけど、それも全部月や詠にまかせっきりやった。

 ウチは・・・ いいや、ウチだけやない。

 ウチの知っとるみんなもきっと、ここにある今を歩いてるんや」

 まるで何かを自慢するみたいに得意げに笑う霞を、あたしはほんの少しだけ遠く感じた。

 きっとあたしは、あの子たちのことを今の霞みたいに誰かに話すことは出来ない。

 友達としては当たり前に好きだけど、きっとあたしは・・・・

「・・・ん? 千里、なんか来たで?

 ありゃ、ウチの伝達兵やないか?」

 霞の言葉にあたしも考えていることを中断して視線を向ければ、董卓軍の色である紫を基調とした装備がうっすらと見える。そして、それに乗っている兵士はどう見ても普通の状態ではなく、しがみついているようだった。

「っ!

 霞! この書簡、あたしの部屋の机に放っておいて!! それが終わったら霞も城門に! あとは全部、その場で判断するから!」

 脳裏にはいくつかの可能性がよぎり、あたしは書簡を霞へと放り投げる。

「ちょっ?! 千里! 待ちぃや!」

 霞の言葉の半分も聞かずに、あたしは想定していたどの事態が起きてもいいように考えを巡らせ続けることだけに集中する。

 泗水関で何が起きた? どの最悪の事態が招かれた? 状況は? どう判断する? 今後の策は?

 自分の足も、思考も全てが遅すぎて、舌打ちしてしまいそうになる中で、顔にはいつもの表情(笑顔)を貼り付け続けた。

 

 

 

「全兵! そこを退きなさい!!」

 普段滅多に使うことのない権力を使って兵たちを押しのけ、こちらも滅多に使わない大きな声を張り上げて、たった今着いたばかりの騎馬へと駆け寄る。

 馬からずり落ちるような形でしがみついている伝達兵を見張りの兵が抱え、地面へと軽く横にすることと水を持ってくるように指示し、見覚えのある伝達兵へと声をかけた。

「わかる?」

「は・・・い」

 体を震えさせ、動きにくそうにしているけれど、外傷は見られない。それなら毒? だけど、吐いた様子もない・・・ 致死性のものではない? 体を動けなくさせることが目的の毒だとしたら、考えられることは・・・

 思考が巡り、まだ確証もない事が行き来する。

「泗水関で何かあったのね?」

 兵は頷くと、懐から一本の書簡を取り出した。

 

『編入部隊 料理 毒 裏切り』

 

 乱れた字で書かれたたった四つの単語。けれど、あたしが事態を飲み込むのはそれだけで十分すぎた。

 想定していた中でも、最悪の事態の内の一つが起きちゃったかな?

 おもわず顔をしかめそうになるけれど、口角をあげて笑みを作る。

 上に立つ者は、感情を露わにしちゃいけない。

 それが策を巡らせ、あらゆる状況を考えて、その上で兵士たちに直接指示をする可能性がある戦場に立った軍師なら尚更。

「華雄と高順は?

 あなたはどの段階でこれを?」

 わからないというように彼は首を振り、必死に口を動かす。

「しょくじ・・・ごに、とびだした・・・ので」

 それなら時間はあまり経過していないだろうけど、毒を飲んだかによっては二人は・・・!

 脳裏によぎった最悪の事態を悟らせることのないように、あたしは兵士の額へと手を当てる。

 熱はないし、見る限り体も動かしにくい程度、毒性は非常に弱いけれど効き目が長い。あたしの私物で対処できる範囲の毒かもしれないだけど、裏切りがあった泗水関では薬の類はあったとしても、処分されたとみるのが妥当。

「ご苦労様、今はゆっくり休みなさい。

 彼をすぐに医療部隊の元へ!」

 顔見知りである兵士をその場から選んで指示を出し、次にやるべきことに向けて立ち上がった。

「さてっと・・・」

 あちらの策を察するに、後から合流して関から内乱。その後、連合と合流というのが流れだったんじゃないかな?

 兵は清流派に属する高官たちの息子やら親類によって編成されてるし、未熟な兵たちが内乱を起こしやすくするための麻痺毒なら納得もできる。関に華雄と芽々芽がいることを考えたら、毒だけじゃ見積もりが甘いように感じるけれど、二人は兵を盾にすれば頷く可能性が高い。

 問題は後続部隊との合流が不可能になった今、向こうにいる清流派の動き。

 けど、麻痺毒に侵されているだろう兵を抱えた華雄に残された選択肢はあまり多くはない。

 籠城か、出陣か・・・ 相手に主導権を握られたなら、選択肢は後者一択。万が一こちらが主導権を握れたとしても・・・

「千里ー? 状況が読めへんのやけど?」

「霞、いい時に来たねー。

 仕事頼んでもいい?」

「ウチにとって、最悪の時やね」

「まぁまぁ、そう言わずにね。

 ちょっと真面目な仕事だからさ」

 お互い挨拶代わりに軽口の応酬をしつつ、あたしの目を見て真剣さが伝わったのか、霞も笑顔を消してくれる。

 ううん、正確には少し違う。

 お互いに笑っているけれど、目が笑っていない笑顔を向けあっているっていうのが正しい。

「何があったんや?」

「泗水関で王允の兵が内乱。料理に毒を盛って、兵は毒に侵されて、華雄たちの安否は不明・・・ ってカンジかな?

 この後どう転ぶかはわからないけれど、あたしは泗水関が落ちる可能性が高いと見てる」

 華雄の判断次第だけど、霞によって自信を打ち砕き、鍛え直された魔王の盾はその忠義も、武人としての心意気も鍍金ではなくなった。

 けれど今回は、その想いが首を絞める事態になりかねない。

 芽々芽もいるけど二人とも性格が似てるから、どちらかが歯止め役になることがないっていうことがまた致命的だった。

「策はあるんか?」

「・・・ねぇ、霞。

 知ってる?」

 あたしはそこで、わざと明るい声を出して笑って見せる。

「軍師の一番大事な仕事はね、どんな状況下でも最悪の事態を考えることなんだよ?」

 何故軍師が武将に疎まれ、嫌われるのか。

 それは自分に出来ないことが出来ることへの嫉妬だったり、君主との距離感の近さだったり、命をかけて戦場に立つことのない無責任さもあるのかもしれない。

 どれもけして間違ってない。きっと、武将にとってはどれもが正解なのかもしれない。

 だけど、それらは全て後付けの理由。

 あたしはもっと単純なものだと思ってるし、それが正解なんだと信じて疑わない。

「ねぇ、あたしってさ。

 霞が思ってるより、ずっと最低だよ?」

 軍師は最低だ。

 だって軍師は、常に最悪の事態に備えなきゃいけない。そして、最悪の事態の中でもっともわかりやすいのは、主戦力たる武将を失うこと。

 つまりあたし達軍師は仲間である武将の力量に問わず、常に武将が負ける(戦死する)ことを前提に策を巡らせる。

 武将が負ける(死ぬ)可能性を隅に置き、失った者の代役を求め、そうならないように補助を付けることはどうしても武将たちの誇りである武を軽んじ、信頼を置いていないように映ってしまう。

 武将から嫌われて当然だし、軍師も将を嫌って当然。

 過信が死をもたらすことすらわからない武将に苛立ちをもち、自分たち(軍師)が最も恐れる死へと無謀な状況下で平然と命を投げ出すことが許せず、誇り如きで命を捨てようとする武将が理解できない。

 同じ方向を向き、君主を通して協力することは出来ても、軍師と武将の考えは決して交わらない平行線のまま。

「私は、あらかじめ華雄が負けることを可能性の一つとして想定してたんだよ」

 それがたとえ二人の死を意味することであっても、どんなに大事な友人であっても、あたしが目を逸らすことは許されない。

 だってそれが、あたしの役目だから。

 霞には嫌われちゃうかな?

なんて考えながら霞へと視線を向ければ、霞はあたしを見て口角をあげて、手を振り上げ・・・

 

「ハハッ! それのどこが最低やねん。

 おもろいこと言うなぁ、千里は」

 あたしの肩を叩きながら、大声で笑い飛ばした。

 

「え・・・・・?」

 言っている意味がわからなくて、あたしは今凄い間抜け面をしてると思う。

「仲間が死ぬかもしれへんことまで考えて、死なないように考えて、死んだ先まで考える。そんなん、そんだけ千里が華雄たちのことが好きっちゅうことやないか。

 胸張りや、千里。

 千里はもう、聞いとるこっちが恥ずかしゅうなるくらい仲間思いなだけやで?」

 そう言いながら霞はあたしに背を向けて、頭の後ろで手を組みながらあたしへと振り返ってくれた。

「次の事、考えてあるんやろ?

 なーに、ウチらがあんだけ脅したんや。華雄も、芽々芽も早々死なへんって」

 これがあたしの親友、かぁ。

 あぁまったく・・・ かなわないや。

「ぷっ、確かに。

 何せ、こわーい鬼神が『死んだら殺すー』なんて脅したんだから。そりゃ、死にたくても死ねないって」

「なーに、言うてんねん。

 鬼より怖い麒麟が、後ろで蹄鳴らした方がおっかないやろ?」

「はははは、あたしの後ろにはさらにおっかない魔王様と、その知恵袋がいるもんね」

 あたし達は董卓軍、諸侯が群れを成さなければ恐ろしくて立ち向かってくることも出来ない魔王軍。

 この悪名が何を意味するかをわかっていても、もう動き出した乱世は止まってくれない。

 命を如何に尊ぼうとも、自分が踏み潰されぬように守ることしか人には出来ない。

 ならあたしが、麒麟が尊び守るものも自分が好ましいと思った存在でしかない。

「霞、兵の全てに召集をかけて」

「あん? ・・・あぁ、やるんやな?

 ウチの腕の見せどころか」

 その言葉に一瞬で理解を示す霞だけど、少しだけ違ったのであたしが首を振ると霞は不思議そうに首を傾げた。

「全兵が揃ったら、鬼神がしたがえてる飛龍をあたしに貸して?」

「・・・そこまでやるんは、背負(しょ)いこみすぎやろ」

「この関を預かったのは霞じゃなくて、あたし。

 それに今回は名が知れた霞じゃなくて、影に隠れてたあたしがやるから意味があるんだよ」

 机上において麒麟と称されたあたしが、自ら粛清するという覚悟を見せつけ、虎牢関内部の結束を高める。

 何をしでかすかわからない怪物へと昇華したあたしの粛清と一撃は、泗水関を抜けた連合と洛陽にいる清流派にまず間違いなく痛撃となって襲うだろう。

 まして、自分たちの策の一部が崩壊したことからよほどの馬鹿でない限り、それを知らせることとなる一撃は牽制になることは間違いない。

 まっ、それでも戦況がよくないことに変わりはないんだけど。

 初戦は頂くよ、ウチの鬼神と飛将がね。

「はぁ、わかったわ。

 けどな、千里。一人で泣くことも、苦しむこともなんもない。

 それだけは忘れんといてや」

「してないってば!

 霞は心配性だなぁ、もう」

「どこがや、あほ。

 一緒に学んだダチと向き合ってるちゅうに」

 軽く叩かれても、あたしは笑う。霞の考えとあたしが思ってることはまた少し違うんだよね。

「あたしはあの二人に並ぶほど、大した頭もってるわけでもないんだよ」

 『臥龍』、『鳳雛』の中にある本来二頭一対である『麒麟』という名に秘められた、遠回しな師の言葉。

 差は歴然としていて、嫉妬するのも馬鹿馬鹿しくて、それでも並び称されてしまったあたしが自分を守るために選んだことは、二人にないものを見つけることだった。

 料理も、護身も、手段でしかなくて、趣味になるなんて思ってもいなかった。

「あの子たちにどんな気持ちを向けたらいいかなんて、もうずっとわからないから。

 だからその辺に関してあたしのことは気にしなくて大丈夫だよ、霞」

 敵になるとか、争うとかいう前から、あたしが二人に向ける思いは真っ白なんかじゃない。

 仮に白かったとしてもそれは上辺だけで、裏を返せばきっと真っ黒だった。

 二人に料理を教えたのも、姉のように接したのも、二人には秘密で主を選んでいたことも、隠れて見えなかった嫉妬をいつか二人に向けてしまうのが怖かったから。

 全部全部、自分のため。

 護身術で弱い自分を守りたくて、笑顔の下に臆病で醜い自分を隠したかった。

「千里、叩くで」

「はっ?」

 またも突然すぎる平手があたしを襲って、気持ちのいい音をたてる。

 ていうか、結構本気だったみたいであたしはその場で尻もちまでついた。

「千里、痛いやろ?」

 何で人張ったおしてドヤ顔してるかなぁ! この鬼神様は!!

「突然平手されれば、そりゃね!」

「痛いんなら、泣けや。

 どうせ、今の状況でこんなとこ見張っとるあほはおらん。

 見られてても、ウチと千里の口喧嘩なんて珍しないしなぁ」

 このぶきっちょ大酒のみ鬼神め! でも、あたしを舐めんなよ!

 鬼神()の親友様であるあたしが、倒れたらそのまんまなんてありえない。何せあたしの蹄はおっかないらしいからね。

「霞ー、あたしの性格知ってるよね?」

「ん?」

「やられたら、やり返すのがあたしなの!」

 油断しきった霞の脛を思いっきり蹴り体勢を崩し、あたしは霞がさっきしてくれたようにドヤ顔で立ってやった。

「ははっ、そやったなぁ!

 ホンマ、武器も無しにウチを地につけるんは千里ぐらいやで」

「あーぁ、もう。

 霞の性で目に塵が入っちゃって、涙出てきたじゃん。どうしてくれんの。なかなか取れないし」

 そう、これは塵の性。土埃が入ったせいで、涙が止まらない。

 友達と戦うことも、こんなあたしの真っ黒な部分を受け入れてもらえたことが嬉しいわけでもない。

 ただ、目が痛いだけ。

「まっ、どうせ召集まで時間かかるんや。ゆっくり取りやー」

 そう言いながらなんてこともないように立ち上がって関へと戻っていく霞を見送って、あたしは誰もいないそこへ呟いた。

「見つけたよ、先生。

 あたしの、生涯の親友って奴をさ」

 (現実)(夢想)、鏡合わせの水鏡。

 現実離れしたあの場所から今も大陸を楽しげに見守っているだろうあの人へ向けて、あたしは笑って見せた。

「いや、正しくは違うかな?

 あたし(麒麟)右側()を背負ってくれる、唯一無二の相棒なのかも」

 



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47,虎牢関 初戦 【星視点】

「いやはや、欲望に忠実で結構なこと・・・ もう勝った気でいるようで。

 眼前にある牢という名のついた関にいるのが、かの有名な鬼神と飛将、そしてあの臥龍と鳳雛に並び称された麒麟ということも忘れ、この浮かれ騒ぎ。

 これは反撃でもくらえば、実に危険極まりない状況といえますなぁ」

 前線の様子を見て、私は白蓮殿の隣でおもわず笑ってしまう。

「それを今言うのか・・・ 星・・・」

 頭痛を堪えるように頭を押さえる白蓮殿に、私は笑ったまま最前線の功を飾ろうと血走った眼で駆けてゆく諸侯へと視線を移す。

 泗水関で勝利に浮かれた諸侯たちを諌めることは、流石の田豊殿でも出来なかったらしい。その上、例の許ナントカという軍師も虎牢関に攻め入ることを強く勧めたらしい。その会議を目の当たりにした稟は呆れ、風は聞く価値もないとでもいうように居眠りしていたと聞く。

 劉備殿たちは功績と捕虜たちの虐待の一件において後ろへと下げられ、あの曹操軍は相変わらず連合の主軸たる袁紹軍を守るようにすぐ前に配備。あとの配備は前から諸侯、我々、袁術・孫陣営、西涼軍となっている。

「何を言っても止まらぬこの状況下、私があちらの将ならば鼻っ柱を折りに行きますな」

「何、さらっと物騒なこと言ってんの?!」

「いや、戦場で物騒なのは今更だろ。白蓮嬢ちゃん」

 私の言葉に叫ぶ白蓮殿に続いた予想外の声に視線を向ければ、白蓮殿の肩にはいつの間にやら宝譿が乗っていた。

「宝譿、お前が何故ここに居る?」

 今回の戦に関しては見なくてもわかると言って、二人は陣に引き籠っているはずだが。

「つれねぇなぁ、星嬢ちゃん。

 まーだ、俺が風に頼まれて嬢ちゃんの秘蔵のメンマ盗ったこと、怒ってんのかよ?」

「そちらも当然怒っているが、風が来ない以上お前もこちらには来ないと思っていたのでな」

「いっやー・・・

 風と稟嬢ちゃんが二人して、何か本気で話し合ってるようでよー。

 脇でうるさくしてたら、追い出されちまったぜ!」

 追い出された割には上機嫌に答える宝譿と、二人が本気で話し合っていた内容について言及したい気持ちが湧きあがるが、とりあえずは戦況から目を逸らさないように考えを巡らせる。

「あっ、あとついでに風と稟嬢ちゃんから伝言を預かってきたぜ!」

 ・・・人形に伝言を預けず自分で来いと思うが、あの二人だから仕方あるまい。

 白蓮殿も同じことを思ったらしく顔を引き攣らせているが、すぐに苦笑を浮かべつつ頷いて言葉の先を促した。

「今回、風達の見立てだとこの一戦は俺たちと負けだと」

「ふっ、は! はははははは! いやはや愉快! 流石は我が友!!

 歯に衣着せぬ物言いも、ここまで来るともはや清々しくすらありますな? 白蓮殿」

 堪えきれずに噴き出す私とは対照的に白蓮殿の表情は険しくなり、前線へと向ける目は厳しくなっていく。

 フム、驚きはなしか。

 やはりこの方は、君主でありながら将でもある。何とも不思議な御方よな。

「風は『砦に策も無しで突っ込むとか、許攸さんって人はお馬鹿なんですかねー?』ってまで言ってたぜ?

 まっ、普通そうだよなー。

 相手が無抵抗に関を開けるなんざありえねーし、関を攻められたら籠城すんのが当たり前だろ?

 なのに、阿呆みてーに全員で突っ込むなんざ・・・ 揃いもそろって馬鹿ばっかだな」

 宝譿の言う通り、前回の泗水関がどれほどおかしかったかを今回同意した全ての者たちはまるでわかっていない。

 何故、あちらが有利な状況下に籠城をすることもなく、将たる華雄殿が一騎打ちを挑んだのか。

 その問いに対する答えはなく、多くの諸侯は彼女がただ自らの武に驕って一騎打ちを挑んだのだとせせら笑う。

 袁紹軍はわざわざ魔王の盾という厄介を抱えたくはないらしく、連合の長自ら彼女を問いただそうとすらせずに、劉備軍に任せたままとなっているのが現状。

「わからぬことだらけのこの連合にて、誰も彼もが真意を知ることを避けるように行動しているのがまたなんとも滑稽」

 もっとも下手に触れてしまえば火傷程度では済まないということを、熟知している者もいるのだろう。

 だが、それが殊更に欲に酔う者たちを助長させる。

 野心と保身、そして闘争心。

 その三つが渦巻く連合に、誰もが目指す理想的な正義などない。

 ただ己が成すべきことを成し、それに伴う意義こそが一つの正義となる。

「宝譿も、風も、星も、もっと言葉をだな・・・」

「だって、そうだろ?

 白蓮嬢ちゃんだって、違和感ぐらいもってんじゃねーのかよ?

 これじゃまるで、内側から関が開くことが前提じゃねぇか」

「それは・・・・」

 口籠る様子から、白蓮殿も口にこそ出さないが理解はしているのだろう。

 白蓮殿はけして愚かではない。

 ただあまりにも優しすぎ、人を疑うということを知りながらにそれを行うことを拒む。

 君主として優秀であっても、将としての武を持っていても、文官としての智を備えていても、白蓮殿の人としての優しさが最後の詰めを甘くさせる。

「仕方あるまい、宝譿。

 何せ、連合の長たる袁紹軍の軍師殿が決めたこと。それに諸侯の多くも賛成し、前線を務めてくださったのだ。

 我々は精々、そのおこぼれを貰うとしよう」

 もっとも、妙なところはあの袁紹殿自ら騎馬隊を中心とした我々と西涼軍をここに配備したことだが。

「まったく、あなたはいつも損な役回りばかりだ。白蓮殿」

「・・・まぁ、こんな功績も何も得られないようなところに割り振られたら、普通そう思うんだろうなぁ。

 だけどな、星。

 馬鹿だと思われるかもしれないけど、私はそう思ってないんだ」

 白蓮殿のその声は、ひどく穏やかなものだった。

「ただの保身だって、誰かに笑われてもいい。

 でも私はどこだろうと、どんな状況だろうと、自分の出来ることをしたい。

 いつだって、どんな時だって、私なんかだと大したことは出来ないかもしれないけど・・・ でも、この場所だって麗羽が私を信じて任せてくれたんだ。

 あの麗羽が私に、『任せましたわよ、白蓮さん』なんて言ったんだぞ? 凄いじゃないか」

 誇らしげに、嬉しそうに、袁家という強大な力を前にしても、白蓮殿にとって袁紹殿は劉備殿と変わらずに友なのだと、その言葉からわかってしまう。

 甘い、あまりにも甘すぎる。この大陸には異端に映るほどの甘さに、胸焼けしてしまいそうだ。

「ふっ・・・」

 まったく、武人としてあろうとしていた私がすっかり牙を丸めてしまったのは、白蓮殿の所為かもしれぬな。

 

 

「泗水関を! 我が同朋を破りて、迫りくる連合の者どもよ!

 勝利に酔い、欲望に狂い、醜き野望を隠しもせずに邁進せし、愚かな諸侯たちよ!

 臥龍・鳳雛と共に並び称されし我が名を、知らないなどとは言わせない!」

 まず見えたのは、真っ赤な髪。

 諸葛亮殿が纏っていた腕だけを通すような上着もまた鮮血の赤であり、その下には董卓軍を表す紫を基調とした文官服。

 足につけられた装具はまるで馬の蹄のようであり、その特徴的な装備は彼女が誰であるかを示すようだった。

 連合の全てを指し示すように右腕をこちらへと向け、視線は鋭く、足を踏み鳴らすように仁王立ちをする姿は軍師であるにも関わらず、なんと勇ましい事だろうか。

「真実を知ることを拒み、我らが盾を破り、愚かにもこの地へと突撃せんとする諸侯たちよ!

 牢の名を持つこの関から、自ら我ら(怪物)を解き放った愚を地獄で後悔するがいい!!」

 連合から己が見えるように関の頂上に立ち、同時に自ら全てを見据えているようだった。

 これが軍師?

 並の将では、彼女の前に立つことすら敵うまい。

「鬼神の怒りに身を裂かれ、飛将の武によって空を舞い、醜き屍をこの大陸へと晒し、朽ちてゆけ!!

 そして、麒麟と称されし我が名を、我らが魔王軍の怒りを! 地獄の閻魔に土産とせよ!!」

 その号令と共に関の門が開かれ、何かが現れようとする。

 が、それよりも早く前線から虎牢関へと、何者かが駆けていく。

「ハッ、貴様ら魔王軍如きに後れを取るような連合ではないわ! 我が一刀の元に斬り捨ててくれるわ!!

 先陣は私が頂く! そして、私に続け!! 連合の勇士達よ!」

 功を先走ったどこの所属とも知れぬ将が馬にまたがり、数名の部下を連れ、後ろを振り返りながらの進軍は明らかにあちらを舐めている。

 あの号令を聞いて尚、臆することもない度胸はかろうじて評価できるが・・・

「聞いたかぁ? 恋。

 魔王軍如きやて」

「・・・・・(コクッ)」

「まぁ、ド派手に決めたろや」

 危険を感ずることのできぬ将は、早死にするが世の定め。

「おぉ! 飛将、鬼神!!

 私は・・・」

「・・・・霞」

「わーっとるて」

 門から駆け出すは、騎馬に跨りし鬼神とその隣を同じ速さで駆けぬけていく飛将は名乗り上げようとする将を相手することもなく、直前で二手に分かれる。

 鬼神は将の横を通り過ぎていき、飛将は跳躍し、騎馬の上を取る。

 馬の背丈よりも高く飛び上がる身体能力にも驚かされるが、これが飛将なのだと納得すらしてしまう。

 戦場を縦横無尽に駆け、強者たる以外の全ての駒を飛び越えてゆくだけの力を持つと謳われる存在。それこそが飛将・呂布。

 彼女は馬の首元に足を乗せ、持っていた得物ではなく馬の背から将を蹴り飛ばす。

 初撃で命を取らない理由がわからず、首を傾げかけるが将が落ちる先に居た存在によって疑問は瞬時に解消された。

「知っとるで?

 相手の実力もわからんと功績欲しがった、ただの阿呆やろ?」

 将が連れていた部下を斬り捨て、待ち構えていた鬼神の姿だった。

「魔王軍の恐ろしさ、その身にしっかり刻み込みやぁ!!」

 降ってくる将を袈裟切りにし、自らが血を浴びることもいとわずに鬼神は一歩ずつゆっくりと馬を進める。

「さぁって・・・ 次は誰や?」

 当然、その問いに答える者はなく、笑う鬼神に寡黙な飛将は得物を振るって、刃を向ける。

「来ないんなら、こっちから行くで?」

 麒麟が怒りの嘶きをあげ、鬼神が高らかに笑い戦場を駆け、飛将は黙して語らず君臨す。

 関から解き放たれた恐ろしき(怪物)たちが、連合へと襲い掛かってきた。

 

 

 将が斬り捨てられたのを機に、次々と諸侯たちが虎牢関へ攻めていった・・・ のは、最初だけ。

 鬼神の張遼が少数の兵を率いて馬を駆り、縦横無尽に軍を切り裂いていく。飛将・呂布が門に立ちふさがり、次々と兵を得物である戟によって、比喩ではなく文字通りに空へと飛ばしていく。

 先程の威勢の良さはどこへやら、四半刻も経たぬうちに陣は徐々に後ろへと下がりつつある。

「はっはっは、見られよ。白蓮殿。

 飛将によって兵が空を舞い、鬼神によって道が切り開かれていく。

 実にすさまじいものですな」

 多勢に無勢という言葉があるが、それはどちらの兵も同程度の力を持ったのみだということを実感させられる。

「いやだから!? 冷静に状況を見ている場合じゃないだろ?!

 それに人は空なんて・・・」

「おっと嬢ちゃん、否定するのはいいが自分の旦那になる存在がどう現れたかを忘れちゃいねーよな?」

「そうだけども!

 それより、しなきゃいけないことがあるだろ!」

 フム、やはり白蓮殿は真面目。だからこそ、からかい甲斐があるのだが。

「いやいや、我々の位置からも、この場合の役割としても前に出過ぎてしまうはむしろ愚策。

 ましてやこれは袁家の軍師殿の策ゆえ、命令違反も出来ますまい」

 少数の騎馬部隊に見事引っ掻き回された前衛部隊は崩れ、そこに人知を超えた武によって叩かれてしまえばひとたまりもない。たとえ鬼神の刃を逃れて前に出たとしても、飛将によって切り捨てられるが定め。

「ふふふっ。

 素晴らしい武、なんと勇ましい事よ」

 私の武人としての本能が疼き、あの場で槍を重ねたいと思ってしまう。

「ちなみに、もしここで嬢ちゃんが武人としての本能とかで飛び出してったら、メンマの瓶をぶち割るって言ってたぜ?」

「くっ!

 メンマ質とは卑怯な・・・!!」

 だから! どうやって私の隠し場所を知ったのだ?!

 風達はどうやら私の行動を見越して、宝譿を追い出したらしい。まったく抜け目のない。

 本来向けるべきではない相手とはわかっていても、行き場のない苛立ちから宝譿を睨みつけてしまう。

「おっと、そう睨むなって。

 白蓮嬢ちゃんからも、なんか言ってやってくれよ。俺だけじゃ、星嬢ちゃんは止めらんねーよー」

 白蓮殿を頼るように抱き着いて、胸元辺りをグリグリするのはまるで駄々っ子のようだが、声が男の所為でどうにも可愛らしくない。

「大丈夫だよ、星なら。

 何をしなきゃいけないかをちゃんとわかってるし、現に今だって飛び出していってないだろ?」

 流石は白蓮殿、よくわかっておられる。ならば私は、その期待に応えねばなるまい。

「うむ。

 では、ここらで一献傾けようか」

 胸元に忍ばせていた水筒とは別の筒を取り出し飲もうとすれば、白蓮殿に手首を掴まれてしまう。

「一献って・・・ 酒じゃん!?

 何で当たり前のように持ってんの?!

 こんな状況下で飲むとか、やっぱりやることわかってないだろ?!」

「フム・・・ 白蓮殿はいらぬようだが、宝譿はどうする?」

「おぅ! いただくぜ!!」

 白蓮殿から鋭い突っ込みを貰いつつ、宝譿へともう一本の水筒を渡せば口元を開いて注がれていく。仕組みについてはあえて触れまい、こやつがよくわからんのは今に始まったことではないからな。

「まだ、動けませぬな。

 前線部隊である諸侯たちは助けを求めることもなく、鬼神の怒りはまだこちらまで来ていない。それに何か、予感がするのですよ。白蓮殿。

 馬鹿が、馬鹿をしでかす予感が」

 そう例えば、武人である本能を押さえきれず、周囲も止めることが出来ないほどの武を持った大陸の猛者(大馬鹿者)が飛び出していく・・・ そんな予感が。

「はぁ?」

「流石にそれはねぇだろ、星嬢ちゃん。

 あんなに鬼神と飛将が暴れてる中で突っ込んでいく馬鹿なんざ・・・」

 白蓮殿は素っ頓狂な声をあげ、宝譿は当然否定する。

 だがそんな言葉とほぼ同時に、戦場へと威勢よく飛び出していく二つの姿を見つけ、私は上機嫌に酒を呷った。

「ほれ、あそこに」

「「いるのかよ?!」」

 驚愕する二人に対し、とびだしていく者が何者かを理解し、さらに笑みが深まっていく。

 馬の尾のような髪を振りかざした一騎の騎馬、褐色の肌が特徴的な紅梅色の髪。

 想像以上の大物が鬼神と飛将に挑もうと戦場を駆け、自らがここに居ることを示さんと吼えていく。

「あたしが相手だ!!

 待ちやがれ! 鬼神! 飛将!!」

「あらあら、楽しいことしてるじゃない?

 私も混ぜて、頂戴よ!」

「お姉様の馬鹿ー!」

「雪蓮!! あっの馬鹿!

 柘榴! 笑っていないで、お前も来い!」

「わーったから、耳引っ張んな!」

 駆け出していく者に負けず劣らずの声を出しながら、さらに三つの人影が後を追いかけていく。

「まさか、ここまで予感が的中するとは・・・ ぶふっ」

 状況を読まずに武人としての本能で駆ける錦馬超と小覇王の後ろを保護者が追いかけるなど・・・・ よほどこの連合は私を笑い死にさせたいらしい。

 ふむ、てっきり文醜将軍も出ると思っていたのだが・・・ 少々外れたな。

「星! 笑ってる場合じゃないぞ!!

 ここで錦馬超と小覇王まで失ったら、連合の士気が・・・!

 もう命令なんて、待っていられない!! 私は行くぞ!

 星は周りを見つつ、穴が開いた所への加勢をしてくれ!!」

 私を怒鳴りながら前へと進み、剣を引き抜く白蓮殿の肩に既に宝譿はおらず、先程言っていたように出来ることをやろうとしている白蓮殿の姿があった。

「聞け! 我が勇敢なる幽州の兵たちよ!!

 目的は交戦ではない! 将を失った兵たちをまとめ、後ろへ下がるぞ!!

 連合の同朋を! 仲間を一人でも多く救助せよ!!

 白馬義従よ! 私に続けーーーー!!」

 いかに客将といえど、主君が動いたのならば、動かねばなるまい。

「さて、宝譿。

 肩を移ったことに文句はないが、私も行くぞ。

 白蓮殿はおそらく、あの大馬鹿者たちを死なせぬように一番危険な場所に行きかねんのでな」

「わーってるって。

 まっ、鬼神の嬢ちゃんが動き回ってんのも、わざとらしすぎてなんかありそうだけどな」

「そう、例えばあの素早さを生かし、兵の被害以外にも、我々が一度撤退せざる得ないような事態にするため・・・ だったら面白かろうな」

 風の相棒というのは、どうやら肩書きだけではなかったらしい。まったく、人形にしておくには惜しい存在だな。

「はっはっは! まっ、俺たちの考え過ぎだろうがなー」

「うむ、あまりにも人知を超えた武を見せつけられては、夢想を描くも仕方なきこと」

 互いに笑いとばし、私は空になった水筒を放り捨てて、得物である龍牙を構える。

「私の性格は丸くなっても、常山の昇り龍と呼ばれし武の牙は鋭きままであることを示さねばな?」

「今回はその牙を見せつけるわけでも、噛みあうわけじゃねーってこと、忘れんなよ? 星嬢ちゃん」

「無論だ。

 この常山の昇り竜・趙雲! 参戦いたす!!」

 そう名乗り上げながら私は錦馬超と小覇王、そして白蓮殿がいるであろう飛将の元へと馬を走らせた。

 



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48,虎牢関 初戦後 【雪蓮視点】

「さぁって・・・ 次は誰や?」

 まるで雨みたいに降り注ぐ返り血を気にしようともしないで、私達の視線の先で鬼神は笑う。

 鬼神が偃月刀の切っ先を揺らし、その背にわずかな部下を連れ、飛将はまるで自分が一つの関だとでも言うかのように動こうとはしなかった。

「来ないんなら、こっちから行くで?」

 何かを呟いて前線の諸侯へと切り込んでいく鬼神率いる騎馬隊が血路を創り、騎馬隊を逃れた者たちが飛将によって打ち上げられ、塵となって消えていく。

 

 

「アハハハ! 派手にやるわねぇ」

 普通なら恐怖を感じるんでしょうけど、生憎孫の血にそんなまともな思考なんて混じっていないのよね。

 孫の血は、闘争の血。

 孫の武は、略奪の武。

 今でこそ統治者なんてやってるけど、その始まりはただの略奪者にすぎないんだもの。

「ねぇ、柘榴。見た?」

「おーおー、さっきまではしゃぎまくってた諸侯がスゲェことになってんな。

 血塗れの鬼神に・・・ 飛将なのに不動ってか、そりゃ面白れぇわ」

 そっちに視線を向けることもなく話を振れば、柘榴は器用に喉の奥で笑ってる。

 昔っからそうよねー、柘榴のこの、猫とか虎が咽喉鳴らすみたいな笑い方は。

「ねぇ、柘榴」

 次々とあがる悲鳴、血飛沫、争乱の音。

 武器が合わさる暇なども与えられずに奪われていく、弱者の命。

 だけどそんなの私には関係ない。

 弱い者が死んでいき、強き者だけが力を振るう権利を得る。

 それがこの大陸であり、どれほどのものが拒んでも揺らぐことのない世界の真理。

「あんなの見せられたら、あなたも疼くでしょ?」

 なら、私にとって重要なのは強者のみ。

 この争乱の中で誰よりも血を浴びて、強さを示して前を行く姿から私達(武人)は目を逸らせない。

 私を震わせ、本能をたぎらせ、心を躍らせ、剣を交わす価値ある者。

 身分も、場所も、状況も、そんなものを放り捨てででも戦いたいと望ませてくれる者があそこにいるなんて・・・ ゾクゾクしてくるじゃない。

「・・・・そりゃ、な。

 俺だって根っからの武人だし、あんな武を見せつけられたら馬鹿だってわかってても、今すぐにでもあそこに駆けていきてぇよ」

 ほら、やっぱり。

 私と同じことを考えてるのが、こんな身近にいるんだもの。

「だけど俺ら二人が一気に飛び出したら、流石に冥琳と蓮華様にばれちまうぞ?」

「そんなのわかってるわよ。

 だから・・・・」

 どうせ飛び出したらわかっちゃうんだもの、それならあの子たちみたいに派手な方がいい。

「さーい! 柘榴がねーーー!

 『焦ったババァが既成事実作りに行くとか、必死すぎて面白すぎるわ』だってーーー!!」

「おまっ?!

 それは言わねぇって約束だろうが!!」

 お酒一瓶なんて、口止め料をけちる柘榴が悪いのよ。

 私がそう言おうとした瞬間、見慣れた矢が柘榴の足元に突き刺さる。

 流石祭、年齢に関して地獄耳ね♪

「ざ~く~ろ~~~!!」

「怒られる前に、私は先に行くわね」

 どうせばれたら怒られることに変わりはないんだから、怒られる前に別の問題を引き起こしてから飛び出しちゃえばいいじゃない♪

「ふざけんなよ、てめぇ!!

 洒落んなんねぇーぞ! クソがっ!!」

「柘榴は先に冥琳と蓮華様に怒られて、ついでに祭に追いかけられて、時間稼ぎしておいてねー♪」

 柘榴にこれ以上文句を言われる前に、私はもう前線へと向かって一直線に駆けだしていた。

 鎧なんて着ず、ありのままの姿で。

 それが孫の武、闘争の血。

 苦手だった父様と、目標で宿敵な母様から受け継がれたもの。

「おまっ・・・!? あとで覚えてるよーーーー!!」

 左腰に下げたままの東海武王を引き抜いて、口元は自然と弧を描く。

「あぁ、生きてるって楽しいわよね」

 お酒が飲めるのも、こうして古馴染みと馬鹿やれるのも、こんなゾクゾクとした気持ちも抱くのも、全部・・・ 生きているから。

 だったらもっと・・・ 楽しい事をしたいじゃない?

「あらあら、楽しいことしてるじゃない?

 私も混ぜて、頂戴よ!」

 

 

 

「って言って、威勢よく駆け出して負けてくるとか。ぷぷーーー!

 もう『小覇王』じゃなくて、『大敗王』とでも名乗ったらいかがですかー?」

「ぬぐぐぐぐ・・・」

 そして今、私は蓮華たちの前で正座しながら、七乃に指差されながら大笑いされてる。

 これ以上ない屈辱だけれど、実際一撃も与えられずに帰ってきちゃったし否定も出来ないのよね。腹立つけど。

「すげー活き活きしてんな・・・ 七乃」

 珍しく私の隣でも、叱る側である前でもなく、後ろにいる柘榴が呆れたような口調で言ってるけど、柘榴がしたことにみんな気づいてないのね?

「私が怒られるんなら、柘榴だって同罪じゃない!

 祭の事ババァって言ったし、助けに来たついでに鬼神を追いかけて行ったの、私知ってるんだから!!」

「てめっ?!

 一度ならず二度までも! 幼馴染売って恥ずかしくねぇのかよ?!」

 子どもじみた言い方だとわかっていても、柘榴だって同じじゃない。

「そっちは追いつけもしませんでしたけどね。ぷぷーーー!」

「「何でお前(アンタ)が知ってん()よ?!」」

 柘榴は私を見て、私は七乃を見ながら、七乃は指差す方向を変えて笑っていた。

「あっ、ちなみに柘榴。私は勘よ?」

「私は実力から見ての想像ですー」

「雪蓮の勘はおかしいし、七乃の想像はムカつくわ!!」

 私と七乃がしれっと答えれば、柘榴は声を張り上げて怒鳴る。

 けど、そんなの私達に効くわけないのよねー。

「柘榴、否定しないのね?」

 蓮華の何気ない問いに柘榴が驚いたような顔をして、すぐさま私と七乃を睨んでくる。

 その顔はいうまでもなく、『謀りやがったな、てめぇ』って書いてあって、私は勿論笑顔で『勝手に自白したんでしょ?』と返してあげる。

「一名様、ごあんなーい~~~」

 さっきから鬱陶しいほど上機嫌な七乃の言葉に後押しされるように、祭が柘榴の肩を叩いて、その首にしっかりと腕を回した。

「さぁ、馬鹿弟子よ。

 向こうで話と行こうか」

「祭殿、私もあとで行きますので、それまでよろしくお願いします」

「てめっ! 七乃!! 雪蓮!!

 二人して嵌めやがったなーーー!!!」

 まぁ、私があの状況下で後ろまで見てる余裕なんてなかったから、半分以上出鱈目だったんだけど。

 柘榴ってば、馬鹿正直なんだから。

「さぁ、大敗王さん。

 次はあなたの番ですよー?」

 心底楽しげに私を見下ろしてる七乃の表情に嫌な予感しかしなくて、私は助けを求めるように周囲を見渡した。

 まず目に入ったのは冥琳だけど、私に引き攣ったような笑顔を向けてる。助けてくれないわね、絶対。

 次は蓮華だけど、むしろ私を鋭く睨んできて、少しぐらいは皮肉を言われてくださいって言われてる気がする。助けてくれない。

 思春は見るまでもなく、蓮華しか見てないでしょうし、諦めたわ・・・

 これはもう、呉の癒しである美羽に助けを求めるしか・・・!

「まさか雪蓮さんともあろう人が一撃も与えるどころか、相手にされることもないなんて・・・ 初めてのことだったんじゃないですかー?

 しかも、同じように前線に出てきた錦馬超さんごと公孫賛殿に助けられるとか・・・ これが舞蓮様だったら、結果は変わっていたんでしょうねー?」

 そんな私の視線の先を先回りして、癒し(美羽)を隠すように立つ七乃に舌打ちをすると、お見通しだとでも言うように笑ってくるのがまたムカつくわね。

 それに私が相手をされなかったのは、別にこれが初めてじゃない。

 たった一人だけ、ずっと私を武人として見てくれなくて、ちゃんとした試合を一度もしてくれなかった人を私は知ってる。絶対に七乃には教えてやらないけど。

「いくら母様でも、あんなの相手で勝つのは無理よ!」

「『勝つのは』っていう辺り、舞蓮様なら打ち合えたことは否定しないんですねー?」

「・・・大体! 向こうが急に銅鑼鳴らして撤退するのが悪いのよ!

 突然鬼神が前線の諸侯たちの首ぶら下げたと思ったら、飛将を猫の子みたいに捕まえてさっさと関に入ってっちゃうし!

 麒麟は麒麟で私達見下ろしたと思ったら、槍投げてくるし!!」

 痛い所を突かれて私が捲し立てても、七乃はむしろさらに楽しげに笑って、私の頬を突いてきた。

「命拾いした上に、軍師によって追い立てられるなんて・・・ まさに大敗王の名にふさわしいですね。ぷぷぷっ」

「七乃・・・ そろそろいいでしょう?

 姉様も反省したでしょうし」

 蓮華がそう言いながら私と七乃の間に立ってくれるけど、これまでの七乃の言葉にそんな意味あるわけないじゃない。

「え?

 私のこれは別に、雪蓮さんに反省を促していたわけではありませんよ?」

「え? じゃぁ、何故・・・・」

 蓮華・・・ あんたって子はどうして聞いちゃうのよ。

 そんなの、答えは一つに決まってんじゃない。

「私はただあんなに威勢よく飛び出した挙句、功績をあげるどころか、相手にもされなかった雪蓮さんを笑いものにしてるだけですよー」

 やっぱり性格ひん曲がってるわよね、七乃って。

「・・・・美羽、あれをお願い」

「れ、蓮華姉様・・・・ 本当に言うのかのぅ?」

「えぇ、あなたにしか出来ないの・・・」

 頭痛を堪えるように頭を押さえる蓮華を心配するように寄り添う美羽が、蓮華と変わるように私と七乃の間に立った。

 そうして七乃へと体を向けて、両手を握って美羽が口にしたのは

 

「蓮華姉様を困らせる七乃なんて、大っ嫌いなのじゃ!!」

 

 あれ・・・? 私が言われたわけでもないのに涙が出そう。

 これって下手に殴られたり、説教されたりよりも辛くないかしら?

「げはっ!!」

 現に言われた側である七乃は血を吐いて倒れ、気絶しているように見えるのにその目からは滝のような涙が溢れていた。

 これは・・・ きついわね。

「み、美羽?

 わ、私の事は嫌いじゃないわよね?」

 私が恐る恐る尋ねるといつもは花のように可愛らしい笑顔を向けてくれる美羽が、返事もしないでそっぽを向いてしまう。

 その視線の先を追いかけてみれば、冥琳と蓮華が一緒になって美羽を労っているようだった。

 と、とんでもない罰を考えてくれるじゃない。

「して、雪蓮よ。

 実際のところ、お前の見立てで飛将の武はどうだったんだ?」

「あんな容赦のない罰を人に与えといて、そう言うのはしっかり聞くのね・・・」

 人の皮を被った獣が呂布や母様だとしたら、冥琳は鬼か何かかしら?

「あれを罰だとわかっているのなら、罪がなんだったかもわかっているだろう。

 鬼神については後で柘榴から聞くが、お前から飛将に対する忌憚のない意見が欲しい」

「さっきも言ったけど母様なら対等に打ち合えるでしょうけど、体力とかの面からまず勝てない。

 だけど私達じゃ、対等にやりあうだけの経験も技術もなくて、勝てっこない。

 もっとわかりやすく言えば、私があと十人いたらぎりぎり勝てるんじゃないかしら?」

「姉様が十人いたら倒れるわね、私」

 真面目に答えたのにさらっと酷い事を言う実妹。

 ていうか、どういう意味よ、蓮華。

「雪蓮さんが十人もいたら・・・ どうしましょう、私は笑い死にしてしまいます~」

「あんたはいつ、復活したのよ!?」

 ついさっきまで確かに倒れていた筈の七乃が立ち上がり、また笑いをこらえるように口を押さえている。

 でも、さっきの吐血と涙の痕は残ったままだった。

「ふむ・・・ だが、正直困ったな。

 この乱で功績をあげなければ、今後に関わる」

「ですよねー。

 今回、皆さんに功績をあげてもらって、こちらから離脱。

 そうしたら我々は、袁家に群がる者たちによって謀殺されたフリをして姿を消す~という筋書きから大きくずれてしまいますからねぇ」

 腕を組んで眉間に皺を寄せる冥琳に、七乃がいつものように笑ってそんなことを言ってくれる。

 うぅ・・・ そう言えばそうだったのよね、楽しくなってつい頭の隅にやっちゃってたけど。

「冥琳、七乃、実はそれについて槐から一つ、提案があったのよ」

 蓮華の言葉に笑っていた七乃すら目を開いて驚き、すぐさま嫌そうに目を細めた。

「えー・・・ 槐さんからだと嫌な予感しかしませんねぇ・・・」

「右に同じく。

 だが、あいつ自身からの政や戦に首をつっこんで何かを提案するなどとは珍しいな」

「ホントよねー。

でも大方、洛陽にでも忍び込んで、貴重な書物とかを漁って来るとかじゃない?」

 まっ、貴重な書物を漁る時点でいろいろな情報を得られるんだけど、まず槐の興味の対象に入るかが問題なのよね。

 ていうか、槐が洛陽で行うことってそれ以外想像できないんだけど?

「姉様以外にはあとで詳細を話すので、夜にでも集まってください」

「ぶー、蓮華ってば最近姉の扱い雑じゃない?」

 私に話す気はない蓮華に頬を膨らませて不満を言えば、蓮華はキッと睨んでくる。

「玉座を放りだした母と、戦況も考えずに突っ込む姉を持てば、誰でもこうなります!

 最近はシャオも姉様のように野生児になってきましたし、冬雲殿にはなかなか会えませんし、槐も柘榴も自分のしたいようにするし、冥琳はなんだかんだで姉様に甘いし、七乃は問題起こした姉様をからかって別の問題にするし・・・

 まったく! 揃いもそろって私を倒れさせたいのですか?!」

「それはその・・・・ 申し訳ございません」

「めーんご♪」

「蓮華さんはそう言う星の元に生まれたので、諦めてください♪」

 普段の愚痴とか、文句とか、自分の欲も入り混じった言葉に、名指しされた私達はそれぞれ適当なことを言う。

 冥琳だけはちゃんと謝ってるけど、私と七乃にそんな言葉が通じるわけがないものねー。

「えぇ、わかっていましたとも・・・!

 二人には言葉が通じないことなんて、これまでの経験から・・・!!」

 あーぁ、また蓮華が眉間に皺よせて震えてるー。

 原因の七乃に視線を向ければ、私と同じように視線を向けてくる七乃と目が合った。

 私達が視線での責任の押し付け合いをしていると、気まずくなった陣の中で可愛らしい足音に私達は同時に視線を変えた。

「蓮華姉様・・・

 ごめんなのじゃ・・・」

「美羽が謝ることなんて何もないわ。

 むしろこの中で一番まともなのは、美羽だもの」

 ちょっとそれ、どういう意味よ。蓮華。

「じゃが、雪蓮姉様が功績を取ろうとしたのも、七乃が妾の傍に居てくれるのも、冥琳姉様と蓮華姉様が辛そうな顔してるのも妾を袁家から・・・・」

「みーう!」

 泣き顔になってる美羽に耐えられなくなって、後ろから抱き上げる。

「しぇ、雪蓮姉様?!」

 驚いた顔から涙が落ちてきたっていい。むしろ、涙なんて笑いでなくしちゃいましょ。

「もう! かーわいいんだから!」

「雪蓮さーん?

 その位置を私に返してくださーい?」

 七乃が怖い目をしてこっちを見てきてるけど、今は気にしないもんねー。

「あなたがそんなこと気にしなくたっていいのよ。

 だって、蓮華と冥琳の顔が険しいのは昔からだし、七乃が美羽が大好きなのはずっとだし、私が暴れん坊なのは美羽も知ってるでしょ?」

「オイ、雪蓮」

 冥琳の注意も聞こえなーい。

「さっ、美羽のために第二戦目も頑張んないとね?」

 虎牢関での第二戦目は、果たしてどうなるんでしょうね?

 とっても、楽しみだわ。

 



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 虎牢関 初戦 【蒲公英視点】

「・・・・お前たち、弱い」

 虎牢関の前で呂布さんが何かを言って、薙ぎ払う。

 ただそれだけで人が空を舞い、悲鳴と共に血飛沫があがっていく。

 歩兵も、騎馬も、将も、彼女の前では誰もが平等に斬り捨てられ、阻まれる。

 前を行く諸侯の兵たちを蹴散らして、自ら動かぬ壁となる。

 飛将なのに、不動。

 戦場を縦横無尽に駆けることで有名な呂布さんらしくない戦法。

 だけど、どうしてだろう?

「誰も・・・ 通さない」

 蒲公英にはその姿が、大陸を守らんと五胡に立ち向かう叔母様の姿と被って見えた。

 

 

「ねぇ、叔母様・・・

 たんぽぽ達って、何のためにこの連合に参戦したのかな?」

「あんたはまったく・・・ 翠と違って賢いねぇ」

 たんぽぽの問いに叔母様は答えずに、頭をぐしゃぐしゃに撫でられる。

「叔母様、ちゃんと答えてよ」

 手をどかしながら叔母様を強く睨んでも叔母様は気にした様子もなくて、逆に見つめ返してきた。

「漢への忠誠を示すため、さ」

「そんなの・・・!」

 建前じゃん!!

 と、叫ぼうとしたたんぽぽよりも早く、叔母様は言葉を繋げた。

「そしてこの後も、アタシ達が五胡からこの大陸を守る防壁であるためだよ。

 董卓のことをアタシらが知っていても、その命を守りたくても、アタシ達西涼軍にはそれ以上の責務がある」

 たんぽぽから目を逸らして戦場に視線を向ける叔母様は何かを堪えるように、前線で繰り広げられる争乱を見つめていた。

「アタシ達が倒れたら、誰が五胡からこの大陸を守るんだい?」

「でも、それじゃぁ董卓さんは!」

「じゃぁ、考えを変えてみな。蒲公英」

 叔母様は視線をこっちに戻すこともなく、顎に左手を当てて、まじまじと戦場を見つめていた。

「もしアタシ達が董卓軍と同盟を組んで西涼に招いていたら、戦場は間違いなく虎牢関(ここ)じゃなく、西涼か、涼州に移っていただろうねぇ。

 今と同じように大陸の権力者や実力者たちが名を連ね、その姿を一堂に会するだろう。

 そしてそれは・・・ 五胡が大陸へと攻め込む絶好の機会となる」

 叔母様が指先で煙管を求めるように遊び、結局何もしないまま近くに突き刺していた得物である十字槍・柳暗花明を掴んだ。

「もし、そうなっていたらどうなるか。答えは簡単さ。

 連合が勝っても負けても、消耗した者を五胡が蹴散らし、大陸が奪われる。

 でも、それだけはあっちゃぁならない。

 だから今ですら、あそこで韓遂の爺が睨みをきかしてんのさ」

 声を荒げることもなく、そう言いきった叔母様にたんぽぽはただ驚いて、本当にこの人はつい最近まで病人だったのかを疑いたくなってしまう。

 叔母様の言葉は、さらに続く。

「西涼の民が何故、あんな辛い環境で生きられると思う?

 五胡と大陸を挟み、馬がなければ生活も出来ないようなところで、それでもなおあの地に留まっているのか?

 それはアタシ達が大陸を、漢を守っているんだと強い自負があるからだ。

 漢を誇りに想い、漢を守ることこそがアタシ達を支えてるのさ」

 将として戦場に立って、西涼を守る叔母様はいくらでも知ってる。

 だけど、領主として西涼を守ろうとする叔母様を見るのは、これが初めてだった。

 ううん、違う。

 たんぽぽが知らなかっただけで、叔母様はこうして何度だって西涼を守ってきたんだ。

「アタシが董卓の人となりを知っていても、情報が偽りだとわかっていても、アタシ達西涼軍が『漢の敵』とみなされてしまった董卓の味方になることは許されない。

 だからアタシは、ここに居る。

 わかったかい? 蒲公英」

 そうして堂々と立っている叔母様の背中に、たんぽぽはいつだか母様が歌っていた叔母様への賛美を思い出す。

 敵を睨むのは、まるで夕暮れの空見たいな橙の瞳。

 馬の尾のように括られた、白髪交じりの黒い髪。

 ピンッと伸ばされた背筋に、共に駆けるは叔母様御自慢の月毛の焔。

 全てを受け止めようと広げられた両腕は敵には槍を、同朋には酒を伸ばすためにある。

 西涼の民は、この背中についていく。

 何よりも勇敢に、誰よりも速く前線へと駆けて行く英雄・馬騰。

 そして、その横を駆け抜けることを許されていたのは ――― 誰よりも草原の地に愛された泣き虫な男。

「叔母様、お姉様はそれを知ってるの?」

「いいや、知らないね。

 教える気もないよ」

 即答した上に『教える気もない』なんて言う叔母様を問いかけようと息を吸ったら、叔母様は言葉を見越してたかのように言葉を続ける。

「『何故?』なんて聞くんじゃないよ、蒲公英。

 あの子は将じゃない、領主の娘だ。

 武将ですら気づけた違和感を気づけないようじゃ、駄目なんだ。

 いつまでも手取り足取り、アタシが領主を教えることなんざ出来っこない。

 この答えに自力でたどり着けないってんなら、あの子はそれまでだよ」

「それはいくらなんでも厳しすぎるよ! 叔母様」

 断言する叔母様の言葉があまりにも厳しくて、おもわず声を荒げてしまった。

「アタシが厳しくしなきゃ、誰が翠に厳しくするってんだい?」

 けれど、それに対する叔母様の答えは短くて、単純なものだった。

 これが叔母様とお姉様の在り方なんだろうけど、なんか屈折していて、素直じゃない。

 お互いにお互いを意識してるのに厳しくて、大切なのに遠ざけて、その扱いは信頼してるんだろうけどなんだか粗雑で、不器用極まりないと思う。

「・・・・逆の意味で過保護」

 とてつもなく面倒な親子を前にしたたんぽぽは、愚痴のような内心を一言にして吐き出した。

「なんか言ったかい?」

「いえ、なんにもー」

 問い返されたけど、たんぽぽは事実しか言ってないもーん。

「余計なことを言ってないで、さっさと持ち場に戻りな。

 じゃなきゃ、あの馬鹿娘が飛将に突っ込んでいくとかやりかねないからね」

「ハハハ、まっさかー。

 たんぽぽの目から見ても、若い頃の叔母様よ『あぁん?』り強い呂布さんに挑むわけないじゃん。

 いくらお姉様でもそんな無謀なことしないって・・・ ヴあぁぁーーーー?!」

 たんぽぽ達が見下ろしてるその時、陣内から飛び出していく見覚えのある馬に跨った、茶色の馬の尻尾みたいな姿が視線の先に移り、もう冷や汗が止まらなかった。

「で?

 いくらお姉様でも・・・ なんだって?」

「挑んじゃう馬鹿だったねー・・・」

 わざとさっきのたんぽぽの言葉で聞き返してくる叔母様って、本当にいい性格してるよね!

「ほれ、行っといで」

「はぁ~い・・・ 逝ってきま~す・・・」

 叔母様の言葉に送り出され、たんぽぽはすぐさま駆け出した。

「お姉様の馬鹿ー!」

 考えなしに突っ込んだ従姉妹へと、不満を爆発させながら。

 

 

 

「うそ・・・・」

 あまりにも圧倒的な光景に、言葉が漏れる。

 馬騰の娘にして、西涼の錦馬超。

 病気の件もあって前線に立つことの減った叔母様に代わり、西涼の民を率いて戦う雄姿を称えられて贈られたその名は決して伊達ではない。

 馬術と槍術においてお姉様にかなう相手なんて、叔母様と叔父様以外私は知らない

 孫堅の娘にして、小覇王である孫策さん。

 遠く西涼にすらその名が響く時点で、その実力がどれほどかなんて簡単に想像できる。

 そんな二人が呂布さんによって、他の兵たちと一切変わらずに吹き飛ばされていく。

「ありえないってば・・・」

 現状に対して、二回目に漏れた言葉も一回目と何も変わらない。

 ただ、信じられなかった。

「・・・お前ら、ちょっと強い。

 でも、それだけ。

 霞と恋は・・・ もっと強い」

 呂布さんの言葉は、あの飛将と呼ばれた彼女からは想像できないほど拙いものだった。

 麒麟の嘶きのような怒声でも、鬼神の狂笑にもおよばない幼い言葉。

「恋はここを、通さない」

 言葉は幼い筈なのに、ただ紡がれていく一つ一つが本気だって伝わってくる。

 そして呂布さんは戟を軽く払ってから、二人へと刃先を向けた。

「来ないなら、何もしない・・・・

 来るなら・・・ 次は斬る」

「へぇー・・・

 言ってくれるじゃない!」

「たった一撃入れたぐらいで、図に乗ってんじゃねぇーーー!!」

 呂布さんの言葉に突っ込んでいくお姉様と孫策さんに、たんぽぽはさらに馬の足を速めた。

 まだ遠い、だけど!

 馬術も槍術もお姉様に届かなくても、人の足より遅いなんてことはないんだから!!

「お姉様の馬鹿ーーー!!」

「何、やってんだーーー!!」

 たんぽぽが二人を庇うように槍を指し込むのとほぼ同時に、反対側からどこにでも見られる量産された剣が指し込まれた。

 容赦なく振るわれる呂布さんの一撃は重くて、押さえきれない。

 手綱を離して両手で槍を支えても、まだ足りない。

 二人がかりで、これ?!

「・・・・邪魔」

 言葉と同時に振り切られて、戟を受けたたんぽぽ達だけじゃなく、近くまで走ってきていた二人ごと吹き飛ばされる。

 うっそだー・・・・

 風圧で人を吹っ飛ばすとか、呂布さんに敵う人なんて本当にいるの?

 たんぽぽと一緒に支えてくれた人は打ち上げられるようにして空を舞い、風圧を受ける形となったお姉様と孫策さんは地面へと転がっていく。

 空を舞うなんて経験、いつかした叔母様との修練以来だな―とか思いながら、あの日を思い出して反射的に受け身をとった。

 わーい、出来たー。叔母様にしごかれた甲斐があったー。

 ・・・・あれ、涙出そう。なんでかな?

「おぉー、スッゲーな!

 見ろよ、星嬢ちゃん。名立たる武将があっさりと吹っ飛んじまったぜ!!」

 あっれー? たんぽぽ、受け身とったはずなのに頭でも撃っちゃったかな?

 なんか人形が動いてるのが見えるんだけど? まずい、叔母様にばれたらしごかれる・・・・!!

「こら、宝譿。

 人を指差すな」

 そこなの?!

 叫びたいのをぐっとこらえ、距離的にまだ遠いその人達(?)を見た。

「人だろうけどよー。

 今はただの負け犬じゃね?」

「フム・・・・ 確かに!」

 人形がとんでもないことを言った上に、それを肩に乗せてる人が同意するけど・・・

「確かに! ・・・じゃなーい!!」

 聞き捨てならない言葉におもわず腕を振り上げて、立ち上がった。

「おぉ、誰かしらは気絶しなかっただろうと思ったが意外な者が・・・」

「なんか苦労人っぽいよな、さっき見てても白蓮嬢ちゃんと一緒に守ってた側だったし」

「言いたい放題過ぎじゃない?!」

 言葉に全く容赦がなくて、好き放題言う人達(?)はこちらを見下ろしていた。

「申し遅れた。

 私は常山の昇り龍・趙雲。そして、肩に乗っているのは気にするな。ただの喋る置物だ」

「ひっでぇなー。

 喋るだけじゃなくて茶も入れられるし、菓子作りもお手の物。それどころか占いだって出来る万能・宝譿様だぜ?」

 気にしなーい、気にしなーい。置物が喋ってるなんてありえなーい。

「つまり、呪いの置物だ」

「時を又にかけた熱い想いを、呪いとかいうな!」

 何も見えない、聞こえなーい。気にしたら負けー。

 たんぽぽ強い子、頑張る子ー。

「さて、それはそうと馬鹿共を回収しなければな」

「白蓮嬢ちゃんはちげぇだろ?」

「では、白蓮殿を除いた馬鹿共を回収するとしよう」

 そう言って趙雲さんはこちらへと手を伸ばして、あっという間に腰に抱えられた。

 あれ? たんぽぽも入ってる?

「それでそちらの名は?

 馬がいるのならば出来れば自分で馬を駆り、どちらかを持ってもらいたいのだが?」

「あっ、西涼の馬岱です・・・ って、完全にみんな荷物扱い?!

 ていうか! 呂布さんが見逃してくれるわけ・・・・!」

 馬を呼ぶための口笛を鳴らしてから怒鳴るように返していると、趙雲さんは呂布さんとたんぽぽを交互に見てから得意げに自分を指差した。

「うむ!

 そのための私だ!!」

 ま、まさか・・・・

「一人で時間を稼ぐなんて、四人がかりで相手に出来なかったんだから無理ですってば!」

「まぁ、なんとかなるだろう!」

「頑張れよー、星嬢ちゃん」

 いつの間にかたんぽぽの肩に乗り移っていた人形に驚いていたら、趙雲さんはその人形をしっかりと握りしめるように掴んだ。

 人形は手の中で暴れているけど、その抵抗は虚しく、手綱に括り付けられてしまう。

「は・な・せ!

 俺には風と旦那の未来を温かく見守るっつう、重要な任務があるんだよ!!」

「はっはっは、それが赤の遣い殿だというのなら、邪魔してやりたいな! ぜひとも!!

 ここまでついてきたのが貴様の運の尽き、最後まで見放されているかどうか私と共に見届けてもらおうか。宝譿」

「だが、断る!

 離せや!! マジで!」

「日頃の恨みや、赤の遣い殿との思い出がある風達への嫉妬や、出来たて婚約者共から生まれた苛々をぶつけているわけではないぞ? 宝譿」

 あっれー? 今って結構、やばい状況だよね?

 どうしてこの人達(?)、こんななんだろう・・・

 いまだにじたばたと暴れてる人形を気にもしないで、片刃の小剣を二つにあわせたような特徴的な槍を馬上で構える。

 叔母様やお姉様の荒々しい槍とは違う、自然体でありながら流れるような武がその構えだけで伝わってくる。

 この人、強い・・・!

「さて呂布よ。

 そう言うことなのだが、どうだろうか?

 我々を見逃したりはしてくれないだろうか?」

「はーーーーー???!!!

 殿(しんがり)務めるんじゃないの?!」

 さっきまでとは全く違う趙雲さんの言葉に度肝を抜かれて、たんぽぽは声を上げる。

 いやだって、つい一瞬前まで『ここは自分にまかせて先に行け』みたいなやり取りをしてたのに、そんなことをどうして聞けちゃうの?!

「いやいや、馬岱殿よ。

 元々私が前線へと出てきたのは、考えもなく突っ込んでいった馬鹿・・・ もとい連合の将を救援するためでな。

 戦わずに済むのならそれに越したことはないのだが・・・」

「ないのだが・・・・?」

 趙雲さんがたんぽぽの後ろを見てから、ほんの少しだけ目を開いて、口元だけで笑っていた。

 なんだか不安になってその視線の先を追いかけて振り向いてみると、そこには・・・・

 ワーイ、生首ぶら下げた血塗れ鬼神様のお帰りだー。

「ふざけていたら囲まれてしまったようだな! はっはっはっは」

「笑いごとじゃなーい!!」

 ていうか、ふざけてた自覚あったんならやめようよ!

 さっさと離脱すればよかったじゃん!!

「なーんや、まだ()ったんかいな。

 まっ、ええわ・・・ 恋、帰るでー」

 あっ、たんぽぽ終わっちゃうんだ・・・

 短い人生だったなーとか半分黄昏てたら、鬼神さんの口から飛び出したのは予想外の言葉だった。

「って、いいの?!」

「なんや、死にたいんか?」

「どうぞお帰りください!」

 たんぽぽが即答すれば、鬼神さんは笑って、その場にいるたんぽぽ達を見渡してるようだった。

「べっつにここでやりおうてもえぇけどウチらは目的果たしたし、お荷物抱えた昇り龍と西涼の苦労人倒しても面白ないやろ。

 それに窮鼠猫を噛むっちゅうし、あんたら二人から思わぬ反撃やら、そこの猪に途中で起きられても敵わんわぁ。もっとも、そこの虎は狸寝入りっぽいけどなぁー」

「狸寝入りじゃないわよ!

 たった今起きたら、狸なんて呼ばれたのにムカついただけよ!! なんならもう一戦・・・」

 そんなことを言って立ちあがった孫策さんの足元に突如飛来するのは、一本の槍。

 どこにでもあるような量産された槍だけど、どこから飛んできたかもわからないその槍にたんぽぽ達は驚きを隠せなかった。

「誰よ?!」

 当然、孫策さんは声を荒げて相手を探すけれど、それに答えたのは予想外のところからだった。

「次は当てるよ? 小覇王」

 関の上に立つのは、怒りの嘶きをあげていた麒麟さんだった。

 次の槍を構え、関に足をかけて狙いを定めている彼女に鬼神さんは楽しげに笑った。

「何より、ウチの麒麟に怒られるんはもっとおっかないしなぁ」

 

 

 

 その後たんぽぽ達は何とか帰還して、お姉様が叔母様に怒られたり、孫策さんが周瑜さん達にお説教されたり、前線へと飛び出していった人たちはそれぞれの保護者に絞られていた。

 そして会議では前線を務めていた諸侯の多くが亡くなったこと、次の戦いではこれまで後ろに下がっていた曹操さんと赤の遣いさん、泗水関で功績をあげた劉備さんと白の遣いさんを中心に布陣が構成されることになった。

 たんぽぽ達西涼軍と孫策さんたちのところは今回の独断行動によって後ろへ下げられたけど、状況によっては前線へと駆り出されるかもしれないとか言われた。次の戦がどうなるかは袁家の軍師さんにもわからないんだって。

「はぁー・・・・ お姉様がまた無茶しなきゃいいんだけど」

 自分の幕に戻っても、考えるのはお姉様たちの事。

 あまりにもお互いに言葉足らずで、不器用で、無骨な親子。

 昔からどこかゆるい叔父様が間に立って成り立たせてた親子間は、叔父様の死と叔母様が病気で倒れて以降さらに不器用になっていった。

「まったく、めんどくさい親子なんだから」

 まっ、そんな間に挟まれてなんとかしようとしてるたんぽぽ自身も、大概だけどね。

 



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49,虎牢関 第二戦前 【霞視点】

「さっすが千里やわ。

 人を怖がらせる天才やあらへんか」

 さっきの千里の槍投げから猪二匹と公孫賛かついで去ってく趙雲たちを放っておいて、ウチの部下やらを先に関へと入れていく。

 ウチと恋は連合の奴らがおかしな行動せんように、関の前で睨みきかせて仁王立ちや。

「霞・・・」

「ん?」

 恋が服の裾掴んで上を示すもんやから何やと思うて上を見上げたら、千里も関の上でさっきのまんまで、まーだ槍構えて睨んどった。

「まったく、千里も無茶すんなぁ」

 内通者を見せしめに叩っ斬った時も、さっき小覇王目掛けて槍投げた時も、武器振るって強いように見せ取るけど・・・

「武どころか、腕の力もからっきしの癖にようやるわ」

 足にあーんな装具つけてても、千里に武なんか欠片もあらへん。

 足が速いんも、ちーっと体術が出来るんは確かやけど、あれは戦うためのもんやない。生き延びるための逃げ足で、旅路の最中での最低限の護身術でしかないんや。

 それでも千里がどんな時でもあれを付け取るんは常に(君主)の傍に居る詠でも、(飛将)の傍に居る音々音でもなく、雑事やらで文官の中でも特に一人で作業することの多い自分がいろんなところから狙われる可能性が高いとか考えた結果なんやろなぁ。

 自分が魔王軍の弱点にならんように、そう見えんように、精一杯そうでないフリをしとる。

「なんちゅうか・・・ ホンマ、千里らしいわ」

 嘘に嘘を塗り固めて、それがあたかも本物のように見せつける。

 相手に本物やって思わせた時からばれる瞬間まで、嘘は嘘やなくなる。

 あの号令もウチらに任せんかったんは、その嘘をより強いもんにするためやったんやろうなぁ。

「千里・・・ 弱い。

 けど恋より・・・ ずっと、強い」

 恋から出た予想外の言葉にウチは驚きながら、けどその言葉に自然と頷いとった。

「そやなぁ。

 千里はきっと、ウチらの中で一番強いわ」

 いろんなこと考えて、ウチら武将も、月たちも目を配っとる。

 武将にはわからんもんとも戦って、けろっとしとる。

 どうにかこの間ウチの前で悩み吐かせても、まーだ感情のまんま怒る千里は見たことあらへんもんなぁ。

「・・・・霞、銅鑼」

「おぉー、そやな。

 さっ、恋! 帰るでー!」

 そう言ってウチは恋の首を掴んで、関へと駆けこんでいく。

「霞・・・ 痛い」

 恋からなんや文句が聞こえるけど、ウチは気にせーへんもーん。

「くぉら! そこの馬鹿鬼神!!

 恋殿の首根っこを掴んで引っ張ってくるとはどういう要件でござるか!!!」

「恋殿を連れて帰ってくるなら馬の後ろに乗せるなり、もっと丁重に扱うのです!!」

 とか考えながら関に入ったら、出迎えの言葉も無しに二人に怒鳴られてもうた。てへっ。

「血塗れで凶暴なお前が、舌を出して笑っても少しも可愛くないのです!!」

「右に同じく!

 恋殿をこちらへと渡し、さっさと黒捷殿の汚れと血の汚れを落としに向かうでござる!!」

「「そして大人しく、恋殿をこちらに渡すのです(でござる)!!!」」

 おーおー、普段は口喧嘩しとる癖にこういう時だけ息が合うなぁ。この二人は。

「そんなこと言われんでも、中に入ったんやから普通に放すて。

 ほれ、恋」

「ん」

 ちゅーか恋も、痛いとかいう割には抵抗せぇへんかったな。

「「恋殿おぉぉーーー!」」

「二人とも・・・ 駄目」

 ひっさびさに餌貰う池の鯉みたいに恋に群がる二人に、恋が珍しく制止をかけとった。当然二人はさっきまで怒ってた顔を一変させて、なっさけない顔になる。

「どうしてでござるか?!

 もしやお怪我を・・・・!?」

「縁起でもないこと且つ恋殿にはありえないことを言うなです! 芽々芽!!」

 百面相までとはいかんけど、なんちゅうか二人とも大忙しやなぁ。

「・・・・・違う」

「「ならば、何故?!」」

 二人の同時の声に恋は引きもせんで、ただ気まずそうに自分の体を見た後、目を逸らしとる。

「血で・・・ 汚れてる。

 二人に血、つく・・・ だから、駄目」

 そこでまた恋は深く息を吸ってから、ウチの部下たちを見た。

「二人も・・・ やること、ある」

「恋・・・」

 恋もちゃーんといろいろわかってるんことがわかって、なんだか嬉しくなってくるやないか。

「・・・むぅ、わかったのです。

 では、ねねは千里のところへ向かうのです」

「では、霞に代わり某が兵たちの指示をしてくるでござる。

 恋殿は戦場での汚れをしっかり流し、休まれてくだされ」

「ん・・・

 二人も、頑張る」

 ハハハハ、二人に懐かれとるだけやなくて、二人の手綱もちゃんと握れとるやん。

 恋、やるやないか!

 言ったら二人が喧しくなることはわかりきっとるから言葉にはせずに、ウチは黙って恋の頭をかき撫でておく。

「さっさと汚れ落としてから武器の手入れもちゃちゃっと済ませて、千里が朝いうとった夜の会議までは休んどこか。恋」

「・・・(コクッ)」

 ウチは厩舎、恋は水場でそれぞれ分かれて、いろいろ終えたらウチはさっさと部屋に戻って一眠りすることにした。

 

 

 

 一眠りした筈のウチが見たのは、妙な夢やった。

 なんやくらーい中で一人立たされて、目の前に突然惇ちゃんとやりあうウチの姿があった。

 ウチが見てる筈やのに、ウチの視点やない。

 まるで他人事みたいに、あの日を見とった。

「いらん水さされんかったら、もっと楽しかったんやろな」

 華雄とも、恋ともはぐれて逃げようとしてたところに勝負ふっかけられて、何度も何度も打ちおうた。

 楽しかった。

 誰かとの斬り合いを、決着つけたい気持ちといつまでも続いたらなんて気持ちに挟まれたんは、あれが最初で最後やった。

 でも結局、あの時のウチは右目なくした惇ちゃんにも敵わんかった。

「まぁ、不思議と悔しくはなかったんやけどな・・・」

 勝負の最中で右目なくしても変わらんかった惇ちゃんを、ウチは『修羅』と呼んだ。

 一切の躊躇いもなく目を喰うたことも、呆けるウチに突っ込んでくることも、後に『魏武の大剣』って呼ばれる惇ちゃんの武をウチは確かに受け止めた。

 負けても全力出したから、なーんも後悔なんてない。だけど、それでも・・・

「敵わんかったからこそ、ずっと考えてたんや」

 仲間になった後も、ウチは何度も惇ちゃんと仕合した。

 やけど、どうしたってそれは片目の惇ちゃんの強さでしかなくて、どんだけ願っても両目の惇ちゃんとは二度と仕合うことは出来んくて・・・ そんなどうしようもない事が嫌やった。

 どの勝負も心から楽しかったことに間違いはあらへん。でも、それでもウチがもう一回したかった仕合は、もう二度と出来へん。

 叶うならもう一度、両目揃った惇ちゃんとやりあいたかった。そして・・・

「今度は、ウチが勝ちたいなぁ」

 全身全霊でぶつかったあの日、それをやり通すことが出来んかった後悔だけがいつまでも残っとった。

「だからな、惇ちゃん。

 ウチは心底嬉しかったんや」

 一刀にまた会えることが嬉しかったのも、嘘やない。

「でもな。

 ウチはそれと同じくらい、両目の惇ちゃんとやりあうことが出来るっちゅうことが嬉しいんやで?」

 あの時はどうあがいても実現できへんことやけど、今は違う。

 もう誰にも邪魔なんてさせてへん。

「なぁ、華琳。

 ウチは今も、あの時あんたが欲しがったウチかいな?」

 あの日の再現をする気なんてないし、繰り返しなんてありえへん。

 何もせんでただの慣れあいでウチが降るなんて、あるわけないやろ?

「まっ、あんな書簡寄越すぐらいなんやから、華琳にはばればれなんやろけどな」

 んでもって、惇ちゃんの次は・・・ なぁ?

「恋に鬼と呼ばれたかず・・・ 冬雲に、ウチに修羅(鬼神)て思わせた惇ちゃん、か・・・ えぇなぁ、最っ高やん」

 鬼ばかりが揃うその時が、楽しみでしょうがないわ。

 

 

「霞、会議あるからそろそろ起き・・・ ありゃ、珍しい。起きてたんだ」

「まぁなー」

 ウチを起こしに来た千里に返事をしながら、サラシの上からいつもの上着を羽織る。

「霞、行くよー」

「ほいほい。

 三人は?」

 千里に共に、何気ない会話をしながら関の中を歩いていく。

「もう会議の場所で待ってるよ。

 恋もなんだか眠りが浅いみたいで、結局会議室にいた私の膝で寝てたからね。あたしも少し休憩できたからちょうどよかったけど」

 あんだけいろいろ考えられる恋を見てると、その休憩も千里を休ませるようにもとれるけどな。

 まぁ、それは言わぬが華やろ。

「千里の膝はえぇもんやからなぁ~。

 気持ちえぇし、硬さがちょうどえぇんよ。上を向いたら絶景やし」

「おっさんか!

 霞は胸あるからわかってるだろうけど、こんなの勝手についてて、勝手に大きくなった物でしかないんだからさぁ。何か言われても反応に困るし、欲しがるもんじゃないと思うんだけどねー」

「ウチもその意見には同意やけど、それはない奴には言わん方がえぇと思うで~?

 荀攸とか、千里がいつだか話しとったちまっこい親友共とかな」

「そんなヘマしませんー。

 女の子は小っちゃい方が可愛いのに、どうしてあんな目で見るんだかねー・・・」

「そりゃ、自分にないもんは羨ましいもんやろ」

 馬鹿話しとったら、あっという間に会議の部屋に着いて、部屋に入ってく。

 恋の右に音々音が、左には芽々芽がいつも通り座ってて、一番遅かったウチを二人が睨んどる。

「さてっと、さっさと会議始めちゃおうか」

 二人が口を開こうとした瞬間に会議の開始を促すとか流石千里、ウチの嫁。

 円になってる机に集まり、千里は椅子に腰かけることなく、軽く机を叩いて注目を集める。

「まずは恋、霞。初戦はお疲れ様。

 前線を務めてたのが内通者達と関係してたかどうかはともかく向こうの出鼻を挫くことは出来たし、洛陽の方にも牽制にはなったと思う。

 恋もありがと。

 恋が関をしっかりと守ってくれたから、霞が前衛でも中の方にいた諸侯達を仕留めることが出来た。

 音々音、芽々芽もついていくのを我慢してくれてあたしの補佐になってくれたから、今回はいろいろと助かったしね」

「洛陽に牽制になるのはよいでござるが・・・ それはあちらの月殿たちの身を危険にさせるのでは?」

 千里がさっきの戦いの労いを言えば、珍しい事に芽々芽が指摘しとる。

 言われてみれば確かにそうやけど、問われた千里は動揺することもなく答える。

「その辺りは大丈夫。

 泗水関が落ちた今、月達はある場所に避難してる筈だから」

「それはどういうことでござるか?

 ある場所とは一体・・・・?」

 黙って話を聞くだけのウチと恋と、訳がわからない様子を隠そうともしない芽々芽。音々音は何か知っとるのか、口を挟むこともなく黙っとる。

「これはもしもの時のためにあたしと詠で決めてたことなんだけど、泗水関が落ちたら月と詠には安全な場所に先に行っててもらう約束をしたの。

 攸ちゃんに話すかどうかの判断は詠に任せて、もし信頼に足るって詠が判断したんなら今頃三人の踊り子が水鏡女学院に向かって、愉快な珍道中をしてるんじゃないかな?」

 真面目な話にもかかわらず、ことのほか楽しげに話す千里に芽々芽が音々音を見れば、音々音も口を開いた。

「詠達のことまでは知らなかったですが、恋殿の家族を避難させた時に千里から八重様、千重様も水鏡女学院に避難していることを聞いたのです。

 今でもある契約以外で外との干渉をせず、契約以上の過干渉をしようとすればすぐさま契約を打ち切るという創設者の考えから、あれ以上安全な場所はこの大陸にはないとのことです」

 八重と千重のことはそうなってたんかい。

 姿を見なくなったから、てっきり誰かに殺されたんとばかり思うてたけど、とっくに詠と千里で対応済みかい。

 つーかどこまで考えとんねん、千里。

「それでも水鏡女学院とは文官を育てる場所でござろう?

 武で攻め入られてしまえば・・・・・」

「それも大丈夫。

 詠が徹底したおかげで月の顔は誰も知らないし、水鏡女学院っていう有名な学院を言いがかりで焼打ちにしたら契約してる荀家の怒りを買うだけ。

 それに水鏡女学院の創設者である水鏡先生って人はある意味人間じゃないし、あの人を殺せる人は多分この大陸には居ないよ」

 まだ追求しようとする芽々芽を安心させるように千里は笑うけど、小さく何かを呟いとったのを隣に居たウチには聞こえた。

『まぁ、月がしたがってくれてれば、なんだけどね・・・・』

 ? どういうこっちゃ?

「洛陽の話はこれぐらいにして、次の作戦についてなんだけど」

 そう言って千里は、机の上に置いてあった一つの書簡を開いた。

 広げられたのは地図、しかも虎牢関の周りをざっくり書いてあるもん。

「初戦の目的は、相手の出鼻を挫くこと。

 内通者に通じてる者だけじゃなく、連合全体にあたし達が畏怖する相手だってことを示すことだった。

 そして第二戦の目的は、勝つこと」

「ちょっと待つのです!

 第二戦の目的が曖昧すぎて、訳がわからんのです! 千里!!」

「わかんなくて当然だよ。

 だって次の戦い、あたし達は全軍で連合に突撃するから」

「「はぁっ??!!」」

 千里のとんでもない発言に、二人は素っ頓狂な声を出す。

 相変わらず黙ったまんまのウチと恋の代わりに、二人はよう叫ぶなー。

「後ろには十常侍と清流派、内からの敵。

 前には連合、外からの敵。

 後方支援が望めない今、あたし達に籠城戦は出来ない。

 なら、前進あるのみ」

 難しい言葉は何一つ使わんで、千里は地図を指差しながら言い切ってく。

 文官としての千里ばっかりやった中で、これが軍師としての千里。

 ウチが知っとる桂花とも、稟とも、風とも違うおっそろしい存在がここに居る。

「無謀すぎるのです!

 如何に恋殿と霞の力があったとしても、多勢に無勢であることは絶対に変わらないのです!!」

「正気とは思えませんぞ!

 この数で連合を相手にするなど・・・」

「うん。これがどれだけおかしな行動なのかは、自分でもよくわかってる。

 向こうはさっきの戦いで絶対に配置を変えてくるし、いまだに一度も前に出てきてない英雄さんとか、泗水関で華雄を破った関羽とかを前衛にしてくる可能性が高い。

 だけどそれは、逆に好機でもある」

 怒鳴るわ、詰め寄るわの二人に対して声を荒げることもなく、千里は口元に笑み貼り付けて、静かな口調のままやった。

「それが危険だと言っているのでござる!

 大体、兵たちはどうするのです?!」

「兵達には話して、希望者のみにするよ。

 洛陽から出所のわからない兵もいくらか来てるし、他が内通してないとは限らない今、直属の隊ぐらいしか信用におけないのが実情だしね」

「選別するのですか」

 音々音が問えば、千里は頷いた。

「別に内通者が混じっててもいいけど、生死は保証しないよってカンジ。

 万が一こっちが武で名高い存在の誰かを破るなり、生け捕りにすれば、状況は逆転するけどね。

 あるいは、連合の長たる者を斬れば、それだけで連合は総崩れ」

「勝機が少なすぎると言っているのです!!」

「うん。わかってる。

 だからみんな、約束して」

 会議に似合わない明るい口調で、千里はさっきまでの軍師の笑みとは違う日常的にウチらに向ける笑顔を向けた。

「絶対に命を粗末にしないこと。

 ヤバいと思ったら、戦場から離脱して水鏡女学院に向かうこと。

 音々音と芽々芽は恋の傍を絶対に離れないこと。いい?」

 さっき全軍突撃させるとか言うた癖に、矛盾するようなこという千里にまた二人が叫ぼうとしたけど、それより早く恋が口を開いた。

「千里・・・ どうする?」

「あたしも今回は、霞のお供として戦場に出るよ。

 後ろに下がっても危ないし、あたし一人戦場離脱~なんて出来っこないしね」

「ちょっ?!

 千里、それは無理やろ!」

「危険すぎるでござる!!」

「千里、馬鹿なのですか?!」

 千里の突然すぎる宣言に、ウチも思わず立ち上がって怒鳴っとった。

 ほっとんど武がないだけやなく、あの口上やらで変に目を付けられ取る可能性もあるんやで?!

「うっわ・・・ 揃いもそろって言いたい放題。ひっどいなー。

 でも、考えてみてよ。

 後ろも敵、前も敵。なら、一番安全な鬼神の傍に居たほうが安心じゃない?

 それに・・・ 霞は負ける気なんてないんでしょ?」

 その言葉にまた音々音達がぎゃーすか言い出したけど、ウチはもう笑うしかなかった。

 ホンマ、千里はウチの扱い方がうまい。

 ウチの気持ちを察することが、この大陸で誰よりも出来てまう。

 あぁ、これが風にとっての稟で、凪にとっての真桜や沙和。

 前には居らんかったウチの理解者で、親友。

「ホンマ、軍師にしておくが惜しいわ」

 もし千里が武将なら、ウチの背を守ってくれる最高の戦友になってくれた。

 でも、千里の軍師で文官なところにウチらみんな助けられて、守られて、一緒に手を組んで、立っとる。

「えぇで、千里。

 一緒にウチらが鬼って呼んだ相手に、喧嘩ふっかけに行こうや」

 

『あなたはあなたらしく、そこにありなさい。

 私もそんなあなたを奪いに行ってあげるわ。

 

 追伸

 冬雲が欲しいのなら、私から実力で奪ってみなさい。

 ねぇ、鬼神の張遼』

 

 さぁ、華琳。

 約束通り、ウチは欲しいもんを全部取りに行くで?



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50,虎牢関 第二戦 【秋蘭視点】

 固く閉ざされていた筈の門が、内側から両断される。

 

 初戦が敗北で終わり、相手の行動が予想することも出来ないまま虎牢関を伺うように隊列を組んでいた我々に、それはあまりにも突然の出来事だった。

「門が・・・・ 門が開きました・・・!」

 全軍に届くような伝達兵の言葉により、その事態が幻ではなく現実であることを徐々に周囲が理解していく。

 だが、『門が内側から斬り開かれた』という事実よりも、『あちらから行動を起こした』ということへの戸惑いを誰もが隠すことが出来ずにいた。

 その戸惑いを見逃してくれるわけもなく、まるで炎の様な深紅を纏った騎馬に跨った飛将が一騎の将を連れ、連合の最前衛を務める白の遣い・劉備陣営へと突っ込んでいった。

 劉備たちの後方に位置する私達の中で、やや前衛寄りに位置する季衣や流琉もじきに交戦を始めることになるだろう。

「籠城ではなく、全軍突撃、ね・・・・

 桂花、この策をあなたはどう思う?」

 前方の様子を楽しげに目を細めて見やる華琳様は、傍らの桂花へと言葉を向けた。

 その後ろには冬雲が鎧姿で控え、耳だけを傾けている私と姉者は左右を守護している。いつもならばここに樟夏もいるが、本人の希望もあり公孫賛の元へ行き、さらに本陣の守りを厚くするために斗詩も袁家の守護についている。

「敵の意表を突くには良い策でしょうが、勝機が低すぎます。

 如何に飛将と鬼神といえど、この軍勢を崩すことは難しいかと・・・ 籠城をしなかったということから考えられるのは、後方からの支援が何らかの形で受けられないということぐらいでしょうか」

「でしょうね。

 けれど初戦での麒麟の策によって、兵は多かれ少なかれあの軍に対して恐怖を抱いている。鬼神と飛将は勿論、あの小覇王を投槍で追い払い、あの二人を従える彼女こそ化け物だと思っている者は少なくはでしょう。

 恐怖の塊が全軍突撃してくるなんて、誰にも想像は出来なかったわ」

 くすくすと楽しげに華琳様は戦場を見据え、視線のその先にあるのは紺碧の張旗。

 旗の下には当然、漆黒の愛馬に跨り、肩に偃月刀を構えた鬼神。

 その隣に並ぶのは白い足袋を履いたような馬に跨り、短い槍を持った麒麟。

「最後まで勝負を捨てず、勝利を諦めない。実にあなたらしいわね・・・ 霞。

 いいえ、少し違うのかしら?」

 多くの感情が入り混じったその視線を向けられる霞に、私達は嫉妬すらしてしまいそうだった。

「あの時以上にあなたらしく(強く)なった、というのが正確でしょうね。

 あぁ・・・ とても欲しいわね。

 あなた(鬼神)も、その子(麒麟)も、全て」

 楽しげに、嬉しそうに、全てを欲する覇王となるだろうこの方こそが我らが愛すべき主君であり、この方の望みを叶えるために私達はここに居る。

「冬雲、春蘭、秋蘭。

 鬼神、麒麟の両名を私の元へ連れてきなさい」

 華琳様のご指示に私達はそれぞれの得物を構え、前へと歩み出る。その途中で後ろを振り返りかけた冬雲に対し、そうさせぬように華琳様の言葉がかけられた。

「私達の心配は不要よ、自分の身は自分で守るわ。

 それに私の影は、常に傍に在るもの」

 華琳様は用意されていた絶を持ち、桂花もどこから取り出した鞭を打ち鳴らす。

 まったく、あの時とは違い桂花までもが武器を持つとは、末恐ろしい限りだ。

「さぁ、行ってきなさい。私の三季」

 言葉に背を押されるように、私達は同時に同じ言葉を言い放つ。

「「「我らが覇王の仰せのままに!」」」

 

 

 

 飛将の突撃と鬼神によって教育された騎馬隊が戦場を自由自在に駆け、戦いは既に乱戦状態に陥っていた。

「しかし、私達三人が揃って誰かに向かっていく日がくるとはな」

「相手が相手だからな!」

 目的である霞の元へ突き進みながら姉者が私の言葉に笑って答えてくれるが、私が言ったのはそちらの意味ではない。

 言葉を返してこない冬雲へと見れば、本人はその意味がわかっているのか苦笑している。

 正直に言うと、私は冬雲のこの困った顔が嫌いじゃない。いや、むしろ好きだな。

「春蘭、秋蘭が言ってるのは多分俺が戦力としてここに立ってることだと思うぞ」

「なんのことやら?

 英雄といわれるお前を戦力にならないなどと、もはや口が裂けても言えんさ」

 冬雲の言葉を笑って流し、迫っていた兵達へと馬上から矢を射れば、後ろを守るように二振りの剣を馬上で器用に扱ってみせる。

 顔を仮面で隠し、狭い視界の筈だというのに逞しくなったものだ。

「私は別に・・・ お前が弱いままでも、よかったのだがな」

 二人には聞こえぬ程度で囁いた言葉は風にさらわれ、私の耳にだけ留まっていく。

 たとえ弱くとも、戻ってきてくれただけで私はよかった。

 もっと言ってしまえば私は、冬雲が危険な目に合うことが・・・・

「嫌、なのだろうな」

 武人としては馬鹿馬鹿しい考えであり、かつても警邏隊とはいえ危険な場所に立っていたにもかかわらずこんな感情を抱いてしまう私は、皆の中で一番臆病で過保護なのかもしれない。

「秋蘭、どうかしたのか・・・ って何で溜息?!」

 そう言って振り向く冬雲(私の弱点)におもわず溜息を吐き、首を振った。

 恋を知ると人は強くも、弱くもなるというが、これが私の抱えた弱さなのだろう。

 だが・・・ まぁ、いい。

「なんでもないさ。

 さぁ、鬼神がお待ちかねのようだぞ」

 この弱さ(失う恐怖)強さ(守るという意地)に変える。ただ、それだけのことだ。

 

 

 乱戦を抜けた先で、鬼神は仁王立ちをして私達を待っていた。

「よっ、久し振りやな。みんな」

 相変わらずサラシと上着、下駄という戦場では動きにくく、露出度の高い格好をしている彼女はかつての変わらず飄々と笑っていた。

「久しぶりやのに、初めて会う。

 なんや不思議な感じやけど、悪うない・・・ 悪うないなぁ!」

 楽しそうに、嬉しそうに、何度も確認するように。

「やけどな?

 ウチは欲張りなんよ」

 両手を広げ、全てを包み込むようにしながら、彼女は高らかに笑う。

「あの時があって、今があるのは嬉しいんよ。

 けど、あの時の続きじゃウチには満足できへん!」

 その言葉はかつて武にだけ執着していたことが嘘のように貪欲で、傲慢で、我儘だった。

「繰り返しやない今を!

 なんもかんも違うこの瞬間を、ウチが手に入れる!

 惇ちゃんも、英雄も、楽進も、曹操すらも、ウチが勝ったらぜーんぶウチのもんや!!」

 だが、それはなんとも彼女らしい。

 華琳様に心酔するわけでもなく、忠誠を誓っていたわけでもない霞らしい宣言。

 そんな彼女だからこそ、華琳様は欲したのだろう。

「そうはさせん!

 お前も、そこにいる麒麟も、どちらも手に入れて華琳様の元へ連れ帰るのだからな!!」

 姉者が言葉を返せば、霞もまた目を輝かせる。

「さぁ、惇ちゃん。

 もう誰にも、ウチらの一騎打ちを邪魔なんてさせへん。本気でやりあおうや!」

「私はいつだって本気だ! 今までも、これからもな!!

 華琳様と冬雲、皆で創る未来(さき)のために! お前を意地でも連れ帰ってみせる!!!」

 互いに惹かれあうようにして大剣と偃月刀がぶつかりあい、私と冬雲、麒麟のみが置き去りにされる形で一騎打ちが始まってしまう。

 ・・・わかってはいるが、まったく私達を一騎打ちの相手として見ようとしないという点について、いろいろと言いたいことがあるな。

「おい、冬雲。

 お前は・・・」

 声をかけようとそちらを見れば、冬雲は既に周囲の警戒をすることを決めたらしく姉者たちの勝負の邪魔にならない程度の距離をとりつつ、周囲をうろついていた。

 その様子に声をかけることを諦め、私同様に置いていかれている麒麟に向き直れば、同時に視線があわさった。

「さて、将として私達もやりあうとするか? 麒麟」

「ふわはははは、面白いこと言うね。夏侯淵さん。一介の軍師が一陣営の将に勝てるわけないっしょ?

 あたしはただ、親友の一騎打ちを誰にも邪魔されないようにするのが精々だよ」

 麒麟は軽く笑って見せるが、私だけでなく周囲にも警戒を怠る様子はない。

「私が邪魔するとは思わないのか?」

「もし邪魔をするんだったら、最初から一騎打ちなんて面倒なことしないでその弓矢で私達の足を射れば済んだ話じゃない? 連れ帰ることが目的でも、生きてれば怪我なんて些細な事だしね。

 現に今もあなたはあたしを捕まえようともしないし、人質に取ろうともしてない。

 それどころか英雄さんにいたっては一騎打ちの邪魔が入らないように、あぁして警戒までしてくれてる。そうさせない理由がどこにあるかまでは明言できないけれど、武人としての矜持がそうさせないのかな?」

 私の問いに対し多くの可能性をすらすらと答えながら、さり気なくこちらが何を隠しているかを突いてくる。考えているのは一人だというのに、多くの面を見ようと頭を回転させる素早さには目を見張るものがある。

 ならば、私がその腹を探るようなことをしても無意味だろう。

 逆に言葉を逆手に取られ、全てを明かすことになりかねない。

「麒麟、単刀直入に聞こう。

 どこまで聞いている?」

 もし何も聞いていないのなら、それはそれでかまわない。

 だがあの霞が、何も考えずにあの時を匂わせるような言葉を口にする筈もない。

「一通り、ね。

 まっ、そこにいなかったらしいあたしにとって、真偽なんてどうでもいいんだ。

 あたしは選んでここに居るし、誰かの思い通りになる気もない。

 だけどさ、真名まで預けた親友がらしくなく下向いてるのを放っておくほど、不義理じゃないよ」

 その言葉は戦場には不似合いな優しい響きを持ち、視線の先には今も姉者と共に楽しげに一騎打ちに興じる鬼神の姿があった。

「あなた達の知っているあの子を、あたしは知らない。

 だけど、それでもいい。

 あたしが知ってるのは、今のあの子だから」

 かつて『神速の張遼』は、一人だった。

 『人間業とは思えないほど速い』と称された馬術と、馬上から得物を振るう速さ。そのどちらにも追いつける者などなく、故に霞は自分を負かした姉者へと固執していた。

 恋を知り多少丸くなっても、武への執着だけは衰えることはなかった。

「良き友に出会えたのだな」

 だが今は、共に並んでくれる者がいるのだな。

「まぁ、なんてったって鬼神の相棒で、嫁ですから」

 冗談交じりに笑う麒麟は誇らしげで、その表情で良き友人関係であることは十分に伝わってくるようだった。

「ふむ、嫁か・・・

 もし私達がお前達を奪えたら・・・ 麒麟よ、お前もあそこにいる英雄の嫁になるか?」

「はっ?

 いやいやいや! 何、言っちゃってるの?! 夏侯淵さん!」

 先程の表情から一変し、顔を真っ赤にして慌てだす麒麟が愉快で私は言葉をさらに畳み掛ける。

「ふふっ、何も恥ずかしがることはない。

 英雄は色を好み、人を惹きつけてやまぬもの。

 我らが王と英雄は将の全てを愛し、いろいろな意味で可愛がってくださる。

 それに愛とは一つの塊ではなく、愛しい者が増えるたびにまた生まれるものだからな。

 それぞれの愛、全て真実であり、偽りなどない。

 誰もが愛し、愛されている関係に嫉妬などという感情すら生まれはしない」

「いや、その考えは少しおかしくない?!

 ていうか、雛里ちゃん?! 親友の身がいろいろな意味で心配になるような言葉が混ざってるんですけど?!

 じゃなくて!!

 仮に霞が夏候惇さんか、英雄さんに負けたとしても、親友の恋人に手を出すのはちょっと・・・」

 姉者を負かすつもりで話していたのか、霞。

 しかもその上で冬雲とも戦う気でいたとは、本当に霞の行動だけは読めん。

 だがあえて言おう、姉者を舐めていないか? 霞。

「それにあたしは、英雄の名を持つ人の隣に立てるほど凄くはないから」

 凄くはない、か。

 天性の才を持つ者と並んだ者は、えてして誰もが同じことを言う。

「初戦において前衛の諸侯を全滅させ、自らも投槍にて小覇王を追い払い、誰もが笑った口上は恐怖の対象となった。今もまた全軍突撃という策により、連合は一度ならず二度までも不意をつかれたのだが・・・

 これで策を練ったであろう当人に謙遜などされてしまえば、連合の軍師達がどんな顔をするのやら? 私個人としては、見てみたい気もするがな」

 桂花も、稟も、風も、それどころか麒麟と共に並び称された臥龍(孔明)鳳雛(雛里)にすらこの策を読むことは出来なかった。

 無謀な策だと笑えるほど、弱い相手ではない。

 初戦だけではなく、この戦すらも想定済みで戦を仕掛けた彼女に我らは恐怖したのだ。

「そんな褒められたもんじゃないって。

 そっちは必死だっただけだし、あたしは好きな相手はむしろ弄り倒したいってだけ。

 あたしは高い所まで見れないから、同じ目線で笑える人がいいかな?

 たとえば、曹操さんとこから来た荀攸みたいな、ね」

 ここまで言っても謙遜をやめない、か。

 樟夏もそうだが、こうした者たちはどれほどのことを成せば謙遜をなくしてくれるのか。

 どれほどの言葉を費やせば、お前達は十分に凄いことが伝わるのだろうな。

「それはまた、妙な者を好む」

「いや、妙って・・・ 元はそちらの身内でしょ。

 ていうか、女官の採用試験を受けさせたのって誰の案なんです?

 あんまりにも似合ってたので、あたしも悪乗りして徹底的に女物の服しか着れないようにしちゃいましたけど」

「・・・・仕事着以外も、か?」

「勿論」

 まさかの情報に耳を疑い、問い返すが、戦場で敵に向けるとは思えぬほど明るい声で頷かれたので私は脳内で再現された樹枝の女装姿に笑いをこらえる。

 洛陽での情報は樹枝が採用された以降なかったため、仕事着以外も女装などとは誰も想像していなかった。

 麒麟は案外、愉快な者だな。

「あぁ、それと・・・ 華雄は無事だ。

 現在は連合のある陣営が保護しているが、あの陣営ならば悪いようにはしないだろう。安心するといい」

「それ、言っちゃっていいの?」

 通常ならば、こんな情報は伝えるべきではない。だが・・・

「仮に何か策を考えたとしても私がここに居る限り、行動に移せん。

 お互いにあの一騎打ちが終わるまで、こうして睨みあうことしか出来はしないさ」

 姉者が勝ち、我々が二人を連れていくか。

 はたまた霞が勝ち、冬雲にもう一戦挑むのか。

 いずれにせよこの戦い、長くなりそうだな。

 



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51,虎牢関 第二戦 一騎打ち 【霞視点】

 最初はただ、なんとなくやった。

 武人になったのも、将になったのも、成り行き。

 生きていく術を模索した時、力しかないウチには武人っちゅう道しか浮かばんかったから。ただ、それだけやった。

 だけど、生きるために進んで、気が付いたら楽しくなっとった。

 それはある意味で、最初の一刀に似とったのかもしれん。

 そしてウチは、どうせなるんやったら一番になってみたいっちゅう欲まで持っとった。

 いろんなもの見て、いろんな奴に会うて、さらに上へ。

 誰よりも強く、何よりも速く、それこそ大陸の誰もがウチを知っとるような武の頂に立ってみたかった。

 

 強くなりたい。

 修練と経験、そして勘。

 それらは戦えば戦うほど、全部が自分のもんになっていくのがわかった。

 

 速くなりたい。

 手をかけて、大事にして、一緒に居ればそんだけウチに応えてくれる愛馬(黒捷たち)はウチの自慢で宝物。

 

 今も、昔も、たまたま月達と出会って、仲間になった。

 恋と出会って、一つの武の頂を見た。

 生まれながらにもっとる『才能』とも違う、『本能』によって強い恋を凄いとは思うても、ウチが目指すもんやとは思わんかった。

 恋の純粋さはかわえぇし、本能からくる純粋な武に憧れとるのは事実や。でも、同じ強さでも、恋とウチの強さはなんかちゃうことがわかりっきっとったからなぁ。

 だからウチは、恋とは違う強さを求めた。

 義賊で有名だった関羽、噂に聞いとった小覇王、西涼の錦馬超・・・ 大陸の名立たる将達と戦えるかもしれへんことにウチが歓喜するのは当然や。

 まっ、結局会ったんは当時ほっとんど知らへんかった曹操軍の暴れん坊であり、片目なくす前の惇ちゃんやったんやけどな。

 でも今やから、思える。

 ウチがあの日惇ちゃんと会ったんは運命やったんや、ってな。

 

 

 

「これなら、どうや!!」

 力任せに振り下ろされたウチの偃月刀を大剣で受け止めた惇ちゃんは、無意識なんやろうけど楽しそうに笑っとる。

「まだまだぁー!

 そんなものでは足りんぞ! 張遼!!」

 真名を呼ばずにウチを呼ぶ、心底楽しそうなその姿にゾクゾクしてくる。

 頭でも、体でもない、どこにあるかもよーわからん心っちゅうもんから、想いの全部が溢れてくるのがわかる。

 血が滾る。胸が躍る。全てが満たされる。

 この一騎打ちを、この瞬間を、ウチはずっと待っとったんや。

「あと何合もつやろなぁ? その強気は!」

「お前の強気が終わるまでだな!!」

 楽しい・・・! 楽しい!! 楽しすぎるやろ!!!

 互いの得物をぶつけ、弾き、何度も何度も相手を打ち倒そうとする本気の一撃が、今の惇ちゃんの武の凄さを教えてくれる。

 これこそがウチが勝ちたい『魏武の大剣』、ウチが愛した男との再会よりも優先した戦い。

 ウチが生まれて初めて負けたくないって思った相手の、全力の武。

「なら、質問変えたるわ!

 あんたはあと、どのくらい戦えそうや?」

 ウチの言葉に惇ちゃんは一瞬だけ驚いたようやけど、すぐにまた笑ってあの時のように叫んでくれた。

「ふんっ、貴様の倍の合数を重ねてみせるわ!

 そんなことは気にせず、かかって来い!!」

 ・・・なんや、惇ちゃんは別に阿呆とちゃうやんか。

 あん時の些細な言葉一つ、ちゃーんと覚えてくれてるなんて・・・ 嬉しいやないか!

「まぁ! ウチが勝つけどなぁ!!」

「その手の言葉は!」

 重なり合った得物を強引に持ち上げられて、強く弾かれる。その反動から後ろに下がるウチに、惇ちゃんは逃がさんように詰め寄ってきた。

「勝ってから言うのだな! 鬼神の張遼!!」

 大剣の一撃が来る!

 けど、振り上げられた腕は間に合うわけもない。なら!

「そやなぁ!」

 武器が間に合わんなら、何がある?

 そんなもん、決まっとる。

 ウチ自身、何度か身を持って体験しとるおっかない技で千里(親友)十八番(得意技)

「でも、ウチには手だけやない! 足もあるんよ!!」

 崩れかけた重心を前へ、左足を軸に。上がったままの腕はそのまま、崩れた体はひねりに利用してウチは惇ちゃんの腹へと右膝を叩き込んで、その勢いのまんま足で蹴り飛ばす。

「な?! があぁぁ!」

 当然、ウチが蹴り技を使うなんて思ってへんかった惇ちゃんは吹き飛んでいく。

 なんやちっと周りから驚いたような声もするけど、ウチには暢気に周囲を見とる暇もない。

 隙なんて見せたら、惇ちゃんが何してくるかわからへんからな。

「麒麟よか弱いかもしれへんけど、結構効くやろ?」

 あの日があって今があるように、今があるからあの日を想える。

 どっちがなくてもウチはウチやないし、この瞬間すらなかったかもしれん。

 だから今、この瞬間の全てを惇ちゃんにぶつけるんや。

「あぁ、今のは効いたな。

 だが・・・ まだ勝負はついてないぞ? 張遼」

 かなり強く蹴った筈やのに、口からちっと血を流しとる程度ですぐさま立ち上がるんやもんなぁ。頑丈すぎるやろ、ホンマ。

「ならこれも、受けきれるかいな!」

 ウチが得物抱えて走り出せば、惇ちゃんは向かえ打つように得物を構えた。

「受けてみやぁ! 惇ちゃん!

 今のウチの全てを!!」

 剣が出来るんは斬ること、叩き折ること。

 でも偃月刀は斬ることも、叩き折ることも。それどころか槍が出来る突くことも、殴ることも、払うっちゅうことも出来る。

 ウチは今まで偃月刀を叩き折ることにしか使ってへんかったことを、(こっち)で荀攸や華雄、そして恋達を見て気づかされた。

 荀攸の棍は、刃先なんかなくても相手を倒せる。

 華雄の斧槍は長さと威力、そして槍としての一面も持ち合わせとった。

 恋の方天戟は偃月刀とほとんど同じやけど、多くの武器の元なんて言われるぐらい自由自在の攻撃が可能なんや。

「来い! 張遼!!

 全て、受け止めてやる!!」

 そう叫んでくれる惇ちゃんに、ウチはまず一撃目を思いっきり振り下ろす。

 まずは叩き折る。

 ウチが何百篇もしてきた、一番単純な振るい方。この一撃で大抵は吹き飛んで、打ち合うことすらせんかった。

「こんなものか!」

 当然、惇ちゃんなら受け止める。

 でも、これだけじゃ終わらへん! 終えられへん!!

「まだや!」

 受け止められた偃月刀をすぐに離して、ウチは得物の持ち方を変える。親指を刃の方やなく石突へと向けて、両手ではなく片手に持ち替える。

 あの頃のウチはやることなすこと全部、力任せのその場しのぎで、周りなんか何一つ見えてへんかった。

 月達のことも仲間やって思ってても、ウチは自分がどっかで一人だけで出来上がっとるつもりやった。

 でもそれはちゃうんやって、ウチは何も知らへんかっただけっちゅうことを、ウチを負かした修羅が、欲しがった物好きが、惚れさせた男が教えてくれた。

「うらあぁぁぁ!」

 刃の方やなく、中把から下把の部分で思いっきり殴りつける。

 惇ちゃんは予想してへんかったその攻撃を防ぎながらも、その目はウチの隙を見つけようと輝いとる。

 殴打なんて拳と同じやと思ってたのに、ムカつくことに荀攸が振るう棍はウチを近づけさせんっちゅうことを実現させた。

「まだ続くで!!」

 そして今は、背中預けられる親友が、家族みたいにあったかい仲間がウチにいろんなもん(影響)をくれる。

 ううん、それだけやあらへん。ウチが気づかんかっただけで、みんながウチにいろんなもん(影響)をくれた。

 何度目かの殴打で惇ちゃんの足元がわずかに崩れかけたのを、ウチは見逃さへん。その足目掛けて、偃月刀の向きを変えて足を払おうとした。けど・・・

「そう何度も、くらうか!!」

 惇ちゃんはそれすら防いだ上に、ウチの得物を強く弾き返してきた。

 人を後ろに下がらせる馬鹿力を驚けばえぇんか、あんだけ防いで腕がしびれんかったことを驚けばいいのかよくわからんわ・・・・

「さっすが、惇ちゃんや・・・・」

 額の汗は止まらへんし、何度も打ち合うたからお互いボロボロや。

 体力ももう、そんなに残ってへん。

「あと・・・ 一合だ・・・」

 まるで拗ねた子どもみたいに言う惇ちゃんの様子がおかしくて、ウチはおもわず笑ってまう。

「ククッ・・・ さっきはウチの倍合わせる言うたやん」

「お前の実力を見誤った・・・

 まさか、ここまで強くなっていたとはな」

 これでちっとは悔しそうに言ってくれればえぇのに、なんで嬉しそうな顔すんねん。惇ちゃんの阿呆。

 でも、それはウチも同じかもしれん。やってウチも、期待以上に強なってた惇ちゃんが心底嬉しかったんやから。

「そういう言葉は、ウチが勝った後に言うてくれると嬉しいなぁ?

 んでもって、とびっきり悔しそうな顔してくれるとなおえぇわ」

「さっきも言ったが・・・ 勝ってから言え。

 まぁ私も、ただで負けてやる気などないがな」

 お互い軽口を言いながら呼吸を整えて、顔をあげれば鋭い視線が混じり合う。

「そらそうや、ただで貰う勝利なんて何の意味もあらへん。

 勝ち取ってこその勝利、相手から奪い取る勝利に意味がある。

 やからウチは、意地でも惇ちゃんから勝利を奪うんや」

「何を当たり前のことを言っている?

 もっとも、奪えたらだがな!」

 相変わらず空気の読めへん惇ちゃんやけど、それでえぇ。

 その体から放たれとる気は、野暮な口よりよっぽど空気を読んどるからなぁ!

「さぁ、最後の一撃といこかぁ! 夏候惇!!」

「おおぉぉぉぉ!!!」

 向かってくる惇ちゃんにウチも走る。

 そんな最中でも抱く思いは一つしかあらへん。

 ただ、勝ちたい。

 あの時の心残り、そして今のウチを創りあげた全てのもんを詰め込んで、ウチは最後の一刀を振り下ろした。

 

 すれ違って、得物は確かにぶつかり合い、互いの体に大きな音と衝撃を与えた。

 

 何があったかって? 自分でも必死すぎてようわからんっちゅうが、正直な所や。

 立ってるのだって億劫やのに、足は座ることを許さへん。もう意地やな、これは。

「張遼・・・ いや、霞」

 こっちで初めて惇ちゃんがウチの真名を呼ぶ声は、あの頃よりずっと優しい響きをしとる、そんな気がした。

「なんや? 春蘭」

 やからウチも、そんな惇ちゃんに対して真名を呼んで応える。

「あぁ、これだけは私から言おうと思ってな」

 何かが倒れる音に振り返えれば、剣も投げ出して大の字に寝っころがる魏武の大剣が居った。

「私の負けだ」

 負けた癖になんや腹立つほど良い笑顔でいう春蘭を上から見下ろしながら、ウチも自然と笑っとった。

「あぁ、ウチの勝ちや」

 清々しい気持ちで勝利を掴んで、何より春蘭の目も無事なんて、最高やないか。

「けどな? これで終わりやないんよ。ウチの勝負は。

 ウチはもう一人、戦いたくてどうしようもない相手が居るんや」

 でもウチは欲張りやから、まだ欲しい。

 この一戦だけで満足してもえぇ筈やのに、今だから戦える相手と戦いたい。そう思ってしまうんや。

「・・・・勝手にしろ」

 さっきまでの笑顔はすぐに曇って不貞腐れとる春蘭から、ウチはウチらの周囲をずっと守っててくれた存在に視線を移した。

「なぁ! 英雄!!

 もう一戦と行こうや!!」

 青い鎧に白い仮面、大きな背中と広い肩幅。後ろ姿にはもう何一つあの日の面影はない、ウチの愛した天の遣い。

 恋に話を聞いた時からずっと、ウチはあんたと戦いたくてどうしようもなかったんや。

 怒られるかなと思ってちらっとだけ千里を見れば、もう諦めたような顔をして、ぷらぷら手を振っとった。

「どうせ止めてもやるんでしょ?」

「さっすが、ウチの嫁!

 わかっとるなぁ」

 隣の秋蘭は・・・ なんやニヤニヤ笑っとるな。

「フッ、鬼神よ。

 私の・・・ いいや、曹軍の英雄は強いぞ?」

 さりげなく自分のものにすんなや!!

 ツッコみたいけど、今はツッコむ体力ももったいないわ。

「断らんよな? 英雄」

 ウチが偃月刀を向けつつもういっぺん問えば、二つの細い剣を持った仮面の男がようやくこっちを振り向いて、静かに歩み寄ってくる。

 これが、今の一刀・・・ いいや、曹子孝(冬雲)か。

「謹んでお受けしよう、鬼神の張遼殿」

 その声は知ってる筈やのに、まるで他人みたいに聞こえる。

 真っ白な髪に鬼の面、前は短かった髪は首まで伸びとる。ただ歩いとるだけやのに、それはかつてと違って武人の足運びやった。

「なんや、えっらい有名になっとるみたいやな? 英雄はん」

 『何があったんや?』って言葉にはえらい遠回しやけど、仮面越しの目はウチをまっすぐ見とった。

 目の色は前と変わらんけど纏う雰囲気はそうやな、まるで・・・ 冬の朝の澄んだ空気みたいや。

「鬼神殿ほどではないさ。

 俺が成したことは一つだけ、守りたいものもずっと・・・ 一つだけだから」

 一つ、ねぇ?

 その一つだけにどんだけ多くのもんが含まれて、そんなかにいっちゃん大事なもんが含まれてへんかったから、前はあぁなったんやろうが。

 馬鹿一刀、いんや馬鹿冬雲。天の馬鹿遣いの嘘つき男で、詐欺師ー。

 いろいろ言いたいことが頭ん中で踊っとるけど、しゃーない。

「まぁ、えぇわ・・・・

 かかってきいや!!」

 体力はほとんど残ってなかろうと、腕あげるのがしんどかろうと関係ない。

 『もう戦えないから降参しますー』なんてもんはウチらしくもないし、死んでも御免や。

「曹孟徳の四季が一つ、曹子孝・・・ 参る!」

 そんなウチをわかってんのか、冬雲も少しも手を抜く気がなさそうやしな。

 それでえぇ、ウチはな・・・

「董卓軍、鬼神の張遼!

 推していくでぇーー!!」

 今のあんたの全部を知りたい!

「これがウチの、神速と謳われた一撃や!!」

 話なんてまどろっこしいもんやなくて、ウチの全力にあんたの全力で応えてくれや!!

「っ!!」

 一本の偃月刀と二本の剣が重なり合って、ウチらの距離はほとんど零になる。

 接吻しそうなほど近い距離やのに、色気もくそもあったもんやない。

「鬼神の一撃、受けたことは褒めたるわ!」

 今は英雄なんて呼ばれとるこの男が、かつて力も何もない男やったことを知ってるのはきっとウチらだけ。

「そりゃ、光栄だ・・・!」

 そんな男が今はウチの一撃を避けもせずに受け止めて、疲れきっとるとはいえウチとタメ張るような力を持っとる。でも・・・

「勝ちは譲らへんでぇ!!」

 さっきの惇ちゃんと同じように蹴っ飛ばそうとしたら、軸足がもつれてそのまま冬雲の体目掛けて倒れていく。

 もっとも冬雲の体の前に腕があって、剣があるんやけどな! しかもウチ自身、偃月刀抱えてるしな!

 武器がなければ普通に色っぽいことになるのになぁ~とか、もうウチ自身半分現実逃避してまう。

「霞っ!」

 遠くから千里の声が聞こえるけど、避けることなんて出来へん。かといって、剣を放り投げたら、冬雲もただじゃすまんやろ。

「っ!!」

 両手の剣放り投げながら目の前の冬雲が焦った顔して、偃月刀が当たるのもかまわずにウチを受け止めるとか・・・・ そんなとこは相変わらずなんやなぁ。

 ウチを抱えてほっとしたような顔をした冬雲は何を思いついたんだか、なんやすぐに悪戯坊主みたいな笑みになりおった。

「捕まえたぞ、霞」

 ウチは今、多分鳩が豆鉄砲くらったような顔をしとるんやろうなぁ。

「あーぁ、捕まってもうたなぁ。

 ・・・・けど、ちょーっと間違っとるで」

 一度目の初恋は、ウチに日常と恋を教えてくれた優しい男に。

「ウチの心はずっと、捕らえられてたんよ」

 二度目の初恋は、ウチの本気の一撃を耐え抜くような強い男に。

「今度は最期まで、ずっと隣に居ってな?」

 ウチは一刀(冬雲)を惚れ直したんやない。

 今、ここに居る冬雲(一刀)にまた恋をしたんや。

 



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 虎牢関 第二戦 一騎打ち

「これなら、どうや!!」

「まだまだぁー!

 そんなものでは足りんぞ! 張遼!!」

 

「あーぁ、楽しそうだなぁ」

 背後から聞こえる激しい剣戟の音、怒声にも似た二人の会話。

 たったそれだけで、二人がどれだけこの一騎打ちを楽しみにしていたのかが伝わってくるようだった。

 魏武の大剣である夏候惇と鬼神の張遼。

 生粋の武人である二人の一戦は、誰にも邪魔することなど許されない。

 否、その気迫の前で邪魔などしたらどうなるかなど、火を見るよりも明らかだった。

 何度も、何度も、偃月刀と大剣が火花を散らし、離れ、互いに一度として目を逸らすこともない。

 そんな二人に対して、俺はつい言葉を呟いていた。

「あぁ・・・ 羨ましいなぁ」

 畏怖にも似た尊敬の眼差しと、この戦場には似合わない胸の端がちりちりと焼けるような感情を自覚する。

『馬鹿馬鹿しい』と、嗤われてもかまわない。

『烏滸がましい』と、怒られても仕方がない。

 それでも俺は・・・

「あと何合もつやろうなぁ? その強気は!」

 やっと再会を果たしたにもかかわらず、こちらを見向きもせずに夢中になっている霞。

「お前の強気が終わるまでだな!」

 見ているこちらまで鼓舞されるような武を見せながら、楽しいことを微塵も隠そうともしない春蘭。

 別に戦場の真っ只中で愛を囁いてくれだとか、真っ先に抱き着いてくれだなんて思わない。霞の行動は想像出来なかったけど、一騎打ちを挑むところはなんていうか霞らしいと思った。だけど・・・

 流石にあんな楽しそうに一騎打ちをやる姿を見せつけられたら、やきもちだって焼きたくなる。

 俺が背中を向けているのも周囲の警戒というのはあるが、二人の楽しげな一騎打ちを見たくないというのも理由の一つだった。

「ふふっ、そう妬くな。冬雲」

 そんなもやもやとした気持ちを抱く俺の背後から楽しそうに声をかけてくる秋蘭は、背中を預けてくる。麒麟・徐庶の見張りをしつつも、秋蘭もかつての時のようなことにならないように警戒をしているのか、弓と矢はその手に握られたままだった。

「何でわかるんだよ・・・ 秋蘭」

 呆れ混じりにそう返せば、咽喉を鳴らすように秋蘭は笑う。

「表情に出ているからな」

「いや、俺は仮面つけてるからな?」

「わかるさ。

 お前の事なら、大抵な」

 秋蘭ってさ、春蘭の影に隠れてるだけで、実はかなりお茶目だよな・・・

「妬くだけ無駄だな、あれ(一騎打ち)ばかりは仕方ない。

 武人同士の戦であっても、ここまで近い存在との戦いなど早々(まみ)えることは出来ないのだからな」

 背中が離れ、秋蘭は遠目で弓兵を確認したらしく、いくつかの矢を射る。

「弓兵は私に任せろ。

 麒麟も鬼神の一騎打ちを誰かに邪魔させる気はないらしいからな、ある程度は協力してくれる。

 お前も周囲の警戒をしていてくれ」

「あぁ」

 そう言い残してから離れていく秋蘭を見送り、秋蘭が弓兵を見張ってくれるなら相手が黄忠さんか黄蓋さんでもない限り、春蘭達のところに矢が届くことはないだろう。

 俺も周囲の警戒へと意識を戻していき、前のことを思い出す。

 でも俺自身、あの頃の霞と春蘭の一戦をほとんど知らなかった。

 現場に立ち会うことはなかったし、話を聞いている限りでは俺と凪達が洛陽に侵入している頃に起こったらしい。その勝負によって春蘭が流れ矢で左目を負傷したことと、霞を捕縛した事実を伝えられた。

 詳細はその場に立ち会ったらしい秋蘭の方が詳しいだろうし、洛陽に入った後は民の保護や町の整備などに駆り出され、話を聞く暇もなかった。

 まぁ、下から数えた方が早いぺーぺーだった俺にしては、いろいろ知ってた方だと思う。

「でも、届かない・・・ かな」

 すぐ後ろで行われる二人の一騎打ちをわずかに振り向けば、見たこともない蹴り技を使い、偃月刀を殴打に使用する霞。そしてそんな常人ならも耐え切れないような偃月刀による殴打を防ぎ、反撃の機を狙う春蘭にはただ驚かされる。

 強くなったつもりだった。

「あーぁ、ホントに・・・ 敵わないよな」

 それでも俺の実力は、二人に遠く及ばない。

 むしろ下手に近づこうとした今だから、あの時よりもずっと鮮明に、二人の強さが伝わってくる。

 強くなればなるほど、二人がどれほどの想いで強さを追い求め、その頂へと駆け昇ろうとしているのかがわかる。

「でもそれは・・・ 俺が強くなることを諦める理由にはならないよな」

 二人の方がずっと強いのを知っていてもなお、守りたいって思ってしまうから。

 想うだけじゃ、考えるだけじゃ、何も掴めやしない。

 なら、無様に転がってでも、一歩でも二歩でも歩き出せばいい。

 全てを『才能』と斬って捨て、努力を怠ることこそが華琳がもっとも忌み嫌うことなのだから。

「それに油断はできないし、な」

 ちらりと視線を移すのは、赤い髪のおさげをした麒麟・徐庶。彼女もまた小型の槍を構えて周囲を警戒しつつ、俺と目が合うとニコリと笑って見せた。

 前と今は違う。

 その事実を多くが実証しているし、今だからある新しい繋がりがその証明だろう。

 だが、変化したことは全てが全て良い事ばかりではなく、悪い意味でのことも存在した。

 その最たるものが黄巾の乱であり、十常侍の介入。

 もし前も存在し、なおかつ行動をしていたと仮定したら、いくつか考えられることがあった。

 もし秋蘭の話から聞いたあの流れ矢が偶然ではなく、何者かに意図されたものだとしたら?

 あの時、確かにこちらは軍という意味では無名に等しかったが、華琳は自分の祖父がかつて大長秋を務め、それを洛陽の整備を行うことに活かしていた。それに春蘭達は華琳の従姉妹であり、将を務めるという詳細を知らなくとも従姉妹をなくすことによって華琳の勢いを削ぐことは出来る。

 現に華琳は春蘭の負傷を聞いて駆け出したし、春蘭もまた自分が負傷したことによって華琳に合わせる顔がないとまで言ったらしい。華琳の説得によって問題はなかったが、右腕に等しい春蘭を華琳が失いかけたという事実に変わりはない。

 何より史実においての夏候惇が左目を失うのは呂布との戦の際であり、こんなに早く訪れるものではなかった。

 史実も、前も、あてにはならないのは大前提。それはわかりきっている。

 だが、今の段階で確実に言えるのは十常侍が黄巾の乱に関わり、今なお何らかの行動を起こしている可能性があること。そして、明らかに様子のおかしい許攸が関わりを持っている可能性が高いだろう。

 でもな?

「もうお前らに、俺の大事な者を何一つ傷つけさせない」

 小さく言葉を言い放ちながら、両手に持った二刀を軽く振るって気を放つ。

 思い出すのは黄巾の乱、三人を失いかけたこと。

 そして、華琳自ら命じた、この場において俺達三人という過剰な戦力。

 誰一人として、この連合で春蘭の左目のことを話題にすることはなくとも、華琳(主君)から凪達(末端武将)に至るまで思いは一つ。

 あの眩しい光りを放つ春蘭の目を、俺達の大剣の片目を誰にも奪わせやしない。

「この一騎打ち、誰にも邪魔などさせん!」

 両足を大地にしっかりと着け、俺は戦場で吼えていた。

 

 

 

「さぁ、最後の一撃といこかぁ! 夏候惇!!」

「おおぉぉぉぉ!!!」

 背後から聞こえたその言葉に、俺は思わず振り返る。

 どちらもボロボロで、疲れ切っているのは誰から見ても明らかだというのに、二人は嬉々として駆けていく。

 それぞれの全力の一撃、最後の一振り。

 『似た者同士の一戦』と秋蘭が称した通り、繊細な技ではなく、純粋な力同士のぶつかり合いにも似た二人の武が重なり合い、通り過ぎていく。

 

 春蘭の得物である、七星餓狼を空へと弾き飛ばしながら。

 

 一騎打ちの後だというのに負の感情が一切ない二人のやり取りを聞きながら、俺は秋蘭へと視線を向けると、秋蘭は既に七星餓狼を拾いに行き、俺と目が合うと何故か意地悪げに笑ってくる。

 が、俺の疑問は次の瞬間に解消された。

「なぁ! 英雄!!

 もう一戦と行こうや!!」

 かけられると思っていなかった言葉に驚きを隠せず、思考どころか動きも停止する。

 俺が、霞と、戦う?

 勝てるわけがない。戦ってみたい。出来る筈もない。剣を重ねてみたい。並び立つことなんて烏滸がましい。同じ位置に立ちたい。

 脳裏によぎる弱音にも等しい言葉の羅列の数々が浮かんでは消えていく中、おかしな感情が混ざっていることに気づく。

「フッ、鬼神よ。

 私の・・・ いいや、曹軍の英雄は強いぞ?」

 秋蘭が霞へと向けているだろう言葉が俺の耳を通り過ぎ、それはまるで俺すらも挑発しているようだった。

 秋蘭・・・ 俺のことをどんだけ買い被ってんだよ。

 出てきそうになる空笑いを飲み込んで、やることはもう決まっていた。

「断らんよな? 英雄」

 霞の言葉に覚悟を決め、俺は振り返る。

 短い髪を前髪ごと後ろで一つにまとめ、額を見せるように開き、胸に巻いたサラシを隠すこともなく、肩に羽織をつっかけたあの日と変わらない姿の霞があった。

 もっとも今は一騎打ちの後もあり、あちこちボロボロだが、こちらへと向けてくる目は変わらずキラキラと輝いていた。

「謹んでお受けしよう、鬼神の張遼殿」

 言葉と共に、一歩ずつ霞の元へ歩み寄る。

 再会の喜びと届かないと思っていた相手と同じ位置に立てる誇らしさ、そうした理性的な感情の反対側には抱きしめたい、言葉を交わしたいという欲が並んでいた。

 それら全てを押さえつけて、俺は今、武人として霞と向かい合う。

「なんや、えっらい有名になっとるみたいやな? 英雄はん」

「鬼神殿ほどではないさ。

 俺が成したことは一つだけ、守りたいものもずっと・・・ 一つだけだから」

 『神速』から『鬼神』へと名を変えて、何があったのかと心配にした。

 けれど霞は、何も変わらずに真っ直ぐな霞のままだった。

「まぁ、えぇわ・・・・

 かかってきいや!!」

 俺の言葉に何か言いたそうにしつつも飲み込んで、霞は笑って偃月刀を構える。

 あれほどの一戦をしてもなお堂々と立ち、向き合おうとする霞へとかつて抱くことはなかった武人としての敬意を抱く。

「曹孟徳の四季が一つ、曹子孝・・・ 参る!」

 武とは、礼に始まり礼に終わる。

 生きる『術』から生きる『道』に変わっても、礼は武の中で重んじられ、続けられてきた。

「董卓軍、鬼神の張遼!

 推していくでぇーー!!」

 そして今、この瞬間に全力で向かってくる霞に対し、全力を持って応えることが俺の礼儀だ。

「これがウチの、神速と謳われた一撃や!!」

 言葉と共に偃月刀の一撃が飛来し、咄嗟に刀を重ねて受け止める。

「っ!!」

 速いっ!

 あの激戦を繰り広げた後だというのに、一体どこに力が残っているのか不思議でしょうがない。

 つーか、どうしてこんな重い一撃を何度も受け止められるんだよ?! 春蘭!

「鬼神の一撃、受けたことは褒めたるわ!」

 余裕のない俺とは違い、霞はどこまでも楽しそうに笑っていて、目の前にあるその笑顔はやっぱり綺麗で。

「そりゃ、光栄だ・・・!」

 そんな強がりが口に出る。

「勝ちは譲らへんでぇ!!」

 俺の言葉をどう受け取ったのか、霞は足を上げた状態からよろめいてこちらへと向かって倒れてくる。

 互いに得物を持ち、どちらが受け止めても怪我を免れない。だが、霞を受け止めなかったら、自分の得物で体を突き刺してしまいかねない。

「霞っ!」

 遠くから聞こえる徐庶さんの声は、霞を気にかけていることがわかる。

 春蘭が怪我をしなかったから、代わりに霞が怪我をする?

 そんなこと、絶対にさせるか!

「っ!!」

 連理と西海優王を投げ捨てながら、霞を受け止める。偃月刀が当たった部分から血が出ているけど、それも大怪我というほどではないから問題ないだろう。

 腕の中の霞を確認しながらほっと息を吐いてから、腕の中で苦笑に似た表情をしている霞に俺は笑って見せる。

「捕まえたぞ、霞」

 腕の中で目を丸くする霞は、すぐさまいつもの表情に戻って笑う。

「あーぁ、捕まってもうたなぁ。

 ・・・・けど、ちょーっと間違っとるで」

 そう言いながら霞の手は偃月刀を離れて、俺の首へと回される。

「ウチの心はずっと、捕らえられてたんよ」

 そうしてから体全体が密着するように、ぎゅっと抱きしめられ、耳元で囁かれた。

「今度は最期まで、ずっと隣に居ってな?」

 俺はその言葉を返さずに、霞を抱きしめることを答えとした。

 

 

「いつまでそうしている? 冬雲」

 俺と霞がしばらくそうしていると、不機嫌そうな顔をした春蘭が俺と霞を引き剥がしにかかった。

「ハハッ、最高やで。ホンマ。

 惚れた男に負けて、その男の腕の中に納まれたんやからな」

 引き剥がされてなおも上機嫌な霞を春蘭が首根っこを掴んで、離そうとはしない。つーか、負けた時より不機嫌な顔ってどうなんだよ。春蘭。

「負けたって・・・ 俺は勝った気がしないけどな」

 消耗した霞の一撃防いだだけで、勝ちなんて言えるわけがない。桂花に言ったら、確実に鼻で笑われんだろ。

「どんな状態であれ、勝負しかけたのはウチや。

 ふっかけたウチが負け言うたら、負けなんよ。

 ウチに勝った冬雲にご褒美の接吻するから、離してやー。春蘭ー」

「離すわけがあるまい!」

 続いた霞の言葉に怒鳴る春蘭って・・・ なんか凄い珍しい光景を見てる気がする。

「なら、春蘭がウチに接吻でもえぇで?

 勝ったウチへのご褒美として」

「貴様、前と性格が変わっていないか・・・?」

 接吻を求めるように唇を蛸みたいにする霞を押さえながら、春蘭は顔を引き攣らせる。確かに霞が春蘭をからかうのはよくあったことだけど、ここまでは酷くなかったと思う。

「そんなことあらへんよ。

 まぁ、ウチが変わったんなら・・・ 嫁のおかげやわ。

 なー! ウチの愛妻・千里ーーー!!」

「あれ? あたしがいつの間にか嫁から昇進してる?!」

「フッ、では妻帯者となった霞に旦那は不要だな」

「はぁー? 何、言うてんねん。

 旦那と妻は別枠や、だから冬雲はウチの旦那!」

 俺を蔑ろにどんどん話が膨らんでいくだと?!

 混沌になりかけた中で徐庶さんが俺へと近づき、頭の上から下までを眺めて、最後に軽く頭を下げられた。

「初めまして、曹仁殿。

 知ってるだろうけど、あたしは『麒麟』の徐元直。

 霞からいろいろ聞いてるけど、まっ、鬼神が倒されちゃった以上あたしが抵抗する気なんてさらさらないからさ。

 あたしもどうぞ、煮るなり焼くなり好きにしちゃってくださいな」

 朗らかに笑っているその目は油断しているわけでも、まだ気を許しているわけでもないことを語っていて、俺を見定めているように感じられた。

 当然と言えば当然の反応であり、俺はそんな彼女へと握手を求めて手を伸ばした。

「徐庶殿、一つ頼みがある」

「ありゃ? 出会いがしらにいきなり告白とかはなしだよ? 英雄殿」

 冗談を口にし、手を取ろうとしはしない彼女に対し、あくまで真剣な態度を崩すことなく、俺は黒の中に白が浮かぶ彼女の瞳を見つめた。

「洛陽の真実を教えてはいただけないだろうか」

「うーん・・・」

 小さく囁かれた俺の言葉に徐庶殿は即決せずに腕を組み、指先で三つ編みの先端に触れる。わずかに霞の方を見た気もするが、霞の表情は何も変わらない。

「・・・じゃぁ代わりにさ、こっちからも一つ交換条件があるんだけどいい?」

 手で言葉の先を促せば、彼女もまた小声で俺に囁く。

「もしもの時、董卓を・・・ ううん、彼女達も受け入れてほしい」

「勿論だ」

 多くの意味を含んでいるだろう彼女の言葉に、俺は一瞬の迷いもなく頷いた。

「・・・はぁ、一瞬の躊躇も無しね。

 さっすが、霞の旦那だわ」

 呆れながらも徐庶殿は俺の手を取り、握り返してくれる。

 そうして俺と彼女がやり取りしているその瞬間、こちらへ一騎の騎馬が駆けてきた。

「徐庶様ーーーー!!!」

「あの騎馬は・・・ まさか!」

 名を呼ばれただけだというのに彼女は血相を変え、騎馬兵も頷き返す。

「~~~~~!! あんのお馬鹿!」

 声にならない不満をあげながら、彼女は口笛を吹いて自分の馬を呼び、流れるように飛び乗った。

「徐庶殿?」

「千里?」

 俺達の疑問符を他所に、彼女の表情から焦りは消えない。

「ごめん! 説明してる暇が惜しいの!」

 ただ事ではない様子の彼女をこれ以上呼び止めることは不可能でろうが、こちらは状況がわからない。

 華琳なら、どうする?

「冬雲、お前が決めろ。

 お前が麒麟と交わしたことだ」

「フッ、姉者もたまには良い事を言う」

「まったくやな」

 春蘭達が俺の決断を迫り、俺は一つだけ浮かんだ身勝手なことを口にだす。

「わかった。行ってくれ、徐庶殿。

 こちらもすぐにあなたを助力するために動く」

 俺の言葉に徐庶殿は何故か苦笑いを浮かべるが、無理もない。ついさっき会ったばかりの敵で、契約といっても口約束に過ぎない。信じろと言う方が無理だ。

 でも、これしか浮かばないのだからどうしようもない。

「緑陽」

「はっ」

「徐庶殿と共に行ってくれ」

「承知いたしました」

 短いやり取りに徐庶殿は目を開き、さっきまでの構えたような雰囲気がようやく消えた気がした。

「これが司馬家、ね・・・

 ここまでされたら、こっちも信じるしかないじゃん」

 こちらにも聞こえないぐらいの一言を呟いて、彼女は矢立を取り出してこちらに一枚の書簡を放り投げた。

「それが今、あたしから出せる誠意」

 その書簡に目を移す暇もなく、彼女は俺へと初めて本当の笑顔を見せた。

「信じてるよ、英雄さん」

 走り去る彼女を見送り、書簡へと視線を移せばそこに書かれていたのは『千里』の二字。

「ハハッ、流石ウチの嫁。

 去り際に真名預けるとか、カッコよすぎやろ?」

「まったくだよ・・・」

 真名を預けるのは、命を預けるのと同じ。

 俺が最初に知った、この世界の常識。

 なら、命には命を持って応えなきゃな。

「白陽!」

 彼女との約束を守るために、俺は次の行動をするために影の名を叫んだ。

 



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52,洛陽にて 【樹枝視点】

「ふぅ・・・・

 これでこの一件はどうにかなりそうですかね」

 そう溜息を吐きながら僕は一人、洛陽の城にある自分の部屋へと歩いていました。

 現在、この城には月さんと詠さん、そしてお二人が信頼を置くごく少数の女官しか残っていません。

「まぁそれも、今日で減るといいんですがね・・・」

 脇に抱えた書簡を開けば、そこに書いてあるのは千里さんや恋さんが虎牢関を旅立ってから根気よく行った説得の成果であり、現在の民の避難状況が事細かに明記されています。

 軍師は戦の先を読むことが責務であり、常識。

 が、本来は勝つということに向けられる筈のその知識を、お二人は関に兵を出陣させる前からこの洛陽ですら戦渦に巻き込まれることを想定し、こちらが負けることを前提にして策を進めている。

『もし仮に勝つことが出来ても、民の避難は無駄にはならないしね』

『・・・そう、ね』

 笑いながら言う千里さんとどこか難しい表情のまま頷く詠さんは対照的で、その後千里さんが詠さんの眉間を指差して笑い、追いかけっこをしながら去って行ったのは記憶に新しいです。

 泗水関、虎牢関の配備についてはあとから知りましたが、新参である僕から見ても妥当であり、素晴らしい布陣だと思います。

 ですが、千里さん。一つだけ言わせてください。

 

 どうして新参の僕に、民の説得なんてさせたんですか?!

 どう考えても、もっと適役が居たでしょう?!

 

 いや、城に勤めている古参の方々を説得できるのが詠さんくらいしかいないことも、千里さんしか霞さんの手綱を握れないことも、恋さんの傍をあの二人が意地でも離れないことはわかりますよ?

 ですがね、新参且つ女装を強制されている僕が説得とか・・・

「普通に出来ちゃったんですけどねー・・・」

 女装していることがばれるどころか、城下では普通に女性扱いされて同性()に声をかけられたり。洛陽の城で使用されている女官服を着ているせいなのか、女性たちは僕を憧れの目で見つめてくることが多々ありました。

 それならばどうして説得に時間がかかったか、それはそう難しい理由ではありません。

 霊帝様が治め、月さんが善政を敷き、十常侍の行動は民への直接の被害になることはならなかったこの洛陽を。自分たちの暮らしてきた街を離れたくないという民たちの、切実なる思いでした。

「まぁそれでも・・・ 全員が全員応じてくれたわけではないのですがね・・・」

 説得には多くの方が応じてくれましたが、全員というわけではありませんでした。

 最高とは言えない結果で終わった僕の説得。そして、千里さんはそれを見越したうえでこの説得に期間を設けたのでしょう。

「はぁ・・・」

 仕方ないこととはいえ溜息を零しつつ、僕は疲れ切った体を休めるために自室へと入りました。

 そして僕がこの洛陽において唯一男物の服を着ることを許されている寝間着へと着替えようと衣服の籠へと手を伸ばし、いつも通り服を広げて確認しようと目を開くと・・・

 

 そこにあったのは、わずかな風にも揺れるほど薄い布で作られた衣服。

 襟や肩、裾などのあちこち可愛らしい花の飾りが施され、胸元で結ばれた飾り紐がとても可愛らしい。

 色合いは僕の瞳の色に合わせただろう新緑、そして腰の辺りには取り外し可能の幅のある赤い紐がつけられ、色合いの調和も素晴らしい。

 そうそれは、以前あの助平夫婦により考案されたあの『ねぐりじぇ』でした。

 

 ドウシテ、コレガ、ココニ、アルンデスカ?

 

 目の前に突然現れた予想外の衣服、そして何故よりにもよって僕の部屋にあるのかがわからず、体も思考も膠着する。

 いや、僕がここで働くことが決まった際、千里さんが嬉々としてこれから使うだろう衣服を含めた日用品を女性物で揃えたり、霞さんが僕が持ってきていた男物の衣服を燃やしたり、そりゃいろいろありましたけどね?

 流石に寝間着ぐらいは普段の格好がいいだろうからと言って、譲歩してくださっていたんですよ? にもかかわらず、何故ここに女性物の寝間着があるんですか? 都の優秀な女官たちが間違えるのは考えにくいですし・・・

 僕がそんな疑問を抱いていると、服の間から何かが音をたてて落ちてきました。

「ん?」

 落ちたのは一本の書簡。そして、そこには書かれていた筆跡はこの洛陽にて仕事する面において見ない時がないと言っても過言ではない千里さんのものであり、僕は嫌な予感が感じつつも書簡を拾い上げる。

 

『最近、洛陽で流行ってるんだって♪

 寝間着にどーぞ♪』

 

「だと思いましたよ! 畜生!!」

 想像通りの内容の書簡を壁に叩き付け、僕は叫ぶ。

 ていうか! 出発して何日か経ちますよね?!

 まさかわざわざ女官に頼んで、僕が疲れて帰ってくるだろうこの日を見越して仕掛けたんですか!? あの人はあぁぁぁーーー!!

 ここまで芸が細かいと怒る気が失せる、とか思うでしょう?

 むしろここまで細部まで凝っていると、それすら通り越してぶっちぎれるんですよ!!

「樹枝、ちょっといいかしら?」

 部屋の前から聞こえた詠さんの声と、軽く壁を叩く音に僕は怒りを忘れて、僕の心境を表すかのように心臓も体も驚きによって飛び跳ねる。

「え、詠さん?!

 こ、こここ・・・ こんな時間にどうかしましたか?」

 女性がこんな夜分遅くに男の部屋を訪れる。

 その意味がわからないほど、僕は樟夏ほど鈍くない。もっとも、兄上ほど開放的でもないですけど。

「話があるから、入るわよ」

「は、はい! どうぞ・・・・」

 

 だから僕は、忘れていた。

 自分がついさっきまで誰に怒り、何を持っていたかということを。

 

「・・・・・あー、邪魔したわね」

「ファッ?! あ、あのこれは違うんです!!」

 詠さんの呆れきった表情と言葉によって、僕は自分が一体何を持っていたかを思い出し、咄嗟に隠そうとするが既に遅い。

「あんた、いくら否定しても寝間着まで女物にしたら・・・ ねぇ?」

「だから、違うんです!!」

 頭痛を堪えるように額に手を当てる詠さんに僕は弁解しようと必死であり、自然と声は大きくなり、詰め寄ってしまう。

「まぁ、それは冗談だけど。

 そんなことよりも・・・・」

「どこが冗談なんですか?!」

 詰め寄る僕から微妙に距離をとりつつ、詠さんはうんざりしたような顔をして僕がまだ持ったままのねぐりじぇを指差した。

「だってそれ、千里からの贈り物でしょう?

 千里が最近の流行だからって、同じものを僕たち全員に贈ってくれたのよ。

 『みんな可愛いんだから、寝間着も可愛いのじゃなきゃね』なんて言って、まったく千里は僕達の何のつもりなのよ・・・」

「なんですって?!

 ぜひともその姿を見たいで・・・ ブッ」

 ぜひ! ねぐりじぇ姿の詠さんが見たい!!

「何、想像して口走ってんのよ!! この馬鹿!」

 おもわず口を飛び出してしまった本音に対し、詠さんからの容赦ない平手を貰ってしまいました。もっとも、今まで殴ってきた方々が方々なので吹っ飛びはしませんし、可愛いものなのですが。

 千里さん、僕に贈ったことに関しては物申すところがありますが、詠さん達にも贈ったなどとは・・・

「素晴らしいとしか言いようがありません!」

「僕の話を聞かずに、妄想続けてんじゃない!」

「すみませんでした!」

「まったく・・・

 女装してても、仕事をしてる時は多少はましなのに・・・」

 顔を赤くして、ブツブツと何やら言葉を続けている詠さん。

 しかし、こんな時間に僕に何の用事があったのでしょう?

「って、こんなことしてる場合じゃないわ。

 僕と一緒に月の説得を手伝って!」

「説得?

 どういうことです?」

「樹枝、一度しか言わないからよく聞きなさい。

 虎牢関が落ちたわ」

「!?」

「僕と千里は、泗水関が落ちた時点である約束をしてた。

 だけどそれも、民と月を説得できなくて長引いてたの。

 そして樹枝、あんたに話すかどうかは僕の判断に任された」

 僕の驚きを察して、言葉は端的に選ばれていく。

「そして僕はこの洛陽にいる間を通してみて、あんたを信頼に足る存在だって認めた。

 だから樹枝、僕と一緒に月を説得して。

 何としてでも、この洛陽から僕達は脱出しなくちゃいけない」

「ですが、仮に脱出出来たとしても・・・」

 僕の当然の問いを完全に聞かずに、詠さんは心配無用とでもいうかのように首を振る。

「それもあてがあるから、大丈夫。

 千里が『もしもの時のために』って預けたものがあるでしょ。そこに必要なものが入ってる筈よ」

「は、はい!」

 僕は慌てて、棚の上に置いておいた千里さんからいただいていた中身のよくわからない籠を開ける。

 すると、その荷物の一番上に入っていたのは・・・・

 

 肩から細い紐でつりさげられるような小さな胸当て、

 僕の肩幅を隠すためか、付属として肘のあたりまでをすっぽりと隠すような肩掛け。

 薄く煌びやかで、動けば音を鳴らすように装飾のついた腰巻。

 そして極めつけは、僕の髪色に合わせて揃えたであろう鬘。

 

「またですか!! 千里さーーーん!」

 叫ぶ僕に対し、詠さんが向けてくる同情的な視線がとても痛いです。

 ここまで来たら、いっそ笑ってくださいよ・・・・

「そ、それ以外の荷も一応確認しときなさいよ。

 まともなものもあるかもしれないじゃない」

「もう一番最初にまともじゃない物が来てますけど、そうしますね・・・」

 こぼれ落ちそうになる涙をこらえながら、僕が引き続き荷物を確認していくとそこに入っていたのは旅に必須な保存食料と兄上が随分前に考案した簡易の濾過装置、調理程度には十分使えそうな小刀と数枚の布。

「え・・・ まさか」

 そして、洛陽に到着してから取り上げられた僕の得物である『理露凄然』と、兄上が僕と樟夏に贈ってくれた短刀。

 あの千里さんが僕に武器を渡した理由。

 それは信頼の証とも取れるし、先程の詠さんの話と照らし合わせて出るものは・・・・

「準備、出来たわね。

 行くわよ」

「はい」

 民の避難が済んだこの洛陽はもう、安全な場所ではないということだった。

 

 

 

 詠さんと共に慣れ親しんだ城内を警戒しながら歩いていると、僕はいつもの習慣で腰に差していた短刀を鞘ごと引き抜いて詠さんへと渡しました。

「詠さん、もしもの時のために護身用としてこの短刀を持っていてください」

「えっ・・・ だってこれ、あんたの義兄が贈ってくれた大事な物だからって、最後まで僕達に預けるのだって嫌がってたものじゃない。

 そんな大切な物、受け取れないわよ」

「少しの間、お貸しするだけですから。

 それに・・・ 女性に怪我なんてさせたら、兄上と叔母上が僕をどうするかわからないので」

「ぷっ・・・ 何よ、それ。

 どんな身内よ」

 僕が落ち込みながら言えば、詠さんは笑って短刀を受け取ってくれた。

 その笑顔がどうしてかもう少し見ていたくなって、僕は言葉を続ける。

「そりゃもう、凄い人達ですよ。

 そんな人たちに囲まれていた僕は空を飛びますし、書簡をやるために走り回り、時に同性から告白を受けたり、兄弟からも容赦ない言葉を貰っては言い返したり、毎日ドタバタしていました」

「あんた、どこに居ても同じなのね」

 詠さんの言葉に、僕はこちらの暮らしと陳留での暮らしを比べてみる。

 確かに、僕が女装している点以外は普段と何も変わらないかもしれません。ですが・・・

「それはもしかしなくても褒めてませんよね?!」

「褒めてるわよ。

 あんたがどこでも一言多くて、女装癖だってことがわかったしね」

「だから・・・!」

 僕が反論しようとしたところで、詠さんは数歩先に進んで僕へと振り返りました。

「・・・そんなあんただから、僕達は信頼出来たのかもしれないわね」

 目元をわずかに緩ませ、口元に弧を描いた詠さんの笑顔という最高のおまけつきで。

「それ、本音と建前を使い分けられない馬鹿だって言ってませんか?」

「そうよ。

 あんたは能力があるのに、そういうことが出来ない馬鹿だわ。

 ・・・けど、それを信じた僕らも同じ馬鹿だもの」

 冗談めかしなやり取りをしていると、僕ら以外の足音が近づくことに気づき、僕は静かに棍を構えて、詠さんの前へと立つ。

「僕の背からなるべく離れないでください。

 交戦は・・・」

「わかってるわよ」

 何も言わずに周囲を囲んでいく者達に、僕は久しぶりに持った得物を軽く振るう。

「さて、頑張りますかね」

 が、僕のその様子に囲んだ者達がわずかに動揺しているのがわかった。

 まぁ、女官だと思って襲ってきた側からすれば戸惑うでしょうね・・・

「全員、相手は所詮女二人だ。

 かかれ!」

 僕は叫びたい気持ちをぐっとこらえ、僕はまず五人いる内の一人へと下方から頭めがけて棍を振るい、詠さんの周りを半回転するようにしながら迫っていた者の頭を砕く。

『っ?!』

「どうしましたか?

 僕はまだ一動作しかしてませんよ?」

 驚く周囲へと僕は冷たく笑うと、視線に怒りが増した気がしますが、正直痛くもかゆくもありません。

 この大陸で生きる男が、この程度の殺意や悪意でへこたれるわけがないんですよ。

「守られてる方を狙え!

 やれ!!」

 今度は三人同時、ですか。

「詠さん!!」

 流石に守りきれるかもわからず、おもわず人の目も気にせずに真名を呼んでしまいました。

「・・・はぁ、あんたは僕を舐め過ぎよ」

 そう言って先程僕が預けたばかりの短刀を抜き、襲ってくる一人の首元へと迷いもなく突き立てた。

 自分が血で濡れるのもかまわずに、その命が絶えるのを待つように動かない。

「詠さん!」

 そんな彼女を守るように残っていた二人をあしらって傍に寄ると、詠さんの顔は血塗れだというのに、血をなくしたように白く染まっていた。

「無茶をして・・・」

「わかってるわよ!

 洛陽を守ることも、霊帝様をお救いすることも、僕には無理なことだったって!!

 でも、それでも・・・! 誰かの命を奪ってでも、守んなきゃいけないものが僕達にはあったのよ!」

 首に刺したままの短刀を引き抜き、詠さんの手から離れようとしない短刀ごとその体を包む。

 出なければ今の詠さんは、自分を傷つけてしまいそうな危うさがあるように感じられた。

「勅令だったからじゃない! 義務だからじゃない!! 尊い御人だったからじゃない!!!

 あの人達を! それを守ることを決めた月を僕は・・・!!」

 感情が爆発していく詠さんを抱きしめて、僕はただ優しくその頭を撫でました。

 幼い頃、叔母上が僕にしてくれたように。懸命な努力をした者へと、ささやかな労いとして。

「頑張りましたね、詠さん」

「・・・!!」

「だから、もう少しだけ頑張りましょう?

 月さんの元へ急がなくちゃいけませんし、それに僕も早く脱出してこんな恰好(女官服)から着替えたいですから」

 いつまでも女官服っていうのはここでは目立ちませんが、そろそろ解放されたいですし。

「最後が余計なのよ・・・ 馬鹿」

 そう言いながらも僕の服に縋るように握る詠さんを、僕は改めて守りたいと思いました。

「緊急時における不純同性交遊禁止、です」

「ぐへっ!

 ろ、緑陽?! どうしてここに・・・ っていうか、千里さんまで?!」

 そう言いながら僕の頭上へと飛び降りてきた白装束の緑の仮面をかぶった緑陽に潰され、すぐさま怒鳴り返そうと立ち上がると何故かその脇には千里さんが軽々と抱えられていました。

 が、千里さんは僕を見ずに詠さんの方を抱きしめて、何やら話しているようでした。

「お久しぶりですね、樹枝殿。

 女官服が大変お似合いですが、この緊急時において何故あなた様は女性を抱きしめておられるのでしょうか?

 それとも女装をしながら女性を楽しむという、深い趣味にでもお目覚めに?」

「違います!

 これはその・・・」

「男が言い訳しない」

「こんな時だけ男扱いですか?!」

 淡々とした口調でもっともなことと理不尽なことを同時に言われ、僕が反論しようと口を開くとすぐさま言葉を斬って捨てられる。

「ていうか、どうしてあなたがここに居るんです?!」

「詳細は省きますが、虎牢関交戦時においていろいろありまして、現在は冬雲様のご指示の元、千里殿へと協力しています。

 また冬雲様のお耳にも樹枝殿が洛陽にて女装していることが伝わったことを、ここにご報告いたします」

 淡々と事実を告げていく緑陽ですが、何故か余計なことまで僕に伝えてくるのは絶対にわざとですよね?!

 ていうか! 絶対広めたのあなたでしょう?! そして兄上が知っているということは・・・・

 嫌な予感が脳裏をよぎり、緑陽をちらりと見れば、こちらへと無言で親指を立ててきました。仮面の向こう側で、さぞやあなたは清々しく笑っているんでしょうねぇ!!

「さて、緑陽ちゃん。

 そっちはもういーい?」

「はい、しっかりいじ・・・ 叱っておきましたので、問題はございません。

 千里殿もよろしいですか?」

「うん、だいじょうぶだよー。

 それにあたしは・・・ もう一人叱らなきゃいけない子がいるから」

 そんな千里さんの後ろには詠さんが居て、少しだけ目元を赤くしていました。

「さっ、行こ。

 急がないと連合が来ちゃうからね」

 一切の疲労を感じさせることもなく、千里さんは三つ編みを揺らしながら僕らの前へと歩き出しました。

 

 

 四人で城のあちこちを丁寧に見て回りつつも、詠さんは月さんが一体どこに居るのかをわかっているかのように自然と足を玉座へと向けていました。

「月!!」

「詠、待ちなって!」

 駆け出す詠さんを追う千里さん、当然後ろを歩いていた僕らも駆け出していきます。

 玉座に近づくにつれ駆け足になっていた詠さんが扉を壊してしまいそうな勢いで入っていき、それに続いた僕達が見たものは血に汚れ、床だけではなく壁すらも真っ赤に染まった玉座でした。

「あー・・・ やっぱり」

 千里さんの言葉も耳に入らず、僕はただその光景に言葉を失いました。

 死体の全ては一刀のもとに首を駆られ、飛ばされている首は恐怖に彩られるか、呆気にとられた表情のまま冷たくなっている。

 そうそれはまるで、黄巾の乱で見た怒りに触れた兄上のように容赦のないもの。

「やっぱりって・・・ どういうことですか? 千里さん」

「ねぇ、攸ちゃん。

 涼州がどんな地方なのか、知ってる?」

 千里さんの言葉を聞きながら僕は恐る恐る詠さんが駆けて行った死体の中央へと視線を向けると、そこにいたのはいつもの衣装で血に塗れた月さんを抱きしめる詠さんの姿。

「確かに五胡から漢を守ってるのは英雄・馬騰だけど、五胡から攻められるという脅威にさらされてるのは西涼だけじゃない。涼州全土に言えたこと。

 そして月はね、その涼州の出身であり、洛陽に来る前はそこを治めていた。

 その意味を多くの人は仁徳によって成し遂げたととらえるし、それも間違ってないよ」

 千里さんは一歩ずつ前へと出ながら、緑陽へと周囲の警戒をお願いしています。

「けどさ、あんな辺境で力も何も備わってない子が一番上に立てると思う?」

 千里さんが指差した先にいる月さんの手には無骨で刃先の四角い実用的な鉈が握られ、月さんは詠さんに抱きしめられながら、ただぼんやりと立っていました。

「あの子は、鉈という武器において最強。

 そして辺境故に噂は広まらず、鉈以外の武器はからっきしなの」

「あぁ、特定の得物が得意な人っていますよね」

 実際、叔母上も鞭は使えますが、他の物はからっきしですし。

 説明はそれで終わりだとでも言うように千里さんは月さんの傍に近づき、迷うこともなく、手を振り上げました。

「「()っ?!」」

 突然のことに僕と詠さんが驚きの声をあげますが、千里さんはそれをかまうこともなく、月さんを見つめていました。

「月、何してんの?」

 それは、いつもの千里さんからは想像できない冷たい声でした。

「千里、さん・・・? どうしてここに?」

「あたしは逃げろって言ったよね?

 泗水関が落ちたら、そうする約束だったでしょ?」

 僕達が入ってきたことにも気づかなかったのか、彼女の目はようやく千里さんをとらえました。

「私は・・・ いいえ、『魔王董卓』はこの乱を終わらせるために死ななければなりません。

 だから私は、逃げません」

「もう乱は起きた。そして、一度起きた乱は全てを壊し尽くすまで止まらない。

 君主の命一つで終わるなら、それまでの多くの命は何のために消えたの?

 守るためでしょ? 抗うためでしょう!?

 なら、最後までみっともなく、誰が死んでも生き残るのが君主の務めでしょうが!!」

「わかっています。

 ですが私は、霊帝様から任されたこの洛陽を守ることも、連合を止めることも出来ず、多くの方が洛陽を守ろうとして散っていきました。董卓が死なない限りこの乱は続き、このままでは多くの無辜の命が消え続けてしまいます。

 この責任を取るためには、私が命を持って贖うしかないんです」

 怒鳴る千里さんに対し、月さんはとても静かで、まるで全てを受け入れてしまっているようだった。

 零れる言葉は重く、多くの責任に雁字搦めとなった月さんを救うことは僕には出来ない。彼女の背負った多くを理解することも、代わりに背負うことも、力不足にしか感じられない。

 兄上・・・ あなたなら、彼女を救えるのでしょうか?

 脳裏にふとよぎった考えに、隣に居た緑陽が扉の方へと視線を向けていました。

「緑陽、まさか襲撃でも・・・」

「いいえ、違います」

 僕の問いを緑陽はすぐさま否定し、むしろその警戒を解いていました。

「黄巾の乱でもですが、どうやら英雄とは遅れてやってくるそうですね」

「はっ?」

 言葉の意味がわからずに、僕はただ近づいてきている足音へと警戒していると扉が文字通り粉砕されながら二人の人影が姿を現した。

「千里ー、無事かいな?」

「約束通り、助力する!」

 その人は、僕が今まさに想像していた兄上本人だった。

 

 



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53,洛陽にて

「白陽!」

 彼女との約束を守るために、俺は次の行動をするために影の名を叫んだ。

「ここに」

「牛金と藍陽を呼んでくれ。

 藍陽は遊撃隊(凪達)の状況を見て、可能であった場合でいい」

「承知いたしました」

 すぐさま影から出てきた白陽に短く指示を飛ばせば、白陽もすぐさま行動へと移していく。

「というわけで霞、疲れてるだろうけど協力してくれるか?」

「ウチが冬雲の頼みごとを断れるわけないやろ?

 なーんでも言うてみ?」

 ぼろぼろだっていうのに、なんてことはないように立ち上がって笑ってくれる霞が頼もしい。

「冬雲、どうするつもりだ?」

 秋蘭の問いかけに俺は真剣な表情を変えることもなく、戦場へと視線を向けて口を開く。

「俺達は鬼神と麒麟の両名を捕らえることが出来ずに洛陽へと逃げられ、英雄は虎牢関の戦線を維持するために部隊を指揮して戦う。

 負傷した夏候惇・夏侯淵将軍は報告のために後ろに下がり、この事を報告する」

 俺はそこで言葉をきって、今ここに居る春蘭、秋蘭、霞の三人へと視線を向けた。

「っていうことにするから、あとで一緒に華琳に怒られてくれないか? 三人とも」

 最後だけを三人にしか聞こえない程度の声量にして、俺は笑いかける。

 すると春蘭と秋蘭は呆れたような視線を、霞はさっきから少しも変わらない楽しそうな視線を俺へと向けてきた。

「冬雲は武だけやなくて、頭までようなったんやなぁ。

 ホンマ、なんべんウチを惚れ直させるんや?」

「牛金を呼んだのはそのため、か・・・・」

「というよりも既に白陽に指示を出した時点で、巻き込まれることが決まっていたんじゃないのか?」

 褒められ、当てられ、貶されるを順番にされるという貴重な経験をしながら、俺は周囲を警戒しつつ、次の事へと頭を巡らせる。

「うんまぁ、春蘭の言う通りなんだけどな。

 この建前を使っても、あとから起こることで帳消しにするから罰せられはしないと思う。

 けど、その建前の裏側で俺がすることは完全に独断だ」

 いくら現場での判断が必要なことであっても、この連合での俺の独断行動は危険すぎる。

「結果次第で、怒られるだけじゃすまなくなる」

 俺の行動一つで、この軍が連合の敵になりかねない。

 そうしないように動くつもりだが、絶対に成功するという確証もない。

 もう決めたことだから迷いはない。

 でも、その結果が起こすことでみんなが傷つくのはやっぱり恐ろしい。

「冬雲!

 そんなしけた面をするな!!」

 言葉と共に春蘭の手が俺の背中を思いっきり叩き、振り向けばそこにはどんな時でも堂々として、真っ直ぐな魏武の大剣。

「もしもの時は一緒に怒られてやる! どんなことでも乗り越えてやる!

 だから、絶対に帰って来い!! いいな?」

 張り手と一緒にかけられた春蘭の言葉に俺は目を丸くして、一瞬でも悩もうとした自分が馬鹿みたいだった。

 あーぁ、ホント・・・ 真っ直ぐだよな、春蘭って。

「返事はどうした? 冬雲」

「はいはい・・・」

「冬雲、『はい』は一回やで?」

「はい」

 そんなどっかの子どもみたいなやり取りをしてから、俺は何の前触れもなく落ちていた連理を蹴りあげて拾い、その切っ先を霞へと向ける。

「おっと、あっぶな!」

 不意をついたつもりなのに、霞はいとも簡単に距離をとって口笛を吹いて馬を呼ぶ。すぐさま駆けてくる愛馬へとひらりと跨って、霞は俺へと目配せをした。

「ウチはこんなところで、捕まるわけにはいかんのや!」

 偃月刀の一刀を俺達の足元へと道を塞ぐように振るってから、馬を翻して去っていく。

「鬼神が逃走した!!

 だが我々の目的は鬼神の首ではなく、虎牢関を落とすこと!

 私は戦線維持へと行動を移す!

 曹仁隊よ! 俺に続けえぇぇーーー!!」

 俺もまた夕雲に跨り、号令をかければ、白陽が呼んでくれたであろう部隊が俺を包むようにして進んでいく。

 最高の頃合いだよ、白陽。

 内心で白陽の仕事を褒め称えながら、俺は隊の動きを見て、隊列の微調整を行う。

「冬雲、この場は任せたぞ」

「任せろ」

 場の混乱に乗じて秋蘭は春蘭と共に後ろへと下がるために、俺へと声をかけてくれる。

「おっと、そうだ。冬雲。

 一つだけ、伝え忘れていた」

「ん?」

「どうせ華琳様に叱られることが確定しているのなら、思いっきりやって来い。

 『半端なことをして、失敗しました』、などという報告を聞く気はないからな」

「わかっ・・・?!」

 顔がぶつかるんじゃないかという至近距離で秋蘭が俺をじっと見て、一つ溜息を吐いてから渋々と言った様子で顔を離してしまった。

 く、口づけされるかと思った・・・・

「・・・ここが戦場でなければしたんだがな、仕方あるまい」

 秋蘭が最後に何かぼそって言った気がするけど、俺には何も聞こえなかった。そういうことにしておこう、うん。

「隊長!

 牛金、今ここに参上いたしました!」

 いつも通り、でかい声の牛金が俺の隣に並んだ。

「牛金、お前にだけ伝えておいたことを覚えてるか?」

「・・・っ!

 あれを、ここでなされるんですか?」

 俺の左隣へと並び立つ牛金に俺が短く問えば、意味を瞬時に理解したらしくすぐに問い返される。

 俺と白陽、牛金のみが知り、華琳にすら内密にするほど徹底したことであり、俺がもしもの時に自由に動けるようにするためだけに用意していた策。

「あぁ・・・

 白陽!」

「承知しております。

 藍陽もここに」

「白陽姉様に聞きましたので~、少々失礼しますね~」

 藍陽はいくつかの道具を右手の指の間に挟み、白陽に手渡された衣装を左手に抱えて、一度だけ深呼吸する。

「お二人とも、一つ瞬きする間だけでいいので、動かないでいてくださいね?」

 いつもの穏やかな、間延びしたような口調すら消して、藍陽は隠密らしい速さと静かさで俺達の横を通り過ぎる。

 

 それは本当に一瞬、藍陽が口にした通りの一つ瞬きする間での出来事だった。

 

「・・・ふぅ、こんなもんですかね~。

 一人で二人同時は初めてですので、ムラがあったらごめんなさ~い」

 藍陽の言葉で俺が目を開いて隣を見れば、そこには()がいた。

 正しくは仮面をかぶり、鬘をつけ、俺がついさっきまで着ていた鎧を纏った牛金が立っていた。

「いや、最高の出来だよ。藍陽」

 いつの間にか頭につけられた一般兵の兜に触れながら、俺は礼を言う。

「隊長、何をなさるか俺にはわかりませんが、どうか御武運を」

「あぁ、この後の指揮は任せた」

 小声でのやり取りをしながら、俺はそれ以上の会話をやめ、英雄へと接する一般兵のように礼を取る。

「では、行ってまいります。曹仁様」

「あぁ、頼んだぞ」

 互いにそれ以上に言葉を交わさず、白陽達の姿はいつの間に消え、俺は馬にも乗らずに乱戦となっている戦場をただ走った。

 

 

 

 その後、俺は戦場から少し離れたところで霞と合流し、俺の所属を表す要因となりかねない物を処分した。

 そのため俺の格好はそこらの町民と何も変わらず、連理と西海優王のみを腰に差した状態となったし、その装備の薄さについて白陽と霞にあれこれ言われたが、俺の顔を知る者のいない現状を利用しない手はなく、顔の傷を晒した状態で霞の愛馬である黒捷の背に相乗りして洛陽へと向かった。

 

 

 街に入る前に馬を降り、俺達は今、霞の先導の元で城の中を駆けていた。

「霞、千里殿が焦っていた理由に心当たりはないのか?」

「わからん!

 せやけど、千里があれほど焦った顔するっちゅうことは、何かの緊急時やのは確かやけどな!

 ウチにはそれぐらいしかわからん!」

 霞は部屋という部屋を蹴り開けながら、俺は周囲への警戒を怠らない。

 城までの道すがら街を見たが戦中であることがわかっている民はおらず、静かなものだったが、民家も、道も、雰囲気も荒れた様子は一切見られなかった。

 なら・・・ やはり裏は・・・

「どこやーーーー!!」

 駆けていく中で白陽は壁へと視線を向けているような気がして、おもわず問う。

「白陽、さっきから壁ばかり見てるけどどうかしたのか?」

「なんや? どないしたんや!」

「いえ、壁のあちこちに印が残されていまして、徐庶殿と行動を共にした妹がここを通ったようです。

 張遼殿、この先には何が?」

 ん? 何で隠密の緑陽が通常廊下の壁に印を残してるんだ?

「この先て・・・ 玉座?!

 玉座で千里が焦るっちゅうことは・・・!

 あんの堅物君主ーーー!!!」

 ふと浮かんだ疑問に白陽が気づいてくれたのか、答えようと口を開きかけたがその瞬間に霞の怒号が響き、さっきよりも一段上の速さで駆けていってしまった。

我々(隠密)が普段遣いの通路を使うことから考えられるのは二つ、よほどの緊急時か・・・」

「通路を使用する誰かと合流した、ってところか?」

「そして、これまで交戦の痕跡をない所を見ると後者の可能性がありますが・・・ もう一つあり得るとするのなら・・・」

「今は、霞の後を追いかけよう。

 その答えも含めて、この先にあるだろうからな」

 白陽の頭に軽く撫でてから、俺はそのまま白陽の手を引いて駆け出した。

 

 

「千里ー、無事かいな?」

「約束通り、助力する!」

 霞の突入に続き、俺達が玉座へと突入した。

 だが、そこに広がっていたのは俺達が想像していなかった光景。

 十数名の死体が転がり、床だけではなく壁にすら血が舞い、死体の一部は転がっている。そして、その中心地点であろう玉座中央へと佇む血塗れの少女。

 俺はその少女に、前に一度だけ出会っていた。

 凪達と共に洛陽の城を調べようとした時、城から出てきたお姫様だと思った子の一人。

 そう、か。彼女が董卓だったのか。だからあの時・・・

「兄上!?」

「おっ、さっすが霞と英雄さん。

 来るの早いなー」

 久しぶりに聞く樹枝の声と、千里殿の声に考えを振り切ってから視線を向ける。

 樹枝は話に聞いていた通り女官服姿だったがそれは樹枝のために触れず、服が少し血に濡れていることも気になったが、こちらから見る限りでは怪我も見られないし大丈夫だろう。

「久しぶりだな、樹枝。

 無事でよかった」

「兄上・・・!

 そのお姿は?」

「『英雄』は、なにかと動きにくくてな。

 緑陽、白陽と共に周囲の警戒を任せていいか?」

「お任せを」

 俺はそれ以上話さずに、霞が向かった彼女達の元へ足を向ける。

 彼女を囲った血と死体を越えて、こちらへと警戒を露わにする賈詡殿と思われる少女の視線を浴びて、二振りの剣を床へと放る。

「あなたが英雄・曹仁さん、ですか?」

 中央に佇む少女は煌びやかな衣服を血に汚し、華奢な体躯には似合わない無骨な鉈を両手に持ち、どこか虚ろな目を俺へと向けてきた。

「あぁ」

「お願いです。

 私を殺し、この乱を終わらせてください」

「月!!」

「月、いい加減にしなよ?」

「ふざけるのも大概にしぃや!」

 そう言って頭を下げる彼女に、俺が何かを返すよりも早くその場の三人が怒りを露わにする。

 だが、彼女は周囲の反応など聞こえていないかのように、言葉を続けた。

「鬼の面を被り、蒼き衣に背負うは曹の一字。

 二振りの剣をもって戦場を進み、乙女を救わんと戦場を駆ける。

 あなたが噂通りのお姿で来なかったということは、こちらに来るまで尽力なさったことがわかります。本当にありがとうございました。

 ですが、もういいんです」

 その微笑みは俺が見てきた誰よりも儚い筈だというのに、強い意志が宿っているようだった。

「霊帝様の命をお救い出来ず、御子様達を遠ざけることでしか守れず、託された都すら戦渦に呑まれようとしています。

 私は、何も守れませんでした」

 泣くどころか顔を歪めることもなく、彼女はただまっすぐ俺を見つめていた。

 まるで俺ならば、言葉の意味を理解するとでも信じているかのように。

「何も守れなかったこんな私を、命をかけて守ろうとする人がいます。

 ですがそれは自分を守るためだけに兵を殺し、生きるために民を巻き込み、将を使い捨てることと、何の違いがありますか?」

 彼女から紡がれる言葉の一つ一つが、彼女を縛っていた鎖。

 自ら雁字搦めとなることを選び、その責務を果たすことを選んだ君主の、一つの在り方だった。

「ですが、英雄さん。

 それでも私は君主です。

 この洛陽を託された者です」

 

 そう言って彼女は左手に持っていた鉈を一切迷いもなく、自分の首へと振るおうとした。

「「「「月(さん)!!??」」」」

 響き渡る四人の絶叫。

 だがそこに、血の雨が降ることはなく、雫となって血が落ちていくだけだった。

 

「間一髪、だな」

 彼女の首と鉈の間に入った俺の手が、彼女の首の代わりに血を流し、刃が進むことを阻んでいた。

「どう、して・・・

 私が責任を果たさなくちゃ、いけないのに・・・ あなたが傷つくことなんて・・・」

 鉈から手を離して、傷ついた俺の右手に触れ、目の前の事態を拒むように首を振る。

「どうして・・・ どうして、私を庇ったりなんてするんですか?

 私に守られる権利なんて、命をかけてもらう資格なんてないんです。

 何も出来なかった私が悪いのに、私がもっとうまく出来ていたら・・・ 私が気づけていたら・・・」

 淡々と言葉が紡がれ、彼女はただ自分を責め続けていた。

 あぁ、彼女はまるで月のようだ。

 自分の輝きは自分の()ではなく、照らしてくれている(太陽)がいるからだと思い、夜が輝くのは自分()のおかげではなく、()のおかげだという。

 でも、そうじゃない。

 月があるから(地球)は支えられ、(太陽)と適切な距離を保っていられる。

 存在したことが偶然だったとしても、月が果たす役目はなくてはならないものだった。

「よく、頑張ったな」

「っ!

 わたしは・・・ 何も・・・」

「出来てないなんて、何も知らない俺でも信じない。

 だって俺は、二つの関で君を守ろうと必死になっている人達を見てきたから」

 まだ否定しようとする彼女を半ば無理やり抱き込み、怪我をしていない左手で優しく頭を撫でていく。

 華雄将軍が連合に宣戦布告した姿も、飛将が関を守ったことも、千里殿が血相を変えたことも、霞が心配して走り続けたことも、俺は知ってる。

「守りたいものに届かなくて、守りきれないのは辛いよな」

 前の時、あの人すらも救いたいと願ったことがあった。

 でも、力も何もない俺には出来なくて、手からこぼれ落ちていく命を眺めては無力を噛み締めた。

「守りたいのに守られてる自分が情けなくて、力になれないことが嫌だよな」

 隣に並べない自分が情けなくて、守りたいのに守られてる自分が嫌で嫌でたまらなかった。

 武でも、智でも力になれなくて、日々が必死だったという言い訳を使う自分に失望した。

「だから君は・・・ 自分の命一つでみんなを守れるなら安い物だって思ったんだろ?」

 その言葉だけを彼女の耳元で囁くように告げると、彼女は驚いたような顔をして俺を見つめた。

「どうして・・・」

「わかるよ。

 だって俺も、そう考えたことがあるから」

 今の彼女と同じで自分の命程度でみんなが生きていてくれるなら、それでいいと思った。

 でも同時に、俺も彼女もは残された側の気持ちなんて・・・ みんなの気持ちなんて、考えてもいなかった。

 だけど、今なら少しわかる。

「でもさ、こっちが命をかけたっていいって思うのと同じで・・・」

 俺は腕の中から彼女を開放するよりも早く、半ば奪うようにして眼鏡をかけた二つ縛りでおさげの賈詡殿が彼女を抱きしめる。それに千里殿と霞が続き、樹枝までもが彼女に抱き着いていた。

「月の馬鹿!

 月が死んだら僕は・・・!」

「あんたって子は本当に!」

「死んだら、それで終いやん! 阿呆!!」

「そうですよ!」

「詠ちゃん、みなさん・・・」

 驚いてる彼女を置き去りにして、誰が何を言っているかもわからない言葉の数々は彼女を想う言葉ばかり。

「ほら、な?

 愛されてるだろ?」

 血塗れなことも、鉈を持っていることも、誰も気にしない。

 彼女が彼女であったから好きになって、心配で、死んでほしくなくて、必死になった。

「だからさ、もう少しだけ抗ってみないか?」

 俺は俺で白陽に右手を応急処置されながら、空いている左手を大切な仲間達もみくちゃにされている彼女へと伸ばす。

「死んで終わりじゃなくて、生きてこの先を一緒に見よう」

 



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54,洛陽大脱出 前編

この後にもう一話投稿します。


 しばらくすると霞達も満足したのか董卓殿を腕の中から解放し、俺は俺でその間にはすっかり応急処置の終わった右手の開閉動作を繰り返す。

「手、大丈夫? 英雄さん。

 結構ざっくりいったように見えたけど・・・・ それに、あの鉈だし」

 千里殿が心配そうにこちらへと視線を向けてきたので、見れば董卓殿もこちらを気遣うようにちらちらと視線を向けてくれていた。

 俺は問題ないということを示すために、右手を軽く上下左右に振ってみせる。この動作をやっても痛みも走らないし、大丈夫だろう。

 『鉈』は刃の重さを利用して振り下ろすことが前提のものであり、『斬る』というより『折る・断つ』を目的とした武器だ。

 董卓殿は首元に沿うように刃を滑らせるようにしたため、本来力を込めて振るう鉈を振り下ろすことはなかった。実際、首元にある太い血管を守っているのは皮膚だけだし、そんなに力を込める必要もない。だからこそ俺の怪我もこの程度で済んだし、骨まで断たれることもなかった。

 が、鉈の刃の大きさと切れ味によって、おそらく傷は残るだろうという白陽の見立てである。そのため白陽にはしっかりお小言を貰ったし、他からもお小言を貰う覚悟をしておくようにと釘を刺された。

 いや、顔の傷の一件とかで怒られてるにも拘らず、新しい怪我をつくる俺も悪いんだけどね? 言い訳になるだろうけど、どの時も仕方ないんじゃないかなー? とも思うわけでして・・・

「というか兄上。

 今、ふと思ったのですが・・・」

「うん?」

 董卓殿から離れ、俺へと声をかけてきた樹枝に視線を向ければ、不思議そうに首を傾げる。

 

「董卓がほとんど素性を知られていない現状下で、月さんの首をもって『董卓の首だ』と言っても誰も信じないのでは?」

 

 樹枝の発言にその場にいた全員が一斉に口をつぐみ、沈黙が訪れる。

 いや確かに言われてみればそうなんだけど、董卓殿の容姿どころか性別も知られてないけどな?

 どうして俺の義弟は、よりにもよってこの瞬間に口にしてしまうのだろうか・・・

「はぅ・・・!」

 董卓殿も今ようやく気付いたらしく、ただ一人恥じらいから顔を真っ赤にし、俯いてしまう。

 が、それに伴い周囲の怒気は一層膨れ上がるのを、俺は肌で感じた。

「そう言うのはわかっても、雰囲気を読んでこっそり言うもんでしょうが! このお馬鹿!!」

 俺がやんわりと止めるために口を開くよりも早く、さっきまで董卓殿の胸の中で泣いていた賈詡殿の平手が樹枝の頬を打つ。

 それが始まりを告げる音となり、霞、千里殿、緑陽、白陽も樹枝へと一斉に飛びかかっていった。

「せっかく冬雲がえぇ話で治めてくれたのを、余計な茶々入れるのはこの口かーい!」

 賈詡殿の平手によって体勢の崩れた樹枝の腰目掛けて霞の蹴りが入り、樹枝の体はほんのわずかに浮く。

「攸ちゃんってば、頭いいのに」

 千里殿は樹枝が自分の目の前に来た瞬間を狙って、低い姿勢から体のばねを伸ばしきるように右足で樹枝を天井へと蹴り上げる。

「たまーに、阿呆の子だよねー!」

 俺はその流れるような連携技があまりにも見事で、止めることも忘れて視線で追いかけてしまう。

 そして、浮き上がった樹枝へと最後の締めくくりが迫っていた。

「白姉さま」

「わかっています」

 緑陽の声に二人は同時に駆け出し、白陽が一歩前に出て突然立ち止まり、両手を合わせて作った足場に緑陽が勢いを殺すこともなく乗り、樹枝が待つ天井へと飛びあがる。

「余計な一言はいつも通りですが、今回ばかりは空気を読みましょう。

 それと・・・ 何、女性に抱き着いてるんですか」

「理不尽!!」

 この流れるような連携技をされてもなお、叫ぶ元気がある樹枝も慣れてるよなぁ・・・

 空中で殴られて落ちてくる樹枝を流石に床に叩き付けるのはやりすぎだと思い、落下地点へと俺が先回りし、左手のみで頭がぶつからないように衣服を掴んだ。

「兄上・・・ ありがとうございます」

「うかつな発言もほどほどにしておけよ、樹枝」

 頭はぶつからないが尻餅をついた状態での樹枝に呆れながらも立ちあがらせ、千里殿は何事もなかったように俺へと視線を向ける。

「まぁ、実際は攸ちゃんが言うように誰もがこの子の顔を知らないってわけじゃないんだよ。英雄さん」

「千里!」

「詠、疑う気持ちはわかるけど、彼がここまで来るのにどんな危険を冒してるかわかってる?

 自分の顔を晒し、武装もほとんど無し。その上、あたしがここまで来れたのだって彼の協力があったから。

 それとも・・・ あたしまで疑う?」

 千里殿の言葉に賈詡殿は押し黙り、董卓殿と樹枝を見てしばし黙考する。だが、五分もしない内に彼女は諦めたように溜息を吐いた。

「英雄!」

 そう言って彼女は俺をびしりと指差し、鋭く睨みつける。

「僕はまだアンタを信じたわけじゃない!

 だけど、千里達がアンタを信じてる間だけ、僕も信じてやるわよ!!」

「あぁ、それで十分だ。

 突然現れた他陣営の者を・・・ ましてや連合に所属している者を、無条件に信じてくれなんて言えないさ」

 彼女の言葉に俺も頷き、千里殿の方へと視線を移せば、彼女は場を仕切り直すように手を叩いた。

「で、話の続きになるんだけど、さっき攸ちゃんが言った言葉は正しい。

 だけど、ちょっと惜しい。

 この子()が『董卓』であることを知っている者は確かに多くはないけど、皆無ってわけじゃないの。

 まぁ、わかりやすく害を及ぼしそうな者は今回の戦が起きる前に一通り処分したつもりなんだけど・・・ しきれなかったから招いちゃった今の事態だし」

 笑っているのに笑っていない笑みを貼り付けながら、彼女は言葉を続ける。

「まっ、こっちの陣営のみんながわかるのは勿論だけど、英雄さんも見当ぐらいはついてるんじゃない?

 もしくは、連合内にわかりやすい馬鹿でも居た?」

「あぁ、袁家にそれらしい人物がいた。

 証拠があるわけじゃないが、言葉の節々に関で何が起こるかをわかっていたように映った。

 特に泗水関でそれが顕著で、虎牢関でも初戦を突撃しても問題ないように判断する何かが持っているようだったな」

 千里殿の言葉に頷き、ありのままに連合での話をすれば想像はしていたらしく、彼女は肩をすくめるのみだった。

「まぁ、その辺の話もしたいけど、今はいいとして。

 で、この洛陽に残っている可能性があってなおかつ月の素性を知っている者は、今回あたし達を袁家と共に嵌めたであろう十常侍と、その腰巾着である一部の高官。そしてかつての四英雄であり、洛陽最古参の臣・『不動の王允』ってところかな」

 彼女は指折り数えながら、全員が内容を理解しているかを確認するように全体を見渡していく。

「まっ、あの王允とか言う爺様はウチらにさっさと涼州に戻ってほしかったみたいやけどな。

 顔合わせるたびに睨むか、『さっさとあるべきところに戻れ』とかそんなんばっかりやったし。

 あの時は嫌味とか思うたけど、これを想定しとったのかもなぁ」

 霞の言葉に頷きつつも、千里殿は言葉を続けていく。

「あの人は聡明で立場とか権力もあるからもう避難している可能性が高いけど、顔を知っているって意味じゃ挙げとくべき人物だからね。

 十常侍を仕切る張譲との不仲は有名だから、関わってないと思いたいけど・・・」

「そうね・・・」

 三人が話しているのを聞きながら、俺は会話の中に出てきた『十常侍』の言葉に動きを止めていた。

 十常侍、か・・・

 あの黄巾の乱において裏から動き、乱という混乱に乗じて欲をかき、三人を傷つけ、利用した者達。

「董卓殿の顔を知っているなら、殺さないとな?」

 俺がこの手で、地獄に叩き落とすと決めた者。

 富を求め、欲をかき、二つの乱を起こしたであろう愚か者共。

「兄上?!

 何、突然物騒な発言しているんですか?!」

 樹枝からツッコミが入るが俺は気にせずに千里殿へと視線を向ければ、彼女もまた俺と同じように朗らかに笑っていた。

「さっすが英雄さん、話がはやーい。

 あたしも同じことを考えてたんだ」

「ちょっ、千里?! あんたまで何言って・・・

 ちょっと霞と月も千里を止め・・・」

 樹枝と同じように止めようとする賈詡殿は、周囲に助力を求めようとしたのだろうが、その言葉も途中で終わってしまう。

 それも当然だろう。

 助力を求めようとした彼女達もまた、俺と同じようにすっかり臨戦態勢となっていたのだから。

「まぁ、それが一番やろなぁ」

 聞き慣れた霞の下駄の音が響き、口元は楽しげに弧を描く。

「そう、ですね・・・・

 避難を広く促されているこの洛陽で、今も残っている身分の高い方はよほどの理由がおありなのでしょうし、ね?」

 落ちていた二本の鉈を拾い上げ、重さなど感じさせない軽やかな動作で腰の鞘へと納められる。

「ちょっ?! 何で皆さん、臨戦態勢なんですか!?

 ここは普通無事脱出だけを考えて、この場を後にすべきでしょう!!」

 樹枝の言葉は正しい。

 実際、この数で洛陽に残っている十常侍の全てを殺して回るなんて非効率。

 それに建前があるとはいえ半分以上が私怨である俺はともかく、軍師である千里殿が賛同したのには何らかの理由がある筈だ。

「あたしもそうしたいんだけど、攸ちゃんも詠も洛陽(ここ)には一つだけ誰の手に渡っても厄介なものが安置されてること、忘れてない?」

「あっ・・・!」

「誰の手に渡っても厄介・・・ まさか!」

 俺が想像していた通り、何らかの理由があった。

 そして俺も彼女の言葉が示す物に察しがつき、あの時はどうなっていたかもわからない『あれ』の存在を思い出した。

「そっ、皇帝の印たる玉璽。

 これまでは十常侍が複製品を利用して好き勝手にしてたみたいなんだけど、原物の方を確保しちゃいたいんだよねー。

 だから、宝物庫に取りに行きたいんだけどいい? 英雄さん」

 もう半ば決定事項にしていたにもかかわらず、聞いてくる彼女に強かさを感じながら俺は頷く。

「じゃぁ、十常侍を殺すっていうのは・・・?」

「あの人達は欲望に正直だから多分宝物庫で会うことになるだろうし、付け足すなら用心のためかな?

 もう持ち出された後だったら、単なる寄り道になっちゃうんだけどねー」

 賈詡殿が安心したように溜息を吐くが、まだ笑ったままの千里殿はどこまでも軽く言ってのける。

「まぁでも・・・ あたしの気持ちの中に欠片も私怨がないって言ったら嘘だけど」

「千里さん、さっきから発言が物騒です」

 どこまでも笑顔で言い切る千里殿は清々しくもあり、楽しげに物騒なことを言う姿は傍から見ればただの恐怖だろう。

 もっともそれは千里殿に限らず、さっきから臨戦態勢の俺達も同じなんだが。

「そんなことないよ、攸ちゃん。

 あたしの力なんてたかが知れてるし、むしろ殺る気満々の英雄さんとか、霞とか月の方が百倍物騒だって」

「兄上に至っては、完全に私怨混じってますからね!」

「混じってないぞ?

 全部、私怨だ」

「建前すらないの?!

 ていうか、月さんの件はいいんですか?!」

「申し訳ないとは思うけど・・・

 始末できるなら、この手でな」

「あの時の怒りよう見ると、そうなりますようねー」

 樹枝は妙に納得したような顔をして、頷いた。

「ハッ!

 こんだけ好き勝手十常侍にやられてきたんや、私怨が混ざらんわけないやろ。

 なぁ? 月かてそうやろ?」

「私も、これまでのことを怒っていないわけじゃありませんから」

「何この人達、怖すぎる?!」

 俺達の会話に霞が割り込み、董卓殿へと言葉を振れば、帰ってきたのは簡潔なものだった。

 俺もおもわず笑ったが、その隣では深い溜息が一つ零れた。

「やめときなさい、樹枝。

 この子たちにはもう、ツッコむだけ無駄よ・・・」

「何事も諦めが肝心です。

 樹枝殿が女装している事実と同じように」

「余計なお世話ですよ! 緑陽!!」

 なんだかんだ言いつつ、全員の準備が出来、並び立つ。

「それじゃぁまずは宝物庫ってことで、行きますか」

 千里殿が音頭を取って、何も言わなくてもそれぞれの配置について俺達は走りだした。

 

 

「兄上、一つよろしいでしょうか・・・」

「何だ? 樹枝」

 走りながら問いかけてくる樹枝に俺は振り返りもせずに問い返すと、その言葉は何故か力がなく、げんなりとしたものだった。

「兄上と霞さんが前衛を務めているのも、機動力のある白陽殿と緑陽が後衛を務めるのもわかります。戦闘力が無に等しい千里さんと詠さんが中央に来るのはわかりますし、傍に居るのはこれまでの付き合いがある僕がいいのもわかります。ですが・・・」

 走りつつも一息で言い切るあたり、持久力や体力面は相当なもんだと感心しつつ、樹枝の言葉に耳を傾け続ける。

「何で月さんが、兄上と霞さんと同じ前衛なんですか?」

「樹枝の言うことはもっともだが、あえて言おう。

 俺が知るか。

 むしろそう言うのを知ってそうな適任が、お前の横にいるだろ?」

 駆け出すのと同時に俺と霞の横を走る小柄な人影に、俺が一瞬白陽かと思って驚いたなんて言えない。

 まさか董卓殿が、初速で霞の足についてくるなんて思ってもいなかった。

「詠ー、せっかくあたしが攸ちゃんに説明したのにいまいち理解してもらえてないんだけど、どうすればいいと思う?」

「あれを信じろって言う方が無理でしょ・・・

 むしろ一回で信じた千里がおかしいのよ」

「まぁ、あれは見た方が早いけどねー」

「前方に複数の気配あり。警戒を」

 俺達の会話を聞いて、千里殿達も何かを話しているが割って入った白陽の報告に会話が途切れ、全員が身構える。

「居たぞ! 女だ!!

 捕まえろ!!」

「あれは十常侍の私兵だねー」

「あんな言葉をウチの兵が言うわけないでしょ!」

「霞!」

 敵だと確認できたところで前衛である俺と霞が前へ出て先制攻撃をするよりも早く、恐ろしい速さで鈍色の何かが通り過ぎて行った。

「?!」

「うっひゃー・・・」

 俺と霞が驚いている内に、先程と同じ色をした輝きを持った刃を片手で持ち、構えることもなく無造作に一人目の首を刈り取る。襲い掛かってくる二人目、三人目へと足を止めることもなく、その小柄な体躯を活かして懐に入り二人目の首が刈られる。三人目は通り過ぎ様に背後をとり、相手の背を踏み台にして首を取る。最後に迫っていた四人目もまた、振り返った彼女の鉈の一撃によって首が飛んだ。

「皆さん、どうかしましたか?」

 言い終ると同時に首のない死体が、力無く崩れ落ちた。

 瞬きする間もないほどの早業におもわず全員が立ち止まり、俺は呆気にとられてしまった。

「へぅ?」

 一方、襲撃者全員の首を刈り取った彼女は俺達がついてこないことを不思議に思ったらしく、こちらへと首を傾げながら振り返る。

 彼女が行う現場を見たというのに、その儚げな容姿の彼女にはあまりにも不似合いな所業に一部の者を除いて驚きを隠すことが出来なかった。

「・・・いや、なんでもない。

 俺達もいるんだから、あんまり一人で先行しないようにな」

 とりあえず俺は彼女の頭を撫でて、注意だけはしておく。

「はい。ご心配ありがとうございます」

 そう言って再び駆け出す彼女の姿を見て、樹枝がその場の全員を代弁するようにポツリと呟いた。

「魔王じゃないですか? あれ。

 ていうか、連合の前線に出てたら勝てたんじゃありません?」

「ちゃうちゃう、あれは強いんやない。

 ただひたすらに、首を落とすのがうまいだけや。

 仲間連れて、全員で動いとる軍には向かへんよってなぁー」

「樹枝もこれでわかったでしょ・・・

 ていうか、もう駆け出してるあんたの兄貴と月を追いかけるわよ!」

 後ろのやり取りを聞きながらも、俺は先行してしまっている董卓殿を止めようと追いかけた。

 



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55,洛陽大脱出 後編

この前に一話投稿しています。


 あの後、先行しすぎた董卓殿の首根っこを俺が掴み、これ以上顔が明らかにならないように白陽から予備の仮面を貰ってつけてもらい、俺達はどうにか宝物庫へと到着した。

「それにしても、壮観だな」

 既に開いていた重々しい扉をくぐれば、そこに並ぶのは宝の数々。

 大陸中から集められた煌びやかな装飾品、宝剣、玉、貴重な書物などが所狭し飾られていた。

「荀家にも規模は小さいですがありますね。

 ここまで大きくなく、貴重なものばかりではありませんが」

「まっ、洛陽の宮廷の宝物庫だからねー。

 あたしは誰にも見られないで隠されたままの宝なんて、何の意味もないと思うけど」

 俺の言葉に樹枝が頷きつつ返せば、千里殿は笑って意味がないとまで言い切ってしまう。

「金に物言わせて飾っとるだけの悪趣味なもんにしか、ウチには見えんけどなー」

 霞は言葉にしながら、手近にあった宝剣らしきものを指で弾き、香炉らしきものを手にとっては放り投げる。

「こんな財を貯め込むよりも、換金して全員に行き渡るようにするわよ。ねぇ、月」

「貴重な物は文化財としては意味があるんでしょうが、食べられませんから」

 こうしたものに対し興味を示すかと思っていた賈詡殿と董卓殿すら言外に意味がないと主張し、俺は改めて宝が並ぶ宝物庫を見渡した。

 ここに居る誰もが比較的な裕福な立場にあることも影響してるんだろうが、一般的に宝と呼ばれている物に対して、酷く珍しい対応をしているとは思う。

「これだけ有名だと換金しても足がつきそうですが・・・

 となると、一度溶かし、加工し直すぐらいしか再利用の方法がないかと思われます」

「白陽、お前ですらそんなことを言うのか・・・」

 まさか白陽からそうした言葉が出てくるとは思わず、俺はやや呆れたような声が出てしまった。そりゃまぁ、真桜を連れて来たら片っ端に素材として宝剣とか奪い取りそうだけどな?

 ここにある物の多くが向こう(天の国)から来た俺にとっては歴史的にも意味があり、貴重な物だという認識であっても、実際に生きる者にとっては普段目にしている物の一部でしかないのかもしれない。

 もっとも俺自身、これらを欲しているわけではなく、貴重な物という(その程度の)認識しかないが。

「扉が開いていた割には荒らされてないな・・・」

「やな」

 持ち出しやすいような香炉や装飾品の一部が袋に詰められた途中で放棄され、貨幣を覗かせた箱も開けられたままの状態だった。

「可能性としてあり得るのは袋を用意して、あとから詰めて持ち出す・・・ だろうけど、これはあまりにも不自然すぎるわね」

「まぁ、宝持ち出して逃げようとしてる奴らが、ちゃんと考えて行動してるかどうかは微妙だけど・・・

 誰かがこの先にある物のことを知ってたら、奥に向かうかもだし」

「複製を作った方たちですから、知っていても不自然ではないですしね」

 俺と同じように状況を見て頷きながら、宝物庫の奥に用意されている個室の扉へと視線を移した。

 扉は閉まり、他から隔絶されているだろう部屋から物音は聞こえない。

 だが、今の状況から考えて、それは不穏すぎる。

「全てはあの扉の先に、か」

 後衛の白陽達に視線をやれば頷き、中央にいる千里殿達を守るように距離を縮めてくれる。

「董卓殿、なるべく中衛の樹枝のところへ。

 俺と霞で入っていくから、その後に続いてくれ」

「扉、斬ってもええか?」

「それは・・・」

 判断に迷い、中を知っているだろう三人へと視線を向ければ、問題ないというように深く頷かれた。

「中には玉璽以外の物なんて置かれてない筈だから、問題ないよー。

 もし居たら、そいつの方がおかしいから。容赦なく殺っちゃって」

「了解」

 一応ここに勤める者としてどうなんだろうと思わなくもないが、状況が状況だ。

「ほな、行くで」

 霞にしては声量を落とし囁かれた言葉の後に偃月刀は振るわれ、扉は両断される。

 扉が切られたと同時に俺が突撃すれば、そこには広がっていたのは ―――

 

 無数に転がる十常侍らしき者たちの死体と、顔を隠した黒衣の者。

 両手に持った小刀からは血が滴り、この者達を死体にしたのが暗に示しているようだった。

 

「こいつら・・・ 十常侍じゃない?!」

「見事なもんやなぁ。

 全員、小刀で急所をバッサリってか」

 背後から二人の声を聞きながら、俺は右手に持っていた連理を突入の勢いのまま、黒衣の者へと飛びかかった。

「よくも俺の獲物を!」

 俺は驚きから怒りへと変わった感情を叫びながら、剣を振り下ろす。

 が、黒衣の者は剣を受けることもなく、後ろに下がることで躱してしまう。

「ふむ・・・ それは失礼した。

 怒りを露わにする青年よ」

 黒衣の者はそう言いつつも視線を死体へと向け、その死体を確認している千里殿を見ていた。

「んー・・・

 ここに居るのは全員確かに十常侍だけど、一番ここにいそうだった張譲がいないかな。

 宝より命が惜しくなって、もう洛陽から脱出されちゃったかなー?」

 千里殿の言葉を聞きながらも、小刀をしまわずにこちらを見ている黒衣の者を睨む。

 だが、それを気にした様子もなく、順に自分で殺めたであろう死体へと視線を向けていた。

「青年よ。

 お前はこの愚か者たちを見て、何を感じる?

 宦官という立場が如何なる者か、お前にはわかるか?」

「どういう意味だ?」

 突然の問いに俺は理解できず、鋭く視線を向ける。

「いや、言葉通りの意味よ」

 言葉と視線のみが向けられているのを感じ、俺は警戒しつつも言葉を聞く。

「女が強いこの大陸において家督も得られず、地位も低く、武も、智の才もない者達が自ら男の根を斬り落とすことを選び、何かを成そうと最後に行き着く場がこの宮廷。

 帝に仕え、国に仕え、自分も必要であることを示すための最後の足掻き。

 ある意味でここは肉体的に男であることを捨てた男たちが、せめて心の在り方を男であろうとした場所だった。

 だが・・・・ いつからであろうな。

 それが権力を振るい、富だけを求める者の巣窟となったのは」

 黒衣の者はどこか自嘲気味に言いながら、言葉を続ける。

「真面目に働く者、自らの力を振る舞おうとする諸侯達を変えようと志を抱く者、帝への忠を尽くそうとした者も確かにいた。

 だがこの大陸において、男という身分が・・・ そして、男であることすら捨てた者達に向けられる視線はけして優しいものではなかった。

 耳朶を打つ言葉は侮蔑・軽蔑・罵詈雑言に彩られ、この閉じられた宮廷という世界において、民とはひどく遠く身勝手に映り、自らが手にする金がどこから生じたものかも忘れ、多くの者が拠り所を求めるように富へと縋りついていった」

 他人事というにはあまりにも詳細に語られているその話に、俺はただ黙って耳を傾けた。

 そこには俺の知らないこの世界の現実があり、あの時の俺にも見えていなかったものがあった。

 いいや、きっと俺だけじゃない。

 あの時の華琳達ですら触れようとしなかった、この大陸に生きる男達の物語があった。

「悪いのは何だ?

 女尊男卑であるこの国の体制か?

 『女が強い』という事実か?

 それとも仕事を(まっと)うするが故に書簡上で金のみを追いかけ、人を忘れた宦官か?

 はたまた、宮廷という閉じられた世界で作られ、『洛陽』と名付けられたこの箱庭か?」

 仮面の下で表情が見えないまま、ごくわずかに垣間見せる感情が突き刺さる。

「あなたは一体・・・ 何者ですか?

 何故、そんなことを知っているんです?」

 樹枝がこの場に居る者を代表にするように向けた問いかけに、黒衣の者はしばらく考えるように顎に手を当て、また死体へと視線を移した。

「私か? 

 私は、何も出来なかった者。

 変革することも、留まることも、傍観することも、富を築き満足することすら出来なかった。

 そこに転がるひとときの栄華を求め、男である全てを捨てた哀れな骸達と同じ・・・ ただの愚か者だよ」

 そう言って黒衣の男はひらりと身を翻し、扉以外でただ一つだけ存在した高窓へと足をかけ、俺達を見下ろした。

「青年よ。

 この愚かな語りを『下らぬ』と斬って捨てることもなく耳を貸し、最後まで笑わずにいてくれたことを感謝する」

 黒衣の者はその場から頭を下げ、じっと俺を見つめて続け、俺もまた視線を交わす。

「お前は一体・・・ 何がしたかったんだ?」

「言わずにはいられなかったのだよ。

 誰も知らず、誰も語らず、この先において『欲深き者』としか語られることないであろう、この哀れな骸達の始まりを」

 高窓の格子を破壊し、黒衣の者は壁へと手をかけた。

「なら、俺も感謝するよ。

 俺の見えていなかった世界を・・・ 知ろうともしなかった世界を教えてくれたお前に」

 俺の言葉が黒衣の者は想定外だったのか、一瞬体が硬直させ、わずかだが仮面越しに笑ったような気がした。

「ふっ、お前のような男がもっと早く現れていたのなら・・・ 何かが違っていたのかもしれぬな」

 もうすでに起こってしまったことを前にして希望を並べても、虚しいだけ。

 変わることのない今がある以上、どんな形であっても前に進むしか手段はない。

 そしてそれは、誰もが同じだった。

「一人の者に見える世界は狭く、己の意見すらない者に世界はない。

 世界は広く、見つめる者は一人だけではなく、多くが敵となり、味方となりえる。

 だが、等しく言えるのはこの世に老いぬ者はなく、変わらぬものはなく、動かぬ時代もなく、死なぬ存在もまたいない。

 そして今、この大陸は激動の時代へと差し掛かった。

 青年よ。

 お前はこの時代をどう生き、何を目指す?」

「俺は日輪と生き、日輪が照らす世界を守る。

 それだけは、何があろうと変わることはない」

 俺はそのために戻ってきた。

 何があろうともそれは変わらないし、変えるつもりもない。

 俺の言葉に黒衣の者は興味深そうに見つめ、その身を翻した。

「もっともどれほどの言葉を並べたとしても、その骸達が卑劣な罪人であることには変わりはない。

 玉璽の複製を作成し、勅令と称して民を偽り、多くの命を弄んだ。そして、その仕上げとして小悪党どもを雇って、この洛陽を火の海にしようとするほどの、な」

「?!」

「なんですって?!」

 その言葉を最後に男は高窓から消え去り、測ったかのようにあちらこちらから炎の音が近づいてくるのを感じた。

「チッ! まんまと時間稼ぎされたってことかい!!」

「まぁ、そうなるよね。

 こっちもこっちで警戒するしかないわけだし、あんな高い所じゃ殺せないし。

 ここの死体漁っても原物どころか、複製の玉璽出てこないし。

ってことはもう誰かに持ってかれたか、さっきの奴が持ち出しちゃったかな?」

「白陽!

 火の手はどれくらい上がってる?」

 霞の舌打ちと千里殿の言葉を聞きながら、俺も慌てて白陽へと情報を求める。

「城内ではなく、城を囲む自分達の屋敷だったところに火をつけたらしく、火の手は徐々に広がりを見せています。

 私と緑陽は先行し、曹軍への合流経路を確保してきますので、皆様は・・・・」

「ちょっ?! 民の避難はまだ全員ではないんですよ!?

 そんな火のつけ方をしたら、街まで・・・!」

「それに城の中には一部の女官達もまだ残っているのよ!」

 『全員ではない』 『一部の女官達』

 言葉の節々から見られる董卓軍がしてきたことに俺は嬉しくなり、白陽へと笑いかけた。

「白陽」

「義理でも兄弟、ですか・・・

 承知いたしました。

 私達も経路確保時に見かけた者を保護し、無事に安全な場所へと導くことをお約束しましょう」

 小さな溜息を吐きながらも、すぐさま対応してくれる白陽は良くも悪くも俺で慣れていた。

 ていうか、さっきから樹枝と賈詡殿の無意識であろう阿吽の呼吸に驚かされると同時になんだか微笑ましい。

「白姉さま、私は・・・」

「緑陽、あなたは皆様の通路の確保として供を」

「はい!」

 緑陽と短いやり取りをしたのち、白陽は飛びだしていく。その後に今度は董卓殿が俺達を先導するように前へと走り出した。

「私の鉈が道を作ります。

 この城の構造は、私と詠ちゃんが一番よく知ってますから!」

「お願いします! 月さん」

 そう言いながら駆けだす樹枝はさっきまで持っていなかった筈の二本の剣を腰に下げていたが指摘する間もなく、俺達は駆け出す。

 こいつが理由も無しに火事場泥棒をするとは思えないし、何かしらの理由があるんだろう。

「千里殿!

 献帝様は・・・」

 脳裏によぎったあの日の少女を思い出し、俺は言いようのない不安に駆られて千里殿へと問うた。

 彼女にとって俺がもう知らない誰かであっても、ほんのわずかな間だけ真名を交わしてくれたあの少女のことを俺は忘れることはなかった。

「そっちはとうの昔に洛陽から逃げてもらってるから大丈夫!」

 焼けていく城を、街を、誰よりも守りたかった筈の彼女達が悲しむこともなく、前に進んでいく。

 そんな彼女達の方が俺なんかよりもずっと強く映って、彼女達や樹枝の心境を考えると胸が潰されそうになる。

 でも、当事者達が潰れてないのに、俺が潰れるわけにはいかない。

「絶対に全員で生きて、この城を脱出する!!」

 俺が声をかければ、全員がそれぞれ返事を返してくれる。

「はい!」

 董卓殿は簡潔に。

「あったりまえや!」

 霞はいつも通り、頼もしく。

「何、当然のこと言ってんのよ!」

 賈詡殿は俺を叱るように。

「詠さん、ツンデレありがとうございます!」

 樹枝に至ってはまともな返事じゃないが、いつも通りだから大丈夫だ。多分。

「攸ちゃん、こんな時までふざけないの!!」

 千里殿、その発言も十分悪乗りだと思うぞ。

「ったく、しまらないよな・・・

 でも・・・」

 悪くない、そう感じた。

 



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 戦終結 洛陽にて 【冥琳視点】

「これが洛陽の都、か・・・」

 かつて舞蓮様や秋桜様から聞いていた華々しく美しい都は既になく、今はただ炎によって焼かれ、舞った煤が街のあちこちを黒く染め、火の勢いを止めるために破壊された建物がただの木材となって転がるのみ。

 中でも激しく燃えたであろう宮廷は跡形もなく、焼け跡からいくつか発見された真っ黒な消し炭のようになった遺体のどれかが董卓であろうという真偽のわからぬ噂が流れていた。

「もはや誰にもわからず、確かめようもないがな・・・

 いや、少し違うか・・・・」

 それぞれ別の意図をもって集った諸侯達(我々)にとって、『魔王董卓』の実在の有無など初めからどうでもいいことだった。

 仮に実在しなくとも、生死が不明だろうと、自らが漢に対し忠誠があった(・・・)ことを示し、作られた建前の元で自らの実力を示すことが最重要事項。その上でさらに欲をかくならば目立った何らかの功績をあげ、他の陣営から一目置かれることが出来れば上々といったところだった。

「フッ・・・」

 だが、『漢の逆賊・魔王董卓の討伐』という名目で集まったこの連合が、『董卓の生死不明』という曖昧な終わり方を許されるわけがない。

 ましてや、盟主を務めるのが大陸一の勢力を誇り、名家という看板を背負う袁家ならば尚更だ。

 だがこの混乱の最中、情報が明らかになっていない一人の人間を探すなど不可能。おそらくは焼け跡から発見された遺体のどれかが董卓の名をつけられ、達成されたこととなるだろう。

「まったく、とんだ茶番だな」

 その茶番の中で踊った一人として、この連合の全てを代表するように溜息を零す。

 諸侯(我々)は袁家に踊らされ、自らの利と重なったからこそ一見は望むとおりに踊り、袁家には見えぬ足元でそれぞれの思惑を描いた。

 各陣営の成功の可否はともかく、現段階で洛陽の復興作業へと移った陣営はこの乱を生き残り、英雄がおわす曹操軍はあの鬼神・麒麟の両名を捕らえたという実績すらあげている。

 同様に天の遣いがおわす劉備陣営は、泗水関にて『魔王の盾』と呼ばれた華雄を破り、虎牢関では目立った功績はなかったが火災への対応をいち早く行い、今も率先して民の生活への援助を行っている。こちらは無名に等しい状況から一転し、我々へと武を見せつけ、あの陣営が掲げる民を第一とする考えが偽りでないことを示している。

 幽州と西涼、袁紹と我々はその二陣営へとやや遅れを取り、復興の協力を行っているのが現状だった。

 そしてなかでも私達呉は何も功績を得ていないどころか、功績の盛り立て役すら自ら買って出てしまった。

「だが・・・ それだけで終わるわけにもいかない」

 何も出来なかったという事実だけを持ち帰ることだけは、絶対にさせはしない。

 そのために、普段はあれほど出不精な奴も動いているのだから。

「冥琳、槐が帰ってきたから集まれってよ」

「あぁ、わかった。

 お前も出席だが・・・ 寝るなよ」

「戦が終わったかと思ったら、次は復興作業でこっちはねみぃんだよ! 仕方ねーだろうが!!

 つーか、お前らの話なんて俺が聞いてもどうせわかんねーんだから、寝るか現場で仕事任せるかしてくれっての・・・」

「却下だ。

 さっさと行くぞ、柘榴」

 欠伸混じりに伝えてくる柘榴の頭を叩き、文句を言って動こうとしない体を引きずって私は急ぎ本陣へと向かった。

 

 

 

「周公瑾、参りました」

「同じく太史慈、引き摺られてきた」

 幕へ入ってなおもふざける幼馴染且つ同門の恥の頭を叩き、いつもの定位置へと座り中央へと視線を向ければ、そこには槐と槐が『必要な人員は貰っていくわ』と言って連れていった思春、明命、亜莎の三名が並んでいる。

 が、三名は何故かひどく疲れ切った様子で、虚ろな目をして小さな声でぶつぶつと何事かを呟いていた。共に並ぶ槐はいつも通り書簡へと目を落とし、皆が揃うまで・・・ あるいは声をかけられるまで顔をあげることはないだろう。

「槐、全員揃っておるぞ!」

「あらそう、遅かったわね」

 祭殿の一喝に対し悪びれることもなく顔をあげ、渋々と書簡を懐へとしまう。

「それで槐、あなたは一体何をしてきたの?」

「まさか、『この乱に乗じて、洛陽に保管されてる貴重な書物を取りに行ってきた~』とかはなしよ?」

 皆を代表するような蓮華様の問いに冗談交じりの雪蓮の言葉が続き、祭殿と柘榴、七乃がわずかに笑う。

「あら、あなたにしてはよくわかってるじゃない。雪蓮」

 私と蓮華様が注意するよりも早く、槐が答えた言葉に私と蓮華様が耳を疑い、驚愕の視線を向けてしまう。

「「「「「()?」」」」」

「あなたが言う通り、洛陽に保管されている貴重な書物を厳選して盗ってきたわよ。軽く馬車三台分ほどね」

 静かに頭を抱える私と蓮華様、そしておそらく手伝わされたであろう思春達以外の五名が間抜けな声をだし、その事実に呆気にとられる。

「槐・・・

 お主、それを何というか知っておるか?」

「歴史的に貴重な文献の保護、ね」

「それもそうだけど、そうじゃねぇよ! もっと単純に火事場泥棒ってんだよ!!

 つーか、洛陽の都で貴重な書物がある場所なんざ一か所しかねぇじゃねぇか!?

 お前、マジで何しでかしてやがんだ?!」

 誰よりも速く衝撃から復活した祭殿が恐る恐る槐に尋ねれば、当の本人は涼しい顔で答え、柘榴が珍しく正しいことを叫ぶ。

 明日は雨か、霰でも降るのだろうか・・・ 槍は勘弁願いたいが・・・

「火事場泥棒? いいえ、違うわね。

 何故なら私は、別段不正な利益など上げてなどいないのだから」

「個人的な益となることも、不正な利益だと思いますよー? 槐さん」

「火事場の騒ぎに紛れて、盗みを働いてることに変わりはないしな。

 もっとも、共犯者の私が言うのもおかしいが・・・・」

 一見はもっともそうなことを並べる槐に対し、七乃、思春が次々と論破しても、槐は一切悪びれない。

 それどころか自分が成したことを誇るように胸を張り、先程懐へとしまった書簡を再び取りだし、これまで一度として我々に向けたことのない慈しみの瞳で文章を追っていく。

「歴史の喪失は国の損失であり、書物の紛失は知識の喪失。

 それまであった全てを否定し、創り上げた先達へと後足で砂をかける行為。それと同時に、『失くす』ことでしか過去に勝てないという敗北宣言でもある。

 過去にすら勝てない今が未来など創れるわけがないというのに、全てを灰にして一から創ることしか選べないなんて現実はあまりにも滑稽でお粗末だわ。

 積み重ねた歴史の上に自らの歴史を創るというのなら、先達を超えるぐらいの気概がなくてどうするのかしら?

 もっともそれは、どんな些細なことであっても言えるけれど」

 流石は『夢現の諸葛瑾』()、呉に訪れた理由が海から訪れるかもしれない異国の書物に興味があると言ってのけたのは伊達ではない。

「それで本当にそれだけのために、あなたは思春達を連れ出したのかしら?」

「いいえ。

 亜莎、あなたに途中でぼろ布袋を渡していたでしょう。出しなさい」

「えっ・・・ あぁ、はい! これ、ですよね?

 でもこれって一体何なんですか?」

 今も頭を抱える蓮華様の言葉に、槐は左隣りにいる亜莎にぼろ布で作られた袋を渡すように促し、中身を一度確認してから頷く。

 がその瞬間、何故か亜莎とは逆隣りにいる明命が跳ね上がり、視線を慌ただしく泳がせる。もっともその様子に気づいたのは私だけらしく、他の全員の視線は槐が抱えるぼろ布袋へと集中していた。

「美羽、受け取りなさい」

「え? わ、妾?!」

 そして槐は何の前触れもなくそのぼろ布袋を美羽へと放り投げ、美羽は戸惑いつつも手渡された袋を落とさないようにしっかりと受け止める。

「それで槐よ。

 あの袋の中身は一体なんじゃ?」

「何って・・・」

「これは印章、かのぅ?」

 槐が中身を口にするよりも早く美羽が袋を開き中身を取りだせば、私を含めた皆が傍へと駆け寄っていく。

「随分と大きく派手な印章ですねー。

 かっこつけて龍なんて掘って、見栄っ張りな一族のものでしょうか?」

 七乃の言葉に私も確認すれば、縦横共に四寸ほどの大きさとつまみには五頭の龍が絡みつき、そのうち一頭の龍の角は欠けている。

 素材が玉であること、またその細工があまりにも見事である点からして高価なことは一目瞭然であり、宮廷に置かれていても何ら不思議でもない芸術品と言っても差し支えないだろう。

「宮廷から盗ってきたなら、相当力のある一族の物でしょうけど・・・」

「ねぇ、槐。

 結局これってなんなわけ?」

「ただの玉璽だけれど?」

『はっ?』

 その場にいる誰もが一度、己の耳を疑い、先程まで自分達が印象だと思っていた物と槐を交互に見やる。

「え、槐姉様?

 ぎょくじってまさか・・・・ あの・・・」

「皇帝のみが使うことの許された印章ね」

 槐の言葉にぼろ布袋の確認していた蓮華様の手から印章が転がり、今度こそ幕内の音という音が消失する。

 手に持っている物の重大さに怯え、泣き出す美羽。

 顔を青くし、その場に膝をついてしまう蓮華様。

 目の前に確かに存在する玉璽へと視線を落とし、絶句する七乃。

 祭殿は口を開いて呆然とし、その視線が玉璽から離れることはない。

 どれほどのことがあっても平然と楽しむあの雪蓮ですら顔を引き攣らせ、乾いた笑いを零している。

「んで? それがどうかしたのかよ?」

 が、ただ一人首を傾げた柘榴が空気の読めない一言を言い放った。

 未だに目の前の事態を受け入れることのできない私達は、阿呆な柘榴へとツッコミを入れることも出来ず、感情の整理へと追われていた。

「他の者達はそれどころではないようだし、復活するまでの間に脳筋のあなたにはよくわかるように説明しましょうか」

 とんでもないことをしでかした当事者であるにもかかわらず、周りを見る余裕や人をさりげなく小馬鹿にしていくことを忘れない。

 いいや正しく言うならば、槐は自分が周りに対しどう思われようと気にかけることはなく、誰かに自分をよく見せようすると思いがなく、それ故に歯に絹を着せることも、言葉を偽りで彩る必要が一切ない。

 他に関わるのは自分のためと徹底し、自分が愛した書簡や物語に全てを向ける。今回の一件もまた自分の利害と一致したからこそ行った、ただそれだけに過ぎない。

 あまりにも徹底されすぎた姿勢は傍から見れば酷く歪んでいるにもかかわらず、どこまでも真っ直ぐだった。

「この玉璽が始皇帝から始まり、皇帝に代々受け継がれている物というのは知っているわね?」

「あー・・・ まぁ、うすぼんやりと?」

 何故この大陸の常識に等しいことをお前が薄ぼんやりなのかは、あとでじっくり聞くとしようか。柘榴。

 というか、わからなかった場合はそこから説明する気だったのか。槐。

「皇帝の名を継ぐとともにこの玉璽は受け継がれ、使用する権利を得る。

 けれど、いつからか周囲がそれを曲解し、この玉璽を持つ者が皇帝と名乗る資格があると自分達の都合のいいように解釈するようになったわ。

 『本来は皇帝が使用する印璽を使用するほどの権力を持っている自分こそが皇帝だ』、とね」

「へー。

 アホだな、そいつら」

 槐から語られる事実に対し、柘榴は子どもが抱くような感想を口にする。

 そう、この玉璽は位を示すためでも、権力を示すためのものでもなく、ただ皇帝が持っていた印璽でしかなかった。だが、これを使えば誰であろうと『皇帝の勅令』という名の下で力を振るえるという事実が曲解を広めていった。

「将という立場にいて、玉璽のことをほとんど知らないでいたあなたも大概だと思うけど?」

「俺はいーんだよ、陣営に頭いい奴がそんな居ても仕方ねーだろ? 適材適所って奴だ。

 つーか、槐の説明でようやく思春達が顔を真っ青にしてる理由がわかったぜ。

 宮廷の書庫から貴重な書物盗むだけでも相当な罪だっつうのに、玉璽を盗むなんつう逆賊並の罪の片棒担がされれば、そりゃ青くもなるか」

「「笑いごとじゃありませんから(ない)!!」」

 笑う柘榴に思春と亜莎が怒鳴って返すが、明命だけはもはや叫ぶ元気すらないと言った様子で、どこか遠くへ視線を向けている。

「それで槐・・・ お前はこれをどうするつもりだ?」

「冥琳、あなたならわかると思ったのだけど?

 武功をあげようと意気込んでいた割には何も出来なかったどこかの虎の所為で描いていた筋書きが予定通り進んでない今、美羽を守る術は多くない筈よ」

「まさか・・・!」

 脳裏をよぎった玉璽を使い、なおかつ美羽を袁家から解放する策。

 だがそれはあまりにも力技であり、洛陽が崩壊し、混乱する今だからこそ出来るものだった。

「あらあら~・・・

 つまり槐さんは、美羽様に一芝居打って大陸一の大馬鹿者になれと言うのですね?」

 七乃がようやくわかったように手を叩き、怯える美羽を大事そうに頬ずりし、しっかりと抱き寄せる。

「玉璽を手にしてはしゃぎ、暴虐を振るう美羽を皇帝に忠を尽くす者として私達が討伐し・・・」

「そして袁術を公に殺し、袁家からも、この荒れるであろう乱世からも美羽を解放する・・・ という所かのぅ」

 蓮華様が美羽の髪を愛しげに撫で、そうした三人姿を見守るように祭殿が席へと座り直す。

「荒っぽい策ね~。

 私は嫌いじゃないけど♪」

 ようやく雪蓮も余裕が出来たのか、美羽が持っていた玉璽の入ったぼろ布袋を放っている。

 頼むから破壊しないでくれよ、雪蓮。

「それで?

 そこまで考えているのなら、我々が玉璽を拾った言い訳も考えているんだろう?」

 私の問いかけに槐は、当然だとでも言うように頷く。

「洛陽で歴代皇帝の墓を掃除したが、一つの井戸から五色の気が立ち上がったため井戸を調べた所、漢の伝国の玉璽が出てきた」

「あー・・・ だから俺の一部隊を使って、街のはずれにある井戸を浚えって指示出してたのかよ・・・」

 いつそんな指示を出したとか、建前が滑らかに過ぎる点がわずかに気にかかったが、槐の言葉はまだ終わっておらず、右隣に控える明命を指差した。

「という噂を既に流したわ。明命が」

「槐様が流せって言ったんじゃないですかぁ!

 私の所為みたいに言わないで下さいよぉ!」

 槐の言葉に明命は半泣きになって怒鳴り、耐え切れなくなったように槐の体を揺らす。

 あまり見ることのない明命の泣き顔に皆が同情の視線を向け、もはや集まってから何度目かわからないが、再び皆の視線が槐へと注がれた。

「槐、あなた・・・ なんて言って明命を脅したの?」

「人聞きが悪いわね。

 私はただ香りの少なく、なおかつ虫除けにもなる薄荷の香を薦めただけよ?

 ただその香りを、『猫が嫌う』という点を説明しなかっただけで」

 勝手なことをしたと叱るわけでも、罰するわけでもなく、脅した内容を聞く辺りが槐の普段の行いを窺わせる。

 本当にこいつは・・・ 知識の豊富さだけで言うのなら呉で一・二を争うというのに、どうしてこうも陣営や国に貢献する気がないのだろうか。その一点さえなければ、呉が誇る軍師になりえるというのにな・・・

「そろそろ退室してもかまわないかしら?

 私はやるべきことはやったし、読みたい書物が多いのよ」

 訂正、この書物狂いを含めた二点だ。

「あぁもう、好きにして頂戴・・・

 ただし、この件に関してはあなたが責任者なのだから最後までやるべきことはやってもらうわよ」

 立ち上がって幕を後にしようとする槐に対して蓮華様が釘を刺し、槐は幕の入り口にさしかかってようやく振り返った。

「言われずともわかっているわ。

 あなたも精々、美羽にそれらしく振り舞うようにしてもらって頂戴。そうした芝居は私よりも、あなた達の方が得意でしょう?

 仮に美羽が出来ないと言っても、本当にその子を守りたいと思っているのならやらせなさい」

 言葉に棘どころか、言葉そのものが刃物のような奴だと思うが仕方ない。

「えぇ、得意分野ですよ。

 何せそうでもしないと生き残れないのが袁家ですから。

 素直に思ったことを口にする槐さんには、演じるなんて高度なことは到底出来っこないですもんね。

 ・・・まぁ、私達よりもずっと上手にしておられる方もいるんですけど」

「そうでなければ生き残れない世界があるのはわかっているけれど、私は無縁でありたいものね。

 それでは今度こそ、失礼するわ」

 七乃の嫌味を歯牙にもかけないで幕を出ていく槐を、今度は誰も止めることはなかった。

 

 

「しかし、槐め。

 とんでもないことをしでかしてくれるのぅ・・・」

 槐が去った後、溜息交じりに祭殿がそう零せば、蓮華様も頷かれる。

「えぇ・・・ まさか玉璽まで奪ってくるなんて、想像出来るわけないものね・・・」

「まぁ、それもこれも武功あげることの出来なかった二匹の若虎が悪いんですけどね。

 誰とは言いませんけど!」

「さぁ、美羽を守るために頑張りましょうか!」

 七乃の発言を掻き消すように雪蓮が声を張り上げ、玉璽ごと腕を伸ばし、蓮華様も力強い言葉と共に拳を振り上げた。

「この策を必ず成功させる!」

『おう!!』

 その蓮華様の言葉に、その場にいる全員が応えた。

 さぁ、大陸という舞台で、大掛かりな小道具(玉璽)を使い、一芝居打つとしようか。

 



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56,大樹と雲

 あの後、董卓殿の先導によって城を脱出し、あたかも火から逃れた民が曹軍に保護されるように取り繕って華琳達と無事合流を果たした。途中、霞と千里殿とは別れ、意図を理解していた秋蘭と春蘭と共に、一芝居打ってもらうこととなった。

 俺は合流後すぐにでも牛金と替わろうと思ったが、既に民の保護などで中央へと走る『英雄』(牛金)と替わることは出来ず、とりあえずは洛陽の火災が落ち着くまでの間は董卓殿達共々幕で待機するように黒陽に言い渡された。

 同行していた白陽でも、洛陽に行くまでの経緯を知っている秋蘭でもなく、黒陽という辺りが既に事の全貌を華琳が知っているということを無言のままに告げられていた。

 

 

 

 男女で別々に分けられた幕で着替えを済ませ、董卓殿と賈詡殿には念のために白陽と緑陽が監視兼護衛に付き、俺と樹枝は数か月ぶりに二人きりとなった。

「兄上、一つよろしいですか」

 互いに陳留での衣服に戻り、軽い食事などを済ませ終わった樹枝はその場で軽く居ずまいを正す。

「あぁ」

 その只ならぬ雰囲気に俺も居ずまいを正し、真っ直ぐ樹枝の目を見つめる。

「単刀直入に聞きます。

 兄上達はこの乱を、どこまで知っていたんですか?」

 樹枝は場を読むことをせず、自分が思ったことを正直に言葉にしてしまう。

 しかしそれは、樹枝が『愚か』という意味ではない。

 だが・・・ 今この場においてその問いかけをされることは、予想外のものだった。

「この乱は、おかしなところがいくつか見受けられました。

 まず一つ目。陳留へと降り立ち、ある例外を除いて他の交流が無に等しかった兄上が僕に手紙を託したこと。

 しかも相手は董卓軍の中でも名が知れ渡っていた『鬼神の張遼』。そして霞さん自身も手紙を受け取った際、兄上どころか華琳様の真名まで口にしています。これはあまりにも奇妙です。

 二つ目に、あまりにもこちらの策が読まれていたこと。

 これは千里殿が答えを口にしていましたが、そちらとこちらを繋ぐ間者がいたとのことです。ですが、それにしてはあまりにも用意周到で、こちらの配置や彼女達の性格などすら考慮された出来過ぎた策でした。

 三つ目は兄上。あなたがあまりにも良い頃合いで洛陽に現れたことです。

 あなたの立場は英雄。動きたくとも、本来戦場からこちらにまで来るのは不可能なのではないのですか?」

 文官としての知識も、武官としての才すら持ち合わせ、現状を見ての判断も出来、将としても有能。

 女尊男卑の強いこの世界で男でありながら有能という異端を抱え、なおかつ荀家という名家に生まれながら、樹枝はどこか純粋で真っ直ぐだった。

 何があっても上へ伸び続け、その途中に障害があっても自らの根を広げていこうとする姿を見ていると、桂花だけではない周囲の人間がどれだけ手をかけて育ててきたのかがわかる。

「華琳様達がいつか話してくださることを疑っているわけでも、ましてや兄上が自ら危険を冒してでも月さん達を救いに来てくださったことも偽りだとは思っていません。

 袁家から諸侯に出されたという檄文の詳細まではわかりませんが、相手が袁家である以上連合に参加せざる得なかったこともわかります!

 ですが!!」

 段々と語気は強まり、胸に抱えた憤りの全てを吐き出すように、俺の服を掴んだ。

「兄上ならば、華琳様達ならば! もっと早く手を打てたのではないのですか?!

 彼女達が、月さん達が傷つく前に! 洛陽が火の海となる前に! 助けることが出来たのではないのですか!?」

 樟夏のように諦めることもなく、『理不尽』と口にしていながらも物事へと立ち向かう力を持っている。

 それはまるでどんな状況下であっても伸びようとする逞しい枝であり、ただそこにあるだけで人に勇気を与える大樹のようだった。

「・・・確かに俺達は、黄巾の乱も、この反董卓連合という乱のことも知っていた」

「ならば、どうして!」

「けどな」

 激昂する義弟を見ながら、俺はゆっくりと首を振る。

「知っているからと言って全てが守れるわけでもないことも、思い通りに行くわけでもないってことを・・・ 俺は一度の過ちで気づかされたんだよ。樹枝」

 俺はあの時、天和達なら大丈夫だと思い、油断して、わかっていた筈なのに、まるでわかっていなかった。

「同じ時なんて、二度と存在しない。

 俺や北郷が知っていることなんて、何もあてになんかならない。

 俺がこの大陸に来た時から・・・ いいや、もっと言えばこの世界で華琳が華琳として生まれた時から、この大陸はどこにも存在しない歴史を残し続けてる」

 『歴史は繰り返す』という故事があるが、それは結局遠目から見た戦という物事に対して言われた言葉だ。

 人間が繰り返す愚行を指す言葉に詳細を追及する力はなく、多くの者は誰かが言ったその言葉に頷いて、あたかも同じようなことがあったというだけを語り継いでいく。

 かつても、そして今も。そして恐らく、史実(天の歴史)も。

 全てが全て、『黄巾の乱があった』『反董卓連合が立ち上がった』と語り継がれているにもかかわらず、その内容はまったく違っていた。

「それは・・・! まさか?」

 何らかの答えへと行きついたのだろう樹枝に俺は頷くこともせず、ただゆっくりと樹枝が自分の考えを整理することを待つ。

 遅かれ早かれ明かすと決めたことであり、察しのいい皆ならいずれは答えに行き着くことはわかっていたことだった。

 だが、もし仮に答えに行き着いたとしても、あまりにも非現実すぎるその事実を信じることが困難であることもまた事実。

 そして俺達が真実を語った時、誰もが黒陽達のように受け入れてくれるわけでも、納得してくれるわけでもないことも、俺達は覚悟の上だった。

「兄上、今から口にする言葉は全て、僕が勝手に作り上げた想像でしかありません。

 そして僕自身、その仮説を信じることが出来ないでいます。

 ですが・・・・ 予測であっても、妄想であっても、自分の考えには自信を持って、僕は僕の行きついた答えを口にします。

 聞いてくださいますか?」

 俺が頷いて先を促せば、樹枝は口を開いた。

「『一つは白き星。いまだ何も知らず、大器と深き情持ちし天の遣い。

  一つは赤き星。多くを知り、武と智をもってこの世に再び帰還せし天の遣い』

 この言葉の意味を、僕は兄上と白の遣いの優秀さだけを比べたものだと思っていました」

 懐かしい管輅の占いを聞き、俺はただ静かに樹枝の言葉を聞く。

 俺自身、星が落ちた時のことは知らず、その噂すら華琳達から聞いて初めて知ったことだった。

「樟夏から聞いた、兄上と白の遣いの間で交わされた『天の知識』という不可思議な言葉。

 そこから僕は兄上と白の遣いが同じ世界から訪れ、ある知識を共有しているのではないかと推測していました。

 けれど兄上だけは、『この地へ再び帰還せし』と謳われている。これは何故なのか。

 その答えを、兄上は先程答えてくれました」

 順序良く、こちらにも伝わるように話す言葉はある種の心地よさを覚え、俺は耳を傾ける。

「兄上は・・・ いいえ、兄上を含め華琳様を始めとした一部の将の方々は、何らかの形で似たような出来事を共有しているのではないですか?」

 断言にも似た問いかけに、俺は樹枝の鋭さに内心舌をまいていた。

 いくつかの言葉と状況から仮定の域まで辿り着ける者は多くとも、それを突き付けることが出来る者はあまりいない。

 けれど樹枝は俺から目を逸らすことなく自分の考えを告げ、さらに真実を求めてきた。

 なら俺は、その聡明さと勇気に敬意を持って応えよう。

「樹枝、俺が知っているもう一つの黄巾の乱はな。

 ある歌姫たちの何気ない一言から生まれたんだ」

「!?

 それは・・・」

「彼女達のたった一言『大陸を欲しい』は人々を誤解させ、大陸を巻き込みながら、大きな争乱となった」

 昔を思い出しながら、たったそれだけで争いが起きたことに驚かされて、捕らえた時のたった三人の少女だった時は唖然としたものだった。

「歌姫たちは、どうなったんです?」

「大罪人としての張宝達は死に、名を捨てた彼女達はある陣営へと引き取られ、今度こそ本当にやりたかった目標へと進んでいったよ。

 もっとも華琳の狙いはそれだけではなかったし、三人を生かした理由が純粋な思いのみから生まれたというわけでもないけどな」

 だが、あれが全て打算だけだったかと問われれば、俺は否定する。

 華琳は三人の人の集める才能のみならず、歌の才も同じように愛していた。そのどちらも無駄にすることのない方法があれだったのではないかと俺は思ってる。

 他人事のように口を出ていく過去の話。

 まるで古びた冊子を捲るような気持ちになりながら、俺は今の冊子へと触れていく。

「けれど、今は違った」

 自分の声音が変わるのを自覚しながら、俺はさらに言葉を続ける。

「樹枝も知っているように、黄巾の乱の真実は十常侍が自分の息のかかった賊を裏から操り、協力した高官達共々が欲を貪っていた」

 言葉に怒気が混ざり、もはやぶつける場所のない感情を抑えつづける。

「三人の歌を利用し、民を扇動して起こった黄巾の乱。

 欲を抱えた十常侍と高官。

 俺達は想定していなかった存在が、ここには居た」

 あれさえいなければ、別の形が存在していたかもしれなかった。

 かつての在り方すら否定して、華琳も俺も別の未来を思い描くことも出来た。

 けれどそれは、あの日に全てが夢想に終わった。

「ならば兄上達は・・・ もし十常侍が裏で糸を引いていなかった場合、どうするおつもりだったんです?」

 察しのいい樹枝の言葉に俺は苦笑し、俺はもうなくなった仮定の話を口にする。

「俺と華琳は、漢を守るつもりだった」

「・・・!」

 目を開いて驚く樹枝に、俺は無理もないと思う。

 華琳中心に物事を考え、おそらくは大陸制覇を目指して策を練っていた桂花の傍にいた者の当然の反応だろう。

「忠臣として漢に尽くし、内側から漢を盛り立てる。

 十常侍と高官達のことは知っていても、まだ修復可能な範囲なら救いようがあると思っていた」

 幸せに生きる方法は、何も華琳が王になるだけが手段じゃない。

 華琳が王になることを選んだのだって、漢のままでは出来ないことがあったからに過ぎない。

 なら、漢を立て直すという方法であっても、才ある者が評価され、それぞれが相応しい仕事に就くことは可能だと思っていた。

「でも、結局は実現されなかった夢だけどな」

 その言葉に樹枝は何かを察したように頷き、言葉にすることをためらいながらも口を開く。

「だから兄上は・・・ 華琳様はあの乱を機に、漢を見限った。

 そして、決意していた。

 十常侍を一掃することも、漢という国を壊すことも・・・」

「あぁ、そうだ」

 誤算だったのは十常侍達の洛陽への情報管理が徹底されていたこと、洛陽への出入りすら困難だったこと。そして、董卓殿を救おうと伸ばした樹枝が本当に内部へと侵入できたこと。

 霞の動きもわからず、董卓陣営の強さも不明。諸侯の動きもまた想像を越え、俺達自身が準備をさほど出来ずに土壇場での対応を迫られたのが今回の結果だった。

「だから俺達は、あの日に誓ったんだ」

 俺は日輪と生き、日輪が照らす世界を守る。

 そして華琳は雲と生き、多くの花々と共に雲があり続ける世界を愛し、守る。

 これは、俺達の誓い。

「どれだけの罪を被ろうと、命を奪おうと、この大陸を変えると」

 十常侍という毒が大陸を蝕み、皇帝が機能していないことが明らかとなった黄巾の乱。

 掌で多くの命を弄び、掛け金のように武器を与え、さらなる利益を自分達の元へと戻しながら、あたかも自分が被害者かのように装っていく。そんな者達が洛陽に蔓延る事実が漢という国の衰退を示していた。

 そして、この反董卓連合という乱は激動の時代を迎えた者達へと贈られた第一の関門だった。

「もうこの大陸は、皇帝の名の下では国を治めることは出来ない。

 十常侍と一部の高官達によって作り上げられた制度によって、民の不満は限界にまで達している。それと同時に、諸侯もまた諸侯でいることに満足できないほどの欲を抱えている。

 だから俺達は、漢の上に新しい国を創る」

 言い訳はしない。

 十常侍からこの大陸を救いたいとか、俺達が守るんだなんて綺麗事を並べる気はない。

 俺達はただ現状に我慢できなくなったから、俺達が正しいと思う考えの下で国を築く。

 身勝手な欲望のままに、ある意味独善的な思想を抱えて、大義も建前も必要とせず、自らが生み出そうとしていく事実のみで作られた言葉を並べる。

 これは断じて、正道ではない。

 武力と権謀によって大陸を治め、大陸を己の在り方へと変える覇道。

「もう、決めたんだ」

 この激動の時代の中に、魏国という永く続く国を創ることを。

 

 

「兄上の話はわかりました。

 ですが、まだ疑問点はいくつか残ります」

 まだどこか厳しい表情でこちらを見る樹枝を、俺は静かに待った。

 まぁ、この件に関してはいくつか想像出来てるんだけどな。

「兄上は何故、月さん達まで救おうと手を伸ばしたのですか?

 むしろ兄上の状況から言って、どうやって抜け出すことが出来たんです?」

 何で救おうとした、か。

 なんか俺、この質問されることが結構多いんだよなぁ。

「俺が抜けだしたことについてはあとで藍陽か、牛金にでも聞いてくれ」

 俺が説明するよりも、実際に行った藍陽と俺の代わりをしていた牛金の方が詳しいだろう。

 しかし、董卓殿を救った理由、か。

「霞が出した条件がそれだったから・・・ かな。

 それに賈詡殿や千里殿の才能を失うのも、他の陣営に流れるのも惜しかったからってところだな」

 俺は少しだけ考えてもっともらしいことを並べると、樹枝は疑うように俺を睨みつけてくる。

「兄上、本当のことを言ってください」

「いや、これも本当・・・」

「僕が、兄上が即興で考えた建前を見破れないとでも?」

 ・・・今まで樹枝が桂花に似てると思ったことはないが、こういうしつこい所っていうか、妙に鋭い所はそっくりだよな。

「実を言うとな、樹枝。

 俺は董卓殿たちの顔を、今回初めて知ったんだよ」

「え?

 ですが、以前・・・」

「かつての俺と彼女達は名前を名乗りあうことすらなく、互いの存在をよく知らないまま通り過ぎて行っただけの存在だった。

 それ以上でも以下でもないし、俺はあの後二人がどうなっていたかも知らない」

 降参するように手を挙げながら、あの時の俺がした愉快な勘違いを思い出す。

 黄巾の乱の時の張宝のようにその容姿すらも作り上げられていった結果、董卓は存在すら怪しい架空の人物へと変わっていった。

 それがあんな華奢な女の子だと、誰が想像できる。

「霞の仲間だったから、樹枝が世話になったから、助けたいから・・・ 理由なんて一つに縛れないほどある。

 でも、どれも嘘じゃない」

「これだから兄上は・・・」

 俺が真っ直ぐ樹枝を見返せば、樹枝は何故か心底呆れたように溜息を零して、眉間へと手を当てていた。

「まぁ今回に至っては、僕も兄上のことを言えないんでしょうがね・・・」

 呆れ混じりにさっきまで正していた姿勢を崩し、樹枝は俺の分も水を渡しながら、水を呷った。

「僕は華琳様に仕える者として、本来ならば優秀な人材を引き抜いてきたと喜ぶべきなのに・・・ それよりもまず華琳様や兄上が司馬家を使ってこの乱の裏を全て操っていたのではないかと疑い、挙句の果てに兄上がいつか話してくれると言っていた部分にすら触れてしまった。

 僕は曹軍の将として失格ですね」

「いいや、そんなことはないぞ?」

 自嘲気味に零した樹枝に対し、俺はすぐさま否定する。

「華琳は樹枝に学ぶ機会を与えただけだ。

 『曹軍の将としてお前を派遣した』なんて事実は、どこにもない」

 俺自身は樹枝が洛陽にいることは連合の幕について知ったことからであり、その後の詳細についても女装していたということぐらいしか聞いていない。

 それどころか、曹軍に所属する誰も樹枝の洛陽での働きについてまったく知らないのが実情だ。

「樹枝、華琳はお前に間者をしろなんて言ったか?

 あの誇り高く、卑怯なことを嫌い、相手の身分が何であろうと・・・ それこそ街の料理人にすら容赦なく言葉を向ける華琳が、そんなことをさせると思うのか?」

 俺は樹枝が洛陽へと行くように指示を出された現場に立ち会ったわけでも、この件に関して華琳と話し合うこともなかった。

 でも、華琳が言いそうなことはなんとなくわかるんだよなぁ。

「華琳は悩んだり、迷ったり、彼女達の代わりに俺に怒ったりする変化を含めて、楽しみにしてたんじゃないのか?」

「・・・!!」

「だから、お前はお前でいいんだ」

 樹枝の頭を撫で、最後に強めに肩を叩く。

「たとえその中に賈詡殿への恋情が含まれてても、それはそれで男として間違ってないんだからな」

「あ、兄上?!

 僕と詠さんは別にそんな・・・」

 最後に冗談交じりに言えば、予想外の反応が返ってきて、俺はさらに笑う。

 『兄上じゃあるまいし』とか返ってくると思ったんだが、これはこれでいい知らせが増えたな。

「照れることじゃないぞ? 樹枝。

 むしろ胸を張れ。

 守りたい者があると、人はいくらでも強くなれるんだ」

「いえ、ですから・・・!!」

 

 そうして俺達は黒陽に呼ばれるまでの間、途中で戻ってきた樟夏も交えて、義兄弟三人の時間を過ごした。

 



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 月詠と覇王 【詠視点】

リアルと戦い、だいぶ苦戦していましたが本編書けました。

さぁ、どうぞ。


『兄上ならば、華琳様達ならば! もっと早く手を打てたのではないのですか?!

 彼女達が、月さん達が傷つく前に! 洛陽が火の海となる前に! 助けることが出来たのではないのですか!?』

 

『俺と華琳は、漢を守るつもりだった』

 

『どれだけの罪を被ろうと、命を奪おうと、この大陸を変えると』

 

 幕越しにもはっきりと伝わってくる樹枝の怒りと驚愕の事実に僕はただ驚くばかりで、そんな僕の隣で平然としている曹操とほんの少しだけ驚いている樹枝の叔母である荀彧。話に出てきた霞と何故か溜息を吐いてる千里、そして平然としている月がいた。

「・・・曹操、あんた」

「話はあなた達が居た幕に戻ってからにしましょう。

 全てではないかもしれないけれど、樹枝があなたの抱いていた問いのいくつかを彼にぶつけ、それは答えられた」

 確認するように僕へと視線を向けてから、曹操は特に驚きもせずに英雄達が居る幕から背を向ける。

「これ以降の問いは、あなたに限らず誰もが二人の話を聞いた上でのこと。

 それならもう私達がここで立ちつくしている意味も、この幕に入る理由もないわね」

 落ち着き払った曹操の対応に僕だけでなくその場にいる全員が呆気にとられ、いち早く我に返った荀彧がその背を追いかけていく。

 けれど、僕らは曹操の後をすぐに追いかけることは出来ず、その場から動くことも出来ずにいた。

「霞・・・ さっきの話は本当なの?」

「あぁ、全部本当や」

 僕の問いに霞は即答し、少しだけ後ろめたそうにしながら頭を掻き毟る。

「そして、千里は知ってたのね?」

 千里が黙って頷く姿に、僕は頭痛を堪えるようにして頭を押さえる。

「そう・・・」

 『いつから』とか、『どうして言ってくれなかった』とか、いろいろな言葉が喉までこみあげてくる。

 でももし仮に、あの状況下でこのことを説明されて、僕が信じていた可能性は低い。

 かといって共に行動することが確定していた霞と千里のどちらかが隠し事をして、その連携が崩れていた時の危険性もわかる。

 何よりも最早多くのことが起こってしまった今、そんなことを言い合っても意味なんてない。

「千里、この事を恋達は?」

「言ってないよ。

 恋はともかく音々達はいろんな誤解しちゃいそうだったから、今頃は詠達が行くはずだった場所に行ってるんじゃないかな」

 なんとなく、それもわかっていた。

 霞が自分から全員に言わなかったのには理由があるんだろうし、千里が不確定な情報をあの二人(音々音と芽々芽)に伝えるとは思えない。

 霞と千里の行動はその場で取れる最善の手段であり、英雄の行動もまた僕らを殺す気なんてなかったことはこれまでの話と行動からはっきりと伝わってくる。

 だけど、頭で納得できても、感情は収まらない。

 頭の中で子どもみたいに『どうして!』と叫び続ける自分がいて、行き場のない想いが溢れていた。

「詠ちゃん、行こう?」

 未だに頭を抱え続けている僕の手を引いた月に、僕は自分の顔が歪んで、押さえようとしていた感情が表に出ていくのを自覚する。

「月・・・ 月はいいの? 納得できるの?!

 もしかしたら、曹操も英雄もこの事を知っていてやったのかもしれないのよ? それどころか僕らに恩を売って・・・」

 頭ではわかってるのに、口から飛び出ていく疑いの言葉。

 みんなを信じているのに、頭の中を駆け廻る猜疑心ばかりが口に出る。

 積み重なったこの不幸が僕の所為じゃないと思いたいのに、どこかでそうなんじゃないかって不安に思ってる弱い自分を守りたいだけの癖に・・・ その上で猜疑心を軍師として正しい考え方だとでも言うかのように飾り、月に八つ当たりしかけている自分自身に吐き気がする。

 それなのに君主として月に死んでほしくないなんて身勝手を願った自分を、命を拾ってくれた曹操や英雄を疑う自分が気持ち悪い。

「詠ちゃん」

 それなのに・・・

「大丈夫だから、ね」

 僕に向けられた月の声は優しくて、温もりが心地よい。

 僕よりも辛いのは月の筈なのに、牡丹様に預けられた都を誰よりも守りたかったのは月なのに。

「詠ちゃん、いつもありがとう。

 いつも私が行き届かない考えを持ってくれて、ありがとう。

 詠ちゃんと千里さんが私達の代わりに疑ってくれてること、わかってるから。

 私達を守るために考えてくれるんだって、知ってるから」

 月の優しい言葉に僕は何も返すことが出来ず、ただ涙ながらに首を振る。

 感謝なんてしないでほしかった。

 霊帝様も守りきれなかった、洛陽を守れなかった文官()を。

 十常侍の行動を読み切れなかった不甲斐なくて、公としてあるべき軍師が私として君主の死を拒んだ軍師()の事なんて。

 挙句、命を救った相手だけでなく、真名を預けた友であり苦楽を共にした同僚を、仲間すら疑おうとしているこんな人間()の事なんて。

「それにね、詠ちゃん。

 もし、仮に英雄さんが私達を欲しくて救ってくれたんだとしても、樹枝さんが私達をこの軍に引き込むために潜り込んできたんだとしても・・・・」

 

『霞の仲間だったから、樹枝が世話になったから、助けたいから・・・ 理由なんて一つに縛れないほどある。

 でも、どれも嘘じゃない』

 

『僕は華琳様に仕える者として、本来ならば優秀な人材を引き抜いてきたと喜ぶべきなのに・・・ それよりもまず華琳様や兄上が司馬家を使ってこの乱の裏を全て操っていたのではないかと疑い、挙句の果てに兄上がいつか話してくれると言っていた部分にすら触れてしまった。

 僕は曹軍の将として失格ですね』

 

 幕越しに聞こえた英雄と樹枝の言葉に、僕は目を見開く。

「樹枝さんの思いも、英雄さんの行動も、全部が嘘だったなんてこと、きっとないから」

 本当は気づいてた。

 英雄が自分を示す全てを脱ぎ捨て、洛陽へと潜入するほどの価値が僕らにはなくて、それでも手を伸ばしてくれたのは利益なんてものじゃ測れない何かだって。

 わかってた。

 最初の言葉から、樹枝は僕らのために怒ってくれてたんだって。間者があんな馬鹿みたいに全てを晒して、千里に元の所属を知られて普通に過ごせるわけがないってことぐらい。

「・・・女装してる変態の癖に」

 そんな悪態が口をついて出て、千里と霞がにやにやと笑ってる気がするけど、なんだかもう怒る気にもなれなかった。

 

『たとえその中に賈詡殿への恋情が含まれてても、それはそれで男として間違ってないんだからな』

 

 英雄が言ったであろうその言葉に、僕の頬は何故か熱くなる。

「ばっ・・・ バッカじゃない?!

 何、見当違いの的外れなこと言ってんのよ。あの英雄は!

 だ、大体僕があんな女装癖の変態なんかを好きになるわけないじゃない!!」

 やや早口で捲し立てて、僕はきっと怒りで熱くなってる頬を慌てて月から離す。

 そうよ、僕があいつの直接的な言葉で安心したなんて事実はどこにもなくて、あいつがもしかしたら僕らに嘘をついていたかもしれないことで傷ついたなんて、ありえないことなんだ。

「詠、なんやえっらい顔が真っ赤やで?」

「うっさい! 霞!!

 大体、霞がもっと早く僕らに説明してたら、こんなことにはならなかったんだからね!」

 八つ当たり気味に冗談のように怒鳴れば、霞もいつもの調子で舌を出す。

「あーんな泣き顔晒して、顔真っ赤にしとる詠なんてちーっとも怖ないわぁ~。

 なぁ? 千里」

「だよねー。

 まったく、詠も攸ちゃんも素直じゃないんだから」

 霞から言葉を投げられれば、僕を弄ろうと言葉を畳み掛けてくる千里に僕も負けじと怒鳴り返した。

「休憩のたびに樹枝を弄る算段考える千里ほどじゃないわよ!!」

「わかってないなぁ、詠。あれは直属の上司になったあたしの権利だよ?

 おはようからおやすみまで、攸ちゃんを弄る権利はあたしのもの。

 正しくは、女装癖を熱く語ってくれた子があたしに権利を一度託してくれたってところかな?」

 何故か自分の影を見つつ笑う千里のとんでもない発言に僕は開いた口がふさがらず、さっきまで悲しんだり、悩んだしていたことがひどく馬鹿馬鹿しくなる。

「もう、僕はもう先に戻るからね!

 曹操にはこれからのことを聞かなきゃいけないし、この連合はまだ終わってないんだから!!」

「あっ、逃げよった」

「置いていかれたらかなわないから、追いかけないとね。

 ほらっ、月もこんな時ぐらいは詠をからかってあげないと」

 僕に続くような足音と、捕まったらまずそうな二人の言葉に僕はさらに足を速める。

 ていうか、千里! 何、月まで巻き込んでんのよ?!

「え?

 だって、詠ちゃんが樹枝さんのことが好きなんて結構前か・・・」

「月も何言っちゃてるの?!

 僕があいつをす、すすすす・・・・ 好きなんてあるわけないじゃない!

 (すき)でぶん殴りたいとは思ってるけど!!」

 月からの想定外の言葉に僕が怒鳴れば、二人の視線が生温いものへと変わっていて、僕はその場から離脱しようと必死に足を動かした。

 

 なくなってしまったものは確かにあって、後悔は尽きないし、全てを吹っ切ることなんて出来ない。

 だけど、僕らはまだ生きているから。

「最後まで足掻いてやろうじゃない。

 どんな不幸だって、僕は月の傍で詠いつづけるって決めたんだから」

 

 

 

 僕らが元いた幕へと戻れば、曹操は本陣で待っているらしく、僕達を助けてくれた隠密とよく似た女性が案内してくれた。

「来たわね」

 座ったまま僕らを出迎え、曹操はわずかに驚いたような表情をしてから微笑んだ。

「先程とは見間違えるほど、すっきりとした顔をしているじゃない。賈詡」

「フンッ、なんか文句でもある?」

「いいえ、良い表情だわ。

 恋の始まりに触れた、初々しい女の顔だわ」

「なっ!?

 そんなんじゃないわよ!」

 曹操のおもわぬ切り返しに僕が否定しても、曹操のみにならず、その場に集まっていたほぼすべての将が頷いていた。

 だから、違うんだってば!

「最初は皆、そう言うのよね」

 荀彧は何かを懐かしむように言いながら、何故か僕からあからさまに視線を逸らし続けている。

 わけがわからず試しにその視線の先へと移動してみれば、すぐさま視線を逸らされた。何だっていうのよ?

「想いを素直に告げることが出来ず、毒を吐き、拳を振り上げ、足を出し、得物をもって追いかける。

 あるいは初めて抱いた感情に戸惑い、想いを持て余してしまう。

 だが、賈詡よ。何も恥じることはあるまい。

 恋する乙女が誰もが一度は通る、可愛らしくも初々しい道だ。

 なぁ? 姉者」

 噂に聞く夏侯淵が自分の隣に座っている夏候惇に話を振れば、そちらは顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 あぁ、よかった。

 恥ずかしいとか思えるまともな神経を持ってるのが僕だけじゃなくて。

「どういう道よ?!

 ていうか、僕は違うんだってば!!」

「まぁ、始めは誰もがそう思うもんやから。

 詠もその内、素直になるわ」

「霞!

 あんた、本当にいい加減にしなさいよ!!」

 まるで自分もそうだったとでも言うかのように語る霞を怒鳴れば、そこにいる全員が笑い、軍にはあまりにも似合わない楽しげな雰囲気が流れる。

 本当に何なのよ、この軍。いろいろとおかしいわよ。

「それで曹操さん。

 あたし達を呼びだしたってことは今後の話をする気なんだろうけど、あなたはあたし達をどうする気なの?

 まさか、あーんな秘密を知ったあたし達をそのまま放逐なんてしないよね?」

 その雰囲気へと一切の容赦なく斬り込んでいった千里は挑発するように曹操を見ていて、曹操も楽しげに千里と視線を交える。

「あなたが『麒麟』・徐元直ね、雛里から女学院でのあなたの話は聞いているわ。

 日々努力を怠ることなく、学問以外の自己研鑽をつみ、個が伸びることに重きをおく女学院の中で他に学を教えることをいとわず、多くの門徒から支持を得ていた。

 あなたを姉や師と仰ぐ子は多かったとまで言っていたわよ?」

「ふわははは、少し育てば凄くなるかもしれない芽が腐るのを見るなんて嫌じゃん?

 あたしが一教えただけで十覚えたなら、それだってもう立派な才能。

 先生が連れてきた時点で、種はあったんだからさ。あとは芽を出すだけなら、少しぐらい土と水で面倒見てあげてもいいじゃない」

 僕達も知らない女学院の頃の千里がしてきたことを聞きながら、千里はどうってことのないように笑って見せる。

「で、曹操さん。

 あたしらをどうすんの? 殺す?」

「あなたが曹仁と交わした約束について、既に夏候惇たちから聞いているわ。

 あなたが洛陽の真実を曹仁に教え、曹仁があなた達を受け入れる。

 そして、将が交わした約束は君主たる私のもの。約束を違えることはない」

 僕と月の知らない約束に僕が千里を見れば、千里は僕らに弁解する気はないらしくむしろ笑っていた。

 だから! あんたは僕らの何のつもりなのよ・・・!

 仲間というよりもこれじゃぁまるで、歳の離れた姉みたいじゃない。

「私達はあなた達に危害を加えるつもりはないし、出来る限りのことはしましょう。

 涼州に戻るもよし、あなた達が避難するつもりだった場所にいくもよし。

 あなた達ほどの才があるなら、どこかへ仕官することも出来るでしょう。ただ一つだけ不可能なのは・・・・ 董卓、あなたがその名で生きることよ」

 一瞬だけ曹操が言いよどんだ事実に僕だけじゃなく、千里と霞も表情を曇らせるけど、その中で月だけが曹操へと目をあわせていた。

「はい、心得ています」

 きっぱりと答える月に曹操は一度眉間に手を当てただけで、一瞬だけ垣間見えた辛そうな表情すらも消してみせる。

「董卓」

 曹操はたった今、公には死んだ者の名を呼び、月もまた返事をすることはなく、ただ静かに曹操を見つめ続ける。

「歴史があなたをどう語ろうとも、私・曹孟徳はあなたが王であったことを。

 あなたが霊帝によって洛陽を任され、尽力したことを忘れない。

 大陸があなたを否定し、多くの者が極悪非道の魔王と残そうとも、董卓の名も、董卓軍の元で力を振るい、忠を尽くした者達が居たことを刻み続けましょう」

 その言葉に、僕の目からは再び涙が零れていた。

 ううん、それは僕だけじゃない。

 千里は笑って誤魔化そうとしてるけど、目尻に光るものがあるし、空を仰いでる霞だって同じだった。

 月はただ静かに手を合わせて頭を下げるのみだったけれど、曹操もまた月に向かって頭を下げた。

 それは二人の王が互いに認め合い、敬意を払った美しい礼だった。

 そして二人の王は同時に頭をあげ、しばしの間見つめ合う。

「迷いのない、いい目ね。

 あなたはもう、自分が進む道を決めているんじゃないかしら?」

 だから僕は、曹操から出た言葉に目を丸くしてしまった。

「流石曹操さんですね、そこまでわかりますか?」

「目は口よりも雄弁に人を語るものよ。

 さぁ、あなたの出した答えを聞かせて頂戴。

 今ここで終わったあなたが、再び始まる姿を責任もって私が見届けましょう」

 その場にいる誰も二人の会話に口を挟むことが出来ず、ただ聞いていることしか出来ない。

「王としての董卓が死んだ今、私は涼州で過ごした頃の・・・ 『断頭姫』と呼ばれた頃の私に戻ろうと思います」

 それほど二人の会話は突然で

「曹操さん、私を将として雇っていただけませんか?」

 衝撃的なものだった。

 



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57,彼女の新しき名

いつもより早いですが書けたので。

さぁ、驚いてください。


「曹操さん、私を将として雇っていただけませんか?」

 黒陽に呼ばれて会議の幕へと向かえば、幕に入る前に聞こえた董卓殿の想定外の言葉に俺は捲ろうとしていた手が止まる。

 当然俺の後ろについていた義弟達に俺の聞き間違いかどうかを確認すれば、俺同様に驚いた様子の二人が立っている。

 だが、俺達が会議に出席しないわけにもいかず、試すように微笑む黒陽へと頷いて、幕が捲られた。

「冬雲様達をお連れしました」

 重い沈黙が流れている会議の場へと俺達は入ってき、樟夏はいつも通り春蘭と秋蘭の隣へ、俺と樹枝は今回の洛陽の経緯を知っていることを考え董卓殿の隣へと並ぶ。

「はぁ?

 文官ならまだわかるけど、統治をやってたあんたが将って・・・ 正気なの?」

 俺達が話を聞いたことを前提に会議は進み、その場の全員を代表したような桂花の問いに対して、彼女の強さを目の当たりにした俺や樹枝は何とも言えない表情になる。

「その心配はあらへんよ。

 月の強さっちゅうか、殺しの上手さはウチ以上や」

 彼女の強さを的確に表現した霞の言葉に俺は頷き、納得する。

 武というには型も、構えもなく、あくまで自然体に、その存在を殺すためだけの力。

「はぁ? 殺しの上手さって何よ?

 あんた以上ってことはあんたより強いって事でしょ?」

 よくわかってない様子で桂花が問い返せば、霞は大きく溜息を吐いてから言葉を吐き出した。

「わっからんかなー・・・

 月は強い。けど、それはウチや他の将みたいな強さやあらへん。月はただひたすらに鉈で首を刈り取るんが上手い、ただそれだけや。

 でもな、どんな奴やろうと・・・ いんや、どんな生き(もん)でも首刎ねられて山ほど血を流したら、それで終いや」

 霞は手で自分の首を叩いて、斬るような動作を示しつつ、説明を続けていく。

「んでもって月は、相手の首を確実にとりに行く。

 どんな相手やろうと関係ない。

 熊やろうと、狼やろうと、人やろうと、相手が敵で、自分の手に鉈を持った状態なら真っ直ぐに相手の首を狙って、断ち切るんや」

「はぁ? 何よ、それ?

 相手を倒すとか、殺すって、そういうことでしょ?」

 が、根っからの文官である桂花にはその説明ではわからなかったようだ。

 もっともそれは桂花に限らず、言葉の意味を正しく理解している武官の皆も信じられないと言った様子で董卓殿へと視線を向けるか、あるいは真偽を確かめるような目を俺達へと向けてくる。

 当然の反応だと思うし、俺もあの現場を見ていなければ疑っていたことだろう。

「桂花、こればかりは武に精通している者でしかわからない分野よ。無理に理解しなくていいわ」

「で、ですが・・・」

「それでもあなたが知りたいと思うなら、私があとでじっくり教えてあげるわ。

 勿論、武に精通した者が必要だというのなら・・・ 冬雲も共にね」

「ぜ、ぜひ!!」

 華琳が隣に並ぶ桂花に手を伸ばして最後のあたりは耳元で囁くと、桂花は顔を真っ赤にしてるんだけど、何を言ったんだ?

「兄上、あとで喰われますね。誰にとは言いませんが」

「ハッハッハ、お前の言葉で華琳が何を言ったか八割がた想像出来たけど、喰われる心配も、喰う度胸もない奴に言われても、痛くもかゆくもないな」

 隣にいる董卓殿達にも届かない程度の小声でやり取りしつつ、互いの脇腹を小突きあう俺達を華琳の背後に控えた黒陽に咳払いで注意され、渋々とやめる。

「『涼州で過ごした頃』と言ったわね。その辺りのことを説明してもらってもかまわないかしら?

 今の霞の言葉で意味はわかったけれど、あなたの情報はあまりにもわかっていないことが多すぎる。『断頭姫』というのも、その頃の二つ名でいいのかしら?」

「はい」

 華琳の問いかけに微笑みすら浮かべて肯定する董卓殿に対し、賈詡殿の表情は暗く、どこか遠くへと視線を彷徨わせていた。

 なんかこういう表情ってよく見たことがあるんだよなぁと思って隣を見れば、ほぼ毎日のようにそんな表情をしてる義弟と目が合い、何故かほぼ同時に手を叩いて(同じ仕草をして)納得される。

「月・・・ この子が元々涼州を任されていたことは知ってると思うけど、五胡との争いは漢の防壁として有名な西涼だけじゃなくて、今も涼州全土で小競り合いは続いてるよ。

 その影響なのかなんなのか、どうにも荒っぽい気質の人間が集まりやすくてね。その結果がこれというか・・・」

 説明しつつ、段々と何かを思い出しているらしく、視線を遠くに向けようとする賈詡殿を励ますように千里殿が背中を叩いて、代わりに説明するかのように一歩前に出る。

「涼州の人の気質はさ、わかりやすく言うとこの三つ。

 一つ、『強い奴が偉い』」

「二つ、『敵になったもんは殺せ』」

「そして三つ、『いい男は物にしろ』なんですよ」

 千里殿がそう言えば、二つ目を霞が続き、最後に董卓殿がそっと微笑んで告げる。

「「うわ、野蛮人」」

「へう?」

 桂花と樹枝が声をあわせてすぐさま感想を告げ、『どこかおかしなところでもありましたか?』と言わんばかりに董卓殿が首を傾げる。

 でも、何故だろう。

 華奢で儚げ、水のような髪と濃い紫を宿した瞳。低い背丈とその仕草は本来可愛らしい筈だというのに、さっきまでの話を浮かべると冷や汗が流れていく。

「擬態か何かですか? あれ」

「素よ! 大体、あんたは普段のあの子を知ってるでしょうが!!」

「知ってるからこそ、普段の様子と戦う時の姿が一致しなくて困惑してるんでしょうが!」

「だから今まで、僕が情報操作して隠してきたんでしょう!」

 平時なら顔を突き付けるようにして怒鳴りあう二人の姿を見守りたいところだが、今は会議中のため俺が樹枝の首根っこを掴んで遠ざけ、千里殿が賈詡殿の肩を掴んで後ろへと下げてくれる。

「そんなに顔を近づけたら、攸ちゃんと接吻しちゃうよ?」

「なっ! ばっ!! !?☆*%#%$!」

「今は会議中だから、怒らない怒らない。

 あと、最後らへん人語すら放棄してるよー? 詠」

 なんか千里殿はいらんこと言って、さらに賈詡殿を怒らせてる気もするけど、俺は気にしない。俺は、だけど。

「つまり、その子は元からそうだったということね?」

「そうよ。

 呂布や霞、徐庶達が仕官してくるまでは涼州も人手不足で、この子が前線に立って民を鼓舞してたの。そう言う意味じゃ人徳っていうのもまんざら嘘じゃないけど、この子の戦い方を見て『断頭姫』って言って恐れられてたのも事実。

 でも、洛陽を任される人物にそんな二つ名がついてたらどうなるかなんて、考えるまでもないでしょ?」

 賈詡殿の言葉にいろいろと納得し、俺も頷く。

 そんな二つ名と逸話が流れてしまえば今よりも早く董卓討伐があがり、董卓殿達が居たことによって十常侍の表立った行動が抑制されていたものがなくなり、大陸はより悲惨な道を辿っていただろう。

「その割には、あんたの考え方とかは常識人の範囲じゃない。

 さっき言ってた涼州人の気質に、あんた自身はまるで当てはまらないわ」

「そりゃ、僕は両親達が向こうに赴任したからついていっただけだもの。

 僕は最後まであそこには馴染めなかったし・・・ なのに、僕より後にやってきた霞とかは簡単に馴染んじゃったけど」

 桂花の指摘に賈詡殿は肩をすくめて肯定して、恨みがましく霞と千里殿を見るが本人達はまったく気にしない。

「あそこは詠に限らんと、文官には馴染めん土地やけどなー。

 まっ、武官にとっちゃええとこやで? 強いもんが偉いっちゅうんはわかりやすいし、刃向けてきた奴に容赦する必要あらへんもん」

 しかも、この言い草だしな。

「ていうか、よくそんな馴染めないところで出会った月さんと友人になりましたね。

 お二人の出会いは、どんなものだったんです?」

 本当に賈詡殿の表情を見ていたのかと問い詰めたくなるような樹枝の言葉に、俺が止めようとすれば、賈詡殿は諦めたように『止めなくていいわよ』と首を振ってくれる。

 申し訳ない気持ちでいっぱいになるが、彼女が止めなくていいというのだからいいのだろう。

「この子との出会いは忘れられないわよ・・・」

 やはりというか、賈詡殿は再び視線を遠くに彷徨わせて、空を泳ぐ雲を見つめていた。

「樹枝の馬鹿!

 お前のせいで賈詡殿がまた黄昏てるだろうが!!」

「えっ?! 僕の所為ですか!?」

 むしろどこをどう見れば、他の皆が原因になりえる?!

「庭でご両親を待っていた詠ちゃんが私を見て、突然気絶しちゃったんだよね。

 あの時は心配したなぁ、体が弱い子なんじゃないかって・・・」

「そりゃ同じ年頃の子が、自分の体より大きな熊の生首もって血塗れの状態だったら誰でも気絶するわよ!」

 董卓殿が昔を懐かしむように言えば、すぐさま賈詡殿によって事実が補正される。

 幼い子どもが自分より大きな熊を狩る。

 あれー・・・ そんなことをしてた子が身内に居た気がするんだけど、俺の記憶違いかな?

「子どもの頃に熊狩り?

 そんなこと、誰でも出来るだろう?」

「僕も出来るよー」

 春蘭と季衣の言葉に今度は俺が頭を抱え、賈詡殿は何故か樹枝を鋭く睨みつける。

「樹枝!

 あんたの身内もおかしなのばっかりじゃない!!」

「詠さんには言われたくありませんよ!

 っていうか! そんな出会いをした人と親友になってる詠さんだって負けず劣らず変人じゃないですか!」

「そんなことがどうだっていいって思えるくらい、月を好きになっちゃ悪い?!

 あんたなんてお供に女になりたい男なんて熱弁された癖に!」

 二人が再び怒鳴りあっているのを一部は生暖かい目で見守り、一部は別のことを思い出して噴き出す。

 そんな中、華琳もまた心底楽しそうに笑っていた。

「それで『断頭姫』、ね・・・」

 本当に・・・ こんなことでも笑って受け入れる華琳を大物と取るべきか、変り者と取るべきか迷う。

「あなたは本当に王だったのね」

 華琳の言葉に董卓殿は変わらずに微笑みを浮かべて頷くのみで、王ではない俺達にその真意はわからない。

 それでいいと思う反面、やっぱり羨ましいと感じてしまうのは俺が華琳を一番に知っていたいし、全ての感情を独占したいと思っているからだろう。

「では、改めてあなたの強さは知るのは城に戻った時にするとして・・・ その時は霞か、楽進達と仕合することで示してもらうわよ」

「はい。

 私は勿論かまいませ・・・」

「断固拒否や!

 ちゅうかそれ、ウチの凪がズタズタにされるやん!?」

 華琳と董卓殿が今後のことを話そうとすれば、割って入った霞に華琳は有無を言わさぬ目を向けて微笑む。

 そして霞、さらっと凪を自分の物にするな。凪は俺のだ。

「冬雲、そないないけずなこと思わんと共有しようや~」

「俺の考えてることはバレバレかよ・・・」

 おもわず肩をすくめて苦笑すれば、霞は自分の頬を指差して笑う。

「今度鏡でも貸したるわ、でっかく顔に書いてあるで~。

 ウチらはみーんな俺のもんやっちゅう、独占欲のたっかい気持ちがな」

 そりゃ、隠す気なんてないからな。

なんてことは流石に言えずに笑って誤魔化せば、場の空気を変えるように桂花が手を叩いて注目を集めさせる。

「あなたを雇うということがほぼ確定した以上、あなたには名が必要ね。

 何か希望はあるかしら?」

「曹操さん、私の終わりと始まりを見届けてくださるというのなら、あなたからその名を賜りたく思います。

 そして、ここに居る一人の者として持っている、ただ一つの名を皆さんに受け取っていただきたいです」

 名を重んじるこの大陸で、名を捨てるということがどれほどのことなのかは自ら名を捨てた俺にはわからない。

 けれど華琳は、天和達にそんな経験をしてほしくなかったから黒陽達にあの指示を出し、名を守った。

 本当なら華琳は、彼女にすら名を捨ててほしくなかったのだろう。

 だが、董卓殿はその事実すら受け止めて、前を向いていた。

「私の真名は、(ユエ)

 私が渡せる唯一のものを、どうぞお納めください」

「・・・確かに受け取ったわ。

 あなたも私を華琳と呼びなさい」

「はい、華琳様」

 月殿に続く形で詠殿と千里殿とも真名を交わし、華琳もまたそれをしっかりと受け止めていく。

 それにしても日輪と月輪、か。

 そこに陽があるわけでもないのに何故か眩しく感じて、俺はおもわず目を細めてしまった。

「月、あなたの名前なのだけど・・・」

「もうお考えになられたのですか?」

 華琳の言葉に驚いたのは月殿だけでなく、そこにいる全員が同じだった。

 いやだって、真名を預けられたのはついさっきだし、会ったのだってそんなに時間が経ってないだろう。

「えぇ。

 名がないのは不便でしょうし、全ての者に真名を明かして回るわけにはいかないでしょう?」

「は、はい」

 月殿の戸惑いはもっともだが、割って入れるような空気ではないので場は静まり返り、聞こえるのは華琳の言葉のみとなる。

「あなたの名は徐晃、徐公明よ。

 新たな将として迎え入れたあなたへと渡す祝儀の品、受け取ってくれるかしら? 月」

 華琳の言葉に俺はさらに目を開かされ、ただ驚くばかりだった。

 史実の話なんて秋蘭の一件以外華琳に話すことはなかったし、その名の意味を華琳はこれ以上語る気はないとでも言うように、ただ静かに彼女が受け取ってくれるのを待っている。

「確かに頂戴いたしました。

 ありがとうございます。華琳様」

 そしてこの瞬間から、彼女の名は徐晃となる。

 月殿は嬉しそうに微笑んで受け取り、詠殿は涙を流して喜び、千里殿はそんな二人を後ろから抱きしめた。そんな様子を見た霞が我慢できるわけもなく、千里殿の後ろから勢いをつけた状態で飛びこんでいった。

「危ないわよ! 霞の馬鹿!!」

 詠殿から文句が出るが、霞がそんな言葉を気にするはずがない。

「私以外の者の真名は、折を見て受け取りなさい。

 今この場で渡すには人数が多すぎるもの。ただ・・・ 曹仁」

「あぁ」

 久しぶりにそっちの名を華琳に呼ばれ、なんだかくすぐったい気持ちになりながら答えれば、華琳は月殿を指差した。

「あなたは先に真名を渡しておきなさい。

 会議後、西涼の馬騰があなたとの面会を希望しているから、渡している暇がないでしょうしね」

 初めて聞いた情報もあったが仕方ないと思い、俺は月殿へと向き直る。

「俺の姓は曹、名は仁。字は子孝。そして、真名は冬雲だ。

 改めて初めまして、月殿」

「はい♪ これからも末永くよろしくお願いします♪」

 俺が握手を求めて手を伸ばせばその手はしっかりと掴まれ、輝かんばかりの笑顔を向けられる。

 ん? 『末永く』?

「あんた、涼州人の気質の三つ目、もう忘れたなんてことはないわよね?」

 月殿にくっついたままの詠殿の言葉に、俺の背へと視線が集中しているのを感じ、嫌な汗が流れた。

「『いい男は物にしろ』

 馬騰さんともなんだかんだで交流あるみたいだし、気を付けたほうがいいよー? 冬雲さん?

 じゃないと、『西涼の女狼(めろう)』にかじられちゃうかもよ?」

「クックック、さっすがウチの冬雲。

 どこもかしこでも、もってもてやな」

 にやにやと笑って千里殿と霞に弄られながら、俺は今後のことを考えて溜息が一つ零れ落ちていった。

 



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58,西涼の狼 前編

この後、すぐに後編を投稿します。


 月殿や詠殿達はとりあえず幕内にて復興作業に必要な書簡などの手伝いをすることが決まり、その他のこれからはとりあえず陳留に戻ってからとなった。

「戻ってからは、これまで以上に忙しくなるわ」

 その言葉に秘められた多くを察するように、その場にいた者達が嬉しそうに口角をあげていく。

 明言されずとも、俺達にはわかる。わかってしまう。

 この乱世に、鬼に委ねられた国がついに誕生しようとしている。

 華琳が統べ、俺達が守り支えていく愛しき魏国がこの乱世に築かれる。

「皆、頼りにしているわよ」

 信頼と期待がのせられた責任は重く、役目もまた重大。

 けれどこの場に居る誰もが、その重みでつぶれるような柔な存在じゃない。

おぅ(はっ・はい)!!』

 一つに揃った返事に華琳は満足げに笑って、手を振り上げた。

「では、解散。皆、各々の責務を果たしなさい。

 冬雲。あなたはさっき言った通り、この後は馬騰との面会よ。そちらもしっかりこなしてきなさい。

 それから樟夏、あなたと公孫賛の婚約の一件については夜にでも話を詰めるわ。

 それ以外にもう一件彼女から話があるとのことだから、樟夏以外に桂花と黒陽も同席なさい」

「はい、華琳様。

 あちらからは公孫賛が一人で来るのでしょうか?」

「いいえ、風が来るとのことよ」

 そのやり取りに俺はもういいだろう想い退席しようと背を向ければ、俺の頭に書簡が命中する。

「何、関係ありませんって顔で退席しようとしてんのよ。馬鹿」

 なんか久しぶりに桂花にこういう暴力振られた気がするなぁとか思ってにやけていると、樹枝が本気で俺の正気を疑うような目を向けてくる。

 だが、そんな視線を俺が気にするわけがない。むしろ、桂花に似ている詠殿を好きになったお前が言うのかとかいろいろ・・・ ハッ! こいつ(樹枝)の初恋ってまさか・・・

「冬雲、当然あなたにも夜の会議にも出席してもらうわよ。

 あなたは、樟夏の二重の意味で兄なのだから」

 え? ちょ、華琳さん?

 それを今ここで言うのって・・・ あの・・・

 真面目な顔をしているにもかかわらずわざとらしく告げられる華琳の言葉に、俺の表情は硬くなる。

「ふふっ、華琳様も可愛らしいですね。

 正妻は揺るぎそうにありませんけど・・・ その次ぐらいは狙ってもいいですよね?」

「はっ?!」

 位置的に俺の近くにいた月殿がそんなことを言い放つと周囲がざわめき、一部からは穏やかではない気が感じられ、何故か俺にも視線が集中していく。

「さっすが兄者、もってもてですねー。

 樟夏の野郎も僕が知らない間に婚約とかしやがったみたいですし・・・ 樟夏、あとで僕の幕の裏に来いや」

「かまいませんが、今の私はとても強いですよ?

何せ生涯をかけて愛し、守りたいと思った女性と両想いですから。

 洛陽の都で女装生活などという貴重な経験を積んだあなたの実力も、ついでに確認しましょうか?」

「あぁん?」

「やりますか?」

 樹枝は樹枝で樟夏と睨みあって、今にも取っ組み合いの喧嘩を始めてしまいそうだ。

 ていうか樟夏、両想いで嬉しいからって随分強気だな?!

「ふふっ、その次の座も競争率は激しいわよ?」

「そのようですね」

 会話的にもその場に居づらくなった俺は少しずつ幕の出入り口へと近づき、その場から逃げるように幕を捲る。

「それじゃ、俺は馬騰殿を待たせるわけにはいかないからこれで!」

「えぇ、いってらっしゃい。

 季衣、護衛としてついていってあげなさい」

 不意をついたつもりだったにもかかわらず、華琳はいつも通りどころか護衛までつける準備の良さ。

 なんか本当に奥さんみたいだと思ってしまったが、この状況では混沌しか生まないので胸の奥に沈めておく。

 だけど俺の行動がみんなに読まれすぎてて、嬉しい反面たまに怖くなるんだよな・・・

 

 

 

 白陽と季衣と共に訪問用に用意された幕の準備を整え、馬騰殿を出迎えられるようにしておく。

「西涼太守・馬騰殿が参られました」

 聞き慣れた兵の声を聴き、俺が出迎えれば、数日前に会った馬騰殿が俺へと笑いかけてきた。

「ようこそ、馬騰殿。

 どうぞ、座ってくつろいでください」

「悪いね、連れが二人ほどいるんだが・・・ いいかい?」

 その言葉に視線を移せば、馬騰殿とよく似た二人の少女が立っており、おもわず首を傾げてしまう。

「あぁ、アタシの娘の馬超と姪の馬岱だ。

 英雄に見える機会なんて早々ないからね、勝手だとは思ったんだが連れてきたんだよ」

「いいえ、かまいませんよ。

 初めまして、馬超殿、馬岱殿」

 軽くお辞儀をしてくる後ろの二人に俺もお辞儀を返し、入るように促す。

 白陽も季衣もすぐさま席を用意してくれたので、視線でそれを労った。

「それで、本日はどのようなご用件で?」

 全員がその場に座り落ち着いたところで問えば、馬騰殿は肩をすくめた。

「ふふっ、あんたと軽い世間話がしたくてね。

 洛陽は焼け、悪の元凶とされた董卓は行方知れず、洛陽の復興は余力もあった曹操軍や劉備軍が行い、連合は解散にも等しい状況。

 しかも、復興と言っても街にほとんど民はなく、被害は家屋ばかりで支援が必須な民は本当に一握り。

 アタシ達をまとめる袁紹軍は、まるで肩すかしでもくらったように黙ったままだ」

 真剣にこちらを見つめる瞳は、ありのままに今の連合について語っていく。

 こちらから見た連合の様子自体は樟夏から軽く聞いてはいるが、それはあくまで俺達の陣営の事ばかりだったため、こうした情報は素直にありがたかった。

「そこで、アタシはあんたに聞きたいことがある。

 英雄、あんたはこれからどうするんだい?」

 飾ることのない言葉、真っ直ぐな問いかけに俺はおもわず苦笑してしまう。

 どうにも上に立つ者になればなるほど飾ることを嫌い、相手に対して真っ直ぐな対応が多い気がする。

「単刀直入ですね、馬騰殿」

「あんたに言葉を飾っても仕方がないだろ?

 それに、あんた達ならこの連合の裏を知っていそうだしねぇ」

 その言葉に馬騰殿の右に座していた馬超殿が目を向くが、左側に座する馬岱殿は何故か頭を抱えていた。

 後ろの対照的な反応も気にかかるが、今はそれ以上に馬騰殿の方へ集中することを心がける。

「この連合は袁家が中央を・・・ いいや、この大陸を家の権力を使って、手を伸ばそうとした茶番さ」

「それ、どういうことだよ?! 母さん!!」

「お姉様、落ち着いて!」

 馬騰殿の言葉に馬超殿が立ち上がり、そんな彼女へとすぐさま馬岱殿の注意が飛ぶが彼女は座ろうとはしなかった。

 だが、馬騰殿も自分の娘を相手にすることもなく、俺へと視線を向けたまま言葉を繋いでいく。

「袁家が何も言ってこないのも、大方お抱えの劉家の血をわずかでも持つ者でも用意しているんだろう。

 アタシ達は劉家に忠誠を誓い、劉家の命によって五胡から大陸を守る漢の防壁さ。

 そうある以上、劉家を蔑ろにしなければ何をしたってかまいやしない」

 遠回しに劉家の敵となった者に容赦をしないことを語りながら、馬騰殿は語り続ける。

 そして最後に俺を指差し、首を振る。

「けど、あんたは違う。

 天から降りてきた二つの星たるあんた達は、この国にも、皇帝にも縛られることはない。

 なぁ、赤の遣い殿よ。

 あんたはこの大陸に舞い降りて、何を成すんだい?」

 心臓を射ぬかれるような言葉、こちらを見透かすような内容。

 かつての俺なら動揺し、ありのままに語って飲まれていただろう。

 だが、今は違う。

 踏んだ場の数が、向かい合った人の数が、そして・・・ 王たる彼女を見てきた俺が動揺することはない。

 答えない俺に対して何故か嬉しそうに口角をあげ、馬騰殿はさらに言葉を続けていく。

「白の遣いと劉備殿は、その思想こそ幼いがしっかりと答えを出そうとしていることがわかる。

 だが、あんたは違う。

 いいや、正しくはあんたの主である曹操は違う。

 周囲に隠すこともない志を抱き、才ある者を集め、地盤を固めるがごとく、一つずつ確実に事を成し、挙句先の乱では側近から英雄すら生まれさせた。

 この軍がこの先において何もしないなんて、諸侯の誰も思っちゃいない。

 なぁ、英雄殿よ。

 一人の遣いは王として歩もうとしている中、あんたは何をするんだい」

 これが英雄・馬騰。かつて華琳が相見えることを願った、王たる存在。

 その気持ちが今、少しだけわかった気がする。

 俺が何をするか? そんなことは決まってる。

 降りてきたその日から・・・ その前から、俺が見たいものは一つだけ。

「私はただ、我が主・曹孟徳に従うのみ。

 この世に降りて彼女から名を貰ったその時から、私は何があろうとその背を支え、守ることを誓いました」

「へぇ・・・

 白が万民の幸福へと目を向けるのに対し、あんたはただ一人へと忠を尽くすってかい?」

 挑発するような馬騰殿に、後ろからは若干怒気を感じるがそれにかまわずに俺は頷いた。

「えぇ。

 万民の幸福も、この大陸の未来(さき)も・・・ そして私達の幸せも曹孟徳の歩みの先にある。

 私はそれを誰よりも・・・ 再びこの地へ舞い降りてしまうほど、見たかったんですよ」

 俺の言葉に馬騰殿が嬉しそうに笑ったが、その口が言葉を紡がれる前に大きな音が響く。

 

「何だよ! それ!!」

 

 それは馬超殿の怒鳴り声と、怒りによって振り上げられた拳に壊された机の発する音だった。

「母さんも! あんたも!

 袁家の企みも、全部わかってて参戦したっていうのかよ!!」

「お姉様、お願いだから落ち着いて!」

 怒りを露わにする馬超殿を宥めようと馬岱殿が立ち上がるが、彼女の怒りは先程まで言葉を交わしていた俺と馬騰殿へと向かっており、話を聞いてはくれないだろう。

「これ以上、黙ってられっか!

 袁家の茶番に振り回されて、いいように使われて! 自分達の保身のために動いて、罪のない董卓を殺したっていうのかよ!?」

 後ろに控える二人(白陽と季衣)に手出しは無用と合図を送りつつ、俺はただまっすぐな彼女の怒りを受け止めていく。

「あぁ」

「知らなかったのはあんたと、一部の馬鹿な諸侯ぐらいなもんさ。

 それと董卓は行方知れずってだけで、死んだなんて断定されていない。情報を自分の都合よく改竄するんじゃぁないよ」

「っんだよ・・・! それ!」

 俺達の肯定に対し、さらに怒りを露わにして彼女は拳を握りしめ、歯を食いしばっていく。

「だから母さんもあんたも、何もしなかったっていうのかよ!」

 『何もしなかった』

 そう、その通りだ。この連合で、俺は何も出来なかった。

 『英雄』という立場に縛られて、身動きもとれず、最後の最後に苦し紛れの賭けをした。

「何が英雄だ! 何が劉家への忠義だ!!

 そんな言葉を飾って、結局母さんもあんたも何も守りやしなかった!!

 何も変えようとも、何かを救おうともしないで! こんなところでこれからの話なんて欲をぶちまけて・・・・!!

 結局あんた達は自分のために袁家の茶番すら利用した、ただの悪党じゃないか!」

「あぁ、その通りだ」

 守りたい・救いたいと言って、全力を尽くすと言って、俺は何も出来なかった。

 だから俺は、彼女の言葉を受け止めるべきなのだ。

 愚直と言っていいほど真っ直ぐで、純粋な気持ちで言い放たれる言葉こそが民の思いの代弁だと感じたから。

「てめぇ・・・!」

「お姉様! 駄目!!」

 

 彼女の拳が俺に落ちるよりも早く、乾いた音が幕に響く。

 

「なっ・・・ 何すんだよ! 母さん!!」

 それは馬騰殿が馬超殿の頬を叩いた音であり、俺はただ静かに馬騰殿の背を見守る。

「じゃぁ、あんたは何か出来たのかい? 翠」

 俺に向けられていたものとは違う、冷たい声が重く響いていく。

「知ってて何もしようとしなかった母さんが言うのかよ!!」

「もう一度、わかりやすく言ってやるよ。

 何も知らないで槍を振るってただけのあんたに、英雄殿を責める権利があるのかい?」

「それは・・・!」

 怒気の孕んだ声に臆することもなく言い返していく馬超殿に対し、馬騰殿は変わらない。

「何でもかんでも饅頭みたいに二つに割れるわけじゃない。

 いい加減、それくらい覚えな」

「そんなことわかってる!」

「いいや、わかってないねぇ」

 拳が何かにぶつかる音がして、馬超殿がその場にうずくまり、頭を押さえているところから馬騰殿が彼女を殴ったことがわかった。

「いつまでも癇癪を起して喚く餓鬼のままでいるんだい、この馬鹿娘が」

「大人になるっつうことが全部を諦めることなら、こっちから願い下げだよ!」

 そう言って彼女は身を翻して、幕の出入り口へと向かう。

 が、何を思ったのか、その場で立ち止まり、まっすぐ俺を指差した。

「英雄、覚えとけ!

 あたしはあんたを認めない!!

 強い癖に、英雄の癖に、知っていたのに何もしなかったあんたを絶対に許さない!」

 いっそ心地よくすらある宣言を言い放った馬超殿は、俺の返事を待たずに幕を飛び出していく。

「お姉様!

 あぁもう! 叔母様ももっと言葉があったでしょ?!

 どうして、お姉様にだけあんなにきつくなっちゃうかなぁ!」

「・・・ふんっ、さっさと追いかけな。蒲公英。

 それは副官の役目さ」

「本来は叔母様がやるべきことじゃん!

 叔母様とお姉様、どっちかが素直になれば済む話だっていうのに、この親子はーーーー!!」

 ひとしきり怒鳴った馬岱殿は俺に気づいたらしく、その場に屈んだと思ったら、その姿勢は想定外のものだった。

 三角を作るように揃えた手の間を拳大ほどの間を開け、足は膝から下をべったりと地面につけてそのまま座る。そして、腰から上を先程揃えた手へとぴたりとくっつけるようにして深々と頭を下げる。

 そう、日本でも有名な土下座である。

 馬岱殿の思わぬ行動に、『あっ、こっちにも土下座ってあるんだ』とか阿呆なことを考えたのはひとまず置いておき、俺は彼女へと視線を向けておく。

「本当にすみませんでした! 英雄さん!!

 お姉様は馬鹿だけど、本当に馬鹿正直でまっすぐで考えなしですけど・・・ でも、悪い人じゃないんです! ただその・・・」

 ・・・別に俺、怒ってないんだけどなぁ。

「頭をあげてください、馬岱殿。私は全然怒ってませんから。

 それどころか、救われてすらいるんですよ」

「え・・・? 救われたって、どうしてですか?!

 だってお姉様、かなり言いたい放題言いましたし、もっと言うならこの場で斬られても・・・」

 流石に英雄にも領主の娘を斬る権利とかはないと思ったが、それもひとまずは置いておき、土下座する彼女の肩を叩いて俺は視線を合わせる。

「私は実際、『英雄』という立場に縛られて、何も出来ませんでしたから」

 理解しているからこそ、皆は俺を責めてはくれない。

 俺自身が納得していなくとも、今回の結果を上出来だと言ってくれる。

 でも俺は、誰かに面と向かって指摘してもらいたかったんだろうな。

「私は自分が何も出来なかったことを、誰かに責めてほしかったのかもしれません」

「英雄さん・・・」

「だから、馬岱殿が気にすることもありませんし、頭を下げる必要もないですよ」

 俺が告げれば、馬岱殿は何故か頬を赤らめてぼんやりと見つめた後、頭をぶんぶんと降って、頬を叩く。

「うっわ・・・ この人ヤバい。

 人としての器が違うっていうか、何なのこの安心感?!

 って! そんなこと考えてる場合じゃないーーーー!」

 何やら俺に聞こえないぐらい小さく且つ凄く早口で言われたので内容は理解できないが、焦ってることはよくわかった。

 だから、彼女の手を取って立ち上がらせ、わずかに埃のついた足元や手を払ってあげる。

「どうか、彼女を追いかけてあげてください。

 気持ちが荒れてる時、心許せる人が傍にいるだけで景色は全然違って見えるものですから」

「あ、ありがとうございます・・・」

 だから、なんで頬を染めるんだろうか?

 地面に強く押し付けてたわけじゃないと思うけど、馬騰殿と馬超殿に怒ってたからか?

「それじゃぁ私はこれで、失礼します!

 叔母様! 英雄さんに失礼のないようにね!」

 そう馬騰殿に言い残して去っていく馬岱殿を見送り、馬騰殿は溜息を零した。

 



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59,西涼の狼 後編

この前に、前編を投稿しています。


「すまないね、ウチの娘が」

 馬岱殿が去った後、馬騰殿は頭痛を堪えるように頭に手を当て、首を振る。

「いいんですよ。

 彼女は何も間違ったことを言っていませんし、真っ直ぐで正義感のある娘さんじゃないですか」

 他の陣営から見れば、俺が行ったことなんて無に等しい。

 しかも正式には『英雄』が成した戦線の維持と民の保護も、実際は牛金が行ったことであり、俺自身が行ったことではなかった。

「あぁして、直接誰かに物申せるのは一つの才能ですしね」

「あんなの才能なんかじゃないさ、ただ青いのさ」

 そう吐き捨てる馬騰殿にこっそりと溜息を吐いていると、見慣れた紅梅色の髪が視界へと映る。

 えっ、舞・・・

 訪れるとは思っていなかった彼女の突入に、俺は呆気にとられて声も出なかった。

「まったく、浅葱は相変わらずね。

 そんなんじゃ、娘を成長させるどころか、むしろ成長を止めちゃうわよ?」

「ハッハッハ、ちょうどいい所に来たねぇ。舞蓮。

 あんたの一番の上の娘を戦場で見かけたが、あんたそっくりすぎてどういう子育てをしたか気になってたんだよ。

 さぁ、是非詳しい話を聞かせてもらおうか」

 互いに満面の笑みのまま、静かに睨みあう二人に俺は頭痛を覚え、頭を押さえてしまう。

 もう舞蓮に対して『どこにいた』とか、『いつ来た』とかという問答は無駄だからしようとは思わない。それに馬騰殿は舞蓮が生きてることを知ってるから構わないし、それどころか舞蓮は殺しても死なないとすら思っている節があるように感じられる。

 だから、かまわない。

 けど、今この瞬間に乱入しようとした理由を半刻ほどじっくりと問い詰めたい。

「あら、私は別に特別なことはしてないわよ?

 あの子が馬鹿なのも、戦闘狂なのも、全部あの子自身が選んだことだし、自分で作っていった性格だもの。

 親が過剰に口出しして子どもの性格を作るのも、道を用意するのもおかしな話じゃない?」

「そうやって放っておいて、もしものことがあったらどうすんだい。

 自分がした苦労を、わざわざに子どもに経験させるこたぁない。その上で自分の知ってる全てを子どもに託して何が悪い?

 その上で選ぶのはあいつ自身であっても、どうしても背負わなきゃいけないものはあるもんなんだよ」

 そんな俺の心境を察することもなく、それどころか見もせずに口喧嘩を始める二人は互いに一歩も引こうとはしない。

 むしろ言葉を交わすごとに距離は縮まっていき、次の瞬間には額同士をぶつけ合った。

「何よ、それ。

 義務も、経験も、やりたいことも、私達()が見つけてやることなんかじゃないわ。

 自分の力でぶつかって、勝ち取って、途中ですっ転ぼうが、川を泳ぐことになろうが、その果てで見つけたものにこそ価値があるんじゃない。

 親に導かれなきゃ歩けない人生なんて、何のための人生よ?

 他人に押し付けられた信念なんて脆くて頼りないものに縋るより、何に汚れようとも自分の中で打ち立てた信念こそ背中を預けられるもんでしょうが!」

「アタシ達の立場は途中で放り出していいもんなんかじゃないってことぐらい、馬鹿なあんたにもわかるだろう。

ましてや、アタシ達が行うことには責任も、犠牲もついて回るんだ。

 娘が馬鹿みたいな失敗をするのを防ぐべきだし、その命一つでどれだけ多くのことが左右されるかを考えたことはあるのかい?

 すっ転んでも、泳いでもなんて言うが、その背についていった奴らの命ものせてるアタシらの立場に、そんなことは許されないんだよ!」

「そもそも私は、あんたの親の立場や責任をそのまま娘に受け継がせるっていうのが気にいらないって言ってんのよ。

 あの子達の人生はあの子たちの物。

 人生っていうのは、誰にも縛られないで自由であるべきだし、自分で選ぶものよ!」

「そう言うお前も、娘たちに随分重たいものを背負わせてるんだろうが!

 大体、その自由の果てにあんたが押し付けた物をどう説明する気だい?!」

「いいえ、背負わせてなんかいないわ。

 一番上の娘も、二番目の娘も、ちょっと奔放な三番目も、全部やりたいようにやってるもの。

 好き勝手するって決めた娘も、勝手にやり遂げるって決めた娘も、まだまだ道を決めない娘も、ぜーんぶ自由よ!」

 二人の言葉は途切れることもなく続いていき、俺はおもわず溜息が零れる。

 教育に非常に熱心な馬騰殿と放任主義の舞蓮。

 正反対の二人の教育論はどちらも間違いとは言えないが、お世辞にもどちらも娘とうまくいくとは思えなかった。

 現に蓮華殿は舞蓮の自由さで苦労しているし、馬騰殿と馬超殿は間に入っている馬岱殿が苦労しているということはさっきのやり取りで一目瞭然。

「兄ちゃん、頑張って」

「ありがとう、季衣」

 季衣に励まされつつ、いい加減止めに入るために俺は二人の間に立った。

「非常に興味深い話ではあるんだけど、娘の教育論は他所でやってくれないか? 二人とも」

 間に手を入れて距離を取らせつつ、二人は俺の方を睨んで矛先を俺へと向けようとしている。

 一瞬、ヤバいかもなぁと思ったが、背後に立ったまま無言を保っていた白陽が動いてくれた。

「そこの虎はとりあえず捨て置くとして・・・ 馬騰殿、あなたはここをどこだかわかっていますか?

 この場はけして・・・」

 が、白陽の言葉を最後まで聞くこともなく、二人はほぼ同時に不思議そうな顔をして首を傾げた。

「「()っ? 将来の夫の幕だけど(だが)?」」

「ほぅ・・・」

 一見は普通に返し、怒りを見せないようにしているけど、確実に怒ってるよな? 白陽。

 言った当人たちも、『何であんた(お前)も言ってんのよ(るんだ)』と言わんばかりにまた睨みあいを始めてるし・・・

 ていうか舞蓮はわかってたけど、どうして馬騰殿にまで言われるんだ? 俺、別にこれといったことしてないよな? 病気の件だって俺がしたことじゃなくて華佗がしたことだし。千里殿に『女狼だから』とか注意されたけど、好意は向けられても恋愛感情を向けられる心当たりがないから大丈夫だと思ったんだけどなぁ・・・

「兄ちゃん、もってもてだねー。

 僕も兄ちゃんのこと、だーい好きだよ」

 疲れた顔をしている俺へと満面の笑みで抱き着いてくる季衣に癒されつつ、二人も優しい目を季衣へと向けていた。

「はぁ・・・ なんか毒気が抜かれちまったよ」

 馬騰殿は季衣の頭を撫で、一つ大きく息を吐いて、そんなことを口にする。

「あら、よかったじゃない。

 私に感謝しなさいよ」

「あんたじゃぁないよ。

 まったく、あんたは・・・ 死んだと聞いてこっちは清々してたってのに、生きてやがった挙句、赤の遣いのところに居座ってる?

 相変わらず、やることなすこと憎ったらしいったりゃありゃしない」

 そんなことを言っているのにも関わらず、馬騰殿の表情はどこか嬉しそうに笑んでいて、舞蓮の肩を拳で軽く叩く。

「それはお互い様でしょ?

 あんたのことを私が噂程度でしか知らないとでも思ったら、大間違いなんだから。

 私もあんたのクッソ真面目で頑固な所が、中央に居た頃から大っ嫌いだったし。

 ホント、あんたと私を真逆の位置に左遷した王允の糞爺にそれだけは感謝してるわよ」

 舞蓮も同じように馬騰殿の肩を叩き、馬騰殿はわずかに笑って背を向けた。

「ふんっ、それはこっちの台詞だよ」

 舞蓮に対してそう吐き捨てつつ、馬騰殿は出入り口の前で止まって俺へと視線を向ける。

「じゃ、邪魔したね。英雄殿」

「いえ、こちらも有意義な時間を過ごせましたよ」

 情報交換も、馬超殿の真っ直ぐな気持ちも、漢を守る西涼の英雄と言葉を交わせたことも全部。

「迷惑ばっかりかけちまったってのに、そう言ってもらえると救われるねぇ。

 それじゃ、アタシはこれで失礼するよ」

 そう言って幕の外へと歩み出した馬騰殿は何かを思い出したのか足を止め、こちらを振り返ることもなく問う。

「あぁ、そうだ。

 この軍に新しく入ったって噂の、将の名はなんてんだい?

 確か張遼と徐庶、賈詡・・・ それと・・・」

「徐晃と申します。

 なかなかの逸材を拾い、我が主も大層喜んでいましたよ」

「そう、かい・・・

 アタシも縁あってそいつのことを少しばかり知ってるが、穏やかな癖におっそろしいほどの強さをもった奴だ。

 あんたなら心配はないだろうが、大事にしてやっておくれ」

 俺の簡潔な答えに対して返された言葉は、少しだけ嬉しそうに聞こえた。もっとも、俺の気のせいかもしれないが。

「えぇ、我が主は才ある者を愛し、尊びます。

 彼女の才能もまた、我が主の元で光り輝くことでしょう」

 俺の言葉に彼女は返すこともなく、ただ黙って右手を振り上げて去っていった。その後ろ姿が完全に見えなくなったことを確認してから、俺は苦笑してしまう。

「本当に、敏い方だな」

 おそらく馬騰殿は月殿達と何らかの交流があり、武のことも含めて知っていたのだろう。

 俺がしたことまではわかっていなくとも、彼女が生きているかもしれないという望みをかけて、俺に鎌をかけた。

「いいのですか? 冬雲様。

 仮にこの事を外部に漏らされれば・・・」

「仮に漏らされても誰も信じないし、あの人はそんなことしないさ」

 心配する白陽の頭を撫でつつ、俺は幕へと戻る。

「さぁ、戻るまで復興作業へと従事するとしよう。

 舞蓮はいてもかまわないけど、あんまり周りを怒らせるなよ?」

「わかってるわよー。

 私は冬雲と居られれば、それでいいんだから」

 注意しているにもかかわらず俺の背中にくっついてくる舞蓮に、反省の色はなかった。

「虎、あなたは元の幕へと戻ってもらいます。季衣殿」

「はーい。

 報告ついでに舞蓮様も連れていきまーす」

 流石にキレた白陽によって舞蓮が半強制的に追い出されることが確定し、季衣が軽々と肩に担いでいく。

「では、冬雲様。

 また後ほど書簡と共に戻ってきますので、わずかな時間ではありますがごゆっくりおくつろぎください」

 最後にそう言い残され、俺は言葉に甘えて、書簡地獄直前の余暇を楽しませてもらうこととなった。

 




とりあえず、本編も一段落したので次は白へ。
来週は白と、祭りの番外を投稿できたらと思っています。


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60,義姉妹 会談? 【風視点】

一日遅れの投稿、本編は久しぶりですね。


会談するつもりでした!
会談するつもりでした・・・・


「おい、風!!

 白蓮嬢ちゃんが・・・・ぐべっ?!」

 足がないも関わらず、慌ただしい音をたてながら風の幕へと入ってきた闖入者に、硯を投げつけてから振り返れば、そこには地面と熱い抱擁を交わす宝譿が落ちていました。

「いや、『足がないにも関わらず』の時点で俺ってわかってたよな・・・?」

「風には何のことだかさっぱりですよ、宝譿。

 女性の幕に入る時は、幕の外から一声かけるのが常識だと思うのですよ」

「相棒なのに?!

 あの時、もう一人の自分って言ってくれたのに?!」

 風が落ちた宝譿に膝を曲げて伝えれば、落とされたことなどどうとでもないかのようにその場から立ち上がり・・・? 起き上がり・・・? 浮き上がり? とにかく復活しましたねぇ。

 流石、普段星ちゃんと渡り合っているだけはありますねぇ。以前よりもずっと宝譿が頑丈且つ、逞しくなってくれたのですよ。

「過去は過去なのですよ~。

 風達は変わった今を、これからの未来(さき)を見つめていくのです」

「言ってることはカッコイイけど、それってどういう意味?!」

 拳を握って精一杯キリッとした表情をすれば、風の袖を引きつつ必死になる宝譿が少し可愛い・・・ なんてことはありませんねー。

 はぁ、やはりからかって面白いのはお兄さんが一番ですし、風も早く華琳様達の元に行きたいのですが・・・

「そうもいかないんでしょうねぇ・・・」

 この後ある話し合いの一件も勿論ですが、今後もあれやこれやとやることは山積みですしねー。

 白蓮ちゃんと赤根ちゃんが現実を見てくれていることが幸いしたのもありますが、想定外でしたけど白蓮ちゃんと華琳様の間に明確な縁が出来たのはある意味好都合だったのですよ。この縁によってあの件は他に知られることなく、且つ自然に繋がりを持つことが出来ますからねぇ。

 星ちゃんをお兄さんに会わせないように画策したりもしましたけど、それも時間の問題でしょうねぇ・・・ まぁ、そうわかっていても風や稟ちゃんが満足に会えていない現状、星ちゃんをお兄さんに会わせるなんてことはさせませんけどね~。

「風、黒い考えが出てる?! 口に出てるから!」

「ふふふふ・・・

 風達が居ない間に桂花ちゃんを始め皆さんがいい思いをしているかと思うと、本当に羨ましくて妬ましいのですよ☆」

 勿論皆さん好きですし、憎むことはありませんけどねー。

 それでも羨ましいものは羨ましいですし、この想いはもう別次元の感情なのかもしれませんねぇ。

「だからってよー、司馬の嬢ちゃん達にあんな書簡もたせなくてもよかったんじゃね?

 誰が見てもビビるだろ、あれは」

「う~ふ~ふ~。

 風としては最近デレの激しい桂花ちゃんか、秋蘭ちゃんが最初に見ることを期待するのですよ~」

 交代で筆を執ってくれるのは嬉しいんですけど、自慢やら惚気やらが混じってちょっとイラッ☆とくるのですよ。

「だからって、『狡い』のみを書簡いっぱいに書くのはこえーよ!」

「・・・お兄さんに会えない想いをこじらせた、可愛い嫉妬ということで~」

「旦那なら苦笑した挙句抱きしめるだろうが、普通はそうは思わねーからな?

 つーか、こじらせたって自覚あるんじゃねーか!」

 宝譿の言葉を聞き流しつつ、白蓮ちゃんと合流してからそのまま華琳様のところへ行けるように書簡を用意しておきます。今回の話はいろいろと用意しなければなりませんし、あちらとの連携が必須ですからねぇ・・・

「聞けよ?!」

「それで白蓮ちゃんのところで何かあったんでしょう?

 あまりにも地味すぎて、ついに背景と一体化しましたか?」

「どんな世界だよ?! 流石にそれはねーよ!

って、そうだった! 白蓮の嬢ちゃんがやべーんだよ!

 とにかく、幕に行った方がはえーから今から行くぞ!!」

 ヤバいという割には風のおふざけに悪乗りしてましたけどね~と口にする前に、風の襟を掴んで引っ張っていきます。

 おぉ~、宝譿の重量の限界を試したことはありませんでしたが、まさか風が宙に浮く日がこようとは・・・ 風は今、大陸で初の経験をしているのですよ。

「風!? さっきから返事がねーけど、おかしな感動してないか?!」

「気のせいですよ~」

 足が地面に接触しないように直立不動を心がけて、風は白蓮ちゃんのところへと引っ張られていくのでした。

 

 

 

「白蓮嬢ちゃん! 早まってねーだろうな!?」

「縁起でもないですねー、宝譿。

 それじゃぁまるで白蓮ちゃんが首吊りでもするみたいじゃないですかぁー」

 風を引っ張ったままの状態で幕へと突入する宝譿の第一声に文句を言いつつ、幕を覗いてみれば、そこには今まさに首を吊ろうとしている白蓮ちゃんの姿が映りました。

「はぁ・・・」

 馬鹿なことをしでかそうとしている白蓮ちゃんに風は一つ溜息を吐いてから、懐から護身用の小さめの弩を取りだして、浮いていた宝譿を番えてから一切の迷いもなく射出しました。

「あい・きゃん・ふらーーーい!!」

 飛びながらも風の知らない言葉を叫ぶ余裕がある辺り、宝譿の図太さにはびっくりですねー。

 いつの間にやら縄の切断用に刃物を持ってますし、ぶっちゃけ縄を先端の鉄片だけで切断とか出来ませんから。秋蘭ちゃん辺りは平気でやってるますが、縄の強度を見直すことも考えておきますかねぇ。

「あーんど! かっと!!」

「ぎゃっ?!」

 縄が切れる音と、今まさに縄に首をかけようとしていた白蓮ちゃんが派手に地面と接吻を交わしていますが、風はそれにかまわず白蓮ちゃんを見下ろしました。

「白蓮ちゃーん、宝譿に引っ張られて来たら突然首吊りなんて言うお馬鹿なことをしていた説明をしてほしいんですがー」

 指で白蓮ちゃんの髪をツンツンしつつ周囲を見渡しますが、原因となりそうなものが見当たらないんですよねー。

 机と着替え等の入った籠、立てかけられてる剣と書簡ばかりが置いてあるという、なんて言うか色気の欠片もなくて地味且つ欲のない幕ですから、原因となるものがあればわかると思ったんですけどねぇ。

「それもそうなんだけど、私から風に一つ聞いてもいいか?」

「なんでしょー?」

「さっきの弩の腕前、何?

 ていうか、矢じゃなくて宝譿飛ばすとか何なの・・・・?!」

 この状況下でそっちについて触れてくる辺り、白蓮ちゃんの神経も太いですよねー。

「女三人の旅でしたから、星ちゃんだけの腕では足りない時というものはあるのですよー。

 矢は枝を尖らせれば簡単に作れますし、宝譿なら多少無茶に扱っても壊れませんからねー」

 むしろ風としては、意外と腕の立つ上に領主としての仕事をもこなせる白蓮ちゃんの方がおかしいと思うんですけどねー。

 以前の王たちは華琳様も含め、必ずどちらかを不得手としていましたし。地味と言われる割にはなんでも出来るんですよねー。

「それで白蓮ちゃんはどうしてあんなことを~?

 なんというか白蓮ちゃんらしくない無責任な行動で、風は少しばかりおこなのですよ~」

 宝譿も大変とか、急いで来いと言うばかりで理由やら原因やら一切言ってませんでしたしねぇ。

 風の考えたことがわかったのか、宝譿が地面からようやく這い出てきて風の隣へと浮かびました。

「あ~・・・ それは・・・」

「話を聞いてない風が考えられる可能性を言うのなら~。

 あっちこっちで印象の強い諸侯や将の方々を見て、自分の地味さに嫌気がさしたとか、はたまた婚約者から一方的に婚約破棄をされたとかですかねぇ?」

「風!

 言葉にオブラートつけてやれよ?!」

 おぶらーと? って何でしょう?

 表現的には優しくしてやれって言われてる気もしますが、可能性としてあげられることってこれぐらいなんですよね~。今回の連合で将の顔は一通り確認していますし、宝譿を使って情報を集めたりしましたが、以前より豪華すぎて驚かされたものでしたよ。

「うぅ・・・ うわーーーーん!」

「泣かれても困るので、状況説明を~」

 泣きだす白蓮ちゃんを宥めつつ、白蓮ちゃんは大粒の涙をこぼして叫びました。

 

「だってだって・・・ 樟夏殿は、樟夏殿は義理の弟と愛し合ってるんだ!」

 

「わー・・・

 なーに、馬鹿なこと言ってんでしょう。この子」

「口に出てんぞ、風」

 白蓮ちゃんのその発言で何が原因なのかがはっきりとわかりましたが、なんというか・・・

「華琳様の実弟であり、お兄さんの義弟が男とイチャイチャするわけないじゃないですか」

「そこかよ?!」

「いや、華琳様の弟というだけなら同性愛の可能性は十分ありますけど、お兄さんの義弟ですよ?

 まして、初対面の相手に運命とか口走るような人ですしね~」

 宝譿からツッコミが入ったりもしてますが、風はあの物語が華琳様の行っている資金調達の手段の一つであることも知っていますからねぇ。娯楽を生み、経済を回し、ひとときであれ争いを忘れることは民の気分転換にもなりますし。

「ところで宝譿、どうして今更あの本が白蓮ちゃんの手に?」

「いや、一般兵が読んでたのを覗いちまったみたいでよー」

「はぁ、結構前から普及していた空想の産物ですよ。白蓮ちゃん」

 宝譿に確認したのち、風は白蓮ちゃんに溜息を吐いてしまいました。

「で、でも!

 もし、これが本当だったら私は・・・」

「いや、ありませんって~。

 大陸で同性愛は至って日常的なことではありますが、桂・・・ あの荀彧の甥っ子ですよ~?

 性格に何らかの難があっても風は驚きませんし、華琳様の弟が男色家であるなら物語にされる以前からもっと話題にされているでしょうからね」

 問題の物語を手に風に詰め寄ってくる白蓮ちゃんを落ち着かせようと言葉を並べれば、何故かさらに思いつめるような顔になるのは何故でしょうー?

「荀家、か・・・

 名家同士なら男同士であろうと婚姻は許される・・・

 が、子は残さなければならないから私と婚姻したのかな? こんな私よりも彼には相応しく、想いあう人がいるんだ・・・・」

「うわっ、めんどくせぇ。この恋愛初心者の地味っ子」

「風、お口チャック!!」

 立場とかを言い出したら、野から湧き出て来たようなお兄さんと華琳様なんて釣り合うわけがないんですよねー。

 立場なんてものは所詮大陸に立った各々が成してきたことでしかなく、多くの者に言葉を飾られた偶像の自分ともいえますし。そんなものを気にしてたら、今のお兄さんはともかくかつてお兄さんと結婚なんて出来っこありませんからねー。

「そんなに白蓮ちゃんが不安なら、これから不安の原因を作ったご当人でも呼んで熱い接吻の一つでもしてもらいますかね~?」

「☆%#$&?! そ、そそそそそそんなことできるわけないだろ!?

 仮にこれが虚偽でも、真実であっても、まだ所詮は婚約者でしかないんだぞ?!」

「そんなこと言ったら、恋人止まりであれこれしてた風達って一体何なんでしょうねー」

「むしろ片っ端から手を出してる華琳嬢ちゃんの方がやべぇな」

「まぁ、どのみちこの後あちらとの話し合いの場があるので、嫌でも曹洪さんに会うことにはなるんですけどねー」

「あ、会うのが嫌とは言ってない!」

 ならなんでそんな些細なことを心配しますかねぇ、この子は。

 内心で零れる溜息を飲み込みつつ、白蓮ちゃんにあれこれ用意させてから風達は華琳様達の元へと向かいました。

「さっ、行きましょうか。

 お兄さんといちゃつきに」

「話し合いだよ?!」

「あと、白蓮嬢ちゃんのことはいいのかよ?!」

 

 

 

 そして今、つい先程これからのことについて無事話し合いが終わり、風はひたすらお兄さんといちゃついているのですよー。

「いや、話し合えよ?!

 つーか、話し合いが終わる前からずっと旦那の膝に居ただろうが!!」

 外野からツッコミが入りますが、お兄さんのお膝の上で腕を抱きしめて甘える方が重要なのですよ。

「お兄さん、お兄さん」

「何だ? 風」

 風が呼べば、目元を緩ませたお兄さんが優しく風を見下ろしてくれます。

いいですねぇ~、実に素敵な光景なのです。

「呼んでみただけなのですよ」

「甘えん坊だな、風は」

「聞けよ!! そこのバカップル!」

「そうよ、風!

 久しぶりだからってアンタ、冬雲との距離が近すぎるのよ!! 少しは遠慮しなさい!」

 おや、ツッコミが一人増えましたね。

 風が渋々視線を向ければ、そこにはお冠状態の桂花ちゃん。そして、書簡を届けてくださる司馬家の長女さんが笑顔のまま立っていました。

「いいじゃないですかー。

 桂花ちゃん達がいつも独占しているんですし、こういう時ぐらいは」

「こっちだって、そいつと二人きりになることなんて滅多にないわよ!

 どっかの馬鹿が拾ってきた虎だったり、最近増えた断頭姫だったりの所為で元々多くない機会がさらに減ってて、夜に部屋に突入するか、機会作って予定組むぐらいしかないのよ!!」

 おーおー、桂花ちゃんが桂花ちゃんと思えないぐらい積極的ですねー。

 というか、競争率が現段階で随分あがってるようですねぇ。今回、星ちゃんをお兄さんに会わせないようにしたのは正解かもしれません。

「つーか、白蓮嬢ちゃんはどうでもいいのかよ?!」

 宝譿の言葉に頭の隅に追いやっていた白蓮ちゃんの方を見れば、さっきの話し合いまで隣にいた筈の白蓮ちゃんがいませんでした。何やら幕の隅で足を三角にしてブツブツと言っていて、その様子を心配そうに曹洪・・・ いえ、樟夏殿が問いかけていますが、風は宝譿にとてもにこやか顔で笑いかけました。

「風はお兄さんといちゃつくのが忙しいので、出来ません☆」

「うおぉぉーーーい!?」

「というかー、話せば解決なのに無言を貫き通したり、本人の話を聞かずに思いつめるとか馬鹿じゃねーの?

 というのが風の本音なのです☆」

 風の容赦のない言葉に華琳様と司馬の方が笑い、お兄さんが風の上で苦笑した気がしますが、風は気にせずお兄さんへとすりすりを実行します。

「そんなことをしていないで、好きなら好きと言えばいいんですよー。

 言葉を声に、行動を実行に。

 不安なら不安と言うことこそが、想いが繋がる第一歩なのです」

「白蓮殿、何を不安に思っているのですか?

 私に、あなたの不安を消すことは出来ませんか?」

 風がそう言えば、樟夏殿が白蓮ちゃんに話しかけていますが、風の前で浮いていた宝譿が突然錐を使う時のように回転しながら樟夏殿の所へと突貫していきました。

「テメーの所為だ!! このホモ野郎!」

「ごはぁ?!

 ほ、『ほも』とはなんです? 私が原因とはまたどういう・・・」

 胸の中央に突貫し、樟夏殿の体をくの字に曲げてから宝譿は手を組んでお説教体勢になっていますねぇ。

「八百一本の事だ! ボケェ!!」

「なっ?!

 あれに関しては、事実無根で・・・!」

「言い訳する相手が俺じゃねぇだろうが!!

 テメーの大事な人不安にさせたり、泣かせたりしてんじゃねぇ!」

 ・・・あれはどこのおやっさんでしょうかー。

 風はおやっさんを頭に載せてたつもりはないんですけどねー。

「風」

 お兄さんの優しい声に上を向けば、苦笑したお兄さんがいました。

 その言葉と表情だけで何を意味しているのかが分かったのですが、風は首を横に振ります。

「まだまだ、お兄さん成分が不足しているのですよー。

 もう少し溜めるのでこのままで~」

「はいはい。

 俺も風の成分を溜めとくよ」

 お兄さんの嬉しい言葉と頭に触れる優しい手に目を細めていると、稟ちゃんから頼まれたあることを思い出して、再度お兄さんへと視線を向けました。

「どうかしたか?」

「お兄さん、ちょっと髪を貰ってもいいですかね?」

「髪? 何でだ?」

「お兄さんに会えず、寂しがっている稟ちゃんにお土産を渡したいのですよー。

 人手の足らないこちらの陣営で、稟ちゃん達まで幕を空けるわけにはいかなかったのでー」

 まぁ、勿論それだけではないんですけどねー。

 星ちゃんの足止めをしつつ、二人には幽州に帰るための準備を頑張ってもらっているのです。今頃は幕で星ちゃんが文句を叫んでいるでしょうが、そんなことは風の知ったことではありませんねー。

「んー・・・

 流石に髪だけっていうのもあれだし、一筆書くからちょっと待ってくれな」

 腰に差してある小刀でやや伸びていた後ろ髪を躊躇なく切って紐でまとめ、影から出てきた子が渡した一本の書簡にさらさらと書いて、乾くのを待ってから風へと手渡してくれました。

「稟ちゃんがはしゃぐ姿が今から見えるようですよ~」

「喜んでくれるなら俺も嬉しいけど、風も自慢はほどほどにな」

 自慢をしないという選択肢はありませんが、稟ちゃんに良いお土産も出来ましたし、戻ったら星ちゃんを弄り倒すとしましょうかね~。

「樟夏・・・ その、ありがとう」

「い、いえ!

 私もその・・・ あなたとしたかったので・・・」

 なんか幕の隅から初々しい恋人たちのやり取りがあったような気配がしますが、見ないフリなのですよー。大方、初めての接吻でも成功させたんでしょうしねー。しかも白蓮ちゃんの頭の上で、何故かやり遂げたような顔をしてドヤ顔している宝譿なんて見えません。えぇ、見えませんよー。

「では、華琳様。

 あちらも解決したようなので、風達はそろそろお暇するのですよ」

 名残惜しくもありますが、お兄さんをこちらから引き抜いて連れ帰るのは出来ませんし、次にやることがある以上は風が幽州に戻らないということも出来ません。

 はぁ、仕方ないんですけど、やっぱりお兄さんと会えないのは嫌ですねぇ。

「えぇ、ご苦労だったわね。風。

 あれが終わってから、樟夏をそちらに送るわ」

「正直、いらないのですよー」

「何、勝手に断ってんの?!

 いるよ! 超重要だし、いなきゃ困るからね?!」

 風の言葉に初々しい恋人達空間から白蓮ちゃんが抜けだしてツッコミを入れますが、風は全然気にしません。

「さて、お兄さんのお膝ともまたしばらくお別れなのです」

 そう言いつつ降りれば、お兄さんも少し寂しそうに目を細めて、風の頭を撫でてくれました。

「あぁ、またな」

「・・・あーっと、風としたことが一つだけ重要なことを忘れていました。

 というわけでお兄さん、お耳を拝借」

 我がことながら酷い棒読みですが、お兄さんは少し驚いて風の顔の近くへと顔を近づけてくれました。

「ちょっ、風! アンタまさか・・・」

 なんか一部の方々が察して動き出した音がしますけど、もう遅いのですよ☆

「はい、お兄さん。忘れ物です」

 近づいたお兄さんの頬に接吻をして、迫ってくる桂花ちゃんから逃げるように幕の出口へと向かいます。

 ちょっとだけ振り返って見えたのは顔を染めつつ幸せそうに笑うお兄さんと『あの子らしい』と言わんばかりに笑う華琳様、そして凄い形相で追いかけてくる桂花ちゃんと丁寧に礼をして幕を後にする白蓮ちゃんでした。

 そんな様子を見た風は走りながら、ついつい笑みがこぼれてしまいました。

「あぁ本当に・・・ 楽しいですねぇ」

 




しませんでした!

次も本編を予定しています。


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61,桃園にて 始まりと終わりを告げる者 【××視点】

宝譿ではありません。

シリアスにしました・・・
シリアスにしました!


 赤と橙、鮮血の赤とも違う眩さすら覚える炎の輝きと、その炎に包まれる洛陽がありありと見える桃の木に囲まれた四阿に、一人の老人が座していた。

「あぁやはり・・・ ここからは洛陽がよく見える」

 ただ事実を言っただけとでも言わんばかりの、情が籠った様子のない言葉を零し、老人は卓に置かれた四つの盃に酒を注いでから、自分の最も近くにあった盃を左手で弄ぶようにしてから口へと運ぶ。

 酒を口にしてなおも深く険しい皺の刻まれた顔は緩むことはなく、老人はただ燃える洛陽を見下ろしていた。

「役目は果たしてきたようだな、張譲」

「はっ」

 視線を変えることなく私へと言葉を向けられた老人・・・ いや、 霊帝様と共に五胡から大陸を守った四人の英雄である『不変の曹騰』、『不死の張任』、『不老の田豊』の一角である『不動の王允』は私の短い返事にわずかに頷き、私もまたいつものように王允様の後ろへと控えた。

「かつて曹騰が、『この場所から、洛陽が掴めるようだ』と口にしていた」

 黒衣を纏い、血の匂いをさせる私を気にすることなく、王允様は言葉を続けていく。

「私は不敬だと叱り、張任の阿呆は『どうせ掴むなら、胸がいい』などとほざき、田豊は『景色など遠くから見れば、そういうものだ』と切って捨てた。

 だが、奴はそんな私達を『夢がないな』と笑い、掴むと言ったにもかかわらず、包むように洛陽へと両手を伸ばしていた」

 笑うことも、過去を想うような素振りすら見せず、王允様は静かに右手を伸ばしていた。

「今なら少し、奴の言っていたことがわかる気がする」

 老いてなお英雄の残滓たる覇気を纏い、伸ばされた手はこの方が歩んできた道を語るように、それら全ては今まさに燃えている洛陽を守るために刻まれてきた物の筈だった。

「本当によろしかったのですか? 王允様」

 その問いかけにようやく王允様はこちらを向き、無言で問いかけてくる。

 だがそれは、私の問いかけがわからないからではない。

 私が言わんとしていることをこの方は理解し、その上でこうした視線を向けられる。

「洛陽を燃やし、政の中心たる場所を崩壊させ、中央の全てを再起不能として、よろしかったのですか?」

 私の問いかけに対して王允様は、洛陽へと伸ばしていた左手を握りしめた後、口元をゆるませられた。

 

「その言い方ではまるで、私がこの大陸を混乱に貶めた黄巾の乱を。そして、黄巾の乱から生じた火種を利用して反董卓の乱を機に洛陽の都を燃やし、尊きあの方も、この国でもっとも地位の高い場所にあった宦官達すらも灰塵へと帰したようではないか。

 なぁ? 張譲」

 

 悪びれることもなく言い放つ王允様の視線は再び燃え盛る洛陽へと戻り、桃の花が彩る洛陽の火を飽きることなく眺めていた。

 洛陽を守護し、霊帝様の言葉を民に届け、都を守る不動たる英雄と謳われたこの方の人生を費やし、同朋と共に守ろうとした場所が燃えていく様だというのに、王允様の顔に悲しみや後悔の感情は一切見られない。

「王允様、今のお気持ちを聞いてもよろしいでしょうか?」

 再び沈黙を破る私の言葉。

 いつもならば相手にされずに終わるのだが、珍しいことに王允様は視線のみをこちらへと向けられた。

「今日の貴様は、よく喋る」

「申し訳ございません」

 不興を買ったかと思いすぐさま謝罪するが、王允様は特に気にした様子もなく、そして想定外の言葉を続けられた。

「いつもならば、無駄に囀るなと言っただろうが・・・ かまわん。

 今日ぐらい、貴様の問いに応えてやろう」

「!?

 ありがとうございます」

 驚く私に対しても王允様は関心を示すことはなかったが、顎髭に手を当て、わずかに考えるようなしぐさをした。

「私の今の気持ち、か・・・

 ふむ、そうだな・・・」

 風に舞い盃へと迷い込んだ桃の花弁ごと酒を呷り、わずかに俯いた後、しばしの沈黙が場を包んだ。

 老いず、変わらず、動かず、死なぬ者。

 霊帝の元に集いし四人の英雄を称した言葉は、そのまま漢王朝を示すものであり、皇帝の存在そのものを謳ったものだと学者たちは囁く。

 大陸を守り、霊帝を支えた彼らにこそ相応しいと霊帝様が直々に贈られた名こそが四英雄だった。

「かつて自らの力を尽くして守護し、共に称された三名と共に青春というに相応しい時を過ごし、己が人生の多くをあの場所で送った。

 それが壊れる瞬間に立ち会い、自ら崩壊させることになろうとはな・・・・ あぁ、だが・・・」

 王允様はそこで言葉を止め、左手を口元に添えられる。

 一瞬、涙を拭っているのかと思ったが

「実に―――― 爽快なものだな」

 笑うことも、嗤うこともなく告げられた言葉に、私はただ静かに王允様の真意を知ろうと耳をすませる。

 今、この瞬間を逃せば、この方の言葉を、想いを聞くことはないのだろうから。

「これまでの全てを否定するような物悲しさと、あれほどまでに必死になっていた全てを崩壊させたという達成感と何とも言えぬ解放感・・・ あぁ、実に悪くない」

 目を細め、わずかに弧を描く口元がこの方の感情の表現の限界かのように、それ以上動くことはなかった。

 だが、心なしか声は弾み、かの地を見つめる瞳は揺らいでいるように見えたのは、私の見間違いかもしれない。

「ですが、王允様。

 都を焼き尽くす必要まであったのでしょうか?」

 貴重な文献や宝物は勿論、あそこには多くの価値あるものが集まり、それは物に限らず人材にしても同じだった。都に居を構える高位の者達は勿論、大商人と呼ばれるような者や技術者たちも多く存在した。

 だが、それら全てはこの方の掌の上で踊り、多くが消し炭へと変わった。

「あそこで燃える全ては、新時代の幕開けを飾る薪に過ぎん。

 張譲よ、貴様は私が何故こんなことをしたか、わからんようだな」

「はっ・・・」

 都丸々一つを『薪』と言い切る王允様に恐怖を覚えるが、この方にそれを口にしたところで『くだらない』と一蹴されることだろう。

「貴様に任せていた十常侍、その中に袁家と関わっていた者はどれほどいた?」

「袁家、ですか?」

 王允様率いる清流派と、私が率いる十常侍。

 大陸に広まるほどの険悪な関係すらも、この方が作り上げたものでしかなかった。

 それがこの方の描く思惑の一部でしかないことないことは薄々感づいていたが、突然出てきた袁家の名に私は問い返す。

「袁家の血縁者や支援を受けて推挙された者、あの都に居る高位の者の多くは何らかの形で袁家と関わるものが多い。

 それこそ袁家と対等な家格を持つか、あるいは袁家と対立する道を選ぶ者以外のほぼ全てが袁家の息が掛かっていると言っても過言ではない。

 そしてそれこそが袁家の狙いであり、代々に渡る悲願たるものだった」

「まさかっ・・・!」

 そこまで言われてようやく全貌を理解した私に王允様は頷き、王允様が何故十数年をかけてまで洛陽を燃やしたかの真意の一端に触れ、私はただ目を見開く。

「袁家は何十年もかけて地盤を固め、皇帝となろうとしていたというのですか?」

 代を重ねて忠臣という位置を確保し、その上で中央の者達を自分の息が掛かった者達を並び替える。

 言葉にしてしまえば容易だが、それには根気と慎重な采配が必須となる。

 そして、悲願を叶える最大であり、最難関の条件である自らの庇護下に皇帝の(・・・・・・・・・・)血族たる者をおくこと(・・・・・・・・・・)すら、袁家は成し遂げていることを私は知っていた。

「私からしてみれば、年々悪化していく妄執に過ぎぬがな。

 当然、袁家とて広い。様々な考えを持つものもいたが、家の考えに沿わぬものなど不要。身内同士の殺し合いも、この大陸ではそう珍しいことではない」

 憤ることも、誇ることもなく、淡々と言葉を並べていく王允様は今一度酒を呷った。

「我々が気づいた時にはもう遅く、五胡の侵略とも重なった。

 その間は大人しくしていたが・・・ 曹騰達が去るのを待ち、私だけならば相手になると踏んだらしい」

 王允様を除いた四英雄が五胡からの侵略を治めた後、大陸のあちこちへと散って行った。

 多くの者は『各地に散ることで大陸を守ってくれる』などという真実かどうかもわからぬことを語っては彼らを褒め称えたが、その真意は定かとなってはいない。残された英雄たる王允様の口からも、その真意を語られることはなく、詳細は不明となった。

「だが全てが全て、私の想定通りになったわけでもない」

「二人の天の遣い、ですか・・・」

 私の言葉に頷きながら、王允様は口を開き、言葉を続けた。

「それ以外にも、想定から外れたことはいくつか存在した。

 海を任せた虎の訃報と、真偽のわからぬ噂が漂った狼の病。

 特に董卓を洛陽に呼び寄せたことは、英断多きあの方が最後に犯したたった一度の愚行であった」

 この方の指示の元動いていた私には信じられぬような想定外の出来事の多さだが、結果として予定通りに事を動かし、洛陽を滅ぼすことに成功した。

「虎の死も、虚偽である狼の病も、結果としては正体の掴めぬ天の遣いの存在によって成功し、これから起こりくる時代に立つに相応しい者が揃った。

 これ以上ないほど役者が揃ったこの時代に、乱が訪れても何もおかしなことではあるまい」

 わずかにだが満足そうな声音で王允様は言い放ち、私はまた浮上した問いかけを口にした。

「では、王允様はいずれ乱が起こっていたと?」

「形は異なっていたかもしれんが、考えの違う者たちが揃い、力を持っている以上、争いは避けられん。私はそれを、少しばかり早めただけに過ぎん。

 それ以前の仮定も、以降の仮定ももはや意味をなすことはなく、今この瞬間に目の前に広がる大火こそが全てとなる」

 王允様は盃を卓へと叩き付けるようにして立ち上がり、目の前に広がる景色を指し示さんばかりに腕を広げられる。

「この大火こそが一つの時代の送り火にして、新たな時代を告げる狼煙となる。

 そして私は、一つの時代を支えた者でありながら、終わりと始まりを告げる者となったのだ」

 声を張り上げたわけでも、叫ぶわけでもなかったというのに、王允様の口にした言葉には力が宿っているようだった。

 その力に圧倒されるように私は再び、王允様へと深く頭を下げる。

「張譲、あれを」

「はっ」

 宝物庫から奪ってきた偽の玉璽を卓の中央に置けば、王允様はしばしそれを眺めて鼻で笑った。

「前皇帝が現皇帝に渡すことによって意味を成し、皇帝が使用してこそ力を示すものよ。

 皇帝の血筋の手から離れた今、偽も真ももはやなく、誰が持っても意味を持つことはない。

 時代の終わりを見届けるは偽の玉璽か。

 だが、それもまた一興」

 腰に差した剣を抜き放ち、王允様は卓から背を向けられた。

 一瞬の間をおいて響いた、卓が崩れる音に両断されたことに気づく。当然、置かれていた盃も酒瓶も割れ、わずかに形を残してその場にとどまるのみだった。

「さらばだ。

 私の生において、友と呼ぶに相応しかった者達よ」

 最後に告げられたその言葉こそが、かの英雄達へと贈られた友誼を示すものであった。

 

 そして、不動たる者が動き出す。

 私は影としてこの方と共にあり、いずれ訪れるこの方の最期を看取り、共感し、行動を起こした者として死ぬだろう。

 だが、それこそが何も出来ずにいた愚か者に相応しい末路であろう。

 




シリアスでしたーーー!!

さて、次も本編。
頑張って書いていきますよー。


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62,桃園にて 四英雄と

書けましたー。


 白蓮殿達との話し合いから早数日が経過し、洛陽は街として機能するには十分なほどの復興を見せていた。

 俺達や劉備陣営等の比較的被害が少なく且つ余裕のある者達が動いている間に、連合に集っていた一部の諸侯は徐々に自分達の領地へと帰還し、俺達も洛陽で警邏隊が軌道に乗るまでの間の代役として警邏隊の数隊を残して明日には陳留へと帰還する予定である。

「白蓮殿と樟夏の件も順調だし、俺からも婚姻祝いに何か用意しておかなくちゃな・・・」

 寝間着やこれからの家財などは好みがあるため贈り物としてはイマイチだろうし、そうなると化粧品や食料、武具などの消耗品がいいかもしれない。

「樟夏には白蓮殿の陣営の色に合わせた馬具、白蓮殿には樟夏の色と合わせた武具でも贈るか」

 愛着もあるから使わない可能性もあるが、武器も馬具も予備があって損をすることはないだろう。

「うん、そうしよう!」

 そうと決まれば陳留に戻り次第、早速真桜に相談しなきゃな。

 白蓮殿が使ってる武器の詳細は風達から聞けばいいし、風達も彼女の身を守る術が増えることに反対することはないだろう。

 華琳にも詳細を話してもう少し詳細を詰めてもいいし、とにかく贈る物はこの路線で考えるとするかな。

 しいて問題点をあげるとしたら、謙虚な彼女が消耗品とはいえ特注品の武器を受け取ってくれるかという点だが・・・ 最悪の場合は、無理にでも押し付けよう。

「冬雲様、華琳様がこちらに向かっているようです」

「華琳が?」

 白陽の言葉に贈り物に関しての考えをまとめた書簡から顔をあげれば、いつものように頷かれた。

「黒陽姉様と樟夏殿を連れ、特に武装した様子もありません」

「樟夏?

 まぁ、まだ連合中だから武装することはないだろうけど、今日はこれと言って話し合いなんてない筈なんだけどな?」

 陳留帰還の旨は一刻ほど前にあった会議で全体へと伝えられているし、連合の長を務めていた袁紹殿への報告もすでに終わってる。夜に訪れるなら華琳は前もって告げてくるし、何より黒陽はともかく樟夏は連れてこないだろう。

「・・・・まぁ、いいか」

 珍しくはあるが華琳の事だ、何か考えあってのことだろう。

 白陽も俺と同じ結論に達したらしく、明日への帰還に向けて引き続き俺の荷物や書簡をまとめる作業へと戻っていった。

 

 

「冬雲、入るわよ」

「あぁ、どうぞ」

 白陽の言った通り、そう経たぬうちに華琳は樟夏達と共に俺の幕に訪れた。

 簡単な席を用意しようと動いた白陽を華琳が手で制し、そのことからすぐに終わることをなんとなく理解したが、俺が尋ねるよりも先に華琳が口を開く方が早かった。

「突然悪かったわね、冬雲」

「悪いことなんてないさ。

 華琳ならいつでも大歓迎だ」

 俺の言葉に華琳は嬉しそうに口角をあげ、まるで俺がそう言うことを待っていたかとでも言うかのように目元を緩ませていく。

「冬雲、今から私と桃園へ向かうわよ」

「え?!」

 想定外の華琳からの逢引きの誘いに腰を浮かして驚く俺に、華琳の表情は先程と少しも変わらない。

「えっと・・・・?」

 帰還の準備もあらかた終わったとはいえ俺達は未だ連合に参加中の身であり、何より一陣営を取り仕切る君主である華琳と『英雄』の名を背負った俺がこの状況下で逢引きをするというのは正直どうかと思うし、襲撃される可能性も秘めている。勿論、華琳は意地でも守るし、黒陽と白陽がそんなヘマをするとは思っていない。だけど、こちらで発足したばかりの警邏隊を疑うわけでもないが、まだまだ安全とは言い難い洛陽で逢引きするのは・・・

「兄者、思考の中から復活なさってください。

 いつもの姉者の冗談ですから」

 樟夏の声に我に返って思考の渦から這い上がれば、樟夏が視線のみで華琳を責めているが、それすら軽やかに無視して華琳は満足そうに笑っていた。

「華琳・・・ ったく」

 完全にからかわれたことを悟って溜息を零しつつも、そんな所すら可愛いというか愛おしいと思う俺も大概馬鹿だと思う。

「英雄と実弟を引き連れて、桃園に何しに行かれるのでしょうか。我らが覇王様?」

「連合の長を務めた袁紹。

 そして、その袁家に古くから仕える『四英雄』の一人・田豊との対談よ」

 俺が笑み混じり問えば、華琳も笑みを残したまま俺に目的を告げてくれる。

 が、そうなると何故会議で告げられなかったのかが気にかかったが、告げられずに華琳が突然現れたということは非公式の対談なのだろう。

「『四英雄』、か・・・」

 書物などで一応知識としては知っているが、まさか俺達が争う前に五胡が大陸に侵攻して、守りきった人達が居ることなんて考えてもいなかった。

 そして、その一角を担ったのが華琳のお祖父さんであり、あの子どものような姿をした人なんてな。

「心配することはないわ。

 お爺様とは世間話をする程度で、むしろそちらはおまけだもの」

 年長者を敬う傾向の強いこの国において、とんでもなく失礼なことを言いきる華琳に俺と樟夏は完全に苦笑いしてしまう。

「あちらから非公式に告げてきたものだもの。

 親しき中での礼は尽くしても、それ以上はかまうことじゃないでしょう?」

 なんていうか・・・ 本当に華琳らしい。

「じゃぁ、本来の目的は?」

 俺が再び目的を問いかければ、樟夏は額に手を当て、華琳の背後に立っていた黒陽が作りものの笑顔を本物に変えて微笑んでいた。

「勿論、あなたとの逢引きに決まっているでしょう?」

 座っていた俺に伸ばされた手を取りながら、華琳同様に俺も笑む。

 どんな状況であろうと楽しみ、自分の進みたい方向へと進む。

 一見は自分勝手と思われる行動の裏に、多くの感情を隠して立つ俺の大事な人。

 見るたびに、会話を交わすたびに、一つ一つの些細な行動ですら愛しさが溢れて止まらなくなる。

「星の光りを共にして、桃園見物にでも行くとしようか。華琳」

「ふふっ、即興にしては悪くない誘い文句だわ。

 行きましょうか、私の雲」

 横に並びつつ囁くように言葉を交わし、華琳と共に幕を出ていく。

「私達が居るにもかかわらず、すっかり二人の世界に入っていますね・・・」

「その言葉、そっくりそのまま公孫賛様と共に居る時の樟夏殿にお返しします」

「は・・・? それはどういう・・・・」

「このすっとぼけた方に冬雲様は任せられませんので姉さん、冬雲様をお願いします」

「えぇ。

 最愛なる主の連理の枝であり、妹の最愛の主であり想い人。

 それは私にとっても最愛の方であっても、仕方のないことでしょう?」

 そんな言葉が聞こえた気もするが、今は聞こえないフリをしておくとしよう。

 

 

 

 連合の陣からやや離れ、桃の香りと木々に囲まれた道を華琳と樟夏と共に歩いていく。

「懐かしいわね・・・ この道も」

「えぇ・・・

 お祖父様がなくなって以来になりますか」

 華琳と樟夏の感慨にふけるような言葉を聞きつつ、俺も美しく咲き誇る桃の花を眺めていく。

「二人はここに来たことがあるのか?」

「はい、兄者。お祖父様の友人である四英雄の方々はこの桃園にたびたび集まり、親交を深めていました。

 立場などもあり、全員が揃うということはまずありませんでしたが、幼い私達を連れてよくここを訪れていましたよ」

 俺が問えば、樟夏が目を細めて昔を思い出していた。

「月に一度、お祖父様はここを訪れては昔話をしてくれたわ。

 歴史に名を残す者達の英雄譚から、古くからの伝説やお伽噺・・・ たまにお祖父様自身が考えた作り話もあったわね。

 だからここ、は私の・・・ いいえ、私達の思い出の場所」

 華琳が俺を置いていくように少しだけ先を歩いて、こちらを振り返ってくる。

 そこには俺がまだ知らない過去を持った今の華琳がいて、けど、それを含めて華琳だと思うと感じかけた寂しさすら消え失せてしまう。

「だから、あなたと歩きたかったの」

 桃の花びらが舞う中で華琳が笑う。

 桃の色に金が映え、ほんのわずかに覗く青が色を添えてくれる。それはとても幻想的で、いつまでも見ていたいと思ってしまうような光景だった。

「それは・・・ 光栄だな」

 頭を掻くフリをしつつ、桃の枝に触れて、俺は華琳の傍へと歩き出す。

 そして、そっと華琳の髪へと桃の花を挿した。

「綺麗だよ、華琳」

 

 

「甘い、甘いのぅ。

 桃の花とて、この光景には胸焼けをするわい」

 

 

「!?」

「ふふっ、挨拶も無しでお邪魔虫をしてくださるなんて・・・

 田豊のお爺様にも麗羽の性悪が移ったのかしら?」

 驚く俺に対して、丁寧且つにこやかな表情で不満を言うが、田豊殿に悪びれる様子はない。

「非公式とはいえ、(四英雄)の誘いに堂々と遅れてくる者がこの大陸にどれほど居ることやら・・・ 

 まったく、胆が太いというか、自由気ままというか・・・ そう言う所は曹騰そっくりじゃ」

「褒め言葉として受け取っておきましょう」

「別に褒めとらんわい」

「それは残念」

 言われたことを少しも気にしていないのが丸わかりの華琳に、最早慣れた様子の田豊殿が俺へと視線を向けてきた。

 その視線はどう見ても『よく、こんな女を好きになったのぅ』と語っていたので、俺が華琳を抱き寄せてから笑みを向けると、顔をしかめて溜息を吐かれた。

「まぁ、よいわ。

 ここで話とするかのぅ・・・」

「四阿には行かれないのですか?」

「儂が先に行っていたんじゃが、そこにこんなものがあってのぅ」

 樟夏の言葉に田豊殿は持っていた袋を地面に置いてから開くと、そこにあったのは真っ二つになった塊と残骸となった陶器の破片だった。陶器の破片は俺には何かわからなかったが、華琳と樟夏は何かをすぐに理解したらしく、大きく目を開く。

「田豊お爺様」

 『変』の字が書かれた破片を持った華琳が田豊殿を見る・・・ いや、いっそ『睨む』という表現が適切なほど、その表情は厳しいものだった。

「あなたが割ったわけではありませんよね?」

「証明する物はないが、儂ではない。

 だが曹騰が亡き今、そしてこの戦に参加しなかった張任を除けば、ここのことを知っている者は本当に少ないからのぅ。儂だと疑われても仕方ないわい」

 華琳の真正面からの怒りを受け止めながら、目を見て告げられる言葉に嘘はないように感じられた。

 だが、彼自身が言うように証明する物は何もない。

「そして儂ではないのなら、これを割った者も、この玉璽らしきものを叩き斬った者も洛陽では限られてくるのぅ」

 それ以上は何も言わず、田豊殿は陶器の破片の中で『老』『動』『死』の文字が描かれた物を並べ、華琳の手から『変』の字を奪う。

「儂ら四人はあの時、大陸を守った。

 王允はまだ幼かった霊帝を支え、張任は戦場を飛び、曹騰が都と戦場を繋ぎ、儂が戦場の策を担う。

 未知ばかりの五胡から地形や戦術を考えた日々、張任の阿呆が理解できるように言葉を選び、時には戦場に立ち軍師でありながら将の役目すら担った。

 生涯最大と言っていいほどの戦いの中にあり、戦場でも、そこに居らずとも背を預けることのできる三人の戦友に恵まれた。軍師として、あれほど満ちていた時はなかったわい。

 じゃがだからこそ・・・ あの戦を終えて、儂は燃え尽きた」

 四英雄の一角である田豊殿自ら語る、四英雄のその後。

 その時に感じた一切の感情を見せることもなく、ただの過去として、過去の遺物として語っていく。

「だから、お爺様は都を離れたのかしら?」

「そうじゃ」

 華琳の問いに短く答え、田豊殿は『動』の字を見つめ、溜息を零す。

「戦を終え、既に遠い先へと見つめる王允。

守るべき伴侶を抱え、政に関わることを嫌って早々に都を飛びだした張任。

 王允と似ていながら、どこか別の先を見ていた曹騰。

 儂だけが日々、洛陽で自堕落に過ごしておった。

 だが、そんな日常の中で儂は伴侶にならずとも、生涯守り続けたいと思い、操を捧げたいと願った女性を見つけ、半ば逃げるように洛陽から飛び出していった。

 まぁ理由が理由じゃったからの・・・ 王允とは喧嘩別れをして、それっきりじゃ。

 曹騰は何度か儂らを会わせようと仕組んだ様じゃが、縁がなかったのか、互いに察知していたのか・・・ 結局、曹騰の葬儀ですら、顔を会わせることはなかったわい」

 破片の一つ一つを大切そうに見つめて、田豊殿は破片をそのままに立ち上がる。

「俗に塗れてもおかしくない場所に居りながら何物にも染まらぬ堅物、雅や風情とは名ばかりの集団の中で誰よりもそうした芸術を愛した男。

 曹騰とは違い、多くのことに不器用な男じゃったが・・・ まさか、ここまでとはのぅ」

 誰かはあえて示さず、独り言にも似た言葉は桃園の中に消えていく。

 いや、田豊殿自身この場に居る者から何か言葉を貰いたくて言葉を発しているわけではないのだろう。

 これはただの独り言であり、かつての戦友達のために紡がれている言葉でしかないのだ。

「華琳嬢、その破片は曹騰と墓の近くに埋めてくれんか」

「本来、田豊お爺様が持つべきではないかしら?」

「姉者に同意です。

 そうした方がお祖父様は・・・」

「友を捨て置き、都から離れた儂や張任にも、それを自らの手で割ったであろう王允にも、四英雄の盃を持つ権利など存在せぬわ。

 ならば、儂らの中でもっとも四英雄の名を愛し、輪を保とうとした曹騰こそが盃の所有者に相応しい」

 華琳と樟夏の反対意見を斬り捨て、田豊殿は歩き出す。

 が、何を思ったのか彼は立ち止まり、振り返ることなく最後に言葉を零していった。

「老いず、変わらず、動かず、死なぬ。

 だが儂らは老い、状況は変わり、時代は動き、英雄と呼ばれた一角は死んだ。

 この国に落ちた異端なる者の一角、曹子孝。お主は、どうするのじゃろうな?」

 

 




この後、続いて更新します。


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63,桃園帰路 熊さんと狩人

この前に一話、投稿しています。


 田豊殿が去った後、華琳は破片を集めてしっかりと袋を結び直してから黒陽へと預ける。そして何を思ったのか田豊殿が歩いていった方向を見つめ、呟いた。

「『操を捧げた』と言えば綺麗だけど、ようは今の年齢まで童貞を貫いたってことなのよね」

「姉者?!

 突然、何を口走っているんですか!?」

 華琳の言葉に素早く樟夏がツッコミを入れるが、言葉の内容におもわず俺も噴き出した。

 は、八十越えまで童貞って・・・ 六十越えまでは名称あるけど、まさかそこまで・・・

「兄者も何故むせているんですか?!

 笑いごととかじゃありませ・・・ 兄者には無縁すぎて笑いごとかもしれませんが」

 つい最近、無縁になることが確定した義弟がよく言えるなと思うが、俺は息を整えることに専念する。

「麗羽の祖母に恋をして、きっぱり振られてもめげずに直系を守ろうとする心意気はかうけれど・・・ その方と他の女性を比べたりしていたところはいただけないわ。

 巨乳派と宣言しているけれど、その基準もたった一人によって保たれていては巨乳派とは言えないでしょう」

 なんか派閥に属する者の正しさを語ってるけど、派閥に属さず全部が好きっていう華琳が語ると頷きかける不思議。

 というか正論っぽく言ってるせいか、一瞬話題が胸だっていうことを忘れかけるよな。

「姉者は節操なしで、美人が好きですからね。

 結婚間近の者が姉者に告白して来た時は、騒動になりかけましたから・・・」

「幸いなことに未遂で済んだわよ?

 綺麗な娘も、可愛い娘も好きだけれど、私は別に人の不幸を願っているわけではないもの」

 華琳・・・ あぁもう、華琳だなぁ・・・

「・・・こんな内容を話しているにもかかわらず、姉者を見る兄者の目に一切変わりがないことの方が驚きなのですが?」

「華琳だからなぁ・・・」

 華琳に俺だけを見てほしいなんて思ったことは一度もないし、そんな華琳は華琳じゃないとすら思う。

「華琳が俺をどう思おうと、俺は華琳を愛してることに一切変わりはないからいいんだよ」

「似た者夫婦でしたね。言った私が馬鹿でした」

 今度、白蓮殿が一緒に居る時に全く同じ言葉を言ってやることを固く心に誓いながら、俺は樟夏の頭を軽く小突いておく。

「そう、夫婦は似てしまうものなの。

 私とダァーリン、ご主人様がそうであるように。

 この魂の美しさは、似てしまうものなのよぉーーーん!」

「「!!??」」

 突然会話に乱入してきた存在に俺と樟夏が飛び退きつつ華琳の前に並ぶが、それが貂蝉であることを理解した俺はあっさりと警戒を解く。

 初対面の樟夏はまだ警戒している・・・ というか困惑してるっぽい。着ている物が褌一枚だけの鍛えられた体を露出してるのに武器は一切持ってないし、敵意とか向けてこないから当然と言えば当然だけどな。

「そう。

 それはよかったわね」

 華琳は樟夏とは真逆に普通に対応しているけど、見ようともしないのは何でだろう?

「そうなのよん。

 それに田豊おじーちゃんの、愛する人に操を捧げるという気持ちもわかるわぁー!

 私もダァーリンとご主人様が貰ってくれるその日まで、この操を守るって決・め・た・も・の♪」

「二人いる時点で操を捧げていませんし、一途でも何でもないような・・・」

「そうなのよー!

 二人ともとっても素敵で愛しているのだけど、とっても臆病で奥手なものだから私のことを抱いてくれないの・・・ 私はいつでも準備万端だっていうのに。

 あぁ! 早くこの身の純潔を奪ってほしい!!

 そして、初夜を迎えた朝、三人で朝日を見ながら愛を囁き合う・・・ なんてロマンチック!!! これこそが漢女の憧れであり、夢の集大成だわーーーん!!」

 腕を広げたり、胸に交差して置いたりと大袈裟な身振り手振りをしながら、貂蝉は華佗と多分北郷の事だろうと思われる惚気混じりの願望を告げてくる。

 これを普通の女の子が言っていたらと願わなくもないが、非常に愛に溢れた懐の大きい人だと思う。実際、医療技術は確かだし、気の扱い方に関しては凪以上と言っても過言ではない。見た目で人を判断しちゃいけないということを表しているのが彼・・・ 彼女と言ってもいいだろう。

「そう、よかったわね。

 それはそうと貂蝉、いい加減あなたが私達の前に現れた目的を言ってほしいのだけど?

 まさか恋人自慢をするために私の前に現れただとか、この連合に参加したとでも言うのかしら?」

「流石、曹操ちゃん。鋭いわねん。

 ダァーリンとご主人様と私の関係を誰かに自慢したいって気持ちも勿論あるけど、それだけじゃないわ。

 あの時を知ってる曹操ちゃんとそっちのご主人様・・・ いいえ、曹仁様に私の口から伝えたいことがあったの」

 さっきまでの笑みを消した貂蝉が俺達に向き直り、その場に流れる空気も温かなものから冷たいものに変わる。

 外史の管理者の一人である貂蝉から告げられる言葉に覚悟をしながら、俺はただ華琳と共に待った。

「でも、安心してほしいの。

 もうここに、外史の管理者をしていた貂蝉なんていないわん」

 貂蝉の口から紡がれた思わぬ言葉に俺が目を丸くすると、貂蝉は満面の笑みを俺へと向けて俺の心臓辺りを狙って親指と人差し指を直角に立てて、狙い撃つように上へと揚げる仕草をする。

「今、ここに居るのはこの大陸に愛を振りまき、多くの漢女達を正しい道へと誘う愛の伝道師・貂蝉よん♪

 そして、私はダァーリンとご主人様達と道を同じくするって決めたわ!」

 嬉しそうに、楽しそうに、何より・・・ 幸せそうに笑って、貂蝉は元気いっぱいに両腕をあげて、ポーズをとる。

「曹操ちゃん達を迎え撃ってあげるんだから♪」

 かかって来いと言わんばかりの貂蝉に対して、華琳の方を向いてみれば、貂蝉と同じように華琳も楽しそうに笑っていた。

「えぇ、その時を楽しみにしておくわ。

 劉備と白の遣い・・・ そして、あなた達全員と再び見えることが、私は楽しみでしょうがないのよ」

 向かい合う相手として非常に厄介な存在だというのに華琳はどこまでも楽しそうで、だけど華琳のその笑顔を見ていると、何故か俺までそんな気分になってくる。

 けれど、華琳が思っているのは『強い者と戦いたい』という霞や春蘭が考えるようなこととはまた違う。きっと華琳は、劉備殿の理想や行っていくだろうことすら気になってしょうがないのだろう。

「フフフ、曹操ちゃんらしいわね。曹仁様が惚れこむわけだわ。

 もう! なんだか妬けちゃう!!」

「いくら妬いてもかまわないけれど・・・」

 頭に拳を二つとも当てて体を振る貂蝉に華琳は特に視線を向けることはなく、俺の服の裾を軽く引いた。そうして視線を向けた俺の頭を固定して、まるで吸い込まれるように俺と華琳の顔の距離は零にな・・・ え?

 何の前触れもなく、俺は華琳に唇を奪われ、接吻を交わしていた。

「この雲は、私のものよ」

「わかってるわよん。

 もう、曹操ちゃんったら嫉妬深いわね!

 心配しなくても、私は曹仁様には手を出したりはしないわよん。曹仁様は私にとってアイドルのような存在なんだから☆」

「今はそうだとしても、敬愛や崇拝の想いは簡単に恋慕へと変化するものよ。

 牽制をすることに無意味なんてことはないもの」

「牽制することで煽られる子もいると思うけど?」

「当然、相手は選んでいるわ。

 あなたの場合、一途と言いつつ二人も欲している。三人目を欲してもなんらおかしなことはないもの」

「う・ふ・ふ・ふ、言うわねん。曹操ちゃん」

「当然でしょう?

 私は曹操、この大陸の覇王となる者よ」

 ちょっと突然すぎることが連続していたせいか、その場で硬直する俺を置き去りにして二人の会話は進んでいく。

 正直怖いが、華琳とこうした話を堂々と言い合う相手は袁紹殿以外初めて見るかもしれない。

「冬雲様」

「ん?」

 耳元で囁かれるような声に意識を向ければ、黒陽は姿を現さないまま、そのまま言葉を続けた。

「そのまま動かず、私が合図した後に華琳様の身をお引きください」

「・・・了解」

 俺が返事をしたとほぼ同時に黒陽は樟夏の足を影から掴んで転ばせ、俺が華琳の腰に手を回して身を引かせた瞬間

 

 つい先程まで貂蝉の頭があった場所を、鈍色の何かが通り過ぎて行った。

 

「んな?!」

「あら?」

「あらん?」

 一拍遅れて樟夏がすっ転び、腕の中に納まった華琳が驚いたように声をあげ、俺達と同じように後ろに下がることで避けた貂蝉が不思議そうな顔をして何かが飛んできた方向へと首を傾げながら視線を向ける。

「あの子、ね」

「だろうな・・・」

 視線を向けずとも誰かを理解し、俺は腕の中の華琳を解放し、飛来した物の回収へと向かう。

 一本の木を砕き、二本目の木でようやく勢いが衰えたらしい鉈は木の幹へと深く刺さっていた。

そう、鉈である。

「ごめんなさい。

 冬雲さんと華琳様のお傍に大柄の黒い存在がいたので、てっきり熊かと思ってしまって・・・」

 背後から聞こえる謝罪の言葉に振り返れば、もう一本の鉈を左手に持ったままの月殿と土や葉、花びらをあちこちにつけてボロボロにして粗い呼吸を繰り返す樹枝と詠殿が並んでいた。

「ひ、久し振りの外だからって、連日張り切りすぎよ・・・ 月・・・」

「兄上に精をつけさせるために、熊の生き胆とか・・・ 難易度を高いことを容易にやってのける月さんが恐ろしすぎる・・・」

 軍師にもかかわらず、月殿と樹枝についていくだけの体力がある詠殿に感心しつつ、黒陽が労をねぎらうように水筒を手渡していく。樟夏も同情の目を二人に送ってるし、俺は軽く手を挙げて挨拶するだけにして、月殿に鉈を手渡した。

「あ、ありがとうございます。冬雲さん」

「どういたしまして。

 でも、俺達だから良かったけど、貂蝉じゃなかったら避けられないから、本当に気を付けてくれよ?」

「いや、注意だけで留めていいような問題じゃないでしょう。兄者」

 樟夏から素早くツッコミが入るが幸い怪我人も出なかったし、この場に居る誰にとってもこれは非公式の場でのことあんまり言ってもしょうがない。

 それに今でこそ自由に動ける彼女も将の立場になることを選んだ以上、休日でもない限りは狩りなどで自由に外出するということも出来なくなる。今はそのための束の間の休息であり、気分転換の期間も含まれている。

「私もかまわないわん。

 だって、熊に間違われるということはそれほど私が愛らしいということでしょう?

 あぁ、遠目からでもわかってしまう肉体美。なんて罪深いのかしら?」

「ソウデスネー。

 (けだもの)畜生に誤認したってことなんですけどねー」

「樹枝・・・ 言葉の頭に『おぞましい』が足りてないわよ・・・

 正直、華琳と並んでるのが遠めに見えた時・・・ 僕は獅子と熊が睨みあってるかと思ったもの・・・」

 二人の余計な一言ともツッコミとも取れる言葉が聞こえるけど、月殿の謝罪に貂蝉がにこやかに答え、何故か精をつけるのに効率的な食材や料理の話になっているらしく、月殿と和やかに談笑していた。

「というか、月の鉈が外れるとこなんて・・・ 年単位で見てないわよ・・・」

「それ、どんだけですか・・・?」

「僕が初めて会った頃以来だから、六歳の頃以来・・・ かしら?」

「どんな正確な投擲ですか!?

 ていうか、その頃から鉈振るってるなんて怖すぎですから!!」

 疲れていてもツッコミを忘れないことと、会話からわずかに見える仲の良さと好意の片鱗に生暖かい目を送っておく。

 樟夏もそうだけど、樹枝も大概似た者夫婦だよなぁ。

「冬雲」

 華琳に呼ばれて傍に寄れば、俺と同じように華琳は樹枝達へと優しい目を向けている。

「あなたはあれを、どれぐらいで実ると予想するかしら?」

「そうだなぁ・・・

 どっちもお互いのことは鈍そうだし、結構時間がかかるだろうな」

 もしかしたら、前の俺達と同じくらいかかるかもしれない。まぁ、あの時の俺達の恋愛は言葉じゃ説明しにくいおかしな関係だったけどな。

 互いに好意を持ち、愛していたにもかかわらず『恋人』というのを避けていたというか、認めることを拒んでいたように今は思う。覚悟を決めて、向き合うことは時間が埋めてくれると思っていた矢先にあれだったし・・・

「当人達迷っている間に、牛金がどう動くかが見所ね」

「牛金も頭数に入れるあたり、姉者は鬼ですね」

 華琳の楽しそうな言葉に樟夏がげんなりとした様子で言葉を挟んでくるが、華琳の楽しそうな様子は変わることはなかった。

「可愛い配下達の恋愛であっても、他人事だもの。

 どうせ見ているだけなら、楽しめた方がいいでしょう?」

「まぁな」

「兄者も、あまり姉者の悪乗りに乗らないでください・・・」

 俺達がそうして会話している間に何故か月殿と貂蝉がしっかりと腕を組み、再び木々の中へと消えていく。貂蝉の荒々しい気から察するに、仲良くなった月殿と共に狩りでもするのかもしれない。

 そんな二人を再び追いかけ始める詠殿と樹枝の付き合いの良さに感心しつつ、緑陽が樹枝の影に居るかどうかの確認も忘れない。

「兄者? もしや、あの四人を放っておくのですか?!」

「戦力的にも問題ないし、緑陽がいるから万一の時は大丈夫だろ」

 それにもし仮に月殿が本気で狩りだけに熱中したら、詠殿も樹枝も追いつけないだろう。彼女の足はそれぐらい早いし、強さも圧倒的なもの。その上で投擲も斬り合いもこなしてくるのだから、末恐ろしい。

「で、ですが・・・」

 多分、樟夏の不安要素はおそらく貂蝉だろう。

 見た目と言動はあれだけど、考え方とかは結構まともでちゃんとした人なんだがなぁ・・・

「貂蝉という人物については、俺が保証する。

何かあった時の責任は俺が取るから、そんな心配そうな顔すんなって」

安心させるように樟夏の頭を掻き撫でてから、俺は先を歩く華琳へと小走りで駆け寄った。

「まだまだ、忙しいのが続きそうだな・・・」

「いいえ違うわ、冬雲。

 全て、ここからよ」

 いろいろな意味を込めた俺の溜息交じりの言葉に、華琳は首を振って否定した。

「管理者だろうと、世捨て人であろうと、英雄であろうと、この大陸に生きる全ての者を巻き込んで、新しい世が始まる。

 誰も傍観者であることを許さず、私の歩みを阻むものはなんであろうと越えてゆく。

 さぁ、この大陸に立つ者達よ。

 この戦乱の世で、私と共に舞いましょう」

 この大陸に居る全ての者へと向けられた静かな宣戦布告は桃園の中に吸い込まれ、俺は何も言わず、華琳が次の言葉を待っていた。

「冬雲。

 行くわよ」

「あぁ、行こう」

 日輪と共に浮かぶ雲のように。

 かつてとは違うこの距離から、俺は華琳と共に乱世へと歩み出した。 

 

 

 

 

「あの・・・ 山の方から獣の断末魔と樹枝と詠さんの悲鳴が聞こえるんですが・・・」

 




変態の『態』と、『熊』って似てますよね☆

これにて、約一年かかった『反董卓連合』編は終了でございます。
さぁ、次章は何が起こるのか。楽しみにしていてください。
来週の投稿は、本編を予定しています。


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乱世 始動
64,予感と準備 幽州にて 【赤根視点】


書けましたー。

カッコイイ白蓮ちゃんが見たかったのです。


「裏切られた!!」

 二日前に凱旋し、間一日を後始末などの走り回り、ようやく今日からいつも通りの幽州の日常が送られるかと思い、会議室兼仕事部屋へと入室した私を出迎えたのは、星お姉様の奇抜な第一声でした。

 とりあえず状況を知るために周りを見渡しても、風お姉様は私を確認して手を挙げてくださり、稟お姉様は私が手に持っていたお姉様達の留守中の報告書を受け取って、『お疲れ様』と優しい視線を向けてくださるだけでした。最後にお姉様へと状況を窺おうと視線を向けたのですが、何故か書簡を持って凄く嬉しそうな笑顔をしています。大方、婚約者となったらしい曹操陣営の曹洪様からの個人的な文でしょう。

「ちょっ、俺は無視か?! 赤根嬢ちゃん」

「あぁ、今日はサボらずに来たんですね。宝譿さん」

 報告書以外の書簡を自分の机へと置きつつ声が聞こえた方へと注意を向けると、いつもお茶菓子が置かれたり、ちょっとした物をおく時に利用される小さめの机の上で宝譿さんが私へと抗議するように跳ねていました。

「俺、サボったことはねーからな!?

 ただ、風とか稟嬢ちゃんが容赦なく俺を使うから、外に出てるだけだから!

 つーか、星嬢ちゃんよりも容赦ねぇし、扱い酷くね?」

「いや違うぞ、宝譿」

 宝譿さんの抗議も割と日常的なことなので、私は他民族の外交関係の書簡を開いて仕事を始めようとすると、星お姉様がビシリッと宝譿さんへと指差して否定します。

「この状況下で一番酷いのは叫んでいるにもかかわらず相手にされず、挙句室内にいる誰一人として説明しようとせずに放置されている私だと思うのだが?」

「ご、ごめんなさい・・・」

 宝譿さんが珍しく謝罪し、星お姉様が私へと向かってきていますが、どうしたんでしょう。

「それよりも、だ!

 赤根よ、どうか聞いてくれ。私はつい最近、手酷い裏切りにあったのだ!!」

「そうですか、星お姉様。

 いつも通り、宝譿さんに裏切られたんですか?」

 前回は秘蔵のメンマ、前々回は贔屓にしている店の試作品の菓子でしたが今度は何を奪われたんでしょう?

「ちょっと待て、赤根嬢ちゃん。

 そんな言い方したら、俺がいつも星嬢ちゃんを裏切ってるみてぇだろうが!」

 私が首を傾げて視線を送れば、宝譿さんは体を倒して、手だけで体を支えるような姿勢になってしまいましたね。

「赤根嬢ちゃんから見たら、俺って・・・・!」

「まぁ、他から見ればそんなもんですよねー」

 そんな光景すら相手にせずに仕事に励む稟お姉様と、それに追い打ちをかけるように笑う風お姉様は本当に容赦がありません。

 ですが事実ですので、しっかりと受け止めてもらいたいと思います。

「確かに宝譿からも裏切りがあったが、違う。

 私を裏切ったのは・・・・」

「あぁ、わかりました!」

「おぉ、わかってくれたか! 赤根よ!!」

 星お姉様を裏切りそうなことに思い当たり、私は手を打ってから言葉を続けました。星お姉様も喜んでいるようなので、当たっているかもしれません。

「メンマのお店が臨時休業だったんですね!」

 つい最近ご子息の方が店主である父が腰を痛めたとか言っていたので、当たっているだろうと思い口にすれば、星お姉様はその場で転んで大きな音をたててしまいました。

 女性が足をあげて転ぶのは正直どうかと思いますし、星お姉様の服装ではいろいろと注意が必要な気がします。

「違う!!

 確かに落ち込みはするが、裏切りではない!」

「では、連合の旅路などで口にしたメンマに・・・?」

「いや、メンマに裏切られるって何だよ。赤根嬢ちゃん」

「口に合わない、とかでしょうか?」

 星お姉様が他に裏切られるものが思い浮かばないので、行く途中に口にしたメンマがあわなかったのでしょうか。長期保存できますし、結構な量を用意しておいたはずなんですが、やはり星お姉様には足りませんでしたか・・・

「この私が、メンマが口に合わない程度で裏切られたと感じたと思うのか!」

『えっ?』

 星お姉様とは思えない発言に対し、私のみならずその場にいた皆が口を揃えて戸惑いを声に出すと、星お姉様は怒りで拳を震わせています。

 そろそろ本格的に話を聞いてあげた方がいいかもしれません。しないとは思いますが、ここで大きな動作などをされたら書簡が大変なことになってしまいますから。

「では、星お姉様は一体何に裏切られたんですか?」

 ですが、先程挙げたこと以外に星お姉様が裏切られるということに皆目見当がつかないのも事実であり、星お姉様を裏切るなどという仕返しされることが目に見えていることをしでかす剛の者がこの幽州にいるとは思えませんでした。

 では、連合で何か起きたのでしょうか?

「お姉様、連合で何か・・・」

 連合内でいざこざが起きたというのなら、一陣営の責任者であるお姉様が知らないわけがないと思ってそちらを振り返れば私が入室時と変わらない・・・

「うふ、うふふ~。樟夏ったら~」

 どころか、むしろ悪化しています。

 時々、唇を指で触れては顔を真っ赤にするとか、一体どうしたというのでしょうか? 少し心配です。

「赤根、あれだけは触れるな。

 惚気がこちらにも向けられた場合は面倒極まりない上に、しばき倒したくなるからな」

 星お姉様の言葉に素直に従うが吉、でしょうか。

 あれほど自信がなかったお姉様を変えてくださった方ですから、いずれお会いしたいとは思いますが、身内となるとですからそう遠くない内に会えるでしょう。

 それに、あの状態のお姉様が愛しい方と会わないということに耐えられるとはとても思えません。

「私を裏切ったのは、先程から私を気にすることもなく書簡仕事を行う風と稟だ!」

「えっ、そんなまさか・・・

 これまで様々な所を共に旅し、姉妹同然のお姉様達が喧嘩どころか、裏切りなんて想像できませんが・・・」

 おもわず風お姉様達と星お姉様を交互に見つめ、お二人も沈黙を保っている辺り、それは事実なのでしょう。

「一体、何をなさったんですか? 星お姉様。

 怒らないので、正直におっしゃってみてください」

「何故、いの一番に私を疑う?!」

「ふふふ~、星ちゃんの普段の行いの結果ですね~」

 私の思いを代弁するように答える風お姉様ですが、一番わかりやすく問題を起こしそうなのが星お姉様というだけであってお二人も起こす可能性は十分あると思いますが、それは胸にとどめておこうと思います。

「つっても、風も稟嬢ちゃんも平等に問題起こしたりするけどな。

 星嬢ちゃんと違ってわかりにくいし、大事(おおごと)になるようなことしてねーだけで・・・ あうちっ!」

 余計なことを口走った宝譿さんへと二つの文鎮が命中し、痛みで悶えていますが、私は星お姉様にしっかりと肩を掴まれてしまい、話を聞くまで離さないと目が語っていました。

「さぁ、聞いてもらおうか。赤根よ」

 内心で一つ溜息を零して、私は星お姉様の話を聞くということに相成りました。

 

 

「――― というわけだ!」

 長かった星お姉様の話を要約すると、風お姉様達の妨害工作によって赤の遣い殿に会えずに終わったというものでした。

「星お姉様・・・」

 私は予想以上にくだらない内容に溜息を零し、眉間に手を当ててしまいました。

 えぇ、別にただそれだけであるなら、私も星お姉様の味方をしていたかもしれません。

「風お姉様達の恋人である方に、『惚れるかもしれないから会わせてほしい』というのはどうかと思います」

 むしろどこの世界に行けば、『あなたの恋人が気になってるから、会わせてほしい』と言われて会わせるような方がいるでしょう?

「まったくの正論で返されただと?!」

「正論というか、常識ではないかと・・・

 風お姉様と稟お姉様でなくてもそんなことを言われたら妨害しますし、むしろ星お姉様の気持ちは有名な方に会ってみたいという好奇心もあるのではないかと推測します」

 驚く星お姉様に対し、私が推測を交えて告げれば、視界の隅で風お姉様達が感心したように頷いていました。

「今日の赤根ちゃんはガンガン行きますねぇ~。

 いいですねぇ、もっと言っちゃってください」

「いつもは星の言葉にも大人しく従う素直な良い子ですが、こうした強かさも持っていましたか。心強いですね」

「いや、原因であるお前らがそれを言うのかよ・・・

 つーか、無駄に星嬢ちゃんを焚きつけるようなことを言うのはやめよーぜ」

 最期の宝譿さんの言葉が一番焚きつけている気がしますし、現に私の目の前にいた星お姉様の目に対抗心という火が灯りました。

 はぁ・・・ 流石は宝譿さん、余計な一言が多いですね。

「私は赤き御使い殿に一目惚れしていたんだ!!

 言葉を交わし、あの場に立った瞬間から目を離すことが出来なかったんだ!」

 情熱的な言葉ですが、私に向けられてもどう返せばいいかもわからずに戸惑っていると風お姉様と稟お姉様がほぼ同時に鼻で笑いました。

「まだ気になっている男性の域を超えていないくせに生意気な」

「四半刻も会ってませんし、お兄さん側から見れば『風達の同僚』ぐらいの認識でしょうけどねー」

「ミーハーは引っ込めー」

「よし、言葉の意味は分からんが宝譿は突く。

 そこを動くな」

 言いたい放題に言われ、とりあえず宝譿さんから罰することに決めたのかその場から槍で突きを繰り出しますが、全てを軽く避けられてしまいます。

 常日頃から思っていましたが、宝譿さんのこの無駄に高い回避能力は一体何なのでしょう・・・?

「甘い、甘いぜ! 星嬢ちゃん!」

「ならば、横薙ぎにするのみ!」

 突きを横跳びや側転で見事に避け続けられ、星お姉様がしびれを切らしたのか横薙ぎをすれば当然宝譿さんは跳んで躱します。

「ふっ、空中には逃げ道があるまい!」

 が、星お姉様もそれが狙いだったと言わんばかりに空中の宝譿さんへと突きを繰り出しますが、宝譿さんの余裕な表情は崩れず、むしろ深まっていました。

「だーかーらー! それがあめーんだよ!!

 何故なら俺は、飛べるからな!」

「なん、だと・・・?!」

 小芝居を続けるお二人(?)を放っておき、私は外交関係の書簡に『済』の一字を書き込んでから次の話し合いに向けての書簡へと書き足していきます。

「風お姉様、連合で他民族の皆さんに知らせた方が良いことはありましたか?」

「いやー、赤根ちゃんの真面目なところが風は大好きなのですよー。

 その辺りも含めてそろそろ真面目な話をしたいと思うので、白蓮ちゃんもいい加減・・・」

 途中で言葉を止めた風お姉様は懐から弩を構え、星お姉様と小芝居に興じている宝譿さんを容赦なく掴み、弩へと番えて狙いを絞りました。

「戻ってきてくださいねー」

「風うぅぅぅーーーー、番えるなら一言くらい言えーーーーー」

 宝譿さんの悲鳴が響き、狙いが逸れることもなく見事に白蓮お姉様の額にあたり椅子ごと背後に倒れますが、お姉様はあの程度ではなんともないので放っておいても大丈夫でしょう。

 伊達に白馬義従を従えてはいませんし、幽州を守るお姉様はけして弱くはありませんからね。

「もう少し弩の練習した方がいいかもしれませんねぇ。

 一般の矢でも、これぐらいの命中率になるぐらいまでは頑張りますかー」

 何が不満だったのかそんなことを言ってのける風お姉様ですが、普通に木になっている果物を打ち落とす腕前は持っていますし、本来軍師ですので気にしないでいい気がします。

「風にそんなことを言われたら、戦力を持っていない私に立つ瀬がないでしょう」

「じゃぁ、稟ちゃんも弩やります?

 軽いですし、馬上でも他の武器よりかは使いやすいと思いますよぉ」

 溜息を零すように稟お姉様を慰めるように弩を薦め、前向きに検討する稟お姉様達を見守りつつ、一応武将の括りに入る私も気合いを入れなければなりません。

 お二人に武力が必要な状況にならないようにするのが、武将の務めですから。

「よっと・・・

 えっと、いろいろ遅れたけど、とりあえず今回の報告と今後の会議を始めようか」

 起き上がった白蓮お姉様が宝譿さんを丁寧においてやり、その対応に当人(?)が感涙を零したりもしていますが、星お姉様も居ずまいを軽く正して自分の席へと戻り、話し合いに相応しい空気が用意されました。

「まず皆、お疲れ様。

 連合に参加した星、風、稟は勿論だけど、一人で幽州を守ってくれた赤根もありがとう。おかげで何の心配もせずに、連合では無事一陣営としての役目を果たすことが出来た。

 連合の結果は知ってのとおり勝利で終わったし、犠牲はなかったわけじゃないけど少しの犠牲で終わった。

 それもこれも全部、ここに居る皆・・・ いや、幽州の兵のおかげだと思う。本当にありがとう」

 一切の迷いもなく頭を下げる白蓮お姉様に私を含めた全員が苦笑いし、お姉様が頭をあげるのを待っていました。

 何度も『君主はそう簡単に頭を下げるものじゃない』と注意しても治らないお姉様に呆れつつも、そんなお姉様だから幽州はこうして平和なのかもしれないと思う時点で私もお姉様と同じなのかもしれません。

「それで、だ。

 樟夏・・・ 私の婚約者となった曹洪が近く幽州を訪れることが決まった。公には正式な婚姻をするための話し合いなんだけど・・・」

 言いにくそうに言葉を濁すお姉様を不思議そうに見つめつつ、曹操殿ところから武名に優れた曹洪様がこちらに訪れる理由を模索していきます。

 幽州は現状、他民族と友好な関係を築き、民の争乱もなく、反董卓連合も無事終わりました。洛陽は今後、地方に居る皇族の方を出迎えるのが妥当といったところでしょうか。

「白蓮ちゃんが言わないなら、風が言っちゃいますね~。

 わかりやすく言うと、袁家が幽州に攻めてくるんですよー」

「風、それは歯に衣着せなさすぎだろ!?」

「どうしてですか?」

 宝譿さんのツッコミのおかげで私は内容を飲み込むまでの時間を貰えたので怒鳴ることもなく、静かに疑問を口にすることが出来ました。

「大陸の端にあり、他民族の接触も高く、土地としても有効的な活用法のない幽州に袁家が攻めてくるのでしょうか?

 それに次の皇室を支えるのは、袁家ではないのでしょうか?」

「まぁ、普通はそう思うよな。フツーは」

 私の言葉に宝譿さんが頷き、風お姉様達に意見を求めようと顔をあげると何故か三人とも私と白蓮お姉様に目を緩め、暖かな視線を送っていました。

「本来はこうあるべきなんですよねー」

「白蓮殿も赤根も、今の世には希少価値である純粋なる漢の忠臣。

 いやはやこんな逸材である姉妹を何故中央ではなく、こんな大陸の端に追いやったのやら・・・」

「だからこそ、でしょう。

 ですが、本当に・・・」

「「「癒されますねー(るな・ます)」」」

 三人同時にそう言ったかと思えば、風お姉様は少しだけ真面目な顔をして私達へと向き直りました。

「強大で、一つの家として十分な力があるからこそ、袁家は世が乱れたこの機に大陸へと名乗り上げてくるでしょー。

 既に他の諸侯の皆さんも自分の領地では好き勝手やってますし、皇帝が確立しない今こそが狙い目と見てもおかしくありませんからね」

「華琳お義姉さ・・・ 曹操殿もそう考えているのか」

 お姉様の発言に稟お姉様の眉が跳ね上がった気がしますが、お姉様の問いかけに風お姉様は頷くこともなく、いつものように笑っていました。

「あの方は大陸を変える御方なのですよ。

 とても欲が深く、懐が広く、愛に溢れ、才能を好む方。

 風程度では、あの方の考えるところまではわかりませんね~」

「そっか・・・

 風にわからないんだから、私がわかるわけないよな」

 そこでお姉様は固く目を閉じて、組んだ腕に体を預けるように座りなおし、しばらくの沈黙した後に口を開かれました。

「今だって本当は麗羽がこっちに攻めてくるなんて信じたくないし、想像もできない。

 綾羽様が死んでからの麗羽は馬鹿みたいに明るく高飛車になったし、人のことを馬鹿にしてくるように言ったりもする。

 けど、言葉が素直じゃないだけですっごくいい奴でさ。名家でも何でもない私なんかに、真名を呼ぶのを許してくれたんだ。

 麗羽はどう思ってるかわからないけど、私は麗羽のことを桃香と同じ親友だと思ってるし、その友情が終わったなんて思ってない」

 そこでお姉様は自分に喝を入れるように頬を叩いて、そのままの勢いで手を机に叩き付けました。

「でも、私は幽州を、この地を任された領主なんだ。

 私は自分達が出来る範囲で幽州を、民を守るために動く」

 きっぱりと告げられた言葉に私を含めた全員が同時に立ち上がり、君主であるお姉様の下す指示を待ちました。

「星は兵の調練を頼む。

 稟も星と共に、兵の調練に参加してもらいたい」

「承知した」

「了解です」

 お姉様の指示にお二人が確かに頷き、どこか嬉しそうに笑んでいました。

「風は、民の避難経路や陳留までの道を確保してほしい」

「お安い御用なのですよ。

 ならあちらと連絡を取りつつ、少しずつ民を避難させるということもしましょうかねぇ~」

「!

 曹操殿達が受け入れてくださるなら、是非頼む!!」

 真っ向から立ち向かって敵う相手じゃないことはお姉様も重々承知しているようで、風お姉様の提案に目を輝かせていました。

 本当にお姉様は・・・ 領主としてはお優しすぎます。

「赤根、赤根はこれまで通り他民族との外交を任せる。

 今後のことについての説明と、麗羽達が攻めてきた際の警告を促してほしい」

「それに加え、民の皆さんの受け入れをお願いしてきます」

 私の発言にお姉様は少しだけ驚いた様子を見せますが、嬉しそうに微笑んで頷きました。

「うん、そっちは赤根に任せる。

 私は全体統括で、他の雑務を担う」

 指示を飛ばすその姿はお姉様らしくないと思う反面、これが本来のお姉様なんだと思えてしまうような不思議な気持ちになります。

「私は確かに、この地を今は亡き霊帝様に任された。

 だけど私が守るべきものは物言わぬ土地なんかじゃなく、この幽州に生きる民なんだ。

 人命があってこその土地で、民あっての国・・・」

 そこでお姉様は一度言葉を止めて、照れくさそうに頭を掻いて苦笑しています。だけど今だけは、誰も茶化そうとはしませんでした。

「曹操殿や馬騰殿、他の多くの諸侯の人達にみたいにうまく言えないけどさ。

 この土地に思い入れはあるし、大切だと思う気持ちも凄くよくわかる。

 だけど、そうした思いをまた抱けるように、また帰ってこれるように今は・・・ 皆で生き延びるために行動しよう。

 立ち向かうとも、勝てるともいえないから、せめて皆で生き延びよう」

 我が姉ながら情けない、しまらない言葉。

 だけど、なんて優しい言葉だろう。

「はい、お姉様」

「とーぜんですよー」

「えぇ、皆で生きましょう」

「では、行動で示さなければな。白蓮殿」

 幽州の優しき領主の号令にあわない返事を返して、私達は生き延びるために行動へと移りました。

 




この後、「俺は?!」と叫ぶ人形が居たような、居なかったような・・・


次は白の予定です。


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65,準備 陳留にて 【桂花視点】

書けましたー。


「チッ」

 劉備からの親書を手にした華琳様は突然舌打ちをし、その場にいた私と春蘭がほぼ同時に駆け寄りながら、華琳様へと視線を向ける。

「華琳様?

 まさか劉備の手紙に何か無礼なことでも書かれていましたか?」

 流石に直筆且つ親書として出されたものを筆頭軍師であっても開けることは許されないと判断してそのまま華琳様へと手渡したのだが、まさか親書ですら礼儀をわきまえなかったわけじゃないでしょうね。

「いいえ。

 今後のことを見据えた民の受け入れの申し出と対価としてこちらに結構な額を渡すこと、そして最悪の事態に陥った場合はあの土地の権利すらこちらに譲渡するとまで言ってきているわ」

 華琳様から語られた親書の内容はあの劉備とは思えぬほどまともで、私は少し驚いたけれど華琳様の顔から残念そうな、無念そうな表情は消えることはない。

「華琳様、何か問題でも?」

 私は書簡を書いたのが劉備であることを疑うということ以外の問題点が見つからず、おもわず問いかけてしまう。

 親書の偽造は劉備以外の陣営からというのもあり得る上に、提示された条件で考えうる策は民の中に密偵を混ぜ、こちらの内情を探ること。他に考えられるとするなら、こちらに相応の額を払うことで私達が劉備(向こう)と繋がっていると公言する物にもなりかねない。最後の権利書に対して穿った見方をするなら、文書の内部にどうとでも取れるような表現を使ってだまし取るぐらいだろうか。

 劉備と白の遣いはわからないけれど、あの時の孔明を見ている以上油断は出来ないし、何か裏があるのではないかって考えるのは職業柄仕方ないことだとも思う。

「いいえ、ないわね。

 こちらに払う対価も、配慮も悪くない・・・ むしろ、満点の回答とも言っていいんじゃないかしら?」

 それでも華琳様の御顔は晴れない。

 内容に問題がないのなら、文面に支障があったのかと思い私が華琳様のお傍へと向かうとするよりも早く華琳様の後ろにいた黒陽が華琳様の手から書簡を奪い去ってしまう。

「・・・あぁ、そういうことね」

 黒陽は合点がいったらしく、優しい笑みを華琳様へと向けている。華琳様もまたそんな黒陽に対し、どこか不貞腐れたような表情を見せられていて、それがまたなんとも面白くない。

「華琳様、そのお心をこの桂花にもお教えください」

「ふふっ、桂花は素直で可愛いわね。

 あの時にはなかったあなたのそう言った面も、とても愛らしいわよ」

 あ、愛らしい?!

「ありがとうございます! 華琳様!」

 感動で震え、心が弾むのを感じて、私は華琳様のお傍へと駆け寄っていく。さっきの私と同じように、面白くないというのを表情に出した春蘭も私と一緒に華琳様のお傍へと駆け寄った。

 黒陽から書簡を受け取り、内容を確認してみてもおかしな所はなく、私が再び首を傾げている、華琳様は一つ大きな溜息をついてしまわれる。

 まさか、気づかなかった私に失望を?!

 一瞬、そんな焦りが脳裏に浮かぶが、華琳様は私と春蘭の頭を数度撫でてくださることでそんな不安が吹っ飛んでしまった。

 

「しかし、残念ね・・・

 こんなことをされたら、関羽を代わりに置いていけなんて言えないじゃない」

 

「華琳様?

 一体、何をおっしゃっているのですか?」

 が、その喜びは華琳様が口にした言葉によって吹っ飛び、私は生まれて初めて華琳様へと冷たい視線を向けることとなった。

「華琳様・・・」

 現に目の前にいる脳筋(春蘭)でさえ、微妙な顔をして華琳様を見上げていた。

「美髪公と称されるほどの長く艶やかな黒髪、『魔王の盾』と謳われた華雄を破った武、あの愚直なまでの忠義。白の遣いへと見せる清らかな乙女心と、劉備と並ぶ時に覗かせる使い分けられた二つの立場」

 私達からの微妙な視線に、華琳様は一切めげない。

 歌いあげられるように華琳様が口にする関羽への賛美、当然私達は面白くなく、表情は引き攣り、ただ一人華琳様の後ろに控える黒陽だけが私達を見て微笑んでいた。

 何であんたは笑ってられんのよ!

 と叫びたい思いに駆られるが、この子(黒陽)に叫んだところでのらりくらりと躱されるのが目に見えている。

「あの時のあの子は、容姿はさることながら将として申し分もなく、まさに理想的な子だったわ。でも、私はあの子自身すら知らない一面・・・ 女としての本能的な部分を曝け出したいとも思っていたのよ」

 『勿論、他の理由もあったけれど』と華琳様は付け足すが、恍惚とした表情とわずかに熱を帯びるような視線を彷徨わせつつ言っても白々しいだけです。華琳様。

「でも、今は違うわ。

 私がこの手で暴いてしまいたかった面を白の遣いが開かせ、乙女にしてしまった。そして、かつて欠陥とすら思われていた部分はもはやない。

 それは関羽個人だけではなく、劉備陣営全てに対して言えたことだけど」

 前回の連合において、大陸全土での違いはほぼ明らかになったと言ってもいい。

 私達がかつて知らなかった部分すら浮き彫りとなり、想定外の者達が多くいる中でも、劉備達の変化は人員だけであげるなら文官では法正と王平、武官としては関平と周倉、そして華佗と貂蝉。けれど、目に見えぬ変化はそれ以上に凄まじい。

 私は早い段階で劉備の智の片翼を奪い勢力の弱体化を図ったにもかかわらず、今もなお陣営を維持し、それどころか功績すらあげている。かつてもそうであったように劉備達はあまりにも危険すぎ、それ以上の改善を持ってこちらへと向かってくることはあまりにも厄介だった。

「素晴らしいと思わない? 厳しくすればするほど、あの子達は自分の道を探ろうとしていっている。

 そうさせたのは劉備の豪運? それとも天の遣いという存在? はたまた、他の要因?」

 けれど、華琳様は劉備を潰すことなく、あえて生かした。それどころか自ら成長を促し、厄介な存在になりつつある劉備達のさらなる成長に歓喜していた。

「桂花、春蘭。そう怖い顔をしないで頂戴。

 可愛い顔が台無しだわ」

「華琳様は何故、劉備を生かすのですか?」

 これは不敬だと、わかっている。

 かつての私ならこんなことを口走ることもなく、華琳様の言葉を盲目的に信じ、従っていただろう。けれど、あの陣営は・・・ 関羽は・・・!

「桂花、あなたの問いも、怒りももっともだわ。

 いいえ、きっとあなたのみならず、多くの子達があなたと同じ怒りを抱いているでしょう」

 冬雲の顔に刻まれた深い傷跡、偃月刀による刀傷。

 一度ならず二度までも、私達からあいつを奪おうとしたことが許せなかった。そして、その想いは私達将だけにとどまらず、冬雲の人となりを知っている民達の思いでもあった。

「私はあの子達に期待しているのよ。

 私と対峙するに足るだけの存在になるかもしれない劉備にも、冬雲とはどこか似た白の遣いにも、勿論関羽にも。

 けれど、それは『覇王』としての私の都合でしかなく、『女』としての私はあなた達と同じようにあの子達を殺してしまいたい思いも確かに存在している」

 華琳様はそこで言葉を一度区切り、今は空白の左側(冬雲の定位置)へと視線を移す。

 冬雲は現在、劉弁様・劉協様の安全を確保するために雛里と樹枝、詠の三名を連れて水鏡女学院へと向かっている。立場的にも華琳様がお二人を迎えに行くという案も出たが、いつ誰に攻められるかわからない現状において君主である華琳様が留守にすることも、護衛を連れるとはいえ少数での行動はすべきではないという判断の結果だった。

「あなた達の気持ちがわかる以上、私は関羽を許せとも、憎むなとも命令することは出来ない。

 そしてその上で、私は関羽を欲することをやめることは出来ない」

 どこまでも堂々と、華琳様は私達に告げる。

「全ての才の輝きが愛しく、美しい者を好み、手中に収める。

 あなた達も知っている通り、私はとても欲深いのよ」

 そう言って華琳様は右の(てのひら)を握りしめ、心底楽しそうに笑みを浮かべられる。

 向き合った相手も自分の手中に収め、全ての美女・美少女・美幼女は自分(華琳様)のもの。その欲深さこそが(曹操)であり、(華琳)だとでも語っているようだった。

「私の愛しき大剣」

「はっ!」

 華琳様の右にいた春蘭がすぐさま応え、華琳様は満足げに笑う。

「私の愛する王佐の才」

「はい!」

 返事をすれば、華琳様の手が私の顔を撫でてくださった。

「私の最愛なる影」

「はい」

 黒陽が返事をし、私達は恭しく華琳様へと頭を下げた。

「春蘭、月と霞の調練の様子はどうかしら?」

「はっ!

 月は圧倒的な武をもって調練に参加し、霞は一部隊を任されていただけもあって騎馬隊を扱うのが見事です!」

「実戦投入には、あとどれくらいかかるかしら?」

「隊を任せるのであれば、霞はすぐにでも。

 月に隊を任せるのは、あとひと月かかるかと」

 春蘭(脳筋)の珍しいまともな返答に華琳様は満足げに頷き、次に私へと視線を向ける。

「桂花、幽州への樟夏の派遣は予定通りに行ったわね?」

「はい! 今頃には幽州についているかと思われます。

 また、入れ替わりにやってくる幽州の民の受け入れも滞りなく行える準備は終えています」

「千里は?」

「現在は留守にしている雛里の替わりを担い、実行するだけの実力があります。

 さらに、戦場に立たせるならば霞と組ませるのがよろしいかと」

 冬雲達とほぼ同時期に樟夏もまた幽州へと向かい、三兄弟全てが陳留を留守にしている。そんな中で行われているのは、霞を始めとした元董卓軍所属の将兵達の実力を調べ、すぐに実戦へと導入できるような基礎の調練だった。

 幸いないことに順応能力も、実力も高かったため誰一人として遅れるようなことはなく、順調に行われている。

「黒陽、諸侯の動きは?」

「呉では袁術が玉璽をもってはしゃぎ、孫家が討伐へと動き出しているようです。

 袁術が長くないと判断した一部の将兵は、周囲の諸侯を手柄にするつもりなのか軍を整えています」

「他は?」

「西は変わらず、袁紹軍は読み通り。

 他に大きな動きは見られませんが、いずれも警戒態勢を敷いています」

 そこで華琳様は満足げに頷き、玉座から立ち上がられた。

「さぁ、出迎えの準備をしましょうか」

 『誰か』を断定することもなく、華琳様は歩み出す。

 出迎える相手が劉弁様達なのか、それとも民なのか、はたまた向かってくるだろう諸侯達なのか。

 否、華琳様は全てに対して口にし、向かってくる者に対等に向き合っていかれる。

「ねぇ、麗羽。

 まずはあなたとの決着をつけましょうか」

 華琳様が呟かれた小さな言葉を私達は聞き取ることはなく、華琳様の指示の元で私達はそれぞれの持ち場へと散って行く。

 

「けれど、寝取りもありね」

 

 去り際に華琳様が囁かれたその一言に、全てが台無しになった。

 




次の次ぐらいで冬雲の視点に戻れますが、次もまた別の視点を本編にて明かそうと思います。

さぁ、どんどん書いていきますよー。


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66,呉にて 暗躍 【七乃視点】

週末忙しくなるので、今日投稿します。
感想の返信も日曜か、月曜になると思います。

恋姫の公式において、『唯一の悪人』と呼ばれる彼女の視点をどうかご覧あれ。


「美羽様、ちゃんとお休みになられましたかー?」

 小さな声で寝台の上で眠る愛らしい幼子の顔を覗けば、そこにはそれはもう可愛らしい寝顔を見せてくれる愛すべき美羽様が眠っていました。

「あぁ、なんて可愛いんでしょう。

 もう、食べちゃいたいですねぇ~」

 寝顔を脳内に刻み込み、木彫りにおこす際の感覚をしっかりと脳内で再現していると手がついつい動き出してしまいました。

 私個人で楽しむのもありですけど、美羽様の人形を欲しがる方は多いですからそちらにも良いお値段で売るとしましょうかね。美羽様の可愛い姿が見たいとか舞蓮様も書簡でおっしゃってましたし、何か有益な物との交換で差し上げるとしましょう。

「うぅ~、七乃、雪蓮姉様・・・」

 美羽様が瞳を閉じながら私を呼んでくれることに舞い上がりかけましたが、余計なのもついていますねー。

「それは駄目なのじゃぁ~・・・ うぅ、蓮華姉様が・・・」

 あらあら、夢の中の私達は何をしでかしているんでしょう。

 右手では毛布をかけ直し、左手は美羽様の綺麗な御髪(おぐし)と額を撫で、最後の仕上げとして可愛らしい額に口づけを落とす。

 雪蓮さんにばれたら酷いことになりそうですけど、これは美羽様の幼い頃から御傍にいる私の特権ですから、誰にも譲りませんし教えてなんてあげません。

「美羽様、どうかよい夢を」

 私は美羽様が起きない程度の声で囁いて、御部屋を後にしました。

 

 

 

「うまくいってるようですねー」

 美羽様の御部屋を出た後は、当然お仕事です。

 普通なら昼間にやるんでしょうけど、なるべく美羽様の御傍にいるためにはこの手の事務仕事はどうしても夜になってしまうんですよね~。

「まぁそれも、私がやっていることがやってることだからなんでしょうけど」

 そう言って私は覚えてしまったり、不要になった報告書を火にくべて処理していると、背後に黒い髪が揺れていました。

「そろそろ来る頃だと思ってましたよ、明命ちゃん。

 噂とか、あっちとか、こっちとか、うまくいってます?」

「七乃さんの所に来ると、自分が隠密であることに自信を失くしそうです・・・」

 大人しく姿を現して私の前に立った明命ちゃんの手にはいくつかの書簡があり、私は先程空きを作ったばかりの机の上へと乗せてもらいました。片づけてもすーぐいっぱいになっちゃうんですよねぇ。

 今夜は少し寝ないで頑張って、明日の美羽様の御昼寝の時間に私も寝るとしましょうかね。勿論、美羽様を抱き枕にして。

「明命ちゃんが残念な隠密である事実は脇に置いといて、美羽様が馬鹿なことをしてることは呉の民だけでなく、順調に諸侯達にも広がっていっているようですねー」

 一番上に置かれた書簡を軽く眺めつつ、策の進み具合に私は頷きます。

 まぁ、明命ちゃんだけでなく、思春ちゃんとかの呉の隠密達を総動員して流している噂なので当然とも言えるんですけどね。噂を流すのは隠密だけじゃなく、軍の上層に位置する人達が口にして兵達が聞いていれば民にも簡単に広まりますし、耳聡い商人達がそれらを聞き逃すなんてありえません。

「玉璽を人のお尻に押してみたり、玉璽を掲げて無駄に街を練り歩いたり、皇帝を自称して得意げに民を侍らせる美羽様はなんてお馬鹿で可愛らしいんでしょう。

 しかも策だから仕方ないとはいえ、玉璽をそんな使い方をしている罪悪感に苦しんでいる美羽様もなんて嗜虐心が煽られて・・・ あぁもう、たまりません・・・!」

 戻ってくるなり肩を落として、玉璽をビクビクしながら丁重に扱う姿がもう言葉に出来ないほど可愛いんですよねぇ。

「私、美羽様の貞操がとても心配になりました・・・」

 私がそんなことを考えていると視界の隅に映った明命ちゃんが少しだけ青い顔をして、美羽様の部屋がある方向へと視線を彷徨わせています。

「心配なんてしなくて大丈夫ですよ~。

 だって私が責任持って、ちゃーんといただいちゃいますから」

 その時こそ雪蓮さんとの決着をつけるときになるんでしょうけど、勿論私は負けるつもりなんてありません。

 勝負なんてようは如何に自分が勝つような試合を作れるかが鍵なんですから、あの猪突猛進な雪蓮さんにそんな高等なことは出来ないので大丈夫でしょう。力押し(脳筋)だからこそ油断出来ないのも事実なんですけどね~。もしくは冥琳さん辺りが協力しなければですが。

「それは大丈夫とは言わないと思います・・・

 というか、美羽様の可哀想な時が好きとか・・・ 本当に美羽様の臣下なのかを疑いたくなっちゃいますよ・・・」

「ふふふ、わかってませんねぇ。明命ちゃん。

 私の美羽様への愛を、そこらに落ちている愛と一緒にしないでくださいよぉー。私は美羽様のどんな表情も愛しく、心から愛しているんですよ。

 笑った顔も、怒った顔も、泣いた顔も、それらを一番に見るのは私であってほしい。

 なので、私は美羽様を守るこの位置を誰にも譲りません。

 美羽様が誰かに本当の恋をするまで・・・ いいえ、恋してなおも私が美羽様の御傍を離れるなんてありえませんね」

 恋焦がれて、落ちては実らせようとする恋なんかとは違う。かといって、雪蓮さん達のように親同士が知り合いというわけでもなく、古くから袁家に仕えているわけでもありません。当然、血の繋がりがあるわけでもない私と美羽様は言ってしまえば本当にただの他人同士。

 けれど逆手に取ってしまえば、私が美羽様を大切にすることに理由なんていらないということ。

「愛することは理屈なんかじゃないんですよ」

 『愛』とは何も『恋慕』だけを指し示すわけではないのですから。

「最後の一言だけなら、まともそうに聞こえるんですけどね・・・」

「失礼しちゃいますねー。

 その言い方じゃ、まるで私がまともじゃないみたいじゃないですかー。少なくとも、雪蓮さんや槐さんよりはまともなつもりですよ?」

 雪蓮さんは頭があれですけど、槐さんは頭がいいのにあれですからねぇ。

 今まで会ったことのない変人だったので出会った当初は驚かされてばかりだったものでしたし、扱いがわかると報酬が本一択でいいので結構楽でしたけど。

「まぁ、それはともかくとして・・・」

「七乃さんが率先して話を逸らしてた癖に?!」

 明命ちゃんからもっともな文句が出ましたけど当然聞こえないフリをして、机の一番上の段から先日美羽様に作って差し上げた木彫り(にゃんこ)の余りを投げておきます。

「お、お猫様あぁぁぁーーー!」

 なんだか必死に受け取ろうとする姿を見てると、今度柘榴さん辺りに海に向かって思いっきり投げてみて貰いたくなりますねー。いつもこっちとあっちの連絡役をしてくれてるお礼の品なので、流石にそんなことはしませんけど。

「で、どうでした?

 私が唆した人達はうまく動いてくれましたかね?」

「あっ、はい!

 袁術軍の一部の将兵は七乃さんの予想通り軍備を整えて、どこかに侵略活動をするようです。そして、その矛先はおそらく・・・」

「劉備さんか、曹操さん、と言ったところですよねー」

 私が言葉を続ければ、明命ちゃんは頷いてくださいました。

 まっ、当然ですよね。私がそう言う風に誘導しましたし、そのために美羽様があんなお馬鹿な行動をしてもらっているんですから。

「その、お聞きしてもよろしいですか?」

「はーい?」

 明命ちゃんの控えめな発言に問い返せば、ややうつむきがちに尋ねてきました。

「この策は一体、何を目的にしているんですか?」

「あー・・・ 槐さんとか冥琳さん、それから穏ちゃんか亜莎ちゃん辺りに聞いてません?」

「はい・・・

 『これの発案は槐だが、主軸を担っているのは七乃だから当人に聞け』と言われまして」

 うわぁ、私に説明をぶん投げましたか。どっちが言ったか知りませんけど、発案の発端となったのは槐さんの行動なんですけどね。

「えーっと・・・ どこから話しましょうかね。

 まず、美羽様にお馬鹿な行動をしてもらった理由はわかりますか?」

 普段あまり下の者に説明とかしないので、人にものを教えたりするのって苦手なんですけどねー。

「はい。

 それは美羽様を袁家から遠ざけるために必要な手段だと」

「うーん・・・ 正確には違いますねぇ。

 この策の全てが美羽様を袁家から切り離すための策であり、それは始まりでしかありませーん」

 これは策であり、儀式。

 美羽様を守るため、大陸のしがらみから解放させるために用意された大袈裟で、大掛かりな儀式。

「まず美羽様に奇行を演じてもらうことによって、元々険悪な関係を演じていた中に孫家が私達を討つに足る明確な建前を用意しましたー。

 当然、この軍の武なんて大したことありませんし、すこーし噂を弄って孫家の恐ろしさをありのままに耳に入れておきます」

 美羽様を(たか)ろうとする邪魔な虫をあぶり出し、元となる関係も断ち切り、こちらに火が飛ばないように念入りに隔離していく。

 儀式の生贄は哀れな虫、祓うは呪いにも似た袁家という繋がり。

 そして、守るべきは美羽様と美羽様を守ろうと包み込む同朋と言っても過言ではない獣達。

「すると、もう袁術は長くないとわかった将兵達はここを見限り、その中でも袁本家と繋がりがある者達はただでは帰れないと思って、劉備さんや曹操さんを始めとした近隣諸侯さんにいろんな迷惑をかけて凱旋しようとするんですよ」

 私がそこまで言いきってニコリと笑うと明命ちゃんの表情は固まり、顔は少しだけ青くなっていってしまっていますね。

 あらあら、こんなことで怖がったら、槐さん達の前になんて立てないと思うんですけどねぇ? 何せ槐さんはこれを見越して玉璽を確保し、私に投げて寄越したんですから。

「けれど彼らは愚かで、馬鹿で考えなし。袁家に縋って甘い汁を吸うことしか考えにありません。

 彼らはきっとどちらの軍に向かっても・・・ いいえ、軍を割って両方に向かっても大したことは出来ず、まず間違いなく返り討ちにあい、ぼろぼろになっちゃうでしょうね」

 私があっけらかんと言い放つと、明命ちゃんの表情には驚きの方が強くなっているように感じられました。

 まぁ、驚きますよねー。

 ましてや『自分達の土地を守りたい』と思って動いている孫家の方々には、まず理解できないことでしょうから。

「ま、さか・・・ そんな兵の命も、土地も失うような策を・・・」

 兵の命、土地・・・ 私にはどうだっていいようなことばかりですね。

 そんなもの、いくら失ってもかまわないんですよ。

 その程度で美羽様を守れるなら、叡羽(エイハ)様の時のようなことを繰り返さずに済むのなら、私は喜んで差し出しましょう。

 ただ一輪のために周囲が枯れ果てても、その花が美しく在り続けるに必要だというのなら仕方ないですよね?

「ねぇ、明命ちゃん。

 『弱い』ってことは、善良なんですか?」

 正直、私には劉備さんの『民や弱い人達を守る』っていう考えは理解出来ません。

 弱いって、そんなに尊いですか?

 弱いということが純粋であり、善良で、慈悲に溢れて、美しいことなんですかー?

 弱いから嫉妬して、奪おうと野望を燃やして、人の影に隠れてあたかも自分は被害者だとでも偽ることが正しいんですか?

 強者同士のぶつかり合いの果てに生まれた敗者へと、泥を投げる者達が善良なんですか?

「え・・・」

 私の理不尽な問いに戸惑う明命ちゃんが憐れなので、私はいつも通り笑って首を振りました。

「私は、ぜーんぜんそう思ってません。

 命令でやったから、家族を脅されたから、弱いなりにも守りたかったから・・・ 理由はいろいろ浮かびますけど、『だから、自分は許してほしい』なんて言って命を乞う奴なんて塵以下だと思うんですよね。

 もっと言ってしまうと私は別に美羽様が生きていればいいですし、美羽様を包む環境が優しいものであるなら、誰がどれだけ死んだってかまわないんです」

 民の命は優しい美羽様の希望もあって出来る限りは被害が出ないようにしてますし、劉備さんや曹操さんの所に突っ込んでいくのも厳選しましたけど、美羽様の御言葉がなければ私は証拠隠滅のために皆殺しにするつもりでした。

「それに仮に孫家(雪蓮さん達)が袁本家とぶつかるつもりなら、少しでも時間を稼いだ方がいいでしょう?」

 いらない人員も切り捨てられますし、土地を奪われても曹操さん達が整備してくださいますし、袁本家からこちらを守る壁にもなってくれる。なんて素敵な策でしょうね。

「明命ちゃん、いいですか?

 大切なものはけして揺るがしてはいけませんし、増やしてはいけないんですよ。

 私は美羽様を守るためなら一切容赦はしませんし、美羽様とその環境以上に守りたいものなんてありません」

 もしこの考えが純粋な悪であったとしても、誰かに『悪だ』と罵られても、それすら私にはどうだっていいんです。

 何故なら私に、大切なもの以外への関心なんてないんですから。

 

 

 私の言葉の後、しばらく重い沈黙が訪れてしまったので明命ちゃんにお茶とお菓子を振る舞えば、どうにか柔らかな空気になってくれました。

 あんまり言い過ぎると仕事にも支障をきたしますし、冥琳さん達にも何か言われかねませんからね。

「その、七乃さん・・・

 さっきの言葉の中に、私達は含まれているんでしょうか・・・?」

 不安そうに向けられる視線に、言い過ぎてしまったことを少しだけ後悔してしまいますねぇ。

「こうしてお茶を出したり、お菓子を振る舞う時点で気づいてくださーい。

 あなた達孫家は美羽様にとって、なくてはならない環境ですから」

 蓮華さんから袁術として死んだ美羽様の公の名前も、提案されているぐらいですからねぇ。孫皎(そんこう)、とか言ってましたっけ?

「そうですよね。すみませんでした! それとありがとうございます!

 私、もう行きますね!!」

「いえいえ、私もつい雪蓮さんにするときのような感覚で言葉をきつくしてしまいました。

 あ、それから一つ、蓮華さんに『雪蓮さん達の行動には気を付けた方がいいですよ』って言っておいてください」

 椅子から立ち上がって窓から出ようとする明命ちゃんを呼びとめて伝言を託せば、『今更言うまでもないような・・・』という苦笑が浮かびますが、私は大袈裟に肩をすくめてさらに言葉を足しておきます。

「動き出すのは、何も外だけとは限りませんからね。

 とにかく、雪蓮さん達には気を付けてー」

 明命ちゃんの姿が消えたことを確認しつつ、私は一つ溜息を零してしまいました。

「まぁ、本当は雪蓮さんがやることなんて半分くらい予想がついてるんですけどねー」

 全部教えてあげてもよかったんですけど実行に移したい雪蓮さんの気持ちもわかりますし、冥琳さんと柘榴さん、槐さんにずっと呉に籠ってろなんて酷でしょうから。

「それに、これも必要なことですからね」

 美羽様は悲しまれるかもしれませんけど、雪蓮さんにしては頭を使った方だと思いますし、私も援護してあげるとしましょう。

「雪蓮さん達に、一つ貸しを作るとしましょうか」

 そう言って私は、鼻歌を歌いながら雪蓮さん達が飲んだくれてるだろう酒家に向かって歩き出しました。

 




流石七乃、黒すぎる(褒め言葉)
彼女にとって孫家は、自分の可愛い美羽を守ってくれる幼馴染のような存在なのです。

次も本編。主人公の視点に戻り、数話ほど続く形になると思います(連続投稿という意味ではない)


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67,水鏡女学院へ 道中 出会い

サブタイトルが微妙ですが・・・ 仕方ない。

さぁ、書けました。どうぞ。


「ねぇ、樹枝。

 ちょっと不思議に思ったこと、聞いてもいいかしら?」

「何ですか? 詠さん」

 俺と雛里、樹枝と詠殿の前後二人ずつに分かれて水鏡女学院へと馬を進めながら、会話する二人の声へ少し意識を向けておく。

 仕事を共にしていただけあって二人の会話は多く、無意識なんだろうが男女でありながら距離感も近く、お互いそれなりに信頼している様子は同僚という括りこそ抜けていないようだが仲睦まじいことに変わりはない。

 このまま順調にいけば、華琳と話していたことは杞憂に終わるかもしれないなぁ。

 

「あんた、なんで男物の服を着てるの?」

 

「え?」

 その発言に俺のみならず隣に並んでいた雛里も振り返るが、詠殿の目はあくまで真剣そのもので、その視線にさらされる樹枝の精神力が減っていくのがこちらから見ても明らかだった。

「これが通常ですから!」

 樹枝はすり減った精神力のものともせずにツッコミ返すが、詠殿はそうではないというように首を振って、何故か前の雛里を指差す。

「いや、流石にそれはわかっているわよ。

 けど、水鏡女学院について知ってる人の話を聞きに千里とあんたの叔母の所に行ったら、前の時は女学院の制服を着て行ったってことを聞いたのよ。

 あんたがどうして最初に訪れた時に性別を偽ったかは知らないけど、顔見知りとしていくなら女装をしないといけないんじゃないの?」

「姉上えぇぇぇーーーー!

 というか、千里さんはほんの少し見かけただけですよね?! 何で僕が女装してたって知ってるんですか?!」

 ツッコミをいれるべき点はそこじゃない気もするが、樹枝の中で一番理不尽なのはその辺りだろうな。

 というか、そんなことした・・・ んじゃなくて、桂花がさせたんだろなぁ・・・

「詠さん、あれは姉上の悪い冗談でして、けして僕の意志ではありません!

 というか、洛陽での女装の件もしっかり説明しましたよね?!」

「千里じゃないんだから、普通は公式の場でそんなことをさせるわけないじゃない。

 洛陽の件もそうだけど悪ふざけにしては度が過ぎてるし、女装をさせる意味がこれと言って浮かばない以上は何かの策なんでしょ?」

 詠殿から出た思わぬ言葉に、それどころではない樹枝に替わって頭を抱える。

 そりゃ、華琳達の人となりをまだ理解しきれてない詠殿にはほとんど全部が悪乗りだとは思わないだろう。

 そもそも洛陽に入ること自体『出来たら良い』程度の希望でしかなく、もし仮に洛陽で仕官できなかった場合は水鏡女学院に派遣して、多くを学ばせようとするつもりだったということも華琳と桂花の口から聞いている。その際に樹枝が洛陽に入り女官に採用されるまでの詳細を聞いたが、あれは酷かった。

「あとで説明させてください・・・」

「では、僭越ながら私が説明を・・・」

「緑陽! お願いですから、あなたは黙っていてもらえますかね!」

 げんなりと肩を落としかけた樹枝へと追い打ちをかけるのは影から飛び出て来たのは緑陽であり、この子も樹枝の話題となると嬉々として影から出てくるよな。洛陽関係で何かと供をするようになってからその距離感も他と比べればいくらか近いように感じるし、まさかな。

 現に今も肩を落としかけた樹枝は彼女の一言によって持ち直し、怒鳴る元気を得てるように見える。勿論、けして褒められた方法ではないが。

「よ、よくお似合いでしたよ?」

「嬉しくない褒め言葉ありがとうございます!」

 雛里なりの助け舟を出すが、傷口に塩を塗る行為でしかない。

「ま、まぁ! そうでなくても卒業生である雛里も居るし、桂花にも一筆書いてもらってるから大丈夫だろ。

 それでも駄目な時のために、千里殿からも一筆貰ってるしな」

 場の空気を誤魔化すように俺が言えば、なんとか樹枝への追い打ちは終わってくれた。

 念入りしすぎだとは思うが、劉弁様と劉協様をお迎えに行く以上失態はないに越したことはない。護衛という面での不安は拭えないが、下手に厳重な警戒をして侵略行動と思われても厄介だ。

 そのため今回は常に俺の影に居る白陽の他に、青陽と緑陽もついて来てくれている。現在、樟夏と共に幽州との連絡役を担うために橙陽も陳留を離れ、残りの四名が留守番という割り振りとなっている。

「劉協様、か・・・」

 ほんのわずかな間だけ関わったあの時の劉協様(千重)のことを思い出し、思い出を探すよう視線を遠くに向けてしまう。

 魏の将ではない千重が記憶を持っている可能性は低く、おそらくは同じ名前・同じ時代の、違う時の流れの別人だろう。

 この大陸でもっとも尊い帝の血を引いた高貴なる方に、俺はあの時とは違う立場で向き合うことになる。

「冬雲さん? どうかしたんでしゅか?」

「いや、なんでもないよ」

 寂しくないなんて言ったら嘘になる。だけど俺にそんなこと言う権利はないし、華琳達に記憶があるのが既に過剰な幸福なんだ。これ以上望むなんてあまりにも贅沢が過ぎるだろう。

 これからの関係がどうなろうと、あの時のように言葉を交わすことが出来なくても、俺は俺に出来ることを全力で行うことに変わりはない。それにかつて彼女が負い目に感じていた劉弁様の死がなくなったことを考えれば、事態は好転していると言っていい。なら、それでいいんだ。

「そう言えば雛里、この後の道はどんな感じなんだ?」

「あっ、はい!

 もう少し行けば一つだけ大きな集落があって、そこから半日ほど馬で進んでいけば水鏡女学院に到着します」

 思考を切り替えるために雛里にこの後のことを聞けば、答えは簡潔なものだった。

 教え子達によって実力だけを世に知らしめながら、その所在も、師である司馬微も謎に包まれたままの水鏡女学院。近くの集落に行くのに片道半日もかかる場所にある女学院はやはり辺境だと思うが、そんなところにあるからこそ才ある者を守ることも出来たのかもしれない。

「じゃ、一度そこで休憩してから水鏡女学院に行くか。

 帰りのために馬か、馬車を調達することになるだろうし、その下見も兼ねて集落を軽く見て回っておこう」

 俺の言葉に三人が頷くのを確認してから、この先にある集落へと進んでいった。

 

 

 

 集落についてからは馬と馬車を確認する俺と雛里、市場を確認する樹枝と詠殿に分かれて行動することにし、集合場所と決めた茶屋で解散した。

「だけど、暇だな・・・」

 女学院時代、月に数度あった買い出しなどで雛里はここを訪れていたらしく、知り合いを通してさっさと馬と馬車の手配を終えてしまい、一足早く雛里と茶屋でくつろぐとなった。

「私は・・・ 嬉しいです。

 その、役に立てたこともですけど・・・ 冬雲さんをこうして独り占めすることが出来て・・・」

 言いながらも大きな帽子で恥ずかしそうに顔を隠す雛里の嬉しい不意打ちに頬が緩んでしまい、帽子越しに頭を撫でてしまった。

「じゃぁ、暇とか言って申し訳なかったかな?

 雛里とこうして過ごすことが出来てるんだから」

「い、いえ! そんな・・・ 謝られるようなことじゃないでしゅから!」

「うーん・・・ 何かお詫びしないと」

「そ、そんな大袈裟にしなくていいです・・・」

 当然本気だが、言葉的にはやや大袈裟にしている自覚はある。だけどそれは、目の前で慌てたように手を動かす雛里が可愛いから仕方ない。

 でも、何がいいだろう?

 どうせ贈るなら常に身につけられるものがいいけど、制服とか帽子は気に入ってるようだし、雛里は文官だしなぁ。

「冬雲さん? その、聞いてますか?」

「大丈夫大丈夫、聞いてる」

 目元につけてる仮面に触れつつ、雛里をじっと見ながら贈り物を模索する。

 文官だから筆の類でもいいんだろうけど、常に使うものだから上等な物を持ってそうだしなぁ。お菓子を作るのが趣味だから材料とかでもいいんだろうけど、それだと多分俺達に振る舞って終わるだろうし、かといって俺の権限じゃ休みとかを得ることは出来ない。となると装飾品が妥当なんだけど・・・

 首元は作業するのに邪魔かもしれない。指輪はいいかもしれないけど、俺が照れくさいからまだ贈れない。

「帽子飾り、かな・・・」

「冬雲さん、聞いてませんよね?」

「大したものじゃないから、贈らせてくれよ。

 ちょっとしたお詫びなんだからさ」

 注文した茶菓子を摘みながら笑えば、雛里もようやく観念したらしく呆れたような溜息を零していく。

「はぁ・・・ 一つ一つにお詫びなんてしてたら、冬雲さんはすぐに破産しちゃいますよ?」

「そこら辺は考えながらやってるから、大丈夫さ」

 俺のことを皆して無欲っていうけど、欲しいものを尋ねたら『冬雲一日占有権』とかを素で答える皆も大概無欲だと思う。あっち(天の国)じゃ『物より思い出』とか何かで言ってたけど、物を贈ってもらったっていうのも一つの思い出なんだから両方あってこそのものだと思うんだけどなぁ。

「お客さん、すみません。

 お一人の方と相席になってもよろしいでしょうか?」

 店員からの言葉に人見知りの強い雛里に一応視線で確認すれば頷いてくれたので、俺も笑顔で了承する。

 すると、店員の影から現れたのは

「ごめんなさいね」

 薄紫の長い髪を揺らし、鮮やかな肩掛けを羽織り、豊満な胸を揺らしながら、布に包まれた背丈ほどの何かを手にした女性が立っていた。

 そこに居たのはかつて秋蘭と共に弓の名手として知られた黄漢升、その人であった。

 

 

「いてっ」

「冬雲さん・・・」

 突然走った手の甲の痛みを確認しようとすれば、俺の手の甲を伸ばしていた雛里の指があり、指先から雛里の顔へと視線を辿れば何故かその頬は風船のように膨れている。

「いや、あの・・・ 別に見惚れてたとかそう言うんじゃないんだけどなぁー?」

 聞き入れてもらえないことを承知で口にすれば、当然雛里は拗ねたようにそっぽを向いて本当に小さな声で『知りません』なんて言ってくる。

 こういう時だけ、この面子の中で記憶を持ってるのが俺だけというのが辛い。説明できないし、言い訳出来ない。

「ふふっ、なんだか別の意味でもごめんなさいね」

 笑ってる時点であんまり悪いとは思ってないだろうし、むしろ面白がってるようにしか感じられない。

「いや、こちらこそ不躾に見つめたりなどして申し訳ない」

「どうかお気になさらず。

 彼の英雄である方に見惚れられるなんて、友人に自慢したくなるようなことですから」

 あー・・・ やっぱりばれるよなぁ。

 この仮面も目立つし、白髪も目立つ。劉協様達を迎えに行くのに身分を隠すような服装は出来ないし、旅時において完全な正装も出来ないから外套を被って隠す程度しか出来なかった。かといって仮面を取ったら傷のせいで人相が悪いとかで悪目立ちし、目立たないで行動するということは出来ない。

 英雄という所でやや声量を押さえてくれたのが、黄忠殿の優しさだろう。

「申し遅れました。

 私は黄忠。つい最近まで劉璋様の元に仕え、太守をしていたものです。

 お二人は曹仁様と、『鳳雛』である鳳統様でよろしいですか?」

 ん? していた(・・・・)

「お辞めになられたのですか?」

 俺達の正体を当てていく黄忠さんの言葉に頷き、互いに軽く頭を下げ合うが途中の言葉に引っ掛かりを感じておもわず問い返す。

「えぇ。ある方の薦めもあり、娘を連れて一線を引こうと思いまして。

 一度は娘を連れて女学院まで行ったんですが、引継ぎなどに少し時間がかかってしまいいまして・・・ なので、久し振りに娘と会えるんです」

 娘さんのことを語る黄忠殿は本当に嬉しそうで、つい先程見せた微笑みよりも母としての表情の方が好きだなぁと思ってしまった。

「それがいいかもしれませんね。

 女学院はとても安全な所ですから」

 周囲から隔絶した場所と、荀家という名家に守られる以前からその実力を持って一つの聖域として成り立ってきた私塾。それがどれだけの偉業であり、不可解なことなのかは語るまでもない。創設者である司馬微には、底知れない恐ろしさを感じる。

「こんな辺境に英雄であるあなたが何の御用で?」

「少々水鏡女学院に用がありまして、ここで義弟と仲間を待っているんですよ」

 この辺りで他にあるものは水鏡女学院しかないので、黄忠殿も俺達が向かう場所には察しがついていただろう。

「行く場所が同じなら、同行してもかまいませんか?

 情報の入りにくい山の奥にいたもので、隠居前に大陸の現状についてもお聞きしたいので」

 黄忠殿の言葉に俺は少し考えかけるが、馬車について聞かれても雛里の私物を運ぶことにすればいいだろうし、劉協様達についても語る必要はない。

 それにしても弓の名手である黄忠が隠居、か。

「かまいませんよ。

 では、義弟達が来るまでの間、三人で交流を深めるとしましょうか」

「ふふっ、本当に噂に聞く通りの方なのね」

「噂?」

「曹の名の下に仁を持ち、まさにその名の通りの方。

 自他の隔てをおかず、一切のものに対して親しみ、慈しみ、情け深くある方だと山の奥を訪れる商人まで口を揃えてそう語る。

 持ちうる武を人のために振るい、持ちし智を民のために使う。彼こそ正に英雄だ、と」

 持ち上げられすぎて最早自分の事とは思えず、他人事のように聞こえてくる。

 天和達の効果かなー? それとも司馬姉妹の情報関係なのか、はたまた華琳の狙いなのかはわからないけど、広まりすぎじゃね? というか、やめよう?! あんまり持ち上げすぎると、本人に会って実際に話したりしたらがっかりするからさぁ!

 机に肘をついて腕に頭を預けて俯く俺を見て、二人が笑った気がした。

 

 




まだまだ、水鏡女学院に続きます。

次も本編。この続きを書いていきます。
来週はいろいろ用事がつまってますが、週一投稿頑張りますよー。


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68,水鏡女学院 到着

週末忙しいので、今日投稿します。
それに伴い、今回も感想返信遅れます。返信できるのは月曜か、火曜です。
明日の早朝に一度確認するので、今日の深夜の感想は返せるかもです。

ようやく、あの子が出せます。
さぁ、どうぞ。


 あの後、詠殿と樹枝とも無事に合流し、半日(六時間)かかることから集落で一度宿泊するかどうか迷ったが、昼前だったこともあり、軽い軽食を取ってから出発することになった。

 仮に野宿になったとしてもそれなりの準備はしてあるから問題はないし、女学院には日暮れ前には到着できる予定だ。道が悪いことで到着が遅れる心配も多少はあったが、雛里が道を知っていたこともあり、広くはないがどうにか馬車を引いていける道を確保することも出来た。

 それにしても黄忠殿、か。

 前は噂で聞いたり、戦場で遠目から少し見ただけの存在だった。俺が知っている彼女は精々史実の知識でもあり、あの時の役職でもあった五虎将の一角であること。そして、秋蘭と同じ弓の名手だったぐらいだ。

 史実において老将と言われていたことも考えれば相応の年齢の可能性はあったが、そんなことを言ったら孫権殿と曹操(華琳)がほぼ同年代ということがおかしくなるのであてにならないことは確定済みだったしな。

 改めて彼女へと視線を向けると、そこにはこれまで会ってきた近しい年齢だろう舞蓮や馬騰殿とも違う、柔らかな雰囲気を持ったどこか余裕のある大人の女性がいた。

「黄忠殿は現在の大陸について、どの程度情報を知っていますか?」

 長時間黙って見ているのもどうかと思って当たり障りのない言葉を向ければ、雛里を挟んで向こう側に居る黄忠殿の瑠璃色の瞳がこちらへと向けられる。

 華琳と同じ蒼なのに、色の深さで全然印象が変わるんだな。

「黄巾の乱を曹操殿が治めたこと、反董卓連合が逆賊董卓の生死不明によって片が付いた程度ですね。

 それ以降の情報はあまり入ってきていませんでしたけど、洛陽が火に包まれ、二人の御子は行方知れず・・・ 誰の目から見ても大陸が不安定になっているのは明らかですから」

 少しだけ不安そうに顔を伏せつつも、その表情に行動を迷ったり、悲しみなどは見られない。

「だから、隠居を決意されたのですか?」

 現に彼女は俺の次の問いかけにすぐ顔を上げ、真っ直ぐ前を見据えながら言葉を続けていく。

「太守として、この状況だからこそ守らなければと思ったのですが、『守るものが居るのなら、そちらを優先せぃ』とある方に一喝されてしまいました。

 それに加えてある友人は女学院への推薦書をしたため、戦友とも同僚とも言える人が背を押してくれたので、その好意を受けて弓を置くことを決意しました」

 微笑みながら告げられる彼女の選んだ道。

 もし、武人たる者がここに居たら彼女を責めたのかもしれない。いいや、太守としても『それは逃げだ』と非難したかもしれない。

 だが、俺はそんな彼女を強いと思った。

 そして同時に、その強さが眩しすぎて俺は不自然に思われない程度に彼女から目を逸らそうとする。

『あなたの後ろめたさに、私達をいつまでも引き摺らないで』

 その瞬間、どこかで聞いたことのある声が俺の耳元を通り過ぎ、おもわず目を見開く。

『大丈夫、私もあの子達もあなたと会うことを諦めてなんかいないから』

 え? それ、どういう意味だよ?

 わけがわからず怪しまれないように視線だけを彷徨わせるが、俺達の周囲に他の気配はない。

「冬雲様、いかがなさいましたか?」

 白陽が耳元で尋ねてきたので、俺はなんでもないと首を振り、一応周囲の偵察を頼むことにした。

「母は強し、ですね」

 さっきの声はわからないが、腹を痛めることのない男親には想像することなんて出来ないほど母の愛とは強いものなのかもしれない。

「えぇ、強いんです。でも、それは男も女もそう変わりませんよ。

 誰かを愛する者は強い、それをあなたは名で証明されていますから」

「名?」

「え? まさか兄上、気づいてなかったんですか?!」

 黄忠殿の言葉の意味がわからず首を傾げてしまえば、他三人から驚きとも呆れとも取れる視線が集中する。

「樹枝、それってどういう・・・」

「噂であんたの名前が曹操から渡されたもんだってのは知ってたけど、まさか意味を知らないで今までいたことには呆れるわね・・・」

「と、冬雲さんですから。

 それに・・・ 表現が直球すぎだと思います」

 なんか連合でも法正殿に近いことを言われた気がするけど、何故なのかがさっぱりわからない。

 大体『仁』の名だって、俺が咄嗟に『一刀』の名をもじって『(じん)』って名乗ったからであって別に深い意味なんて・・・ ん? 仁? 仁って確か儒教の徳目で・・・

「あ・・・!」

 顔が羞恥で真っ赤に染まり、今更ながら法正殿の言葉の意味を理解して、からかわれていたことを知る。

「あら、耳まで真っ赤になって・・・ ふふっ、曹仁様は随分可愛らしい方ですね」

 本当にやめてください、黄忠殿。俺の体力はもう零です。

「というか兄上、鈍すぎでしょ」

 そして当然のように嬉々として俺をからかいに来る樹枝。

 いろいろ言いたいが、精神的な被害(ダメージ)が多すぎて言い返せない。

「それに、兄上は愛に溢れすぎなんですよ。

 今回、黄忠殿に対しても妙に積極的ですし」

「あら? そうなんですか?」

「えぇ。兄上の周りにはいろいろな女性がいますが、初対面の方で兄上がここまで意識している女性はあまり見たことがありません。

 その中には子持ちの女性もいるんですが、黄忠殿とは比べ物にならないぐらい粗野で凶暴でして・・・ 母親というより母虎ってカンジなんですよ」

 よ、余計なことばっかり言いやがってこの野郎・・・

 ていうか、樹枝とか皆の前じゃ舞蓮ってあの調子のまんまだけど、季衣とか流琉の前じゃ結構料理を振る舞ったりとか、縫い物教えたりとかしてる姿は案外良いお母さんなんだぞ?

 そりゃ鍛錬とか言って春蘭と壁ぶっ壊してる時もあるけど、そっちの方が派手だから耳に入りやすいだけで、娘の意見を尊重する良い母親という印象を俺は抱いてる。

「しかし、そうして兄上と黄忠殿が並んでいるとまるで夫婦のようですね。

 兄上は雰囲気や言動から年齢よりも老けて見えますし、黄忠殿の落ち着いた雰囲気がいい感じですし、ちょうど間に居る雛里はまるでお二人の子どものようですし」

「はい?!

 樹枝! お前、調子に乗るのもいい加減に・・・」

 いつもの仕返しだからしょうがないと黙って聞いていたが、俺と夫婦と言われた黄忠殿だって嫌だろうし、それに雛里を子どもと言ったことも黙ってられずに怒鳴ろうと顔を上げた。

 が、それによって俺よりもはるかに恐ろしい気を放つ雛里が後ろを振り返って、にこやかに笑っていた。

「樹・枝・さ・ん、何を言ってるんですか?

 この中で妻役と言えば、恋人の一人である私ですよね?」

 あぁ、樹枝・・・ お前という奴は自分からどんどん墓穴を掘っていく奴だよな・・・

 内心で学習しない義弟を嘆きながら、何があっても緑陽が居るからきっとついて来れなくなるようなことはないと信じることにし、静かに合掌する。

「いや、体型的にむ・・・」

 更なる言葉を続けようとする樹枝に対して、雛里は静かに馬を下げて樹枝の隣に並ぶ。当然、雛里の行動に全員の意識はそちらを向いているが、雛里は特別何かを取りだすこともなく、口を開いた。

「『温かな午後、一人静かに茶を楽しみながら、僕の心は何故か浮き足立っていた。「薇猩(ラショウ)・・・」 熱のこもった溜息と共に吐き出された名はさらに僕の心を弾ませ、口元を緩ませていく。真名を呼ぶ、ただそれだけでこんなにも温かな気持ちが溢れ、今すぐにでも彼の元へと駆けていきたい衝動に駆られてしまう。あぁ、だが焦ることはない。彼はけして約束を破ることはない。彼の真名が示す通り真っ赤な薔薇のような情熱の籠った言葉と、大輪の笑顔を僕へと向けてくれるのを・・・・』」

「ぷふっ」

「な?! ななな??!!」

 どこから聞こえた可愛らしい噴き出す声と樹枝の驚愕する声に、俺を含めた周囲は困惑する。雛里はそんな俺達の困惑に応えるように朗読と思われることをやめ、それはもう優しげに微笑んだ。

 というか牛金、お前真名まで登場させるのを了承するのってどうなんだよ・・・

「文官の記憶力、舐めないでくださいね?

 多くの資料や知識を詰め込んだ頭ですから、自分の書いたことを覚えてるぐらいとっても簡単なんですよ?」

 普段の雛里の口調が崩壊しているが、それすらも恐ろしくて指摘できない。

 俺は見なかったことにしようと思い、雛里と共に話題に出た黄忠殿へと視線を向け直せば、黄忠殿は何故か林檎のように頬を赤く染めあげていた。

 少女のような初心な反応に戸惑いながらも、羞恥が伝播し俺の顔も熱くなる。俺、さっきから顔赤くしすぎだろ・・・!?

「ご、ごめんなさいね。

 亡くなった夫とは定められた結婚だったので、こうして冷やかされたりすることにはあまり経験がなくて・・・」

「い、いえ! こちらも義弟が失礼な発言をしてしまって申し訳ない!」

 なんとなくお互いに気まずい雰囲気が流れてしまい、そんな俺達の間に溜息を零しながら詠殿が割って入ってくれた。

「はぁ・・・ あんたらは義兄弟揃いも揃って、何してんだか・・・

 黄忠は今の大陸の情勢が知りたいんでしょ?

 僕も後ろに居るのは耐えられないし、説明しながら行くわよ」

 

 

「冬雲様、戻りました」

 詠殿によって大陸の情勢が話し終わり、一度小休止に馬を降りた頃になってようやく白陽は偵察から戻ってきた。

「何かあったのか?」

 偵察というにはあまりにも戻ってくることが遅かったことから、俺は何かあったことは予測していた。何かあっても深追いは禁物だが、白陽がその辺りの加減を間違えるとは思っていないので俺はただ帰還を信じて待つのみだった。

「周囲を偵察したところ、行軍の形跡がありました」

「っ!」

 この先にあるものは女学院のみ。

 だが、形跡を確認したにしては帰りがあまりにも遅すぎる。

「白陽、それを女学院に伝えてきたのか?」

「はい、千里殿からの情報にあった通り、飛将が水鏡女学院に居るのならば伝えた方がいいと判断しました。

 あちらの信頼に足るものは何もありませんでしたが、司馬微は私達司馬家の本来の姿(隠密であること)すら知っているようでした。『あなた方が来るまでの間、相応の準備をもって持て成す』とのことです」

 本当に末恐ろしい人だな、司馬微殿。

 でも、そうでなければこんな辺境でただの私塾が成り立つわけもないか。

「勝手な行動をとり、申し訳ございませんでした」

「その判断に間違ったところなんて何もないよ。むしろ、何も準備しないで女学院が襲われた方がまずかった。

 よくやってくれた、白陽」

 司馬微殿の言葉から察するに何らかの準備もあるようだし、呂布殿がいるならひとまずは安心だろう。だが、俺達も急いだ方がいいことに変わりはない。

「白陽、あとの詳細は行きながらみんなに説明を頼む」

 白陽の頭を一撫でしてから、俺は急いで行動を開始した。

 

 

 

 娘さんの安否を心配し先頭を行こうとする黄忠殿(弓使い)を必死に説得し、剣を使う俺を先頭に樹枝が続き、一応弩を持ってきてもらっている詠殿と非戦闘員の雛里を中央にし、後衛に黄忠殿という順で馬を走らせていく。

 そもそもどこかの軍が女学院に攻めてくることなんて一度もなかったため生徒であった雛里ですら学院の防衛方法は知らず、むしろ混乱状態にならないように説明しながら『呂布殿がいる』という情報のみが心の支えにし、雛里の表情も黄忠殿と同じで険しいものだった。

 そして、どうにか水鏡女学院に辿り着き、入り口正面からではなく側面から俺達を見たものは・・・

 

「はーはっはっは!

 貴様らのような愚かで、欲に(たか)る汚らしい男達などに! 私の最愛の妹達を触れさせはしない!!」

 西洋風の男物の衣服に過剰なほど装飾を付けた華美な衣装を纏い、刺突剣(スティレット)を手にした女性が舞い踊るように兵達の間を通り抜けていく。

 というか、この世界に来た時から思ってたけど、文化とかいろいろおかしくないか、

「アン・ドゥ・トロワ!」

 淡い桃色の緩く波打った髪を風に躍らせ、透き通るような緑の瞳を輝かせながら、戦っているとは思えないほどの優雅さに背後に薔薇すら幻視する。

 

「はぁ?!」

「何ですかー・・・ あの人。

 ていうか、最愛の妹が複数いるってあれですか? まさか、『大陸の可愛い女性は私の妹』とでも言うんですか? どっかに居ましたよね、そんな人」

 ただ一人奇声をあげて驚く詠殿と、呆然としながらも言いたい放題の樹枝の言葉によって我に返り、俺も参戦するために躍り出ようとする。

「冬雲様、お待ちを」

 白陽の制止の声に止まった俺の目の前を、いくつかの棒らしきものが飛んで行った。

 

「皆、一度頭下げて。

 狙いなどつけなくてかまわないので、準備が出来たらまた一斉にいきますよ」

「恋、出る・・・」

「某も出陣いたす!」

「あなた方まで出たら、生徒達の心に多大な被害を与えてしまいます!

 お願いですから、出ないでください!!」

 

 聞こえてきたやり取りに俺と樹枝が顔をあわせ、雛里と詠殿を指差した後に樹枝を指差し、黄忠殿の肩を軽く叩いてから自分を指差し、最後に舞い踊る男装の女性を指し示した。

 全員が無言で頷くのを確認してから左腰にある連理を引き抜き、空いている左手の指を三本立てて徐々に減らし、零にすると同時に俺は飛び出していく。

「曹子孝、水鏡女学院に助力する!」

 俺が飛びだすと同時に右側を矢が通過し、そのまま女性の戦いの邪魔にならないよう移動してから右腰の西海優王を抜き放った。

「ふむ、男にしては良い判断だ。

 私の間合いに入った場合、例え味方であろうと男ならば容赦はしない!」

 物騒なことを言われるが、刺突剣の間合いは広げようと思えばいくらでも広げられるので注意が必須だろう。

 これで再び怪我をして帰ったら、皆に何をされるかわかったものじゃない。

「赤の遣いよ。

 後方に居る射手共々、私の舞台に花を添えよ!」

 刺突剣にて兵を相手取りながら告げられたその言葉は、生まれながらに持ち得る人を従える才能が宿っているようだった。

「御身がお望みとあらば」

 俺も芝居がかった彼女に応えるように、向き合った者達に連理を突き付けた。

 

 

 剣技と矢が行き交う舞踏会を無事終了し、逃げていく兵達を追うことはせずに放っておく。

 どこの所属の兵かはあとで白陽達に調べてもらうが知識以外何もないと思って油断しきってかかった女学院に足止めされた挙句、俺が出たことによってその背後に誰がいるか(華琳)を示せたのだから十分すぎるだろう。もっとも正確には華琳じゃなく荀家なのだが、そこをあえて訂正する必要性も感じない。

 剣の血を軽く払って鞘に収めてから後方を振り向けば、どこかそわそわした様子の黄忠殿に女学院を行くように促す。黄忠殿もわかってくれたようで、一礼した後は急ぎ足で女学院へと駆けて行った。

「さてっと・・・」

 背後から迫る音を測りながら、迫ってきた刺突剣を振り返ることで避ける。そこには先程まで共に戦っていた男装の麗人がおり、にやりと笑った。

「貴様が私のことをどう知っているかは知らんが、私は貴様のことをよく知っているぞ。赤の遣い」

 笑っているにも関わらず、その目は怨敵を見つけた復讐者のようにぎらついていた。

「貴様が、貴様がぁーーー!」

 刺突剣が何度も俺の急所を刺そうと迫りくるが、避けるだけなら剣をまともに持つようになる前から親しんだ無二の友だ。

 それに詠殿のあの驚き具合とかを見るにこの人って・・・

「やめてください! お姉様!」

 女学院の方から聞こえてきた懐かしさを覚える声に振り向けば、かつて出会ったあの方の姿があり、彼女は殺意と刺突剣を俺へと向ける男装の麗人へと木桶を投げつけた。

「最愛の妹からの攻撃は避けない!」

 それを何故か避けようともせずに仁王立ちになり、顔面へとくらう男装の麗人。

「ぎゃふん!!」

 女性とは思えないような声をあげて、彼女は倒れた。

 そんな喜劇(コント)のような一連の流れに戸惑いながら、こちらへと駆け寄ってくる少女に気づく。

 水鏡女学院の制服を纏い、先程の女性より濃い桃色の髪と空色の瞳の少女は俺の前で立ち止まり、居住まいを正した。

「再び降り立ってくださいましたね。

 おかえりなさい、今は曹子孝となった一刀さん」

 そこに居たのは、まぎれもなく俺があの日に出会った劉協様(千重)だった。

 




男装の麗人は一体誰なのか?
樹枝は再び女装をしなければならないのか?
さらっと出た牛金の真名。
紫苑さんを一喝した存在・推薦書をしたためたある友人とは?
というか、司馬微は何者だ?!

とりあえず、来週も本編です。
待て、次回。


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69,水鏡女学院にて

少し早いですが投稿します。
そして、再び感想返信が遅れ、日曜の午後か月曜の午前になると思います。

年の暮れ、何かと忙しい日々が続きますが、週一投稿だけは守りたいと思います!



「再び降り立ってくださいましたね。

 おかえりなさい、今は曹子孝となった一刀さん」

 確かに彼女の口から紡がれた言葉に、俺は馬鹿みたいに口を開けて呆気にとられてしまっていた。

「え・・・ だって、まさか・・・?」

 俺はてっきり、記憶があるのは魏の将である皆だけだと思っていた。

 俺と彼女が関わったのなんて本当に数回だけで・・・ いいや、下手すればちゃんと『会った』と言えるのは初めの街を案内した日ぐらいなのだ。

 それ以降は俺が倒れるまでの間、警備のたびに顔を見せに行ってた程度であり、それだって俺が突然押しかけるようなことだったのに・・・

 そんな俺の戸惑いを知ってか知らずか、劉協様は俺へと倒れるように抱き着いてくる。俺は彼女を抱きしめ返すことも出来ず、手は心の内を表すように行き場がわからず宙をさまよう。

「信じられないのも無理はありません。

 私とあなたの縁は彼女達と比べてしまえばずっと細く、薄いものでした」

 俺とは対照的に彼女の手は俺の腰へとしっかりと回され、強く服を握られていた。

「でも私は間違いなく、あの日あなたに救われた劉協です。

 あなたの去った世を生き、あなた達のことを語り継ぎ、最後まで皇帝として生きることを選んだ存在です。

 そして・・・ そして・・・!」

 彼女の顔が俺の腹に押し付けられ、少しずつ湿っていく。

「あなたが再びこの地に降り立ってほしいという我儘を口にするような・・・ ただの千重(女の子)なんです」

 涙を零しながらも彼女は視線を上へと向けて、俺と目をあわせる。

 そこに居たのは間違いなく、俺があの日に出会った女の子だった。

 声を耐えながら涙だけを零し、少しずつでもはっきりと思いを吐露する姿。

 自分を守って消えた命のことを考えて、守られてしまった自分を責めて、辛くて悲しいことすら覆い隠していた、悲しいほど強く優しい子。

「お願いですから・・・ もう、私を置いていかないでください・・・!」

 零れ落ちていく涙は溶けゆく雪の結晶の様で、宙をさまよっていた俺の右手が涙を拭っていた。

 白い肌と鮮やかな髪、季衣達と比べるとやや幼い顔立ち。秋や冬の空を想わせる色を瞳に宿して、その目は真っ直ぐ俺だけに向けられていた。

 きっと、俺がいなくなった後もたくさん泣いただろう。

 そして今も、たくさん悲しんだだろう。

 英雄()以上に立場に縛られて、何も出来なかったことを悲しんで、また守られてしまったことを心苦しく思いながら。

 それでもあの日のように姉を失わないように、大切な人達を守るように頑張っていたのだろう。

「ごめんな、千重」

 左手を腰に回してそっと抱きしめ返しながら、初めて会った日も同じことをしたと思い出す。

「ただいま」

 もっと言いたいことがある筈なのに俺が皆に向ける言葉はいつも同じで、誓うことも変わらない。

 もう絶対に、俺はこの世界から消えたりなんかしない。

 皆と共に生きるために、俺はここに帰ってきたんだ。

「約束するよ。

 もう絶対に、君を置いていったりなんかしない。一人になんてしない」

 彼女へとそう囁けば、あの日のように・・・ いいや、思い出なんかに負けないぐらい綺麗な、千重の笑顔が咲いた。

 

 

 お互いの涙が消えるまでそうして抱き合っていると、俺はある疑問が浮上して周囲へと軽く視線を巡らせる。

「あれ?」

「どうかしましたか? かず・・・ いえ、別の名を名乗ってるということはこちらの名は呼んではいけませんね。今の名を聞いてもよろしいですか?」

 別の名前を名乗ってるだけでそこまで察してくれる千重に驚きながら、俺は白陽が影に居ないことにも気づく。

 ってことは、白陽が気を利かせてあの人を女学院に運んでくれたんだろうなぁ。

「あぁ、俺の真名は冬雲。冬の雲って書いて、『トウウン』だ。

 こっちは覚えてるからって、突然真名で呼んでごめんな?」

「いいえ、謝ることなんてありません。むしろ嬉しかったぐらいです。

 私があなたを忘れなかったように、あなたも私を覚えていてくれたんですから」

「それはむしろ俺の台詞なんだけどな・・・」

 記憶があったこともだけど、身分的にはかけ離れすぎていた俺のことをよく覚えていてくれたものだ。ていうか冷静になると怖いもの知らず過ぎだろ、あの日の俺。

「私達、お揃いですね」

 『お互い様』ではなく、あえて『お揃い』という言葉を使った千重はとても嬉しそうで、俺もつられて笑う。

「お揃いだな」

 手を離して解放すると少しだけ寂しそうな顔をするが、それもほんの一瞬のことですぐに俺の左手に彼女の右手が重ねられた。

「いい、ですか?」

 千重からの行動に少しだけ驚いたのがばれたのか、上目づかいで俺に問いかけてくる。これで駄目っていう奴がいたら、そいつはもう人間じゃない気がする。

「駄目なわけないだろ?」

「あなたならそう言ってくれると思っていました。冬雲さん」

 互いに手を繋ぎながら女学院の門をくぐっていけば、まだ中はどたばたと慌ただしい状況が続いていた。

 そんな中で軍との戦闘前に呂布殿と何かを話していた司馬微殿と思われる人物が俺の前に来て、軽く頭を下げる。

「英雄・曹子孝殿とお見受けします。私はここを任されている水鏡(ミカガミ)と申します。

 すみませんが私は生徒達の混乱を治めるのに手一杯なので、そちらはそちらでご自由になさってください」

「・・・かまわないのでしょうか?」

 彼女の自己紹介に若干の違和感を覚えたがそれはあえて触れず、自由に行動する権利を簡単に譲渡することに確認を取れば、彼女はあっさりと頷いた。

「かまいません。

 宿泊する場合は、雛里達が使っていた現在は空き部屋となっている場所をお使いください。本館に比べれば小さいですが庭に離れもありますので、そちらをご利用になっても結構です。

 本日中に出立する場合は、特に挨拶などは不要です。ですが後々、詳細等を文にして送っていただけると幸いです」

 俺達が入ってきた入り口とは別にある中庭を指差しつつ、彼女はやや早口で言う。

「荀氏にも、曹操殿にも、そして曹仁殿に先程救っていただいたことも加味にすれば、我々はあなた方に大きな恩を受けています。協力できることは致しますので、何かあれば私に直接お声かけください。

 それでは、私は一度失礼いたします」

 必要事項と情報共有、俺がしそうになっていた更なる問いも全て封じて、彼女は足早にその場を離れて生徒達の元へ向かっていってしまった。

「まぁ、無理もないか・・・」

 一度も軍が攻めてくることもなかった女学院に軍が攻めてきたのだ。生徒達を治めるのは彼女でなければ不可能だろう。むしろこの混乱状態の中で冷静に簡潔に俺と言葉を交わすことが出来るだけで、彼女がどれほど優秀なのかは理解出来た。

 とりあえず、騒ぎの中央に更なる騒ぎになりそうな英雄()がいてもあれなので、千重の手を引いて中庭へと向かいつつ、先に女学院内に入った筈の樹枝達を探す。

「曹仁様」

 掛けられた声に俺が声の主を求めて視線を彷徨わせていると、俺よりも先に気づいたらしい千重が手を引いて中庭を指差してくれた。

 見れば黄忠殿によく似た少女と黄忠殿が中庭に座っており、俺が視線を向けると微笑みを浮かべながら立ち上がってくれた。

「あ、千重お姉ちゃん!」

「璃々ちゃん、お母さんと会えたんですね。よかった」

「うん!」

 俺と黄忠殿が言葉を交わすよりも早く千重が少女と目線を合わせて話し、自分のことのように嬉しそうに笑っていた。

 その光景が微笑ましくて、おもわず黄忠殿と共に目を細めてしまう。

「曹仁様、先程はありがとうございます。

 おかげさまで、娘とも無事合流することが出来ました」

「いえいえ。

 黄忠殿の援護があったからこそ早く終わりましたし、残ったのも私の個人的な事情ですので・・・ それに俺は、別に感謝されるようなことはしていませんよ」

 それだけを黄忠殿に告げ、視線を下げて少女へと笑いかけると、どうしてか少女はきょとんとした顔をしてから首を傾げた。

「初めまして、俺は曹仁って言うんだ。

 君のお母さんの協力があったからさっきも凄く助かったんだよ、ありがとう」

 握手を求めて手を差し出せば、少女も握り返してくれるが、何故か母である黄忠殿と俺とを交互に見て、再び首を傾げてしまう。

「璃々、御挨拶は・・・」

「おとーさん?」

 黄忠殿が挨拶を促そうとした直前、少女 ――― どうやら璃々ちゃんというらしい ――― が口にした言葉に黄忠殿が頬赤くして、焦りだしてしまう。

「こ、こら、璃々!

 お父さんなんて・・・ 曹仁様に失礼でしょう」

 当然俺も若干困惑しているが、それを悟らせないように璃々ちゃんを抱き上げ、なるべく明るい声で言う。

「ハハハ、俺は嬉しいけど、そんなことを言ったらお母さんが困っちゃうだろ?」

 持ち上げた璃々ちゃんを肩より上にあげて高い高いをしてから、嬉しそうにはしゃぐ璃々ちゃんを腕に収める。

 左隣に居る千重から羨望の視線と、黄忠殿が申し訳なさそうな顔をしているがそちらは気にせず、俺は璃々ちゃんを撫でて話を聞いてみることにした。

「どうしてそう思ったんだい?」

「うんっとね、お母さんがなんかとってもあったかいの」

「あったかい?」

「うん!」

 子どもはただ言葉を知らないだけで、大人よりもずっと物事の真意を柔軟に受け取ることが出来る。人が纏う雰囲気や場の空気には敏感だし、知識の少なさ故に何かに影響されることもなく、素直に言葉にすることが出来る。

 まぁ、あまりにも言葉が少ないし、子どもも本能的に感じているにすぎないため、うまく説明できないことがほとんどなんだが。

「お母さん、人がいっぱいいるところだとちょっといつもとちがってなんだかこわいけど・・・ お兄ちゃんといるとりりといる時と同じなの」

 わからないなりに言葉にしようとする璃々ちゃんの頭を撫でつつ、いろいろと考えてみるがやはりよくわからない。

「黄忠殿は優しい人だからなぁ、誰にだってそうなんじゃないのかい?

 友達とか、知り合いとかも一緒に居たことがあるだろう? そうした時とは違うのかい?」

 確かあの頃は厳顔殿と知り合いだということは聞いたことがあった気がするし、さっき話していた時も二~三人は親しい人がいる口振りだった。

「でもね、それでもこういう感じにはならないの。

 柾慈(マサジ)おじーちゃんも、桔梗お姉ちゃんも、焔耶お姉ちゃんも、それから緋扇(ヒセン)お姉ちゃんと彗扇(スイセン)お姉ちゃんの時もこんな感じじゃなかったもん」

 おそらく真名であろう名前がたくさん飛びだし、どの時にも当てはまらない事実を告げられるが俺にはよくわからない。

 雰囲気が違うって言われても、俺が見ている限りは変わらないんだけどなぁ。

「そうなのかい?

 だけど、初めて会った人をお父さんなんて言っちゃ駄目だろう? お母さんが困っちゃうし、周りの人も驚いちゃうからさ」

「お兄ちゃんはいいの?」

 なるべく大きな声も、怒ってる様子も見せないようにすることが子どもにわからせる時の鉄則だ。怒鳴り声も、暴力も、『怖い』という想いばかりが先行して、子どもは何に怒られているかがよくわからなくなってしまう。

 実際、俺は別に怒ってないし、わかってほしいだけだしな。

「むしろ、璃々ちゃんのお母さんみたいな美人さんの旦那さんって思われるなんて光栄だなぁ」

「こーえー?」

「凄く嬉しいってことだよ」

 わからない言葉に首を傾げる璃々ちゃんに説明すれば、また嬉しそうに笑う。だから俺も再び高い高いをしてあげると、さらに嬉しそうに笑ってくれた。

 ちりちりとかつてのことを思い出して胸が痛むが、何故か痛みと同時に沸き起こる期待が痛みを和らげてくれていた。

「曹仁様には御子はいらっしゃられないのですか?」

 黄忠殿の突然の問いに、俺はゆっくりと首を振って否定する。

「恋人はいますが彼女達にもそれぞれ仕事がありますし、現状で子どもを作ることは出来ません。

 それがどうかしましたか?」

「いえ・・・ なんだかとても慣れているように見えてしまったので」

 俺の中にある父親の部分を言い当てる黄忠殿に内心で驚きつつも、今までの経験の全てを含めて今の自分(曹仁)なのだからどうしようもないと受け入れる。

 忘れることも、捨てることも出来ない。そして、後悔もしない。それだけは絶対にしてはならないのだから。

「街で子ども達の相手をしているから、少し慣れているだけですよ」

 璃々ちゃんを黄忠殿へと渡しながら、遠くから木々の薙ぎ倒されるような音と聞き慣れた悲鳴が聞こえてくる。女学院に来ても平常運行なのは結構だけど、他の人達は慣れていないのだから場所を考えろと思ってしまうが仕方ない。どうせ何か樹枝が余計なことを言ったのか、何か説明する時に下手なことをしたんだろう。

「さて、俺の義弟が来るまでゆっくりしていま・・・」

「義弟が吹っ飛ばされたってわかってるなら、助けてくれたっていいじゃないですか!」

「おぉ、流石樹枝。

 それで呂布殿達は今後どうするって?」

 あんな音を響かせたにもかかわらず、すぐさま復活して俺の所に報告してくる余裕がある辺り、良くも悪くも慣れている。

「反董卓連合についての一件も、月さんについても詠さんが説明してくれましたし、とりあえず呂布さんを始めちびっ子二人組もここに留まるそうですよ。

 華雄さんの所在については知っているようでしたけど、今はこっちにつく気もなければ、あっちにつく気もないそうで・・・」

 俺が言葉の途中で脇を小突けば、樹枝の言葉は止まり、その視線は当然黄忠殿で止まる。俺が詳細を言わずに、あえてどうとでも取れるように質問したことまでは汲んでくれなかった。

「馬鹿義弟・・・」

 そして、基本的に優秀にも拘らず、緊急時における周囲の観察不足は玉に傷だとつくづく思う。だが、黄忠殿の前で話題に触れた俺にも不備があったので、どうしたもんかと黄忠殿の対応へと頭を巡らせる。

「どうやら込み入った事情がおありのようですね」

「乱には常に、日に当たる場所とそうでない場所があるものですから」

 互いに苦笑し、そんな俺達の空気に璃々ちゃんが不安にならないように千重が璃々ちゃんの手を引いて、中庭の中央へと遠ざけてくれた。

 あんな風に優しい光景が、大陸に広くあればいい。

 『だから、俺達は立ち上がる』なんて言って、戦いを正当化するつもりはない。

 これは俺達の我儘で、俺達の意見でしかなくて、誰かにとって悪なんだとわかってる。

「曹仁様は、それでも進むと決めたのですね?」

「えぇ。

 どんな道であっても、我が主と共に歩んでいくと決めました」

 黄忠殿はそれ以上俺に問うことはなく、ただ俺を見定めるように見つめていた。

 俺もまたそんな彼女から目を逸らすことはせず、視線を受け止めて見つめ返す。

 全てを言葉にせずとも、状況を理解することがなくとも、もしかしたら彼女は経験から察しているのかもしれない。

 そして、あえてそれを問い詰めることのない気遣いが心地いいとすら感じてしまう俺がいた。

「道半ばでこうして出会えたことは、何かの縁なのかしらね?」

 視線が外され小さく囁かれた言葉を俺は聞き取ることが出来ず、俺も視線を外して改めて樹枝を見た。

 

 が、そこに居た樹枝の驚愕な格好に俺は一度眉間に手を当てて、深く目を閉じ、深呼吸をしてから、再び視線を向け直した。

 

「なぁ、樹枝」

 言葉には溜息が混じり、俺は改めて樹枝を上から下まで見直す。

「何でしょうか、兄上。

 出来れば何も言わないで頂けると嬉しいんですが・・・」

「その恰好を何も言わないでいれるほど、俺はそれを見慣れていない」

 一部の人達に酷く見慣れている光景らしいが、俺自身はあまり樹枝のこうした格好を見ることはほとんどなかった。

 それに見て楽しいものでもないよな? これ。

「僕だって別に好きで慣れたわけじゃないですよ!」

 樹枝の悲鳴混じりの反論を笑うことは出来ず、俺は反応に困りながら、その現実を突きつけた。

「お前、なんで女装してるんだよ・・・」

 




来週も本編を予定していますが、この時の樹枝の視点変更も書きたい衝動に駆られています。視点変更になったら諦めてください(なるべく本編と同時で書こうとするとは思いますが)
結局、男装の麗人の正体を明かすことは出来ませんでした! 申し訳ない!!

以降は登場した真名の由来などです。
ネタバレ等は一切ありませんので、興味のある方だけどうぞ。

【柾慈】
由来はスターチスの和名である『花浜匙』(はなはまさじ)。花言葉は『途絶えぬ記憶』『変わらぬ心』。誰の真名かはまだ秘密。

【緋扇】
由来は檜扇。花言葉は『誠意』『個性美』。誰の真名かは以下同文。

【彗扇】
由来は水仙。花言葉は多数あるが彼女の名に込められているのは『尊敬』。
また、名前が出た中で彼女のみが故人である。


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 水鏡女学院にて 【樹枝視点】

まずは予定通り、視点変更を。

この後、もう一話投稿されます。


 水鏡女学院へと出立する数日前、僕と詠さんは華琳様に呼ばれ、執務室の前に立っていました。

「失礼します。華琳様」

 玉座ではなく執務室という辺り、今回のことが公ではないということを示していますし、僕と詠さんが選出されることから大分話の内容が限られてきます。勿論、詠さんもそれを察しているのか、やや緊張した様子で僕と共に部屋へと入りました。

「よく来たわね、二人とも。

 楽にしなさい」

 執務机に座ったままの華琳様が適当な椅子を指差し、黒陽殿によって僕らにもお茶が用意される。

「単刀直入に言うわ。

 あなた達二人には、冬雲と共に水鏡女学院へと向かって貰いたいのよ」

 僕らがお茶を口にし、人心地ついたのを見計らって、華琳様は言葉を飾ることなく言い放ちました。

 というか兄上しかり、華琳様しかり、何でもかんでも単刀直入言い過ぎて言われる側の身にもなってほしいのですが・・・ 揃いもそろって大胆に切り込みすぎなんですよ!

「水鏡女学院って・・・ 何故です?」

 疑問を口にする僕に対し、華琳様は何も言わずにただ詠さんへと意味深な笑みを向けることを答えとしました。僕もそれに従って詠さんへと視線を向ければ、詠さんは一つ溜息を零し、不機嫌そうな目で華琳様を睨みつけ始める。にもかかわらず、華琳様の笑みは崩れることはなく、むしろその笑みを深めていきました。

 いや、おかしいでしょう。どう見ても詠さん不機嫌になってるのに、どうしてそんな風に笑っていられるんですか華琳様?

「月から話を聞いたのね?」

「えぇ。劉弁様達の所在とあなた達が避難しようとしていた場所の詳細。そして、戦場を離脱した呂布達の居場所も全て聞いたわ。

 勿論、劉弁・劉協様の命を保証しこちらで保護すること、こちらから呂布達に一方的な協力関係を仰がないことを前提条件としているけれど・・・ どちらも言われるまでもないわね。

 あなた達に冬雲とは違う、もう一つの重要な任務に就いてもらうわ」

 華琳様はそこで一度言葉を区切り、茶を口にする。

 漢を崩壊させても、皇帝を殺したいわけではない・・・ ということですか。

 まぁ、皇帝を殺しても民に不信感や憎悪を生むだけなので保護するのが妥当という打算的な部分もあるかもしれません。

 って、考えるのは僕があの性悪叔母上に仕込まれたからなんだろうなぁ・・・

 若干鬱になりかけが、こればかりはどうしようもないので諦めるよう努力する。

「冬雲には英雄の立場を建前に御子様達を迎えに行ってもらう一方で、あなた達に二人には呂布達に今の状況を説明しに行ってもらいたいのよ」

「説明、ですか?」

 『勧誘』ではなく、『説明』という言葉におもわず問い返せば、華琳様は静かに頷かれる。

「月との約束があるというのが理由としては大きいけれど、それ以上に呂布という力は扱いを間違えれば非常に厄介な存在だわ」

「月さんと霞さんが居るから大丈夫な気がするんですが・・・ 説得的な意味ではなく、力的にぃ?! 詠さん、何故肘を入れるんですか?!」

 華琳様の言葉におもわず感想を漏らせば、隣の詠さんから肘鉄と共に足を思いっきり踏んでいく。普段他の方から受けている拳に比べれば痛くはないのですが、やはり痛いものは痛いので叫びながら隣を見れば、心底呆れたような視線をいただきました。

「あんたは会話中に一回は茶化しをいれないと気が済まない病気にでもかかってんのかしら?

 真面目な話をしてる時ぐらい、黙って聞きなさいよ」

 『そんな奇病、かかってませんよ!』と怒鳴りたい衝動に駆られるが、多分次に同じことをすれば華琳様の後ろに控えている黒陽からの制裁が来そうなので口をつぐむ。

「味方に付いていたあなた達ならわかっているでしょうけど、呂布は一人で軍を相手取ることが出来てしまう。しかも、呂布には陳宮という頭脳と高順という手足が従っている・・・ この事から呂布の欠点である部分はほぼ補われていると言っても過言ではないわ。

 月や霞の話を聞いている限り、その二人は随分呂布に心酔しているようだし、呂布という力の()せ方もよく理解しているでしょうね。

 個として強い呂布が兵を従え、一つの勢力として大陸に名乗り上げればどうなるかなんて、あなた達なら問うまでもなくわかるでしょう?」

「華琳様、お言葉ですが呂布さんにそんなことは出来ません」

 これは恋さんの知り合いだからという、私情からの言葉ではない。

 目指すべき志がない彼女が大陸に名乗り出たところで、行きつくべき未来(さき)がない。

「彼女はあまりにも純粋且つ良い子であり、幼子が偶然に力を持ってしまったような存在です。

 目指すべきものがない彼女が、一勢力として大陸に存在することは出来ないと思われます」

 そんな彼女が大陸に出てしまえば、遠からずして大陸全土が一致団結して彼女を討伐するような事態にすらなりかねない。

 ただの力の塊として、彼女は自分の心すら見失い、多くを失って獣となってしまうだろう。

「樹枝、あんたが言ってることは今後(・・)のことであって、()の論点じゃない。

 そうでしょ? 華琳」

「ふふっ、あなた達だと会話がとても楽だわ」

 今後のことだけど、今のことじゃない?

 なら、今のことから整理していけ、正解に辿り着くということだろう。今の恋さんの状況は連合での争いで戦線を離脱した・・・ つまり、恋さん達の情報はあの時で止まっていて、その上で連合の終わりは・・・

「あっ!」

こいつ(樹枝)って変態なのは前提だけど時々馬鹿なのか、頭良いのか迷うんだけど・・・」

「頭の回転はいいわよ?

 努力を怠ることはなく、密偵として疑われるようなところで職務を全うする胆力もあるわ。変態だけど」

 二人揃って言いたい放題ですが、これぐらいの理不尽には慣れっこですから!

「恋さん達がこのまま月さんが死んだと思い込んでいたら、それこそ大陸に名乗り出る理由になってしまう・・・ だから、僕らが女学院に説明に向かうんですね。

 僕らが行く理由は納得しましたが、華琳様の口から呂布さんを欲しいと出ないのは意外ですね」

 詠さんの方から『アンタ、また余計なことを言って』というような視線が注がれている気がしますが、一度口にした以上は気にしません。えぇ、例え華琳様の眼が怪しく光って、口元を隠すように覆っていても後悔はありませんとも。

「確かに純真な呂布を奪うのも、連合の遠目から見た陳宮と高順を二人揃っていただくのも悪くないわね・・・

 けれど、そちらの欲を優先して私達の最初の目標に支障をきたしてしまうのは、あまりにもお粗末でしょう?」

「どちらも本音であることは隠さないんですね!」

 色欲魔王ならぬ色欲覇王という名が相応しい方だと思っていますが、口にしたら華琳様本人は怒らないでしょうが周囲が怖いです。主に兄上とか、姉上とか、春蘭様とか・・・

「顔に出ていますよ? 樹枝さん」

「バレテーラ」

 いつものように突然現れた黒陽殿がこちらが寒気すら覚えるような気を向けてきたので、僕は冷や汗をかく。

 考えただけでこれなのだから、口になんてした日には命がいくつあっても足りない・・・!

「黒陽、怒らなくてもいいわよ。

 色欲覇王、覇王のもう一つの顔として悪くないじゃない」

 わー、華琳様は完全に僕の考えなんてお見通しじゃないですかー。僕、任務前に生きていられるかな・・・

 この後行われるだろう姉上による鞭の嵐と、大剣との追いかけっこを逃げ切る算段を練りながら、僕は遠い目をして窓の外へと視線を向ける。

「完全に恥だし、悪いに決まってんじゃない! というかむしろ、仕えてる僕が恥ずかしくなるわよ!!

 樹枝、あんたも現実逃避してないでこの君主に言いたいことをハッキリ言っときなさい!」

 詠さんの言葉を遠くに聞きながら、長期女装(前回)に続いて任された今回の任務も理不尽なんだろうなと思い、僕はその先の思考を放棄しました。

 

 

 

 さて、劉協様と思われる方とどう考えても初対面の筈の兄上がいちゃついている間にも時間は回ります。

 詠さんの戸惑いっぷりから予測するに劉弁様だと思われる方と兄上達が軍を片づけている間、僕らは女学院の方々と接触し混乱を治めたり、恋さん達と接触したり、大型の連弩を片づけたりなどの雑事に追われていました。

「では改めまして、お久しぶりです。恋さん」

 そう言って恋さんに向き直れば、恋さんは何故か首を傾げた。

「変態が!」

「恋殿に!!」

「「近づくなです(でござる)!!」」

 聞き覚えのある二つの声が響く中で僕は機を見計らって後ろを振り返り、こちらへと向かってくる蹴りと拳の位置を把握する。

「ちんきゅーきぃーっく!」

「高! 順! ぱんち!!」

「恋・・・ すとらいく・・・」

 が、完全に予想外の方向からの声によって、移ろうとしていた回避行動にずれが生じる。しかも、刃の方じゃないですけど方天画戟を振るうってマジですか恋さーーーーん!?

「既視感理不尽!

 って、洒落にならないのまで来ているだと?! これは避けなきゃ死ぬ!!」

「叫べてる辺り、あんたも余裕があるわよね」

 叫ぶほどの余裕があるんじゃなくて、もう叫ばないとやってられないぐらいヤバいんですよ!

 前方から落ちるように向かってくる蹴りと腹を射抜くような正拳突き、僕から見て後方左から向かってくる恐ろしいほどの風圧が回避行動を焦らせる。

 どちらも避けることはおそらく不可能。ならば、痛みの少ない方へと走るしかない。

「なら、前に走る!」

 二人に被害が及ばない程度の調節された恋さんによる方天画撃の一撃は上手く回避できたが、当然前方からくる二人の攻撃を避けることは出来ない。つまり・・・

「へぶっ! ごはぁー!!」

 音々音さんの蹴りは顔面へ、芽々芽さんの正拳突きは僕の腹に見事に命中する。

 確かに回数的にはこちらを受ける方が被害が甚大かもしれないが、後方から聞こえてくる木々の薙ぎ倒される音が僕の選択は間違っていなかったことを実証してくれました。

「恋、それを言うならむしろ『呂布すとらいく』じゃない?」

「今、そこは心底どうでもいいですよね! 詠さん!」

 が、再び想定外の方向から出てきた裏切りに、僕は仰向けの状態から飛び起きる。

 詠さんまでボケるとかやめてくださいよ! 主に僕の精神のために!

「ていうか、恋まで参加するなんて珍しいじゃない。

 何かあったの?」

「だって・・・ 恋もやらなきゃ・・・ 寂しい・・・」

 詠さんの問いかけに対して恋さんは少しだけ言いにくそうにしつつ、悪いことをした自覚はあるようで肩を落としてしまいました。

 仲間外れになりたくないから参加したという理由は大変可愛らしいんですが、そんなことで殺されかけてはたまりません。

「恋さんの気持ちはわかりましたが、さっきの攻撃を僕が受けていたらどうなるかわかりますか?」

 なるべく傷つけないように言葉を選びつつ、先程の風圧によって薙ぎ倒された木々の方を指差せば、恋さんも僕の指の先の方向を見てから再び僕を見て首を傾げました。

「・・・ぼろぼろ?」

「正解です。

 危険極まりないので、絶対に人に向かってやってはいけませんからね」

「そうよ、恋。

 樹枝だから避けることが出来たけど、一般兵とかじゃまず避けられっこないんだから」

 言い聞かせる僕の言葉に詠さんが続いてくれますが、『樹枝だから』って何ですか? それじゃ僕が規格外の何かみたいじゃないですか。

「ん・・・ 気をつける・・・

 ごめんなさい・・・」

 怒られた犬のようにしゅんっと頭を下げる恋さんを撫でたい衝動に駆られますが、ここはぐっと我慢です。

 躾の際に重要なのは怒ってることは怒っているとを動物に理解させることであり、可哀想だからと言って頭を撫でてしまえば嬉しいという感情が入り混じって動物はしっかりと覚えることは出来なくなるのです。

 これは動物に限らず人にも言えることであり、育てる者としてだけではなく上に立つ者が覚えておくと非常に有効なものだと思っています。

「その・・・ 大丈夫・・・?」

 僕が良心と戦っていると、怒られていた側の恋さんが気遣うように僕を見上げてきてくださいました。あぁ、やっぱり恋さんは優しいなぁと思って心配を取り去るように頭を撫でていると、恋さんは言葉を続けました。

 

「服・・・ 違うけど、大丈夫?」

 が、その口から紡がれたのは僕の想像の斜め上を爆走するものでした。

 

「恋サン、アナタハ何ヲオッシャッテイルノデショウカ?」

 やや離れたところから爆笑する緑陽の声が聞こえる気がしますが、僕は驚きと精神的な衝撃が強すぎて、そちらを向くことは勿論怒鳴る余裕すらありません。

「だって千里・・・ 樹枝はいつもの格好(女装)じゃないと具合悪くなるって・・・」

 千里さん!? あなたという人は純粋な恋さんになんて言うことを教え込んでいるんですか! 仕込みが厳重且つ丁寧すぎて、予想することすらできないとか! あなたは間違いなく、雛里と同門ですね!!

 というか、ま た あ な た か。

「なんと! それはまことでござるか?!」

「つい、いつもの習慣でお前を見つけて反射的に制裁を加えてしまったですが・・・ すまなかったのです。

 何か辛い事があったのなら、話ぐらいは聞いてやるのです」

「然り。

 どこか体の具合が悪いのならば、医者にかかることをお勧めいたす」

 これまで聞いたこともないお二人の優しく、気遣いに溢れた言葉は温かくも心地よい筈なのに・・・

「無垢な視線が辛い・・・!」

 仕組んだ千里さんが悪いのであって、彼女達は僕のことを心配してくれているのがわかるからこそ怒ることも出来ませんし、怒鳴るなんてもってのほか。でも、だからこそ辛い!

「こんな純粋な方々の期待には、応えるほかありませんね。樹枝殿」

 いや、それはおかしい。

「応える必要なんて全くありませんから!!

 というか、どこから這い出てきました?! 隠密は隠密らしく影に侍っててくださいよ!」

「隠密が常に足元ばかりいるわけではないのですがそれはさておき・・・ お着替えしましょう、樹枝殿」

 僕の魂の叫びを軽やかに無視し、一つの衣服を僕に見せるように広げました。

「何故、それをあなたが持っているんですか?!

 というか、僕は廃棄した筈なんですけど?!」

 緑陽が広げた服は、僕がかつてこの女学院を訪れた際に姉上によって着替えられた制服でした。

「確かに樹枝殿が以前使用した制服は桂花様にすら気づかれることもなく、廃棄することが成功しました。

 ですが、樹枝殿の制服姿を見たいと切望する数名の有志の懸命な努力により、千里様と沙和様に協力の元、こうして新しく生まれ変わったのです。ただ再現にするのはあまりにも芸がないという製作者(沙和様)のこだわりにより、樹枝殿の動きやすいように工夫を凝らさせていただきました。

 腕周りには余裕を持たせ、腰のりぼんは薄手で細かな細工の入った紐に変更。膨らんだような使用のすかーとの内部には得物を仕込めるように細工し、長い靴下で足を覆うことで・・・」

「無駄に高性能ということはわかりましたが、技術と時間の無駄遣いですから!

 僕はそんな(制服)、絶対着ませんからね!」

 というか、そこまでこだわって作られていると捨てにくい!

いや、断固として着ませんし、捨てますけども!! つーか、有志って誰だよ!?

 ツッコむところが多すぎて、凹んでる暇すら与えられない。

 だが、緑陽からの口撃はやむことがなく、最後の留めだと言わんばかりにニッコリと笑う。

「この目を見ても、同じことが言えますか?」

 そう言って緑陽が退いた先に居たのは、僕を気遣うような恋さん達の眼差し。ひ、卑怯な・・・!

 そして、僕が怯んだその一瞬の間が命取りとなった。

「藍姉様直伝」

 瞬きを一つする間、僕の横を通り過ぎていく緑陽が口にする言葉が異様に響いて聞こえる。

「印象替え」

 その瞬間、僕の服は制服へと切り替わった。

「なっ・・・ 緑陽ーーー!」

 むしろ教え込んだ藍陽の名を叫ぶべきかもしれませんが、司馬姉妹は僕に何か恨みでもあるんですか?!

「「何故、音々()が変態の心配をする必要があるのですか?!」」

「理不尽!」

 突然我に返った二人が再び蹴りと拳の準備をし、再び見舞われつつ、もう一度参加した恋さんによって木々が薙ぎ倒されていく。

 あぁもう、誰でもいいから助けてください・・・

 

「あんた達、そろそろいい加減にしなさいよ?」

 

 ずっと黙っていた詠さんの一喝が響き、恋さんですらその場で動きを止めてしまう。

 時に月さんすら叱り飛ばす詠さんの怒気に全員がぎこちなく首を動かして、声の主である詠さんへと視線を向けました。

「全員、そこに正座!」

『はい・・・』

 怒れる魔王の知恵袋の言葉に逆らえる者が居るわけがなく、全員が綺麗に並んで正座をし、説教を受けることと相成りました。

 

 

 

 無事(?)説教を終わり、ついでに詠さんの口から月さん達の安否なども伝えられ、恋さんは安心したようで大きな木の下で一眠りし始めてしまいました。

「恋殿も話を聞いて安心したようでござるな」

「ですな」

 音々音さんと芽々芽さんはそんな恋さんに優しい視線を送りつつ、すぐさま集まってくるセキト達も相変わらず元気そうだった。

「音々達は今後どうするか、決めてる?」

「決めてはいませんが、月達や華雄がいるからという理由で他の陣営につく気は音々達にはないのです」

「右に同じく。

 某達の主は恋殿唯一人、恋殿が選ぶ道を某達は尊重し、共にあるでござるよ。たとえそれが戦いと無縁なこの地で過ごすことであっても、某は一向にかまわん」

 恋さん次第でどこにでも行くとも取れる内容の返答ですが、この二人の考え方は姉上や春蘭様達に非常に近しく感じられました。

「変態であっても樹枝の義兄たる者が悪い者だとは思わぬし、現に今も水鏡女学院へと加勢し、月殿達を救ってくれたのも間違いなく彼の御仁の真の姿であろう。

 恋殿は物事の本質を見抜く。故に敵対するのであれば、見つけ次第首を狩っていたでござる」

「しかし、義理とはいえ樹枝(変態)の兄なのです。

 隣に劉協様を連れているにもかかわらず、さらに女性へと声をかけるほどの節操なしとは・・・・」

「はい?!」

「しかも、いずれの女性もあからさまにあれでござるな」

 まともな話が流れるようにずれるのを見て、音々音さんが指差す方向を振り返ってみれば、確かにそこには兄上と黄忠殿が並び、その隣には劉協様が並んでいました。

「兄はそう言う人ですけど、僕は違います」

「寝言は寝て言うものなのです」

「鈍感は罪でござるよ、樹枝」

 似ているところだけはしっかり訂正するが、どうしてか信じられないような目を向けられた後、二人は兄上の所へと再び視線を戻しました。

「樹枝。

 ここは僕がいるから、あんたは冬雲に報告してきなさいよ」

「どうして、詠さんが不機嫌なんですか?!

 大体、兄上はまだ黄忠殿達と話している真っ最中で・・・」

「いいから、行きなさいってのよ!」

 何故か詠さんから理不尽な蹴りを貰い、僕はその場を追い出されるようにして兄上の元へと向かうことになりました。

 

 

 

「自覚がないのは誰の所為でござろうな?」

「言うまでもないのです。

 屈折した愛を持つ千里と、素直になれない詠に決まっているのです」

「同意。

 しかも、先程の隠密も千里に近しい愛の形を持っているようで・・・ いやはや、樹枝も妙な愛の形を持つものばかりに好かれるでござるな」

「流石、変態なのです」

「なので詠、さっさと素直になることを勧めるでござるよ。

 そうでもしなければあの朴念仁(変態)は振り向くどころか、恋情に気づくことすらないでござるよ」

「うっさいわねぇ! 大きなお世話よ!!」

 



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70,水鏡女学院にて (続)

この前に一話、投稿しています。

ようやく男装の麗人が明らかに。
彼女の末期的なシスコンをお楽しみください。

来週はちょっと引っ越しでドタバタするので投稿出来ないかもですが、なるべく出来るように足掻きたいと思います。


 樹枝の女装はひとまず置いておき、俺達はその場で黄忠殿と別れ、千重や劉弁様について話し合いをするために女学院の離れを使わせてもらうことにした。

 離れは大きな卓と複数の椅子、そして一段あがった場所には広く開いた壁というなんだか会議室のような造りをしていた。

「えっと・・・ まず、何から話すべきかな」

 そこには劉弁様をどこかで休ませている白陽と、白陽を呼びに行っている緑陽以外の全員が揃っていた。勿論、千重も参加者の一人として俺の隣に座っている。

「あんたと千重様が知り合いっていうのは・・・ 聞いちゃいけないのよね?」

 すぐさまその辺りに触れてくる辺り、詠殿は本当に容赦がない。

 だがもっともな疑問でもあるため、説明しようと立ち上がろうとした千重を手で遮って、俺は静かに頷いた。

「あぁ、それを含めて俺の口から皆に説明する機会は作るけど・・・ 今は無理なんだ」

「そっ。

 なら、次は千重様にお聞きしたいことがあるのですがよろしいですか?」

 詠殿は興味をなくしたように俺から視線を外し、千重を見る。

「詠さん、そんなにかしこまらなくていいですよ。ここに居るのはただの千重ですから。

 勿論詠さんだけではなく、鳳統さんも、荀攸さんも、私のことは気軽に千重とお呼びください」

 が、詠殿の言葉に対して千重はにこやかにそう答え、何故か視線を樹枝で止める。まぁ、女装をしてる男がいれば目を止めても仕方ないんだが。

「荀攸さんは気軽に『お義姉ちゃん』と呼んでくださいね」

「気軽すぎでしょう!

 ツッコミどころが多すぎですけど、まず兄上。会って四半刻も経たないうちに劉協様を誑し込んだですか? 人が呂布さんにぼろぼろにされかけたり、純粋な子達に精神をガリガリ削られている間に、あんたって人は女性を誑し込んだっていうんですね! コン畜生!!」

 千重の発言に驚いたのは当然樹枝だけなわけがなく、俺もおもわず首をそちらに向けてしまった。間抜けな顔をしているだろう俺を見て、千重は幸せそうに笑って口元に指を立てながら悪戯気な笑みを向けてきたのでおもわず俺は苦笑する。

 変わってないようで変わってて、その変化に困ってるのに嬉しいなんて・・・ 矛盾だろうか?

「兄上! 人の話を聞いてないでしょう!!」

「樹枝、冷静に考えろ。

 普段お前が飛んでる理由の五割は確かに理不尽だが、もう五割は自業自得だ。つまり、半分の確率でお前は何かをやらかしている可能性がある。

 現にお前は、あれだけ嫌がってる女装を今もしている。それは確かに理不尽かもしれないが、着替えた時点でお前は自業自得に足を突っ込んでるぞ?」

「理路整然と反論されただと?!

 この服装に関しては兄上の三羽烏の一羽が無駄な技術力を発揮したことと、あの用途のよくわからない秘技の所為なのですが?!」

 沙和・・・ 警備の途中で書簡を持ってるなと思ったら、やっぱ衣服関連の仕事だったか・・・ 秘技の所為ってところから察するに、あの技を教え込んでいつの間にか着替えさせられたんだろう。

 それでもどこかで着替えてくればよかったんじゃないかと思ったが、ツッコまない方がいいだろう。この会議の真っ最中に着替えられても困るしな。

「それで詠殿が千重に聞きたいことって何なんだ?」

「・・・あんたならさっきの僕の様子で予想ぐらい出来たかもしれないけど、僕が知っている劉弁様と今の劉弁様は全くの別人なのよ」

「そうなのか?」

 前どころか今すらも御子に会う機会がなかった俺には全く分からずおもわず問い返すと、詠殿は頷いた。

「少なくとも僕が知っている劉弁様は『人形姫』と呼ばれるぐらい感情が希薄で、主張もほとんどしない方だったわ。

 確かにある程度の武も、学も収められていたけど、それを表だって振るうようなこともなかった。ましてや、人を従える才能なんてその片鱗すら見受けられなかったのよ」

 なるほど。表情のない人形だった人が突然宝譿みたいに活発になりゃ、こんな反応にもなるか。

「詠さんのおっしゃる通り、姉様はとても物静かで、心に真っ直ぐ芯を持つような方でした。

 ですが、水鏡女学院の生徒の皆さんに『お姉様』と呼び慕われるようになってから、姉様は少しずつ変わってしまったんです」

 千重もどこか気まずそうに目を逸らしながら、遠くへと視線を向けていく。

 

「千重よ、私の最愛なる妹よ。そこまででいい」

 その言葉と同時に中庭に面していた窓が開かれ、そこから入った何かが卓の上に立った。

「そこから先は、私自身が語るとしよう。

 この大陸の全ての女性の姉である、この私が!」

 鞘に収められたままの刺突剣を額に当て、足を揃えた姿勢を取った女性はまぎれもなくたった今、話題に上ったばかりの劉弁様であった。

 

 が、彼女の眼はその場にいた全員 ――― いや、おそらく正確には女性陣だけ ――― を認識した瞬間大きく見開かれ、我慢できぬように両手で顔を押さえつけた。

「ここは理想郷か?!」

 狂喜という言葉が相応しい喜び様に、その場にいる誰もが言葉を失う・・・ 筈だが、俺の義弟がこの程度で黙っているわけがない。

「第一声も残念だというのに、続いた言葉も残念極まりない!

 最初に見た時も思いましたけど、なんですかこの人?! 華琳様なんですか?!」

「違うぞ、樹枝」

 予想通り、黙ることのなく且つ言いたい放題の樹枝の言葉の中には間違ったこともあった。

「何がですか?!

 そりゃ、胸とか身長とか服装とか振る舞い方とかいろいろ違いますけど、そんな指摘だったら怒鳴りますからね!」

 もう怒鳴っている上に華琳が地味に気にしていることを口にしたのは後で制裁を加える(殴る)として、ひとまず俺は首を振った。

「華琳なら『ここは私の花園ね』って言うに決まってるだろ?」

「遭遇した奇跡を喜ぶのではなく、既に自分の物にしているだと?! 華琳様、凄すぎる! 器が違う!!」

 華琳の恐ろしい所は自信満々で言い切るうえに、実行に移してしまう所だと思う。だが、それでこそ華琳。

「だが、男も混じっている上に一人女装をした変態男が混ざっているだと?!

 おのれ! 女の花園に紛れる変態だけではなく、自らを装ってまで侵入してくるなど・・・ この変態共が!!」

 なんだろう、ここまで直接的な罵倒は久し振りすぎて懐かしさすら覚える。

 そして、ついさっきも少しやり取りをしていてわかってはいたが、この方は男嫌いであり、その中でも特に俺を嫌ってるよな。

「兄上!

 僕は初めて、初対面の方に男と認識されました!!」

 樹枝は樹枝でどこかずれた感動をしているし、役に立ちそうにない。

 だが、このままだとこの人絶対刺突剣抜き出すんだよなぁ。今は公には死亡扱いにされている劉弁様とはいえ、御子である方をそう何度も気絶させるのはいかがなものだろうか。それに白陽の気配も・・・ 

「だが安心してくれたまえ、私の最愛なる妹達よ。

 この不逞の輩はこの私が直々に引導を渡し、今すぐにこの女学院から・・・」

「八重お姉様、今すぐに私の旦那様もとい冬雲さんに向けている剣を降ろしなさい」

 俺がこれまで聞いたこともないような千重の言葉が静かに響き、詠殿までも声の主がわからなかったようでわずかな間首を振って声の主を探していた。

「またそれか?! あの赤い星が落ちた時から千重はそればかりだ!

 何があったかは知らないが、お姉ちゃんは女を複数囲うような男との交際は認めません!!」

 が、そんな異常事態に慣れているらしい劉弁様が黙ることはなかった。

「恋愛とは誰かに認めて貰うものではなく、内にある想いを自らが認めるものです。そして私はあの赤い星が落ちた時からずっと・・・ この想いを認めていました。

 ましてや、異性に恋をしたこともない女未満のお姉様の口出しなんて無用です!」

「ごはぁ!」

 俺はおそらくは赤くなっているであろう顔に手を当てて誤魔化しつつ、惚気と『無用』の二字によって崩れ去る劉弁様を見ていることしか出来ない。いつもならここで何かしら救いの手を伸ばすんだが、正直劉弁様には俺が何を言っても藪蛇にしかならない気がする。

「いや、女未満って・・・ 劉協様ご自身も十歳前後だった気がするのですが・・・」

「知らないんですか? 荀攸さん。

 女とは、恋を知った時から少女から女になるんですよ?」

 樹枝の余計な一言にすら律儀に答える千重には感心するが、気のせいでなければ詠殿からの視線が厳しくなった気がする。あと、雛里と気配が戻った影からの生温い視線がちょっと辛い。

「ふ、ふふ・・・ 私は恋なんかしなくても大丈夫なんだ。

 大陸にいる全ての可愛らしい妹達に愛を捧げ、全てを守り、平等に愛を振りまきながら私はこの大陸の姉となる・・・ そう、これは間違っていない・・・ 博愛主義こそ正義・・・!」

「いやかなり歪んだ博愛主義ですよね、それ!?

 あと、男以外という重要な部分が抜けていますよね?!」

 立場を理解しているにもかかわらず、ツッコミだけは誰に対しても平等な樹枝にある種の敬意を抱きつつがあるが、いずれにせよ藪蛇になりかねない俺が言いださなきゃ話が進む様子が見られない。

「ふっ、私の主義が歪んでいるのではない。

 霊帝と呼ばれ、聡明と謳われた母様の御世ですら歪みはあった。ならばその歪みは、最早一つの大陸の形であり、今の乱れた状況すら正常なのだ」

 だが、再び想定外の言葉が劉弁様から飛び出し、劉弁様は俺達のことなど目に入らないかのように言葉を続けていく。

「皇帝がいなくとも世界は回り、天下の支配者など形ばかりだということが証明された。

 だが、無意味と証明されたにもかかわらず『御子』の肩書きは私と千重を戦乱から無縁にさせてはくれまい。安全と謳われた学院が攻め入られことがその証明であり、いずれにせよ私達はここに長く滞在することも望ましくはないだろう。

 誰も彼もが皆、好き勝手に舞い踊り、欲に向かって邁進する。大いに結構!

 それでこそ栄華と衰退を繰り返せし、我らが母なる大地! あぁ、本当に素晴らしい!!

 ならば私も、この乱世を舞台として勝手に踊るとしようじゃぁないか」

 ついさっきまで膝をついて倒れた筈の彼女は立ち上がり、軽やかな足取りで卓の周りを踊りだす。鞘に収まれたままの刺突剣を杖のように振りながら、床と踵をぶつけ合わせ音をたてながら楽しそうに彼女は歩む。

「では劉弁様、我が主曹操様の元へ参られませんか?」

「誰が貴様の所になど行くか!」

 あっ、やっぱりそう返すんですね・・・

 俺の所っていうか華琳の所なんだけど、俺に対する表情が警戒心の強い猫みたいな感じなので俺もどうしたもんかと悩む。

「姉様?」

「ぬ・・・ だ、だが、私がどう言っても千重はそいつの所に行くのだろう?!」

 踊りながらもさりげなく千重の隣に来る辺り、本当に千重が好きで大事なんだと思うと同時に俺のことなんて可愛い妹につく虫か何かだと思っていることを実感する。

「当たり前です。

 私はもう冬雲さんのお傍を離れる気なんてありません」

「ほら見ろ!

 そうして仲睦まじくなって、はてには最愛の妹とその男が子作りするところを私に見ろというのか?!」

「見なければいいと思いますよ? お姉様」

 二人のやり取りを聞きつつ、俺と詠殿と雛里は目で合図を送り、二人には水鏡女学院の方に出立の日時などを伝えに行ってもらう。当然、白陽達には手での合図で荷造りをやっておいてもらうこととする。

「いや劉協様、論点が近いんですが若干ずれています。

 覗く前提がそもそもおかしいんですよ?」

 二人の相手は樹枝に任せつつ、俺もその様子から目を離すことはしない。

 劉弁様がこちらに来ることを拒んだ以上、どこに行くかぐらいは見届けなくてはならない。必要なら司馬八達の誰かを傍に侍らせることも考えなければならないし、この様子では水鏡女学院に留まるとも思えない。

 公に死亡扱いとはいえ劉弁様は劉宏様に似ているとの情報から考えると、下手に大陸に出てしまえば正体が判明する事態にもなりかねない。

「ならば私は傷心の身を抱え、恋達という愛する妹達を連れて旅立つしかない!」

「いや、その発想はおかしい!」

 ありがとう、樹枝。俺もまったく同じことを思った。

「うるさい黙れ! この女装の変態が!!」

「僕だって男装の変態には言われたくありませんよ!」

 『異なる二つの変態が揃い踏み』なんて言ったら、流石に俺であってもボロボロにされかねないので黙っていよう。

 そして劉弁様は千重越しに指差し、淡い緑の瞳が何かの魔法のように怒りに揺れながら俺のことをきつく睨んでいた。

「よいか、赤の遣い。私はけして千重とお前の仲を認めはしない!

 私はお前の周りよりも魅力的な娘達を妹にし、その上でお前の恋人達を私の妹にしてみせる!!」

「姉様、人を指差さない!」

 そう言って彼女は再び卓の上に飛び乗り、窓へと飛びながら最後の言葉を言い放った。

「私を『義姉(あね)』と呼ぶことは、死を意味することと思えーーー!!!」

 相手の返答を求めないで一方的に言い捨てていく完璧な捨て台詞を叫びながら、劉弁様は俺達の元から去った。

 が、何故か隣に居た千重は体を震わせていた。

「千重?」

 どうしたのかを俺が聞くよりも早く、千重は固く拳を握りしめながらつかつかと劉弁様が出て行った窓の方に向かい、窓の冊子に手をかけ思いきり息を吸い込み、叫ぶ。

「八重お姉様なんて、大っ嫌い!!!」

 最愛の妹からの大音量の大っ嫌い宣言。

 でも、走り去った後だから流石に聞こえてないだろうと思った。

が・・・

「う、うおぉぉぉーーーーん! それもこれもあの赤の遣いの悪い! 私の最愛の妹の心を奪ってしまった!!

 私は今日この日、既に死したこの名(劉弁)を捨て、大陸で私を待つ多くの妹達へと愛を振りまく愛の伝道師となる道を選ぼう! いつか再び千重を取り戻すその日まで、私はけして諦めない!!」

「恋殿を降ろすのです! この男装変態がーーー!!」

「恋殿おぉぉぉーーー!」

 どうやらばっちり聞こえた上に、先程の宣言通り呂布殿を道連れにしていくらしい。

 まぁ、呂布殿がついているなら大丈夫だろうが、黄巾の乱の時のような勢力にならないかだけが不安が残る。なので、白陽に今後どこにいるかぐらいの情報を拾うように頼んでおく。

 まるで嵐のように過ぎ去っていった彼女を見送った後、樹枝が長い溜息を吐いてから、言葉を零した。

「なんですか、あのヘタレた華琳様みたいな人」

 




次も本編。その次は視点変更。
そして徐々にこの章で書きたかったところへ突き進んでいきます。

書きたいシーンが山積みですが、一話ずつ確実に進めていきたいと思います。


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71,陳留 帰還

サブタイトルが異様にシンプル・・・
とにかく、無事書けました。

明日、引っ越し作業でバタバタするので感想返信等が遅れます。早ければ日曜の午後、遅ければ月曜の午前・午後のどちらかになるかと思われます。



「あっ、おかえりー」

 出迎えてくれた千里殿がこちらへと満面の笑みを向け、全員が馬の歩みを緩め、俺だけが一度馬を降りる。

「千里殿、お出迎えありがとうございます」

「冬雲殿、もう少し砕けた口調でいいってば。

 敬語が苦手ってわけじゃないけど、仲間内で使われると肩がこっちゃうよ」

 詠殿もそうだが霞以外の元董卓軍の人達とはいまいち距離感がわからず、つい俺も敬語で話してしまっている。

 まぁでも、当人がそう言ってくれるなら無駄に緊張したり、敬語を使うのも失礼だろう。

「じゃ、そうするか。

 ありがとう、千里殿」

「あー・・・ 殿もいらないんだけど、それが限界っぽいね。あたしも殿つけてるし、呼び捨ては無理かぁ。

 それはそうと、そこで外套を深く被ってる攸ちゃん。私と沙和ちゃんからの贈り物の感想が欲しいなぁ~」

「・・・・・」

 千里殿はニヤニヤと笑いながら樹枝の馬の近くまで歩み寄り、外套の端を掴もうするが樹枝は当然とられまいと外套を動かして避けてしまう。

 だがそれは、樹枝を狙っている存在が一人であった場合のみ有効である。

「甘い! (ロク)ちゃん!」

「はい、(セン)さん」

 千里殿の短い呼びかけに対し緑陽がすぐさま応え、勢いよく樹枝の外套をはぎ取っていく。

 傍から見れば凄まじい勢いにも拘らず樹枝が馬上から落ちるどころか体勢を崩すこともなく、それはまるで天の国(向こう)で見た机から掛け布(テーブルクロス)を引き抜く曲芸に似ていた。そして、外套の下に隠れていた女装姿のままの樹枝があらわとなり、城門に控えていた兵の一部から同情の視線と何故か歓声に近い声があがっていく。

 というか、連合の時にたまたま一緒になっただけだったのに二人とも随分仲がいいな?!

「嫌よ嫌よも好きの内、なんだかんだであたしと沙和ちゃんの力作を着てくれる攸ちゃんは素直じゃないよね~」

「嫌なもんは嫌に決まってんでしょう!

 大体、僕が今もこの服を着ているのだって千里さんが恋さん達にまで厳重に仕込みを入れた挙句、緑陽に僕の着替えまで始末させたからでしょう!」

「あっ、前半はその通りだけど後半はあたしの指示じゃないなー。

 そっちは多分、緑ちゃんの即興じゃない?」

 樹枝の悲鳴のような叫びが続くにもかかわらず、千里殿は飄々とした態度を崩すことはなく、緑陽へと『よくやった!』と言わんばかりに親指を立てる。緑陽も緑陽で同じ仕草を返し、深く頷き返す。

 俺、とんでもない二人を出会わせてしまったかもしれない・・・

「何、労をねぎらいあってんですか?!

 お二人の所為で僕がどれだけ・・・・!」

 

「嫌よ嫌よも好きの内・・・ そんな言葉に誘われて、曹仁部隊・副隊長牛金、推・参!」

 

 前言撤回。

 俺に繋がる縁の多くは、樹枝にとってヤバい出会いしかさせていない。

「つまり、俺のこともあれだけ拒んでいるように見せ、本当は俺のことが好きってこと!

 樹枝ちゃん、隠すことなんてないんだ!!

 俺はいつでも、どんな姿の君だって全力に愛している!!!」

「嫌なものは嫌だっつってんだろうがあぁぁぁーーーー!!!」

 仕事をサボるような男じゃないことを信じているから、多分今日は非番だと思いたい。周囲の見知った兵達が牛金にどこか残念な視線を向けたり、俺へと同情的な視線を向けたりはしていない筈だ。だから、牛金を押さえつける部下の手慣れた感じも俺の見間違いに決まっている。

「いつまでも現実逃避している暇なんてないわよ、冬雲」

「はい・・・」

 詠殿の冷静な御言葉をありがたく受け取りながら、ついに樹枝を先頭に牛金と千里殿が追いかけっこを始めてしまいそうな勢いだ。

 だが、この後は千重も含めて玉座に向かい、話し合いという流れになっている以上、そんなこと(追いかけっこ)なんてしている暇はない。なら、手近なところから治めるしかないだろう。

「牛金!」

「・・・はっ! 隊長」

「今の俺達は職務の最中だ。

 出迎えてくれるのは嬉しいが、少々度が過ぎるぞ?」

「申し訳ありませんでした!」

 この一言でわかってくれることを願いつつ、牛金は俺達へと深く頭を下げてくれた。よかった、仕事となると真面目な男で本当によかった。

「千里殿も戯れが過ぎる・・・

 せめて、仕事が終わった後にしてくれ」

「いやー、ごめんごめん。

 久しぶりに会ったからついね」

 俺の注意に千里殿も舌を出して頭を下げつつ、外套を被ったままの千重の馬の横に立って手綱を持った。

「ささっ、一度厩舎に寄った後、玉座にて華琳様を筆頭にみんなが待っているよー。

 ね? 黄忠さん(・・・・)

「えっ?」

 千里殿の最後の言葉に俺が後ろを振り返ると、そこには確かに黄忠殿と璃々ちゃんの姿があり、俺は馬鹿みたいに目を開いて何度か目の閉じ開きを繰り返してしまった。

「あら、ばれてしまいした」

「璃々たちね、ずーっとうしろにいたんだよ? 気づかなかった?」

 黄忠殿は口元に手を当てて笑い、璃々ちゃんはこちらへと元気良く手を振ってくれる。その手にかろうじて返しながら、頭の中はグルグルと思考が渦巻き、空回りを始める。

 確かに気づかなかったけど、流石に白陽達が気づかなかったなんてありえないし、そりゃ女学院で一度話した以降は会話もせずに別れて、その後の行動とかさっぱりわからなかった上にあの感じだと璃々ちゃんと一緒に女学院にいるんじゃないかとか勝手に考えてたのはあるけどそれにしたって・・・

「兄上? 何を凍りついているんです?

 黄忠殿達が僕らの後ろについてきてるって言いませんでしたっけ?」

 復活の速い樹枝の言葉の内容に理解が追い付かず、ぎこちない動きで首を動かして、わずかに傾ける。

「は?」

「あれ、言ってませんでしたっけ?」

 これが聞いている人間の反応なら、そいつはすぐに黙劇師(マイマー)になるべきだと思う。というか、これは怠ってはいけない部類の報告であり、割と本気で洒落にならない。

 声にならない思いを抱えて髪を掻き毟りつつ、千重について華琳達に報告すること以外にもう一つ増えたことで頭が痛くなってくる。

 水鏡女学院で千重(劉協様)を連れて帰ってきただけで大事(おおごと)だっていうのに、黄忠殿(弓の神様)までついてきちゃいましたとか・・・ 華琳になんて説明すんだよ・・・

 舞蓮の時もそう言えばこんなだったんだよなぁ・・・ 舞蓮の場合はついてきたなんて可愛いものじゃなくて、喰らいついてきたっていう方が正しい気がするが。

「お兄ちゃん?」

 いつの間にか黄忠殿の所から離れて俺の足元に来ていた璃々ちゃんが服の裾を引っ張り、不安そうな顔で俺を見上げていた。

「ごめんなさい・・・」

 子どもの雰囲気を読む能力ゆえなのか、それとも生まれながらの才能なのか、この子は敏い。この才を殺さずに教養をつけ、育っていったら、どんな風に光り輝いてくれるのだろうか。黄忠殿のように神と謳われるような弓の名手になるだろうか、それとも太守を務めた治政の能力が伸びるのか、それともどちらでもなく彼女だけの独自の道を築いていくのか。いずれにせよ、将来が楽しみな子だと思う。

 見れば黄忠殿も同じように申し訳なさそうな顔をしていたので、俺は肩に乗っていた重いものを強制的に降ろすように肩をすくめた。

「いや、いいんだよ。

 俺がなんとかしてみせるから・・・ ほら! 空がこんなに綺麗な青空が広がってるんだ。嫌な気持ちなんて吹っ飛んでくだろ?」

 璃々ちゃんを肩車しつつ、安心させるように笑いかける。

「わぁ・・・! きれーい!

 なんだかこうしてお空見てると・・・ お兄ちゃんの髪は雲みたい」

「そうかい? じゃぁきっと璃々ちゃんは、俺の主を見たらもっと驚くぞぉ。

 なんせ、太陽みたいにきらきらとした髪を持ってるんだから」

 もうここまで来てしまった以上、親子二人で再び女学院に送り返すことも出来ない。それに何らかの事情があった可能性もないわけではないし、これはもう報告がてら話を聞くしかないだろう。

「さぁ、皆で一度城に向かおう。

 難しい話はそこでして、皆でご飯だ」

 全員に振り返りながら告げれば、嬉しそうに笑う者やら呆れる者、羨望の眼差しを向けたりいろいろだが、気にしない。

「我らの覇王様が玉座でお待ちだ!」

 空元気を出しつつ、俺は真っ直ぐに玉座へと足を向けた。

 

 

 

「で? また増やして帰ってきたのね?」

 玉座の中央に堂々と座する我らが覇王様は俺が入室した瞬間、そんな言葉を投げかけてくる。

 璃々ちゃんを俺が抱えて入室するといろいろと誤解を招きそうだったので黄忠殿の腕の中に戻り、今はきょろきょろと忙しなく玉座を見渡していることだろう。

「また、おっきい胸を連れて帰ってきて・・・ 挙句男の数減らしてきてどうすんのよ!」

「いや、減ってませんからね!?

 僕は単純に着替える暇すら与えられずに玉座に連行されただけですからね?!」

 桂花と樹枝のやり取りを聞きつつ、全員の視線はやはり黄忠殿達に向けられる。

 だが、前回のことを考えればそれは無理もないし、今回は完全に想定外の出会いだった。幸いなのは俺が見えている限りで嫌悪の感情が皆に見られないことだけど、この辺りについても詳細は聞いておいた方がいいだろうな。

「言い訳にしか聞こえないことを承知で言わせてほしい。

 俺は本当に城門まで彼女の存在を知らなかったんだよ・・・」

「あんたねぇ、知らなかったで済む問題じゃないでしょ!

 大体、総責任者であるあんたが知らないってどんな事態よ?」

 主に桂花の甥である樹枝の所為でもあるが、俺も確認不足があったので言えないので桂花の言葉を黙って聞く。

 俺も千重のことだったり、報告のことで頭がいっぱいになりすぎていて、周囲の警戒や注意が散漫だったんだろうなぁ。

「桂花、そう怒ることではないわ」

「ですが、華琳様!」

「魅力的な女性が一人でも多くこの地を訪れることは、何も困ることではないでしょう。特に私にとっては、ね」

 舌なめずりをしつつ、黄忠殿を見る華琳はまさに獲物を狙う獣そのもの。

 弓の神様をもとって喰らう気満々の貪欲さに華琳らしさを感じつつ、なんだか胸が温かくなるのを感じた。

「兄上、なんでそんな優しげな表情になるんです?!

 最愛の女性が他の女性を見て舌なめずりとか、普通は引くでしょ! 千年の恋も冷めるようなものじゃないんですか?!」

「俺と華琳の恋は、時間なんかで冷めるような柔なもんじゃないんだよ」

 鋭く飛ぶ樹枝のツッコミに惚気を叩き返しつつ、華琳の言葉を聞いた桂花は納得いかないように何かをぶつぶつと言っていた。

 いや、桂花のみにとどまらず、玉座のあちこちから何かを思案するような声が聞こえてくるが俺には聞こえない! 『子どもか・・・』か、『また競争率が・・・』とかは俺には聞こえないんだ!!

「とりあえず、黄忠の一件は後に回すとして・・・ ここに居るということは既にどこにも属しておらず、冬雲を始め私が選んだ子達が何らかの理由で許したということでしょうしね」

 そう言いながら華琳は玉座から降り、俺達の元へと向かってくる。

 そして、外套を被ったままの千重の前で膝をつき、恭しく頭を下げた。当然、その場にいる誰もが華琳の行動に倣い、外套を被ったままの千重へと頭を下げた。

「劉協様、御足労いただき厚く御礼申し上げます。

 そして、主たる私がお迎えに行かなかったことをお詫び申し上げます」

「皆、顔をあげなさい」

 華琳から紡がれる言葉に千重は御子と呼ばれるに相応しい風格を持ちながらも、華琳に優しく微笑みかけた。

 その表情は俺と再会を果たした時と似ているようで、少しだけ違っていた。

「久しぶりですね、曹操」

「!

 えぇ、劉協様。お久しぶりですね」

 その一言で華琳も理解したようで、千重は俺達に立ち上がるように促していく。

「どうか、私のことは千重と呼んでください。

 御子という名称も、この劉協の名も、今しばらくは災いしか呼びませんし、お姉様もそのためにあてもなき旅へと向かわれました。愛らしいものがお好きだったようで、お供は可愛らしい獣達を連れて、今頃はどこへいらっしゃられるのやら・・・」

 溜息交じりに華琳に短く現状を伝える千重の手腕に驚きつつ、華琳も楽しそうに笑っていた。

「では、私のこともどうか華琳とお呼びください」

「敬語も不要です。

 ここに居るのは、少しばかり身分の高いだけの少女ですから」

 舌を出して年相応に笑う千重に華琳も微笑み、互いに固い握手を交わして、華琳は玉座へと戻っていく。

「では、千重。

 これから、あなたはどうしたいのかしら?」

「そう、ですね・・・

 今すぐにでも冬雲さんと愛の営みを行いたいところではありますが、この幼い身ではそれも叶いません。

 ですので、体が成熟するまでの間は冬雲さんの隣に立つに相応しい淑女となるために女を磨こうと思います」

「凄い綺麗な表現を使ってますけど、さらっととんでもないことを言ってませんか?!

 華琳様や月さんと同じ思考回路の方なんですね、そうなんですね!? 兄上、どんだけ危ない女性を拾ってくれば気が済むんです?!

 ていうか、もう趣味ですか? 趣味なんですよね! 兄上えぇぇ!!!」

 前回も思ったが、本当にこいつ身分関係なしにツッコんでいくよな。

 同性である皆ですらその発言に硬直しているっていうのに、打てば響くような返しをしてくるし。正直、千里殿達が樹枝をからかうのも無理はないと思う。

 俺自身一番意外なのは、千重が俺を想っていることをかつての面子に驚いてる様子が見られないことだった。

 やっぱり俺がいなくなった後の話をもう少し誰かに聞くべきだろう。桂花に聞くのが早そうだけど何かと忙しいし、風に会った時にでも話を聞くとするか。

「では、私も営みの相手に名乗り上げようかしら?」

「ふふっ。

 あなたを筆頭にここにはそうした強者がたくさんいそうですから、女を磨かないといけません。

 それに再びこの地の歴史を書き綴っていくのも楽しそうですしね」

 華琳の挑発を受け止めるなんて、千重も随分強かになったなぁ。

 そんな光景を見ていると不意に背中を誰かに掴まれ、振り向いてみると眠そうに目を擦りながら俺の服を掴んでいる璃々ちゃんの姿と再び困ったような顔をした黄忠殿の顔があった。小声で璃々ちゃんを注意しているようだが、眠くて少々駄々をこねている璃々ちゃんは俺の服を離そうとしない。

 仕方ないよな・・・ 流石に子どもを預けられるようなところなんてないし、初見の人間に愛娘を預けることなんてまず無理だろう。今後はそうした施設も増やしたいが、子どもが家の仕事を覚える機会でもあるから何とも言い難い。やっぱり、その辺りは学校の基礎を作ってから考えるべきだよなぁ。

 とりあえず、黄忠殿から璃々ちゃんを受け取り、掴んでいる部分を背中から腕に変えてもらう。そうすると何故か俺の腕にしがみつくように丸くなって、俺の腕の中にすっぽりと納まってしまった。俺も安心するように背を優しく叩き、穏やかな寝息を立てる璃々ちゃんにおもわず目を細めてる。

 その一通りの動作を終えてから、俺はようやく自分に視線が集まっていることに気づいた。

 き、気まずい・・・!

 玉座でやるべき行いじゃないとわかっているから、尚更皆の視線が痛い!

「・・・その光景にもいろいろ言いたいことがあるけれど、今は不問とするわ。

 黄忠、まずはあなたの口から説明を聞きたいのだけど、かまわないかしら?」

「えぇ。

 私はつい先日まで劉璋様に仕え、城の太守を務めていました。

ですが、ある方に『守るものが居るのなら、そちらを優先せぃ』と一喝され、弓を置く決意をしました」

「張任のお爺様らしい計らいね。

 大方、自分が子どもに恵まれなかったから、余計にその子が可愛かったんでしょう」

 そう言って華琳が璃々ちゃんに向ける視線は優しく、俺の腕の中で眠っていることを咎めることもない。

 それにしても四英雄の一人・張任、か。

 田豊殿曰く、『守るべき伴侶を抱え、政に関わることを嫌って早々に都を飛びだした者』。

 どんな人か少し気になりもしたが、話を中断させなかねないので口を挟むのは遠慮して置こう。

「だが、弓を置くのならば、何故女学院からわざわざここに?」

 秋蘭の問いかけに、多くの者が再び黄忠殿へ視線を向けていく。

 それは当然の疑問であり、黄巾でも、反董卓でも活発に動こうとした俺達が今後大人しくしていると思っている陣営はおそらくこの大陸にはない。

 確かに水鏡女学院は先日の一件もあって安全とは言い難いが、争いの中央にもなりかねないここよりは安全であることは、誰の目から見ても明らかだった。

「ねぇ、黄忠さん。

 もしかして、女学院から追い出された?」

「追い出されたなんてそんな・・・」

「いや、水鏡(ミカガミ)ちゃんはそんな直接的には言わないだろうけど、大方ここよりも守りの厚い陣営に行った方がいいのではないでしょうか~とか言われたんじゃない?」

 千里殿の指摘に黄忠殿は躊躇いながらも頷き、千里殿は顔に手を当てて深い溜息を零していた。

 だが不思議なのは、同じ女学院の卒業生である雛里すら首を傾げているところだが、華琳も俺と同じことを思ったらしく興味深そうに二人を見比べていた。

「一度弓を置いたということは、あなたはここに将としてではなく、一人の民として避難してきた。と取っていいのかしら?」

「えぇ、そう取っていただいて構いません」

 華琳の最終確認に黄忠殿も短く返し、華琳も頷いて返す。

「そう・・・ ならば、あなたは母親としての義務を全うなさい。

 弓の神が弓を置き、母親に徹する。そんな時間もあるべきだわ。ただし、有事の際はその才に働いてもらうこともあるでしょう。

 太守を務めていたほどのあなたなら職に困るようなことはないでしょうけど、何かあったら言いなさい。

 大方、そこのお節介で愛に溢れた雲はそうするつもりだったでしょうしね?」

 図星を突かれた俺は視線を逸らしつつ、落ちかけた璃々ちゃんを慌てて抱き直す。

 華琳の判断には全員が多少驚きつつも異論を出すことはなく、黄忠殿は俺達に受け入れられた。結果としては、最高の物だと思う。

「えぇ、これからお世話になります。

 そして曹仁様・・・」

 黄忠殿はそこで恭しく礼をしたのち俺へと向き直り、白い頬をわずかに赤く染めながら、妖艶な笑みを向けた。

「私の真名は紫苑、この名共々どうか私を貰ってくださいませんか?」

 そんな決定的な言葉を、俺へと向けてきた。

 




【黙劇】
 パントマイムのことであり、『パントマイム』という呼び方自体が日本独自の物である(英語などではマイム) また、演技者のことをマイマー、マイムアーティストなどと呼び、今回作品においての『黙劇師』というものは作者がそれに漢字をあてたものなので正確なものではない。


この話にもう少し詰め込む予定だったのですが、文字数とバランスの関係で来週も本編です。書きたいことが多すぎて、入りきりませんでした・・・
次は視点変更、その次は徐々にこの章の中心部に進んでいきます。

来週・・・ 忙しいですが、投稿できるように頑張ります。


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72,陳留 会議

書けましたー。

いろいろ忙しくあり、焦ったりもしていますが、頑張ります。
さぁ、再臨の紫苑さんをご覧ください。


「私の真名は紫苑、この名共々どうか私を貰ってくださいませんか?」

 

「じゃぁ、私とはこの後に子作りね!」

 

 黄忠殿による決定的な言葉に続いたのは、何故か屑籠から飛び出してきた舞蓮。

 連合の時もそうだったように神出鬼没なのはいい加減慣れてきたが、何故そんなところから出てきたのか。そして、何故俺へと飛びかかってこようとしているのかを一刻ほど問い詰めたい。

()ねや!」

 突然、入ってきたにもかかわらず、霞の偃月刀が舞い

「隊長には触れさせん!!」

 凪の気弾が放たれ

「檻へ帰れ、発情虎」

 陰から白陽の短剣が飛ぶ。

 正直、俺だったら三回は確実に死ねるような同時攻撃を前にして、舞蓮は不敵に笑って見せる。

「うーん、良い子達ね。

 けど、私の執念はそんなんじゃ止まらないわよ!」

 舞蓮が着地する場所を狙った三人の攻撃は、舞蓮が足を突いた瞬間に何故か爆発でもしたかのような突風をおこし、舞蓮は何事もなかったのかのようにその場に着地してみせた。

「甘いわねぇ。

 ウチの子達に比べたら動きはいいけど、私にはまだ届かないわよ」

 舞い上がった埃の中から、そんな余裕ぶった舞蓮の声が響く。

「では、私の鉈は届きますか?」

 が、そんな余裕を最早聞き慣れてしまった彼女の声と風切音が両断する。

「ちょっ?! その子はまずいわよ!?

 でも、諦めないんだから!!」

 埃の中から突然消えうせた舞蓮の影を探して視線を巡らせると、恐ろしい速度で四つん這いの何かがこちらへと向かってきていた。

 いや、単刀直入に言おう。『何か』ではなく、舞蓮である。

 俺の好意からこうなってるのはわかってるんだけど正直怖いし、人としての尊厳なくしすぎじゃないか? というか、街でそんなことしてないよな? なんだか普段の生活が心配になってくるんだけど?

「はい、そこまで」

 俺へとあと数十センチという所まで迫ってきていた舞蓮と俺の間に絶が突き立ち、舞蓮が青い顔をして華琳を見る。

「危ないじゃない! 華琳!!

 刺さったらどうするのよ!」

 青い顔は一瞬にして真っ赤になり、文句を言いながら舞蓮は立ち上がる。

 華琳にここまで堂々と不平不満を言う人間って、そう居ないと思う。そう言う意味じゃ、舞蓮も華琳の特別なのかもしれない。

「刺さらなかったからいいじゃない。

 あなたがそれ以上に進んでいたら危なかったけど」

「進んでたら刺さってたわよね?! 絶対そのつもりで投げたわよね? だから、絶なのよね?! この鎌!!」

「そちらではなく、冬雲の後ろよ」

「後ろ?」

 華琳の発言によって舞蓮が俺の後ろへと視線を向け俺も同様に振り向くと、そこにはいつの間にか矢を番えて狙いを定めている黄忠殿が居た。

「ちょっ?!

 あんたまで何やろうとしてんのよ?! 紫苑!」

「何って先輩、旦那様につこうとしている悪い虫・・・ もとい悪い虎を退治しようとしていただけですよ?」

 俺を挟んで言い合う二人の言葉に違和感を覚えつつ、俺は腕の中に居る璃々ちゃんがしっかり寝入ったことを確認しておく。

 よかった・・・ 本当に寝ててよかった。

 最後の舞蓮の動きなんて、下手すれば精神的外傷(トラウマ)ものだもんな・・・

「ん? 先輩ってどういう・・・?」

 璃々ちゃんが起きないように声を押さえた俺の疑問を誰よりも早く樹枝が拾い、頷きながらも口を開く。

「どちらかというと黄忠殿の方が年上に見えるような・・・」

 その言葉が聞こえたや否や樹枝の服の端を矢が貫き、瞬く間の内に虫の標本のように壁に射とめられた。

「・・・・どういう意味でしょうか?」

「黄忠殿の方が落ち着いた雰囲気があり、我が子に見せる表情はまさに母親らしい年相応に感じられるからです!

 けして、けして老けて見えるとかそういうのではあぁぁぁーーー?!」

「手が滑りました」

 その発言と同時に、樹枝の頬を矢が掠めていく。

「掠った! 今、掠ったあぁぁーーー!!」

 いや、後半は絶対いらないだろ。そう言う所が自業自得だって言ってるんだよ。

 というか、舞蓮の方が娘の年齢が明らかに上だろうに。

「ていうことは、私が若く見えるっていうことね!」

「いや、落ち着きがない子どものように見えるからです」

 本当にこいつの正直なところは美徳だと思う。

 けど、いつかこの正直さでこいつは死ぬと思う。

「ちょうどいい物があったわね。

 これ、投ーっげよ」

「また掠った! 絶、掠った?!」

 舞蓮がまるで的当て(ダーツ)でもするかのよう軽々と絶を投げ、黄忠殿の射た矢とは逆側の首元に絶が突き立つ。

「でも、ちょっとしたことで照れて赤くなったり、璃々ちゃんの行動に慌てたりするとか、黄忠殿は結構可愛いところあるだろ」

「なっ?! 旦那様!?」

 もう旦那様呼びで確定なのかとかはツッコまない。ツッコんだら負けだ。

「舞蓮はそりゃ落ち着きがなくて子どもっぽいけど、樹枝が思ってる以上にいろいろなことを考えてるぞ? 多分」

「なーに、言ってるのよ、冬雲。私なんて適当よー」

 と言いながら、舞蓮は嬉しそうに俺に抱き着いてくる。

 だけど、璃々ちゃんが起きない程度に加減してくる細やかな心遣いに『母』という彼女の一面を感じた。

「で、二人が顔見知りなのはわかったけど、本当にこれからどうするんだ?

 舞蓮はもうあっちに帰っても平気だし、黄忠殿も探そうと思えばもっと安全なところがあると思うんだけど」

 蓮華殿と流石にそこまで詳細のやり取りはしていないが、十常侍が全滅した今、舞蓮があちらに戻っても問題はない。

 黄忠殿にしたって女学院が無理で、もわざわざ乱世の中央に立とうとしているここよりも安全な所なんてそれこそ星の数ほどあるだろう。

「酷い!

 私の体に飽きたっていうのね!!」

「そもそも! 食わせてないわよ!!」

 舞蓮のボケにすかさず桂花のツッコミが入り、俺も一応デコピンを当てておく。

「本気の話だよ、舞蓮。

 好意を抱いてくれてるのはそりゃ嬉しいけど、向こうに戻る選択だって・・・」

 言葉の途中で近くまで迫っていた舞蓮の額が、俺の額に触れる。

「バッカねー、冬雲は。

 私は、最初から自分の我儘でここに来ることを選んだのよ?

 今更家に戻るとか、どっかで名をあげるとか、華琳に反旗を翻すとか、するわけないでしょ?」

 頬を摺り寄せるのと同じように左右に揺られながら、舞蓮は嬉しそうに目を細めていく。

「私は、愛した人とくどいくらいたくさんの思い出を作りたいのよ。

 ね? 紫苑」

「そう、ですね・・・

 いろいろと勝手だと思いますし、先輩がここに居る詳しい事情までは分かりませんがそれは同意です。

 ・・・・というか先輩、近いです」

 黄忠殿へと同意を求めた舞蓮はあっさりと俺の拘束を解き、なおかつ腕の中から璃々ちゃんを奪いながら黄忠殿と入れ替わる。

 舞蓮とは違う柔らかな印象を受ける体が俺を包みながら、先程まで弓矢を番えていた彼女の手が俺の顔を包むように捕らえた。

「曹仁様」

 瑠璃色の眼が俺を射ぬき、俺もそれに答えるように見つめ返す。

「この乱れた大陸に、安全な所なんてどこにもありません。

 何せ謎に包まれてきたあの水鏡女学院ですら、軍に襲われてしまう世の中です」

 それは紛れもない事実だ。だが、何もそれはここじゃなくていい。

 それこそ彼女が所属していた劉璋殿の所ならば山に隔絶されていることもあり、戦火を免れることは出来ずともしばらくの間は無縁でいられる。

「ですが黄忠殿、俺達の進もうとしている道を敏いあなたならわかるでしょう?

 女学院での薦めがあったとはいえ、ここは隠居する場所に向いているとは思えません」

「確かに、水鏡女学院の方の薦めという理由もあります。

 ですが、あなたのお傍に居たいということも、体を捧げたいという想いもまぎれもない本心です」

 心を差し出すように、舞蓮と同じように俺と彼女の額は触れ合う。

 何かの物語ではないのだから、記憶を共有することも、想いを通じあうことも出来ないけれど、彼女の温かな体温と吐息が伝わってくる。

「『一目惚れ』なんて言ってしまえば安っぽく聞こえてしまうかもしれません。

 交わした言葉の数も、共に過ごした時間も、ここにいる方々と比べてしまったら本当にごくわずかでしょう。まして、弓を置こうとしている私が『横に並ぶ』などと口にすることも烏滸がましい」

 どの言葉も相応しくないと言いながら、彼女の声に諦める様子はない。

「あなたと私の道が交わったこの奇跡を、私は共に歩むことで軌跡としたいのです」

 至近距離から伝えられる彼女の想いは、俺だけに向けられた秘め事のように。

「もう一度、言います。

 私の真名は紫苑、この名共々どうか私を貰ってくださいませんか?」

 彼女の言葉に俺が答えられずにいると、思わぬところから声が降ってくる。

「冬雲、これで受け取らないなんて選択肢があるなんて思っていないでしょうね?」

「か、華琳・・・」

「あなたの道は私の道。

 その道は一人増えた程度で変わる軌跡ではなく、出会えた奇跡の数々を祝福し、積み重なり強くなっていくものよ。

 私が引き寄せたあなたとの出会いが、ここまで私達を強くした。

 彼女もまた私達の強さとなる、それだけよ」

 どんな騒ぎがあっても、くだらない笑いや恋愛事があっても、華琳は変わらない。

 清々しいほど俺が好きになった彼女のままで、進むごとに彼女は強くなっていく。

 あの時よりももっと貪欲に、何一つ諦めようとしない、全てを欲する我らが覇王。

「黄忠殿・・・ いいや、紫苑」

 華琳の言葉に背を押され、俺も腹を決める。

「俺はまだ、皆にも明かしきれてない秘密を抱えている。だから今すぐにあなたを貰うとか、結婚するとかは出来ない。

 だけど、俺は俺の意志であなたに俺の真名を・・・ 俺がこの世界で貰った宝物の一つを渡すよ」

 さっき彼女がしてくれたように彼女の額に額を当てて、そっと彼女の顔を包み込む。

「俺の真名は冬雲。

 日輪が照らす大陸の空に浮かぶ、冬の雲だ」

 

 

 

「さて、話がまとまったところで私達の現状を整理しましょうか」

 将として入るわけではない紫苑殿には一度席を外してもらい、舞蓮も紫苑殿と積もる話もあるらしく大人しく席を外してくれた。念のために橙陽を護衛につけ、眠っている璃々ちゃんのことを考えて、早々に空き部屋などの手配もしておく。

「あなた達が留守の間に袁術軍の一部が攻めてきたわ。

 もっともそれも、大した相手ではなかったけれど」

 華琳の言葉に霞が得意げに笑い、月殿が静かに微笑んでいく。

 それだけで誰が相手にしたのかがわかり、将を始めたばかりの二人の練習台になって消えたのだろう。

「それに加え、樟夏が幽州へと無事についたとの文も届いているわ。

 その辺りは桂花、あなたから報告を」

「はい、華琳様」

 華琳に促された桂花が立ち上がり、いくつかの書簡を手にして、それらを開いた。

「向こうとの連絡の取りあいも順調で、民の受け入れも今回袁術軍から奪った土地や治めていた土地に移ってもらうことで話は通っているわ。

 職などについても警邏隊を始め、元々行っていた職についての情報もあちらから渡されているので心配することもないでしょ」

「へー。

 僕が女装をしている間に義兄弟は婚約者といちゃつきですか、そーですか」

 桂花の報告にやさぐれたような樹枝のつぶやきが漏れ、華琳は首を振って否定する。

「あら、そうかしら。

 真面目な話を言うのなら、経済力と兵力だけは無駄にある袁家が攻めてくる。

 それだけであの場所にいるのがどれほど危険かは一目瞭然であり、民の移動なども含めればやることは山積みでしょう」

「確かに・・・ それもそうですよね・・・

 申し訳ありませんでした」

 華琳の言葉に樹枝が真剣に頷こうとするが、華琳の言葉がこれだけで終わるわけがなかった。

「あの子達が居る中で新婚よろしくいちゃつきなんてしたら・・・ それはもう面白いことになっているでしょうね」

『あー・・・』

「風様もほとんど会えてないのー・・・」

「稟様はもう、まずないか?

 ほっとんど会えてへんやろ?」

 その場にいるかつての面子が納得し、一部にいたっては冷や汗まで流し始めている。そんな中黒陽の手から書簡が渡されると、春蘭や桂花までもが顔を青くする。

 あれは見ちゃいけない。

 見たが最後、俺はこの場から飛び出して幽州に向かいかねない。

「袁紹軍は今後、幽州のみならず周辺の諸侯を喰らってさらに大きくなって私達の前に立ちはだかることでしょう。

 けれど、そんなことは関係ないわよね」

 この大陸においてもっとも強大な勢力がさらに肥大化し迫りくるというのに、華琳は笑いながら『関係ない』と斬り捨てる。

「『打倒袁家』は私達にとって通過点であり、この中原に覇を唱えるためのただの足掛かりでしかないわ。

 けれど、足がかりとは強大であり、難敵であればあるほどより高く登れるものよ」

 玉座から立ち上がった華琳は、黒陽によって回収された絶を鋭く振るう。

「さぁ、全てを手に入れるとしましょうか」

 華琳の言葉に彼女を侮るような言葉は一つとしてなく、袁紹殿を見下すような言葉もない。

 それだけ彼女が華琳と並ぶにふさわしいということであり、油断してはいけないということ。

 前回は勝った。けれど、今回もそうなるとは限らない。

 なら、俺達も相応の覚悟と、礼と、誇りを持って、彼女を迎え撃つ。




次は視点変更を予定しています。
視点変更を終えたら、幽州へと移るのでまた視点変更を挟むかもですね・・・ その次辺りに本編(というか主人公視点)に行くと思います。

番外も書きたいですねー、お正月とかクリスマスとか。


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 水鏡女学院にて 【水鏡視点】

明けましておめでとうございます。
昨年は大変お世話になりました。今年もよろしくお願いします。

いつもは土日ですが、書けたので投稿します。
土日には出来たら番外辺りを投稿したいと思っています。

では、新年早々一発目の投稿は彼女から。


「先生」

 久しぶりに聞いた声に顔をあげることもせず、私は最愛の存在に包まれながらその温もりを実感し続ける。

 羽毛を利用した特製の彼女は私を温かく包み、彼は本来ある寝台の冷たさから私を遠ざけてくれる。

 私を包む世界はあまりにも優しく、温もりに溢れ、愛に満ちている。

 これ以上の幸せなどなく、存在しない。

 否、彼と彼女がいることで私の世界は完成していた。

「先生、生きていらっしゃいますか?!」

 慌てたような声とこちらに向かってくる足音に、渋々と数か月ぶりに咽喉を動かす。

「布団から出たら、死ぬー」

「・・・生きていらっしゃいますね」

 呆れたようなみっちゃんの声がしたけど気にすることはなく、私は顔までしっかりと彼女達に包まれたまま、再び目を閉じて向こう側へと飛び立とうとする。

「用がないなら私はもう一回寝るよ、みっちゃん」

 仮に用があっても寝るけどね、だってみっちゃんが次にいうことなんて私には簡単に想像出来るから。

 この世界で私に予想できないことはなく、想像以上の出来事は起こらない。

 考えることが出来てしまうことに驚きはなく、目の前に起こる事態の全ては確定事項でしかない。

 ほんのわずかな想定外のことが起こっても、それが起こすであろう変化も、今後変わっていく様々な出来事も、私にとっては取るに足らないことでしかない。

「法正が帰還しました。

 そして、先生への面会を・・・」

それ(・・)に対して取り次ぎなんて時間の無駄でしかないと言ったでしょう、水鏡(ミカガミ)

 それを起こす時も、話を聞かせる時も、行うべきことはたった一つ」

 ほら、やっぱり。

 私の想像通り、彼女(掛布団)の向こう側から聞こえてくる彼女の声に私はほんの少しだけ(敷布団)と彼女を強く掴んでおく。もっともこれも無駄な抵抗なんだけど、彼と彼女と離れたくない私の精一杯の抵抗だ。

 外側から彼女を掴まれる感触を感じながら、強く引っ張られて成すがままに取り払われる。そして、扉の光りを背後に受けながら、彼女は私からはぎ取った彼女を遠くへと放り投げてしまう。

「あぁ! ジュリア!!」

 最愛の親友を粗雑に扱われ、私は思わず彼女の名を叫ぶ。

「目は覚めているようね、水鏡(スイキョウ)

 さぁ、久し振りに出てきてもらおうかしら」

「えー・・・ やだよ、めんどくさい。

 私は既に決まっている道筋になんて興味ないし、ここに居を構えたのだって引き籠るためだもん」

 生活のためにたびたび著書を増やしたり、みっちゃんに書いてもらったり、学費を払わせたりして生きるのに困らない程度の活動はしてるけど、ぶっちゃけ才ある子を拾ってくるのはみっちゃんの趣味みたいなもんだしなぁ。

「大体さぁ、君は自分が劉璋に受け入れられないことを承知であそこに仕官したじゃん。

 私ほどではないにせよ、君は私が二つ名をあげるほどには認めてあげた子だし、先を見るっていう意味じゃ水鏡女学院(ここ)の卒業生じゃずば抜けてる・・・ ううん、一番って言ってもいいよ」

 この子は賢いし、生き方も迷わない。

 まっすぐで、誠意があるが故に誰に対しても容赦がなく、それでいて全てが自分の身勝手であるように見せることがとても上手。

 彼女を悪く言うならば世渡りが下手な頑固者、良く言うならば芯のぶれない常識人。

「いいえ、先見の明があったのは私ではないわ」

「そうだね、君の妹である彗扇ちゃんの方がよっぽどあったかもしれない。

 だけど、だから私は『卒業生』って括りをいれたんだよ。だって君の妹は卒業することなく、この地で命を終えたから」

 彼女からほんの少し殺意にも似た感情が漏れてるし、その隣に並ぶみっちゃんも表情も硬くなる。

 だけど、私はそんなことは気にしない。

 人はいつか死ぬ。

 それだけは誰しも平等で、のちに残るのは生き様のみで、語り草となる生を生きたいか・生きれるかは個人個人の努力次第。

 もっとも、語り草になるかなんて望まないのも当然あり得るんだけどね。

「泡沫水仙、『泡沫の彗扇』。

 泡のように儚く、彗星のように通り過ぎ、水仙のようにその身に毒を宿して、自らが生きた証を大地に残していく。

 本当にあの子は、良い子だった」

 全部がわかるからこそ全てに興味を失った私と、常に死が近くにあったからこそ達観して物事を見つめた彗扇(あの子)

 興味関心を持てずに引き籠った私と、全てを見たい願っていたのに自由の翼を持つことすら許されなかった彗扇(あの子)

「君は嫌がるだろうけど私とあの子はとても似ていて、価値観はとても遠かった。

 ある意味で、あの子は私の唯一の教え子なのかもね」

 ここの学院の生徒の多くは本来の司馬微()のことを知らず、みっちゃんを司馬微だと思ってる。だけど、ごく稀にみっちゃんが司馬微ではないことを気づいて、私のところまで自力に辿り着く天才がいる。そして、そうした存在こそが本当の天才であり、ある種の才能を持っている。

 もっとも時間差はあるし、その内臥龍(孔明)鳳雛(士元)も気づくかもしれないけど、そんなことは今はどうでもいい。

「私は」

 だってほら、私の目の前で彼女はあんなにも怒ってる。

「あなたとあの子の思い出話をしに来たわけではないわ」

「そんなことはわかってるよ、緋扇(ヒセン)

 彼女の真名を口にすれば、すっかり鋭くなっている彼女の眼差しはさらに鋭くなる。

 あらら、彗扇ちゃんに向けていた目はどこに行ったんだか。

「君が私に許したのは真名を呼ぶ権利だけ、でしょ?」

 女学院に訪れながら師を仰がず、ただ一人で知識を吸い込んでいき、妹を安全な場所にいることを望んだ存在は、妹を失って尚も歩みを止めることはない。

「えぇ、忘れていないわ。

 それが、あなたが妹を忘れないでいることへの対価よ」

 私を見つけた彼女にあげたご褒美は、私が彗扇という少女のことを忘れないこと。

 そして、ご褒美を素直に受け取らない彼女が私に対価として渡したのは自身の真名。

 一人の存在の人生を、生き方を覚えてほしいなんて傲慢な願い。

「生きづらそうだよね、君の人生って」

「生きやすい人生というものがもしあるのなら、それはきっとあなたのような人生を言うのでしょうね」

「ま~ね~」

 体を起こしつつ返事をすれば、久し振りに人の顔を見る。

「久しぶり。みっちゃん、緋扇」

 私とみっちゃんの顔はよく似てるし、年齢だってみっちゃんの方が下。

 ただ、たまたま真名が同じ漢字で違う読み方ってだけで、私がここを作って間もない頃に拾った孤児だか捨て子だかよくわからない子だった。

 で、ちょうどよかったからみっちゃんには表の私になってもらったってわけ。

 司馬微として必要なことを叩き込んで、人として必要なものも与えて、必要だから情も教えた。他人から言わせれば人間らしくなく、横着な私が育てたとは思えないほど苦労人になっちゃったけど、それはまぁ・・・ 多分みっちゃんの個性だと思う。

 姿形はよく似てて、水面に映った鏡のように私とみっちゃんは一つの存在。

 けれど、似ているのは見た目だけで、その中身まで似ているかどうかなんて水面越しに誰にもわからない。

 でも、いい加減やめないとね。この子の杖はうならせると怖いから。

「黄忠と璃々を追いだしたのは何故かしら」

 ほら、怒ってる。怖い怖い。

「追い出したなんて、人聞きが悪いなぁ~。

 勝手に男を追いかけて出て行っただけじゃん」

「あなたが水鏡(ミカガミ)を使って追い出した、の間違いでしょう」

 あらら、やっぱり気づいてる。

 まぁ、気づいたって問題ないし、どうだっていいんだけどね。

「そこまで気づいてるなら、私が追い出した理由もわかってるじゃない?

 だって君、賢いし」

「いいえ、わからないわね。

 庇護を求め、娘の教育を求めた黄忠を追い出した理由がはっきりとしない。

 水鏡(ミカガミ)から聞いたのは赤の遣いが訪れたことと、何らかの理由あって滞在した高位の者が関係していたとしても、二人を追い出す理由にはならない」

「なるよ。

 ていうか、それが最大の問題」

 欠伸を一つしてから、私は緋扇を指差す。

「私が才ある卒業生達に二つ名をあげて追い出したのも、今まで私を操ろうと金を渡そうとしてきたどっかの領主とかを断ってきたのも、ぜーんぶそう言う勧誘が面倒だから。

 荀家の誘いに乗ったのは二つ名の子達が出て行きやすいように場を揃えるためだし、こちらとの接触も出来るだけ少ないように条件づけたしねー。

 なのに、黄忠って何?

 あんな二つ名がついてるし有名だし、子どもなんて言う格好の囮や脅し要因まで連れてきた。挙句、まさかこの大陸で超有名な赤の遣いと一緒に行動してきて、他所の軍までここに攻めてくるときた」

 親友の一人であるアリシア(掛布団)を引っ張り出し、彼女に包まれながらも咽喉を使う。

「それじゃ困るんだよね。

 私は引き籠るためにここを作って、自分がより良く生活するのに必要だから学院を用意したんだよ。別に子どもの避難所でも、大陸からの世捨て人のための場所でもないの」

 私は(司馬微)という天才が生きるために、女学院(ここ)を創りあげた。

 そして、それを満たす延長線上でみっちゃん(もう一人の私)がいろんなところから才ある子達をかき集めた。

「天才に必要な環境と秀才に必要な時間。そして、それらが間違わないある程度の常識を得るためにあるのが水鏡女学院(ここ)

 私の住処で、みっちゃんの居場所だよ。

 どっかの領主様達みたいに私は別に名声が欲しいわけでも、金が欲しいわけでも、何か成し遂げたいわけじゃないもん。

 何でもかんでもわかっちゃう理解出来ちゃう私は、この退屈な大陸で、ただダラダラと生きていたいってだけだよ」

 死にたいなんて馬鹿なことは思わない。

 だけど、生きているのが楽しいとまで実感する何かがない。

 なら、流れてくる少しの情報で退屈を誤魔化して、馬鹿みたいな二つ名を卒業生達につけて、布団の中で日々を過ごしたい。

「・・・そう。

 なら、あなたは私が望んでいることもわかるでしょう」

 呆れることも、失望することも特にせずに緋扇ちゃんは私を見据える。

 真面目だよねぇ、まったく。本当に生きにくそう。

「もっちろん。

 女学院のはずれに薬草園を作りたいんでしょう?

 君はもうどこに行っても評判最低だろうし、そんな君をしつこく勧誘してくる物好きもいないだろうから安し・・・」

 そこまで言いかけて私は言葉を止め、彼女についてのことを思い出して溜息を吐いた。

「あー・・・ でも君を追いかけて白の遣い君が三顧の礼とかしてきたら、迷いなく追い出すかな」

「その時は、私自身が対処しましょう。

 こちらに迷惑をかけるようなことをしないわ」

「うん、まぁ・・・ そうしてくれると嬉しいね」

 まぁ、君ならそう言うと思ったし、仮に来たとしても綺麗に片づけると思ってる。そもそも来ない可能性の方が高いわけだし。

「それにしても君は、本当によくやるよね。

 あのままだと身の程も知らずに赤の遣いに嫉妬して、おかしな方向へと道を違えそうになった白の遣いに現実と身の程を自覚させることで矯正。

 で、自分自身はあそこから身を引くことであの軍がバラバラになることまで避けた」

 拍手をして称えても、緋扇ちゃんが私を見る目は変わらない。

 むしろ、さらに苛立っているようにすら見える。

「君はさ、自分が思っている以上に矛盾に溢れてる存在だよ。緋扇」

「許可が下りた今、あなたとこれ以上話すことはないわ。水鏡(スイキョウ)

 会話を断ち切るように、彼女は私に背を向ける。

 いつものように杖を突いて、あの子を助けようと足掻いた結果足を悪くして、それでもなお真っ直ぐ歩く彼女に私は特に思うことはないけれど、彗扇ちゃんを思い出して少しだけ笑う。

「気を操る医術の彼に、君は何を見たのかな?

 希望? 絶望? それともありもしない願望?」

「そのどれでもないわ」

 私の皮肉めいた言葉を彼女はきっぱりと否定して、わずかに振り返る。

「私は私が突き詰めるべき学問が見つけ、それを実行するだけの財力と知識を得てきた。

 私はここでそれを実現するために戻ってきた、ただそれだけよ」

 私には無縁な強い力を宿した瞳を直視することに疲れて目を伏せれば、みっちゃんが私のジュリア(掛布団)を連れてきてくれた。

「先生、あとのことは・・・」

「ん~、まぁなるようになるでしょ。

 私はまた引き籠るから、あとよろしくね。みっちゃん」

 交代するようにみっちゃんの手を叩いてから、私は再び目を閉じる。

 あぁ、本当にこの大陸は忙しない。

 けれどまぁ、死ぬまでは生きてやってもいいし、退屈しのぎにはなるから別にいいかな。

 

 

 

 だが、そのような彼女が築いた学院から輩出された者達は各地において多大な功績を残し、その師である彼女の名と共に歴史に刻んでいくこととなる。

 もっとも、彼女自身はそんなことは欠片も望んではいないだろうが。

『向こう側の水鏡(スイキョウ)』、彼女は己のことをそう自称する。

 天才であるが故に起こりうる全てのことを理解し、大陸の全ての知識を得ている彼女には、既にこの大陸の結末すら見えている。

 故に水面の向こう側から覗き込むように、微睡の中に身を潜めた。

「騒がしくなるねぇ」

 




次は本編、もしくは番外ですかね。
そろそろあの子達に視線を向けたいですねぇ。

法正を緋扇と予想としていた読者の方々、おめでとうございます!


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73,迫りくる影 幽州にて 【赤根視点】

週末に予定があるので、今日投稿していきます。
ですが、感想返信などは行える環境なので感想返信は遅れることはあまりないかと思います。

さぁ、物語が動いていきますよ。


 姉様の指示の元に幽州は慌ただしく動き、お姉様の婚約者である曹洪様が来たのはあの号令の一週間後のことでした。

 当然、現状では婚約の祝いは出来ませんし、最悪婚約破棄をされても文句は言えません。

 ですが、姉様の義姉にあたる曹操様も、今回無事旦那様となった曹洪様もそれを理解し、その上で私達を含めた幽州の民を受け入れてくださいました。

 もう私達は曹操様に足を向けて寝れませんね。もっともそれは曹操様だけではなく、幽州の民を快く受け入れてくれた異民族の方々にも言えたことですが。

「今回は本当に・・・ あの方にも、異民族の方々にも一切の利益がありませんからね・・・」

 負けが見えている戦をしないために民をあちらこちらに逃がし、空っぽになった幽州を袁紹軍に明け渡す。

 私達に出来ることは持ちうる材を民の逃げ先となるところへと渡し、人材として価値があることを説明すること。

「幸いだったのは、二陣営共に民を友好的に受け入れてくださったことでしょうか・・・」

 しかし、私達もただ黙って明け渡すわけではありません。

 敵軍の足が少しでも遅れるように、時間稼ぎ用の防護柵や簡易罠を稟お姉様の指揮の元で街のあちこちに配備。罠の配置などを星お姉様が小器用にこなしていき、準備もそう手間取ることもありませんでした。

 戦の火が飛んでしまう可能性をなくすために、異民族の方々の土地とこちらを繋ぐ道は私が最後の交渉を終えた際に岩で道を潰すなどをしてこちらからは通りにくい状況を作りました。道を潰すことについては説明を終えてあり、今後のことについてもあちらは私達を気遣い、受け入れてくれるとすら言ってくださいました。

 ですが、これは私達の同じ言葉を使う民族の問題であり、彼らまで巻き込むわけにはいきません。好意に溢れた優しい申し出を丁重にお断りし、再会の約束を交わして彼らと別れました。

 その間、姉様は曹操様と念入りに連絡を取り合い、民の今後についてや負担にしかならない私達を含めた将兵の受け入れなどの書簡のやり取りを、夜も眠らずに綿密に行っているようでした。

 

 

 

「姉様、ただいま戻りました。

 あちらとの最後の話し合いも無事終わりまし・・・」

「じゃっ、赤根嬢ちゃんも来たし、俺お茶汲みに行ってくるわ!

 ・・・すまね、あと任せた」

 私とは入れ違いに宝譿さんが慌ただしく出て行き、何故か小声で謝罪していきました。

 そしてそこに広がったのは、幽州にいる軍師と将が一同に揃うという朝のままの光景でした。最近は各々担当している仕事のこともあって外に出ていることが多かったので、皆さんの顔が揃うのは本当に久しぶりと言ってもいいでしょう。

 曹洪様・・・ いえ、樟夏お義兄様も姉様がお義姉様への書簡をしたためている時などは他の書簡の雑事を手伝ってくださっていたので私はこの部屋で見かけることは珍しくなかったのですが、風お姉様達は初めてなのではないでしょうか。

 さて、状況説明はこの辺りでいいでしょうか。

 突然ではありますが、ここで皆さんに質問です。

 いえ、質問と言っても向ける対象などなく、私の混乱を治めるために行うものでしかないのですが、質問です。

 

『左は温かで穏やかな陽だまりのような空気、右は極寒の大吹雪のような圧力。

 その間にあるもの、なーんだ?」

 

 これの回答は多少無理がありますが、『季節の秋』だというでしょう。私も普通ならそう答えたいです。

 ですが、大切な点をもう一度申し上げます。これは()の混乱を治めるための(・・・・・・・・・・)ものです。

「あ、赤根。おかえり~」

 とろけるような笑顔で私を出迎えるのは当然白蓮お姉様ですが、その顔は緩んでいた普段以上に締りがありません。その表情はもはや緩むを通り過ぎて、元々あった輪郭すら崩れているようでした。

「赤根ちゃん、おかえりなのですよ」

 私に向けていつものように口にしているにもかかわらず、風お姉様の目は欠片も笑っていません。

「おかえりなさい、赤根さん。

 赤根さんはしっかりと仕事をこなしてきてくださったようですね」

「あぁ、まったくだな!

 目の前でいちゃつくどこぞのふにゃけた新婚夫婦と違ってな!」

 風お姉様の言葉に続いたのはあえて名指しせずに嫌味を言う稟お姉様と、それとは真逆に怒りを露わにする星お姉様の姿でした。

「そ、そんな新婚夫婦なんて・・・!」

「そ、そうです!

 まだ正式に我々は式をあげておらず、婚約者という段階でして・・・・!!」

 慌てたようにお二人は否定しますが、星お姉様達が言っているのはそこではないと思います。

『もう、勘弁ならねーーーーー!!!』

 御三方は声を揃って拳を振り降ろし、目の前にあった机を破壊しました。

 まぁ、重要な案件は終わり、あとは雑務処理なのでかまわないのですが、それでも備品が・・・

「どどどど、どうしたんですか?! 皆さん!」

「そうだぞ!

 いくら重要なことが終わってるからって机を壊すなんて・・・ まさか何か問題でも?!」

「むしろ、貴様らが問題そのものだーーーー!」

 白蓮お姉様と樟夏お義兄様の揃った言葉に対し、星お姉様が噛みつかんばかりに怒鳴り散らします。

「風達もね、そんな風にお兄さんといちゃつきたいんですよ・・・

 でも、出来ないんですよ? わかります?」

 (ガン)をつけるように風お姉様が白蓮お姉様と樟夏お義兄様を睨みつけ、御二人は再び揃って震えだします。

 何でもかんでもお揃いですか、仲良しというか、ここまで来ると一心同体の域ですね。

「そう、あなた達がしているような書簡仕事で何気なく視線があっただけで照れ合い、手が触れては赤くなり、この後の予定を和気藹々と話し合うことをしたかったんですよ!」

「そうだ! そうだ!

 仕事を終えた後、一杯ひっかけ、良い雰囲気になったところでそのまましっぽり・・・」

「「おめーは駄目だ!」」

 稟お姉様の言葉を流れるように星お姉様が引き継ぎましたが、その言葉は風お姉様と稟お姉様によって遮られ、星お姉様は衝撃的な顔をして身を引きました。

「まさかの裏切りだと?!」

「さらっと風達の妄想に入ってきてるんじゃないですよー」

「経験もない癖に偉そうに」

「経験など、赤の遣い殿でするからいいのだ!」

「「それが駄目だっつってんだろ!!」」

 まだ、諦めていなかったですね・・・ 星お姉様。

 というか、御二人も口調がいつもと違うというか、崩壊していると言っていい域です。

 さて先程の質問の真意を、皆様には御理解いただけたでしょうか?

 では、回答の発表です。

 

 答え、私。

 

 このやり取りを私が出発する早朝にも、二度ほど行っています。

「私達に一体、何が問題あるんだろう?

 何か心当たりはあるか? 樟夏」

「さて、皆目見当が・・・」

 白蓮お姉様達は朝から変わらず原因を探求しているようですが、何も答えは出ないようです。

 当たり前ですよね、自分達の何気ない触れ合いに対して怒りを抱いていることなんて、気づけるわけがありません。

「では、樟夏お義兄様、白蓮お姉様。

 私が留守をしていた間、ここでなさってたことをご説明いただけますか?」

「え? 赤根、なんでそんなことを聞くんだ? 仕事に決まってるだろ」

 えぇ、白蓮お姉様ならそうおっしゃると思っていました。

 ですが、先程風お姉様達が言っていたこと以外にもしでかしている可能性は大いにあるので、まずは状況を整理しましょう。

「いえ、行いから見直せることもあるのではないかと」

「それはそう、ですね。

 では、赤根殿が出発して以降から考え直しましょう」

 二人揃って顔を近づけ、うんうんと悩む姿すら妬ましいのか風お姉様達が片隅で歯ぎしりをしています。

 が、口とは別に体はちゃんと壊した机の後片付けに動いてくれているので、とりあえずよしとしましょう。そうたとえ、じきに破壊した机の破片が天井に届きそうになっていても

「では、まず先程から離れることもなく、繋がれたままのお二人の手はなんですか?」

「は?! これは無意識でして・・・!

 すみません、白蓮」

「そ、そんな謝られることじゃ・・・

 それに私は・・・ その、嬉しい」

「そんな・・・ 嬉しいだなんて」

 二言三言(ふたことみこと)言葉を交わし合うだけで顔を赤くし、いちゃつきだす御二人の姿を見て私はおもわず額に手を当ててしまいました。

 これを逃げ場のない室内で延々と半日も、ですか・・・

 あぁー、これはうざい。

「風お姉様達が怒るのも無理はないですね・・・・」

「「え?! 何が!?」」

「まさにそれですよ・・・」

 真面目なお二人のことですからやるべき仕事は滞りなく行っていたのでしょうが、このやり取りを仕事の真っ最中にたびたびされれば臨界点も突破するでしょう。

 朝に二度行われていたのも初々しい朝の姿やら、食事風景という何気ない婚約者のやり取りに対し、甘ったるい空気に耐え切れなくなった御三方が怒り狂った結果でした。

 それらを懇切丁寧に御二人に説明しても、無意識の産物は直しようがないので事態の解決は不可能でしょう。

「し、しかし、いちゃつくと言っても兄上のような行動をとっているというわけではないのですが・・・・」

「ほぅ、それは気になりますねぇ。

 どんなことをしているんでしょう? 少しお聞かせ願えませんかねぇ?」

 今一瞬、風お姉様の眼が怪しい光りを放った気がします。

 誰が言うまでもなく、明らかに墓穴を掘った音がしました。

「何というか・・・ 兄上は空気を吸うように触れ合い、口説き、女性を増やし、襲われ、連れ込まれ、攫われ、常に女性のことを考え、それら全てを仕事をしながら、日常的にこなしています」

 『英雄、色を好む』と言いますが、その言葉を体現するような方なのでしょうか。というか、半数は本人の行動ではなく、周囲にされていることのような気が・・・

「ほうほう。

 ・・・おのれ、風達が居ない間に好き放題しているようですねぇ」

「いちゃつき放題ですか、そうですか。

 私達だって、あんなことやこんなことをしたいのに! 連合の時も寝込みを襲うのを我慢していたというのに・・・ なら、次は私達の番ですよね?」

 風お姉様達が危険な気を放ち始めていますが、これは本当に大丈夫なのでしょうか?

「ふむ、ならば私の番もあるな」

 星お姉様、少ししつこいです。

「「一生ねーよ!!」」

「一生?!」

 そして、御二人も一切容赦がありません。

 かといって恋愛を希望しているわけでもなく、誰かに恋慕の情を抱いているわけではない私はこの会話に入ることが出来ません。実際、異民族の方と何度か見合いの話もあったのですが、幽州のことや姉様の婚約のこともあったので先延ばしにしていました。

「恋愛、ですか・・・」

 風お姉様に聞いたことはありますが、長い惚気の末に出た答えは『一緒に居たら楽しい人』。

 稟お姉様は顔を赤くし、鼻血を噴きだし、最後にようやく出してくださった答えは『功績でも、理屈でもなく、全てを好きと言える人』。

 星お姉様と白蓮お姉様は、どちらも経験が浅そうだったので聞いていません。

「「そこは聞こう()! 赤根!」」

 私が何も言っていないにもかかわらず、お姉様と星お姉様が私に掴みかからんばかりの勢いで声を上げました。

「私は経験が浅いのではない!

 あの方と出会うために、始めてを取っておいたのだ!!

 さながら、白雪に初めて足を踏み込む時のように、最初の一歩は彼と決めていたのだ!」

 と、最初の一歩を勢いよく踏み出した星お姉様がその後も何かを言い連ねていますが、まず初めに言いたいのはこれです。

「まともに顔を覚えてもらってるのかも怪しいのに、受け入れてもらえる前提ですか。

 凄いですね、星お姉様」

「ぐはっ?!

 あ、赤根、いつもよりも口が悪くないか・・・」

 倒れ伏した星お姉様を見下ろしながら、私は特に気にせず迫りくるお姉様へと視線を向けます。

 一仕事を終えて帰ってきたらこの騒動。挙句、逃亡者一名。

 口ぐらい悪くなると思います。

「赤根、聞いてくれ!

 確かに私と樟夏の付き合いはまだ短く、出会いはとんでもないものだった。

 だけど、私はちゃんと樟夏に恋をしているんだ!

 そして、これから毎日二人で日々を積み重ねていき、お互いのことをもっと知って・・・ そしていつかは、お義姉様達のようなご夫婦になるんだ!!」

「うざいです」

『ばっさり言ったーーーー!?』

 皆さんの絶叫に等しい感想が響き渡りますが、このやり取りが一度目なら私も聞き入っていたことでしょう。ですが、お姉様のこの言葉は樟夏お義兄様と婚約してから何度も聞かされており、正直耳に胼胝(タコ)が出来そうです。

 というかもう、キレていいですよね?

 

 

 

「袁紹軍、来たぞーーー!」

 

「今、取り込み中だ! すっこんでろ!!」

「あっ、すみません」

 怒りに任せて叫んだ私に、扉を開いた宝譿さんが反射的に謝罪し、扉を閉めました。なので私は引き続き、私の前に並んだ五名に説教をしようと腰に手を当て直すと・・・

「じゃねーだろ?!

 袁紹軍来たんだよ、大事(おおごと)だろうが!!」

「そんなことより、この馬鹿共の説教が先だ!!」

「そんなことじゃねーだろ?! つーか、赤根嬢ちゃんキャラ違くね?!

 だけど、予定通り逃げねーと・・・」

「ちっ、しゃーねーな。

 説教はまた今度だ」

 苦々しく舌打ちをしながら、私の言葉に皆さんが立ち上がっていく。そして、宝譿さんへと振り返った皆さんの後ろに立って、いつものように告げました。

「さぁ、お姉様。

 幽州太守として、最後の号令を」

 私の言葉にお姉様が頷き、室内に居ながらに幽州全土に響くように叫ぶ。

 

「愛すべき郷里よ! 我が守るべき幽州よ!! どうか私を恨んでくれ!!!

 この地を捨て去ることを! 見捨てることを!

 足掻くこともなく背を向ける、この無力な太守である私をどうか憎んでくれ!!」

 後ろから見ている私にはわからない。

 今のお姉様の表情も、想いも、この場にいる私達()では欠片も理解することは出来ない。

「そしていつか、再びこの地を私が踏んだ時、その恨みと憎しみの全てを、私の生涯を懸けて償おう!!

 今日、この戦ともいえぬことで失った全てを、何十年という時間をかけて再びこの地に築き、数百年という時間をかけて私の子が守ろう!」

 数百年という先すらもこの土地に縛られることを、幽州を守るという誓いを、一時代の太守でしかない存在が口にする。それがどれだけ愚かな行為かなんて、子どもにだってわかる。

 けれど、その誓いを嗤う者はここには一人もいない。

「将・兵・民、一切の身分の貴賤なく、私は命を粗末にすることを許さない!! 皆、根にかじりついてでも生き残れ!

 私達はこれより、幽州から離脱する!」

 その号令の元、私達はただ静かに走り出した。

 




次も本編を予定しています。
正月番外は書きたいですが、基本は本編優先で行きます。


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 陳留 会議 【舞蓮視点】

書けましたー。

冬雲の視点だと展開が急すぎるのでワンクッション。



「追い出されちゃったわねー」

 会議が始まることもあって二人揃って部屋から出され、紫苑と共に娘である璃々ちゃんを寝かせるために別室に移動した。

 まぁ、私は別に普通に出歩いてもいいんだけど、紫苑が娘ちゃんを放ってどこかうろつくとかありえないから、その部屋でゆっくりお茶をすることにした。

「当然ですよ、先輩。

 先輩の事情はよくわかりませんけど、私達は軍議には無関係なんですから」

「無関係ってことはないんじゃない?

 だって私達の旦那になる男の生死がかかってくるわけなんだし、私達だって一応武人って言われる部類の人間なんだから」

「私はもう元ですよ。

 それに・・・ 曹操様を始め、あの場にいた方々が旦那様を自ら危険な場へと向かわせるとはとても思えません」

「冬雲のこと、わかってないわね~」

 あの娘達が望んでなくても、やらなきゃいけないことを前にした冬雲は自分で危険な場所へと突き進んでいく。

 それで助けられた私が言っちゃいけないし、紫苑もそのうち気づくでしょうから教えてあげないけど。

「えぇ、先輩。

 私はまだ、何も知らないんです」

 自慢のような私の言葉に対して、紫苑は意外なことに何故か嬉しそうに微笑んだ。

「定められた結婚をして、一足飛びで愛を知った私は恋を知りません。

 だから、知ることの叶わなかった恋を私は旦那様に過ごすことで知っていきたいんです」

「・・・それ、宣戦布告?」

 さらりと決定的なことを言い放つ紫苑に私がお茶菓子を摘みつつ問いかければ、紫苑は微笑んだまま首を振って否定した。

「宣戦布告なんて・・・ 旦那様は旦那様ですから」

「ふふふ、紫苑は変わらないわね。

 もう冬雲を自分の物にしている辺り、流石だわ」

 得物にしている弓と同じで見た目は綺麗で、細く儚げ。とても危なそうには見えないのに、実はしなやかでとんでもない力を持ってまっすぐ進んでいく。

「いえいえ、さらに磨きのかかっている先輩ほどではありません」

 ほら、こういう言葉の容赦のなさとかも、相手の急所を狙ってくる矢みたいじゃない?

「褒められるようなことじゃないわよー。

 ただ好きなように生きて、導かれるようにしてここに辿り着いて、あなたと同じように冬雲に惹かれちゃっただ・け」

 私のしてることなんて大抵は誰かがやってることだし、死んだと思った人間が実は生きてることなんて結構あることよ。多分。

「先輩にとってはそれだけでも死んだと思った人間が目の前に現れれば驚きもします! それに褒めてませんから!!」

「しっー、あんまり大きな声を出すと娘ちゃんが起きちゃうわよ? 紫苑」

「誰のせいで・・・っ!」

 声を荒げて立ち上がった紫苑に寝台の上で眠る娘ちゃんを指差しつつ言えば、紫苑はどうにか席につき、笑顔を貼り付けて私に顔を近づける。

「その辺りもしっかり説明してくださるんですよね? 先輩?」

「えー・・・

 説明するの面倒だし、言いふらしたらまずい内y・・・」

「何度も言いますが私はもう引退した身ですし、この街から出る気もありません。

 それに先輩にだって娘さんが三人いらっしゃった筈ですよね? その子達はどうしたんですか?」

 あー・・・ 説明だけじゃなくて、詳細話した後のことも考えると尚更面倒になってきたわね・・・

 この子、浅葱ほどじゃないけど子どもに対して結構過保護だし。

「ちょっと一度に質問しすぎよ?

 そんなにせかしたって私の口は一つしかないし、いっぺんには答えらないわよ」

「では、質問を絞りましょうか。先輩。

 まず、どうしてここに居るかを答えてください」

 わー、私が話の主導権を持とうとしたのに紫苑が主導権を握って離さないんだけど。まぁ、質問されてる側の私が主導権握るっていうのも無茶よねー。

「前の旦那関連のことで洛陽に探りいれてたら、暗殺集団に殺されかけちゃった」

「何やってるんですか!?

 浅葱先輩もそうですけど、先輩方は自分達が左遷された自覚を持ってください!!」

 頭を叩きながらおどけて見せれば紫苑が私に掴みかからん勢いで迫り、小さくも迫力のある声で私を怒ってくる。

「きゃー、こわーい」

 私達三人が揃って洛陽にいた時もこんな感じだったのよねー。

 浅葱と私が喧嘩して、後輩である紫苑がそれを追っかけてくる。たまに紫苑に怒られたり、止められたり、諭されたりされたのは今となっては良い思い出だわ。

「で、そのか弱い私が殺されそうになった時、颯爽と冬雲が現れたのよ」

「『江東の虎』なんて呼び名がついてる女傑の、どこがか弱いんですか?」

曲張(弓の神様)なんて呼ばれてる紫苑には言われたくないわよ」

 私も浅葱も神様になんて例えられてないし、そこまで有名じゃないもの。ていうか、私のことを虎なんて呼びだしたのも誰かわからないことを考えると、案外中央が虎狩りを行うためにつけた名称だったのかしら?

「・・・それで好きになってしまったんですか?」

「あら? あなたらしくないわよ、紫苑。話が逸れたわ。でも、答えてあげる。

 出会う前から興味を持ってた男が、自分の身分を隠してまで私を助けに来てくれたのよ? これで惚れないなんて、女としてあり得ないでしょ?」

 彼に仕える者(司馬懿ちゃん)に覚悟を見せつけられて、子にも等しい将を守られて、自分の命を守られた。

 なら私は、噛みついてでも離さない。

「だから、中央が潰れた今も帰らないんですか」

 あらあら、向こうの方にいたから情報は疎いと思ってたけど、一緒に戻ってきたことを考えると誰か・・・ 鳳統ちゃんとかに話でも聞いたのかしら?

「そうよー。

 それに娘達も自分の好きな道を選んで歩いていくんだし、その道の中央に私が居ても邪魔でしかないもの」

「ですが、それは・・・」

「わかってるわよ、無責任なんてことは」

 紫苑が次に言わんとしたことを察して、私は言葉を遮る。

 母親としての義務とか、人として無責任とか、浅葱にも散々言われたことだもの。

「でも、浅葱みたいに何でもかんでもつきっきりで教えるのは私には向いてないのよ。

 あの子達の道はあの子達が作っていくものだし、そこに私が敷いた道なんていらない。そうあることを望む娘もいるかもしれないけど、人に作られた道なんてきっといつか限界が来るわ」

 道の最期に『孫堅()』という壁がいて、その壁を超えることが出来ないまま立ち尽くすなんてことはあっちゃいけない。

 なら私は、最初から道なんて作らずに荒野へとあの子達を投げ出すことを選ぶ。

「それでも扱いが雑すぎます。

 現に今、乱世の中で海の方は荒れているじゃないですか。心配じゃないんですか?」

「そりゃ、心配してるわよ。

 だけど、あっちの袁家はいろいろと訳ありだから、あんまり心配してないのよねー」

 流石に美羽のことまで紫苑に教える必要はないから適当にぼかしつつ、私はお茶を手に取って口をつける。

「いろいろ、ですか・・・」

「うふふ、名家には付き物の黒ーい話。

 真っ黒よねー、戦いをしないで内側に籠る系の官僚は」

 全部欲しくなるのは人の性だけど、自分の手を汚さずに欲する者より厄介なのはいないわよねぇ。

「で、他に何かある?」

 私の問いかけに対して、紫苑はお茶を口にした後深い溜息を零した。

「娘さん、苦労しますね・・・」

「いろいろ聞いておいて、それが感想ってどうなのよ。紫苑」

 すぐさま突っ込みをいれると紫苑は頭痛を堪えるみたいに頭を押さえて、また溜息を零す。なんでよ。

「何よー、浅葱の教育方針だって似たり寄ったりじゃない」

 そもそも作った道を行く大前提が、自分を越えるってなんなのよ。それこそ不可能だっつうのよ。

「先輩方の教育論は極論から極論に飛びすぎなんですよ・・・」

「あっ、それは自覚してるわよ。

 でも、中途半端とか、ほどほどっていう答えが私達には出せなかったの。良くも悪くも私と浅葱は加減を知らないのよねぇ」

 私も浅葱もそれを悪いとは思ってないのが一番の問題点だってことはわかってる。

 だけど、私達の理想と娘達の理想なんて遠からずしてぶつかりあうものだし、それが早いか遅いかの違いでしかない。私の場合は最初からぶつかって、浅葱が少し遅いだけ。

「加減をされないで振り回される子達の気持ちに・・・ なんて、私も先輩方のことを言えないでしょうけど」

 寝台の上で眠る娘ちゃんを見ながら、紫苑は複雑そうな表情をする。だけど、紫苑の繊細な感情を察してあげるほど、私は繊細に出来てないのよね。

「紫苑」

 私の道は私の物。それは子どもがいたって、変わらない。

「後悔なんてするだけ無駄よ。

 してる時点で、もうそれはどうしようも出来ないんだから」

 後から悔やむのが後悔なら、もうそれは今となってはどうすることも出来ない。

 どうしようも出来ないなら、考えてるだけ時間の無駄。何かの機会にまとめて捨てて、二度と振り返らないと決断するしかない。

「その子が大きくなった時、何か言われても開き直れるぐらい素敵な時間を送ることを考えなさいよ。

 あんたも、その子もまとめて幸せになって、楽しい時間を送ることだけをね」

 ううん、違うわね。

「あんたと私が惚れた男は、一度背負うって決めたものを幸せにすることばっかり考えてる大馬鹿者なんだから」

 冬雲のことを大馬鹿者って言った私に紫苑は目を丸くし、私も紫苑のそんな表情が新鮮だったものだからいろいろな話をしていく。冬雲が作った行事や料理、この陳留という街で起こった楽しいことの数々を。

 

 

 

「舞蓮、紫苑殿、入るぞ?」

「あら? 会議が終わるの早くない?」

 扉の向こうからかけられた冬雲の言葉に私と紫苑がほぼ同時に顔をあげて、お昼寝から起きて紫苑の膝に乗っていた娘ちゃんが誰よりも早く扉へと駆け出して行く。

「お兄ちゃん!」

「おはよう、璃々ちゃん」

 走ってきた娘ちゃんを受け止めてすぐに抱き上げるとか、さっきもちょっと見てて思ったけど冬雲って子どもの扱い慣れてるわよねー。

「随分楽しそうだったけど、二人で何の話をしてたんだ?」

「ちょっと昔話とか、最近の話とか、冬雲がこの街でしてる楽しい話とかいろいろねー」

「そっか。

 旧友との楽しい時間が過ごせたならよかった」

 紫苑へと娘ちゃんを手渡しつつ、冬雲は軽く部屋を見渡す。

「紫苑殿、住居の件は鳳統があとで来るのでその時に。

 暮らしやその他のことは鳳統と一緒に来ることになってる楽進と李典、于禁の三人に聞いてくれ」

「ありがとうございます」

「本当は俺が出来ればいいんだろうけど、俺はまた陳留を留守にするから何かあったら賈詡殿や荀攸を頼ってくれ」

 紫苑にあれこれ言いつつ、部屋に足りないものを書いてるのか、書簡と矢立を手に何かを忙しなく書きこんでいってる。

 本当に忙しい人よねー、冬雲って。

「勿論、私も連れていってくれるわよね? 冬雲」

「舞蓮、頼むから勘弁してくれ・・・」

 私の無茶振りに冬雲は予想通りの困り顔を見せてくれるもんだから、私は満足して笑うと影から白陽ちゃんが出てきて凄い目で睨んでくる。きゃー、こわーい。

「で? 次はどこで女をひっかけてくるのよ?

 紫苑の次はどんな美少女・美女を連れて帰ってくるのか、私すんごい楽しみにしてるの」

「・・・・・」

「貴様が言うか、発情虎」

 冗談で言ったのに冬雲が苦い顔してるのはなんでかしらねー? まさかの図星?

 ていうか、司馬懿ちゃんの私の扱いがどんどん粗雑になっていくわよねー。

「無事に帰ってくるなら、それでいいけどね」

 冬雲の肩を叩きながら扉へと向かって、一つやりたいことがあったことを思い出して振り返る。

「あ、そーだ。冬雲。

 この間の私の企画書、見てくれた?」

「あぁ、あの件か・・・

 警邏隊との話し合いも必要だし、作るとしたら今度から俺より先に華琳に話を持ちかけてくれよ・・・ 俺、別に街の企画案とかの専門じゃないからな?」

「違ったっけ?」

 まっ、そうよねー。

 街のことだし、軍とはまた違った意味で力を持つ集団作っちゃうわけだから、華琳に話を持ちかけた方がよかったのかもしれないけど。

「私が言うより、冬雲の方が確実でしょ?

 で、結果はどうだったの?」

「この期日内に、近隣の荒くれ共をまとめることが条件だとさ。

 使いそうな道具の案は俺から真桜に渡しとくから、後は自分で真桜と冬桜隊に話をつけてくれ」

「はーい」

 冬雲から投げられた書簡を受け取りつつ歩き出すと、私はもう一つ忘れたと思って振り返る。振り返った先では、紫苑が冬雲に深く頭を下げているところだった。

「お早いお帰りをお待ちしています。旦那様」

・・・なーんか、面白くなーいわよね。後輩に出し抜かれてばっかりなんて。

「冬雲!」

「ん?」

 冬雲の体を目指して真っ直ぐに飛びかかりながら、その顔を近づける。勿論、司馬懿ちゃんも紫苑も私を警戒するけど、そんなことは気にしない。けどこれは、二人が考えてるだろう口づけをするためなんかじゃない。

 だって私、着地に必要な手も足も伸ばしきってるから♪

「ちょっ、舞蓮! 危ないだろうが!!」

 当たり前のように私を受け止めて、叱ってくれる。そんな当たり前が嬉しくて、顔のにやけが収まらない。

「ふふっ、その危ない目にあったおかげで冬雲の腕の中を奪うことが出来たのよ? 安いもんじゃない」

 紫苑、恋って凄いわよ?

 こんなことで、こんな些細なことで幸せになれる。そしてもっと・・・

「さっさと終わらせて帰ってきたら、私と晩酌でもしましょうよ」

 幸せになりたいって、強欲になるのよ。

 




次も本編書きたいですが、番外も書きたい。でも忙しい・・・
週一投稿は守りたいと思います。


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74,幽州 合流

いつもよりやや遅れましたが、無事投稿出来ました。

さぁ、どうぞ。


 会議が無事終わろうとしたその時、華琳の背後に立っていた黒陽が天井を仰ぎ、それと同時に白装束の隠密が床に着地した。

「会議中、失礼します」

「かまわないわ、橙陽。

 あなたがここに戻ったということは、麗羽が動いたのね?」

 深く頭を下げたままの橙陽の真意をくみ取りながら、華琳は話を促していく。

「はい。

 私と宝譿殿が偵察を行っていた際、袁紹軍の強襲部隊と思われる者達が幽州へと迫っていました」

「袁家が自らの領地で我慢することなく飛びだすことは承知の上、白蓮もそのために準備を行ってきた。

 けれど、宣戦布告なしでの強襲なんて、正々堂々と中央を突き進むのを好む麗羽らしくないわね」

 華琳はそこまで言った後、黒陽が用意した水を口にして盃を硬く握りしめる。

「あの子の進む道を汚すなんて、アレはどこまで私の邪魔をするのかしら」

 激しい怒りを見え隠れさせる華琳。

 だが、華琳と袁紹殿(彼女)との間は俺すらも入ることは許されない。その関係を華琳の口から語られた時、ようやく俺は発言権を得る。

「冬雲、戻ってきたばかりで申し訳ないのだけど、あなたには今夜にでも幽州へと向かってもらうことになりそうね」

 垣間見せた怒りを覆い隠すように華琳は俺に指示を飛ばしつつ視線で秋蘭に説明を促し、秋蘭は説明を開始した。

 予想していた事態とはいえ、この場にいる誰もが冷静に対処していく姿は素晴らしいの一言に尽きる。もっとも、そんな惚気を言っている暇なんて今はないのだが。

「樟夏達の迎えに相応の戦力と立場が必要になる以上、将の誰かが行くことは必然だろう。

 だが、下手に隊を動かせばそこを狙われ、袁紹軍に呑まれかねない」

「それなら霞さんでもいいんじゃないですか?」

 秋蘭の言葉に樹枝が言葉を挟めば、秋蘭は首を振った。

「確かに機動力という面を考えれば霞は適しているが、公孫越を除いた全員の顔見知りである冬雲が動いた方がいろいろと手間が省ける。

 かといって、弓を得物として使う私が単騎で向かった場合、強襲に対してあまりにも無力だ」

「いや、別に秋蘭様って主な得物が弓というだけで剣でもかなり強・・・」

 樹枝の言葉を隣に並んでいた詠殿が足を踏んで黙らせ、同時に顎を殴ったのか樹枝の絶叫が玉座に響くことはなかった。

 詠殿が樹枝の扱いに慣れ過ぎていることに驚かざるえないが、そこはもはや阿吽の呼吸なのかもしれない。邪推するなら、仲良きことは美しきかなだろうな。

「まっ、それだけやないけどなぁ。

 風達もそろそろいろんな意味で限界やろうし、風達が会いたい思うとるのはこの中の誰かなんて口にせんでもみーんなわかるわ」

 霞がやたら実感の籠った言葉を言いつつ頷きながら、俺の近くまで来て背中を強く叩く。

「自分んとこ失っていっちゃん辛いのは間違いなく領主の公孫賛やけど、未来の旦那っちゅう支えがおる。

 稟は真面目やし素直やないし、風なんて何考えてるかわからんけど、しんどいわけない。

 よーするにや」

 前へと回り込んで、霞は一瞬体が浮くほどの威力で俺の肩を叩く。

「冬雲が行かんで、他に誰が行くんや?」

 状況的にも俺が行くしかない。

 何より他でもない風達が辛い思いをしているのなら、俺は支えたい。

 さっき思ったばかりの飛んでいきたいという想いを、俺は任務という建前の元で実行に移すことが出来るなんて喜び以外の何があるんだろうな?

「他の誰にも譲ってなんかやらないさ。

 けど、珍しいな?

 こういう時、いつもの皆ならもう少し嫌がるもんだろ?」

「まっ、いつもならそうやな」

 俺の言葉に霞は笑って、肩をすくめる。

「乙女としては恋敵であり、好敵手である風達が傷心を理由にいちゃらぶすんのはもやもやするし、正直嫌やな。

 けどなぁ、それ以上にウチらは仲間なんよ」

 『恋敵』で『好敵手』で『仲間』か。

 そうだよな、思えば俺達ってずっとそうだったんだよな。

 王とか、筆頭軍師とか、将軍とか、御使いとか、部下とか、上司とか・・・  俺達にはそれぞれいろんな肩書きがあって、それが当たり前だった。

 だけど、上下関係があっても、多くの肩書きがあっても、俺達はずっと仲間で、家族だったんだ。

「それにあの二人からおっそろしい書簡も届いとったしなぁ。これで冬雲を迎えに行かせんかったら、あの二人にとんでもない仕返しされそうやし。

 ・・・風にも、稟にも、あの頃からいろんな我慢させてもうたし」

 笑う霞は一瞬だけ苦笑いをして、俺をまっすぐ見つめていた。

「頼んだで、冬雲。

 稟と風にはあんたが一番の特効薬で、ウチらの泣いてもえぇ場所は冬雲の胸ん中だけなんやからな」

 『俺はそんな大それたものじゃない』と言いそうになったけど、霞の手が俺の口を塞いでしまう。

「次、そないなこと言おうとしたら、唇で塞いだるわ。

 こんなとこでしたら、ウチかて無事には済まされんやろうけどな」

 楽しそうに笑いながら、霞は近づけた顔を遠ざけていき、自分の席へと戻っていく。

 あの頃からいろんな我慢、か・・・

 そのツケが一番多いのは、きっと俺なんだろうな。

「じゃ、ちょっと風達を迎えに行ってくるかな」

「行ってきなさい。

 あなた達の帰りを、私達は万全の準備をして待ちましょう」

 俺の言葉に華琳が答え、華琳は俺以外の全員へと視線を向ける。

「全員、自分のすべきことを成し遂げなさい。

 では、解散!」

 

 

 

 その後、かつての面子に激励やら伝言、保存食などを持ち、その晩に白陽と共に陳留を飛び出した。

 袁紹軍や他陣営に警戒されないように外套を被り、白陽が導くままに最短の道を突き進んでいく。

「冬雲様」

 俺が焦っていることをわかったのか、それ以上何も言わずに諌めてくれる。

「わかってるよ、白陽」

 急いでることも、焦ってることも、自覚している。

 でも急ぐ足を止めることも出来なければ、愛馬である夕雲も俺の気持ちを理解して足を速めてくれている。

「ご無理をし、もしもの時に動けない方が問題かと。

 ご休息を」

「・・・わかったよ、白陽」

 俺が敵わない相手を数えだしたらキリがないが、白陽は距離が近いこともあって華琳達に近い意味で敵わない面が多い。

 自分でも首を傾げてしまう時もあるが、かつての面子とは知らないことの方が少ないから納得できる。それに普通に接しているつもりでも、先日千里殿に指摘された通りどこか無意識に一枚壁を作っているのかもしれない。

 だが正直、白陽にはそれがない。

 出会った時からありのままの自分を晒し、俺に真名を授け、あの日の言葉通りに俺に仕えてくれる白陽。

「白陽」

 この世界での出会いの全てに俺は感謝してるし、尊いものだと思ってる。

 だけど、こんなわけのわからない存在である俺に忠を捧げ、献身的に尽くし、俺という存在の影を支えてくれる彼女との出会いはきっと砂漠で金を見つけるような奇跡だ。

「いつも、ありがとうな」

 言葉にすることの出来ないたくさんの想いを持って感謝を告げれば、白陽は一瞬の間だけ口元に笑みを浮かべ、いつものように返してくれた。

「もったいない御言葉です」

 

 

 

 無事に幽州に到着し、『最後に一目、幽州の街を見たい』という公孫賛殿の希望によって訪れた崖の上からは幽州の全てが見渡すことが出来ていると錯覚するような絶景だった。

 だが、その絶景も今は街のあちこちから煙があがり、家を崩し、遠くには軍隊が動く音が聞こえてくる。

「風はこの地を訪れた時から、こうなることをわかっていたのですよ」

 崖の縁に立ちながら、風は儚げに笑う。

「華琳様とお兄さんの所へ行くまでの代わりの巣・・・ 例えるなら郭公(カッコウ)の雛のように、いずれは帰るべき大空へと羽ばたく力を得るための場所にする筈だったのですよ」

 公孫賛殿と公孫越殿が目の前にいるにも拘らず、風は策を素直に口にする。

 いいや、違う。これは・・・

「風は幽州という街も、白蓮ちゃんという稀代のお人好しも、星ちゃんという一人の武人も、全てを利用するつもりでした。

 でも風は一つだけ、大きな間違いを犯してしまったのですよ。お兄さん」

 堰を切ったように溢れ出していく言葉は、風の想いという激流。

 そこには真名のように掴めない(フウ)はなく、感情という激しい色を宿す(カゼ)が吹き荒れていた。

「白蓮ちゃんと赤根ちゃん、稟ちゃんと星ちゃんと一緒に過ごして、この幽州という街を守るために連合に出たり献策をしたり、美味しいお菓子やご飯の店を知って、時には星ちゃんと悪ふざけをしながら白蓮ちゃんを困らせて、赤根ちゃんや稟ちゃんにお説教されることを楽しんで・・・ そんな全てが、気がついたら当たり前になっていたのです。

 そして風はそんな当たり前をくれたこの街を、どうしようもなく好きになってしまったのですよ」

 そう言いながら、風は赤く燃え盛る幽州の街へと再び視線を戻した。

 その背中は、泣いているようだった。

「いやー、こんなに辛いなんて思ってなかったのですよ」

 いつもと変わらないように振る舞っているその声が、俺には涙で震えているように聞こえてしまう。

「風・・・」

「お兄さん、悲しそうな声を出さないでください。そんな声を出されてしまったら、風が困ってしまうのですよ。

 むしろこれは、笑う所なのです」

 風はこちらを振り返らずに、いつもの明るい声で続ける。

「利用して壊れることをわかっていた風が、当たり前が壊れたことを悲しむなんて滑っけ・・・」

 それ以上言葉が続く前に、俺は背中から風を抱きしめていた。

 もう無理だった。

 一生懸命に演じ、明るく振る舞おうとする風の想いが俺にだって痛いほど伝わってきてしまったから。

「風、もういいんだ」

「お兄さん・・・?」

「風はもう、傷つかなくていい」

 その罪悪感の全ては、俺にこそ与えられるべきもの()だから。

 続く言葉は風にだけ聞こえるように囁いて、俺は風を抱いた手を苦しくない程度に加減しながらも固く抱きしめる。

「どんな成り行きだって、どんな狙いがあったって、この街は公孫賛殿達と一緒になって風達が作りあげた。黄巾兵から民を守って、異民族との友和を保つことで異国からこの土地を守り、民を逃がすために必死になってたことを俺や華琳はよく知ってる」

 そう言いながら俺は、風の頭をそっと撫でる。

「風が滑稽? そんなわけない。

 風はこの街の当り前を、好きになったこの街の全てを守りたかっただけだろ?」

 でも、公孫賛殿は勿論この場にいる誰もがそう出来ないことをよくわかっていた。

 山に囲まれ逃げ道は多いとは言えず、隣接している異民族に迷惑をかけないように配慮するという人の好さに付け込まれ、数に物を言わせた袁紹軍に敵うはずもない。

「そんなの罪でもなければ、強欲でも何でもない。

 だってそうだろ? 俺達が知ってるこの大陸で一番欲深い王様は、向かい合った者すら欲して、愛してやまないんだからな」

「はぁ・・・

 流琉ちゃんの方が格好いいのって、どーなんでしょうねぇ・・・」

 俺が空気を読まずにドヤ顔で風に告げれば、風は目を丸くした後で深い溜息を零す。

「ん? それってどういう・・・」

「なんでもありませんー。

 まったく、久し振りに空気の読めないお兄さんに戻ってしまったようですねぇ。そんなお兄さんには罰を与えるのですよ」

 言っている言葉の意味がわからずに問い返せば、風は体を反転させて俺の体に顔を強く押し付けてきた。

「お兄さんはしばらくの間、風の手拭いです。

 ただ静かに風を受け止めることが、手拭いのお仕事ですからねー」

 風はその言葉通り、罰として手拭いとなった俺の胸元を静かに濡らし続け、斜め後ろから感じる稟の優しい視線に俺は心を温かくしていた。

「稟ちゃんはいいんですかー?

 この手拭い、使い放題ですよー」

 俺の胸の中から顔をあげないまま、いつもの明るい声に戻った風が稟に声をかければ、稟は優しく微笑んだまま首を横に振った。

「いいえ、遠慮しておきますよ。

 この貸しは、今度冬雲殿と旅行をすることで清算するので気にしないでください」

「えー、それはずるくないですか? 稟ちゃん」

「思いきり抱擁する権利を譲っているんですから、これぐらいが妥当でしょう?

 それに私と冬雲殿は特に二人きりで過ごす機会がありませんでしたし、二~三日はそうしてゆっくり過ごしてみたいものです」

 鼻血を出すこともなく、しっとりと妄想にふける稟は初めて見たかもしれない。

 なんてどこかずれた感想は勿論口にすることはなく、俺は静かに手招きをしてみる。すると、稟はふらふらと一歩二歩と歩き出そうとするが、ハッと我に返って素早く首を振る。

「ほらほら、稟ちゃん。

 これは抗えないでしょう?」

「くっ・・・!

 風に貸しを作ろうとしているというのに、冬雲殿が私を招いてくれている。けれど、未来に描く甘美な日々のために・・・ ですが、これは・・・」

 腕の中の風と徐々に距離を詰めていく稟のやり取りに目元を緩ませながら、腕の中にある彼女の泣ける場所で在ることを誇りに思った。

 

 

「オイ待て、風! 稟!

 貴様ら、揃いもそろって傷心を理由に抜けがけをしただけではないか!!」

「させねーよ!」

「星お姉様、最後まで空気を読みましょう」

「は・な・せーーーーー!!!」

 ・・・その後方から聞こえた愉快なやり取りは、聞こえなかったことにしておこう。

 




次も本編になるかと思います。

いろいろ忙しくはありますが、週一投稿頑張りたいと思います。


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75,集合 そして 解明

書けました。

さて、今回はどうでしょうね?


 最終的に自分の欲望に勝つことの出来なかった稟が風と共に俺の腕の中に納まり、この大陸に降り立ったあの日のように二人を抱きしめる。

「風お姉様、稟お姉様、英雄殿。そろそろよろしいでしょうか?」

 そんな俺達の頃合いを見計らって、公孫越殿が俺達の元へと歩み寄ってきた。

「お兄さん、こちらが幽州の苦労人・公孫越ちゃんなのですよー」

 彼女の言葉通りに風と稟はさっと俺から離れ、公孫越殿を紹介するように手を添える。紹介された公孫越殿も頭を下げ、白蓮殿と同色の髪をまとめずに流し、垂れた前髪は目の片方を覆ってしまっていた。

「初めまして、英雄殿。私は公孫賛の実妹・公孫越と申します。

 感謝の言葉を告げれば際限がありませんので、この場での簡略の礼をお許しください」

「何故、赤根にまで先を越される?!

 えぇい、そこを退け! 宝譿!!」

「でぃーふぇんす! でぃーふぇんす!!」

「言ってる意味がわからん!

 そして、何故増えている?!」

「それは!」

「残像!」

「だぜ!!」

 俺と公孫越殿がそうして挨拶を交わしている後方では、趙雲殿と宝譿が熾烈な攻防を繰り広げていた。

 複数に増えたように目が錯覚してしまうほどの速さで動く宝譿が、趙雲殿が俺の前へと来ることを防いでいる。趙雲殿も相手にすることを放棄しようと何度も合間を縫って俺の元へと向かって来ようとしているのだが、宝譿の速さがそれを許さない。

 宝譿がいろいろとおかしい上に、そこまで趙雲殿を俺に近づけまいとする理由がよくわからないんだが・・・

「いや、こちらこそこんな状況下で時間を取るようなことを・・・」

「それはかまいません。

 私にとって姉のような存在であり、英雄殿と良き関係にある風お姉様と稟お姉様が感情を吐露する場となることは私では役者不足です。

 それに白蓮お姉様達にも少々受け止める時間が必要でしたから・・・ もっともそれも樟夏お義兄様が支えてくださいましたので、その心配も杞憂に終わりましたが」

 公孫越殿が視線を移した先には、幽州の街を見つめたまま泣くことも、怒ることもなく受け止める白蓮殿が。そして、樟夏はそんな白蓮殿に寄り添い、彼女が倒れてしまわぬように肩を抱いていた。その光景は初々しくありながら、長年連れ添った夫婦のような自然さが存在していた。

「お姉様、樟夏お義兄様」

「あぁ・・・ うん、わかってるよ」

「白蓮・・・」

「私は大丈夫だよ、樟夏。

 それに・・・ 辛くなったら、またその腕で支えてくれるんだろ? 今みたいに」

「勿論。

 私はあなたの伴侶ですから」

 あぁ、仲良きことは美しきかな。

 改めて樟夏に配偶者が出来たことを噛み締めながら、二人の何気ない会話が微笑ましい。

「では、お姉様とお義兄様も正気に戻ったことですし、出発しましょう。

 英雄殿、先導をお願いできるでしょうか?」

 そして、割と混沌としたこの状況下でも本題を斬りだすことの出来る公孫越殿は心強くもあり、その心根は間違いなく強いのだろう。けど、だからこそ・・・

「お兄さーん? どうかしましたかー?

 赤根ちゃんに見惚れてもいいですけど、星ちゃんは駄目ですよー?」

「何故だ?! だが、今が好機!!」

 風の軽口に未だ宝譿と攻防を繰り返していた趙雲殿が律儀にツッコミをいれながら、宝譿の一瞬の隙を掻い潜って俺の方へと向かってくる。

 その目はギラギラとした輝きを放ち、まるで飢えた獣。

 隙を突かれた宝譿は勿論、風すら驚きの表情を隠そうとはしなかった。

「ふふ、赤の遣い殿の唇と抱擁は頂いた!」

 どこか得意げに笑い、後方へと残した風達に勝利宣言を言い放つ辺り、彼女の性格を覗かせる。

 だが驚くべきことにそんな彼女の行動を見透かし、既に行動に出ている存在が一人だけいた。

 

「させませんよ、星。

 宝譿、もう一仕事です」

「は? それどういう意味だよ? 稟嬢ちゃ・・・ って、説明する前に投げんなーーーーー?!」

 

「私とどうか結婚を前提に・・・」

 稟の言葉と宝譿の悲鳴、そして趙雲殿が口走る告白が混ざり合いながら、目前まで迫っていた趙雲殿と俺の間に見事指し込まれる。

「なっ?!」

 当然、俺の目前で止まろうと走っていた趙雲殿は意表を突かれ、目の前に突然現れた宝譿を飛ばすことも出来ず、立ち止まる。

 稟に投げられ、俺の前で浮き上がったままの宝譿はわずかに笑い、趙雲殿を指差した。

「わりぃな、嬢ちゃんは好みじゃねぇんだ。

 大人の女になって、出直してきな」

「誰が貴様にするかあぁぁぁーーーー!!」

 いや、宝譿かっこよすぎだろ。いつからそんな男前になった?

「そして、誰が大人の女じゃないだ!

 見た目的に言えば、風が一番大人の女じゃないだろう!」

「星ちゃーん、それどういう意味ですかねー?」

 趙雲殿が勢いよく風のことを指差して叫べば、風はいつもの調子で問いかけて笑っている。

「いや、精神年齢的には風が一番ばば・・・」

「遺言があるなら聞きますよ? 宝譿」

 精神年齢なんて言ったら俺も爺だし、そう考えるとあの時の皆と俺って高齢結婚になるのかもなぁ。

 あぁでも、それにしても・・・

「風、宝譿、星、稟。皆、その辺に・・・」

「そうですよ、大体精神的なことを言ったら兄者も相当ご年配に映りますし、むしろお似合・・・」

 白蓮殿が止めに入り、樟夏が白蓮殿の加勢しようとしているにもかからず、いつもの余計な一言がそれを許さない。

「そんなことはない!

 風と稟がお似合いなら、私だってお似合いになれる筈だ!!」

「お似合い・・・ あぁ、とてもいい響きです。

 そして今後、冬雲殿と共に愛を育み、当然・・・ ぷふー」

「おぉ~、久し振りに稟ちゃんの鼻血が見れたのですよー。今日は何か良いことあるかもですね」

 趙雲殿が否定し、稟が妄想にふけって鼻血を噴きださせ、風がどこかずれたことを言って微笑む。

「お姉様方? 私もそろそろ怒りますよ?」

「おー、赤根嬢ちゃんが怒ったらおっかねーから、その辺にしとけって」

 最後を公孫越殿が絞め、宝譿が怒りを笑いへと転じさせる。

 本当に良い組織(チーム)だなぁ、今後この面子のままで仕事を行えるように進言しておくかな。

「それだといつまでたっても邪魔される?!」

「突然なーに言ってんだ、星嬢ちゃん」

 何かを察したらしく突然叫びだす趙雲殿に宝譿が首を傾げるが、邪魔って何のことだ? 仕事の面においては邪魔しそうな人なんてここにはいないけどな。

「と、とにかく、出発しようか」

 

 

 

「というわけで、皆さんは今までお兄さんを独占してたんですから、この一週間は風と稟ちゃんがお兄さんを独占しますから」

 玉座の間にて開会早々、風がとんでもないことを言いだした。

 玉座の間が一瞬だけ静まりかえり、一瞬置いた後に爆発が起こった。

 今回はいろいろと話すことがあるので、玉座には紫苑殿を除いた全員が並んでいた。当然舞蓮もいるのだが、椅子に厳重に縛りつけられ、その隣には黒陽が配置されている。

「独占なんて、華琳様と白陽以外してないわよ!」

 第一声を桂花が勤め、他の皆も続くように前に出て行く。

「せやで!

 ウチかて、独占なんて出来とらんわい!!」

「まぁまぁ、皆さん落ち着いて。

 ですが、新入りさんは順番を守っていただかないと」

「なんて言いながら、月は来て一週間もしない内に夜這いかけようとしてなかったっけ?」

 霞の追撃が入り、その合いの手を入れるように月殿が続く。

「そうですよね。

 私もまだ手を出していただいていませんし」

「あなたに手を出したら問題でしょうが! 千重様!!」

 千重がさらっと言い放ち、樹枝がそれにツッコミをいれるがまったく聞き入れていない気がする。

「今は忙しい時期だから諦めなさい」

「バッサリ言ったー! そして、断ったー!!

 自分の事は完全に棚上げだーーー!!」

「えー・・・ 華琳様、それは狡いですよー」

 樹枝のツッコミは聞き流され、風と華琳は普通に会話を続けていく。

 そんな楽しい中を俺は見守り、静かに覚悟を決めていた。

 これを知られてしまえば皆に嫌われ、疎まれてしまうかもしれない。いや、それはむしろ当然だろう。

 だが、話さないという選択肢は存在しない。

 一度話すと言った以上、約束は守るものだし、俺達はそう決めていた。

「袁紹が幽州を攻め、こちらへと向かってくる以上はいろいろと準備が必要でしょう?

 それに今の冬雲の立場は一週間も暇を用意できるようなものじゃないのよ、風」

「それはわかりますけどねー。

 せめて、お兄さんと一緒にお仕事をしたいのですよ。

 お兄さんと机を並べて仕事するなんて、あの頃は想像も出来ませんでしたから」

 なんかいろいろと馬鹿にされてる気がするけど、しょうがない。しょうがないんだ! むしろ肩を並べられるぐらい成長したってことなんだ!!

「それも駄目ね。

 あなたとはそもそも役目が違うし、絶対抜け駆けするでしょう」

「むしろ同じ状況下に置かれて、華琳様はしないんですかー?」

「抜け駆けなんてしないわよ。

 だって、冬雲は私の物なのだから、当然の権利でしょう」

「「何この会話、怖い!!」」

 風と華琳の容赦のないやり取りに樹枝と樟夏が叫ぶが、桂花を始めとした全員がそのやり取りを羨ましそうに眺め、あるいは悔しそうに歯噛みをしている。

 俺は絶対口を挟めない上に、選択権がないのはもう今更だと諦めた。

「ま、まさか、あの風に口で勝つ者などとは・・・!」

「星ちゃんが弱すぎるんですけどねー」

「何だと?!」

 そもそも軍師と口でやりあって武将が勝てるわけないんだけど、言わない方がいいかもしれない。

 結局俺、趙雲殿のことは風達の話とか、前のことしか知らないしな。

「でさぁ、私を含めて全員揃えたってことはそろそろあれ(・・)を話してくれるってことかしら?

 私もうドキドキなんだけど」

「あなたは別にいらないのですが」

 ガタガタと椅子を揺らしながら自己主張する舞蓮に、白陽が冷たい目を送っている。

「例の話、ですか」

 樟夏が何かを察したらしく神妙な顔をし、雛里を始めとした数名と視線を合わせる。すると、雛里達も頷いて、同様に神妙な顔をし始めた。

 もっとも、視線を向けられた一人である樹枝だけが首を傾げ、不思議そうな顔をして周囲を見渡した。

「え? あれ? 何の話ですか?!

 僕、聞いてないんですけど?!」

「あぁ、そういえば樹枝さんはあの話をした時、洛陽で女装をしていましたから」

「あの斗詩さん、どうして女装を全面に出すんですか?

 僕、結構重要なことやってましたよね? もっと言い様ありましたよね?!」

「えぇ、ただ女装しただけではありません。

 女装をした上に、本来男子禁制である職場に受かったのです」

「何でそこで偉業であるかのように言いました?!

 確かにそんな人は、僕以外いないでしょうけどねぇ!」

 斗詩の何気ない言葉で出鼻を挫かれ、緑陽の言葉が突き刺さり、樹枝は叫ぶ。

 が、忘れてはならない。樹枝のとどめを刺すのはもう一人いることに。

「いやー、偉業だよ?

 大陸広しといえど男子禁制のあの城で、女中として働いた男の娘なんて攸ちゃんだけだって!」

「誰が男の娘だーーーー!!!」

 樹枝の心の叫びを聞きながら、俺は自分の席から立ち上がって全員を見た。

「多分、皆も知ってのとおり、俺と華琳を始めとした数名はある秘密を抱えてる。

 今回、集まってもらったのはさっき舞蓮が言った通り、俺の口から皆に説明するためなんだ」

 こで一度俺はかつての面子である皆へと視線を向けるが、既に覚悟を決めていたんだろう頷くことも、促すこともなく、俺と視線を合わせるのみだった。

「じゃぁ皆、聞いてくれ。

 俺達に経験した、かつてのことを」

 

 

 俺は静かに語りだす。

 かつて華琳の元に降り立った一人の男の物語を。

 そして、その終焉と今に至る全ての話を。

 

 

 最後まで語り終えると、隣に立つ白陽が静かに俺の手を握る。

「そんな健気な華琳様が存在した、だと・・・?!」

「樹枝。

 それは今、言わなくちゃいけないことだったか?」

 わかってる。

 樹枝がこの場を和ませようと、わざとふざけたようなことを言っているのはわかってる。だけど正直、今は余計だよな?

「愛した女性の命と己の命。

 兄者は辛い決断を迫られたのですね・・・」

「感動の話だ・・・

 そんな悲恋を経験し、今また再会を果たすなんて・・・ 華琳お義姉様達はなんて凄いんだ・・・」

 樟夏は考え込むように言葉を吐きだし、その隣に並んだ白蓮殿は涙を零していた。

 なんていうかまだまだ短い付き合いだけど、白蓮殿って本当に良い子だよなぁ。

「話してくださってありがとうございます。冬雲さん。

 なんて言っても・・・ 冬雲さん達の葛藤や想いなんて私には想像するぐらいしか出来ないんですけど、それでも・・・ 全てを明かしてくださって、ありがとうございます」

「私も斗詩さんと同意見でしゅ」

 そう言って斗詩と雛里はその場に頭を下げ、座り直した。

「って私、死んでる?!

 何で死んでるの?!」

 俺が来る前には亡くなってたから、今回助けられるかどうかすら賭けだったなんて言えない。

「ですが、その時の記憶があるからどうかしましたか?」

「えっ・・・?」

「いえ、その記憶があるから華琳様と冬雲さん達の関係があるのはわかりましたが・・・ その記憶があって何か支障がありましたか?」

「えっ?!」

「むしろ私としてはこうして冬雲さん達と共に居られますし、記憶様々(さまさま)なのですが、どこかおかしいでしょうか?」

 思わぬ月殿の反応に俺は戸惑いを隠せなかった。

 いやだって・・・ 責められこそすれこんな反応なんて・・・

「そいつは責めてほしいんでしょうよ。

 まぁ、月の反応も変だとは思うけど、その記憶があったからこそ僕らはこうしていられるんだし。恨むことなんてありゃしないわよ」

 呆れたような詠殿の言葉に追い打ちをされ、俺はただ目を開かされていた。

「ちょっと!

 そっちの私、死んでんじゃない?! 何で死んでんのよ!?」

「さて、そこで吼えている虎は置いておくとして・・・」

 そう言いながら白陽は俺の前に立ち、そこにいる全員を指し示すように手を広げた。

「ご覧ください、冬雲様。

 あなたが降り立ってから出会った者は皆、あなたと居ることを後悔などしておりません」

 そこで一拍おき、白陽は俺へと手を伸ばす。

「華琳様でも、かつての者達でもなく、私が今お伝えしましょう。

 戻ってきてくださって、いえ・・・ この地へと再び降り立ってくださって、ありがとうございます」

 華琳以来なんて言ったら怒られてしまうかもしれないけど、華琳に並ぶほど惹きつけられたのは彼女なのかもしれない。

「石のように頑なだった私を華へと変えたあなた様の傍で、私は咲き続けましょう」

 これが俺の、二度目の初恋だった。

 




次も本編ですが、シリアスからはちょっと離れます。
その次は白、その後は白と赤の再会とかいろいろ予定しています。

番外も書きたいなぁ・・・


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76,父?

今回はぶっ続けの三部作です。

もう一話はこの後、すぐに投稿します。


 あの後、白蓮殿や風達の今後について話し合いも無事終わり、俺には休みという命令が下された。

 皆曰く『命令って形じゃないと冬雲()は休まない』からだそうだ。

「でも、休みなんて性にあわないんだけどな・・・」

 皆が忙しい中で休むとか、じっとしてるなんて逆に落ち着かない。

「・・・どうしたもんかな」

 そう言いながらも俺の思考の中はこの暇をどう使えば皆のためになるのか、どう動けばいいのかばかりを考えていく。これはもう病気なんだろうが仕方がないし、掛かったことに後悔もない。

「白よ・・・ は今日は休みなんだっけ・・・」

 俺同様に白陽も休みをもらったのだが、『近くに(はべ)っていたら、休みの意味がないでしょう』という華琳の鶴の一声により、半強制的に司馬家にて休みを取らされている。白陽が傍に居ないなんて久し振りだなぁ。

「そう言えば、白の遣い(北郷)についての質問があったっけ」

 同一人物だと明かした時の皆の表情は凄かった。

 樹枝は正気を疑うし、樟夏は『兄者は別段、男好きではないでしょう?』なんて言うし、雛里は何故か怒りだした。

 何か北郷って、こっちだと評判悪いんだよなぁ。

 俺からしてみれば、当時の俺なんかよりずっと出来てると思うんだけど。来たばっかの何も知らなかった俺が君主をやれって言われて、出来たなんて思えないし。

「もう一人の北郷一刀がいても、俺は俺か・・・

 そう言えば、あっちはどうするもりなんだろうな」

 現状から見ても、彼らが袁紹軍に攻められることはまず確実だろう。それは前と変わらない。

 だが、それはつまり多くの民を引き連れ、その背中に追ってくる袁紹軍をも引き付け、俺達に向かってくるということだ。加えて言うならば、かつてと同じということはその後も繰り返される恐れがある。

「逃げてきて対価も無しで通った挙句、袁紹軍との戦の後の対処に回る皆の留守を狙って攻めて来た時は本当に・・・」

 俺はあの時を思い出して頭を抱え、当時は劉備殿のやっていることがよくわからなかった。華琳は感心していたけど、戻ってきた皆は怒り心頭だったからなぁ。まぁ、あの後すぐに俺も体調悪くなったりして怒りを露わにする暇もなかったし、戦ってそういうものだってわかるけど・・・ あー、でも秋蘭達の奇襲もあったんだよなぁ。あの時ほど、彼女の理想に疑問を持ったことはなかった。

 でも改めて考えてみると、凪達がいまだに別人とはいえ劉備殿達を憎むのも仕方ないのかもしれない。かつて起こってしまった時と近しい状況に近づいて、気が立っているのだろう。

 だからこそ、彼らのこれからの行動にかかってくるんだよなぁ。

「史実に近いようで遠いここで、北郷は何を選ぶのかな・・・

 ・・・ん? 史実?」

 そう言えば華琳の両親って、どうしてるんだろう?

 史実において父である曹嵩(ソウスウ)が殺されたことは有名だけど、それ以上触れられることはない。それどころか一説では父親を殺されたことによって、攻める口実を得たと喜ぶ姿が見られたとすらある。

「しかし、父親か。樟夏からも話題に出たことがないんだよな。

 舞蓮の例もあるし、まず華琳にでも聞いてみるか」

 華琳の両親っていうことは俺の家族にもなるわけだし、居るんだったらちゃんと挨拶しないとな。

 

 

 

「ちょっといいかな」

 そう言ってお茶を持ちながらいつものように執務室へと入れば、華琳の鋭い視線が俺を射ぬいた。

「休めと言ったでしょう」

 絶対零度の言葉が発せられるが、これぐらいで引き返したら華琳の将はやっていられない。

「休みはとるよ。

 ただせっかくの休みだから・・・」

「仕事はなしよ」

 俺のこれまでの行動が言わせる言葉なのだが、二の句を告げることを許さない華琳は厳しい。

「仕事じゃないって!」

「へー」

「その疑わしい視線もやめてほしいけど、本当に仕事じゃないんだってば!」

「いいわ、そこまで言うなら発言を許しましょう」

 ようやく許しを得て、俺は執務室にいる人達にお茶を配ってから華琳の近くにさりげなくよっていく。

「それで何をする気かしら?」

 顔には『どうせ、仕事のことでしょう?』と書かれてるーーー?!

「いや、せっかくの休みだし、華琳のご両親に挨拶をしに行こうかと思って・・・」

「ぶふっ!

 ごほっ、ごほっ・・・ なん、ですって・・・?」

 俺の突然の言葉に華琳が茶を噴きだし、慌てて布巾を取る。

「何って、もう婚約を発表しても問題ないだろう?

 まぁ、二人揃ってでもいいんだけど、俺達の仕事的にそれは難しいから、とりあえずご両親にだけでも伝えておこうかと思って」

 華琳の顔は青くなったり赤くなったりを繰り返しながら、最終的に俺の正気を疑うような顔になった。何故だ。

「そう・・・ それなら必要ないわ」

「必要ないって・・・」

「私の母は、すでに亡くなっているわ。

 母はこの街をよく見える丘に弔われ、墓もそこに立てられたのよ」

 華琳の言葉に場所の見当がつき、警備などで行き来する際において献花の絶えない場所だったことを覚えている。

「あそこだったのか・・・」

「そういうことだから、挨拶は必要ないわ」

「じゃぁ、父親は?」

 舞蓮みたいに女性である可能性も高いからあえて曹嵩の名を口にせず、俺はあからさまに避けられた父親について問うた。

「ちちおや?」

 が、口にした瞬間、華琳は冷たい殺気を放ち、これまで見たこともないような般若の形相を露わにした。

 こわっ?!

「私に父親なんて、もういないわ」

「え? でも、亡くなったのは母親の方じゃ・・・」

 さっきまでの会話を思い出しながら、質問をさらに投げかければ華琳は執務机を強く叩いた。

「私には曹嵩という名の父も、かつて立派に領主を務めていた存在も、もういないのよ!!」

「か、華琳! どうしたんだ?!

 一体、曹嵩さんとの間に何があったんだ?!」

「何があった? 何もなかったわよ?

 間には、何もなかったわ」

 言葉の中に含んだ謎を理解出来ず、俺の頭の中には疑問だけが積み上げられる。

「とにかく、曹嵩について私から話すことは何もないわ。

 話題に出すことも避けて頂戴」

「いやでも挨拶・・・」

「しなくていい!!」

 ここまでむきになる華琳なんて珍しいなと思いながら、さらに問いかけようとする俺にそれよりも早く華琳は手を打つ。

「私は仕事に戻るから、あなたも任務である休みを謳歌しなさい!」

「でも・・・」

「駆け足!」

「あ・・ あぁ!」

 華琳によって執務室を追い出され、少し離れた後とりあえず疑問を一つ吐きだした。

「でも、あれって嫌いってカンジではなかったんだよな。

 華琳って嫌いな奴に対しては物を見るような、無機質な感じになるし」

 さっきのまるで癇癪を起こした子どもみたいで

「可愛かったなぁ」

「誰がだ?」

「あぁ、勿論華琳だけど」

 突然かけられた声に当たり前のことを言いながら、振り向くとそこには秋蘭と春蘭が向かってきていた。

「馬鹿な。

 可愛いはむしろ姉者の方だろう?」

「いや、なんでだ。秋蘭」

「確かに春蘭は可愛いよな」

「ぬ、ぬぅ・・・」

 だから、そう言う風に照れるのが可愛いんだってば。

 と思いながら、同じことを思っているだろう秋蘭へと視線を向ければ、無言で頷かれる。

「それで、休みだというのにお前はどうして執務室の廊下に居るんだ? 冬雲」

「いや、せっかくの休みだから華琳のご両親に挨拶に行こうと思って、華琳にご両親の話を聞きに行ったら追い出されちゃってな」

 秋蘭の問いかけに答えれば、何故か二人もそろって顔を硬直させた。

「ご、ご両親・・・ か。

 ほ、鳳華(ホウカ)様はもうお亡くなりになっているからな」

「となると、万年青(オモト)様か・・・」

 それが華琳のご両親の真名なのかと思いながらも、何故か言葉にした秋蘭の顔は引き攣り、春蘭は冷や汗を流していた。

 華琳に続いてこの二人がこんな表情をするなんて、何があったんだろう?

「だ・・・ だが、役職を退いた曹嵩様には御挨拶なんて必要ないんじゃないかなー?」

「あぁ、そうだ! 姉者の言う通りだ!

 隠居され、一般人となったあの方の元に将軍が行くのはよくないだろう!」

「いや、でも華琳と樟夏の父親なんだから、挨拶に行かないと。

 二人も何か知っているなら、教えてくれないか?」

 どこか気まずそうな二人の言葉に俺は首を振り、さらに情報を聞こうとすれば何故か二人は遠い目をした。

「父かぁー・・・」

「父、だったな・・・」

「父だった(・・・)? それってどういう・・・」

 さらに追及しようとする俺の言葉を遮るように春蘭が叫ぶ。

「おーっと、この後月と一緒に熊狩りに行く予定だったんだーーー!!

 なぁ、秋蘭!」

「あぁ、そうだとも!

 熟成した頃には美味しい熊鍋が食べれるぞぉ! 何もしない舞蓮がたくさん作ってくれることだろう!」

「いやちょっ・・・ 二人ともまっ・・・」

「さらばだ!」

「またな!」

 二人は嵐のように走り去って行き、全速力で駆けていく二人の姿はもう背中も見えなくなっていた。

「誤魔化された・・・?」

 しかし、華琳もそうだったけど、二人の反応もなんか変だったなぁ。

 

 

 

 俺は誰かに聞くのを一度諦め、書物庫で一度曹嵩さんについて調べることにし、足を向けた。

「あっ、桂花」

「アンタ、また仕事・・・」

 書物庫の中には踏み台を手にした桂花がいて、華琳と似たような表情をされた。

 なので、とりあえずその手にある持っていくだろう資料の書かれた物を奪い、有無を言わさず作業を手伝っていく。

「いや、仕事じゃなくて・・・ 曹嵩様について調べようと思って」

「曹嵩様って、華琳様の御父上の?」

 作業を手伝う俺に何かを言うことは既に諦めたのか、互いに声を届く範囲で作業を続けていく。

「前は確か、アンタが来る前に賊に襲われて死んだんじゃなかったかしら?」

「あー、前はそうだったのか」

「というか、今もそうじゃないの?」

 桂花すら認識がその程度ということを考えると、やっぱり両親に関して華琳は誰にも語っていないのか。

「ここに来る前に華琳と春蘭達にも聞いてみたんだけど、華琳は怒りだすし、二人はなんだか気まずそうに言葉を濁すだけで死んだとは明言してないんだよ。

 だから、残された資料とかからどんな人かわからないかなと思ってさ」

「ふぅん、確かにその反応は気になるわね。

 本当に華琳様が特定の個人を毛嫌いしているのなら怒るなんてことはしないと思うけど。それにあの春蘭(脳筋)はともかく秋蘭までその様子なんじゃ、何かがあるのは確実でしょうね」

「だよなぁ・・・」

 いくつかの資料を捲っても、個人の情報があるようなものには当たらず、溜息が零れる。個人の書でもなければ、そこまで個人的なことが書かれないから無理はないんだろうが。

「そうね・・・

 なら、古参の将にでもあたったら?」

「華琳と春蘭達の同期となると、あとは樟夏と黒陽ぐらいか?」

「アンタの副官もでしょ。

 大体、あの色惚け新婚共は二人揃って遠出してるわよ」

 色惚け新婚共って・・・ まぁ、わかりやすいし、その通りだけど。

「牛金ってそんなに古いのか?

 俺が来る前からいるのは知ってるけど、曹嵩様の現役の頃から働いてるのか」

「詳しくは知らないけど、相当長いみたいよ。

 華琳様があいつの真名を呼んでる所を聞いたことがあるぐらいだしね」

 俺ですら知らないことを教えられ少し驚くが、次の情報は間違いなく得やすくなった。

「そっか。

 ありがとう、桂花」

 会話をしながらも、書物庫の中で桂花とこうして二人っきりになるのは久しぶりだなと思うとなんだか心は温かくなった。

「何、にやけてんのよ。この馬鹿」

「いや、やっぱり何気ない日々が宝物だなって再確認してるんだよ」

 馬鹿と言ってるにも拘らず、桂花もどこか嬉しそうに見えるのは俺の気のせいなんかじゃないだろう。

 桂花の資料探しが終わるまで付き合い、俺は書物庫を後にした。

 

 

「あれ? 隊長。

 今日は休みなんじゃ・・・ 働くのはなしですよ?」

 訓練所について早々に華琳と桂花に言われたことを一般兵にすら言われ、ややげんなりしつつ本題をくりだした。

「お前達までそういうのか・・・

 牛金はいるか?」

「はい、今日は樹枝様とも遭遇していないのでまともですよ。

 あっちにいます」

 あいつの認識も()から一般兵()まで大差がないのは、裏表がないと喜ぶべきか、それとも恥じるべきか少し迷う。

 示されるがまま、その方向を見れば鍛錬の指示を出す雄々しい牛金の姿があった。

 樹枝がいなければ頼りがいのある漢ってカンジなんだけど、樹枝といるといろいろとぶっ飛ぶんだよなぁ。

薇猩(ラショウ)!」

「あっ、隊長。

 今日は非番ですよ!」

「それはもういい!」

 耳に胼胝(タコ)が出来るほど言われた言葉を怒鳴って返せば、薇猩は俺の元に駆け寄ってきた。

「だったら、どうしたんですかい?

 樹枝ちゃんとの関係は順調ですよ、お義兄さん」

「えーっと、まぁそれは樹枝の心も大切にな?」

「勿論ですぜ!」

 まぁ、悪い人間じゃないからいいか。樹枝も自分で何とかするだろうし。

「それはともかくとして、薇猩は曹嵩様について何か知らないか?」

「え?

 何であの人のことを?」

「いや、なんでってその・・・ 華琳のご両親だから挨拶をしなきゃと思ってな」

「あー・・・ 自分もそろそろ考えないといけないっすかねぇ。

 なんせあの荀家ですし、でも俺は農民あがりにすぎないっすからどうしたもんかと・・・」

 当然の問いなので俺も隠すことなく答えると、樹枝にとっては洒落ならない発言が飛び出ていた。

「その相談は今度聞くけど、秋蘭達と同じくらい古株の薇猩なら何か知ってるかと思ってな」

「いやまぁ、確かに華琳様達が幼い頃から曹家に仕えさせてもらってますけど」

「じゃぁ、身分的に曹嵩様のことは知らないか・・・」

「何言ってんすか、隊長もこの間会ったじゃないですか」

「え?」

 思わぬ発言に驚き、俺が視線でその先を促せば薇猩は言葉を続けていく。

「あの方は一線を退いた後はかつての屋敷を身寄りのない子ども達に開放して、一緒に住んでるんすよ」

 へぇ、篤志家なのか。にしても、孤児院みたいなことを既にやってる人がいるなんてな。

 そう言えば実家があるなんて、華琳達の口からは聞いたことがないなぁ。将の皆は城や宿舎に寝泊まりしてるから必要ないと言えばないし、仕事のことを考えればその方が楽だけど。

「だから、街に行けば屋敷があるんで、そっちに行けばいると思いますよ。

あっ、でも・・・ 今日はいない日か」

 屋敷に行くことを促されかけたが、その言葉は途中で止まった。

「うん、なんでだ?」

「だって今日はや・・・・ 樹枝ちゃん!」

 何かを言いかけ、それは何故か義弟の名に変わった。

「えっ? 樹枝なんてどこにも・・・」

 周囲を軽く見渡しても樹枝の姿は見当たらないが、薇猩には何かが聞こえたらしい。

「俺にはわかるんです! 樹枝ちゃんが俺を求めていると・・・

 待っててね! 樹枝ちゃん!! では隊長、失礼!」

 そう言うが早いか、薇猩は飛び出していく。

「いや、最後まで話していけって・・・ もう居ないか」

 まぁ、最後まで聞かなくても屋敷があることは聞いたんだし、この後はあそこに寄ってから屋敷を尋ねてみるかな。

 

 

 

 街の中を歩いていったのもあり、途中凪や千重達と交流しながら、花束を抱えて華琳の言っていた墓へと足を運ぶ。

 いくつかある花束の中に買ってきた花を捧げ、俺は墓前で静かに手を合わせた。

 背後から誰かの気配がしたが、俺以外の誰がいてもおかしくないのだから特に気にかけはしなかった

「何を思って、手を合わせているのかしら?」

 隣の人からかけられた言葉に、俺は考える。

 伝えなければいけないことはたくさんある。けど、俺がまず華琳の母親である方に伝えたいと思ったことは・・・

あなたの娘(華琳)に出会えて幸せです、と伝えました」

「あら」

 隣に並んだ人へと視線を向ければ、そこには風呂敷を背負ったやや細目の金髪の女性が立っていた。

 この人、どこかで見たことがあるような気がする。街で見かけでもしたかな?

「それは喜んでいるでしょうね」

 微笑む顔も誰かに似てる気がするけど、気のせいか?

「では、俺は向かう所があるのでこれで」

 一礼し、俺はとりあえず屋敷に向かおうとしたが、女性に声をかけられて立ち止まる。

「申し訳ないのだけど、城まで案内してくださるかしら?

 知り合いが城で働いていて、渡したい物があるの」

「でしたら、まずそちらの用事を済ませましょうか。

 それに俺の用事は、もしかしたら今日は済ますことが出来ないかもしれないので」

 今日はいない日とか牛金も言ってたし、また日を改めて尋ねればいいか。

「お知り合いの名前を聞いても?」

「えぇ、曹操ちゃんと曹洪ちゃんなのだけど」

 名前に上がったのは想定外の二人だったが、墓にも手を合わせてるし、なんだか似てるから親戚関係かな?

「では、向かいましょうか」

 そう言って、俺と女性は城に向かった。

 



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77,おかん

この前に一話、投稿しています。




 城についた頃にはすっかり日も傾き、今日はもう屋敷の方に向かうことは断念することにした。

 まぁ、また日を改めていけばいいか。黒陽なら知ってるだろうし。

「ごめんなさいねぇ、何か用事があったんでしょう?」

「いえ、かまいませんよ。

 それに女性の頼みを断ることは出来ませんから」

「あらあら、お上手ねぇ」

 執務室へと向かいながら、女性との会話をしつつ、そういえば名乗ってないし名乗られてないことを思い出した。

「そういえばお名前は・・・」

「あっ、おばさんじゃないですか!」

「あら、この間の新米のお嬢ちゃん」

 華琳のいる執務室の方から駆けてきた流琉に言葉を遮られ、女性もまた駆けてきた流琉を受け止めながら嬉しそうに微笑んだ。

 その姿はまさに母と娘であり、見ているこちらも微笑ましくなってしまう。

「今日はどうかしたんですか?

 一般兵の差し入れは今日ではありませんでしたよね?」

「そうなんだけど、今日は別口で差し入れがあるのよ。

 今日の安売りでとっても良い物が手に入ってね」

「安売りですか。あの戦場の!」

 仲良く会話を繰り広げる二人に置いてきぼりにされた俺は、とりあえず二人の関係を聞くことにした。

「二人はどういう関係なんだ?」

「そうねぇ・・・ 人生の先輩かしら?」

 壮大な答えが返ってきました。

「今まで狩り以外ではお城の人に食材を買ってきてもらってったんですけど、この間自分で市場まで足をのばしたんですよ。その時に知り合ったんです。

 この方は凄いんですよ、兄様。

 値引きの仕方だったり、安売りに飛び込んでいって得物を無事取得したり、穴場についても凄く詳しいんです!」

 流琉、その年齢で主婦になるのはどうかと思うぞ。

 いや、嬉しいけど。

「この子にはまだ経験が足りないのよね。

 けど、将来とってもいいお嫁さんになると思うの」

「そ、そんな兄様のお嫁さんだなんて・・・」

 そうするつもりだけど、この場で言うのはどうなんだろうなぁ。あぁ、周りの兵達の視線が痛い。

「あらあら、式には呼んで頂戴ね」

「勿論です!」

 俺の知らないところで話が進んでいくけど、結婚式かぁ・・・

「皆、綺麗だろうなぁ」

「報告が終わって早々兄者の色惚け顔ですか・・・・

 世は無常だ・・・」

「白蓮殿と一緒になった挙句、早速逢引きしてきた樟夏にだけは言われたくない」

「いつ袁紹軍が攻めてくるかもわからない現状において周囲の把握は必須であり、近辺をうろついていた見慣れぬ兵の目撃情報の詳細を知ることは重要でしょう!」

 声に出かけた言葉を飲み込んだつもりだったが、おもいっきり声に出ていたらしい。

 建前を万全なものにしたようにしか聞こえないが、結局のところ当人達が否定しようが周囲がそう思ってしまえばそれは逢引きだと断定されるだろう。というか、否定してないし。

「大体、兄者こそなんです。

 休日だというのに執務室へと向かう廊下にいるなど、あなたは休みというものが何か理解しているんですか? しかも女性連れぇ?!」

 そこでようやく樟夏は俺の隣にいる女性を視認し、言葉の末尾が妙に高く上げられた。

「あ、あああぁぁぁーーーーー??!! ああああ、あなたがどうして城にいるんですか?!」

「あら、(ショウ)ちゃん。久し振り。

 たまには宿舎じゃなくて実家に帰ってきなさいね。皆、心配してるんだから」

「それは申し訳なく思いますけど、まず質問に答えてください!

 官職を姉者に譲ってからというもの、城に寄りつかなかったあなたが今更城に何の用ですか?!」

「それがもう・・・ 今回の安売りで二人によく似あうものがあったのよ。

けど、着せたくても二人ともなかなか帰ってきてくれないし、だからお母さん張り切っちゃってここまで来ちゃった」

 うん? お母さん? でも、亡くなったって言ってたよな?

 ということは、この人は後妻(あとづま)か? でも、それにしては似すぎてるような?

「誰がお母さんだーーーーーー!!!」

 廊下に樟夏の絶叫が響きわたり、あちこちの部屋から覗き見る者がいたが、声の主が樟夏だと知ればいつものことかと思って扉を閉じる者が多かった。

 だが、ここは執務室へと通じる廊下であり、俺達が向かっているのは華琳の元であった。つまり・・・

「まったく・・・ 樟夏、あなたは一体何を騒いでいるのかしら。

 私の執務室へと続く廊下で騒ぐなんて・・・ あぁん?」

 朝に見たばかりの華琳の般若の形相が再び降臨し、流琉が恐怖のあまり飛びあがり、俺の腰へとしがみついてきた。

 華琳は般若の形相のまま速足で駆け寄って来たかと思えば、駆け足のみを助走にして突然飛び上がる。

「「は?」」

 華琳の行動に俺と流琉が驚くが、綺麗に揃った足は真っ直ぐと女性へと向かっていた。そして、その足裏は見事女性へと命中し、その場に倒れ伏す。

「か、華琳・・・ 一体、何を?」

「何であなたがここに居るのかしら?」

 俺の疑問は答えられることはなく、華琳の視線も言葉も、目の前に倒れ伏す女性にのみ向けられていた。

「流石、華琳ちゃん。

 お父様が世界をとれると言っただけはあるわね」

「お祖父様はそんなつもりで言ったんじゃないわよ!!」

 蹴られたにもかかわらず女性は華琳を褒め称えるが、華琳はそんな女性へと噛みつくように怒鳴り返した。

「ふっ、ふふ・・・ ま、まさか、このようなことになるとは・・・

 本当に冬雲様の行動は私の想像を超えていて・・・ ふっ、ふふふふふ・・・」

 華琳が怒鳴り、穏やかではない状況が繰り広げられているにもかかわらず、黒陽は腹部に手を当て、壁を叩きながら爆笑していた。

 

 何、この状況。誰か説明をください。

 

 なんて心の中で叫んでも、誰も答えてはくれないだろう。

 ならこれまで通り、行動あるのみ。

「えっと・・・ 華琳。その人は結局、一体誰なんだ?

 華琳の近しい人だってことはわかるんだけど、一体どういう関係の?」

 俺の問いかけに対し、華琳は一度樟夏と目を合せ、二人は同時に溜息を吐いた。

「姉者、覚悟を決めましょう・・・」

「そうね・・・

 ここまでこれが来てしまった以上、いつまでも隠し通せるわけもないものね」

 何やらブツブツと姉弟同士でやり取りをしているが、流石に声が小さすぎて詳細までは聞こえなかった。

 そして、二人は同時に女性を指し示しながら、溜息を吐くようにして告げた。

「父よ」

「父です」

「「は()?」」

 再び俺と流琉が声を揃えて驚きを表現するが、そんな俺達にはかまわずに女性だと思っていた人は何事もなかったかのように立ち上がって俺と流琉の前へ歩む。

「二人とは初めましてとは少し違うけれど、改めてご挨拶するわね」

 悪戯っ子のように片目を閉じて、優しい微笑みを俺達に向けたまま姿勢を正す。

 姿勢を正した瞬間、そこに先程の女性らしい柔らかな雰囲気はなくなり、どこか硬い印象を受けるような雰囲気を纏う。

「私はそこにいる曹操と曹洪の父であり、四英雄の曹騰の実子である曹嵩と申します」

 そこで言葉を区切って曹嵩様は一礼し、もう一度顔を上げた時は先程変わらない女性らしい微笑みを向け、さらに言葉を繋げた。

媽媽(ママ)って呼んで♪」

「「呼ばせるかあぁぁぁぁーーーー!!!」」

 曹嵩様がおどけた瞬間、華琳と樟夏による渾身の一撃が曹嵩さんへと叩き込まれた。

 

 

 怒りと苛立ちを露わにする華琳と樟夏をどうにか宥めて、俺達は一度食堂へと場所を移した。

 尚、曹嵩さんの姿に親しげに挨拶をしていく兵達に華琳が睨みを利かせ次々と追い払って行き、加えて樟夏までもが声を荒げて兵達を散らしていく。当然、兵の多くが普段からは考えられない二人の様子に戸惑うが、俺と流琉が『大事な話があるから、退出してほしい』と説明すると何かを察した様子で次々と退出していった。

「もう、華琳ちゃんと樟ちゃんたら横暴なんだから~。

 普段からそんなことしちゃ、めっ! よ」

「あなたがどの口で・・・」

「言いますかねぇ?」

「よせ! 二人とも!!」

「どうしたんですか!? 普段はもっと落ち着いていらっしゃるじゃないですか。

 それにせっかくのお父さんが来たんですから・・・」

 華琳と樟夏がどこからか取りだした得物をゆらりと構えだすのを俺と流琉が必死に抑え、説得を試みるが、二人の苛立ちは収まる様子が見られない。

「こんな姿の父は認めない!」

「流琉さんだってこんな父親が来たら、困るでしょう!」

「その・・・ 私、両親は幼い頃に亡くなってしまって・・・」

「「ぬぐぅ!」」

 邪険にしている自覚はあったようで二人は流琉の言葉に苦しげな声をあげるが

「そうなの・・・

 だったら、私を媽媽って呼んでいいのよ」

 曹嵩様が火に油を注ぐ。やめてください。既に二人は怒りで真っ赤に燃え上っています。

 今度こそ無言で得物を構える二人から、笑いすぎて腹部を抱えて蹲っていた黒陽の手を借りて無事得物を取り上げることに成功し、笑いすぎておかしな痙攣をし始めた黒陽は青陽を呼んで医務室へと運んでもらった。

 そして、緩衝材として流琉に待機してもらい、俺は人数分のお茶とお茶菓子を準備したところで全員がようやく人心地ついた。

「・・・それで? 一体、城へと何をしに来たのかしら?

 公式に私と会う場合は、父親としての姿で現れると約束だったわよね? 父様」

「だって、今日来たのは公式の物じゃないもの~」

 あぁ、華琳の額に青筋が・・・

「では、何故?」

「もう樟ちゃんったら、せっかちね。

 そんなに急かさなくても樟ちゃんにもちゃんと買ってきてあげたから、ほら」

 樟夏の額にも十字によく似た怒り印がついているが、曹嵩様は特に気にしてないのか見えていないのか、背負っていた風呂敷を降ろしていくつかの衣服を取りだしていく。

「ほらっ、これが二人へのお土産よ~。

 今日の安売りの戦利品なの」

 一言話すごとに華琳と樟夏の怒気が高まり、物理的に空気が重くなっているように感じられる。

「私がそんなものを着るわけがないでしょう!」

「私も仕事着だけで十分です!!」

 二人の断りの言葉にめげる様子はなく、それどころか椅子から立ち上がり、近くにいた華琳の肩へと服を当てていく。

「ほらっ、華琳ちゃんピッタリ!」

 安売りの品とはいえ服飾関係で沙和が頑張ってくれていることもあり、安い素材を使用した中でも単純なつくりでありながら、色合いは華琳の瞳と同じの青のワンピース。あちこちに白の装飾がついていることもいいアクセントになっている。

「素晴らしい目利きだ」

「冬雲!!」

 華琳に咎められるが、素晴らしい目利きであることは間違いない。

「樟ちゃんも可愛い婚約者が出来たのなら、媽媽に紹介してくれないと・・・」

「あなたがそんな姿だから紹介できないんですが・・・」

「幽州から来た人達にいろいろと聞いてるけど、良い子みたいじゃない。

 媽媽もその内、お話しに行かないと」

「来るなよ!

 絶対来るなよ!!」

「それに我が家の味もしっかりと受け継いでもらわないと」

「そう言うのは母親の役目でしょう!」

「あら? 知らなかったの?

 うちのったら舌は確かだったけど料理はてんで駄目で、昔から私がやってたのよ」

「「母様ーーーー!?」」

 樟夏と白蓮殿の話からどんどん飛び火していき、挙句の果てに華琳達ですら知らない事実へと辿り着いてしまったようだ。

 なんていうか、知られざる曹家の秘密を垣間見てしまった気がする。

「そうそう、昔ね。

 普通の娘って、『大きくなったらお父さんのお嫁さんになる』っていうものらしいじゃない?」

「話を突然変えるな!!」

 火の粉がこちらにも降りかかる予感がしつつ、華琳の昔話は気になるので俺は曹嵩様の言葉に頷くことにした。

「華琳ちゃんってば昔から普通じゃなくて、『大きくなったら母様のことを妾にする』っていったのよ~」

華琳(様)(姉者)・・・・』

「私の母だもの! 妾にしたくなる美人だったのよ! 仕方ないじゃない!! 何か文句ある?!」

 流石にこの発言に俺達三人は揃って華琳を見るが、華琳もそんな俺達に対していつもの冷静な対処はどこへやら子どものようにむきになってなって叫ぶ。

 あぁでも・・・ そんな子どもっぽい表情なんてこれまで見たことがなかったから、凄く可愛い。

「何を笑ってるのよ!」

「いや、華琳があんまりにも可愛くてさ」

 曹嵩様がいるのはわかっていても、華琳の余りの可愛らしさにくらくらしそうだ。

 抱きしめるのを我慢して、髪から頬にかけてを優しく撫でれば、華琳は自分がついさっき露わにした感情を自覚したのらしく顔を真っ赤に染め上げる。

「いや、おかしい!

 この状況下で顔を真っ赤に染め上げるとか、おかしいですから!!」

「これが兄様ですから」

「あらあら、お熱いわね」

 周りの冷やかしの言葉は慣れているし、華琳はその程度の言葉で俺から離れることはない。

「それで、曹嵩様はどうして今のように女性らしくなられたんですか?」

 流琉がさらっとこれまで振られることのなかった話題へと触れれば、華琳と樟夏が微妙に嫌そうな顔をしたが、今度は話を断ち切ることも殺気を放出させることもなかった。多分、諦めたんだろうなぁ。

「少し違うわね、私は別に女らしくなりたかったわけじゃないのよ。

 妻が病で亡くなった時、多くの者が落ち込んだの。

 勿論、私も落ち込んでいたけど、この子達の落ち込みようは特に酷くて・・・ その時私は、母という存在の偉大さと重要性を思い知らされたものよ。

 七日七晩寝ずに考えた末、私は二人に言ったの」

 曹嵩様はわずかに顔を俯かせ、固く拳を握る。

 

「今日から私が二人のお父さんで、お母さんだ! って」

 

「・・・二人とも、よく受け入れたな」

「受け入れてなんかいないわよ。

 でも、あの時の父様の表情を見たら・・・」

「私達以上に落ち込んでいたにもかかわらず、私達のことを考えてくださったことはよくわかりましたからね・・・」

 曹嵩様には聞こえない程度の声でやり取りしながら、二人は何かを思い出すように遠くへと視線を向けた。

 どんな姿だったかは聞かないが、きっと・・・ いや、やめよう。これは誰であろうと踏み込んでいいところではない。ましてや俺に、口にする権限なんて持ち合わせてないだろう。

「それ以降、私は仕事場ではしっかりと、誰もが頼れるお父さん。家庭では優しく、包容力のあるお母さんの二人一役をこなすようになったのよ」

「それでは今、お父さんの役はどうなったんですか?」

 流琉の何気ない問いかけに曹嵩様は少し考え込むようにして腕を組んでから、楽しそうに笑う。

「私はそれまで太守の仕事をしてる時は『お父さん』をして、城から出てお買い物をしたり、家にいる時はずっと『お母さん』をしていたの。

 で、華琳ちゃんに仕事を譲ってからのことはあまり考えていなくてどうしようかって迷った時、私は『お父さん』より『お母さん』の方が性にあっていることに気づいちゃった」

「気づいちゃったじゃねぇ!!」

 曹嵩様の発言には樟夏は全部怒鳴って返すし、本当に今日は珍しい日だよなぁ。

「毎日の御夕飯を考えるのが楽しくて、家事を行うことも凄く充実感があった。

 でも、華琳ちゃんも、樟ちゃんも手を離れちゃって暇だったから、御屋敷を開放して身寄りのない子達や未婚の女性達が何気なく集まれるように改造したの」

「『改造したの』なんて軽く言うけれど、そうした活動は申請をしてもらわないと困るのだけど?

 冬雲も交えて、今夜はいろいろなことを話し合いましょうね。と・う・さ・ま?」

 懐かしそうに多くを語った曹嵩様の言葉に再び華琳が噛みつき、同時に華琳が慈善活動の内容を全く関知していなかったことを知る。

 まぁ、孤児院の活動をしていることを知っていたら、もう少し警備隊とかの配置やらで重要視されるだろうしなぁ。

「あらっ、私ったら・・・ 楽しすぎて口を滑らせすぎちゃったわね。あと、華琳ちゃん。媽媽と呼びなさい。

 さて、そろそろお暇しようかしら」

 そんな華琳から逃げるように曹嵩様も席を立ち、足早に入口へと向かって走り去ろうとしていく。

「じゃぁね、婿殿。

 また今度、日を改めてお会いしましょう」

「「逃がすかーーーー!!!」」

 俺が返事をする間もなく、父と子達は仲良く走り去っていってしまった。

「まぁ、華琳と樟夏なら捕まるのも時間の問題だろ」

「そうですね。

 兄様、これから食事でも一緒にどうですか?」

「勿論、喜んで」

 流琉の嬉しい誘いに頬が緩み、流琉の調理の音を聞きながら、料理が並ぶのを待った。

 




前話の前書きで三部作と言ったように、もう一話書きます。
その最後を飾る話は出来れば今日明日で書き上げたい・・・ ですが、出来ないかもしれないので、とりあえずこの二話を先に投稿しました。

また、月曜・火曜は不在なため、感想返信に遅れが出ます。
三部作の最後が書きあげられれば、来週は白かと思います。出来なければ、三部作のラストです。
頑張りますよー!


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78,託す者

本当に書けましたー。

さぁ、どうぞ。

こちらではこれが百話です! めでたい!


 俺と流琉が食事を終えた頃に、華琳と樟夏に首根っこを掴まれながら曹嵩様は戻ってきた。

「久しぶりに家族が揃ったんだし、三人で食事でもしてきたらよかったのに」

「それは私も提案したんだけど、二人が許してくれなくて」

 俺の提案にいち早く返事をしてくれたのは曹嵩様で、華琳と樟夏は俺と曹嵩様を笑顔で睨みつける。

「さっきからこの通りなのよ、困ったものでしょう?」

「誰の所為ですか! 誰の!」

「それに父様はこの後私と話し合いをするのだから、席について食事をしている暇なんてないわ」

 再び樟夏の怒鳴り声が響き、流琉は華琳の言葉を聞いてすぐに厨房へと入っていく。多分、三人で話しながらでもつまめるような軽食でも用意してくれるんだろう。

「あ、流琉さん。

 せっかくですが、私の分は不要ですので」

「あっ、はい。わかりました!」

 樟夏の言葉にすぐさま流琉は応え、料理を作っていく。

 まぁ、話し合い自体は華琳がいれば十分だし、仮に説教やら何やらがあってもそれは金庫番の樟夏よりも華琳の方が適任だろう。

が、食事を食べていないであろう樟夏が食事を断るということは・・・

「な、何ですか。兄者。

 その意味深な笑みは」

「いや、何も。

 樟夏と白蓮殿は仲がいいなと思っただけだが?」

「な、何故、白蓮が出てくるんです?!」

「言葉にしなければわからないかしら? 樟夏」

「もう、樟ちゃんもらぶらぶねぇ」

「あんたら、黙れ!」

 おもわず樟夏のことを微笑ましく見守っていたのは俺だけではなく、華琳と曹嵩様も同じだったらしい。

「初孫は女の子がいいわねぇ~」

「本気で黙れ!!」

 もはや慣れつつあるこのやり取りを聞きながら、俺は華琳に裾を引かれた。

「冬雲、今回の話し合いにはあなたも出席してもらうわ。

 休みのあなたに仕事をさせたくはないけれど、あなたは大人しく休んでいなかったようだし、自業自得もね。それにあれが勝手にやっていた慈善活動は、あなたの知識が役に立つことでしょう」

 多少の嫌味を含みながら、俺は華琳の言葉を頷くにとどめる。

 公式の場ではまともってことを考えると、華琳はお父さんをやっている時の曹嵩様に会ってほしかったんだろうなぁ。

「華琳様ー!

 軽いものではありますが、これをどうぞ」

「ありがとう、流琉。

 あなたは本当に気が利くわね」

 その場で流琉と樟夏と別れ、俺達は華琳の執務室へと向かった。

 

 

「華琳ちゃんの執務室は綺麗ねー。

 私がお掃除する余地なんて全くないわ」

「いいから、その辺にさっさと座りなさい」

 華琳の部屋のあちこちを見渡す曹嵩様に椅子を準備し、華琳達が食事をしやすいように脇に置かれた机を持ってくる。

「あら、ごめんなさいねぇ」

「いえいえ」

 感謝を告げられ、俺は改めて姿勢を正し、名乗り上げる。

「そして、いまさらですがご挨拶を。

 私の名は曹子孝、真名を冬雲と申します。

 あなたの娘であり、この地の太守。そして、いずれはこの大陸の覇王となる方に仕える者です」

 そこで一拍おいて、俺は華琳をわずかに覗き見る。

 その顔は俺がすることを察しているのかやや呆れ顔で、肩をすくめてから溜息を零した。

「あら、大事なことを忘れてるわよ。冬雲ちゃん」

 だが、俺が口にするよりも早く、曹嵩様は言葉をさし込んできた。

「華琳ちゃんのことをとーっても愛してる一人の男、でしょ?」

「はい」

 お見通しだったらしく、俺は笑って曹嵩様の言葉に頷いた。

「まぁ、その辺りのことはまた後日にしましょ。華琳ちゃんが何だか怖い空気だしてるしね。

 それと私の真名も渡しておくわね、万年の青って書いて『万年青(オモト)』っていうの。万年青ちゃんとか、媽媽とか、好きなように読んで頂戴」

「はい、万年青様」

「硬いわねぇ~。

 まっ、そこが冬雲ちゃんの良い所なのかもしれないわね」

「もう、本題に入っていいかしら?」

 俺達の会話の最中は食事を口にして苛々を誤魔化していたらしい華琳は、いつまでも続きそうな俺達の会話を断ち切り、椅子から立ち上がって何も書かれていない新しい書簡を取りだした。

「父様が無断で行っていた孤児を保護する慈善活動は、大変素晴らしいことだと思うわ。

 けれど、そうした活動は父様の資金が尽きた時に活動が停止する恐れがある」

「そうね。

 私が勝手に考えて行っていたことだもの、それは承知の上よ」

「けれど、それでは困るのよ。

 今、この大陸に孤児が溢れているのだから、この活動がこれっきりで終わってはいけない。

 父様、私は娘としてではなく、太守としてこの活動に援助を申し出るわ」

二人のやり取りに俺が大人しく書記を務めながら、黙って聞いていく。

「それに極めて遺憾だけど、娘としては認められないほどの変態的な行動であっても・・・」

「酷いわねぇ、私なりにいっぱい考えた末の答えなのに」

「変態的な行動をする人物であっても!

人格的・子を育てた経験や知識という点において適任者であると認めざる得ない・・・!!」

「そんなに言い難そうにすることないじゃない。

 大丈夫、媽媽は華琳ちゃんが媽媽のこと大好きだってことはよく知ってるから」

 瞬間、華琳の中で何かが切れる音が聞こえた気がした。

「うがーーーー!!」

「おおおお、落ち着け! 華琳!!

 わかるから! 俺も実の親にこんなこと言われたらキレるから!」

「はーなーしーなーさーいーーー!!

 その馬鹿を真っ二つにーーー!!」

 叫びながら暴れ出そうとする華琳を必死に抑え込み、どうにか落ち着かせる。

「・・・冬雲、父に父らしくしてほしいと願うことは娘として間違っているの?」

「いや、間違ってないけど・・・ 万年青様にも万年青様の考えがあるからな?」

「と~うん~~」

 華琳が泣きついた?!

 普段では絶対ありえない行動に驚きを隠せないが、俺もただ黙って華琳を抱きとめる。

「思い出すわねぇ。

 普段気丈だった妻も、時折こうした姿を私にだけ見せてくれたものよ」

 お願いです、もう黙っていてください。

 元凶である万年青様が口にするのは流石にまずいかと。

「援助の申し出は受けてくださるということでよろしいでしょうか? 万年青様」

「えぇ、勿論。

 むしろありがたいわぁ」

 とりあえず、援助の申し入れは受けてくれたので安心しつつ、今度は俺の独断ではあるが、一つお願いしてみることにした。

「それとおそらく今後、こちらが援助することで活動が有名になる可能性を考え、人材の補強が必要になるのではないかと思います」

「まぁ、そうねぇ。

 屋敷は無駄に広いから子どもが増えるのは問題ないけれど、私の目が行き届かなくなる可能性はあるかもしれないわ」

「私の知り合いに、つい最近一人娘と共に陳留に来たばかりの女性がいるのですが、よければそちらで働かせてはいただけないでしょうか?」

 紫苑殿ならどこでも働けるだろうが、璃々ちゃんに付きっきりでいることは難しくなる。それならば万年青様の孤児院で働き、璃々ちゃんともいられる環境であった方がいいだろう。

「それはいいわねぇ!

 娘さんにもお友達になれる子もたくさんいるし、一人増えただけでも仕事は楽になるわ。まぁ、仕事というよりは生き甲斐なのだけど」

「あなたは一体、個人の財産でどれぐらいの子を養ってたのよ・・・」

「大体、五十人ぐらいかしらね~。

 昼間に仕事をする親が子どもを一時的に預けることを考えると、もっとかしら?

 それに体の弱ったおじいちゃん達が子ども達にいろいろと教えてくれて、助かっちゃった」

 その言葉には華琳と共に唖然とする。

「いや、確かにやろうと思ってたけど・・・」

「あなたの言っていた学校を、まさか父が勝手にやるなんて・・・」

 俺達が今後、それこそ大陸を統一した後に行おうとしていたことを万年青様は独断で、しかも個人の財産で行っていたことに驚きを隠せなかった。

「だって、二人ともなかなか帰ってきてくれないから媽媽寂しくて・・・」

 涙を拭う仕草をする万年青様に、流石に俺も華琳の脇を突く。

「華琳、たまには帰ってやれよ・・・」

「出迎えるのがこの姿じゃなければ考えるわ」

「媽媽ったら寂しくて寂しくて・・・」

「華琳、こっち見てるぞ」

「相手をしたら、つけあがるわよ」

 ちらちらとこちらを窺う万年青様を、華琳はバッサリと斬り捨てる。

「さて、冬雲。あなたはもうこんな時間だから、休みなさい。

 私と父様は今後、『公務』となる慈善活動についての話し合いを行うわ」

 その言葉と共に作られた笑顔は、どことなく勝ち誇ったように見えたのは俺の気のせいじゃない筈だ。

「え?

 まさか華琳ちゃん、それってお仕事だから媽媽がお父さんにならなくちゃいけないってことじゃないよね?」

「これから年に数度、慈善活動を行っている責任者として民の前に立ってもらうわよ。父様。

 今夜はその大事な話し合いを行いましょう。無論、お父さんの格好でね」

 俺はそのやり取りを背中に聞きながら、静かに執務室を出る。

 華琳が個人の活動から公の活動に変えようとしたのは、これも狙いの一つだったのか。

「いーーーーやーーーーーー!

 私は媽媽でいたいんだーーー!!」

「戯言は男の格好をしてからなら、いくらでも聞きますよ。父様」

「華琳ちゃんのいじわる!」

「いーから、戻れや」

 でも、これも親子の時間だよな。

 

 

 

 華琳の言葉に従ってあの後俺は寝台へと入り、すぐさま眠りに落ちた。

 が、いつもより寝台に入る時間が早かったのもあり、俺はまだ月が高いうちに目が覚めてしまった。

「月が綺麗だなぁ」

 城壁へと向かいながら、美しく輝く月を見上げる。

 けれど、月が美しければ美しいほど、俺はあの日を思い出す。

「華琳の泣き顔を見たから、かな?」

 かつてとはまた種類の違った泣き顔を思い出して、わずかに笑う。

「この世界に来れて、よかったなぁ」

 皆に再び会えたから、だけじゃない。

 白陽達に受け入れて貰えたこと、あの時出来なかったことが出来るようになったこと、知らなかったことを知れたこと、救えなかった人を救えたこと。嬉しいことはたくさんあった。

 だから俺は今、ここに来れてよかったと素直に言える。

「月が好きなのかい? 冬雲君」

 城壁の上には先客がいて、月に照らされた金の髪は一瞬樟夏かと見間違えそうになってしまった。

「万年青様、ですよね?」

 そこにいたのは、男性の格好をした万年青様だった。

「そんな疑わなくたっていいじゃないか。

 あの後、僕が華琳に着替えさせられたのは想像出来ていただろう?」

「いや、そうですけど・・・

 なんだか違和感が・・・」

 女性の姿に違和感がなかったからなのか、それともあの姿で見慣れてしまったからなのか、違和感がどうしても付きまとってしまう。

「まぁ、僕はそうでもいいんだけどね。

 むしろ、あちらの方が僕も楽だし、この格好だとどうしても曹嵩・・・ いや、曹騰の息子であることを意識してしまうからね。肩が凝るんだよ」

 肩をすくめながら告げられる万年青様は、溜息を吐いてしまう。

「その・・・ 曹騰様との仲はよろしくなかったのですか?」

「うーん・・・

 答えにくいことを聞くんだね、冬雲君」

「いや、その・・・ すいません」

「かまわないさ。

 僕らは父と息子としての関係は悪くなかった。いや、その点においてはむしろ父は良き理解者だったよ。ただ僕は、後継者としては失格だったからね。何も言わなかったけれど、父は王允様と同様に失望していたんだろうね」

 どこか遠くへと、街よりも遠くへと視線を伸ばしていく万年青様は俺の知らない過去を見ているのだろう。

「冬雲君。僕はね、才能がなかったんだよ。

 人に言われたことをこなすことで手一杯な凡人。けど、父と王允様が望む後継者はその程度じゃ駄目だった。洛陽にいた時は父達が望む才能なんて理解出来なかったし、いつかは僕も届くんじゃないかとすら思っていた」

 俺はその言葉を聞いて、万年青様はどことなく自分に似ていると感じてしまった。

 生まれではない。環境でもない。

 ただ人に言われたことをこなすのに手一杯になってしまうその才能の器を、酷く近しく感じてしまった。

「まぁ、もっとも華琳と樟夏が生まれてから、その意味がわかったけどね。

 幼い頃から華琳の眼は、生まれた育った土地だけには留まってなんかいなかった。その先を、それどころか将来すらも見据えて行動しだす姿は本当に驚かされたものだった。

 勿論、樟夏に対してだってそう。

 あの子は華琳の影に隠れてしまって自信を持つことが出来なかった。けれど、その才能を知って、ずっと一途に恋をしていた女の子のことを僕は知ってる。そして、樟夏ならその子もきっと救えるだろう」

 まるで宝物を一つずつ自慢するように、万年青様の口は止まらない。

 愛おしそうに、大切そうに、自分よりも才に溢れた子ども達に嫉妬することもなく、ただ愛しているのだと、それだけで伝わってくるようだった。

「娘と息子も勿論大切だったけど、それ以上に僕を変えてくれたのは妻との出会いだった。

 鮮烈だったよ、彼女との出会いは。

 洛陽で腐りかけていた僕が、生まれて初めて必死になったことは彼女を口説くことだったぐらいだ」

 おどけながらもとんでもないことを口にし、万年青様は楽しそうに笑う。

「冬雲君、きっと君もそうだったんだろう?

 何せ、華琳の瞳と我の強さは母譲りだから」

「えぇ、まぁ・・・」

「でも、弱くもある。

 そう言う所は、どうか君が守ってあげてほしい」

 優しい言葉だった。

 とても優しい、父の言葉だった。

「ねぇ、冬雲君。

 僕は英雄の後継者にはなれなかった。けれど、一人の女性を全身全霊をかけて愛しきったと断言できる。

 その愛しきった結果、華琳と樟夏という子に恵まれた」

 万年青様はそこで一度言葉を区切り、変わらない優しい瞳で俺を見た。

「僕は次代を託すなんて御大層なことを言えるほど、何かを成せた男じゃない。

 だけど、もし・・・ もし、僕が一つお願いできることがあるのなら、どうか華琳を君に任せてもいいかな?

 父が望んで、華琳が受け取ったその想いと共に歩んであげてくれないか?」

 その言葉はとても重く、責任は重大。

 一度受け取ってしまえば、もう投げ出すことも出来ない。

 けれど、俺は・・・

「喜んで。

 何せ、最愛の人と歩みきった男の義理の息子ですから」

「そうか・・・ ありがとう」

 そうして俺と万年青様は盃を交わしあった。

 

 

 

 後日、それを覗き見ていた黒陽により将達に詳細を伝えられ、この時の誓いを『青雲秋月(セイウンシュウゲツ)の誓い』と後世に残されることとなる。

 だが、普段見られることのない万年青の姿により、多くの者は『普段からそうしていればいいのに』という言葉が絶えなかったという。

 




明日と明後日、用事があるので感想返信が遅れます。
そして、おそらく来週は白を投稿します。

以降は今回のことで追加説明

鳳華(ホウカ)
 華琳と樟夏の母であり、万年青の妻。
 名の由来はラナンキュラスの和名・花金鳳花から来ており、花言葉は「晴れやかな魅力・あなたの魅力に目を奪われる

万年青(オモト)
 華琳と樟夏の父。
 名の由来はオモトという植物から来ている。花言葉は多く、その中の一つに『母性の愛』がある。

【青雲秋月】
 胸中に穢れがなく、清廉潔白な例え


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79,桜に集いし猛虎達 【雪蓮視点】

土日に用があるので、今日投稿します。
また、それに伴い感想返信に遅れることをここにご報告します。

少し予定から外れましたが、この視点はここにしか入れられそうにないので。
とにかくどうぞ。


「父様ーーー!!」

 よく晴れた空の下、私は中庭の木の上から見つけた標的(父様)の背中目掛けて大剣を振りかぶった。

「・・・」

 不意をついた筈なのに父様は特に慌てる様子もなく、いつもの厳しい顔をこっちに向けたと思ったら、腰に差していた西海優王を鞘ごと引き抜いて私の渾身の一撃を受け止める。

「嘘っ?!」

 私の驚きにも父様は返事をせず、ただ黙って目の前にある現実を私に突きつけてるみたいだった。けど、驚いていられるのもほんの一瞬、私の体は感じたことのないような浮遊感に襲われた。

「えっ? ちょっ?!」

 事態が上手く呑み込めないまま何とか足から地面に着地して、少し離れたところにいる父様は何故か右手に持っていた筈の剣を左手に持っていた。

「何?! 一体、私に何をしたのよ! 父様!」

 私、もしかして放り投げられたの?

 そんな予想は頭に浮かぶけど、それ以外全く分からなくて、私は思わず叫ぶ。

「俺が何をした、か・・・

 そうだな・・・」

 剣を腰に戻してながら私に視線をむける父様は、皺の寄った険しい表情をほんの少しだけ緩めた気がした。

「元気のいい子猫を、少しかまってやっただけさ」

「もうっ! 父様はいつもそれじゃない!!」

 意味がわからなくて面白くない私は頬を膨らませて不満を露わにしても、父様は言い返しもしないで凪いだ海みたいな眼差しを向けるだけ。

 そして私はいつもその目をまっすぐ見返すことが出来なくて、拗ねたように目を逸らしてた。

「そんな顔されたって、言葉にしなくちゃわかんないわよ」

「わからなくていい。

 これは俺の特権だからな」

 そう言ってから父様は鞘に収めたままの西海優王の鞘と柄を繋げるように縛って、私に向かって手を広げてくる。

 それは私と父様だけの、秘密の合図だった。

「来ないのか?」

 父様は表情を変えることもなく、私に問いかけてくる。

 いっつもそう。変に余裕ぶることも、笑うこともない癖に、母様と母様の四天王との仕合で見せる(武人)の顔を私には一度も見せてくれない。

 でもいつか・・・ ううん、いつかじゃなくて今! 絶対に!!

「父様に剣を抜かせてやるんだから!!」

 そう言いながら父様へと一気に距離を縮めて、私は思いっきり大剣を振り回し続けた。

 

 

 

「――い、おい! 雪蓮!

 寝てんのかよ?」

 木の下から響いた柘榴の声に強制的に起こされて、私は眠い目を擦りつつ木の洞に隠していた酒を盃に注がないで直接口をつける。

「懐かしい夢を見たわ・・・」

「んー?」

 おもわず柘榴に言いかけて、私は酒を口にすることで口にしかけた言葉を流し込んだ。

「何だよ?」

「やっぱり、何でもないわ」

 柘榴にまだ残ってたお酒を投げつけて誤魔化しながら、私は意味もなく掌を見る。

 何度も何度も飛びかかって、いつか剣を抜かせてみせるんだって躍起になってた。

 一人前として扱ってほしくて、武人として向き合ってほしくて、何度も何度も向き合って剣を抜き続けたのに、結局一度も父様に剣を抜かせることが出来なかった。それどころか、父様は最後まで私のことを子猫扱いしてたっけ。

「届かなかったのよ・・・」

 あの日々がずっと続くなんて考えて、いつかは本気で向かい合うんだって、負かしてみせるなんて思ってた。

「いつかなんて、なかったのよ・・・」

 武人としての私を見てほしくて、振り向いてほしくて、遊びじゃない仕合をする日が来るって信じてた。

 でも、そんな日はもう来ない。

 もう、来れなくした奴がいる。

 そして、そんな奴がまだ生きていることを知った以上・・・

「生かしておけるわけがないのよね~」

「そりゃ同感だけど、懐かしい夢って旦那の夢かよ。この父親好きが」

「柘榴には言われたく・・・ げっ」

 人のことを馬鹿にしてきた柘榴に言い返そうと下に視線を移したら、その途中で見慣れた人影を見ておもわず喉の奥から変な声が出る。

「あんだよ、言葉を途中でやめやがっ・・・ げっ」

 私が見えた存在に柘榴もようやく気付いたみたいで、私と同じような声を喉の奥から出す。

 うん、そう言う反応になるわよね。わかるわかる。

「揃いもそろって随分な挨拶ですねー。

 っていうか、なーに物騒なこと言ってるんですかー? せっかく戦いが終わったんですからもう少しお淑やかになったらどうです?

 あっ、でもお二人はそもそもお淑やかとは無縁な虎ですから、しょうがないですよね」

 こういうことを笑顔で言うんだから本当に性格悪いわよね、七乃って。

 でも、軍師って性格悪くないと出来ないんじゃないかって、今回の件でつくづく思い知ったわ。私達武官じゃ、絶対に美羽を助けてあげられなかったもの。

「じゃ、虎な私達が飲んだくれててもしょうがないわよね!」

「だな!

 ありがとな、七乃。最高の言い訳が出来たぜ!」

「えぇ、全然かまいませんよー。

 あとでいろいろな方に絞られるのは私じゃありませんし」

 私達がふざければ、七乃は笑顔で釘を刺してくるものだから私達の行動は止まりかける。もっとも一瞬止まりかけるだけでお酒は飲むんだけど、私達がたかがお説教で行動を改めるわけないもの。

「それに褒めるわけじゃありませんけど、雪蓮さんと柘榴さんには袁家の害虫退治をやってもらいましたし。

 これで美羽様は無事袁家の呪縛から解放され、幽州を占拠した袁紹軍は次なる得物である劉備さんと曹操さん目掛けて進軍を開始していることでしょう」

 嬉しそうに満面の笑みをこぼして、拍手する七乃に私はややげんなりするけど、柘榴の笑い声が響いた。

「ここまでお前の策通りいくと怖いを通り越して、笑えてくんな!」

「そうでしょそうでしょ、柘榴さん。

 正直この機を見計らうことには細心の注意を払って、私と冥琳さんが神経を尖らせてたんですけど、本当にうまくいって幸いでしたよー」

 楽しそうにやり取りしてるけど、幽州とか辺りでどんだけ犠牲が出てるんでしょうねー?

 もっとも袁家の害虫を叩き斬った私が言っていい言葉じゃないし、二人を見てて考えちゃっただけで実際なんとも思ってないけど。

「それで雪蓮さん、あなた方は揃いもそろって何をする気なんですかね?

 冥琳さんにこちらの仕事を押し付けてこっそり古参の兵達を集めたり、袁家の害虫さん達が溜め込んでたお金の一部を拝借してるのなんてお見通しですからねー?」

「「ぎくっ」」

 七乃の見透かしたような言葉に私と柘榴は揃って声をあげて、下にいた柘榴は降参するように手を挙げた。

「そんだけわかってんなら、俺らが何するか想像つかねーか?」

「いいえ、わかりませんよー。

 私は虎じゃありませんし、虎には虎の思考や言い訳があるでしょうから。それに見逃したのだって害虫退治をしてくださった分で手間賃代わりでしたから、これ以降は別料金となりまーす」

 さっきからまったく笑みを崩さない七乃が超怖いんだけど・・・

 蓮華の眼は誤魔化せてたみたいだけど、七乃の目は誤魔化せなかったかぁ。

「じゃっ、ここまで私達がしたことから七乃なりの予想はなんなのよ?」

 答えに行きついてるならそれでもいいし、もし行きついてないならそれもそれでかまわない。

 だってもう、七乃をどうするか決めちゃったし♪

「うーん、そうですね。冥琳さんがついてるなら大抵のことは上手くいくでしょうし、雪蓮さんと柘榴さんが軍を率いて旗揚げが妥当でしょうか?

 冥琳さんってば髪の色と同じでお腹の中は真っ黒で不意打ち上等な方ですし、そこに凶暴な雪蓮さん達の力があればどうにかやっていけるんじゃないですかー?」

「うっわ、言いたい放題の上に容赦ねー」

 私が七乃の出した答えの面白さにおもわず笑ってると、柘榴は七乃に対して顔をしかめてる。柘榴もいちいち反応する辺り、結構律儀よねー。

「それも悪くないわねー。

 どーする柘榴、今からでもそっちに変えちゃう?」

「雪蓮も馬鹿なこと言ってんじゃねーよ、大陸なんて興味ねー癖に」

「あら? そう見える?」

 私がわざとふざけて言うと、柘榴も笑いながら私に空になった酒瓶を投げ返してきた。私だから避けられるけど、他ならあたってたわよー?

「俺もお前も・・・ いいや、俺らに限ったこっちゃねぇか。

 あの何でもかんでも見透かしてるみてぇな冥琳や槐だって、この大陸に興味なんかねーよ。そんな見えねぇもんのために俺らは動けねーし、どうなってもかまやしねぇ。

 俺らは自分の目の前に映ったものが全てだったし、これからだって変わんねーし、変えられないだろ」

 そう言って柘榴は立ち上がって、私が樹上にいることを確認してから笑う。

 なんか嫌な予感がしてきたんだけど・・・ 柘榴、アンタまさか・・・

俺達(この国)はいつだって自分勝手で、そのてっぺんにいる俺達(孫家)は特に我儘で、その中でも俺ら武官は自由人。

 なら俺ら武官は後ろについてくる奴らの命だけしっかり背負って、自分のやりてぇことを思いっきりやるだけだ」

 その言葉と同時に柘榴は木を殴りつけて、私は無様に木から落ちる前に地面に着地してみせた。

「だろ? 雪蓮」

 人を木の上から叩き落とそうとした癖に柘榴は私を挑発するように笑って、私もそんな柘榴を見て笑う。

 そうよ、私達はいつだって『誰かのため』なんて綺麗なもんじゃない。

 母様も、父様も、結果的に呉をまとめただけに過ぎなくて、そこにどんな思い(野望)があったかなんて誰にもわからない。

 蓮華だってそう、最初は嫌々だったくせになんだかんだでこの呉をまとめようと動いてる。

 誰もが皆、自分のやりたいようにやって、生きたいように生きて死んでいく。

「当然でしょ?」

 だって私は、父様と母様の子だから。

 私は私の好きなように生き様を刻み、死に様を決めていく。

 誰かに見せつけるための生でなく、誰かに捧げる死なんていらない。

「私は私のために生きるって決めてるもの」

 

 

「雪蓮、柘榴、二人揃って浸っているところ悪いが準備が出来た。

 行くのか、行かないのか?」

「冥琳、あなたは何を馬鹿なことを言っているのかしら?

 こうすれば」

 聞き慣れた二人の言葉と同時に風を切るような音がして

「いいじゃない」

 

 

「って、痛いじゃない! 槐の馬鹿!!」

「つーか、当たり所が悪かったら俺はてめぇ(自分)の武器で自滅するところだったぞ?!」

 私と柘榴の不平不満に、槐は聞こえないフリをしてさっさと馬車に乗りこんでいっちゃうし! 聞きなさいよ、書簡馬鹿!!

「やはり、槐の投擲では二人を気絶させるには至らないか。

 まぁいい、二人も早く乗り込め。蓮華様達が後始末に追われている今以外、機はないからな」

「・・・ねぇ、柘榴。

 何で私の軍師って、こんなに人の話を聞かない奴が多いのかしら?」

「筆頭のお前が人の話聞かねーからだろ」

「さっさとしろ」

 聞き捨てならない柘榴の言葉に眼をくれれば、同じように柘榴も睨み返してきて、そんな私達の足元目掛けて冥琳の鞭が放たれた。

「「きゃー、こわーい」」

 おもわず柘榴と一緒に抱き合ってはしゃげば、さっきよりも強く鞭が鳴らされる。

「あらあら、お二人ともすっかり猛獣使い・冥琳さんに飼いならされてますねー。

 皆さん揃ってどこに行くかは知りませんけど、行ってらっしゃーい。

 私はこれから美羽様と一緒に楽しい隠居生活を送りますから」

 なーんて他人事のように私達を見送りかける七乃を見て、私は冥琳と柘榴にだけ見えるように悪い笑みを作った。

 すると、二人も私が何をするかを察したように同じ笑みを浮かべたり、呆れて溜息を吐いたりする。

 それ、容認したってことでいいわよね?

「冥琳!」

「はぁ・・・ 仕方ない」

 冥琳は私の合図とともに七乃の腰に鞭を巻きつけ

「柘榴!」

「あいよ!!」

 柘榴が私と一緒になって冥琳を持ち上げて、鞭に巻きついた七乃ごと馬車へと放り込み

「槐!」

「はいはい・・・」

 そして最後の〆として槐を呼べば、馬車は勢いよく駆け出した。

「ちょっ・・・・」

 状況が飲み込めない七乃がきょろきょろと面白いぐらい馬車の中を見渡して、体勢を立て直した私と柘榴が手を打ち鳴らす。

「「拉致、成功ー!!」」

「ちょっ?! 何してるんですか、この馬鹿虎!!」

「何って決まってるじゃない、拉・致♪」

 鞭を無理やりほどいて、私の体をがくがく揺する辺り七乃って立ち直るの早いわよねー。

「七乃、諦めろー。

 お前がいろいろ気づいてた時点で、こいつはお前を連れ去る気だったんだからよ」

「なっ!?」

「賢いお前らしくもない失態だったな。

 私達が何をするか、何をしていたかを知っている存在をわざわざ呉に残すわけがないだろう。

 そう、そこにいる小蓮様のようにな」

『ん?』

 そこでようやく私達は馬車の片隅で蹲ってるシャオに気づいて、同時に視線を向けた。

「聞いたの私じゃないもん! 周々と善々だもん!!」

「えーっと、そこにいらっしゃるのは美羽様といちゃついてたちびっこ様じゃないですか。

 もー皆さん、いくら極悪非道だからって街の女の子を連れ去っちゃ駄目じゃないですかー」

「いや、普通に面識あるでしょ。

 何、知らない子ども風に言ってんのよ」

「いえいえ、とんでもない。

 美羽様と遊ぶ子どもに嫉妬して、名前を忘れたなんて事実はございません」

 まぁ七乃だし、それが理由の九割でしょうね。

「七乃お姉ちゃんが酷い!!」

 シャオは普通に傷ついてるみたいだけど。

「自分の愛玩動物達に売られるなんて、哀れな主人もいたものね」

 馬車を操りながら鼻で嗤った槐の言葉がこちらまできっちり聞こえ、シャオがここに居る経緯が説明されるまでもなく、その場の全員に伝わった。

 大熊猫(ぱんだ)と虎に売られるって、シャオってばどんだけ立場低いのよ。

「槐お姉ちゃんも酷い! 容赦ない! 幼女虐待!!」

「容赦なんてあるわけないでしょう。

 小さいとはいえ虎は虎、虎にいちいち加減する一般人にどこにいるのかしら?」

 いや、槐は全然一般人じゃない気がするけど、反論したら十倍に返されそうだから言ーわないっと。

「七乃、あなたもさっさと諦めなさい。

 それにこれから行うことは、あなたも賛成する筈よ」

「賛成?

 美羽様の一件片付いた以上、私が何かを賛成することもなければ、反対するようなこともない筈ですけど?

 というか、雪蓮さんが旗揚げのために出て行って、呉の後継者問題を未然に防ぐって話じゃないんですかー?」

 そういえば、まだ私達がやることを明言してなかったわねー。

 そろそろ説明しなきゃだけど、どこから話そうかしら?

「私達が行うことは一つ」

 なんて私の迷いを捨てさせるように、槐が口火を切った。

「つーか、かつて果たされたと換算されちまったこと」

 柘榴が少しの苛立ちを持って、吐き捨てる。

「だが、それは果たされたと誤認されていたに過ぎない。

 これは呉の女達の悲願」

 冥琳が眉間に皺を寄せて、怒りを露わにする。

「劉表の爺をぶっ殺しに行くのよ」

 最後に私がわかりやすく目的を告げれば、七乃とシャオは大きく口を開いた。

「荊州の古狸じゃないですか!?

 どうして、雪蓮さん達はそう言う大事なことを独断で行おうとするのか本当に理解に苦しみますねー」

「ていうか、これだけの人数って馬鹿なの?! 姉様!!」

 わー、わかってたけど、凄い文句。

 だけどそんな文句、知ったこっちゃないのよねー。

 そんなことはとっくに覚悟もして、熟知をしたうえで私達はあいつを殺るって決めたし、殺さないなんて選択肢は存在しない。

「よく見なさいよ、二人とも。

 あんた達の前には今、何が映ってるのよ」

「「馬鹿」」

「二人同時に喧嘩売るなんて仲良しね?」

 だけど、今はその喧嘩を買ってる暇なんてないから無視よ。無視。

「かつての怒りを忘れない古参の兵達と将来性のある私や柘榴、腹黒い冥琳と柘榴もいるのよ?

 それに全軍に真正面から挑むなんて無謀なこと、流石に私達でもしないわよ」

「それを聞いて少しは安心しましたけど、率いる人の頭があれなことを除けば凄い軍なんじゃないですかねー」

「うん、そうだよねー。

 主戦力である姉様達の頭が超残念なだけど・・・ っていうか、揃いもそろって父様大好きすぎだから!」

 無理やり連れてきたこともあって二人揃って返答が投槍ぎみで、シャオの最後の言葉に私以外の眼が輝いた気がした・

「あぁ、好きだぜ。

 今でも旦那のこと、超愛してるぜ!」

「何をおっしゃるかと思えば・・・ 秋桜様に恋慕を抱くは呉の女の定め。

 ましてや、その復讐をこの手で果たせるというのなら、嬉々として参戦するが道理でしょう」

「面白くないのよ。

 続く筈だった彼の英雄譚があそこで終わったことが」

 ・・・何コレ、想像以上に柘榴達が父様好きすぎるんだけど?

 三人がここまで父様のことを想ってたなんて、聞いてないんだけどー?

「この目的を知った今、あなたは本当にこの一件に加担しなくていいのかしら? 七乃」

「え?

 それ、どういう意味よ、槐」

 槐の言葉の意味がわからず問い返せば、槐は馬を操りながら言葉を足した。

「それは七乃が誰よりも知ってる筈よ」

「槐さん、あなたどこでそのことを・・・!」

「桜を寝床にしていた虎が吼えていたのよ」

「あの虎・・・!!」

 七乃が怒りを通り越して殺気すら出しながら、おそらく陳留があるだろう方向を強く睨む。

「認めちまえよー、お前も俺らの同士なんだろ?

 旦那に惚れるのは仕方ねーって、な?」

「意外と言えば意外だが、どこに惚れた?

 さぁ、共にあの方のことを熱く語りあおうじゃないか」

 柘榴と冥琳が七乃の両脇を押さえ、肩に手を回して逃げ場を塞ぐ。

「私、初耳なんですけどー」

「シャオも聞きたい!

 父様って、そんなに魅力的だったの?」

 そして、私とシャオが前から詰め寄ることで、七乃を囲う。

「こいつら、全員しばく・・・!」

 こうして非常に珍しい七乃への楽しい質問攻めの時間が始まりを告げた。

 

 

 

「さぁって皆、競争よ。

 賞品は劉表の爺の首を取る権利、勝利条件は玉座に一番に着くこと。それ以外は一切決まりごと無し。

 まっ、当然私が首を飛ばすけど」

 荊州の城が見えるその場所で、私は兵達を背にして呟いた。

「はっ? 何言ってやがんだ、雪蓮。

 俺が突き刺して殺すに決まってんだろ」

 私の後ろに控えた柘榴が、いつものように挑発的に笑う。

「寝ぼけるな、柘榴。

 私が八つ裂きにする」

 右側で珍しく鞭を構えて臨戦態勢の冥琳が、鋭く城を睨みつける。

「違うわね、冥琳。

 私が毒殺するのよ」

 さらに離れたところからは懐からいくつかの容器を覗かせて、槐が冷たく笑う。

「なーに言っちゃってるんですか、皆さん。

 楽に殺すわけなんてもったいない、じわじわと嬲り殺してあげるのが礼儀というものじゃないですかー」

「って、七乃お姉ちゃんも参戦するの?!」

 予想外の七乃の言葉に、私は笑う。

 それが復讐を果たせる歓喜なのか、殺しを行うことへの狂喜なのか、それとも父を想う者に感謝をする喜悦なのかはわからない。

「散った桜が起こした嵐が、吹雪になって戻ってきたわよ?」

 風を起こしたのは風情も知らず、ただただ嫉妬ばかりを腹にためた古狸。

 けれど狸は桜を散らすことばかりに夢中になって、桜の木に集っていた無数の虎を居たことを知らなかったみたいだけどね。

「あんたが踏んだ虎の尾の数、その身にしっかり刻んであげるわ」

 

 




三十三話の舞蓮離脱時より今回の雪蓮離脱を予測していた方がいましたが、この機会に改めて言わせてください。
おめでとうございます! あなたは本当に鋭いですよ!!

来週も本編、ですかね・・・
今回の別視点か、白で事態を動かすか、はたまた赤を動かすか、書きたいことが山積みなのですが、ちょっと引っ越し等で書けない可能性が高いです。
それでも頑張りたいと思います。


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 雲伴わぬ白き陽と 【黒陽視点】

書けましたー・・・

明日は用事があるので、明日の夜まで感想返信等が遅れます。


 しば(・・)れる朝に、司馬(・・)家の白陽が()られている。

 勿論、白陽を縛ったのは私であり、今は司馬家にある私の私室で鋭い目のまま大人しく座っていてくれる。

「ふふっ、ふ、ふふふ・・・」

 私は脳裏に浮かんだ冗談の面白さに笑いが堪えきれず、おもわず手近にあった壁を叩いてしまった。

「いや、黒陽姉様。

 何を考えたかは想像できるけど、少しも面白くないからね?

 それから、白陽姉様を縄で縛りつけるのは流石にやり過ぎだと思うんだけど・・・」

「ていうか、黒陽姉様って冗談の才能ないよねー。

 紅陽姉様に少し同意だけど、副作用のない薬以外で白陽姉様を押さえろって言われたら私も縄を使うと思うから何も言わない方向で」

「うーん・・・ 大変言い難いんですけど、お姉様の笑いのツボって浅すぎるんですよね~。

 白陽姉様については・・・ 今回はちょっと仕方ないんじゃないんですか~?」

 起きてきたらしい紅陽と灰陽、藍陽から冗談に対する厳しい意見を貰い、わざとらしく天井を仰いでみる。

 白陽については理解を示してくれている辺り、この子達も華琳様からしっかり説明をうけているようね。

「正直恥ずかしいとは思っていないけれど、妹達とこの楽しさを共用できないのは少し寂しいわね」

「ほ、ほら! 黒陽姉様! 緑陽がちゃんと笑ってるみたいだから大丈夫だって!!」

 さらに大袈裟に首を振ってみせれば、紅陽が三人の影に隠れてお腹を抱えて笑っていた緑陽を示してくれる。

「いえ紅陽姉様、緑ちゃんは・・・」

「冗談じゃなくて、黒陽姉様がお腹抱えて笑ってた方に笑ってるんだって。

 こんな黒陽姉様これまで見ることなんてなかったし、笑いのツボが浅いことだって最近発覚したことだから無理ないけどねー」

 灰陽の言葉には少し耳が痛いけれど、それは仕方ないこと。

 私は私のことしかやってこず、妹達に対する想いも、趣味も、性癖も、ありとあらゆることを隠してきた。

 冬雲様が来て白陽が変わり、華琳様も改めて己の進む道を明確に指し示し、多くの華が咲き誇るようになった今、周囲が変わっていくのと同時に私もまた変化した。

 いいえ、変化せざるえなかった、というのが正確なのかもしれない。

「あ、あの黒姉様がご自身で口にしたくだらない冗談で大笑いしていらっしゃるとか・・・! 珍しいことは勿論ですし、それらを堪えるために壁を叩いているし・・・!!」

 けれど、肩を震わせて四つん這いになってまで笑われるほどだったかしら?

 仕事が仕事だから姉妹全員が揃うことは滅多にないけれど、こうして笑い合えることはよいことだと思って、今回は見逃してあげましょう。

「そんなことはどうでもいいので私を解放してください私は冬雲様の元に早急に向かわなければなりません今頃冬雲様は起床され軽い身支度をされた後中庭へと向かわれ軽い運動を開始しそれを終えた後朝食となりますそしてそれらを補佐するために私は存在し他の誰にも譲ることは出来ない重要な任務いいからとっとと解放しなさい」

 言葉が繋がりすぎていて途中で何を言っているかわからなかったけれど、この子が息継ぎなしで言いきることなんて冬雲様のこと以外ありえない。

 正直白陽のやっていることは補佐官の領分を大幅に超えているし、ここまでくると白陣営の間で飛び交っている『すとーかー』という単語に意味が類似してくる。

 隠密という仕事がそもそもすとーかーに似ているし、個人を日常的に付き纏うという面において私も白陽のことを責めることは出来ない。

「それは駄目よ、白陽。

 今日は冬雲様の休日であり、その補佐官であるあなたもまた休日なのだから」

「なればこそ、私の休日は私が休めるように使うべきです。

 私の心安らぐ時間も、体を休めることが出来る場所はあの方のお傍であり、傍に在ることなのです」

 これには私のみならず後方にいた紅陽達からも溜息が聞こえ、二人分の気配が遠ざかっていく。普通なら呆れてどこかと行ったと取るんでしょうけど、単に今日の食事当番である紅陽と藍陽が食事を用意しにその場を離れただけの事。きっと、この状態(縛られている)の白陽でも食べやすい料理を作ってくれることだろう。

「それはよくわかっているわ。

 隠密をしている時も、文官として控えている時も、冬雲様と並ぶあなたの顔を見れば誰もが理解するでしょう。

 けれどだからこそ、華琳様は今回の休日をあなたと冬雲様が別々にとるように厳命した」

 言葉の全てを理解できるようにゆっくりと言いながら、白陽に優しく微笑みかける。

「そして、厳命された理由があなたにわかるかしら? 白陽」

 こんなことを問われても白陽が答えられるわけがなく、わかる筈がない。

 答えを求めるように灰陽と緑陽の方も振り向くけれど、二人はどうしてか同時に視線を逸らして、私と目を合せてくれなかった。

 ふふっ、お姉ちゃんだって傷つくのよ? 悲しくって泣いちゃうわ。

 なんて柄でもないことを思いながら、可愛い妹達へと笑みをこぼす。

「まずは、華琳様のとっても可愛らしい理由から教えてあげましょう。

 補佐官という立場故に、あなたと冬雲様は一緒に居過ぎる。それゆえの嫉妬よ」

 華琳様自らそう口にした時、私は人目を憚ることなく破顔してしまった。

 冬雲様が訪れる前から存在していた本能的な『女』ではなく、存在すら怪しかった『乙女』な華琳様が新鮮で、ほんのわずかに覗かせた嫉妬の顔が乙女という新しい一面を彩っていた。

「あれは・・・ 素晴らしかったわ」

「黒陽姉様ー? 話、逸れてるよー?」

 私が恍惚としている間に紅陽達が食事を作って戻ってきて、甲斐甲斐しく白陽に食事を運んでいる。私も点心をいくつか摘みつつ、話を続けようと改めて白陽を見れば、白陽も座った眼をこちらに向けてくれる。

 本当にあの頃とは比べ物にならないほど表情豊かになった白陽におもわず笑えば、さらに視線が厳しくなってしまった。

「それで姉さん、嫉妬以外に何か理由がおありなのですか?

 まさか華琳様ともあろう方が嫉妬のみで私を任務から外し、半ば監禁のような休日を送らせるようなことはなさいませんよね?」

「ふふふ、それはそれで非常に面白いけれど、勿論他にも理由があるわよ。

 冬雲様が他の方との用事がない限り、あなたはずっと冬雲様にべったりであなたが休みを取らないこと」

「それは先程も言った筈です。私の休みは・・・」

 白陽が何かを言いかけるけれど、私は言葉を止めることなく続けた。

「そして、冬雲様ご自身が休まなくなるということ」

 私の言葉に白陽が驚いたように目を開くけれど、自覚してないようだから続けることにする。

「あの方は暇な時間を見つけては政に関わることは勿論、行事や文化の取り入れ作業を行い、それらの作業を完全に補佐するあなたが常に侍ってしまっている。それによって冬雲様は自ら仕事を作り、増やし、休みを休みとして利用しない。

 今回はそのことが問題視され、あなたを押さえ、可能なら説得し、二人がそれぞれで休みを取るように指示された」

 彼の功績は武勇という面ばかりが目立ってしまいがちだが、火葬や水の濾過装置、娯楽や食事、服飾に至るまで幅広い。勿論、作成や実行までの全ての行程で彼自身が担っているわけではなく、腕のいい職人や料理人、民などの協力は不可欠だった。

 行事や文化、娯楽を増やすことは確かに重要なことであり、そこから生まれる商売が経済を回し、街や国を発展させていく。

 けれど、その中心となっている人物が休みもとらずに働きつくし、もしものことがあったらどうなるか? 当然計画は倒れ、仕組みは崩壊し、全ては成り立たなくなってしまう。

「体を休ませるための休日を利用して始めたことで体を壊しては、元も子もないでしょう」

「うぅ・・・」

『あ~・・・』

 白陽も多少は自覚があったようでうなだれてしまい、妹達は皆納得したように頷いている。

 そもそも華琳様を始めとした将の多くが『趣味が仕事』の傾向が強く、それどころか冬雲様によって趣味を仕事に出来てしまったという事態すら起こり、生活するため・生きるためにしていた仕事が生き甲斐へと変わっていく者が増えている。

 本来歓迎すべきことにも拘らず、誰もが皆勤勉すぎて最早苦笑いしか浮かべることが出来なかった。

「だから白陽、今日はあなたも大人しく休んで頂戴。

 今日の冬雲様には護衛こそつかないけれど、休みであることは多くの者に広めてあるから大丈夫よ」

「はい・・・

 それならば、心配は無用ですね・・・」

 白陽は頭を下げて落ち込み、まるで飼い主に会いたくても会えない犬の様・・・

「黒姉様、疑似犬耳はここに」

「気が利くわね、緑陽。

 これを早速白陽に・・・」

 緑陽が懐から出してくれた犬の耳によく似た髪飾りを白陽につけると、違和感なくそこに収まり、ただでさえ可愛らしい白陽の見た目がさらに可愛らしくなる。

「これは・・・

 すぐに華琳様に採用してもらわなければならないわね」

 付け加えるなら、耳だけでなく尾などもあれば尚いいかもしれない。獣達をよく観察することも今後進言することを検討するよう頭の隅に置いておく。

「いやいやいや! 黒陽姉様は落ち込んでる白陽姉様で遊ばない! 華琳様に直接進言するって、そもそも何に採用させる気なの!?」

「紅陽、私は遊んでなどいないわ。落ち込んでいる白陽を励まして、ついでに可愛らしい姿にしただけよ。

 それともあなたは、白陽のこの姿が可愛くないとでも言うのかしら?」

 紅陽の言及には答えず、振り返った際に紅陽の隣に立つ藍陽が熱心に何かを書き綴っているのが見えたけれど、それは触れないでいた方が私への利益が大きそうね。

「それは勿論可愛いけど!

 てか、緑陽も何を出してるの?! そんなもの誰から貰っ・・・ たのはいうまでもなく沙和ちゃんでしょう! あの子、服飾の才能がずば抜けてるのに方向性がいろいろとおかしいから!!」

 紅陽が叫ぶ隣でゆっくり首を振って、自分のことを指差す藍陽に私は紅陽にばれないように手信号を送って、その場から離脱させる。

「いいえ、紅姉様。

 これらは冬雲様発案の子ども用の遊戯のために作られた物を沙和様や千里さんの意見の元に改良を加え、成人した者達もつけられ、なおかつ元にした獣に似るようこだわり尽くした逸品なのです」

「そういうことを聞いてるんじゃなくて・・・! ていうか、逃げない!!」

 緑陽も藍陽が何をするのか察したようでわざとらしく紅陽から逃亡を開始し、藍陽が沙和さんの元に行く時間を稼ぐことにしたようだ。

 今後も疑似耳の広がりに期待が持てそうね。

「黒陽姉様ー、私もそろそろやりたい研究あるから戻るよ?

 風ちゃんにいろいろ作るように頼まれてる薬あるんだよねー、遊びとか、普通に薬系とか・・・ あと私、それ関連でちょっと出掛けなくちゃいけなくなるかも」

 この陣営の薬剤の一切を取り締まっている灰陽の言葉をしっかりと耳に入れてから頷けば、灰陽はわざとらしく口角をあげて笑う。

「白陽姉様もだけどさ、黒陽姉様も今の方がずーっといいよ」

 表情を崩さず、感情を見せないことを当たり前のように教える司馬家にはあり得ない笑い方。けれど、その笑みはとても楽しそうだと感じられた。

「今度こっちの研究室にも寄って、なんか意見ちょーだい。

 今の姉様なら、前よりずっと面白い意見くれそうだし」

「これまでが面白みに欠けた意見だったような口ぶりね? 灰陽」

 返事はわかっているのに、私はあえて言葉にしていて、その答えを聞いてみたかった

「効率とか、手段に応じた意見って意味じゃ、黒陽姉様より鋭い意見を言えた人はいなかっただろうね。

 けど、今の姉様なら効率とか関係ないロクでもなくて面白い薬考えてくれそうな気がする。研究者が好きそうな、必要性を感じられないけど楽しめるようなそんな研究をね。これ以上は怒られるから退散!!」

 私が興味深く目を細めていくのを灰陽はどうやら怒っていると勘違いしたようで、すぐにその場から離れていく。

「あらあら、私は別に怒ってなんていないのだけどね」

 肩をすくめてつつ、改めて視線を白陽に戻せばまだ落ち込んでいて、犬耳を付けたままの白陽の頭を撫でてみる。

「姉さん?」

 何をされているのかがわからないみたいな目を向けられるけれど、それも仕方がない。

 私は七人もいる妹に対して触れ合いらしい触れ合いをしてこず、白陽自身も目に近い顔周辺を人に触れられることを強く拒んでいた。

 かつての私達は姉妹というにはあまりにも素っ気なくて、大切にしているという想いの存在すら認めなていなかったのだから。

「そう遠くない内に立ちはだかるであろう袁紹、多くの手段を用いて荊州を維持してきた劉表、今後の道筋が見えず危機にさらされようとしている白・劉備陣営。西涼の狼は動くことなく、江東の虎の血筋は自分の縄張りで精一杯。

 飾りと言えど大陸を治めていた洛陽が崩れた今、この大陸では何が起こっても不思議ではないのが実情」

 左手で指を立てて数えつつ右手で白陽を撫でることはやめず、白陽の困惑したような顔を見ながら、いつものように笑う。

「のんびり休むことが出来る日がいつ来なくなるかわからない以上、たまには何も考えずに過ごしてみるのも悪くないでしょう?」

 恋人と居ることは確かに満ち足りて楽しいけれど、そればかりでは飽きてしまうもの。

 なんてことは華琳様を筆頭に全員が否定することは目に見えているので、あえて言葉にしない。

「そう、ですね。

 久しぶりに真桜や沙和達の所に足を運んでみようかと思います」

「そうなさい」

 縄から解放し肩を押してやれば、白陽は照れくさそうに顔を赤らめて、何かを言いかけて口を開いたにもかかわらず、再び口を閉ざしてしまった。

「白陽?」

「いえ、その・・・ い、行ってきます」

 妹の口から出てきたのはどこにでもあるような家族のやり取り、けれど私達には存在しなかったものだった。

 たった一つの言葉が、この子が望んでいたものだったと思うと胸に何かがこみあげてくる。

「・・・えぇ、いってらっしゃい」

 だから私は、白陽が望むように言葉を返した。

 

 

 

 白陽を見送り、私の代わりに華琳様の護衛をしていた青陽と交代し雑務をこなす。そろそろ夕食をとるように進言しようとした時、その声は響いた。

「誰がお母さんだーーーーーー!!!」

 とても楽しい予感を感じながら、華琳様と共に廊下へと向かった。

 

 

 万年青様の登場によって起きた騒動により、私が笑い死にかけるのはこの後すぐの話。

 そして、白陽が犬耳をつけたまま街を練り歩いたことにより、疑似耳は爆発的な人気を得ることになるのは数日後の話となる。

 




次も視点変更の予定です。
(こちらではなく、もう一つの視点を変える予定)

その次は白か、赤か、番外も書きたい・・・


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 蓮の咲き方 【蓮華視点】

書けましたー。

今回はオリジナル設定が多量に含まれますのでご注意を。

また、今回も感想返信等が大幅に遅れますことをご報告いたします。


 陽が沈み、夜もすっかり更けた頃に珍しく素面で私の部屋を訪れた姉様は、窓枠に腰かけて私室の机で筆を執る私を見ながら、唐突に声をかけてきた。

「ねぇ、蓮華。

 呉はこれからどうなっていくのかしらね?」

 言いたいことをはっきり口にする姉様らしくない言葉におもわず筆を止めて振り向けば、そこにいつものふざけた調子の姉様はおらず、真っ直ぐな瞳で私を見つめていた。

「なっていくものではなく、私達がこれからしていくものです」

「はいはい、言い直せばいいんでしょう。

 蓮華はこれから、呉をどうしていくつもり?」

 まるで他人事のような言い方に私はやや苛立ちを感じつつも、これがいつもの姉様だと思い諦める。

 もっとも私に全てを任せて将であることを選んだ姉様にとって、政は確かに他人事なのかもしれない。

「槐の策も、七乃の手回しも滞りなく進んでいますから、しばらくの間は袁紹を始めとした強大な諸侯から狙われることはないでしょう。

 今後は内側の問題である越族との友和などを進め、呉の守りを強化していくつもりです」

 七乃の想定通り、美羽(ここ)を見限って他に侵略行動へ移った者は確かにいるけれど、まだ残っているうまい汁を吸おうとしている者は存在していた。私達はそれらを制圧することが出来るほどの力を持っていても、一諸侯を相手にするには勢力はあまりにも小さい。

「蓮華は真面目ね~。

 母様も蓮華の爪の垢でも煎じて飲めば、少しは真面目になるのかしら?」

「それを姉様が言いますか。

 いい機会ですから、姉様の今後の将来設計についても聞かせてください」

 顔が引き攣るのを感じながら、私は姉様へとにっこりと微笑むと姉様もそんな私へと笑って見せる。

「真面目な妹に後を任せて悠々自適に生きる、とかどう?」

 けれど、その笑みはあまりにも姉様には不似合いだった。

「あの姉様がのんびりと心静かに? 何の冗談ですか」

「私だっていつも誰かをからかって、何かをしでかしてるわけじゃないのよ?

 美羽の一件が終われば、それこそ文官以外は大した仕事なんてないじゃない」

 武官の仕事はむしろそれからなんですが、これも姉様に行っても通じはしないだろう。

 姉様が欲している武官の仕事は生死のかかった血塗れの戦場を生き抜くことか、無法者たちを殺すこと。文官や私が中心となって内政を敷き、その間の街を守る警護をするだけことは姉様の欲していることではない。

 かといって、曹操殿達のような警邏隊を発足できればいいが、それには人手が足りていないのが現状だった。

「姉様は一度、祭にきっちり政について教鞭をとってもらうべきですね・・・」

 今でこそ私が上に立つと決まったからいいものを、これで姉様が政をしなければならなくなっていたらどうなっていたのか・・・ 考えるだけで頭が痛くなってくる。

 もっとも今こうして上に立っていても、扱いづらい姉様達に指示を出すのも苦労しているのだけど。

「やーよ、祭ってば語りだすと長いもの。

 そういう難しいことは冥琳がやってくれるもの」

「はぁ・・・」

 冥琳も冥琳で姉様に甘く、なんだかんだ言いながら協力しているから質が悪いのよね。

 そんな冥琳も以前の病気のこともあって、今は亜莎や穏にいろいろ教えつつ、無理のない程度しか仕事をしていないほぼ隠居状態。

 槐は将としてやるべきことはやってくれるけど、警護の時はいつも物足りなそうにしているし、槐は変わらず何を考えているのかが私にはまったくわからない。

 むしろ、私の方こそ姉様達が何をしたいのかが聞きたいくらいだった。

「ねぇ、蓮華。

 父様の件、あなたはどこまで知ってる?」

「・・・八割方、想像はついています。

 ですが」

 あの連合での際、洛陽で槐についていった思春や明命の報告によって、槐が何を調べていたのかを私は知っている。

 そしておそらく、母様はそれ以前からその答えに行きついていたのだろう。

「こんな状況じゃ(ここ)は動けないし、敵いっこないっていうんでしょう?」

「はい。それに父様は復讐など望みません。

 ならば私は、父様と母様が共に暮らし、残してくださった呉を守りたく思います」

 例えその裏に如何なる謀略があろうとも、父は武人として生き、武人として戦場で死んだ。

「残された私達が納得していようといまいと、父様は・・・」

「『死んだ奴は復讐なんて望まない』なんて、そんなの当り前じゃない!」

 私がそれ以上言葉を続けようとした瞬間、姉様は突然声を荒げた。

 窓枠に腰かけたまま、姉様の渾身の(怒り)をぶつけられた窓の格子は無残に壊れ、姉様はそのままさらに言葉を続けていく。

「父様は勝手に死んで! 死に顔なんて腹立つくらい穏やかで!! 普段はこっちが物足りなくなるぐらい何も言わなかったくせに、自分の言いたいことだけ全部言って逝ったのよ!!!

 そりゃ満足でしょうね! 武人として、父親として、もう最高に理想的な死に様だったでしょうよ!!」

 あの日、一見では誰よりも冷静だった姉様が

「勝手に死んだくせに笑って、満足して、こっちの言葉なんて聞きもしないで、なのに復讐すら望まない?

 ふざっけんじゃないわよ!!」

 あの時のシャオ以上に怒りを露わにしているその姿は

「復讐なんて望まないっていうなら、戻ってきなさいよ!

 戻ってくるっていうんなら、復讐なんてやめてやるわよ!!」

 怒っているにもかかわらず、泣いているようだった。

「姉様・・・」

 あの日に私が抱いたやりきれない思いは私だけの物なんかじゃなかったことを思い知りながら、姉様は荒げていた息を整えてから、腰かけていた窓枠から立ち上がる。

 ついさっきまで露わにしていた怒りの全ては収束し、姉様の瞳はもう私を見ていなかった。

「自分の手を汚さずに他をけしかけることで父様を殺したあいつは、今ものうのうとこの大陸に生きて、しかも病だか老いだかで天寿を全うしようとしてるんですって」

 くすくすと笑いながら告げているにもかかわらず、姉様の殺気をいつものように楽しんでわざと撒き散らすようなことはなく、一点に絞られたような冷たい殺気はまるで父のようだった。

「ねぇ、蓮華。あなたは許せる?」

 わざとらしく私に聞きながら、それでも私は首を振った。

「許す・許さないで問われるならば、私も許すことは出来ません。

 ですが・・・」

 私の言葉は最後まで口にすることを禁じるように姉様は私の頭に置いて、優しく撫でていく。

「それでいいのよ。

 私みたいな馬鹿とか、そんな馬鹿に上に立ってほしいとか言う奴らはみーんな私が持っていってあげる」

「えっ・・・ 姉様、それは・・・!」

 私の追求から逃げるように距離を取り、さっさと扉へと向かってしまう。

「あの時は母様と祭に譲ってあげたんだから、今度は私の番よね?」

「姉様!!」

「待たないわよ? もうたくさん待ったし、私にしては我慢した方だもの。

 それじゃ~ね~」

 そう言って姉様は、嵐のように去って行った。

 当然、私が止める間なんてなく、おもわず机の上で頭を抱えてしまう。

「思春に見張ってもらっても、無駄でしょうね・・・」

 母様も、姉様も、そして私も、一度決めたことを変えることはない。そして、姉様が行動を起こしたら、あの三人も共をする可能性は高くなる。

「はぁ・・・ あの御二人に出てきてもらうしかないわね・・・」

 既に隠居した方を頭に浮かべ、ある依頼するために私は文を書くべく筆を執った。

 

 

 

「蓮華様!!

 雪蓮様が冥琳様と柘榴様、槐様と共に城から・・・」

 そして今日、最早玉座を利用しなければ片づけられないほどの書簡に囲まれた私達の元に駆けてきた明命に、私は筆をおいて深く溜息を零した。

「あの三人以外の被害は?」

「その・・・ 兵五百と彼らの装備、それに加えてその場に居合わせてしまった七乃さんと小蓮様も連れていってしまわれたようで・・・」

「はぁ~・・・」

 やるとは思っていたけど、いくつか想定外のことが混ざり、溜息しか出てこない。

 私の隣で口を開けたまま動かない美羽の頭を撫でつつ、穏や亜莎は苦笑いを浮かべ、祭に至っては母様で慣れているのか明命の次の言葉に耳を澄ませている。

「いかが致しましょう? 蓮華様。

 今から追いかければ・・・」

「追いかけて止まるような姉様達じゃないわ」

「まったくじゃ。

 下手に追えば、返り討ちにされる可能性もあるしのぅ」

 思春の提案に私は首を振れば、祭も同意し、再び溜息が零れる。

 ただでさえ人手が不足している呉で、これ以上兵を無駄に削ることは避けたい。

「しかし、それでは・・・!」

 何を実行しようとしているかわかっている明命がそれ以上何かを言おうとした瞬間、扉は叩かれた。

「どうぞ」

 私が促せば扉を開いた先にいたのは、色素の薄い黄と白が混ざった髪を短くまとめ、穏やかに微笑む男性と、男性に寄り添うように並ぶ女性は長く伸ばした橙の髪を緩く編んでまとめ、視線の合った私へと優しく微笑んでくれた。

「お久しぶりです。程普(テイフ)殿、韓当(カントウ)殿。

 突然にもかかわらずこちらの申し出を受けてくださり、本当にありがとうございます」

 私が頭を下げれば、二人はかつてと変わらない様子で優しく微笑み、首を振る。

「引退しても、僕達は孫家の臣下だ。

 そんなに硬くならなくていいんだよ、蓮華様」

「そうよ、蓮華ちゃん。

 どうせまた舞蓮が勝手したり、雪蓮ちゃんに振り回されているんでしょう?

 孫達とのんびり暮らしてた私達だけど、出来ることがあるなら言って頂戴」

 かつて父と祭と共に孫堅四天王と謳われた御二人は結婚し、父が亡くなる少し前に前線から離脱し、事実上引退していた。そして、それらが公には袁家に仕えていることにするための戦力を散らす隠蔽工作であったことを祭から聞いたのはつい最近のこと。

 引退して以降、私がこの御二人と顔を会わせたのは父の葬儀ぐらいであり、祭曰く細々と母様達の協力もしていたらしいが、基本は夫婦二人で子や孫の世話をして暮らしていたらしい。

 韓当(銀葉)殿は祭と母様に比べれば線の細い姿でありながら武勇に優れ、私は実際に見ることは叶わなかったが馬上で大刀を振るう姿は見事だったことを母が褒めていたことを覚えている。

木春(モクシュン)銀葉(ギンヨウ)、貴様らどうしてここに居る?!」

「あら、祭。久し振りに会ったのにまともな挨拶一つも無しにそれなの?

だから、()き遅れるのよ」

 それに加え祭と銀葉殿が犬猿の仲であることも、よく話していたことの一つだった。

「お師匠様!

 お久しぶりです!!」

「それは壁だよ、明命さん。

 僕はこっちだ」

 木春殿が明命と七乃の師匠筋にあたる方であり、私が思春を連れてきた際も数日はこの方の元に預けられたことがあったらしく、思春曰く気配を断つのに長けた諜報の達人なのだそうだ。

 御二人について知るべく、暇を持て余しているだろう母様に詳細を求めたり、入ることを禁じられていた父の部屋に入ってみたり、祭に酒に付き合わされながら夜通し昔話を聞くことになったけれど、それも必要なことだと割り切るしかない。

「フンッ!

 舞蓮を見ていた影の薄いそやつと、秋桜を見ていたお主らが互いに妥協した結果じゃろうが!!」

「諦めないことが良い事なんて限らないわよ、祭。

 現に私とあなたは同じ年齢にもかかわらず、可愛い孫までいるんだから」

 銀葉殿はそう言いながら祭との距離を詰め、その目前まで来て睨み合う。

「それから、私と夫が結婚したことが『妥協の末』なんて言い分も気にいらないわ。

 誰も彼もが私の容姿に惹かれて媚びってきた中、誠実なる愛を注いでくれたのは彼だけ。私の運命の人を悪く言わないで頂戴」

「そう言い繕えば美談じゃが、貴様も舞蓮も所詮は木春と秋桜を喰らった虎じゃろうが!!

 大体、そやつの認識が困難なほどの影の薄さはなんなんじゃ?!

 舞蓮の阿呆は勘でわかると言い張っとったし、秋桜は認識しない者を不思議そうに首傾げるし、貴様は貴様でくっつくと決まった頃から認識しよる!!

 全く、揃いもそろって貴様らは常識というものを知らん!!」

 その言葉に祭と銀葉殿、木春殿を除いた者がほぼ同時に祭へと視線を集めたけれど、言い合いに夢中となっている祭が気づくことはなかった。

 そんな中で木春殿は私の元へと歩み寄り、机に置かれたいくつかの書簡を手に取って頷いていた。

「木春殿、騒がしくもみっともない状態で申し訳ありません」

「あぁ、蓮華様は僕のことを認識できるのですね。嬉しい限りです」

「はい? それはどういう・・・」

「いえ、何故か僕は昔から・・・」

 そう言って隣にいる明命へと視線を向けるが、明命はまるで木春殿が見えていないかのように周囲を探している。

「お師匠様?

 一体どこへ・・・?!」

「こういう体質でして。

 本人に触るとわかってもらえるんですが、隠密のしすぎなで気配を殺す癖がついてしまったのかもしれません」

 そうして寂しげに笑う木春殿は私の腰にある剣を見て、さらに目を細めた気がした。

「それに、こうしてドタバタしている方がここ(孫家)らしい」

「母様に振り回されただろう方に言われるとなんだか複雑ですが、褒め言葉だと思うことにします・・・」

「普段の生活は、騒がしいくらいでいいんです。

 静かなのは誰かを送る時だけで十分ですから」

 戦友である父の死の真実は、私から祭達に語ることは出来なかった。

 だが、いずれ伝えなければならないのなら、今ここで伝えてしまうべきだろう。

「蓮華様。私も銀葉も、そして勿論祭も、秋桜の死の真実を知っています。

 そして、雪蓮様がなさろうとしていることもわかっています」

「!?」

 驚く私に木春殿は口元に指を当てる仕草をするのみで、言わずとも私の問いがわかるように口を開かれた。

「我々の中でも、秋桜は根っからの武人でした。

 『如何なる謀があろうとも私は武人として生きて死ぬ、この人生に悔いはない』

 これは生前、戦場に赴くたびに無口な彼が(まじな)いのように口にしていた言葉です。そしてその言葉通り、彼は戦場で逝きました。

 そこに父や伴侶としての後悔があろうとも、彼は彼の人生を駆け抜けた。

 共に駆けた我々は彼の想いがわかりすぎるが故に、最早復讐など起こす気にはなれないのですよ。蓮華様。

 それに今更あの古狸の皮を剥ぎ、秋桜と同じ場所に送ったところで、秋桜は狸など歯牙にもかけないでしょうしね」

 木春殿の父と共に過ごした時間の重さに少しだけ嫉妬しながら、私はようやく祭が飛びださなかったことが納得できた。

 なら、それを察しているこの方に、私は一つ訪ねることにした。

「・・・木春殿は姉様の行おうとしていることについて、どう思われますか?」

 私の言葉に木春殿は口元に手を当てて考えるような仕草をした後、隣にいた明命の肩を叩いた。

「明命さん、雪蓮様は七乃さんも連れていったんでしたね?」

「え・・・あっ、は、はい!

 七乃さんだけでなく、冥琳様や柘榴様、槐様、小蓮様も一緒に!!」

「それなら、いくらか勝算はあるかもしれません。

 七乃さんならきっと気づきますし、冥琳さんなら下調べを怠るようなこともないでしょうから」

 言葉の意味がわからず首を傾げる私に木春殿は微笑むばかりで、私の髪に触れるようにしながら頭を優しく撫でてくれる。

「見た目こそ大殿ですが、蓮華様はどこか秋桜に似ていますね」

 優しい声と眼差しで言われた言葉は、かつての私なら手放しで喜んでいただろう。

「似ているかもしれませんが、私は私です。

 母様も、父様も辿り着くことのなかった呉の統治を、私はやり遂げてみせます」

 けれど、私はもう誰かになろうとなんてしていない。

 他の誰でもない私が、呉を守っていくと決めたのだから。

「自分に芯があるところが、二人にとてもよく似ています」

 私から手を離し、眩しそうに目を細めた木春殿は後ろを振り向きながら手を叩く。

「銀葉、いつまで祭とじゃれているんです。

 越族との交渉へ向かいますよ」

「ねぇ、あなた。嫁き遅れの祭に、私達の孫でも紹介してあげましょう。

 そうしたら小姑として、祭にいろいろ言えるもの」

「貴様の血縁者など、こっちから願い下げじゃ!!」

「銀葉、そんな年増で老けた孫の嫁なんて嫌ですよ・・・

 それに僕らの勝手で相手を決めるなんて、あの子が可哀想でしょう」

「よしっ、貴様ら夫婦揃って表に出ぃ!!

 久しぶりに叩きのめしてやるわ!!」

「祭、もうぼけまで始まったの?

 私があなたに叩きのめされたことなんて、これまで一度もないじゃない」

「ぎ~ん~よ~う~!

 得物を持たずに錆びつかせたお主であっても、もう容赦はせんぞ!!」

 私達が割って入ることが許されない口喧嘩が勃発し、私はまた一つ大きな溜息を零した。

「祭、やりあうなら解体しなきゃいけない美羽の屋敷だった場所で暴れて頂戴ね・・・」

 それだけをしっかり伝え、私は多くの書簡と戦いを始めることとした。

 




次は白を進めて、その次に本編になるかと思います。


以降は、今回登場した二名と秋桜について説明を少し書きます。
詳細等が気になる方・希望者がいれば、キャラの設定がぼちぼち溜まってきているので、まとめるなどの作業をしたのちに番外の方にあげたいと思います。

韓当(カントウ)
孫堅四天王の一人であり、女性。
真名は「銀葉(ギンヨウ)」であり、由来はリューカデンドロンという花の和名である銀葉樹からきている。花言葉はいくつかあるが彼女の名に込められているのは『閉じた心を開いて』。


程普(テイフ)
孫堅四天王の一人であり、男性。
真名は「木春(モクシュン)」であり、由来はマーガレットの別名である木春菊からきている。花言葉は『真実の友情・愛の誠実』。


秋桜(シュウオウ)
孫堅四天王の一角であり、舞蓮の亡き夫。そして、雪蓮達の亡き父である。
彼の名前はこれまで明言してこなかったが、孫堅四天王の一角である祖茂(ソモ)
名前の由来は「桜」だが、「秋」の一字があるように彼は秋咲きの桜が名の由来である。


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80,正対

書けました。

今日・明日以降の感想は返信が遅れます。
また、作者は社会人になるので更新が不定期になります(現段階で、とりあえず来週の投稿は不可能)
生活が落ち着き、仕事に慣れたら、今後の更新などについて活動報告にてご報告したいと思っています。
今後とも、『魏国 再臨』をよろしくお願いします。


「ついにこの時が来た、か・・・」

 城壁の一番高いところに上って、遠目に見える劉備殿達の幕を見下ろしながら、想像よりもずっと穏やかに動く心臓の鼓動を聞いていた。

「なんだろうな、この気持ち」

 前の時、劉備殿がここを訪れたのはあまりにも突然で、後ろに見えてこそいないものの袁紹軍が迫ってきていた緊急事態。

 何も渡さず、仲間(関羽)を渡すことも拒み、失うことを嫌い、多くの民を引き連れながら向かう彼女達を華琳はどんな思いで見送ったのか。そんなことは警備隊の隊長だった俺にはわかるわけもなくて、ただ漠然と目の前に起こる事態に受け止めていた。

「でも、変わったよなぁ」

 ここを通るために劉備殿がこちらに渡してくるものの一覧を眺めながら、彼女達の進歩と俺が見落としていたことを成し遂げる北郷を驚きとともに称賛する。

「凄いよ、本当に」

 あの時の俺なんかよりもずっと・・・ そうずっと、『何か』になろうとしている北郷(白の遣い)は凄い。

「名士の信頼と日用品、それに玩具・・・ かぁ」

 それに加え、それらを作れる技師や商人達まで渡すことでこちらに利益をもたらすだけでなく、誠実な劉備殿の対応に民がどう思うかなんて考えるまでもない。

「あぁ、悔しいなぁ」

 今度は誰にも聞こえないように小さな声で言って、城壁に横になって空を仰いだ。

 俺は広く役に立つことや大掛かりなことばかりに目が行ってしまって、北郷が行ったことを見落としていた。

「探したわよ、冬雲」

 突然どこからか声が聞こえたので起き上がろうとすれば、声と同時に投げられたであろう書簡をぎりぎりのところで受け止める。

「危ないだろ、華琳・・・」

 俺が書簡を投げた本人に視線を向ければ、華琳は気にするどころか俺を見て笑っていた。

「一人の反省会は終わったかしら?」

「全部お見通しかよ・・・」

「いいえ?

 流琉の武器をそのまま小さくしたような『よーよー』という玩具を浮かばなかったあなたを呆れたり、石鹸や水の濾過を浮かびながら『洗濯板』のことを抜け落ちてたあなたを笑ったりなんてしてないわよ?」

 俺を弄って遊びながら、華琳は体を起こした俺の額に指をあてて、片目を閉じる。

「悪かったよ・・・」

「謝ることなんてないでしょう。

 あなたはあなたで多くのことを成し、私の欲する多くを守ろうとしてくれた。私はただ・・・」

 額に当てていた指で俺の顔をなぞるようにしながら、最終的に指は頬で止まって俺の皮膚を軽く引っ張っていく。少しも力は込められてないそれは痛くなくて、華琳が俺をからかってることがよくわかった。

「あなたがこうして悔しがる顔を見るのが久しぶりだから、嬉しかったのよ」

「俺、結構北郷には悔しいことばっかりだぞ?

 普段見せてないだけで、あいつは俺に出来ないことばっかりしてて・・・」

 俺はそこで言葉を区切り、頬を引っ張ったままの華琳の手を取って両手で包み込む。

「支えたい仲間や好きな人と同じ場所に立って、好きな人に好きって言えてる。

 そりゃまぁ、いろいろあいつはあいつで苦労は絶えないんだろうけど、羨ましいさ」

 北郷になりたいとは思わないし、俺が俺だから得た物は多く、ここまで来た道に忘れてはいけないことはあっても後悔はない。

 それでもやっぱり、自分に出来ない何かをできる人間を羨ましいと思うことをやめることはできなかった。

「手探りで道を探して、比較対象がいても潰れない。

 それが北郷の強さなのかもな」

 俺が俺で必死だったように、北郷もまた必死に自分の道を探していた。

 結果的に武功を挙げてしまった俺が有名になってしまったけれど、北郷にとって俺がどんな存在だったかなんて想像するぐらいしかできない。

 だが彼は潰れることなくここにたどり着き、成長の証にも等しい手土産を持って、俺が出来ていなかったことを突き付けてきた。

「凄いよ、あいつは」

「あまり言うとあなたの影が怒り出すわよ、冬雲」

 華琳の言葉に影へと意識を向ければ白陽と目が合い、作ったような笑顔を向けられる。やや気まずくなって視線をそらし、自分の隣をたたいて華琳に座るように促した。

「明日、あの子達はここを通っていくわ」

 華琳は俺の隣に座りつつ、視線は劉備殿達がいる陣にだけ向けていた。

「そうだな。

 けど、あの時とは違って、話し合う必要なんてないんじゃないか?」

 あの時とは違い、彼女達は渡すべき物を渡し、話し合いは既に終わっている。

 が、華琳は首を振って否定し、ついさっきまでの少女らしい笑みとは別の笑みを零していた。

「そうね、本来ならそうだわ。

 けれど劉備は、出発前に皆の前で私との対談を望んできたのよ」

「っ!」

 驚く俺とは違い、華琳は嬉しそうに、心底楽しそうに笑いながら、ギラギラとした目で一つの場所を見つめ続けている。

「ねぇ、冬雲。

 明日、あの子は私の前で何を言うのかしらね?」

 

 

 

 そして、ついにその日は訪れた。

 劉備殿についていくと決めた将兵が並び、劉備殿を中心にして北郷や孔明殿、関羽殿が俺達と向き合う。対する俺達もまた華琳を中心として武官・文官共に全ての将が並び立ち、彼女達と視線を交わす。

 俺達がここにいるのは見届けるためでしかなく、礼を尽くして行動する劉備殿へ礼を尽くすためである。

「曹操さん、お久しぶりです。

 それから平原の民を受け入れてくれたこと、こうしてあなたとの対談の場を用意してくださったことに感謝します。本当にありがとうございます」

 共に並んだ者達から一歩前に出た劉備殿は頭を下げ、華琳もまた彼女に応えるように声をあげる。

「いいえ、為政者が民を守ることは義務。感謝されるようなことではないわ。

 それにあなたもこちらが受け入れるだけの物を渡し、その対価を支払った。これは対等な取引の上で成り立っているものであり、一方がありがたく思うことは何もないでしょう」

 返答は実に華琳らしい簡潔な言葉で、劉備殿がわずかに苦笑するのが見えた。

 もっとも為政者が民の安否を案じて民の行き先を求めたり、為政者が声をかけたぐらいで土地を捨ててまでついてくることがおかしなことで、華琳の考えも、劉備殿の行動もこの大陸にとって正気を疑われるような行為である。

 だからこそ、向こう(天の国)で似たようなことをした劉備は美談として語られる一方で、策として民という壁を用意することで被害を及ばないようにしていたともとらえられている。

「劉備、単刀直入に言うわ。

 通り過ぎることなくこの地にとどまり、あなたも、あなたの将兵の全ても、私の物になりなさい」

『なっ?!』

 言葉を飾らず、直接要点を突き、一切の遠慮のない華琳の発言に劉備軍の多くは驚愕し、ある者は青ざめ、ある者は一瞬にして顔を紅潮させたりと忙しない。

 だが、慣れている俺達にとってはこれが普通の華琳であり、ここからが華琳だった。

「大陸をまとめあげ、乱世を治めることも、その未来(さき)を創っていくことにも、いくら人材があっても足りないわ。

 そして劉備、私はあなた達の才を高く買っているのよ」

 言葉一つ一つが急所を射抜く矢。

「あなたの人を惹きつける才、孔明の智、関羽の武、北郷の人を支える才。

 そのどれもがこの大陸に残すべき宝であり、揮ってこそ意味を成すものだわ」

 才を見る目は優しく厳しく、あるべき場所にあることを望む。

「あなたが民の笑顔を求め、多くの者との和睦を望むというのなら、私の元でその才の全てを揮いなさい」

 これこそが幾千幾万もの未来に名を残す英傑だと、その存在に呑まれそうになる。

「あなた達の名を千年、万年も未来(さき)へと、私の歩む覇道と共に刻みなさい」

 力ある言葉に魅入られた者は自分を必要としてくれる彼女に全てを捧げ、この力を使ってほしいと願う。

 だから俺達は華琳の歩む道のために力を尽くし、その背についていくことを選んだ。現に今、華琳の前に並ぶ者の多くは圧倒されたように動かず、後ろに並び聞き慣れている筈の俺達ですら心から沸き立つ華琳への思いが震えとなって表れていた。

 

 だが唯一人、彼女だけは呑まれることはなかった。

 

 華琳の言葉を真摯に受け止め、平然と向かい合い、華琳と静かに視線を交わしあう。

 視線のやり取りだけで何かを語り合っているのではないかと錯覚してしまうほどの時間が流れた後、劉備殿は口を開いた。

「それは、出来ません」

 毅然とした態度ではっきりと告げられたその答えに、俺の周囲の温度が上がったが君主同士の会話に将である俺達が割って入ることなど許されない。

 それがわかっているからこそ怒りに身を任せる者はいないが、華琳の言葉を無下に断った劉備殿のことをよく思うことは出来ないのは無理もないことだった。

「どうしてかしら?」

 そんな俺達を察してなのか、それとも劉備殿が断ることが想定内だったからか、どこか苦笑気味に華琳は問う。

「私達の目的が、漢王朝を再興させることだからです。

 私達は衰退した漢王朝を今一度盛り立て、そこから大陸を、この国を再建します」

 今度は、俺達が驚く番だった。

 予想外の劉備殿の発言に稟や桂花は真意を探るように目を細め、霞や千里殿は楽しそうに笑い、春蘭や季衣は首を傾げている。そして俺の口元は何故か・・・ 自然と弧を描いていた。

「何故かしら?

 既に衰退した漢王朝に拘る意味も、理由もないでしょう?」

「曹操さんはきっと新たな王朝を作って、その始祖となるつもりなんですよね?

 そうしてあなたを中心に新しい基準を用意して、この国を変えようとしてるんじゃないですか?」

 質問を質問で返しているが、華琳は気を悪くするどころか己の考えを言い当てた彼女に気を良くしていく。状況が状況でなければその喜びを顔で表すにとどまらず、小躍りでも始めてしまいそうだ。

「よくわかったわね。

 私が劉協様を保護していることは周知の事実なのだから、あの方を擁立するということも考えられるでしょう」

「そうした意見も確かにありました。だけど、もしそうするならば曹操さんはもっと上手な方法で漢を守っていたんじゃないかって思ったんです。

 個人である曹操さんは知りませんけど、私はこの立場から曹操さんをずっと見ていたつもりですから」

「えぇ、その通りだわ」

 華琳はそこで一度、劉備殿から視線を外し、集まった民と共に城壁の上にいる千重や天和達(張三姉妹)を確認してから劉備殿へと視線を戻した。

「始めは、臣として仕えることも考えていたわ。

 けれど、漢は腐りきっていた。

 腐りきった国に補強は不要。時間も、労力も無駄で、ただ人材を腐らせるだけ。

 そんな国は、一度作り直すべきだわ」

 華琳は無意識に左拳を握り、右手を劉備殿の方へ伸ばし、告げる。

「身分など関係なく、才ある者をあるべき場所へ。

 学びを求める者に学びを与え、技術を作り上げ、文化を守り、愛した者達と共に次代へ繋ぐ。

 そのために私は、この大陸に新しい国を築きましょう」

 もう二度と、黄巾の乱や反董卓連合の悲劇を起こさせないために。

 誰かのためではなく、そうしたいと望む自分自身のために。

「革命、ですね。

 とても・・・ ううん、とてもなんて言葉じゃ足りないほど優しさに溢れた変革」

 華琳の言葉を受け、それでも劉備殿は変わらない。それどころか否定することなく、肯定する。

「でも、多くの人は変革を望みません。

 穏やかに日々を過ごす人達にとって、曹操さんの行うことは『変えられる』という恐怖になる」

 それもまた事実だった。今もかつても急激な変化や考えに同意することが出来ない者は多く、華琳の存在は名士から疎まれた。

 長く華琳を知り、対話をして過ごした陳留や近郊の街だからこそ目に見える形での反発は起こっていないが、何も知らない者達にとって俺達の存在はただの脅威でしかない。

「その恐怖から、曹操さん自身を毒だと思ってしまう。

 曹操さんの考えの根底にある優しさに気づくことも、守ろうとしている将来もわからないまま、あなたを憎んじゃうんです!」

「それがどうかしたのかしら?

 他人に誤解される程度、私は気にも留めないわ」

 けれど、華琳はその言葉で迷うことはない。

 華琳は俺達を見せびらかすように腕を広げ、俺にはその様子がどこか得意げに見えた。

「私のために力を尽くす愛しき部下も、最愛の理解者もいる。

 それだけで十分ではなくて?」

 かつての華琳ならば、耐えきれなかったかもしれない。だけど、ここにはもう一人ぼっちの女の子も、孤独な覇王もいない。

 だが、それを見せつけられてなお、劉備殿は首を横に振った。

「優しさから生まれた行動が勘違いされたままなんて・・・ そんなの悲しすぎます!」

「劉備、あなたは何が言いたいのかしら? 私の行うことへの称賛? それとも否定?

 どちらでも構わないけれど、あなたが漢王朝を続けることでどんな意味があるというの?」

 劉備殿の優しさを知っても、向き合った相手の涙一つで何かを変えることはない。だが、それが非情を意味するというわけじゃないことを、俺達はよく知ってる。

 その事実を知っているのかいないのか、目にわずかにためた涙を拭って、彼女は再び口を開いた。

「時間が必要なんです。

 曹操さんの行動が、たくさんの人に優しさであることをわかってもらうだけの時間が」

 優しく、人に愛され、その優しさから民を守りたいと言っていた女の子が

「だから私は、漢王朝が必要だと思います。

 何もかも全てを突然変えるんじゃなくて、今のままゆっくりと人々が学ぶ時間に合わせて変わっていくために」

 華琳と並ぶ英傑になろうとする瞬間を、俺達は目撃している。

「私は待っていられないのよ。

 待っている間に再び腐りきった者達現れ、あの悲劇を繰り返す。私はそれを断じて許さない。

 繰り返すぐらいなら、(ふる)いにかけるわ。

 志と才ある者達を率いて、私は未来(さき)へと向かいましょう」

「それなら私は器になります。

 篩い落とされた人達を受け止める器に。

 たくさんの人と歩幅を合わせて、ゆっくりと歩いていきます」

 描く未来(さき)は同じでありながら、二人の英傑の進む道はどこまでも平行線で交わらず、譲ることはなかった。そして、譲れない信念があったからこそ二人の背には多くの者がついてきた。

 根底にある思いは似ているにも関わらず、対極の存在。

 それはもしかしたら、俺と北郷も同じなのかもしれない。

「私が篩い落とした者の全てが、善人というわけではないわよ。劉備」

「それでもついていけない人達、皆が悪人ってわけでもないですから。

 ただちょっとのんびり屋さんで、私みたいにとろいだけなんです」

 華琳の厳しい言葉に劉備殿は優しく微笑み、その笑顔によって劉備殿の周りにいた北郷達の表情が緩んでいく。

「才や志のある者を選び出すことよりも、ない者を導く方が難しいことをあなたはわかっているのかしら?」

「はい。つい最近まで、教えてもらう側にいたので痛いほどわかってます。

 でも、私の先生は確かに厳しくて、一切容赦のない怖い人でしたけど・・・ 不出来だからといって見捨てることをしなかったし、拙い意見に対して本気で向き合ってくれました。

 私は厳しく出来ないだろうけど、そうありたいんです」

 華琳の追撃のような言葉に劉備殿は胸を張り、隣に並んだ北郷と孔明殿の手を握って、華琳に見せつける。

 華琳もそんな劉備殿に満足したのか、肩を揺らして笑いだす。

「それがあなたの出した答えで、進むと決めた道なのね」

「はい。これが私達の道です」

 彼女は華琳の笑みに満面の笑みで答え、さらに言葉を続けた。

「小さな一歩から始まって、荒れた大地を抜けて、大切な仲間と姉妹が出来て、たくさんの英傑を見て、厳しい先生から学んで、優しさに溢れる覇王と向き合って決めた私達の道です」

 華琳とは違う一本の道(彼女の人生)

 一歩ずつ確実に歩んで、何もなかったからこそ得たり、学んだり、間違ってみたりした彼女の道。

 白い星と共に歩む英傑・劉玄徳の王道だった。

「そう。ならば、対立するしかないわね。

 変えたい私と共に歩くあなたは、そう遠くないうちに雌雄を決する時が訪れるでしょう」

 遠回しに覚悟を問えば、劉備殿は少しの間目を閉じ、結んだままの二人との手を強く握って応えた。

「覚悟の上です。

 私は曹操さんに勝って、私達と同じ歩幅で歩いてもらいます」

「なら私は、あなたに勝って大陸を変えるわ」

 挨拶でもするように軽く交し合いながら、その言葉はいずれ訪れる最後の戦に向けられた勝利宣言。

「行きなさい、劉玄徳。

 私はここで、あなたと再び(まみ)える日を待つとするわ」

 華琳の言葉が合図となって門が開き、俺達は劉備殿達に道を譲る。

 劉備殿が隣を通り過ぎようとした際、華琳は思い出したように劉備殿の肩をつかみ、立ち止まらせた。

「なんですか? 曹操さん」

「二つ、忘れ物をしているわよ」

 首を傾げる劉備殿に文官姿の黒陽と紅陽が立ち、あの日に預かっていた靖王伝家と白き衣が用意されていた。

「持っていきなさい。

 今のあなた達は『白き天の御使い』の名も、『皇帝の血縁』の名のどちらも相応しく、必要でしょう」

「曹操さん・・・!」

 華琳の行動に北郷が感動に打ち震え、劉備殿は感謝を口に仕掛けた北郷を手で制し、華琳に問うた。

「もう一つは何ですか? 曹操さん」

「・・・そう、それでいいのよ。

 それでこそ、私の真名を預けるに足る存在だわ」

 劉備殿の対応に笑みを零して、華琳は手を差し伸べた。

「私の真名は華琳。

 次に正対した時は、私のことをそう呼びなさい」

 次に二人が出会う時、それがどんな時かなどこの場にいる誰もが理解している。

 だが、華琳の目は本気で、間違えて呼んだ瞬間首が飛ぶような真名を使って悪い冗談を言うわけがなかった。

「私の真名は桃香です。

 また必ずお会いしましょう、華琳さん」

「えぇ、桃香。

 また会いましょう」

 しばし手を重ねあった後、二人は同時に前を向き、彼女は仲間達と共に歩みだした。

 俺達とは違う、彼女達の王道を。

 

 




【正対】
 真正面から相対すること。面と向かうこと。

投稿自体は前書き通りですが、次は白か、本編を予定しています。



今回の禁句ワード
『白き衣』=『学校の制服』
ルビに振らなかった理由:シリアスの崩壊を防ぐため


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81,森の中 眼鏡と女装と仮装 【詠視点】

久し振りの本編です。

官渡の戦い、下準備開始。


「狩り以外で山に入るなんて、随分久しぶりね・・・」

 涼州に居た頃は月と共に何度か行ったこともあったけれど、洛陽に行ってからはその回数もめっきり減ったし、月が徐晃になってからは『昔の勘を取り戻したいの』とか言って大きな獲物ばっかり狙ってたから必然的に『山に入る=狩り』になっていた。

「詠さん・・・ そのお気持ち、痛いほどわかります」

 僕のやや前を進む樹枝から同意され、そのげんなりとした姿を見て私達の後ろからよく通る笑い声が響く。

「はっはっは! 随分軍師らしからぬ殺伐とした生活を送っていたのだな、詠よ」

「まぁね・・・」

 軍師らしい精神がすり減るような殺伐さじゃなくて、血に塗れるような武官寄りの殺伐さなんて普通あり得ないものね・・・

「それにしても、どうしてこの人選なんでしょうね・・・」

 樹枝がわざとらしく後ろの星を見ながら言いだし、僕は思わず額に手を当ててしまった。

「き・・・」

「それはこちらの台詞だな、樹枝・・・ いいや、海和(ハイホー)ちゃん?」

 僕の注意の言葉が飛ぶ前に星が返してしまい、頭痛の次に溜息が零れて落ちていく。

「なんですか? 子ども達の娯楽(・・)として街を闊歩することを許された変態仮面さん」

「先日は初舞台おめでとう、海和ちゃん。

 貴公の働きにより兵の戦意は高揚し、民には良い息抜きになったに違いない。本当の性別を知っている私ですら可愛らしいと思わずにはいられない、実に見事な舞台だったぞ。しかし、踊りも歌も玄人である三人からも認められるとは・・・ 本当に本来の性別を皆に偽っていないのか? 海和・・・ おっと間違えた、樹枝ちゃん」

 行く前に決めた配置を乱していることを気にしてないんだか、気づいてないんだか知らないけど、二人は並列になって至近距離から睨み合う。

「あれはあくまで仕事で、僕はほとんど強制的に女装をさせられたんだと何度説明すればわかってもらえるんですかね? ほとんど戦果を挙げたこともなければ、そこらの賊を討伐したことでしか名を挙げたことのない常山の昇り龍さん」

「仕事仕事と言うが、随分女装経験が長いと筆頭軍師殿からは聞いているがな? 化粧に至っては人の手を借りず、自分で行えるほどとは・・・ 年頃の娘よりも慣れているのではないか?

 貴公が言う変態仮面とは仮面の下は眉目秀麗と噂され、悪をくじいて弱きを守るあの高名な華蝶仮面ことか? 確かに私は眉目秀麗であり、悪をくじいて弱きを守る強さと優しさを兼ね備えているがあの者の正体を誰も知らない。私はただの・・・ いいや、日輪の元に漂う雲海を泳ぐ趙子龍だ!」

 喧嘩をしてる二人を横目に見つつ、僕は地図を開き、道がずれていないことに確認する。

 今回、僕達三人が任された仕事は迫りくる袁紹軍の補給拠点となるかもしれない場所の調査。

 そのついでに途中まで行き先が同じだった張姉妹を送り届けることも仕事に含まれてたんだけど・・・ 何故か樹枝が『海和』という偽名(芸名)で舞台に立たされ、張姉妹が行っている戦意高揚や民の慰労に一役買うことになった。衣装や(のぼり)まで用意されてたってことは前々から計画してたんでしょうけど。

「あんな誰から見ても一目瞭然な姿を変装なんて口にする度胸には一目置きますが、緑陽にあんなものを見せた場合は鼻で笑われますね。というか、是非笑われてきてください。

 第一、役職すらまともに決まっておらず、立場的には牛金よりも下っ端のあなたが雲海を泳ぐなどと口にすること自体が烏滸がましいんですよ!」

「変装の玄人にしか見破れないほど素晴らしいということだな!」

「そうじゃねぇよ!」

 言葉を前向きにとって胸を張る星に樹枝は飽きることなく怒鳴り、口論は終わることなく続いていく。

「それにしても不思議よね・・・」

 僕から見ても樹枝は誰に対しても友好的で、稀にある失言を除けば話をしていて人を不快させることもない。それは私生活から見ても、仕事での上下関係がある場合でも変わる様子は見られなかった。現にあれほどの失言をして殴られているにもかかわらず、多くの者から嫌悪を抱かれていないのがいい証拠だろう。

 だからこそ、目の前で繰り広げられているこの舌戦は完全に想定外だった。いや、もしかしたら指示を出した華琳達ですら想定外だったかもしれない。

「はぁ・・・」

 本来ならこうした偵察任務は司馬姉妹に任されるんだけど、あまりにも多忙のため僕らに回ってきた。それを考えれば役職が明確に決まってない僕や星に任されたのは理解できるんだけど、本来なら武官も文官も務められる樹枝が任されるようなことじゃない。仲間になって日が浅い僕ら二人に対してのお目付け役を付けるのなら、それこそ警邏隊を務める三人の誰かでもよかった筈。

「お互い、何がそんなに気に入らないっていうのよ」

「「全部です()!!」」

 試しに聞いてみれば二人は同時に振り向いて叫び、すぐさま睨み合いに戻る。

「僕から言わせれば仮装癖も女装癖もどっちもどっちだし、この喧嘩を見てても似た者同士でしょうよ・・・」

 仕事となれば多少ふざける部分はあっても基本真面目に行えるし、文官も武官も兼任できるという部分も同じ。名家と傭兵にも似た環境からの名を上げた違いがあっても、どちらもそこそこ民に名が知れ渡ってるところも似てる。

「仕事で強制される僕と、趣味であんな姿を人前にさらすこんな変人と一緒にしないでください!

 大体、樟夏の婚約者となった公孫賛殿を保護するまでは良しとしますが、幽州で客将待遇の方々全員を受け入れること自体反対なんですよ!!」

 馬上で星のことを指さして怒鳴るけど、正直僕に言われても困るのよね。

 そういうことが決まったのは連合の折らしいし、僕と樹枝が事情を完全に熟知しているわけではない上に既に決まってたことだから口出ししようもなかった。

「兄上や華琳様の知り合いであった風さんや稟さんは仕方ないんでしょうけど、『常山の昇り龍』なんて名ばかりで実績皆無のこの方を引き入れて何になるんです?! 挙句華蝶仮面騒ぎで訪れて数日で警邏隊にお世話になってたじゃないですか!」

「星・・・」

 あんた、そんなことやってたの? と確認の視線を送れば、すぐさま視線が逸らして手近にあった葉をちぎって草笛を吹き始める。

 実績については・・・ 放浪してた傭兵みたいな武官に求めるのは酷じゃない?

「星、あんたの言い分も聞くから言いなさい」

 喧嘩の仲裁に入った以上はどっちの言い分も聞かないと不平等だし、中立以上のことをしちゃいけないのが難しい所なのよね。

「よくぞ聞いてくれた、詠よ。

 私とて樹枝が憎いわけでもなければ、嫌なわけではない。だが、数度会った時からこの調子では私も態度が悪くなるというものだろう」

「は?」

 言葉の真偽を確かめるべく樹枝に視線を戻せば、樹枝は何かをして誤魔化すこともなく見つめ返し、何か理由があると物語っていた。

「会って挨拶し、真名を交わした直後に他の方と混ざっていじってきた人間とどう仲良くしろと?」

 前言撤回。そんな必死な感じじゃなくて普通に怒ってるだけだわ、これ。

「なっ、その程度でか?!」

「その程度? その程度で空を飛んでたまりますか!

 大体華蝶仮面にしてもそうですよ、あなたは楽しんでやったつもりなんでしょうけど治安維持がしっかりなされているあの街であんな仮面女が出て来たら騒動になるに決まっているでしょう! あの時の凪さん達の顔をよく思い出して猛省してください!!」

「人が仲裁しようとしてんのに、勝手に喧嘩再開してんじゃないわよ!!」

 二人の間に馬を割り込ませ、物理的に距離を置くことに成功させたけど・・・ 視線のぶつかり合いが鬱陶しい時の対処法ってどうすれば・・・

『目潰しやな!』

『あたしら軍師が直接殴るのは距離を詰めすぎて危険だから砂とか葉っぱとか? あっ、重くないなら枝でもいいかも』

 すぐさま浮かんだ友人達が物騒なことを告げた上に、役に立たない件について。

「他の者が許されて、何故私が同じようにしてはいけない?!」

「入ってきたばかりで遠慮する様子もなく兄上に引っ付くわ、騒動は起こすわ、実績がない上に現段階ではほぼ無職の方にまで馬鹿にされる謂れはありません!」

 これって樹枝の言い分の方が正しい、わよね?

 僕ももし入ってきたばかりの樹枝がそんなことしたらきっと嫌いになってたでしょうし、良い印象を持つことは出来なかったと思う。けど、いつまでも喧嘩してたんじゃキリがないのよ。

「その星の仕事についてなんだけど、いくつか候補が上がってるわよ」

「えっ、そうなんですか?

 っていうか、むしろ何故詠さんがそんなこと知ってるんです?」

「だって僕、軍師だし。

 あと、あそこ軍師が多いから定期的に情報共有ってことで会議とは別に集まりやってんのよ」

 あぁ、やっぱり一般の文官扱いされてる樹枝は知らないのね。

 星が何かを期待するように目を輝かせてるけど、別に仕事なんだから嬉しいような配備なんてないと思うんだけど。

「軍師の集まりというのも興味深いが、私の配属はより気になるな。

 どんな素晴らしい所に私を配備させるつもりなんだ?」

「素晴らしいかどうかはわからないけど、あんたはなんだかんだ言いながら文官仕事も出来るから関の管理者とかにやらせてみようって案が出てるのよね」

「風か?! 風だな!! それとも稟か?!

 そんなに私を冬雲殿から遠ざけたいのか、あの二人は!」

 詳細を言わなくても誰が言い出したかを言い当てる辺り、よくわかってるわね。けど、一つ勘違いもしてる。

「確かにあの二人が言い出したし、嫉妬がまったくないなんてことはないんでしょうけど・・・」

「それしかないだろう!」

「ざまぁ、超ざまぁ」

「星は、黙って最後まで聞きなさい。

 樹枝は、人を指さして笑わない!」

 涙目になる星とそれを見て笑う樹枝の両方の頭を叩きつつ、一度咳払いしてから告げる。

「あんたの実力と今の戦力配分から言って、妥当な判断ではあるわよ。

 警邏隊が街を守ってるし、武将の数は揃ってるし、軍師の数も言うまでもない。補佐を付ける余裕もあるから、星だけじゃなくて赤根や霞・千里も候補者に挙がってるわ」

 警邏隊の基礎はほとんどの兵に叩き込まれてるから分隊を作って同じように広げていけば問題はないし、街づくりの基礎も完成しつつある。あと不足しているのは技術者の育成なんだけど、こればかりは時間が必要だし、ゆっくり解決していくしかない。資金や商人達からの支援の問題も先延ばしにされていたけど、それも劉備陣営がもたらした名士との繋がりで解決の糸口は得た。

「それならば、条件としては樹枝も同じだろう!

 大体、私に関の管理者など向いているわけが・・・」

「同じことを集まりの席で僕が言ったけど、樹枝より柔軟に中央の雑用仕事を行える人材がいないらしいわ」

「そんな理由なんですか?!

 言いそうな方が多すぎて、誰が言ったか想像つかないんですが!?」

「というか、私が管理者に向いてないことは否定しないのだな?!」

 この二人、本当は仲が良いんじゃない? それとも似てるからこその同族嫌悪なの?

「そのために補佐を付けるって言ってんでしょ」

 もしかしたら星は一人で関の管理かもしれないけど、それはあえて口にしない。

 見せる相手が一般兵しかいなくなったら、華蝶仮面もやらなくなるかもしれないという期待も込められてんのよね。

「っと、そろそろね」

「星さん」

「承知している」

 僕がそういったのを合図に樹枝が馬を降りて僕に手を伸ばし、星も馬から降りて得物を握って辺りの警戒を始める。

 仲は良くないけど、仕事に支障をきたさないのがせめてもの救いね。

「だが、ここまで地図通りだとかえって拍子抜けだな」

「地図になかった補給拠点はいくつかありましたし、文句を言ってる暇があったら周囲を警戒しててください。馬鹿蝶仮面さん」

「華蝶仮面の正体は不明だと言っているだろうが」

 声を抑えつつも口喧嘩をやめない二人に呆れた視線を向けつつ、この二人はこうでもしないと会話を成立させることが出来ないんじゃないかと思えてきた。

「建設途中である今こそ攻め時だと思うのだが、どうだろうか?」

「今回は場所の確認だけで十分よ。

 建設途中で燃やして新しい補給路を用意されても厄介だし、場所さえわかってればどうともできるもの」

 遊撃隊は別の重要な任務があるから離れられない可能性が高いけれど、霞の騎馬隊が大いに活躍してくれる。それに隊を動かさなくても星や秋蘭、英雄を動かして燃やすだけ燃やして来ればいい。

「手柄を焦ってるんですか? 星さん」

「否定はしないが、それとは別に奴らには幽州での借りがある。

 白蓮殿の判断が間違っていたとは思わないが・・・ 友の涙の分はしっかり取り立てなければな」

 声こそいつもと変わらないけど、星の顔から表情は消え、それが本気だということが十分伝わってきた。

「詠さんは何かあります?」

「・・・いいえ、特にはないわね。

 出入り口もわかったし、場所の特定も終わったんだから、さっさと帰って報告するわよ」

「そうですね。

 じゃぁ、戻るとしますか」

 僕達は早々に引き上げ、その場を後にした。

 

 




次は白ですかねー。

忙しい日々が続きますが、書き続けていきますよー。


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82,戦前 【稟視点】

お久しぶりです。投稿が半年近く出来ず、本当にお待たせしてしまいました。
また、待っていてくださった皆様、本当にありがとうございます。
リアルであったことをザックリ話すと
左の指一部壊死及び体中に蕁麻疹発生 → 退職 → 引っ越し → 求職活動 → 求職活動終了及び執筆再開(←今ココ)
というわけです。



 劉備・北郷一行を見送った私達は袁紹軍を迎え撃つための本格的な準備へと移り、真桜殿率いる冬桜隊が小型の投石機の大量生産を行い、春蘭殿を始めとした武将達は装備の点検やいつでも出陣できるように準備を整えていることでしょう。

「稟ちゃーん? 遅れてますよー?」

 後ろの城を振り返っていろいろと思いふけっていた私を風が呼び、声のする方向へと振り返るとそこには風を始め桂花殿、雛里殿、千里殿、我々の陣営の頭脳と言っていい面子が勢揃いしていました。

 付け足すならば、現在樹枝殿と星と共に補給経路の調査へと向かった詠殿を除いてですが。

「すみません」

 謝罪しながら馬を操り、風を含めた四名へと足並みを揃える。

 勿論、軍師である私達だけではなく周囲には警邏隊の精鋭数名が控えてくれています。

「しかし、改めて見てみると何にもないわよね」

 陳留からわずかに離れた場所、おそらくは袁紹軍との戦場となるだろう場所を見て桂花殿が眉間に皺を寄せて呟きました。

「大勢力に攻め込まれやすく、囲まれやすい地形です。

 でしゅが、だからこそどうとでもやりようがあります!」

「・・・・ぐー」

 拳を握って力強く雛里殿が言えば、風も何か・・・ いえ、寝てますね。馬上で寝るとは・・・ 弩を覚えたことも驚かされましたが、我が友ながら本当に器用ですね。

「って、寝てんじゃないわよ! 風!!」

 いつもなら私が叩きますが、今回はつっこみに手慣れている桂花殿がしてくださいました。

「稟、あんた今失礼なこと考えなかった?」

「いえいえ、滅相もありません。ツッコミ筆頭軍師の桂花殿」

「思ってたんじゃない!

 というか、今はっきり言ったわよね!?」

「違いますよ、稟ちゃん。

 ツッコミ筆頭軍師は樹枝ちゃんです」

「あぁ、そうでしたね」

 おもわず手を叩いて納得すると、桂花殿が人を殺せるような目で私を睨んできます。もっとも桂花殿の友人である者にとって、この程度の視線は慣れっこなのですが。

「ふわははははは、戦場の下見だっていうのに気が抜ける会話だよねー。

 まっ、ガッチガチに固まってたり、軽口も叩けない状況よりもずっといいんだろうけど」

「うふふふ~、風達にとって城の近辺は庭の延長ですからねぇ。

 さらにいうなら、実際に戦に出るのは演習などでもこの近辺を利用する部隊の人達ですしねぇ~」

 風の言う通り、この近辺を私達は知り尽くしている。わざわざこうして全員が出てきてまで下見が必要かといえば否だろう。久しぶりの私や風、まだこの辺りの地理には疎いだろう千里殿はともかく桂花殿と雛里殿には不要でしょう。

「それにさ、今回の戦いって正面から立ち向かってもこの陣営なら勝てんじゃない?」

『・・・・』

 霞殿と交流の深いと同時に一度敵として相対した千里殿の言葉に、私達は沈黙する。

「霞なんていうまでもないし、春蘭ちゃんも霞と互角にやりあっちゃってたもんね~。英雄である冬雲殿の全力は残念ながらまだ見てないけどかなり強いって呂布から聞いてるし、秋蘭ちゃんも強い。

 月の実力はー・・・ 軍としての戦い方じゃないけどかなり高いし、凪ちゃん達を始めとした部隊だって単純な戦闘力だけで『常山の昇り龍』なんて持て囃されてた星ちゃんを負かしてたじゃん」

つい最近行われたばかりの凪殿と星の模擬試合を思い出し、私は苦笑を浮かべるしか出来ません。

「なんですよね~。

 星ちゃんってばあの後すごく落ち込んで、慰めるのにずいぶん時間がかかったのですよ~」

 が、風は本人がいないのをいいことに満面の笑みを浮かべ、頭上の宝譿に至ってはその場で笑い転げていました。あなた達は本当に・・・

 とはいえ、星が凪殿に負けることは想定外でした。

 まさか凪殿の気術があそこまで昇華し、練り上げられているとは。司馬姉妹の影響なのか、それとも彼女自身の決意と鍛錬が実を結んだのでしょうか。

 真桜殿や沙和殿は単純な実力では星に劣っていましたが、彼女達の戦いに持ち込むことが出来れば勝敗は変化していたことでしょう。

「まっ、実際千里の言う通りよ。

 ウチの脳筋共(春蘭と霞)は前よりずっと強くなってるし、凪達だってそこらの武将にだって負けない実力を持ってるわ。それに兵の質だって他とは全然違うもの」

 桂花殿はありもしない胸を張って自慢げに言い、鼻を鳴らす。

「で、でも、打てる策はすべて打つべきでしゅ」

「わざわざあちらの戦い方にこちらが合わせる理由も、必要もありませんしね」

 実力として申し分ないのなら、こちらはより被害を減らすために策を練ればいい。

 多いのなら様々な方法を用いて減らせばいい、それでもなお多いのならこちらが倒せる数まで調整すればいい。

 補給経路を確保に留めているのも、相手を絶望に叩き込むことが今は出来ないからでしかない。それどころか今焼き払ってしまえば、あちらはすぐさま新しい補給経路を構築することでしょう。

「真桜殿の準備も万端ですし、騎馬隊は言うまでもありません。

 あとは実際に、かの軍が攻め込んでくるのを待つのみです」

 私達が華琳様に捧げるのは勝利のみ、それ以外はあり得ない。

「うっわー。稟さん、こっわ~・・・」

 私を恐れるように千里殿は自分の肩を抱きますが、私はそれに対して肩をすくめます。

「何をおっしゃるのやら。

 騎馬隊による軍の分割方法はあなたの案でしょう、千里殿」

 あの案によって工作部隊はもういくつか作る道具が増えましたが、その道具すらも彼女(千里殿)は自ら案を出し、職人達と意見を交し合っていました。

「ふわははは!

 投石器をより小型にして数を増やそうとしたり、場所の配置を考える稟さんほどは大したことしてないよ」

「ご謙遜を」

 互いに微笑み合いながらも、彼女の底の見えない実力に恐怖し、ここに居る他の三名とは別の意味で彼女とも良き友となれることを確信しました。

 

「うぅ、感動ですねぇ。

 あの稟ちゃんに風達以外のお友達ができるなんて・・・」

「まったくだぜ、風。

 友達どころか同僚すら近づきがてぇ雰囲気をもって、華琳嬢ちゃんしかまともに見てなかったあの稟嬢ちゃんが・・・ 立派になりやがって」

 

 ・・・人がまともに話しているにも関わらず、聞き捨てならない言葉が聞こえてくるのは何故でしょう?

「風? 宝譿?」

 にっこりと笑みを作りながら振り返っても二人は一切悪びれることなく、それどころか風に至っては穏やかに微笑んですらいました。本当に腹立たしい。

「いやいや、だってよ。

 桂花嬢ちゃんもそうだったが、稟嬢ちゃんはそれ以上に周りと関わってなかったじゃねーかよ。風と星嬢ちゃんとは長い付き合いだったからいろいろ言わなくてもわかってたけどよ、稟嬢ちゃんが自分から今みてーに人を認めて会話するなんて俺は初めて見るぜ?」

 否定はしませんが、余計なお世話です。

「風、本格的にこの人形を変えることを検討しませんか?」

「いやいや、今回ばかりは宝譿の方が正しいと思うのですよ。稟ちゃん」

 そう言いながら私から宝譿を守るようにその腕の中へと抱き込み、風は少し意地の悪い笑みを浮かべ、何故か千里殿を指さしました。

「何せ千里ちゃんは霞ちゃんの手綱を握っただけでなく、あの呂布と華雄の手綱も握り、月ちゃんと詠ちゃんのことにも気を配っていましたしねぇ。それに加え反董卓連合においての見事な采配。連合側に恐怖をもたらし、予想もしえなかった軍略。

 同じ軍師として見事、としか言いようがありませんでしたもんねー」

「え、えー・・・ 何、その高評価、あたし怖い」

「そんなことないです!

 千里ちゃんの策を、連合の誰にも読むなんて不可能でしゅた!!」

 当人は風の評価に対して引き気味ですが、会話に参加しない桂花殿は風の評価を否定することはなかった。

「稟ちゃんってば、陣で嫉妬してましたもんねー」

「風? あなたは一体何を言いたいのかしら?」

 額周辺が引き攣るのを感じ、私は風の頬を左右へ思い切り伸ばしていく。もちもちとした柔らかい触り心地の頬はよく伸び、このままどこまで伸びるか試してみることにしましょうか。

ひょ()ーするにれふ(です)ね、稟ひゃ(ちゃ)んは千里ひゃ(ちゃ)んをひっはひょひひゃら(知った時から)ひょっへも(とっても)ひひなって(気になって)はんれすよー(たんですよー)

 ひたひい(親しい)おひょもらち(お友達)になりたいと思うほろ(ほど)に」

「ふ・う?」

いひゃいれふよ(痛いですよ)、稟ひゃん」

 本当によく伸びる頬ですね、お餅の仲間ですかこれは。

「確かに私は彼女の実力を認めていますし、同僚としても、一軍師としても話し合いの場を持ちたいと思っているのは事実ですが、それらを『お友達』などという言葉にくくる必要はないでしょう!

いい加減にしないと私でも怒りますよ! 風!!」

「やですねぇ、稟ちゃん。

 もう怒ってるじゃないですかー」

 私から解放された風はやはり反省する気がまったく見えない満面の笑みであり、私は再び風の頬をつまんで伸ばし始めます。

「桂花さん、と、止めないと!」

「はぁ? 何を止めるっていうのよ、雛里。

 こんなの樹枝が牛金に追いかけられるぐらい日常的なことじゃない。むしろ今ちょっかいなんて出したら、弄る対象がこっちに代わるだけよ」

 周りが何か言っていますが、止める気がないということはなんとなく理解できました。今回の仕事は本当に再確認程度なのでやることはほとんど終わってますし、問題ありませんしね。

「大体、あなたと星はおふざけが過ぎるんです。

 先日の華蝶仮面騒動においてはあなたも参加者側に回っていましたし、もし真桜さんが機転を利かせて娯楽にしなければ騒動はより大きくなっていたことでしょう」

「うふふふ~、『友達になってください』って言葉が恥ずかしくて話題を逸らそうとするなんて~、稟ちゃんも必死ですね」

「まったくだな!

 ったく、稟嬢ちゃんは本当に照れ屋で恥ずかしがり屋だよな」

「まだ言いますか。

 揃いも揃って本当にいい度胸してますね」

 そうして私が頬をつまむことから、猫掴みへと変えようとすると

 

「ぷっ、あはははははは! ふわははははは!」

 

 千里殿の笑い声が響き渡り、馬から落ちそうになるほど悶え、そこにいる全員が目を丸くして彼女へと視線を集中させました。

「戦場の下見に来てるのに、ホント・・・ 緊張感も欠片もないんだね」

「他から見てれば、あんたと霞もおんなじようなもんよ」

「かな?

 あぁ見えてるんなら、嬉しいなぁ」

 何か憑き物が落ちたようにすっきりした顔で告げる千里殿は、馬を駆って私の横に並ぶ。

「ねぇ、稟さん。

 今回の戦が余裕であるにもかかわらず、華琳様はあちらの情報を集めることを一切怠ってない。ううん、それどころか一度落とされた幽州の情報収集も怠ってないことについてどう考える?」

 彼女の意図をなんとなく理解し、私もまた彼女と同じように笑みを返す。

「素直に受け取るのならば袁紹軍の把握と義妹となった白蓮殿の心配をなくすため、というのが妥当でしょう。

 ですが先ほど話したようにこちらの軍師・武将・兵ともに数以外で劣る点はなく、この戦は負けることなどありえません」

「だよね。

 なら、華琳様は何かを探ってる・・・ ううん、探るなんて曖昧なものじゃない。誰かを狙ってる」

「それでいて容易に暗殺ではなく、公の場で確実に自ら命を絶つことを望んでおられる」

 誰かまではわからずとも、華琳様は誰かを殺したがっている。いいえ、仮に殺意でなくとも、華琳様が誰かに狙いを定めているのは確実でしょう。

 が、会議での隊の配置に偏りは見られず、名指しで誰かを抹殺しろという指示も出ていない。これによりまず相手は武将でないことがわかり、前線に出ない可能性が高いため身分が低い者でもない。

「ふわはは、公の場で殺して意味がある人なんて限られてくるけど、どれだろうね?」

 そして千里殿とおっしゃる通り、公の場で殺して意味がある存在とは限られてくる。

「ふふ、やはりあなたは素晴らしい」

 桂花殿とも風とも違う、私と同じ戦場で戦う軍師。

 偽りなき称賛を贈れば、千里殿は頬を赤らめ、私へと手を伸ばしてきました。

「稟さん、私と友達になろう。

 同僚も、同朋も、軍師仲間も悪くないけど、仕事以外のことでも稟さんをたくさん知ってみたいな」

 言葉を飾らず、人好きのする笑顔。私の友人達(風と星)はそれぞれ独特な距離感を保っていることが多いので、それは本当に眩しいものでした。

「私でよければ喜んで」

 

「うっうっ、感動ですねぇ。

 あの稟ちゃんに普通のお友達が・・・」

「そうね、あの稟が仕事以外で誰かと話す姿なんて本当に珍しいわよね」

「あわわ、言いたい放題です・・・」

「そんだけ稟嬢ちゃんが盲目的で、事務的だったつうことだけどな」

 

「み・な・さ・ん?」

 今日は口が滑る方が異様に多いようですし、この戦が終わったらじっくりお話が必要ですね。

「こうやって・・・ 志を共にして対等に軽口叩き合える仲を、世間じゃ友達っていうんだけどね」

 千里殿が小声で何か言った気がしますが、私には小さすぎて聞こえませんでした。もし聞こえていたとしても、そんなこと今更口にするのなんて恥ずかしくて出来ませんよ。

「お楽しみのところ、失礼します」

「黒陽殿、あなたもですか・・・」

 隠密でありながら感情を隠すことなく現れた黒陽殿に対し、大袈裟に嘆くように額に手を当てる。いえ、この方もどちらかといえば風に近しい性格の方だとわかっていましたけども。

「華琳様から招集がかかりました。

 そろそろお客様がお見えになるそうなので、出迎えの準備を最終段階へと移すそうです」

「だそうですよ、筆頭軍師(桂花)殿」

 この中で最も高い地位にある桂花殿に声をかければ、彼女らしい不機嫌そうな顔で言い放つ。

「あの脳筋(春蘭)じゃないんだから、私に掛け声なんて求めんじゃないわよ!

 とっとと戻って、華琳様に私達の全てを捧げるわよ!!」

「ふふふ~、桂花ちゃんは戦前に何をする気ですかね~」

「そういう意味じゃないわよ!!」

 気合を入れようと大声を出す桂花殿に風のからかいが相槌を打ち、再び笑いが溢れた。

 




さて、次は袁紹軍戦。このまま進めていきたいと思います。


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83,官渡の戦い 開始

久し振りの週一達成。
来週も出来るとは限りませんが、この調子を維持していきたいです。


 普段見慣れた景色、城壁の外に広がる開いた草原が今、一面金色の袁旗で埋め尽くされようとしている。

「しかし、これは・・・ 壮観だなぁ」

 攻め入られている側として正しい表現とは言えないだろうが、真っ直ぐとこちらに向かってくる大軍は恐ろしくも美しかった。

「美しいのは当然よ、冬雲」

 俺の背後からいつもの鎧と絶を持った華琳が現れ、隣へと並び立つ。

「あの子が総大将だもの」

「・・・また、それかよ」

 袁紹軍がこちらへと攻め込んでくることが確定した時からずっと、華琳はこの調子で袁紹殿を持ち上げる。

「なぁ、華琳。

 そろそろ袁紹殿について、教えてくれてもいいんじゃないか?」

「嫉妬かしら?」

「それもあるけど、そうじゃなくてさ。

 前の時もそうだったけど、華琳は袁紹殿と向き合ってる時は俺達に見せる顔でも王としての顔でもなかったから、ずっと気になってたんだよ」

 それは袁紹殿を王として見ていなかったからとも、どこか見下していたからとも、幼馴染に対する顔だともとれる。けど、その三つのいずれかだとしたら・・・

「あら? 私が麗羽を小馬鹿にして、同じ目線になっていただけかもしれないわよ?」

「だったら、あんな楽しそうな表情しないだろ?

 それに功績としても袁家を打ち取ったことを明確にするのなら『生死不明』なんて曖昧にせず、確実に首を取るように指示する筈だ」

 あの時の華琳は、あまりにも(曹操)ではなく少女(華琳)でありすぎた。

 臣下には絶対見せない対等で年相応で、遠慮のいらない言葉。それは袁紹殿にだけ許された特権だと気づかされた。

「大体、知らないで呼ぼうとしただけで殺されるかもしれない真名を今も呼び合ってるのがいい証拠だろ。

 それに華琳がただの幼馴染に真名を教えるとは思えないしな」

 向かい合った相手にも、相応しいと思った相手にも、大事な部下にも真名を預ける華琳であっても、ただの愚か者にまで真名を預けることはない。ましてや、大事な弟である樟夏まで関わってくる可能性があるなら尚更だ。

「あらあら、本当に察しがよくなったわね」

 だが、前と違うのは宣戦布告として軍の前に立って華琳と言葉を交わしたのが袁紹殿ではなく、あの許攸という軍師だったこと。華琳は言葉を交わしてはいるがかつてのように楽しそうな表情はなく、むしろ嫌悪を露わにしていた。

「けれど、その通りだわ。

 私は幼馴染だからと言って軽々しく真名を許したりはしない」

 察しの良くなった俺を誉めるように笑みを零して、華琳は変わらず袁紹軍を見つめていた。否、その視線はきっと陣の最奥にいるだろう袁紹殿を見ているのだろう。

「それはそうと・・・ 始まるわよ」

 使者だった許攸殿が戻ったことであちらの進軍が始まり、華琳が右手を挙げて合図する。

「さぁ! 麗羽!!

 派手に出迎えてあげるわよ!」

 許攸殿などいなかったように彼女へと向ける言葉、それは彼への最大の侮辱であり、相手にする気もないという宣言。

 宣言と同時に量産を重視したために小型になった投石器が姿を現し、冬桜隊の指示の元でいくつもの巨石が空を舞う。それにより袁紹軍の歩みは遅くなり、最前線に並んだ将兵たちの数を減らしていく。

「あの大きさでも十分仕事はこなしているわね」

 投石器の出来を満足げに頷く華琳に俺も頷き、以前のように大型のもの一機よりも効率はあがっている。

 大型は飛距離が伸びるが、運搬や組み立てに難がある。今回使用した小型は飛距離こそ劣るが運搬等に利があり、大軍の歩みを止めることと前線を一時的に崩すことを目的としていた。

「冬雲、あなたは袁紹軍の戦術は単純すぎると言ったわね」

「あぁ、言ったな」

 皆が兵の準備や地形の下調べを行っている間、俺と華琳は経理や在庫などの書簡と向き合っていた。その間、あちらの戦術の予測や白蓮殿達の戦いの参加の有無などこまごまとしたことも決めていたのだが、その中の論議に上がったひとつだった。

「自軍の数に物を言わせて攻め込み、補給経路を確保して長期戦の準備も万端。

 言葉にすれば確かに単純だけど、これは正しい戦術だわ」

「あぁ」

 現に袁紹軍はこのやり方で幽州を始めとした多くの諸侯を降し、兵や資金源を増やして進軍を続けてきた。単純にして確実な戦術であり、これを崩すのはけして容易ではない。

「というのは建前で、麗羽には・・・ 袁家にはその戦い方しか許されないのよ」

「許されない? それってどういう・・・ あっ」

 問いかけて気づき、俺は口元に手を当てる。

「そうよ、名家という重圧が奇策を許さない。

 兵の数と、たとえ無能な諸侯であっても多数の将を抱えている以上は全軍突撃しか選択肢が用意されていないのよ」

 それは俺が前線を許されないのと同じ、名の重みだった。

「奇策を練るのは弱者の権利。強者が奇策なんて用意していたら、世間ではいい笑いもの。

 誰が進言しても臆病風に吹かれたと笑い、他の策を許しはしない」

 前線の状況を見つめ続けながらも、俺達の会話は終わらない。

 巨石の雨はやむことはなく、止める時を見定めるように待ち続ける。

「そして麗羽は袁家という名に縛られ、道化となることを選んだわ。

 いいえ、ならざる得なかったと言った方がより正確ね」

 友を想う言葉は湿り気を帯び、絶を握る手に力が入る音が聞こえる。

「黒陽、投石器をやめ、騎馬隊へ指示!

 次の段階へ移るわよ!」

「はっ!」

 黒陽が駆けていくのを確認しながら、各所に散った桂花や風の指示によって投石器が止められていく。

 そして、投石器の後方に控えていた二つの騎馬隊が姿を現し、一方の最先端は見慣れない漆黒の鎧を纏った者。もう一方には兎の面を被り、白銀の鎧姿の月殿が並ぶ。

「あの黒い鎧兵は?」

「連合後に士官してきた張郃(チョウコウ)よ。

 他の部隊に入れるよりも結成されたばかりの騎馬隊に配属させていたのだけど、彼自身も馬上での戦いに工夫を凝らして大きな槍を真桜に頼んでいたわね」

 連合後、あちこち飛び回ってばかりだったので一般兵達と顔を合わせるのは非番の日などに限られてしまっていた。それが他の部隊となると尚更で、俺の知らないうちに優秀な人材が増えていたらしい。

「馬上槍か・・・ 珍しいな」

 突くことに特化し、それ故に刃がついていない武器であり、馬に乗った状態ですれ違った相手を突き刺すという使い方をする。馬の力と槍の重さで相手を圧倒し、鎧ごと貫くというのが利点だが、その重さ故に扱いにくい得物でもある。

「さぁ、この大軍を切り分けましょう」

 料理でもするように華琳が呟けば、二つの騎馬隊が大軍の中を突っ切っていく。月殿の鉈が、張郃殿の槍が次々と道を切り開き、その後ろの者達が油を吸わせた縄を戦場へと敷き、さらに続く騎馬兵達が可燃物を落としていく。そして、最後尾の一方には霞と千里殿、もう一方には赤根殿と稟がつき、縄が終わるのを調整して、秋蘭に煙玉をさらに改良した簡易狼煙を打ち上げて合図を送る。寸分の狂いもなく火矢が縄へと的中し、縄が炎の線となって大軍を分けていく。

「まぁ、切り分けるというより、目印だけどな」

「あちらを少しでも混乱させることが出来たのなら、重畳よ。

 あとはあの子達がやってくれるでしょう」

 縄に火がついたことによって大きく三つに分かれた大軍へと春蘭を中心とした部隊が中央へとぶつかり、他二つを凪と沙和率いる遊撃隊が突っ込んでいく。縄を引いていた少数の騎馬隊も素早く反転し、まだ出撃せずに残っていた騎馬隊達も突撃していく。

 袁紹軍はもはや大混乱、統率のとれた進軍は跡形もない。

「これで終わるか?」

 あとは機を見計らって補給経路を確保していた樹枝達へと合図を送り、補給拠点へと火をかけるだけだ。

 だが、華琳はそれでも戦場から目を逸らそうとはしなかった。

「いいえ、まだよ」

 その表情は油断が出来ないというよりも、何かを期待しているようだった。

「・・・華琳、洛陽の方はあのまま放っておいていいのか?」

 連合後、袁家が主導で行われた洛陽復興。主導といっても袁家が行ったのは上層部を整えるのみで、現状亡くなったとされている劉弁(八重)様とほぼ隠居扱いされている劉協(千重)様の代わりとして、劉家の末端とされた者が擁立された。もっとも、それも袁術殿が玉璽を持っていたせいでひと悶着あったらしいのだが、わざわざ黒陽達に頼んでまで知りたいとは思わなかった。

「一度崩壊した都と皇帝の座に意味はないわ。

 全知全能たる皇帝が病に伏し、争いに呑まれ行方知れずとなってしまった今、皇帝もただの人だということを民も気づいたでしょう」

「手を出さなくてもまた壊れる、か?」

「えぇ。

 それに・・・ あの方がこの機を逃すとは思えないもの」

 あの方が誰を示すかはわからなかったが、遠からず自壊することが見えているものを壊す者がいても誰も困らない。月殿や詠殿が気にかけているのも崩壊した上層部よりも民の暮らしの方だし、そちらは俺達や劉備殿達の働きによって改善しつつある。

「なぁ、華琳。

 まだ最初の質問に答えてもらってないんだけど、言いにくいことなのか?」

 華琳は戦術的なことと袁紹殿が素の自分を隠していることは答えてくれたが、それは袁紹殿と華琳の関係に対する答えではなかった。

「言いにくいことではないわ。

 けれど、誰にでも知られたいことでもないのは事実ね」

 まぁ、自分の子どもの頃のことなんてそういうものだろう。自分だけのことなら良い部分を語ることもできるが、友人と共に行動したのなら大なり小なり失敗や後悔も出てくるもんだし。

「私と樟夏は麗羽と幼馴染だったのは、あなたも知っているでしょう?

 同じ場で学び、成長し、研鑽し合い、それは春蘭達や斗詩達が加わろうと変わらず、両親達もそんな私達を温かく見守ってくださっていたわ」

 そう言いながらも華琳は俺に過去を語り始め、戦場を見つめているにもかかわらずどこか遠くを見ていた。

 語る声にも、視線にも、俺から見える横顔にすらうっすら懐古と悲しみ、罪悪感が混ざっているように感じられた。

「いろいろあったわ。

 樟夏の諦観もその頃に出来てしまったし、私が女性を好きになったのもある意味袁家が発端だもの」

「は? 袁家が発端って、まさか袁紹殿が初恋の相手なんて言わないよな?」

「惜しいわね。

 私の初恋はあの子の母、綾羽(リョウハ)様よ」

 恥じることもなくあっさりと答える華琳に、驚きと呆れと同時なぜか不思議と納得してしまった。

 だけどこれだけは声には出さないが言わせてほしい。

 初恋が親友の母親って、お前はどこの小学生男子だ!

「私と麗羽の髪型は綾羽様を真似したものよ。

 あの方は髪の先の方だけを緩く巻いていただけだったけれど、それは美しかったわ」

 嬉しそうに笑みながらも、言葉の端々はそれらが過去であることを示していた。

「私達と同じ金の髪はやわらかで、上等な翡翠のような深い緑の瞳に見つめられると・・・ 緊張と喜びと興奮でどうにかなりそうなだった・・・」

「うん、三つ目がいろいろとおかしいかな」

 華琳らしいと言えばらしいけど、親友の母親に抱く気持ちじゃない。

「初めて出会った時から不思議と目を奪われて、麗羽を質問攻めにしたり、両親に話をせがんだりしたものよ。

 そうして情報を集め、交流を深めていったのちに私は生まれて初めて愛の告白をしたわ」

 女好きじゃない華琳を知らないし、男好きなってほしかったわけじゃないけど、やっぱりこういう話ってなんか反応しづらいなー。戦場且つ少し前に真面目な話をしていたこともあって、尚更そう思うのかもしれないが。

「・・・で、結果は?」

 正直あまり知りたくないが、話が進まずにこれ以上初恋の相手への賛美が続くよりはマシだろ。

「振られたわ。

 想いは届かなかったけれど、あの方と私はその際にある約束を交わし、報酬の前払いとして頬に口づけを一つ賜ったの」

 あっさりと告げながらも華琳は口づけされたであろう頬に触れて恍惚とした表情となり、俺とも春蘭達に向けるものともまた違った恋する乙女の顔だった。

「でも、亡くなられたんだよな」

「えぇ、私達が私塾を卒業して少し経ってから夫婦そろって急死されたわ」

 俺に視線を流し、その目は言外に『不自然でしょう?』と語る。

「私達が綾羽様の葬儀に参列しに行った時に、もう麗羽はあぁなっていてその傍に我が物顔をしたあの男が立っていたら・・・ 子どもであっても、何が起こったのかは想像ぐらいはできたわ」

 喜びが怒りへ、恍惚が憎悪に変わっていく様は幼き日に華琳が味わった想いそのものなのだろう。

「冬雲、あなたとの記憶を思い出す前から私は大陸を変えるつもりだった。

 祖父や父からの期待でも、自らの才能を活かすためでもなく、私が大陸を変えたいと願ったのはあの方の死がきっかけ」

 『身分の貴賤を問わず、才ある者をあるべき場所へ』、これこそが今もかつても変わらない華琳の指針。

 その指針は親友の変貌と初恋の人の喪失から生まれたものだったのか。

「その方とどんな約束をしたんだ?」

「麗羽に関わることばかりだったわ、それ以上はまだ秘密よ」

 そして残されたのは初恋の人と交わした約束、か。

「そっか・・・」

 袁紹殿の関わる約束であり、なおかつ今まさに彼女と向かい合って矛を交えているということは今回の戦いには戦をする以外にも約束を守るか・果たすかのどちらかも含まれているのかもしれない。

「もっとも関係する麗羽本人は私達の約束なんて知らないでしょうし、あの子にとっては大きなお世話なのかもしれないけれどね」

 口にする華琳はどこか苦笑気味だが、それでも行動を変えるつもりがないことは俺にもわかった。

「もし世が乱れなければ、たとえ根が腐っていても漢が続いていたら、あの方がもっと愚かで袁家の意に沿う人間であったなら、あの子の夢は叶っていたのかもしれないわ」

 袁家の意に沿うということが何を意味するか、袁紹殿が描いていただろうものがどんな夢なのか、華琳は語らない。いや、仮に問うても答えてはくれないだろう。

「けれど今、世は乱れ、漢は崩壊し、あの方は袁家が皇帝へとなり替わることをよしとはしなかった。

 全てが動き出してしまった以上、あの子の夢は袁家であるからこそ許されず、叶わない。

 私もあなたが偽りのままであることを望まず、あの方を殺した男が生きていることを許さず、この大陸を変えると決めた」

 過去を思い返しながらも華琳は秋蘭へ合図を送り、鏑矢が放たれる。そして、鏑矢を受けた冬桜隊が再び簡易狼煙が打ち上げる。

「だから麗羽、私はあなたの宿敵()として全てを打ち砕き、大陸を変えるための足掛かりにしてあげる」

 補給も潰し、戦はこれで終わるだろう。

 そう思った瞬間、城壁の下から金属か何かで門を叩く音が聞こえた。

「!?」

「来たわね」

 驚く俺をよそに華琳は想定していたように、そこに立つ三人の強者に笑みを向けた。

 

 

「華琳さん!

 あなたがあまりにも小さくて見えないものだから、わざわざこちらからあなたが見えるところまで出向いて差し上げましたわ!! 感謝なさい!」

「嬢や、言葉はもっともじゃがこの状況はちと辛い。

 猪々子がばてる前に用件を口にせぃ」

「じっちゃん! わかってんなら、もうちっとあたいを助けてくれよ!?」

 

 

「あの混戦を抜けて、ここに来るなんて・・・」

「あなたの無駄に大きな身長と胸の脂肪はここからでもよく見えるけれど、なんだかとても動きにくそうね。麗羽。

 ここまで来るのは大変だったでしょう、少しはその無駄な脂肪を減らす手伝いは出来たかしら?」

 俺にかまわず華琳は袁紹殿へ言い返しているがかつてのような楽しそうな笑みはなく、状況的には当然だが袁紹殿もまた普段の余裕は見られない。

「なんてことありませんわ!

 なぜなら私は! 袁本初(・・・)なのですから!!」

 自分の名を声高に叫ぶ彼女に対し、華琳は苛立ちを隠すことなく舌打ちをし、絶を彼女へと向ける。

「それで麗羽(・・)は、こんなところまで一体何しに来たのかしら?

 まさか私の顔を一目に見たかったわけではないでしょう?」

 今度は袁紹殿が苦々しげな顔をし、彼女もまた腰に差していた豪華な剣を華琳へと向けた。

「華琳さん!

 あなたに一騎打ちを申し込みますわ!!」

 

 




次は彼女の視点。
再臨オリジナル展開の彼女をお楽しみください。
張郃についても次の話で説明出来たらいいなと思っているので、聞かれてもお答えできませんのであしからず。


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 官渡の戦い 開始 【麗羽視点】

私信になりますが、ハッピーバースデー。
そして皆様、ハッピーバレンタイン。


『麗羽』

 優しいお母様の声が聞こえて、目を開く。

 するとそこには満面の笑みのお母様がいて、嬉しくて涙が零れそうだった。

『今日は涙なんて似合わないぞ、麗羽。

 なぜなら今日、お前は大陸で一番幸せになるのだから』

 お母様の隣に並んだお父様の言った言葉の意味がなんとなくわかって、同時にこれが幻なんだと気づかされる。

『麗羽』

 呼ばれる声に左を向けば、華琳さんが素直じゃない笑顔で(わたくし)を見ていて、なんだかそんな笑顔がとても懐かしく感じた。

『麗羽様』

 今度は二人分の声が聞こえて後ろを振り向くと、斗詩さんと猪々子さんが居てくれる。

 そう、いつも居てくれた。

 お爺様とも、お母様とも、華琳さん達とも違う同い年の彼女達が傍に居てくれると不思議と安心することが出来た。

『嬢や』

 少し離れた場所からお爺様の声が聞こえて、声だけでどんな顔で私を呼んだのかがわかる。

『坊が待っておるぞ』

 お爺様がそう呼ぶ人を、私はこの大陸で一人しか知らない。

 お爺様の言葉にお母様や華琳さんまで道を開け、私を扉の先に促す。

 それだけでこれが何の日なのか、どんな日なのかが理解する。

 私も胸の高鳴りを感じながら扉を開くと、そこにいたのは彼。

 私へと幼いあの日に何度か向けてくれた笑みを、いいえ・・・ それ以上に特別なものを私に向けてくれる。

『麗羽』

 この想いを表すのに、最愛なんて言葉じゃ足りない。最高なんて言葉はもう陳腐に聞こえてくる。

「樟夏さん・・・」

 どれだけの言葉を向けても、振り向いてくれなかった ―――― 彼にとって私の言葉は世辞だと思われて

 どれだけ見ていても、その視線を気づいてもらえなかった ―――― 彼にとっての私は、華琳さんと競い合う者であって自分(あなた)と並ぶ者じゃなくて

 そうしていくうちに、あなたへの行動は想いとは逆にこじれていった ―――― それでも根底にある想いは何も変わらず、真っ直ぐすぎて

『麗羽・・・ 綺麗です、とっても』

 だから、私が彼から苦手意識を持たれていることは知っていて、自業自得でもあった。

 多くの方が身分と華琳さん目的で近づいて彼を傷つけ、彼の才の真価を理解せずに貶め、彼自身が己を守るために何かを諦めても。そして、私自身が彼を諦めさせてしまった一因だと知っていても・・・ それでもずっと、ずっと好きだった。

 初めての恋で、愛を捧げたいと思った相手で、愛してほしいと願った方。それが彼だった。

「樟夏さん、私はずっと・・・ ずっとあなたのことをお慕いしていました」

 何を失っても、何が変わっても、大陸がどうなろうと。

「私を今日、大陸一の幸せ者にしてください」

 この夢の中でだけは、幸せでいたかった。

 

 

 いつに戻れば、この夢は叶ったのだろう?

 

 袁家と曹家、家としても、立場としても相応しい婚姻。

 それはけして私の夢想ではなく、将来的にはそうなるだろうと思われていた決め事のようなことだった。

 ならばいつ、約束された未来は変わってしまったのだろう?

 

 どうしたら、美羽さんをうまく守ることが出来たのだろう?

 袁家から遠ざけるのではなく、あの子を庇護する道を選んだら、美羽さんは死なずに済んだのだろうか。

 

 何故、彼はずっと傍にいた私ではなく白蓮さんを選んだのだろう。

 

 どうしたら私は、樟夏さんの隣にいることが出来たのだろう。

 

 どうしたら私は・・・ (わたし)は・・・・!

 

 

 

「・・・い羽様ー? 寝てんすかー?

 起きてくださいよー」

 初めは遠くに聞こえた声が、意識がはっきりしていくにつれて何なのかがわかっていき、私は目の前に来ていた猪々子さんの顔を遠ざける。

「起きていましたわ。

 この私が戦場で居眠りなんてこと、あるわけないでしょう」

 本当はしていたけれど、これが袁紹としての私。私が被り続けると決めた、袁紹の仮面。

「麗羽様、ここんとこ寝れてないみたいですもんねー。

 まっ、あのいけすかない許攸がいない間ぐらい平気っしょ」

「ですから、私は寝てなど・・・」

「でも、よかったんっすか? あの野郎に宣戦布告なんて任せちゃって。

 曹操様、今頃すっげー怒ってそうですけど」

 私の言葉を全く聞かずに話し続ける猪々子さんには呆れますが、まともに相手をしていたらこちらが疲れてしまいます。

 ―――― そうです、これが彼女なりの気遣いなんてわからなくていいのです。私は袁本初なのですから。

「気にすることありませんわ、華琳さんの相手なんて許攸さんに任せてしまえばいいんです」

 私が何を言ったところで許攸(あれ)が聞くわけもありませんし、諸侯への指示すらも私は承諾した覚えが一切ありません。もっとも許攸(あれ)にとって私は都合がよく、扱いやすい人形でしょうから当たり前といえば当たり前なんでしょうけど。

「袁紹軍の頭脳である彼が向き合うのなら、何の支障もないでしょう」

 それに華琳さんがあれを相手にするとも思えません。

 華琳さんは価値も才もない者には見向きもせず、真名どころか名前すら呼ぶことを拒み、虫けらに向ける視線の方がまだ温かく感じるような目で許攸(あれ)を見る。

「麗羽様がそういうならいーっすけどね。

 どうせあたしもじっちゃんも、当たり前だけど麗羽様も前線に出しちゃ貰えねーし」

 どこまでも明るい口調のまま、猪々子さんは頭に手を当てて戦場の方へ視線を向ける。許攸が華琳さんと何かを言い合い背中を向け、戦いは今まさに始まろうとしていた。

 数ではこちらが有利。けれど、華琳さん相手に数だけ勝っても意味はない。

「本来なら私自ら軍を率いて堂々と進軍したかったところですが、仕方なく許攸さんに譲ってあげましたの」

 お飾りとして、総大将としてそれぐらいしなければ他に示しがつかない。たとえ私が反対していても、私達にはこの策(全軍突撃)しか許されない以上はそれが私に果たせる唯一の責務だと思っていた。

 けれど、それすら不要だというのなら、私は私で袁本初が果たすべき責務を見定め、その時を待つのみ。

「それで猪々子さん、お爺様はどちらへ?」

「じっちゃんなら『言うだけ無駄じゃろうが、奴のところに行ってくる』っつって許攸とこに行きましたー」

 それでも宣戦布告に許攸が行ったところを見るに、言葉の通り無駄に終わったのでしょう。

「無駄じゃったがのぅ」

「じっちゃん、お疲れ様でーす」

「だから言ったでしょう、許攸さんに任せておけばいいと」

 どうせ何を言っても彼は勝手に動く。袁紹軍(この軍)は自分の物だと言わんばかりに勝手に振る舞い、もぬけの殻となった幽州も荒らした。

残された家財に手を出し、何もない家を燃やし、丁寧に管理されていた城にすら火をかけた。

 私はそんなこと、したくなかった。

 

『お隣さんだな、袁紹殿。

 これも何かの縁だし、私のことは真名で呼んでもらえないか?』

 

 思い出すのは人懐っこい笑顔で、袁紹を装っていた私に手を伸ばしてくれた友人と呼んでいいか迷った方。

 そして、樟夏さん(私の想い人)と婚約した方。

「っ・・・」

 私が彼女を追いやった。私が彼女から幽州を奪った。

私が望もうが望むまいがそれは事実で、何を言い繕っても許されない。

 ―――― いいえ、本当は望んでいたのかもしれない。本当は彼女を憎んでいたのかもしれない。彼から求められて(求婚されて)必要とされた(傍に居られる)彼女が羨ましくて、妬ましくて・・・ それなのに・・・!

 

『麗羽』

 

 どうして、あなたはいつもそんな顔を(袁紹)に向けたのですか?

 こんな、こんな(袁紹)に・・・

「嬢? 頭でも痛いのか?」

「何でも、ありませんわ」

 お爺様の声に私は、そんなことを考えてる暇ではないと掻き消す。

 もうすでに動き出した華琳さんの軍を興味なさげに見つつ、華琳さんらしい策だと称賛と呆れの混じった溜息が零れた。

 小型の投石器によって前線はあっけなく崩され、崩されたところに軍を三つに分けんと突き進む少数の騎馬隊がいともたやすく道を切り開き、二つの道を貫通させる。そして、その後ろには何の仕掛けがあったのか炎の線が伸び、間髪入れずに待機していただろう他部隊が突撃してくる。

「あっけないのぅ・・・」

「じっちゃん。

 それ、あたいらが言っていい言葉じゃねーから」

 溜息を零して戦場を見るお爺様に猪々子さんが呆れるなどという珍しい光景を見守り、私も言葉にせずに静かに戦場を見続ける。

 将兵の質はあちらが圧倒的に上であることなど、連合の場でわかっていた。にもかかわらず、許攸のみならず降した諸侯もが数で華琳さんに勝てるなどと思いあがった。本当に救いようがない。

「『多勢に無勢』という言葉が非常に馬鹿らしくなってくるのぅ」

「それはそうですわ、お爺様」

 お爺様の溜息に対して私はさして意識せず、言葉が出ていた。

「その言葉は兵の質などは一言も述べず、ただ馬鹿馬鹿しいほどに『数で優れれば勝てる』と言っているのですから」

 そう、今の私達のように。

「麗羽様、それもこっちが言っていい言葉じゃねーっすよ」

 お爺様の時とは違って笑いだす猪々子さんは放っておき、私は傍に置いていた家宝の刀へと視線を移しました。

 刀などとは言っていますが両刃であり、妙に飾りが多く、飾るための宝剣だと言われた方が納得してしまうような見た目。

 付けられた名と体はあっておらず、名から飾りつけられた体はその在り方(用途)を迷わせる。私にそっくりで、だからこそ相応しい得物。

「あら? ここで高みの見物をしている私達だからこそ許される発言でしょう。

 それに私達の軍師ですもの、これすら計算づくではなくて?」

「そりゃないっしょ」

「ないのぅ」

 わかっていても私は袁紹であることを辞められず、刀も刀であることを辞められない。誰かが『剣だ』と言っても、そんな言葉はより大きな力が否定する。

 そして、私もお前()も抗う力などなく、受け入れることしか出来なかった。

 なら最後まで、そう在ろう。

 私は袁本初として、お前は袁家の宝刀として、大陸という舞台の上で舞い踊り、名家という檻の中で囀ろう。

「嬢や、どうす・・・」

 お爺様が問いかける前に私は立ち上がり、宝刀を手に取る。

 堂々と胸を張って、馬鹿らしいほど真っ直ぐに、城壁の上にいるだろう華琳さんを見て高らかに笑う。

「あらあら、華琳さんたらあんなところで胸を張っているけれど、小さすぎてよく見えませんわね。

 お爺様、猪々子さん、そうは思いませんこと?」

 どこにいるかわかっている時点で私には彼女がよく見えていて、彼女がどこまでもあれを相手せず、私が来るのを待っていることを知っている。

 変わった私に何も言わずに、けれど変わらず宿敵()と呼ぶ情の深い方。

 ずっと並んで学び競い合い、時に些細なことで本気になって喧嘩した友であり、想い人の姉。

「んじゃ、どうします?

 ここで指さして笑うっつうのも手ですけど」

「猪々子。

 お主、なかなか怖いもの知らずじゃな」

「いやー、曹操様はおっかないけど、実行すんのはあたいじゃないし」

 笑いながらも二人は反対せず、言葉遊びを始める二人に私も気にすることはない。

「あら、猪々子さん。何を恐れるというのです?

 あなたはこのわ・た・く・しの将であり、この軍一の力の持ち主ですわ。

 怖いというのなら、せいぜい私の傍を離れずその背中にくっついてきなさいな」

 こんな形でしかもう、彼女に感謝を告げられないけれど。

「お爺様もですわ、四英雄たるお爺様が何を恐れるというのです?

 先の連合でも呂布と対峙し退けたその武勇、衰えたなどとは言わせませんわ」

 素直な言葉など取り上げられ、上に立った物言いが私の全てだけれど。

「さて、そんなことよりも今はこちらの話ですわ

 ここで高みの見物をするのは総大将の特権ではありますが、やはりそれだけでは総大将の名が廃るというものでしょう?」

 これも私だと胸を張ることが出来ず、認めているわけではないけれど。

「それに華琳さんも先ほどからこちらを見ているところ見るにどうやら私をご指名のようですし、たまには私から足を運んであげてもいいでしょう。

 あの小さな体と小さな声では、ここまでよく聞こえませんもの」

 総大将として、袁本初として敵総大将たる曹操に向き合うことは許される。

「いいじゃろう。

 して、策は?」

「策? そんなものは私達に不要でしょう」

 そうして私は混戦と化した戦場の先にいる彼女へと、宝刀を向けた。

「正々堂々、雄々しく華麗に一点突破ですわ」

 




剣の定義は諸刃(両刃)であること。
刀は小烏丸などのある例外を除いて基本片刃である。

ちなみに麗羽の武器名は原作のままです(が、どこからどう見ても刀には見えない)
話的にはこの後も彼女視点でもう一話書きつつ、どっかの間話を突っ込む予定です。

そして、感想返信遅れます。
用事であるのでパソ開けなさそうなので、ご理解ください。

・・・休みが欲しい。一日書き続けられるような、そんな休み。


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84,一騎打ち 【麗羽視点】

お久しぶりですm(__)m
いろいろあってまた書けていませんでしたが、ようやく書けたので投稿します。
待っていてくださった皆さん、本当にありがとうございますm(__)m


「あなたの無駄に大きな身長と胸の脂肪はここからでもよく見えるけれど、なんだかとても動きにくそうね。麗羽。

 ここまで来るのは大変だったでしょう、少しはその無駄な脂肪を減らす手伝いは出来たかしら?」

 混戦と化した戦場を抜けた先で、華琳さんは戦場に不似合いな笑顔を私に向ける。

「なんてことありませんわ!

 なぜなら私は! 袁本初なのですから!!」

 けれど私は、彼女の言葉に込められた意味とは違う名を口にしていた。

「それで麗羽は、こんなところまで一体何しに来たのかしら?

 まさか私の顔を一目に見たかったわけではないでしょう?」

 ここからでもはっきりとわかる彼女の苛立ちの混じった舌打ち、それでもなお私を麗羽と呼ぶことをやめない華琳さんに今度は私が苛立つ番だった。

 いつもそうだった。似ているようで似てなくて、近しい筈なのにどこかが決定的に違う。

 意見の方向は同じだというのに互いの視点がどこかずれていて、どんな些細なことでも対立してしまう。

 けれど今、私はこのおかしな因縁に感謝していますの。華琳さん。

 同じ視点、同じ場所、同じだけの力をもって向かってきて、軽口すら叩き合えた。そんなあなただから私は・・・

「華琳さん!

 あなたに一騎打ちを申し込みますわ!!」

 いつだって対等に、遠慮も容赦もなく全てをぶつけられる。

 

この一騎打ちの申し出は、華琳さんに一切の利益をもたらさない。

――― 彼女はきっと気づいている、私が軍を動かせていないことに。

 

もし私が死んだ(負けた)としても、この戦況に一切の変動などもたらさない。

 ――― 戦況は既にこちら(袁紹軍)が不利、勝敗など決しているも同然。

 

それでも(麗羽)は、彼女がこの申し出を断らないということを知っている。

 ――― 彼女を彼女たらんとする多くのものが、断るなどという選択を捨てさせる。

 

 私はそんな彼女に付け込み、何の意味もなさない行動をとっている。

 けれど、もしこの茶番に意味を持たせるとするのなら・・・

「いいわ。

 その申し出、この曹孟徳が受けましょう!」

 これは軍を背負う総大将としての(袁本初)が、私のために行う一騎打ち。

 

 

 

 華琳さんの計らいにより、一騎打ちの場はすぐに整えられていく。

 まず一切の邪魔が入らないように華琳さんの親衛隊が私達を囲い、その外側にはお爺様と猪々子さん達が夏候惇さんや顔良(斗詩)さんと戦うことで他諸侯の邪魔はもとより華琳さんの軍からも邪魔が入らないようにされた。

「念入りですわね。

 これではまるで、あなたの陣営も信用してないように映りますわよ?」

「あら、当然でしょう?

 ここに居るのは誰よりも守るべき存在()と、最も倒すべき存在(あなた)だもの。直属の部下である将はともかく、短時間で兵の全てに話がいきわたるなんて思っていないわ」

 準備が終わるのを待つわずかな間、友とも、敵とも言い表すことがおかしな関係にもかかわらず、不思議なことに私達のやり取りは前とあまり変わらなかった。

「それにそれはあなたにこそ言えるのではなくて?

 あれだけの軍勢を引き連れていながら、たった二人の供をつれてこんなところに突っ込んでくるなんて・・・ 他の大多数を信用していないと言っているようなものでしょう」

 皮肉気な言葉を口にしている筈なのに、華琳さんの目に嘲りも憐みも見られない。

 本当に、あなたはどこまで知っているんでしょうね。

「そう・・・」

 そうかもしれませんわねと続きかけた私に、華琳さんが投げつけてきた布によってふさがれる。

「一騎打ちの前に敗北宣言なんて、興ざめだと思わない?」

「っ! 敗北宣言なんてしませんわよ!!

 華琳さんこそ、私に負けて半べそかく準備はよろしくて?」

「あなたこそ、私に負けた時の言い訳はしっかり考えておくといいわ。

 一騎打ちの最中に考える余裕なんてあげないわよ?」

「その小さな体で何ができるか、見物ですわね」

「無駄に左右に揺れる重石が一騎打ちでどれだけ邪魔になるか、実際に体験するといいわ」

 互いの顔を至近距離まで寄せ合って口喧嘩をする私達。

 幼い頃と変わらない、いつもあった風景の一つ。

 が、そんな私達に聞こえたのはあの頃のような慌てふためく声でも、仲裁に入る彼の困り果てたような声でもなく、注意を促すような咳払いだった。

「華琳、袁紹殿。場は整え終わったのでこちらへ」

 英雄さんに促されながら、私は彼がいないことを確認する。

「それで? 一騎打ちの立会人はあなたがしてくださるのかしら? 英雄さん」

「えぇ、僭越ながら務めさせていただきます」

 私と華琳さんの間に立ち、本来なら彼も華琳さんを止める立場にもかかわらずこの一騎打ちを止めることはない。止めないのが信頼なのか、理解なのか、それとも諦めなのか・・・ いいえ、あるいは私が想像することしか出来ない特別な関係を持つ男女の絆なのかはわかりません。けれど少々

「羨ましいですわね・・・」

「何かおっしゃいましたか?」

「いいえ。

 華琳さんに恋い焦がれる殿方が珍しいので、少々観察していただけですわ」

 私がそう口にしても英雄さんは気を悪くする様子はなく、むしろ私を穏やかに見つめ返してきました。

「            」

「なんですの?」

 近くにいるにも関わらず聞き取ることの出来なかった言葉を問い返せば、彼はゆっくりと首を振ってから私へと頭を下げる。

「これは失礼を。

 ですが、俺も・・・ いえ、私も主であり、愛しい華琳が向かい合うあなたを見ていました」

 敵である私に何の臆面もなく、立場もかまわず想い人に愛を告げ、言葉を偽ろうとも飾ろうともしない。いつもなら聞き流すか、どうでもいいと小馬鹿に出来る筈なのに、今日は何故か苛立ちを覚えてしまう。

「あなた、気障ですわね」

「お気に召しませんか?」

 こちらのことをどう思っているかつかめない言葉は、かつて洛陽にいた者達よりも厄介だと本能が告げる。

「それ以上、近寄らないでくださいな」

 劣等感とは無縁そうな彼の口から出る美辞麗句が癇に障って距離を取っても、その顔に不快感が現れることはなかった。

「心配しなくても曹仁に手出しはさせないわ。

 あなたも聞いていた通り、真名にも誓わせたもの」

 華琳さんの言葉に肩をすくめて返せば、華琳さんは笑って『素直じゃないわね』と告げるだけだった。

 軽く周囲を見渡せば既に猪々子さんと顔良(斗詩)さんの戦いも、お爺様と夏候惇さん達の戦いも始まっており、激しい気迫と言葉の数々がこちらまで聞こえてくる。

 だが、すぐに意識を目の前に立つ華琳さんへと集中させる。

 これから行う一騎打ちに他を気にする余裕など持ってはいけない。

 その一瞬が命取りになり、それは華琳さん(親友)に対する最大の侮辱となる。

「あぁ、いいわね。

 あなたのその顔を見るのは、本当に久しぶりだわ」

 これから始まるのは殺し合いだというのに華琳さんは相変わらず華琳さんのままで、彼女と同じように笑っている自分にもちゃんと気づいていた。

「さぁ、始めましょう。麗羽」

「えぇ、華琳さん」

 ほぼ無意識に彼女の名を呼んでしまい、そんな些細なことすら嬉しそうに笑う親友へと私は刀を抜き放つ。

「始めましょう?」

 

 

 華琳さんは愛鎌・絶を構えて私を迎え撃ち、私は彼女へと距離を詰めて斜め下から刀を振りぬく。当然、こんな見え透いた一撃は当たるはずもなく、振りぬいて空間の出来た私の腹部目掛けて彼女の絶が迫る。

 けれど、振りぬいた時点でこうなることがわからないわけがなかった。

 刀を両手で握って迫っていた絶を迎え撃ち、わずかな火花が生まれたのを皮切りに数度の打ち合いが続く。

「麗羽、相変わらずあなたは素晴らしいわ」

 刃同士が弾き合い、ぶつかり合い、幾度も互いの肌や鎧を削りあう一騎打ちの最中だというのに、華琳さんは嬉しそうに私の真名を呼ぶ。

「あら、余裕ですわね。華琳さん・・・ いいえ、曹孟徳さん?」

 私達はもう戻れない。

 私が死んでも戦は終わらず、袁紹軍の全てが死に絶えるまで終わらない。

 華琳さんが死んだら戦は終わり、彼女の軍は散り散りになる。

 どちらかが生きて、どちらかが死ぬ。それが総大将同士の一騎打ちの必定。

「えぇ、随分前から余裕のないあなたよりもずっとあるわ、ね!」

 柄の部分を槍のように使って腹を打ち据え、私はおもわず距離を取ってしまい、すぐさま振り下ろされた絶を間一髪で受け止める。

「ねぇ、麗羽。

 あなたが今、誰に何を隠す必要があるというの?」

「私は隠してなど・・・!」

「隠しているし、諦めているわよ。

 袁本初に拘って、あなたがあなたであることをやめた日からずっと」

 目を見開いて見えるのは目の前にいる華琳さんだけで、その眼に同情や憐みの類は見えない。

「あなたがかつて欲したものは、そんな有様のままで手に入れることが出来るものだったのかしら?」

「っ! 私に! この袁本初に手に入らないものなんてありませんわ!!

 宝石も、人も、権力すらも。そして大陸も、全部私の手中に納まるでしょう!」

 彼女を遠ざけるように力ずくで絶を打ち返しても、華琳さんはすぐさま距離を詰め、刃のない部分で私を打ち据えては刃同士の応酬が繰り返される。

「いいえ、あなたが欲しているものはかつてと何も変わらない。

 そしてあなたは、それがもう二度と手に入らないと諦めているだけよ」

 見透かすような眼差しがむけられ、私は首を振る。

「いいえ! そんなものはありませんわ!! 私は・・・!」

「あなたが向き合うことを避けるというのなら、私が教えてあげるわ。

 あなたが欲したのは・・・」

「お黙りなさい!!」

 挑発だとわかっている筈なのに、心が乱れる。

 何よりもそれを、彼女が口にすることが許せなかった。

「あなたに・・・ 何がわかるというんですの?!」

 欲したものの全てを手に入れ、己を肯定し守護する者が並び立ち、一切の迷いをかなぐり捨てて自らの道を突き進む。

 私とは違う、私にはなり得なかったその姿は、どれだけ願っても私には出来ないことだった。

「あなたは全てがあった!

 けれど私にはもう・・・ もう何も残っていませんわ!!」

 両親が死に、異母妹が死に、友と呼んでくれた人を追いやり、親友と殺し合っている。

 忠を捧げてくれた臣を半ば追い出すように親友の元へやり、その友たるもう一人の忠臣を命も情も捨てざる得ない状況に置いた。

 長く家に仕え、私にとって祖父のような存在に苦労ばかり背負わせ、多くのことを押し付けた。

 袁家という名についてきた兵を、守るべきだった民を使い潰し、多くの無法者へと変えて野へと解き放った。

「あなたに何も残っていない? おかしなことを言うのね、麗羽」

 私の言葉に華琳さんは笑い、鋭く睨み付ければ彼女は片方の手を放して自分を指さす。

「残っているわよ、ここに」

「何が・・・!」

 その隙を私は逃さず刀を上から下へと振り下ろせば、彼女の特徴である髪の一房が落ちていく。

「あなたの親友は、今も変わらずここに居るわ」

 髪を切られたというのに華琳さんは変わらず、言葉を続ける。

「ねぇ、麗羽。

 私があなたを、袁家から解放してあげる」

 言葉の意味が理解できなかった。

「そんなこと、出来るわけがありませんわ!」

 苦し紛れに刀を振り下ろすと同時に言葉を吐き出しても、華琳さんは軽く受け止めてしまう。

「あらあら、麗羽ったら。諦め癖がついてしまったんじゃない?

 誰かが諦めて出来ないなどと大声で宣ってもどうだっていい、そうでしょう?」

 子どもの頃と変わらない何かしでかす時の笑顔で華琳さんは一歩踏み込み、私の刀ごと絶を上へと振りぬく。

 その力に抗うことが出来ず刀は宙を舞い、私はその場にへたり込んでしまった。そして華琳さんは流れるような動作で、私の首元へと絶を添える。

「麗羽、私はこの大陸を変えるわ。

 古臭く汚れきった伝統を壊し、全ての前例を塗り替える」

 私は華琳さんの言葉を聞きながら、目を閉じる。

 これで私は、ようやく解放される。死ぬことが出来る。

「けれどその前に、私からあの方とあなたを奪った奴を片づけましょうか」

「え・・・?」

 再び華琳さんの言葉の意味がわからず、私は思わず目を開く。

 華琳さんは既に私の首元から絶を離し、突然現れた二つの影を待ち望んでいたように絶を構えなおしていた。

「華琳さん、あなた・・・ 何を・・・?」

 私の問いかけには応えず、隠密の装束を纏い仮面をかぶった二つの存在が大きな袋を一つ抱えて現れた。

「華琳様、お待たせしました」

「えぇ、ずっとこの日を待っていたわ」

 その言葉が合図として隠密は袋を取り払い、袋の中に入っていたものが姿を現す。

「ねぇ、許攸」

「やっと解放する気になったか、司馬家の忌み子どもが!」

 『忌み子』の言葉が放たれた瞬間、これまで感じたこともない殺気が周囲を包み、誰かがこちらへと歩み寄る音が聞こえる。

「冬雲、手を出したらあなたであっても許さないわよ」

「あぁ久しいな、英雄殿。かつてあった時は言えなかったが女に囲まれ良い思いをし、これまで一体何人抱いた? 一体どんな方法を使ってこの悪夢のような女達を従えてきた? ぜひともご教授いただきたいものだな」

 縛り上げられ、その足から血を流す許攸は多弁で、黙ろうとはしない。そして彼の視線は私で止まり、一瞬驚きはしたものの愉快そうに笑った。

「あぁ、居たのですか。袁紹様。

 あなたもついにご両親の元へ逝くことが出来るのですね。この許攸、心よりお祝い申し上げます」

 もはや取り繕うこともせず、彼は私の不幸を嬉しそうに笑んでいた。

「いいえ、残念ながら麗羽は死なないわ。

 死ぬのはあなた一人よ、許攸」

 華琳さんも顔には笑顔こそ作ってはいるものの怒りと殺意を隠すつもりはなく、絶を持つ右手は早くその首を刈り取りたいと言わんばかりに地面を叩き続けている。

「はっ、そんなこと許されるはずがないだろう。

 敵軍の総大将が死なずに生かされる? ありえない」

「誰の許しもいらない、必要なのは私自身の決断だけよ」

 今のところ華琳さんがこれからとる行動が許攸を殺すことしかわからず、私を置いてきぼりにして物事が進んでいく。

「この戦いで袁家は信頼や財、兵の多くを失い、もはや家を保つことすら難しいほどに弱まる。そして、袁家が犯してきた罪は白日の下に晒され、本来であれば現当主である袁本初の命を持って償う・・・ それがあなたの言い分でしょう、許攸」

 華琳が謳いあげるように言いきれば許攸は満足げに頷き、『さぁ殺せ』と言わんばかりに私を顎で示す。

 しかし、華琳さんはこれまでで一番眩しい作り笑顔を許攸に向けて、言い放つ。

「けれど、私にそんなこと関係ないわ」

「なっ!?」

「私はこの大陸に新しい国を創る者であり、今の全てを変えることを望む覇王・曹操。

 そんな私が、どうしてこれまでの慣習や伝統に従ってあげなきゃいけないのかしら?」

 驚愕の色に染まる許攸の顔を愉快そうに見つめ、華琳さんは上機嫌なまま言葉を続けていく。

「私が知る袁本初は負けず嫌いで、私に負けず劣らず女好きで努力家。とても情に厚いのに素直になり切れないお馬鹿な子。

 それなのに異性相手となると夢見がちで、言葉足らずなのに気持ちが先走る。しかも私の弟相手に初恋をこじらせて、ちょっと距離を置いた間に友人が婚約者になっていた哀れな女よ」

「華琳さん!?」

 言いたい放題な華琳さんの言葉に私が悲鳴のような声を出すと、華琳さんはやはり笑ったまま言葉を続ける。

「そんなお馬鹿で哀れな、けれど一途に不器用な子で私の親友でもある麗羽を、どうしてあなたに言われるがまま殺してあげなくちゃいけないのかしら?」

 華琳さんの我儘かつ独善的な発言に周囲が静まり返るが、その沈黙を破ったのはなんと許攸だった。

「ぷっ、ぶあはははははっ!」

 さっきまでの嫌味を含んだ笑みではなく、まるで子どものような笑み。

 私がこれまで見てきたどんな彼よりも自然な表情に驚愕が隠せず、彼は縛られた体で笑い転げていた。

「いったいどんな大義名分を語って俺を殺すのかと思ったら、なんて馬鹿馬鹿しくも単純明快な答えだよ。

 本当に・・・ くくっ。あぁそうだ、俺もそうだった。俺がこんなことを始めたのもそんな馬鹿馬鹿しい思いからだった。

 どこにいても俺達男を高みから見下ろす女共ばかりが溢れ、そんな糞女共を騙して利用して追い落として殺すことに何の躊躇いもなかった!」

 言葉づかいも表情も、もはや彼が軍師・許攸だった時の面影などない。

「誰に命令されたわけでもなければ、金が欲しいなんて理由は後付けで、この大陸がどうなろうと知っちゃこっちゃない。終わるなら終わればいいのさ、こんな国なんざな!」

 まるで憑き物が落ちたようにすっきりとした顔で、自分の首に絶を添えた華琳さんを挑発するように笑った。

「私はあなたが憎いから殺すし、あなたがしてきた多くのことが許せないから殺すわ」

「あぁ、死んでやるよ。

 女が創る国なんざ興味もない」

 許攸の命が消えるのはほんの一瞬の出来事で、華琳さんは意外なことに彼に一切の苦しみを負わせることなく首を落とした。

「けれど私は、あなたのような存在がいたことを忘れないわ」

 華琳さんの言葉は今なお混戦が続く戦場に吸い込まれ、私の隣に英雄さんが立った。

「行ってあげなさいな、英雄さん」

「えぇ、勿論。

 ですがその前に、少しだけお節介をしようと思いまして」

「英雄さん?」

 私がその言葉に顔をあげると彼は私の後ろを指さし、優しく微笑んだ。

「あなたは自分に『何も残っていない』と言ったし、華琳は『親友である自分が残っている』と言った。

 けど、そのどちらも間違っていたようですよ?」

「何を馬鹿なことを・・・」

 英雄さんの言葉を否定し、鼻で笑おうとしたその瞬間

 

「「麗羽!!」」

「麗羽様!」

「おーい、斗詩ぃ! 待てって!!」

 

 四つの大声に私の言葉は掻き消され、背後から与えられたいくつかの衝撃に元々膝をついていた私はそのまま顔面から地面に激突する。

「麗羽、あなたには聞きたいことがたくさんあります! 大体あなたは昔から・・・」

「麗羽! 何でもっと早く相談してくれなかったんだよ!! そりゃぁ私は力にならないかもしれないけど相談ぐらいは・・・」

「麗羽様、 麗羽様ぁ」

「あーぁー、麗羽様が斗詩泣かせたー」

 いくつかの言葉がもみくちゃになって何も聞き取れず、体の動きすらまともに取れない。困った状況でしかない筈なのに涙が出そうで、喉から漏れそうになった嗚咽を無理やり言葉に変える。

「あぁもう! やかましいですわ!!

 話すなら一人ずつ、私の上から退いてから言いなさいな!!」

 

 




冬雲の台詞が一か所空欄ですがわざとです。脱字ではないです。

次はこの戦いを終わらせなければ・・・ いや、他視点書きたい気持ちもあるし、他の部分も進めたいんですけどね・・・


許攸については今後これ以上深く書かないでしょうが、女尊男卑の恋姫世界において彼のような存在はいても何ら不思議ではないと思ったのです(彼の想いを深く書きたい気持ちはあるけど完全に蛇足だし、番外にしか置けない)


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85,官渡の戦い 終了

約四カ月の本編投稿となります。本当に長らくお待たせしました。
待っていてくださった方々、ありがとうございますm(__)m
いろいろあってまた忙しくなっていましたが、執筆に時間を当てられるぐらいの余裕は出来ました。

これから徐々に執筆のペースを戻したいと思っていますが、何があるかはわからないので・・・ まぁ、書ける時に書いていこうと思います。


樟夏や白蓮殿、斗詩にもみくちゃにされる袁紹殿を背に、華琳は首をなくした許攸の死体の前で立ち尽くしていた。

「華琳」

 俺の呼びかけに対して華琳は応えず、絶の血を払って肩にかける。

「復讐を誓ったあの日は、この日が来たらもっと気が晴れるものだと思っていたわ」

 それはきっと、誰かに聞かれることを望む独り言。

 返答など望んでいないのに誰かには聞いていてほしいと望む、矛盾めいた言い回しだった。

「殺したことを間違っているなんて思ってないし、後悔もしていないわ。

 私は許せなかったから殺したし、覇道に邪魔だったから殺した。野放しにすることも、手の内で生かすことも出来ないから排除したの」

 私情と利害、それぞれを織り交ぜながら華琳の独白は続く。

「私から初恋の人を奪って、親友の人生を台無しにしようとした男。

 この男の人生なんてどうでもよかったし、知りたいとも思わなかったけど・・・ 馬鹿な男よ」

 その『馬鹿』にいったい何が含まれているのか、許攸のことを調べたわけではない俺にはわからない。けれど、華琳の顔は彼を嘲るものではなく、むしろ哀れんでいるように俺には感じられた。

「冬雲、行くわよ」

 華琳はそれ以上彼について語ろうとはせず、俺もまた問おうとは思わない。

 この大陸が、時代が生んだ悲しい男の道の果て。

 斬って捨てた憎き男すら華琳は忘れず覇道に彼がいたことを記すなら、俺も彼に最後の礼を尽くすのが道理だろう。

 首なき許攸の死体へと手を合わせ、あるかもわからない彼の次の生への幸福を祈る。

 手を合わせると不思議な思いが沸き上がり、在りもしない『もしも』が浮かぶ。

 もし、俺が華琳に会えず・・・ いいや、華琳どころか名だたる将の誰にも会えず、大陸の野で才を芽吹かせていたら。

「あんたもきっと・・・」

 俺がなってしまっていたかもしれない可能性の一つ、だったのかもしれない。

「冬雲」

 何を考えていたのかを見透かすように、華琳は俺を呼ぶ。

「馬鹿なことを考えている暇はないわよ。

 黒陽達が今、戦場のあちこちに戦の終わりを告げに言ったわ。私達もやるべきことをやりましょう」

「そう、だな」

 たった一人の男の死に囚われる暇なんて俺達にはなく、歩みを止めるわけにはいかない。

「俺も忘れないよ」

 女に虐げられ、人を疑い、誰かを利用し、真っ直ぐ生きる者を妬み、大陸そのものを恨み、己の運命すら憎んで、最後は欲に縋るしかなかった悲しき男達のことを。

 

 

 死体に背を向けた俺達がまず取り掛かったのは、背後から聞こえる戦場には相応しくない微笑ましい混沌を解消することからだった。

 本来なら戦場のことから片づけるべきなのだろうが、そちらは桂花を筆頭とした軍師や田豊殿を相手していた春蘭・秋蘭以外の武将が総出で動き出しているため、少しの間俺達が抜けても何も問題はない。

「か、華琳さん、助けてちょうだい・・・」

 四人に押しつぶされるような状態から抜け出し、華琳へと手を伸ばす袁紹殿の姿に一騎打ちの時のような厳しさはなく、いい意味で力が抜けているように感じられた。

「いいえ! 姉者、兄者、助けなくて結構です!!」

「義姉様、義兄様、手助けなんてせずに麗羽のことは私達に任せてください!」

「はい! 白蓮さん達のおっしゃる通りです!!」

 華琳の後ろにいる俺には予想することしか出来ないが、今の華琳は絶対良い笑顔をしているだろう。

 ・・・咽喉を鳴らすような音も聞こえたような気もするけど、疲労で弱り切った親友相手に本能を刺激されてるなんてことないよな?!

 華琳はまず大きく手を叩いて、もみくちゃになった袁紹殿達に注目を集めさせた。

「あなた達、積もる話はあとにしなさい」

「ですが、姉者!」

「樟夏、忘れているかもしれないけれど、ここは戦場よ。

 どんな話をするのであれ、それには相応しい場所が必要だわ」

「そう、ですね・・・」

 華琳の言葉に樟夏もようやく理解を示し、白蓮殿と袁紹殿、二人の手を握り締めて立ち上がった。

「姉者は麗羽の想いを知っていたんですか?」

「樟夏、これ以上ここで話を続ける気はないと言ったはずでしょう」

「わかっています。

 ですが、罰を受けたとしてもこれだけは姉者に答えていただきたいのです」

 華琳の表情は厳しいものへと変わるが、樟夏もこれだけは譲る気がないようで華琳を見つめ返す。そんな弟に対して何を思ったのか、華琳は一つ大きなため息を零した。

「あなたはある時からずっと俯いて、人から目を逸らして誤魔化すように手だけを動かし、目を細めては誰かをまっすぐ見ることを諦めたわね。

 それは人の悪意や失望から己を守るためだったんでしょうし、おおよそ八割は私が原因だったわ」

 樟夏が口を挟むよりも早く、華琳の言葉は先に出る。

 樟夏が言おうとしたのはおそらく否定だったのだろうが、華琳はただそれを事実として受け止めているのだろう。

「まぁもっとも、好意を向けてくる側の人間も不器用極まりないのだもの。仕方ないでしょう」

 そういって華琳は笑い、袁紹殿へと視線を向ける。

「あ、あなたがそれを言うのかしら。華琳さん」

「あら? 私は素直よ。

 一度は想いを素直に口にしているのに、照れくさくなって二度は言えなくなった臆病などこかの誰かさんよりもずっとね」

「なっ・・・ な、なななな・・・!」

「斗詩、白蓮、その二人と一緒に先に城に戻ってなさい。

 私達は後の処理をしてから城に戻るから、城で出来る準備も始めてなさい」

「は、はい!」

「お任せください、華琳様」

 顔を真っ赤にしてわなわなと震える袁紹殿に背を向けて、華琳は二人に指示を出してさっさとその場を離れていく。

「おい、華琳」

「『お前が言うのか』って言葉なら聞かないわよ、冬雲」

 自分で思った以上に呆れたような声が出て、華琳も俺が言いそうなことを言って黙らせようとする。

「私は素直ではあったわよ。

 恋をすることを怖がって、ただの娯楽と思おうとしていたのは認めるけれどね」

 そう、華琳はいつだって素直だった。

 俺を自分の物だと周囲に見せつけ、言葉にし、成すべきことを成していたとはいえあんな身分の俺を傍に置き続けた。

 夢を語り、傍にあり、時に体を重ねて、愛すらも囁き合った。

 だが、かつての華琳は少なくとも俺の前では一度も『恋』と称することはなかったし、認めることもなかった。

「けれど、あれは恋だったわ。

 そして今も、私は・・・ あなたに恋してるのよ」

 華琳が何をいったかわからず聞き返そうとしたが、その瞬間春蘭の怒号が響いた。

「あのくそ爺! 最後まで子ども扱いか!!

 秋蘭! あの爺は・・・」

「姉者、諦めろ。

 撤退する兵達に紛れて逃げられては見つけることは困難だ」

 あちこちに田豊殿との戦いの後を残した二人の会話に田豊殿の逃亡を知り、俺も秋蘭の視線の先を探すが姿は見えなかった。

「どうする華琳、追うか?」

 弓のみならず馬も得意な秋蘭が『困難』だと断言するなら馬で追うことはまず不可能。

が、白陽達なら何とかできるだろうし、仮に捕まえなくてもどこに行ったかぐらいは把握して損はないだろう。

「放っておいていいわ。

 あの方はあの方で後始末をしに行ったんでしょう」

「後始末?」

「麗羽を縛っていたのは許攸だけではないもの。

 私達はとりあえず、この戦場を片づけることを優先しましょう」

 そういって華琳は俺を置いてさっさと桂花達の元へ向かい、俺もまた『英雄』という名を最大限効果的に使うために戦場へと足を向けた。

 

 

 

 戦は無事終結し、慌ただしい数日を過ごした後、俺達は袁紹殿の今後を決めるために玉座へと集まっていた。

 もっとも『袁紹殿の今後を決める』と銘打ってはいるが、華琳が袁紹殿を殺す気がないことは既に戦場においても明らかになっており、その点において疑問が上がることはない。焦点となるのは、彼女の公の扱いと袁家の今後だろう。

「皆、今回の戦はご苦労だったわね」

 口火を切ったのは当然華琳であり、全員へとねぎらいを向ける。

「特に工作隊と騎馬隊の動きは見事だったわ。

 工作隊の投石器がなければ今回の戦の勝利はなく、騎馬隊の迅速な動きが戦場を振り回してくれた。本当によくやってくれたわね」

 その言葉と共に真桜と霞、月殿へと視線を向ければ、真桜は照れくさそうに鼻をかき、霞は得意げに胸を張って笑い、月殿は恥ずかしそうに顔を赤らめて、三者三様に喜びを示していた。

「さて、今回の会議は皆わかっているでしょうけど、麗羽・・・ 袁家の処遇と残された領地及び袁家当主である袁紹の今後についてのことよ」

「それと我々全員での情報共有ですねー」

 今回は風が書記を務めるらしく書簡を広げて、筆を握っている。

「姉者、さっそく一つ質問があります」

「何かしら? 樟夏」

 手をあげた樟夏に華琳が促せば、樟夏は少しだけ嫌そうな顔をしていた。

「麗羽の・・・ 彼女の今後を明らかにするのなら、彼女をこの場に同席させないのはどうしてでしょうか?」

「この場において、あの子の発言が必要ないからよ。

 軍を統制しきれていなかったあの子から得られる情報も多いとは思えないし、現段階においてあの子を捕虜として扱っている以上私達の会議に出席させるというのもおかしな話だもの」

「それはそうですが・・・!」

 会議の場だからか、華琳の言葉は『姉』ではなく『王』のもの。

 そんな会話に俺は隣の樟夏の肩を叩いて、励ましてみることにした。

「樟夏、安心しろって」

「兄者・・・」

「初恋の人との約束を反故するような華琳じゃないさ」

「はい?」

 あぁ、樟夏も知らないのか。まっ、そりゃそーだよなぁ。『姉が幼馴染の母親に本気で恋してました』なんて流石の華琳でも言えないよな。

「冬雲」

 『それ以上言ったらどうなるか、わかってるわね?』と目で脅され、俺は慌てて首を縦に振る。

 けど既に女好きを公言してるんだから、初恋が幼馴染の母親でも誰も驚かないと思うんだが。樟夏と袁紹殿には寝耳に水の事態で驚きはするだろうけど。

「まず袁家の処遇について話し合うのだけど、その前に黒陽」

「はっ」

「洛陽に不法滞在していた袁家の元老院がどうなっていたか、報告してちょうだい」

 千重(劉協様)がいないことをいいことにどこからか連れてきた皇帝の血筋の者を擁立しようと洛陽で準備していたから間違って無くもないが、不法滞在と言い切るのは少し言いすぎな気もする。

「私が到着した時には既に元老院は何者かによって殺され、擁立用に用意されていた傀儡殿も自害していました」

「傀儡が自害など出来るものでしょうか?」

 稟から疑問が上がったが、黒陽からの報告は続く。

「元老院の死体は逃げようと試みた形跡がありましたが、傀儡殿は毒酒を呷った形跡があるため自害と判断しました。

 なお毒酒に残っていた毒は建物のどこからも見つけることは出来ず、死体も調べましたが同様の毒物は見つけることは出来ませんでした」

「となると、元老院を殺害した者が渡していったと考えるのが妥当か」

 秋蘭が黒陽の言葉に推測を交えれば、稟もそれに頷いて同意する。

「あの爺がやったのか?」

「それは早計でしょ。

 確かにあの爺は戦線離脱したけど、元老院がいつ殺されたかだってわからないじゃない」

「けど、可能性の一つとしては十分あり得るんじゃない? 桂花さん」

 春蘭、桂花、千里殿も参加し、殺害した者について候補をあげるが、この討論をしていても答えは出ないだろう。だが、田豊殿が戦線離脱し、行方をくらませたのは事実であり、華琳があの時に言っていた『後始末』をつけるために動いた可能性は十分にあり得る。

「まぁ結局、誰が殺したかなんて大した問題じゃありませんけどねー。

 我々も彼らが生き残っているようだったら亡き者にする気でしたし、傀儡さんの生死に関してはどちらであってもかまわないですし」

 風がさらっとまとめを口にすれば、黒陽も肩をすくめ、華琳は大きく頷いた。

「千重様が御存命の今、皇帝の都で別の皇帝を擁立などすればどうなるかも考えていなかったのかしらね? 元老院は」

「そうしていてくれた方が公に彼らを罰すること(殺害すること)が出来たのに・・・ 残念です」

「月、本音出とるでー」

 袁家に対していい感情を抱いていない詠殿、月殿、霞の素直な感想が零れ、凪が報告書をもって挙手した。

「我々は幽州を含めた袁家が通ったと思われる街道に沿って、いくつかの警邏隊を派遣。

 幽州へは白蓮殿の白馬義従の中からの志願者・実力者を含めた者達で編成し、赤根殿が現地へと向かわれました」

 一通りの報告や討論が終わり全員の視線が華琳へと集まる中、華琳はまだ意見としては何も発言していない俺を見た。

「あなたはどう思うかしら? 冬雲」

「そう、だな・・・

 今回の戦いで袁家の力はだいぶ削がれたし、裏で動いていた元老院も崩壊した以上、袁家の力はないも同然。もしそれ以外で罪を問うとしたら劉協様を蔑ろにし、新しい皇帝を擁立しようとしたことだろうけど、未遂の上に元老院の独断で行い、彼らが死んでいるなら罪には問えないだろ」

「その通り。

 そして、皇帝に仕えている袁家の断罪は私が行っていいことではないのが事実だわ」

 つまり、会議は行っているが華琳を含めた俺達の一存で袁家と袁紹殿の今後を決めることは出来ないということ。

「黒陽、劉協様と袁紹は呼んであるわね?」

「はい」

 集めた理由が情報共有だけかと思って首を傾げた俺に、華琳は黒陽を促して中央の扉を開ける。そこには千重と袁紹殿が並び、二人は玉座の中央へと進み、華琳は千重へと礼を払うために玉座から降りてくる。

 華琳は千重へと臣下の礼を行い、袁紹殿や俺達もまた華琳に倣って臣下の礼をとる。

「皆、表をあげなさい」

 千重からの許しを受け、全員が顔をあげれば、そこには皇帝としての役目を果たそうとする凛々しい顔つきの千重が立っていた。

「今より皇帝・劉伯和より、今回の戦を企て、洛陽にて勝手な振る舞いを行った袁家・その当主たる袁本初へと処罰を与える」

 玉座が静まり返り厳かな雰囲気が流れる中、全員が千重の言葉を待つ。

「今回の戦に加え、洛陽での振る舞い、未遂であれど皇帝の擁立を企てたことは本来であるなら袁紹・・・ そなたの命のみならず、一族郎党の命をもって償われるべきである」

 千重はそこで一度言葉を区切り、大きく息を吸い込む。

「だが、たとえどんな思惑があれど、そなたら袁家が漢王朝に忠義を捧げ、尽力した功績はけして小さなものではない。

 よって死罪は免じ、袁家の有する領地の没収及び官位剥奪を言い渡す」

 袁紹殿の肩を叩き、千重は皇帝の表情を崩して袁紹殿へと微笑みかける。

「袁紹、あなたはもう好きに生きていいのです。

 袁家という鳥籠の中に隠されていた麗しい羽を大きく広げ、愛しい方の傍でお生きなさい」

「劉協様・・・ (わたくし)は・・・! いいえ、袁家は・・・ あなた方を!!」

「何も言わなくていいのです。

 もうあなたを縛るものも、我慢を強いるものもなく、名家だった袁家はありません。

 あなたのこれからを、迷いながらでもゆっくり一歩ずつ決めていきなさい」

 そういって千重は華琳と樟夏、白蓮殿と斗詩に視線を向け、最後に俺へと微笑んだ。

「何もなかった私でも見つけることが出来たのです。

 幼馴染も、愛する人も、家臣も、友もいるあなたならきっと、もっとたくさんの素敵なものを見つけることが出来ますよ」

「・・・っ!」

 泣き崩れる袁紹殿を千重は受け止めず、俺とおそらくは斗詩へと視線で合図を送る。その意味をくみ取り、俺は樟夏の背を思い切り押した。

「あ・・・」

「え・・・ 斗詩殿?」

 俺が樟夏を押すのとほぼ同時に白蓮殿を押した斗詩が優しく笑み、頷いた。

「ぼーっとしてる場合じゃないだろ、お前が支えるんだよ」

「麗羽様をお願いします」

 二人は押し出されたお互いと言葉を贈った俺達を交互に見てから、しっかりと頷き合い、袁紹殿の元へと向かった。

「さぁ、皆。

 当面はあちこちの治政で忙しくなるわよ」

 三人への配慮なのか、華琳は三人から背を向けてから声を張り上げる。

「桂花、建国に向けての準備はどうなっているかしら?」

「順調に進んでいます。

 建国に向けての書類は治政と同時進行に行うだけの人材も揃っていますので、私が中心に続けてもよろしいですか? 華琳様」

「えぇ、任せましょう。

 凪達は引き続き警邏隊を各村へ派遣。霞達騎馬隊は物資輸送に備え、動けるようにしておきなさい。軍師の割り振りは風、任せたわよ」

「はっ!」

「へいへいっと」

「はいはい、お任せあれ~」

「冬雲、あなたは英雄の名を最大限に使って各村へと慰問に赴きなさい」

「あぁ」

「華琳」

 それぞれへと仕事を割り振りながら玉座へと向かい、玉座へと座ろうとする華琳へと千重が声をかけた。

「あなたはいつ、私から帝位を受け取ってくれますか?」

 千重はどこかからかうように笑って、華琳もまたそんな千重へと笑みを返す。

「それは全てが終わった後だわ、千重。

 もっというなら、私が帝位を受け取らずあなたがこのまま皇帝を続ける可能性だってあるのだから、覚悟しておきなさい」

「私はゆっくりのんびり隠居生活を楽しみたいのですが」

 華琳の言葉に千重は大袈裟に肩を落として、溜息を零す。

「あら? あなたが私の肩を持ったなんて聞いたら、あの子達はどんな顔をするかしら?」

「半分本気、半分冗談です。

 私はあなたが勝っても、白の遣い殿と劉備殿が勝っても、今の彼女達なら安心して大陸を任せることが出来ます」

「あの子達が勝ったら、あなたも他人事ではないけれどね」

「その時はその時です。

 皇帝としては公平であるつもりですが、私個人としてはやはり関係の深いあなた達の肩を持っているのは事実ですしね」

 玉座に並ぶ錚々たる面子に視線を向ける千重はきっと、ここにはいない劉備殿達へも向けられているのだろう。

「私はあなた達が行く末を見守りながら、あなた達と歩みを共にするその時、恥ずかしない己であるために自分を磨くとしましょう」

 戦場に立つことがなくとも過酷な環境にあり、強く咲こうとする女性がそこにはいて、流れに身を任せつつもあの時とは違って己の意志で立つ千重の姿はとても美しい。

「強くなったあなたはそそられるわね・・・」

「ふふっ、褒め言葉として受け取っておきますね」

「えぇ、褒めているわ。

 それに・・・ そう思ったのは私だけはないようだしね」

 華琳が視線のみを俺へと向ければ、千重も俺のことだとわかったらしく、明るい笑みを見せてくれる。当然俺は考えていたことが読まれ、おもわず口元に手を当てて顔を逸らす。

「ならば尚更、精進しなければなりませんね」

「えぇ、立ち止まってる暇はないわ」

 あちこちの治政と魏の建国、涼州の馬騰殿。そして、いずれは雌雄を決することとなるであろう劉備殿と北郷。

 立ち止まってる暇はなく、行うべきことは山積み。矛を交えるであろう者達は強大且つ今なお成長を続ける彼らの底は見えない。

「やるわよ、あなた達」

 だが、それすらも楽しみだと言わんばかりに覇王(華琳)は笑む。

『おうっ!!』

 

 




次は呉を抜け出して好き勝手してる虎どもを書く予定です。
魏は・・・ 狼とのやり取りがどうなるかをお楽しみに。



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