ザオリクよりもベホマが欲しい (マゲルヌ)
しおりを挟む

1章
1話 馴染めないのなら距離を置こう


 

 ――今日も特に意味のない軍事演習が終わった。こんな無駄な訓練をいつまで続けるのだろうか。

 

 ……いや失礼、あまりの面倒臭さについ言い過ぎてしまった。

 実際、全く意味がないとまでは言わない。寄せ集めのままではいざというときに適切な集団行動がとれないだろうし、定期的な訓練は確かに必要だ。

 しかし我々の場合、個人での戦いはそこそこ多いのに比べ、集団を率いての実戦の機会は驚くほど少ないのだ。最後にあったのはもうどのくらい前だっただろうか。偶発的に大量発生した野良モンスターを討伐したときだから、二十年ほど前だったか? とにかくそのくらいの低頻度なのだ。

 そんなことだから皆のやる気も今一つ上がらない。普段から訓練しておく必要があることを頭ではわかっているのだが、さすがに十年単位で何もないとモチベーションを保つのも難しい。

 

 ……いや、無理のない話ではあるのだ。こんなヤバいところに攻め込んでくる者がそうそういるはずがない。いたとしたら、そいつは自殺願望持ちか被虐趣味の変態だ。

 

 だってそうだろう。私たちは一人一人が、程度の差はあれそれなりの力を持つ兵士だ。それが数千、数万集まって警備に当たっているのである。

 つまりここに攻め入ろうと思えば同数の、いや城に攻め入る場合は三倍の人員が必要と聞くので数十万の兵が必要になる。それも有象無象ではなく、私たちに対抗できるような質の高い兵が数十万人だ。我々の敵にそんな戦力を用意できる国などあるまい。

 

 仮に国同士で連携できれば話は別かもしれないが、彼らは滅びの危機に瀕してなお権力争いなどで内部分裂をしているらしい。そんな連中が他国と協力してまでここへ攻め入ろうなどと考えられるはずもない。

 まったく、こんなときくらい小さな(いさか)いはやめればいいものを。私たちにだって多少の…………多少の(?)内部争いはあるが、本当に危ないときはそれらを一旦忘れて協力するくらいの分別はあるというのに。

 

 他に可能性があるとしたら、突出した力を持った少数精鋭を送り込んで我らが王を暗殺することだろうか。もしそんなことがあれば個としての武を存分に発揮できるチャンスなわけだが……。

 ……いや、ないな。こんなところに四人だの八人だので攻め入れと命じるなど死刑宣告と同義、成す術なく大群にすり潰されるのが落ちである。貴重な戦力をそんな無謀な使い方で無駄にするなど、どんな愚かな指導者であってもやるはずがない。

 

 結局のところ、個人としての武力を鍛えつつ集団戦の演習をするという、これまでと変わりない生活を続けるしかないという結論に達してしまうわけだ。……はあ、なんだかなあ。

 前々から思っていることだが、ここの連中は少々血の気が多すぎる。模擬戦だと言っているのに堂々と殺しにくるし、しかも周りもそれを咎めないのだ。

 

 そりゃ私だって命のやり取りの場で相手に情けはかけないし、互いに譲れぬものがあるときは本気の決闘をしたこともある。戦いそのものも決して嫌いではない。

 しかしここの奴らときたら、戦いよりも相手に血を流させることのほうを楽しんでいる節がある。加えて、先ほど個人での戦いは多いと述べたが、実はその大半が仲間内での争いであるという頭の痛い事実。少しばかりついていけない感性だ。

 

 ……いや、わかってはいるのだ、ここでは私のほうが寧ろ異端であるということは。

 我々の伝統衣装についても皆は特に疑問もなく使用しているのだが、私はどうにもあれを着る気にはなれない。

 だって急所が全然守られてないんだもの。肩当てと脛当てだけで一体どうやって体を守ると言うのだ。兜に関しても、無駄に角がついていて手入れがし辛いし。

 だから普段は自作した普通の鎧を着ている。

 

 まあね、格式の高い場では仕方なく着るよ? 上司からお言葉を頂くときとか、論功行賞の場とか。でもそんな真面目な場面でもない限り進んであれを着る気にはなれない。理由はよくわからないが、あれを着ているととても罪深い気分になるのだ。理由はよくわからないが……。

 

 話が逸れてしまった。

 とにかく私はこんな感じでいろいろずれているため、周りから少し浮いているのだ。我々の組織は何よりも武力を重視するため、それなりの使い手である私は排斥されるということはないのだが、あまり居心地がよくないのも事実だ。偶に絡まれたりもするし。

 

 ――あ、噂をしていると来た。面倒な奴が来た。

 

 通路の先に視線をやると、そこからずんぐりとした体型の奴が歩いて来るのが見えた。そいつは私の姿に気付くと、ニヤァと嫌な笑いを浮かべて話しかけてきた。

 

「よう、相変わらず覇気のない顔をしているな。そんなんじゃ部下に示しがつかねえぞ? こりゃあ上に行くのは俺の方が先だな」

「はあ……。何度も言っているが、私は上に行きたいとは思っていない。命令されればやるが、あくまで自分を一介の武人だと思っている。軍を率いることに関してはお前のほうがよほど向いているだろうよ」

「けっ、つまんねえ野郎だ。なら一介の武人さんよ、久しぶりに模擬戦に付き合ってくれよ。未熟な俺に一手ご指南を頼むぜ」

「……はあ、わかった」

 

 私はため息を吐きつつ、奴の後に続いて訓練室まで歩を進める。チラリと後ろ姿を眺めると、奴はその肥満気味の身体を嬉しそうに揺らしていた。

 

 ――私を殺す試みがそんなに嬉しいか、ちくしょうめ……。

 

 こいつは私と同期で配属された奴なのだが、何かというと私に嫌がらせをしてくるのだ。嫌味を言ったり、妙な噂を流したり、連絡事項を伝えなかったりと、その内容は様々。この模擬戦への誘いもその一環だ。

 

 実のところ、私のほうがこいつより少しばかり強い。そして我々の組織は武力を重んじるため、こいつは私が自分より上の立場になることを危惧している。

 ゆえに、このようにときどき模擬戦に誘ってきて、その中で偶然を装って殺そうとしてくるのだ。

 正直言って面倒くさいが、無視すると他のことでちょっかいをかけてくるので、仕方なく毎回受けている。模擬戦ならまだこちらの鍛錬にもなるしな。

 

 そうやっていつも通り自分を納得させながら、私は通い慣れた訓練室の扉を潜ったのである。

 

 

 

――――

 

 

 

「ではいくぞ、イオナズン!」

「ぬお!?」

 

 部屋に入った途端、開始位置に着く暇もなく、奴がイオナズンをぶっ放してきやがった。清々しいくらいの不意打ちである。

 

「お、おいっ、ちょっと待て!」

「はははは! まさか卑怯とは言わんだろうな! 勝った者が正義なのだ!」

 

 奴は得意気に笑いながら爆発魔法を連発する。私の不意を衝けたのがよほど嬉しいらしい。

 いや、別に不意打ちは構わない。戦場では当たり前のことだ。

 私が危惧しているのは、『室内の訓練室でイオナズンはまずくなかろうか』ということだ。前回、整備担当者に文句を言われたのをこいつは覚えていないのか。

 

「ふははははっ、部屋ごと潰れろお! 連続イオナズンだ!」

「やっぱり忘れてるじゃねーか!」

「ごはあっ!?」

 

 あ、しまった。イラっとしてつい急所を刺してしまった。痛恨の一撃だ。

 

「ご、ごふっ、げふっ。お、おいお前! 早く来い! か、回復させろぉ!」

「は、はいぃ! ベ、ベホマ!」

 

 奴が待機していた回復係へと怒鳴る。

 どうやら部下を呼びつける元気は残っているようだった。

 近づいた術者が奴に手を翳すとそこから光が溢れ、みるみるうちに傷が塞がっていく。

 

「はあ、はあ、はあ。ま、まだまだ勝負はこれからだ! いくぞ!」

 

 そして回復した奴は懲りもせず、再び私に向かって構えた。まだ続けるのだろうか。

 

「勝負はついたと思うのだが……」

「とどめを刺さなかったのだから継続だ!」

「ええ……」

 

 確かに実戦では死ぬまで戦うものだし、回復して何度も戦うのも当然の話ではある。だがこれは模擬戦だ。殺すまでやる必要もないだろうし、どこかで決着のラインを引いておかなければキリがなくなってしまう。

 

「くらえ!」

「メラゾーマ!」

「ごふう!?」

 

 そもそも模擬戦とは自らの力や技を高めるために行うもの。そこには協力してくれる相手に対する感謝と敬意があって然るべきだ。

 

「今度こそ!」

「ばくれつけん!」

「あぐ、へぶ、ぶは、ふぐう!?」

 

 それをここの奴らときたら、やれ血の匂いが嗅ぎたいだの、やれお前が邪魔だから殺すだの、失礼極まりない。

 

「はあ、はあ、吹雪で凍ってしまえい!」

「ひばしらあああ!」

「あばああ!?」

 

 そんないい加減な気持ちで行う模擬戦に意味などない。こいつもまずは一人で自己鍛錬に励んで実力を上げるべきだ。素質はあるのだから、焦らず力をつけていけば自ずと上へ行けるだろうに……。

 

 ――それにしてもさっきから何度回復させれば気が済むのだ。そろそろ回復係がフラついてきているぞ。

 

「はあ、はあ、はあ、マジックバリア!」

「むっ」

「ははははっ、これで魔法の威力は半減だ! 今度こそ凍えろ! かあああ!」

「フバーハ」

「あ……」

 

 魔法で弱まった吹雪をとりあえず拳圧でかき消しておく。それを見て奴が動きを止めたので、その隙に懐に入る。

 

「しまっ――」

 

 この程度の動きで驚くんじゃない。だいたい最初に物理でボコボコにやられていたのに、なぜマジックバリアを張っただけであんな得意そうな顔ができたのだ。

 ……なんだかだんだんイライラしてきたぞ。いつもいつも絡んできおってからに。そろそろ一発思い知らせてやるべきか。

 

 ――よし、いい機会だ、魔法によるマジックバリアの破り方を教えてやる。

 

「ま、待っ」

 

 聞く耳持たん!

 

「くらえ、メラゾーマ拳!!」

「ぬわーーー!?」

 

 私はメラゾーマの炎を拳に纏い、奴の胴体を真っ直ぐ突いた。拳が腹の肉を貫いた次の瞬間、内部で極大の火球が炸裂! 奴の身体は炎上した。

 

 ――――そう、魔法によるマジックバリアの破り方、それは相手の体内に直接魔法を叩き込むことだ。

 

 完璧である。これならどんな凄腕の魔法使いでも防ぎようがない。

 効果は見ての通り、奴は体中から煙を噴き上げてピクリとも動か――

 

 あ、し、しまった、やり過ぎた。さすがに模擬戦で殺すのはまずい。武人としての矜持に反する。

 

「だ、駄目だ~~。ベホマが効かない~~」

 

 回復係が青い顔で右往左往している。ここまでやると流石に回復魔法の範疇を超えているようだ。

 ……仕方がない。こいつを治すのは業腹だが、放っておくわけにもいかない。

 

「安心しろ」

「え?」

「私が治す。そこを退いてくれ」

「え、あ、は、はい……。お、お願いします……」

 

 あたふたする回復係を落ち着かせ、私はその呪文を唱えた。

 

「ザオリク」

 

 私の手から放たれた光に包まれ、内部からズタボロになっていた奴の体が修復されていく。

 流石はザオリク。蘇生魔法の名に恥じない効力だ。とりあえず一安心である。

 

 ……それにしても、なぜ私は回復魔法を使えないのに蘇生魔法は習得しているのだろうか。なんとなく据わりが悪い。

 だいたい蘇生魔法なんて、一人で戦っていると使う機会などあろうはずもない。自分が死んだらそれで終わりなのだから。それよりはベホマでもあったほうがよほどありがたいぞ。

 

「……ふむ、今後も命を狙われるであろうことを考えたら、ここらで習得しておくのもありか?」

 

 しかし一体どうやって?

 前に回復係にやり方を聞いてみたが、元から使えていたから説明できないと言われてしまったしな。格闘術や剣術に関しては鍛錬によって身についたのだが、魔法となるとどうにも……。

 考えてみれば私も、自分の魔法に関しては深く考えずに使っていたな。気が付いたら使えるようになっていたし。

 改めて考えると不思議な話だ。一度魔法に関してじっくりと考えるべきかもしれない。

 

 だがどうすればいい? 私も含めてここの者たちは皆脳筋だ。魔法の原理や基本を知っている者などいないだろう。うーむ……。

 

 ん、待てよ? そういえばいつだったか幹部たちの話で聞いたことがある。『ダーマ神殿』というところに行けば、いろいろな技や呪文を覚えることができると。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 思い切って…………行ってみるか?

 

 どうせしばらく演習しかやることもないだろうし。量産型の我々の顔なんてみんな同じようなものだから、一人くらいいなくなっても誰も気付かないだろう。こいつら脳筋だし。

 

 うん、そうだな、行ってみよう。どうせここにいても周りから浮いて居心地が悪いし、命も狙われるし。一度落ち着いた環境でのんびりするくらいいいだろう。

 ……あ、いや、勉強、あくまで回復魔法の勉強のためだが、その過程で体を休めることもあるだろうと、そういう話だ。

 

 よし、そうと決まればさっさと行ってしまおう。確か南のほうの連中が、温泉にある井戸からあちらに行けると言っていたはずだ。

 

「あ、あの……」

「ん?」

 

 振り返ると回復係が恐る恐るといった風にこちらに話しかけていた。

 

「その、ありがとうございました。僕のベホマでは治らなくて……」

「ああいや、気にするな。私がやったことであるしな。……お前も大変だな、いつもこいつに付き合わされて」

「い、いえ、これが僕の仕事ですから」

「ふ、そうか。ああ、後のことは任せてよいか? こいつが起きたらまた絡まれそうなのでな」

「は、はいっ、お任せくださいっ」

「ではな」

 

 はあ、なぜあのような迷惑な奴に、真面目で忠実な部下が専属でついているのだろうか。しかもベホマまで使えるし。

 それに比べて私は常にワンマンアーミー、重症負ったらはいそれまでよ。

 これはちょっと不公平ではなかろうか。贔屓か、贔屓なのか?

 それともあれか、私の顔つきが生意気そうだから上層部に嫌われているのか、ちくしょうめ。

 

「いや、愚痴など言っても不毛なだけだ。やめよう。もっと未来に目を向けるべきだな」

 

 さて、荷物をまとめて、あいつが起きる前に出発しよう。幸い私の見た目はあちらの者とそうかけ離れたものではないし、フードとマントを着て旅人を装えばなんとかなるだろう。

 このような勝手な行動がばれたら粛清されそうな気もするが、そのときはそのときだ。今の私の勢いは誰にも止められない。

 さあ、いくぞ! 優しい世界が私を待っている! 向こうでのんびり暮らすのだ!

 

 

 

 こうして私、サタンジェネラル1182号は、人間界へと旅立ったのであった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話 そうか、あれが噂に聞くヤクザか

 

 ついにやって来たぞ、人間界!

 

 ヘルハーブ温泉の井戸に飛び込み次元を超えた私は、生まれて初めて人間の土地に降り立っていた。両の手を広げると、涼やかな風が体を通り抜けていく。ああ、とても心地がいい。狭間の世界とはえらい違いだ。

 

 そしてもう一つ、大きな違いがある。あちらと比べるとこの世界は随分と明るい。さっきから眩くて目が眩みそうなほどだ。

 だが、なかなかどうして、この感覚も悪くない。どこか冷たく暗い印象のあった狭間の世界とは違い、太陽が世界中を照らしてくれている。

 

 そう、これは即ち、私の輝かしい未来の暗示! 

 明るい生活が待っているという、この世界からのメッセージ! 

 きっと天も私を祝福してくれているに違いない!

 とてもいい気分だ、はーっはっはっは!

 

 

 

 ……さて、感動に浸るのはこのくらいにしてさっさとダーマ神殿に行くことにしよう。

 方法は簡単、ウルトラキメイラに頼んで羽根を一枚拝借しておいたのだ。これがあればダーマまでひとっ飛びよ。

 さあいざ、私をダーマ神殿へと導くのだ、キメラの翼よ!

 

 

 サタンジェネラル1182号はキメラの翼を放り投げた。

 

 しかしなにも起こらなかった。

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「あれ、何も起こらんぞ? おかしいな、不良品か?」

 

 …………。

 

 ……あ! そういえば一度行ったことがないと意味がないのだった。

 くっ、抜かったわ! まさかこんな落とし穴があるとは!

 

 いや待て、落ち着け。ならば歩いていけばいいだけのことよ。私は誇り高きサタンジェネラル、この程度の障害には屈しない。失敗してもすぐにリカバリーすることが大切なのだ。

 

 

 まずは現在位置の確認だ。

 大魔王城になぜか置いてあったこのガイドブック『人間界の歩き方』によると、ダーマ神殿は世界の北のほうにあるらしい。しかし今いる場所がわからなければ、どちらに向かっていいのかすら判断できない。

 ゆえに、とりあえずは情報収集だ。

 

 偶然にも目の前には大きめの街がある。ここで聞き込みでもすれば、必要な情報はすぐに集まるだろう。

 人間の街は初めてなので少々不安だが、要は魔物とさえバレなければ問題はない。設定は武者修行中の剣士として、人との接触は最小限に……。これで完璧だ。

 ――よし。では、いざ!

 

「こんにちは!」

「怪しい奴め! 大人しくしろ!」

 

 おぶう、早速(つまず)いたでござる。

 どういうことだ、にこやかに挨拶をすれば初対面でも友好的になれると『人間界の歩き方』に書いてあったのに! 『こんにちは、死ね!』が横行する狭間の世界とは大違いだと感動していたのに!

 

「な、何を言うのかね。わ、私は普通の武者修行者だ。怪しくなどない」

「いきなり空中から現れて、高笑いしながらデカい翼を放り投げる奴が、怪しくないはずあるか!」

 

 しまった! 先ほどからの行動を見られていたのか!

 い、いやでもあれくらいのテンション、旅行先なら普通だろう? ガイドブックにも書いてあったぞ?

 狼狽する私に対して、門番は槍を構えてジリジリ近づいて来る。

 

「行動だけでなく恰好も怪しい奴め。ひっ捕らえてやる!」

「え? 恰好?」

 

 …………。

 

 あ、ああ! そうか、そういうことか!

 そういえば人間は服装とか見た目を特に気にする種族だった。この古式ゆかしい死神スタイルを見慣れていなかったのか。

 なんだよもー、早く言ってくれよ。だからあんな普通の行動も怪しく見えちゃったんだな?

 

「なるほど、恰好が問題だったのだな? ちょっと待ってくれ。今フードを取るから、よいしょっと…………ふう。……ほら、この通り」

「!?」

 

 私は怪しくないことを示すため素顔を晒した。しかし、

 

「なな、なんだそのヤバそうな顔色は! ますます怪しいだろうが!」

「え? ええ?」

 

 門番はさらにいきり立ってしまった。

 こっちだってますます意味が分からない。この顔色が一体何だと言うの――

 

 …………。

 

「あ、あーーっ! そ、そうだ、思い出した! 人間って肌の色で人を差別するみみっちい種族だった!」

「何をわけのわからんことを! もういいっ! 捕えてから素性を暴いてくれる!」

「そおい!」

「げふう!?」

 

 ……。

 …………。

 ………………よし、息はしているな。このまま壁に立てかけておけば……これでよし。

 

 

「ふう……、人と魔物が分かり合うというのは大変なことなのだな……」

 

 私は異種族交流の難しさを噛み締めながら、街の中へと足を踏み入れたのである。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 首尾よく街に侵入した私は、情報収集の前にまず武器屋に行くことにした。いつまでもフード姿では、またトラブルになるかもしれないからな。こちらに溶け込める恰好をしなければならない。

 一応あちらで使っていた装備品も持って来てはいるが、あのような一目で高価とわかるものを往来で身に着ける気にはなれん。特に、任務中に偶然手に入れたあのメタルな兜なぞ、その最たるものだ。確実に盗人の目を引いてしまう。

 

「やはりここの店で一式購入するのがいいだろうな」

 

 なあに、金ならたんまりある。大魔王様への献上品の中にあった人間界の貨幣を、出発前に少々拝借したのだ。金など魔物社会では無用の長物、精々私が有効活用するとしよう。

 人間界では金がとても重要らしいからな。噂では金を巡って親兄弟や仲間内で殺し合うことすらあるそうだ。なんと恐ろしいことか。

 

「お、ここか。御免」

 

 剣の絵が描かれた看板を見つけたので、そのまま扉を潜る。

 

「へい、らっしゃい!」

 

 中に入ると、威勢のいい声と共に色とりどりの武具が私を出迎えてくれた。

 

 買い物をするのは初めての経験だ。少し緊張する。

 だが武具に関しては私も一家言を持っているからな。下手な物を買うのはプライドが許さん。気合いを入れて品定めをしなければ。

 

「お、これは……」

 

 壁に掲げられている内の一振り、赤い剣を手に取っていろいろな角度から眺める。なかなか良い品質だ。

 

「旦那、お目が高いですね。そいつはウチの店の一押し、『ほのおのつるぎ』でさあ。炎に弱い敵に大ダメージを与える上、イオの魔法も込められているっていうお得な武器でね。弱い魔物を一掃するときなんかに重宝しますぜ?」

「ほう、魔法が使える武器か。剣そのものも悪くない……。ん? こちらも結構な品ではないか?」

「そいつは『ゾンビキラー』って言いまして、アンデッド系に効果絶大な剣です。この辺りにもゾンビ系の魔物が出ますからね、持ってて損はありませんぜ?」

 

 武骨な外見の割にセールストークが達者な店主である。どちらも良さそうで迷ってしまう。

 

 もういっそ、両方買ってしまうか? どうせ泡銭(あぶくぜに)であることだし……。

 よし、ならあとは鎧と盾と……。

 

「決まったぞ店主。『ほのおのつるぎ』と『ゾンビキラー』、『ドラゴンメイル』と『ほのおのたて』を頼む」

「おお、太っ腹ですな、旦那! 毎度どうも、69500ゴールドになります!」

「では、70000ゴールドから」

「はい確かに。500ゴールドのお返しです。では鎧のサイズ合わせをしますね」

「いや。その辺りのことは自分でできるので結構だ」

 

 また肌の色で騒がれては困るので、用心に越したことはない。

 

「そうですか。ではお包みしておきますね」

「うむ」

 

 店主が上質な布で武具を包み始める。四つもあるのでそこそこ時間がかかりそうだ。

 

「…………」

 

 ……なにやら手持無沙汰で気まずいな……。こういうとき客は何をしていればいいのだろうか? 

 ガイドブックには何て書いてあったか……えーと、……ああなるほど、世間話がてら情報収集をするのか。

 ならば今の状況にピッタリだな。やってみよう。

 

「自然に……、自然に……。コホン……あ、あー、ときに店主よ、少し聞きたいのだが。この町、妙にピリピリしてはいないか? 先ほども門番に居丈高に詰問されたし、町全体の空気が張りつめているように思えるのだが?」

 

 私がとても自然に質問すると、作業をしていた店主は何とも言えない表情を浮かべてこちらを見た。

 

「あー、……それはですね。……旦那、この国のことはあまりご存じではないんですかい?」

「ああ、未開の地にいたので世情には疎くてな。説明してもらえるとありがたいのだが」

 

 未開の地どころか異界の地だけども。

 

 

「うーん。仕方ない、ウチの財政を潤してくれたお礼でさ。ただ、大きな声では言えないのでちょいとお耳を……」

 

 店主は少し悩んだ末、苦笑しながら了承し、顔を寄せてきた。

 

「実はですね、このガンディーノの国では随分前から圧政が敷かれているんですよ。重税をかけるし、手当り次第女たちを召し上げるしで、民の暮らしは散々なんです」

 

 おお、所謂暴君というやつか。人間界の七不思議の一つだな。特に強くもない奴が好き勝手やって、それに誰も逆らわないという謎の現象だ。

 

「で、さらに厄介なのがギンドロ組って無法者たちの存在なんでさあ。こいつらがもうやりたい放題いろいろやりやがってね。しかも王様が黙認しているもんだから、誰も逆らえないんですよ。だから目を付けられないように、みんな息を潜めて暮らしているんでさ」

 

 はー、なるほど。王ではなく、そのギンドロ組とやらがこの国での強い者というわけだ。力の強い奴らが幅を利かせて、弱い者たちはやられっ放しと。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 ……な、なんということだ、狭間の世界と似たようなものではないか。よりにもよって記念すべき人間界第一訪問国がなぜあちらと似たような状況なのだ! せっかく穏やかな日々が手に入ると思っていたのに!

 

「旦那も気を付けてくださいね。奴らは余所者には特に苛烈ですから、身包み剥がされてポイっなんてことになりかねません。特に用がないんだったら早くこの国を出たほうがいいと思いますぜ」

「ああ、わかっている。無駄に危険に近づく趣味はない。早いところ次の町に行くとしよう」

 

 包んでもらった武具を脇に抱え、店を出る。

 

「では、世話になった」

「ありがとうございました、お気を付けて」

 

 まあ人間相手に別に危険は感じないが、目立たない方針であるしな。あえて揉め事を起こすこともあるまい。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 …………と思って町を出ようと思ったのに、何やら尾行されている。さっきの警備兵か、もしくはギンドロ組とやらか? 何れにしても面倒な。

 

「……仕方ない。適当なところに誘い込むか」

 

 騒ぎになっても面倒なので、人気のないところで処理することにする。

 不自然に見えないように裏路地へ入り、そのまま奥へ奥へと歩いていくと、だんだんと人通りも疎らになっていく。薄暗いのも相まって如何にも通り魔が現れそうな雰囲気だ。

 そしてさらに二、三個角を曲がって少し歩いたところで、私は襲撃者が狙いやすいように足を止めた。

 

 ――はい、カモン。

 

「ギンドロの腐れ野郎! くらえ!」

「そおい!」

「へぶ!?」

「……おや?」

 

 予想通りに後ろから襲ってきた相手をとりあえず殴り飛ばしたが、妙に手応えが軽かった。子供か? 兵士でもないし、セリフからしてギンドロ組でもなさそうだ。どういうことだ?

 

「うーむ……、まあとりあえず縛っておいて、と。…………おーい、起きろ」

 

 縄で縛った後、適当に体を揺すって襲撃者を起こす。

 

「う、う~ん…………はっ! あ、て、てめえ、何しやがる! この縄を解け!」

 

 手応えの軽さから思った通り、襲撃者は年若い少年だった。目を覚ました途端こちらを鋭い目で睨み付けてくる。

 

「何しやがる、はこちらのセリフなのだが。一体なぜ私を狙ったのだ? 追剥ぎか?」

「はん! 追剥ぎはてめえらだろ。町のみんなから何でもかんでも奪っていきやがって。自分たちが奪われるのは嫌ってか!」

 

 私が追剥ぎ? まさか私のことをギンドロ組と勘違いしているのか? いや、確かに怪しい見た目だけども。

 

「少年、私はギンドロ組とやらではないのだが」

「惚けるな! さっき武器屋で大金払ってたろうが! 今この町であんなに羽振りがいいのはギンドロ組の連中くらいなんだよ!」

 

 ああなるほど、そういう経緯か。しかし少々短絡的ではないだろうか?

 

「外国の者は?」

「え?」

「外国から来た金持ちは、そこには含まれないのか?」

「え、えーと……」

「私、さっきこの国に着いたばかりの、外国出身者なのだが?」

「あ、いや、その、……そ、そもそもそんな怪しい恰好しているのがわる――」

「少年、間違ったときは謝罪をせねば…………な?」

「うぬぬぬ……」

 

 少年は悔しそうにこちらを睨み続ける。早とちりで襲い掛かった挙句、自信満々に糾弾しておいて勘違いだったので、ばつが悪くて素直に謝れないのだろう。

 ……仕方ない。年下を導くのも年長者の務めだ。

 

 私は横たわる少年の目をじっと見据えた。こういうときは誠意が大切だという。心だ、視線に心を込めるのだ。

 

「いいか少年、よく聞け」

「な、なんだよ……」

「私の故郷ではな、『相手の言うことが気に食わないなら、殺して自分の意見を押し通せばいい』という考えが主流でな」

「!?」

「それとな、『自分が間違っている場合でも、相手を殺して有耶無耶にすればいいや』という考えも蔓延(はびこ)っていてだな」

「っ!?」

「私自身、自分を殺しにかかってきた奴らを今まで何人も八つ裂きにしてきたわけだが」

「――っ!?」

「いや、それは今関係なくて、つまり何が言いたいのかというとお前――」

「すみませんでした!! だから殺さないで!!」

 

『自分の非を認められないと、ウチの奴らのような碌でもない大人になるぞ』と諭したかったのだが、その前に謝られてしまった。しかも命乞いまでされてしまったぞ。

 失礼な。あいつらがそうなだけで、私はそんな野蛮ではないのだぞ。あくまで返り討ちにしていただけだ。

 

「殺さん、殺さん。基本的に私は平和主義者なのだ。敵をバリバリ殺していたのも昔の話だ」

「ほっ……」

 

 恐怖心からの謝罪ではあったが、一応の反省は見られた。なので縄は解いてやることにする。

 

「これからはちゃんと確認してから殺らないと駄目だぞ、少年」

「…………平和主義者なのに、殺しを咎めないのかよ」

「まあ、私は少年の事情も知らぬしな、頭ごなしに否定はできんよ。ただ、今みたいにやり返される可能性もあるということは心得ておくのだぞ?」

「……ふ、ふん、わかってるよ」

 

 やれやれ。資料によると、子供とは虫取り網片手に野山を駆け回るのが正常だというのに、ナイフ片手に暗殺者の真似事とは世も末だ。

 この国が乱れているという話は本当のようだな。私に子供時代はないからよくわからんけど。

 

「見つけたぞ! あのガキだ!」

「ん?」

「あ!」

 

 この国の行く末を憂いながら縄を解いていると、なにやらぞろぞろと四人ほど現れた。妙ちくりんな服を着た奴らである。浮浪者だろうか?

 

「よう、クソガキぃ。さっきはよくもやってくれたなあ?」

 

 その内の一人が少年に対して嬉しそうに話しかけてきた。

 

「なんだ少年、知り合いか?」

「ギ、ギンドロ組の奴らだよ! あんたの前にあいつらを襲撃したんだけど、失敗して追われてたんだ!」

「おいおい、追われている途中で私を襲ったのか? 見境なしだな、少年」

 

 襲撃は計画的にやらないと駄目だぞ。ターゲットは絞っておいて、行動パターンを観察して確実に仕留めるのだ。そして、失敗したときの逃走ルートも複数用意しておかなければならんぞ。

 

「んだてめえは! 見せもんじゃねえぞコラ! さっさと消えねえと殺すぞコラ! ああん?」

「てめえこのガキの仲間か、ああん? だったらちょうどいい、一緒に城の堀に沈めてやんよゴラあ!」

「ひゃははは! 仲間じゃなくても見逃さねえけどな! ちょうどサイフの中身が少なくなってたんだよ。恨むんならマヌケな自分を恨みな!」

 

 まあそれは置いておくとして、ふむ、こいつらがギンドロ組か。確かに攻撃的な雰囲気を感じるな。だがしかし、はて……?

 

「おい、何落ち着いてんだよ! 早く逃げるぞ! ていうかさっさと縄解いてくれよ! いつまでかかってんだ!?」

「いやすまん。さっきからやっているのだが、固く結んだせいで解けないのだ」

「だったらナイフかなんかで切ればいいだろ!?」

「それは駄目だ。これは荷物を縛っていた縄なのだ。綺麗に解いて再利用せねば」

「あんな大金持ってる奴が貧乏くさいこと言ってんじゃねえ! ていうか状況見ろ!」

 

 まったく、これだから最近の若い者は。物を大切にしないと罰が当たるぞ。どんなにチンケなものにだって使いようはあるのだ。人間界の格言にもあるだろう、『スライムのいない戦は敗け戦』と。

 …………いや、これは間違いだったな。演習では初手ブレスで一掃されていたわ。やはりただのスライムでは駄目だな。鍛えないと使えん。

 

「おいてめえ! 無視してんじゃねえぞゴラあ!」

「ん? ああ、すまん、考え事をしていてな。お前たちに聞きたいことがあったのだ。一つ無知な私に教えてはくれぬかね?」

「ああん? 何だよ? へへ、いいぜ。有り金貰う代わりだ、答えてやるよ」

 

 下手に出てみると、男は剣呑な空気を一旦収め、ニヤニヤと先を促した。怯えて従順になったとでも思ったのだろうか? ますます不可解である。

 

「では遠慮なく。………………お前たちがやっている、その、首を上下や前後に動かす動作には、何の意味があるのだ? 笑いを取るための動きか?」

「……は?」

 

 男の動きが止まった。

 

「あと、先ほどからああんああんと喉を鳴らしているが、風邪というやつか? ならば家で寝ていないと駄目だぞ?」

「…………」

 

 薄笑いが消えて真顔になった。

 

「で、これが一番聞きたかったことなのだが……。ギンドロ組とは強い力でこの国を支配している者たちだと聞いているが、お前たちからはそんな力が欠片も感じられない。ブチュチュンパにも劣る雑魚さだ。これはどういうことなのだ? お前たちは捨て駒で、後ろにはちゃんと強い者が控えているということなのか?」

「…………な」

「な?」

「舐めてんじゃねえぞゴラああ!!」

 

 おお? ナイフを抜いたぞ。少しばかり挑発が効きすぎたか。これは困った。

 

「おおい! 何やってんだ!? めちゃくちゃ怒ってるぞ、あれ!」

「おお、少年。そういえば奴らはお前と敵対しているのだったな?」

「今敵対してるのは、どちらかっつうとあんただよ!!」

「喜べ少年。リベンジのときだ」

「へ?」

 

 むんずと少年の襟首を掴みあげる。

 そうだ、元々敵対していたのはこの少年なのだ。ならば私ではなく、少年がこいつらを倒せばよい。

 

 ――ではいくぞ。少年を相手の頭にシュゥゥゥーッ!

 

「ごは!」

「ぐえっ」

 

 お、一発で倒れおった。やはり弱いではないか。なぜこの国の者たちはこんな奴らに従っているのだ?

 まあいい、そら、もう一発!

 

「ぎゃあ!」

「いだっ」

 

 また一発で倒れた。曲がりなりにも戦う者ならば少しは避けようとすればよいのに。棒立ちのままやられるとは情けない。ほい、三人目!

 

「げは!」

「ぐふ」

 

 それにしてもこの少年はなかなか頑丈だな。奴らが一発で沈むのに対して、少年は多少痛がるだけだ。きっとギンドロ組と戦うために鍛えたのだろう。うむうむ、戦う者ならばそうでなくては。

 こいつらも少しは少年を見習うべきだ。威嚇や雄叫びばかりいくら鍛えたところで補助にしかならんのだぞ。まず体を鍛えるのだ。

 

「ち、ちくしょう! 覚えてやがれ!」

 

 仲間がやられたことで、最後の一人が背を向けて逃げ始めた。

 今更逃がすと思っているのか、状況判断の甘い奴め。逃げるなら仲間がやられ始めてすぐに行動するべきだったのだ。

 

「逃がすか! くらえ!」

「ぎえ!」

 

 指で勢いよく500ゴールド硬貨を弾く。固い弾丸が後頭部に直撃して鈍い音を立て、男はそのまま地面に倒れた。

 

 よし、少年によって悪のギンドロ組は倒された。何の問題もない。最後のも硬貨による攻撃であって拳ではない。セーフセーフ。

 

「ぐぎぎ。何しやがんだ、この野郎……」

 

 少年が立ち上がり、こちらを睨みつけてくる。フラフラだが自分の足でちゃんと立っているあたり、根性がある。

 

「すまんな、少年。私には『弱者に拳は振るわない』という武人としての矜持があるのだ。ゆえに、代わりにお前に倒してもらった」

「…………俺は振るわれたぞ、拳」

「いやいや、少年は弱者ではないさ。あいつらを倒すために、自分なりに鍛えているのだろう? 先ほどの襲撃の動きもなかなかだったぞ」

「ッ……フ、フン……調子のいいこと言いやがる」

 

 あ、照れた。こんな適当な言い訳で誤魔化されるとはチョロい。奴らに向かって投げつけたのは、どちらかと言えばお仕置きの意味合いのほうが強かったのだが。まあ喜んでいるようなので黙っておこう。

 

 さて、奴らのほうから絡んできたので適当にあしらったが、これ以上ギンドロ組とやらに関わるのも面倒だ。さっさと行くとしよう。国名もわかったことだし、地図に従って歩けばその内ダーマにも着けるだろう。

 

「なあ」

「ん? 何かね、少年」

 

 少年が何か言いたげにこちらを見ている。

 ぶつけた頭が痛いのか? だが生憎回復魔法はまだ覚えていないのだ。薬草で我慢してほしい。

 

「あんた、かなり強いよな?」

 

 治療や金銭の要求ではなかった、一安心である。

 だがしかし、『強いか?』か。なんと答えるべきか……。

 

「うーむ、それなり……かな? 故郷では私より強い者などたくさんいたしな」

 

 魔王様方とか、……あと牢獄の町の魔導士とか。

 あれは理不尽だ。麻痺耐性突破してくるとか反則でしょうよ。……ああ、兵士長の方なら余裕余裕、あいつショボイ物理攻撃しかしてこないから。

 あ、それと忘れてはいけないのが、牢獄の町の門番だ。あの痛恨兄貴には随分痛い目に遭わされた。魔法まで封じてくるし、勝てるようになるまでには大分かかったものだ。

 

「それでも、この町のゴロツキどもよりは遥かに強い」

「それはまあ、そうだな」

「その力を見込んで頼みたいことがある。いきなり襲いかかっておいて図々しいのはわかっている。でも俺一人の力じゃ難しいんだ! 頼む、助けてくれ!」

 

 うおう!? こ、これは『人間界の歩き方』で紹介されていた人間の秘技、『土下座』! どうしようもなくなってしまった人間が、最後の望みをかけて使うという最終奥義!

 これをされた場合はできるだけ話を聞いてあげましょう、と本にも書いてあった。

 

 しかし、助けか。うーむ、魔物の私が人間を助けてもいいものか、迷うところだな。正直、武人としては、助けを求められるシチュエーションというものには憧れるが……。

 狭間の世界ではそんな場面はなかったからな。誰もかれも他者に弱味は見せないし、自力で苦難を食い破れない奴は死ねという世界だったから。

 

 ああいや、一個だけあったか。命だけは助けてくれという敵の懇願だ。でもそれで見逃してやっても、直後に背後から襲いかかってくるから、結局殺すんだが。

 

 ……改めて思い出すとなんという殺伐とした世界なのだ。

 

「あ、あの、駄目か?」

 

 酷い記憶を思い返していた私は、少年の声によって現実に引き戻された。下を見ると、彼は不安そうな顔でこちらを見上げている。

 こんな顔をされては――どうにも断れなかった。

 

「………………いいぞ、力を貸そう」

「ほ、本当か!?」

「う、うむ……」

 

 ま、まあ、これも修行だ。新しい経験を積むことで、武人としてまた成長できるかもしれぬ。ひいては魔王様への貢献にもなる、問題ない問題ない。

 

「では、少年。詳しい話を聞こうか?」

「わかった。……ただ、『少年』呼びはやめてくれないか。戦う力も何も持っていなかった頃を思い出しちまうんだ」

「ふむ、では名を聞かせてもらえるかな?」

「ああ」

 

 そして少年は、強い意志を秘めた眼で私を見据え、名乗りを上げた。

 

「俺の名前はテリー。奪われた姉さんを取り戻すために、あんたの力を貸してくれ」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話 首への手刀はやめておけ

 

 私に助力を願った少年改めテリーは、ギンドロ組によって連れ去られた姉を取り戻したいらしい。

 

 元々身寄りのなかったテリーとその姉『ミレーユ』は、このガンディーノに住むある老夫婦に引き取られ、しばらくはまあまあ幸せに暮らしていた。がしかし、そのミレーユが美人だったのがまずかった。

 この国の王は圧政者であると同時にとても好色だ。各地からいろいろな美女を攫ってきては王宮で囲っているらしい。で、そんな国王といい関係を築きたいギンドロ組は定期的に女を献上しており、ある日奴らが目を付けたのがミレーユだったというわけだ。

 

 テリーたちを引き取ってくれた老夫婦は善良な人たちだった。しかし同時にどこまでも普通の人たちでもあった。暴力組織に脅されてなお子供を守れるほど強くはなく、結局は泣く泣く義娘を差し出すことになったという。

 テリーだけは抵抗しようとしたのだが、悲しいかな当時の彼は七歳。奴らに敵うはずもなく、ミレーユは連れ去られてしまう。

 

 その後、みすみすミレーユを差し出した義理の両親に対して(わだかま)りを捨てられず、テリーは家を飛び出した。そしてその足でギンドロ組のアジトまで乗り込み、ミレーユを連れ去った男たちの一人を見つけ、姉を返せと斬りかかったのだ。しかし力及ばず返り討ちに遭い、重傷を負ったままこの王都から逃げ出すこととなった。

 

 なんとか隣の町までたどり着いたテリーは、今のままでは奴らには敵わないと考えて自分を鍛え始めた。魔物退治などをしながらガンディーノ国内を転々とし、同時に国王や城、ギンドロ組についての情報を集めていったのだ。

 

 そして、あれから五年の月日が経った今、力をつけたテリーは姉を取り戻すべくこの町に舞い戻ってきたのである。

 理想を言うなら、もっと成長して強くなってからのほうが成功率は高くなる。だがこうしている間にも姉が酷い目に遭わされているかもしれない。そう思うともう居ても立ってもいられず、今回難しいのを承知で決行するつもりだったそうな。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 とりあえずテリーの過去を聞いて思ったことを一つ……。

 

 

 ――――テリーのフットワーク軽すぎいぃ!

 

 

 いや、姉が連れ去られるのに抵抗するところまではわかるよ? 

 でもその後家を出たり、ギンドロ組のアジトに突貫したり、魔物がウジャウジャいる外を死にかけで行軍したり、魔物退治を生業にしたりって……。

 

 いくらなんでも行動力に溢れ過ぎでしょうよ。

 それと比べると、百年間狭間の世界に引き篭もっていた私が駄目な奴みたいではないか。

 

 ……あ、いや止そう。なんだか不敬な発言をした気がする。ゲフンゲフン。

 

 

 それにしても当時七歳だろう? 生き抜く力が凄過ぎるぞ。

 資料によると、人間が満足に戦えるようになるのは、生まれてから二十年近く経ってからとなっているのに。これは誤植だろうか?

 

 ……いや、これが追い詰められた人間の底力というやつかもしれん、侮りがたし。大魔王様にも注意なさるよう進言しておかねばなるまい。

 

「しかしテリーよ。お前姉を取り戻したいのになぜギンドロの連中を襲ったのだ? 姉が今囚われているのは王城だろう。ならば奴らは無視して、城に忍び込む方法を探すべきではないのか?」

「う……。いや、そうなんだけど、五年ぶりにあいつらを見たら、忘れかけていた憎しみが再燃して、つい……」

 

 後先考えず手を出してしまったというわけだ。行動力と冷静さを両立するのは難しいということか。

 

「目的を達成するには冷静にならねばいかんぞ。とりあえず奴らに対する怒りは一旦封印しておけ。最優先は姉を無事取り返すことだと、よく心に刻み込んでおくのだ」

「ああ、わかってるよ」

 

 テリーはむくれながらも素直に頷く。最低限自分を律する分別はあるようで安心した。その点だけでもウチの連中よりは遥かに大人である。

 

 …………いや、これは比較対象が悪過ぎるか。あいつらと比べたら大抵の奴が聖人になってしまう。

 

「で、城に忍び込む当てはあるのか? 他にも、姉のいる場所の情報とか」

「それは大丈夫だ。いろいろな町で情報収集してきたからな。城で働いていた元メイドとか、改修工事を担当した大工とかに話を聞けたんだ。あんな国王に対する忠誠心なんて誰も持っちゃいないからな。ある程度金を積んだらいろいろ教えてくれたぜ」

 

 テリーが有能過ぎる件について。これ私要らないのではないか? この子一人で目的達成できそうなのだが。

 

「今日の深夜に忍び込もうと思ってる。城の構造も兵士の巡回時間もわかっているから、見つからずにいけると思う」

「ふむ……。私は何をすればいい? 話を聞く限り、お前一人でも大丈夫そうに思えるが」

「城の奥はさすがに警備が厳重だろうからな。気付かれないように見張りを倒して忍び込みたい。声を上げられる前に無力化するのがベストだけど…………できるか?」

「ああ、可能だ」

 

 普通の人間相手なら造作もないことである。……ただ、

 

「一つだけ聞きたいのだが、……『無力化』とは、『殺す』ということか?」

 

 どちらであるのかでいろいろと対応が変わってくるぞ。

 

「…………嫌々国王に従わされている奴らも多い。……できるだけ殺さないように頼む」

「ふむ、心得た」

「…………何も言わないのかよ。甘ちゃんだ、とか……」

「リーダーはお前だ。文句は言わんよ」

「……そうかよ」

 

 ああよかった、人間界に来てまで虐殺など嫌だぞ。もし皆殺しと言われていたらあれこれと丸め込んで説得しなければならないところだった。いいぞテリー、何事も穏便にいくべきだ。

 

「じゃあ深夜にバルコニーから忍び込むから、それまで待機だな」

「了解した。何か準備することはあるかね?」

「いや、必要なものはもう用意してあるから、あとは時間まで体を休めるだけだ。……俺はもう隠れ家に戻るけど、あんたはどうする?」

「では私もご一緒していいかな? 別れてまた合流するのも面倒だからな。………………ああいや、それよりも重大な理由があったな。私は宿には泊まれないのだ」

「な、なんだよ。もしかしてあんた犯罪者だったのか? 指名手配されてるとか?」

 

 あ、テリーが警戒してこちらを見ている。危ない奴を見る目だ、失礼な。

 

「いや、単純にもう金がない。先ほどの500ゴールド弾でスッカラカンだ」

「…………結果的に、あいつらに有り金渡すことになったんだな……」

 

 あ、テリーが呆れてこちらを見ている。しょうもない奴を見る目だ、失礼な。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 さて、日がとっぷり暮れて深夜、現在私とテリーは城壁の横の茂みに隠れている。この後タイミングを見計らって、二階のバルコニーにあるメイド用の小扉から城内に入る予定だ。

 

 テリーには正体がばれないように仮面を付けさせ、また万が一戦闘になったときのため、昼間に私が買ったドラゴンメイルも装備させている。サイズが大きいので微調整して丈を合わせ、肩当てと脛当ては取り外しているが。

 そして私は引き続きの死神スタイル。この恰好は顔も体型も隠せるので本当に便利だ。いつか魔王軍の正式装備に推薦しておこう。

 

「よし、巡回の兵は行ったぞ、今の内だ。……でも本当に大丈夫なのか?」

 

 テリーが不安そうな顔で聞いてくる。

 

「ああ、時間をかけないほうがいいからな。縄梯子は不要だ。では行くぞ、口を閉じておれ」

 

 私は安心させるように薄く笑い、片手でテリーを抱え上げた。テリーがしっかり掴まるのを確認すると軽くジャンプし、バルコニーの端に手を掛ける。そして顔だけ出して周りを見回す。

 辺りに兵がいないことを確認し、体を引き上げて、侵入完了だ。

 

「ふ、ざっとこんなものよ」

「すげえな、サンタ。どんだけジャンプ力あんだよ。しかも俺を抱えた状態で」

 

 テリーが信じられないと言わんばかりの顔をする。

 いや、さすがにこのくらいはできないといかんのだ。何せ大魔王城は岩山の上に建っているので。この城の外壁くらい一足で飛び越せなければ話にならない、お家に帰れない。

 

「なに、これくらいお前もできるようになるさ。そうだな、魔物の群れにわざと追いかけられて足腰を鍛えるのとか、お薦めだぞ。命が懸かっているから限界の一つ二つすぐに超えられる」

「お、おう、考えとく……」

 

 そうそう、私の名前は『サンタ』ということにしている。馬鹿正直に『サタンジェネラル1182号』と名乗るわけにもいかんしな。サタンを単純に並べ替えて『サンタ』だ。

 『ジェネル』という案もあったのだが、そちらはやめておいた。理由はよくわからないが、後で恥ずかしい気分になる気がしたのだ。理由はよくわからないが。

 なぜかあの同期のブースカの野郎が頭の中に現れて、『え? ジェネル? かっこいいー! その偽名自分で考えたの? かっこいい名前自分に付けちゃったの? ひゅー! 俺にはとても真似できねえぜ!』と煽ってきたので、やめておいたのだ。一体あれは何だったのだろうか。

 

「む、まずいな」

 

 首尾よく目標の小扉を発見したが、テリーの情報とは異なり兵士が見張っていた。物陰から二人、そっと様子を窺う。

 

「ちっ、配置が変わったのか?」

「他のルートがないなら、無力化するしかあるまい」

「……そうだな、頼めるか?」

「承知した」

 

 テリーの言葉に従って動き出した私は、素早く兵士の背後をとり、その首に手を伸ばした。

 それ、キュキュっと。

 

「ぐ!?…………かふ……」

 

 兵士は抵抗らしい抵抗も見せず、その場に崩れ落ちた。

 

「よし、気絶したぞ。……ん? どうしたのだ?」

「前に首を殴って気絶させるのを見たことがあるんだけど、あんたのやり方は違うんだな」

「ああ、こうすると頭に血が巡らなくなって簡単に失神するのだ。……というか私の経験上、首を殴って気絶させると高確率で死ぬ。安全を期するならやめたほうがいい。どうしても殴って気絶させたいなら、せめて顎を狙うのだ」

 

 なにせ力加減を間違えて首を殴ると、頭ごと飛んでいくからな。繊細な一撃が求められるのだ。その点、顎ならば失敗しても下顎が消し飛ぶだけなので安心である。

 

「お、おう、気を付ける……」

 

 どうしたのだろうか、先ほどからテリーの歯切れが悪い。初めて王城に潜入するということで緊張しているのか? ふむ、無理もないか。ではここは城上級者である私が先達として導いてやらねばな。

 

「急ぐぞ、テリー。異変を察知される前に地下牢へ行かなければ」

「あ、ああ、わかった。ここからは急いで行こう」

 

 気絶させた兵士を物陰に隠した後、私たちは地下牢へと向かった。隠れ家で作戦会議をした際、ミレーユは地下牢にいるとテリーが断言したからだ。

 そう判断した根拠は、王妃の厄介な性格にあるらしい。

 

 ――ずばり、嫉妬深い。

 

 城に献上された娘でもとりわけ美しい者は王妃の嫉妬を買い、奴隷として地下牢に放り込まれるという。で、テリー曰く『姉さんほど美しい人があの王妃の嫉妬を買わないわけがない。確実に地下牢にいる』とのこと。

 私には人間の美しさだの嫉妬だのはよくわからないが、ミレーユに最も近い存在であるテリーがそう言うということは、きっと合っているのだろう。

 

「よし。こっちだ、サンタ」

「うむ」

 

 テリーの指示のもと、私たちは城内を駆け抜けた。

 ときにメイドをやり過ごし、ときに兵士を気絶させて隠し、慎重かつ迅速に地下を目指す。

 

 ――そして、侵入からおよそ10分後、

 

「あ、あそこか……?」

「そのようだな」

 

 我々はトラブルなく地下牢の入り口までたどり着いていた。

 途中で兵士などに見つかることもなく、ここまでは理想的な展開だ。しかしこの先はさすがに厳重な見張りがあるだろう。ここらで本格的な戦闘をしなければならないかもしれない。

 

「い、いよいよだな……」

「ああ、気を引き締めねばな」

 

 我々は壁に背を預け、慎重に先を窺った。

 どれ、まずは門番たちの様子を確認して――

 

 

 

 

「くらえ、ストレート!」

「残念! フラッシュ!」

「なにぃ!?」

「だーはっはっは、また俺の勝ちぃ! いいのか? 今月の給料がなくなっちまうぞ?」

「くそ、まだまだ……」

 

「…………」

「…………」

 

 …………二人しかいない上に遊んでいやがった。

 

 あれは人間の娯楽、カードゲームというやつか? 資料によると確か、多くの人間の悲哀と絶望を生み出したという闇のゲームだったはずだ。

 

 警備中にそんなゲームをやっているとは、けしからん。

 お前たちは曲がりなりにも王に選ばれた臣下であろう。自らのやるべきことを忘れ、個人的趣味にうつつを抜かすとは何事だ! 恥を知れ!

 

「そおい!」

「わんぺあ!?」

「ぶたっ!?」

 

 ダメ兵士たちの背後まで高速で移動し、拳を顎に掠めてやる。二人は珍妙な鳴き声を上げ、呆気なく気絶した。

 そのまま椅子に座らせておいて、帽子を被せる。よし、これでカードゲームを続けているように見えるだろう。

 

「む、これは牢の鍵か。やったぞ、テリー、牢屋を破壊しなくても済みそうだ。…………ん? なぜそんな釈然としない表情をしているのだ?」

 

 戦果を上げて振り返った私の目に入ったのは、ジメッとした視線を送ってくる相棒の姿だった。

 

「……弱者に拳は振るわないっていう矜持は、いいのか?」

「ん?…………あー、あれか、あれだな。うむ、時と場合によりけりだ。この場合はセーフだ、セーフ。人助けだからな」

「…………随分と融通の利く矜持だな」

「頭が固いと物事うまく行かんぞ? ほれ、そんなこと気にしていないでお前の姉を探すぞ。時間がないのだから」

「……おう。………………こいつ、その場の気分で適当なこと言ってる気がするぞ……」

 

 仲間から心無いセリフを浴びながら、手早く地下牢の中を探す。

 すると、一つだけ木製の扉があるのを見つけた。普通の鉄格子の牢屋ばかりの中で、この部屋だけ明らかに浮いている。おそらくここが『当たり』だろう。

 

「おいテリー、ここではないか?」

「……そう……みたいだな。…………よし、行くぞ……!」

 

 そしてテリーは、怖々とした表情で朽ちかけた扉を開け放った。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話 塔の上から飛び降りたら普通は死ぬ

「姉さん!」

 

 テリーは勢いよく部屋に飛び込み、大声で叫んだ。

 その後ろから私も中を伺うと何人かが座り込んでいるのが見える。あの中の誰かがミレーユだろうか?

 

 しかし男女の違いがよくわからんな。こいつらは女でいいのだよな? 少し体が華奢で、髪が長め……か? 

 美醜についてはもっとわからん。城に連れて来られたということは、こいつらは『美人』というカテゴリーに分類されるのか? しかし全員目と鼻と口がついているのは同じだしな。町にいた者たちとどう違うのだろう。

 

 強いて言うなら、…………目か? 少し大きい気がする。

 

 なるほど、つまり美人とは目が大きい者のことなのか。よし、今度キラージャックに教えてやろう。

 

「ミレーユ姉さん! 俺だ、テリーだよ! どこにいるんだ!」

 

 テリーは仮面を外して顔を見せ、大声で呼びかける。

 ――が、返事がない。それどころか誰も大した反応を示さない。こちらをちらりと見るが、それだけだ。

 

 こちらに来る前に立ち寄った『絶望の町』の人間たちに似ている。皆生気がなくボーっと虚空を見つめるばかり……。無理矢理連れて来られてこんな所に閉じ込められては、無理もないのかもしれないが。

 

 大魔王様の侵攻が成功すれば世界中がこうなるのか? うーむ、辛気臭くて、なんというかこう、……ちょっと嫌だな。

 

「姉さん……ここには……いないのか?」

「坊主、誰ぞ探しておるのか?」

 

 姉が見つからず立ち尽くすテリー。そんな彼のもとに一人の人間が歩み寄ってきた。この中で唯一、目に光を宿している人物だ。

 

「ね、姉さんを探しているんだ。ミレーユという名前に聞き覚えはないか、婆さん」

「ミレーユ……、ミレーユ…………、おお、あの娘か。お前さんはあの子の弟かい。なるほど、面影があるのう」

「知ってるのか!?」

 

 しかし気になる、あの老婆も王に召し上げられたのか? 人間の男が(つがい)にする女の年齢は、もう少し下であった気がするが。確か二十歳前後だと聞いて、いや、ミレーユが連れていかれたのは十二歳のときだったはず。

 とすると、ガンディーノ王にとって女の適齢期は十歳から六十歳までということか。…………むう、よくわからないがなんだか凄そうだ。王としての器の大きさを感じる。

 

「教えてくれ! 姉さんはどこにいるんだ」

「……ここにはもうおらんよ」

「なんだって!? どういうことだよ!」

「それは……」

「もう逃げた後じゃよ」

 

 後ろの牢屋から聞こえた声に振り返ると、老人がこちらを見ていた。テリーが凄い勢いでその牢屋にかぶりつく。

 

「に、逃げたって、いつ!? どうやって!? 今は無事なのか!?」

「三年ほど前にの。この地下牢には抜け道があってそこから逃げたのじゃ。警備の隙をついて一人で逃げたので、今も無事かどうかはわからん」

「そんな…………そう…………なのか……」

 

 老人の話を聞いて、テリーはその場にへたり込んでしまった。

 

 その表情は複雑だ。

 決死の覚悟で助けに来たのに本人がいなくて拍子抜け。でも逃げられていたことは嬉しい。しかし今も無事なのか、もっと早く自分が来ていれば会えていたのではないか。そんな思いが顔に出ていた。

 なんとなくだが気持ちはわかる。ずっと掲げていた目標が唐突に消え去ってしまったのだからな……。

 

「姉さん……」

「…………」

 

 ――むう、仕方ない。私の柄ではないのだが……。

 

「テリー、どうするのだ?」

「……サンタ?」

 

 テリーが泣きそうな顔でこちらを見上げてきた。まったく、何て顔をしている。私に噛み付いたときの勢いはどうしたのだ。

 

「姉を助けにここまで来たが、その姉はすでに逃げ出せていた。ならば今回の作戦はここで終わりだ。……で、お前はこれからどうするのだ?」

「…………」

「お前の姉が死なずにどこかの町にたどり着けていたなら、それだけの生き抜く力があったなら、今も無事に生きていることだろう。もうお前が助け出す必要はない」

「……ッ!」

「姉弟と言っても、突き詰めれば他人に過ぎないのだ。必ずしもお互いが必要なわけではない」

「……ッ」

 

 う、苛めているようで、ちょっと罪悪感が出てきた……。いやしかし、もう一息――

 

「どうする? 姉のことは忘れるか?」

「…………か……」

「子供のお前が五年間も頑張ってきたのだ。ここでやめても、誰もお前を責めはしない。安穏とした生活に戻るのも一つの選択だ」

「…………るか……」

「ん? 聞こえんぞ?」

「…………があるか……」

「聞こえん! もっと大きな声で!」

 

 テリーが勢いよく立ち上がり、こちらを睨みつけるような顔で叫んだ。

 

「そんなわけがあるかっ! 探す! 探し出すに決まっているだろ! 何年かかってもいい! 絶対にまた姉さんに会うんだ!」

「ふっ、そうか」

 

 

 

 ――はあ、よかった。燃え尽きてやる気がなくなったかと思って凄く焦った。これで『もう探さない』なんてことになったらさすがに後味が悪い。もしそうだったら気合いを入れてやろうかと思っていたのだが、そんな心配は要らなかったか。

 やっぱり強い男だ、こいつは。

 

 それにしても姉を助けるためにここまで懸命になれるとは、肉親の情というのは凄いものだな。いや、家族で争うこともあるから必ずしもそうとは言い切れないのか?

 ……待てよ、そういえば資料にも仲のよい姉弟の話が載っていたな。

 姉を庇って刺されたり、姉を助けるため魔物と決闘したり、姉の幸せに自分は邪魔だと感じて最後は旅に出たり。この話もミレーユとテリー同様、姉と弟の話だ。これらから導き出される結論は……。

 つまりはこういうことか、『肉親の情は絶対とは限らない、ただし弟が姉を大好きなのは確定事項』と。

 よし、また一つ人間に関する理解が深まったぞ。むむ、だとすると――

 

「あのな……、サンタ、その……」

「む、何だ?」

 

 今度は兄と妹について考察しようとしていると、テリーが遠慮がちに私のマントを引っ張っていた。

 

「いや、その、なんだ、さっきはその…………助かったというか……なんというか……」

「何がだ? 私はこれからどうするのか聞いただけだぞ?」

「え? あー、いや、それは……その……なんつーか……だから、あー……もうっ…………ああそうだな! 俺強いしな! ああくそっ、らしくねえこと言っちまったぜ!」

 

 テリーは焦ったような表情で捲し立てる。

 うむうむ、何が言いたかったのか私にはさーっぱり分からないが、元気が出たのなら何よりである。

 

「よし、用事も済んだし、さっさとこんなとこから脱出しようぜ、サンタ!」

 

 そして元気小僧は、謎の勢いのまま出口に向かって走り出そうとした。

 が、振り返ったところで再び顔を曇らせる。

 

「あ、この人たちは……」

 

 奴隷部屋の女たちを見て、テリーは脱出しようとしていた足を鈍らせたようだ。囚われている者たちを見て、助けるべきか否か迷っているのか。或いは自分の姉と重ね合わせているのか。

 

「坊主、気にせんでいい」

「婆さん……」

 

 そんなテリーに対し、老婆が諭すように言い聞かせる。

 

「足手まといを連れて逃げるなぞ無理じゃろ。お主たちまで捕まってしまうぞ」

「でも……」

「それにの、この女たちは心が折れてしまっておる。無気力な状態じゃ。無理矢理ここから助け出しても、大半は自分の力で生きていくこともできんじゃろう。この子ら全員が立ち直るまで、坊主が面倒見てやるつもりかい?」

「それは……」

 

 普通に考えて無理だろう、経済的にも時間的にも。そもそもテリーは姉を探さなければならないのだ。他の者に構っている余裕はない。

 

「テリー、お前のすべきことは何だ? それを忘れてはできるものもできなくなるぞ。優先順位を間違えてはいけない」

「サンタ……」

 

 まだ迷っているテリーの背中を押してやる。

 そもそもテリーに彼女らを助けなければならない理由はないのだ。かわいそうな話だが、最終的に自分を助けられるのは自分だけだ。例え誰かの力を借りるとしても、まず自分の足で立たなければ何も始まらない。

 こんな冷たいことを考えてしまうのは、私が魔物だからだろうか? 弱者が淘汰される世界で生きてきたからだろうか?

 

「気にかけてもらえただけで十分だよ。坊主、お前さんは優しいのう。できればその優しさをずっと持ち続けていておくれ。それでいつか、お前さんの手で助けられる者がいたら助けてやるとええ」

「…………うん」

 

 …………むう、しんみりしてしまったな。いかんいかん、釣られて私までらしくないことを考えてしまったぞ。

 私は軽妙洒脱なサタンジェネラル。どのような状況でも飄々(ひょうひょう)と生き抜くのが信条なのだ。

 はい、深刻な場面終了! 誰かー! パパッと空気を変えてくれー!

 

 

 

 

「ふわあああ…………。おっと、寝ちまってたか……。おい、起きろよ」

「んあ? なんだ、朝か?」

「違うっつうの、まだ夜中だ。警備中に寝るなよ」

「人のこと言えねえだろ、涎ついてるぞ。だいたいポーカーやって遊んでるんだから今更だろうが」

「ははっ、違いねえ! って、あ、鍵開いてんじゃねえか。いつ開けたっけかな? ……まあいいか。おい、閉めとけよ」

「それくらい自分でやれよな、ったく。……あれ、鍵がねえぞ? どっかで落としたか?」

「はあ? 何やってんだよ。ああもう、俺ので閉めるよ」

「はは、悪い悪い。んじゃ、続きやろうぜ。確か俺が勝ったとこだったよな?」

「ふざけんな、俺のフラッシュが決まったところだったろうが」

 

「…………」

「…………」

 

 …………あちゃー、起きちゃったか。いや確かに空気は変わったけども、主にこちらの空気が張りつめる方向で。

 

 しかしこいつら本当に……何と言うか…………アレだな。

 気絶を居眠りと勘違いするのはまあ仕方ないとしても、憶えもないのに鍵が開いているのを簡単に流すとは……。

 しかも牢の鍵を失くしたのを大して気にしないって、正気か? ウチなら上司から粛清されるレベルだぞ。もしかしてこの城は兵士全員がこんななのか?

 侵入する側からすればありがたいと言えばありがたいのだが、気合いを入れていた身としてはなんだかなあ……。

 

「ど、どうするサンタ? 逃げ道が塞がれちまったけど……」

「……そうだな。こちらにも鍵があるから出られないわけではないが、鍵を開けている間に気付かれて応援を呼ばれるだろうな」

 

 いくら不真面目とはいえ、さすがに不審者が鍵を開けようとしているのを見逃すほど間抜けではあるまい。

 鉄格子ごと蹴り飛ばす手もあるが、それをやると恐らくあいつらが死ぬ。フラッシュどころかクラッシュしてしまう。肉体とか命とかがグシャっと。それは少しかわいそうだ。

 

「ふむ……。ご老人、抜け道があるという話だったが、我々にも使わせてもらえないかね?」

「…………ま、いいじゃろう。ほれ、ここじゃ。他言無用で頼むぞ?」

 

 目の前の老人が床に手をついたと思ったら階段が現れた。外の通路のどこかにあるのかと思いきや、まさかの牢屋の内側だった。

 …………え? 囚人の近くになぜこんなものがあるのだ? この老人が作ったのか? だとしたらなぜ本人は出ていかないのだ?

 

 ……いや、詮索は止そう。人にはいろいろと事情があるのだ。そうだ、きっと牢屋マニアなのだろう。ツボックと一緒だ。

 

「感謝する。……ではお前から行ってくれ、テリー」

「お、おう」

 

 テリーがおっかなびっくり階段を下りていく。心配しなくとも敵の気配はないぞ。強くなりたいなら気配も感じ取れるようにならないとな。

 さて、では私も……っとその前に一つ。

 

「……ご老人、ミレーユを逃がしたのは、なぜだ?」

「…………なぜそんなことを聞く?」

「いやなに、少し気になっただけだ。あなたは『かわいそうな人をなんとか助けてやりたい』という性格には見えないのでな。数多くいた奴隷の中で、なぜミレーユを助けたのかと疑問に思ったのだ」

「…………」

 

 老人はしばし逡巡した様子だったが、じっと待っているとため息とともに答えてくれた。

 

「……あの娘からは不思議な力が感じられた。だから助けた。あの娘が何事かを成し遂げれば、わしの人生にも意味があったと思えるのではないかと、そう考えただけだ」

「ふむ、なるほど」

「さあ、早く行け。この抜け道が見つかったら面倒なことになる」

 

 老人は急かすように言うが、気になることはまだあるのだ。

 

「すまぬ御老人、もう一つだけ。どうしても聞かせてほしいことがある」

 

 老人はウンザリしたような顔をするが、これだけは聞いておかなければならない。むしろ本命の質問はこちらなのだ。そんな想いを視線に込めると、老人も真面目にこちらを見てくれた。

 

「……一体なんじゃ?」

 

 私は強い想いを込めて、その疑問を口にした。

 

「ご老人、あなたは……………………爺さん? それとも婆さん?」

「ジジイに決まっとるだろうが! あれだけ凄味を出しておいてなんじゃその質問は!? 見ればわかるじゃろう!」

「いやそれが、高齢者を見るのは初めてなのだ。タダでさえ男女の見分けがつかないというのに、年をとっているともう同じにしか見えなくて……」

「嘘じゃろ……。お主どんなところで育ったのじゃ……」

「若い武人ばかりが集められて、年中無休で殺し合っているようなところだ。年老いて弱った者は粛清されてしまう……」

「何それ、この国より酷い……」

 

 はい、まったくもってその通り、酷い場所です。

 

「はあ、無駄に緊張してドッと疲れたわい。早く休みたいからもう行ってくれ……」

「うむ、では世話になったな、ご老人。達者で暮らされよ」

「わかったから早く行けい、まったく」

 

 そう言って老人改め爺さんは蓋を下ろした。先ほどまでの厳めしい表情は消えていたが、今度は疲労感溢れる表情だった。

 抜け道に対するせめてもの礼として、最後に笑いを提供しようと思ったのだが、私のせっかくの冗談も不発に終わったようだ。あそこで爺さんが、『囚われの身でどう達者に暮らすんだ』と返してくれれば、いい感じのやり取りになったのだが。やはり人間の感情とは難しいものよ。

 

 というかさっきは勢いで『なるほど』と言ってしまったが、爺さんの言ったことも実はよくわからなかった。他人が何か成し遂げたからといって、自分に得るものがあるのだろうか。『欲しいものは自分でもぎ取れ』が主流の魔物社会では馴染みのない考えだ。うーむ……。

 

「まあ……おいおい理解していけばよいか……。とりあえず今はテリーに追いつかねばな――――って、何をやっているのだ、テリー。そんな所で座り込んで」

 

 私が階段を下りるとテリーがまだそこにいた。てっきり先に行っていると思っていたのだが。

 

「……いや、なかなか来ないから待ってたんだよ」

「先に行っておればよいのに。私のほうが歩幅が大きいのだから、すぐに追い付くぞ?」

「別にいいだろ、追手がいるわけでもないし。忍び込むのが一緒だったんだから、脱出するのも一緒がいいんじゃないかと思っただけだよ」

「そんなものか?」

「そんなもんだよ、知らねえけど」

 

 ん? どっちだ? 知らないのに断定できるのか?

 

「さあ行こうぜ」

 

 聞こうと思ったらテリーはさっさと歩いていってしまった。一緒がいいと言った矢先に置いていくのはどういうことだろうか? やはり人間とは難しい。

 

 釈然としないながらもテリーの後を追って私も通路を歩いていった。

 というか今気付いたが、これ土を掘っただけのトンネルではなく、普通に石壁の通路になっているぞ。これをあの爺さんが作ったのか? 捕まっている身で一体どうやったのだ? そしてこんな大規模工事に城の人間は誰一人気付かなかったのか? いやほんと理解が難しいな、人間。

 

「あ、行き止まりだ。……いや、穴が開いてるのか。さすがにもう一回階段作りは面倒だったのかな?」

 

 考えて込んでいる間に通路の端まで到達した。壁際には大きな穴が空いており、わずかに空気の流れも感じられる。

 どうやらここから飛び降りた先にまだ道が続いているようだ。

 

「ふむ、また下に通路があるのか。一体どれだけ頑張ったのだ、あのご老人は」

「そのおかげで脱出できるんだから、文句も言えないけどな。……じゃあまた俺から行くぞ。とりゃああああああぁぁぁぁぁぁ………………」

 

 飛び降りたテリーの声は、どんどん小さくなっていった……。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 着地音が聞こえない……。

 

「……え? すぐ下にまた通路が作ってあるんじゃないの、これ?」

 

 え、落とし穴? これ落とし穴なの? 牢屋の地下にこんな通路作っただけでも頭おかしいのに、さらにそんなもの掘ったの、あの爺さん?

 ていうか、そこから幼い女の子を逃がしたのか? ロープ引っかけるようなところないんだけど……、人間ってそんなに丈夫にできてたっけ……?

 

 ……いや、詮索は止そう。大人にはいろいろと事情があるのだ。そうだ、人間には底力があるのだろう。テリーの身の上話で考察したではないか。姉も一緒なんだ、きっと。

 

「よ、よし、とりあえず私も行くぞ、それっ」

 

 

 ――ヒュウウウウ――――、ドォーーーーン!

 

 

 体感で建物五階分ほどの高さを数秒で落下し、地面に降り立つ。私の重量と相まって結構な音と振動が発生した。

 サタンジェネラルの肉体なら全くダメージにはならないが、人間にはどうなのだろう。やはり脱出路としては欠陥だと思うのだが……。

 

「おっと、それよりテリーは無事か? おーいテリー、大丈夫か?」

「……な、なんとかー」

「お、そっちか……ってどうしたのだ!」

 

 後ろからの声に振り返ると、テリーが壁際で倒れ込んでいた。膝に手を当て、辛そうに顔を歪めている姿を見て、慌てて駆け寄る。

 

「おい、大丈夫か? どこか怪我でもしたのか?」

「い、いや、なんとか着地したんだけど、さすがに足が痺れて、いててて……」

「な、なんだ、脅かしおって……」

 

 大事ではない様子に、私はホッと胸を撫で下ろした。

 言葉通りテリーに大きな怪我などはなく、少し待てば回復しそうだった。

 

 しかし子どものテリーがこの程度で済んだのを見るに、やはり人間とは思ったより丈夫な生き物のようだ。ならばこの脱出路も十分合理的だったと言えるのだろう。……いろいろ疑って申し訳なかった、ご老人。

 

 私は相棒の強さに安心しつつ、天井に向かって謝罪の手を合わせた。

 

 ――と、そこへ、

 

 

 

 

「なんだなんだあ、今の音は?」

 

 ガヤガヤガヤ――、と。

 我々が座り込んでいる通路の奥、灯りの届かない暗がりから幾人かの人間たちが現れた。

 妙ちくりんな被り物を装備した男(?)たち。彼らは皆一様に迷惑そうな表情を浮かべ、物騒な悪態を吐いている。

 

「誰か井戸の上から死体でも落としたのか?」

「へへ、イタズラだったら思い知らせてやらねえとな!」

「いっそそいつも死体にしてやるか? ひゃはは!」

 

 …………。

 

 ……いや、そりゃ夜中にあんな騒音聞かされれば不機嫌になるのも仕方ないとは思うけども。

 少々発言が過激過ぎやしないか? あれが一般的な市民だとすると、ちょっとこの国荒れ過ぎだぞ。

 ――って、んん? なんだかこやつら、妙に見覚えがあるような気が……?

 

「あ、あーーー!? て、てめえは昼間の!」

 

 彼らの姿に既視感を覚えジッと視線を送っていると、先頭の男がこちらを指差し大声を上げた。その顔と珍妙な動きを見て、私の記憶もよみがえる。

 ……ああそうだ、こいつらは昼間にテリーで、いや、テリーが倒したギンドロ組の奴らだ。

 

「おお、お前たちか。ということは、ここはギンドロ組関連の場所なのか?」

「はん、そうだよ。ここは俺らギンドロ組の隠しアジトだ。こんなとこでまた会えるとはラッキーだぜぇ」

 

 ひとしきり驚愕の表情を浮かべた後、今度は嗜虐的な笑みを零す先頭の男。

 いや、こいつだけではない。気付けば全員がこちらに対し、ニヤニヤと嫌な笑いを向けていた。

 

「ははは、ここに迷い込んだのが運の尽きだな! 昼間の恨みを晴らしてやるぞコラ!」

「お? よく見りゃガキのほうも居やがる。ちょうどいい、二人まとめて殺ってやるぜ!」

「なんだか知らねえが、ガキは弱って動けねえようだな! チャンスだ、今の内にやっちまえ!」

 

 そして強気な発言で威嚇してくる。どうやら自分たちのテリトリーにいるからと気が大きくなっているようだ。誰も助けに来ないこの空間で、延々と(なぶ)ってやろうという考えが透けて見える。

 

 ――だがしかし、そういうのは自分が相手より強い場合にのみやれることだ。こいつらは昼間にアッサリと伸されたことをもう忘れたのだろうか? こちらとしてもあまり無意味な暴力は振るいたくないのだが……。

 

「なあ、お前たち、我々はここから脱出したいだけなのだ。お前たちと争う気はないし、ここは一つ穏び――」

「いくぞ、てめえら! 痛め付けてやれ!」

「「「おう!」」」

「あーーもうーー。…………仕方ない」

 

 会話を無視しつつこちらへ向かってきた連中に対し、私はゆらりと構えを取った。

 昼間はテリーを投げて撃退したわけだが、ダメージを負った今の状態で同じことをするわけにもいかない。

 そして今いる場所は相手のホームゆえ、逃げてもいずれは追い付かれることだろう。

 よって――

 

「仕方がないので、今回はまともに相手をしてやろう。そら、かかって来い」

「死ねやあああ!!」

 

 今回は私自ら、手を下してやることにしたのである。

 

 ……まあ、人間が意外に頑丈なこともわかったわけであるしな。手加減も少しで問題なかろう。

 気楽な話だ、ふっふふーん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この後、滅茶苦茶ザオリクした。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話 とどめを刺して蘇生=回復

 書物というのは大変ありがたいものだ。自分と関わりのない人、物、技術などであっても、書物を読めば詳しく知ることができる。生まれてからずっと狭間の世界にいた私が人間界に行こうと思い至り、そして今それなりにうまくやれているのも、全てこのガイドブックのおかげだ。

 書物とは言わば、自分を新たな世界へと導いてくれる鍵なのだ。

 

 だがしかし、気を付けなければならない点がある。

 それは『書物が全て正しいとは限らない』ということ。そしてもう一つ、『書物の内容を読者が誤って解釈することがある』ということだ。

 

 これらを解消する一番の方法とは何か? それは簡単だ。

 実際にその場所へ行き、見て、聞いて、触れて、感じるのだ。書物から得た情報を現実と照らし合わせ、自分の中に取り込む。そうして初めて、それは『生きた知識』となるのだ。

 

 そして今回、私は新たな知識を手に入れた。

 

 

 

 ――――そう、人間の首は真後ろまでは回らないということを、そして、手足の関節が四つもありはしないということを、(相手の)身をもって学んだのだ。

 

 

 

 

 

 …………いや、人間の生態の謎に振り回されて少し混乱していたのだ。動揺して少し力加減を間違えただけなのだ。だからそんな責めるような目で見ないでほしい。

 

「うっぷ、まだ吐き気が……」

「ん? テリー、どうした? 頭も打っていたのか?」

「ちげーよ! さっきの惨劇のせいだよ! ぐるりと回った首と目が合っちまったぞ! うう、夢に見そうだ……」

 

 テリーがただでさえ白い顔をさらに青白くさせている。確かに子どもに見せるべき絵面ではなかったかもしれない。よし、ここはフォローを入れておこう。

 

「テリー、もっと視野を広く持つのだ。あれくらいは大したことではない。世の中には踊りながら首を一回転させる者もいるのだぞ? こう、地面に垂直にぐるりと……」

「どこの化け物だよ!?」

 

 化け物とは失礼な。パペットマンは踊りに命を懸けているだけだ。きっとあの動きだって、何らかの繊細な感情を表現しているのだ。

 

「というかサンタ、回復魔法まで使えたんだな。あれがベホマってやつか」

「いや、あれはベホマではなくザオリクだ」

 

 自分のために使う機会などない無駄呪文だ。いや、さっきは滅茶苦茶使ったけども。

 

「ザオリク!? 超高等呪文じゃねえか! てことはバトルマスターでもパラディンでもなく賢者なのか? その身体能力で? 適性おかしいだろ……」

「落ち着けテリー。ザオリクは生まれつき覚えていただけだ。それに他の回復魔法等はまったく使えん」

「ええ……。それもおかしいだろ。そんな人間いるか?」

「!? お、おおう、こ、ここにいるではないか、はは」

 

 テリーの鋭い一言に肝を冷やしていると、広い空間にたどり着いた。水が多少溜まっているが歩く分には問題ない深さだ。左手を見ると上に穴が開いており、そこからロープが垂れ下がっている。

 

「お、テリーよ、ここからはあのロープを伝って昇っていくようだぞ」

「みたいだな。…………うへえ、結構高いな」

「文句を言っても仕方あるまい」

「へいへい、わかってますよ、っと」

 

 テリーを先頭にして我々は縦穴を昇り始めた。この順番にしたのは万が一ロープが切れたときのための配慮である。テリーが私の下敷きになったらおそらく死ぬので。

 

「そういえばテリーよ、バトルマスターとかパラディンとか賢者とかいうのは何なのだ? いや、響きからなんとなくの想像はできるのだが」

 

 昇りながら、先ほどのテリーの発言の中で気になった単語について聞いてみる。

 

「何って。職業に決まってるだろ?」

「職業? 大工とか料理人とか?」

「いや、そうじゃなくて。人間の魂に備わっている適性みたいなやつ」

 

 テリーの説明をまとめるとこうだ。

 

 人間には向き不向きがあり、同じ練習をやっても人によって習熟度は異なる。よって、人はできるだけ自分に向いたものを見つけてその腕を磨いていくのだが、実はその向き不向きは人間の魂に生まれつき刻まれており、適性がない分野については練習してもほとんど上達しないのだ。

 

 しかし駄目だと言われるとやりたくなるのが人間の性分なのか、数百年前、人に新たな適性を付与する術式が生み出された。これを行うとその人が全く向いていなかった分野について、最低限の才能が呼び覚まされるという。

 もちろん最低限というだけあって、その後厳しい修行を積まなければ熟練者になることはできない。また、元々才能を持つ者が努力するほうが遥かに効率的なのは言うまでもないし、この方法で誰もが何にでもなれるようになったわけでもなかった。

 しかしそれでも、『向いていなくてもどうしてもやりたい』という者にとって、これは確かな光明だった。

 開発者のもとには志を同じくする者たちが集まり始め、呼び覚ますことのできる職業の種類も少しずつ増えていき、いつしかそこは、新たな生き方について模索する者たちが集まる一大組織となっていった。

 

 これがダーマ神殿の成り立ちである。

 

 

 

「まあ才能がない奴のための場所とは言ったけど、実際は自分の適性を知らない奴が、それを教えてもらうっていう利用法が一番多かったみたいだな。神官に自分の魂を見てもらえば、向き不向きを教えてもらえたんだと」

「向いている職を教えてくれるのか。それは便利だな」

 

 きっとダーマ神殿ができる以前は、不向きな分野に手を出して挫折する者もたくさんいたのだろう。その人物が何に向いているかなど、見ただけではわからないからな。

 私の周りの奴らだとどうだろう? ヘルクラッシャー、ガーディアン、ずしおうまる、キラージャック辺りの適性が戦士。トロルボンバー、キラーデーモン、バトルレックス辺りが武闘家か? うむ、しっくりくるな。

 

 え? 魔法使い? HAHAHA、ウチに居るわけないだろう、そんな賢さ担当ポジション。

 

「元々適性があって、自分でもそれを自覚している奴がダーマに行くことも結構あったらしい。呼び覚ましを行って才能の開花が進んだって例もあったとか」

「ほうほう、そんな利用法もあるのか。才能が足りない者の後押しまでしてくれるとは魅力的だな」

 

 ブースカが武闘家になれば、あの大振りパンチも矯正されるかもしれない。ついでに体も絞れればなお良し。

 あの体型はちょっと問題だ。早さが足りない、まったく足りてない。

 

「でもまあ、さっきも言ったように、適性が十分ある奴がその能力を伸ばすのが一番上達は早いよ。そういう奴らはダーマに行く前から才能を自覚していて、早くから効率のいい修行ができていたんだと。ダーマに行くことなく一つの職を極めた奴もいたらしい。俺はサンタもそのタイプだと思ってたんだよ。さっきもバトルマスターや武闘家の技をバンバン使ってたから」

 

 そうか。鍛えている内になんとなく習得できた体術や剣技、あれらは職業適性によるものだったのか。近接戦闘に適性があり、正しく修行できていた、と。なるほど、武人としてはとても嬉しい事実だ。大変、大変嬉しい事実だ。

 

 ――が、今重要なのはそこではない!

 

 そう、今私にとって最も重要なのは、『才能がない者にも道を開いてくれる』という点である。

 これはつまり、脳筋の私でも回復魔法を覚えられる芽があるということ! すなわち、ベホマに手が届くかもしれないということだ!

 ふっふっふ、ダーマに行っても駄目な可能性も覚悟していたが、これは期待してもいいのではないか? うおおお! やる気が漲ってきたぞ!

 

「というかこれ結構有名な話だぞ。戦いを生業としている奴なら普通知ってるんだけど。あれだけ強くてなんで知らないんだよ?」

「え!? あーいや、私の故郷は僻地だったのでな。情報が余り届かないのだ。で、そこで戦闘要員として生まれた私は勉強する暇もなく、来る日も来る日も戦っていてな。そこそこ強くなれたのはそのためだろう。弱い者は粛清されてしまうから必死に鍛えたものだ」

「ええ、なにそれ怖い……」

 

 こちらを振り返ったテリーが、ヤバイものを見る目をしている。

 

 いや、そりゃ魔物ですけどね? その中でも特に過酷な環境だったけどね? そんな目しなくてもいいんじゃないかな?

 ……まあ追求が止んだのでよしとしようか。今の私は天にも昇る気分、多少のことは気にしない。

 

「お、地上に出られたぞ」

「む、ようやくか。結構高かったな」

 

 先に昇っていたテリーが縦穴の淵に手をかけて体を引き上げる。続いて自分も出口から顔を出すと、新鮮な空気が頬を撫でていった。その冷たさと僅かな月明かりのおかげで、そこが外だとわかった。

 

「あー、息苦しかったぜ」

「開放感に浸っているところ悪いが、また仮面を付けておけ。どこに人目があるかわからんぞ」

「うええ、結構息苦しいんだよなあ、これ。……まあ、仕方ないか」

 

 再びマスクマンとなったテリーは、仮面の位置を調節しながらキョロキョロと視線を彷徨わせた。

 

「あれ、町の中かここ? でかい屋敷だな。……ん? なんか見覚えがあるような……」

 

 テリーに釣られて周りを見ると、確かにそこは、どこかの屋敷の庭先だった。自分たちはどうやらこの家の井戸から出てきたようである。水が湧いていたからもしやとは思っていたが、本当に井戸だったとは。

 ん、待てよ? とするとこの家の人間は、中に人が住んでいる井戸の水を飲んでいるということか? 何という剛毅な……、私にはとてもできない。

 

「誰だ、てめえら!」

 

 とそこへ誰何(すいか)の声がかけられた。出所を見ると、先ほどぶっ飛ばした連中と似た雰囲気の奴らがいた。それを見てテリーが跳び上がる。

 

「げ!? ここギントロ組のアジトだ! しかも本部だぜ!」

 

 え、ここがギンドロ組本部? こいつら庭先に隠しアジトを作ったのか? 普通は離れた場所に作るものだろう。敷地内に作って一体何の意味があるのだ?

 

「おうてめえら、侵入者だ! 手の空いてる奴らは来い!」

 

 疑問に思っている内にワラワラと組員が集まってきて、周囲を取り囲まれてしまった。

 顔ぶれが変わっても中身はやはり同じなのか。どいつもこいつも地下の四人と同じく、痛めつけて楽しんでやろうという考えがありありと滲み出ていた。

 

 ――しまったなー、これじゃ逃げられないなー。基本的に争いは避けたい私だが、この状況では止むを得ないなー。

 

「ど、どうするんだ、サンタ! …………って、そうだったな。焦る必要ないんだったな。もうパターンは読めてきたぞ」

 

 おお、冷静さを保てるようになったか、テリー。一つ成長したな。

 では心の成長ついでに、本格的な戦闘も見せてやろう。井戸の中でのアレは…………ちょっと参考にならなかっただろうから。

 

「城ではあまりやることもなかったからな。ここらで少しばかり働いておこう」

 

 言葉とともに斜に構える。

 

 ……まあ正直、この国でギンドロ組が横暴を働いていようと、他の世界出身の私がどうこう言う筋合いはない。人間同士で争うなら勝手にやっててくれというところである。

 ……がしかし、こうも何度も絡まれていると、さすがに鬱陶しくもなろうというもの。こいつら、呼んでもないのにワラワラ寄って来ては毎度毎度不快感を撒き散らしおって……。

 これはもう、勢い余って奴らを壊滅させてしまっても仕方ないよね? 衝動のまま暴れてしまっても誰も責めないよね?

 元よりこの身は魔物、魔族の将サタンジェネラル。ならば偶には魔物らしく、破壊と恐怖を振りまくのもいいだろう。

 

「あまりやり過ぎるなよ? ……って、なんで俺がギンドロ組なんかの心配してるんだ。……うう、さっきの光景が思い浮かんでつい慈悲の心が……」

「心配せずとも、先ほどの四人で戦闘時の手加減は完璧に覚えた。どこを切落とすも()()るも思いのままよ」

「だから怖いっての!」

「てめえら、やっちまえ!」

 

 

 チンピラA~Zが あらわれた!

 

 

 リーダーの掛け声とともに奴らが一斉に襲いかかって来る。ふむ、敵を取り囲んで一気に潰すのは定石、悪くないぞ。だが、

 

 サンタは さみだれけん をはなった!

 

「ぎええ!?」

「あぐっ!?」

「ぎゃああ!」

 

 逆に自分たちが一気にやられることもあるので注意しろ。

 

「ああ、そうだ、盗めそうな技があれば盗んでいいぞ」

「速過ぎて見えねえって……」

「それならそれで目の訓練になるな。ちゃんと見ておくのだぞ?」

 

 幸い相手はどんどん湧いて出てくるので、いくらでも技を見せてやれる。

 さあ、どんどんいくぞ! 

 

 サンタは はやぶさぎりを した! 

 サンタは しんくうぎり をはなった!

 サンタは 意味なく ドラゴンぎり をはなった! 

 サンタは 性根の腐った奴に ゾンビぎり をはなった!

 

「ぐわああああ!」

「な、なんだこいつ!? 滅茶苦茶つええ!」

「カチコミか!? どっかの組に雇われた達人か!?」

「この国にゃ俺ら以外に組はねえだろが!」

 

「ほう、そいつはいいことを聞いた。ではお前たちを潰しても、有象無象が無軌道に暴れだすことはないということだな?」

「な、なんだと!?」

 

 ふふふ、私の記念すべき第一訪問国が狭間の世界と同類など我慢ならん。我が力によって貴様らを滅ぼし、この国の治安を良くしてくれるわ! 私と出会った不幸を留置場で呪うんだな! ふははははは!

 

「安心しろ、命までは取らん。動けなくなる程度に留めておいてやろう」

「な、なめやがって! てめえら、ギンドロ組の名にかけて、絶対にこいつを殺るぞ!」

「おう!」

「ぶっ殺す!」

 

 サンタは うけながした!

 

「へぶっ」

「ぐげぅ」

 

 サンタは まわしげり をはなった! 

 サンタは とびひざげり をはなった! 

 サンタは がんせき(にんげん)を ほうりなげた!

 

「ぎえっ」

「ごあっ」

「ぎゃふっ」

「だ、駄目だ! こんなの勝てるわけがねえ!」

 

「逃がさんぞ!」

 

 サンタは しっぷうのごとく きりつけた!

 

「ぐああっ!」

 

 一際素早い斬撃を受け、最後まで立っていた男が倒れる。

 

 

 チンピラたちを やっつけた!

 

 

 これで外の連中は全て片付いた。後は屋敷の中のみ。幹部を片付けたら終わりである。

 

「お、おい、……大丈夫なのか、こいつら?」

「大丈夫だ。全員原形は保っているし、息もしているだろう?」

「いやでも、……痙攣してるぞ?」

「痙攣しているということは動いている、つまりは生きているということだ。問題ない問題ない」

「えええ……」

 

 恨んでいるはずのギンドロ組を心配してやるとは、なんと優しい奴。だがしかし、こいつらにそんな慈悲など勿体ない。

 

「どうしても気になるというのであれば、さらに致命傷を与えた上でザオリクで蘇生するという手もあるが」

「よし、放っといて行こうか」

「うむ」

 

 わかってくれて嬉しいぞ、テリー。

 そもそも、こちらを嬲り殺そうと襲い掛かってきたのだ。命があるだけ感謝してほしいくらいである。

 さて、残りも手早く済ませようか。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話 窃盗も立派な犯罪である

 私たちが扉を壁ごと蹴破って家の中に入ると、組幹部と思われる者たちが五人、そしてその奥に守られるように一人の人間が立っていた。おそらくはあれがギンドロ組のトップなのだろう。確か親分というのだったか。

 

「襲撃者ってのは、おめえらか! 一体何が目的だ!? 俺たちがギンドロ組と知っての行動なんだろうな!?」

「ふむ、目的、目的か……。まあ、わざわざ言うほどのものでもない。強いて言うなら、気に食わないというだけの話だ」

 

 冷静に考えるとなんという迷惑な動機だろうか。

 しかしまあ、迷惑な存在なのはこいつらも同じ。迷惑者どうしで潰し合うのだから、神様もきっと目を瞑ってくださるだろう。

 

「てめえふざけてんじゃねえぞ! ギンドロ組に手を出して無事でいられると思うなよ! てめえだけじゃねえ、親兄弟、親類縁者全員、生まれてきたことを後悔させてやる!」

 

 別に構わんぞ。サタンジェネラルが数千体だが、それでもよければ。

 

「関係者全員含めると数百万人になるが、まあ頑張ってくれ。ではそろそろいくぞ」

「待ってくれ、サンタ」

「ん? どうした?」

「左の奴は、俺にやらせてくれ」

 

 振り返るとテリーがこちらをじっと見ていた。仮面の上からでもその真剣さが伝わってくる。

 なるほど、因縁のある相手というわけか。

 

「わかった。やられるなよ?」

「大丈夫だよ」

 

 テリーに場所を譲り、私は親分以下残りの連中に向き合う。

 

「さて、甚振(いたぶ)る趣味はないので、早々に終わらせるぞ?」

「舐めんじゃねえぞ! 殺れ! てめえら!」

 

 親分の怒声に呼応して幹部たちがこちらに飛び出す。しかし親分自身は後ろで見物の態勢である。リーダーともあろう者が臆病風に吹かれたか。なんと惰弱なことか。魔王軍なら即下剋上が発生するぞ。

 

 確かに指揮官なら、場合によっては後ろから戦況を把握するべきときもある。しかしこのような少人数による戦闘ではその必要もあるまい。加えて、今回は彼我の実力が大きく離れているのだ。ならば全員が無事な内に一斉にかかるのが最適解のはず。

 だというのに、部下の陰にただ隠れているだけとは……。

 目を見ればわかるぞ。あれは冷静に戦局を見据えているのではなく、ただ怯えて下がっているだけだ。なんと情けない、それでも一組織の長なのか。

 

「ばくれつけん!」

「かふっ」

「ぶげっ」

「へぶっ」

「あばらっ」

 

 ほら、一斉にかからないから一瞬で部下がやられてしまった。自分も含めて五人でかかっていれば、部下がやられる一瞬を使ってこちらに攻撃できたかもしれなかったのに。これでもう勝機はなくなってしまったぞ。

 

「く、くそっ、こうなったら!」

 

 お、ついに自分でかかってくるか。やはり最後はそう来なくてはな。

 

「おいお前、金ならいくらでもやる! 他に欲しいものがあるなら何でもくれてやる! だからここらで手打ちにしておかねえか!?」

「…………」

 

 ………………この男、そんなに自分の手で戦うのが怖いか。しかも命乞いをするでもなく、この期に及んでまだ自分が優位であるかのように振る舞っている。

 状況が理解できないのか。それとも他者に対して下手に出たことがないから、頼み方がわからないのか。いや、もはやどちらでもよいか。

 大将らしく、せめて最後は華々しく散らせてやろうと思っていたが、こいつにはその必要もない。

 

 ――――すぐに刈り取ってやろう。

 

「ま、待て! そうだ、女が欲しいのか!? ならその辺りから適当に何人か攫ってきてやるぞ!? なあに、誰も文句は言わんさ!」

「…………」

「そ、その辺の女じゃ不満か? ははっ、好みにうるさいんだな! そうだ、ならウチの娘なんかどうだ!? まだガキだが見た目は悪くねえ、好きにしな! 親公認てわけだな!」

「…………」

「そ、そうだ! いっそのこと俺とお前で手を組まねえか!? そ、そうだな、それがいい! そうすりゃもう誰も俺たちの邪魔はできねえぞ! 何だって思いのままだ!」

 

 まだ何か喚いているようだが、もはや耳に入れる気も起きない。

 腰を深く落とし、腕を引く。狙いは真っすぐ、後方まで打ち抜くように。

 

「貴様も組織の長なら、最後くらい潔くするがいい」

「ま、待て、やめろ。こんなことをしてただで済むと……。やめ、たのむ、死にたく――」

「せいけんづきいいい(弱)!!」

「げふうううう!」

 

 勢いよく突き出された拳が胸部を打ち、腐れジジイは壁に叩きつけられた。そしてそのまま力なく床に倒れ伏し、ピクリとも動かなくなった。どうやら気を失ったようだ。

 

 ……はあ、今までで一番つまらない相手に拳を振るってしまった。これならブースカをぶっ飛ばすほうが遥かにマシだ。少なくともあいつは自分の力と意志でこちらに挑んで来るからな。理由が出世欲なのが少々気に入らんが。

 

「おおそうだ、テリーの奴はどうなったかな? お?」

 

 

 

 

「はははっ、どうしたこのガキ! さっきから逃げてばかりじゃねえか!」

「…………」

「体力が尽きたときがてめえの最後だ! そしたら簡単には殺さねえぞ。じわじわ痛めつけてたっぷり恐怖を味わわせてやる!」

「………………こんなもんだったのかよ……」

 

 ちらりとこちらに視線を向けたテリーと目が合う。

 どうやら大丈夫そうだ。テリーは相手の動きを完全に見切っているし、周りを把握する余裕もある。複数人相手でも問題なかったことだろう。

 対して相手のほうは力任せにナイフを振り回すだけ。目の前のテリーしか見えておらず、こちらの戦闘が終わっていることにも気付いていない。

 

 そして相手が大振りした瞬間、テリーが決めに動いた。ナイフを躱しつつ高速で相手の真横に移動し、鋭く拳を突き出す。

 

「がっ!?」

 

 顎先を痛打された男は、殴られたことにも気付かないままその場に崩れ落ちた。

 そのまましばらくテリーは油断なく相手を見据え、やがてもう立ってこないことを確信した後、ゆっくりと構えを解いた。

 

「見事だ。危なげない勝利だったな」

「……ああ」

 

 労いの言葉をかけつつテリーの傍まで近づくが、気のない返事が返ってくる。テリーは仮面を外して息を整えながら、今しがた倒した相手をじっと見下ろしたままだ。

 

「どうした? 浮かない顔だな」

「…………。……こいつ、姉さんを連れ去った奴らの内の一人なんだ。……あのときはぜんぜん敵わないと思ったのに、ちょっと鍛えただけのガキが勝てるくらいチンケな相手だったんだな……」

 

 テリーは悲しみとも怒りともつかない顔で相手を見続けている。

 おそらくは、こんな弱い奴に自分たち姉弟の人生は台無しにされたのかと、遣る瀬無い思いなのだろう。そして、なぜあのとき今くらいの力がなかったのかと自分を責めているのだ。

 

「う、うう……」

「む? ……まだ息はあるが、殺さないのか?」

「…………」

 

 復讐は被害者の権利だし、それで気が晴れるなら止めはしないが……。

 

 ――あー、いやしかし……。おそらくだが、テリーはまだ人を殺したことはないだろうし。わざわざ手を汚させるのも……。いやでも、踏ん切りをつけるという意味では必要……なのか? いや、しかし、う~~~む。

 

 私が表情に出さずに悩んでいる間、テリーもまた悩んでいた様子だったが、やがては首を横に振った。

 

「…………いや、やめておく。こいつを殺したって何にもならないし、五年前に一応、一矢は報いたから」

「ふむ、そうか? ……いや、そうだな。お前がそう決めたのなら、それが一番いいのだろう」

 

 本人の中で納得できているなら何も言うまい。テリーはもう一端の戦士、自分の心には自分で折り合いをつけられるだろう。

 そもそも、人間の感情の機微がわからん私がどうこう言うべきことではないしな。私にできるのは、せいぜい下手な冗談を繰り出すことくらいである。

 

「ありがとうな、サンタ。こいつを俺に任せてくれて。これで一応の区切りにはなったと思う」

「それは何よりだ。私も世のため人のため、私怨で暴れた甲斐があったというものだ」

「ははっ、そうだな」

 

 私の軽口に対して、テリーがニカッと笑う。出会ってから初めて見る、満面の笑顔だった。まだ姉は見つかっていないが、過去の因縁の一つと決別できて心の重みが少し減ったのだろう。

 

 

 ――ふむ、依頼の報酬としては悪くない。タダ働きはごめんだからな。

 

 

 

 よし! これにてギントロ組討伐終了。

 はー、終わった終わった! 柄にもなく真面目な空気を出してしまったぞ。やはりこういうのは私には合わんな。

 もっとちゃらんぽらんに生きていきたい。のんべんだらりとぐうたらして、偶に戦いつつまたぐうたらしたい。

 ――お? そう思っていると目の前にいいものが……。

 

「さて、そろそろ行こうか……って、何やってんだ、サンタ」

「いや、少々金目の物を拝借していこうかと。ほら、安定した生活には金が欠かせないので」

 

 私がぐうたら生活のためにタンスなどを漁っていると、テリーが呆れた目を向けてきた。

 

「お前なあ……人が爽やかな空気を出してるんだから、そのまま終わらせてくれよ。だいたいギンドロ組相手でも窃盗は犯罪になるぞ。捕まるからやめとけって」

「なぬ? 我が国以外の地域では、『他人の家に勝手に押し入って、何でも盗んでいって構わない風習』があると聞いたのだが、あの情報は誤りだったのか?」

「ねえよ、そんな風習! どこの魔境だ!? 盗賊だってもう少し奥ゆかしいわ!」

 

 むう、またガイドブックに誤りが……。いつか執筆者に文句を言ってやらねばならんぞ、これは。

 

「ほら、早く行くぞ、サンタ」

「ああっ、せめて、せめて宿代だけでも!」

「えーい、見苦しい! 親分相手に潔くしろって言ったのは自分だろうが!」

「状況によりけりだ! 生活が懸かっている場合は別の話だ!」

「お前の矜持はほんと臨機応変だな!」

 

 そのまま二人でぎゃいぎゃい騒いでいると、外から多数の人間が歩く音が聞こえてきた。

 

「あ! テリーよ、どうやらこの国の兵がやって来たようだぞ?」

「ん? ああ、ギンドロ組の敷地で騒ぎが起こっているから、様子を見に来たんだろうな」

「おお、そうか! ならば私が案内してやろう。彼らもギンドロ組には手を焼いていただろうからな。もしかすると謝礼の一つもくれるかもしれんぞ」

「あ、おいっ――」

 

 テリーの気が逸れた隙に逃げ出す。あのままだと説教が始まりそうであったからな。

 まったくテリーめ、激動の人生を歩んでいるくせに真面目な奴だ。普通もう少し擦れていくものではないのか? きっと生まれついて性格が穏やかで優しいのだろうな。狭間の世界生まれには眩しいぜ。

 

 お、彼らがこの国の兵か。遠巻きにこちらを警戒しているな。もう危険はないと教えてやるとするか。

 

「おーい、ここだ!」

「!?」

 

 目立つように手を振ると、彼らはゆっくりとこちらへやって来た。

 お、先頭にいるのがリーダーか。恰好からして偉い立場の者ではないか? ふふ、これは謝礼も期待できるかもしれんな。ここは友好的にいこうではないか。

 

「やあやあ、お勤めご苦労である。すぐに来てくれて助かったぞ」

 

 そう言ってにこやかに手を差し出した私に対し彼らは――――――鋭い視線とともに槍を向けてきたのである。

 

「うんうん、職務に熱心で大変結構なことで――」

 

 …………。 

 

「――――え?」

 

「王子、怪しい奴です!」

「怪しい奴を発見しました!」

「ああ、とても怪しい」

 

 …………え? 待て待て、なぜ私が槍を向けられて取り囲まれているのだ?

 

 ……い、いや待て、落ち着け。状況を整理しよう。

 

 

 つまりはこういうことだ。

 

 彼らはこの国の治安維持組織。本来人間が眠るはずの深夜に騒ぎが起こっているので様子を見に来た。しかも騒ぎが起こっているのは悪名高いギンドロ組のアジト。これは大ごとではないかと、多数の兵を引き連れてアジト周辺で様子を窺うことに。

 

 とそこへ、アジト内から謎の人物が登場し、こちらを呼んでいる。誰かはわからないが、マントで全身を隠した大男がこちらを呼んでいる。

 仕方ないので注意深く近づいて周りを見渡せばあら大変、アジトの入り口は大破、周りには半殺しで横たわる組員多数。そして目の前には不審人物……と。

 

 …………。

 

 うん。どう見ても凶悪事件とその犯人ですね。これは槍を向けられても仕方ありません。犯人なのは本当だから弁明のしようもないですね……。

 

「王子、きっとこいつが下手人ですよ!」

「この国の人間がギンドロ組に手を出すとは思えません。とすると他国の人間か!?」

「ギンドロ組を潰して他国に一体何のメリットが? 個人的な怨恨か?」

「いや、愉快犯がただ暴れただけかもしれないぞ!」

 

 すごいなガンディーノ兵、だいたい合ってる。

 

「この人数を倒すとは只者ではないぞ。皆、相手が一人とはいえ油断するなよ!」

「「「はっ!!」」」

 

 今気付いたが、このリーダーは王子だったのか。わざわざ兵たちの先頭に立ってやって来るとは感心だ。ギンドロ組の親分にも見習わせたいくらいであるな。統率力や状況判断力も悪くない。敵の実力を過小評価せず、相手が一人でも油断しないように指示を…………一人?

 

 はて、この国の王族は数字の数え方も知らないのか? 私には信頼できる相棒がすぐそばに――

 

 私が後ろを振り返ると、部屋の中には幹部たちが倒れているのみだった。

 

 

 

 ――――テリーがいない。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 ………………そうかそうか、状況を冷静に判断して逃げ出したんだね。

 そうだね、あの場で出てきても二人目の犯人扱いだものね。だったら自分だけでも逃げたほうが合理的だよね。うむうむ、冷静な判断力だね。きちんと成長が見られて私もうれしいぞ、はははは…………。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 あの野郎! 相棒を見捨てて逃げやがったな! 途中殊勝げな態度を取っていたくせに掌返しおって! 誰だ、あいつを穏やかで優しいとか言った奴は! 

 畜生っ、これだからアウトローな世界で擦れたガキは! きいいいいい!!

 

「捕まえろおおお!!」

「「「おおおお!!」」」

「ま、待て! 私は決して怪しい者ではっ!」

「こんな怪しい恰好と状況が他にあるか!」

「ごもっともです!」

 

 

 

 

 その後私は、みかわしきゃくでなんとか包囲を潜り抜け、戦利品も謝礼も得られず逃走したのでした。

 ちくしょう、何も盗ってないのに犯罪者扱いだ。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話 ああ、素晴らしきこの世界

「あーあー、頑張ったのだがなー。初対面の相手の頼みを聞いてやったのだがなー」

「…………」

「いきなり襲いかかってきた相手のお願いを、快く聞いてやったのだがなー」

「…………」

「城に忍び込むという、お尋ね者待ったなしのミッションに挑んでやったのだがなー」

「…………」

「それなのに相棒を置いて逃げていくとはなー。どんな状況でも人の心は忘れてはいけないと思うなー」

「…………」

 

 今現在私とテリーは、町を見渡せる丘の上で身を潜めているところである。

 

 あれから本当に大変だった。兵士たちは真面目に職務に励んでいるだけなので攻撃するわけにもいかず、ただひたすら町中を逃げ回る破目になった。ギンドロ組をぶっ飛ばすよりよほど疲れたぞ、主に精神的に。

 

 ……ああ、なぜ私がこのような発言をしているのかと言うと、だ。

 テリーの奴め、合流した直後まるで何事もなかったかのような態度をとりおったのだ。『あれ、お疲れだね。なんかあった?』みたいな超他人事な感じ。

 これには温厚な私もさすがにキレた。

 ゆえに、私が如何に傷付いたのか分からせるため、今はこうしてネチネチと責め立てているわけだ。武人たる私にこんな女々しい振る舞いをさせるとは、まったくけしからんことである。

 

「……ふぅ、そうだな。確かに自分だけ逃げたのはよくなかったよ」

 

 私が小姑よろしく嫌味を重ねていると、さすがに悪いと思ったのかテリーが申し訳なさそうな態度を取った。

 

「だからそのお詫びってわけじゃないけど、……これやるよ」

 

 その態度を見て、『仕方ない、あとは一言謝れば許してやろう』と思っていると、テリーはそれ以上謝罪を重ねるのではなく懐から某かを取り出した。

 

「…………なんだ、それは?」

 

 それはなにやら茶色の物体だった。表面は薄く焦げており、油か何かがついているのかテカテカと光沢がある。

 まさかこれは――

 

「燻製肉」

 

 テリーがしれっとその物体の名を口にする。

 

 ――――こ、こいつめ、仮にも魔族の将たるこの私を、よりにもよってそんなもので釣ろうというのか!? 舐めるなよテリー、厳格な武人がそのような手で懐柔されるものか! 私を落としたいなら霜降り肉を持ってこい!

 …………いやしかし、これも美味そうではあるな……。

 

「要らないのか?」

「いや……、それは……」

 

 テリーがにこやかに燻製肉をこちらに差し出す。次の瞬間、得も言われぬ香りが鼻腔を刺激した。胃が自らの役割を思い出したと言わんばかりに、激しく蠢動し始める。

 くそっ、たかが燻製肉っ、さして高い物でもないっ。しかし、その塊から目を逸らせない! 意図せず腕が持ち上がり、肉を受け取ってしまうっ!

 

「んじゃ、これで手打ちってことで」

「はっ!?」

 

 気が付けば私は、右手でしっかりと燻製肉を握りしめていた。

 

 …………。

 

 ――――ま、まあ、口でいくら謝っても本心からの言葉とは限らんしな? 誠意は言葉ではなくアイテムとも言うしな? こういった形での謝罪もありだよな? うむ、テリーよ、お前の誠意、確かに受け取ったぞ。

 

「チョロい」

「ん? 何か言ったか?」

「いやいや別に。……しかしよお、随分な大騒ぎになっちまったなあ」

 

 テリーが町の様子を見ながらしみじみと呟く。話題をすり替えたいという狙いは見え見えだが、まあよかろう。私は質実剛健なサタンジェネラル、小さなことにいつまでも拘るほど狭量ではないのだ。

 

「あれだけ派手に暴れたのだからな、はむはむ、王家もギンドロ組には手を焼いていたのだろうし、もぐもぐ、これを機に力を削ぐ目的なのだろう、むぐむぐ」

 

 ギンドロ組のアジトを見ると、倒れている組員を運び出す傍らで屋敷の中を検分しているようだ。おそらくは人命救助という建前で、いろいろ証拠品になりそうなものを押収しているのだろう。あの王子はなかなか抜け目のない性格をしているらしい。

 ん? 一人子供がいるな。組員の誰かの子か? ふむ、あの子供にとっては大切な親だしな、ぶっ飛ばしてしまったのは多少申し訳なく――

 あ、いや、別に悲しんでないぞ、あの顔は。むしろ汚らわしいものを見るような顔だ。視線の先は…………親分か?

 

 ――ああ、なるほど、親分の娘。あの発言を聞いていたのか。ならあの顔も納得だ。これなら子供が跡を継いで組が復活ということもないだろうな。先のこともとりあえずは安心できそうだ。

 

 

「ギンドロ組もこれで最期か……。なんか……終わっちまえば呆気なかったな……」

 

 不意に、テリーがポツリと呟いた。それは風に乗って消えてしまいそうな小さな声だったが、不思議と私の耳によく響いた。

 

「……嬉しくないのか?」

「いや、嬉しいのは確かなんだけど……、何だろうな、これ……。……はは、よくわかんねえや……」

 

 そう言ってテリーは、年齢に似合わない苦い笑みを浮かべた。

 むぅ、その笑顔は少々マイナスだぞ。

 

「……、テリーよ、少し休んでいっても良いか? 私も大勢を相手にしてさすがに疲れたのだ」

「…………そうだな。……俺もちょっと、疲れたかも……」

「よし、では休憩だな。……ふふふ、ちょうど城から拝借してきたワインがあるのだ。これは中々の一品だぞ?」

「すでに盗みを働いてたんかい。アジトで止めた俺の苦労は何だったんだ……」

「硬いことを言うでない。ほれ、お前も一杯やれ」

「子どもに酒を勧めるなっつうの」

「えー……、一人酒は寂しいぞ」

「………………はあ、……一杯だけだぞ?」

「ふふ、そう来なくては。ささ、ぐいっと」

「まったくもう……。んく、んく…………うぇぇ、苦ぁ……」

「ふははは、お子様めー」

「うるへー」

 

そのまま私たちはしばらく、アジトを眺めながらのんびり酒盛りに興じたのである。

 

 

 

「…………ありがとな」

 

 再び風に乗った微かな声は、気のせいということにしておいた。

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

「さて、テリーよ、とりあえず今回のことは終わったが、この後はどうするのだ?」

 

 小宴会が終わった後、空気を変える目的で私から話題を振ってみる。するとテリーは少し考え込んだ後、口を開いた。

 

「……まずはこの国の中で、姉さんの足取りを探せるだけ探してみる。それで会えればそれでいいし、会えなければ他の国も含めて世界中探すだけさ」

「ふむ、そうか。私も手伝ってやろうか? ここまで関わったわけであるしな」

「いや、そこまで迷惑はかけられねえよ。なんとなくわかるけど、サンタにもやるべきことがあるんだろ? ならそっちをやってくれ。ほら、『優先順位を間違ってはいけない』、だしな?」

 

 そう言ってテリーは肩を竦めてみせた。

 はっはっはっ、一端(いっぱし)の口を利きおって、生意気な。

 

「ぬわっ、ちょ、や、やめっ、頭を撫でんな!」

「すまんな、ちょうどいい高さにあるものでな」

「ぐ、ぬ、ぐえ、……えーい! いい加減にしろ!」

 

 あ、逃げおった。子供はもっと素直であるべきだぞ? せっかく褒められているのだから喜べばよいものを。

 

「……ったく、最初は真面目な武人かと思っていたのに、実際は滅茶苦茶軽い適当男なんだもんな」

「む、心外な。私はストイックに己を鍛える、まさしく真面目な武人だぞ。ただ同時に楽しく生きようとも思っているだけだ」

「…………はあ、俺もそのくらい適当に生きるようにしようかな。今までは肩に力が入り過ぎていたような気もするし……」

 

 今度は肩を落としつつため息を吐きおった。極めて心外である。せめて柔軟と言っていただきたい。

 まあ、軽口を叩けるくらい心に余裕ができたのはよいことだ。これなら姉を助けるために無茶を重ねるということもないだろう。

 

「ああ、そうだ。借りてた鎧返すよ」

「いや、よい。それはお前にやろう」

「え、でもこれ結構高いやつだろ? それは悪いよ」

 

 テリーが律儀にドラゴンメイルを脱ごうとするが、一度渡した物を取り上げる程私はケチではないぞ。

 

「構わんよ。もうお前に合わせて調節してしまったしな。それに、お前の因縁の戦いで使った装備なのだ。記念に持っておけ」

「う、うーん、そういうことなら、ありがたく貰っておくぞ? 後で返せって言われても困るからな?」

「言わん言わん。ほれ、肩当てと脛当ても持っていけ。私がこれだけ装備したら伝統スタイルに戻ってしまうからな」

「伝統スタイル?」

「ゴホン、いやなんでもない。体がでかくなったら全て装備するといい。それまでちゃんと鍛えておくのだぞ?」

 

 誤魔化しつつ、肩当てと脛当てをテリーに押し付ける。謎の単語に一瞬困惑していたテリーだったが、やがては力強く頷いた。

 

「ああ、わかったよ。この鎧に見合うように、これからもっと強くなるさ。いろいろな技も見せてもらったことだしな。……そうだ、今までは姉さんを取り戻すためだけに鍛えていたけど、これからは純粋に強くなるために鍛えるのもいいかもしれないな」

「おお、よいではないか。そういう前向きな目的があると楽しくなるぞ。私も目標とした奴に追いつくためなら、骨が折れても内臓が潰れても全く気にならなくなったしな」

「…………いや、そこまではいいや」

「そこは力強く返事をするところだろうに……」

 

 なぜ頭のおかしい奴を見る目をするのだ。強くなるのに体を苛め抜くのは当然ではないか。

 まあ、これから自分を鍛えていけばいつかわかるだろう。武人はボロボロになってこそである。

 

「さて、私はそろそろ行くとしようか。あまり長居をして兵に見つかっても面倒であるしな」

「……そうだな。俺も隠れ家を引き払ったら出発するよ」

 

 やるべきことは終わらせたし、語るべきことも語った。後はそれぞれの道に戻るだけだ。

 

「では、達者でな、テリー。姉と会えることを祈っているぞ」

「ああ、サンタも。目的が叶うのを祈ってるぜ」

 

 そのまま二人別々の方向に歩き出す。うじうじと別れの言葉を繰り返すのは性に合わんからな。別れはさっぱりいくとしよう。

 

 お互い生きていればまたどこかで会うこともあるだろう。そのときはどのくらい強くなったか確かめてやるか。あれだけいろいろな技を見せたわけだし、テリーの才能ならすぐに使いこなせるようになるだろう。うむ、先の楽しみが一つ増えたぞ。

 

 図らずも弟子のようなものができたことにくすぐったい気持ちを抱きながら、歩く速度を上げようとしたところで、

 

「サンターーーーーー!!」

「なんだなんだ、ここは黙って別れる所だぞ。まったく仕方のない奴め」

 

 苦笑しつつ振り返ると、テリーが遠くからこちらに向かって手を振っていた。

 

「いろいろありがとうなあーーーー!! お前に会えてよかったぞーーーー!!」

「ほあ?」

 

 あの捻くれ小僧の口から、随分と真っ直ぐな感謝の言葉が飛んできた。大悪魔ともあろう者が、不覚にも一瞬面食らってしまう。

 

「じゃあ、またなあーーーー!!」

 

 そして私が驚いている間にテリーは言いたいことを叫び終え、今度こそ振り返らずに走り去っていった。

 私はその場でしばらくポカンとした後、

 

「…………ふん。なんだ、素直な態度も取れるのではないか。仕方のない奴め」

 

 なにやら負け惜しみっぽい物言いをしていた。……いや、何に負けたのかよくわからんけど。

 

「まあ……、これはこれでいいか」

 

 私の思うかっこいい別れとは若干違うが、偶にはこういうのも悪くはない。

 最後に、見えなくなったテリーに向かって私も一度だけ手を振り返した。我ながら似合わない動作だなと笑いながら踵を返す。

 

「さて、行くか。……ん?」

 

 そして歩き出そうとしたとき、空が妙に明るいことに気が付いた。先ほどまで真っ暗であったのに、どういうことだろうか。

 疑問に思って光源を探していると、どうやらそれは海の向こうにあるようだった。

 

 興味を引かれて、そちらをじっと見やる。……すると、

 

「……お? ……おお? ……おおおお!?」

 

 水平線から太陽が少しずつ姿を現していく。海が光りだし、世界がだんだんと明るくなっていく。

 暴力沙汰で荒んでいた心まで洗われていくような、美しい光景だった。

 

「なるほど、これが日の出というものか……。なんと神々しい……」

 

 そういえば物語の中では、日の出は物事の始まりに例えられることもあった。だとしたら今の状況にぴったりである。

 自分が物語の主人公になったような気分になり再び笑いが零れる。本当にいろんな体験ができるな、人間界は。

 

「よし、では改めて出発だ! 進路は北へ! 必ず回復魔法を手に入れてやるぞ!」

 

 

 

 身体の奥のほうがじんわりと暖かくなるのを感じながら、私は再びダーマを目指し、足取りも軽く歩き始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガンディーノ。この国では王が圧政を敷くとともに、ギンドロ組という暴力組織が幅を利かせ、長らく国民は辛い生活を強いられてきた。しかしある日、一夜にしてそのギンドロ組の本部が壊滅するという事件が起こる。親分以下、組員ほぼ全員が半死半生に陥り、屋敷も激しく破壊されたのだ。

 以前からギンドロ組を取り締まりたいと考えていた第一王子は、これをチャンスと考え、配下の兵を率いてギンドロ組の屋敷へ出動。けが人の治療をしつつ屋敷内を調査した。

 これまでは犯罪の証拠を掴もうとしても組員の妨害・隠蔽などにより失敗していたが、今回は全員が行動不能になっていたために、全ての証拠品や書類を押収することに成功する。

 これにより組員の大部分を逮捕することができ、ギンドロ組はその勢力を大きく削られることになった。残念ながら親分や主要幹部の幾人かはうまく追及を逃れ逮捕することは叶わなかったが、組の力の大部分を削げたこと、あまり追い詰めすぎると何をするかわからないことから、第一王子はここを落とし所として事件を収束させた。

 

 その後、ギンドロ組という手駒を失った王は、誰に言われるでもなく息子である第一王子に王位を譲り隠居した。

 もともとギンドロ組に唆され、その力を(たの)みに王位についた身である。即位してからも度々ギンドロ組に脅され便宜を図っていた情けない王だけに、自分もギンドロ組のようになるのではないかと恐れ、あっさりと権力を手放した。どうやらギンドロ組の壊滅を、第一王子の手によるものと思い込んでいたようだ。

 隠居してからもいつ命を狙われるのかと恐々とし、その心労からかほどなくして唐突に息を引き取った。突然の出来事に暗殺も疑われたが、積極的に真相を調べようとする者もいなかった。脅されていたとはいえ、王自身も様々な悪事に手を染めて甘い汁を吸っていたのは事実。そんな男が死んだところで、同情する者は誰もいなかったのである。

 

 その後、第一王子が即位し新たな国王となってから、ガンディーノという国は驚くべき早さで建て直された。奴隷は社会復帰までの面倒を見た上で解放され、高すぎる税率などの悪法も全て撤廃された。

 もともと人格者だった新国王は王子時代からこの国を変えたいと思っており、情報収集や貴族たちへの根回しなどを秘密裏に推し進めていた。ギンドロ組が父王や悪徳貴族と繋がり、様々なところに根を張っていたため足踏みをしていたが、奴らが壊滅したことで邪魔されることなく改革に成功したのだ。

 

 さて一方、ギンドロ組を壊滅させた謎の人物についてだが、詳しいことは不明だ。周辺の住民の目撃証言から、全身をマントで隠した大男で、剣術と格闘術の達人である、ということのみがわかっている。

 目撃者が一般人なので、本当の実力が如何ほどなのか定かではないが、全ての組員を一撃で戦闘不能にしたという点は確かであるらしく、凡百の戦士を遥かに上回る力を持っていることは間違いない。

 正体については、組に個人的な恨みを持つ者、もしくはそれらの者に頼まれて組を潰しに来た傭兵という意見が大勢だが、それにしては誰も殺していない点が疑問視されている。また騒動鎮圧に出動した兵たちが誰も傷付けられていないことから、悪人ではないのだろうとも言われているが、いずれも推測の域は出ていない。

 

 が、こちらについても前国王の暗殺疑惑と同様に、あまり真剣に調査されていない。

 というのも当然と言えば当然であり、この人物がギンドロ組を潰したおかげで新国王が即位し、悪政が終わったからだ。もともとギンドロ組に悪感情を持っていた国民は多く、奴らが壊滅させられたからといって喜びこそすれ、悲しむ者などいるはずがなかった。せいぜいギンドロ組に擦り寄ってお零れを頂戴していた者くらいだろう。

 新国王にしても、一応は事件なので調査している体はとっているが、そこまで力は入れていないようだ。未確認だが、側近に対して次のように語っていたという情報もある。『彼がギンドロ組を潰してくれたおかげで助かった。また会う機会があれば礼を言いたいな』と。

 

 まあ謎の男の正体が何にせよ、巨悪は倒れ冬の時代は終わった。まだまだ傷跡は深く残っているが、これから新国王のもと、ガンディーノという国は少しずつ住みよい場所になっていくことだろう。

                        (とある情報屋の手記より抜粋)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海を越え、野を越え山越え、河越えて、ようやくここまでやって来た。二日前に大きな河を越えたので、今いる場所がダーマのある大陸で合っているだろう。

 

 いやあ、ここまで長かった。地図上だとすぐに思えたのだが、意外と広かった人間界。

 この地図大きな町しか載っていないからなあ、野宿ばかりで苦労したぞ。屋根のある場所で眠れたのは、途中ロンガデセオという町に立ち寄ったときのみだ。

 しかも驚いたことにこのロンガデセオという町、なんと犯罪者や奴隷など、後ろ暗い過去を持つ者たちが集まってできた町だったのだ。誰が呼び始めたのか別名『ならず者の町』。真っ当な人間は町に入ることすら断られるらしい。

 

 私か? フリーパスだったがそれが何か?

 

 …………ちくしょう、あの門番め、一目見ただけで私のことをお尋ね者と決めつけおって。しかも『何人殺して流れてきたかは聞きませんが、この町では勘弁してくださいよ?』だと。

 なぜに殺人限定なのだ!? 顔が怖いからか!? マントで見えていないはずだろう! 雰囲気か! 雰囲気だけで私は人を殺していそうに見えるのか!?

 

 ……いやまあ、そのおかげで町に入れたわけではあるのだから、助かりはしたのだが。

 

 しかし、入れたはいいが町の中でもまあトラブルばかり。『ならず者の町』というだけあって、ケンカ騒ぎや恐喝なんぞ日常の一部。当然新入りの常として私も絡まれた。全員壁に埋め込んでやったが。

 

 くそう、穏やかな毎日を求めて人間界にやってきたのに、今のところその目標は全く達成できていない。最初に訪問した町は悪政と暴力が蔓延り、次に寄った町は犯罪者の巣窟ときた。

 なんだろう、人間界は大魔王さまが手を下すまでもなく、すでに暴力と恐怖に支配されているのだろうか? 資料によると、人間とはもう少し穏やかな種族であったはずなのだが……。

 そして、これでも狭間の世界よりは遥かにマシというのがまた頭の痛くなる話。

 なにせあっちは即命のやり取りである。しかも憎しみやら覚悟の上でではなく、日常の延長なのだから狂っている。なぜに会議の途中で炎や雷や爆発が発生するのか、白熱するのにも限度があるぞ。

 

 …………。

 

 ……あーやめやめ。嫌な過去を思い返すのはやめよう。とにかく私はこちらで回復魔法を覚えて、しばらくゆったりと暮らすのだ。

 なあに、まだ二つの町を回っただけ、その内穏やかな場所も見つかるだろう。なんだったら修行のためにダーマに留まるのもいい。

 自己を鍛えるための場所なのだから、自分を律することのできる者が多いはず。少なくとも、誰彼構わずケンカを吹っ掛けるような者は少数派であろう。

 

 お、噂をしていると見えてきた。遠くに薄らとだが、神殿のようなものが建っているのが見える。

 えーいグズグズしていられん! よし、ここからは走っていくぞ!

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 うーむ、まだ距離はあるがここからでもその大きさがよくわかる。多くの者が修行に励むだけあって広い敷地が必要なのであろうな。

 

 だがあまり飾り気はないようだ。神殿というから華美なものを想像していたが、そうでもないのか。やはり鍛錬をする場所なだけあって、過剰な装飾など不要ということなのだろうな。うむ、いいぞいいぞ、私の気質に合っている。修行をする上で贅沢などは必要ないからな。

 

 おや? しかしところどころ独特な造りになっているな。あの柱なぞ途中で途切れている。

 なるほど、華美にはしない代わりに、変わった造りにして遊び心を演出しているというわけか。そうだな、真面目一辺倒では潰れてしまう恐れがあるからな。心に余裕を持つのはよいことだ。

 

 ……しかし些か独特過ぎやしないだろうか? 柱はいいとしても、屋根がないのは神殿としてどうなのだ?

 ……ああなるほど、華美な建物など要らないという考え、それを突き詰めたわけだ。真に己を鍛えたいのなら野晒しでも問題ない、むしろそのほうが修行は捗る、と。ダーマ神殿、なかなかに厳しい場所のようだな。

 

 …………そして入口に着いたわけだが、誰もいないのはどういうことだろう?

 …………ああなるほど、日中は皆修行に出払っているわけだ。神官たちもその監督をしており、怠けている者は誰もいない、と。さすがは修行の本場、皆勤勉なようだな。

 

 ………………ああーっと……しかし……あれだな、ところどころ床に血の跡が広がっているのはなぜなのだろうな?

 ………………ああ……ああ、なるほどね、戦士の修行の跡ね。そうだね、修行でも骨肉を砕くくらい真面目にやらないと成長しないものね。どう見ても祭壇にしか見えない場所が血みどろになっていても不思議じゃないよね? 血が固まってその上から埃が大量に積もって長い間誰も出入りしていないように見えても何も不自然じゃないよね? まったく驚かさないでほしいものだ、はっはっは……は…………は……。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 ……………………。

 

「ダーマ!! 滅んでるじゃねーか!!」

 

 自分を誤魔化すのも限界だわ!

 どう見ても廃墟だよ! 惨劇の跡だよ! 完璧に滅んでるよ!

 

「ちくしょう、一体誰がこんなことを……」

 

 人間の才能を目覚めさせ、戦う力、学ぶ力、文明を築く力を向上させる素晴らしい施設だぞ。

 一国のみが独占するのではなく世界中の人々に分け隔てなく門戸が開かれ、人類全体の力を向上させる重要な場所! それを一体どこの誰が滅ぼすと言うのだ!?

 

「どう考えてもウチの連中だよ!!」

 

 そりゃそうだ! 人間が力を付けて困る奴なんて我々ぐらいだわ!

 当然だよね! 魔物だもんね! そりゃ真っ先に滅ぼすよね! さすが大魔王様! よっ、賢い! 手堅い! 小心者!

 

「せっかくここまで来たのに……。この仕打ちはあんまりではないか……」

 

 私はその場で打ちひしがれ、天を見上げた。

 

 ……ああ、この世界のどこかにいる神様、人間界に来て最初に訪問した町は圧政が敷かれ、二番目の町は犯罪者ばかり、そして三番目の町は滅んでいました。

 これはどういうことですか? 酷い町ばかりではないですか。あなたは真面目に仕事をしているのですか? もう少しちゃんと人の世を守ってくださいよ。回復魔法が無理なら、せめて穏やかな生活ぐらいは欲しかった。

 

 それともなんですか? 魔物である私なんぞには酷い町で十分ということですか? 邪な者同士でずっと争い合っていろという警告ですか?

 今までずっと狭間の世界で殺し合いやってきたんだからこれからも続けてろよさっさと帰れよクソモンスターめ、というメッセージですか?

 

 …………。

 

 ――――どうしよう、正論過ぎて返す言葉もない!

 

 

「ぐふう、自分の思考で自分にダメージが……。た、立ち直れない。た、頼む、誰か回復してくれぇ……」

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――憐れな魔物が空に手を伸ばす。がしかし、仲間を呼んでも誰も来ない。彼には専属のベホマスライムなどいないのだ。だいたいいつも独りぼっち、その事実がますます胸を抉る。

 数多の魔物の中で偶然生まれた突然変異(?)、回復魔法を覚えたいという変わり者のサタンジェネラル、彼がいろいろな意味で癒されるのは一体いつの話になるのか?

 残念ながらそれは、誰にもわからなかったのである。

 

 

 

 

 

「ああもうほんとっ、ザオリクよりもベホマが欲しいっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ここまでで、プロットで考えていたところまでは書き上がりました。一応続きの構想もふわっと浮かんではいるのですが、書くとしてもしばらく後になると思いますので、今回はこれにて完結という形にさせていただきました。
 ここまで拙作をお読みくださった皆様、誠にありがとうございました。(2017/12/25)

 更新再開しました(2018/09/01)
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2章
1話 もう大丈夫と思ったときが危ない


「お願いします、神父様! こいつを助けてやってください!」

「落ち着きなさい」

「こいつっ、俺を庇ってこんなことに……」

「安心なさい、神は決して彼を見捨てません。さあ、そこであなたも祈ってあげてください」

「は、はいっ」

「では……。おお、わが主よ! 全知全能の神よ! いまひとたび、トンヌラに命の息吹をあたえたまええええ! …………………………ザオリク」

 

 なんと トンヌラは いきかえった!

 

「あ、あれ? オラは一体?」

「おお! トンヌラ!」

「え? ど、どうしたんだ、そんなに泣いて……」

「よかった! 本当によかったぞお!」

 

 仲間が生き返ったのを見て青年が号泣する。

 その様子からトンヌラとやらも状況を理解したのか、嬉しいような申し訳ないような表情を浮かべて仲間の背を叩いていた。

 

「ふふ、よかったですね」

「あ、ありがとうございます! 神父様のおかげです!」

「おお、神父様が助けてくれただか。ありがとうごぜえます」

「いえ、私はまだ神父ではありません。あくまで見習いでして、神父様の留守を預かっているだけなのです」

「そ、そうなんですか? ……いえ、ですがトンヌラを助けてもらったことには変わりありません」

「んだあ。妙ちくりんな恰好してっけど、オラの恩人には変わりねえだ。感謝するだよ」

「こ、こら、トンヌラ! 失礼だぞ!」

「ははは、構いませんよ。教会でこんな恰好をしていれば妙に思うのも当然でしょう」

「す、すみません、失礼な奴で……」

 

 焦る青年に笑って返せば、彼は恐縮そうに頭を下げた。

 

「じゃあ見習い様、せめて名前を聞かせてほしいだよ。神様にお祈りするときに見習い様のことを言ってあげるだ」

「トンヌラ! またお前は失礼な呼び方を!」

 

 のほほんとした相棒に青年が再び怒り出す。彼はずいぶんと真面目な性格なようで、このままでは手が出そうな雰囲気だった。

 

「まあまあ、落ち着いて。私は気にしませんから」

 

 せっかく生き返らせたというのに流血沙汰になっては困る。なにせまだ回復魔法は覚えていないのだ。

 よって、ここはさっさと名乗って場を治めることにしよう。

 

 コホン。では傾注するのだ、人間たちよ!

 

「我が名はサンタ! このサンマリーノ教会にて神父見習いをしている者! いつか必ず神父道を登り詰め、回復魔法の全てを極めてやるのだ!」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 さて皆さん、お久しぶり。サタンジェネラル1182号改め、神父見習いサンタです。

 

 なぜ私が今こんなことをしているのか。もしかしたら気になる人がいるかもしれないので、簡単に説明しておこう。

 

 

 

 ――ガンディーノを出発した後、紆余曲折を経てなんとか私はダーマ神殿まで辿り着いた。

 がしかし、なんとダーマはずいぶん昔に滅んでおり、今は瓦礫まみれの廃墟が残るのみだったのだ。

 この悲しい現実に直面した私は、失意のままに見知らぬ土地を彷徨い、気が付けばこの港町サンマリーノへ辿り着いていた。

 

 人間界に来て通算三つ目の街。

 ここに来てようやく犯罪の蔓延っていない真っ当な街に巡り合えたわけだが、そのときの私にはそれを喜ぶ元気もなかった。

 

 ――ああ、駄目だ。希望は絶たれた。やはり魔物には回復魔法なんか縁遠い代物だったのだ。ちくしょう、神よ呪われろ。

 

 なんて呟きながら、埠頭(ふとう)に座り込んで日々を過ごしていた。きっと付近の住民にとっては恐ろしいことこの上なかっただろう。

 なにせ全身マント姿の怪しい大男(成人男性の1.5倍)が、日がな一日港で呪詛を吐き続けているのだ。通報されなかったのがむしろ不思議なくらいである。

 

 ――今思えば、この街の警備兵は何をやっていたのだろうか。私が人畜無害なサタンジェネラルだったからよかったものの、ブースカあたりだったら大惨事だったぞ。

 まったく、少しはガンディーノの第一王子を見習え。あいつなら例え善意の第三者だろうが容赦なく豚箱にブチ込んでくれるぞ。

 

 ……コホン、話が逸れた。

 

 ともかく、そうやってダラダラ水平線を見続けていたある日、彼がやってきたのだ。

 

 そう、当教会の神父である。

 

 彼はボーっと海を見る私に笑いながら話しかけてきた。内容自体は大したものではなく、取り留めのない世間話だ。

 が、彼のほんわかとした空気に私はだんだん取り込まれ、最終的に何があったのかを話してしまった。もちろん魔物だの狭間の世界だのは伏せたが……。

 

 で、全て聞き終った彼は私にこう言ったのだ、『でしたら丁度いい。教会の仕事を手伝ってくれませんか? そうすれば回復魔法も覚えられるかもしれませんよ?』と。

 

 最初、私は神父がからかっているのだと思った。『教会の雑用をしただけで魔法を覚えられるわけがあるか!』と怒鳴りもした。だが――

 

『だって私はキアリーもザオリクも、そしてベホマも使えますよ? 神父として修行しましたから』

『!?』

 

 

 ――――目から、鱗が落ちた。

 

 

 そうだ。そうだよっ。そうだったよ!

 人間の神父たちはみんな回復魔法が使えるじゃないか!

 ダーマがないこの時代にこれだけの人数が習得しているじゃないか!

 ということはそれって、ダーマ以外でも回復魔法は覚えられるってことじゃないか!

 

 ダーマに拘る余り、いつの間にか視野狭窄に陥っていたようだ。

 私は(もう)(ひら)いてくれた彼に深い感謝を捧げた。

 

 そして土下座した。

 

『弟子にしてください、師匠』

『とりあえずその呼び方は却下です』

 

 こうして私は、サンマリーノの教会で蘇生の手伝いをしつつ、見習い神父として暮らすことになったのだ。

 

 

――――

 

 

 そして今は、教会前広場を箒で掃き掃き。これも見習いとしての大事な修行だ。続けていればきっと熟練度とやらに繋がるはず。

 それ、回復魔法目指して掃き掃き、掃き掃き。

 

「やあ、サンタさん。おはよう」

「おお、おはようコーディーさん。いい朝だな」

「おはよう、サンタ。ウチで採れた野菜だよ。神父様といっしょに食べておくれ」

「おお、これはありがたい。神とエイダさんに感謝を……」

「見習い殿、今日の礼拝はいつじゃったかの?」

「昼過ぎからである。是非来られるとよい」

 

 

 ――ああ、平和だ。すこぶる平和だ。

 

 この教会に厄介になり始めた当初は、皆私のフード姿に戸惑っていたが、今ではにこやかに声をかけてくれるようになった。

 これも偏に、神父様の人柄の賜物であろう。彼が私に気安く接してくれたからこそ、ここまで早く街に馴染むことができたのだ。それだけあの人は住民から信頼されているのだろうな。

 

「ふ、それも当たり前か。なにせ素性も知れぬ私をポンと教会に置いてくれるような御仁だ。器の大きさが常人とは違う」

 

 きっと姿が見えない幽霊や透明人間に対しても、同じように優しく接してくれることだろう。まさにスーパー神父よ。

 

「サンター、おっはよー。行ってきまーす」

「転ばないように気を付けるのだぞー」

「サンター、遊ぼうぜー」

「学校が終わった後でな」

「サンター、骨付き肉あげるー」

「なぜそんなもの持っておるのだ。……もらうけど」

 

 

 ――ああ、平和だ。限りなく平和だ。

 

 廊下の角を曲がる度に命の危険に晒される大魔王城と比べ、この街のなんと落ち着くことか。

 これこそが、私が長年求めていたものである。

 

「おお、神よ。どうかこんな穏やかな日々が、ずっと続いてくれますよう――」

「あんたがサンタだな!? 頼む! 親父の奴をボコボコにする手助けをしてくれ! ヤクザ組織を潰したあんたなら楽勝だろ!?」

 

 ざわっ!

 

 ――おお、神よ。平和がひび割れる音が聞こえてきました。

 

 

 

「聞いてくれ! 実はウチの親父が酷くむぐうう」

「ヘイ、少年。ちょっとこっちへ来るのだ」

 

 私は言動も恰好もおかしいモヒカン少年を教会の裏手まで引っ張っていった。

 

 だって道行く人々がこっちをガン見してるんだもの。先ほどの発言を聞いて、『本当だろうか?』って猜疑の目を向けて来るんだもの。これ以上の風評被害を避けるためにも、人目のない場所で此奴から事情を聞かねば!

 

 ……あと魚屋のフランクよ。お前が『やっぱり……』と呟いたことは忘れない……。

 

 

 

 

 

「で? 一体誰から聞いたのだ? ……いや、別にそんな事実はないけど、い、一応確認しておきたいってことでな……」

 

 冷静に考えれば、まさかガンディーノでの出来事がこんなに早く伝わって来るとは思えない。

 ということはおそらく、私を怖がる連中が広めた噂が偶々事実を掠っていた、という感じのオチだろう。なら慌てることはない。

 

「街のみんなが言ってたんだ! 教会の怪しい大男は、他国で罪を犯して逃げてきた大量殺人犯だって!」

「事実より酷い!?」

 

 大ショックである。これまでの生活で住民とは結構仲良くなれたと思っていたのに、まさか陰でそんなことを言われていたのか……。

 

 ――いや待て。子供の言う『みんな』は当てにならない。一人二人いるだけで安易に『みんなが~』と言うのだ。

 

「おい少年。本当に皆が言っていたのか? 何人くらいに聞いたのだ?」

「え?」

 

 私がじっとりした目線で詰問すると、少年は気まずそうに顔を逸らした。

 

「い、いや、そりゃ聞いたのは多くないというか……。まあ、一人だけど……」

「……誰だ?」

「…………魚屋のフランク……」

 

 よし、あいつは後で魚のエサにしてやる。

 

 い、いや、今はそれよりもこっちだ。

 幸い住民全体に噂されていたわけではないし、この少年さえどうにかすれば事は収まる。なんとか丸め込んでお帰りいただこう。

 

「……オホン。少年よ、悪いがそのような事実はない。私は品行方正に生きてきた、犯罪とは無縁の男よ。……さらに言うと、無軌道な暴力は私が最も忌避するものだ。よって、反社会的な行為に協力する気もない」

「い、いや、別にそんなことをしようってわけじゃ……。あ、言い方が悪かったよ。ちゃんと説明するから、とにかく話を聞いてくれよ」

「ダメです、見習い神父はやることが多いのです。それに、ここは神に祈りを捧げ、心の安寧を得るための神聖な場所。暴力の持ち込みはご遠慮いただいております」

「ぐ、ぐぬぬ……」

「さあ、帰った、帰った」

 

 私が正論をぶつけると少年は悔しそうな顔になったものの、最終的には納得したのか、トボトボと来た道を戻り始めた。

 その力ない背中に少しばかり良心が痛んだが、ここは心をデーモンにしなければならない。

 

 あの少年の目的が何かは知らないが、暴力が絡んでくるとなると関わるわけにはいかん。今の私は神父として修行に励んでいるのだ。暴力的行為に手を染めては進むものも進まなくなってしまう。

 よってしばらくの間、暴力はノーサンキュー。野蛮な臭いのするものには退散していただきます。

 

 そんな想いで私が見送る中、少年は建物の陰に消えていった。

 

「ふうっ、一時はどうなることかと思ったが、なんとか凌げたようだな」

 

 よし、では今度こそ天に祈りを捧げるとしよう。

 

「おお、神よ。こんな穏やかな日々が、ずっと続いてくれますよう――」

「あなたがサンタね!? お願い! サンディの奴を脅して、ジョセフから引き離してほしいの! 老若男女虐殺してきたあなたなら簡単でしょ!?」

 

 ざわっ! ざわっ!

 

 ドドドドドドっ――

 

「や、やっぱり噂は本当だったんだな!?」

 

 

 

 ――おお、神よ。平和が砕け散る音が聞こえてきました。

 

 

 

 




 お久しぶりです。なにやらアイデアが降ってきましたので投稿を再開しました。
 おそらく不定期になるかと思いますが、ちょこちょこと進めて参ります。

 ※また、これに合わせて一章を少し改稿しました(ストーリーは変わっていません)。多少はマシになったな、と感じていただければ幸いです。(2018/09/01)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話 どうしてこんなになるまで放っておいた

「やっぱり噂は本当なんだろ!? なあ、俺の頼み聞いてくれよ!」

「もう何人も殺してきたんでしょ!? 今更一人二人増えても変わらないわよ!」

「親父が頑固で話も聞いてくれないんだ! なんとかわからせてやりたいんだよ!」

「私のジョセフがサンディにベッタリで、このままじゃ取られそうなのよ! なんとかしてよ!」

「教会は迷える子羊の味方なんだろ!? 助けてくれよ!」

「神様も気まぐれで人間虐殺するでしょ!? なら神父の暴力くらい許されるわよ!」

「なあサンタ!」

「ねえサンタ!」

「つーか誰だお前! 邪魔!」

「あんたこそ誰よ! 邪魔!」

 

「ええい、やかましいっ!」

 

 

 あの後私は仕方なく、この平和の破壊者どもを教会内へと運び込んだ。

 本当は二人まとめてお帰り頂きたかったのだが、残念ながら世間様の目には抗えず、こうして泣く泣く侵入を許してしまったわけである。

 

 で、なし崩し的に話を聞いちゃったところ、こいつ等の事情はそれぞれこういうことらしい。

 

 

 少年について。

 ・名前はハッサン。

 ・この街で大工を営む夫婦の一人息子。

 ・ハッサンの父は、息子に後を継いでもらおうと最近あれこれ指導している。

 ・だがハッサンは大工ではなく武闘家になりたくて、そのことを話した結果父親と大喧嘩になった。

 ・自分が夢に対して本気だとわかってもらうにはどうすればいいのか考え、強くなって父を負かせばいいのだ、と思い付いた。

 ・教会になんか強そうなのがいるぞ。鍛えてもらおう。←今ここ。

 

 少女について。

 ・名前はアマンダ。

 ・宿屋の娘。

 ・町長の息子ジョセフに恋している。

 ・しかし彼はサンディという少女に気がある模様。

 ・サンディをなんとか引き離したい。

 ・教会になんかヤバそうなのがいるぞ。脅してもらおう。←今ここ。

 

 

 

「つまりは跡継ぎ問題と、恋愛問題というやつなんだな? ……なるほど、お前たちの事情はよくわかった」

「おおっ、じゃあサンタ――」

「引き受けてくれるのね!」

 

 顔を輝かせる二人に対し、私は慈愛に満ちた心で吐き捨ててあげた。

 

「お帰りはあちらです、お気を付けて」

「ええ!?」

「すごく優しい声で断った!?」

 

 ……できるわけねーだろ。 

 こちとら無性生殖かつカプセル生まれ、夫婦関係も親子関係も存在しないのだ。こんな繊細な相談に乗れるわけないっつうの。

 

 だいたいこいつ等、『お悩み解決のために危険人物を頼ろう』という発想がまずおかしい。こんな変人どもと関わっていては、将来的にどんな目に遭うか分かったものではない。

 ゆえに、今の内にさっさとリリースするのが賢い選択である。

 

「さあ、帰れ帰れ」

「「いやー! おーねーがーいー!」」

「ダーメーでーすー!」

 

 両腕にそれぞれしがみ付く二人をブンブン振り回す。……が、全然離れない。

 えーいっ、このままばくれつけんを繰り出してやろうかっ。酔うぞ!? めっちゃ酔うぞ!?

 

「まあまあ、サンタ君」

「うっ……」

 

 しかし、ここで我々の様子を見ていた神父様から『待った』がかかった。

 私がソロリソロリと振り返ると、彼は予想に違わず慈愛の表情を浮かべていらっしゃった。

 

「そんなに冷たくしてはかわいそうですよ。せっかく教会を、いえ、サンタ君自身を頼ってきてくれたんですから」

「む、むう……」

 

 その通り……、確かにその通りではあるのだが……。

 なんだろう。テリーに助けを求められたときと違って、なーんか嫌なのだ……。

 

「それに……、このまま追い返すとこの子たち、すごく不味い行動に出そうな気がするんですよね……」

 

 神父様が珍しく苦笑いしながら言った途端、二人はギラッと目を光らせた。

 

「そ、そうだよ! 俺すごく悩んでいるんだ! だから相談に乗ってもらえないと何するかわかんないぜ!? 金槌(かなづち)持って親父に襲い掛かるかもしれないぜ!? そしたらサンタのせいだぞ!?」

「わ、私だってそうよ! すっごく悩んでるんだから! このままじゃサンディを実力で排除するかもしれないわよ!? 食事に毒を仕込むかもしれないわよ!? 捕まったらサンタにやらされたって言ってやる!」

「最低だ、こいつら! 脅しにかかりやがった!」

 

 なぜ嫌な感じがしたのかわかった! こいつら悪ガキだ、自分のためなら大人に迷惑かけることを躊躇しないんだ!

 おのれ、これだから甘やかされた子どもは駄目なのだ! 姉のために土下座したテリーを少しは見習え!

 

「ははは。サンタ君、住民の平穏を守るのも教会の役目です。この子たちが犯罪に走らないよう、ちゃんと見ていてあげてください。ほら、『汝の隣人を愛せよ』とも言いますし」

「ぐぬぬぬ……」

 

 隣人を愛するなど自分にできるとは思えないが、このままこいつらを返しては風評被害が広がる恐れがあるのも事実。そうなってはもう神父修行どころではなくなってしまう。

 

 ゆえに私は仕方なく……、本っ当に仕方なく返事をした。

 

「りょ……、了解した……」

「本当に!?」

「やったーっ!」

「はあぁ…………」

 

 どの道、神父様がこいつらに慈悲を見せた時点で、こうなるのは決まっていたのだ。ならばもう、抵抗せずにさっさとやってしまうほうが精神衛生上まだマシである。

 私はそう思って自分を納得させた。

 

「ただし! 私にこういう経験はないからな? うまくいく保証などできんからな?」

「大丈夫よ! あなた以上の適任はいないわ!」

「俺も同意見だ! 強くなるにはあんたに頼むのがきっと一番だ!」

「なんなのだ、その全幅の信頼は……」

 

 釘を刺しても全く怯まない様子にゲンナリしつつ、とにかくこうして私は、子ども二人の人生相談を受けることになったのである。

 

 

 

「サタンジェネラルが人生相談とか……、歴史上初だぞ、きっと……」

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 さて、やると決めたら腹を括って取り組むのが私の信条。

 早速二人の現状を解決しようと策を考え始めたわけだが……。

 

「まあとりあえず、ハッサンのほうは問題なくやれると思うぞ?」

「ほ、ほんとか!」

「うむ」

 

 割と考えなしに見えるハッサンだが、今回の発想そのものは悪くない。

 父親を負かすという部分はどうかと思うが、その手前、『強くなって自分の本気をわかってもらう』というところまでは正解だと思う。

 そして鍛えるという一点のみなら、脳筋の私でも十分対応できる範囲だ。

 

 …………というか実際、それくらいしかやれることがない。一緒に話し合いの席に着いて父親を説得してくれ、とか言われても困る。

 だって魔物の話し合いなんて基本乱闘なんだから……。

 

「欲望の街の統治者決めバトルロイヤル、あれは酷かったなあ……」

「え?」

「いやなんでもない……。とにかく、だ。強くなりたいということなら私も通ってきた道だから任せてもらって構わない。その後父親をどう説得するか、というのはまだ思い付かんが……。まあ最初はひたすら鍛えていく方向でいいだろう。もしかしたらその努力を見て認めてくれる、ということもあるかもしれんしな」

「おうっ、よろしく頼むぜ!」

「で、ハッサンはそれでいいとして……、アマンダのほうだが……」

「はいっ」

 

 アマンダが期待の表情でこちらを見ている。しかし、

 

「正直、全く解決できる気がしない……」

「なんでよ!?」

 

 一瞬で瞳を曇らせてしまった。すまぬ。

 

「ハッサンには神父っぽくいろいろ導いてたじゃない! 贔屓なの!?」

「いや、だって私、恋愛とかよく分からんし……」

 

 あれだろ? オスとメスが、なんかこいついいなって思った後交尾するのだろ? それくらいしか知らんけど。

 

 私の態度から贔屓ではないとわかったのか、アマンダは怒気を静めた。

 

「ああ、別に恋を成就させてくれとは言ってないわよ。ただサンディをちょーっとだけ怖い目に遭わせて、ジョセフに近づけないようにしてくれればいいの」

 

 が、今度はなにやら酷いことを言い出した。

 

「…………恋愛はよく知らん。よく知らんが……それが不味いというのはなんとなくわかるぞ?」

「うん、俺でもわかる」

「何よ、今更良識派みたいなこと言わないでよ。今までいっぱい虐殺してきたんでしょ?」

「だからしとらんわ!(人間界では)」

 

 まだ誤解していたのか、失礼な奴め。

 というか虐殺者だと思っている相手に、よくここまで横柄な態度が取れるものだな。度胸あり過ぎだぞ。

 

「むう……。じゃあもう最後の手段で…………消すしか――」

「最後の手段早過ぎいい!」

「……女って怖えな」

 

 違った、こいつは度胸があるとかじゃない。人として何か大事なものを見失っている。今の内に矯正しないと取り返しが付かなくなるぞ。

 

「コホン。……アマンダよ、その方法はダメだ。良くない」

「何がダメなのよ?」

「えー……、そんな真顔で聞かれても……。普通に法律違反だからね? 人の道に反するからね?」

 

 魔物に道徳について説かせるとか……、どうすりゃいいのだ、この娘……。

 

「むう、仕方ない……。秘密兵器を」

 

 困りきった私は、懐から秘蔵の品を取り出した。

 

「なんなんだ、それ?」

「私が故郷から持ってきた秘蔵本の一つだ。社会の仕組みや、人の営みを学ぶためのアレコレが書いてある。タイトルは、『人間を知るために』」

「へえ、深いな……。人間そのものを解き明かそうってことか」

「いや、別にそんな高尚なものでもないが……」

 

 これもなぜか大魔王城にあった謎の品だ。人間について妙に詳しく書かれた著者不明本。一体誰が書いたのだ、こんなもの。

 ……いや、今はそんなことはいい。えー、心の章……、心の章……。

 

「ふむ。ふむふむ…………、よし、理解した。……アマンダよ」

「な、なによ?」

「法律云々を置いておくとしても、だ。そうやって誰かを排除して愛を得ようとしてもうまくはいかんぞ。もし仮にサンディがいなくなったとして、それで即ジョセフの心がお前に向くのか?」

「そ、それは…………、ならないけど……」

「むしろいなくなった人間というのは厄介らしいぞ。想い出の中で美化され、残された者の中で特別な存在となる。そうなってはもう新たな恋などしなくなるかもしれない」

「じゃ、じゃあ、どうすればいいのよ……」

 

 よし、こっちの話を聞く気になったな。

 

「心をこちらへ向けさせるには、まず相手と深く関わらねばならん。お前、ジョセフと一日どのくらい話しているのだ?」

「え……」

 

 それによって今後の方針も変わってくるが……。

 と思っていたら俯いたぞ。一体どうした。

 

「…………のは…………まえ……」

「は?」

「……最後に話したのは…………五日前…………。『おはよう』って……」

「…………」

 

 ……親しい女友達くらいだと思っていたら、ただの知り合いレベルだった模様。

 

「……お前、それでよく『私のジョセフ』とか言えたな?」

「ひ、酷い!? ちゃんと毎日毎晩遠くから見てるのよ!?」

「完全にストーカーではないか……」

 

 これはいかん。本格的にまずい。

 恋愛とか関係なしに、こいつにはまずまともなコミュニケーション能力が必要だ。

 

「アマンダよ、まずジョセフと面と向かって毎日話せ。全てはそれからだ」

「それができたら苦労しないわよ! 話すってどうすればいいのよ!」

「ええぇ……。……ちょ、ちょっと待て」

 

 まさかこれほど拗らせているとは予想外だった……。

 えー、会話の章……会話の章………………。

 

「コホン……。要するに話す切っ掛けがあればいいのだ。挨拶のついでにちょっとした会話が弾むような、何か共通の話題があればいい。日々継続的に話せるものであればなお良し」

「そ、そんなこと、急に言われても……」

「なあに、難しく考えることはない。相手が興味を持っているもの、いつも行っていることなどを話題にすればいい。そうすれば向こうも話し易いだろうし、あわよくば『自分に興味を持っている』と感じてくれるかもしれない。どちらにせよ悪い気はしないはずだ」

「な、なるほど……」

「馬鹿な……サンタが神父っぽいだと?」

「お黙り。神父なのだ」

 

 茶々を入れるハッサンのモヒカンを引っ叩いておく。説法中はお静かに。

 

「す、すごいわ、サンタ。正直暴力以外は全く期待してなかったけど、すごく参考になったわ!」

 

 こいつもこいつで失礼だな、おい。

 ……まあ素直になったからいいか。これだけ瞳が輝いていれば犯罪にも走るまい。

 

「うーん、でも……、何を話題にすればいいのかな?」

「ふふん、その辺りも手抜かりはないぞ?」

「え?」

 

 頭を悩ませるアマンダに対し、私は安心させるように言った。

 

「ジョセフについて詳しくは知らんが、見習い仕事の最中、彼の自宅での様子は見たことがある。おそらくはアレが取っ掛かりになるはずだ」

「す、すごいわ、サンタ! もう具体的に考え付いていたのね! どんな話題なのっ?」

「言っただろう、相手の好きなものや習慣を話題にすると。ならばこの場合、お前がやるべきは一つしかない!」

「そ、それは一体!?」

 

 そして私は、期待するアマンダに渾身の策を提示したのである。

 

 

 

「犬を飼うのだ」

 

「………………はい?」

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 ――翌日、サンマリーノ郊外にて。

 

「いやあああーー!」

「怖がるんじゃない! ますます噛まれるぞ!」

「そんなこと言ったってえええ!」

「あちらも怖いのだ! お前の心の乱れを感じて、怖くて攻撃してくるのだ! 平常心だ!」

「いやあれ絶対楽しんでる! 目が笑ってるもの!」

「気のせいだ! 怖いと思うからそう見えるのだ!」

「絶対嘘だあああ! っていうかあれ犬じゃないじゃんか、この嘘吐き!」

「手に入らなかったのだから仕方ないだろう! 代わりに一番似ているのを連れて来たんだから我慢しろ!」

「全く似てないいい!」

 

 さて、今現在我々はサンマリーノの街の外、遥か地平線まで見渡せる荒野に来ている。

『犬を飼ってジョセフと話そう』作戦決行のため、まずはアマンダを動物に慣れさせることから始めているところだ。

 

 が、これが中々うまく行かない。

 アマンダの家は宿屋だし、普段動物と関わらないから苦手というのも分からないではないのだが、ちょっと大げさに怖がり過ぎである。

 まったく、これではいつ実行に移れるか分からんぞ。

 

「ふうむ……、たかがベビーゴイルにあそこまで怯えなくてもいいものを……」

「いやいやいやいや! 何言ってんだ、サンタ! あれ動物じゃなくて魔物!」

「落ち着けハッサン、似たようなものだろう。実際、身体能力的にはそう変わらんぞ?」

「内面が違い過ぎるだろ! めっちゃ笑って攻撃してるぞ! 人間甚振(いたぶ)るのが楽しくて仕方ないって顔してるぞ!」

「そりゃまあ……、基本的に魔物は人間に敵意を持っているからな。特に低級モンスターの場合本能が先走ってしまうのか、目に入れば即座に襲い掛かって来るのだ。お前も遭遇したときは気を付けるのだぞ?」

「何冷静に解説してんだ!? 今気を付けるのはあっち!」

「そう慌てるんじゃない、この都会っ子め。心配しなくても、あれくらいなら何の問題もなく――あ、ギラくらった」

「アマンダーーーー!?」

「うーむ、失敗かあ……」

 

 視線の先で、倒れて動かなくなったアマンダをベビーゴイルがフォークで突っついている。

 さすがにこれ以上放っておくと危ないので、とりあえずベビーゴイルを追っ払って回収。

 地面に寝かせ、念のため全身確認。……特に外傷などはなし。

 なので安心して揺り起こす。

 

「おーい、起きるのだ。訓練はまだ始まったばかりだぞ?」

「う、うううっ……、この人でなし……!」

「何を言うか。ちゃんと『みずのはごろも』をくれてやったではないか。ギラなんぞ百発食らってもノーダメージだ」

「死なないからって怖くないわけないでしょ! こっちは魔物を間近で見るのも初めてなのよ!?」

「だからこその、慣れる訓練だろう? 安心しろ。今ここでキッチリ慣らしておけば本番の犬なんぞ楽勝よ」

 

 なにせ命を狙われた後なのだからな。それに比べればどんなに気性の荒い犬とて恐るるに足らずよ。

 きっと噛まれたって笑っていられる。『ほら怖くない、怖くない』って感じに。

 

「だったら最初から本物の犬で慣れさせてよぉ」

「今いろいろと伝手を当たっているから見つかるまで待て。それより今は訓練の続きだ。ほれ、また逝って来い」

「ううううっ! やっぱり人でなしっ!」

「ふはははは、その通りだ(本当)」

 

 私は再びアマンダを荒野へ送り出した。

 みずのはごろもが目立つのだろうか、即座にベビーゴイルがやって来て彼女に群がる。ふふふ、効率のいい修行ができて嬉しいだろう。くちぶえ要らずだぞ。

 

「さあ頑張れアマンダ。相手の目を見て、お互いの心を通わせるのだ!」

「無理いいい! これ絶対大怪我するうう!」

「でぇじょうぶだ、ザオリクがある!」

「怪我どころか死んでるじゃないの!」

 

 文句を言いつつも必死に攻撃を避けるアマンダ。

 よしよし、やる気があるのはいいことだ。これならそう遠くない内に恐怖を克服できるだろう。

 さらにこの作戦では、『動物との触れ合いで荒んだ心が癒される』という副次効果まで期待できる。きっとこの訓練をやり終えたとき、アマンダは物腰柔らかな優しい少女となっていることだろう。

 

「ふっ、我ながら素晴らしい育成力だ……」

 

 

 ――さて、お次は……。

 

 

「ひえええ。女相手にあれとか、本気で厳しいな。俺武闘家修行でよかったあ……」

「何を他人事みたいに言っておる。お前もやるのだぞ?」

「…………え?」

 

 ハッサンがギギギと、油の切れたキラーマシンのような動きでこちらを向く。その顔にはこう書いてあった、『え、冗談でしょ?』と。

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 ……………………。

 

 

「ぎょええええーーーー!?」

「そらっ、走れ走れ! チンタラしていると喰われるぞ!」

 

 アマンダがベビーゴイルと戯れている原っぱの逆側、こちらでは今ハッサンが魔物の群れから逃げ惑っている。

 この辺りの魔物を全種類牽引してきただけあって、その顔触れはとても豪華だ。ギズモにハエまどう、バブルスライムにビッグフェイス、どろにんぎょうにヘルホーネット。

 これだけの数と種類に追われれば、修行効果は相当なものになるだろう。ほら、ハッサンも泣いて喜んでいる。

 

「な、なんで俺がこんなことをーー!」

「まさか型の練習や対人組手だけでいいと思っていたのか! そんなわけがなかろう! むしろ真っ先に魔物と対峙すべきだ!」

「聞いてないぞおおーー!!」

 

 そりゃ言ってないからな。というか、言うまでもないことだと思っていたのだが……。

 

「魔物と戦った経験のない武闘家など物の役に立たん! そんな奴が『本気で武闘家を目指している』などと言って誰が信じるのだ!? 親だって納得するわけなかろうがっ!」

「ここまで求める親はいねえよ!」

「だからこそ本気が伝わるのだ! そら走れ走れ、クソ走れ!」

 

 まったく、さっきから泣き言ばかり言いおって。そんな奴に本格的な技術指導などまだまだ先の話だ。初心者はとにかく体力作りと精神修養あるのみ!

 

「俺は格闘を教えてほしいのにーっ!」

「だからこうして、根性鍛えると同時に足腰も鍛えている! まったく上半身ばかり筋肉を付けおって! 下が貧弱で武闘家になどなれるか!」

「なら普通のトレーニングにしてくれよお!!」

「人間命の危機に直面したときが一番頑張れるのだ! わかったらつべこべ言わずに走れ走れ走れーーーー!!」

「ちくしょおお!! 頼る相手を間違えたああーーーー!!」

 

 

 

 こうしてしばらくの間、我々は有意義なトレーニングに勤しんだのであった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話 誠意を込めれば分かってくれる

◆◆◆

 

 

 ――ありえない! ありえない! 本っ当にありえない!

 

「普通女の子にあんな酷い真似する!? やっぱりあいつ、凶悪な犯罪者だったに違いないわ!」

 

 あの頭のおかしい男に相談してから数日後の朝、私は憤慨しつつサンマリーノの街を歩いていた。レディとしてはもっとお淑やかにいきたいところだけど、あの男の笑い声を思い出すだけで腹が立つのだから仕方がない。

 いつも住民たちを魅了しているこの可愛い顔も、残念ながら今は輝きを失ってしまっているだろう。私とすれ違うのを待っていた男どもには、悪いことをしたかもしれない。

 

「……ううん、ジョセフ以外の男なんて気にしてもしょうがないわね。それより今はとにかく、あの頭のおかしい訓練をなんとかしないと……」

 

 うら若き乙女を魔物の前に放り投げるなんて、まともな人間のやることではない。最初はなにやら良いことを言っていたから、意外に頼りになるんじゃないのかとも思ったけれど……とんでもない。

 本質は見た目通り、頭のおかしい変質者だった。

 

「やっぱり最初の予定通り、適当にサンディを脅してもらうだけにすればよかったのよ。そうすればジョセフも私を見てくれたはずだわ」

 

 だってジョセフと同世代の女の子はサンディと私くらいしかいないんだもの。ならあの娘がいなくなれば、彼も自然と私のことを見てくれるはず!

 そうよ、なにも恋人ってわけじゃないんだし……。偶々小さい頃から傍にいたから惰性でいっしょにいるだけ。いなくなったらすぐに忘れてしまう程度の浅い関係よ。

 

 サンタのやつは社会道徳?がどうとか、よくわからないことをいろいろ言っていたけど、きっと協力するのが面倒で適当に誤魔化そうとしていたに違いない。

 それか、恋愛経験がなくて本当に方法がわからなかったってとこかしら。……そうね、そっちのほうが可能性ありそうだわ。

 いかにもモテなさそうな顔――――は見たことないけど、そんな雰囲気してるものね! まったくっ、冴えない男の嫉妬は見苦しいものだわ!

 

「……ふん、まあいいわ、今更あいつに頼むのも癪だし。うだうだ考えるのはやめて、もう正面から行ってしまえばいいのよ」

 

 そう、怖がることはない。

 今まで機会がなかったから躊躇していたけど、実際に話してみればすぐにサンディなんかより仲良くなれるに決まってるわ。

 あんな芋っぽい娘より、優雅な私の方が絶対に気に入られるはず!

 そうね、次にジョセフに会ったら軽ーく挨拶して――その後はお洒落な男女の会話と洒落込みましょう! うん、それで私たちの仲も一気に進展だわ!

 

「自信を持つのよアマンダ。あなたなら絶対にいける!」

 

 と、歩きながら決意を新たにしたときだった。

 

「きゃっ!?」

「わっ」

 

 ドンっと誰かにぶつかり、私は尻もちをついてしまう。

 せっかく気分が上向いたところでこの躓き。それに対して私は、恥ずかしさからつい大声を上げてしまった。

 

「い、痛いわね! 一体誰よ!」

「ご、ごめん、前をよく見ていなかったから……。立てるかい?」

「え……」

 

 そして即座に後悔する。

 カッとなって声を荒げた私に対し、優しくその手を差し伸べてきたのは――

 

「ジョジョジョ!? ジョージョジョ、ジョ、ジョセフ!?」

「え? う、うん、そうだけど……」

 

 私の想い人、ジョセフだったのである。

 

 

 

――――

 

 

 

「えっと、大丈夫? 本当に怪我とかしていないかい?」

 

 曲がり角でぶつかった後、ジョセフは私に手を貸して広場のベンチまで連れてきてくれた。私が顔を顰めているのを、体のどこかを痛めたのだと思ったようだ。

 今も隣に座って心配そうにこちらを見てくれている。

 

「え、ええ……、問題ないわ……」

 

 勘違いから始まったとはいえ、景色のいい公園に二人きりのこの状況。本来ならば『よっしゃコラあ!』と、心の中で小躍りするところである。

 だがしかし、今私の胸の内はバブルスライムのようにウネウネになっていた。

 

 ――ああああ、なんであんな叫び声を上げちゃったのよ、私! あそこでもっとお淑やかにしておけば、その後の会話でいろいろアピールできたのに! あれじゃただの、性格が悪いうるさい女じゃないの!

 

「えっと、すごく辛そうな顔してるけど……、やっぱり足でも痛めたんじゃ……」

「い、いえ! ほ、本当になんでもないのよっ?」

 

 お、落ち着くのよ、アマンダ。まだ決定的な失敗をしたわけではないわ。そう、ピンチこそチャンスに変えるのよ。二人きりであることに違いはないのだし、さっきの予定が少し早まっただけと思えばいいの。

 そうね、軽ーく挨拶――はもうしたから、……次はお洒落な会話ね。よし、ウィットに富んだ大人の会話をして、一気に気分を盛り上げるのよ!

 

 …………。

 

「何話せばいいのよおおおお!!」

「っ!?」

 

 ダメッ! 全っ然わかんない! お洒落って何? ウィットって何? というか会話ってどうやって始めればいいんだっけ!?

 えっ、『話す』ってこんなに高度な動作だった!?

 

「ど、どうしたんだい!? やっぱり打ち所が悪かったの!? 頭大丈夫!?」

 

 ……ああもう、これじゃ頭のおかしいうるさい女じゃないの。このまま別れちゃ印象最悪だわ。と、とにかく何か話さなきゃっ。

 で、でも一体何を話せばアアアアッ……………………はっ!

 

 

 

 ――『なあに、難しく考えることはない。相手が興味を持っているもの、いつも行っていることなどを話題にすればいい。そうすれば向こうも話し易い』

 ――『ならばこの場合、お前がやるべきは一つしかない。犬を飼うのだ』

 ――『相手の目を見て、お互いの心を通わせるのだ』

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 よ、よーし……。あ、相手の目を見て……。

 

「じ、実は……数日前から悩みがあって、今もそのことについて考えていたの」

「あ、ああそうだったのか。それで難しい顔をしていたんだね?」

「ええ。だ、だからちょっとイライラしてしまって……。さっきはあんな風に怒鳴ってしまって……ごめんなさいね、ジョセフ」

「ううん、気にしなくていいんだよ。誰でもそういう日ってあるよね」

 

 ………………。

 

 ぃよっしゃああああ! リカバリー成功!

 

 私は心の中で小躍りした。いやしかし、重要なのはここから。さらに仲良くなるための楽しい会話をしなければならない。頑張れ、私。

 

「あ、あの……、ちょっと聞きたいことがあるのだけど」

「ん? なんだい?」

「えっと、ジョセフって確か、犬を飼っていたわよね?」

「うん、そうだよ。飼い始めたのは父さんだけどね。でも僕にも結構懐いてくれていてすごく可愛いんだ」

 

 や、やった。好感触だわ。

 

「そ、それは羨ましいわ……。じ、実は私も今動物と触れ合っているのだけど、あまり懐いてくれなくて……」

「へえ、そうなのかい? ……あ、もしかして悩みっていうのは――」

「え、ええ、それなの。その子と仲良くなれなくて困ってるのよ」

「ふむふむ。何の動物なんだい?」

「え、えっと……」

 

 …………す、少しくらいの嘘なら、……良いわよね?

 

「い、犬?かしら……。野良だから正確には分からないのだけど……、うん、まあ多分そんな感じ……」

「ああそっか、野良かあ。ウチの『ペロ』は赤ん坊だったからすぐ懐いてくれたけど、野良はなかなかねえ……」

「ええ、そうなのよ。………………まあこっちもある意味赤ちゃんだけど……。『ベビー』ゴイルだし」

「え?」

「い、いえっ、なんでもないわ。と、とにかく、吠えられたり噛みつかれたりで、まだまだ仲良くなれてないのよ」

「え、噛まれるの? それ大丈夫なのかい?」

「ええ。小さな子だし、噛まれるくらいは平気」

 

 だってもっと酷いこと――刺されたり燃やされたり――もされてるし……。それに比べれば噛みつきくらい……ねえ?

 

 …………。

 

 なんか感覚が麻痺してる気がする……。ホントよく死ななかったわね、私。『みずのはごろも』半端ないわ。

 

「……そうか。君は優しい人なんだね」

「へ?」

 

 私が訓練内容を思い出してヤケっぱちな笑いを浮かべていると、なにやらジョセフが穏やかな顔でこちらを見ていた。

 

「相手が可愛い子犬でも、何度も噛まれていれば負の感情の一つも浮かぶものだよ。でも君はそのことを話すときも、落ち着いた優しい目をしていた」

 

 いや、落ち込んで死んだ目をしていただけだと思うけど……。

 

「きっとその子と本気で仲良くなりたいから、多少噛みつかれても気にしていないんだろう? それは本当に優しい人にしかできないことだよ」

 

 いや、いつかブッ飛ばしてやりたいと思っているけど……。

 

 ……い、いやでもこれはチャーンス! いい感じに勘違いしてくれているし、ここで一気に優しい女アピールよ!

 

「ええ! 多分あの子も怯えているだけだろうしね! 私に慣れてくれるまで、何度でも挑戦するわ! いつか仲良くなれるのなら、多少噛まれるくらい全然気にならないもの!」

「おお、素晴らしいよ、アマンダ。同じ動物好きとして尊敬するよ!」

 

 よし、これもうまくいったわ!

 

「あ、そうだアマンダ。何か進展があったら、またこうして教えてくれるかい?」

 

 !?!? き、来た!! あっちからお誘い! 密会のお誘い来たああ!!

 

「ええ! 是非またお話を聞いてほしいわ!」

「そうか。じゃあうまくいった報告が聞けるのを楽しみにしているね?」

「ええ! 頑張るわ!」

「ふふ。じゃあ、またね?」

「ええ! また!」

 

 そして私たちは楽しい会話を終え、お互いに良い笑顔で別れたのだった。

 

 そして――

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「いやっふぉおおお!! イエイ、イエイ、イエエエエイ! 私大勝利いいい!!」

 

 私は一人残った広場で、淑女らしく喜びを爆発させていた。

 偶然出会った想い人と楽しく会話し、次に会う約束まで取り付ける。まさに完全勝利だった。

 これはもう、目標は達成されたと言っていいんじゃなかろうか? 恋人コース確定なのではあるまいか?

 

「ああ……、ありがとうサンタ、いえ、師匠! 私は最初からあなたを信じていたわ。この人についていけば何の問題もないって!」

 

 私の目に狂いはなかった。だってサンタの言う通りにしたからこんなに早く成果が得られたんだもの。

 きっと故郷では凄腕の指導者だったに違いないわ。まったく誰よ、あの人のことを変質者とか言った愚か者は。そいつの目は節穴ね。

 

「ふふ、まあいいわ。違いのよくわかる私は、師匠の元で真面目に励むとしましょうか。ジョセフからも応援されちゃったわけだし、もっともっと頑張らないとね!」

 

 こうして私は、断固たる決意とともにその場を走り出したのである。

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

「師匠! よろしくお願いします!」

「お、おう……?」

 

 そして今日も今日とて街の外で修行三昧。昨日までなら文句の一つも出るとこだけど、今の私は一味違うわ。

 

「師匠、あなたのおかげで今朝ジョセフと二人きりで話せたの! しかもまた今度会う約束までしちゃった!」

「お、おう、そうなのか……」

「相手の好きなものを話題にする。目を見て心を通わせる。全て師匠の言う通りだったわ、ありがとう!」

「そ、それは何よりだ……」

「じゃあ今日もベビーゴイルと戯れて来るわね! 私頑張るわ!」

「う、うむ、いってらっしゃい。………………これは、動物効果が表れた……のか?」

 

 

 ふふ、考えてみれば、昨日までの私は傲慢で自分勝手だったわね。感情的に叫んで自分の主張を押し付けるだけじゃ、何も得ることなんてできないわ。

 そう、落ち着いて誠意を持って対話すればこそ、相手も同じ想いを返してくれるのよ。人も魔物も同じこと。

 そのことがわかった今、もうこの訓練も怖くないわ!

 

「さあ、だから仲良くしましょう、ベビーゴイルちゃん! 私と心を通わせて! あなたの胸の内を聞かせてちょうだいな!」(……くくくくく。さあ、早く私の踏み台となるがいいわ、この畜生風情め)

「…………」

「(ニコッ)」

「…………」

 

 

 そしてベビーゴイルは、微笑みとともに返事を返してくれた。

 

「キキー」(よう、負け犬女。無駄な努力ご苦労様だなあ、ケケケ)

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「……………コォォォォォ」

「キキィーッ!?」

 

 アマンダは つめたい いきをはきだした! ベビーゴイルを やっつけた!

 

「ちょっ、何やってるのだ、アマンダ!?」

「気にしないで。同じ想い(悪意)を返してあげただけよ」

「いやそれ悪意じゃなくて殺意!」

 

 うるさい。私を怒らせるこいつが悪い。

 

「キキィ……」

「あら?」

 

 なんと ベビーゴイルが おきあがり みのがしてほしそうに こちらをみている!

みのがしますか? →いいえ。

 

「生きていたならちょうどいいわ。あんた、私の下僕になりなさい」

「キッ!? キキーッ!」

「逃がすかぁ!」

「グエェ!? ……ギ……ギ……ギギィィ……」

 

 私が頭を掴み上げると、奴は最初こそ抵抗したものの、やがては観念したように腹を見せ服従の意を示した。

 少し予定とは違ったけれど、これにて目標達成である。

 

「ふぅ……。見て、師匠、心が通じ合ったわ」

「いや通じ合ってないっ! それ恐怖で支配しただけっ!」

「なるほど、あれが魔物との心の通わせ方なのか……。一度殺らなきゃダメなんだな……」

「ハッサンも納得しないで! あんなやり方絶対ダメ! 情操教育に悪過ぎる!」

 

「さあベビーゴイルちゃん。あんたにはしっかり、ジョセフとの会話の種になってもらうからね? 覚悟しときなさいよ」

「ヒ、ヒギィ……」

 

 

 

 この日、少女は自らの殻を破り、新たな領域へと足を踏み入れた……。

 

 

 ――――そう、『魔物使い』として、覚醒したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 




半殺しにして配下に加え、その後ずっと戦力として酷使する。

こうして書くとかなり怖い人ですよね、魔物使い。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話 真っ直ぐにぶつかっていけ

「さあベビー、これを燃やすのよ」

「キキーッ!」

 

 ベビーゴイルがギラを放ち、目の前にある木の輪が燃え始める。

 地面に置かれた台座から上方向に伸びる金属の棒と、その先に地面と垂直になるよう据えられた奇妙な輪っか。一体何に使うのだろうか。

 

「さあベビー、くぐりなさい」

「キキッ!?」

 

 ……どうやら拷問に使うようだ。自分を責める道具を自らの魔法で用意させるとは、なんと無体な……。

 

「アマンダ、ちょっと待つのだ。さすがにそれは可哀そうだ」

「何よ、私には散々ギラ浴びさせておいて、本人にやらせるのはダメだって言うの?」

「い、いや、お前には『みずのはごろも』があったではないか。……というかあれは一応訓練だからな? こういう……、なんというかその、いじめ的なものはどうかと……」

 

 先日暴力でベビー(命名ハッサン)を支配して以来、アマンダの性格がどんどん苛烈になっている気がする。ここらで引き止めておかないと、本当に行き着くところまで行ってしまいそうで怖い。

 と思っていたら、アマンダがキョトンとした。

 

「何言ってるの、師匠。これは芸を仕込んでいるのよ?」

「は? 芸……とな?」

「ええ。サーカスって知らない? スリルのある芸を披露して観客を楽しませる集団。その中に動物にいろいろやらせるものがあるの。火の輪くぐりもその一つよ」

「な、なるほど……」

 

 つまり痛め付けようとしているわけではなく、素でこんな恐ろしい命令を下しているわけだ。……余計に怖い。

 

「いやしかし……、少々危険ではないか?」

「ちょっとくらい危険じゃないと芸にならないわよ。何より、ジョセフとのお話に使うのに、『お手』や『お座り』だけじゃ面白みに欠けるじゃない」

「普通はそれだけでも優秀な気がするが……」

 

 あれからアマンダは何度かジョセフと会い、ベビーと仲良くなっていく過程を話して聞かせているらしい。実際のところは一瞬で服従させたため過程もクソもないわけだが、なんとかいい具合に脚色して、そこそこ楽しく会話ができているそうな。

 

 で、次は犬の芸を話題にしたいと考え、こうしてさっきからいろいろ仕込もうとしているようだが――

 

「あ、そのフォークも使えそうね。ベビー、ちょっとそれ呑み込んでみてよ、刃先の方から」

「キキッ!?」

「やめてあげて! 身体より大きなフォークをどうやって呑み込むのだ!?」

 

 アマンダよ……、こんなの聞かされても、相手は引いてしまうだけだと思うぞ……。

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 調きょ…………訓練が一段落して休憩中、アマンダが膝に乗せたベビーをモギュモギュしながら口を開いた。

 

「まあ、この子のことを話題にするのもそろそろ十分だと思うしね。あそこまでやらせなくてもいいか」

「ほっ」

「キィ」

 

 どうやら最後の一線で踏み止まれたようで何よりである。

 ここで我慢できるようになった辺り、初対面のときからの成長が見受けられる。一つの目標(モンスターテイム)を達成し、心に余裕ができたということなのだろう。

 ついでに性格も穏やかになっててくれればよかったのだが……。

 

「ふふ、それに明日はお祭りだしね。もうベビーを使ってセコセコ距離を縮める必要もなくなるわ」

「む、お祭り? 何なのだ、それは?」

 

 またしても聞き慣れない単語に首を傾げる。すると私の言葉に対して、アマンダも同様に首を傾げた。

 

「え、『お祭り』を知らないの?」

「うむ、初耳だ」

「あー、師匠は僻地で育ったらしいからな、よっと、当たり前のことを知らなかったりするらしいぜ、ほいっ」

 

 ハッサンの補足を受け、アマンダも納得の表情を浮かべる。

 

「へえ、そういうこともあるのね……。ええと、お祭りってのはアレよ、とりあえず街の皆で集まってドンチャン騒ぐことよ」

「……え? 住民による殺し合い大会?」

「……いやそんなわけないでしょ。それじゃ血祭りよ……」

「やっぱり師匠って、変なとこで常識ないよなあ」

 

 またしても狭間の世界並みに血生臭いイベントか、と戦慄したところ、再び二人から呆れ顔を向けられてしまった。どうやら勘違いだったようである。

 

 ――がしかし、少なくともこいつらにだけは『非常識』とか言われたくない。

 

「『お祭り』ってのは、ほっ、町の皆で集まって飲み食いしたり、よいしょっ、楽しい芸を見たり、普段見られない品が売られたりするような、そいやっ、まあ皆でいろいろ楽しみましょうって行事だな」

「サンマリーノでは毎年この時期に開催されるの。港町らしく海関係の催しが多いわね、船どうしのレースとか、解体ショーとか」

「……え? 人間の解体?」

「魚に決まってるでしょうが。猟奇的発想から離れなさい」

「師匠、どんな国で育ったんだ?」

 

 そりゃもう、悪の総本山である。

 

「オホンッ、オホンッ。まあ私の生い立ちはいいとして、二人はそのお祭りとやらに行きたいのか?」

「ええ、そうよ。……あ、まさか修行があるからダメって言うんじゃないでしょうね?」

「ええ!? そりゃないぜ、師匠。年に一回のお祭りなんだぜ? よいさっ」

「いや、別にそんなことは言わんよ。二人とも良い感じで修行は進んでいるしな。一日くらい構わんだろう」

「ほんとか! よっしゃ!」

「ありがとう師匠!」

 

 実を言うとこの二人、かなり筋が良いのだ。

 (たちま)ちベビーゴイルをテイムしてしまったアマンダは言うに及ばず。

 ハッサンのほうも、見た目を裏切らない高い身体能力の持ち主だ。初日こそ泣きながら逃げ惑っていたが、魔物に慣れた次の日以降は半ば楽しみながら修行を行うようになった。

 実際今も、余裕を持って敵の攻撃を躱しながら草原を駆け回っている。足腰も大分鍛えられたことだろう。

 

「そうだ、ハッサンよ。そろそろ親父殿に努力をアピールしてみてはどうだ?」

 

 ゆえに、そろそろいい機会かと思い、そう勧めてみたのだが、

 

「あっ、それなんだけど聞いてくれよ、師匠! 昨日親父と決闘したんだけどさ!」

「いやお前何しとるの? 努力を認めてもらう方向で行くんじゃなかったの?」

「それが……最初は口で説明してたんだけど、親父の奴全然認めてくれなくてさ……。終いには馬鹿にされて頭に来ちまって、『俺が勝ったら認めろー』って殴りかかっちゃった」

「何をやっているのだ……」

「野蛮ねぇ」

 

 今朝から気になっていた頭の包帯はそういう理由だったわけか。

 

「…………で、今も修行を続けているということは?」

「ボコボコにやられちゃいました……」

「情けないわねぇ」

「うぐぅ……。お、俺が弱いんじゃない、親父が強いのがいけないんだ。何なんだ、あの腰の強さは……」

「まあ……大工だからなあ」

 

 仕方のない話ではある。肉体労働者が弱いわけはないのだ。

 重い資材を運んだり、デカい金槌を何度も振り下ろしたり、そんな重労働を長年続けてきたのだから。

 ――なるほど、これが人間の男が越えるべき壁、『父の背中』というやつなのだな。

 

「……もうしばらく鍛えようか、ハッサン」

「……はい」

 

 ハッサンは神妙に頷いた。

 やはりしばらくは地道に修行するしかない。怠けずに続けていれば、いずれは父親が絆されてくれる可能性だってあるだろう。肉体派の親子は筋肉によって分かり合えると本にも書いてあったしな。

 

 

 

「ああ、そういえばアマンダ。さっきもう芸は必要ないと言っていたが、あれはどういう意味なのだ?」

「ふふんっ! よくぞ聞いてくれました!」

 

 ふと、もう一方のことも気になって声をかけると、アマンダはその場で嬉しそうに立ち上がった。あ、ベビー転がり落ちた。

 

「師匠は知らないでしょうけど、お祭りっていうのは男女の仲が急接近しやすい特別なイベントなのよ」

「そうなのか?」

「ええ。いつもと違う非日常の中で気分が盛り上がってそのまま一気に!ってこともよくあるの」

「なるほど……。つまり」

「ええ…………。勝負に出るわ」

 

 アマンダは静かに宣言した。

 いや、静かなのは声だけか。その瞳は決意の炎でメラメラと燃えている。

 

「おそらく明日、ジョセフはサンディと一緒にお祭りを回るはずよ」

「……それを邪魔するのか?」

「…………。前までの私なら、そうしていたでしょうね。そしてジョセフからの心象を悪くして、その恨みをサンディにぶつけていたかもしれない。……まったく、自分でも子どもだったと思うわ」

「ということは、今は違うのだな?」

 

 半ば確信を以って問いを重ねると、アマンダは微笑を浮かべた。それは己自身と向き合った者のみが持てる、穏やかな笑みだった。

 

「ええ。そんなことをしても、得られるものなんて何もない。だから……だから私は……、自分の全力を以って、真っ直ぐにぶつかっていくの」

「ほう……」

 

 ……正直言って、私は驚いていた。

 

 ここしばらくの修行で多少の変化が見られたとはいえ、根本の気質というのはそう簡単に変わるものではない。なので、今回も彼女が良くないことを考えているのではと思っていたのだが、ここまで清廉な決意を抱いていたとは……。

 これは謝らなければいけないようだな。

 

 ……いや、それは後で良いか。今はただこいつの胸の内を聞いてやって、背中を押してやらねば。

 

「きっとお祭りのどこかで、ジョセフとサンディは二人きりになるわ。そこを狙って――」

「なるほどな。つまりそこでサンディに宣戦布告をして――」

「ベビーに二人を襲わせて! 私が颯爽と助けるのよ!」

「お前最低だな!?」

 

 ここまでの爽やかな流れが一瞬で台無しである。

 やはりアマンダはアマンダのままだった。恋する乙女というのはここまで凶悪になれるのか……。

 

「それに、サンディは魔物を見るのは初めて。もしかしたらジョセフを見捨てて一人で逃げるかもしれないわ。ふふふ、そうなればきっとジョセフも幻滅するわねぇ、ぐふふふ」

「えげつないっ!」

 

 これはもはや恋する乙女どころではない! 謀略の徒、軍師アマンダがここに誕生したのだ!

 

「さあ明日よ! 早く来おおおい!!」

「わ、私は……とんでもない怪物を育ててしまったのかもしれない……」

「師匠、恋愛って過酷な戦いなんだな……」

 

 

 高笑いする少女の背中を見ながら、私は強く天に祈った。

 

 ――どうか明日の祭りが、恋人たちの解体ショーになりませんように、と。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 そして翌朝。

 

「で、なんで師匠まで着いて来るのよ?」

「い、いや気にするな。……す、少し心配だっただけだ」

 

 私はベビーを連れたアマンダとともに、街の一画に身を潜めていた。

 最初は見て見ぬふりをしようかとも考えたのだが、やはり自分の指導が原因の一端と思うと放置もできず、こうして監視に勤しんでいるわけである。

 

 ……くそう、初めて平和的な行事を体験できると思ったのに、なぜいつも通り野蛮な臭いのするところにいるのだ、私は。

 

「あ、ジョセフとサンディが来たわ」

 

 しかし嘆いていても時間は止まらず、ついに対象の二人が現れた。

 彼らは仲良さ気に手を繋ぎ、町の中央広場に向かって歩いている。その姿はどう見ても、初々しい恋人どうしにしか見えなかった。

 

「相変わらず距離が近いわねえぇ……!」

「ステイ。アマンダ、ステイ」

 

 早速不穏な気配を出し始めたアマンダをなんとか宥める。

 昨日は『二人の仲が良い』という現実を受けとめているように見えたが、やはり理解と納得は別の話ということか。人間の感情の難しさである。

 

「……ふ、ふん、まあいいわ。とりあえず気付かれないように後を追いましょう。そして人気のないところに移動したら、その場で作戦決行よ」

「う、うむ」

 

 我々は楽しい祭りの日に、恋人たちのストーキングを開始したのである。

 

 

 

――――

 

 

 

「あの、ジョセフ様。やっぱり私なんかが御一緒するのは……申し訳ないです」

「何言ってるんだい、サンディ。僕の方から誘ったのに、気にすることなんかないよ」

「で、ですが……、私はただの下働きですし……」

「別に一緒に出掛けちゃいけないなんてことはないだろ? …………まあ、僕がサンディに嫌われているなら無理強いはできないけど」

「き、嫌いだなんてっ、そんなことありませんよ!」

「ふふ、じゃあ一緒にお祭り回ってもいいよね?」

「う…………ジョセフ様、意地悪です」

 

 ジョセフは笑いながらサンディの手を引いて歩き出した。大変仲睦まじい。

 

 ――ギリギリギリッ。

 

「ステイ。アマンダ、ステイ。歯軋りはやめるのだ」

 

 

 

 

 

 

「サンディは船が好きだよねえ」

「はいっ、見るのも好きだし乗るのも大好きです。風がとても気持ちいいんですよ」

「じゃあ今度、遊覧船に乗ってみるかい?」

「え? 遊覧船……ですか?」

「うん、新しく始まるサービスでね。この辺りの海をグルリと回って、綺麗な景色とかを見せてくれるらしい」

「ぜ、是非乗りたいです!」

「ふふ、じゃあ今度二人で行こうね?」

「はい!」

 

 祭りを回りながら次のデートの約束を取り付けた。ジョセフ坊ちゃん積極的である。

 

 ――ピキピキピキッ。

 

「ステイ。アマンダ、ステイ。冷たい息が漏れてる」

 

 

 

 

 

 

「すごい。あんなに素早く魚を解体できるなんて。私もあれくらい上手になりたいなぁ」

「今でも十分うまいと思うけど?」

「いえ、私なんてまだまだです。今もお給金に見合う仕事ができているのか不安なくらいで……」

「ふーむ、そっかあ。…………あ、じゃあ、お金が発生しなければいいのかな?」

「ええっ!? わ、私、解雇ですか!?」

「いやいやそうじゃなくてさ。…………家族になっちゃえばいいのかなってこと」

「!? も、もうっ、何言ってるんですかっ」

 

 大きな声で怒るサンディ。だが言葉とは裏腹に、その表情はとても嬉しそうだ。

 

 ――メリメリメリッ。

 

「キ、キキィ……」

「ステイ。アマンダ、ステイ。ベビーの頭が潰れる」

 

 

 

――――

 

 

 

 そんなこんなで、彼らはこの後も楽しそうに祭りを巡っていった。

 その間二人の仲睦まじい様子を際限なく見せ付けられ、アマンダの殺気はどんどん膨れ上がり、私とベビーの胃はどんどん痛んでいった。

 

 そして太陽が中天に昇った頃――

 

 

「殺るわ」

「落ち着け」

 

 今我々がいるのは町の端っこ、海を見渡せる港の一区画だ。視線の先のベンチでは、ジョセフとサンディが楽しそうに会話を続けている。

 恋人たちが静かな場所で二人になりたがるのは自然なことらしいが、私としては『なんでこんな場所に来ちゃったかなあ』というところである。人目がない上に海が近いから、完全犯罪し放題だ。

 

 ……い、いや、それを防ぐのが私の役目。そのためにも最後の打ち合わせをしておこう。

 

「よし、もう一度確認しておくぞ? 襲わせると言っても脅かすだけで、絶対に危害は加えないこと。ベビーは威嚇したり、至近距離を飛び回ったりするだけで、直接攻撃は禁止。二人が怯えたのを確認したら、アマンダが飛び出して二人を逃がす。……これでいいな?」

「ええ、問題ないわ」

「キキー」

 

 ……はあ。なぜ魔族の将たる私が、コソコソ子どもを脅す算段など立てなければならないのか。自分で蒔いた種とはいえ、結構精神にクるものがある。

 が、だからと言って放置はできない。今のアマンダを一人にしておくと何をするか分からないからだ。ならばせめて目の届く範囲で行動させ、やり過ぎないよう手綱を握るしかない。

 

 怖い思いをするであろう二人には誠に申し訳ないが、私にはこれ以上の方法は思い付かなかった。実害は出ないよう全力を尽くすので、どうか許してほしい。

 

「じゃあ、やるわよ……。ベビー! ゴー!」

「キキーッ!」

 

 

 こうして、酷過ぎる恋愛アプローチが始まったのである。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話 恋する女の全力

「さあベビー! しっかりやりなさい!」

「キキー!」

 

 親分からの指示を受け、舎弟が元気よく飛び出していった。小さな羽根を勢いよく羽ばたかせ、あっという間に二人の眼前へと躍り出る。

 

「きゃあっ!?」

「ま、魔物!? なんで町の中に!」

「キッキキー!」

 

 突然草むらから飛び出したベビーゴイルに、ジョセフとサンディは慌てふためく。初めて魔物を見たであろうことを考えるとこの反応も当然と言えよう。

 そんな彼らの周りをベビーがグルグルと飛び回る。時折りフォークを振りかぶりながら、蛇行、旋回、宙返りと、派手な動きを交えて威嚇していく。

 

 ……心なしか、楽しそうにも見える。普段アマンダに抑圧されている分の反動だろうか。……まあ多少のはっちゃけくらいは良いが、くれぐれも手元は狂わせないようにしてほしい。

 

「よーし、いい感じね。そのままうんっと怖がらせなさい」

 

 そしてこちらも随分楽しそうな様子。恋敵を怖がらせることができて嬉しいようだ。

 

「くっ、魔物め。サンディには指一本触れさせないぞ!」

「ジョ、ジョセフ様っ。危険ですよ!」

 

 そうこうしている内に動きがあった。ジョセフがサンディを守るべく、脇に置いてあった角材を持ってベビーに向かって構えたのだ。

 さすがに多少腰は引けているが、初めて見る魔物に対して果敢に立ち向かっている。中々に気骨のある少年だ。

 

 …………。

 

 ……いや、あの娘がいるからこそ……か。

 

「ああ、ジョセフかっこいいわ……。守る対象がサンディなのが口惜しいけど、やがてはあの位置に私が立つことになるのね」

「…………」

「さあ、サンディ、さっさと逃げるのよ。そして残されて傷付いたジョセフに私が手を差し伸べるの!」

 

 アマンダがこの後の展開を期待して煽る。

 しかし――

 

「サンディ! 君は逃げるんだ!」

「だ、ダメです! 一緒に逃げましょう、ジョセフ様!」

「一斉に逃げたら後ろから攻撃されてしまう! 僕が押さえておくから、君は早く行ってくれ!」

「そんな……、私だけ助かっても意味がありません! 足止めなら私がします! ジョセフ様がいないと私は……!」

 

 どちらともその場から離れない。

 恐怖から動けないのではない。互いが互いに、相手に助かってほしいと心から願っているのだ。激しい恐怖を感じてはいても、それ以上に相手を想う心がそこにあった。

 

 無論、戦術的なことだけで言えば、サンディのやっていることは愚行だ。

 どちらも魔物との戦闘は未経験であり勝てる可能性は低い。ならば、まだ僅かなりとも戦えそうなジョセフだけが残って足止めし、その間にサンディを逃がすのが正しい。少なくとも一人は確実に助かるのだから。

 

 しかし…………それができないのが、人間の感情なのだろう。

 

 理性だけでは行動できない。想う心ゆえに不合理な行動を取ってしまう。

 敵わなくても戦おうとするのも、相手への想いゆえ。

 見捨てられずに残ってしまうのも、相手への想いゆえ。

 

 なるほど、これが、この如何ともし難い強い想いこそが、

 

 

 ――人間が『愛』と呼ぶものなのか……。

 

 

 ああ、また一つ人間について理解できた。

 やはり、彼らは儚くも美し――

 

「えーい、早く逃げなさいよ、サンディ! まったく忌々しいわね!」

「…………」

 

 せっかく脳内でいい感じの流れにしていたというのに……、ここに、その機微を理解できない小娘が一人。

 ……誰かを想うあまり勢いで行動しちゃうコレもまた、愛の形と言えるのかなあ? ……言いたくないなあ。

 

「……なあアマンダよ、ここらでもうやめておかないか? これ以上は無駄な気がするのだが……」

「何言ってるの! ここからが勝負よ!」

「いや、ここからって。どう見ても両想いだし、もうやりようが…………ん?」

 

 ――…………ォォォォ……。

 

 どうにかアマンダを思い留まらせようとしていたそのとき、不意に、空気が変わる気配がした。

 何かが近付いているような感覚と、同時に地鳴りのようなものも聞こえてきたのだ。一体何が起きたのか。

 

「ジョ、ジョセフ様! 外からも魔物が!」

「な!? あ、あんなにたくさん!?」

 

「なにっ!?」

 

 二人の焦った声にそちらを振り返り、そして驚愕した。

 なんと外壁の隙間から大量の魔物が町へ入り込んでいたのだ。この辺りの魔物たちが、ハッサンに嗾けた群れの軽く三倍は集まり、こちらに向かって迫って来ていた。

 想定外の事態に思わず私まで立ち尽くしてしまう。

 

「馬鹿な! い、一体なぜ、街の中にこんな大量に………………はっ!?」

 

 そのとき、私の脳裏にとても嫌な予感が過った。こんなことをやりそうなヤベー奴に心当たりがあったからだ。

 隣にいる容疑者に恐る恐る確認を取ってみる。

 

「ま、まさかとは思うが…………、アマンダ……お前」

「恋は戦いなのよ……。どんな手段を使ったって、最後に相手を手に入れた者が勝者なのよ!」

「…………」

 

 や、やっぱりお前か~~~~!?

 

「お、お前! あんな大量の魔物を一体どうやって連れて来たのだ!?」

「毎晩街の外へ行って、コツコツぶちのめしてきたの」

(たくま)し過ぎるだろ!! お前ほんとに町娘!?」

 

 こ、こいつは将来本当に魔物使いとして大成するかもしれん。いずれ魔王軍にとって甚大な脅威となるかも……。

 って、今はそんなことはいい。あっちだ、あっち! なんとか追い返して二人を守らないと――

 

「って、……んん?」

 

 とそこで、私は向かって来る魔物たちに対し再び違和感を覚えた。何やら平静じゃないというか、何も見えていないというか、そんな気配を感じたのだ。

 隣にいる被疑者に対して、念のため問いを重ねてみる。

 

「な、なあアマンダよ。あの連中妙に興奮しているというか、目の色が変な気がするのだが……」

「ああ、ベビーみたいに調教したわけじゃないからね。ただ倒しただけだから完全に従っているわけじゃないの。でもま、単純に人間を襲わせるだけならそれで十分よ」

「え! 襲わせるって、実際に攻撃させるのか!?」

「ええ。だから攻撃が届きそうになったら師匠が防いでね?」

「い、いや、万が一があっては危険だろう! きちんと命令して、攻撃するフリだけにさせてだな……」

「え、無理よ。だって『ほしのかけら』使って混乱させちゃったし」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「なんでそんなもの使ったああああ!?」

「言ったじゃない。完全に従っているわけじゃないって。その状態であの数に命令するのはさすがに難しいから、混乱させて目の前の相手に襲い掛かるだけの状態にしておいたの。頭いいでしょ?」

「頭おかしいわ!」

 

 普通男を手に入れるためにここまでする!? やっぱりこいつは想像以上のヤベー奴だった!

 

 ――キシャアアアアアアッ!!

 

「ああ!? も、もうあんな近くまで来ている!」

「さあ師匠、行くわよ! あの群れを颯爽と倒し、私はヒロインの座を勝ち取るのよ!」

「こんな悪辣なヒロインがいてたまるか! ああ、こら待て!」

 

 嬉々として飛び出すアマンダを追い、自分も走り出す。まさかこんな大変な事態になってしまうとは想定していなかった。

 これでもし二人に何かあったら本当に申し訳が立たんぞ!

 

「サ、サンディ! 君だけでも早く逃げてくれ!」

「ならジョセフ様も一緒に!」

「キキー!?」

 

 視線の先では蒼い顔をしたジョセフとサンディが悲痛な声で叫んでいる。罪悪感で胃がキリキリ痛む。

 そしてそんな師匠の気も知らず、アマンダは颯爽とポーズを決めて二人の前に飛び出した。

 

「助けに来たわよ、ジョセフ!」

「え、アマンダ!? なんでここに!?」

「偶々通りかかったのよ。見つけた以上は放っておけないわ! 助けてあげる!」

 

 自分でやっておいて、よくもまあそんな台詞が吐けるものである。

 しかしまあ、この期に及んではやるしかない。せめて二人を完璧に助けてやって、アマンダへの心象を良くしておいてやろう。

 ……バレたときの酌量になるかもしれんし……。

 

「あ、危ないわ、アマンダ!」

「ふん、私の実力ならあれぐらいなんてことないわっ。あんたなんてお呼びじゃないの! どっか行ってなさい、サンディ!」

「ア、アマンダ……」

「さあ行くわよ、魔物ども! カアアアア!!」

「ギギャアア!?」

 

 アマンダの冷たい息によって魔物たちがダメージを受けていく。だが一撃で全て倒すまでには至らない。仕方がないので私も協力することに。あまり目立ちたくはないのだが止むを得ん。

 

「スゥゥゥーーッ、」

 

 

 ――――ゴォアアアアアッ!!!!

 

 

「グギャアアアッ!?」

「ひええ!?」

 

 私は大きく息を吸い、おたけびを上げた。

 迫っていた魔物の半分ほどが音波に飲み込まれ、その場で気絶していく。――同族だが許せ、殺さないだけマシと思ってほしい。

 痙攣する同胞たちに対し、私は小さく謝罪し手を合わせた。

 

「す、すごい、この人叫びだけで……」

「ふふん、二人とも驚いたかしら? 私この人に師事して強くなったの。まだまだこんなもんじゃないわよ?」

「へ、へぇ、そうなのか……。…………じゃ、じゃあいずれ、アマンダもあんな怖い技を使うように……」

 

 ん? 何やら雲行きが怪しいような……。

 

「さあ、じゃんじゃん行くわよ! あまい息ーー!」

「グギ? ギ……ギィ……すぴぃ……」

 

 アマンダの口から溢れた薄紅色の気体によって、魔物たちが次々と眠りこけていく。

 

「……あ、こういう平和的な技もあるのか」

 

 お、これは意外に好感触――

 

「どくの息ーー!」

「グギギギギィ!?」

「ひえっ、魔物が酷い顔色で倒れてっ」

 

 ――じゃない。ダメだ、すごく怖がっている。

 

「やけつく息ーー! あはは、動けまい! このっ、このっ!」

「ひぃぃ、動けない敵を足蹴にっ」

 

 ああ、いかん……。これは完全に引いている。

 

「お、おーい、アマンダー?」

「あはははは! 私はモンスターマスター・アマンダ! 畜生どもよ、我が前にひれ伏すがいいわ!」

「……駄目だ、全く聞こえていない」

 

 完全にスイッチが入っちゃったアマンダを前にして、私は無力感に苛まれながら説得を諦めたのである。

 

 

 

 ――この後彼女は、もはや楽しくなっているとしか思えない表情で魔物たちを蹂躙していった。

 ……自分で嗾けた魔物を自分で倒すとか、魔王様もビックリの悪辣ぶりだった。

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 そして魔物殲滅後――

 

「ふう、スッキリ――いえ、悪を退治できてよかったわ!」

「そ、そうか……」

 

 アマンダはやりきった表情で汗を拭っていた。

 

「いえ、悪とか関係ないわね。やっぱり一番の理由は、友達が危険な目に遭うのを見過ごせないってことよねー」

「うん、そうだな……」

 

 そしてこれ見よがしに、ジョセフへのアピールの台詞を吐いている。

 ……が、しかしだな、

 

「ああ、でもそれも違うかしら? 何と言っても頑張れたのはやっぱり、す、す、す、好きな人のためだからっ――きゃ! 言っちゃった!」

 

 あー、ダメだ。これ以上は聞いていられん!

 

「盛り上がっているところ悪いのだが!」

「ちょ、何よ。今いいところなんだから邪魔しないでよっ」

「いや、いいところでも何でもなくて……。後ろを見ろ、後ろを」

「はあ? 後ろ? あんたさっきから何を言って……い……るぅ?」

 

 私の指摘にアマンダは後ろを振り返り、そして、調子外れの声を漏らした。

 彼女の視線の先、そこにはひび割れた石畳や、倒れ伏した魔物といった惨状が広がるのみ。

 つまりは誰も――いなかったのである。

 

 表情の消えたアマンダは、ギギギッという音が鳴りそうな動きでこちらを見た。

 

「…………ふ、二人は……どこへ?」

「途中でお礼を言って避難していったぞ。……二人きりで」

「は、はあっ!? 私が戦っていたのに逃げたの!? なんで!?」

「いや、お前がサンディに言ったではないか、『どっか行ってなさい』と」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「そ、そういう意味じゃないわよ! なんで文字通りに受け取ってるのよ、あの娘!」

「『ありがとう、アマンダ』って嬉しそうに笑っていたぞ。よかったな、好感度アップだ」

「そっちは要らないわよ! そ、そうだジョセフ! ジョセフの方はなんて言っていたの!?」

 

 あー、それ聞いちゃうか。これは言わないほうが良いような気が……。

 しかし黙っていてもいずれ本人に会えば分かるし……。仕方ない。

 

「ゴホン……。えー、『助けてくれてありがとう。それと、君なら子犬くらいいくらでも従えられるよ。もう僕が話を聞く必要もないと思う。これからも頑張って』だそうだ……」

「…………」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「…………アマンダ?」

「かはあっ!」

「あ」

 

 しばらくプルプルと痙攣していたアマンダは、やがてその場で膝を着いた。

 再びキラキラした何かを口から溢れさせながら、頭を抱えて慟哭する。

 

「なんで! なんでよ、ジョセフーーー!」

「いや、あの反応も無理はないと思うが……」

「なんでよ!? 私のどこがダメだって言うの!?」

「……口から毒や冷気を吐いて魔物を足蹴にする女って、割と人を選ぶと思うぞ?」

「はっ!?」

 

 そう指摘すると、アマンダは口をあんぐりと開けたまま固まり、

 

「そ、そうだったああ! 淑女は口から毒液を吐かなかったああ!」

「淑女でなくても吐かないと思う……」

「颯爽と倒すだけでよかったのに! なんで全部の技を使っちゃったのよおおお! あふ……」

 

 後悔の叫びを上げていたアマンダは、ついにその場で崩れ落ちた。

 我を忘れて暴れ回り、想い人から距離を取られ、その上恋敵の手助けをする形になってしまったのだ。これはダメージも相当であろう。

 

「うえ~ん、ジョセフ~~。なんでえ~~? えぐっ、ふぐっ、うえぇ~~」

 

 そして最後には泣き出した。

 よく女がかわいこぶってやるような抑えた泣き方ではない。ホンマモンの見苦しいガチ泣きである。

 

「うあ~~ん! ジョセフうう! う、うおおおん!」

「……アマンダ」

「びえええええ!」

 

 はっきり言ってやり方は悪かったし、百パーセント彼女の自業自得なのは間違いない。下手すれば二人が怪我をしていたのだから。

 ……ただまあ、こいつなりに頑張ったのも事実ではあるし、このまま放置するのも可哀そうな気はする。……なので、

 

「アマンダよ、そう落ち込むな。……ほら、周りをよく見てみろ」

 

 彼女の前に膝を着き、目線を合わせる。

 

「ぐす、ひぐぅ。う~、周りが何よぉ……えぐぅ」

「ああもう、とりあえず顔を拭くのだ。ほれ、ぐいぐいっと」

「あぶふう。お、乙女の顔を乱暴に拭うなぁ……」

 

 このままでは埒が明かないので、やや強引に顔を上げさせる。手ぬぐいで目元をグニグニと擦ると、彼女の赤くなった目元が(あら)わになった。

 

「よし、これでよく見えるだろう。ほら、あれを見るのだ」

「ううぅ、だから何のことよぉ…………ほへ?」

 

 しつこく指摘を繰り返したことで、ようやく彼女は渋々と周りに目を向け、そして、間の抜けた声を上げた。

 

「え、え、え、何……これ」

 

 それも当然。なんと彼女の周りでは、今し方倒した魔物たちが膝を着き頭を垂れていたのだから。

 

「決まっているだろう。彼らはお前の力を認め、配下として下ったのだ」

 

 私の言葉にアマンダは再び口をあんぐり。戸惑いながら周りを見回す。

 

「え、えええ……、そんなつもり全然なかったんだけど……」

「それでもお前が成し遂げたことには変わりない」

「こ、こんなの求めてないわよお……。肝心のジョセフからはフラれちゃったし……ぐすん」

「……まあ、それに関しては、な。……だがこれだって、今回お前自身が成した立派な成果だぞ?」

 

 ジョセフにフラれた穴埋めには到底ならんだろうが……、これで少しは気分が紛れないだろうか。っておい、なんだそのジト目は。

 

「ぐすっ……ねえ師匠、なんか妙に優しくない? ……もしかして、これで有耶無耶にしてさっさと立ち直れって思ってない?」

「うっ、いや少しはあるかもしれんが……。お前のことをすごいと思ったのは本当だぞ? これは誰にでもできることではない。正しく『偉業』と言うべきものだ」

「え、え~? そう……かなあ?」

「嘘ではない。初めは魔物から悲鳴を上げて逃げ回っていたお前が、正面からこいつ等と対峙し、見事これだけのことを成し遂げたのだ。理由は少し邪だったかもしれんが、お前のあの背中を見たときは私も少し震えたぞ」

「え、う、う~、なんか……そこまで言われると照れるというか、何というか……」

 

 満更でもない様子だ。よし、もう一押し!

 

「誇れ、アマンダ。お前は十分頑張った」

「え、あ、ええと」

「他の誰が認めなくとも、この私が認めてやる」

「う、いや、だから」

「よくやった。偉いぞ、アマンダ。凄いぞ、アマンダ。立派だぞ、アマンダ!」

「あ、ああ、もうっ! わ、わかった! わかりました! わかったからもう恥ずかしいこと言わないで! なんかゾワって来る!」

 

 ついにアマンダは腕を振り回しながら立ち上がった。

 まだまだ元気が出たとはとても言えないが、それでも先ほどよりは目に光が戻ったように見える。……これなら少しは安心していいかな?

 

「ったくもう……。本気なのか冗談なのか分からないのが、こいつの性質悪いところだわ。……顔見えないし。素性知れないし。ちょくちょく頭おかしいし」

 

 口を尖らせながらポツポツと失礼な呟きを漏らすアマンダ。

 目元を押さえ気味なのは気になるが……、とりあえず、憎まれ口に関しては復活したようで何よりである。

 ゆえに、

 

「うむうむ、それでいい。しおらしいお前など調子が狂っていかんからな。これからもその調子で頼むぞ、毒舌娘よ。ふはははは」

 

 なんて笑いながら、私はお転婆な弟子の頭をグリグリと撫で回したのである。

 

 

 

 

 

「………………ふんっ!」

「いだあ!?」

 

 

 ――噛み付かれた。

 

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 

 その後、『こんな顔じゃ町に戻れない』と言うアマンダの化粧直しを待つこと30分ほど。

 時折りグスグスと鼻を啜りつつも、ある程度感情に折り合いが付いたのか、振り返った彼女の顔に涙の跡はもうなかった。

 

「あーあ、これで私も本格的に魔物使いかあ。なんか、ますます男に縁遠くなりそうね……」

「まあそう腐るな。この能力は使いこなせると役に立つぞ? 魔物だけでなく動物にも使えるのだ」

「へー、そうなの? ……あ、じゃあせっかくだし、本当に犬か猫でも飼おうかしら? せっかくゲットした能力を無駄にするのも勿体ないしね」

「お、いいのではないか? 動物を飼うと『あにまるせらぴー』とやらが働いて、健康にも良いらしいぞ」

 

 ついでに、今度こそ性格も穏やかになることを期待しよう。

 って、言ってるそばから(しか)めっ面しよった。

 

「何よ、それ。またその謎本の情報? それって変なことばかり書いてあるけど、信用できるんでしょうね?」

「む、失礼な。とても役に立つのだぞ?」

「胡散臭いわねえ」

 

 まったく信じていない顔である。

 

「えーい、ならば追加で何か良い情報を教えてやる。待っていろ、え~と…………あ」

「え、なに?」

「い、いや、なんでもない」

 

 この本の素晴らしさを分からせてやろうとパラパラとページを捲っていたところ、不穏な文章を見つけてしまった。

 今のアマンダの状況にピッタリな一説。さすがに今言うには可哀そうな内容だった。ここは沈黙一択である。

 

「ねえ、なんなのよ?」

 

 と、配慮しているのにこいつはグイグイ来よる。

 

「い、いや、これは別に知らなくていいことだ……」

「何よ、変なことでも書いてあったの? 秘密にされる方が感じ悪いんだけど」

 

 そして見る見る機嫌が急降下していく。えーい、女の感情は風向きが読みにくいな。

 

「……本当に、言ってもいいのか?」

「大丈夫よ。今日はもうガツンと傷付いちゃったし、今更悪口の一つくらい気にならないわ」

「で、では……」

 

 私はできるだけ厳かにその教訓を読み上げた。

 

 

 

 ――フラれた直後に犬や猫を飼い始めると、そのまま結婚できない女へ一直線、熱っ! 熱つ! こ、こら、火炎の息はやめろぉ! 

 

 ――うるさい! タイミングを考えろ、この馬鹿師匠!

 

 

 

 まったく、暴言はまだしも暴力はいかんぞ。年頃の娘がはしたない。

 

 …………しかしまあ、元気になるならばこのくらいは受け止めてやるか。

 失恋の痛みはその後もしばらく続くらしいし、もしかしたらこれから泣くことだってあるかもしれんが……。まあそのときはまた、特訓でも口喧嘩でも好きなだけ付き合って発散させてやろう。

 

 ――なんと言っても私は、師匠なのだからな。

 

 

 

 よし! 爽やかに締めたところでこの件は完了!

 願いを叶えてやれなかったのは残念だが、流血沙汰の恐れもあったことを考えればこの結果でも上出来だろう。

 後はもうハッサンをただ鍛え続ければいいだけだし、特に危険なことはないはずだ。

 

 は~、よかった、よかった。

 一時はどうなることかと思ったが、これでやっと平和な日常が戻ってきそうで――

 

 

「師匠、大変だ! サンマリーノに魔物の大群が近付いて来てる!! このままじゃ町が滅んじまうよ!!」

「…………」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「ア、アマンダ……お、お前……」

「そ、それは私じゃないわよ!? 本当よ!?」

 

 

 

 ――神よ、どうやら平穏はまだ遠いようです……。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話 人を育てるとは難しい

「くふふふ。この心の傷、大暴れすることで癒してくれるわ!!」

「癒しを求める顔じゃねえぞ、アマンダ!」

「お前たち、背中で暴れるな!」

 

 二人を背負って街の中心部へ急ぐ。

 ハッサンから第一報を聞いたときは、ついにアマンダが街全体を巻き込む陰謀を企てたのかと危惧したが、どうやら別口だったようでそこはホッとした。

 

 が、安心したのも束の間、今度はアマンダの奴が『暴れてストレス解消しよう』という酷い発想に至ってしまった。確かに元気を出せとは言ったが、こいつはジョセフにフラれた理由をもう忘れてしまったのだろうか。そういうとこだぞ?

 

 これでは将来的に、戦闘狂か変態としか結婚できなくなってしまうのではなかろうか。弟子の行く末が本気で心配である。

 

「師匠! もっと急いでくれ!」

「!? わかった!」

 

 しまった。余計なことを考えていて動きが鈍っていた。

 ハッサンの口ぶりから考えて、街に迫る魔物の群れはかなりの大群。住民の戦闘能力が低いこの街では大量の死傷者が出かねない。

 

 ――そうなる前に急がねば……!

 

 私は余計な思考を削ぎ落とし、ひたすら民家の屋根を蹴った。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「見えた!」

「チッ、もうあれほどの数が……」

 

 そのまま百回ほど跳躍を繰り返した後、ようやく我々は中心街まで辿り着いた。

 ……が、どうやら一足遅かったようだ。上空から見下ろしたところ、すでにかなりの数の魔物が街に入り込んでいるのが見て取れた。幸い正門はすでに閉じられているためこれ以上の流入はなさそうだが、今いる魔物だけでもどのくらいの被害が出ることか。

 

 この辺りの魔物など自分にとっては物の数ではないが、こうもあちこちに散らばっているとさすがに厄介だ。街ごと吹き飛ばすわけにもいかんし、一匹ずつ倒そうにも、街の細部を把握していない私では時間がかかり過ぎる。

 

 ――くそっ、どうすればいい? 一体どうすればっ。

 

 

「なあ師匠! どうするんだ!? 早くみんなを助けねえと!」

「テキハドコ? エモノハドコ?」

「!?」

 

 そのとき、背中からの声に妙案が浮かんだ。

 そうだ、こいつらがいたのだ!

 昔からサンマリーノで暮らしているこの二人ならば街の構造にも詳しい。特に子供時代はいろいろな場所で遊んだりするので、入り組んだ道などもだいたい把握していることだろう。

 人選としては最適である。

 

「…………。……よし、二人とも聞いてくれ。生憎私はこの街を完全には把握していない。だからお前たちの協力が必要だ。街の中の魔物たちを、お前たちで手分けして倒してほしいのだ」

「え? 俺たちが一人で……?」

「ああ。少しでも早く解決するためには、私が外の連中をなんとかしている間に、土地勘のあるお前たちで中の敵を倒すしかない。街の入り組んだ場所となると、私では対応が追い付かんのだ」

「だから、俺たちの力が……」

「ああ、そうだ。…………もちろん、強制はできんが」

 

 私の提案にハッサンが唾を飲み込む。

 無鉄砲気味に見えてもこの少年は馬鹿ではない。自分の実力や状況を冷静に見極めるくらいはできる。今がどんなに危険な状態かもわかっているし、初めての実戦に対し恐怖も感じているのだろう。

 しかし――

 

「わかった……。俺、やるよ」

「そうか。……助かる」

 

 顔を上げたハッサンは決意の表情で宣言した。

 そうだ、彼は恐怖を知らない愚か者ではない。だが、動くべきときに動けない腰抜けでもないのだ。

 ふっ、こちらの弟子もどんどんと成長しているようだ。やはりこの人選に間違いはなかったな。

 よし、私も張り切って奴らを爆殺してやるぞ!

 

「さあアマンダよ、お前も頼んだぞ!」

「リョウカイィ。ケケケ、コロセー!」

 

 …………。

 

 じ、人選に間違いはなかったはずだ、多分……。

 

 うん……ただまあ、私の担当する相手に関しては、殺さずお帰り願うくらいの慈悲を見せてもいいかもしれない……。

 そもそも虐殺が嫌で人間界に来たのだから、高揚感に任せて無用な殺戮などしては本末転倒だ。奴らと一緒になってしまう。

 

 うん、そうだ。いやあ、危なかった、『人の振り見て我が振り直せ』とはよく言ったものであるな。以後気を付けよう。

 

「よし、ではお前たち、作戦を開始してくれ。……くれぐれも慎重に、冷静にな?」

「了解だ、師匠!」

「ケケケ、シネー!」

 

 …………。

 

「お、おい、アマンダ。わかっているな? 守ることが目的なのだからな? 虐殺が目的じゃないんだからな? なあおい、聞いてるのか――って、コラ待てえ!」

「ワレニツヅケエエ!!」

「ゲギャーーーッ!!」

 

 アマンダは従えた魔物たちを引きつれ、メインストリートをカッ飛んでいった。その背中はすでに、一軍を率いる魔将の風格を纏っていた。

 

「あいつの将来、本当にどうなってしまうのだろう……」

 

 

 とりあえず今度、宿屋の主人には謝罪に伺ったほうがいいかもしれないと思った。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 師匠たちと別れてから、俺は建物が複雑に立ち並ぶ区画を目指して走っていた。

 最初は家族の無事を確認することも考えたが、俺より強い親父がいるんだから大丈夫だと思い直し、まずはこちらを優先した。

 

 そう、今何よりもするべきは、師匠に頼まれた任務の遂行だ。

 

 街の中央からやや外れた位置にある集合住宅地。

 あそこは二階建ての長屋になっており、住民たちのために多数の出入り口が設置されている。

 しかしそのせいで魔物が入り込みやすく、また入った後は発見もしにくくなってしまうという厄介な構造になっている。子どもが多く暮らしていることもあり、真っ先に守らないといけない場所なのだ。

 

 正直一人で戦うのは怖いが、今はそんなこと言ってる場合じゃない。

 ビビるな、ハッサン! こんなときのために鍛えてきたんだろ!

 

 俺は自分を奮い立たせ、船着き場の角を曲がった。そして――

 

「うわあああ! た、助けてええ!」

「っ!? くらえっ!!」

「ギュアア!?」

 

 出会い頭に現れたヘルホーネットに、とびひざげりを叩き込んだ。

 胴体部に膝を受けた巨大な蜂は、苦悶の声を上げながら海に落ちていく。咄嗟のことで闇雲に出した技、手応えも何も分からなかった。まだ向かって来るか……?

 俺はしばらくその場で構え、海面を睨み付けた。

 

 そのまま十秒……二十秒……と時間が経ち、そして、もう襲って来ないと確信したところでようやく構えを解く。

 

「ふうううう……」

 

 大きく息を吐き出した。

 気付かない内に固く握り込んでいた掌がズキズキと痛む。師匠から『冷静に』と言われていたのに、初っ端から全然守れていなかった。冷や汗はダラダラと流れているし、心臓はバクバク波打っている。たった一匹を相手にこのザマとは情けない限りだった。

 

 ――だけど、

 

「……倒した。誰の力も借りずに……一人で倒したっ!」

 

 気が付けば俺は、喜びで拳を突き上げていた。

 今まで鍛えたことが無駄じゃなかったと分かり、こんなときだというのに嬉しくて堪らなかったのだ。

 

「ハ、ハッサン……お前……」

「あっ!」

 

 そんな俺を背後から聞こえた声が呼び戻した。

 地面に座り込んで腰を抜かしているフランクに慌てて駆け寄る。

 

「フランク! 怪我はねえか?」

「あ、ああ、お前のおかげで助かったよ。……し、しかしすごいな、魔物を一撃で倒しちまうなんて」

「へへ、今すげえ達人に教えてもらってるからな。かなり強くなれたんだぜ?」

 

 まだまだ師匠には及ばないだろうけど、この街周辺の魔物には十分通用するようで一安心だ。残りの奴らも全て片付けてやる。

 

「それでフランク、他のみんなは――」

 

 

 ――きゃああああっ!?

 

 

「!? い、今の声は!」

「不味い! 加勢に行ってやってくれ! 今はなんとか皆で応戦しているが、やられるのも時間の問題だ!」

「くっ!」

 

 そうだ、悠長に喜んでいる場合じゃなかった。早くみんなを助けてやらねえと!

 俺が急いで階段を駆け上がると、そこでは男たちが魔物と入り乱れて戦っていた。全員戦いには不慣れなのだろう。すでに全身傷だらけだ。

 しかし絶対に建物の中には入れるものかと、彼らは恐怖に堪え、歯を食いしばりながら抵抗を続けていた。

 先ほどの悲鳴は後ろにいる女たちだろうか。板や金槌を持って出入り口を塞ごうとしているようだが、怪我を負う男たちが心配なのか中々作業が進んでいない。

 なら俺のやることは一つだ!

 

「魔物ども! てめえらの相手は俺だ!」

「グギャッ!?」

 

 男たちへ攻撃を加えている『どろにんぎょう』へ背後から近づき、再びとびひざげりを放つ。泥の体がバラバラになるのを確認しながら、その隣の『ピーポ』を引っ掴んで階下へ投げ飛ばす。

 ようやく気付いて振り返った『ビッグフェイス』の盾を蹴り上げ、顔面に拳を叩き込む。落ちてきた盾を掴んで、触れないように『バブルスライム』を薙ぎ払う。

 さっきの戦闘で緊張が解れたのか、今度は驚くほど簡単に体が動いてくれる。

 敵の攻撃は掠りもせず、逆にこちらの拳は面白いように相手へ突き刺さる。

 ほどなくして俺は、十匹以上いた魔物を全滅させることに成功した。

 

「みんな、大丈夫か!」

「あ、ああ……助かったよ。もう少しでここも突破されるところだった」

 

 緊張の糸が切れたためか、戦っていた男がへたり込みながら礼を述べた。

 その後ろから老人や子どもなど、建物に隠れていた人たちもやって来る。見たところ、皆大きな怪我もないようだ。

 

「大工の旦那のとこのハッサン、だったかね? あんたのおかげでみんな無事だよ。ありがとう」

「兄ちゃん強いんだな! 俺驚いちまったよ!」

「へ、へへへ、いや、それほどでもねえよ。みんなが無事なら何よりだ」

 

 このとき、口では調子の良いことを言いながら、俺は内心で小躍りしていた。

 人から言われたことで改めて実感する。自分は強くなれたのだと、自分の選択は正しかったのだと。

 

 ――どうだ、親父! 俺は力を付けて人の役に立ったぞ! いち早く危険な場所に駆け付けて、一人の死人も出さずに皆を守ったぞ! 大工なんか継ぐより、よっぽど世の中のためになってるだろうが!

 

 俺は親父に対して勝った気になり、心中で何度もそんな言葉を重ねたのだ。

 

「いやあ、旦那のとこは親子で俺たちを助けてくれて、ほんと頭が上がらないよ」

「…………え?」

 

 だが、住民の何気ない一言に、俺の心の声は止まった。

 

「親父が……みんなを助けた? それってどういう……」

「あれ? 知らなかったのかい?」

 

 疑問を発した俺を見て、住民たちが意外そうな顔をする。

 

「この家は旦那が建ててくれたんだよ。頑丈に造ってくれたおかげで、魔物の攻撃を受けてもビクともしなかったんだぜ?」

「そうそう。まさか魔法を喰らっても大丈夫とは思わなかった」

「他の街の大工だったら、壁が崩されていたかもしれないよなあ」

「この辺り一帯は旦那が手掛けてくれた建物ばかりだからな。死んだりした奴は一人もいねえ。まったく命の恩人だぜ、あの人は」

 

 彼らの言葉を受け、辺りを注意深く見回す。

 

「そう言えば……あの家も、あっちの商店も、倉庫も、壁も……」

 

 全部、見覚えがあった。

 

 ……そうだ、それも当たり前の話だ。

 ここは親父に弁当や荷物を届けるため、俺が何度も通った道だった。

 毎日同じ場所で同じような仕事をしている親父の姿を、『つまらねえな』なんて思いながら何度も通った道だった。

 

 ……つまり、俺がここに素早く駆け付けられたのも、一人の死者も出さずにヒーローを気取れたのも、

 

 

 ――全て、全て親父のおかげだったってことで……

 

 

「ハッサン!」

「!? な、なんだ?」

 

 考え込んでいた俺は、フランクの声で再び現実に引き戻された。振り返ると、大きな家具や木材でギチギチに塞がれた大扉の横で、彼が俺を呼んでいた。

 

「ここは全部の出入り口を塞いだからもう大丈夫だ。後はこの勝手口を打ち付けちまえば、連中は入って来れねえ」

「そ、そうか。なら一先ず安心だな」

「ああ。お前はどうする? 一緒に中に籠るか? しばらく出入りはできなくなっちまうけど」

「い、いや、俺はまだやることがあるんだ。残りの魔物を倒しに行かねえと」

 

 そうだ。また余計なことを考えて時間を食っちまってた。今は早く他のところも回らねえと!

 

「そうか……。わかった、気を付けてな! お前のおかげで本当に助かったぜ!」

「ああ。あんたのおかげで夫が死なずに済んだんだ。礼を言うよ」

「俺らも今度は一緒に戦えるよう鍛えておくぜ!」

「兄ちゃん、頑張ってな!」

 

 フランクだけでなく、建物の中に避難した住民たちが口々に礼を言い、励ましてくれる。

 

「お、……おう! 任せとけ!」

 

 そうだ。

 俺が来なきゃ皆危なかったんだ。俺はこの力で人を助けたんだ。

 俺の選んだ道は間違ってねえ。親父のことなんか気にする必要ねえんだっ!

 

 そう、自分に強く言い聞かせた。握り込んだ拳がさっきより小さく見えたのは、きっと気のせいだと思いながら……。

 

「……よ、よし、じゃあ俺はこの周りを見回って来る。誰か魔物がいそうなところに心当たりがあったら教えて――」

「た、大変だ! だ、誰か! 誰か戦える奴はいねえか!?」

 

 そこへ、血相を変えた男が走り込んできた。魔物に追われてきたのかと思い一瞬身構えたがそうではなく、しかし彼は青い顔で助けを求め続ける。

 

「は、早く! 早くしないと!」

「おいおい、落ち着けよ。こっちはもう魔物はいないし、安全だぜ?」

 

 フランクが何とか宥めようとする。

 しかし彼が落ち着くことはなく、続いて放たれた言葉に、今度は俺たちのほうが慌てふためくことになった。

 

「大変なんだ! 街の裏門が開きっ放しで、そこからどんどん魔物が入って来てる!」

「なんだって!?」

「お、おい! そりゃ本当か!?」

 

 俺は慌てて男に掴みかかった。

 本当だとしたら不味い。

 先ほどは十匹程度であれだけ押し込まれていたのだ。だというのに、さらに大量の群れが押し寄せて来ては、彼らでは一たまりもない。

 一刻も早く門を閉じなければ!

 

「どこだ!? 北門か! 南門か!」

「き、北だ! 戦えるんなら頼む、一緒に来てくれ! 他にも仲間を集めているところなんだ!」

「わ、わかった!」

 

 複数人で事態に当たると聞かされ、少しだけ安堵する。さすがに大群を相手に単独で立ち回る自信はまだなかった。

 だが――

 

「この先の広場に集まっているから着いてきてくれ! すでに一人で向かっちまった奴がいるから急がねえと! 放っておいたらやられちまう!」

「な! どこの馬鹿だよ、そいつは!?」

 

「それが、――――――あ、おい!」

 

 

 

 

 

 最後まで話を聞かずに、俺はその場を飛び出していた。男の呼び声を無視し、そのまま大通りを全力で駆け抜ける。

 

「くそっ、何やってやがんだ、あいつは!!」

 

 走りながら思わず悪態が零れる。

 

 ――自分が作った門だから自分で閉めに行くだと!? こんなときにまで頑固発揮してんじゃねえよ! くそっ!

 

 取り返しのつかないことになっては不味い、と全力で足を動かした。別に心配なんざ欠片もしていないが、お袋を悲しませるわけにはいかないからだ。

 まったく、年甲斐もなく面倒をかけやがって! 後でブン殴ってやる!

 

 

 

「ああちくしょうっ、無事でいろよな! クソ親父っ!!」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話 言葉では伝わらないこともある

◆◆◆

 

 

 親父に笑いかけてもらった記憶はほとんどない。

 旅行に連れていってもらったこともないし、褒められたことだってほとんどない。

 物心ついてから覚えている親父の姿は、いつも不機嫌そうに金槌を振っているか、ノコギリを引いているか、図面を眺めているか、そのどれかだった。

 

 俺がある程度成長してからは、大工の技術を仕込まれる日々が始まった。

 間違えては怒鳴られ口答えしては殴られ、仕事の基礎を延々叩き込まれる毎日。当たり前だが全然楽しくはなかった。

 

 不満だったのは修行についてだけじゃない。

 親父は仕事中もむっつり押し黙り、常に眉を寄せている。手掛けている家が完成しても大して表情も動かさず、達成感などを感じているようにも見えなかった。そして次の日にはすぐ新しい仕事に取り掛かり、また黙々と仏頂面で作業し続ける日々。一体何が楽しいのかと疑問に思うばかりだった。

 

 正直辛い大工修行などさっさとやめたかったが、情けない話、親父に怒鳴られるのが怖かった俺は嫌々ながらそれを続けてきた。

 おかげで技術だけは無駄に身に付いたと思うが、こんな心境でやってきた仕事を好きになれるはずもなく、俺は日々鬱屈した感情だけを募らせていった。

 

 そんな俺が唯一気を紛らわせることができたのが、本を読んでいる時間だった。

 聖剣に選ばれた勇者が魔王を倒すという、まあ内容自体はありきたりな英雄譚だ。でも、修行漬けで娯楽なんかほとんど知らなかった俺にとって、それは何にも勝る心躍る時間だった。

 

 中でも俺が強烈に憧れたのは、主人公である勇者ではなく、その相棒の武闘家だ。勇者と違って聖剣もなく、精霊による加護もなく、出自もただの農家の次男坊。女にモテるような描写もなく、言ってしまえば勇者の引き立て役だったのだと思う。

 

 だけどそいつの、自分の力だけで敵を倒し仲間を守る強さに、俺は強烈に憧れた。何度も読み直す内にその憧れはどんどん強くなっていき、自分もこんな風になりたいと思い始め、そしてある日、俺は武闘家になることを決心していた。

 空想話に中てられたガキの妄想ではあったけど、それでも俺が初めて自分で選んだ道だったんだ。

 

 そして今じゃこんなに強くなった。昨日は頭に血が上って情けないことになっちまったけど、今日のこの姿を見ればきっと親父だって俺を認めてくれるはずだ。

 

「そうだ、どうせなら親父がピンチになってから助けた方が効果的かもな。俺より強い親父がこの辺の魔物にやられるわけねえし、しばらく物陰から様子を見てようか。はは、そうだな、それがいいや」

 

 俺はそんな親不孝なことを考えながら北門へ向かい、そして、

 

「っ!?」

 

 ――敵に囲まれて血を流す親父を見た瞬間、全てを忘れて地面を蹴った。

 

 

「親父いいいっ!!」

「ハッサン!?」

 

 膝を着く親父に大量のギラが撃ち込まれる寸前、どうにか俺はその射線上に割り込んで両手を構えた。そこへ炎が突き刺さる。

 

「ぐうううっ!?」

 

 凄まじい熱気が肌を焼き、苦痛から思わず逃げ出したくなる。

 だが自分の後ろには傷付いた父がいるのだ。なんとしてもこの攻撃だけは凌ぎ切ってみせる!

 師匠がやっていたことを思い出すんだ。手に意識を集中させ、集めた魔力で拳を覆い、そして――――拳圧で魔法を消し飛ばす!

 

「がああああッ!!」

 

 束ねられたギラの中心を強く突く。炎の壁は俺の拳と一瞬だけ拮抗した後、やがて空気が爆ぜるような音とともに消し飛んだ。

 

「ギ、ギギイ!?」

「はあっ、はあっ、……へへ、やったぜ」

「ハ、ハッサン……お前……」

 

 やや焦げてしまった右手を振りながら敵の集団を睨み付けると、連中は目に見えて動揺していた。ここは一気に追撃をかけるチャンスだ。

 できれば助けに来たドサクサで親父を一発ブン殴りたかったとこだが、この状況じゃ仕方ない。その代わり、親父の前で俺の実力をキッチリ見せ付けてやる。 

 

「さあ、下がってな、馬鹿親父! これくらい俺が全部片付けてやるぜ!」

「っ! 生意気言ってんじゃねえぞ、馬鹿息子!」

「あっ、何やってんだ!?」

 

 と思っていたら、親父が素早く立ち上がり魔物の群れに突っ込んでいった。流れる血も拭かずに、次々と魔物たちを殴り飛ばしていく。慌てて俺も後を追い、親父の隣で拳を振るった。

 

「おい、怪我してんだろうがっ! 大人しく後ろで見てろよ!」

「寝言は寝て言え! これくらい怪我の内に入らねえってんだ!」

「嘘吐け! さっきはやられそうだったじゃねえか!」

「これから反撃するとこだったんだ! それを余計な真似しやがって!」

「な!? こ、このクソオヤジ~~!」

 

 せっかく助けてやったのになんて言い草だ。

 緊急時にも関わらずこの頭の固さ。これじゃいくら武闘家になりたいと説得しても聞き入れてくれないはずだ。

 

「だいたいなんで一人でこんなとこ来てんだよ! みんなを待ってから一緒に来りゃよかったじゃねえか!」

「そんな悠長なことしてたら、魔物がどんどん入ってきちまうだろうが! 門を作った当人として、俺にはキッチリ運用する責任があんだよ!」

 

 ハエまどうを殴りながら怒鳴る。その隣で親父は、ビッグフェイスを盾ごと殴り飛ばしながら叫び返す。

 ちくしょう、見れば見るほど俺より強えな! 実は武闘家が本職なんじゃねえのか、このオヤジは!

 

「そういうのは警備兵の仕事だろ!」

「馬鹿野郎! ここまで含めて職人の義務だ!」

「あーもうっ、どんだけ頑固なんだよアンタは!」

 

 ピーポを殴り飛ばし、一旦距離を取るため後ろへ跳ぶ。

 そこへ反対側で戦っていた親父も下がってきて、期せずして二人背中合わせの状態になった。警戒して遠巻きになる魔物たちを睨みながら、こちらも息を整える。

 

「……人の命を預かる『家』を建ててるんだ。半端な真似は許されねえんだよ」

 

 不意に、親父が静かな口調で零した。

 お互い気を落ち着けている最中だからだろうか。最近じゃ珍しく、その言葉は素直に俺の耳へ入ってきた。

 

「……自己満足と言われても構わねえ。けど俺は、大工として人を幸せにすると決めたんだ。そのためにできることならなんだってやるさ」

「親父……」

 

 初めて聞く親父の内心に、俺はなんと返答したものかわからなかった。

 

 親父の言っていることが全て正しいとは思わない。魔物と戦ってまで街を守る義務なんて職人にはないだろう。

 要するに親父は古い人間で、なんでもかんでも背負い込む面倒な性格をしているってことなんだ。近くにいると疲れるタイプ。昔からいろいろ付き合わされてきた息子としては、実にいい迷惑である。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 ――だけど、

 

 だけどそうやって、自分の仕事にどこまでも誠実であろうとする姿は、……悔しいけど少しカッコよく思えてしまって、

 

「怖いならお前は帰ってもいいんだぜ? あれくらいの魔物、俺だけでも十分だ」

「けっ、年寄り一人に任せて失敗したら、皆に申し訳が立たねえよ。仕方ねえから最後まで付き合ってやるぜ」

「ふんっ、なら足引っ張るんじゃねえぞ!」

「こっちのセリフだ!」

 

 ――俺は初めて、親父の助けになりたいと思ったんだ。

 

 …………。

 ………………。

 

 いや、本人には絶対言わねえけどな!

 

「オラッ、どきやがれ魔物ども! 世界一の大工様のお通りだ!」

「自分で世界一とか言ってんじゃねえよ!」

 

 ……初めて親父と一緒に遊んだような気分になって、少し楽しかったのは内緒だ。

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 そのまま一気に雑魚たちを倒し、ついに俺たちは門を守るボスと対峙した。

 

「グルルルル……」

 

 目の前の赤い大型モンスターが、低く唸ってこちらを威嚇してくる。

 師匠の本によると、こいつは確か『いどまじん』という魔物だったはずだ。この辺りの連中と比べるとかなり強い、俺にとって明確な格上だ。

 だが早く門を閉めるためには、こいつを速攻で倒すしかない!

 

「よし、行くぜ! 遅れんなよ、親父!」

「親に向かって命令すんな!」

 

 己を奮い立たせるために叫び、その場を駆け出す。

 

「ゲギャアッ!」

「そんなもん食らうかよ!」

 

 いどまじんの投げた石つぶてを掻い潜りながら、懐まで一気に潜り込んだ。思ったよりも動きは遅い。これならなんとかなる!

 

「「はああっ!」」

「グゲエッ!?」

 

 俺は親父とタイミングを合わせ、いどまじんの腹へ拳打を叩き込んだ。拳には確かな手応え、奴は苦痛に顔を歪めている。

 

「よし、もう一発っ――」

「!? 下がれ、ハッサン!」

「えっ?――ぐあっ!」

 

 追撃しようとした瞬間、真横から凄まじい勢いで何かがぶつかってきた。一瞬視界がブれた後に体が浮き上がり、続いて背中にドンっと衝撃が走る。

 次に目に入ってきたのは青い空。何か硬い物に打ちつけたのか、後頭部にも鈍い痛みが感じられた。

 そこでようやく、地面に殴り倒されたのだと理解した。

 

「ぐっ、くそ……」

 

 グワングワン揺れる視界に耐えながらなんとか体を起こすと、いどまじんの野郎は、尻尾をブラブラさせながら嫌らしく笑っていやがった。

 ちくしょうっ、効いたような表情は演技かよ! 馬鹿みてえな面して頭使いやがる!

 

「ゲギャッ!」

「がっ!?」

「ハッサン!」

 

 頭の中で悪態を吐いていると、再び奴の尻尾で殴り飛ばされ、街壁に叩きつけられた。先ほどの攻撃と合わせて、どこか骨でも折れたかもしれない。それぐらいの衝撃だった。

 

「ゲギャギャギャッ」

「くっ、お前なんぞに……やられて、たまるか……!」

 

 なんとか立ち上がろうとする俺を、奴は小馬鹿にするように笑う。それに対し気勢を上げるものの、体は全く動かない。

 いどまじんがゆっくりと近づいてくる。一足で距離を詰められるくせに、奴はなかなかこっちまで来なかった。

 人間なんかに本気を出す必要はないってことか? それとも、殺される恐怖を味わわせるためにワザと時間をかけてやがるのか。くそ、魔物ってのは性格も悪いのかよっ。

 

「グルルルゥ……!」

「――?」

 

 …………。

 

 ……いや、おかしい。時間をかけるにしたってさすがに遅すぎる。さっきから全く動いていない。しかも奴は、イラついてるような表情まで見せていて……。

 

「ぐおお……おおお……!」

「っ!?」

 

 そして気付いた。

 違う、ゆっくり歩いているわけじゃない!

 

「止まり……やがれ……!」

「グラアアア……!」

「人様のガキに……手ぇ出してんじゃねえぞ……!」

 

 親父があいつの尻尾を掴んで、こっちに来れないようその場に留めているんだ! 自分の何倍も大きい魔物を相手に一人で!

 

「グルアア!」

「ぐおっ!?」

 

 当然、そんなことをすれば奴も黙っていない。

 いどまじんは敷石を砕き、親父に向かって投げつけた。両手で尻尾を掴んで踏ん張っている状態では防ぎようもなく、親父は全身に石つぶてを受け、見る見るうちに傷だらけになっていく。

 だが、それでも――

 

「へっ、これぐらいで放すかよ。お前にはもうしばらくここにいてもらうぜ!」

 

 頭から血を流しながら、それでも親父は手を放さなかった。

 

「グラアア!」

「ぐ、ぐうっ!?」

「お、親父……!」

 

 ちくしょう、何やってんだ俺は! 調子に乗って攻めて、油断してやられて、一方的に守られて。思い切り足手まといになってるじゃねえか!

 こんなザマで何が『強くなった』だ!

 立て! 立つんだ、このポンコツが! 今立たねえでいつ立つんだよ!

 

 自分の情けなさに歯噛みしながら、震える膝に拳を打ち付ける。体の中の弱気を、叫び声とともに外へ吐き出す。

 

「俺は……俺は……世界一の武闘家になるんだあああ!!」

「グゲッ!?」

 

 そして、全身に鞭を入れて立ち上がった。

 頭がクラクラするし、視界もユラユラしてるが、今はそんなもん知ったことか!

 さっきのお礼だ。特大の一発をお見舞いしてやる!

 

「親父いい! そのまま押さえてろおお!」

「っ! おうよ!」

「グ、グオオオッ!?」

「へっ、放さねえって言っただろうが。大工の足腰舐めてんじゃねえぞ!」

 

 立ち上がった俺を見て、焦りの声を上げて暴れ出す井戸魔人。だがそれを親父が強引に抑え込む。

 その力強い姿に、俺は感心するよりもむしろ呆れてしまった。まったく、大工ってのは皆こんなに足腰が強いのかよ。

 

 ……ああ、そうだ、師匠にも言われていたのをすっかり忘れていた。

 武闘家は下半身が命。ちゃんと腰を使って拳を振らないと、効くものも効かなくなってしまう。まったく、こんな大事なことを親父の言葉で思い出すなんて、悔しい限りだ。

 

「ちょうどいい、この悔しさもまとめてお前にぶつけてやるぜ! 覚悟しな!」

 

 俺は再び奴に向かって走った。苦し紛れに振るわれたパンチを掻い潜り、もう一度懐に潜り込む。

 もう甘い一撃なんて撃たない。今度こそ本当の全力だ。

 両足を前後に開き、腰を深く落とす。

 足首、膝、腰、肩。全身を回転・連動させ、全ての力を拳に集約する。そして最後に、

 

 ――後方まで撃ち抜くように、目の前の目標をまっすぐ突く!

 

「せいけんづきいいい!!」

「グゴアアアアッ!?」

 

 一直線に放たれた拳が、いどまじんの腹に突き刺さる。骨が砕ける音とともに巨体が浮き上がり、奴はそのまま壁を越え、街の外まで飛んでいった。

 間違いなくこれまでの人生で最高の威力。会心の一撃と言っていい手応えだった。数秒遅れて聞こえてきた落下音と微かな振動が、その確信を後押ししてくれた。

 

「ざ、ざまあ……見やがれ……。ぐうっ!?」

 

 しかしその分こちらの受けた反動も凄まじい。体中がズキズキと痛んでおり、今までのダメージもあってその場に膝をついてしまう。呼吸は激しく乱れ、腕だってしばらく上がりそうになかった。

 ……はっきり言って、もう戦闘不能だ。もしこれで奴が倒せていなかったら、間違いなくやられてしまう。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……ど、どうだ……?」

 

 緊張しつつ壁の向こうを見据える。

 先ほどからずっと待っていても、奴が戻ってくる気配はない。

 しかし、それでも中々安心することはできず、俺は初戦闘直後のように、いや感覚的にはあのときの十倍くらい、その場に留まり続けた。

 そして――

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「~~~~っ! ぷはあ! はあっ、はあっ、はあっ」

 

 苦しくなってきた呼吸で我に返り、ようやく安堵の息を吐き出す。同時に緊張の糸も切れてしまい、その場へ力なく倒れ込んだ。

 

「はぁ、はぁ、ふぅ、ふぅ、ふぅぅぅぅ…………、……ぁぁぁぁああああ~~~~っ!! 怖ええ!! 超怖ええ!! ほんっと死ぬかと思ったああああ!!」

 

 そして、勢いよく弱音を吐きまくった。

 

「もう怖いっ、怖いっつーの! あんなん子どもが戦う相手じゃないっつーの! つーか大人たちは何やってんだよ!? 警備兵はどこ行った!? ああちくしょう、もう二度とやらねえからなこんな無茶!」

 

 ギリギリの戦闘を潜り抜けた反動か、情けなさ三割増しで泣き言を叫びまくる。武闘家を目指す身として有るまじき発言もいくつか含まれていたが、どうか今だけは許してほしい。

 初めての戦闘でマジモンの命の危機を味わったのだ。今の内に泣き言の一つでも吐いておかないと、精神的にどうにかなってしまう。

 加えて今回は自分だけでなく、親父の命まで懸かっていたのだ。感じる重圧はさらに倍。初心者には些か厳し過ぎるデビュー戦だった。

 

「何ぶつぶつ情けないこと言ってんだ、オメーは」

「…………大物を倒したんだから、少しくらいはいいだろうが……」

 

 寝転がったままいろんな不満を漏らしていると、呆れ顔の親父が上から覗き込んできた。……いつものむっつり顔じゃないのがちょっと新鮮だ。

 

「お前がへたり込んでいる間に、こっちはちゃちゃっとやることやってきたぜ。これでもう魔物は入って来れねえ」

「姿が見えねえと思ってたら、いつの間に……」

 

 どうやらさっきの間に閉門の作業を済ませたようで、北門はすでに固く閉じられていた。意外に抜け目のないオヤジである。

 というかこっちは未だに倒れたままだというのに、俺より重傷の身でもう動き回っているのはどういうわけだ。……やっぱり職業の選択がおかしい気がするぞ。

 

「まあ、今回はお前にしちゃ頑張ったじゃねえか。最後の一撃なんかは中々のもんだったぜ?」

「…………え?」

 

 なんとも言えない気分で見上げていると、親父が血を拭いながらニカリと笑った。

 久しぶりに見る親父のまともな笑み。呆れ顔よりもさらにレアなその表情を見て、不覚にも動揺してしまう。でもその事実に気付かれたくなくて、俺は意識してぶっきらぼうに返した。

 

「……ふ、ふん、昔から何度も食らってきた拳骨を参考にしたんだよ。腰の入ったパンチを子どもに撃ってくる、大人げない奴がいたからな」

「へえ、そいつは酷え奴がいたもんだ」

「はっ、まったくだよ」

 

 ――いつも通りの憎まれ口になってしまうのが……歯痒かった。

 

 正直、今回勝てたのは親父の言葉と、その、言いたくはないが、『親父に手を出すな』という怒りのおかげだったと思う。

 だからまあ、ここは感謝の一つでもしておいた方が良いのだが、出てくるのはこんな言葉ばかりで……。あーくそっ、そう簡単に素直な言葉なんか出てこねえよ、師匠……。

 

「ぐう……!」

「あ、お、親父!」

 

 そんな風に悩んでいると、急に親父が倒れ込みそうになり、俺は慌てて起き上がってその体を支えた。

 そして今更思い出した。

 この傷の大半は、俺を助けてできたものだということを。

 先ほど親父が必死の形相で、俺を庇ってくれたのだということを。

 

 …………。

 ……いや、まあ、俺も最初に親父を助けてやったんだからお互い様で、別に感謝をする必要もないと言えばないんだが……。

 でもまあ偶には息子として、労いの言葉でもかけてやらないと親不孝かな? とも思うわけで――

 

「ゴホン、ゴホンッ。……あー、親父?」

「あん?」

「……まあなんだ、その、ここは危険だからよ、さっさと避難したほうがいいんじゃねえか?」

「…………は?」

「ほら、親父ももう年だし。早く家に帰って休んだほうがいいと思うんだ」

「…………」

「あーっと、ほらあれだ、不安なら俺が家まで送っていったって良いし……」

「…………」

「えっとつまり何が言いたいかっていうと。今日は親父のおかげで助かったっつうか……、少しは感謝してやっても良いというか……、まあそんな感じなわけで」

「ハッサン……」

 

 なんか……、初めて親父に対して素直に言葉が出た感じだ。

 どうにも変な気分。やっぱり俺たち親子には似合わねえかな。

 

 親父を見ると、あっちも目を丸くしながら驚いている様子だった。……でもその顔は、少し笑っているようにも見える。

 そんな、普通の親子っぽいやり取りが初めてできて、俺の口からも笑いが零れた。

 ――まあ、偶にはこういうしんみりしたのも、悪くはねえかな? なんて……。

 

「ハッサン……おめえ……」

「へ、へへっ」

 

 そして親父は、口をポカンと開けたまま、ゆっくりと俺の頭に手をやった。そして、

 

 

 ――――ズガンッ!!

 

 

「いってええええっ!?」

「ナマ言ってんじゃねえ、馬鹿息子!」

 

 思い切り人の頭に拳骨を振り下ろしやがった!

 

「な、何しやがんだ、この馬鹿親父!」

「うるせえ! こちとらガキに守られるほど落ちぶれちゃいねえ! 余計な気ぃ回してんじゃねえぞ!」

「はあ!? なんだよ、その言い草は! ひ、人がせっかく素直に感謝をだな!」 

「はんっ、素直なてめえなんか気色悪いだけだっての! これで傷が悪化したらどうしてくれやがる!」

「なっ!? こ、このクソオヤジ~~!」

 

 俺は三十秒前の自分をブン殴りたくなった。

 やっぱりこの馬鹿親父に感謝なんか必要なかった! ヘマして傷だらけになったのを笑ってやるくらいでちょうど良かったんだ!

 ちくしょう、恥ずかしい思いをした上に殴られて大損だ! もう二度と労いの言葉なんか言ってやるものか!

 

「んなことより、おめえにゃまだやることがあんだろうが」

「……え?」

 

 あまりのムカつきに一発殴り返してやろうかと拳を固めていた俺は、親父のその言葉に動きが止まった。慌てて顔を上げると、そこにはさっきまでとまるで違う、親父の真剣な表情があった。

 

「その拳は何のために鍛えてきたんだ? こういうときのためだろうが。こんなおっさん一人守ってないで、もっと多くのもんを守ってみせな」

「お、親父……そ、それって……」

 

 恐怖、安心、しんみり、怒りと、先ほどから感情の起伏が激し過ぎて一瞬分からなかった。でもその言葉には確かに、俺に対する激励が込められていて……。

 ――それって……それってつまり、親父が俺のことを、

 

「世界一の武闘家になるんだろ!? だったらこの町くらいキッチリ守ってみせやがれ!」

「っ! お、おう! やってやらあ!」

 

 親父の煽りに対して、こっちも全力で叫び返す。

 

 ――そうしないときっと、顔に入れた力が緩んでしまうだろうから。

 

『親父なんて関係ない』、『自分の将来なんだから勝手に決めちまえ』、そう思っていたのに……。

 いざこうなってみたら、それが嬉しくて堪らなくて……。

 俺は戦いの最中だというのに、ニヤケ面を隠すために余計な体力を使うはめになったのだ。

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

「おいハッサン、ボケッとすんな!」

「えっ?」

「見ろ、早速次の奴らがおいでなすったぜ!」

「!? お、おう!」

 

 気付かない内に俺は、しばらくその場で呆けていたらしい。

 親父の声で我に帰ると、今度は町の内部から新たな魔物たちがここへ近付いてきていた。慌てて臨戦態勢を整える。

 

「おいおい、どうした、ついにお疲れか? なら今度こそ引っ込んでてもいいんだぜ?」

「ぬ、抜かせ! おっさんより先にバテてたまるかよ!」

 

 照れ隠しに叫び返しながら、顔を叩いて気合いを入れ直す。

 先ほどから続いての連戦。体力もギリギリで、本来ならかなり辛い状況だ。でも今はなぜだか体が軽くて、全く負ける気がしなかった。

 町のみんなも親父も、全部俺が守ってやろう。自然とそんな気持ちが湧き上がってきているのだ。

 

「よし! やってやるぜ!」

「……ふう。……今度、お前の師匠とやらに挨拶にでも行くかな。後継ぎを武闘家にされちまったのは悔しいが、お前をそんな風に鍛え上げてくれた礼くらいは……な」

「へへ、そりゃ構わねえが、この戦いが終わって生きていたらの話だぜ? 俺は問題ねえけど、親父の方は少し心配だな!」

「はっ、そのセリフそっくり返してやるぜ!」

 

 軽口を交わしながらお互い構える。まさか親父とこんな風に話せる日が来るなんて思ってもいなかった。

 これも元を辿れば師匠のおかげだな。アマンダにも恋愛指南なんてしてたし、強くするだけじゃなく心の悩みまで解決してくれるなんて、本当に最高の師匠だぜ!

 自分の口から直接礼を言うためにも、ここは絶対生き残らなくちゃならねえ!

 

「よし、行くぜ親父!」

「おうよ!」

 

 そして俺たちは同時に駆け出そうとし、

 

 

 ――ドガアアアアアン!!!!

 

 

「「ぬわああああああ!?」」

 

 前方で起きた謎の爆発によって、二人揃って吹き飛ばされた。

 道端の木箱に突っ込んだ痛みに耐えながら、状況を把握するべく急いで体を起こす。

 

「な、なんだ一体!? 爆発魔法!? あんな攻撃ができる魔物なんていたか!? もしかして新手か!? ど、どこだ!?」

 

『いどまじん』にブッ飛ばされとき以上に揺れる視界の中、必死に敵を探す。

 幸い直撃を食らったわけではないようでダメージは少なかったが、新たな強敵の可能性に俺はかなり焦っていた。

 

「落ち着け、ハッサン! 上だ、上! 空を見ろ! あいつの仕業だ!」

「な、何言ってんだ親父! 飛んでるわけでもあるまいし、一体空に……何が……いるって…………」

「まさかあんなとこから魔法を撃ってくる奴がいるなんてな。こいつぁかなりの強敵だぞ。気を付けろ、ハッサン。………………おい、ハッサン?」

「…………」

「おい、どうした、返事しろ! どこか怪我でもしたのか!?」

 

 親父が心配そうに揺すって来るが、俺にはそれに反応する余裕はなかった。

 ――だって――――だってあれって、

 

「師匠じゃねえかああ!!!!」

「はあ!? あ、あれがか!?」

 

 間違いない。神父服の上からマント被って顔を隠している大男。そんな怪しい奴が他に存在するはずがない!

 ……いや、でもそれにしたって、なんで師匠が俺たちに攻撃を……。

 

「ギ、ギギィ……」

「ん?」

 

 か細い声に釣られて前方を見ると、黒煙が充満する大通りにちょうど風が吹きこんできた。

 煙が晴れるとそこには、

 

「キキ……」

「ピギィ……」

「キュウ……」

 

 激しく炎が燃え上がる中、今にも衰弱死しそうな魔物たちが大量に横たわっていた。その後ろでは、難を逃れた魔物たちが青い顔で震えている。それを見て俺は事態を悟った。

 ああ、そうか。つまり師匠は、上から町を観察しながら、誰か危なそうな人がいれば助けてあげるつもりだったわけだ。

 ――で、さっきはボロボロの俺たちに魔物が迫っているのを発見し、助けるためにメラゾーマを放った、と。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「ふざけんな、この馬鹿師匠! 危うくこっちまで死ぬとこだったぞ!? メインストリートまで粉々じゃねえか! もっと弱い魔法使えよ!」

 

 両手を上げてガーッと抗議する。すると師匠は何かに気付いたようにハッとし、こっちに向かって小さく手を合わせた。

 

「……ふう、どうにか気付いてくれたか。うん、そうだよ、もっと弱い魔法を使って軽く援護でもしてくれれば、それで十分なんだ」

 

 俺はきちんと伝わったことに満足して頷いた。そして、

 

 

 ――そして師匠は、新たに100発以上のメラゾーマを生み出した。

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「追加注文じゃねえよ! 『他所にも撃ってあげて』なんて言ってねえよ!」

 

 全く伝わっていなかった。

 このままでは洒落にならないと思い、身振り手振りも加えて必死に伝える。

 しかし師匠は、グッと親指を立てて頷くのみ。

 いや、『ありがとう』の合図じゃねえから! 応援の踊りじゃねえから!

 

「つーかなんなんだよ、その数!? まさかそれを町中に降らせるつもりじゃないよな!? なあ、お願い師匠、嘘だと言って! そんなもん落としたらこの町は終わりだぞ! ねえ、ちょ、ホント待っ、早まらないで! 俺の故郷滅ぼさないで――ってああああっ、落としたああああ!!」

 

 

 ――ああ、忘れていた……。最近の修行で俺もすっかり毒されていた……。

 ――そうだよ……そういえば俺の師匠って、常識知らずの加減知らずだったんだ。

 ――確かに優しいし理性的だけど、それを上回るトンデモ戦士だったんだ。

 ――冷静に、慎重に、とか言っておきながら、実際は本人が一番アレだったんだ。

 

 ――ああ――やっと思い出したよ、大切なことを……。…………もう遅いけどね……。

 

 

「おいハッサン! あれがお前の師匠なのか!?」

「ああ、そうだよ……」

「頭おかしいんじゃないのか、あいつ!?」

「ああ、そうなんだよ……」

 

 諦観の笑いを零す中、やがて俺の視界は光に包まれたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 平和な港町サンマリーノで起きた、この一連の出来事。

 これは後に、歴史に残る大事件として世界中で広く知られることになる。その事件名はズバリ、

 

 ――『サンマリーノ魔物襲撃事件』

 

 

 ではなく、

 

 

 ――『サンマリーノ大炎上事件』

 

 

『世の中何が起きてもおかしくないのだ』という教訓として、末永く語り継がれることになったのである。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8話 やはり、もう大丈夫と思ったときが一番危ない

 長く間が空いてしまい、申し訳ありませんでした。
『内容忘れたよ』という方のために、2章のあらすじを簡単に書いておきますね。

 サンマリーノで神父見習いになる。→ 弟子が二人できる。→ 優しく指導する。→ 祭りの日に魔物襲来。→ みんなで頑張って戦う。→ 主人公やり過ぎて町が炎上、えらいこっちゃ。(今ここ)

 では、続きをどうぞ。




 メラゾーマ。火炎系の最上位に位置する攻撃呪文。

 デイン系という例外を除けばその威力は最も高く、まともにくらえば大抵の敵は一撃で死に至る。はざまの世界の猛者たちを相手にしても主戦力たり得る、まこと頼りになる呪文なのだ。

 唯一つ、単体攻撃ゆえに制圧力に劣るという欠点があったが、それも今回画期的アイデアによって解消された。

 

 ――そう、『一発で足りないなら、百発撃てばいいじゃん』理論である。

 

 私は大量の火球を一気に射出することで、メラゾーマの攻撃可能範囲を劇的に向上させることに成功した。最高の単体魔法を、最強の全体魔法に進化させたのだ。

 その効果は先ほど実演した通り。海上の町にも(かかわ)らずサンマリーノは大炎上、魔物の群れは蜘蛛の子を散らすように逃げ去ることとなった。素晴らしい成果である。

 

 さらにこの新技には別の使い方もある。

 メラゾーマの火球をすぐに発射せず周囲にストックしておくことで、一撃で死なない相手にもすぐに追撃をかけられる。また、一発程度なら弾いてしまうような堅い敵がいたとしても、複数同時に撃ち込むことでその防御を突破することも可能となるのだ。

 ああ、なんという汎用性の高さだろうか、素晴らしいにも程がある。

 

 難点として『消費魔力が絶大なこと』、『細かな制御が難しいこと』が挙げられるが、そこは気合いと根性でなんとかすればいい。

 今回だって、あの数のメラゾーマを捻り出すのはさすがに死ぬかと思ったが、町のみんなの無事を願うことでギリギリまで力を振り搾り、なんとか敵の撃退を成し遂げたのだ。

 

 いやあ、さすがは私。なんとも感心な心優しき神父見習いであるな。

 

 

 

 

 

「――と、このように、メラゾーマとは素晴らしい呪文であると同時に、連続使用の際には高い魔力と技術、何よりド根性が必要であり」

「…………」

「それを何十発も大盤振る舞いした私が、この町を本気で助けようと必死だったことに疑う余地はなく――」

「…………」

「こ、ここは寛大な心をもって……で、できれば情状酌量をお願いしたい次第でして……」

「…………」

「……え、えーと、つまり……その……」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「…………ゆ、許してつかぁさい……」

 

 

 多くの視線が集中する中、私は全力で土下座した。

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 さて、なぜ私がこんな状況に追いやられているのか説明しよう。

 ハッサンたちと別れた後、私の取った行動を羅列すると次の通りだ。

 

 1、外の魔物を追い払う。

 2、上空から町の様子を観察する。

 3、大量のメラゾーマをぶっ放す。

 

 とまあこんな感じ。

 町のみんなを助けるため、私は精一杯頑張ったのだ。

 

 

 ――だがしかし、世間の風は冷たかった。

 大戦果を挙げて空から降りてきた私を待っていたのは、ものすごい形相をした警備兵たちの群れだった。

 

『あれ、功労者に対してこの態度は変だな。まるで犯罪者を見るような視線だな、おかしいな~』

 

 などと不審に思いつつも、『きっと戦の後で気が立っているのだろう』と考え、私は大人しく彼らに連行されていった。

 が、町長宅まで連れて行かれた私を待っていたのは、さらにヤバ気な表情をした人たち――町長&町の役人たち――だった。

 私は顔中に血管が浮き出た彼らにボコボコにされ、そのまま問答無用で牢屋へ放り込まれ、そして絶賛土下座中の今に至る。

 

 ――と、こういうわけなのである。

 

 

 …………。

 

 いや……いやいや、これはちょっと酷いと思わないか?

 

 町を守るために走り回り、片っ端から魔物を追い散らし、最後には生命力のギリギリまで魔法を捻り出して敵を撃退した功労者に対して、この仕打ちはあんまりではなかろうか?

 

 控えめに言っても私、大手柄だよな?

 改めて考えても、こんな犯罪者のような扱いを受ける謂われはないよな?

 むしろ今すぐスイートルームに案内されて、高級なワインと料理を振る舞ってもらって然るべき。神様だってきっとそう言うはず。

 

「……いや、まあ? ちょ~っとだけ規模を間違えてしまったのは、反省せねばならない点だと思うが……」

「『ちょっとだけ』……だと?」

「えっ、あ、いや、その……」

 

 し、しまった、声に出ていた。

 黙っていた町長の額がピクリと動き、再び血管が浮き上がる。慌てて取り繕おうとするも少々遅かった。

 

「町を火の海にしておいて何が『ちょっと』だ!? 頭おかしいのか、君は!?」

「ひぇッ、も、申し訳ない……」

 

 血管が千切れそうな町長に対して、私は再び土下座した。これは相当に怒っている様子だ。

 

 ……うん、確かに。よく考えてみれば、メラゾーマ百発は多過ぎだったかもしれない。はざまの世界でもお目にかかったことのないような、大規模破壊魔法になってしまった。

 

 …………。

 

 ……や、しかしだな、制御に関してはきっちり行っていたので、死者や家屋倒壊などの大きな被害はなかったのだぞ?

 そりゃあ道が多少陥没したり、街壁が焦げ付いたりはしたが、それくらい人命に比べれば微々たるものだろう。ならプラスマイナスゼロで許してくれてもいいではないか。誰か口添えくらいしてくれてもいいではないか。

 

 というか弟子たちよっ。町のために一緒に戦った仲なのだから、ここはまずお前たちが率先して弁護するところだろう!

 

 そう思い、私は脇にいる二人にチラリと視線を向けた。しかし――

 

 

 

――――

 

 

 

「大丈夫アマンダ? どこか怪我してない?」

「べ、別に怪我なんてしてないし、手当なんか要らないわ。……ほ、ほら、離れなさいよ、サンディ」

「あ、ダメよ。今は戦いの興奮で痛みを感じていないだけかもしれないわ。ほら、もっとよく見せて?」

「……べ、別に私が怪我してたってアンタには関係ないでしょ。放っておいてよ」

 

 アマンダの対応は相変わらずトゲトゲしい。しかしそれを見ても、サンディは優しく微笑み続ける。

 

「いいえ、関係あるわ。だって私を助けるために戦ってくれたんだもの。このくらいはしないと私の気が済まないわ」

「い、いや、別にアンタのためってわけじゃ……。そ、それにあれは、元々私が悪くて……ゴニョゴニョ」

「それにね? さっきのことだけが理由じゃないわ。例え自分と関係ない出来事だったとしても――友達が怪我してたら心配するわ」

「と、友達っ!?」

 

 ばつの悪そうだったアマンダが、思わずといった具合に跳び上がる。その顔には驚きと、そして僅かだが、喜びのような感情が見て取れた。

 

「え、なんでそんなに驚くの? 私たちって友達でしょ?」

「え? い、いや、別にそんな……私たちは……」

「…………違うの?」

「う……」

「……友達だと思ってたのって、私だけ? もしかして……迷惑だった?」

「う、いや、えっと……」

「アマンダ……」

 

 今までいろいろ疚しいことを考えていた相手に対し、アマンダは何と答えたものか迷っているようだった。だがしかし、どんどん悲しそうになっていくサンディを見て、彼女はアワアワと視線を彷徨わせる。

 そしてついに、アマンダは白旗を上げた。

 

「う……うううううっ! わ、わかった! ……と、友達よ、友達! アンタと私は仲の良い友達! ほら、これで文句ないでしょ!?」

「! アマンダ~~!」

「わ!? ちょ、は、離れなさい! 暑苦しいのよ!」

「えへへ、アマンダ~~」

 

 

 

――――

 

 

 

「…………」

 

 なにやら……女子たちの間で名状しがたい何かが誕生していた。とても声をかけられる雰囲気ではない。

 ……なんだろう、これも一種の愛情の形なのだろうか? 普通ああいうのって男女の(つがい)で発生するものじゃないの? 私にはまだちょっと分からない領域だった。

 

「『アマ×サン』……、いや、『サン×アマ』か…………hshs」

 

 そして後ろのジョセフは一体何を言ってるのだろう?

 恋人(女)が他の女に夢中な姿を見て興奮する……?

 ……輪をかけて意味不明だった。やはり人間とは複雑怪奇な生物である。

 

 

 

 いや、今はこんなこと考えてる場合ではなかった。ええい、アマンダがダメならばこっちだ。ハッサン、助けて!

 

 取り込み中のアマンダを諦め、私はもう一人の弟子へと助けを求めた。しかし――

 

「…………スン」

「え……?」

 

 しかしハッサンは、スッと視線を逸らしおった。一瞬だけ見えた顔には、心配や敬意などの感情は欠片も見られず、ただただ駄目なものを見る目だけがあった。

 

 ……いや馬鹿な、そんなはずはない。

 今のハッサンは魔物を撃退した達成感と、父と和解できた喜びに満ち溢れているはず。そんな少年が師匠に対して、『残念なものを見る目』を向けるはずがない。さらにその父親が、『頭のおかしい奴を見る目』を向けてくるはずがない。

 

「お、おーい、ハッサン? 師のピンチだぞ? 助けてくれてもいいのだぞ?」

「…………」

 

 返事がない。屍じゃないのに。

 

「…………お、おいっ、なんだその冷たい態度は。そ、そういえばさっき合流したときもなんだか返事がおざなりだった気が……。な、なんだっ、私が何かしたのか!?」

 

 私の言葉にハッサンがチラリとこちらを見るも、すぐに視線は明後日の方向へ……。

 この反応ではっきりした。聞こえていないわけではなく、奴はわざと師匠を無視しているのだ。この尊敬すべき立派な師匠を!

 余りの仕打ちに、私は鉄格子に組み付いて叫んだ。

 

「おい、酷いぞ、ハッサン! さっきは間一髪のところを助けてやったのに! 今度はお前が助けてくれる番だろうが!」

「……は?」

「お?」

 

 ハッサンの肩がピクリと動いた。ようやく反応が返ってきたことに少し安心する。

 がしかし、奴は素早く振り返ると、勢いそのままに鉄格子まで走り寄って来て――

 

「ふざけんなああ!!」

「ぐぼうっ!?」

 

 師の顔面にせいけんづきを叩き込みやがった!? 超痛い!

 

「何が『助けてやった』だ!! もう少しで死ぬとこだったぞ、このスットコ野郎が!!」

「なっ、貴様! 師に対してなんだその言い草は!」

「うるせえ! 最近俺まで常識を放り投げちまってたけど、さっきのアレでようやく思い出したわ! いつもいつも頭のおかしいことばかりしやがって! 子どもに魔物(けしか)けて喜ぶとか何考えてんだ、この変態め!」

「こ、この野郎っ! 人がせっかく親切でここまで指導してやったのに! 今までの恩を忘れたか!!」

「何が指導だ! あんなの虐待か拷問で十分だ!!」

「ム、ムキーーッ!! や、やっぱりお前なんぞ人に迷惑ばかりかける悪ガキだ! 幼児学級で礼儀をやり直してこい、このチンピラ頭が!」

「なんだと、この不審者!」

「黙れ、半裸モヒカン!」

「逃亡犯罪者!」

「脳みそ筋肉!」

「無能僧侶!」

「貧弱武闘家!」

「――――っ!」

「――――っ!」

 

 その後しばらく、我々は牢屋越しに不毛な師弟対決を繰り広げたのである。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 そして――

 

「ゼェ、ゼェ、ゼェ」

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 やがてお互いの悪口がネタ切れになった頃、ようやく第三者から言葉がかけられた。

 

「まあまあ二人とも。もうそのくらいにしてはどうです?」

「う……」

「おお、神父さま!」

「何事も、熱くなり過ぎて良いことはないですよ。ね?」

 

 例によって例のごとく、困ったときの神父様である。この人が登場するだけであら不思議、荒ぶっていた馬鹿弟子も一瞬で鎮静化してしまった。

 おそらく、疲弊した私に代わってこの場を治めてくれるつもりなのだろう。本当に頼りになる御仁である。

 

「さあ、では神父様! この分からず屋にぜひありがたい説法を!」

「サンタ君」

「……ほへ?」

「いくら人助けのためとはいえ、メラゾーマ百発はやり過ぎです。あなたの実力なら、他にいくらでもやりようはあったでしょう?」

「あ、あれ?」

 

 期待とは裏腹に、神父様の矛先はこちらを向いていた。しかもいつもの柔らかな笑顔の中に、どことな~く渋いものを感じる。

 ……あれ、これもしかして、神父様も結構怒っていらっしゃる?

 

「聞いていますか、サンタ君?」

「ひゃ、ひゃい!」

「君の生い立ちが特殊だということは聞いています。ですがだからと言って、全てを育ちのせいにして改善を怠って良いわけではありません。下手をすれば誰かが大怪我する可能性もあったのですから」

「え、あ、いや……そのぉ」

「人里で平和に暮らしたいのなら、少しずつでも常識を身に付けるよう努力しないと。『皆慣れたからもう大丈夫だろう』、なんて安易なことを考えてはいけません。……いいですね?」

「……は、はい、以後気をつけます」

 

 人間界に関する新たな知識――『いつも優しい人が怒ると怖い』

 後で本に書き加えておこう……。

 え? はざまの世界ではどうなのかって? ……優しい人なんていねーから。

 

「やーい、やーい、怒られてやんの。このダメ見習いめ~」

「ぐ、ぐぬぬっ」

「……ハッサン君、君もですよ?」

「へ?」

 

 振り返った神父様の視線が、調子に乗ったハッサンを貫く。

 

「危ない目に遭わされて腹が立ったのはわかりますが、今日まで指導してくれたことに対してまで悪く言うのは感心しません」

「う……」

 

 お、今度はハッサンの番だな? よーし、言ったれ神父様!

 

「確かに彼は多少常識がずれているところがあります。『……え、マジかよ』と思うことも多いです。けれどそんな中でも懸命に努力し、君を大きく成長させてくれたのは事実です」

「う、それは……」

 

 そうだ、そうだ、神父様の言う通り。指導なんて初めてなのに頑張ってやったのだぞ。お前はもっと私に感謝すべき。

 

「おつとめで忙しい中、彼は毎日休むことなく指導に当たっていました。ときには睡眠時間を削ってまで時間を捻出することもあったのですよ?」

「うう……」

 

 そうだ、そうだ、神父様の言う通り。こんなに律儀なサタンジェネラルなんて他に存在しないのだぞ。お前はもっと私を敬うべき。

 さすがは神父様、物事をよくわかってらっしゃる。

 

「ね、ハッサン君。虐待だの拷問だのと言ったことはきちんと謝らないと」

「う、ううう~~っ」

 

 神父様に(さと)され、だんだんと追い詰められていくハッサン。――しかし、

 

「~~~~い、いいやっ! 俺間違ったことは言ってないもんね! さっきはホントに酷い目にあったんだから! 絶対に謝らないからなッ!」

 

 しかしハッサンの奴は、それでもなお頑なな態度を崩さない。

 よほど私に頭を下げるのが嫌なようだ。師匠を何だと思っとるのか。

 ……いや、思い返してみれば、こいつに敬われた記憶なんて一度たりともないような……。あれ? ひょっとして私、弟子たちからすごく舐められている?

 

「……ふーむ、仕方ないですね。では目に見える証拠を見せましょうか」

 

 私が地味に傷付いている最中(さなか)、神父様は妙なことを言いながらこちらを振り返った。

 

「サンタ君、両手を前に出してくれますか?」

「む、手を? ……こう、であるか?」

 

 言われるがままに両手を突き出す。

 親指どうしを軽く合わせ、足は肩幅よりやや広めの姿勢。例えて言うなら、ちょうどアレフガルドの魔王様のようなポーズだ。これで一体何がわかるのだろう?

 

「???」

 

 (いぶか)しげな我々に構わず、神父様はにこやかに告げた。

 

「はい、ではそのまま唱えてみてください。……いきますよ? せーのっ、ホイミ!」

「ホイミ!――って神父様、何をやらせるのだ。今まで何回やってもダメだったのだぞ? それを今更唱えただけで発動するわけが【サンタの傷が回復した】って発動したアアアッ!?」

「うおっ!?」

「ひ、光っとる!! めっちゃ光っとる!?」

 

 適当に唱えた呪文で両手が光り始め、私は絶叫していた。

 冷静沈着たるサタンジェネラルに有るまじき醜態だが、今は気にする余裕もない。

 

「あわわわ! き、傷が、傷が塞がっていくぅ!」

 

 指先が暖かい光に包まれ、メラゾーマの乱発で負った火傷が見る見る癒えていく。目の前で疑いようもなく、自前の回復魔法が発動していたのだ。私、大混乱である。

 

「え、なんでっ!? どういうこと!? 昨日まで全くウンともスンとも言わなかったのに!!」

「おめでとうございます、サンタ君。神父として二人の子どもを導いたことにより、君の回復魔法の才能が芽吹いたんですよ」

「み、導いた……から……?」

「はい。教会の神父はいろいろなおつとめを果たすことでその才を芽吹かせます。その内容は下働きだったり、教えについて学んだり、善行を積んだりと様々ですが、共通するのは『本気で人を思いやって何かを成す』ということなのです。今回のサンタ君の場合、他者を教え導く行為がそれに当たったのでしょう」

「お、おお……」

 

 神父様の言葉に対し私は短い相槌を返すことしかできない。念願の回復魔法、その第一歩目を踏み出したという事実に、まだ実感が追い付いていないのだ。

 

 

 

「本気で……思いやる……」

「ふふ、どうですか、ハッサン君?」

「え? ……あっ」

「そう。これが、彼が心から君を想っていた証拠です。神父として、いえ一人の先達として、君たちに親身に寄り添っていた証です。……面白おかしく甚振(いたぶ)っていたのなら、決して癒しの術は発現しなかったはずですよ?」

「…………」

 

 フ、フフフフ……。

 

「……そもそもの話、優しくない人が、高価な装備品や薬草を買い込むなんて気配りしませんよ。それも……いきなり押しかけてきて悪評を広めようとした相手に、ね?」

「うっ」

 

 ムフ、ムフフフフ……。

 

「こんなにも弟子を大切に想ってくれる、優しい良い師匠ではないですか。……君も本当はわかっていたし、感謝もしているのでしょう? 勢い任せに言い過ぎてしまったせいで、今はちょっと素直になれてませんけどね?」

「うう……」

 

 デュフ、デュフフフフ……。

 

「ほら、意地を張らないで『ごめんなさい』しましょう? 大丈夫、彼はいつまでも引きずるタイプではありませんし、すぐに仲直りできますよ。弟子のために時間もお金も、真心さえも費やしてくれる、立派な師匠なんですから」

「う、う~~~~っ! …………あ、あ~~もう! わかった! わかったよ! い、言えばいいんだろ、言えば!?」

「ふふっ。はい、頑張ってください」

 

 ふははっ、ふはははははっ! 

 

「スー、ハー、スー、ハー……。…………あ、あのな、師匠? さっきはあんなこと言っちゃったけど……、今日親父と和解できたのは、師匠のおかげだし…………。つまりその、何と言うか……、ほ、本当は俺、すごく感謝してるわけで……、だ、だからその…………さっきのことはゴメ――」

「ぬおおおおっ!! やっったぞおおおお!!」

「いや黙って聞けよここは!?」

 

 むははははっ、やった! ついにやったぞっ! 念願の回復魔法習得、超嬉しい!

 しかも、しかもさらに嬉しいことに、私は勢い余ってその先の真理にまで到達してしまった!

 

「おい聞いてんのか、馬鹿師匠! 今俺結構勇気出したんだからな!? コラ無視すんな、こっち向け!」

 

 さっきから何か聞こえる気もするが、今はこっちが優先だ!

『初心者を魔物の群れに放り込んでスパルタで鍛える』という行い。これが正解だったということはつまり――だ。

 

「つまり! 弟子を追い込めば追い込むほど、私の熟練度も上がるということなんだな!?」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「…………は?」

「なら話は早い! おい、ハッサン! 明日から、いや、今からすぐに修行再開だ!」

「…………」

 

「ムフフフ、今度の修行は前ほど温くないぞ。質も量も一気に引き上げてやる。そうだ! いっそのことサンマリーノ周辺の雑魚ではなく、ガンディーノの魔物を相手にするのはどうだろう? これなら修行効果は軽く三倍は見込めるぞ!」

「…………」

 

「なあに、怪我の心配などするな。今の私にはホイミがある! 最悪の場合でもザオリクがある。何の問題もない!」

「…………」

 

「これでハッサンはもっと強くなれるし、私はさらなる回復魔法を手に入れられる! まさにあれだな、『うぃん―うぃん』な関係というやつだ。誰も損せず皆幸せになれる理想的な間柄。いやー、本当に素晴らしいものだな、師弟関係というやつは!」

「…………」

 

 先ほどからの素晴らしい出来事の連続に、私のテンションは鰻のぼりである。ハッサンもきっと喜んでいるに違いない。

 このやる気を無駄にしないためにも、早速今から修行を開始せねば!

 

「よし、ハッサン! ただちにキメラの翼と魔法の聖水を買い占めるのだ! そしてその後はお待ちかね! ガンディーノにひとっ飛びして、楽しい楽しい修行ツアーの始まりだぞッ、うはははは!」

 

 私は幸せな未来を思い描き、地下牢に笑い声を響かせたのである。

 

 

 

 

 

「……なあ神父様。やっぱり俺、謝らなくてもいいと思うんだ……」

「……そうですね。これはさすがに何と言うか……アレですね」

「ん?」

 

 だがしかし、振り返った私を迎えたのは、弟子と上司の冷たい眼差しだった。

 否、二人だけではない。気が付けばその場にいた全員が、私に対して同様の視線を向けていた。

 

「「「………………」」」

「お、おい、皆どうしたのだ? なぜにそんな冷たい、ゴミを見るような目で私を見るのだ?」

「では町長さん、彼には地下牢で一晩反省してもらう、ということで。上司として承認しますね」

「うむ、承知した。ではみんな、そろそろ行こうか。町の無事を祝って、ささやかな宴の席を用意しておる。ぜひ楽しんでいってくれ」

「お、そりゃありがてえ」

「ゴチになりまーす」

「明日から町の修復作業に追われるし、英気を養っておきませんとね」

 

 ガヤガヤガヤガヤ…………。

 皆は楽しそうに連れ立って地下牢を出ていく。こちらを一瞥すらしない。

 

「…………お、おーい? 冗談はそのくらいにして、そろそろ出してほしいなあ……、なんて……」

「人手がたくさん必要になるな」

「荷運びならモンスターたちに頼めるけど……」

「え、アマンダそんなことできるの!? すごい!」

「べ、別に大したことじゃないわよ…………えへへ」

 

 ……返事がない、誰も聞いていないようだ。こちらをまるで気にすることなく地下牢を出て行く。

 

「……え、あの、ちょっと? え、ホントにおいて行っちゃうの? 私一番の功労者よ? な、仲間はずれは酷いと思うな! ねえちょっと聞いてる!?」

「まあとにかく明日からのことです。皆さん、今日は思い切り羽根を伸ばしましょう」

「「「はーい」」」

 

「…………ヤバい」

 

 ここに来てようやく私は、皆が割とガチギレだという事実に気付いた。

 冷静に考えてみりゃ、そら(町を炎上させられたのだから)そう(この反応も当然)である。

 ここはキ○ガイだらけの狭間の世界ではないのだ。常にどこかしら崩壊している大魔王城と同じノリで考えてはいけなかったのだ。

 

「……ご、ごめんなさい! 正直さっきまで適当にお茶濁そうと思ってました! 『モンスター追っ払ってやったんだからあれくらい良いじゃん』って思って本気で謝罪してませんでした!」

 

 途端に今までの強気を翻し、全身全霊で謝罪した。

 もう本気も本気、石畳を砕く勢いでの全力土下座である。

 

「こ、今度こそちゃんと反省します! キッチンでメラゾーマは使わないし、お供え物を勝手に食べたりもしません! 酒は一日三本までにするし、カジノで使う金も千ゴールドまでで我慢します!」

「……あいつ、見習いのくせに何やってんだ」

「……普通破門じゃないの、神父様?」

「…………人柄は良いんですよ……人柄は」

「っ!? そ、そうでしょ? 人柄は善良でしょ? こ、こんなとこに入れられなくてもちゃんと反省できるよ!?」

 

 ようやく皆が反応を返してくれたことに、私は僅かな希望を見出した。ここぞとばかりに全力で()(へつら)い、何とか脱出を図る。しかし、

 

「だ、だからここから出して! 誰か助けて! ちょ、無視しないで! ああっ、ちょっ、行かないで! みんな待っ――」

 

 ――ガチャン。

 

 時すでに遅し。

 懇願空しく地上への扉は閉じられ、私は『人間に逮捕された魔物第一号』という、全くありがたくない称号を獲得することになったのだった。

 

「N、NOOOOOOOOOーーーーーー!!」

 

 

 

 

 ……おーまいごっどである。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 ――悲報。魔族の将サタンジェネラル、人間に捕まる!

 ――魔族の面汚し。不良品の疑い有り!?

 ――培養カプセルに不具合か? 製造元は否定のコメント。

 ――徹底解説! 1182号とはどんな人物? 普段の素行に問題が?

 ――朝まで生討論! 大魔王城ひきこもり問題。100年間は長すぎる!

 ――同僚B氏に独占インタビュー! 1182号の素顔とは!

 

『え~~っ!? あいつ人間ごときに捕まっちゃったの!? うっそだろ!? え、なに? 勇者とかそういう強い奴に出会っちゃったの? まあそれじゃあ仕方な――えっ、ただの町民!? あいつ一般人にやられたの!? サタンジェネラルが!? はざまの世界の戦士が!? ただの一般人にやられちゃったの!? ひゅ~~っ! さすがは一流の武人さんだ! 俺にはとても真似できねえぜ!』

 

 

「――う、うがあああああッ!」

 

 バキッ、バキッ、バキッ――と。

 

 地下牢に置き去りにされたその夜更け、私は妄想の中のブースカを殴りつけながら鬱憤を晴らしていた。その余波で壁や床が砕けてしまうが、気にせずゴンゴン殴り続ける。

 これで痛みの一つでも感じてくれれば冷静になれるのに、頑丈な拳にはスリ傷一つできやしない。ああ、魔族の屈強な体が今は恨めしい。

 

 

 ――ピーヒャララ~~。

 ――かんぱ~い!

 ――町の平和に感謝を~!

 ――もっと飲め飲め~~!

 ――わははははは!

 

 

「嗚呼、楽しそうだなあ……」

 

 不意に、明かり取りの窓から賑やかな声が聞こえてきた。

 ときおり楽器の音も響いていることから、昼間の祭りの続きでもやっているのだろうか。寒々しい地下牢と比較し、より一層寂しさが沁みた。

 

 ……ついでに怒りも沸々と湧いてきた。

 

「ちくしょうハッサンめ、なんと酷い奴なのだ。師匠の顔面を凹ませた上、地下牢に置き去りにするとは……」

 

 アホ弟子に対する愚痴がつらつらと漏れ行く。昼間の所業を思い返すとまた腹が立ってきた。今度の修行は絶対に十倍にしてやろうと固く決心した。

 

「……いやハッサンだけじゃないな。あいつらめ、みんな揃って私を除け者にしおって。なんと冷たい奴らなのだ」

 

 さらに愚痴は派生していく。

 町を救った自分に対してこんな扱いをするなど、他の連中もけしからん。

 これが現代人の心の冷たさというやつなのか。まったくもって嘆かわしい。華やかな都会で犯罪が多発するわけである。

 

「人間同士でそんな有り様なのだ。なら人と魔物が分かり合うことなんて到底ありえないのさ。ケッ」

 

 きっと今日のことで町の皆からも敬遠されたに違いない。

 なにせフランク曰く、私は逃亡してきた大量殺人犯なのだ。どうせ皆いつも笑顔の裏で『怖いなあ』とか、『どっか行ってくれないかな』とか思っていたに違いない。そうだ、そうに決まっている。

 

 ふん、それならそれでいいさ。

 元よりこの身は魔物、自分こそを最優先として生きてきたエゴイスト。

 結局のところ我々の関係など、お互いに引っ叩き・貶し合い・利用し合うくらいでちょうどいいのである。

 

 ……そこ。『怒られてヘソ曲げた子どもみたい』とか言うんじゃない。

 これは種族間の軋轢についての高尚な思索であって、断じて不貞腐れているわけではないのだ。

 

「……ふん、まあいい。今回であいつらの悩みはほぼ解決したし、これ以上関わることもないだろう。この辺りが縁の切れ目だ、後は修行でも恋愛でも勝手にすればいいのさ。ああもう、人間なんて知らん知らーん!」

 

 そんな投げやりな言葉とともに、私は床にあったトレーを台に載せた。

 不貞寝している間に運び込まれたのであろう夕食。色とりどりの品が並べられたトレーからは、食欲を誘ういい匂いがふよふよと漂っていた。

 嫌なことは食って寝て忘れてしまうに限るのである。

 

「お、屋台で売っていた串焼きに、こっちは魚の香草焼きか。はざまの世界には海産物がないから食べてみたかったのよな~。うむうむ、この茸スープもすごく美味そうだ。おっ、さらにワインとグラスまで付いているのか。なんだなんだ、えらくサービスが良いではないか~」

 

 無慈悲に投獄されて嘆いていたが、どうやら看守の性格は悪くないようだ。私の好物を用意してくれた上、よくよく見れば奥の方に真新しい布団セットまで置いてある。細やかな気遣いが感じられて大変よろしい。

 ハッサンもアマンダも、少しはこういうところを見習えば良いのだ。いつもいつも師匠を(ないがし)ろにしおって、あの悪ガキどもめ。

 

「ふふん、今更改めても遅いがな。失ってはじめて師のありがたさを思い知るが良いのだ。……お、紙エプロンまで付いているぞ。むはは、本当にサービスがいいな、ここの牢屋は」

 

 思いがけぬ好待遇に高笑いしながら、私はトレーに添えられた四つ折りの紙を開いたのであった。

 そして――

 

 

 

『今日はいろいろありがとう、師匠。このスープ私が作ったやつだから、後で感想聞かせてね?』

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「…………ほあ?」

 

 そして見事なカウンターをもらい、珍妙な声を上げていた。

 

 ……そこにあったのは、柔らかな文字で綴られた、弟子からのメッセージカードだった。普段見られないその素直な言葉に、不覚にも一瞬マヌケ面を晒してしまう。

 さらに、添えられていたのはそれ一枚だけでなく、

 

『馬鹿息子を鍛えてくれたこと、礼を言う。大工仕事が必要なときはぜひ声をかけてくれ』

 

 無骨な文字で……、

 

『町長としては言えないので、一人の町民として……。この町を救ってくれたことに、心から感謝する』

 

 厳格な文字で……、

 

『一晩そこで過ごせば、怒っているお役人たちも納得してくれると思います。今度特別ボーナスも出しますから許してくださいね?  追伸:食事と寝具は住民の皆さんが用意してくれました。怖がられていないから安心してください』

 

 穏やかな文字で……、私への気遣いと感謝が綴られていた。

 

 ――そして、最後に添えられた一枚には、

 

 

『さっきは流されたからもう一回だけ言っとくぞ? …………強くしてくれてありがとう! 親父と仲直りさせてくれてありがとう! あと、師匠のこと尊敬してなくもないぞ! つーわけでこれからもよろしくな! 以上!』

「…………」

 

 何度も手直しして、ボロボロになったその紙には、下手くそな文字で想いが綴られていた。

 

 ――それはとても生意気で、回りくどくて、取っ散らかっていて、……でもだからこそ本心だとわかる言葉で、

 

「…………。……ふ、ふん、文字だけなら何とでも書けるし? ……いや別に、本音だとしても(ほだ)されたりしないし? 一流の武人がこの程度のことで動揺するわけないし?」

 

 ――負け惜しみのように悪態を吐くものの、頬がムズ痒い事実は如何ともしがたく、

 

「…………あーー……で、でもまあ? あいつのほうから歩み寄ってきたのは評価できるし? よくよく考えてみれば、私にも少しばかり悪いところがあったし?」

 

 ――これからもこの町で暮らしていくなら、こういう(わだかま)りを残すのも良くないわけで、

 

「……な、なのでまあ? 今回だけは……、寛大な心で仲直りしてやっても良い……かな~?」

 

 ――とりあえず今日のところは、変に意地を張らず、皆の言葉をクールに受け入れることにしたのである。

 

 

 

 ……そこ。『褒められて機嫌直すチョロい子どもみたい』とか言うんじゃない。

 これは分別ある大人として子どもの言葉に折れてやっただけであり、断じて何かに絆されたわけではない。

 

 …………だからこれは、口角が上がりそうなのを口数で誤魔化しているとかそういうことではないし、『皆に感謝されて嬉しい』などというシャバい反応でもない!

 何やら体温が上がっているのもスープの湯気が熱かったからであって、『弟子の言葉に照れている』などということは絶対にないのだ!

 いいな!? わかったな!?  ホント勘違いするなよ!? 

 

 よ、よしっ、では感情の整理も付いたところで、日課のお祈りでもしようか! 何しろ私は敬虔なる信徒であるからして!

 

「オ、オホンッ。おお神よ、どうかこんな穏やかな日々が、ずっと続いてくれますように――」

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 見習い神父が、空に向かって手を伸ばす。

 いつかと同じく独りぼっち、場所も寂しい地下牢で、冷たい隙間風が体を撫でる。

 さりとて不思議とその身は暖かく、彼は一人、月明かりの下で小さく笑った。

 

 この温もりは一体どこから来たのか。

 言葉通りスープの熱さか、回復魔法を覚えられた喜びか、はたまた他の某なのか? それは本人にも分からない。

 ただ一つだけ、確実に言えることがあるとすれば、彼がこの温もりをこの先もずっと大切にしていくだろうということ。

 

 数多の魔物の中で偶然生まれた突然変異(?)、回復魔法を覚えたいという変わり者のサタンジェネラル。彼が本当の意味で癒されるのは、一体いつの話になるのか?

 

 

 ……もしかしたらそれは、そう遠くない未来かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、お祈り終わり! さ~てと、では屋台飯とやらを味わってみるかな~? ムフフフ~、どれも美味そうでいいぞ~。んじゃあ、いただきま~――」

 

 

 

 

 

 

「――サタンジェネラル1182号だな?」

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 

 

「………………え?」

 

 ――なんと まおうのつかいが あらわれた!

 

「ムドー様の御命令だ。我が軍のサンマリーノ侵攻を妨害した件で貴様を査問する。速やかにムドー城まで出頭せよ」

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 

 

「………………え?」

 

 

 

 ――前言撤回。まだまだ平穏は遠いようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 お読みいただきありがとうございました。これにて2章終了です。
 昨年中にここまで投稿できれば良かったのですが、書き直しの連続でズルズル時間がかかってしまいました。
 次章はもっと早く書けるよう頑張ります。(2019/07/12)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3章
1話 基本的に上司には敵わない


 四大魔王。

 大魔王デスタムーア様直属の部下であるムドー様、ジャミラス様、グラコス様、デュラン様を総称してそう呼ぶ。

 

 言わずと知れた魔王軍の大幹部であり、下っ端ではまず会話する機会もない雲の上の存在。

 戦闘力は並みの魔族を遥かに凌駕し、下剋上が常の魔物社会においてここ数百年、その顔ぶれは全く変わっていない。強大な力とカリスマでもって盤石の支配体制を確立している、まさしく超越者と言うべき方々なのだ。

 

 彼らは大魔王様の命を受けて人間界へ派遣され、各地の拠点にて侵攻作戦を推し進めている最中だ。その活躍ぶりは凄まじく、『都市を消し飛ばした』、『大陸を海に沈めた』、『逆らった部下を細切れにした』などなど、物騒な噂を挙げれば枚挙に暇がない。

 ついこの間も、どこぞの国を滅ぼしたと風の噂に聞いたばかり。

 

 まさに、魔王と言われてすぐに思い浮かぶような『ザ・魔王』

 すべての魔族が憧れるスーパーエリート。

 あまりに畏れ多すぎて、軽々しくお会いしようなどとは到底思えない方々なのである。

 

 そんな尊き御方から今回、私ごときにお声がかかった。

 一魔族としてこの上ない栄誉に与った。なんという青天の霹靂か。

 きっと向こうに着いてからでは周囲の目が気になり、素直な気持ちを吐き出すことなどできないだろう。だから……、だからこそ今この場で、私は声を大にして叫びたい。

 

 至高の魔王様よりの直々のお呼び出し……。

 なんという! ああ、なんという!

 

 

 

「なんて迷惑極まりない話なんだああああ!!――【ピシャアア!!】――うひい!?」

 

 不敬な発言を咎めるかのように、稲妻が空気を切り裂き大岩に着弾した。まるで雷撃魔法を受けたかのごとく粉々になった岩盤の群れ。それを見て背すじがブルリと震える。

 

「ど、どうかあれが私の未来ではありませんように!」

 

 全く仕事しない神に祈りを捧げつつ、私は再びヤケクソで櫂を振りかぶり、水面を掻き始めたのである。

 

 

 

 ――というところで皆さんこんにちは。神父見習いを一時休業、ただ今魔王軍から呼び出しを喰らっておりますサンタです。

 現在私は、荒れ狂う海上を小舟でどんぶらこ。ムドー様の居城を目指し、ひたすら西へと突き進んでいるところです。

 しかしご覧の通り、天気は生憎の大嵐。まるで今の私の気分を表すかのごとく大荒れです。

 

「ぬぐうううっ、波のせいで全く進まん! ああもうっ、なぜに魔王と名の付く者は僻地やら危険な場所やらに住みたがるのだ! 変な趣味でもあるのか! 家なら都心の一等地に建てればいいではないか!」

 

 誰もいないのを良いことに再び不敬な発言を繰り返す。絶対の上位者に対しあるまじき行為だが、今は自重する気も起きない。呼び出しておいて自分で来いとか言うもんだから、なけなしの金で小舟を買う破目になったのだ。なんと手痛い出費だろうか。

 

「だいたい侵攻で成果を上げていると言うが、それって全部部下の功績だろ! 本人は居城で踏ん反り返ってるだけだろ! いつも肘掛けに腕ついて陰気な笑い浮かべおって! カッコいいとでも思っているのかこの引き篭もりども――ってぬわああああ!?」

 

 何度目かの大波により、ついに舟が転覆し大海原へと投げ出される。黒々としたその海水は、見た目通りとても冷たかった。

 ……ああ、こんな大しけの海を手漕ぎ舟で旅するなんて初めて。とても貴重な体験だ。その上さらに海水浴までやらせてくれるとは……、なんて太っ腹なんだ魔王軍。ほんと死ねばいいのに魔王軍。

 

「げほっ、えほっ。なんというブラック企業っ。社員を人とも思わぬこの所業、決して許すまじ! 少しは教会と神父様を見習えええ!」

 

 散らばった荷物を必死で掻き集めながら、私は今朝方退職したホワイトな職場へと想いを馳せたのである。

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

【本日未明、教会内食堂にて】

 

「神父様、少々暇をいただきたいのだが……」

「はい? どうしたんですか、突然」

 

 突如現れた『魔王の使い』に出頭命令を伝えられた翌朝、つまりは今朝、私は上司である神父様に退職を願い出ていた。

 当然ながらそれには怪訝な反応が返って来たわけだが、言い訳については問題ない。あれから人間界の資料を読み込み、徹夜でカバーストーリーを考えたのだ(不安で眠れなかったとも言う)。巧妙に真実を織り交ぜた逃亡物語をどうぞご覧あれ。

 

「実は私……、故郷では大企業勤めのエリート社員だったのだ」

「…………」

 

 ……あかん、早速躓いた。『何言ってんだコイツ』って顔されてる。

 

「ほ、本当なのだぞ? 本社の主力として、毎日バリバリ働いていたのだ」

「へえ、そうなんですか……」

「……ち、ちなみに職種は警備関係だ。重要施設の見回りや要人の護衛などを主にやっていた。社名はえっと……そう! ムーア商会!」

「…………」

 

 ……いかん、すごく疑わしそうだ。やはり『さらりーまん』は無理があったか?

 いやしかし、今更撤回するのは不自然、このまま一気に押し切る!

 

「だが職場環境が良くなかった。一匹狼だった私は、上司に疎まれ、同僚からハブられ、部下からは怖がられる、そんな悲しい人間(?)関係だったのだ」

「あ、それは本当っぽいですね」

 

 ちょっと、なんでそこはあっさり信じちゃうの? 私ってそんなに浮いてそうに見えるの? ……まさか今もそんな扱いじゃないよね?

 

「ゴ、ゴホン。で、ある日それに耐えられなくなった私は、就業時間にも拘わらず無断で帰宅。辞表も出さずに会社をバックれ、そのままの勢いで国まで飛び出した」

「ええぇ……」

「し、仕方ないではないか! 皆して私を蔑ろにするのだぞ? そりゃバックれたくもなろうというものだ!」

 

 だからその呆れた目やめてっ。最近神父様まで私の扱いが雑になっている気がするぞ。こんなに真面目に仕事しているのになぜなんだ。

 

「それでサンタ君。その件と暇乞いがどう関係するんです?」

「えっ、ああはい。……じ、実は昨日、派手に動いたせいで関係者に見つかってしまってな。えーと……、そう! こっちにいる支店長に私の居場所がバレたのだ。で、『そんなトコで何やってやがる、ちょっとツラ貸せや』と出頭命令が下されてしまい……」

「……なるほど。それでそちらに顔を出すため、職を辞したい……と」

「う、うむ、そういうことなのだ」

 

 なんとか辻褄を合わせ、事情説明は終了。

 冷や汗ダラダラな私の前で、神父様が顎に手を当て考え込む。やはり無理があっただろうか?

 

 だがしかし、馬鹿正直に全てを説明するわけにもいかん。むしろ今こうして話しているだけでもかなりのリスクがあるのだ。

 仮にこの場を同族に見られた場合、奴らが神父様に何をするか分からない。いや、神父様だけでない。下手をすると町の住民にも危害が及ぶ恐れがあった。

 ゆえに、多少怪しまれようが、さっさとこの町を出てしまうのが正解なのだ。

 

「……では神父様、今日までいろいろ世話になった! これにて御免!」

「あ、ちょっとサンタ君!」

「止めてくれるな神父様! これが互いにとって最善なのだ!」

 

 制止する神父様の声を泣く泣く振り切り、私はそのまま食堂を飛び出そうとした。しかし――

 

「「師匠!」」

「っ!?  お、お前たち……」

 

 扉を開け放った私の目の前にいたのは、こんな時間から教会に来ていた弟子たち――ハッサンとアマンダだった。どうやら今の話を聞いていたらしく、二人揃って悲痛な表情を浮かべている。

 

「そんな場所に戻ることないぜ、師匠! ここがあんたの居場所だろ!」

「そうよ、ずっとここにいればいいじゃない! お願い行かないで!」

「ハッサン、アマンダ……」

 

 両腕に縋りつき必死で私を引き止めてくれる二人。その姿に一瞬心を動かされそうになるが、ここはグッと堪えなければならない。

 

「っ……ありがとう、二人とも。……心配しなくても私は大丈夫だ。きっといつか、また会えるさ」

 

 精一杯の笑顔を浮かべて二人を見遣る。彼らの願いに応えられないのは残念だが、その気持ちだけはありがたく受け取っておこう。

 ふっ、やはり本来は優しい子どもたちだったのだな。師匠としてとても嬉し――

 

「いや、明日からの俺の修行どうすんだよ! せめて代わりを用意しろよ! その後ならどこ行ってもいいからさあ!」

「サンドバッグがいなくなったら困るじゃない! 失恋の痛み舐めないでよ! いなくなるならせめて今殴らせなさいよ!」

「ちくしょう! やっぱりロクでもないガキ共だった!!」

 

 ちょっと良い空気になったと思ったらすぐこれだ! 私の感動を返せ!

 精神的ダメージを振り払うように、私は二人をブンブン振り回した。

 が、あのときと同じで全く離れない。ばくれつけんでブン回しているのに、驚異的な握力で張り付いてきよる。おのれ、こんなところで成長を見せるんじゃない!

 

「サンタくーん! はぁ、はぁっ……。きゅ、急に走り出すから驚きましたよ」

「おお、神父様!」

 

 食堂の入口で三人ぎゃいぎゃい騒いでいると、これまたあのときと同じように神父様が追い付いて来た。不義理な私をそんなに必死で引き止めて下さるとは、なんと優しい人だろうか。

 

「やはり私の味方はあなただけだ。さあさあ、どうかこいつらにも言ってやってほし――」

「あ、サンタ君、これどうぞ」

「…………はい?」

 

 その優しさに感じ入っていると、彼は唐突に一枚の紙を差し出してきた。

 何やら小さな文字列が書かれたペラい紙切れ。一体何の餞別だろうかと引っくり返してみるとそこには、

 

 

――ご請求金額 10000ゴールド。

 

 

「………………なんぞこれ?」

「何って、忘れたんですか? 以前、カジノ用にお給料を前借りしたじゃないですか。『もう少しでドラゴンシールドが手に入るんだー』って。お金が入ったらちゃんと返してくださいね?」

「…………」

 

 ……餞別どころか、取り立てだった。

 

「うわー、師匠借金して賭け事やってたのか。引くわー」

「前の職場から声がかかってむしろ良かったんじゃないの? いい機会だし、死ぬ気で稼いできなさいよ」

 

 ますます辛辣な子ども二人の発言も、今は耳に入らない。

 

「…………あの、神父様? ……心配で引き止めて下さったのでは?」

「あっはっは、まさか。君ならどんな場所でも元気にやっていけるでしょう? 心配なんてしませんよ」

「だな。犯罪者の町でも大丈夫そうだ」

「そうね。むしろ親玉倒してトップに立ってそう」

 

 ……皆すごく良い笑顔。欠片も心配していない。嬉し過ぎて震えそう。

 そんな私を見ながら、最後に神父様はにこやかに言い放った。

 

「ではサンタ君、新天地でも頑張ってきてくださいね」

「「いってらっしゃ~い」」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「……だ、誰かまともに引き止めてくれよおおお!」

 

 

 こうして私は涙ながらに仲間と別れ、サンマリーノを旅立ったのだ――。

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

「…………」

 

 あれえ、おかしいっ、あっちでも扱いが雑だった! 一人たりとも心配してくれてない!

 しかもまさか、あの優しい神父様が無慈悲に借金を取り立ててくるなんて!(当然)

 

「ちくしょう! 人間界でも魔界でも、結局外れ者は虐げられるのか! 私の安住の地なんて、この世のどこにもなかったと言うのか! 私は……私は一体どうすればいいのだあああばばば!? げっふ! ま、また高波がああぶぶぶ!」

 

 再び襲ってきた大波に飲み込まれ、私の体は海の底へ沈んでいった。

 

 ……だんだんと遠のいていく海面を見上げながら、ふと一瞬、『このまま行方不明になってもいいんじゃないか?』という思いが首をもたげてきた。

 どうせどこに行っても扱い悪いんだろうし、いっそ溺れ死んだことにして逃げてやろうか――と。

 

 ………………。

 

(――い、いいや駄目だ! そんなので誤魔化せるはずがない! そもそも高位魔族がこの程度で死ぬわけないしっ、逃げ出したことが丸分かりだ!)

 

 即座にその思考を打ち消し、海面へ飛び出る。

 何を馬鹿なことを考えているのか。そんなことになったが最後、本格的に魔王軍に指名手配され、平穏な生活など夢のまた夢になってしまう。

 弱気になっている場合ではなかった。とにかく今は一刻も早くムドー様にお目通りし、申し開きに全力を尽くすのみ。

 それしか今を生き残る道はないのだ! いやほんとマジで!

 

「くっそおおお、私は諦めんぞ! 平和で優しい世界に辿り着くまで、絶対に死んでたまるかあああ!!」

 

 我武者羅に吠える顔を流れ落ちるは雨か、海水か、それとも他の何かか。

 顔中を水分で濡らした私は、引っくり返った舟をびーと板代わりに、全力でバタ足を開始したのである。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「ぜぇ、ぜぇ。や、やっと着いた……。ぶえっくしょい!」

 

 大しけの中を往くこと10時間。ムドーの島(敬称略)まで根性で泳ぎ切った私は、疲労した身体を引きずりながらなんとか城門前まで辿り着いていた。

 野良モンスターを蹴散らしつつノンストップで泳ぎ続けたもんだから、体はもう完全にフラッフラである。……ああ、水を吸ったマントがとても重い。早いとこチェックインして休みたい。

 というわけで、さっきからこちらをチラチラ覗っている門番にさっさと声をかけよう。

 

「げっほ、げっほ……。ゴホンッ、あー、ムドー様から呼び出されているサタンジェネラル1182号という者だが、話は通っているか?」

「えっ! ……あ、その……か、確認してきますので少々お待ちを!」

 

 扉横に立っていた『ぬけがらへい』は一瞬驚いた後、焦った様子で駆け出していった。

 

 …………あれは多分、私が不審者かどうかで迷っていたな。『こんなところに人間や逸れモンスターが来るわけはない。しかしさすがにあれは怪し過ぎる、どうしよう……』と。

 ふっ、構わん構わん、気にするな。今更その程度の扱いで怒ったりせぬよ。なにせ私は上司や弟子に全く引き止めてもらえない、悲しく憐れなロンリーウルフ(無職、借金持ち)なのだからな。

 

「けっ、まったく冷たい奴らだ! ヘックション!」

 

 ――と、そんな風にやさぐれながら衣服の水気を絞ること数分、

 

「お、お待たせしました、このまま真っ直ぐお進みください。一番奥の部屋にムドー様がいらっしゃいますので……」

「うむ、了解した。では失礼」

 

 戻ってきた門番の言葉に従い、ついに私は城の中へ足を踏み入れた。後ろでガチャンと城門が閉じられる音が聞こえ、激しい雨音と雷鳴が遠くなる。

 コツコツと自分の足音だけが反響する静寂の中、ようやく目的地に着いたことを実感して肩の力が少し抜ける。

 ……実際は伏魔殿の中に入ってしまったわけで全く気など抜けないのだが、どの道ここまで来れば腹を括るしかないのだ。できるだけリラックスしておく方が良いだろう。

 

 深呼吸を一つ挟み、体の節々を解しながら大廊下を進んでいく。すると徐々に、周りへ目をやる余裕も出てきた。

 

 このムドー城、外から見るとオドロオドロしい雰囲気だったが、意外なことに内観はまともだった。壁はどこも綺麗に磨かれており、床には上等な絨毯が整然と敷き詰められている。内装デザインもシンプルに美しく、悪くない。普通に暮らす分にはむしろ好ましい部類だった。

 

 そして何より素晴らしいのは、魔物の領域なのに誰も襲い掛かって来ない点である。これが大魔王城ならばすでに三回は襲撃されているところだが、ここの連中は先ほどから廊下の端に寄って頭を下げるだけだ。

 

「あ、あれがムドー様に呼ばれたという……」

「おい、あまりジロジロ見過ぎるなっ。……し、失礼しました!」

 

 今擦れ違った二匹も、目が合うと慌てて一礼して去っていった。門番のときと同様、先ほどから皆似たような反応が続いてばかりだ。それらを見ていてふと思い出す。

 ……ああ、そういえばそうだった。最近の扱いで忘れていたが、私って選ばれしエリート魔族だった。子どもにはよく舐められるけど、一般の魔物からは崇拝されるような高位の存在だったのだ。

 

 その証拠に、ほら今も――

 

「……誰だ、あれ? 見慣れない顔だな」

「おい、不躾な視線を送るな。ありゃ相当な実力者だぞ」

「ムドー様が直接招いた凄腕の戦士らしいぞ。なんでも、ここより遥かに高レベルの激戦区から呼び寄せたとか……」

 

 尊敬の眼差し、手放しの賞賛、ものすごい高評価。久方ぶりにこんな丁重な扱いを受け、油断すると頬が緩んでしまいそう。

 

「すげえ威圧感だ。俺たちとは段違いの実力ってわけか」

「あの顔、デュラン様にそっくりだぜ。どういう立場の方なんだ?」

「血縁者なんじゃねえか? 魔王様の息子……とか?」

「ってことはやっぱり、実力も相当高いんだろうぜ。へへ、こりゃレイドック攻略も時間の問題だな」

 

「…………」

 

 ……フ、フフフフ。

 いかんどうしよう、なんだか良い気分になってきた。気を抜いてる場合じゃないのはわかっているが、いろいろと酷い目に遭った後だけにこの崇拝ぶりには喜びを禁じ得ない。

 合わせて思考もだんだんと楽観的になっていき、ついにはこんな考えまで浮かんできてしまった。

 すなわち、

 

「……果たして私が呼び出された理由は、本当に査問なのだろうか?」

 

 

 だってよくよく思い返してみれば、昨日の襲撃は手抜き気味だった気がするのだ。

 ムドー様が本気でサンマリーノを攻め滅ぼすつもりだったならば、町周辺の雑魚モンスターなど使わずにこの城の兵を送り込んでいたはず。なのにそれをせず、住民のレベルに合わせた魔物を使役していたということは……。

 

 つまりこれはあれだ、魔王様方がよくやる『お遊び』だったのだ。

 相手がギリギリ切り抜けられるかどうかの危機を吹っ掛け、人間が右往左往する様を見て楽しむという、迷惑極まりない暇潰しだったというオチ。

 ならば、それを少々邪魔されたぐらいで大した怒りなど感じまい。

 

 この呼び出しの意図も、『久々に狭間の世界の奴がいたからちょっと会ってみよう』、とかそういうことだったのではないか? それか『いい戦力になりそうだからとりあえず仲間に加えておこう』、とか。

 

 …………。

 

 ……うむ、ここの連中の反応的にも、なんとなくそんな気がしてきたぞ。なにせ私ときたら、激戦区の狭間の世界においてすら一目置かれる戦士だったからな。

 元々強いサタンジェネラル種であることに加え、魔物には珍しく真面目に修行してきたから、同族の中でも頭二つは抜けているのだ。

 数値にしてみるとだいたいこんな感じ。

 

 

 悪魔将軍サンタ

 HP 1500

 MP  800

 攻撃  700

 守備  400

 速さ  400

 

 

 ……どうだ、この強さ。長年の経験に基づいて強さを数値化してみたのだが、中々のものだろう?

 一般の魔物の場合、強いやつでもギリギリ三桁に届くかどうかなのだ。それを考えれば私がどれほどの高みにいるか分かるだろう。大魔王城で順位付けしたとしてもかなりの上位、ボス級といっても過言ではない腕前なのだ。

 

「ふっ、こうして自分の強さを再確認してみると、なんだか本当に落ち着いてきたな」

 

 今回の呼び出しがもし本当に処罰や粛清だったとしても、この戦力なら一方的に殺されるということはあるまい。……いや、ひょっとすると勝てる可能性すらあるかもしれんぞ。あの方たち普段から引き篭もっていて、いろいろナマってそうだしな。

 

「ふはは、そう考えれば焦る必要もなかったかもしれんな。――そうさ、私は本社勤務のエリートサタンジェネラル、支社長風情がなんぼのもんじゃい!」

 

 そんな根拠のない自信とともに、私は辿り着いた玉座の間を勢いよく開け放ったのである。

 

 ……そして、

 

 

 

 魔王ムドー

 HP 9000

 MP  無限

 攻撃 1150

 守備 1050

 速さ  470

 

 

『さて1182号よ、何か申し開きがあるなら聞こうか?』

「すみませんでしたああああ!!!!」

 

 

 その場で全力で土下座した。

 

 

 

 

 

 




 
 原作通りだと『中ボス<終盤の雑魚』現象が起きてしまうため、本作のムドー様にはかなり強くなってもらいました。ステータスは第1・第2形態の良いとこ取り×10倍、使用技は1~2段階強化、という清々しいまでの厨設定です。
 少々やり過ぎた感もありますが、仮にも『魔王』を名乗るのだからこれくらいはあっても良いかなと……。
 
 サンタの方は通常のサタンジェネラルの2~3倍くらい。全体で見れば十分強いけど、最強には一歩及ばないという立ち位置です。







目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話 人の話はちゃんと聞きましょう

「ぐぅ……!」

 

 頭を垂れる己の周りで地面がひび割れていく。空間が歪み、暴風が吹き荒れ、極寒の冷気が肌を突き刺す。そして、それらが些事に思えるほどの尋常でない圧が背中へ降りかかる。

 鍛え込んだはずの肉体がギシギシと軋み、全力で抵抗してもなんとか体勢を維持するのがやっと。直接何もされていないにもかかわらず威圧感だけでこの有り様だ。疲労からではない汗が滝のように流れ、地面にいくつも染みを作っていった。

 

 ……甘かった。

 昔より強くなったことで、どこかでこの方を舐めていた。鍛え上げた今の自分であれば対抗できるだろうと、何の根拠もなくそう思っていた。全くもって大甘だった。

 思い出せ。この方は魔王。数百万の軍勢を統べる、大魔王軍の最高幹部。所詮は一量産型に過ぎない私などが、対抗できる相手であるはずがなかったのだ。

 

 

 

 

 …………だが!

 

「ぐ、ぐぬううう!!」

 

 だがしかし! 力の差が大きいからといって命を諦めたわけではない!

 私は誇り高きサタンジェネラル、絶望的な状況でも決して諦めはしない。

 故郷を旅立って見聞広めたのはこんなときのため。今こそ培ってきた全てを駆使し、この難局を乗り切ってみせる!

 

 断固たる決意のもと、私は決然と顔を上げ、絶対上位者に対して想いの丈を叫んだ。

 

 

「すいませええん!! ちょおおおっと辛いので威圧緩めてもらえませんかあああ!? 今からきちんと謝罪と弁明を行いますので!! ホントお願いしますウウウウ!!」

 

 ――そう! 言い訳して! 誤魔化して! 同情を誘って! 靴の裏を舐めてでも命乞いをしてやるのだ!

 

 え? 反旗を翻してかっこよく倒すんじゃないのかって?

 馬鹿野郎! こんな化け物相手に量産型が勝てるわけないだろ! 今私がするべきことはただ一つ、どんなに見苦しくとも生き残ることだ!!

 

「ではその弁明とやら、聞かせてもらおうか?」

「はい喜んでええええ!!」

 

 私は満面の笑みを浮かべ、新たな上司様へ事情説明を開始したのである。

 社会人生活で鍛えられた言い訳能力、とくと見よ。

 

 

 

 Q1、なぜ人間界にいるのか?

 A1、近年実力に伸び悩みを感じ、修行のためにこちらへ来ました。とても真面目な理由なんです、はい。

 

 Q2、それにしては祭りなどを楽しんでいたようだが?

 A2、ゴホッゴホッ!? ……しゅ、修行には適度な休息も必要でして、昨日は偶然休みの日だったのです。……ふ、普段は当然厳しい訓練を行っておりますとも!

 

 Q3、大魔王城所属の者に勝手な移動は許されていないはずだが、許可は得ているのか?

 A3、(ギクッ!?) ……あ、あれえ? 確かに報告したはずなんですが、ど、どこかで行き違いになったかなあ……? ず、杜撰な管理体制には困ったもんですなあ。あはは……。

 

 Q4、人間の町で暮らしていた理由は?

 A4、えーとえーと……、あ、そうだっ、人間の技術の中に強くなるヒントがあるのではと考え、観察をしておりました。敵の調査という意味でも、魔王軍の役に立つかと愚考いたします。……け、決して仲良くなってなどいませんよ!?

 

 Q5、なぜ我が軍の侵攻を妨害した?

 A5、そ、それは大きな誤解であります! 野良モンスターの襲撃が起こったと誤認してしまい、町の調査が終わっていなかったため止む無く撃退したのです。……い、いやあ、まさかあれがムドー様の配下だったとは! かーー、気付かなかったなーー! サンマリーノ周辺の魔物ばかりだったから見事に間違えちゃったなーー! 仕方なかったとはいえ、これは不徳の致すところだなーー!

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 Q6、…………そうか。

 A6、………………そ、そうなんです。

 

 

 ……説明終了。

 そして私の命も終了しそう。ボロが出るどころか話全体がズタボロだった。

 それを表すように、問いが終わってからずっと黙っているムドー様。頭の中で処刑方法でもお考えなのだろうか?

 

 待たされているこの間が地味にキツい。冷たい空気の流れる音だけがビュービュー響いて気まずいことこの上ない。あれだ、学校で先生に質問されて何も答えられない状況に似ている。

 ウオェ、緊張で胃が痛くなってきた。お願いムドー様っ。生かすにしろ殺すにしろ、素早くパパッと決めちゃって下さい!

 

「まあ、よかろう」

「ヒィ!? やっぱり殺すのは無しの方向で!――って、……え?」

 

 あまりにあっさりとした口調だったため、先走って情けない反応を返してしまった。聞き間違いでなければ今、確かに『許す』と言われたような気が……。

 

「あ、あの……、もう一度……お聞かせ願えますか?」

「我が軍への攻撃は不問に処すと言ったのだ。元々あれはお遊びのようなもの。失敗しても然程問題はなかった」

「………………ほ、本当に?」

「ああ。二言はない」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 …………い、いやっふううううう!! 生き残ったああああ!!

 

 なんだよもうーー、本当に私の読み通りだったのかよお! こんな査問だなんて仰々しい真似しちゃって、ムドー様も人が悪いなーー!

 まあそりゃそうだよな! 私はデュラン様の細胞から生まれたクローン、つまりムドー様から見れば甥っ子みたいなもの! それをちょっとミスしたからって簡単に殺したりするわけなかったよなー、いやー、焦った焦った!

 

 開放感からその場で小躍りする。

 御前にて少々不敬ではあるが、粛清が常の魔王軍で命を助けてもらえたのだから仕方がない。ああ、寛大な上司様に感謝である。迷惑な魔王様とか思っててごめんなさい。

 

「よし、ならこれにて一件落着ですな! それではムドー様っ、部外者の自分はさっさと失礼させていただき――」

「では1182号よ、今後は我が麾下(きか)にて腕を振るうがよい」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「……え?」

 

 これで憂いなく帰れると思い踵を返そうとしたそのとき、……今度こそ聞き捨てならない齟齬(そご)が生じた気がした。

 

 …………え? 働く? 誰が?――――私が? 

 どこで? 我が麾下――――ここで!?

 ……い、いやいやいや、きっと何かの間違いだ。

 

「…………あ、あの、ムドー様。……ふ、不問というお話では?」

「ああ、昨日のことで特に処罰する気はない」

「で、ですよね! なら――」

「――しかしな? 我が軍は今、多数の重傷者が出て非常に困っておる。不幸な行き違いゆえ誰ぞに責任を問うことはできぬが、兵の数が足りずにとても困っておるのだ」

「あ、いや……」

「ああ、もちろんこれは強制というわけではない。お前は私の部下ではないのだからな。困り果てた一指揮官の、単なる『お願い』というやつよ」

「や、ちょ、待っ……」

「お互いデスタムーア様直属という同格の立場。例え勘違いで自軍を攻撃されようが、目の前で失礼な態度を取られようが、私にはとても文句など言えぬよ」

「あ、あの、ムドー様? や、やっぱり怒っ――」

「ゆえにな1182号よ? お前が何も気にせず……、やらかした責任を取りもせず……、例え遠慮なくこの話を断ったとしても…………」

 

 

 ――――私は全く、気にせんのだぞ?

 

 

「ヒェ……」

 

(絶対的上位者からの『お願い』、それはもはや『命令』と同義なのでは?)

 

 とか、

 

(口とは裏腹にさっきより威圧感が凄いんですけど!)

 

 とか、

 

(冷静に見えてやっぱりキレてらしたんですか!?)

 

 とか……、

 言いたいことはいろいろ思い浮かんだものの、もちろんそんなこと口に出せるはずもなく、

 

「…………サ、サタンジェネラル1182号、……つ、謹んで、拝命いたします」

「おお、そうか。期待しておるぞ」

 

 再びこちらを叩き潰すような圧が襲い来る中、粛々と長いものに巻かれたのであった。

 

 …………え? 権力に屈するなんて情けないって?

 馬鹿野郎っ、上司の『お願い』に部下が勝てるわけないだろ!

 ここは世界最悪のブラック企業『魔王軍』! 断る=死なんだよコンチクショウ!

 

 

 ……とりあえずこんな感じで、本社から支社への転属が決まったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

辞令

 

 統一歴722年、実りの月16日、サタンジェネラル1182号の大魔王城守備隊の任を解き、人間界侵攻部隊・ムドー軍への異動を命じる。

 

 今後の活躍を期待する。                             以上

 

 

 

 

 

「……脳筋の魔王軍に書類なんて存在したのか」

 

 手元の上質な紙を眺めながらポツリと呟く。

 生まれてこの方100年余り、初めて知る驚愕の事実であった。ムーア城では見たこともなかったというのに、魔王軍とは案外まともな組織だったのだろうか?

 ……あ、それとも大魔王城が特別酷い修羅の国だっただけ? 何しろあそこは上司から同僚まで頭のおかしい連中ばかりだったからなあ。支社より本社のほうが無法地帯とか、ホントやばいぜ魔王軍。

 

 …………。

 

「はあああ……」

 

 などと嫌味を呟いても現状が変わるはずもなく。私は重たい空気を身体から追い出すように深くため息を吐いた。

 

 

 

 ここはムドーの島の外縁部、周囲の海一帯を見渡せる高台の上だ。急転直下の出来事を受けた翌日、とりあえず心を落ち着かせたくてウロウロ彷徨っていたところ、この場所へと辿り着いたのだ。

 誰もいないからと人には聞かせられない罵詈雑言を撒き散らし、今は一段落して休憩していたところである。

 ……え、どんな内容なのかって? 言えるわけないだろそんなこと、粛清されちゃうわい。

 

「はあああぁぁぁぁ。…………まあ、即座に殺される最悪のパターンでなかっただけ、ありがたいと思うしかないか」

 

 最後にもう一度大きく息を吐き出し、澱んだ気持ちを切り替える。

 終わったことでいつまでもウジウジ悩んでいても仕方がない。それよりは真面目に先のことを考えた方がいいだろう。

 

 今回、強制的にムドー軍に所属させられてしまったわけだが、別に即座に命の危険があるわけではないのだ。人間との争いも今は小康状態だと聞いているし、すぐさま戦いに駆り出される心配はない。

 懸念していた人間関係にしても、部下は従順で襲い掛かって来る恐れはなさそうだし、ムドー様直々の指名で転属したわけだから、その唯一の上司様から冷遇される可能性も低い。

 今現在受けている命令なんかはないし、部隊に所属していないから訓練する必要もなし。仮に任務を課されたとしても、新参者に任される仕事など大したものではないはず。

 顔を隠さずに生活できる点も地味にポイント高い。

 

 つまり、これらのことを総合的に判断すると、導き出される結論は――

 

 

 

「私はいずれ命じられる任務に備え、日々ぐうたら生活していればそれで良い……?」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 …………あれ? 最高じゃね?

 

 

 

 ――天啓が舞い降りた気がした。

 

 

 

「…………よし、悩むの終了。昼寝でもしよう」

 

 厄介だったはずの悩みがアッサリと解決してしまい、私はその場に寝転んで肩の力を抜いた。柔らかな地面が布団代わりになってとても心地良かった。

 

 ……え、真面目に考えるんじゃなかったのかって?

 いや、考えた考えた。考えた上で悲観することはないっていう結論に達しただけだから。

 やー、いけないなー。ちょっと環境が悪くなったからって不貞腐れてちゃいけないなー。

 昔から『住めば都』とも言うし、要するに物事は考えようなんだよ。最近ちょっと働き過ぎて疲れ気味だったし、つまりこれは少し身体を休める良い機会だったんだよ。適当に軽い任務請け負いながらダラリと暮らせる生活とか、悪くないどころか最高じゃないか! 

 かー、いけないなー。100歳超えて現代っ子みたいな反応しちゃって恥ずかしかったなー。

 

「あ、そうだ!」

 

 一旦リラックスしたおかげか、いざというときに逃げ出すためのアイデアまで思い付いてしまったぞ。

 その名もズバリッ、

 

 ――『危険な任務を請け負って、死んだと見せかけてトンズラする作戦!』

 

 以前小耳に挟んだ話だが、この世界の北東海域辺りに謎の宝物殿があるらしいのだ。なんでも滅茶苦茶強い番人が宝を守護しているらしく、そいつには魔王軍の最上級兵でさえ殺られる可能性があるんだとか。

 つまり、そのお宝を奪ってくると宣言して出撃し、現場に適当な負傷の跡を残して逃走すれば……、おおっ、見事に『戦闘中行方不明』の完成ではないか!

 

「完璧だ……。完璧過ぎて自分の頭脳が恐ろしくなってくるほどだ……」

 

 唯一の懸念事項だった逃亡方法まで思い付いてしまい、ついに私にはやることがなくなった。後は決行するに適した時期を選定するだけであり、そのときが来るまでの数か月はまるっと全部休暇期間となってしまった。

 素晴らしい、社内ニートの誕生だ。

 

「ああ……、もう何も怖くない」

 

 ついに頭の力までも抜き去る。恐怖感と絶望感から解放された脳みそが一気に軽くなり、心なしか周囲の景色まで変わって見えてきた。

 

 左を見る。不気味で恐ろしい城も、今は安心感溢れる実家に見えた。

 真上を見る。陰気で暗い空も、今は趣ある渋い空模様に感じた。

 右を見る。相変わらず荒れ狂う海。しかし今はその荒々しさが逆に頼もしく思えた。

 ほら、こちらに向けてやって来る武装船の連中も、荒波で激しく翻弄されてあんなにテンテコ舞いだ。いつもこうして我らを守ってくれる、厳しくも優しい母なる海よ。

 

「ふっ、世界とは感じ方一つでこうまで変わるのだな……」

 

 最後にもう一度空を見上げ、小さく呟く。

 新たな居場所で学んだ大切な教訓を胸に刻みながら、私はそのまま心地好い眠りに就くべく、ゆっくりと瞳を閉じるのであった――

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 

「――――んんんっ!!!?」

 

 意識が落ちようとしたまさにそのときである。先ほどの視界に無視してはならないものが映っていた気がして、数拍遅れでガバリと飛び起きる。

 

「……え? 船? 武装している集団? ……え、カチコミっ!? この魔王城にっ!!!? ……いやイヤ待て待て冷静になるんだまずはかくにんDA!」

 

 バクバクと鳴る心臓を落ち着けながら、私はゴ○ブリのごとくソロリソロリと地面を這った。高台の端から顔だけを出し、そっと下の様子を窺う。

 じっと目を凝らした視線の先。そこには案の定、先ほど見た謎の小船が停泊しており、

 

 

「よし、行くぞお前たち! ここはすでに魔王ムドーの領域、全員油断するなよ!」

「「「はっ!」」」

 

 

「…………」

 

 ――カサカサカサ……。

 

 私は無言で後退した。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「…………い、いやいやいや、……ないないない。こんなとこに人間来るとかありえないから」

 

 そうは言いつつも身体の方は冷静に気配を絶ち、再びソッと鎧姿の集団を盗み見る。その時点でもう察しているようなものだが、生憎私は諦めの悪い漢。最後まで希望を捨てはしない。

 船でやってきたからといって人間とは限らない。魔物の中にだって船使う奴くらいいるだろう。こんなとこに泳いで来る奴なんて余程の馬鹿魔族だけだしな。

 

 そうだ、きっとあれは『さまようよろい』か『ぬけがら兵』の団体だ。みんなして田舎を旅立って、ムドー軍に集団就職しに来たに違いない。そうだ、そうに決まっている。

 よーし、ならば先輩として優しく迎えてやろうじゃ――

 

「レイドック兵の名にかけて、今日こそ魔王ムドーを討ち果たすぞ!!」

「「「おーー!!」」」

「NOOOOOOOO!!」

 

 

 希望は粉々に砕け散った。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 レイドック。西大陸中央部に位置する歴史ある大国。

 立地的にムドー城から最も近い場所にあり、魔王軍の人間界侵攻に対して真っ向から立ち向かっている数少ない国の一つだ。

 開明的な王族によって善政が敷かれており、国力や民衆の意気は非常に高い。比例して軍事力も高く、兵士一人一人がムドー軍と真っ向から戦えるほどに強いという。

 また、海に面していることから造船技術にも長けており、その海軍力の強さは人間社会でも有名だ。ムドー軍とも散々海戦でやり合ってきたらしく、いくつかの戦いでは魔物側を撤退に追い込んだこともあるとか。

 多くの国々が滅ぼされていく中、レイドック以西がまだ陥落していないのはこの国の防衛力のおかげであり、ムドー軍にとって現状最大の敵国であると言える。

 

 

 ――がしかし、最近になってその国力に陰りが見えているらしい。

 

 というのも、人間は戦える者の数が限られている上、戦えば戦うほどその兵数は減っていく。対して魔物側は全員が戦闘要員であるのに加え、培養カプセルや生成魔術によっていくらでも戦闘員の補充が可能だ。戦いが長引けば長引くほど、その均衡が魔物側に傾くのは必然と言えた。

 

 同時に、現在レイドックでは政治的な問題も発生しているという。

 側近である大臣が王の意に反した政策を推し進めたり、横領によって私腹を肥やしたりとやりたい放題。さらに一部の兵の中には、これに同調して甘い汁を吸おうとする者までいる始末。

 ただでさえ魔物との戦いで疲弊しているというのに内部までが腐敗してしまい、まさに内憂外患状態なのである。

 

 ゆえに魔王軍では、『このまま行けば数年の内にレイドックは瓦解するだろう』、と考えられていたのだが――

 

 

 

 

 

「人類の劣勢を覆すには、我々が今日ここで魔王ムドーを討つしかない! 生きて帰れる保証のない過酷な任務だが……、皆、覚悟はできているな!」

「「「はっ!」」」

「よしっ! では気付かれぬ内に、迅速にムドーの元へ向かうぞ! 総員、我に続け!」

「「「おおおおっ!」」」

 

 彼らは気合いを入れた後、勢い良く島内の洞窟へ突入、そのままムドー城への進軍を開始した。その言動や鎧のマークから察するに、やはり間違いなくレイドックの正規兵のようだ。人数は二十名ほど。

 どうやら将来の敗北を回避するため、少数精鋭でトップを――すなわちムドー様の首を――奪りにきたらしい。正面切っての会戦では負けが込んでいるため、親玉の暗殺による一発逆転を狙ったということか。

 

 なるほど、その理屈は理解できる。なんとも勇敢な選択だ。

 命を惜しまず任務に当たる彼らには敬意すら覚えるほどだ。

 

 

 だが――

 

 

「何も、今日でなくても良いだろうに……!」

 

 彼らの事情は理解しつつも、あまりのタイミングの悪さについ恨み言が漏れてしまった。

 せめて後一年、いや半年も待ってくれていれば、私は十分に休暇を満喫した後、悠々とトンズラできていたというのに……。それがまさか移籍翌日に決戦が勃発しようとは、なんとも間の悪い話である。

 

 さて、どうしたものか……。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「…………よし。見なかったことにしよう」

 

 対応に悩むこと暫し、私はこの出来事をまるっとスルーすることに決めた。

 ムドー様からも敵を迎撃しろという命令は受けていなかったし、それに何より、関わるといろいろ厄介事に巻き込まれそうな気がするからだ。

 君子危うきに近寄らずとも言うし、ここは一流のサラリーマンらしくのらりくらりと躱しておくことにしよう。

 

 …………。

 

 ……正直なところを言えば、見捨てるようで多少心苦しくはある。

 彼らも人間の中では精鋭なのだろうが、ムドー様とは比べるべくもない。おそらく戦いにすらならず勝負は決するだろう。

 ゆえに、彼らの無事を想うならここは制止した方が良いのだが……。

 偶然巻き込まれた一般市民ならまだしも、彼らは覚悟を決めて戦いに臨んだ戦士だ。引き止めるのは逆に侮辱となるだろう。

 

「済まないな。せめて一人でも生き残ることを祈っているぞ」

 

 胸の奥に微かな痛みを覚えながら、私は兵士たちに薄っぺらい祈りを捧げることしかできなかった。魔王軍が人間を見逃すことなどないとわかっているのに……。

 

「……いろいろと、ままならないものだな」

 

 自分の言葉の空虚さにフッと自嘲した後、私はしんみりとした空気のまま、その場を後にするのであった。

 

 …………。

 

 そして――

 

 

 

 

 

「でやあっ!」

「のひょーうっ!?」

 

 背後から降ってきた攻撃に驚き、珍妙な叫び声とともに跳び上がっていた。

 神妙な雰囲気も一瞬で霧散。スウェーバックの状態から慌てて後ろを振り向き、襲撃者の姿を確認する。

 

「ななな、なんだ貴様!? い、いきなり人の背後から襲い掛かるとは、一体どういう了見だ!」

「うるさい! 覚悟しろ魔物め! 僕が退治してやる!」

「え……? こ、子ども? 子どもがなぜこんなところに……?」

 

 意外な光景に驚きの声が漏れる。

 そこにいたのは、10歳を少し過ぎたくらいの年若い少年だった。鱗の鎧に身を包み、鋭い視線でこちらを見据えながら銅の剣を構えている。

 刃物を手に大男を襲撃する子ども……。なんだかどこかで見たようなシチュエーションである。

 

「お、おい、ちょっと待て少年。まずは剣を下ろして話を――」

「でやああっ!!」

「危なっ!」

 

 突然の事態に混乱しながらも、とりあえず相手を落ち着かせようと声をかけてみた。 しかし少年の方も割といっぱいいっぱいなのか、聞く耳も持たずに銅の剣を振り回してくる。非常に危なっかしい。

 くそう、話を聞かないところもそっくりだ。こんなとこまで似なくてもいいものを。

 

「って、痛っ! いだだだッ!? ちょ、やめんか貴様! へぶっ!? ちょ、ホントに痛い! 意外に良い腕してる!?」

「でやああっ!!」

「あだだだだ!?」

 

 ああもうっ、シリアスな空気なんて完全に吹き飛んでしまった。せっかくハードボイルドに決めていたというのに、これではドタバタB級コメディではないか。

 ガンディーノでもサンマリーノでも、ついには魔王城でもこんな感じだ。……ひょっとして私って、ポンコツな展開になる呪いでもかかってるんじゃないだろうな?

 

「でやああっ!!」

「いだだっ! ちょ、待っ、話を!」

「でやああああっ!!」

「へぶっ!? おまっ、だから落ち着けと言って――」

「でやああああああっ!!」

「ひ、で、ぶふっ――ああもうっ、いい加減にせんか!」

「ぶべらっ!?」

 

 

 ――今度、教会でお祓いでもしてみようかな。

 

 溜め息まじりにそんなことを考えながら、私は襲い来る青髪の少年を優しくブッ飛ばしたのだった。

 

 

 

 

 

 




※辞令の年月日は適当です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話 未熟者にも意地がある

「も、申し訳ありませんでした!」

 

 あれから20分ほど経った後、目を覚ました少年に対して、私は口八丁でそれっぽい説明を行った。

 

 

【自分は盗賊、その中でも『義賊』をやっている人間であり、ムドー城にはお宝を頂きにやってきた。魔物たちの貴重品を奪えばそれだけ人間が受ける被害も減り、平和な世の中に近づいていく。そのために自分は危険も顧みず、このような恐ろしい場所へやってきたのだ!】

 

 

 と、こんな感じの穴だらけなストーリーだったのだが、少年はマルっと全て信じ込み、今は全力の土下座謝罪を行っている。

 曰く、騎士たちを盗み見る怪しい生物(私のこと)を発見したため、邪悪なモンスターだと思って討伐しようとしたらしい。なんて失礼な。

 

「会話ができた時点で気付くべきでした。まさか、僕たち以外にここへ来る人間がいるとは……」

「ま、まあそれは……うん……」

 

 実際は喋れる魔物なんてたくさんいるのだが、ややこしくなるので今は黙っておこう。

 …………あとどうでもいいけど、土下座ってされる方からすると結構困るね。テリーのときは初めての興奮で気付かなかったけども、周りの目がある中でやられると色々キツい気がする。今度からちょっと控えよう。

 

「ゴホン……。もう気にしていないから、とりあえず顔を上げてくれぬか? 絵面的にいろいろ不味い気がするから」

「絵面?」

「いや、何でもない。ほら、早く立った、立った」

「あ、はい。では失礼して……」

 

 重ねて強く促したことで、ようやく少年は立ち上がってくれた。得体の知れない巨漢を前にしての謝罪はさすがに怖かったのか、ホッとした様子で掌の砂を払っている。

 その姿を見ながら、さてどうしようかと思案する。

 

『レック』と名乗ったこの少年、恰好や振る舞いからおそらく騎士見習いかと思っていたのだが、詳しく素性を聞いてみたところ、なんとレイドックの王子らしい。

 人間の王族について未だに詳しくは知らないが、彼らが非常に大切にされる存在だということは聞いている。ならば普通はこんな場所にいるはずないと思うのだが、一体どういうことだろう?

 

「なあ少年よ、お前はここへ何をしに……、いや、その前にまずどうやってここまで来たのだ? 子どもが一人で来られるような場所ではないはずだが」

 

 そう問い掛けると、レックはやや気まずそうな顔で答えた。

 

「その……、実はここまで、ウチの騎士たちの船に一緒に乗ってきたのですが……」

「何? 先ほどの連中と?」

「はい」

 

 ……どういうことだ? 普通このような重要な任務に子どもを連れて来るか? ましてやレックは王族。それをこんな危険地帯まで、わざわざ帯同させるものだろうか?

 

「彼らは我が国の精鋭兵で、魔王ムドーを討伐するため秘密裏に送り込まれたんです」

「ああ、それは聞こえていた。なんでも国の劣勢を覆すための任務だとか……」

「はい。我が国を守るため、ひいては人類全体の生存域を守るための重大な任務です。だから僕も是非着いてきたかったのですが、同行を断られてしまいまして……」

「まあ……、それはそうだろう」

 

 王族であるというだけでなく、彼はまだ幼い少年なのだ。連れて来たところで足手纏いになるか、すぐに死ぬかのどちらかだろう。騎士たちが必死に断る光景が目に浮かぶ。

 

「なので僕は止むを得ず、警備の目を盗んで密航してきたんです!」

「ええぇ……」

 

 元気いっぱいの宣言に思わず変な声が出た。

 どうやって説得したのかと思いきや、まさかの無許可出撃とは予想外。テリーと言いサンマリーノの二人と言い、最近の子どもは皆こんな風に無鉄砲なのだろうか?

 

「なあレックよ、ここがどういう場所なのか理解しているか? 戦いは遊びではないのだぞ? 魔物との戦闘になれば、人間は驚くほど簡単に死んでしまうのだ」

「大丈夫です! いっぱい修行しましたから、僕だってちゃんと戦えます!」

「お、おおぅ……」

 

 いかん、むしろあの三人より危険かもしれない。『自分は大丈夫』という根拠のない自信が表情から滲み出ている。これがいわゆる箱入りというやつか。

 

「……彼らも可哀そうに。仮にここを生き延びても、帰還してから首が飛ぶんじゃないか?」

「え……?」

「ああいや、なんでもない。気にするな」

 

 不思議そうなレックに手を振って誤魔化す。

 

 …………どちらにせよ、自分が気にする話ではないか。

 騎士たちは覚悟の上で任務に臨んだ。レックも断られた上でなお自分の意思で乗り込んできた。なら後は本人たちの責任だろう。

 こちらに害はないと分かったのだから、後のことはもう放っておけば良い。私は自ら死にに行く者を、リスクを負ってまで止めてやる御人好しではないのだ。結局のところ自分の身が一番可愛いのである。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 …………ま、まあ、最後に忠告だけはしておこうかな? ほ、ほら、私だって一応神父の端くれではあるわけだし? このまま見殺しにするのも少しばかり忍びないし?

 

「オホンッ、……いいか少年? ムドー様――じゃなかった、魔王ムドーは強いぞ? 前に一度だけ姿を見たことがあるが、恐ろしいほどの力を感じた。あれはただの人間にどうにかできる存在ではない。善意の第三者としては、今すぐ兵を呼び戻して撤退することを勧める」

 

 ムドー様を間近で見た所感を率直に伝える。

 これで引くならばそれで良し、考えなしのアホなら『はい、さようなら』だ。そんな想いを視線に込めて見つめると、レック少年は先ほどまでの笑みを引込め、強い意志を秘めた目で見返してきた。

 

「……魔王が強いことは分かっています。ですが、だからといって何もしないままでは、いずれ国は滅びます。誰かが行動しないといけないんです。……そしてその『誰か』には、王子である僕がならなければいけません」

「そ、そうか……」

 

 …………。

 

 ――ああああ、判定が難しいいいっ!

 無鉄砲で短慮ではあるけども、一国の王子として真剣に考えてはいた。このまま経験を積んでいけば、いずれは立派な王になれそうな良い子だよ。

 きっと周囲からも愛されて育ってきたに違いない。もしもこの歳で死んだりしたら、家族はすごく悲しむだろうな……。

 

「――なんて、偉そうなこと言いましたけど、実際はもっと手前勝手な目的なんですけどね」

「む? どういうことだ?」

 

 もしかして本当は名声やお宝目当てとか? それならあまり罪悪感持たなくて済みそ――

 

「本当は両親のためなんです。妹が病気で亡くなって以来、父も母もすごく辛そうで……。この上民まで殺されてしまっては、二度と悲しみから立ち直れなくなってしまいます。だから僕は、二人に少しでも明るい話題を届けてあげたくて……」

「おうっふ……」

 

 手前勝手どころか最高に胸が痛む理由だった! もしこれで死んだら両親は悲しむどころじゃないぞ。娘が死んだ後、自分たちのせいで息子が無茶して死んでしまうとか……。嘆くどころか、そのまま後追いしてしまいそうなレベル。

 ……というかお前も、『妹が死んだ』なんていう爆弾をサラッと放り込むんじゃないよ! お前の心の方が心配になってきたわ。

 

「お気遣いありがとうございます。そのお気持ちだけ、ありがたく頂いておきますね」

「あ、いや――」

「あなたのような優しい方に出会えて良かった。こんな世の中でも、誰かのために身体を張れる人がいると知れて嬉しかったです。これからも世のため人のため、義賊活動頑張ってくださいね!」

「ぐふぅ!」

 

 やめて! ただでさえ罪悪感がすごいのにそんな純粋な目で見ないで!

 立派な義賊とか嘘だから! ただの木っ端な魔族だから! いつも自分が最優先の汚い大人だから!

 ――なんて悶えていると、レックは足元に置いてあった荷物を背負い直し、洞窟の入り口に向かって進み始めた。って、ホントに行っちゃうの!? マジで死んじゃうよ!?

 

「皆に追い付かないといけないので、僕はそろそろ行きますね」

「あ、や、ちょっ」

「いつかまた会えたら、そのときはいろいろお話を聞かせてください。……では、サンタさんもお気を付けて!」

 

 そう言って走り出したレックのその後ろ襟を、

 

「ああああっ、ちょっと待ったあああ!」

「ぐぶええっ!?」

 

 ――無意識の内に私は掴んでいた。急に制動をかけられたレックがつんのめり、喉を押さえながら咳き込む。

 

「ケフッ、エホッ、ゲホッ、な、何するんですかぁ……?」

「ああいや……、えーとだな?」

 

 涙目で抗議するレックに対して口籠ってしまう。咄嗟の行動だったので適当な言い訳も思い浮かばない。

 ……いやホント、せっかく厄介事の方から遠ざかってくれようとしたのに何を態々引き止めているのだ、私は。一旦呼び止めておいてまた突き放すなんて、直接見捨てるよりさらに気まずいじゃないか。

 

「……サンタさん?」

 

 くっ、すでに出してしまった手は引っ込められないし……。えーい、こうなったら仕方ない!

 

「……こ、この先へ進むなら、私も一緒に着いていってやろうかと思ってな? ここへは何度か忍び込んでいるから、内部の構造には結構詳しいぞ?」

「へ?」

 

 涙目を拭いながらキョトンと声を漏らすレック。驚き半分、期待半分、といった視線が返ってくる。

 

「そ、それはすごくありがたいですけど、……いいんですか?」

「う、うむ。まあこれも何かの縁だ。レイドック兵たちに追い付くところまでは連れて行ってやろう」

「サンタさん……」

 

 ……あー、ま、まあアレだよ、アレ。多分こいつ一人だと、追い付くまでに襲われて死んでしまいそうだから。

 覚悟を決めた一人前の兵士なら放っておくところだが、こいつは命のやり取りもしたことない世間知らずの子ども。これくらいはしてやっても罰は当たるまい。

 

 …………。

 

 ……うん、なにせ本当に世間知らずだから、この子。

 義賊だなんて嘘をあっさり信じちゃうし、王子だってことも簡単に部外者に漏らしちゃうし……。

 極めつけはこの魔族顔を見ても、『珍しい部族だから』という言い訳であっさり納得しちゃうチョロさよ。いくら箱入りといってもちょっと心配になってしまうレベルだ。……ほら、今だってこんなにキラキラした目でこっち見てるし。

 

「あ、ありがとうございますっ! やはりあなたは人のために力を尽くす立派な方なのですね!」

「い、いや、別にこれは、その、……罪悪感を減らすためというか、なんというか、ゴニョゴニョ……」

「??? ……ああ、なるほど、義賊は人知れず行動するのが華。表だっての感謝は無粋ですもんね。了解です!」

「え? あ、うん、まあ……そんな感じ……」

 

 ……ああもう、いかんなぁ。必死な子どもを前にするとどうにも対応が甘くなってしまう。最近子どもの世話ばかりしていたせいで、何か変なものに目覚めてしまったのだろうか? これが原因で謀反の疑いでもかけられては目も当てられんぞ。

 こりゃあ早いとこ連中に追い付いて、さっさとこの無鉄砲王子を押し付けてしまうしかない。そうなれば彼らも、作戦を切り上げてすぐに撤退してくれるだろう。

 それで今回の事件は一件落着、今度こそ彼らとは『はい、さようなら』だ。

 

「ではさっさと行くぞ。逸れないように着いて来い」

「はいっ! お供いたします!」

 

 元気よく返事をしたレックは、歩き出す私の横にトトトっと走り寄ってきた。ぶっきらぼうな物言いをされてもその顔はニッコニコであった。

 こっちは疲労感やら罪悪感やらでキャパオーバーだというのに……。

 

「まったく、何がそんなに楽しいのやら――って、おや?」

 

 そのご機嫌な顔を見下ろしていると、不意にレックの額にタンコブがあることに気付いた。先ほどの遭遇時に私の拳骨をくらってできた傷跡だ。あのときは割と適当な力加減で打ってしまったため、結構大きめのコブになっている。

 

「…………。まあ、これくらいは甘さついでか。……レックよ、頭をこっちに寄せるのだ」

「え、頭……? こ、こう、ですか?」

「うむ、そこで良い。少しじっとしているのだぞ?」

 

 素直に差し出された額に右手を当て、意識を集中する。あのときの感覚を思い出しながら腕の先に魔力を集め、

 

「ホイミッ!」

「うわわっ!?」

 

 詠唱とともに私の手から白色の光が生まれた。驚いて身動ぎしようとする頭を左手で捕まえながら、しばらくの間掌を当て続ける。やがて十秒ほど経つと呪文の効力は切れ、魔力光も消え去る。

 

「どれどれ……? おっ、よーし、いい感じだな」

 

 確認のため前髪をかき上げて額をフニフニ触ると、そこには傷一つない皮膚が再生していた。他人にホイミを使うのは初めてで緊張したが、どうやら問題なく発動したようだ。

 辻ホイミ、記念すべき初挑戦にして初成功である。

 

「え! き、傷がなくなってる!?」

 

 釣られて自分の額に手をやっていたレックが、驚いた様子で叫ぶ。

 まあその反応も無理はない。盗賊を名乗るガチムチ男が回復魔法を使えるだなんて、普通は思わないだろうからな。

 

「サ、サンタさん、盗賊なのに回復魔法まで使えるんですか!?」

「ふっ、まあな。これ以外にも、攻撃や補助の魔法もいろいろ使えるのだぞ?」

「お、おおぉ……!」

 

 レックの視線がますます賞賛の色を帯びていく。

 ……少しばかり話を盛っちゃったけど、まあ嘘は言ってないから構うまい。

 

「す、すごいです! 直接戦っても強い上に、複数の魔法まで使いこなすなんて!」

「ふふん、これでも実戦経験は豊富だからな。生き抜くためにいろいろな技術を磨いてきたのだ」

「なるほど! その力で今までたくさんの人たちを助けてきたんですね! すごいですサンタさん、尊敬です!」

「はっはっは、そう褒めてくれるな。この程度、全然大したことではないのだぞ? ぬはははは!」

 

 ……嘘である。ホントは滅茶苦茶褒めてほしい。正直言って今ものすごく気持ち良い。

 テリーもハッサンもアマンダも、一応は敬意のようなものを持ってくれてはいた。だがしかし、それと同等以上に呆れの感情も向けられていたのだ。子どもたちからシラーっとした視線を向けられる度、このグラスハートは結構傷付いたものである。

 

 それに比べてどうだ、レックのこの純度百パーセントの尊敬の眼差し! さすが箱入り王子なだけあって、冷たい態度になることもないし、捻くれた返事を返すこともない。

 ああ、やはり子どもというのは純粋で素直なのが一番であるな!

 

「あ、あの、サンタさん」

「ん? どうしたのだ?」

 

 ひとしきり優越感に浸った後、レックの言葉でふと我に返る。すると彼は、やる気に満ちた表情でこちらを見ていた。

 

「良ければ僕にも、その呪文を教えてもらえないでしょうか?」

「む? ホイミを覚えたいのか?」

「はいっ、さっき僕が付けてしまったサンタさんの傷を、僕の手で治してあげたくて!」

「ほほう」

 

 まったく、リアクションだけでなく発言まで一々愛いやつめ。どこかの悪ガキどもに見習わせたいくらいであるな。

 

「ふっ、仕方ない。その素直さに免じ、特別に指導してやろうではないか」

「あ、ありがとうございます! 僕、頑張って覚えますね!」

「ははは、そう気負わなくても良いぞ。やり方自体はとても簡単だからな。患部に手をかざして、魔力を集中して、呪文を唱える。必要な行程はこれだけよ」

「え? それだけでいいんですか?」

 

 レックが意外そうな顔を見せる。あのような奇跡の御業が簡単にできるように聞こえたので驚いているのだろう。ふふふ、ここは先達として正しく導いてやらねばな。

 

「やはりそういう反応になるだろうな。だが、事はそう単純ではない。魔力や技術がいくらあっても、何より心が伴っていなければ回復魔法は発動しないからな。そのためにもまずは神の道に入り、コツコツと下積みを重ね、そして一月くらい経ってようやく――」

 

 

「ホイミ! あっ、ホントだ、できました!」

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「…………ふぁ?」

 

 嬉しそうなレックの声を聞き、私の口からは間抜けな声が漏れていた。

 

 ――『できました』? ……え? いきなり成功した? この短時間で? …………い、いやいやそんなはずはないって。私が一体どれだけ苦労して習得したと思ってんだ。それをただの子どもが一瞬で覚えられるなんて、そんなことあるわけが――

 

「おうふ…………」

 

 現実は非情だった。

 先ほどいくつもの剣戟を受け止めた私の右腕。痣とも言えないちょっとした跡が付いていたそこは、レックの言葉通り綺麗に修復されていた。

 試しにグリグリ触ってみても、痛みも違和感も全くない。疑いようもなく完璧に、回復魔法が発動していたのである。

 

「…………なあ、レックよ。お前、これまでにホイミの訓練をしたことがあるか?」

「? いえ、魔法の練習自体これが初めてです」

「…………」

 

 もう一度レックの顔を見る。

 両手を前にかざしたままの少年は、『褒めて褒めて』と言わんばかりの表情でこちらを見ていた。

 それを見て理解する。以前から練習していたとかではなく、彼は本当に今初めてホイミを使い、そしてぶっつけ本番で成功させたのだ。

 

 

 ――――私が一ヶ月かけて、ようやく習得できた回復魔法を……。

 

 

「…………」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 …………いや?

 ……別に悔しいとか思ってないけど?

 こういうのは向き不向きがあって当然であって、そもそも誰かと競っているわけじゃないから比べる必要もないし? 

 子どもが才能を発揮したのは素晴らしいことであって、それに一々嫉妬するほど私は大人げない奴じゃないし?

 

 ……ま、まあでも一応、この子が調子に乗ってしまわないよう苦言は呈しておくけどね?

 ほら、さっきは偶々うまくいったから良かったけど、毎回安定して成功させるには、私のような『人を想う心』が不可欠だから。それを知らないままいずれ壁にぶつかってもかわいそうだし、先輩としてその辺りのアドバイスを軽~くね?

 

「フ、フフフ、見様見真似で成功させるとは、なな、中々やるではないかレックよ。……だだっ、だが調子に乗ってはいかんぞ? 回復魔法を完璧に成功させるには、何よりも慈悲の心が必要で、そ、そのためにはやはり長い長い下積み期間が――」

「サンタさんの言った通り、本当に簡単でしたね! これなら初等学校の子どもたちに学ばせても良さそうです! ……あ、すみません、話の途中で腰を折ってしまって。ええっと、下積み――が何でしたっけ?」

 

 

「………………いや、別に? ナンデモナイヨ?」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 うん、私のような未熟者が指導やアドバイスだなんて、全くもって烏滸がましいことだった。下手に間違った知識を教えても不味いし、こういうのは個々人のやり方に任せることにしよう。

 ……いやもちろん、私にできる範囲のことなら協力を惜しむ気はないけどね? 子どもにとってモチベーションは大切だろうし、何かしてほしいことがあれば快くやってやるつもりだ。

 

 ――というわけでとりあえず、今回は望み通りこの小僧を褒めてやることにしよう。ニコニコと無邪気に笑うレックの頭に、そっと手を伸ばす。

 

 それ、ナデナデナデ。

 

「あ……。え、えへへへ、な、なんかこの歳だと照れますね」

 

 それ、グニグニグニ。

 

「フフ、小さい頃、父上に撫でてもらったときを思い出すなあ……」

 

 それ、グリグリグリ。

 

「――ん、んぅ? あ、あれ? …………あの、サンタさん? な、なんだかちょっと、痛いように思うんです、けどっ?」

 

 ゴリゴリゴリゴリ。

 

「痛だだだだ!? いやっ、これちょっとじゃなくて本当に痛いっ! え? な、なぜにアイアンクロー!? 僕何か悪いことしちゃいましたか!?」

 

 ギリギリギリギリッ。

 

「あいだだだだっ!? な、なんで急にこんなっ――――あっ! もしかしてさっきのホイミの出来が悪かったですか!? す、すみません! あんな素人でもすぐできるような呪文を失敗してしまって! 今度はちゃんとやってみせますから、どうかお許しを!」

「……………………」

「ハァ、ハァ、ハァ……。ほっ、助かっ――」

 

 メリメリメリメリッ!

 

「ああばばばばっ!? な、なんでさらに強く!? やっぱり出合い頭のことで怒ってたんですか!? ご、ごめんなさい! 今度こそちゃんと謝りますから、お願い許して頭潰れちゃうううう!」

 

 

 

 ――ちっくしょおおおお! なぜに私の周りの子どもは皆天才ばかりなのだ! どいつもこいつも軽々と難題をクリアしていきおって!

 えーい、今更この程度のことで心折れたりせんぞ。私は不撓不屈のサタンジェネラル! 無理やり転勤させられようが、子どもから無自覚に煽られようが、絶対に初志を貫徹してみせるっ!!

 

「おお、まったく仕事しない神よ! 地上の守り穴だらけなザル女神よ! さっさと次の呪文よこしたまえええッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ええッ! そんな八つ当たり気味に祈られてもッ!?

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話 勢いで行動するもんじゃない

「ここが噂に聞く溶岩洞窟……ですか」

「ああ、山頂にあるムドー城まで通じている唯一の道だ。当然、配置されている魔物の数もかなり多い。十分に注意しろ」

「は、はい!」

 

 さて、先ほどは予想外のアクシデントに見舞われてしまったが、なんとかかんとか気を取り直し、我々は船着き場正面の洞窟へと足を踏み入れた。

 

 ――溶岩洞窟。岬からムドー城まで続く、その名の通り溢れる溶岩に覆われた長大なダンジョンだ。

 内部は活火山の影響で非常に熱く、空気が薄い閉鎖空間となっている。また道が複雑に入り組んでおり、ところどころ溶岩流を避けて迂回せざるを得ないため、ただ歩くだけでも大幅に体力を削られてしまう。

 そこへ強力な魔物が群れを成して襲って来れば、生半可な戦士ではたちどころにあの世行き……。魔王討伐に訪れた者を、その過酷さによって篩にかける、まさしく天然の要害と言えるのだ。

 

「しかしまあ……、危険な箇所は全て把握しているので問題はない。お前は遅れないよう、しっかり着いて来るのだぞ?」

「わかりました!」

「いい返事だ。……では、行くぞ!」

「はいッ!」

 

 そして我々は、気合いを入れて第一歩目を踏み出し、

 

「みんなッ、どうか無事でい熱っづああああ!?」

「ッ!?」

 

 派手な悲鳴とともに早速躓いていた。突然の奇声に驚いて隣を見ると、そこではレックが右足を抱えて地面をのたうち回っていた。

 

「せ、先生! 足の裏がすごく熱いです! 焼けるようです!」

「あ……」

 

 悲鳴を上げる姿を見て思い出した。そうだ、人間は溶岩を踏んだら火傷するんだった。自分が平気なもんだから完全に忘れていた。『あちゃー』と頭に手を当てながら凡ミスを反省する。

 

「ううう……、酷いですよ、先生。危険な箇所は教えてくれるって言ったじゃないですかぁ……」

「ば、馬鹿者、戦場で手取り足取り全てを教えられるわけがなかろう。最低限の危険くらいは自分で察知するものだ。溶岩を踏めば火傷することくらい、子どもでもわかる常識だぞッ」

「うっ……、確かに……」

 

 気まずさから強引に責任転嫁すると、レックは素直に反省して肩を落とした。

 その姿にちょっと罪悪感。ハッサンあたりなら全力でブーイングしながら謝罪を要求するところなのに、同じ子どもでもえらい違いである。

 

「……ん? あれ? じゃあなんで先生は平気だったんですか?」

「ゲホッ、ゲホッ!?」

 

 基本チョロいくせに妙なとこだけ鋭い奴め……。一瞬で魔法を習得したのを見る辺り、頭脳面はむしろ優秀なのかもしれぬ。

 

「ゴホン。……それは当然、身体を鍛えたからだ」

「えっ! 人間が鍛えただけで溶岩が平気になるんですか!?」

「そ、そうだ。肉体というものは鍛えれば鍛えるほどどんどん強くなる。地道に鍛錬していけば、いずれは斬撃や魔法、ブレスさえも平気になるのだ。人間の可能性は無限大だからな。溶岩を踏んで無傷で済むのも……、うむ、まったくもって当たり前の話なのだ」

「な、なるほど、さすがは先生です。……わかりました。溶岩はまだ無理ですが、今度裸足で焚き火を踏んで鍛えておきますね!」

「あ、いや……、そこまで無理しなくていいのだぞ……?」

 

 自分で言っておいてなんだが、こんな適当な嘘を信じてしまうとは……、前回に引き続いて再びこやつの将来が心配になってきた。

 いつの間にか人のことを『先生』などと呼び始めているし、今ならもう何を言っても信じてしまいそうだ。……しばらく冗談の類は自重しておこう。

 

 

「それはさておき……、困ったな。これでは最短ルートが通れないぞ。他の道は多分迷ってしまうだろうし、どうするべきか……」

「すみません、僕がひ弱なせいで足を引っ張ってしまって……。トラマナでも覚えていれば良かったんですけど」

「うん?」

 

 話を戻して考え込んでいると、レックの口から気になる単語が出てきた。

 

「レックよ。その……トラマナ、とは何なのだ?」

「あれ、ご存じありませんか? ダメージを受ける床を乗り越えるための補助系呪文ですよ。足元に魔力の膜を張って、地面に触れないようにしてダメージを回避するんです」

「ほう、こっちではそんな便利呪文があるのか」

 

 人間の発想力の凄さに思わず感嘆の声が出る。

 毒床もバリアも素通りしてしまう大魔王城の連中では、とても思い付かない発想だ。基本的にあいつら、『放っときゃ治る』の精神で怪我も出血も気にしないからな。……改めて思い出しても頭おかしいぜ。

 

 ……まあ私も、ちょっとピリッとする程度なら我慢して普通に通っていたから他人のことは言えないけども。

 しかし文明人としてはやはり、トラマナのようにスマートに解決する方向を目指したい。魔力で被膜を作って溶岩を防ぐだなんて、よく思い付いたものだ。

 

「ん……? あ、そうか、触れなければいいのか」

「え?」

 

 ――と、そこで、グッドアイデアが舞い降りてきた。

 

「レックよ、おかげで良い方法を思い付いたぞ。要は溶岩に触れさえしなければ問題ないわけだ」

 

 首を傾げるレックに対して、背中を向けてしゃがみ込む。

 

「あ、なるほど、僕を背負って歩いてくれるんですね? すみません、お手数をおかけします」

「いや、そうではない。それでは熱気に晒されてお前がダメージを受けてしまう。それに、いざモンスターに襲われたときも対処しづらいだろう?」

「?? ではどうやって先に?」

 

 再びキョトンと首を傾げる少年に対し、私はその冴えたやり方を教えてやった。

 

 

「――飛べばいいのだ」

 

「……へ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 煮えたぎる溶岩が、地面のそこかしこから溢れ出している。その熱量は最高位の閃熱呪文にも匹敵し、十分な距離を取っていてなお、熱気によって皮膚が泡立っていくのを感じる。

 迂闊に触れてしまえば人も魔物も関係ない。皆等しく燃やし尽くされ、この世から消え去ってしまうだろう。ここはまさに難攻不落と呼ばれるに相応しい、生きとし生ける者の存在を拒む、過酷な道行きなのだ。

 

 

 

 ――そんな、これまで幾人もの勇者が命を落としてきた難所を、

 

 

 

「のわあああああッ!?」

「レック! 落ちないようにしっかり掴まっていろ!!」

 

 

 

 ――我々は今、全力でショートカットしていた!

 

 

 

「せ、先生いいいっ! もう右も左も上も下も分からないんですけどっ、これホントに大丈夫なんですかああ!?」

「問題ない、順調に進んでいるところだ! お前はしがみ付くことだけに集中しろ!」

 

 背中に向かって叫びつつ、岩壁を踏みしめて強く蹴り出す。下から吹き上がる熱気を浴びながら空中を横断し、落下する前に逆側の壁へ。そこでさらにもう一蹴り。今度は天井に向かって飛び上がり、上から出っ張っている岩を片手で掴む。振り子の要領で体を揺らし、反動を使って前方の高台へ飛び移る。

 周囲を見てモンスターがいないことを確認。台地部分の端まで助走をつけ、勢いそのままに大きくジャンプ。眼前の溶岩流を軽々飛び越え、我々は悠々と洞窟最奥部へ進んでいった。

 

「お、おおお! す、すごいッ、岩もマグマもどんどん飛び越えていきます! 難所のダンジョンをこんな方法で突破するなんて、さすがは先生!」

 

 ふっふっふ、驚いたか。これが魔族式ダンジョン攻略法よ。

 チマチマ地面を進んで行くなどまどろっこしい。こうして三角跳びで一気に飛び越えて行くのが一番早いのだ。

 これぞまさにトラマナ(物理)! 合理的最速クリア法である!

 

 ……仕様を無視しているようで若干申し訳ない気もするけども、今はさっさとレイドック勢に追い付かなければいけないので許してほしい。

 私一人なら溶岩の中を突っ切ってもいいのだが、子供連れの今それをするわけにもいかないからね。ゆえに、空中を突っ走るこの方法こそが現状の最適解なのだ。

 

「下の魔物たちも、全くこっちに気付いていません! なるほど、これが盗賊の特殊技能『しのびあし』なんですね!」

「え? ……あ、いや、これはそういうんじゃなくて、ただの力技なのだが……」

「僕もいつか習得できるよう頑張らないと! 手始めに今度、城のバルコニーで壁走りを練習しますね!」

「あ、うん、えーと……、まあ……頑張って」

「はいッ!!」

 

 ――舌の根も乾かぬ内に再び少年の常識を破壊してしまったことに、若干の罪悪感を覚えるが……。

 

 まあこれも、レックと兵士たちを早く合流させ、全員を生きて帰してやろうという親切心100%の行いゆえ。目的のための致し方ない犠牲なのだ。

 レイドックのご両親よ。彼が国元へ帰って何かアホなことをしでかしても、そしてその原因が旅先の怪しい人物にあるとわかっても、どうか寛大な心で許してやってほしい。

 

「ひゃっほおおい! 先生、もっと飛ばしましょうーー!」

「コ、コラ、そんなに身を乗り出すなっ、落ちちゃうだろ!」

「はーいっ!」

 

 あとついでに、その他諸々のやらかし案件も水に流してくれると大変ありがたい。

 ……ホント、知られたら不味いことをいろいろやっちゃってるので。

 

 一国の王子を出合い頭に殴り倒し、土下座態勢で謝罪させ、嫉妬心からアイアンクロー。そして最後には、魔物の巣窟に連れ込んで危険地帯を大爆走。

 ……どう考えても、不敬罪からの打ち首獄門コースである。

 

「…………うん、今後十年くらい、レイドックには近づかないでおこう」

 

 自分と少年の将来を案じつつ、私は再びヤケクソ気味に石壁を蹴った。

 

 

 

「あのー! 先生ー!」

「なんだー! あんまり喋っていると舌を噛むぞ!」

 

 景色が高速で後ろに流れていく中、声を張り上げるレックに負けじと、こちらも大声で返す。

 

「先生の故郷ってどんなところなんですかー!」

「はっ……? どうしたのだ、藪から棒に……?」

「あはは! ちょっと気になりましてー!」

「……??」

 

 

 ――そんな中ふと、レックの発言内容に違和感を覚えた。

 

 ……いや、違和感がどうのと言えるほどこいつのことを知っているわけではないのだが、洞窟を進み始めてからこっち、どうにも言動がチグハグに感じるのだ。

 妙にテンションが高いかと思えば、今度は唐突に意図の読めない質問を投げかけてくる。……なんというか、地に足がついていない印象だった。

 

「あのですね! 僕ずっとレイドックで育ってきたので、他の土地に興味があって!」

「…………」

 

 ……これはもしや、初めての体験が連続して平常心を失っているのだろうか?

 ならば今の内に注意しておいた方がいいかもしれない。変に精神が高揚し過ぎたままでは、この先どんなミスをするか分からない。

 

「レイドックって大きい国でしょ? 近くに他の国はないし、それで――」

「おいレックよ、お前先ほどから少し浮かれ過ぎでは――んん?」

 

 だが、声をかけようと振り返ったとき、私は両肩に微かな震えを感じ、それを思い留まっていた。マント越しに肩を握りしめるレックの手が、カタカタ震えていることに気付いたのだ。

 

「そ、そんなに強いってことは、やっぱり武門の国ですかっ? あっ、もしかして、アークボルト出身とか……!」

「レック……お前」

 

 そして、矢継ぎ早に話すその顔を見て、ようやく違和感に合点がいく。

 口を笑みの形に吊り上げて叫んでいながら、レックのその目は全く笑えていなかった。

 

「え? な、なんです? 正解ですか? あ、あはは……ッ」

 

 ――そう、少年は恐怖心を払拭しようと、先ほどから無理やりに気分を高揚させていたのだ。

 初めて見る魔物への恐怖、魔王の本拠地に来てしまった恐怖、そして、自分自身が死ぬかもしれないという恐怖。それらが綯い交ぜになって幼い心を襲い、黙っていては不安に押し潰されそうになっているのだ。

 

 自分から敵地に飛び込んでおいて何を軟弱な、と思うかもしれない。だが忘れるなかれ、彼は未だ十二歳の少年なのだ。

 たとえ訓練された兵士であっても、戦場で怯えて使い物にならなくなる、なんてことは多々ある。それがただの子どもなら何をか況や、だ。

 

(もしかすると最初に私に挑みかかったのも、恐怖心を払拭したいがための防衛行動だったのかもしれん……)

 

 こんな状態では、いくら言葉で『落ち着け』と言っても効果は薄いだろう。

 ……かといって、ウチのパワハラ上司よろしく威圧したところで、ますます萎縮し、悪化するだけ……。

 となれば、ここで取るべき最善の行動は、

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「ウ、ウチの兵もなかなか強いんですけど、最近は海戦が中心だったせいか、直接戦闘がちょっと苦手になっているらしくて――」

「辺境の小国だ」

「…………え?」

 

 気付かれないよう小さく溜め息を吐く。

 これが魔王軍の新兵なら、二、三発ブン殴って『さっさと逝ってこい』と蹴り出すところだが、人間の子ども相手にそれは少々酷である。

 ゆえに――

 

「お前の言う通り、私の故郷は武門の国でな。年がら年中、朝から晩までひたすら戦闘ばかりやらされ、何度も死にかけたものだ」

「あ、え……えっと……?」

「それが嫌になって国を飛び出し、今はこうして盗賊稼業なんぞをしているわけだが、まあそこそこ楽しくやっておる」

「あ……そ、そうなんです、か……?」

「…………」

 

 えーい、何を呆けておるのだ! さっさと察しろ!

 

「ゴホン! そんなわけで、私は世の中の常識に少々疎くてな! ……お前の国の話など聞かせてもらえると、とてもありがたいのだが?」

「え……? ……あっ! は、はい! 喜んで!」

「……フン」

 

 まあ、どうせ追い付くまでは暇なのだ。少しくらい世間話に付き合ってやっても罰は当たらんだろう。図らずも『先生』などと呼ばれてしまったことだし、『かうんせりんぐ』とやらの真似事だ。

 

 ……一国の王子の話ともなれば、有益な内部情報も聞けるだろうしな。そいつを持ち帰ってムドー様に報告すれば、魔王軍での私の地位も盤石。明るいバラ色未来が待っているって寸法よ。

 フフフ、仲間のメンタルケアと自身の出世を同時に達成してしまうとは、さすがはこの私。一石二鳥の見事な采配であるな! フハーッハッハッハッ!

 

「あ、あの、先生……!」

「ファーッハッハッハ――ん?」

 

「……えっと、その、…………ありがとうございます」

「………………。フン、何のことだか分からんな。それよりも早く、面白い話を聞かせるのだ!」

「は、はい!」

 

 ――というわけで暫しの間、私は少年の昔語りに耳を傾けたのである。

 

 

 

 

 

 …………決して絆されたとかじゃねーから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――魔族が他人を気遣い、人間が笑顔を返してくれる。

 

 そんなガラにもないやり取りを繰り返し、もしかして気が緩んでいたのだろうか? 後から思い返せばこのときの私は、少々楽観的になり過ぎていた。ここまで一度も戦闘が起こらなかったこと、そして、レイドック兵が戦った痕跡さえ見られなかったことから、当初の危機感が薄まっていたのだ。

 

 ――もしかしてムドー様は積極的に迎撃する気はないんじゃないか? このまま行けば戦いなんて起こらないんじゃないか?

 

 いつの間にかそんな甘っちょろいことまで考えていた。

 魔族が縄張りに入った敵を見逃すことなどないと、誰よりも分かっていたはずなのに……。

 

 

 

 

 

 ――最初に反応したのは嗅覚だった。

 

 

 

 

「それでですね、そのときに父が言った言葉が「ッ!? 静かにッ!!」わぶっ!?」

 

 出口の一つ手前の階層、大空洞の灯りが遠くに見えたときのこと。レックの話を遮りながら、その場にて急制動をかける。

 

「い、痛つつ……。ど、どうしたんですか、先生? 早く行かないと」

「静かにッ! ……少し待て」

 

 鼻を打ったらしいレックが訝しげな声を上げるが、生憎それに構っている余裕はない。戸惑うレックを背中から降ろしながら、もう一度大きく息を吸い込む。

 そのまま何度か深呼吸を繰り返し、集中すること、……五秒、……十秒、

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 ……間違いない。

 

「血の臭いだ」

「……え」

 

 魔族の鋭敏な嗅覚が、空気に乗った鉄くさい臭いを嗅ぎ取っていた。

 野生動物が狩りを行った程度の小規模なものではない。多数の個体が血を流したと思われる濃密な臭気、それが前方から強く漂ってきていたのだ。

 ……おそらく、この先で大きな戦いが起きた、もしくは、今現在も起きている。

 

 即座に意識を切り替え、緩んだ気持ちを引き締める。

 まだここから十分な距離はあるが、戦闘領域以外にも見張りの連中がいるかもしれ――

 

「みんなッ!!」

「あッ! おい待て、レック!」

 

 周囲の気配を確認しようとしたそのとき、すでにレックは走り出していた。止めようと伸ばした手は一瞬遅れて空を切り、慌てて自分もその後を追う。

 

「バ、バカモノ! どこに敵が潜んでいるかも分からんのだぞ! もっと慎重に行動を――ってああもうッ、聞いちゃいない!!」

 

 後ろからの必死の呼びかけも聞こえていないようで、レックはどんどん先へと進んでいく。驚くほどの速さだった。火事場の馬鹿力なのか、それともあの一瞬で強化魔法でも会得してしまったのか。すぐに捕まえられるという思惑は外れてしまい、その差はほとんど縮まってくれない。

 

 その間にも、遠くに見えていた灯りは見る見る近付き、それに伴って血の臭いもどんどん濃くなってくる……。レックの五感でも感じ取れる距離になったのか、その背中は目に見えるほど強い焦燥にかられていた。

 あの場で大掛かりな戦闘が行われたことはもはや確定的だ。

 

 せめて……、せめて一人でも生き残っていてくれ! 

 悲痛な顔でそう思っているだろうレックを見ながら、やがて我々は転がり込むようにしてフロアへと飛び込んだ。

 

 

 ――果たして、そこで目に入ってきた光景は、

 

 

 

「こ、これは……」

「そん……な……」

 

 辿り着いたその場所で我々が見たもの……。それは予想に違わぬ、激しい戦いの痕跡だった。

 

 無残に破壊された、穴だらけの岩場。

 激しく燃えさかる炎と、立ち上る黒煙。

 幾重にも亀裂が走り、今にも崩れ落ちそうな土壁と天井。

 折れ飛んだ刀剣類に、ひび割れた防具の数々。

 

 そして、

 

 

 

 ――――辺り一面に広がる、夥しいほどの血の痕だった。

 

 

 

 地面のそこかしこ、左右の岩壁や木々、果ては天井にまで赤黒い飛沫が飛び散っている。一人や二人の出血量ではない。これを見てなお彼らが無事だとは、私には到底思えなかった。

 そしてそれはおそらく、レックも……。

 

「…………っ! いやまだだッ、まだ分からない! 誰か! 誰かいないか!?」

「ッ待つんだ、レック!」

 

 我に帰ったレックが叫びながら駆け出した。視界が悪くフロア全体が見通せない中、我武者羅に走り、叫び、生存者を探し回る。

 

「皆! どこ!? どこにいるんだ!? 頼む、返事をしてくれ!」

「落ち着けと言うに! まだ敵がいるかもしれんのだぞ!」

「離してください! 皆を、皆を探さないと!」

 

 腕を掴んで制止するも、取り乱したレックは聞く耳を持たない。

 これだけの惨状だ、おそらくレックも私と同じことを思ったのだろう。

 しかし、頭に浮かんだそれを振り払うように声を張り上げ、見知った顔を探し続けている。そうしないと心がもたないのだ。

 

「トム! フランコ! いたら返事をしてくれ! 僕だ、レックだよッ!!」

 

 錯乱寸前のレックを見ながら、いっそ強制的に意識を落としてしまうべきかと悩んでいたそのときだ。

 

 

 ――ザッ、ザッ、ザッ。

 

 

「ッ!? レック!」

「あっ!」

 

 咄嗟にレックを抱え込み、壁際の岩陰へと滑り込む。振り返って声を上げようとする口を押さえ、目の前で人差し指を立てる。

 

「(先生、何を――)」

「(静かに! ……何か来る)」

「ッ!」

 

 洞窟出口側の通路から、多数の音と気配がここへ近づいて来ていた。

 感じ取れる魔力の質から見て、おそらく人間ではなく魔物の集団。レイドック兵と戦った者たちか、それともただの偵察兵か……、いずれにせよここで鉢合わせるわけにはいかない相手だ。

 レックもそれを理解してくれたのか、暴れるのをやめ、物音を立てないよう息を潜めた。

 

 そしてそのまま、ジッとすること十秒ほど……。

 やがて暗がりの奥の方から多数の影が浮かび上がってきた。

 そこに見えたのは、二足歩行ではあるものの、どれも到底人間には見えないシルエットで――

 

 

 

「あーあー、メンドくせえよな、後片付けなんてよ。なんで俺たちがこんなことしなきゃならねえんだ」

「そう言うなって。地面がこんなガタガタじゃ不便だろ」

「だからってなあ、戦闘部隊の俺たちにやらせなくてもいいじゃねえか」

「仕方ないだろ? スライムどもにやれって言ったって無理なんだから」

「そりゃまあ、そうだがよ……」

 

 

 予想通り、大勢の魔物で構成された部隊がフロアの中へと入ってきた。昨晩ムドー城で見た顔ぶれも多数含まれており、全員が地面を均す道具や袋などを携帯している。

 

「おい、無駄口はその辺にしておけ。作業を始めるぞ」

「「うーす」」

 

 気だるげな様子でぼやきながら、連中はフロア内に散らばり作業を開始していった。各自が地面を埋めたり、火を消したりと、テキパキと戦闘の跡を修復していく。

 ……レイドック兵たちが通った後の道で、魔物たちが無警戒に土木作業を行っている。その場には大量の血痕が残っており、彼ら自身はすでにここにはいない。それらを合わせて考えれば、嫌でもその事実に気付いてしまう。

 

(これはやはり……、“もう終わった”……ということなのだろうな……)

 

「……ッ」

 

 チラリと横を見れば、レックもそれを察したのか、大きく目を見開いて息を呑んでいた。

 その間にも、連中の会話と作業は続いていく。

 

 

「ちっ、人間どもめ、余計な手間かけさせやがって」

「怒るな、怒るな。久しぶりの戦闘で楽しめたじゃねえか」

「そりゃお前らだけだろうが。俺が来たときにはほぼ終わってたんだよッ」

 

 血の気の多そうな一匹が地面をガンっと蹴って叫ぶ。

 

「くそ、貧弱な奴らめ、もう少し楽しませろってんだ! それが無理なら抵抗なんざせずにさっさと死ねよ! 中途半端に粘って仕事だけ増やしやがって!」

「おーおー、荒れてんなあ」

「ま、人間ごときにイラつかされりゃそうなるわな」

「次のときは優先的に回してやるから、機嫌直せって」

「どうせ人間ども、懲りずにまた来るだろうしな」

 

 まるで、狩りの獲物について話すような見下した口ぶり。聞いていてあまり気分の良いものではなかった。はざまの世界では人間相手に戦うことなどほとんどなかったためか、この手のいわゆる、『魔物らしい会話』にはどうにも慣れない。

 ……我々本来の立ち位置からすれば、あいつらの方がむしろ正しいのかもしれないが……。

 

「ケケケ、それにしても奴らにゃ笑えたよな?」

「ああ、自信満々の顔して『我らが魔王ムドーを討つのだー』だもんな。あの程度の腕で何ほざいてんだっての」

「俺なんか無駄に警戒して恥かいちまったよ。『ここから一発逆転の技でもあるのか!』なんて真面目に構えてよ」

「結局何もなかったけどな。ホント口先だけの雑魚!」

「まったく人間ってのは身の程知らずだぜ! 馬鹿は死ななきゃ治らないってか!」

「「ぎゃははははは!」」

 

 

 

「~~っ!!」

 

 口汚い罵倒にレックの総身が震えた。

 王子として、仲間として……、部下たちが侮辱されるのが我慢ならないのだろう。今にも奴らに向かって行こうと、私の腕の中で必死に身を捩っている。

 ……気持ちは分かるが今は我慢してくれ。この場で奴らと事を構えてももう意味はないのだ。彼らのためにもせめて、こいつだけでも無事に返してやらなければ。

 そんな思いでレックの身を押さえながら、私はしばらくその場で息を殺し続けたのだ。

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 そしてそのまま、30分ほどが経過し……。

 

「よーし、こんなもんでいいだろう」

「ふいー、やっと終わった!」

「じゃあさっさと帰ろうぜ。今日はもう働きたくねえ」

 

 やがて連中は粗方の作業を完了させたようで、三々五々、城へと引き上げ始めた。

 

 その後ろ姿を見ながらホッと息をつく。

 途中、何度も怒気を発するレックに肝を冷やしたものの、時間が経ったおかげで僅かに冷静さを取り戻したのか、レックは魔物たちの背を苦々しく見送りながらも、もう向かって行こうとはしなかった。

 自分の中でなんとか折り合いを付けたのか、それとも私を巻き込むわけにはいかないと自重してくれたのか……。

 

 いずれにせよ、この場で我々にできることはもうなかった。

 後は誰にも見つからないよう海岸まで戻り、レックを国元へ帰すだけ。それで今回の事件は完全に終了だ。

 

『助けようとした者たちの全滅』という、なんとも後味の悪い結果に終わってしまったが、長く生きていればこんなことも珍しくはない。レックも今は辛そうに沈んでいるが……、彼は心の強い少年だ、いずれは受け入れてなんとか前に進んでくれるだろう。

 

(せめて早く立ち直れるように、何か元気付ける方法でも考えておこうか)

 

 そう思ってフッと気を抜いた、そのときだった。

 

 

 ――――何気ない彼らの会話が、風に乗って聞こえてきたのは……。

 

 

 

「しかしよお、ムドー様はどういうおつもりなんだろうな? 適当に痛めつけた後は奴らを素通りさせろ、なんてよ」

 

 

 ――ッ!!!?

 

 

「さあてな、たまには自分で手を下したかったんじゃないか? 最近俺らばかり獲物を狩ってたし」

「ムドー様直々にか? そりゃかわいそうに、あいつら骨も残らねえぜ」

「苦しまずに一瞬で死ねるんだから、むしろ幸運なんじゃねえか?」

「ハハハッ、そりゃ違いねえ!」

 

 

 そんな軽口を叩きながら、今度こそ連中は洞窟を出ていったのだった。

 そして――

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「………………」

 

 二人だけで取り残された空間が、痛いほどの静寂に包まれる。その中で私は、思わず漏れそうになった舌打ちを飲み込んだ。

 誰かが無事だと分かってこんな反応をするのは、不謹慎だとはわかっている。しかし少なくとも今だけは、『余計なことを言いおって』というのが正直な感想だった。

 

「……皆を、……皆を、助けないと……」

「待て、レック。……行ってはならん」

 

 案の定、俯いたままだったレックは、出口へ向かってフラフラと歩き出していた。その肩をつかみ、半ば無駄とは知りつつ思い留まるよう諭す。

 

「おそらく……、彼らはすでに敵の中枢だ。いまさらお前が行ったところで、どうにもならん」

「……わかっています」

「いいや、わかっていない」

 

 掴んだ肩を引っ張り、強引にこちらを振り向かせる。

 

「いいか、よく聞け。先ほどまでなら確かに、ギリギリではあるが生き残る目はあった。城へ着く前になんとか彼らに追い付いて、お前が一言『帰ろう』と言えば、おそらく皆従っただろう。そしてそのまま敵に見つからず船まで戻れれば、全員で生還することは十分に可能だった」

「…………」

「……だが、魔王が関わっていてはもう無理だ。人間では決してあれには勝てん。彼らを助けるどころではない、お前まで確実に死ぬことになる。あの魔王を間近で見た私の、確信に近い予測だ」

「…………」

「悪いことは言わん、このまま国へ帰るんだ。お前はまだ子ども、ここで逃げても誰も責めたりしない」

 

 でき得る限りの言葉を重ね、説得を続ける。

 するとやがて、俯いたままだったレックの口からポツリポツリと言葉が紡がれだした。

 

「…………先生のおっしゃったこと、きっと正しいのだと思います。僕らよりずっと強くて、多くの魔物を見てきた先生が言うなら、それは間違いないのでしょう。僕のような未熟者はもとより、わが国の精鋭たちでさえ、きっと魔王には敵わない」

「……ああ、その通りだ」

「僕らの見通しは甘過ぎた。少なくとも今の段階では、魔王とまともに戦っても勝ち目がない。ならば今は生きて帰って父にそれを伝え、その上でなんとか民が生き残る術を模索する……。それが今できる最善の選択です」

「そうだ。その通りだ。だから今すぐに――」

「わかっていますッ!!」

「っ…………お前」

 

 振り上げられたその顔を見て、やはり無駄だということを私は悟った。

 

「わかっているんですッ、それが正しい選択だと! ……でもッ! それでもッ! このまま彼らを見捨てて行くなんてできません! もう……もう大切な誰かが死ぬのなんて、見たくないんです!!」

 

 ここで気絶させて無理矢理連れ帰ったとしても、おそらくこいつはまたここに来ようとするだろう。そう思わせる目をしていたのだ。

 

 同時にストンと腑に落ちる。

 レックが言っていた、『個人的理由でここまで来た』という話。悲しんでいる両親に明るい知らせを届けてあげたいという目的。……確かにそれらは嘘ではないのだろう。建前として言っていた『国のためを思って』という理由も、きっと本心だ。

 

 だが、本当の本音は――根っこのところにあるこいつの本心はきっと――『もう誰も失いたくない』という(いた)ましい想いだったのだ。大切な妹を喪って抱いた、もう誰とも離れたくないという幼子の我が儘。本来ならばどうすることもできず、いずれは悲しみながら折り合いを付けていくはずだったもの。

 

 だが幸か不幸か、レックには現実に噛み付くだけの力があった。自ら行動を起こし、魔物の巣窟に乗り込んでしまえるほどの強さがあった。それゆえ無謀にもこんなところまでついてきてしまい、そしてそれが、さらなる悲しみを呼び寄せることになったのだ。

 

「ッ……取り乱して、すみませんでした」

「…………い、いや……」

「サンタさん……、ここまで連れてきてくれて、ありがとうございました。……そして、こんな危険なことに巻き込んで、本当に申し訳ありませんでした」

「レック……」

 

 こんなときなんと言えば良いのか、私にはわからなかった……。大切な者などいたこともなく、殺し合いばかりの生を送ってきた自分に、レックの想いを本当の意味で理解することはできない。

 一体どうすればいい? この傷付いた子どもに対し、一体私は何と声をかければ良い……?

 

「お見送りできない無礼をお許しください。……どうか道中、お気をつけてッ!」

「あっ……」

 

 こちらが手をこまねいている間に、すでにレックは別れを告げていた。そして最後にもう一度頭を下げると、脇目も振らずに城へ駆けていってしまったのだ。

 そのまま一度たりとも、こちらを振り返ることなく……。

 

 私は咄嗟に、その背中に手を伸ばそうとして――

 

 

 

「――ッ……ここまでだ……!」

 

 ――――ギリギリのところで、……今度こそそれを思い留まっていた。

 無意識に伸びようとする右腕を、左手で強く押さえ付ける。

 

 ……これ以上は駄目だ。ただの親切という枠を超え、こちらも命をかけることになってしまう。外郭部ならまだしも、ここより先へ進めば確実に誰かに見咎められるだろう。本拠地内部で敵の王子と同行しているなど、言い訳のしようもなく内通者だ。

 そうなれば待っているのは、あの超越者からの逃れられぬ粛清のみ。見ず知らずの他人のために、そこまでのリスクを冒すことなどできない。

 

「……ここまでだ。……そもそも、途中まで連れてきてやっただけでも十分な温情なのだ。この上忠告を無視して死地に向かう愚か者のことなど、もう放っておけばいい。無関係の私が罪悪感を覚える必要など……、どこにもない……」

 

 自分を納得させるべく、何度もそう言い聞かせる。

 しかしいくら言葉を重ねてみても、苦し紛れに地面を蹴り付けてみても、心に薄く張り付いたよどみが消えることはなく……。

 

 

 結局私は進むことも戻ることもできないまま、しばらくその場に立ち尽くすしかなかったのだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――レイドック兵の殲滅と、王子捕縛の報が全軍に通達されたのは、それからおよそ、一時間後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※この作品らしからぬ突然のシリアス展開ですが、物語ももう終盤ということで、何卒お許し頂ければと……<(_ _)>
 おそらくあと5~6話くらいで完結します。最後までお付き合い頂けますと大変嬉しいです。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話 こちらにも立場というものがある

 うろうろ……うろうろ……うろうろ……。

 

 のそのそ……のそのそ……のそのそ……。

 

 ぐるぐる……ぐるぐる……ぐるぐる……。

 

 

「はああぁぁぁ……」

 

 

 レイドックの面々と邂逅した翌日、私は特に何をするでもなく自室でダラダラと過ごしていた。

 昨日レックが捕縛されたと聞いたときは、さすがに少しばかり動揺したが、かといって今さら心配して会いに行ったりと、そんな偽善的な行動をする気はなかった。

 所詮我らは魔族と人間、同情や手助けなど道理に合わないことだったのだ。あいつとは人生のレールが偶々少し交差しただけ。こんなのはさっさと忘れて寝てしまうのが吉である。よくあること、よくあること。

 

 

 

 ――と、ここでサラリと終われば、めでたく一件落着なのだが……、

 

 

「はああああああぁぁぁぁ…………」

 

 見ての通り私は、先ほどからファーラットのように廊下を七転八倒していた。目の前の警備兵の怪訝な視線も気にならないほど、頭の中がグールグルなのだ。それはなぜかというと、

 

「……あの、サタンジェネラル殿? もうそろそろ中に――」

「わかってるから……、心の準備が終わったら入るから……。だからもう少し待って」

「あ、はい……」

 

 

 ――ムドー様からまーた、呼び出しを食らっているのである……。

 

 

 今朝方、自室で脱走計画を練っていたときのこと。突然部屋の通信魔道具が起動したかと思ったら、玉座の間まで来るよう連絡が入ったのだ。これが厄介なことにムドー様本人からの直接連絡だったため、嫌な案件を受け流す秘儀、『ゴメーン、寝てた~』も使えなかった。

 

 正直、あんな恐ろしい相手になぞ二度と会いたくなかったが、直属の上司からの命令を無視するわけにもいかず……。仕方なくこうして玉座の間までやってきて、今は入るのが嫌過ぎて無駄な悪あがきをしていたところである。

 

 ……だって、呼び出される理由が分からなくて不気味なんだもの。

 最初は『昨日の背信行為がバレたのか!?』とも思ったが、冷静に考えればその可能性は低いと思う。レックと出会ったのは人目のない外郭部だったし、洞窟内を進む間も誰にも見られてはいなかった。レイドック兵とは顔すら合わせていないし、レックが協力者のことをペラペラ話すとも思えない。裏切りを疑われる要素はどこにもないはずだ。

 

 それともまさか、洞窟の出口付近でボーっと突っ立っていたのを誰かに見られたか? あのときは片付けのために何匹もあの周辺にいたから、確かにその可能性もなくはない。

 ……いやしかし、やっぱりそれだけでは裏切りとは考えないだろう。通りがかりに目についたとしても、せいぜい現場に出遅れた間抜けにしか見えなかっただろうし。う~む……。

 

「あーもう、考えれば考えるほど分からん!」

 

 思考が堂々巡りして頭がもう限界だった。

 ……ついでに警備兵たちの怪訝な視線も割と限界だった。ここはもう腹を括って入るしかない!

 

「失礼しますッ!」

 

 ガコンッと巨大な扉を開き大広間に入る。

 遠目から玉座の様子を確認。

 

 ――ずんぐり体型のシルエットを視認。……Oh、ジーザス。

 

『病欠でもしてくれれば良いのに……』などと不敬なことを思いながら歩き出す。最後の抵抗としてできるだけノロノロ進むも、それも大した時間稼ぎにはならず……。やがてたどり着いた御前にて、私は跪いて姿勢を正した。

 

「……サタンジェネラル1182号、参りました」

「うむ、急な呼び出しですまぬな」

 

 頭上から重厚な声が降ってくる。初日のような攻撃的オーラこそ出していないものの、相変わらず目の前にいるだけで凄まじい威圧感だ。こうして見るとやはり、最初から人間に勝ち目などなかったのだと実感してしまう。……今さら言っても仕方ないことだけれど。

 

「さて、本日呼び出した理由だが……」

「はっ」

「お前が人間の生態に詳しいと見込んで、少々意見を聞きたくての」

「はっ、何なりと……」

 

 ホッ……どうやら裏切り云々という話ではなかったようで、とりあえず一安心だ。

 だがしかし、新参の私に相談事とは……一体何を聞かれるのだ?

 

「すでに聞いているとは思うが、もう一度説明しておこうか。――昨日のことだが、攻め込んできたレイドック兵どもをこの城まで誘い込んだところ、なんと後を追って奴らの王子までやって来おってな。ククク……、私もそれなりに長く生きておるが、こんな珍事は初めてであったわ。まさか敵の重要人物が向こうから転がり込んで来ようとは」

「……無傷で捕らえた、と伺っておりますが……、まことでしょうか?」

「うむ。兵士諸共あの場で消してしまっても良かったのだが、初めて我が城を訪れた王族をあっさり殺すのも味気ない。ゆえに、とりあえずは生かして捕らえることにしたのだ」

「……なるほど、そういう経緯で……」

 

 ムドー様の説明に頷く。

 忠告したにもかかわらず、やはりレックは城へ無謀な突撃を敢行したらしい。そして奮戦むなしく捕まってしまった、と。

 

「しかしまあ捕らえたはいいが、あいにく魔王軍では捕虜など取ったことはなくての。このまま牢に入れておいたところで、正直持て余すだけであろう」

「それは……そう、ですね」

「ゆえにな、私は早々に処刑してしまうのが妥当と考えておるのだが、…………お前はどう思う?」

「ッ……」

 

 分かりきっていたこととはいえ、直接言葉にされるとやはりクるものがあった。

 …………いや、これはもうすでに割り切ったこと。今ここで言うべきは一つだ。

 

「それがよろしいかと。人間社会では子どもに機密など教えませんし、長々と尋問・拷問などをしても徒労に終わるでしょう」

「うむ、そうか。奴らに詳しいお前が言うなら、やはりそうなのであろうな」

「……はっ」

 

 同意し、深く頭を垂れる。その頭上から笑いを含んだ声が降ってきた。

 

「ククク、わかった。では早速闘技場へ向かうとしようか。もうそろそろ準備も整う頃ゆえな」

「ッ!? い、今からすぐ、でありますか!?」

「ああ、そうだ。実はな、昨夜からすでに準備の方は進めておったのだ。たかが人間の子どもとはいえ、相手は一応貴人。しっかり場を整えてやらねば無礼というものであろう?」

「そ、れは……ッ」

「フッ、お前も着いて来るがいい。見世物の観客は多いほど良いからの」

「~~~~ッ。……了解、いたしました……」

 

『どう思う?』などと相談の体をとっておいて、とうに処刑の準備は終わっていた。その事実に舌打ちが出そうになるのを、口の端を噛むことでなんとか堪える。

 

 ――大丈夫、自分はまだ冷静だ。このくらいどうということはない。

 心の中で幾度もそう唱え、下を向いて拳を握りしめる。

 

 そんな私の姿を見降ろしながら、目の前の上位者はただ愉快げに、クツクツと笑うばかりだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆の者! よくぞ集まってくれた! これより捕虜の処刑を執り行う!」

 

 ――ウウォオオオオオオオ!!

 

 貴賓席のムドー様が開始を宣言し、集まった魔物たちが歓声を上げる。

 それを離れた場所――観客席の最前列――から眺めながら、私は今自分がいる空間をグルリと見渡した。

 

 ――闘技場。本棟に隣接して建てられた巨大な訓練施設。普段は主に部隊の連携訓練に使用されているが、ときに逆らった部下の粛清に用いられることもある。

 狂暴化させたモンスターを闘技場内に放ち、そのまま罪人を死ぬまで戦わせるという、なんとも悪趣味な処刑方法だ。魔族は少々の傷では死なないため、倒れた後も魔物たちに群がられ噛みちぎられ、死ぬ寸前まで苦しむことになる。

 人間を対象にこれが行われるのは見たことはないが、おそらくは今回も同じ方法がとられるのだろう。それを示すように、闘技場中央には大きな檻が据えられ、その中に捕らえられたレックの姿があった。

 

「クックック。王子よ、最期に何か言い残すことはあるかな?」

「……ない」

「おや、いいのかね? 機会があればお国の知り合いに伝えるが?」

「くどい! やるならばさっさとやるがいい!」

 

 取り乱すことなく気丈にムドー様を睨み返すレック。その険しい表情からは、彼の詳しい内心まではうかがい知れない。部下は全て殺され、自分は捕まって敵の見世物にされている現状。……あいつは今、どんな気持ちであそこにいるのだろうか?

 

「ふふっ、これは失礼した。幼くともさすがは王族、見事な覚悟よ」

「…………」

「ではお望み通り、そろそろ演目を開始しよう! ――さあ、魔物どもを放て!」

「「はっ!」」

 

 ムドー様の合図に従い、闘技場両側の鉄格子が引き上げられていく。いよいよこれから刑が執行されるのだ。

 

 固唾を呑んでその様子を見守る中、まずは左側の扉が開かれた。カメレオンマンにバーニングブレス、ようじゅつしにデビルアーマー、ムドー城が誇る精鋭たちが登場する。

 いずれも只人では到底敵わない魔物たち。熟練の戦士が命懸けで挑んでようやく倒せるかどうか、という相手だ。それが優に三十体以上。子ども一人では到底助かる見込みなどなかった。

 

「……ッ」

 

 頭に思い浮かんだ光景を振り払う。

 今さら罪悪感を覚えるなど烏滸がましい。見捨ててしまった自分に今できるのは、せめて最後まで見届けてやることと、苦しまず終わるよう祈ってやることだけだ。

 

「では続けて、奴らを放て!」

「はっ!」

 

 

 

「…………はっ?」

 

 だが続いて右の扉が開かれた直後、私は先ほどの覚悟も忘れて呆けた声を上げていた。

 扉の奥から現れたのは、想像とはまるで違う者たちだったのだ。

 

「こ、これは一体……、どういうことだ……?」

「フッ、なんだ。お前は聞かされていなかったのか、1182号よ」

 

 私の疑問の声に対し、隣にいた『魔王の使い』が意外そうに告げる。その顔にはこちらを見下すような笑みが浮かんでいたが、今はそんなことどうでもよかった。

 なぜなら――

 

「なぜレイドック兵が、あそこにいるのだ……ッ!!」

 

 そこにいたのは、殲滅したと伝えられていたレイドック兵たちだった。

 衣服には血が染みつき、辛そうに顔を歪めているものの、最低限の治療は施されているようで、全員が自分の足でしっかりと立っていた。

 そしてその手には、唯一渡されたであろう武器が握られている。

 

 運営役以外は誰もこのことを知らなかったのか、観客席の魔物の間にもザワザワと困惑の声が広がっている。ムドー様はこの状況にも薄く笑うのみで何も言わず。そしてその答えは、処刑されようとしていた張本人から返ってきた。

 

「ど、どういうことだ、ムドー! 僕が大人しく捕まれば、彼らを解放するのではなかったのか!」

「ククク、すまんな。私はそのつもりだったのだが、彼奴らにそのことを説明したところ、『絶対に承服できない』と騒ぎ始めての。約束を破るのは心苦しかったのだが、ああも真剣に頼まれては断るのも忍びない。ゆえに、不本意ながらこういう形を取らせてもらった」

「な……何を……」

 

 困惑するレック対し、ムドー様が両手を広げて宣言した。

 

「喜べ王子よ! お前の仲間が我が軍勢に打ち勝てば、全員無事に解放すると約束してやったぞ!」

「なっ……」

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

「クハハハ、ムドー様もお人が悪い。あんなボロボロのなりで、一体どうやって勝てと言うのか」

「……そういうことか」

 

 二人の会話を聞き、ようやく私にも理解が及んだ。

 昨日レックが兵士たちに追い付いたとき、おそらく彼らは劣勢で、今にも殺される寸前だったのだろう。そこで本人が言い出したか、あるいはあちらから提案されたかは知らないが、『自分が身柄を差し出せば部下を開放する』という取引きを交わしたのだ。

そしてあいつは部下が助かったと思い込み、覚悟を決めてこの処刑に臨んだ……。

 

 だがしかし、忠実な部下がそんな条件を受け入れるはずがない。ましてや彼らは、命を捨てる覚悟でこの任務に臨んでいたのだ。王子の命と引き換えに助かろうなどと、一人たりとも思うわけがない。その結果が“これ”というわけだ。

 

「……ちっ、あの世間知らずめ、部下の忠誠心の高さくらいきちんと把握しておけッ。だいたい魔物が人間と交わした約束など、律儀に守るはずがないだろう!」

 

 子どもの甘い見通しについ悪態が零れる。そもそもの話、そんな取引きなどせずとも、その場で力ずくでレックを捕らえてしまえばそれで済んだ話なのだ。

 それをわざわざこんな回りくどい真似をした理由は一つ。人間を弄んで苦しめ、その様を楽しむためだ。『演目』とはこういう意味だったのだ。

 

「王子、このような目に遭わせてしまい申し訳ありません。今しばらくお待ちください、我らが必ずお助けいたします」

「ト、トム……!」

 

 兵士のリーダーと思われる男がレックに笑いかける。親しい間柄だったのだろうか、その顔には単なる主君に向ける以上の親愛が感じられた。

 リーダー以外も皆同様。渡された武器を握りしめ、ボロボロの体を奮い立たせ気炎を上げている。自分たちの主君をなんとしても助けよう、と。

 

「ダ、ダメだ! 捕まったのは僕の意思だ! お前たちの責任ではない! すぐに逃げるんだ!」

「それはできません。王族の皆様をお守りすることが、我らの最優先の任務ですので」

「責任という意味では、王子のことに気付けなかった我らにも十分責任はありますしね」

「本来なら昨日の時点で死んでいた身です。この場で主君のために命を使うことに、何の躊躇いがありましょうか」

「では王子、しばしの間お待ちを。――さあ行くぞ、お前たち! 奴らにレイドック兵の意地を見せてやれ!」

「「「おおおッ!」」」

 

「ま、待って! ダメだ、みんな! 戻るんだ!」

 

 レックの説得も空しく、レイドック兵たちは魔物の群れ目掛けて突っ込んでいった。

 

 ――そして……、『ショー』が始まったのだ。

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 それは、とても戦いと呼べるものではなかった。

 彼らの体調が万全であれば、結果はまた違っていたのかもしれない。だが前日に重傷を負い、そこから満足に回復の時間さえ与えられなかった彼らに、もはや戦う力など残ってはいなかった。

 

「キシャアア!」

「ぐあっ!?」

 

 ふらつく兵士たちの攻撃はカスリもせず、逆にカメレオンマンの連撃が彼らを切り裂いていく。刺し違えるつもりで放った一撃は空しく弾かれ、デビルアーマーの重い一撃に武器ごと叩き切られる。

 妖術師のメラミが数人をまとめて焼き、動揺した残りをラリホーンのタックルが吹き飛ばす。そして倒れたところへダメ押しとばかり、バーニングブレスの火炎の息。さらに念入りに、灼けつく息や毒の息までが吹き付けられた。

 それはもはや戦いではなく、ただの蹂躙だった。

 

 ……それでもレイドック兵たちは全員引くことなく、震える身体に鞭打って戦い続け、一人、また一人と倒れていく。

 そして――

 

 

「ケケケッ、とどめだ!」

「ぐっ! が、は……」

「トムッ!」

 

 最後まで立っていたリーダー――トムと呼ばれていた男が力尽き、ついにレイドック兵たちは全滅したのだ。

 

 

――ウウォオオオオオオオ!!

 

 部下を失った王子が力なく項垂れる様を見ながら、観客たちが盛り上がる。

 傷だらけの人間たちが、多くの魔物に襲われ順当に力尽きた。なるべくしてなった結果、なんの意外性も感じられない無慈悲な予定調和だった。

 

(――それでも、それでも精鋭兵であればもしかしたらと、一縷の期待を抱いていたのだが……)

 

 ……いや、今さら不毛なことを考えるのはやめておこう。幸い兵士たちの蹂躙劇はあっさりと終わった。ならばレックの処刑も同様に、過度に苦しめられることなく終わってくれるはずだ。

 それでこの茶番も終了、今さら私がどうこう悩む話ではない。そう思って会場から目を逸らす。

 

「よし、では引き続いて……回復部隊をここへ!」

 

「…………はっ?」

 

 しかしホッと息をついたのも束の間、私の耳に不可解な言葉が聞こえてきた。

 その意味を問う間もなく、今度は闘技場の扉からホイミスライムの集団が現れ、その場に散らばっていく。彼らは倒れているレイドック兵らに近づくと次々にホイミを唱えていった。

 その異様な光景を観客が見守る中、やがて瀕死だった兵たちはヨロヨロと体を起こし始めたのだ。

 

「ッ……ど、どういうつもりだ、ムドー! 何を考えている!!」

 

 重傷を負っていた部下が立ち上がる。本来ならば喜ぶべきその光景を見ながら、レックはたまらず叫んでいた。

 慈悲深く回復してくれた? ――否、そんなことあるわけがない。いくらレックが世間知らずとはいえ、ムドー様のあの顔を見れば、ろくでもないことを考えているのは容易にわかる。

 そして案の定、魔王の悪意が会場中に轟いたのだ。

 

「さて、一度目の戦いは人間たちの敗北に終わった。……しかし、チャンスが一度きりというのも酷な話であろう? そこで、だ。私は彼らをもう一度戦わせてやることにした。いや、この際ケチ臭いことは言わぬ。彼らが諦めない限り、私は何度でも回復してやろうと思うのだが――――諸君はどう思う?」

 

 ――ざわりっ!

 

 観衆が大きく息を呑む。そしてそれは徐々に、愉悦の笑いへと変わっていった。

 全員が理解したのだ。この処刑はただ殺すためのものではない。人間をどこまでも痛めつけ、絶望させ、その様を愉しむのが目的なのだと。

 

「くっ、全員集まれ! 壁を背にして半円陣を組むのだ!」

「「は、はいっ!」」

 

 前後不覚になっていたレイドック兵たちも、ムドー様の言葉で状況を理解したのだろうか。周囲から嘲笑が降り注ぐ中、なんとかこの窮地を脱しようと戦闘態勢を整えていく。

 

 ……無駄だと分かっていても、彼らには他に選択肢などなかった。王子を助けるため、自分たちが生き残るため、死力を尽くすしかないのだ。

 例え可能性がゼロだとしても……。

 戦い抜いた先にあるのが絶望だけだとしても……。

 

「み、みんなッ! くそっ、やめろ、ムドー! もう勝負はついただろう!」

「おや? せっかくチャンスを与えてやったのに不服かね? それとも、回復などせず死なせた方が良かったか? ならば次に倒れたときはそう言うが良い、『どうか彼らを見殺しにしてくれ』とな。そうすればそのまま、魔獣の餌にでもしてくれよう」

「っ!? そ、それは……」

 

 嘲笑混じりに提案され、レックがグッと押し黙る。

 苦しむ部下たちのことは助けてやりたい。しかしだからと言って、『そのまま彼らを死なせろ』などと、幼い少年に言えるはずもなかった。

 

「ククク、納得してくれたようだな? では、二回戦を始めようか」

 

 

 そして再び、闘技場は熱気に包まれていった。

 

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 

 ………………。

 

 腕を斬られ――――治される。

 

 腹を刺され――――治される。

 

 顔を焼かれ――――治される。

 

 骨を圧し折られ――――治される。

 

 胴体を踏み潰され――――治される。

 

 手足を切り落とされ――――治される。

 

 治される。

 

 治される。

 

 治される。

 

 治される。

 

 治される。

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

 ……………………。

 

 

「はあっ、はあっ、はあっ……」

 

 あれから、何時間が経っただろうか? 何度目かの全滅の後、回復されたレイドック兵たちは再び身体を起こした。ひたすら痛めつけられ、体力はとうに底をつき、動くことすらままならない状態で、それでも彼らは諦めずその場に立ち続けていた。

 

「や、やめるんだ、お前たち……。もういい……もういいからッ……」

「だ、大丈夫ですよ、王子。まだまだ……これからです……!」

「ケケケ、そうだな、お楽しみはこれからだッ!」

「ぐあっ!?」

「ッ!? や、やめろ……。もう攻撃するな……やめろ……!」

 

 制止の声など届くはずもなく、再び無慈悲に攻撃が加えられる。

 燃やされては治され、刻まれては治され、砕かれては治され、貫かれては治される。すでにボロボロだった彼らは避けることさえできず、ボロ雑巾のようにひたすら嬲られ続けた。

 

「ああ……、なぜ……なぜこんなっ……。……すまない! すまない、みんな! 僕を、僕を助けるためにこんな……!」

 

 親しい者たちのそんな惨状を見せられ、少年は自己嫌悪で項垂れてしまう。

 そこへ意外なことに、ムドー様が優しげに声を投げかけた。……ただしその口元は、いやらしく吊り上がっていたが……。

 

「クククッ、王子よ、そう自分を責めることはない。むしろ、奴らが今生きていられるのはお前のおかげなのだぞ?」

「……え?」

「あのような雑魚どもなぞ、私が少し手をかざせば一瞬で塵と化す。昨日あっさりと全滅したところをお前も見たであろう? それが今もこうして無事でいられるのは、一体なぜだと思う?」

「な、なに……を……」

 

 唐突な質問に困惑するレックに、魔王は楽しげに言葉を重ねていく。

 

「それはな……、お前のおかげだ、王子よ。お前があの場に現れたからこそ、私はこのゲームを思い付き、奴らを生かしてやろうと考えたのだ」

「……あ」

「わかったか? そう、つまりだ。お前が間抜けにも我らに捕まったおかげで、奴らはこうして生き永らえることができているわけだな。……ククク、まあそのせいで、一瞬で死ぬより苦しい思いもしているようだが、忠実な部下ならそれも本望であろうよ」

「あ……あぁ……」

「命と引き換えに主君の助けになれるとは、騎士冥利に尽きるというものだ。きっと奴らもお前に感謝していることだろう。――『何もできないくせについて来て、我らを苦しめてくれてありがとう』とな!!」

「あ……あ……あああっ……!」

 

 鉄格子に縋りついたまま、ついにレックが膝を着いた。王族らしく気丈だった態度は崩れ去り、その顔は激しい後悔と罪の意識に苛まれている。

 

 ――ケケケ、見ろよ、あのガキの面。

 ――ヒッヒッヒ、いつ見ても良いなあ、人間が苦しむ表情ってのは。

 ――最初はつまんねえ処刑になるかと思ったが、さすがムドー様は人間で遊ぶのがうまいぜ。

 ――ケケ、後はどうやって殺すかだな。せいぜい良い絶望顔を見せてほしいもんだ。

 ――ゲギャギャギャギャ!!

 

 幼い子どもの心が嬲られ、魔物どもが醜悪に笑っている。

 そんな、胸糞の悪い光景を見せられながら私は――

 

 

 

「…………フン」

 

 特に何を感じるでもなく、静かに席に座っていた。

 

 ――動揺?――憤慨?

 

 するわけないだろう、そんな無様な真似。この程度の仕打ちなど十分に予想していたこと、むしろ直接傷付けられていないだけ想定より大分マシだ。無関係の私がしゃしゃり出て口を挟む必要など、どこにもない。

 

「…………ッ」

 

 ギリギリギリギリッ!

 

 ……ああそうとも、自分は何も感じてなどいない。何度も何度も忠告はしてやったのだ。それを無視して勝手に死にそうになっている愚か者のことなど、助ける義理も義務もないッ。

 

 

 

 

 

「どうした、王子よ? まだ助かる見込みはゼロではないぞ。そら、大将ならしっかり部下を応援してやらぬか。『何を寝ている、この下僕ども。さっさと俺を助けろ!』とな」

「そんな……そんな、こと……」

「なんだ? 貴様は足を引っ張るだけでなく、応援すらできない役立たずなのか? ならば先ほどの発言も撤回せねばならんな。ククク、こんな情けない主君のために死ぬことになるとは、奴らも浮かばれんことだ!」

「う……うぅ……。ごめん、みんな……ごめん……」

 

 

 

 

 

「……ッ!」

「何だ1182号? 急に立ち上がってどうした?」

「ッ……い、や……なんでも、ない!」

 

 思わず何か叫ぼうとした口を強く噤み、その場に腰を下ろす。

 

 ――動揺するな、余計なことを考えるなッ、今は自分が生き残ることに集中しろ!

 一時の感情に流されてあんな化け物に歯向かえば、全てが終わってしまうぞ。

 何のために人間界まで逃げて来たと思っている。危険な殺し合いの日々から抜け出し、平穏な生活を手に入れるためだ。この場を乗り切りさえすれば、望んだものはすぐそこなのだ。半端な情など捨ててしまえ!

 

「そうだ、所詮我々は異種族。人間の子どもなど助けて、私に一体何の得がある? これまでと同じように、自分を最優先に生きていけばそれでいいのだ。気に病む必要などどこにもない!」

 

 これが正しい選択なのだと、強く自分に言い聞かせる。

 それでもなお、体の中心から湧き出る不可解な感情は治まらず……。私はそれを押さえ込むように、強く胸に手を当てた――

 

 

 

 ――コツリ。

 

 

 

「……?」

 

 ……不意に、指先に何かが触れるのを感じる。

 懐の奥に丁寧に仕舞い込まれていたそれは、緩く丸みを帯びた、硬い材質でできた『何か』だった……。

 

 特に何かを意図していたわけではない。

 だが……、何もできずにいる自分を誤魔化すためか、私は無意識の内に手を突っ込み、懐からそれらを引っ張り出していたのだ。

 

 そして――

 

 

「……あ」

 

 

 

 

 

 

 

『俺一人の力じゃ難しいんだ! 頼む、助けてくれ!』

『何年かかってもいい。絶対また姉さんに会うんだ!』

『さっきはその…………助かったというか、なんというか……』

『いろいろありがとうな! お前に会えて良かったぞ!』

 

 ――それは、ガンディーノでテリーに貸してやった、白い仮面だった。

 

 

 

『あんたに頼むのがきっと一番だ!』

『いーやー! おーねーがーいー!』

『なあ、ちょっと聞いてくれよ、師匠!』

『師匠の言う通りだったわ、ありがとう!』

 

 ――それは、買い過ぎて余らせてしまった、いろんな薬草の束だった。

 

 

 

『このスープ私が作ったやつだから、後で感想聞かせてね?』

『師匠のこと尊敬してなくもないぞ! これからもよろしくな!』

『ずっとここにいれば良いじゃない!』

『ここがあんたの居場所だろ?』

 

 ――それは、何度も読み返してクシャクシャになってしまった、色とりどりのメッセージカードだった。

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 実際には、ほんの数秒の出来事だったのだろう。しかし私の頭の中では、人間界に来てからこれまでのことが走馬灯のごとくよみがえっていて、

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「……ぅぅぁぁぁぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛……」

 

 気付けば天を仰ぎながら、なんとも言えない声を出していた。

 様々な感情が胸の内を駆け回り、さらには唐突に、今度は未来の光景まで頭に思い浮かんできた。このままここで静観した場合の、自分の未来の姿だ。

 

 

 ――そう、仮に……、もし仮に、ここを何事もなくやり過ごせたとしよう。

 

 ……なるほど、確かにこの場における平穏は手に入れられるだろう。裏切りの疑惑は完全に無くなるし、再び人間たちが攻めて来たとしても、一度見捨ててしまったのなら二度目も同じこと。次も同様に我関せずを貫けば、何の問題もなくやり過ごせる。そしてその内、隙を見てここを逃げ出せば、晴れて私は自由の身となれるだろう。

 ……なるほど、確かに己の身の安全だけを願うなら、これがベストな選択だ。

 

 …………。

 

 

 それで……? その後自分は、一体どうする?

 

 ほとぼりが冷めた頃を見計らい、再びノコノコとサンマリーノに戻るのか? もう一度神父として活動しつつ、休みの日には息抜きにハッサンとアマンダを鍛えてやったり……?

 それとも……、魔王軍に見つからないよう世界中旅しながら、テリーとの再会でも目指すか? あれからさらに強くなったであろうテリーの実力を見てやって、今度はあいつの師匠として稽古をつけてやったり……?

 

 ……ああなるほど。どちらもきっと楽しいだろう。皆喜んで迎えてくれることだろう。

そして、再会の感動もある程度落ち着いてきた頃、あれからどんな出来事があったのか聞かれ、私はあいつらにこう答えるわけだ。

 師匠の武勇伝を期待する弟子たちに対し、自信満々の表情を浮かべながら、何の臆面もなくこう言い放つわけだ――

 

 

 

 

『危うく上司に殺されるところだったが、お前たちと同い年くらいの子どもを見殺しにして、なんとか生き延びてきたぞ!』――と。

 

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 ……………………。

 

「――ウボァァァ゛ァ゛ァ゛……」

 

 思わず、何かから隠れるように顔を覆っていた。

 別に誰に見られているわけでもない。しかしそんなことを考えてしまった自分を、猛烈に消し去りたくなった。

 

「あー、いかんよ……、これはいかん……。これはいくらなんでも――」

 

 

 ――――カッコ悪過ぎるんじゃないか……?

 

 

 

 

「おい1182号ッ、さっきから何をゴチャゴチャ言っている。観戦の邪魔だぞ!」

「…………」

 

 不意に、妄想の世界から現実に引き戻された。横から聞こえてきた不機嫌そうな声に振り向けば、魔王の使いが眉をひそめてこちらを見ていた。どうやら途中から内心が声に出ていたらしい。

 問いには答えず、私は再び闘技場へ視線を戻しながら、弁明するように口を開いた。

 ……いやなんかもう、今すぐいろいろなことに対して言い訳したい気分だったので……。

 

「…………別にな? 可哀そうだから助けてやろうだとか、私がいきなり慈悲の心に目覚めたとか……、そういう話ではないのだ。いつだって私は自分優先。今までだってそうしてきたし、それはこれから先もずっと変わらん方針だ」

「は……? 何の話だ?」

 

 無視して続ける。

 

「ただなあ……。今ここで尻尾を巻いて逃げたとしたら、再会したときにあいつらめ、なんて言ってくると思う? ……きっと化け物と対峙した私の気も知らないで、こんな感じに言うに違いないのだ」

 

 

 

 

『え~~! 師匠逃げちゃったの!? 俺たちには散々強い魔物(けしか)けておいて、当の本人は格上から逃げ出しちゃったの!? ヒュ~、さすがはお偉い師匠様、自分だけは特別扱いが許されるってわけだ! その面の皮の厚さ、俺も見習いたいね~~!』

『ちょっとやめてあげなさいよw。元々この人、故郷での争いが嫌で逃げてきた敗残兵なんだからw。格上に挑むような根性なんて、綺麗さっぱり落っことしてるわよw。弟子の私たちだけでも優しくしてあげないとw』

『あー、うん……、まあ仕方ないよ、相手は滅茶苦茶強かったんだろ? 俺だってギンドロ組相手に喧嘩売っておいて、無様に逃げ出したことあるしな! うん、よくあることだから気にするなって! あ、あははは……はは……』

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 ……………………。

 

「師匠の面目! 丸潰れじゃねえかッ!!」

「っ!?」

 

 冗談ではない! せっかく築き上げてきた『頼れる武人』というイメージが一気に落ちぶれてしまうぞ!

 

 いや、それだけならまだ良い! これが冷たい目で見られるどころか、可哀そうな視線で同情なんてされた日には、いよいよもって立ち直れなくなってしまう! 

 人生において最も忌避すべきこととは何か? 

 それは嫌われることでも憎まれることでもなく、憐れまれることだ! 憐れみとはそれすなわち、侮られ、下に見られるということ。『あなたにはできなくても仕方ないよ』と、何の期待もされなくなることだ。

 そんな屈辱的仕打ちを弟子たちから受ける? この剛勇無双のサタンジェネラルたる私が? まったくもって冗談ではないぞ!

 

 その悲劇を回避するためには、今このとき! この場で! 私はなんとしても立ち上がらなければならない! 己の地位を守るため、弟子にデカい顔する権利を守るため、私は今こそ腹を括り、全力で戦わなければならないのだ!

 

「わかるか!? だからこれは、決して優しさから出た行動などではなく、あくまで自分の利益を考えた上での打算的行動なのだからな! くれぐれも勘違いするんじゃないぞ!」

「いや、だから何の話を……ッ!」

「あと、お前に特に恨みはないけども! 残しておくと面倒そうだから、先に片付けさせてもらうぞ!? 悪く思うなよ!?」

「だから貴様! さっきから何をゴチャゴチャ言っt「そおおおいッ!!」――ぶべらあああ!?」

 

 立ち上がるとともに、ムカつく同僚の顔面にせいけんづきを叩き込む。

 無防備に座っていた魔王の使いはそのまま吹き飛んでいき、闘技場の地面へ轟音とともにめり込んだ。

 

 

 ――――ドオオオオオンッ!!

 

 

「うおおおおっ!? な、なんだ一体!?」

「誰か吹っ飛んで来たぞ!」

 

 戦闘中に謎の物体が飛び込んできて、その場の全員の動きが止まる。

 

「……えっ? まさか……、ま、魔王の使い殿ッ!?」

「い、一体誰がこんな……!」

「あ、あそこッ! あの緑の奴の仕業じゃないか!?」

「あれは……、魔族、なのか? ま、まさか、魔物どもが同士討ちをッ?」

「え……? あ、あれって……」

 

 眼下では魔物もレイドック兵もレックも、皆がこちらを見ながらポカンと固まっていた。ちょうどいい、この隙にいろいろと済ませてしまおう。

 ……というか、このまま勢い任せで突っ走らないとまた肝心なところでヘタれてしまいそう。今はもう何も考えずにゴーゴーゴー!だ。

 

「ハッ!」

 

 私はテンションそのままに大きくジャンプし、レックが入れられている檻の前に降り立った。状況の変化に着いて来れていないのか、囚われの少年は目を白黒させ混乱したままである。

 

「え? え? 先生? え、なんでここにッ!?」

「まあまあ、細かいことは気にするな。今はとりあえず――ふんぬッ!」

 

 気合一発、鉄格子を捻じ切り、メダパニ状態のレックを檻の中から引っ張り出す。

 

「わわわっ!?」

「おっと、暴れるな。折れた鉄柵が突き刺さるぞ」

 

 そのままざっと全身を確認する。見る限り、装備品は取り上げられているものの、外傷などはほとんど負っていなかった。実力差が大きかったことが逆に幸いしたのだろう。その無事な姿にホッと胸を撫で下ろす。

 ――とそこへ、再起動した魔物たちが食ってかかってきた。

 

「サ、サタンジェネラル殿! これは一体どういうことですか!」

「今のでラリホーンが挽き肉になってしまいましたぞ!」

「こんな話は聞いていませんよ! いくら演出だとしても限度というものが「ばくれつけんッ!!」

「「「ぐがああああーー!?」」」

 

 返答代わりに高速の連打をくれてやる。急所に一発ずつ拳を入れてやると、連中は観客席のあちらこちらへ吹き飛んでいった。

 

 

 ――――ズガガガアアアアアンッ!!

 

 

「「「うわああああーーーッ!?」」」

「こ、今度は観客がミンチに!」

「反逆だあああ! サタンジェネラル殿が御乱心なされたああ!」

「に、逃げろ! ここにいたら巻き込まれるぞッ!!」

 

 ……おっ? ついでに今ので結構な数の観客まで逃げてくれたようだ。ナイス結果オーライ、これでひとまずここは安全だ。

 

「せ、先生! あの! えっと!」

「どうどう。混乱する気持ちは分かるが落ち着け。まずはお前を彼らに返さねばな。……ほれ、後ろを見てみろ」

「え?」

「王子ーー! ご無事ですかああーーッ!?」

 

 レックが振り返った先からは、レイドック兵たちが必死の形相で走り寄ってきていた。先ほどまであんなにフラフラだったというのに、一刻も早くレックの無事を確かめようと我が身も顧みず走っている。

 

「み、みんなッ!」

「フッ、そんな状態でいち早く主君の元へ駆け付けるとは、なんとも見上げたものだ。……良い部下を持ったな、レックよ?」

「ッ…………はいっ!」

「ふふふ、さあレイドック兵たちよ、貴様らの大事なものを受け取るが良――――って痛ッ!? いたたた!? 痛いッ!? え、ちょ、何すんの、君たちッ!?」

 

 良い雰囲気で受け渡そうとしたら、助けてやった兵士たちにメッチャタコ殴りにされてるんだけどッ!?

 え、何なのッ、どういうことッ!? 

 

「ちょ!? や、やめないか、お前たち! 助けてくれた恩人に何をするんだッ!?」

 

 そ、そうだ、そうだ! 王子を助けてやった上に敵も減らしてやって、謝礼を貰っても良いくらいだぞッ! もっと言ってやれ、上司!

 

「何をおっしゃってるんですか、王子! そいつは魔物――いえ、その中でもより高位で危険な存在、魔族ですよ!!」

「え?」

「え?」

 

 ……。

 …………。

 ………………あ。

 

 ……し、しまったあああ! そういえば思いっきり素顔晒したままだった! そうだよッ、普通の人間の反応はこれが当たり前だった! レックの反応が変わらな過ぎてすっかり失念していたわ!

 

「その上味方を殴り殺して笑うようなサイコ野郎ですよ! 危険ですから早く離れて!」

 

 しかもなんか酷い誤解までされてる!? いや、状況だけ見れば確かにその通りだけども!

 

「え、あの……先生? ……えっと……じょ、冗談、ですよね?」

 

 ああ、腕の中のレックが見る見る困惑顔に……! ど、どうする!?

 

「せ、先生……?」

「…………」

 

 ……。

 …………。

 ………………仕方ない、この辺りが潮時か。

 考えてみれば、王子が魔族と親しいのもいろいろとマズイ気がするし……、むしろ都合が良かったかもしれん。

 

 ――――よし! ではここからは寡黙な武人ではなく、冷徹な悪魔ムーブでいく! 人間どもよ、クールでカッコ良い悪魔の姿、とくと見るがいいッ!

 

「せ、先生――「そう喚かずとも今返してやるわ! そら受け取れ!」――うわわッ!?」

「うおっと!? お、王子ッ、ご無事ですか!?」

「ケホッ、ケホッ。う、うん、僕は大丈夫……だけど」

 

 仲間の元に戻れたレックへ向け、できるだけ嘲笑に見えるよう笑みを浮かべてやる。

 

「フンッ、王子に取り入れば後々役立つかと思ったのだがな。こんな情けないガキではわざわざ利用する価値もないわ!」

「き、貴様っ! 王子を愚弄するか!」

「ハッ、そうだったな、利用価値がないのは貴様らも同じだった。ムドーに手傷の一つでも与えてくれるかと期待したが、何の成果もなく全滅とは……。まったく、レイドックとは王族から部下まで無能ばかりの国なのだな!」

「~~~~ッ!!」

 

 おお、トムさんの顔が真っ赤に……。いい感じに怒ってくれて、これならレックが疑われることもなさそう。

 よし、なら後は、身を守れるようこいつもサービスだ!

 

「だがこのままあっさり死なれても面白くない。貴様らにはせいぜい足掻いてもらって、魔王への嫌がらせとなってもらおう。そら、こいつも受け取れ!」

「ッ!?」

 

 ガシャン、ガシャンと、彼らの足元に武器防具類を放り投げてやる。

 ほのおのつるぎ、ゾンビキラー、のこぎりがたな、プラチナメイル、みずのはごろも、ドラゴンシールド、などなど。

 ガンディーノからこっち、井戸の店やカジノまで網羅していろいろ買い漁ってきた無駄コレクションだ。人間界レベルでは最高峰の装備品、これを使ってこの場を切り抜けるがいい!

 

「き、貴様、一体どういうつもりだ!」

「フン、分からんか? 魔王へのささやかな嫌がらせだ。こんなガラクタでも貴様ら雑魚にとっては有用なはず。これを使ってせいぜい見苦しく生き延びるが良い!――ん、なんだこれ? 太陽の紋章が入った兜? こんなの買ったかな? ……まあいい、どうせガラクタだろうし、ついでにこれもサービスだ! ふはは、嬉しいか!」

「お、おのれ、どこまでも愚弄しおって!」

 

 よし、これでこの場はオーケー。

 さすがに忠誠心の高い魔物は逃げていないようだし、自分の身は自分で守ってもらわんとな。

 

「あ、あのッ、先生!」

「フン、貴様と話すことなどもうないわ」

 

 レックの言葉を遮り、振り返る。

 あいつはまだ何か言いたそうだったが、これ以上話しているとボロが出るかもしれんので却下。

 

 ……というかもう実際、そんな猶予などなかった。

 なにせずいぶん前から、主賓をお待たせしたままなのだから……。

 

 レイドック勢をその場に残し、闘技場中央に進み出る。――するとついに“それ”が解き放たれたのだ。

 

 

 

 

『さて……、もう話は済んだかの……?』

 

 

 

 

 ――ズグンッ!!

 

「ッぬ!? ぐぉぉぉ……ッ!」

 

 上階からとてつもないプレッシャーが叩きつけられる。

 初日のアレがお遊びに思えるほどの圧倒的な魔力圧。たちまち地面が陥没し、壁や天井に亀裂が走っていく。まさに四大魔王の本領発揮といったところか。

 その重さを振り払い、気合を入れてグッと顔を上げれば、……さあ、ついにラスボスとのご対面だ……!

 

「1182号よ、一応最後に聞いておこうか……。これは一体、何の真似だ?」

 

 不気味なまでに静かに問うムドー様。それを正面から見返して、笑いながら言い捨ててやる。

 

「ハッ、察しが悪いですな。見て分かりませんか? ――反逆ですよ」

「……ほう?」

 

 ムドー様の口の端が小さく吊り上がった。

 …………やっべえ、超怖え。何も喋らなくとも感じられるこの圧倒的殺意、早くも意思が揺らいでしまいそう。

 

「……私はな、これでも気は長い方だ。今すぐその人間どもを始末して場を収めるのなら、許してやらんこともないぞ? ――まだ死にたくはあるまい?」

「……ッ」

 

 い、いや、これはもう決めたこと。強気で行け、サンタ!

 

「フン、お断りですな! 私は生きたいように生きるためにこちらへ来たのです。それなのに再び誰かに使役される立場に甘んじるなど、もう我慢なりませんな!」

「…………」

「それに……死の恐怖ですって? ハッ、何を今さら間の抜けたことを! こちとら大魔王様に粛清される恐怖をぶっちぎって出奔してきたのですよ? それを今さらただの中間管理職ごとき、恐れるはずがないでしょう! むしろちょうどいい機会だ。ここであなたを倒して、我が覇道の第一歩としてくれようッ!!」

 

 ――ジュワアアアッ!!

 

 …………なんか、聞き覚えのない音が響いた。

 怒り出したムドー様が地面を蹴り砕いた音?

 

 ……いや、そうではなかった。

 溢れ出した魔王様の魔力の余波によって、玉座が“蒸発”していく音だった。……嘘やろ……?

 

「ふぅ、惜しいな。せっかく見つけてきた貴重な駒だったのだが……。まあこれも、余興の一つと考えれば悪くはないか。……くれぐれも一瞬で死んでくれるなよ、1182号?」

「ピぃッ!?」

 

 ついに四大魔王の一角が立ち上がった。

 口調も表情も薄く笑ってはいるが、額には見事な青筋、そして周辺は圧倒的魔力で消し飛んでいて――――あ、コレ静かにブチ切れてらっしゃる。マジで死んだかも!

 

「フ、フン、そちらこそ! 魔王が量産型に負けてしまった理由を今から考えておくのですな!」

 

 しかし出した唾は今さら引っ込められない! 声が震えないよう気を付けながら、さら無礼に煽ってやって――ってあ゛あ゛あ゛あ゛! さらに青筋が酷くうううッ!?

 コレもう完全に臨界点越えてるよ! 初日の比じゃないよ!

 ああもう、なんだってこんなことにッ! 勢いで行動するとホント碌なことにならんなッ!!

 

「せ、先生ッ!」

「ッ!? フ、フン、邪魔をするなよ、人間ども! 貴様ら弱者はせいぜい隅で縮こまり、自分の身を守っているがいい!! ――さあ、覚悟しろ魔王よッ、今こそ下克上のときじゃあああッ!!」

 

 ちくしょおお、これが最後だ!

 ここを生き延びたら最後、もう絶対に子どもなんぞ助けんからなあああッ!!

 

 

 

 

 ――こうして中途採用新人は、社長への反逆を開始したのだった。

 

 

 

 

 

 

 




 ここで改めて、本作ムドーのステータスを。

 魔王ムドー
 HP 9000
 MP  無限
 攻撃 1150
 守備 1050
 速さ  470

 使用技:メラゾーマ、マヒャド、イオナズン、はげしいほのお、こごえるふぶき、しゃくねつ、荒れ狂う稲妻、まばゆい閃光、怪しいひとみ、他呪文多数。



 サンタ
 HP 1500
 MP  800
 攻撃  700
 守備  400
 速さ  400


 …………どうやって勝つんだ?






目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話 騙される方が悪いのだ

「さあ、お前たち! 早くこの防具を身に付けるんだ!」

 

 放られた装備品に袖を通しながら、レックが部下たちへ叫ぶ。

 

「お、お待ちください、王子! 魔族から渡されたものなど危険です!」

「何を言うか、トム! 先生がくださったものに危険などない! ほら見ろ、このヒラヒラの服なんか凄く着心地良いぞ!」

「そ、それは水の羽衣!? 魔法使いの最上級防具ではありませんか! それに他の鎧や盾も、滅多に手に入らない希少品ばかり……。あの男、一体どこでこれほどの武具を……」 (※主にカジノと井戸)

 

 困惑する兵士長の下に、部下たちが歩み寄っていく。

 

「兵士長! 死にかけの我らを、わざわざ騙し討ちするとも思えません! 罠である可能性は低いのでは……!」

「そ、それは、そうかもしれんが……」

「――というかすでに、王子ご自身が身に付けられていますし……。今さら護衛の我々が尻込みするというのも……」

「あ! そうですよ兵士長ッ、確認しないと! お、王子、どうですか? 体調などに何か異変は?」

「いや、問題ない。すこぶる快調だ。皆にもお薦めしたいくらいだぞ!」

 

 両手を広げたレックがその場で一回転する。特に呪いや不調なども見られないその姿に、頑なだった兵士長の態度も緩み始める。

 

「む、むうぅ……」

「……どの道、今のコンディションのまま奴らと戦っても勝ち目は薄いです。賭けるしかありませんよ」

「兵士長! 魔物どもがこちらへ向かって来ます! ど、どうすれば……!」

「ッ!? くっ、迷っている暇はないか……!」

 

 迫る状況と部下の言葉に後押しされ、ついに彼は決断した。

 

「わかった。全責任は私が持つ! 各員防具を身に付けよ! 敵を迎撃するッ!!」

「「「はっ!!」」」

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

「ほっ……」

 

 レイドック勢が魔物と対峙する様を確認し、僅かに息を吐く。

 どうなることかと焦ったが、なんとか全員が装備を身に付けてくれたようで一安心だ。レックのカリスマに感謝である。

 

「ほほう。奴らめ、まだ戦う力が残っていたか。これならばもう少し余興を続けられるかもしれんな。フフフ、協力に感謝するぞ、1182号よ」

「いえいえ、礼を言う必要などありませんよ。なにせ貴方様は、続きのシーンなど見られないのですからな」

「ほっ、言いよるわ!」

 

 見下してくる魔王に対し、こちらも笑顔で挑発を返す。一周回って恐怖感がマヒしてしまったのだろうか、無礼を遥かに通り越した暴言までスラスラ出て来る。

 ……こりゃ負けたら死ぬより酷い目に遭うな。

 

「ククク、ではそろそろ、こちらの余興も開始するとしようかの? 奴らと貴様、どちらが早く死ぬのか楽しみだ」

「フッ、それでは選択肢が足りませんな、魔王様。――答えは三番! 最初に死ぬのは貴方だッ!」

 

 弱気を吹き飛ばすよう強く叫び、その場を駆け出した。拳を固く握り締め、先手必勝とばかりに懐へ飛び込む!

 

「メラゾーマッ!!」

「!」

 

 ――と見せかけて左へ跳躍、側面から大火球を撃ち放つ。

『調子に乗ったあの態度なら確実に突っ込んで来るだろう』と思わせておいて、死角からの初手飛び道具。卑怯者呼ばわり上等のだまし討ちだった。

 そんな、格下からのあわよくばという一撃は、

 

 ――ボシュウゥゥ!

 

「ッ!?」

「なんだ? 元部下だからといって手加減など要らんぞ?」

 

 こちらを見もせず片手で握り潰された。見せつけるように開かれた掌には、火傷の跡すら付いていない。

 

「ちっ、……化け物め!」

 

 わかっちゃいたことだが実力差が半端ではなかった。攻撃・防御ともにあちらが圧倒的に上。下手に近付いてカウンターでもくらえば即座に終了してしまうだろう。

 ここは遠距離から削っていくしかない。

 

「ふんッ!」

 

 魔力を集中してメラゾーマを十発ほど生成、己の周囲に旋回させる。サンマリーノでの戦いを見られているならすでに手の内も割れているはず。今さら出し惜しみは無しだ!

 

「ほうッ、極大魔法の並列使用か。生で見るとなんとも凄まじい威力よ。クックック、これは油断すると本当にやられてしまうかもしれんな?」

「……ちっ、思ってもいないことを」

 

 ……だが、今はありがたい。

 基本性能で完全に負けている以上、こちらが勝つには、侮られている間になんとか最大の攻撃を叩き込むしかないのだ。

 

「せいぜい最期まで、油断していてくれッ!」

 

 再び死角に回り込みメラゾーマを二発牽制で打ち込む。

 腕の一振りであっさり消し飛ばされるが、今度はこちらも想定内。気にせず動き回り、死角から魔法を連打し続ける。

 幸いストック型メラゾーマのおかげで手数はこちらが上(――というかそこしか優位点がない!)、一撃でも打ち込めればそれが突破口になるはずだ。

 

 さらに三発分を射出。

 流れ作業のように消し飛ばしながらムドーが哄笑する。

 

「どうした! 同じことの繰り返しばかりではつまらんぞ!」

「ならば――こういうのはどうだッ!」

 

 改めて手元に火球を生み出し、射出する。

 一見何の変哲もないただのメラゾーマ。それを先ほどと同じく、奴が握り潰そうとしたところで――

 

「弾けろッ!」

「ぬッ!?」

 

 直前で分離させ、四方からムドーを強襲。頭部を中心に着弾させて視界を奪う!

さらに一瞬硬直した隙を見逃さず、残りのストック全て注ぎ込んで集中攻撃!

 

 ――ズガガガガアアアアンッ!!

 

 全弾が余さず命中。大型モンスターを一瞬で焼き尽くす火球が十発以上爆ぜ、ムドーの巨体を覆い隠した。

 

 

 ――うおおッ!? な、なんだこの揺れは!?

 ――あのヤベー奴らに決まってんだろ! どっちもバケモンだッ!

 ――今は無視しろ、無視! こっちに集中だ!

 

 

 闘技場全体が震えるほどの威力に、レイドック勢が何やら叫んでいる。

 ……そりゃ戦闘中に驚かせたのは悪いとは思うが、私までヤベー奴扱いなのはちょっと納得がいかない。せっかく助けてやったのに……。

 

「……フン、まあいい。これだけの量を叩き込んだのだ。いくら魔王といえど、多少はダメージが入っているは、ず――ッ!?」

 

 思わず気を緩めようとしたその瞬間、ゾクリと背筋が震え、私は全力で後ろへ跳んでいた。煙に覆われた爆心地からおよそ三十メートル。通常の倍以上の間合いを開け、何が起きてもいいように全身の神経を研ぎ澄ませる。

 ……特に何か攻撃されたわけではない。しかし、先ほどから体全体に悪寒が走り、脳内に響く警鐘が止まなかった。

 そして、その感覚を裏付けるように……、

 

 ――ボッ!!

 

「ッ!?」

 

 黒煙と炎が弾けるように吹き飛び、瓦礫が四方へと散っていく。

 プレッシャーに冷や汗が流れる中、やがて煙の晴れたその中心では、

 

 

「……クックック、今のはなかなか肝を冷やしたぞ?」

 

 

「嘘……だろ」

 

 傷一つない魔王が、何の痛痒も感じさせぬ顔で嗤っていた。

 あれだけの数の極大魔法を撃ち込んだというのに、全くの効果なし。……いや、体表面が淡く光っているということは、魔力障壁を張る程度には脅威と認識されたようだが、そんなもの大した気休めにもならなかった。

 こちらの最大攻撃を、ほんの少し力を入れるだけで防がれてしまったのだから……。

 

「ではそろそろ、こちらからもいくぞ?」

 

 動揺する私に構うことなく、ムドーは右腕を高く掲げて嗤い、

 

「イオナズン!」

「ッ!?」

 

 凄まじいエネルギーを秘めた光球が投げつけられ、咄嗟に横へ跳ぶ。その瞬間、先ほどまで立っていた場所が轟音とともに消し飛んだ。

 

 ――ズガアアアアアンッ!!

 

「ぐぬうッ!?」

 

 爆発の余波だけで吹き飛ばされ地面に転がりそうになる。……が、そうなってしまっては一巻の終わり。とにかく足を止めずに動き回り、狙いを外し続ける。

 

「ふはははッ、まだまだいくぞ! どこまで避けられるかな!」

「くっ!」

 

 逃げ惑う小動物を追い詰めるように、ムドーは嬉々として爆撃魔法を展開していった。

 

 全力で逃げる進行方向を狙って一発。発動を察知してサイドステップで回避。

 着地点を取り囲むようにさらに三発。爆破寸前にジャンプして天井に張り付く。

 爆炎を突き破り、追尾するように光球が二発迫る。

対抗してメラゾーマを二発射出。一つが命中、誘爆。もう片方は――ちっ、外れた!

なら魔力を込めた拳で弾き――後ろにもう一つッ!?

 

 ――ドオオオオオンッ!!

 

「ぐううッ!!」

 

 咄嗟にメラゾーマを発動、爆風を相殺しながら後ろへ跳んだ。

 ガードした両腕が見る間に焼けていく。減衰させたにもかかわらず、あっさりと防御を抜いてくるこの威力。魔力の保有量が圧倒的に違う!

 さらに加えて、広域魔法を圧縮して自在に操るなど、私のストックメラゾーマ以上の高等技術だ! 魔力量だけじゃなく技術でもこちらの上を行くとかホントふざけんな!

 

「くそッ、化け物ぶりも大概に――ってウオオッ!?」

「そらそら、気を抜くな!」

「フ、フバーハああ!」

 

 悪態を吐く暇すらなく今度は猛吹雪が迫ってくる。光の衣で身を守りながらメラゾーマ三発を連続射出。吹雪を散らすと同時に、反動でブレスの範囲から脱出する。

 続いて襲ってきたのは荒れ狂う稲妻。身体を折り畳んで被弾箇所を最小限に、己の麻痺耐性を信じて突っ切る!

 雷雲を抜けたところで、視界いっぱいに迫る激しい炎。身を捻ることでなんとかギリギリで躱し、軽く肌を焼かれながら地面へ降り立つ。

 息も吐かせぬ怒涛の攻撃、気休めに回復する暇すらない!

 

「くッ、メラゾーマ!」

「ではこちらも――メラゾーマ!」

「んなッ!?」

 

 苦し紛れに放ったこちらのメラゾーマは、同様に放たれたメラゾーマにより容易く押し返され――いや、飲み込まれたッ!? 大きさにして軽く十倍以上、同じ呪文にカテゴライズして良いモンじゃないぞアレは!!

 

「くっ!」

 

 だが巨大さゆえか、弾速の方はさほどでもない。余裕をもって回避し、もう一度中距離でムドーと向かい合う。

 よしッ、焦りはしたが、結果として良いところで一息吐けた。これで一旦仕切り直しに――

 

「おや、避けてしまって良かったのかね? ――死んでしまうぞ?」

「は? 何のこと――ッ!?」

 

 反射的に振り返る。

 

 

 ――そ、総員退避ーーッ!!

 ――無理です! 間に合わ――ッ

 ――盾隊、構えええーーーッ!!

 ――王子こちらへ! 早くッ!!

 

 

「チィィッ!!」

 

 考えるより早く地面を蹴り砕いていた。背後からの追撃のことなど今は思考の外。風を巻いて進む大火球を一瞬で追い越し、彼らとの間に割って入る。

 勢い余って『もっと速く動けッ、鈍間!』と罵ったことは許してほしい。……なにせこっちは、今から進んで傷を負わないといけないのだから……。

 

 浮足立つレイドック勢を背にして、深く腰を落とす。

 両手に魔力を集中し、踏ん張りが効くよう足の方にも少し。

 ……身体? その辺りはまあ根性で。

 

「せ、先生ッ!?」

「前に出るな! 身を低くしろ!」

「なっ!? 貴様何の真似だ!」

「見ての通り馬鹿な真似だ! 盾隊は強く構えッ! 衝撃に備えろおおおッ!」

「ッ!? 総員防御態勢ーーーッ!!」

 

 そして目の前で、太陽が炸裂した。

 

 

 ――――カッッッッ!!

 

 

「ぐおおああああああッ!!」

 

 迫りくる大火球を正面から受け止める。ジュウジュウと掌が焼けるような音…………は聞こえてこない。代わりに聞こえてくるのは、カサカサボロボロ――という乾いた音で…………?

 

 ……あ、これ火傷じゃなくて炭化だわ……。両手にメラゾーマ纏って全力防御してるのに、加速度的に腕が焦げていってる。単に傷付くどころではなく、凄い勢いで腕の組織が崩れ落ちていって――って、いやホントやべえよ死ぬゥゥ!!

 

「くおおおおッ!! ウェルダンになってたまるかあああッ!!」

 

 魔力の出力をさらに上昇。両手を火球の中へ突き込み、内部でメラゾーマを複数発動、そして内側から――破裂させる!

 

 

 ――――ボーーンッッッッ!!

 

 

「ぬがあッ!?」

 

 やがて許容限界に達した火球は膨張・破裂し、周囲に大量の炎を撒き散らした。一番近くにいた私は当然それをモロに食らい、視界が激しい光に包まれる。

 

 そして――

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 ――……ッ!?

 ――~~ッ!!

 ――…………っ!

 

「――んぉ!? お、おおッ……無事か」

 

 一瞬飛んでいたらしい意識が覚醒する。耳に藻が詰まったような音に反応して振り返ると、煤だらけだがなんとか無傷なレイドック勢と、その向こうに二十体ほどの魔物たちが立っていた。

 私の周囲、扇状に残された地面以外は全て消し飛んでおり、そこにいた魔物どもは軒並み消滅した模様。これで残りの敵は半分以下に……すげーや魔王様、ナイスアシストだぜ。

 

「せん…………じょう……すか!?」

「???」

 

 レックが何か言っているようだがほとんど聞き取れない。……どうやら炸裂時の衝撃で、鼓膜が弾け跳んでしまったようだ。ええい、面倒な。

 

「お……、ど…………つも…………ける……のか!」

「もし…………を……たす…………れ…………?」

「そん…………のか? でも……かばっ……くれ…………」

 

 ……いや、むしろコレ会話ができた方が面倒な気もするな。兵士たちが何とも言えない表情でこちらを見ているし、ここは適当に流しておこう。

 

「あーあー、全く聞こえーん。耳が馬鹿になっているため、質問は一切受け付けません! とりあえずお前たちは、残りの敵を倒したらとっとと逃げてしまうこと! 他にはもう何も求めないから、ホントそれだけ頑張って。いいな、わかったな、約束だぞ? じゃッ」

「あっ、ちょ――」

 

 一方的に捲し立ててその場を離れる。

 歩きながら側頭部に手を当てホイミを発動。とりあえず聴覚だけでも治しておかんと戦闘もままならない。内部に魔力を注いで組織を再生して、と…………よし、完治!

 ふふふ、回復魔法の扱いにもだいぶ慣れてきたな。この調子なら次のステップもそう遠くはなかろうて。フハハハ、待っているがいいぞ、ベホマよ!

 

 ――と、やや現実逃避気味に元の位置まで戻ると、待っていたのは愉しげに笑う元上司の顔。

 

「クックック……、まさか人間などを庇うとはの。一体どういう風邪の吹き回しだ、1182号?」

「フフン、あまり簡単に死なれても面白くないでしょう? 悔しがるあなたの顔を見るためにも、もうしばらくは生かしておいてやりますよ」

「ほほう、そいつはサービス精神旺盛なことだ」

「ええ、ええ! こう見えて私、魔界一気がきくサタンジェネラルを自負しておりますので! 魔王様もせいぜい、我がエンターテイメントに酔いしれるが良い、フハハハハッ!」

 

 ………………。

 ――などと、平静を装って嘯いたものの、実際言葉ほどの余裕はなかった。

 ストック型メラゾーマを防御に回すことでなんとか食らいついてはいるが、この技はとにかく燃費が悪いのだ。今の短い攻防だけで、実に三割がたの魔力を削られてしまっていた。

 対してあちらは全く余裕の表情。メラゾーマより消費が激しいイオナズンを連発しているというのに、息切れ一つ起こしてしない。このまま同じことを続けていれば、どちらが先にガス欠になるかなど明らかだった。

 

(チッ、あいつらが逃げる時間くらいは稼げる目算だったのだが)

 

 どうやらその読みは甘かったらしく……。

 気は進まないが、ここはもう賭けに出るしかなかった。どの道魔力が尽きれば近付くしかなくなる。早いか遅いかの違いでしかないのだから……。

 

 静かに覚悟を決め、脳内で戦術を組み立てる。

 魔法をいくら当てても効果は薄かった。ならば危険を承知で接近戦を仕掛け、強力な物理攻撃を直接叩き込むしかない。

 その際狙う部分は――脚だ。なんとか片足だけでも傷を負わせ、すぐには動けないよう機動力を奪う。その後とって返して雑魚どもを一掃、壁に穴を開けて城外へ逃げ、キメラの翼で島から脱出する。――こんなところか。

 

 ……正直、勝算はあまり高くないが、相手はまだこちらを侮ってくれている上、先ほどまでの攻防で私のチキンぶりは伝わっているはず。いきなり捨て身でかかって来るとは思うまい。

 弱気になるな。為せば成る!

 

「ではそろそろ……、続きといきましょうか?」

「ククク、せいぜい最期まで足掻いて楽しませてくれ」

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「メラゾーマッ!」「イオナズンッ!」

 

 同時に放たれた魔法を合図に、再びムドーの周囲を旋回し始める。

 狙いを悟られないよう攻め方は先ほどと同じく、大火球を雨あられと乱れ撃つ。

 

「なんだ、また攪乱戦法か! 芸のないことだな!」

「ハッ、それにしては必死に防いでいるようで!」

 

 減らず口を叩きながら魔法を連発。残りの魔力全て使いきる勢いで、際限なくメラゾーマを撃ち込んでいく。

 ――私はチキン、接近戦などできない臆病者。使用技は得意なメラゾーマのみで、例え通用しなくても、他の戦法を試すなんて怖くて無理!

 そんな心情を動きの端々に乗せながら、ひたすらフィールドを逃げ惑う。

 

「そらそらどうした! もっと速く動かんと当たってしまうぞ!」

「うぐっ! メラ、ゾーマああ!」

「クハハ、効かぬわッ!」

 

 当然の如くこちらの攻撃は一切通用しない。いくら数を増やそうとも、やっていることは先ほどとほぼ同じ。桁外れな魔力障壁を突破するには至らず、逆に己の傷ばかりが増えていく。

 

 そしてやがて……弱気が首をもたげてくる。

 所詮は一山いくらの量産型。四大魔王に挑もうなどと、身の程知らずの実力不足だったのだ。そんな空気がその場に蔓延していく。

 

 ――そう、思わせるのだ。

 

「そら、横がガラ空きだ!」

「がふッ!?」

 

 ――故にこそ、活きる。

 ここまで一度も使っていない技たちが……。

 メラゾーマ以外の固有技と、そして、通常のサタンジェネラル種では持ち得ない、鍛錬によって身に付けた自分だけの技が……。

 都合よく周囲は瓦礫の山、島の地下には活火山。やれる条件は十分に整っている。

 

「クックック、どうやらここまでのようだな?」

「ハァ、ハァ、ハァ……ッ」

 

 ついに壁際まで追いやられた。息は上がり、足も震え、今にもとどめを刺されそうな絶望的状況。ムドーは嘲笑とともにこちらを見下ろしている。

 ――まだだ、まだギリギリまで引き付けろ……。

 動くのは次の攻撃後、相手を追い詰めたと油断し、奴が気を抜ききったその瞬間だ!

 

「では、さらばだ、愚かな反逆者よ。――イオナズンッ!」

「ぐああああッ!?」

 

 目の前で大爆発が起き、煙で視界が覆われた。その直後、

 

(――今だ!!)

 

 ブラフの悲鳴に紛れて一気に動き出す。周囲に散在する多数の瓦礫、ここまでの攻防で破壊されてできたそれらを、手当たり次第に蹴飛ばし投げ飛ばしていく!

 

「クハハハ、まあ量産型にしてはよくやったほうだ。一言褒めてやろ――」

「岩石落としいいいッ!!」

「なッ!? ぐおおおおッ!?」

 

 突如煙の中から飛び出した岩石群が、呑気に感想を述べていたムドーを強襲する。終わったと思い込んでいた奴は無防備にそれをくらい、呻き声を上げながら身体を丸めた。さらにそこへ、間髪入れずに追撃の剣を振るう。

 

「さみだれ剣ッ!!」

「ぬぐっ!?」

 

 その名の通り不可視の斬撃が雨のごとく空中を奔り、ムドーの身体に裂傷を刻んでいく。この戦いでようやく魔王が負った手傷。やはり魔力に由らない攻撃は有効のようだ。

 ならば今こそ秘策を出すときッ!

 

「岩石落とし! プラス、さみだれ剣!!」

 

 ズパパパパーーーンッ!!

 投げ上げた岩石に向かい斬撃を放つ。幾千幾万にも細断された瓦礫が弾幕となり、あらゆる角度からムドーへ降り注いでいく。

 

「ぐおお――ッ!? な、舐めるなあッ! かあああーーッ!!」

 

 だがそこはさすがの四大魔王。動揺はいつまでも続かず、弾幕は激しい炎で迎撃され片っ端から灰になっていった。

 

「ハッ、ただ埃を撒き散らすだけの技か! こんな子供だましが私に通用すると思ったか!」

「(思ってないわ、この間抜けめッ!!)」

 

 通用しなくても構わない。これはあくまでも目くらまし、本命は後ろに控えるこちらの方だ。

 砂礫のカーテンに隠れたまま、地面に手を当て地脈を探る。魔力の枝を長く深く伸ばしていき、目的のものを探っていく。

 100メートル、500メートル……、1000…………2000…………3000!

 

(見つけたッ!)

 

 ついに探り当てたそいつを、魔力で暴走させて一気に地上へ引っ張り上げる!

 

「来いッ、ひばしらあああーーーッ!!」

 

 

 ――ドオオオオオオンッ!!!!

 

 

「ぐおおおおおッ!? こ、これはッ!?」

 

 暴走した溶岩流が一気に溢れ出し、ムドーの身体を飲み込んだ。地中深くのマグマ溜りに魔力をぶつけ、無理やりに引き起こした大噴火だ。

 効果のほどは見ての通り。活火山を利用した強化ひばしらは通常の何倍もの威力を発揮し、ムドーの身体を凄まじい勢いで焼いていく。切っ掛けは魔力によるものであっても、マグマ自体は自然な物理現象。魔力障壁で防ぎ切れるものではない!

 

「くッ! こ、こんなもの、移動してしまえば……!」

「メラゾーマああッ!!」

「ガッ!? き、貴様あああ!!」

 

 前方と左右から挟み込むようにメラゾーマを放ち、動けないよう釘付けにする。溶岩を防ごうと魔力を下に集めているため、今の奴は上半身がガラ空きだ。この隙に削れるだけ削ってしまえッ!!

 

「こ……、この程度で、私がやられるか! かああああーーッ!」

「ッ!? ちぃ!」

「……ク……ハハハッ、残念だったな! 貴様の魔法ごとき、片手間でも容易く跳ね返せるわッ!」

 

 できればもう少し痛めつけたいところだったが、ムドーはさらに大量の魔力を捻り出し、メラゾーマを全て跳ね除けてしまった。

 少しばかり安堵も取り戻したのか、爆炎の向こうでは得意気な嘲笑が上がっている。格下が必死に考えた策を力で打ち破り、喜色満面といったところなのだろう。

 だが――

 

(馬鹿め! ここまでが狙い通りだッ!)

 

 声に出して罵倒してやりたいところをグッと堪え、気配を少しずつ薄めていく。

 ――そう、本当の狙いはここから。奴が常の余裕を失い、視野が狭まったこの瞬間だった。

 

『物理攻撃で虚を突き、自然の力まで囮に使い、しかし最後はやはり遠距離からのメラゾーマだった。これをしのぎきった今、もはや奴に打つ手はない!』

 

 おそらくこう考えているムドーの頭の中では今、近付かれることなど全く意識されていない。加えて、多方向からの攻撃に全魔力を振り分けているため、他の部分の防御は極端に薄くなっている。まさに好機だった。

 数発のメラゾーマをその場に残し、静かに移動を開始する。その間も遠隔操作でメラゾーマを撃ち続けながら、気配を絶って後方まで回り込む。

 

(スウゥゥゥゥ……!)

 

 気配が漏れないよう静かに、大きく息を吸い込む。全身に溜めた気合を両腕に集め、これで全ての準備は完了した。

 残りのメラゾーマを奴の正面に配置し、最後の賭けとばかりに一斉に撃ち込む!

 

「馬鹿めッ、まだ足掻くか!!」

 

 ムドーが魔力のほとんどを前方に回し、メラゾーマへと叩きつける。飛来する火球が魔力壁にぶつかり次々炎を撒き散らすが、強固な障壁を貫くまでには至らず……。

 やがて最後の一発が爆ぜ、長く続いた怒涛の攻撃もついに終わりを迎えようとする。

 

「くははは、どうだ! 全てしのいでやったぞッ!」

「(――ここだッ!)」

 

『最後の悪足掻きも叩き潰してやった』と、ムドーの意識と防御に一瞬の空白が生まれる。これこそが狙っていた瞬間だ!

 さあ覚悟しろ、腐れ魔王め。今こそ渾身の一撃をくらうがいい。

 3、2、1、――今!

 

「終わりだッ! 1182ご――」

「もろば斬りいいいッ!!!!」

「なッ!? がああああッ!!!?」

 

 背後から全力で振り下した一閃は、遮られることなく右大腿部へ吸い込まれていった。不意を打たれたムドーは最低限のガードすら間に合わず、右脚を付け根から斬り飛ばすことに成功する。

 

「ナアアアアッ!? ど、どういうことだぁ!! わ、私の、私の足があああッ!?」

 

 片足を失った巨体が、驚きと痛みに叫びながら地面へ転がった。

 遥か天井の存在――四大魔王が目の前で倒れ、苦痛と恐怖に喚いている。量産型が格上からもぎ取った、この上ない大戦果だった。

 

「よしッ! 逃げるぞ、レック!!」

 

 その成果を最後まで見届けることなく、即座にレックのもとへ走る。散々見下してくれた分嘲笑を返してやりたいところだったが、残念ながらそんなことをしている暇はない。

 奇跡的に全てがうまく嵌まってくれたが、それでも相手は常識外の化け物。足がなくとも追って来れる可能性は十分にある。動揺が続いている今の内に、さっさと逃げてしまうのが最善だ。

 闘技場の隅を見れば、レイドック勢はなんとか敵を残り十体まで減らしていた。よし、あの程度なら一息で倒しきれる!

 

「せ、先生ッ!!」

 

 こちらを振り返ったレックが、驚きに目を見開いて固まる。その焦ったような表情に、こんな状況でつい苦笑してしまう。

 ――さてはあやつめ、私があっさりやられてしまうと思っていたな?

それが善戦どころかこんなに早く倒してきたものだから、予想外過ぎて驚いているのだろう。……全く、出会った頃からナチュラルに失礼な奴だ。

 

 ふっ、まあいい、今は奴らを連れて脱出するのが先決。アイアンクローの刑は後回しにしてやろう。説教するのも笑い合うのも、生きて帰ればいくらでもできるのだからな。

 

「どけ、お前たち! あとは私がやる!」

 

 望む未来にたどり着いた達成感を噛み締めながら、私は穴だらけの闘技場を全速で駆け抜けた。

 そして最後に、この勝利を確実なものにするため、連中へ向けて大きく腕を伸ばして――

 

 

 

 

「先生、後ろッ!!」

 

 

 

 

「――は?」

 

 ――グシャリッ!!

 

 何かが潰れる音が、身体のすぐ近くから聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 …………。

 

 …………ポタ、……ポタ……タ……。

 

 

「……コ……フ……?」

 

 静かな空間に水音が響く中、私の口からは意図せず、か細い吐息が零れていた。

 それらを疑問に思う暇もなく、今度は上半身が反り返り、視界が無理やり上へ向けられていく。

 天井から降り注ぐ魔力灯の光が、やけに眩しく感じられた。その疑問を口にしようにも、うまく言葉が出てこない……。

 

「……ゥ……ァ……?」

 

 ――なんだ? 一体、何が起こった……?

 どうして私は、動けなくなっている?

 どうして、地に足がついていない?

 どうして身体の中心が……こんなに痛んでいる?

 

 これではまるで……、まるで誰かに奇襲でも受けたような……ッ。

 

 

 

「――ククク、狙いは悪くなかったぞ?」

「ッ!?」

 

 背後から聞こえてきた声に全身が粟立つ。

 

(ば、馬鹿な、そんなはずはないッ。ついさっき、確かに私がこの手で……!)

 

 その声はどこまでも平静で、落ち着いていて……。先ほどまで見苦しく喚いていたとは到底思えなくて……。

 受け入れがたいその事実を否定しようと、声にならない叫びを上げながら視線を下へ向けていく。

 ……しかし当然、そんなことで現実が変わるはずもなく、

 

「だが残念だったな。――相手が悪かった。それだけのことだ」

「ゴ……フ……っ」

 

 

 

 腹から生えた血濡れの腕を見ながら、私は鮮血を吐き出していたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




タイトル通りやられてしまいました……。
さすが魔王、強い。


以下、細かい独自設定の補足。

・さみだれけん(五月雨剣)
 ゲーム中のエフェクトが透明っぽく見えたという個人的印象から、本作では『不可視の飛ぶ斬撃』という設定になっています。字面だけなら凄く強そうに見えますね、本編ではかなりの不遇技なのに……。
 というのもこの技、『五月雨』という水っぽい名称でありながら属性は『岩石』なので、岩石耐性を持つ敵にはすごく効きづらいんです。そして本気ムドーは岩石耐性大。つまり、この技でダメージが通っちゃったらおかしいんですね。
 あの辺りの一連の攻防が、実は罠だということを示す地味な伏線でした。


・ひばしら(火柱)
 火山地帯で威力が上昇するという、ロマン溢れる大技。もちろん完全な捏造です。海上で使えない制約があるのなら(これは公式)、逆に火山でプラス補正が掛かればいいのにな、という個人的願望でこんな感じに。
 今話ではマグマ溜まりから直接引っ張り出したので威力が爆上がりしています。ダメージ量でいえばだいたい1000ぐらいですかね? すごい威力です。結局当たってませんけども。


・もろば斬り
 だいたいゲームの通り。きあいためと併用可能なのも公式仕様です。ただ、与ダメージの1/4が返ってくるのがどういう原理なのか悩みまして。
 この技、ゲーム中の記述では『〇〇は キケンを かえりみず ××の ふところに きりこんだ!』となっているんです。なので最初は、

 1、力任せに武器を振り回して自分に当たっている。
 2、捨て身で突っ込んでカウンターをくらっている。

 ――の二通りを考えたのですが。
 1だと『剣術の達人がそんなアホな真似をするか?』という疑問が生じまして。2の方でも、眠った相手を攻撃したときのダメージや、ミスしたときにノーダメージである説明が付かず……。
 それで結局、『限界以上の力で敵を叩き切るため、腕やら身体やらに強い負担がかかる技』と解釈しました。なんとも回りくどい表現ですが、他にこれだと思える案も思い浮かばなくてとりあえずこんな感じに……。
 どなたか真相をご存じの方がいましたら、ぜひご一報を。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話 種明かし

「せ、先生ッ!!」

「駄目です、王子! 近付いてはなりません!!」

「離してくれ、トム! 先生が……先生がッ!!」

「我々が行ったところで何もできません!! 無駄死にするだけですよ!!」

「でも……、でもあのままじゃ……!」

「兵士長! 魔物どもがまだッ!」

「くっ、動ける者は前へ! 迎撃せよ!」

 

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 

「……か……ふ……っ」

 

 ――ゴポリ。

 

 反射的に出そうとした声は音にならず……、気泡混じりの血液が、喉を駆け上がる音だけが聞こえてきた。死を間近に感じるほどの痛みと苦しみ。久方ぶりに体験するそれらに苛まれながら、しかし頭の方は、より酷い混乱に包まれてそれどころではなかった。

 

 一体なぜ……どうしてムドーがこの場にいる?

 つい先ほど、確かにこの手で深手を負わせた。奴は片脚を失ったまま、まだあそこで苦しんでいたはずだ……。

 それがなぜ、何の痛みも感じさせない声でこの場に立っている……!

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「(……いや待て……痛み? 痛みだとッ?)」

 

 そこでようやく、不可解な点に気が付いた。

 ……そうだ、おかしいのだ。全力で『もろば斬り』を放っておきながら、なぜ何の反動も返ってこなかった? あれだけの威力を込めた捨て身技、両腕が粉々になってもおかしくなかったはず。なのになぜ私は、何の反動もなく剣を振り切れた? なぜ何の痛みもなく、即座に走り出せた? 

 それではまるで……、まるで、幻か何かでも斬ったような…………。

 

 …………ッ! まさかッ!!

 

 

「さてと、いつまでもぶら下げたままでは傷に障ってしまう、なあッ!」

「がッ!?」

 

 その可能性に思い至った直後、笑い混じりの声が聞こえ、私の身体は地面へ叩きつけられていた。

 

「グッ……カハッ! ゴホッ、ゴホッ!!」

 

 咳き込む度に鮮血が飛び散り、腹に開いた風穴からは血の海が広がっていく。すぐに処置しなければ死に至るほどの重傷。それは一呼吸ごとに痛覚を責め苛んだが、おかげでかえって意識が覚醒してくれた。

 

「ハァ、ハァ、……そう……か……ッ」

 

 ようやく、今の今まで忘れていた事実を思い出す。四大魔王にはそれぞれ、最も得意とする戦い方があったということを。

 あらゆる能力が桁外れな魔王たちだが、中でもそれぞれの専門分野に関しては、輪をかけて化け物染みた力を持っているのだ。たとえ同格の魔王であろうと、相手のフィールドでは容易く敗れると言われるほどに……。

 

 鳥獣種ジャミラスは、空戦と煉獄の炎を。

 海魔種グラコスは、海戦と極寒の吹雪を。

 魔戦士デュランは、近接戦と最強の肉体を。

 

 そして、幻魔王とも称されるムドーの得意分野は――

 

「あなたは…………幻術使い、だったな……!」

「クハハハ。まあ、そういうことだ」

 

 目の前のムドーが指し示す方向へ視線をやると、

 

 

 

 ――『がああああッ!! わ、私の足がああああぁぁぁぁッッッッ…………――――

 

 

 

 地面へ転がる巨体の輪郭が朧気になり、騒がしい声も静まっていく。

 闘技場の中央では今まさに、『片足を失って苦しむムドー』が煙のように消えていくところだったのだ。さらにその一帯は――いや、自分の周囲も含めた闘技場全体は、いつの間にか青白い霧に覆われていて……。

 

「なるほど……、これが……ッ」

 

 そう、これこそが魔王ムドーの代名詞――『幻術』。

 傀儡を作って誤魔化す程度の子供騙しではない。無限の魔力によって空間を掌握し、生物の五感すら支配し、相手を意のままに操り翻弄する。この化け物と戦うにあたって、最も警戒しておかなければならない、凶悪無比な固有能力だった。

 それを忘れて正面から挑んだ挙句、罠に嵌めたつもりが逆に嵌められて危機に陥るとは、なんという道化だろうか。

 

「くそっ、戦いが始まったときには、すでに術中だったというわけか……!」

 

 今さら気付いて地面を殴り付けたところで、状況は何ら好転しない。

 ――どころか、現実とはどこまでも弱者に甘くないもので……、

 

「ククク、少し違うな。“戦いが始まったときから”ではない。……“最初から”だ」

「な……に……?」

 

 こちらを見下ろす魔王は、心底愉快気に嗤っていた。どこまでも悪意に塗れたその表情に、思わず聞き返すのを躊躇しそうになる。しかし今は、時間を稼ぐためにも会話を止めるわけにはいかなかった。

 

「どういう……意味です?」

「ククク、分からんか? ……では一つ質問をしよう、1182号よ。サンマリーノにいるお前を発見し、町まで遣いを送ったのは、一体誰だと思っておる?」

「? そ、それは当然……あなた、でしょう……?」

「然り。気まぐれで放った配下の様子を遠見の術で見ていたところ、偶然お前を発見してな。狭間の世界の者が一体なぜ人間界にいるのか? 理由が気になって詳しく見てみればさらに仰天よ。クククッ、まさか高位魔族が人間の街で暮らし、あまつさえ神父として働いていようとはの! まったく、あれほど笑ったのはいつ以来だったか!」

「で、ですから! その質問がこの戦いとどう関係するのですッ!」

 

 一向に話が見えて来ないことに焦れて叫ぶ。すると奴はようやく、勿体ぶるようにその事実を口にしたのだ。

 

「ククク、そう焦るでない。……要するに、だな――

 

 

 

 ――海の向こうさえ見通せる私が、島の内部くらい、把握できないと思うのかね?

 

 

 

「ッ!?」

 

 告げられた言葉に息を呑む。

 同時に、気にも留めていなかったいくつもの違和感がよみがえり、脳裏を過っていった。

 

 ――レックの処刑を告げたとき、奴が私の反応を観察するようにジッと見ていたのは、なぜだ?

 ――下僕の反逆に怒り心頭であったはずが、戦いが始まるときには上機嫌で笑っていたのは、なぜだ?

 ――そして……、島で起こった全てを把握していたムドーが、素知らぬ顔で私を泳がせていたのは、一体なぜだ?

 これら全ての違和感を繋ぎ合わせてみれば、答えは自ずと浮かび上がってくる。

 

「……そうか。“最初から”とはそういうことか……! 島全域を見通せるあなたには、私がレックを助けたことなどとっくにバレていた。その反逆者を大勢の前で処刑するため、わざわざ一晩泳がせ、その間にこんな大掛かりな舞台を用意した。そういうことなのだなッ!」

「う~む……惜しい! もう一声だ」

「…………はぇ?」

 

 真相を見抜いたと息巻く私の言葉は、やんわりと否定されていた。ここからどこぞの裁判よろしく逆転の流れに持って行こうとしていたのに、なんともあっさり即却下である。……若干きまずい。

 

「王子に肩入れするところを見て決めたわけではない。正しくは、『お前がサンマリーノで戦う姿を見たときから』だな」

「……え? …………は? …………えっ……それは、どういう……?」

「クククッ」

 

 いや、本当に訳が分からない。一体どういうことなのだ……?

 

 ――私がサンマリーノにいたときから、こうなることを予見していた?

 

 あの時点ですでに、私の逆心がバレていたとでも言うのか?

 それこそ“まさか”だ。人間の街への潜入などこれまで何度も行われてきた作戦であり、それだけで反逆を疑われるとは思えない。遠見の術で見られたところで、『大魔王様の命を受けたらしい魔族が、サボり気味に任務に当たっている』くらいにしか思わなかっただろう。

 ……いやそれ以前にそもそも、あの時点では本当に、反逆の気持ちなど欠片も抱いていなかったのだ。たとえ心を読まれようとも、粛清される理由などどこにもなかった。

 

「そうだ……。それこそ、偶然レックに出会うようなことでもない限り、こんな事態など起こりようも――――?」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「……??」

 

 ……いや待て……、本当に……偶然か?

 

 思考を一旦止めて、奴の言動をもう一度よく思い返してみる。

 

 

「最初から、全て…………。……最初から…………? ――――ッ!?」

 

 

 その瞬間だった。

 ゾワリ――と。

 殺されかけたときよりもさらに、大きな悪寒に襲われていた。

 

「ま……さか……、それも含めて、全部……? いや、まさか……」

「……ククク、ちなみにの、1182号? レイドックの国土全域と、奴らがいつも使用している航路……。それらも当然、私の知覚範囲内だ」

「ッ!?」

 

 最後のヒントとして告げられたその言葉により、今度こそ全てが繋がっていく。

 

 ――『戦いの始まりからではなく、“最初”からだ』

 ――『遠見の術により海の向こうまで見通せる』

 ――『人間と仲良くしている姿には大いに笑った』

 ――『サンマリーノでの戦いのときからこの展開を予見していた』

 

 これらの点を繋ぎ合わせた結果、導き出された結論は……、

 つまり――!

 

「全て……、最初から全て、計算ずくだったということかッ!? レイドック兵がここへ攻めて来ることも、その中に王子がいることも、私が子どもに肩入れするであろうことも、全てあなたの狙い通りだった! そのためにわざわざ私を呼び寄せ、強引に配下へ招き入れたのか!」

 

「クハハハハハッ!!」

 

 その瞬間ムドーは、今日一番の嗤いを浮かべて手を叩いていた。その顔はまさに、この答えこそを何より待ち望んでいた、と言わんばかりだった。

 

「おめでとう、1182号! ようやく正解にたどり着いたな!! いやはやまったく、ここまで持ってくるのに随分苦労したぞ!」

「狙いは最初から王子ではなく、私の反逆……、いや、私との闘いだったのか!」

「その通り。こうも長く生きておると時間を持て余すものでな、暇潰し一つ探すのにも難儀するのだよ。数少ない趣味といえば闘いくらいなものだが、部下ども相手では運動にもならん。さりとて、他の魔王連中に喧嘩を吹っ掛けるわけにもいかん。というわけで、この頃はほとほと鬱憤が溜まっておったのだ。そこへ都合よく、お前という存在が現れた……。これはもう神の啓示なのではないかと、魔王の身で天に感謝を捧げてしまったぞ!」

「ッ……なぜ、こんな回りくどい真似をした……! あなたの立場であれば、呼び出して強引に勝負を吹っ掛ければそれで済んだはずだッ」

「クックック、分かっておらんな? 言ったであろう、暇潰しだと。いかに高位魔族といえども、魔王が本気で戦えば決着などすぐについてしまう。ゆえにそこまでの過程も十分に楽しまねばならん。特に今回は、『人間と仲の良い魔族』などという希少な生物が獲物なのだぞ? 骨の髄まで遊び尽くさねば勿体ないではないかッ」

「――ッの野郎……!」

 

 あまりの怒りにハラワタが煮えくり返り、傷口から大量の血が溢れ出る。ムドーは種明かしをするのが楽しくて仕方ないのか、ますます饒舌に語り続けている。

 

「ククク、そう怒るでない。私とて、ここまでうまくことが運ぶとは思っていなかったのだぞ? 今回の主目的はお前に反発心を抱かせることでな。『後々反逆に繋がれば儲けもの』くらいには期待していたが、現時点で動く可能性はほとんどゼロだと思っていたのだ。……それがまさか、こうも怒りを露わにしてかかってくるとはの。ククク、そんなにあの子どもが大切だったか? 本当にいろいろな意味で愉しませてくれるな、お前は!」

「~~~~ッ!」

 

 ……なんのことはない。つまりは最初から全て、こいつの掌の上だったということだ。

 レックと出会ったことも……、同情から手を貸したことも……、我が身可愛さに見捨てたことも……、子どもを嬲る姿に憤ったことも……、そして今、恐怖を振り払って立ち上がったことすらも!

 

 ここまでの道中、諸々の葛藤も含めて、全てが奴の楽しみの内だった。

レックのために勇気を振り絞ったときも、本心を隠して嘯いたときも、命を賭けて拳を振るっていたときも……。奴は幻の後ろに隠れ潜み、愚か者の足掻きを嘲笑い愉しんでいたのだ。

 なんてことだ、畜生めッ。こんなもの始めから、戦いすら成立していなかった。もはや道化どころの話ではない、ただ弄ばれるだけの玩具ではないか!

 

「お……のれ……!」

「おっと、無理をするな。まだ寝ているが良いぞ?」

「がっ!?」

「クククッ、昆虫標本ならぬ魔族標本か。なかなかに趣があるな、今後の趣味の一つにしてみようか」

 

 立ち上がろうとした手足は、マヒャドによって地面に縫い留められていた。刺された箇所からは凍傷が広がっていき、まともに動かすことすらできなくなる。くそッ、これでは最期に相打ちを狙うことも不可能だ!

 

「追い詰められた戦士は何をするか分からんからな。念には念を入れて追撃させてもらった。これでも私はお前のことは高く買っておるのでな。……まあ、丈夫で楽しい玩具という意味でだがな、クハハハハ!」

「かふッ、けほッ! ……く……そ……」

 

 悔しさと怒りを原動力になんとか動こうとしても、もはや身体を起こすことさえ難しかった。地面に磔にされているからというだけではない。腹部の損傷と激しい出血の影響で、ついに意識が霞んできたのだ。いよいよもって命の終わりが近付いてきたらしい。

 

「くっくっく、哀れなものだな。戦いの駒として生み出され、消耗品として酷使され、ようやく逃げ出した先で平穏を得たかと思えば、結局最期まで弄ばれて惨めに死んでいく。まったくもって無意味な一生だ。他人事とはいえ、さすがに私も同情するぞ、ハーッハッハッハッハ!」

「…………ッ」

 

 まったくもってその通り。言い返す言葉すらなかった。

 何もかもが通用しなかった無力感。全てが無為だったという徒労感。最期まで奴の良いようにされてしまったという、あらゆる意味での完全な敗北感。

 絶え間なく襲ってくる痛みと苦しみも相まって、今すぐにでも膝を屈してしまいそうだった。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 ……だが!

 

「ぐ……ぬう……!」

「おや……?」

 

 だが、それでも!

 ここで諦めることだけは決してしない!

 這いずるだけでも構わない、絶対に足を止めてなるものか!

 

 手足に刺さった氷柱を強引に圧し折る。肘や膝を使って身体を引きずり、ムドーの視線をレックたちから逸らしていく。

 

「……ふむ? これは少し意外だったな。てっきり、ここで心折れて絶望するものと思っていたが……」

 

 そう言って首を傾げるムドーに向かって、粗雑に言い捨ててやる。

 

「……ハッ! 戦う前にも言ったはずでしょう? あなたの語る言葉など、全て今さらの話だと!」

「む……?」

 

 できるだけ不敵に聞こえるように、内心など欠片も悟らせないように……。

 

「戦いの駒扱い? 消耗品として使い捨て? ……ハッ、今さらそれがどうしたと言うのです? 無意味な殺し合いも、上位者からの玩具扱いも、生まれてこの方ずっと味わい続けてきた日常だ。この期に及んで少し弄ばれたくらいで、落ち込むような繊細さなど持ち合わせておりませんわッ」

 

 ……嘘だ。

 敗北の悔しさと情けなさが絶え間なく襲い掛かり、気を抜けばこの場で喚き散らしてしまいそうだ。

 

「ああそれとも、死に際に泣き叫ぶ姿でもお望みでしたか? それならば申し訳ない。なにせ生後すぐ戦場へ放り込まれ、殺し殺されを続けてきた身でしてね。死への恐怖だの、殺しの罪悪感だの、そういったお上品な感情はさっぱり育ってくれませんでしたよッ」

 

 ……嘘だ。

 間近に迫った命の終わり。暖かな日々へ二度と戻れない現実を前に、今にも身体が震えてしまいそうだ。

 

「ムドー様もそんなに戦いたいのでしたら、一度狭間の世界を訪ねてみてはいかがです? 相手が格上だろうが上司だろうが、嬉々として挑みかかって死んでいく、そんな馬鹿どもが大勢揃っていますよッ。こんなみみっちい謀略を考える小物となら、さぞかし釣り合いが取れることでしょう!」

「……フム」

 

 だがそれでも、最期の意地だけは張らせてもらう。無様に命乞いなどして、これ以上楽しませてなるものか。

 たとえ掌で踊らされた結果であろうとも、あいつを助けたいと思った心までは否定させない。私が私の意志のもと、私の信念に従い立ち上がったのだ。

 ただ命令に従って殺すだけだった下っ端が、最後の最期に自らの意志で支配者に抗ったのだ。このささやかな成果をもって私は、笑いながら死んでやるともさ!

 

「……ふぅむ、なるほど。狭間の世界の精鋭ともなると、死を間近にしてもこんなものか。もう少し愉快な反応を期待したのだがなあ……」

「く、ははッ……、きっと魔物の性格は創造主に似るのでしょう。これが貴方の部下ならば、お望み通り無様な反応を見せてくれるのでは?」

「ん? おお、そうだな、それは気付かなんだ! では次の機会には配下の者どもを使って遊んでみることにしよう。クククッ、有益な提言に感謝するぞ?」

「…………チッ」

 

 精一杯の煽りも効果を発揮することはなく……。ひと笑いしたムドーは大きく息を吸い込み、体内に大量の炎を溜め込んだ。どうやらこの一撃で決めるつもりらしい。

 くそっ、挑発に乗ってもっと時間をかけてくれれば良いものを……。強いくせにこういうところでそつがないのも最高に腹が立つ。もっと油断しろっての。

 

「ではな、今度こそさらばだ、1182号よ。期待以上に楽しませてくれた礼として、最大の火力で葬り去ってやろう。四大魔王からの最期の手向け、ありがたく受け取るがいい」

「……ッ」

 

 

 ――――死ね。

 

 

 轟ッッ!!!!

 

 呟きと同時に業火が解き放たれた。勢いよく吐き出されたそれは、散らばる瓦礫を一瞬で焼き尽くしながら、見上げる壁となって押し寄せてくる。

 

(くそ……、悪足掻きも……ここまでか……)

 

 なんとか最後の抵抗をしようと試みるも、もはや視界すら霞んでおり、手足もほとんど動かない。

 ……その完全なる“詰み”を理解し、私は最後に残っていた身体の力も抜いた。

 

 そして――

 

 

 

 ――先生ーーーーッ!

 

 

 

「………………死ぬなよ、レック……」

 

 

 

 意識が落ちる間際、微かに聞こえた声へせめてもの言葉を送りながら、やがて私の視界は激しい光に塗り潰されていった……。

 

 

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

 

 

 …………。

 

 

 

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……暗い。

 

 ……寒い。

 

 ……誰もいない。

 

 そんな空間にただ独り、静かに力なく横たわっていた。

なるほど……これが“死”か。『終わってみれば呆気なかったな』と、つい苦笑が込み上げてくる。あれほど嫌がり、なんとか避けようと躍起になっていたというのに。

 ……意外なことに、恐怖は感じていなかった。想像していた最期より、いくらかマシな結末だからだろうか?

 

 所詮は自分も殺しに明け暮れてきた無頼漢。いずれ独り惨めに死ぬことぐらい、とうの昔に覚悟していたのだ。

 それが何の因果か人と関わり、初めて破壊以外に力を振るい、そして最後は、誰かを助けるためにこの命を使うことができた。殺戮人形の末路としては十分マシな部類だろう。これ以上贅沢を言っては罰が当たるというものよ。

 

(――ならば……、最期くらいは覚悟を決め……、見苦しくないよう逝くとしようか……)

 

 そんな思いのまま、ついに私は最後の意識まで手放そうとして――

 

 

 

 

 

 

 

 ――…………ッ。

 

 

 

 

 

 

 

(……?)

 

 

 

 

 

 

 

 ――……せいッ。

 

 

 

 

 

 

 

(…………? ……なんだ?)

 

 

 

 

 

 

 

 ――……きて、……せいッ!

 

 

 

 

 

 

 

(何かが……聞こえる……? 一体何の……。

 

 いや……今さら気にしても仕方がない……。もはやこの身はただ消え去るのみ……)

 

 

 

 

 

 

 

 ――……イミ! ……イミ!

 

 

 

 

 

 

 

(――――? 

 ……いや待て。

 何かが、おかしい。…………なんだ?

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 ッ……あ、そうだ……、考えてみればおかしかった。

 ……死ぬ間際の私に、どうしてまだ意識があるのだ……? どうしてまだ……耳が聞こえているのだ……?)

 

 

 

 

 

 

 

 ――……うじ! ……の様子……どうで……! 

 

 

 

 

 

 

 

(?? これは……誰かの、呼び声…………か?

 ……いや、そんなわけはない……。私は独りで死んだはず……)

 

 

 

 

 

 

 

 ――なん……血は止まっ……! 後は……!

 

 

 

 

 

 

 

(そうだ……。無謀な戦いに一人挑み、力及ばず死んだのだ)

 

 

 

 

 

 

 

 ――…………もどって…………んせいッ!

 

 

 

 

 

 

 

(やると決めたことさえやり通せず、道半ばで情けなく死んだのだ)

 

 

 

 

 

 

 

 ――おねが…………ッ! …………ないでッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 だからもう……もう二度と……、この声が聞こえてくるはずが――ッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

「お願い先生ッ、死なないでッ!!」

 

 

 

「あ……」

 

 全身に暖かい空気を感じた直後、一気に意識が浮上していく。

 急激な眩しさに戸惑いを覚えながらも、しかし徐々にその目を開いていけば、やがて視界に飛び込んできたのは――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「盾隊、踏ん張れッ! 後衛はサポートを! とにかく全力で支え続けるのだッ!!」

「「「はッ!!」」」

 

 

 隊列を組んで、必死に炎を押し返すレイドック兵の背中と、

 

 

「お願い! 目を覚まして、先生! ホイミ、ホイミ、ホイミッ!!」

 

 

 懸命に回復魔法を連発する、四人目の弟子の顔だった。

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 ……そのときの感情を、言葉で正確に言い表すのは難しかった。覚醒した直後で頭がうまく働いていなかったし……、何より、いろいろな想いが絡み合っていて、自分でも判然としていなかったから……。

 だから私は、とりあえず頭に浮かんだその疑問を、素直にぶつけることにしたのだ。

 

 

 

「き……、貴様ら一体、何をやっておるのだッ!!!?」

 

 

 

 ――それに対し、返ってきた答えは、

 

 

 

「えっと……、見ての通り、馬鹿な真似……です?」

 

 

 

 ――なんだかどこかで、聞いた覚えのある言葉だった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8話 愚か者ばかりの日

「おいッ! 奴は目を覚ましたのか!?」

「はい! でもまだ動けるほどじゃありません! あと少しだけ時間を稼がないと!」

「くッ、なぜ我々が魔族などのためにッ!」

「文句を言ったって仕方ないでしょう! 今はあの二人を守ることだけに集中して!!」

「ええい、さっさと全快せんか、あの不審者め!!」

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

「……は…………えっ…………おぉ……?」

 

 あり得ない光景を目の前にすると、人の思考は止まってしまうらしい。今の自分の状況がまさにそれだった。

 死んだと思って次に目を覚ましたら、必死な形相の弟子になぜか治療されており、さらには敵対していたはずのレイドック兵に命を守られていた。

 

 ……まったくもって意味が分からない。

 こいつら先ほど敵を全滅させて、すぐにでも逃げられる態勢になっていたのではないのかッ? それがどうしてこうなっている!? 

 

「す、すみません、先生。無意識の内に身体が動いてしまって……、いつの間にかこんなことに……」

「む、無意識って……」

 

 つ、つまり?――――レックが勢いでここまで戻ってきてしまい、さらにそれを追って部下たちまでが戻ってきてしまって……、それでなし崩し的に私ごと守る破目になったということか!?

 おいコラ、何をやっているのだ兵士どもッ、幼い主君の面倒くらいちゃんと見ておかんか!

 

「い、いや、今からでも遅くない! さっさと逃げるんだ! このままでは全員死ぬぞ!」

「あ、先生、ちょっと動かないでもらえますか? うまく傷が塞がらないので……」

「いや回復とかいいから! 貴様この状況を理解しておらんのか!?」

「さ、さすがにホイミだけじゃすぐには……」

「コラ、話を聞かんか! 私のことなぞ放っておいてさっさと逃げろ! 何のために時間稼ぎしたと思っておる!」

「ッ…………か、重ねがけだと効果が薄まる、のかなあ?」

「良いか、よく聞け! この闘技場を出て真っ直ぐ進めば中央廊下へ出られる。そこを左へ曲がって百メートルほど進めばすぐに出口だ! 一直線だから迷うこともない、わかったらさっさと逃げろ!」

「……も、もう一回、ホイミ……!」

 

 ちぃ! 聞こえているくせに無視しおって!

 ええい、ならば部下の方を説得するしかない!

 

「おいッ! おい、トム、聞こえるか! 早くこの馬鹿者を連れて逃げろ!」

「フランコ、負傷者を後ろへ回せ! 穴は私が埋める!」

「了解!」

「いや聞けよッ? つーかお前たちも、何を馬鹿正直に私ごと守ろうとしているのだ!? さっさとこいつを回収して射線上から退避すれば、逃げるくらい簡単に――」

「ええい、黙れ魔族め、気が散るであろうがッ!!」

「ッ!?」

「いいからお前はそこで大人しく治療されていろ! あと気安く名前を呼ぶな!」

「お、おぉぅ……?」

 

『自分など放っておいて逃げろ』と言おうとしたら、怒鳴り声で却下されてしまった。しかも魔族に対して『治療してやる』、という言葉まで……。

 ……え? この状況ってまさか、部下たち自身の意思でもあるのか……?

 

 …………あれ? ひょっとしてこいつら……、

 

「もしやお前たち……、自発的に私を守ろうとしている……のか?」

 

 ま、まさかッ……! 私の誠実さがついに人間の心を開いて――!

 

「そんなわけあるか!! 王子の命令でなければ誰が貴様など守るか!」

「え? ……あ、なるほど、……そりゃそうか」

 

 再びの怒鳴り声でようやく理解が及ぶ。勢いだけで行動したと思いきや、レックの奴め、きちんと部下に指示は出していたらしい。その冷静さを褒めれば良いのか、死地に戻ってきた無謀さを咎めれば良いのか……。

 

「えッ? 兵士長、さっき王子が命令する前に一緒に飛び出して――」

「ッ!? だ、黙れ、フランコ! そんなわけがあるか! ――ああまったくなんてことだッ、王子が飛び出して行かれるのをお諫めできなかった! これでは臣下失格だ! どうしてくれるんだ貴様! 仮に国へ戻れてもこれじゃ辞表を出さねばならん! この歳で無職だぞ、無職! どう責任取るつもりだ、この野郎ッ!!」

「え、ええぇ……」

 

 理不尽過ぎる八つ当たりに呆れ混じりの声が漏れる。最初に助けてやったのはこちらの方だというのに、なんて酷い言い草だろうか。

 

 ……というかそもそもお前たちこそ、そんな無謀な命令を素直に聞いてるんじゃないよッ。

 お前たちの第一の使命は未熟な主君を無理やりにでも助けることだろう! これでは本当に部下失格だぞ! せっかく助けてやった命を主従揃ってわざわざ捨てに来おってッ、結局私の頑張りがただの徒労ではないか!

 

 

 

 

 

「――――ク……ククク…………ククククッ…………クハハハハッ……!」

「「「ッ!?」」」

「フハハハハハッ!! アーーーハッハッハッハ!!」

 

 不意に、地鳴りのような笑い声が辺りに響いた。……いや、“ような”ではない。笑い声とともに発散された魔力によって、地面が激しく揺れ動いていた。

 原因は言わずもがな。ブレスによる煙が晴れたその先では、とどめの攻撃を防がれたはずの魔王が、この上なく愉快そうに笑っていたのだ。

 

「クカカカカッ、な、なんなのだ、それは!! 一番の予想外が起きたぞ!! よもや人間どもが魔族を庇おうとは、なんたる驚天動地! ……ああいや、すでに逆のパターンを見た後だったな! ならばこれも十分予想できたことだったか!」

「か、勘違いするな、魔王ッ! 我々はただ王子をお守りしているだけだ!」

「おお、そうかそうか、それはすまんな。いや何れにしても面白いぞ! まったく、貴様らはどれだけ私を楽しませれば気が済むのだ! フハハハハッ!!」

 

 自らを鼓舞するようにトムが言い返すが、その様子すらもツボに嵌ったのか、今日一番の高笑いを上げるムドー。虫けらの足掻く姿が余程面白いものと見える。

 

「クククッ、良いぞ良いぞ、こうでなくては張り合いがない。よし、では余興の延長だ。手加減してやるから、できるだけ耐えてみせい! ――ベギラマ!」

「ぐ、おおおおッ!?」

「そらそら、どうした! もっと力を込めて防御せんか! ヒャダルコ! イオラ!」

「くううッ! な、舐めるなああ!!」

 

 ムドーは薄ら笑いを浮かべたまま、再び攻撃を加え始めた。手加減と言うその言葉通り、中級魔法を中心とした構成でじわじわとレイドック兵を攻め立てていく。すでにボロボロな状態の彼らを、生かさず殺さず限界まで痛めつけるつもりなのだ。

 

「……うぐぅぅッ…………お、王子、急いでください! そう長くはもちません!!」

「ふははは! そら、頑張らんと大事な王子が死んでしまうぞ!」

 

 くそッ、ムドーの奴め完全に面白がってやがる。あれではそう遠くない内に嬲り殺しだ。

 

 どうするッ? 私がもう一度攻撃を受け止めてその隙に逃がすかッ?

 …………いやダメだ、まだまともに動けるような状態じゃない。

 それにもしやれたとしても、レイドック兵たちを“遊べる玩具”と認識してしまったムドーが、今さら簡単に逃がすとは思えない。

 

 ならばもう一度挑んで倒すか?

 ……それこそ無理に決まっているッ。そもそも万全の状態で簡単にあしらわれたのだ。このままもう一度戦って敵うわけがない!

 

 ダメだッ、考えれば考えるほど詰みだ!

 

 

 どうすればいいッ!?

 

 

 この絶望的な状況を、どうすれば切り抜けられる!?

 

 

 どうすれば、

 

 

 

 どうすればッ!

 

 

 

 どうすればッ――!!

 

 

 

 

「――どの道…………もう無理なんです」

「ッ!? おいレック! お前何を言って――ッ!?」

 

 他人事のような言い草につい怒鳴ろうとした私は、その顔を見て、続く言葉を失っていた。

 

「ッ……お、前……」

「残念ながら、さっきの戦いで皆力を使い果たしてしまいました。今できるのは精々、こうして盾になることくらい……。もうまともに戦う力は残っていません」

 

 なぜならそれは、覚悟を決めた顔だったから……。

 

「あの悪辣な魔王のことです。逃走ルートに伏兵くらい配置しているでしょう。今の僕らがそいつらに勝てる可能性は…………残念ながらゼロです」

 

 それは明らかに、ここを死地と定めた顔だったから……。

 

「だったら、僕たちが闇雲に逃げるよりも……、強力な戦士に復活してもらって、その人にムドーを倒してもらう方が、生き残る可能性はまだ高いと思いませんか?」

 

 レックは悲愴な表情を引っ込めると、最後になんとも似合わない得意顔を浮かべてみせた。

 

「ふっふっふ! というわけで先生。重傷のところ悪いんですが、最後まで利用させてもらいますからね? 僕たちがここを生き残れるかどうかは、全て先生にかかっているんです。なのでここは大人しく治療されて、ちゃっちゃと戦線復帰しちゃってくださいねッ」

「…………こ、のッ」

 

 ……馬鹿野郎がッ!

 明らかに今考えた……、取って付けた理由だろうが!

 そんな苦しい言い訳を本気で信じると思うのか……!

 その青い顔と上擦った声で、本気で誤魔化せると思っているのか……!

 

「だったらせめて、手の震えくらいは隠して言えッ!」

「……ッ! じゃ、じゃあ、僕も行ってきますね! ホイミが完全に効くまではあと少しかかると思うので、それまでジッとしててください!」

「! おい待て! 待たんか!」

 

 引き止める声も聞かず、レックは傍らに置いてあったドラゴンシールドを拾うと、兵たちのところまで走っていった。

 合流してトムと二、三言話したレックは、そのまま彼らのサポートへと回る。隊列を組んで魔法を防ぐ兵たちの後ろを駆け回り、体力が危ない者にはホイミをかけ、穴が空いたところは一時的に自分が入ることで戦線を維持していく。

 

「しっかりするんだ、皆! ホイミ!」

「ッ! た、助かりました、王子!」

「息が上がっている者は後ろへ! 防ぐ範囲は狭めて良い! 二列になって交互に身体を休めるんだ!」

「了解!」

「王子、こいつに回復魔法を! そこは自分が代わります!」

「頼んだ、フランコ! みんな、最後まで諦めるな!!」

「「「はっ!!」」」

 

 将来一流の戦士になるであろう片鱗を感じさせる、レックによる的確なサポート。そのおかげで、一度は戦線が盛り返したように見えたが……。

 

「…………ふーむ、もっと時間をかけて別々に愉しむ予定だったのだが……。……まあ、ここらが潮時かの。――メラミ!」

「な!? うあああああッ!!」

「フ、フランコ!!」

「さすがに同じことの繰り返しばかりで飽きてきたのでな。そろそろ終わりにさせてもらうぞ。――稲妻よ!」

「あぐうううぁッ!」

「トムッ!!」

「兵士長!!」

 

 所詮は焼け石に水であった。

 もともと彼らは立っているだけでも精一杯の状態。いくら手加減されているとはいえ、魔王の攻めにいつまでも耐えられるわけもない。ムドーが少し力を入れれば、先ほどまでの拮抗が嘘のように、抵抗もできず一人ずつ吹き飛ばされていった。

 

「――そら、残るはお前だけだぞ、王子よ?」

「くッ、まだだ、まだあきらめ――があぁぁッ!?」

 

 そして、最後の一人となったレックが、視線の先でムドーに掴み上げられる。魔族の中でもとりわけ大柄なムドーが子どものレックを掴んでいるため、その全身はすっぽりと覆われ、身動き一つできなくなる。

 

「ククク、確か、『諦めない』のだったな? では最期まで頑張ってみるがいい。――そらッ」

 

 ――グググッ――ベキリッ!!

 

「!?うあ゛あああ゛あ゛ッ!!」

「レック……!」

 

 ムドーはジワジワと嬲るように圧を加え、レックの身体を破壊していく。もはや攻撃するまでもない。ほんの少し腕に力を入れるだけで、レックの命はその身体ごと握り潰されてしまうだろう。

 

「クハハハッ、さあ、どこまでもつか――なッ!」

 

 ――バキリッ!!

 

「うあ゛ああああッ!!」

「く、くそ……ッ。だから逃げろと言ったんだ、この愚か者め!」

 

 衝動に任せ、僅かに動く腕で地面を叩き割る。

 ああ、まったくもって度し難い! なんと不合理な生き物なのだ、人間とはッ!

 他人が自分に都合よく動いてくれたのだ。ならば『運が良かった』と喜んでおけば良かったのだ。不審者なぞ見捨ててさっさと逃げれば良かったのだ。

 たとえ本当に伏兵がいたとしても、逃げられる可能性はゼロではなかった。少なくとも、この場に留まって魔族を庇うよりは余程マシだったはずなのに!

 

「それをわざわざ自分から戻ってきて、部下まで巻き込んで格上に挑んで、それで結局死にかけていれば世話はないッ! なんと浅はかな行動か! なんと愚かな生き物か! まったく呆れ果てて物も言えんわ!!」

 

 こちらの意図はことごとく無視され、全てが裏目に出てしまい、結局最後は揃って全滅するという惨めな結末……。もはや私には、この怒りをどこに向けて良いかすら分からなかった……。

 

 

 

 

 

 

「…………そん……なの……ッ!」

 

「ッ!?」

 

 

 ――だが、その激情を沈めてくれたのもまた、優しい愚か者の声であったのだ。

 

 

「そんなの……! 当たり前じゃ、ないですか……!」

 

 顔を上げれば視線が合う。骨を何カ所も圧し折られ、激痛に苦しんでいるはずの少年は、無理矢理作った笑顔を浮かべながら、真っ直ぐに私の顔を見ていた。

 

「先生は……、助けてくれたじゃ、ないですかッ!」

「な……に……?」

「……逆らえば、粛清されると……分かっていたのに……、それでもッ、恐ろしい敵に立ち向かい、……僕たちを……助けてくれたじゃ、ないですかッ! ……手を差し伸べて、くれたじゃないですかッ!!」」

 

 蒼白い顔に恐怖を浮かべながら、しかしそこに、絶望や後悔など欠片も浮かべず、ただ真っ直ぐに叫んでいた。

 

「だから僕もッ……同じことをしたんです! 愚かだと、お怒りになるのでしたら……、僕にそれを……教えてくれた人に……、言って、くださいねッ! ……何せ僕の先生は……、思わず真似したくなってしまうほどッ……、立派で、優しくて、カッコいい人なんですからッ!!」

「ッ……」

 

 愚かだとは分かっている。申し訳ないとも思っている。

 しかしそれでも、この行動に後悔はないのだと、その下手くそな笑顔が何より雄弁に語っていた。

 

 

「ッ……、この……大馬鹿者が……!」

 

 吐き捨てながら、再び地面を殴り付ける。

 ……だが情けないことに、今度は碌にヒビすら入りやしない。

 

 ああ……、嗚呼……、本当に愚かで度し難い生き物だ。

 いつもいつも感情で動いて、道理を無視して場を乱して、そして最後は自分だけ満足そうな顔で死んでいく。

 なんて傍迷惑な奴らなのだ。少しは振り回されるこちらの身になれ。努力を全て無に帰される徒労感が分かるか。まったく腹立たしくて仕方がない

 

 ……しかし、何より今一番腹立たしいのは――

 

 

 

「それを心地良いと感じてしまっているッ、愚かな自分自身だッ!!」

 

 

 

 ああ、なんてことだ、ちくしょうめ……。

 己の身が最優先、それ以外はどうでも良かったはずの私が……。

 格下ばかりを相手にし、勝ち目がなければ決して格上には挑まなかったこの私が……、

 

 

 ――『命を捨ててでも、誰かを助けたい』と思ってしまうなんてッ!!

 

 

 まったく、どうしてくれるのだ!

 仮にまたこんな事態に遭遇したら、きっとまた衝動的に動いて無謀な戦いに挑んでしまうぞ。一回ごとに命の危機だぞ。

 これから先の私の一生、ただ生き延びるだけで恐ろしい難易度になってしまったんだぞ? ホントにどうしてくれるんだ、この野郎!

 

 

 

「クハハハハッ、その戯れ言が遺言で良いのだな? 矮小な人間らしい、惰弱で愚かな言葉だ。魔に滅ぼされるのも当然というものよな!」

「……黙……れ! 人間も魔族もッ……関係ない! 先生から頂いた優しさを……、同じ形で、お返ししただけのこと! そこに種族など……関係ない! たかが魔王如きに……揶揄される謂われなどないッ!」

 

 

 

 これはもう絶対に、こいつらに責任を取ってもらうしかない!

 魔族どもに見つからないよう城へ匿ってもらい……、一生グータラできるよう生活費も出してもらい……、物騒な争いが起きないよう治安を良くしてもらい……、ついでに、顔出しで外を歩けるよう、魔族のイメージ向上キャンペーンもやってもらわなくてはならん!

 そうでなくては割に合わんッ!

 

 

 

「クハハハ、そんなにあやつが好きか! よかろうッ、ならば最期の慈悲として、奴の得意技で葬ってやろう! そら、放してやるぞッ!」

「うぐっ!?」

「お、王子ッ!!」

 

 

 

 そのためにもこいつらには、何が何でも生き延びてもらわねばならない! 一生分の恩を感じてもらい、その上でこの身を、全力で養ってもらわなければならない!

 ゆえに私は! 今この場所で……! なんとしてももう一度、立ち上がらなければならないのだ!

 

 

 

「や、やめろ、魔王! 殺すのなら我々からにしろ!!」

「フハハハハ、この順番の方が面白そうなのでな! なに、貴様らもすぐに後を追わせてやる! まずは主君の死に様で存分に愉しむが良いッ!」

「けほっ、けほっ。……お、お前などにッ……、もう二度と、屈してたまるかッ!」

「そうかそうか。身体が焼け焦げてもその意地を張り続けられるか、実に楽しみなことだ! さあ、よく見ておれ、人間ども! 貴様らの大事な主君の、惨めな最期の姿だッ!」

 

 

 

 体中の力をかき集めろ。

 余計なことなど考えるな。

 今守りたいもののために死力を尽くせ!

 脳裏にはすでに浮かんでいる。使い方はわかっている。

 思いの丈の全てを込めて、目の前の理不尽など叩き壊せッ!!

 

 

 

「死ね! ――メラゾーマッ!!」

 

「…………先生……ッ!」

 

 

 

 ……この、腐れ魔王が……ッ。

 人様の弟子に――!

 

 

 

「手をッ、出すなあああああーーーーッ!!!!」

 

 

 

「「「ッ!?」」」

 

 咆哮と同時、私の右腕からまばゆい光が放たれた。

 それは空中で幾重にも枝分かれすると、ムドーの全身を鎖のように締め上げ、そして――

 

「な、なんだとッ!? 私の魔力がッ、ぶ、分解され――!?」

 

「消えろおおおおおッ!!!!」

 

 

 

 ――パアァァァァァンッ!!

 

 

 

 魔王の極大の火球を、粉々に消し飛ばしてみせたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ようやくシリアス区間が終わりました。
長かった……。

次回、反撃です。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9話 結局最後はゴリ押しになる

 ………………。

 

 静寂……。ひたすら静寂……。

 

 今にも放たれようとしていた大火球が掻き消され、その残り火が宙を漂う中、自分を含め誰もが状況の変化についていけず、静止していた。

 

 

 

 ……一瞬の出来事だった。

 

 子どもを焼き殺そうとする魔王の姿が見えた瞬間。

『ふざけるな!』という想いのまま腕を突き出せば、見たこともない光が溢れ出した。それは文字通り光の速さでメラゾーマに突き刺さると、謎の文様を浮かび上がらせ、次の瞬間には呆気なく火球が分解されていたのだ。

 戦闘中に行った無理矢理の誘爆とも違う。発動前に消し去る、まさに『分解』という言葉が相応しい現象だった。

 

「本当に……、なんだったのだ、今のは?」

 

 改めて考えても訳が分からない。普通ああいう場面では、凄い砲撃とか斬撃とかが出るものではないのか? こう……、生命力と引き換えに逆転の一撃を放ち、『先生! 僕たちのために犠牲にッ』みたいな劇的な最期になるような……。

 いや、さすがに犠牲になるのは嫌だけども。

 

「うーーむ……?」

 

 

 

「――――貴様……」

 

 

 

「ッッ!?」

 

 聞こえてきた声に身体が硬直し、状況を思い出す。

 敵を目の前にして、致命的な油断……。たかが一度攻撃を防いだだけなのに、完全に意識を逸らしてしまっていた。今の一瞬で殺されていたかもしれないというのにッ!

 

「貴様……、今の技は……一体なんだ?」

「――へ?」

 

 だが慌てて振り返ってみれば、ムドーは不意打ちするどころか、大きく距離を取ったままこちらを見据えていた。しかもその表情は、今までのような嗤いや見下しといったものではなく、紛れもない“警戒”の念に覆われていたのだ。

 

「技の骨子はマホトーンのようだが……、効力に関しては段違いだ。私の魔法を幻術ごと消し去るなど、他の魔王たちにすら不可能……。答えろ1182号、貴様その呪文、一体どうやって手に入れた?」

「い、いや、そんなこと聞かれても……」

 

 初めて使ったんだから詳しいことなんて知らんがな。マホトーンに見えたんなら、それで合ってるんではないの?

 ……というかさっきの光、幻術まで消し去っていたのか。すごいなマホトーン、どうやったんだ。

 

「……なるほど、……当人は無自覚……。後ろから手を回してあわよくば、といったところか。……フン、―――め、相変わらず忌々しい」

「いやだから、一体何の話を……って、んん!?」

 

 待った待った待った! 驚き過ぎてついスルーしてしまっていた!

 もしやあいつ今、私が『マホトーンを使った』と言ったのかッ?

 ……それって確か、僧侶職の中盤で覚える呪文ではなかったか?

 敵の詠唱を阻害し、魔法の発動を封じる補助系呪文。魔導士との戦いではまさに必須の技だが、熟練度で言えば中級に当たり、使用にはある程度の技術を要求されるという。

 

 その“マホトーン”を、この一瞬で覚えた?

 ホイミに一月かかったこの私が?

 そんなことがあり得るのか……?

 

「……いや、待て? 中級のマホトーンを、一瞬で習得していた…………?」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「ならば……、上級はどうなんだ?」

 

 そうだ、この際理由などは大した問題ではない。今重要なのはとにかく、僧侶の高位呪文を使えるようになっていたということ。

 

「す、すごい……魔王の攻撃を……掻き消してしまうなんて……! 先生ッ、魔封じの術まで……使えたんですね! ゲホッ、さすがですッ!」

「…………。なあレックよ、少し楽にしていてくれるか?」

「……はい?」

 

 虫の息のまま興奮する、という器用な真似を見せる弟子に対し、手をかざして魔力を集中する。

 そして――

 

「ベホマッ!!」

「ふわッ!?」

 

 詠唱を口にした途端、ホイミを遥かに上回る光が発生し、レックの全身を覆った。それは身体の各部、折られた手足や切り裂かれた皮膚へ一斉に注がれ、痛々しく腫れ上がっていた部分が瞬く間に修復されていく。

 そして五秒ほどが経過した頃には、あれほどの重傷が最初からなかったように綺麗に消え去っていた。

 表層を治すだけのホイミとは比べものにならない。内部器官も含めた全機能を一瞬で治す、まさしく奇跡の御業。これまで大魔王城で何度も見たその光景が、何よりも欲しかったベホマの呪文が、私の目の前で確かに発動していたのだ。

 

「ええッ!? こ、これってまさか……ベホマですかッ? 先生、神官の上級呪文まで使えたんですかッ!」

「…………」

 

 全快したレックが目の前で飛び上がって驚く。しかし私は、それに反応を返してやることもできなかった。

 

 

 

「……フ……フフフフ……ッ」

「…………先生?」

 

 つい含み笑いが零れてしまう。

 いや、今は堪えなければ……。戦闘中に気を抜いてはいけない。

 まだ何一つ、危機を脱してはいないのだ。

 

「グフ……グフフフフ……ッ」

「……あの、先生?」

 

 だというのに、さっきから口角が吊り上がって仕方がない。

 溢れる喜びが途切れない。

 込み上げる笑いを止められない!

 

「――ク、ククククク……!」

「せ、先生……?」

「クフフフフッ……、フハハハハ……! ウワーッハッハッハッハ!!!!」

「せせせ、先生ーー!? ど、どうしちゃったんですか! ま、まさか傷が深過ぎてついに脳まで――!?」

「フハハハハッ、安心しろ、レック! 求めていたものが急に転がり込んできて感動に打ち震えていただけだ!」

「え……そ、そうなんですか……?」

「うむッ! なぜだか知らんが結果オーライよ!」

 

 大変に気分が良い。なにやら罵られたような気がしても、全く気にならないほど大らかだ。なにせずっと求め続けてきたそれを、この土壇場で手に入れられたのだから。

 いや、それよりも何よりも、今一番嬉しいのは――

 

「喜べ、レックよ!」

「え?」

「……勝ちの目が出たぞ」

 

 この場にいる全員を、生きて帰す可能性が生まれたことだ。

 

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 

 ――なあ。あれってやっぱり……、王子が殺されそうになったから、かな?

 ――い、いやでも……、あいつ魔族だろ? そんなことってあるか?

 ――今さら気にするような話じゃないだろ。明らかにずーっと助けてくれてたじゃん。……本人は隠してたつもりっぽいけど。

 ――さっきも当たり前のように、王子を先に回復してくれたな。

 ――会話から察するに、ここへ来る前にもいろいろ助けてくれた感じか?

 ――……じゃあ本当に……王子のために覚醒を……?

 

 

 ――…………なるほど。つまりあいつは、顔に似合わずハートフルな魔族だったんだな……?

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「「「はぇ~~~~」」」

 

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 

 むッ、なんだ? なにやら背中に生温い視線を感じる? ムドーの炎よりダメージが大きい気がするのはなぜだろう?

 ……いや、今はそんな事を気にしている場合ではない。

 作戦が決まった以上、とにかく目の前の戦いに集中するのみ!

 

「よし、では始めるぞ、レック。お前は手筈通り兵士たちの方を頼む。攻撃の巻き添えを食らわないよう慎重にな」

 

 闘技場を見渡してレックへ指示を出せば、不安そうな顔がこちらを向く。

 

「…………あ、あの、本当にやるんですか、先生?」

「ああ……。言っただろう? 他に方法はないと。遥か格上の相手へ挑むのに、リスクを避けては勝てるものも勝てんよ」

「そ、それはそうですけど……、先生だけがそんな危険な真似……」

「おいおい、お前にだって十分命の危険はあるのだぞ? 気を抜いてポカでもされたら、むしろそっちの方が困るんだが……。ほら、笑って手元が狂ったりとか」

「茶化さないでください! 僕は真面目に心配して――うわわっ!」

 

 まだ渋るレックの頭をワシャワシャと撫でてやる。

 

「……安心しろ。私の頑丈さは知っているだろう? それに今はベホマまで習得しているのだ。即死でもしない限りは何とかなる」

「…………」

「それでも心配と言うなら、どうか任務を完璧に熟してみせてくれ。そうすりゃ私も安心して戦えるから。……な?」

「…………、わかりました。……絶対に、死なないでくださいね、先生?」

「無論だ。なにせ私がこの世で一番大切なのは、自分の命なのだからなッ」

 

 冗談めかしてそう告げれば、レックは心苦しそうな顔を見せつつもそれを振り切って走り出した。

 その小さな背を見送りながら、こちらも一歩を踏み出す。

 

「さてと、――お待たせして申し訳ありませんでしたな、ムドー様。しかしまさか、話している間ずっと待ってくれるとは思いませんでしたよ。魔王様は意外と紳士なのですな?」

 

 ジッと佇んだままだったムドーへ軽口を飛ばす。

 本日通算三回目の魔王との対峙。できればこれで三度目の正直としたいところだが……さてどうなるか?

 

「クックック、いやなに、師弟の最期の会話となるのだ。それを邪魔するほど私も無粋ではないぞ?」

「ほう、それはそれは……。寛大な御心に感謝いたしますよ」

「なに、構わぬよ。遠慮も感謝も必要ない。――なにせお前は」

 

 ――ドズンッ!!

 

「今この場でッ、確実に殺すと決めたのでなッ!!」

 

 ムドーが強く地面を踏み締め、咆哮した。魔力は全て封じられているはずなのに、その怒声と気迫だけで凄まじいオーラを幻視してしまう。

 ここへ来てついに、魔王が本気になったのだ。

 

「……できれば、なぜ急にやる気になったのか、教えてもらいたいところですが?」

「ククク、構わんぞ? では貴様が死ぬときに冥土の土産として持たせてやろう。心残りなど綺麗になくし、安心してあの世へ旅立つが良いッ!!」

「ああ、そうかい…………。――上等だ、このフーセン野郎が!」

 

 相手の意気に呼応し、こちらも魔力を解放する。遠慮なく殺気を上乗せし、挑発するように相手へ叩き付ける。

 本気の魔王が殺しに来る……?

 ハッ、今さらそれがどうした! 恐怖など微塵も感じぬわ!

 なにせ今の私には、最強の武器と最高の秘策があるのだからな!

 

「覚悟しろ、魔王! 今度こそお前をその座から引きずり落とすッ!」

「抜かせ、下等種が! 一片も残さず塵としてくれるわッ!!」

「――行くぞぉああああッ!!」

 

 全力で地面を蹴り、その場を飛び出した。

 両足にあらん限りの力を込め、真正面からムドーへ突っ込んでいく。

 

「ハッ、またお馴染みの攪乱(それ)か! ならばフィールドごと全て焼き尽くしてくれよう!」

「ッ!」

 

 ――灼熱ッ!!

 

 轟ッッ!!

 

 吐き出された煉獄の炎が高速で迫って来る。本気という言葉に相応しい、これまでを大きく上回る凄まじい威力の獄炎。まともに浴びれば大ダメージは必至だった。

 ムドーの方も回避を予測しているのだろう。左右どちらへ逃げても追撃できるように、両手をフリーにして待ち構えている。

 

「舐めるなよ、ムドー。今の私は一味違うぞ! ――フバーハ!!」

 

 光の衣を身に纏い、両腕で急所をガードする。

 そして――

 

「うらあああ゛あ゛あ゛ッ!!」

「なにッ!?」

 

 勢いを緩めることなく、そのまま業火へ身を投じた。炎に身体を焼かれながらも、ひたすら真っ直ぐ突き進む。

 さあ、しかと見るがいい、魔王よ!

 ここに来てついに完成した、我が逆転のリーサルウェポン! その名も――!

 

「ベホマで耐えながら接近し! ゴリ押しで致命打を叩き込み! それを死ぬまでやり続ける作戦だあああーーーッ!!」

「ッ!?」

 

 どうだ! 私のタフネスにベホマの超回復を掛け合わせた、これ以上ないほど完璧な戦法!

 マホトーンで魔力を封じられた今、奴お得意の強力な魔法は使用できず、飛んでくるのはブレス系などの全体攻撃のみ!

 

「ならば凍えて死ねい! かあああああーーーッ!!」

「ぬッぐおおおおッ!!」

 

 ムドーの専門は魔法。ゆえにブレス系はジャミラスやグラコスほどの威力はなく、フバーハさえあればなんとか耐えられる!

 

「くらえッ!!」

「ふんッ、はッ、どりゃあああッ!!」

 

 投げつけられる岩石には体術で対応。

 みかわし脚に爆裂拳、回し蹴りに受け流し。素早く捌いて無傷で回避!

 

「雷よッ!!」

「がああああッ!? ――こッ、の程度おおおーーーッ!!」

 

 強力な電撃だけはさすがに防げないが――そこは根性で押し通る!

 そして削られた体力は、

 

「ベホマッ!!」

 

 頼れる新技で回復しながら、ひたすら距離を詰めていく。

 玉砕覚悟の万歳特攻、死んでも死なないゾンビアタック。

 奴の喉元に届くまで、しつこく、途切れず、何度でもッ、無限に復活して喰らい付いてやる!

 マホトーンで幻術は解けているので、今度は騙される恐れもない!!

 

「もはや小細工など必要なし! この攻撃を突破したとき、それが貴様の最期だ、ムドーッ!!」

「ほざけッ! かあああああッ!!」

「うぅおおおおおッ!!」

 

 再びの激しい炎。――焦げ付く臭いを無視してさらに進む。

 稲妻で全身が痺れる。――何度も食らってもう慣れた。構わず前へ突き進む。

 続いて吹き付ける凍える吹雪。――近付くとさすがに威力が増してくる。凍傷になる前に、腕ごと焼いて氷を融かす。

 ダメージが(かさ)んできたらすかさずベホマ。一瞬で全快、さらに前へ。

 

 すでに半分以上の距離を踏破。ベホマのおかげで想定より大分余裕がある。

 ならばここらで――――思い切って仕掛ける!

 

「メラゾーマッ!!」

 

 多数の火球を生み出し連続で撃ち込む。先ほども使用したメラゾーマの同時展開。魔力防壁が無くなっている今、ムドーとてこれを無視することはできない。不規則に乱れ撃って意識を逸らし、そして……、一斉に起爆して視界を奪う!

 

「ぬぐッ!?」

「(――今だ!)」

 

 爆炎が生じた隙に加速し、一気に懐へ潜り込む。

 右腕を大きく振りかぶり、狙うは奴の巨大な腹部。頑丈な奴の肉体の中で、唯一と言って良い脆い弱点。クローン体であるブースカとの戦いで何度も確かめたので間違いない。

 同じように拳を突き入れ、内部から一気に焼き尽くしてくれる!

 

「終わりだ、ムドーッ!!」

「――馬鹿めッ! 二番煎じが通じるか!!」

「ッ!?」

 

 だが次の瞬間、目論見は崩された。

 攻撃の直前に炎が割れ、そこからムドーの巨体が現れたのだ。

 

(しまった! 呼び込まれたのか!?)

 

 ムドーは私が飛び込むタイミングに合わせて踏み込み、巨大な拳を振り下ろしていた。

 恐ろしいほどの威力と――そして速さだった。

 完全に意表を突いたつもりだったのに、逆にこちらが誘い込まれていた。速度自体も大きく上回られており、このままでは間違いなく奴の拳が先に届く。

 

 その結果待っているのは、一方的な虐殺だ。

 互いの身体能力には倍以上の開きがある。たとえこちらの拳が先に刺さっても決定打にはならず、逆に私の身体は何の抵抗もできず砕かれるだろう。

 魔法を封じられても、攻撃を耐えられても、こうして至近距離まで迫られても、ムドーの顔には一片の焦りすら浮かんでいなかった。

 

「クハハハッ! 終わりだ! 愚かな反逆者よッ!!」

 

(…………く、そ…………ダメだったか……)

 

 スローモーションで眼前に迫ってくる拳を睨みながら、胸中で諦めの言葉を呟く。

 もうどうにもならない。とても避けられるタイミングではない。

 苦い後悔が頭を過る。

 自分が挑んでいるのは歴戦の魔王。一度見せた戦法がそのまま通じるほど、甘い相手ではなかったのだ。

 この化け物に対して楽に勝とうなどと、本当に舐めた考えだった。

 

(ああ、くそ…………あまり痛いのは……嫌だなあ……)

 

 今さら後悔したところで時はすでに遅く……。

 ゆえに、追い詰められた私は――

 

 

 

 ――――当初の予定通り、捨て身で刺し違えることを決めたのだ。

 

 

 

「だがこうでもしないと、勝てないのでなッ!!」

「ッ!?」

 

 身体に魔力を巡らせる。発動のイメージを脳裏に描く。

 マホトーンもベホマも一発でいけたのだ。ならばこれとてやれないはずはない!

 さあ来い、魔王よ! 正面から受け止めてやる!

 

「スカラッ!!」

「な――」

 

 全身から赤い魔力光が噴き出した直後、

 

 

 ――ズッ――――――ンン……!

 

 

「なんだとッ!?」

「ぐッ、ガフ……!」

 

 振り下ろされた魔王の右拳は、私の横腹を消し飛ばしたところで停止していた。勢い余って内臓の二、三個は潰されたが、その程度なら問題ない。

 腕を捕らえて動きを封じ、さあ今度はこちらの番だ。

 密着状態からのボディブロー、この距離ならリーチの短いこちらが速い!

 

「くっ、貴様の攻撃など――ッ」

 

 わかっている。私の攻撃では魔王の防御を突破できない……。

 だからこそここに、我々は逆転の秘策を用意したのだ!

 

「今だ、レック!!!!」

 

 

 ――――「ルカニッ!!」

 

 

「ッ!?」

 

 後方より飛来した蒼い光がムドーの全身を包む。何かが抜け落ちる気配とともに、圧倒的な防御力が一気に減衰していく。

 

「こ、これはッ――あの小僧か!?」

 

「はあっ、はあっ、はあっ……!」

 

 ムドーが咄嗟に睨んだ先では、兵士たちに囲まれたレックが、両手を突き出したまま息を荒げていた。

 ――これこそが秘策。私が捨て身で動きを止めたところで、レックが新たに習得した『ルカニ』を使って防御を削るという作戦。子どもの参戦など微塵も考えていなかったムドーは、まったくの無防備で弱体化魔法をくらってくれた。

 この状態であれば――!

 

「正拳突きいいいーーーッ!!」

「ぐうッ!!!?」

 

 ――私の拳でも、魔王を貫くことができる!

 

「もう一発ッ!」

「ぐぅッ、は、離れろ!」

「――チッ!」

 

 ムドーが腕を振り払い後方へ跳躍する。さすがに一撃だけでは仕留めきれなかった。今の動きを見る限り致命傷には程遠く、スピードもまだまだ私より速い。

 

「灼熱!!」

「ぐううう!?」

 

 ブレスで牽制しながら、ムドーがさらに後ろへ跳ぶ。接近戦で自身を脅かす可能性を感じ取り、形振り構わず距離を取ろうとしているのだ。

 全力で逃げに徹した格上を追い込むなど至難の業。このままもう一度距離を取られたら、おそらく二度とチャンスは巡って来ない。そしていずれこちらの魔力が切れてしまえば、今度こそ本当の詰みとなってしまう。

 

「フハハハッ、残念だったな! あと一歩足りなかったようだ!」

 

 ゆえに、この場にてもう一手。

 

「……誰が、これで終わりと言った?」

「ッ!?」

 

 ――我が弟子には、命を振り絞ってもらったのだ!

 

 

 

「ライデイーーンッ!!!!」

 

 

 

「なッ!? ぐおああああああーーーーッ!!!?」

 

 ドームの天井が割れ、上空から凄まじい雷光が降り注いだ。

 闘技場を揺らすほどの落雷をまともに受けたムドーは、全身から黒煙を噴き上げ膝を着いた。白濁した瞳をレックへ向け、驚愕の表情を浮かべ叫ぶ。

 

「ば、馬鹿な……ライデイン……だとッ!? ま、まさか……あの小僧は……ッ!!」

 

 それは、勇者にのみ許された攻撃呪文。

 あらゆる防御を貫いて痛撃を与え、その動きを封じてしまう格上殺し。しかしその威力ゆえに消耗も激しく、失敗すれば自身を灼いてしまう可能性もある諸刃の剣。

 選ばれし者が果てしない修練の末にようやく手に入れられる、最強無比の必殺魔法である。

 それをこの土壇場で習得し、さらには完璧に操ってみせるなど――

 

「ハアッ、ハアッ、ハアッ! あとは頼みます! 先生ッ!!」

「――まったく! 天才ぶりも大概にしておけよ、我が弟子ッ!!」

 

 叫びながらその場を飛び出す。

 防御を削り、動きまで止めてもらうという、弟子におんぶに抱っこのみっともない作戦だったが、これにてお膳立ては整った。

 

「ぐッ、くそ……! カラダがッ……う、動かん……!!」

 

 硬直したままのムドーへ肉薄する。

 筋肉は弛緩し、手足も全く動かない無防備状態。

 狙うは先ほど付けた腹の傷跡、今度はもう外しはしない。

 

「……おッ…………おのれええ、ルビス!! これも貴様の差し金かああッ!!」

「そのルビスさんが何者かは知らんが……、貴様が敗れた原因はそれではない」

 

 右手にメラゾーマを発動する。

 一発だけでは削り切れない。同時に複数を展開し、右腕全体に炎を乗せる。

 10……、20……30、……まだ足りない。

 サンマリーノでの戦いを思い出せ。守るべきものを守るため、限界を超えて魔力を捻り出せ。

 

「貴様の過ちはただ一つ……。弱者の足掻きを……、人間たちの力を、想いをッ! 甘く見たことだッ!!」

「がっはッ!?」

 

 100個の火球を凝縮する。その全てを右腕に込めて、魔王の身体に突き入れる!

 

「終わりだ、ムドー! 他者を見下し嗤うその性根、閻魔様にきっちり叩き直してもらえ!」

「や、やめろッ! 馬鹿め、この距離で撃てば貴様も無事では済まんぞ!!」

「心配ご無用、こっちにはベホマがある! お前一人で、安心して地獄へ旅立つが良いッ!!」

 

 全魔力を注ぎ込み魔法を発動する。

 全身に激しい虚脱感、右腕に凄まじい灼熱感を覚えた直後、ムドーの身体が風船のように膨張し、

 そして――

 

 

 

「ま、待っ――」

「メラゾーマッ!!!!」

 

 

 

 ――――カッッッッ!!!!

 

 その場の全てが、激しい光に包まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10話 終わるまで気を抜くな

 ガラガラガラ――と、硬いものが落下する音が聞こえてくる。

 おそらく壁か天井が崩落しているのだと思われるが、ここからでは正確なことは分からない。なにせ視界はどこを見ても黒一色なのだから……。

 メラゾーマ百発分による爆発はさすがに半端ではなく、直径200メートルにも及ぶ巨大な闘技場は、隅々まで黒煙で満たされていた。所々で火気が爆ぜる音が聞こえており、熱された空気が緩やかに肌を撫でていく。

 

「……いやホント、洒落にならない威力だった……」

 

 自分で考えた技ながら若干引いてしまうほどだ。サンマリーノで使用したときもかなりのものだったが、今回のやつはさらに段違い。なにせ町を火の海にするほどの攻撃が一点に集中したのだから、その破壊力は推して知るべし。

 

 腹の中にメラゾーマ百発を叩き込まれたムドーは、その巨体を倍ほどに膨れ上がらせた後、断末魔の声とともに爆散していった。圧倒的防御力を誇る魔王といえども、さすがに身体の中までは鋼鉄製ではなかったようだ。

 最後まで綱渡りの連続ではあったが、即興の作戦はなんとか成功。我々は無事魔王を打ち果たし、全員生存の完全勝利を手に入れたのであった。

 めでたし、めでたし……。

 

 

 

 

「せ、先生ーーーッ!! あんなに言ったのにやっぱり無茶して! か、身体が半分黒焦げですよ、大丈夫なんですかこれええッ!?」

「ごはッ、げふッ、おっふ……、ちょ、揺らさな、ゴッフ!」

 

 ――まあ、一つだけ問題があるとすれば、私のダメージも割と洒落にならなくて弟子の顔が真っ青ってことだけども――って、待って待ってレック、そんなに激しく揺らさないで、いろいろはみ出ちゃうから。

 

「と、とりあえずレック、……ギリギリで、命に別状はないから……ゲフッ、離してくれないか?」

「で、でも……!」

「いやホント、むしろこのままだと、別の要因で死んじゃいそうだから。だから離してお願いします、ゲッホウェッホ!」

「え? ――ああッ!? すす、すみません!」

 

 ガックンガックンと揺すられていた頭が解放され、ようやく三途のリバーサイドから意識が戻ってくる。せっかく魔王との死闘を制したというのに、最後に弟子に殺されたのでは死んでも死にきれない。

 レックはもう少しメンタルというか、落ち着きを身に付けなければイカンよ。

 ……いろいろとんでもない体験が続いたのだから、仕方ないとは思うけれど。

 

「……先生、本当に御身体の方は、大丈夫なんですか?」

「ああ……、少し休めば問題ない」

 

 幸い魔力の方もベホマ2,3回分くらいは残っている。集中力が戻り次第唱えれば、すぐにでも全快できるだろう。

 

「そういうお前の方こそ、大丈夫だったのか? 正直、かなり危ない橋を渡らせたと思うが……」

「そんな……先生に比べれば全くの無傷ですよ。部下たちも皆、命に係わるような怪我はありません」

 

 その言葉通り、レックが怪我を負っている様子はなかった。ルカニを使うタイミングでムドーから反撃されるのを危惧していたが、間断なく攻め続けたおかげでそれも防ぐことができたようだ。

 一応保険としてレイドック兵たちと合流させてはおいたが、魔王に本気で攻撃されればさすがに心許ない。こうして無事に終われたのは本当に僥倖だった。

 いやー、本当によく頑張ったなあ、私。

 

 

「先生……。本当に、ありがとうございました」

「ぅん? 何がだ?」

 

 自画自賛をしていると、レックが神妙な顔で礼を言ってきた。

 

「……いろいろです。……本当にいろいろあり過ぎて、何から感謝して良いのか分かりませんけど……。とにかく今、このありがとうの気持ちだけはすぐ伝えておきたかったんです。――先生、僕たちを助けてくれて、本当にありがとうございました」

 

 そう言って深々と頭を下げる。

 ……というかもう完全に、私が善意で助けた体で会話が進んでいるのだな。

 まあ、結構ボロを出しまくっていたから、仕方ないと言えば仕方ないのだが、ここまでガッツリ魔族と交流してしまって良いのだろうか? 王子としての立場的な……。

 ほら、トムとか、今もあんなところからこっちガン見しているし。

 主君の行動を邪魔しないよう会話には割り込んで来ないけど、すごく渋い顔でジッと見てる。助けてもらった恩と、魔族を警戒する心で板挟みになってる感じだ。

 ……お? でも部下の方はそこまででもなさそう。フランコが笑いながら手振ってきてる…………あ、頭叩かれた。

 

「大丈夫ですよ」

「うん?」

「心配なさらなくても……、きっと皆受け入れてくれます。命をかけて共に戦ったのなら、それはもうマブダチって奴ですから」

「そ、そうか……?」

「はい。それになんていったって、彼らはこの少人数で魔王の城に乗り込むような、頭キマッてる男たちなんですよ? 種族の違いなんて小さなことにいつまでも拘りませんよ」

「お、おう……、お前も結構言うようになったな」

「ふふ、世間知らずだった僕でもこうして変わったんです。なら種族同士の関係だって、案外あっさり変わるかもしれませんね?」

 

 そう言って少年は、イタズラっぽい笑顔でニヘラと笑ったのだ。

 

「…………まったく。口までうまくなりおって、こいつめ」

「にへへへ」

 

 ――魔族と人間が仲良くできる。常識で考えればまず有り得ないこと。世間知らずの子どもの理想論に過ぎない。

 だがなぜか今は、素直にその言葉を信じることができた。

 非日常の空気に当てられ、状況に酔っているだけかもしれないが……。

 まあとりあえず、悪い気分ではなかったので、今日のところは良しとしておこう。

 

「よし、ではそろそろ行くとするか。あまり長居したい場所でもないしな」

「はい! じゃあ僕、皆を呼んできますね!」

 

 そう言って嬉しそうに駆けていくレックを見ながら、自分も身を起こす。

 周囲の視界も大分戻ってきており、白い煙の向こうに薄っすら出口も見えてきていた。彼らと合流した後は急ぎ帰路に就くことになるだろう。

 

 ……というかむしろ、急がないとヤバそうだ。

 バカスカ技を撃ちまくった影響か、闘技場全体から軋むような音が聞こえてきている。あちこちヒビも入り始めているし、下手するとここら一帯が倒壊するかもしれん。

 

「早く回復して……脱出しなければな……」

 

 

 そう思い、魔力を集中し始めた。

 

 ――――が、そのとき、不意に何かが引っかかった。

 

 

「? ……なんだ? …………煙が……白い?」

 

 そうだ……。爆発の後の煙は、大抵黒くなるはず……。それがなぜこんなにも白い?

 

 ……いや待てよ、これは煙というより、靄というべきか?

 それもつい先ほどまで……、嫌というほど、目にしていた……よう……な……?

 

 ……

 …………。

 ………………。

 

「…………ッ! まさか――!!」

 

 

 

『――最後に油断したな?』

「ッ!?」

 

 ――ドオオオオオンッッ!!

 

「がああッ!?」

 

 悪寒が生まれたと同時、全身を灼熱感が襲った。

 寸前で視界に映ったのは集束された光球。今日一日で嫌というほど見せられ、もはやお馴染みとなったあの技だ。

 残り僅かな体力が爆発で一気に削られ、身体の各部から大量の血が流れ出て行く。

 

「……ゲホッ……、き、きさまッ……まだ……」

 

「ク、カカカカカッ!!」

 

 着弾の衝撃で周囲の靄が晴れ、下手人の姿が露わになる。

 そこにいたのはやはり、予想に違わぬ相手。肩より上しか残っていない死にかけの魔王が、地面で血みどろになりながらも、狂ったように哄笑していたのだ。

 

「キヒヒヒヒ! どうやら天は最後に、私に味方したようだな! ギリギリでマホトーンが解けてくれたよ! なあ、最期の贈り物の味はどうだッ? 痛いかッ? 熱いかッ!? そいつはなによりだ! せいぜい苦しんで死んでくれ、アヒャヒャヒャヒャ!!」

「こ……の、死にぞこないがッ……! 今度こそくたばれええッ!!」

「ヒャーヒャッヒャッヒャ――ヒギュッ!?」

 

 近くに落ちていた槍を思いきり投げつける。

 それは狙い過たずムドーの頭部を貫き、鬱陶しい笑い声がピタリと止む。

 あの状態でまだ動けるのは驚異だったが、死にかけなのは間違いなかったようだ。今の一撃がトドメとなり、感じられる生命力がみるみる萎んでいった。

 

「ッ……クァ……ク……、クカカカ……! ど、どうやら……ここまでか。……口惜しいが……最後に、目的は……果たせた。これで、満足と、しておこうか。ク、クヒヒヒヒ!」

「ハァッ、ハァッ、この、陰険魔王がッ……、さっさと消えろ!」

「クフフフ、では……さらばだ……1182号。……生涯、最後の……二者択一、……存分に楽しんでから……こちらに、来るが良い! アヒャヒャヒャヒャヒギュアアアア゛ア゛ア゛ッッ!!!?」

 

 最後まで不気味な嗤いを響かせながら、ムドーの身体は消滅していった。

 魔力も気配も残らぬ完全消滅。

 今度こそ我々は完全に、四大魔王を倒したのだった。

 

「ハァ、ハァ、ハァ、……ガフッ!」

 

 ――だが、その感傷に浸る暇すらない。

 重傷の上からさらに追撃をくらい、冗談でなく死にそうだった。

 

(早く……回復しなければ……。コンディションは最悪だが……なんとか魔法を……!)

 

 逸る気持ちを抑えながら、なんとか魔力を手に集める――――が。

 

 

「王子ッ!! しっかりしてください!!」

 

「ッ!」

 

 集中しようとした心は、切迫した叫びによって乱されていた。

 発信源はレイドック兵たちが集まっているあの場所。

 車座に何かを取り囲み、血相を変えて呼びかけている。

 

 

 ――誰か、回復魔法を! 早く!

 ――魔力が残っている奴! 誰かいないか!?

 

 

「……おいおい……。……ここまできて、そう、来るか……?」

 

 彼らの中心を覗き込んだ瞬間、自分の顔が歪むのが分かった。

 ――そこで倒れていたのは、胸に大きな風穴を開けられたレックだった。

 熱線をもろに受けたのか、傷口の周辺は黒く焼け焦げ、閉じられた瞼はピクリとも動かない。

 

 

 ――さっきの戦いで全部使い切りました! 全員魔力は空です!

 ――それでもいい! 使える奴は試してくれ! 僅かでも発動すれば助かるかもしれないッ!

 

 

 兵士たちが必死に力を込め始めているが……、おそらくは無駄だろう。

 魔力が足りないからではない。

 たとえ発動したとしても、あれは回復魔法ではどうにもならないからだ。

 

 集束された熱線で胸部を貫かれ、重要な体組織をいくつも持っていかれている。

 一瞬で生命を奪った致命傷。治すには“回復魔法”ではなく、“蘇生魔法”が必要だ。前線で戦う兵士たちが、そんな高等技術を覚えているはずがなかった。

 

 

 

 

 ……ああ、だけども、……なんということだろう?

 

 なんとも都合の良いことに、私はそれを持ち合わせているのだ。

 ザオリクさえ唱えてしまえば、あの程度の欠損などすぐに治せるだろう。

 それでレックの命は助かり、彼らは喜びのまま故郷へ帰ることができる。

 

 ああ、なんという幸運だ……。これぞ神のお導きだ……。死闘の最後に全てが救われる、 まさしくハッピーエンドと呼ぶに相応しい結末である。

 ただ一つだけ、この場に不運なことがあるとすれば……、

 

 

 ――私に残された魔力が、もはやザオリク一発分しかない、ということだけだった。

 

 

「……クソッ、“二者択一”とはこういうことか、あの腐れ魔王が……!」

 

 厭らしい嗤い顔が脳裏によみがえり、舌打ちが零れる。

 ――もし私がレックを見捨てて自分を回復すれば、このまま“勇者”が死ぬので魔族にとっては良し。

 ――逆にレックの方を助けたとしても、回復魔法を使える者がいない以上私は死ぬしかないので、それはそれで良し。

 どちらを選んでも、ムドーにとっては愉快な結末というわけだ。

 

 ……なるほど。私ごとき量産型を、選ばれし勇者と同列に考えてくれたのだな? なんとも光栄な話だよ、クソッタレが!

 

 

 ――回復アイテムは!?

 ――もう残ってません!

 ――誰かッ、何かないのか!? 薬草でもいいッ!

 

 

 悲痛な声で叫ぶレイドック兵を尻目に、思考を巡らせる。

 

 ……

 …………。

 ………………。

 

「……フン、……何を迷う必要があるのか」

 

 この世界に来た当初の目的を忘れたか?

 平穏無事に暮らすこと。自分の身の安全が最優先。

 人助けも慈善事業も、自分に余裕があるときにやることだ。この状況で己を優先したところで、誰にも責められる謂れなどない。

 

 ……というわけで、ここは自分にベホマ一択である。

 

 

 

 

 

「――――って、思っていたはずなんだがなあ……。まったく、なぜ私がこんな……ブツブツ……」

「え……?」

「魔族のダンナ?」

 

 気付けばいつの間にか、レイドック兵たちの輪に分け入っていた。

 ああ、身体がふらつく。頭もボンヤリする。服の中がチャプチャプして気持ち悪い。さっさと終わらせて横になろう。

 

「はい、退いた、退いた。もう押し通る元気もないから道を開けてくれ~」

「! お、お前……」

「やあ、トム。ちょっと場所を開けてくれ」

「なっ、何を」

「話は後。とりあえず――ザオリク!」

「ッ!?」

 

 問答する余力もないため、何か言われる前に魔法を発動する。身体の奥底に残っていた何かが持っていかれ、目の前のレックが強い光に包まれる。

 胸に開いた大穴がみるみる塞がり、健康的な血色が肌に戻り、やがて止まっていた呼吸が再開する。

 

「はい――蘇生完了っと」

「な、なんと……ッ」

「王子の傷が! 無くなって!?」

「い、息をされている! 回復なされたぞ!」

 

 兵士たちがレックに駆け寄り、直後、ワッと歓声が上がる。

 

「ああ、王子……、よかった!」

「ありがとうございます、魔族の人!」

「あんた、すげえな! 戦士なのにザオリク使えるなんて!」

「人は――じゃなかった! 魔族は見かけによらないんだな! 本当にありがとう!」

 

 喜んでもらえたようで何より。黒焦げのブースカを一瞬で蘇生した奇跡の呪文だからな、これくらいは朝飯前よ。

 ……こう書くとベホマより余程反則技だな、この呪文。

 

「……まあ、でも、ゲホッ……、自分の役に立たないのは、……やっぱり変わりないわけだが――ガフッ!?」

「ッ!? お、おいッ!」

「!? どうしたッ、緑の兄さん!」

 

 口からゴポリと血が出て、とうとうその場に倒れる。どうやら正真正銘、今のが最後の力だったようだ。

 

「お、おいッ、どうしたのだ、一体!」

「いやあ……実はこっちも結構死にかけでな。なんとかここまで歩いてきたが、さすがに限界みたいだ。……ゴフッ、あ、これ、ホントに死にそう……」

「な……!? だったら回復すれば良いだろう! さっきのようにベホマを使えば……!」

「ハッハッハ……、残念ながら魔力ゼロ、今のでスッカラカンだ」

「「「ッ!?」」」

 

 ……あー……、やっぱりそういう顔になってしまうか……。

 なんだかんだ言って、こいつら皆お人好し系なのよな。警戒していた魔族を二心なく心配するとか……、やはり主従で性格は似るのだろうか?

 ……あ、フランコ、応急処置は結構だぞ? そういうレベルの傷じゃないから、コレ。

 

「……お、王子を……助けてくれたのか……? ……自分の身を、犠牲にして……?」

「ケホッ……、別にそういうわけではない。最初に言っただろう? 魔王の思い通りになるのが気に食わなかった。だから行動した。……それだけのことだ」

 

 だからそういうシリアスな空気はやめてくれ。私のキャラには似合わんから。

 

「それよりもお前たち……、さっさとここを離れるのだ。じきにこの場所も崩落してしまう。レックを連れて早く外へ――」

 

 

 ――ドズーーーーンッ!!

 

 

「あ……」

「へ、兵士長! 瓦礫で扉が塞がりましたッ! しかも、周辺一帯まで崩れ始めています!」

「なんだとッ!?」

 

 ……し、しまったああ、忠告が遅かった。

 完全に出入り口が埋まってしまったぞ。まさかこのタイミングで崩落が始まるとは……。

 不味いな、これではこいつら脱出できんぞ。魔族みたいに大ジャンプすれば天井の穴から出られるだろうが、人間にあの高さは……。

 

 ………………ん?

 

「くっ、これでは脱出が……!」

「兵士長! 全員で瓦礫を登れば!」

「無理だ、高過ぎる! 負傷者たちを担いだままでは登れん!」

 

 あ、そうか、天井が開いとるんだった。

 ならばあれが、えーと…………お、あった、あった。使わずに取っといて良かった~。

 

「おーい、トム。ちょっとー?」

「なんだ! 今脱出の方法を考えているところでッ!」

「ならばこれを使うといい」

「は?」

 

 振り返ったトムへ、懐から取り出したそれを見せる。

 

「ウルトラキメイラの翼だ。通常種より強力ゆえ、この人数でも余裕で運べるぞ」

「なッ、そ、そんなものどこで……」

「フフン、魔界産の特別製だからな。人間界のものとは一味違うのだ。ほれ、受け取るがいい」

「お……おぅ……」

 

 グイグイっと羽根を押し付けると、トムは神妙な手つきでそれを受け取った。初めて聞くアイテムに戸惑ってはいるが、効果を疑っている様子は微塵も見られない。

 ……こいつももう、完全にこっちを信じてしまっているなあ……。主従揃ってそんなにチョロくて大丈夫? その内誰かに騙されたりしない?

 

「――よし、皆こちらへ集まれ! 脱出のためのアイテムを提供してもらった! これを使ってレイドックへ帰還する!」

「「「了解ッ」」」

 

 そして部下たちも、当たり前のように全員が集まって来るし。

 お前らももう少し魔族を疑えよ……。レイドックの将来が本当に心配になってきたぞ。

 

「……城へ戻ったら、すぐに神官を呼ぶ。……だからそれまで死んでくれるなよ?」

「…………。ああ、了解した。だが、なるべく急いでくれ。そろそろ意識が飛びそうなのでな……」

「わかった……。では行くぞ! ――キメラの翼! レイドックの城まで!」

 

 トムが羽根を放り投げて叫び、巨大な魔法円が広がった。

 さすがは上位種ウルトラキメイラの翼。膨大な魔力が一気に溢れ、この場にいる全員を宙へ浮かせていく。発動すればたちまち、全員をレイドックの城まで運んでくれるだろう。

 

 

 

 ――ただし、私一人を除いて……だが。

 

 

 

「なッ!? お、おい! どういうことだ!? なぜお前だけ……!」

「魔族の人!? なんで……!」

 

 空中にいるトムやフランコが、焦った様子でこちらを見ている。

 おぉ、青空をバックに人間たちが浮いている構図は、なかなかにレアな光景だな。

 

「ふははは、先ほど言ったではないか、人間界のものとは一味違う……と。このキメラの翼は特別製でな。効果が強い代わりに、全員が行ったことのある場所にしか飛べないのだ」

「「ッ!」」

 

 レックは自国を出たことがないらしいから、必然的に行き先はレイドックになるわけだな。……おっと、その場合は私が条件外になるのか、これはうっかりしていたゾー。

 

「ふ、ふざけるな! 何を勝手なことを!」

「そうですよ! その怪我でこんなところに残ったらあなたは……!」

「いや~、しかし翼はそれ一個しかなくて……。自分で使ってお前たちを死なせては、この戦いに何の意味もなくなってしまうし……。というわけでここは、この選択肢を取るしかなかったわけで……」

 

 だから、そう怒らないでくれるとありがたいのだけdおおっとー? トムさんの顔がどんどん歪んでいく。今日一番の怒り顔だぞ、コレぇ。

 

「……このッ、……馬鹿野郎が……!! 王子に……ッ、王子になんと言えば良いのだ! 恩人を見捨てて逃げてきたと! 何の礼もできずに見殺しにしたと! そう伝えろというのか!?」

 

 う……、それを言われると弱いが……。

 ……でもやっぱり、あいつを犠牲に生き残ろうとは、どうしても思えなくてな……。

 

「……だから……まあ、その……なんだ? ……あいつには、『適当に元気でやれ』と伝えておいてくれるか? ……それと、『気にするな』ともな」

「ッ、そんなことは自分の口で伝え――うぉッ!?」

 

 叫ぼうとしたトムの身体が、徐々に高く浮いていく。ようやくキメラの翼の発動準備が整ったようだ。

 人数が多いせいか時間がかかったが、なんとかギリギリで間に合ってくれた。もう崩落まで幾ばくもない。

 

「では、皆さらばだ。…………あやつのこと、よろしく頼んだぞ?」

「ま、待て! まだ――~~~~!」

 

 

 

 最後の言葉は聞こえぬまま、やがてレイドック兵たちは光に包まれ、西の空へと飛び立って行った。

 二十以上の流れ星が連なる幻想的な光景へ向け、最後の力で右手を振る。

 そして――

 

 

「――――コフッ。…………ああ、本当に……、ベホマよりも……ザオリクがあって……良かったなあ…………なんてな、フフ」

 

 

 ――バキ――ンッ!!

 

 

 カッコ付けて呟いた直後、城ごと大地が割れ、私の身体は地の底へ呑まれていったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 




(注)シリアス区間は終了しております、安心してください。


“ウルトラキメイラの翼”は捏造アイテムです。
『騎士たちが恩人を見捨てて逃げるはずないだろう』と考えた結果、サンタ一人だけ残すために、こんなアイテムに登場してもらいました。

 ちなみに、本編でウルトラキメイラが落とすのは普通のキメラの翼です。“キメイラの翼”じゃないのはなぜなんでしょうね? 謎です。






目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11話 自己アピールはとても大事

 深く、深く……どこまでも沈んでいく。

 固くざらついた感触がしばらく身体を嘗めた後、今度は微かな浮遊感が身を包む。

 

 ――ああ、これは水の中の感覚だ。

 地割れの影響で島の内部を突き抜け、ついには海にまで落ちてしまったらしい。閉じられた瞼を通して、視界がどんどん暗くなっていくのが分かる。筋量の多いこの身体は比例して比重も大きく、海水を掻き分けてどこまでも深く沈んでいく。そうしていずれは海底に到達し、そこで眠ることになるのだろう。

 誰もいない静寂の中で……、たった一人で……。

 

 

 

 ……にもかかわらず、心の内は非常に穏やかだった。暗く寒い中に一人取り残されているのに、恐怖など微塵も浮かんで来ない。

 

 ――初志を貫徹できたから?

 ――最後までレックたちを守りきれたから?

 

 確かに、それらも多少はあるだろう。

 だが何より今私の心を落ち着かせているのは、この身に感じる心地良さに他ならなかった。冷たさの中にも仄かに温かみを感じさせ、全身を揺りかごのように包んでくれる、母なる海の抱擁。

 それは死の淵にあった私に、とある重大な事実を教えてくれたのだ。

 

 そう、それはすなわち――

 

 

 

 

 ――『あ、コレ今回も死んでないぞ?』ってことだった……。

 

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 うん、冗談でもなんでもなく、私まだ生きてるわ……。

 だって……、自分が今どういう状態なのか、ここまで明瞭に考えることができているのだぞ? それって意識も思考も、この上なくはっきりしているってことではないか。要するに今回もまたいつものアレ。なんやかんやでギリギリ生き残ってるお騒がせパターンだよ……。

 

 

 

 ――……えますか? わ…………ビスです。勇敢な……よ、あなたに…………

 

 

 

 考えてみれば、最後のイオナズンをくらった後もそこそこ動けていたし、意識にも結構余裕があった。トドメに“激しい炎”をもらったわけでもないし、そりゃ瓦礫に圧し潰されたくらいでサタンジェネラルが死ぬわけなかったわ……。

 ……それをあんなニヒルなヒーロー気取りで最期の言葉を呟いてッ、あああ゛あ゛思い出しただけで恥ずかしい! 非日常の空気に酔ってたあああ!

 

 

 

 ――……あれ? ちょ……あの~~、……えてますか? も……~し?

 

 

 

 ふぅ……。

 とはいえまあ……、さすがにすぐ動けるようにはならんし、しばらく休息は必要だろう。

 ならもうちょうど良いので、このまま静かな海底で眠ることにする。ここなら誰かに見つかるようなこともないし、ゆっくり傷と羞恥心を癒せるだろう。

 

 

 

 ――ちょ、…………え? 嘘ッ? こ、こんなとこで…………んですかッ?

 

 

 

 あーしかし……、コレ目覚めた後はどうするかなあ? ガッツリ魔王軍に反逆しちゃって、もうお尋ね者になっているかもしれないし……。

 なら今まで通り一カ所に留まるのは難しいか? ……う~ん、一体どうするべきか……。

 

 

 

 ――で、ですから、それも含めていろいろ…………、まずは返事をですね……!

 

 

 

 ?? ん~……?

 なにやらさっきから不快な幻聴が聞こえるな。耳に藻でも詰まったか? 今後のことをいろいろ考えないといけないのに、すごく邪魔だ。

 

 

 

 ――なっ!? 女神の託宣を幻聴って! しかもこの美声が不快な声!? ちょっと聞き捨てなりませんよ!? 撤回を求め――!

 

 

 

 まあ、いいや。もう疲れも限界だし、無視してさっさと寝てしまおう。

 早く聞こえなくなれ、不快な濁声ぇぇ……――――ンゴゴ……、クカー……。

 

 

 

 

 ――――ブチッ……。

 

 

「だから起きろっつってんでしょうが! このアホ魔族があああーーッ!!」

 

 ――ドゴオオオオオンッ!!

 

「ウボあああああッ!?」

 

 微睡みに落ちる寸前、突如おぞましい雄叫びが襲い掛かってきた。

 

「なな、なんだ!? 敵襲か!? 大魔王でも現れたかッ!――――あ、あれ?」

 

 慌てて跳び起きて構えてみれば、眼前に広がっていたのは予想外の光景……。

 そこは想像していた暗い海底ではなく、何やら神殿のような場所だったのだ。周囲に人の気配はなく、吹き抜けになっている上層からは海水が滝のように流れ落ちている。なんとも面妖な場所であった。

 

「ど、どこだ、ここは? 海底の廃墟……? ま、まさか魔物の巣窟かッ?」

「神のお社です! この荘厳な場所を見てなんでそんな感想になるんですか!」

「ぬ?」

 

 背後からキャンキャン響く声に振り返る。するとそこには、見知らぬ女が一人立っていた。

 薄いヴェールを身に纏った、天色の髪と尖った耳を持つ謎の女。その全身からは超常の力が強く発せられ、十中八九人間ではないことが確信できた。

 

「はぁ、ようやく気付いてくれましたか……。では改めまして自己紹介を。私の名は――【ビタン!】――――え?」

 

 ……私が腰を抜かした音である。

 

「え、ちょ、どうしたんですか? 一応回復は施しましたけど、もしかしてまだどこか怪我を?」

「…………ゆ……ゆ……ゆぅ!」

「…………はい?」

「ゆ……ゆ…………ゆゆゆぅッ……!」

「え? ……何、なんて? ――ゆゆ?」

 

 誰もいない廃墟に潜み、謎の力で生き物をおびき寄せる怪しい女。

 そう、つまり……、こいつは紛れもなく――

 

 

「ゆッ、幽霊だあああああーーーーッッ!!!?」

「いや違いますけどッ!?」

 

 

 ――どう考えても、危険なアンデッドに相違なかった!

 

 

「くく、来るな、ゴーストめ! せっかく生き残ったのに今さらそっちへ行ってたまるか! 悪霊退散! 悪霊退散ーー!」

「だから違いますって! 私はそんな怪しい者ではなくてですねッ? あのちょっと、話を聞い――ブフェエ!? ゲホッ、ペッ、ペッ! ちょ、塩投げないでくださいよ!?」

「南無妙法蓮華経ッ! エロイムエッサイムッ! 聖水をくらえ! 成仏しろ悪魔ああ!!」

「ぶふぁ!? お、乙女の顔に、ガラス瓶投げるとは何事ですか!? ちょっ、ほら落ち着いてください?(ニコリ) 大丈夫、ここには何も怖いものなんてないですかr――」

「ニフラム! ニフラム! ニフラムぅうううーーッ!!」

「誰がゾンビだコラあああーーッ!!」

「ゴッハアああ!?」

 

 重傷の上から正拳突きをくらい、私の身体は地に沈んだ。

 全身の動きが一点に集約された、恐ろしくキレのあるパンチだった。

 ……あ、血が噴き出し……ゴフッ。

 

「ああッ、しまった!? ちょ、待っ、せっかく助けたのに死なないでくださいよ!? ベ、ベホマ! ベホマ! ベホマアアア!?」

 

 ……とりあえず幽霊でないことはわかったが、……アカン、これは冗談抜きで……死ぬ……かも……。

 

 そして今度こそ、私の意識は闇に落ちたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……死んでなかった。……良かった。

 

 謎のゴリラ女は、自らをルビスと名乗った。

 その正体はなんと高位の精霊であり、人間たちの間では“大地の女神”とも呼ばれる超常の存在らしい。より上位の神から世界の管理を任されており、ここから地上の人間たちの行く末を見守っているという。

 

 今回、サンマリーノでの騒ぎで偶然魔族(私)を発見し、それ以降こちらの様子を探っていた、とのこと。はざまの世界の魔族がどんな悪事を企んでいるのかと思いきや、子どもと戯れたり海で溺れたり床を転がったりと奇行ばかり繰り返すため、かなり困惑したそうな。放っとけ……。

 

 で、最終的にムドー相手に反逆し、さらには意外にも善戦していたことから、『お、これ支援すればいけるんじゃね……?』と思い、ここから一時的な加護を飛ばして能力を底上げしてくれたらしい。マホトーンで幻術を破れたのも、高位呪文であるベホマを一瞬で修得できたのも、彼女の後押しがあってのことだったのだ。なるほど、だからムドーはあのときルビスの名を叫んでいたのか。納得。

 

 そしてその後は私も知っての通り。

 ムドー城が崩壊し、死にかけの私が海に落ちてきたため、お礼もかねてこの場所まで呼び寄せ、回復を施してくれて現在に至るというわけだ。

 

 ――と、そこまでひと通り話し終えたところで、ルビスは深く腰を折った。

 

「……改めまして、ここまであなたを監視・利用したことを謝罪いたします。そして、ムドーを倒し、地上の子らを救ってくれたことに深く感謝を……。本当にありがとうございました」

「お、おぅ……」

 

 女神からガチめの感謝を示されて、魔族としてはちょっと戸惑うところである。

 ……いやいや、別にそこまで気にしなくて良いのだぞ?

 チャンスがあれば魔王討伐に賭けるのは、管理者として当然の行いだと思うし。それに、本来なら負けのところを引っくり返してくれたわけだしな。むしろこっちが感謝するところだ。

 

「そ、そうですか?」

 

 うむ。それに何より……、こうしてベホマまで習得できたのだからな。命を助けてもらった上に最終目標まで手に入れさせてもらって、これで文句を言ったら罰が当たるってモンよ。

 

「だからまあ、細かいことを気にするでない! フハハハ!」

 

 なにせこれで、身の安全はほぼ盤石となったわけだしな。これから先何をしていくにも、もうこれまでのように怯えなくて済む。

 矢でも鉄砲でも魔王軍でも、まとめてドンと来いって話だ! ワーッハッハッハッ――

 

 

 

「あ、あの…………ベホマはもう……使えませんが……」

「フハハハ、なんだそんなことか。それくらい別に気にしな――」

 

 

 

 ………………。

 

「…………?」

 

 なにやら今、聞き捨てならない単語があった気がした。

 

 

 ……TSUKAENAI?

 

 …………。

 

 ……ツカエナイ?

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「使えないッッ!!!?」

「ひぃ! 怖い顔ッ!」

「どど、どういうことだッ!? だって! さっきはあんな見事に使いこなせてッ!!」

「あ、あれは、女神の加護で下駄を履かせていただけで……、た、戦いが終わったら当然、元の状態に戻りますが……」

「う……嘘……。で、ではッ……今の私の、僧侶としての力はッ?」

「えっと、聞いていた通りでしたら……、も、元通り……、ホイミだけ、ですね」

「そ、そんな……。あ、あんな死ぬ思いまでしたのに、……結局……進歩なし、だと……?」

「……えっと、まあ…………、はい」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「ウボァァ」

「あ……」

 

 本日何度目かのダウンを喫していた。

 天国から地獄まで一気に急降下。そのショックは、敵将を討った褒美として部隊長の地位(クレイジーどもの管理役)を貰ったときに匹敵する。あれは本当にフザケンナと思った……。

 

「……え、えーっと……。何やら落ち込んでいるところ申し訳ないのですが……。あなたにはまだ、聞かなければならないことがあるんです」

「……なんだよぉ。今傷心中なんだから、放っておいてくれよぅ……」

「す、すみませんが、これも務めでして……」

 

 力ない訴えを無視して、ルビスは続ける。

 くそぅ、やはり神に人の気持ちなど分からないのだ。

 

「あなたが善良であること――少なくとも悪ではないことは、ほぼ確信しています。……ですがそれでも、あなたは我らにとって不倶戴天の敵・魔族。たとえ1%でも敵対の可能性があるのなら、管理者として見過ごすわけにはいきません。……どうか答えてください。あなたはこれからこの世界で、何をなさるおつもりなんですか?」

 

 ……なんだよ、そんなことかよ。神のくせにみみっちいことばかり気にしおって。

 勝手に監視して利用したんだから、少しは誠意でも見せろってんだ。

 こちとら一度手に入れたベホマを失って落ち込んでる最中なんだぞ?

 

 ああもう、これだから神って駄目だわ。まったくもってダメダメだわ。

 地上の管理はガバガバだし……、魔王軍の侵略阻止できてないし……、神託告げるだけで自分じゃ全然働かないし……。

 

 ホント神って駄目だわ。

 お願いだからしっかりしてくれよ、……神。

 マジでほんと……頼むよ、……神。

 責任ある……立場なんだから……、これからはちゃんと……しろよな……かみ……。

 

 この世界を……管理……している…………か……み…………?

 

 ……。

 …………。

 ……………………神?

 

「あ、あの……? そろそろ……返事をしてほしいんですが……。…………え? これ無視? ……私女神なのに、無視されちゃってるの?」

 

 

 

「あ、神(ベホマ供給元)だ……」

「……はい?」

 

 ――私の脳裏に、再び天啓が舞い降りた。

 

 

 

「……よろしい。我が野望についてお答えしよう」

「えっ? あ、はい……。ど、どうぞ」

「私がこの地上でやりたいこと……。それはズバリ――」

「ズ、ズバリ……?」

 

 今回の経緯から察するに、僧侶の修行とはおそらく『善行を積み重ねる』だけでは不足なのだ。むしろ重要なのはその先……、善行を『神に認められ』、『加護を得ること』こそが肝の部分と言える。

 つまり――

 

 

「人類の平和と安全のためッ、この身を賭して働こうと思っているッ!」

 

 女神の目の届くところで、こうしてキッチリ自己アピールすることが重要なのだ!

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「…………はい? ……え……何? ……なんて?」

 

 ルビスが怪訝そうな顔で耳に手を添えた。

 おいおい、せっかくの所信表明を聞き逃してしまったのか?

 仕方ない、では分かりやすくもう一度言ってやろう。

 

「慈愛の精神に溢れるこの私は、『社会のために力を尽くして働きたい!』と言ったのだ。……まあ要するに、世直しと人助け、というやつだな。ほら、あなたが心配するようなことなど何もないであろう? だから安心して見ていると良いぞ、女神殿。クフフフフ……」

「ひぃ!? さ、さらに怖い顔! 絶対嘘だ!」

「何を言う。私は忠実なる神のしもべ、神父なのだぞ? 女神に対して嘘など吐くはずがあるまい」

「し、神父!? あなたがッ!?」

 

 視線が頭頂から足先まで三往復しおった。

 ――失礼な。サンマリーノから監視していたのなら、私がどれほど品行方正かなど自明であろうに……。

 

「具体的には、人々を苦しめる魔王軍を抹殺して回り、傷付いた者たちを治療していきたいと思います」

「えぇぇ……」

 

 今度はドン引きしおった。

 ――失敬な。社会に貢献したいという信徒に対し、女神がこんな目を向けちゃいかんだろうに……。

 なんて憮然としていると、ルビスは恐る恐る手を上げてきた。

 

「……あ、あの……、明らかに何か企んでそうな事実は、一旦置いておくとして、ですね……?」

「む? なにかな?」

 

 さっきから気になる物言いだが、これも信用を得るため。質問には真摯に答えよう。

 

「わ、私の立場でこんなこと言うのもアレなんですけど……、その、良いんですか……? 先ほどの言葉を信じるなら、あなたは同族と殺し合うことになるわけですが……。その……、もし昔の知り合いとかに会ったりしたら、困るのでは……?」

「はははっ、なんだ、そんなことか。全く問題ないぞ」

「え……?」

「向こうでは殺し合いなど年中行事だったからな。同族で殺し合う葛藤とか、命を奪う罪悪感とか、生まれたその日の内に綺麗さっぱり無くなっておったわ。たとえ戦場で同輩とかち合ったとしても、躊躇なく殺れるぞ!」

「え、えぇぇぇ……」

 

 なにせ生後30秒で命懸けの戦いを強要されたからな。襲い来る敵を必死で八つ裂きにして生き残り、その後も“訓練”と称して大量の敵をひたすら粉々にしてきた。(※同期との乱闘含む)

 罪悪感なんぞ、感じる暇もなく吹き飛んでいたわ!

 

「ゆえに、今さら魔族どもを抹殺するくらい何の躊躇もない。安心して任せてくれて良いぞ、女神どの!」

「何一つ安心できる要素がないんですがッ!? ヤ、ヤバいよ、この人やっぱり紛れもない魔族だよ。笑顔で顔見知り殺す宣言とか、充分アブない人だよ……!」

 

 なにやら、私が同期の連中を見るような目で見られている。

 これから同僚(?)になろうという相手に、ちょっと失礼ではあるまいか?

 

 ……いや、初対面の魔族をいきなり信用しろというのも難しい話か。ならば、今後の行動でそれを払拭していくとしよう。

 

「――というわけで女神どの、私は早速治安維持の旅に出たいと思う」

「えッ、いや、あの……」

「最初は、そうだな……北の方から行くとしようか。確かあの辺りは誰の管轄でもなかったはずだし、肩慣らしにはちょうど良いだろう。さすがに二連続で魔王と戦うのは勘弁願いたいからな!」

「いえッ、気になるのはそういうことではなくてですね!」

「ははは、心配せずとも、活動時には女神どのの名前を前面に押し出していくさ。喜ぶと良い、これであなたの名声はさらに高まるぞ!」

「“魔族と結託した”なんて名声困るんですけど!? 裏切り者扱い不可避なんですけど!? ちょ、聞いてますか!?」

 

 フハハハハ!

 女神に直に見てもらいながら善行とか、こんなのもう成功が約束されたようなものではないか! 最後の最後にこんなボーナスステージを用意してくれるとは、日々真面目に祈りを捧げてきて本当に良かった!

 

「ああああもうッ! 分かった、分かりましたよッ、私も着いて行きますよッ!」

「なぬっ?」

 

 改めて天に祈りを捧げていると、ルビスの口から思わぬ宣言が飛び出した。

 なんと女神である彼女が、地上の一生命体のために着いて来てくれると言うのだ。まさか助けてくれただけでなく、アフターケアまでキッチリとやってくれるというのか!?

 

「ええ! ええ! こうなったらもう覚悟を決めますよ! 勝手に利用しちゃった借りも返さないといけませんし、もう毒を食らわば皿までってヤツです! ――それに何より! このままあなた一人で行かせたら、色々なものが終わってしまいそうですからねッ! 主に私の経歴とか将来とかッ!」

 

 な、なんと優しい心遣い! これが女神の慈悲なのか……! 夷険一節たるこの私が、思わず宗旨替えを検討するところであったわ。

 ……いや、もし首尾よく事が運んだなら、いっそその選択も有りかもしれない。

 

「“女神専属悪魔神官”か……。なるほど、グローバルでダイバーシティなマネージメントにアポロプリエイトなプロフェッションだな。字面的にも特別感があってとても良い」

「よく分からん妄言はその辺にしといてください。それよりもいいですか? こちらの指示には全て従ってもらいますからね? とりあえず絶対条件として、その顔は決して人目に晒さないように――って言ってる傍からそのまま行くなアアッ!!」

「さあ女神どの、ぐずぐずしてないで早く出発しよう! 世界中の困った人を片っ端から助けていき、そして今度こそ私は、ベホマをこの手に掴んでやるのだ! ヌハハハハーーッ!」

「あああもうッ、なんでこんなの助けちゃったんだろうッ!! コラッ、一人で勝手に行くなと言ってるでしょうがッ! ちょ、待ちなさーーい!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【サンマリーノ・タイムズ巻頭特集】

 

 統一歴722年、実りの月17日。

 この日、長きに渡り人類を苦しめてきた魔王ムドーは倒れ、その居城は海底へ沈んだ。どうやらムドー城にて激しい戦いがあったらしく、その余波で島そのものが崩壊してしまったようだ。

 個人の戦いで島が割れる……。なんとも非現実的な話ではあるが、かつて見た魔王の力を思い起こせば、この事態も有り得ないことではないと思えてしまう。

 そんな強大な力を持つ人類の敵が滅びたのだから、確かにこれはありがたい話なのだろう。

 

 ――だがここで一つ、重大な疑問が残る。

 言わずもがな、『誰がそれをやったのか?』ということだ。

 レイドックの公式発表によれば、『討伐隊がムドーを倒し、その戦いにより島が崩壊した』とのことだが、そんな話を鵜呑みにするほど我々は純真ではない。

 レイドック兵は確かに人類トップレベルの精鋭だが、失礼ながら、さすがに魔王を倒せるほどの力はない。……いや、筆者は別に他国の兵士を貶したいわけではない。どう好意的に考えても、あれはただの人間に――否、普通の生物の手でどうにかなる存在とは思えないのだ。

 

 ならばレイドック兵たちは、一体どうやって任務を達成したのか?

 その疑問を解く手がかりとして、筆者はとある興味深い会話を紹介したい。以前レイドックへと赴いた際、私はムドー討伐隊と思しき者たちを偶然酒場で発見し、その会話を漏れ聞いたのだ。

 彼らは深刻な表情を浮かべ、次のような言葉を語っていた。聞こえたそのままを掲載させていただく。

 

 

 

 

『くそッ……。部外者のあいつ一人に全て押し付けちまった。なんて情けないんだ、俺たちは……!』

『やめろ……、もう終わったことなんだ。それにどの道、俺たちの力じゃどうにもならなかったよ』

『わかってるよ、そんなことは! ……けど、……けどよォ!』

『一番辛いのは俺たちじゃないだろ? 今誰よりも悲しんでいるのは……』

『う……。わ、わかってるよ、ちくしょぉぉ』

『…………それにしても、まったく気丈な御方だ。我々に心配をかけまいと、今日も輝くような笑顔で壁走りの練習をなさって……』

『くぅ、泣かせる話だぜ……!』

 

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 ……いかがだろう?

 漏れ聞こえる単語だけ拾っても、とても興味を引かれる内容ではないだろうか?

 

“部外者”

“一人”

“押し付けた”

“俺たちではどうにもならなかった”

 

 これらのキーワードを繋ぎ合わせていけば、自ずと一つの結論が導き出されてくる。すなわち、

 

 

 ――『討伐隊にはレイドック兵とは別に、強大な力を持つ協力者がいた』ということだ!

 

 

 それも、そんじょそこらの半端な手練れではない。単独で魔王と戦えてしまうような、それこそ伝説に謳われる勇者並みの力を持つ何者かだ。

 推論に推論を重ねた形になって申し訳ないが、兵士たちの真に迫った態度を鑑みれば、この荒唐無稽な結論にもある程度の信が置けるのではないだろうか?

 

 だがこの仮説が正しいとすると、さらなる疑問が生じてしまう。

 そのような強者が在野にいるなら、自然と有名になるはずなのに、今日まで噂すら聞いたことがない。

 加えて、ムドーを討伐した立役者ともなれば、国を挙げて称賛・喧伝し、魔族と戦っていくための旗頭とされそうなものだが、こちらも全く音沙汰がない。

 一体なぜ……?

 存在を知られてはならない人物なのか? 出自が真っ当ではないのか? 過去に重罪を犯した犯罪者? それとももしや、秘匿された王族の誰かなのかッ?

 

 ……下世話な邪推をしている自覚はある。

 しかし記者としての勘なのか、私はこのヤマをこのまま終わらせるべきではないと、強く感じている。この事件の裏には、何か公にはできない、大きな秘密が隠されているように思えてならないのだ。

 我々サンマリーノ・タイムズは、これからも社の全力を挙げてこの謎を追っていきたいと――

 

 

 ――パコーーーンッ!!

 

 

「いったあああッ!? ちょっ、何するんですか、編集長!」

「こっちのセリフだ、馬鹿野郎! このネタはもう追うなって言っただろうが!」

「そ、そんなの納得いきませんよ! これは絶対背後に陰謀とか黒幕とかがいますって! 突き止めれば大スクープ間違いなし! 何と言われようと、俺は絶対に諦めませんかr――イイ痛たたたたッ!?」

「う・え・か・らのお達しなんだよ! てめえ、俺まで道連れでクビにする気かッ! しかも何だこれッ、『記者としての勘なのか』? 一年目の新米にンな大層な勘があってたまるか! 記者舐めてんのかッ!?」

「ひいいッ! す、すみませんでしたあ! もう勝手なことはしませんんッ!」

「…………ちっ、分かりゃいいんだよ。……それで? 言い付けておいた巻末コラムの方はできたのか?」

「あ、はい……。それはもう終わってます。ど、どうぞ……」

「フン……、やることはちゃんとやってんじゃねえか。……そうだよ、新人はまず、こういうとこから真面目に積み重ねを――」

 

 

 

【謎の妖怪の正体に迫る!】

 近年、世界各地で魔王軍と戦う謎の戦士がいるのをご存じだろうか?

 その人物は、人々が襲われているところに颯爽と駆けつけると、圧倒的な力で魔物を撃退し、さらには無償で回復魔法まで施してくれるらしい。世知辛いご時世に珍しい、なんとも慈愛の心溢れる御仁である。助けられた人々はその立派な行いに感激し、彼を“妖怪ホイミマント”と呼んで広く讃えているのだとか。

 ……だが筆者のイチ推しはむしろ、相棒の“女妖怪ゴリラエルフ”の方で――

 

 

 ――パッコーーーンッ!!

 

 

「いっだあああッ!?」

「ウチはオカルト雑誌じゃねえんだよッ!! てめえマジでブッ飛ばすぞッ!?」

「ひぃぃ! ごご、ごめんなさい! お、面白いと思ったんですううッ!!」

「待ちやがれ! このアホ新人がああーッ!!」

 

 

 

 

 

 ………………。

 

 ――神は天にいまさずとも、すべて世は事もなし。

 世界は少しずつ確実に、平和へ向けて歩み始めているようであった。――(校了)

 

 

 

 

 

 

 

 




第三者が主人公のことを噂するシーンって、なんかニヤニヤして良いですよね。

そして次回、最終話です。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終話 師より優れた弟子など存在しねえ

 この世には、人々が生きる現実世界とは別に“夢の世界”と呼ばれる特別な場所がある。

 現世で眠っている間、人の精神は肉体を離れ、夢の世界にて別の人生を歩む。それは過去の記憶であったり、本人の願望であったりと内容は様々だが、彼らは幸福な夢の中で疲れた心を休め、明日を生きるための力を蓄えるのだ。謂わば夢の世界とは、厳しい現実に立ち向かう人々を支える、心の拠り所であった。

 

 

 

 ――その夢の世界がまさに今、存亡の危機に立たされていた。

 

 夢を束ね、人の心に安寧をもたらす夢世界の守護者・ゼニス王。彼が居城とし地上を見守っていた天空城は、今や敵の手に落ち魔性の城と化していた。

 それを成した簒奪者の名は――魔王デュラン。

 大魔王デスタムーア直属の大幹部であり、四大魔王の一角を担う強大な悪魔族の闘士だ。彼は配下を率いて天空城を強襲すると、ゼニス王以下主だった者たちを幽閉。自らを天空城の新たな主と名乗り、そのまま夢世界の支配に乗り出した。

 

 夢は人々の心に安らぎをもたらす拠り所であるが、それだけにとても繊細な場所だ。

 魂が剥き出しのまま無防備に置かれているため、悪意ある者の干渉を受けてしまえば常人に抗う術はなく、仮に夢世界で死ぬようなことがあれば、その影響は現実にも死という形で表れる。ゆえにゼニス王は、人間が悪夢などに囚われることのないよう、細心の注意を払い世界を見守ってきたのだ。

 

 そんな重要極まる世界の支配権が今、悪辣なる魔族の手に落ちようとしていた……。

 まさに由々しき事態であった。

 

 

 

 

 

「みんな、覚悟は良いかい? おそらく彼はこれまでで最強の相手だ。戦って無事に済む保証はないよ?」

「フッ……。今さらそんなことで怖気づくとでも?」

「むしろさっさと戦いたくてウズウズしてるくらいよ!」

「おう! さっさと魔王の奴にガツンとかましてやろうぜ!」

 

 だがここに、その危機に抗わんとする者たちがいた。城の最奥、玉座の間にて佇むは七人の戦士たち。いずれの顔ぶれも年若く、最年長でもおそらく二十歳には届かない、一見頼りなくも見える集団だ。

 だがその顔つきに、ルーキー特有の甘さや浮つきなど微塵も存在しない。いつ何時誰が来ようとも、全てを屠ってやらんとする、まさしく歴戦の強者の風格があった。

 

 そう……、彼らこそが、人類に残された最後の希望。

 襲い来る魔獣・魔族を数多撃退し、いくつもの町や村を守り抜き、ついには鳥獣王ジャミラス・海魔王グラコスを打倒した、最強と謳われる冒険者パーティ。

 

 ――世に名高き、“勇者一行”であった。

 

 “賢者チャモロ”

 “大魔導士バーバラ”

 “神の踊り手ミレーユ”

 “バトルマスターテリー”

 “魔物使いアマンダ”

 “格闘王ハッサン”

 “伝説の勇者レック”

 

 いずれ劣らぬ人界最高の戦士たちは、力と戦意を漲らせ、眼前の魔王を睨み据えていた。

 

「ククク、ようこそ勇者一行。ヘルクラウド城主デュランが、諸君の来訪を心から歓迎しよう」

 

 その勇者たちの殺気を正面から受けながら、魔王の余裕は小ゆるぎもしない。彼は玉座に深く腰かけたまま、まるで友人との出会いを楽しむように小さく笑う。深く被ったローブから僅かに除く口元には、欠片の緊張も浮かんではいなかった。

 

「けっ、余裕かましやがって。それが命取りになっても知らねえぞ?」

「落ち着きなさいよ、ハッサン。油断してくれているならむしろ好都合ってモンよ」

「そうだな、本気も出させないまま完封してやろう」

「フフフ、怖い怖い。正義の勇者がそんな物騒なことで良いのかね?」

 

 侮るような態度に血の気の多い者たちがいきり立つが、デュランはそれすらも柳のように受け流していく。お前たちごときの威圧など、そよ風ほどにも感じないと言わんばかりに。

 

 ……それも当然であろう。いかに彼らが強者とはいえ、それはあくまで人間界レベルでの話。血で血を洗う魔界の闘争を勝ち抜き、実力で魔王の地位を奪い取った彼にとって、人間の勇者など文字通り井の中の蛙に過ぎないのだ。

 

「……とはいえ。いくら蛙でも、こうもしつこく纏わりつかれては鬱陶しくなろうというものよ。……この辺りでそろそろ――

 

 

 

 

 

 ――仕置きの一つも必要か?

 

 

 

 

 ズ…………ンッ!!

 

「ッ!?」

「ぐ……ゥ!」

 

 デュランが僅かに意識を向けた瞬間、空間が歪むほどの圧が一行に降り注いだ。魔導士たちは耐えきれずその場で膝を着き、前衛の戦士たちですら大きく態勢を崩しよろめく。

 ……特に怒気などを発したわけでもない。ただほんの少し意識を向けられただけで、最強と呼ばれる戦士たちが容易く圧倒されていたのだ。

 そのあまりの実力差に、年少者たちの心は折れそうになる。

 

 ――ああそうだ……。目の前にいるのは魔界随一の闘士。

 死に物狂いで倒したあのジャミラス、グラコスをも上回る、四大魔王最強の男なのだ。

 ただの人間に過ぎない自分たちが、こんな化け物に抗うことなど――

 

 

 

「――みんな! 気を強く持つんだッ!!」

「「「ッ!」」」

 

 力ある声が響き、絶望に沈みかけた仲間たちを鼓舞する。無論のこと、それを発したのは彼。世界の希望を一身に背負う、精霊に導かれし勇ましき者。

勇者レックは圧し掛かる圧を気合いで跳ね除けると、背中に負う伝説の剣を抜き放った。

 

「舐めるなよ、魔王……。その程度の威圧で、我々が怖気づくと思ったか!」

「ほう……?」

 

 その瞳に恐怖の色は微塵もなく、レックはただ真っ直ぐに相手だけを見ていた。

 彼の心を奮い立たせているのは、五年前のあの苦い記憶……。

 ――あのとき自分は、ほとんど何もできなかった。圧倒的な力を見せつけられ、初めて感じる恐怖に震え、大人たちにただ守ってもらうばかりだった。

 そして最後は、知らぬ間に大切なものを失ってしまう結果に……。

 

(でも……、今は違う!)

 

 後悔も屈辱も振り払い、レックはただ前を向く。

 自分はもう、無力な子どもではない。時を経て力を付け、仲間と出会い、四大魔王すら倒し……、そしてついに、目指していた場所まで辿り着いた。

 今こそ遠い日に胸に抱いた、あの誓いを果たすとき!

 

「さあ、立つんだ、皆! こんなところで蹲っていたら、大魔王討伐なんて夢のまた夢だぞ!」

 

 その勇気ある姿を見て、仲間たちも次々と武器を構える。

 

「フッ、そうだな。ここでビビッてちゃあいつに笑われちまうか」

「同感! きっと指差して煽ってくるわねッ」

「自分だって、神父様の説教を散々怖がってたくせにな!」

 

 もはやこの場に、恐怖に震える人間など残っていなかった。

 

「さあ刮目しろ、魔王デュラン! 弱者の足掻きを……、人間たちの力と想いを、その身にしかと刻み込めッ!!」

 

 レックが先陣を切り、仲間たちが臆さず後に続いていく。

 今ここに、勇者と魔王の死闘が始まったのだ。

 

 

「くははははッ、いいぞ面白い! 選ばれし勇者の力とやら、この私に見せてみるがいいッ!」

 

 

 その勇壮なる姿を正面から迎え撃ちながら、最強の魔王デュラン(?)は悠然と笑みを浮かべ、

 

 そして――

 

 

 

 

 

 

 

「「「「なんで魔王になってんだお前はああああーーーーッ!!」」」」

「ぐっはあああああッ!?」

 

 予想外に強くなっていた弟子たちに不覚を取り、正面から殴り倒されたのだった。

 そしてそのまま周囲を取り囲まれると――

 

「えいやッ! どうだ、レック!?」

「あ、あああッ! やっぱりッ!!」

「……え? って、あぁッ!? しまった! フードが取られ――ッ」

「やっぱり先生だッ! ほらこの魔族顔、間違いない! やっぱりサンタさんだったよッ、テリー、ハッサン、アマンダ!!」

「よし中身確定ッ! 確保、確保、確保おおおおッ!!」

「ぬわあああ!? な、何をするかああッ!?」

「あ、コラッ、大人しくしろ、暴れんなバカ師匠!」

「ああもうハッサン! 正拳突きもう一発いっときなさい!」

「いや、それよりも霜降り肉だ! 食い物さえ与えとけばこいつは大人しくなる!」

「了解! 食らえッ!!」

「フガッ!? モガガガフゴーーーッ!?」

 

 

 ――哀れなり。

 卑劣なる数の暴力に屈し、魔王はロープでグルグル巻きに捕縛されてしまった。

 歴史に刻まれるはずの勇者と魔王の決戦は、こうして史上最速の早さで終了したのであった……。

 

 

 

 

―――

 

 

 

 

「……な、何なんでしょうね、アレ?」

「さ、さあ……? 四人と知り合い……、だったのかなぁ?」

「多分、昔いろいろとあったのよ。……そっとしておきましょう?」

 

 いつの間にか蚊帳の外に置かれた三人は、とりあえずキリの良いところまでそっと見守ることにした……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はい、皆さんこんにちは。

 世直しの旅に出ていたはずが、いつの間にか魔王になっていたデュラン二世、もとい、サンタです。

 

 ……え? なんでそんな面白いことになってるのかって?

 いや、全然面白くねえよ……。過去の反逆がいつバレるか戦々恐々の日々だったよ……。

 

 それもこれも全部、あのルビスって野郎のせいなんだ。

 あんにゃろうめ……、活動場所の選定を全て任せていたら、ある日突然『夢の世界へ行きましょう!』とか言い出しやがって。

 これまでの世直しの旅、あいつの指示でうまく行っていたから、あのときも大丈夫だと思ったんだ……。『長い付き合いなんだし今更疑うこともないだろう』って、深く考えもせず乗り込んじゃったんだ……。

 

 

 

 ――まさかそこが人間界の最重要施設で、しかも魔王によって絶賛占領中とか思わないだろッ!?

 

 おかげでこっちは魔王軍と全面対決だぞ!

 武闘派集団・デュラン軍と正面衝突だぞ!

 必死の思いで数万匹の軍勢を殴り倒したと思ったら、そのまま最強の魔王デュラン様と一騎打ちだぞ! 冗談抜きで死ぬかと思ったわ!

 

 そして、極めつけはその最後……。

 ムドー戦の経験で大きく力を増していた私は、ボロボロになりながらもなんとかその死闘を制することに成功する。

 最後の一撃が決まってデュラン様が倒れたときは、人目も憚らず喜んだ。『よっしゃ生き残った! これで帰れる!』と、思わずガッツポーズまで飛び出したほどだ。

 

 だがそこで、最期にデュラン様がやらかしてくれやがった! なんとあの人、部下たちも見ている前で、

 

 ――『見事な戦いぶり。お前が次の魔王だ!』

 

 などと余計な宣言をしてくれたのだ。おかげで私はなし崩し的に“デュラン二世”を襲名することになってしまい、今じゃゼニス城――現ヘルクラウド城――の主として、お空の上をプカプカする毎日だ。ちくしょう、まったくありがたくない……ッ。

 

 ……え? だったら断われば良かったじゃん、って?

 バカヤロウ、こっちは魔王との死闘で瀕死だったんだぞ! あそこでもし断ってたらどうなるッ? 無傷の“キラーマジンガ大隊”とそのまま延長戦に突入だ! 確実に死ぬわ! そりゃ受けるしかないだろうッ!

 

 ……そして、そこからはもう、ひたすら胃の痛みと戦う日々よ。

 部下たちに舐められないよう威厳を保ちつつ、人間に危害を加えないよう手綱を握り、いつ本国に正体がバレるかと胃をキリキリさせる二代目魔王生活。

 はざまの世界からの通信では、『どうか昔の知り合いが出ませんように!』と、毎回ゴリゴリ神経を磨り減らして……。出世して逆に幸福度が下がってるとかどういうことなの……?

 

 

 そんな中で数少ない朗報と言えば、デュラン様の気質を継いでいるおかげで部下たちが無益な殺生をしないこと。それと、仕事自体は全部丸投げして楽ができている、ということか……。

 

 ……実を言うと、幽閉されていたゼニス王さんたちの身柄はすでに解放している。夢の世界の管理なんて私にはできんので、大魔王様に気付かれないよう彼らと協力を結び、夢関連の業務をまるっと全部委託しているのだ。

 最初はすごく怪訝な目で見られたが、今ではまあ、それなりに隣人として仲良くやれていると思う。まだ偶に怯えられることもあるが、魔族と神族の関係を考えればこれでも破格の扱いと言えるだろう。

 

 部下たちも特に神族を迫害することもないし、組織の運営に関してはむしろこれまで所属した中で一番まともだ。

 ゆえに、当初の予定とは若干違うけれど、

 

――『これなら胃の痛みさえ我慢すれば、“平穏な暮らし”も達成できるかも……?』

 

 と、最近はそんな風に、淡い希望を抱いていたところだったのだ。

 

 

 

 なのに、

 

 

 それなのに――

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「まさか……ずっと会いに来てくれなかった理由が……本当に――」

「『劇的に別れてすぐに再会したら気まずい』――なんてアホな理由だったとはな……」

 

 こうして弟子たちにボコボコにされて捕まることになろうとは、全くもって予想外。その上尋問まで受けて、魔王になってからの経緯を全て説明させられてしまうし……。

 ああ……、テリーの“残念なものを見る目”が心に刺さる。

 底抜けに人が好いレックですら、何とも言えない表情をしているし……。

 

「先生……、せめて無事くらいは知らせて欲しかったです。トムやフランコだって、ずいぶん気に病んでいたんですよ?」

「う……」

 

 それは、確かに申し訳なかったが……。

 ……い、いやでも、仕方ないではないか。あんなにカッコつけて一人残っておいて、後日すぐに『あ、やっぱり生きてました~、えへへ』とか、絶対居た堪れない空気になるぞ……。

 ゆえに私としては、何か劇的なイベントが起きるまで待って、そこから自然に再会・合流する予定だったのだ……。それがまさか、先に弟子たちに討伐されて尋問を受けることになろうとは、まこと人生とは予想外の連続である。

 

「ほへー、師匠本当に魔族だったんだなー。目は赤いし、肌も緑だし。あ、角も生えてるんだな(ツンツン)」

「これは確かに顔を隠すのも納得よね……。ていうか、よくこの見た目で『人間の街で暮らそう』とか思ったわね。やっぱり頭がおかしいのかしら?(ツンツン)」

「ええい、顔を突っつくんじゃない、この悪ガキども!」

 

 左右から纏わりつくサンマリーノ組を強引に引きはがす。

 真面目に話を聞くレックたちと対照的に、ひたすら私の身体を撫でくり回すハッサンとアマンダ。五年ぶりの再会でも相変わらず失礼な奴らである。

 

「――というかそろそろこっちの疑問にも答えんかッ。なんでお前たちは全員知り合いになっているのだ! しかも私の正体や内情まで知っている風だったし、一体どこから聞きつけた!?」

 

 魔族側にも人間側にも、私の正体は漏れないように気を付けていたのに、一体なぜ?

 ま、まさか部下の中に内通者でもいるのかッ!? ならば今すぐ内部調査を――

 

「あ、普通にルビス様からのお告げですね。『あなたの恩人、魔王としてのんびり生きてますよ~』って夢の中で知らされて……。僕らに会いたくない理由もそのとき教えてもらいました」

「あ、俺(私)たちも同じ」

「ルゥビスぅうううううッッ!!!!」

 

 あいつ何やってくれてんの!?

 魔界側にバレたら一巻の終わりだから秘密にしてって言ったじゃん!

 人間側にバレても面倒になるから言わないでって言ったじゃん!

 なのになんで神託まで使って情報開示してるのッ!?

 

「あと他にも、これまでの人助けの話とかも聞かせてくれましたよ? 二人を熱心に鍛えてあげた話とか、テリーを優しく助けてあげたこととか……。ふふ、やっぱり子ども好きだったんですね、先生!」

「俺たちは“王子を助けた優しい魔族の話”だな。いやー感動したぞ、師匠w」

「ぐああああッ!?」

 

 しかもなんか、微妙に恥ずかしいエピソードまで添えられてるしッ!?

 いや駄目だろ!? “そこ”は特にコイツらに教えちゃダメなとこだろッ!? 師匠の見栄のために命かけてまで頑張ったのに、それを本人たちに話しちゃ何の意味もないだろッ!?

 な、何なんだ、あのゴリラ女神め! 私に何か恨みでもあるのかッ!?

 

「師匠~、レックを助けるために上司に反逆したんだって? 優しい~」

「相手はかなり強い奴で、命がけの戦いだったらしいわね? カ~ッコいい~」

「しかも最終的に背中を押した理由が、“俺たちにがっかりされたくなかったから”なんだって? Foo~、いじらしい~」

「ぐあああやめろぉ! そ、そんな生暖かい目で見るんじゃないいいッ!」

 

 ニヤつく弟子どもの視線から逃れるため、ローブを被って地面に丸まる。しかし当然そんなことで追撃の手は収まらない。

 周りを輪になって跳ね回る、ハッサン&アマンダ&テリー。

 ……もう完全に師匠の面目丸潰れであった。

 

 チクショウッ……、ゆるゆるな空気にも程がある。せっかく威厳ある魔王ムーブで華麗にキメようと思っていたのに、気が付けばまたいつものコメディ展開だ。どうして私ってやつはいつもこうなってしまうのか……!

 

 

 

 

「ふうぅぅ……。ま、弟子をずっと放置してたお仕置きは、このくらいにしといてやるか」

「そうね。こんだけ言っとけば、もう無断で行方をくらませたりしないでしょ。……次またやったら、激しい炎をお見舞いしてやるけど」

「お前ら容赦ねえな。世話になったんだから、ちょっとは加減してやれよ」

「なに言ってんのよ、テリー。一番ノリノリで煽ってたのはアンタじゃないの」

「そうそう、無表情で一番怒ってたよな」

「……いや、そりゃまあ? 俺も多少はイラっとしてたし? 『レックに会わないから平等に俺たちとも会わない』ってなんだよ……。気遣いの方向がおかしいだろ、そこはちゃんと会いに来いよ……」

「あれれー? なになに、拗ねてんの? かーわいいー」

「ハハッ、最初はドライな奴だと思ってたけど、意外と繊細だよなお前」

「うっせえ! そんなんじゃねえっての!」

 

 ――ワイワイ!

 ――ガヤガヤ!

 ――ギャンギャン!

 

 

 

「くぅッ……、師匠の悪口をダシに盛り上がりおって……」

 

 ギャイギャイと騒ぐ弟子どもを見ながら、愚痴混じりの溜め息が漏れる。

 ……しかしまあ、それでも負の感情が欠片も湧いてこない辺り、私もずいぶんと丸くなったものである。

 あいつらが無事に成長して、目標を達成して、そして、仲間たちと楽しそうに笑い合っている姿を見ていると、怒りより遥かに大きな喜びが沸き上がってくる。それと引き替えと思えば、木っ端魔族の羞恥心や面目など安いものだ。

 

 ならば今、この場で私が言うべきはたった一つであろう……。

 

 

 

「――テリー」

「あん?」

「――ハッサン」

「おう?」

「――アマンダ」

「何よ?」

「――レック」

「はい」

 

 

 

 

 

「みんな、立派に成長したな……。また元気な姿が見られて、嬉しいぞ」

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 

「――うん」

「――おうっ」

「――ええ」

「――はい!」

 

 

 ……とりあえずこんな感じで、師匠と弟子の感動の再会は、のんびりグダグダと果たされたのであった。

 

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 

 さて、その後の話だが……。これ以降も私は、レックに誘われて狭間の世界へ乗り込んだり、大魔王様と戦ったり、破壊と殺戮の神に喧嘩を売ったりと、割と過酷な冒険に巻き込まれるのだが……、まあ、今ここで語るのはやめておこう。

 

 それはあくまで、レックたちを主役としたまた別の物語。

 私自身のささやかな冒険譚は、ここらで一旦締め括りとしておきたい。

 

 そう……、思えばここまでいろいろなことがあった。

 回復魔法を求めて故郷を飛び出し、ヤクザ組織を叩き潰し、何の間違いか弟子を取り、命がけで魔王に反逆し、そして最後は自分自身が魔王になってしまうという、波乱万丈過ぎる放浪生活。

“平穏な生活”という当初の目標は全く果たされることなく、むしろ故郷より多くの危険に晒され続けるという笑えない話……。自身の不幸を嘆きながら、何度枕を濡らしたことだろう……。

 

 ――だがしかし、それでも心に後悔が過ることはなかった。

 何度も命の危機に見舞われて、今も絶えず粛清の恐怖に怯えているのに、それでも過去の選択をやり直そうとは思わない。

 その理由は多分……、いやきっと……、今目の前に広がっている、この優しい光景なのだろう。

 

 

「さあ、先生。早くゼニス王のところへ行きましょう!」

「確か師匠の協力者なんだっけ? フフフ、だったらいろいろと便宜を図ってもらえそうね? 支度金とか貰えたりして……」

「俺はとりあえず、旨い飯と豪華な部屋さえあれば充分だぜ、師匠!」

「お前らちょっとは遠慮せんか……」

 

 

 求めたものはまだ手に入れられていないし、この先も達成できるかどうかは分からない……。

 しかし、たとえ叶わなかったとしても、そのときもきっと、私が己の選択を後悔することはないのだろう。

 

 なぜなら私は、すでにもっと大切なものを――

 

 

 

 

 ――ザオリクよりも、ベホマよりも……、ずっと尊いものをこの手に掴んでいるのだから。

 

 

 

 

 

「――なーんてな? ちょっと渋くキメ過ぎてしまったかな、フハハハハッ――「なあなあ、サンタ」

「ぅん? どうしたのだ、テリーよ?」

 

 素晴らしい締め括りに自画自賛していると、隣を歩くテリーが服を引っ張っていることに気付く。どうやら何か、聞きたいことがある様子。

 

「いや、大したことじゃないんだけど、ちょっと気になっててさ……。ほら、別れるときに言ってただろ。お前の旅の“目標?”だったっけ……? そいつはもう達成できたのか?」

「ん? ああ、そうか。その話はしたことがなかったな」

 

 フフフ、私の事情も気にしてくれるとは、相変わらずぶっきらぼうに見えて優しい奴よ。

 よし……、ならば全員揃っていることだし、ここらで私の成果も披露してやるか。弟子たちの活躍話は嬉しいものだが、さすがにそればかりでは師匠として格好が付かんからな。

 ――では者ども、傾注して聞くがいいッ!

 

「ふははは、教えてやろう、我が壮大なる野望を! ――それはズバリッ、回復魔法を極めること! そのために私はこの五年間ひたすら研鑽に努め、大きく力を伸ばすことに成功したのだ! ……そう、いまだ道半ばではあるものの、とうとう私は“ベホイミ”の呪文を習得――」

 

 

 

「あ、そういえば先生、実は僕らも先生を見習って回復魔法を習得したんですよ! 今ではパーティ全員が、ベホマを使えるようになりました!」

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 ……………………。

 

 

 

「――――え?」

 

 

 

「先生がベホマを使う姿に憧れて習得してみたんですけど、『どうせなら全員使えた方が良いかな?』って思って、みんなにも教えてあげたんです!」

「これを覚えてから、戦いの安定感が抜群になったんだよな」

「誰かが危なくなっても、他の人がすぐフォローできるしね」

「……でも俺は呪文苦手だから、今でも発動に手間取っちまうんだよな。覚えるのにも一年もかかっちまったし」

「あはは、まあ本職は剣士なんだから仕方ないよ」

「そうそう、最終的に習得はできたんだから上出来だぜ」

「何年もかけてできなかったらさすがに問題でしょうけど……、ま、そんなダメな奴なんて滅多にいないわよね!」

「はは、それもそうか!」

「「「あはははは!」」」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 

 

 

「「「「――で、先生(師匠)(サンタ)は一体、どんな目標を……?」」」」

 

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「…………う」

「「「う?」」」

 

 

 

「うぅう゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛くぁwせdrftgyふじこlpーーーーッッ!!!?」

「えッ!? ちょ、先生ッ!?」

「ど、どうしたのよ、師匠!? なんで急に走り出したの!?」

「う、うるさいッ、着いてくるな! お、お前らなんか嫌いだああああ!!」

「「「はああッ!?」」」

 

 ――前言撤回だ!

 何が“勇者”だッ、“尊いもの”だ! こんなの才能と数の暴力で相手をボコボコにする非道な連中ではないか!

 もっと人の気持ちを考えてから発言しろ! こっちは五年もかけていまだに中級なんだぞ!? これだから天才って奴らは嫌なのだッ!

 

 ええいクソッ、今さらこんなことで挫けてたまるか!

 私は不撓不屈のサタンジャネラル! たとえ望まぬ地位を押し付けられようと、弟子たち全員から追い抜かされようと、最後は絶対に夢を叶えてみせるッ!

 

 

「ちょっと待ってよ、師匠ー!」

「何か悩み事でもあるのか!?」

「僕たちでよかったら聞きますよッ!」

「ほら、言いたいことがあるなら言ってみなって!」

 

 言いたいことだぁ……!?

 そんなモン一つに決まってんだろうがッッ!!

 

 

 

 

 

 

 

「ああもうッ、やっぱり……! ザオリクよりもベホマが欲しい!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




『ザオリクよりもベホマが欲しい』、これにてようやく完結です。
 第一話を投稿してからおよそ二年半。展開に悩んだり、筆が進まなくなったりと、度々エタの危機に見舞われましたが、なんとか最後まで書き切ることができました。これもひとえに読み続けてくれた皆様のおかげです。
 ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました。(2020/07/25)



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。