R博士の愛した異層次元戦闘機たち (ドプケラたん)
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いつのまにかTYPE:R

 春。それは始まりの季節であり、人々に新たな出会いをもたらす。しかし、その出会いが常にいい結果を呼びこむとは限らない。

 

「おい右、お前みたいな根暗野郎がいると気持ち悪いんだよ」

 

 とある小学校の、とある5年生の教室。

 体格の良い男子3人が、席に座るいかにも気弱そうな男子に絡んでいた。気弱そうな男子はおどおどした表情をし、ノートを胸に抱え込むだけだった。右と呼ばれる彼はいつも教室の隅にいるタイプで、この場を助けてくれるような友達は1人もいない。

 いじめ── 古来からどこでも起こる現象だ。強い者が鬱憤を晴らすため、目に見えて攻撃材料のある弱い者に理不尽を振りかざす。

 周囲の生徒たちは遠巻きに眺めるだけで関わろうとしない。当然だ。悪意の矛先がこちらに向いたらどうする。

 

「……」

 

 たった1人、そんないじめの現場に見向きもしない少女がいた。端整な容姿だが、頭の上に何故かウサギの耳を乗せている。机に頬杖をつきながら、何も書かれていない黒板を眺めている。いじめを見るのは不愉快だ。しかし、それは義憤から来る感情ではない。彼女にとって、いじめとは凡人同士の無意味な足の引っ張り合いなのだ。だから気弱そうな男子を助けるつもりは毛頭ない。さっさと終わらせるか、自分の目に届かない場所でやってほしい。

 

「なんだよ、そのノートがそんなに大事なのか?」

「あっ!?」

 

 3人のうちの茶髪の男子が気弱そうな男子が抱えていたノートを奪う。

 何が書いてあるのか気になり、適当なページでノートを開く。そして、首を横に傾ける。そこに書かれているのは奇怪な図形と小さな文字の羅列だった。

 

「なんだこれ、気持ちわりっ」

 

 少し目を通しただけで興味をなくし、ノートを放り投げる。

 偶然か、それとも運命の悪戯か。そのノートは書き込まれた内容が見える形で少女の前に落ちた。

 少女は目を見開く。凡人が見れば意味不明だろう。しかし、この少女は違う。天才という定義も霞んでしまうような悪魔的な頭脳を持つからこそ、内容を完全に理解できた。これはいわば、ヒトとよく似た「ナニカ」の二重螺旋塩基配列の生命書式だ。

 風景と同然に見えていた1人の男子小学生が、いるはずがないと決めつけていた同類に見える。

 そうなると、彼女の見ている光景の意味が変わってくる。凡人同士の足の引っ張り合いから、同類が有象無象に迫害されるという我慢ならない事態に変容した。

 少女は席を立ち、目の前に打ち捨てられたノートを拾った。これだから凡人は嫌いなのだ。これの価値がわからないなら死んでしまえとさえ思う。

 

「ぐえっ!?」

「があ!?」

 

 どこにそんな力があるのか、少女は同類に絡んでいる男子3人を瞬く間にのす。

 男子3人は痛みに悶えるばかりで、床から起き上がれない。

 少女は目もくれず気弱そうな男子の前に立ち、ノートを開いた状態で机の上に置いた。

 

「これ、君が1人で考えたの?」

「……えっ? う、うん」

「ふぅん。ねえ、君の名前は?」

「は、葉枷(ゆう)です」

 

 この出会いが、後に天災と呼ばれる篠ノ之束の運命を大きく捻じ曲げることになる。

 

 

 

 

 

R博士の愛した異層次元戦闘機たち

 

 

 

 

 僕は今、何故か学校を抜け出し、近所の自然公園に来ている。四月の中旬だからか、満開の桜が咲き誇っている。

 いつもむすっとしたうさ耳の女の子…… 名前は確か篠ノ之さんだったかな。その篠ノ之さんに連れてかれた。これから授業が始まろうとお構いなしだ。きっと今頃、クラスのみんなは先生に状況を説明するのに苦労してるだろう。

 僕の手を引っ張りながらズンズン足を進めていた篠ノ之さんが足を止めた。僕もつられて足を止める。

 篠ノ之さんは僕の手を離して振り返る。まるで敵だらけの地帯でようやく同類を見つけたような喜びが、彼女の瞳に表れていた。

 歩道の脇に植えられた木々のざわめきが耳に届く。僕はその場から動くことができず、しばしたたずむ。

 

「さっきのノート、もう一度見せてくれる?」

 

 心なしか教室で話したときより言葉が柔らかい。

 篠ノ之さんは僕のノートに興味を示していた。僕の考えた超束積高エネルギー生命体『バイド』について記されている大切なノートだけど、彼女ならあの怖い人たちみたいに粗末に扱ったりしない。僕は不思議とそう確信できた。

 

「うん、いいよ」

 

 僕は篠ノ之さんにノートを差し出した。

 篠ノ之さんはノートを受け取ると、次々とページを読み進めていく。一見適当に読んでいるように見えるけど、その両目は忙しなく動いている。もしもだ。もし内容を理解しているなら、彼女は──。

 静寂の中、ページを捲る音だけが響く。やがてその音さえも聞こえなくなった。

 

「超束積高エネルギー生命体『バイド』ね。物質存在でありながら波動の特性を併せ持つ…… うん、頭おかしいね。どんだけ未来に生きてんの。ねえ、バイドってどういう意味なの? 聞き覚えがない単語なんだけど」

「名前みたいなものだよ。神様が夢の中でバイドを作れって告げたんだ」

「……はっ?」

 

 篠ノ之さんが「何言ってんだコイツ」みたいな顔をしている。

 僕は神様を信じている。ただそれは、両親や身近な人が宗教に傾倒していたからではない。

 ずっとずっと昔。それこそ僕が覚えている一番古い記憶。夢の中に神様が現れた。本当に夢だったのか、今になってもわからないが。

 肉体のない状態、つまり意識だけの状態で真っ白な空間にいた。そんな空間に現れたのは、形のない光の塊だった。誰に何を教わるでもなく、この光こそが超常の存在── 神様なのだと直感した。

 そして、僕に告げたのだ。超束積高エネルギー生命体『バイド』を作れと。その日を境に物理工学、遺伝子工学、生命工学、あと一応魔道力学など様々な分野の知識を蓄えてきた。

 

「……私が言うのも何だけど、ゆー君ってかなりの変人だね」

 

 篠ノ之さんが呆れた目で僕を見る。どうやら彼女は神様を信じていないみたいだ。だけど、僕はその考え方を否定するつもりはない。夢以外に神様がいるのを証明できないし、逆にいないのも証明できない。論じても不毛なだけだ。

 それよりも気になるのが、篠ノ之さんの僕の呼び名だ。僕の耳がおかしくなっていないなら、確かにゆー君と聞こえた。

 

「あの、ゆー君ってまさか僕のこと?」

「そう、(ゆう)だからゆー君」

「ゆー君……」

 

 初めて会話してから一時間も経っていない人にあだ名で呼ばれるのは新鮮な感覚だ。

 

「それより、そろそろ学校に帰らない? 無断退席はまずいよ……」

「えー、そんなの凡人の決めたルールでしょ? 束さんたちが従う必要なんてどこにもナッシングじゃん」

「篠ノ之さん、学校から親に連絡が入ったらきっと怒られるよ。その、僕を引っ張って教室から出ちゃったし」

「……まあ、親が出張るのは確かに面倒だね。仕方ない、ここはゆー君に免じて戻ってあげよう」

 

 渋々といった感じで篠ノ之さんは頷いた。

 呼び名どころか性格も変わっている。いや、生き生きした表情をしてるし、こっちが篠ノ之さんの素なのだろうか。

 

 

§

 

 

 結論から言えば、篠ノ之さんのお咎めは無しで済んだ。先生は周りの証言で篠ノ之さんが僕をいじめから救ったと知り、彼女の良い意味での変化に驚愕したらしい。だから僕を連れて学校から飛び出したことも多目に見てくれた。親に連絡済みだと思っていたのか、篠ノ之さんも少し驚いた様子だった。

 僕たちが教室に戻ると、言いようのない空気に変容した。篠ノ之さんは物静かというか、僕たちに対して無関心だった。多分、今日の朝の時点で初めて声を聞いた人が大勢いるだろう。それでも篠ノ之さんはクラスでは目立つ存在だった。むすっとしてるけど端正な顔立ちだし、普通の人とは何か違うオーラを放っている。そんか彼女の朝の行動には、教室にいるほぼ全員が戸惑っているはずだ。

 当然だけど例外もいる。怖い人たち3人だけは篠ノ之さんではなく僕を睨んでいた。その目には明確な悪意がある。篠ノ之さんには敵わないと本能で悟ったのか、彼女への怒りの矛先を僕に向けたようだ。

 ただ、篠ノ之さんはそんな悪意に敏感に察知して、怖い人たち3人に容赦ない殺意を浴びせた。そう、殺意だ。あのとき、教室の温度が間違いなく下がった。そんな殺意を向けられた3人は、顔を青くして僕から目を逸らした。篠ノ之さんに守ってもらう形になっている。迷惑をかけて本当に申し訳ない。

 それからというもの、授業の合間や昼休みになると、篠ノ之さんは必ずと言っていいほど僕の席に寄ってきた。僕は口数が少ないし友達もいないが、篠ノ之さんも同じだったはずだ。それが今となっては、篠ノ之さんは口から先に産まれたように饒舌に話す。他愛のない世間話から科学の話まで、色々な話題を振ってきた。その様子に周囲の人たちはやっぱり目を丸くしていた。

 篠ノ之さんが構築したという慣性制御システム『PIC』の設計理論を持ってきたとき、彼女は天才なのだと改めて認識した。こんなに頭が良い上にケンカまで強いなんて、篠ノ之さんは本当に凄い。ちなみに、僕の場合は下級生とケンカしても負ける自信がある。

 こうして、劇的な変化を迎えた学校生活の1日は終わりを告げた。陽もすっかり沈み、辺りは夕焼けで橙色に染まっている。

 一本道である住宅街の歩道を歩いていると、僕の家が見えてきた。何の変哲もない、住宅街の風景に馴染んだ一軒家だ。ズボンのポケットから家の鍵を取り出す。

 

「……」

 

 無言のままドアを開け、家に上がる。言葉を返す人は誰もいないなら、挨拶をする必要はない。

 リビングを経由することなく、足早に二階にある自室に向かう。

 自室のドアを開けると、チカチカと光を点滅させる自作コンピュータが出迎えてくれた。カラフルな配線があちこちに節操なく伸び、複数のディスプレイやサーバーに繋がっている。お世辞にも片付いている部屋とは言えない。少なくとも生活の拠点としては破綻している。自室というよりも研究室という言葉が当てはまるかもしれない。

 部屋の隅に置かれているベッドにランドセルを放り投げ、腰を下ろす。少し長い距離を歩いただけで、僕の足には疲労が溜まっていた。

 葉枷家は僕と母さんの2人だけだ。父さんは物心ついたときからいない。どうやら事故で死んだらしい。ただ、僕という存在が証拠とはいえあの母さんが結婚したなんて信じられないし、父さんがどんな人なのかも想像がつかない。

 母子家庭だから生活が厳しいかと問われたら、答えはノーだ。父さんが死んだときの保険金が下りているし、何より母さんが仕事でお金を稼いでくれている。どんな仕事をしてるのかは知らないが、世間一般の認識ではかなり稼いでいる方らしい。このコンピュータ一式を買えたのもそうだ。僕が望むなら、常識の範囲内であればどんなものでも買ってくれる。

 だからこそ、普通の家と違って昼間に母さんがいることはない。寂しくないかと聞かれるだろうが、僕としては別に何か思うことはない。こうして研究できる環境を整えてくれれば文句はない。

 

「……さて」

 

 ベッドから立ち上がり、コンピュータと向かい合う。この電子機器には僕の研究成果というか、趣味が詰まっている。

 あるファイルにカーソルを合わせ、クリックする。ディスプレイに僕の考えた空間汎用作業艇の設計図が広がった。機体の前方は青色のラウンドキャノピーであり、コックピットに位置する。独特なデザインであるラウンドキャノピーから、僕はこの空間汎用作業艇をR-5と名付けた。

 様々な局面での運用も可能だが、主に艦艇を牽引するタグボートとしての役割を構想している。テスト用機体の色合いが強いRX-T1からシミュレーションと改良を重ねた結果、R-4までの実験機のデータを経て今のR-5が完成した。

 R-5には今までにない装備、障害破砕用装備『アステロイドバスター』が搭載されている。またの名を低出力力場解放型波動砲といい、低出力という文言から分かる通り、出力が大幅に上がる可能性を秘めている。

 安定性と拡張性に優れた、まさに僕の考える万能の作業艇だ。だけど、僕はR-5の性能で満足していない。この機体のポテンシャルはこんなものじゃない。まだ改良できる余地が有り余っている。より疾く、より頑丈に、より強くできるはずだ。Rを更なる次元に飛翔させるため、超束積高エネルギー生命体『バイド』の研究は必須だ。バイドは物体でありながら波動の性質も併せ持っている。バイドの波動エネルギーが開発の鍵を握るはずだ。

 想像の域を出ないが、R-5の汎用性と拡張性の高さから、様々な用途の機体に派生すると考えている。今はまだ一個の機体の完成度を高めている段階だが、いずれ開発できると信じている。

 いずれ開発するたくさんの機体を研究施設に並べるのが僕の夢だ。強さとは美しさであり、その逆もまた然りだ。そこに広がる景色はどれだけ壮観なのか、考えただけでも鳥肌が立つ。

 



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天災の夢、そして人類の悪夢

 篠ノ之束にとって、ゆー君こと葉枷(ゆう)は己に比肩する頭脳を持つと認めた人間だ。しかし、彼には天才らしく変わった一面がある。

 (ゆう)は神という実像すらあやふやな存在を心の底から信じているのだ。科学に携わる人間ならオカルトなど最も陳腐に感じるはずだ。存在を立証する手段がないのに、どうやって信じればいいのか。

 当然ながら束も神など信じていない。だからこそ、(ゆう)が「神からバイドを作るよう告げられた」と言ったときは、困惑するしかなかった。どれだけ神に祈ったとしても、そんな明確な答えが返ってくるはずがない。

 最初こそ「からかっているんじゃね?」と疑ってしまったが、(ゆう)は嘘をつくような人間ではない。神の存在を語る(ゆう)の目は誰よりも純粋に輝いていた。それでも束は神の存在なんて認められない。夢の中で神に「バイドを作れ」と告げられたのも、蓄積した知識から(ゆう)自身が無意識のうちに答えを導き出したのだと推察してる。

 だからだろうか、(ゆう)の発想と理論には束でさえ底知れない何かを感じる。

 

「ふ〜ん、波動砲かぁ」

「そう、波動砲。前方に空間を超振動させる力場を形成して、エネルギーを収束させる。そしてベクトルを付与した後に開放、放出するんだ」

 

 束はプリントアウトした用紙を纏めたルーズリーフのノートを読み進める。学校の昼休み、(ゆう)が波動砲の設計理論を持って束の席にやって来たのだ。

 読み進めるにつれて束の表情は険しくなっていく。

 波動砲の理論はバイドの特性を応用させたものだ。このノート通りに設計を進めれば、理論上ではあるが実現は可能だろう。ただし、国家予算規模の莫大な費用と設備が必要になるが。良くも悪くも、相変わらずブッとんだ理論だ。科学で束を驚愕させる存在など、後にも先にも(ゆう)だけだろう。

 しかし、束の心に引っかかるのは波動砲の目的だ。既存の兵器から全力で逸脱した火力。明らかに破壊しか求めていない。そんな危険な代物を、(ゆう)は満面の笑みで説明している。波動砲が戦争に利用されたら、それこそ世界が跡形も残さず破壊される可能性もある。

 束は戦争というものを心の底から毛嫌いしてる。凡人どもの足の引っ張り合いの中でも最も浅ましく、愚かなものだ。この世から根絶したいとさえ思う。それなのに、(ゆう)の素晴らしい頭脳が戦争に利用されるなんて我慢ならない。

 (ゆう)は何のつもりで波動砲を発案したのだろうか。

 

「……ねえ、ゆー君はどういう目的で波動砲を作ったの?」

「そういえば言ってなかったっけ。僕はね、Rシリーズを作りたいんだ」

「Rシリーズ……?」

「宇宙空間を想定した作業艇だよ。波動砲は小惑星とかの障害物を破壊するために搭載したんだ。Rシリーズの開発のために、バイドの研究もしてるんだよ」

 

 (ゆう)の言葉を聞いて、心の内にあった疑問が解消する。小惑星を破壊するためなら、波動砲の火力の高さも納得だ。

 代わりに、偶然にも目指していた場所が同じだった喜びと驚愕で心が満たされる。

 

「ゆー君も宇宙を目指してるの!?」

「あれ、じゃあ篠ノ之さんも宇宙関連の研究を?」

「ふっふーん、よくぞ聞いてくれました! ゆー君と同じく、このつまらない世界()から飛び立たせてくれる子を作ってるんだよ!」

「宇宙船ってこと?」

「違う違う、宇宙船じゃなくてパワードスーツだよ。名前ももう決めてあるの。インフィニット・ストラトスっていうんだ」

「無限の成層圏…… 良い名前じゃないか」

「おっ、流石の察しの良さだね」

 

 そう、無限の成層圏。この子となら誰よりも自由に大空を舞い、たとえ世界(宇宙)の果てだろうと辿り着ける。ISは束の夢と愛情を目一杯注ぎ込まれている我が子のようなものだ。

 

「進捗はどうなるの?」

「まだまだゴールは遠いけど、ようやく見えてきたって感じかな。ねえ、ゆー君のRシリーズが完成したら一緒に宇宙旅行をしようよ! 誰も見たことがない世界まで、一緒に見に行こう!」

「素敵な宇宙旅行だね。何年かかるかわからないけど、僕も頑張るよ」

「大丈夫、私も手伝うからすぐだよ!」

 

 研究成果を自慢できる。競い合える誰かがいる。そして同じ夢を持てる。それは束にとって何物にも代え難い幸せだ。こんな幸せがいつまでも続けばいいと、束はそう望んだ。

 

 

 

§

 

 

 さようならの挨拶が教室に響く。その声には隠しきれない喜びが滲み出ている。HRが終わり、やっと学校から解放される。生徒なら誰しもが待ち望んでいる瞬間であり、僕も例外ではない。

 篠ノ之さんはというと、口パクすらせず完全無視を決め込んでいた。先生も彼女の態度に気づいているが、矯正するのはとっくに諦めている。

 ふと窓の外を見る。外はすっかり夕焼けに染まっていた。

 最近毎日が充実している。考えるまでもなく篠ノ之さんのおかげだ。

 自惚れとかではなく、自分が異常なのは自覚している。小学校の授業を受けていれば嫌でも理解できる。勉強が嫌いなわけではないけど、授業はあまりにも簡単すぎて楽しくない。

 学校でR戦闘機について語れる日は来ないと、勝手にそう思っていた。だけど灯台下暗しというか、語り合える人はすぐ側にいた。

 休み時間に他愛のない話や研究成果について話し合う。世間一般の認識だと、彼女は僕にとっての何なのだろうか。僕は彼女のことを友人だと思っている。彼女もそう思っていてくれたら嬉しい。

 

「ゆー君、一緒に帰ろ!」

「うん」

 

 篠ノ之さんが一直線に僕の席にやって来た。こうして一緒に帰るのも、日常の一部となっている。

 取り留めのない会話をしながら帰路に着く。この道は少し遠回りになるが、途中で束さんの家に寄っていける。何度も通ってるのですっかりお馴染みの景色だ。

 

「あっ」

「どしたー?」

「いや、学校にノートを忘れちゃったかも」

 

 足を止め、学校での机から離れる間際の行動を思い返す。

 篠ノ之さんのことを考えていて、波動砲の設計理論についてまとめたノートをランドセルに入れそびれていた。多分、僕の机の中で今も眠っている。

 ノートの中身は頭の中に入っているとはいえ、やはり机の中に放置することはできない。

 

「私も学校に戻ろうか?」

「篠ノ之さんはもうすぐ家に着くじゃないか。別に僕1人でも大丈夫だよ。それに、妹さんだって家で待ってるんでしょ?」

「む〜〜」

 

 篠ノ之さんは徹底的に他人と関わろうとしないけど、妹さんには普通に愛情を注いでいる。家族なんだから当たり前と言えば当たり前ではあるのだが。

 学校以外の時間くらいは妹さんとの触れ合いを優先してもいいはずだ。

 最後までどうするかを悩んだ後、ついに篠ノ之さんは僕の言葉に頷いた。

 

「それじゃあ、また明日ね」

「うん、また明日」

 

 篠ノ之さんに軽く手を振りながら来た道を引き返した。

 

 

 

§

 

 

 

 学校に着いた時点で、時計の針はかなり進んでいた。

 グラウンドにはちらほらと人が残っていたが、校舎の廊下では誰ともすれ違わなかった。

 教室の引き戸を開ける。中には誰もいない。いたら気まずい空気になるので助かった。

 自分の机の中を調べてみると、やはり波動砲に関するノートが置いてあった。

 ノートを手に取り、家に帰ろうとしたそのとき──

 

「っ!」

「おっ?」

 

 教室の引き戸の窓越しに、僕をいじめるあの3人と目が合った。

 

「よお、右。ちょっと俺たちと遊ぼうぜ」

 

 3人が教室に入ってきた。

 篠ノ之さんがいない今、誰も僕を守ってくれない。走って逃げようにも、どうせ追いつかれるに決まっている。篠ノ之さんと違い、僕の身体能力は貧弱の一言に尽きる。

 体育館裏へと連れてかれる。まだ夕陽が差し込む時間帯だが、体育館裏一帯は体育館で夕陽が遮られて仄暗い。少し肌寒いようにも感じる。言葉通り、これから僕はこの3人に遊ばれるのだろう。

 

「っ!」

 

 3人のうちの1人に突き飛ばされる。

 地面に倒れた衝撃で膝を擦りむく。土埃が舞い上がり僕の服も汚れる。

 自然と僕は3人組を見上げ、3人は僕を見下ろす形となった。僕はさぞ弱々しい目をしていることだろう。

 3人の口元が愉しそうに吊り上がる。僕はノートを両腕に抱え込んで守ることしかできなかった。

 

「お前さ、最近調子に乗ってね? 篠ノ之と少し仲良くしてるからって浮かれてんじゃねーよ!」

 

 3人に囲まれて、背中や腕にひたすら蹴りを入れられる。僕はただ痛みに耐えて蹲ることしかできない。

 浮かれていたのは否定しない。だって、篠ノ之さんは初めてできた友達だから。だけど、どうしてこの3人組が怒るのだろう。

 性格はともかく、篠ノ之さんは学校で一二を争う美少女だ。この3人組が嫉妬してるのだと、このときの僕は思い当たらなかった。

 

「そもそもお前さ、俺たちの名前知ってるか?」

「えっ……」

 

 当の本人たちに指摘されて、初めて気づく。そういえば僕はこの人たちの名前を知らない。

 3人はさっきまで僕を嘲笑っていたはずが、怒りで表情を歪ませた。

 

「そういうところがムカつくんだよ! 俺たちなんて眼中にないってか!」

 

 名前がわからないだけで、どうしてこんなに怒っているのか理解できなかった。

 さっきよりも蹴りの勢いが強くなる。鈍い痛みが全身に蓄積していく。

 とうとう腕の力が抜けて、腕に抱えていたノートが地面に落ちた。

 僕がもう一度拾い直そうとするよりも速く、地面に落ちたノートを3人に取られてしまった。

 

「おい」

「ああ」

 

 3人はノートを地面に叩きつけると、何度も何度も靴底で踏み躙った。僕は何もできず、呆然とその光景を眺めるしかなかった。

 ノートは土埃で汚れ、どのページもクシャクシャになってしまっている。怒りよりも先に悲しみが湧き上がる。

 

「はー、スッキリしたぜ。篠ノ之がいたら色々とめんどくせえからな」

「……おい、こいつを人質にすれば篠ノ之もボコボコにできるんじゃね?」

「確かに! あいつも生意気だし、教室で殴ってきた借りを返さないとな!」

 

 打ちのめされた心境の中、3人の言葉だけが嫌にはっきりと聞こえた。

 

「や、やめてよ! 篠ノ之さんは関係ないだろ!!」

 

 自分でも初めて出すくらい大きな声だった。だけど、そんなことで3人が怯んでくれるはずもなく。寧ろ、初めて大きな反応を見せた僕に向かって愉しそうに口元を歪めた。

 立ち上がろうとするけど、手足は僅かに震えるくらいしか動かない。そもそも、僕が立ち上がっても何ができるわけでもないのに。

 

「ははは、イモムシみてーだ! みっともねー!」

「立ち上がってみろよ、そしたら篠ノ之は見逃してやる」

「うう、ううぅぅう……!」

 

 地面に手を着けるけど、体を持ち上げるまでには至らない。無理だ、立ち上がれない。僕に篠ノ之さんくらいの── いや、普通の体力があれば、ここで立ち上がれたのだろうか。

 

「おい、何をしてる」

 

 凛とした声が校舎裏に響く。

 声のした方に目を向けると、そこには同い年くらいの黒髪の女子がいた。その容姿は可愛いというよりも美しい。小学生には思えないほど大人びている。

 尋常でない圧に呑まれて何も答えられない3人組に対し、彼女は刃物のように鋭い眼光を浴びせる。声を押し殺した悲鳴が確かに聞こえた。

 

「何をしてると聞いているんだ」

「う、うるせえ! 女が口出しするんじゃねえよ!」

 

 彼女は早足で3人との距離を詰めると、右腕を大きく後ろに引いた。

 皮と皮がぶつかり合う小気味良い音が響く。不運にも手近にいた3人のうちの1人が頬に紅葉を浮かべて吹き飛んだ。

 残った2人は凍りついたように動かなくなる。

 

「弱い者を虐めて楽しいか? 見下げた根性だ、恥を知れ!」

 

 彼女の一喝に3人は悲鳴をあげながら逃げた。ビンタをくらった1人は酒に酔ったみたいにフラフラの足取りだ。

 まるでヒーローみたいだ。彼女から篠ノ之さんと同じ特別な雰囲気を感じる。

 

「大丈夫か?」

 

 ふと、彼女の足が僕のノートを踏んでいるのに気づく。

 

「………あの、踏んでます……」

「!」

 

 ノートを踏んでいると気づいた彼女は、慌てた様子でその場から跳び退く。

 

「す、すまない。気づかなかった……」

 

 注視しなければ気づかないほど、ノートはボロボロだった。気づかず踏んでいたのも仕方ない。

 心の底から申し訳なさそうな彼女を見て、少しだけ口元が緩む。隙なんてない完璧超人に見えるけど、案外抜けてるところもあるのかもしれない。

 彼女がノートを拾おうとしたそのとき、力強く地面を蹴る音が聞こえた。地面に寝そべっているので、振動を肌で感じる。

 同じく異変を感じ取った彼女は瞬時に振り返り、無駄のない迅速な動きで体を一歩分ほど横にずらした。

 次に僕が見たのは、彼女のいた空間に跳び蹴りをかます人影だった。

 その人影は難なく地面に着地すると、背を向けて僕の前に立った。

 見覚えのある後ろ姿だった。世界広しといえど、ウサミミを付ける小学生なんて彼女くらいだろう。僕が思う最悪なタイミングで篠ノ之さんが現れた。

 



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CAT FIGHT

 束には2歳の妹がいる。箒という名前で、決して掃除用具のことではない。

 初めて箒の姿を見たとき、あまりのラブリーさに衝撃を受けた。(ゆう)と出会うまでは唯一心を開くことができる相手だ。今日は存分に箒と遊ぼうと、そう思っていた。

 しかし、束は(ゆう)を追い学校へ戻っている。残念なことに、家に帰ったとき箒は布団の上でぐっすりと眠っていた。無理やり起こすのも可哀想だし、だったら(ゆう)のいる学校に向かおうと決めたのだ。

 学校に着いたとき、校舎に向かって走る3人の男子の姿を見た。他人に関心がない束でも彼らは悪い意味で印象に残っている。そう、(ゆう)を迫害しようとしていた屑たちだ。

 嫌な予感がして、彼らが走ってきた方向へと向かう。この先にあるのは体育館裏だ。

 体育館裏に着く。そこで目にしたのは── 地に臥せる(ゆう)と、ボロボロなったノートを踏み躙る少女だった。

 頭の中で何かがぷつりと音を立てて切れた。

 束の肉体はほぼ反射的に動いた。全力で地を駆け、勢いそのまま兎のように跳び上がる。束の狙いは頸、神経が集まる人体の急所だ。激昂する胸中とは裏腹に、束の思考はどこまでも冷徹に冷え切っていた。その心中には憤怒と殺意しかない。

 当たる、そう確信した。しかし、束の足は女の頸に当たることなく虚空を切る。少女は束の不意打ちを察知し、間一髪で躱したのだ。その超人的な反応速度に驚愕する。この少女もまた、自分や(ゆう)のように特別なのだと理解する。だけど、相手が誰であろうと関係ない。

 宙で体勢を立て直し、地面に着地する。背後にいる(ゆう)には指一本たりとも触れさせない。守りたいという確固たる意思と憤怒が胸中で渦巻き、その衝動に身を委ねて少女に飛びかかった。

 

「待て、誤解だ! 私の話を聞け!」

 

 今の束に敵と認識してしまった少女の言葉なんて届かない。それを察し、少女も言葉による解決という選択肢を切り捨てる。

 少女は束の猛攻を凌いではいるが、その表情に余裕はない。束の動きは常識から逸脱しており、それでいて合理的だ。少女は武道の心得があるからこそ翻弄されていた。最初こそ束を無傷で無力化しようと考えていたが、手加減すれば逆にこっちがやられかねない。

 無数の拳と蹴りの応酬。小学生のケンカというより、達人同士の殺し合いに近い。

 互いに決定打はくらっていないが、疲労と痛みは確かに蓄積していた。状況は膠着状態に陥っている。しかし、それは針の上に立つような危ういバランスで成り立っているのだ。何か些細な変化があれば、この膠着はすぐにでも崩れるだろう。

 そして今回、その些細な変化となったのは(ゆう)の存在であった。

 

「束さん!」

 

 名前を呼ばれて、ほんの一瞬だけ束の注意が(ゆう)に向く。

 少女はその隙を見逃さなかった。束の意識の網を掻い潜り、右拳を引く。

 束は少女の接近に気づいたが、もう遅い。矢のように引き絞った拳が、束の顔面に向かって放たれる。

 空気が震える。しかし、骨と骨がぶつかるような鈍い音はしなかった。少女の拳が束の鼻先三寸で止まっていたのだ。

 

「やっと落ち着いたか」

 

 少女が拳を下ろしても、束は止まったままだった。

 もし少女が拳を振り抜いていれば、束は間違いなく負けていた。それは当人である束が一番よくわかっている。だからこそ負けを認めざるを得なかった。その驚愕と屈辱感が、燃え上がっていた怒りの炎を鎮めたのだ。

 少女は未だに地面に落ちたままである(ゆう)のノートを拾うと、丁寧な手つきでノートの砂埃を払い落とした。

 

「まず、そこの彼に危害を加えたのは私ではない。……不注意でノートを踏んでしまったが。そこは本当にすまなかった」

 

 前半こそ毅然とした口調だったが、後半はバツが悪そうだった。

 

「うん、この人の言うことは本当だよ篠ノ之さん。この人は僕を助けてくれたんだ」

 

 (ゆう)は力なく地面に座りながら少女のフォローをするが、その声は死にかけの小動物のように微かなものだった。勝負の決め手となった大声はなけなしの体力を振り絞って出したのだろう。

 

「あいつら…… 生まれてきたことを後悔させてやる……!」

 

 束はすぐにあの3人が(ゆう)を痛めつけた犯人なのだと思い当たった。というより、最初からあの3人が何かしたのはわかっていたのだ。故意ではないとはいえ、(ゆう)のノートを踏んでいたのが感情を爆発させるトリガーとなってしまっただけで。

 束の心に怒りの炎が再燃する。今にも報復に向かいかねない様子だ。しかし、今回はブレーキ役がいた。

 

「待て、馬鹿者」

「あいたぁ!?」

 

 少女の鋭い手刀が束の脳天に叩き込まれた。鈍い音が響き、束は割れるような頭部の痛みに悶える。

 

「怪我人を置いてっていいのか? それに、私にも何か言うことがあるはずだ」

「っ!」

 

 束は少女に背を向け、地面に座っている(ゆう)の元へと走った。膝を地面に突き、心配そうに(ゆう)の顔を覗き込む。

 

「大丈夫、ゆー君!?」

 

 必死にノートを守っていたのだろう。他の箇所比べると、腕にはたくさんのすり傷や痣ができている。束と違い、(ゆう)の身体的スペックは高くない。むしろ凡人にすら劣る。

 (ゆう)が大きな怪我を負わずに済み、束は安心した笑顔を浮かべる。だが、この怪我の状態では立つのも辛いだろう。

 

「ジッとしててね?」

 

 束は(ゆう)を腕に乗せて、そのまま軽々と抱え上げた。俗に言うお姫様抱っこだ。普通なら男女が逆だが、(ゆう)は嫌がるような素振りを見せない。

 

「ありがとう、篠ノ之さん」

 

 (ゆう)も安心した笑顔で礼を述べる。私刑から解放されたのもそうだが、束たちの殺し合いが無事終わったことに安堵していた。

 ふと、(ゆう)は目を瞑りながら腕を組んでいる少女を目の端で捉える。気のせいか、彼女から怒りのオーラが滲み出ているように感じる。

 

「それと、早くあの人に謝った方がいいよ。勘違いで殴りかかっちゃったんだし」

「うぐっ」

 

 (ゆう)が謝るように促すと、束は後回しにした面倒ごとが発覚したように顔をしかめた。

 束は我儘かつプライドが高いが、認めた相手以外にはそれが顕著だ。やはり名前すら知らない誰かに頭を下げるのは抵抗があるのだろう。

 どうやって謝らせるか、説得の言葉を脳内に並べる。

 

「…………ごめんなさい」

 

 駄々をこねると踏んでいた(ゆう)は少し驚く。若干不貞腐れながらも、束が少女に向かって素直に頭を下げたのだ。

 偶然の要素が大きいとはいえ、束に勝った相手なのだ。有象無象ならいざ知らず、束が頭を下げるに足る人間だと認めるには十分すぎる。

 

「ああ、許そう。幸い大きな怪我もないしな」

 

 少女はあっさりと許した。あたかも父親が子供に「悪いことをしたら謝りなさい」と躾けるように、そこまで怒りを抱いてなかったのかもしれない。

 

「あの、助けてくれてありがとうございました。でも、どうして体育館裏に?」

 

 体育館裏は人目につかない場所であり、それこそいじめが行われていても気づきにくい。少女はどうして体育館裏に来たのか、(ゆう)はそれが気がかりだった。

 

「ただならない大声が聞こえたものでな、様子を見に来たんだ」

 

 その大声に心当たりがないことはない。無我夢中ではあったが、「篠ノ之さんは関係ないだろ」と叫んだ記憶が(ゆう)にはある。

 少女はランドセルを背負っているが、その状態から察するに、学校の玄関前から校門にかけてを歩いていたのだろう。校舎内や学校の敷地外で聞き取るのはいくらなんでも不可能なはずだ。

 玄関前から校門にかけてのどこかで(ゆう)の叫び声を聞き取ったとしても、驚異的な聴力と言う他ない。

 

「えっと、僕は葉枷(ゆう)といいます。あなたは?」

「織斑千冬だ」

 

 これが後にブリュンヒルデと呼ばれる最強の女性、織斑千冬との出会いだった。

 運命の歯車は少しずつ、しかし着実に揃いつつある。歯車が噛み合い、廻り始めるのは遠くない未来である。

 

 

 

§

 

 

 

 織斑さんが僕を助けてくれた日を境に、僕の友達が2人に増えた。その友達の名前は織斑千冬さん。彼女は僕らと同じ小学5年生、つまり11歳だ。僕と束さんとは違うクラスに所属している。

 成績優秀でスポーツ万能、そして小学生離れした美貌。学校で知らない者はいないらしい。僕と束さんは知らなかったが。

 ちなみに、束さんはウサミミと素行の悪さのせいで同じくらい有名で、僕はというと名前が少し珍しいだけで有名でも何でもない。実際、織斑さんも篠ノ之さんのことは一方的だが知っていた。

 織斑さんが「同い年なのに堅苦しい敬語を使う必要はない」と言ったとき、初めて彼女が僕らと同い年なのだと知った。小学生らしくない僕が言えることではないが、大人びた雰囲気と容姿から上級生だと誤解していた。だからこそ、織斑さんと話すときは敬語を使っていたのだ。思わず驚いた声をあげてしまったが、織斑さんは複雑そうな表情をしていた。実際の年齢より上だと誤解するのは僕が初めてではなく、酷いときは高校生に間違えられたそうだ。やはり女性として年上に見られるのは気分が良いものではないのだろう。素直に謝っておいた。

 ファーストコンタクトからは信じられないくらい、束さんと織斑さんも仲良くなっている。束さんが暴走しようとすると、織斑さんがガッチリとブレーキをかける。そんな関係性だ。最初こそ束さんは少しよそよそしいというか、織斑さんとどう接すればいいのか迷ってる感じだったけれど、僕と同じように砕けた接し方をするようになった。

 今思い出すと、2人が仲良くなったのは織斑さんが「どうして束を苗字で呼ぶんだ?」と僕に指摘したのが契機だった気がする。

 束さんと織斑さんのケンカを止めたあのとき、咄嗟に「束さん!」と叫んだ。それ以降も普段通り苗字で「篠ノ之さん」と呼んでいたんだけど、その日を境に束さんと呼ぶことにした。ぶっちゃけ、篠ノ之さんって語感的に言いにくい。

 束さんは僕が名前を呼ぶことにいたく喜んだ。どうやら、親しみを込めて名前呼びしてほしかったらしい。その日から、束さんは織斑さんのことを「ちーちゃん」と呼ぶようになった。多分、束さんは認めた相手に男なら君付け、女ならちゃん付けして呼ぶのだろう。

 千冬さんは別のクラスなのもあって、学校での生活は特に変わらない。ただ、あの3人はこれ以上僕に絡まなくなった。目を合わせただけで軽く悲鳴をあげて逃げ出す始末だ。どういうことか束さんに聞いたら、悪い顔で笑うだけだった。僕としてもそんなに興味はないので、深くは聞かなかった。

 こうして、今日という日も無事に過ぎていった。帰りのHRが終わり、放課後を迎える。待ち構えていたように机に突っ伏していた束さんが飛び起きる。

 

「ふぅ、やっと今日の学校も終わったか」

「束さんはずっと寝てたよね」

「うん、バッチリ快眠だった!」

 

 毎日同じやり取りをしている。束さんのストレートなやる気のなさは、僕も少し見習うべきかもしれない。

 

「そういえば明日は土曜日だね」

 

 今日は誰もが待ちに待っていたであろう金曜日だ。

 学校が休みの日は家にこもり、ひたすらバイドの研究だ。そして、月曜日には束さんと互いの研究成果の発表をする。

 それが普段の過ごし方だし、嫌なわけではない。ただ、今週はいつもと違う特別な過ごし方をしたい。例えば…… 束さんの家に遊びに行くとか。

 

「ねえ、明日束さんの家に遊びに行っていいかな? 束さんがどんな場所で研究をしてるか気になるんだ」

「えぇ!?」

 

 試しに提案してみたら、束さんは驚きの声を上げた。

 

「迷惑かな……?」

「ウェルカムだよ! 一度ゆー君を箒ちゃんと会わせたかったんだよね!」

 

 束さんは満面の笑みを浮かべる。喜びを著すように束さんの頭の上のウサミミがピンと伸びる。歓迎してくれて良かった。

 

「2人とも、何を話しているんだ?」

「織斑さん」

「ちーちゃん」

 

 織斑さんが教室にやって来た。何故か女子からの歓声が聞こえる。いつもなら放課後になった瞬間、束さんが僕を連れて織斑さんの教室に突撃する。それがなかったから、こうして様子を見に来てくれたのだろう。

 

「明日ね、ゆー君が束さんの家に遊びに来るの。ちーちゃんも来てくれるよね!」

「午後から稽古があるが、それでも構わないか?」

「えー!? そんなのブッチしちゃいなよ!」

「いや、それは無理だろう。それはそうと葉枷、お前は剣術に興味はないか? お前は少し貧弱すぎるからな。体力をつけるべきだ」

「…………考えておくよ」

 

 こうして、明日は束さんの家に遊びに行くことになった。

 束さんが持ち寄る理論には、最先端の設備がなければ不可能なものが往々にしてある。束さんはどんな環境で研究をしているのか、それを知るのが楽しみで仕方がない。あわよくば貸してもらいたいものだ。

 

 




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親子

 近所には地元の土地神伝承を信仰している神社がある。盆と正月は祭りで賑わい、境内には剣術道場が開かれている。篠ノ之神社という名前で、その名前から分かる通り束さんの実家だ。

 僕は今日、そんな束さんの家に遊びに来ている。

 本堂の裏には屋敷がある。篠ノ之一家はそこに住んでいるらしい。

 屋敷には縁側があり、僕はそこの陽当たりのいい場所に座っている。その隣には束さんがいて、蕩けた表情で妹さんを抱いている。妹さんは大人しく、陽に浴びて気持ち良さそうに微睡んでいる。

 

「どう、ゆー君! 箒ちゃんのこの可愛いさは!? 寝顔がまたぷりちーで、この世に舞い降りた天使みたいに──」

 

 束さんのテンションは最高潮だ。妹さんの可愛らしさを褒めちぎる言葉が湯水のように溢れ出る。

 ふと、気合を込めた雄叫びと木刀で打ち合う音が聞こえてくる。妹さんはその音に反応して、閉じかけていた目をパチクリと開ける。束さんは忌々しそうに道場の方向を睨む。

 境内の道場で剣術教室が開かれているのだ。束さんのお父さんは神主であり、剣術道場の師範でもある。ただ、束さんは剣術に興味がなかったから道場に足を踏み入れたことがないらしい。

 ふと、誰かが近づいてくる気配を感じた。

 

「あっ、織斑さん」

「やっほーちーちゃん」

 

 道着姿の織斑さんが道場の方から歩いてきた。その手には木刀が握られている。

 織斑さんと束さんには意外な接点があった。なんと、織斑さんは束さんのお父さんの剣術道場に小さい頃から通っていたのだ。今まで互いに面識がなかったのは、間違いなく束さんが道場に近寄らなかったからだろう。

 サボるのは無理だと断言していたけど、その理由に納得した。お膝元と言ってもいい場所でサボっていれば、気づかれるに決まっている。

 

「稽古は終わったんだ」

「ああ」

「じゃあ道場にいるのは?」

「先生だ。剣術教室の後も、ああやって鍛錬を重ねている」

「そうそう、いつもうるさいんだよねー。ぶっちゃけ研究の邪魔! 箒ちゃんも目を覚ましちゃうしさぁ!」

「育ての親をそう悪く言うな」

「あいたっ」

 

 織斑さんの軽めのチョップが束さんの頭部に炸裂する。束さんは頬を膨らませてブーブー文句を言う。

 

「む」

「箒ちゃん?」

 

 妹さんが織斑さんに近寄り、織斑さんが持つ木刀をペタペタと触り始めた。木刀に興味があるのだろうか。

 

「あああぁぁぁ、カッコいい、カッコいいよ箒ちゃん!! 凛々しき女騎士!! 現世に舞い降りたジャンヌ・ダルク!!」

「あはは……」

 

 熱狂する束さん、離れるに離れられず困った表情でその場に佇む織斑さん、そして苦笑いを浮かべる僕。こんな強烈なお姉さんを持つ妹さんがどんな風に育つのか、僕は少しだけ気になった。

 妹さんは織斑さんが持つ木刀を掴み、その場から動こうとしない。純粋無垢な彼女の眼は木刀だけに向いている。

 最初こそ僕たちは「木刀が欲しいのかな?」と微笑ましく眺めていたのだが、その表情は段々と曇っていった。

 とんでもない執着心なのだ。何に惹かれるのか、妹さんは一度も木刀から手を離さない。それどころか自分のものにするよう引っ張り始め、その力は段々と強くなってるように見える。

 

「ねえ、ちょーらい」

 

 片言ながらも、普段の大人しい雰囲気とは対照的に語気が強く感じた。よほどこの木刀が欲しいのだろう。

 

「………すまない、ダメだ」

 

 妹さんは宝物を見つけたようなキラキラした目をしているが、織斑さんはどうにかといった感じで拒否した。

 木刀といえど、使い方によっては非常に危険だ。妹さんに奪われないよう、織斑さんは木刀を強く握る。

 あの織斑さんが2歳の女児に得物を奪われるなんてことは、それこそ天地がひっくり返っても有り得ない。妹さんがどれだけ木刀を引っ張っても、織斑さんの手から木刀が離れることはなかった。

 そろそろ諦めてくれないだろうか。祈るように妹さんの顔を伺った織斑さんだが、次の瞬間その表情が固まった。妹さんが両目に涙を溜めて、とても悲しそうに顔を歪めているからだ。

 

「びえぇぇぇえええええん!!!!」

「!?」

 

 妹さんの癇癪が炸裂する。その大声量は容赦なく僕たちの鼓膜を震わせる。

 

「あわあわあわわわ」

「束さぁん!?」

 

 天災的な頭脳を持つはずの束さんは見事にパニクっていた。

 

「こ、これはどうすればいいんだ……!?」

 

 妹さんは大声で泣き叫んでいるが、木刀を握る力は少しも緩んでいない。織斑さんといえど、泣いてる子供を振り払えるような修羅の心を持ち合わせていないようだ。その場で固まって動けない。

 つまり、この状況で動けるのは僕だけということだ。

 

「ぼ、僕がなんとか引き離すよ……!」

「ああ、頼む!」

 

 僕は背を向けている妹さんに屈みながら近づく。気づかれないようにゆっくりと進み、やっと腕を伸ばせば届く範囲まで距離を詰める。

 抱き上げようと手を伸ばしたそのとき、妹さんは背後から何かが迫る気配を感じ取ったのだろう。妹さんは突然振り返ると、僕に向かって乱暴に拳を突き出した。

 その拳は淀みなく真っ直ぐ伸びて、僕の頬を的確に捉えた。戦いの才能を感じさせるその一撃は、束さんが平常通りなら大騒ぎして褒め称えただろう。

 

「あいたっ」

 

 僕は後ろに倒れ、尻餅をつく。頬がジンジンと痛み、僕の心は一発で折られた。

 

「クーン……」

「おい葉枷!?」

 

 殴られた頬をさすりながら退散する。多分、世界でも初めて10歳の少年が2歳の女児に敗北した瞬間だろう。

 もう観念して木刀を渡しなよ。そんな言葉が脳裏に浮かび、口に出そうとしたそのとき。

 

「あらあら、どうしたの箒?」

 

 部屋の奥から和服を着た美女が現れた。彼女は縁側から降りて妹さんに近づくと、あっさりと抱き上げた。妹さんは驚いて木刀から手を離す。

 和服の美女は妹さんの背中を優しく撫でてあやす。その手つきはこなれていた。

 嗚咽を漏らしてはいるが、あれだけギャン泣きしていた妹さんは大人しくなっている。

 

「お、おお…… 泣き止んだ!」

 

 僕と織斑さんがホッとする中、束さんだけは複雑な表情を浮かべていた。

 

「ごめんね千冬ちゃん、稽古で疲れてるのに迷惑かけちゃって」

「いえ、迷惑だなんてそんな」

 

 和服の美女は織斑さんと何度か言葉を交わした後、僕の方へと歩み寄る。

 

「こんにちは、あなたが束のボーイフレンドね?」

 

 和服の美女の正体に予想がついた。

 

「も、もしかして束さんのお母さんですか?」

「ええ、束の母です。どうぞよろしくね」

 

 険しい山嶺に咲く一輪の花のような笑みだと思った。とてもではないが、二児の母とは思えない若さと美しさだ。ただ、親子なだけあって束さんや妹さんと似ている。

 ふと、束さんのお母さんが何かに気づいたように遠くを見た。

 

「あら、あなた。それに百春(ももはる)さんまで」

 

 今度は道場の方から2人の大人の男性が歩いてきた。1人はラフな服装の爽やかな人で、もう1人は袴に身を包んだ厳格そうな人だ。

 

「父さん!?」

「おう、千冬! 暇だから見学してたんだけど、その様子じゃ気づいてなかったみたいだな。剣を持った姿、カッコよかったぞ! 父さんが10歳のときよりずっと強いんじゃないか?」

 

 ラフな服装の人が織斑さんのお父さんみたいだ。なら、束さんのお母さんに「あなた」と呼ばれた袴の人が束さんのお父さんだろう。いかにも剣術の師範って感じだ。

 

「久しぶりだね束ちゃん! おじさんのこと覚えてる? まあ、まだ赤ん坊だったし覚えてるわけないか!」

「……」

 

 織斑さんのお父さんに話しかけられているが、束さんは返事をしなかった。ただ、いつものように悪意があって無視をしているというより、どうコミュニケーションを取ればいいのかわからないように見えた。

 

「束! 失礼だろ、きちんと返事をしないか!」

「柳韻、そんな声を荒げるなって」

 

 束さんのお父さんは厳つい声で束さんを叱り、織斑さんのお父さんはそれを諌める。

 叱られた束さんはというと、返事をしないまま逃げるように屋敷の中へと消えてしまった。廊下の板を踏みしめる音だけが虚しく響き渡る。

 

「……すまない、百春(ももはる)

「気にしてないよ。あれくらいの年頃の子は気難しいものさ」

 

 暗くなった雰囲気を払拭するように織斑さんのお父さんが小さく咳払いした。

 

「さて、そこの君は初めましてだね! 俺は千冬のお父さんの織斑百春(ももはる)、よろしくね! 君の名前も教えてくれるかな?」

「葉枷(ゆう)です」

 

 まるでふわりとそよぐ春風みたいに優しく笑う人だなと思った。

 ふと、束さんのお父さんの方に目を向ける。織斑さんのお父さんを春風に例えるなら、束さんのお父さんは大樹のような人だろうか。物静かだけど、ドッシリとした佇まいには不思議な存在感がある。自由奔放な束さんの性格とは正反対だ。

 

「……葉枷君」

 

 突然束さんのお父さんが僕の名前を呼んだ。人を否応なく緊張させる鋭い声だ。何事かと思い、少し身構える。

 

「……いつも娘が世話になっている。これからも仲良くしてやってほしい」

「は、はい」

「……そうか、ありがとう。私はこれで失礼する」

 

 それだけ言い残すと、束さんのお父さんは屋敷の中へと足早に去っていった。束さんを追いに行ったのだろう。

 

「もう、相変わらず口下手なんだから。ごめんなさい、(ゆう)君。あの人なりに感謝してるから、無愛想なのは許してあげて」

「そんなことないですよ。束さんを心配してるのはなんとなく伝わってきますし」

 

 そういえば、僕は今日初めて父親というものに触れた気がする。束さんが少し特殊なだけかもしれないけど、父親って大変なんだな。

 

「それと、ああなった束はしばらく部屋から出てこないと思うの。2人とも、せっかく遊びに来てくれたのに本当にごめんなさい……」

 

 それは大変だ。まだ束さんの研究部屋を見ていないのに。

 

 

 

§

 

 

 

 篠ノ之家の屋敷の客室で、千冬は何をするでもなく座布団の上に座っていた。座卓を挟んで向かい側には(ゆう)も座っている。

 座卓の上にはお茶菓子と二つの茶碗が置かれている。茶碗には透き通った緑色のお茶が注がれている。きっと上質な葉が使われているのだろう。ただ、今はお茶を飲んで一息つけるような気分ではなかった。

 束が部屋から出て来るまで、この部屋で待っているように言われた。しかし、もう長い時間が経つ。束は本当に部屋から出て来るのだろうか。普段から束と接していて、彼女とその両親の確執は深いと感じていた。説得に応じて部屋から出てくるとは考えにくい。

 

「おっ、茶柱」

 

 (ゆう)は茶碗を手に持ち、さりげなく自己主張するように水面に立つ茶柱を見つけた。「何か良いことがあるかもなあ」と顔を綻ばせる。

 そんな呑気な様子を見て、呆れたように眉間の間を指で触る。デリケートな問題だからこそ立ち入り過ぎないのも大切だが、それでも少しは心配したらどうだろうか。

 

「なあ葉枷、束を心配してないように見えるのは私の気のせいか?」

「気のせいじゃないよ。束さんにも年相応の部分があるんだなって、少し安心してる。友達の前で親に怒られて、恥ずかしくて逃げちゃったんでしょ? まあ、確かに家族と上手くコミュニケーションを取れないのは問題だと思うけどね……」

 

 (ゆう)は軽くお茶を啜る。

 その言葉を聞いて目を丸くした後、それもそうだと軽く笑った。無意識のうちに、千冬も束のことを特別だと考え過ぎていた。 誰だって友人の前で親に怒られれば、気恥ずかしくて逃げ出したくなるだろう。確執という一言で括るには大袈裟なのかもしれない。

 かつて(ゆう)が構築したというRシリーズの理論に目を通したことがあるが、一文たりとも理解できなかった。だが、(ゆう)には束に勝るとも劣らない何かがあると直感した。そんな(ゆう)だからこそ、束を普通の少女として見れるのだろう。

 

「そうだな。あいつは普段はおちゃらけているが、妙に達観した部分がある」

「織斑さんには言われたくないだろうなぁ」

「……」

 

 冗談っぽく言ってるが、なんとなくカチンと来た。怒りを込めて(ゆう)を睨みつける。

 

「うひぃ!?」

 

 千冬の怒りの視線を感じたのか、(ゆう)は蛇に睨まれた蛙のように震え上がる。

 

「あ、謝る! 謝るから睨まないで! ごめんなさい!!」

 

 空かさず頭を下げた(ゆう)に対し、大きく息を吐いて応じる。(ゆう)は確かに天才だが、その身体能力は並以下だ。だが、軽く睨んだだけでここまで怯えるのは少し予想外だ。

 

「束のことは心配だが、今日はもう遅い。明日になったらもう一度来よう」

「……うん、そうだね」

 

 こうして、千冬と(ゆう)は篠ノ之家を後にした。

 帰り道が別々になったとき、(ゆう)だけがこっそりと来た道を引き返したのは知る由もないことである。




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兎の巣穴

 屋敷から少し離れた場所にある、今はもう使われなくなった古い蔵。外観こそ普通だが、漆喰の内側はまるで膜のように鋼鉄の壁で覆われている。扉は厳重なシステムでロックされている。束の手で魔改造を施され、核シェルターも顔負けの強度になっている。

 蔵の中にあるのは世界でもトップクラスに充実した研究設備だ。ただし、部品やら着替えの服やらで散らかっているが。

 この蔵こそ篠ノ之束の自室兼研究所だ。

 束は柳韻から逃げるように自室に駆け込み、ISの作成を始める。ディスプレイの前に置いてある椅子に座り、五指を駆使して尋常ではないスピードでキーボードを打ち込む。ディスプレイには無数の文字の羅列が浮かんでは消える。コードの先にある正方形の物体。これこそがISのコアだ。束でさえ開発にはかなりの手を焼いている。完成にはまだ時間がかかるだろう。ただ、これさえ完成させればISの開発は一気に進む。

 自分だけの世界に没頭していれば、外のことを忘れることができる。柳韻はドアを叩きながら何度も「束! 出てきなさい!」と叫んでいるが、スピーカーをOFFにしてるので束の耳には届かない。

 扉は施錠されている。いくら柳韻でも鋼鉄の壁を壊す術はない。やがて諦め、部屋の前から立ち去った。

 電子音だけが響き、部屋に並ぶ設備のランプがしきりに点滅する。キーボードを叩く音だけが虚しく響く。

 プログラミングを中断し、膝を抱えて椅子に座る。その胸中に渦巻くのは一種の自己嫌悪のような感情だった。どれだけ作業に没頭しても、小さな薔薇の棘が刺さったような痛みを忘れることはできなかった。

 

「何やってんだろ、私……」

 

 友達を放っておいて、こんな所で何をしているのだろう。一緒に遊んだり、研究成果を見せるのを楽しみにしてたのに。(ゆう)や千冬の前で怒られて、気がつけば逃げ出してしまった。

 そんな想いが込められた束の言葉に、来客を伝えるアラームが答えた。

 ディスプレイが切り替わり、扉の前に立つ(ゆう)の姿が監視カメラを通して映った。

 (ゆう)を無視するわけにはいかない。扉前のスピーカーに回線を繋げ、マイクを手に持つ。

 

「ゆー君」

『あっ、束さん』

 

 スピーカーから束の声を聞くと、(ゆう)は監視カメラに向かって軽く手を振った。

 

「ちーちゃんは?」

『織斑さんは先に帰ったよ、外も暗くなったしね。だけど最後まで心配してた』

 

 夕陽も落ち、辺りは暗くなり始めている。(ゆう)のように帰りを待つ両親がいなければ問題ないが、千冬の場合はそうもいかないだろう。

 

「近くに誰もいない?」

『うん、僕だけだよ』

「……ちょっと待ってて」

 

 椅子から立ち上がり、出入り口の横にあるコンソールを動かす。

 何重にも張り巡らされた厳重なロックが一つ一つ解除れていく。鋼鉄の扉がシャッターのように上がり、収納される。

 扉の向こうにいたのは、こうして出迎えてくれたことに喜びの笑顔を見せる(ゆう)だった。

 

「ようこそゆー君、束さんのワンダーランドへ」

 

 今日、束は初めて自分以外の誰かを部屋に招いた。

 研究所に入ってからというもの、(ゆう)はずっと目を輝かせていた。束は知る由もないが、(ゆう)の部屋にある研究設備はまだ一般の範疇を超えていないのだ。(ゆう)が世界でも最先端を行く設備に圧倒されるのは無理もない話だった。

 

「どれもこれも最新鋭の設備だ…… まさか束さんのお父さんが買ってくれたの?」

「ううん、自分で稼いだんだ。世界中の大手企業にハッキングして、不正をネタに資金を強請ったりね。ゆー君もやってみたら? きっと私みたいに簡単にできるよ」

「僕はやめておくよ。駆け引きとかムリだし」

「そんなことないと思うよー? あっ、待ってて。今座れる場所を作るから」

 

 ソファーの上に散乱する私物を乱暴に地面に落とし、2人分の座れるスペースを作る。

 最初にソファーに座ると、続いて(ゆう)が隣に座る。

 沈黙が訪れる。(ゆう)は何かを言いたそうにしているが、束には何を言いたいのか予測がついていた。だからこそ、(ゆう)が話すまでジッと待つ。

 

「束さん、その…… 親と上手くいってないの?」

 

 (ゆう)はおずおずとした様子で聞いた。

 

「うん、まあね」

 

 対照的に、束はあっさりと肯定する。両親との不仲を隠す必要はない。それに、(ゆう)の言葉には真摯に答えるべきだ。

 

「私がやることなすことにもいつも突っかかってくるんだよね。この前だって、部屋にばっかりこもってないで学校に行けって、壁をぶち壊して部屋から引きずり出されたんだよ? ほんっとーにムカつく!」

 

 まだ蔵の壁を鋼鉄にする前の話だ。柳韻は学校にまったく行かない束に業を煮やし、木刀一本で蔵の壁を破壊した。そして、嫌がる束を強制的に学校へ連行したのだ。

 学校で学ぶことなんて何もないと抗議した。それに対して、柳韻は「学校は勉学に励むだけの場ではない。友を作り、かけがえのない思ひ出を作る場所でもある」と返した。

 結局、学校を楽しむことはできなかったし、友達もできなかった。周りの人間がどうしてあんなに楽しそうにしてるのか、まったく理解できない。ただ、それは過去の話である。

 

「まあ、そのおかげでゆー君やちーちゃんにも会えたんだけどね」

 

 (ゆう)と千冬に出会ってから、初めて学校が楽しいと思えた。

 結局、柳韻の言葉は正しかったのだ。学校に行かなければ(ゆう)と千冬に出会うことはなかっただろう。

 

「……心の底から嫌いなわけじゃないよ。他の有象無象と同じだとも思ってない。ただ、どうやって接すればいいのかわかんないの」

 

 本気で嫌いならここにはいない。ただ、好きなのかと聞かれたら素直に頷くことはできない。

 顔を合わせる度に文句を言ってくるから、いつも苛立ちや怒りが先に顔を出してしまう。

 黙って束の話を聞いていた(ゆう)は、とうとうその口を開いた。

 

「好きでもないけど嫌いでもない。それでいいんじゃないかな。無理に家族と仲良くする必要はないと思うよ」

「えっ?」

 

 予想外の答えに面食らう。まさか肯定されるとは思っていなかった。

 

「僕の家族は母さんしかいないけど、仕事で家にはほとんどいない。だけど、少しも母さんに不満なんてないよ。研究さえ続ける環境があれば、僕はそれで十分だからね」

 

 このとき、束は初めて(ゆう)の家族について知った。

 父親は最初からおらず、唯一の家族である母も家にはいない。束には心が開ける妹がいるが、(ゆう)にはそんな家族は誰もいない。束よりもずっと孤独だったのだ。しかし、当の本人はまるで他人事のように淡々と語る。

 暗に「家族よりも研究が大事だ」と言い切る(ゆう)の姿は、見ているこっちが清々しく感じる。

 

「家族について悩んでるってことは、束さんには少なからず両親に思うところがあるってことじゃないの? ちょっぴりでいいから親の言うことを聞いてみなよ。そうすれば向こうから歩み寄ってくれるから」

 

 束は笑った。グダグダと悩んでいる自分が馬鹿らしかった。両親とほんの少しだけ仲良くなりたい。それが偽らざる望みなのだと、束は受け入れた。ほんの少しだけ、両親の煩わしい言葉に従うのも検討しよう。

 

「ゆー君って意外とドライだよね。神サマを信じてるくらいだから、汝隣人を愛せとか言うと思ってた」

「そ、そうかな」

 

 (ゆう)は困ったように笑う。しかし、束が元気になって嬉しそうでもあった。

 

 

 

§

 

 

 

 束はISに深い愛情を捧げている。だからこそ他人の手を借りようとしなかった。しかし、この夜は違った。親友の葉枷(ゆう)と協力して、ISを開発を進めている。(ゆう)の当初の目的は束を部屋から連れ出すことだったが、科学者の性なのか、いつのまにか最新設備に手を伸ばしていた。

 束にとって、今までにないほど充実した時間だった。当然の話だが、1人より2人の方が作業はスムーズに進む。しかも、(ゆう)は束と同レベルの天才なのだから尚更だ。

 このとき、束は誰かと協力する楽しさを初めて経験した。しかし、そんな楽しい時間は信じられないほどあっという間に過ぎていく。

 

「遅くなっちゃったし、そろそろ帰ろうかな」

 

 (ゆう)が壁に掛けてある時計に目を向けた。陽はとっくに沈み、小学生が出歩けば補導されるような時間だ。

 

「まさか1人で帰るつもり?」

「うん」

「ダメ、絶対にダメ。ゆー君はもっと自分の貧弱さを自覚しなさい!」

「そんなに遠くないし、大丈夫だと思うけどなあ」

 

 (2歳の女児)に負けたのに、何が大丈夫だというのか。

 街の治安は悪くないとはいえ、たった1人で夜に出歩かせるなんて言語道断だ。

 ここまで頑なに否定するのは、あの日の忌まわしき記憶が鎌首をもたげてやって来たからだ。自分が目を離してしまったから、(ゆう)が理不尽な暴力によって傷ついてしまった。あのときの暗い感情は胸の深いところに今も根付いている。あんな想いを味わうのは一度だけで十分だ。

 

「とにかく、ゆー君は絶対に外に出さないから!」

「なら僕はどうやって帰ればいいのさ」

「考え方が硬いよ、ゆー君。束さんの部屋に泊まっていけば、帰る必要なんてナッシングでしょ?」

「い、いいの!?」

「もちのろん! ゆー君ならバッチコーイだよ!」

「ありがとう束さん! 今日は一晩中ISの開発をしよう!」

「うん!」

 

 もっと長い時間、(ゆう)と一緒にISの開発をしていたい。そんな想いから出た提案に、(ゆう)は快く乗ってくれた。(ゆう)も同じ気持でいてくれたことを嬉しく感じる。

 (ゆう)が泊まってくれるとなれば、喜んでばかりもいられない。いかに効率よく作業を分担できるか、頭の中で今日一日の開発スケジュールを組み立てる。

 

「あっ、束さんのお父さんとお母さんにも一応言っておいた方がいいよね」

 

 聞き捨てならない一言だった。鏡を見なくとも、己の表情が一気に曇ったのがわかる。

 

「……その必要はないよ。食料なら十分あるし、電気と水道も通ってる。バスルームだってあるんだよ。その辺のボロアパートよりずっと快適なんだから」

 

 だから両親を頼る必要なんてどこにもないのだ。

 しかし、(ゆう)は束の主張に対して首を横に振った。

 

「部屋から出よう、束さん。こういうときに頼られれば、きっと束さんのお父さんとお母さんも喜ぶはずだよ。仲直りするチャンスだよ」

 

 頭では理解してる。しかし、どうしても踏ん切りがつかない。そんな心境を見抜いたのか、(ゆう)はそっと束の肩に手を置いた。

 

「不安なら僕もついてるから」

「……うん。ありがとう、ゆー君」

 

 (ゆう)の手の温かさが、自分が一人じゃないことを教えてくれる。ゆー君と一緒ならきっと大丈夫。そんな気持ちにさせてくれる。不安は消えないけれど、とても軽くなったように感じた。

 

 

 

§

 

 

 

 僕は今、篠ノ之家の屋敷の玄関前にいる。隣には束さんがいて、その表情は普段と特に変わりない。だけど、多少なりとも不安を感じているはずだ。

 だけど、ずっとこうしていても何も始まらない。インターホンを鳴らし、玄関の引き戸が開くのを待つ。

 そう時間がかからない内に、玄関引き戸の奥から誰かが近づいてくる気配を感じた。

 

「どちら様でしょうか……?」

 

 ガラガラと音を立てて引き戸が開けられる。

 出てきたのは束さんのお母さんだった。

 

「束……!? それに、(ゆう)君まで……」

「こんばんは。夜遅くにすみません」

 

 束さんのお母さんは驚愕した表情で固まる。

 

「ほら、束さん」

 

 束さんはやっと重い口を開いた。

 

「頼みがある。ゆー君を一晩泊めさせてほしい」

「!」

 

 沈黙の時間が続く。

 事の成り行きを見守る。この瞬間だけは口出しせず、空気のように徹するべきだ。

 束さんと同じ目線の高さになるまで、束さんのお母さんは膝を屈ませた。嬉しそうに、慈しむように微笑んでいる。

 

「あなたが、私たちを頼ってくれるなんて」

「嫌なの?」

「そんなわけないわ。束、私たちを頼ってくれてありがとう。柳韻さんには私が話を通しておくから、心配しないで」

「……ふん」

 

 気恥ずかしいのか、束さんプイッとそっぽを向いた。

 束さんが家族に歩み寄ろうと、勇気を出して一歩踏み出した。これから先、多少なりとも家族との関係も改善するだろう。

 

「束を連れ出してくれて本当にありがとう、(ゆう)君。お礼にご馳走を用意するから」

「いえ、実際大したことはしてないですよ。少し背中を押しただけで」

「上がってて、(ゆう)君。こんな時間だし、晩御飯も食べてないでしょう?」

「え? あっ、はい……」

 

 本当は束さんの部屋に戻ってIS開発の続きをしたいけれど、束さんのお母さんの勢いに流されてしまった。

 

「それにしても、まさか束の友だちがウチにお泊りしてくれる日が来るなんて! お友達を家に呼んでくれただけでも嬉しいのに、お母さん幸せだわ!」

「さっきから大袈裟すぎだから」

「そうだ。(ゆう)君、ご両親に泊まる連絡はした?」

「はい、大丈夫です」

「そう、ならいいの。自分の家だと思ってゆっくりしてね」

 

 玄関に上がり、篠ノ之家にお邪魔する。

 

「ねえ、いつの間に連絡したの?」

 

 廊下を歩いていると、束さんが僕にしか聞こえないくらいの小さな声で聞いてきた。

 

「してないよ。連絡しなくても大丈夫ですって意味だから」

「なーる」

 

 家に母さんはいないし、事実を話したら色々と面倒そうだ。

 だからぼかすような形で答えたが、一応嘘は言っていない。

 




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円核

 篠ノ之神社は県内でも有名な神社だ。立派な造りであり、観光客も多く訪れる。屋敷もそれに見合うだけの大きさであり、数多くの部屋がある。

 その内の一室。日本刀と掛軸が飾られているだけで、他には何も置かれていない和室だ。

 篠ノ之家の当主、篠ノ之柳韻は畳の上に姿勢を正して座っている。この部屋に訪れるであろう人を待ってる。

 畳を踏みしめる音が聞こえた。とうとう待ち人がやって来たのだ。目を開き、襖の方を見る。

 

「束……」

 

 襖が開いた先にいるのは束だった。

 束は部屋に入ると、襖を閉めないまま立ち尽くす。

 それからというもの、沈黙の時間が続く。

 言葉を探しているのか、束はずっと俯いたままだ。

 何も言わず、束から先に言葉を紡ぐのを待つ。この場において自分が先に口出しすべきではないと、強く感じていた。

 

「……………今日は、ごめん」

 

 長い時間をかけて絞り出した、たった一言。それも呟くように小さな声だったが、確かに柳韻の耳に届いた。

 

「……謝ってくれれば、それでいい」

 

 思えば、束がこうやって謝るのは初めてではないだろうか。仲直りしたいという想いが、彼女の心にもあるということだ。

 そんな娘の想いに応えるために、もっと気の利いた言葉をかけたかった。己の口下手を遺憾に思う。

 親の贔屓目を抜きにしても、束は天才だと断言できる。だからこそ気難しい面もあったり、何を考えているかわからないときもあるが、親としての愛情は一度たりとも捨てたことはない。しかし、11年という長い月日を経て、やっと一歩だけ歩み寄れたように感じた。

 

「……いるんだろう、葉枷君」

 

 (ゆう)が開いた襖からひょっこりと姿を現す。

 気配がダダ漏れで、近くに隠れているのは最初からわかっていた。

 どうして(ゆう)がここにいるのか。その答えはきっと、束が心配だったから。(ゆう)の表情には心配事が解決したような晴れやかさがある、その推論を裏付けている。

 

「すみません、盗み聞きするような真似をして」

「ゆー君は悪くない! 私が付いてきてほしいって頼んで──」

「……心配するな、わかってる。家内から話を聞いた。葉枷君、俺からも礼を言う。今日はゆっくりと休んでいくといい」

「はい」

 

 彼は第一印象こそ普通の少年だが、話によると束に勝るとも劣らない天才らしい。だが、そんなことは些細な問題だ。天才だろうが凡人だろうが、感謝の気持ちは変わらない。彼が束の友人でいてくれたから、今日という日はやって来たのだ。

 

「……さて、葉枷君の寝る部屋を用意しないとな」

「あっ、束さんの部屋で寝るので大丈夫です」

「!?」

 

 (ゆう)の何気なく放った一言により、心が盛大に乱れる。普段こそ凪のように静かなだが、今は嵐にあった大海原のように荒れている。先ほどまで抱いていた感謝の気持ちは跡形もなく吹っ飛んだ。それなりに長く生きてきた人生で、こんなにも動揺したことが今まであっただろうか。

 深呼吸して、気分を鎮めようと努める。もしかしたら聞き間違いかもしれない。いや、きっと聞き間違いだ。自分にそう言い聞かせる時点で冷静さを失っているが、それを教えてくれる者はいない。

 

「……すまない、葉枷君。もう一度言ってくれるか?」

「束さんの部屋で寝るので大丈夫です」

 

 しかし、現実は無情である。一字一句違うことなく、この耳は(ゆう)の言葉を拾っていた。

 

「何故!?」

「た、束さんと研究を手伝いたくて。駄目、でしょうか……?」

 

 (ゆう)の顔が曇る。純粋に残念そうであり、それだけ真剣に束の研究を手伝いたかったのが伝わってくる。

 相手は11歳の少年。思春期が始まるくらいの年齢ではあるが、(ゆう)には大人が考えるような邪な想いは一切ないのだろう。大仰な反応をした自分が恥ずかしいとすら感じる。

 しかし、愛娘が男と寝泊まりすると聞いて、平静でいられる父親がどこにいるというのか。

 

「何かまずいことでもあんの?」

「……!!!??」

 

 目に見えて娘が不機嫌になっている。理由はただ一つ、(ゆう)が束の部屋に泊まれないかもしれないから。

 娘は男と一つ屋根の下で寝る意味をわかっているのか、いないのか。どちらにせよ、馬鹿正直に胸の内を明かすわけにはいかない。ここで返答を誤れば、11年という長い月日をかけて縮まった一歩分の距離が不意になってしまう。

 

「……」

「黙ってたらわかんないんだけど」

「…………よ、夜更かしないように」

 

 だからこそ、こうして柳韻が折れるのは仕方のないことだった。

 

 

 

§

 

 

 

 篠ノ之神社の境内に雑木林がある。僕は今、その雑木林の中を気分転換がてらに散策している。

 青々とした葉が心に爽やかな風を吹き込ませる。照りつける太陽を遮り、外でも存外涼しい。

 月日は流れ、季節は夏になった。僕たち小学生が待ちに待った夏休みを満喫している。

 束さんは今、妹さんと一緒に剣術稽古を見学している。僕も見学するよう誘われたけど、興味がなかったので断った。

 束さんと彼女の両親の関係は、着実に良い方向に変わっている。以前よりも家族と会話する姿を見るようになった。

 そして、僕自身の生活にも大きな変化があった。

 自宅に帰るのが一週間に一度くらいになり、残りの六日は束さんの研究所で暮らすようになった。主にISの開発、そしてRシリーズの研究をしている。

 最初の頃は家に帰るようにしてたけど、家にいる時間が段々と無意味に思えて仕方がなかった。束さんの両親を除けば、僕が家に帰らないことを咎める人は誰もいない。束さんの研究所に入り浸るようになるのも必然だった。

 さて、僕がISの開発を手伝っているのは理由がある。楽しいという理由もあるが、それだけではない。

 束さんの研究所には最新鋭の設備が揃っている。その設備を借りて、Rシリーズの研究をしているからだ。借りっぱなしというのもきまりが悪い。それに、彼女の研究には参考にしたい点が数多くある。特にPIC(パッシブ・イナーシャル・キャンセラー)は素晴らしい。僕の考える慣性制御システムの理想そのものだ。今後のために、それらの研究成果には是非とも触れておきたい。

 最新鋭の設備のおかげで、Rシリーズの研究は順調に進んでいる。一方の束さんはというと、コアという文字通りISの核となるパーツの作成に苦戦している。膨大なデータを蓄積し、機体に自発的な進化を促すシステムらしいのだが、複雑かつ高度な思考をするAIが必要になる。僕もプログラミングを手伝っているが、束さんが苦戦するのも納得がいく。Rシリーズと同じく、ISも完成の道のりは遠そうだ。

 

「……ん?」

 

 若々しい緑色の中に、まるでキャンバスに色を塗り忘れたかのような白色を見つけた。

 それは1人の少女だった。白い帽子、白いワンピース、そして髪も雪のように白い。妖精のようだと、少女を見てそう思った。

 

「誰?」

 

 白い少女も僕の存在に気づいた。

 帽子のツバに隠れていた少女の顔立ちを見て、驚愕する。織斑さんと顔がそっくりだ。ただ、織斑さんと比べると表情が柔らかく、歳相応の幼さを感じる。

 織斑さんの妹かと思ったが、弟がいるとしか聞いていない。彼女は何者なのだろうか。

 少女に向かって足を進める。

 

「それ以上近寄らないで!」

「!」

 

 少女の剣呑な表情と声色に、僕は思わず足を止めた。

 誰も動かず何も言わない、奇妙な沈黙が続く。

 立ち去るという選択肢はない。彼女が何者なのか気になりすぎる。

 

「……男にしては話がわかるみたいね」

 

 やがて観念したように、白い少女は口を開いた。ただ、その目には敵意が宿っている。

 

「どうして近寄ったらいけないの?」

「決まってるじゃない。男なんて、みんなロクでもないやつばかりだからよ。あんたとは特別に話してあげてるけど、これ以上近づいたら大声出すから」

 

 つまりこの少女は男が嫌いで、だから男の僕が近寄ってほしくないと。

 何かしら事情があるみたいだが、随分と拗らせてる。ただ、会話には応じてくれそうだ。

 

「わかった、これ以上近づかない。だけど名前くらいは聞いていいよね。僕の名前は葉枷(ゆう)。君は?」

 

 少女は何も答えない。無視してるわけではなく、名乗るか否か悩んでいるみたいだ。

 

「……織斑(まどか)よ」

「織斑!?」

 

 とうとう少女が語ったその名前は、驚愕すべきものだった。織斑さんと同じ苗字だ。

 

「何よ、私の苗字がおかしいの?」

「もしかして君、織斑さん…… えっと、千冬さんの妹さん?」

「千冬お姉様を知ってるの!?」

 

 今度は円さんが驚愕した声をあげる。

 お姉様とか言い出したし、やはり織斑さんの妹だろうか。

 

「先ずは私の質問に答えなさい。あんたは千冬お姉様の何なの?」

「ただの友人だよ」

 

 円さんは訝しむように目を細める。僕の言葉を疑っているのがまざまざと伝わってくる。

 

「あんたみたいにナヨナヨした男に、千冬お姉様の友達が務まるとは思えないんだけど。実は千冬お姉様のストーカーなんて……」

「織斑さんに会えば本当だってわかるよ。今は稽古中だし、道場にいるんじゃないかな?」

「……わかったわ、友達ってことにしておきましょう」

 

 一先ず友人だと信じてくれたみたいだ。

 

「千冬お姉様は私の従姉妹よ。千冬お姉様の父親の弟、それが私の父親なの。残念だけど姉妹じゃないわ」

「いや、別に残念では」

 

 親族なら織斑さんと顔が似るのも納得だけど、ここまで似てるのは珍しい。織斑の遺伝子の強さに感心する。

 

「さてと、道場に行くわよ。あんたが本当に友達か、千冬お姉様に確認しないと。あっ、それと私の前を歩きなさい」

 

 こうして、円さんに背中をガン見されながら道場に向かうことになった。

 

 

 

§

 

 

 

 道場に着いた。振り返れば、一定の距離を置いて離れた円さんがいる。

 道場の裏側へ回る。

 障子の開いた縁側から、外にいても道場の中の様子が伺える。

 織斑さんの他にも何人かの門下生がいて、全員が束さんのお父さんに習って木刀を振っている。素人目だが、織斑さんが束さんのお父さんの剣を一番巧く模倣できている。

 ずっと昔に「剣の巫女」が舞ったという神楽舞が、篠ノ之流の元になったらしい。こういう人体の動きは、今後開発する予定のRシリーズの参考になる。剣術の稽古を見たって仕方ないと思ってたけど、中々どうして得る物が多い。いつか人型決戦兵器を作って、ビルみたいに巨大な剣をブンブン振り回させたいものだ。

 

「あっ、ゆー君!」

 

 僕に気づいたのか、畳の上に座っていた束さんがやって来た。

 

「ゆー君が道場に来るなんて珍しいね。束さんの誘いを断ったのにさー」

 

 束さんは冗談っぽく怒り、頬を膨らませる。

 

「気晴らしに散歩してたら、織斑さんの親戚とかいう子と会っちゃって。それで織斑さんに会いに、道場まで来たんだ」

「ちーちゃんの親戚?」

「ほら、あそこにいる子だよ」

 

 円さんは帽子を取り、束さんに向かって頭を下げた。とても丁寧な所作だ。僕のときの対応と全然違う。

 

「初めまして、織斑円といいます」

「し、白いちーちゃん……!?」

 

 束さんも織斑さんとのそっくり具合に驚愕してるみたいだ。

 

「篠ノ之束だよ、よろしくねまーちゃん!」

「はい!」

 

 束さんは朗らかな笑みを浮かべる。

 早速渾名で呼んでるし、円さんに心を開いたみたいだ。ただ、束さんや織斑さんみたいに特別な何かは感じられない。束さんの基準がよくわからないが、もしかして織斑さんと顔が似てるからだろうか。

 道場の中で織斑さんの稽古が終わるのを待つことにした。畳の上に座り、束さんのお父さんの剣筋をじっくりと観察する。

 隣では束さんと円さんが楽しくお喋りしてる。織斑さんや箒ちゃんの可愛らしさを語っているみたいだが、よくもまあこんなに盛り上がれるものだ。

 ある程度時間がたち、とうとう剣術の稽古が終わった。

 織斑さんが一直線にやって来る。稽古中もチラチラとこっちを見てたし、円さんがいることに早い段階から気づいていたのだろう。

 

「お疲れ様です千冬お姉様!!」

 

 円さんは立ち上がり、勢いそのまま織斑さんに抱きついた。

 

「円、どうしてここに? 来るのは明日だと聞いていたが」

「最近体調が良いので、1日早く来ちゃいました! 少しでも早く千冬お姉様に会いたかったんです!」

「というか抱きつくな、まだシャワーを浴びてないんだぞ!」

「全然汗臭くなんかありません、寧ろ芳ばしいです!」

「はあぁぁぁ、眼福眼福……」

 

 織斑さんが円さんを引き剥がそうと四苦八苦する傍ら、束さんが幸せそうに顔を綻ばせている。

 

「千冬お姉様、そこの男のことなんですけど」

 

 円さんは織斑さんから離れると、僕のことを指差した。

 

「そこの男? ああ、葉枷のことか。それより人を指差すな、失礼だぞ」

「な、名前を……!? 葉枷という男は千冬お姉様のお友達なのですか?」

「そうだ」

 

 円さんはショックを受けた表情で固まる。ここまで来てまだ半信半疑だったのか。

 

「すまない葉枷。男嫌いな円のことだ、散々失礼な態度をとっただろう。円、お前も謝れ」

「束さんもねー、ゆー君に嫌な思いをさせたのなら、さすがにまーちゃんでも見逃せないかなー?」

 

 織斑さんだけでなく、束さんからも重苦しいプレッシャーを感じる。

 円さんの顔が真っ青になっていた。今の彼女からしてみれば前門に虎、後門に狼といった気分だろう。これは気の毒だ。

 

「……ごめんなさい」

「あっはい」

 

 円さんは僕に向かって頭を下げた。

 この2人は極力怒らせないようにしようと、僕はそう思った。

 




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電子の先の理想

 気づけば夏休みも後半戦。ISの開発を手伝ったり、偶にRシリーズの研究をしたりと、今までにないくらい有意義な夏を過ごしている。

 そして今日、研究の息抜きがてらに、織斑さんの家に遊びに行くことになった。束さんが「織斑さんの家にも行ってみたいナー」と言ったのが始まりだ。

 束さんと一緒に、篠ノ之神社から道なりに歩くこと数分。織斑さんに教えられた場所に着いた。そこにあるのは普通の民家だが、表札には『織斑』と書いてある。

 

「ここが織斑さんの家か」

「ちーちゃんの部屋ってどんな感じなんだろ。楽しみだね、ゆー君!」

「そうだね」

 

 僕としては織斑さんの部屋に興味はないが、それを告げる必要はないだろう。束さんの部屋…… というか研究所みたいに研究設備があるのなら別だが。

 ドアの横にあるインターフォンを押す。

 少し待つと、玄関のドアが開いた。その先にいるのは織斑さんだった。相変わらずのクールビューティだが、今日はどこか嬉しそうに見える。

 

「葉枷、束、よく来てくれた。上がってくれ」

「「おじゃましまーす」」

「部屋に案内しよう」

 

 織斑さんの背中を追い、二階に上る。

 二階には幾つかのドアがあるが、そのうちの一つには雪だるまのドアプレートが掛かっている。ローマ字で『CHIHUYU』と書かれているから、まず間違いなくそこが織斑さんの部屋だろう。

 僕の予想に違わず、織斑さんはそのドアを開いた。

 ぱっと見は普通の部屋だ。押入れの取手に閂のようなものがあるけど、触れないのが優しさだろう。

 

「あっ、円さん」

 

 部屋には円さんがいた。夏休みの間は織斑さんと一緒に住んでるらしいし、先にいるのは当然か。

 

「よく来てくれました束お姉様! あと葉枷も」

「ヤッホーまーちゃん!」

 

 そして、円さんの隣には小さな男の子がいた。

 

「一夏、挨拶できるか?」

「こんにちは、おりむらいちかです!」

 

 織斑さんが優しく語りかけると、その男の子── 一夏君は人懐っこい笑みを浮かべた。

 

「この子が弟さんの一夏君か」

「う〜ん…… それならいっ君だね!」

 

 束さんが早速渾名を付けた。この子からも束さんや織斑さんのように特別な何かは感じない。ただ、織斑さんの弟だけあってかなりの美形だ。成長すれば、さぞ女の子にモテることだろう。

 もしかして、束さんが心を開くか否かの基準って顔なのでは。そう考えると、村人Bのようなモブ顔の僕が特例なのかもしれない。

 

「一夏君、何歳か言える?」

「うん、みっつだよ!」

「すごいねー、もう自分の歳を言えるなんて!」

「えへへ〜」

 

 円さんは一夏君の頭を撫でる。男が嫌いなはずなのに、これは如何に。

 

「円さん、一夏君も男だけど大丈夫なの?」

「一夏君は例外なの! こんなに可愛くて、本当に男にしておくのが勿体無いわ!!」

「そうだよねー! ちーちゃんの弟なだけあるよ!」

「そ、そっか」

 

 束さんと円さんの価値観は似てるのだろう。一緒になって一夏君と遊び始めた。一夏君も楽しそうだ。

 僕と織斑さんは、そんな3人を遠目で眺める。

 一つ、織斑さんに聞きたいことがあった。それは円さんに関わることだ。

 

「ねえ織斑さん、円さんの白い髪はアルビノなの?」

 

 織斑さんにしか聞こえないよう、声量を抑えて言葉を紡ぐ。

 アルビノ。先天的な遺伝疾患によりメラニンの合生成に異常をきたし、頭髪や皮膚が白くなった生物を指す。アルビノの症状は、円さんの特徴とよく似ている。

 

「……ああ、その通りだ」

 

 織斑さんは小さく頷いて肯定する。その表情には少し翳りが生まれていた。

 

「それと、生まれつき身体が弱くてな。この街の病院に通うために、夏休みの間はうちで面倒を見ることになったんだ」

 

 そう言われてみれば、心当たりがある。円さんの激しい運動を見たことがないし、少し歩いただけで僕より先に息を切らしていた。

 

「円が男嫌いなのも、アルビノが原因だ。白い髪のせいで同級生の男子たちに苛められたらしい。お前にはあんなだが、本当は良い子なんだ。無理に仲良くしてくれとは頼まん。だが、どうかあの子を嫌わないでくれ」

 

 『虐め』られる辛さなら、僕もよく理解できる。束さんや織斑さんがいなければ、僕の学校生活はどうなっていたかわからない。

 それに、円さんのことは別に嫌いではない。研究の邪魔をされるわけでもないし、なんやかんやで僕にも心を開いてる…… 気がする。

 

「大丈夫、嫌ってなんかいないよ」

「ありがとう、葉枷」

 

 織斑さんはそうお礼を言うと、改まったように咳払いをした。

 

「それとだな。この場に織斑が3人もいるのに、いつまでも私のことを『織斑さん』と呼ぶにはややこしいだろ? 私のことは千冬と呼んでも構わない」

「そうさせてもらうよ、千冬さん」

 

 

 

§

 

 

 

 束さんと円さんの遊び相手をして疲れてしまったのか、一夏君は眠ってしまった。千冬さんのお母さんに連れられて、寝室へと消えてしまった。

 これから何する? という空気が見て取れる。僕はこの状況を予想し、ある物を研究所から持ってきた。

 

「ゆー君、そのリュックは何が入ってるの?」

「よくぞ聞いてくれました」

 

 リュックからノートパソコン、その他諸々の備品を取り出す。束さんの部屋から背負ってくるのは非常に辛かった。

 

「なんだ、ただのノートパソコンじゃない」

「重要なのはこいつの中のプログラムさ。千冬さん、テレビ貸してもらっていい?」

「ああ」

 

 テレビにパソコンのコードを繋ぎ、プログラムを立ち上げる。

 続いて、ゲームのコントローラのコードをパソコンに繋ぐ。

 

「起動!」

 

 テレビの画面に浮かび上がるのは、R-TYPEという文字。これがこのゲームのタイトルだ。なんとなく名付けたものだが、中々に良い名前ではないだろうか。

 

「これは…… テレビゲームだね」

「横シューだよ。束さん一人にしかできない作業のとき、暇だから作ってみたんだ。折角だし、みんなに遊んでもらおうかなって」

「よ、横シュー?」

「横シューティングゲームの略だよ」

 

 千冬さんだけがイマイチわかってない様子だけど、どんなゲームかは見てればわかるだろう。

 

「最初は誰からやる?」

「私がやるわ」

 

 意外にも、真っ先に挙手したのは円さんだった。

 

「ゲームの腕には自信があるの。病院の待ち時間とか、ゲームをして暇を潰してたもの」

「頑張ってまーちゃん!」

 

 円さんは自信に溢れた表情でコントローラを握る。

 

「操作方法なんだけど……」

「いらない。説明書は読まない主義なの」

「OK、それじゃあ適当なボタンを押して」

 

 いよいよゲームが始まった。

 無数の星々が煌めく星海を、一つの機体が彗星のように駆ける。この機体は僕が研究してるRシリーズの完成形だ。大まかなデザインは決まっているので、どうせならとプレイ機体に反映させた。目玉となる波動砲も搭載されている。この戦闘機の名前は決めてある。その名もアロー・ヘッド。

 横シューの経験があるのか、レールガンを打ちっ放しにしながら縦横無尽に移動する。次々と現れる敵キャラはレールガンの餌食となる。

 

「へえ、ドットだけど完成度高いわね。BGMも良質だわ。やるじゃない、葉枷」

 

 円さんが感心したように呟く。目線が完全にガチのゲーマーだ。

 作るからには細部までこだわったので、そういう点に目を向けてくれて嬉しい。

 

「葉枷、どれだけ時間をかけて作ったんだ?」

「6日かな。学校の自由研究に提出しようと思って…… あっ」

 

 操作を誤ったのか、アロー・ヘッドが敵の弾に直撃した。

 アロー・ヘッドが爆散し、ゲームオーバーの文字が浮かび上がる。その画面を、円さんは目を点にして眺めていた。

 

「一回当たっただけでダメなの!? HPとかは!?」

「そんなものはないよ」

 

 敵の攻撃に一度も当たらないからこそアドレナリンがドバドバ溢れ、爽快感が得られるのだ。HP制なんていうゆとり仕様は邪道だ。

 

「ゲームはよくわからないが…… 画面の左端まで後退すれば敵の攻撃も避けやすそうだ」

 

 今度は千冬さんがコントローラを握る。

 彼女の言う通り、画面の左端にいれば、前方から迫る敵なら避けやすいだろう。

 アロー・ヘッドが発進する。少しぎこちない動きだけど、持ち前の反射神経を活かして敵の攻撃を掻い潜っていく。

 敵キャラが出てくる度にレールガンを撃ち、チマチマと撃破していく。ゲーム初心者がよくやりがちだわ

 やがて、丸みがかった機体── POWアーマーを撃破し、青いクリスタルをゲットする。

 すると、橙色の球体が画面の左端から現れた。

 

「何か丸いのが出てきたんだが?」

「強化パーツだね。敵の攻撃を防いでくれるよ」

 

 そう、その名も『フォース 』だ。

 バイド素子に宿る純エネルギーだけを抽出した兵器。敵本体は勿論のこと、敵の攻撃さえもフォースは喰らい、エネルギーとして変換してしまう。そして、蓄積したエネルギーに指向性を付与し、ビームとして放つ…… という設定だ。

 宇宙空間での運用を想定している。デブリ程度の障害なんて、フォースに喰わせれば気にせず直進できるだろう。いつか現実で完成させたいものだ。

 

「便利だが、これでは簡単過ぎないか?」

 

 次々と迫る敵キャラはアロー・ヘッドの前方に装備されたフォースに突撃し、その餌食となっていく。

 しかし、ヌルゲーになる心配はない。何故なら──

 

「はっ?」

「後ろから敵が来るから問題ないよ」

 

 真後ろから現れた敵の突撃により、アロー・ヘッドが爆散した。まさか背後からやられるとは思ってなかったのか、千冬さんは呆然としてる。

 このゲームは上下左右から敵が現れる。画面端にいれば、そこから現れる敵に撃破されるのは当然だ。

 

「さて、次は……」

「フフフ、私の番だね」

 

 束さんがコントローラを手に取る。この3人の中で、最もR-TYPEの攻略に近い人だろう。果たして、天才にどこまで通用するか。

 アロー・ヘッドが出撃する。その動きはまさに鬼神のようで、順調に進んでいく。波動砲のコマンドだけでなく、フォースシュートのコマンドもいち早く気づき、それらを完全に使いこなしている。流石は束さんだ。

 

「なんて無駄のない動き! 流石です束お姉様!」

「無駄がなさすぎて気持ち悪いな」

「へっへっへ、初見でクリアしちゃうもんねー!!」

「う〜ん…… 束さんを相手にするには少し厳しかったか。おっ、そろそろボスだね」

 

 この狭い通路の先に、この面のボスがいる。束さんなら余裕で倒せるだろう。

 アロー・ヘッドが狭い通路を抜ける。

 その先にいるのは、巨大なエイリアンのような敵だ。茶色の鱗。爬虫類のような顔。そして、異様に伸びた後頭部。四肢はなく、下半身からは長い尾が生えている。実は腹部にもう一匹の敵が寄生しており、そいつが弱点になっている。

 

「ぎょあああああ!!??」

 

 フォースシュートで瞬殺すると思いきや、束さんは今まで聞いたことのないような悲鳴を上げた。

 

「キモい、キモいいいぃぃぃ!!!??」

 

 これまでの合理的な動きが嘘のように、アロー・ヘッドは無茶苦茶な軌道を見せる。

 敵の尾に直撃し、アロー・ヘッドは爆散した。

 予想外の反応に、僕は目を丸くする。円さんと千冬さんもドン引きしている。

 

「こ、これは……」

「あんた、辛いことでもあった……?」

「えっ? いや、特には」

 

 何故か千冬さんと円さんに心配された。

 その後、束さんの悲鳴をBGMにしながらR-TYPEを攻略していく。その道中、幾度となくアロー・ヘッドは爆散してきた。

 そして、ついにその時が来た。ラスボスを倒し、アロー・ヘッドが仲間と共に宇宙空間へ脱出した。

 

「みんな、お菓子を持って…… どうしたの?」

 

 千冬さんのお母さん…… 確か十秋(とあ)さんだったかな。お菓子の乗った盆を片手に、不思議そうや表情をしていた。

 グロッキー状態で床に臥す束さん。ゲームクリアの達成感で夢見心地な表情の円さんと千冬さん。こんなカオスな状態なら誰だって首をかしげるだろう。

 

 

 

§

 

 

 

 束さんと一緒に夕日に照らされた道を歩く。

 今日も楽しい1日で、良い気分転換になった。

 それにしても、思ったよりもR-TYPEで盛り上がれた。暇があったら新作を作ってみるのも良いかもしれない。

 隣を歩く束さんは、明らかに疲れ切った表情をしている。事あるごとに叫んでたから、それも当然か。

 

「まさか束さんにこんな弱点があったなんてね」

「あのデザインはマジで生理的に無理! ゆー君、よくあんなの思いついたね!」

 

 敵キャラだし、多少は気持ち悪さを意識してデザインした。しかし、ここまで言われるほどだろうか?

 ふと、スマホのメールの着信音が聞こえた。

 スマホを開く。束さん以外にメールを送ってくる人なんていただろうか。

 

「!」

 

 送り主の名を見て、驚愕する。

 

「どうしたの?」

 

 束さんが心配そうな表情で尋ねる。

 

「……いや、何でもないよ」

 

 確かに驚きはしたが、心配されるようなことではない。

 メールの送り主は僕の母さんだった。

 明日、数ヶ月ぶりに家に帰ってくる。それは別に構わない。ただ、ほぼ毎日束さんの研究所に寝泊まりしてるのがバレたら、いくら母さんでも何か言われるだろうか。

 一応、明日は家にいた方がいいかもしれない。

 

 

 

 




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歯車が廻るとき

あけましておめでとうございます!
今年も「R博士の愛した異層次元戦闘機たち」をよろしくお願いします!


 研究所に帰った後、一旦家に帰る旨を束さんに話した。

 束さんは「家族との時間を楽しんできなよ」と言って、快く送り出してくれた。一昔前の束さんからは考えられない発言だけど、果たしてこれは成長してると言えるのだろうか。僕にはわからない。

 家に帰り、まず絶望した。ずっと束さんの研究所に篭っていたせいか、僕の部屋にある設備が幼稚に見える。

 その日、僕はいつもより早く布団に入った。薄っすらと埃を被っているせいか、少しむせた。

 翌日、起床してすぐバイドの研究をしてみたが、絶望的に効率が悪い。どれだけ恵まれた環境にいたか、今になって思い知る。束さんと出会えた幸運さを神様に感謝した。

 

「ただいま」

 

 懐かしい声と共に、玄関のドアが閉まる音がした。

 部屋から出て、下の階に降りる。

 玄関先には、スーツの上によれよれの白衣を着た女の人が立っていた。世間一般の感性で言えば美人なのだろうけど、髪は無造作に伸び、目の下には大きな隈がある。

 この人が、僕の母さんだ。

 

「久しぶり、母さん」

「……ただいま、(ゆう)

 

 母さんは小さな声でそう言った。

 

「ご飯、テーブルに置いてあるよ」

「……ああ」

 

 リビングの食卓に着く。

 向かい側には母さんが座っている。一緒にご飯を食べるのはいつぶりだろうか。

 昔の記憶を思い起こしながら、食卓に置いてあるゼリー飲料を手に取った。

 容器を強く握り、中のゼリーを胃の中に流し込む。胃が満たされる感覚がした。

 容器が空になったのを確認し、ゴミ箱に投げ入れる。母さんも同じタイミングで食事を終えていた。

 

「どうしたの、突然帰ってくるなんて」

「もう4ヶ月も家に帰っていないと呟いたら、部下が家に帰れと煩くてな」

「そっか。別に大丈夫なのにね」

「まったくだ」

「いつ帰るの?」

「2日後には」

 

 2日…… つまり、明日は束さんの研究所で泊まることはできないか。

 

(ゆう)、お前の研究はどこまで進んだんだ?」

「かなり進んだよ。友達が研究設備を貸してくれたからね」

 

 母さんの目が大きく見開いた。僕自身友達ができると思ってもみなかったから、こうも驚かれるのは仕方がない。

 

「友達!? お前にか!?」

「篠ノ之束さんっていう女の子だよ。学校で知り合ったんだ」

「篠ノ之…… あそこの神社と関係あるのか?」

「うん、篠ノ之神社の神主さんの子だよ。とっても凄い子で、僕と同じくらい頭が良いんだ」

「……(ゆう)と同等の頭脳、か。まさかこの近所に、そんな個体がいたとはな」

「僕も同じ感想だよ。向こうも同じことを考えてるかもね」

 

 束さんと出会った経緯をほどほどに説明し、僕の部屋へと移動する。

 

「この端末に研究成果が詰まってるよ」

 

 バイド、そしてRX-6の設計理論がディスプレイに浮かび上がる。

 RX-6とは、高出力波動砲を装備した無人テスト機体だ。波動砲の威力を引き上げるため、力場解放ブーストを搭載した。

 しかし、シミュレーションにより問題点も見つかった。力場解放ブーストによるエネルギーの過剰供給で、力場に高負荷が発生し、エネルギーのベクトルが不安定になってしまうのだ。それを解決するために、新たなレギュレーターの開発を進めている。

 

「見てもいいか?」

「うん」

「……莫大な量だな。全部読み終えるまで、少し待っててくれ」

 

 ベッドに座り、母さんが設計理論を読み終えるのを待つ。

 暇つぶしに、頭の中でレギュレーターの設計理論を構築する。作業効率こそ悪いが、時間はすぐに流れていく。

 どれだけ時間が過ぎただろうか。母さんはまだディスプレイと向き合っている。読み終える気配はない。いっそのこと眠ってしまおうか。

 

(ゆう)、この研究を学会で発表してみないか?」

 

 ディスプレイに向き合ったまま、母さんはそう告げた。

 

「学会に?」

「資金や設備、人材といった国のバックアップがあれば研究は更に進む。やってみる価値はあるんじゃないか?」

 

 確信があるのか、母さんの語調がいつもより強く感じる。

 僕の研究を国に認めてもらおうなんて、そんなこと思ってもみなかった。

 だけど、いざとなったら認めてもらう自信はある。バイド、そしてRシリーズは素晴らしい発明なのだから。

 それに、いつまでも束さんの世話になる訳にもいかない。研究設備や資金くらい、自分で用意できるようにしないと。

 そう考えると、学会の話も悪くないように思える。

 

「うん、やってみるよ」

「そうか」

 

 母さんの顔はどこか嬉しそうな、ホッとしたようにも見えた。

 

「すまんが、名前は伏せておくぞ。小学生の研究となれば、要らない軋轢が生まれるのは目に見えてるからな。匿名だとしても、このレベルの研究なら上も認めざるを得まい。一応聞いておくが、それでいいか?」

「いいけど、学会の発表ってそんな感じでいいの?」

「このレベルの研究なら、やりようはいくらでもある。今すぐは無理だが、今年の冬には場を設けておく。プレゼンの資料を準備しておけ」

 

 そのプレゼンの日が僕の人生を大きく変える日になるなんて、今の僕は思いもしなかった。

 

 

 

§

 

 

 

 学会で発表の場を設けることを約束し、母さんは職場に戻った。そういえば母さんの職場は何だったか…… 科学分野に関わっていたのは間違いない。

 その後は束さんの部屋に泊まり、ISとバイドを研究する普段通りの、だけど充実した日々を過ごせた。

 夏休みもいよいよ終盤に差し掛かった。振り返ってみると、実に充実した夏を過ごせた。特に、たった二ヶ月足らずでR-6の設計に着手できたのは素晴らしい。

 そして、今日も束さんから研究所の設備を借りて、バイドの研究をしている。束さんは今、千冬さんの剣術稽古の見学に行っている。研究所にいるのは僕と、同じく剣術に微塵も興味がない円さんだ。

 円さんはソファーに寝転びながらマンガを読んでいる。前にどんなストーリーか教えてもらったけど、そこはかとない百合っぽさを感じた。怖い。

 

「夏休みもそろそろ終わりね。私も自分の家に帰らないと」

 

 円さんの呟きが耳に届いた。独り言なのか、それとも僕に向けて言ったのか。円さんがいるのが当たり前になってるけど、夏休みが終わったら帰ってしまうんだ。

 

「……寂しくなるね」

 

 思わず口から出たその言葉は、偽らざる本心だった。

 

「何言ってんの。冬休みになったらまた会えるわよ」

 

 円さんは呆れたように笑う。

 最初の頃と比べると、随分と心を開いてくれたように感じる。

 

「そうだ。帰る前に、一つだけ聞いておきたいんだけど」

「うん?」

「あんた、束お姉様をどう思ってるの?」

 

 妙にイキイキした表情で聞いてきた。

 僕は束さんをどう思っているのか。そんなの考えるまでもない。

 

「決まってるじゃないか。大切な友達だと思ってるよ」

「まあ、そうなんでしょうけど…… そういう意味じゃなくて、女の子として好きかどうかって聞いてるのよ!」

「女の子として?」

「ああもう! 束お姉様と付き合いたいとか思ったことないの!?」

「確かに束さんは大切な人だし、これからもずっと一緒に研究をしていたいとは思うよ。でも、異性としては考えたことなかったなあ」

「やっぱりね。さっきの会話で予想できたわ」

 

 円さんは失望したというか、期待外れといった感じに息を吐いた。

 束さんと付き合いたいとか思ったことはないし、失礼だけどそんな暇もない。僕にとって最も優先すべきは、Rシリーズの限界に挑戦すること。束さんもきっと同じで、ISの開発が何よりも最優先のはずだ。

 

「束お姉様はね、悔しいけどあんたに惚れてるわよ」

 

 しかし、円さんはあっさりと僕の考えを否定した。

 

「いやいや、何を根拠にそんな……」

「葉枷に対する束お姉様の態度を見て、一発でわかったわ。あんなに露骨なら誰だってわかるわよ。まあ、千冬お姉様は怪しいけど……」

 

 円さんの謎の自信に満ち溢れた言葉を聞いても、信じられないという気持ちの方が強い。

 束さんは頭が良いし、運動もできる。しかも美人だ。

 それに対して僕は、顔はパッとしないし、運動なんて最低辺。唯一競い合えるとしたらこの頭脳くらいだ。そんな僕が束さんに釣り合うとは、到底思えなかった。

 

「あんたが真剣に悩んだ末に出した答えなら、私は口出ししないわ。だけどね、中途半端なことをするなら千冬お姉様に頼んでボコボコにするから。それだけは覚えておきなさい」

 

 円さんのその言葉が、何故か僕の胸に突き刺さった。言いたいことを言えたのか、円さんは再びマンガに視線を落とした。

 

 

 

§

 

 

 

 秋。夏の日差しから解放され、来るべき冬に備える季節。

 これまでになく充実した長い夏は終わり、円さんは故郷へ帰った。全員で見送ったけど、女子たちは目に涙を浮かべながら別れを惜しんでいた。今もこまめにSNSでやり取りしてるらしいが、僕にはそういって連絡が一度も来ていない。ある意味円さんらしい。

 夏休みが終わっても僕らの生活に大きな変化はなく、相変わらず束さんの部屋に入り浸っている。日中は学校なので、研究する時間は真夜中にシフトしている。束さんだけでなく、僕も学校の授業中には眠るようになった。

 多くの人が眠りに就いているであろう真夜中。僕と束さんは、今日も真夜中に研究を続けていた。

 率直に言って、ISのコアの作成に難航している。

 コア。文字通りISの核となるシステムであり、これがなければ起動できない。そして、コアには自己進化機能が搭載されている。蓄積した莫大なデータから最適な進化を導き出し、形状・性能すらも変化させるシステムらしい。高度な思考を可能とするAIが必要だが、中々のオーパーツ具合だ。だからだろうか、束さんにしかできない作業が多くなってきた。

 ISの研究は手伝えなくなったが、僕にもやることはある。

 これまでの研究成果をプリントした用紙の束と睨めっこする。自分の研究ながら莫大な量で、今の僕は紙の山で囲まれている状態だ。どうすればより簡潔に文章が纏まるか、掘り下げて説明するべきか否か、頭の中で整理しながら読み返す。紙の量をできるだけ削ってこいと言われたが、骨の折れる作業になりそうだ。

 

「ゆー君、何やってるの?」

 

 束さんは作業の手を休め、束さんが尋ねてきた。

 

「プレゼン用の資料を作らないといけなくて、どう纏めるか考えているんだ。母さんの話だと、そのままの設計理論だとわかりにくいらしくて」

「プレゼン?」

「そういえば言ってなかったっけ。母さんが融通をきかせてくれて、学会で僕の研究を発表することになったんだ。低出力力場解放型波動砲の設計理論は完璧だから、それの強化を目的にバイドの研究も提案しようかなって」

 

 僕の言葉を聞いた途端、束さんは目に見えて動揺し始めた。

 

「ど、どうしてそんな凡人に媚を売るようなこと!?」

「学会で認められれば、国が研究のバックアップしてくれる。いつまでも束さんに頼りっぱなしじゃダメだと思ったんだ」

「ゆー君がISの研究を手伝ってくれて、とっても助かってるんだよ! 頼りっぱなしなんかじゃないから、そんなこと言わないで! 私は…… 私はもっと、ゆー君と一緒にいたいよ……」

 

 その声は今にも泣き出しそうなほど震えていた。どうして束さんがこんなに不安がっているのか。それは、僕と束さんの関係がこれで終わってしまうと勘違いしてるから。

 

「心配しなくても、束さんとの研究をやめるつもりはないよ。国のバックアップが欲しい一番の理由はさ、今までずっと研究設備を貸してくれた束さんに恩返しがしたいからなんだよ」

「……じゃあ、約束してくれる?」

「うん、約束だ」

 

 束さんはやっと笑ってくれた。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 季節は流れ、冬。とは言っても、12月に入ったばかりで雪は降っていない。

 今日、いよいよ僕の研究が学会で発表される。

 プレゼンは母さんが代役してくれるらしく、僕は家にいながら母さんの連絡が来るのを待つ。

 テーブルの上にケータイを置き、椅子に座りながらジッと待つ。今の僕にできるのは信じて待つだけだ。

 心配な気持ちがある反面、それ以上に自信がある。僕のこれまでの研究を最大限わかりやすく纏めたつもりだ。どんな人でもRシリーズの無限の可能性と、その素晴らしさに気づいてくれるはずだ。

 遅いようで早く、早いようで遅い、奇妙な時間が流れていく。

 

「!」

 

 ケータイが鳴った。

 画面を見ると、母さんの名前が表示されている。

 急かすようにケータイが鳴り続ける。一つ息を吐き、心を落ち着かせてから電話に出た。

 

「もしもし」

 

 学会の発表がどうなったのか、母さんの言葉の一字一句が心の深い場所に届く。

 僕は自然と、母さんの言葉を繰り返した。

 

「だめ、だった……?」

 

 自分の言葉なのに、まるで見知らぬ誰かが言っているように感じた。

 

 




Q.R-9C「WAR-HEAD」ってどんな戦闘機?

A.Ohー 手足のもげたエンジェールー あーいつもー 手足のもげたエンジェール みんな跳べない(意味深)エーンジェール


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提督

 とある建物の、とある部屋。二人の男が椅子に腰掛け、報告資料に目を通していた。一人は額当てをし、もう一人は鼻がない。

 この資料にはある研究についての詳細が記されている。研究内容、そして研究者の素性まで。諜報部が総力を挙げて調べ上げた。以前から組織の上層部が気にかけていただけあり、厚さはそれなりにある。

 しかし、この資料だけでは技術を盗むことはできない。核心となる情報が上手く伏せられているからだ。今日という日まで尻尾を掴ませなかったことから、その研究者が一筋縄でいかない人物だとわかる。

 資料を読み進めるごとに鼻のない男の表情は曇り、逆に額当ての男は興味深そうに微笑みを浮かべる。

 

「ふむ、食指は動かなかったかね?」

 

 額当ての男は鼻のない男を軍曹と呼び、そう問いかける。

 額当ての男の言う通り、軍曹はこの研究が組織に有益か決めかねていた。シミュレーションにより弾き出された破壊力は見事なものだが、軍曹はこの研究を手放しで称賛するつもりはない。

 

「ええ、まあ。理論的には作成可能なんでしょうが、実地試験を経てないなら机上の空論でしかありません。それに、その後の開発にどれだけ資金が吹き飛ぶか見当もつきません」

「組織に属する人間なら、君の判断が正しいのだろう。しかし、私は生憎と馬鹿な男でね。こいつを戦争にどう運用するかばかり考えてしまう。ああ、この子はどれだけ戦場に美しい華を咲かせてくれるのだろう?」

「あなたの発言はしばしば理解しかねます」

「ふっ、手厳しいな」

 

 額当ての男が椅子から立ち上がる。

 軍曹は額当ての男と長い付き合いだ。彼が何をするつもりなのか、おおよその察しがついていた。

 

「行くのですか?」

「ああ、私は彼に賭けてみるよ。なに、資金については我々が一層任務に励めばいいだけだ」

「こちらの誘いに乗りますかね? 一筋縄ではいかない相手に思えますが」

「確信があるんだ。彼なら私と共に来てくれる。資料を通してだが、彼の人となりはある程度知った。おそらくだが、彼の心は傷ついている。研究の方針を変えてまで国に従うとは、手塩にかけて育てた子を売りに出すようなものだ。だが、そうしなければ研究の道は閉ざされる。その心情を思うと、私も胸が張り裂けそうだ」

「……研究のためなら、全てを捨ててここに来ると?」

「ああ」

「わかりました、ご武運を」

 

 額当ての男が部屋から出る。

 軍曹は額当ての男を黙って見送った。自分がどうこう言って止まる人ではない。それに、彼がここまで確信を持って言った言葉なのだ。それを信じないわけにはいかない。

 ふと、軍曹は机の上に置かれた資料の表紙に視線を落とす。

 表紙には『低出力力場解放型波動砲』と書かれていた。

 

 

 

§

 

 

 

 月明かりが降り注ぎ、薄暗い街を照らす。

 子供が出歩いていい時間ではないが、今はただ夜風に当たりたかった。

 近くの公園のブランコに座り、満月が我が物顔で夜空を闊歩するのを眺めた。それと比べて、僕はなんて惨めなことか。

 ショックだった。Rシリーズの素晴らしさを理解してくれなかったことと、数少ない好機を逃してしまったことが。

 何がいけなかったのだろう。母さんの言葉が頭の中でリフレインする。

 学会の人たちは諸手を挙げ、波動砲の有用性を認めてくれた。だからこそ今は波動砲の威力を上げる必要はなく、バイドの研究も必要ない。波動砲を量産する技術を確立すべきだ。研究をそちらに切り換えるなら支援してやる。それこそが、学会が僕の研究に下した評価だった。

 勘違いしていた。国が支援してくれるのは僕たち研究者ではなく、国のためになる研究なんだ。もし僕が学会の提案に乗ったとして、本当に究極のRシリーズを作れるのだろうか。国が支援してくれる保証なんてどこにもない。

 だけど、どうする?

 Rシリーズの作成には、間違いなく国家規模の予算が必要になる。自分一人じゃどうしようもないし、そこまで束さんの世話になることはできない。

 袋小路だ。戻ることはできても、進むことはできない。

 

「いけない子だな。こんな夜遅くに、独りで出歩いて」

「!」

 

 男の人の声が聞こえた。

 声のした方に目を向ければ、男の人がこっちに歩いてくる姿が見えた。背丈の高い外国人だ。しかし、何より目を引くのは額当てだ。額当てに目がいって、目から上にかけての皮が吹っ飛んだような傷痕があるのに初めて気づいた。あの額当ては傷を保護するためなのだろうか。

 本当なら大声で助けを求め、一目散に逃げるべきなのだろう。

 だけど、僕はこの場から離れることができなかった。

 僕の動きを支配してるのは恐怖じゃない。彼の一挙一動に引き込まれる── まるでダイヤモンドのような魅力に、目が離せない。

 今まで色々な人に会ってきた。束さんや千冬さんのような天才は雰囲気でわかる。だけど、こんなの初めてだ。この人のためにも研究をしたいと思えるのは。

 

「初めましてだね、葉枷(ゆう)君」

「僕の名前…… どうして……」

「失礼ながら、少し調べさせてもらったよ。まさか波動砲を発明した研究者の正体が、君のような子供だとはね。イタズラの類でないことは、この事実を知ってるということで納得してもらえるかな?」

 

 そう言って笑いかける彼の笑顔は、とても輝いて見えた。

 

「私に名前はない。ただ、部下からは提督と呼ばれている。君もそう呼ぶといい」

「てい、とく……」

「私の所属している組織の者が君のプレゼンを聞いていた。ああ、諸事情で組織の名を明かすことはできない。そこは理解してくれ」

 

 組織の名前なんてどうでもいい。僕はただ、提督が言葉を紡ぐのを待つ。

 

「波動砲。小惑星すら消し飛ばす破壊力。なるほど、素晴らしい兵器になるだろう。こんなものを発明できる君は、間違いなく天才なのだろうね」

 

 彼も、彼でさえも、波動砲だけが目的。

 僕の心は、天国から地獄へ突き落とされたような絶望で一杯だった。

 

「……提督も、波動砲だけが目的なんですね。それなら、話すことはありません。帰ってください」

「葉枷君」

「……もう聞きたくない! どうせ波動砲を量産しろって言うんだろ!? そんな言葉、もうたくさんだ!!」

「葉枷君!」

 

 耳を手のひらで塞ぎ、その場に蹲る。

 もう嫌だ。誰の言葉も聞きたくない。どうしてもっと凄いものを作ろうと思わないんだ。

 

「葉枷くぅん!!!」ドピュ!

「!」

 

 塞いだ手の隙間から届いた彼の声は、不思議と胸の芯にまで響いた。

 自然と耳から手を離し、提督に目を向ける。

 

「おっと、失礼。興奮すると額の古傷から変な汁が出てしまうんだ」

 

 提督は額を白いハンカチで拭いていた。

 街灯のせいか、彼の瞳が琥珀色に輝いているように見えた。とても綺麗だと思った。

 

「私が波動砲に惹かれたのは間違いない。しかし、彼らのように波動砲を量産しろという、そんな下らないことを言いに来たのではない。私が一番に惹かれたのはね、波動砲── そして、バイドの無限の可能性なのだ! どんな波動砲に進化するのか、どれだけの破壊を齎せられるのか、年甲斐もなくワクワクして仕方がない! 私たちの組織なら、君の研究を援助できる。一緒に来ないか、(ゆう)君」

 

 無限の可能性。その言葉は、僕の心に巣食っていた闇を跡形もなく晴らしてくれた。進むべき道が拓けたような、そんな感覚だ。

 

「その代わり、君には覚悟を示してほしい」

「覚悟?」

「そう、覚悟だ。中途半端な志の者は組織に属する資格がない。君にはたった一人の家族が── 母親がいるね。もし君が組織に所属すると決めたなら、我々は彼女を消さなくてはいけない。葉枷(ゆう)という存在の抹消に必要な禊であり、巣立ちの儀式だ」

 

 あまりに衝撃的な言葉に、理解するのに間を置いた。

 母さんが、死ぬ。束さんとも、もう会えない。

 絶句する。提督の要求する覚悟は、僕の想像よりもずっと重いものだった。

 

「断るというなら、私は金輪際君の前に姿を現さないと誓おう。すぐに決めろとは言わないよ。そうだな…… 8月31日の午前零時── 夏の終わりの始まりに、この公園で待っている。君がいないとき、我々の申し出を断ったと見做す。今夜のことを誰かに話した場合も同様だ」

 

 悲しい。苦しい。理不尽だ。淡々と言葉を紡ぐ提督に、そんな言葉を投げかけたくなる気持ちはある。

 それでも、それらの言葉を喉に出す前に呑み込んだ。何を選ぶのか、何を捨てるのか、僕の心はとっくに決まっていたからだ。

 だって、進む道が一つしかないのなら、そこを往くしかないじゃないか。

 

「また会えるのを願っているよ。それでは、御機嫌よう」

 

 それだけ言うと、提督は背を向けて離れた。その背中が闇の中に消えるまで、僕はずっと眺めていた。

 今の人生を捨てる覚悟はできている。だけど、得難いほど幸せなのには変わりない。

 叶うのならもう少しだけ、この幸せな時間の中にいたかった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 束は夜の街を走り回り、(ゆう)を懸命に探していた。

 今日は(ゆう)の研究が学会で発表される日だ。他でもない(ゆう)からそう聞いたし、学会の結果が出たらすぐに連絡すると言っていた。

 (ゆう)の声色は強張ってこそいたが、それ以上に自信で溢れていた。Rシリーズが人類の科学技術に革新を齎すことに、疑いを挟む余地はない。(ゆう)の研究は学会でも当然認められると、束は考えていた。

 しかし、どれだけ待っても(ゆう)からの連絡は来ない。こちらから電話をかけても、一向に応答がない。

 まさかとは思うが、(ゆう)の研究が認められなかったのだろうか。(ゆう)がどれだけRシリーズに情熱を傾けているのか、その努力を誰よりも間近で見てきた束は知っている。ならばその研究が認められなかったとき、心にどれだけの傷を負うのか。

 居ても立っても居られず、(ゆう)の家へと向かった。

 どの部屋にも電気が付いていない。人が居る気配がないが、玄関の鍵は開きっぱなしだった。一応家の中を確認したが、やはりそこに(ゆう)の姿はなかった。

 こうして、束は夜の街を走り回ることになったのだ。

 ゆー君の心の傷を少しでも癒してあげたい。その一心が、限界を迎えつつある足を動かす原動力だった。

 走って、走って、走り続ける。

 そして、とうとう公園のベンチに座っている(ゆう)を見つけた。

 

「ゆー君!」

 

 自分が思っているよりもずっと大きな声だったのか、(ゆう)は少し驚いた様子でこっちを見た。

 (ゆう)の座っているベンチまで駆けつける。(ゆう)を見つけ、心の緊張が途切れたのだろう。意識の外に追いやっていた疲れが鎌首をもたげてやって来た。呼吸が乱れ、膝に手をつく。

 

「束さん、どうしてこんな場所に?」

「こっちのセリフだよ! 電話にも全然出ないから心配したんだよ!?」

「ごめん、そういえば家にケータイ置きっ放しだったかも」

 

 (ゆう)は思っていたよりずっと冷静だった。いっそ、普段と何も変わらないくらいに。

 

「……ねえ、大丈夫? 無理してない?」

「ショックだったけど、もう大丈夫。夜風に当たって頭を冷やせたよ。心配かけてごめん」

 

 自分が何かするよりも早く、(ゆう)は自力で立ち直っていた。

 少し拍子抜けだが、嬉しい気持ちであるには変わりない。

 

「……ゆー君は強いね。今度は束さんがうんと励ましちゃおうと思ったのに」

「いいや、強くなんかないよ。僕なんて自分一人じゃ何もできない、ちっぽけな存在さ。そういう意味では束さんの方がずっと強いよ。たった一人でISをあそこまで形にできるんだから」

「謙遜し過ぎだよ。あんなにヤバい発明ができるゆー君がちっぽけな存在なはずないじゃん」

 

 そう、(ゆう)の研究は間違いなく人類史に名を残す。それを有象無象に否定されたショックで、(ゆう)が研究を辞めてしまうのが何よりも怖かった。そのまま自分との関係まで途切れてしまいそうな気がして。

 だが、今の(ゆう)の様子からして、その不安は杞憂で終わるだろう。

 

「ゆー君、あのさ…… 研究は続けるよね?」

「もちろんさ。学会に僕の研究が否定されようと、諦めるつもりは最初からないよ。それに、この世界のどこかには絶対に僕の研究を理解してくれる人がいるんだ。そんな人が偶然学会にいなかっただけで、世界に否定されたわけじゃない」

「どこかに、なんかじゃないよ。ゆー君の理解者は目の前にいるじゃない!」

「……うん、そうだったね。僕は本当に、人に恵まれている」

 

 束は(ゆう)の内心を知らず、知る由もなく。夏の終わりの始まりまで、無情にも時の流れは進んでいく。

 




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永遠より永い夏

 生物はいつか死ぬ。それは地球の生態系の頂点に座す人間も例外ではない。

 どんなに天才的な頭脳の持ち主でも、死という絶対的な自然の摂理に抗う術はない。もしも死を乗り越えてしまったとき、その存在を生き物と呼んでいいのだろうか。

 では、AI── 機械はどうなのだろうか。機械の死を定義するなら、修復不可能になるまで壊れることだろう。だけど、定期的にメンテナンスをすれば半永久的に動き続ける。機械とは、ある意味で究極の生命体ではないだろうか。

 そんなことを考えながら病院の廊下を歩く。そして、その廊下の先にある集中治療室の前で立ち止まる。今日、僕は友人に会いに病院へ来た。この集中治療室の中に、その友人がいる。

 ほんの少しだけ息を吐き、ドアを開ける。

 部屋の真ん中には大きなベッドがあり、それに対して不釣り合いなほど小柄な少女が眠っている。

 その少女は── 円さんだ。

 既に自発的な呼吸すらできないのか、呼吸器が繋がっている。これが今の彼女にとっての生命線だ。

 円さんは今、病に犯されている。

 ずっと前から病は潜伏していた。既に治療が難しい時点にまで進行していた。決して治らない病気ではない。でも、円さんの虚弱な体質では致命的だった。

 円さんは病に倒れ、そのまま意識を失った。それからたったの一度も目を覚ましていないという。

 医者が言うには、保ってあと3日だそうだ。

 今この瞬間も、束さんは円さんの病を治そうと全力を尽くしている。当然、僕もそれを手伝った。

 だけど、僕らは神様でも何でもない。たった3日で円さんの病気を治すのは不可能だ。僕はそれを悟ったが、束さんは頑なに認めようとしなかった。

 病気を治すのは不可能。だけど本当に助ける手段はないのか、ずっと考えた。

 そして、思い至った。円さんの意識をデータに変換してしまえばいいのだ。仮に肉体が死んだとしても、その意識は電子の海の中に残り続ける。

 今日、僕はそのためにやって来た。倫理的な問題があるとか、そんなことで迷ってる猶予はない。

 アタッシュケースから装置を取り出す。

 コンピュータと、そのコンピュータのコードが繋がっているヘッドギアだ。

 ヘッドギアの装置で脳に刺激を与え、電気信号を発進させる。その電気信号をコンピュータで読み取り、円さんの思考回路を構築する。バイドの研究の過程で確立した技術だ。

 意識のデータ化が上手くいったとして、それが本当に円さんなのか。円さんの意識を模倣したに過ぎないAIではないのか。そんな意見もあるだろう。

 僕はその意見を真っ向から否定する。

 自分なりに魔導力学を究めて、ある結論に到達した。高度な知能を有する生命体にこそ、魂は宿るのだ。脳があるから思考が宿る。思考があるから感情が宿る。感情があるから思念が宿る。そして、思念があるから魂が宿るのだ。

 電子回路の頭脳であろうと、そこに魂は宿る。円さんの思考があるなら、そこに宿るのは紛れもない円さんの魂だ。

 円さんにヘッドギアを被せる。彼女は大切な友人だ。だからこそ、電子の海の中であろうと生きてほしい。そんな願いを込めて、装置を起動した。

 

 

 

§

 

 

 

 束は研究所のソファーに座り、ジッと壁を眺めていた。あんなに精魂込めていたISも、今だけは作る気になれない。

 篠ノ之束は天才だ。その能力の高さは多方面で発揮される。

 世界なんてイージーモード。何でも望んだ通りの結果になる。今までも、これからも、ずっとそうだと思っていた。

 だからこそ、今の胸中は最悪だった。

 円を救えなかった。大切な友達を救えなかった。なんでも出来ると信じていたこの頭脳でも、ついに特効薬を開発するのら能わなかった。一ヶ月…… いや、せめて半月でもあれば間に合ったはずだ。

 何でも思い通りになると付け上がって、この様だ。悔恨が胸を締め付ける。世界の悪意を前に、ただ立ち尽くすしかなかった。

 円の火葬が終わり、骨だけに成り果てたとき、束は泣き崩れた。こんなに泣けるんだと自分でも驚くくらい、両目から涙が溢れた。

 周囲の人たちも泣いていたと思う。しかし、(ゆう)は違った。悲しそうな表情は見せるが、決して泣くことはなかった。

 死人を生き返らせることは不可能だ。可能なこと、不可能なことの線引きくらいはしている。

 どうすれば良かったのか、どうすれば救えたのか、どうして世界はこんなにも残酷なのか、そればかり考える毎日だ。

 

「……束さん」

 

 コーヒーカップを片手に持った(ゆう)が隣に座る。

 

「これ、飲みなよ。コーヒーじゃ苦いと思って、カフェオレにしたんだ」

「……ありがと」

 

 コーヒーカップを受け取り、口につける。

 ほのかな苦味と、まろやかな甘味が口の中に広がる。美味しいと、心の底からそう思った。だが、見知らぬ他人が同じものを作ったって、同じ感想は出てこないだろう。(ゆう)が作ったからこそ、そう思えるのだ。

 

「うん、美味しいようで良かったよ」

 

 (ゆう)が朗らかに笑う。

 その笑みを見て、ずっと束を苦しめていたある考えが脳裏に浮かぶ。

 もし、(ゆう)が死んでしまったら?

 (ゆう)だけじゃない。箒が、父が、母が、千冬が、一夏が死んでしまったら?

 考えないようにしても、ふとした瞬間に胸を過ぎるのだ。その度に心を砕くような恐怖が襲ってくる。

 

「ねえ、ゆー君は私を置いて死んじゃったりしないよね? わたし、こわいよ……」

 

 きっと、縋るような声だったのだろう。

 嘘でも頷いてくれれば、それでいい。

 しかし、(ゆう)は申し訳なさそうに首を横に振った。

 

「そんなことない…… なんて、言えない。人はいつか死ぬ。別れの時は絶対にやって来るんだ。それは明日かもしれないし、明後日かもしれない。僕の体は貧弱もいいところだし、束さんより先に死ぬ可能性の方が大きいと思う」

 

 そう言いながら、(ゆう)は束の手を握った。

 

「だけど、約束する。別れの時が来た後でも、たとえ死んで幽霊になったとしても、僕は君のことを想うよ」

 

 優しいようで合理的、そのくせ心霊現象を信じる(ゆう)らしい言葉だ。

 ただ、その言葉が何を意味するのか、束が真に理解することはない。

 

 

 

§

 

 

 

 自分の家よりも見慣れた束さんの研究所で、僕はある作業をしていた。束さんはいない。というより、いなくなるタイミングを見計らった。

 ディスプレイに無数の文字列が浮かぶ。このデータの海の中に円さんの意識が潜んでいるはずだ。

 だけど、こちらから何度シグナルを送っても反応しなかった。理論上は、円さんの思考パターンを完全に再現できているはずだ。CPUの処理能力が足りないのか、それとも別に問題があるのか、遂に分からなかった。

 僕はこのプログラムを、ISのコアに組み込もうと考えている。束さんが設計しただけあって、情報処理能力は格別だ。それに、円さんが目覚めたとき、僕ではなく束さんたちが近くにいた方が良いはずだ。僕はもう、束さんや千冬さんに会うことはないのだから。

 プログラムのインストールが終了する。

 束さんには、円さんの意識をデータにしたことを言っていない。元々、成功するかどうか賭けに近い目論見なのだ。下手に希望を持たせて、もう一度悲しませるようなことはしたくない。

 束さんの研究所を出るとき、思わず立ち止まって振り返る。

 永遠より長い日々を思い出す。とても幸せで、充実した日々だった。手放すのが惜しいくらいに。

 多分、この光景を見るのはこれで最後だ。もうすぐだ。もうすぐ、夏の終わりが訪れる。

 

 

 

§

 

 

 

 気づけば月日は巡り、8月31日。

 自宅のリビングのテーブルにつき、息子である(ゆう)の後ろ姿を眺める。

 この日、特に何をしたわけでもないが、(ゆう)と語り合った。取り留めのない話から、研究の話まで。ただ、今日に限って(ゆう)はよく話しかけてきた。(ゆう)なりに甘えているのだろうか。そんな珍しい様子に、嬉しいと思う自分がいる。

 

「母さん、コーヒー淹れたよ」

「ありがとう、(ゆう)

 

 (ゆう)が向かいの席に座る。

 

「なあ、(ゆう)

「何、母さん?」

「すまなかった。私はお前に甘えて、何一つ母親らしいことをできなかった」

「またその話? 学会で僕の研究が認められなかったのは母さんのせいじゃない。ただ運が悪かっただけだよ。だから何度も謝らないで」

「……違うんだ。いや、そうでもあるが。心のどこかで、お前の研究の支援さえしていれば母親らしいことができていると思っていた。だけど、それじゃあダメだって気づいたんだ。学会でお前の研究が認められなかったとき、どうやって励ませば良いのかわからなかった。こういう時こそ、真っ先に心の支えになるべきなのに。本当に、すまなかった」

 

 この話を切り出すべきか否か、ずっと迷っていた。

 今更すぎるのだ。気づけば(ゆう)は12歳。学会の件も一人で立ち直れるくらい大人になってしまった。

 だけど、今逃げ出してしまったら、もう二度と言えない気がした。

 

「……僕は、母さんに感謝してるんだ」

 

 (ゆう)の言葉に驚愕する。

 

「母さんは普通の母親じゃないけれど、僕だって普通の子供じゃないんだ。そんなのお互い様だよ。それに、普通の母親じゃ、僕はこんなに自由に生きることができなかった。母さんなりに僕を愛してくれてるのはちゃんと伝わってる。だから、その…… 僕を生んでくれたのが母さんで、本当に良かったって思ってるよ」

 

 少し気恥ずかしそうに、(ゆう)はそう言った。

 不意に目頭が熱くなる。そんな言葉をかけてもらえるなんて、自分には過ぎた報いだ。

 

「そんなことより、ほら。コーヒーが冷めちゃうよ」

「……ああ、そうだな」

 

 コーヒーで喉を潤す。

 一日中喋り続け、疲れてしまったのだろうか。急に眠くなってきた。全身が弛緩し、椅子の背もたれにもたれかかる。

 

「…………ゆう。おまえはわたしの、じまんのむすこ──」

 

 落ちてくる瞼に抗えず、視界が黒で覆われる。このまま意識も手放してしまいそうだ。

 

「ごめん。僕は行くよ、母さん」

 

 最期に、そんな言葉が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おめでとう、(ゆう)君。君はもう、巣から飛び立った若鳥だ。どこへだって飛んでいける」

 

 提督の隣で、(ゆう)は街の小高い場所から自分の家を眺めていた。

 日は沈み、辺りは闇で覆われている。ただ、(ゆう)の家の近くに限っては違った。燃え盛る(ゆう)の家により、昼間のような明るさになっている。

 

「あの家では君の母と、君と背格好のよく似た少年が燃えている。これで君は社会的に死亡した」

 

 提督が用意したのは、紛争地域で掃いて捨てるほどいる孤児の死体だった。あの炎では死体の判別なんて不可能だ。

 提督の部下により(ゆう)の家は燃えたのだが、入念な準備と万全な工作により、事故火として片付けられるだろう。

 

「僕が作った薬は、相手に一切の苦しみを与えない致死毒でした。きっと、眠るように死ねたはずです」

「我々が代わっても良かったのだよ? 苦しませないように殺す方法はたくさんある」

「……ケジメって言うんですかね。母を愛していたからこそ僕がやらなきゃいけないって、そう思ったんです」

 

 サイレンの音が聞こえてくる。消防車が(ゆう)の家の前に集まり、放水を開始した。

 

「素晴らしい覚悟だよ。ようこそ、亡国企業へ。それが君の新しい宿り木だ」

 

 一台の車が(ゆう)たちの前に止まる。この車も亡国企業が用意したものであり、運転手は信頼の置ける部下の軍曹だ。

 

「先に乗りたまえ、(ゆう)君。私は少し、やることがある」

 

 提督の言葉に従い、(ゆう)は車に乗り込む。

 (ゆう)を乗せた車は発進し、提督は手を振りながら見送った。

 そして、1組の男女が少し離れた場所の物陰でその様子を伺っていた。千冬の両親── 織斑百春(ももはる)と、織斑十秋(とあ)だ。

 

百春(ももはる)さん、葉枷君が……」

 

 十秋(とあ)の声は震えていた。

 見知らぬ男により、娘の友人がたった今連れ去られてしまったのだから当然だ。

 この現場に居合わせたのは偶然だった。夏休み最後の日、新学期に向けて千冬に何かプレゼントを買いに行こうとして、この現場に居合わせてしまった。

 ……いや、本当に連れ去られたのだろうか。(ゆう)が自分から乗り込んだようにも見えた。何にせよ、この場に残った男を逃すわけにはいかない。

 

十秋(とあ)、君は先に帰って、このことを警察に──」

 

 ポスンポスンと、間の抜けた二つの音が小さく響いた。

 

 




超展開なので読者の皆様に受け入れてもらえるかどうか心配です(震え声)
感想、評価を緊急連絡してくれると嬉しいです。


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お詫び

長らく生存報告せずに申し訳ありません。
そしてもう一つ、謝らなければいけないことが。
「R博士の愛した異層次元戦闘機たち」を完結させるのが無理だと判断しました。理由は色々とあるのですが、世界観を壮大にし過ぎたせいなのと、社会人の忙しさを舐めていたというのがあります。仕事ってクソだな。
本当に、本当に申し訳ありません。
その後の展開というか、自分の頭の中にあった大まかなプロットを置いておきます。妄想の垂れ流しなのでお見苦しいと思いますが。


葉枷右改め、R博士として生まれ変わる。某国企業でラリった研究と実験を進め、Rシリーズを着々と再現していく。モルモット(死刑囚)に考えうる限り残虐な方法で痛めつけたり、モルモット(志願者)の女子供に例の施術をするなどブイブイ言わせる。

 

 

ついでに提督がオルコット夫妻を謀殺。オルコット家の遺産を掠め取り、研究資金を調達しようとした。しかし、R博士の温情でセッシーにバイド技術(色々と伏せている)に投資させる路線に変更。R博士の熱意ある説得にセッシーは絆され、どうにかオルコット家は存続。

 

 

病み病み束さんがISを開発。この世をぶっ壊すべく白騎士事件を起こす。束さんのほっといたらマジヤベーとのことで、千冬姉も協力。R博士的には「束さんも元気でやってて良かった良かった」的な感じでしかなく、気にせずRシリーズを開発。某国企業はISを主力にしようとする声が上がるも、波動砲なり何なりのマヂキチスペックを見せつけて封殺。この辺からルビコン川を下る。

 

 

原作突入。ISにより女尊男卑が世間に蔓延っているがR博士的にはどうでもよし。唯一の男性適合者とのことで某国企業は一夏を確保しよう企てて、その実行部隊に提督が駆り出される。機体の実地訓練も兼ねて、ナルキッソスでIS学園を襲撃。無双するも束さんと千冬姉の介入により撤退。

 

 

束さん、ナルキッソスの情報で右君が生きてると確信する。とりま某国企業をぶっ潰すために色々と動き出す。

 

 

バイド系R戦闘機もコンプ。提督は脳汁ブシャーして感動するが、某国企業はドン引き。そりゃそうだ。

 

 

バイドの研究はアカンと今更ながら思い知った某国企業の上層部は、RシリーズとR博士を闇に葬ろうとする。IS部隊にR博士の研究所をカチコミさせる。偶然居合わせた軍曹と共にどうにかIS部隊を壊滅させるも、IS部隊が暴れすぎたせいで原始バイドが外の世界に放たれる危機に。しかも戦闘でR博士の右足がすっ飛ぶ。Rシリーズのようなマジキチ研究をしてはいたが、R博士…… いや、右が好きだった。なにより、束がいるこの世界を壊させるわけにはいかない。軍曹を基地から逃がし、右は研究所の自爆スイッチを作動させる。原始バイド諸共、右は波動砲の光の中に消える。右、死亡。

 

 

右は別れ際、軍曹に部品を託していた。「幕引き」という言葉で提督はカーテンコールの専用部品だと直感し、カーテンコールに部品を組み込む。その部品とは、R博士の思考回路を基にして作った生体パーツだった。後世にデータを残すのに都合が良いからね。ちなみに、クローンの脳が埋め込まれているぞ!

 

 

舐めた真似をした落とし前をつけさせるため、提督が某国企業の上層部を皆殺し。提督たちの部隊とはかつて存在した小国の軍隊の生き残りで、復讐というか愛国者としての義務を果たすため世界に戦争を仕掛ける。Rシリーズは提督に託されたので、戦場にガンガン投入しちゃうぞ!

 

 

世界(天災込み)VS 提督。最初は拮抗してたものの、物量の差と束さんのせいで押され始める。仕方ないね。戦場でカーテンコール(右のクローン)と束さんが遭遇。オリジナルは死んだと告げられ、束さん発狂。カーテンコール(右のクローン)を紛い物と言って、執拗に破壊しようとする。オリジナルの思考に引っ張られたカーテンコール(右のクローン)は束さんを殺すことができず、結局破壊されてしまう。

 

 

戦争終結。提督の負けだが、人類はボロボロ。

 

 

世界に絶望した束さんだったが、ふとしたきっかけでセンター分けの猫を二匹拾う。右の面影を見て、世界からサヨナラする前にセンター分けの猫を育てようとする。

 

 

遠い遠い未来、研究所があった場所の海底深くから「グランドフィナーレ」が見つかる。



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