南方棲鬼と申します。 (オラクルMk-II )
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1 南方棲鬼
イヤ~な始まりの日


 前作を読んでいただいていた方々にはお久しぶりです。

 趣味全開で突っ走ります。ご了承ください。


 北海道の11月……つまり秋は冬より寒い。向こうの人にはわからないだろうが、自分はそう思う。だって湿度が低くて低気温とか地獄だって。

 

 誰に言うわけでもなく、深夜の峠道を、愛車の白いインプレッサで下っていきながら。同じく妙に白い肌と髪が特徴の南条 巧(なんじょう たくみ)は、缶ホルダーに突っ込んでいた、自分のスマートフォンの画面に映っていたカレンダーを見て。そんな事を考える。

 

『~~♪ ~~♪』

 

「うわ……もうこんな時間か……」

 

 ラジオから流れる深夜1時の時報を聞き。巧はシートに深く座り直してから、ため息を吐いた。

 

 世間は今、深海棲艦とかいうエイリアンみたいのと、艦娘っていうのが戦ってるらしいケド。わりかし内陸のほうに住んでる自分はカンケー無いよな……。

 

 考えながら、明日も、朝早くからの仕事の予定が入っていた事を思い出し。彼女はシフトノブを3速に入れ、アクセルを踏む力を強める。

 

 今年の誕生日で27になった彼女には、すっかり走り慣れたこのガタついた道を、一般人には猛スピードに見える速度で下っていく。道路の壁に車の先を向け、道を真横に滑っていく彼女のドリフトは、隣に人が乗っていれば悲鳴を挙げられそうだが。タコメーターの回転数を一定で固め、何気なく行っているヒール&トゥやハンドルのカウンターの当て方などは、そのテの族からは拍手が上がりそうなほど上手い。

 

 スタント映画のような派手さこそ無いものの、タイヤが悲鳴を上げるようなドリフト走行を数え切れないほど繰り返して。緩い曲がり角を100キロオーバーで抜けながら、そろそろ山のふもとか、と思った時。彼女は車内で目にしたくない物を見てしまう。

 

「…………ガソリン、半分か。降りたら入れなきゃ……」

 

 タコメーターの近くに取り付けてあるガソリンの残量計を覗き、1人呟く。

 

「ハァ……お金、なかなか貯まんないな……」

 

 車を飛ばしている時には、ラジオから流れてきた好きな曲にノッてそれなりに楽しそうな雰囲気を放つ表情だったのが。山を降りきった時には、がっくりした様子で、巧は近くのスタンドまで車を走らせるのだった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 場所、時刻は変わり、まだそれなりに暑い日が続く横須賀市の朝。

 

 同市の某所にどんと構える鎮守府の、自分の部屋の執務机に頬杖をつきながら。この場所の提督なる役職の男、緒方 亮太(おがた りょうた)は口を開く。近くには秘書艦を勤める艦娘の加賀もいる。

 

「写真の人物を確保しろ、か。探し人ぐらい向こうが取っ捕まえろって」

 

「本当、この鎮守府は雑用みたいな仕事が多いですね」

 

「否定できないな、残念ながら。というよりこの書類……」

 

 まさか地上に深海棲艦が居るだなんて、と続けながら、彼は書類の文字を確認の意味で読んでみる。隣の加賀は彼が持っていたのとは別の書類を、声を出して読み上げる。

 

「名前は南条 巧。27歳の北海道在住で、最終学歴は専門学校。クルマの学校を卒業したのにも関わらず、就職先は弁当屋…………」

 

「男みたいな名前だよな」

 

「はぁ? それ、今関係ある事かしら。……人格は良く、知人、友人とは良好な関係を築いている……やけに色白な容姿は先天性白皮症((アルビノ症とも呼ばれる))ということになっているそうよ」

 

「……………」

 

 隠し撮りされた写真に写る、Tシャツにジーンズというラフな格好で日傘を指している妙に色白な女を眺める。正直、この時の二人は「ここまで情報が割れているなら、そっちが勝手にやってくれよ」と上層部への愚痴を内心で垂れていた。

 

 が、ここで何もせずに考え事ばかりでもしょうがない、と。緒方は立ち上がって椅子に掛けていた上着を取ると、加賀に告げた。

 

「不知火と秋津洲を玄関に呼んでくれ。朝だからまだ飛行機飛んでるだろ」

 

「早速今日行くのね。わかりました」

 

「おう、留守番頼むよ」

 

 持った上着を肩にかけ、自分の鞄を引ったくりながら。緒方は加賀を残して部屋を出ていった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 同日の昼頃。緒方は部下である艦娘の不知火を連れて、観察対象が働いているという弁当屋のちょうど向かいに建っていた、コンビニの休憩スペースで彼女を張っていた。

 

 秋津洲はどれぐらいで戻ってくるかな。そう考えて腕時計を見ると、文字盤は2時半を指している。もう少しで一時間か、と彼が思った時、建物のガラス越しに手を振りながら、秋津洲は二人の元に合流してきた。

 

 「どうでした?」と不知火が相手に聞くと。秋津洲はどこか苦笑いのように見えるぎこちない笑顔を浮かべながら、机に鞄から出したタブレット端末と、はち切れそうなほど大量に書類の入ったファイルを置き。二人へ向けて、話を始める。

 

「とりあえず、言われた通りに相手の通っていた専門と高校には行ってきたかも。こっちが専門で、それが高校の書類ね」

 

「よくこんなに個人情報集めれたな?」

 

「国の調査って言ったら結構すんなり。あとはこれが地元の評判かも。事前の調査と同じで、特に人格に問題はナシ。酒もタバコもやってるらしいけど滅多にしないみたいだし、普通にいい人だって」

 

「なるほど」

 

「調べた限りじゃ、変なことは何も。やっぱり直接連れ出して聞いてみない分には解らないかも」

 

 秋津洲の話に相槌をうちながら、二人は渡された資料に目を通す。

 

 勉強の成績は並みより少し上ぐらいで、体育の成績だけ5がついている。人物評は秋津洲が言ったことと似たような事が......具体的には、知人、友人が多く交遊関係が広い、また素直で優しい人柄である。なんて、無難な事しか書かれていない。

 

 もし、彼女が本当にただのアルビノ症の成人女性なら、上はどうするのだろうか。窓の外の景色の中で、外に出していた宣伝の旗を交換している白い女と、彼女についての書類を交互に見ながら、二人は考える。そんなとき、秋津洲が急にこんな事を言い始める。

 

「…………キレられたかも」

 

「は?」

 

「学校の事務局の人にね。調べものの理由聞かれて、隠さなくていいって提督さん言ってたから、あの人が深海棲艦かもって言われてるって言ったの」

 

「そうしたら、「あんなに良い子が世間の化け物と同じかぁ」って。声も変だったし顔も怖かったし……あれ絶対職員さん怒ってたかも…………」

 

「………………」

 

 悪いこと押し付けちゃったカモ。そんな事を思いつつ、取りあえずは、と、緒方は行動を起こすことにした。

 

「動かないことには始まらなさそうだナ。直接聞くか」

 

「「了解」」

 

 

 

 

 

 すぐ向かいという立地もあり、30秒としないうちに3人は例の弁当屋に着き、早速中に入ってみる。

 

 さて、どう話を切り出そうか、等と考えながら自動ドアを潜った3人だったが。中に入っても、裏方勤務だとでもいうのか、目的の人物が見当たらなかった。

 

 あれれ、おかしいな、と少々不審な動きをしてしまっていたところ。不知火はカウンターで店番をしていた老人に声を掛けられた。

 

「おい、若いもん。注文は無いんか?」

 

「いえ、人探しなのですが。こちらに、南条 巧さんと言う方が……」

 

「あぁ!? あんだってぇ!?」

 

「ですから南条たく……」

 

「おぉ!?」

 

「…………ッ!」

 

 耳が遠すぎだろこの人。ボケが始まっているのか?なんて、内心で失礼な言葉を相手に浴びせながら、不知火が大声で声を張りながら喋るのだが。

 

「もっと腹から声出せ!」

 

「な゙・ん゙・じょ゙・ゔ・だ・ぐ!!…………」

 

「あぁん!? 何、穴の空いたカツか、穴の開いたハンバーグか、穴の開いたレンコンか!? それとも穴の開いていないものが欲しいのか!? 穴の開いていない物は安いぞ! 穴を開ける手間賃が無いからな!」

 

「……あなたの頭に穴が開いてんのでは?」

 

 怒っていた不知火の口から流れる言葉が聞き取れなかった事に、逆に癇癪を起こした相手へ。流石に頭に来たらしい彼女が暴言を吐く……のを、もう遅かったが緒方が無理矢理口を塞いで止める。

 

 しかし、こう話が通じない相手しか居ないなら。彼女がどこにいったか誰に聞こう。3人同時に同じことを思っていたときだ。

 

「おじいさん、今番じゃないでしょ!」

 

「おぉ!? そうだったっけ!」

 

「もう、裏方勤務でしょ貴方は…………お待たせして申し訳ございませんお客様、ご注文はお決まりでしょうか?」

 

「「「…………!!」」」

 

 やっと来た!

 裏から出てきて、店番の老人を押しやってカウンターにやって来た女に、緒方は待ってましたとばかりに会話を持ちかける。

 

「お忙しいところすいません、南条 巧さん……ですよね?」

 

「……? はい、そうですが」

 

「よかった、私こういう者でして……」

 

 なんだとでも言いたげな、頭上に?マークが浮かんでいそうな表情で、胸に安全ピンで挿していたネームを指で持ちこちらの表情を覗き込んできた相手に。刑事ドラマのように少々格好をつけた動作で緒方が身分証と名刺を出そうとした時だった。

 

 いつのまにかに後ろに列を作って並んでいた一般客から、怒鳴り声でヤジを飛ばされる。

 

「海軍所属の……」

 

「おい、早く注文しろよ!」

 

「こちとら待ってんだけど?」

 

「えっ? あっ」

 

「おいおい、電車乗り遅れちまうよ!」

 

 緒方、軽くパニック状態。いきなりな出来事に、そう呼ぶに相応しい感情に頭が支配された彼は何をしたかというと……

 

 

「のり弁1つください!」

 

 

 

 

 

「「………………」」

 

「……ごめんな」

 

「全くです。良い年して「後でお時間頂けますか」の一言ぐらい……」

 

「言い返せねぇ。面目ない」

 

 店を出てすぐ近くにあった公園のベンチに腰掛けながら、緒方は自分の部下から説教を食らう。

 ため息を吐いた後。時間が来るまでやることも無くなってしまった3人は、取り敢えず彼女の仕事終わりまで適当に時間を潰すことにする。

 

「これ食べて暇潰ししよう。追加して3人分頼んだし」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 午後9時に今日の仕事が終わり、いつも通りに徒歩で家に帰ろうとした巧は。いつも使っている道を塞ぐように現れた、面識の無い男女3人にファミレスに連行されていた。

 

 私服警官か何かなのかな。私、何もしてないと思うんだけど。店員に案内された窓が近くにある席につき、不安だらけな心情で、ズレてきた眼鏡を目元に戻したとき。3人のうちの男が口を開き名刺を差し出してきた。ラミネート加工されたカードには「緒方 亮太」と印刷されている。

 

「お昼はお忙しい中、アポも取らずにすいませんでした。私こういうものでして」

 

「カイグン、テートク……? 軍人さん、ですか」

 

「はい、仰る通り」

 

「あの、私何かヤバい事でもしたんでしょうか………?」

 

 海軍の人って、自分は密漁みたいなこともしなければ、ここ最近海に近づいてすらいなかったけど……まさか自分は夢遊病でも患って、とんでもないことでもしでかしたのかな……?

 

 一般人らしく、目の前の軍属という立場の、普通に生きていればまず話すことも無いような3人におどおどしっぱなしの巧に。緒方というらしい男は落ち着くようにと続ける。

 

「何も捕まえに来たわけではありません。少々上から命令を受けて訪ねた訳でして」

 

「命令?」

 

「ええ。簡単に申しますと、貴女を我々の鎮守府……自衛隊の基地みたいな物と思ってください。そこまで連れてきて市内に住まわせて欲しいと」

 

「…………はい?」

 

「つきましては準備が出来次第、後日こちらの場所を伺って頂きたいのです」

 

 巧の脳内に目一杯のクエスチョンマークが浮かんでいる事など無視し、男は話を進める。そして彼の隣に居た女性が、椅子に置いていた自分の鞄から出した簡単な地図をテーブルに広げたとき。巧はそれにマーカーで印がつけられていた部分を見ると慌てて口を開いた。

 

「こ、困ります! 仕事と家の事情もありますし、それに横須賀って東京ですよね?」

 

「神奈川ですよ」

 

「あっ……じゃなくて、そんなとこまで行って帰ってくるお金も無いし、いきなり言われても住むところだって」

 

「交通費はある程度は支給します。全額ではないので多少は自腹を切って貰いますが、あと住居については基地に部屋を用意してますので。当分貴女はここに戻れませんから」

 

「え゙」

 

「残念ながら拒否権はありませんよ。巧さん。これは国が決めた事です、あしからず」

 

 混乱が更に進み、頭が真っ白になった彼女に、目付きの鋭い女が釘を刺しながら席を立つ。続いて男ともう一人の女が立ち上がり、言うことは終わったとばかりに巧を放置してその場から去っていく。

 

 最後に行った女は慰めなのか「弁当おいしかったかも」等と言ってきたが。巧は今は、正直そんな言葉を気にしている精神状態ではなかった。

 

「………………はぁ」

 

 お腹空いたな……何か頼もうか。

 

 意味のわからない事だらけだ。頭がパンクしそう。思考を放棄し、メニューやアンケートハガキが立てられている、机の窓側にあった呼び出しボタンを押しながら。巧は大きなため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 本日中に2話を投稿します。

ヒール&トゥ→足の爪先でブレーキを踏みながら、かかとでアクセルを踏む車の操作方法。AT車ではほとんどやる意味はない。

カウンター→カウンターステアの略。ドリフト走行などで道の外側へと滑っていく車体を制御するために、例えば右に曲がりたいときに反対側の左にハンドルを回す操作のこと。


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港のヨーコヨコハマヨコスカって意味不

次話投稿よォ~ 明日までは2話ずつ投稿よォ~


 

 

 

 

 あの、軍属を名乗る妙な男女から、謎の呼び出しを食らってからちょうど一週間後。12月の頭ごろに、(たくみ)は自分の車と仲良く横須賀に到着した。

 

 深海棲艦とかいう映画のミュータント(少なくとも一般人にはそんな風に認識されている)みたいなヤツラのおかげで、北海道から千葉までのフェリー航路が塞がれていたとあって。彼女は青森から陸路ではるばるここまでやって来ていた。因みに交通補助で貰ったお金は五万円ほどだったが、先程述べた生き物の影響で現在はフェリー料金は上がっており。結論から言うと、補助金からはみ出したここまでのガソリン代は自腹だ。

 

 クルマと人間合わせて七万円。そして慣れない道を行ったり来たりで燃料代その他もろもろが約四万円。漏れた数万という金額は、日々の食費を1000円で抑えるような生活を送っていた彼女のお財布には、ボクサーチャンプのボディーブロー並みにキく一撃だった。

 

 しかしがっくりしていても仕方がない。荷物も纏めて積んであるんだし、アパートも店も話を通して出たんだし。それにまさか国家機関に逆らうなんて無茶だろうと、気合いで横須賀まで来て。目的地まであともう少しかな、と彼女は車の助手席に貼った地図とにらめっこをしながら、法廷速度をほんの少しオーバーした速度で道を走る。

 

 北海道から出てきて、もう何個目かわからない数の信号と、T字、十字路を曲がったり通りすぎたり。頬杖をついてぼうっと巧がステアリングを操作していたときだった。彼女の目線の先、道端に並ぶ街路樹を越え、先のコンビニも越えて、工事中の何かの建物も更に越えた、軽く100か200メートルは離れた場所だろうか。周りの建造物と比べると、景観には笑うほど府釣り合いな古そうなレンガ作りの赤い塀を見付ける。

 

 写真で見せてもらった横須賀鎮守府だ。たしかあんな見た目だったはず。例の3人組から「ここに来るように」と見せられた写真の建物の景観を脳内に浮かべながら、巧は入り口はどこだろうかと、随分立派なこの赤レンガの外周を車で回る。

 

 出来たのはつい二年前と聞いたが、謎の貫禄と歴史を感じさせるオーラが漂うこの建物の門にたどり着き。少々緊張した面持ちと心で、巧はウインカーのスイッチに手を伸ばす。指が震えていたことは自覚していなかった。

 

「ここで大丈夫……かな?」

 

 「そして間違ってたらどーしましょ……」と小声で呟き、ついに彼女は意を決して建物の敷地に入った。

 

 アクセルを抜いた途端に車のボンネットの中から発される、パシュウウゥゥンと、炭酸ジュースの蓋を開けたときのようなブローオフバルブの音と、うるさいとまではいかずとも、周囲に響く重いエンジンサウンドを引っ提げて。ウインカーを点滅させて敷地に入ってきた白のスポーツカーの姿に、その場に居た人間たちの視線が集まる。乗っていた巧はというと、周りのギャラリーの目線におっかなびっくりといった様子だ。

 

 周りにいるこのセーラー服の女の子達は、話とかニュースで聞く艦娘さんなのかな。パッと見は学生さんにしか見えないけど……。考え事混じりに敷地をゆっくりと流していたところ、彼女はある問題に直面する。駐車する場所が見つからないのだ。

 

 道路に引かれるような白線は見当たらないし、そもそも車がどこにも見つからない。もしかして周りから見られているのは「こいつどこ走ってんだ? 馬鹿か?」みたいな感じだったり!?

 

 勝手に脳内で盛り上がり、心拍数が上がった巧は不安を抑えきれず。建物の玄関と思われる場所の前にあった、ロータリー交差点のようにどんと構えた花壇を回った後に。近くに居た少女に道を聞くことを思いつき、パワーウィンドウを下げて声をかけてみた。

 

「あの、すいませーん」

 

「はい? 何です………ひゃああぁぁぁぁぁぁ!!??」

 

「…………ッ、……?」

 

 ビックリしたぁ! なんだろ、どうしたんだあの子?

 

 窓から少し顔を出して喋ったところ、何かに驚いたのか変な大声を出して走って逃げた彼女に。逆にこっちが驚いたと巧が思い、不思議に思う。そんなとき。脳内がハテナで埋まっていた彼女に、顔にシワを寄せた背が高い女性が話し掛けてきた。

 

「おい」

 

「はい?」

 

「ソレから降りろ」

 

「……? わかりました」

 

 あ、やっぱり進入禁止だったのかなこの場所。この人多分怒ってるよなこの表情……。そんなふうに軽く考えて、巧は言われた通りにシートベルトを外してバケットシートから体を離し、ドアを開けて車から出た。

 

 その瞬間。見計らったかのように、彼女は声を掛けてきた女性に物凄い力で地面に組伏せられてしまったのだった。

 

「まさか深海棲艦が、車の盗難をして陸から侵攻してくるとは。覚悟しろ南方棲鬼!」

 

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「本ッッッッ当に申し訳ない!! あの女……長門っていう部下の者ですが、キツく言っておきました」

 

「はぁ……あの、大丈夫ですよ。びっくりしましたけど、怪我とか顔少しスッたぐらいだし」

 

「そう言って頂けると、少しホッとします……貴女がアイツに地面にノされたって聞いて気が気じゃ無かったんで。何せ力の有り余ってるゴリラみたいな女で……」

 

 その言い方は、流石に女性心理を無視しすぎじゃないかなぁ……。言っていることは事実だが、どうもデリカシーに欠ける物言いの緒方に、巧は表情に出ない程度、緊張しながらもほんの少しムッとする。

 

 謎の女性に地面に押さえ付けられていたところ、事件現場に、どんな客が来るかの事情を知っている艦娘の不知火が偶然通りがかり。意味は全くわからなかったが、何かの誤解が解けたらしい巧は、鎮守府の応接室に案内されていた。

 

 木目調の家具で統一感を出し、床から天井にかけて段々と式材の色を薄くしていく、色調コーディネートのお手本のモデルルームのようなこの部屋に。どれか一つにキズでもつけたらやばいことになりそうだ、なんて場違いな事を、出されたお茶を飲みながら巧が考える。

 

 人間心理では落ち着く効果のあるはずのこの部屋の色たちも、流石にガチガチに固まった彼女の緊張をほぐすには至らず……心なしか震えているように見えなくもない彼女へ、緒方は話題を変えて、本題に繋げる。

 

「今日来ていただいた事について、さっそくお話をしたいのですが、いいですか?」

 

「はい」

 

「ありがとう。簡単に言いますと、我々の上司の方々の集まりで「あなたが深海棲艦なのでは?」と出たのが切っ掛けでして」

 

「……はい!?」

 

 男の口から出た言葉に、巧は一瞬だがおもいっきり眉間にシワを寄せて嫌な顔をすると、ほとんど条件反射に近い早さで言いたい事を頭の中にまとめて口を開く。

 

「深海棲艦って……あの、なんかゴテゴテしたクジラみたいなやつですよね?」

 

「ご存知ですか」

 

「それぐらいはニュースとかでもやってますし……っていうか人型ですら無いじゃないですか?」

 

 まさか、SF映画じゃあるまいて、あんなのがロボットみたいのにトランスフォームでもするのか? と続けたくなったのは自重して心の底に仕舞い込んで。彼女が言うと、男は机に置いていた書類の厚みで太ったファイルから一枚の写真を出して説明を始めた。

 

「似てるんですよ。貴女が、この写真の人物とね」

 

「…………」

 

 巧は渡された写真の像をまじまじと眺める。そこには自分と同じく肌と髪の毛が白く、眼の赤い、それも髪型まで同じ女性が写っていた。もっともそんなことよりも、この人物は黒の下着の上から革ジャン?を羽織っているという随分男の目線を引くような格好をしていることの方が、彼女の興味を引いたが。

 

 当たり前だがそんな格好はしていない、エドウィンのジーンズにピンク色のスニーカーをはいて、黒地にペンキを撒いたようなプリントの入ったパーカーという普通な姿の巧は、感想を男に告げるため口を開く。

 

「……その、なんというか……開放的な格好の人ですね」

 

「深海棲艦ですよ」

 

「人じゃないんですか」

 

「えぇ。先程貴女が仰ったクジラみたいなやつ、それは我々は駆逐艦と呼ぶ敵でして」

 

「駆逐艦?」

 

「あぁ……えーと、戦艦の種類です。皆さんが思い浮かべる戦艦が戦車に相当するなら、駆逐艦は銃を持った人間が乗った軽自動車みたいなもんです」

 

「…………?」

 

「こちらは姫級と呼ばれる個体で、まあクジラの親玉とでも言いましょうか。民間にはほとんど知られていない情報ですね」

 

 なんかちゃんと理解できなかったけど、いよいよもって話がSF映画みたいになってきたな、なんてどこかこの状況を他人事のように巧が捉える。そんな彼女の思考など知らず、緒方は続ける。

 

「さて、では次に入りましょうか。事前にお渡しした経歴書や、あと身分証は?」

 

「これです」

 

「ありがとう。後程確認します」

 

 相手の要求に特に嫌な顔なんかはしないで素直に対応し、巧は持ち込んだ自分の鞄から書類の入ったファイルと、財布から免許証を出して机に置く。後で確認する、とは今言ったものの、男はちらりと目だけを動かしてそれを眺めていた。

 

 ファイルが透明なので一番上の書類はそのまま読むことができる。「所得している資格」の項目に見えるのは漢字検定、英語検定、運転免許といった履歴書に書くような定番の資格から、中にはアーク溶接免許、色彩検定2級といった見慣れない資格も記述されてある。その上に置かれた免許証は色帯が青色だったのは、彼女はスピード違反でもしたのだろうか、なんて考えながら。更に緒方が質問を投げ掛けようとしたときだ。

 

 ゴン、ゴン、ゴン、と妙に強い力で部屋の扉がノックされ、「提督、居る?」との女性の声が中に響いてくる。来客、というかは艦娘さんが緒方さんに用事でも言いにきたのだろうと巧が仮定する。対面していた緒方は「少しお待ちください」と言って、彼女の予想通りに席を空けて一旦外に出た。

 

『オモテのインプレッサ誰のだ? 提督の?』

 

『インプレッサ?』

 

『車だよ、停まってんじゃねーか白いスポーツカーが?』

 

『あぁ、たぶんお客さんのかな』

 

『長門にノされたってやつ?』

 

『バカ、聞こえるって!』

 

『それは置いといてさ。暁がなんか花に水をやるのに邪魔だって……』

 

 残念ながら全部聞こえてるんだよナァ……。

 

 スマートフォンでも弄って暇潰しをしようとしたが、そんな失礼は見られたら不味いかなんて考えていたところ、扉越しに聞こえてきた会話の内容に。ポケットに突っ込んでいた車の鍵を手に取り、軽い溜め息をつく。

 

 部屋に男が戻ってきた瞬間。巧はソファから立ち上がり、扉から緒方の体が全部出てくる前に返事を呟く。

 

「すいません、少し」

 

「車、どかしてきます。ごめんなさい」

 

「お願いします」

 

 やば、聞かれてた。そう顔に書いてある、分かりやすく表情がひきつった相手に愛想笑いを返して、自分の車がある場所まで戻るかとドアノブをひいては廊下に出る。

 

 

 そして、巧は先ほど緒方と話していたと思われる、右手に長いリストバンドを付けた女性と顔を合わせる。「こんにちは」と互いに無難な挨拶を交わす……と、同時に何かが引っ掛かり。二人同時にまた振り替えってお互いの顔を再度見合わせた。

 

 

「「…………ん?」」

 

 

 アレ、こいつもしかして……? 二人の脳内には同じ言葉が浮かんでいた。そして彼女らは一斉に口を開いて、各々に言いたいことを放つ。

 

「マコリン、なんでここに?」

 

「巧じゃん久しぶり! それはアタシの台詞だ!」

 

「…………え゙、もしかして知り合いなの……?」

 

 顔に指を差し合いながら声を挙げた二人に、再度ひきつった笑顔を作って聞いてきた相手に。彼からは「摩耶」と呼ばれていた女性は口を開いた。

 

「知り合いどころか大親友だよ、マブダチだよ! んだよ、客ってお前だったのか!?」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 車が邪魔だとのことで再度外に戻るために廊下を歩きながら、巧は実に3年ぶりに会う旧友と会話を交わす。

 

 秋山 マコト。名前がカタカナなのは、彼女の親が「誰にでも覚えてもらえるように」なんて理由でつけたらしいが、よく周りからそれでイジられ、付いたアダ名がマコリン。高校生の頃からの付き合いで、一緒の専門学校に通い、少し前までは一緒に旅行までしたような仲の女である。世間一般では十分、大がつく友達と呼べる一人だ。

 

「いや本当にびっくりした。繰り返すけどお前だと思ってなかった……ワケじゃないなウン。薄々気づいてたわよくよく考えたら」

 

「そーなの?」

 

「当たり前だろ、2ドアで白のGCインプレッサなんて今時見かけねーよ。送り迎えやらで何回も乗ったし見たし」

 

「あ~……そーいえば乗ってたね。山とか行ったらよく助手席でマコリン泣き叫んでた!」

 

「それ本気で言ってんのか……お前の隣乗って一発目で泣かない奴が見てみたいわ」

 

「えぇ、酷くない? 安全運転なのに」

 

「どこがだ! この世のどんなジェットコースターよか怖ぇえよ! リニアモーターカーで脱線するより怖いぜあんなの……」

 

 仲良しらしく談笑(?)すること数分後。建物から出てすぐの場所、ナガト?とかいう女性に巧が引きずりだされた現場までやってくる。鍵を開けてシートに座り、彼女は親友の指示を受けながら、車を進めた。

 

「どこまで進めればいーの?」

 

「もっと奥だよ。ここじゃ他の車とか花壇係の邪魔だから、建物沿いに進むと駐車場があるからさ」

 

「おっけー。あー、ちゃんとナビしてね」

 

「へいへい」

 

 窓を下げっぱなしにし、アクセルの踏む力を加減して、外を歩く摩耶、もといマコトと並走する。さっきは緊張や不安といった感情で、あまりこの建物をジロジロ見るような余裕は無かったが、生涯一の大親友レベルの知人が居たことが起因して。少々心持ち余裕が生まれた巧は、鎮守府というものを眺めてみる。

 

 これから何ヵ月か、ここが自分が住む場所になる。友達が居たのは嬉しいけど、うまくやっていけるかな。

 

 親友の横顔とすぐとなりの建造物を見比べて。巧はそんな事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




感想、評価の他にも、「お前はここがダメなんだよバカタレが」と言われれば作者は喜んで訂正作業に入ります。よろしくお願いします。


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寒い日にこそ熱帯夜が来て欲しい

流石にこの字数で2話ずつ投稿は頭がパンクするので今日までです。
自動車モノが読みたい読者様、もう少しお待ちください。


 

 

 少しばかりの波乱が巻き起こった一日を終え、午前7時頃に巧は割り当てられた部屋の、自分が敷いた布団の上で目を覚ました。

 

 枕の横に置いておいたスマートフォンのアラームを切り、寝ぼけと近眼の両方でにじむ視界を、いつも肌身はなさず着けている赤いフレームの眼鏡をかけて矯正し周囲を見渡す。

 

 網膜に映るのは何の家具も置いていない殺風景な景色。部屋の隅には大きなスポーツバッグが2つと、自分の服が何着かが綺麗に畳まれて積まれてある以外には物が見当たらない。そして極めつけは、寒いには寒いが12月にしては暖かい気温に、彼女の脳は混乱する……が、数秒してから落ち着きを取り戻した。

 

 思い出した。自分は神奈川に来てたんだった。心のなかでそう言いながら、彼女は布団から起き上がり、顔でも洗おうかと、ビジネスホテルの一室のように、ユニットバスや洗面台が中に入っているこの部屋をうろつく。

 

 

 昨日は、緒方から「旅を疲れを癒すといい」だなんて言われて何も無かったが、今日はこれからについて話があるとあらかじめ聞いていて、柄は違うが、チャック付きのパーカーにジーンズという昨日からあまり代わり映えのしない楽な格好に着替えて部屋を出る。女所帯とはいえ軍隊なので朝は早いのかと思っていたがそうではなかったらしく、こうやって今、巧が廊下を歩いても、誰一人として艦娘の姿が見当たらない。

 

 どんな話かな、なんてぼうっと考えていると、来るように説明を受けた部屋の前に着く。三回ノックをすると、「どうぞ」と声が聞こえてきたので、二枚あわせで観音開きと思われる大きな木製の扉のトアノブの一つを手に取り、ひねってぐいっと押し出す。

 

 「失礼します」の一言と一緒に体を中にねじ込む。仕事机と思われる一式の隣に、急いで用意したような配置の来客を迎えるためと思われるテーブルとソファのセットを見ながら、礼儀作法なんてやるのは数年ぶりなので間違いはないか、なんて、格好はラフなクセに、一応は社会人らしくそんな事を考えていると。入るように促した、テーブル一式のほうの椅子に座っていた緒方の隣に立っている、弓道部員のような格好の女性に声をかけられた。

 

「どうぞ、おかけください」

 

「はい」

 

「初めまして、加賀と申します。書類は見ました。また承諾を得てから貴女の戸籍等も調べさせてもらいましたが、いくつか質問があります。礼儀などはいいので楽に構えて、お答えください」

 

「質問ですか」

 

「ええ。まず、南条 明さんの長女とは戸籍に載っていたのですが、家族構成の項目に「養父」とだけあったのは?」

 

「ずっと父子家庭で育ってきましたから……あと、私は本当の子供じゃないので」

 

「…………はぁ」

 

「あの、私、養子なんです。本当の両親は知らなくて、ちっちゃいころから養護施設に居たので。時期的に、捨て子か戦災孤児か判別が難しいって言われて……」

 

 「地雷を踏んでしまった」との言葉が顔面に浮き出たような、間抜けな顔で黙ってしまった二人に、あわてて巧は「気にしていないので大丈夫です」と捕捉しておく。今までの人生で幾度となく経験した相手の対応だったので、こんな空気には慣れていた。

 

 本当になんとも思っていないとの意思表示で、巧は机に用意されていた羊羮を口にし、それをお茶で流し込んだ……のだが。どうやらお相手も動揺していたらしく、打ち合わせしたかのように3人が全く同時に同じ行動をとってしまい。謀らずも全員が変な苦笑いを浮かべることになる。

 

「では次の質問です。漢字、英語、運転免許は解るのですが、「色彩検定2級」とは?」

 

「服飾とか、カラーデザイン……あの、家やら何やらの塗装工さんなんかが取る資格です」

 

「ではこちらの「2級自動車整備士資格」についても」

 

「国家資格です。今は整備士が安定してるって言われて、専門通って取ったんですが」

 

「なのに職種は飲食店勤務なんですね?」

 

「家が山みたいなとこにあるのでディーラーまで遠かったんです。でも近い職場が見つかって、後は親戚のツテもあったので、転職したんです」

 

「「…………」」

 

 …………。なんでこの人たちまた黙ったんだろ。まさか失態でも晒したかな!?

 

 目の前の男とファミレスで初めて出会った時並に、冷や汗でシャツの背中を濡らしながら、巧は内心で緊張と不安とこれからどうなるかの感情でドキドキしていた。

 

「……わかりました。ではこれで」

 

「はい……え?」

 

 たった2つの質問で終わり?? そんなワケが、と思った彼女は二人に突っ込んでみる。

 

「もう終わりなんですか?」

 

「ええ。逆に、何か聞かれたいこともないでしょう?」

 

「この見た目とか」

 

「先天性白皮症、ですよね?」

 

「あっはい」

 

「別に、貴女は犯罪歴も無ければ、これといった問題を起こした事もないとわかりましたので。巻いて次に行こうかと」

 

「…………次??」

 

 次って何さ? と彼女が疑問に思うと。昨日と同じ「提督、居る?」という声と同時に、部屋に摩耶が入ってきた。

 

「おっす巧、おはようさん」

 

「マコリン?」

 

「巧さん、摩耶とは知り合いだと聞きましたが」

 

「へ? あ、はい」

 

「わかった。じゃ、摩耶、案内頼む」

 

「へーい」

 

 気の抜けた返事で応対した摩耶が「ついてこいヨ」と言ってきたので、言われるままに巧は部屋から出て、どこかに案内される。一連の流れが意味的に理解できなかった彼女は前を歩く親友に質問を入れてみた。

 

「マコリンちょっと」

 

「ん?」

 

「案内ってどこに? っていうか私何するの」

 

「自己紹介だな。ここの艦娘40人の前で。そのあとは血液検査だと。」

 

「え゙」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 朝食時のこの鎮守府の食堂はまるで戦場の様相を見せる。

 

 朝起きて腹をすかせた女共は、給仕係があらかじめテーブルに並べておいて湯気がたっている飯を喉に押し込みながら、寝ぼけから覚醒する。数少ない少食の者はこれだけで足りるが、運動量とそれに比例する飯の消費量が多いものは3分としないうちに全部自分の胃袋にぶち込み、調理の者が立っているカウンターにずかずかと向かっていっておかわりを所望する。

 

 ムシャムシャムシャ、ぐぁつぐぁつぐぁつと、男共の目を気にしなくていいこの場所で、女の尊厳を無視したような品の無い仕草で飯を食べる。ひたすら食う。もうめっちゃ食う。ここが高級料亭かホテルバイキングなら、ウェイターに「あーお客さま!?」とか言われちゃいそうなレベルである。

 

 そんな、朝番の出撃のためのエネルギー補給目的で、おかわりの取り合いな朝メシ戦争勃発中の食堂に、摩耶、緒方、そして巧は入るのだった。

 

 魚、味噌汁、小さなサラダに白米と普通の和食を食べている者もいれば、朝からそんな物食べて胃もたれしないの? と心配したくなるようなカロリーを摂っている者とを交互に見ながら。巧は、なんだか賑やかな場所だな程度に軽く考える。食事中の何人かはこちらを見ていたが、大多数は気づいていないのか、顔と目線を机のメシに向けたままだった。……その、「こちらを見ていた何人か」は鳩が豆鉄砲を食らったように呆然とした表情なのが気になったが、見なかったことにする。

 

 そんな朝飯に夢中の彼女たちへ、緒方が声を張って一言、「はい注目!」と言うと。全員の視線が3人に集まる。

 

「今日から新しくここで働く用務員の方だ。自己紹介と顔合わせすっから、こっち向け」

 

「「「…………」」」

 

 緒方の言葉に待ったをかけようとしたところ、巧は摩耶にそれを止められた。耳打ちしてきた彼女によると、表向きはそういう理由で巧が来たことになっているらしい。アバウトな説明によれば、今後もこの鎮守府の雑用を担当してもらい、給金も出るとのこと。

 

「じゃ、自己紹介」

 

「……北海道から来ました。南条 巧、27歳です。これから、よろしくお願いします。」

 

 朝起きて早々にとんでもない、無茶ぶりもいいところな話だったが、そこはちゃんと柔軟に大人らしく。学生の頃を思い出して、とりあえずはと無難な挨拶でお茶を濁す。多少はっちゃけようかとも思ったが、チャオ! アタシアルビノっ娘のたくちゃん! なんて言ったらどうなるかたまったものではない。

 

 すると、セーラー服を着た小柄な艦娘? たちから質問が飛んでくる。「前はどこで働いていたんですか?」「彼氏さんは居るの?」「なんか白いですね」「担当する役職は?」だのと繰り出されるそれらに。落ち着いて一つずつ対処することにする。

 

 「ご飯屋さんで働いてました」、「居ない歴=年齢です……」、「持病です」、「洗車からトイレ掃除まで、雑用はなんでもやらさせて頂きます」。最後は何と答えればいいか困ったのを緒方から耳打ちしてもらって言ったが、子供が大人にしてくるような質問に適当に答える。おおかた返事を返し終わると、机に座っていた大多数はまた興味の対象を朝飯に戻し、いつも通りの行動に戻るのだった。もっとガッついて質問してくるのでは? と考えていた巧は軽い肩透かしを食らう。

 

 

 朝の海上警備、遠征、今日のノルマの出撃任務に出張る艦娘たちが食堂から出ていった後。すっかり静かになったこの場所で、非番にしてもらったという摩耶と、巧は遅れて朝食を摂ることにする。

 

 選べるメニューはかなり豊富で、ごく普通の和食から、今のご時世じゃなかなか見ない本格的な洋食まで取り揃えてある。尤も巧に朝からカツ丼やドカ盛りのカレーを食べる習慣なんてないので、ここもまた無難に和食を頼むことにした。

 

 隣に摩耶、自分の向かいに緒方、そして斜め向かいに遅れてやって来た、先程執務室で見た弓道着の女性、名前を加賀というらしい彼女の4人で朝メシの時間に入る。魚に手をつけ、ワカメの味噌汁をすすった後、今後についてと、気になったこと幾つかを、巧は横の親友や対面していた男に聞いてみる。

 

「あの、緒方さん」

 

「なんでしょう?」

 

「仕事って……いつまで続きますかね。期間によっては親類に連絡もしたいし、持ってこれなかった家具とか用意しようかななんて思ってるんですが……」

 

「それが、私にはわからないんです」

 

「え゙」

 

「実は貴女の身柄を確保するように、なんて言われたのが貴女に会った日に突然上から言われた命令でして……それ以外何も。何回か上層部に質問の連絡も入れたのですが、面倒を見ながら監視しろとしか言われず……」

 

「つかさ、なんで巧ここに連れてこられたんだ? 昨日聞くの忘れたから今聞くけど?」

 

「ナンポーセーキってのに似てるからだってさ」

 

「はぁ!? ……言われてみれば確かに似てる気がするな」

 

「でも人間じゃないんでしょ?」

 

「おう、キャノン砲の弾を素手で弾き返せるらしいぜ。ハエ叩きみたいに」

 

「………………はい!?」

 

 友人の口から、初めて聞いた情報が漏れてきて。彼女は机を挟んだ2人に視線を向ける。ヤバいと口走りそうな顔になっていた彼、彼女に巧は少し言葉に怒気を含んで言う。

 

「どういうことですか、緒方さん。出来るわけ無いじゃないですかそんなこと!」

 

「いやぁ、あははは」

 

「あははじゃないですよ!」

 

「落ち着けよ巧。提督だって仕事でやっただけだし。工事現場で足場組んでる奴らに、建築会社の社長の考えなんてわかんないだろ?」

 

「……すいませんでした」

 

 貯まったストレスがほんの少しばかり爆発した彼女を、摩耶が宥める。流石に言い過ぎたな、なんて思って落ち着いた巧が、朝食の続きに戻ろうとしたときだった。

 

 

 「はい、どーん」という棒読みな声と同時に、彼女の目の前が真っ暗になった。一瞬意味がわからず、巧は混乱する。そして段々と視界が晴れてくると、3人が自分の後ろを見て唖然としているのが見えた。

 

 

 そして巧も数秒してからやっと自分の状態を把握した。どうやら背後から近付いてきた誰かに茶碗を顔に押しつけられ、味噌汁を頭から被ってしまったようだ。

 

「テメッ……」

 

「天龍、何をしているの!」

 

「あぁ? 見てわかんねぇかよ、知らねー奴が居たから脅かした」

 

 巧は味噌汁濡れになった顔の向きを変えて、背後に立っていた、今まで黙っていた加賀から「天龍」と呼ばれた女性を見る。着崩した服に顔に眼帯と、見るからにチンピラっぽい格好で、表情もなんだかスレている感じだ。

 

 腹が立つよりも先に、初対面の人間にこんなことができるなんて凄い神経だなとどこかずれた感想を抱いていると、その天龍とやらに摩耶が突っ掛かる。

 

「やって良いことと悪いことがあるだろうが!!」

 

「マコリン、それより何か拭くものないかな……」

 

「……キレねぇのかよ、府抜けてんな?」

 

「え? いや、別に……」

 

 怒鳴る親友を止めて、先にタオルを所望したところ。場を嫌な空気にした張本人に、興味がなさそうに巧は返す。そんな彼女の様子を見て失望したような顔を見せる天龍に、当たり前だが緒方が凄む。

 

「天龍、今すぐその人に謝れ」

 

「ンだよ、ただのアイサツだよアイサツ。じゃぁなモヤシ女」

 

「天龍!!」

 

「あの野郎……大丈夫か巧?」

 

「…………いや、ちょっと感動してる」

 

「はぁ?」

 

「自分の中の軍人のイメージだな~って。良い子ちゃんばっかでなんか変な感じだったもの。これ、絶対一人ぐらいスレてる人居るよな、みたいな?」

 

「………変わってんな。お前」

 

 こいつ頭大丈夫か的な顔で摩耶に言われた後に、緒方と加賀から「すいません!」と謝罪を受けて。実のところ見た目でいじめを受けるだなんて昔は日常だった彼女は何とも思わなかったので、大丈夫です、と言っておく。

 

 退屈はしなさそうだな。服を汚されるのはちょっと嫌だけど。濡れたパーカーを脱いで半袖姿になり、内心はそんなすごくどうでもいいことを考える巧だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




シリアスはありません。最初から最後までゆる~いネタ方向に走り抜けます。


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気分はコミュニケーションブレイクダンス

2話連続投稿オシマイ。 明日からは更新がまちまちになると思います。


 

 

 

 味噌汁まみれから、鎮守府に勤めていた職員の男性から貰ったどぎついピンク色の作業着に着替えて。予定されていた、理由は不明だがやるのを強制された採血を済ませて、巧は早速今日から仕事に入る。

 

 午前中は艦娘たちが使う、艤装というらしい装備の簡単な整備についてのレクチャー、昼過ぎからは建物の中の掃除と、車で通っている人達の車の洗車をする……のが普通業務だが。巧は新人なので、これから一週間ほどは一日全部機械の整備仕事だという事を聞き、一通りの事を覚える。

 

 昼を済ませ、すぐに別練の作業現場に戻り。テレビでは聞いていたが、ずっと本気にしていなかったが実在した、妖精さんと呼ばれる手のりサイズの2頭身の小人(?)から色々と指示を受け。巧は目の前で鎖で天井からぶら下がっている艤装を弄ったり、汚れを落としたりする。

 

「もっとへこんでるとこを重点的に……そうそうそう、ねーちゃん上手だね!」

 

「そうでしょうか?」

 

「新入りで、しかも女でここまで機械弄れるなんてレアだね。あそこのおっさんなんて俺が3ヶ月教えてもヘタクソでさぁ」

 

『誰がおっさんだクソチビ!! 俺はまだ30にもなってねぇよ!!』

 

「口動かすんなら手ェ動かせこのバカチン!! な? 全く最近の若いのは……それに引き換えねーちゃん、アンタ気に入ったよ俺は!」

 

「あははは……?」

 

 自分の肩に乗って教育係をやってくれている彼(性別はあるのだろうか?)が言った言葉に、どれだけ地獄耳なのか、敏感にそれを聞き付けた、奥の方で作業中だった男性の叫びが巧の持ち場まで聞こえてくる。

 

 艤装というものを触るのは初めてだったが、機械関係の資格を大量に取得していた彼女には実のところ、大した仕事ではなかったのが誉められた要因だった。というのも彼女が卒業した専門学校は、バラバラにした車のエンジンを説明書なしで組み立てられるようになるまで、卒業を許してくれないようなスパルタ教育だったのである。部分部分は違うとはいえ、意外と構造が似通った機械の、それもただ掃除するだけなんて朝飯前だった。

 

 外さなければ細部まで綺麗に洗えない部分を、ボルトを外した後にノミを差し込んで金ヅチでゴンゴン叩いて分解し、高圧洗浄機で水を当てていく。

 

「初心者とかヘタクソは、こーゆーとき動きが違うんだよな」

 

「といいますと?」

 

「今みたいに思いっきりぶっ叩かないと固まって外れない部品とかさ、心配してコンコン叩いて取ろうとするワケ。テメェらチンコついてんのかって。そんなやり方じゃ日がくれて年が明けても外れねーってんだ」

 

「ちょっと叩きすぎたと思ったんですが」

 

「いいよいいよどうせ交換する消耗品だし。女々しくやって時間遅れるよりマシだわな。ある程度は割り切らないと」

 

 そんな適当で本当に大丈夫なのかな……!?

 

 手にとった部品を洗っていたところ、明らかにヒビか何かを板金溶接らしきもので強引に塞いだ痕跡を見つけて、巧は肩でへらへら笑っている妖精にひきつった笑いを向ける。こんな雑な仕事で命に関わる事故でも起きたら、裏方担当としては寝覚めが悪いどころの騒ぎじゃない。というわけで、心持ちさっきよりも部品を外す力を押さえ気味にする。

 

 

 意外とカンタンとはいえ、そこはまだこの仕事をやり始めたばかりの初日。熟練スタッフが一時間ほどで終わらせる作業を、慎重にじっくりと倍の時間をかけて、なんてやっていると休憩の時間に入る。

 

 適当な場所に椅子を置いて、どうやって時間を潰そうかと考えていた時。彼女と作業員がたむろしていた場所に摩耶と加賀がやって来た。職場に馴染めているかと様子を見に来たらしい。

 

「よっ。おつかれさん」

 

「職場には馴染めそうかしら、南條さん」

 

「はい、なんとか」

 

「この嬢ちゃんすげぇんだ、教えたことスポンジみてぇに覚えて、しかも実行できるから楽でいいぜ」

 

「あら、期待の新人さんってところかしら?」

 

「そんなんじゃないですよ。出来ることからやってったら、意外とやれちゃっただけで。それに妖精さんは教えるのが上手です」

 

「よせやい、照れるぜ」

 

 摩耶から差し入れにと渡された、パックの百パーセントジュースを飲みながら、先程まで手入れをしていた、意外と車のエンジンと整備の仕方の似通っている、見た目もなんだかエンジンに大砲と煙突を付けたもののように見えなくもない艤装の機械をぼうっと眺める。

 

「さっきはごめんなさいね。天龍を止められなくて」

 

「いつもあんな感じなんですか」

 

「えぇ、困ったことにね……」

 

 巧の軽い質問に、答えたと同時に真顔で黙ってしまった加賀に替わって、次に摩耶が口を開く。

 

「いい加減なんとかしてぇもんだよ。あんな二十歳に届くかどうかなガキ、提督の許可さえおりりゃ軽く捻ってやんのに……でさ、巧。なにすればアイツ止まるかな」

 

「さぁ? ゲジゲジかカマドウマでも投げつければいいんじゃない。あの子も一応オンナノコでしょ?」

 

「……女としてそれはどーなのさ……つかそんなもん軍手はいてても触りたくねーよ」

 

「カマドウマって?」

 

「えっとね、デッカくてキモいバッタみたいなヤツ」

 

 巧と摩耶の言った聞き慣れない単語に、気になった加賀は自分のスマートフォンを使って早速検索してみることにした。……数秒後、検索ページの先頭にでかでかと出てきた、黒っぽい色でやたらと脚の長いバッタの仲間の参考画像を見て、死ぬほど後悔するハメになったが。

 

「ま、まぁその虫をぶつけるというのは置いておいて……何とかしないといけない問題なのよ。特にこの頃は酷くて」

 

「やっぱり他の子に弱いものいじめとか、いびりとかいれて?」

 

「当てて欲しく無かったわその事は……彼女は、素行不良で最近提督から出撃を停止させられているの。でもそれがかえってフラストレーションになったわけで」

 

「緒方もバカだよ。親も海軍の坊っちゃんだからしゃーないけど、不良根性がわかってない。言葉とか始末書程度じゃ収まんないよ。それどころか体動かさなくなったら矛先は他の人間に向くだけだっつの」

 

「あ、お偉いさんの息子さんなんだ」

 

「そうそう、この加賀もボンボンだよ」

 

「家が金持ちで悪かったわね、何か文句があるのかしら」

 

「あるぜ、アタシや巧の貧乏根性を理解してくれないし、世間知らず!」

 

「それは、その……」

 

 摩耶に痛いところを突かれ、加賀は落ち着かない様子だ。そんな彼女を見て巧は笑う。真面目な話をしていたはずが、いつまにかに和やかムードな雑談に変わっていた。

 

 数分ほど3人が話し込んでいると、休憩時間が終わり。巧に激励の言葉をかけてから、二人はそこから退散することにした。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 巧と離れ、また緒方と書類仕事があると加賀とも離れた摩耶は、適当に鎮守府の敷地をぶらぶら歩いていた。客である巧にここのルール、案内をするのが今日の仕事だと言われ、半ば休日に近いこの日だが、一応仕事の日扱い。敷地から出て遊びには行けないので適当に暇を潰そうとしていたのだ。

 

 駐車場のほうにまで歩き、そこに止めてある自分の白黒ツートーンのミニクーパーを眺めていた時だった。前に視線を戻すと、ここ最近の鎮守府の問題児が立っていた。天龍である。

 

 謹慎中で本当なら部屋から出たら、また始末書を書かされるはずだがこっそり抜け出してきたのか。タバコを吹かしながら、こちらを見ていた相手に。摩耶は軽く挨拶をしておく。

 

「おす。元気か」

 

「…………」

 

 自分の顔をみて、無言で眉間にシワを寄せてきた彼女をなんとも思わず。少し距離を挟んで横に立ち、摩耶は続ける。

 

「あんまりヤンチャしすぎんなよ。アタシも昔は不良だからなんも言わないケド」

 

「うるせぇ。俺に指図すんじゃねぇ」

 

「あっそ。じゃ、黙っとこうかな?」

 

「……んだよテメェ。なんか用か?」

 

「いや、ちょっと忠告しとこうかと思ってさ」

 

「あ゙?」

 

 摩耶の言葉を聞いて、天龍は頭にでも来たか、くわえタバコのまま声を低くして凄む。もっとも学生時代に一通りの「悪いこと」を網羅していた摩耶には、6、7歳も年下の彼女がまったく怖くなかったが。

 

「学生の時にたっくさん居たんだよね。お前っぽいやつ。アタシ頭良くなかったからそういう学校だったんだけど」

 

「……………」

 

「で、ぶっとばされるヤツも多かったワケ。悪いことは言わないからサ。お前、巧にケンカ売りたいんだろ? 絶対勝てないからやめたほうが」

 

 摩耶が言い終わらないうちに、天龍は地面に落ちていた鉄パイプを拾うと、何のためらいもなく彼女に振りかぶる。間一髪たまたま横を向いて気が付いた摩耶はそれを避けると、相手が掴んでいた鈍器を奪って、その辺の道の植え込みに投げた。

 

「っぶねーな!! コノヤロー!!」

 

「あんなモヤシに俺が負けるだと? 何先輩ヅラして上から物言ってんだ、顔面剥がしてぶっ殺すぞ?」

 

「へいへい。何いってもやんのね。怪我してもアタシしらねーからな」

 

 一瞬の出来事だったが、自分よりも喧嘩が強いと察したのか。ばつが悪そうに捨て台詞を吐いて、タバコの吸い殻をポイ捨てしながら天龍は建物の中に戻ろうとする。

 

 その、彼女が捨てたゴミを「行儀悪いな」なんて言って拾いながら。思い出したように、どこかに歩いていく天龍へ、摩耶は声を張りながらこう言うのだった。

 

 

「アイツの友達だから、最後に一つアドバイス。巧、めっちゃケンカ強いから気ーつけてね」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 午後7時。今日はここで終わり、と年下の先輩スタッフに言われた巧は、また時間を見計らって様子を見に来た摩耶と、仲良く肩を並べて建物に戻る途中だった。

 

 街灯でぼんやり照らされているコンクリート道をとぼとぼのんびりと歩いていると。ふと、聞くのを忘れていた、ずっと気になっていた事を、巧は摩耶に聞いた。

 

「そういえばさ。なんでマコリンみんなから摩耶って呼ばれてるの。改名したの?」

 

「艦娘としての名前で呼ばれるんだよ、少なくともこの建物の中じゃな。ホラ、よく戦争モノの映画で見るだろ、「五番、挨拶がなってなぁい!」とかさ」

 

「あぁそういう」

 

「めんどっちいだけだよ。みんなお前みたいに呼んでくれたほうがわかりやすい」

 

「へぇ。あとさ、艦娘って給料良いの? 一応国家公務員なんでしょ」

 

「やめとけ、そこそこだけど割に合わないよ。昔はもっとヤバかったらしいけど今でもけっこう危なかったりするし、何より休みが取れない。運がないと土日にスヤスヤ寝てるときにスクランブル召集だぜ? たまったもんじゃないよ……」

 

 「実際、2回ぐらい死ぬかと思った」と平然と言う親友に、違う世界に住んでいるなと思い、苦笑いでもって返事とする。

 

 話し込んでいるうちに、いつの間にかに景色は外から屋内に変わり、歩いていた場所も建物の長い廊下へ、そして朝、巧が顔に味噌汁をぶつけられた食堂に二人が話を続けながら並んで入っていく。

 

 女性……というよりは女の子の悲鳴が二人の耳に届いた。

 

 何かと思って早歩き気味に食堂に入る。巧は意外、摩耶はなんとなくは予想通りといった顔つきになった。何が起こっていたかと思えば、今日も度々話題に挙がっていた天龍が、誰かを椅子から引きずり下ろし、床に寝そべったその子を蹴り飛ばしていたのである。仕事終わりの時間は人によってまちまちということもあり、朝ほど大所帯ではなかったが、そこにいた他の艦娘たちはその様子を黙って見ていた。

 

「なんだァ、グチグチ言いやがってよォ、痛くしねぇとわかんねぇのか!?」

 

「やめて、天龍ちゃん!」

 

「うるせぇ!! 俺に指図すんなっつってんだろうが!!」

 

 自然に体が動く。巧はすぐに天龍の胸元にラリアットでもかますように、しかしあまり力まないように左腕を入れて、蹴られていた子から引き離し、摩耶は倒れていた艦娘を介抱する。

 

 慌てて二人が割って入ると、それが当然のごとく、天龍は怒鳴ってきた。

 

「ちょっと落ち着こうか」

 

「ンだとォ!?」

 

「おい大丈夫かよ。何があったんだ?」

 

「……ん……んぅ……」

 

「こんなにぼっこり腫れて、骨折してんじゃねぇのこれ。天龍、他人に怪我なんてさせたら辞めさせられるぜ?」

 

「どいつもこいつもうるせぇな、俺が誰を殴ろうが俺の勝手だ!」

 

「だいたい何があったんですか、いくらなんでもやりすぎですよ」

 

「何で俺がてめぇに話しなきゃなんねぇんだよモヤシ女、ナメてんじゃねぇよ殺すぞゴラ?」

 

 状況の説明を頼むと、天龍が完全に頭に来ていると言わんばかりの表情と態度で言ってくる……のだが、女性ながら身長が180近くもある巧が相手だったので、見上げる形で言うことになり。残念ながら迫力に欠けていて、巧には彼女がちっとも怖くなかった。

 

「謹慎中って聞きましたよ。だいたいこんな問題起こしたらまた現場に戻るまで時間かかっ」

 

 巧が話していた隙を狙って。

 

 天龍は机に並んでいた食器を掴み、目の前で説教を垂れる巧に投げつけた。咄嗟に彼女は腕で顔を守ったが、朝と同じく全身スープ濡れになる。嫌がらせを食らわせた張本人は涼しげな顔で、悪びれもせずに暴言と嘲笑混じりに話す。

 

「部外者なのに首突っ込むんだ、へぇ? 黙ってろっての聞こえなかったか? 耳くそ詰まって聞こえてないんじゃねーの?」

 

「………………」

 

「なんだ、ここまでやられてパンチ一発してこねぇ腑抜けかよ。どうした俺に膝つかせてみろよ」

 

 体を濡らしたまま、ずっとうつむいて床に視線を向けていた巧に、言いたい放題に悪口を言う。はたからみれば、チンピラ紛いの行動をとる天龍を怖がっているようにも見えなくはなかったが、摩耶は巧が拳を握り、体を震わせているのを見て、急いで他の艦娘に小声でその場を離れるように言う。

 

「やばっ……みんな、離れろ早く」

 

「なんで?」

 

「離れるんだよ、つべこべいわずに!」

 

 周りで様子を伺っていた数人をテーブルから引き剥がし、巧の様子を見守る。すると、そんな摩耶に彼女は声をかけてくる。

 

「マコリン……流石にキレそう」

 

「え゙……まぁ、ほどほどにね?」

 

「くっちゃべってねぇで、オラ、来いよ、ビビってんのか…………」

 

 

「ぜんぜん?」

 

 挑発してきた相手への短い肯定の返事と共に。巧は音が置いていかれるような速度で右手を振りかぶり、天龍の頬に叩き込み、そのまま殴り抜ける。完全に不意を突かれて、クリーンヒットを貰った眼帯の彼女はワケもわからず背中から倒れた。

 

「立てよ、痛くしないとわかんないんでしょ」

 

「げぅっほっ! ごっ……、てめぇ!!」

 

 

「晩御飯の時間楽しみにしてたのに!! こんちきしょう!!」

 

 

「べっ゙……!?」

 

 なんだかほのぼのとした発言と共に、鳩尾にヤクザキックを入れられて、ツバを飛ばして椅子が積んであった後方に飛んでいった天龍を見て。周りに居た艦娘たちは唖然とする。

 

 基本的に艤装をつけていない時は普通の人間と同じくらいの身体能力とはいえ、毎日体を鍛えている、そう簡単にぐらつくほど体幹がヤワではない艦娘を蹴り一発でぶっ飛ばしたのである。しかも相手は何をしてくるかわかったものではないようなチンピラモドキ。こんな行動を堂々とできて、しかも実行して効果が得られた巧に、摩耶を除いたほぼ全員があんぐりとした表情になる。

 

 派手に倒れた相手を他所に、巧がかけていた眼鏡が壊れないようにと外して机に置いた時。天龍は近くにあった椅子を掴み、両手で持ち上げたそれで懲りずに巧に向かって殴りかかる。……が、それも無駄に終わった。

 

 鈍器代わりの椅子が降り下ろされる直前に、離れるどころか天龍の目の前まで近付き、巧は彼女の腕を掴んで逆にそれを取り上げて、背もたれの部分で思いっきり彼女の頭を叩いたのだ。

 

 背もたれを突き破って巧と対面した天龍は。軽い脳震盪でも起こしたか、白目を剥いていた。

 

「おりゃー!!」

 

「お゙ゔっ」

 

 ケンカの強さ、とっさの対応力。その他諸々、結局すべてにおいて巧の下をいってしまっていた天龍は。彼女にパンチ一発食らわせることなく、そのまま食堂の床に、白目のまま気絶しながら崩れ落ちたのだった。ちなみにこの時も彼女の首には、むち打ち患者の首コルセットのごとく椅子がくっついたままである。

 

 

 

 やっちまった。そう思ったときには全てが後の祭りであり。巧はそのまま、いつの間にかに事情を聞いて食堂に来ていた緒方と加賀に連行されてしまった。

 

 

 

 

 

 

 




ネタバレ→響は右手の小指の骨を折る大怪我を負いました(白目)


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ベスモって言ったら通じる?

お待たせしました、今回から自動車タグが息をし始めます。できる限り、車がわからない人にも理解できるように推敲しましたが、限界もあると思います。ご了承下さい。


 

 

 あのあと色々あったが、巧はお(とが)めナシだった。この処遇に一番驚いたのは彼女自身だったのは言うまでもない。

 

 2度もアツアツの汁物をぶっかけられ、「この機会にここの人達と仲良くしよう!」と思っていた時間を潰されて頭に来てしまい、刹那的な目的で目の前の女を張り倒して気絶させたわけだが、だんだんと脳内がクールダウンして冷静になった巧は、大袈裟だが「今後の自分の人生は刑務所だ」レベルの妄想をするぐらいの超絶不安を抱えていたあの日だったのだが。天龍に怪我をさせられた艦娘、銀髪が綺麗な響という名前の彼女と、その他大勢の艦娘が「遅かれ早かれこうなるのはわかっていた筈だ」と緒方を説得したため、巧は、せいぜい時間外労働が少し増えたぐらいで、何もなかったのである。

 

 本当に、本当にこれ以外に何もないのかとおどおどして過ごしていたものの、軽い乱闘騒ぎがあった日からもう一週間近く経過しており。流石に大丈夫かと巧は業務に集中する日々を送るのだった。

 

 まぁ、残念ながらただの新人スタッフとして働く日々はあの日から終わりを告げたが。

 

 すっかり馴れた手付きで部品を外した艤装に水を掛けながら、部分的に機械用の洗剤をかけて汚れを落としていた時。巧は隣にいて、作業がぎこちない自分の「部下」に軽い指示を出す。

 

「あ、そこそんなに力まなくても取れるよ」

 

「はっ、ひゃい!!」

 

「………ッ。…………?」

 

 青ざめた顔で、声を裏返しながら返事をしてきた、自分や他の整備員と同じくピンクの作業着姿の天龍に。若干びっくりしてから、まだ緊張はほぐれない様子かと巧は思う。逆の立場で考えればしようがないかとも思えたが。

 

 「一週間の間、自分が挑発して怒らせた相手と同じ空間で、密着しながら8時間仕事をしろ」だなんて言われれば誰でも気分は最悪だろう。しかもその相手は喧嘩を吹っ掛けたらぶちギレて椅子で叩いて気絶させてきた、といういらないオマケ付きなのだ。イタズラして怒らせたという非が自分にあるとはいえ、この罰ゲームに喜んで取り組む阿呆はそんなに居ないだろう。

 

 気絶するほどの衝撃を受けた彼女だったが、実のところそこまで大怪我もしていなかった。頭を叩かれた椅子が簡単な作りの、安物のキャンプ用のパイプ椅子だったので、背もたれの部分がそこまで頑丈ではなかったのである。しかし気絶は気絶。普通ならトラウマものだ。

 

「……ごめんね。あのとき、叩いちゃって」

 

「いえ、とんでもないッス!!」

 

「いや、ホント、ぜんぜん悪口とか陰口とか叩いてもいいんだからね?」

 

「絶対に言わないッス!!」

 

 あの一件以来、天龍は完全に前の彼女とは180度方向性が変わり、大人しくなった。後から摩耶に聞いた話によれば、適性のある人間しかなれない艦娘という貴重な人材にはなかなかキツく怒れないらしく、天狗になって調子に乗る社会人一年生な艦娘が多いとのこと。まさにその仲間だった天龍には、スライムだと思って喧嘩を売った相手がギガンテスだったのが相当堪えたらしい。

 

 全ての指示に「マム!! イエスマム!!」みたいな受け答えでしっかりと仕事をこなしてくれるのは嬉しい(?)けれども、いつかはもう少しフランクな関係を築きたいな、と機械と格闘している彼女を見る。そうして巧も作業に打ち込んでいると、午後の休憩の合図を、前に巧の肩にのって彼女を指導していた妖精が、よく響く声で言った。

 

「3時だから一回休憩!! 20分したら巧ちゃんは外に洗車、他は本館の掃除よォ~」

 

「「「了解~」」」

 

 気の抜けた声は、腑抜けたような印象を受けるが、しっかりと仕事はやるスタッフたちに混じって二人が返事をする。

 

 巧は椅子に座って、机に向かった状態で思いっきり伸びをする。そして、すっかり当たり前のように摩耶と加賀のどちらかが机に置いていくようになったジュースを手に取り、水分補給。天龍は何をしているかな、と顔を横に向けた。

 

 すると、何やら二人組の小柄な艦娘に絡まれていた。彼女があのとき暴力を振るっていた、なぜか小指の骨が折れた程度の怪我しかなかった響、そしてその姉の暁という彼女たちがここに来るのも、ここ最近は日常の一部になっていた。余談だがこの暁、最初に巧が鎮守府の敷地に入って話しかけた、叫び声をあげて逃げたあの艦娘である。

 

「響の右手の小指は高いわよ!! モスバーガー5個分はするわ!!」

 

「ピザのほうが食べたいな」

 

「申し訳ございませんでした……」

 

 緒方から聞いた話によれば、なんとこの二人、天龍よりも年齢が2つ上なのだ。普通の会社なら懲戒免職モノである。「艦娘でよかったなアイツ」とは摩耶の談だ。この二人は何が目的かといえば、しょっちゅう作業場まで赴いては、ちょっとばかりお高いご飯代を天龍に要求しているのである。

 

 …………やっぱり、いくらなんでも自分はやり過ぎたのでは。周りの大人に恐縮してすっかり(しな)びた野菜状態の天龍を見て、巧は思った。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 休憩の時間が終わり、巧は天龍とは別行動になる。彼女はバケツと、蛇口に繋がっている放水ホースを持ち、肩に大きなバスタオルをかけて駐車場の方まで歩いてきた。

 

 洗車については、巧は大得意である。なぜなら弁当屋の前はディーラー勤めで、一日何台もの車を鏡並みに輝くまで磨いた日々を経験しているのだ。給料が安かったので転職に繋がったが。

 

 こちらに来てからというもの、あまりジロジロとは眺めていなかった鎮守府の駐車場を、洗車用品を入れたバケツ片手にじっくりと目を通してみる。

 

 ハスラー、N-BOX(エヌ ボックス)、メーカー不明の軽トラと軽自動車が3台。シエンタ、ヴェゼル、フリード、ミニクーパーといった普段使いで乗りそうな乗用車が4台。そしてその隣に、RX-7(アールエックス セブン)CR-X(シーアールエックス)といった車好きしか乗らなさそうないかにもな車種が、自分のインプレッサも含めれば3台。けっこうバラエティーに富んだ種類の車たちが居るこの場所に、意外といった感想を持つ。

 

 軍の構成員だなんて職業の人達が勤める場所なので、レクサス、BMW(ビーエムダブリュー)、アウディ辺りがひしめいているイメージがあったのが原因だった。だが彼女の予想に反し、なんというか普通の中の普通とでも言うか、アパートの駐車場に居るような庶民的な車しか止まっていない。

 

「………………スゴいなこれ」

 

 が。その庶民的な車達の中で、異彩を放つ一台に、巧の目は釘付けになった。濃紺色のCR-Xである。

 

 自分が言えたことではないが、かなり年式の古い車で、もう20年、下手をすれば確か30年は昔の車なのだ。よっぽど車好きか、これに思い入れが無ければ整備、維持費その他で金が湯水のように消える車で、しかし古さを感じさせない、少しくすんではいるが綺麗に磨きあげてあるのがなんとも違和感を感じさせる。

 

 他の車と見比べる。スポーツカー2台は例外として、デザインが大きく違うのが解る。最近の車は様々な規定をクリアするため、どれも似たり寄ったりでボコボコモッコリな見た目なのだが、これは違う。地面に吸着するような前高の低さに、シュッと絞られたフロントと、なんというか見るからに「速そう」なデザインだ。

 

 どんな人が乗っているかな、とまで巧が考えたとき。背後から女性が呼び掛けてきたので、慌てて体の向きを変える。

 

「綺麗だろそのCR-X。自分の車だぜ」

 

「あっ、ごめんなさい。ジロジロ見ちゃって」

 

「いいよ別に。そこのGC8((巧のインプレッサの形式番号))、アンタのなんだろ? いい車じゃないか。好きなのか? ドライブとか」

 

「いえ、お父さんから譲ってもらって名義変更した物で……えーと」

 

「悪い、名乗ってなかった。人の名前も艦娘の名義も「那智」だ。下の名前は知美(ともみ)。よろしく」

 

「南条……」

 

「たくみ、だろ? 摩耶から聞いた。色々ね」

 

「はぁ……?」

 

 一瞬髪型で加賀と見間違えたが、彼女と違う紫色の服と、彼女よりもつり目で背が高いので違う人物だと認識すると、向こうから自己紹介を貰う。

 

 マコリンから聞いた、とはやっぱりあの話題だろうかと内心ヒヤヒヤしていると。予想は当たっていたらしく、彼女はその事を話し始めた。

 

「遠征任務でここを何日か空けてたんだが、戻ってきてすぐにウワサを聞いてね。南方棲鬼に似てるヤツが、暴れてる天龍をぶちのめしたって」

 

「おぉ~ン……いやぁ、その」

 

 弁解の余地はまったくない相手が言ってきた事実に、思わず変な声が漏れるが、それに気づかず目が泳ぐ。そんな巧の様子を見て、薄く笑いを浮かべながら、那智は補足をいれてくる。

 

「何も批判しに来た訳じゃないんだ。アイツのあの様子ならどーせ誰かにシメられるのは時間の問題だったからな。逆に仕事が減ったと喜ぶやつまでいるぜ?」

 

「それ本気で言ってます?」

 

「ウソ言って何になるのさ。因みに私はな、どんな暴れん坊みたいな奴かと貴女の顔を見に来た。予想の5割増しに優しそうな顔つきで拍子抜けしてたところだな」

 

「あ、ありがとう?……ごさいます。」

 

 けなしているのか誉めているのか、真意を図りかねるコメントだったが、相手の表情からして悪意があるような気はしなかったので、とりあえず礼を言っておく。

 

 無駄話をしている場合か、仕事に入らねば。そう思った巧は思考を切り換えて、ホースにくっついたシャワーのスイッチを入れてトリガーを引き、車に水を撒こうとしたとき。那智から待ったをかけられた。

 

「私の車を一番最初に洗ってくれないか? 新人サマの腕前が見たいんだ。ここで観てるから」

 

「別に構いませんが……ちょっと緊張します」

 

「あまりかしこまらなくていい。やりたいようにやってくれ。なんならキズ2、3個つけても怒らないし」

 

「とんでもない」

 

 気は進まなかったが、言われた通りに。巧は彼女のCR-Xから洗車に入ることにする。

 

 

 一番最初に取りかかるのはタイヤだ。洗車機にぶちこんで終了、なんてカーライフを送っている人にはわからないが、多少慣れている人には鉄則である。

 

 棒つきのタワシを水を張ったバケツに入れて湿らせてから、巧は遠慮せずにそれでタイヤのゴム、ホイールのリム、スポークの順に擦っていく。無知な人はボディから取りかかるらしいが、それだと最後にタイヤを洗って泥や砂、ブレーキダストが飛び散り、綺麗に仕上がらないのだ。

 

 しょっちゅう汚れる場所なのでここはサッと5分かそこらで4本とも仕上げて、次に車体に取りかかる。下準備としてシャワーで適当に全体を湿らせて、まんべんなく水で濡らした後、適当な布切れか車用のハンディスポンジで擦って下準備は完了だ。今回のような黒系の車は汚れが見えづらいので、気持ち念入りに拭いておく。

 

 準備が終わり、巧は一回バケツの水を拭いた車体にかけて、再度濡らす。そしてもう一回バケツに水を入れると、カーシャンプーを入れて素手でかき混ぜ、泡立たせる。作った泡に台所用品と同じスポンジをくぐらせ、早速それで拭く……のではなく、定点的に溶液を車体に垂らしていく。全体で50ヶ所ほどに垂らしてから、巧は磨く作業に入るのだった。

 

 これまた拭き残しが出ないように、そして拭いた跡が残らないように、円を描くのではなく、一列拭いてずらして、と規則的に洗っていく。車が溶剤の名前通りにシャンプーをした頭のように泡まみれの状態になると、一息ついてから巧はシャワーで流していく。

 

 そして最後に。彼女はずっと首にかけていたバスタオルで車に残った水分を拭き取る。ここをしっかりとしなければ水垢が残り、頑張りが無駄になってしまう。

 

 20数分後。先程はくすんでいた車のボディは見違えるほど美しく、人の顔が綺麗に映るほど輝きを取り戻していた。

 

 

「スゴいな……洗車だけでこんなに見違えるか。新車か塗り替えたばかりみたいにピカピカじゃないか」

 

「そう言って頂けると嬉しいです」

 

「いや、ありがとうな本当に。ここの奴らは整備は任せられるぐらい上手いんだが、いかんせん洗車がヘタクソでね。時間を見つけて自分でやろうと思ってたんだ。でもお前さんなら安心して任せられそうだ」

 

「いえ、こちらこそ、ありがとうございます」

 

 仕事で誉められるのは気分がいいものだ。巧が若干頬を緩めて照れていると。また近くに誰か寄ってくる。那智の仕草に気付いて後ろを向くと、今度は正真正銘、加賀が来ていた。

 

「楽しそうね。何か話していたの?」

 

「加賀さん。どうかしたんですか」

 

「提督から貴女の監視をと。本当は不知火の予定だったけれど彼女は急用が入ったから代理よ。無いとは思うけど、天龍みたいに暴れたら拘束するようにって」

 

「うわぁ……仕事増やしてごめんなさい……」

 

「ははは。君もすっかり問題児か。いいぞいいぞ、賑やかなのは悪くない」

 

「それで。話を戻すけれど、何で盛り上がっていたの?」

 

「私のCR-Xを彼女が洗車してくれてな。見ろよコレ。こんな綺麗にしてもらったのは久々だよ」

 

「しーあーるえっくす? っていうの。この車……長々と見るのは初めてだけど黒くてペタッとしてて、まるでゴキブリね」

 

「なんだと……と常人なら言うんだろうがな。その例え、間違ってない」

 

「というと?」

 

「こいつは一時期走り屋連中を虜にした車でね。当時、峠の暴走族といえばFR車が定番だったんだが、こいつはFF駆動でも物凄く速くて人気があったんだ。そしてついたアダ名が、今お前がいった通りの「ゴキブリ」だ」

 

「不名誉なアダ名にしか聞こえないのだけれど」

 

「逆だ逆、黒が人気の色でよく見掛ける、そして走るとめっちゃくちゃに速い。まさにゴキブリってわけだ。遅い車ならそんな称号は付かなかっただろうさ」

 

 よほど自分の車に愛着があるのだろう。短めのうんちくを加賀に披露しながら、那智は笑顔で、雲間から差す太陽光をキラキラと反射している綺麗にしてもらったばかりの愛車を眺めている。そんな少し興奮している彼女へ。何か考えていたような顔をしながら、加賀はこんな事を切り出す。

 

「……那智、聞きたいことがあるのだけれど」

 

「なんだ?」

 

「車って、持つと楽しいものなの?」

 

「人によるが自分は好きだぞ。アンタは?」

 

「えっ? あっ、いや、嫌いじゃない、ですけど」

 

 いきなり話題にのせられて、キョドりながら巧が返事をすると、それを聞いて、加賀は口を開いた。

 

「私、最近車買ったのよ。明石に勧められて」

 

「何、どんなのを契約とったんだ?」

 

「RX-7って車よ。確かあれと同じ名前よね?」

 

 加賀が指を指した方向にある、銀色のスポーツカーに二人の視線が向く。今回は少し割愛するが、こちらも日本を代表する有名な国産車だ。が、巧はこの発言を意外に感じた。まだあって数日しか経っていないが、この加賀という女性は「真面目という単語を擬人化したような人物」みたいな認識があったので、ヤンチャな人向けなあの車がどうにも似合わない気がしたのだ。

 

 当たり前だが巧以上に彼女とは付き合いが長い那智も意外に思ったらしく。本音を口から垂れ流しながら、加賀に応対する。

 

「セブンなんて買ったのか! いや、意外だ、お前のことだからコンパクトカーでも買うのかと思ってたよ」

 

「ちょっとみんなを脅かしたくて。一斉休日がある3日後、お店から乗ってくるから楽しみにしていて頂戴。」

 

「もちろんだ。車好き引き連れてここで待ってるよ」

 

 加賀の発言に、これ以上ないほどの笑顔を見せながら、那智はこの場から去っていく。彼女の様子を見た加賀も、いつもの真顔から心なしか少し口角がつり上がっているように見えなくもない。

 

 数分の無駄話も終わり。監視役の加賀から、「お仕事どうぞ」と言われて、巧はまだ洗っていない車を洗う作業に戻るのだった。

 

 このとき、どういうわけなのか。先程の会話から、謎の嫌な予感を巧は感じていたことを追記する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




7はFD3Sで那智のCR-Xはサイバーの方です。ここから趣味全快です。


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アラウンドなザワールド

サブサブタイトル=加賀さん、車を間違える

夜寝て朝起きたらお気に入り50件突破してて腰抜けるかと思いました(小心者


 

 

 

「このあいだサスペンションおかしくしちゃってさ、交換したんだよね」

 

「へー……ッ! すごーい、コレ、フジタさんとこの部品ですよね!?」

 

「お目が高いね夕張ちゃん!! それ高かったんだよね~」

 

「憧れるな~明石さんのFDいつ見てもカッコいいです」

 

「夕張ちゃんのシルビアだってさ………」

 

「いいな……俺も車買いたいよ」

 

 

 各地の鎮守府には、「一斉休日」という制度がある。これは何かというと、期日を決めてそこに所属する艦娘から提督まで全員に休日があたるシステムらしい。短くて2日、長くて1週間、その間は他の鎮守府や基地の艦娘に海域の警備を任せるとのこと。加賀がマイカーお披露目に指定したこの日の朝方、駐車場は少し賑やかになっていた。

 

 目の前で愛車について専門知識をひけらかし、一般人には聞いても意味がわからない単語ばかりで会話をしている、巧が採血をするときに立ち会った明石、夕張、オマケの天龍という3人を、巧と摩耶はぼうっと眺めて加賀を待っていた。すぐそばには巧が最初に出会った艦娘の不知火と、ここ最近で仲良くなった那智も居る。

 

 せっかく貰った休みの日だったのだが、やることもなく、家も鎮守府内部の寮とあって、暇潰しがてらに来ていた不知火は。なんだかよくわからない単語の飛び交う彼女らの様子に頭がこんがらがっていた。

 

「南条さん。明石さんたちの言っていることが不知火には全く理解できないのですが……」

 

「ははは……まぁわからないよね。っていうか普通はそうだから心配しなくていいと思うよ」

 

「だいたいなんなんですあのゴテゴテ、トゲトゲした厳つい車は。危なくないですか?」

 

「エアロパーツっていってね。簡単な話が車のお洋服。レースとかするなら必要な部品だけど、正直普通の人が乗る分にはただの飾りだよ」

 

 できるだけわかりやすく、彼女の目線に合わせて……世の車オタク君からは文句が飛んできそうなアバウトな説明で、二人が前にしていた改造車について巧は説明する。

 

 正直言って明石のRX-7と夕張のS15シルビアはこの中では浮いていた。なぜならこの鎮守府は、巧のインプレッサ、那智のCR-X、摩耶のミニクーパーとそこそこのスポーツ走行ができる車を、ほぼ外装はノーマルで乗っている人だらけだったので、攻撃的な外見の車は少々アウェーな雰囲気を纏っていたのだ。

 

 リアスポイラーは当たり前のようにGTウイング、ボンネットとトランクもまた打ち合わせしたようにカーボン製の黒い物を装備し、それらは塗装せずに見せびらかしたいのか地の色のままで装着。そんな2台と、那智の車を見比べる。

 

 後から知ったがCR-Xもボンネットはカーボン製らしいが、目的は軽量化の副産物でくっついてくる燃費の改善であって、彼女のほうはしっかりとボディと同色に塗ってあり。こういうところに持ち主の性格がハッキリ出てるよな、と巧が考えていたとき。いつのまにかに明石と夕張に囲まれていた。

 

「南条さ~ん?」

 

「はい?」

 

「貴女だけですよ? まだ車の紹介してないの!」

 

「いや、ほとんど純正ですよ」

 

「もったいぶらず見せて下さいよ……エンジンルームとか内装とか!?」

 

「ど、どうぞ」

 

 随分と熱が入った様子で鼻息を荒くしながら要望を言ってきた相手に、少し引きながら、巧は気圧されたようで、大人しく車のドアとボンネットを開け、後者は支持棒を立て掛けて押さえる。

 

「いや~GC8のエンジンルームって初めてみたな~。あ、エンジンのカバーは外してるんですね」

 

「あっても無くても変わんないですから」

 

「パワーはどれぐらい!?」

 

「馬力、ですか。弄ってないから、多分200かそこらですよ」

 

「勝った! 私のFDは400はあります!」

 

 結局自慢したいだけじゃねぇか!! とは言いたくはなったがこらえる。安全装置や機械制御の部品で今のギチギチな車の中身とは大違いな、割りと余裕のあるインプレッサのボンネットの下をなめ回すように見終わると。二人は今度はタイヤ付近や内装に目を向け始める。

 

 ホイールの隙間から見える大型ブレーキと、車の室内にあったある部品を見た瞬間。先程までは「なんだただの純正か」とでも言いたげな塩っぽい顔をしていた二人は、いきなり表情を変えて叫び始めた。

 

「えええぇぇぇぇ!? これもしかしてブレンボ!?」

 

「クスコですよねこの水色のロールバー!?」

 

「ですね」

 

「「すげえええええ!!!!」」

 

 勝手に興奮するオタク二人に、摩耶と巧以下四人は「うるせぇ」という感想を抱く。摩耶だけ口からこの言葉が漏れた。エンジンチューンが適当なのに、最高級品のブレーキと補強パイプが取り付けてあったのが相当意外だったらしい。

 

 早く加賀が来ないかな、といい加減この二人のテンションがうっとおしいと巧、摩耶、那智、不知火の四人が感じていたとき。離れたところから、スポーツカー特有の低く響くマフラーの音を聞きつけ、やっと来た!! と全員が駐車場の入り口辺りに視線を向ける。

 

 

 全員が予想していたのとは違う車が入ってくる。

 

 加賀が乗ってきたのは間違いなくRX-7だ。だが…………。なんだか嫌な胸騒ぎを感じ、窓を下げたまま入ってきた加賀に、巧は声をかけた。なんとも満足そうな顔を彼女はしていたが、巧の不安は続く。

 

「どう? 南条さん。この白いRX-7。ちょっと調子悪いけれど」

 

「すごいな加賀さん……でも、FDかと思ってたけどFCのほうなんですね」

 

「…………? えふしー? RX-7って名前じゃないの?」

 

「「「…………え゙」」」

 

 車から降りながら、巧の問いにそんなすっとぼけた反応を見せた加賀に、その場に居た全員が変な声を出した。当たっていて欲しくなかったが、巧の予想は当たってしまっていた。

 

 心配になった摩耶と那智も加賀に問い詰める。そして判明したこと。それは、彼女は「RX-7 FD3S」と「RX-7 FC3S」を間違って購入していたのだ。

 

 とんでもない間違いの買い物をしてしまったことに気づかされ、加賀はすっかり意気消沈してしまった。どうやって励まそうなんて巧が困りながら考えていたときだった。あろうことか、彼女を励ましていた摩耶と不知火の後ろで、車オタク二人+天龍がバカ笑いをし始めたのだ。

 

「ぐっ……ふふ……ふふふふふ」

 

「「「アーーハッハッハッハッハッ!! 加賀さん、間違って買っちまったってッヒィーー!! ヒフフハハハハハハハ!!」」」

 

「加賀さん、FDとFCじゃ全然違いますよォッフホホホホ!! これ、スポーツの引退選手みたいなもんですよFDから見たら!!」

 

「ハハハハハ!! ダメだ、おっかしぃ!! 駄目ですよ、無知でもちゃんと調べないとホフフフフヘヘヘヘ!!」

 

 大勢の前で見栄を切っておきながら、大恥をかき、そればかりか周囲から嘲笑われる。それがどれだけ辛いか。加賀は摩耶を振り切って何処かへ走っていってしまう。

 

「……………ッ!」

 

「あっ、ちょっと!! ……笑いすぎだお前ら」

 

「ちょっと追っかけてきます」

 

 慌てて加賀の後を急いで駆けていく、その前に。数秒だったが、「自重しろ」という意味で笑っていた3人を睨んでから、巧は彼女を追いかけた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 追いかけた先、建物の角に設置してあるベンチに加賀を見つけて、巧は歩み寄る。目を潤わせ、見るからに不機嫌な顔をしていたのは無視して、とにかく彼女との物理的な距離を詰めると。相手から先に声をかけてくる。

 

「来ないでちょうだい。あなたも私を笑いに来たの?」

 

「そんなんじゃないです。スゴいじゃないですか、加賀さんは自分の車持ってるんですから」

 

「バカ言わないで頂戴! あなただって持ってるじゃない。あっちに立派なスポーツカーが」

 

「アレは……父さんから譲ってもらったやつだし。正確には自分のじゃないですし……でも、あのFCは一から十まで加賀さんがお金を払った所有物じゃないですか…………その、誇れるコト、だと思います」

 

「誇れる……?」

 

 巧が発した言葉に、目から頬を伝った涙を拭きながら、加賀は耳を傾けた。

 

「ええ。もう30近くにもなって正確なマイカー持ってない私より、全然カッコいいじゃないですか。その、FCとかFDとか関係ないですよ。それにだいたいサーキットでも走るわけじゃないですし、馬力なんてあったって無駄なだけです」

 

「……………」

 

「あとはその……車の調子悪いなら、私とマコリンで直しますし。それから……」

 

「もういいわ」

 

「え」

 

「優しいのね。貴女は。……なんだか気分が晴れた。戻りましょう?」

 

 

 

 どうにかモチベーションが回復した加賀を連れて、巧は駐車場まで戻ってくると、早速彼女にボンネットのロックを解除してもらい、車の状態を確認してみる。

 

 結論から言うとそこまで重大な欠陥は無かった。年式の古い、それもスポーツカーなんてものは謎の改造やら何やらで車体がヨレヨレのポンコツを掴まされた、という話も珍しくは無いので心配していたが、程度はかなりいい個体だった。……しかし腹が立つ部品が数点取り付けてあったのが、彼女の整備士としての逆鱗に触れたが。

 

「……なんだコレ? ペットボトルをオイルキャッチタンクの代わりに刺しとくとかナメてんですか!?」

 

「配線の絶縁も中途半端だな……雨の日とかあぶねーよコレ」

 

「バケットシートがカバー剥がれてボロボロ……中のプラスチック見えちゃってるし」

 

 巧はまず目についた、エンジンの横に突き刺さっていたいちごミルクのペットボトルを引き抜いて地面に叩き付け、摩耶は剥き出しになっていた配線類をまとめて外に出し、最後に二人は経年劣化でボロボロになっていた車内の椅子を2つ取り外す。

 

 そして暇になった加賀には不知火と雑談でもしていて貰い。2人は、彼女を笑った3人をこき使って鎮守府に隠していたという部品数点を集めさせると、そのうちの何点かを分取り、ここに集結した暇な車好き5人で早速FCの整備に取り掛かった。

 

 なんだかエンジンが吹けない気がする、と言っていた加賀の言葉に、巧はオイル交換を行う事にした。

 

 作業にはまず古くなった内容液を出す必要があるため、ジャッキアップして上げた車体の下に潜り込み。車体のちょうどエンジンの真下の近くにあるオイル排出口の役割を兼ねるボルトを、巧はレンチで緩める。そしてオイルがダバッと溢れてあらかじめ置いておいたトレイに滴り……落ちなかった。なんと例えたものか。粘土の高いチョコレートソースか、海苔の佃煮のような液体がゆっくりと流れ出てきたのを見て、巧と摩耶は頭を抱える。

 

「おっふ……エンジンオイルがコールタールみたいにネバネバ真っ黒……」

 

「加賀はどこでこの車を買ったんだよ……」

 

 これのどこが悪いのか。簡単にいえば完全にこれは交換時期と使用期限を越えているのである。本来はソフトドリンク並に綺麗な色でサラサラな液体がコールタールに変身しているのだ。エンジンに好影響な訳がない。

 

 ここまでとんでもないものが入っていたとなると、オイルパンの中身も普通は洗浄しなければならないが、今日中にドライブがしてみたいという加賀の願いに答えるために、二人はエンジンを下ろして洗浄に入りたいの心を抑えて渋々明石から奪ったオイルに交換する。すると、シートの交換を指示していた明石と夕張の声が耳に入る。

 

「南条さん! シートの取り付け終わりました!」

 

「なんか早くないですか?」

 

「見てください! 完璧ですよ!?」

 

 オイル交換自体は早く終わる作業だが、座席の交換はもっと普通なら時間かかるんだけど……本日二度目の嫌な予感と共に、ジャッキを下ろして車体を地面に戻し、巧は車内を見てみる。一見しっかりと固定されているように見えるシートを掴み、思いっきり上下に揺さぶる。そして大きいため息と共に、オタク2人に告げた。

 

「やり直しです」

 

「「え゙」」

 

「配 線 も レ ー ル 固 定 も な っ て ま せ ん や り 直 せ と 言 っ た ん で す。椅子がグラグラの違法改造車に加賀さんが乗って事故ったら責任取れるんですか!?」

 

「「アイアイマム!!」」

 

「巧、キャッチタンクと配線の絶縁終わったぞ」

 

「那智さん……完璧です。二人も見習ってください」

 

 車好きのクセにテキトーな作業を行った二人に雷を落としながら、一方では丁寧な仕事ぶりを見せてきた那智と天龍にピースサインを送り。結局シートの取り付けは自分と摩耶の整備士組がやることになり。巧は呆れやら無駄な疲労やらで、またも大きい溜め息を吐いた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 本当なら車持ち全員でドライブの予定が、整備とならし運転で時間が大幅にずれてしまい。すっかり日が落ちた時間帯に、加賀は巧主導の突貫工事でリフレッシュされたマイカーと共に、鎮守府から2時間ほどの場所にあるヤビツ峠という場所に来ていた。助手席には巧も乗っている。

 

 MT免許は持っているものの、運転経験は半年も無いということで、おっかなびっくりと言った様子で、山道にはありがちな先が見通せない曲がりくねった道路を登っていく。

 

 サイクリングの聖地で有名なこの峠は、道路の狭い「裏ヤビツ」とそれなりの舗装路が続く「表ヤビツ」で別れているのだが、車のならしとドライバーの練習ということで、加賀は表ヤビツの終点である山の中腹にある売店付きの休憩所で車を止めた。

 

 やはりペーパードライバーには忙しくハンドルを動かさなければいけない峠道は神経を使うらしく、肌寒いこの季節に汗をかいていた彼女に。車を降りたと同時に、巧は労いの声をかけておく。

 

「お疲れ様です。どうでした?」

 

「怖いわ。ただでさえ先がわからないのに、特に今は夜でしょう。制限速度が速く感じるもの」

 

「じきに慣れますよ。でもすごいですねここ。道路が狭くなったり広くなったり」

 

「心臓に悪いわ。何度かぶつかるかと思ったもの……そうだ」

 

 何か閃いたような仕草のあとに、加賀は私服のポケットから携帯電話を取り出すと、自分の車の写真を撮り始めた。

 

「記念ですか?」

 

「えぇ、初ドライブのね」

 

 朝、笑われた時には落ち込んでいたが、すっかり元気になった彼女を見て。自分が初めて車に乗った時のことを、巧が思い出す。だが……

 

「加賀さん、そうい」

 

「おい、お嬢ちゃん。ここで何してんだ?」

 

 なんとなく二人が感傷に浸っていたときだ。唐突に背後から男二人が声をかけてきた。奥に目をやれば、赤の新型シビックが止まっていたので、巧は峠の走り屋だと察する。

 

「このFCのならし運転に来ていて」

 

「ならしだぁ? 俺らはここ走るのに使うんだよ。遅ぇのは勘弁してくれや」

 

「だいたい何でFCだ? 今の時期ならFDでも時代遅れだぜ」

 

「いえ……その……私がFDと間違って買ってしまって」

 

「「はぁ?」」

 

 これ、もしかして朝と同じ流れでは……。当たって欲しくない予想が今日は当たりまくるようで、男たちは加賀の話を聞くと、明石達とほとんど同じリアクションをとりやがったのだ。

 

「はははははは!? 嘘だろおい、どこの世界にFCを間違えて買う奴がいんだよ!!」

 

「ひーひひひっひっひ!! あぁ、久々に笑わせて貰ったよ。まぁ御苦労さんってこったな!! アハハハハ!!」

 

 やっと元気になった加賀はまた表情を曇らせる。それを知ってか知らずか。男二人は自分達の車が止めてあるほうに戻り、エンジンをかけるとわざわざ窓を下げてこちらに近づいてくる。そして最後に、助手席越しに、運転手の男がこんな事を言ってきた。

 

「間違っちまったお嬢ちゃんよぉ、良いこと教えてやろうか?」

 

「何ですか」

 

「このヤビツはなぁ、ロードバイク野郎共の聖地なんだよ。だからよ、なんつーか」

 

 

「まぁ、せいぜいチャリンコに煽られねぇよう頑張ってくれや!!」

 

 

 笑われただけだったら多分許していたかもしれない。

 

 だが、この男の余計な言葉が巧の闘争本能に完全に火を点ける。

 

 頭に来た巧は、シビックがスピンターンで方向転換をして道路に下っていった後に、無言でFCの運転席に乗り込んだ。急な彼女の行動に加賀は変な顔になるが、巧はそんな加賀に怒鳴り声に近い声で口を開いた。

 

「加賀さん乗って! あんなボテッとしたトマトみてーなクルマ、こいつでぶっちぎってやる!!」

 

「え゙っ」

 

「早く! 追い付けなくなっちゃうでしょ!」

 

「えっ……えぇ」

 

 巧の剣幕に気圧されて、加賀は大人しく従って助手席に乗り込む。すると、ドライバーの彼女はアクセルをベタッと踏み。車を急発進させるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回の展開は某漫画のごとく()
小ネタですが巧と天龍が着ているピンクの作業着は、作者の前作でツユクサが着てたアレです。

加賀さんのFCはヘッドライトが固定式になっています。(フロント以外はほぼ純正)


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ホットバージョン・Vol加賀

増え続けるUAとお気に入り件数にビビってます。同時に、ストーリーと挿し絵の二刀流は忙しいですが、読んでいる人が沢山居ると思うと、頑張れる気がしています。


 夜の峠道というのは、一度走ったことがある人間ならわかると思うがかなり怖い場所だ。

 

 先が見えない道は基本として、暗くて見えない道のでこぼこ、舗装路が途切れている穴、更にはガードレールが途切れている区間など、朝ならなんとも思わない要素が、事故を思い起こさせるネガティブな物としてドライバーに襲いかかる。常識的な人間なら速度を出そうなどとは思わない筈だ。

 

 だがここに例外が一人。加賀の車を侮辱されて腹が立った巧は、アクセルペダルから足を離そうとせず、どんどんFCを加速させていく。休憩所からここまで、あっという間に時速100kmまで到達したこの車に、慌てて隣に居た加賀は彼女を止めようとする。

 

「な、南条さん? ちょっとスピード上げすぎじゃ……」

 

「少し怖い思いすると思いますけど……私を信じてください……!」

 

「え? どういう意味……」

 

 会話の最中にもどんどん車は進む。地面の凹凸を(でこぼこ)拾って踊り始める車にもビビっていたが、それよりも人生で体感したことがない加速力で眼前に迫ってきた岩の壁を見て、加賀は思わず叫び声を挙げた。

 

「……………ッ!!」

 

「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!?」

 

 シートベルトさえなければ今にも恐怖でのたうち回りそうな加賀には全く気にせず。巧は素早くハンドルを右に動かしてから、すぐに逆方向に回し、右足のつま先でブレーキを踏みながらかかとでアクセルを押し、反対の足でクラッチを踏んでギアを4から2に落として車を制御する。

 

 グリップ力の限界を越えたタイヤは女性の悲鳴に似たスキール音を出し、車体は真っ直ぐにガードレールへむけて突っ込んでいく。が、加賀の予想に反して、二人の乗っていたFCは岩壁に激突することはなかった。

 

 車は壁を掠め、それこそコピー用紙一枚分しか無いような隙間を残す部分で道路に踏み留まり、何事も無かったかのようにまた前へ前へと進んでいく。巧の神業としか言いようがない運転技術による限界ギリギリのコーナー攻めとでも言うべきか。だかしかし、今は体に襲い掛かる恐怖やら横Gやらに、気絶するかしないかの境目を言ったり来たりなメンタル状態の加賀には、そんなものを堪能する余裕など勿論無かった。

 

 意味がわからない。窓の外を異常な速度で、見えたと思った次の瞬間には通りすぎていく木々や標識たちを流し見しているなか、加賀はその一言だけを頭に思い浮かべていた。

 

 これは本当に自動車の動きか。過激に走るレールの上のジェットコースターか、ホバークラフトの間違いじゃないのか。自分がこんな速度で運転すれば、たぶん五秒も持たずに事故を起こすだろう。冷静だったら考えていたであろうこれらの言葉、文字たちは、頭の中が真っ白になっていた加賀には、今この瞬間は思い浮かべることすら無理だった。何せ今この車はアベレージスピード120kmオーバーで、縁石や小石に乗り上げて片輪が宙を浮いたりしているのだ。

 

 少しだけ余裕がある、運転席の彼女が車をドリフト状態で4輪とも滑らせて道を曲がっている時に、恐る恐るといった具合でガードレールの先に広がる景色を見てしまう。加賀の目に映ったのは、樹木も草も無く、ただただ真っ暗で何も見えない文字通りの闇である。おそらく昼間なら崖が見えるのだろう。

 

 気絶できればどれほど楽で幸せだっただろうか。残念なことに艦娘という職業上、恐怖に耐性があった加賀の脳味噌はそう簡単に気絶することを許してはくれなかった。つまり加賀はこれから先に何分も続く、恐怖と絶望満載のスリルドライブに付き合わなければならないということだ。

 

「加賀さん、ちょっとスピード上げますよ」

 

「え゙」

 

 こんな事が5、6回ほど続いた後だろうか。シフトノブを1速に入れ、加賀にはどういう理屈かさっぱりわからなかったが曲がり角と反対側にハンドルを切って運転している、唐突に口を開いてそう呟いた巧に、是非とも止してくれと突っ込みたかった彼女だけれども。右に左に、果ては斜め後ろや前からもかかる慣性の力に、サポートグリップを掴んで振り回されないようにしている加賀は、口が震えてうまく話すことができず、それは出来なかった。

 

 口から魂が半分出かかっている彼女に、時間は無慈悲にも待ってはくれず。FCの車内にはまたもや回転数がレッドゾーンに近付いている事を告げるレプリミットアラームの甲高い電子音が響き、それと同時にまた加賀の網膜にガードレールが猛然と迫ってくる。

 

「いきますよ……!」

 

「え゙っちょ゙っま゙っ……!?」

 

 前を向いていた車はいつのまにかに壁と直角に近い角度に向きを変え、また横向きにずるずると滑っていく挙動を見せる。

 

 

「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙!!??」

 

 

 夜の表ヤビツに。一人の女の悲鳴が木霊した。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 峠の中間地点にある、緊急待避所に。加賀たちを馬鹿にしたのとはまた違う男たちが、車を止めて二人たむろしていた。目的は地元であるこの場所の夜景の撮影と、ときたまここに現れる走り屋のギャラリーといったところか。

 

 眼下に広がる、お気に入りの町の夜景の景色を一眼レフに何回か収めた時。ふと耳に山の上から聞こえてきた、車のエキゾースト音を聞き付け、彼らは顔を見合わせて体を道路側に向け直す。

 

「この音、2台分来てねぇか?」

 

「だな、誰かバトルしてんのかな?」

 

「おいおい中二病かお前? バトルじゃなくておっかけっこって言えよ」

 

 仲良しな雰囲気を醸し出しつつ、嬉々として二人は道路の入り口にレンズを向けシャッターチャンスを待つ。

 

 表ヤビツは結構不思議な道路の構造をしているのが特徴で、道幅が広くなったり狭くなったりするという妙な道が作られている。その中でも、彼らが立っていたのは山のふもとにある展望台の近くの、この峠で1位2位を争う道幅が広い曲がり角だ。暴走族の観戦場所なんかとしては最適だが、調子に乗ったドライバーがスピードの出しすぎで事故を起こしかねない危険な場所でもあるスポットだ。

 

 レンズの調子を確かめたりして暇を潰していると、とうとう眼前に広がる道路の先に車のヘッドライトが近づいてくるのが見えて、少し慌てて二人はポジションにつくと、いつでもシャッターが切れる姿勢を作る。目線の先では街灯に照らされた赤い車が後ろから煽られていた。

 

「おっ、赤のFKシビック……煽られてる?」

 

「後ろはなんの車だ?」

 

 ここ最近は走り屋なんて見なかったので、自分達でも知らないうちに少しウキウキしてカメラ越しの視線を向ける。彼らの一番はカメラだが、車はその次か同じくらいには大好きな趣味なのだ。盛り上がらない理由は無かった。

 

 二人が固唾を飲んだとき、2台の車は並びながらコーナーに突っ込んでくる。

 

 

 シビックを煽っていた車……白いFCはそのアウト側に並んだまま、ブレーキをかけずに二人が立っていた待避スペースに突撃しそうな勢いで走ってくる。そして、普通の人間がブレーキを踏む場所からゆっくりと角度を変えながら、2速全開、100kmを完全に越えていた速度を殺さず、GTドライバー顔負けのドリフトを決めて、テールランプの赤い光で残像を引きながらシビックを抜き去っていった。

 

 

 D1グランプリ((全日本プロドリフト選手権のこと))の観戦でもなかなか見られないような超絶技巧の技術を目の当たりにして。野次馬カメラマンコンビは頭の中が真っ白になるほど、唖然としていた。誰がどう見ても――それこそ八百屋のオバちゃんでもわかるぐらい、FCのドライバーはどう考えても峠の走り屋を越えている腕前だと認識したのだ。

 

「と、……トリハダたったぁ……なんだあのFC」

 

「っつぁー……やっばい、死ぬほどカッコ良かった……良いもの見れたぜ……待ち受けにしよっと♪」

 

 「年明け前に良い写真が撮れた」とお互いに満足しながら。興奮冷めやらぬうちに、早速撮ったベストショットを使って家のコピー機でポスターでも作ろうかと、二人は各々の車に乗り込み。山を降りていくのだった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 ムカつく走り屋をバックミラーの遥か彼方まで、宣言通りにぶっちぎった後、巧はそこからノンストップで鎮守府まで加賀のFCを運転し戻ってきていた。

 

 既に時刻は夜中の3時を回っており、当然と言えば当然か、周囲はシンと静まり返り、人や車の気配はない。鎮守府入り口のロータリーもどきの花壇の近くに設置してある、従業員用の自動販売機の近くに車を止めて、二人は飲み物を片手に会話を始めていた。

 

「……死ぬかと思ったわ……この世のどんな絶叫マシンより怖いわよあんなの……」

 

「すいませんでした……あの、カフェオレで良いですか?」

 

「ええ。ありがとう」

 

 巧はメロンソーダ、加賀はカフェオレで一服。怖い思いを隣に乗っていた加賀にさせてしまったということでジュース代は巧の奢りである。

 

 飲み物で渇いていた喉を潤わせながら……加賀はもう2時間も前だが、何秒か前ほどに起こった出来事に感じた、巧の運転を思い出す。今日、正確には昨日一日で5人という人数に馬鹿にされた、エンジン音のウルサイ、かくばったデザインのこの古いスポーツ車が、なんとなく自分でも見方が変わってきていた。

 

「私、やっと解ったわ。摩耶が車の話になると、いつも「頭がおかしい運転をする友達が居る」って言ってたんだけど。貴女だったのね」

 

「ぶっ!? マコリンそんな事言ってたんですか?」

 

「えぇ。……スゴかったわ。深海棲艦より怖いものがこの世にあったなんて」

 

「そ、そんなに? ……すいませんでした……」

 

 飲んでいたジュースを軽く噴き出して、目が泳いだ色白の彼女に、軽くはにかんで見せながら。加賀は続ける。

 

「謝らなくていいわ。その、むしろ感謝してるぐらい」

 

「…………?」

 

「車は性能とかじゃないんだ。って。貴女にあんなの魅せられたら、そんな考えが浮かんだもの。車という乗り物があんなに自由自在に動くだなんて、すごい衝撃を受けた」

 

「はぁ……」

 

 自分のFCの固定式ライトを、少し屈んで手で擦りながら。瞳を少し潤ませて、加賀は言う。

 

「私、なんだかこの車が大好きになりました。古くさいとか、ダサいとか、笑われたって気にしません。だって私が初めて買った自分のクルマだから」

 

「自分のクルマ……」

 

「それに、今、決めたわ。古いクルマだからそう長いのは無理でも。1年でも2年でも3年でも、乗れるだけ長く乗ってみせるって。部品も色々と換えないといけないかもしれないけど、それも我慢できる気がするから。このFCなら」

 

 巧にも向けているだろうが、どこか自分に言い聞かせている側面がある気がする彼女の言葉に。巧は、ただの堅物だと思っていた加賀という人間への認識を改める。初対面の雰囲気から仕事人間かと思いきや、存外ロマンチストで天然が入っているらしい。今日一日の出来事を振り替えってそんな事を考えていたとき。車を見ていた加賀は振り返り、巧に声をかけてくる。

 

「貴女にも……その時には手伝って貰えると」

 

「えぇ、勿論です」

 

「……あとは、その……友達として、「巧」って下の名前で呼んでも良いかしら?」

 

「構いませんよ!」

 

 照れ臭そうに言ってきた相手の意を汲んで。巧は目一杯の、出来るなかで最高の笑顔を作って、返事をする。

 

 夜明けの時間へと進んでいく景色の中で。二人は、いつかまた、今度はトラブルなしで、今日になる予定だった遠方までドライブに行く約束を結んで。就寝のため、各々の部屋がある方向へと別れた。

 

 

 夜道を自分の部屋に向かって歩く加賀の表情は、普段の彼女を知っている人間からすれば、想像もつかないほど花が咲き誇ったような笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 




土日は2話ずつ!! 投稿できればいいな。


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熱帯夜orネツタイヤ

あっぶね、毎日更新が途切れるとこだった


 

 

 

 まだ1ヶ月も経過していないが、巧は順調に鎮守府に馴染めている、といっていい生活を送れていた。

 

 摩耶は昔からの馴染みだったので当たり前として、ここに来て最初の騒動の切っ掛けになった天龍とも、友達とは呼べないかもしれないがよく話す関係になった。連動して彼女に暴力を振るわれていた響とその姉妹だと言う暁、更に妹に当たるという雷、電という四人とも交流を持ったし、那智と加賀とは車というものを中継して繋がった。

 

 来て早々に喧嘩騒ぎを起こした人間としては、結構人望の回復が出来ているのでは、なんて事を頭の片隅で考えながら。今日も彼女は艤装と車の整備・クリーニングに従事する日々を過ごす。

 

 例によって午後3時にスタッフ連中と休憩に入り、巧はここ最近始めるようになった、加賀のFCのリフレッシュ企画なる物について、自分の顔ほどある大きさのタブレットとにらめっこをしながら、頭を悩ませていた。液晶画面には、「新旧RX-7用品」のステッカーが貼られた自動車メーカーの部品が、値札と一緒に写真つきで紹介されている。

 

「差し入れっす。どぞっす」

 

「ありがとう。………………。」

 

 クスコ製・六点式ロールバー→雨漏り対策になるが保留。大型超過吸ターボチャージャー→燃費が悪化するので論外。オイルパン(程度良好中古品)→最優先に購入。RE雨宮製・スーパーボンネット→燃費が良くなるが保留。エンジョイドライバー向け・エンジン低負荷ECUプログラム書き換え→加賀さんにピッタリなので最優先。最新式高性能エアコンシステム→これも加賀さんにピッタリなので最優先。天龍からジュースを受け取り、カタログを見て巧は自問自答を繰り返す。

 

 欲しい部品、交換が最優先とされる部品にチェックを入れ、片手間に用意した電卓でかかる予算+aの概算を求める。つい最近にやった例の整備で、目につく部分の不備は明石から強奪した部品で補ったので、100万はかかるかと思った金額は、およそ50万円はあれば余裕で足りるということが解った。本当なら工賃でもっとかかるだろうが、幸いここには自分と摩耶という整備資格持ちがいるので、そういった費用は自分達がやるからタダである。

 

 そうこうしているうちに休憩時間が終わり。作業場である工廠の扉越しに聞こえてきた、ロータリーエンジン特有のアイドリング音を聞き。来た来た! と巧はシャッターを上げて建物から出ていく。外には、加賀が約束通りに、作業着姿で車を近くに持ってきていた。

 

「本当にここでやるのかしら?」

 

「はい、許可は出たので。誘導するところまで車進めてください」

 

「わかった。しっかりナビしてね?」

 

「はい。あ、窓は下げておいてくださいね」

 

 約束というのは、加賀の車の本格的な点検と修理箇所の検査をしよう、といった物だ。巧とときたま天龍が働くこの工廠というらしいガレージ施設は、艤装の整備をする簡易工場なのだが、妖精に聞けば車の整備にも使えると聞いたので、頭を下げて時間を作ってもらったのである。

 

 オーライオーライとガソリンスタンドのあんちゃんに匹敵しそうな張った声で車を誘導し、建物の中に入れていく。事前準備で引いていたオレンジのラインまで来たことを確認して、加賀にストップの合図を出し、まず最初に巧は彼女に修理の見積もりを見せることにする。

 

「部品の交換にかかるお金と、必要な部品です」

 

「全部で50万円……結構大金ですね」

 

「程度がいい車だったとはいえ、さすがに年式が古いですから、結構ガタがきてますからね。長く乗るためなら、安物じゃなくてしっかりした部品をつけて、最初にドカッとお金使わなきゃ。長い目で見れば、まだ安いほうだとは思います」

 

「その辺りは貴女と摩耶の方が詳しいでしょうから任せるわ。何から何までありがとう」

 

「いえ、どういたしまして。じゃあ、車上げますよ」

 

 誘導して停車させたFCがしっかりとリフトの上に載っている事を確認して、巧は天井からぶら下がっていたリモコンを引っ張って手元に寄せると、上昇と書かれたボタンを押した。機械好きの男の子ならワクワクしそうな、ウィーンといかにもメカが動いているというようなモーターの駆動音を響かせながら、車を載せたリフトが1メートル程に背丈を伸ばしていく。

 

 自分達の身長より少し低い場所でリフトの上昇を停止し、巧はレーザーポインターつきのペンライトを片手に、加賀と車の下に潜り込み、どういった部分がどういった状態か観察してみる。

 

 大方の予想はついていたが、そこまで酷い傷や錆が入った部品が付けられたままという欠陥などは見つからず、二人はホッと胸を撫で下ろす。少しばかりシャシーに擦ったような傷があったのが目立ったが、もともと全高が低いスポーツカーなので、この程度は仕方がないかと割りきる。恐らくだが前のオーナーがコンビニかどこかでコンクリートか雪にでも乗り上げたのだろう。

 

「傷があるけど大丈夫かしら?」

 

「大丈夫ですよこの程度なら。気になるなら鉄板貼って色塗りしますけど?」

 

「あ、大丈夫なら見なかった事にするわ。……その、最近車について勉強しているけど、まだ解らない事もあるから……」

 

「ははは。加賀さんほど真面目な人ならすぐに覚えられますよ」

 

「そんな。私はあまりにも無知よ?」

 

「勉強しようって思ってくれるだけいいですよ。「工賃だなんだ適当なこと言ってカネぼったくりやがって!!」なんていってくる人よりかは。働いてる人の事も考えろコンチキショウって張り倒したくなりますよ全く」

 

 車という物を購入してから、那智からも加賀がここのところは暇さえあれば車雑誌を読み漁っていると聞いていたので、点検は終わったので車を載せたリフトを下ろしながら、持論だが巧はその事を誉めておく。

 

 「あ!」と唐突に声を挙げると同時に、巧はしゃがみながらまた車の下に潜る。頭に?マークを浮かべた加賀にも手招きで来るように伝えて、さっきと同じく二人で車の下に来ると。巧はこんなことを言う。

 

「勉強したんですよね? 成果、見せてくださいよ」

 

「例えば?」

 

「今から照した場所の部品を言い当ててくださいな」

 

 ペンライトの光量を懐中電灯並みに引き上げると、彼女は車の底面を照らしてクイズを開始する。

 

「ここ!」

 

「シャフト」

 

「ここ!」

 

「トランスミッション」

 

「ここ!」

 

「サスペンション」

 

「完璧です。十分クルマ好きを名乗れるんじゃないですか?」

 

 ニヤッと笑いながら、加賀が車の下から出たあと、巧はエンジンを車から外すに当たり、予め緩めたり外しておかなければいけないボルトを車の底から工具で外してから、今度こそリフトを下ろしきる。

 

 車がまた着地すると、手早く次の作業に入る。ボンネットのロックは加賀が外しておいてくれたので、彼女に反対側を支えて貰いながらヒンジからボンネットを外して床に敷いていたブルーシートに一先ず置いておき、巧は更にエンジンルームに組みつけてあるタワーバーやガスを逃がすパイプ、冷却装置等の、エンジン外しに邪魔な部品を片っ端から外してブルーシートに並べていく。

 

 人の車なので少し慎重に一時間ほどかけて作業を終え、ようやくエンジンが外せる状態までこぎつける。

 

 近くにキャスター付の台を用意して軍手を脱ぐと、加賀に指示を出しながら、巧はエンジン下部にこれも天井からぶらぶらしている鎖を潜らせ、しっかりと支える部分に引っ掛かっている事を3回ほど繰り返し確認し。鎖と繋がっているウィンチを駆動させる。

 

「巧。この……ロータリーエンジン? だったかしら」

 

「あってますよ。続けて」

 

「雑誌だと、エンジンの中でおにぎりがコロコロ回ってると変な事が書かれていたのだけれど……」

 

「あ~……それが一番解りやすい例えだと思いますよ。ピストン運動で駆動するレシプロエンジンとの一番の違いはそこですから。今から見れますよ!」

 

 加賀と、はにかみ笑顔で応対しながら、本来は艤装を吊り上げるための大型ウィンチがある設備の横に、例の車オタク二人が増設したというポン付けされた小型のチェーンつきのウィンチでエンジンを持ち上げ、台の上に置いたソレを早速二人がかりで分解に入る。

 

 当たり前だが外れないようにと頑丈に固定されたボルトを、加賀は悪戦苦闘するが、経験の違いか巧のほうはいとも簡単に一つ10秒ほどで外し、みるみるうちに5本、10本とネジを外して台の上に順番に並べていく。

 

 結局加賀のほうも彼女に手伝ってもらいながら、何十にもフタをされたエンジンの最後の壁の部分を取り外し。このFCに搭載されている、ロータリーエンジンがロータリーエンジンと呼ばれる由縁であるパーツが二人の目についた。

 

「見えます? コレですね、そのおにぎりっての」

 

「……数学で見たことがある図形……確か「ルーローの三角形」?」

 

「ご名答です。詳しい話をすると日が暮れるのでまた後ですが、ロータリーっていうのはコレがぐるぐる回るのがコンロッドとピストンの役割を全部担ってるんです」

 

「へぇ……にしても確かにおにぎり型ね」

 

「ある所の雑誌じゃアダ名が「おむすびコロコロ」ですからね」

 

 雑談は軽くで収めて、せっせと二人は分解した部品たちを水を張ったバットに突っ込み、ボロ布やたわしで擦って汚れを落としていく。一見なんともないような部品にも軽いサビや煤汚れがあり、見落としはNGだ。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 最初は施設の隅でせっせと作業をしていた2人だったが、今日の出撃が終わって加勢しに来た摩耶が加わり3人になっていた。が、それでも洗う部品の点数は優に100は越え、しかも特殊な道具がなければ洗えないものとの取捨選択に掛ける時間も重なり。外はすっかり暗くなっていた。

 

 時間はもう夜の7時。他の艦娘が食事を済ませ、風呂に入っている時間だ。ということで、残りの作業は明日にしようかと3人の意見が一致する。

 

「ごめんなさい。摩耶まで手伝わせて……」

 

「いいよ。暇だし」

 

「残りは明日に回しましょう。一日で終わる量じゃないですし」

 

「そうね。……出撃と負けず劣らず疲れたわ。こんなに本格的に機械なんて触るのは久しぶりだから……」

 

 肩が凝ったという加賀を巧と摩耶が笑っていた時だった。整備場の奥から妖精の叫び声が聞こえてくる。

 

『野郎共!! 長門がまた艤装ぶっ壊してきたから分解手伝え!!』

 

「「「えぇ!? またサビ残かよ!!」」」

 

『うるせぇ!! 給料減らすぞ!!』

 

 「ウッソぉ……」なんて言葉が巧の口から思わず溢れる。二人にまた新たな仕事が出来たため、先に戻るように告げる。が、二人はなぜか自分の歩く方向に着いてきた。

 

「今日一日付き合わせてしまったから。手伝うわ」

 

「良いんですか加賀さん?」

 

「ええ。車は不安だけど艤装ならある程度は解るから」

 

 「じゃあアタシも手伝う」と摩耶もついてくる。持つべきものは良い友達だな。2人といい関係を築けていてよかったと、心から巧は思った。

 

 

 

 壊れてしまった艤装は、油まみれのまま放って置いてしまうと、溶液が固まって分解が面倒になるから、とのことで今回のような不測の緊急の仕事はよくあることらしい。といってもまだまだ新人の巧には結構きつく、本当に手伝いが2人に増えてよかったと、再度思う。

 

 疲れきった体を引きずって鎮守府の建物に入り、既に給仕係が仕事を終えて機能が停止した食堂で、仕事終わりが遅い人間の為に何個か用意されているカップ麺を拝借し。巧、加賀、摩耶、そして3人の裏で黙々と仕事をこなしていた天龍の4人は、静まり返ったこの場所で飯の時間に入る。

 

 このところしっかりとした食事ばかりで、こういった簡単な食べ物を摂るのはなんだか久しぶりだな、と不思議な懐かしさを感じながら。5分経過したのを携帯の時計で確認し、割り箸を割って巧は麺を口に含んだ。

 

 

 味がしなかった。

 

 

 そんなに自分疲れてたっけ? と頭が混乱する。するとそんな彼女に、向かい合う席に座っていた加賀から一言。

 

「…………巧、それスープ入ってなくないかしら?」

 

「……!! ま、まずは麺の味を楽しむんです」

 

 湯気がたっている容器のすぐ横に粉末スープの袋が置かれているのを目にして。恥ずかしさで巧が顔を真っ赤にする……と同時に。彼女もまた何かを見つけたようで、悪い笑顔を浮かべながら加賀に一言、物申した。

 

「……加賀さん、それスープ入ってなくないですか?」

 

「!! ま、まずは麺だけで楽しむのよ!」

 

 隣でこのやり取りを見ていた摩耶と天龍が、麺を啜りながら「グフッ!」とむせそうになり、必死に笑いを噛み殺している。

 

 知らないうちに体に疲労が溜まっていたらしい。早く寝て明日に備えなければ……。知らず知らずのうちに、カップにスープの粉を注ぎながら、二人は全く同じことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




毎日更新の砦は崩させんぞ!!(謎プライド)


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とりまやってみよう

フラグという言葉があってですね。毎日更新は途切れました(白目)。クリスマスパーティにうつつを抜かしすぎた()

今話ですが、「2話の長門はどこいったん?」「なんで摩耶はリストバンドなんてしてん?」というメッセージが来たのでそのお話になります。ちょっと超展開入っているかもしれません。ご注意を。


 

 

 

 

 

「本当に悪かった!!」

 

「………………???」

 

 朝起きて、ここに来てすっかり習慣になった朝食のために食堂に入った瞬間、巧に向けて、飛んできた女性の声だ。思わず「誰だコイツ」と言いそうになり、自分が寝ぼけていて良かったと変な感情を抱く。

 

 巧は作業着のポケットから取り出した眼鏡拭きで、着けていたそれのレンズを拭いて、眼鏡をかけ直して相手の顔を見る。摩耶も海に出ていく時につけているが、ツノみたいなカチューシャ? を頭につけていて、ツリ目の、可愛いというよりカッコいい系の背丈が高い人だ。本当に面識が無いと思ったので、ストレートに聞いてみる。

 

「その、誰ですか?」

 

「覚えていないのか……? 本当に?」

 

「嘘言う必要性が無いですし」

 

「……来て早々に貴女を組み伏せた者だ。悪かったと思って、今日は出撃が入っていないから謝罪に来た」

 

「組み伏せた……? あっ」

 

 車から出ろと言ってきて、いきなり腕引っ張ってきた人か!

 

 やっと記憶の底から思い出し、内心で相槌を打つ。自分の事が誰か気付いた巧の様子を察した相手は、巧が口を開こうとしたのを手で制し。何かを着ていた服の内側から取り出して渡してくる。

 

「戦艦長門だ。その封筒は慰謝料代わりに取っておいてくれ。失礼した」

 

 綺麗なお辞儀の後に、彼女は踵を返して去っていく。貰った青い封筒のなかに諭吉くんがワン、ツー、さん、しぃ…………数えていくうちに巧の顔はどんどん青ざめていく。予想の倍じゃ済まされない数の万札が入っていたからで、封筒だというのに厚みが薄めの文庫本ほどある、といえばヤバさが伝わるだろうか。

 

 いくらなんでも貰いすぎだと思い、待ってくれと言おうとしたとき。背後からやって来ていた摩耶に腕を掴まれ、走り出そうとした勢いを殺された。

 

「貰っとけヨ。少し早めのクリスマスプレゼントだと思って」

 

「えぇ? マコリン何か知ってるの?」

 

「もちろん。いつも出撃入っててアイツと同じときにうるさかったんだよ、「私は善良な一般市民になんと言うことをしてしまった!!」って」

 

「……そんなに?」

 

「おう。あとアイツ加賀より金持ちだから踏んだくれる内に金は貰っときな。コレ豆な」

 

 親友が悪そうな顔で、指でお金のマークを作ってチラつかせてくる。今月ってなんか色々とプチ事件が多すぎる。巧は不思議な感情を持ちながら、ひきつった笑顔と摩耶を連れて、今度こそ食堂に入っていった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 加賀は、食堂の机に摩耶と並んで座っていた巧の向い合わせの席に座り、朝食の時間に入る。たった一週間足らずで、彼女はもうすっかり巧と阿吽の呼吸だって夢じゃないレベルの友達になれていた。この席取りのポジションは友達の少ない彼女なりの、親密な間柄の人に対する意思表示である。

 

 「加賀さんおはよう!」と相手が普通に言ってくるのがたまらなくウレシイ。目の前の南条 巧という彼女は、前に直そうと思って失敗した、この顔面に貼り付いている仏頂面……を飛び越えた鉄仮面ヅラのせいで、仕事人間のめっちゃこわい人という誤解が周囲に蔓延し、どうやったら友達100人出来るかな、と思っていた加賀の記念すべき10人目の友人なのだ。大切にしようと加賀は内心で決意する。因みに第1号は那智である。

 

 目線の先で巧と摩耶の二人は雑談に花を咲かせている。仕事の予定との兼ね合いもあり、毎日べたべたしているわけでもないが、合えば高確率で笑顔の井戸端会議に発展する辺り、相当仲が良いのだろう。そんな彼女らのプライベートな会話に、決して加賀は割り込まない。会話に入れなくてもいい。ただ一緒の空間を共有するだけで幸せだ。そんな謙虚な考えあっての行動だ。

 

 空気空気。私は二人を邪魔せず空気という役割に徹するのだ……アレなんか悲しくなってきた。

 

 アサリの味噌汁を啜っていると、自然と頬を伝ってきた涙を、あくびを我慢しているフリで誤魔化す。やっぱり加賀という人間は寂しいと死んでしまう生き物のようだ。

 

 そんな彼女に救いの手を差しのべるオンナが一人。摩耶である。勝手に感傷に浸っていた加賀に、彼女はいきなり会話の流れを吹っ掛けてくる。

 

「加賀、巧の運転する車の横に乗ったんだって?」

 

「へ? えぇ、乗ったけれど」

 

「どうだった? 楽しかったか?」

 

「殺されるかと思ったわ」

 

「ひどい!?」

 

 キッパリと答えた加賀に巧が条件反射の速度で言うと、それをみた摩耶は予想通りと溢した後に笑って続けた。

 

「ホラやっぱし! 誰が乗ってもお前の横は気絶するほど怖ぇよ。特に夜の峠なんかはな」

 

「みんな酷いな……安全運転なのに」

 

「「どこがだ!」」

 

 唇を尖らせながら言ってきた巧に、二人が声をハモらせて反撃。結果彼女は拗ねてしまったのか、機嫌が悪そうな顔で食器を下げて、仕事場へと行ってしまった。

 

 ぷんすか! という擬音が聞こえてきそうな様子で出ていった彼女の背中を、にやなやしながら摩耶が見送る。……そういえば、巧と彼女は馴れ初めはどういう雰囲気だったのだろうか。興味が湧いてきた加賀は声をかけてみた。

 

「摩耶、良いかしら」

 

「なにが?」

 

「巧と貴女って、何があって仲良くなったのかな。って」

 

「あぁ~……高校で引っ越したときに、家が近かった。そんだけ。そこからズルズルと仲よく……」

 

「へぇ」

 

 高校から、と考えると軽く10年は付き合いがあるわけか。そりゃ、よっぽど反りが合わない限り、仲がよくない方がおかしいということになるのかな、と思う。昔から知人友人が少なかった加賀にはこの辺りの考えはよくわからない。

 

 なんとなく巧の顔を思い出す。背が高くて全体的に白く、目はつり目だがヘタレ眉毛なので全然恐く見えない表情を思い出して内心で噴き出しそうになるが、表面上はいつも通りのポーカーフェイスで加賀が口を開く。

 

「でも、大人しそうな顔で結構活発な人よね。天龍を気絶させたり、私が絡まれたときも車運転したりとか」

 

「結構乱暴だよアイツ。アタシが昔虐められてたときもそのグループ襲撃しに行ったりとかね」

 

「イジメなんて受けていたの? 貴女が?」

 

「受けてたよ? ホラ、だから腕に刺青入れたんだし。根性焼きとかやられて傷痕隠すのにね。カバーアップってんだけど」

 

 摩耶は右手の前腕部に彫ってある、イルカと英字新聞の組み合わせの刺青を見せてくる。彼女がいつも右手に着けているリストバンドが、刺青隠しでやっているというのは知っていたが。そんな背景があるとは知らず、ヤンキー上がりか何かかと相手を誤解していた加賀は軽く衝撃を受けた。

 

「暴力に暴力で対抗とか、一般常識で考えて誉められた事じゃないけど、アタシはちょっと嬉しかったな」

 

「……………」

 

「コレ買ってくれたのもアイツだし。傷痕隠せるようにって、スポーツ用品店回って探したんだと。本当に頭が上がんないよ」

 

 使い古していそうな赤のリストバンドをつつきながら、思い出を語るように摩耶は言う。基本的にいつも飄々として掴み所がなく、気まぐれに吹いてくる風のような態度をとる彼女しか見たことが無かった加賀には、まるで別人に見えた。

 

「で。色々助けて貰ったから、アタシはお返しに勉強教えたってわけ」

 

「勉強!?」

 

「……………お前今絶対アイツよりアタシのが頭悪そうって思っただろ」

 

「……!! ごめんなさい……」

 

「まぁ許す。よく言われるし。そのな、アイツ数学と英語だけはものすごーくアホだったんだ。頭の出来がよくない学校だったのにその二つは下から数えた方が早い順位ばっか取ってさ」

 

「すごく意外だわ」

 

「熱中した物事はスイスイ覚えるのにその二つはてんで駄目でね、毎日休みの日とかに教えてたよ」

 

 パッと見は賢そうで余り活動的に見えない彼女が、その真逆の性質であると目の前の巧の親友から聞き、加賀は口にも出したが意外だと感じる。気の弱そうな彼女は喧嘩番長のおバカさんだなんて初対面では夢にも思っていなかったからだ。

 

「致命的に数学と英語がバカだった以外は、人間じゃねぇよコイツ……みたいに思うことばっかだったよ。運転もそうだけど、全力ダッシュで原付に追い付くわ、イジメてきたヤツ男だったんだけど、パワー勝負で真っ向からねじ伏せるわ……」

 

「す、すごいのね巧って」

 

「スゴイなんてもんじゃない。本気でなんか一つのことに打ち込んだら、GTドライバーかオリンピック選手ぐらい目指せたんじゃね? ってカンジだな」

 

 楽しそうに話す摩耶ともっと会話を続けたい。加賀がそう思うと、相手は自分の携帯を取り出して時間を見る。少し驚いた表情になったので、仕事の時間が来たのだと察し、加賀は寂しくなった。

 

 「このあと警備の時間入ってるからまたな」と言い残して、ちゃっちゃと食器を片付けると摩耶はその場から立ち去る。自分もこのあとの仕事に移らなきゃ。加賀も追従するように同じ行動をとった後、執務室に向かうため、食堂を後にした。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 秘書艦、というダジャレのようなフザけた名前の役職が鎮守府にはある。変な役職名なのに仕事内容は世間一般で言う「秘書官」と全く同じなのは、鎮守府や海軍という対深海棲艦実働隊を作った人間の茶目っ気だろうか? なんて昔は考えていたが、今では何の疑問も持たずにそれに甘んじて書類仕事をする日々が加賀の日常だ。

 

 少し前まではお堅い役人チックな脳の構造をしていたが、このところ巧や那智といった面子とつるむうちに俗っぽい考え方が伝染したか。加賀は普通に捌いていたはずの書類の文面を見て、ほんのちょっぴりだが腹が立つようになった。いちいち文章が回りくどいのである。

 

 例えると「エンピツという固形物体は、木材と炭素実体により構成されていて、絵、文字を紙に書くのに使う」。みたいな誰でも知っている事が長々とタイプされているのだ。「ナメてんのか?」の一言も言いたくなる。

 

 自身が編集すれば、きっと5枚ほど紙の無駄を減らせるだろう、と考え事混じりに壁掛け時計に視線が移る。昼休憩が近くなっており、もう少しで一先ず終わりかと思ったときだ。隣でせっせとパソコンのモニターと書類の両方と戦っていた緒方から、声が飛んできた。

 

「ん、加賀。ちょっとした買い物とお使いをしてきて貰いたい」

 

「お使い…………?」

 

「こっちにいつも届けて貰ってる物資が、間違って隣の鎮守府に届いたらしくてな。誰かから車借りて行ってきてくれないか?」

 

 片手で器用にブラインドタッチをしながら、上司の男は白い軍服のポケットから取り出した携帯電話の画面を見せてくる。長いメールだったが簡単な話、「間違って届いた荷物取りに来て!」と書かれていた。少量の燃料一式と弾薬が一箱余分に届き、業者に問い合わせたところ判明したらしい。

 

 秘書の仕事が主な役割であり、実のところ戦力としてよく海で警備に就いている艦娘よりも暇な彼女は。断る理由もないので、「了解」と一言返事をし、出された携帯電話を取って、部屋を出る。

 

 

 

 工廠で作業中だった巧に会いに行くと、理由を話して妖精に彼女を暇の状態にしてもらい。呼ばれて出てきた巧に加賀は用件を話した。

 

「買い物、ですか」

 

「ええ。摩耶にでも乗せてもらおうかと思ったけれど、彼女は仕事で、車を持っていて暇なのは私と貴女だけなの」

 

「FCじゃだめなんですか?」

 

「乗っていて楽しいとは思うわ。でもあんなほとんど2シーターの車じゃ荷物が載らないし。少し見せて貰ったけど、貴女の車ならなんとか載りそうだから」

 

 自虐の意味を含んだ物言いをすると、相手は笑顔で承諾してくれたので。早速二人は巧のインプレッサに乗り込む。ふと、彼女のマイカーに乗るのは初めてだな、と加賀は思った。

 

 

 

 山以外の街道を走る分には、巧の運転は彼女自身がいう通り本当に安全運転だった。加賀が車酔いをすることもなければ、スピードを出しすぎてネズミ取りに引っ掛かるということもなく、二人を乗せた白い車は件の物資が入った箱と、帰り道に寄った店で購入した給仕係が使う調味料を載せて帰路に就いていた。

 

 町乗りで周囲も車だらけなので、当たり前だが巧は以前峠で加賀に見せたような暴走運転はしない。が、クラッチやブレーキのペダルを踏む、シフトノブを操作するといった何気ない運転の動作一つ一つが、加賀には窓を流れていく町の風景よりも目についた。

 

 AT車にしか乗ったことがない人にはわかりづらいかもしれないが、MT車には「変速ショック」というイラナイ物がついてくる。これは何かというと、雑にいえばシフトチェンジの時に乱暴な運転をすると、MT車には車体の下から突き上げてくるような振動が奔る、というものだ。巧の運転にはこれがほとんどないことに加賀は気付く。

 

 恥ずかしい話、加賀はまだ技術が未熟なのか、自分が運転したときに発生するこの振動に悩まされていた。どういったメカニズムで巧はコレを抑えているのか、いい機会だと思い、口を開く。

 

「巧の運転って、シフトチェンジで全然揺れないのね。尊敬するわ」

 

「そうでしょうか?」

 

「私なんてガクガクだから。その、クラッチを繋ぐコツとかってあるのかしら」

 

「う~ん……色々あると思うんですけど、やっぱり時間じゃないですかね」

 

「時間?」

 

「はい。極端な話、どんなに下手でも1年、5年と運転続けていたら自然と上手になれると思いますよ?」

 

 そんなに単純なのかな? とは思いつつ、無難な答えだなとも同時に考え、加賀は一旦引いた。

 

 話しているうちに、車は鎮守府まであと少しの所まで来ていた。高速道路のように三車線ある道を60kmほどで巡航していく車たちや、その奥を流れていく工場や住宅地の景色を加賀は眺めていた時だった。いきなり車が大きく揺れ、何事かと巧の方を見る。

 

「あぶなっ……怖いな。あのアルファード」

 

「どうかしたの?」

 

「車線変えようとしたらウィンカー出してた方向から車飛んできて。すいません」

 

 横の窓から正面の窓の景色に視線を移す。巧の言ったアルファードとはアレだろうか、と加賀はすぐに見当がついた。十数メートル先の方で、白いミニバンがなにやらその前にいる車を蛇行して煽っているのが見えたのだ。

 

 

「嫌な運転するわね。あの車……ッ! 巧、前!!」

 

 蛇行からいきなり急な割り込みをした途端に、前の車がブレーキでも踏んだのだろう。パニックブレーキでとっちらかったアルファードは正面の車と壁に激突し、横転した。大型の車体が壁となって、二人の乗っていた車の前に迫ってくる。

 

 ぶつかる――。日々の戦闘と、峠道を攻める巧の隣に乗った経験で、こういった危機は慣れていたからか、目こそ瞑らなかったものの。加賀がドアのサポートグリップを握り、シートにしがみついた時だった。

 

 何を思ったのか。巧はブレーキではなく、急にアクセルを踏みつけて車を加速させると、右にステアリングを回す。そして、ふっ、とペダルから足を離し、今度は回した逆方向にステアを切った。

 

 そんなことをすれば、前の車はおろか、それを突き抜けて左の道の壁に激突してしまう。そんな最悪の展開が頭によぎり。咄嗟に加賀はこらえきれずに目を閉じたのだが……

 

「……加賀さん、大丈夫?」

 

「えっ?」

 

 彼女の予想に反し。二人の乗っていたインプレッサは、横転した前の車の回りを半円を描くような軌跡で交わし、そのまま綺麗に180度ターンを決めて停車していたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




少しずつ艦これらしい話をねじ込む予定です。だからといって車成分が薄くなることは無いです()


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君と羊と青の意味って素敵

これからは1日おきの隔日更新になりそうです。今日から年末休暇なのでお話を書くぞ書くぞ!\(^o^)/

あとお気に入りがあっちゅーまに100越えてて腰が抜けた() 応援していただいている方々には頭が上がりません……


 戻ってきて早々に二人は、車ごと大勢の艦娘達に周りを取り囲まれることになった。理由は、先程の大事故が速報としてテレビのニュースに映っていたかららしく、隣の鎮守府までに通る道だと知っていた何人かが心配していたとのこと。……同時に、一体誰が撮っていたのか、某サイトに華麗なカウンタードリフトで危機を回避する白のインプレッサの動画までアップされていたらしい。現代の情報の伝わる速さって怖いと巧は思った。

 

 「怪我はないか?」「大丈夫だったの?」「っていうか平気ってことはアレはCGで違う道通って帰ったの?」と普通の考えから少しぶっ飛んだものまで色々飛んできた発言、質問達に。巧が「何ともなかった」と口を開く前に、加賀が受け答えをする。

 

「それがね、みんな聞いてちょうだい。彼女が居なければ私は今頃病院か天国だったかもしれないわ」

 

「「「それでそれで!?」」」

 

「普通の人ならブレーキ踏むところで、巧はアクセル踏んで加速したのよ? それで映画みたいに横転した車の横を素通りして何ともなかった、というわけ。」

 

 女が3人以上寄れば姦しいとはよく言ったものである。すげぇすげぇ、キャーカッコいー! と周りから称賛されたが、自分に出来ることをしただけな巧には、いまいちすごいことをしたとの実感が湧かない。思い返しても、アレは考えての行動ではなく、体が反射的に動いてとった行動だったのだ。

 

「それにせよ、本当に貴女人間? 艦娘の私でも見えなかった車捌きと動体視力......それについてこられる反射神経に判断力って?」

 

「いや、あ~不味いなって思ったら、あぁなって」

 

「私の考えすぎ? どれも普通の人間じゃあり得ない、でも異常と言うには説得力が弱い......って思ったけれど」

 

「いや、人間じゃなかったら逆に私は何なんですか」

 

「深海棲艦!」

 

「えぇ!?」

 

 ニヤリと笑いながら加賀が漏らした言葉に巧は変な顔になり、様子を見ていた周囲からどっと笑いが起きる。困った様子の彼女を気にせず、加賀は更に言う。

 

「朝だって摩耶が言ってたわよ。「人間じゃねぇよコイツ……みたいに思うことばかりするヤツだよ」って」

 

「そんなぁ……」

 

「……でも、なんにせよ本当にありがとうね。巧。貴女のお陰で助かったわ」

 

 にんまりと、歯まで見える満面の笑顔で手を振りながら、加賀は建物の玄関に向かって歩いていく。誉められたのは正直に嬉しいと感じていた巧の周りでは、加賀のあんな表情初めて見たと驚きの声が出ていた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 翌日。巧と、整備の腕前が良いからと今ではすっかり出撃任務以外では整備係の一員にされてしまった、天龍を含む整備士たちは、妖精から普段と違う仕事を言い渡され、それに従事していた。

 

 赤、青、緑の大量の小型LEDがくっついた配線を両手から引き摺りながら。整備士どころか今日暇をしている鎮守府の一員は総出でやるらしい、クリスマス用の電飾でこの建物から門、更には植え込みの木までを飾る、という仕事に。巧は、ベンチコートやウインドブレーカーでしっかり防寒した加賀や那智、暁らと会話混じりに参加していた。

 

「軍隊とか、こういう場所でもクリスマスを祝うんですね。なんか意外です」

 

「元帥のおじ様がイベント大好きなの。その影響かしらね。今年で70にもなるのにケーキもお肉もバリバリ食べる元気な人でして、毎年この季節にパーティーを開いて、各地の鎮守府の提督と秘書に自分の鎮守府に来るように、なんて召集までかけるのよ」

 

「すごい太っ腹ですね……」

 

 「今日辺りに召集と言う名のお誘いが来るんじゃないかしら」、と巧の応対に合わせた後、加賀は続ける。

 

「クリスマス会はそれはそれはもうとんでもない力の入れようよ。1週間ほどぶっ続けでやって、わざわざ各地の警備網が手薄にならないように日程を設定していたり。それでも来れない人は多いけど」

 

「あ、強制じゃないんですね」

 

「えぇ。流石にそこまでバカではないわ。私も最初に聞いたときは平和ボケしすぎとか思ったけど、これが結構楽しくて……文句が言えない立場になってしまって」

 

 恥ずかしさからか、外気の寒さによるものか、判別はつかなかったが頬を赤らめながら言う彼女に。会の内容について、気になった巧は少し踏み込んで聞いてみる。なんでも、ディナーは高級ホテルの一般解放の食べ放題並みに豪勢で、会の目玉のケーキは頬っぺたが落ちるを通り越して、頭が爆発するほどウマイとのこと。

 

 今日のためだけに組まれた工事現場の足のような場所をいったり来たりして、建物の窓やへり等引っ掛かりのある部分に電飾を施すこと一時間。

 

 もう少しで建物は終わりか、と巧が思っていたとき、今度は天龍にボコられた響の姉、暁から声をかけられた。因みに彼女は身長が150ほどなので、頭1つぶんで済まない身長差の巧と話すときはいつも上目使いだ。内心巧は、自分も女だが、ちんまい彼女がカワイイと思っているのは声に出さない。

 

「南条さんは、化粧品とか何を使ってるんですか!?」

 

「え? どうしてそんなことを?」

 

「南条さんが美人だから! 背も高いし白くて綺麗だし体系もモデルさんみたいだし!」

 

「そ、そうかな? でも化粧水塗って眉毛整えたら終わりなんだケド……」

 

「嘘でしょう!?」

 

 昔から「白すぎてキモい」だのなんだの言われていた彼女には、この怒濤の誉め言葉が新鮮に感じる。それどころか「スッピン美人! うらやましい!」だなんて生まれて初めて言われて、思わず顔を赤くする。二人の様子を見ていた加賀は、巧の表情を覗き込みながら何か企んでいそうな笑顔だ。

 

 照れながらも手は止めずに作業中だった時だった。その場に居た全員の鼻っ面に、白い物が当たって、溶ける。一瞬雨かと思い、巧が上を見ると、鉛色の空から雪が降ってきていた。

 

「あ、雪だ……こっちでも降るんですね」

 

「久々ね。2年ぶりくらいじゃないかしら」

 

「冬タイヤ履きっぱなしで良かったな……でも運転怖いな」

 

「道民の貴女としては大したこと無いと思うけれど? どうせ靴底の厚みぐらいしか積もらないもの」

 

「私はなれてても、周りが慣れてない人多いからどっちにせよこの季節は危ないですよ。昨日の事故じゃないけど、車がどこに飛んでくかわからないですからね。雪の上って」

 

 北海道で運転していた頃を思い出し、免許取り立ての頃はよくツルツル滑って横を向いたな、なんて巧は軽く呟いたが、その経験があの物凄い運転技術なのか? と加賀は邪推する。そんな巧に、同じく作業中だった那智がはにかみながら口を開く。

 

「冬場もCR-Xの洗車頼むぜトップ整備士。この時期は嫌ってほど水アカが付くからさ」

 

「任されました!」

 

「すっかりお気に入りね? 那智は巧が」

 

「そりゃそうさ、新車同然に磨いてもらった時は涙が出そうになったからな」

 

「そんなに? じゃあ私もFCの洗車頼もうかしら」

 

「ありがとうございます!」

 

 こういった会話にすんなり馴染んで混ざれてしまう辺り、加賀もすっかり車好きが染み込んだようだと巧と那智が会話の最中に考える。少し前まではFDとFCを間違うレベルだったのに、と思うと感慨深い……気がする。

 

 飾り付けももうあとは窓三つほどに電飾で終了か、というとき、足場の下から長門の声が響いてくる。別行動中の人員が足りないらしい。

 

『暇なやつ、こっち手伝ってくれないか』

 

 それを聞いて。巧は三階建て程の高さの鉄骨から飛び降りた。

 

「は~い。今行きます」

 

「えっ!? 巧……」

 

 こんな高さから飛べば怪我をすると加賀が言うのよりも先に降りた彼女に、周りの視線が集まった。ドスンと着地して足を捻る……どころか、軽い身のこなしで、宙返り3回転程で上手く落下の勢いを殺しながら、やんわりと危なげなく着地した巧に。加賀他数名が唖然としていた。

 

 コイツ本当に人間かと摩耶が言いたくなるのも無理はないな。スタントマンのような動きを見せた巧に、加賀はそう思った。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 長門と合流した巧は早速彼女から何の仕事で呼んだのかを聞く。仕事に使うのか、彼女のすぐ近くに大型フォークリフトに載せられた、彼女用の戦艦の艤装が置いてあったのが目を引いた。それの煙突(?)のような部分に、何やらよくわからないビニールの何かが連結してある。

 

「早速来て……貴女か。ちょっとこれに風船を繋ぐのを手伝ってくれないか」

 

「風船?」

 

「サンタクロース型の巨大バルーンだ。デパートとかで観たこと無いか?」

 

 あぁ、アレか、と自己完結。してから長門に更に詳細を教えてもらう。なんでも風船が大きすぎて普通の空気入れでは全然パワーが足りないので、引っ張ってきた自分の艤装から起こした風で風船を膨らませるらしい。

 

「これそんなしょうもない事に使っていいんですか? 大切な装備なんですよね?」

 

「いいんだいいんだ。いざってときに深海棲艦と戦ったら意外とすぐに壊れるからな。多少は愛着はあるが道具は使ってこそ、だぜ」

 

 既に熱が入っているという艤装に、無理矢理取り付けたような枝分かれしているパイプの先に、言われた通りに巧は長門と風船を取り付けていく。

 

 5個ほど繋げたとき、長門から「もういいぞ」と言われて、巧は意外と早く終わってしまったので、今度は木に脚立を立て掛けて、それに登って枝に電飾を施していた親友の元へと馳せ参じる。

 

「マコリーン、手伝うか~い?」

 

「巧か、ちょっと下に積んでるヤツ持っててくれ、一人で支えてると重たいから」

 

「りょーかい!」

 

 摩耶の真下に、とぐろを巻いた蛇のように積んであった電飾を持ち上げて支え、少しでも彼女がそれを手元まで手繰り寄せる助けにする。と、同時に。巧は親友に会話の切り口をふっかけた。

 

「気になってたんだけどさ、よくマコリン外車なんて買ったね。しかもミニ」

 

「荷物が積めてある程度速くて、見渡せる高さもあるってなって決めたんだよ。後々後悔したんだけどな」

 

「そうなの? あまり悪い評判聞かないけどな、ミニって。一応BMWだし」

 

「最初はもう酷かったぞ乗り心地クソ悪くて。サスは異常に硬ぇわシートも硬いわ、岩に乗ってるみたいだったよ。腹立ったから車高調入れてセミバケ入れて……ってなったら軽く100万近くかかったからな。下手したらお前のインプレッサのほうが遥かに乗り心地良いよ」

 

「うっそー、すごく意外!」

 

 スポーツカー……と言う割にはあまりストイックな設計ではないが、それでも乗り心地が良い方ではないアレに負けるとは相当ではないだろうか。元々部品が壊れたりすると、高いお金がつくと知っていてあまり巧の中では印象が良くなかった外車が、更にイメージが悪くなった瞬間だった。

 

 

 

 そうやっていろんな場所を奔走しながら手伝っていると、冬場ということもあってか、すっかり周囲は暗くなっていた。

 

 提督の緒方以下、総勢40名ほどかき集めたイルミネーションの取り付けは、この1日で終わり。加賀の提案で、出撃で居ない者には見せられないが、軽い点灯式でもやろうかということになり、正門に艦娘から整備士までが集合する。

 

 

「点灯!」

 

 

 加賀が年甲斐もなく少し張り切って電飾のリモコンスイッチを押す……が。想像よりもイルミネーションがしょっぱい出来だった。

 

 今年から初めて入隊した天龍と巧は、いつもこんなものなのか……? と首をかしげつつ見ていたとき。おかしいと思っていたのは二人だけでは無かったらしく、那智が何かに気付く。

 

「……なんかショボい」

 

「加賀、それ省エネモードだぞ」

 

「あっ」

 

 ボタンの押し間違いを指摘した那智の発言に、周囲が笑いに包まれる……前に、加賀は皆を凄まじい形相で睨み付けたため、賑やかにはならなかった。

 

 軽い咳払いをしてから、「点灯!」と少し顔を赤くして、加賀は今度こそイルミネーションのボタンを押した。

 

 「おぉ……」と、周りに居た者達から緩く感嘆の声が漏れる。北海道民ということで、あちらの方では意外とこういった派手な電飾を見る機会は多いものの。それでもやっぱり、暗い中で、浮き上がるように光って自己主張をする小さなLEDの軍団に、巧は軽く見とれた。

 

「綺麗ですね~……でも電気代がヤバそう……」

 

「太陽光発電から自活分の電力を引っ張ってきているから、そうでもないそうよ?」

 

 2分ほど寒い中で硬直していたところ、緒方が解散と言ったので、各々がマイペースに鎮守府の中に戻ろうとするその時。緒方の携帯電話が鳴る。

 

 『今日辺りに召集と言う名のお誘いが来るんじゃないかしら』との加賀の発言が巧の頭によぎった。はたして予想は当たっていたようで、彼に来た通話の内容はクリスマスパーティーのお誘いだったらしい。

 

「恒例行事の誘いだ。今日から1週間だって……来たいヤツ、居るか?」

 

 行きたいな……でも私整備士だしな、と巧が思っていると。隣に居た摩耶が腕を掴んで、無理矢理挙手させてきた。緒方はというと、眉間に軽くシワを寄せて少し動揺している。

 

「マコリン!?」

 

「摩耶、その、整備士の南条さんは……」

 

「前にメカマンとイチャコラしてる艦娘が居たのを見たろ。一人ぐらい大丈夫だって」

 

 「それに、」と摩耶は続けた。

 

「コイツがなんで無理くり連れられたか誰にもわかんないんだろ? あのジイさんに直接聞いてやろーぜ」

 

 成る程、と内心で相槌を打つ。彼女なりにいつも自分の身を案じてくれていた事を知り、巧はテレた。

 

 

 

 各自の仕事の日程の考えたところ、今日中に行くのが一番都合が良いということになり、全員は礼装に着替える。摩耶と巧はお互いにパンツスーツ姿になったが、親友同士、似合わないスーツに少しだけ笑いあった。

 

 軽くだが積もった雪対策として、冬タイヤに交換していた摩耶と巧が各々の車を出すことになり、摩耶は隣に緒方、巧は隣に加賀をのせることが決まる。因みに巧の車は元帥直々に許可が必要な書類数点が箱に入れられて後部座席に積まれることになった。

 

「じゃあアタシの後ろ着いてこいヨ。ならナビ無くても道も大丈夫だろ。ちと早いけどもう今から出ればいいだけなんだろ?」

 

「ゴメンね、マコリン」

 

「いいよ別に。どうせ暇だしさ。ホラ、提督乗れよ。アタシのミニはサスとシート代えてるから乗り心地いいぜ?」

 

「……何が違うのかわからんが……タイヤが四つついてれば全部車じゃないのか……?」

 

「「「正気かアンタ!?」」」

 

 鎮守府から出発する直前だというのに。車好きに言ってはいけない台詞ナンバーワン……を争いそうな事を口走り、緒方は3人から特大のブーイングを食らった。

 

 余談だが人一倍自分の車にこだわっていた摩耶の機嫌は、会場の鎮守府に着くまで治らなかったとか。

 

 

 

 

 

 

 




セミバケ→セミバケットシートの略。すご~く座り心地がいい。

車高調→車高調節式サスペンションの略。車の高さの調節から柔らかさと硬さの調節までほぼなんでもできる。スポーツカーはこれに換装する人が多いが、摩耶のように乗り心地目的でつける人ももちろん居る。

BMW社の名誉の為に言っておきますがミニは名車です。ただセッティングが少し日本に合わないんですよね……


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ゴーゴー行け行け幽霊船

こっそり前話に挿絵を追加しておきました。
若干ゃ超展開かも。ドゾ。

あとは余談ですが初めて星0の評価を貰ったのですが、ちょっと感動しました。例え低評価でも見ていただいている方が居ると思うと、嬉しいものです。


 雪の積もった町中は軽い渋滞が起きていた。馴れない雪道にホイールスピン状態で四苦八苦している車に、街路樹に追突してレッカー車を待っている車に、と、窓の外の先人たちを見習い、いつもよりも注意して巧はステアリングを握る。こういうときには、乗っていた車が四駆で良かったな、と思う瞬間だ。

 

 出発して20キロほどの距離に、あまり声を大にしては言えないが、急ぐ関係で若干法廷速度オーバーぎみのスピードで差し掛かった時。ナビの代わりをしてくれていた摩耶が止まったので、巧も連動してブレーキを踏む。

 

 何で足止めを食らったんだ? と思い、巧は首を動かして前の車越しの景色を見てみる。踏み切りのような設備の先に、道路が垂直に立っていた景色を見て、何だコレはと軽く驚く。加賀によれば、「跳開橋」という、船を橋のある水場に通すためなんかに作る、苦肉の策で出来た橋らしい。

 

「すご……跳ね上げ式の橋なんて初めて見ました」

 

「一時間おきに、定期的に10分間ぐらい上げ下げを繰り返すそうよ。この辺りの港に出入りする船のために」

 

「へぇ……アニメ映画みたいだなァ……」

 

「アキラとか好きだったりするのかしら?」

 

「え! 加賀さんああいう映画見るんですか!」

 

「あら、心外ね。一時期は本気で二輪車に乗ろうと思ってたわ」

 

 「今は単車よりも車だけれども」と溢した相手に「加賀さんとは今までより仲良くできそう!」と言うと、隣の彼女は笑って見せる。意外と話題が合う加賀と雑談で時間潰しをしていると、上がっていた橋が繋がり、巧はシフトノブをニュートラルから1速に入れて発進した。

 

 摩耶が運転するミニの誘導に従うこと、30分とすこしぐらいか。二人ずつ乗せた2台は軍で一番のお偉いさんのお膝元に到着する。そして予想通りだったのだが、自分の職場と家を兼ねる鎮守府とは訳が違う規模の敷地や建物に。巧は驚く。

 

 新設されたとはいえ威厳があった自分のよく知っている建物の倍ほどの大きさで、アレの比ではない威圧を持つ鎮守府、安全灯がチカチカと輝く大型クレーン設備に、何に使うのか、巨大なコンテナ船が停泊していたりと文字どおりスケールが違う。それに駐車場に止まっていた、恐らくは今回招待されたと思われる提督や秘書が乗ってきたのであろう車たちも規格外だ。

 

 レクサスやベンツ、ポルシェは当たり前。マセラティやロータスといった、見慣れない雰囲気の、スーパーカーに片足を突っ込んだハイパフォーマンス車から、高級車の代名詞のようなベントレーやフェラーリが止まっている。それも1、2台ではなく、中古車市並の規模で停車しているのだ。ぶつけたら一体自分はどうなるのか、と巧は気が気ではない。

 

 焦りと緊張から汗が出る……状態が一周回って、体温が下がるような状態で、巧は機械的に摩耶のミニを追う。スーパーカーすげー、かっこいー、なんて気が散った瞬間ぶつけるというヘマをしそうなので、心が無の状態を維持した。

 

 恐怖の高級車地帯を抜けると、歩道の近くに、路上駐車可能と書かれた看板がたてかかっている場所に摩耶が車を停めたので、巧はその前が空いていたので停車する。車からでて開口一番に「お疲れ~」と言ってきた親友に、巧はこの場所についての愚痴混じりの感想を言った。

 

「お給料いくら貰ってるんだろうねみんな。これ私の車浮いてるんだけど……」

 

「わりぃ、巧、アタシがミニ買ったのもそういう理由なんだわ」

 

「はぁ!? マコリンこの! このブルジョワジーめ!」

 

 摩耶の言った言葉に少しムカついたので、胸にチョップする。すごく柔らかかった。隣に居てそれを見ていた緒方が猛烈に顔を赤くして帽子を目深にかぶり直す。

 

 少し上ずった声で早く行くぞと言うと、緒方は雪を踏みながら、さっさと先に行ってしまう。そんな彼の様子を見て、ウブだなぁと思った女子三人組はクスクス笑った。

 

 

 

 鎮守府の隣に建っている、今回のようなイベント事に使うという名前のわからない建物(別館とでも呼称するべきか)の中は凄まじく広かった。巧は昔に、学校の行事に行った美術館のホールを見て感動した経験があるが、ガラス越しの景色はそれよりも更に一回り広く見える。

 

 外観が古そうに見える、この建物の景観を損ねない洒落た造りの玄関の回転ドアを潜り、一行は中へ入る。シャンデリアがいくつか天井からぶら下がり、大きな丸テーブルには幾らかかるか、庶民の巧には想像もつかなさそうなかしこまった料理が並んでいるのが、賑わっている大勢の人間の隙間から見える。会場の雰囲気としては、立食パーティーと結婚式を組み合わせたような様相となっていた。

 

 入り口の近くで身分確認と会場案内を兼ねた仕事をしていた、眼鏡をかけた艦娘の指示に従い、4人は86番と札が置かれたテーブルに向かう。

 

 途中、巧は周囲からヒソヒソ話の対象になったり、チラチラ顔を見られたりしたが気にしない事にした。……心の中では、一人ぐらい取っ捕まえて張り倒してやろうかと思わないこともなかったが、そんなことをしたが最後なのでもちろんセーブする。

 

 本当は開会式があって盛大に始まるクリスマス会だとのことだが、急な参加ということで遅れて来た4人はすぐに食べ物に手を付ける事になる。

 

 「そこのエビの料理が美味しいですよ」と加賀から言われ、巧はそれを小皿に装って口にした。皿にはオマール海老のアヒージョと書いてある。

 

 アヒージョってなんだろう、と思うよりも先に。

 

 

 ウ マ イ !!

 

 

 こんなの人生で一度も食べたことないや、と内心でおおはしゃぎする。目を輝かせていたところ、加賀に「食べて良かったでしょう?」と聞かれ、驚きと幸せと笑顔を足して5を掛けた表情でぶんぶんと首を縦に振る。

 

 予想の倍ほどの料理の美味しさに、巧はすっかりここに来た趣旨を忘れて、場の空気と食べ物に夢中になった。来るまでは、金持ちと貧乏人の味覚って合うのか? とあまり期待していなかったのがいい意味で裏切られたようだ。が。数十分ほど経過してからの親友の呼び掛けに、彼女は夢の国から現実に引き戻される。

 

「メシが美味いのはわかるがボケてんじゃねーよ巧。何のために来たんだ」

 

「夜ごはん?」

 

「アホタレ! 元帥のジイさんに会うためだろ、ホラ行くぞ」

 

 まだ会の終わりの8時まで時間あるんだから後でいいのに……。テーブルの皿を名残惜しそうに見送り、巧は摩耶に引きずられていった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「急用が入って会えない、ですか?」

 

「はい。神座(かみくら)はただいま別の鎮守府の視察に赴いております」

 

「参ったな……あの、失礼ですがお戻りになられる時間とかは」

 

「申し訳ありません、何分自由な人ですから、秘書の私でも彼の行動は把握できておらず……」

 

「そうですか、ありがとうございます」

 

「お力になれず、誠に申し訳ございませんでした」

 

 人の波を掻き分けて行くこと、意外とかかって5分。パーティ会場の裏手で、やっと元帥配下の艦娘を見つけて声をかけたものの、まさかの今日は元帥が鎮守府に居ないという事を知り。摩耶は軽くため息を点いた。

 

 スーツの袖をまくり、安物の腕時計を覗く。デジタル計には丁度7時だと表記されているのを見て、あと一時間であのジジイ戻ってくるだろうか? と思案を巡らせる。だが考えても問題が山積みだ。

 

 こういった無礼講染みた会だからこそ気安く話を吹っ掛けたり、顔を見て話ができるのであって、当たり前だが元帥だなんていうものは、普段は声すら聞けないような超絶上の階級の人間なのだ。できることなら今日中に会いたかったのが摩耶の考えだった。

 

 もし会の途中にあったら、何がなんでも巧を連れてきた理由を聞いてやる。実のところ、大親友が嫌々連れ出されてきたというのを聞いて、軍に疑念と軽い怒りを感じてこのところを過ごしていた摩耶は、今一度覚悟を決める。

 

 取り合えずまた30分ぐらいしてから秘書の艦娘に声をかけにいくかと、軽く後の事を決めて。巧に声をかけて席に戻ろうかと思ったときだった。

 

「……アレ?」

 

 アイツどこいきやがった! いつの間にかに消えた親友の姿に。慌てて摩耶はまた人の波の中に突入していった。

 

 

 

 満員電車、は流石に言い過ぎだが込み合っていた会場の中で、すっかり巧は迷子になっていた。背が高いのを有効活用して玄関を見つけ、そこに戻ってから自分の席を探す……という作戦も、所々にあるバルーンアートなんかが邪魔で使えない。

 

 これ、どうやって戻ろうか。自分から知らない人に声かけるのも、なんかみんな楽しそうな所に水指しそうでなぁ……、と持ち前のヘタレを発揮して、ぼうっとしていると。そんな彼女に声をかけてくる男性がいた。

 

「もし、そこの色白のお嬢さん」

 

「あ、私ですか?」

 

「ええ。自分の席がわからなくなってしまったかな?」

 

「……! はい、お恥ずかしながら」

 

 声が届いた方向に体の向きを変える。

 

 白い軍服を着ていて、その胸には大量の階級証だか勲章だかがひしめいて自己主張をしており、また顔の右目に眼帯をしているのが特徴的な、優しそうな顔をした50~60歳ほどの男性だった。もっとも目の眼帯と鍛えられた体に、胸の大量のバッヂから、相当なお偉いさんだと察して、軽く巧は気を引き締めたが。

 

「何番かは覚えていらっしゃいますかな? それならばご案内できますよ」

 

「確か、86番です」

 

「86ですね。では。失礼ですが、はぐれないように手を繋いでも?」

 

「あ、はい」

 

 戻れるなら別にいいか、と相手の発言を飲み。巧は手を引かれて歩いていく。異性と手を繋ぐなんて何年ぶりだろうか、と考えていると、歩いている最中にまた相手が口を開いた。

 

「それにしても綺麗な方だ。私のようなオヤジには宝石のように見えますよ」

 

「はぁ……? 初めて言われました」

 

「おや、そうですか。貴女のような美しい方と話せるとは、男冥利に尽きますが」

 

「言いすぎです、白すぎて気持ち悪いって昔から言われてますし」

 

「ははは、見る目がない人間ばかりだっただけかもしれませんよ?」

 

 海軍関係者はアルビノ好きが多いのか? と照れながら思う。数分もせずに「席、あそこですね」と無事にいきたい場所まで戻れたことを彼に教えられ、礼を言って一人歩こうとすると、また止められる。

 

「席まで案内した代わりに、少し私の言うことを聞いてほしいのですが」

 

「はあ」

 

「最近SNSというものに、年甲斐もなくはまってしまって。今の言葉はわかりませんが、昔風に言うなら「メル友」になってほしいのです」

 

「それぐらいなら。良いですよ」

 

「本当ですか! いや、ありがとうございます!」

 

 細い目を更に細め、口角を上げて笑顔になった彼に。巧は、かわいいオジサンだな、と感想を抱きながらLINEを交換した。そのまま彼はどこかに行ってしまったが、登録名が偽名やハンドルネームじゃなければ「神座」という人らしい。

 

 さて、席に戻るかと86番テーブルに目線を移す。場所取りと目印代わりに待ち人をやっていた加賀と緒方の二人が、こちらを見て呆然としていた。何かあったのか? と思って近づく前に、腕を誰かに掴まれる。摩耶だった。

 

「あ、マコリン。ゴメンはぐれちゃって」

 

「それどころじゃねぇよ、おい、今の人……!」

 

「道案内してくれたオジサン?」

 

「バカヤロウ!! アレ元帥だぞ!?」

 

「ええええええぇぇぇぇぇ!!?? メル友になろうよって言ってきたんだけどォ!?」

 

「うるせぇ急げ!! 追うぞ!!」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 人混みの中に紛れ込んだ人間一匹を探すのは大変だった。結論から言うと、会が終わるギリギリにやっと二人は目的の人を見つけて話し掛けたのだが。

 

 巧についての事情を教える代わりに、ついでに貴方たちの鎮守府の視察がしたいと要求を突きつけられ。ぐぬぬした摩耶は緒方に言うと、許可を得られたので、車で元帥を送ろうと外に出ていた。周りには3人と元帥が既に待っている。

 

 元帥なんか乗せてドライブなんて、プレッシャーきつすぎて吐きそうだ……そんな事を思って、摩耶は始動キーを差し込む。が、エンジンがかからなかった。

 

「……あれ」

 

「どうしたの?」

 

「巧、もっと近くで……ヤバイ、故障したかも」

 

「こんなときに!? どうするのさ」

 

「どうしようもねぇよ、お前が乗せるしか!」

 

 ヒソヒソ話の後に、悪あがきとしてガソリンの残量から、ボンネットの中まで摩耶は確認するものの、結局原因がわからずミニはレッカーされてしまうことになった。

 

 そして

 

 人数オーバーの加賀は今日はここに泊まることになり。緒方、元帥、摩耶の3人を乗っけて、巧は元居た場所まで戻ることになったのだった。

 

 

 

 すごぉ~く居心地が悪いと巧は感じていた。一番広い助手席に元帥を乗せたかったのだが、車は後部座席が上座らしく、緒方と元帥は彼女の後ろに陣取っている。しかも彼女の車はロールバーを組んでいるので、ただでさえ小さい後ろの席が更に窮屈なのだ。申し訳なさとプレッシャーで胃が潰れそうな思いだった。

 

 隣の摩耶のナビに従って巧は機械的に運転を続ける。曲がり道を越えて、海岸線沿いの長い直線道路に来たとき、バックミラーを使って後ろの元帥の表情を覗く。会の時には優しそうに見えた顔が、今は滅茶苦茶に怖かった。

 

 いつもの倍を越えるぐらいに運転に気を使うが、走る車には付き物の、路面の段差を越える度の振動一つ一つに気が散る。こうした動きが少しずつ積み重なって元帥の怒りが爆発しないか? なんて思うと気が気ではなかった。

 

「久し振りですね。こういう車に乗るのは」

 

「元帥様はスポーツカーなんてお乗りになられるのですか?」

 

「ええ。昔はAE86(エーイー ハチロク)に乗ってましたから」

 

 唐突に口を開いた彼に、巧が聞くとそんな答えが返ってきて、摩耶と二人で胸を撫で下ろした。乗り心地が悪いだとかは呑んでくれていたようだ。もっともすぐ隣に座っていた緒方は動悸が激しくなっていたのは、二人の知らないところだったが。

 

 橋があるところまではひたすら真っ直ぐな道で、信号が赤になったのでブレーキを踏む。少しはこのモヤモヤした気が晴れるかと思い、巧は窓の外の奥に広がる真っ暗な海を見る。だが海上には明かり一つ無かったので闇しか見えなかった。

 

 

 その闇の中で、見間違いか、一瞬何かが光った気がした。

 

 

 UFOか何かかな、なんて平和ボケした考えを浮かべて間もなく。轟音と共に車体が傾き、鈍い音をたてて着地してギリギリ横転せずに道に復帰する。

 

「な、何が……」

 

「…………!?」

 

「巧、アクセル踏め!! 早く!!」

 

 訳もわからず巧は、非常に嫌な不快感というか予感というか、親友の声と同時にそんなものを感じてアクセルベタ踏みで車を加速させた。

 

 タコメーターの回転数がぐんぐん上がり、エンジンが唸りを挙げる。シフトレバーを1から5まで順に引き上げていくと、スピードは計測器ではもう少しで180キロに差し掛かる。だが、なぜか真っ直ぐに走ってくれないこの車に、巧は咄嗟にサイドミラーを覗いて車体の後ろを見る。

 

 先程の何か、今も続く砲撃(?)によって破損したのか、後ろのタイヤが壊れて引き摺られているのが見えて、軽く舌打ちした。本当なら今すぐにでも裏路地かどこかに入って難を逃れたかったが、不幸なことに、この道はあと何キロも先まではひたすら真っ直ぐで、町へ続く横道など無かった。

 

 何秒、何分走ったか、ハンドルを左右に切り返して車を真っ直ぐに走らせるのに必死で、周りの音や状況が巧にはわからなくなっていた。だが、振動からまだ謎の攻撃は続いている事は知覚する。

 

 目線の遥か先に、行きでも使った橋を見付ける。が、定期点検の時間か、だんだんと上に上がっていた。

 

 

 巧は5速に突っ込んでいたシフトを4に戻してレッドゾーンまで回転を引き上げてから、また5に戻して車を限界まで加速させる。そして愛車の馬力を総動員させて、踏み切りのバーを吹き飛ばして、橋から車ごと飛んだ。

 

 

 ジャンプ台の代わりに足蹴にした橋の長さも含めれば、優に100mは越える長さの距離を滞空していただろうか。

 

 向こう岸の橋を越えた道路に着地すると同時に、サスペンションで吸収しきれなかった衝撃が車内に奔る。そしてとうとう耐久力の限界を超えた、壊れていたリアタイヤが一つ外れた。

 

 橋を越えてすぐに現れた道を見逃さず、巧はサイドブレーキを引いて後輪をロックさせながら、猛スピードで路地に車体を捩じ込み、急いで海岸線の道から離れていった。

 

 時間にすればきっと5分にも満たなかったかもしれない。だが、4人は生きた心地がしなかった数分だった。

 

 

 

 

 




忘れた頃にやって来る艦これ要素。もう少しでお話が終わりなんじゃ。


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いきなり言われても困ります

変な時間に失礼します。
艦これっぽい話が急に今回から入ってくるので、超展開気味かも。
後2、3話艦これ感をかもして本筋は終わります。その後はクルマまみれなお話を予定しています。ドゾ。


 

 昨日、命からがらという言葉がこれ以上ないほど似合いそうな状態で、壊れかけになった巧の車が戻ってくると、鎮守府中が騒然となっていた。

 

 無茶をやったときに、額をピラーに打ち付けて血が出ていた巧は頭に軽く包帯を巻き、同じくその時に(したた)かに車内に体を打った元帥と緒方は、軽く打撲した部分にガーゼを巻いて処置を受けた。運が良かったのか、摩耶だけは怪我もなく元気だった。

 

 後から入ってきた情報によれば、あの衝撃は艦娘の警戒網を突破してきた深海棲艦による攻撃だったらしい。死者は出なかったものの、今は道路が激しくダメージを受けているため、あの海岸沿いの道は封鎖されたとのこと。

 

 だが巧の脳内はそれ以外のことで一杯だった。

 

 

「………………」

 

 加賀と一緒にFCの整備をしたり、職場として働いていたガレージに運ばれた、自分のGC8の前に立つ。タイヤが外れてから、軽く数キロは引き摺ったせいか。車体下のシャシー防護用のアンダーガードは垂れ下がり、着地した際に壊れたのかフロントバンパーにはヒビが入り、ヘッドライトも片方割れている。

 

 それよりも問題だったのは、昨日の攻撃で飛んできたコンクリート片がヒットしたリア周りだ。

 

 何が起きたらこんな壊れ方をするのか。トランクが凹んで、ルーフは軽く潰れたミニカーのように歪み、サスペンションのアームごと右リアタイヤが脱輪している。ロールバーで車体が補強されていたのが幸いしたのだろう。後ろに乗っていた元帥と緒方が、こんなに潰れた車内で生きていたのが奇跡と思えるような破損の具合だった。

 

「おはようさん、巧」

 

「おはよ、マコリン……と加賀さん」

 

 頭の中が真っ白な状態で居ると、摩耶と、朝方に彼女の車を運転して戻ってきた加賀がやって来たので機械的に挨拶を返す。……無駄とはわかっていても、ある話題を摩耶に言わずにはいられず、巧は口を開いた。

 

「……修理(オコ)せないかな。このインプレッサ」

 

「………それは、お前が一番わかってんだろ」

 

「ッ…………」

 

「リアタイヤがサスペンションのアームごと折れて外れただけ、とかならまだなんとかなったろうけど。後ろの骨格が歪んじまってる。金積んだところで直るモンじゃねーだろ、この状態はさ」

 

「……そんなに重大な破損なの?」

 

「ああ。こんなんじゃ、イチから車体作った方が早いってレベルだよ」

 

 唇を噛み締めている巧を見て、加賀は摩耶に聞いてみたものの、その筋の専門職である彼女から返ってきたのは、気休めにもならない答えだった。

 

 巧から、すぐ近くの彼女の車に加賀は目を移す。知らない人間からすれば、こんな状態の車を見て、すぐにツブして新車を買えば、なんて言うのだろうが。出来たばかりの友人、それも数日間にいつも車のことで親身になって尽くしてくれた彼女に、そんな言葉をかけることは加賀には出来なかった。

 

「……今年で10年目だったんです。これに乗り初めて」

 

 唐突に口を開いた巧の言葉を、黙って二人は聞く。

 

「免許とったばかりの時から乗って、専門行った後からは、お父さんから卒業祝いだって言って、譲ってもらって」

 

「「…………」」

 

「下手だった頃は、しょっちゅう壁に擦ったり、ぶつけたりして……父さんからグーで軽く殴られて。でも、その度に笑って二人で直して……古い車なりに、大事に乗ってたんです」

 

 その場にしゃがみこみ、愛車のバンパーを撫でて、力なく笑いながら巧は続ける。彼女の頬を涙が伝うのを、二人は見逃さない。

 

「今度はグーで済まないだろうな……オヤジに骨折れるまで殴られちゃうよ、こんなにしちゃったら……」

 

 静かに泣いている親友の姿に、胸が締め付けられるような感覚を二人は抱いていた。摩耶は、どうにかして巧の車を直してやりたいとは思うが、同時にどうしようもないことは、神様にでも頼むしかないという考えにも至り。やり場の無い怒りをどうぶつければいいのかと思案する。

 

 5分ほどの静かな時間が、3人の体感的には永遠のように感じられていたとき。どこかから走ってきたのか、息を荒くしている那智がやって来る。なんだろうと思って、巧は涙を拭って立ち上がり、彼女のほうに向き直る。

 

「やっぱりここか! 巧、急な仕事がお前さんに入った」

 

「仕事?」

 

「ああ、元帥が話があるから医務室まで連れてこいって。摩耶と加賀も来るか?」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 初めて鎮守府に来たとき並の緊張を感じながら、巧は医務室の前に立つ。周りには摩耶、加賀、那智も居る。採血の時に1回来たことがあるとはいえ、あのときとは状況が違いすぎる。なんといっても、この木の板一枚を挟んだ向こう側には、総理大臣レベルの超絶お偉いさんが居るのだ。さっきまでのメソメソが完全に頭から吹っ飛んでいた。

 

 昨日、LINEの交換をしたときの彼の表情を思い出す。無礼な振る舞いとかしてなかったっけ!? と心臓がバックバクで落ち着かない。相手の職業を知らない方が良かった、立場さえなければ、ただのおじさんとして接せられるのに、とずっと考えるだけでも仕方がないので。ぷーッと息を吐いて、勢いのまま巧は部屋の中に入った。

 

 部屋に入ると、ベッドに腰かけていた元帥の姿が真っ先に目に飛び込んできた。ニコニコ笑顔で「君たち、座りなさい」と言われたので、素直に巧は近くにあったパイプ椅子に腰かける。……加賀に小声で「ノック忘れてたわよ」と言われて あ、私死んだ と思ったが、続けて相手が「堅苦しいのは止してくれ」と言ってくれて、胸を撫で下ろす。

 

「礼が一言言いたかった。運転していた貴女が居なければ私は今頃地獄か天国だったからね。言葉じゃあ表しきれないぐらいだけど、まずは感謝する」

 

「……ありがとう、ございます」

 

「受けた恩は必ず返そうと考えているんだ。何か、私にやってほしいことはあるかな? できる範囲で何でも聞こうと思う」

 

「えっ、い、いきなり言われても困ります」

 

「ははは。今すぐじゃあ無くても構わないよ。ゆっくりと考えてくれ」

 

 初めて出会ったときから少しは思っていたが、話がしやすい人だな、と巧は思った。右目を縦に横断する傷が顔にある目の前の人に、なんというか、立場や職業や生まれの違いなんかを度外視して、同じ目線の高さで話をしてくれるタイプの人のような、独特な居心地の良さを感じたのだ。

 

 そんな事を巧が考えていると、今度は入れ替わるように摩耶が口を開く。巧が軍に引きずり込まれたことについての話題だ。

 

「元帥サマ、昨日言った事は考えて頂けたでしょうか」

 

「……? 済まない、わからないからもう一度言ってくれ」

 

「彼女、南条 巧は私の友人です。私は何故、彼女に仕事と家をツブさせてまでして、ここに連れてこられたのかが気になって、毎日夜も眠れませんでした」

 

「続けてくれ。……もっと素直に言ってくれても構わない」

 

「乱暴に言えば私は非常に軍に怒りを感じています。だいたい昨日の事だって彼女が居なかったら、無かった事だったんだ。馴れない環境に一般人連れ込んで、直接じゃないとはいえ危ない目にもあわせて、なのにまだ巧になんでこっちに来いと言ったのかの理由が教えられていない」

 

「…………」

 

「教えてください。彼女がいったい何をしたのでしょうか。コイツの人格と過去が知りたいのなら、原稿100枚にまとめろと言われても私はできます」

 

 摩耶は、馴れない敬語と話し言葉、そして溜まりに溜まった爆発寸前のストレスで、思ったことそのままを口から出力したような物言いをする。彼女の言葉を聞いた元帥は、ゆっくりと話し始めた。

 

「わかった。話すよ、いい機会だからね」

 

「「「…………!」」」

 

「だが、今じゃない。そして話をするのは私じゃないんだ」

 

「何……?」

 

「私よりも、君の事情に詳しい人物が今日やって来るよ。少し変わった場所から、ね」

 

「巧の事情に詳しいヤツ……?」

 

 変なことを言い出した彼に、摩耶は怪訝そうな表情を見せる。全員がどういう意味だろうかと首を傾げたときだ。

 

 バタン! と勢い良く部屋の扉をこじ開けて一人の艦娘が入ってきて、叫び声で、5人が話していた後ろで寝ていた緒方に緊急連絡を伝えた。

 

「ご主人様ァ!! 姫級の深海棲艦がこっちに向かってるって、警備から連絡が!!」

 

「漣、ここは医務室だ」

 

「そんな事言ってる場合じゃねっすわ、識別信号は戦艦水鬼だヨン!! すぐに近隣の部隊も総動員して迎撃に……」

 

 全員に緊張が奔るのを巧は感じた。記憶を少し辿る。確か姫級というのは、めちゃくちゃに強い化け物? だったか。自分が連れてこられる原因になった、巧とそっくりさんらしい南方棲鬼の写真を思い出す。

 

 だが元帥だけは落ち着き払って、こう言った。

 

「通せ。その深海棲艦はこちらの事情を知っている」

 

「え?」

 

「通せと言ったんだ。南条、と言ったね? こちらの彼女と関係がある者だ。相手は」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「マコリン、ちょっと教えて欲しいんだけどさ」

 

「何?」

 

「せんかんすいき? ってすごいの? みんなコワイ顔してるけどさ」

 

「あたしらが普段相手してる駆逐艦……お前の知ってるクジラみたいなやつが戦車だとしたら、水鬼はサイコガンダム。アタシは下っぱだから会ったこと無いけどさ」

 

「オッケー、なんとなくわかった」

 

 ヤバイじゃん、それ下手したらここ消し炭になるんじゃないの!? とやっと周囲が緊張している理由を知り、作業着姿の下で、巧は鳥肌が立った。

 

 先程のやり取りから場所は変わって、ここは鎮守府の港だ。巧の周りには十数人の艦娘が、武装して立っており、物々しい雰囲気を醸している。この集団の先頭近くに巧と摩耶は居た。親友は両手に2連装の大砲のようなものを付けていて、巧には普段とは印象が違って見える。

 

「戦艦水鬼か……本人を、それもこんな近くで見ることになるなんてな」

 

「肩の力を抜いていて貰えると助かる。彼女は非常に臆病だからね」

 

「は? いえ、しかし」

 

「来たら解るさ。言う通りにしてくれると私が嬉しい」

 

「はっ!」

 

「周りの君たちも聞いていたね? 相手が相手だけに難しいだろうが、普段通りにリラックスしていてくれ」

 

 先頭に居た長門に応対した元帥の言葉に、艦娘たちはモジモジして落ち着かない様子だ。やはり落ち着けと言われても、町ひとつ吹き飛ばせる怪物が来るとなると、元帥の言う通り難しいのだろう。自分もその立場ならそう思うだろうし、と巧は考える。

 

 無線機とお喋りをしていた艦娘によると、あと少しで相手が来るらしい。それから程無くして、海上をゆっくりと小型船舶が警備の艦娘たちの誘導に従って、こっちにやって来るのが見えた。何気に、テレビ画面ではなく、生で艦娘が海の上をスケートしているのは初めて見る巧だった。

 

 小型の漁船クラスの船が岸に着き。いよいよ中から人型の深海棲艦が出てくる。艦娘たち+巧が表情を引き締めたときだった。

 

 「あっ」と声を出したかと思うと、戦艦水鬼は足を踏み外してアスファルトの地面に顔面を打ち付けた。

 

「あ゙っだっ……痛い」

 

「…………。大丈夫ですか?」

 

「うん、ごめんなさいね」

 

 親切心で、反射的に長門は手を差し伸べた。女は強打した鼻をさすりながら立ち上がる。

 

 艦娘たちは完全に拍子抜けしてしまった。名前と噂からどんな化け物みたいなのが来るかと思えば、目の前の女はドジを踏んで軽く怪我をしたばかりか、目に涙が浮かんでいる。全く怖く感じなかったのだ。

 

 巧はというと、第一印象は綺麗な人だな、と思っていた。吸い込まれるように真っ黒な長い髪に、それと対照的に異常に白い表皮、そして自分と同じく赤い瞳をもつ女性は、同じ性別の巧でも魅惑されそうな、アブない色気が漂っている。出会って一番にズッコケたせいで、天然っぽく見えるのがタマに傷か。

 

 一見外国人と言えば通りそうな容姿だが、額の端から角が1本生えているのが人間ではないのだという証拠がある彼女は。巧を見て、口を開いた。

 

「久し振り……になるのかしらね。貴女とは」

 

「え?」

 

「後で言って回ったり、時間が取るのが難しいかも知れないから。周りに人が多い今、言うわ」

 

 人の言葉で普通に話すんだな、という事を考えた次の瞬間にそれは相手の言葉を聞いて雲散した。

 

 続けて戦艦水鬼は巧の手をとって、自分に言い聞かせるような静かな、だがよく通る声で呟いた。

 

 

「私が貴女の母親に当たるわ。こんなに大きくなって……南方棲鬼。」

 

 

 女の発言に周囲の空気が凍りついた。

 

 

 

 

 

 

 




展開早いかな大丈夫かな(風邪引いた


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ケンカ上等……やっぱゴメンなさい

お待たせしました~
ぶっ飛びな展開だけど勘弁してね。作者の限界が表れた回です(白目)


 

 

 

 人払いがされた鎮守府の執務室で、巧は自分の母親を自称した戦艦水鬼と向き合っていた。親と話すとは思えない空気の重さに、彼女はさっさと部屋から出たい心理状態になる。

 

 というか母親ってどういうことさと部屋の椅子に座った瞬間に聞いたのだが、相手に待ったをかけられ、深海棲艦とはなにかということから話が始まるのだった。

 

 水鬼によると、深海棲艦には派閥という物があるらしい。1つは人類を滅ぼさんと刹那的な目的でただただ暴れまわる者たちと、もう1つは人々に手を出さず、上記の者たちを抑え込む代わりに、最低限の自分達の住む場所と、安全の保証を海軍に求める穏健派だそうだ。ただのエイリアンか何かと認識していた巧には新鮮な話だった。

 

「簡潔に言えば、艦娘と軍の方々が戦っているのは猛獣のような物よ。何も考えずに人を見つけたら取り合えず暴れる。そんな感情しかない、理性の無い獣みたいなね」

 

「クジラみたいなやつとか」

 

「ええ。そしてそれらを統率してけしかけてきたり、ときたま自分から攻め込んでくるのが姫級……や、他の人型の深海棲艦ね」

 

「あなたは人をやろうとは思わないんですね」

 

「考えたこともないわ。だって勝てるわけがないと最初から思ってたもの」

 

「はぁ」

 

「話を戻すけど、時間の経過と共に、突然何故か私のような平和主義な思考力がある深海棲艦が出てきた。でも艦娘の方はそんなこと知るわけ無いから、普通に攻撃してくる。から、私は痛いのは嫌だから人と取引したの」

 

「取引?」

 

「武器を放って白旗振りながら、なんとか軍船に近づいてね。貴女を孤児として陸に置くようにって」

 

「……………」

 

「死にたくないなって、思ったから、貴女を作ったの。……ごめんなさいね、自分勝手な母親で」

 

「はぁ…………?」

 

「深海棲艦というのはね、最初がどう生まれたのかは私も知らないけれど。鉄屑と少しの魚のスリ身で作れるの。それらを培養機に放り込んで出来たのがあなた。」

 

「……………!」

 

「そして、もし預けた子が人間社会に溶け込めるなら、深海棲艦は安全な生き物だと証明できるでしょう?って。当時のカミクラに言ったの。そして今になるわ」

 

 話が下手なのか、言うことの順序がおかしいとは思ったが。彼女の言うことが本当なら自分は人間では無いらしい。軽く動揺しながら巧は話を切り出す。

 

「待ってくださいよ、血液検査だってなんだってやったけど私は異常無いって言われたのに……というか貴女の言うことが本当なら私の腕やら何やら、中身がカマボコじゃないですか」

 

「そこが生命の神秘ってやつかしら。深海棲艦はだんだん体ができてくるにつれて、人の肉体と同じ組成になるそうよ」

 

「でも、私は素手で砲弾を弾いたりなんてことだって」

 

「艦娘もそうだけど、艤装を付けているか否かで肉質が変わるわ。貴女も付けたらそれぐらい簡単に出来ると思う」

 

「孤児として送ったって言ったって、そう都合よく引き取る人がいる訳じゃないでしょう?」

 

「だからわざわざ引き取られるパーセンテージが高い養護施設に、軍、というかカミクラは送ったそうよ。貴女を育てた父親の愛情については、それは流石に作り物ではないから安心していいと思うわ」

 

 母親の言葉を聞き、安心なんてできるかと、巧は完全に黙ってしまった。気になることは全て聞いたが、どれも淀みなく相手は答えたのだ。確証は無いが恐らく全て事実なのだろう。今の会話で戦艦水鬼の口から出てきた言葉は、巧に漠然とした不安を植え付けた。

 

 父は? 友人は? 知人は? 今まで接していたのがヒトモドキの怪物だったと知ってどんな反応をするんだ? 軽蔑か、畏怖か、愛想笑いをしながら距離を離していくのか?

 

 出来の悪いSF映画の能書きのような自分の出自に混乱している彼女に、戦艦水鬼は更に続ける。

 

「あと、最後に。今日ここに来たのはさっきのことと、もうひとつ言うことがあって来たの」

 

「………………」

 

「あなたにも戦闘に参加してもらうためにね、南方棲鬼用の艤装を持ってきたわ。詳しいことはまた後で」

 

「…………は!?」

 

 今日いきなり来たばかりか、今度は戦争に参加しろだと?

 

 流石に腹が立ち何か言おうとするが。巧は相手に先手を取られる。

 

「その……悪いけれど、もう決まったことだから。何も言わずに従って頂戴」

 

 「勝手な母親でごめんなさい」。そういって部屋から出ようと戦艦水鬼が立ち上がり、ドアのある方へと歩く。

 

 その彼女の腕を、巧は握りつぶしそうな勢いでガッシリと引っ掴み、相手を睨み付けながら、口を開いた。

 

「何度も何度も「母親」って連呼してるトコ、悪いんだけどさ」

 

「何かしら」

 

「……「戦艦水鬼さん」って呼んでもいいですか」

 

「…………!」

 

「なんでもかんでも、色々と急な話すぎてなんか母親とは思えなくて……私の中で親は父さんだけだったから」

 

「……呼び方は好きにして。じゃあね」

 

 悲しむかと思ったが、巧の言葉に意外とドライな反応を見せながら、今度こそ戦艦水鬼は部屋から出る。

 

 閉めた扉の前で。彼女は娘から見えないように泣いた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 日にちを跨いで翌日、巧は生まれて初めて艤装というものを身に付けて、海上に立っていた。機械のメカニズムや理論は全くわからないが、少し感動する。

 

 摩耶と那智から軽く教わったのだが、スケートやスキーの要領で簡単に操作できるらしく、事実、道民ということもあって上記のスポーツに親しみがあった巧はすぐにコツをつかんで動けるようになった。

 

 昨日のあの後に、巧が、なぜ自分が戦いに参加するのかを元帥から聞けば、今日は敵の数が多いのがわかっていたかららしい。敵1匹1匹は強くはないが、数が多いと警備を突破されて面倒なことになるため、ならばこちらも数だということで、今回は水鬼が連れてきた深海棲艦まで動員しての作戦とのこと。

 

 もう少しで戦闘が始まると聞き、何人かの艦娘と待機するように言われた場所に張り込む。時間があるうちに、巧は昨日のうちから持ち込まれていたと聞いた、自分の装備に改めて目を向けてみた。

 

 他の艦娘たちが付けている、いかにも軍艦の大砲や甲板を模したようなメカメカしい物と違い、自分が腰から付けているものは、機械と生き物が混ざったような有機的なデザインで、しかも定期的に動物の口のような部分が動くオマケ付きだ。なんだかキモチワルイと思い、テンションが下がる。

 

 更に付け加えて、いつもより周囲の艦娘たちの態度が、自分に対してよそよそしいのが彼女の気分を下げる原因になっていた。いつも対処に頭を悩ませる敵と同じ生き物だったと知ってはしょうがないのだろうが、そう思っていても、やっぱり巧は滅入ってしまう。

 

「…………」

 

「あまり緊張しないほうがいいわ、巧」

 

「加賀さん」

 

「いざというときは私が手伝うから。しゃんとしてなさい」

 

 一人で落ち込んでいると、巧が両腕にはめていた、指先がカギ爪のようになっている籠手を両手で握りながら、加賀がそう言ってくる。いつもと態度が変わらない相手に、少なからず巧は感謝の念を抱いた。

 

 艦娘としては先輩に当たる彼女にしたがって、とにかく落ち着いて動くことを意識するか。気合いを入れるために、両手で顔面をパチリと叩いた。ゴツゴツした籠手が当たって痛かったが、寝ぼけ気味の目は覚めたので良しとしておく。

 

 

 

 戦闘だなんていうものだから、作戦中はきっとスターウォーズばりの大激戦かと巧は思っていたのだが、実際はスポーツの消化試合のようなものだった。

 

 明確に回避行動や狙いを定めてから砲の引き金を引くこちらに対して、相手は昨日の水鬼が言っていた通り、本能に突き動かされて暴れているような統率の取れていない動きなので、面白いようにやられていくのだ。緊張していた巧は肩透かしを食らっていた。

 

 次々と煙を上げて沈没していくクジラや、特撮映画の怪獣を小さくしたような敵を見る。相手は自分が発射した弾丸一発で沈むが、自分は当てられても痛くも痒くもなかった。嬉しさ半分、複雑な心境が半分の割合で巧の心の中に混じる。

 

 当たったときに死ぬほど痛い目に遭うのはそれはそれで嫌だが、これで自分は本当に人間では無いということが確定したのだ。素直に喜べることでは無かった。

 

 少し遠くの方で戦っている加賀を見る。彼女の弓から放たれた矢が何メートルか射手から離れると、火花を散らして飛行機に変形して相手に弾丸や爆弾をお見舞いしている。ここ最近の彼女の天然っぽいなりは潜み、凛とした態度の加賀は巧にはすごく格好よく見えた。

 

 考え事をして注意力が散漫になっていたときだった。耳に摩耶の叫び声が聞こえてくる。

 

「巧!! あぶねぇ!!」

 

「え゙」

 

 何事かと思って摩耶の方を向き、次に彼女が向いていた方向に視線を変える。

 

 豪快に水飛沫をあげながら、テレビや雑誌なんかの紹介で多くの人々に知られている深海棲艦、サイボーグのクジラのような見た目の駆逐イ級が飛びかかってきたのだ。

 

 軽自動車並の大きさが普通なのだが、いきなり出てきたコイツはサイズが桁違いで、建設現場の大型のダンプカー並にデカい。恐怖で頭が真っ白の放心状態になった巧は涙目になる。

 

 

 でけええええぇぇぇぇ!! こんなの無理だぁぁぁァァ!!

 

 

 咄嗟に脊髄反射で目をつぶって両手で顔を守った。……巧は、自分は砲撃か体当たりの衝撃に襲われるかと思ったが、そんなことはなく、砲弾の発射音だけ聞き、「アレ?」と呟いて目を開く。見ると自分の艤装の砲の部分から煙が上がっていて、動物の口のような部分が動いて鳴き声? を出していた。

 

「v14wh610J."."'"94¥&'"#6")19`9'!!」

 

「……?? あ、ありがとう……?」

 

 彼(?)が全く何を言っているのかさっぱりわからなかったが、何となく「俺に任せろ嬢ちゃん!!」的な事を言われた気がしたので、一応お礼を言っておいた。後から巧は知ることになるが、深海棲艦の艤装は半分は生き物と同じらしく、今回のように装備の持ち主を守ろうと勝手に動くことがたまにあるらしい。

 

 そんなことは勿論今は知らないが、この勝手に動く機械と共同作業で順調に敵の数を減らし。巧は頬に軽く傷を作りながらも、無事に作戦を終える事が出来たのだった。

 

 

 

 交替で警備のためにやって来た違う鎮守府の艦娘たちに仕事をパスし、20名ほどの艦娘と、巧を含めた10名の深海棲艦が自分達の鎮守府に戻るために海を滑っていく。

 

 昼から始まった作戦は2時間続き、敵が居なくなってからは、そこから普通の警備の任務が継ぎ足される形で続き。時刻にして夕方5時になった海上は、日照時間の少ない冬ということもあって、すっかり薄暗くなっていた。

 

 帰り道の中で、巧が不安だらけな脳みそを働かせて今後はどうなるのか、なんて考えて、心ここにあらずといったそんなとき。親友から声をかけられた。

 

「巧。帰っても時間とれるかわかんないから、先に言っときたいんだけど」

 

「……なにさ」

 

「アタシは……っつーか、あの、口下手だから伝わるかわかんないけど。加賀も、那智も、他のみんなも多分、何があろうとお前の友達だから。じゃ、お先」

 

 手を振りながら、前傾姿勢で加速しながら摩耶は先に帰っていった。

 

 どういう意味だろうか。色んな意味を含んでいそうな、そうでもないような彼女の言葉が、巧にはどこか引っ掛かった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 鎮守府に戻ってきても、巧はすぐに休みには入れなかった。巧と整備士たちに新たな仕事が元帥から言い渡され、それをこなさなければならなかったのだ。

 

 今後も同じ場所で警備や戦闘に参加するにあたって、誤射が発生する可能性があるから、目印として深海棲艦の装備に迷彩塗装を施せと言われて。シンナー臭いのを嫌った巧は、台車に物を乗せて風通しのいい海岸で作業をしていた。

 

 ペンキが入ったブリキ缶にハケを突っ込んで塗料をのせると、それで一思いに真っ黒な装備を綺麗な青色に塗りつぶしていく。生乾きぐらいの状態から更に白、水色とのせていき、近くに広げた戦闘機の迷彩パターンを参考にして適当に色を塗る。

 

 今日だけでもさまざまな要因が重なってストレスが溜まっていた巧だったが、こういった何も考えずに打ち込める事をやっていると、自然と気分が晴れてくるので、意外と嫌な仕事とは思っていなかった。だがやはり疲労も蓄積しているので、たまに無心になっているのに気を付ける。

 

 何個目に色を塗るときだったか、自分の意に反して何秒間か寝ていた事に気がつき。慌てて巧が仕事に戻ろうとするが、膝に置いていたはずの部品が見つからず、どこにおいたかと横を向くと。さっきまで誰もいなかった場所に天龍が座っていた。

 

「あれ、ガレージのほうにいなかったっけ」

 

「うす、手伝いに来ました」

 

「別にいいのに。簡単な仕事だし」

 

「巧さん今日疲れてるじゃないっすか。でも俺全然仕事してないから。頼ってくださいっす」

 

 初めて出会った、自分にスープを投げつけてきた不良はどこにいったのやら。すっかり真面目が板についた天龍に言われて、言葉に甘えて巧はひとまず休む事にした。

 

 黙々と作業を進める眼帯の彼女を見る。眉間に刻まれていたシワが薄くなって、目付きが優しくなったように見えなくもない。同時に最初は仕事が嫌でしかたがないというのが見え見えだった表情が、逆に楽しそうな顔に変わっている。

 

 2週間かそこらでここまで変わるんだな、と思う。そして気になったことを、巧は天龍に聞いてみた。

 

「あのさ」

 

「?」

 

「私が怖くないの?」

 

「へ? あ、いや、えーと」

 

「正直に言っていーよ。怒ったりしないし」

 

「めっちゃ怖いっすよ」

 

「ひどい!」

 

「え゙!?」

 

 正直に言えっていったのにぃ!! と涙目で訴えてきた相手に「冗談だよ」と言って宥める。天龍はよっぽど巧に殴られたときが恐ろしかったのか、特大の深呼吸をして自分を落ち着かせていた。

 

「やっぱり怖いよね。そうだよね、人間じゃないんだもの」

 

「……あの、いいすか」

 

「ん?」

 

「俺、そういう意味で言ったんじゃなくて」

 

「どういう意味さ」

 

「その、俺はぜんぜん巧さんのこと化け物だとか、人外だとか思っちゃいないっすから」

 

「慰めなら……」

 

「本音です。俺、頭悪いから、お世辞とか言えないし。信じてください」

 

 両手を握りながら天龍が言う。眼帯がないほうの目が潤んでいる。

 

「巧さんが深海棲艦だろうがなんだろうが、俺は部下としてついてきますよ」

 

「…………」

 

 

「だって、巧さんは、その、失礼かもしれないけど。俺の上司でもあって、同時に友達だから。」

 

 

 

 

 

 

 




残り2話。don't miss it !


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フェザーホワイト・メモリー

朝起きて覗いたらいきなりスゴい勢いで色々伸びててビックリしました。応援して頂いている方には感謝しかありません。本当にありがとうございます。

巧のオヤジはでねぇのか? との指摘がありましたが、今回ちょうどその話になります。恐らく次回が本筋の最終話になります。


 

 

 巧は、割り当てられた自室の中で、いつも通りに携帯電話のアラームで目を覚ました。

 

 乱視で歪む視界の中で布団をたたむ。よたよたとした足取りで洗面台に向かい、顔を洗って歯を磨いて、服を着替えてと軽く身支度を済ませて部屋に出ようとする。

 

 その行動をとる前に、扉越しに男性の声が聞こえてきた。ドアノブを捻るのを一旦やめて、何も考えずに相手に応じる。

 

『巧。もう起きろよ、7時だぞ?』

 

「起きてるよ。何さ」

 

『そうか、じゃあお前が車入れたガレージまで来い。待ってるから』

 

「うん……うん?」

 

 朝からうるせぇな、なんて考えていたのが、相手の声を認識するにつれて吹き飛んだ。男なので最初は緒方かと思ったが、敬語ではないので違う。自分が人生で一番聞いたことのある、「あの声」だと、やっと寝ぼけから覚醒した頭で知覚し。慌ただしくドアをあけて廊下に目をやる。

 

 巧が向いた先に、何事かとこちらを向く、痩せた背の高い男……自分の父親の南条 (あきら)が立っていた。何故ここにいると思った彼女は、声を張りながら口を開く。

 

「お父さん! なんでここに?」

 

「朝からうるせぇな、何だっていいだろうが」

 

「いや、よくないでしょ。意味わかんない……」

 

「話は後だ。外で聞くし話もしてやるから、とっとと工廠だかに行くぞ」

 

「え? あ、うん……」

 

 ガレージ……場所を知っているということは、少なくとも我がオヤジは車の状態は把握してるって事だろうか。

 

 寝て起きて早々、沈んだ気持ちと重い体を引きずって、巧は黙って父親にくっついて外に出ていく。

 

 

 

 今日は元帥の部下が直々に海の守りに入ってくれているということで休みになった、ということもあって。誰もいない問題の車が入っているガレージに二人が到着し。

 

 巧は父の言葉に従って、下がっていたシャッターを両手で上げて開ける。一晩のうちに魔法使いが現れて、車は元通り……などということはなく。相変わらずインプレッサはボロボロのままだ。

 

 父が、元は自分の車だった白いインプレッサを、じいっと穴が開きそうなほどに細い目で見つめている。もう年なので、深いシワがいくつか顔に刻まれた彼の表情は、何を考えているか巧には読めなくて。この静かな時間がとても怖かった。

 

 殴られるのか。罵倒か。それとも両方? 車を壊してしまった自分が不甲斐なくて、自然と拳に力が入る。そして、父が口を開くのが見えたので、何を言われるかと覚悟を決める。

 

 予想していなかった言葉がかけられた。

 

「……ケガ、しなかったのか」

 

「……? ……少しでこっぱち切った」

 

「そっか。まぁしっかし、また派手にやったもんだな」

 

「……ごめん」

 

「なんで謝んだよ……お前のせいじゃない。形ある物はいつか滅びるのさ」

 

 てっきりグーで殴られるとばかり思っていたのに。父は心配しているのか、そんな言葉をかけてきた。

 

 巧にはすごく意外だった。父は、パッと見は府抜けたような顔面のクセに、昔から頑固で、自分の意見は曲げなくて、何かあったら手が出るような男なのだ。こんなに優しい言葉をかけられたのは何十年ぶりかと思う。

 

 車を置いていたすぐ横にあった、緑色の工具箱を引っ張ってきて、父は続ける。何故か壊れた車を前に、彼の表情は巧には笑顔になっているように見えた。

 

「壊れた部品、邪魔だから外して、本体洗うぞ」

 

「直すの?」

 

「さぁな。ほら手伝え」

 

 口を動かしながらも、父はてきぱきと油圧式のジャッキを車体下部に差し込んで、車を上げる。渋々巧は箱からメガネレンチとドライバーを掴んで、次の行動に備える。

 

 父にも同様の工具二種類を渡し、共同で作業に取り掛かる。いつもは、こういうときに隣に居るのは天龍か摩耶なので、巧には非常に変な感じがした。

 

 開けっぱなしにしていたドアを開け、ロックを外してボンネットを開いて固定する。そして、タイヤハウスの内側、エンジンフードの前面、バンパーの裏側の何ヵ所かにあるボルトと、ついでにナンバープレートを外して。すっかり割れてしまっていたフロントバンパーを外す。

 

 STIのピンク色のロゴステッカーが貼られた、フォグランプカバーが真っ二つに割れているのを見ると、壊した日を思い出してしまう。そんな巧の目から涙が溢れる。

 

「…………。」

 

「ほら、泣くな。ったく、殴られてもいじめられても泣かねーのに、変なときに弱いやつだな」

 

「……泣いてないもん」

 

「へいへい、そーですか。ご立派なことで」

 

 相手の言葉に、変な強がりを見せながら、巧は父から渡されたハンカチで涙を拭き、作業に戻る。

 

 バンパーとボンネットを外して、むき出しになったフレームやエンジンルームを眺める。こうやってみてみると、車の顔の部分は意外とダメージが少ないようだが、リア部分の事を考えてしまうと、やはり気分が落ち込む。

 

 と、ここで起きてからずっと思っていた事を思い出し。唐突に巧は父に質問した。

 

「そういえばなんでここにいるの?」

 

「元帥っつーのか。あの眼帯のダンディなおっさんに呼ばれたんだ」

 

「え……その」

 

「全部聞いたよ。たぶんお前が思ってることはな」

 

「…………!」

 

 それはつまり、自分が人間ではない、ということも…… 巧の心中に暗雲が立ち込める。

 

「まぁ気にすんな。へぇーって言って聞き流したし」

 

「そんな軽く……」

 

「何だ、軽い応対じゃなんかお前に不都合あんのか? ホラちゃっちゃと汚いとこ拭くぞ」

 

 会話をしながら、二人は工業用の機械油なんかの除去に使うウェットティッシュで、車のフレームや残ったボディの洗車を行う。何もないように見えて、結構砂や塩が付いていたようで、ティッシュがどんどん黒ずんで汚れていくので、次々と取り換えては拭いてと繰り返した。

 

 作業の開始から30分ぐらいたっただろうか。巧の背後から車のアイドリング音が聞こえてきて、何かと彼女は振り向く。すぐ近くに摩耶が車と一緒に来ていた。

 

「おはよ、巧」

 

「……マコリンおはよう」

 

「んだよ元気ねぇな。あ、オヤジさんどうも」

 

「おう。マコトちゃん。仕事かい?」

 

「いえ。あの、すいません、巧借りていいすか?」

 

「別にいいぜ。遊びかい」

 

「えぇ。ほら巧、こっち乗れ」

 

「…………?」

 

 パワーウィンドウを下げたまま摩耶は車を降り、運転席を指差す。状況が飲み込めないまま、素直に巧は座ってハンドルを握ると、摩耶は助手席に車を乗り直してきた。

 

「ドライブ行こうぜ。運転お前で。前の休みはどこも行けなかったし」

 

「……うん」

 

 不思議な感覚を抱きながら。巧は親友の愛車のアクセルに力を入れた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 元々浪費を嫌って、あまり外に遊びに出ていく事もない人種だったので気にしていなかったが、巧はこうやって横須賀の町を回るのは初めてだな、と思った。

 

 全てが始まった11月下旬に身仕度を整えて、ドタバタしながら、今月の上旬に入ってこっちまでやって来た事を思い出す。よくよく、というか考えるまでも無かったが、濃密な1ヶ月を過ごした気がする。

 

 ケンカ騒ぎ、クルマの整備、自分の車の破損、戦艦水鬼との初顔合わせ……。1年の中で忘れることができなさそうな事が多々起こっている。すっかりお腹一杯だ、なんて考えていると。助手席の摩耶が口を開いた。

 

「まだ気にしてる?」

 

「深海棲艦のこと」

 

「それ」

 

「寝れなかったぐらいには」

 

「そっか。ま、そのために誘った気分転換だけどな」

 

 巧もそこまて心に余裕など無かったので、短く、ドライなやり取りを交わすが、摩耶ははにかんでいて機嫌がよさそうな顔をしている。昨日何か楽しいことがあったのかな。彼女が聞く前に、先に摩耶が言った。

 

「……お前が思ってる5倍ぐらいお前は好かれてるよ。みんなから。だから大丈夫だっつの。これからの事は軍人のアタシらに任せとけよ」

 

「本当にそうかな」

 

「なんだよ、アタシの言うことが嘘だってか」

 

「そういうことじゃなくてさ……だって人じゃないんだよ?」

 

「そうだな。でも昨日天龍から、そんなの気にしてないって言われたんじゃないのか?」

 

「なんで知ってるのさ?」

 

「アイツから直接聞いた。つか相談受けたんだ。笑ったよ、前まで顔見たら鉄パイプでぶん殴ろうとしてたやつに、どうしたらいい?って聞いてくるんだもの」

 

「そんなんだったんだ、天龍って」

 

「そ。前まで手がつけられないヤツだったんだ。なのに、今じゃすっかり大人しくなって、それどころか普通は恨んでそうなお前の事気にかけてるんだぜ? カリスマあると思うけどな」

 

 ニコニコしながらの摩耶の言葉に耳を傾けながら、巧はシフトノブを3速に入れる。親友とはいえ他人の車なので、いつもよりも力を抜いて丁寧な運転を心がける。

 

 窓の外を流れていく景色をちらちらと視界に入れて、町の様子を、地図を覚える要領で頭に入れていく。工事現場のクレーン、ファミレス、弁当屋なんかが通りすぎていくが、特に変わった建造物なんかは見当たらない。それどころか地元の恵庭市と似ている気(えにわし(北海道の地名))までしてきたここに、妙な安心感と親近感を感じる。

 

 気晴らしにと誘ってくれたとのことだが、ハンドルを握って緩く流しているだけでも巧の心は少しずつだったが晴れていた。車が好きという前に運転が好きだった彼女には、この休暇の過ごし方は効果アリだったのだ。

 

 ふと、隣の彼女には自分はどう思われているのかを聞くのを忘れていたので、口を開きかける。が、巧は質問を投げるのは止めた。聞くまでもなく「なんとも思ってない」なんて返ってくる予想がついたからだ。

 

「………………。」

 

 いつか、どんな形であれお礼をしなきゃナ。

 

 摩耶の気遣いに、口には出さなかったが感謝しながら。巧は車でぐるりと町を一周させようと、アクセルを踏む足の力を強めた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 鎮守府に戻る頃にはすっかり夜になっていた。二人は外で食事を済ませたので、今日は食堂によらずにそのまま自室に戻ろうとする。が、巧は自分の車が気になったので、彼女と別れてガレージに向かった。

 

 電気ひとつ点いていなかったので、工廠入り口の豆電球だけ点灯させて中を覗く。朝にバンパーを外したインプレッサは、更にルーフとトランク、損傷が激しかった脱輪した側のリアフェンダーが取り払われ、ほぼフレームが見えている状態になっていた。

 

 砂や錆が入っていた部分が綺麗な白地が見えるようになっていたり、外すのに苦心しそうな部品まで、壊れている部分はあらかた外されて無造作に一ヶ所に積まれている。父の仕事の丁寧さに巧は舌を巻く、と同時に壊れた車を見ているとまた泣きそうになってしまったので、シャッターを閉めてとっととその場から離れる。

 

 

 

 部屋からタバコを持ってきて、昨日天龍と仕事をしていた船着き場に来ると、巧は1本出して(くわ)える。そしてどこにしまったかとポケットをまさぐって、ジッポーライターを服から出し、タバコに火をつけた。

 

 何の事はない。23歳辺りの年からずっとやってきた、彼女なりのストレス発散の行動の1つだった。タバコは体に悪いと言われて久しいので余りやらないのだが、どうしてもイライラや抜けない悩みごとがあると、たまに吸う、というのが巧のタバコの使い方だ。

 

 暗い海の波の音を聞きながら、弱く息を吸って、吐いてを繰り返す。最初の頃はムセてばかりだったが、すっかり慣れた様子で煙の味を楽しむ。

 

 吸いはじめから数分経った時。近くから足音が聞こえたので、そのまま顔を横に向ける。元帥に呼ばれてやって来た、と朝に言っていた父が、街灯の明かりに照らされて立っていた。

 

「タバコ1本くれよ。久し振りに吸いてえんだ、キツめのやつ」

 

「……はい」

 

 すぐ隣によってきて、海の方を見ながら言ってきた父に、そこまでヘビースモーカーでタバコ代に困る事もない巧は、相手の要求を聞いた。100円ライターでそれに点火しようとしたところ、燃料切れか、少しあたふたしていた父にオイルライターの火を貸すと、「どうも」と一言礼を言われる。

 

 お互いに無言の時間が続く。先にお喋りな口が開いたのは巧だった。

 

「…………父さんはどう思ってるのさ」

 

「何が」

 

「私が人間じゃなかったって聞いて。怖いとか思わないの」

 

 一旦吸うのをやめてそう言うと。相手に大きなため息を吐かれ、彼女の頭上に3つほど?マークが浮かぶ。フーっと一息、煙を口から吐き出し。父はゆっくりと話し始めた。

 

「相変わらず、良い年になってもバカだなぁお前は。やっぱ俺のガキか」

 

「…………?」

 

「考えりゃ2秒で解るだろうが。そんなふうに思ってるオッサンが、お前みたいな手間かかるガキ育てるかよ。老化が加速するだけの余計な時間だぜ? テメーがバカだろうがアルビノだろうが人間じゃなかろうが、テメーはテメーだ」

 

 「まぁその、何が言いたいかと言うと……」。何を照れているのか、頬をタバコをつまんだ指で掻きながら。父は言った。

 

「お前は俺のガキ、南条 巧だ。断じて人外のバケモンなんかじゃねーよ。そんな事言ってくる奴が居たならな、頭カチ割ってやるってんだ。……俺の大事な一人娘だよ。」

 

 どことなく格好をつけたような事を言って、巧は頭を撫でられた。ガキ扱いすんな、とは言えなかった。純粋に彼女は嬉しかった。

 

「そんなの気にしないで胸張って生きろ。あぁ、オッパイはだけさせろって意味じゃねぇからな。友達とか居ない訳じゃないんだし、お前は一人じゃないんだ。沢山の人間がお前に支えられてるし、逆にお前を支えてもいるってことを忘れるな。社会ってそういうもんだよ」

 

「……気にしないのは、無理かも。だって他人からどう思われてるとか気になるし……」

 

 口を尖らせて、まだ懸念している事を言うと。応対する父は小さな笑顔のまま続ける。

 

「めんどくせぇなお前……お前ん中じゃ、友達ってそんなに信用できない存在か」

 

「だって気になるものは気になるし……」

 

「そういうのは友達って言わないんだよ。ただの知り合いか顔見知りって言うんだ。本当の友達っていうのはそう簡単に離れていったりしねーよ」

 

 本当の友達。そのワードが巧は自分の脳内に木霊した気がした。昨日の加賀や天龍、今日の摩耶、まだあれから会話をしていない那智、暁、響……。友人と、親しくなった艦娘の顔を思い浮かべる。みんなは声を大にして「気にしてねーさ!」と言ってくれるだろうか。彼女は考える。

 

「そういや、お前が居なくなったあとにまた元帥に会って話したぜ」

 

「なんて話さ」

 

「「お前を軍に囲むように説得してくれないか?」とさ。フレンドリーに言ってきたよ」

 

「……! どう答えたの」

 

「うるせぇって言ってやった」

 

「はぁ!?」

 

「嘘だ嘘、ほらごめんごめん。ノーって言ったのは本当だけどな」

 

「え゙」

 

 あの元帥サマに面と向かって嫌だと言った? 自分なら同調圧力でYESって言いそうだ。驚きながら、吸い殻を携帯灰皿に突っ込み、巧は食いぎみに父に聞いた。

 

「断ったって、何てさ?」

 

「当たり前だろ。そういうのはお前個人が最後に決めることであって、親の俺がとやかく言うことじゃない。それにお前結構頑固だからな、伝言しかできない俺じゃ無理だ、直接言ってくれって言っといたよ」

 

 「流石に怖かったけどな!」とおどけて笑って見せる父が。彼女には格好よく見えた。

 

 「あ」、と一言父が呟く。すると彼は、巧は暗くて気がつかなかったが、足元に置いていた紙袋を持って話題を変えてきた。突き出された物の中を見ると服が入っている。

 

「おっと、忘れてた。コレお前にやるよ」

 

「何これ? あ、服だ……ライダージャケット?」

 

「お前が金がねー金がねーって散々ぱら言ってきてうるせぇからな、来る途中に適当に1着買ってきた。着たいなら着ればいいし、ヤなら捨てるか売るかしな」

 

 透明なビニールに包まれた黒のジャケットを見る。ダサい。彼女はそう思った。

 

 ワッペンを貼りすぎたMA-1のようなデザインもさることながら、チョロQのような車のワッペンの上に矢印が書いてあって、「オレのクルマにさわんじゃねぇ」と刺繍されているのが致命的にダセェ! と思い、顔がひきつる。

 

 選んだ服が巧にそう思われていることなど露知らず。「さて」と言って吸い終わったタバコの始末を娘に任せると。父は去り際に最後に口を開いた。

 

「あと、これから俺もここで整備士やる事になった。よろしくな」

 

「うそ!?」

 

「結構給料いいって聞いたし、問題児の監視も出来るからな。最後に、明日の朝もガレージ来いよ、じゃあな」

 

 ふらふらと手を振る父親の背中を見送る。アパートは? 家具は? これから正月だぞアンタ!? と次々に疑問が湧いて出てくる。

 

 本当、何するかわかんないクソオヤジ!! 

 

 貰った服を紙袋に押し込みながら。遠くなっていく背中にあかんべーでもしてやりたい気持ちになる。

 

 巧の心のモヤモヤは、すっかり吹き飛んでいた。

 

 

 

 




立派なお父さん。が書けてればいいな。大丈夫かな(胃痛


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奇跡の薔薇(挿絵有り)

一応区切りとして今回のお話が終わりになります。が、多分期間を空けておまけ的なお話を投稿すると思います。では、ドゾ

どうでもいい話かもしれませんが、なぜか誤字確認で自分でこの小説を読んでいる時に、スポーツカーの中古車セールの宣伝がよく出てきてビビります。

※1/13 挿絵有りとの記述をサブタイに追加しました。


 

 

 あくびをしながら食堂に入り、すっかり見知った顔の仲になった艦娘たちに、巧はおはようと挨拶する。多少は悩みも残ったが、父親の作戦で吹っ切れた彼女は他人の視線を気にせず、いつも通りに朝食の時間に入る。

 

 当たり前のように隣と向かい側に座る摩耶と加賀にも挨拶を返し、焼き魚に手を付ける。食べたものを咀嚼しながら軽く遠くを見れば、整備スタッフが溜まっているところに混じって、父が飯を食べているのが見えて。本当にここで働くのかと思う。

 

 綺麗な三角食べのローテーションで次は白米、と巧は手を伸ばした時、加賀に声をかけられた。

 

「巧、ご飯の後で良いから、工廠に来てくれないかしら」

 

「……? 来てくれないかも何も、職場だから行きますよ?」

 

「あ……あぁ、その、貴女が車を置いているところまで来てくれないって意味よ。作業場から少し離れているでしょう」

 

「別に構いませんが」

 

 そう言えば、思い返せば確かオヤジもそんな事言ってなかったっけか。何か荷物でも届いているのだろうか。と、ここまで考えて、ある仮説が一つ思い浮かんだ。

 

 邪魔だから、車を廃車にするのに解体屋まで運ぶぞ、ということじゃないのか? という考えだ。

 

 古い車という事もあって、今の乗用車に比べれば遥かに車体サイズが小型な部類に入るインプレッサとはいえ。自動車なんてでかい粗大ゴミが有れば、流石にスペースを取りすぎる。そんな考えに至っても何ら不思議な事じゃない。そこまで思考回路を回し、巧は落ち込んだ。

 

 勝手な憶測だったが、たぶんそうだろうと決め付けてぼうっとしながら。彼女は食べ終えた食器を下げて、食堂を出る。

 

 気持ちに整理を付ける目的で、両手のひらで頬をパチリと叩いて気付けとする。そして点火した気持ちが冷めないうちに、工廠へと向かった。

 

 

 

 天気予報を確認すると、今日は一段と冷え込むと聞き、巧はいざというときは着ようと、昨日貰ったジャケットの入った紙袋を手に、ガレージへと向かう。

 

 向かう途中、彼女は変な感じだった。歩いている隣には加賀と父が居るのだが、更に怪我の療養と、深海棲艦との交流目的でまだ滞在していた元帥と、摩耶まで居る。摩耶はまだしも、なんで元帥まで居るんだ? 他に仕事とか無いの? と思う。

 

 立場を知ってしまってから、未だに彼の周りに漂う謎の圧に慣れないな、なんて思う。軍属の加賀と摩耶はわかるが、なぜ我が父親まで平然としているのか、巧は理解に苦しんだ。

 

 そうこうしているうちに、昨日父と作業をした場所に全員到着し。巧は慣れた手つきで地面と扉を固定する南京錠を取り払って、シャッターを開いた。

 

「……???」

 

 アレ、こんな状態にしたっけか?

 

 巧の脳内に無数の?マークが浮かぶ。部品を外されてそのままになっていたはずの車が、なぜか、雨風を防ぐときに被せておくような灰色の防護シートが被せてあったのだ。当たり前だがそんなものを施した覚えの無い彼女は困惑した。

 

「なんで? 誰か被せたのかな」

 

「早く取っ払ってみろよ。驚くべき物がお前を待ってるぜ」

 

「マコリン何か知ってるの?」

 

「いいから早く!」

 

 急かされながら、何かよくわからないまま巧はシートを掴み、テーブルクロス引きのような動作で勢いよく引っ張った。周りで様子を見ていた数人が、ワクワクした笑顔だったことに、巧は気付いていなかった。

 

 

 嘘のように車が綺麗に直っていた。ひしゃげた屋根も、基部ごと外れたタイヤも、外しておいたリア、フロントバンパー、トランクとボンネットも。形状こそ少し違えど、全て元通りになっていた。

 

 

「…………!」

 

 ビックリして巧は目を見開く。唖然としながら、別の車にすり変わったのかと思ったが、内装、ナンバー、一部の部分に貼ってあったステッカーを見て、紛れもなく自分の車だと認識する。

 

 驚いて目を白黒させていた巧に、子供のような純粋な笑顔を見せながら、元帥が話す。

 

「貴女には命を救われたからね。これぐらいはしなければ、と思ったのさ」

 

「元帥様……」

 

「こっちの、特に摩耶さんからしつこく言われてね。昨日の夜から今日の朝にかけて、腕利きの職人と金の力に任せて修復したんだ」

 

「…………」

 

 カーボン製に交換された黒いボンネットを撫でる。大好きだった車が元通りに直った。その事実が信じられなくて、男の声は巧の耳には入っていなかった。

 

「残念ながら、全て完全に元通りにはならなかったのは謝る。手に入らなかった部品やフレームは代替品とこちらの自己判断で修復させて頂いた、といった具合でね。申し訳ない」

 

 確かに、元は純正だったボンネットは社外品で何かのステッカーが貼ってあり、逆にヴェイルサイド製だったリアスポイラーはタイプV以降の純正になっている。が、そんな些細な事は、車が走れる状態にまで直ったということで、全く気にならなかった。

 

「……これ、走るんですか」

 

「当たり前だろ、ボケた事言うなよ巧」

 

「だって……」

 

「っと、あとな、親父さんから話あるって。聞いてやんな」

 

 摩耶に軽く胸を小突かれた後に、そう言われ。待ってましたと父が近くにやって来る。

 

「何さ、言いたいことって」

 

「お前と昨日話してて思ったんだけどな。何か勘違いしてるなって、思って」

 

「カン違い?」

 

「お前、昨日俺に殴られるかと思ったとか小声で言ってなかったか?」

 

「……! 聞こえてたんだ」

 

「親父を舐めんなよ。娘の言うことなんて把握済みだ。まぁなんだ、そんな事しねぇよ。だいたいこれはお前の車なんだしな」

 

「え? いや、だって名義変える前は父さんの」

 

「違うな。俺はこいつに乗ってたのは5年かそこらだ。でもな、お前はもう少しで10年も乗ってるんだ。愛着だってあるんだし、立派にお前の車だよ」

 

「…………」

 

 感謝の念しか無かった。自分を案じてくれた父にも、元帥に掛け合ってくれた友人たちにも、そして動いてくれた元帥にも。一筋頬を伝った涙を、巧は作業着の袖で拭う。

 

 「試運転で、加賀とヤビツでも走ってこいヨ」。摩耶がいつの間に持っていたのか、部屋に置いていた筈の車のキーを投げてきたのでキャッチする。

 

 仕事は? と聞くと、加賀が、今日は提督から許可を貰って休みにして貰ったと言う。今日もまた警備は元帥の部下と味方の深海棲艦に任せるらしい。

 

 ドアを開けて、3日ぶりに車のシートに腰掛けて、シートベルトを締める。すごく久し振りに感じたが、運転席の空気を懐かしむ前にエンジンを掛ける。うるさくも心地よい、ボクサーエンジンのノイズが室内に響き渡り、また巧の瞳が潤んだ。

 

 ギアをニュートラルに入れたままエンジンを空吹かししてみる。順調に回転数が上がり、吹け上がりもよく、ハンドルやアクセルに変な重みも感じない。全てが壊れる前の快調な時と同じだった。

 

 隣に加賀が乗り、彼女がシートベルトを締めたのを確認して。巧は強化タイプの少し重いクラッチを踏んで、シフトノブを1速へ入れ、アクセルを踏んで車を発進させる。たった三日間の空白を挟んだだけだったが、運転に必要な行動全てが懐かしく感じた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 一時間ほど飛ばし気味に一般道を通って、道すがらにハンドリングのクセや違和感が無いかを確かめ。巧は今日の目的地に設定していた、前に加賀のFCの試運転にも来たヤビツ峠に到着したことを、道と看板を見て把握する。

 

 この間のクリスマス頃のドカ雪ですっかり白く染まり、アイスバーンや氷が張った悪路を前に。上等とばかりに巧は愛車のアクセルを踏みつける。彼女の楽しそうな様子を見て察したのか、加賀は急いでサポートグリップを掴んでこれからに備える。

 

 タコメーターの針が瞬時にレプリミットの8000回転に差し掛かり、3速にシフトアップ、そのまま速度を落とさずに時速100kmを維持したまま車はぐんぐんと山を上っていく。向かってくるガードレールに、ニヤついた顔を崩さず、巧はさも当然といった様子でハンドルを一旦右に切る→すぐに反対にカウンターといった動きで、氷に足を取られる車を御しきった。

 

 まだ朝ということもあって、車通りはそれなりに多いので。センターラインを割らないように、片側の車線だけを使って巧は車をドリフトさせる。いくら下りよりも上りの方が速度が乗らないぶん、車が制御しやすいとはいえ。加賀には運転席のオンナの運転は神業以外の何物でもなかった。

 

「…………~♪」

 

 もうもうと新雪を吹き飛ばして雪煙を巻き上げ、アイスバーンを叩き割り、ギアチェンジの度にプシューンと子気味よくブローオフの音と、エンジンの重低音を山中に響かせて。上機嫌な巧の様子にリンクするように、白いインプレッサは元気に猛然と道を走っていく。

 

 少し前に自分の車を運転させた時には死ぬほど怖かったのが、今日の加賀には、巧の運転がなぜか怖く感じなかった。

 

 雪の下に氷があり、その上から更に軽く水が張っているという最悪な路面状況も相まって、普通のブレーキポイントの遥か手前から制動させても、殆ど減速しないで壁に突っ込んでいく車に。前の彼女なら恐ろしさで気絶したかもしれないが、「巧の運転ならどうにかなる」という思いが、恐怖心を無くしていたのだ。

 

 ただただスゴいな。全く怖くないと言えば嘘になるが、加賀は運転者の彼女の技術に感嘆の溜め息を吐く。

 

 5分としないうちに休憩所がある場所まで上ってきて。巧は対向車と後ろから上ってくる他の車が居ないことを確認すると、サイドブレーキを引いて180度ターンを決め、そのまま今度は道を下り始めた。

 

「……じゃあ、加賀さん。ちょっと本気で飛ばしますね」

 

「うん。……え゙?」

 

 今この人はなんて言った? 加賀は背筋に冷や汗が流れていくのを感じながら、巧に聞く。

 

「本気? 今までのは本気じゃ」

 

「行きますよ!」

 

「ちょっと」

 

 すっかり最高出力で車を飛ばしているかと思いきや、そうではなかったらしく。巧は2速から1速に戻してフル加速の体制に入ると、一気にアクセルを踏みつける。人生で体験したことがない加速のGでシートに体を押し付けられた加賀の瞳に、例によって猛然と岩の壁が向かってきた。

 

 

 ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙…………

 

 

 車のエンジン音に混じり、冬の山に一人の女の叫び声が登山客の耳に入ったという。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 峠の麓まで戻り、観光地でもある菜の花展望台の駐車場に巧は車を停める。隣の加賀はよっぽど恐ろしかったのか、車からふらふらと酔っぱらいのように降りて崩れ落ちる。

 

 こ、殺されるかと思った……。季節は冬だというのに、焦りで出てきた汗で背中を濡らした加賀は、下ってくるのに使った時間と同じくらいのインターバルを挟んでからやっと落ち着き。フェンスに寄り掛かっていた巧のほうに近寄る。

 

「始めて来たけど、綺麗ですねここ」

 

「ええ。山だから空気が澄んでいるのかしら、遠くまで見渡せるのね」

 

 ……いつ、あの事を言おうか。加賀はにっこりとしている彼女に、元帥からの伝言を伝えるタイミングを見計らう。加賀もまた、巧の父と同じく巧を軍に引っ張るための説得を言い渡されていたのだ。

 

 もとはと言えば軍に無理矢理連れ込まれた人間だ。それを更に強制して、今度は住む場所や行動に制限をもうける。なんだか残酷な事のような気がして、友達にはなかなか言い出せない。そんな心理が加賀にのし掛かる……そのとき、巧の方から話し掛けられた。

 

「軍に残りますよ。私」

 

「え」

 

 今、その事を自分は言ったかと加賀は困惑した。そのまま巧は続ける。

 

「父さんからもう昨日聞いてたんです。加賀さんも元帥さんに言われて、説得ついでに隣に乗ったんでしょ?」

 

「はい……最初から気付いてたの?」

 

「何となく。だってあのオジさん色々考えて行動起こしてそうだし、何となくそうだろうなって」

 

「……ごめんなさい」

 

「なんで謝るんですか。お給料いいですし、友達も沢山できたから。その、北海道だって一生戻れなくなるって訳でもないんだし」

 

「でも、ほとんど貴女に選択肢がないみたいで」

 

「加賀さん。私は無理矢理言われて軍入るんじゃなくて、自分で決めて入るんです。だから大丈夫。何とも思ってないし」

 

 「それに」。巧は続けて呟いた。

 

「戦艦水鬼さんとも、仲直りというか、距離を縮めるというか。万一地元に戻っちゃったら、そういうチャンスも無くなりそうだから」

 

「……本当、親思いなのね」

 

「加賀さんは違うんですか」

 

「そろそろその「加賀さん」っていうの止めにしないかしら。私にも本名があるし」

 

「はぁ」

 

 そう言えば知らなかったと小声で漏らした相手に。はにかみながら、加賀は自分の名前を教える。

 

「中山 雪菜っていうのよ。改めてよろしくね」

 

「結構平凡な名前なんですね」

 

「……期待に添えず平凡で悪かったわね」

 

「ははは。すいません」

 

 口ぶりとは裏腹に。加賀は楽しそうな笑顔を浮かべて、巧に応対した。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 鎮守府の、工廠と海が交互に見渡せるような場所で、戦艦水鬼は何も考えずに地面に突っ立っていた。

 

 「おっ、いたいた」と男性の声が聞こえてくる。ゆっくりと右を向くと、背の高い男が一人。誰かと問えば南方棲鬼の父だと名乗り、そのまま自分の隣に立って海を見始めた。

 

 気まずい。戦艦水鬼はそう思う。方や生みの親、方や育ての親だが、両者に全く接点は無く、しかも娘からの印象も真逆なのだ。付け加えて元帥以外の男性と接したことがない水鬼には、どう話しかけていいのかがわからない。

 

 少し波が立った心を落ち着けようかと、着ていたベンチコートの収納から娘の写真を出して眺める……だが「母親とは思ってないから」との言葉を思い出すと、気分が沈んで逆効果になってしまった、そんなとき。男の方が口を開くのだった。

 

「……アイツについて、あんまり気負いすぎなくていいと思いますよ。考えすぎると頭いたくなるし」

 

「娘との付き合いが長いことによる、余裕ですか?」

 

「そんなんじゃなくて。見せたいものがついさっき出来て、持ち場抜けて来たんで」

 

 携帯電話を出し、慣れない手つきで彼はそれを操作し。液晶画面にある画像をセットして、手渡してきた。

 

 そっと差し出された手に握られていたスマートフォンを手に取る。

 

 自分の娘が、車を背景にして、カッコをつけている写真が表示されていた。少し前にSNSアプリで彼女から送られてきたらしい。「ダサいって言いやがったくせに、俺がやった服着てるんですよ!」と毒づいている彼の表情は、一点も曇りがない笑顔だ。

 

「コイツの顔見てくださいよ。なんにも考えてなさそうなアホ面かましやがって。でもすごく楽しそうでしょう? 見てるだけでどーでもよくなってくるような、こっちまで頭がアホになって楽しくなる感じで」

 

「解るような、解らないような……」

 

「せっかく美人なんだし、貴女も笑ったらどうです? ムスッとしてたら幸せ逃げますよ。一日やそこらで解決する問題じゃないんだし」

 

「そうは言われても。私は30年近くも音信不通で、全く彼女と交流なんて無かったんだし。貴方ほど仲良くできるかは」

 

「これっぽっちも仲良くないですよ?」

 

「へ?」

 

「顔をみれば殴り合い、罵り合い、売り言葉に買い言葉! そんな関係ですよ」

 

「へ、へぇ」

 

 あの子って、そんなに活発な子なのね。なんだか恐ろしくなってきた……。水鬼は考えながら、もう一度携帯の画面に視線を移す。

 

 時間だけで関係の修復ってできるのかしら。そんな言葉が脳裏を掠めるが、同時に父親の彼の言葉も考えてみる。確かに画面越しの娘は本当に楽しそうな表情で、こっちもつられて笑顔になりそうな物だ。

 

 少し、前向きに考えようかな。

 

 カンカン照りのお天道様が浮かぶ空を見る。横須賀の上空は、巧が写真を撮った場所と同じく、綺麗な青色をしていた。

 

 

 

【挿絵表示】

 




というわけで最終話(一応)でした。

約1ヶ月弱、応援、感想、批評をしていただいた方々には頭が上がりません。
本当にありがとうございました。再度の投稿が有れば、またよろしくお願いいたします。


オマケ 巧のインプレッサのナンバーです。適当に作ったから変かも知れませんがそこはご愛敬ということで……

【挿絵表示】


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2 VSモンスターマシン
天龍念願のマイカー


長らくお待たせしました。ヴィクセンです。
今日から2章の投稿に入りたいと思います。なお、艦これ成分はかなり薄いと思いますのでご了承ください。


 

 

 

 

WRX(ダブルアールエックス)は……うわ、500万か。GTR(ジーティーアール)なんてスーパーカーは論外だし……シビックも400万もすんのか……」

 

「天龍もついに車買うの?」

 

「あ、はい。スポーツカー乗りたいけど、なるべく新しいのに乗りたいんすよね」

 

「何かこだわりが?」

 

「ドリ車とか買ったら事故とか修復歴有りそうで」

 

「なるほどね」

 

 年末のドタバタもすっかり過ぎて、今は2月上旬の日の昼頃。すっかり整備スタッフのピンク色のツナギを着こなした巧は、休憩時間を自動車雑誌を見て過ごしていた天龍に聞く。

 

 ちらりと見えた雑誌の、終わりが近いページには、巻末お決まりの中古車の紹介が乗っていた。ヤンキーあがりみたいな彼女の事なので、VIPカーみたいなのを買うかと勝手に思っていたのだが、意外にも普通のスポーティーカーが欲しいとのこと。

 

「でもどうしたのいきなり、車が欲しいだなんて。家近いって言ってなかったっけ?」

 

「最近人増えたから休みも増えたじゃないすか。だから遠出するのにいいかなって」

 

 話しながらチラリと覗くが、天龍が読んでいた本は、ちょいとばかり金を持て余した道楽オジサン……ハッキリ言えばラグジュアリー層向けというのもあって、掲載されているのはどれも400から600万円台の高級チューニングカーばかりだ。流石にこれじゃ、気も引けるわな、と巧は思う。

 

「これとかは? 赤のS660(エスロクロクマル)。いい車だしディーラー試乗の300kmちょいしか走ってない新古車だって」

 

「軽に200万も出すのって何か気が引けるんすよね。あと走るだけならまだしも、2シーターでしかもMR駆動だと、遠出するとき荷物とか全然載らないかなって」

 

「お? 全国の軽車ユーザー敵に回したね天龍?」

 

「やめてくださいよ……」

 

 口ではそんなことを言いつつ、天龍のもっともな意見に巧はそれもそうかと思う。軽自動車ごときにそんな金が出せないというのは人によるだろうが、町乗り上等なモノが多い軽自動車でMR駆動は、よっぽど好きな人じゃないと飲めない条件だよなぁと思った。

 

「じゃあこっちのシビックは。EP3(イーピースリー)とかマイナーだから安いし、シビックRなんてFFの王様だからね、ハッチバックだけどめっちゃ速いよ?」

 

「荷物が載っかりすぎも問題だと思うんすよ」

 

「え? なんでさ」

 

「摩耶さんみたいに、色んな人に良いように使われそうじゃないすか」

 

 「ほら、アレ……」。天龍が開きっぱなしになっていたガレージの外を指差したので、何かと見てみる。そうすれば、なるほど、ちょうどよく摩耶の車に乗ってどこかにいく暁の姿が見えた。巧は目が悪いのであまりハッキリは見えなかったが後部座席に荷物が積載されていたので、どこかに書類でも運びに行くのだろう。

 

 そういえば仕事の都合で他人によく車を貸すとマコリン言ってたっけか。

 

 話し方や仕草にレディースみたいな感じが漂うが、性格が真反対の親友が少し前に口にしていた事を思い出す。おおらかな性格じゃなければ、天龍の言う、知人・職場の人間問わずに自分の車を貸す、というのは抵抗あるだろうな、と思う。

 

 そうやって雑談に花を咲かせていると、すぐに休憩時間が終わり、妖精から仕事再開しろとの怒号が飛んでくる。

 

 渋々広げていた雑誌を棚に戻して作業に入ろうとする天龍に別れを言い、巧は洗車用品が入ったバケツを持って外に出た。

 

 

 

 気温は低いが快晴の空の下で、ここに来てもう1ヶ月になるのか、と思いながら車を磨く。

 

 最初の頃は巧一人で洗車の仕事をやっていたが、今は車方面の知識が一番強い彼女が、他のスタッフに洗車のやり方を教える目的で二人で仕事に従事していた。ちなみにコレは他のスタッフの下手っぴを気にしていた那智の提案らしい。

 

 黙々とハンディスポンジでゴシゴシと遠慮なく車体をなぞっていく傍ら、巧はここ最近でずっと気になっている事があった。この駐車場の車だが、軽自動車2台が動いているのを見たことが無かったのだ。定期的に動かさないとエンジン腐るぞ? と所有者に言ってやりたい気分だった。

 

「あの、藤原さん」

 

「はぁ~い?」

 

「ここのハスラーとN-BOXって誰の車なんですか。動いてるとこ見たことないんですけど」

 

「あぁコレですか。ハスラーは緒方提督のクルマですよ」

 

「提督さんの?」

 

「はい。なんでも仕事で車使うこと有るだろうからって、結構荷物積めるコレ買ったって。ただ、ウチの鎮守府は車持ってる艦娘さんとか多いじゃないすか? だから誰も乗らないんですよ」

 

 ついさっき、摩耶の車に乗ってどこかに行く暁を思い出す。同時になるほどと内心で相槌を打つ。いくら積載量が多いとはいえ軽自動車、後部座席を寝かせたミニには載る荷物の量で勝てないのだろう。

 

 しかし一つだけ疑問が残った。それは親友のミニはMTで、このハスラーはATだという点だ。普通運転しやすいこちらに乗らないか? と思い、巧はもう少し踏み込んで聞いてみる。

 

「でもここの他の車ってMT多いですよね、なんでみんなハスラーのが動かしやすいのに他の人の車借りるんですかね?」

 

「それはアレです、緒方さんから車借りると手続きがめんどっちいんですよ」

 

「え、手続きなんて必要なんですか」

 

「軍で決まってる事らしくて。いちいちあの人本人から許可書取らないと借りられないって。そうくればまぁ、みんな摩耶さんとかから借りるかなって。長門さんだとかは忙しくて声かけられないでしょうし」

 

「車1台で結構大変なんですね」

 

 そりゃ、確かに面倒臭そうだな……と自己簡潔。

 

 因みに何故長門の名前が出てくるかというと、ここの車たちの中でトップクラスにでかいフリードの持ち主だからだ。戦艦の艦娘という業種柄、ここの鎮守府で最高レベルに仕事が苛烈らしい。

 

 そのまま彼はハスラーの隣の車についての説明に移った。

 

「こっちは艦娘辞めた人が置いてったんですよね。車2台持ってるからって」

 

「そんな簡単に辞められるものなんですか?」

 

「いえ、怪我と、後はもう年だって事で、出ていく旨を上に伝えたらすんなり。今は普通に民間で働いてるそうですよ」

 

 へぇ、と巧の口から声が漏れる。ここに勤務して5年目でベテランな彼によれば、艦娘というのは、基本的に35~40辺りから辞めていく人が多いのだそう。理由は年齢、故障とその他様々だが、それ以上の年齢で食い下がっているのは少数だとか。

 

 N-BOXのガラススモーク越しに覗けるフロントシールドに貼られた車検証が目に入る。もう少しで切れてしまうそれの表示に、なんだかこの車から哀愁が漂っているような気を、彼女は感じた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 平凡な毎日が過ぎていく。巧が天龍と車談義をしてからもう3日が経過する。いつも通り、巧はノミと高圧洗浄機を手に、艤装と格闘中だ。

 

 今日は1ヶ月に1度の休憩時間が遅い日で、いつもなら適当に暇潰しをしている時間にも巧はせっせとスタッフ達に混じって仕事に励む。天龍は何故か休みを取っていたので、他の男性作業員とコンビを組み、外した部品をエンヤコーラと運んでいたとき。時間にして3時半頃、やっと休憩が言い渡され、作業中だった人間全員が汗を拭って体を休ませる。

 

 巧は貰ったスポーツドリンクの封を切り、イッキ飲みする。慣れてきたけどこういう時間割は大変だな、なんて思っていたとき。服の汗を乾かそうと外に出ると、何をしているのか、那智、摩耶、加賀の3人が棒立ちしているのが目に入る。

 

「……? みなさん何してるんですか?」

 

「あ、巧。天龍がなんかここで待っててくれって、さっき電話で呼ばれてさ。那智と加賀もそうなのか?」

 

「えぇ」

 

「応。何かのパフォーマンスか?」

 

 3人とも何となく天然ボケしたような表情で言う。天龍が電話で呼んだ、とはもしかして…… 巧が何かを察したとき、鎮守府の門の周りの空気を震わせるスポーツカーのアイドリング音が全員の耳に入った。

 

 ハザードランプを点滅させながらゆっくりと入ってきたのは、銀色の34R(さんよんアール)だった。一瞬全員がGTRか? と思うが、よく見るとあの特徴的なRのバッヂがフロントグリルに付いていない。そして運転席に眼を移せば、乗っていたのは天龍ではないか。

 

 ポカーンとしていた四人に、天龍は上機嫌でパワーウインドウを下げ、叫んできた。

 

「どっすかァ! このスカイライン!!」

 

「なまら綺麗じゃん! どしたのコレ?」

 

「知り合いから譲ってもらったんすよ。すっごい程度いいのに、80万で譲っちゃる! って」

 

「ER34か! へぇ、コイツで無改造のシルバーとか下手したらGTRよかタマ数少ないんじゃねーの?」

 

 綺麗なアスリートシルバーのR34型・GTR……ではなく34のFRのスカイライン。でも誰もそれを笑わず、素直に自分の車を持ったことに嬉しそうな天龍を祝福した。

 

 今日わざわざ休みを取ったのはお披露目のためだけ……ではなく、手に入れたばかりの念願のマイカーに変なところが無いか専門職の巧と摩耶に見せるためだと言う彼女に、二人は快諾して軽くマシンを診てみる。

 

 R34、それも昔はドリフト暴走族から大人気だったFRスカイラインとくれば、中古車市場に流れているのは、元事故車やらヤン車やらが多くて悪い意味で巷では有名らしいが、どうやら彼女の言う親類とやらは好意的な人物だったようで。この車には変な所が何も無かったのが、巧と摩耶には意外だった。

 

 ボンネットの中も観てみる。エンジンルームの心臓部はホコリ一つなく磨かれた動力がどんと居座り、猛烈な熱が伝わって錆びまみれになりがちなエキゾーストマニホールドのパイプも綺麗に鋳造の鉄が見えている。粗探ししても変な所が無いとなれば、中古車としては文句なしの一級品と言える物件だ。

 

「でも良かったなこんな良いの譲ってもらって。……修復歴あったりして」

 

「ばっ!? 縁起でもないこと言わないでくださいよ!」

 

「ジョーダンだよ。いいなコレ、でかさもパワーも程々だろうし、まぁテクニック磨くには良いかもな」

 

 半開きのままになった34の内装に見える、トランスミッションのシフトノブの溝を見て、あることに気がついた巧が口を開く。

 

「ミッションはATなんだね」

 

「っす。本当はMTがよかったけど、流石にそんなゼータク言えないから」

 

「へー。でもいんじゃない、ERのATはシーケンシャル入ってるから一応MTにもできるし、何よりエンストもしないだろうし」

 

「え、そーなんすか?」

 

「あら、知らなかったんだ」

 

 この車のAT特有の最大の特徴を知らなかった天龍に巧は変な顔になる。車は好きでも、機械的な知識などには天龍は疎いらしい。

 

 ER34のAT車は普通の1、2、PといったフツーのATシフトのレールの隣にシーケンシャルシフトモード、通称MTモードが付いていて、クラッチ操作ナシのアップダウンのみのシフト操作が出来るのだ。巧は整備士として働いていた頃に、同じ装備をこの車や、最近のAT車を見て知っていた。

 

 が、そんなメカ方面の巧のウンチクをぶっ飛ばし。天龍は漫画なら瞳の中に星が描かれそうな満面の笑顔で、興奮しながらある提案を切り出す。

 

「そんなことより、みんなで峠いきませんか!? 仕事終わりに表ヤビツまで!」

 

「私はパスだ」

 

「アタシも」

 

「行きたいのはわかるし、私も良いとは思うけど……ちょっと疲れちゃうかな?」

 

「あっ……その、すんません」

 

「いんだよ別に。また今度行こうぜ? そんときは付き合うからサ」

 

 よっぽど自分だけで好き勝手出来る車を持てたのが嬉しかったのか。天龍は自分以外は仕事中だというのを忘れてしまっていた。

 

 摩耶が軽く励ますが、しょげてしまった彼女に。さっき一人だけ黙っていた加賀が手を差し出した。

 

「天龍、私なら大丈夫よ。書類仕事だけだからすぐに片付くし、そんなに疲れることでもないから」

 

「えッ!! マジすか、いいんですか加賀さん!」

 

「えぇ。6時か7時頃に暇になるから、そこから出発しましょう。近道を最近知ったから30分もかからないわ」

 

 「よっしゃあぁぁ!!」と暴走族の爆音マフラーよりでかい声で叫び、比喩でもなんでもなく物理的に飛び上がってから、天龍はルンルン気分で苦笑いしていた加賀とドライブの約束を取り付ける。

 

 そのまま今度は「暇潰しに町内グルグルしてるっす!!」と意気揚々とスカイラインに乗り込み、猛スピードでバックして彼女はすっ飛んでいった。

 

 エネルギー有り余ってんなアイツ。ひきつった笑顔を顔に貼って、四人は同じことを考えていた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 仕事も終わり、加賀は動きやすい服装に着替えて、約束通りに天龍とドライブに出ていた。

 

 道を知らない彼女のために、スカイラインをFCで先導していく。ここ最近で雪は溶けたものの、まだ路面が濡れていたり凍っていたりするので、法廷速度厳守の安全運転で道を行く。

 

 国道から分岐し、細い道から更に峠道へと入っていく。もう何度も通った場所なので、加賀は悠々と走っていくが、ペーパードライバーの天龍には見通しの利かないワインディングは少し怖いのか、遅れているのをミラー越しに確認し。加賀は4速に入れ、アクセルに込める力を緩める。

 

 異常に道幅が狭い展望台までの道を登りきり、そのまま更に先へ。目的地の売店の駐車場に着いたのは、登山を始めて20分ほど経過した時だった。

 

 誰もいない駐車場に2台が並んで停車する。まだ2月だから、当たり前だが寒いな、と道端の雪を見て感じながら。加賀はFCのドアを閉めてから、天龍に声をかけた。

 

「お疲れさま。どうだった?」

 

「すっげー怖いっす。暗いし狭いし止まらないし……」

 

「FRで雪は怖いから。でもちゃんとついてこれたじゃない」

 

「加賀さんがハザードで対向車とか教えてくれたからですよ。たぶん俺一人で来てたら衝突してたかも……」

 

「それでどうするの? 2回や3回上って下ってってしたいなら付き合うわ。色んな技術が身に付くから、結構峠は町乗りの勉強にもなるわよ?」

 

「遠慮しときます……1度給油してもう一回上ったら帰りたいな」

 

 「わかった。そうしましょう」と加賀が答えたその時だ。目線を天龍の奥の道路に向けると、1台こちらに向かって上がってきていた車が居たのを見付ける。

 

 まだ8時かそこらの時間なので、一般車だろうと思っていると。乗用車並みの静かなエキゾースト・ノートを引き連れながら、小さなその車は自分達が居た売店の待避所に入ってくる。地元の走り屋か? と思ったが、ナンバーの地名に「京都」と表記があるのを見て、加賀の頭上に?マークが浮かぶ。

 

 ヘッドライトを点けたまま停車した銀色のスポーツカーから、パーカーに下は短パンで素足をレギンスで隠しているという、ランニングに行くアスリートのような細身の女性が降りる。何をしに来たのか、と二人が考えていると、彼女は口を開いた。

 

「ここに、艦娘がお忍びで遊びに来るって聞いてきたんだけど、もしかして貴女方?」

 

「……聞いてどうするのかしら? まぁ、間違いではないわ」

 

 一体どこでその話を? と思ったが、巧の一件を加賀は思い出す。元帥の命を救った恩人の鎮守府ということで、軍のイメージ戦略を兼ね、少し前にヒーローインタビューのような事を受けたのだ。その時に全国放送のマイクに、ハッキリと「車が好き」だなんて口走ってしまったのを軽く後悔する。相手は恐らくそれを聞き付けて、峠に来たのだろう。

 

 そして、なんとな~く嫌な予感を彼女が感じていると。案の定、金髪の相手は予想通りの提案を持ちかけてきた。

 

「なら話が早い。私、鎮守府で島風やってて、車とか好きなんだけど。ちょっと競争に付き合って貰えないかな」

 

 やっぱりそう来たか、と思う。

 

「お断りよ」

 

「!!」

 

「残念だけれど、そう言う気分じゃないの。それにそういう目的で私は車に乗っている訳でもないし」

 

「どうして? 私の車がコンパクトカーだから勝負にならないって言いたいの」

 

「何度も言わせないで頂戴。私はレースがしたくてここを走っている訳じゃないの。……あなたのその車が何なのかは知らないけど、私は別に乗ってる車で人を差別なんてしないわ」

 

「……?」

 

「身内に恐ろしい人が居るのよ。乗ってる車が20年も前の型落ちでも、最新式のスポーツカーに勝てちゃうようなのがね。前は私のFCでシビックをチぎってたわ」

 

「……! FCでFK2(エフケーツー)に……? …………なら試してみましょうよ。私とその人どっちの方が上手なのか」

 

 「何だと?」と今まで黙っていた天龍が、軽く相手に凄むが、加賀は彼女を制して、これだけ言われてもなおバトルの意思がないことを島風だと名乗った相手に伝える。

 

「いいのよ天龍。どっちにしろ私はやる気はないわ。行きましょう」

 

「うっす」

 

 じゃあね、とドライな別れの言葉で強引に会話を終わらせて、加賀は自分の車に乗り込み、先に天龍を行かせて、そのあとを追い掛けてゆっくりと山を下りていく。その様子を、島風は納得がいかないといった表情で見ているのを、暗かったが加賀はしっかりと目にする。

 

 

 

 2人がその場から去っていってから数秒。島風は力任せに自分の車のドアを勢いよく開けて乗り込み、バケットシートの穴から延びていた4点式のシートベルトを締め、愛車を発進させた。

 

「…………、しょうがない……!」

 

 ハンドルを右に一回転させ、グッと床までアクセルを踏みつける。ぐるりと180度スピンターンを決めた彼女は、回った勢いをそのままに、射出されるロケットのようにそこから二人を追いかけるのだった。

 

 

 

 

 

 

 




12時に投稿だと言ったな? アレは嘘だ(白目
胸糞とギャグとそこそこのドラマをぶちこんだお話になる予定です。次回をお楽しみに。

用語解説

・MR駆動→車の中心部にエンジンを置き、駆動部品を後方に配置した駆動方式。重量配分が優秀なためハンドリングが非常に快適になるが、反面限界を超えるとあっという間にスピンしてしまう運転難易度の高い車になる。ランボルギーニやフェラーリ等のスーパーカーが有名。

・シーケンシャル→前後のアップダウンのみでギアを上げ下げするミッション。AT車や一部のレーシングカーなどに採用されている。ごく稀にMT車にも採用されているが、いちいち一つずつ変速しなければならないので町乗りで不便。

・四点シートベルト→普通の車の三点式と違い、車検に対応しない競技車用のシートベルト。安全性、体のホールド性能などはこちらに軍配があがるが、三点式と違って体を固定してしまうために交差点などで前のめりで周囲を確認したりといった行動ができない。そのため使用者はこちらと三点式を併用して車に取り付けておくのが一般的。


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加賀の初バトル

加賀さん暴走運転回です。この物語はフィクションです、実際の運転では交通ルールを守り、シートベルトを締めて、安全運転に努めましょう。(レースゲー特有のテンプレ


 

 

 前をゆっくりと流している天龍のスカイラインのテールランプを眺め、雪に足をとられておっかなびっくりといった様子の彼女に、加賀ははにかむ。

 

 2月の上旬のこの峠は、年間を通して一番走りづらい路面状況だった。道のセンターライン付近は路面が見えているが、壁とガードレールのある両端は雪が多く残っている。ドリフトしようだなんて思わなくても、FR車なら簡単にリアが暴れるようなコンディションだ。

 

 そんな悪路に苦戦する天龍を微笑ましく見守りつつも、加賀も何度か変な方向に振られるFCを、ハンドルをこじって道に戻していたときだった。

 

 自分の車のダッシュボードが明るい光に包まれ、何だ? とバックミラーに視線を移した。そしてすぐに察する。さっき上で出会った車が追い付いて来ていたのだ。

 

「…………ッ」

 

 そこまで絡んでくるつもりなら……少し付き合おうじゃない。

 

 小さく舌打ちをして、前の天龍にパッシング。相手は察してくれたようで、対向車線に逸れて進路を譲ったスカイラインの横を、FCと、それを追い掛けて銀色のスポーツカーが追い越していく。

 

 チュンッ、ヒュルルン! といった鳥のさえずりを鋭くしたような独特な機械の駆動音を加賀は耳にした。

 

 間違いない。ターボチャージャーのバックタービンの音だ。つい最近に自分の車にも搭載した機械と同じ音を出している背後の車に、加賀は考える。

 

 4に入れていたギアを2速に入れ直して車をフル加速の体勢にし、速めにブレーキングに入る。出来る限りで一番速い50キロ台のスピードでコーナーを抜ける。だが相手のほうが上手なのか、直線で差が開いていたのが、曲がり角でアドバンテージは無くなってしまった。しかも加速勝負なら勝てるかと思ったが、立ち上がりでも軽く煽られてしまう。

 

 速い。そして何よりも、たぶん間違いなく自分よりも上手い――

 

 後ろからくる小さな銀色の車に、言い様のないプレッシャーを感じ、加賀の背筋と頬を汗が伝う。仕事で海で戦うのとはまた違う緊張感に、彼女は支配された。

 

 いくら夜の峠道とはいっても、交通量がゼロになるとは限らないため、流石にセンターラインを割ってまでして、限界まで攻め込んでスピードを出すのは憚られるので。斜線一本だけを使って今は走っていたが、正直加賀は辛く思っていた。車が大きく感じられたのだ。

 

 使える車線は安全を考えて一本だけ、そしてその道路は半分が雪に覆われているため、自分の車の駆動方式だと直線でも車体が安定しない。初めてのスポーツ走行の恐怖に、峠ならではのネガティブな要素が彼女に襲いかかる。

 

「…………!」

 

 目の前にガードレールが迫ってくる。彼女は巧から教わった、サイドブレーキを使ってのアンダー殺しを駆使してきつい曲がり角を抜けていく。自分から作り出したオーバーステアで曲がりすぎる車を、カウンターステアで向いた方向を修正し、すぐさまアクセル全開で立ち上がる。

 

 彼女はこれで後ろの車は離れるかと思ったが、予想の真逆で、こちらに追突しそうな勢いのプッシュを見せられて。思わず焦りが生じた。

 

 巧と摩耶によれば、FCの馬力は290を越えていたはず。それに加速で追い付いて来るなんて、一体後ろは何て言う車なのか。彼女の中に興味が芽生える。

 

 一瞬先の道路から見えた光から対向車を察知して速度を落とす。

 

 それをやり過ごすと、すぐにまた加速に入り、キチンとしたグリップ走行でこのおいかけっこに興じるものの。ついに麓に近付くところまで加賀には後ろの女を振り切ることは敵わなかった。

 

 記憶が正しければ、あと少しで展望台の大きなコーナーに入るはず。また対向車が無ければそこで抜かれるか? そんな予想は的中し、背後に居た車は空いていた車線に移り、ピッタリと横に付けながら加賀にブレーキ勝負を挑んできた。

 

 信じられないものを彼女は目にした。

 

 時速100kmオーバーで相手はノーブレーキでカーブに突っ走っていったのだ。そして一瞬、コンマ数秒だけブレーキランプを点灯させ、銀色の車はフロントの向きを変える。

 

 すごい。思わずそんな感想が口から漏れた。銀色の車高が低いコンパクトスポーツカーは、ラリードライバーがやるような4輪ドリフトで華麗に自分を抜き去って行ったのだ。前をいく車の、残像を描くテールランプに思わず見入ってしまう。

 

 そして前に着いたその車は、遊びに付き合ってくれた社交辞令か礼のつもりなのか。ハザードランプを何秒間か点灯させ、2回クラクションを鳴らした後に、道なりに下っていった。我に返った加賀は、負けじと相手を何分か追い掛けたものの、ついに見えなくなるほどまで引き離されてしまう。

 

 あまりジロジロ見ていた訳ではないから解らないけれど。もしかしたら巧よりも上手い人だったのかも知れない。

 

 売店の駐車場で艦娘の島風と名乗った金髪の彼女に。加賀は一緒に走って綺麗にパスされてしまい、そんな感想を抱いた。

 

 

 

 

 夕食がまだだった二人は、峠のドライブを切り上げて愛車に給油を済ませ、ファミリーレストランに立ち寄ることにした。

 

 加賀が注文したパスタに手をつけていると。チャーハンにがっついていた天龍から、初バトルの感想を聞かれる。

 

「で、どーだったんすか。勝ちました?」

 

「負けたわ、それも完敗よ。ムキになって抜かれた後も追い掛けたけど、見えなくなっちゃったもの」

 

「そんなに上手な人だったんですか」

 

「わからない。私がまだ下手だったからかもしれないし……というか私としては、貴女が着いてこなかった事のほうが意外だったわ」

 

「へ?」

 

「貴女見るからに喧嘩っ早そうじゃない。だからアクセル空けてくると思ってたのに」

 

「いやぁ、納車早々に解体屋送りとか嫌っすから」

 

 「あら、そうなの?」と返事を返しつつ。意外と臆病な性格なんだなと加賀は目の前の女について思う。

 

 振られた話題に連動して、ついさっきに鮮やかにこちらをパスした島風の運転を、映画のフィルムを観るように脳内に描く。他人の運転を見て、憧れというか尊敬の念を抱いたと表現すべきか……加賀は初めての感情を抱いていた。

 

 巧の隣に乗った時にはこんなことは全く感じなかった。自分でハンドルを握った車のガラス越しに、彼女の運転を見れば同じことを私は思うのだろうか?

 

 が、考えても答えは出ないだろうな……。そんなことを思いながら。彼女はフォークで巻いたパスタの塊を口に放り込み。余計な事は忘れようと努めることにしたのだった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「峠でバトル?? あんな狭いところで、しかもお前がか?」

 

「そんなに不思議なことかしら」

 

「いや、ただ意外だなって思っただけだけど」

 

 翌日。加賀が、仕事に空きが出来て暇になったのを、CR-Xの整備で時間を潰していた那智に昨日の事を伝えると、そんな態度の反応を返される。

 

 一応近頃は常人並みにルーズな性格に変わってきてはいるものの、どうやら周囲からの「お堅い」イメージは払拭できていないらしい。ほんのちょっぴり寂しく感じながら、加賀は那智に渡されたクリーナー粘土で彼女の車の鉄粉を取りながら続ける。因みに今日は巧、摩耶、天龍は朝の警備に海に出ていたので、鎮守府にいる加賀にとって親密な間柄の人間は那智だけだ。

 

「楽しかったけれど、思い返せば怖かったわ。なんというか、あんな状況でアクセルが踏めた自分が」

 

「踏んでると結構スピード出るからな、バイクやクルマってのは。事故とかは気を付けろよ……と言いたいが、一度は経験したほうがいいぞ」

 

「そんなこと聞いたことがないけれど……」

 

「そら当たり前だ。教習所が「一度は事故ってみろ!」なんて言えるわけ無いだろ? 2輪も4輪も当てはまるが、どんなに軽くでも事故起こした奴は、よっぽどのヘタクソか阿呆じゃない限り上手くなるよ」

 

「それ、詳しく教えて貰えないかしら? 那智先生」

 

「おちょくるなよ気持ち悪い……そうだな、ちっとばかし考えたらすぐわかるよ。事故の経験があると、「限界」が解るからな、それを越えない無茶はやらなくなるからさ」

 

「限界? 車の性能のこと?」

 

「あはは、それもあるがな、どっちかといえば「人間の限界」かな。「もっとアクセルを開けたい、だけど踏むと事故っちまう」というのが頭に入ってるから、知らずにセイフティーというかストッパーというか、そういうのが体にかかるんだよ」

 

「へぇ………」

 

 ペタペタと持っていた粘土を車体に貼り付けては取って、と繰り返しながら、加賀は那智の声に聞き入る。歳は近いが、運転歴が3年も先輩なのだ。言葉に重みがあるような気がして、勉強にならないこととは思えなかった。

 

「なんでこんな偉そうなことが言えるか教えてやろうか。実はこの車事故車なんだよ」

 

「え!? 本当に言ってるの?」

 

「大マジだよ。フロントのフレームなんて修理屋と仲良くハンマーもってぶっ叩いて直したし、エンジンとミッションなんて載せ換えてる。中古車に出したら一番嫌われる奴だね」

 

 「壊したときはもうギャン泣きしたぜ?」 エンジンルームに顔を突っ込み、笑いながら那智は言う。

 

「フレームまでいっちまったらもう直らないと思うのが一般人だからな。直ると知ったらもう、何でもするし幾らでも金積むから直してくれぇ!って工場長に泣きついてな。そこからだな、車にのめり込んだきっかけは」

 

「そうだったの……」

 

「凍った道で調子のって遊んでた時にな。慌ててブレーキ踏んだらロックしちまって、そのまま壁に突っ込んでさ。で、話を戻すけど、そんなことがあったせいでもう変な場所じゃ踏まなくなったね、私は」

 

「そんなことがね……肝に命じておくわ」

 

「冬は気を付けたほうがいいぞ特に。注意してても事故るやつが居るぐらいだしな」

 

「えぇ……ところで貴女さっきから何を弄っているのかしら」

 

「ただ眺めてるだけだぞ」

 

「はい?」

 

 たったそれだけなの? と加賀は変な顔になった。その様子を見て、口角を吊り上げた表情で那智はまた説明に移った。

 

「結構大事なことだよ。部品のサビとか故障とかバッテリーとか、点検しといてマイナスになることはないし」

 

「ふ~ん」

 

「それに加えて古い車だしな。見てやって介護してやらんと、何が起こるか……」

 

 「よし。」と一言呟き、那智はドライカーボンの軽いボンネットを、車体に叩き付けるようにして閉める。前に加賀が「扱いが乱暴じゃないか?」と突っ込んだことがあるが、ボンネットの素材が軽すぎるので、こうでもしないと閉まらないらしい。

 

 それから二人がかりでCR-Xのホイールを棒タワシでゴシゴシやっていた時だ。警備の艦娘の入れ換え時間を意味する放送チャイムが鳴り響き、加賀は手首の腕時計を覗く。すっかり雑談と洗車に夢中で気が付かなかったが、針はもう午後3時を指していた。

 

 遅めの朝食でも摂ろうか。隣の彼女の提案に乗り、加賀はひとまず作業を中断して建物に戻っていった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 すっかり見慣れた洋上迷彩柄の、やたらとゴツゴツと尖ったデザインの艤装と籠手を床に置いて。海上警備から戻った巧はパイプ椅子に腰掛けて、ジャージ姿の艦娘から受け取った水を飲む。

 

 基本的には整備士組として働く彼女だったが、ここ最近は他の艦娘の負担軽減としてヘルプで海に出ることも増えてきていた。さて、今日はどんな理由だったのか。水と一緒に受け取ったタオルで汗を拭きながら、戦果報告係の親友にそれとなく聞いてみた。

 

「マコリンさ」

 

「なんだ」

 

「私が応援で入るって珍しくない? 何かあったの」

 

「ああそんなこと。長門の代わりにアイツの持ち場の警備やってくれって話だったんだよ」

 

「そうだったんだ? なんでまたそんなことに?」

 

「アイツ、インフルエンザだってさ。全身ダルくて痛くて立ってるのも辛いらしいんだと」

 

「アララ、お大事に……」

 

 見るからにアスリートみたいな筋肉質で、めっちゃくちゃに体が頑丈そうな人だけど、病気には勝てなかったか、なんてことを勝手に思う。

 

「そんな事よりよ、また一斉休日やるって聞いたよ。しかも1週間だぜ! ……その代わりに普通の休みがちっと削られるらしいけど」

 

「また? こないだあったばかりなのに?」

 

「アタシも思って聞き返したんだけどな。巧の母さん頑張ってるみたいだぜ。新規で入ってくるやつに深海棲艦足して、一気にここに20人ぐらい補充人員が来て一人辺りの負担が軽くなるから、今までよりも安定して休みが出るって」

 

「…………??? 一斉だったら関係なくない? だって全員休みでしょ?」

 

「あ、その事だけど、今度から「半一斉」になるんだと。半分を休みにして、そいつらの休暇が終わったら今度はまた半分。人の数は充分だしそれで問題ないだろうって……まぁ何かが起きたらスクランブル招集は変わらないと思うケド」

 

 ははは、と乾いた笑いを撒いて親友の目が死んでいく。前から度々話題にあがるが、まだ巧には経験がないが、スクランブル招集はマコリンには相当きつかったんだなと察する。

 

 そんな二人の会話に耳を集中させている人間もいた。同じ枠で海に出た天龍だ。昨日に負けず劣らずな元気を発揮して彼女は話し出す。

 

「一斉来るんなら、今度こそ走りに行きませんか!」

 

「私はOKだよ。マコリンは?」

 

「モチロン。でもどこに行くんだ?」

 

「決まってないっす」

 

「「えぇ………?」」

 

 2人仲良く思わずズッコケる。瞳を輝かせて言うものだから、てっきり予定があると思いきや、無計画だったらしい。じゃあ、どこに行こうか? と3人が考え始めた時。また2人車好きが増える。

 

「箱根方面なんてどうだ? 観光も峠も満載だし楽しいぞ」

 

「あ、那智さんに雪菜さん」

 

「お疲れさま、巧」

 

「箱根か……アタシ東名の乗り方が未だに怪しいんだけど」

 

「自分が案内するよ。生まれはあっちだからな、向こうの地理は強いから」

 

 計画だての上手な那智と加賀が加わり、トントン拍子で軽い旅行の計画が決まり。5人は各々の車で、那智が提案した鎮守府近くの駅に現地集合することになった。

 

 ギリギリまだ年頃のオンナノコらしく、全員ハイタッチでその場を締めて。さて、と巧は摩耶と愛車のセットアップでもしようかと、外に出るのだった。

 

 

 

 

 

 

 




若干巻いていきました。これからズブズブと車にまみれていきます(白目


用語解説

オーバーステア→車が曲がりすぎて内側の壁にぶつかりそうになる挙動のこと。これによる事故を防ぐのがカウンターステア、俗に言う逆ハンドルである。

アンダーステア→上記の反対で曲がらないこと。これを嫌ってサイドブレーキを引き、上記のオーバーステアを意図的に誘発させるのがドリフト走行や、アンダー殺しと言われる走り方。


オマケ 加賀さんwithFC。皆さんに文章だけでこんな状態の車を想像させれていたら良いな


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那智の地元は観光地

1日空いてしまいました。箱根についてしらみ潰しに調べていたら時間ががが




 

 

 

 北海道から、修学旅行以来出たことがない巧にとって、東名高速を走るのは、当たり前だが人生で初めてだった。

 

 CR-X、FC、R34と続き、自分の後ろには摩耶のミニクーパーが付いている状態の隊列を保ったまま、巧は前の誘導に従って料金所に入り、合流した本線でアクセルに込める力を強める。時刻は平日金曜日の10時頃という半端な時間を狙って出ていたため、車通りは少なく、三車線ある道路は空いていて快適だった。

 

 地元だった北海道の道と比べて、段差やヒビも少なく、よく手入れの行き届いた道だな、と思う。環境的な要因で致し方ないのだが、東北方面の道は、一般道も有料道路も関係無く、雪や氷のせいで割れていることが多いのだ。

 

 乗っている車のサスペンションが硬いのにもかかわらず、スムーズにドライブができることに、ちょっとした感動を巧は覚える。

 

 道なりに1時間ほど、海岸沿いの道は深海棲艦の危険が常に付きまとうため、と3年ほど前に新設された場所を、平均速度100キロほどでクルージングする。

 

 道中、明らかなスピード違反で飛ばしている、違法な取り締まりを敢行していたパトカーに嫌悪感なんかを抱いたりもしたが、特にこれといったトラブルもなく。順走、逆走合わせて4車線ある道路脇の景色が、少しずつビル群から山脈に移り変わってきた辺りで、全車は休憩としてPAに入ることになった。

 

 「ひとまずお疲れさま」、と言ってきた那智が続けてトイレと朝食の時間だと言い、全員が別行動になる。

 

 さて、パーキングのご当地メシでも買うかなと、巧は宣伝文句が書かれたのぼりが立っている建物に入ろうと歩く……ときに、1度振り替えって車に鍵をかけようとして。何故か棒立ちしていた天龍が視界の隅に入った。

 

 何か手に持っている、彼女の手のひらをよく見てみれば、立派なカメラを両手で構えて、スカイラインの写真を撮っていた。

 

「やっぱカッコいいな、俺の34!!」

 

「好きなんだ、スカイライン?」

 

「そりゃもう! ガキの頃からの憧れの一台ッスよ! それが目の前にあってったら、もう、もう…、もう……!」

 

 「この角度がもう、最高にたまんねぇ!」 なんて、ちょいとばかりアブない人のようなテンションで、天龍はいつも左目に付けている眼帯を外してシャッターを切りまくっている。

 

 数分経って、売店でメロンソーダと惣菜パン幾つか、更に外に出ていた屋台で買ったホットドッグをかじりながら戻ってきても、まだ車の前に陣取っていた彼女に。お熱だなぁ、と思うと同時に、渡しておきたい物を思いだし、巧はインプレッサの車内からある物を出して天龍に渡した。

 

「天龍さ、持っといて欲しいのがあるんだけど。はいこれ」

 

「……? なんすかこの赤黒の洗濯バサミみたいなの」

 

「ブースターケーブルだよ、ほら、車から車にバッテリー移すやつ。何かあったときのためにみんな積んでるって聞いたんだけど、天龍だけ聞くの忘れてたから持ってきといた」

 

「あ、……なんかすんません、手間かけさせちゃって」

 

「さてと……ほれ、早くご飯買ってきな、出発まであと5分だよ」

 

「あっ、やっば!」

 

 やっちまったとの感情が表に出た顔で、天龍は急いで車のドアを開けてカメラを投げ込み、置いていた鞄から財布を引ったくって売店に駆け込んでいった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 休憩で立ち寄ったPA近くの料金所から高速を降りて、箱根椿ラインを経由し、道中ポツポツと点在したゴルフ場等を横切り30分ほど。5台は箱根の山々をバックにしながら、芦ノ湖スカイラインを走っていた。

 

 高速道路のような料金所を通過して数分。景色の妨げになる邪魔な木や丘、ちょっとした山なんがが消えていき、全車は大きな湖が見える海岸沿いのような道に入る。

 

 巧は先をいく天龍が速度を下げたのに従って、ペダルを踏む力を緩めて、パワーウィンドウを下げ、外の景色を眺めた。

 

 絵の具のチューブから捻り出したような綺麗な青色をした、雲が全く無く、どこまでも清みきった空と、その奥に見える富士山が道の近くの湖面に反射して映り、今までは写真かテレビの液晶越しにしか見たことがなかったような景観が、網膜を通して脳内に拡がっていく。

 

 たった600円かそこらの金を払っただけでこんな景色が拝めることに。彼女は自分という人間が、自分の車を持っていたことと、免許を持っていたことに心から感謝した。

 

 開けた窓から入ってくる風が冷たいが、そんなことは全く気にならなかった。

 

 人生誌の1ページに残る思い出になりそうな物が観れたことも要素のひとつとしてあったが、なによりも気の会う仲間同士でこういったドライブに出掛けることなんて初めてだったから、この独特な空気の居心地の良さが楽しく感じられたのだ。

 

 那智さんやマコリンはこういうことに慣れてそうだけど、雪菜さんや天龍は、この自分の感じているのと似た事を考えているのかな。それとも雪道に悪戦苦闘して景色見るどころじゃなかったりして?

 

 流石に不注意で事故なんて起こすわけにはいかないので、前の34Rにも気を配りながら、走りやすい直線が続くときを見計らって景色を楽しむ。前や後ろにいる友人たちの事を考えながら、同時に今後の予定を振り返ってみる。

 

 那智さんが立てた計画では、このまま箱根スカイライン手前で曲がり、そのまま今度は今走っている湖の反対側の道路に渡って、適当に食事処と土産物屋に寄るんだったっけ。

 

 考え事をしていると、新雪にタイヤを取られてスベるが「おっと」と軽く呟いて驚く程度で、巧は慣れた手付きでハンドルを操作してインプレッサを御しきる。

 

 

 

 

 最初の集合場所から出発し、合計の移動時間が3時間ぐらいになったタイミングで、先頭車のCR-Xの窓から那智が手を出し、「休憩所に入るから」との合図を出す。

 

 芦ノ湖スカイラインの中間地点にある、唯一の売店・トイレつきのサービスエリアに入る。時間が時間なので誰もいないかと全員がタカをくくっていたが、意外とこの場所は混雑していて、今日が平日で良かったな、と巧は思う。

 

 丁度よく5台横並びで車列を成せるスペースを確保して駐車。全員またそれぞれ別々の行動をとることになった。

 

「お~すご、コルベット停まってる」

 

「あの車がそんなにすごいのかしら?」

 

「アメ車のスポーツですよ、お高い車です」

 

 特に何もすることがなかった巧が、少し離れた場所に停まっていた車についてコメントすると、同じく暇だったのか、加賀が乗ってくる。

 

 平日のこのエリアは少し面白い様子を見せていた。「定年して趣味に没頭できる時間を満喫しに来ていますよ~」、という雰囲気まんまんなライダーやスポーツカー乗りのおじさまが大量発生していたのだ。

 

 そんな周囲の様子はともかく、せっかくなので自分の携帯電話で遠方に見える富士山を撮っていると。二人はここに居た中では少数派の、自分らと同い年ぐらいの男性から声をかけられた。ナンパかと邪推したが、ただのカメラのヘルプだ。

 

「すんませーん、あの、ボタン押しやってくんないすか?」

 

「私でよければ」

 

「あ、どうも! ここ、押してもらえればOKなんで」

 

 3脚が立てられた場所に行き、操作を教えてもらった巧は7~8人ほどでツーリングにでも来たのであろう、バイクを背後にしてピースしている彼ら彼女らにピントを合わせて、シャッターを切った。

 

 ありがとう! と言われて自分の車がある場所まで戻ろうとしたときだ。一緒にくっついていた、今度は加賀に、また一人話し掛けてくる男性が。

 

「このスポーツカー、嬢ちゃんらの車なのかい?」

 

「え? はい、一応」

 

「いいねぇ、美人とクルマの組み合わせはサマになるな!」

 

「…………!」

 

 ちょっとお腹がポッコリしたおじさまに、どストレートで誉め言葉を言われて加賀は顔を赤くする。周りで見ていた巧はというと、フレンドリーなオッサンだな、なんて思っていた。

 

「ナンパなら受けませんよ?」

 

「ははは! そんなことしたら女房に怒られるからしないよ。その、あんたらは夜までこの辺りを流したりするのかな? と聞きたくて」

 

「……? 夜まで居座っていると何か不味いことでもあるのかしら」

 

「実はそうなんだよ。最近何かとここらは物騒でね」

 

「というと……マナーの悪い走り屋でも出てきたりするんですか?」

 

「走り屋なんて生温い、犯罪者に片足突っ込んだ変なのなら知ってるよ。……そうだな、ここらはケーサツ役に立たねーから、教えてあげるよ」

 

「犯罪者……」

 

「ここらが地元のやつは誰でも知ってる。去年の夏ぐらいから出てきてる、オレンジ色のR35だ」

 

「オレンジのR35? もしかしてそれって17年式の新型じゃないですか? よっぽど金持ちなんですね」

 

 地元の人なのかな? と二人が目の前の人物について考えていると。売店から戻ってきた那智が合流し、誰だこの人?と言ってきたので、軽く説明した。少し考えるような仕草のあとに、彼女は口を開く。

 

「……そういえば何かチラホラ聞いた覚えがある。煽り運転で事故を誘発させる危ないのが運転してるって話だったか。しかもナンバーハネ上げてて、特定できてないって」

 

「そーそー、そのGTR。嬢ちゃんたちも気を付けたほうがいいぜ。あんたらみたいな車に乗ってるやつ、手当たり次第に狙ってくるらしいから。じゃ、こんなオッサンに付き合ってくれてありがとな!」

 

 厳つい顔に笑顔を浮かべながら、手を振って離れていくオジサンに、3人は手を振り返して見送った。

 

「そんな危ない車が……峠ってそんなものなのかしら」

 

「どこもかしこもって訳じゃ無いと思いますよ。……やっぱり観光地で人も多いから、どうしようもないのが一人ぐらいは居るってだけじゃないでしょうか?」

 

「…………」

 

「那智さんどうかしました?」

 

「何か、どうにも嫌な予感がするんだよ。夜が来る前に切り上げて、全員集まったら、ここから出て目的地に出発しよう。」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 なんだか物騒な噂を聞いたとあって、那智が計画を前倒しして一行は今日の最終目的地、芦ノ湖をぐるっと半周して箱根港町周辺に到着する。

 

 那智以外は全員初めて来る場所だったが、北海道なら小樽の町に少し似た、道のど真ん中に水路が走っているこの町の景観の美しさと、もうひとつ、奇妙な点に目が釘付けになった。

 

 典型的な大きな和風の旅館が建ち並び、神社の鳥居を模した電柱なんかが立っていたりしているのはなんとなく予想通りだったが、ある一定の区間からガラッと温泉街→商店街→ヨーロッパ風の洒落た通りに繋がっているという、外見だけならテーマパークを名乗れそうなほどにバラエティ豊かな建築がある町の構造に。面白い場所があるもんだな、なんて4人が思う。

 

 那智がオススメのパン屋があるからついてこいと言うので、一行は雪化粧を施した石畳を踏みしめながら歩いていく。彼女のいう場所は、ヨーロッパな通りの中央辺りに陣取っていた。

 

「着いた、みんな。ここだ」

 

「おぉ……めっちゃ洒落たお店!」

 

 ミントグリーンの外壁に、大きく「LEVEN」と看板がかかった、一部がガラス張りで中の様子を見ることができる店だった。入り口の近くにはイーゼルで立て掛けられた黒板が置いてあり、今日の日替わりメニューというものが挿し絵つきで書いてある。

 

 優雅なランチタイムでもすごそうじゃないの! と珍しく目に見えてウキウキしている那智についていく。何かあるのかな? と巧が思っていると。中で店番をしていた女性に、那智が声をかけた。

 

「よぅ、姉さん今やってるか?」

 

「いらっしゃ……知美! どうしてこんな所に? 今日って平日じゃない」

 

「鎮守府が一斉入ってるんだ。で、こっちの天龍が車買って有頂天でな、ドライブでも行こうって話になったんだ」

 

 この後ろの連中全員お仲間……と那智が自分の姉だと言った彼女に伝える。が、巧以外の3人はそれぞれ言い方は違うが「まじかよ」といった内容の事を呟き。あ、元艦娘さんか、と巧は察する、そのときだ。

 

 ひゃあああぁぁぁぁ!!?? 深海棲艦!!!!

 

 店内に女性の叫び声が反響する。そして那智が「あっ」と思い出したように漏らし、眼前で顔を青くしている自分の姉に巧の事を伝える。やっぱりか、やっぱり私は深海棲艦に見えるか、いやあってるけどさと内心で愚痴った。

 

 「ご、ごめんなさいいきなり叫んじゃって。そうよね、冷静に考えて深海棲艦が那智と一緒に来るわけがないものね」。言いながら、おかっぱ頭の彼女から惣菜パンを1つ貰う。巧に向かって変なことを言ってしまったお詫びらしい。

 

「初めまして、南条さん。知美の姉の一美(かずみ)です」

 

「どうも」

 

「驚いた、妙高さんってこんな所で働いていたのね……道理で近所なんかじゃ見かけないわけだわ」

 

「えぇ、あそこからじゃ遠いものね。親のこのお店を継ぐのが昔から夢だったから、体壊したのをきっかけに地元のここまで戻って、ね。」

 

「そんなことより姉さん、こっちの巧が前に困ってたぜ。駐車場に邪魔くさいN-BOXが置きっぱなしだって」

 

「……!!」

 

 あの車、この人のなのか! と巧が思う。

 

「あら、まだ置いていたの? 売っちゃえばいいのに。軽は人気だからいい値段になると思うけど?」

 

「おいおい、もうちょっと考えろ……他人のものがそう簡単に売れるわけないだろ」

 

 加賀が言った言葉を考えるに、前は妙高という名前で艦娘をやっていたのであろう彼女に、久し振りに会ったのが嬉しいのだろう。天龍と自分を除いた3人が世間話に花を咲かせている。巧的にはなんとなく仲間はずれになってしまった気分だ。

 

 ……丁度窓側にテーブルがあるから、貰ったパンでも食べようかな。なんの気もなしに、全員が見える場所に座って、貰った物を袋から出して一回かじる。

 

 ……!! ウ マ す ぎ る !!

 

 なんだこれは!! と脳内に電流が流れたような思いだった。下手をすれば人生で食べたパンの中で一番美味しいかもしれないと考える。普通にどこにでも売っていそうな、中にコーンサラダとハムが挟まったパンだが、味のレベルが根本的に何かが違うようなアレだ。

 

「そんなにうまいのかそれ」

 

「マコリン、ヤバい、パナイ」

 

「お、おう」

 

 ここで迷惑でないならば、ぴょおおおおおお!! とか叫びたい美味さ。と伝えると親友に引かれた。悲しい。

 

「……アレ、そういえば天龍は?」

 

「財布忘れたから一回戻ってるって」

 

「あらら」

 

 いつの間にかに消えた天龍のことを摩耶と話していると、加賀がトングとトレーを持って店内を物色している。那智が言うには生地に企業秘密のあるものを練り込んでいるから美味しいんだ! とのこと。

 

 ここのご飯、めっちゃくちゃにレベルが高いんだな。これは期待できそう!

 

 食べ終わったパンの袋を服のポケットにねじ込み。巧も買い物をするため、入り口付近に置いてあったトングを手に取った。

 

 

 

 

 




不穏な空気を出しつつ、のんびりギャグで中和するスタイル。
……中和できてんのかな?


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出会い&恋

少し時間がかかりました。埋め合わせというわけではありませんが、5時頃にもう1個投下の予定です。

活動報告にて、小説に登場する車両のアンケートを取っています。特に期限や制限はありませんので、気軽にご参加ください。


 

 

「財布財布……つか車どっちだっけ~……?」

 

 まさかこんな間抜けやっちまうなんて。パン屋で買い物をするつもりが、鞄を覗いたら財布がないのに気付いた天龍は、小走りで町中をウロウロしていた。

 

 ランニング程度の速さで走って駐車場につくと、なるべく早く戻ろうと。ドアロックを解除したR34の助手席の座布団に潜り込んでいた財布を引っ張り出して、目的は果たしたのでまた同じ場所に向かって走ろうとしたとき。

 

 特に意味もなく横を向いたときに、黒い軽自動車のエンジンルームを覗き込んで、何やら難しい顔をしている背の高い男性の姿が目に入る。

 

 少し前のスレた彼女だったら、そんなものは無視して4人の居たところまですぐに戻ったかもしれない。が。巧の説教(物理)を食らってから、すっかり真面目が板に付いた天龍は、相手に声をかけてみる事にしたのだった。

 

「あの、車、どうかしたんすか…………ッ!?」

 

「…………?」

 

 瞬間、彼女の全身に電流が奔った。この男性、アイドルだとかイケメンだとか、そんな言葉で表せないようなスバラな容姿を持っていたのだ。まったく恋なんてしたことがなかった天龍が、初めて異性を「カッコいい!!」と思った瞬間だった。

 

 そんな風に思われているなんて勿論知らず。話しかけられた男性は、天龍に爽やかな顔面を魅せながら口を開く。

 

「いえ、なんかエンジンかからなくなっちゃって……」

 

「け、携帯電話使って修理の人とか呼んだらどうでしょう!」

 

「それが、ドジ踏んじゃって。スマートフォンも充電が切れて、途方に暮れていたんです」

 

「はぁ……ちょっとエンジン見せて貰っても?」

 

「観て貰えるんですか!? すいません、お願いします!」

 

 自然な流れで、彼が乗っているワゴンRの故障の原因を探ることになり。とりあえず自分の携帯の懐中電灯で、見えづらい場所を照らしながら全体を把握することに努めた。

 

 ゴム製パイプや配線、エキマニのヒビは無し。奥の方がホコリ被ってて見えづらいからちょっと掃除して照らす……特に問題ないな。もしかしてバッテリー切れか? エンストの原因がなんとなく把握できて、彼女が隣の彼に伝えようとすると。相手の方から先に口を開いてくるのだった。

 

「直りそうですか?」

 

「多分電気系統じゃないっすかね。それも、合ってれば多分バッテ……」

 

 何も考えずに左を向いてしまう。超がつく至近距離にあった彼の顔に、おっふ。と変な声が漏れて慌てて口を塞ぎ、横に向けた顔を光速でエンジンルームに戻す。

 

 やっばいぐらいイケメン……! ヤバい、心臓と胃が痛くなってきたった……つかアレだ、こんなキズなんかある顔観られたくない!

 

 いつもなら眼帯で隠しているが、今日は運転に邪魔だと外しているので、自分の顔の左にある傷痕が丸見えなのを思い出し。気付かれないように5センチほどずれてから、点検を続ける。

 

「あの、一回キー貸して貰えないでしょうか。それで多分わかると思うので」

 

「どうぞどうぞ、すいません何から何まで……」

 

「こ、困ったらお互い様です!」

 

 柄でも無いことをべらべらと言いながら、天龍は空いていた車のドアを空けてシートに座り、貰ったキーを差し込んで捻る。

 

 予想通り、始動の音はちゃんとするが何となく弱いのを聞き付け。点火プラグなんかに問題はなく、ほぼ十中八九はバッテリー上がりだなこれはと思い。ドアを閉めずに車から降りて、彼女は話し出す。このとき、早口になっていたのは自分でも気付いていなかった。

 

「バッテリーですね多分、ちょっと待っててください、すぐに戻りますから!」

 

 謎の恥ずかしさとドキドキで心臓が爆発しそうなのを隠しながら……隠せていなかったが、天龍は超特急で自分の車に乗り込んで戻ってくると。後部座席に投げていた、今日たまたま巧から貰っていたブースターケーブルを取り出して、早速使ってみる事にする。

 

 ぴったりと隣に着けたR34のボンネットを開いて固定し、バッテリーの蓋を開け、両端が選択バサミみたいなケーブルの赤を+端子に、黒を-端子に挟んで取り付ける。次に残った反対側を、相手の車のバッテリーの同じ端子の部分に繋げて準備完了だ。

 

 ドキドキしながら、まずは自分の車の車のエンジンをかけて、Pに入れっぱなしで、2000~3000回転を維持し、5分間ほどアクセルを空吹かしする。止まってしまった隣の車に電力を供給するためだ。

 

 きょとんとしながら一連の様子を観ていた彼に。天龍はエンジンをかけてみて、と伝える。

 

「これで多分つくと思いますよ。一回キー入れてみてください」

 

「はい、わかりました」

 

 上手くいくかな。彼女の不安は杞憂(きゆう)に終わり。ワゴンRの心臓は、元気な音を出して運動を始めたのを見て、内心で彼女はガッツポーズをした。

 

「かかった……! すいません、ありがとうございます!」

 

「いや、この程度なんともないっすから。あと、そっちにガソリンスタンドあったんで、観てもらったら良いと思います」

 

「何とお礼を申し上げるべきか……あ! 今度お礼をしたいのですが、連絡先交換しませんか?」

 

「へ?」

 

 イケメンとお話しする千載一遇のチャンス!!!! ……だが天龍は反射的に思ってもないことを口走る。

 

「い、いやいいですよ! 見返りが欲しくてやった訳じゃないし!!」

 

「そうですか……本当にありがとうございます!」

 

 ぷらぷらと手を振りながら、ワゴンRの彼を見送る……あぁぁ!! なんて俺はバカなんだぁ!! との悲鳴は声に出ない。

 

 淡い恋心だった……変な感傷に天龍が浸っていたその時だった。

 

 いきなり彼に手を掴まれ、何かを握り込まされる。なんだ? と思ったときには彼は車に乗って、もう発進するといった様子だ。窓をさげたまま、彼は去り際にこう言った。

 

谷本 信輝(たにもと のぶてる)って言います! 連絡待ってます!」

 

「――――!!」

 

 ファッション雑誌の表紙を飾るイケメンタレントのような、眩しすぎる笑顔を振り撒いて、彼は爽やかな風と共に去っていった。考えていた事が全て吹き飛んだ天龍は、数秒のインターバルを挟んで握っていたものを見る。彼の携帯の番号が書いてあった。

 

「夢じゃ……ない」

 

 

 俺、明日死ぬのかな……呆然としていると。知らないうちに、何故か自分の近くに来ていた巧に声をかけられる。

 

 

「居た居た、なにしてんのこんな所で突っ立って? 来ないから心配したんだけど」

 

「巧さん……」

 

「ん?」

 

「今度から神様って呼んでいいすか」

 

「…………は?」

 

 この人がくれたケーブルがなかったら……そう思ったから出た言葉だったが。相手をした巧は「なんのこっちゃ」と意味がわからなかった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 オンナ5人のドライブGOGOな日の翌日。鎮守府に孤独なオタク娘2人の絶叫が響き渡る。

 

「「初対面の男から連絡先を貰ったァ!?」」

 

「へへへ……」

 

「どっ、どこのどんなヤツ? 湾岸の総長? ヤクザ? それとも……」

 

「なっ!? 失礼ッスね明石さん! フツーのイケメンっすよ!!」

 

「「イケメンん゙ん゙ん゙ん゙ん゙~!!??」」

 

 ちくしょう、こんな不良娘に先を越されたァァァァァ!!

 

 

 ……うるせぇなぁ、と思いながら、巧は明石、夕張、天龍の3人が喋っていた方向を見ながら、GC8に水を撒いて洗車中だ。

 

 今日もまた休みなので、鎮守府に住み込みの3人はともかく、自宅から鎮守府に通っている天龍は、用事もなければここに来ることはない筈だったが。巧が聞けば、エアロの組み替えがやりたいので、設備が整っているここに来たらしい。

 

 そして毎度のことだが、ボーイフレンドも居ないので2人寂しく鎮守府でFDとS15のナニカをやっていたオタク組に鉢合わせし、2人から昨日のドライブの感想を天龍が暴露したところコレである。

 

 ウッキウキで、なんだか気持ちが悪いぐらいに笑顔で、ドライバーでペン回しをしている天龍を見ながら。視線からロックオンした彼女から目線がズレないようにと動く、これまた挙動不審な2人が巧のほうに近づいてくる。流し聞きしていた情報が正しければ、天龍は2日後に例の男性に会いに行くらしい。

 

「くっそ~摩耶さん居ればクーパーにみんな乗せてもらって追い掛けたのにィ!」

 

「ははは……マコリン今日用事ですからね」

 

「……バリさんが今言ったから思い出したけど、摩耶って今日どこに行ったの? あの人もここ住みだよね?」

 

「ミニの車検取りに行くっていってましたよ。箱根の、御殿場のほうに知り合いが居るから、遅めの新年の挨拶しにいくついでにやってくるって」

 

「御殿場?? わざわざそんな所まで? っていうか県外で車検なんて取れるんですか?」

 

「納税証明書とか、給料明細……だったかな? 確かそんなような書類を持ってく紙に追加で入れとけばできたはずですよ。継続車検なら」

 

「ふ~ん? ……それは別として……南条さん、2日後天龍のこと尾行しませんか?」

 

「えぇ? ヤですよ、バレたら多分あの子に怒られますよ」

 

「大丈夫だって、あんな浮かれてるのが気づくわけないでしょ?」

 

 ホラ見てみ? と夕張がR34の窓を磨いていた天龍の方を指差すので、車の影から顔を出して眺める。

 

 キュキュッ! キュピィーッ! と拭きすぎて音が出るぐらいにピッカピカに窓を磨いた後に、いきなり脱力してへなへなと窓に寄りかかって、今まで見たこともないようなノロケ顔をかましていた彼女の姿が見える。

 

 あの天龍が、こんなになるぐらいにイケメンな男の人か……。不覚にも興味が湧いた巧は、渋々2人の尾行作戦に付き合うことにした。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 午後9時頃の御殿場市の、とある民間車検場にくっついた、車の整備工場の作業スペースに。摩耶は巧に言った通りの用事を済ませに来ていた。

 

 車検に通る項目はクリアしたが、なんだかフィーリングがおかしいような気がして、彼女はそのまま経営者が同じ隣のチューニングショップに点検を依頼したのだ。

 

 すると、今年で早くも5年目になる愛車の2代目R56ミニに、重大な故障に繋がりかねない部品の劣化が見られたとの宣告を親戚の整備士から受けて。「検査官の野郎、手抜きしやがったな」なんて眉間にシワを寄せながら、摩耶はリフトで上げられた自分の車のシャシーに目を向ける。

 

「1週間かかる? マサキよォ、それマジで言ってんのか」

 

「おう、トランスミッションがかなり負荷がかかってて、もう限界だよコレ。1度載ってるもの全部降ろして点検して、部品取り寄せないと」

 

「冗談だろおい……アタシやだよ、そんなに車使う仕事じゃねーけど、無いとなんか気持ち悪いし……」

 

「こればっかりはどうしようもないな。代車はあるからそれのって帰るか、それとも休み潰して御殿場で過ごすか、どっちがいい?」

 

「代車に決まってんだろうがアホタレ。変なギャグ言うな」

 

「ゴメンて、じゃ、取ってくるから待ってろ」

 

 自分の従兄弟で、名字が同じで命名の理由まで似ている、名前をマサキと言う彼からそう言われて。「いらないからあげる」と貰った缶コーヒーを飲みながら代車が来るのを待つ。その間、もう一度ミニの底面に視線を向ける。

 

 初代NSXやスマートロードスター並は言い過ぎだが、足回りの交換で車高を下げていたせいか、結構シャシーに擦り傷が付いているのが目立つ。丁寧な運転を毎日心がけてはいるものの、知らないうちに結構スっちまってるな、と思う。

 

 ミッション交換のついでに、マフラーとブレーキでも交換しといて貰おうかな、とまで考えていると。外からなんだか煩いエキゾースト・ノートが聞こえてきて、首の向きが変わる。代車ってまさかスポーツカーか? と摩耶が外を見ると。

 

 止まっていたのはまさかの70(ナナゼロ)スープラだった。

 

 ターコイズ系統のカラーに、ガンダムチックなゴテゴテエアロでボディ同色のGTウイングがくっつき、フロントガラスには「N.D.N.L」との艶消しの白いステッカーが貼ってあり。どこからどうみても会社のデモカーである。

 

 うっわ……無いわ、と思っていると、マサキがばつが悪そうな顔をして車から降り、口を開く。

 

「悪いなマコト。プリウスとかあるかな?って思ってたら、なんかどれもこれも出払っててよ、コイツしか残ってねーわ」

 

「えー……なんでこんな70(ナナマル)なんぞに乗らなきゃいけねーんだよ」

 

「たかが4日間かそこらだからさ。我慢してくれ」

 

 苦い食べ物を口にしたときみたいな渋い顔をしながら、摩耶は車の鍵を受け取り、スープラに乗り込む。

 

 ダッシュボードにはブーストメーター、油圧計、油温計、後付けのタコメーターといった計器類が大量に並び、ハンドルにもブーストアップとNosのスイッチが付いていて、コクピットはまるで戦闘機のようだ。後部座席も取り払って斜行バー付きのロールケージまで入っていて、シートベルトもご丁寧な事に、4点と3点を選べるようになっていた。

 

「なんだよコレ……サーキットでも走んのか。変な族とかに絡まれそうなんだけど」

 

「お前地味に運転上手いんだから、その程度ならコイツで振り切れるだろーが。ターボとスーチャの併用で500馬力はあるぜ!」

 

「そういう問題じゃねーよ……シフトは? メーター表示だと7000になってるけど」

 

「8000まで回すようにしてくれ、上まで回さねーと負担かかるから」

 

「あっそ。5日後か、また来るから」

 

「おう。じゃあな」

 

 ブォボボボボボ……ヒュルルンッ!! ……夜中に走り回っているスポーツバイク並みに響く、少々やかましいマフラーのサウンドに、ひきつった笑いを浮かべながら。摩耶は言われた通り、少しレブらせ気味に車を発進させる。

 

 あ゙ー。こんな事になるなら、ミニはレッカーして貰って、巧からインプレッサでも借りてくるべきだったか。峠に入るまでの信号で止まっていると、この車がジロジロと周りの視線を集めている事に気付き。摩耶は内心で愚痴を垂れた。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回からシリアス……というか胸糞が入ります。そういう要素が苦手・嫌いだという方はご了承ください。


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トラブルの余寒

今までに比べてかなり短いです。




 摩耶が車を走らせて一時間ほど経過した時だろうか。御殿場から横須賀に戻るのに、昨日の旅行でも使った芦ノ湖スカイラインを経由して、彼女は今、箱根で言えば、椿ラインやターンパイクがある場所に差し掛かっていた。

 

 このままゆっくりと走って、鎮守府に朝帰りになるのも別に良いとは思っていたけれども。出来ることなら早く帰って就寝につきたいと考えた摩耶は、椿ラインではなく、有料道路の箱根ターンパイクを使うことにした。

 

 10時半に閉鎖される料金所をギリギリで通過して、最初の展望台がある地点を通り過ぎ、サーキットのような独特な構造が特徴なこの峠を下っていく。

 

 今日初めて通る道だったが。摩耶は、噂通りの凄い道だな、と思った。

 

 かなりきつい傾斜と、綺麗に舗装された真っ直ぐな直線がどこまでも続いていて、制限速度の50kmなんてあっという間に過ぎてしまうのだ。少し気を抜いただけでメーターが100を表示するので、慌ててアクセルから足を離して、という事が何回も起きる。

 

 借り物の車だし、少し気を付けるか。快適な道なのでスピードが出したい気持ちはあるが、きっちりと制限速度を守ってスープラの運転をこなしていた時だった。

 

 自分の車が出す音が大きくて気が付かなかったが、背後から1台、何かの車が近づいてきたのをバックミラーで見付ける。

 

 数秒後、その相手にべったりと背後にくっつかれる。思わず摩耶の口から独り言が漏れた。

 

「後ろから1台来てる……?」

 

 追い付いてくるってことは、地元の走り屋か? だとしたら面倒だな。そう考えてハザードランプを点けて道路脇に車を寄せた。

 

 

 すると対向車線から抜きにかかり、横に並んだ車は、あろうことか隣から軽く追突してくる。

 

 

「!!」

 

 慌てて、フラついた車を小刻みにハンドルを切って軌道を修正する。

 

 何がなんでもバトルしろってことか。身の危険を察知して、すかさず摩耶はアクセルを全開にして逃げる。待っていましたとばかりに背後の車は追い掛けてきた。

 

 ペダルを踏めば踏んだだけ加速し、500馬力の大パワーエンジンが唸り、あっという間に時速150kmの世界に突入する。峠道でこんな速度を出すのは人生初だった摩耶の手が軽く震える。

 

 ブレーキに負担がかかるのを嫌って、彼女はサイドブレーキで後輪をロックしてパワースライド気味に道を曲がっていく。

 

 度胸だけの下手くそならこれで離れるか……そんな楽観的な摩耶の考えは砕けることになった。相手は直線に差し掛かるとすぐに追い付いてきたのだ。メーターは既に200の表示を越えており、正気の沙汰ではないと彼女は舌打ちした。

 

「この車に付いてこれんのか……? どんな車だよ……!」

 

 コーナーで離しても立ち上がりで追い付かれる。恐らくは馬力が大きいのだろう後ろの車に、摩耶は舌打ちした。今の状況を考えるに、予想が当たっていれば、後ろは相当曲がりづらい車か自分よりもヘタな相手なのだ。時間が経つほどに、フラストレーションが積み上がっていく。

 

 下り始めから数えて、5つ目のコーナーが迫ってくる。「ブレーキ踏め」と書いてある警告表示に、慌ててヒール&トゥを駆使してギアを1段下げた時だった。常識的に考えて信じられないことに、摩耶は遭ってしまう。

 

 

 背後の車から、コーナリングの最中に追突された。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「   」

 

 ガツンと車内に響いた音を認識すると同時に、頭の中が真っ白になった。ステアリングを切った直後、荷重が抜けたリアに追突されたスープラは、あっけなく四輪すべてを空転させながらコーナー内側の壁に突っ込んでいく。

 

 その先は真っ暗闇が広がる川と崖だ。

 

「クソッたれぇェ!!」

 

 来るなよ対向車―――!!

 

 反射的に摩耶は思いっきりハンドルを曲がり角と同じ方向に切り、ブレーキにかけた足をアクセルに変え、全体重を乗せる勢いで踏みつけた。結果的にこの行動によって彼女は事故を免れる。

 

 完全に制御不能かと思われた車は、フロントを壁に掠めながら360度回転し道に戻る。ある程度はスポーツ走行の知識があり、何よりも北海道人と言うことでスピン状態の車の乗りこなし方を知っていた摩耶だからこそできた芸当だ。

 

 回転してから数メートルの場所で停車し、激しくなった動悸の影響でぜえぜえと息を吐きながら、摩耶は落ち着くのを待った。

 

「ハァ、ハァ……ハァ…」

 

 危うく大事故を起こすところだった。それも、200kmオーバーの事故など、下手をすれば死亡事故だ。だんだんと冷静になってきた頭にそんな考えが浮かぶ。

 

 咄嗟の判断が良い方向に働き、また時間帯が遅かったのも運が良かったのだろう。車通りもなく、車線二本を贅沢に使ってスピンを抑えたため、スープラは崖下に墜落することはなかった。

 

 なんとか落ちつきを取り戻して額を汗を拭い、準走の車線に車を戻して前を見た。摩耶の瞳に1台のスポーツカーが映る……昨日噂として聞いた、「あの車」だった。

 

 ナンバーをスライドネジでハネ上げて見えなくした、オレンジ色のR35 GTR……! ウワサの当たり屋ってコイツか!

 

「ゼッテェ許さねぇ……!」

 

 何がなんでも張り付いてプレッシャーかけてやる!

 

 挑発のつもりなのか。わざわざこちらを待って停車していた相手に、凄まじい形相になりながら、摩耶は準備を整えることにする。

 

 シートベルトを外して四点式の物に締め直し、ブースト変更のスイッチに手を掛け、一気に車を加速させる。すると、その様子を見て相手も発進した。代車だろうがなんだろうが関係ない。そんな思考に至るぐらい今の彼女は頭に来ていた。

 

 更に頭に来ることに相手は小刻みにブレーキランプを点灯させながら、フラフラと挑発するように走っている。上等だと摩耶は相手の売ってきた喧嘩に乗る。

 

 無理矢理始まったバトルの最初の頃に思った予想は的中していたのか、彼女はコーナーがある区間では充分に相手を煽るぐらいには追い付けていた。

 

 ただの金持ちのボンボンが、良い車に乗ってるからって自分の腕が良いと勘違いしてるんじゃないだろうな。調子に乗った彼女が、思いっきり床までペダルを踏みつけていると。

 

 突然コーナーも何もない場所で、相手がブレーキを踏みテールランプが発光するのが視界に飛び込んでくる。

 

「ッ!!」

 

 コイツ……! 慌てて足を掛けていたペダルをアクセルからブレーキに移してフルブレーキングに入る。夜の闇に良く目立つ、真っ赤に赤熱して光りながらロックされたスープラの大型ブレーキローターから、ブワッと湯気が立ち込めた。

 

 なんて野郎だ。ますます追い詰めてやらねぇと気がすまねぇ……! 

 

 何の事はない、ただの嫌がらせだったのだろうが……怒りで冷静さを欠いていた摩耶には相手のこの行動は効果は抜群で、普段は飄々としている彼女も今だけはとても普通とは言えない精神状態だった。

 

 相手に離されていくなか、またブレーキングポイントに差し掛かり、摩耶はフットブレーキとサイドブレーキを併用して車を滑らせていく。

 

 道と反対側にステアリングを操作しているときに、彼女はあるものを目にした。相手が、曲がりながらブレーキを踏んでいるのが見えたのだ。

 

「…………!」

 

 コーナー前ではなく、曲がりながらの姿勢制御ブレーキ……左足ブレーキか。 パドルシフトATだからって楽しやがって……!

 

 内心で毒づきながら猛然と摩耶も相手に追従していく。急勾配と意外にきついコーナーに、更に重い車体が影響して曲がりづらいこの車だったが、彼女はサイドブレーキで後輪をロックさせて強引に車をドリフトに持ち込み、壁に突っ込みそうな勢いで飛び込んでいく。

 

 自分からやっているとはいえ、強烈なオーバーステアで内側に曲がりすぎる車を逆ハン走りで捩じ伏せ、前へ前へと進む。だが差が開くばかりでGTRに追い付いているようには思えなかった。

 

「…………ッ」

 

 ダメか……馬力が違いすぎて追い付けない!

 

 大型シングルターボとスーパーチャージャー付きで500馬力を発揮する大パワーのスープラとはいえ、流石に最新式の、それも少しのリミッター解放で700馬力超を楽々捻り出す35GTRには離されてしまう。いくら腕前で勝っていても車の差が大きく、それも走っている場所が峠とはいえ、傾斜と直線もあって高速道路も真っ青なスピードが出るターンパイク。道を知っているだろう地元の人間が相手では、捲し立てるのは至難の技だ。

 

 ブレーキ操作とコーナーの処理で辛うじてテールランプが見えるぐらいには追えていたが、エンジン・年式・駆動方式・ブレーキ……挙げていけばキリが無いほど劣っていた乗車ではそれが限界だった。

 

 法廷速度など軽く脱している速度で走る恐怖と緊張で、無意識に額を脂汗で濡らしていたとき。何気なしにサイドミラーを使って運転していた車の後輪に目をやると、ドリフト中だということで、おびただしいほどの白煙を出している。通り過ぎた場所はそれの影響で、霧がかかったような状態になるほどだ。

 

「クソッ……一生忘れねーぞ……!」

 

 舌打ち混じりにシフトを3速に入れてアクセルから力を抜き、ボンピングブレーキで車速を落とした。これ以上こんな危険な場所を200kmオーバーで走り、タイヤがすり減ってブレーキが抜けたとなれば、今度こそ事故と病院のベッドが待っている。気分は収まらなかったが、摩耶は大人しく通常運転に切り替える。

 

 たかがウワサだと思っていたけど、本当に頭のネジが外れたとんでもねー奴だった。命が幾つあっても足りる気がしない……。

 

 もう何度目かわからない舌打ちすると同時に。摩耶はハンドルを1度、ドン、と軽く叩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 




パドルシフトAT→ハンドルについているボタンでシフト操作が行えるシステム。ただし普通に乗っている分にはただのオートマ。

ボンピングブレーキ→小刻みに少しずつブレーキを踏み、車を制動させる走り方のこと。北国の住民はこれができないと大変なことになる。


すごくどーでもいーかも知れませんが、実はこれ半分は友人から聞いた実話だったりします。(相手は捕まったらしいけど


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悪夢のマシン

ちょっと時間かかりました。ここから物語が急展開を見せます。(超展開ともいう


 日にちを跨いでも、天龍の男ボケッぷりは消えず、それどころか悪化する始末だった。

 

 身内に暴力を振るっていたチンピラ風味な性質はどこにいったのやら。すっかりぼうっとして隙だらけな表情で、今日もバカの一つ覚えのように車を磨いて、ワックスをかけている彼女を尻目に。巧は少し離れた場所で、那智と摩耶の2人と組んで、スープラの補修をしているところだった。

 

「本当に頭に来たよ、あんの野郎……」

 

「でも良かった。けっこー噂になってるアイツに摩耶があって、この程度で済んでさ」

 

「凄いドライバーだったよ。追突もそうだけど、速度出して曲がってる最中にブレーキ踏むわ、あんなサーキットみたいな場所で全開までアクセル開けるわで」

 

「曲がってる最中に? 左足ブレーキってやつ?」

 

「多分……あんなの左足ブレーキって言わねーけどな。2ペダルのソレなんて、ゴーカート乗れりゃ誰でも出来るよ」

 

 引っ掻きキズが生々しく残ったスープラのドアを、ごしごしと紙ヤスリで削りながら摩耶はぼやく。ぶつけられたFRP製のリアバンパーも割れてしまっていたが、それは直せないのでひとまず置いておく。

 

「でも凄いよね。この70って500馬力出るんだっけ? そんなのによく追い付けるよね」

 

「いくらフルチューンったって、向こうはコイツよか20年は新しいのの、それも最新式だからな……追い付くだろそりゃ」

 

「ふ~ん……あともうひとつ。借り物の車なのに、こんな現在進行形でゴリゴリ削っちゃっていいの?」

 

「いいんだよ。このターコイズ特注の色だから勝手に直せねーし、相手は身内だし。再塗装の手間を省かせてやんのさ。」

 

 話しながらも、大雑把に傷部分の塗膜の削りが終わり、今度はその部分を那智がランダムサンダーで(なら)していく。そして最後に、鉄の地肌が見えている部分に、巧が緑のサーフェイサーと錆止めを塗装して補修は完了する。

 

 「さて、マサキに電話しねーとな……」 神妙な面持ちで摩耶がスマートフォンの電源を入れたとき、何も知らない明石と夕張が巧目当てにやって来る。吹っ掛けてきた話題は予想通り、明日の尾行作戦だ。

 

「居た、巧さ~ん……わっ、70スープラだ!? 誰の? これ?」

 

「マコリンの代車らしいですよ。当て逃げされたらしくて、傷の部分の色剥いでたんです」

 

「代車!? こんなどっかのデモカーみたいなのが?」

 

「うっせーな、今から電話すんだからあっち行け」

 

 場の空気に合わない、調子外れでノリノリだった明石に摩耶が睨みを利かし。怒られた彼女の声のトーンが落ちる。……といっても全然堪えなかったようで、テンションはヒソヒソ話的にノリノリのままだったが。

 

「あ、ごめん……巧さん、約束明日だけど車出せます?」

 

「私は別に大丈夫ですけど」

 

「約束? ドライブでもいくのか?」

 

「あ、那智さんも来ます? 天龍がなんだかイケメンとデートするらしくて、みんなで尾行するんですよ!」

 

「デート!? あんな色恋沙汰の気配もないアイツがか。何かの間違いだ」

 

「間違いじゃないんだなコレが! ボイスレコーダーで録音もバッチリ! 聞きます?」

 

 夕張が言ってきた言葉に、「「うわっ趣味悪っ」」と巧と那智のコメントがハモる。でも興味もあった2人はそれを聴いてみることにする。

 

 スイッチオンの発言と共にレコーダーから音声が流れ始める。夕張と天龍の会話を納めた物だった。

 

『初対面の人から連絡先かぁ……絶対オチが付いてるでしょそれ? じゃなきゃ天龍らしくないよ』

 

『……どういうことだ夕張? そんなに俺をコケにしてーのか?』

 

『いやぁ、だって、ねぇ? 信じられないよ、摩耶さんとか、加賀さんみたいないかにもな人なら解るけど、天龍に男が出来るなんて』

 

『はぁ~、やだねぇコレだからモテない奴は。あのガッチリとして背の高いガタイに、男にしてはちょっと長いけど、清潔感のある髪、そしてふんわりした柔軟剤の香り……あぁ~!! また会うのが楽しみだなァ!!』

 

『ダメだこりゃ』

 

「「……………」」

 

 見事にメロメロだなぁ……。録音した夕張も含めて聞いていた全員がそう思う。ONにしっぱなしのレコーダーからは、まだ天龍のノロケ話が流れてきている。

 

 あと何日もなしに仕事に戻るのに大丈夫なのかなぁ? なんて巧が考えていると。向かい側にしゃがんで居た那智の顔が、唐突に蒼くなっていくのに気が付き、何かあるのかと後ろに顔の向きを変える。

 

 後ろに立っていたのは、天龍の妹である、同じく艦娘の龍田だった。本名は巧は知らないが、前に喧嘩騒ぎを止めたときに一回挨拶をしたぐらいしか面識がない人だ。……尤もそんなことよりも、謎の威圧感を発していた彼女に巧は気圧されたのだが。

 

 表情は笑っているのに、周囲の人間には、なぜか下から覗いた能面のような不気味な顔に見える彼女が口を開く。

 

「その話、私も乗らせて貰っていいかしら~?」

 

「き、聞いてました? どこから?」

 

「そうねぇ~「ボイスレコーダーで録音もバッチリ!」から聞いてたわ~うふふ♪」

 

 それ、もう全部聞いてたのと同じじゃないのか? と巧は思った。

 

「ほとんど初めましてよね~巧さん? 龍田です~。姉さんの妹だよ~」

 

「どうも。同行するのはいいですけど、着いていって何するんですか?」

 

「それはもう単純よ~。ベタベタとすり寄ってくるスケベな殿方なら、手首を落とすだけです♪」

 

 おっふ。ヤバいのが来てしまった。言動から隠しきれない病んだ人特有の空気に、巧の目は泳いだ、そのとき。

 

 かけっぱなしだったボイスレコーダーから聞こえた、天龍の発言に。巧、那智、ちょうど通話の終わった摩耶の3人に電気が流れる。

 

『そう言えばデートってどこでするの? 軽井沢とか?』

 

 

『箱根の方面だよ! いや、今日は寝れないな!』

 

 

「「「!!」」」

 

「箱根……! 峠の方に行かないように言っとかないと!」

 

 慌てて巧が立ち上がり、さっきまで天龍が居た場所に目を向ける。が、そこに止めてあった筈の車と共に彼女の姿は無くなっていた。

 

「あれ、居ない?」

 

「姉さんなら、さっき車でどこかに行ったわよ~? 多分帰ったんじゃないかしら~?」

 

「オイオイ冗談だろ……明日何がなんでも追っかけて知らせてやらないと!」

 

 切羽詰まった様子の3人を。状況がよくわかっていない明石達は、不思議な顔で眺めていたのだった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 問題の月曜日に作戦は決行された。

 

 前の小旅行でも使った線を使って静岡県方面へと向かっていく銀色のR34を、那智が明石を乗せたCR-X、更に後ろから巧が助手席に龍田、後ろに夕張を乗せたインプレッサで追い掛ける。

 

 趣旨は完全に「尾行」から「説得」(?)に変わっていたため、この計画の最初の提案者だったオタク2人から猛反発を食らったものの、それは天龍とそのカレシの身の安全を憂いた那智と摩耶が叩き伏せて納得させて。今日に至るのだった。

 

 しかし、少し反抗期というか、そんなに大人しく天龍が他人の言うことを聞くだろうか、と巧がハンドルを握りながら考えていると。隣の龍田が会話を切り出してくる。

 

「姉さんが言うほど、対してかっこいい人じゃないと思うわ。相手の男の人って」

 

「なんでそう思うんですか?」

 

「昔から姉さんって、なんでも大袈裟に言う癖があるから。思い込みも激しいから」

 

「言えてる言えてる、あんな見た目の癖にけっこー乙女だし」

 

「へぇ?」

 

 なんだかんだ言ったって、まだ鎮守府に来て2か月の巧に。龍田は思い出話を例にして話し始める。

 

「もう大分昔の話だけど~、姉さんと山に虫取りに行ったことがあるの」

 

「虫取り?」

 

「えぇ、全然取れなかったんだけど~私がやっと一匹カブトムシを見つけて取ったら「でっけ~!」って。もう大騒ぎだったの~」

 

 「こんな、親指ぐらいの小ささでしかもメスだったのよ~?」との彼女の言葉に、車内が笑いに包まれる。

 

 なんだ、オラオラしてる割りにけっこーかわいいところあるじゃんか、そんな事を巧が考えていると。前に居た大型トラックをパスして、追い越し車線に入ったとき、不味いものが視界に入ってくる。

 

 やんわりとした笑顔から、ひきつった苦笑いに表情が変わった巧のコメントに。連動して龍田と夕張の目線も前に移った。

 

「…………龍田さん、アレ」

 

「ん? どうし……あら~」

 

「アレってバレてますよね、完全に」

 

 3人の目に映った物。それは、前をいくCR-Xに並走するR34から顔を出して、般若のような顔で隣の車を睨み付けている天龍がいる、という光景だった。

 

 尾行がバレるぐらいは考えてたけど、これからどうするの? と思っていると。後ろに居た夕張の携帯電話のバイブレーションが起動し、何かと彼女はそれの電源を入れる。

 

「あ、明石さんから」

 

「何て?」

 

「『てんりう こわい たすけて』って」

 

「えぇ……?」

 

「あともう1つは『次のパーキングで降りて』と来てます」

 

 これ、追い掛けてきた全員パンチ食らう流れかなぁ?

 

 いざというときは自分が相手を止めなければ。不安だらけな心境で、巧は前の2台の誘導に従って、ウインカーのスイッチに手を伸ばした。

 

 

 

 

 PAに到着し、結局天龍に問い詰められた明石が口を割ったために、巧の車に乗っていた残りの3人も見付かってしまい。見るからに機嫌が悪い様子の彼女への弁明は、言い出しっぺの明石と夕張がやることになるのだった。

 

 いつもはスカジャンかMA-1みたいな、ボーイッシュな服装なのが、わざわざ今日の為に新調したのか。タイトスカートに白のダッフルコートなんて少し洒落っ気のある格好の彼女に。若干ビビりながら2人は必死に口を動かす。

 

「言い訳を聞かせてもらいましょうか。わざわざ他人の車乗せて貰ってまでここまで来たコト」

 

「本当にゴメン! 天龍が言ったことが未だに信じられなくてさ、ちょっと着いてきちゃった」

 

「そうそう、そんなデートの邪魔なんて全然しようなんて思ってないから。ちょっとその、谷本さん? の顔がみたいな~なんて」

 

「ふ~ん。輝お前は?」

 

「右に同じよ~♪」

 

「チッ……いいよ、じゃあ呼んでくるから待っててください」

 

「「本当に!?」」「た だ し」

 

「次コッソリ追い掛けてきたなんてしたら、本気でキレますからね? わかりました?」

 

「「イエス・マム!」」

 

 あ、これぜってー反省してないわ。おバカコンビの応対を見て、3人が思う。

 

 天龍に待ってろと言われた場所に車を止め直してから、待つこと数分。結構長いな、まさか自分の車ほっぽって逃げたか? と全員が思い始めていた時に、彼女は噂の男を連れて戻ってきた。

 

 朝早い時間帯ということで、少しだったが全員が抱えていた眠気はどこかにぶっ飛んでいった。

 

 地毛レベルの軽い茶髪の癖っ毛が、被っていたキャップからはみ出していた彼の顔面偏差値は、この世のどんなひねくれものを連れてきてもイケメンのレッテルを貼るぐらいには整っていた。

 

 身長は巧と同じくらいなので180はあるか。冬なので着ていたものは厚着だが、それ越しでもわかるほど筋肉質でガッシリとした体格で、モデルっぽいナヨナヨしたイケメンではなく、雰囲気的にはどこかで畑を耕しているアイドルみたいな野性味がある。

 

 「男らしいダンディさん」という表現がこれほどしっくり来るやつも珍しい、なんて感想を全員が思っていると。そんな彼が口を開き、キョどりながら龍田が反応する。

 

「初めまして、谷本信輝と言います」

 

「ど、どうも、姉がお世話になります、妹の上山 輝(うえやま ひかる)です」

 

「いえ、世話になったのは私の方なんです。本当に、あのときは里奈(りな(天龍の本名))さんが居なかったらどうなることかと……」

 

 お互いにへーこらへーこらしながら、本名を名乗って相手と話す龍田を、天龍を除いた残りはただ漠然と眺めていた。

 

 そうして顔合わせの挨拶も終わり。天龍は自分の車に谷本と名乗った彼を乗せ、5人にシッシッと手を払う動作を見せてから、また高速に乗ってどこかに走り去っていく……のを我に返った巧が慌てて止めて、天龍に伝言を伝えるのだった。

 

「天龍ごめん、最後に1個だけ」

 

「…………?」

 

「箱根にターンパイクって道路あるでしょう? 帰り道、そこだけは使わないで。約束ね」

 

「はぁ……? わかりました」

 

 警告を聞いたが、イマイチ理解していないような顔のまま、彼女は行ってしまうのだった。

 

 本当に大丈夫なのかな。

 

 何か分からない、表現の難しい胸騒ぎを覚えて。巧は集まったみんなにある提案をする。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 今日の本来の目的も終わり、さぁみんな帰るか……とはならなかった。

 

 PAに入って高速から外れてから、天龍をまた追い掛けたりすればまず間違いなく彼女の顰蹙(ひんしゅく)を買うので、少し時間をずらして道路に戻り。一行は、巧の案で、摩耶が例のGTRに追突されたという箱根ターンパイクまで来ていた。

 

 目的は言わずもがな、天龍とカレシ様の身の安全のため、ここで夜まで張り込み、該当の車が来たら妨害してやろうという物だ。

 

 龍田は特に付き合わせる事もないから、と巧は鎮守府か家に返そうとしたものの、理由を話したら是非とも協力したいと言ってきたので。ここから夜まで12時間ほどの耐久作業が始まるのだった。

 

 やることも特にないので、取り敢えずは、と巧は展望台にやって来る車のうち、いかにもな車種に限定して地元の声を聞いてみる事にする。

 

 

 

 

 張り込み組が駐車場を行ったり来たり、たまに展望台の建物を眺めたり、携帯のソーシャルゲームで暇を潰すこと、時間は午後5時。薄暗くなってきた辺りで、麓のコンビニで食料を調達してきた那智と4人は合流する。

 

「おーい、みんな差し入れ買ってきたぞ」

 

「那智さん! ありがとうございます!」

 

「いいんだこれぐらい。で、どーだった?」

 

「スゴいの一言ですよ、勿論悪い方向に。シルエイティに乗ってたお兄さんは、追突されて前に乗ってた180(ワンエイティ)を潰されたとか、ポルシェのおじさんも全損まで追い込まれたって」

 

「全損……そりゃすごい」

 

「走り屋じゃなくても、一般の人っぽい人たちにも噂は広まってるみたいです。おかげで夜の箱根は、FFと4駆の車以外じゃ近づけないって」

 

 噂の相手について、聞けば聞くほどクレイジーなやつ、という感想が加速していくような状態だったことを、各々が那智に伝える。同時に、少しずつ表情が曇っていく龍田に、具合でも悪いのかと巧は尋ねた。

 

「どうしました、龍田さん」

 

「大丈夫かしら、姉さん。やっと自分の車が持てたって、浮き足立ってたから心配で……」

 

「大丈夫だって、いざって時は自分と巧が無理矢理割り込んででも助けるから」

 

「ならいいんだけど……」

 

「任せてくださいよ、龍田さん。天龍は絶対守るからさ」

 

 

 

 

 そうこうしているうちに日はすっかり落ちて、時間は8時頃に突入する。

 

 ここから10時半までが正念場か。気合いいれていかなきゃな、とハンドルを握る巧の手に力が入る。

 

 日が落ち始めた辺りから、最後の食事休憩を済ませて、全員が駐車場から張り込みの場所をずらすことになり。巧は今、峠の中間地点にある待避所に車を止めていた。因みに那智はもっと標高が高い場所の待避所に、車がない3人は雪がある草っぱらに、厚着をして張り込みを続けていた。

 

 作戦は、峠の入り口近くに立った3人が、何かの手違いでここに来てしまう可能性のある天龍の銀色の34Rか、オレンジの35Rを見たときにすぐに車持ち2人に連絡。そして上から来る車の護衛or妨害をするというものだ。

 

 なるべくなら何も起こらずに終わると良いんだけどな。巧が携帯の時計を確認すると、もう少しで10時になるところだった。

 

 突然車内にスマートフォンのスピーカーの音が響き渡り。巧に緊張が奔る。

 

『銀色の34が通りました!! 那智さん、そっちいくから追い掛けて!!』

 

『任せろ!』

 

『巧さんも一応発進して!』

 

「りょーかい!」

 

 Nに差したシフトノブを1に入れ、踏みっぱなしだったブレーキから足を移し、アクセルをグッと踏み込む。そしてホイールスピンを起こしながら白いインプレッサが走行を開始する。

 

 走り出して数分後。後ろから来た車のライトの明かりに、巧の気持ちが引き締まるその時だった。拍子抜けするような情報が、通話モードにしていた携帯からもたらされる。

 

『明石、車が違う。同じ34でもGTRだし、ナンバーも違うぞ』

 

『本当ですか!? すいませんでした……』

 

『ちゃんと見ろよ。アイツの車は確かウイング以外インパルのエアロだった筈だ。切るぞ』

 

「ふぅ~……なんだ、ビックリした」

 

 他人で良かったと思いながら、巧はハザードを点けて路肩に停車し、後ろの車が追い越してくるのを待つ。そしてそれを追いかけていた那智と仲良く特定の場所まで上がり、同じ持ち場に戻るのだった。

 

 そんな、少しヒヤッとすることはあったが、結局これから何も起こらずに時間が来たので、張り込みは終わる。

 

 帰り道の車内で。無事に何事もなく今日が終わることに。巧と龍田、夕張はホッとしていた。

 

「よかった、なんにもなくて。さっきめちゃめちゃビビりましたもん」

 

「私も気が気じゃなかったわ~……姉さんが事故でも起こしたら、と思うとね」

 

「私はちょっとつまらなかったかな。もっとこう、巧さんの全快ドライブが那智さんのドラレコ越しに見れると思ってたから」

 

「トラブルに巻き込まれなかったからそんな呑気な事言えるんですよ。全くもう。想定してた事が起きたら今頃それどころじゃないですよ」

 

「あはは、ごめんなさい」

 

 和やかな雰囲気のまま。そのまま2台は峠を降りて、帰路に就くのだった。

 

 

 

 

 

 翌日、天龍が市内の病院に運ばれたという情報が一行に伝わるのは、その日の夜頃になるだなんて。このときの5人は夢にも思っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 




天龍、画面の外で事故回でした。一体誰のせいで事故ったのかなぁ?()

ランダムサンダー→アイロンに紙ヤスリを取り付けたような形状の機械。車体や建物の壁など、広い面の塗装を剥がしたりしたいときに重宝する道具。

シルエイティ→日産180sx、240sxの車体のフロント部分を同社のシルビアに交換した車。初出は不明だが、一説には180に乗っていて事故を起こしたドライバーが思い付きでやってみたのがきっかけだとか。普通はS13型のシルビアに交換するのが一般的だが、やろうと思えばS14、S15でも可能。この内のS13型シルエイティはメーカーでも生産されたことがある。


オマケ 那智さんとその愛車になります。あと前話にもこっそり挿絵を追加していたりしています。

【挿絵表示】



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クレイジードライバー

お待たせしてすいませんでした。ついに35のドライバーが登場します。

UAが二万を突破しました。こんな短期間でここまで伸びたのは初めてで、とても嬉しいです。


 鎮守府に、天龍が事故を起こして入院した、という連絡が届いてからの巧と加賀の行動は早かった。

 

 リニアモーターカー並の勢いで自分の車を飛ばして病院に直行した2人は、駐車場の近くにFCとインプレッサを路駐して、建物の中に駆け込むと。職員から部屋の番号を聞き、そのまま廊下と階段を走って、彼女が担ぎ込まれたという病室に飛び込む。

 

 お互いに軽く気が動転していたせいで、2人はノックもせずに引き戸を開けて中に入る。「あ」 と天龍の声が聞こえた。彼女はベッドに座って、看護師から顔にガーゼを貼られている所だった。

 

「天龍大丈夫なの!」

 

「巧さんに加賀さん。いや、何ともないっすよ。デコに傷が増えただけで。日帰り入院だし」

 

「34は? 乗っけてたカレシさんもどうなったの?」

 

「谷本さんは、俺が事故る前に知り合いの人の車のって帰ってたから大丈夫っす。34もそんな、フロント少しぶつけたぐらいだから……」

 

 へらへらしてそう言う天龍に、「終わりました、上山さん、今日からお家帰って貰って大丈夫ですよ」と言って去っていった看護師に、「どうも」と3人が返事をして、また加賀は会話の内容を戻す。

 

「それにしても、一体どうしたのかしら。あんなに慎重運転な貴女が事故なんて」

 

「あはは……ヘタッピだったから、スピンしただけです……」

 

「…………天龍。嘘は良くないわ」

 

「え」

 

「自覚しているかは知らないけれど、貴女は今右上に目線が動いた。嘘を言うと人間ってそっちに目が動くのよ。」

 

「……………っ」

 

 心理学的に本当の事なのか、それともハッタリか。加賀の言ったことの真偽は巧には解らなかったが、少なくとも意図は相手に伝わったらしい。彼女の言葉に、天龍はゆっくりと、重い口を開く。

 

「信輝さんと、美術館行って、その次はレストランで飯食ってきて……箱根の、椿ラインって所を通ってたんです」

 

「「……………」」

 

「そしたら、帰りに後ろから35Rにぶつけられて……」

 

「35……!? それって噂になってる……」

 

「多分……オレンジの35だったから」

 

 また、出やがったのか。一体何がしたくてそんなことばかりを。

 

 自然と、自分でも知らないうちに巧は握りこぶしを作って、指に込める力を強める。内心では、顔も見たことがない相手への憎悪が沸々と煮えたぎり始めていた。見れば隣の加賀も同じ心境だったのだろう。彼女も似たような仕草をとっている。

 

 なんともモヤモヤした気分のまま……2人は、天龍を引き連れて一度鎮守府に戻ることにするのだった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 次の日から、巧たちの連休が終わったため、彼女らは仕事の時間に。入れ換わるように、他の艦娘たちが休みに入ることになったが、鎮守府にはある警告……というか、注意が全員に通達された。

 

 摩耶と那智が緒方に例のクルマの事を話したところ、天龍という実害が出てしまったことを重く見た彼が、「車で箱根に近付かないように」と言ったのだ。せっかくの休みなのに、行動に制限をつけられてブー垂れる人間も何人かは居たものの、そこは何とか摩耶が説得して、と今日の昼過ぎまで至っていた。

 

 鎮守府の外壁の傷んだ部分の再塗装をしながら、巧は、今日一日中元気がない天龍の事が気掛かりだった。明らかに彼女の様子が変なのだ。

 

 いつもは無言で仕事に打ち込んでいる筈の彼女が、今日はやたらとミスが多く、ぼうっとしているのが周囲からも丸わかりみたいな状態で。やっぱり、壊した車が心配なのだろうかと巧が思っていたそんなとき。

 

「南條さん、今、良いかしら~?」

 

「龍田さん。どうしました?」

 

 シンナー臭い塗料に顔をしかめていると、いつの間にかに近くに来ていた龍田に話しかけられ。無理矢理笑顔を作りながら応対する。

 

「さっき演習が終わって、着替えで部屋に戻ったんです。そうしたら、私の携帯電話にこんなメールが来ていて」

 

「34の修理状況……?」

 

「事故を起こしてから、姉さんの車が町工場に運ばれていたみたいなの。私はそういうのが解らないから、どういう状態なのか、詳しい巧さんか摩耶さんに見てもらおうって思ったんです」

 

「なるほど。ん……画像が3枚貼られてきてる」

 

「大丈夫だと良いんだけれど……姉さん、あの車すごく気に入っていたから」

 

 巧は嵌めていた手袋を脱いで携帯電話を受けとり、画面をスライドして、メールに添付されていたファイルを開いてみる。

 

「…………ッ」

 

 何が「大したことない」だ。巧は画像に写っていた34Rの惨状に、唇を噛み締めた。

 

 フロントバンパーは恐らく全損したため外されたのだろう。インタークーラーが丸見えの状態で、ボンネットがくしゃりと丸まり、窓ガラスにも蜘蛛の巣状のヒビが入っている。さらに、助手席側のドアが外れていた。

 

 何となく事故の様子を映像として思い浮かべてみる。まだ雪が残っている山道の下りで、後ろから追突された34はあっけなくくるくると回り、そこから顔を壁にぶつけた勢いで、そのまま車体の側面を崖に叩きつけられたのだろう。そんな事故を起こした時特有な破損の仕方だった。

 

 ここまで車がダメージを負っているのに、天龍はよくあんな傷で済んだなと思う。でも彼女的には、自分の身と引き換えにしてでも車の破損は最小限に留めたかったのだろうな、とも考える。

 

「…………」

 

「南條さん?」

 

「非常に不味いですよ、これ」

 

「え」

 

「端的に言います。多分だけど、修理するとなると軽く100万は掛かるかな……これは。天龍って任意保険とか入ってました?」

 

「そりゃ、入ってるでしょうけど」

 

「あぁ……それならまだ救いでしょうか。でも人気車両で部品も少ないだろうしなァ、34って……」

 

 相当な修理費用を覚悟するべきだ、と伝えると、それを聞いた龍田の表情に影が射す。買ったばかりの車をそんな状態にされた天龍の事を考えて、また巧は段々と腹が立ってくる。

 

 会話の最中にも手を止めず、若干乱暴に地面のコンクリートのヒビに水溶きアスファルトを詰め込んで補修する、という作業を続けていると、今度は巧の携帯電話が鳴り始める。こんな時間に誰だと出てみると、相手は加賀だった。

 

「龍田さんちょっと待っててね。はい、もしもし? どうかしました雪菜さん、わざわざ電話越しに?」

 

『巧ね。今忙しくて手が離せなくて、少し頼まれてくれないかしら?』

 

「何か追加で仕事でしょうか?」

 

『察してくれて助かるわ。4時か5時頃から来客があるらしくて、その人の車の誘導と洗車をやってくれって提督が言ってたの』

 

「そうですか。わかりました」

 

『かなりのお偉いさんらしいから頼むわね。じゃあ、切るから』

 

「は~い」

 

 来客か。そういえば自分と元帥以外にここに来る人って、自分の知ってるなかだと初めてか。そんなことを考える。

 

 待たせてしまっていた龍田と、その後は特に大事でもない世間話を交わしてから別れて、巧は時計で時間を確認する。来客まではまだまだの14:30との液晶の文字に、また彼女は建物と地面の補修作業に戻った。

 

 

 

 

 あれから巧は、指定された時間までに、手際よく元の仕事を終わらせて暇を作っておいて。

 

 来客が来たときに対応しなければならないので、鎮守府では4時を越える時間帯で閉じる可動フェンスの前に立ち、そして何人の客が来るかまでは聞けなかったので、道路工事の作業員が持っているような誘導灯を持って相手を待っていた。

 

 ふと、道路がある方向から、戦闘機のエンジン音を低くしたようなうるさい音が聞こえてきて、反射的に視線がそちらに向く。

 

 ウインカーを点滅させながらこちらに来た車両を見て、彼女の全身に雷が落ちたような衝撃が奔る。

 

 アルティメイトシャイニーオレンジのR35型GTR。完全にここ数日で出回っていた噂の内容と一致する車だった。

 

 真顔のまま内心は唖然としていると、相手からクラクションを鳴らされ、慌てて巧はフェンスを開けて敷地内に車を誘導する。すると、運転席に座っていた金髪の女性から軽い言い掛かりをつけられる。

 

「ぼうっとしてないでさっさと誘導してくれないかな? こっちはあんたらみたいな暇人じゃないの」

 

「すみませんでした。あちらのロータリーを右に曲がって、建物に添って頂くと駐車スペースがありますので」

 

「あっそ。じゃあね」

 

 …………。なんだか性格キツそうな人だな。自分にも非はあったが、無愛想な物言いの相手にそんな感想を抱く。

 

 念には念を入れて、一応マコリンとガサ入れしてみるか。

 

 例のドライバーと車は同じだけど、流石にそれだけで同じ人間とは断定できないと考えて……巧は取り出した携帯電話を摩耶、那智、天龍に繋いだ。

 

 

 

 

 来客の女性が助手席に乗せていたもう一人と鎮守府に入っていったのを確認してから、早速巧と那智は車の仕様の確認に入る。摩耶と天龍は少ししてから来るとのことだったので、先に観てみることにする。

 

 結果は、限りなくあの女はクロに近いということが解ってしまうのだった。

 

 フロントのナンバーは風圧で可動するタイプで、後方のナンバーも摩耶が言っていたバネつきの蝶番で羽ね上げる仕組みが付いていたのだ。何を言われても言い逃れできないグレーな部品たちに、2人は頭を抱えた。

 

 最近悪名を轟かしている当たり屋が鎮守府の、それも加賀からかじった話ではかなりの高官職の人間だなんて。変な偶然があるんだな、と思う。

 

 遅れてやってきた摩耶と天龍に結果を話すと、やはりというべきか。摩耶は3日挟んでもまだ怒りが収まらないと吐き捨てた。

 

「フザケんじゃねぇ、この車今から潰してやろうぜ!」

 

「やめとけよ、流石にまだ決まった訳じゃないんだから」

 

「そんな訳ねーだろうが、どこの世界にアイツと色から改造まで同じクルマに乗ってるクズが居るんだよ!」

 

 腕を振り上げて車体に肘鉄をやろうとした親友を、慌てて巧が羽交い締めにして抑える。

 

「やめなってマコリン! 那智さんのいう通りだと思うし」

 

 

「だれがクズだって?」

 

 

 少しずつわちゃくちゃしてきた現場に、女の声が響いて、その場にいた全員の視線が移る。居たのはGTRの持ち主だった。

 

 いくらなんでも戻ってくるのが早すぎないか? と巧が思っていると。続けて彼女が口を開く。

 

「近付かないでくんないかな貧乏人。バッチィから」

 

「なんだとォ!? 誰彼構わず人様のクルマにぶつけやがって!」

 

「はぁ? つか誰お前?」

 

「忘れたとは言わせねェぞ……アタシがそこのスープラで箱根走ってたときにぶつけてきたの、テメェだろうが!!」

 

「……あぁ、アレか」

 

「ッ!」

 

 完全に相手は噂のドライバーだと判明して、とうとう我慢していた摩耶の怒りが爆発し、そのまま相手に殴りかかる……前に、今度は巧に更に天龍が加勢して彼女を止める。

 

「やめてくださいよ、摩耶さん」

 

「フザけんなよ……こっちは一歩間違えれば、怪我で済まなかったかもしんねぇんだぞ!」

 

「冗談でしょ、アレあんたらが悪いんじゃんか」

 

 「おー怖い怖い」。相手をナチュラルに煽りながら、彼女は涼しい顔でべらべらとご高説を垂れ流し始める。 

 

「前を走ってんのがあんまりにもヘッタクソなもんで、どいつもコーナー遅くてさ、この車のパワー有り余って、つい煽っちゃっただけでしょ?」

 

「……そうかよ」

 

「こっちは普通に追っかけてただけなのに、勝手にパニックブレーキでとッ散らかってドカン。やだねェ、下手は目障りだから車乗るなっての」

 

「……謝れよ。こっちのやつなんてな、てめぇのせいで車壊れたんだぞ」

 

「やだね。証拠あんの? 私がぶつけたって。無いのにこんな言いがかりつけてきて、名誉毀損と恐喝で訴えられたいの?」

 

「ッ!」

 

 こちらをナメ腐ったかのような態度で悠々としている相手に、言い返す言葉がなくなり、摩耶が悔しさに体を震わせる。意外だったのは、天龍が何も言わず、ずっと黙っていたということだった。

 

 残念ながら、いまは何も出来ないので引き下がることしかできないと判断して摩耶は車から離れる。ムカつく女は何かブツブツ文句を垂れながらR35に乗り込んだのだが、行動がいちいち癪に障る奴だ、なんて思いが全員の頭に浮かんでいたときだ。

 

 もう一人、用件を済ませたと思われる彼女の連れの男性がやって来て、巧たちの目線がそちらに向く。

 

 摩耶以外の全員が固まる。居たのは、これも何の偶然なのか。天龍が前にデートした谷本だった。

 

「なっ……」

 

「!!」

 

 天龍の顔から表情が消えた。呆然としていた彼女の隣を、苦い顔をしながら彼は素通りして、オレンジのR35の助手席に座る。

 

 色々な事が一編に起こりすぎて、みんな意味がわからないまま……派手な色の車は、そのまま夜の闇に消えていってしまうのだった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「そんな事が……大変ね、彼女も」

 

「私は許せないですよ。あの女も……天龍をたぶらかしたあの男も……! 絶体アイツが誘導して女の遊び相手にしたに違いないじゃないですか。」

 

 時刻は同日の夜9時頃。溜まった書類を片して来て、気分転換と軽い運動に、夜風に当たりに来たという加賀と、巧はベンチに座って話をしていた。

 

 飲み終わった缶コーヒーの容器を握り潰し、眉間にこれでもかとシワを寄せて、女性がやってはいけないような形相になりながら巧は口を開く。

 

「どうにかして警察に突き出せないかな……あのオンナ」

 

「難しいんじゃないかしら。当て逃げは立証が難しいと言うし」

 

「全く、箱根中を警察が巡回していればいいのに」

 

 体中に怒り心頭! といった様子の彼女に、少しばかり加賀が引き気味に話題を合わせる。そのとき、こんなに夜遅くに、門がある方向から、来客を知らせるブザーが響いてくる。

 

 何だ? 不審者? と2人がフェンスがある方向へと駆けていくと。そこには、静かなアイドリング音を発している銀色の小型車が居た。

 

 非常に独特なスタイリングのデザインの車に、加賀が声を少し荒げた。少し前に見たことがある車だったからだ。

 

「………! この車!」

 

「知り合いなんですか?」

 

「前に山道で追い掛けてきた車、アレよ。……何しに来たのかしら」

 

 アポなしの客は、門が閉まってからは簡単に入れるなという事なので、乗っている人間の身分確認のために、2人は人一人が横向きでぎりぎり通れる隙間から外に出て、車のドアを叩く。

 

 小さなスポーツカーから、今日巧が会ったオンナと似ている、金髪のほっそりした女性が降りて。前に彼女を見ていた加賀が、相手に今日は何をしに来たのか、と尋ねた。

 

「まさかここまで来るとはね。こんな遅くに何の用かしら? 行っておくけど、今度こそレースはしないわよ」

 

「そういうのじゃないんだ。今日は」

 

「…………?」

 

 バケットシートに交換された車の助手席から、3つほどの紙袋を引っ張り出してきて。彼女はこう言った。

 

「お見舞いに来たの。ここの天龍さんの。箱根のGTRに事故らされたって、聞いたからさ」

 

 

 

 

 




35の女と谷本の関係。そして更に島風との関係とは。次回をお楽しみに。

オマケ 長らく不明描写にしていた島風の車です。知っている人は居るかな? 因みにかなりレアな車です。

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遭遇

オーバーレブ! という漫画を読んでました(更新遅れた言い訳)
では、ドゾ


 

 

 夜遅くにやってきた相手を、1度車ごと門を通して敷地内に案内し。加賀は、何だか含みのある発言から、胸の中に色々と溜め込んでいそうな彼女に会話をふっ掛けてみる。

 

「お見舞い、ね。わざわざ貴女一人で?」

 

「来ちゃダメだった? なら、これ、持ってきたお菓子と果物だけ置いて帰るけど。迷惑だったら受け取らなくてもいいし」

 

「……一応貰っておく。ありがとう。多分彼女も喜ぶわ」

 

 「どういたしまして」と可愛らしい笑顔を向けてきた相手に無意識に2人の顔が綻ぶ。邪気の欠片もない表情に、巧はさっきのオンナとは大違いだな、と思う。

 

 気を取り直して、次に巧が口を開く。見舞いに来たとは言うが、なんで彼女がこんなに、こちらの詳細を知っているのかが疑問だったからだ。

 

「艦娘の島風さんでしたか。あの、なんでこっちのこと色々知ってるんですか?」

 

「ちょっとなんやかんやあってさ、仕事でこっち来てるうちにね。近くでビジネスホテル取って35について調べてたら、仲間から連絡入ってきて」

 

「仲間……?」

 

 巧が頭上にクエスチョンマークを浮かべていると、島風が着ていた服の内張りから名刺を取り出して、2人にそれぞれ手渡す。ラミネート加工されたカードには彼女の本名なのか、「土屋 恵美(つちや めぐみ)」と書いてあって、すぐ隣には、意味がわからなかったが「Like a RR 代表」と彼女の車に施されたステッカーと同じ文字がプリントされてある。

 

「何て言うのかな。私は艦娘以外の仕事もやってて、そっちが本業っていうか……自動車評論家っていうのかな。そういうので、あのオレンジの35Rを追いかけてるんだよね」

 

「それで情報収集してるうちに、私達の鎮守府に辿り着いたということね」

 

「そういうコト。……ゴメン、喉乾いたんだけどそこの自販機って使っていいの?」

 

「へ? あ、いえ、いいと思うけど……」

 

 島風の天然っぽい話し方で肩透かしを食らって、少し動揺しながらと加賀が質問に答えると、彼女が財布を片手に自動販売機に歩いていくのをしばし眺めてから。加賀は島風が乗ってきた車に目を戻す。そしてこれが何なのかを巧に聞いた。

 

「巧。ずっと気になっていたんだけど、これ何て言う車なの?」

 

「スマート・ロードスターですね。それのクーペかと」

 

「ロードスター? マツダの?」

 

「違います、ドイツのメーカーが出してる車ですよ。RR駆動の、軽自動車のポルシェみたいなもんですよ」

 

 知らないのも無理はないよなァ、と説明しながら巧は思っていた。というのもこの車両、運転をほとんどしない人なら、人生で1度も見ずに終わることがザラにあるようなぐらいの希少車なのだ。事実、巧も見るのは目の前のこれを含めても2回かそこらだ。

 

 外装はオプションで選べるエアロだけ……と思いきや、はかれていた赤いホイールに彼女の目が釘付けになる。フォージアート製の、4本で百万円近くするお値段の高級品だ。ひえぇ、と思わず声が出る。

 

 2人が雑談をしていると、エナジードリンクのビンを片手に島風が戻ってくる。

 

「どうしたのそんなにジロジロ見て?」

 

「珍しいなって思って。スマートってそんなに居ないから」

 

「やっぱりそう思う? 結構気に入ってるよ、他人と被ることほとんどないし。まぁ2台目の車なんだけどね、1台目がアイツに潰されて」

 

「えっ」

 

「有名なんだ、R35のアイツ。気に入らないって思った車に、文字通り物理的にプッシュして事故らせる。しかも相手にドライブレコーダーのあるなしや、警察の張る場所も頭に入れてからやるから、どれも証拠不十分で逃げ切ってるってワケ」

 

「………姑息な奴ですね。車から引きずり出してやりたいですよ」

 

「気持ちは解るよ。でもそんなことしたら、犯罪者はこっちになっちゃうから、難しい所なんだよね」

 

 車体にステッカーボムが施された箇所を手で触りながら、思い出を話すように島風が言葉を並べていく。どうやら、例のドライバーと並々ならぬ因縁がありそうだ。

 

「知ってる? アイツも実は艦娘島風なんだ。」

 

「貴女と同じ艦娘なの?」

 

「そう。スマート乗る前はポルシェのボクスターに乗ってたんだけどさ。アイツにぶつけられておじゃん。まだ下手だったから逃げ切れずに崖にグチャッと」

 

「そんな……」

 

「スゴく悔しかった。だから死に物狂いで練習したんだけど、流石にロードスターじゃあね……馬力が違いすぎて勝負にならないのが頭痛の種かな」

 

「馬力って……貴女上手なんだから、あれぐらい」

 

「150馬力のコンパクトで700馬力オーバーのRに、かい? 流石に無理があるかな」

 

 「150馬力!」と思わず加賀は声を挙げたと同時に、改めてこの女の実力を思い知った。FCの馬力は290で、ほとんど倍なのにも関わらず、この間は煽られて抜かれたのだ。凄いと認識せざるを得なかった。

 

 それからも何分か話したあと、彼女は「明日も用事があるから」と言って愛車に乗り込み、綺麗なスピンターンで路面にドーナツマークを描いて去ってくのを、2人は見送る。

 

 「これ以上の犠牲者が出る前に、あの人の垂れ込みでGTRが捕まるといいんだけれど……」 加賀の発言に、巧は無言で頷いておいた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「Like a RR……!?」

 

「どうしたの、そんなに驚いて?」

 

「この人、海軍お抱えのプロのレーサーさんですよ! 普段は艦娘さんですけど、パレードショーとかにほぼ皆勤で出てるチームです」

 

 翌日、久し振りに机仕事ではない、海上に出る警備に出ていた加賀が、貰った名刺を夕張に見せると。彼女はオーバーアクションで身ぶり手振りを使って、そう言う。

 

 軍が雇ったプロのレーシングドライバー? そんな話は聞いたことがないぞ、と思って、その点を踏まえて1歩踏み込んで質問をする。

 

「なんで軍にプロドライバーが? 初耳だわ」

 

「イメージ戦略ってやつですよ。最近は艦娘ってメディアの露出も多いじゃないですか」

 

「あまりテレビは観ないけれど、そうらしいわね」

 

「その一環ですよ。こう、空母の甲板に設置した特設コースを使って、海上でドリフトするパフォーマンス集団ですよ」

 

「ふ~ん……」

 

 まさか車に関する職業の専門だったとは……なら、競争なんてやったって、負けて当然か。

 

 何週間か前のヤビツ峠での出来事を思い出しながら、加賀は矢につがえた弓を放つ。飛んでいったそれらは、一定の飛距離を挟んだ後に、ぼうっと光ってプロペラ機に変形し、編隊を組んで飛んでいく。

 

 無駄話に花を咲かせて職務怠慢にならないように、としっかりと口を動かしながら体も同時に動かし。加賀は頭に浮かんでくる気になった事を、その方面の知識が豊かな夕張に次々とぶつける。

 

「でもどうして車で宣伝? 艦娘のアピールなら、それこそ艤装からカラースモークでも焚きながら編隊航行すればいいじゃない」

 

「ウワサじゃあ、深海棲艦の影響で停滞した自動車産業からの泣きのリクエストを聞いたんだとか」

 

「へぇ?」

 

「今はもうほとんど深海棲艦への対処法って確立されてますけど、昔はもう、天災だー、この世の終わりだーなんて騒がれていたみたいですし」

 

「…………」

 

「それで、産業関係者が「まだまだ日本は元気だ!」 ってカラ元気振り撒くために、古いスポーツカーを引っ張り出してきて、軍のパレードっていう仕事を、車関係の仕事してた人たちにあげたのが始まりだって。で、それが今でも残っているんだと」

 

 夕張の話を聞き、学生時代に読んだ教科書の内容を頭に思い浮かべる。実際にその年代を生きたことは無いが、加賀がまだ生まれてすらない頃は、一時期は完全に敵から海上封鎖を食らっていた、という話は知識として持っていた。

 

 回りで火器を構えていた艦娘たちと、警戒体勢を解かずにいながら夕張と会話を続けていると、海中から勢いよく何かが飛び出す。慌てて何事かと数名が砲口を向けたが、居たのは、前に戦艦水鬼が引き連れてきた味方の深海棲艦だ。

 

 ホラー映画の女幽霊のような姿の彼女に、軽いため息をつき、全員が銃口を別の方向に向け直す。

 

「警戒ご苦労様。どうだった?」

 

「四方八方どこを見ても、魚以外何も居ないぞ」

 

「お疲れさま。あと一時間で交代らしいわ」

 

「承知した」

 

 無表情のまま、すぐにまた海の中に姿を消した彼女に、加賀は軽く手を降って別れる。

 

 深海棲艦の全部が全部、話が通じるようなら、この仕事は無くなるのかな。そんな考えが、ふと頭によぎった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 同じ日の午後10時頃に、巧は天龍を連れ出して、もうすっかり慣れた道のヤビツ峠に来ていた。目的は、ボケが始まったようなテンションの彼女のケア、といったところか。

 

 相変わらずのくねくねとした狭い道を緩い速度で流しながら。巧はちらりと隣の天龍の様子を見てみる。映画でよく見る、上京するのに電車に乗りました~みたいな、頬杖ついて窓から外を見る体制で彼女はボンヤリしていた。

 

 龍田さんからどうにかしてくれと言われて連れてきたけど……。重い……! 空気が重いよ……!

 

 そんなことを思って、額を脂汗で濡らしていたところ。ひとつ思い付いた巧は、隣の女に話題を振ってみる。

 

「天龍さ、ちょっと聞いていい?」

 

「……? 何を、すか?」

 

「ノブテル? さんだっけ。デートってどこそこ回ったの?」

 

「美術館と、前にみんなでパン買いにいった所の近く、だったかな」

 

「ふ~ん……」

 

 展望台の横を通り、広い道に出た辺りで、巧は一番気になっていた事を聞いてみた。

 

「あのさ、どこまでいったの?」

 

「へ?」

 

「その、AとかBとかCとかいうやつ……」

 

「……行ったのは」

 

「行ったのは……!?」

 

 

「だから美術館行ったって今言ったじゃないすか」

 

「 」

 

 なんじゃそりゃあ!?

 

 巧はズッコケて、白目を剥きながらダッシュボードに突っ伏する。連動するようにGC8はぐわんぐわん蛇行し始めた。

 

「わぁー!? 巧さん、前!! 前!!」

 

「フゥーーッ! そうじゃなくて、ほら、チューしたとかしてないとか……」

 

「……? ちゅーしましたよ?」

 

「何ィ!?」

 

「ぎゃぁぁぁ!? 巧さん前見てえええぇぇ!!」

 

 は、ハタチで、しかも初めて付き合った人とちゅーしたのん……シンジラレナイ……死にたくなってきた……。

 

 何の気なしに自分から言ったことだったが、予想外の返答に、頭の中が空っぽになった巧は機械的に車を運転する。今の今まで男性経験がほぼゼロに等しい彼女には刺激の強い話だった。

 

 売店がある場所でUターンに入り、今度は山を降りていく。動悸がドーキドキでキューシンが欲しくなるメンタル状態のまま、更に巧は会話を続ける。

 

「ちゅ、ちゅーってさ、なんでそこまでハッテンしたん?」

 

「2人でメシ食いに行ったときに、顔にご飯粒付いてますよって」

 

「付いてますよって……?」

 

「ほっぺたにキスされ……」

 

「はああぁぁぁぁぁ!!??」

 

 あのクソ男、天龍のジュンジョーをタブらかしたのか? 許せん、絶対に許せん、R35の女と一緒に地獄に落ちれば良いのに……

 

 なんだか盛大な勘違いをしたまま、ドライブは続く、そんな時。背後から1台追い上げてくる車に、巧が気付く。

 

「………?」

 

「どうかしたんすか?」

 

「1台来るよ。すごい速さで」

 

「え………」

 

 今の状況にトラウマが蘇ったのか、天龍の表情が曇った次の瞬間、背後の車はリアバンパーに軽く追突してくる。

 

「「………!!」」

 

 街灯に照らされた車は、今丁度巧が思い浮かべていた、オレンジのGTRだった。

 

 「なんでここにアイツが……」 隣で震える天龍に気づいているのかいないのか。巧は2速にシフトを戻しながら、独り言みたいな声量で呟いた。

 

「上等じゃん……天龍、飛ばすよ!」

 

「本気で言ってます……?」

 

「嘘言って何になるのさ。ちょっと本気だそうかな」

 

 ウワサの当たり屋が、車に頼った下手か、本物なのか。見極めてやろうか、なんて気持ちで、巧のハンドルを握る手に力が入る。

 

 いい機会だし。天龍の敵討ちも一緒に、ぶっちぎってやる。

 

 巧は床を踏み抜くぐらいの力でアクセルをグッと踏み込む。それに答えて、インプレッサの心臓部が唸りを挙げた。

 

 

 

 




ステッカーボム→大量のステッカーで車体の下地(塗装)を埋め尽くすというステッカーの貼り方。日本よりも海外で人気のドレスアップ。

短くてスンマセン。次回は明日になります。 ノシ



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泣き言はナシで

予告無視ってすいませんでした。最近思い通りに時間が取れぬ


 

 

 

 

 夜の山道にスポーツカーの重低音サウンドが響き渡る。先頭は巧と天龍が乗る白のGC8、後続は嫌みなあの女のR35という隊列で、ローリングスタートのバトルが始まる。

 

 巧がシフトレバーを2速に入れた途端に、タコメーターの針は8000回転を指し示し、車内にエンジンの悲鳴が反響する。右手をハンドル、逆の手をレバーに添えたまま、彼女は天龍に向けて口を開く。

 

「ごめん、天龍。これから先何が起こっても私は責任とれないカモ……良い?」

 

「だ、大丈夫っす!」

 

「よし!」

 

 その答えを待ってました!

 

 乗っていた車は10年間共に人生を歩んだ愛車。そして走っているのはほとんどホームコースといっていいほどに回数を重ねて走った峠道。巧が背後の相手に負ける要素は無い。

 

 ずっと彼女の手足の一部として動き続けてきたインプレッサのコンディションが、巧には自分の体の事のように感じることが出来た。

 

 濡れたアスファルトの路面状況、タイヤの磨耗具合から、窓の外の状況までが、この車越しになら理解できた。そのまま読書でもやるようにリラックスし、アクセルを開けっぱなしのままコーナーに飛び込んでいく。

 

 ブレーキもステアリングの舵角も最小限で、目を覆いたくなるような速度で崖っぷちまっしぐらに突っ走る車に、天龍の顔がひきつる。曲がれなさそうで曲がる、止まれなさそうでしっかりと止まる。そんな挙動を見せるインプレッサに、彼女は驚きっぱなしだ。

 

「…………ッ!」

 

「……!?」

 

 限界まで巧は車体をガードレールや石造りの壁に寄せていく。書道の半紙が挟まるかどうかという隙間しかないインカットのしすぎで、フロントが草や壁を掠め、タイヤが雪溜まりに乗り上げても、彼女は気にしないでひたすらペダルを踏む。

 

 常軌を逸したハイペースで白いインプレッサは後続車から逃げていく。それは車間距離にも現れ始め、なんと彼女の車はセンターを割っていないにも関わらず、35Rを引き離していた。

 

「後ろの車、どう?」

 

「は、離れていってる……」

 

「そ! じゃ、もう一丁!」

 

 唖然とした表情のまま、前後左右に揺られている隣の女に一瞬ウインクする余裕まで見せながら。巧は更にペースを上げて後続を振り切る動きに入る。天龍には、もう悲鳴を挙げる元気は無かった。

 

 馬力の差は軽く見積もっても3倍近い相手を、こうも軽くチギれるドライバーの力量に……ただただ感心するというか、呆れるというか。それすら通り越して、天龍はこれは夢なのでは? とすら思い始めていた。

 

 

 ……いや、夢じゃねこれ? なんで箱根でもないのにアイツが居るの?

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「!!」

 

 2月の、体の中に染み込んでくるような寒さに、天龍は勢いよく布団を吹き飛ばして睡眠から覚醒する。どうやら見ていたのは本当に夢だったらしく、回りを見ても目に入ってくるのは鎮守府の宿舎の壁と天井だけだ。

 

「…………」

 

 当たり前か。箱根じゃないのにアイツが居るわけないし……でも、どこからどこまでが夢だったのだろうか……。

 

 一旦起こした上体をまた布団に戻し、枕元に置いていた自分の携帯電話の電源を付けて時間と日付を確認する。もう昼の12時で、端末内の電子カレンダーの今日には、デカ絵文字で「デート休み!」と表示がある。

 

 そう言えば、無理を言って休みにしてもらったんだっけ……。休日返上で働く気も起きねーし、1日中寝てようかな……。

 

 死人のように精気の抜けきった顔で、枕に顔をうずめる。が、彼女の頭の中には、夢で見た巧のドライブやら、事故ったER34の事やら、あの女の35Rに谷本が乗っていった事やらが浮かび、頭が冴えてきて寝れる状態にはならなかった。

 

 同時に、なぜ今日は自宅ではなく鎮守府に寝泊まりしているのかも、布団の近くに捨ててあったゴミを見付けてだんだんと思い出す。溜まったストレスの解消にタバコでも吸おうかとしたが切れていたので、徒歩で近くのコンビニまで歩き、夕方辺りから酒を買ってきて、夕食も摂らずに部屋でやけ酒をしたのだ。

 

「…………」

 

 かつてないほどに脳内が真っ白だ。何もしたいことが無いし、何もする気力も起きない。

 

 寝そべりながらそんな事を考えていた時だった。唐突に携帯電話の着メロが大音量で部屋に鳴り響く。

 

「……ンだよ、うっせぇな…………」

 

 有給の取り消しじゃないだろうな。ならしらばっくれるか……。

 

 目やにでベタつくまぶたを開けて、渋々画面を覗いた天龍の顔と脳が、一瞬にして覚醒する。

 

 相手は鎮守府の人間ではなく。谷本からだった。

 

 

 

 

「大丈夫かしら。今の天龍は」

 

「さぁ、どうでしょう。私からは何とも」

 

 ちょうど天龍が起床した時間に、巧と加賀は島風と話をした場所にたまって談笑をしていた。

 

 ベンチに腰かけて、昼休憩に全員に渡されたお握りを口にしながら、加賀が続ける。

 

「龍田から聞いたのよ。昨日は夜ご飯食べなかったそうじゃない?」

 

「らしいですね。ちょっと酒くさかったから、やけ酒でもしたんじゃないでしょうか」

 

「ふ~ん……貴女、あの子を昨日ドライブに連れていってたけれど、他に何かなかったの?」

 

「キスしたって言ってましたよ。お相手さんと」

 

「……!? その割には、こう、恋愛的なパッションとか感じられないけれど……」

 

「ですよね。私もよくわかんなかったんですよ。なんか、天龍のやつぼーっとしてて」

 

 2人ほぼ同じタイミングで、仲良く特大のため息をはく。このまま精神的に疲労して、体でも壊したらどうしようか? 考えている事は天龍が心配だ、という点で一致していた。

 

 実のところ、天龍が見ていた「夢」というのは全てが全て夢という訳でも無かった。「巧が谷本との関係を聞き、背後から追い掛けてくる車が居た」まではれっきとした事実で、そこから先は助手席で眠りに着いた彼女の空想、という訳だ。

 

 ちなみに、追い掛けてきた車というのはただの軽トラで、巧は昨日は普通に道を譲って帰路に就き、寝ていた天龍を起こさないようにお姫様抱っこして部屋に運んだ、というのが現実だ。

 

 昼食を食べ終わり、巧は服に落ちた海苔を払って落とし、加賀は水筒に入れたお茶を飲んでいると。少し離れた場所から、こちらに向けて小走りで近づいてくる人物が目に入る。話題に出ていた天龍だった。

 

 確か今日は彼女は休みの筈では? とお互いに思っていると。少し息切れを起こしながら、天龍は口を開く。

 

「すんません、巧サンか加賀サン、お願いがあるんすけど……」

 

「「…………?」」

 

「クルマ、貸して貰えないすか」

 

「どうしてまた……? マコリンとかに言えばいいのに」

 

「摩耶サン今日居ないって聞いて、じゃあ頼めるのはお二人方しか居ないと思って」

 

 あ、そう言えば代車を帰しに行くって行ってたっけ。天龍の言葉に、親友が今日はここを留守にしている事を巧が思い出す。

 

 「車使ってどこに行くつもり?」と加賀が聞く。相手の返答に、少しばかり2人は凍りつく。

 

「谷本さんに呼ばれて……」

 

「「……!!」」

 

 あんな酷い事しでかした女と一緒に居たアイツから? 幾らなんでも危険だ。罠か何かで、誘い込まれて何かされたら……

 

 少し怒りっぽく見える真顔で、巧は思わず立ち上がって口を動かす。発した声が震えていたのは、自身でも気付いていなかった。

 

「あの女の取り巻きだったヤツだったんだよ? なんで……」

 

「わかったわ。カギどこに仕舞ったかしら」

 

「雪菜さん!?」

 

「天龍の問題なんだし、私たちが首を突っ込む事は無いんじゃないかしら?」

 

「………ッ」

 

 近くに置いていた自分の鞄からFCのキーを出し、加賀は相手に手渡す。天龍は、深くお辞儀をすると、全速力で走って行ってしまった。

 

 なんで疑問も何も持たずに加賀さんはキーを渡したんだ?? 巧が大量のハテナを頭に思い浮かべていると。加賀は、口に付いていた食べ終わったおにぎりの米粒をその辺に捨て立ち上がる。

 

「さて。仕事に入りましょうか。巧、運転お願いね」

 

「え」

 

「今から天龍を追うわよ。ホラ、急いで」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 古い車のせいなのか、アクセルもクラッチも、果てはハンドルまで操作が重たいFCに苦戦しながら、天龍は市内の森林公園へと車を走らせていた。

 

 夏ならセミやカブトムシが貼り付いていそうな木々が生い茂る道を、ゆっくりと流していき。谷本が約束した待ち合わせ場所の、氷が張った大きな池が見える駐車場に着く。

 

 車から降りて地面に立つと、天龍は近くにあった小屋についていた時計を観る。どうやら待ち合わせ時間の10分近くも前に着いたらしい。暇だったが何もすることがなかった彼女は、FCのドアに寄りかかり、黙って彼を待った。

 

 たった数分かそこらの待ち時間が、冗談抜きで1年ぐらいの長さに感じられた。そんな天龍の耳に、聞きたくもない特徴的なエンジンサウンドが入ってくる。首を動かすと、オレンジ色のR35がゆっくりとこちらに来ていた。

 

 意図せずして表情が硬くなる。眉間にシワが寄り、誰が見ても不機嫌そうに見える顔で、車から降りてきた谷本にガンを飛ばしながら彼女は呟く。

 

「用ってなんです。谷本さん」

 

「その……車、直ったんですね」

 

「直ってません。これは知り合いのだから……からかってるんなら、俺はもう帰りますよ。さよなら」

 

「からかってなんかいないです!」

 

「…………」

 

 長話になりそうだ。お互いにそう思い、二人は小屋の隣にあったベンチに座ってから話を続ける。

 

「俺は見てました。あの女のその車に乗る所も……その車に乗って俺を追いかけ回して来たときも」

 

「…………ッ」

 

「そんなスゴい車を持ってる人が彼女で良かったですね。俺が事故るのが見たくて、わざわざワナ貼ったんでしょう」

 

「違います!」

 

 いきなり大声を挙げて、手を握ってきた相手に。天龍は力任せにそれを振り払うが、彼は感情を込めて声を出す。

 

「本当の事を言わないと、と思って呼んだんです。今日は仕事もないから」

 

「本当の事?」

 

「自分は、鎮守府の整備士をしてるんです。島風さんとは、住んでた地元が同じだからよく喋るだけで、それ以上の繋がりは無いんです」

 

「…………」

 

「あの人の話には、正直うんざりしてたんです。今日も箱根で事故を起こした、誰を突っついたなんて犯罪紛いの事を楽しそうに……」

 

 どうせ嘘だろう。最初はそう思っていたが、彼の表情は少なくとも天龍には真剣そのものに見えて。少し信用しようかとの考えが浮かび始める。彼は続ける。

 

「私は彼女を止められるような人を探していたんです。バトル? でしたか。車の競争で負ければ、きっとこんなことからも手を引くと思って」

 

「……続けて」

 

「そして私は決めたんです。天龍さん、お願いがあるんですが」

 

 椅子からゆっくりと立ち、こちらを見下ろしながら。彼は言う。

 

「貴女の鎮守府には、すごく運転の上手な女性が居ると聞きました。その人を、あの人にぶつけてほしいんです」

 

「……そんなこと言われたって」

 

 

「それが出来るなら、俺は仕事を辞めて貴女とお付き合いしてもいい!!」

 

 

「  」

 

 いきなりすぎる男の告白宣言に。天龍は口を開けたまま、数秒間固まった。インターバルを挟んでから、彼女も立ち上がり、相手と同じ目線で話をする。

 

「ちょ、ちょっと待ってください! いきなりそんなこと……」

 

「俺じゃあ駄目ですか!?」

 

「そうじゃなくて……! あの人は俺の友達みたいな人だから……そんな取引みたいなコトは……」

 

 ……そうか。そうだったのか。当たり前だ、こんなに人も出来ているいい人が、たかが1度デートしただけで自分と気が合うだなんて、ただの幻想だ。……目的は俺じゃない。元々巧さんに近付く口実作りのためだったんだ。

 

 相手の突きつけてきたリクエストに、しどろもどろになりながら、脳内にはそんなネガティブな考えが充満する。これもまた数秒のクッションを挟んでから、天龍は返答する。

 

「…………。わかりました。出来うる限りで話をしてみます」

 

「本当ですか!」

 

「勘違いしないでください。俺は別に見返りが欲しくてやるんじゃない。貴方の事が嫌いじゃないから、個人的に動くだけだから……」

 

「…………ッ」

 

「さようなら」

 

 強引に話を切り上げると、天龍はそのままFCに乗り込み、若干乱暴な運転で駐車場を抜けていく。

 

 バックミラーに映った谷本の顔が、どこか寂しそうな表情だったのは、彼女は気付いていなかった。

 

 

 

 

 無心で天龍はFCのアクセルを踏む。森林公園の中央部からその出口までは、道のりでほんの2kmほどだが、永久回廊のように感じられた。

 

「…………」

 

 返事はあれで良かったんだ。もう合うことも多分無いだろうし、多少そっけない程度がちょうどいい。……なのに、この心苦しさはなんだ。

 

「…………クソッ」

 

 ハザードランプのスイッチに手を伸ばし、急ブレーキを踏んでその場に停車する。ハンドルに両肘を乗せて突っ伏しながら、天龍は物思いに(ふけ)った。

 

 まだ鎮守府に来たばかりの事を思い出す。気に入らないヤツには片っ端から暴力を振るい、提督を勤める緒方の指示には満足に従いもしなかった。これは、そんな悪徳を積みまくった自分への、神サマからの天罰だろうな。そんなマイナス方向の考えばかりが頭を支配していく。

 

「いいんだ……ノブさんがこんなことで幸せになれるなら……これでいいはずなんだ……」

 

 独り言の単語と単語の間に嗚咽が混じる。自分でも訳がわからないうちに、彼女は涙を流していた。

 

 

 いいんだ……たとえ勘違いだったにせよ、短い間だったにせよ。俺は、あの人に惚れていたんだ。ツイてない女の、たった、それだけの事なんだから……

 

 

 涙が枯れて、軽い目眩まで起きるぐらいに、天龍はそのまま車内で泣き腫らす。この日の昼頃の天気は、彼女の心境とは裏腹に、腹が立つほどの快晴だった。

 

 

 

 

 

 




本格的なカースタントまで秒読み。多分次回からバトルまみれっす。


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プリーズ・メディスン!

色んな謎の種明かしになります……が、トンデモ理論が多いので薄目で読み飛ばそう!(白目


 

 

 

 隠れてこっそりと天龍の後をツけていた、巧と加賀の乗るインプレッサの車内の空気は、とてつもなく重いものになっていた。

 

 彼女が公園で何かされたら、すぐに飛び出して男をボコ殴りにしようかと作戦を立てていたがそんなことは起きず、道なりに帰ろうとするFCを追いかけたところ。急に停止した相手に、巧はドキッとしたがそれを追い越していた。

 

 そのときに、2人は車の中で泣いている彼女を、しっかりとその目に焼き付けていたのだ。

 

「「…………」」

 

 なんで天龍は泣いていたのか。脅されたのか? フラれただけ? それとも……。色んな憶測が思い浮かぶが、巧はそれは後回しに、ずっと加賀に聞きたかった事を話題として振ってみる。

 

「加賀さん。あのオレンジの35の女って、艦娘島風なんですよね。どんなやつなんですか?」

 

「……?? どんなって、それは、まぁグレーゾーンを行っている当たり屋じゃない」

 

「そうじゃなくて。スマート乗ってる方の島風……土屋さんだっけ。あの人が、デカイ権力を持ってるとか言ってたじゃないですか。これだけ周りに被害出していて捕まらないなんて、信じられないと思って」

 

 あぁ、と加賀が巧の疑問の意味を理解して声を出す。少し考え事をする仕草を見せてから、彼女は再度口を開いた。

 

「聞いても驚かない?」

 

「まさか正体は深海棲艦だとか!?」

 

「それは貴女でしょう。そうじゃなくて……そうね、撃沈艦の数が合計で500を越える、と言えば凄さがわかるかしら」

 

「500……結構な数だと思いますけど、雪菜さんはどれぐらいなんですか?」

 

「65と少し、って所かしら」

 

「わお」

 

 下手くそな口笛を吹きながら、ゲスな癖に仕事はできるヤツなんだな、なんて巧が思う。加賀は携帯電話に入っていた資料に目を通しながら続ける。

 

「彼女、なかなかな経歴ね。撃墜勲章は合計で10を越える数を授与されているし、作戦での功績もトップクラス。今のところ、艦娘全体を通して最上位レベルのお給料貰ってるそうよ」

 

「へぇ……」

 

「……しかも元帥お墨付きのエースみたい。土屋とか名乗った彼女が、この程度の不祥事は簡単に揉み消せるなんて言うはずだわ。」

 

「……変ですよね。なんでそんなエリート街道まっしぐらなのに、こんなチンピラ紛いの事をしてるなんて」

 

「…………。巧って、三国志知ってるかしら?」

 

「三国志?」

 

 なんでいきなり? 話を脱線させるのか? と思った巧の表情が怪しくなる。

 

「どうしましたいきなり。えと、名前だけなら……ソーソーとかリュービの話ですよね」

 

「合ってるわ。ちょっと頭に浮かんだ小噺(こばなし)があるの」

 

「小噺?」

 

劉備(りゅうび)の居た国に、魏延(ぎえん)っていう人が居たんだけれど、とても強くて、劉備の親衛隊をやっていた武将なの。今で言えば大統領を守るエリートSPって所かしら」

 

「…………」

 

「でも、彼の最後は、上司の言うことを聞かないで暴走したせいで、裏切り者として味方に殺されてしまうの。そのときに、後世の学者からこんな風に評されているの」

 

 信号のある十字路を右折しているときに、加賀は一呼吸挟んでから呟く。

 

「「戦いに明け暮れる生活を続けるうちに、彼は花を愛でる心の余裕も無くなった。だから、彼は暴走してしまった」なんてお話なの」

 

「……つまりこういうことですか。例の島風は、戦闘で抱えたストレスや鬱憤を、公道レースで晴らしている、みたいな」

 

「そういうこと」

 

「う~ん……でも、そんなこと有るのかな。他にそのギエンってやつとの共通点とか、無いんですか?」

 

「立ち位置も似てるのよ。私達の勝手な憶測が当たっていれば、それもかなり」

 

「教えてください」

 

「被っているのは、「とても強いけれど味方を困らせる」みたいな所かしら。さっきも、島風は大きな戦果を稼ぐエースだから、簡単に仕事を辞めさせたりはできないかも、なんて話題になったじゃない?」

 

「なりましたね」

 

「魏延も似ていて、彼はしょっちゅう書記の人と口論になって、頭に来たら取り敢えず抜刀して「お前を切り殺すぞ!」なんて脅しを繰り返していたそうよ」

 

「すごい奴ですね、味方にそんな事言うなんて」

 

「もちろん、普通の兵隊ならすぐに除隊か処罰の対象よ。でも、国には彼ぐらいに活躍できる武将が少ないから、機嫌を損ねないためにも軽々しく処罰できない、みたいな風潮があったらしくて。少し違うけれど、似ていると思わないかしら?」

 

「……確かに」

 

 もうそろそろで鎮守府か、という所まで来る。巧は加賀の話に相槌を打つが、今度は持論を述べてみた。

 

「でも近くにボロが出そうですよね、35の島風は。今は襲ってくる深海棲艦もかなり減ったって聞きますし、彼女一人欠けても仕事は回ると思うし」

 

「えぇ。このままなら、きっとすぐに裁判所に引き摺り出されるでしょうね」

 

 何が事実にせよ。あんなのはさっさと捕まって欲しいよなァ。駐車場に車を戻しながら、巧はそう思った。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「お願いします。巧さん」

 

「ちょ、ちょっと、頭上げなよ天龍。こんなところで止めてってばそういうの」

 

 同じ日の午後7時。巧は、天龍に近くのファミレスに呼び出され、急に彼女のお願いを聞かされたところだった。話を聞けば聞くほど、自分の中で、天龍が惚れた「谷本 信輝」という男への株が急速に下がっていくのを感じる。

 

 自分に惚れた女の弱味に漬け込んで、相手の権力に屈した自分の願いを聞かせるなんて、聞きしに勝るクソ野郎だな。

 

 口には出さなかったが、ここに居ない相手に内心で罵詈雑言を吐きながら。巧は机に頭を擦り付けていた天龍の上体を無理矢理起こして、気になった事を片っ端から質問していく。

 

「取り敢えず起きてよ。ホンと、何が何だか……」

 

「すいません……みんなにも言わなきゃって思ったんですけど……一番先に巧さんに言わないといけないかって思って」

 

「私にはわからないよ。天龍がなんであの男にそんなに尽くすのか。あいつと出掛けた日に事故ったり、待ち合わせであの車乗り回してくるなんて、怪しいし非常識だし……信じる意味がわからない。」

 

「……ッ。あの人を悪く言わないで欲しいです……谷本さんは、いい人だから」

 

「…………。私はヤだよ、不確定要素が多すぎるし」

 

「そんな……!」

 

 この頃元気の無かった天龍は、更に顔を白くして項垂れる。反応から言動まで、どれもが巧には理解に苦しむものだった。

 

 惚れた人間って、こうまで弱い物なのだろうか。それとも彼女が特別なのか……。それは別としても、R35と勝負か……。

 

 巧の脳内に、被害にあった人達の顔が浮かんでくる。

 

 ヘッドライトが破損した180をシルエイティに改造したお兄さん、車からライダーに転向したオジサン、命からがら逃げてきた大親友の摩耶。

 

 そして、目の前に居る天龍。

 

 その時は何も考えていなかった。だが勝手に口が動いていた。

 

「ゴメン、考えとく。一応だけどさ」

 

「……!! 本当ですか!」

 

「答えは期待しないでよ? 仕事のシフトとかもあるんだし」

 

「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます!」

 

 どう表現したものか。捨てられた子犬が拾われた瞬間みたいな、疲れきった顔にくっついた笑顔で、彼女は巧の返事に驚喜していた。

 

 財布から紙幣を何枚か出して机に置き、天龍はそのまま立ち去る。車で送ると言っても、相手は歩いて帰るの一点張りで巧に応じない。

 

 デートの時にも着ていたコートを羽織り、とぼとぼと歩いていく天龍の背中には、なんともいえない悲哀が漂っているような。そんな気が、巧にはした。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 翌日、巧は仕事終わりで食堂で夕食を摂っているときに、昨日の出来事を摩耶と加賀に話していた。

 

 天龍はかなり離れた場所に座っていたので聞かれる心配はほとんど無に等しかったが、気を使って小声で3人は喋る。

 

「本当にやるつもりなの巧。車に詳しくない私でも知ってるわ、あのGTRって車、600馬力もあるって。貴方の車の3倍近い出力じゃない」

 

「やってみなきゃ解らないじゃないですか。最初から負けなんて認めないですよ」

 

「運動部の高校生みたいな事いうのね貴女って……摩耶も何も言わないの? 友達なんでしょう?」

 

「ん? あ、いや、別に。好きにすればいいんじゃないの」

 

「なによソレ………」

 

 会話が途切れる間を見計らって、今日の献立であるハンバーグに手をつける。摩耶はどこか冷めた態度だが、どういうわけか、昨日ミニをとって帰ってきてからずっとこんな調子だった。

 

 加賀さんの言う通りか。230馬力の車で35R……流石に無謀な挑戦かな。

 

 隣で軽く口論になっている2人を気にせず黙々と食べていると、結構早くに物を食べ終わってしまったそんなとき。巧たちが座っていた場所に、なんだか難しい顔をした那智が近づいてくる。

 

 何故か花束を持っていた彼女に、3人以外にも目が釘付けになる艦娘達が居たが、それは無視して、那智は話し始めた。

 

「巧、お前宛の荷物だそうだ」

 

「その花束ですか? 間違いとかじゃなくて」

 

「手紙が添えてあったんだ。読んだら解る。」

 

 他人に説教を始めるときみたいな顔で言ってきた相手から、物を受け取る。同時に受け取った手紙の内容に。巧の顔から笑顔が消えた。

 

 

《インプ乗りのハンペン様へ》

 

《FR乗りの雑魚共の敵討ちがしたいなら 月末の椿ラインに来い》

 

 

 文面を見た途端、巧の全身に雷のように怒りの感情が奔る。次の瞬間には、自分の手で、手紙はグシャグシャに握り潰されていた。

 

「ムカついた……GTRだろうが何だろうがやってやる……!」

 

 一緒になって立っていた加賀に物を押し付けて、巧はずんずん歩いて食堂を出ようとする。天龍を伸した時かそれ以上に怒り始めた彼女に、慌てて加賀は声を挙げた。

 

「うわっ!? 巧、どこにいくつもり!」

 

「箱根を回りに行くんですよ! 一々待ってられるかってんだ。こっちから喧嘩売ればノッて来るに決まってます」

 

「そんな、段取りもせずに今日いきなり……」

 

「巧、付き合うぜ」

 

「え? ちょっと!」

 

 無気力ぎみだった摩耶が、いきなり元気になって巧と一緒になって部屋を出ていく。

 

 一体どうしちゃったのよ……2人して。荷物を押し付けられた加賀と、一連の様子を黙ってみていた那智とその他の艦娘達が、その場に取り残された。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「マコリン、着いてこなくていいってば」

 

「いや無理にでも行くね。こっちもお前に用がある」

 

「……?」

 

「取り敢えず横乗せてくれ。東名乗ったら話しはするから」

 

 建物から出た辺りから摩耶に話し掛けられて、そんな短い会話の後に。2人は巧の車で大観山方面へと向かっていた。

 

 今月三度目になる東名高速道路を時速100キロクルージングしていく。そろそろ話してくれてもいいんじゃないか。巧がちょうどそう思っていたとき、摩耶は外を流れていく街灯の光を眺めながら、呟き始めた。

 

「知り合いが怪我したんだ。35の女のせいでな」

 

「……箱根で?」

 

「そ。アタシのいとこ、御殿場でチューニング屋やってるって、言ったの覚えてるか」

 

「覚えてないかなぁ……その人がなに、追突されて事故起こした訳だ」

 

「あぁ。店の宣伝の車使ってターンパイク流してたらな、後ろからガツンらしい。ミニ取りに行ったら、マサキのやつ腕にギプスつけてやんの。笑っちまったよ」

 

 ふと巧は運転中に顔を横に向けたが、すぐに戻した。視界に入った摩耶は、表面上は笑顔だったが、目は笑っていないどころか憎悪で黒色に染まっていた気がしたからだ。

 

「あいつも頭に来たらしくて、すぐに通報したんだと。でも相手は捕まらなかった」

 

「は!?」

 

「やっとわかったんだよ。権力やら何やらで揉み消すとかじゃなかった。ため息が出たよ、35Rじゃなきゃできねー事だったんだ。全部な」

 

「通報して捜査までされたのに捕まらないって……それなんでさ」

 

「トリックも何もなかった。巧、お前「スクラッチシールド塗装」って知ってるか?」

 

「?」

 

 初めて聞いた単語に巧は「何それ?」と聞き返す。ため息混じりに、親友はソレが何なのか話し始めた。

 

「35GTRにやってある特殊な塗装だ。こう、山道なんかを走ると、車ってキズだらけになるよな」

 

「うん、ディーラー居たときにクリアのやり直しとかやってたから、それぐらいは知ってるけど」

 

「じゃあ続けるぜ。スクラッチシールドってのは、簡単に言えば自己再生する色で、柔軟性のあるクリアで仕上げをやる塗装なんだ。多少のキズやカス当たりは時間の経過でキレイサッパリ消え去る」

 

「……ちょっと待って、アイツはその、再生するキズの範囲内でぶつけて逃げてたってこと!?」

 

「当たり。多分そこからもう少し細工してるんだろうが、それは置いておくとして。そら捕まる訳がねーよな、ぶつけた跡が消えるんだから。プッシュ、当て逃げ、やりたいホーダイ。本当に頭に来る」

 

 摩耶の言葉に巧は下を巻いた。そんな技術が在ることに驚きだったが、そこまで見越しての狼藉と知れば、もはや怒りを通り越して呆れ果てる心境だ。

 

「ところでさ。マコリンの指示に従って今進んでるけど、どこに行くのさ」

 

「このまま進んで、旅行で通ったとこ向かってくれ。御殿場に繋がってる」

 

「御殿場って、何するのさ」

 

「この車のパワーを上げんだよ。デチューンで200馬力のGC8じゃ万に一つも勝ち目が無さすぎる、ガレージ借りるから、ターボでも載せようぜ。連絡はつけてある」

 

「……マコリンは止めないんだね。バトルするの」

 

「言ったろ。アタシも友達傷つけられて頭に来てんだよ。ただ、お前も事故だけはすんなよ。危ないと思ったらすぐに引け」

 

「さぁ、どうだかね。廃車になるまで走り続けるかも」

 

「嘘つけ、前にそうなったら泣いてたクセに」

 

 親友の発言に顔が綻ぶ。怒りで知らず知らずに体に力が入っていたが、少しずつ変な力みが抜ける。まさかこれは計算か? とも思ったが、摩耶の無意識の配慮に内心感謝したとき。

 

 巧は背後からカン高いエキゾーストの咆哮を聞き付け、何かとバックミラーに視線を移す。すると、目線を動かす時間のうちに、右の車線を何かが物凄いスピードで追い越して行った。

 

 外見からして旧車と思われるそれは、こちらの前に着くと。ハザードランプを点灯させてきた。

 

「なんだこの車……」

 

「シャンテじゃねーの? マツダの」

 

「旧車だよね。ハザードって、もしかして競争申し込まれてる?」

 

「さぁ……無視してさきに……」

 

 寝ぼけたような顔で、放っておけと摩耶が言おうとする。が、前を行く車のリアガラスに貼ってあったステッカーを見て、発言を訂正した。

 

「!! 巧、こいつ追っかけろ!」

 

「え?」

 

「早く! 置いてかれるぞ!」

 

 慌てて巧は4速から1速に入れて車を加速させる。バンパーが接触するほど前の車に近づくと、相手はこちらの意図を察したのか、先程見せたような速度で逃げ始める。

 

「どうしたのいきなり……っていうか速い! なにこの車……」

 

「後ろにステッカー貼ってあるの見えるか。「NDNL」って」

 

「ギリギリ……すごい、ちょっとずつ離されてる……?」

 

「マサキが居るチューン屋の車だアレ。着いてこいって意味か……?」

 

 話している最中に、速度は時速150km代に突入する。追い付くどころか徐々にこちらを突き放す相手に、巧は一体どんな魔改造だとひとりごちた。

 

 着いていけるだけ、追い掛けてみるか。旧車にすら追い付けなかったら35なんて夢のまた夢だしネ。

 

 アクセルに込める力が強まる。白いインプレッサは、夜の高速道路を200kmオーバーで駆け抜けていった。

 

 

 

 




GTRの塗料のくだりですが、トンデモもいいとこな超理論なので作品世界のみの理屈だと思って頂ければいいです。車がスピンする程の追突のキズは普通は直りません(キッパリ

では次の更新までお待ちを。


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最高のホワイトボディ

活動報告で挿絵を貼っていた、例の車が初登場です。それではドゾ


 

 一般公道の中だと、高速道路というのは、北海道なんかの特例を除けば数ある道路の中でも、かなり走りやすい部類の路面に含まれるだろう。

 

 サーキット程ではなくともしっかりと舗装がされたアスファルト、雪が積もったり氷が張ってもすぐに溶かしてくれるロードヒーティング。90~00年代に走り屋達の違法行為で無料サーキットとして使用されたのも無理はない。

 

 しかし繰り返すがここは、東名高速道路はサーキットではないのだ。閉鎖された競技用路面に一般車は居ないし、道路と道路の継ぎ目も存在しない。

 

「…………ッ」

 

 アクセルを踏み込む巧の顔が段々と険しくなり、心の余裕が無くなっていく。200km級のスピードコントロールが、たまらなく恐ろしかったのが原因だった。

 

 山道で車の限界に迫る最高速なんて当たり前に出るわけがない。風圧でサイドのドアが車内から外側に引っ張られるなんて事も起こらないし、そもそも風を切る音と風圧を感じることなども、当然だが峠では体感できない。

 

 高速道路は急なコーナーもブラインドも無いから、ただのアクセルべた踏み。彼女の考えていたそれはとんでもないカン違いだった。

 

 マツダのシャンテ、だったか。とてつもなく上手なドライバーだ。こちらよりも全高が高くて安定しない、一歩間違えれば風に煽られて吹き飛ぶような車で、自分のインプレッサを抑えている――

 

 昔のラリーカーのような、大きく張り出した豪快なオーバーフェンダーとエアロが特徴的な青いクルマの後ろを睨む。

 

 摩耶の声で唐突に始まった超高速バトルだったが、巧は走るうちに、前を走る車の完成度とその乗り手に、内心で拍手を贈る心情だった。

 

「追い付けそうか?」

 

「どうだろ……230で頭打ちしてレブるから、抜けるかどうか」

 

 既にタコメーターの針は8000付近を指してブルブルと震え、デジタル式の速度計は200~230を交互に表示している。当たり前ながらシフトノブは最後の5に差してあるし、これ以上無理に踏み込めばエンジンが壊れる可能性もある。巧には追い付くだけでも精一杯だ。

 

 そもそもこんなにスピードを出すようなセッティングでもない車で、相手と善戦出来ている事のほうが巧には不思議だった。本気で高速道路やサーキットを走るチューニングカーなら、3速辺りから200kmに達する事もおかしくはない。

 

 峠道や普段使い向けの速度域の車で着いていける。旧車だからこれぐらいが限界なのか、それともこちらに合わせてアクセルを緩めているのか。多分、後者だろうか。

 

 考えていたときだ。相手はこちらを追い抜いてきた時のように、またハザードランプを点灯させてスピードを落とし、道路脇に車体を寄せた。見れば、前方の遥か彼方にパーキングエリアの入り口がある。

 

「着いていった方が良さげ?」

 

「多分……誰が乗ってるんだか」

 

「さぁ。じゃあ追い掛けていってみようか」

 

 ウインカーのスイッチに手を伸ばし、相手に追従して、巧もまたペダルに込める力を抜いていく。

 

 

 

 

 さっきまで全力で追い掛けていた車の隣に、1台分のスペースを空けてGC8を停車する。車から降りて改めて青いシャンテを眺めてみたが、巧は、凄く手入れが行き届いていると感想を抱いた。

 

 摩耶が言うに、30年は下らない昔の車で、色は流石に再塗装だろうが、車体に変な歪みや疲労が溜まっていないのが目を引いた。大型のエアロも、意外と派手さは無く、機能的なデザインでしつこい主張がない。

 

 そんな小さな車からドライバーが降りてくる。乗っていたのは、なかなかダンディな背が高いオジサンだった。

 

「ほぉ。名指しでうちを選んだ客さんが女とは聞いてたが……まさかドライバーまでたぁね。運転してたのはどっちかな?」

 

「私、です」

 

「お嬢ちゃんすごいなァ。かわいい女の子なのによく着いてこれるもんだ」

 

 オーラ、というか、威圧感というか。息苦しいプレッシャーのような物を、巧は、目の前の男から感じた。と同時に、可愛いと言われてちょっぴり気分がよくなる。

 

 こちらをお客さんと呼んだ彼は、乗っていた車のフェンダーに手で触れながら続ける。

 

「悪かったね、あんな事してよ。まさか最後まで追いかけてくるとは思わなかったけど」

 

「隣の友達に追えって言われたから。それが言いたいから止めたんですか?」

 

「お、無駄話はキライかな?」

 

「今は時間が無いんです。今日中にやりたいことがあるから……」

 

「……ふーん。そうかい。じゃあ、また着いてきてくれ。箱根の山はグネグネしてるけど、御殿場まで近道案内するから」

 

 あぁ、やっぱりショップに関係のある人だったか。予想が当たったと思いながら、巧はまた車に乗り込む。同じく再度乗車してきた親友に、知り合いかと尋ねてみる。

 

「マコリン、知ってる人?」

 

「知らねぇな、知ってるショップって言っても、親戚のマサキ意外は顔覚えてねーし」

 

「へぇ……」

 

「また追い掛ける以外に選択肢もナイ。行こうぜ」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 摩耶の従兄弟が勤めるという場所に、一時間足らずで到着する。高速道路の時から見ればかなりスローペースにダウンしたが、それでも充分に早いシャンテの男に着いていったお陰だった。

 

 車を降りてすぐ、巧は大きなあくびと伸びをして体をほぐした。いくらバケットシートで長時間ドライブの疲れは軽減されるとはいえ、3時間もほとんど休憩なしで運転を続けて、体が固まっていたのだ。

 

 目の前の建物とガレージを眺めていたとき。2人にシャンテの男が話し掛けてくる。

 

「おつかれさん。GC8のお嬢ちゃん。で、聞きたいんだが電話してきた「秋山 マコト」ってのはどっちだ」

 

「自分です」

 

「そうかい。ホレ、俺の名刺だ。料金は今日の夜中イッパイに5万でガレージ1個貸し切り、だったな?」

 

「あってます。すいませんいきなり」

 

「良いんだよ。こんな時間まで働いてる奴はいねーからな。じゃあ、何すんのかは知らんが頑張れナ。」

 

 貰ったカードには、城島 英二代表とあるが、なんだかサバサバした対応に、社長の割には随分ぶっきらぼうな人だなと2人は思う。

 

 同時に巧は別の事も考えていた。この店の規模のデカさに少し感心していたのだ。

 

 大きな整備工場みたいなガレージが2つ、ディーラーに似た車両売り場が1つ。最後に一番端に、少し離れて解体屋のスクラップ置き場らしき空き地が1つ。メーカーの店よりも敷地面積が広いここに、ちょっとした驚きを隠せなかった。

 

「っと、もう1個言うの忘れてた。パーツも買いたいんだろ、ならこっち来な。好きなの選んでくれ」

 

「「…………」」

 

 そういう顔なのか、それとも寝不足なのか。クマのような物を顔面に貼り付けた男が、またも不機嫌そうな態度で言う。後を着いていきながら、巧は小声で愚痴っぽく親友に話をした。

 

「マコリン……こう、チューナーってみんなこう無愛想なもんなの?」

 

「さぁ。少なくとも今日話したアタシの従兄弟よりは対応悪い」

 

「良く言えば職人的だけど、悪くいえばウチの頑固親父みたいな……」

 

「聞こえてるぞ~」

 

「!! すいません!」

 

「いいよ。態度悪いなんてガキの頃から言われ馴れてる」

 

 地獄耳だ……なんて思いつつ、巧は冷や汗をかきながら、今度は余計な事を言わないよう黙って歩く。店の中に入り、過吸機や車の補強材が置いてある棚まで行く途中に、何台か並ぶ状態の良い中古車達の隣を横切る。

 

 男と摩耶はそのまま歩いていったが、巧の足が止まる。1台の車に視線を引っ張られたというか、見とれてしまったのだ。

 

「…………」

 

 真っ白な、外装には何も手が加えられていない、後期型の86だ。グレードは多分GTかリミテッドだろうか。

 

 《FR乗りの雑魚共の敵討ちがしたいなら――》 送られてきた手紙の1文が脳内に反響する。FRの車を見下したアイツには、FRの車で逆襲してやりたい。この車を見た瞬間、巧の中にそんな感情が芽生え始める。

 

 昔から、唐突に思った事を行動に移すような性格の巧の体と口は、自然と動き始めていた。

 

「すいません、これって売り物ですか?」

 

「は?」

 

「ん?」

 

 2人は振り向いて、巧が立っていた場所に首を動かす。摩耶は変な顔、男は相変わらず寝ぼけまなこだ。

 

「いきなりなんだ巧?」

 

「マコリンごめん、今日はバトルするのは無しにしたいんだ」

 

「はぁ!?」

 

「このハチロク、売って貰えないですか?」

 

 意味不明だと続けそうになった摩耶を遮って、男が返事を言う。

 

「残念。売り物じゃないんだそれ。身内から譲ってもらって置いてるだけだ」

 

「……そうですか」

 

「海外に出張して当分戻ってこれねーから置いといてくれってな。そういう訳で売るわけにはいかない」

 

 巧の目線が、男から再度車に移る。

 

 なんだかこう、ビビッ! と来たから言ってみたものの。売り物じゃないならどうしようもないか。あからさまに彼女が落ち込んでいると、男が声をかけてくる。

 

「……ちょっと待て。今バトルって言ったな」

 

「…? はい」

 

「誰かと今日やる予定だったのか。で、相手の車は?」

 

「Rです。R35、GTR……」

 

「!!」

 

 男の目付きが変わった。1割増しぐらいに目を開いて少し驚いたような表情のあと、ニヤっと何か企んでいそうな笑顔に顔面を差し換え、楽しそうな雰囲気で口を開いて話し始める。

 

「いいねぇ……ハチロクでGTRか。バカもいいとこだろ、オモテのインプレッサでもキツいのに、勝てるわけがない」

 

「……………」

 

「でも酔狂で言ってる目じゃないなお嬢ちゃん。勝てる見込みがあるから言ったんだろ」

 

「……一応。峠ならどうにかなるかな、なんて」

 

 話に着いていけていない摩耶を差し置き、会話は続く。男は笑顔を崩さず、こう言った。

 

「わかった。一つ条件を提示してやろうか。俺と東名で遊んでくれるなら、10万でそのハチロク譲ってやるよ」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「高速道路でバトル? なんでまた」

 

「巧がよ、いきなりハチロクが欲しいだなんて言って、それに相手が提示した条件に乗っちまったんだ。全く、口約束なんて守ってくれるのかね……」

 

 次の日の昼間、食堂に居た摩耶は、那智に愚痴をぶつける。が、話す言葉とは違って顔は楽しそうだ。

 

「FRをナメ腐った相手にFRで勝って恥をかかせてやりたいんだとさ。あいつらしいよ。典型的な、やられたらやり返すって考え方」

 

「ほ~。じゃあ噂の35とはインプレッサじゃなくて、ハチロクで戦うわけか」

 

「まだ決まった訳じゃねーよ。バックレられたらGC8だろうけど」

 

「今のご時世まで生き残っている店の社長が約束破ったりするのか? 無いと思うがね」

 

「…………」

 

 話の途中に、摩耶の目線は部屋の窓側に向く。ちょうど駐車場が見えるそこから、巧が車のタイヤを外して何かの作業をしているのが見える。

 

 …………。何をするのもお前の勝手だけど、怪我はするなよ。

 

 親友の小さな背中を見ながら、そんな事を思う。

 

 

 

 

 夜の9時頃、遅番の整備スタッフが働いているガレージの端っこのほうで、巧はインプレッサの隣でパソコンとにらめっこをしていた。

 

 車のコンピューターを弄って最高速度のリミッターを外そうとしていたのだが、これがなかなか曲者で、PCに弱い彼女は悪戦苦闘していたのだ。

 

 適当な所で一区切りとして、巧は出入口近くの空調のスイッチを入れ、タバコを吸い始める。このところのハードワークと平行しての作業は、いくら体力がある彼女でもキツく、体にムチを打ちながらの作業だった。

 

 パイプ椅子の背もたれにぐったりしながら座って、口から煙を吹かしていると。いつの間にかに近くに来ていた父親に首筋をつつかれる。

 

「なーにしてんだ」

 

「……セッティング。CPUの」

 

「なんだ。また車壊しにでも行くのか」

 

「縁起でもないこと言わないで。……明日まで間に合うかなァ……」

 

 ショップの男……後でもう一度名刺を確認すると、名前は城島 英二(きじま えいじ)というらしい彼から言われた勝負の日は明後日。それまでにやることは盛り沢山だった。

 

 もともとサーキットなんて行く予定がない巧の車は、最高速度は230km程で止まり、その換わりに加速とトルクを重視したセッティングだ。もちろん、普通で見れば充分過ぎるぐらいの速度が出る車だし、一般人から見ればむしろ速すぎなぐらいだ。

 

 が、今回のコースは高速道路。少しだけインターネットで調べたが、あのショップは昔は谷田部のテストコース、今はサーキットで最高速を競い合うような車を沢山世に送っていると知り。最低でも260kmは欲しいと巧は思っていた。

 

 考え事をしていると、インプレッサの近くに腰を下ろしながら、父はこちらに話を振ってくる。

 

「だいたいなんで今更そんな事してんだ。むっかしから機械弱いお前に出来んのかよ」

 

「苦手なだけですゥ! それぐらい出来ますモンネ」

 

「ほぉ~。で、勝ち目はあるのか」

 

「まだ何も言ってないよ」

 

「どうせ誰かと競争するんだろ。それぐらい解る」

 

「……負けるかな。多分」

 

「そうか。珍しいな、お前みたいな負けず嫌いのおてんばが。どこ走るんだ」

 

 吸っていた物を灰皿に押し付けながら、巧は不機嫌そうなのを隠そうともしないで、低い声で続ける。

 

「東名高速。鮎沢PAから駒門PAまでの下り1本。高速道路でバトルなんて初めてだよ」

 

「ふ~ん……」

 

「何さ……」

 

「ダンパーを1段階固くして、車高を1センチ落とせ」

 

「手伝ってくれるの?」

 

「ばーか、お前が勝手にやれ。ただのちょっとしたアドバイスだ」

 

「あっそ。」

 

 相も変わらず可愛くねーオヤジだ。そうは思いつつも、巧はこう切り返す。

 

「……ありがとう」

 

「よせよ気持ち悪い」

 

「はぁ?」

 

「あともう1つな。三車線使って走れ。それぐらいだ、言っておけるのは」

 

「…………?」

 

 三車線? あそこは二車線のはずじゃあ……

 

 イマイチ助言の意味がわからないまま、彼は去っていく。考えすぎても駄目か。巧は一端それを忘れて、目の前の作業に集中することにした。

 

 

 





谷田部のテストコース→一昔前に最高速アタックの聖地として、チューナー達が車を持ち込んでタイムアタックやトップスピードを競いあったコース。現在は埋め立てられてしまっており、彼らの戦場はサーキットやメーカーの保有するオーバルコースへと移り行くことに。


35と並んでずっと出したい車だったので、GT86には頑張って貰います。
車両アンケートに参加した皆様、もう少しお待ちください。2、3話跨いでから、大量に新車を出す予定です。


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エンジョイ・ザ・プロセス

バトル回です。サクサク進みます。


 

 

 考え事まみれな脳ミソで仕事に打ち込み、寝て、起きて、ご飯食べて風呂に入ってまた寝て、と繰り返し。あっという間に約束の日が訪れる。

 

 城島(きじま)さんから教えられた集合場所は、日付が変わる時刻の鮎沢PA。今は9時か。1時間もあれば着く場所だし、もう少しセッティングを……。

 

 巧は仕事で使うツナギ姿のまま車の状態を煮詰める。そうしていると、その時間すらまたあっという間に過ぎ去り。今、彼女はその格好のまま、東名高速道路を下っている最中だった。

 

 付け加えて、後方には摩耶が夕張から借りてきたS15シルビアで着いてきている。一人で行くとずっと言っていたのだが、怪我をしたときに連絡する役割が必要だと言って聞かなかったのだ。

 

 昔からレディースみたいな素振りと性格なのに、いざってときは本当に世話焼きだよナ。後ろに控えている親友にそんな事を思っていると。ダッシュボードに差してグループ通話状態にしていたスマートフォンから、機械越しに摩耶が声をかけてきた。

 

『巧、聞こえてるか』

 

「モチロン。どうかした?」

 

『いざって時のために来たけど、駄目だと思ったら素直に引けよ。事故起こしてアタシがお前の救急車呼ぶなんてヤだからな』

 

「大丈夫だって、しょせん遊びなんだし……」

 

『だと良いんだけど』

 

 一端会話が途切れ、巧は窓の外を流れていく街灯に混じって立っている大型看板と、電話の時計に目をやる。残り1キロ足らずで目的地、そして約束の深夜0時まで10分。待ち合わせには余裕を持って到着できそうだ。

 

 ハンドルを握る力が自然と強くなっていく。巧は深呼吸をして、車内で軽く精神統一に努める。

 

 

 

 

 PAエリアに入ると、時間が時間だけに、だだっ広い駐車場はほとんど車が止まっていなかった。軽く見渡したところ、トラックのあんちゃんが自販機の近くでたむろしているぐらいだ。

 

 ごくフツーの駐車エリアの白線に車を止めて、相手の到着を待つ。残り時間はあと7~6分。少しぐらいの遅れも考えれば、あと20分ぐらいで来るだろうか。考えていると、摩耶に声をかけられる。

 

「巧、ここんところこの車弄ってたろ」

 

「見てたの?」

 

「そりゃな。どこを弄ったんだ? 見たところエアロと車高が変わったぐらいにしか見えないけど……」

 

 言いながら、彼女は巧のインプレッサに全体的に目を通し始める。

 

 元帥から渡されてからすぐに、雪や段差を気にしていつもは外していたリップが取り付け直されていて、リアウイングが前に装備していたヴェイルサイドの物に戻され。そしてわざと車高が高いように設定されていたのが、ドリ車を思わせるようなシャコタンになっている。

 

 走りよりも実用性を取る、というのがこいつの信条だったはず。なんでわざわざスタイリング重視の外見に? 摩耶が思っていると、巧は口を開いた。

 

「見た目はリップと翼付けて、車高1cm落としたぐらい。あとはCPUで馬力上げて、ダンパーを固くしておいた」

 

「固くした……? 普通は逆だろ、柔らかくしたんじゃなくてか」

 

「さあ。私も最初はヤワくしたかったんだけど、父さんが固くしたら良いって……と、来たみたいだね」

 

 巧の一言に、摩耶の体の向きが変わる。2人の声を遮り、大パワーのスポーツカーらしいウルサイ音響を響かせながら、1台の赤い車が駐車場に入ってくる。フロントガラスに貼られた「NDNL」のステッカーから、間違いなく今回の約束相手だ。

 

 赤い車……ぺったりと地面に張り付くように車高の低い、ヘッドライトが半目で、フロントウイングがボンネットに取り付けられたSW(エスダブリュー)MR2(エムアールツー)から、城島が降りてくる。

 

「お待ちどォ。少し遅れたかな」

 

「いえ、時間ピッタリですヨ」

 

「そりゃ良かった。じゃあ話も特になし、早速始めようか」

 

「……はい!」

 

 男に返事をして、女子2人も各々の車に乗り込む。すると城島は、パワーウインドウを下げながら、最後の連絡、というか注意事項を言ってきた。

 

「ルールは簡単。ここから駒門までの14kmの道を俺が先頭で走るから、それに着いてくるだけ。危ないから追い抜きはナシ。全開走行も、これも一般車が開けたときだけだ」

 

「わかりました」

 

「目的地に着いたとき、俺のバックミラーに色白の嬢ちゃんが写り続けていたらそっちの勝ち。見えないぐらい引き離されれば負けだ。今日の事は忘れてもらうし、あの86も売らない。いいかナ?」

 

「異論はないです。お先にどうぞ」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 休憩所からMR2、GC8、そしてS15の順番で出ていき。早速加速を始めた城島を追い掛ける巧を、摩耶はグッとペダルを踏み込んで車体を加速させ、2台とは少し距離を保ちながら走る。

 

 アッという間にシフトレバーは6速のエンドに入り、現在の車速はメーター読みで時速150km。普通に考えれば、この時点でもかなり異常なスピードだ。

 

 まだまだ余裕はあるが、チラホラと出現する一般車を交わしていくのが意外と大変で、摩耶の心に焦りが生まれる。

 

「…………」

 

 ゴツいエアロを付けた、みてくれだけの車だと思ってたけれど……けっこー乗りやすい。夕張のやつ、改造はしっかりやってたんだな。

 

 無理矢理借りてきたギャラリィ製フルエアロで武装された水色のシルビアの車体が、風で煽られる事も、変にハンドルが取られることもなく、至って自然に運転できる事に。摩耶は感心した。驚くほどクセが無く、高速域で大人しく曲がってくれる車とは、それだけで貴重なのだ。

 

「いい仕上がりだ……!」

 

 白いワンボックスを左に回避してまた真ん中の車線へ。一般車が少なくなり、また加速を始めた2人に、彼女は6速から5速に落として加速の体勢に入る。

 

 一瞬、というよりもこのときの摩耶はずっと気を抜いていたのかもしれない。突然、SF映画にあるようなワープしたような異常な加速力で吹っ飛んでいった2台に、彼女は思考が停止した。慌てて5速から更に4速にギアを落としてレプリミットまでエンジンを回し、車を全開加速まで持っていく。

 

 何が起こったのか一瞬解らなかったが、周りを見る余裕が少しずつ生まれ始めた辺りで理解する。一般車が居なくなったため、全開走行が始まっただけだった。

 

「…………ッ」

 

 事故だけは起こさないでくれよ、巧……。少し前に自分が友達に言ったことを思い出しながら、摩耶は出せる速度の限界まで、アクセルを踏み込んだ。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 前を先導していくMR2は速度は既に280km程に達しようとしているし、それに着いていく巧とGC8も、250は軽く越える速度を出して地面を駆け抜けている。だが、これはなかなかに恐ろしい行為だった。

 

 そもそもこんな速度を出すように設計されていない道路と車で、そんな運転をしていることそのものが要因の1つだが。更にこの2台に共通しているのは、最高速トライアルに向かない車種だという点だ。

 

 どちらの車も、サーキットよりも峠道、速度よりもハンドリング、という設計思想で当時この世に送り出されていたのだ。スピードを出せば出すほど地面との設置感は薄くなり、少しでもハンドルの操作を誤ればスピン、最悪の場合は横転すら有り得る。

 

「……………。」

 

 速い……MR2であんな速度が出せるなんて、車もドライバーも並みじゃない。たかが高速道路だと侮っていた。

 

 前を走っていく赤い車のドライバーにただただ巧は感心していた。MR2と言えば、初代のAW11も前を行くSW20型も有名だが、特にそのピーキーな特性でも悪名高い。この速度域では、とにかく車両の地面への設置感と、風圧に負けずにしっかりと真っ直ぐ走ってくれる、という要素が大事になるが、ただでさえ「真っ直ぐ走らない」と称された車でそれをやっている辺り、前から感じていた以上に相当な腕前だと認識する。

 

 ホイールベースの短さがアダになる。200を少し越えた辺りから、まるで真っ直ぐ走ってくれなくなってきている。ここから先へと、アクセルを開けていくのがたまらなく恐ろしい――。

 

 前にシャンテを追い掛けていた時に巧が思っていた事だ。だが、今日はそれがなく、キチンと前を見据えて走れていた。

 

 思い当たる理由は1つしかなかった。父が教えてくれた、あの即席のセッティングだ。コンピュータの車速の上限を解放し、390馬力ほどは楽々出せるこの車のトータルバランスという点で、あの足回りの小細工は驚くほどに効果はてきめんだった。

 

 ムカつくなァ、あのクソオヤジ……! 私より良い仕事しやがって。 ………もしかしたら勝てるかな……やれるだけやってみようか。

 

 タコメーターの針が赤い部分へと、ジリジリと昇っていく。同時にデジタルメーターは、ついにはタイヤの回転を捉えきれなくなり始めたのか、200から270までの数字をチカチカと交互に映している。

 

 自分らの3台以外に誰も居ない道路を走る。直線が終わり、緩やかな曲がり角が目に飛び込んでくる。いつもならコーナーでも何でもない道だが、今の速度域では違う。ステアリングを使わなければ外側に吸い込まれるようにぶつかるし、逆に切りすぎれば内側のタイヤが浮いて横転する。

 

 もうひとつ。クソオヤジから教えて貰った、高速道路だからこそ出来るコーナーリングのコツ。それは――

 

「アスファルトの右端から左端まで……!」

 

 三車線目一杯をゼータクに使って、全快・ノーブレーキで突っ込む!!

 

 全くブレーキを踏まない代わりに、ペダルからパッと足を離し、そしてまたアクセルを全開まで吹かす。そしてそのまま、巧は半周ほどハンドルを左に切り、すぐに反対側に1回転ほど回す。

 

 イチかバチか、一発勝負の全開ドリフト。成功すれば立ち上がりで追い付き、失敗すれば大きな失速を産み、更に運が悪ければそのまま外側に流されて車が吹き飛ぶ。まともな思考回路をしていれば、まず誰も行動に移そうなどしない異常な運転だ。

 

 この瞬間、彼女は何も考えていなかった。集中しすぎて目の前の光景以外は頭が真っ白の状態で、体に染み付いた技術に基づいて機械的に車を動かす。

 

 三車線の右端から左端のガードレールまで真っ直ぐにインをカットし、そこから慣性で車体が外側に流れ、右端に戻っていく。

 

「………………!」

 

 結果は大成功だった。

 

 路面にタイヤのカスを少しばかり撒き、ゴムとアスファルトとの摩擦で白煙を挙げながら、インプレッサは壁へのカス当たりの接触すらせず、道に戻ってくる。

 

 なんとか曲がれた。このままなら最後まで……。ホッとした気持ちをまた締め直し、前を見て、下げたギアを5速に入れた時だった。巧の目に、少なくとも彼女には信じられない光景が写った。

 

 MR2がウインカーを出して道の端に寄せたのだ。どうしてだ? エンジントラブル? 様々な考えが頭に浮かんで消えて、となるが、奥の景色を見て察した。なんと、もう目的地のPAが数百メートルまで迫っていたのだ。

 

「……………プゥーーッ」

 

 わざとらしいため息をついて自分を落ち着かせる。どうやら集中しすぎて周りが見えなくなり、時間の感覚も狂っていたのだろう。

 

 勝ち、か。でも、普通はこれ引き分けだよなァ。

 

 休憩所の入り口に差し掛かる。車の窓から手を出して、こちらに振っていた相手を見ながら、そんな考えを脳裏に浮かべていた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「負けちまったなァ~いや、まさかお嬢ちゃん相手にやられて、現役引退とはな」

 

「引退? チューナーをやめるんですか?」

 

「走り屋のほうさ。ヨメがうるさくてね、辞める口実が欲しかったんだ。いい感じに吹っ切れたよ」

 

「はぁ」

 

 城島が投げてきた缶コーヒーをキャッチして、巧は気の抜けたような返事を返す。

 

「さて、約束は果たすよ。86は10万で売る。これ、証明書だ。口約束だけして逃げられたと思われたくないからな」

 

「ありがとうございます」

 

「あともうひとつ、オマケしてやるよ。何か欲しいパーツとか無いのか。出きる範囲で用意して一緒に送るけど」

 

「え」

 

 保証書の内容に目を通していると、そんな事を言われて、彼女は逆に男に聞き返す。

 

「そんな、なんでもかんでもは」

 

「いいんだよお嬢ちゃん美人だから……こんなオッサンの遊びにも付き合ってくれたんだからな」

 

「……じゃあ、タコメーターとブーストメーターを」

 

「……? 本当にそんなモンだけで良いのか? エアロもマフラーも、なんだったらエンジンの部品でも良いんだぞ?」

 

「良いんです。少しやりたいことがあるから……」

 

「へ~え。そうかい。ならそうする、じゃあ、付き合ってくれてあんがとさん。楽しかったよ」

 

 言いたいことは全て伝え終わり。城島はMR2のドアを開けて中に乗ろうとする……のに、巧はストップをかけた。どうしても最後に1個だけ聞きたいことがあったのだ。

 

「すいません、これだけ聞いても良いですか」

 

「どおしたい?」

 

「その、本当は売り物じゃないって言ってたじゃないですか。あのハチロク。その、どうして売ってくれるんですか」

 

「そうさねェ……知り合いが置いてったってのは言ったよな。覚えてる?」

 

「はい」

 

「言われたんだよ、そいつにな」

 

 ニヤリ、と子供っぽい無邪気な笑顔を向けながら。楽しそうに、彼はこう言った。

 

「もし売るなら売っていい。ただ、コレクション目的の奴は駄目。この車をうんと走らせてくれるようなヤツになら、ただであげてもいいよって。」

 

「……………」

 

「じゃあなねーちゃん。たまに顔出すときは、何か買ってくれよ!」

 

「あ、ちょっと!」

 

 ブォォォォ……ヒュルルルンッ……!!

 

 大きなマフラーサウンドと、大型ターボチャージャーのバックタービン音を深夜の空気に響かせながら、赤いMR2は去っていった。

 

「…………帰ろうかな。明日早いし」

 

 海外に転勤した人が置いていったハチロク。か。

 

 親友がシルビアを止めていた場所まで歩く。鎮守府に帰って、眠りに就くまで。巧の脳内には、城島が見せた笑顔がずっと残っていた。

 

 

 

 

 




MR2って最近さっぱり見なくなりましたよね。でも大好きな車の1つです。


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3 発進・マメ号ハチロク
明日も


DIY回になります。あと最後にちょっとした告知があります。

UAが26000、お気に入りが300を越えました。嬉しくて泣けるね!


 

 

 例の86が積載車に載って鎮守府に届けられたのは、あのバトルから3日後ほどになった。が、そこから巧の忙しい毎日が始まることになる。

 

 降ろされた車のレスポンスを把握し、助手席にあった使用書に目を通して、最後に名義変更の手続きを経て……と行程を積み重ねると、結局自分の物になるようにするだけで1週間もかかった。勿論コレだけで終わりではなく、今度は終わりの見えないセッティングの作業が待っていた。

 

 

 某日の昼頃。巧は休憩を返上して86の運転席に腰掛け、説明書に目を通していると。仕事場が違う筈の明石が寄ってきて、話題を振ってくる。

 

「た~く~みさん! 何してるんですか?」

 

「説明書読んでただけですよ」

 

「へー。でも、本当に買ったんですねこの86。凄く綺麗な後期型ですけど、新車ですか?」

 

「中古です。Gグレードをベースに、軽く軽量化されてたみたいですが」

 

 ほら、アレ、と座っていた席の後ろを指差す。言われて明石が奥に目をやると、確かに、本来は後部座席がある筈の場所に椅子がなく、代わりに穴を塞ぐ綿張りの蓋がされていた。が、それ以外はなんの変鉄もない。

 

 ダッシュボードは綺麗に埃1つなく拭かれ、カーナビやメーター類が整然と並ぶ機能的なコクピットは加工した跡こそあれ、非常に整っていて。前のオーナーが丁寧に扱っていたのが滲み出ているカンジだ。

 

「でもなんだってこんな時期に買ったんです? もっとこう、セカンドカーなら、ヴィッツとかN-ONEとか……」

 

「あ、まだ言ってなかったっけ。GTRと勝負するんですよ。この車で」

 

「え!?」

 

「言いたいこと当てましょうか。勝てるわけないって言うつもりでしょう」

 

「だって……」

 

「馬力の差なんてカンケー無いですヨ。あんなヘタクソに負けるものか」

 

 自分に言い聞かせるような言い草で、眉間にシワを寄せる巧に、軽く明石は気圧されたそのとき。運送屋のトラックが1台敷地に入ってくる。

 

 誰か通信販売でもやったのかな? なんて彼女が思っていると、巧が車から降り、運転していた人に声を掛ける。そしてトラックの運ちゃんから、何やらかなり大きな箱を受け取り、こちらに戻ってきた。

 

「なんですかその大荷物」

 

「車の部品です。流石にドが付く純正じゃあ勝てないでしょうし」

 

「へぇ」

 

 改造用の部品、ということは、やっぱり手っ取り早く馬力があげられるターボだろうか? とまた明石は勝手な予測を立てるが、またまたそれは崩れ去る。

 

 箱から出てきた物に彼女はギョッとした。カーボン製のドアとボンネットに、クロモリのタワーバーが2本。そして水色の鉄パイプ……ロールバーといった物が出てきたのだ。考えなくとも「これ幾らしたのか」という疑問が沸いてくる。

 

「わ~……これ全部で幾らでしょう?」

 

「50万はしました」

 

「ごじゅっ!?」

 

『てめえら! 休憩終わりださっさと戻って仕事しろォ!』

 

「っと、スイマセン。明石さんそれ戻しておいてくれないですか」

 

「へっ? いや、いいですけど……」

 

 妖精に呼ばれてランニングで建物に戻っていく巧に言われて、明石は空箱に中身を押し込んでいく。

 

 ポンと50万を投げ捨てる程の力の入れようって……めっさガチやんけ!

 

 脳内で明石はこっそりシャウトしたが、そんな心境は口に出さないでおいた。

 

 

 

 

 仕事が終わり、あっという間に時刻は午後の7時になる。が、ここから巧にとって一番大事なもう一つの仕事が始まる。

 

 暇をしていた明石に運んでおいて貰った箱から部品一式を出し、86をガレージに入れると、彼女は軽く頬を叩いて気付けとし、早速作業に取り掛かった。

 

 まずは両側のドアを開けっぱなしにした車の中に座り、片っ端から車内の内張りを剥がしていく。どうせ今後はもう使わないし、とここは適当にドライバーやら千枚通しやらで、こじこじほじくって無理矢理引っ剥がす。

 

 そして顔を覗かせたボルトを手当たり次第に緩めて内装を取り、先にドアを2枚外してガラスを取り除く。用意したカーボン製の物に交換して行程一つ目は完了だ。ここまで一時間も掛からなかったが、一人でやるとなるとなかなか肉体的にキツ~い事には変わりない。

 

「重っ………」

 

 似たような手順でボンネットを外して持ち上げる。重量が4kg近くあるコレを持って動くのは、流石にいくら巧が馬鹿力とはいえ厳しいものがあり。同じくドライカーボンの物に交換が終わった辺りで、彼女は軽い腰痛を覚えて顔をしかめる。

 

 すぐに一休み終えてまた手を動かす。今度は車内に組むロールケージの組み立てだ。パワーを上げるよりも軽量化を主体に車を仕上げる予定だったので、重量がかさむこれを入れるのに始めは抵抗があったが、大前提として相手は地元の走り屋達を震撼させる当たり屋ということを思い出し、購入に踏み切ったのだ。

 

 車検に通るように、また万が一に体がぶつかっても大丈夫なようにとパイプフレームに、テーブルの角に巻くカバーみたいな材質の安全クッションを巻いていく……が、ここで問題が発生する。

 

「……………」

 

 ギュギュギュギュム……と耳障りな音が鳴る。かなりギチギチに入る設定らしく、なかなかすっきりパイプが入らないのだ。

 

 「ふんっ!」と思いっきり力んで入れてみるが、案の定ブチッ!と勢い余って物が千切れる。どうしたものかと思ったとき、巧の目にあるものが写る。機械油の手洗い用に置いてある石鹸水だ。

 

 コレでヌメらせれば、ぬるぬる入っていくんじゃないだろうか? 思い付いたと同時に霧吹きを手にとってパイプに吹き付けて同じ行動を取ってみる。目論み通り、バーと合わせた水色のパッドは簡単に潜らせることが出来た。

 

「…………」

 

 が。また今度は違う問題が頭を覗かせる。ロールバーというものには必ず、組み付けたパイプ同士を固定するジョイント部分があるのだが、コレが出っ張っているせいでまたパッドが入らないのだ。

 

 これどーすんだろ? 疲れ目を擦りながら、近視でボヤボヤする瞳を説明書に向ける。なんでも、エアーツールをパイプとパッドの間に差し込んでクッション材を風船のように膨らませ、それを利用して入れていくらしい。

 

 そんな簡単に上手くいくのだろうか。とりあえずやってみるが……

 

「熱っ……!」

 

 説明通りにパイプとパッドの間に差し込んで空気を注入してみたまでは良かった。のだが、空気が漏れないようにと抑えていた手のひらに、謎の発熱を起こし、条件反射的に巧は手を離してしまう。

 

 もう一度。今度は上手くいくか……そんな甘い考えで同じ行動を取るが。

 

「あ゙ぁ゙っ゙ぢっぢいぃ!!」

 

 ガランガラン…ゴンッ! 手から落とした物が発した金属音と、巧の叫び声に、夜勤中の作業員たちの目が向く。咄嗟に彼女はヘラヘラしながら会釈しておいた。

 

 これ、どうしたものか。悩みがまた増えた、なんて思っていると。ちょうどよく助っ人してくれそうな人が顔を覗かせてくる。那智だ。

 

「ビックリしたぁ、何してるんだ?」

 

「ロールケージの組み立てです。那智さんこそ何してるんですか?」

 

「仕事終わりでね、暇潰しに来た。見ろよコレ、海でコケちまってさ、服がビチャビチャだ」

 

「それはまた……あっ、あの少しお願いが」

 

「どうした?」

 

「パッドが入らないんです。手伝って貰えないでしょうか? こう、こーやったらなんかスッゴク中がホカホカに……」

 

「あぁ、そんなやり方は駄目だ、空気とパイプの間に摩擦が出来て暖まるんだ。無理矢理やったら火傷するよ。ここ持っておくから、反対側から空気入れてみろ」

 

 先程まで巧が持っていた場所を那智が掴む。他に策も無いので、言われた通りの行動を取ることにする。そうすれば、那智は出来て当然と言わんばかりに、パッドでさっと突起部を越し、巻きの作業をこなした。

 

「わぁ~! 那智さんすごい!」

 

「ほら、さっさと終わらせよう。2人がかりじゃないと出来ないぞ?」

 

 一端足止めを食らっても、そこからトントン拍子に行程は終わっていき、遂に車内に組み付ける所まで来る。

 

 買ったばかりの優良個体の車の骨格に穴を開けるのは少々抵抗はあったが、そこは心を鬼にして。これまた車内にギッチリと収まる作りになっているバーを固定し、全ての作業が終わる。

 

 出来上がった車を見て、那智が溢す。ドアとボンネットがカーボン製とくると、なかなかレーシーな雰囲気だ。

 

「見た目はかなり速そうだな。中身は普通って聞いてるけど……」

 

「…………」

 

「どうした巧? 浮かない顔して」

 

「へっ? いや……今更な事、言っても良いでしょうか」

 

「なんだい?」

 

「この期に及んで少しチキってんですよ。本当に、この車でGTRに勝てるのかなっ、て」

 

 巧の言葉を聞き、「前の威勢はどうした」とは言えなかった。彼女の言うことも理解できたし、心中を汲んだのだ。

 

 一つ。何かを閃いた那智は、こんなことを相手に言ってみた。

 

「よし、巧。明日椿ラインに行くぞ」

 

「え」

 

「お前さんの上司の妖精に、巧が有給になるよう言っとく。大丈夫、こう見えても私は偉いんでね」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「いやぁ、楽しみですね、ヒルクライムの観戦!」

 

「そーですねー」

 

「なんでダウナーなんですか巧さん!? もっとこう、アゲアゲで行かないと!」

 

 …………。なんでコイツが居るんだ。助手席ではしゃぐ夕張に、巧は軽い目眩を覚える。

 

 平日の真っ昼間、鉛色の空の下を、巧は86で椿ラインに向けて走っていた。前には那智と加賀が乗る白のSA22C型RX-7が居る。いつもと車が違うのは、定期的に動かしてやらないと車がビョーキしてしまうからだそう。

 

 那智から無理矢理誘われて今日出発することになったが、なんでも今時期の椿ラインで自動車のイベントが開かれているらしく。巧のモチベーションのために連れていきたかったのが彼女の本心だったらしい。

 

 道なりに曲がってトンネルを抜ける。もうすぐ峠に入るぞ、という所でなかなかお目にかかれないような景色が飛び込んできた。

 

「うわっ」

 

「すごい数の車だ……」

 

 道路の入り口に、モーターショウがどーたらと書かれた暖簾付きの看板や旗が立ち、道の両脇にある待避所に所狭しとそれっぽい車両がすし詰め状態になっている。

 

 スターレットやシルビアといった昔の走り屋が好みそうな車に、ステップワゴンやエスティマみたいなファミリーカーまで。そういう車達を尻目に進んでいくと、前の那智がハザードを点けて停車し、巧もストップする。そして窓から顔を出して振り返ってきた相手に、彼女も同じく一端椅子から体を乗り出す。

 

「どうかしました?」

 

「頂上が会の受付だからそこまで行くぞ」

 

「はーい」

 

「ゆっくり上ってく途中。よくコース見極めろよ巧、ここの攻め方を。じゃ、行こうか」

 

 ランプを消して発進した那智に着いていく。発言通りに、相手が法廷速度のプラスアルファ程度にスピードを緩めてくれていたお陰で、巧には道の状態を把握したりする余裕が多分にあった。

 

「結構雪残ってますね」

 

「道民の巧さんなら余裕なのでは?」

 

「4駆ならそりゃ楽ですよ。でもFRなんてろくに乗ったことがないし……」

 

 夕張と話しながらも、忙しなくきょろきょろ首や目を動かして道を見る。小旅行の時にはぼうっとしてただ走っただけだったが、今度はここで大パワーの怪物マシン相手に競争しなければならないのだ。いくらスーパーチャージャーが付いていて軽量化に取り組んだとはいえ、普通なら振り切られて終わりな相手に、少しでも有利な材料を用意しなければ、と巧も必死だ。

 

「……………」

 

 中央分離帯を通ってある区間まではグネグネとワインディング、それを過ぎれば直線が長い区間に入り、また特定の場所からクネクネ道。そんなメリハリのついたレイアウトの道を登っていき、早くも中間地点を通過する。

 

 なんとなく、巧は今一度じっくりとここを眺めて、この峠の大体の全貌を把握し始める。一つ大きな特徴とあるのは、「雨水を流して冠水を防ぐための側溝が多い」という事だろうか。

 

 某漫画よろしく、わざとタイヤを落としてショートカットが望めそうな区間が数えるほど、残りはそんな行動を取れば車輪が脱輪するような深い落とし穴が幾つもあるのが目立つ。利用するのはこれらか、と当日の事を少しばかり巧はシミュレートしてみる。

 

「あっ、もう頂上みたいですよ!」

 

「………」

 

 勝負どころは「あそこ」かな。観光気分の夕張の声でウインカーのスイッチに手を伸ばし。巧は抜きどころの検討を付けたりしていた。

 

 

 

 

 




エアーツール→ガン型で銃口にあたる部分から空気を噴射する機械。エアーガンとも言うがモデルガンと混同されるのでこちらの名前で呼ばれるのが一般的。

ヒルクライム→舗装路面の山道を車や2輪車で駆け登り、速さを競い会うタイムアタック。モータースポーツに消極的なせいか、ラリー競技と同じく日本ではあまりメジャーではない。


活動報告のアンケートですが、まさかまさかの大量に解答を頂き、感謝しか無い状態です。が、誠に申し訳ありませんが締め切りとさせていただきます。

理由としては、これ以上の解答が来てしまうと、どうしても内容に支障が出ると判断した上でこの判断に至りました。また、複数の車両の案を出して頂いた方に申し上げたいのですが、話の都合から1人1台までが本編に出す限界になってしまいました。本当にすいません。


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ブレーキ踏まない系女子

moveさんのblazabilityでも聞きながら。あとお口に牛乳を含んでお読みください。


 

 

 

 

「お疲れさん。ほれ、ジュース」

 

「どーもです」

 

 大観山てっぺんの駐車場に着き、巧たちは那智の奢りで自販機の飲み物を受け取る。

 

 上ってくる途中から予想はしていたが、それよりも遥かに数が多い台数の車とギャラリーに那智以外の3人は軽く気圧された。中古車市の会場かと思うぐらいには、大小様々なクルマが止まっている。

 

 缶ジュースの蓋を開け中身を半分ほど喉に流すと、巧は早速これを寄越した彼女から尋ねられた。

 

「で、どうだった。なんか攻略のヒントとかさ」

 

「とにかくミゾが多いなって。落としたら脱輪しそうで怖いですよ」

 

「そう思うか。漫画の真似事をして事故った奴も居るらしいぜ」

 

「怖っ……気を付けないと」

 

 ぼやきみたいな会話を交わしながら、受付を済ませて、4人は少しだけ上ってきた道を降り、ギャラリーに混じって観戦に入る。なんといっても、今日見られるヒルクライムなんていうのは、普通はなかなか開かれないし見れないイベントなので、夕張と巧はウキウキしていた。

 

 が、ただ一人。加賀だけはイマイチ今回の催しの内容にピンと来てなかった。ということで、彼女はその筋のオタクな夕張に聞いてみることにする。

 

「夕張、聞いてもいいかしら」

 

「なんでしょう」

 

「ひるくらいむ、って何かしら? 普通のレースとは違うの」

 

「タイムアタックですよ。加賀さんラリーは見たことあります? こう、貸し切った道を1台だけが走ってやるんです。名前の通り、山道を凄い速さで駆け上がってくからヒルクライムです」

 

 ふふん、とちょっと得意気な顔で夕張が言う。いつもなら加賀はこんな態度の相手は鬱陶しそうに見つめたりするが、最近はまりつつある車の話と言うことで興味津々だ。が、そんな彼女に応対していた夕張にも気になることがあった。天下の往来である公道が貸し切りになっていた点だ。

 

「でもこんな規模のがこんな場所で……普通は北海道とか群馬みたいな田舎でやるんですけどね。一体誰がお金だして道止めたのか……」

 

「自分は知ってるよ。有志が募って金を集めてるんだ。で、その集まった金で道を貸し切って1日中遊んだりテクニックを磨いたり。ちょっとした町起こしにもなってるんだとさ」

 

「へぇ。クラウドファンディングみたいな?」

 

「少し違うがそんな所だろうな」

 

 那智の説明になるほどと夕張と巧は頷く。追加で補足する彼女によれば、ここ最近は山を上る道も増えたり、高速道路も増えたので特にこういった催しがやりやすいそう。

 

 車バカ達の行動力に感心していると。もっと道を下った場所で観戦していた連中の叫び声に混じって、タイヤの鳴く音が聞こえてきた。早速何台かがゴール近くまで上ってきたようだ。

 

 爆弾が弾けるようなマフラーサウンドを山中に響かせ、1台の黒いシビックが弾丸染みた突っ込みでコーナーに消えていく。続いてスターレットやランサーみたいな走り屋にメジャーな車種、ラリーペイント付きの現行型のノートe-powerやタクシーでお馴染みのコンフォートみたいな笑いを誘いそうな車が。しかしどれもがかなり真剣なドライブで4人の横を駆け抜けていった。

 

「おぉおぉ、豪快だな。みんな張り切ってる」

 

「少し怖いわ……こっちに飛び込んできそうで」

 

「ここは登りきった所だからまだ安全な方だよ。あっちのコーナー出口なんて立ってみろ、いつ突っ込まれて怪我してもおかしくない」

 

 ひえっ、と那智の発言に加賀は背中を冷やした、そんな時。巧が横を向くと、2人ほど引き連れてこちらに近付いてくる人物がある。何かと思っていると。

 

 銀髪で赤い服を着ていたその女性はいきなり那智に軽く殴りかかった。

 

Ураааааааа(ウラー)!」

 

「痛ってぇ!? なんだおま……うわ、お前か」

 

 咄嗟に巧は相手の胸ぐらでも掴んで止めようかとしたが、那智の反応を見て自分の行動に急ブレーキを掛ける。応対からして知り合いらしい。

 

「久しぶりだな貴様ァ! 忘れたとは言わさんぞ!」

 

「なんで居るのが解ったんだ?」

 

「あんなに程度のいいシルバーのRX-7に乗ってるのは貴様だけだ那智。で、こいつらはなんだ?」

 

「今のトコで出来た友達。右2人は2個下でコイツは4つ下だな」

 

 「ほう」と一言、息を吐くように呟き。女性がこちらをジロジロと舐め回すように見てくる。なんというか、目もとを横切る傷跡や雰囲気からカタギっぽく無さそうな人だ、なんて失礼な感想を巧は勝手に思う。

 

「戦艦ガングートだ。さん付けで呼べ」

 

「な、南條です」

 

「巧、そいつの本名鈴木だぞ」

 

「ッ!! 那智貴様ァ!」

 

「前の鎮守府の同僚なんだがな。外国大好きなのに、鈴木梨花子(すずき りかこ)ってゆー典型的な日本人っぽい名前なせいでな、ガングートって貰った名前が大好きなんだコイツ」

 

「ふふっ……w」

 

「なっ! そこの貴様、今笑ったなァ!」

 

 加賀が笑ったのを見逃さなかったガングート……もとい鈴木サンが癇癪を起こす。が、那智の茶化しのせいでその場の雰囲気はほんわかしていた。見ていた巧と加賀も、見た目に合わない可愛い人だな、なんて考えていた。

 

 「ごほん」と今どきドラマでもやらないような、わざとらしい咳払いで、ガングートが強引に話題を切り替える。

 

「で? 何故貴様らがここにいる? 仕事はどうした?」

 

「休みだから遊びに来たんだよ。こっちこそ聞きたいぜ、なんでお前が」

 

「ふん! 私は誉れあるRake a RRのメンバーだからな! 仕切りに来ただけよ!」

 

 彼女が口にした単語に4人が顔を見合わせ、巧は助言をくれた方の島風の顔を思い出す。

 

 なるほど、それなりに権力と資金力がありそうなチームだし、車関係のイベントにも関わってて当然か。巧が思っていると、サインくださいと叫びそうな夕張の口に蓋をして、那智が何か企んでいそうな顔で1つの提案を相手に持ちかけた。

 

「へ~え、お前も入ったのか、あんなボロい車で」

 

「ふん、見たければ今の車を見せてやってもいいぞ? 腰を抜かすだろうがな!」

 

「いや別に」

 

「なんだと!?」

 

「そんな事はどうでもいいが、少し隣の彼女と走ってみないか? なぁ巧、良いよな?」

 

「……え」

 

 嫌だ!と条件反射的に口走りそうになったところで、提案を撒いた彼女が耳打ちしてくる。彼女なりの考えがあって振った話題だったようだ。

 

「いい機会だ。少しここを攻めてみろよ。今日みたいな交通止めてくれてて、走り回れる日なんてそうそう無いんだし」

 

「はぁ……」

 

「それに結構こいつ上手いからな。競争相手に最適だとおもうが?」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 トントン拍子に話が進んでしまう。結局巧はガングートとレースをすることになり、一通りエントリーした選手がほとんど上りきったタイミングで、全員は頂上に戻った。

 

 終わりと同時にそのまま直帰しようという結論で固まったので、巧は86のナビシートに夕張を乗せて、スタートラインに指定された場所で待機する。助手席に乗っていた彼女は何故か楽しそうだ。

 

「どうしたのソワソワして」

 

「いやぁ、やっと巧さんの全開ドライブが見られると思って!」

 

「うーん……あんまり速くないよ私?」

 

 近くに摩耶か加賀がいれば「嘘つき!」と声高に叫ばれそうな事を言っていると、怪しい雲に覆われていた空から雨がちらつき始める。数分してから後方に、来たときと同じく加賀を乗せて那智が自分の車を付けてくる。ガングートはまだ来ないようだ。

 

「巧、アイツから伝言だ。もう少し待っててくれとさ」

 

「はーい」

 

 会話を遮り、もう1台の車のマフラーの排気音が聞こえてくる。伝言を貰う暇もなく、もう彼女が来たようだ。

 

 うるさすぎない程度にイイ音を響かせてやって来たのは白の外車……前に会った城島のMR2並みに車高が低い、ロータス・エリーゼだった。これはまた凄い車が来たなと巧の顔がひきつる。だがそんな彼女の気を緩める目的か、ただの弄りか。車を出してきた相手をまた那智が茶化す。

 

「待たせたな。いつでもいいぞ」

 

「うわぁ、ロータスか……勝てるのかな」

 

「ガングート、なんでロータスだ? お前にゃボロいカプチーノがお似合いだったろ」

 

「ふざけるな、ずっと憧れてたんだよ! あんな狭い車に一生乗っていろと言うのか!」

 

「でも本当はラーダニーヴァかパトリオットに乗りたかったそうです」

 

「うぅわ趣味悪ッ」

 

「海風貴様ァ!?」

 

 カウント役で傘を差して立っていた艦娘にも茶化されて、ガングートが顔を赤くする。どうも周りから弄られる方向で愛されている人らしい。恥ずかしさで顔面を紅潮させたまま、彼女は隣に車を着けていた巧に声を掛ける。

 

「貴様のは86か。いい車だが、ちと非力じゃないか? 見たところ外装に手を加えているのは解るが」

 

「多分勝てないけど……頑張ります。雨も降ってるからそんに速度出せないけど……」

 

「なぁに、遊びよ遊び。事故ったら骨は拾ってやるよ」

 

「鈴木! 縁起でもないこと言うなこの!」

 

「那智は黙っとれィ!」

 

「取り敢えず安全運転には努めますよ」

 

 スタートラインに全車が並んだので、カウントダウンが始まる。これからの巧の運転に夕張がドキドキしていると、彼女は艦娘の声を無視して、何やらリラックスしながらオーディオを触り始めた。気になったので何をやっているのか軽く聞いてみる。

 

「じゃあ、カウント始めますよ!」

 

「音楽よし、と……」

 

「何の曲ですかこれ?」

 

「ゲームのサントラですよ。すぐにカーナビ外しちゃうから、聞けるうちに聞いとかないと」

 

 パラパラだかユーロビートだか、夕張はその方面には詳しくはないが、そんな雰囲気のアップテンポな曲が車内に鳴り響く。

 

「GO!!」

 

 住んでいた場所からのクセで、サイドブレーキを使わずにブレーキで車を止めていた巧が、踏むペダルを替えて発進する。

 

 この時の夕張はまだ、後々になってこの体験がトラウマになるだなんて思ってもいなかった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 溶けた氷と雨でズルズルとタイヤが滑るコンディションの中、巧は綺麗にクラッチを繋いでロケットスタートに成功する。夕張はというと、彼女の発進の上手さに多少は感心したが、「まだ」それだけだった。

 

 いくら上手にスタートを決めたとはいえ、乗車は200馬力ぽっちの車。普段から倍のパワーがある車で遊んでいる彼女には何とも無いのは当たり前か。

 

 楽しいのはコーナーに差し掛かってからかな? 背後に着いたロータスのフロントバンパーを見ながら、呑気にそんな余裕をかましていると。ハンドルを握っている運転手から話し掛けられる。

 

「夕張。ずっと隣乗りたかったって言ってたよね?」

 

「え? あ、はい」

 

「何かやってほしいこととかある? 乗り慣れてない車だから、あまり無茶はできないけど……」

 

「ん~…あ、じゃあ、ブレーキングドリフトを!」

 

「はい」

 

 リクエストに答えた瞬間を見計らったかのように、巧は4→1→2の順にシフトノブを操作し、長めのストレートを使って車をフル加速させる。「え」と夕張の口から漏れたが、全く気にしないで巧はアクセル踏みっぱなしで、迫りくる崖めがけて突っ走る。

 

「い、いきなり行くんですか? この雨の中1個目のコーナーで……」

 

「喋ってるとベロ噛みますヨ」

 

「えっ? ちょっと……え?」

 

 拳一つ分ぐらいだけ右に、そしてすぐに、大袈裟な位に逆にぐるぐると巧がハンドルを回した。車体が道路に対して真横を向き、夕張が居る助手席側が、考えるのも恐ろしい早さで壁のある方に滑っていく。

 

「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!!??」

 

 加賀と全く同じリアクションを取って、泣き叫びながら夕張が目をつぶる。が、86は壁にぶつかることなく、ゲンコツ一個ぐらいの隙間を残して前へ前へと進んでいく。

 

 何が起こったか解らないとはこの事か。ルーフのサポートグリップを両手で握りながら、夕張は顔を動かして外を見る。タイヤが溝に落ちるか落ちないかをギリギリで走っていて、隣のオンナの技量に感心どころか恐怖心を抱いた。

 

「そ~れ、ジグザグ振りッ返し」

 

「―――――――ッ!!」

 

 こ、これは本当に200馬力ぽっちの車の加速とコーナリングなの……? 速いとか遅いとか、もう根本的に違う乗り物がぶっ飛んでくよーな……。

 

 左に揺れた体が右に揺られ、間髪入れずにブレーキングのGが斜め後ろから。哀れな助手席の彼女の内蔵に着々とダメージが蓄積していく。既にこの時、ガングートと那智は遥か後方までぶっちぎられていたが、そんな事を確認する余裕は勿論無かった。

 

「けっこー滑りますね~安全運転じゃないと」

 

「ひぃぃ………!!」

 

「FRで滑らせるのいいですね。あ、楽しんでます?」

 

「た、巧゙さん!! 私゙はま゙だ死゙に゙たくないです!!」

 

 両隣の巧や外を見ていた目を、1度正面に向けてみる。いつの間にか、小降りだった雨は知らないうちに本降りになっていたようで、箱根名物の霧が軽く立ち込めている。しかも今の夕張には全く意味不明だったが、巧はこの状況でワイパーのスイッチを入れていなかった。言うまでもなく視界は絶望的だ。

 

 無茶しないとか……これがこの人の「普通」なの……? 真っ白でどこに道路があるかすら解らない……! 化け物だぁ……人間じゃないよこの人ォ!

 

「なんでワイパーつけないんですかぁ!!」

 

「気が散るじゃないですか」

 

「ひぃぃ!!」

 

「ブラ・ザ・ビリティ♪ ユア・リアリティー♪」

 

「歌わないで運転に集中してよぉぉぉぉ!!」

 

 ニコニコ笑顔の彼女がステアを切れば、対照的な絶望で頬がこけた方のオンナはドアガラスに熱いキスをかますことになる。数秒ほど夕張が泣き顔をドアに擦り付けていると、コツン! と何かの音が車内に響く。

 

 「あ、どこか擦ったかな。」 巧の発言に昇天しかけるが、それは彼女が続けて発した言葉で上書きされた。

 

「慣れてきたかな。飛ばしますよ~!」

 

「――――――!!」

 

 ドライバーの言葉に載って、車内にレッドゾーンまでエンジンが更け上がる、あの独特なカン高い機械の駆動音と、タコメーターのシフトタイミングを知らせるアラームの音が夕張の耳に入った。

 

 

 レブを当てないでええええええ!! 正気の沙汰じゃないよこのスピードぉぉぉォォォ!!

 

 

 上手く声を出せなかった夕張の魂の叫びは、内心で空しく木霊して終わった。当たり前だがこの日の彼女は山を降りるまで生きた心地がしなかったとか。

 

 

 

 

 




笑わせられるうちに読者様に笑いを。ここから先はちょっと真面目な話になってしまうので……


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支援艦隊

どうにか頑張ってリクエスト車両を捩じ込んだ回になります。少し強引だけどご愛嬌。


 

 

 

「で。山で巧の隣に乗った感想は?」

 

「そりゃもう、もう……こう、グワーッと来て、ドワーッてなて……殺されるかと思いましたよ。えぇ」

 

「そんなにか? 加賀の時はどうだったんだ」

 

「黙秘するわ」

 

「そっか。まぁ、自分もまさかコーナー3つで見えなくなるとは思わなかったぞ」

 

 山道遊びから何日か経過し。仕事のある平日の昼休みに、駐車場のベンチに3人は集まって。巧と天龍が休憩している作業ガレージに視線を飛ばしながら、仲良く駄弁っている所だった。

 

 口臭対策で持ち歩いているガムを1つ、口の中に放りながら、ガングートの背後から見た彼女の運転を那智が思い返す。平均速度90km超えで、なかなか自分も限界まで攻めていたのにも関わらず、あっという間に前を走る車が消えていなくなったなんてイリュージョンは、忘れることが出来ない程度には脳裏に焼き付いている。

 

 北海道出身だからまさか、とは思ったがな。あの程度の雨ぐらいへっちゃらだったか。

 

 噂に聞いていて実は少し興味があった巧の運転に、ほんの少ししか観れなかったがスゴさの片鱗は確かに感じたように思っていると。加賀が那智に話題を振ってくる。

 

「そういえば、天龍が今修理に出している車、あるじゃない」

 

「35にぶつけられたERだっけか」

 

「名前は忘れたけど、今朝相談に乗ってくれって、龍田に言われて少し喋ったのよ」

 

「なんだ、本人からじゃなくて妹から?」

 

「彼女の事を思ってだそうよ。ホラ、好きだった物が壊れたってだけで精神的に悪そうなのに、面と向かってその話題に触れさせるのはどうなんだ? って思ったらしくて。で、戻るけど、見積り、軽くだけれど100万は掛かるって」

 

 値段を聞いて、悲惨だな、と2人の表情が曇ったとき。加賀の顔がひきつった。何かと後ろに顔を動かすと、いつの間にかに自分らの背後に巧が立っていて、ビビった2人が変な顔になる。

 

「100万か……へぇ~」

 

「ど、どーした巧……鬼みたいなカオして」

 

「やっぱり許せないですよね、あのクソッタレ。月末が待ち遠しいです」

 

「ヤル気マンマンだな。何度目かわからんが、勝てるのか?」

 

「勝てる勝てないじゃないです。「勝つ」んですよ」

 

 ……1週間かそこら前辺りから、本当に殺気立ってるよナ……おーこわ。

 

 口には出さなかったが。3人同時に全く同じことを考え、妙な空気を纏ってガレージに戻っていく彼女を見送る。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 仕事と並行して、巧には日課になった86のチューニング作業を進める。箱根でのテスト走行からそう時間は経っていなかったし、まだ若い女性ということでそんなにお金も無いので、この車の変わったことと言えばダンパーのセッティングぐらいだった。

 

 外装の費用だけで結構なお金が飛んでしまったのが痛い。やっぱり軽量化よりは、ターボでも積んだほうが良かったのかな……。

 

 車の下に潜り込みながら、今さらそんな事を後悔する。頭に来ているのは確かだが、現実的に86でGTRの相手は務まるのか? など考え出せばキリが無かったが、しかし不安要素が多いし大きいしで悩みが増えていく。

 

「巧ィ~調子はどうだ?」

 

「あ、マコリン。……良くはないと思う」

 

「そりゃ、車とお前どっちだ?」

 

「どっちも、かな」

 

 艦娘としての仕事終わりなのか、近くに来ていた親友の声に、巧は車体から這い出る。ここ最近の激務を見かねていたのか、摩耶から栄養剤を貰って飲んでいると、心配の声を掛けられた。

 

「あんまり気負いすぎるなよ。体壊すぞ」

 

「へーきへーき、徹夜とか習慣だったし」

 

「とか言っててもさ、結構ストレス溜まってんじゃねーの。……なんだかんだでまだ2、3ヶ月そこらで色々あったんだし」

 

「………………」

 

「いきなり顔も知らねー女に人間じゃねーって言われたり、とんでもねーお偉いさんに目付けられたり、ここ最近の35騒動とかな。自分じゃ平気だと思ってても、けっこー体が悲鳴あげてるかもよ」

 

 流石大親友。痛いところをズバズバと……。素で浮かべていた笑顔が苦笑いに変わっていくのに、巧は気が付いていなかった。

 

「それを言いに来たわけだ」

 

「当たり前だ。オーバーワーク気味の友達居たら心配するだろーが」

 

「言うこと聞かないかもしれないのに?」

 

「昔からアタシの言うことちゃんと聞いてくれた巧なら、とりあえず今日はもう戻って寝てくれるかなって思ったんだがな」

 

「……ありがと」

 

「うるせぇ。ちゃんと飯と睡眠を取りやがれ。クルマはアタシが暇なときもやってやるから」

 

「うん。じゃぁね」

 

 相手の言う通りか、なんて思って、ギシギシいっていた肩関節や腰をほぐしながら、巧は着崩していた作業着を直して工厰から出ていった。

 

 

 

 

 さぁて、邪魔者は消えた。仕事に入るかな。巧が居なくなってから10数分後、摩耶は服に仕舞っていた無線機を出し、機械の奥にいた人物に連絡する。

 

「那智、もういいぞ。お客さんとやらは来てんのか?」

 

『こっちはバッチリだぜ』

 

「あっそ。じゃあやるから、早く全員連れてこいよ」

 

『了解、ボス』

 

 なんだか、妙な工作でも始めそうな空気だが……その実ただの業務連絡をこなしてすぐ。摩耶がガレージのシャッターを開けていると、数台の改造車が外に集まってくる。

 

「壮観だな……」

 

 スマートロードスター、ロータスエリーゼ、新型ランチアストラトス、三菱のエボX……最後を除けば、どれもこれもが録に荷物も積めなければ、値段も高そうな車たちに、若干気圧される。

 

 その中の1台、銀色のロードスターから降りてきた、名前は知っていたが、直接会うのは初めてな島風に。彼女は挨拶する。

 

「初めまして。作業場はこっちっす」

 

「どうも。時間そんなに無いし、始めよっか」

 

 なんだかこれからやる作業が、楽しそうな事だと思っていそうな表情で、島風は、ガングート、海風、嵐と3人の艦娘を引き連れて工厰に入っていく。遅れて走ってきた那智と会い、摩耶も中に入った。

 

 一体この6人は何をやるつもりなのか。それは至極単純な事で、巧が当日に使う86を全員がかき集めてきた部品で勝手に改造してしまおうというものだった。提案したのは那智で、巧の居ないところでガングートに話題を振ったのがきっかけだ。結果、例のR35相手というならば是非とも手伝いたいと、チームリーダーの島風が乗っかってきたのだ。

 

 3人が乗車から荷物を運び出し、それを残り3人でリレーして86の横に積み上げていく。一通り終われば、早速部品の交換作業が始まる。

 

「荷物の内容は、カーボンのパーツが5個、アクリルガラス3点に補強材幾つか。……ガン子、よくこんなに集まったな」

 

「チームは合計12人。1人から2~3万ほど徴収したらこれぐらい楽チンチン♪」

 

「へぇ~すごいですね」

 

「あ、でもその代わりに店のこのステッカー貼っといてって」

 

「「あららら……」」

 

 なるほど、宣伝ヨロシクってことね……。摩耶は島風が引き連れてきた1人、海風からメーカーの艶消しシールを受け取り、気を取り直して交換を始める。

 

 車体の後部とクォーターガラスを外し、アクリル製品の物に。続いて、ボンネットとドアに合わせて天井とトランクまでカーボンに替え、リアには大型のGTウィングを取り付ける。初めの頃はなんだか頼り無さそうな見た目をしていたクルマは、部品の交換点数を増やす毎にどんどんとゴツい見た目に変わっていった。

 

「でっかいウイング。空でも飛ぶのかね」

 

「だって走るのは椿ラインなんだろう? 必須だぜ、あそこを走るのにリアスポイラーは」

 

「へーぇ。後はこのエアロか。見たことない形だがなんだこれ、どこの会社のだ?」

 

「ふん、自分が作った!」

 

「……信用できるのか?」

 

「実家はエアロ屋なんでね。ちょいとばかり設計図をパクって造ったんだ。舐めるなよ那智」

 

 知り合いの発言に那智の表情が怪しくなったが、当のガングートの返事を聞きながら改めて部品を観る。オリジナルだというエアロパーツは純正を加工した物だと言うが、継ぎ目や工作の後は綺麗に仕上げて消されており、普通に既製品だと嘘をつけそうな出来映えで。一応は悪かったと謝っておく。

 

 大人数かつ外装のみの改造だったのが幸いして、一時間もせずにチューンが終わる。さて、と一呼吸置き。摩耶がこんな話題を出した。

 

「取り合えずできたケド、誰が試運転する」

 

「私はやーよ。明日早いし」

 

「自分は速いクルマの運転は苦手だからパスだ」

 

「四駆以外に運転した事無いんですよね……」

 

「…………」

 

「……ハァ。わかった、結局アタシか」

 

 応援で来てくれたLike a RR の4人がそれぞれ口裏を合わせたように運転は出来ないと言うと。摩耶はため息を1つ。巧がガレージにいつも置きっぱなしにしている86のキーを手に取った。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 カッコつけていうと26時……普通に言う午前2時頃。摩耶は外装が完成した86の助手席に那智を乗せて、首都高に来ていた。

 

 ブレーキ、エアロの空力性能、後部にこれ見よがしに取り付けた大型のGTウイング。それらの効果を体感するにはサーキットにでも行くのが一番だったのだが、生憎そんな時間も取れなければ、この車が走るのも公道だということで。空いている時間でセッティングを煮詰めるにはここが最適だろうと、島風から言われたのが、ここまで来た理由だ。

 

 何かがあったときのために、そして仮想敵としての役割で後ろを付いてきていたチームのメンバー……軍では駆逐艦の海風をやっている女の乗るランチアをバックミラーで観ながら。摩耶は隣の那智に話し掛ける。

 

「変なところとか無いのか?」

 

「見たところ大丈夫。もう少し踏んでくれ」

 

「了解!」

 

 エンジンルームから延びている配線が繋がったノートパソコンの画面を見ていた相手の言葉に応じ、摩耶はシフトノブを6速に入れて目一杯アクセルを踏み込む。

 

 今まで走っていた横羽線からC1環状線の方面へ。この分岐の最後にある長いストレートは、車が車なら時速300kmにも届く、飛行機の滑走路のようなレイアウトが特徴だ。道路両脇を流れていく工場夜景が美しいが、今の摩耶にそんなものを楽しむ余裕は無い。

 

「人間一人が命を乗せて、最後まで踏み切れるクルマに仕上がってるか。お前の双腕にかかってるよ」

 

「あぁそうかい……!」

 

「……さっきから気になってたんだがな、なんでそんなに踏ん張ってハンドルこじってるんだ?」

 

「ステアが滅茶苦茶に重たいんだよ、頭に来るぐらいな……!」

 

 摩耶が額を脂汗で濡らしていたとき、首都高名物である高速道路にあるまじき曲がりくねった道に2台は入っていく。後方から追いすがってくるランチアストラトスは、乗り手が道に慣れているのか、スムーズな動きを見せる。が、対照的に摩耶が運転する86は動きがぎこちない。

 

 考えられることはただ一つ。巧のヤツは軽量化でパワステを外したんだろうな。手っ取り早く軽くはなるんだろうが、運転しづらいことこの上ない……!

 

 一般車をかわしてすぐにコーナーに飛び込んだ車体を曲げようと、摩耶は腕に血管の筋が浮かぶほど力みながら、強引にハンドルを左に回す。

 

「わぁっ!? 摩耶、リア滑ってるって!」

 

「うっせぇ、これで精一杯なんだよ!」

 

 那智の声に怒号を被せながら彼女は度胸頼りにアクセルを踏み抜く。下手にびびれば車体が暴れると知っていたため、怖かろうがなんだろうがそう簡単にはペダルから力を抜けなかったのだ。

 

 横に滑っているように見せかけていて、予想に反して車は前に進む。なんとか壁にぶつかることは無かったが、気を抜かずに摩耶は力みっぱなしのままハンドル操作を続ける。

 

「とんでもねー車だよ。飛ばせばアンダー、抑えればオーバー、綺麗に曲がることがねぇや……」

 

「じゃじゃ馬ってことか?」

 

「巧が上手いのは解るが、こんなので乗りこなせるのかね……アタシには最後まで踏み込めねーよ」

 

「データを見る限りはかなり調子良いんだがな。馬力が無いせいなのか、1から6まで加速のダルい部分はなしで綺麗に吹けてる」

 

 「これ、見てみ?」と那智はおどけてそれとなくモニターを運転席に寄せたが、「見れるわけあるか!」と摩耶に突っぱね返され、それもそうかと確認作業に戻る……が、また大きく車体が揺れ、彼女の体は右に左にと揺れ動く。

 

「おぉおぉ!? だから滑ってるって!」

 

「逆ハンしてるだろ!!」

 

 トンネルの中を、車線に対してほぼ真横を向いて滑っていくような車の姿勢を、摩耶は根性と度胸でなんとか持ち直して……。そんな事が数えられないほど続く。

 

 摩耶は、気が抜けなさすぎて厳しい。那智は、吐き気を催してきて厳しいだなんて考えていたが。後ろから見守っていた海風から心配されていたことは、86の暴れ馬っぷりのせいで頭に無かった。

 

 

 

 

 




ランチアストラトスの新型というのは、まだ市販されていない固定式ヘッドライトのアレです。

パワステ→パワーステアリングの略。現代の車にはほぼ標準装備で、これを搭載することによって車のハンドルが軽くなる。外すと数kgの軽量化だが凄まじくハンドルが重くなるため推奨できない。一般的に旧車と呼ばれる車にはついていないことが多いが、現在と比べてどれもが車体が軽いため、そこまで猛烈にハンドルが思い車は少ない。


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スティル・アライヴ

エイプリルフールネタ? そんなものはない。(関羽
総合評価500越え ヒャッホイ


 朝方の箱根を尋常ではない速度で駆け抜けていく車がいる。

 

 もう現在では町中でもなかなか見られない、クラシックカーに片足を突っ込んでいるような車種……白のAA63カリーナの運転席で、巧は四苦八苦していた。

 

 今日限定のある理由で乗っていたが、ざっと計算して30年も昔のこの車、当たり前のようにパワーステアリングは無いのでハンドルは重いし、ブレーキを補助してくれるABSも無い。機械制御がないないづくしで、曲がらない・止まらない・速度だけ出るという、危険極まりない車だった。

 

 きつめの左に曲がる道に差し掛かる。ゴン、と鈍い音が車内に響いた。

 

「………ッ(いつ)ぅ…」

 

「あら~♪」

 

 あんまりにもハンドルが効かないため、サイドブレーキを引いて無理矢理車の姿勢を変えた瞬間、横に振られた頭をガラスにぶつける。軽く巧はボヤいたが、隣に乗せていた龍田は他人事のように余裕だ。

 

 乗りづらい。しっかりと加減速の基本を抑え、優しくステアリングを握らなければどこかに吹き飛びそうな挙動だ。自分の作った86もこんな動きを見せるのだろうか?

 

 勝手に86の改造をしておいたと朝言っていた摩耶の顔を思い出す。ふと、同時に巧は、自分の隣に初めて乗って、まだ叫び声1つ挙げない龍田に、額の汗を拭いながら話し掛けてみた。

 

「怖くないんですか? 龍田さん」

 

「大丈夫よ~乗ってたら少し慣れたみたい」

 

「へぇ、変な人!」

 

「心外だわ~♪」

 

 肝が据わっているというか、変わった人というか……なんだか天龍の性格を逆にしたらこんな人間になるのだろうか?

 

 にこにこ笑顔を崩さず、御殿場までの道を教えてくれる龍田の誘導に従って車を走らせる。彼女と深く接するのは、よく考えればこれが初めてかなんて事と、今まで会ったことが無いタイプの人間だ、なんて思いながら、ペダルを踏む。

 

 

 

 

 昼真っ盛り、といって差し支えない時間帯に、車は御殿場市に入る。目的地だった、前に86を譲ってくれた城島のオジサンが経営するカーディーラーの敷地にカリーナを停め、2人は車から降りた。

 

 ずっと待っていた。そんな雰囲気を携えた城島が近くに寄って来ると、2人に向けて口を開く。

 

「少しかかったな? 約束通り、次の車が来るまで手伝ってもらうぜ……しかしこんな近いうちにまた会うたぁね」

 

「お久し振り……でもないぐらいですね。城島さん」

 

「こんにちわ~初めましてですね」

 

「おう、嬢ちゃんにも仕事はやってもらうからな。じゃ、早速こっちまで来てくれや」

 

 はい、と声をハモらせて返事をし、男の後を女子2人は着いて行く。3人の目線の先には、車検場と繋がった、何台かのカスタムカーが並ぶ立派なガレージが見えていた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 巧と龍田のこの2人、一体何をしにわざわざ御殿場まで、それも平日の仕事のある日に来ていたのか。それは、1日前に86の改造を手伝った島風たちのちょっとした罠に嵌められたのが原因だった。

 

 摩耶と那智の疑問の通り、実は用意されていた部品諸々は定価で購入されていたものではなかったのだ。どれもが店の宣伝、軽い手伝いなど、売り上げに貢献するならば、という好意で譲って貰った物らしく。多くはチームメンバーがこなしたそうだが、残った「軽い手伝い」のシワ寄せを2人がやることになったのである。

 

 鎮守府の抜けた埋め合わせは、現役で艦娘稼業もできるメンバー数人が助っ人に。独自行動の特別免許なる物を持ち、実力まで折り紙つきの艦娘が代わりに入るなら……と、緒方は許可を出し。2人は手始めに、御殿場までカリーナの納車に、次に城島の店の手伝いに入るところだった。

 

 手伝ってくれるのはいいけれども、身内が勝手に変なことして、自分が変な仕事を押し付けられるとは……恨むぞマコリン……。

 

 愛憎……は流石に言い過ぎだが、似たようなそうでもないような愚痴を巧は内心で垂れていると。整備工場内の車列の前に立った城島から、今日やることの説明を、龍田と仲良く聞くことになる。

 

「従業員が有休を取ったもんでな。人手が足りてねーから、洗車を手伝ってくれや」

 

「「はーい」」

 

「譲った部品代分は仕事してもらうがな……が、小遣い程度は金も出す。まぁ気楽にやってくれ」

 

 じゃあな、とショップのほうに行った彼を見送り、2人は早速仕事に入る……前に、巧は龍田からこんな事を言われた。洗車のやり方である。

 

「さっ。ちゃっちゃと終わらせましょうか」

 

「あの、南条さん……」

 

「ん?」

 

「車の洗い方、教えてね?」

 

「はい。大丈夫、簡単ですよ」

 

 そっか。女の人だし、普通は洗車とかやらないもんな。

 

 自分の性別を棚に上げそんなことを考えながら。何かちょうどいい車は無いかと周りを見て、巧は最適な生け贄(!)を発見した。持ち主には失礼だが、比較的新しい乗用車ということで乱暴な仕事がまだ許されそうな、水色の日産のノートe-power(イー パワー)だ。

 

 普段から鎮守府でもやっている業務ということで、淡々と仕事道具を揃え。たっぷりと水を含ませた大きなタオルを片手に、手を動かしながら彼女は龍田に洗車の仕方を教える。

 

「とにかくまずは車体を濡らすところからですね。こう、テキトーにこれで拭いていってください」

 

「そんなに大雑把で良いのかしら?」

 

「いいのいいの、キチンと仕上げればわかんないんだから。濡らした後はカーシャンプーの泡を、こっちは全体にまぶすんじゃなくて、定点的にポトポト落としていって……」

 

 なんの事はない。手順さえ抑えればそれこそ学生でもこなせる業務内容を教えていく。流石に社会人なので、そこは要領よく龍田は飲み込み。ノートの洗車が完了したあと、2人は別々になって仕事を続けた。

 

 それにせよ、とにかくこの建物はデカイ。車両用リフトなんて4基有るし、今作業中の車も5台ほど並んでいる。これ、下手をすれば本当に並のディーラーなんかメじゃない設備だよな……。

 

 弁当屋から連れ出されて鎮守府暮らしになった巧だが、その前は2件ほど車屋で働いていたのだ。過去の記憶にある店とは規模が違う設備たちに、城島の個人経営ながらすごい店だな、なんて思う。

 

 考え事と平行して手も止めずにしっかりと作業はこなす。そもそもこの仕事、元は自分の為に周りがやってくれた事の恩返し。手は抜けぬ、そんな風に思っていたとき、また龍田に声をかけられた。

 

「南条さ~ん。助けてくださいな」

 

「どうかしました?」

 

「この車も同じように洗って良いのかしら……なんだか怖いわ」

 

「どのクルマ……うわっ」

 

 少し離れた場所にいた龍田の近くに来て、視界に入った車両を見、巧の表情がひきつる。これまた、なかなかにスゴい車が止まっていた。

 

 S54B型スカイラインGTーBの2型(?)と思われる、白い、見るからにクラシックカーチックな外見の物だ。泥を被っていて小汚いが、確かに、龍田のような、そこまで車に興味が無さそうな人間もたじろがせるような妙なオーラが漂っている。

 

「そんなにスゴい車なのかしら~? 古そうとは思うけど、キタナイわね~」

 

「天龍の乗っていた車、あるじゃないですか? アレの遠いご先祖様ってところの車でしょうか……でも実物は初めて見たかも」

 

「あら~……具体的には何年前の車なの~?」

 

「私のおミソが正しければ、ざっと70年ぐらいは昔かと」

 

「あら~あらあら……」

 

 流石に度肝を抜かれたか。いつもは掴み所の無いような態度の龍田の表情が、心なしか少し蒼くなった。

 

「……そーですね。じゃ、また一緒に洗いましょうか」

 

「そうして貰えると嬉しいな~……傷をつけたら幾らで弁償なのかしら……」

 

「さぁ。考えたくもないですね」

 

 恐る恐る、といった表現が適切な動きで、2人はこのクラシックカーの洗車を始めた。

 

 

 こういった車の磨きや洗車に必要なのは意外や意外、傷物に触るような慎重さ、ではなく、大胆さと勢いだったりする。

 

 今の車と違って車体が軽いコレを、一先ず風当たりのいい施設の外まで2人が押し出し、周りに何もないことを確認してから、作業開始だ。

 

 先程までは水で濡らしたタオルで吹く工程から始まっていたが、巧はまず初めに高圧洗浄機を持ってきて、遠慮なく水を車体にかけていく。水圧で窓や外装がギシギシ言う車を、隣で龍田が白い顔で観ていたがお構いなしだ。

 

 自動洗車機にぶちこまれた後みたいな状態になったのを見て機械を止め、次に2人は先程まで使っていた濡れタオルで拭く。ここまではまぁ他の車でもやるであろうが、旧車の場合、更にここからもう一歩踏み込む。

 

 車内の掃除なども想定されているのか。巧はドアロックのかかっていなかったスカイラインのドアとラゲッジを開けて、次にドライバーを持ってきてサイドスカートとフェンダーを外した。息をするように部品を外していく彼女から、取り払ったパーツを受け取りながら、龍田はこれは何をしているのか聞いてみる。

 

「南条さ~ん? これに意味は有るのかしら~? 珍しい車なんでしょう?」

 

「アリです。もう大アリですよ。昔の車は今の車とちがって、コレぐらいやらないとダメだったりするんです」

 

「どういうことかしら?」

 

「今の車はガッチリと溶接されているから、ドアの中に水が溜まったりはしないんです。でも、昔の車は部品がモナカ割みたいな構造なんですよね」

 

「……あぁ、つまり錆びないように割って中の水を抜くのね?」

 

「ご名答です。少し違うんですが似たようなものかな?」

 

 巧が指を指した場所を見る。ついさっき部品を外した場所から雨漏りのように水が溢れている。彼女の言う通り、また自分でも察した通り。部品を外さなかった場合、ここに水を吸ったゴミやホコリがたまって錆びるのだろうな、ぐらいは流石に理解できた。

 

「後はコレも外しますね。で、ここを拭くんです」

 

「雨漏り防止用のパッキン? それってそんなに簡単に外れるんですか?」

 

「ふふふ……まあ見ていてください」

 

 そう言った直後。巧は車内とドアの境目にあるシリコン製のレール状の部品をとっ掴み、思いきり引っ張った。すると、裂けるチーズ並に気持ちよく部品がすっぽぬけて外れる。力任せに引きちぎったのかと思った龍田の顔から表情がなくなる。

 

「あっ……あ……」

 

「こんな感じですね。簡単に取れちゃうんですよ」

 

「な、なんて事を……」

 

「そして簡単にくっつけれるんです。ホラ」

 

「………へ?」

 

「ウェザーストリップってんですけどね。今はボルト留めなので簡単には取れないんですけど、昔は手作業で嵌め込んだりしてたから、結構簡単に取れるんですよね」

 

「へ、へぇ~……力任せに引きちぎったのかと……」

 

「ははは、流石にこんな車にそんなとこはできないです。さ、次はワックスかけましょうか」

 

 

 

 

 手伝い2人の頑張りが30分ほど成された後。そこにはさっきまで泥を被っていたのから、見違えるように綺麗になったスカイラインの姿があった。

 

 綺麗な真っ白ではない、陶磁器やなんかを連想させるクリーム色っぽいホワイトのこの車両を見ながら。巧は最後にやらなければならないことを思い付き、若干表情が怪しくなる。

 

「綺麗になったね~」

 

「…………」

 

「……南条さん、険しい顔してどうしたの~?」

 

「最後にこの車で町内一周ぐらいはしたいんですよね」

 

「あら~憧れのクラシックカー体験かしら~?」

 

「そういうのじゃないんです。さっき、こういう車のドアなんかはモナカみたいな構造って言ったじゃないですか?」

 

「聞いたわ」

 

「ただ、流石に洗車ごときでドア外したりなんてはしないし、かといってガレージみたいな風通しの悪いところに置いておくと中身がサビるんです。だから、走って風に当てて乾かす必要が」

 

「聞けば聞くほど、こう、なんというかこちらが介護している気分になる車ね~」

 

「……龍田さんなかなか例えが上手ですね」

 

 介護が必要、か。なんだかしっくり来るかも。

 

 それとなく2人で相談し、とりあえず城島からこの車の鍵を持っていないか聞いてこようか? 等と話していたら。ちょうど用があったのか、噂していた人物がこちらに来ていた。

 

「嬢ちゃんら、言い忘れて悪……なんだやっちまってたか」

 

「はい?」

 

「いやね、その車は俺が洗うって言うのを忘れてたんだ……見たところもう洗車しちまったらしいな」

 

 やっば。核爆弾踏んだか……? 勝手に作業を済ませてしまった女の顔がそれぞれ蒼くなる。が、別に彼の口からそれを咎めるような発言は出なかった。

 

「オイオイ、またこりゃすっげえ綺麗に仕上げたもんだな。どっちがやったんだ?」

 

「へ? えっと、2人でやりましたが……」

 

「合格!」

 

「「はい?」」

 

「こんな綺麗に仕上げられるのが若いやつに居るたぁねェ。完璧な仕事だ、あんたらウチで働かないか?」

 

「あ、えーと、いえ、ちょっと今の職場からは離れられなくて」

 

「ふーん。残念。まぁいいや、他の車はもう洗ったのか?」

 

「えぇ、このスカイラインが最後でした」

 

「そうか、いやありがとうな。手伝いはもういいよ。納車に行って貰う車が夜に来るから、適当に遊んでてくれや。それじゃあ」

 

「……! はい!」

 

 ……あっぶね。整備資格とか持ってて本当に良かった。

 

 自分のこなした仕事に不備はない、と言われて。巧はホッと胸を撫で下ろした。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 午後7時、2人は施設に併設されたスクラップ置き場やらを見て時間を潰した後に、最後の仕事に取り掛かっていた。御殿場から横須賀まで、1台のスポーツカーの納車である。

 

 巧が運転を任された車両、曇りなく磨かれたミッドナイトブルーのS30Z(エスサンマル ゼット)は、爆音を引き連れて箱根の夜道をロケットのように駆け抜ける。

 

 エアロ系の部品はフロントとリアに小さなスポイラーのみ。ホイールはワタナベ製と、見るからに持ち主が某漫画に寄せて作ったような外観のこの車。なかなか運転のクセが強く、朝のカリーナと同じくまた彼女は苦戦していた。

 

 高い回転数を維持した走行でも、妙な故障やらが起きないか、それを検証するために走り屋みたいな荒っぽい運転が必要なんだ。朝にも夜にも城島から言われた条件に従って車体を振り回す。

 

「……ッ! ……………」

 

「南条さん、顔がひきつってますよ~?」

 

「本当、面白いぐらい曲がらないですねこの車って!」

 

「そうね~流石の私にも少し解る気がするわ~」

 

 眉間にシワを寄せ、4点シートベルトでガッチリと体をシートに縛り付けられた状態のまま、巧は体を左右に振って車体に慣性を掛ける。もっとも当然ながら意味は無く、エレベーターのボタンを連打するような、気持ち的にやりたくなる行動なだけだ。

 

「FRに慣れるためったって……もう少しいい車は無かったのかな」

 

「いつもの車とは違うのかしら~?」

 

「全然違いますねッ!?」

 

 会話の最中。巧は一瞬、普段から乗っているインプレッサではなんともないような操作ミスをした。

 

 たった1度。だがミスはミス。振り子が反対側に振られるような動きのように、物凄い勢いで青のZはぐるりと右向きにスピン。彼女が類い稀な反射神経で、回った方向にハンドルを切っていたため、なんとか車は壁や草木にぶつからずに済む。

 

「フゥーーッ……こういうことが。いつもの車ならまず無いです」

 

「…………」

 

「龍田さん?」

 

「ま……まだドキドキしてる……」

 

 流石の巧もヒヤっとした恐怖体験に気絶したのかと思ったが、胸に手を当ててそんなことを言った彼女に。巧は軽く噴き出す。

 

 自分の作ったハチロク。まさか、これ以上に乗りづらい車では有るまいて。そう思わせるために、わざわざ城島サンと土屋サンはこんなに制御不能なマシンを手配したんじゃあなかろうか?

 

 そんなような邪推1つ、頭に浮かべる。対向車が来る前にZを順走の車線に戻し。巧はまた、猛烈に重いクラッチとアクセル、ステアリングに力を込めた。

 

 

 

 




アンケ車種言ってくれた皆様全員分、(ほぼ)全部出しました。話に添って出すの本当にしんどかった()

ABS→アンチブレーキロックシステムの略。急ブレーキ等の操作をしてもタイヤがロックして操舵が効かなくならないようにする安全装備。これも現在の車の殆どに装備されている。


オマケ ずっと主要人物なのに挿絵の無かった摩耶様。摩耶様可愛いよ摩耶様(洗脳済み

【挿絵表示】


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決戦前夜

書きなぐったので話が二転三転しています。御了承をば。



 

 ふぅーッ、と1度、巧が大きなため息を吐く。青いZを横須賀に届けるという仕事が終わる時には、時間はもう午後の9時頃だった。

 

 仕事納めと同時に、こちらの手を煩わせずに済むように、なんて城島の配慮で設定されていた納車の場所……すっかり彼女には職場を兼ねた家も同然な鎮守府に到着する。

 

 道中に調子に乗って飛ばしていて大スピン。あわや下手をすれば大惨事、なんて事もあってヒヤヒヤ物だったけれども、無事に帰ってこれた事に安堵しつつ車から降りる。隣の龍田も降りたのを見て、さて、86のセッティングを詰めようかと工廠に行こうかとしたとき。今日限定でヘルプに来ていた人物に会う。

 

「こんばんわ。お疲れさまだったね」

 

「あ、土屋さん」

 

 島風の声が聞こえた方に顔を向けた瞬間。表情筋がつっぱり、なにかヤバい物を見た……みたいなひきつった表情が巧の顔面に浮き出た。なんと言おうか、島風の格好にビビったのだ。

 

 どう頑張ってもヘソが見えるような丈が短すぎるノースリーブの海兵服(?)に、少し動いただけでパンチラしそうな超ミニスカ。なんだこれ? まさかこの人の趣味か? そっとしておこう……。考えていると、そんな思考を察されたのか。巧向けに彼女が口を開く。

 

「……? あ、そっか。この格好見るの初めてだよね。初見だと凄いよねコレ」

 

「え? あ、はい」

 

「えっとね、艦娘島風の制服なんだ」

 

「!?」

 

 マジで言ってるのん? 一応軍隊だろうに、偉い人の考えることはよくわからん……。巧の混乱中も島風は続ける。

 

「最初はね。レースクイーンみたいな物かと思ってたらさ、本当に島風の制服らしくって。もう最初はバリバリ抵抗あったんだヨ」

 

「へ、へぇ~……」

 

「まぁ関係ないハナシはここらで。車、運んでくれてありがとね、乗りづらかったっしょ?」

 

 口を動かしながら車に乗り込む彼女に。またまた巧が軽く驚く。どうやらこのZ、島風の私物だったらしい。

 

「土屋さんの車だったんですか?」

 

「私のっていうか、ガレージ貸してるというか……病的なクルマ好きの知り合いがね、置場所が無いから置いといてくれって!」

 

「スゴいですね、金持ちですか?」

 

「私の提督。もう、軍属だからってカネに物言わせてミニカー感覚で車集める変態だよ。私はこれ乗って一旦京都まで帰るから、じゃあね。代わりのお手伝いありがとう!」

 

「どういたしまして」

 

「あとね、ちょっとしたプレゼント置いておいたから。工廠行ってみて。それじゃ!」

 

 エンジンを空吹かしした後に、飛ぶような速さで青い車と共に島風が鎮守府から出ていく。巧と龍田はそんな彼女が門をくぐって道路に出ていくまでの短い間、手を振って見送る。

 

 プレゼント、って何だろうな? 彼女が残していった言葉に従って。もう就寝に入るから、と言う龍田と別れて巧は工廠に向かう。

 

 

 

 

 遅番の作業員たちが働く、24時間稼働中な建物に入ってすぐ。視界に入ってくるのは、すっかり各所に手が入り、もとの純正姿からはかけ離れた外見に様変わりした86だ。

 

 クリアすら塗っていないカーボンの部品で、白からモノクロカラーになったそれを尻目に、プレゼントとやらを探す。どこかと顔を動かしたが、車のすぐ近くに置かれていたので、案外すぐに見つかる。早速巧は安置されていた、包装紙で包まれた大きな段ボールの封を切り、中を覗いてみた。

 

「…………?」

 

 なんだこれ? 大きなガスボンベ??

 

 中に入っていたもの。何かの金具数点と、耐熱性のシリコンチューブ、そして一際目立つ、炭酸飲料の缶ボトルのような青色の大きなボンベに。彼女の頭に?マークが浮かぶ。

 

「!!」

 

 それを手にとってくるくる回していたとき。ボトルに大きく貼られた、「Nos→」と書かれたシールが目に飛び込んできた。同時に巧はコレを用意してくれた島風に大きな感謝の念を抱いた。

 

 箱に入っていたこれらは、カースタントやアクション映画でお馴染みの、ナイトラス・オキサイドシステム。通称、「ニトロ」を車に積むための一式の装備だ。

 

 自動車のパワーアップと言うのはなかなかシビアな世界で、業界では「1馬力=1万円」だなんて言われている。だが、これはターボやスーパーチャージャーに匹敵し、たったの数万円で計算上は100ps以上車の底力を引き上げることが可能な、文字通りの切り札的な存在だ。

 

 すぐに取り付けてみようか。説明書はどこかと箱の中身をまさぐっていると、ふと、視線を感じて建物の出入り口に目線が移る。勘は当たっていたらしく、何をしに来ていたのかそこにいた加賀と目と目があった。更によく見れば、近くに摩耶と那智の姿もある。

 

「あ……見つかっちゃった」

 

「どうかしました雪菜……って、那智さんとマコリンまで?」

 

「進展どうかなと思ってな。で、今度は何をしてたんだ」

 

「土屋さんから物貰ったんです。ちょっと手伝って貰えないでしょうか?」

 

「当たり前だ。そのために来たんだしな」

 

「ありがとうございます!」

 

 こういうとき、交遊関係を大事に生きていく事の大切さを実感するなァ。なんて噛み締めつつ、快く快諾してくれた3人合わせ、4人は作業に取り掛かった。

 

 ガスを車の心臓部に噴射するためのホースをエンジンルーム内へ。それを引っ張ってきて車内に中継させて、内容物の入ったボトルを後部座席を取り払ったスペースへ。最後に、ハンドル基部にドリルで穴を空け、システム起動のON・OFFを切り換えるためのスイッチを嵌めて配線を通し完了だ。説明だけなら楽だが、配線処理に手こずり、全行程の終了に1時間弱程が経過していた。

 

 やっと終わったかな? 一息ついて、巧が持っていたドライバーを工具箱に投げ入れたときだ。あくびや伸びをして眠気を誤魔化している摩耶と那智から離れて、車の影で加賀が何かしているのを目にする。

 

 彼女のしていた事は、隣に並んですぐにわかった。理由は不明だが、車のドアにペンで「加賀」と描いていたのだ。何のつもりだろうかと巧は相手に質問を投げる。

 

「名前なんて描いてどうするんですか?」

 

「ほら、物に祈りを込めたら魂が宿るとか言うでしょう? 願掛けのようなモノよ。私が運転するわけではないけれど、せめて応援をと。」

 

「………なるほど。私もやろうかな」

 

 加賀の言うことに乗り。眠気で下がる瞼を擦りながら、那智と摩耶も同じような行動を取ることに。巧はというと、敢えて名前は書かず、「VS GTR」と書き入れるのだった。

 

 4人で、出来上がった車を眺める。また加賀が口を開く。

 

「……クルマに名前とか付けない? こう、アイツに絶対負けねーぞ! みたいな意思表示として」

 

「名前か……ていうか加賀の口からそんな言葉が出るとは」

 

「……「マメ」とかどうだろうか」

 

「「「マメぇ?」」」

 

「だってGTRから見たらハチロクなんてマメみたいなもんじゃん? 後はほら、ドリフトキングのAE86にあやかってさ」

 

「マメなんていう割には随分とゴツくて威圧感あるクルマだけどな?」

 

 「ごもっとも!」と巧が返事をすると、全員笑いだす。が、そんな中で、摩耶がこんなことを聞いてくる。

 

「何回も言ってしつこいとは思うけどさ。本当にコイツで勝負するんだよな」

 

「うん。天龍の仇だもの。絶対にFRの車で勝たないと」

 

「その、FRでもZとかシルビアとかのほうがのほうが良かったんじゃないの? 少しでも馬力があったほうが、私は良いと思うんだけど」

 

「う~ん……そこなんだよ。でも、いくらパワーあったって、場所は峠の、しかも冬の道だし。半分もフルパワー出せないなら、思いきって減速する必要ないぐらいの非力な車のが有利なんじゃないかなって」

 

「……………。そっか。そこまで言うならまぁ、こっちから言うことは何もねーよ」

 

 摩耶の口からその返答が来た時に時計を見ると、針は12時を指していた。そろそろ眠気も限界に来たか、加賀と那智就寝のために本館に戻る。

 

「………? マコリン戻んないの?」

 

「あと一個な。言っておきたくてよ」

 

「何さ?」

 

「負けんなよ。あんなGTRのクソ女なんぞな、ぶっちぎっちまえ!」

 

「………! うん!」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 時間が時間のため、周囲はしんと静まり返っている。夜の闇にそっと隠れる鎮守府の隣で、騒がしく金属同士がぶつかるような騒音が漏れている工廠から4人が出ていってから数分。巧は全く気が付かなかったが、女達に気付かれないように様子を見ていた人物が、86が止めてある場所に来る。彼女の父、南條 明だ。

 

 生意気な自分の娘が手こずるこの車のチューン。手伝ってやりたい気はあるが、その娘と同じで妙にあまのじゃくな性質がある彼は、誰も見ていない所でこっそり手を貸そうという魂胆でここに来ていた。

 

「……………」

 

 毎日食堂で聞き耳を立てているうちに仕入れた、明後日にバトルするという情報。それをもとに、さて、しっかりと命をのせて走れる車に仕上がっているのかな? 等と考え混じり、いつも巧が車のキーを置く工具置き場から鍵を掴み、車に乗る……

 

 ……前に一言。誰も居ないガレージ出口に、彼は呼び掛けた。

 

「そろそろ、出て来ていいんでないかな。戦艦水鬼さん」

 

「……………!」

 

 声を宛てられた場所から、未練がましいようにふらふらした動きで1人の女が引きずり出されて男の近くに来る。彼女の親同士、考えていた事は同じだったらしい。戦艦水鬼もずっと作業中の4人を見守っていたのだ……もっとも、彼女らの離脱を待っていた明とは、張っていた理由は違ったが。

 

「いつから気づいてました」

 

「1時間ぐらい前か……と言いてぇが。アンタ俺の記憶が正しければ、ここんところずっと巧のストーカーしてただろ? ここの前でソコに詰まれたドラム缶に隠れてさ」

 

「!!」

 

「恥ずかしいのはわからんでもないが。話がしたいなら近付け。手伝いたいなら話し掛けろ。ウジウジしてちゃ、娘と距離は縮まらんぜ」

 

「……………ッ」

 

 しまった。言い過ぎたかな。

 

 励ますどころか若干話が説教染みた事に、内心、自分で自分に突っ込みを入れる。よくよく考えればすぐに解る。前も戦艦水鬼から直に聞いたが、娘とはいえ30年近く言葉を交わさなかった間柄なのだ。ほとんど他人も同然だろうし、自然と会話や接点を作りづらいと思ってしまうのだろう。流石に自分が言った言葉は酷だ、と思う。

 

 着ていたコートの襟を弄りながら、戦艦水鬼は明の顔を見ないように、と顔を下に傾けながら卑屈な発言を述べる。

 

「貴方には解らないでしょうよ。顔を見ても、挨拶以外に言葉が浮かばないんです。私は人と違うから、気の効いた事なんて言えないし、流行りの話題なんて事も解らない」

 

「…………」

 

「貴方には……わから

 

 彼女が長々と話を続けようとした矢先明は何を思ったか、会話(?)を捩じ伏せ、戦艦水鬼の手を取ると、彼女を無理矢理車の助手席に押し込んだ。

 

「はいはい解らないです。だからちょっと乗って!」

 

「えっ……痛ッ、ちょっと」

 

「ドライブ行こう。気分が晴れますよォ~」

 

 間髪いれずに自分も乗車し、明は流れるような動作でエンジンを始動させる。そのまま彼は、乗り気ではない戦艦水鬼を連れ、どこかへ車を発進させるのだった。

 

 

 

 

 昔に1度、数ヶ月だけ仕事で来ていた時の記憶を便りに、神奈川の道を行く。彼が水鬼を連れて向かっていたのはヤビツ峠だった。

 

 急勾配、緩急コーナー、高速コーナー、全てバランスよく纏まったこの場所は、車の性能を見るのには最適で。更に付け加えれば、夜の菜の花展望台から見る星空が綺麗だ、なんて点でも昔はそれなりによく来ることがあり、思い出深いのだ。

 

 深夜1時ちょうど。峠を上ってきて、誰も居ない駐車場に白線を無視して豪快に車を止める。運転中、ナビシートの彼女はムスっとしていたが、目的地に到着してなお、その不機嫌そうな顔が直ることはなかった。

 

「全く……無理矢理連れ出して、何する気です」

 

「アイツの手伝いがしたいんですよね。ってんなら、じゃ手伝わせてあげようかねぇなんて」

 

「?」

 

「明後日、アイツはこの車で箱根に行くんだ。隣に乗ってあげてください」

 

 発言の意味がわからず。水鬼はその行動がなぜ巧にとっての手伝いになるのか、そしてどうしても必要なのか、彼に問う。

 

「理解に苦しむわね。私よりも、気心の知れた艦娘の子か、貴方の方が彼女は喜びそうだけれど」

 

「それじゃ駄目なんだ。アイツは言ってた。貴女と話がしたいって」

 

「…………!」

 

「明後日は大事な日だ。アイツは行く先で、相手と命のやり取りをする。そういう時勇気づけるのは、やっぱり母親なんだよ。何十年も昔からの、漫画なんかじゃあ定番だろう?」

 

「……!? 命のやり取りって……」

 

「ほらな、やっぱり知らなんだ」

 

「当たり前でしょう!? 録に会話をこなしたことも無しに、そんなこと……」

 

「だからその日に同行してやってくれないかと言ったんだ。この機会を逃すかい。多分だが、この日を後にしたら、一対一で接点を持つチャンスなんざそうそう来なくなると思う」

 

「………………ッ」

 

 ずかずかとこちらの気にしているところに踏み行って来る。気に入らん。だが言うことはもっともだ。だからこそ、とてつもなく腹立たしい……

 

 明の言葉に水鬼は唇を噛んで拳を握る。何秒間か数分間か、無言の間を挟む。言いたいことが纏まった彼女は口を開いた。

 

「一体何を話せと言うのよ……母を自称していいのか怪しい私に……」

 

「近くに居てやるだけで良いと思います」

 

「そんな……」

 

「「大したことじゃない」って? 違うんだなこれが。その大したことじゃない事は、結構人間に力を与えるんですよ」

 

「……………………」

 

「……しまったな。また湿っぽくなった。少しこの車のクセが見たいんで、また隣に乗ってください」

 

「……わかりました」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 少し熱くなりすぎた。……なに言ってんだろ私……

 

 水鬼が、山を上っていく車内で揺られながら思う。

 

 気分転換に窓の外を見る……どこもかしこも木と草と暗闇のみ。つまらん。そう感想が頭に浮かんだ途端に視線をずらしてしまう。運転席の彼とのさっきの展望台での口論から、気が滅入るばかりだ。

 

 「気休めかもしれないけど」。唐突に明が話し、水鬼は顔の向きは変えず耳だけ集中させて彼の声を拾う。

 

「前も言いましたがね。深く考えすぎなんですよ」

 

「……そうでしょうか」

 

「巧とそっくりですよ。あなた」

 

「え?」

 

 無関心そうな態度を崩さないように心掛けていたつもりが、男の発言に、反射的に彼女は首を動かす。

 

「へったくそな無関心のフリだとか、友達作るのヘタクソだったり。そのくせして寂しがり屋で、会話に飢えている矛盾の塊」

 

「あ、そう」

 

「ほら顔赤くなった!」

 

「!! こ、これは……!」

 

 端から見れば夫婦にも見えなくはない雰囲気を漂わせながら、尚も明が口撃を続ける。

 

「あぁ、やっぱり親子なんだなぁって、思いますもん」

 

「……嫌な人ですね。明さん」

 

「でしょうね。人を弄るの大好きだし!」

 

「好きにしてください!」

 

 鬱気分がすっかり吹き飛んでいたことに、水鬼は気付いていなかった。ただ一人、うまくこういう雰囲気に引きずり込めた、と明は内心で笑う。

 

 「さて」。そう明が言ったとき。いきなりグンと速度を挙げた車に、水鬼はバケットシートに体を押し付けられる。

 

「ちょっと飛ばすから。怖いかもな」

 

「え?」

 

「それッ」

 

 明がハンドルを回す。リアがブレイクした86は壁に顔を向けつつ、真横にズルズルと道路を滑っていくが、水鬼には何が起こっているかわからなかった。

 

 生きてきた中で車に乗ることは何度かあったが、どれもこれも護送車か運転手と武装兵付きの高級車。ドリフト中の車に乗り合わせた事など正真正銘今日がはじめてだ。

 

 車とは、こんな動きをする乗り物なのか? 

 

 脇腹から反対側の胸に抜けていくような強烈なGを体感していたとき。深海棲艦の自分はともかく彼は怖くないのかなんて考え、目が運転先側に動く。

 

 

「………え?」

 

 

 明はハンドルから手を離し、ポケットから携帯電話を取り出して操作していた。もちろん今はドリフトで車が滑っている真っ只中である。

 

「何をしているの!?」

 

「いや、ちょっと音楽聞きたくて……」

 

「運転は!?」

 

「少し待っててください」

 

「真横にすべって……!!」

 

 反対側に顔を動かす。脳が理解を拒む速度で崖が迫ってきていた。

 

 

 終わった。死ぬかも。もっと巧とお話したかった……

 

 

 事故を起こす予想を映像として妄想しながら、水鬼はすっかり生きることを諦めた……が、事故は起きなかった。

 

 ガードレールを破って崖から落ちる寸前でビタリと横滑りは止まると、この車、また前に進み始めた。気絶寸前の中で、また視線を明に移す。外されたカーナビが収まっていたダッシュボードの隙間に、音楽アプリを再生中の携帯電話を挟み終え、ご満悦の様子でハンドルを握り直していた。

 

「よ~し。こんなもんか」

 

「     」

 

 理解不能だ。この人 人間じゃない。

 

 自分の事を棚に上げながら、水鬼は気絶した。

 

 

 

 




次回 バトル開始


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2月の終わり

死ぬほど忙しい()

ずっとやりたかったお話になります。では、どうぞ~


 

 

 

 約束の日がやって来た。今日は2月28日。例の女と、巧が箱根で勝負する日だ。

 

 午後5時頃、天龍は艤装を着けて鎮守府の港に帰投していた。最近は整備の仕事が多かったが、久しぶりに艦娘としての海上警備の仕事が入っていたからだった。

 

 背負っていた装備をガチャガチャ外しながら建物に入る。前なら挨拶すらしなかったが、今ではすっかり心の入れ替わった真面目ちゃんになった彼女は整備スタッフ達と挨拶を交わしながら、持っていた艤装を渡し、壁に貼ってあったカレンダーを眺める。

 

「…………!」

 

 そっか、もうこんな日か。

 

 今日という日がどんな日なのか。思い出して、前に、レストランで話した自分の頼みを渋々引き受けてくれた巧の顔が頭に浮かぶ、そんな時。天龍と同じく、作戦終わりで艤装を整備班に渡していた妹……龍田から声をかけられた。

 

「姉さん。ちょっといい」

 

「どうした」

 

「2人で話がしたいの。……今日が何の日なのか、知ってるでしょう?」

 

「……解った」

 

 いつもはへらへらした表情で、かつ、間延びした声で話すというクセがあるのが。今話しかけてきた時には鳴りを潜めていたので、真面目な雰囲気が漂っていた彼女に、天龍も引きずられて真顔になりながら後を着いていく。

 

 大体の艦娘は一部を除いて普段から制服姿のために、あまり使われないロッカールームなる部屋が鎮守府にはあった。龍田が予想していた通りに誰も居なかったそこに連れられて。天龍はお話、とやらを聞くことになる。

 

 どんな話だ。俺が巧さんに無茶を振った件か? ……それしか無いか。アホらしい。天龍が思う。相手が口を開いた。

 

「姉さん。このところ、誰も言わなかったから。私から言うわね」

 

「なんだよ。勿体振って」

 

「姉さんって、どっちの味方なの?」

 

「……は?」

 

 巧さんと島風どちらか? 当たり前に巧の方の肩を持つに決まっている。「巧さんを応援しないで相手を応援する馬鹿が……」。そんな言葉が口から出る。が、天龍の捉えた「どっち」とは意味が違ったらしい。龍田は心底呆れたような顔をしながら、ため息混じりに続ける。

 

「「好きな人の頼み」なのじゃあ無かったの。あのお話は」

 

「あっ……」

 

 そう。「どっち」というのは巧と島風ではなく、巧と谷本の事だった。自分の頭の悪さというか、察しの悪さに嫌な思いを抱く暇もなく、更に龍田は語気を強めながら話す。

 

「姉さんは巧さんの事をちゃんと考えたの?」

 

「それは……当たり前だ、色々考えてるさ」

 

「嘘ね」

 

「!!」

 

「本当にしっかり考えてるなら今、ここで言って。言えないでしょう? ホラ、だって今、目線逸らしたものね」

 

「…………………」

 

 何も言い返せず。天龍は黙ることしかできなくなる。

 

「もっと深く物事を考えるクセをつけろって……両親に前から言われていたでしょう。少し思い返しただけで、巧さんのメンタルなんてすぐに解るわ。……慣れない職場と環境に来たばかりか、落ち着く暇もなくいきなり身内に人間じゃない生き物だなんて言われて……疲れていない筈がない」

 

「………………ッ」

 

「姉さんがあの男の人を庇いたいのも解るわ。姉さんだって女の子だから、それは惚れた男には弱いでしょうから。でも、だからといって、良い年してそれを自分で解決しようとしないで、しかもよりにもよってあの人に頼むだなんて……いくら巧さんやマコトさんが乗り気だからって、その優しさと隙に漬け込んで入るなんて卑怯だわ」

 

 一字一句ひとつひとつ、妹の言う言葉が内蔵に突き刺さって出血しているような思いだった。自分という人間が情けなく感じてしまって、天龍の瞳と拳が震える。

 

「姉さん昔言ってたよね……無責任な大人ほど、嫌いなものは無いって……」

 

「……あぁ。言ったけなそんなこと」

 

「今の姉さん、その言葉そのものみたいな人になってるわよ」

 

「……そっか。そうだよな……」

 

「私はね。今日は巧さんに、待ち合わせ場所まで行かないように説得するつもりなの」

 

「…………」

 

「当たり前でしょう。あんなにでこぼこして先の見通しも利かない場所で、しかも夜に車でレースだなんて危険すぎるわ。……本当は一人で言いにいくつもりだったけれど。姉さんにも来てもらいたいの」

 

「……うん。当然だ」

 

「そう。じゃあ、行きましょう。さっき予定表を見たら8時に出発するみたいだから、その時間に駐車場に来て」

 

「応。」

 

 言いたいことは全て吐き出し。龍田は、頭痛に悩む人みたいな、額に手を当てる動作をしながらロッカールームから出ていった。

 

 己の不甲斐なさか、厳しいことを言われた反動か、それとも疲れからの整理現象なのか。天龍は両目から頬を伝う涙を拭いながら、部屋を後にした。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 午後8時まであと少し、といった時間、同じ日に天龍姉妹のちょっとした葛藤の混じった会話が繰り広げられていた事は勿論知らず。巧、摩耶、那智の3人は、86とCR-Xの前に立っていた。やっていたことと言えば、簡単な車の最終チェック、的なカンジだ。

 

「タイヤは新品だけど、向こうまで自走だからこれで良し。ニトロ良し、マフラーも交換したから完璧!」

 

「気合い入ってるのはいいけど、ほんと、無理するなよ? 万が一のために私らも行くがな、病院まで救急車換わりなんて嫌だからな」

 

「大丈夫ですよ。あんな下手っぴぶっちぎりです!」

 

「お、おう。ま、いっか」

 

 巧は自分の乗る車のタイヤを軍手の履いた手で掴んで、空気の内圧やらを軽く確認し、用が済んだ手袋を車内に放る。毎度のクセで、気合を入れるおまじないのように、両手で軽く顔面を叩き、気付けにする。

 

 準備万端、サァ出発だ、と言うとき。視界の隅に入った人物に、目と顔が動く。「あっ……」。巧に顔を見られてそんな声を挙げる、ベンチコート姿の戦艦水鬼が居た。

 

「なんだ巧……あっ、どうもこんばんわ」

 

「どうしたんですか、こんな時間に」

 

「……! っ、えっと……」

 

 摩耶から挨拶を貰って、巧に話しかけられて、彼女はモジモジし始める。何やら察するところ人と話すのが苦手なのか慣れていないか、そんなところなのだろう。こちらから会話の主導権を握ろうかと巧が続ける前に。水鬼がこんな事を言ってくる。

 

「その、貴女達は今夜お山に登りに行くのよね?」

 

「「「………???」」」

 

「私、生まれが海だから、自然に触れたいの。一緒に連れていって貰えないかしら!」

 

 彼女の発した言葉に一同が妙な表情になった。……勿論水鬼が言ったことは、巧のナビシートに乗る口実に過ぎなかったのだが、当たり前にそんなことは存じない3人は頭を悩ませる。今日のバトルが、情報がねじれにねじれて、変なふうに相手に伝わったのだと認識したからだ。

 

 どうしよう……何て伝えたら良いだろう。巧が困っていると。隣に居た摩耶から、小声で「連れてってあげれば?」と耳打ちされて、正気かと彼女は親友の方向に顔を向ける。

 

(危なくない? 何も知らない人連れてくなんて……)

 

(別に、ダウンヒルの時は降ろして、終わったら山頂まで拾いに行きゃいいんじゃねーかな)

 

(それは、そうだけど……)

 

「……? どうかしたかしら?」

 

「え? あぁ、えぇと……ちょっと遊びに行くんだ。だから、山の上に何分か置いてく事になっちゃうけど……いい?」

 

「問題は無いわ。角は帽子で隠すし、カメラも持った。その車の横、乗せて貰うわね!」

 

「どうぞ……」

 

 ナイス演技! 私、女優でも目指そうかしら? そんなことを目の前の女が考えていた事を知らず、巧は、端から見れば場違いなテンションの母に、引き気味に応対する。

 

 変な邪魔(ヒドイ!)が入ったけど、問題なく出発できそうかな。各々が自分の車に乗り込み、キーを差し込んでエンジンをかける。摩耶は86のナビが埋まったため那智のCRXの助手席に収まった。

 

 いざ出発。……というとき。またしても、アクセルに力を込めようとした巧に待ったをかける人物が2人、ここに来た。

 

「巧さん。ちょっと、いいかしら?」

 

 暗い顔をして声をかけてきた龍田と、その後ろの天龍に、巧は手動式のウインドウをハンドルを回して降ろした。

 

 

 

 

「そういうわけで、突然ですいません。巧さんには、こんな危ないことは降りてほしいんです。私の姉から頼まれて引き受けただけ、なんですよね?」

 

「……すいませんでした。巧さん。そっちの事も考えずに、ガキみたいな約束して……」

 

「……………」

 

 2人が深々と頭を下げて言ってくる。長々と龍田が言ったことは要約すると、「乗り気でも無いのに、無理に引き受けてしまった行動レースなんて危ないことはするな」。なんて意味の事を丁寧に言い換えたようなモノだった。

 

「本当に、ごめんなさい。車まで用意するだなんて考えても無かったんです……本当に」

 

「頭上げてよ、2人ともさ」

 

「でも……」

 

 巧の言葉に、姉妹揃って姿勢が直立に戻った。開いた窓から軽く身を乗り出していた彼女は、いたずらっぽく笑っていた。

 

 怒られるのを覚悟で言いに来たのに、どうしてこの人は笑顔なのか。それはすぐに解ることになる。

 

「天龍。龍田ちゃん」

 

 

「私、逃げる気は無いよ。今日は箱根であいつを迎え撃つっていうのは、もう決めたから」

 

 

 相手の言ったことに。2人の背中に電気が流れる。若干柄にもなく取り乱しながら、龍田は86のカーボンドアの縁を掴みながら、巧を説得する。

 

「そんな!? 逃げるとか逃げないだとかそういう問題では……」

 

「そういう問題だよ。私ね、不良だからさ。売られた喧嘩は買わなきゃいけないんだ」

 

「そんなっ…」

 

「それにね。私は天龍に頼まれてイヤイヤ行くわけじゃないから。あの噂の当たり屋と自分、どっちの方が速いのか。それが確かめたいだけだよ。今日は、自分の意思で走りに行くから」

 

 後ろに居た那智たちも、車の窓を開けて話を聞いていたが、それは気にせず。なんだか妙に回る口を使って、巧は呆けている2人に、特に天龍へ向けて続ける。

 

「自分がどれだけやれるか、腕試し、みたいなものなのかな……久しぶりのバトルでちょっと興奮してるかも」

 

「あの、巧さん、私、知らないなりに調べたんです。GTRっていう車がどれだけ速くて、凄くて、恐ろしいのか……勝ち目なんて……」

 

「勝ち負けは関係ないかな。どれだけ無様な負けを晒したところで、私は友達の為に負けたことになるんだから。そっちのほうが、みっともなくケツまくって逃げるよりも、ぜんぜんカッコいいじゃないかって」

 

「巧さん………」

 

「納得できないならもっと言ったげようか。天龍。私、前に海岸で作業したとき、結構そっちが言ったことに救われたんだ。悩んでてもしゃーないかな、みたいな。だから、これはその恩返しみたいなのも兼ねてるから、やめるわけにはいかないよ。」

 

「……………!」

 

 ちょうど、一ヶ月前ほどになるのか。目の前の彼女が、深海棲艦だと戦艦水鬼から告げられた次の日の事を、天龍は、録画したビデオを眺めるように思い返す。

 

 自分のような、出会って一番に酷いことをした奴に「恩返し」だなんて。彼女の器の広さや優しさ……様々な物を考えると、自然と天龍の目から涙がこぼれた。

 

「辛気くさい顔しないで、大丈夫だって! 姫級の深海棲艦って凄く強いんでしょう? 負けはしないよ! ……たぶん!」

 

「…………はい!!」

 

「いい返事だね。じゃあね。帰ってくる頃お腹すいてるかも、カップラーメン辺り食べるかもしれないから、お湯でも沸かして待ってて!」

 

 眩しすぎるぐらいの笑顔を振り撒いて。巧は2人への自分の抱負を言い終わり、86と共に鎮守府の門を潜って夜の町へと消えていった。後を追いかけて、CR-Xも発進する。

 

 「変わった人……なのね」。駐車場に残された龍田が言う。天龍はただひとつ。巧の無事を祈るだけだった。

 

 

 

 

 

 




早めの更新速度を取り戻さねば……


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青年最前線全力疾走

長い! 更新まで長い! 体調が持ち直したり予定に余裕が生まれたので再開です。1ヶ月もの期間、空けてしまってすいませんでした。


 

 

 

「良かったのか。摩耶は」

 

「は? 何が」

 

「お前もさっきの龍田みたいに、巧を止めようとはしないんだな、って」

 

「あぁ。そういうこと」

 

 国道を走っている最中の車内で、那智が聞いてくる。摩耶は前を行く巧とその母が乗る白い86のテールランプを見ながら、独り言のように返答する。

 

「そりゃ最初は不安だったよ、当たり前だけど。でも言っても聞かないやつだってのは昔から知ってるし。さっきの会話見てても解るだろ?」

 

「確かにな。だが、こう、親友として何がなんでも止めようとする人間だっているだろう。摩耶はそういう類いではないのだな、と」

 

「だってさ。結局ここまで来ちまったし。それに言っても聞かないってんなら、せめて手伝いとかの後押しをやるわけヨ。それが友達ってものだろ」

 

「へぇ……そういう物なのか。あまり深い仲の人間が少なくてな。自分には少し理解しかねるかね……」

 

 口ではそう言いつつ、那智が顔に薄ら笑いを浮かべているのが、暗い室内でも摩耶にはくっきりと見えた。否定っぽいことを言ってはいるが、こういう人情話は嫌いではないらしい。

 

 しばしお互い無言が続き、車内に走行の雑音のみが響く。そして、また似たような雑談が入り、というローテーションを何度か繰り返すこと30分程だろうか。走っていた2台は遂に箱根の入り口にまで来ていた。

 

 ここまで来たなら、待ち合わせの展望台駐車場に上りきるまで10分もかからない。バトルを受ける当事者ではない立場ではあったが、那智のハンドルに込める力は少し強まり、摩耶は握っていた手が強張る。

 

「いよいよ、だな」

 

「うん」

 

 なんというか、気のせいだったのかもしれないけれど。2人には山の峠道に漂う空気が今までとは違うもののような感じがした。どう表現したものか。マジックテープのフック側を背中に当てられたような、体が痒くなるような妙な雰囲気が椿ラインに充満していた。

 

 その理由は住宅街を抜けてすぐに解ることになった。大きなコーナーを1つ抜ければ、おびただしい数のギャラリーが歩道やガードレールに寄り掛かって集まっていたのだ。

 

「おいおい……すげぇ数の人だな」

 

「あぁ。地元だがこんなに集まってるのを見るのは初めてかも知れないな」

 

「やっぱりあの野郎が集めたのか?」

 

「だろうな。巧が無様に負けるところを動画でも撮る魂胆だったりしてな」

 

「冗談だと笑い飛ばせねーよ。生々しい考察はやめてくれや」

 

「悪い。……大丈夫かな。巧は」

 

「さぁな。もう来ちまったし、アタシはあいつの腕を信じるだけだよ。」

 

 口を動かしつつ、頬杖を解いて摩耶は顔を動かす。前に向いた視線の先には変わらず白い86が居る。

 

 負けんなよ。巧。

 

 伝わったかどうかなどは関係なく。86のリアの更に奥に居る親友を見据えながら。摩耶は念でも送るように、1フレーズ、心中で呟いた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 道なりに山を登りきり、巧は86を駐車場まで走らせる。視界に、スカイラウンジと大きく文字が入った六角形の建造物が目に入る。目的地に着いたのだ。

 

 道中で見てきたギャラリーの数に、正直、内心で巧は変な焦りを覚えていた。何かの間違いで事故に巻き込んでしまったらどうしよう等といった考えで頭が埋まっていくが、このあとの行動を考え、なるべく脳内は白くしておく。

 

 広い駐車場の白線に車を停めようとして視線が助手席に向く。座っていた水鬼はカメラ片手にそわそわしていた。よっぽど鎮守府から外に出られたのが嬉しいのか? と思う。

 

「着きました。さっき言った通り、後で拾いに来ますから」

 

「了解したわ……えぇと、巧は何をしに来たんだっけ」

 

「少しばかり車で遊ぶだけです。じゃあね。」

 

 素っ気ない、あまり感情のこもっていないような声で事務処理でもするように巧は言って、車から降りる。そして開けたドアを閉めるとき、彼女の目に水鬼の浮かべていた表情が映った。

 

 初め、本当に巧は自分の母は観光目的で箱根に連れていってくれと言っているものとして理解していたので、先程と同じくカメラ片手に目を輝かしているのだと思っていた。が、違った。水鬼の薄ら笑いに似た顔の頬に涙が伝っているのを確かに確認する。彼女は泣いていたのだ。

 

 瞬間的に巧の頭の中には大量のクエスチョンマークが浮かんだ。それが顔に出ていたようで、変な表情になっていた巧を見て、水鬼は慌てて目元を服の袖で拭ってからばたばたしながら車内から外に出る。

 

 「久しぶりの外出だから感動しちゃった」。 聞いていないがそう言ってから彼女はスカイラウンジのある方へと歩いていった。

 

 妙な態度だった水鬼を見たせいで軽く呆けていると。近くに来ていた摩耶が、自分の後ろの方を顎でしゃくる仕草で見るように促してくる。体の向きを変える。積載車に積まれたオレンジ色の35GTRと、今日の喧嘩の相手が居た。

 

 生意気な事に、金持ちなのか、タイヤウォーマーやら何やらの設備を持ち込んでスタッフに作業を指示していた島風がこちらに気づく。たかだか峠の遊びにそんなものまで用意して……。不快感を隠そうともせずに顔に出していた巧に、相手は話し掛けてきた。

 

「あ、来たんだ。遅いね」

 

「……10分前行動ですが」

 

「そ。まぁ関係無いや。どうせ負けて恥晒すのはそっちだし?」

 

「だといいですね」

 

「っ……ホラホラ、ちゃっちゃと済ませてよ」

 

 恐らくだが挑発として言ってきたのであろう発言を淡白な返事で済ませると。島風は軽い舌打ちをしてから、自分の車を弄っていた作業員たちを捲し立てる仕事に戻っていった。

 

「随分色々持ち込んでるみたいだね……本格的にやりやがって」

 

「勝てそうか?」

 

「どうだろうね。やってみないことには」

 

 摩耶の質問に適当に答えると、ぱちんと音が出るぐらいの強さで顔を両手で叩き、巧は86に乗り込む。そのまま巧は、道路作業員が持っているような誘導棒を持っていたギャラリーの指示に従って、車を駐車場の入り口まで持っていった。

 

 「勝ち負けは関係無い。」 自分が天龍に言ったことを脳裏に浮かべながら深呼吸をする。同時に親友が言ってきた、「勝てるのか?」との言葉も浮かんでくるが、なるべくネガティブな事は考えないようにしようと思ったときだった。

 

 何も考えないでぼうっと覗いていたサイドミラーに水鬼が写っていたのを見て、巧は目線を動かした。走ってきたのか、息を切らしながらこっちに来た彼女に表情が怪しくなる。理由はわからないが、なんだか今日の彼女は様子がおかしい。

 

 水鬼がそんな変な行動を続けていた意味は、彼女の口から出た言葉で、巧は理解することになった。

 

 ドアハンドルを回してウインドウを下げ、何かと巧は母に尋ねる。

 

「どうしたの?」

 

「ごめんなさい。巧、私は今日嘘をついたわ」

 

「?」

 

「全部知ってた。貴方が、その、喧嘩した相手と車でレースをするためにここに来たってこと……それが危ないことだって事も」

 

「……やめろと言われてもやめないよ」

 

「そんなくだらないことを言いに来たわけではないの」

 

 自分を落ち着かせる目的で水鬼は深呼吸をする。そうしてから、続けて彼女は重い唇を動かした。

 

「1つだけ……言っておきたいの」

 

「なに?」

 

「…………。絶対戻ってきて、私を拾ってね。私は、貴女の、その、うるさくて、乗り心地の悪いクルマ以外で帰るつもりはないから。」

 

「……………」

 

「雨が来ても、嵐が来ても私はここを動く気は無いから、だから、その……本当に危ないことはしないでね。お願い」

 

 相手の顔をじいっと見つめる。巧の目がおかしくなければ、薄く光っている水鬼の赤い瞳には涙が滲んで潤んでいた。尚も彼女は舌ったらずな口から震えた声を出す。

 

「帰ってこなければ……私はここでひっそり死ぬつもりよ。嘘偽りなく。本気で」

 

「大丈夫だよ。そんな簡単に人が死ぬわけないでしょ」

 

「でも」

 

 まだ何か言い足りない様子の水鬼の声を、大排気量エンジンの耳をつんざくような音が掻き消す。2人が横を向くと、機嫌が悪そうな島風が隣に車を着けているところだった。

 

 憎たらしいとは思ったが、空気も読めねーのか。会話を邪魔されたのもあったが、その他諸々の悪感情を相手にぶつけるように眉間にシワを寄せて巧は相手を睨む。そんな大戦相手の心情など無視しながら、島風はまた挑発的な態度を崩さないで会話を切り出してきた。

 

「ごめんねぇ? うるさくしちゃって、こっちは馬力が違うからさぁ」

 

「そーですか」

 

「始めようか。絶対負けないけど、まぁそっちが勝ったら? 土下座ぐらいならするかもねぇ」

 

「……本当に」

 

「はあ?」

 

「本当に、負けたら地べたに手を付いて謝ってくれるんですよね」

 

「…………。ちょっとォ、誰か暇なヤツ、誰でもいいから誘導とカウントして!」

 

 相手の顔も見ないで言った巧の発言をはぐらかして、島風は近くに居たスタッフにスタート合図の係りをやるように煽る。イライラしているのかハンドルに置いた掌を揺すっている彼女の様子に、不機嫌さが前面に出た表情をほんの少しだけ緩めて。巧は先程途切れた水鬼との会話を再開した。

 

「じゃあね。もう出るから。ここで待っててね」

 

「解った。……勝ってね」

 

「もちろん!」

 

 元気な返事の後に、巧は誘導係に従って駐車場から車を道路に出す。

 

 白いスポーツカーが灯火装置の赤い光を伴って自分から離れていく様子を眺める。水鬼は一言。それを駆る巧に向けて呟いた。

 

「……約束、破ったら承知しないわよ。巧。」

 

 母の声は、娘の耳には届かなかった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「スタート10秒前!」

 

 スタートラインに車が並んで1分もしないうちに、カウントダウンを始めた男に、慌ただしく巧は車内で最後の準備を始めた。

 

 着けていたシートベルトを外して、座っていた場所から後方へと身を乗り出し、Nosの暴発ストッパーをボトルに付いていたバルブを捻って解除する。それが確認できしだいドライバーポジションに戻り、四点ハーネスの競技用シートベルトでガッチリと自分の体を椅子に固定する。

 

 深呼吸をする。ブーストメーターは正常に作動。ステアリングに増設したニトロのスイッチに異常ナシ。タイヤは新品。大丈夫、自分は勝つ……多分。

 

 己に渇を入れる。カウントはもう3秒前まで迫っていた。

 

「3……2……1……」

 

 

「GO!!」

 

 

 挙げていた指を折って数字を作っていた男が、大声と共に腕を降り下ろす。

 

 類い稀な反射神経で目から入って来た情報を処理した巧の脳が、彼女の体を動かす。ブレーキペダルに置かれていた右足がアクセルに移り、上手くクラッチが繋がれた86は弾丸スタートを決めてR35の前に出た。

 

 いくらそれなりのチューンを施したとはいえ、馬力の差が大きすぎる相手だ。このまま勢いに乗って逃げるべきか。早くから結論付けた巧はベッタリと床までアクセルを踏みつけて3速まで車を加速させると、早速Nosのスイッチに指をかけた。

 

「…………!」

 

 シューッ、と風船の空気が抜けるような音が車内に響く。映画なんかとは違う、シャーシの下からゆっくりと押し上げるような加速が車体を動かす。レプリミットアラームの指示に従って彼女はギアを上げる。

 

 スタートしてまだ100mかそこらか。椿ラインの前半は緩やかな道が続くため、ノーブレーキで突っ走っていくうちに車内のタコメーターと、シフトインジゲータが指し示す数字はどんどん大きくなっていく。たが巧は恐怖感などは感じない。

 

 道なりに進んで、初めてコーナーと呼べるような角度のきつくついた道が現れる。落ち着き払った様子で、的確にブレーキを踏んで車を制動させる。ゆっくりと86のフロント部が沈み込み、荷重が前にかかった瞬間を見計らい、シフトノブに手を掛けハンドルを切る。

 

「…………ちっ」

 

 スピードを生かさず殺さず、最低限の減速のみでS字クランクを越える。後ろを見て彼女は舌打ちした。後方に付いたR35がこちらのリアバンパーに接触しそうな勢いで煽ってきているのが見え、相手はスタートが遅れたのではなく、わざとこちらに道を譲ったらしいことに感づいたのだ。

 

 昔からこういう挑発には弱いが、ぐっと巧はこらえる。まだ序盤もいいところ、残りのNosは何かがあった時までとっておきたい。それに相手もこんなに早いところで仕掛けてはこまい。そういう考えで「いつも通り」を心掛ける。

 

 浅く残った雪にタイヤがとられるため、直線を走っていても車が真っ直ぐに走らない。意図的に右に左にと小刻みにハンドルを揺すりながら、その片手間に巧も相手の様子を見ることにした。

 

 流石は700馬力の怪物みたいな車だ。こっちは全開なのに、直視していなくても余裕な辺りが背後から察せられる。だけど……

 

「…………」

 

 この違和感はなんだろうか?

 

 パフォーマンス性を廃した速いドリフトで凹凸の激しい山道を抜けていく。自身の出来る範囲の最高のスピードを乗せて逃げるが、やはり追い付かれる。

 

 しかし、何故なのか。自分にも意味はわからなかったが、巧には、後ろの相手が驚異には思えなかった。

 

 考え事をしていると、椿ラインに3つある内の最初のUターンカーブが迫ってきていた。浅いブレーキングで車の姿勢を変え、彼女はグッとサイドブレーキを始動させる。後輪がロックされた86は、レールの上を走る電車のように綺麗に難所を滑って抜けていく。

 

 数秒ほど感じていた違和感の理由が解った。

 

 一瞬だが、自分がブレーキングに入る遥か手前から、大きく相手の車と差が開いたのが見えたのだ。

 

「…………!」

 

 そうか、ブレーキングが下手なんだ。そうと解れば、何に乗っていようが何も怖い相手じゃあない。巧の中にこれ以上ないほどの余裕が生まれた。

 

 

 

 35GTRという車は確かにモンスターマシンで有名だが、それと同じくらいに非常に重たい事でも知られる。

 

 例えば、今回巧が乗っている86は1200kg程で、軽量化が施されているために仮に1000kgだとする。それに対して、このGTRという車は実に1800kgもある重量級のマシンなのだ。

 

 ここまで差があると、止まる、曲がる、加速するという行動・操作すべてが次元レベルで違うこの2台だが、特に今回のような峠道の競争となると、重さという要素は深く速さに関わってくる。

 

 昼間のサーキットのような場所は別として、峠とは不確定要素の塊のようなステージだ。軽く道に撒かれた砂や小石はタイヤを滑らせ、時には野性動物が飛び出し、道の見通しも利かない。何かがあったとき、より速く加速し、より速く「止まれる」軽い車には大きなアドバンテージがつくのだ。

 

 話を戻すと、巧が余裕を持った原因は、自身が乗る「軽い車」が相手を曲がり角で引き離すことができた事に、作戦通りと思ったからだった。

 

 重たいものは急には止まれないので、自分よりも早くブレーキを踏む。重たいものは慣性で外に流れやすいため、より速度を殺して曲がる必要がある。子供でも解るような基本的な物理学だが、流石に馬力差がありすぎるという不確定要素があった。だが、それも考えずに済むような結果が確認できたのだ。

 

 確かにGTRは速い。こういった山のような狭い道だと、速すぎて扱いづらいという特徴も重々承知して、「上手く車に乗せられている島風」も充分非凡だと言える。だが今回ばかりは相手が悪かった。前を行く86に乗る女は、自動車という道具をまるで自分の手足のように御せる人間なのだ。

 

 ただでさえ運転者を恐縮させる峠が、夜という前が見辛い、という要素で増幅されてドライバーに襲いかかる。このとき既に島風は表現の難しい不快感に苛まれていたのだが、対照的に巧は愉快な気分になっていた。

 

 馬力の無い車でも腕前で簡単に覆る。FRの底力を見たかッ。

 

 ニヤリ、と会心の笑みを浮かべながら大きく回り込むような形の左曲がりに差し掛かった時だった。

 

 

 

 ガツン、と大きな音が車内に響いた。

 

 

「えっ――――」

 

 

 リアバンパーを押された86は、制御を失い、振り子のように前輪を軸にしてスピンした。

 

 

 

 

 




シフトインジケータ→何速にギアが入っているか、をドライバーに知らせる電子機器。昔はターボメーター等とよろしくポン付けする機械だったが、最近では標準装備している車もある。


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燃えない勝利

お待たせしました。


 

 

 

 

 山の頂上で、摩耶はやたらと周囲を見回してみたり、立った状態で貧乏ゆすりみたいに足を揺らしたりと落ち着かない様子だった。

 

 リストバンドを巻くって腕時計の文字盤に目をやる。まだ二人がスタートしてから1分も経っていない。が、体を揺すぶって衣擦れの音を出していた彼女に、様子がおかしい事に気付いた那智が声をかけた。

 

「どうした? 催したならあっちで花でも摘んでこいよ」

 

「そんなんじゃねーよ。ただ心配で」

 

「巧が、か?」

 

「うん」

 

 さっきまで飄々としてたのに、なんて茶化そうかと思ったが、摩耶の目が笑っていないのを暗い中でも確認して。那智は口を閉じておく。

 

 いくら、外せるものを片端から取り払って軽くしたとはいえ、あの86は心臓がノーマルだ。対してGTRは800馬力に迫る車だし、乗っているのも、正直まともとは言えない人間。普通なら勝機なんて無に等しいだろうな。

 

 立場からしても巧を贔屓したい気持ちはあった。が、客観的に見て那智はそんな事を思う。隣のそわそわしている摩耶を見る。さっきから変わらず、何を考えているのかが察せない難しい顔をしている。

 

 ドライバーが同じ腕前なら巧に勝ち目はない。……反射神経やら運動能力やら人間ではない、という点が強みになるのかな? と、また那智が考えていた時。お互いに思案に耽っていた2人に話し掛けてくる人間が居た。

 

「あ……居たんだ。こんばんわ」

 

「…………どーも」

 

「……! えぇと、土屋さん、だったかな?」

 

「そ。2人はお友達の付き添い?」

 

「付き添いというか観戦というか……そちらは?」

 

 話し掛けてきた相手の顔が街灯の朱色がかった光に照らされる。居たのは巧の86に部品を提供したり、今日の相手に車を潰されたとの経験を語った島風だった。

 

 挨拶以外に無言だった摩耶に代わって那智が応対する。

 

「目的か……観戦かな? 後は、少しやろうか迷ってることがあるけど」

 

「「?」」

 

「あいつ、危ない人間だってのは知ってるでしょう。だから今からでも追って何かに備えた方がいいかもねって」

 

「今さら追いかけるんですか? 多分追い付けないと思いますが」

 

「追い付こうなんて思っちゃいないよ。万が一事故ったりして、怪我してたら1秒でも早く手当てやらしてあげるのは、駄目なことかな?」

 

 数秒ほど3人は黙った。そのとき。摩耶の鼻っ面に冷たいものが当たった。何かと曇りがかった夜の空を見上げると、雨が降ってきていた。

 

 そうか、確か今日の降水確率は50%かそこらと高かったっけか。そんな事を那智が考えていると、摩耶がほん少しだけ声を荒げて発言した。

 

「那智、車借りていいか」

 

「は?」

 

「やっぱりじっとしてらんねーや。土屋さんの言う通りだな、アタシはあいつらを追っかける」

 

「……そうか、良いぜ。これ鍵だ。あ、ただ運転任せるがな、自分も隣に乗るよ……土屋さんは?」

 

「2人が行くなら、じゃあ着いていこうかな」

 

 仏頂面の2人とは対照的に、にっ、と笑って島風は右手の親指で自分の後ろを指す。彼女の背後には白のスマートロードスターが停めてあった。

 

 3人は急いで各々の車に乗り込み、駐車場から車を出した。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 何が起こったのか。巧には一瞬理解できなかった。

 

 内装が剥がされた車内に乾いた音が反響して響く。今の彼女の頭の中は白一色だった。

 

「――――――――!!」

 

 アクセルかブレーキか。ハンドルを切る方向は右か左か。脳内に単語が並んで消えていくなか、巧の体は反射的に行動を開始した。

 

 道に沿って設置されたガードレールに対してほとんど直角を向いていた86に、彼女は限界まで右に。つまり曲がり角とは反対方向にステアリングを回す。そしてペダルから力を抜いて両足を自由にする。

 

 車が逆走方向に回り、隣から悠々とオレンジのGTRが自分を追い抜いていった。

 

 更に車体が回転し、崖がある方向のガードレールに鼻先を向けたのと同時にアクセルオン。シフトレバーを2速に入れ、順走方向に復帰した車両を巧はギアを1速に入れて加速させた。

 

 運が良かった。その一言につきた。いくら上等な腕前があったって、追突などされれば普通は事故に繋がる。偶然が噛み合ったお陰で、巧は無事だった。

 

「……………」

 

 変な汗が噴き出して熱が籠っていた体が、頭が冷静になっていくにつれて平常に戻る。同時に自分が相手に何をされたのかを理解して、巧は道路の先を睨み付けた。

 

 考えなくても解る。「邪魔だ」と言う代わりにぶつけてきたのだろう。とても大人がやることではない相手の暴挙に。冷えていた脳がまた熱を帯びる。機械が自動で動くように――巧はアクセルを踏み抜く勢いで力を掛ける。

 

「……………!!」

 

 スーパーチャージャーの甲高い駆動音を響かせながら、巧は3速に入れっぱなしのままで連続コーナーを抜けていく。少しでもシフトチェンジのロスを防ぐため、全て回転数を維持してのドリフト走行だ。リアウイングで上手く空気抵抗を作れていたため、変に外に流れたりすることはなく、ステアリング越しの感触は良い。

 

 負けてたまるか……!

 

 巧自身でも知らないうちに、アクセルに込める力が強まる。それに答えて、ハチロクの補強された心臓は9000回転ほどまで回り、ジェット戦闘機のような唸りを挙げた。

 

 コーナーにぽつぽつと立っていた観客たちの横をGTRが去っていってから、4~5秒ほど経過してから白い86が同じ場所に差し掛かる。

 

「このォ……ッ!」

 

 蹴飛ばすようにブレーキを踏む。そして本当に少しだけハンドルを切ってすぐに足を掛けていたペダルを移す。

 

 曲がりきれずに外側に車体が流れていく。だが巧はブレーキを踏むどころか、アクセル全開でそのまま突っ走る。

 

 タイヤのグリップを越えて流れていく車は、排水用に設けられている側溝を乗り越えて更に外側へ。山側の岸壁ににリアが接触した車体は、振り子のように瞬時に前を向く方向が逆になる。彼女はそれを利用して、吹っ飛びながら反対方向に逆ドリフトをしていった。

 

 周りで見ていたギャラリーの背筋に冷たいものが流れた。巧の運転はいつ事故を起こしてもおかしくない恐ろしいものに見えたからだ。そんな事を思われているなど露知らず、彼女はべったりと床まで踏みつけたアクセルに入れる力を抜かない。

 

 危険やリスクなど知るものかと言った様子で、少しでもミスをすれば死ぬような運転を彼女は続けた。

 

 何度も繰り返しぶつけた箇所の破損が進行する。追突されて皮一枚で繋がっていた86のリアバンパーの破片が飛び散った。

 

 異常なスピードで巧は山を駆け降りる。一瞬、もう見えないほど引き離されていたはずの相手の車のリアが視認できた。

 

「見えたッ!」

 

 実はこのとき、巧の知らないうちに、雨足が強くなっていたため、相手が速度を落としていたのだ。それを知らず、巧は雨で濡れた路面を縦横無尽に駆ける。

 

 加賀が島風のロードスターに煽られて抜かれてしまった時のシチュエーションを覚えているだろうか。今のR35を猛追する巧のそれは、あの時の状況と似ていた。

 

 運転もしづらく、純粋なスポーツカーとは呼べないロードスターに、更に路面は雪が残る最悪な状態。だが、その軽量な車体と己の技術を武器に、島風……土屋は未熟な加賀を追い詰めた。そして逆にそれなりのパワーと扱いやすさを誇るFCだが、経験の浅さや単に技術の無さで負けてしまった加賀……。今に当て嵌めると土屋は巧、島風は加賀というわけだ。

 

 ただひとつ、この状況にはあの時には無かった要素がある。それは、追う役のドライバーの心情だ。巧は今、激怒していた。

 

 人間というものは怒ったときの反応が大きく分かれる。例えば、簡単に2つにすれば、自分でも訳がわからずに滅茶苦茶に暴れるタイプ。もうひとつは、怒れば怒るほど一周回って冷静に内心で熱を燃やすタイプだ。

 

 巧という女は基本は前者だが、振り切った時には後者だったのだ。

 

 感情的になって運転ミスを繰り返して遅くなるような事は無かった。彼女は体に染み付いた技術を、無意識に怒りの感情で更に磨きを掛けて自動車を御していた。だからこそ、壁に接触したりと危うさこそあれど、車が大破するような破綻をきたすことは無かったのだ。

 

 巧はゆっくりと、だが確実に前を行くオレンジ色の車の背中に近付いていた。雨で濡れた滑る路面だが、軽い車体の恩恵を最大限に受けて彼女は限界までブレーキを遅らせる。

 

 赤熱するブレーキローターと、摩擦で溶けるタイヤのゴムに挟まれて熱された雨水から、湯気が立ち込める。夜の雨に加えて、前を走る車の水煙で絶望的な視界にも関わらず、巧はワイパーのスイッチに手を伸ばさなかった。

 

 グッとブレーキを踏むと車体の前面が沈み混み、重心が前に集中する。これの影響で一瞬だけフロントタイヤのグリップの限界が上がるのを利用し、巧はハンドルの切れ角を最小限にして緩めのコーナーをクリアしていく。これで曲がれない場所は、普段は使わないサイドブレーキまで駆使して強引に突破した。

 

 限界までインをカットして白い車が走る。距離を詰めすぎてガードレールに接触した車体と、その壁の間で火花が散った。

 

 ゼロカウンタードリフトに、後輪ロックによるアンダー殺し。怒りで頭のネジが飛んでいる状態ながら、巧は持てる技術を総動員させて前を走るオレンジのGTRを追い掛ける。単純な馬力の差が三倍近くもある相手に、彼女は追い付くどころか、相手を煽り返すところまで追い詰めていた。

 

 

 カンタンに逃げられるだなんて思うなよ……!

 

 

 競争する区間は平均速度100km代の前半から、50km程の低速の後半区間へ。巧はシフトレバーを1速に差し込んだ。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 山のふもと、下る車線から見て大きく右に回る広いコーナーに大勢のギャラリーがひしめいていた。

 

 そして、その中に加賀は居た。

 

 友達の勇姿を見ようと、自分の仕事能力に任せてさっさと書類捌きを終わらせると、大急ぎでFCで箱根まで飛んできたのである。

 

 だんだんと強くなってきた雨に、彼女は車内から折り畳み傘を取り出して差す。巧は勝てるだろうか。万一勝てなかったとしても、無事に戻ってきてくれるなら自分としては嬉しい。そんな風に思っていると、隣で雨合羽に身を包んでいた男同士の会話が聞こえてくる。

 

「なぁ、どう思うこの勝負?」

 

「35が勝つに決まってんだろ。あんなのに勝つハチロクがいたら、クルマも女もキチガイだぜ」

 

「だよなw わざわざ見に来る必要なかったカモ。」

 

「…………」

 

 好き勝手言ってくれてるな。……でも事実だ。

 

 ちょっと前に、動画や雑誌で漁った知識を思い出してみる。なんでも、評論家やレーサーによればGTRというのは、サラリーマンなんかでもぎりぎり手が届く、比較的安価な一般車としては世界一速い車らしい。対して友の乗る86というのは、デザインだけの乗用車だなんて見下す人間も居るほど、とにかくパワーが足りないとのこと。

 

 それでも巧が負けるとは心の中でも断言したくなかった。加賀には、初めて彼女の隣に乗ったあの時が忘れられなかったからだ。

 

 古臭い自分の車が、新型スポーツカーに勝ってしまった時を思い出す。冬の、うっすらとブラックアイスバーンがかかった道を、常識を超えた速度で飛ばすあの技術と度胸が。車の差ごときで負けるとは、加賀には到底思えなかったのだ。

 

「…………………。」

 

 降りしきる雨の中で、飛沫で服が濡れる不快感を覚えながら車が来るのをじっと待つ。すると、数秒後に今度は近くでトランシーバーを持って立っていた男の怒鳴り声が加賀の耳に入ってきた。

 

「はぁ!? もう一回言ってくれや」

 

『だから、GTRがハチロクに追い付かれてんだって! もう車間なんて5mもないぐらいベタベタだよ』

 

「35が煽られてるだァ? ウソ言うな相手はハチロクだぞ?」

 

『ウソなんてつくかよ!! しらねぇよ、あのドライバー頭おかしいぜ。あの当たり屋がこんなにべったり張り付かれてるなんて初めて見たよ!』

 

「…………!」

 

 引き離されていない……それどころか追い詰めている? これは、もしかすると、もしかするのでは!?

 

 内心で彼女らしからぬ興奮を感じながら、男の会話を盗み聞きしていたそのときだった。

 

 加賀からは少し離れた場所に立っていたギャラリーが、よく通る声車が来たぞと叫ぶ。同時に、2台分の車両のエキゾーストが山側から近付いてくるのがわかった。

 

 

「2台並んで来るぞおお!!」

 

 

 ゴールもすぐそこにある、恐らくは巧が島風を追い抜く最後のポイントであるコーナーに。実況していたギャラリーの叫び声通りに、車が2台並んで突っ走ってくる。

 

 抜けるか。加賀が思っていると、馬力の差なのか、横に居た86はあっという間に前に出たR35に蓋をされてしまう。

 

 

 ここまでか。ここで抜けなかったら……。そんな事を加賀が勝手に思う。だが、ここで終わる巧ではなかった。

 

 

 数珠繋ぎのようにピッタリとR35の後ろにつけていた白い86は、素早く車線を変更し、ガードレールに近付いてインを締め切っていた35の更に内側……あろうことか車輪の片側で歩道を走りながらこちらに向かって来る。

 

「あ、あいつブレーキ掛けないでこっち来るぞォォ!?」

 

「うわぁぁ!? 逃げろおおお!!」

 

 限界まで内側に寄せて歩道に乗り上げ、もうもうと水飛沫を巻き上げながら86がそれとなく横を向き始める。ギャラリーに来ていた野次馬たちは悲鳴を挙げながら道を開けた。中には退避して腰を抜かしていた人までいる。

 

 R35が早い段階でブレーキランプを点灯させる。が、86は限界まで制動を遅らせ、減速をほとんどしないままコーナーに突入した。

 

 車体の重量がのし掛かり、タイヤとブレーキに限界が近付いていたR35とは対照的に。巧の駆る車はまだ余力が充分すぎるほど残っていたタイヤがしっかりと地面を捉え、鉄筋コンクリートを引っ掻いて前へ前へと前進する。

 

 溝の無くなったタイヤでズルズルと外側に滑っていくオレンジ色の車体を嘲笑うように。86はやられた事の仕返しをするように、歩道から外れて車道に戻りながら、相手が締め切っていた隙間に車体を差し込む。そのまま、コーナーをクリアしていくのだった。

 

 先行ポジションはあっという間に刷り変わった。巧は島風を抜き去ったのだ。

 

 レールの上の電車のごとく、鋭く突っ込んで相手をパスして見せた彼女に。それを目の前で眺めていた加賀は数秒ほど放心状態になっていた。

 

 「信じられねぇ……」「頭がおかしい奴だ」。周囲の言葉は耳に入ってこなかった。

 

「巧が……勝った……!!」

 

 周りに聞こえないような声量で呟いてから。加賀は軽くガッツポーズをした。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 巧が、前を行く車を追い抜いて数十秒も経っていないころ。このとき巧は妙な不快感と嫌な予感を感じながらハンドルを握っていた。

 

 前へと出れたのは良い。ゴールが近いのも好都合だ。それに、タイヤの余力もまだまだある。パワーの差というものに目を瞑れば、今の彼女にこの勝負で負ける要素は無かった。

 

 

 だが、その「目を瞑らなければいけない要素」で最後の勝負を掛けてこない相手を不気味に感じていたのである。

 

 

「……………」

 

 いくらタイヤの差が有るとはいえ、覆せない400以上の馬力の差がある車で、なぜ追い抜いてこようとしてこない? それに、ついさっきに追突してきた事がある。このまま前を走っていて良いのか?

 

 ゴールに指定された区間までコーナーはあと両手で数える程度だけ。もう相手に出来ることなんて限られているだろうとそのまま逃げるか。それともあえて譲ってからまた追い抜くべきなのか? 巧は自問自答するが、答えが出ないまま最後から5番目のブラインドコーナーを抜ける。

 

 S字型の道の出口に差し掛かる。何を思ったのか。今まで黙って後ろを付いてきていたGTRが急加速を始めて横に並んできた。

 

 

 相手が何をしてくるのかを本能的な物で彼女は察知した。

 

 

 反射的に巧はブレーキポイントの遥か手前の場所でペダルに掛ける足を変え、制動力を立ち上げる。この行動が、次の瞬間には彼女の命を救うことになった。

 

「…………ッ!」

 

 巧の読みは当たった。

 

 相手は恐らく二人同時に負けの構図を作りたかったのだろう。こちらに追突しようと幅を寄せてきていた。が、彼女は回避に成功する。つまり、島風の特攻は不発に終わった。

 

 異状なスピードで、弾丸のようにGTRが86の鼻先を掠めていった。

 

 ガードレールに斜めから刺さって行き、勢いそのままにGTRはフロントバンパーと運転席側のドアを壁に擦り付け、激しく火花を散らす。そしてガードレールが途切れた場所から標識に弾かれ、オレンジ色の車体はぐるりと180度逆方向を向く。

 

 ヘッドライトが片方破損し、乗っていたドライバーが放心状態になっているなか。GTRは後ろ向きに、ただ慣性に従って後方に走っていき、そのまま土手に乗り上げて数十メートルほど突っ走る。

 

 シャシーの部分に石や木の枝がぶつかって、金属が擦れる嫌な音をたてる。

 

 島風とその乗車は、見るも無惨な姿になって再起不能になることになる。

 

 

 巧の勝利が、ここで確定したのだった。

 

 

 

 

 

 




島風>R→大ケガ


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メイク・サム・ノイズ

北海道でどでかぁい地震があったため、死んだと思われてて焦りました()
人間は大丈夫でしたが色々死んだものを復旧させるのに時間がかかりました。お待たせしてすいませんでした。


 

 

 

「ハァーッ……! ……はぁーッ」

 

 嫌な汗か、それとも自分の怪我した場所から流れた血で濡れているのか。

 

 湿って肌に張り付く服と、激しくなった動悸の2つに顔が歪む。ハンドルに体重を掛けて、突っ伏していた頭を持ち上げる。島風は、意味があるかは解らないが、ハザードランプを点けて取り合えず車外に出る事にした。

 

「………………」

 

 開かない。どうやら壁に激突したダメージが車体に及んだせいで、モノコックが歪んだのだろう。

 

 打撲と裂傷の痛みに軽く悶えながら、骨組みが歪んでガタつく車のドアを、彼女は力任せに蹴破って無理矢理出る。

 

 外灯に照らされた自分の体を見る。割れたガラスの破片が幾つか刺さった腕から血が流れている。ズボンの裾を捲ってみると、打ち付けた場所は紫色に鬱血していた。

 

「………………」

 

 私の初めて買った車。オレンジのGTR。前も横も後ろも、余すことなくボロボロだ。もう、これが走ることは無いだろう。

 

 傷口に当てて血に汚れた手を服で拭って、割れたフロントバンパーに掌を乗せる。正直、ついさっきの自分はどうにかしていた。……いや、正確にはもっと前から頭がおかしかった。前を行く車には平気で追突するし、乗車には違法改造までしている。遅かれ早かれ、きっと結末は決まっていたのだろう、なんて島風は妙に冷静な頭で考える。

 

 頬に熱い物が流れる。雨水かと思って拭く。雨ではなかった。彼女は泣いていた。

 

 まずはレッカー車でも呼んで、それから救急車……は、いらないか。歩いて病院まで行けばいい。それから……。考え事をしているときだった。山側から車のエンジン音が2台分こちらに向かってきているのを耳にする。

 

 なんとなく、やましい事をして大事故を起こした自分の姿を見られるのが嫌だったのか。島風は車内から毛布を取り出して羽織ると、谷側に体の向きを変える。

 

 音が聞こえてきてから数十秒もせず、2台の車両がこちらに来た。那智のCRXと土屋のロードスターだ。

 

 まさか巧が事故を起こしたのか!? 割れたオイルパンから垂れたエンジンオイルの跡を路面に残し、土手に乗っていた車両に、那智と摩耶は思わずギョッとした。が、車の色を見て認識を改める。

 

 車のハイビームに照らされて、背中を向けていた島風に。那智は誰よりも早く車から降りると、何が起きたのかとGTRを眺めながら尋ねる。

 

「事故ったのか! で、大丈夫か、怪我は?」

 

「………何ともないよ」

 

 むすっとした表情で無愛想に島風が顔の向きを変えず返事をする。しかし相手が羽織っていた毛布の隙間や、ズボンまで垂れて来ていた赤い液体を見て、那智は彼女が被っていた布を無理矢理引っ剥がす。

 

「……! 嘘は良くない。ほら、見せてみろ……やっぱり。血が出てるじゃないか」

 

「だから何さ。この程度……」

 

「やせ我慢するな、結構重傷じゃないか」

 

 白い肌に生々しく残った傷跡に、那智は自分の車に積んでいた救急カバンを出そうとする。しかし、摩耶がそれを静止しようとする。理由はもちろん、相手の日頃の行いを知っていたからだ。

 

「那智、構う必要なんかねーぜ。そんなやつに貸しなんざ作る必要ないだろ?」

 

「どうしてだ」

 

「こいつはしょっぴかれちゃあいないがな、犯罪者だぞ?」

 

 摩耶の言葉に。島風が少しだけ体をぴくりと震わせる。それを見逃さなかった那智は、こう繋げた。

 

「……犯罪者でもなければ、当たり屋でもないよ。今ここにいるのは、助けを求めてる怪我人だ」

 

 何だと? と言いたげに摩耶の表情がひきつったときだ。今度は土屋が割り込んでくる。

 

「まぁ、ここはアナタに任せるよ。さ、秋山さん?だっけ、山戻ろうか」

 

「え?」

 

「何度も言わせないで。ホラ、私はそいつの顔見たくないの。親切な那智に任せよう」

 

「……………うす」

 

 何かを察したのだろう。摩耶は折れると、土屋の言うことに従ってスマートの助手席に乗る。車でUターンするときにこちらに視線を送っていた土屋に、那智はそれとなく「ありがとう」のハンドサインを送っておく。

 

 二人きりになった那智は、邪魔者も居なくなったので、ずっと言いたかった事を島風に告げる。

 

「隣、乗れよ。ここらは昔住んでたから、病院だって知ってる。送ってやるからさ。痛いんだろ?」

 

「……いいよ、別に……歩いて山降りるから」

 

「……ハァ、ちょっと来い」

 

 小さなため息をついてから、那智は無理矢理行動を起こす。

 

 相手の服を掴んで、強引に島風をCRXの助手席に乗せる。何をされるのか、と、怯えている相手に、那智は巧や土屋から聞いていた傲慢不遜な様子の影もないな、なんて思う。もちろんいきなり殴ったりなんてしない。ただの傷の手当てをするだけだ。

 

 消毒液が染み込んだ包帯を簡単に巻き終えて、那智は付けっぱなしだったハザードランプを消す。そしてレッカー車の手配を、昔自分が事故を起こしたときを思い出しながら手早く済ませる。

 

 やらなければいけないことを一通り済ませたので、車を発進させよう、というとき。助手席の島風にこんな事を言われた。

 

「なんでこんなにしてくれるの。お金?」

 

「違うよ。ただ私がお人好しなだけかも」

 

「……意味わかんない」

 

「理解できなくて良いんだよ。……困ってるなら、黙って他人を頼れ。世の中、薄情な人間ばかりでも無いんだぜ?」

 

「……ありがとう。本当に」

 

 女の返事を、那智は笑顔を使って返答にしておく。サイドブレーキのレバーを下ろして、彼女は1速にシフトを入れてクラッチを繋げる。

 

 ゆっくりと車が発進し始めたときだった。麓からここまで上ってくる車が居た。LEDの強い光に顔をしかめながら、同時に2人が目を凝らしてみれば。母親との約束に従って、彼女を拾うためにUターンして来た巧とその乗車の白い86だった。

 

 CRXの助手席に座っていた島風は、86の運転席に座っていた巧の顔を観た。

 

 一瞬すれ違っただけの時間が、何故か妙に長ったらしい物に感じられる。

 

「……すごい人だよね。真似できないな……あの86のドライバー」

 

「そうかい。じゃあ、そろそろ行こうか。」

 

 島風の小さな呟きに。那智ははにかんだ。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 相手の事故という結末で終わった勝負から2週間が経過する。巧が、事務の仕事で情報に詳しい加賀に聞けば、例の島風は仕事を辞めたという答えが聞けた。だが、それで彼女の気分が晴れたわけではなかった。

 

 もう少し踏み込んで聞いてみれば、なんと相手はお咎めナシだったのである。が、残念ながらそれもしようがない話だった。

 

 「いくら犯罪者紛いの事をやっていたとはいえ、昔は居なければ仕事が回らないほどのエースみたいだから。退職金が出ない、っていう処分しか出なかったみたい」 加賀が言っていた事を思い出しながら、鎖で天井からぶら下がっている機械に水を掛けて拭く。

 

「…………」

 

 後味が悪いというのか、納得いかないと言おうか。心の中のもやもやとしたものが取れず、しかめっ面のまま彼女は外に置いておく部品の入った箱をもってガレージから出る。

 

 仕事場を出てすぐの場所にある、花壇の近くに居た人物と目が合った。天龍だった。

 

 お互いに「あ」、と声が漏れた。先に会話を切り出すのは巧の方だった。

 

「何してたの?」

 

「少し車を観に行きたくて……レンタル倉庫からもう少しで契約期間切れるからって電話来て、それで思い出して」

 

「車……あぁ、34か。だれかの車借りてくの?」

 

「那智さんから、N-BOXの鍵借りてきたんす。とりあえず様子だけでも見てこようかなって」

 

 そう言って彼女は、鍵を握った手で駐車場の方を指差す。那智の姉が置いていったという例の車がある。が、巧はそんな天龍の予定に割り込むように、こんな事を言う。

 

「…………。ちょっとゴメンね、私が仕事終わるまであと一時間ぐらい待っててもらってもいい?」

 

「……??? いいですけど……」

 

「ありがとう。代わりに私が車出すからさ」

 

 

 

 

 

 午後6時ちょうどに、二人は修理工場から移された、破損したER34が安置されている倉庫に到着した。

 

 貨物船のコンテナが立ち並ぶように、大量のガレージが何列かに分けられて連なっているこの場所で、二人は車が置いてある「7番」のガレージを探す。空き地の入り口に近いということが手伝って、そこまで時間もかからずに目当ての物が見付かった。

 

 天龍が、紛失厳禁とシールの貼られた鍵をシャッターに差し込む。巧から見て、なんとも神妙な面持ちで彼女は独り言混じりに戸を持ち上げた。

 

「1か月ぶり、だっけ。なんかすごく久し振りに感じるよなぁ……」

 

 大型車が軽く2台は入りそうな大きな倉庫に、夕日の薄明かりが差し込んでにわかに明るくなる。巧が先に中に入って電気を付けると、車の形に合わせた防塵カバーが被せられた自動車が姿を見せる。

 

 両手でそれを掴んで天龍が取ろうとする。それを、巧が一旦止めた。

 

「…………?」

 

「あのさ、これからちょっと驚くかも」

 

「は?」

 

「あー……やっぱり見た方が早いかな。よいしょッ」

 

 ストップをかけた巧のせいで空気がおかしくなる。妙な問答の後に、彼女は車にかかったシートを引っ張って外す。天龍は真顔になった。

 

 なんと車が綺麗な状態に直っている。が、なんだか様子がおかしい。というのも外装が変なのだ。

 

 本当なら、当たり前だがR34の顔が付いている場所に後期のS14型シルビアのフロントマスクが付いている。

 

「城島さんのディーラーの、廃車置き場に龍田さんと行ったときにね。前側だけだけど程度のいいスクラップが1万で売り捨ててあったの。これでとりあえず補修をしようって」

 

 シルビア特有の稲妻のエンブレムが貼ってあるボンネットを触っていた天龍に、巧が話を始めた。

 

「ごめんなさい。勝手に直したの。フレームはどうにか汎用品を繋げてこの車にして、ドアもプレスかけて歪みを直して……工賃は私たちがやったからタダ。天龍、お金無いって言ってたから……迷惑だった?」

 

「………これって、前の部品もくっつくんすか?」

 

「あ、心配は無いよ。もちろんバンパーとかは前通り普通の34用もくっつく。そういうふうに作り直したから」

 

 軽く腰を折りながら、巧は説明した。そんな彼女が着ていたピンク色のジャンパーの肩を、天龍が掴んできた。

 

 しまった。やっぱり怒ってるよね……。巧がそう思った時だった。

 

「ありがとうございます!!」

 

 天龍が元気な声で、目に涙を浮かべながらそう言ってきた。

 

「元はといえば勝手に男に釣られた俺が全部悪かったのに……前だって南條さん危ない目にあったんだし……しかもこんなことまで手伝ってもらって……!」

 

「……前に言わなかったっけ? 天龍の言葉で、辛いときに私は救われたって。恩返し恩返し。友達にはサービスしないと!」

 

 良かった! 結果オーライかな?

 

 自分の服を引っ張りながら、顔を歪ませて泣きそうになっていた相手に、巧はそう言って宥める。

 

 巧の話で、もう自走可能な程度まで修復が済んでいると聞き。天龍は、事故が起きてから肌身離さず持っていた自分の車のキーを手に、顔が代わったR34の運転席に座った。

 

 

 ただいま。俺のR34。

 

 

 純正のシートに深く腰かけて、シートベルトを締める。MOMOとロゴが刻まれたハンドルを握りながら、天龍は独り言を呟いた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 巧の車に乗ってどこかに行った姉を見送ったあと、龍田は緒方に頼まれて雑用をしていた。

 

 冬ももう終わりが近いとあって、雪が溶けて地面に出てきた埃や砂といったゴミを、ほうきで掃いてまとめる。それが終わって、次は、まだ建物に付きっぱなしになっていたクリスマスの電飾を外す。

 

 取った配線やLEDをバケツの中に放っていた時だった。夕方まで解放されている鎮守府の正門から、車のエンジン音が近付いてくるのを感知する。

 

 姉さんだろうか? いや、まさか。早すぎるからお客さんか。乗用車には無い、スポーツカー的な少々うるさい音が聞こえてくる方向に、龍田は顔と歩みを向ける。

 

「…………?」

 

 職業柄か、提督やその関係の人間は高級なスポーツカーに乗っている人が多く、龍田もよく観ることがある。のだが、来ていたのは彼女には来客で見たことが無い車だった。

 

 天龍よりも車には疎いが、フロントバンパーにある「Z」のエンブレムから、フェアレディZという車である事ぐらいはわかった。だが、高給取りの人間が乗るにはおかしな、錆や傷跡が目立つボロボロな停車した黄色い車に。龍田は不審者かと警戒して、携帯電話の電源を入れて車に近づく。

 

 ぱたり、と軽い音がして運転席からドライバーが降りる。その姿を見て、「あっ」、と声が漏れた。

 

「………………」

 

「貴女は……」

 

 乗っていたのは、今は艦娘の仕事を離れたという島風だった。

 

 以前に執務室で上司として会って話をしたときとは何もかもが違う。そんな風に、龍田は「元」島風を見て思った。

 

 綺麗に手入れされていた金髪は枝毛だらけでぼさぼさだし、着ている服も随分庶民染みている。それによくみれば、前よりも痩せてなんとなく頬がこけているように見えなくもない。そして乗っている車に目が行く。

 

 前の高級スポーツカーとは比較にならない。錆や補修痕が浮いている、日に焼けて所々が白化している黄色のZ32は、貧乏人が解体屋から引っ張ってきたような見た目だった。部品を交換したばかりなのか、サイドスカートの部分はプラスチックの地の色の白で車体色と合っていない。

 

 「あの、ご用件は……」。何を言おうかと迷ったが、事務的にその場を濁すような発言をした。すると、相手はさっきから手に持っていたタオルを地面に放って敷き、深呼吸を始めた。

 

「……………?」

 

 何をするのか、と龍田が疑問に思う暇もなかった。

 

 島風だった彼女は、いきなり膝と両手を地面に付くと、ゴツン! と鈍い音が周囲に響くような強さで、布を引いた場所に自分の額を打ち付けたのだ。

 

 龍田は思わず唖然となった。口を半開きにして間抜けな表情を晒していた彼女に構わず、女は血が滲んでいた頭に下に敷いていたタオルを巻いて簡単な止血にすると、淡々と妙な行動をとる。

 

「これ。慰謝料。スカイラインのあいつに」

 

 ドアを開けたままにしていた車のダッシュボードから、重要書類なんかを入れておくような、針金で封をする大きな封筒を取り出し、彼女は態度の悪い動作で投げる。

 

 放られた封筒はコンクリートに当たって、ばたん、と物にしては妙に重い音をたてる。龍田がそれを拾ってみると、何やら分厚くてずっしりと重みを感じる。さっきから面食らっている様子の彼女を見ながら島風は続ける。

 

「ソレに200万入ってる。足りるでしょ? 約束も果たした。もう来ないから、じゃあ」

 

「ち、ちょっと!」

 

「南方棲鬼が、頭を地面に擦り付けて土下座しろって言ってきたから来たんだけど。何? 言うことはそれだけだよ。じゃあね」

 

 所々に赤錆の入ったZに乗り込むと、少し乱暴にドアを閉める。そのまま彼女はどこかに行ってしまう。

 

「どうしろって言うのよ……んもぅ!!」

 

 相手の言ったことが嘘じゃなければ200万円が入っているという封筒を手に。龍田は島風の態度を思い出して少し頭に来て、軽く地団駄を踏んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 




手がいてぇ 


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「ちょっと疲れてんのかな」

天龍ちゃん編終了。さぁ次は最終編だ……


 

 

 

 

 すっかりルンルン気分で天龍は車を飛ばす。住宅街を50km/hオーバーは、少し危ないのでは、等と後ろをGC8で追う巧の事はお構い無しだった。

 

 速度超過気味に帰ると、行きに使った時間の約半分で鎮守府に二人は戻ってくる。

 

 ウインカーを点滅させている34Rのアクセルを無駄に踏み込んで、空吹かしさせながら天龍は駐車場まで自分の車を持っていこうとしたときだ。車で鎮守府に近付く彼女に、建物のそばにあるベンチに腰かけていた龍田がこちらに気がついたのか、いきなり駆け寄ってきた。

 

 突然走ってきた妹に驚き、天龍は慌ててブレーキに足を掛ける。クラッチを踏み忘れていたため、ガックンガックンと振動を起こして車は止まった。

 

 操作ミスに体を揺すぶられて気持ち悪くなりながら天龍は怒鳴る。

 

「おえっ……。てめっ、輝、危ねぇじゃねーか!」

 

「姉さん! ずっと待ってたわ、今までどこに行ってたの?」

 

「あぁ? 見りゃわかんだろ、車取りに行ってたんだよ」

 

 なぜか声を荒げ、何かを小脇に抱えている龍田に。妙に思いながら、天龍はキーを捻って、動力を切った車から降りる。

 

「ンだよそんなカリカリして?」

 

「その、何時間か前に島風が来て……」

 

「はぁ!? アイツが今更何しに……」

 

「これを姉さんにって。慰謝料(いしゃりょう)がわりに貰っとけって」

 

 「慰謝料だと?」 怪訝(けげん)な面持ちで車から降りて妹から大きな封筒を受けとる天龍を見て、不思議に思った巧も車から降りる。受け取った物の中身の、乱雑に突っ込まれた札束をちらりと覗いて、天龍は思わず変な声が出た。

 

「おいおいおいおい、幾ら入ってんだこれ?」

 

「相手の言ってたのが嘘じゃなければ200万って……」

 

「「200万!?」」

 

 とても封筒に詰め込むような金額じゃないだろ。天龍と巧が全く同じことを考えながら驚く。

 

 

 

 二人が戻ってくるまでに何があったのか、龍田は軽く巧に説明する。

 

 性格も悪そうで、やっていたことは子供みたいな目的からの犯罪だったけれど。自分なりのポリシーみたいなものはあるやつだったのか。まぁ、だからといって許さないけど。

 

 龍田の言ったことに対して、口には出さないが巧はそんなような事を思っていた時だ。持った札束を広げてうちわのようにヒラヒラさせていた天龍が、物を封筒に戻しながら、また車に乗り込んだ。

 

「……ちょっとまた外行く」

 

「? 何しに?」

 

「こんなに受け取れないっすよ、だからあの野郎に話でもつけてこよーかな、って」

 

「話って……どこに居るかも解らない相手に会いに行くの?」 そう思った巧の口から、ほぼ考えたそのままの言葉が漏れる。

 

「天龍はアイツどこに行ったかわかるの?」

 

「ひとつだけ思い当たる場所があるんす。ちょっと行ってきます!」

 

 アクセサリーの状態からイグニッションまでキーを捻る。エンジンが掛かったのを確認して天龍は左に思いきりハンドルを回してタイヤを鳴らしながら回頭すると。LEDの光で道を照らしながら、鎮守府の門から外へ走っていった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 午後7時。町には灯りが点いて、公園や裏路地みたいな寂しい場所にも街灯の光が灯る時間帯に、元島風だった彼女は、大きな公園の休憩スペースに居た。

 

 前に天龍と谷本が話をした場所に、サビの目立つ自分の車を停めて……もちろんその場に居合わせていなかったので、二人が待ち合わせた場所だなんて事は関知していなかったが。ベンチに座ってぼうっと池のある方を見つめる。

 

 ノンアルコールビールの空き缶をゴミ箱のある方向に放り投げる。何も考えず、ここに来るまでのコンビニで買った弁当に手を付ける。

 

「……………ハァ」

 

 全部無くしてしまった。自業自得とはいえ、軍に悪印象がつかないように、と迷惑を掛けた人間への口封じ(慰謝料ともいうか)でほとんど稼いだ金は無くなった。平和になったおかげで充実した訓練メニューによって鍛えられた後釜が、繰り上がってきて自分のポストも埋められたし、何より性格の悪さが祟って友人と呼べるような人間も殆ど居ない。……アルバイト以外に仕事のアテが無い。

 

「フゥ~……ハァァァァ…………」

 

 どうしてこうなった。溜め息の後に、冷めたチャーハンを口にぶちこみながら、女は心中で毒を吐き散らした時だった。

 

 少し離れた場所から、暴走族のような車の爆音が耳に入った。「うるさいな。」 前まで自分も似たような事をしていたのは棚に上げて、そう思う。

 

 数秒ほどして、恐らく音の主と思われるような車が顔を見せた。ドライブは好きだったが、実のところそこまで車に詳しくは無い彼女でも知っている車だ。たしか、シルビア?だったか、なんて考える。

 

「……………?」

 

 自分が車を停めていたすぐ隣にその車は駐車した。改めて近くで見たらシルビアのような、だが後ろはスカイラインのような妙な車から降りた人物を見た瞬間、島風の視線は、こちらに歩いてくるドライバーからコンクリートの地面へと移行する。

 

「なんだよ、久し振りの再開だのに目ェそらすなんてあんまりじゃねーか?」

 

「…………」

 

 とびきりめんどくさそうなのが来やがった。というか、何も考えずにここまで来たのに、一体誰かがこの場所に自分が居るとでもリークしたのか? 性格の悪さが(にじ)み出ているような事を考えていると。ハンバーガーに手をつけていた島風の元へ天龍は距離を積めてきた。

 

 ずかずかと歩いてきて、わざとらしく、自分の隣に、ベンチが(きし)む音が出るくらいに体重をかけて座った相手へ。島風は顔を合わせないようにしながら話しかけた。

 

「なんでこの場所がわかったわけ? 誰にも言った覚えは無いんだけど」

 

「女の勘だよ」

 

「女らしくないあんたが?」

 

「うるせぇ余計なお世話だ」

 

 何も知らない人間から見ると友達同士に見えなくもないやり取りだ。ところがどっこい。友達どころか、「宿敵」とか「因縁の相手」みたいな間柄の2人は、会話を続ける。

 

 「それ、今のお前のか」 天龍が指を指した方向には自分のZが停まっている。

 

「なにさ……みすぼらしいって笑うつもり?」

 

「いいや。よく似合ってるって言ってやるよ」

 

「…………ッ」

 

 ムカつく。こいつにも。前まで下に見ていたような奴と同じどころか、それ以下の立場になった自分にも。唇を噛みすぎて血が出るぐらいに苛々していると、そんな彼女の様子を見て、涼しい顔で天龍は更に(まく)し立てる。

 

「大嫌いだった女が落ちぶれているのを見れて、俺は快適だよ。明日の朝はスッキリ起きれそうだ」

 

「……そう。それはよかった」

 

「え~と。なになに……田中 敬(たなか けい)? なに、お前そんな名前だったの」

 

「なんで私の本名っ……、それ……」

 

 下を向いて貧乏揺すりしていたのを、女の発言を聞いて敬は少し驚いた表情になりながら横に顔を動かした。隣の天龍は、自分が龍田にやったはずのでかい封筒を片手に、札束をこちらに突き出していた。

 

 「なんの真似さ?」と問うと、「先ずは100万」と返された。意味は解りかねたが、相手がこちらに渡してきた現金を手に取る。

 

「お前にもやったことを償う権利があるし、何より金を払ったのはプライドなんだろうから、それは尊重してやる。だけど流石に貰いすぎたから残り100万は返す」

 

「え…………。ふ~ん……こういうとき、ドラマなんかだと全額返してくれるものだけど」

 

「フィクションとリアルをごっちゃにすんじゃねー。俺はそこまで人間できてねーよ」

 

 眉間にシワを寄せながら、敬はまた目線を下に戻す。

 

「はぁっ…………。なんで谷本サンはてめーみたいのとつるんでたのかねぇ。一生解りそうにねーな」

 

「なにさ……あいつがどこに居るかでも聞きに来たの?」

 

「それとカネ以外に理由があると思ってんのか? おめでてぇな」

 

「あっそ……御殿場だよ。箱根のね……もう帰ったら?」

 

「箱根? ふ~ん……先月・今月・山に縁のある日々だな」

 

「……?」

 

 天龍が何か言うが、意味が解りかねて敬は首をかしげた。しかし別にどうでもいいかと思うと、相手は用件は済んだとばかりにベンチから腰を上げる。そうだ、さっさと帰ってくれ。思っていると、何かを思い出したように天龍はこちらに振り返る。

 

「……? 何さ、まだ何かあるわけ? 早く帰ってよ」

 

「うるせぇ。黙ってこれ受け取れ」

 

「はぁ~?」

 

 嫌な奴から2回も物を貰うなんて……。考えるが、突っぱね返すともっと面倒になりそうなので、敬は相手が差し出した何かを手に取る。

 

 渡されたラミネート加工のカードには、『輸入車・新車・中古車販売 NDNL代表取締役・城島 英二』と書いてある。聞いたことのない会社だが、専業ディーラーの社長を務める人間の名刺のようだ。

 

「……なにさ……これ」

 

「仕事、ロクに就けてねーんだろ。行ってみろよ、そこのボロいZでな」

 

「……どこ情報よ。お前なんかに心配されるようなことは」

 

「フリーターが地に足付いた仕事だなんて言えるものかよ。良いから乗せられとけよ……ビックリしたぜ。まだハタチの俺よかお前のが年下だったとは」

 

「!! 事務職に就いたから何も」

 

「憎い奴ほど記憶に残るたぁ誰が言ったかな。気になっちまってテメーのことは調べさせて貰った。コンビニバイトとは随分落ちこぼれたじゃねーかぁ、えぇ、田中さんよぉ?」

 

「……ちっ」

 

 嘘がばれてしまって、敬は舌打ちした。正確には、元は見下していた相手に見栄を張った自分自身に腹がたっての行動だった。

 

「資格取得者・無資格関係無く、そこの取締役のおっさんが人を集めてる。……車の事なら、多少は頑張れんだろ」

 

「……………ッ」

 

 こいつ何をしたいの? 意味がわからない。そう思った彼女は、彼女にしては珍しく素直に気になったことを話す。

 

「なんでこんなに……優しくするのさ。意味わかんない」

 

「お前の泣いてる顔が見たかっただけだよ。悔しかったら、そこで偉くなって、また俺より金持ちにでもなりな」

 

「…………。泣いてねーし。クソが」

 

 嫌で嫌で仕方がない女の発言で、初めて自分が泣いていた事に気付いた。今や数少ない自分の財産である、着ていたブランド物のコートの袖で、敬は涙を(ぬぐ)う。

 

「俺はお前より大人な事を証明してやるのさ。この行動でな」

 

「ほんとっ、サイアクなセーカクね!」

 

「お前にだけは言われたかねーな。じゃあな、今度こそお別れだ」

 

 用事は済んだ、と続けた天龍は今度こそ帰るか谷本に会いに行くのかするのだろう。背中を向けて手をひらひらさせながら、スカイラインを止めた場所まで歩いていく。

 

 敬は咄嗟に相手を呼び止めた。そうすると、天龍は体の向きを変えないでその場に立ち止まる。

 

「待ってよ……その、ありがとう。……ちっ」

 

「あぁん? なんだよ気持ち悪い。礼なんか言うなよ、おぉ、トリハダたった!」

 

「なっ!? ……また追突してやる!」

 

「なにぃっ! それは勘弁してくれや、あぁどういたしまして。これでいいのか」

 

 敬の脅しに、ちゃんとした返事を返すために女は敬に向き直る。続いてめんどくさそうに天龍は言った。

 

「まっ、お前が好きなことすら頑張れないロクデナシならまた自滅するだけだろ。じゃあ今度の今度こそあばよ。もう会わないだろうがな」

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「…………」

 

『私はここでひっそり死ぬつもりよ。嘘偽りなく。本気で』

 

 同じ日の、午後9時頃。天龍が島風の情報を頼りに、箱根方面へと向かっていた時間に。戦艦水鬼は、鎮守府に割り当てられている自室に居た。

 

 なぜ、あのとき私は南方せ……巧にああ言ったのか。母とはいえ録に接点すらないのに。

 

 不自由はしないように、との元帥からの計らいで部屋に置いてある高級品の家具をぼうっと眺めながら、水鬼は思う。

 

「…………………。」

 

 このところ、水鬼は言い表しようのない漠然とした不安にまみれた思考に染まっていた。母なのに娘に何もしてやれていない、人間からもてなされているのに私はただここでくつろいでいるだけ、だけれども出来る仕事も特にないのでやることも特になく暇だ。そんな考えに心を病むばかりだったのだ。

 

 定期的に送られてきては、世話係の艦娘が前のものは交換して、と繰り返す本棚の蔵書に手を伸ばす。テレビなんて付けたところで人間の芸能人なんて知らない彼女には、軽い気持ちで読める小説なんかは、外に出る以外で唯一の娯楽と言ってもほぼ間違いの無いものだった。

 

「はぁ……」

 

 残念なことに、この行動は裏目に出た。

 

 気分転換でやろうとした読書だったのに、適当にタイトルすら確認しないで取った本は、暗い話だったからだ。ストレス発散どころか更に気分が重たくなった。

 

 そう、勝手に自分の行動で落ち込んでいたときだった。部屋の壁に取り付けてあった電話が鳴った。元帥以外に掛けてくる人など居ないから、ほぼ100%彼からだろう。

 

 ベッドから腰を上げるだけで重労働に感じるほど、気持ちは沈んでいた。が、そんな下らない理由で居留守も失礼だろう。もたもたと動きながら、戦艦水鬼は受話器を取った。

 

「はい。何か用かしら、カミクラ?」

 

『戦艦水鬼、少し話があって掛けた。時間は大丈夫かな?』

 

「何を今更かしこまって。私は暇だけど……」

 

 長い付き合いの友人なので、彼女は特に敬語など使わず気軽に返事をした。しかしスピーカーの奥の男の声は、何があったのか、少し暗く聞こえた気がした。

 

『大事な話だ。詳細は順を追って後日連絡するが、言っておきたい事があってな』

 

「何でしょうか?」

 

『来年の予定だったか。君に海に戻ってもらうという話だ』

 

「あぁ……どうかしたの? 年末に他の子達とは抵抗をやめるように説得するつもりだけど」

 

 話、とは何だったか、水鬼は少し記憶を(さかのぼ)った。なんのことはない。艦娘側からの攻撃をやめることを条件として、海上封鎖をやっている深海棲艦たちに自分が説得しにいく、という作戦の事だった。

 

 思い出しながらの発言に、男は返事を返してきた。

 

『急で申し訳ないが前倒しで1週間後になった。すまない』

 

 

「……え?」

 

 

 戦艦水鬼は、相手が何を言ったのか一瞬理解が追い付かなかった。

 

 

 

 

 




天龍「また付き合ってくれませんか!」
谷元「私なんかで良いんですか」
天龍「はい」
谷元「よろしくお願いします」
天龍「(´;ω;`)ウレシイ」


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4 空は繋がってる
人生まだ長いでしょ?


巻いていきます。今まで展開遅かった分猛スピードです。




 

 

 

 海鳥が、海面近くまで上がってきていた小魚か何かをついばんでいる。その様子と、今にも雨が降ってきそうな鉛色が広がっている空とを、巧は船の甲板から交互に見ていた。

 

 今日の彼女は少し変わった場所に来ていた。ここは軍の所有する大きな兵員輸送船のデッキである。なんでそんな場所に来ていたかと言えば、上の命令で戦場に駆り出されたからだった。

 

「…………………」

 

 

ねぇ、アイツ……

 

見るなっての。聞こえてたらどーすんだ…………

 

いきなり暴れたりしないわけ……怖いったらもう……

 

 

 背後から陰口か噂話か聞こえてくる。しかし巧は無視して振り返らず、視線も固定して動かさなかった。理由は、自分に向けられたものだと理解した瞬間にも、腹が立ってしまいそうだと考えていたからだった。

 

 本当なら手すりに肘を乗せ、頬杖でもついていてぼうっとしていたところ、装備が両手とも指が猛禽類(もうきんるい)みたいに鋭い鍵爪状なのでできない。なので彼女は机で居眠りをする学生みたいに、手すりにかけた腕を組んだ上から頭を乗せるような体勢だ。

 

 一応立ってはいるが、手すりに全体重を乗せてのんびりしていると眠くなってくる。うつらうつら、とほんのちょっぴり夢心地になっていたとき。服の袖を誰かに引っ張られた。

 

「………? 誰です?」

 

「……………。」

 

 背後に居たのは誰か確認した。知っていた人物だった。ここ最近でまた戦艦水鬼が鎮守府に「防衛戦力」と言い訳して連れ込んだ、軍の人間からは戦艦レ級と呼ばれている、背中から大きな尻尾が生えている小柄な女の子だ。

 

 戦艦レ級。昔、初めて確認されたときは、単体でも凄まじい強さから要注意認定されていた。ということを加賀から聞いていたが、どうにも巧には、全体的にミニサイズなこの人物がそんなに強い人には見えない。

 

 相手は自分の尻尾の中に手を突っ込み何か取り出した。その次には巧に向けて手のひらを突き出してきた。みれば飴か何かを持っている。

 

「……くれるんですか?」

 

「…………!」

 

「いつもどうも。」

 

 喉に怪我があり、話すことができないという彼女は、いつもこうして無口である。加えて無表情でもあったものだから、何を考えているのかが解らないなどと評されていた。が、なぜか巧にはいつもこうして親切にしてくれるので、巧は個人的に悪い人ではないのだろうとは思っていた。

 

 出された物を受けとると、いつも通りの無表情……だが巧には少し笑っているようにも見える顔を作りながら、レ級はどこへともなく歩いていった。

 

 同族だから頻繁に接触してくるのだろうか? なんて思っていると。今度は親友が二人、書類の束を持ってやって来た。加賀と摩耶だ。

 

「お待ちどうさまね。もう少しで出撃らしいわ。またレ級とお話し?」

 

「えぇ、まぁ……いつも飴かチョコくれるんですよね、あの子」

 

「巧の母様(カーサマ)に聞いたら今までひとりぼっちだったらしいしな、寂しいんじゃないのか?」

 

「さぁ?」

 

 会話の最後に、寝ぼけ眼を擦ると巧は思わず身動(みじろ)ぎした。ゴツゴツした手で瞼を触ったものだから、目元がアザだらけの真っ赤になる。ヒリヒリする目元にすっかり眠気が飛んだ彼女へ、加賀は手早く業務連絡を告げた。

 

「内容だけど、今回は警備じゃなくて敵の撃退だから、6人で編制を組むのよ。私達はいつも通りだけど、巧は艦隊行動は初めてよね?」

 

「はい」

 

「私達の鎮守府からは貴女と私、摩耶にレ級であと2人足りないから他の基地の人が来るそうよ。艦隊名は「フィフス・シエラ」……変わったコールサインね」

 

「横文字かよ、ブルー・インパルスみてーだな」

 

「なんでも旗艦……隊長みたいな物ね。務めている暁と部下の若葉って駆逐艦の人が来るわ。何か有るかしら?」

 

 お手伝い、ねぇ……。

 

 たったひとつ、不安要素があった巧は加賀に切り出す。

 

「………私が居て問題ありませんか? レ級ちゃんにも同じことが言えますが」

 

「?」

 

「だって、ほら……」

 

 巧は、さっきまで自分向けに陰口を言っていた艦娘達に指を指した。本当なら大の大人がやるような行動ではないが、あえてそれをすると、やはりというべきか。未だに陰口を喋り続けていた4~6人ほどで固まっていた艦娘たちは、一瞬ギョッとしてから、そそくさと解散し始めるのだった。

 

 何を言っているのだろうか? とでも言いたげだった加賀と摩耶は、友人が何を伝えたかったのか察したらしい。一気に表情が曇り、摩耶に至っては眉間に影をつくって苛立ちが隠せないといった様子になる。

 

「気にすんな巧。あんなのに流されるアタシらじゃねーよ」

 

「うん……」

 

「仕事が終わったら、ドライブでも行きましょう? 貴女の運転で」

 

「……はい!」

 

 ……………ハァ。あからさまな優しさがイタイ。

 

 カラ元気を振り撒きながら巧は加賀の提案に返事をする。

 

 そして10分後ぴったりの時間に。合流してきた助っ人2人を加えた6人は海に出るのだった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 海に出てまだ数分も立っていないが、固まって行軍していた6人は敵の勢力圏に入ったので、それぞれ散会して隊列を成す。陣形の組み方など知らない巧は、事前の打ち合わせ通りに加賀の左横に着いた。

 

 無線機として扱うヘッドホンが、医療用のテープでしっかり頭に固定されているか確める。そうしていると、すぐ隣に居た加賀からちょうど連絡が入った。

 

『熱源反応を確認したわ。それぞれ戦闘に備えて』

 

『『『『了解!』』』』

 

『たくみ………南方棲鬼。今から連絡は全て無線で行うわ。何か言いたいことは機械を通してちょうだい』

 

「わかりましたッ!」

 

 会話の最中にも、敵が撃ってきたのだろう砲弾が海面に当たり、巧は頭から海水を被る。目を細めながら、彼女は両手を標的に向けた。

 

 

 

 痛いのはヤだな。シンプルにそう思っての出撃中の巧の行動パターンは、完全に回避重視の物だ。まったく検討違いな方向から、自分の体を掠めていくような砲弾など、上手く彼女は交わしてみせると、それぞれが海面に着弾して大きな水飛沫を挙げる。

 

 元々姫級に近い能力の南方棲鬼という個体は、とんでもない体の頑丈さと常軌を逸した砲の火力が特徴だ。ということで、普通なら並の艦娘が束になって来ても、まともな傷すら負わせられないぐらいの強さを生まれつき持っている……なんて事は勿論巧は知らなかった。

 

 多少当たった所で気にもしないでいられる体質に、変なところで本人の臆病な性格が絶妙に噛み合う。なにせ、身体能力に物を言わせて右に左に動き回り、しかも攻撃が当たっても何ともないし、時折やってくる砲撃は一撃必殺レベル。敵からみれば正に鬼である。

 

『敵は倒す必要はないらしいわ。あくまでも撃退が目的だから、当てずっぽうでもいいから撃ちまくるの!』

 

「はい!」

 

 離れた場所から、艦載機を出していた加賀から無線が入る。言われた通りの事をしていればそれだけでよい、と釘を刺されていた巧は大人しく友人の命令に従った。

 

 右手→左手→右腰→左腰、たまに両肩の副砲。自分の体中にハリネズミのように所狭しと火気類が配されているのを良いことに、巧はローテーションで撃つことで、砲弾の装填時間を無くすように立ち回る。

 

 毎回のことながら楽な仕事だ。自分が強いのか相手が弱いのかはわからないけど。そんな腑抜けた事を考えていた巧に予想外の出来事が起きた。

 

「……! 弾切れ?」

 

 きちんと訓練を受けた人間なら絶対にやらなかっただろう。副砲が撃てなかったことに、彼女はあろうことか、数秒とはいえ戦場で足を止めてしまった。

 

 待っていました、とばかりに豪快に水を押し上げて海面から何かが飛び出してきた。

 

「!?」

 

「――――――♪」

 

 戦艦ル級、と呼ばれている黒服の女性の姿をしている深海棲艦だった。避けるのは間に合わない。そう判断した巧は、取り敢えずは頭だけでも守ろうと、両手を顔の前に持ってきたときだった。

 

「伏せて!」

 

「!!」

 

 反射神経の良い彼女は、どこからか聞こえてきた声に、無理矢理姿勢を低くしようと背中向きに倒れた。すると、倒れた方向から飛んできた攻撃に、不意打ちをしてきたル級は大きく体勢を崩す。

 

「大丈夫かしら? 南條さん、だったよね?」

 

「は、はい……なんとか」

 

『おい暁、後は勝手にやれよ。甘ちゃんの面倒見るほど暇じゃない』

 

「若葉ありがとう、じゃあね」

 

『ふん!』

 

 助けてくれた艦娘。補充人員の暁にお礼を言いつつ、巧は誘導に従って転倒したル級から距離を取った。

 

 全身から黄色い光を放ち、殺気を(みなぎ)らせ、ル級は2人を睨みながら立ち上がる。猛獣のように唸っている様子を見て、巧は以前に母が言っていた事を思い出していた。

 

 正直な話、人型をなす敵を相手取るのを苦手としていた巧には好都合だった。こうやって「人間ではない生き物」というアピールをされると、打ち倒す罪悪感が薄れるからだ。

 

 自分の下手な射撃に合わせて、暁は手慣れた様子で上手い具合にこちらを援護してくれた。自分の住んでいる鎮守府にも同じ名前を冠する人物は居たが、同じ駆逐艦とは思えないほど大人びていて、かつ冷静に敵に対処するこの人物に。後で礼を言わねば、という気持ちになる。

 

『目標撃破。お手伝いするね』

 

「すいません……」

 

『いいのいいの、面倒は私に押し付けて構わないわ』

 

 しつこくこちらを狙ってきたル級を首尾よく撃破し、無線で暁と話していた時だった。ちらりと後ろを見て彼女の姿を見る。巧の目には、彼女の背後から弾が飛んできているのが見えた。

 

 危ない、という暇すら無かった。こちらの表情を読み取って察したのだろうか? 暁はニヤリと不敵な笑みを浮かべながら、巧の方を向いたまま屈伸運動で砲弾を交わして見せた。

 

 「ありがとね」 機械越しに短く礼を言ってきたと思うと、今度は180度体の向きを変えて、暁は次に備える。

 

 彼女は左手に固定していた砲から弾を1発引き抜いて手に持つと、手榴弾でも投げるような動きで敵の弾が飛んできた方向へと投げた。そして、くるくると回るそれ目掛けて手持ちの火気の引き金を引く。いったいどんな精度の予測射撃が必要なのか、手投げした物に弾を当てて加速させ、更にそれを、また発射されてきた敵の砲弾に当てて弾道を逸らした。

 

「…………………!!!!」

 

 言葉が出ない、とか、神業って言うのはこういうことを指すんだろうな。もはや次元が違う練度の高さを見せつけた相手に、巧は失礼なことを考えていた自分が恥ずかしくなる。

 

 異常な精度の射撃を防御に使ったと思えば、今度は援護を指示されて、巧は敵を撃つ。一息つく暇もなく。次は加賀から無線が飛んできた。

 

『南方棲鬼、予想よりも敵が多いわ。戦闘機の数が欲しいところね』

 

「わかりました」

 

 広げた掌の赤く光る穴から、いったいどこに収納されているのか、無数の深海棲艦の艦載機が飛んでいく。それらは加賀が発進させていた飛行機たちに混じって編隊を組むと、敵の、なにやら球体に猫の耳をくっつけたような妙な非行物体を撃ち落としていった。

 

 

 

 

 何分こうして戦っていただろうか。ゴツゴツした手に構わず、巧は冬場とはいえ、激しい運動で流れてきた顔の汗を拭う。

 

 垂れ流しになっていた味方の連絡によれば、既に敵はほとんど倒したらしい。なんて事を加賀と摩耶から聴く。

 

『もう大丈夫だろ。そろそろ引き上げようぜ』

 

『そうね。でも油断は禁物よ』

 

 やっと終わったぁ! ……長かった。友人らが事務的な態度を崩したのを見て、巧が警戒を緩めたときだった。

 

 どうやらこの日の彼女は相当に運が無かったようである。また、普通なら無いような不運が降り注いだ。

 

『……? なんだアレ?』

 

「ん?」

 

 今日二度目の完全な不注意だった。予想していなかった場所から、1発だけ砲弾が飛来してきた。運の悪いことに、巧は人一倍鋭い反射神経が祟って、若葉の声を聞いて顔を向けてしまう。

 

「巧、危ないっ!!」

 

 鈍い音が周りに響くのとほぼ同時に、弾の炸薬が弾ける。加賀の注意も虚しく、彼女の顔は爆発の黒い煙に覆われた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「……運び込まれたって部屋は……!? ここね……!!」

 

 作戦終了後、6人全員が港に着いたと聞いて。同時に、自分の娘が怪我をした、と、要らない情報まで貰って。戦艦水鬼は、気を動転させながら廊下を走っている所だった。

 

 扉をノックすることすら忘れて転がり込むように部屋に飛び込む。中に入った瞬間、女性の叫び声が聞こえた。

 

「ひゃあぁっ!? 何!? だれさ!?」

 

「なんッ……巧、大丈夫なの! 怪我は!?」

 

「ビックリしたぁ……何ともないですよ、こんなの絆創膏貼っとけば……」

 

 ドアを破る勢いで突然部屋に訪問してきた水鬼に、柄でもなく巧は悲鳴を挙げる。がすぐにいつもの調子を取り戻して無愛想な返事を返す。

 

 肩を掴んで揺すぶってきたかと思えば、今度は目元をぺたぺた触ってくる母に。心から面倒だと言いたげな、不愉快そうな顔で巧は口を開く。

 

「怪我の心配なら良いですよ。今は良い薬が有るらしいから……」

 

「そうなの。……良かった! ……本当に!」

 

「ち、ちょっと!?」

 

 流石にぞんざいに扱いすぎたかしら。遠回しに早く出ていけと言うと泣き出してしまった母に、嫌いとはいえ思うところがあった彼女は、今度は逆にやさしめに声をかける。

 

「あの、別に死ぬほどの重傷でもないですからね? ほら、(まぶた)少し切ったぐらいだし」

 

「えぇ…………ごめんなさい。貴女が怪我をしたと聞いたから。私は邪魔よね? ごめんなさい、すぐに出ていくから……」

 

「!?」

 

 相手を元気付けようと、右目を覆うように貼られたガーゼを捲って見せる。そうまでしたが、水鬼は立ち上がると、喋りながら巧を突っぱねて部屋を出ていった。

 

 ちょっと! と呼び止める事ができなかった。どう表現したものか。こちらからのコミュニケーションを拒絶するような……そんな雰囲気を巧は母から感じていた。

 

「…………はぁ」

 

 嫌われたいのか、それとも私と話がしたいのか。後者ならもっと遠慮なくしてくれれば良いのに…………。

 

 ため息を()いてから、巧は親友に貼って貰った顔のガーゼを剥がした。部屋の電気を点け、備え付けのシャワールームの鏡で自分の顔を見てみる。

 

「うわ、傷残ってんじゃんかマコリンさぁ……」

 

 『良い薬だから傷も残らんよ』――帰ってきた時に言ってたことと違うじゃん。恨むぞマコリン。マンガのキャラクターよろしく右目を縦に横断する傷跡を見て、巧は毒づく。同時に、利き目が潰れなくてほっとしている自分もいた。

 

 

 

 あと一週間も無いうち、鎮守府から戦艦水鬼が居なくなることを、まだ巧は知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




残り2話


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少しだけ強がって掛けましょう

イベント海域に南方棲鬼が4~5年ぶりに出てきたと聞いて猛スピードで書き上げました。


 

 

 なんてことだ。友達と同じく、今日、ツいていないのは私もだったか。

 

 巧を連れ添って、久し振りに出撃した今日の夜。加賀は、暴風雨に遊ばれて壊れた傘を片手に、軽く絶望していた。

 

 巧と外出でもしようかとしていた彼女だったが、予定が変わって今は一人だったのだ。内容はもちろん追加の仕事である。

 

 緒方から言われて、悪く言えば彼女は上司に媚を売るための宴会に行っていたのだが。車で行くのに面倒な場所が会場だということで、電車とバスで来たのが間違いだった。簡潔に言うと、彼女は帰りのバスに乗れなかったのである。

 

「…………あぁ」

 

 普段の彼女を知っている人間がみれば笑ってしまいそうな情けない声を、加賀は漏らした。

 

 隙を突くかのようにゲリラ豪雨に当たり、独りぼっちで屋根もないバス停の前に立つ。次は1時間後に来るらしいが、果たして明日風邪を引かずにいられるだろうか、なんて真面目な彼女は仕事の事を考えていたときだ。

 

 何分ぶりか、人気のない道をモノクロカラーのスポーツカーが通り過ぎていった。

 

「ハァ………」

 

 店の立地など気にせずFCで来ていれば…… 走っていた車……なんだかどこかで見たことがある物をみて、後悔していると。

 

「…………? 停まった……?」

 

 加賀とすれ違ってから数十メートルと無い場所で、見覚えのある白黒の86はハザードランプを点けて停車した。

 

 そして、運転席側のウインドウが降り、乗っていた人間が窓から乗り出して加賀の立っていた場所を見るような動作をとる。運転していたのは巧だった。

 

「!!」

 

 両方の瞳を涙で充満させながら、加賀は折れた傘を畳んで駆け足で車に近寄る。車線二本越しに、彼女は相手から声をかけられた。

 

「加賀さーん! こんな場所でどうしました?」

 

「その、バスに乗り遅れちゃって」

 

「乗っていきますか? 送りますよ!」

 

「……!!」

 

 笑顔で送り迎えを提案してきた相手に。車通りが無いことを確認してから加賀は急いで反対車線に渡り、86の助手席に乗った。車のシートに腰を落ち着かせると、思わず変な本音が漏れる。

 

「巧……泣きそう」

 

「えぇっ!? どうしましたいきなり?」

 

「なんだか世界に嫌われたような気がして」

 

「えぇ……? なんだそれ」

 

 天然な性格が頭を覗かせたことに、運転手は変な顔になった。加賀は、なぜ友人がこんな人気もなければ鎮守府からも遠い辺鄙(へんぴ)な所に居たのかを尋ねた。

 

「その、どうしてここに通りがかったのかしら?」

 

「緒方さんのお使いです。出し忘れた書類があって、別の基地まで届けてほしいと」

 

「あの人らしい忘れ物ね……でも、感謝だわ。でなければ私は今ごろ朝まで歩くことになってたもの」

 

 本当に良かった。持つべき物は良い友達ね、なんて言うと巧の顔が更に綻んだ。

 

 ふと、シートに体を落ち着けていると思い出すことがあって。加賀は話題を変えた。

 

「……戦艦水鬼さん。もう少しね」

 

「? 何がですか?」

 

「えっ」

 

 「嘘!? 巧、何も知らないの?」 驚いて思わず加賀は座ったまま体の向きを変えてドライバーの顔を覗き込んだ。

 

「水鬼さん、あと3日かそこらであそこを出るって話よ。なんだか他の人達と停戦の話をつけてくるって」

 

「    」

 

「………………。本当に知らなかったみたいね。あと巧、信号が赤だわ」

 

 開いた口が塞がらないといった様子で、加賀の方に機械のような動きで顔を向けてきた友達に。彼女は、前を見て運転したら? と注意した。運転手が急ブレーキを踏んだので、加賀の体が前側に慣性で倒れる。

 

「私も詳しくは解らないの。何だか海に戻らなきゃならなくなったって」

 

「一言も言ってなかったですよあの人……」

 

「そんな……何か考えがあるのかしら」

 

「違うと思いますよ。私を避けてるだけです」

 

 一週間ほど前に水鬼本人から、「私から巧に話すから言わないで」と釘を刺されていたが、流石にもう言ったんだろう。そんな加賀の希望的観測は砕け散っていた。あの母親、こんな大事なことをまだ娘に言っていなかったらしい。

 

 図らずも車内の空気が重くなってしまう。話題を変えてしまおう。素早く脳を回して結論付けて、加賀は、助手席に乗っていてずっと気になっていたことを、巧に聞いてみた。

 

「そういえば、前髪どうしたのかしら? いつも顔にかからないようにしているのに」

 

「あの、今日の傷跡隠しで……」

 

「…………聞かなかったことにしてちょうだい。ごめんなさい」

 

「いえ、別に」

 

 やっちまった。加賀は思った。だがいまさら何を言ったところで、言い訳がましい醜い言葉しか自分の口からは出なさそうだ。聡明な彼女は、少し落ち込みながら大人しくしておくことにする。

 

 雰囲気が変わったな。同じ個体だというので似てるのは当たり前なのだが、自分が記録をみて知っている南方棲鬼に、髪型を変えた今の巧はそっくりだ。そんなふうに加賀は思う。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「あれ、エンジン下ろしたんだ?」

 

「うん。やりたいことがあってさ」

 

「ほ~……エキマニの交換か」

 

「マコリンご名答。やっぱりわかっちゃう?」

 

「そりゃ、サビサビボロボロのが、これ見よがしに置いてあるしな」

 

 加賀を家まで送ってから30分も経っていない頃合。鎮守府に戻ってきて、夜勤の従業員達が作業中なのを尻目に、巧は自分のインプレッサをリフトアップして整備中だった。加賀のところまで86に乗っていたのはこれが原因である。

 

 独り言など無く淡々とエンジンを下ろし終ったところ、親友が様子を観に来たところだった。どうやらまだ宿舎に戻って寝たわけではなかったらしい。

 

「ドコの部品付けてんだ? またお得意のCSUCO(クスコ)か?」

 

「あそこはエキマニなんて売ってないよ。えーと、なんだっけ……型式忘れた。レガシィの純正」

 

「ふ~ん。そんなポン付け出来るもんなのか」

 

「スバルはコレから20年も同じエンジンだったからね。部品の流用楽チンで助かるヨ」

 

 摩耶が来たときにはもう作業も終盤だったので、すぐに巧は車の下から這い出て来て大きく延びをした。「終わった~」との彼女の声が、金属音等も反響している工廠の中によく響く。

 

「お疲れさん。しっかし珍しいなお前がエンジン降ろすぐらいの重い作業なんて」

 

「パイプの錆が酷くてさ。明日のことにも丁度良いしね。面倒なこと後回しはキライだし」

 

「明日のこと?」

 

 はて、何かあったっけ? 摩耶が虚空を見上げて考えていたときだった。いきなり巧は彼女の肩を両手でしっかりと鷲掴みにすると、結構な力で前後に揺すぶり始める。

 

「うおっ」

 

「マ~コ~リ~ン~……どーせアンタもナイショにしてたんでしょ~恨むぞ~」

 

「何をっ!?」

 

「しらばっくれちゃって! 水鬼さんもう少しでここ出るんだって加賀さんから聞いたぞコンチキショー!」

 

 巧は親友の背後にクッション材が積まれた場所があることを確認し、いきなりパッと手を離した。言わずもがな、勢いをつけられてふらついた摩耶は、ふわふわした廃材の置場所に背中から倒れていった。

 

 体に付いたホコリを払いながら。摩耶は、眉間にシワを寄せたままの笑顔という……なんだか獲物を狙っている猛獣のような顔をして立っている巧に言い訳を始めた。

 

「けほっ、ぺっぺっ……悪かったよ、ったく。加賀のやつも言ってなかったか? 口止めされてたんだよ、あの人にな」

 

「………ふーん」

 

「でよ、明日の事ってなんだ? 見送り前にドライブでも誘うのか?」

 

「それ以外にあるとでも?」

 

「当たりかよ……………どうでも良いけどよ、乗ってくれるのかあの人? 正直、何かに付けてはぐらかされそーじゃねーか?」

 

「そこはマコリンとかが、責、任、持って私のとこまで誘導してくれるんじゃないのォ?」

 

 ニマァ…… 巧はそんな擬音が似合いそうな、ネバネバした、腹黒そうな笑顔を浮かべてきた。髪型を変えて片目しか見えない顔が不気味さに拍車をかけている。付け加えて、摩耶は軽く悲鳴を挙げそうになった。親友はいつも、怒る前に見せる予兆が幾つかあるのだが、この笑顔はその一つだったのだ。

 

「OkOk、わかったから怖い顔しないでくれ、マジで。アタシお前が学校でマジ切れしたのトラウマになってんだから」

 

「……………………」

 

「ひっ!!!! ……………トリハダたった」

 

 たぶん、いや確実にこちらをおちょくっているんだろう。笑顔を更に濃くした相手に、思わず摩耶は身震いした。そんな友達の様子を見て笑いながら、巧は今度は車にエンジンを戻す作業に移った。

 

「気休めだけど、譲ってもらってたったの5000円で5kgの軽量化。多分エンジンとステアのレスポンスが上がる! …………多分」

 

「気合い入ってんな」

 

「そりゃね……多分お話しする最後のチャンスだしさ」

 

「そっか」

 

 摩耶は、配線の繋ぎ直しを手伝いながら続けた。

 

「ま、事故だけは気を付けろな」

 

「そっちこそ、ちゃんとお母様連れてきてよ?」

 

「おう。任されて」

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 巧と、親友の摩耶が何を企んでいるとも知らず、次の日。今日という日を、戦艦水鬼は少し妙に感じていた。

 

 鎮守府において、自分という存在は簡単に言えば異物である。そもそも人間ですらないのだし、わかりやすく頭からは1本の角なんて生えている。しかし感謝すべきことか、艦娘から工兵まで皆、特に変なことをしてくることもなく、用件があるときは普通の人間として接してくれていた。

 

 妙、というのはこの「普通に接してくれていた」の部分である。今日はなんだか、廊下や、食堂なんかの大きめの室内で出会う人が、態度が何故かよそよそしく感じられたのだ。

 

 すれ違う艦娘は普段なら適当に挨拶でもして通り過ぎていくのが、今日は二度見してきたり、顔を覗き込んできたりとやけにこちらの同行を探るような仕草を取っている。

 

 「なにか私の顔に付いていて?」 生まれつきだが眠そうな顔で何人か捕まえて聞いてみるも、「いいえなんでも」、「すいません」と端的に謝って去っていくばかりだ。いよいよ巧以外の人間にも嫌われたか? 勝手に水鬼は気落ちしていく。

 

 そんな一日も終わりに近付く午後7時頃だった。水鬼が鎮守府のロビーに当たるような場所にあるソファに腰掛けてうとうとしていると。ある人物に声をかけられた。

 

「もし、水鬼さん?」

 

「ん……。えぇと、秋山さん……だったかしら」

 

「はい、あってます。ちょっと相談が」

 

 寝そうになっていた自分の肩を軽く叩いて声をかけてきた秋山さん、つまり摩耶に。水鬼は座ったまま顔を向けながら、会話を促した。

 

「相談って。ここの提督さんでもなく艦娘さんでもなく私に?」

 

「巧の事なんです。ちょっと口聞いて貰いたくて」

 

「なるほど……………」

 

 普段は考え事が早い彼女なら、このときは普通「父親の明さんに頼れば良いのに」とでもブー垂れていただろう。が、眠気で正常な判断が下せなくなっていたので、素直に摩耶の会話に乗った。このとき話し相手が内心でガッツポーズしているとも知らずに、水鬼は目を擦りながら話を聞く。

 

「喧嘩でもしたの? 私から助言は限られるけど……」

 

「話の続きに、ちょっと外出ませんか? ここからアイツの部屋近いじゃないすか」

 

「構わないけど……」

 

 相手の返事を聞いた摩耶は、内心ガッツポーズをする心境だった。水鬼は悩み事があると、決まってこの時間帯にこの場所で昼寝をする、という話は事務員から聞いていたが。寝起きでは頭の回転も悪いだろうと話し掛けたらドンピシャだったのである。因みに巧の部屋がロビーから近いというのも嘘だ。

 

 娘の友達に乗せられているともわからず、大人しく水鬼はのんびりと立ち上がって摩耶に連れられて外へ。

 

 3月の少し寒い風に目が覚めて、脳が本来の活動を再開し始めた時だった。敷地内にある花壇まで来たときにはもう遅かった。彼女の進路を塞ぐように、巧がインプレッサを寄せて停車した。

 

「イラッシャイ………歓迎スルワネ………」

 

「!!」

 

 ちょっとどういうことかしら? 眠気が吹き飛び覚醒した水鬼が摩耶にそう言おうとした。が、すぐ隣にいた筈の彼女は姿を消していた。慌てて振り返ると、全速力で玄関まで走っている摩耶を見つけ、追い掛けようとする。

 

 しかしまたその進路を絶つように。今度は那智と加賀が、それぞれ自分の車を横向きに停めた。加賀は申し訳なさそうな表情だが、逆に那智は少し楽しそうな顔をしながら、車のウィンドウを下げてこんなことを言ってくる。

 

「悪いな巧の母さん、こっちは工事中だ」

 

「……なんのつもりかしら。那智さん」

 

「娘に送って行って貰えないかな? 回り道だが、ぐるっと回って裏口から入れるぜ。かな~り遠回りだがね」

 

「………………」

 

 自分は完全に彼女らに嵌められたらしい。退路を絶たれた水鬼に残されたのは、娘の車に乗るという道だけだった。

 

「……わかったわよ……乗ればいいんでしょう、乗れば……」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 鎮守府から車はどんどん離れていく。一体どこに向かっているかは知らないが、これまで自分を避けていたし、自分も避けていた巧がこんな大胆なことを仕掛けてきたことに。水鬼は少し機嫌が悪そうに訪ねてみる。

 

「どういう風の吹き回しかしら。あなた」

 

「別に。ちょっとファミレスでご飯でも食べようってだけですよ」

 

「へぇ……」

 

「そんなことより、もっと私に言わなきゃならないこと無いですか?」

 

「……………?」

 

 自分の質問に淀みなく答えて見せると、反対に巧から言われて、水鬼は首を傾げた。交差点で停車して、そんな母親の顔を見て。娘は軽くその顔を睨みながら口を開く。

 

「水鬼さん、明後日には海に戻るんだってね」

 

「!! …………知ってたの? 誰から?」

 

「み・ん・なからです。どうりで貴女もみんなもソワソワしてるわけだ、普通そういうのって子供に真っ先に伝えるんじゃないんですか」

 

「……………」

 

 窓の外の、クリスマスイルミネーションのLEDに、二人の顔は青く照らされる。

 

「見送り、させてくださいよ。私の母様なんだから」

 

「………それで拐ってきたのね」

 

「悪いですか?」

 

「……………ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 車の流れが止まったのをみて、巧は道を右折する。

 

 不器用な親子の心の距離と隙間が、ほんの少しだけ埋まった瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 




最終回もDon't miss it!


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何も持たないで飛び出そう(終)

5000どころかまさかの一万文字を突破してしまいました。


 正直、柄でもないことを自分はやってるよな。母親との外食のために出たわけだが、帰りの道を走る車内で巧はそんな事を考えていた。

 

 大人しそうに見えて攻撃的、消極的そうに見えて意外と積極性がある。そして、主体性と自信の無さすぎる人間は嫌いな人。周りからはよくそう評されるのだが、彼女は自分でもそれを自覚している所がある。

 

「……………………」

 

 一ヶ月かけて把握した横須賀市の道を、頭のナビを辿って淡々と鎮守府に戻る。隣の女性に迷惑を掛けないようにと、低い回転数を維持してエキゾーストが煩くないよう運転していたインプレッサの車内は、巧も水鬼も口を開かないので嫌に静かだ。

 

 予定も立てずにいきなりの外出だったので、行った場所はいつもよりも価格帯が少々お高いだけのファミレスだったのだが。自分の性に合わないことをしていたな、との思いと並行して、彼女はもう1つ考え事をしていた。

 

 それは、母を無理矢理連れ出してまでやったこの行動は失敗だったのでは? なんていう後悔だ。

 

 「これ頼みますか?」「好きにして頂戴。」 「美味しいですか?」「えぇ、多少は……」 行き先での会話を思い返してみる。自分としたことが、他人を蔑ろにしてしまっていたらしい。

 

 ………当たり前だよな。嫌なやつとの外出なんて、普通なら苦痛にしか感じないだろう………

 

 やはり根っこの所では母とその娘ということなのか。知らず知らずのうちに、水鬼のネガティブ寄りな思考回路に近い想像を巧がしていたときだった。

 

 信号を直進して、長い直線の続く道に入ったとき。ずっと黙っていた水鬼が口を開いた。

 

「巧。良いかしら」

 

「お花でも摘みに行きますか?」

 

「いいえ。少し、行ってもらいたい場所があるの」

 

「?」

 

 巧は意外に思った。記憶が正しければ水鬼が初めて言ってきた気がする、自分の主張というものに耳を傾ける。

 

「もう帰るつもりだったのよね?」

 

「えぇ……まぁ…………」

 

「もし。都合が悪いだとか、私の言うことなんて聞きたくないのなら聞かなくていいの……」

 

 嫌にもったいぶるな。でもいつもの事か。巧がそう思っていると、水鬼が次に口を開いて、提案した行き先は運転手が予想していなかった場所だった。

 

 

「県道70号、ヤビツ峠。名前は合っているかしら。そこに、私を連れていって」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 目的地に行くまで、巧は母の放った言葉に、十数分も経過してなお驚いていた。むしろ、驚きを通り越して動揺していると現したほうが適切なぐらいにはビックリしただろうか。

 

 山を越える人間のために作られたのだろう。道に沿うように建てられた、セルフのガソリンスタンドを通り過ぎる。それをちらりと横目で見れば、巧の脳内には友人たちとの思い出が流れる。

 

 始めてきたときは、自分の車じゃ無かったよな。

 

 加賀のFCを乗り回した時。車が直り、喜んで試運転しに行った雪の降っていたあの日。落ち込んでいる天龍を連れて流しに来たとき――― 好きで何度も見返す映画をまた観るような、不思議な感覚に陥っていた巧は、隣の女になんでここまで来るように言ったのか聞いてみた。

 

「もう少しで着きますが……なんでこんな場所まで?」

 

「………………。貴女は、海に、今出ているでしょう。」

 

「えぇ、たまに、ですが」

 

「それはつまり、「私達の世界」を見ている事になる」

 

「……………?」

 

「言い方を変えるわ。艦娘さんたちと、同じ土俵に立っている」

 

「あぁ……そう、言えなくも無いですが」

 

「私は………巧。貴女が見ている景色を……世界を見たいの」

 

 山の入り口に差し掛かる頃になっても、母の言葉は続く。

 

「私は、自分の車なんて持っていないから。それに、運転免許も持っていないし、自分で運転する機会もなかったわ」

 

 ヘッドライトで照らされる前方の道に向いていた顔を、水鬼は体ごと運転席に向け直して言った。

 

「ずっと羨ましかったの。自分の乗り物で、どこへともなく羽を広げる貴女達が…………だから、近いところで、貴女の目に映る世界が見たいの。貴女の、走り屋? というものが」

 

「………………うんと飛ばして走れ。そう言いたいんですか」

 

 少々詩的で、悪くいえばクサい物言いだったが、水鬼の言いたいことは確かに娘に伝わったようだった。巧は返事としてそう言うと、水鬼は肯定する。

 

「えぇ。……海に戻る前だから。お願い」

 

「了解です。じゃあとりあえず山頂まで」

 

 

 

 

 無心で何かをやっていると、いつの間にかに、行動や作業が終わっている、ということはよくある。巧の感覚的にはあっという間に山頂に車は到着し、彼女はスムーズにギアを落としながら、ブレーキを踏んで売店の休憩所に車を止める。

 

 一定の間隔を刻みながら点滅するハザードランプの光が、二人の顔をオレンジ色に照らす。呼吸を整えようと黙っていた巧へ水鬼は口を開いた。

 

「やるのなら本気でやってね。私を殺す気で」

 

「……………………――――」

 

 水鬼の言葉に、巧はゆっくりと一言、呟いた。

 

「本当に本気でやって良いんですね……後悔しますよ」

 

「構わないわ」

 

 即答した水鬼の顔をじっと見詰める。「そこまで言うなら……」 巧は普段使いのシートベルトを外し、四点ハーネス式のものに絞め直した。

 

 

 準備が終わり、すぐに巧はクラッチペダルを一気に離してGC8を急発進させた。予想外の運転手の行動に、水鬼は首をバケットシートの背もたれに打ち付ける。

 

 

 軽く目眩を感じ、それで焦点の合わない目を前に向ける。「少し危ない」なんて言おうかと思ったが、彼女は口をつぐんだ。そもそも何をされても文句は言わないと言い出したのは自分からだったし、横目で軽く見たハンドルを握る娘の顔は真剣そのもので、何を言っても集中している相手には届かないだろうと思ったのだ。

 

「……………」

 

「…………ぅッッ!!」

 

 無言でアクセルを踏む巧とは対照的に、水鬼はガードレールが近づいてくるにつれて、恐怖心からか、条件反射的に口から呻き声が漏れる。

 

 18歳のとき、学校にナイショで免許を取りに行ってからもう10年近く。その年月の大半の移動はこの車に乗って過ごしてきた、そんな巧にとって、もはや白いGC8は体の一部に等しいほどで、操作を間違うなどということはコンマ1%も無かった。

 

 戦艦水鬼には、ガラス越しに流れていく木々や星といった非現実的な光景が新鮮に感じられた。前に彼女の父に連れ回された経験が生きる。あの時の恐怖体験のおかげで、なんとか今日この瞬間は気絶せずに済む。が、やはりこんなスピードで動く乗り物には慣れない。

 

「最後にもう一個、確認しますよ」

 

「?」

 

 下り道に入ったばかりでこんな有り様か…… 娘の運転に必死に意識を保っていた水鬼に、巧は少し遅かったが、気を使ってこんなことを言った。

 

「本当に怖いと思ったら、遠慮なく言ってくださいね。すぐに止めますから」

 

 私は大丈夫だから―― 口を開ける余裕が無かった水鬼は目線でそれとなく合図する。巧は一瞬だけ視線を横に向けて母の顔を見て察したのか、ほんのちょっぴりだけ口角を上げた。

 

 雪を溶かすための融雪剤と砂、そして雪解けと同時に崖から崩れてきたのだろう大きめの石が、無秩序に道に転がっている。それらを回避するどころか、敢えて巧は車のタイヤで乗り上げた。

 

 地面にぶつかったボールが跳ねるように、インプレッサの車体は、片側が軽く宙を舞う。車輪が空転して一気にレッドゾーンまで吹け上がったエンジンの悲鳴が車内に響いた。

 

 下りの道に入ってからほとんど彼女はシフト操作を行っていない。急坂で想像するのも恐ろしいほどに車体に勢いがついていたが、直角コーナーも3速に繋ぎっぱなしのテールスライドで、針の穴を通すような精密なアクセルワークとステア操作で抜けていく。

 

 体の大きさにあったバケットシートのおかげか、二人の体は激しい横Gが掛かっても揺れすぶられることは無い。慣性による負荷が掛かってもほとんど微動だにしない自分の体に、逆に水鬼は少し気持ちが悪くなるが、この時彼女はもう1つ思い浮かんだ感想があった。

 

 

 とても心地が良い。ジェットコースターのように飛んでいく白い車の中で、そう、水鬼は思っていた。

 

 

 車の中というのは、言い換えれば密室のような物である。当たり前だがキャンピングカーでもなければ中は狭いし、身動きはあまり出来ない。今乗車しているクーペタイプのスポーツカー等になれば尚更だ。

 

 加えて今水鬼が居座っているのは助手席だ。大袈裟な表現かもしれない。だけど、彼女にとっては、いつも距離を取っていた娘の体温をほんの少しでも感じることができる場所なのだ。そんな場所に座ることを許してくれた娘に、彼女は心から感謝していた。

 

 水鬼が何か考え事をやっていたうちにも、全くペースを落とすことなく巧は道を降りていく。連続コーナーが途切れ、ほんの少しだけ加速に移れるような短い直線に入ると、運転していた彼女は迷わずシフトアップして4速にギアを入れた。

 

 休憩する暇すらやってこないうちに、大きく右に曲がるガードレールが迫る。その先にあるのは、夜の闇が広がる底の見えない崖だ。

 

 シフトレバーを4速に入れっぱなし、時速120kmから一気にハンドルを右へ。すぐに左に限界まで回し直し、対向車線まで使って横を向いた白いインプレッサは、その姿勢のまま軽くジャンプした。

 

 慣性に従って車は崖がある方へと吹っ飛んでいく。壁にぶつかる手前で、車内に大きな振動が奔った。滑空していた車が地面に戻り、地面に擦れたマフラー等の金属部から火花が散る。そして接地して急激に回復したタイヤのグリップ力で、車はタイヤハウスから白煙を噴き上げながら前へと進んでいく。

 

 

 凄かった。水鬼の乏しい語彙力では、娘の技術はそうとしか表現できなかった。

 

 

 27年間の、これからを考えればまだまだ短い自分の経験した人生。それで得たものを全てぶつける意気込みで、巧は展望台までの道を走りきったのだった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「タバコの匂いは嫌いですか」

 

「問題ないわ。どうぞお好きなように」

 

「そうですか。なら、お言葉に甘えて」

 

 全神経を研ぎ澄ませた運転を終えて、巧は展望台の駐車場に適当に車を停める。母から許可を得て、彼女は持ってきていたタバコに火をつける。

 

 ため息でも吐くように、煙を吐き出す。加賀と平日の午前中に、一度この菜の花展望台で今後について語り合った事を、巧は思い出した。

 

 つい1ヶ月かそこら前のこととは思えないぐらいには、何か変に懐かしく感じるよな。そんな事を考えていると、手すりに寄り掛かって星を眺めていた水鬼が話し掛けてきた。

 

「とても凄かったわ……あんなに刺激的な景色を貴女たちは見ていたのね」

 

「さぁ………どうでしょうね」

 

「少し聞きたいのだけれど、やっぱり、自分は大丈夫って思っているの? その、事故とかは」

 

 事故、か。水鬼の質問に少し思うところがあって、巧は少し間を置いてから返答する。

 

「逆、かな」

 

「ぎゃく?」

 

「周りの人は大丈夫。でも、自分だけは死ぬかもしれない。ずっとそんな調子でハンドルを握ってます」

 

 そう答えると、水鬼は驚いたような顔を向けてきた。あんまりにも無茶な運転を先程目の当たりにしたばかりで、信用出来なかったらしい。巧は、苦笑いとも微笑みともつかないような微妙な笑みを浮かべて続ける。

 

「少し前に気になって、日本の事故の件数を検索したんです。そうしたら、去年は確か50万件。亡くなった人は4000人。その中に自分が入らないなんてあり得ない。そう思って運転してます」

 

「…………少し、意外だわ。私は、貴女はもっと大胆な性格だと思っていたから」

 

「誤解ですよ。……シフトを入れてクラッチ離して、アクセルオンで前進してガレージの外に。その瞬間から、今日こそ自分は死ぬかもしれない。そんな考えばかりちらつきます」

 

 持論を言い終わり、巧は水鬼の隣に寄って同じく手すりに体重をかけて楽な体勢になる。

 

 この場所に停車して何分経っただろうか。

 

 ただただ二人はじっと空を見上げて居たが、お互いにたった数分の時間が妙に長いものに感じられる。時刻は9時を回ったところで、もちろん閉まっていた展望台には誰もいないし、この日は偶然車通りもほとんど無く辺りは静まり返っていたのも原因か。

 

 唐突に水鬼は話を巧に切り出してくる。

 

「私が戻るのは、明日なの。午前7時の船で私の居たところまで」

 

「……そーですか。全く、早く言ってくれればいいものを」

 

「ごめんなさい」

 

「本当ですよ。心配しちゃったじゃないですか」

 

 吸い殻を手すりに押し付けて火を消すと、巧はゴミを灰皿に入れて処理する。

 

「今日のことは忘れられない思い出になりそうだわ……巧、ありがとう」

 

「やめてくださいよ、そういうの。別に死に別れる訳でもないのに」

 

「だって……」

 

「永遠に離れ離れになるなら解りますよ。でも、そんなこともないでしょう? ……こういうときは「サヨウナラ」は駄目なんだから」

 

「じゃあなんて言えば……」

 

「「またね!」………また会いたいって思う人って……結構すぐ会えるものだから。悲観的になるのが一番駄目なことですよ」

 

 「それに――」 巧は自分にも言い聞かせるように、笑いながら言った。

 

「また会うことがあれば、まぁ、「お母さん」と呼んであげないこともないですよ!」

 

「………あなた、性格悪いって言われたこと無いかしら?」

 

「誉め言葉ですね!」

 

 皮肉を込めて水鬼が言うと、娘は悪戯っぽく返してくる。ほんの少しの腹立たしさと、始めてみた気がする屈託の無い彼女の笑顔に、水鬼は何か暖かいものを感じた。

 

 巧の茶化しにため息を吐く。水鬼は改めて空を見上げると、話題を変えた。

 

「あの星……オリオン座、だったっけ……」

 

「どうかしたんですか」

 

「海に戻っても、あの星座は観られるかしら」

 

「観れるに決まってるじゃないですか。空はドコで観ても繋がってるんだから」

 

 

 軽い雑談を何度か繰り返したあと、2人は車に乗り込むと、特にまた寄り道もしないで鎮守府へと帰路に就く。

 

 この日の巧の、山頂から展望台までのタイムは、どんな腕前の人間が束になっても敵わないような凄まじいものだった。

 

 だが、もちろんそれを計測していた人間など誰も居ない。幻のレコードタイムは、夜の闇に静かに消えていった。

 

 

 

 

 ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼

 

 

 

 

 翌日の朝、慌ただしく巧は部屋を出て廊下を駆け抜けていた。何事かと早番の作業員と艦娘達が彼女を目で追うが、当の本人は気にする余裕すらないといった様子で玄関から外へ飛び出る。

 

 完全に寝坊してしまった。時計を確認すると時刻はもう6時43分を回っている。自分の仕事が始まるのは8時だ。一体港まで飛ばしても往復して間に合うのか。

 

 ちょっとした悪口を叩きながらも、巧は本当は水鬼の見送りに行く予定だった。が、予想以上に自分の体に溜まっていたらしい疲労で予定の時間に起床できなかったのだ。

 

 もう間に合わないのかな。半ば諦める心境に差し掛かった時だった。自分の車に乗ろうとすると、こんなに朝早くにERの洗車をしていた天龍と出くわす。

 

「あれ、南条さんおはようっす」

 

「天龍おはよ! あのさ、少し良いかな?」

 

「なんすか?」

 

 惚けたような顔をしてきた相手へ、急いでいた巧は混乱しかかっていた頭で滅茶苦茶なお願いを言った。

 

「理由は何も聞かないで、とにかく整備長に私が始業遅れるって言っておいて!」

 

「用事っすか?」

 

「そ! じゃあね!!」

 

 もはや会話と言えるのか怪しいやり取りを強引に終わらせて、巧はインプレッサに乗り込みエンジンを掛ける。そのまま彼女は2速発進で鎮守府から脱走するのだった。

 

 

 

 文字通り嵐のように過ぎ去っていった巧のことを見送り。天龍は大きく伸びをしてから、工廠に向かって歩みを進める。

 

 作業員が一人サボりで抜けるなんて事は本来なら大問題である。が、天龍には一応考えがあった。それは、今でもたまに工兵の方で働く彼女が穴埋めで代わりに入るというものだった。完全に偶然だったが、今日の天龍はオフだったのである。

 

「ふぅ~……うっし!」

 

 ガッツポーズして自分に渇を入れる。

 

 貴重な休みの日を潰すことなどどうでもよかった。そんな風に思えるぐらいには、天龍は巧に恩を感じていた。

 

 間に合うと良いな。巧さん。

 

 ガレージのロッカーに着く。ピンク色の作業着に着替えながら、天龍はそう思っていた時だった。電源を入れっぱなしにしてアプリをつけていた携帯電話から、こんなラジオ中継が流れてきた。

 

『6時50分になりました! 皆様、いかがお過ごしでしょうか。では、現在の交通状況をお伝えします』

 

『横須賀市、国道〇〇線では、渋滞が発生しています。通勤、通学の際はお気をつけて―――』

 

「おいおい……マジかよ」

 

 ラジオを聞いた天龍は巧の事がいっそう心配になった。なぜなら今言っていた道路と言うのは、港に行くのに必須な場所なのだ。

 

 生まれ育ちがこの町な天龍なら特に問題は無いだろう。裏道や住宅地を潜れば良いだけだ。が、今朝飛び出していった彼女はまだここに来て日が浅い。渋滞なんてものに嵌まったら絶望するにちがいない。

 

 追い掛けようにも巧は凄まじく速いのは知っているし、そもそも自分が抜ければ仕事が回らない。どうしたものか……そう考えていると、天龍は一人だけ思い当たる助っ人が居るのだった。

 

 アイツだ。俺に「借り」があるアイツなら間違いなく助けてくれるはず。

 

 天龍はある人物の携帯の番号を打つ。すぐに繋がった相手へ、彼女は受話器越しに話し掛けた。

 

「もしもし、ケイ、起きてたか? 後で小遣いぐらいの金は払うからよ、少し頼まれてくれや」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 天龍が自分を心配してちょっとした根回しをしているなんてもちろん知らず。巧は車を飛ばして先を急ぐ。

 

 そして天龍の予想も当たってしまっていて、ちょうど渋滞に巻き込まれた所だった。

 

「嘘でしょ………こんな朝っぱらになんでよ?」

 

 もう約束の7時は越えてしまっているが、ここまで来たならもう引き返せない。そう思って彼女はひたすら前を目指すが、こうも車の流れが遅いとそれも出来ない。

 

 こんなところで立ち往生なんて…… ハンドルを握る力が無意識に強くなっていく。早起きできなかった自分を呪う。

 

 ふと、何の気なしに道沿いにあったコンビニに目をやる。裏道でも通ろうかと一瞬考えが過るが、しかしここの地理はまだ把握しきっていない。下手なことをして遠回りになれば洒落にならない。なんて考えていた時だ。

 

 巧は信じられないものを見たと目を見開いた。

 

 見間違いじゃ無ければ、店の駐車場に自分も知っている人間がこちらを見て立っているのを見付ける。

 

 つい最近に競争して車が廃車になった女。35GTRに乗っていた島風である。巧の知らないところだったが、天龍が呼んだ助っ人とは彼女だった。

 

 なんでこんな場所にあいつが??? 巧が思っていると、相手も自分を見付けたのか、不敵な笑みを浮かべて駐車していたZ32に乗り込み、ニヤついた顔を崩さないまま手招きしてきた。

 

「こいつ…………」

 

 妙な仕草の後で、ハザードランプを点けた状態で島風は店から道路に合流せず、車を住宅街の路地に向ける。すると、今度は開いている運転席の窓から顔と腕を出してまたこちらを挑発するように手招きしてくる。

 

 「こっちに着いてこい」 そう言いたいのだろうか。巧は相手が何をしたいのかを、想像力を働かせて考えてみる。

 

 もう無駄にできる時間はない。彼女は一か八か島風の後を追いかけてみることにした。

 

 

 

 結果的に、巧のこの判断は正しかった。

 

 天龍と同じく地元の人間であり、この辺りの地形に強い島風は先導して港までの道のりを案内してくれたのである。

 

 本当なら道幅の狭いこの生活道路は遠回りなのだが、国道が渋滞中の時だけは近道代わりになる。加えて終着点は港以外になく、他の場所に行くのには使えないと言うデメリットもあったが、行き先は他でもないその港だった巧には好都合だった。

 

 初めて通る人間には走りづらいことこの上ない場所だったが、峠道で何年も鍛えられた腕が生きる。すいすい泳ぐ魚のように先を行く相手を、巧は低いギアの加速力で必死に追い掛ける。

 

 サイドブレーキのレバーを力一杯引き、機械がワイヤーを引っ張る音が車内に響く。その操作によって考えるのも恐ろしいような速度で巧は住宅地の直角コーナーを無理矢理越えた。

 

 まだ10分も経っていなかったが、初めて行く場所というものは、到着するまでは感覚的に遠く感じるもので。巧は不安で額を脂汗で濡らしていたが、そんな心配もすぐに終わった。

 

 少し広い場所に出たかと思うと、島風の黄色いZはハザードランプをつけてスピードを緩めたのだ。

 

 ゆっくりと追い越して道の先に目をやると、看板には港まで残り500mの表示があった。わざわざこんな時間に、意味は解らなかったが道案内をしてくれた相手に、思うところがあった巧はZの運転席を横目でちらりと眺める。

 

 役目は果たした。相も変わらずどこか憎たらしい顔をしている島風は、そんなような事を言っている気がした。巧はハザードランプを点けて礼の代わりにすると、靴の重さ程度にしか踏まずにセーブしていたアクセルを全開にする。 

 

「間に合うか……?」

 

 自分の運に願う。巧は祈るような気持ちのまま車を走らせた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 大型の客船に用意された個室の中で、水鬼は肘をついてぼうっとしているところだった。船の周囲は護衛の艦娘たちが防御を固め、おまけとばかりに彼女のいる部屋の周りも武装した艦娘たちが待機している。

 

 別に暴れることなんてないのに……。警戒されている自分について、物々しい雰囲気を撒き散らしている護衛たちに、内心で愚痴を垂れる。

 

 結局、見送りには来てくれなかったな。予想はしていたが、娘が来てくれなかったことに傷心していたときだった。

 

 自分の携帯電話の着信音が鳴った。気が抜けていたのか、艦娘の1人がびくりと体を震わせ、連動するように室内に居たもう1人の艦娘が顔の向きを変える。

 

 「電話だわ。一体だれかしら」 見たことがない番号だったので、水鬼が不思議に思ってそう言うと、顔を向けていた艦娘から話し掛けられた。

 

「出ないのか?」

 

「いいの?」

 

「その程度は特に問題はないと元帥から聞いている」

 

「そう。じゃあ出ましょうか」

 

 もしもし―― まさか巧だろうか。スピーカーから聞こえてきた声は、水鬼の予想通りで、しかし彼女は驚いた。

 

『もしもし、水鬼さんですか? いまどこにいます?』

 

「巧……船はもう出てるわ。見送りなんて……」

 

『あぁもうそういうのはいいの!! 真っ白ででっかくて、煙突の青い船! それに乗ってますか!?』

 

 何をしているのか知らないが、どうやら今の彼女は切羽詰まっているらしい。叫び声に近い話し方でこの船の事を聞いてきたが、水鬼は乗るときに特に気にしていなかったので解らない。

 

 質問になんて答えようか。すると会話が筒抜けだったのか、隣の艦娘が首を突っ込んできた。

 

 「白い大型の煙突が青い船、特徴は一致しているな」 そう助けを寄越してきた相手に、軽く会釈して水鬼は会話を続けた。

 

「合ってるけど、どうかしたの?」

 

『本当に!? 良かった……間に合った』

 

「……なに、まだ見送りは諦めていなかったのかしら。別に良いのに……」

 

 うつむきながらの水鬼の口から自然とそんな後ろ向きの言葉が溢れた。巧が聞いてくる。

 

『別にって……なんでですか?』

 

「……悲しくなってしまうもの」

 

『はあ?』

 

「だって……未練が残るじゃない。貴女に見送られたら、元の場所に戻りたくなくなってしまうもの……本当は陸に居たままがよかったのに……」

 

 戦艦水鬼は、自分の頬を伝う涙に気がついていなかった。勿論、それに連動するように声が震えているのにも気付いていない。

 

『ハァァァァ……本当、子供ですね』

 

「っ……うるさい」

 

 ぐすっ、と鼻を啜ると娘に軽く馬鹿にされた。思わず、それこそ電話越しに巧が言うような、子供っぽい強がりが口から出てくる。

 

『全く……まぁいいや、なにがなんでも見送らさせて頂きますからね!!』

 

「え………? でも、もう……」

 

『良いから窓の外でも観てください。2度は言わせないでくださいよ?』

 

「窓?」

 

 娘に言われて、反射的に水鬼の体が動いた。

 

 船の小さな窓から、海岸沿いに作られた道を観る。気のせいか。滅多に車通りはないその道を、すぐ昨日に自分も乗った、娘の、あの白い車が凄いスピードで並走しているように見えた。

 

 それは気のせいではなかった。

 

 港のコンテナ郡を突っ切り、海側に出っ張った船着き場に、白煙を巻き上げながらスピンターンで白のインプレッサが停車する。巧が慌ただしく降りてきて、こちらに手を振ってきているのが、遠目でもはっきりと確認できた。

 

「あのっ」

 

「はぁ……出たいなら出ろよ。別に構わん」

 

 部屋から出てもいいか。それを水鬼が口にする前に、艦娘は許可を下ろした。

 

 いてもたってもいられなくなり、水鬼はスマートフォンをしっかりと握り、船のデッキに飛び出す。救命用の浮き輪がくくられている手すりに前のめりに寄り掛かる。限界まで上半身を海側に出して、大げさなぐらいの仕草で手を振った。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 一般人が立ち寄れるギリギリの場所に車を停めて、巧は腕が千切れるぐらいに精一杯に手を振る。そうしていると、船の中から誰かが出てきてこちらに手を振り返して来るのが見えた。

 

 目の悪い自分でもわかる。間違いなく戦艦水鬼だろう。体も一緒に揺れるぐらいに手を降り続けていると、携帯電話から母の声が聞こえてきた。

 

『巧……また会えるかしら』

 

「会えるかなじゃなくて、会うんです。袖振り合うも多生の縁って言うでしょう?」

 

『でも……』

 

「はぁっ……ったくこの女は」

 

 巧は深呼吸をしてから叫んだ。

 

「陸地はそりゃ海で阻まれてますがね、空は繋がってんですよ!! だから1人ぼっちじゃないの!!」

 

 気が気じゃないといった精神状況でここまで運転してきて、なおかつ体にエンジンが入る前に叫んで。体力を使い果たして呼吸が荒くなる。

 

 しばしお互いに無言になった。しまった、言い過ぎたか、なんて巧はやってしまった後に思ったが、杞憂だった。

 

『ごめん、巧。ええっと、「またな」だったかしら?』

 

「そうです。じゃあ、またね。母さん」

 

『えぇ。また会う日まで』

 

 水鬼はそう言うと、通話を切った。

 

「……ふぅ。見えなくなっちゃった」

 

 大きく振っていた手を動かすのをやめて、巧は独り言を呟く。

 

「あんなこと言ったけど、また会えるのはいつだろうな。母さん」

 

 ジャンパーのポケットから、タバコとオイルライターを取り出す。1つくわえて点火し、ゆっくりと吸い始める。

 

「ふぅ~っ…………」

 

 空は繋がってる、か。頭に血が昇ってな~に言ってんだか。自分は。

 

 吐き出した煙の行き先を眺めながら、巧は自嘲ぎみに、そんなことを思った。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 




天龍と島風が仲良く(?)していたのはこれがやりたかったからですね。
2話分も突っ込んだので物凄い文字量になりました。
一年以上も続いてしまいましたが、今まで応援、感想、評価して頂きまして、本当にありがとうございました。


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