機動戦士ローガンダム (J・バウアー)
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プロローグ
プロローグ


 ビルの一室でトオルは資料に目を通していた。

 その時、内線が入り面会者がやって来た旨が伝えられたので、視線を資料から扉へと移す。ほどなく扉をノックする音が響いてきたので、中へ入るよう促した。

「失礼します。書類にサインをして下さいますよう、お願いします」

 手渡された書類を受け取り、サッと目を通す。内容はすでに聞かされていたので、トオルは万年筆を手に取ると、迷うことなく指定の場所に自らの職名と氏名を記入した。

「まさか、私がこのような役目を背負うことになるとはなぁ」

 サインをした書類を手渡し、その退出を確認すると、再び資料へと視線を戻した。内容は「第三期宇宙開発10ヶ年計画とその概要」であった。

 

 当時の先進20ヶ国が共同で出資して国際宇宙開発機構(ISDO)を設立してから、約40年後、世界は深刻なエネルギー不足と食糧危機に見舞われていた。世界各国が少ない資源をめぐって緊張の渦中にある頃、ISDOが多大な資金と労力をかけて超大型宇宙輸送艦ジュピトリスと超巨大生活居住空間スペースコロニー群サイド1、2、3を完成させると、それまでの国家を中心とした社会機構に少しずつ変化が生じていった。これまでのISDOは、各国からの拠出金を元に宇宙空間の研究開発と建設業務だけを扱ってきたのであるが、木星からもたらされるヘリウムⅢと、サイド1、2、3からもたらされる食糧が、世界的な食糧・エネルギー不足を解消させるとともに、それらを売却することによって得られる巨大な売却益と権益が、徐々に自らを変質させていった。ISDOのスポンサーであるはずの国家を、巨大な資金をもとにISDOが逆に支配するようになっていったのである。資金力を背景にISDOは、自らの組織にとって有用な人物を主要国家の要人に据えることにより、影から世界中を支配するまでになったのだが、やがてその影響力を駆使して、地球連邦政府を設立するに至る。自らは宇宙開発省と改称し、連邦政府を構成する一省庁となった。ISDOが、世界各国を統合して地球連邦政府を設立したことには、三つの理由がある。一つ目の理由は、スペースコロニー群サイド4及び月面都市を建設する計画があったのだが、そのための資金が不足しており、世界各国が持つ徴税権が欲しかったこと。ニつ目の理由は、宇宙開発に対する世界各国の足並みが揃わず、組織の運営方針を巡って各国が対立し、ISDOの事業に支障が出てきたので、宇宙開発を強力に推し進める強大で統一した政府が必要になったこと。三つ目の理由は、ある大国がISDOを乗っ取ろうとしてきたため、乗っ取りを阻止できる強力な政府を作り出す必要に迫られたこと。である。結果、乗っ取りを図った大国の主要勢力を駆逐することに成功。ISDOが絵を描いた地球連邦設立基本条約に、全世界の首脳が署名して、国際連合の解散と同時に地球連邦政府が成立したのである。世界各国は地域ごとの州政府に再編され、地方自治体としての機能しか持たないことになり、地球連邦政府は、これまで人類が手にしたことのない巨大な資金と権限を持つことになった。

 地球連邦政府は、その持つ巨大な資金と権限を利用して、①増加する人口の受け皿として、②慢性的に不足している食糧及びエネルギーを供給するための基盤として、第一期宇宙開発10ヶ年計画実施法案を作成し、可決成立させた。絵を描いた宇宙開発省の思惑通りに成立した第一期宇宙開発10ヶ年計画は、当初予定していたサイド4及び月面都市建設計画だけでなく、サイド5,6の建設と火星開発のための予備調査も盛り込まれていた。

 宇宙開発省は、財務省が管轄する一般会計からの資金だけでなく、独自の資金源を持っていた。これまで確保していた木星からのヘリウムⅢ売却益やサイド1、2、3で生産された食糧の売却益だけでなく、宇宙渡航税、宇宙施設利用税、宇宙エネルギー消費税などの租税も、評議会の監督を受けない特別会計として徴収することが許されたため、宇宙開発省の勢力は日を追うごとに大きくなっていった。だが、あまりに巨大な組織となってしまったため、ある時期から、特に重要でない部署を分離して組織のスリム化が進められるようになった。スペースコロニーの維持管理業務は、宇宙開発省100%出資のもとに設立されたコロニー公社に委ねられた。また、宇宙空間の安全を担うために設けられた保安部は、軍機省管轄に組み込まれ、名称も宇宙艦隊に改称された。軍機省管轄になってからも、宇宙艦隊の人事には宇宙開発省の同意を必要としたため、宇宙開発省と宇宙艦隊の結びつきは強固なままであった。

 連邦政府に対して強い影響力を持つ宇宙開発省だが、直接統治を行うと政策に対する住民の不満の受け皿になるリスクがつきまとうので、実際の統治は、地球上については連邦政府の支配下のもとで各州政府が行い、各コロニーについては住民による直接選挙で選出された知事の下で自治体が行うことになった。自治体には徴税権が与えられたが、それはコロニー公社の運営費を支払わせることが目的であったため、自治体が独自の政策を執り行うことは困難で、実質は連邦政府の傀儡であった。

 スペースコロニーでの生活は決して楽ではない。地球上で生活するより優れている点といえば、居住空間の天候が管理されているので、天気予報が外れる心配はほとんどないこと、居住する人々には職業が保障されているので失業の心配がないことである。ある職業に就いたとしても、様々な要因で継続が困難になった場合、宇宙開発省職業管理局に申請すれば、新たな職を紹介してもらうことができる。また、就労が困難となった場合の社会保障システムも、地球上と比べたら格段に良いことも、優れている点として挙げることができるだろう。ただし、税金がとんでもなく高い。地球であれば気にもしない空気も、スペースコロニーの中では、何もしないと酸素濃度の異常や有害物質が発生して大変なことが起こる。絶えず空気の浄化や気体構成の管理を行う必要があるので、それに必要な経費が気体浄化税として徴収される。宇宙空間のちりや極小な天体は地球に接近しても大気との摩擦で消滅してしまうが、スペースコロニーに接近したら衝突してスペースコロニー本体に甚大な損害を与えてしまう。そこで、危険なちりや小天体がやって来ないかスペースコロニーの周辺を巡回し、必要に応じてそれらを除去する作業が発生する。そのために必要な経費が施設管理税として徴収される。他、様々な理由で税金が徴収されるため、宇宙空間で生活するには、地球上で生活するより5~10倍の税負担がかかると言われた。

 それでも、地球からスペースコロニーへの移住者は増加を続けた。理由は、労働力の需給バランスである。これまでの文明活動によって地球は疲弊しきっており、根幹の農林水産業が立ち行かなくなり、それに伴って全ての産業が縮小傾向に向かっていたため、地球には失業者があふれていた。その一方で、第一期宇宙開発10ヶ年計画が完全に終了する前に第二期宇宙開発10ヶ年計画が施行されたため、宇宙空間では莫大な労働力を必要としていた。求人よりも失業者が多ければ、労働賃金は低下する。だが、この時は失業者よりも求人の方が多かった。いや、はるかに多かった。しかも、スポンサーである宇宙開発省には、莫大な賃金コストを支払えるだけの巨大な資金があった。そのため、宇宙空間での労働賃金は上昇を続け、宇宙居住者の所得は高額な税負担を気にしなくてすむほどに高くなった。人々は安定した生活を求め、次々に宇宙へと上がった。第二期宇宙開発10ヶ年計画がサイド7の完成で終盤に向かうころには、全人類の半数が宇宙居住者と言われるほどとなった。各サイドは宇宙開発の好景気で活気づき、その余波で、不況のどん底だった地球上の景気までもが回復し、全人類が好景気に与るという、人類の歴史上かつてない幸福な時代を迎える。この幸福な時代は約30年続き、後世から「神々の時代」と呼ばれた。

 ただ、次第に景気が停滞し始め、更には不況に近づくと、宇宙開発省も完全雇用の保証ができなくなり、また高額な賃金の支払いができなくなってくると、高額な税負担が人々の生活に重くのしかかってきた。少しずつだが確実に、社会へ対する不満を持つものが増えていった。そして、それが臨界に近づくと、社会に変化が訪れる。その大きな出来事が「サイド3」の連邦離脱と、ジオン公国の建国、独立宣言であった。

 サイド3は、地球から最も遠く月面に近い位置にいたため、宇宙開発省の監督が行き届きにくい傾向にあった。そのサイド3へ、宇宙開発省居住空間本部サイド3管理局基礎インフラ整備部エネルギー設計管理課第二係長として、ジオン=ズム=ダイクンが赴任してきた。ダイクンは、連邦大学を卒業後、優秀な成績を認められて宇宙開発省に採用され、宇宙各所を転々とする。特に問題を起こさず、特に手柄を立てることなく通常よりやや遅めの昇進をしてサイド3にやって来た。赴任当初を知るものは、まさかダイクンが全宇宙をゆるがす人物になろうとは想像すらできないくらい、宇宙開発省では凡庸な人物だったようである。

 いつからかはっきりしないが、地球から遠い場所ほど、能力の劣るものや問題のあるものが送られる所謂「左遷先」となっていた。地球から最も遠いサイド3は、まさに全宇宙の最底辺と見做され、ダイクンの職場は、無気力と怠惰の二重奏曲で覆い尽くされていた。特に問題のない平和な時代であれば、ダイクンはきっと普通に昇進を続け、退職後は穏やかな年金生活を送り、静かに死を迎えたであろう。だが現実は、問題だらけの波乱万丈な時代の渦中にあった。サイド7建設現場から遠いサイド3には、いち早く不況の波が押し寄せ、早い段階から完全雇用が崩壊して、人々の生活は困窮を極めていた。そのような中で、ダイクンは偶然にもある秘密結社と出会ってしまう。詳しい記録がないため、いつどのようにしてダイクンがこの秘密結社と接触するようになったのかは不明である。だが、これがダイクンの運命を大きく変えてしまったのは事実である。

 その後、ダイクンはエネルギー設計管理課第二係長のもつ、エネルギー供給計画の策定と予算を立案する権限を利用して、大規模な開発計画を策定する。それは、サイド3管理局直属の大規模宇宙輸送艦ジュピトリスを30隻、そしてそれを製造するための工業コロニー群、更にはその専用の宇宙港湾を建造するという、とほうもない計画だった。沈滞していたサイド3の経済を、公共事業で刺激して立て直すという、古くからある手法であったが、金額がとんでもなかった。現在全部で八隻しか運行されていないジュピトリスを、サイド3だけで30隻も持とうとすることに、さすがにサイド3管理局の上層部も鼻白んだが、地球から遠く離れたサイド3へ本省からのエネルギー供給もままならない状態が長く続いていたので、独自のエネルギー獲得手段を持っておく必要性については上層部も感じていた。この事業だけで、サイド3の完全雇用を最低五年は保証できること、住民の所得向上に伴う税収増が見込めること、社会が安定することにより治安維持関連費用を圧縮できること、この計画が待望のジュピトリス建造の名目になること、などをダイクンは懇々と説明し、サイド3管理局だけでなく、その上位機関の宇宙開発省の本省上層部の了承を取り付けることにまで成功した。実は、それ以前から宇宙開発省は、地球、コロニー群、月面でのエネルギー需要に対し、現行のジュピトリス8隻だけでは供給が及んでいないことを理由に、ジュピトリスの建造計画を長年建白してきた。だが、予算承認権を持つ連邦評議会が、計画に反対し続けた。連邦評議会は、宇宙開発省の傀儡と揶揄されるくらい自主性のない機関なのだが、それでもこの計画にかかる費用があまりに膨大なため、さすがに賛同できなかったのである。慢性的なエネルギー不足解消だけが目的だと予算化できない建造計画も、サイド3がこうした理由を並べ立てると、評議会の態度も軟化し、宇宙開発省本省の後押しもあって、ダイクンの立てた計画は承認され、実行に移されることとなった。

 このジュピトリス建造計画は「N計画」と呼ばれる。何故Nなのかはダイクンが真相を語ることなく世を去ったため謎のままとなっているが、後日ダイクンが提唱した「ニュータイプ登場説」のNではないかとする説と、大昔の、とある大国が自国経済を復興させた政策の頭文字にあやかったとする説がある。どちらが正しいかは論じる必要はないが、この政策が残した実績は大いに論じる必要がある。

 この政策のポイントは、大きく六つある。一つ、この政策の効果がサイド3の建設関係だけに止まらず、他の産業にまで及び、結果当初の見込みを超える経済効果をもたらしたこと。ニつ、この政策の効果が、サイド3だけに止まらず他の場所にまで及んだこと。三つ、サイド3への移住者が増え、人口増につながったこと、四つ、景気回復と人口増により、サイド3の税収が格段に増加したこと、五つ、ジオン=ズム=ダイクンが「ニュータイプ」を提唱するきっかけとなったこと、六つ、これらの要因がムンゾ自治共和国設立をもたらしたことである。

 ムンゾ自治共和国が設立された経緯は、以下の通りである。

 巨大な予算を投じて実施されたN計画だが、この計画によって地球連邦政府が受ける恩恵は、ジュピトリス30隻とジュピトリスを建造する場所となる工業コロニー群、そして宇宙港湾である。ジュピトリスが30隻も増えたことで、連邦政府が受け取るエネルギー売却益が、大幅に増加した。だが、それだけであった。宇宙開発省が宇宙居住民を直接統治することを嫌ったため、宇宙居住民からの徴税をコロニー自治体に任せていたことが仇となった。景気回復による税収増は、直接統治を担当するサイド3知事府のものとなったのである。この税収増の方がエネルギー売却益よりも何百倍も大きく、慢性的な赤字体質だったサイド3知事府の財政は一気に黒字に転じ、N計画が終盤に近づくころには累積赤字を解消させたばかりか巨額な内部留保を蓄えるまでに至った。連邦政府はN計画により財政が苦しくなったが、サイド3知事府はN計画により財政が豊かになるという、皮肉な結果となったのである。

 N計画が軌道に乗った三年目に、ダイクンは本省から異動の通知を受ける。N計画の成功が認められて本省の中枢ポストに就くだろうとの周囲の予想を裏切り、受け取ったのはサイド6の調査係長の辞令だった。ダイクンはこれに怒りを覚えると、すぐに辞表を提出し、突如、サイド3の知事選に立候補する。表からN計画の中心人物としての実績と住民からの認知されていたこと、裏から秘密結社の応援を受けたことにより、ダイクンは十対一の大差で現職を破り、サイド3の知事に就任する。このときダイクンは「ニュータイプ」を提唱するのだが、木星からの帰還者の中に、極端に洞察力に優れ、誤解なく事象を認識できる高い知能と精神を持った者が、少なからず存在している事実を把握し、研究を進めていたからではないかと言われている。

 ダイクンは、知事に就任してから2年後、即ちN計画が終了に近づくころ、宇宙開発省に対して以下の提案を行う。N計画に掛かった費用をサイド3知事府が全て肩代わりする代わりに、ジュピトリス一五隻の保有権とサイド3の自治権をよこせというのである。自治権と言っても、連邦からの独立ではなく、連邦政府の下で行う自治であり、連邦政府に一定の租税も支払うという内容である。連邦政府に自治政府へ介入できる余地があることが確認できたこと、現行運用しているジュピトリスの半数以上が連邦政府の所有となり、かつ自治政府に割譲する一五隻についても、自治政府に対し運用について要望が出せることが認められたこともあり、そして何よりも財政を逼迫しているN政策の債務を全額放棄できることから、地球連邦評議会は、ムンゾ自治共和国成立法を可決する。隠密裏に進められていたモビルスーツ開発計画や、ニュータイプ研究計画を評議会が知っていたら、可決に踏み込んでいたかどうか微妙なところだが、サイド3を蔑視していた当時の政府及び宇宙開発省は、サイド3管理局にろくな人材を派遣せず、知事府を放置して全く調査をしていなかったため、安易にダイクンの提案に乗ってしまった。これは大いに反省すべき点である。遅くともこの時点で、ムンゾ自治共和国成立法を阻止できていれば、人類史上最悪の被害をもたらした一年戦争を避けることができたかもしれないのである。

 ムンゾ自治共和国が成立して初代主席となったダイクンは、更なる開発計画を自ら立案、実行に移す。ターゲットとなったのは月面だった。月はサイド3から近く、鉱物資源の獲得が期待できるからである。連邦政府はすでに月面での活動拠点としてフォン・ブラウン市を建設していたが、この頃の連邦政府は、スペースコロニー群と木星への投資に重点を置いていたため、月面開発の規模は小さいものだった。あまり見向きされていなかった月に対し、ダイクンは月の裏側にスペースコロニー二つ分の人口を収容できる巨大月面都市の開発計画をぶち上げたのである。この計画を実行するにあたり、N計画に数倍する費用が必要となるにもかかわらず、共和国文化技術省と軍部の賛同を得て可決、成立する。「グラナダ計画」と名付けられたこの計画には、文技省と軍部が目論むニつの隠された計画が盛り込まれていた。この計画で建設される都市名は、計画名から抜粋されてグラナダと名付けられる。その月面都市グラナダの建設予定地は、地球から見て月の裏側になるため、地球から直接見ることができない。そこに着目し、グラナダを連邦政府に秘匿したい様々な技術開発や兵器製造を行う拠点にしようと考えたのである。その一つが、人型巨大ロボット「モビルスーツ」の開発計画である。宇宙開発省がスペースコロニー建設用として開発したスペースモビルを発展、改良したものが「モビルスーツ」である。スペースモビルは、コクピットモジュールに腕だけを取り付けた超小型の宇宙船である。形状がいびつであること、運動能力に難があって小回りがきかないこと、腕の操作のほとんどがマニュアルなので、自由に操作できるようになるまでに相当な訓練を必要とすることから、宇宙開発省はスペースモビルの研究開発を中断してしまった。そのスペースモビルに可能性を見出した文技省は、月面開発用としてモビルスーツの開発を計画する。腕だけしか付いていないスペースモビルに、頭部や足を取り付けて人体に近い形にした巨大なロボットが、モビルスーツである。その研究の中で人体以外の形状をしたものも開発され、それらはモビルアーマーと呼ばれた。この計画は国家の未来を左右する重要な機密事項に属するため、連邦政府に対して極秘で進める必要があった。それには地球から直接視認しにくいグラナダは、もってこいの場所であった。兵器としての有用性にいち早く気付いた軍部も文技省に同調して、ダイクンのグラナダ計画は、共和国議会で全面賛成される。当初官営であったモビルスーツ製造は、以後分割、民営化され、その内の一つがジオニック社となる。

 さらにもう一つが、「ニュータイプ」研究である。木星への長距離航行に参加したジュピトリス乗組員のごく一部に、現在ニュータイプと呼ばれる人々に共通する特異点が見受けられることが判明していた。このことには宇宙開発省も気付いていたが、特に重要なことではないと見做したため、深い研究をしていなかった。ダイクンはここに目をつけ、ニュータイプの研究を文技省に指示したのである。後日、ダイクンは「ニュータイプ登場説」をぶち上げるが、狂信的に言ったのでなく、研究によって裏付けされたものであったのが、この事例から見ても明らかである。文技省の下にいくつかの研究所が設立される。その内の一つが、知る人ぞ知るあのフラナガン機関である。

 グラナダ計画の進行に合わせて、ダイクンは、ジュピトリスの木星航路の安全と自国の防衛を目的とした保安隊の設立を行った。ジオン公国成立後、航路保安隊は突撃機動軍、防衛隊は宇宙攻撃軍と改称される。デギン=ソド=ザビの名が歴史に登場するのは、保安隊初代総監としてである。保安隊とはいうものの、階級制度も整備されており、軍隊と何ら変わるところはない。総監のデギンの階級については、共和国内で激しい論争が沸き起こったが、高くしすぎると連邦軍を刺激するかもしれないので、将官としては低い少将とすることで意見の一致を見た。その下で、デギンの息子であるギレン=ザビ大佐が航路保安隊司令、ジンバ=ラル准将が防衛隊司令官に就任する。景気に沸きムンゾ自治共和国の隆盛に酔いしれる人々の影で、すでに自治共和国の内部は二派に分裂していた。秘密結社の幹部であるデギンは、財力と軍事力を用いて連邦からの完全独立を主張し、もう一人の幹部であるジンバ=ラルは、連邦政府を刺激しないよう現状を維持することを主張した。ザビ家の中で唯一文官としてムンゾ自治共和国の中枢にいたサスロ=ザビの働きにより、しばらくは両派の均衡が保たれたが、主席のダイクン自身がジンバ=ラル派寄りになってきたこと、そしてサスロ=ザビの暗殺事件が発生したことから、デギンはクーデターを決行する。デギンは、反対派のジンバ=ラルとその幹部連を粛清し、ダイクンの死と、ダイクンの業績を称えて国名をジオン公国と改称することを発表した。ダイクンの死は長い間不明とされていたが、一年戦争終了後、ジオンに駐留した占領軍総司令部の調査から、噂されたデギン一派による暗殺説は真っ赤な嘘で、優秀な右腕であったサスロ=ザビの死やこれまでに蓄積された心労、疲労による突然死であったことが判明している。ただ、一年戦争がもたらした空前の破壊に対する責任をザビ家に押し付けてしまうためには、ザビ家を悪と決め付ける必要がある。それには、デギンがダイクンを殺して権力を奪ったことにした方が好都合だ。デギンによる暗殺説が定説となったのは、こういう経緯からである。

 ジオン公国が成立して間もなく、ジオンは連邦に対して独立を宣言。一年戦争が勃発した。戦争自体は一年程度で終了したが、この戦争は、これまでの人類が経験したことのない巨大な破壊をもたらした。当初有利に戦争を主導したジオンだが、結局連邦に勝利できなかった。原因は、ジオンの政治的指導者が、戦争の結末をどのようにつけるか明確なビジョンを持つことなく、戦線を無制限に拡大させたからである。

 当初は、連邦政府からの独立を求めた独立戦争であったはずだが、ルウム戦役において予想外の圧倒的な勝利を得てしまったため、連邦政府に代わって地球圏を支配しようと目論む覇権戦争へと変容してしまった。覇権戦争になったからには、連邦政府の息の根を止めるくらい完膚なきまでに叩きのめす必要があるのだが、連邦首都ダカールや連邦軍統合参謀本部のある南米ジャブローへ本格的な侵攻作戦を立てた形跡はなく、連邦政府を内部から破壊する工作が実施された形跡もなかった。攻略地点についても、全く必要のない東欧や西アジア・北アフリカなどを選んで大規模な部隊を展開させている。東欧は、チタンなどの鉱物が産出される地域であるが、木星からもたらされる量の100分の1程度にしかすぎないことを踏まえると、あえて攻略・占拠する必要はない。西アジア・北アフリカも、旧世紀においてこそ原油産出国として重要な価値を有していたが、主力エネルギーは原油からヘリウムⅢに取って代わられており、エネルギー源としての原油の価値は大きく下落していたため、これもまた攻略・占拠の必要はない。このように攻略の必要性が疑われる箇所に大規模な部隊を派遣し、少ない兵力を地球各所に分散させてしまった結果、最も重要であるはずのジャブロー攻略に大規模な部隊を展開できず、みすみす失敗に終わらせてしまった。ただ単に、モビルスーツとモビルアーマーさえあれば何とかなる、というあいまいな考えを元に戦争を遂行したとしか考えられず、ジオン公国軍首脳の戦略は、あまりに稚拙であると言わざるを得ない。結果、ジオン打倒のために一丸となった連邦軍に、各所で敗退を重ねるようになり、ア=バオア=クーの攻防戦にてジオン公国は崩壊、終戦となった。細かい戦史についてはそれぞれ専門の書物に委ねるとして、ここでは一年戦争がもたらした政治的変化について述べる。

 一つは宇宙開発省の発言力が低下したことである。

 ジオン公国のブリティッシュ作戦によって壊滅的大打撃を受けたのは、連邦軍の兵装に影響を与える宇宙開発省が、ジオンに対してあまりに無警戒だったため、ジオンの技術的成長に気付かず遅れをとったこと、ジオンに対して木星資源に対する制限措置をとらず放置して、ジオンの急成長を黙認したことなど、職務に対して不誠実だったことが原因とされ、宇宙開発省の責任が至る所から追及された。当時の長官、事務次官、審議官、本部長、局長ら幹部200人以上が更迭されるという、前代未聞の大粛清がなされ、これまで維持されてきた連邦政府ナンバー1の地位から転落した。以後、急ピッチで「V計画」を実施するなど、一年戦争の勝利に貢献したのだが、宇宙開発省の地位を以前のように絶対のものまで戻すことは困難であった。他省よりやや発言力が強いというところまで勢力を戻したのは、キャスバル=ダイクンの反乱を鎮圧してからである。

 一つは軍部の台頭である。連邦政府を絶対的に支配していた宇宙開発省に隷属していた連邦軍であったが、一年戦争による宇宙開発省の威信低下により、内務省など一部の省庁と結託した一部の軍人たちが、暴走を始める。ジオンの残党狩りを名目に組織されたティターンズは、その持つ武力と内務省の影響力を背景に、連邦を裏から支配しようを目論んだ。しかし、連邦政府の一部の政治家が影で結成した組織と争った結果、完膚なきまでに壊滅させられる。それでも軍自体の発言力はそれほど低下しなかった。以後、反乱があるごとに軍は増強されていき、キャスバルの乱の頃には一年戦争当時の3倍の兵力になっていた。

 一つは、長期にわたり経済的成長が止まってしまったことである。一年戦争のもたらした破壊は相当に深刻で、さらに小規模な反乱が相次ぐなど治安が安定せず、少ない税収と積み重なる軍事費が財政を圧迫したことから、復興政策が遅々として進まなかった。大規模な宇宙開発も、本第三期宇宙開発10ヶ年計画まで待たなければならなかった。連邦政府自体の監督力が低下して、一部企業による寡占、独占が進んだことも、経済の停滞を助長した。

 一つは、月の戦略的価値が向上したことである。モビルスーツを始めとしたジオンの様々な新技術のほとんどが、グラナダから発信されたことから、グラナダに様々な企業が進出してきた。北米大陸に拠点を置いていたアナハイム重工業は、ジオニック社を吸収合併すると、本社をグラナダに移してアナハイム・エレクトロニクスと社名を改めた。それに伴って関連企業が次々とグラナダに進出したため、グラナダの都市規模は、一年戦争開始前の二倍にまで達した。また、ジオン公国突撃機動軍の根拠地であったことから、その豊富な軍設備を利用して地球連邦軍は第二総軍を創設し、月面と月に近いコロニー群の治安維持に当たる実戦部隊を独立させた。グラナダの第二総軍に対し、地球のジャブローを本拠として地球全域と地球に近いコロニー群の治安維持を担当する従来の連邦軍を第一総軍と改称。連邦軍は二大総軍体制となった。

 戦後の混乱、停滞は、一世紀以上の長きに亘った。数々の局地的な戦乱で社会機構は疲弊を極め、破綻寸前にまで追い込まれたが、宇宙世紀0274にホー=フェイリンが宇宙開発省長官に就任するや、第三期宇宙開発計画策定案がぶち上げられる。経済成長を民間頼りにして政府が関与しない現体制を痛烈に批判し、産業を政府が創出しなければ好景気はやって来ないと主張。豊かな生活を送るために最低限必要なのは、食糧でありエネルギーである。それらが満ちれば他は自然と付いてくる。現在、地球を含めた人類の居住空間に食糧とエネルギーが不足しているので、早急にこれらを整備する必要がある。これを骨子に本計画が策定されたのだが、成立するまでには10年以上の長い年月を要した。ホー長官の提唱する策定案は、サイド8の建設と火星開発が挙げられていた。火星開発も、月面のようなカプセル都市を何箇所か建設する程度であれば、比較的早く計画が成立していたであろう。だが、ホー長官の計画は、これまでの常識を覆すものだった。何と、木星の核付近にある重金属を採取して火星の核に注入し、人工的に火星の重力を増大させ、研究途上の酸素発生システムを火星に設置して、火星を地球化するという計画だったのである。計画の規模は、かつてダイクンが掲げたものなど消し飛んでしまうほど巨大なものであったため、当初の賛同者はわずかであった。ただ、これまでの戦乱により地球圏は疲弊しきっており、新たな国家プロジェクトを発動させる必要性を万人が感じていたことや、教育科学省が進めていた火星地球化計画に現実味が帯びてきたこと、ホー長官自身が政界、財界に情熱をぶつけていったことが効を奏した。ホー長官が4年の任期を終えた後も、後任の長官たちがその志を継ぎ、本第三期宇宙開発計画が成立する運びとなったのである。

 本計画は、人類の今後の未来を左右すると言っても過言でないほど重要なものである。本計画に携わる者は過去の成功と過ちを認識し、責任の重さを十分理解し、職務を遂行するよう求める。これからの人類に栄光あらんことを。

地球連邦政府宇宙開発省長官 チャンドラ=ラオ

 



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昇竜篇
地球連邦軍第三総軍第17方面軍第217師団司令部作戦参謀中佐


 火星地球化計画が発動して、およそ150年の年月が過ぎた。火星の重力を上げるため木星の核から重金属を抽出して火星の核へ注入、それと同時に太陽光集光ミラーの建設と、小規模な彗星を大量に火星にぶつけて水蒸気量を増やす業務に50年かけ、火星に初めての降雨が確認された。以後、40万平方キロメートル達する酸素発生システムを建設し、様々な植物を火星の陸地部分に栽培、海になる部分には様々な水棲動植物を放ち、地球に近い食物連鎖の確立が確認されるまでに、更に50年の年月を必要とした。そこから都市や農地の整備などが行われたが、これらは約5年で完了した。莫大な時間と費用を要した火星地球化計画は、何度も頓挫しかけた。表現できないほど巨額な経費が国家財政を圧迫し、全人類規模の財政破綻の一歩手前にまで追い込まれながら、政治的指導者及び官僚、財界が皆熱心であったこと、何度か現出した好景気により民衆の所得が増加して人口増と消費マインドが刺激されたことによって税収が増加したこともあって、寸前で財政破綻を回避することができたという幸運から、何とか完成にこぎつけることができたのである。

 この頃の火星の表面は、海と陸地に分かれており、陸地にはコケ類を中心に植物が群生していた。海の青と地面の赤、植物の緑、そして白い雲によって、火星を宇宙から見たら小さな地球に見える。だが、火星全体の大気組成はまだ地球と同一ではなく、特にオゾン層が貧弱であるため、人々はいくつかのシティに居住している。シティは、ドームの中に作られた閉鎖空間である。ドーム自体は、ミノフスキークラフトを利用した圧縮空気でできているため、外部との通り抜けは簡単なのだが、ドームの外側には紫外線などの有害な宇宙線が降り注いでいるため、宇宙服なしで長時間生存することはできない。そんなシティの一つに、ネメシス=シティと呼ばれる都市があった。ネメシス=シティは、人口30万程度の中規模な地方都市である。その中心部から約10キロメートル離れた場所に、小さな宇宙港がある。宇宙港とは言うものの、係留されているもののほとんどは、有翼の小型飛行機で、主に火星各地に点在するシティをつなぐ定期便として使われている。中には火星の重力圏を脱して、宇宙ステーション「クロノス」に行く便もある。月など地球圏へ行くには、「クロノス」で大規模な宇宙船に乗り換えるシステムになっている。それぞれのシティから直接地球圏へ行くのは、エネルギーコストの無駄である。という認識から、こういうシステムが採用されたのである。ちなみに、地球やスペースコロニー、月との貿易は、軌道エレベータを利用して行われる。軌道エレベータは、火星総督府のあるウラノス=シティにあり、一言で言えば地上と宇宙空間をつなぐ巨大なパイプである。そのパイプの中にエレベータが設置されており、エレベータの延べ床面積は1平方キロにも達する。宇宙空間側の終点に設置されているのが、宇宙ステーションの「クロノス」である。

 そのネメシス宇宙港にたたずむ、一人の青年がいた。適度に伸びた直毛の黒髪、鋭いながらも柔らかさが秘められた茶色がかった黒い瞳、張りのあるきめ細かい肌をもつその青年の名は、タカハシ=トオルといった。年齢は28歳。年齢より若く見える容貌と、飾らないラフな服装から、傍から見れば留年した大学生に見える。そのトオルは、宇宙港から力強く飛立つ飛行機を見るのが好きだった。飛立つ飛行機が向かう宇宙には、無限の広がりがあり、その向かう先に思いを馳せると、まるで自分が旅行者になって冒険をしているような錯覚を覚える。人類は木星にまで生存圏を広げているが、その先については開発が進んでいない。土星の衛星タイタンには、巨大なメタンの海が広がっているようだが、その表面は一体どうなっているのだろうか。海王星の青色を直に目にしたら、どれだけ鮮やかに感じるのだろうか。逆に、故郷の地球や、短い間だったが居を構えていたサイド3の3バンチコロニーは、今どのようになっているだろうか。夢と郷愁にひたって、暫くの間、現実逃避を味わえる場所が、この宇宙港だった。

 宇宙港は、その規模に見合った人の行き交いで賑わっている。待ち合いの椅子には、カッターシャツにタイトスカートの女性が足を組んで腰掛け、文庫本をめくりながら飛行機の到着を待っている。新聞を読んでいるスーツ姿の男性の姿もある。本も新聞も、太古から伝わる紙で作られている。これだけ文明が進歩しても、コスト面やリサイクル面において、紙より優れた素材は現れなかった。書かれている内容も、きっと昔とそう変わらないのかもしれない。手にしている人の性格や、取り巻く環境も。俯いて仮眠をとっている初老の男性に、陽気におしゃべりしている学生風の女性たち。こうした風景の一部に溶け込んでいる自分。ここには、平和に人生を謳歌している人たちであふれている。かつて地球だけを活動範囲にしていた時代から、変わることのないありふれた光景。こうした中で一人ゆったりと過ごしていると、日常では気にすることもない、平和という目に見えない貴重なものを感じることができる気がして、満たされた気持ちになってくるのだ。

「そこのお兄さん」

 呼び止められて振り返ると、初老の女性が佇んでいた。

「トイレはどこか知らないかい?」

「えーっと…、あちらではないでしょうか」

 トオルは、天井に取り付けられている簡易表示板を見つけ、トイレを指し示す方角を指差した。だが、その初老の女性は、耳が遠いのかトオルの指差す先を見ようとせず、じっとトオルを見つめたままだ。どうも、この女性は自分一人でトイレに行く気がないようだ。トオルは一つため息をついて、初老の女性に向き直った。

「…もしよろしければ、近くまでお連れしましょうか?」

「そりゃ悪いねえ。お兄さんは学生さんかえ?」

「……こう見えても、卒業してだいぶ経っているんですよ」

「ほう。それは御免なさいね。お兄さん、男前だからねえ」

 こう言ってその女性は屈託なく笑った。いつも褒めてくれるのは、年配の女性ばかり。どうせなら、自分と同年代の女性から褒められたいものだと思う。同年代の異性に好意を持たれたいと思うのは、人類誕生以前から脈々と受け継がれるDNAのなせる業だろうな。そんな感想を胸に、その初老の女性とトイレまで連れて行き、礼をいわれてその前で別れると、トオルは展望室へと向かった。

 展望室の窓ガラス越しには、赤い機体のカシオペアスペースラインの飛行機が飛立つ姿があった。その飛行機は何の問題もなく離陸し、少しずつ姿が小さくなっていく。小さな点になったのを確認すると、トオルはのどの渇きを潤そうと自販機エリアへと身を翻した。すると、一人の連邦軍士官が、トオルに向かってやって来るのが見えた。くすんだ金髪を短く刈り上げ、老年に差し掛かりそうな容貌ながらも、がっちりとした体型をしている。明らかに場違いな空気を感じてその場に居合わせた人々の表情は一様にこわばった。だが、トオル一人だけ、やれやれといった表情をしている。一定の距離まで近づくと、その軍人は姿勢を正し、トオルに対して敬礼を施した。

「タカハシ中佐、緊急の用件が入りましたので、参上致しました」

「…今日は休暇なんだけどなぁ」

 貧乏学生に、いかつい軍人が敬礼をほどこしている光景は、傍から見ると三流喜劇のように見える。実際、この場に居合わせた人たちは、これまた一様にきょとんとした表情になった。軍人の仕種に対してか、どう見ても貧乏学生にしか見えないこの若者が連邦軍の中佐だったことに対してか。こうした周囲の評価などお構いなしに、トオルは右手で自身の黒髪を軽くかきむしった。

「デ=ラ=ゴーヤ大尉。いったい何があったんだ?」

 せっかくの非日常を楽しんでいたのに、こうもずけずけと日常を持ち込まれ、トオルは明らかに不機嫌だった。しかも、何故この男は、自分がここにいることを知っていたのだろうか。自分のプライベートを知らないうちに把握されていることにも不快感を覚え、一言言ってやろうと思ったところ、デ=ラ=ゴーヤ大尉に機先を制された。

「師団長閣下が中佐殿をお呼びです。車を待たせていますので、今すぐ師団司令部までお越し願います」

「…やれやれ。普段仕事してないから、お灸でも据えられるのかな」

ボヤキと共に大きくため息を一つつくと、律動的な歩調で歩みを進めるデ=ラ=ゴーヤ大尉の後ろを追って、展望室を後にした。

 

 ネメシス・シティーに駐留している連邦軍の正式名称は、地球連邦軍第三総軍第17方面軍第217師団である。そこに所属するトオルの肩書きは、第217師団司令部作戦参謀中佐だった。弱冠28歳で連邦軍の中佐になったのには、当然のごとく訳がある。一言で言えば、彼が英雄になってしまったからである。更に詳しく言えば、彼は自らの指揮する部隊のみで、サイド3の反乱を鎮圧したからである。こう言うと、トオルはかつてのレビル大将クラスの大物のように聞こえるが、実際に彼が指揮した軍団は、レビル将軍のような何10万人もの兵力ではなく、10数人の一個小隊であった。一個小隊で鎮圧できる反乱なんてたかが知れており、通常であれば英雄扱いされることなどないのであるが、この時に捕らえた首魁が、とんでもない大物であった。この首魁は、隠密裏にサイド3をまるごと蜂起させる計画を握っていた。もしトオルの鎮圧が遅れていたら、一年戦争の再来になっていたであろう。軍首脳とすれば、こんな事件など闇に葬ってしまいたかったであろうが、すでに武力反乱のトリガーは引かれていて、反乱の序章である大規模なテロが、あらゆる報道機関の手によって世界中に伝えられてしまったものだから、事件を闇に葬ることができず、逆に、首魁の逮捕を大々的に報道して、世界を安心させなければならなかった。結果、トオルの武勲を軍首脳部は認めるしかなく、トオルは二階級特進して少佐になった。その後、ダカールの統合作戦本部で2年勤めたのち、火星への転勤を命じられたのである。中佐に昇進しての栄転だが、実のところ体のいい左遷と言っていい。エリートコースに乗ったものであれば、たとえ本部以外に出ることがあっても、かつての先進国以外から出ることはない。ましてや地球圏を離れることなどありえない。

「厄介払いをしたかったのだろうな」

というのが、トオルの感想である。かつてジオン公国のギレン=ザビは、地球連邦を絶対的民主主義と評したが、今では絶対的民主主義など完全な形骸となっている。まず、普通の人は、地球連邦政府の最高立法機関である評議会議員に立候補できない。立候補するためには、選挙管理委員会に委託金を支払わねばならないのであるが、この金額が高すぎて払うことができない。更に、当選するためには知名度を上げねばならず、そのために運動資金が必要なのだが、普通の人にそんな大金を用意することができない。すなわち、資産家でなければ、立候補できないのである。かつては、寄付金などを集めて選挙活動を行い、当選を勝ち取る者も数多くいた。しかし、第三期宇宙開発計画が始まって間もなく、連邦最高裁判所は、こうした寄付が贈賄に当たると判断してしまった。この判例によって、いよいよ資産家しか評議会議員に立候補できなくなったのである。どれも似たり寄ったりの貴族を選ぶ以外、選択肢がない。いまだ民主主義を標榜してはいるものの、実質上の貴族主義に連邦は陥ってしまったのである。貴族化が一挙に進行した結果、文官、武官を問わず、資産家の覚えが良い者しかエリートコースに乗れなくなった。トオルは、英雄にはなったものの、有力な資産家の後ろ盾を持っていなかった。政府は、世間受けを狙って功績を上げたトオルを、英雄として最初は優遇してみせる必要があった。だが、月日が流れてトオルの知名度が薄れると、トオルの存在自体が邪魔になったのだ。

 かつてのジオン=ズム=ダイクンは、このような扱いを受けたあと辞職して、政界へと打って出たが、トオルは火星行きの辞令を粛々と受け取った。トオル自身は、周囲がもてはやすほど自分を英雄だなどと思っておらず、周囲が放つ羨望と嫉妬の渦にいい加減嫌気がさし、地球から離れたいと強く感じていたところだったから、火星行きは本人にとって願ってもないことだった。

 しかし、28歳で中佐というのは、あまりに異例である。実際、28歳での中佐は最年少タイ記録。トオルの他、のちに宇宙艦隊司令長官となるブライト=ノア大将を含め3人しかいない。年齢不相応の高い身分は、必要以上に他者から警戒と嫉妬を受ける。戦乱時代に武勲を立てて発言権を確立できたブライトですら、中佐時代は苦労した。ましてや、平時においてはそれ以上である。佐官以上のものであれば、赴任先に初めて訪れた際、下士官が空港まで出迎えに来るのであるが、トオルの場合誰も来なかった。普通28歳といえば良くて大尉だから、まあ当然かなと思ったが、あてがわれた宿舎がこれまた酷かった。佐官クラスの邸宅など論外で、下士官が入る寄宿舎だったので、これにはさすがのトオルも文句をつけた。表面上は手配ミスと言っていたが、果たして本当なのかどうか眉唾物だ。結局は、規定通りの佐官クラスが入る邸宅に入居することができた。

「こんなもので終わらないだろうな…」

と初出勤を前にして、トオルは覚悟を決めていたのだが、その予想は大きく外れた。まず、嫉妬の炎を全開にして嫌がらせをするような者が、ひとりもいなかった。これは、出自を問わず、人柄や実績を重視する気概溢れる職場だったから……という素晴らしい理由ではなく、ただ単に、無気力と怠惰に満ち溢れ、仕事や他人のことなどどうでもいい人間ばかりだったからである。

「まぁ、適当にやってくれたまえ」

 着任の挨拶に対するネト師団長の返答は、たったこれだけだった。

「彼がラモン=デ=ラ=ゴーヤ大尉だ。仕事の内容については彼に尋ねたまえ」

 上司に当たるバルドック参謀長の話もこれっきりだ。

同僚に当たる幹部たちなど、挨拶に行っても話に応じてくれない。

紹介を受けた部下に当たるこのラモン=デ=ラ=ゴーヤ大尉というのも、あまりに胡散臭い。師団付の大隊長で、顔に刻まれた年輪から相当の年配者というのは分かるが、仕事に関すること以外、とにかく何も話そうとしない。慇懃無礼の見本と言っていいくらいだ。

 その慇懃無礼なラモン大尉の後を追って、宇宙港のターミナルビルを出ると、ゲートの正面に、あたかも高官を待っていますと言いたげな黒塗りの高級そうな車が、人だかりを前にして鎮座していた。一体誰を待っている車なのかとトオルが思うのもつかの間、ラモン大尉は無言でその車の扉を開け、トオルに乗り込むようにと促した。何でまた、こんな場所にこんな車を寄越したんだ。折角の休暇を台無しにされて不機嫌なトオルは、ひょっとしたら精一杯の好意で迎えに来てくれたのかもしれないにもかかわらず、心の中でラモン大尉に毒づいた。一体どんな人物が来るのか。政府のお偉方か、はたまた有名な芸能人か。期待に胸を膨らませて待った結果、実際に来たのは全くさえない青年だった。別にこちらが頼んだわけではないのに、期待に添えなかったからといって車の周りに集まった面々が、自分に侮蔑と羨望との視線を送ってくることも、トオルは気に入らなかった。トオルの隣に乗り込んでいるラモン大尉が、全く一言も発しないことも、トオルは気に入らない。まだ居住空間として出来上がったばかりの火星に、樹木が少ないことも気に入らない。折角の休日を潰されて師団司令部に連行される自分とは対照的に、自由を謳歌するかのように爽快に天空へと飛び立つ宇宙船の姿が気に入らない…。目に付くものことごとくに毒づいたトオルは、最後に衛兵の敬礼の腕の角度に対して毒づくと、車は師団司令部が入るビルにたどり着いた。

 師団司令部が入るビルは、コンクリート打ちっぱなしで何の飾り気もない、3階建ての建物である。司令部のみが入っている小さなビルで、兵舎や倉庫と渡り廊下で繋がれている。屋上にアンテナが林立しているのは、旧世紀からの名残だろうか。そのビルの2階に師団長室がある。エレベータが設置されていないので、階段で上がる。途中、何人かの士官や兵士に出くわしたのだが、みなラモン大尉に敬礼を施しても、新参者で顔が知られておらず、かつ私服で風采があがらない30歳前の若造のトオルには、一瞥もくれることはなかった。士官の中には、ちゃんと敬礼をしないトオルを睨みつける者もいた。いくら年上でも、尉官クラスの士官に睨みつけられていい気がしないトオルは、どんな言葉で毒づくか考えているうちに、師団長室の扉が視界に入ってきた。

 ひと呼吸入れてから扉をノックした。

「タカハシ=トオル中佐、入ります」

「…入りたまえ」

「失礼します」

 一時期、官公庁の扉はほぼ全て全自動開閉だったが、チャンドラ=ラオが宇宙開発省長官に就いてからは、可能な限り無駄を省くという大号令が発せられ、一部を除いてすべての官公庁の扉は、自動扉から旧世紀の取手付きの扉に改められている。ちなみに、トオルに与えられている作戦参謀室の扉も、当然取手付きの扉である。

 目前にある師団長室のドアのドアノブをひねり、合板製の扉を開ける。師団長室はごくありふれた執務室で、師団長のデスクと副官用のデスク、そして簡素な応接セット、何台かのキャビネットがあるだけの殺風景なものだった。師団長デスクの椅子にネト中将が座っていた。浅黒い肌、白髪が混じった短い縮れ毛、肥満気味のがっしりとした体つきをしている。年の頃は50代半ばといったところか。他の参謀や副官といった司令部のメンバーはおらず、師団長以外にいるのは副官用デスクの前にいる三人だけであるが、いずれも見覚えがない。二人が女性で一人が男性。入室してきたトオルに、一人の女性と男性が視線を向けた。トオルに視線を向けた女性は若い、というか若すぎる。10代半ばに見える。ダークブラウンの髪をおかっぱに切りそろえ、トオルより頭一つ低い身長と、華奢な体躯の女の子なので、制服を着ていなければ、とても軍人には見えない。だが、入室してきたトオルに向けた、前髪の奥に鋭く光るエメラルドグリーンの瞳が、彼女をただの少女ではないことを伺わせた。もう一人の女性は、これまた連邦軍の制服を着ていなければとても軍人にみえないのだが、それは先述の少女とは全く別の理由からである。年齢は20代の半ばくらいだろうか。スタイルだけを見ると、凹凸の落差が激しい上半身と、すらりと長い脚は、まるでモデルのようだ。ところが一転、顔を見ると、大きな黒縁メガネがとても印象的で、くすんだ豊かな金髪と俯いた姿勢に表情が隠され、雰囲気からして暗そうな文系の女学生に見える。トオルが入室してきても、全く姿勢を変えずじっとしていた。対して、入室してきたトオルに好奇心いっぱいの視線を向けた男性は、20代の前半だろう。短く刈り込んだ黒髪と浅黒い肌。直立した時の姿勢と引き締まった体型からして、体操選手のように見える。浅黒い肌で目立たないが、うっすらとヒゲを生やしている。それがこの男を妙に色っぽく見せているのだが、三人とも軍人らしく、アクセサリーなどは身に着けていない。

 ただ一人、軍服を着ていないトオルに対して、ネト師団長が声をかけた。

「中佐。君を呼んだのは、緊急事態が発生したからだ。そこに並ぶ四人と一緒に、これから申し渡す任務を果たしてほしいのだが…」

 四人ということは、この三人だけでなく、自分の後ろに佇むラモン大尉も含まれるようだ。自分を含め、パッと見が色物ぞろいの五人で、一体何をさせるつもりなのだろうか…。トオルは、師団長の張りのない声に耳を傾けた。

「…えっと、何だ。統合参謀本部から第三総軍宛に、ある機密が送られてくる手筈になっていたのだが、何をどう間違えたのか、総司令部のあるウラノス=シティではなく、ここネメシス=シティに来てしまった。君たちの任務は、その機密をウラノスまで運ぶこと。すでに準備は整っているので、あとは出発するだけだ。君が責任者。運転はそこにいるデ=ラ=ゴーヤ大尉、万一機密を取り扱う必要が生じたときのためにグリンカ伍長、それからオペレータとしてトスカネリ大尉とハムザ少尉を付ける。これからすぐに取り掛かってもらい、明後日の正午を目処に総軍司令部へ届けること。何か質問は」

「…あまりにも突然のことなので、何を質問すればいいかも分からない状態です。そこにいる三人とは面識すらないので、簡単な打合せと、我々が運ぶ機密とやらを見させて頂いてから質問をさせて頂きたいのですが、それでよろしいでしょうか」

 トオルの言い分にも理はあるのだが、師団長は面倒くさげな視線をトオルに向けた。

「あまり時間はないのだが…」

「1時間もあれば十分です。そこを何とかお願いできないでしょうか」

「分かった。時間厳守で頼むぞ」

「ご配慮ありがとうございます。では一時間後にまた伺います」

 トオルは師団長に敬礼を施すと、四人を引き連れて師団長室を後にした。

 

 司令部ビルの2階には、第217師団の幹部、すなわち師団長、参謀長、作戦参謀、後方参謀、そして三人の連隊長それぞれの事務室と会議室が並んでいる。トオルは、自身の作戦参謀室に四人を招き入れた。師団長室よりひと周りほど小さい部屋に、事務机とソファ、作業用の大きな机に椅子、そして小さな書棚がある。散らかった印象はないが、トオルが整頓を心がける性格を持っているからではなく、ただ単に赴任してきて間もないから、散らかすほど書類がたまっていないだけに過ぎない。そんな事務室に五人もいるので、狭苦しく感じる。そんな中で、トオルはまず自己紹介から始めた。長椅子のソファに座っている、浅黒い肌の若い男性の名は、ハムザ=ビン少尉。通信士である。引き締まった体つきだが、スポーツを嗜んでいるというわけではないらしい。

「トレーニングを日課にしていますから」

というのが彼の弁である。ずいぶんとストイックな奴だなと思ったトオルだったが、理由を聞いて、彼に対する評価が真逆になった。

「腹が出てると、女の子にもてないじゃないですか」

「確かに。私も気をつけることにしよう」

 トオルは食べても太らないという、人もうらやむ体質をしている。ハムザの涙ぐましい努力を粉々にしそうなので、自分の体質については黙っておこうと思ったトオルであった。

 女の子大好きのハムザがしきりに気にしている、一人掛けのソファに座る黒縁メガネのくすんだ金髪の女性の名は、カタリナ=トスカネリ大尉。司令部の総務課員である。

「たまたま出勤したら、師団長につかまった」

ため、この任務を言い渡されたそうだ。テレビドラマの予約が出来なかったことが残念でたまらないらしい。彼氏の有無についてハムザが問いかけるも、ノーコメントであった。

 ハムザの隣で長椅子のソファに座るおかっぱ頭の女性は、ジーナ=グリンカ伍長。カタリナと違って、線の細い少年のような、華奢な体躯の女の子。年はこの中で群を抜いて若そうだが、カタリナ以上に寡黙で、彼女のことを話すのは、意外にもラモン大尉だった。

「中佐、この子はまだ16歳です。それでいて機動大隊の所属です。」

「と、いうことは…」

 トオルは続きの言葉を止めた。機動大隊とは、人型及びそれに類する形状の搭乗型の大型機動兵器、通称モビルスーツ、モビルアーマーで構成される部隊である。その搭乗員は、大半が熟練したパイロットだが、中にはニュータイプといわれる、感覚が研ぎ澄まされた人物、もしくはそれに類する少年少女が充てられることもある。ニュータイプに類するものとして、施設で養成される強化人間というものがある。強化人間は、一年戦争の終結後、敗戦国のジオン公国文化技術省の研究機関を接収した軍機省のニュータイプ研究所において、研究、試験が重ねられ、誕生したものである。ニュータイプについては未知の部分が大きく、その研究は遅々として進まなかった。研究の遅れを取り戻そうと焦った研究者の中には、非人道的な人体実験に走るものも現れた。当時の軍の実力者であったティターンズの総帥ジャミトフ=ハイマンが、そうした行為を掣肘しなかったこともあって、そうした「えぐい」方法を採る研究者はどんどん増えていった。そのせいもあって、グリプス戦役の頃は完成に程遠い代物だった強化人間が、第二次ネオ・ジオン抗争のころになると、一定の成果が表れた。ところが、いつの頃からか非人道的な人体実験は行われなくなり、軍自体が強化人間への興味を失っていったこともあって、目に付くような進歩は見られなくなり、やがてニュータイプ研究所は、軍機省から宇宙開発省の管轄下へと移された。結局、非人道的な手段も厭わないマッドサイエンティストの集団という、ダーティーな印象だけがニュータイプ研究所に残ってしまった。そのニュータイプ研究所に所属し、軍へ出向している強化人間の軍服は、詰襟タイプが主流の連邦軍とは違ってブレザータイプのジャケットにネクタイというスタイルなので、とにかく目立つ。ジーナの着ている軍服と彼女の所属から、ダーティーなイメージの研究所を連想してしまったため、トオルは先に続ける言葉を止めてしまったのである。

 自己紹介のあとの3~40分ほどは、歓談に終始した。と言っても、大半はハムザが話していたのだが。丁度話題が途切れたところで、トオルが皆を見渡した。

「ところで、この貴重な休暇を台無しにしてくれた師団長に対して、何か言いたいことはあるか?」

「そうですねぇ。何でこのメンバーなんでしょうね」

 ハムザの疑問に、トオルは首肯した。いくら機密を運ぶにしても、メンバーの階級が高すぎる。責任者に中佐クラスを置くのは理解できるとしても、大尉ニ名に少尉一名と士官が四人。対して兵卒はたったの一人で、しかも10代。それに皆、所属が別というのも変だ。トオルとしても是非聞きたいところなのだが。

「でも、それは聞けないな」

「小官もそう考えます」

 ラモン大尉が、トオルの意見に賛同した。師団長の目にたまたま入った者を指名したとか、名簿から無作為に抽出したとか、適当に選んだなんて言えないだろうし、はたまた、師団長が気に入らない人間に、嫌がらせで任務を与えたなんてことも言えないだろう。尋ねたところで、まともな答えを聞き出せるはずがなかった。

 カタリナ大尉が挙手して、トオルに発言の許可を求めた。

「実務上のことなのですが、万が一襲撃を受けた場合に備えて、どう対処すればよいかは、確認されたほうがいいと思います」

「それは確かに重要だな。携帯できる武装、使用できる武器、武装グループに対する交渉権の範囲、発砲の許可…枚挙に暇がないな」

 カタリナの意見は重要だった。これをはっきりさせておかないと、自分の生命や地位に重大な影響を及ぼす。トオルは手帳にメモを取り、改めて周囲を見渡し、一人の人物に視線を定めた。

「グリンカ伍長はどう思う?」

 トオルの指名を受けた少女は、一瞬驚いた表情をしたが、視線を下に向け黙っている。無表情のように見えるが、頬が薄く色づいてきていることから、このような場で発言を求められたことがなく、緊張しているのではないか。トオルはそう感じたので、しばらく待とうと思ったのだが、数十秒も経たないうちにラモン大尉が沈黙を破った。

「ジーナ、聞こえなかったのか。早く奉答したまえ」

「まぁいいじゃないか大尉」

 手振りでラモンを制すると、トオルはジーナ向き合った。

「君とは年が離れた人間ばっかりで、緊張しているのかもしれないが、たった五人しかいないんだ。別に何でもいい。気になっていることがあれば、遠慮なく言ってくれないだろうか」

「緊張なんかしておりません」

 キッと、ジーナはトオルを睨んだ。こぶしを握り締めているところを見ると、上司に向かって反抗的な態度をとったらどうなるか、ジーナは覚悟を決めているのだろう。トオルがおもむろに右手を挙げたので、ジーナは目をぎゅっと閉じた。ところが、ジーナが予想した顔の痛みは、一向にやって来ない。ジーナはそっと目を開くと、右手で自分の背中を掻いているトオルの姿が目に入った。

「そんなに大声出さなくてもいいよ。まぁ、君くらいの年だと、ハムザ少尉みたいにパッと切り出すのは難しいだろうな。それじゃ、こちらから聞きたいのだが、ジーナは機動大隊にいるのだから、トラックとか重機とかも扱えるのかな」

「…中佐殿は、私を修正なさらないのですか?」

 睨みつけた相手の階級が自分とたった一つしか変わらなくても、上官に逆らったと見做されれば、容赦なく鉄拳が飛んでくるのが当たり前だった。目の前にしているトオルは、自分よりも何階級も上の、いわば雲の上に近いほどの上官である。それなのに、この風変わりな上官は、鉄拳どころか、睨みつけた自分に対して微笑みかけてくるではないか。ジーナにとっては、あまりにも意外で衝撃的なことだったのだが、トオルにはそんなジーナの内心は分からなかった。

「修正ねぇ。君のようなかわいい女の子をぶん殴っても、後味が悪いだけなんだけど。そうは思わないかね、ハムザ少尉」

「えっ、そこ、私に振りますか」

 肩をすくめて見せるハムザから、トオルは視線を再びジーナに向けた。

「たった五人なんだ。少々のことに目くじら立てても仕方ないさ。それよりも、何か気になることがあれば、あとでもいいから教えてくれないかな」

「は、はい…」

 拍子抜けした表情で、トオルを眺めるジーナだった。

 

 トオルがラモンを伴って再び師団長室に入室したのは、約束の1時間を30分以上過ぎた後だった。あまり時間にうるさくない師団長なのだが、さすがに機嫌が悪かった。

「貴官の腕時計の針の進みは、私のものと比べて、ずいぶんと遅いようだな」

「申し訳ありません。今つけているディスカウントストアで購入した腕時計は、明日にでも買い替えることにします」

 急に呼び出されたことへの貸しは、これでチャラだなとトオルは思った。

 先程のミーティングで出た疑問点について、師団長に質問すると、意外なほど要望に対して寛大だった。護身用の銃火器については、必要と思うものは積める限り積んで構わないし、他に持って行きたいものがあれば何でも持って行ってよい。緊急対応については、トオルがその場で判断すればよく、事後報告さえすれば構わないとのこと。通行するルートも自由。目的地はウラノス=シティ近郊のアキレウス駐留基地。受取人は、第三総軍参謀長のチャン=ミンスク中将。他、必要と思われる情報は全て教えてもらえた。だが、運搬する機密について尋ねると、

「それは言えないことになっている。まぁ、運ぶものを見れば、自ずと分かると思うが」

としか答えてもらえなかった。質疑事項については以上であるとトオルが述べると、師団長は椅子から立ち上がった。

「それでは、速やかに任務についてもらいたい。貴官らの健闘を祈る」

「全力を尽くします」

 お互い敬礼を施し、トオルが師団長室から辞去すると、廊下にはにわか作りのトオルの部下たちが佇んでいた。

「どうでしたか、中佐どの」

 後ろ手を組んだハムザが尋ねる。ハムザのくだけた態度にラモンが眉をしかめたが、当のハムザは一向に気にしない。尋ねられたトオルも、そんなことは意に介さず、両手を広げてみせた。

「好きにしていいんだとさ。ありがたいというよりも、何だか不気味だな」

「急に呼び出して用事を言いつけたもんだから、少しは引け目を感じているんでしょう」

「あの師団長が?そんなタマだとは思えんけど」

「まぁ、今詮索したところで何も分からんでしょう。とにかく出発の準備をしましょうや」

「そうだな。とりあえず、皆ノーマルスーツを着用するように」

 トオルが皆に指示を出した。現在の火星は、都市ごとにドームが建設されている閉鎖空間である。ドーム自体はミノフスキークラフトを利用した圧縮空気でできているため通り抜けは簡単だが、ドームの外側では宇宙服なしで生存できない。軍人に支給されている宇宙服をノーマルスーツというが、ゆったりした一般用と、肌にフィットしたパイロット用の二種類ある。長時間宇宙空間に滞在するわけではなく、かつ身動きのとりやすさを考えて、トオルはパイロット用のノーマルスーツを選択した。他の皆も、トオルと同じ選択をする。それぞれ更衣室でノーマルスーツの着用を済ませると、1階出口に近いブリーフィングルームに集合した。そこには、施設中隊の隊長と、三名の隊員が控えていた。中隊長は直立姿勢でトオルに敬礼した。

「今回、タカハシ中佐殿の指揮で輸送して頂く機密ですが、50トントレーラーでの搬送になります」

「トレーラー?」

 唸ったのはラモンだった。

「そんな大きなものを運ぶのか。やたら目立つではないか」

「まぁ大尉、中隊長にそんなこと言っても仕方がないさ。ところで」

 ラモンをなだめつつ、トオルは意地の悪い視線を中隊長に向けた。

「師団長閣下は、必要なものをいくらでも持って行ってよいとおっしゃった。必要なものをここにまとめたので、用意してもらえないかな」

 トオルに差し出された、メモというには大きな紙を中隊長は受取り、ざっと目を通す。みるみる中隊長の顔色が悪くなっていった。

「これを全部揃えろとおっしゃるのですか」

「ないとは言わせないぞ。どのくらいで準備できる?」

「トレーラーの中身を全部積み替える必要があります。少なくとも3時間は」

「だめだ。1時間だな」

「そんな。回せる人数は、ここにいる三人と、せいぜいあとニ人くらいですよ」

「そうか。私たち五人、そして君も合わせれば11人になる。十分いけるはずだ」

「そ、そんな…」

さりげなく自分を外したのだが、中佐殿には通じず、がっくりとうなだれてしまう中隊長。その彼の肩に、ラモンが手を置いた。

「準備して終わりのお前たちと違って、俺たちの任務はこれから始まるんだ。はなむけ代わりに手伝ってくれてもいいだろ」

「分かったよ、分かりましたよ。でも、貸しだからな」

「じゃ、頼むぜ」

 ラモンの笑い声が響く。三人の施設中隊の隊員が皆、ニヤッとしたのをトオルは見逃さなかった。

 

 トオルたちが乗り込む50トントレーラーは、とにかく長い。全長30メートルはある上に、横幅も高さもあるので、とにかく目立つ。トレーラーの荷台は、旧世紀からあるウィング車仕様で、中に何が積んであるのか、外からでは全く分からない。荷台の中の荷物の積み替え作業をしたので、荷台の中に積んである機密が何なのか、トオル達は知ることができた。

「何であんなものが、こんなところにあるんでしょうかねぇ」

 ハムザが抱く疑問も当然だとトオルは思う。だいたい今の火星に必要な代物であるとは到底思えない。ただの誤配にしろ、それを正しい送り先に届けるのは、トオル達のようなにわか作りの寄せ集め集団ではなく、もっとちゃんとした部隊がするべきだ。それなのに、トオルたちに運ばせようとするのは、何か裏があるのか、それとも…。

「一介の総務課員の私に、こんな任務を与えるとは、きっと上の人たちは何も考えていないのでしょうね」

 おそらく、このカタリナの感想が正しいのだろうとトオルは思う。機密のことはしゃべれないと言っておきながら、基地内の不特定多数が目撃できるような杜撰な管理をしているところからも、機密を真剣に取り扱う気を感じられない。管理も適当、運搬も適当。何もかも適当なのだろう。

 トレーラーのキャブには三人しか乗り込めないので、トレーラーに二人、他の三人は装甲輸送車に乗り込むことになった。トレーラーの運転はラモン、助手席にジーナ。輸送車にハムザ、カタリナ、トオルが乗り込む。

「せっかくの休日が台無しになったと思っていたのですが、あなたのような美しい人とドライブができるなんて、とても素晴らしい日になりそうです。お邪魔虫がいなければ、より最高だったですが」

「はぁ。なに寝言を言ってるの」

 ハムザのケーキをハチミツとメープルシロップで塗り固めたような甘い語り掛けに、カタリナはまるでハエでも払うかのようなぶっきらぼうな口調で答える。全く相手にされないハムザだが、これくらいのことではへこたれない。

「僕のドライブテク、なかなかのものですよ。休日には車でよく出掛けるものですから。ゆったりとした超安全運転でも、ちょっとしたスリルのあるラフな運転でも、大尉の好みに合わせますよ」

「どうせ、前を走るトレーラーの後ろを付いていくだけでしょ。ドライブテクなんか関係ないと思うけど」

「いやいや、それは違いますよ。それなら是非僕の隣に座って僕の運転をじっくり味わってもらいたいですね」

「そう。でも残念ながら運転するのは私らしいから、自慢のテクニックは別の女の子にでも披露したらどう」

「えーっ」

 誰が見ても分かる落胆の色をハムザは見せたのだが、こんなことで会話を途切れさせては何も進展しない。周りを見渡し別の話題を探る。

「ずいぶんと物騒なものを積み込んでいますけど、これらは全て中佐殿のご指示なのですかねぇ」

「…一概にもそうとも言い切れないけど。ハムザ少尉、口ばかり動かさず手足を動かしなさい。まだ積み込み作業は終わっていないんだからね」

「うわ、命令口調もまた魅力的だ…」

 ハムザの言葉に対してカタリナは沈黙で答えたので、ハムザの試みはここで一旦終了となった。

 一方、ジーナはラモンと作業が一緒になった。

「少しは体調、よくなったのか」

 この二人は旧知の間柄のようだ。ラモンは一旦気を許した相手にはとことん気を使うので、性別や世代を問わず顔が広い。ジーナが先日来頭痛を訴えていたのが気になっていた。尋ねられた方はといえば、作業の手を止めることもなく、問いかけたラモンに視線を向けることもなく、

「はい」

と無味乾燥な答えを返すだけだった。そんなジーナに対して、ラモンは何故か優しく問いかけ続ける。

「ならいいのだが。やっぱり、研究所から完全にこっちに移籍することはできないのか」

「研究所から出たければ、これまでに掛かった費用を弁済しろと言われていますから、難しいと思います」

 強化人間の育成には、莫大な費用が掛かる。被験者たちが研究所から逃げ出さないよう、研究員達は様々な手を使って引き留めに掛かる。或る者には達成不可能な条件を示したり、また或る者にはありもしない夢と希望を与えたり。被験者たちも必死だが、研究員たちも必死だ。しかし、なぜここまでして強化人間を養成する必要があるのか、ラモンを含め大部分の人たちは知らない。

 ジーナには、他の被験者たちに比べて現実的な条件が示されている。だが、提示された金額を支払うことは、ジーナにとって夢物語であった。

「ですが、誇らしくも感じられます。」

「なぜだ?」

「だって、私には、それだけの金額の価値があるということでしょう」

「……」

 ラモンは答えに窮した。人間の価値をカネに換算して比べることなどできないとラモンは思っているのだが、なぜカネに換算してはいけないのかと聞かれても、ジーナを説得できる自信がラモンにはなかった。

「…まあ、お前が納得しているのならいい。ただ、私としては、人をお金で量るやり方は好きではないね」

「なぜ」

「まぁ、何となくだ」

「では、お金で量ることを止めます」

「……」

 納得していないことは明らかだ。自分の限界が身に染みるラモンだった。

 結局、準備に要した時間は、1時間を少し回ったくらいだった。何事もなく順調にいって、ネメシス=シティを出るのに2時間、ネメシスからウラノス=シティまで1日、そしてアキレウス駐留基地内の移動と受渡手続で時間、帰りに1日、途中休憩を何回か挟むことを考えると、締めて二日半といったところか。今が昼前なので、

「帰ってきたら夜中か…。絶対代休を取ってやる」

とトオルは決意を固めた。

「カタリナ大尉のとなりだ~!休日出勤バンザイ」

とハムザ。

「こんなことなら、あの番組録画しとくんだった。再放送いつかなぁ」

とカタリナ。

「よし、準備万端。何事もなければいいが…」

とラモン。

「……」

とジーナ。 それぞれ思いは違えども任務は一つ。

「無事のご帰還を祈念します」

「ありがとう」

 制服を油まみれにしてしまった施設中隊長の敬礼に答礼すると、トオルは運転席のハムザに指示を出す。トオルたちの乗る輸送車を先頭にして、一行はウラノス・シティーに向けて出発したのだった。

 

 男は機嫌が悪かった。

 ネメシス=シティとウラノス=シティの中間部、所々にコケ類が生える赤茶色の荒野の道なき道を、小型の装甲車3台が一列に並んで走行していた。その真ん中の車の後部座席に座るその男は、ふてぶてしそうに足と腕を組み、眉をしかめて前方の運転手の後頭部を睨んでいる。パイロット用のダークグレーのノーマルスーツを着込んでいる彼の名は、レオン=バネッタといった。階級は中尉。彼は、非公式の命令を受け部下を率いて行動していた。

「ネメシス=シティからウラノス=シティに運び込まれる機密を奪取せよ」

というのが彼に与えられた命令だった。ところが、彼の上司はケチだった。機密について尋ねると、

「大きさは大変大きい。決して小さくない」

と曖昧だし、万全を期して自身が率いる小隊を動かしたいと願い出ると、

「大人数だと目立つので、一個分隊だけで対処するように」

と言われ、仕舞いには、

「軽迫撃砲以上の武装は目立つので、それ以下の武装に止めること」

と念を押される始末である。しかも、ターゲットがどういう輸送手段、ルートを通るかといった基本的な情報も与えられない非公式な命令を、喜んで引き受ける人間などいるはずがない。しかも、ターゲットに動きが出たので、準備時間もなしに緊急出動せよとのこと。情報不足、兵力不足、火器不足、準備不足の四重苦である。

「命令謹んでお受けいたします」

 それ以外の返答が許されないという五重苦に、腸が煮えくり返っているレオンであった。

 自身の小隊から人選してにわか作りの分隊をこしらえ、装甲車3台に分乗して、ターゲットが通るであろうと思われるネメシス=ウラノス間へ向かった。

 火星の空は青黒い。まだ酸素濃度が薄くオゾン層が未発達なので、都市ドームの外に出ると昼でも薄暗い。モビルスーツにでも乗って空を駆け巡れば、少しは気がまぎれるだろうが、面白味のない空の下、コケ類と岩しかない地面の上を這いずり回っているだけでは、一向に腹の虫がおさまらない。

「さっさと終わらせて帰りたい」

 整地されていない地面に体を揺すられているレオンの頭の中は、この文章だけがエンドレスで流れ続けていた。そんな彼には、機密とやらを奪うための腹案があった。ターゲットが機密とやらを運ぶにあたって、護衛にしろ、武装にしろ、たいしたものを揃えていないと、レオンは確信している。機密というからには、目立たないようにする必要がある。大人数で護衛したら、否応なくマスコミ等の目を引く。武装車両を多数揃えても同様だ。従って、護衛の武装車両は1台もしくはゼロ。大きなものを運ぶとあれば、トラックかそれに類する大型車両に絞られる。輸送機を使っての空輸は、墜落というリスクを考えると妥当ではないからだ。であれば、こちらが少人数であっても何とかなる。ターゲットよりも先回りして、2台でターゲットの左右を挟み、残りの1台でターゲットの頭を押さえてターゲットを停車させ、機密を奪うというのが、レオンの描いた基本戦術であった。ターゲットを制圧するために、装甲車には重機関銃が備え付けられている。レオンの的確な指揮と、3台の装甲車の連携に乱れがない限り、ほぼ100%任務は遂行されるはずである。士官学校でも成績が優秀であったレオンは、自身の指揮には自信があった。

「ターゲット、ネメシス・シティーを出た模様」

 運転席の隣に座る通信士がレオンに告げる。ネメシス駐屯基地から出た怪しい大型車両には、既に目星をつけてある。あとは、その動きを、衛星を通じて監視するだけ。特に難しい作業ではない。レオンが乗る装甲車は、ターゲットの正面約3キロメートルの地点に回り込んだ。残り2台の装甲車についても、予定の位置にまもなく到着するはずである。

 レオンの乗る装甲車の中は、車のエンジン音の他、通信士が持つブックタイプの電子端末が出す規則正しい電子音だけで、静まり返っている。電子端末のモニターには、周辺地図とターゲット、そして味方の3台の装甲車の位置が映し出されている。

「よし、そろそろだな」

 後部座席から身を乗り出してモニターを眺めていたレオンが、そろそろ作戦行動開始の指示を出そうとしたその時、異変が起こった。

「な、何だ!」

 突然モニターの画像が歪み、すぐに白黒の砂嵐状態になった。規則正しい電子音は、電子ノイズ音に変わっている。車載の別の検知器が、警告音を響かせている。

「ミノフスキー粒子が散布された模様!」

「はあ!?」

 通信士の報告に、レオンは奇声を上げた。トレノフ・Y・ミノフスキー博士が発見し、その名が付けられたミノフスキー粒子は、物理学の常識を覆す画期的なもので、通信の妨害から、反重力推進システムへの応用など、用途は幅広い。通信の妨害を目的としたミノフスキー粒子発生装置は、年を追うごとに小型化が進められたが、それでも10キロメートル四方の通信を妨害させるためには、最低でも小型車1台分の大きさの装置が必要だ。

「まさか、あんなに大きな装置を、ターゲットは積み込んでいるというのか…!」

 ありえない。レオンは心の中で大きく叫んだ。しかもこんな重要なタイミングで撒くとは、連中はうちの装甲車に隠しカメラでも仕込んでいるのか? いくら毒づいたところで、散布されたミノフスキー粒子は消えてなくならない。予定の中でも特に重要なところを邪魔されてしまったので、レオンは狼狽した。

「やむを得ない。ターゲットへ向けて突入する」

「我々だけでですか?」

 運転手が悲鳴を上げてレオンに抗議したが、返ってきたのは怒声だった。

「当り前だろうが!嫌なら、他の2台に連絡を付けてみろ」

 運転手は観念して、装甲車の進路をターゲットに向けた。サンルーフを開けたレオンは、天井から体を乗り出すと、屋根に取り付けてある機関銃の柄を握った。バイザー越しに遠くを見やる。こうなったら、威嚇射撃でトラックを止めてやる。覚悟を決めた。体当たりにも似た行為に、もはや作戦なんてものはない。場当たり的な博打行為に出たレオンの背中に、冷たいものが流れる。ものの数秒が、数時間にも感じる。やがて前方に、走行車の存在を感じさせる砂埃が舞うのが見えてきた。機関銃のスコープに片目を当てる。といっても、ノーマルスーツのバイザー越しなので見え辛いのだが、スコープ越しに2台の地上車が見えてきた。先頭に装甲輸送車、後ろにトレーラー。その時、

「ミノフスキー粒子の濃度が薄くなってきました。通信が戻ります」

 と通信士が報告してきたが、味方の2台がどこにいるかなど、もはやレオンには関係のないことだった。1分もしないうちに、銃撃戦が始まるはずである。まずは先頭の輸送車に銃撃を浴びせて怯ませ、右か左にハンドルを切らせたところを、ターゲットのトレーラーにぶつかる覚悟で突進し、トレーラーを停車させる。敵の輸送車が戻ってくる前に、トレーラーを制圧する。そのためには一旦停車して、輸送車に正確な銃撃をあびせなければ。そう思い、運転手に停車の指示を出した。そして、装甲車が停止するや否やといったその時、

「うあああ!」

 レオンを含め、装甲車に乗っている全ての者が絶叫した。前方に、巨大な光の壁が突き刺さったのだ。オレンジ色に輝く光の槍は、軍人なら誰もが知っているメガ粒子砲によるものであった。メガ粒子砲が空から降ってくる。上空に何かいるのか。戦艦か、モビルスーツか?レオンは空を見上げたが、それらしいものは何も見当たらない。

「……ぐ、軍事衛星か…」

 あまりにも衝撃的な出来事に茫然としながら、レオンはつぶやいた。メガ粒子砲の衝撃で装甲車の電子機器はショートを起こし、機能不全に陥っている。もはや彼らに、機密奪取を行う気力は残っていなかった。そんな彼らをあざ笑うかのように、輸送車とトレーラーが横を通り過ぎていった。

 

 男は意気消沈していた。

 男は自らの才覚には自信を持っていた。士官学校を三位の席次で卒業し、統合参謀本部勤務を経て二四歳で中尉に任官。伯父が連邦軍の高官でもあるので、数々の成功を収めて出世することを、レオン=バネッタは信じて疑わなかった。今回与えられた任務も、僅かな情報を頼りにターゲットの進行ルートや保有戦力を割り出し、すばやく効率的な作戦を立案し、的確に部隊を指揮して成功を収めるはずであった。それが結局おめおめと失敗し、査問を受ける立場になってしまったのである。

「何か言いたいことがあるか」

 薄暗く、殺風景な会議室。簡易な長机に佐官クラスの士官が三名座って、正面に座るレオンを見据えている。上官の一人がレオンにこう冷たく言い放った。普段のレオンなら声に出さずとも、情報も何もなしで成功なんかするものか、くらいは毒づくだろうが、あいにく失敗のショックから抜け出せないでいるので、

「何もありません。小官の能力が及びませんでした」

と殊勝なことしか口に出せなかった。自身の能力と家系を自負して横柄な姿勢が垣間見えることもあるレオンだが、今は珍しくも真面目にうなだれている。そんな姿を見て、上司たちも幾分か追及の手を緩めた。三人の士官が口々に感想を述べる。

「いくら機密といえども、ミノフスキー粒子散布装置に軍事衛星を使ってくるとは。これを予測して対策を立てるのは、困難だったのではないか」

「うーむ、確かに。まだ経験の浅いバネッタ中尉に、今回の責任を全て背負わせるのは酷かもしれんな」

「しかし、あんなものを用意するとはな。ターゲットの指揮官は一体誰なのだ」

 机の上に電子端末を置いている士官が、キーボードをたたく。調査に要した時間はほんの数分だった。

「タカハシ=トオル中佐。第217師団の作戦参謀。火星に赴任してまだ3ヶ月です。年齢は28歳」

「28歳で中佐?若いな」

「それよりも、どこかで聞いた名だな」

 先程の士官が再びキーボードをたたき始める。これまた数分で解答が出た。

「3年前のサイド3反乱事件鎮圧の功労者で、連邦名誉勲章を受章しています」

「…あぁ、あの事件か」

 この士官は苦々しく吐き捨てた。タカハシ中佐に対する追及はこれで止まり、タカハシ中佐の随行者に話題が移った。彼らの経歴を聞くと、その士官の表情が変わった。

「これは、これは…。この中佐殿の命運も、ここまでかもしれんな」

 苦笑が漏れる。全員の評価点がDと表示されてある。佐官クラスなのに、何故このような情報を見ることができるのかは謎だが、それはとりあえず置いといて、こんな落第点がついている連中に任せたということは、運んでいる機密というものの正体が見えてくる。

「まんまと担がれた訳だ。バネッタ中尉の失敗は、不問に付してもよさそうだ」

 この場で最高位と思われる士官のこの一言で、この査問会は散会の運びとなった。

 

「どうにか撒いたようだな…」

 トオルはため息をついた。トオルは今回の機密運搬のために、ミノフスキー粒子発生装置だけでなく、軍事衛星にアクセスできる端末、グレネードランチャー、機関銃、ハンドブラスター、スタンガンなど、あらゆるものを準備していた。トレーラーの左右ウィングの内側には、小型の熱誘導ミサイルを一発ずつ設置するほど念を入れており、おそらく2個中隊の来襲にも耐えられるだろう。結局来襲してきたのは、1個分隊程度の戦力だったので、全く損害を受けなかった。

「…全く大した人だ、タカハシ中佐は」

 トオルの作戦立案と指揮能力の高さを、初めて目の当たりにしたラモンは歎息した。どんなに良くても、トオルの乗る装甲輸送車の小破は免れないだろうと思っていただけに、無傷で撃退したこの若い上官に対する見方を、ラモンは改める必要を感じていた。

感心するラモンとは対照的に、ハムザは不平たらたらである。

「僕に、こんなことをさせるなんて、超過勤務手当てを頂きますよ」

 軍事衛星にアクセスして、メガ粒子砲を撃ち込んだのは、通信士のハムザだったのだが、どうも彼は、プログラミングが得意であることを隠していたかったらしい。

「妙に勘ぐられたくないですからね」

というのが、彼の弁である。彼にしてみれば、政府のシステムをハッキングすることすら難しいことではないらしいが、大っぴらにすると“平穏な”生活が送れなくなる可能性が高くなるから、ひた隠しにしてきたらしい。今回トオルは、通信士ということでハムザに端末を渡して操作を指示したのだが、想定以上の成果を上げることができたのは嬉しい誤算だった。

 道なき道を進み、まもなくウラノス・シティーへと到着する。ネメシスも中堅と言える規模の都市だが、火星の中心都市であるウラノスは、明らかに大都会だった。まだ遠く離れているにもかかわらず、またミノフスキークラフトを利用した圧縮空気でできているドーム越しであるにもかかわらず、摩天楼の迫力が、ひしひしと伝わってくる。

「あーあ。せっかく来たのに、夜の街はおあずけかぁ」

 だいぶ日も翳ってきた。大都会ウラノスには、それなりの大きな繁華街もある。機密を無事運び込んだら、寄り道もせずにネメシスへとんぼ返りすると言われていたので、遊び盛りのハムザは残念でならなかった。

「あんた一人で来た時に、思う存分遊べばいいじゃない」

「つれないことを言わないで下さいよ。大尉の頬がピンクに染まるところを、じっくりと眺めていたかったのに」

「なに色気づいてるのよ。いいかげんにしな」

 無感情に言い捨てるところが、逆に小気味いいなと、傍で聞いているトオルは思う。長い髪とメガネで、素顔が今一よく分からないが、きっと美人の内に入りそうな気がする。果たしてカタリナには、いい人がいるのだろうか。ま、いたとしてもハムザには関係のないことかもしれないが。

「それじゃ、ネメシスに帰ったら一杯行きましょう。夜遅くまでやっているいい店がありますから」

「中佐殿をお誘いするなんて、あんたも宮仕えが板についてきたわね」

「いえいえ、定時を過ぎてまで仕事をするほど、僕は人間できていませんから。かわいい後輩のために時間を作って下さいよ」

 明らかに避けられているにもかかわらず、ハムザは諦めるどころか、よけいに食らいついていることに、トオルは感心してしまった。ハムザの努力は、果たして報われるのであろうか。

「どうしても見たいドラマがあるから、またの機会ね」

 あら残念。天の岩戸は開かなかったか。きっぱりと断られてしまって、ハムザは落胆してしまったのかと思いきや、

「では明日も誘いますので、是非時間を作ってくださいね」

ときた。うわぁ、へこたれんな。

「明日も用事があるから難しいわね」

 おいおいカタリナさん。そこまで追い討ちをかけるか。同性としてハムザに同情しかけたトオルだが、

「では、明日も明後日も明々後日も、更に次の日も、お誘いに伺いますからよろしく!」

「……」

 さすがのカタリナさんも、返答できなくなってしまった。ひょっとしてカタリナさん、ハムザに寄り切られてしまうんじゃないだろうか。まるで恋愛ドラマの観客になった気分のトオルが、前方の窓の外を見やると、ウラノス=シティが目前に迫ってきていた。舗装もされていない迂回ルートから幹線道路に入る。検問待ちの渋滞を抜け、一時間もすればアキレウス駐留基地だ。トオルたちの不本意な仕事も、山場を迎えようとしていた。

 

 第三総軍総司令部は、ウラノス・シティー中心の火星総督府と同じ敷地内にある。第三総軍総司令官のドゥセック上級大将以下総司令部のスタッフは、そこに勤務しているのだが、総司令部直属の第一方面軍は、ウラノス・シティー外縁のアキレウス駐屯基地に司令部を置いている。トオルたちは、総司令部ではなく、アキレウス駐屯基地に行くよう命じられていた。

 アキレウス駐屯基地は、宇宙港も備える火星で最大級の軍事基地である。収容可能艦艇数は、大小合わせて1000隻以上で、第八艦隊の母港にもなっている。駐留する兵員の総数は、第八艦隊と第一方面軍配下の3個師団、1個旅団を合わせて計6万3000名。この基地だけで一つの都市くらいの規模がある。最重要拠点なので、入門のチェックも厳しい。順番待ちだけでも相当時間がかかるのだが、トオルの上司である師団長が発行してくれた通行証を見せると、衛兵が別の通用門へと案内してくれた。そしてその衛兵は、紙製の基地内案内図を片手に、どの建物へ向かうべきかをトオルたちに教えてくれた。

 普段なら、車載のナビゲーションシステムに場所を入力してもらえるのだが、任務が任務なだけに、トオルに手渡されたのは、先程衛兵が持っていた紙製の地図である。旧世紀さながら、鉛筆で印が入れてある。

「すごく大きな倉庫だなあ」

 目的地は、戦艦が2隻は入れそうな大きな倉庫である。場所は基地の中心部に近い。地上車の行き来も多く、外部からは見えにくいので、機密の受け渡しには好都合だ。既にあたりは暗くなっているのだが、行き交う人と車が多く喧騒としている。人々の服装はまちまちだが、大別して5種類に分けられる。一つ目は、スーツ姿。軍機省もしくはそれ以外の役人か、軍事関係の企業人だろう。ニつ目は、グレーが基調の軍服姿。一部を除いてほとんどの軍人が着用している。連邦軍が組織されてから若干のモデルチェンジがなされてきているが、基本は変わらない。トオルたちも、一名を除きこの軍服を着用している。三つ目は、青が基調の軍服姿。総軍とは別の組織である宇宙艦隊に所属する軍人が着用している。四つ目は、作業着タイプの軍服姿。ベーシックな軍服よりも濃いグレーのズボンと開襟シャツに、濃紺色のジャンパーがベース。工兵が主に着用しているので、服のどこかしらに機械油などの汚れが付いている。動き易いので、まれにモビルスーツや戦闘機のパイロットも着用している。五つ目がそれ以外だが、中には私服姿の者もいて、おそらくは仕事を終えて帰路についている者だろう。あと、ジーナが着用しているニュータイプ研究所からの出向兵の軍服を着ている者もいる。連邦軍にしては珍しい、ブレザータイプのジャケットにネクタイ。基本形状は同じだが、研究所によってブレザーの色が違う。ネクタイは市販のものであれば何でもよい。これを着ている者はほとんどいないが、いるととにかく目立つので、目立つのが嫌いな者は私服を着ている。軍隊に所属している者が私服で勤務すると始末書ものだが、出向兵の場合は扱いがあいまいなので、咎められることはあまりないようだ。こうした人々の間を縫って、トオルたちは目的地の倉庫までたどり着いた。ガルダ型の巨大輸送機が楽々と入れそうな開口部から中に入り、適当な場所に輸送車とトレーラーを止める。しばらくすると、三人の軍人がやって来たので、トオルたちは降車して一か所に集まった。

「遠路はるばるお疲れ様です。私は総司令部付きの士官で、インベル大尉と申します」

 中肉中背の士官がトオルに敬礼を施す。見たところ30代半ばといったところか。トオルは、答礼を返しつつあたりを見渡した。

「出迎えありがとう。ところで総軍参謀長のチャン中将のお姿が見えないが」

「参謀長閣下は所用があり、お見えになりません。代わりに小官が承ります」

「はぁ?」

 いくらトオルの方が階級が上で、しかも場所が人けの少ない倉庫であったとしても、出すのは控えた方が良い声を、トオルは出してしまった。あわてて表情を取り繕う。

「217師団長のネト中将より、この機密は直接チャン中将閣下へ引き渡すようにと指示されている。貴官へ引き渡すことはできないので、至急チャン中将へお越し下さるよう取次ぎを願いたい」

「それは困りましたな。小官の立場では、直接参謀長閣下に伺いを立てることができかねます」

 なんだこいつは。言葉遣いは丁寧だが、こっちが年下だとみてバカにしていないか。いらだつ心を押さえつけ、トオルはインベル大尉を見据えた。

「こちらも命令を受けている以上、チャン中将に来ていただかなければ、帰ることができん。いくら時間がかかっても構わないので、何としてでも取り次ぎ願えないか」

「…仕方ありませんね。私の上司に問い合わせてみますので、そのままお待ち下さい」

 軽く敬礼したあと、インベル大尉は二人の部下を従えてこの場を離れた。インベル大尉の背中を睨みながら、トオルの胸の内に、もやもやしたものが湧きあがった。自分たちが運んできたものは、重要機密のはず。仮に参謀長に急用が入ったとしても、代わりに来る士官は、どんなに階級が低くとも将官以上のはず。それなのに、佐官どころか尉官が来るとは。何かがおかしい。しかし、その疑問を解決するには、今のトオルには材料がなさすぎた。

 再びインベル大尉が姿を現したのは、あれから20分後だった。何もないところで立ったままじっと待つのは結構苦痛だ。トオルのイライラは限界に近づきつつあった。

「上司に取次ぎを依頼しました」

 ついに敬礼もせず、インベル大尉はトオルに告げた。たったそれだけのことに、20分も待たせやがった。普通20分かけたら参謀長に話を通せないか?トオルの悪魔の心が天使の心に、こいつ殴っていいか、とせきたてる。天使の心が待ったをかけたので、トオルは震える手を自ら押さえつけた。

「あと、どれくらい待てばいいだろうか」

「分かりかねます」

「…ならば、車の中で待たせてもらってもいいだろうか」

「いいでしょう。連絡が入りましたら、そちらへ伺います」

 なんでこいつの許可をもらわなければならないんだ!ラモンは、トオルの顔が怒りで赤くなっていくのに気付いた。あわててトオルとインベルの間に入る。

「では、我々は車内で待機する。連絡が来たらすぐに来てくれ」

 ラモンの言葉に冷たい視線で答えると、インベルは踵を返して去っていった。トオルの雰囲気が只事でないので、トオルより年下の三人が輸送車に、トオルとラモンがトレーラーに乗り込んだ。トレーラーの助手席に座ると、トオルはラモンに、

「悪い。八つ当たりしていいか」

と律儀に前置きして、激情をぶちまけた。

「こっちは休みを割いて来てやっているというのに、何でこんな扱いを受けねばならんのだ。あんな三下をよこしやがって、チャンの野郎。一体何様なんだ」

「第三総軍の参謀長閣下でしょう」

「参謀長ごときが何だ。俺たち労働者様がいなければ、ただのジジイじゃないか。労働者様がいるから、偉そうにできるんだ。偉そうにできる礼を言いに来てもいいんじゃないか?」

「礼を言うつもりがあるかどうかは分かりませんが、無視はできないから、彼を寄越してきたのでしょう」

「あんな三下、無視しているも同じだ。このままだと一生、この倉庫から出られんかも知れんぞ」

 さすがにそれはないだろうと言いかけて、ラモンは止めた。トオルの言い分に一部だが理を感じたのだ。一生出られないことはないだろうが、確かに不自然だ。総軍の司令部は別の場所にあるとしても、ここには第一方面軍の司令部がある。チャン参謀長なら、第一方面軍の司令部を動かして、しかるべき人物をよこすことが可能なはずだ。それを、総軍司令部付とはいえ下士官をよこすとは、まともに応対しようとしていないのは明らかだ。タカハシ中佐が妥協しない限り、話は平行線を辿り、長期化する可能性は十分にある。

「とにかくだ。ニ時間待っても音沙汰がなければ、師団長に顛末を報告してこのままネメシスへ帰還する。全く、たまったもんじゃない!」

 トオルはダッシュボードに足を投げ出し、組んだ両手を後頭部へ回した。ラモンはトオルに

「分かりました、その旨を皆に伝えて参ります」

と告げて敬礼を施すと、トレーラーの運転席を離れて他の三人が乗る走行輸送車へと歩き出した。自分の子供くらいに若い上司に対し、ラモンは再び感心した。軍隊は、「行って死んで来い」という理不尽な命令がまかりとおる、世界で唯一の特殊な組織である。軍隊内の命令には絶大な力が宿っているので、軍隊に属する者には、命令を妄信的に信じる傾向がある。そのため、部下に対して、まるで王様にでもなった気分で命令を発する者も多く、また逆に、何の疑問も感じずに命令を受ける者も多い。今回のこの扱いに対しても、総軍参謀長の威光を借りたインベル大尉に、唯々諾々と従って機密を引き渡してしまったとしても、おかしなことではない。それにも関わらず、トオル中佐は、自らの立場と理論をもって堂々と反論を述べ、しかも今後の方針を瞬時に自ら立案した。こんな人物がもっと上に行けば、軍隊も捨てたものではなのになとラモンは思った。

 ラモンは装甲輸送車の後部座席に乗り込み、ジーナの隣に座った。前には運転席にカタリナが、助手席にはハムザがいる。

「中佐殿は、ここで2時間は待つとおっしゃられている。それまでこのまま待機だ」

「了解です」

 ラモンの言葉にカタリナが答えた。

「しかし一体、何でこんなことに。総軍と師団の意思疎通ができていなかったんでしょうか」

「うーむ」

 師団長とトオルが話している場に、ラモンは同席している。師団長の話し振りからすると、とても意思疎通ができていなかったとは思えなかった。ただ、師団長が聞き間違いをしていたのであれば、その限りではないが。ただ、チャン参謀長自身が受け取りに行けない場合についての取り決めといった大事なことを、果たして師団長が聞き漏らすだろうか。意思疎通はできていたと確信しているのだが、確証はない。

「でも、確かなことが一つだけあると思います」

「そいつはなんだい、お嬢さん」

 自分よりだいぶ年下の、まだあどけなさが残るジーナが、珍しくも口を開いたことに驚きつつも、少しは自分たちに馴染んできたことを喜ばしく思うハムザが、彼女に発言を促した。当のジーナは、少々照れた素振りを見せたが、堂々と自らの意見を述べた。

「私たちが持ってきたものは、参謀長にとって大事なものではないということです」

「……」

 一同皆押し黙ってしまった。薄々感じていたことを、明確な形で示されてしまった。自分たちがここまで運んできたものは、一体何なのか。トオルが怒ったのは、ひょっとしてそのことを悟ってしまったからだろうか。だからトオルは、待てる時間は2時間と区切ったのだろうか。

 四人がそれぞれ自らの思いにふけり、しばらくの沈黙が流れたが、長くはなかった。しばらくすると、自分たちのものとは異なる、複数の地上車のエンジン音が近づいてきた。そちらに目を遣ると、自分たちが乗ってきたようなトレーラーが1台と、それを護衛するように装甲車が3台、倉庫の中に入ってくるのが見えた。それらはラモンたちから離れた場所で停車すると、出迎えのため、倉庫の事務所からインベル大尉と三人の上級将校が姿を現した。

「あ、あれは…」

 ラモンには、三人の上級将校の一人に見覚えがあった。やや中年太りした、頭髪が薄く、そして遠めに見てもはっきりと分かる豊かなもみあげと、それに連なる口ひげ。第三総軍参謀長のチャン=ミンスク中将に間違いない。

「あっ、中佐!」

 トレーラーから降りて真っすぐチャン中将の元へと歩き出しているトオルの姿を確認し、装甲輸送車に乗る四人は、あわてて扉を開け、彼らの上司の後を追った。

「これは一体どういうことでしょうか、閣下。是非ご説明を頂きたい」

 トレーラーから降りてきた士官と握手を交わすチャン中将に、トオルは詰め寄った。表情を消しているが、鋭い視線を放つトオルを、まるで汚物を見るかのような目つきでチャン中将は眺め、

「何だ、ここまで来れたのか…」

と、独り言のようにつぶやくと、そのままインベル大尉に視線を移した。

「まだ彼らに、お帰りいただいていなかったのかね」

「はっ、申し訳ありません。閣下のご命令を伝えたのですが、従う気がないようでして」

 こいつ、トオル中佐とのやりとりを、意図的に捻じ曲げやがった。ラモンは殺気を放った視線をインベル大尉に向けた。その一方でトオルはインベルのことなど眼中にないようで、視線をチャン中将に固定したまま動かさない。トオルの視線がうるさくなった中将は、やれやれといったポーズをとった。

「君たち、察しが悪いね。これ以上私を煩わせないでくれないか」

「貴様ら、立場をわきまえんか!」

 参謀長の隣に控える強面の士官がトオルたちを怒鳴りつけた。襟の階級章を見たところ大佐らしい。あまりの迫力に、大佐の部下たちのほうがひきつっている。ところが、怒鳴られたトオルは、全く表情を変えずにチャンを見据えた。

「いいえ、ここは譲れません。でないと小官は、我々にご下命下さった第217師団長のネト中将閣下に復命することができません。お手を煩わせて申し訳ありませんが、是非参謀長閣下から、直々のご説明をいただきたい」

 ここまで理路整然と主張されたら、強面の大佐も黙ってしまった。あまりに冷静に言葉を紡ぐトオルの姿を見て、たったさっきまで怒り狂っていた人物と同一なのかとラモンは疑ってしまう。カタリナとハムザはというと、この場の緊迫感で凍り付いてしまっている。

「まったく。ネトさんも厄介な奴を選んだものだ…」

 チャンは独り言を言ったつもりだろうが、トオルには聞こえていた。厄介で悪かったな、でも厄介なのはお前のほうだとトオルは思ったが、そんな素振りは微塵も見せない。ひたすらチャンに鋭い視線を突き刺し、続きの言葉を発するよう無言で圧力をかける。結局、チャンのほうが根負けしてしまった。

「君らも薄々感じてはいると思うが、今ここに来たトレーラーに乗っているものが本物の機密だ。君らは叛乱分子を引きつけるための囮だったわけだ。見事に囮の役目を果たしてくれた。ご苦労さん。これでいいかな」

「お褒め下さり、ありがとうございます」

 チャンの声もトオルの声もセリフを棒読みしたかのようで、全く誠意のないものだった。あらかた予想はしていたが、チャンの態度があまりに冷淡で、トオル以外の三人は肩を落としてしまった。

「これで用件は済んだはずだ。インベル大尉、彼らにお帰り頂きたまえ」

「かしこまりました」

 インベル大尉は背筋をぴんと伸ばし、教科書に載っている手本のような敬礼をチャン中将に施した。そのインベル大尉は、チャンに対する恭しさとは正反対の態度でトオルの肩をつかむと、

「さあ、閣下のお言葉だ。さっさと荷物をまとめてネメシスへ帰るんだ」

と、およそ目上の者に対する言葉遣いとは思えない声を投げつけた。もはやインベル大尉のことなど目に入っていないトオルは、自らの手帳にボールペンで何やらメモをとっており、それをチャン中将に差し出した。

「すみませんが、これにサインをお願いできませんか」

「まだ私を煩わせるのか。いいかげんにしろ」

「そうおっしゃらずにお願いします。これが最後ですから」

 トオルに押し切られてチャンは、しぶしぶ手帳とボールペンを受け取って署名した。無言でトオルにつき返すと、そのままチャンはトオルに背を向けた。トオルは背中を向けるチャン中将に形ばかりの敬礼をしたあと、

「ご命令に従いネメシスへ帰還しますが、アシがないので乗って来たトレーラーと輸送車で帰ってよろしいでしょうか。あとお邪魔でしょうから、荷物も一緒に持って帰りたいのですが」

と尋ねたのだが、チャン中将はもはや相手をしたくないらしく、代わりに先ほどの大佐が答えた。

「好きにするがいい」

「ありがとうございます。それでは失礼します」

 インベル大尉に引きずられながら、もはや誰に対してか分からない敬礼をトオルは施した。

 トオルとインベルが、その場から離れていくので、トオルの部下たちも慌てて敬礼を施し、後を追う。すると、インベルがトオルに話しかける声が聞こえてきた。

「まったく、囮のくせに閣下のお手を患わせやがって。何で、おとなしく捕まってくれないかな。まぁ、名誉の戦死でも良かったけど」

「……」

 トオルは黙ったままだ。強者に媚びて弱者を踏みつける性格のインベル大尉は、上位者をいたぶれる快感に上気していた。更なる優越感に浸りたいからか、言わなくてもいいことをペラペラとしゃべり出す。

「この火星には、叛乱を企てる極悪人どもがいる。そいつらが、火星に配備されるローガンダムの強奪を企んでいる、という情報を掴んだ。そこで参謀長閣下は、ローガンダムがネメシスからウラノスに運び込まれるという、偽の情報を流した。やつらが、まんまとエサに食らい付いたことまでは分かったのだが、まさかここまで無事にたどり着けるとは、全く運のいい奴らだ」

「……」

「おまえたちは捨て駒だったんだ。まさか、自分たちが選ばれた者なんて、自惚れたりはしてないだろうな」

 トオルが黙ったままでいるのを見て、インベル大尉は下品な笑い声を上げた。自分よりも10歳近くも若いくせに、二つも階級が上のトオルのことが気に入らなかった。そのトオルを、チャン中将と一緒になって捨て駒のように扱えることに、インベル大尉は至極満足だった。ざまあみろ、調子に乗るからだ。ネメシスの片田舎に左遷された身のくせに、中佐であることを鼻にかけやがって。もっと落ち込め。落ち込んで、一生窓際でウジウジしていやがれ。

「殉職したら、二階級特進で准将閣下だったのに、もったいなか……」

“ったな!”とインベルは続けたかったが、できなかった。インベルの続きの言葉を妨害したのは、トオルでもラモンでもハムザでも、はたまたカタリナでもなかった。トオル同様の無表情を貫いていたジーナは、すすっと前に進み出ると、憎悪で醜く歪むインベルの顔面に、硬いこぶしをぶっ放したのだ。ジーナは強化人間なだけに、華奢な姿かたちからは想像もできない腕力を持っている。しかも、インベルはジーナに対して無警戒だったので、ジーナのパンチをまともに受け、それこそ文字通り吹き飛んでしまった。あまりに突拍子な出来事に、さすがのトオルも目を丸くした。ラモンもカタリナもハムザも驚きで声が出ない。殴られたインベルは、口にたまった血を吐き捨てると、鋭い視線でジーナを睨んだ。

「貴様。上官に向かってこんなことをして、ただで済むと思っているのか…」

「…根性が歪んだ大人を修正したまでだ。なにが悪い」

 ジーナの声は、絶対零度の冷たさでインベルを貫く。殴ったのは歪んだ大人であって上官ではないと言い放つ。

「貴様が軍人なら、たとえ年下であっても、上官であるタカハシ中佐殿に対して、そのような口は利かない。従って、貴様は軍人ではない。軍人ではない貴様を殴ったところで、私が罪に問われることはない」

「…貴様の顔は覚えたからな」

「私は忘れるけどな」

 インベルに冷たい一瞥をくれたジーナは、トオルの手を掴む。

「さぁ中佐。こんなところ、すぐに出て行きましょう」

「あ、あぁ」

 呆然とするトオルは、ジーナに引っ張られてトレーラーへと乗り込んだ。その姿を目で追っていた三人もあわてて、乗ってきた装甲輸送車に乗り込む。バックミラー越しに、インベル大尉のふらつく姿と、遠目にチャン中将たちが談笑している姿が目に入った。インベルが一人でいるところを見ると、インベルが殴られたことにチャン中将達は気付いていないようだ。トオルは奴らの存在全てを忘れたいので、バックミラーから隣の助手席に座るジーナに視線を移した。

「さぁ、俺たちの故郷へと帰るか」

 トオルは、トレーラーのエンジンをスタートさせると、シフトレバーとハンドルに手をやり、アクセルを踏み込んだ。トオルたちにとっての悪夢が、今終わろうとしていた。

 

 トレーラーの中は静寂に包まれていた。ジーナはもともと寡黙だし、トオルは一人考え事にふけっていた。トオルは今回のことに腹を立てていたが、それ以上に危機感を感じていた。インベル大尉が捨て台詞のように言った「捨て駒」は、あながち嘘ではないと思う。もしそうでないなら、囮であることを前もって伝えていてくれてもよさそうだ。トオルたちが成功しようとしまいと、極論を言ってしまえば生きていようと死んでいようと、どうでもよかったのではないか。ということは、軍の上層部は、トオルのこれ以上の昇進を望んでいないどころか、もしかしたら排除したいのかもしれない。そう考えると、トオルは自らの身の振り方に、思いを巡らさずにはいられなかった。

 トオルは、ジーナのことにも考えを向けた。助手席に座る彼女の横顔を見てると、この華奢で涼しげな表情をしている10代半ばの少女が、大の大人を殴り飛ばしたことなど、まるで夢でも見ているかのようだ。知り合ってまだ間もないので決め付けるわけにはいかないが、一見クールに見えるこの少女の体の奥底には、感情の嵐が吹き荒れているのかもしれない。ジーナのことについて、ラモンと相談したいなとトオルは思った。

「グリンカ伍長、ちょっといいかな」

「はい」

 ジーナの声は静かで、インベル大尉を圧倒した迫力は微塵もない。トオルは注意深く言葉を選ぶために、一つ間を置いた。

「私は前線勤めが長く、その道の知り合いがいないので、ニュータイプ研究所というものを良く知らない。どういうものか教えてもらえないだろうか」

「たとえ相手が立場のある士官であろうと、一兵卒の私が研究所のことをお話しすることは禁じられています」

「そうか…」

 当たり前だろうなとトオルは思う。ニュータイプ研究所は、今も変わらず連邦政府の最重要機密事項のままだ。たとえ断片的なものであろうと、内情が漏れたら大変なことになる。

「すまなかった。聞かなかったことにしてくれ。ただ、伍長のことを、ちょっと知りたかっただけなのだ」

「えっ、私のことですか」

 ジーナがまじまじとトオルの顔を覗き込む。表情を表に出さない彼女が、驚いた表情を見せたので、トオルは意外に感じた。

「別に深い意味はない。他人から自分のことを、聞かれたことはなかったのか」

「ニュータイプ研究所について尋ねられたことは、これまでに何度もありました」

「そうか。それは煩わしかっただろうな」

 このように言われて、ジーナがわずかに微笑んだようにトオルは感じた。

「研究所に入ったのは、いつなんだ」

「記憶にありません。研究員によれば、生後間もなくだったと聞いています」

 いつの時代にも孤児というものはいるものだ。ジーナにとっては研究所が家だった。八歳くらいまでは研究所内の保育施設にいて、ゆるやかな時間を過ごしていたらしい。とはいっても、四六時中、かけっこやら木登りやらで、毎日くたくたになっていたようだが。幼少期から、基礎体力だけは鍛えられていたのだなと、トオルは感じた。

「環境が急変したのは、10歳になる頃でした。朝から夜まで様々な訓練がスケジュールされていて、ほとんど休む暇がありませんでした。気が付くと一緒に育った仲間がかなり減っていたのですが、彼らがどこに行ってしまったのか、全く分かりません。あまりにつらいので、逃げ出すことも何度か考えたのですが、私に付いている教師たちが睨みを利かせていて、とてもその隙はありませんでした」

「その訓練がずっと続いたわけだ。で、軍に来たのは、いつ頃なんだ」

「一年前です。ようやく解放されるのかと期待したのですが、ただの出向のようで、三年後には研究所に戻されるそうです」

「研究所から出ることはできないのか」

「私がここまで成長するまでにかかった費用を弁済できたら、研究所を出て行ってもいいと言われています」

 研究所からジーナに提示された金額を聞いて、トオルは少々驚いた。トオルの予想より若干高かった。

「なるほど。ところで、今は過ごしやすいか?」

「そうですね。中佐の部下になれれば、文句はないのですが。今の部署はイマイチです」

「それは嬉しいね。機会があれば取り計らってもらおうかな」

 トオルはジーナが所属している研究所の名称と場所を聞き出すと、趣味があるのか尋ねてみた。

「趣味って何ですか?」

「うーん。それは人に教わるものではないな。機会があったら調べてみたらいい」

「分かりました。ところで中佐、気になったのですが」

「何だ?」

「私たちが運んだ機密ですが、どうしてもガラクタには見えないんです」

「……」

 ジーナの感想にトオルは答えなかった。ただ、窓越しに広がる荒野を見やる。もはやトオルには、自分が運んだものの正体に興味はなく、忌々しさだけが残った。遠目にウラノス=シティとは格段に小さい町のあかりが見えた。トオルたちのねぐらがあるネメシス=シティが、少しずつ近づいてきた。

 

 ネメシス=シティに到着したのは、夜中を過ぎていた。とりあえず、乗ってきたトレーラーと装甲輸送車を、基地の適当な場所に止め、トオル達は一旦散会して仮眠をとることにした。基地に帰還した日の13時には復命するよう師団長に命じられていたので、その前の11時にミーティングルームに集まるよう皆に指示を出すと、トオルは足早に自らの宿舎へ向かった。疲れていた。とにかく横になりたかった。サイド3での事件のあとに比べると肉体的には楽だが、精神的には結構参っていた。今回一緒になった四人は、皆いいやつらだ。それなのに、自分もろとも捨石のごとく扱われたことが許せなく、またそんな評価しかされていないことに落胆していた。そのため、疲れているにもかかわらずなかなか寝付くことができず、睡眠不足のまま翌朝を迎えた。

 トオルが時間通りにミーティングルームに入ると、他の四人はすでに入室しており、談笑にふけっていた。四人の表情を見る限り、意気消沈していたり、怒りに打ち震えたりしてはいないようで、トオルはほっとした。

「皆、仕事を持って忙しいにもかかわらず、集まってくれてありがとな」

「まぁ、これも仕事のうちですからね。師団長直々の命令で動いたことですから、うちの上司も快く送り出してくれました」」

と、トオルに対して明るい声で答えたのは、ハムザだった。

「よそ者の私の場合、どこにいようと誰も文句を言いません」

「まぁ、あれだけ派手に準備をしていたら、誰だって何かあったと思いますよ」

「事務所にいても退屈なだけですから、呼んでもらえて嬉しいですわ」

 と、ジーナ、ラモン、カタリナが続ける。打ち解けた雰囲気のまま、ウラノスへ行く準備をしていた時や、それぞれ車内にいた時についての雑談で数分を過ごしたあと、トオルがこう切り出した。

「ところで、これから師団長に会いに行くのだが、果たしてどこまで話をすればいいだろうか」

「別に、何も隠し立てしなくてもいいとは思いますが」

「それはどうかしら」

 適当に答えたハムザに、カタリナが眼鏡越しに冷たい視線を投げた。

「襲撃されたことはきちんと報告しないといけないと思うけど、ウラノスまで持って行った機密が、実はニセモノでした、って正直に言っていいのかしら」

「何故です」

「だって、私たち以外は皆、あれは本物だって信じているのよ。ニセモノだったことを師団長に伝える役目は、私たちではなくチャン中将だと思う」

「俺たちには荷が重いというわけですか」

「でも、そうとは言い切れん」

 ハムザとカタリナのやりとりに割り込んできたのはラモンだった。

「ウラノスで、チャン中将からの言質を中佐殿がメモにとっておられる。中将のサインも頂いているので、我々が報告しても問題はないはずだ」

「なるほど。何であんなことしたのか不思議だったが、こういうときのためだったのですか。ミノフスキー粒子発生装置を積み込んだり、軍事衛星起動ユニットを持ち込んだり、中佐殿の準備の良さには頭が下がりますわ」

 トオルに向かってハムザは両腕を広げてみせた。それに対してトオルは腕を組み、やや前のめりの姿勢を取って、ハムザを見やる。

「その起動ユニットを難なく使いこなして、敵の装甲車スレスレにメガ粒子砲をぶち込むハムザ少尉殿の腕にこそ、頭が下がるよ」

「…あのう。お互いを称え合っているように聞こえないのですが…」

「ジーナ、分かってきたんだな」

 ラモンがジーナの肩をポンと叩いた。ニヤッと笑って、こう続ける。

「でも、仲が悪いというわけではないぞ」

「えっ、そうなのですか?」

 ジーナが真面目に驚いている姿を見て、トオルは微笑ましくなった。ほんの数日、一緒に過ごしただけなのに、ジーナに表情が出てきたことが嬉しかった。

「少し話がそれてしまったが、私の結論からすると、今回起きたことは師団長に全て話してしまおうと思っている。そして報告には、デ=ラ=ゴーヤ大尉に同行してもらう。大尉、来てもらえるか」

「了解いたしました」

「では、ミーティングはここまでとしよう。みな、忙しいところ、時間をとってくれてありがとう」

「はっ」

 四人は起立してトオルに敬礼を施した。

 

「まったく、何てことをしてくれたんだ!」

 13時になったので、命令通りトオルがラモンを伴い師団長室に入ったのだが、入るなり師団長から怒声が飛んできた。

「チャン参謀長から連絡が入った。軍事衛星のメガ粒子砲を、誰の断りで発射したんだ」

「出発前に、閣下から裁量の自由を頂いたはずですが」

「あれは範囲外だ」

 トオルが畏まりもせずに平然としているので、師団長の怒りがヒートアップした。

「中佐は何を勘違いしているのか。軍事衛星に対する権限は、我が師団ではなく総軍に属している。そんなことも知らずに、よく作戦参謀が務まるな。着任してから今まで、一体何をしてきたのだ」

 トオルは事態を飲み込めなかった。自分は、師団長に復命するために来たはずだ。そのために、メンバーを集めてミーティングまでした。自分の報告に漏れがあったときのために、ラモンにも来てもらった。それなのに、報告をしようとする隙を、中将は一切与えてくれないばかりか、一方的にまくし立てるばかりだ。軍事衛星へアクセスする権限が総軍司令部にしかないのであれば、なぜ操作できる端末が師団司令部にあるのだ。おかしいではないか。任務が完遂されたことについて、賞賛されることは期待していないが、せめて労ってくれることくらいは期待していただけに、トオルの失望は大きかった。

「私の不徳であります。重ね重ねご迷惑をお掛けして、申し訳ございませんでした」

 師団長に対して頭を下げたトオルだが、その表情を見る限りとても反省しているようには見えない。トオルの態度が気に入らないのか、師団長のトオルに向ける視線は硬いままだ。トオルも師団長に慈悲を求める気はないようで、すぐに頭を上げると、何かを決意したような目で師団長を見据えた。

「結論を申し上げますと、我々がウラノスへ運んだ機密はニセモノだと、チャン参謀長から告げられました。受け取りも拒否されましたので、そのまま持って帰りました。なお、ウラノスへ向かっている道中に、一個分隊くらいの集団から襲撃を受けました。これは、先程お叱りを受けました軍事衛星を用いて撃退に成功しましたが、急なことで通信の傍受もできず、またウラノスへ一刻も早く向かうべきとの判断から、捕虜をとることもできなかったので、襲撃者の特定はできておりません。襲撃による当方の損害はありませんでした。ただ、チャン参謀長のお話を伺ったところ、我々は囮だったとのことなので、本来であれば、襲撃してきた集団に我々は拉致されるか、あるいはその凶弾に倒れて名誉の戦死を遂げてニセの機密を奪われるべきでした。それにもかかわらず、無傷で襲撃者を撃退しただけでなく、ニセの機密を守り抜くという大失態を犯してしまいました。また、無断で軍事衛星を利用したことについても、責任を強く痛感しております。そこで」

 トオルは制服の胸ポケットから一通の封書を取り出し、師団長の机の上に置いた。

「ご期待に沿えず戦死できなかった責任を取るため、職を辞したいと思います。今まで大変お世話になりました」

「ちょちょちょ、ちょっと待て!」

 さっきまでの威勢はどこへやら。師団長は狼狽しながら立ち上がった。

「何も、そこまですることはない。始末書の一つでも書いてくれればいいのだ。とりあえず今日はもういいから、これを持って帰って、少し頭を冷やすといい」

「いいえ。私が犯した過ちは、始末書などで責任を取ることはできません。どうかお納め下さいますようお願い致します。それでは、失礼致します」

 トオルの辞表を持ったまま力なく立っている師団長に敬礼すると、トオルは踵を返して師団長室をあとにした。急展開についていけなくなり呆然としていたラモンも、慌てて師団長に敬礼し、トオルの後を追った。

「突然何てことをおっしゃるんですか。一体いつ辞めるとお決めになったのです」

 師団長室の扉を丁重に閉めたラモンは、トオルに駆け寄って問い詰めた。当のトオルは晴れ晴れとした表情でラモンを見やった。

「だいぶ前から考えていたんだが、決定打は昨日の事件だな。辞表を書いて懐に入れていたんだが、出すか出さないかは、今日のネトのおっさんの態度で決めるつもりだった」

「そういうことですか。中佐殿のおっしゃるだいぶ前のことは分かりませんが、師団長があんなに態度を変える人だとは思いませんでした。お怒りになるのも無理ないです。たとえ軍をお辞めになったとしても、中佐殿はまだ若いからやり直しが効くでしょう。ところで、中佐殿には、次の仕事の当てはあるのですか」

「ない!」

「ええっ!」

 驚くラモンを尻目に、トオルは自らの事務室に向かって歩き出した。

「こっちに来て日が浅いんだ。当てなんか、あるわけがない。しばらくは、求人広告と職業安定所通いになるだろうさ」

「作戦に対しては用意周到なのに、ご自分の人生設計に対しては、いい加減なのですな」

「誰でも、自分のこととなると、客観視が難しいだろう。私だって例外じゃない」

 トオルは、振り返ってラモンに片眼を閉じて見せた。トオルの事務室は目前である。

「ところで大尉。今日の晩、体空いているか?」

「来るもの拒まず、が私の信条です」

「そうか。ちょいと相談がある。六時に私のところまで来てくれ。一緒にメシを食おう。できれば、グリンカ伍長を連れてきてほしいのだが」

「了解しました。では六時に」

 ラモンに軽く答礼すると、トオルは事務室の扉を開けて中へと入っていった。

 

 基地からタクシーで30分も走ると、ネメシスの繁華街である。ハムザが嘆いたように、ウラノスとは比較できないくらいこぢんまりとしている。怪しげなネオンや照明がまたたく店はまばらで、大半が小料理屋や全国チェーンのレストランで占められている。雑貨店や学習塾もあるので、日が暮れてまもない時間帯だと、今宵の一杯を求めてさまよう勤め人にまぎれて、子供たちの姿も見受けられる。その人混みの中に三人の人影があった。三人とも年齢性別がまちまちなので、学生のグループにも勤め人のグループにも、はたまた家族にも見えない。二人は、スラックスを穿いてジャケットを羽織っている無個性な服装をした、風采の上がらない男なのだが、一人が、上は白無地の半袖Tシャツと地味だが、下はすらりと引き締まった足が否応なく目立つホットパンツを穿き、頭には羽根飾りのついた茶色のカウボーイハットをかぶっており、帽子の下から覗かれる白皙の整った顔立ちと鋭いエメラルドグリーンの瞳が中性的に見えるハイティーンの若い女性なので、すれ違う人々の目を引き付けてしまう。

「アイドルのお忍びかしら」

 とすれ違った女子学生がささやいたことから、風采の上がらない二人の男はマネージャーかボディーガードと思われたようだ。彼女たちに、三人とも実は軍人だと教えてあげたら、きっと驚くに違いない。

 トオルとラモン、そしてジーナの三人は、いわゆる居酒屋と呼ばれている大衆向けの小料理屋に入った。店員に案内されて個室に入る。五~六人程度の個室を備えた居酒屋は、今や一般的になっており、あらゆるグループが利用している。トオルたちが入った個室の隣からも、笑いが入った話し声が聞こえてくる。備え付けの簡易なクローゼットに帽子やら上着やらを入れると、三人は適当な場所に腰を下ろした。

「あー、腹減った。今日の食堂の定食、うまくなかったなぁ」

「あれは、味が薄すぎますな」

 トオルに相槌を打ったラモンは、ジーナの方を向いた。

「上着も着ないで寒くないのか」

「これくらいが丁度いいです」

「元気がいいな。おじさんたちには羨ましい限りだ」

 ラモンの放った台詞のごく一部に、トオルは引っ掛かった。

「“たち”はないだろ、大尉。さりげなく私を仲間に引き込んだな。私はまだ20代だ」

「えっ。30代半ばくらいかと思っていましたが」

「そんなに老けて見えるかなぁ。ジーナ、どう思う」

 表情には出なかったが、トオルにファーストネームを呼ばれてジーナは驚いたようで、返事が一拍遅れた。

「中佐殿は、私と年齢が離れているので、よく分かりません」

「ふーむ。ならジーナから見て私は、お兄さん、おじさん、おじいさん、年下のどれ?」

「おじさんです」

「がーん。即答かよ。まだ20代なのに…」

 肩を落とすトオルを押しのけてラモンが乗り出してきた。

「なら、私はどれになる」

「おじいさんです」

「がーん。私だってまだ50代に入ったばかりなのに」

「50代だったら仕方ないだろう。孫がいてもおかしくない」

「そんなことはありませんよ。60代でもバリバリの現役いっぱいいます。そう言われる中佐も、20代後半なら子供がいてもおかしくないから、おじさんと言われても仕方ないでしょう」

「大尉、もうやめよう。互いの傷に塩をこすりつけ合っても痛いだけで、いいことはない」

 ノックの音に続いて店員が入って来て、コース料理の開始を告げるとともに飲み物のオーダーを取る。店員が退出してしばらく談笑が続き、コース料理の二皿目が出たところで、トオルがジーナに切り出した。

「ところで、ジーナ。ラモン大尉は知っているのだが、私は軍を辞めようと思っている」

「そうですか」

 口調も表情も淡々としたままフォークに刺したサラダを口へと運ぶジーナに、トオルは言葉をつづけた。

「軍を辞めたら退職金が出る。そこそこ出世できたから、金額もなかなかたいしたものだ。貯金を合わせれば、この前ジーナが話してくれた、研究所を出るための費用ぐらいは払えると思う」

「えっ!」

 めったなことでは崩れないジーナの目の色、表情が変わった。ラモンもジョッキを置いてトオルに向き直る。当のトオルは、ジョッキに残っていたビールを平らげると、ジーナの瞳を覗き込んだ。

「どうだ、ジーナ。軍を辞めて、普通の生活を送ってみる気はないか。勘違いしてもらったら困るが、お前に妙な気があるから言っているのではない。性別のことが気になるなら、住まいは別でも構わない。せっかくの貴重な青春時代を、軍なんかで過ごすのは、あまりにもったいない。お前は素直で賢い子だ。研究所や軍というせまい空間ではなく、もっと広い世界に出た方が、きっとお前の為になると思う。どうだ?」

「ちょっと待ってください、中佐!」

 トオルの言葉を、ラモンが遮った。

「軍を辞めた後のこと、考えてないのですよね。ご自分の生活がはっきりしていないのに、どうやってジーナを食わしてやるのですか?」

「まぁまぁ大尉。そんなに目くじら立てなくても…」

「嫌でも立ててしまいます。んんん!もうっ。あなたという人は。ほんとに!もう、こうなったら仕方ないですね」

「ん?」

「あなた一人なら退職金もあるし、お辞めになったあとのことは放っておこうと思っていたのですが、なけなしの金をジーナの為につぎ込んで無一文になるのなら仕方ないです。私に当てがあるので、仕事のことは任せて下さい」

「そうか、それは助かる」

「ただし、文句は言わないで下さいよ」

「もちろんだが、警備員の類だけはやめてくれよ。棍棒や銃といった武器の類は嫌いなんだ」

「今軍人している方が、何を言っているんです」

「分かった、分かった。文句は言わないよ。ところで」

 トオルはジーナに視線を移した。

「肝心の姫の意見が聞けていないのだが。どうだ。辞める気があるか?」

「…本当なのですか、本気なのですか」

 ジーナの瞳は潤んでいた。両手を口に当ててトオルをじっと見つめる。トオルは優しく微笑んだ。

「ここで知り合ったのも何かの縁だ。あとは、お前次第だ」

「…よろしくお願いします」

 か細い声を精一杯振り絞って、ジーナは答えた。トオルは力強く頷いた。

「分かった。あとは研究所がどう出るかだな。ところで、ラモン大尉」

「はい?」

「大尉は、その研究所というものについて、何か知らないか」

 トオルに尋ねられたラモンは、腕を組んだ。

「少しかじった程度なので、よく知りません。要は、研究所の誰と交渉すればいいか、ということでしょう」

「そうだ。だがそもそも、あれは一体何なのだ?」

「あそこはブラックボックスですからね。表向きは、生体科学研究所と名乗って、宇宙空間に対応できるヒトの体の研究を主なテーマとしています。しかも宇宙開発省の管轄下なので、中身がよく見えません。ニュータイプ研究所という俗称も、軍関係者くらいしか知らないはずですから」

「だよな。てっきり軍の管轄下にあると思っていたのだが、何で宇宙開発省なんだ」

「それも謎ですね。もともと、旧ジオン公国文化技術省の研究機関を、連邦軍が接収したのが始まりだったのですが、チャンドラ=ラオ長官が宇宙開発省に無理やり引っ張り込んだと聞いています」

「地球連邦政府の中興の祖だよな。彼がいなければ、人類社会が崩壊していたと言われている」

「ホー=フェイリン長官の後継者として辣腕を振るったラオ長官の発言権は絶大で、政府高官の誰もが、彼には逆らえなかったと言われています。実際、彼がいなければ、我々が今いる火星は、未だに居住不可能の不毛な惑星のままだったでしょうから」

「でも、ラオ長官の秘密主義は好きではないな。この火星が、どのようにして改造されたのか。不明な点が結構あるのだろう」

「そうですね。地球の半分以下の火星に、どうやって地球並みの重力を持たせることができたのか。一般報道向けには、木星の重金属を大量に火星の核に注ぎ込んだことになっていますが。巨大惑星である木星の核から、一体どうやって重金属を採取したのか」

「まっ、重力の謎については置いておくとして、ラオ長官の功績が立派過ぎるだけに、ラオ長官の真似をして、秘密主義をとる官僚どもが増えたと思う」

「それが研究所にも当てはまると」

「そういうこと。だいたい、研究所がどこにあるのかも知られていないよな。カドモス=シティの郊外だったよな」

「こまかい場所は、ジーナが知っているでしょう。それよりも、行って誰に会えばいいかということです」

「その点もジーナに教えてもらうしかないのだが、この前、ウラノスから帰る途中に研究所のことを聞こうとしたら、教えてくれなかった。どうだ、ジーナ。やっぱり教えてくれる気にはならないか」

 トオルに話を振られたジーナは、気まずい表情を作った。

「…研究所の連絡先、教えてもらってないんです。何かあったときは、機動大隊のバートン少佐が、研究所とやりとりするようになっているので。すみません…」

「そうか。ジーナが悪いわけじゃないから、謝ることはない。でも、バートンに、軍を辞めるついでにジーナを引き取りたいから、研究所の連絡先を教えてくれとは言いにくいなぁ」

「作戦参謀ともあろうものが、一介の伍長のことを研究所に問い合わせするのは変ですし、また、退役する人間に、政府の機密を教える馬鹿もいませんからな」

 このラモンの述懐に、トオルは相槌を打った。

「そういうこと。だが、アポもなく飛び込みで研究所へ行ったところで、追い返されるのがオチだからな。面倒をかけて申し訳ないが、当てを探す手伝いをしてもらえないかな」

「ジーナのことは、私も気になっていました。喜んでお手伝いしますよ。でも、トオル中佐も調べて下さいよ。あなたは、まだ現役の中佐なんです。アクセスできる範囲も、私よりも広いのですから」

「分かっていますよ、ラモンさん。私自身のことだから、誰かに丸投げしないように心がけるよ」

「…私にも、何かできることはありませんか?」

 申し訳なさそうにジーナが、恐る恐る尋ねてきたが、

「これは大人の問題だから、気にするな。お前は、新しい生活を夢見ていればいい。といっても、相手があっての話だから、話がポシャるかもしれない。まあとにかく、私たちに任せておけ」

と、トオルは取り合わなかった。丁度このときに三皿目の料理が運ばれてきた。

「面倒なことは、明日以降考えよう。折角の料理が冷めてはもったいない」

「賛成ですな」

 トオルの言葉にラモンもジーナも同調した。

 

 三人の夕食会の数日後、トオルはジーナを伴って、カドモス=シティに向かうべくネメシスの中央駅に来ていた。カドモス=シティは、ネメシスから南東方向へ500キロメートルほど離れたネメシス同様の中堅都市で、ネメシスとは幹線道路の他にリニアライナーで結ばれている。辞表が受理されたとはいっても退職日はまだ先なので、トオルは作戦参謀の立場を利用して、カドモス=シティでの職務上の用件を作った。その職務上、モビルスーツの若手パイロットが必要ということにして、ジーナを連れてきたのである。二人は、カドモス=シティで一泊する予定にしていた。

 駅は、何の特徴もないシンプルな作りの白っぽい建物で、これもまたどこにでもありそうな駅ビルが付帯している。駅の入り口には、バスの停留所、適度な植栽と噴水がある。行き交う人の服装もまちまちなのだが、連邦軍士官の制服姿のトオルと、ニュータイプ研究所からの出向兵の制服姿のジーナは、何の変哲もない光景の中で異彩を放っていた。警察官や軍人というものに対して、人というものは、イベントといった特殊な場所であれば写真を撮ったり握手を求めたりするが、駅などといった通常の場所においては、特にやましいことがないにもかかわらず避ける傾向にある。動物園にいる猛獣には興味を示すが、サバンナをうろつく野生の猛獣には逃げようとするようなものかと、トオルは思った。

 二人は、中央口からリニアライナーの改札を目指した。二人とも連邦軍の所属証をもっているので、それを使えば改札はフリーパスである。エスカレータに乗って改札の上にあるプラットホームに出た。

「カドモスまで一時間くらいだな。本でも読んで時間つぶすか。ところでジーナは、何か暇つぶしのための小道具を持って来ているのかい」

 トオルは伸びをしながら何気なくジーナを見やったのだが、当のジーナは直立姿勢のまま、

「何もありません」

 と抑揚のない声で答えるだけだった。張りつめた空気をまき散らすジーナの姿に、トオルはため息をついた。

「今日は私と二人だけだと言ったよな。何をそんなに肩肘張ってるんだ」

「今は任務中であります。中佐殿を前にしてくつろぐなど、そんな失礼な真似はできません」

「任務はあくまで建前だ。本当の用件は知っているのだろう」

「了解しております」

「だったら、そんな言葉遣いや態度をしなくてもいいんじゃないか」

「そんな訳には参りません。中佐殿と私とでは年齢も階級も大きく違います」

「うーん。じゃあ…」

 トオルは自分のカバンの口を開けて手を突っ込んだ。中から一冊の本を取り出す。

「電車に乗ったら、これ読んどいて」

 旧世紀からある紙製のハードカバーの本である。書店の名前が入ったハトロン紙のブックカバーが付いている。

「これは軍事教本か何かですか」

 ジーナは、両手で差し出された本を受け取りつつトオルに尋ねる。トオルはニヤッと笑った。

「人生の軍事教本かな。別に軍人でなくとも、人は戦っていかねばならない。読んだら感想を聞かせてくれ」

「了解いたしました」

 本をショルダーバッグにしまうと、ジーナは敬礼を施した。丁度そのとき、六両編成のリニアカーが、プラットホームに進入してきた。

「しかし、研究所というのも不思議な組織だなあ。コンタクトを取ろうと、火星開発庁に問い合わせしてみたんだが、あ、火星開発庁とは、宇宙開発省の火星の出先機関なんだが、その火星開発庁には、研究所を監理する部署がないんだ」

「そうですか」

 トオルの言葉に、ジーナはありきたりな相槌を打つ。10代の少女が行政組織の細部を知っているはずがない。というより興味もないことだ。ジーナが話を聞いていないことに気付かない訳ではないが、トオルは話を続ける。

「研究所は本省直属なので地球へ行って下さいと言われてしまった。まいったよ。地球に問い合わせて、電話じゃダメだから地球まで来てくださいなんて言われても困るし」

 進入してきたリニアカーが止まり、トオルたちの前にある乗降口の扉が開く。中から乗客が数名降りてきた。スーツ姿の男女と私服姿の女性だけで、制服姿の者はいない。皆が降車したのを見計らって、トオルたちはリニアカーに乗り込んだ。二人とも指定席を予約してある。手に持っている座席予約券を見て座席番号を確認し、座るべき場所を探す。車内は全て前向きの左右二列シートになっている。トオルたちは進行方向を向いて右側の列のシートだった。上部のラックに手荷物を入れ、窓側にジーナを座らせ、通路側に自らも座ると、トオルは缶コーヒーの栓を開けて、二口すすった。

「うーん、やはりコーヒーはいいなあ。疲れた心に染み渡るこのほろ苦さ。コーヒーを発明した人は天才だ」

「そうですか」

「ところでジーナは飲み物を用意してないのかい」

「ありますよ」

 ジーナは足元に置いてある自らのショルダーバッグの中から、ラベルの付いていないペットボトルを取り出した。

「特製スポーツドリンクです。製法は秘密です」

「研究所の特製品か?」

「そうです。飲んでみますか」

「いいねえ。是非頂戴しようか」

 ジーナからペットボトルを受取り、蓋を開ける。甘酸っぱい中に草の匂いか何かが混じった妙な匂いがしたが、気にせず一口飲んでみる。全般的に味は薄いのだが、甘いのやら酸っぱいのやら苦いのやら、よく分からない味がした。だが、

「うーん。よく分からん変な味がするなあ。でも」

 と言ってトオルはもう二口ほど飲む。味わいながらトオルは何か得心したような面持ちでペットボトルを眺めた。

「何だか癖になりそうな味だな。これ、製品化したら売れるかもしれんぞ」

「そうですか」

「ジーナは、そうは思わないんか」

「昔から当たり前のように飲んできましたから。おいしいとも何とも思ったことないです」

「そうか」

 トオルはジーナ越しに、車窓に映る風景を見やった。いつの間にか発車していたようで、ネメシス=シティの郊外まで来たようだ。一軒家がちらほら。コケ類と岩だらけの荒野が見えだしていた。

「まぁ、それは置いといて。そういやどこまで話したっけ。そうだ。地球に問い合わせするように言われたところまでだったかな」

「そうですか」

「そうそう。それで、ネットを使って研究所の表の名前である生体科学研究所を調べてみたら、火星の出先機関の一覧表が載っててね。そこに、カドモスの研究所の代表番号も書いてあった。代表番号に電話したところで、相手になんかしてくれないだろうと思ったけど、他に方法がないから、ダメもとで電話してみたんだ」

「そうですか」

「私の職名を名乗ったら、担当に代わりますとすぐに応対してくれてね。担当者も、私の都合のいい日に来てくれて構わないと言ってくれたんだ。トントン拍子で話が進んだから、ビックリしてしまったよ」

「そうですか」

「って、ジーナ。お前さっきから『そうですか』ばっかりじゃないか。私の苦労に少しは感動してくれたっていいだろう」

「とてもありがたいことだと感謝しております。ですが中佐殿。言葉を区切られるたびに、『感謝申し上げます』と頭を下げるのは、先程おっしゃられた『くだけるように』というご指示に反すると思うのですが」

「まぁ、そうなんだけどなぁ。さっきから表情が変わらないから、うれしくないのかなと勘ぐってしまったんだよ」

「うれしいのは、うれしいのですが…」

 ここで、ジーナが照れくさそうな表情をしてうつむいてしまった。トオルは怪訝そうにジーナを伺った。

「どうした」

「…はっきり申し上げますと、緊張しています。こんなことは初めてです」

「ほう。そうなのか」

 トオルはニヤッと笑った。

「ウラノスで鉄拳ぶちかます子でも緊張するんだな。けっこう、けっこう」

「もう、茶化さないでください」

 頬を赤くしてふくれたジーナが、じーっとトオルをにらんだ。くくくっと笑ってトオルはジーナに振り向いた。

「まぁ大丈夫だ。そんなに気になるなら、本でも読んで気を紛らわすことだな」

「分かりました。おっしゃる通りにします」

 そう言うとジーナはカバンから、先程トオルから手渡された本を取り出した。この子を軍隊の枠内に閉じ込めておくのは、やはりもったいないと、トオルは改めて思ったのだった。

 

 カドモス=シティに到着すると、トオルはジーナを伴ってカドモスの連邦軍駐屯基地へと向かった。トオルは連邦軍の中佐なので、迎えを寄越すこともできるのだが、今回は非公式の打診ということにしているので、流しのタクシーを捕まえて基地へと向かった。カドモスには、ネメシスの他に三つの都市に駐留する連邦軍を統括する第17方面軍の司令部がある。と言っても、第1方面軍のアキレウス駐屯基地のように大きなものではなく、どちらかというと、ネメシスの駐屯基地と似たり寄ったりの規模だ。トオルが作った用事は、第17方面軍との非常時の連携についての打合せで、特にモビルスーツ隊の共同作戦についての詰めの作業を重点的に行うことにしていた。若手の搭乗員の意見を取り入れようということになった、というよりトオルがそうなるように話を仕向けたので、ジーナを連れてきたのである。方面軍の先任参謀と作戦参謀、そしてカドモスに駐留する第一八八師団から作戦参謀と若手のパイロットが同席する予定である。

 カドモス中央駅からタクシーで20分。カドモス駐屯基地に到着した。司令部ビルには方面軍司令部も入っているので、ネメシス駐屯基地に比べて大きく、5階建てになっている。正面玄関も広くとられており、入ってすぐに受付がある。トオルはジーナを伴い、受付にいる女性に声をかけた。

「ネメシスに駐留している第217師団司令部作戦参謀のタカハシです。方面軍先任参謀のシンクレア大佐をお願いしたいのですが」

「タカハシ中佐様ですね。お伺いしております。係りの者を呼びますので、そちらにお掛けになってお待ち下さい」

 トオルは受付の女性に会釈すると、2セットある応接セットのうち、受付に近い方の長椅子に腰掛けた。ジーナが隣に座る。広い玄関の所々に鉢植えの植栽が置いてある。壁のほとんどがガラス張りなので、外の光が存分に入るのが心地いい。ネメシスの司令部ビルも、このような作りだったらいいのになと、トオルはうらやましく思った。

 5分もしないうちに、一人の青年士官がやって来た。くすんだブロンドの金髪を短く刈り込んだ、すっきりとした顔立ちをした背の高い士官である。青い瞳の鋭さから、自らの才覚に自信があることを窺わせる。年齢は20代前半くらいか。襟についている階級章を見ると、彼は中尉のようである。その青年士官がトオルの方に向かってきたので、トオルとジーナは立ち上がった。

「お初にお目にかかります。私は方面軍司令部付のレオン=バネッタと申します。217師団のタカハシ中佐でしょうか」

「いかにも、私がタカハシだ」

 トオルが名乗ると、バネッタ中尉は驚きの表情をして敬礼した。

「これは失礼しました。シンクレア大佐ほか、皆様がお待ちしていますので、会議室までご案内します」

 バネッタ中尉の案内を受けて、トオルとジーナは司令部の奥へと入っていった。

 

 第17方面軍と第188師団のメンバーとの打ち合わせは、夕方まで続いた。机上演習やら装備の確認やら何やら行ったのだが、それでも話がまとまらなかったので、翌日に持ち越しということで、その場は散会した。

「やれやれ。ついでのつもりだったのに、えらく手間が掛かったなぁ」

 ジーナと一緒に乗り込んだタクシーの中で、トオルはつぶやいた。タクシーの目的地は、カドモス生体科学研究所である。俗称カドモス研。トオルの中では、このカドモス研に行くことが本来の目的であった。トオルが事前に得ている情報といえば、ネット上に公開されている施設紹介と、周辺の地図くらいである。施設は、カドモス=シティの南東端にあるフィアナ総合大学の中にある。フィアナ総合大学は、大学だけでなく、新生児から6歳児までを預かる保育施設、7歳~11歳までの初等教育施設、12歳から15歳までの中等教育施設、16歳から18歳までの高等教育施設も併設されている巨大な教育機関で、敷地面積はカドモス駐屯基地の四倍以上に達する。そのフィアナ大の片隅に、カドモス研がある。大学の正門に警備員が立っているが、検問はない。そのまま案内板の通りに右に曲がり左に曲がっていくうちに、研究所に近づいてきた。研究所は、人目に付かないようにするためか、火星では珍しく森の中に建っていた。鳥も放されていて、ちょっとしたリゾート地のようである。トオルはずっと外の風景を眺めていたのだが、研究所の建物が見えてきたので、ふっとジーナの方を振り向くと、彼女は両こぶしを握り締めて下をじっと見ていた。緊張しているにしては様子が変だと、トオルは思った。

「どうした。気が進まないのか」

 トオルの問いかけにも、ジーナはすぐに答えなかった。

「…こわいです」

「…」

 ジーナの真意がトオルには分からない。でも、こんな状態のジーナを連れて行っても仕方がない。ついさっきまで研究所を辞めたがっていたのだから、気が変わったとは思えない。

「まあいい。気持ちが落ち着くまで、タクシーで待っていなさい。無理してまで、一緒に来る必要はないよ」

「…ありがとうございます」

 タクシーは程なく、キャノピーを備えた大きな車寄せに進入した。正面玄関の前で停止すると、タクシーの扉が開く。トオルだけが降車して、タクシーは来客駐車場へと向かった。一人降りたトオルは、ガラス製の全自動扉を開けて中に入り、受付を目指す。受付には誰もおらず、電話機が置いてあるだけだ。トオルは受話器を取り、そばに置いてある内線表に書かれた番号をダイヤルした。

「第217師団のタカハシです。マキノ博士をお願いしたいのですが」

「マキノですね。しばらくお待ちください」

 女性の声で手短に返答されると、トオルは受話器を置いた。

 程なくして、白衣を着た女性が現れた。すらっとしていて、身長はトオルと同じくらい。腰まである長い髪を無造作に束ねている40代半ばくらいの女性で、顔立ちは整っており、若い頃は衆目を集める存在であっただろうと思われる。ただ、疲労が濃いせいか顔に生気がない。よほどあわてていたのか、呼吸が乱れていた。

「遠いところ、ようこそおいで下さいました。私がマキノです。ジーナの教育訓練を担当しておりました。宜しくお願いします。所長も是非ご挨拶したいと申しておりまして、部屋で中佐殿をお待ちしております。ご案内致しますので、こちらへおいで下さい」

「こちらこそ、宜しくお願いします」

 トオルも挨拶を返したが、このマキノという女性のおどおどとした表情と声が気になった。ニュータイプ研究所と軍は密接につながっているのだから、軍人には慣れているはずだ。なのに、何故こんなに緊張しているのか。不思議に思ったが、そんな気持ちは横に置いておくことにして、トオルはマキノ博士に案内され、応接室に入った。応接室は、マホガニー製と思われる木材で壁面が覆われており、大きな窓の向こうには、きれいに手入れされた庭が広がっている。大きな風景画が掛けられており、キャビネットや机は紫檀製。間違いなく、この研究所の中で最も高級な応接室であろう。軍人であれば将官クラスが通されるような場所に、何故中佐ごときの自分が通されたのか、トオルは狐に化かされた気分になった。しかも、トオルが入室してきた時には、既に所長らしき人物だけでなく、幹部らしき二名の人物がすでに待機していた。トオルが入室してくると同時に、三人は勢いよく立ち上がり、トオルに向かって深々と頭を下げた。50代半ばくらいの、年齢を感じさせない豊かな黒髪をオールバックにし、手入れの行き届いた口ひげと堂々とした体格、品のあるネクタイと、おそらく特注の白衣が自らの存在を引き立たせている男性が、ややトオルを見上げるようにして、口を開いた。

「このたびは大変お忙しいところをお越し下さいまして、ありがとうございます。私が所長のカーロイです。このたびは、弊所のグリンカが多大なるご迷惑をおかけしたとのことで、研究所を代表してお詫び申し上げます」

「???」

 トオルは面食らった。何のことかさっぱり分からなかった。勧められるままに、トオルは上座のソファに腰を掛けた。トオルの着席を確認すると、カーロイと名乗った所長、そして二人の人物も、所長を挟んで腰掛ける。マキノ博士は、入り口のそばに立ったままである。相手から情報を引き出したいので、驚きの表情を完全に隠してトオルは無言を貫く。しばらく沈黙が流れると、カーロイ所長は、トオルが怒っているものと勝手に勘違いし、ぺらぺらと話し出した。

「弊所は常日頃、生徒に対し、軍隊というものについて及び軍隊内での上下関係について、十分な教育をしております。ただ、グリンカの生来の気の強さには、我々もほとほと手を焼いておりまして。まさか、士官の方を殴り飛ばすとは。我々の手落ちとおっしゃられても、返す言葉もございません」

 なるほど。ジーナがインベル大尉を殴り飛ばしたことが、問題となったわけだ。軍がクレームをつけにやって来た。と彼らは思ったのだろう。所長をはじめとした皆の、戦々恐々とした態度に、トオルはようやく合点がいった。と同時に、この場に、ジーナを連れてこなかった偶然にも感謝した。もしジーナがいたら、この場にいる研究所の面々に、さんざんなじられたであろうことが容易に想像できた。

「つきましては、グリンカには再教育を施したいと思います。もちろん、代わりの者もすぐに手配したいと思います。グリンカの指導教官も変更致します。今回のことは、どうかそれで穏便に済ませてもらうことができないでしょうか」

 深々と頭を下げた所長が、トオルに会話のバトンを渡した。当のトオルは、腕を組んだまま、もっともらしい表情を作っている。トオルがスムーズに研究所の面々に会うことができたのは、事を荒立てたくないという研究所側の意図があった訳だ。ラモン大尉が先日、トオルが現役の中佐なのでアクセスできる範囲が広い、と言っていたことを思い出した。なるほど、トオルが作戦参謀中佐という高級軍人でなければ、きっと研究所も会ってはくれなかっただろう。だがこの時のトオルは、自分の階級に感謝する以上に、所長が放った言葉に引っかかった。

「再教育とは、具体的にどのようなことをされるのですか」

 トオルのこの問いかけに、カーロイ所長は、一瞬だけだが意外そうな表情をした。そして左隣にいる人物に顔を向け、ニ、三言小声で何か話しかける。話を受けた人物がトオルに視線を向けた。

「教育プログラムの担当主幹を務めております、エテマジと申します。今回考えております再教育プランですが、グリンカ生来の気性に由来するトラブルですので、抜本的な治療から入りたいと考えております。催眠療法、投薬、脳波矯正処置を施し、ことの善悪を最初から教育し直します」

「はぁ?」

 なんじゃそりゃあ!と続けて出て来そうになった言葉を、トオルは慌てて飲み込んだ。それでも居並ぶ四人には、十分過ぎるほどの圧力がかかったみたいであった。

「中佐殿には生ぬるく感じるかもしれませんが、この再教育プランでグリンカの性格は改善されると考えております。グリンカは未成年ですので、罰を与えるということだけは、平にご容赦願いたいのですが」

 エテマジ博士の言葉に合わせて四人が再び頭を下げる。もう勘違いにも程がある。トオルは組んだ腕を解き、姿勢を正して所長に問いかけた。

「再教育については分かりました。カーロイ所長、ひとつ尋ねたいのですが、今回のグリンカ伍長の件について、軍のどこから連絡が入ったのでしょうか」

「と、おっしゃいますと?」

「今回の件が、我が第217師団から連絡が入ったのか、確認したいのですが」

 カーロイ所長は、今度は右側の人物に顔を向けた。この人物が所長の代わりにトオルに答える。

「この研究所で総務を預かります、ジャンメールと申します。今回の件ですが、アキレウス基地の第55師団から連絡が入ったと記録されています」

「第55師団の誰からですか」

「師団司令部名義というだけで、どなたかは分かりません。着番号通知を確認致しましたので、この連絡が司令部からであることは間違いありません」

「そうですか」

 トオルは腕を組んで、一呼吸置いた。

「グリンカ伍長が、第1方面軍のどこかに所属するインベル大尉という士官を、殴り飛ばしたのは事実です」

 このトオルの言葉を受けた居並ぶ四人は、それぞれ落胆の色を示した。トオルは四人の表情を確認し、言葉を続けた。

「ですが、グリンカ伍長が起こした行為は、インベル大尉が上位者である私に対し、暴言を吐き続けたことが原因で発生したものです。インベル大尉の素行に問題があったのですが、いずれにしろ伍長が大尉を殴ることは問題なので、グリンカ伍長に対する処分を第217師団のネト司令官と話し合った結果、譴責で済ませるということに決定しました。そしてその処分は、すでに完了しております」

「えっ!」

 異口同音で同時に四人が声を上げた。そんなことはお構い無しにトオルは続ける。

「この件は、既に解決しております。グリンカ伍長は、第17方面軍第217師団の所属です。第1方面軍第55師団と、師団どころか方面軍まで違う司令部から、とやかく言われる筋合いはありません。もし今後、第55師団司令部からこの件について話がありましたら、第217師団司令部に話を通すようにおっしゃって下さい。以後のことは、我々が対処致します」

「そ、そうですか。ありがとうございます」

 カーロイ所長がトオルに深々と頭を下げた。でも、これで終わりではなかった。トオルの視線は、依然厳しいままであった。

「ところで、ジャンメールさん。あなたは総務を担当しているとのことですが、グリンカ伍長の所属が、軍のどこであるか、きちんと把握しておられたのですか?」

「えっ、そ、それは…」

「もし把握できていたのであれば、第55師団からクレームが入ったとしても、門前払いにすることができたのではありませんか。そして、何故このようなクレームが入ったことを、我が二一七師団に連絡してこられなかったのですか」

「…」

「ところでジャンメールさんは、元々どういったお仕事をされていたのですか」

 トオルに詰問されて俯いてしまったジャンメールに代わり、所長が答えた。

「ジャンメール博士も、元は研究員です。総務課の仕事は数名の研究員が兼任で執り行っております」

「…」

 トオルは思わず天を仰いだ。理系尊重文系蔑視の流れがここまで来たかとトオルは嘆いた。研究所は、研究員がいてこそ成り立つ。それはそうかもしれないが、研究員だけでは研究所は絶対成り立たない。ある製薬会社があった。その製薬会社は、他社より優れた薬品を開発するため、優秀な研究員の確保と最新の機材の購入に資金を回すことにした。この会社の販売は堅調だったが、余剰資金がないので、資金を捻出するために販売管理費すなわち販売にかかるコストを削減することにした。削減の方法として、販売専任の職員を削減して研究員に販売を兼任させ、交際費も削減した。よい薬品であれば誰が売っても売れる。しかも研究員であれば薬品の特性を熟知しているので、顧客に丁寧な説明ができるというのが理由だった。研究開発費を増やして他社より優れた薬品ができ、顧客へのフォローもよくなるので、会社の実績は更に上がるものと、当時の経営陣は一石二鳥を確信していたのだが、結果は真逆で、倒産寸前にまで追い込まれた。何故か。研究員は販売に関しは素人なので、顧客に対するフォローが全くできなかった。顧客の要求に対してとんちんかんな回答をするので、満足を与えるどころか不満ばかりを与えていった。その結果、少々品質が劣っても他社の薬品で構わないということで、上得意のリピーターまでもが他社製品に切り替えてしまった。すなわちコミュニケーションの不足。そして、販売に関して素人の研究員が、顧客の要望を十分捉える事が出来なかったため、全く需要のないものについての薬品研究が進められ、結果新薬が全く売れずに不良在庫が累積し、赤字が蓄積されていった。すなわち情報収集及び分析の不足、などが主な理由である。当時の経営陣は全員が解任され、もとの経営方針に戻されたのだが、流出してしまった当時の優秀な販売員の穴埋めは容易ではなく、今でも苦しい経営が続いているという。要は、製薬会社だから薬品を作る優秀な研究員がいればいいわけではなく、それを販売するための人員、会社を運営するための人員も、研究員同様に重要なのである。それなのに、理系偏重主義が蔓延して経営陣が理系で埋め尽くされると、販売や庶務といった文系の部署を軽視する傾向が顕著になる。数字は絶対だと言う。数学の世界では1+1は絶対に2である。だが、人間社会は必ずしも1+1は2にはならない。それが分からない人が多い。このカドモス研にも同じことが言える。総務といえば、法律や規則というものに精通している必要がある。もし精通していれば、ジーナの所属する第217師団ではなく方面軍すらも違う第55師団からのクレームに対し、真っ正直に受け取らず、第217師団に連絡を取って確認を取るのが当たり前だと分かるはずだ。総務なんて大した仕事でないから、法律や規則に疎い研究員であるジャンメール博士に任せても大丈夫だと上が判断するから、こういう初歩的な間違いを犯して、大した問題でないことも大火事にしてしまうのだ。

 トオルが感じている問題点はそれだけでなかった。次にトオルの厳しい視線はエテマジ博士に向けられた。

「それからエテマジさん。あなたは今回の件について、グリンカ伍長が一方的に悪いと決めつけていましたね。私の説明を受けて、今どのように思われていますか」

「そ、それは…。やはりグリンカの峻烈な性格には問題があるので、養育の必要性は残されているものと…」

「やはり、薬物を用いた性格矯正は必要だと」

「はぁ、まぁ」

 エテマジ博士の曖昧な返事にトオルはついに堪忍袋の緒を切らし、右こぶしを強く握って振り上げ、目前の机を思い切り叩いた。

「人体に多大な悪影響を及ぼす薬物療法を用いるのに、その適当な態度はなんだ!あなた方は、未成年のジーナのことをどう思っているのか。ただの実験動物か?違うだろう!彼女はれっきとした人間だ。しかも未成年だ。大学の敷地内に居を構えているのなら、何故教育者らしく、未成年を守ろうとしないのだ。いい大人なのだから、妙な保身に走ったりするな!」

 トオルの怒号に、トオルよりはるかに年長の四人が皆すくみ上がった。四人とも視線も肩も落としている。高級応接室はしんと静まり返った。トオルは怒っていた。人間社会は弱肉強食だ。嫌なこと、特に悪いことが起きた責任は、ほぼ百パーセントと言っていいほど上位者ではなく、下位の力のない者に向かう。命令した者が責任を負わずにこの世の春を謳歌し、命令された者が罰を受けることなど日常茶飯事だ。だが、それはおかしい。強者が富を独占したり、弱者に責任を押し付けたりするのはおかしい。弱肉強食は人間社会に活気と発展を促すが、行き過ぎてはならないのだ。弱肉強食のバランスをとるために、様々な法律や規則が整備され、その規範に基づく道徳心が教育され、今の人間社会がある。特に、弱い立場の子供たちは、将来を担う大切な存在なのだから、大切にされなければならないはずだ。それなのに、この事件の責任を、未成年のジーナ一人に負わせて終わりにしようとするエテマジ博士の行為は、断じて許せなかった。

 トオルの怒りの矛先は、カーロイ所長にも向いた。

「そして所長。この問題を何故周到に調査せず、なぜグリンカ伍長一人の責任問題に矮小化してしまったのです。グリンカ伍長を再教育して済む問題ではありません。この件について所長は、研究所としてどのようにお考えか」

 すくみ上がってしまっている所長は、すぐに返答できなかった。時計の秒針が百回も音をたてていないにもかかわらず、何時間も過ぎているように感じた。トオルの見解に異を唱えることは、もはや不可能だった。

「…ことの重大性を、深く認識しております」

 こう答えるのがやっとだった。もはやトオルと目を合わそうともしない。所長の返答にトオルは不満だったが、これ以上の追及はできないとも感じていた。この件に関する抜本的な問題は、所長ではなくもっと上に起因しているからだ。

「分かりました。この件についての研究所としての見解は、のちほど文書で頂けるものと期待しています。ところで、私から提案があるのですが」

「…何でしょうか」

 上目遣いで所長はトオルを見た。トオルはソファの背もたれに寄りかかり、腕を組んだ。

「ジーナの身柄を私が預かりたい。研究所としてそれを承認してもらいたいのだが」

「…!」

 叱責されて俯いていた四人の目が、一斉にトオルに向いた。さすがの所長も、目を大きく見開いて、しわ枯れた声を出す。

「そ、それはあまりにも前代未聞のことで。一般の方が、強化人間を引き取るなど…」

「何の事情も鑑みずに薬物療法に踏み切る方々が、よくもまあそんなことを言う」

「…」

「もちろん、私は素人だから、定期的にそちらと連絡を取り合う。そっちとしても、問題児がいなくなるので、願ったり叶ったりではないか」

 この場の主導権は、完全にトオルが握っている。よほどのことでもない限り、所長はトオルの要望を断ることができなかった。

「タカハシ中佐殿であれば、軍の方なので身元にも問題ないと思います。分かりました。中佐殿のご意向に沿うよう、研究所としても進めていきたいと思います。ですから、今回のことについては」

「分かっている。他言はしない」

「ありがとうございます。できましたら、これからもご指導、ご鞭撻を賜りますよう宜しくお願い致します」

 四人一斉、トオルに頭を下げた。相変わらず保身に気を遣う所長の態度が気にくわなかったが、ジーナの身元引受という問題をクリアできたことに満足するか、とトオルは自分を納得させることにした。既に日は沈み、夜の帳が広がり出していた。

 

 ジーナの戸籍異動など書類上の手続きが必要なので、後日改めて研究所まで来てほしいと要望されたトオルは、一旦研究所を後にすることになった。マキノ博士に案内されて応接室を出たトオルは、頭を掻いた。

「まだ若輩の身でありながら、出過ぎた真似をしたようで」

「いえ。とんでもありません」

 廊下を歩きながら、マキノ博士が返した。先程まで高圧的だった人物とは思えない低姿勢な言葉遣いをするトオルに、戸惑いを感じているようである。

「私たちに、教育者としての側面が欠落していたのは事実です。糾弾されても仕方がありません。研究所は、機構の目ばかりを気にする風潮になっていました」

「機構とは何ですか」

 トオルの問いにマキノ博士は簡単に答えた。機構とは、地球をはじめ各所に点在する生体科学研究所を統括する組織で、正式名称は「宇宙生体学研究機構」という。教育科学省か保健衛生省の下部機関に聞こえるが、宇宙開発省の下部機関である。

「機構からの臨床結果の催促が厳しいので、皆研究にばかり目が行っています。宇宙開発省を憚ってか、教育科学省火星学区からの定期審査も儀礼的になっていたので、生徒たちの生活環境に、私たちはあまり気を配っていませんでした」

「なるほど、そういうことだったのですか。ところで、実はグリンカ伍長を連れてきているのですが…」

「えっ。ジーナ、来ているのですか?」

 マキノ博士の暗い表情に一条の光が走った。表情と声色、そして何よりジーナのことをファーストネームで呼んだことから、マキノ博士にとってジーナはただの被験者ではないことをトオルは悟った。

「はい。来てはいるのですが、どうも中に入ることに戸惑っているようでして。車の中で待たせています。よかったら、お会いしますか」

 玄関の自動扉にたどり着いた。外に出ると、マキノ博士は手帳を取り出すとサラサラとメモ書きをし、その部分をちぎってトオルに差し出した。

「いえ。何の前触れもなく私が会いに行くと、きっとジーナも戸惑うでしょう。タカハシ中佐、こんなことを頼める立場ではないのですが、ジーナに私と会う気があるか尋ねてもらえないでしょうか。そして、もし会ってもらえるなら、こちらまで連絡を入れてもらえないでしょうか」

 沈んだ気持ちを隠そうと笑顔を作るマキノ博士が不憫に思えてきたトオルは、マキノ博士のメモを快く受け取った。

「分かりました。あなたと会うように話をしてみます。ただ、私たちは別件の出張でカドモスまで来ているものですから、明日には帰らなければなりません。今日の夜、ご都合よろしいでしょうか」

「ええ。大丈夫です」

「では、のちほど」

 トオルの敬礼にマキノ博士はお辞儀で返した。トオルは踵を返して来客用駐車場に向かう。ジーナを乗せたままのタクシーが止まっている。運転手がトオルの姿を確認すると、後部乗降扉を開いた。

「お疲れ様です。お嬢さんはよくお休みですよ」

 運転手の言う通り、ジーナは扉を枕にして寝息を立てていた。緊張で疲れていたのだろう。トオルが乗り込んでジーナの隣に座っても、起きる気配がない。トオルは予約を取っている市内のホテルに行くよう運転手に指示を出すと、ジーナの肩を軽くゆすった。

「ジーナ」

 トオルが呼び掛けに、ジーナは薄目を開いて一つあくびをした。

「あっ、中佐。お帰りなさい」

 寝ぼけた声で答える。眠気を取り払おうと目をこするジーナにトオルは語りかけた。

「ジーナ、研究所に話を通してきたよ。これからは、私が父親代わりだ。よろしくな」

「えっ」

 ジーナは驚いた。生きて研究所から籍を抜いたことのある強化人間は、ジーナの知る限り一人もいない。前代未聞の出来事なのに、たった数時間で話がまとまってしまうとは、ジーナは想像すらしていなかった。

「…おかね、はらったのですか」

 自由を手に入れるために必要な金額を研究所から提示されたとき、そのあまりの大金から自分の価値に誇りを持っていたのだが、今はジーナにとってその大金がトオルに対する引け目になっていた。ジーナの心配そうな目を見て、トオルは微笑みを返した。

「それがな。お金はいらないらしいんだ。私だったら、ジーナの身元引受人として申し分ないから、是非お願いしたいって言われたよ。こういう時は、日ごろの行いがモノを言うな」

 トオルは笑った。こういう時にラモンがいたらツッコミが入るのだろうが、ジーナは代わりに屈託のない笑顔を見せた。

「まさか、こんな日が来るなんて、思ってもいませんでした。ありがとうございます」

 ジーナの満面の笑みなんて初めて見たと、ラモンならきっと言うだろう。やはり子供には笑顔が一番似合う。研究所の面々は、ジーナの気性にケチをつけていたが、この子の気性はまっすぐだ。育ち方さえ間違わなければ、何の問題もないはずだ。ジーナの笑顔を見てトオルは、自分の判断が正しいことを確信した。

「手続きが完了したら、お前は私の被保護者になる。研究所の生徒でも、軍の伍長でもなくなって、ただのジーナ=グリンカになる。進路についてどうするか。まだ時間があるから、ラモンたちと話をして決めようや」

「はい。よろしくお願いします」

 ジーナはぺこっと頭を下げた。ジーナはまだ10代半ばの女の子。こんなにかわいらしい女の子が、インベル大尉を殴り飛ばしたとは想像できない。トオルは少し間を置いた。タクシーは、フィアナ総合大学の敷地から出て、市街地に出る幹線道路に入る。行き交う車のヘッドライトがまぶしい。

「ジーナ、マキノ博士に会ったよ」

「…」

 トオルのつぶやきにジーナは答えない。聞こえていたのか、いないのか。聞こえていたとしたら、ジーナの中には単純ならざる思いがあるのだろう。だがトオルは、無粋を承知で話を続けた。

「あまり話をしていないので、どういう人か分からないが、悪い印象はなかったな。話は変わるが、このあとマキノさんと一緒に晩飯を食べることになっている。お前も一緒にどうだ。マキノ博士も、ジーナと会いたいみたいだし。最後だと思って、会ってやってもらえんか」

「…」

 やはりジーナは黙っている。車内は、車の交差音とエンジン音に支配される。市街地が近づいてきているからか、目にする車の量が明らかに増えてきた。街灯とネオンで、漆黒の夜が彩られる。窓から差し込む街の光が、ジーナの白皙の顔を輝かせる。中心部まで数キロメートルの表示が見えてきたとき、ジーナが口を開いた。

「…マキノ博士はいい人でした。でも、今はまだ…」

「そうか。なら無理しなくていい。すまんが、今日は一人で夕食摂ってくれるか」

「ごめんなさい」

「あやまらなくていいよ。こっちこそ変なこと言って悪かったな。それから、マキノ博士からメモを預かっている。読むか捨てるか、ジーナが決めてくれ」

 トオルは上着の内ポケットから、一枚の紙を取り出してジーナに渡した。 タクシーがリニアライナーの高架の下をくぐった。トオルたちの今宵の宿は間近であった。長いカドモス滞在初日は、まだまだ続く。

 

 トオルとマキノ博士は、各地に点在するチェーン店のレストランで夕食を共にすることにした。トオルは滞在先のホテルの部屋で制服を脱ぎ、私服に着替えた。Tシャツの上にジャケット、下は洗いざらしのジーパンと相変わらず見栄えが悪い。待ち合わせまで時間があるので、トオルはホテルを出て散策することにした。

 まだ夕食時ということもあって、行き交う人も多い。町の造りは違うが都市の規模が近いので、ネメシスにいるような錯覚を覚える。学校帰りの子供の姿、家路につく勤め人。夜遊びに出てきた学生。買い物に来ている老夫婦。そうした人たちで賑わう一つの街角で演説をしている、スーツ姿の男性が目に入った。年齢は自分と同じくらいだろうか。茶色の髪を短く刈っており、凛々しさと清潔感が感じられた。

「…いまだ火星では、連邦政府による直接統治が行われています。火星には議会がありません。地球から来る総督は、火星に長くても三年しかおらず、しかも庶民が生活する場所に来ることはありません。そんな総督や、その側近たちに、火星に住む人たちの気持ちが分かるはずがありません。我々アリップは、火星に住む人たちのこころが火星全体に染み渡るよう、連邦政府に対して粘り強く働きかけていきます。人々のこころを丁寧に受け取って、大事に育む人材を探します。育てます。集めます。そして議会を作ります。総督府の代わりに議会を作り、人々のこころが映し出される社会を目指します。新しい枠組み作りに取り組んでいきます。希望ある社会を目指す私たちに賛同して下さる方、ぜひ署名にご協力ください。みなさん、力を合わせて、新しい時代の扉を開けようではありませんか…」

 トオルはこれまでも、この手の演説に何度か出くわしたことがあるが、気にしたことがなかった。だが何故か今回は、思わず立ち止まって演説に耳を傾けた。今になって気にし出したのは、軍を辞めると決めたからかもしれない。トオルはこれまで、預金通帳をじっくりと見たことがない。残高を気にしなくても、生活していけるからだ。官舎住まいなので、家賃はおろか、ガス電気水道料金も支払う必要がない。司令部には食堂があり、希望すれば朝昼晩三度の食事にありつくことができる。定期的に支払うものといえば、携帯端末の利用料金くらいしかなく、それもごく短い通話くらいにしか使わないので、利用料もわずかである。趣味と言えば、映画鑑賞と読書くらいなので、お金を使うことがほとんどない。若くして中佐のトオルは高給取りであり、しかも出費がほとんどないため、実はすごい金持ちなのである。だからトオルは、お金の心配をしたことがない。火星で暮らしていくのは大変だと、こうした演説や一部のメディアから見聞きするのだが、トオルには実感が湧かなかった。軍を離れたら、どんな生活が待ち受けているのか。収入はどれくらいになるのか。家賃や光熱水費はどれくらいか。税金はどれだけ持って行かれるのか。トオルには想像がつかない。ジーナのことや引継ぎなどの残務処理に気を取られていたが、そろそろ新生活のことも考えていかなければならなかった。

 まだ演説が続きそうだったが、待ち合わせの時間が近づいてきたため、トオルは早々にこの場を立ち去った。目指すレストランは、5階建てテナントビルの1階にある。レストラン専用の入り口を見やると、そこにグレーのパンツスーツ姿のマキノ博士の姿があった。トオルがカドモス研に行って思ったのは、研究所には極端な肥満がいないことだ。マキノ博士は、長い髪を結い上げており、年相応の端正な顔立ちとすらりとした肢体からやり手のキャリアに見える。トオルはマキノ博士に会釈した。

「お待たせしたみたいで、申し訳ありません」

「こちらこそ、ご迷惑をおかけします」

 マキノ博士は頭を下げた。トオルの方がマキノ博士よりだいぶ年下なのだが、それを気にする素振りを全く見せないところからも、謙虚で誠実な人柄を感じさせた。

「実はとても腹が減っておりまして。早速中へと入りましょう」

 トオルに促され、二人はレストランの扉をくぐった。店員に人数を告げると、二人掛けのテーブルへ案内された。太陽光色で明るく照らされた30メートル四方くらいの広々とした店内は、テーブルごとに人間の背丈より若干低い仕切りで間仕切りされており、一定のプライベートと開放感が満たされる。標準的なファミリーレストランのスタイルだが、トオルは嫌いではない。四角四辺の食事メニューも、毎日なら飽き飽きするが、たまにだとおいしいと感じられる。

 それぞれが店員にオーダーを伝える。端末にオーダーを入力した店員が姿を消した後、マキノ博士は向かいに座るトオルに頭を下げた。

「忙しいところを突然お邪魔して、申し訳ありません」

「いえ、気にすることはありませんよ。丁度私も、博士にお聞きしたいことがありましたから」

トオルのこの返答に、マキノ博士が驚きの表情を浮かべた。

「手続きについてでしたら、研究所でもお話させていただいたと思うのですが」

「そんなことではありません。ちょっと研究所では話しづらいことですので」

マキノ博士の表情に緊張が走ったので、トオルは頭をかいた。

「そんな大袈裟なことではないのです」

 と前もって話を始めたのは、なぜ、研究所は大勢の子供を囲い込んで研究活動をすることができるのか。そして、その子供達が成長したあと、どのような進路を取るのか。強化人間として成長していく子供たちには、どのようなケアが必要なのか。これら三つの疑問についてであった。

「研究所であれば、体面を取り繕われて肝心な話が聞けないと思ったのです。ここであれば、本音で話してもらえると思うのですが」

「なるほど、そういうことでしたか」

マキノ博士は表情を緩ませた。

「研究所でのタカハシ中佐の迫力が凄まじかったので、てっきりジーナとのことで責められるとばかり思っていました」

「ジーナの様子から、あなたとは何かあったのだろうと思います。そのことについて、ジーナが私に助けを求めてきたのであれば、黙っていないでしょう。ですが彼女は、あなたとの関係について黙ったままです。であれば、あなたとの関係を根掘り葉掘りするのは、よけいなお節介だと私は思います。ジーナ、あなたのことを『いい人でした』と言っていました。ジーナの心の扉は、僅かだけど開いてきていると思います。私とすれば、大人のあなたの方から、ジーナに飛び込んでもらいたいと思っています」

「そうですか」

「まだ、あなたもジーナも、心の整理がついていないと思うので、また機会を作って話をしましょう。お会いできるようになったら、こちらから連絡しますので」

「ありがとうございます。その日を楽しみにしています」

 とトオルに礼を述べたあと、マキノ博士は、さっきのトオルの疑問について答え始めた。

 現在の人間社会は、地球連邦政府以外に政府はなく、全人類が連邦政府の法律に従わなければならない。その連邦政府は、かねてより頻発していた家庭内トラブルに対処するために、公権力の介入が難しい家庭というプライベートな部分に介入する決意を固めた。婚姻したのちにお互いの仲がこじれたとしても、当人同士だけであれば、たとえ婚姻関係を継続したとしても当人同士以外に迷惑をかけることはない。だが、親や子供などがからむと、感情のもつれから必然的に家庭環境は悪化する。家庭環境の悪化で一番被害を受けるのは、当人同士の子供である。夫婦の関係がたとえ良好でも子供が虐待を受けるケースはあるが、それはほんの僅かである。しかし、夫婦関係が悪い場合は、百パーセントと言っていいほど子供は何らかの虐待を受ける。そのため、当時のツァイ内閣が、民法の大改正を実施することを決めた。一定の点数以上の虐待点がついた場合、両親の親権は剥奪され子供は自動的に養護施設に入所するという、ものすごい大ナタであった。家庭というプライベートに公権力がずかずかと入り込むこの改正に、与野党から非難の声が上がったが、ツァイ首相は議会で反対論者たちを糾弾した。

「子供を自分の所有物と考える大人のエゴイズムが、かよわい子供たちを虐待の地獄に落としているのだ。考えを改めよ。この法案に反対する者は、子供虐待推進論者である」

 と反対論者たちを抵抗勢力に仕立て上げた。批評家たちも賛成に傾き、世論がツァイ首相の改正案に理解を示し始めたことから、ツァイ首相は強硬採決に踏み切り民法改正案を可決成立させた。家族法が根本から変わったといっていいくらいの変革なので、施行から2~3年ほど混乱が続いたが、5年を過ぎてからは子供の虐待件数が大幅に減少していった。

「ツァイ首相の改革により児童養護施設の数が何百倍にもなったことは、中佐もご存じだと思います」

「そうですね。現代史で習った記憶があります。ですが、反対論者たちが言うほど社会保障関連費は膨れ上がらなかったのでしょう」

「そうなんです。そこがポイントになるのですが…」

 マキノ博士の指摘はこうだ。マイノリティーであった児童養護施設出身者が、施設と出身者の増加によって広く世間に認知されるようになった。そして施設の増加とともに、今まで画一的だった施設の在り方が、多様なものとなっていく。その一つとして、学校との融合がある。児童養護施設を、学校の学生寮という位置付けにするものが数多く現れた。学生寮化した児童養護施設は、学校と一体運営できるので、人件費を含め様々な経費を大幅にカット出来る。従って、児童養護施設が増えた割には、かかる費用が上がらなかったという訳だ。

「しかも、改正が施行されてから20年後に、思わぬ成果が出たことをご存知ですか」

「消極的離職率の低下と、生産性の向上ですよね。これも教科書に出ていました」

 ツァイ首相の改革が失敗であったなら、ここまで詳しく教科書には出てこないだろう。ツァイ首相の改革の真骨頂は、実は法改正施行の20年後にあったのだ。消極的離職とは連邦政府の用語で「仕事の内容、報酬、職場環境などに不満を持った上で退職」することを指す。逆の積極的離職は「更なるキャリアアップや新天地を目指すといった自らの積極的な意思を持って退職」することを指す。概ね70%代で推移していた消極的離職率が20年後を境に、急に減少していったのだ。当初は誰も理由が分からなかったのだが、ある学者が一つの結論を出した。

 親の元で暮らすのが普通だった頃は、子供が自分の将来を決めるに当たり、親の存在が大きかった。子供自身にその職への適性がないにもかかわらず、親が勤め人であれば自分も勤め人になったり、農家なら農家になったりする例がある。また、適性がないどころかその仕事につきたいとも思わないのに、親が「〇〇〇になりなさい」と積極的に勧める例もある。子供が自らなりたいものを決めたとしても、親が子を適切に導くことができなければ望む仕事に就くことができない例もあり、結果望まない職を転々とすることが多々ある。だが、養護施設の職員は、親のように、自分の跡を継ぐことや、自分の望む職に就くことを子供に強制することはない。子供がなりたい仕事を決めたとしたら、どうすればその仕事につくことができるか、専門家を紹介してあげることもできる。更には、子供の両親についてのデータや子供の生育環境や素行についてのデータを元に客観的に子供を見ることができるので、その子に適した職業を勧めることもできる。養護施設が世間的に認知されたことで、職員の立場も強くなったため、もし施設出身者が職場でハラスメントを起こしたとしても、職員が立ち入って自らの判断で労働局へ通告することもできる。

「非難轟々の中で強行採決された改正は、生産性の向上による税収増から大成功と結論づけられています。この改正により、養護施設が従来の福祉保健省から教育科学省の管轄に移行され、養護施設と教育機関の結びつきが一層強くなりました。施設の入所者が極端に増えたので、私たち生体科学研究所に流れてくる子供たちも飛躍的に増えたのも事実です」

「なるほど。ツァイ首相は、研究所の発展にも一役買ったという訳ですか」

「そうです。研究所の数も、一旦は存続の危機に陥ったこともあるのですが、今では一年戦争後の発足当初に比べて大幅に増えました。それから中佐の二番目の疑問、子供たちの進路についてですが…」

 研究所は子供たちの教育機関も兼ねている。幼少時は研究所の付属教育機関で過ごし、10歳になると強化人間としての適性検査を受けさせられる。適性から外れた子供たちは、一般の教育機関へ転校することになり、合格した子供たちは、研究所で過ごすことになる。彼らの進路は様々である。ジーナのように研究所から軍へ出向するもの、他の研究所や別の官民の機関に出向するもの、そのまま研究所に残るもの。類型分けすることは出来ないが、ただ一つ言えることがある。

「彼らは、研究所の支配から逃れることは出来ない」

 どの組織に属することになったとしても、研究所から籍を抜くことはほぼ不可能なのだ。

「進路を決めるのは研究所で、本人の意思が反映されることはまずありません。ですが、私の知る限りトラブルが発生した例は全くありません」

「その子にとってベストな選択をしている、という自負があるわけですね」

 トオルの問いかけにマキノ博士は首肯する。それを見てトオルは、意地の悪い笑顔を作る。

「ですが、職員の方々が子供たちを虐待するという例もあるでしょう。先程あなた方が、ジーナに性格矯正をしようとしたように」

 トオルのカウンターパンチに、マキノ博士は表情を歪めた。

「おっしゃる通りです。実の両親にしろ養父母にしろ、親には教職員による虐待から子供たちを守る役目もあると思います。本来子供たちを守るべき立場にいる養護施設の教職員たちが万一子供たちを虐待するようなことがあったとしたらどうしたらよいか、ということは、法改正当時からの課題でもあったようです」

 教職員の育成プログラム、待遇改善、職務のマニュアル化など、様々な方策が立てられ修正されてきているが、制度施行から長い年月が経とうとする今でも、未だ過渡期にすぎないとマキノ博士は言う。

「少し話が逸れましたが、ジーナのような研究所の子供に、引き取り手が現れたのは、前代未聞のことでした。というのも、強化を受けた子供たちは、精神的にも不安定で、しかも肉体的にも強化されているので、一旦暴れ出したら一般の人では手に負えなくなるからです。その点、タカハシ中佐であれば、私も安心できます。このようなことを言える立場ではないのですが、どうかジーナのこと、宜しくお願いします」

「できる限りのことはしてあげたいと考えています。ただ、一つだけ気になることがあるのですが」

「何でしょうか?」

 少しばかり照れた表情を作ったトオルは、少し間をおいてマキノ博士に尋ねた。

「…ジーナと私は、養父子としては年齢が近い上に性別が違うのですが、そこが問題になったりしないのでしょうか」

 トオルの心配に対して、マキノ博士は笑顔を作った。

「先程も申しましたが、強化を受けた子供は、一般人の手には負えません。自分の身は自分で守れます。もし万一間違いを起こしたとしても、それはジーナ自身の意思によるものですから、それを私たち部外者が干渉するのは、お節介を通り越して筋違いというものです。だから、くれぐれも気をつけて下さい。ジーナが間違いを起こしたら、それは養父の責任ですから」

「なるほど。肝に銘じておきます。あと、ジーナへの心と体のケアについて、研究所の協力をお願いしたいのですが」

「それはこちらからもお願いします。きっとこの取り組みが、研究所の子供たちの未来に、新たな選択肢を与えることになると思います」

「責任重大ですね。では、ジーナの素敵な未来に乾杯しましょうか」

 二人は自らのグラスを、この場にいない少女に掲げた。



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ただの俗物

 ビルの一室でトオルは資料に目を通していた。

 その時、内線が入り面会者がやって来た旨が伝えられた。程なくして現れたのは、宅配便のドライバーだった。ドライバーは手荷物を持っている。

「失礼します。伝票にサインをして下さいますよう、お願いします」

 トオルはボールペンで、伝票の指定の場所に自らの氏名を記入した。

「まさか、自分がこのような役目を背負うことになるとはなぁ」

 手荷物を受け取りドライバーの退出を確認すると、トオルは手荷物の封を開けて中身を確認した。中には樹脂製の容器と手書きのイラストが入っている。この容器にイラストを印刷して一万個作成すると幾らかかるのか見積してほしいというのが、発送人の要望だった。

「やれやれ、今日も遅くなりそうだ…」

 ひとつぼやいてから、トオルは受話器に手を伸ばした。

 

 トオルがカドモス研でひと騒動を起こしてから、約半年が過ぎようとしていた。

 トオルは念願かなって軍を退役し、ラモンの紹介で入社した会社に勤めている。商社マンになったと言えば聞こえがいいが、商社と言っても大小様々である。トオルの勤める商社は、よく言って中堅といったところだ。しかも、年齢が30歳に届かないので、部長とか課長といった肩書のない、ただのヒラ社員としての入社だった。

「うっわぁぁ」

 初任給の給与明細を見て驚いた。軍に所属していた頃と違い、只の営業部員であるトオルは、自らの仕事だけでなく営業部の雑用もこなさなければならない。先輩社員の手伝いもする。すると、自然と残業時間が長くなるのだが、総支給は軍の頃の半分以下だった。しかも、そこから税金や家賃、光熱水費、自分とジーナの食費など必要経費を差し引くと、

「こんな金額でやっていけるのかな…」

 と不安になったものである。事務所は、ネメシス=シティの中心部にある商業テナントビルにある。トオルより年少なのは、女性の事務員くらいで、あとは50代半ばの社長、50歳前の部長、40代半ばの課長、3~40歳くらいの先輩社員が三人と、トオルより年長の男ばかりである。小さな会社だが、人間関係は悪くない。今のところ、トオルに与えられた仕事も、社長、部長が切り開いた得意先を回るくらいで、無茶を言われず、やりがいはある。給与明細を見るまでは、軍を辞めてよかったなと思っていた。だが、

「…やっぱり辞めなければよかったかな」

 と思ってしまう。平和ボケしてしまった軍は、ぬるま湯体質だった。決められた仕事の反復と、上司の顔色伺いがほとんどだったので、自分のやっていることの意義が見出せずにいた。だが、今の仕事は違う。顧客のニーズを聞き出し、その要望に応える。それに代価を支払ってもらえる。自分の仕事には価値がある。そう思える。それがいい。で、その対価が給与明細に現れている…はずなのだが。

「まぁ、自分だけの力ではないからなぁ」

 トオルは心の中でぼやいたものである。

半年が過ぎた今でも、トオルの仕事は、社長と部長が切り開いた得意先をまわって仕事をもらうことだ。だがら、いくら大きな取引が出来たとしても、大したことではないのだが、まだ民間慣れしていないトオルにしてみれば、取引額に比べてかなり安い給与は、残念でならない。拾われた身分だから足元を見られているのかと訝しんだこともあったが、机に無造作に置いてあった先輩社員の給与明細をチラッとみたら、あまり大差がなかったので、違う意味で衝撃を受けた。

「これでも、うちの給料はいい方だよ」

という先輩社員の声を聞いて、更に驚いたものである。

 一方のジーナは、周囲の意見を踏まえて公立の高校へ行くことになった。高校一年の編入試験を経ての入学である。入学して一か月くらいは、すぐに家へと帰ってきていたようだが、最近はトオルよりも帰宅が遅い日が増えてきた。

「部活って面白いですね」

 ジーナは研究所で肉体を強化されているため、運動部への入部は禁止されている。体育の授業では、全力を出して目立ってしまわないよう、ジーナ自身にも注意していたし、学校にも事情を説明して、彼女が一番手にならないよう配慮してもらった。彼女が入部したのは、裁縫部であった。たまたま校内で展示されていた刺繍を見て、興味が湧いたのがきっかけだそうだ。

「人間、何に興味を持つか、分からないものだなぁ」

 たまたまトオルたちの家にやって来たラモン大尉が、ジーナの下手くそな刺繍を見てつぶやいた。トオルの家は、7階建ての集合住宅の五階にある。2LDKだが、二人暮らしなら十分な広さだ。リビング・ダイニングにはダイニングテーブルと背の低いチェスト、そして小さなテレビがある。窓にかけてあるクリーム色のカーテンは、ホームセンターでジーナが選んだものだ。そのジーナは、すでに夜の八時を回っているのだが帰宅していない。休暇を持て余していたラモンが来たとき、トオルは週末に作り置きしていたパスタの具を温め、ゆがいたパスタに乗っけて食べていたところだった。食事を済ませたトオルは、コップを二つ出して、それぞれにティーバッグを入れ、それにポットのお湯を注いだ。

「しかも、最近は料理研究会にも顔を出してるみたいなんだ。おかげで、家事の一切は私の担当だよ」

「なるほど。家の中が嵐の後みたいになっているのは、それが理由ですか」

 トオルの家事能力が初心者クラスであることは、先刻ご承知のラモンである。ラモンは、トオルから差し出された紅茶を受け取った。

「だいぶ、ジーナも学校に慣れたみたいですな」

「まぁね。学校の先生から週に一回連絡が入るのだが、学業の方も申し分ないし、他の生徒とのいざこざもなさそうだ。申し分のない娘だよ」

「娘ですか。高校生の女の子を娘というには、中佐は若すぎますな」

「自分でもそう思うが…大尉、私はもう中佐ではないぞ」

「それは失敬…」

 言葉とは裏腹に、ラモンはとぼけた表情をした。

「それはそうと中佐。仕事の方はどうなんです?」

 仕事を紹介したラモンとしては、トオルの働きぶりが気になるところだ。トオルは自分の紅茶を、ラモンの座るダイニングテーブルに持って来た。ラモンの向かいの椅子に腰かけ、一口紅茶をすする。

「やりがいはある。人間社会に、というより、経済社会の一員になれたという満足感はある。まだ下っ端だけどね。でも、生活が厳しいな。貯金があったから何とかなっているが、一体いつまで持ちこたえるかなぁ」

「ジーナの引取り費用がかからなくて良かったですな」

「まったくだ」

 床に散らばる洗濯済みの衣服が目に入った。気になってしまったので、トオルは椅子から立ち上がり、散らかっている衣服の片付けを始めた。

「軍にいる頃は全く気付かなかったのだが、温室でぬくぬく過ごしてきていたことが肌身に染みたよ。庶民生活が楽でないということは以前から耳にしていたのだが、結局は体験してみないと真に理解することはできないということだな」

「まぁ、体験せずとも身近な人の体験談で分かるという例もありますし」

「それはあなたのことかね、ラモンさん」

「いえいえ一般論ですよ」

「まったく。ついこの間まで、大尉は杓子定規のお堅い軍人の典型だと思っていたんだがなぁ」

「中佐も、その辺にいるただのボンボン軍人だと思っていましたよ」

「あいにく、私はボンボンではないよ。養護施設の出身さ」

「えっ。そうなんですか?」

 トオルの出自を聞いて、ラモンは驚いた。若くして軍の高位にいる理由として一番納得できるのは、血筋のよさである。親が政府の高官であれば、軍機省官房からの指示で高官の子息に対する人事上の忖度が働く。全くたいしたことのない功績にも勲章が与えられて出世することなど日常茶飯事。だから若くして中佐の位にいたトオルは上位階級の出だとラモンは思ったのだ。養護施設の子供たちの就職先は教職員による判定で決まる。優秀と教職員に判定された子供達は、たいてい公的機関へ就職する。軍も公的機関の一つなので、若くして中佐に上り詰めたトオルは養護学校も認めたエリートということになる。そんなエリートが何故、火星なんかに赴任したのか。それと、そんなエリートが何故、簡単に退職を受理してもらえたのか。

「それにしては中佐の退職、トントン拍子に事が進みましたね」

 ラモンは注意深く言葉を選んでトオルに尋ねた。当のトオルは頭を掻き、洗濯物を片付けたあと椅子に戻り、紅茶をまた一口すすった。

「まぁ、あの事件がきっかけで、私は見限られたのかもしれないな。でも、そのおかげで自由な生活が手に入った。今のところは、自分の選択に満足しているよ」

「それは何よりです。カタリナとハムザも、中佐殿のことを気にしていましたからな。その言葉を伝えておきますよ」

「そうだな。彼らは元気にしているのか?」

「カタリナはともかく、ハムザは元気いっぱいですな」

 ラモンはテーブルに置いてある焼き菓子に手を伸ばした。

「全く相手にされていないのに、遠い部署にいるカタリナにちょっかいを掛けていますよ。あのエネルギーは一体どこから湧いてくるのやら」

「相手にされていないのがいいのだろう。しかし、あれだけ熱心に言い寄られてもビクともしないカタリナもすごいな。誰か決まった相手でもいるのかな」

「どうでしょうね。カタリナとは、テレビドラマの話しかしないですからね」

 焼き菓子を頬張ったラモンは、紅茶を飲み干した。入れ違いにトオルが焼き菓子に手を伸ばした。

「そういえば、ラモン大尉には奥さんがいるのかな?」

 トオルの問いにラモンが答えようとしたとき、遠くから衝撃音と爆発音が響き渡ってきた。ドーンという鈍い音が窓のサッシと共鳴して変な音をたてる。

「な、何だ」

 トオルとラモンが、異口同音の声を上げた。声を上げたと同時に、市内各所に設置されているスピーカーからサイレンが響き渡る。一般市民には浸透していないが、軍関係の二人には、この音が何を意味しているか即座に理解できた。

「何故、戒厳布告が…」

 ラモンは窓に近づき、カーテンを開けて外の様子を伺う。人々が外に出て騒然としている。パトカーと警察官の姿も散見される。まだ軍関係者の姿は見受けられない。ラモンが外の様子を伺っているうちに、更に爆発音が数回響いてきた。建物群の向こうで、爆発のものと思われる光球がちらほら見える。

「一体何があったのでしょう?」

 ラモンが振り返って部屋の中へと視線を移すと、そそくさと着替え始めているトオルの姿があった。半年前まで身に着けていた連邦軍の制服だ。

「まだそんなもの、持っておられたのですか」

 窓の外のパニックには似つかわしくない毒気のある声を、ラモンは吐き出した。トオルも負けてられないと、意地の悪い笑顔を向ける。

「断捨離は大の苦手でね。幼いころ、思い入れのあるものは宝箱にしまっておくようにと躾けられたものさ」

「シワだらけで薄汚れた制服に愛着があるとは思えませんが」

「シワの数が思い入れの数ってね。まっ、こういう時は、普段着よりも軍服の方が動き易いだろう」

 トオルの言うことはもっともだとラモンは思った。きっと外にいる群衆は、市警に家に帰るようにと言われるだろう。その点、軍人であれば戒厳布告下でも、比較的自由に動けるはずだ。

 トオルがズボンを穿いてベルトを締め、椅子に引っ掛けてある上着に手を掛けようとしたとき、トオルの携帯端末が鳴り響いた。上着に行きかけた右手を、テーブルの上に置いてある携帯端末へと伸ばす。画面を見ると、ジーナからの着信だった。あわてて通話ボタンを押して端末を耳に当てた。トオルが声を出そうとする前にスピーカーから、雑音とともにジーナの声が響いてきた。

「トオルさん。落し物拾った。公園まで来て。家の近くの。よろしくね。じゃ」

「お、おい!」

 トオルが声を出したころには通話が切れていた。意味が分からないので掛け直してみたものの、何が原因か分からないがつながらない。仕方がないので端末を机に置き、椅子に掛けている上着に手を伸ばす。

「何だかよく分からんが、近所の公園へ来いと言っている」

 とトオルはラモンに告げた。爆発音などは収まっているが、サイレンや群衆の声などで外は騒がしいままだ。扉のそばに置いてある自らのサイドバックをラモンは掴んだ。

「ジーナから深夜のデートのお誘いですか。デートにしては、なんともタイミングが悪いですね」

「高校生でもあるまいし。公園でデートは、味気ないな」

「ジーナは高校生でしょ」

「私の希望は受け入れてもらえないか」

「年少者の希望に沿ってあげるのが、年長者の懐の深さというものです」

「それもそうだな」

 トオルは制服の上着のボタンを留めた。テーブルのそばにあるサイドバッグにテーブル上の携帯端末をしまいこんだ。

「そろそろ行くけど、大尉はどうする」

「軍からの呼び出しもありませんし、家に帰ってもヒマですし、中佐殿につきあいますよ」

「人のデートの邪魔をする。これを人は何と言うか知っているかね?」

「粋なことだというのですよ。外が騒がしいのでお二人の護衛をします。久しぶりにジーナの顔を見れるとは、嬉しい限りですな」

 ラモンがいかつい顔をニヤッとさせたのを見て苦笑いしたトオルは、ラモンを促して玄関へ向かい、部屋の明かりを消した。

 

 外に出ると、家路を急ぐ人々の流れと、様子をうかがいに外へと出て行く人々の流れがぶつかって、人波が渦を巻いて混沌としていた。市警が、電光掲示板や拡声器を使って帰宅を促しているが、この人波のうねりには効を奏しておらず、為すがままの体である。トオルはわざわざ連邦軍の制服を着て出たのだが、誰にも誰何されることがないまま、普段の三倍は時間をかけて、近所の公園にたどり着いた。

住宅街にあるごく平凡な公園である。幼児が遊ぶ屋外型の遊具がいくつかあり、遊具スペースとは別にサッカーや野球ができるグラウンドがある。こんな状況なので、当然のごとく公園は警察により封鎖されていて、中に入ることができなくなっている。

「さて、どうしたものか」

 と思案しようとする前に、一人の警察官がトオルに近づいてきた。

「この度は、ご苦労様です」

トオルとラモンに対して敬礼を施す。さすがに警官は軍隊の内情を知らないので、制服姿のトオルも現役の軍人だと思ったようだ。トオルは悠然と敬礼を返した。

「217師団作戦参謀のタカハシ中佐だ。ネメシス基地へ向かう途中に混乱に巻き込まれたのだが、一体何が起きたのか、教えてもらえないか」

「は、私には分かりかねますので、公園内にいるジーリ警部に聞いて頂けませんか」

「分かった。では、中に入れてもらえないか」

「かしこまりました。どうぞ」

よほど混乱しているのであろう。トオルは身分照会を受けることなく、一般人が立ち入りを禁じられている公園の中へ難なく入ることができた。ラモンも一緒に入ろうとするが、

「グリンカ伍長が来るかもしれない。デ=ラ=ゴーヤ大尉はここで待機してくれ」

とトオルに言われてしまった。無位無官のトオルがこの先どんな立ち振る舞いをするのか大いに興味があったが、これまた無位無官のジーナが公園に来るという以上、外で待っていないと会うことができない可能性がある。やむを得ない。

「了解致しました」

 ラモンは、敬礼を以ってトオルに答えた。

 外から垣間見た通り、公園の中は閑散としていた。警官たちが各所に散らばって、人々に帰宅を促しているからであろう。グラウンドにはワゴン車が一台停車しており、様々な機材が設置され、そこに三人ほどの人影が見える。そのうちの一人が、先程の警官が言っていたジーリ警部であろう。ヘッドホンのマイクに向かって何やら指示を出しているようだ。他の二人も、ワゴン車を出入りしたり、機材をいじったりしており、トオルには全く気付く様子がない。トオルは、自らジーリ警部に声をかけるつもりはなかった。この混乱した状況の詳細を知りたいのは知りたいが、下手に話しかけて身分を偽っていることを知られるのはまずい。ジーリ警部たちに気付かれるのが先か、ジーナが来るのが先か。ジーリ警部に気付かれたら、情報だけを聞き出してすぐにこの場から立ち去るしかないだろうなと考えているうちに、何やら大きな物体が、轟音とともに、空からここまで近づいているのが見えてきた。

「な、何だ!」

 大声を出して空を見上げたのは、向こうにいるジーリ警部たちだ。トオルは、見上げた視線の先にある、半年前に見たことのある物体、いやモビルスーツに、開いた口がふさがらなかった。

「な、なんであれが、こんなところにあるんだ?」

 トオルが見たのは、半年前にウラノス=シティに運び、そして返品された機密。コードナンバー:RX-780、コードネーム:ローガンダムであった。余計な装飾が全くないシンプルな人体型の、全長18.7メートルのこのモビルスーツは、資料で見たことのある一年戦争時に活躍したRX-78ガンダムのフォルムを色濃く残している。違うのは、青と白を基調とした色合いが、黒と灰色を基調として暗いイメージであることくらいであろう。かつてティターンズで開発されたガンダムマークⅡを髣髴とさせる。そのガンダムは、ドダイといった補助飛行装置なしの単独飛行をしており、やがて公園のグラウンドに着陸した。

 公園に着陸したのを確認すると、トオルはローガンダムに向かって走り出した。突然の出来事にあっけにとられているジーリ警部達は、トオルの接近に気付かない。ローガンダムは着陸すると、胸位置にあるコクピットハッチを開けた。ローガンダムの姿を確認してからずっと胸騒ぎがしていたトオルの予想通り、コクピットハッチから顔を出したのは、トオルのよく知る人物だった。

「トオルさん。こんなもの拾ってしまったんだけど、どうすればいいかしら」

「うーん、困ったねぇ」

 女子高生の制服姿のジーナに無邪気な声で尋ねられたが、どう返事すればいいかトオルには思い浮かばなかった。

 

 一人乗りを前提にして設計されているモビルスーツのコクピットは、狭い。操縦席の後ろに補助シートがあるが、あくまでも予備として取り付けられているので、座りにくい。そのコクピットに、三人が乗り込んでいるのだから、窮屈極まりない。ローガンダムの接近に気付いたラモンは、急いで公園内に入り、トオルとともにジーナが操縦するローガンダムに乗り込んだ。あっけに取られているジーリ警部を尻目に、ローガンダムはその場から飛び立ったのだが、

「トオルさん、これからどこに行けばいいかな?」

 とジーナに尋ねられても、補助シートに座るトオルは即答できない。一体何をどうすればいいのか、訳が分からないのが本音だ。何の前触れもなく混乱が発生し、その正体も分からないところに突然、高校生のジーナを乗せてローガンダムがやってきた。しかも、それに勝手に乗り込み、さまよっているというのだ。悪い夢を見ているとしか思えないほど現実味がない。目を覚ませば、トーストと目玉焼きの朝食を頬張り、未だ慣れないスーツに着替え、通学かばんを抱えたジーナとともに玄関を出て行くという日常が待っている気がする。だが、頬をつねると痛みを感じる。あまりにベタな行為をしたトオルは、バツの悪い気持ちを押し込めて、最善の道を探った。今の自分たちにとって、何が一番大事か。

「ネメシスの基地に行くしかないな。家に帰ったところで、ローガンダムは部屋に入らない」

「懐中電灯で照らして小さくできるわけではないですからね。それしかないでしょう」

 トオルの提案に、ジーナの足元で居心地悪そうに座るラモンが同調した。二人の意見が一致したので、ジーナは操縦桿を操って機体の向きを変える。それとともに、補助席に座るトオルが、手元にある通信機器をいじくりだした。無機質で耳障りな電子音が響いたあと、人の声が聞こえだした。必死さが伝わる、聞き覚えがある声だ。

「…こちら217師団5113大隊のハムザ少尉です。どなたか応答願います」

「ハムザ少尉か。私だ、タカハシだ」

「タカハシ中佐ですか。よかった。やっと誰か応答してくれた…」

「今、ラモンとジーナと三人でローガンダムに乗っている。着陸できそうか」

「は、ローガンダム? 何でローガンダムなんかに?」

「質問はあとだ。どうだ。いけるか」

「はぁ、まあ、大丈夫だと思いますが」

「分かった。そっちに向かうので、出迎えに出て来い」

「ちょっとま」

 トオルは一方的に通信を切った。すでに基地は、目前にまで迫ってきていた。

 

 連邦軍ネメシス駐留基地は、基地の規模としては小さい方である。駐留するのは第217師団だけ。大きい師団では二万人を抱えるが、217師団の兵員は一万人程度と少ない。航空戦力もモビルスーツ三体だけで、有翼の航空機はない。従って、滑走路も一本しか設置されていない。だが、何故か倉庫だけは数が多く、しかも一つの大きさが大きい。なぜこんなに倉庫スペースをとっているのか、その目的が分からないのは、半分以上の倉庫が使われていないからだ。トオルは、そうした未使用の倉庫の一つに、ローガンダムを隠していたのだが、一体誰が、何の目的でガンダムを持ち出したのか。この疑問がトオルの頭をよぎったが、すぐに考えを別の方向へ変えた。そんなことよりも優先すべきことがたくさんある。優先順位の一番が、ネメシス駐留基地に向かうことだ。そしてその目的は今、達成されようとしている。

 基地の誘導に従い、ジーナは手慣れた操作でガンダムを基地に着陸させた。眼下には、半年前ぶりに見る二人の懐かしい人物がいた。コクピットハッチを開けたジーナが、先に外に出た。

「うわ。何で女子高生がガンダムを操縦しているんだ?」

「よく見なさいよ。あれはジーナでしょ」

 カタリナにたしなめられたハムザが、目を凝らした。

「本当だ。雰囲気が違うから、気が付かなかった」

 ジーナは、着陸させたローガンダムを屈んだ姿勢にして、左手をコクピットのそばに差し出させた。ジーナは、コクピットハッチを開け、コクピットからガンダムの左手に飛び移り、そこから地面に飛び降りた。制服がスカートなので、どうしても下着が見えてしまうのだが、ジーナは全く気にする素振りを見せない。ジーナに続いてラモン、トオルがコクピットから出た。トオルが地面に飛び降りると、ラモンたち四人はトオルに敬礼を施した。

「中佐に来て頂いて、正直ほっとしています」

 ハムザにしては珍しく、やつれた表情をしている。この陽気な男に、一体何があったのか。

「急に出動命令が出まして。とりあえずこの場にいる者だけでいいから、装備を整えてウラノス=シティへ向かうようにとの事で。総務課員や整備士、通信士といった一部の非戦闘員以外、みな出て行ってしまいました。もう一体何が何だか。残った私たちへの指示もないし、暴動は発生するし。中佐、私たちどうすればいいんですかねぇ」

「どうすればって、中佐はもう軍人ではないのよ」

「そういうカタリナ大尉だって、中佐が来られると聞いて、喜んでたじゃないですか」

 こんな状況だというのに、カタリナとハムザのやり取りを見て、ラモンは笑い出しそうになった。トオルは軍服を身にまとってはいるものの、既に軍籍を離れている。それなのに、トオルのことを中佐と呼んで、まるで自分たちの上司のようにとらえている。そのトオルはといえば、それらしく腕を組んでいるが、表情は至ってのんびりとしているように見える。こんな緊迫した状況下でも、慌てる素振りを見せず、部下たちを不安にさせないところが、はるか年下の上司をラモンが敬う要因の一つであった。

「まぁ、こんなところで立ち話をしても仕方がないから、とりあえず司令部へ行こう。こういうときこそ、落ち着いて状況を整理することが大切だ。ところで」

 トオルが司令部に向かって歩き出したので、皆それに付き従った。トオルの隣にはハムザがいる。そのハムザにトオルは視線だけを向ける。

「士官で司令部に残っている者はいないのか」

「参謀長のバルドック大佐と、司令部のレーメル少佐、キバキ大隊長くらいだと思います。カタリナ大尉、どうですかね」

「それくらいだったと思います。下士官は全部で百人くらいですね。ほとんど裏方ですが」

「…そりゃすごいな」

 トオルの第217師団勤務は短かったが、それでもハムザが挙げた三人の評判が悪いことくらいは知っていた。三人に共通するのは、仕事が遅い、どこにいるか分からない、責任逃れの常習犯の三つであった。士官で残っているのがこの三人だけなら、ハムザたちが右往左往するのも仕方がないなとトオルは思った。

「最高位はバルドック大佐か。どこにいるんだ」

「ネト中将に置いてけぼりを食らって、参謀長室で、すねてるはずです」

「いい年をして、一体何を考えているのやら。参謀長なんだから、こういう時こそしっかりしてもらわないといけないんだが」

「あのナックルに、そんなこと求めても仕方ないでしょ。今頃、携帯端末のゲームに夢中ですよ」

 ハムザが前に出て、トオルのために司令部ビルのガラス扉を開ける。中の照明は普段通りに点灯しているので、電源は死んでいないようだ。トオルが入ったのを確認すると、ハムザは再びトオルのそばに近寄った。

「バルドックに何か御用でもあるのですか」

「もちろんさ。落し物は持ち主に返すのが常識だろう」

「落し物って?」

 トオルはこの時、ハムザに意地の悪い笑顔を見せた。

「ジーナが学校で拾ったというローガンダムさ。あんなものを、退職金の上乗せとして貰っても仕方がない。落し物を持ち主に返したら、ただの俗物はさっさと退散するさ」

「えーっ、私たちに愛の手を差し出してくれないのですか」

「私が現役なら、業務として、いやいや手を差し出さないこともないのだが。ジーナと早く帰って、明日に備えないといけない。サラリーマンは大変なんだぞ」

「こんな緊急事態に、明日も何もないでしょ」

「企業戦士は、どんな事態であろうと戦うのさ。暴動が何だ。企業戦士が明るい未来を創るのだ。俺たちこそ、火星の希望の星なのだ」

「そんなに自分に酔ってると、バルドックに鼻で笑われますよ」

 ハムザに指摘されて、トオルはきまりの悪い表情になった。階段を上がって最上階まで上がる。師団長室の隣が参謀長室だ。そこにトオルのお目当てがいるはずだ。

「できれば会いたくないが、仕方がない」

 トオルは扉をノックする。来訪を告げても返事がないので「失礼します」と声をかけて扉を開けた。

 中を見渡すと、紙袋や書籍が無造作に放置され、薄汚くなっているデスクに座り、電子端末と格闘している人物がいた。砂漠の一歩手前まで薄くなった、プラチナブロンドなのか只の白髪なのか分からない禿げ頭と、瞳の色が何色なのか分からないくらいの小さな目、酒で赤焼けて薄汚くなった顔、そして師団長以上に太った体が印象的な、五十代くらいの中年が、第二一七師団参謀長のバルドック大佐であった。携帯端末で遊んでいるであろうというハムザの予想を覆し、集中してキーボードを叩いている。こんな奴でも、こういう時は仕事をするんだと、トオルは感心した。

「お忙しいところ、失礼いたします」

「おぉ、来たか」

 参謀長は、端末の操作を止めてトオルに視線を向けた。バルドックの反応に、トオルは少なからず違和感を覚えた。トオルが現役で、しかも大佐に呼ばれたのであれば、この反応はおかしくない。だが、トオルは既に退役しており、しかも呼ばれもしないのに参謀長室へ入ってきたのだ。だからこんな時は、

「何だ、お前は。何しに来たのだ」

と言われるのが当然のはずだ。どのように話を進めるか、前もって考えていたのだが、思わぬ反応に意表を突かれ、トオルは黙り込んでしまった。会話の主導権を握るため、せめて大佐の表情だけでも読み取ろうとしたのだが、分厚い脂肪がバルドック大佐の表情を隠しているので、何を考えているのかさっぱり分からない。どうやってシナリオを立て直すかを考え始めたが、結局大佐に機先を制されてしまった。

「もうすぐで処理が終わるから、ちょっとそこで待っておれ。部下を連れてきたんだな。みな、中へ入ってもらって構わんぞ」

「あ、ありがとうございます」

 普段、「ナックルヘッド」と陰口をたたいているバルドックに先手を打たれて、トオルは面白くなかった。仕事が遅い、どこにいるか分からない、責任逃れの三拍子でまともに仕事をしているところなぞ見たことがない大佐が、端末を使って一体何をしているのか。皆目見当もつかない。大佐の事務仕事が終わるまで、ものの数分しか経っていないが、あせりもあって一〇倍くらいに長く感じた。

 何かをプリントアウトしたみたいだ。大佐は席を立ってプリンターから出てきた紙を取り出すと、それをトオルに差し出した。

「君は、これから第二一七師団の参謀長代理だ。これが辞令だ。現役復帰の手続きも済んでいる。君の手腕には大いに期待させてもらうぞ」

「はぁ?」

「さすがはレーメル少佐だ。ツカハシ中佐をこんなに早く見つけ出すとは。ところで、レーメル少佐はどうしたんだ?」

「はぁ、まぁ」

「まぁいい、こんな事態だ。はぐれてしまったものは仕方がない。しかしツカハシ中佐。部下まで連れて参上してくるとは。君のやる気に私は感動している。一刻も早く事態を収拾してくれたまえ。たのんだぞ」

「はぁ、まぁ」

「法令に反しない限り、どんな手段を使っても構わない。さぁ行きたまえ」

「はぁ、まぁ、では」

 トオルは形だけの敬礼を施し、大佐の言う部下を引き連れて参謀長室から退出した。

 

「ツカハシ中佐殿。ご愁傷様です。大佐殿ではないですが、私も中佐殿のご手腕に大いに期待していますよ」

 大笑いとともにハムザがトオルに敬礼してみせたのは、参謀長室を出たあと、今は空室になっているかつての作戦参謀室に、トオルたちが入ったあとだった。空室といっても、トオルが退役してからは誰も利用していないので、トオルが現役でいた頃のまま、扉から入って左奥にデスク、中央に作業用の大きな机と椅子が六脚、右手には書棚とソファ、そしてテレビがある。正面は窓だが、ブラインドが下ろされていて外の様子は分からない。トオルはデスクで端末を開き、何やら調べ物をしている。他の四人は椅子に腰掛けている。そのうちの一人、カタリナ大尉は机に頬杖をしてつぶやいた。

「しかしあの大佐も、責任逃れのためとはいえ、ものすごい方法を考えたものね。この事態に対する責任を、全てトオル中佐に押し付けるなんて」

「いくら気に入らないからといって、退役した人間を引っ張り出すとは、バルドックも大した奴だな。だがカタリナ大尉、いくらバルドックが師団参謀長で大佐だからといって、退役した人間を現役復帰させることなんかできるのか」

「さぁ、どうでしょうか。こんなパターンは、めったにないですから」

 ラモン大尉の疑問に、総務畑のカタリナも即答できない。これが師団長のネト中将であれば、一定の人事権を握っているので、軍機省に現役復帰を事後承諾させることもできるかもしれない。バルドックの猫騙しに意表を突かれて参謀長代理なんかを引き受けてしまったはいいが、足元を掬われることも十分にありえる。

 そんな微妙な立場に立たされて、とんでもない責任を押し付けられているトオルなのだが、一同の視線の先にいる青年将校の表情は、不安にさいなまれて顔色を悪くしているのかと思いきや、むすっとして不機嫌そうであった。こういう場面で不安の色を見せないところはさすがだなとラモンは感心する。

「中佐、何かご不満でもおありですか?」

「ああ、大有りだ。これで不満を持たない奴は、どうかしている」

トオルは端末を操作しながらラモンに答えた。理由が気になるのでハムザが理由を尋ねると、トオルは毒気のこもった声で答えた。

「あのハゲオヤジ。俺の名前を間違えやがった。ツカハシではない。タカハシだっての。つい最近まで、直属の部下だったんだから、名前くらいちゃんと覚えてろってんだ」

「怒るポイント、そこなんですか。訳の分からない責任を、押し付けられたことではなくて。 ナックルヘッドに名前間違われたところで、私だったら気にしませんが」

「いや、名前は大事だ。百歩譲ってユーモアで間違って見せたのならともかく、本気で部下の名前を間違えるのは、人としての礼儀に反する」

「では、あのナックルが、場を和まそうとユーモアでわざと間違えたのだとしたら、中佐はお許しになられるのですか」

「なれるわけないだろ。ナックルの分際で、私をユーモアのダシにするなんて、百万年早いわ」

「トオルさん。ごめんなさい。私が、あんなものを拾ったばっかりに」

 トオルに一番近い席に座るジーナが申し訳なさそうにつぶやいた。はっとしたトオルは表情を変え、優しい視線をジーナに向けた。

「謝ることはない。別に悪いことをしたわけではない。だが、ちょっと知りたいんだが」

 トオルはジーナの瞳を覗き込んだ。

「ローガンダムは、拾おうと思って拾えるものではない。経緯を教えてくれないか」

 トオルにジッと見られて、ジーナは俯いてしまった。

「えーっと、そんなにかしこまって言わなきゃいけないことですか」

「万引きしてガンダムをとってきた訳ではあるまい。隠すことはないだろ」

「拾うとか万引きとか、まるで玩具か何かみたいに扱われて、ローガンダムを開発した人たちは、さぞ落胆するでしょうな」

「それくらいで落胆するような連中ではないだろう。あんな物騒なもの作って平気なんだから、心臓に剛毛が生えているさ」

 ラモンの皮肉に片目をつぶってみせたトオルは、再びジーナの方を向いた。

「まぁ、単に気になるだけさ。言いたくないのなら言わなくてもいい」

「別に言いたくない訳ではないんです。一体どこから話せばいいのか、分からないだけなので」

「うーむ。今日は、いつもより帰りが遅かった気がするが、それと何か関係があるのか」

「そうなんです。宿題があったのに、机に置き忘れていたから、途中で学校に戻ったんです」

 このあとにジーナが続けた内容によると、こうだ。3階の教室に戻って教科書とノートを机の引き出しから自分のカバンに移している時に、異変が起こった。どこの部隊か分からないが、軍用車両の一団と一体のモビルスーツが校庭にやってきた。気になって窓の外を見遣ると、たくさんの軍用車両から兵士たちが資材を持ち出して設営を始めているのが見えた。機銃などの武器も持ち出され、物々しい雰囲気が漂っている。別の兵士の一団が、校舎の中へと入っていくのが見えた。

「これはまずい」

 強化人間だった頃の勘が働き、ジーナはカバンを小脇に抱えて教室を出た。裏口へ回ると袋小路に追い込まれる危険があるので、正面玄関を目指す。下校時間をとっくに過ぎているので、兵士たちも生徒がいないと思っているのか、3階までは上がってこようとしない。難なく2階まで下りることができたので、そっと下の様子を伺う。事務員室の方から、当直の職員と兵士が揉めている声が聞こえてきた。階段の踊り場の窓越しに外を見ると、モビルスーツの正体が、以前ウラノス=シティへ運んだローガンダムであることが分かった。不慣れなパイロットが乗っていたのか、ハッチは開けっ放しで、しかもコクピットを地面からかなり近い位置に向けているので、簡単に乗り込めそうである。いくらなんでも不用心だなと他人事ながら心配していると、いつのまにか声がしなくなっており、代わりに学校職員が兵士に連行されている様子が目に留まった。

「突破口はどこにあるかなぁ」

 モビルスーツを中心に軍用車両とテントが設営されているが、学校を完全に掌握するため兵士たちは散り散りバラバラになっていて、モビルスーツの周りには幹部らしき士官たち以外はいないようだ。裏手の門にも兵士が向かっている気配がある。

「これは、正面突破が一番かも」

 などと考えていると、ちょうどおあつらえ向きに、

「誰だ!」

 とどなる声がした。

「きゃあ!こわーい!なにー?」

 心の中で舌を出しながら、ジーナはお上品ぶってみせた。現れた兵士は、相手が女子高生であることを確認すると、安心したようで、

「こんな遅くまで何してるんだ。危ないからこっちに来なさい」

と手招きした。

「えーっ、なになにー。なにがはじまるのー?」

 十分に用心しながら阿呆の真似をしてみる。ジーナが動こうとしないので、兵士の方が無警戒にジーナへと近づいてきた。

「ほぅ、よく見ると綺麗な顔をしてるじゃないか。おじさんと今からたのしいこ…!!」

 無警戒にジーナの間合いに入った兵士が見たのは、かよわい女子高生のおびえる姿ではなく、ネコ科の猛獣を思わせるギラリと光った鋭い眼光だった。ジーナの右こぶしが兵士の腹を思い切りえぐった。その一撃で兵士の体が宙に浮き、兵士は激痛とともにそのまま意識を失った。兵士の体を壁際に寄せ、兵士の懐にしまってあったブラスターを抜き取る。音と気配を消したまま素早く正面玄関までやって来た。学校職員が二人、士官も二人だけしかいなかった。しかも四人とも、何か話をしていて、こちらに気付く気配はない。これはチャンスといわんばかりに、ジーナはローガンダムに向かって走り出した。

「何をしている!」

 士官の一人が気付いたときには、ジーナはコクピットの中に潜り込んでいた。

「離れないと危ないよ!」

 捨て台詞を残して、ジーナはコクピットハッチを閉めた。ハッチを開けっ放しにしていただけあって、動力に火は入ったままだ。慣れた手つきでローガンダムのバーニアを全開にし、飛び上がらせた。下で士官が何やら叫んでいるが、ジーナは気にも留めず自分の携帯端末を取り出してダイヤルした。発信ボタンを押して端末を耳に当てた。

「トオルさん。落し物拾った。公園まで来て。家の近くの。よろしくね。じゃ」

 これだけ言うと、ジーナは通話を切った。

「…というわけ。別にたいしたことじゃ…」

「いや、たいしたことだろ。あぶないじゃないか。怪我でもしたら大変じゃないか!」

 ジーナの事を本気で心配するトオルの姿を見て、ハムザがため息を漏らした。

「ジーナに殴られた兵士、無事なんだろうか。あの時と違って本気で殴ったみたいだし。俺、そっちの方が心配なんだけど」

「あらハムザ、あんまりな言い方をするね。ジーナは花も恥じらう女子高生。かよわい女の子の心配をするのが、フェミニストというものじゃないの。フェミニストのあんたが、男の方を心配するとは、本末転倒じゃない?」

「大の男が吹き飛ぶところを見なければ、違っていたかもしれませんね。あれを食らうのだけは、ご免こうむりたいですから」

 ハムザはカタリナに肩をすくめてみせた。

 トオルはカタリナとハムザのやり取りには目もくれず、ラモンの方に視線を向けた。

「ところで大尉。ジーナの学校を占拠した部隊に、心当たりはないか?」

 唐突な質問を受けてラモンは肩をすくめてみせた。

「そうはおっしゃられても、情報がなさすぎますね。今言えることは、緊急出動した部隊の一部が、何らかの理由で分かれたのではないか、ということくらいでしょうか」

「その根拠は?」

「根拠はないですよ。消去法に基づく勘ですね。混乱を利用してネメシスを武力制圧しようと企む叛乱部隊なら、手薄になっているここ、ネメシス駐留基地を制圧しに来るはずですから。そうではなく、軍事設備が全くない学校に根拠地を敷いたということ、そして十分な軍備を整えているということを考えたら、ネト中将の部隊から分かれて出た部隊。こう考えるのが妥当かなと思うくらいです」

「そうだろうな。下手にここに来たら、叛乱の意思がなくても叛乱部隊と思われても仕方がないからな」

 トオルはこうラモンに答えると、再び端末の操作を始めた。

 トオルの他に、端末の操作を始めた人物がいる。ハムザだ。作業用テーブルにも一台端末が置いてあるのを、慣れた手つきで操作している。

「一体何を始めているの」

「まぁ。ちょっと気になりましたから。ここをこうやって、っと」

 トオルの三倍のスピードでキーボードを叩きながら、ハムザはカタリナの問いに答えた。

「私、ハムザさんが真面目に仕事しているのを初めて見た」

「私もだ。女の子を口説く以外に、ハムザが真面目になることがあるとは知らなかった」

「ちょっと、そこのお二人さん。ちゃんと聞こえていますよ。おっと、間違った。危ない危ない」

 ジーナとラモンがからかってきたことにも、ハムザはキーボードを猛烈な勢いで叩きながら何気なく答える。それから、ものの数十秒後。

「出て来た、出て来た。これが知りたかったんだ」

画面に出てきたのは一覧表だった。日付と姓名、そして新旧の所属がずらりと並んでいる。

「ちょっとこれ、人事異動の一覧表じゃない。わっ、半年後まで出てるわ」

 画面を覗き込んだカタリナが驚きの声を上げる。それもそのはず、ハムザが開いたのは、軍機省官房のホストコンピュータだったのだ。

「こんなものを覗いて、大丈夫なの?」

「何ヶ所も間に挟んで第三総軍のサーバーを経由させているから、分かりませんよ。データの書き換えとか、遠隔操作をしない限り、ここまでたどり着けません。大丈夫。そんなことよりも、ナックルの言っていたのが、果たして本当なのか…。うーん、やっぱりないねぇ」

「何がないのだ?」

 ラモンも画面を覗き込んできた。ハムザは、椅子の背もたれに身体を預けたので、椅子がきいいと小さく悲鳴を上げた。

「トオル中佐の現役復帰ですよ。本当に手続きされていたら、まだ本決まりでなくてもこのリストには載っているはずですから」

「やっぱりあのナックルは、でまかせを言ったのか。とんでもないやつだな。このまま言うとおりに参謀長代理を振舞っていたら、中佐は牢屋行きだったのか」

 腕を組み、ラモンはうなった。軍人を詐称して命令を発したら、連邦軍基本法に基づいて逮捕拘禁されてしまう。ナックルの野郎は、何の落ち度もないトオルをハメようとしたのか。そう思うとラモンは怒りに打ち震えた。

「ちょっと待って。あれ、おかしいわ」

 ハムザに代わって、カタリナが端末を操作し、疑問の声を上げた。慌ててハムザとラモンは端末に視線を向ける。今から約半年前の人事異動の画面だ。あるはずの名前がない。

「トオル中佐は退役しているはずなのに、その通知が入っていない」

「えっ、どういうことだ?」

「ラモン大尉、見て下さい。ほら、ないでしょ」

「ほ、本当だ。トオル中佐、退役扱いにされてない」

ラモン、カタリナ、ハムザの三人は、互いの顔を見合わせた。何でこんなことが。三人同時に同じことが頭に浮かんだ。

「確かなことは、ネト中将もバルドック大佐も、このことを知っているということだな」

 ラモンの感想に、二人は同意した。どんな手を使ったか分からないが、退役していないトオルに退職金を支払う手続きができるとすれば、人事権を握っているネト中将以外にありえない。そして、何の権限もないのに、バルドックが臆面もなくトオルに現役復帰を告げ、参謀長代理に仕立て上げることなど、トオルが現役であることを知っていないとできないはずだ。と、そのとき。

「うん、間違いない。これでいけるはずだ」

トオルは声を上げ、プリンターで出力された紙をつかんだ。

「カタリナ大尉、ちょっと来てくれ。確か君は、法務も扱えるのだろう」

「はい」

 何の気構えもなくカタリナは、トオルから手渡された紙を見る。字面を追うにつれて、カタリナの瞳は、驚きでみるみる大きくなっていった。

「ちょっとこれ、えーっ。こんなのアリなのですか」

「やりすぎかなぁ。法令上、問題はないと思うのだが」

「ちょっと待ってください。こんな前例、聞いたことがないので、調べてみます」

 カタリナは再び端末の前に座り、人事異動の画面を最小化させて、トオルの示した方策について調査を始めた。キーボードの傍に置いたトオルのメモを、ラモンが取り上げた。カタリナとは違い、ラモンは字面を追うにつれてあきれた表情になって言った。

「こんなウルトラC、誰も思いつかないだろうな。中佐殿の頭の中は、一体どうなっているのだ」

「どれどれ、うわぁ。これが実現したら、ナックルはどんな顔しますかねぇ」

 ラモンに渡されたメモを見て、ハムザも唸った。そして二人とも、カタリナの操作する端末の画面を見る。条文や判例がずらっと並んでいる。こういう方面に弱い二人は、画面に映し出された文章を二・三行読んだだけで、頭がクラクラしてきた。

「そこの二人、油を売っている暇があるのなら、やってほしいことがあるのだが」

「一体何を?」

端末をカタリナに奪われたハムザが尋ねた。トオルの表情を見ていやな予感がする。

「今度は何を企んでいるのです」

「企むとは心外だな。ごくまっとうなことで、しかもハムザ少尉の好きそうなことなんだけど。嫌ならカタリナ大尉の手伝いでもするか?」

「カタリナ大尉と一緒の仕事をさせてもらえるなんて、何てありがたいことを」

「お前、法律のこと分かるのか」

 ラモンは、すました表情のハムザをまじまじと見た。普段おちゃらけているが実はインテリだったのかと、ラモンはハムザのことを見直しかけたが、とんだ勘違いだった。

「法律?そんなの、分かるわけがないでしょ」

「法律のことが分からなくて、カタリナ大尉のことを、どうやって手伝うんだ」

「そりゃ、決まっているでしょう。お疲れの大尉のために、肩や腰や足の裏や、その他諸々をマッサージ…」

 ゴン!という音が部屋に響いた気がした。ラモンのゲンコツでヒリヒリする頭を、ハムザは一生懸命マッサージする。

「痛いなぁ。ただの冗談じゃないですか。半分本気だけど」

「私はそういう冗談は嫌いだ」

「横暴だなぁ。自分の価値観を、人に押し付けるなんて」

「そろそろ本題に入りたいんだけど、いいかな」

「これは失礼しました」

 トオルに対してラモンとハムザが異口同音で答えた。トオルは笑いを抑えるのに苦労しながら、ラモンとハムザに指令を出した。

「ハムザにとっては、きっと朝飯前だと思う。通信センターに行って、火星中に飛び交っている連邦軍及び市警の無線通信を全て拾い、発信者、送信者、通信内容をまとめて欲しい。基地にいる人間は、いくら使ってくれてもかまわない」

これを聞いて、さすがのハムザも目を丸くした。

「これは無茶なことをおっしゃる。今は非常事態です。一分間に一体どれだけの通信が受発信されているとお思いですか」

「それでも、ハムザにしてみたら朝飯前だろう」

「まったく。中佐ときたら…高くつきますよ」

「みなさん、飲み物でもどうぞ」

 トレーを片手にジーナが入室してきた。人数分のホットコーヒーが用意されていた。最初にトオルにコーヒーを配る。

「気なんか遣わなくていいのに。ありがとう」

「いいんです。どうせヒマだから」

 トオルの感謝に照れながらジーナは答えた。他の三人に飲み物を配るジーナに、トオルは声をかけた。

「そのテレビでも見てるといい。暇つぶしにはなるだろう」

「中佐殿も、若い女の子には優しいんですね」

 ハムザの毒舌に、トオルは意地の悪い笑顔を作った。

「まだまだハムザ大先生には及ばんよ。ジーナ、テレビの傍にリモコンがあるぞ」

 トオルに促され、ジーナはテレビの電源を入れた。だが、どのチャンネルを見てもカラーバーか静止画ばかりで、番組は放映されていなかった。

「…これは深刻だ」

 ラモンが吐息した。暴動の影響は、放送局にも及んでいる。すでに深夜に差し掛かろうとしている今、火星を取り巻く状況を掴む術はないのだろうか。コーヒーをすすったハムザが、苦々しいながらも覚悟を決めた表情を作った。

「今、何が起きているのか分からないままでは、対策の立てようがないですよね。了解です中佐。この仕事、ジーナがくれたおいしいコーヒー一杯で受けますよ」

「それはありがたい。頼んだぞ少尉」

「では」

 コーヒーを一気に飲み干すと、ラモンとハムザはトオルに敬礼を施し、作戦参謀室をあとにした。既に時計の針は、12時を回っていた。



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第217師団参謀長代理中佐

「…トオルさん、トオルさん。朝ですよ。起きて下さい…」

 ジーナの柔らかい声が、心地よくトオルの耳に響く。今日も仕事だ。まだ覚えなければならないことが沢山ある。部長にどやされないかなぁ。尻拭いしてくれた課長に、また迷惑掛けやしないかなぁ。この前行った新規取引先の仕事、実を結ばないかなぁ。その前に、顔を洗って髭を剃って、ジーナの作ったハムエッグトーストを食べて、着替えて、それから…

「…もう。こっちは徹夜で必死こいてたってのに、エラい人はこれだから…」

 ん、この声はハムザ?何でハムザが家にいるんだ…

「はっ!」

 突っ伏した顔を、トオルは思いっきり跳ね上げた。事務処理を続けている途中で、寝オチをしたようだ。目の前にあるモニターに、Zの文字が無限に続いている。肩に毛布の感触がある。そして見上げた先には、ハムザとジーナの姿があった。

「おはようございます。ハムザ少尉が来られていますよ」

「…あ、ジーナ。毛布はお前が…」

「そんなことよりも中佐、少尉が」

「おはようございます、タカハシ中佐。お目覚め早々で申し訳ありませんが、すぐに通信センターまで来て頂けませんかねぇ」

 ハムザは思いっきり毒のこもった声を出したのだが、寝起きでボーっとしているトオルに、毒は全く通じなかった。

「もう朝か。何か分かったか」

「一晩かけたので色々と。詳しいことはセンターで」

「そうか。それじゃ行こうか」

トオルはあくびを一つすると、肩に掛けられた毛布と畳み、立ち上がった。

「あれ。カタリナ大尉は?」

「中佐が眠られたあとしばらくして、仮眠室へ行かれました」

「そうか。気を使わせて悪かったな」

 ジーナの返答を聞いて、トオルは頭を掻いた。

 通信センターは、司令部ビルの最上階にある。司令室を兼ねているので、かなり広い。各種モニターや端末がたくさん備えられており、通信士10名ほどの席と師団長や各参謀、連隊長や大隊長など幹部の席も備えてある。大隊長であるラモンは、自らの席に座っており、ハムザに連れられて入室してきたトオルとジーナの姿を確かめると、通信士たちともども席から立ち上がり、トオルに対して敬礼を施した。トオルは参謀長の席に座った。トオルの着席を確かめ、発言の許可をもらうと、ラモンは収集した通信の内容について説明を始めた。

 その説明によると、混乱の原因は、ネメシス=シティに隣接するヘルメス=シティに駐在するカイヨー少将の第七七旅団ではないかということ、ネト中将率いる第217師団の本隊は、ウラノス=シティへ向かったようだということ、その本隊から、セイン=ウィン大佐が率いる第1185連隊が離脱して、ジーナの高校に厚い防御陣を敷いて駐留しているということ、火星に点在する各シティに駐在する連邦軍は、各々独自の動きをしていて、全く統制がとれていないということ、統制がとれていない連邦軍の一部は第77旅団のように暴徒化していること、また、別の一部は以後の行動に対する指示を要請していること、そしてウラノス=シティの総督府は、音信不通のままであるということ、ウラノス=シティは、厳重な通信封鎖が敷かれ、上空にはあらゆる人工衛星を近づけることができないようにされているので、様子が全く分からないということ、そして、

「ウラノス=シティで、大規模な熱源反応が感知されています。おそらくウラノス=シティでは…」

「大規模な戦闘行為が発生した…か」

 ラモンの言葉に、トオルが続けた。ネト中将が総督府側の応援に行ったのか、それとも叛乱軍側に組みしているのかは分からないが、この戦闘行為に加わっているのだけは確かだ。ネト中将の旗色がどちらか、おそらくウィン大佐は知っている。だが、

「ネト中将のことは、後回しだな」

 とトオルは思う。トオルはラモンに、指示を待っている部隊の指揮官には、陣容を整理することと、後日必ず指示を出すのでそのまま待機することを戒厳司令官名で発令すること、そして、暴徒化している部隊には、原隊への復帰を同じく戒厳司令官名で勧告すること、さらに、以上の指示に従った部隊とそうでない部隊を整理することを指示して、席から立ち上がった。

「中佐、これからどちらへ」

 ラモンの問いかけに、トオルはあくびを一つして答えた。

「いまいち頭が冴えないので、シャワーを浴びてくる。そのあと基地内を巡回してから戻る。それからジーナ、悪いが当面ローガンダムのパイロットを任せるから、そのつもりで準備をしておいてくれないか」

「了解です中佐」

 ジーナの敬礼を確認すると、トオルは通信センターをあとにした。

 

 基地内を巡回した結果、電気水道、そして食料と燃料の備蓄には問題はないが、先日ハムザが言った通り兵員と軍備に不安があることを把握したトオルは、再び通信センターに向かった。午前中のうちにトオルは、食事や洗面の為に交代で休憩をとるよう指示を出していたため、ラモン、カタリナ、ハムザ、ジーナの四人が一堂に会したのは、時計の針が2時を回ったころだった。

「せめて一個連隊、いや一個大隊だけでも残っていたら、楽だったんだけどなぁ」

 参謀長席に座るトオルはぼやいた。整備兵といった非戦闘員しか残っておらず、銃火器も不足しているので、トオルが自ら軍を率いて、治安回復に乗り出すことは困難である。市警は、市長の指揮統率下にあるので、軍は関与できない。

「暴徒たちを、ローガンダムで踏み潰したらどうです」

「無実の市民を避け、暴徒だけを選んで踏み潰せたら楽だなぁ。ジーナ、出来るかい」

「そんなの、出来る訳ないでしょ」

 ハムザの冗談に乗っかったトオルの要望は、あえなく粉砕された。

「まあ、ガンダムの事は置いといくとして。ところでハムザ。レストランのル・モンドは健在だろうか」

「あの辺は、市警本部も近いので、大丈夫だと思いますよ。今日の晩メシは、そこで食べるのですか。それならご相伴にあずかりたいのですが」

「10年経ったらおごってやるよ」

「それは楽しみですねぇ」

 ハムザ自身は、高級フレンチなんかに興味はない。そんなことよりも気になることがあった。

「ところで参謀長代理。例の腹案、いつ実行に移すお考えなのですか」

「そうだなぁ」

 ハムザの疑問に、トオルはもっともらしく腕を組んで見せ、カタリナの方を向いた。

「法的な裏付けは取れたのかなぁ」

「本省に問い合わせて、内諾まで取れています。あとは開始のタイミングだけです」

「さすが大尉。仕事が早いな」

「お褒めの言葉を下さり誠に光栄であります。泊まり込みだったので、今日はこれで帰らせてもらってもよろしいでしょうか」

「それは困る。大尉には、まだ仕事が残っている」

 ご褒美を拒絶され、カタリナはふくれっ面を作ったが、それもすぐに消えた。理由は、来襲を知らせる警報音が響いてきたからだった。通信士の一人が絶叫する。

「ヘルメス=シティ方面より、二機の未確認飛行物体が接近中」

「モビルスーツか?」

「分かりません。ウラノスからの通信妨害がひどくて。有視界確認もできません」

 通信士の回答に不満顔のトオルは、立ち上がって宣言した。

「これから状況を確かめに、ガンダムで出る。準備は整っているか」

「いけません中佐。直々にモビルスーツで出撃など!」

 あわててラモンが引き止める。だが、トオルは引こうとしない。

「民間機なのか、戦闘用のモビルスーツなのかも分からないのに、判断のしようがないではないか。直接この目で見ないことには、対処ができん。出る」

 トオルは身をひるがえして通信センターを出ようとしたが、ジーナが両腕を広げて立ち塞がった。

「だめです中佐。中佐がここから離れたら、誰が代わりをするのです。ガンダムで出ることなら、私ができます。命じて下さい。ガンダムで出るように」

「そんな危ないこと、お前に命令なんかできるか。お前は学生だ。家に帰れないから、ここに居てもらっているだけだ。戦闘行為をさせるためではない」

 トオルにたしなめられ、ジーナの表情が暗くなった。

「そんな。さっき、ガンダムのパイロットを任せると、私に言ってくれたじゃないですか。あれは嘘だったのですか。中佐に頼りにされたの、嬉しかったのに…」

「そ、それは。モビルスーツ戦になる可能性がないと思ったから…」

「中佐。ここはジーナに任せましょう」

 沈うつな表情になったジーナを見て慌てふためいたトオルに、ラモンが注進した。

「ジーナなら大丈夫です。十分に訓練を積んでいます。中佐が出るよりは生還率が高いですよ」

「…そうか。私が出るよりは生還率が高いか…」

 トオルはこうつぶやくと、意を決した表情でジーナに向きなおった。

「ジーナ。悪いがガンダムで出てくれるか。まず、不明機にネメシス市内に入らないよう勧告するんだ。勧告に従わなかったら撃墜してもいいし、こっちに引き返してきても構わない。判断はお前に任せる」

「分かりました。ジーナ=グリンカ、ローガンダムで出ます」

「くれぐれも、危ないまねはするなよ。危ないと思ったら帰って来いよ」

「分かりました。気をつけます。大丈夫ですから。行ってきます」

 学生服姿のジーナは、律動感のある所作で敬礼を施し、通信センターから出て行った。

 トオルと一緒にジーナの後姿を見ていたラモンは、トオルを見やってため息をついた。

「それにしても中佐。いつからそんな心配性になったのです。いつぞやの隠密作戦のときなんか、こんな大胆な人はいないと思ったのですが」

「私は自分のことを、大胆だとも心配性だとも思ったことはないんだけどね」

 トオルは、ラモンの指摘に不本意そうな表情を作った。そんなトオルに、ハムザがつっ込みを入れた。

「中佐、女の子に気を遣わせちゃダメでしょ。そんなことよりも、ジーナ、学生服姿でガンダム操縦するのかなぁ」

「あんたのそれは、余計な気遣いというのよ。ちゃんと仕事しなさい」

 トオルにつっ込みを入れたハムザが、逆にカタリナにつっ込みを入れられてしまった。

 一方のジーナは、駆け足で整備班の詰所に飛び込んだ。年季の入った制服を着ている50代くらいの男性の姿を見つけると、ジーナは大きな声で呼びかけた。

「パベルさん。出撃命令が出た。出られるかしら」

 ジーナに呼ばれた壮年の整備兵は、作業中の手を止めてジーナの方を向いた。

「ガンダムか。いつでも出れるぞ。ただ、ライフルの弾が少ないから、ジェグナのライフルを持って行け」

「ありがとう」

 と述べると、ジーナは詰所の扉を閉め、ガンダムが格納されている倉庫に向かった。ジェグナとはジムタイプの非可変型量産モビルスーツで、現在の連邦軍の主力を担っている。第217師団にも三機配属されていたのだが、全てネト師団長が連れて行っているので、基地に残っているのは、予備の武器弾薬だけである。ジーナは昇降機を操作して、直立しているローガンダムのコクピットに乗り込んだ。手馴れた動作でコクピットハッチを閉め、動力を起動させると、ガンダムのモノ・アイに光がともった。ガンダムはラックに掛けられたジェグナのライフルを手に取ると、そのまま倉庫の外まで歩き出す。しばらくすると、ガンダムのコクピットのモニターに、ハムザの顔が映し出された。いつも通りのにやけた表情だ。

「ジーナ、正体不明の二機は、おそらくジェグナだ。気をつけろよ。ところで、言うタイミングがなかったから今言うけど、ジーナ、学生服姿似合っているな」

「まったく。ハムザさんらしいですね。服装のことなんか、今言わなくてもいいでしょ」

「軍服姿ではなく学生服姿のお前を、中佐殿はえらくお気に入りなんだ。だから、戦果なんか気にせずに、無事に戻って来い。いいな」

「分かりました。ジーナ=グリンカ。ローガンダム、行きます」

 ハムザの言葉から感じたトオルの思いを噛みしめ、ジーナはローガンダムを跳躍させた。ミノフスキークラフトシステムの発達と軽量化により、ローガンダムはドダイといった推進補助システムに頼ることなく、重力下を単独で飛行することができる。ジーナはアクセルを踏み込み、ガンダムを加速させた。ネメシス駐留基地が、みるみる小さくなっていく。あっという間に、ネメシスのドーム外縁部に達した。ドームの外で、通信可能距離に二機の不明機が近づいてくるのを待つ。やがてモニターに、不明機についての詳細が映し出された。ハムザの予想通り、二機ともジェグナだった。ビームサーベルとライフル、シールドの標準装備だ。ジーナは、コクピットに備え付けられている集音器を掴んだ。

「接近中のジェグナ二機に告ぐ。ネメシス=シティは第217師団の管轄領域である。所属機以外の進入は許可されていないので、速やかに引き返されたし」

 ジーナは警告を発して10数秒ほど待ったが、二機とも撤退する様子はなく、また返信もよこしてこなかった。ジーナはもう一度、警告を発した。

「速やかに引き返されよ。警告に従わない場合は撃墜する。」

 しばらく待ってはみたものの、変化はなかった。

「そっちがそう出るなら…」

 心の中で決意表明をしたジーナは、ガンダムにライフルを構えさせた。そして二機に対してそれぞれ威嚇射撃を行った。ガンダムが放ったビームは、それぞれのジェグナから2メートルだけ離れた位置を貫いた。神業といっていい。これより近ければ、直撃せずともビームの発するエネルギーで損傷は免れない。かといってこれよりも離れていれば、相手に直撃の恐怖心を与えることができない。そのおかげで二機のジェグナは、直撃を免れようと体勢を崩した。それだけなら、ジーナはまだ様子を見ようと思っていたのだが、二機のうちの一機が、ジーナのローガンダムに向けてライフルを撃った。体勢を崩していたので、射線はガンダムからだいぶ離れた距離を走っていったのだが、ジーナの怒りの導線に火をつけてしまった。

「警告に従わないものとみなし、撃墜する」

 ジーナは宣言すると、攻撃してきていない方のジェグナへ急接近した。急接近といっても一直線で向かっていったりしない。ジーナのガンダムに攻撃を加えた方のジェグナが、進撃を阻止しようとライフルを撃つが、不規則にジグザグ飛行をしているジーナのガンダムにかすりもしない。体勢を崩したままのジェグナは、簡単にガンダムの接近を許すと、ビームサーベルを抜き放ったガンダムにいいように斬られてしまった。エネルギーと動力の中心であるバックパックが切り取られ、両足と頭を切り取られる。たった三つの斬撃でジェグナは胴体と腕だけになった。推力を失ってしまったので、バランスを保つことができなくなった。もはや、火星の重力に引かれて落下することしかできない。死角になる位置で斬撃を加えていたので、もう一機のジェグナは、援護射撃すらできなかった。バックパックと足を斬られた段階で援護射撃を諦め、ビームサーベルを抜いてガンダムに接近したのだが、すでに時遅し。頭を斬った返す刀で、ガンダムは恐ろしいほどの正確さとタイミングで、サーベルを握ったジェグナの腕を斬り落とした。そして、同じようにバックパック、足、頭を切り落とす。そして、両腕だけのジェグナと片腕だけのジェグナをネメシス=シティとは反対の方向へ蹴飛ばした。二機のジェグナのコクピットからパイロットの脱出ポッドが射出されたのを確認すると、ジーナは二機のジェグナを射撃、爆破した。

「危ないことするなって言ってたもんなぁ。中佐に怒られるかなぁ」

 ジェグナ二機の撃墜を確認すると、ジーナは機首をひるがえし、ネメシス駐留基地への帰路についた。

 

 悲劇の主人公は、青ざめた顔を、向かいに佇む三人の軍人に向け、執務デスクの豪奢な椅子に身体を預けていた。主人公の名前はオーランド=ブルーム。ネメシス=シティの市長である。市長といえば、火星総督の直下で市政の全般を掌握する権力者である。火星は連邦政府の直轄地なので、連邦議会が選任する総督が火星の行政を掌握している。火星に暮らす人々は連邦議会議員の選挙権しかない。総督府には議会がなく、総督を頂点とした火星全域を監理する官僚機構とシティごとに配置されている役人機構のみがある。その役人機構の頂点に立つのが市長である。普通、市長は市議会や市民オンブズマンなどから権力の制約を受けるのだが、火星には市議会も市民オンブズマンもなく、市長はただ総督の指揮監督のみを受ける。すなわち総督の目の届かないところではやりたい放題なので、市長の椅子というのは、誰もがうらやむ羨望の的なのである。本来であれば、我が世の春を謳歌し、満面の笑みを浮かべているはずのブルーム氏が、借金取りに追われる夜逃げ前の貧乏人みたいな表情をしているのは、ひとえに外の環境のせいであった。つい最近発生した暴動が、市警の手に負えない状態にまで拡大し、いざという時の頼みの綱である連邦軍も、どういうわけか雲隠れしてしまっている。市警の機能が麻痺してしまっているのか、本部長はおろか他の幹部にも連絡がつかないので、全く状況がつかめない。しかも、直属の上司である火星総督からの指示を請おうにも、いくら電話しても総督府は出てくれない。このまま暴動が無制限に拡大してしまえば、混乱の責任を取らされるかもしれない。その恐怖にブルーム氏は怯えていたのである。そのブルーム氏のもとに、嫌がるバルドック大佐とカタリナ大尉を伴ってトオルが訪問したのは、ジーナが二機のジェグナを葬ったのを確認してすぐであった。

「君たち、よく来てくれた。礼を言う」

 三人の軍人にブルーム市長は覇気のない声をかけた。手入れをされた鮮やかな金髪。白い肌はきめが細かく、40代半ばとは思えないほど若々しく見える。身にまとっているスーツもぴしっとしているので、日々の生活にも女性にも困ることはなさそうだ。それに対し、相対する三人の軍人はといえば、これまた対照的に一人を除いて全くパッとしない。無味乾燥な軍服を纏っていることは仕方がないとは言え、トオルとバルドックの軍服は薄汚れてヨレヨレなので、みっともない。その二人と並んで立っているカタリナは、せめて自分のようにアイロンを当てていれば少しはマシなのにと、心の中でため息をついた。ところがトオルの関心は、そんなカタリナの気持ちには全く向いていなかった。

「いえ。お迎えが遅くなり申し訳ありません」

 トオルは声を震わせて深々と頭を下げた。トオルがあまりに申し訳なさそうにするので、横に並ぶ二人も慌てて頭を下げる。トオルは今にも泣き出しそうな表情のまま顔を上げた。

「本来であれば、一も二もなくすぐに市長閣下の御許に駆けつけなければならないところなのですが、師団長のネトが任務を放棄して行方をくらましてしまったため、判断が遅れてしまいました。市長閣下にご不便をお掛けしたこと、軍を代表してお詫び申し上げます」

「いやいや、この建物から一生出られないかとヒヤヒヤしたよ。君たちが来てくれて安心した。ありがとう。ところで、君の名は」

「第217師団参謀長代理のタカハシ=トオル中佐であります」

「タカハシ中佐か。頼りにしているよ。それと、確かあなたは、参謀長のバルドック大佐ではないか」

「はい…」

「何故あなたが指揮を執らないのだ?」

「それについては、私が申し上げます」

 表情が冴えず俯いたままのバルドックに代わって、トオルがブルームの問いに答えた。

「バルドック大佐は、任務を放棄した師団長のネトと激しく遣り合ったことで心身に不調をきたしております。病床に伏しておられたのですが、小官が閣下の許に伺うと申し上げたところ、このまま不義理をしたままではいられないと、病身を押して来られた次第です。何卒、寛大なお取り計らいをお願い申し上げます」

「そうか。そうとは知らずに、無神経なことを言った。許してもらえるとありがたい」

 ブルーム市長の謝意を受けて、バルドックは頭を下げた。

「恐縮でございます、閣下。つきましては、体調が優れないのでこの場を下がらせて頂きたいのですが」

「結構だとも。くれぐれもご自愛なされよ」

 ブルーム市長の言葉にバルドックは敬礼を以って答えた。先にこの場を逃亡するバルドックに、カタリナが恨めしそうな視線を送る。カタリナの隣でバルドックを見送ったトオルが、緊張した表情を作って市長に語りかけた。

「ご存知かどうか分かりませんが、現在ネメシスを取り巻く環境は最悪であると言っても過言ではありません」

「そうだろうな。どことも連絡がつかないので、ここ市長室は絶海の孤島と同じだ。中佐は何か掴んでいるのか」

「はっ。全容には程遠いですが、ある程度でしたら」

 トオルは、混乱の原因が隣のヘリオス=シティにあること、第217師団麾下の第1185連隊が帰順して来ず、ネメシス市内の高校に陣取って動かないこと、駐留基地内に残っている兵力はごくわずかで、治安回復に当たることが困難であること、を述べた。

「バルドック大佐から全面的な信任を頂いてはいるものの、その影響力はネメシス駐留基地内に限られており、第1185連隊を含め、他の旅団や連隊をまとめるには、今のままでは役不足で、どうしようもありません」

「何が言いたいのかね、中佐。今の私には、優雅なティータイムを味わいながら腹の探り合いを楽しむ余裕はないんだよ。はっきりと言ったらどうだ」

「これは失礼しました。ティータイムといえば、今、ル・モンドで閣下のために夕食を準備させています。よろしければ、このあとご案内させていただきますが、いかがですか」

「ル・モンドって、あのル・モンドか、フランス料理の」

 ブルーム市長の目が輝いたのを、トオルは見逃さなかった。ここが攻め時だった。

「はい。ご不便をきたしているだろうと、せめて食事だけはと思いまして、周辺の治安だけでも回復させました。ですが、小官の今の力ではここまでが精一杯で、完全に治安を回復させるには、市長閣下のお力にすがるしかありません」

「私の力といっても、この市長室から出ることもできないのに、一体何ができるのだ」

「それにつきまして、閣下。そこのテーブルにある端末をお借りすることができますでしょうか」

「あっ、あぁ。構わないが、それと何か関係があるのか」

「順を追って説明いたします。カタリナ大尉、端末を使って準備を始めてくれないか」

「かしこまりました」

 カタリナは市長に敬礼すると、トオルが市長から利用許可をもらった端末の席に座り、操作を始めた。その動作を確認したトオルは、改めて市長に向き直った。

「現在、総督府とコンタクトが取れない状態になっていることは、閣下もご存知かと思います。ウラノス=シティを中心に大規模な熱源反応が確認されていることからも、戦闘状態に入っていることは、まず間違いありません」

「せ、戦闘状態!?」

 驚くブルーム市長に構わず、トオルは淡々と説明を続けた。

「こうした事態を踏まえ、小官は、市長閣下が、臨時行政長官として治安回復の陣頭指揮を取ることができるか、地球の内務省法制局と協議を行い、内務長官閣下に対する市長閣下からの直々の要請があれば問題ないとの結論を得ることができました。閣下が臨時行政長官となり、小官を保安司令官少将に任じていただければ、小官は持てる力の全てを以って、閣下のご期待に応える所存であります」

「そ、そんなことが可能なのか」

「火星の現況をお伝えしたところ、内務省法制局のバウリー課長は、かかる事態に対し、大変憂慮をなされており、すぐに長官に話を通すとおっしゃっておられました。カタリナ大尉、どうだ」

「今、バウリー課長が、カミンスキー内務長官に取り次いでおられるところです。しばらくお待ち頂けますか」

 カタリナの返事に、トオルは力強く頷いた。思いもよらない展開にブルーム市長は、落ち着きを失って目を白黒させている。内務長官は、地球連邦政府の最高行政機関である内閣の構成員であり、火星総督の直属の上司にあたる。その内務長官と、これから直接やりとりを行わなければならない。それも事前準備なしに。こんな事態に直面して、緊張しないほうがおかしかった。そんな市長の内心を見透かしたかのように、トオルは市長に語りかけた。

「ご心配には及びません。長官とは小官が話を致します。閣下は小官のそばで、ただ同意して頂くだけで結構です。それよりも、少し時間があるので、窓の外をご覧になりませんか」

「あっ、あぁ」

 トオルがカーテンを開けて外の陽光を室内に導いた。トオルに続いて窓のそばに立った市長は、見たことのない巨大な人工物を見つけた。黒を基調にした人型の人工物。

「あれは、新型のモビルスーツか…」

「はい。聞いたことがおありでしょうか。ガンダムです。ローガンダム」

「…ガンダム。時代の守護神…か」

 市庁舎へ向かう前、トオルはジーナに、基地へは戻らずに市庁舎の前に来るようにと命じていた。華奢な姿ながらも何か安心感をあたえる独特のフォルム。しばらくガンダムをじっと眺めていたブルーム市長は、決意を込めた表情でこう呟いた。

「…中佐。君を信じよう」

「光栄です、閣下」

 ほどなく、カタリナから声が掛かった。市長とトオルは、カタリナのいる端末席へと歩き始めた。



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ネメシス臨時行政府保安司令官少将

 ネメシス=シティのオーランド=ブルーム市長が、内務省の承認を受けてネメシス近郊の臨時行政長官になり、その臨時行政長官からトオルが保安司令官少将に任じられてから、はや三日が経過していた。保安司令官の辞令を受け取り、市長をレストランに送ったあと、トオルはすぐに市警本部へ赴き、市警本部長やその他の幹部の異論の一切を封じ込めて市警の全権を掌握。令状なき逮捕拘禁を渋っていた市警に対し、騒乱に加わっている者及びそれに疑わしきものを例外なく検挙するよう檄を飛ばした。政府や軍の関係者である証明書を振りかざして乱暴を企てていた連中が一網打尽になってから、ネメシスは平静を取り戻しつつあった。

 今や保安隊の本部となったネメシス駐留基地。軍関係者以外立ち入り禁止の基地の中を、大勢の警官がうろついている。この異様な光景にも三日もたてば慣れてくる。保安隊の司令部と化した通信センターには、トオル以下の第217師団のメンバーの他、ネメシス市警の幹部も顔を揃えている。市警は大きく二つに分けられた。主力の警邏隊は、従来通り市内の警備及び治安維持を預かる。もう一つは、緊急事態用の遊撃隊である。警邏隊の隊長には市警本部長が就き、遊撃隊の隊長には保安司令官のトオルが兼任した。遊撃隊は、市警の特殊部隊と一部の一般警察官、そして第217師団の残存部隊の混成部隊なので、指揮統率の困難さが予想された。部隊の再編成と治安回復に向けた全部隊の指揮統率、そして各方面に対する情報収集、ブルーム行政長官を中心とした官僚組織への応対で、トオルは寝る間もないほどの激務に追われていた。部隊の再編成と市内中心部の治安回復に目途が立ったところで、トオルはようやく一息入れることができた。

「…ジーナ、悪いがコーヒー一杯用意してもらえないか」

 通信センターの司令官席に、トオルは腰を下ろした。治安がある程度回復したので、ジーナは一旦家に帰り、久しぶりの入浴を楽しんだあとで仮眠を取り、軍服に着替えてきた。ジーナの軍服は、赤色を基調にしたブレザータイプのジャケットに、紺色のネクタイ、そして純白のスパッツにセミロングのブーツである。ニュータイプ研究所からの出向兵の軍服なので、他に類似の軍服を着ているものがおらず、否応なく目立ってしまう。それでも、学生服姿よりはましだ、とジーナは思っている。

「分かりました。ブラックでいいですね」

「濃い目にしてくれ。頭に喝が入るやつを頼むよ」

「はい、閣下」

 ジーナは舌を出しながら出て行った。トオルが少将に叙されてから、ジーナは、トオルのことを閣下と呼び、そのたびにトオルから、閣下はやめて今までどおり名前で呼ぶようにと言われていたのだ。ジーナにからかわれて困った表情になったトオルを、参謀長席に座るラモンがからかった。

「まぁ、中佐からの三階級特進なんて、あまり例がありませんから。天罰だと思ってあきらめるんですな」

「そうそう。普通なら死んでも二階級。戦死した連中に嫉妬されて、呪い殺されるよりはマシですよ」

 ハムザもニヤニヤしてトオルをからかった。声も高くなっていて、明らかにハイテンションだ。それもそのはず。ハムザは情報収集に掛かりきりで、トオル同様一回も家に帰らず、風呂にも入らず、横たわることもせず机に伏しての仮眠だけで、三日間を乗り切っているのだから。いくら軽口のハムザとはいえ、普段の彼なら誰かに便乗して上官をからかうような、無礼な真似はしない。普段のトオルなら、このハムザの態度にムッとしただろうが、トオルもハムザ同様、ハイテンションになっており、全く気にしていなかった。

「うらやましいだろう。20代で閣下だぞ。史上最年少だぞ。はっはっはぁ…はぁ。何で、28歳で閣下と呼ばれなきゃいかんのだ。疲れた。飽きた。ハムザ、何なら代わってくれ」

「それは無理なご相談ですよ。少尉という階級のほうが、私を掴んで離さないですから」

「そうか、それは残念だ。お前にも三階級特進してもらおうと思っていたのだが」

「なっ、何ですか。それ」

「情報参謀として、総合的な情報収集をしてもらうには、お前が少尉のままでいては、私が困るのだ。情報参謀になってもらうには、最低でも少佐になってもらう必要がある」

「私が少佐ですか。ラモン大尉とカタリナ大尉は?」

「もちろん、彼らにも昇進してもらって、私の責任の一端を背負ってもらうよ」

「なるほど、私達は一蓮托生というわけですか。ところで」

 丁度いいタイミングだ。ハムザには、トオルに聞きたいことがあった。

「なぜ少将なんです。准将でも、中将でも、よかったのではありませんか」

 ハムザの疑問に対して、トオルは意地の悪い笑顔を作った。

「なぁに、簡単な話さ。准将だと、近隣に駐在する旅団長の少将どもより格下になって、彼らに指示を出せない。中将だと、万一ネト中将がご帰還なさったとき、指揮命令系統の委譲が難しくなる。ただそれだけのことさ」

「なるほど。ネト中将なら、責任を引き受けてくれると思っておられるのですな」

「でなければ、保安司令官なんて、損な役回りは受けないさ。だいたいこの絵図を描いたのは、一刻も早く家に帰って、元の生活に戻りたいから。ただそれだけ。それ以上でも、それ以下でもない」

「いやあ。どう見ても、本来の目的から、どんどん離れていっている気がするのですが」

「いいや、そんなことはない。ネト中将が帰ってくるまで、ウィン連隊が戻ってくるまでの辛抱だ」

 ジーナの学校に居座っているウィン大佐の第1185連隊は、三日たった今でも度重なるトオルの恭順要請に無視を決め込んでいる。ウィン大佐の率いる兵力を合わせれば、確実に治安を回復させることができるのに。そして、ウィン大佐に自分の役目を押し付けることができるのに。トオルは歯がゆくて仕方がなかった。仕事上の責任と年齢は、一部の例外を除いて比例しているほうがよいとトオルは思う。正確に言えば保安司令官少将となって三日たった今だからこそ、強くそう思う。年上の部下というのは、人間関係ができていないと使いにくい。人間関係ができていたとしても、例えば、コーヒーを頼むのにラモンとハムザ、どちらを使うかといえば、トオルは迷いなく年下のハムザを選んでしまう。仕事上の命令とはいえ、年上ばかりの市警の幹部たちを使うことは、トオルといえども大変気を遣う。それに、市庁舎の役人たち。役人どもは、自分たちが置かれている状況というものが分かっているのかと思うくらい、現状への不満を平気でぶつけてくる。異変が発生してから、地球への輸送便は全て閉ざされてしまっている。ウラノス=シティの状況が未だ不明なので、復旧の目途はたっていない。それなのに、内務省本省とやりとりがうまくいかなくて困ると、トオルにクレームをつけてくるのだ。

「そんなの知ったことか!」

と叫びたくなるが、ブルーム行政長官の手前、そんなわけにはいかない。トオルがもし司令官として年齢相応の50代くらいだったら、役人どももこんなにクレームをつけてこないはずだ。一刻も早く、こんな役職を誰かに押し付けてしまいたいというのが、まぎれもないトオルの本音だった。

 ジーナが、コーヒーを四杯用意して入室してきた。トオル、ラモン、ハムザ、そして自分の分だ。市警の幹部たちもいるのだが、彼らの分は用意していない。なんて気の利かない小娘なんだといわんばかりに、市警本部長がジーナを睨んだが、当のジーナは全く気にする素振りを見せない。そのジーナが淹れてくれたコーヒーを、トオルが一すすりしたときに異変が起こった。正面の一番大きなメインスクリーンに、突然映像が映し出された。連邦軍の制服に身を包んだ、やや中年太りした、頭髪が薄く、そして遠めに見てもはっきりと分かる豊かなもみあげとそれに連なる口ひげの男。こいつとはトオルはウラノス=シティで会っている。見間違えるはずがない。その男は、強制通信を通して発言を始めた。

「全人類に告げる。私は、全火星治安維持対策委員会広報部長のチャン=ミンスクである。火星を強圧的に支配してきた火星総督府は、たった今を以って解体された。今後は、我々治安維持対策委員会が暫定的に火星を統治する。火星に点在する各シティ及び軍関係者は、今後治安維持対策委員会の指揮下に入るように。市民には、当面これまで通りの生活を保障する。火星に居住する人々を、不当に苦しめた総督府の解体に、絶大なる功績を残した我らが指導者、治安維持対策委員会の委員長を紹介する」

 火星総軍参謀長だった男に代わって、別の軍人が姿を現した。その人物は、ネメシス駐留基地にいるものであれば、誰もが知っている顔であった。トオルを含め皆の顔が引きつった。

「ネト中将。なんで…」

 画面を通して演説するネト中将の姿を、唖然としながらトオルは眺めた。通信センターは静寂に包まれ、ただスピーカーを通じたネト中将の声だけがむなしく響き渡っていった。

 

「これはまた、厄介なことになりましたなぁ」

 悦の入ったネト中将の演説が終わったあと、通信センターの司令官席に座るトオルを見やりながらラモンは腕を組んだ。トオルを挟んでラモンの反対側にいるハムザは、珍獣を興味津々に眺めている少年のような表情を浮かべている。

「これで、ネト中将にバトンを渡すという選択肢が消えてしまいましたね。閣下はどうなさるおつもりで」

「閣下はよせと言っているだろう」

 さすがのトオルも、気の利いた返事ができない。ネト中将は、叛乱勢力を抑える体制派だと思っていた。トオルが辞表を叩きつけたきっかけになった、軍事衛星を利用した件についても、総軍の指摘を唯々諾々と受け入れていたところから、上に強くモノを言えないタイプなんだ、そんなタイプは上に反抗しようという気概を持っていないとトオルはネト中将のことを評価していた。だが、現実は違った。付き合いが短いと、人物の持つ一面、それも上っ面のごく一部しか把握できない。その上っ面でその人物を評価するのは危険なことなのだと、トオルは痛感した。そんなことよりも気になるのが、ネト中将に全てを押し付けるという選択肢を奪われたため、保安司令官という重荷を、当面背負い込まなければならないことだった。その苦労を考えると、目の前が真っ暗になる。おっ、難しい表情をしたなと、ハムザは実験動物を見るような目で、トオルを眺めた。

「ちゃちゅちょは、閣下に対して、ぜひとも部下にして下さいと、土下座してお願いをしに来いと言っていますけど、どうするんですか」

「ちゃちゅちょって、チャン中将のことか」

「その返し、冴えていませんね。ひょっとして迷っておられるのですか。ちゃちゅちょの部下になるかどうかを」

「そんなことで悩むもんか。奴の部下になるなんて、まっぴらごめんだ」

 トオルは、大げさな身振りをしながら、はっきりと否定した。チャンの下には、不倶戴天の敵のインベルもいる。奴らの仲間になるなんぞ、身の毛がよだつ思いだ。敵と向き合って総毛立っている猫のようなトオルを見て、この人ホント面白いとハムザは思った。

「なら、話は簡単ではないですか。ネト中将の叛乱軍は、敵です」

「そうだ、敵だ。ハムザお前、私より冴えているな」

「そうですかぁ。イエスかノーかの、簡単な問題だと思いますよ」

 面白がって答えるハムザから視線をそらし、腕を組んでトオルは考え込んだ。事象が複雑に絡んできているから、解決に至るまでの道筋が見えてこない。しかも、何を以って解決したと判断すればよいのか。であれば、解決とはどういう状態になることを指すのか。それには、まずゴールを設定しないことには始まらない。ついさっきまでは、ネト中将かウィン大佐に保安司令官職を譲ることが、トオルにとってのゴールだった。だが、ネト中将はあんなことになってしまったし、ウィン大佐は一向に出てこないから、当初設定したゴールは諦めなければならない。では、何をゴールにすればよいか。連邦政府の一組織である火星総督府を、クーデターを以って解体した治安維持対策委員会は、連邦政府の敵ということになる。トオルは、間接的ながら連邦政府の承認を受けて臨時行政府の保安司令官になっている。ということは、トオルは、必然的に治安維持対策委員会の敵ということになる。近い将来、トオルは、連邦政府から治安維持対策委員会と対決するようにと言われることになるだろう。そして、トオルの本来の階級は中佐なので、連邦政府は保安司令官にふさわしい人物を火星に派遣してくるはずだ。となると、トオルが職を引き継ぐ相手は、その連邦政府の高官の誰かということになる。そして今の火星には、おそらく該当する人物はいない。もし該当する人物がいたならば、保安司令官には、トオルではなくその人物が任命されているはずだから。トオルのゴールは、新たな保安司令官が地球から火星にやって来るまで、ということになる。

「こりゃあ、何ヶ月かかるんだろうなぁ」

 月と違って地球と火星は別の軌道を違う周期で太陽の周りを回っているため、地球から火星に向かうには、想定以上の日数が掛かる。その間、保安司令官であるトオルには、治安維持対策委員会からネメシスを守る義務がある。総督府のあるウラノスには、火星最大規模のアキレウス駐屯基地があり、大規模な戦力が駐留している。その総督府を武力で解体したということは、治安維持対策委員会には、アキレウスに駐留する大戦力を撃破するだけの大戦力があるものと推測される。そんな巨大な戦力を前に、現有兵力で太刀打ちすることなどできるのだろうか…

「地球より通信が入ってきています」

 通信士の一人がトオルの思索を中断した。勝利を目前にした神経衰弱のカードを、突然シャッフルされて札の位置を分からなくされた気分になり、トオルは声を荒げた。

「地球といっても広いぞ。正確に報告せんか!」

「はっ。申し訳ありません」

「謝る暇があるなら早く言え」

 ちょっとトオルさん、言い過ぎなんじゃない。とハムザは思ったが、口に出さない。いくら饒舌のハムザでも、年齢も階級も上の人物が不機嫌になっているときには、余計な口をはさまないものだ。若いとはいえ、市警本部長をも従える連邦軍の少将に、たった一人で矢面に立たされた不運な通信兵は、声を震わせた。

「はい。統合参謀本部からです」

「統合参謀本部?誰だ」

「統合参謀本部次長、エンテザーム中将閣下です」

「ほう。次長自ら…」

 トオルは右手で顎を撫でながらつぶやいた。文民統制の地球連邦軍の軍政は、軍機省が所轄する。軍機省の構成員はほぼ全員が文官で、内閣を構成する軍機省トップの軍機長官も文民である。もちろん軍人もいるのだが、軍機省に異動となった場合、一旦軍籍を離れて着任するのが習わしとなっている。従って、現役軍人の最高位は、軍令を司る統合参謀本部のトップ、統合参謀総長である。その下に第一から第三総軍の総司令官と宇宙艦隊司令長官が来る。そのため、統合参謀本部のナンバー2とはいえども、軍全体での次長の席次は低く、次長に就任する軍人の階級は、高くても大将で、たいていは中将である。中将とはいえども、統合参謀本部内では、ナンバー2であることに変わりはない。そのナンバー2自らが、辺境の片田舎のへっぽこ司令官に連絡を寄越してくるのは、異例中の異例であった。

「どうします。居留守を決め込んで無視しますか?」

 トオルの声色が明らかに変わったので、ラモンが何気なく尋ねた。トオルはラモンを見上げて意地の悪い笑顔を作った。

「嫌いな授業をエスケープできるのは、ジーナみたいな若い学生の特権さ。そういや私にもそんな夢の時代があったもんさ。そんな時代は遥か彼方、過去の話。あぁ懐かしき青春時代よ」

「私から見れば、閣下も青春を謳歌する年ですよ」

「そうさ。本来なら、今頃家で、ジーナと晩飯の相談でもしているはずなんだ。あぁ誰なんだ、私をこんな場所に閉じ込めたのは…」

「他ならぬ、閣下ご自身です」

「……」

 自分から落とし穴にはまり込んで、トオルはふくれっ面を作った。子供じみた所作をするトオルにおかしくなって、ラモンは思わず笑い出した。

「では、エスケープの特権を持たない大人の閣下は、いかがなさるのです」

「どうするも何も、選択肢なんかないではないか」

 トオルがあさっての方を向いてしまったので、ラモンが通信士に命令を発した。

「保安司令官閣下がご対応なされる。回線を開け」

「はっ」

 ラモンが場を和らげたので、通信士の声に張りが戻った。しばらくすると、正面のメインスクリーンに、きれいに整えられた口ひげと凛々しい眉毛が印象的な、浅黒い肌の初老の軍人が現れた。タカ派で知られるエンテザーム次長であった。エンテザームは圧迫感のある低い声を紡ぎだした。

「ネメシス臨時行政府とやらの保安司令官は誰だ。ウィン大佐か?」

「…」

 トオルは黙ったまま答えない。沈黙が数秒続いたため、たまりかねたラモンが代わりに前へ出た。

「まことに失礼ながら、分をわきまえず小官がお答え申し上げます。保安遊撃隊のデ=ラ=ゴーヤ大尉であります。ウィン大佐はこの場におられません。保安司令官閣下は、他の方がお勤めになられております」

「だとすれば誰だ。バルドックか」

「バルドック参謀長は、病のため床に伏せっておられます」

「なら誰だ。保安司令官なんぞを勤められる軍人なんか、おらんではないか」

「…小官です閣下」

 気まずくなって答えに窮したラモンに代わり、トオルが重い口を開いた。内務省を通じて軍機省、そして統合参謀本部にも、トオルが少将の位と保安司令官の職を得ていることは伝わっているはずだ。それなのに、明らかにトオルを軽んじている態度を取るエンテザームに、トオルは好意的でいられなかった。好意的でないエンテザームは、トオルの怒りに油を注ぐ態度を取った。

「誰だ、貴様は」

 この一言にカチンときたトオルは、エンテザームに引きつった笑顔を作った。

「お初にお目にかかります。ネメシス臨時行政府保安隊を預かります、タカハシ=トオル少将であります」

 実は、トオルが統合参謀本部勤務だった頃に、エンテザームとは何回か会っているのだが、白々しくこう答えた。だが、当のエンテザームは、全く気にも留めなかった。

「タカハシ少将?知らんな。そういえば第217師団司令部の名簿に、タカハシ中佐というのが掲載されていたが、それがお前か?」

「しばらく前までは、そうでした」

「フン。火星では、中佐風情でも簡単に少将閣下になれるのか。地球では考えられんな」

「お褒めに預かり、光栄です」

 トオルの怒りのボルテージは、急上昇中である。それでも、表情は平静を取り繕った。トオルがどう思っているかなど、全く歯牙にもかけないエンテザームは、蔑んだ視線をトオルに送った。

「まぁ、火星の常識なんてどうでもいい。それよりも、統合参謀本部の命令を伝える。ネメシス保安司令官は、火星キュクロプス駐屯基地を制圧、確保すべし」

「キュクロプス…ですか」

 キュクロプス=シティは、ネメシスから見て火星の反対側にある。そのキュクロプス=シティにある駐屯基地の規模は、ウラノスのアキレウス駐屯基地に匹敵する。統合参謀本部は、ここを制圧して、艦隊の拠点にしようとの腹積もりなのだろう。だが、ここネメシスからキュクロプス=シティまでには、何個もシティをはさんでおり、とてもすぐに軍を派遣できるような場所ではない。

「お言葉ですが。小官の任務は、ネメシスの治安を安定させ、永続的なものとすることであります。そんな遠方に大事な戦力を差し出し、ネメシスを手薄にするようなご命令は、小官の立場上、お受けすることはできません」

「何だと…」

 現場の軍人にとって、地球連邦軍の軍令を司る統合参謀本部の命令は絶対である。一旦定まった統合参謀本部の命令は、たとえ総軍総司令官の上級大将であっても、拒絶することはできない。拒絶は即ち、叛乱を意味する。

「貴様。自分が言っている意味が分かっているのか」

 エンテザームの発する重低音に、通信センターは凍りついた。市警の幹部を含めセンターにいる全ての者が、一斉に自らの司令官を見つめた。自らの死刑執行書を読み上げられたにもかかわらず、当の司令官は、涼しげな表情をしていた。

「お分かり頂いていないのは、閣下のほうです。小官は、非常事態対処法に基づき職権を担っております。小官に指示命令を発することができるのは、ひとえに臨時行政長官閣下ただ一人であります。軍機省及び統合参謀本部は、臨時行政長官閣下に対して最大限の協力をする必要がありますが、臨時行政長官閣下を指揮命令できるのは、内務長官閣下及び連邦政府首相閣下のみです。従って、統合参謀本部が、直接、臨時行政府に対して軍令を発することはできません。閣下のなされていることは、越権行為であります。それでも、命令を押し付けてこられるのであれば、当方としましても、相応の対応をさせていただくことになりますが、如何」

「………」

 エンテザームは、トオルを睨みつけながら黙り込んだ。カタリナは、トオルが何故ブルーム市長にこだわったのか、このときようやく理解した。火星の内情も分からない無神経な統合参謀本部の介入を、トオルは極力避けたかったのだ。歯牙にもかけていなかった一介の中佐ごときに、言葉を封じられたエンテザームは、うなり声を上げた。

「この、ジャミトフ=ハイマンの亡霊が…」

「ジャミトフ?」

 エンテザームがつぶやいた人名を、トオルは知らない。現在トオルが使っている手法は、はるか昔に、ある人物の手で使われたことがあった。人類の半数を死に追いやった未曾有の大戦争である一年戦争が終結したあとも、各地でジオンの残党による反乱が頻発した。その中でも最大規模であるデラーズ紛争は、軍の再編が進まない連邦軍を圧倒し、一年戦争の悪夢が再び起こる気配を作り出した。連邦軍統合参謀本部の遅々とした対応に業を煮やした、当時の第五方面軍憲兵隊司令官は、すばやい身のこなしで地球の内務省に乗り込み、非常事態対処法に基づく独自の治安維持対策部隊の創設を行った。組織の名は、ジオン武装国家主義者に関する全組織横断型機動部隊、Total Integrative Task force on Armament Nationalist of Zion.その頭文字をとってTITANZ「ティターンズ」を創設したのが、ジャミトフ=ハイマンであった。ティターンズは、全組織横断型を名乗る通り、連邦軍からだけでなく連邦政府の各省庁、治安警察、更には民間からも優秀な人材を引き抜いて組織されたエリート部隊である。デラーズ紛争が終結したあとも、ジオン残党の掃討が完了していないという名目でティターンズは存続し続け軍機省にも統合参謀本部にも服さず組織の膨張を続けた。次第に、後ろ盾であった内務省のコントロールも受け付けなくなり、かつての宇宙開発省に成り代わって地球連邦政府を支配する寸前にまでなったが、連邦議会の宇宙開発省=軍機省閥の首領であるジョン=バウアー上院議員が影で組織した反地球連邦政府組織、Anti-Earth Union Government Organization.その頭文字をとってAEUGO「エゥーゴ」の反抗にあい、グリプス戦役で大敗北してティターンズは消滅した。ティターンズの敗北によって内務省の発言力が低下し、それに伴い一年戦争で没落した宇宙開発省が再び台頭してくる。また、内務省と誼が深かったビスト財団も、内務省の発言力の低下をきっかけにラプラス紛争の扉を開くのだが、それはまた別の話である。結果、ティターンズの暴走を教訓に、非常事態対処法の構成要件を、一つ、現地の治安が治安警察の手に余るほど乱れていること、一つ、治安警察とともに治安維持に努める義務のある駐留軍が、任務を実行できない状況下に置かれていること、をもとに、統治機構を預かる文民の行政執行官だけが非常事態を宣言できる、というところまで範囲を絞り込んだ。結果、グリプス戦役が終結してから現在に至るまで、ブルーム市長即ちトオル以外に非常事態対処法を執行したものは、一人もいない。というのも、治安警察の手に余るほど治安が乱れ、駐留する連邦軍が機能しない状態になっていたら、文民の行政執行官が非常事態を宣言しても、治安を回復させる実働部隊がいないので、叛乱軍を抑えることができない。ザンスカール帝国の成立を、非常事態対処法では対処できなかった。また逆に、治安を回復させる実働部隊を非常事態を宣言する行政執行官が保持していたとすれば、非常事態を宣言する前に、治安警察なり連邦軍なりが叛乱を制圧してしまっている。したがって、グリプス戦役以降、非常事態対処法は、存在すれども利用されない死文となっており、誰の目にも留まらなくなっていた。本来であれば、トオルに対する命令通知は、佐官の作戦課長くらいから発せられるところである。それを、わざわざ統合参謀本部次長に行わせたのは、トオルが非常事態対処法を発動させたことに、統合参謀本部がいかに慌て、そして重く受け止めたか、それを示す証拠とも言える。だからトオルは、統合参謀本部に対して、遠慮する必要を全く感じていなかった。

「…アキレウス駐屯基地を叛乱軍に抑えられている今、キュクロプス基地の確保は、連邦軍にとって大事なことかもしれません」

「……」

 中佐ごときに遣り込められたことに怒り心頭のエンテザームは、黙り込んだままだ。今はトオルが、エンテザームのことを歯牙にかけていなかった。

「…戦艦一隻、巡洋艦二隻、軽空母一隻、そして三個連隊、そして第三総軍総司令官の権限があれば、キュクロプス基地の攻略は可能でしょう。これらを臨時行政府の指揮下に送ってもらえるのであれば、行政長官閣下に、統合参謀本部のご意向を伝えることができると考えますが…」

「なっ、何だと!!」

 こいつ、言うに事欠いて何てことを言うんだ。エンテザームは声を荒げた。トオルの言う兵力は、五個師団以上の兵力である。こんなものを、統合参謀本部の息のかからないところになんか送れるはずがないではないか。思い切り断ろうとしたエンテザームは、トオルに機先を制されてしまった。

「非常事態対処法には、非常事態を宣言した行政執行官に対して、軍は最大限の協力をする義務があると記されています。閣下は、法を蔑ろにされるおつもりですか」

「ぐぬぅ」

 もはやエンテザームに、返す言葉はなかった。そのとき、モニターに映るエンテザームの背後に、もう一人、軍人らしき姿が現れた。顔は見えないが、女性のようだ。

「エンテザームさん。その辺でいいでしょう。私が替わります」

「か、閣下」

 エンテザームは、慌てて立ち上がった。そして彼は、その軍人に席を譲った。統合参謀本部内で次長のエンテザームが閣下と呼ぶ相手は、たった一人しかいなかった。

「お初にお目にかかりますね。あなたがタカハシ少将ですか」

「はっ」

 エンテザームを相手にしている時は、終始司令官席に座ったままだったトオルも、この女性に対しては、起立して敬礼を施した。統合参謀総長ローラ=フェルミ元帥。現在の地球連邦軍で、ただ一人の元帥である。統合参謀総長就任と同時に、元帥への昇進を連邦議会で承認されて、今年で三年目である。彼女は、軍に配属されてから、軍機省、統合参謀本部、そして現場を、ほぼ同じ期間過ごしてきた。将官に昇進してからは、一貫して現場の司令官を歴任。統合参謀総長の前は、第二総軍総司令官だった。58歳。砲術畑を歩んできただけあって、現場で磨き上げた独特の迫力がある。年齢を感じさせない引き締まった表情と姿勢。淡いカールのかかったブロンドの髪は、豊かで長い。これでいて二児の母というから、驚きを禁じ得ない。そのフェルミ元帥は、微笑みながらトオルに語りかけた。

「タカハシさん。次長の非礼に関しては、私がお詫びします。タカハシさんには、同じ連邦政府の構成員として、今回の叛乱に対しては、我々と共同歩調を取って下さるものだと、期待しております」

「は。微力を尽くしたいと思っているのですが…」

 やられた。トオルはそう思った。このように釘を刺されたら、トオルとしては、無理難題でも吹っかけられない限り、統合参謀本部の提案を拒絶できない。トオルは頭の回転速度を最大限に高めた。このままでは話の主導権をフェルミ元帥に握られて自分の立場を挽回できなくなる。しかも、すぐに受け答えできなければフェルミ元帥が話を進めてしまう。即答でどう答えるのが最上か?ここが最大の山場だった。

「……小官の現在の階級は、非常事態対処法に基いて少将となっております。今のままでは、キュクロプスに至るまでに従える必要のある他の師団長に、指揮命令を与えることができません。第三総軍総司令官上級大将でなければ不可能だと考えます」

「……」

 画面上のフェルミ元帥だけでなく、通信センターも静まり返っている。一呼吸おいてトオルは続けた。

「第三総軍総司令官の任に相応しい方が、キュクロプス奪還の任に就くことが最上の策です。総司令官のお人柄と作戦指揮が素晴らしければ、喜んで従う所存であります」

「……」

 うやうやしく頭を下げるトオルに対し、フェルミ元帥は苦々しい視線を放った。しばらく間が流れ、フェルミ元帥は重々しく口を開いた。

「……もし貴官を総司令官代理に任じたら、我々の要望を聞いて下さいますか?」

 この言葉を聞いた通信センターに詰める人々は皆、目を大きく見開いてトオルを見つめた。当のトオルは頭を少しだけ上げ、上目遣いでフェルミ元帥を伺った。

「可能な限りではございますが、ご期待に沿えるよう全力を尽くします」

「分かりました。貴官を上級大将以上の階級に就けるためには、参議官会議の決定と連邦議会の承認が必要なので、私の権限では第三総軍総司令官代理大将が精一杯です。あと、次長へ出されたご要望についても、統合参謀本部としても前向きに検討したいと考えております。ですから、貴官にも、我々の申し出に対して前向きに検討して頂きたいのですが」

「かしこまりました。正式に辞令が下りましたら、速やかに行動へと移ります。あと、重ね重ね要望ばかりで申し訳ないのですが」

「何でしょう」

「キュクロプス駐屯基地制圧作戦の目的と、叛乱鎮圧に向けて動員する戦力について、ご教授頂くことは出来ないでしょうか?」

「……」

 トオルが尋ねたことは、連邦軍の作戦の根幹にあたる部分なので、たとえ現場の将官といえども、決して知らされることはない。万一、敵側に洩れたりすれば、作戦が失敗する可能性が飛躍的に高まるからだ。この問いに対するフェルミ元帥の対応は、あなたが知るべきことではないと慇懃無礼に返答を断るか、統合参謀本部の指示に黙って従えばよいのだと高圧的に返答を断るか、無理やり違う話題にすり替えて返答を断るか。いずれにせよ、返答を断る以外には考えられないと思っていた。ところが、

「……分かりました。10分以内に暗号文でそちらに送ります。ご検討の参考にして下さい」

「分かりました。ご配慮に深く感謝致します」

トオルは再び頭を下げた。

「事態は急を要しています。我々としましては、タカハシさんの要望に対し、明後日にでも結論を出したいと思います。ですので、それまでに臨時行政府のご結論を頂けますか」

「かしこまりました。それでは明後日に、こちらから連絡をお入れします」

「良いご返事が頂けると期待しています。では」

 律動的できれいな所作で敬礼を施したフェルミ元帥の姿が、モニターから消えた。

 フェルミ元帥の姿が完全に消えたのを確認すると、トオルは司令官席にどっと座り込んだ。

「まったく。こんなに緊張したのは初めてだ…」

「しかし、とんでもない要求をされたものですな。大将の階級と情報。聞いているこっちの方がヒヤヒヤしましたよ」

 よほど緊張したのか、ラモンの声はやや擦れていた。当のトオルは疲れきった顔に皮肉の混じった笑顔を作った。

「これだけ無茶な要求を出しても受け入れるということは、統合参謀本部も相当追い込まれているな。なんなら、知りうる限りの情報をよこせと、ねだっても良かったかな」

「ちょっと聞きたいのですが、閣下はこうなることを予想していたのですか?」

 驚きの声を上げたのはカタリナだった。統合参謀総長と対等で話をすることすら自分にはできないと思うのに、それだけでなく先を読むなんて常人にはできないことだと思ったのだが…

「もしそうだったら私は数世紀に一人の大天才かもしれないが、残念ながら違うよ。何か要求を突き付けないと元帥の言いなりになってしまうから、出任せを言っただけさ。無茶を言ったことでこの場からの退場を命じられたとしたら、お世話になりましたと言ってサヨナラするだけのことさ」

「うっわ~、俺たちのことを見捨てるつもりだったんだ。ひどいな~」

 ハムザから非難の声が上がったが、トオルは全く意に介さない。

「さっさと帰って、会社の仕事に備えないといけないんだぞ。すでに何日も無断欠勤してしまったんだから、どれだけ給料を減らされると思っているんだ。君たちと違って会社員の給料は…」

「もうすぐ大将閣下になられる方が、何を言っておられるのか…。もう、私の方から退職することを伝えておりますよ」

「ラモン大尉、何を勝手なことを」

「閣下に仕事を紹介したのは私ですけど」

「……」

 さっきまで統合参謀総長と言い合いをしていた人物とは思えないふくれっ面をしたトオルを見て、ジーナは安心した。フェルミと交渉していたトオルは何だか遠い世界にいる人のように感じて、得も言われぬ孤独感に襲われてしまったのだ。やっぱりトオルさんはトオルさんだ。そんなジーナの思いに全く気付いていないトオルは、カタリナに視線を向けた。

「ところで大尉、今の総長と次長との話を聞いて、何か感じたことなかったかい?」

「えっ」

 突然妙なことをトオルに振られて、カタリナは動揺した。カタリナには、トオルがここまで疲れ果てることが分からなかった。ただ、エンテザームに対してトオルは余裕を持って話をしていたが、フェルミに対しては、口調に緊張感があったことだけは、カタリナにも分かった。相手の階級が違うから?いや、そんなことは関係ないはずだ。中佐の立場から見れば、中将も元帥も雲の上の存在ということにおいて変わりがないと、カタリナは思う。

「べつに、エンテザーム閣下が、閣下の説得に失敗したから、フェルミ閣下がお替りになられたのでしょう。部下の不始末を上司がフォローすることなど、ありふれた話だと思うのですが」

「ラモン大尉はどう思う?」

 話がカタリナに向いており、自分に矛先が向くとは思ってもいなかったので、珍しくラモンは動揺した。少し考え事をしたが、気の利いた答えが全く思い浮かばない。

「私もカタリナ大尉に同調します。特に変わったことは…」

「いいや、あるね。これは」

 トオルは断言した。ラモン、カタリナ、ハムザ、ジーナの視線が、トオルに集中した。

「カタリナ大尉。一旦仕事を部下に任せたら、自分も一緒になってその仕事をするかい?」

「そうですね。一緒にするのであれば、任せたりはしないでしょうね」

「エンテザームが論破されそうになる一歩手前のグッドタイミングで、フェルミ元帥は現れたよね。ということは、元帥はずっとエンテザームのそばに居たことになる。一緒に居たということは、つまり元帥は、エンテザームに交渉を任せてはいなかった」

「つまり、あの交渉は、元帥の筋書きだったということですか」

「そうだろうね。私がエンテザームに押さえつけられる程度であれば、大した脅威にはならない。まっ、元帥にテストされたわけだ、私は」

「何だか気分が悪いですね」

 普段であればトオルをからかってくるハムザが、神妙な顔をしてフェルミ元帥を非難した。これを見てトオルは、意外に思った。

「いや、特に非難すべきことではない。私が元帥の知り合いなら非礼にもなるだろうが、七つも階級が下の私のことなど、元帥は知るはずがない。相手の人となりを知るために、交渉にトラップを仕掛けるのは、常套手段と言っていいくらいだ」

「元帥の採点結果を、閣下はどう考えておいでですか」

 ラモンは、司令官席の傍の手すりに寄りかかった。ラモンの問いに深い意味はなかったが、トオルは腕組みをして考え込んだ。

「うーん。エンテザームを黙らせたことで可は取ったな。でも、階級と情報をねだったから、かなり警戒されてしまったので、落第かもね」

「落第してよかったんですか?」

「永久に元帥の講座を卒業できないよりはマシだよ。元帥の派閥に入って本部勤務なんて冗談じゃない」

「なるほど。まあ、戦艦一隻、巡洋艦二隻、軽空母一隻、そして三個連隊の戦力、そして大将の位。十分な収穫と考えるべきでしょうね」

「収穫?他にもあるさ」

「えっ。他に何があるのですか」

 ラモンがトオルの期待通りに驚いてくれるので、トオルは嬉しくなった。

「とりあえずは二つだな。一つは、今は少将とはいえ元は一介の中佐風情に、総長と次長が応対したこと。つまり、火星に連邦中枢とコンタクトを取れる勢力が、私たちの他にいないということだ。他にいたならば、課長クラスが私に偉そうに命令を下してきただろうね。お前が従わなくても、他をあたるから結構だ、従わなかったら反逆罪だ!くらいは言うかも知れんね。それともう一つ。とんでもない戦力を要求したにもかかわらず、拒絶することなく検討すると言ったのは、思いの外、治安維持対策委員会に同調する勢力が多いのかもしれない。治安維持対策委員会の本拠となっているウラノス=シティから遠く離れたキュクロプス=シティに、橋頭堡を築こうといているのも、その証左かも」

「それが本当なら、とんでもないことですな」

「そうだな。まあ、やるだけのことやるしかない。下駄は先方に預けた。動くのは、預けたものが返ってきた時さ。とりあえず二日ある。それまでに、小うるさいハエを叩き潰す方法と穴に潜り込んだままの穴熊を引きずり出す方法を考えねば」

 元帥がこちらの要求を呑む可能性は高い。ならば、キュクロプス攻略作戦を実行するための下準備が必要だ。ネメシスにちょっかいを掛け続ける、ヘルメス=シティに駐在するカイヨー少将の第77旅団を壊滅させて、後顧の憂いを絶つ。そして、未だ帰順してこないウィン大佐の第1185連隊を、味方につける。これで、とりあえず当面の目標ができた。あとは、作戦を確実なものにして実行するだけだ。

 火星に突然やってきた混迷は、火星に一つの時代の終わりを告げた。そしてこれが巨大な津波となって人類社会全体を飲み込むきっかけになることなど、誰も想像することができなかった。



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第三総軍総司令官代理兼ネメシス臨時行政府保安司令官大将

 地球連邦政府の火星統治機構は、ネト将軍のクーデターによって崩壊した。各都市間の連絡網は寸断されているため、他の都市の様子が全く分からない状態となっている。トオルがいるネメシス=シティも同様で、トオルの場合は市内であっても把握できていない場所があった。

「高校に居座っている第1185連隊の動きはどうなっている」

「依然、動きありません」

 トオルは苛立っていた。火星全体を統括する地球連邦軍は第三総軍だが、これもネト中将のクーデターによって機能が停止した。先日のフェルミ元帥とのやりとりによってトオルが第三総軍総司令官代理大将に内定し、統合参謀本部から届いた辞令にサインして正式に任命されたのだが、与えられた権限に対して擁する兵力は極めて小さい。ネメシスに駐留していた第217師団の兵力は師団長だったネト中将が大部分を率いて出て行ってしまったため、ネメシス市警の人員を糾合させても、せいぜい中佐よくて大佐レベルの兵力しか残されていない。従って、ネト将軍から分派したウィン大佐の第1185連隊の兵力がどうしても必要なのだが、ウィン大佐はトオルの呼びかけを黙殺したままなのである。

「うーん、やはり戦略を変更しなきゃダメか…」

「もともと、どういうご予定だったんですか」

 腕組みをしてため息をつくトオルに、ラモンが問いかけた。通信センターの司令官席に座るトオルは、いたずら小僧のような笑顔を作ってラモンを見遣った。

「なぁに、たいしたことではないよ。ウィン大佐の兵力を糾合し、持てる全ての兵力を以てヘルメス=シティを叩く。ただそれだけ」

「何とも雑な作戦ですねぇ。こっちの兵力は大半が警察なんですから、いくらウィン連隊が加わったとしても、77旅団と真正面からぶつかったら、大敗北間違いなしですよ」

「誰も正面決戦するなんて言っていないんだけどなぁ」

「からめ手を使うつもりならば、大兵力は必要ないと思います。ということは、もともとウィン連隊の来援なんて期待していないんでしょ」

 ラモンの指摘を受けてトオルは、恥ずかしそうに笑った。

「まぁね。ここまで来たら、私が何か行動を起こさない限りウィン大佐は帰順して来ないだろうね。無駄を承知で呼びかけは続けるけど」

「その行動とは?」

「カイヨー少将を潰す」

 一瞬だけだがトオルの目がギラッと光ったように見えて、ラモンは思わず唾を飲み込んだ。5倍以上の兵力差がある相手を叩き潰すなんて、トオルでなければ鼻で笑い飛ばすところだ。一体どうするつもりなんだろう。

「ところで、ラモン大尉。参謀本部から連絡が入ったら、フェルミ元帥と話がしたいから時間を作ってくれと頼んでくれないか」

「えっ、あの元帥閣下と話をするのですか」

「緊張で胃に穴があく…なんてことにはならないさ。元帥だって私たちと同じ人間だ。宇宙人や神なんかではない」

「閣下みたいに、簡単に割り切って物事を考えられる人間は少ないと思います」

「私のことを仙人か何かみたいに持ち上げてくれても、何も出ないよ」

「それは残念です。ル・モンドのランチぐらいは期待したんですけどね」

「そうだな。ひと段落したら、みんなでメシを食べようか」

「それを聞いたら、みんな喜びますよ。それでは参謀本部へ連絡を取ってみます」

 敬礼を施し身を翻して立ち去るラモンの後姿を見たトオルは、食事に誘うべき人間を思い浮かべた。その数を数えているうちに、軽はずみなことを言って思わぬ出費がかさむことになることが分かり、トオルは大きくため息をついた。

 

 統合参謀総長は地球連邦軍の制服組のトップなので、言うまでもなく激務である。スケジュールは過密なので、総軍の総司令官や宇宙艦隊司令長官が会見を申し入れても、実現できるのは一週間後ということもザラである。それなのに、トオルの申し入れは翌日には実現した。フェルミ元帥とトオルの会見は通信センターで行われ、ラモンやハムザをはじめとした保安隊の幹部や、センターの職員、そしてトオルの被保護者であるジーナもいる。

「貴官からの申し入れの多さには驚くばかりです」

「勤勉な人間ほど上の者への申し入れが多くなるのは、世の理です。小官の勤勉さを褒めて頂き光栄の極みであります」

 少しは立場を考えろと皮肉を言ったつもりが皮肉で返され、画面上のフェルミの表情が少しばかり引きつったように見え、トオルは少し可笑しくなった。

「つきましては、元帥閣下にお願いがございます」

「願いとは」

「小官の第三総軍総司令官代理大将の叙任式を、ここネメシスで敢行したいので、それにホログラムでのご主席を賜りたいのです」

 通信センターはざわついた。連邦議会の承認が必要な元帥や上級大将への就任であっても議会で就任演説を行う程度であり、それ以下の将官人事は統合参謀本部で辞令を受け取るくらいである。全く聞き慣れない言葉を聞いて、フェルミも言葉を失った。その間隙を突くかのように、トオルは矢継ぎ早に言葉を並べた。

「この叙任式は、今やバラバラになった火星に駐留している連邦軍を掌握するために、絶対に必要な儀式です。地球連邦政府が火星を掌握しているのだということを万民に知らしめる絶好の機会なので、閣下だけでなく第一、第二総軍の総司令官に宇宙艦隊司令長官、大将位におられる方々、そして中将位の方々も可能な限り出席下さりたいと思っております。二週間後には敢行したいので、ご出席できる日時についてご返答を頂けないでしょうか」

「う…ん」

 あまりに唐突な要求にフェルミは考え込んだ。前代未聞のことではあるが、莫大な費用が発生するといった、参謀本部や政府が何らかの不利益を被ることは考えられない。しいて言えば、トオルだけが特別扱いされることで、民衆が政府ではなくトオルを支持するようなことになる可能性があることだが、今の火星の混乱ぶりを考えると民衆が特定個人を英雄視する可能性は、クーデターを敢行したネト将軍にはあっても、政府の威光を借りるトオルにはないだろう。それどころか、元帥から特別視されることによって、トオルは他の将官たちから、嫉妬から来る反感を買って孤立するかもしれない。ならば、

「分かりました。私に直接言ってこられるということは、お急ぎなのでしょう。スケジュールを確認して一時間後には返答致します」

「ご配慮に感謝します。早速、準備にかかりたいと思います」

 トオルが敬礼する。それに答礼すると、フェルミは通信回線を切った。

 フェルミの姿が画面から消えると、通信センターは大きくざわめいた。ホログラムとはいえ軍の最高幹部が一斉に揃うなんて前代未聞のことだ。これはとんでもないことになると誰もが思った。ラモンもその一人だった。

「閣下。こんなこと、いつからお考えだったのですか」

「昨日、大尉と話をしていたときさ」

「は?昨日ですか。つい最近じゃないですか。こんな大それたことを…」

「からめ手が必要だって言ったのは、大尉じゃないか」

「ということは、叙任式は閣下がお考えのからめ手なのですか」

「まっ、その一部だね。だいたい私は、入学式とか卒業式とかいうものは嫌いなんだ。燕尾服を着て胸に花を挿して…そんなものが私に似合うと思うか?」

「嫌いも何も、閣下がお決めになったことです。当日は、派手に着飾って下さい」

 ラモンが言い終わるや否や、間髪入れずにジーナが口を挟んできた。

「それじゃ、トオルさんの軍装が必要ですね。叙任式の軍装となれば小物も沢山用意しなきゃいけませんね」

「ジーナ、何でお前がそんなに張り切るんだ?」

「だって、偉い男の人の礼服って、かっこいいもの。学校の友達と考えたいんだけど、いいかな?」

 キラキラした目で頼まれ、トオルはジーナに圧倒されてしまった。そんな目で頼まれたら、答えは一つしかないではないか。

「分かった。ただ、連邦軍の軍装コードだけは絶対守ってくれよ」

「ありがとう、トオルさん。じゃ、行ってくるね」

 そう告げると、ジーナは駆け足で通信センターから出て行った。

「いいなぁ。俺もジーナからあんな目で見つめられてみたいなぁ」

 頭を掻きながらハムザがぼやいた。ハムザはトオルよりも歳がジーナと近い。美少女の域にいるジーナのことを異性として関心を持つのは、ごく自然なことだろう。だが、トオルはハムザとは考えが違うようだ。

「そうか。父親の晴れ舞台を喜んでいる娘みたいなものだろ。いずれにしろ、服装のことなんて頭の片隅にもなかったから、その心配をしないで済むのはありがたいことだ。あと、心配事を一つ減らしたいのだが。ラモン大尉」

 トオルに名前を呼ばれ、ラモンはぎくっとした。嫌な予感がするとともに、その予感が的中する羽目にあった。トオルはこう指示した。

「叙任式会場の設営全般を指揮して欲しい。条件は、五千人以上を収容できること、大規模スクリーンがあること、太陽系全域に放映できる放送設備を整えること、もちろん遠方からホログラムで出席するお歴々のための設備も」

「かしこまりました。私の下に人を入れてくれますか」

「当然だろ。すでに行政長官の内諾を得て、行政府から人を派遣してもらえることになっている。そのメンバーとともに、明日には計画を立案してくれ」

 無茶を言う人だなと思うと同時に、ラモンはトオルの手回しのよさに驚きを通り越してあきれてしまった。この人に付いて行くだけでも大変だ。こうなったら腹をくくるしかない。

「ならば、私が行政府に赴いたほうが早いですね。どちらに伺えばよろしいですか」

「行政長官の秘書に聞けばいい。行政府の受付で名前を言えば、すぐに執り成してもらえる」

「了解いたしました」

 敬礼を施すと、ラモンも通信センターから姿を消した。ラモンに答礼したトオルは、すぐに視線をハムザに移した。トオルに注目されてハムザも嫌な予感がすると同時に、その予感は的中してしまった。ハムザへトオルはこう指示した。

「フェルミ元帥から第三総軍総司令官のコードを頂いている。それを使って火星の監視衛星を使い、火星全域の軍の動向を掴んで欲しい」

「一介の少尉ですよ、私は。下士官数名を使ったところで、そんな大仕事できませんよ」

「だと思うから、総司令官代理の権限で貴官を情報参謀少佐に任じる。これが辞令だ」

 そう言うとトオルは司令官席の引き出しから辞令を取り出し、ハムザに差し出した。ハムザもラモン同様、トオルの手回しのよさに驚きを通り越してあきれてしまった。この人の頭の中はどうなってるんだ。それにしても、カタリナ大尉の姿が見えない。

「小官が少佐ですか。ラモン大尉やカタリナ大尉を差し置いて昇進なんて、気が引けます」

「何も気に病むことはない。カタリナはすでに法務官中佐となって行政府に行って貰っている。ラモン大尉も、私の副官として、それなりに昇進してもらう予定だ。大将から命令を受ける人物が尉官では、私が困る」

 トオルにこう言われ、もはや逃げ道は完全に封じられた。トオルについていくと決めた限り、こうなったら腹をくくるしかない。

「了解いたしました。辞令、謹んでお受け致します。この通信センターを利用して構わないですか」

「もちろんだ。君がこの通信センターの責任者だ」

「ありがとうございます。では、早速取り掛かります」

 ハムザは敬礼を施すと、司令官席の二段下にある情報参謀席に座り、端末の操作を始めた。それら一連の動作を確認すると、トオルは警邏隊の隊長になっているかつての市警本部長に視線を移した。

「私は所要があるので席を空ける。この場を任せたい」

「了解致しました、閣下」

 エンテザームやフェルミとのやりとりを目の当たりにして、市警本部長以下市警の幹部も、トオルを上官として認めたようであった。

 

 トオルが立てた目算は、こうであった。叙任式で軍の最高幹部を列席させ、その面前で第77旅団のカイヨー旅団長及び旅団幹部をトオルに復命させるべくネメシスに来るよう命じる。その際、代理人を立てることは許さない。本人が来ない場合は連邦軍に対する反逆の意思ありということで処刑すると宣言する。大勢の軍最高幹部が、トオルの命令が連邦軍としての正式な命令であることの証人になるので、どんな逃げ口上も通用しない。そうなると、カイヨー少将の取る手は二つに限られる。おとなしくトオルの軍門に下って仕えるか、トオルの命令を拒否して断固戦うか、である。トオルの命令を拒絶してカイヨーがトオルと戦うことになったとしても叙任式まで二週間あるので、トオルとしてはヘルメス=シティに工作員なり突入部隊なりを潜入させることができる。これまでクーデターに同調するなり反対するなり態度を鮮明にしてこなかったことから、カイヨーは自ら先陣を切って戦うタイプではないので、トオルと戦うことになっても前線での戦いは部下に任せ自らは旅団司令部から動かないのは、ほぼ間違いない。ローガンダムを囮にして主力部隊をひきつけ、手薄になった旅団司令部に部隊を突入させ、カイヨー以下幹部を一網打尽にする。捕らえたカイヨーを処刑すればトオルの命令に実行力が伴うことが証明されるので、ウィン大佐の部隊みたいに動向を決めかねている軍組織は、トオルの呼びかけに応じるようになるだろう。そして戦力を結集できれば、統合参謀本部が望んでいるキュクロプス基地の占領も不可能ではなくなる、というものであった。ただ、これを現実化させるためには、絶対に必要なものがある。それが、火星に居住する民衆からの支持である。いくらトオルが作戦を立案して実行できたとしても、遠く離れた地球からの来援が期待できない以上、資金を含めた経済面や兵站確保などの労働供給面から、経済界を含めた民衆の支持がなければトオルが描いた絵図は全て空想に止まってしまう。現在の連邦政府及び連邦軍が民衆から支持されているのか。それを調査、判断することが急務だった。そのためトオルは、カタリナを法務官中佐に昇進させて行政府に派遣し、急ピッチで報告書作成を行わせたのである。

 トオルがフェルミ元帥から叙任式決行の許可を受けた翌々日に、カタリナから報告書を受け取った。自分の執務室でその内容を見て、トオルは愕然となった。

「2%…だと…」

 ついこの間まで短期間ながらも会社勤めをし、受け取る給料で生活していくことが難しいことを肌身で知ったトオルは、連邦政府に対する民衆の支持が低いだろうということは予想していたが、連邦政府への支持率がここまで低いとは想定していなかった。それとともに、ネト将軍がクーデターに踏み切った理由も理解できた。これだけ支持率が低ければ、連邦政府に反感を抱く人々からの一定の支持が期待できる。また、自らの立てたプランが裏付けのないただの物語に過ぎないことが分かって、呆然となった。

「これは、まずい。カイヨーは潰せても、その先の見通しが立たない。どこかの段階で必ず民衆からのサボタージュを受け、戦略が頓挫してしまう。カイヨーを潰せたところで、火星の統治機構を正常なものにできなければ、全く意味がない」

 トオルは頭を抱えた。自分ひとりなら、尻尾を巻いて逃げ出してしまえばいいが、今の自分には守りたい人々が少なからずいる。だが、もはや歯車は動き出しており、引き返すことはできない。こうなったら、少しずつ守りたい人々を自分から遠ざけていって、最後は自分ひとりで全ての責任を引っかぶるしかないな、とトオルは腹をくくることにした。

 そんな中、執務室の端末に一人の通信士官の姿が現れた。

「閣下、お休みのところ失礼します。一台の装甲車が、閣下との面会を求めております。いかが致しましょうか」

「ん?軍関係者との面会の予定はないと思うのだが。だが、なぜハムザ少佐ではなく貴官が直接私に連絡を寄越すのだ?」

「申し訳ありません。ただ、緊急を要するということと、装甲車に乗っておられる方が、ただの士官の方ではないからです」

「何をもったいぶっているんだ。誰が来たのだ?」

 画面上の通信士官は、唾を飲み込み一呼吸置いて、トオルの問いかけに答えた。

「第七艦隊司令官ルーデンドルフ中将閣下です。いかが致しましょうか?」

「な、何だと!?」

トオルは目を剥いた。

 

 地球連邦軍は、地上軍を中心とした地球及び地球の周回軌道、サイド1,2,7を守備範囲とする第一総軍総司令部、サイド3,4,5,6と月面を守備範囲とする第ニ総軍総司令部、火星を守備範囲とする第三総軍総司令部、そしてルナⅡを拠点にする宇宙艦隊司令部の四つに細分化できる。宇宙艦隊は九つの艦隊で構成される。北米大陸のボストンを母港とする第一艦隊、豪州大陸のダーウィンを母港とする第二艦隊、ルナⅡを母港とする第三艦隊、サイド3の10バンチコロニー“ロシナンテ”を母港とする第四艦隊、月面都市“フォン=ブラウン”を母港とする第五艦隊、月面都市“グラナダ”を母港とする第六艦隊、火星の衛星“ダイモス”を母港とする第七艦隊、火星のアキレウス基地を母港としている第八艦隊、木星の衛星“エウロパ”を母港とする第九艦隊である。ハンス=ディードリヒ=フォン=ルーデンドルフ中将が乗艦する宇宙戦艦“フォルセティ”を旗艦とする第七艦隊は、それぞれ五~七つの戦隊を抱える四つの分艦隊、大小合わせて一千隻余りの艦艇、五百機余りのモビルスーツで構成されている。ネト将軍に抑えられている第八艦隊と合わせると、攻撃能力にかけては第三総軍の総戦力に匹敵する。そんな大戦力を指揮下に収める司令官が、単身といっていいほどの少人数しか連れずにやって来るなんて、驚き以外の何ものでもなかった。目視及びシステムでの本人確認が完了していることを確認すると、トオルは速やかに最上級の応接室に通すよう通信士に指示するとともに、ハムザに連絡を取り、ラモンとカタリナに全ての仕事を止め速やかに保安司令部へ来るよう指示を出した。クローゼットの姿見を見て頭髪と襟を正すと、トオル自身も応接室へと向かう。

 トオルが応接室に入って10分もしないうちに、二人の部下を従えたルーデンドルフ中将が姿を現した。

「…迫力のあるおっさんだなぁ」

とトオルが思うのも無理はない。ルーデンドルフ中将は、士官学校出のエリートではなく、寡兵からのたたき上げで現在の地位を手に入れた苦労人なのである。長い歩兵時代で銃火器の腕を上げたルーデンドルフは、その腕を買われて駆逐艦の砲撃手となる。これが船乗りとしてのスタートで、以後ずっと船の上で軍隊生活を送ることになる。砲撃手として、駆逐艦の艦長として、重巡洋艦の艦長として、駆逐艦隊の司令として、戦隊参謀として、戦隊司令官として、分艦隊司令官として、数々の宇宙海賊や海賊艦隊を討ち取り、手にした勲章の数は両手では数え切れない。駆逐艦隊司令の時、自身が率いる戦力の3倍近くの大海賊と死闘を演じていたのだが、敵の砲撃が艦橋を直撃。副長と参謀が戦死、自身も左足を吹き飛ばされたのだが、大怪我をものともせず機関室から指揮を継続し、大海賊を撃退したのは、今では伝説となっている。そのルーデンドルフを敬礼で以って出迎えたトオルに対し、ルーデンドルフはしわだらけの顔を笑顔にして答礼した。

「タカハシ大将閣下。事前の連絡もなく、また急な来訪にもかかわらず、こうして応対の時間を作ってくださったことに感謝する。史上最年少で大将となられた閣下には、是非ともお会いしたいと思っていた」

「勇将であられるルーデンドルフ提督から、そのような言葉を頂き恐悦です」

 トオルは、ルーデンドルフに席を促す。今では軍の階級は上だが、ルーデンドルフの経歴に敬意を表するトオルに好感を持ったのか、ルーデンドルフは笑顔を崩さずソファに腰掛けた。ルーデンドルフの着席を確認してからトオルも着席し、姿勢を正した。

「ところで、ご用件をお伺いしたいのですが」

 トオルが何の前置きもせず単刀直入に問いかけてきたことに、ルーデンドルフは豪快に笑声を上げた。

「直球勝負か。いやあ、何とも話が早い。こちらとしても腹の探り合いをしている余裕はない。ならば、用件を言おうか」

 ルーデンドルフは笑顔を収め、身を乗り出すと鋭い眼光でトオルを見据えた。

「我が陣営に閣下も加わっていただきたい。待遇は大佐。新造戦艦“ヴィーザル”の艦長。いかがかな」

「……」

 トオルは、渾身の直球を投げて逆転満塁サヨナラホームランを打たれた気分になった。誘いをかけるのに好待遇ではなく四つも下の階級を提示するなんて、もしこれがルーデンドルフでなければ足蹴にするところだ。トオルを馬鹿にしたいのであれば、わざわざ高官中の高官であるルーデンドルフが来るはずがない。これには何か訳があるはずだが、答えを誘導する手段が全くない。トオルは負けを認めて観念するしかなかった。

「連邦軍第三総軍総司令官代理大将の私が大佐に降格ですか。しかも、我が陣営ということは、正規の連邦軍ではありませんね。見た目は四階級降下ですが、実質はそれ以上と言えそうだ。そもそも提督の陣営とは一体何なのですか。全てご説明して頂かなければ、何も答えようがありません」

「閣下のおっしゃることはもっともだ。どこから話せばいいか…」

 ルーデンドルフは腕組みをした。

「閣下が非常事態対処法を執行されてしまって、我々は大変困っている。閣下を亡き者にしたいくらいだが、そうすると連邦政府は我々を絶対に疑い今後の交渉が破綻してしまう。本当に厄介だ」

 穏やかではない言葉を並べた割には、ルーデンドルフの表情はやわらかい。トオルとしてはどう答えればいいか判断がつかないので、無言を貫いている。やがてルーデンドルフが次の言葉を紡いだ。

「どこまで閣下が情報を集約されているか知らないが、当方では第三総軍の三分の一が閣下の麾下に付くと予想している。もしそうなれば、閣下の第三総軍、ネト将軍のクーデター軍、そして当方の三勢力で三つ巴の戦いを繰り広げることになる。もし内乱が長引けば、地球からの来援で閣下の勢力が増し、第三総軍の手でクーデターは鎮圧され連邦政府による直轄統治が復活し、以前にも増した苛烈な施政が行われ民衆の生活が厳しくなるのは、ほぼ間違いないだろう。だが、内乱が長引く可能性は低いと判断している」

 ルーデンドルフの見立てを聞いて、トオルはドキッとした。自分の見立てと、ほとんど同じだったからだ。トオルに手を引いてもらいたいのだろうが、それにしては条件がひどすぎる。まだまだ話の核心には程遠い。トオルはルーデンドルフの次の言葉を待った。

「ところで、閣下はアリップと言う組織を知っておられるか」

「アリップですか」

 しばらくトオルは考え込んだが、そう遠くない過去にその言葉を聞いたことがあることをすぐに思い出した。カドモス=シティでカドモス研のマキノ博士と夕飯を食べに行く際、アリップの青年が演説をしていた。

「よくは知りません。政治結社か何かですか?」

「政治結社か。まぁ、そうとも言えるな。政治活動をしていることは事実だ。だが、政治結社は、アリップが持つ多数の側面の一つに過ぎない。アリップの始まりは、火星緑化計画に携わってきた役人や労働者などの生活互助組織であったと聞いている。生活物資を調達、やりとりをする傍ら、苛酷な労働環境改善のために、表では政治活動や文化活動などを行い、裏では連邦政府と自治権獲得に向けた様々なネゴシエーションを行うようになった。組織はひそかに拡大を続け、様々な活動を行ってきた結果、上は総督府の局長クラス、下は場末の飲み屋のオヤジ参加するようになり、企業など組織での参加も増えてきた」

「それでは、連邦軍の将兵にもアリップに所属するものがいるということですか」

 トオルの疑問にルーデンドルフは意地の悪い笑顔を作った。

「フッ。ワシやここにいる二人は当然として、ワシの見立てでは、火星にいる連邦軍の八割がたはアリップの構成員だ。それだけアリップは火星に浸透している」

「…そんなに。全然気付きませんでした」

「閣下は火星に来られて間もないんだったな。気付かなくて当然だ。ある人間が特定の宗教を信仰していたとしても、儀式に参加したり経典について語ったりしない限り他人には分からない。我々の活動は儀式を伴わない宗教のようなものだから、政治部門のように他者へ語りかけをしなければ分からないのは当然だ」

「提督のような方まで参加されているのですから、アリップは火星に影響力がある組織なのでしょうが、それでも半信半疑です。なんせ、アリップの影響力を感じさせる事件を目の当たりにしていないのですから」

「何をおっしゃる。すでに目の当たりにしているではないか」

「えっ」

 トオルには、ルーデンドルフの言っている意味が分からなかった。すぐにルーデンドルフが答えを出さなかったので、これまでに火星で起きた事件を思い出してみた。トオルが火星に赴任する前は、政治的なデモやストライキが頻発していたようだが、比較的小規模で物理的な損害や逮捕者は発生していないようだし、トオルが火星に来てからはそういったことも耳にしていない。総督府や軍の人事にしても法令にしても、特に目立ったことはなかったと思う。ローガンダムに関する事件のことか?まさか…

 トオルが考えを巡らしていると、ルーデンドルフが徐々に重い口を開け始めた。

「…組織が拡大すると、様々な派閥が発生して合従連衡、衝突対決が起きる。アリップでも現状のまま連邦政府との交渉を続けて待遇改善を訴えていこうとする穏健派と、遅々として進まない交渉に見切りをつけて連邦からの独立を訴える急進派の二つに大きく分かれた。穏健派と急進派は互いに話し合いを続け、穏便に事態を進めてきたのだが、急進派が連邦首相官邸の極秘情報を掴んでから態度を一変させた」

「極秘情報とは?」

「それはまだ言えないな。閣下がウチに来てくれたら、いずれ話そう。極秘情報のことは置いといて、すでに計画を練っていたんだろうな。急進派は穏健派との決別を宣言し、軍を率いて鮮やかな手際で総督府を占拠してしまった…」

 語るルーデンドルフの沈痛な顔に対し、トオルは驚きで目を丸くした。

「ネト将軍のクーデター…ネト中将はアリップの人だったのですか」

「議長を支える五人の幹部がいるが、ネトさんはそのうちの一人だった。人当たりがよくて人望があり、我々からすると穏やかな優しい人だったのだが、連邦政府のことを憎んでいるようだった。何故かは知らないが。ネトさんがクーデターを成功させてしまったことで、連邦政府は慌てて我々にコンタクトをとってきた。連邦による火星の直接統治を諦め、連邦の枠内での自治を認めるから、穏健派の手で急進派を打倒して欲しいとね。念願の自治が認められて、我々は狂喜したよ。かつての仲間を討たなければならない悲しみも大きいが、それを押し殺すことができるくらい、アリップにとって自治権付与は念願中の念願だったのだ。そのために急いで準備に入ったのだが、数日経ってから連邦政府はいきなり手のひらを返してきた。直接統治の目途が立ったので、自治権のことは撤回するとね。その連絡を受けて、我々は言葉で表現できないくらい落胆した。それとともに、何故そんなことになったのか、我々は総力を上げて原因追及を始めた。その中で浮上してきたのが、閣下の非常事態対処法執行だ。ホントに厄介なことをしてくれた」

 ルーデンドルフはトオルを恨めしそうに見た。それにしても、とトオルは思う。自分が動きやすくするためにはどうすればいいか、記憶を辿って様々な法律を吟味し、思いついた手を打ったに過ぎないのに、その判断がこんなに世界を振り回すことになるとは全く想像していなかった。大勢の人間が長い時間と労力をかけて作り上げようとしていたものが、どこの馬の骨か分からない得体の知れない一人の人間によって簡単に壊されたのだ。ルーデンドルフがトオルを殺したいと言ったのは、あながち冗談ではないのだろう。法律というものは、使いようによってはモビルスーツの大軍よりも恐ろしい武器になるのだということを、トオルは痛いほど身にしみた。

「なるほど。それでは提督は、あなた方の苦労を台無しにした私に、文句を言いに来られたのですか」

「謝ってもらう必要はない。閣下が手を引いてさえくれれば、連邦政府は梯子を外されて我々を頼るしか手がなくなる。それに、まだ30にも届かない一介の若い中佐が、武勲も人脈も頼らず非常に短い期間でフェルミさんを相手に大将の位を勝ち取ったことに、非常に興味を持っている。是非とも我が陣営に加わってもらえないか」

 トオルは考え込んだ。いまいち実感が伴わないが、軍の高官であるルーデンドルフがわざわざ足を運んでトオルに嘘を言うとも思えない。トオルを騙して非常事態対処法を撤回させたところで、ブルーム行政長官はともかく内務省や統合参謀本部に手を回してトオルの代わりに非常事態対処法の執行者となって火星統治の絵図を描くのは困難だ。だが、実際に目で見て触れてみないことには…

「ここで結論を出すのは難しいですね。せめて、あなたがたの他の幹部の皆さんにお会いして、それに新造戦艦とやらを見せてもらわないことには」

「分かった。今から丸一日、お付き合いいただけるか?」

「ええっ」

 これにはトオルも目を剥いた。そこまで手を回していたとは。来るか来ないか分からない人間相手に、幹部たちや他の職員に時間を作るよう既に働きかけていたのだ。ルーデンドルフたちの本気具合にトオルは圧倒された。

「わっ分かりました。今からスケジュール調整しますので、しばらく時間を頂けますか。それと、何人か連れて行きたいのですが」

「随行する人は三人以内でお願いする」

「では、しばらく失礼致します」

 トオルは立ち上がってルーデンドルフに敬礼を施すと、足早に応接室をあとにした。

 

 ルーデンドルフのいる応接室を出たあと、ラモンに連絡を取り、手短に事情を説明して来訪したルーデンドルフの応対を依頼し、すぐさまカタリナ、ハムザ、ジーナに自らの執務室へ来るよう指示を出した。同じ建物にいるハムザはすぐに現れたが、別の場所にいるカタリナとジーナが来るまで、しばらく待たなければならなかった。

「閣下も本物の大物になったみたいですね。ルーデンドルフ提督のような高官が会いに来るなんて。馳せ参じに来る前の下見ですか」

 デスクの椅子に腰掛けているトオルのそばにパイプ椅子を置き、そこに腰掛けているハムザは、まだ事情を知らされていない。これまであまりにもトントン拍子で事が進んできたのだから、ハムザがこのように楽観視してしまうのは仕方がないとトオルは思う。

「下見と言えば、下見かな。私たちはルーデンドルフ提督のことを知っているが、提督のほうは私のことを知らないのだから」

「では、提督の案内をするのですか。ここの」

「うーん。それはないな。ここには大軍が配備されているわけではないし、見ても仕方がないだろう」

「ローガンダムがあるでしょ。ブルーム行政長官もあれを見て感激したと聞きましたが」

 このようにハムザが食い下がってくるので、トオルはどう答えればいいか困った。事情は、せめてカタリナが来てから話そうと思っていたのだが、匂わせることくらいはせざるを得ないようだった。

「ガンダムを見て感激するのは一般の人たちくらいさ。軍人だったら、ガンダムなんてモビルスーツの一つとしか見ないから、逆に格納庫にモビルスーツが一機しかないことに不安を感じるだろう。弱みを握られることにつながりかねないのだから、だった敢えてこちらの手を全てさらすことはない。せいぜい提督には、勝手に想像を膨らましてもらって、我々を高く買ってもらおうじゃないか」

「閣下もあくどくなってきましたね。分かりました。もし何か聞かれたとしても、適当にはぐらかすことにします」

 トオルは、自分たちが提督たちに買われることになると言ったつもりだったのだが、ハムザはルーデンドルフを心服させるためだと誤解したようだ。誤解を解くのはカタリナが来てからでいい。そう思ったトオルはこの話題を打ち切り、ハムザが集めた情報のことに話題を移した。

「クーデターの後、目立った動きは見つかっていないんだろ」

「総司令官のコードって凄いですね。火星上空の監視衛星全てにアクセスできるから、狙った場所の動きはどんな些細なことでも分かります。ウラノスのクーデター軍以外、動きは全くありません」

「クーデター軍は何をしているんだ」

「都市内での配置換えだけです。こういう動きをしているのですが」

 ハムザはこう言うと、上着の内ポケットから携帯端末を取り出し、手早く操作したのち立ち上がってトオルに端末を見せた。

「どう思われますか。籠城戦に備えた動きと見ているのですが」

 しばらく画面を見たトオルは、このハムザの見立ては正しいと思った。一部の気になる点を除いては。モビルスーツ五体と二個大隊程度の戦力が一箇所に集められているのは、どういう訳だ。どこかを制圧しに行くつもりなのか。嫌な予感がするが、トオルは気付かない振りをすることにした。

「おそらくそうだろうな。ネト将軍は、他の地域からの呼応を待っているのだろう。それまではしっかり拠点を守ることに専念するつもりなんだろうな」

「だが、将軍の思惑通りに進んでいませんね。静観を決め込んでいる指揮官が多いのは、何故なのでしょうか」

 ハムザの問いかけを受けたトオルは、腕組みをした。

「人間は保守的な生き物だからな。切羽詰らない限り、現状を変えようとはしない。もし第三総軍が崩壊したままだったら、他に頼るものがないのでネト将軍に呼応したかもしれない。だが、第三総軍の替わりに連邦軍の代理人が現れた。その代理人は、実績のある実力者ではなく、どこの誰かも分からない新参者だった。実績も経験もある軍の実力者であれば、変化を嫌う保守的な指揮官たちがこぞって集まってきただろう。実績も経験もある軍の実力者がクーデター軍の首魁で、どこの誰かも分からない新参者が連邦軍の代理人。どっちをとるか迷って当然さ」

「なるほど。もしルーデンドルフ提督が閣下の下についたら、一気に事が進みそうですね」

「ん、ああ。もしそうなら、他の指揮官たちも態度を決めるかもしれないね」

「どうしたのですか。何だかさっきから、煮え切らない言葉ばかりですね。エンテザーム中将をやりこめた閣下とは別人に見えますけど」

 ハムザが不思議そうな目でトオルを見つめる。トオルは何とかしてルーデンドルフのことから話題をそらしたいのだが、一大事件なのでどうしてもそっちに話が移ってしまう。もう観念してしゃべらざるを得ないのだろうか。トオルが困惑しているところで、都合よく端末から呼び出し音が鳴り響いた。端末のモニターに見覚えのある顔が浮かび上がる。

「カタリナ=トスカネリです。ジーナも来ています。中に入ってもよろしいでしょうか」

「いいところで来た。すぐに入りたまえ」

 カタリナとハムザ、そしてジーナは平等に扱いたいトオルは、先にハムザに全てを話さずに済んだことに胸をなでおろした。だが、胸をなでおろしたのも束の間、別の難題が降りかかってきた。私服姿で現れたジーナは、ぷんぷん怒っていた。

「せっかく、トオルさんの服のデザイン、いいところまできてたのに。何で邪魔するの」

「ごめん。どうしても話しておきたい大事な話があったから。ホントにごめん」

「どうせ、難しい話なんでしょ。それなら、ラモンさんやカタリナさんに話せばいいじゃない。私が聞いても分かんないんだから」

「う…、でもジーナにも聞いてほしいんだよ」

 ジーナの剣幕にトオルはたじたじになっている。そんなトオルの姿を見て、ハムザがカタリナにささやきかけた。

「ずいぶんとジーナも普通の女の子らしくなりましたよね。あのトオルさんが気後れしていますよ」

「そう?本質は全然変わっていないと思うけど」

「そういえば、制服姿でローガンダムのコクピットから出てきたジーナのこと、すぐに気付きましたよね。僕は分からなかったけど」

「あんたが鈍いだけでしょ」

「ひどいなぁ。でも、そこまでストレートに言われると腹が立たないのは、どういう訳なんでしょうね」

「そんなの自分で考えなさい」

 このように言ってカタリナは会話をシャットダウンさせた。ハムザは肩をすくめてみせたあと、カタリナ同様直立してトオルと正対する。その様子に気付いたトオルは、居並ぶ三人に話し始めた。

「第七艦隊司令官のルーデンドルフ提督が、内密でいらしていることは、既に聞いていると思う…」

 トオルは三人に、これから自分がやろうとしていたこと、アリップについて、ルーデンドルフ来訪の目的を、包み隠さず全て話した。

「…私がやろうとしていたことを成功させるためには、二つの条件が絶対に必要だ。第一に、できるだけ早く態度を決めかねている他の部隊を掌握すること。そして第二に、連邦軍の来援が来るまでクーデター軍と民衆の妨害を排除できること。いくらかは他の部隊を掌握できるかもしれないが、連邦政府の支持率が極端に低いことを考えると、最低でも五個師団は押さえないと、第二の条件を満たしつつキュクロプス基地を占領することはできない。しかも、民衆の妨害への対処を誤ると、我々は民衆の敵になって、行き場を失うことになりかねない。端的に言えば、私の策は実現不可能に近いというわけだ。せめて政府の支持率が30%あれば、民衆の妨害を考慮から外してクーデター軍にだけ専念できるから、実現可能だったんだけどね」

「…そんなことになっていたのですか」

 カタリナは嘆息した。

「私の報告書が閣下に負担をかけることになってしまっていたなんて…」

「何を言う。私は君にとても感謝しているんだ」

 トオルは優しい声でカタリナに語りかけた。

「変に気を遣われて数字をごまかされてしまったら、私は判断を誤って自分の策を強行していたはずだ。そうなる前に引き返すことができた。ありがとう。今ならまだ間に合う。ルーデンドルフ提督の来訪は、私にとっても渡りに船だ。だが、ここで下手に出てしまっては我々の立場を悪くするだけなので、極力我々の現況は話さないで欲しい。あちらが勝手に想像を巡らすのは自由なのだから」

「了解致しました。本来だと私たちの立場では全てを把握することはできないのですから、何も知らないことに致します」

「ありがとう。それとジーナ、せっかく腕を振るってくれているのに、こんなことになってすまない」

 トオルは座ったまま、ジーナに頭を下げた。もうジーナは怒っていなかった。

「気にしないで。叙任式を進めてしまったらトオルさんが危なくなるんでしょ。そんな叙任式だったら、やらないほうがいいわ。私だってトオルさんのことが心配なんだから」

「ごめんな。そして、ありがとう。なら、私に付いてきてくれるか」

「もちろんです。新造戦艦とやらが気になりますしね」

 答えたのはハムザだった。自分の話に納得してくれたことに満足したトオルは立ち上がった。

「なら、これからルーデンドルフ提督の元へと向かおうか」

「はっ」

 三人の敬礼に、トオルは答礼した。

 

 トオルとカタリナ、ハムザ、ジーナの四人は、ルーデンドルフが乗ってきた装甲車に乗り込んだ。人質なのか、ルーデンドルフは随行してきた一名をネメシスに残すことにしたので、装甲車に乗り込んだのはトオルたち四人とルーデンドルフ、そしてルーデンドルフの随行員一名の計六名である。六人も乗ったら装甲車はぎゅうぎゅう詰めである。ルーデンドルフの随行員がハンドルを握り、一時間ほど装甲車を走らせると、そこに小さな哨戒艇があった。

「こんな小さなフネで来られたら気付きようがないな…」

 ハムザは心の中で嘆息した。今では、ミノフスキークラフトの発達により小さな哨戒艇であっても大気圏離脱は可能だ。小さいといっても装甲車一台くらいは楽に収容できる。装甲車はそのまま哨戒艇に乗り込み、六名は哨戒艇の客人になった。六名は現れた艇長の指示に従って座席に座り、シートベルトを締める。程なく哨戒艇は浮上を始め、火星の大気圏から離脱した。大気圏を離脱してシートベルトを外すことが艇長から許されると、ルーデンドルフは一同に告げた。

「このまま、衛星“ダイモス”へ向かう。そこに我々の代表と幹部がいるので、ぜひ話を聞いてもらいたい」

「第七艦隊司令部ですか。一度は行ってみたいと思っていました」

 トオルが真顔でこんな受け答えをするものだから、ルーデンドルフは肩をすくめた。

「岩しかない、つまらん場所だよ。休暇になったら皆、火星へと降りている」

「ですが、第七艦隊の母港となっているくらいですから、設備の面からするとアリップの本拠地として最適な気がしますけど」

「いや。本拠地は火星にある。民衆の息が届かない場所にいると浮世離れして、われわれの存在価値がなくなってしまう。カドモス=シティにあるのだが、行ったことあるかね」

「はい。この子ジーナは、そこにあるカドモス研にいたのです」

「なんと。この子は強化人間だったのか。全然そうは見えないが」

 ルーデンドルフは驚きの表情でジーナを眺めた。百戦錬磨の闘将に注目されてジーナは当惑してしまった。それに気付いたトオルは、ルーデンドルフに話題を振った。

「では、幹部の皆さんは私のために宇宙へと上がって下さったのですね。恐縮です」

「いやいや、あなたにはそれだけの価値がある。それに是非、我々の新造戦艦を見てもらいたい。君たちが保有しているローガンダムを乗せるには、最適のフネだ」

 うわ。そんなことまで把握していたのか。トオルはアリップの情報力に驚いた。

「ガンダムを乗せるのに最適ということは、ペガサス級のようなフネなのですか」

「まぁ、似ているといえば似てるな。でも、大きさは比較にならん。なんせ単独で木星まで往復できる」

「えっ。そしたらジュピトリス級巨大輸送船くらいの大きさなのですか」

「そんなに大きかったら、戦闘艦の役目を果たさんだろ。ドゴス=ギア級を少し大きくしたくらいだ」

 そんな巨大な最新鋭戦闘艦を得体の知れない若造に任せようとするなんて、アリップの懐の深さにもトオルは驚いた。でも、単なる好意でこんなことを考えるだろうか。そんなトオルの内心を見透かしてかどうか分からないが、ルーデンドルフはトオルに笑いかけた。

「まぁ、全ては代表と話をしてみてからだ。それまでは、ちょっとした宇宙旅行を楽しむがいい」

 

 火星の衛星ダイモスは、もともと小惑星独特のいびつな形をしていたが、第七艦隊司令部として大幅に手が加えられ、今では原形をとどめていない。一千隻余りを収容できる空間がダイモスの表面に積み重ねて建造されているので、いびつな小惑星というよりはいびつなスペースコロニーと言ったほうが適当だ。そんな人工天体の一角にトオルたちを乗せた哨戒艇は入港した。哨戒艇の扉が開かれ外を見やると、タラップの下に五名の出迎えが待っていた。二名は独特の服装から衛兵というのが分かる。一名はスーツに身を包んだ栗色のストレートヘアが目を引く50代くらいの女性。一名は、黒縁メガネが印象的な30代くらいの男性で、先程の女性の秘書のようだ。そしてもう一名は、ルーデンドルフ提督同様連邦軍の制服を着ている軍人だった。こっちはトオルも名前を知っている。それとともに、驚きを隠さずにはいられなかった。

「あそこにおられるのは、ニジンスキー中将ではありませんか。第八艦隊司令官の」

 確か、第八艦隊はアキレウス駐留基地でネト将軍に抑えられていたはずだ。それなのに何故司令官がこんなところにいるのだ?

「クーデターのとき、ニジンスキー君が乗艦する旗艦とともに第八艦隊の半数以上が、演習のため宇宙に上がっていたのだ。今アキレウスにいるのは、駆逐艦以下の補助艦艇ばかりなので、そんなに大した脅威にはならない」

 ルーデンドルフはトオルと並んでタラップを降り始めた。トオルはルーデンドルフの口調の中に何か特別な感情が中に封じ込められている気がしてならなかった。

「ネト将軍は、第八艦隊が留守にしている隙を突いた訳ですか。そんなに抜け目のない人には思えませんでしたが」

「ネト将軍の周りには、優秀な人間が大勢いる。演習に関する情報収集なんて朝飯前だろう」

 ルーデンドルフが語り終えたと同時に、哨戒艇の客人たちはタラップを降りきった。全員そろっていることを確認すると、ルーデンドルフは面前にいる女性に敬礼を施した。

「タカハシ大将閣下をお連れしました」

「お役目ご苦労様です」

 女性はルーデンドルフと握手を交わすと、トオルの方に向き直った。

「ようこそ、お越しくださいました。アリップの代表を務めておりますナディア=レスコです。道中、ルーデンドルフ提督がお話したと思いますが、是非閣下にお任せしたいフネがありますので、そこでお話しましょう」

 トオルはナディアに促されて、駐車してあるリムジンに乗り込んだ。リムジンの乗客は、ナディアとトオル、そしてナディアの秘書らしき男性とルーデンドルフの四人。他の人々は別の車に乗り込んだ。リムジンが発車して間もなく、トオルの真向かいに座ったナディアが優しい眼差しでトオルを眺めた。

「事前に何もお伝えしていない中、私たちの招きに応じて下さりありがとうございます。なにぶん急を要するものですから」

「提督も急ぎだとおっしゃっておられたのですが、何故そこまで慌てているのですか」

 クーデターの早期鎮圧を図りたい統合参謀本部ですら、ここまで切羽詰った感はないから、ナディアたちの慌てようがトオルは不思議で仕方がなかった。ナディアは一つため息をついた。

「ところで、閣下は火星の現状をどうお考えですか」

 思いもよらないこのナディアの突然の質問に、トオルは戸惑った。だが、確信はあった。自分の気持ちを素直に言っても、彼女たちを不快にさせないだろうということだけは。

「そうですね。ネト将軍のクーデターが始まる前までは軍籍から離れ、普通の会社員をしていたのですが、現状が良いものであるとは決して思えませんね」

 利益を出せる人間になれたと胸を張ることはできないが、社会に貢献しているという自負に見合った報酬を得られているとは思えないくらい、生活は苦しかった。大した仕事をしていない軍人時代の方がはるかに報酬が高いなんて、社会の理不尽さを感じずにはいられない。その軍人よりも、財テクで資産を増やした連中の方が財を成している。そしてその子孫達は、親を含めた先祖の資産を使って大した汗をかくことなく、この世の春を謳歌している。「あの子、貧乏人の子に生まれてかわいそう」無邪気に財界人の子供がつぶやいたこの言葉が、耳にこびりついて離れない。いつからか政治家は、自分の権利と要望しか言わない庶民との交流を避けるようになり、見せ掛けだけの社会の大義を語る身近な財界人とばかり付き合うようになった。財界人たちがつぶやく。私たちを優遇すれば、従業員も潤うよ、と。身近にいる財界人100人皆同じことを言うから、政治家はそれが正しいものだと錯覚する。そして、財界人を優遇する代わりに民衆から搾取をするようになる。いずれは民衆にも恩恵が届くと思い込んで。恩恵を受けた財界人は、顔が見えない従業員よりも顔が見える自分の家族や、自分を支えるスポンサー、社内で自らを支える一部の幹部にしか、自らが受けた恩恵を与えないのに。財界人からの恩恵から外れた大勢の民衆は、いくらメディアが好景気を訴えても実感が沸くことなく、生活に疲れていく。

「会社員をして様々な人に出会いましたが、ほとんどの人が勤勉で、ごくまれにそうでない人がいても何らかの理由がありました。政府や財界は、そうした人たちの利益を吸い上げるだけで、何もしていないとしか思えません。政府のイヌであった私が言えたことではありませんが」

「やはりあなたは、ネト将軍がおっしゃっていた通りの方だ…」

 こうつぶやくと、ナディアは意を決した表情でトオルを見据えた。

「隠していても仕方がないので本音を申し上げますが、閣下がなされようとする叙任式が決行されてしまうと、穏健派の我々は息の根を完全に止められてしまいます。どうにか止めてもらいたいのですが、私たちの仲間になっていただくこと以外、閣下に提供できる交換条件がありません。条件は提督が示したと思いますが」

「叙任式にそんな力があるとは思えないのですが」

「閣下はご自分を過小評価しすぎです。フェルミ元帥以下全ての上級大将、大将が列席する中で発する閣下の言葉には、強烈な拘束力が生じます。もし閣下がご自分の元に火星に駐留する連邦軍の全軍に結集するよう命令を発したら、ここにいるルーデンドルフ提督も全軍を率いて参上せざるを得なくなります。そうすれば、我々の手元に軍事力の一切が失われ、いくら主張をしようと連邦政府は耳を貸さなくなるでしょう」

「私からすると、あなたがたの方が私を過大評価しすぎている気がします。火星での連邦政府の支持率が極端に低いことを考えると、私の戦略がスムーズに進むとは到底思えません」

「そうなのです。それが問題なのです」

 ナディアの声に熱がこもり出した。

「閣下が連邦政府の意向に沿って火星の鎮圧に乗り出したら、民衆との衝突は避けられなくなります。もし、そんなことになれば火星は、政権軍と民衆の義勇軍そして急進派が血で血を洗う内戦に明け暮れて国土を荒廃させた、かつてのある国の二の舞になってしまいます。そうなったら、誰も勝利者となりえません。それだけは絶対に避けなければならないのです。どうか、手を引いてもらえませんか」

「叙任式があなた方にとって不都合なことは分かりましたが、もし私が手を引いたとして、あなた方は一体何をしようとしているのですか」

「そうですね。それが肝心ですよね」

 ナディアは、呼吸を整えた。そして語り出そうとしたそのとき、運転手が皆に告げた。

「まもなく、563番ドッグです」

 リムジンは通路を抜け、広い空間に出た。とてつもなく広い空間に、一隻の巨大な白い宇宙戦艦が鎮座していた。大きすぎて全体のフォルムはよく分からない。だが、これだけは言えた。

「きれいだ…」

思わずトオルはつぶやいた。

 

 超弩級宇宙戦闘母艦ヴィーザル。全長617m。モビルスーツ最大搭載量は30機。前方に三本、後方にニ本のモビルスーツ発射カタパルト、主砲は前方に二門、後方に一門が機能的に配置され、艦の中央にはペガサス級を思わせる独特の艦橋がそびえ立っている。機銃座も多数設置されて防空体制も万全を期している。どう見ても大艦隊の総旗艦に相応しい。これが、トオルが見たフネだった。トオルたちを乗せた複数の車両は、下部ハッチからヴィーザルに乗り込み、モビルスーツ格納庫で停車した。フネの中心部にある格納庫は、前方と後方の発射カタパルトと連結されているため長細い。30機分のモビルスーツハンガーラックはがらんとしており、ジェグナ2機だけしか搭載されていなかった。

 トオルたちは降車すると、そばにある30人は乗れる大きなエレベータに乗り込んだ。20階に相当する位置でエレベータは停止。そこで降りて通路をしばらく進み、会議室の一室に入室した。めいめい適当な場所に着席すると、トオルはナディアに質問を投げた。

「先程の続きですが、私たちは、あなたたちがこれから何をしようとしているのか知りません。ぜひご説明をいただきたいのですが」

「これは、まだ内密の話です。ここにいる方は皆、口外しないことを宣誓してもらいます」

 ナディアの真剣な口調に、この場にいる皆が姿勢を正した。着席している一人一人をぐるっと見渡すと、ナディアは語り始めた。

「ネト将軍のクーデターを鎮圧したのち、私たちは火星総督府の解散と火星自治共和国の成立を宣言し、同時に連邦議会で火星自治共和国基本法が上程され、可決成立する運びとなっています。あくまで地球連邦政府の枠内における自治ですから、地球連邦憲章や連邦政府の法律、統治機構や経済システムによる制約は残りますが、それらは最低限のレベルにまで引き下げられ、火星独自の統治機構による行政を敷いたり、議会を開いて法律を制定したり、火星独自の裁判機構による司法判決を出したりできるようになります。総督府の解散に伴い、総督府の負債を清算します。負債の大部分を占めるのが火星開発にかかった費用なのですが、地球連邦政府の統治機構内ということで法外な利息がかけられていたのを過去にさかのぼって算定し直して金額を確定させ、連邦政府にも負担を引き受けてもらって支払金額を大幅に圧縮します。これによって、火星居住者の税負担は大幅に改善されるはずです。統治機構についてですが、立法は普通選挙による議会を設置して執行し、司法は当面連邦の模倣をする予定ですが、行政については当面、七人の枢密顧問官で構成される枢密院で執り行うことになります。枢密院の下に内閣を設置して実務を担わせます。その枢密顧問官に、タカハシ大将、あなたにも就いて頂きたいのです」

「えっ」

 トオルは驚いた。大将から大幅に格下げされて大佐だと言われたのに、今度は国家の統治機構の最高位を提示するとは、意味が全く分からない。返答に窮してしまい、トオルは黙り込んでしまった。トオルの狼狽ぶりに気付いたルーデンドルフがナディアにアイコンタクトで発言の許しをもらうと、トオルを見据えた。

「閣下の能力をわしらが高く評価していて、その能力に見合った働きを期待しているのは本当だ。だが、今の第三総軍総司令官代理のまま、わしらの陣営に加わってもらうことはできない。それはお分かりかな」

「はい。それは分かります」

 連邦政府から見れば、火星自治共和国は連邦政府本流から外れた下部機構だ。トオルが217師団作戦参謀中佐のままであれば全く問題なかったが、いまや第三総軍総司令官代理兼ネメシス臨時行政府保安司令官大将。その使命は、連邦政府の名代として火星の動乱を治めてこれまでの火星総督府による統治を復活させること。連邦政府本流の火星総督府を否定して火星自治共和国に参画するのは、これまでトオルの拠り所になっていた非常事態対処法からも外れることになるので、それこそ連邦政府に背くことになる。もし、現在の役職を保持したままトオルが火星自治共和国に参加すれば、統合参謀本部次長のエンテザーム中将が喜んでトオルの違法行為を指弾してくるのが容易に想像でき、トオルはげんなりした。

「連邦軍に義理があるわけではないですから、いつだって辞めていいと思っています。今せっせと働いているのは、私の周りにいる人たちを助けたいからであって、それ以上でもそれ以下でもありません」

「やはり閣下は、ご自分を過小評価しすぎだ。簡単に辞められると本気で思っているのかね」

「それは、どういうことですか」

 真顔でトオルがこのように尋ねてきたので、ルーデンドルフは思わず笑い出した。

「閣下は世情に関しては大変敏感で、相当な作戦立案能力を持っておられるが、ことご自分に関してはひどく疎いな。軍に限らず政府の高官のほとんどが、退職したのちに政府系の関係団体に下っている事実を、閣下は知っておられるだろう」

「もちろんです。大した仕事もせずに高給をむさぼって、仲間贔屓もひどいものです」

「それ、本気で言っておられるのか。それだったら勘違いもはなはだしい。まぁ、十把一絡げで天下りをさせている政府が悪いんじゃが。政府の高官といえば、政府の重要機密を知っている連中じゃ。もし、政府転覆を企てる連中がそういう高官を篭絡してしまったらどうなる。政府が危険にさらされ、下手をすれば崩壊して人間社会全体が大混乱に陥ってしまうかもしれない。そうならないためにも、退職した高官を政府側に縛り付けて一定期間身動きさせなくしておく必要があるのじゃ。もし、政府側の指示に従わない退職者が出たら、政府は何をすると思われる?」

「……」

 トオルはまた黙り込んだ。嫌な予感だけはするが、具体的に何をしてくるのか、今まで考えたことがなかったので思い浮かばない。同席しているカタリナとジーナも同様だった。トオル側の人間が何も言わないので、ルーデンドルフが答えを出した。

「まぁ、思い浮かばなくても仕方ないな。地球と火星は遠い。軍を派遣して実力で治安回復させることは困難だが、ただ一人を人知れず殺すことはできるということじゃ。閣下がもし我々の側についてくれたとしたら、閣下の明日は保証されなくなるだろう」

「……そんなこと、絶対にさせない」

 立ち上がってこう叫んだのはジーナだった。一転の曇りもない決意に満ちた瞳を見て、ルーデンドルフは和やかな笑顔を湛えた。

「閣下を守りたいのは、我々も同じじゃ。そう、いきり立たなくても良い。もし、閣下を高官待遇で迎えたら、どんなに素性を隠してもすぐに正体が判明して、連邦政府は暗殺者を派遣してくるだろう。だが、一介の大佐であれば目立ちにくい。しかも、軍艦の艦長として地面から遠く離れると、なお暗殺者を派遣しにくい。艦長就任と大佐への格下げは、閣下の生命を守るため。枢密顧問官への就任要請は、火星に住む人たちの暮らしと自治共和国の発展に貢献してもらうため。分かってもらえただろうか」

「……しばらく考えさせてもらえませんでしょうか。そちらもお急ぎでしょうから、そんなに時間を取らせません」

 トオルの要望を、ナディアたちは受け入れた。

 

 地上に残してきた幹部とも打ち合わせしたいというトオルの要望をナディアたちは受け入れ、トオルとカタリナ、ジーナの三人は大きなモニターがあるブリーフィングルームを案内してもらった。ゆうに100人は収容できそうな広い部屋なので、たった三人だけだと物寂しい。そんな部屋にあるモニターだから、不相応に大きすぎた。その巨大なモニターにラモンとハムザがでかでかと映し出されたものだから、これがカタリナとジーナだったら幾分ましなのにとトオルはため息をつきつつ、モニターの二人に事情を説明した。

「これはまた、とんでもないことになりましたな」

 カタリナの手で画像を縮小してもらったラモンが唸った。並んでモニターに映っているハムザは腕組みをしたままだ。そしてボソリとつぶやくように言った。

「提督の申し出を受けなければ、庶民を弾圧する悪の帝王の道まっしぐらでしょ。ひょっとしたら歴史に名を残すことになるのでは。ただし、悪名ですけどね。それよりは、申し出を受け入れて裏で暗躍するフィクサーになったほうがましだと思いますが」

「…やっぱり、そう思うか」

「やっぱりっておっしゃるということは、閣下のお気持ちは決まっているということでしょ。だったら、思った通りに動かれたらいいと思います」

 ピシャリと言うハムザの言葉を受けたトオルは、頭をかいてこの場にいる二人とモニターに映る二人を見渡した。

「前から言っているけど、私たち五人は一蓮托生だと思っている。特に今回の申し入れを受けるかどうかで、これからの運命は大きく変わる。そんな大事な節目を私が勝手に決めることに躊躇してしまっているんだ。みんな、どう思う?」

「ハムザの言うとおりだと思います。このまま連邦軍と心中しても、いいことなさそうですから」

 このラモンの意見に、カタリナもジーナも首肯した。これで向かうべき道は決まった。すると、モニターに映るハムザがニヤッと笑った。

「そうなると、閣下は身を隠さなければならないわけですね。本名を隠して偽名を名乗るだけでなく、整形して顔を変え、指紋や目の光彩とか体の改造をしないといけませんね」

「しかも、タカハシ=トオルさんは、死ぬか行方不明にならないと」

「ええええっ」

 ラモンにも畳みかけられたトオルは悲鳴を上げた。

「体をいじくるのは、いやだ」

「正体を隠さないと、連邦政府から刺客を放たれてしまいますよ。そんなに死にたいのですか」

「死ぬのは、もっといやだ」

「あれもいや、これもいやって、閣下は子供ですか?」

 ため息交じりにラモンはトオルを諭した。だが、トオルはふくれっ面を作ったままだ。

「だって、いやなものはいやだもん」

「そうなると、あの手しかありませんね」

 ラモンは、ジーナに視線を移した。

「今、ジーナはファッションデザインに興味があるんだったよな」

「裁縫部のみんなと、いろんなデザイン描いているけど…」

「喜べジーナ。叙任式の軍装はボツになったけど、別の仕事ができたぞ」

「???」

 不思議がるジーナ。対するトオルは、ますます不安な表情になっていった。

 太陽系の歴史は、大きな転換点を迎えようとしていた。



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徨竜篇
新たなる任務を帯びて


主要登場人物紹介

ロニー=ファルコーネ 火星自治共和国枢密顧問官 大佐 宇宙戦闘母艦ヴィーザル艦長
ジーナ=グリンカ 曹長 ローガンダムのパイロット
ラモン=デ=ラ=ゴーヤ 中佐 宇宙戦闘母艦ヴィーザル副長
カタリナ=トスカネリ 中佐 ヴィーザル船務長
ハムザ=ビン 少佐 ヴィーザル情報長
スナイ 少佐 ヴィーザル機動大隊長

ナディア=レスコ 火星自治共和国主席 枢密顧問官
ハンス=ディードリヒ=フォン=ルーデンドルフ 火星自治共和国枢密顧問官 大将 地球連邦軍第七艦隊司令官 中将

ネト 元地球連邦軍第217師団司令官 中将 火星で軍事クーデターを敢行し、全火星治安維持対策委員会委員長となる。
チャン=ミンスク 元地球連邦軍第三総軍参謀長 中将 ネトの元で全火星治安維持対策委員会広報部長
インベル 地球連邦軍大尉 第1方面軍第55師団所属

ローラ=フェルミ 地球連邦軍統合参謀総長 元帥
エンテザーム 地球連邦軍統合参謀本部次長 中将



 地球連邦軍第七艦隊第一分艦隊第三戦隊。一隻の宇宙戦艦と二隻の宇宙巡洋艦、五隻の駆逐艦を主力とした大小合わせて約二十隻の艦艇で構成されている。その第三戦隊は火星上空の定期哨戒を終え、母港であるダイモス要塞への帰港の途についていた。旗艦であるボスポラス級宇宙戦艦“ダーラン”には戦隊司令官セネル准将が乗艦している。50代前半の年齢の割に肌つやがよく、黒髪は短く刈られ、立派な口ひげを生やし、鋭い目つきをした偉丈夫である。冗談を言う性格ではないため、准将のいる艦橋はしんと静まり返っている。作戦参謀は各艦の砲雷長と定期連絡を取り、情報参謀は端末に映し出される各艦からの哨戒情報をチェックしている。あと六時間もすればダイモス要塞というところまでたどり着いたとき、それまでおとなしくしていた端末が、情報参謀に異常を知らせてきた。

「二時の方向に大型戦艦。我が艦隊の針路を横切る形で航行中。約40分後に衝突します」

「艦種、艦名は」

 セネルは抑揚のない口調で情報参謀に尋ねた。司令官からプレッシャーをかけられた情報参謀は、すばやい手つきで端末を操る。ほどなくして、現れた大型戦艦の艦名が判明した。

「ヴィーザル級大型戦闘母艦。味方です」

「そうか…」

 セネル准将はこうつぶやくと、席から立ち上がった。

「全艦、機関停止。前方の戦闘母艦が過ぎ去るのを待つ。艦長、ホログラムの準備を」

 この命令に、艦橋はざわついた。この艦ではとても珍しいことだ。代表して艦長が司令官に尋ねた。

「向こうはたかが戦艦一隻です。こちらが道を譲るということは、何か理由があるのでしょうか」

 艦長の声は緊張で震えていた。そんな艦長をセネル准将はギロッと睨みつけた。

「艦長。命令が聞こえなかったのか」

「はっ。申し訳ございません。早速準備に取り掛かります」

 敬礼の手が震えている。身を翻した艦長は、部下へ矢継ぎ早に指示を繰り出した。二十分もしないうちにホログラムの準備が整い、旗艦前方にセネル准将の姿が映し出された。前方を航行する戦艦に向かってセネル准将は敬礼する。五分ほどその姿勢を保ったあと、相手の戦艦からもホログラムの映像が映し出された。相手の戦艦が映し出した映像は、シンプルながらも優美さがある兜の下に口元が露出されている仮面を被り、赤を基調とした軍服を身にまとった将校だった。その将校はセネル准将へ答礼すると、すぐにホログラムの映像を切った。相手の戦艦のホログラム映像が切られて三十秒後、セネルもホログラムを切るように命令し、映像が切れるとセネルは司令官席に座り込んだ。

「お疲れ様でした、閣下」

 参謀長が紙コップを差し出す。紙コップの水をセネルは一気に飲み干すと、セネルはぼそりとつぶやいた。

「枢密顧問官閣下が長い旅路に出られるのだ。これくらいの礼儀は当然だろう」

 司令官が何を言っているのか、参謀長には理解できなかった。

 

 火星の情勢は、めまぐるしく動いていた。ネト将軍によるクーデター発生から十日もしないうちにネメシス=シティのブルーム市長が非常事態対処法を発動。自ら臨時行政長官に就任。その元で保安司令官となったタカハシ少将が、連邦軍統合参謀本部から第三総軍総司令官代理大将に任じられて事態収拾に乗り出し始め、前代未聞の叙任式を敢行しようとしたその三日前、クーデター軍が放った暗殺者の手によってタカハシ大将が暗殺されてしまう。唯一の橋頭堡であったタカハシ大将を失った連邦政府は打つ手がなくなり、やむを得ず方針を転換する。自ら混乱収拾に乗り出すことを諦め、火星の有力者たちが立ち上げた火星自治共和国を承認し、共和国の手によってクーデターを鎮圧することにしたのだ。火星自治共和国の建国が宣言されると同時に、連邦議会は火星自治共和国の成立を承認。共和国が成立するや否や、主席であるナディア=レスコ枢密顧問官がクーデター軍に宣戦を布告。一気に内戦状態に突入した。クーデター軍は二個師団を投入してネメシス=シティを占拠。臨時行政府は解体された。だがその後、クーデター軍は籠城戦の構えを見せたまま動こうとしない。一方の共和国軍は、連邦政府の後ろ盾を得たことによって、態度を決めかねていた各所の方面軍や師団の司令官たちが次々に合流してきた。増大している軍事勢力の再編に追われているため、共和国軍も動けない。内戦状態に入ったとはいえ、クーデター軍の勢力圏の外縁部で小競り合いが散発的に発生しているだけで、大きな戦いもなく数ヶ月が過ぎていた。

 そんな中、第七艦隊の母港ダイモス要塞から、一隻の戦艦が出港した。白を基調とした風格のある船体。前部に三本のモビルスーツ発着カタパルトと二基の主砲、船体の中央にそびえる存在感が際立つ艦橋、後部には左右に独立した熱核パルス推進エンジンを備え、そのエンジンに挟まれた形で一基の主砲、そしてその下にモビルスーツ発着カタパルトが並んで二本設置されている。全長はゆうに600mを超える巨大なこの戦艦は、ヴィーザル級一番艦“ヴィーザル”。第七艦隊司令官ルーデンドルフ中将の乗艦となる予定だったが、急遽別の人物が乗艦することになった。

 ヴィーザルの艦橋は旗艦用として作られているので、司令官と参謀たちが着席する艦隊司令部エリアと、艦長とスタッフが着席する操艦エリアの二つがある。今回の任務は僚艦を連れて行かない単独行動ということもあって司令部エリアは閉鎖されており、人がいるのは操艦エリアだけである。その操艦エリアの艦長席に座っているのは、奇妙な人物だった。シンプルながらも優美さがある兜の下に口元が露出されている仮面を被り、赤を基調とした軍服を身にまとっている。顔を隠しているのは、修復不可能な傷を負っているためという噂があるが、真相を知っている人物は副長のラモン中佐以下数名だけとのこと。モビルスーツの操縦の腕前も申し分ないようで、自身専用のモビルスーツが運び込まれている。この艦長の名はロニー=ファルコーネ大佐。ロニーは、ホログラムによるセネル准将への挨拶を終えて、一息ついたところだった。

「お疲れ様です、大佐。コーヒーでもお持ちしましょうか」

 こう声をかけたのは、エメラルドグリーンの瞳をきらきらと輝かせ、艶やかなダークブラウンの髪をきれいに切りそろえた華奢な体躯の女性士官だった。赤色を基調にしたブレザータイプのジャケットに紺色のネクタイを身につけ、純白のスパッツにセミロングのブーツを履いたまだ十代半ばのこの女性士官は、世話係のようにロニー大佐に付き従っているが、実はモビルスーツのパイロットである。彼女が搭乗するモビルスーツは“ローガンダム”。なお、ヴィーザルにはロニー大佐の“ユウギリ”も含め、三十機のモビルスーツが搭載されている。

 女性士官に声をかけられたロニーは、一つため息をついて立ち上がった。

「部屋で頂こう。航海長、この場を任せる」

「はっ」

 航海長は立ち上がって、立ち去るロニーと女性士官に敬礼をした。

 

 宇宙戦闘母艦ヴィーザルの艦長室は三番目に豪華な作りになっている。一番は司令官室、二番は参謀長室。三番目とはいえ、応接セットを備えた広々とした執務室に、広く落ち着く寝室。トイレや浴室だけでなく簡易キッチンまで備えられており、一流ホテルとまではいかなくても、地方都市にあるホテルのスウィートルームくらいの豪華さだ。その艦長室には、すでに先客がいた。三人掛けソファには二人の男性士官が座っている。一人は、くすんだ金髪を短く刈り上げ、老年に差し掛かりそうな容貌ながらも、がっちりとした体型をしている。もう一人は、服の上からでも分かる引き締まった体形に短く刈り込んだ黒髪と浅黒い肌、目立たないが、うっすらとヒゲを生やしている若い士官だ。一人掛けソファーに座っているのは、これもまた服の上からでも分かる凹凸の落差が激しい上半身と、すらりと長い脚がまるでモデルのような体形をしていながら一転、顔を見ると、大きな黒縁メガネがとても印象的で、くすんだ豊かな金髪と俯いた姿勢に表情が隠され、雰囲気からして暗そうな文系の女学生に見える女性士官である。三人はロニー大佐の入室に気付くや否や立ち上がって敬礼を施した。ロニーに付き従っていたダークブラウンの髪の女性士官は簡易キッチンへと向かい、ロニーはデスクに座ると兜と仮面を脱いで机の上に置いた。

「全然慣れない。仮面は気持ち悪いし兜は重い。肩が凝って仕方がない」

「でも、仮面をしていないと正体がバレて殺し屋が来ますよ」

 ぼやくロニーに笑いながら答えたのは、三人掛けソファに座っている年長の男性士官だった。隣に座る若い士官が大きく頷いた。

「ラモン副長のおっしゃる通りです。せっかくジーナたちが考えたファッションなんだから、文句を言ったら罰が当たりますよ」

「そうは言うけどハムザ、確かに見た目は私に不相応なくらいに格好いい。それは認める。だが、身につける人のことを少しは考慮して欲しかったよ」

「トオルさーん。無償品はリコールの対象外でーす。我慢してくださーい」

 簡易キッチンから抗議の声が響いた。女性士官からトオルと呼ばれたロニーはふくれっ面になった。

「兜や仮面をつけなくていい君たちはいいよな。何で私だけがこんな目に遭わないといけないんだ」

「そりゃ、いい目に遭えば悪い目にも遭いますよ。地球連邦軍大将になるという軍人なら誰もが憧れる経験をしたのですから、大きな反動が来ても仕方がないですな」

「部下が千人程度しかいない大将だったけどね」

 ロニーことトオルはラモンにおどけてみせた。そこに一人掛けソファに座っている女性士官が横槍を入れた。

「でもまぁ、命があってよかったじゃないですか。クーデター派のウィン大佐が閣下の暗殺計画を企てていたという情報をナディアさんたちが掴んでいなかったら、危なかったですよ」

「カタリナ中佐の言うとおりだ」

 トオルはしみじみとつぶやいた。ウィン大佐の第1185連隊は、ネト将軍のクーデター軍から逃げ出してきたものだとトオルは思っていたのだが、実際はクーデター軍が放った先遣隊だった。だとすれば、トオルの呼びかけをずっと黙殺してきたことも分かる。すぐにネメシス駐留基地に入城できなかったのは、第217師団参謀長のバルドック大佐がウィン大佐の入城を拒絶したからだろう。クーデター決行前に武力衝突を起こすことができないので、やむを得ずジーナが通っていた高校に陣を構えたというのが実情のようだった。作戦指揮能力の低いバルドックなら、時間さえ経てば勝手に自滅してくれると思っていたところ、トオルが非常事態対処法を発動させて臨時行政府を設立してしまったものだから、ウィン大佐は思いもよらぬ事態に慌ててしまったらしい。どうすればいいか考えを巡らしているうちに、トオルが第三総軍総司令官代理大将に昇進して事態解決に乗り出すという情報を掴み、ならばトオルの手で火星に点在する連邦軍が糾合されてしまう前に、事の中心にいるトオルを亡き者にしようと動き始めた。その情報をいち早く掴んだのが、ナディアたちが束ねるアリップだった。ちょうど、トオルの存在をどうやってこの世から消滅させるべきか悩んでいたところだったので、この暗殺計画をアリップは利用することにしたのだ。暗殺に関する情報収集にアリップは全力を注ぎ、暗殺計画が決行される日時は分単位、暗殺に使う武器の種類は年式に至るまでの詳細な計画を入手。暗殺決行場所には、事前に防犯カメラを設置してトオルが間違いなく殺されてしまったことを証明できるようにし、すぐに救命処置ができるように人員を配置して、暗殺実行に臨んだ。結果、トオルは暗殺されてこの世の人でなくなったことになり、救命措置で生き返ったトオルはジーナがデザインした兜と仮面を被って、ロニー=ファルコーネを名乗ることになったというわけだ。

「まぁ、アリップは私を使って最も困難なミッションを完遂させようとしているのだから、おあいこだろ」

「木星の第九艦隊をこちら側に取り込む…。確か木星はバリバリの連邦政府派でしたよね」

 木星は、ヘリウムⅢを筆頭とする資源産出拠点として大昔から栄えている。だが、太陽から遠く離れていることもあってスペースコロニー建設の計画は一度として出されたことはなく、資源採掘のみに特化された工業コロニー群が木星の周回軌道上に設置されたのと、衛星“エウロパ”に第九艦隊の母港が設置されただけだ。そのため木星圏の居住人口は極めて少ない。地球から遠く離れていることもあって、木星圏に関する情報は謎に包まれている。木星にはニュータイプによる理想郷があるとか、その理想郷は神の力を持った王が統治しているとか、その王国がエイリアンの侵略を防いでいるとか、まるで絵本の世界のような噂話が流れている。そんな木星圏だが、確かな情報が一つだけある。それは、常に連邦政府側に組しているということだ。ジオン=ズム=ダイクンがムンゾ自治共和国を統治していた時代は、自治共和国が連邦政府の構成員だったので木星圏は協力した。だが、ザビ家が連邦政府と敵対すると、木星圏はジオン公国への資源供給を極端に縮小させた。結果、資源が枯渇してしまい、やむを得ずジオン公国は地球に資源を求めるべく大軍を地球上に降下させる。本来であれば軍を糾合させて連邦の中枢を目指すべきなのに、オデッサを始め世界各所にジオン公国が軍を分散させてしまったのは、木星圏からの資源を期待できなくなったことが理由に挙げられる。一年戦争が終結して以降、様々な事件が発生するが、木星圏が連邦政府の敵対勢力に力を貸したことは一度たりともない。宇宙開発省のトップにチャンドラ=ラオが就任すると、木星圏は連邦政府との結びつきをいっそう強めたという。そんな木星圏を、万一の事態に備えて火星自治共和国側に引っ張り込みたい。というのが、ナディアたちの意向だった。地球連邦政府と自治共和国政府が敵対関係になった場合、木星圏から資源供給が遮断されると、政府の存続自体が危うくなる。それだけでなく、地球本星からの軍と木星からの軍に挟撃されると、戦線の維持は不可能になる。だから、最低でも木星圏が地球側にも火星側にも付かず中立を保つこと、できれば火星自治共和国側に付けることが大事だった。そのための火星自治共和国政府の特使として、トオルが選ばれたというわけだ。大役を任されたのだが、トオルは全く喜んでいない。

「バリバリの連邦政府派の木星圏を、火星側に引っ張り込めればラッキー。中立を確約させれただけでも御の字。十中八九失敗するから、失敗の責任を大事な幹部に負わせるわけにはいかない。だからといって半端な人物を派遣するわけにはいかない。そこへ丁度いい奴が現れたから、そいつにやらせてみようというところだろう。だから、アリップの連中に引け目を感じる必要はない。木星圏の説得に失敗したら、お払い箱なんだから」

「まぁ、いいじゃないですか。過去ずっと連邦政府側だったから、今も連邦政府側であるという確たる情報はないのでしょ」

 ハムザがこんな楽観論を言ってくれるのが、トオルにはありがたかった。アリップ側に組すると決めるまでは自分が事態を主導してきたのに、組することになってからはずっと他人の決めたことに従ってばかりだったから、不安になっていたのだ。

 一方、ハムザとすれば、ナディアたちはトオルに対して最大限の協力をしてくれていると思っている。約束通りトオルには、枢密顧問官と大佐の地位、そして戦闘母艦“ヴィーザル”と専用のモビルスーツを提供したし、トオルの取り巻きは全てヴィーザルの乗組員にするだけでなく、トオルが与えた地位をそのまま保証してくれた。ラモンはヴィーザルの副長中佐、カタリナは船務長中佐、ハムザは情報長少佐、ジーナはローガンダムの操縦士曹長となった。モビルスーツを始めとした武装も、ヴィーザルに搭載できる最大限を与えられた。そして何よりも、

「そろそろ発動されるウラノス=シティ侵攻計画からも外してもらえたのだから、我々は大事にされていると思いますよ」

とハムザが言うように、火星自治共和国軍はいよいよクーデター軍との全面決戦に臨もうとしていた。ダイモスに一個戦隊だけを残し、第七、第八艦隊の総力と旧第三総軍の残存兵力でウラノス=シティを完全に包囲して殲滅する計画だ。その計画から戦闘母艦ヴィーザルは外され、一刻も早く木星に行くことを命じられたのだ。

「それだけ大事な任務の全権を閣下に与えたのですから、そんなに卑屈にならなくてもいいのではありませんか」

「だから、もう閣下ではないって」

 トオルの表情は穏やかだ。受身に回ってばかりだとダメだ。木星圏を味方に引き込むという使命は与えられたが、具体的な方法までは命令されていない。それくらいは自分の好きにさせてもらおうとトオルは腹を決めた。

「背後を気にしないで済むというのは、ありがたいことだ。先は長い。どうせ、することなんてないだろうから、木星までの旅を気楽に楽しむとしようか」

 トオルがこのように締めくくろうとしたとき、艦内に警報が鳴り響いた。



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ジーナのある一日

 火星軌道上には、たった一つだけスペースコロニー群がある。火星地球化計画を実行する作業員たちが暮らすために作られたコロニー群で、五基のスペースコロニーで成り立っている。二基が居住及び食料品製造用、一基がエネルギー製造及び貯蔵用、残る二基が惑星改造に必要な工業製品製造用である。惑星改造が進んで地上での生活が可能になると、手に職を持つ多くの人々が火星の地上へと降り立った。結果、コロニー群には地上に降りることのできない人々(職からあぶれた人々や社会から取り残された人々など)だけが残った。コロニー群の人口は急激に減少し、官憲の多くが火星地上へ移ったこともあってコロニー群の治安は悪化。中には商船を襲って積荷を強奪して生計を立てるものも現れた。そうした盗賊どもは数十名から数百名の徒党を組んでいる。宇宙に出るためには船が必要で、商船を襲って積荷を奪うためには宇宙空間での機動性に優れるモビルスーツが必要だ。宇宙船の整備や操縦をするもの、モビルスーツのパイロット、強奪した積荷の管理や売買をするものなど、役割を分担する必要があるからだ。サウリも、そうした盗賊家業に身をやつして暮らす一人だった。

「獲物がたった一隻でやって来たぞ」

 宇宙船“魅力的な浮気妻”号の操舵室でレーダー索敵をしているイディが、傍で食パンをかじっているサウリに声を弾ませて言った。火星でクーデターが発生してからというもの、極端に商船の出入りが減ってしまっており、サウリたちは飢えた鮫のように宇宙を徘徊していたので、獲物という魅力的な言葉に心が躍った。

「どんなフネか分かるか」

「うーん、まだだいぶ遠くにいるから、どんなフネかまでは分からないな」

「こんだけ稼ぎが減ってしまったのだから、軍艦相手だろうと一仕事しないとな」

 このサウリの言葉に、“魅力的な浮気妻”号の船長であるウェイは声を荒げた。

「正規軍相手にムチャされると迷惑だ」

「今更尻込みするなんて、怖気づいたのか。軍のおぼっちゃまパイロットなんか、百人来ても怖くないね」

「フン、少しばかりモビルスーツの腕前がいいからって調子に乗ってると、痛い目を見るぞ」

「ありがたいご忠告だが、あいにく聞く耳持たないね。俺は一人でもあのフネを仕留めに行く」

 こう宣言すると、サウリは操舵室から出て行ってしまった。モビルスーツデッキに行くことは明らかだ。ウェイは、右手で自分の亜麻色の髪をかき回して一つ舌打ちをすると、船内放送のマイクを掴んだ。

「サウリが獲物を仕留めに出るつもりだ。全員、戦闘準備!ひと稼ぎ始めるぞ」

「おおーっ」

 乗組員全員が歓声を上げた。おだやかな船内が一瞬でせわしくなる。整備士は搭載されているモビルスーツの点検、パイロットはパイロットスーツの装着、船の砲撃手は実弾装填の確認、などなど。操舵手が船速を上げ、ターゲットへと急速に近づいていく。近づくにつれ、彼らの獲物がどういうものであるかが分かってきた。イディは、獲物の正体に気付いて顔面が蒼白になった。

「せ、船長…ど、どうしやしょうか?」

「一体なんだ」

「狙ったフネだけど、とんでもないバケモノだ。全長が500m以上もある巨大戦艦だ」

「なっ、なんだとお」

 船長は目を剥いた。彼らが襲う軍艦は、せいぜい全長100mにも満たない駆逐艦や軍用輸送船くらいだ。だいたい、300mを超える重巡洋艦なんぞ見たことすらない。それが、連邦軍でも最大クラスの大型戦闘母艦なんて、相手が悪すぎるというものだ。

「まるで話にならん。引き返すぞ、野郎ども」

「ふざけんな。今更引き返せるか」

 モビルスーツデッキにあるマイクを掴んで船長に抗議したのは、サウリだった。

「一匹のアリが巨像を倒すということわざもある。あんなデクノボー、俺一人でつぶしてやる」

「やめろ、サウリ!」

 船長の制止を振り切り、サウリは愛機に乗り込んで出撃した。過去のモビルスーツの残骸をかき集めて出来上がっているサウリの機体は、なんとなく旧ジオン公国軍のゲルググを髣髴とさせる。サウリの愛機ロズリンはふんだんにバーニアを装備させているので、推進力や機動力に富む。そんな機体を自在に操れる自身の腕前もあわせ、ロズリンは連邦軍のジェグナ程度なんか一対一どころか複数現れても倒せるとサウリは自負していた。

 全面スクリーンの前方に、巨大戦艦の姿が遠目に見える。拡大してみると、純白の貴婦人のように見えた。こりゃお宝満載だなとサウリが短く口笛を吹いたとき、巨大戦艦のカタパルトから一機のモビルスーツが飛立つのが見えた。そのモビルスーツは、身を翻してこちらに向かってくる。

「おっ、この俺様と一騎討ちしようなんて、生意気だな」

と思ったのも束の間、そのモビルスーツは、サウリのそう像をはるかに超えるスピードで接近してくるではないか。

「なんだ、こいつは」

 サウリは、慌ててライフルを構え、向かってくるモビルスーツにビームを放つ。射撃にも自信があるサウリのビームは、向かってくるモビルスーツに命中した…かに見えた。だが、敵モビルスーツは直撃する直前に身を躱したのだ。

「なんだと」

 サウリは慌てた。今まで、こんな躱され方をした経験は一度たりともなかった。ビームの発射速度を考えると、撃つ直前に身を翻さないとあんな躱し方はできない。あのパイロットは俺の思考を読んでいるのか?考えを巡らしたのはほんの一瞬だったのだが、気付いたときには敵モビルスーツの接近を許してしまっていた。

「うわっ」

 反射的にライフルを手放してビームサーベルの柄を掴んで相手に斬りかかる。だが、すでに時遅し。振り上げる前に敵モビルスーツの斬撃が飛んで、ロズリンの右腕が切断され、宇宙の彼方に飛び去っていく。

「こ、こいつは…」

 背中に冷たいものを感じたサウリは、敵モビルスーツの姿をまじまじと見た。この顔、見覚えがある。カラーリングは異なるが、一年戦争の頃、敵のジオン公国軍が白い悪魔と畏敬の念を込めて蔑んできた連邦軍の旗艦モビルスーツ

「ガ、ガンダム…か…」

 そうつぶやいて覚悟を決めたとき、全身に強烈な衝撃が走った。

「ぐわっっ!」

 サウリは分からなかったが、ローガンダムが拳を振り上げてロズリンに強烈なストレートパンチを見舞ったのだ。ローガンダムは更に三発ロズリンにぶち込んだ。あまりの衝撃に、サウリは気を失いそうになる。そんな中、ロズリンに通信が入ってきた。

「いきなりライフルを撃ち込んでくるとは、無礼な奴だな」

「…お、女…か……」

 なんとか気を奮い立たせ、サウリはロズリンの身を翻させて逃走に移った。逃げてもすぐに追いつかれて斬り殺される。と思ったのだが、ガンダムは追ってこなかった。

「俺なんか、眼中にないという訳か。くそったれ」

 しばらくすると、サウリの目前に“魅力的な浮気妻”号が見えてきた。安心したサウリは、機体を停止させるとそのまま気を失った。

 

 サウリの攻撃を難なく撃退したジーナは、ヴィーザルの後部カタパルトから帰還した。ローガンダムをモビルスーツハンガーに固定させ、コクピットハッチを開くと、顔見知りが顔を出してきた。モビルスーツが全機発着するような状況でない限り、モビルスーツデッキ内は空気で満たされている。

「ご苦労さん。怪我はなさそうだな」

「私は大丈夫。ただ、ガンダムの方は拳を少し傷めたと思う。パベルさん、あとよろしくね」

「コブシ?何でそんな場所を」

「喧嘩すると、拳くらい傷めてしまうものでしょ」

「さっきのは戦闘じゃなくて喧嘩だったのか。あきれたものだ」

 パベル曹長の感想に笑顔で答えたジーナは、コクピットから飛び出した。モビルスーツデッキは外部の環境すなわち宇宙空間と同じ状態なので、無重力である。ジーナは宙に浮いたまま対岸のスロープに飛び移った。そこには、青色を主体とした連邦軍の制服を着ている三十代前半の士官がいた。短めのくすんだ金髪とサファイアブルーの瞳を持つ優男で、やわらかい表情をしている。その士官にジーナは敬礼をした。

「スナイ少佐。単独出撃の許可、ありがとうございました」

「なーに。君がどれくらい戦えるか見てみたかったから、丁度良かったよ。あんだけ動けるとは大したものだ。艦長が君にガンダムを任せる訳がよく分かった」

 スナイは、ロニーとロニーの直属であるジーナを除くヴィーザルの全モビルスーツを束ねる機動大隊長である。従軍してからずっとモビルスーツのパイロットで、第七艦隊勤務が長い。海賊相手の実践を数多く経験しており、エースパイロットが持つ独特の余裕が漂っている。スナイにも専用のモビルスーツ“マリウス=ゼータ”が与えられている。この時代では珍しい変形機構を備えていて、かつてのゼータ=ガンダムのような戦闘機のようなウェイブ=ライダー形態に変形できる。

 スナイは笑顔で言葉を続けた。

「近いうちに、君と模擬戦をしてみたいものだ。相手になってくれるか」

「それは光栄です。是非」

「その時は、お互いジェグナでやろう。君の腕とローガンダムの性能を一気に相手にするのは、荷が重過ぎる」

「そんな。ご謙遜を」

「謙遜ではないさ。ご苦労さん。ゆっくり休めよ」

「ありがとうございます」

 立ち去るスナイにジーナは敬礼すると、パイロットスーツを脱ぐために更衣室へと向かった。単独出撃だったので更衣室内には誰もいない。パイロットスーツを脱いだジーナが手に取ったのは、軍服ではなく高校の制服だった。ジーナはヴィーザルの乗組員になっても高校を中退せず、普通科から通信科に移って勉強を続けている。これは、ロニーことトオルの強い要望によるものだった。

「せっかく同世代の友達ができたんだ。友人関係を半年やそこらで終わらせてしまうのは勿体無い。どういう手段を使ってでも学校を続けるべきだ」

 死の淵から生還したトオルはこう言うと、ジーナの下宿探しを始めようとした。それをジーナは慌てて止めた。

「あたし、一人暮らしなんてできない」

「なら、学生寮でも探すか」

「知らない人と暮らすなんてできない」

「なら、私が会社勤めしていたときの同僚だった事務員の人の家はどうだ」

「誰かに気を遣って生活するなんてできない」

「まったく、わがままだな。私は軍艦に乗って火星から出て行くのだから、仕方ないじゃないか」

「だったら、私もトオルさんと一緒に軍艦に乗る」

「軍艦に乗ったら、高校に通えないじゃないか」

 トオルと一緒にヴィーザルに乗り込むことをジーナが頑として譲らないので、困り果てたトオルはアリップの代表であるナディアに相談を持ちかけた。アリップの組織力を使って、通信での高校通いができないかと。通信科への転属ではなく自分の足で高校に通う普通科に通信で教育を受けるなんて前代未聞だ。あまりに荒唐無稽な話をトオルが真面目に熱心に願い出てくるものだから、ナディアは根負けしてしまい、四方八方手を尽くしてジーナの通信での普通科通いを実現させたのだった。

 高校生の制服姿で颯爽と歩くジーナは、もともと容貌が端整であることも手伝って行き交う軍人たちの視線を集める。そういう軍人の一人がジーナに声をかけた。

「これから、お勉強か」

「そうですよ、ハムザ少佐。少佐も一緒に勉強しますか?」

 このようにジーナに切り返されたハムザは、苦笑いを浮かべた。

「うれしいお誘いだけど、我らが大佐殿が、とっても面倒な宿題をお与えになってくれたものだから、これから艦橋へ行かなければならないのさ。花の学校生活、楽しんできたまえ」

「はい。ありがとうございます。それでは、またあとで」

 手を振って立ち去るハムザを笑顔で見送ると、ジーナは自室へ向かった。ジーナの自室は曹長という身分からするとやや広い。勉強するのだから本棚や机が要るだろうということで、トオルが準備をしてくれたのだ。ヴィーザルの居住空間には重力がかかるように設計されているので、勉強するのに不自由は感じない。ジーナは、勉強机に置いてある大きなモニターの電源を入れた。映し出されたのは教室の授業風景だ。教室のジーナの席に置いてあるモニター付きカメラからの映像で、マウスパットを動かすと360度辺りを見渡すことができる。ジーナはマウスパットを動かして、右隣の席にカメラを向けた。そこには、セミロングのくすんだ金髪の女子生徒が座っていた。

「ジーナ、もう大丈夫なの」

 女子生徒がモニターに映っているジーナに囁きかけた。彼女はジーナと同じ裁縫部の部員で、モニター付きカメラの運搬をしてくれるジーナの親友だ。ジーナは照れくさそうに笑った。

「リンダ、心配かけてごめんね。だいぶ元気になったから」

「体、弱いのだから、ムチャしちゃダメよ」

 ジーナは病室から授業を受けているということになっている。敵襲などで授業中や部活の時に席を立たなければならないときは、発作がおきたことにしてモニターの電源を切ることにしている。まさかガンダムのパイロットをしている軍人で、しかも強化人間であるなんて公表できないので、苦肉の策だった。

 授業が終わると、リンダが裁縫部の部室までカメラ付きモニターを運んでくれた。その道中、リンダがモニターに映るジーナに話しかけた

「ジーナが制服オタクだったなんて、知らなかったわ。あのデザインした制服、自分で着るつもりなの」

「…まぁ…ね。だって、格好いいんだもん」

「でも、あのヘルメットと仮面は作るの難しいよ。最初にデザインした連邦軍の制服のほうが作りやすいと思うけど」

 リンダが真面目にアドバイスをしてくれたのだが、実はヘルメットと仮面は既に出来上がっていて別の人が身につけているよと答えてしまいそうになる気持ちを、ジーナは一生懸命押さえつけた。

「そうね。退院したらすぐに作りたいから、その時は手伝ってね」

「もちろん。こっちがお願いしたいくらい。色違いで、お揃いのを作ろうね」

 裁縫部の部室は、もう間近だった。

 

 学校活動を終えたジーナは、夕食を摂るために食堂へと向かう。乗組員全員を収容できるように設計されているため広く作られているが、機関科が四交代勤務であることと、科によって食事の時間がずれていたり、自分で自由に時間を設定できたりするので、食事を摂っている人はまばらだ。航海が長期に亘るため食材が絞り込まれており、提供されるメニューは定食一種類だけ。カウンターで食事を受け取ると辺りを見渡す。いくつかのグループに分かれて食事を摂っている人たちの中から、ジーナは見知った顔を見つけた。くすんだ金髪を短く刈り上げ、老年に差し掛かりそうな容貌ながらも鋭い眼光、がっちりとした体型、そして彼の持つ肩書が人を寄せ付けない雰囲気を醸し出している。彼の周りは空席だらけなので、ジーナは彼の真向いの席に座った。

「ここ、いいですか」

「ああ。構わんよ」

 そう言うと、戦艦ヴィーザル副長であるラモン中佐は、フィレカツにフォークを突き刺して口の中に放り込んだ。適度に咀嚼して飲み込む。

「ご活躍だったみたいだな。お疲れさん」

「ありがとうございます。相手が一機だけだったので、ほっとしています」

 ジーナはスープカップを手に取った。その様子にラモンは目を細めた。

「大した損傷もなく、すぐに戻ってきたと聞いたぞ。すごいじゃないか」

「まだまだです。武器を使うつもりなかったのに、ビームサーベル使っちゃいました」

「なんにせよ、ケガもなく無事に帰ってきたが何よりだ。学校はもう終わったのか」

「はい。でも宿題があるので、早く片付けないと」

「戦艦に乗りながら学校生活ができるなんて、考えもつかなかったな。ある意味、ジーナのことがうらやましいよ」

「ラモンさん。学校、行きたかったのですか」

 ポテトサラダを頬張るジーナは、驚いた表情をした。ライ麦パンを手にしているラモンは苦笑した。

「そんなに意外かな。今ではこんなだけど、中学までは成績優秀だったんだ。ただ、親が事業に失敗して借金だらけでね。現金収入が必要だったから、中学卒業と同時に軍隊に入ったんだ。ありがちな話だけどね」

「へぇっ。今でもそう思っているのですか」

「そうだな。ひと段落ついたら、大学に行きたいね。機械をいじくることが好きだから、機械工学を学びたい」

 ラモンはライ麦パンをちぎって、口の中に放り込んだ。

「学ぶ機会というものは、いつでもあるようで大人になるとあまりない。せっかく大佐が用意してくれたんだ。学校生活、存分に味わうといいさ」

「はい」

 ジーナもライ麦パンを手に取った。

 

 食事を済ませたジーナは、大浴場へと向かった。司令官室、参謀長室、艦長室には風呂が備え付けられているが、それ以外は大浴場で日頃の垢を落とす。ジーナが入浴した時、先客はたった一人だった。

「今日は、ネメシスの仲間によく会う日だなぁ」

とジーナが思うように、先客は船務長のカタリナ中佐だった。

「あら、いらっしゃい」

「どうも」

 気恥ずかしそうにジーナは答えた。湯船に浸かっているから分からないが、カタリナは胸は豊かで腰はくびれてスタイルがいい。あまりに女性的で、すらっと少年のような体形の自分としては気後れしてしまうのだ。そそくさとシャワーを浴びるとジーナも湯船に入った。

「肌がきれい。若いって、いいね」

 ジーナの肢体を見てカタリナがつぶやく。予想外の感想を耳にしてジーナは驚いた。

「カタリナさんのほうが、きれいじゃないですか。私なんて、胸小さいし」

「ジーナのほうが、足は長いし細くていいじゃない。体のことを気にし始めたら、きりがないわよ」

「…そうかもしれませんね」

「自分の嫌な部分って、自分でも気付くし他人がとやかく言ってくるけど、自分のいいところって意識しないとなかなか見つからないものよ。だから、寝る前に自分のいいところを見つける習慣をつけたらいいと思うわ。そうすれば、昨日よりも自分のことを好きになれると思うの」

「はい。ありがとうございます」

「…偉そうなこと言うけど、これって前に見たドラマの受け売りなんだよね。なるほどなぁって思ったから実践しようとしたんだけど、なかなか見つからないわよね、自分のいいところって」

 カタリナはくすくすと笑った。普段はメガネをかけているので分からないが、カタリナは相当美人だとジーナは思う。美人でスタイルが良くて仕事もできて、それでいてとっつきやすい人柄なんだから、浮いた話の二つや三つあってもよさそうなのに。

「カタリナさんって男の人にもてそうなんだけど、いい人いないのですか」

「えっ」

 突然の直球勝負を受けてカタリナはあわてた。

「もう、この子ったら。残念ながら今はいません。そろそろ現れてもいいのにな、白馬の王子様が」

「カタリナさんも憧れているんですか、結婚に」

「そうねぇ。一人でいるよりも相手がいた方が楽しそうじゃない。一緒にお気に入りのドラマを見るのが夢かなぁ」

 ぼーっと想像を膨らませているカタリナの顔を見て、この人ってこんな表情もするんだとジーナは思うと同時に、つい一年前の自分からは全く想像できないくらい穏やかな時間を過ごしているなと、しみじみと感じたのだった。



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実機訓練

 シグ粒子シールドの発達と熱核クロームエンジンの開発によって、宇宙空間内での航行速度が飛躍的に向上したが、それでも火星から木星までの旅路は長い。大した妨害も受けずに火星圏を離脱した宇宙戦闘母艦ヴィーザルは、のんびりした旅程の中にいた。通常航行は航海長と操舵手が交代で対応しており、ときおり副長が艦橋の監督をしに行ってくれているので、艦長のロニー大佐の仕事は、艦内の見回りや自室にこもっての事務仕事が中心で、人と会って話し込むことは少なかった。

 そんな中、ロニーは思いもよらない人物から面会を求められた。機動大隊長のスナイ少佐だった。

「艦長にお願いがあります」

 スナイの表情は硬かった。ヴィーザルの艦長になる前のロニーのことを、スナイは全く知らない。仮面を被った中央とのパイプが太い謎の実力者というイメージがあるので、スナイはこれまで急用でもない限りロニーと話すことはほとんどなかった。緊張の糸を隠せないスナイの姿を見て、あんたのほうが私よりも年上なんだけどな、と仮面の下で思いながら、ロニーは落ち着いた声を出した。

「珍しいな。何があったんだ」

「お叱りを覚悟の上で申し上げます」

 スナイは一呼吸置き、覚悟を決めて仮面越しのロニーの目を見た。

「実機での戦闘訓練の実施を、何とかご許可願いたいのです」

 木星への航行が長期に亘るため、ロニーは最大速度で航行する強行スケジュールを組んでいた。シグ粒子シールドを展開して最大速度を維持しているフネから、モビルスーツを射出することは不可能である。さらに、部品の摩耗やエネルギーの消耗を極力抑えたかったこともあって、ロニーは実機訓練を許可してこなかった。もっぱらシミュレーターでの訓練ばかりなので、パイロットたちは不安になっているという。

「出港してから数週間、こんなに長く実機に乗らなかったことはありません。実践の勘が鈍るという言葉もありますので、何とかご考慮願えませんでしょうか」

 スナイの表情は真剣そのものだ。シミュレーターの精度は格段に向上しているので、ほぼ実践に近い訓練をすることができるというものの、仮想空間であることには変わりはない。実機訓練への飢えが限界にきていることは明らかだった。

「分かった。実機訓練に関する計画書を作成、提出せよ」

「ありがとうございます。早速関係者と協議して提出致します」

なめらかな動作でロニーに敬礼すると、スナイは足早に艦長室から退出した。

 

 実機訓練は、スナイがロニーに願い出た三日後に実現した。搭載されているモビルスーツが参加するだけでなく、ヴィーザルの主砲や機銃座も含める大がかりな訓練になった。砲弾は使わず、ビームやメガ粒子砲の代わりに特殊なレーザー光線を用いる。部隊を三つに分け、一つが審判をする。審判を順番にするので、実機訓練は三回行うことになる。この訓練に、艦長のロニー大佐が自身専用のモビルスーツ“ユウギリ”で参加するのか、パイロットたちの間で話題になったが、艦長は艦橋で督戦することが決まり、“ユウギリ”のお披露目は当分先になったことが、パイロットたちを落胆させた。

「お嬢ちゃん、お手柔らかに頼むよ」

 一番隊の指揮官になったスナイ少佐が、モビルスーツデッキで“ユウギリ”をボーっと見つめるジーナの肩を叩いた。スナイは、愛機“マリウス=ゼータ”の基本色と同じスカイブルーを基調としたノーマルスーツを着用しており、ヘルメットには三つの流星が描かれている。赤と黒を基調としたノーマルスーツに身を包んでいる三番隊に配属されたジーナは、スナイに笑顔を向けた。

「ご冗談を。私が本気を出しても、少佐に敵うかどうか分かりません」

「他のパイロットたちは、久しぶりの実記訓練に緊張しているようだが、君は違うみたいだね。自然体が一番。ロニー大佐にいいところを見せてやれ」

「はい、少佐」

 スナイが愛機“マリウス=ゼータ”に向かうのを、ジーナは敬礼をして見送った。

 他のパイロットたちも、続々と自機に乗り込んで行く。ジーナもヘルメットのバイザーを下げ、愛機“ローガンダム”に向かう。コクピットハッチには、整備士のパベル曹長がいた。

「あくまでも訓練だから、右ビームサーベルの出力は極限まで下げられている。ただ光っているだけだと思えばいい。ライフルもただのレーザー光線だから、破壊力はない。万が一実戦になったとしても全く役に立たないから気をつけるのだぞ」

「他の兵器は?」

「左ビームサーベルは実戦状態のままだ。他の兵器はコントロールパネルにあるスイッチを入れさえすれば使える。だが、絶対に使うなよ。ロニー大佐からの伝言だ。“使ったら火星へ強制送還だ”とさ」

「えーっ。それはいやだ」

「なら、いい子にして、言いつけを守るんだな」

「はーい」

 ジーナのいい返事を聞いたパベルは、笑顔でコクピットハッチから離れた。その様子を確認したジーナはコクピットに乗り込み、ハッチを閉じる。閉じると同時に360度スクリーンが周囲を映し出した。せわしく動き回る整備兵たち。スピーカーからは、誘導員の指令が次々と流れてくる。その指令に従って、ジェグナがカタパルトへと運び出されていく。その様子をじっと注視していると、誘導員の指令が流れた。

「グリンカ曹長。三番カタパルトへ誘導する。準備はいいか」

「はい。問題ありません。誘導お願いします」

 モビルスーツハンガーからカタパルトまでは、自動で移動させられる。一分もしないうちに、ローガンダムはカタパルトまで運び出された。カタパルトに出ると、もうそこは宇宙空間だ。遠く離れた太陽の光が頼りなく降り注いでいる。モビルスーツで宇宙空間に出るのは、もう二回目。少しは慣れた。一呼吸置いて、ジーナは前を見据えた。

「ジーナ=グリンカ。ローガンダム。行きます」

 カウントダウンランプが順に発光して、一番下のランプが赤く光る。それと同時にローガンダムは射出された。すでに半数以上が射出されており、ジーナは三番隊の隊長の元へと向かった。

 

 実機訓練の総指揮は、副長であるラモン中佐が執ることになった。その元で、戦術長のグラハム中佐が防御側のモビルスーツ部隊とヴィーザルの砲雷を指揮して、攻撃側のモビルスーツ部隊を迎え撃つ。その様子を艦長であるロニー大佐が観覧した。

「練度が高いな」

 攻撃側の一番隊と防御側の二番隊の動きを見て、ロニーは感嘆した。「我々は大事にされている」と言ったハムザの意見は正しいのかもしれない。クーデター軍との決戦を前にして、ルーデンドルフたち共和国軍の首脳は優秀な人材を手元に置いておきたかったはずだ。それなのに、スナイを始めとした優秀なパイロットを回してくれたということは、ロニーに対する好意としか考えられないのではないだろうか。

 攻撃側と防御側のモビルスーツの数は同数で、しかも防御側にはヴィーザルの砲塔や機銃座がある。航海長のルスタム少佐の操艦もすばらしく、防御側のほうが優勢だと思われたが、指揮官のスナイの指揮がよく、また自身の“マリウス=ゼータ”の攻撃力の凄まじさもあって、攻撃側のほうが優勢だった。訓練は一時間半に及んで終了した。ロニーは情報長のハムザ少佐に命じて、スナイの“マリウス=ゼータ”と回線を開いた。

「スナイ少佐。ご苦労だった。貴官の指揮には感心した」

「もったいないお言葉、ありがとうございます」

「一時間の休憩を挟んで、次は防御側だ。三番隊の攻撃をしのいで見せて欲しい」

「“ローガンダム”のいる三番隊ですか。手を焼きそうです」

「貴官の“マリウス=ゼータ”と“ローガンダム”が、うちの二枚看板だ。期待しているよ」

「ご期待に沿えるよう、全力を尽くします」

 スナイはロニーに敬礼をすると、回線を切った。

 休憩のため、次々とモビルスーツが収容されていく様子を、気楽に皆が眺めている中、ハムザと部下の情報科員だけがモニターをじっと見ていた。火星軌道とアステロイドベルトの中間宙域の何もないところだから、誰もいない安全な場所のはず。だから、ロニーも実機訓練の許可を出した。でも、だからといって100%安全であると言い切ることはできない。ハムザは、二人の部下とともに周囲の索敵を続けていた。画面や音波探知機を用いた索敵は、単調な作業なのでつまらない作業だ。元来飽きっぽい性質のハムザは、敵でも来たらいいのにと不埒なことを考えて始めていた。すると、画面の一部分に光点がいくつか現れた。タッチパネルを操作して、異常の正体を探るべく分析に取り掛かる。光点から発する熱量や物質を分析した結果、分かったことは…

「緊急事態発生。10時の方向、俯角プラス30度、距離およそ500キロにモビルスーツらしき未確認物体発見。数およそ10。まっすぐこちらに向かっている模様。推定接触時間は約40分後」

「何だと」

 叫んだのはラモン副長だった。艦長席に座っているロニーは、静かに受話器を手に取って全艦放送を行った。

「モビルスーツの収容作業は、二番カタパルト以外を用いてそのまま続行。着艦したモビルスーツから順に実戦モードへの換装を進めよ。砲塔と機銃座も同じく換装を進め、済んだところから第一種臨戦態勢」

 受話器を置くと警報が鳴り響いた。ロニーは艦長席から飛び降りると、艦橋の出口へと向かった。その背中にラモンが声をかける。

「大佐。どちらへ」

「呼んでもいない悪徳セールスを追い返しにいく。ラモン中佐、ここを任せる」

「大佐!」

 ラモンの制止を振り切ってロニーは艦橋から出て行った。今、外にいるモビルスーツは実弾を装備していないので、戦闘が発生したら著しく不利だ。ここは、実弾を装備したまま待機状態の“ユウギリ”に任せるしか方法がない。ラモンはロニーを制止することを諦め、戦闘指揮を執ることにした。

「ハムザ、未確認物体から通信は?」

「ありません。こちらから何か呼びかけますか」

「そうだな。所属と飛行目的を聞いてみてくれ」

「了解」

 ハムザとのやりとりを終えたと確信したルスタム航海長が声を上げた。

「副長。針路はいかが致しましょうか」

「“ヴィーザル”はこのまま停止。モビルスーツの収容作業が先だ。いつでも発進できるよう機関はアイドリング状態を維持」

 こう指示したのち、ラモンは受話器を手に取ってモビルスーツ整備班にダイヤルした。

「これから大佐が出撃なされる。各員直ちに“ユウギリ”の出撃準備に着手」

 指示を終えてラモンは受話器を置く。置いたと同時に呼び出し音が鳴り響いた。第一主砲からだ。メガ粒子砲への換装が完了したという報告が入る。

「メガ粒子砲は拡散型に切り替え。指示があるまで待機」

 第一主砲への指示を終えると、ハムザが報告を上げてきた。

「こちらからの呼びかけに対し、先方からの連絡なし」

「連中の動きは」

「依然、速度を保ったまま、こちらに向かってきています」

「停止命令を送れ。止まらなければ敵と見做すと」

「了解」

 カタリナも、船務長として艦内に指示を飛ばしている。艦橋は一気に緊張状態に包まれていった。

 

 ロニーが、ジーナと同じ赤と黒を基調としたノーマルスーツに身を包んでモビルスーツデッキに姿を現したとき、既にモビルスーツ“ユウギリ”の発進準備は整っていた。整備長のリャン少佐がロニーを待っていた。

「万全の態勢を整えております。ご武運を」

「ありがとう、少佐。帰還したモビルスーツの換装は、焦らず着実に行うよう各員に厳命するように」

「了解致しました」

 リャン少佐の返答に頷いたロニーはヘルメットのバイザーを下ろし、愛機“ユウギリ”へと向かった。“ユウギリ”は、旧ジオンのドムタイプとガンダムを融合させたような形状をしており、夕焼けを思わせる赤を基調とした塗装、ランドセルやスカート、足など各所にバーニアを配していて、推進力に関しては他のモビルスーツを寄せ付けない。武装はビームライフルとビームサーベルの標準装備のほか、バズーカもある。今回は、全ての武装を携えての出撃だった。ロニーはコクピットに座りハッチを閉め、360度スクリーンを稼動させる。すぐにスクリーンの一部に誘導員の顔が映し出された。

「二番カタパルトからの射出になります。発進準備に入ってよろしいでしょうか」

「構わん。すぐに進めてくれ」

「了解しました」

 誘導員の顔がスクリーンから消えると同時に、ユウギリがカタパルトに向かって運び出された。二番カタパルトは、前部中央のカタパルトだ。両脇の一番と三番のカタパルトには、訓練を終えたジェグナが次々と着艦してきている。

「訓練を終えたモビルスーツは、スナイの指示に従って再出撃にかかれ。ロニー=ファルコーネ、ユウギリ、出る」

 ロニーを乗せた“ユウギリ”は、星々の海へと飛び立った。ハムザが発見した光点群のあるほうへ機体を向ける。しばらくすると背後から一機のモビルスーツが“ユウギリ”に近づいてきた。そのモビルスーツは“ユウギリ”に接触すると、そのパイロットが“ユウギリ”に通信アクセスをしてきた。映し出されたのは、よく顔を知っている女性パイロットだった。

「トオルさん。私もお供しますね」

「こら、その名前を呼ぶんじゃない」

 このように戦闘母艦ヴィーザル艦長のロニー大佐にたしなめられても、女性パイロットはどこ吹く風といわんばかりに平然としていた。

「接触通信だから、他から傍受されることはありませんよ。だいたい、10機を相手にするのに誰も連れて行かないなんて、自殺行為ですよ」

「戦いに行くなんて誰も言っていないぞ」

「バズーカまで持っているのに戦わないなんて言っても、信憑性ゼロですよ」

「ジーナ、言うことがハムザに似てきたな。少し前まで、おしとやかな女の子だったのに」

「おしとやかなんて言ってくれるの、トオルさんだけですよ。うれしいな」

「うそをつけ。学校では猫の皮を被りまくっているくせに」

「いやだわ。私生活を覗き見するなんて、お下品だわぁ」

「そんなことするわけないだろ。学校の先生から聞いたんだ」

「なぁんだ。そうだったんだ。安心した」

「まったく、人を何だと思って…」

 無駄話をしているうちに、ジーナの顔の隣に光点の解析結果がコクピットの360度全面スクリーンに映し出された。10個の光点のうちの三つは、全長100メートル強の軽巡洋艦クラスの艦船の動力源、あと七つがモビルスーツのものだった。モビルスーツの機種の解析結果もすぐに出たのだが、その結果にロニーは唖然とした。

「リックドム?なんじゃそりゃ」

 数世紀前の骨董品だ。ローガンダムやユウギリといった最新鋭機とは、性能が比べ物にならない。軽巡洋艦プラスリックドム7機なんて、ローガンダム1機だけでも、ものの数分で片付けられるだろう。これだったら援軍を呼ぶまでもない。バズーカなんて必要なかったなとロニーは思った。

「ジーナ、連中を生け捕りにしたい。できるか?」

「了解です、大佐」

 ローガンダムとユウギリは加速した。リックドムのパイロットからすると、とても信じられないスピードだろう。急接近する2機に向かって、リックドム7機は一斉にビームライフルを撃ち込んだ。ジグザグ飛行をする2機にビームはかすりもしない。先頭を走るローガンダムが左ビームサーベルを抜くと、リックドム1機の両足を両断して飛び去る。そのまま後続のユウギリが、ビームサーベルでふらつくリックドムの両腕を切断し、身動きできなくする。一瞬の出来事に他の6機は、接近戦に持ち込めばいいのか、続けてライフルによる射撃を続ければいいか戸惑った。この戸惑いの一瞬が命取りだった。ローガンダムが左旋回して別のリックドムの面前で急停止すると、三つの斬撃で両腕と腰を切断。ユウギリもまた別のリックドムの頭から右腕にかけてビームサーベルで切断。返す刀で腰を切断して戦闘不能にする。そして振り向きざまに別のリックドムに指からトリモチを射出して身動きできなくした。あっという間に僚機4機が戦闘不能にされてしまったので、観念したのか残りの3機は、ロニーたちに対して降伏のサインを送った。

「降伏したければ、そっちにいる軽巡洋艦ともども完全に動力を停止せよ。1分以内に動力を停止させなければ、速やかに撃滅する」

 ロニーの命令は直ちに実行され、ロニーたちを襲おうとした集団は全て降伏した。遠く“ヴィーザル”の方角から、援軍の光点がこっちに向かってきているのを、ロニーとジーナは確認した。



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歪みの狭間で

 破壊されたリックドム3機、トリモチで身動きできなくなったリックドム1機、そして動力を停止させた軽巡洋艦1隻とリックドム3機は、あとからやって来た宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”に拿捕され、乗員全員が“ヴィーザル”の捕虜となった。リックドムのパイロット7人の他、軽巡洋艦の乗員40名は、ヴィーザル船底の空き倉庫に手錠つきで放り込まれ、一人軽巡洋艦の艦長だけが、ヴィーザルの幹部の前に連れ出された。ヴィーザルには鎮圧部隊として歩兵1個中隊が乗り込んでおり、その隊員二人に囲まれた軽巡洋艦の艦長は、手かせ足かせをつけられ、口には舌を切らないよう口かせまでさせられて座らされていた。会議室には、艦長であるロニー大佐のほか、副長のラモン中佐、情報長のハムザ少佐、機動大隊長のスナイ少佐、特別審問員としてジーナ曹長、他数人が陪席した。

「こんなところで、一体何をしていたのだ?」

 仮面越しにロニーが、冷たい視線を艦長に放った。軽巡洋艦は、リーンホース級を土台にした改造品に見受けられるが、そうと断言できないほど大幅に継ぎ接ぎされていて、もはや判別不能である。そんなボロ船と骨董品で、最新鋭の巨大戦艦と最新鋭のモビルスーツに戦いを挑むとは、自殺行為以外のなにものでもない。ロニーは艦長の言葉を待った。艦長はなかなか喋ろうとしなかったが、シンと静まり返った状況に耐えられなくなったのは艦長のほうが先だった。

「軍艦を襲ったから、どうせ打ち首獄門なんだ。さっさと処刑したらどうだ」

 口かせといっても、舌を切らないようにしているだけなので、呼吸は当然、自由に話すこともできる。開き直った艦長は、堰を切ったように饒舌に語り出した。

「連邦政府は、地方のことは地方に任せるなんて奇麗事を言うだけで、全く何もしてくれない。だいたい、アステロイドベルトみたいな人の住みにくいところに企業が進出なんてしてくれるはずがないだろうが。昔は、木星航路の中継地としてそれなりにモノが売れたらしいけど、技術が発展した今、アステロイドベルトなんてただの通過地点だ。誰も寄り付かない辺境の片田舎。水と食い物が少々あるだけの辺鄙な暗黒空間。金属と岩石でできた大地と空の下で、何の教育も医療も娯楽も受けられず、ただの生物としてしか、俺たちは生きることを許されないのか?そんな生き方なんてあるか。ふざけんな。アステロイドベルトの人工大地で生きるくらいなら、青空の下で走り回る地球のネズミの方がよっぽどましだ。さっさと殺して、地球のネズミに生まれ変わらせてくれ」

「…なるほど。たいそうなご高説、ごくろうさんだ」

 ロニーは冷たく言い放った。

「教育や医療、娯楽を受けたいがために、強盗家業を働くのか。本末転倒もいいところだ。そもそも私は、君たちの主義主張に興味なんて一切ない。もう一度言う。こんなところで一体何をしていたのだ?」

「……」

 自分の思いが伝わらなかったことに落胆したのか、同情を買って無罪放免を勝ち取ることができず心の中で舌打ちしたのか分からないが、艦長は表情を険しくして黙り込んだ。しばらく艦長の様子を観察していたロニーは、ハムザに視線を向けた。

「たしか、この先にアステロイドベータコロニー群があったよな」

「はい」

 ハムザは手元のキーボードを操作して、拘束されている艦長の背後に設置されているスクリーンに星図を映し出した。はるか昔、地球連邦政府が成立する以前、連邦政府の前身であるISDOが、木星航路の中継地点をアステロイドベルトに設置した。準惑星セレスをアルファ、そこを起点として反時計回りに90度の地点をベータ、さらに90度の地点をガンマ、そしてさらに90度の地点をデルタとして計4ヶ所にコロニー群を作った。これらが人類史上初のコロニー群である。熱核クローム航行システムが確立されるまでは、水と食料、燃料の補給拠点として、これらのコロニー群は賑わっていたのだが、今では先程艦長が高説をのたまった通り、さびれきってしまっている。現在の“ヴィーザル”にいる位置から木星に至る航路の途中、アステロイドベータコロニー群がそばにあるようだった。その星図を眺めたロニーは、ラモンに視線を向けた。

「さびれきって犯罪者の巣窟に成り下がっているくらいなら、いっそのことコロニー群を全て完全に破壊、消滅させてしまったほうが人類の未来のためだろう。エネルギー弾薬を消耗するが、木星に行く行程には支障ないはずだ。少々航路をそれるが、アステロイドベータコロニー群へ向かい、コロニー群の完全破壊を実施する」

 ロニーは高らかと宣言した。それを聞いた艦長は涙目になって哀願した。

「そ、それだけは勘弁してくれ。やめてくれ。コロニー群には、俺の妻と子供がいる。俺の命はいらないから、コロニー群の完全破壊だけはやめてくれ。たのむ」

「ほう。フネとモビルスーツを使って私たちを殺そうとしていたくせに、ずいぶんと都合のいいことを言ってくれるな。なぜ、殺しに来た殺人鬼の言うことを聞いてやらねばならんのだ」

「それでも頼む。コロニー群の破壊だけはやめてくれ。好きでやっているわけではないのに大切なものを奪われるなんて、あまりにも割に合わない。本当に勘弁してくれ」

「好きでやっているわけではないというのだな」

「まっとうな給料をもらえる、まっとうな仕事があるのなら、とうにそれをやっているさ。強盗家業なんて空しいだけだ」

「それにしては、軽巡洋艦にモビルスーツとは、ずいぶんと手が込んでいるではないか」

「仲介してくれる組織があるからな。強盗で得た利益をいくらか払う契約さえすれば、簡単に手に入る」

「ほう。で、その組織は何ていうのだ」

 このとき、仮面の下のロニーの瞳が妖しく光ったように、そばにいるジーナは感じた。組織の名前を出すのはご法度のようで、艦長は再び口を閉ざして答えようとしない。ロニーは立ち上がった。

「話したくないのなら、別に構わない。ベータコロニー群全体が組織であるのなら、なおのこと、コロニー群を完全破壊するまでだ。我が艦の主砲の威力、特等席で存分に鑑賞するといい」

「そんなことすれば、連邦政府が黙っていないぞ。いくらあんたたちが連邦軍だとしても、あとで後悔することになるぞ」

 艦長が吼えた。艦長の台詞に興味を持ったロニーは、再び着席した。

「さっきまで連邦政府を非難する演説をしていたお方が、今度は連邦政府を持ち出して我々を脅迫してくるとは興味深い。その組織の裏に連邦政府がいるということか?」

「そ、そ、そ、そんなことは、誰も言っていない」

 艦長は狼狽しながら否定した。だが、この狼狽ぶりが、逆に真実であることを裏付けるものだと、ロニーは確信した。

「ベータコロニー群に着くまで、まだ時間は十分にある。今回の尋問はこれまでにしよう」

 ロニーが立ち上がり、会議室を出て行ったことで散会となった。

 

 軽巡洋艦艦長尋問会から数時間後、ロニーは艦長室にラモン、カタリナ、ハムザ、ジーナの四人を呼んで夕食会を開いた。下士官たちが夕食を運びこんで席を外したあと、ロニーは窮屈な仮面と兜を脱いだ。

「やっぱり慣れないなぁ。窮屈だ。素顔でいられるということがどんなに幸せなことか、しみじみと感じるよ」

「軽い素材で作ってとお願いしたんだけど、それでも重たい?」

「重くはないんだけど、圧迫感だけはどうしようもないよ」

 ジーナの問いに、ロニーことトオルは苦笑した。夕食が並んだテーブルに座るよう皆に促す。上座にトオル、トオルの向かいにラモン、トオルの隣にジーナ、ジーナの向かいにカタリナ、カタリナの隣にハムザが座った。

「強盗団の親分って、どんな奴だったの?」

 グラスワインを手に持っている非番のカタリナが、ジーナに尋ねた。サラダのトマトをフォークで突き刺す動作を止め、ジーナはカタリナにニコッと笑った。

「とっても冴えないおじさん」

「えーっ。ドラマに出てくる宇宙海賊の船長って、陰のあるニヒルな二枚目っていうのが定番なのに、ゲンメツぅ」

「それなら、僕がなってみせますよ。カタリナ姫を虚空の宮殿にご招待…」

「あんた、小学生からやり直したほうがいいわよ」

 しょうもないことを言うハムザをカタリナは一刀両断にすると、手にしているグラスワインを口にした。まだ仕事を残しているハムザは、カタリナの持つグラスワインをうらやましそうに見たあと、トオルに視線を移した。

「閣下、本当にベータコロニー群を殲滅するのですか?」

「あぁ、あれか」

 トオルはロールパンを手に取ると、バターナイフでマーガリンを切りパンに塗りつけた。

「あれは、ただの脅しだ。いくら私が枢密顧問官だからといって、勝手に軍事行動を起こす訳にはいかない。あちら側が手を出してきたのなら、話は別だけど」

「あちら側って、あの艦長一味を取り戻しに来る連中がいるということですか?」

 アスパラの炒め物をフォークで突き刺しているラモンが尋ねた。パンとマーガリンが奏でる絶妙なハーモニーを楽しんでいるトオルは笑顔を作った。

「おそらく。たとえば、ある人が世界的有名大企業A社の一員になったとする。その人は、そうなれたことを誇りに思うだろう。そしてその誇りは、次第にA社と自分を一体化させる。俺の言葉はA社の言葉、俺を侮辱するということはA社を侮辱することだから、A社は黙っていないぞってね。しかし、突然会社が自分を冷遇し始めたら、会社の悪口を言い始める。こんなに会社に貢献しているのに、会社は何も分かっていない。会社は馬鹿だ。会社はおかしい、変わるべきだって具合に。さっきの艦長は、連邦政府のことを批判していたくせに、最後には連邦政府をダシにして私たちを脅しにかかった。間違いなく連邦政府の機関とつながっている。ならば、そいつらが拿捕された連中を取り返しに来る可能性はあるだろうね」

「でも、連邦政府関係者が、強盗まがいのことをするなんて、考えにくいですが」

「まぁね。でもありえない話ではない。ハムザ、食事中のところ悪いが、連邦政府のアステロイドベルトにかけている予算の、ざっとした内訳が分かるか?」

「いいですよ」

 ハムザは立ち上がると、トオルの執務デスクに座って端末をいじりだした。トオルの端末はネメシスから持ち込んだもので、第三総軍総司令官代理だった短い間、総司令官のコードを使って連邦政府のホストコンピュータにアクセスし、全てのデータをコピーしていたのだ。公表されていない太陽系の詳細な星図データもあるので、微惑星や隕石に衝突したりせずにすむ最も安全な航路を算出することもできる。貴重なデータが詰まっているトオルの端末から、連邦政府の予算データを呼び出した。解析を進めた結果…

「地域振興対策費という名目で、大雑把な金額が計上されていますね。生活空間改良工事という名前がついた支払いがたくさんあります。何でしょうね、生活空間改良工事って」

「コロニー群の空調や汚水処理、有害光線の遮断など、宇宙空間で生活するために必要な設備の設置に使われる費用だね。サイド1に使っている費用と比べて、どうだ」

「…そうですねぇ」

 四人の食事の手が止まって、端末を操作しているハムザに視線が集中する。しばらく端末の操作音だけが室内を支配したが、その時間は長くなかった。端末から手を離したハムザは軽くうなった。

「こりゃ、すごい。ベータコロニー群って、サイド1の半分の規模しかないのに、使っている予算は1.5倍くらいです。地球から離れているというだけで、こんなにお金がかかるものなのですか」

「何言ってんの。当然でしょ。全ての機械部品を現地調達できないから、地球圏から持ってくる費用だけでも馬鹿にならないし、技術者を呼ぶとなると大変なことになるのだから。でも1.5倍って…」

「……1.5倍は少ないな…」

 カタリナの感想にトオルが乗っかった。

「人類が初めて作ったコロニー群だ。相当老朽化しているはず。それが、たった1.5倍だけの予算で足りるとは到底思えないな。ところで、支払先はどうなっているんだ」

「全てコロニー公社になっています」

「コロニー公社か…」

 宇宙開発省の外郭団体。宇宙開発省からの出向者と、採用方法が全く公表されていない生え抜き職員だけで構成されている謎の組織。コロニー公社なのに本社は地球にあり、各コロニーに支社を置いていることになっているが、支社には支社長しかおらず、その支社長も地球にいる。各コロニーに駐在している職員は、全てコロニー公社の子会社の職員である。コロニー公社の財務状況や実務は非公表。毎年、宇宙開発省から査察が入り、結果を連邦議会に報告しているので何も問題はないとされている。

「政府は奇麗事を言っているが、裏で何をやっているか分かったものじゃない」

 こうつぶやいてトオルはコーンスープをすすった。

「あの軽巡洋艦の艦長が言っていたけど、アステロイドベルトのような大した資源もない辺境の地に企業が進出してくることは考えにくいし、観光で人が来るとも考えにくい。木星航路の補給基地としての機能がなくなったら、どうやってアステロイドベルトのコロニー群に住む人たちを食わしていく?」

 地球連邦政府が成立する以前、多数の国家が乱立していた時代、たいした産業がなくて貧しい国々に住んでいた人たちは、一体何を生計としてきたか。もちろん真面目に働いて暮らしている人はたくさんいるが、そうでない人の比率は経済的に豊かな国よりも群を抜いて高かった。中には、非合法なことに手を染める国家すらあった。地球連邦の成立によって国家の枠組みはなくなり、国家が非合法な経済活動をするということはなくなった。好景気のときには、強大な政府の強力な推進力で人々の生活は飛躍的に向上した。だが、ひとたび景気が停滞すると、政府の推進力は経済格差の拡大に向かう。所得の高い者は、高い者同士の競争に明け暮れる。より所得を上げるために、政治家や役人と結託して経済的弱者から搾取することを考える。所得に格差があるのは当たり前。でも税金は皆平等に払うのが当然。ひどい場合は、受益者負担を持ち出して経済的に苦しい人からも多く徴税しようとする。チャンドラ=ラオが、かつての地球連邦政府の栄光を取り戻すべく捨て身の覚悟で火星地球化計画を実行に移し、かろうじて連邦政府の財政破綻を免れ、人類社会に好景気をもたらすことに成功したが、それが終わると再び経済は停滞し、経済格差は更に広まった。普通に働いているのに人間らしい生活ができなくなったら、どうなるか。食うためには何でもやる。それが生物の本能。ならば…

「食わしていくために、コロニー群の支配層はあらゆる手段を使うだろうね。でないと、自分たちの立場が危うくなる。搾取ばかりで人民を弾圧する権力者は、例外なく滅亡しているのだから。大した産業もなく外貨を稼げない。補助金も当てにできない。なら、少々のことには目をつぶり、場合によっては影で手助けぐらいはしているのだろう。今回我々を襲ってきた連中は、きっとベータコロニー群の公権力者とつながっている。だとしたら、仲間を取り返しに大挙して押しかけてくる可能性は、やっぱりあるだろうね」

「どうにも手の施しようがなくなったから、ろくでもない稼業にも手を染めているというわけですか。世も末ですなぁ」

 こうつぶやくと、ラモンは照り焼きハンバーグを口に放り込んだ。国境がなくなって国家間の格差はなくなったけど、地域間の格差は拡大しているように見える。生活環境が豊かなところで生きている人は豊かで、貧しいところで生きている人は貧しい。貧しさに逃げ出したくても、国家が統一されているので逃げ出す先になる他の国が、人類社会に存在しない。

「もう、連邦政府には、この経済停滞を解決する力はないのでしょうか」

「おそらく、ないね」

 ラモンの問いかけにトオルは明快に答えた。

「経済格差と無縁の子供たちにとっては、国家や人種の枠組みに囚われず仲良くなれるので、統一国家というのは良いものだろう。だが、所得を得て生活していく大人にとってはどうかな。統一政府が力のある者への忖度に走り弱者を省みなくなったら、弱者は一体どこへ逃げればいい。そういう人たちの受け皿になる存在は、必要なんじゃないかな」

「それが、火星自治共和国というわけですか」

「そうなれるかどうかは、私には分からないな。ひとつ言えることは、地球へのこだわりを捨てない限り、受け皿にはなりえないということだ。アメリカは、宗主国のイギリスへのこだわりを捨て、独自の道を歩んだからこそ発展できた。かつてのジオンのように地球連邦政府にこだわると、火星もジオンと同じ轍を踏むことになるだろうな」

 トオルも照り焼きハンバーグを切り分けて、自分の口に放り込んだ。様子を伺っていたジーナがおそるおそる声を出した。

「トオルさん。話は変わるけど、これからどうするつもりなの。ベータコロニー群に行くの?」

「ん、そうだな」

 トオルは、溢れる肉汁を味わい咀嚼してハンバーグを胃に収めた。

「ジーナはどうしたいんだ?ベータコロニー群の見学でもするか?」

「け、見学って。さっきの話はよく分からなかったけど、ベータコロニー群って、私たちを敵と思っているんじゃないの?行って大丈夫なの?」

「相手さんがどう思っているかを気にするときというのは、自分が不利な立場にいる、もしくは将来不利な立場になる可能性がある場合だけだ。今現在そして未来に至っても、ベータコロニー群が火星自治共和国を敵に回したところで、不利になることはたくさんあっても、利益になることは一切ない。さっきは、仲間を取り返しに来る可能性があるとは言ったけど、その可能性はおそらく低いよ。気に病むことは何もないさ」

「そういうものなのかなぁ」

「心配性だな。どっちにしろ、ベータコロニー群の近くまでは行くつもりだ。拿捕した大勢の人間を食わせるだけの食料は、ヴィーザルにはない。さっさと返して身軽にならないとね」

「寄り道することになるのでしょ。それなら、余計すぐにでも木星へ向かうべきなんじゃないの」

 心配そうにトオルの様子をジーナが伺った。トオルは意地が悪い笑顔を作った。

「そうか。人類が初めて作った世界遺産ともいえるコロニー群がどんなところか、全く気にならないのか。そうかそうか」

「ひどいなぁ、トオルさん。本当は、自分が行きたいんじゃないの」

「バレたか。そうなんだ。気になっているのは私だ」

 舌を出してトオルはおどけてみせた。

「ジーナが興味がないのなら、あきらめて素通りしようと思う。どうするジーナ」

「えっ。私が決めるの?」

 思ってもいないことを振られてジーナは慌てた。

「タクシーじゃないのに、行き先を決めるなんてできないよ」

「そうか?人を運んでいるという点で言えば、ヴィーザルもタクシーも変わらんだろ」

 そういえば、トオルさんはローガンダムを落し物扱いするような人だった。少し前のことを思い出したジーナは、つまらないことを言ってしまったと後悔した。

「欲を張って言わせてもらうと、私も気になります。だって、初めて作られたコロニーなんでしょ。どんなところか、見てみたいです」

「なら決まりだ。補給を整えるためにベータコロニー群に寄港しよう」

 宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”の目的地は、この艦長の一声で決定した。

 

 食事が終わり散会したあと、艦長室にはトオルとラモンだけが残った。窓の外に広がる無限の星々の群れを眺めるトオルの背後から、副長のラモンが声をかけた。

「さっきは、ジーナに酷なことを決めさせましたね。いくらなんでも宇宙戦闘母艦の行き先を決めさせるのは、やりすぎじゃありませんか」

「そうか。やりすぎだったかな」

 トオルの視線は窓の外に向いたままだった。

「だいぶジーナはまともになってきた。ウチに来た頃は大変だったけどね」

 あれからすでに半年以上経ったが、今でも当時のことは鮮明に覚えている。研究所で、そして軍隊で抑圧され続けていたジーナの精神状態は不安定だった。ひどく落ち込むこともあれば、興奮して攻撃的になることもあった。研究所からはいつでも相談に応じると言われていたが、トオルは研究所に頼ることは一切せず、あらゆる手段を使って民間の少年カウンセラーを見つけて相談した。ジーナを受け入れてくれた学校も生徒に対して真剣に向き合ってくれるところだったので、トオルとカウンセラー、そして学校のトライアングルでジーナと向き合った結果、ジーナは精神的な落ち着きを取り戻すことができたのだった。だが、

「まだジーナには、精神的に幼いところが残っている。そろそろ、他人にも影響が出る決断をさせて、決断というものには責任が発生するものだということを、教えたかったのだが」

「まあ、影響が及ぶのが私やカタリナ、ハムザくらいだったら、問題なかったと思いますが、ヴィーザルには大勢の乗組員がいますからね」

「中学校の生徒会長が決断することと同じようなものだと思っていたが、ヴィーザルの乗組員は中学生ではないからな。少々やりすぎたか」

 このように述べてトオルは振り返って微笑んだ。

「私が道楽で引き取っただけなのに、ジーナのことを気にかけてくれて嬉しいよ。これからも見守ってくれたら、ありがたい」

「ジーナのことが気になっていたのは、私も同じです。気になっていても何もできなかった私の替わりに、閣下がジーナの面倒を見てくださったのですから、感謝するのは私のほうです。これからもジーナのこと、宜しくお願いします」

 軍服を身にまとっているラモンは、トオルに敬礼ではなく深々と頭を下げた。二人の男を見守るように、星々はやわらかい光を放ち続けていた。



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辺境の悲哀

 アステロイドベルト・エリアベータ。木星へと至る航路上に設営された補給ポイントの一つとしてコロニー群を設営したエリアである。かつて、この地点の近郊にあった微惑星の一つにジオン公国の敗残兵たちが一大集団を築き地球圏への侵攻を行ったが、目的を果たせぬまま宇宙の塵となって消えた。当時は重要な補給ポイントとして賑わいを見せたのだが、熱核クロームエンジンを用いた航法が主流となってからは航行日数が大幅に短縮され、火星から無補給で木星へと至ることができるようになってからは廃れる一方。いつしかニュースにも取り上げられなくなり、アステロイドベルトに4ヶ所の補給ポイントがあることすら人々の記憶から消えてなくなっていた。

 そんなエリアに久しぶりの来客が現れた。来客といっても、大金を落としてくれる観光客ではなく、将来有望な修学旅行生でもなく、投資が期待できるビジネスマンでもない、愛想とは程遠いしかめっ面の軍人であり、乗ってきたフネは、豪華客船とは程遠い多数の大砲を備えた戦艦であった。戦艦に乗る軍人の一人ジーナ=グリンカ曹長は、船務長のカタリナ=トスカネリ中佐と、大きな窓から外を眺めていた。

「薄気味悪いところですね」

 窓の外に一基のスペースコロニーがある。だが、人が住んでいるようには見受けられない。太陽光をコロニーに採り入れる反射鏡は稼動を止めているようで、コロニー内は薄暗く中の様子がよく分からない。手入れをされているとは思えないほど、外見はボロボロ。遠目に見えるもう一基のコロニーも同様に感じる。カタリナもジーナと同じ感想を持ったようだった。

「こんなところに大勢の人が住んでいたなんて、信じられないね」

 宇宙船の往来すら見かけない。人が住んでいることすら信じられないジーナは、

「ひょっとして、幽霊だけがいるのかなぁ」

 なんてつぶやく始末。「幽霊」という言葉に、カタリナが飛びついた。

「そういえば、ジーナって霊を信じる人なの?」

 このカタリナの問いかけに、ジーナは微笑んだ。

「真のニュータイプは、宇宙を駆け巡っている死んだ人たちと心を通わせることができるのだと、研究所の人たちは言っていました。昔はそれを信じていて、死んだ人たちと心を通わせていた気がしていましたが、今になって思うとそれは幻覚だったのだと思います。人類が発生してから何千億人以上も死んでいるはずなのに、そんな大勢の人が一気に語りかけてきたら、きっと頭がオカシクなってしまうでしょうね」

「ふぅん。それじゃ、ジーナはお化け屋敷、平気な人なんだ」

「それとこれとは、話は別ですぅ」

 ジーナは口を尖らせた。高校に通っていた頃、友達と遊園地に行ったときにお化け屋敷に行ったことがあるが、あまりの怖さに早々にリタイアしてしまったことがあった。その話をトオルにすると、

「インベル大尉をぶっ飛ばす大胆不敵のジーナにも、怖いものがあったなんて意外だな。怖がっているところ見てみたいから、今度一緒に遊園地に行こうか」

 大笑いするトオルの頬を軽くつねったことが、つい昨日のことのように感じられる。目の前にあるコロニーの不気味さは、遊園地のお化け屋敷の比ではない。お化け屋敷は苦手だが、友達と遊んだいい思い出が残っている。でも、あのコロニーに行っても、いい思い出が残るとは思えなかった。

 

 ベータコロニー群には3基のコロニーがある。ロニーたちは、ヴィーザルに搭載されている艦艇では最大の揚陸艦“フリスト”に乗り込み、ベータコロニー群1バンチ“ランパス”に上陸した。すでに上陸する旨を伝えていたので、ロニーたちは丁重な出迎えを受けた。

「ようこそ、お越し下さいました。市長のスーリヤと申します」

 スーツを着た老齢の男が笑顔でロニーに手を差し出し、握手を求めてきた。身なりはきちんとしているが、スーツはヨレヨレで、肉付きの悪さと頭頂部の薄さが残念だ。ロニーは差し出された手を握った。

「私が艦長のロニー=ファルコーネです。早速ですが、難破船の乗組員の皆さんをお返ししたいのですが、いかがすればよろしいでしょうか」

「難破した住民を救助してくださったこと、住民を代表してお礼申し上げます。本来であればこちらからフネを出して引き取りに伺うべきなのですが、大したフネがありませんので、1番ドックに接舷して頂けないでしょうか」

 スーリヤ市長は深々と頭を下げた。“ランパス”上陸の1時間前、ロニーは軽巡洋艦の艦長とその乗組員たちに対し、難破船の乗組員だったことにして放免すると宣言していた。もちろん、

「余計なことを言ったり、性懲りもなく次に襲ってきたときは、容赦なく殲滅する」

と釘をさしてのことだったが。そんな事情を知る由もない市長に、ロニーは笑顔で答えた。

「軍人としての本分を果たしたに過ぎません。お気になさらないで下さい」

「ありがとうございます。大したことはできませんが、できるだけのおもてなしをさせていただきますので、どうぞこちらまで」

 市長一行に案内されたのは、かなり古い年式のバスだった。自動扉が壊れているのか、スーリヤ市長自らが扉を開けて乗車を促した。周りを見渡してみると、ところどころ修理もされずに破損しているところがある。電灯も故障して明かりが点いていない部分がある。妙に薄暗いなと思ったのは、そのせいだった。

 ロニー一行も乗り込んだところで、バスが発車した。コロニーの中央軸にある宇宙港を出てバスごと昇降機に乗り、コロニーの中に入った。

「…こ、これは」

 ロニーは唖然となった。街がさびれきっている。建物は朽ちたまま。人の往来も少なく、まばらに歩いている人の大半が老人のようだった。たった3基×4ヶ所で合計12基のコロニーしかないのに、20基以上のコロニーを抱えるサイド1より多くの予算が割り振られている。なのに、何故こんなに街がさびれきっているのか。

「連邦政府から支給される交付金だけでは、コロニーを維持することすら困難なのです」

 ロニーの疑問を察知したのか、隣に座るスーリヤが語り始めた。

「コロニーとコロニー内の建造物は、ほぼ同時に完成します。なので、老朽化は同時に進行します。本来であれば、きたるべき大規模修繕に備えて基金を作り、将来を見据えた産業振興策を立てておくべきだったのですが、かつての指導層は木星航路の補給ポイントで得られる収入に満足し、その収入が未来永劫続くものだと楽観視していたため、基金へ回すべき資金をむやみに投資へ回し、補給ポイント収入以外で稼ぐ方法も考えず、無為に時間を過ごしていました。結果、補給ポイントとしての収入がなくなると、若い人ほど別の場所へと移り住んでしまい、残されたのは老人ばかり。しかも、修繕基金を貯めていなかったばかりに基金はすぐに底をつき、生命維持にどうしても必要な装置を連邦政府からの交付金で修繕・取替えするので精一杯。それ以外の部分は放置するしかありません。人口が減ったこともあいまって、3基あるコロニーのうち2基を閉鎖しているのですが、それでもカネが足りない有様です。地球から遠い上に若い人もいなくなったので、地球の企業からは見向きもされません。せめて、補給ポイントとして栄華を極めていた頃に企業を誘致しておけば、若い人の働き口に困らなかったでしょうし、少しは市の財政も楽だったかのでしょうが…」

「……」

 市長の悲哀がロニーに突き刺さった。ロニーは思う。人々の認識がいかにおかしいか。景気が上向きになっているのは、まさにその時の指導者が優れているからだと思いがちだ。それは違うとロニーは思う。景気が上向く前の人々が苦労した結果、景気が良くなっているのであって、景気がいいのは、まさにその時の指導者ではなく、景気が上向く前の指導者たちが優れていたからだ。そして、景気が悪化したのは、悪化する前すなわち景気が良いときの指導者が無策だった結果だ。なので、景気が上向きなときの指導者ほど、それを未来永劫続けるための努力をすべきなのに、人類の歴史上、そういう努力をした好景気の頃の指導者はほとんどいない。そして、景気の悪化を止められない指導者たちは、決まって屁理屈が詰まった言い訳をする。そしてそういう指導者ほど、部下には言い訳を許さず、そして責任を部下に押し付ける。自ら火の粉を浴びる覚悟を持った大胆な改革には及び腰になる。誰々に嫌われたくないから、誰々に迷惑をかけるから…政治指導者たちは大局を見据えて判断すべきなのに、何とか団体の会長とかしか見ていない。何とか団体の会長は、しょせん個人にすぎないのに。何とか団体の会長の言うことを聞いても、その会長の狭い取り巻きだけにしか恩恵が届かないのに。チャンドラ=ラオは地球連邦中興の祖と言われているが、それは彼の晩年であって、宇宙開発省長官になったばかりの頃は何度も流産しかけた第三期宇宙開発計画を何としても成立させるために奔走し、史上最低の長官と各所から罵声を浴びる苦労の連続だったと聞く。だが、チャンドラ=ラオが逝去したあと、どうなったか。のちの指導者たちは、彼が敷いたレールに乗っかっただけで、何もしていない。社会に歪みが出ても、彼らは自分の人脈作りにだけ奔走して何もせず、結果火星でクーデターが発生するに至った。景気のいいときの指導者どもが遊び呆けていた尻拭いを、何故しなければならないんだ。スーリヤ市長の瞳には、その思いが詰まっていた。

「もはや、経費の節減は限界です。収入を得るために様々な手を尽くしてきましたが、それも限界です。このコロニー群を完全に閉鎖する決断をしなければならない時期が迫ってきているのですが、住民の強制移住を命令する権限はありませんし、移住先で収入が得られる保証もなく、そもそも移住先すら決まっていません。地球への移住と住民の職業斡旋を何度も連邦政府内務省に陳情しているのですが、お茶を濁してばかりで全く話が進みません。地球から遠く離れていることもあって、相談する相手もおらず困っています。軍人である艦長に相談することではないのは、十分承知してはいるのですが、知恵を貸して頂くことはできないでしょうか」

 市長の言葉には熱があった。そして、ロニーを襲った軽巡洋艦の艦長が決して口を割らなかった理由もよく分かった。だが、

「市長の思いは理解しました。ですが、私は一介の軍人に過ぎません。何とかするという保証は致しかねますが、できうる限りのことはしてみたいと思います」

「その言葉だけでもありがたいです。是非とも宜しくお願いします」

 即答を避けたにもかかわらず、ロニーの手を握るスーリヤ市長の手は熱かった。

 

 ロニーは、バスから降りると携帯端末でヴィーザルと連絡を取り、一番ドックへの接舷を命じたのち、同行しているメンバーとともに市長が主催した質素な晩餐会に参加した。会場は古く、料理も決して豪華なものではなかったが、久しぶりの来訪者に対する好意だけはひしひしと伝わってきた。

 2時間もしないうちに散会となり、ロニーたちは一番ドックへと向かった。捕虜だった軽巡洋艦のメンバーは、すでにコロニー側へ引き渡されている。ロニーは“ヴィーザル”の搭乗口で市長と別れの挨拶を済ませると、艦長室へと向かった。そして、カタリナとハムザを呼びつけると、そこから丸々二日こもりきりになった。外部との接触は、食事をジーナに届けさせるだけで一切行わず、副長のラモンですら何をしているのか分からなかった。なお、この時に何をしていたのかをラモンたちが知ったのは、箝口令が解かれたあとである。

 カタリナとハムザを解放したのち、ロニーは作成したデータを持って司令官室へと向かった。艦長室に入るロニーは火星自治共和国軍大佐としてだが、司令官室に入るロニーは火星自治共和国枢密顧問官としてである。ロニーは兜と仮面を脱ぎタカハシ=トオルの素顔をさらすと、司令官執務デスクの端末を立ち上げ、ある人物を呼び出した。

「お忙しいところ、恐れ入ります」

 トオルの端末に映っているのは、火星自治共和国のナディア=レスコ主席だった。栗色のストレートヘアは瑞々しいが、エメラルドグリーンの瞳は疲れでややうつろになっているようにトオルは感じた。

「こちらの旅路は今のところ順調です。そちらの状況は、いかがですか」

「お久しぶりですね、タカハシ顧問官。こちらの状況は、あまり芳しくありませんわ」

 ナディアの声は精気を欠いていた。一つため息をついて、ナディアは呼吸を整えた。

「我が方の再編が進んでいない隙を、クーデター軍に突かれました。アルゴス=シティに駐留していたメンツァー中将の第176師団が敗れ、クーデター軍の勢いが増してきています。ルーデンドルフ提督の指揮のもと、第七艦隊による周回軌道上からの空襲で何とか勢いを止めているという具合で、まだ反抗の糸口を掴めておりません」

「連邦政府の動きに変化はないのでしょうか」

「我々に火星を任せると言っておきながら、火星への遠征計画を進めているようです。ただ、遠征が実現するかどうかは分かりませんね」

「と、おっしゃいますのは?」

「私たちへの自治権容認が、地球圏にも影響を与えているみたいなのです。一旦沈静化していたサイド3の反政府活動が胎動を始めたのを皮切りに、各所で自治権を要求する活動が起きています。それに睨みを利かせなければならないので、遠征どころではなくなるのではないかと私は思っています」

「そうですか…」

 トオルは胸を撫で下ろした。木星に行って交渉をまとめ上げたところで、肝心の共和国政府が消えてしまったら何の意味もない。

「アルゴス=シティの件は残念ですが、持ちこたえていると聞いて安心しました。ところで、閣下に提案があって連絡させていただいたのですが」

「そうだと思いました。何でしょうか」

 ナディアの表情が明るくなった。と、トオルは感じた。

「我々は現在、アステロイド=エリアベータにいるのですが、ここの惨状は目を覆わんばかりです。何の魅力もないただの片田舎と、連邦政府が思っているからでしょうね」

 トオルはスーリヤ市長から聞いた話と、艦長室で調べた連邦政府の資料をかいつまんで説明した。アステロイド=ベルトへの連邦政府の支出は、生活環境を維持するために最低必要なものだけで、産業振興や地域活性化につながる投資的なものは、名目だけの僅かな金額しか投入していないこと。そして投資的なものは、全額コロニー公社に流れているので、実際にアステロイド=ベルトへ行き渡っているかどうか分からないこと。アステロイド=ベルトに魅力を感じない若者が大勢いて、そのほとんどが別の場所へと移り住んでいったこと。残っているのは、移住しても生活ができるような能力を持っていないものばかりで、高齢化が著しいこと。予算がないことと人口の減少から、閉鎖しているコロニーが多数あること。地方自治体レベルでは地域を維持するのが困難なので、連邦政府へ幾度も働きかけをしているが、明確な回答を得られないこと。地方自治体レベルでは、地域の完全閉鎖を視野に入れていること。などである。

「以前は、木星航路の補給ポイントとして、そして鉱物資源獲得ポイントとして、アステロイド=ベルトは注目されてきましたが、今では熱核クローム航法の普及と、木星の衛星“エウロパ”と“ガニメデ”が新たな鉱物資源発掘先となったことから、アステロイド=ベルトは連邦政府から完全に見捨てられています。ですが、火星自治共和国としては、このアステロイド=ベルトの掌握こそ、重要な国策であると考えます」

「それは、何故ですか」

「火星より内側の内惑星系と、木星系を遮断できる場所だからです」

 トオルは、ナディアのエメラルドグリーンの瞳を真っすぐに見据えた。もし、木星の第九艦隊を味方に引きずり込めなかったとしても、アステロイド=ベルトを掌握して艦隊を配置すれば、地球へ向かう木星からの船団を拿捕したり、追い返したり、破壊したりして、地球と木星を遮断することができる。あるいは、第九艦隊が敵対行為に出たとしても、アステロイド=ベルトを前哨基地にすることができる。アステロイド=ベルトを掌握すると、地球連邦政府に対して地政学的に有利な立場を手にすることができるのだ。

「アステロイド=ベルトの住民は、連邦政府が悪者となって減らしてくれました。しかも、不要なコロニーの閉鎖までしてくれています。もともと、木星船団の補給ポイントとして栄えていたので港湾設備も充実しています。住民を追い出しさえすれば、たいして予算をかけることもなく、すぐに鎮守府として利用できます。そして住民は、アステロイド=ベルトでの生活に限界を感じています。機会さえあれば出て行きたいけど、仕事も移住する場所すらない。ならば、火星自治共和国の斡旋で、アステロイド=ベルトの住民を火星で不足している農水産業従事者にしたらいかがでしょうか」

「なるほど。もともと連邦政府に反感を抱いている人たちだから、そこそこの待遇さえ与えれば共和国の支持者になってくれますね。さらに、安い値段で前哨基地も手に入る。願ったり叶ったりですね。ですが」

 ナディアは咳払いすると、トオルをじっと見据えた。

「アステロイド=ベルトにどれだけの戦力を置けば良いとお考えですか」

「対峙するのは、木星船団とその護衛艦隊だけです。四つのエリアに一個戦隊ずつ配置すれば十分です」

「ということは、第七艦隊の20~30%もの戦力を振り向けることになりますね。火星の防衛力が著しく減退してしまうのではありませんか」

 現在、クーデター軍にてこずっている火星本国の指導者としては、当然の主張だった。できる限りの軍事力を手元に置いておきたいというのは、古今東西を問わず国家指導者の共通の欲望だ。だが、ナディアがこういう疑問を投げかけてくることを、トオルは予想していた。

「もし、今すぐアステロイド=ベルトの自治体にこの提案を出したとしても、各方面への根回しや手続きに時間がかかるので、実行に移されるのは早くて二年後、全て完了するのは三~四年後でしょう。その間には、クーデター軍との決着はついていると思います。アステロイド=ベルトへ艦隊を配置することになるのは、クーデター軍との決着がついた後になります。ですから、共和国軍が仮想敵として考えるのは連邦軍ということになります。ところで、かねてから抱いていた疑問があるのですが」

 今度は、トオルが咳払いをした。少し間を空けてトオルはナディアに尋ねた。

「火星自治共和国政府は、いずれ地球連邦政府と覇権を争うつもりなのですか」

 あまりに露骨な爆弾だった。相手に野心があるのかなんて尋ねるのは、普通じゃありえない。だが、トオルの目には、相手に嘘を言うことを許さない真剣さがにじみ出ていた。さすがにナディアも、このトオルの質問、そして迫力に鼻白んだ。目をしばたたかせると、ナディアはゆっくりと答えた。

「私たちは、あくまで火星自治共和国です。将来は自治の文字を取り払いたいと考えていますが、それ以上のことは考えていません。地球圏のことは、地球圏に住む人たちが考えることであって、火星に住む私たちが考えることではない。これは、他の枢密顧問官の方々とも共有している理念です」

「それを聞いて安心しました。それでしたら、2~30%の戦力減は問題ないと思います」

 トオルは資料を用いながら説明を始めた。要は、くしくも先程ナディアが言ったように、地球圏内部に爆弾を抱えている連邦軍が、全軍を火星に派遣することはできない。地球圏の人口と活動領域を考えても、最大で一個艦隊までとトオルは断言した。

「もともと火星には、第七、第八の二個艦隊があります。クーデター軍との戦いで消耗し、更にアステロイド=ベルトに戦力を差し向けたとしても、火星に一個艦隊以上の戦力が残ります。一対一、しかも連邦軍は遠路はるばる火星までやって来るのだから消耗している。十分に対抗できると考えます」

「なるほど、よく分かりました」

 ナディアの目は晴れ渡っていた。

「タカハシ顧問官のご意見を、他の顧問官の方々にも諮ります」

「ありがとうございます」

 画面のナディアに、トオルは深々と頭を下げた。



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雪裏清香

 火星自治共和国ナディア=レスコ主席との通信会談を終えると、トオルは兜と仮面を被ってロニー=ファルコーネに戻り、宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”の司令官室をあとにした。ロニーは艦橋へと向かった。数人の士官や兵士とあいさつを交わしたのち、ロニーは艦橋の扉を開けた。“ヴィーザル”の艦橋は広い。もともと艦隊旗艦用として建造されているから、操艦エリアとは別に司令部エリアがある。単艦行動のため司令部エリアは閉鎖され、使われているのは操艦エリアだけなのだが、その操艦エリアも広い。艦長以下“ヴィーザル”の幹部が座る席がずらっと並んでいるのだが、今は空白が目立った。

「ルスタム航海長、みなどこへ行ったのだ」

 ロニーは、座席に座っている数名の一人、短く刈り上げた黒髪の壮年将校に尋ねた。

 ルスタムは立ち上がりロニーに敬礼を施した。

「補給物資搬入作業に出ております」

「補給物資の搬入?誰が決めたんだ」

「ラモン副長殿であります」

「そうか」

 ロニーは艦長席に座った。

「スーリヤ市長と話がしたいので、回線をつなげ」

「はっ」

 船務長のカタリナと情報長のハムザがいないので、ルスタム航海長が自ら市庁舎とコンタクトを取る。しばらくすると、メインスクリーンに見覚えのある顔が映し出された。その人物にロニーは敬礼を施した。

「補給物資のご供出に感謝します」

「寄港したフネに対する当然の行為です。どうか、お気になさらないよう」

 スーリヤ市長の表情は明るい。溜めこんでいたものを掃き出せたからだろうか。ロニーは敬礼の手を降ろした。

「つきましては、代金のお支払いをしたいので、速やかに請求書を提出して頂きたいのですが」

 このロニーの申し出に、スーリヤは驚いた。

「そんな、滅相もない。軍への協力は当然の義務です」

「貴殿のエリアは、我が火星自治共和国の統治範囲ではありません。たとえ統治範囲であっても、代金を支払うのは当然のことです。当方が預かっている補給物資リストの突合せをしたいので、速やかに請求書を起こして下さい」

「ご厚情、誠にありがとうございます。すぐに作成、提出に伺います」

 スーリヤは深々と頭を下げ、回線を切った。回線が切れたことを確認すると、ロニーはルスタムに、他に何か変わったことがないかを尋ねた。すると、木星系から進発したと思われる熱源が、内惑星系を目指して高速で進んでいるという。ルスタムは、回線が切れて何も映っていないメインスクリーンに、星図を映し出した。

「スピードから類推すると、熱核クローム航法で進行しています。熱源は四つ。一つは、その巨大さから“ジュピトリス”級長巨大輸送船、残りの三つは護衛する宇宙戦艦だろうと思われます」

「行き先は地球圏か…」

「速度と針路から算出すると、そうなります」

 かつての大英帝国が世界の覇王として君臨できたのは、世界各地から物資をかき集めることができる輸送ルートすなわち海運を掌握していたからだ。海運を掌握するものが王になる。そのため、イギリスは海運を守るため海軍力の増強に労を惜しまなかった。だが、それでも転機は訪れる。海運王イギリスの象徴とも言える巨大戦艦“プリンス=オブ=ウェールズ”が日本の手によって撃沈されたことは、イギリスが海運王から転落するきっかけとなった。正規空母による航空力でインド洋と太平洋を押さえた日本によって、アジアにおけるイギリスの影響力は皆無に等しくなった。だが、日本に栄華は訪れない。海運掌握のための海軍力の増強という理屈を、日本は理解していなかった。相手国に勝つ。ただそれだけの理由で海軍力を増強させたので、海軍と海運を日本は連動させなかった。米国潜水艦に莫大な数の日本の商船が撃沈されたことは、あまり知られていない事実だ。結局、海運掌握の大切さをよく知っているアメリカに、日本は敗北した。今の地球連邦は、果たして日本か、それともアメリカか。星々の海を掌握していることで成り立っている地球連邦政府の栄華は、いつまで続くのだろうか。

「木星船団は地球連邦政府の象徴とも言うべき存在だ。あらゆる情報を収集するように」

「了解しました」

「他に変わったことは」

「ありません」

「なら、しばらく睡眠をとるので、この場を任せる」

 こう言うと、ロニーは艦橋から姿を消した。

 

 補給物資の搬入作業により、“ヴィーザル”の出港は、入港してから四日後になった。

「まる二日、艦長に手籠めにされていたハムザさん。少しは元気を取り戻したか?」

 補給物資を積んだパレットを縦横無尽に運びまわっている複数のリフトに指示を飛ばしているラモン副長が、ふらふら歩いているハムザに声をかけた。軍服はヨレヨレ、寝起きのまま来たようだ。

「頭がまだボーっとしているので、体を動かしに来ました。何か手伝えること、ありませんか?」

 ハムザは右目をこすった。あくびが出そうになったので、慌てて手で口を覆う。ラモンはうんざりした表情でハムザを眺めた。

「特殊任務後の将校様に、手伝ってもらうようなことはないよ。偉そうにロビーでコーヒーでも飲んでな」

「そんなことしてたら、スナイ少佐あたりに睨まれてしまいますよ。助けると思って何か仕事を下さいよ」

「めんどくさい奴だな。それだったら帳面やるから、入荷予定品目と現物が合っているか調べてきな」

「うっわーっ。紙に字を書くなんて前時代的だなぁ」

「文句があるなら、ロビーでコーヒーでも飲んでな」

「分かりましたよぅ」

 ラモンから差し出された紙の束を受け取ると、ハムザはしぶしぶ倉庫へと向かった。宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”のモビルスーツ最大積載量は70機、哨戒艇10隻と聞いているが、現在モビルスーツは30機、哨戒艇は揚陸艦“フリスト”含め3隻しか積載していない。それは、長期航海に備えた食糧等の保管のために、膨大なスペースを空けておく必要があるからだ。火星を出発した時点で十分な物資を積み込んでいたが、これで少々寄り道をしたところで、不足が生じるようなことはないだろう。

 棚札と帳面の照らし合わせをしていると、自分と同じくらいこの場に似つかわしくない人物に出くわした。うわさをすればの機動大隊長スナイ少佐だ。

「大隊長ともあろうお方が、わざわざ帳面合わせに現場に来られるとは、ご苦労様です」

「特殊任務後にも関わらず、現場に出てこられる情報長殿には及ばんよ」

 こう言ってニヤリと笑うスナイを見て、このおっさんは何でこうイヤミばっかり言うんだろうと、ハムザは自分のことを棚に上げて心の中で毒づいた。

「こういう現場仕事は若い人間に任せて、ロビーのソファでふんぞり返ってコーヒーでも飲んでいたらいかがですか」

「副長殿がわき目も振らずに働いているのに、遊んでなんかいられないだろ」

「…おっしゃるとおりですね。これは失礼しました」

 やっぱりこんなこと言うか。特殊任務後を言い訳にしてゆっくりしていたら、何を言われるか分かったものじゃない。自分の思っていたことは間違っていなかったと、ハムザは胸を撫で下ろした。

「それでは、自分はあちらの区画の品物確認に行きますので、失礼します」

「…あっ、ああ」

 敬礼してさっと立ち去るハムザを、スナイは残念そうに見送った。艦長と親しそうなので、どんな人物なのか聞いてみたかったのだが、次の機会に期待するしかなさそうだった。

 

 補給物資の搬入と請求書の照合作業、ヴィーザルの各種装置の点検や出港準備などに忙殺されているうちに、あっという間に1日が経過した。ロニー艦長が自室から艦橋に姿を現した。艦橋には既に、副長、船務長、補給長、情報長、通信長、航海長、観測長、機関長、戦術長、砲雷長、機動大隊長、歩兵中隊長が揃っていた。

「“ヴィーザル”出港する。各員、準備は整っているか」

 艦長席に座ったロニーが告げた。それにラモン副長が答える。

「準備は整いました。いつでも発進できます」

「よし。では、スーリヤ市長への回線をつなげ」

「はっ」

 通信長が答えると、まもなくメインスクリーンにスーリヤ市長の姿が現れた。ロニーは立ち上がると敬礼を施した。

「貴殿のご厚意に感謝します。これからも息災でおられることを祈ります」

「こちらこそ。大したおもてなしもできず、申し訳ございません。閣下の旅路のご無事をお祈り致します」

「ありがとうございます。それでは、またお会いできることを楽しみに」

 こうロニーは告げると、市長との回線を切った。

「ミノフスキークラフト起動」

「ミノフスキークラフト起動開始!」

 艦長の命令を機関長が唱和すると、微弱な振動に艦内は包まれた。

「一番ドック指令センターへ、ゲートの解放と誘導を要請」

「指令センター。本艦は離陸態勢に入ったので、ゲートの解放と誘導を願います」

 すでに指令センターと通信回線を開いていた通信長が、艦長の命令を伝えた。程なくして誘導灯がずらっと点灯され、徐々に巨大なゲートが開き始めた。それを確認したロニー艦長は三つ目の命令を下した。

「抜錨。“ヴィーザル”発進」

「抜錨!“ヴィーザル”発進します」

 航海長は唱和すると同時にボタンを押す。ガチンと金属がはじける音が複数箇所で発生し、港湾施設とヴィーザルをつなげていた数本の鎖のジョイントが外れる。前部に一本、左右側面に各二本、後部に二本、計七本のジョイントが外れたのを確認した航海長は、舵を押し、そして上げた。港湾施設内でヴィーザルは浮かび上がり、そして微速前進。すでに巨大なハッチは開放され、その先には星々の海が広がっていた。

 宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”は、徐々にスピードを上げる。1分もしないうちに“ヴィーザル”は星々の海の中にいた。エリアベータコロニー群1バンチ“ランパス”との距離が十分に開いたことを確認したロニーは命令を下した。

「これより、熱核クローム航法へと移る。機関科以外の乗員はベルトを着用。衝撃に備えよ」

「熱核クロームエンジン、作動開始。臨界まで5分。各員、直ちに安全姿勢をとれ」

 機関長が艦内放送で命令を伝達した。はるか後方にあるメインエンジン二基のうなり声が艦橋にまで響いてきた。このうなり声は、加速が完了する二時間後まで続く。各所から、安全姿勢がとれた報告が艦橋に届く。あっという間に5分が経過した。エンジンが臨界点に達する。全員が安全姿勢を取ったことを確認したロニー艦長は、観測長に指令を下した。

「これより木星へ向けて熱核クローム航法を開始する。航路データ最終確認」

「航路データ、問題なし」

 観測長の返答に頷くと、続けて航海長へ命令を下す。

「熱核クローム航法、始め!」

「針路クリア。ミノフスキークラフト停止。エンジンリミッター解除。熱核クロームエンジン、噴射します」

 航海長は、舵の中央にあるタッチパネルを操ったのちに、舵を思いっきり押し込んだ。宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”は、急加速を始める。加速による強烈なGが、全ての乗員に平等に圧しかかってきた。本来であれば、六時間以上かけて徐々に加速をかけ徐々に慣性飛行に移していくのだが、思わぬ寄り道をしてしまったため、少しでも遅れを取り戻そうとロニーは急加速をかけることを決めた。さらに、慣性飛行速度の1割増の速さで進むことにしたのだが、それでも予定より10日以上到着が遅れる見込みだ。

「寄り道をしたツケか。それでも収穫はあったから、よしとするか…」

 エンジンの轟音が、ロニーのつぶやきをかき消してしまったため、誰の耳にも入ることはなかった。

 

 アステロイドベルトと木星軌道の距離は、とてつもなく長い。そのうえ、木星は静止しておらず公転をしている。そのため、綿密な軌道計算をした上で航路を確定させておかないと、宇宙で迷子になりかねない。そのため、航海長や観測長の仕事は、出発後より出発前のほうが大変だというのが、宇宙の船乗りの常識だった。加速を徐々に落としてベルトの着用が解禁されると、ロニー艦長はルスタム航海長の肩を叩いてねぎらった。

「ご苦労さん。少し早めだが、交代要員に替わってもらうように」

「ありがとうございます」

 二時間以上、全神経を傾けて操艦を続けていたルスタムの精神疲労は、尋常ではなかった。航海科の士官を呼び出し、操艦を替わってもらうべく立ち上がったルスタムの足元は、ふらついて頼りないものだった。それでも、退出の際には艦長への敬礼を忘れなかった。ルスタムに答礼し前方を見やったロニー艦長に、通信長が報告した。

「火星より通信文が入りました」

「内容は」

「『S』それだけです」

「そうか…」

 ロニーはラモンに視線を移した。

「ラモン副長。しばらくこの場を任せたい」

「了解しました」

 立ち上がったロニーに、ラモンが敬礼した。ロニーは、カタリナ船務長に声をかけた。

「現在遂行中の業務を代替要員に引き継いで、艦長室へ出頭するように」

「かしこまりました」

 立ち上がったカタリナは敬礼して、立ち去るロニーを見送った。

 

 艦長室を訪れたカタリナは、扉のそばにあるインターフォンで来訪した旨を告げた。普段であればすぐに扉が開くのだが、今日は違った。しばらく間が空いてから扉が開いた。

「カタリナ=トスカネリ、参りました」

「あぁ。ご苦労さん」

 至近距離にロニーがいる。ロニーは29歳、カタリナは27歳。色事にあまり縁がないカタリナでも、年頃の男女二人きりの状況にドキッとした。ロニーから男の香りが漂っているのは気のせいか。艦長室には浴室もベッドもある。このまま中に連れ込まれるのだろうか。だが、カタリナの妄想は数秒で打ち砕かれた。

「これから司令官室へ向かう。君には秘書官として私と一緒に枢密院本会議に出席してもらうので、そのつもりで」

「…す、枢密院!?」

 カタリナの目の前が真っ白になりそうになった。火星自治共和国はまだ成立して間もなく、さらにクーデター軍と交戦中ということもあって、まだ議会も内閣も発足していない。政治は七人の枢密顧問官が司っており、ロニーはそのうちの一人だ。共和国最高幹部が集う枢密院本会議に出席させられるなんて、寝耳に水もいいところだった。

「何も準備しなくてよろしいのでしょうか」

「必要なデータは、全て司令官室のコンピュータにインプットしてある。本会議が始まるまでに内容を確認してくれればいい」

 軽い調子でロニーは言うが、カタリナにとってはおおごとだ。

「少しでも早く内容を確認したいのですが、よろしいですか」

「あ、あぁ」

 カタリナのあまりの剣幕にロニーはたじろいだ。カタリナに引きずられながら司令官室に向かい、急き立てられながら司令官室のロックを解除。すると、ロニーより先にカタリナは入室し、急いで司令官室のコンピュータを立ち上げた。画面を睨みつけるように見つめるカタリナに、ロニーはおそるおそる声をかけた。

「開始30分前になったら連絡が入ってくるはずだから、そんなに慌てなくても大丈夫だと思うよ。それに、たった7人のちょっとした会議だし」

「ちょっと、黙っててもらえませんか」

「……ごめん。突然こんなこと頼んで悪かった」

「……」

 仕事なのだから、突拍子もないことが起きるのは仕方のないことだ。そんなこと、新人でもないカタリナは十分すぎるほど分かっている。でもカタリナは、ロニーに対して気の利いたことを言ってあげる気持ちになれなかった。何故こんなに苛々しているのだろう。さっき、変な期待をしてしまったからか。まぁ、そんなことより、これから起きるとんでもない事態に対応できるよう、資料に目を通してロニーを完璧に補佐することが先決だ。

 一方、カタリナに気圧されてしまったロニーは、司令官室に設置されている簡易キッチンでお湯を沸かしていた。コーヒーを飲みたくなったからだが、カップを2つ用意したのは贖罪の気持ちからだろうか。

 カタリナが資料全てに目を通し終えてから程なく、火星から枢密院本会議開催の予告が入った。部屋をやや暗くして、壁一面に設置されている巨大なスクリーンに、会場が映し出される。しばらくすると、会場に次々と秘書を連れた枢密顧問官たちが入室してきた。

 

ナディア=レスコ 主席。事務全般統括。

エリアス=ナイツェル 副主席。財務卿。農商務・厚生労働事務取扱。

アンドレア=セラフィン 内務卿。法務事務取扱。

パク=テウォン 外務卿。逓信事務取扱。

ハンス=ディードリヒ=フォン=ルーデンドルフ 軍務卿。火星自治共和国軍総司令官。

オイエ=ムバ 工部卿。文教事務取扱。

ロニー=ファルコーネ 無任所。

 

 以上の七名が、火星枢密顧問官である。議場に出席できず通信での出席は、木星への旅路の途上であるロニーの他、クーデター軍との戦闘において陣頭指揮を執るルーデンドルフと、事務取扱が多く現場に出っ放しのナイツェルがいる。主席のナディアが席に着いたところで、枢密院本会議が始まった。

 はじめは、ナイツェル財務卿からの財務報告だった。火星総督府からの財務移行と予算の執行状況が説明される。専門用語が多くロニーには詳細が分からなかったが、だいたいのことは理解できた。すなわち、

「カネがない」

ということだ。当然だ。カネが十分にあるのであれば、クーデターなんか発生するはずがない。みんな貧乏でどうしようもなくなったから、違法行為に出ざるを得なくなったのだ。それでも、

「地球連邦政府に融資を願い出ないか」

という声が上がらないところに、枢密顧問官たちの気概が感じられた。クーデター軍に対抗するため軍事予算と、将来の国家基盤整備のために農商務予算に比重をおき、枢密顧問官たちの給与9割を凍結し、幹部公務員の給与と緊急を要さない国土開発費を削減して対応することで、一応の合意を得た。

 続いて、パク外務卿から地球連邦政府を中心に火星自治共和国外の状況説明があった。表面上の外交交渉については一通りだけで、大部分は連邦政府の実情や、各地で活動を続ける活動家グループについての報告だった。この報告の内容は濃厚だった。他国の行事に参列してただ飲み食いするのが外交ではない。他国が今本当にやりたいこと、本音を探るのが外交官の役目だ。いわゆる諜報活動だが、まだ政府として活動を始めて間もないのに、こんなに広大な独自の情報網をよくもまあ築いたものだとロニーは感心する。他人の情報網を利用すると、どうしても情報網を築いた本人のフィルターがかかってしまって、自分たちが本当に欲しい情報が手に入らない。火星自治共和国に参加する前のロニーは、独自の情報を手に入れるためのヒトもカネもないので地球連邦政府に寄りかかるしかなく、そこに自分の限界を感じていたのだ。

 次はセラフィン内務卿による法整備に関する説明だった。現在、クーデター軍との戦争中ということもあり、治安警察は軍の指揮統率下に置かれている。従ってセラフィン内務卿の今の仕事は、成立して間もない火星自治共和国の憲法ともいうべき基本法の草案作りである。文言について枢密顧問官の間で激論が交わされたが結論は出ず、次回に持ち越しとなった。

 セラフィン内務卿の次が、ロニーの番だった。遠方への航海途上ということで今回の枢密院本会議を欠席するつもりだったのに、この議題を上げるようナディアに言われたため、わざわざ出席することになったのだ。すなわち、

「アステロイド=ベルトを火星自治共和国の統治下において、アルファからデルタまでの四箇所に鎮守府を設置する」

というのが、ロニーからの提案だった。以前、ナディアに説明したことをロニーが述べたのちに、パク外務卿から質問が上がった。

「地球連邦政府の木星航路封鎖が目的なら、火星軌道上で行ってもいいのではないか」

 なるほど正論だ。とロニーは思った。火星軌道上に火星本星のほか三箇所に鎮守府を設置すれば、同様の効果は得られる。だが、

「木星航路の封鎖を火星軌道上で行うことと、アステロイド=ベルトで行うことについて、比較検討した結果を申し上げます」

 ロニーは、カタリナにスライド画面を開くように促した。パネルの概要は以下の通り。

兵力分散:火星軌道上であろうと生じる。最低でも太陽を挟んで反対側にも拠点を置かなければ、航路封鎖は困難。距離が短い分、アステロイド=ベルトで実施するよりも早く兵力の再結集ができるが、それでも短期間では再結集できず、会戦が起きても終結までに参戦できる可能性は低い。

鎮守府設置:アステロイド=ベルトの場合、既存の施設が利用できるので、巨額な予算は必要ない。さらに、地球連邦政府はアステロイド=ベルトに関心を持っていないので、工事に取り掛かっても察知される可能性は低い。火星軌道上の場合は、拠点を新設しなければならないので、巨額な予算が必要なばかりか、地球連邦政府に知られる可能性が高く、不信を招く原因になる。

封鎖に対する連邦政府の対応:火星軌道上で封鎖を実施した場合、火星軌道までは通常の核パルスエンジン艦艇で航行できるので、軍を派遣して実力で封鎖を解除させることが可能。アステロイド=ベルトで実施した場合、熱核クローム航法で飛べる艦艇は限られており、アステロイド=ベルトまで大軍を派遣することはできない。従って、連邦軍が火星自治共和国を完全に屈服させる以外、航路封鎖を解除することができない。

「こうしたことから、火星軌道上で実施するよりも、アステロイド=ベルトで実施するほうが、メリットが大きいと考えます」

「なるほど。一理ありますな」

 ロニーの説明に同意したのは、ナイツェル副主席だった。

「我々が地球連邦政府から自立する上でも、木星航路の掌握は必要な国策です。ロニー顧問官の意見に反対の方はおられますか」

 ナイツェルの問いかけに対し、挙手するものはいなかった。

「ロニー顧問官の提案に賛成の方、挙手を願います」

 議長のレスコ主席が参加者に問いかけた。議長のレスコ以下、枢密顧問官全員が挙手をした。レスコ主席は一同を見渡した。

「全員の賛同を得られましたので、ロニー顧問官の提案は可決されました。ロニー顧問官は速やかに実行計画書の作成に着手して下さい」

「かしこまりました……」

 ロニーは立ち上がって、深々と頭を下げた。



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レクレーション

 無人の荒野が広がっている。

 

 アステロイドベルトから木星圏の間には有人惑星もスペースコロニーもなく、この間を通るのは、宇宙開発省直属のエネルギー資源公社が運航する輸送船団だけである。この輸送船団には、地球連邦軍第九艦隊の護衛艦が複数ついている。これを襲って物資を強奪するためには、最新の宇宙戦艦を三隻、最新のモビルスーツを20機は最低用意しなければならず、たとえ強奪に成功したとしても、本気になった連邦政府を相手に戦う覚悟が必要だ。そこまでして輸送船団を襲おうとする宇宙海賊は存在しないので、アステロイドベルトと木星軌道の間は、ほぼ無人である。その無人の空間を、宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”は、木星目指して突き進んでいた。

「退屈だ~」

という声が各所から響く。エリアベータで余計な時間をとってしまったから、いつぞやのような実機訓練をする暇もない。新造戦艦なので、定期点検をしても不具合が発生したという話は全く出てこない。パイロットはシミュレーターによる訓練、船務科員は物資の在庫確認というように、毎日同じ作業を繰り返すだけなので、飽きてくるのだ。

「艦長。お願いがあって参りました」

 艦長室の扉を開けて入ってきたのは、情報長のハムザ=ビン少佐だった。表情は穏やかだが、目には真摯な光が宿っていた。

「あまりにも退屈すぎて、緊張の糸が切れそうです。糸を切らないためにも、ここで一旦気分転換をする必要があると考えます。そこで、わたくしハムザ=ビンは、フットサル大会の開催をここに提案致します」

「フットサルぅ?」

 突拍子もない提案に、ロニーは唖然とした。

「場所も道具も何もないのに、どうやってやるんだ?」

「そんなの、何とでもなります。この前、“ランパス”で補給物資の確認をしていた時、なぜかボールが数個搬入されているのを確認しました。ゴールは鉄パイプを機関科の連中に溶接してもらって、適当な網を括り付ければ出来上がります。場所は、モビルスーツデッキなんかどうでしょう」

「モビルスーツデッキなんて、無重力だからフットサルに向いていないだろ」

「そこがいいんですよ」

 ハムザはニヤリと笑った。

「四方と天井をフェンスで囲み、フェンスを蹴って反動を利用した三次元フットサル。なかなか面白いですよ」

「その言い回しからすると、やったことがあるんだな、その三次元フットサル」

「へへ。実は何回かやって、ルールも決めてあるんです。足と頭だけではボールコントロールがままならないので、ボールにパンチする程度なら手を使ってもいい。フェンスで囲っているのでラインアウトは無し。とかです」

「…フィットネスジムでの運動ばかりだと飽きがくるし、ヴィーザルは広いとはいえ、艦内にずっといると運動不足になりがちだし、ちょうどいい機会かもしれないな」

「でしょう。いい提案だと思うのですが」

 勝手に備品を使って三次元フットサルで遊んでいたことを咎められないよう、ハムザは精いっぱいの笑顔を浮かべて勧める。沈黙は長くは続かなかった。仮面越しにロニーはハムザを見つめた。

「いいだろう。段取りは全て任せるが、適宜報告を上げるように」

「ありがとうございます。いい大会にしてみせます」

「通常勤務に支障をきたすことが無いよう、スケジュールと参加者の安全には十分に配慮するんだぞ。大会が盛り上がることを期待している」

「はっ」

 ロニーに敬礼するハムザの瞳は、安心と喜びに満ち溢れていた。

 

 艦長の許可を受けて、三次元フットサル実行委員会が発足した。手書きのポスターが艦内の各所に貼られ、そのうちの一枚に目をとめたロニーは、実行委員に副長のラモンをはじめ幹部士官が名を連ねていたことに驚いた。

「艦長も出場なさりますか」

 ポスターを眺めるロニーに声をかけたのは、機動大隊長のスナイ少佐だ。彼も当然のように実行委員に名を連ねている。スナイはスポーツウェアを身にまとっていた。あまり気にしていなかったが、スポーツウェア姿で歩いている非番の士官や下士官が増えたようにロニーは感じた。

「ご覧の通り、顔がこんなだから出場できないな。君たちの活躍を応援しているよ」

「それは残念ですね。そういえば、ジーナにも断られました。あんだけのパイロットだから、エース級の働きをしてくれると期待していたのですが…」

 残念がっているスナイを眺めながらロニーは、ジーナが出ると並み居る巨体の男性プレイヤーたちをギタギタにしてしまうからなと、心の中でつぶやいた。

「それはそうと、今どれくらいの人数が応募しているんだ?」

 ロニーの問いかけを受け、スナイは笑顔になった。

「おかげさまで、全乗組員の7割以上になりました。チーム分けや対戦方法の検討があるので、実行委員は大変です」

「それはよかった。引き続き頑張りたまえ」

「ありがとうございます。それでは、会合がありますのでこれで失礼します」

 敬礼するスナイの動きが滑らかになった気がしたロニーは、そのままモビルスーツデッキへと向かった。デッキは密閉状態になっており、空気が充満しているのでノーマルスーツなしで入れるようになっている。通常の服装のままで入ろうとしたロニーは、扉の前で警備員役をしている兵士に注意された。

「申し訳ございませんが、何が起きるかわかりませんので、中へ入る際はノーマルスーツの着用をお願いします」

「それは失礼した。着替えてから来るよ」

「お聞き入れ下さいまして、ありがとうございます。ご来訪、心よりお待ちしています」

 敬礼する兵士に答礼したロニーは、そのまま更衣室へと向かった。更衣室といっても下着姿になるわけではないので男女兼用である。すでに先客が何名かいた。ロニーの姿を見て全員が一斉に敬礼をした。

「三次元フットサルの視察ですか」

 ロニーに尋ねてきたのは、航海長のルスタム少佐である。パイロット用の身動きしやすいノーマルスーツを着込んでおり、ヘルメットを装着しているところだった。ロニーは自分のロッカーを開けて、自分用のノーマルスーツを手に取った。

「まぁね。三次元フットサル実行委員会の力作を、ぜひこの目で見ておきたいからな」

「そりゃ、皆、寝る暇を惜しんで作り上げましたから…」

「この大会が成功したら、勝手に備品を使っていたことを見逃すから、みなケガがないよう、そして盛り上げてくれたまえ」

 ルスタムをはじめとした皆が、ぎくりとした顔になり、そそくさと更衣室からモビルスーツデッキへと出て行った。やがてロニー一人になったが、続いて一人の少女が入室してきた。ジーナだ。

「あれ、トオルさんも三次元フットサルに出るの?」

 意外そうな顔をしてジーナはロニーを見つめた。ロニーは兜を脱いで仮面だけになり、その上からノーマルスーツのヘルメットを被った。

「私がスポーツをするのが、そんなに意外か?」

「そういう意味じゃなくて、エラいヒトが出ると、みんなが気を遣うんじゃないの?」

「そうかもしれないな…」

 仮面を被っているからジーナは分からないだろうが、きっと驚きまくった顔をしているだろうなと、ロニーは自己分析した。少し前までジーナは自分のことすら持て余していたのに、こんな他人のことを気にする発言ができるようになるなんて、半年前には思いもしなかった。

「今日来たのは、どんなものが出来ているか気になったからだよ。そういうジーナは、どうしたんだ?」

「わたし?わたしはただ友達に誘われただけ」

「そうか。このフネにも女の人はたくさんいるもんな」

 こう言ってハハハと笑ったロニーに、ジーナが爆弾を投げつけた。

「誘ってくれた友達、男の子だけど」

「ぬ、ぬわにぃぃ、オトコだとお。どこのどいつだ」

 ロニーが、ずいっとジーナに圧力をかけた。ロニーの態度が気に入らないのか、ジーナはそっぽを向いた。

「別に誰だっていいでしょ。トオルさんだって、カタリナさんと仲良くしているみたいだし」

「あれは、ただの仕事だ。そんなの、ジーナだって分かっているだろ」

「分かってるわよ。仕事で通じた仲間でしょ。私の場合も同じ。ただ、トオルさんのように仕事ではなく、プライベートで通じた仲間だけど」

 さりげなくジーナが答えた。ぐぬう。これは一本とられた。ロニーは観念した。

「そうか。機会があれば、私にもそのトモダチを紹介してくれんか」

「別にいいんだけど、あっちがトオルさんに気兼ねすると思うよ」

「ぬ、そうか。それはそれはザンネンだ」

「何でそんなに気になるの?トモダチにオトコもオンナも関係ないでしょ」

 すましてジーナは答える。だが、ロニーはすましてはいられなかった。友達に性別は関係ない。そんなことは分かっている。きっとこれがジーナでなければ気にならない。あれ、それなら何故ジーナだったら気になるのだ?ロニーは一瞬考え込み、そして悲しくなってきた。まだ三十にもなっていないのに、年頃の娘を持ったオヤジと同じになってしまったのではないか。そういや最近、忙しさにかまけて全く女っ気のない仙人みたいな生活を送っていたな。自分自身が男として枯れ果ててしまったのではないかと思ってしまい、ロニーはげんなりしてしまった。

「ここでも友達ができたのは、結構なことだ。そろそろ私は会場を見に行くことにするよ」

「そう、いってらっしゃい」

 ジーナの成長を喜ぶべきことは十分に分かっているのだが、一抹の寂しさを感じずにはいられないロニーだった。

 ジーナに見送られながらモビルスーツデッキに出たロニーは、三次元フットサル実行委員会が作り上げた力作を見て感心した。金網、といっても樹脂製かもしくは金属の上に樹脂をコーティングしたフェンスが、長さ50m、幅25m、高さ20mくらいのコートの四方及び天井を覆っている。そのコートが全部で三つある。その金網の内側、左右二箇所にゴールが設置され、金網と同化している。また、金網の天井部分とモビルスーツデッキの天井はロープのようなものでつながれており、有事の際は金網が吊り上げられてモビルスーツが出撃できるようになっている。火星からここに至るまでの長い時間をかけて、よくもまあここまで作り上げたものだと感心したのだ。

 金網のそばに近づくと、中で選手たちが練習に励んでいるのが見えた。ヘルメットを被っているので顔がよく分からないが、番号と名前が入ったゼッケンをつけて誰だか分かる仕組みになっている。ノーマルスーツ着用での競技も、有事を考えてのことだろう。中は無重力なので、金網の天井まで飛び上がることができる。天井に止まって虎視眈々とボールを狙うもの、金網にぶつかってその反動でボールに飛びつくもの、金網の中のコートには20人くらいが練習に励んでいた。

「面白そうでしょ」

 ロニーに声をかけてきたのは、副長のラモン中佐だった。ラモンは首に笛を吊るしている。コートの監視員を務めているようだ。

「私は審判役なので競技に参加できないのですが、審判も面白いですよ。艦長もやってみませんか」

「審判か。それは面白そうだ。審判もグループを作って交代でやるのだろう?」

「もちろんです。現場に穴を空けるわけにはいきませんからね」

 ラモンは胸を張って答えた。

「艦長にも参加してもらえると、実行委員の皆が喜びますよ」

「そうか。なら、私も審判役として参加してみるよ。ルールを教えてもらえるか」

「もちろんです」

 ラモンは、ヘルメットのバイザーを上げ、笛を吹いた。

「みんな、聞いてくれ。艦長が審判役で参加してくださるぞ」

「おおっ!」

 各所から歓声が沸きあがった。コートに入る順番待ちをしているルスタムがロニーに握手を求めてきた。

「艦長が参加してくださると百人力です。目一杯楽しみましょう」

「そうだな。競技のことはよく分からないから、いろいろとご教授願うよ」

「大丈夫ですよ。私を含めて、みんな初めて同然なのですから」

 モビルスーツデッキは、選手たちの熱気に包まれていた。

 

 ロニー艦長の参加表明があって、参加者は全乗組員の9割近くに達した。実行委によってチーム分けされたのだが、チーム数が膨大になったので予選リーグだけでも数日かかり、優勝チームが決まるのは木星圏に到着する頃になりそうだった。

 実行委員も、選手として、もしくは審判として参加する。実行委員のハムザとスナイは選手として参加するのだが、こんなに膨大な人数が参加しているにも関わらず、幸運なのか不幸なのか、偶然にも二人は同じチームに所属することになった。

「スポーツ万能の機動大隊長とご一緒できるなんて、とってもラッキーです」

 よりにもよって、何でこんなイヤミたらたらのおっさんと同じチームなんだ、と心の中で百回毒づいたハムザが、はちきれんばかりの笑顔でスナイに握手を求めた。

「頭脳プレーで定評のある情報長殿がチームメイトとは心強い。頼りにしているよ」

 よりにもよって、何でこんな腹の中が真っ黒で艦長の腰巾着の若造が同じチームなんだ、と心の中で百回毒づいたスナイが、さわやかな笑顔で差し出された手を力強く握った。そして、同じチームに幹部士官が二人もいて、しかもその二人の仲が悪そうなことに、他のチームメイトたちはため息をついたのだった。

 交代勤務のため開会式を行っても全員が参加することができない。ゆえに開会式は行わず、すぐに予選リーグを始めることになった。実行委のスケジューリングが素晴らしく、通常勤務に支障をきたすことがないばかりか、乗組員たちの表情に明るさが、艦内には活気が戻ってきた。

 予選リーグが終わり、決勝トーナメントも順調に進んで準決勝が始まった頃、ロニーは艦橋の艦長席でメインスクリーンを眺めていた。そこには、三次元フットサルの試合状況が映し出されている。情報科と通信科の士官、下士官の一部が面白がって実況中継班を作り、全艦内に実況中継を流しているのだ。これがプロ並みの報道で、見ているものを飽きさせない。ちょうどそのとき、カタリナがロニーに話しかけてきた。

「たまにはハムザ君もいいことを提案しますね」

 カタリナはジーナ同様、競技には参加せず裏方に回っている。裏方も、このお祭り騒ぎに活気付いていた。ロニーは、視線をスクリーンからカタリナに移した。

「ハムザだからだろうね。こんな提案を持ってくることができたのは。ここまで盛り上がるとは、正直想像できなかった」

 審判としてのロニーの出番は既に終わっている。結構な数の試合数をこなしたのだが、不思議と疲れを感じず、逆に爽快感が残るのは何故だろうか。しかも、試合に参加したことによってスポーツ観戦がより楽しくなる。勝敗に関係なく、スポーツがいかに精神衛生上素晴らしいものであるかを、まざまざと感じたロニーであった。

 丁度、準決勝1つ目の試合が終わった。

「しかし、あのハムザのチームが決勝に進出するとはねぇ」

 ハムザのチームは、ハムザとスナイの二本柱だ。この二本柱が互いに協力し合わないのだが、相手チームが気付かないここぞというタイミングでは協力し合うので、相手チームは意表を突かれてしまうのだ。準決勝の相手チームも、この例に漏れずハムザのチームに敗れてしまった。

「こりゃ、火星に帰ったら思わぬ出費を覚悟しないといけないな」

 優勝したら、高級レストラン“ル・モンド”のフルコースディナーをご馳走してやると、ロニーはハムザに約束していたのだ。並み居る強豪相手に勝てると思っていなかったからとはいえ、軽はずみな約束はするものではないとロニーは反省しきりだった。

 メインスクリーンでは、ここに至るまでの試合のダイジェストが流れ始めた。今や、スナイとハムザはスター選手扱いだ。そんなダイジェストが流れ始めて間もなく、ルスタム航海長から替わって舵を握っている航海士が声を上げた。

「まもなく木星圏に入ります。木星最遠の衛星“S/2003J2”とすれ違います」

「そうか…。さぁて、火星自治共和国にとって吉と出るか凶と出るか」

 メインスクリーンには勝利者インタビューの様子が流れていたが、ロニーは窓の外に浮かぶ木星を、じっと見据えた。残す試合は、たった2試合。長い旅程だったが、往路のゴールはもう間近だった。




木星って、遠いですね。

どれだけ離れているか、ざっくりと測る手段として
地球=太陽間を1とする天文単位というのがあるのですが、
火星=太陽間は約1.5
ケレス(作中はセレスと呼称)=太陽間は約2.8
に対して
木星=太陽は約5.2もあるんですね。

当初、アステロイドベルトの話の次に
すぐ木星の話を持ってこようとしたのですが、
火星=ケレス間よりも長い時間を
何もなしにすっ飛ばしていいものか…
乗組員たちは、きっとヒマだ。

木星船団の場合は
ちゃんと対策が練られているだろうけど、
ヴィーザルは、木星へ無補給で行ける能力があるというだけで、
対策が取られているわけではない。

何かさせないと…

苦し紛れに考えたのが
三次元フットサルです。

きっと似た競技は他にあると思います。
ただ、情報ツウでも読書家でもない作者が知らないだけで…

もし、ご迷惑をかけているようでしたら、
申し訳ありませんが、このまま三次元フットサル使わせて下さい。

次回こそ、木星圏の話になります。

構想が変わってきているので、
来週に間に合わないかも…

その時はご容赦下さい。


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クラトス駐留基地

「…応答願います。こちら、火星自治共和国艦隊総司令部所属、宇宙戦闘母艦ヴィーザル。第九艦隊司令部、応答願います」

 通信士が木星の衛星“エウロパ”に向けて通信を送り続けている。既に衛星“カリスト”の軌道を超え、衛星“ガニメデ”の軌道が目前に迫っているのだが、第九艦隊司令部からの返答はない。

「なぜ、返答を寄越さないんだ?」

 宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”艦長ロニー=ファルコーネ大佐は、メインスクリーンを凝視していた。メインスクリーンには、“エウロパ”の一角の拡大図が映し出されている。カメラ映像ではなく、図面だった。クラトス駐留基地。第九艦隊の母港。収容可能艦艇二千隻。収容可能兵員四十万人。火星のアキレウス駐留基地を凌ぐ、世界有数の巨大な要塞である…はずなのだが、地球連邦政府中枢コンピュータには、なぜか図面だけしか残されていなかった。

「行って、目で見て確認すればいいだけのことだ」

 出発前、木星圏の調査をしていたときは、安易に考えていた。地球連邦政府が発足する前から、人類がたびたび足を踏み入れている場所。映像がないのは、たまたまだ。開拓に従事している人々が集まって、木星圏は栄えているはずだ。そう思っていた。だが、木星圏外縁部から通信を発しているのに、一回も返信がない。それどころか、木星圏から通信が発せられている形跡すら見当たらないのだ。

「木星圏に人、いないのでしょうか」

 不安そうな声でロニーに尋ねてきたのは、副長のラモン=デ=ラ=ゴーヤ中佐だった。ラモンが不安がるのも無理はない。静かすぎるのだ。ガニメデの軌道を通過するとき、肝心の衛星“ガニメデ”は木星の向こう側にいたので“ガニメデ”の地表の様子は分からなかったが、ここまで来るのに輸送船など人工構造物の類と全く出会っていない。人類の生活を支える超巨大資源採掘場って、こんなに静かなものなのだろうか。

「木星圏は広いからねぇ。地球圏と同じ感覚でいると、木星圏には地球圏の100万倍人が住んでいることになってしまうぞ。人の気配が感じられなくて、いわば当然だろう」

 こうは答えたものの、ロニーの声に張りはない。ガリレオ衛星の位置まで来れば、木星まで至近距離といってもいい。何か人類の痕跡を感じることのできるものに出会ってもよさそうなものだ。せめて、エウロパからの返信があれば安心なのだが。

 しばらく艦橋は沈黙に包まれた。すでに地球連邦政府は、完全無人で資源採掘を行う技術を確立させたのだろうか。もし、そうであれば大変だ。様々なシーケンス理論で組み立てられたシステムを解析して、有事の際にシステムを味方に出来るようプログラムを組み入れるためには、一個師団ほどの技術者を集めて何年も時間をかけなければならない。しかも遠く離れた木星圏へ連れて行くなんて、まず不可能だ。いやな空気が漂い始めた。

 エウロパが視認できる距離まで近づいた頃、艦橋に通信波が届いた。慌てて通信士が通信波を同調させ、音声データをスピーカーに流した。

「……こちら、“エウロパ”のクラトス駐留基地。貴艦の位置は把握した。40分後に誘導灯をともすので、それに従って入港されたし」

 音声データが途切れるや否や、艦橋は歓声に沸いた。自分たち以外の人間の声を聞いたのは、ずいぶんと久しぶりだった。自分たち以外の人間に会える希望を持てた。ロニーは通信士に指示を出した。

「突然の訪問を快く受け入れてもらい感謝すると伝えよ」

「了解」

 艦橋のざわめきは止みそうにない。エウロパは月とそんなに変わらない大きさだから、月面都市のような都市がどのくらいあるのか、都市にはどんな施設があるのか、映画館やコンサートホールはあるのか、ラウンジで酒を飲みたい、などなど、長い旅路に疲れた乗組員たちは、自分たちのやりたいことを次々に語りあった。

 目前のエウロパが大きくなるにつれ、乗組員たちの期待も大きくなる。

「あれ…」

 ある程度細かい地形が見えるくらいにまで近づいたのだが、都市らしきものが全く見つからない。クレーターや裂け目など、自然に出来た地形ばかりだ。音声通信が入る前に漂っていた不安感が、再び首をもたげ始めた。まさか、さっきの音声通信は…

 音声通信が入って40分後、エウロパの一角からヴィーザルに向けてレーザー光が発せられた。ロニーは、誘導に沿って進むようルスタム航海長に命じ、レーザーの発光源をメインスクリーンに拡大投影するようカタリナ船務長に命じた。発光源こそ、艦艇二千隻を収容できる巨大要塞クラトス駐留基地のはずだ。きっとたくさんの港湾設備が並んでいるはず…と目を凝らしてよく見たのだが、どう見ても港湾設備は10隻分くらいしかない。そのうち四隻分は既に埋められていた。一隻は間違いなくジュピトリス級の超巨大輸送艦。あとの三隻はガゼス=ギア級宇宙戦艦に見える。そう見えるのだが、どことなく違和感があった。ガゼス=ギア級は連邦軍宇宙艦隊の旗艦クラスの大型艦で、全長はゆうに700mを超える。モビルスーツ発着カタパルトが前に一つ、左右に一つずつ、後に一つ、そして二連装の主砲が二門、三連装の副砲が三門備えられた強力な戦艦だ。ところが、目前にある戦艦の全長は700mもなさそうで、主砲は確かに二門あるが副砲が見当たらない。後方にあるモビルスーツ発着カタパルトも見当たらず、代わりに大きな推進システムが取り付けられていた。

 ロニーから見て、一番右に輸送艦、そこから左に戦艦が三隻並んでおり、ヴィーザルを誘導しているレーザー光は、その左隣から発せられていた。航海長のルスタムは、誘導灯に沿って難なくヴィーザルを港湾施設に着艦させた。港湾施設から巨大なチューブが伸びてきて、ヴィーザルの出入り口につなげられた。ルスタムが入港準備に追われる中、ロニーは艦長席から降りてハッチを目指した。副長のラモンは、艦の指揮をカタリナに委ねてロニーを追う。ハッチへ向かう途中で、ジーナとハムザ、そして三人の部下を従えた歩兵中隊長と合流した。

 ハッチに辿り着くと、武装した歩兵が五人すでに待機していた。やがてハッチが開くと、基地側には三人の人影があった。一人は、服装からして明らかに軍人だが、残りの二人はどうも違うようだった。いずれも武装はしていない。それを確認したロニーは、待機していた歩兵五人を下がらせ、三人の真ん中にいる軍人らしき男に歩み寄った。

「突然の訪問にもかかわらず、入港を許可下さいましてありがとうございます。小官は、火星自治共和国艦隊所属の宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”艦長ロニー=ファルコーネと申します」

「第11輸送船団護衛部隊のランサム大尉です。司令官がお待ちです。どうぞこちらまで」

 ロニーに敬礼で出迎えたランサム大尉は、右手を基地のほうへ差し出して中へ入るよういざなった。ランサムたちに連れられて歩いている道中、ロニーはまわりを見渡してみた。作られて長い年月が経っているようだが、手入れが行き届いているようで清潔感がある。むき出しになった送管も汚れていない。ところどころに窓があって外の様子が分かるが、どの窓を見ても岩山ばかりで味気がないのが残念だ。その代わりなのかどうか分からないが、ところどころに鉢に植えられた観葉植物が置いてあった。

 しばらく歩くと、ロニーたちは一つの部屋に案内された。広めのつくりの応接ロビーで、中央に小さな庭がつくられており、草木が何本も植えられている。ところどころにソファが置かれており、その一角に二名の軍人が座っていた。ランサムはその軍人たちの元へと行き、敬礼を施して何やら語りかける。報告を聞いた軍人の一人が立ち上がると、ロニーたちの元へのっしのっしと歩いてきた。背丈はロニーよりも低いが、腹回りはロニー二人分ありそうだ。連邦軍の将官の服装をしているから、きっと司令官なのだろう。もう一人の軍人は、座っていた場所で直立姿勢を取っているようだ。というのも、あまりに影が薄いので、注意して見ないと気付かないのだ。

 司令官らしき軍人は、軽蔑したような目でロニーを見上げた。

「わしが、護衛部隊司令官のアラン=マクミラン准将である。木星に何の用だ?」

「お初にお目にかかります。第七艦隊のルーデンドルフ提督より、第九艦隊司令官閣下宛の信書を預かっております。第九艦隊司令官閣下にお取次ぎ願いたいのですが」

「第九艦隊の司令官は、ここにはおらん。だから、それはわしが預かろう」

「いらっしゃらないとは、どういうことでしょうか」

 このようにロニーが真剣な口調で尋ねたことに対してか、マクミランは腹を抱えて笑いだした。明らかに、人を小馬鹿にした態度だった。

「これだから、火星の田舎者は困る。まぁ、地球に住んでいても政府の枢要にいなければ、知らないことだけどな。こんな僻地に、第九艦隊司令官閣下がいらっしゃる訳がない。少し考えれば分かることだろうに。ランサムよ、そうは思わないか」

「はっ」

 返事はしたが、ランサム大尉はマクミランを向いていない。本気で同調しているのか否か、分からない態度だった。ランサムの内心なんぞに興味のないマクミランは、俯いているロニーの姿を見て、落ち込んでいるものと勝手に解釈した。

「かわいそうな田舎者に教えてやろう。第九艦隊司令官閣下は、地球にいらっしゃる。はるばる木星まで、つらい思いをしながら歯を食いしばってきたんだろ。ご苦労さん。方向が逆だったな。あまりにも哀れだから、司令官閣下の代わりに、その信書はわしが預かってやろう。覚えていたら、閣下に渡してやる。まぁ、明日には忘れているだろうがな」

 マクミランは哄笑した。マクミランの態度にラモンたちの瞳は殺気に満ち溢れていたが、ただ一人ロニーだけは違うようだった。仮面の下の表情はうかがい知れないが、明らかに声色は殺気と程遠かった。

「まさか軍の中枢にいらっしゃる方とはつゆ知らず、とんだご無礼を申し訳ありません。もちろん、閣下にいらぬご苦労をかけようなんて厚かましいことは全く考えておりませんので、信書の件は、もし、万一、閣下のご記憶の片隅に残っていたらで当然構いません。何かあったとしても、それは全て無知であった小官の責任であります。しかも、田舎者の小官にご教授まで下さるとは、さすが連邦政府の中枢にいらっしゃられるだけあって、火星にいる方々とは一味も二味も違いますね。中枢の方とお話ができるなんて、めったにあることではありません。もし閣下にお時間があるのでしたら、ぜひともいろいろなお話をお聞かせ願いたいのですが」

「ふん。タダでモノを教えてもらおうなんて、ムシが良すぎるぞ」

「申し訳ございません。エリートの方々みたいに気が回らないものですから」

 ロニーは上着のポケットに手を突っ込むと、何かを取り出してマクミランに献上した。渡されたものをチラッと見たマクミランは、下品な笑いを浮かべてロニーを見遣った。

「エリートになりたかったら、こうした気遣いを忘れないことだ」

「はっ。閣下のお話は、大変勉強になります。ぜひとも閣下のような立派な軍人になりたいと思います。統合参謀本部のことなど、教えを頂戴することはできないものでしょうか」

「しかたがない奴だな。そこまでいうなら、ちょっとこっちへ来い」

 マクミランはロニーを手招きして別室へといざなった。その様子を、ラモンたちは唖然として見送った。

 

 マクミランとロニーが笑いながら別室から出てきたのは、二時間以上経ってからだった。マクミランはロニーの肩を叩いた。

「だから言っただろう。エンテザーム閣下は気が短いのだから、回りくどい説明はいらないって」

「そうですよね。もっと早く閣下のお話を聞いていれば、あんな目に遭わずに済んだのですが」

 申し訳なさそうな声でロニーは答えた。そんなロニーにマクミランは目を細めた。

「そういうもんだ。まぁ、これからはいろいろアドバイスしてやるから、気兼ねなく連絡して来いよ」

「ありがとうございます。それでは例の件、宜しくお願い致します」

「まぁいいが、そんなにあいつらのことが気になるか?」

「せっかく木星圏に来たのですから、ぜひ見ておきたいです。こんな機会、めったにありませんから」

「まぁ、何事も勉強だからな。さっさと用事を済ませて来い。今日はこっちでメシを食わせてやるから」

「ありがとうございます。丁度、いい赤ワインがありますから、あとで持って参ります」

「そうか。それは楽しみだ。それじゃ、またあとでな」

「はっ」

 ロニーはマクミランに敬礼すると、ラモンたちに振り返った。

「待たせたな。“ヴィーザル”に戻るぞ」

「はっ」

 ラモンたちの敬礼に答礼したロニーは、マクミランに再度敬礼をしてから応接ロビーから退出した。ロニーは“ヴィーザル”に戻るまで無言だった。護衛役の歩兵中隊長とその部下たちを下がらせ、ロニーはラモンとジーナそしてハムザを連れて艦長室へと入った。入るなり、ラモンがロニーに詰め寄った。

「先ほどの閣下の姿には、涙が出そうになりました。あんな下品で粗野な奴に媚を売るなんて。ついこの前まで、閣下はあのブタよりもはるかに偉い地球連邦軍大将だったではありませんか」

「ラモン中佐、そんなに目くじら立てないでくれよ」

「立てずにはいられませんよ。そうだろ、ハムザ」

「まぁ。そうかもしれませんが…」

 煮え切らない態度のハムザに、ラモンの表情は不審に彩られた。

「お前は、閣下のあの姿を見て何とも思わなかったのか」

「だって、あれは演技なんでしょ」

「なに、そうなのか?」

 ラモンは、きょとんとなってロニーのほうを振り返った。ロニーは両手を広げてため息をついた。

「大した実力がないくせに自尊心と虚栄心に満ち溢れている奴は、たいてい地位の高い奴にべったりとへばりついているので、いろんな話を知っているものだ。自尊心さえくすぐってやれば、最高機密だろうと何だろうと偉そうな態度で簡単にぺらぺらとしゃべってくれる。おかげで、木星圏のことについていろんなことが分かったよ」

 ロニーがマクミランから得た情報によると、公には第九艦隊は木星の衛星“エウロパ”にいることになっており、当初は大規模な母港を建設する計画もあった。木星圏への植民計画もあった。だが、木星圏に届く太陽光はあまりに微弱なためコロニーを建設しても一般人が住むには適しておらず、こうした計画は暗黙裡に廃案となった。だが、公には計画は実行されたものにして、官僚たちは計画を実行するための予算を毎年計上した。この予算は官僚たちの埋蔵金になり、表に出すことのできない費用に使われるようになった。第九艦隊も、公式には4個分艦隊、大小艦艇700隻で構成されていることになっている。だが、資源採掘現場以外に人がいない以上、大軍を置く必要が全くない。なので実際は、高速戦艦3隻で成り立つ戦隊が5つあるだけで、任務は木星船団の護衛ただ一つである。“エウロパ”のクラトス駐留基地は、木星船団の停泊地としてしか利用されていないので、木星船団がいないときは無人になる。

「…木星圏へは、何度も来れば来るほど孤独感、地球への郷愁があふれてくるらしい。マクミランがあんな性格になったのは、何度も木星圏へ来たことも影響しているのかもしれないな」

「……」

 一同は押し黙った。クラトス駐留基地に観葉植物がたくさん置いてあるのは、地球の土や草木への狂わんばかりの希求によるものなのだろう。木星圏ですらそうなのだから、それより遠い場所への植民計画は、俎上にすら載せられることはなかった。

「木星圏に大した兵力は存在しなかった。万一、連邦政府と火星自治共和政府が戦争状態になったとしても、火星が地球と木星に挟撃されるということはない。これが分かっただけでも大収穫だ」

「遠路はるばる来た甲斐があったというわけですな。恐れ入りました」

 ラモンは軽くロニーに頭を下げた。その様子をロニーは満足げに眺めた。

「だが、せっかくここまで来たのだから、調べておきたいことがある」

「それは?」

「木星の資源採掘現場さ」

 ロニーは、そのためにマクミランと採掘現場へ行く約束を取り付けたのだという。

「マクミランは資源採掘に従事している人たちのことを『木星人』と呼んでいた。私たちを馬鹿にしていた言い方よりも、更にあざけるような言い方で。まるで、汚物でも触るかのように。それがちょっと引っかかってね。そのために、これから大事な赤ワインを引っさげて、尊大なブタに媚を売ってくるのさ。嫌でたまらんけどね」

「トオルさん、頑張ってね」

 応援することしかできない自分に、ジーナは歯痒かった。そんなジーナの思いに気付いたのかどうか分からないが、ロニーはジーナの頭を撫でた。

「今日はこっちに帰ってくるかどうか分からない。しっかり食べて、しっかり寝ておくのだぞ。いざというとき、頼りにしているのだから」

「はい」

 ジーナは微笑んだ。まさか、そんな遠くない未来に大変なことが起きるなんて、この時ジーナは思いもしなかった。



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木星プラント(1)

 木星からはヘリウムⅢをはじめ、さまざまな物資が採掘される。それらを、木星に最も近い位置で周回している衛星“メティス”のそばにあるプラントに集約し、精製する。そのプラントは単純に“木星プラント”と呼ばれており、そこから輸送船に積み込む準備が整ったという連絡がマクミラン准将のもとに届いた。

「ロニー君、出発の準備に取り掛かりたまえ」

 “ヴィーザル”の艦橋メインスクリーンに、マクミラン准将の顔が映し出された。ロニーは艦長席から立ち上がり、マクミランに対して敬礼をした。

「了解しました。最後尾につけばよろしいのですね」

「決して隊列を崩してはならん。前に出たり列を乱したりしたら、あいつら何をしでかすか、分かったものじゃないからな」

「ご苦労をお掛けして、誠に申し訳ありません」

「何を言うか。わしとお前の仲ではないか。何度も言っていると思うが、木星人どもが何かしでかしてきたとしても、決して話しをしたり、手を出したりしたらいかんぞ。では、木星プラントで会おう」

 ひしゃげた鬼瓦みたいな顔をほころばせたマクミランは、直立不動で敬礼するロニーに答礼すると通信をきった。メインスクリーンからマクミランの姿が消えると、着席したロニーにラモンが話しかけた。

「本当にやるのですか」

「あぁ。それが一番安全だ」

 マクミランから話を聞いたロニーは、推進エンジンから非常口一枚に至るまで全ての管制を艦橋に集約させ、舵や主砲の操作を含め全てジーナにやらせることを決めたのだ。これを決めるに際し、ロニーは会議室に幹部士官を全員集めた。ロニーの決定に幹部士官たちは当然のごとく難色を示したが、ロニーは命令を押し付けるのではなく丁寧な説明をして、みんなから理解を得ることができた。

「それにしても、本当なのですかねぇ。木星プラントにいる作業員みんながニュータイプだなんて」

 ラモンの口調は猜疑心に満ち溢れいた。ジオン=ズム=ダイクンがニュータイプを提唱してから長い年月が過ぎたが、人々は人類の革新を目の当たりにすることはなく、いつしかニュータイプという言葉すら耳にすることがなくなっていった。だから、ニュータイプの存在自体を疑問視する人は、決して少なくはない。だが、もしマクミランが言うように木星プラントの連中が皆ニュータイプだったとしたら、一体どうなるか。ニュータイプは、モビルスーツの装甲越しにコミュニケーションがとれるほどに磨かれた鋭い感性と、遠く離れた人にも自分の意思を伝えることができる感応波を持っているらしい。そんなニュータイプが放つ強い感応波をまともに受けて、一般人は正気でいられるのか。ロニーは不安だった。ニュータイプの感応波に対応できるヴィーザルの乗組員はいないのか…ロニーが探し当てたのは、ジーナだった。まだ少女の域にいるジーナに、こんな困難な役目を与えていいものかロニーはためらったが、意を決しジーナに話した。

「トオルさんが私にお願いをしてくれるなんて、嬉しい」

 ジーナは快く引き受けてくれた。幹部士官たちも了承してくれた。あとは、マクミランからの発進の合図を待つだけだ。

「いずれにしても、木星プラントに着いたらはっきりすることさ」

 ロニーは足を組み、艦橋の窓の外、港湾施設の無機質な機械の群れを漠然と眺めた。

 

 しっかり食べて、しっかり寝て、体力を蓄えておくように言われた気がするが、まさかこんなに体力を消耗することになるなんてジーナは思ってもいなかった。

 衛星“エウロパ”のクラトス駐留基地を出発、衛星“イオ”の軌道を抜けたあたりから、異変が起きた。木星の方から、心なしか圧迫感が感じられ始めた。木星が発している重力によるものかと思ったが、どうも違う。低い音?もしかして人の声?重低音のささやきが、鼓膜を通さずに脳に響いてくる感じ。それが圧迫感とともにジーナを襲ってくる。

「大佐、何か感じませんか。重いものが身体にまとわりつくような圧迫感のようなものが」

 ルスタム航海長に代わって“ヴィーザル”の舵を握り、前方の輸送船を見つめながらジーナが尋ねた。問いかけを受けて艦長席に座っているロニーは、自分の身体や窓の外、手元にあるモニターを確認してみた。

「体が重くなった感じはするけど、木星に近づいたせいじゃないのか」

「私もはじめはそうかと思ったけど、声のようなものが一緒に響いてくる。多分違う」

「声?私には何も聞こえないが…」

 ロニーは改めて耳を澄ましてみるが、ヴィーザルの発する動力音などの機械音くらいしか聞こえてこない。気のせいではないかとロニーが思った丁度そのとき、観測長が報告を上げた。

「右舷、二時の方角に軽巡洋艦クラスの熱源感知。まっすぐこちらに向かってきます」

「接触予定時間は」

「約1分後。至近です」

 そのとき、強制的にメインスクリーンが点灯した。画面にマクミラン准将が映っていた。

「ロニー君。連中がちょっかいをかけに来たようだ。絶対に手を出すなよ。何か言ってきても相手にしてはいかん。いいな」

注意を促すマクミランの目が真剣そのものだったので、ロニーは直立して敬礼した。

「了解しました。まとわりつくような圧迫感を感じたり、声のようなものが聞こえてくると訴える者がいるのですが、もしかしてそれのせいでしょうか」

「連中のプレッシャーを感じることのできる奴が、ロニー君のところにいるのか。そいつはすごい」

 マクミランは感心した声を出したが、すぐに声色は元に戻った。

「これからNT-Bを発動させるから、隊列を崩すなよ」

「NT-B?」

「詳しい説明は後だ。とにかく操舵に集中するんだ」

「了解しました」

 通信はマクミランの方で切られた。観測長が報告した熱源が近づくにつれ、ジーナが言っていた脳に響く重低音を伴う圧迫感がロニーにも感じられ、それはすぐに巨大な重石となってロニーを襲った。これは、他の乗組員たちも感じたみたいで、方々から乗組員たちのうめき声が聞こえてきた。

「……キ…サ…マラ……ナ…ニ…モ…ノダ……」

 重低音は、こう言っているように聞こえた。ロニーはふとジーナを見ると、ジーナの身体からオーラのようなものが立ち上っているように感じた。ジーナの表情は真剣そのものだったが、苦しんでいるようには見えなかった。

「私たちはただの旅人よ。あんたこそ何者なの?」

 ジーナの独り言は、プレッシャーをかけてきている人物に問いかけているみたいだった。と、そのとき、観測長が報告を上げてきた熱源が、メインスクリーンに映し出された。光学的に視認できる距離まで近づいたのだ。確か、軽巡洋艦クラスと聞いたが…

「…モビルスーツ??」

 近づいてきていたのは、フネではなかった。あまりに巨大なモビルスーツ。ローガンダムがだいたい全高20m程度なのだが、とてもそんなサイズではない。倍、ひょっとしたら3倍はあるかもしれない。その巨大なモビルスーツは、ヴィーザルにぶつかる直前で旋回して離れていった。

 丁度そのとき、マクミランが乗艦していると思われる最前列のフネから淡い光が発せられ、隊列を覆った。すると、先程まで感じていた重低音と圧迫感が、霧が晴れたかのように無くなってしまった。

「これで、もう大丈夫だ。具合の悪いところはないか?」

 メインスクリーンは、さっきのモビルスーツらしきものからマクミランの姿に替わっていた。兜の上から自分の頭を数回叩いて気を取り直したロニーは、マクミランに敬礼をした。

「はい。ご心配をお掛けしました」

「木星人どもは礼儀というものを知らん。仕事でなければ顔も見たくない。ところで今更引き返すことはできないが、まだあいつらのことが気になるのか」

「逆に、もっと気になってしまいました。どんな人たちなのか、是非この目で見てみたいです。ところで、さっきおっしゃったNT-Bって何なのですか」

 全く懲りることなく張りのある声を出すロニーに、マクミランは笑声を立てた。

「NT-Bか。簡単に言えば、ニュータイプどもが発する感応波を無効化させてしまうシステムのことだ」

「ということは、サイコミュ兵器が使えなくなるということですか」

「まっ、そういうことだ」

 ニュータイプの発する感応波を利用した兵器が一世を風靡した時期があった。感応波で小型砲台を遠隔操作する“ビット”とか“ファンネル”といったオールレンジ攻撃兵器が多数開発されたが、ある時期を境に姿を消した。感応波を出せる兵士を増産することができなかったというのが、主な理由である。このことはロニーも知っていたが、感応波自体を無効化できるシステムがすでに実用化されていたことまでは知らなかった。ニュータイプ自身の力を利用して感応波を無効化するシステムがあったという話を、耳にしたことはあったが。

「NT-Bの効果範囲内にいる限り、奴らは手を出せない。長い時間がかかったが、ようやくNT-Bの量産化に目途がついた。各艦、各モビルスーツに標準搭載されるようになるのは、もはや時間の問題だろう」

 このマクミランの話を聞いて、なるほどとロニーは思った。NT-Bの発明により、サイコミュ兵器の存在価値がなくなることを見越した軍機省にとって、ニュータイプ研究所はもはや無用の長物だった。だから、軍機省はニュータイプ研究所を手放したのだ。だが、そんなニュータイプ研究所を、なぜ宇宙開発省は接収したのだろうか。

「連中の拠点である木星プラントまで、もう一時間もかからん。プラントに入る準備に取り掛かるといい」

「了解しました」

 このおっさんの知識は役に立つ。敬礼するロニーはそう思った。

 

 木星の資源を集約、精製している工場群「木星プラント」。木星の衛星“メティス”の宙域に浮かぶ一種のコロニー群である。「一種の」と断りが入るのは、プラントはコロニーのような円筒形をしておらず、さまざまな工場棟が四方八方に継ぎ接ぎされたいびつな形状になっており、コロニーのように重力を発生させるための回転もしていない。そのプラントが“メティス”を囲むように全部で八つ浮かんでいる。プラント自身は宇宙世紀が始まる以前から存在しているが、時代とともに継ぎ接ぎされていったため、建設当時の面影は全く残っていない。衛星“メティス”自身も大規模な改造が施されているため、火星の衛星“ダイモス”同様、これもまた原型を留めていない。人工の大地が作られて人々の生活空間になっているらしい。

 ロニーたちは、そのプラントが視認できるほどにまで近づいていた。よく見ると、プラントの周りに、先程“ヴィーザル”に異常接近した巨大なモビルスーツが無数に浮かんでいるではないか。

「あれは、一体何なのです?」

 ロニーはマクミランの背後から尋ねた。木星プラントに行くロニーとジーナ、ハムザ、スナイの四人は、マクミランの乗艦“アルグリア”に乗り込み、ともに艦橋にいる。質問を投げかけられたマクミランは、あざけるような声色で答えた。

「遠い辺境の辺境で、人知れず働く奴隷モビルスーツ。名は“サイコ・ガンダム”」

「サイコ・ガンダム?」

 どこかで聞いたことがある名前だ。ふとロニーはジーナに目を遣った。その名を聞いたジーナの表情が引きつっているように見える。そうだ。カドモス研のマキノ博士とレストランで話をしていたときに、その名前が出ていた。ずいぶん昔にどこかの研究所が、強化人間によるモビルスーツの遠隔操作システムを作り上げようとしていたとか何とか。ロニーが記憶を呼び起こしていることなどお構い無しに、マクミランは話を続けた。

「木星人の出す感応波を増幅させて、あのモビルスーツを遠隔操作している。サイコフレームで全身を覆っているから、木星最深部の高重力、高圧力にも耐えられるし、ミノフスキークラフトを使って木星内部を自在に移動できる。サイコ・ガンダムが木星の最深部にある重金属を採取し、それを火星の核に注入して地球と同等の重力を作り出した。これは一般には知られていない話だがね」

「そうだったのですか…」

 なぜ宇宙開発省長官のチャンドラ=ラオがニュータイプ研究所を接収したのか、ロニーは分かったような気がした。いくら重厚な装甲を施した採掘船に搭乗したとしても、木星内部に生身の人間が入るのは危険きわまる。遠隔操作しようにも、木星内部には尋常でない電磁波の嵐が渦巻いているので電波が届かない。パイプラインを引こうにも木星は巨大なので、パイプラインの延長距離が天文学的な数字になってしまい現実的ではない。それに対して、ニュータイプの感応波は電磁波に干渉されることがない。もともとニュータイプの感応波は、相当遠い場所にも届くものなのだが、その感応波をさらに増幅できる技術が確立できたら、木星最深部にも感応波が届くだろう。軍事技術の民間活用といったところか。

「だとしたら、現在の私たちの生活を支えてくれている木星の労働者の皆さんに、感謝しないといけませんね」

「感謝か…。とてもそんな気分にはなれないな…」

「……」

 半端ではないマクミランの忌み嫌い方にロニーは辟易すると同時に、会いに行くべきではなかったのではないかと、自分の判断に疑念を抱いた。だが、マクミランが言うように、もはや引き返すことはできなかった。



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木星プラント(2)

 マクミランが木星プラントの代表者に会いに行くというので、ロニーも付いて行くことにした。こうなったら、毒を食らわば皿までだ。ロニーに同行するのはジーナとスナイである。

「やることを見つけたので、“ヴィーザル”に戻ります」

と言い残してハムザはさっさと帰ってしまった。

「准将の話を聞いて、こわくなったんだろうな。肝っ玉の小さい奴だ」

 スナイは笑ったが、笑いに覇気がない。チラッとスナイを見たジーナは、ニュータイプ慣れしていない人からすると当然の反応だなと思った。強化人間として訓練されたジーナは、いくらかのサイコミュ兵器を操作するくらいの感応波を出せるが、生粋のニュータイプのように相手の心に触れるまでの鋭さを身につけることはできなかった。昔は、そんなことまでできる生粋のニュータイプに憧れたが、今ではそこまでなれずに済んで良かったと思っている。いくら相手と仲良くなりたいからといって、ずけずけと無節操に相手のプライベートに入り込むのはよくない。トオルと一緒に暮らし学校へ通ったことで、こう思えるようになったのだが、この自分の考えが正しかったのかどうか、生粋のニュータイプに会うことでジーナは確認したかった。

 ロニーたちはマクミラン准将の乗艦“アルグリア”のシャトルに乗り込み、衛星“メティス”へ向かう。“メティス”からの誘導に従って宇宙港に接舷、上陸した。“メティス”内部を見て、ロニーは異常な空間だと感じた。あまりに清潔すぎる。床、壁面、天井全てが大理石を思わせる材質で作られ、古代ギリシャを思わせるような柱、階段、彫刻がちりばめられている。出迎えがいたが、女性一人だけ。しかも、その女性はいかがわしい踊り子のようなあられもない姿をしていた。

「ようこそ、お越し下さいました。皇帝陛下がお待ちです。どうぞ、こちらまで」

「……皇帝…?」

 ロニーはマクミランの表情を見た。引きつっている。こんなに贅が尽くされた空間は、地球上にもないはずだ。女性にこんな格好をさせ、それに皇帝?ここは、資源採掘の現場ではなかったのか。訳が分からない。

「携帯版のNT-Bは効果範囲が狭い。離れるなよ」

 シャトルに乗り込んだ際、マクミランに注意されていたので、ロニーたちは触れるくらいにくっついて歩く。廊下も何もかも、ギリシャ風。ふんだんに照明を使っているので凄く明るいが、日光のような優しさを感じない。広々としており天井も高いが、人の気配が全く感じられない。不気味だ。

 しばらく歩くと、オーク材でできた巨大な両開きの扉に出くわした。左右に衛兵が立っている。女性はここで退場し、衛兵が扉を開いた。

 中は、さらに荘厳だった。一面の芝生、そして石畳でできた通路。月桂樹やら何やらが植えられ、ところどころに見事な花畑が広がり、小川や噴泉もある。彫像に宝石が埋め込まれており、きれいな光が乱反射している。そんな中に、小高い丘があり、そこにガゼボが建てられ、その下に白を基調とした荘厳な服をまとった男性が座っている。こいつが皇帝か?とロニーは思った。左右にこれまた立派な服を着た男女が並んで立っている。きざはしの下まで来ると、マクミラン准将が深々と頭を下げた。

「ご尊顔を拝し奉る機会をお与え下さいました皇帝陛下の恩寵に感謝申し上げます」

「…相も変わらず無礼極まる機械を使っているくせに。思ってもいないことを申すな」

 毒のこもった声で皇帝らしき男が吐き捨てた。なんだこいつは?そう思ったロニーは、頭を下げながら上目遣いで皇帝らしき男を観察する。若い、というか、若すぎる。どう見ても二十歳そこそこ。ひょっとしたら、もっと若いかもしれない。しかも、相当の美男子だ。白皙の肌。艶やかなミディアムロングのさらさらの黒髪。形の整った眉。宝玉のようなサファイアブルーの瞳。その瞳が発する眼光は、冷たくマクミランを射抜いている。皇帝が見下している下賤の者は、皇帝のことなど意にも介さず淡々とした声を出した。

「皇帝陛下のご恩に報いる品々を用意しております。どうか、お納めくださいますよう」

「そこまで頼むのなら、受け取ってやろう。そんなことよりも、予が命じた件はどうなったのだ。貴様らオールドタイプどもよりも遥かに優れた予が、全人類を統治するよう組織を整え、地球へ行くフネを準備せよと。世界を動かしてきたのは、一握りの天才だ。天才である我々ニュータイプが世界を統治する。これこそ、世の摂理というものだ」

 はぁ?こいつ何言っていやがるんだ!?ロニーはあきれ返った。こんな遠く離れた木星にいて、しかもこんな浮世離れした生活を送っていて、地球圏や火星圏などに暮らす平凡な人たちの何が分かるというのだ。こいつ、話にならん。

 皇帝の意味不明な言葉にも、マクミランは動じずに返答した。

「まだ地球は、陛下の玉体に相応しいほど美しくなっておりません。もうしばらく、お待ち下さいますようお願い申し上げます」

「また、待てか。何回言えば気が済むのだ」

「地球が美しくなるまででございます」

「それはいつだ」

「かつて、チャンドラ=ラオ長官が申し上げた通りでございます」

 マクミランがチャンドラ=ラオの名前を出すと、皇帝は黙り込んだ。しばらく沈黙が流れたのちに、皇帝が口を開いた。

「まぁ、いい。ご苦労だった。下がってよいぞ。あとで褒美のものを取らせる」

「かしこまりました。それでは失礼致します」

 マクミランは再び深々と頭を下げ、ロニーたちを連れて退出した。小鳥のさえずりと花の香りだけが、来訪者たちを優しく見送った。

 

 ロニーたちは、一切の寄り道をせず、全く言葉を交わすことなく、真っすぐにシャトルに乗り込み、マクミランの乗艦“アルグリア”に戻った。皇帝のいるあの異様な空間が、気持ち悪かった。

「あの、皇帝という奴、一体何者なのですか?」

 当然ともいえる疑問を、ロニーはマクミランに投げかけた。疑問だらけなのだが、それを全て一気に投げかけると、マクミランが怒りだすだろう。頭の中が怒りで沸騰しているロニーだが、そのことには気付ける冷静さは残っていた。対するマクミランは、それみたことかといわんばかりの表情だった。

「自分で勝手に皇帝を名乗っているだけだ。しょせんは、サイコ・ガンダムを操って資源採掘をしている労働者の一人に過ぎない。まぁ、労働者どもの親分といったところかな」

「労働者の住環境にしては、豪華すぎるように見えますが」

「それは、チャンドラ=ラオのせいだ」

 マクミランは苦々しく吐き捨てた。

「もともと、木星労働者の給料は破格だった。あいつら木星人の操るサイコ・ガンダムの生産性は、以前とは比べ物にならないくらいに高い。生産性の高さに応じて給料を支払うとチャンドラ=ラオが約束してしまったばかりに、あの皇帝の所得はとんでもない額だ。高額所得者ランキングに出てこないのは、木星労働者を適用除外にしているからで、もし例外にしていなかったら、間違いなく1位を争っているだろうな」

「そんなに、ですか」

「そういう高額所得者がゴロゴロいる。感応波を使ってマニュアル通りに機械を操作するだけで、超大金持ち。カネにモノをいわせて、やりたい放題。しかも、調子こいて世の中のことを偉そうに語りやがる。これだから、木星人どもは…」

「そういうことだったのですか。世間に木星人のことが知れ渡ってしまうと、あまりの理不尽さに暴動が発生してしまいますね」

「ワシですら頭にくるのに、時給でしか働けない低額所得者たちは、もっと怒り狂うだろうな。ただ感応波を出せるというだけで、所得が1億倍も違うのだから」

 マクミランが所得格差を持ち出してきたことに、ロニーは笑い出しそうになった。地球連邦政府が火星統治に失敗した最大の理由が、所得格差にある。ロニーはそう思っている。いくら軍事力、警察力で押さえつけようにも、軍事力や警察力を実行する部隊は、機械ではなく人間だ。人間には良心がある。上からの命令と自己の良心が同じベクトルを向いていれば、軍事力や警察力は最大限発揮される。だが、上からの命令と自己の良心のベクトルが違う向きを向いてしまったらどうなるか。良心の呵責が起きない程度であれば、ベクトルは命令に向くが、良心の呵責が命令を上回ってしまうと、今の火星のような状況に陥る。良心の呵責が起きるくらいに、庶民を苦しめる政策をごり押ししたら、いくら新兵器を導入しても、いくら諜報活動で反乱分子を摘発しても、最終的に統治に失敗する。所得格差を推進する地球連邦政府の一員が、所得格差に触れるなんて、矛盾もいいところだ。

 ロニーはそんな気持ちを押し込んで、別の懸念を持ち出した。

「それはそうと、彼らが自ら武器を携えて、地球圏へ侵攻して来る心配はないのですか」

「ないない。それはない」

 ロニーの心配を、マクミランは笑いながら否定した。

「かつて、ある木星帰りのニュータイプが、ある組織を乗っ取って地球圏の支配を目論んだが、もろくも失敗した。それを奴らは知っている。連邦政府に求められないと地球圏を支配できない、ということを知っている。だから、あいつは我々にフネを寄越せと言う。それはすなわち、是非地球圏へ来て、地球圏を統治して下さい、と連邦政府が奴らに頭を下げるよう働きかけろということだ。何の恩もない、全く世話になったこともない奴の命令を、聞いてやる必要がどこにある。あるわけがない。あぁ、思い出しただけで腹が立つ」

 別にマクミランのことなんて好きでもなんでもないが、このマクミランの腹立たしさには、ロニーも同感だった。そして同時に、木星圏を万一の事態に備えて火星自治共和国側に引っ張り込む、という使命を果たすことは不可能だとも悟った。協力関係を築こうとすると、法外な要求を突きつけてくることが、容易に想像できた。

「こんな不愉快な思いをすることに、閣下を無理矢理引きずり込んでしまい、誠に申し訳ございません。そして、ありがとうございました。これは、経験しないと、きっと分からなかったと思います」

「奴に会わないと、木星資源を受け取れない。奴に会うのは仕事のうちだ。気にするな」

 皇帝が「褒美を取らせる」と言ったのは、木星資源の供給を許可したということらしい。これで輸送船に木星資源を積み込むことができるとマクミランは言う。

「これから積み込みだ。すごい量だから、積み込みだけで何日もかかる。積み込みが終わったら、ようやく出港だ。やれやれ」

「手伝いましょうか?」

 ロニーの申し出に対して、マクミランは首を横に振った。

「それには及ばん。ほとんど機械がやってくれるし、人手が必要な場面は専門知識のある人間でないとできない。ワシも現場に出なければならないので、おぬしの相手をする暇もなくなる。ロニー君、早く帰って自分の仕事をするんだな」

「分かりました。お世話になりました」

「そうだ。奴らが何をしてくるか分からんから、うちにある予備のNT-Bをやる。一回母艦に帰って、技術士官を連れて来い。設置や操作の仕方を教えてやるから」

「ありがとうございます」

 マクミランに対してロニーは、感謝の念を込めて敬礼した。



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虚空の果てで

 宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”は、マクミラン准将からNT-Bを受け取ると、木星圏をあとにした。火星に戻るまで、また長い旅路を経なければならない。クーデター派との戦闘の経緯が気になるが、アステロイドベルトまで戻らないと詳しい状況を知ることはできない。というのも、アステロイドベルトから木星圏の間には、通信用の中継衛星がない。会話ができるだけの膨大な通信データを瞬時に交わすことができないので、電報のような短い単語を長い時間をかけて遣り取りするのが精一杯なのだ。その少ない情報から分かっているのは、まだクーデター軍との雌雄が決していないこと、そして自治共和政府軍の旗色が良くないということだ。ロニーは少しでも早くアステロイドベルトに戻って、共和政府からの情報が欲しかった。

「トオルさん。雰囲気が怖いけど、大丈夫?」

 木星圏を離脱して数日後、艦長室でロニーと二人きりになっているジーナが、心配そうにロニーを見つめた。ロニーは仮面と兜を脱いで、トオルの素顔をさらしている。

「そんな気配を出していたか。すまんな。ちょいと心配事があってね」

「私、そんなにトオルさんを心配させたかしら」

 こう言ってジーナが申し訳なさそうな表情をしたものだから、トオルは慌てて否定した。

「違う違う。ジーナのことじゃない。木星プラントに行くまでの間、“ヴィーザル”の管制と操舵をしてくれて、ありがとな」

「じゃあ、心配事って?」

「火星自治共和国政府さ」

 ジーナの問いにトオルは伏目がちに答えた。

「思想が過激で連邦政府を敵視するクーデター軍なんかを相手に、何でここまで苦戦を続けているのかが、全く理解できない。苦戦をする理由と、現在の戦況を知りたいのだが、情報が入らないので心配しているのだ。さっさとケリをつけないと、連邦政府に介入の口実を与えてしまう」

「口実って?」

「自治共和政府に統治能力がないと断定され、連邦政府の大規模な遠征軍による火星全域の制圧。そして、火星総督府の再設置。そうなったら、二度と火星に自治は訪れない」

「それは大変」

 ジーナは自分の両手で口を塞いだ。

「トオルさんの考えるタイムリミットは?」

「うーん、そうだなぁ」

 トオルは腕を組んで少しばかり考え込んだ。

「…もう、すでに遠征の計画立案が進んでいるはず。時間的に考えると、遠征軍の規模を詰めている段階だろうな。規模が決まれば、具体的にどの部隊を投入するか選定作業に入る。選定が済んだら、遠征でいなくなる部隊の穴埋めをどうするかの検討作業。遠征軍の指揮官や幕僚の選定、兵站の準備、火星占領までのスケジュール作成などを考慮すると、タイムリミットは早くて半年」

「…あまり時間ないね」

「遠征の準備が整い、連邦議会の承認が得られ、火星遠征が発表されたあとにクーデター軍を倒しても、連邦軍は引き返してくれない。発表されたらアウト。だから、少しでも早くクーデター軍を倒さなければならない。まったく、こんなことだったら、木星行きを断ればよかった」

「それじゃ、トオルさんにはクーデター軍を倒す作戦があるの?」

 このジーナの問いかけに対し、トオルは意地の悪い笑顔を浮かべた。

「まぁね。でも、現在の状況が分からないと、どれを実行すればいいか分からない。全ては情報次第なのさ」

「ふーん。それはそうと、前から気になっていたことがあるんだけど」

 ジーナは一旦言葉を区切った。そして、改めてトオルを見据えた。

「なぜ、クーデターが起きたとき、火星の連邦軍をまとめてクーデター鎮圧に乗り出す人が、トオルさん以外に出てこなかったのかしら。偉い人、あっちこっちにいっぱいいたんでしょ」

「そのことか。私も、ルーデンドルフ提督と話をしたことがある」

 トオルは語る。平和な時代が続くと、有能で組織に忠実な人間は中央に集められ、有能でも組織のはみ出し者もしくは無能者が、地方に飛ばされる。火星にいた高級軍人たちは、その典型例だった。有能な者は皆、自分たちを冷遇する連邦軍を見限ってアリップに所属してしまい、クーデター側か自治共和政府側かに分かれてしまった。無能者は、クーデター鎮圧という、マニュアルも上からの具体的な指示もない、独創性が求められる仕事をこなすだけの能力がないので、自分に鎮圧の命令が下らないよう身を潜めた。なぜなら、失敗したら責任を問われて大変な目にあってしまうから。だから、誰も名乗りを上げなかった。統合参謀総長のフェルミ元帥がトオルとコンタクトを取ったのは、他に選択肢がなかったから。これが、ルーデンドルフと話して出した結論だった。

「組織に忠実で有能な者を各地に分散配置しなかったことが、軍機省にとって失敗だった。もし軍機省が、組織に忠実で有能な者を火星に多く赴任させていたら、別の結果が出ていただろうね」

 きっと、連邦軍とクーデター軍が交える激しい戦火から、ジーナと一緒に逃げ回っていただろうなと、トオルは思う。そして、連邦軍は勝利し、火星居住者の生活は更に苦しくなっただろう。ちょっとボタンを掛け違えただけで、歴史は違う展開をみせる。全く、歴史という奴は…

「こうやって分析すると、私が今の立場にいるのは必然のように聞こえるが、状況がたまたま私に当てはまっただけだ。自分がどういう立場に置かれるかなんて、結局偶然に左右される。実力主義なんて、しょせん絵空事。努力さえすれば偉くなれるなんて、ありえないのさ」

「なんだか、努力しても無駄って聞こえるけど」

「そんなことはないさ。努力しないと、偶然やってくる機会を掴み損ねる。たとえ掴めたとしても、努力をしていなければ失敗する。だから、努力は必要なのさ」

「ということは、トオルさんも努力してきたの?」

「あったりまえだ。これでもいろいろ勉強してきたんだぞ。すごいだろ」

「う~ん。そんなこと言われても、学生時代のトオルさんのこと知らないから」

「何を言う。今だって、努力しているだろう」

「え~っ。部屋にこもって資料ばっかり作っているのが、努力なの?」

「そうだよ。大事な仕事さ。ジーナも、資料作りができるようになるよう、頑張って勉強しなさい」

「結局、それが言いたいわけね。勉強嫌だなぁ。身体動かしているほうが楽しいんだけど」

「ジーナは運動選手にはなれないんだから、仕方ないだろ」

「そうなのよねぇ。好きでこんな身体になったわけじゃないんだけど」

 ジーナはため息をついた。ついこの前まで、自分に降りかかった過去を嘆いて喚いていたのだが、こうして冷静に振り返ることができるようになったジーナの成長に、トオルは目を細めた。

「勉強して得をすることはあっても、損をすることはない。ジーナくらいの年頃が、一番勉強が身につく。次の保護者面談のときに、先生から褒められるのを期待しているよ」

「は~い」

 ジーナが気のない返事をした。古今東西、勉強を嫌がる子供って必ずいるなぁとトオルが心の中でため息をついたとき、デスクの内線が鳴った。こんなときに何だと思いながらトオルは受話器をとった。

「ロニーだ。何があった」

「艦長。ラモンです。艦内に侵入者を発見。拘束しました」

「はぁ?侵入者ぁ?なんで?」

 予想外の報告に、トオルは呆然となった。

 

 いつぞや、アステロイドベルト付近で拿捕した軽巡洋艦の艦長を尋問した部屋に、一人の男が拘束され、座らされていた。手かせ、足かせ、口かせのフルセットを施されている。軽巡洋艦の艦長はパッとしない中年男性だったが、今回は違った。つややかなミディアムロングの黒いサラサラヘアーの下には白皙の肌、整った眉、切れ長だが大きなサファイアブルーの瞳が印象的なとんでもない美男子だった。年のころは、二十歳になるかどうかといったところか。顔はきれいだが、吐く言葉は汚かった。

「クズどもめ。こんなことをしてタダで済むと思ってるのか」

「そこの下民、さっさとかせを解かんか。無礼者が」

「こんな趣も風情もないクズ鉄のようなフネに乗ってやっているのに、下郎どもは感謝というものを知らんのか」

「感謝というものを理解できないということは、貴様らは人間ではなくケダモノだな」

「ケダモノばかりのこのフネは動物園だ。ケモノの臭いで頭がオカシクなりそうだ」

 口かせといっても、舌を切らないようにしているだけなので、話すことはできる。それにしても次から次へと、よくもまあポンポン悪言が出るものだ。逮捕された男に正対して座っているラモンは感心した。尋問するのは自分の役目ではないと思っているので、ラモンはずっと黙っている。この男は、それも気に入らないようだった。

「そこの、でき損ないのゴリラ。黙って座っている時間があるのなら、拘束を解いて予をもてなす準備でもしたらどうだ」

「礼儀を知らんのか、礼儀を。予の足元にひれ伏して礼をせんか」

 どんな育ち方をしたら、こんな無礼者になれるのだろうか。軍隊はかなり理不尽な職場だが、それでもここまで悪口を連発して浴びせてくる人間はいなかった。このあともこの男は、ラモンに次々と罵詈雑言を浴びせてきたのだが、この男の生育環境についてあれこれ考え始めていたので、ラモンには全く聞こえていなかった。

 しばらくすると、喋り疲れてきたのか、この男の罵声悪言は少なくなってきた。ちょうどそのとき、ジーナを伴ったロニーがこの場に姿を現した。

「艦長、場を暖めておきました」

 ケロッとした表情で、ラモンは艦長に報告した。敬礼するラモンから、拘束されている男に視線を向けたロニーは、見覚えのある顔だったのでげんなりした。

「おい、仮面。貴様、部下にどういう教育をしているのだ。予に対する振る舞い、謝って済む問題ではないぞ」

 ロニーの姿を確認するなり、この男は罵詈雑言の矛先をロニーに向けた。こいつ、木星圏から出たら元気百倍になるんだな、とロニーは思った。

「あいにく、悪徳訪問販売業者にはお灸を据えろと教育しているのでね。当然、お前に謝罪する気は全くない」

「何だと…予を誰だと思っているのだ」

「不法侵入者だ」

 ロニーは力強い声で明快に断定した。

「木星圏で何をしていたか知らないが、ここではお前はただの不法侵入者だ。ノーマルスーツを着せてやるから、ここから泳いで木星まで帰るんだな」

「ふ、ふざけるな」

 若い男の吐いたセリフは勇ましいが、声色は明らかにうろたえていた。熱核クローム航法ですでに数日が経過しているので、ノーマルスーツのオプションのバーニアを使って木星へ文字通り泳いで帰ろうとしたら、生きている間にたどり着くことはできない。こんなところで放り出されることは、死を意味した。

「白いフネが木星に来たら、それは皇帝を地球へ迎える御召艦だと聞いているのに。何でこんな目にあわなければならないんだ」

 若い男はわめいた。何でこんな目にあわなければならないんだ、はこっちのセリフだ、とロニーは心の中で叫んだ。御召艦かおしめ缶か知らないが、そんなのそっちの勝手な都合でこっちには関係ない。

「勝手に押しかけてきて、ぎゃんぎゃんわめいて、いい迷惑だ。ヨソ者に与えるのも癪だが、独房にぶちこんでやる。食事も与えてやるから、ありがたく思え」

「独房だと」

「嫌なら、外に放り出してやるから、孤独な宇宙遊泳を楽しむのだな」

「……」

 若い男は、怒りと絶望と悲しみで無表情になった。

 

 火星へ帰る途中、アステロイドベルト・エリアアルファつまり準惑星セレスに立ち寄る予定だが、それまではやはりヒマなので第二回三次元フットサル大会を開くことになった。前回はロニー艦長も審判として参加したが、資料作りがたまっているのでカタリナ船務長とともに今回は欠席することになった。本来はハムザ情報長も資料作りをしなければならないのだが、

「一生のお願いを聞いて下さい」

と涙ながらに三次元フットサル大会に出たいと訴え出てきたので、やむを得ず資料作りは免除となった。

「その代わり、これは貸しだから何かあったとき頼むぞ」

とロニーに念を押されて、背筋が寒くなったハムザであった。

 あと、ジーナも前回に引き続き、大会不参加である。スナイから、さんざん残念がられたのだが、彼女には木星行きの時とは異なる任務があった。

「…あんた、こんな狭くて暗い場所に一人きりで、よくそんなに食べれるね」

 先日、不法侵入でとっ捕まった若い男は、艦長命令で独房に放り込まれた。すでに一週間が経過しているが、その間の食事の運び込みはジーナに任された。独房に放り込まれたその日から、与えられた食事を何の疑いもなくガツガツ食べていた。

「これからは大盛りで頼む」

とのたまう始末。あきれてジーナはロニーに相談したところ、

「好きにさせてやれ」

というので、通常の五割増しの量を、この男に与えている。この調子で一週間も食べ続けたら、さすがに太るのではないかとジーナはこの男を観察していたのだが、一向に太る気配がない。こいつ、ダイエットに悩む女性の敵だ。

「ところであんた、名前は何ていうの」

 この男が食べ終わったのを見計らって、ジーナは尋ねた。この問いかけは、すでに三回目だ。一回目の答えは

「太陽系を総べる皇帝だ」

 で、二回目の答えは、

「木星の皇帝だ」

 だった。次は何の皇帝というのかな、とジーナは面白半分で尋ねたのだが、三回目の答えは、

「アロワ=シェロン」

と、初めてまともに答えた。やっとトオルさんに報告できるという安ど感と、楽しみが一つ減ったことによる寂寥感に、ジーナは包まれた。

「そう。私の名前は、ジーナ=グリンカ。パイロットをしているわ」

「パイロット?お前が」

 アロワが蔑んだ声を出したので、ジーナはカチンときた。

「そんなに、おしとやかな乙女に見えるかしら」

「お気楽な飯炊き女だと思ったよ」

 何だとこの野郎、修正してやろうか!ジーナは、わななく拳を一生懸命抑えた。

「料理はまだ勉強中なの。ごめんなさいね」

「どうせ、何やっても半人前なんだろ」

「あと10年もすれば、一人前のレディーになっているわよ。その時になって言い寄ってきても、相手にしてあげないんだから」

 こう言って、ジーナは思いっきり舌を出してやった。それ見てアロワは大笑いをした。

「そんな子供じみたことをしている限り、レディーになるまであと20年は必要だな」

「40歳になっても若々しくいられるというお墨付き、どうもありがとう」

「こちらこそ、どういたしまして」

 アロワはナプキンで口を拭った。顔はいいし所作も優雅。これで口の利き方がよかったら皇帝でも王様でもなれただろうに残念すぎるなぁ。食器を下げながらジーナは思った。

「ところでアロワ、あんたどうやってこのフネに乗り込んだの」

「そんなこと、お前に教えてやる義理はない」

 アロワの口調は、つっけんどんだ。そんなアロワに、ジーナは冷たい視線を送った。

「へぇ、そんなこと言うんだ。誰が大盛りにしてあげたと思っているのかなぁ~」

「あれは、独り言だ」

「あっ、そう。だったら、小盛りにしてもらうよう、頼んでおくわね」

 すましてこのようにジーナが言うのを遮るように、アロワがぶつぶつとしゃべりだした。

「マクミランの船から機械を搬入して、何か工事のようなことをしていただろ。あのとき、乗組員に紛れて入り込んだんだ。しばらく、リュックに詰めていた携帯食で済ましていたけど、なかなか地球に着かないから、食べ物を準備してもらおうと適当にうろついていたら捕まった。ちなみに、これも独り言だからな」

「あっきれた~。一日や二日で地球に着くと思っていたの?」

「地球と木星の距離のことなんか、聞くことも調べることもできない。どうやって知れと言うんだ?」

「えっ、そうなの」

 衛星“メティス”の豪華な生活空間を見たあとだけに、地球と木星の距離という取るに足らない情報をアロワが知らないことに、ジーナは衝撃を受けた。価値観が違いすぎる。木星プラントはやはり異常な空間だ。

「それじゃ、地球へは遊びに行くだけで、すぐに帰るつもりだったの」

「いや、木星へは二度と帰るつもりはない」

 アロワは明快に断言した。木星では部下を従えて優雅に暮らしているように見えたので、このアロワの答えはジーナにとって意外だった。

「二度と帰らないの?なんの不自由もない、優雅な暮らしぶりに見えたけど。あの生活のどこに不満があったの?」

「…そうだな。飲み食い、遊び、生活環境、召使もいたから、優雅な暮らしといえばそうかもしれない。生きていくだけでいいのなら、何の文句もないだろうな。」

 ここまでは棒読みだったが、ここからのアロワの声色は、様々な感情が交じり合っていた。

「……あそこは、とにかく狭苦しくて息苦しい。人間が空気を吸い、水を飲み、食物を食べる限り、青い空や白い雲、潮の香りや森の息吹という地球らしさへの憧れは決して消えない。宇宙空間で生活するようになった人類が、それに対応するために進化していったものをニュータイプと呼ぶらしいが、もしそうならサイコミュ・システムを自在に操ることができても俺はニュータイプではない。なぜなら、俺は宇宙空間に対応できていない。いくらでも払うから、雄大な空、雲、海、山河、森林が欲しい。遺伝子の渇望を俺は止められない」

「………」

 ジーナは言葉を失った。学校の友達がいる、肉眼ではとても捉えることができない火星が、なぜか突然恋しくなった。それとともに、人間が完全に宇宙空間での生活に適応できるようになんてなれないのではないかとも感じた。

 宇宙世紀が始まって三百年が経過した。だが、人類に革新は起きず、様々な場所でもがき、苦しんでいる。あがいた先に光があると信じ、今日も必死にあがいている。ジーナたちの木星への旅は折り返し点を過ぎたが、時代のうねりはまだ始まったばかりのようだった。宇宙は、静かに時を刻み続ける。




徨竜篇
これにて終了となります。

いよいよロニーたちは火星への帰還を果たすのですが、
火星内乱にどう巻き込まれていくのでしょうか。

幸運にも戦火に巻き込まれることが
ほとんどありませんでしたが、
これからは、そうはいかないでしょう。




ここまで読まれた方は
お気づきかもしれませんが、
この作品は、
ファースト
ゼータ
ダブルゼータ
逆襲のシャア
ユニコーン
そして一部ブイガンダム
は物語のバックボーンとしていますが、
それ以外は考慮していません。
Fシリーズなどを好まれている方々には、
読み辛かったと思います。

それから、
仕事と家庭を両立させる中、
僅かなプライベート時間を割いて
執筆してきましたが、
本業が多忙となってきたため、
次話投稿は相当先になり、
更新は不定期になると思います。

これまで、長文にお付き合い下さいまして、
誠にありがとうございました。

いつになるか分からない
次章でお会いできることを
楽しみにしています。


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烈竜篇
PHASE 0(1)鈍重


 地球連邦政府の成立から宇宙世紀が始まり、すでに三百年以上が経過していた。

 その間、人類は居住空間を地球の外へと広げ、月の軌道の内側にコロニー群そして月面都市を建設、宇宙開発省長官にホー=フェイリンが就任すると火星のテラ=フォーミング計画が立ち上がる。その後、紆余曲折を経て計画が実行に移され、長い年月をかけようやくテラ=フォーミングが完了しようとしていた。

 完了を目前に控える中、火星でクーデターが発生した。テラ=フォーミングが中盤に差し掛かる頃から工事が減少、作業員がダブつくようになり、労働単価が減少。所得格差が広がる中、火星総督府が生活環境維持のための費用を賄うために大幅な間接税引き上げを次々に敢行。火星居住者の生活が苦しくなって、連邦政府に対する不満が急拡大したことが、クーデターの発生を招いた。

 連邦政府は、クーデター鎮圧のために手を打ったものの失敗。火星の有力組織“アリップ”に火星自治共和国成立を認める代わりに、連邦政府の存在自体を否定するクーデターの鎮圧を要請。クーデター軍と共和国軍の内乱が始まった。

 そんな中、火星自治共和国枢密顧問官に、仮面を被った士官ロニー=ファルコーネ大佐が就任。宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”の艦長となって、アステロイド=ベルトと木星圏を調査。一定の収穫を経て、現在火星への帰還の途についていた。ようやくの思いでアステロイド=ベルトまでたどり着き、通常通信が可能となったので、火星自治共和国軍とクーデター軍の戦況の詳細について事細かに収集した。そこで得た情報は、ロニーを唖然とさせるものだった。

「なぜ、こんな消極的な作戦をとっているのだ?」

 艦長室のモニターで共和国軍の戦力展開図を見て、ロニーは苦々しくつぶやいた。クーデター軍は戦力を集中させて、火星自治共和国の事実上の首都となっているカドモス=シティへ向け進軍している。それに対し共和国軍は、クーデター軍の本拠地であるウラノス=シティを遠巻きに包囲する形で軍を布陣しており、クーデター軍の鋭鋒を少ない地上軍と衛星軌道上に展開する第七艦隊で何とか防いでいる状態だ。共和国軍は防戦一方となっているにもかかわらず、遠巻きに布陣している地上軍を遊兵にしている理由が、ロニーには分からなかった。そこでロニーは、枢密顧問官の立場を利用して、共和国軍総司令官のルーデンドルフを呼び出した。ルーデンドルフから引き出した答えは、

「全方向から圧力をかけて、クーデター軍が自ら投降してくれるのを待つ」

で、ロニーはルーデンドルフのあまりの煮え切らなさに呆れ果てた。

「そのような策を採られる理由をお聞かせくださいませんか」

 苛立つ気持ちを抑え、平静を装ってロニーは尋ねた。対するルーデンドルフは、自分の専権事項に他者が介入してきたことへの苛立ちを隠さなかった。

「クーデター軍の兵站は貧弱だ。いずれ必ず息切れする。正面決戦をして味方の出血を大きくする必要性を感じない」

 当たり前のことを聞くなと言いたげだった。世界が共和国軍とクーデター軍の二者しかいないのであれば、ルーデンドルフの言うことは正しい。だが、現実はそうではない。そのことを、ルーデンドルフは理解しているのだろうか。ロニーは心配になった。

「申し上げにくいのですが、ウラノス=シティの包囲が出来上がって日が経つにもかかわらず、クーデター軍の戦意は旺盛で、味方は押され気味です。この状況を変えない限り、クーデター軍がカドモス=シティに達してしまう可能性を、決して捨てることができないと感じます」

「今のペースでクーデター軍が進撃を続けたとしても、カドモスに達するまで二~三年はかかる。そこまで、クーデター軍の息が続くとは思えん」

「二~三年は長すぎます。もっと早く決着をつけるべきです」

 ロニーの語気が強くなったので、ルーデンドルフは眉をひそめた。

「ロニー君、言いたいことがあるなら、はっきりと言ったらどうだ」

「では、申し上げます」

 ロニーは説明を始めた。内容は、いつぞやジーナに語ったことと同様だった。連邦軍の介入の可能性について、ロニーは執拗に強調した。

「我々に自治権を認めたばかりに、地球圏の各所で自治権要求運動が活発化しています。それを抑える手段の一つとして、我が火星自治共和国の統治能力に疑問符を投げかけ、それを口実にして連邦政府が大規模な制圧活動に出る。自治権要求運動に対する見せしめとして火星を蹂躙し、地球圏の活動家たちを震え上がらせる可能性は、十分にあり得ます。それを防ぐためには、どのような犠牲を払おうとも、一刻も早く内乱を終結させねばならないのです」

「………」

 ルーデンドルフは腕を組んで黙り込んだ。沈黙は一分ほどだったが、かなり長い時間にロニーは感じた。それなのにルーデンドルフが出した結論は、あまりに平凡なものだった。

「ロニー顧問官のご意見を検討する」

「少しでも早いご決断を願います」

 ルーデンドルフの煮え切らない返答に、ロニーは失望した。



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PHASE 0(2)屈辱

 火星まであと約一週間というところまでロニーたちは帰ってきたのだが、ロニーが出した提案に対するルーデンドルフからの返答は一向に来る気配がない。しびれを切らしたロニーは、ルーデンドルフに督促の通信を送った。

「まだ、決心がつかないのですか」

 ロニーは静かな声で詰め寄った。ルーデンドルフは、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべていた。

「そうは言っても、相手はかつての仲間だったのだ。簡単に割り切れるものではない」

「それでは、連邦軍の介入を受け、共和国の存在自体が危うくなってもいいとおっしゃるのか」

「連邦軍が介入してくるとは限らん」

「介入の発表があってからでは遅いのです」

 仮面の士官は、手厳しく老将軍を断じた。

「本艦は、まもなく火星圏に到着します。これ以上、座して待つことはできません。以降、本艦は独自の行動を執らせて頂きます」

「それは困る。貴官の持つ戦力は極めて重要だ」

「衛星軌道上からの援護射撃に本艦が加わったところで、どれほどの効果があるとお思いか」

 すでに総艦艇一千隻に上る第七艦隊の大部分が、火星の衛星軌道上に展開している。そこに戦艦が一隻加わったところで意味がないのは明らかだ。ごく当たり前のことを指摘されたので、さすがのルーデンドルフも真っ向から否定することができなかった。

「ウラノス=シティへの直接攻撃には、反対が根強いのだ。ウラノスには企業の火星本社が集中しており、人口も多い。宇宙ステーション“クロノス”とつなぐ軌道エレベータなどの重要な施設も数多くある。それらが灰燼に帰してしまったら、経済的損失が計り知れない」

 低い声でこう唸るルーデンドルフの話を聞いてロニーは、ルーデンドルフの煮え切らない態度の理由を悟った。他の顧問官たちに反対されているから許可できないなんて、プライドが邪魔して言えなかったのだろう。だが、もっと早く言って欲しかった。時間があれば、もっと有効な方法を採ることができたのに。悔しがっても、時間は戻ってこない。

「それでしたら、ウラノスを可能な限り無傷で落としてみせますので、ウラノス攻略の指揮権を与えて下さいませんか」

「そんなことが可能なのか?」

「二日後に作戦の概略を送ります。納得して頂けなければ諦めます」

「分かった。貴官からの計画書を待とう」

「はっ」

 ロニーはルーデンドルフに敬礼した。

 

 火星から木星までの長い航海の中、宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”からは一人の脱落者も出なかった。それどころか、乗組員が一人増えている。そいつの名は、アロワ=シェロン。木星からの密航者である。“ヴィーザル”艦長のロニー=ファルコーネ大佐は、密航者を着の身着のままで宇宙空間に放り出すことも考えたが、そうすると100000000%確実に死んでしまう。それでは寝覚めが悪いので、やむを得ず独房に放り込むことにした。独房の放り込んだのはいいが、そいつは人の1.5倍は飯を食う。働きもしない人間にタダ飯食わせるのもシャクなので、独房に放り込んでから二週間後、監視付きで外に出してやることにした。

「やっと、俺の素晴らしさに気付いたのか。愚か者ども…グハッ」

 言い終わる前に、監視役のジーナにアロワは腹を殴られた。

「そんなこと言うなら、もうしばらく独房に入っていてもらおうかしら」

「……飯炊き女のくせに生意気な」

 秀麗な顔を苦痛で歪ませながらアロワはつぶやいた。幸いにもジーナには聞こえていなかったみたいで、当のジーナはアロワに目もくれず面前のロニーに問いかけた。

「大佐。こんなの、外に出しても大して役に立たないと思いますが、どうされるのですか?」

 第三者がいる場合、ジーナはロニーのことを“大佐”と呼んで敬語を使う。ジーナに敬語を使われると何だか背中がこそばゆくなるロニーは、腕組みをして少し考え込んだ。

「……そうだなぁ。艦内全部のトイレでも掃除してもらおうか」

「と、トイレ掃除だと」

 ズキズキ痛む腹をさすりながら、アロワはロニーを睨みつけた。だが、アロワの眼光は、ロニーの仮面を貫くことはできなかった。

「文句があるなら、今すぐ出て行ってくれて構わない。バーニアをプレゼントしてやるから、木星への宇宙遊泳の旅に出たらどうだ」

「また、それか。それしか言えないのか。程度の低い奴だ」

「そうか。よく分かった。ジーナ、ノーマルスーツとバーニアを持ってきてくれ」

「分かった分かった分かったぁぁぁ!!」

 アロワは慌ててロニーの言葉をさえぎった。

「こうなったら、トイレ掃除検定百段の腕前を披露してやる。こんな幸運、またとないぞ。ありがたく思うのだな」

 フハハハと不適に笑うアロワ。ロニーとジーナは、トイレ掃除に検定なんてあるのかとあきれてしまい、げんなりしてしまった。そして、ロニーとジーナは、更にげんなりしてしまった。それは、アロワのトイレ掃除が滅茶苦茶だったからだ。

 長距離惑星間航行において、水は貴重な資源である。使用済みの水は全て完全ろ過をして再利用しているのだが、それでも蒸発したりして減少する。だから、飲料、調理、入浴以外での水の利用は、極力控えるようにする。掃除には極力水を使わないようにしているのだが、アロワのトイレ掃除は水を豪快に使うものだった。

「…あんた、トイレ掃除の仕方も知らないの」

 水浸しのトイレを見て、ジーナは脱力してしまった。これだけの水があれば、大浴場利用の日を一日増やせただろうな思うと、怒りさえ湧いてくる。

「トイレ掃除に水はつきものだろう」

 そっくり返って偉そうに講釈を垂れるアロワ。だめだこりゃ。頭を抱えてしまったジーナは、雑巾を探し出して黙々と水浸しのトイレを拭き、絞ってバケツに水を溜める。その様子をアロワは不思議そうに眺めた。

「そんなことしなくても、これだけ空気が乾燥していたら、すぐに乾くぞ」

「水は貴重品なの。乾燥しちゃうと水が減ってしまうでしょ」

「いらん労力を使う奴だな。水なんか蛇口ひねればいくらでも出てくるだろ」

「あ、ん、た、ね、ぇ……」

 ジーナはつかつかとアロワに歩み寄ると、雑巾をアロワに突き出した。

「ぐだぐだ言っていないで、あんたも水を拭き取る」

「何で俺が?」

「あんたがやらかしたからでしょうが」

 ジーナが拳を固めて殴る素振りをしたものだから、アロワは身を竦ませた。

「分かった分かった分かったぁぁぁ。やりますよ。やらせていただきますよ。まったく、何て凶暴な奴だ。まるで血に飢えたケモノだ」

「何か言った?」

「いーえ、何も」

 しれっと答えると、アロワは水浸しのトイレ拭きを始めたのだった。



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PHASE 0(3)軍略

 宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”は、木星への長い旅路を終えて地球連邦軍第七艦隊の司令部があるダイモス要塞に入港した。軍港にいる艦艇の数はまばらである。大半は火星の周回軌道上に展開してクーデター軍と対峙している。軍港に停泊しているのは、第七艦隊第一分艦隊第一戦隊、すなわち第七艦隊司令官ルーデンドルフ提督直属の艦隊だけであった。

「長旅、ご苦労さん」

 タラップから下りてきた“ヴィーザル”艦長ロニー=ファルコーネ大佐を、火星自治共和国枢密顧問官ルーデンドルフ軍務卿が数名の士官を連れて出迎えた。ロニーは敬礼で以ってルーデンドルフに応えた。

「こちらから閣下の下へ伺うべきところを、わざわざお越し下さいまして、まことにありがとうございます」

「堅苦しい挨拶はいい。旅はどうだったか」

「メンバーに恵まれました。閣下のご配慮には感謝しかありません」

「喜んでもらえて嬉しいよ。とにかく急ぎたいから、会議室まで歩きながら話したい。いいかな」

「それは構いませんが、小官一人で伺わなければなりませんか」

「何だ。同行させたい人間でもいるのか」

 ルーデンドルフが不思議そうな顔をする。ルーデンドルフとロニーはともに枢密顧問官。他の枢密顧問官たちは皆火星にいるから、高官同士の話し合いに顔を出せるような人間はこの場にいないはずだ。そんなルーデンドルフの内心などお構い無しに、ロニーは要求を出した。

「アステロイド=ベルトから木星圏に至るまでの詳細な情報をお話したいので、“ヴィーザル”副長のラモン中佐、船務長のカタリナ中佐、そしてアステロイド=ベルトで乗組員になったアロワ一等兵とその介添役のジーナ曹長を同席させたいのです」

「なるほど。それだったら別の会議室を使うことにしよう。ヘンレ大尉、8号会議室を用意するように」

「はっ」

 ロニーと同年輩くらいの士官は、ルーデンドルフに敬礼をすると足早にこの場から立ち去った。同席の了解を取り付けられたので、ロニーはそばにいるラモン副長に、アロワとジーナを連れてくるように命じた。

 その後を追うようにルーデンドルフが歩き出したので、ロニーがそのやや後ろについて歩く。そのだいぶ後ろにカタリナがついて行く。あとから来るラモンに、居場所を伝えるためだ。ラモンとカタリナの気配りに気付いているのか分からないが、ルーデンドルフはゆっくりと歩きながらロニーに告げた。

「貴官からの提案を拝読させてもらった。他の顧問官たちと意見を交わした結果、貴官の作戦を了とする。貴官の要望は、空母一隻と強襲揚陸軽巡洋艦三隻、ウラノス=シティを包囲している10個師団の指揮権、そして役目を終えて宙をさまよっている太陽光集光ミラーだったよな」

「ありがとうございます。その通りです」

「それだけの兵力を指揮するのに、大佐ではまずい。第二任務部隊司令長官中将の辞令を数日中に出すので、そのつもりでいてくれ」

「はっ。ご命令、謹んでお受けいたします」

 歩きながらロニーは浅く頭を下げた。そして言葉をつづけた。

「第二任務部隊司令長官就任に当たり、統合参謀総長のフェルミ元帥に挨拶をしたいのですが、コンタクトを取って頂くことはできないでしょうか」

 ロニーの思わぬ願い事に、ルーデンドルフは歩く速度を落とし、ロニーに視線を向けた。

「フェルミ元帥にか。元帥と話をしたがる奴なんて、おぬしぐらいじゃ。何を企んでいる」

「企むだなんて、人聞きの悪い」

 ロニーは一つだけ咳ばらいをした。

「火星の平和のために、ささやかなご協力を賜りたいだけですよ」

「ささやか、か。第三総軍総司令官代理大将は、ささやかなお願いだったのか」

「あれは、私がお願いした訳ではありません」

「まぁ、いい。コンタクトは取るが、確約はできんぞ」

「それで結構です」

 その後、ロニーとルーデンドルフは他愛のない雑談を続けた。エレベータに乗り、通路を歩いているうちに、ラモンとカタリナ、ジーナ、アロワが合流してきた。しばらく歩いた末、一行は一つの扉にたどり着いた。先ほどのヘンレ大尉が直立している。

「中で、ニジンスキー提督とハルマ参謀長がお待ちです」

 敬礼してヘンレがルーデンドルフに報告する。そして扉を開けると三十名程度を収容できる会議室に五名が着席していた。二人は先ほどヘンレ大尉が報告していた高級軍人、一人は正面にあるモニターのそばにいるオペレータ、あとの二人はそれぞれニジンスキー提督とハルマ参謀長の横に着席しているところから、副官か何かであろう。五名はルーデンドルフの姿を確認すると、立ち上がり敬礼を施した。オペレータはすぐに着席して端末の操作を始める。するとモニターが有彩色となり、左右中央、三つのブロックに分割された。それぞれに人物が映し出される。中央に映し出された、瑞々しい栗色のストレートヘアとエメラルドグリーンの瞳が印象的な50代くらいの女性が、最初の一声を放った。

「ファルコーネ卿、長い航海お疲れ様でした」

「とんでもございません。良い経験をさせて頂きましたので、感謝しております」

 ロニーの声はこの女性、火星自治共和国枢密顧問官ナディア=レスコ主席に対して軽く頭を下げた。その様子にナディアは微笑んだ。

「報告書の作成ご苦労様です。内容について卿から直接の説明を頂きたいのですが、よろしいでしょうか」

「もちろんです」

 ロニーは、提出済みの報告書を基に、アステロイドベルト及び木星での出来事について、カタリナからの助けを借りながら話を始めた。すでに枢密院での了承を得ているアステロイド=ベルト鎮守府設置計画に関する件は意図的に割愛し、話のメインは木星圏のことについてになった。第九艦隊のことは、軍の高官であるニジンスキーですら知らないことだった。

「ファルコーネ顧問官、クラトス駐留基地の件は間違いないのですか」

 第八艦隊司令官ウラジミール=ニジンスキー。中肉中背で、口元に蓄えている髭は白く、頭髪は薄い。ルーデンドルフ軍務卿より一つ年下の56歳。ルーデンドルフのような派手な軍歴はないが、士官学校を出てから順調に階級を上げていった。参謀本部勤務よりも現場経験の方が長い。

 そのニジンスキーの疑問に、ロニーは答えた。

「写真に写っている通りです。地下港湾の存在を疑いましたが、出入港口を確認できませんでした。クラトス駐留基地に入港する機会があったので、現地調査を行いましたが、それでも確認できませんでした」

「ファルコーネ卿の報告書によれば、木星圏及び木星圏以遠にコロニー群が無く大勢の 人が住んでいないから、大規模な軍を駐留させる必要が無い。なのでクラトス駐留基地に大規模な港湾設備がなく、第九艦隊の構成も小規模なものであっても不思議なことではないと結論付けられている。だが、木星には資源採掘に携わる労働者が多く存在しているはず。報告書に書かれている少人数のニュータイプ能力者だけで、木星資源を採掘しているとは、とても思えないのだが」

 ニジンスキーに代わって疑問を投げかけてきたのは、モニター画面の右に映っている男性だった。火星自治共和国副主席エリアス=ナイツェル財務卿。副主席だが、七人の枢密顧問官の中で年齢はロニーの次に若い42歳。ウェーブのかかったセミロングの金髪と意志の強さを象徴する太い眉、銀縁メガネの奥で煌くコバルトブルーの瞳が印象的な能吏である。超巨大企業アナハイム=エレクトロニクス=コンツェルン常務取締役兼アナハイム=マース代表取締役社長だったが、火星自治共和国成立を機に離職して現職に就任した。アナハイム在職期に培った経済界への人脈の太さには定評がある。とにかく行動派でじっとしていられない性格と、ターゲットへの鋭い斬り込み方から、つけられたあだ名が“ホオジロザメ”だった。ロニーは、その“ホオジロザメ”の牙を向けられたのだが、平然としていた。

「かつてのように、多数の労働者を木星に送り込んで作業に当たらせる手法は、現在とられておりません。多くの人手と教育が必要で、しかも高重力の過酷な現場のため長続きせず、労働災害が多く発生することから、今では巨大モビルスーツ“サイコ・ガンダム”をニュータイプに遠隔操作させ、木星内部に突入させる無人採掘法を採用しています。ゆえに、木星に居住している人員は限りなく少なく、他のめぼしい産業はありません」

「では、居住者の人数をどれくらいだとファルコーネ卿は見込まれる?」

「それについては、ここにいるアロワ一等兵に報告させます。アロワ君」

「え、え、あっ、はい」

 木星では皇帝を名乗って偉そうにしていたアロワだが、ここでは借りてきた猫状態だった。これまでアロワが出会ってきた高級軍人たちとは、目つき声色話しぶりが全く異なっていて、会議室の雰囲気に気圧されていた。

「世界を動かすというのは、こういうことなのか…」

 今までいた自分の世界がいかに狭い空間だったのか、そして世界の皇帝なんて何ておこがましいことを言っていたのか、アロワはショックを受けていた。そんな中でロニーにいきなり発言を命じられたので、不意を突かれた格好となりアロワは慌てて立ち上がった。

「木星圏の居住者については、サイコ・ガンダムのパイロットが交代要員を含めて50名程度、パイロットの体調管理のために派遣された生体科学研究所の職員が30名程度、プラントの技術者が200名程度、その他の職員が60名程度で、すべて合わせても400名はいないと思います」

「そんな程度なのか」

「はい。しかも、パイロット以外は木星船団を使って交代でやって来ますから、定住者の割合はかなり低いです」

「そうか。それだったら、ファルコーネ卿の報告書に納得できる。ありがとう」

 ナイツェルの言葉を受け、アロワは着席した。雰囲気に気圧されたにもかかわらず、アロワがよどみなく報告できたこと、そしてちゃんと丁寧に話をすることができたことに、ジーナは感心した。

 その後、話題はクーデター軍との戦いへと移った。

「ファルコーネ卿のご指摘を受け、外交部を挙げて調査を行いました」

 こう切り出したのは、モニター画面の左に映っている男性だった。火星自治共和国枢密顧問官パク=テウォン外務卿。51歳になる彼は、年齢に不相応なくらいに豊かな黒髪をオールバックにまとめ、細面の口元にはひげを整え、ひきしまった肉体に洗練されたスーツをまとうその容貌は、一流の俳優を思わせる。現職に就任する前はカドモス大学で行政学の教鞭をとる客員教授で、その前は地球連邦政府内務省で課長を務めていた。内務省を中心として地球連邦政府に広い人脈を持つ。ロニーが素顔のトオルの時に、非常事態対処法の扱いについて相談した内務省法制局のバウリー課長は、テウォンの後輩に当たる。そのテウォンは、言葉を続けた。

「地球連邦政府が火星への遠征計画を立てているのは、間違いありません。ファルコーネ卿の推察通り、遠征軍の規模を詰めている段階です。宇宙艦隊司令部から第三、第四の二個艦隊、制圧のための地上軍として二十個師団を投入する案が有力のようです。遠征軍の指揮を執る司令官の人選が難航しており、かつ地球圏での自治権要求運動への警戒もあって、まだ煮詰まる気配はありません。ですが、いつ連邦軍の準備が整うか分からないので、外交部としましては、軍部に対し速やかなるクーデター鎮圧を要請します」

「外交部のご心配はもっともだ。軍部としても現在の状況を打破するために、ファルコーネ卿が提案した作戦計画を了とし、彼を第二任務部隊司令長官に任じた。作戦の概要とファルコーネ卿の人事について、連邦軍統合参謀本部の同意も得ている。財政部はまだこの作戦計画に同意できないのか」

ル ーデンドルフはナイツェルに詰め寄った。財界からのウラノス=シティの現状維持の要望が相当強いようで、ナイツェルの表情は険しい。苦虫を噛み潰したようなナイツェルにロニーは諭すように語り掛けた。

「ナイツェル卿、企業の中枢が集まっている三番街は、攻撃の対象から外しています。治安の乱れも、最小限に抑えるよう全力を尽くします。ウラノスを奪取しない限り、クーデター軍の制圧は不可能です。作戦に同意して頂けないでしょうか」

「財界は、独自のルートで連邦軍による遠征計画の情報を掴んでいて、連邦軍による動乱鎮圧を望んでいる。未知数の自治共和国の統治より、連邦政府による統治の方が先を読みやすいからだ。そんな財界を説得するには、自治共和国による統治の方にメリットがあることを示さなければならない」

「なるほど、そういうことでしたら話は単純です」

 ロニーがこのように即答したので、ナイツェルは驚いた。発足したばかりの自治共和国の統治に魅力があるということを、ナイツェルは財界に示すことができなかった。そもそもナイツェル自身、ウラノスへの攻撃に反対だった。ロニーだけでなく、ルーデンドルフとテウォンからも作戦遂行を迫られ、それを押し返すために無理難題を吹っ掛けたつもりだったのだ。ナイツェルは鋭い眼光をロニーに向けた。

「何が単純なのだ?私には、とてもそうは思えないが」

「いえ、単純です。何故なら、もし連邦政府による再統治が始まったら、財界の皆さんが望むような事態にはならなくなるからです」

「なぜ、そう言い切れる?」

「今回の動乱の原因、連邦政府は財界にあると思っているのでしょう、テウォン卿」

 ロニーに話を振られたテウォンは、閉じていた目を開いてナイツェルを見据えた。

「はい。沈滞している経済を活性化させるために、財界が手を回している。連邦政府内務省は、何か決定的な証拠を掴んだようなのです。ですので、もし連邦軍がウラノスに進駐したら、真っ先に三番街が接収されて経済機構を解体するのは、ほぼ間違いないでしょう」

「本当か、それは」

 ナイツェルの鋭い眼光がテウォンに突き刺さる。ホオジロザメと称されるナイツェルに睨みつけられたら、並みの人間であればすくみ上がって何も言えなくなるところだが、テウォンは並の人間ではなかった。ホオジロザメの眼光を正面から受け止めて、はじき返した。

「間違いありません。外務卿として断言致します」

「それなら話は別だ。財界は私が抑えつける。ウラノスが少々傷ついても構わん。財政部もファルコーネ卿の作戦を支持しよう」

 ナイツェルが折れたことで、ロニーの作戦案は了承された。そして、しばらく雑談が交わされたのちに、主席のナディアによって散会が告げられた。



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PHASE 1(1)発足

 第二任務部隊が発足した。第二任務部隊の陣容は、宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”と宇宙正規航宙母艦“アプカル”を加えた第七艦隊第一分艦隊第三戦隊、通称G13部隊と、ウラノス=シティを遠巻きに包囲している8個師団、総員12万4千人の大部隊である。司令長官は、ロニー=ファルコーネ中将。ルーデンドルフ軍務卿から辞令を受け取ったロニーは、ダイモスの第七艦隊司令部でいくつかの雑用を済ませたのち、旗艦“ヴィーザル”に乗り込んだ。司令部エリアの提督の席にロニーは座ると、目前で直立する軍人たちに目を遣った。一人目は、第三戦隊司令官セネル准将。二人目は、宇宙空母“アプカル”艦長ルッカ大佐。三人目は、ロニーの司令長官就任で空席となった“ヴィーザル”の艦長に昇格したラモン大佐。四人目は、第二任務部隊司令部の参謀長に転じたカタリナ中佐。そして最後の五人目は、第二任務部隊作戦参謀に転じたハムザ少佐である。ロニーは、五人を前にして訓示した。

「これより我々は、ルーデンドルフ軍務卿の指揮下から外れ、独自の行動を開始する。第二任務部隊の作戦行動は四段階あるが、連邦政府が火星への軍事行動を発表する前に全てを完了させなければならない。各員には、迅速かつ徹底した作戦行動を要求する。まずは、第一段階。クーデター側に付いている第八艦隊第三分艦隊に所属する2個戦隊を、捕捉撃滅する。ハムザ作戦参謀、説明を」

「はっ」

 ハムザは、当面の敵となる2個戦隊について説明を始めた。1つ目は、第八艦隊第三分艦隊第四戦隊。通称H34部隊。軽巡洋艦1隻、駆逐艦4隻を主力とした大小艦艇16隻で構成される。第八艦隊が演習のために宇宙に上がった際、アキレウスに残留した戦隊である。クーデターの際に接収され、司令官以下司令部のメンバーはクーデター派に総入れ替えとなっている。そしてもう1つが、第三分艦隊第二戦隊。通称H32部隊。クーデター後にクーデター派に寝返った戦隊である。司令官はプラト少将。H34部隊の司令官を兼ねている。重巡2隻、軽巡2隻、駆逐艦3隻を主力とした大小艦艇22隻で構成される。戦艦や空母クラスはいないものの、敵二個戦隊は第二任務部隊の艦艇戦力とほぼ拮抗する。

「H32、H34部隊の本拠地は、クロノス宇宙ステーション。ウラノス=シティから伸びる軌道エレベータの終着点です。クロノスに連結されている第二港湾を接収して母港にしています。そこを急襲して破壊したのち、両部隊を撃滅する。それが今回の任務となります」

「クロノスを破壊する?そんなことをして大丈夫なのですか?」

 宇宙空母“アプカル”艦長のルッカ大佐が尋ねた。“アプカル”は、第七艦隊第一分艦隊第一戦隊、通称G11部隊の所属である。今回の作戦でロニーは空母一隻をルーデンドルフに要求した。それにルーデンドルフが応じた結論が“アプカル”であった。“アプカル”はルーデンドルフ直率のG11部隊に所属しているだけあって、火星で最大の正規空母である。前方に上中下3段カタパルトをそれぞれ3本、後方に2本の合計11本のモビルスーツ発着カタパルトを有し、収容できるモビルスーツは100機に上る。全長は593mと“ヴィーザル”にはやや及ばないものの、その存在感は周囲の目をひきつける。その艦長を務めるルッカ大佐は、モビルスーツパイロット上がりの女性士官である。年齢は47歳。すらりとした肢体、肩の下まで伸ばした艶のある直毛の金髪、そして張りのあるきめ細かい肌が、年齢以上の若々しさを放っている。民間企業に勤める夫と、大学生の息子と、高校生の娘を持つ。そんな彼女が、クロノスの破壊に疑問を持つのは当然といえた。軌道エレベータは、地球圏と物資をやり取りする流通の心臓部ともいえる存在である。それを破壊したら、火星経済に大打撃を与えてしまう。その疑問に、司令長官のロニーが答えた。

「我が部隊が破壊するのは、クロノスの第二港湾だけだ。それだけなら、クロノスに対する影響も限定的なものに止まる。ナイツェル財務卿の了承も頂いているので、問題ない」

「閣下がそうおっしゃられるのであれば、小官が口を挟むことではありません。被害を第二港湾だけに止めるということは、攻撃の主体はモビルスーツということですか」

「そのつもりだ。クーデター艦隊が威力偵察から帰投するところを急襲する」

 H32とH34のクーデター艦隊は、火星地上に展開するクーデター軍に対して衛星軌道上から攻撃を加えるルーデンドルフの艦隊に、攻撃を加えてはすぐに撤退する威力偵察を続けている。深く斬り込まずに撤退するので、クーデター艦隊のダメージは皆無に近い。一方のルーデンドルフ艦隊は、沈没したのは数隻の哨戒艇に止まるが、中、小破した艦艇が相当数ある。共和国軍にとってクーデター艦隊は大した脅威ではないが、無視できない存在ではあった。そのクーデター艦隊が、威力偵察から帰投するところを狙い撃ちにする。そのロニーの案に対し、ルッカは一つの懸念を持った。

「あえて出すぎたことを申し上げますが、敵の帰投を待ち伏せにするには、“ヴィーザル”も“アプカル”も目立ちすぎるのではありませんか」

 ルッカ大佐の懸念は当然だった。待ち伏せするということは、何かに身を潜めなければならない。モビルスーツ1機程度であれば、その辺に浮いている岩石に身を隠すことができる。だが、全長が500mを超える巨艦を隠せるものは、それ自体が不自然で目立ってしまう。デブリで身を隠すには、全長が100m程度の駆逐艦が限界だ。だが、ロニーはルッカの懸念を意に介していなかった。

「“ヴィーザル”と“アプカル”の2艦は脇役に回る。主役はG13部隊だ」

 ロニーは、作戦の詳細について説明を始めた。



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PHASE 1(2)謀略

 クロノス宇宙ステーション。火星総督府が設置されていた火星の中心都市ウラノス=シティから宇宙空間に伸びる軌道エレベータの終着点である。50隻を係留できる港湾設備と、商船からの物資とウラノスからの物資を貯蔵、運搬する巨大な流通機構を持つ。クロノスで労働に従事する人々は多く、そういった人々及びその家族のための住居、そしてその生活を支える商業施設が必要なので、クロノスの規模はスペースコロニー一基分くらいに相当する。それでもスペースが足りないため、第二港湾が建設された。第二港湾はクロノス本体よりは幾分か小さい。それでも港湾設備は40隻程度。クロノス本体とパイプで繋がれている。パイプといっても断面の直径は500m、延長距離は3kmに及ぶ。クーデター発生後、第二港湾はクーデター艦隊の母港として接収され、商業活動に従事する人の姿はない。

 そのクロノス宇宙ステーション第二港湾管制センターは、奇妙な通信文を受け取っていた。

「発、第二軍集団司令部。宛、宇宙艦隊司令部。傀儡政府のナイツェル卿が傀儡政府を見限り、火星解放軍に亡命するとの情報を得た。現在、ナイツェル卿は戦艦“ヴィーザル”でクロノスを目指している模様。宇宙艦隊司令部は、ナイツェル卿を受け入れる準備をされたし」

 画像を伴わない電報形式の通信文だった。こんな旧世紀の古い通信手段を使うなんて、あやしい限りだ。

「どういうことだ。これは」

 留守を預かる歩兵連隊長のファレル中佐は、首をひねった。現在クーデター艦隊は、威力偵察のため駆逐艦2隻を残して出動しており、プラト司令官や幕僚たちは不在である。通信文の出力紙を、部下であるエクスナー大尉に渡した。

「この通信について大尉はどう思う」

「電報形式の通信、しかも艦隊が出払っているタイミング。我々を欺くための通信と見るのが妥当と思われます」

 通信文に目を通したエクスナー大尉は、淡々と感想を述べた。その彼にファレルは次の疑問を投げる。

「我々を欺くとして、敵の目的は何だと思う」

「断定はできませんが、入港と同時に制圧のための白兵戦部隊を突入させ、クロノスを占拠することではないでしょうか」

「なるほど。その線が堅いか」

 ファレルはこう感想を述べたのだが、そもそも通信を偽のものと断定していいものなのか疑問だった。第二軍集団は、傀儡政府すなわちロニーたちが所属する火星自治共和国の首都とも言うべきカドモス=シティを目指して進軍を続けており、前線で交戦中である。目前の戦闘に手一杯だから、手短に通信文を寄越したのかもしれない。火星自治共和国の重鎮であるナイツェルは、ファレル程度の中級士官でさえ知る財界の要人だ。ナイツェルを味方に引き込むことができたら、傀儡政府は大打撃を受け、火星解放軍は勢いを増すことができる。もし通信文が本物で、ナイツェルの受け入れを拒否してしまったら、厳罰を受けること間違いない。ならば…

「そうかもしれないが、通信の真偽を計ることが大事だ…」

「お取り込みのところ、申し訳ありません」

 ファレルがエクスナーと話しているところに、通信士官が割り込んできた。土足で会話に割り込んできた通信士官をファレルは睨みつけた。

「何事だ」

「また通信文が入りました」

「見せてみろ」

 ファレルは、通信士官が差し出した紙を受け取った。内容は、こうであった。

「本艦はG12部隊に所属する戦艦“ヴィーザル”。自治共和国の将来を悲観したナイツェル財務卿が乗艦されている。クーデター軍との合流を望んでおられるので、至急入港の許可を頂きたい」

 これを読むと、ファレルは紙をエクスナーに渡した。エクスナーの表情が歪む。

「あの通信文は本物だったのでしょうか」

「さぁな」

 エクスナーに鋭い視線を送ったファレルは、腕を組んだ。今度は逆にタイミングがよすぎる。艦隊の留守を狙って、敵がクロノスを占拠しようとしているのではないか…

「これらの通信文だけでは材料が足りない。索敵を強化して、クロノスに近づいている戦闘艦を見つけるのだ」

「索敵を強化とおっしゃられても、ここは商船が行き交う場所ですから…」

 クロノスを出入港する船は、大きいものだと5,000mを超える木星船団の輸送船とまではいかなくても1,000m近くある巨大輸送船もあれば、小さいものだと100m未満の小型輸送船もある。それらが多数航行しているのだから、戦闘艦だけを選別して見つけ出すことは困難だ。それをエクスナーが訴えたのだが、ファレルの意思は変わらなかった。

「なら、他に真偽を確かめる方法を言ってみろ」

「そ、それは…」

 エクスナーは言葉を詰まらせた。通信文を寄越した戦艦“ヴィーザル”なるものが近づいているのかどうか、そして本当に近づいているのであれば、それがナイツェル卿を乗せた亡命艦なのか、クロノス占拠を目論む敵艦なのか。実際に見て確かめないことには始まらない。困難を承知で、フネとモビルスーツを出し、戦艦“ヴィーザル”なるものを探すしかない。それ以外の方法がないことを確信しているファレルは命じた。

「駆逐艦2隻とモビルスーツ隊へ出動を命令…」

「お取り込み中、申し訳ございません」

 再び、通信士官がファレルとエクスナーの間に割り込んできた。二回も土足で割り込まれたのでファレルは声を荒げた。

「今度は何だ!」

「また、通信文が入りました。今度は三通です」

「はぁ?」

 ファレルの表情が歪む。通信士官から三枚の紙を受け取り、目を通した。それらには、こう書かれてあった。

「本艦はD11部隊所属の戦艦“ヘイムダル”。統合参謀本部の特使が乗艦されている。ネト将軍と交渉を行いたいので、至急取次ぎを願う」

「発、火星解放軍司令部。宛、宇宙艦隊司令部。傀儡政府軍がウラノス攻略の拠点とするために、クロノスの占拠を企んでいるとの情報を得た。宇宙艦隊司令部は、クロノス防衛のための作戦行動を始めるべし」

「我、第九艦隊所属の高速巡航戦艦“ブラギ”。木星へ向けて進発している木星船団の第二護衛艦隊への合流を目指していたが、機関のトラブルで熱核クローム航法が利用できなくなっている。至急修繕したいので、速やかなる入港許可を請う」

 これらの内容を見たファレルは天を仰いだ。どれも嘘のようで、本物のようだった。もし本物だとしたら、どれも無視できない内容だった。統合参謀本部の特使を追い返したりしたら、厳しい処罰は当然だ。木星船団の要請を拒否したら、木星物資が遮断されてしまう。

「いっそのこと、プラト司令官の判断を仰いだらいかがですか」

 エクスナーはこう提案したが、ファレルは首を横に振った。

「艦隊は交戦中との報告を受けている。司令官は敵と戦うことで手一杯だ。情報の真贋を確かめてから報告しろと怒鳴られるのがオチさ」

「ならば、いかがなされますか」

「………」

 エクスナーに問われて、今度はファレルが言葉を詰まらせた。真贋を確かめるためには、先方に来てもらうか、もしくはこちらから先方に乗り込むしかない。さっきはエクスナーに強気の言葉を吐いたが、到底すぐに見つけることなんてできないだろうことは、ファレルも承知していた。見つけたときには敵の射程距離に入っているかもしれない。それだったら、駆逐艦やモビルスーツ隊を第二港湾から出して、防衛のために布陣したほうがいい。索敵のために広く分散させるべきか、それとも防衛のために固めておくべきか。長い沈黙が流れた。そして、ファレルが考えを巡らしている丁度そのとき、通信士官が報告を上げてきた。

「接近する戦闘艦を確認しました。ヴィーザル級大型戦闘母艦です」

「ヴィーザル級だと。なら、ナイツェル財務卿が乗艦されているという通信文は正しかったのか。ならば、ウラノスの司令部に連絡を入れなければ…」

「ちょっと待ってください」

 索敵に出ずとも戦闘艦が見つかった幸運に喜ぶファレルを、エクスナーが制止した。エクスナーは、自分の座席に設置されている端末を操作する。ものの数分端末を操作したのち、エクスナーは大きなため息とともにファレルに報告した。

「先程の通信文に記載されている艦船を調べてみましたが、どれもヴィーザル級です」

「な!」

 ファレルは力なく自分の椅子に座り込んだ。もう、どうすればいいか、ファレルには分からなかった。全て通信文を偽物と断じて防衛行動に入るべきか。だが、もし正しい通信文があったとしたら、下手すると処刑されてしまう。

 管制センターは静まり返った。ファレルの背中に冷たいものが流れる。堂々巡りの考えを続けているうちに、接近するヴィーザル級戦艦は至近距離にまで近づいたようだった。

「駆逐艦を出港させたら、我々が亡命を拒否したものとナイツェル卿が曲解してしまうかもしれません。とりあえず、モビルスーツ隊を出すに止めておかれてはいかがですか」

「…そうだな」

 エクスナーの提案を受け入れ、ファレルがモビルスーツ隊の発進準備を命じようとした丁度そのとき、通信士官が悲鳴を上げた。

「接近するヴィーザル級から多数のモビルスーツ部隊を確認。一斉にこちらへ向かってきます」

「な、何だと」

 拡大投影されたヴィーザル級戦艦のモビルスーツを、ファレルは驚きの表情で見つめた。敵モビルスーツ部隊は、次々と第二港湾にビームライフルやバズーカ、メガ粒子ランチャーを撃ち込んできた。第二港湾の各所で、閃光と爆発が巻き起こる。爆発の衝撃で管制センターは何度も揺れ動いた。

「反撃だ。反撃せよ」

「駄目です。先程の敵からの攻撃で、全ての砲座が破壊されました」

 オペレータの報告を受けて、ファレルは力を失った。

「ま、まさか、火星流通経済の根幹であるクロノスを破壊するなんて、ありえない」

 フルアーマー重装備されたローガンダムは、右手に持つメガバズーカランチャーを構え、真っすぐ司令部を狙っていた。ファレルは本能的に身を翻してファレルたちは逃げようとしたが、ローガンダムのメガバズーカランチャーから放たれた強力なメガ粒子ビームによって、ファレルたちは蒸発四散した。



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PHASE 1(3)艦隊戦

 H32・H34の両部隊で構成されるクーデター艦隊の司令官プラト少将。激烈な性格の烈将として知られており、穏健派の多い第八艦隊の中では異色を放っている。宇宙海賊からの攻撃で戦闘不能になった自艦から乗員全員を退艦させ、自ら舵を握って宇宙海賊の旗艦に体当たり攻撃を行って沈めたことは、今や伝説の一つとなっている。そんな烈将のプラト少将だが、その性格からは想像できない威力偵察に、ルーデンドルフ艦隊司令部は手を焼いていた。

「今度こそ、全力を挙げて斬り込んでくるのではないか」

と身構えて守りに徹してしまう。すると、プラト艦隊は、そんなルーデンドルフ艦隊をあざ笑うかのように、すぐに撤退してしまうのだ。今回も、プラト艦隊は威力偵察を仕掛けてきた。

「左舷10時の方向に敵艦隊。急速に我が方へ接近中」

 戦艦“ダーラン”の艦橋で情報長が叫ぶと、艦内は一気に緊張の渦に巻き込まれた。相手は烈将の誉れ高いプラト少将。軍人の本懐を遂げるには最高の相手だ。よほどのことがあっても冷静さを保つG13部隊司令官のセネル准将だが、高揚する自身の心を抑えることはできなかった。

「司令長官閣下の作戦に従い、我が艦隊は敵クーデター艦隊を迎撃する。総員、第一種臨戦態勢!」

「はっ」

 セネルの命令をうけ、作戦参謀が各艦に伝達を始めた。セネルの命令は続く。

「全艦、敵艦隊へ向け最大戦速で突撃する。突撃準備、はじめ」

「取舵。総員、急加速に備えよ」

 戦艦“ダーラン”の航海長が叫ぶ。G13部隊は、旗艦“ダーラン”を先頭にして突撃を開始した。これまで防戦一方だった火星共和国軍艦隊が、思いもよらぬ攻勢に出てきたので、クーデター艦隊は動揺したようだった。

「敵艦隊、我が艦隊の射程内に入りました」

 砲雷長が報告を上げた。それに応じてセネルは厳かに下命した。

「総員、対艦戦闘用意!全艦、撃ち方始め!」

「主砲、斉射。撃て!」

 セネルの命令を受け、戦艦“ダーラン”艦長ヴォルティ中佐が絶叫した。G13部隊の艦艇はクーデター艦隊目掛けて、ビームやミサイル、砲弾をぶちかました。クーデター艦隊も応戦を始め、クーデター艦隊のビーム砲撃が何度も“ダーラン”をかすめた。それでもセネルは、更なる前進を命じる。

「怯むな。撃って撃って撃ちまくれ」

「敵との距離が遠すぎる。もっと速度を上げろ」

 G13部隊による攻撃の圧力に抗しきれず、前進するクーデター艦隊の速度は鈍った。時間とともにクーデター艦隊は停止し、やがて後退を始めた。それに追いすがるG13部隊。攻撃開始から二時間ほどが経過した。丁度この頃に、クロノス第二港湾は一通目の通信文を受け取っている。情報参謀からクーデター艦隊との距離を確認したセネル司令官は、次の命令を出した。

「各艦のモビルスーツ部隊、出撃準備」

「はっ」

 セネルの命令が、パイロットたちが詰める待機所に伝達された。

「モビルスーツ隊、発進準備急げ」

「準備が整った機から順次出撃せよ」

 G13部隊の各艦からは、ミサイルとビームがひっきりなしに斉射されている。クーデター軍はG13部隊の肉薄攻撃に押され後退を続けているが、それでも懸命に応戦を続けている。G13部隊がクーデター軍との距離を縮めていることもあって、これまでかすっていただけのお互いが繰り出す拳が、次々と相手の懐に突き刺さっていく。

「駆逐艦“サーベ”に直撃弾」

 G13部隊旗艦“ダーラン”で悲鳴が上がると同時に、“ダーラン”の右翼に展開している“サーベ”が大爆発を起こして轟沈した。その轟沈と同時に、

「H32部隊の駆逐艦2隻が爆沈!」

との報告も入る。さらに、

「H34部隊の軽巡洋艦“デルベント”に、本艦の攻撃が命中。“デルベント”左舷に爆発を伴う火災を確認」

 G13部隊の攻勢に押され、クーデター軍の被害が膨らんでいる。だが、これは一時的なものに過ぎない。ロニーから説明を受けているセネルは、そのことを心得ていた。

「まだまだこれからが正念場だ。攻撃を強化して相手に考える隙を与えるな」

「モビルスーツ隊の出撃準備が整いました」

 セネルの号令を受け、作戦参謀が報告を上げる。セネルは立ち上がって指揮棒を振った。

「モビルスーツ隊、順次発進せよ。モビルスーツ隊の射出を各砲座に通達」

「了解」

 セネルのモビルスーツ発進準備命令から一時間が経過した頃、彼我の距離が、モビルスーツの機関出力でも相手に届くほどにまで縮まっていた。セネルの出撃命令は、絶妙なタイミングだった。防戦一方になっているクーデター艦隊は、モビルスーツを発進させるタイミングが遅れた。G13部隊のモビルスーツが全機発進した頃も、クーデター艦隊はまだモビルスーツを出撃させていなかった。

 対艦戦を想定して、G13部隊のモビルスーツ隊は全機ビームバズーカを装備している。寸法と質量が大きくモビルスーツの機動性を著しく損ねるが、威力は絶大だ。クーデター艦隊に接近して、次々にビームバズーカを撃ち込む。撃沈、大破したクーデター艦隊の艦艇名が、G13部隊旗艦“ダーラン”に告げられる。モビルスーツ隊によるクーデター艦隊への攻撃が始まってから、一時間以上経過した。セネル艦隊の優勢が続いていたが、セネルの表情は険しいままだった。

「H32の“ニガマ”は、まだ沈まんのか!」

 ロニーがセネルに説明したクーデター艦隊の行動予測は、こうであった。これまで消極的だった共和国艦隊が突然積極的に迎撃を始めたので、予想外の行動に不意を突かれたクーデター艦隊は、G13部隊による攻勢が、火星共和国艦隊全軍によるものか、G13部隊独断によるものか、様子を見るために後退をする。もし、全軍によるものであれば、数で著しく劣るクーデター艦隊は撤退を余儀なくされる。だが、実際は第二任務部隊による単独行動なので、G13部隊以外の火星共和国艦隊は動かない。共和国艦隊全軍が動かないことを確認したクーデター艦隊は、数で劣るG13部隊の殲滅のために攻勢に転じる。

 クーデター艦隊を攻勢に転じさせないためには、H32部隊旗艦“ニガマ”を撃沈させることが重要だ。旗艦が沈めば、H32とH34の両部隊を統合する要がなくなるので、組織的な抵抗が困難になる。セネルは、是非とも旗艦を撃沈したかった。だが、

「敵艦隊の防御陣が厚く、突破できません」

「敵艦隊、モビルスーツの射出を始めました」

「敵艦隊、前進を始めました」

 G13部隊が制宙権を確保し、クーデター艦隊のモビルスーツ射出を妨害してきたのだが、クーデター艦隊は犠牲を払いながらも多くの艦艇からモビルスーツを射出させた。G13部隊は戦艦を擁しているとはいえ一個戦隊にすぎず、クーデター艦隊は二個戦隊。G13部隊によるモビルスーツ隊の攻撃が始まって二時間が過ぎた頃には、これまで攻勢であったG13部隊は、徐々にクーデター艦隊に押され始めていた。

「右舷被弾」

 敵重巡洋艦の主砲が、戦艦“ダーラン”に突き刺さる。戦艦は装甲が厚いので小破に止まったが、クーデター艦隊は落ち着きを取り戻しつつあるようで、その射撃は正確さを増していっていた。モビルスーツ同士の接近戦も、重装備のセネル部隊の方が不利だった。

「味方モビルスーツの損耗率、30%に達しました」

「駆逐艦“コルベ”撃沈」

 味方に不利な情報が、G13部隊旗艦“ダーラン”にもたらされる。もはやこれまでか、とセネルが思ったそのとき、敵味方を問わずに全艦のメインモニターが切り替わり、ある人物を強制的に映し出した。

「火星に展開する全ての艦船に告げる。私は、火星自治共和国軍第二任務部隊司令長官ロニー=ファルコーネである。我々は、クロノス宇宙ステーションの全機能を完全に掌握した。第二港湾は徹底的に破壊され、クーデター艦隊の帰る港は、もはやこの世には存在しない。クーデター艦隊は、速やかに武装を解除して降伏せよ。繰り返す、プラト艦隊は速やかに武装を解除し、我が軍門に下れ」

 仮面の士官が厳かに宣言した。それを受けてか否か、クーデター艦隊は前進を止めた。いや、前進する部隊と後退する部隊が現れた。指揮系統に混乱が生じた。敵がさらけ出した隙を、セネルは見逃さなかった。

「全艦、敵艦隊へ向け一斉砲撃。撃て」

 一隻の宇宙戦艦と二隻の宇宙巡洋艦、三隻の駆逐艦を中心とした大小11隻の艦艇が、ありったけのビームとミサイルをクーデター艦隊に浴びせかけた。クーデター艦隊の混乱は更に拡大した。そこに、

「クロノスの方向から、大型艦一隻と多数のモビルスーツを確認。味方です」

 戦艦“ダーラン”は歓声に沸いた。第二任務部隊の完全勝利は、もはや疑いようが無かった。



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PHASE 1(4)制圧

「第二港湾は徹底的に破壊する」

 ロニーの決意は宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”の総員に徹底された。“ヴィーザル”の主砲以下全ての砲座から、そして“ヴィーザル”の左右に展開するモビルスーツ部隊から、間断なくビームやミサイル、砲弾が撃ち込まれる。第二港湾は、サンドバックにされた無防備に立ち尽くす瀕死のボクサーのように滅多打ちにされ、至る所で爆発による閃光が放たれていた。

「もう、“アプカル”の来援は必要ないだろうな」

 その様子をロニーは、宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”の司令官席で眺めていた。各所で引き起こされている爆発の閃光が艦橋内を点滅させる。そこに、第二任務部隊参謀長のカタリナ=トスカネリ中佐がやって来たので、ロニーは彼女のほうを振り返った。

「本艦とG13部隊の中間地点で待機しているルッカ大佐に連絡。アプカルは至急、G13戦隊の援護に向かうように。そして、ラモン大佐に連絡。ヴィーザルは攻撃を強化して第二港湾の破壊を徹底。クロノス宇宙ステーション本体の占拠に当たるように」

「了解しました。ところで、ラモン艦長から問い合わせが入っています。第二港湾から脱出する、敵の救命艇が多数あるようですが、いかが致しましょうか」

「着の身着のままで逃げ出す連中なんか放っておけ。ただ、こちらに投降する連中がいたら、みんな受け入れてくれ。くれぐれも、投降者保護プログラムの実施を疎かにしないように」

「了解しました」

 カタリナは敬礼を施すと、自分のデスクに座って受話器を掴み、“ヴィーザル”と“アプカル”の艦長に司令長官の指示を伝えた。“ヴィーザル”の司令部エリアにいるのは、ロニーとカタリナの二人だけだ。作戦参謀のハムザは、ロニーからの別命を受け“アプカル”に乗り込んでおり、この場にはいない。

 やがて、“ヴィーザル”による苛烈なる攻撃により、第二港湾は三つに引きちぎられ、中心部にあるエネルギー貯蔵庫に攻撃が引火した。巨大なヘリウム爆発が何発も発生。総攻撃から1時間もしないうちに、クロノス宇宙ステーション第二港湾はこの世から消滅した。

 一連の作業を済ませたカタリナは、受話器を置いてロニーの方を振り返った。

「ロニー提督。ひとつお尋ねしてもよろしいですか」

「私に答えられることであれば、いいよ」

「ありがとうございます」

 優しく答えてくれたロニーの瞳をじっと見て、カタリナは一呼吸を置いた。

「第二港湾をこんなに徹底的に破壊することに、何か訳があるのですか」

「そうだね。理由は二つかな」

 カタリナの疑問に、ロニーは淡々と答え始めた。

「一つは、宇宙空間でのクーデター軍の拠点を消失させること。第二港湾が消滅したら、今後クーデター軍は宇宙空間で軍事活動ができなくなるばかりか、情報収集活動も著しく制限される。極端な話をすれば、我々共和国軍が宇宙空間で何をしても、クーデター軍は分からなくなるというわけだ。さらに、クロノスはクーデター軍の拠点であるウラノスの表玄関になっているから、ここを押さえられてしまったらクーデター軍の経済活動は著しく制限されるだろう。それともう一つは、プラト艦隊に修復不可能な心理的敗北感を与えること。プラト艦隊とは戦力が拮抗しているので、まともに戦ったらこちらも相当な被害を覚悟しなければならなくなる。それは、できるだけ避けたい。短期間で勝敗を決するためには、相手に巨大な心理的ショックを与える必要がある。それには、第二港湾を徹底的に破壊することはうってつけだ。たとえ満身創痍で勝ったとしても、帰る場所が無い。これは相当応えるはずだ」

「下手に占拠でもしてしまったら、プラト艦隊が全力で取り返しに来てしまいますよね」

「そうなったら、こちらも相当の損害を覚悟しなければならない。我々には、クロノスのために割く労力はない。クロノスよりも作戦の第三段階の方がはるかに大事だ」

「作戦の第一段階成功に貢献したセネル艦隊と“アプカル”に、休息をお与えにはならないのですか」

「休息は与えるさ」

 ロニーは意地悪そうに口元を緩ませた。

「ただ、与えるとしても、睡眠込み一日が関の山だね」

「それは短いですね。ハムザ少佐あたりが、三次元フットサルができるくらいの休日をよこせと言いそうですけど」

「前半戦くらいはできるだろ。まぁ、それよりも」

 ロニーは、司令官席の肘掛けに肘を乗せ、顎を右手に乗せた。

「クロノスの制圧に、どれくらいの時間がかかりそうだ」

「そうですね。閣下のご希望は、どれくらいですか」

 カタリナは笑顔で、さりげなく問いかけに対して問いかけで答えた。上官に対して失礼極まるのだが、ロニーは気にも留めていないようだった。

「そうだな。半日で制圧、睡眠込みで一日休息、制圧後の残務処理で一日を過ごしたら、すぐにでも火星に降下したい」

「せっかちですね。プライベートをのんびり過ごされる閣下とは思えませんわ」

「私は、自分に甘く人には厳しいんだ」

「それは前から知っています。何の前触れもなく、いきなり枢密院本会議に出席させられた経験がありますから」

 真正面からじっとカタリナはロニーを見詰めた。思いがけない反撃を受けて、ロニーは司令官席で仰け反った。

「そんなに恨まんでも。たかが数人しか出席しない会議じゃないか」

「たかがって。そう思っているのは閣下だけだと思いますわ」

「まぁ、それはいいとして、火星の衛星軌道全域に宣言を出すから、準備を始めてくれないか」

「了解しました」

 カタリナは笑顔で敬礼を施し、この場から退出した。カタリナの後姿を苦笑しながら見送ったロニーは、連鎖爆発が続く第二港湾の残骸に再び視線を移した。

 

 第二港湾の完全破壊を完了させた宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”は、宇宙ステーション“クロノス”に通信を送った。内容は、こうであった。

「宇宙ステーション“クロノス”は、20分以内に本艦入港の誘導を始めよ。20分を1秒でも遅れることがあれば、我々に敵対する意思があるものと見做し、速やかに制圧行動を開始する」

 通信文の原稿は、第二任務部隊司令長官のロニーが直々に作成した。操艦エリアに降りてきたロニーとカタリナを出迎えたラモン艦長は、ロニーから手渡された原稿を見て苦笑いを浮かべた。

「これでは我々は、ひ弱な市民を恫喝する悪の手先みたいですな」

「ひ弱な市民の皮を被ったクズどもだ。帝国主義の原理で動くクズどもの手先には、これでも手ぬるいくらいだ」

 ロニーは手厳しく断じた。

「まぁ、見ているといい。おそらく20分もしないうちに、クロノスからの誘導があるはずだ。被害者ぶった抗議をセットにしてね」

「万一に備え、白兵戦部隊の出撃準備をしましょうか」

 ラモンがこう提案したが、ロニーは手を振って拒絶した。

「不要だ。それよりも、“クロノス”管制センターの運営に責任を持つ課長級以上を全員拘束するので、その準備に当たるように」

「名簿もないのに、どうすれば」

 このラモンの疑問を受け、ロニーは口元を緩めた。

「誘導灯がともったら、管制センターの課長級以上の職員全員に、我々の出迎えに来るよう命令を出せばいい」

「それだけで大丈夫ですか。我々の命令を無視するかもしれません」

「それはない。我々と敵対した第二港湾がどういう運命を辿ったか。連中はその一部始終を間近で見ているからな。もし命令に従わなかい奴がいたら、そいつにも第二港湾と同じ運命を辿らせるだけだ」

「悪の手先どころか、悪の帝王みたいですな」

 しかも、旧世紀に流行った映画みたいに仮面と兜を被っているから、ロニーの悪者ぶりに拍車がかかっているなとラモンは思った。そんなラモンの憂慮なんか路傍の小石だと言いたげに、ロニーはつぶやいた。

「まぁいいさ。クロノスごときに恨まれようとも、私の知ったことではない。クーデター軍に対して積極的ではなくとも第二港湾の利用を容認した時点で、連中は我々に対して罪がある」

「了解しました」

 ラモンはロニーに敬礼を施すと、部下に指示を与えた。

 

 ロニーが予測した通り、布告の16分後にクロノスからヴィーザルに対して入港の誘導連絡が入り、一時間もしないうちに管制センターの責任者は全て拘束された。管制センターの一室を管制センター所長の取調室にして、ロニーは拘束された所長と向き合った。

「不当な拘束だ。速やかに我々を解放するように要求する」

 所長には恒例の手かせ足かせ口かせの三点セットが施され、椅子に座らされていた。良く言えば恰幅のいい体形、そして脂ぎった顔、黒い豊かな頭髪はポマードで固められた、40代中頃の中年男性だ。所長は大声でロニーのことを糾弾した。

「許可もなく第二港湾を破壊するばかりか、何の罪もない我々を拘束しクロノスを不当に占拠するとは、貴様は神にでもなったつもりか。いずれ政府が、貴様の暴虐に対して罰を与えるだろう。覚悟しておくのだな」

「言いたいことはそれだけか。下らんことをピーピーさえずりやがって。見苦しいにも程がある」

「下らんことだと。貴様は民主主義、法治主義を何だと思っているんだ。貴様のやっていることは、法治主義に対する反逆だ」

「法治主義?馬鹿かお前は」

 ロニーは仮面越しに冷たい視線を所長に突き刺した。

「法治主義を絶対のものとするためには、一つだけ条件が必要だ。それが何だか分かるか」

「法治主義は、何の前提もなく絶対のものだ。条件なんかあるか」

「そんなことを言っているから、お前は馬鹿なのだ」

 ロニーは嘲笑した。

「法治主義は、平和な状態でなければ成り立たない。究極の非日常である戦争状態となったら、そこにあるのは弱肉強食の原理だけだ。弱者は強者に生殺与奪の全てを握られる。ここクロノスは、クーデター軍と我が火星自治共和国軍との戦争の前線となった。その時点でクロノスには法治主義は存在しない。戦争の結果、我々が勝利した。敗者のお前たちをどうするかは、勝者である我々が決めることだ」

「そんなのは詭弁だ。貴様の詭弁なんか世間で通用するか」

「世間?何だそれは。世間とは何かを具体的に説明してくれないかね」

 ロニーは再び嘲笑した。

「法治主義を絶対のものにしたければ、死に物狂いで平和を守らなければならない。戦争を容認する奴は当然として黙認する奴も、法治主義を放棄したに等しい。戦争中にも法と良心があるなんてたわごとを夢想主義者どもが主張するが、それこそ詭弁だ。自らの生存権を守るために戦うならば、負けて全てを奪われ殺される覚悟をするのは当然だ。そんな覚悟もないのに、流れに流されるがまま戦争に引きずり込まれ、その結果負けて全てを失ったとしても、誰も同情なんかしやしない。開戦を決めた敗戦国の政治指導者は、より罪が重い。頑張りましたが駄目でしたという言い訳は、一切通用しない。何故なら、戦争を起こしたことで人命と財産を毀損した責任があるからだ。戦争によって人命と財産を毀損した責任は、弱肉強食の原理に従って敗戦国の政治指導者が背負うのが当然だ。平和を維持することもできず、戦争で勝つこともできない無能者の負け犬のくせに、権利だけはいっちょまえに要求する政治指導者どもなんぞ、くそくらえだ。ふざけるのも大概にしろ。お前たちは、クーデター軍に第二港湾を提供して我々に敵対した。お前たちは負け犬であるクーデター軍の一員だ。それを自覚しろ」

「我々は武器を持たない一市民だ。クーデター軍にどうやって立ち向かえばいいんだ」

「そんなの、責任者であるお前が考えることだ。私がお前に教えてやる義理はどこにもない。もし思いつかないのなら、さっさと辞表を書いてここから立ち去ってしまえばよかったのだ。責任を果たすこともできないくせに、責任者なんかを引き受けてしまった自業自得だ。せいぜい檻の中で、地位に固執したことを後悔するんだな」

「……」

 ロニーに断罪された所長は力なく俯き、黙り込んだ。

 

 宇宙ステーション“クロノス”の制圧は、半日もかからずして完了した。制圧を見越していたロニーは、ナイツェル財務卿に依頼して管制官や技師を、セラフィン内務卿に依頼して保安警察隊を連れてきており、管制業務と治安維持に当たらせることにした。やがて、宇宙戦艦“ダーラン”から通信が入ってきた。

「司令長官閣下にご報告申し上げます」

 宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”操艦エリアのメインスクリーンに、敬礼を施しているG13部隊司令官セネル准将が映し出された。ラモンに代わって艦長席に座るロニーが答礼の手を下ろしたのを確認したのちに、セネルは敬礼を止めて言葉を続けた。

「宇宙空母“アプカル”の来援を受け、プラト艦隊の重巡洋艦2、軽巡洋艦3、駆逐艦3の撃沈に成功しました。逃亡した駆逐艦二隻については、追跡をしましたが取り逃がしてしまいました。申し訳ありません」

「重巡二隻撃沈ということは、旗艦“ニガマ”も沈んだのか」

「はっ」

「よくやってくれた。ありがとう。貴官を含めた皆の働きぶりについては、軍務卿にしっかり報告しておく」

「もったいないお言葉。光栄の極みでございます」

「“アプカル”を含めたG13部隊は、ダイモス駐留基地で休養をとったのち、作戦の第三段階に移る。私の命令は、作戦参謀のハムザ少佐に伝えてあるので彼の指示に従い、ルッカ大佐と協力して部隊の運用に当たるように」

「了解致しました」

 セネルは敬礼すると、メインモニターから姿を消した。セネルの姿が消えると、ロニーは艦長席で思いっきり伸びをした。

「制圧も完了したし、我々も休養に入るか」

「そうですね。一仕事終えて腹が減りました」

 ロニーの言葉を受けて、ラモンがじっとロニーを見つめた。

「いい年したおっさんに見つめられても、ぜんぜん嬉しくないんだが」

 ロニーは困惑した声を出す。それを受けて今度はカタリナがじっとロニーを見つめた。

「私だったら、いかがです」

「カタリナ中佐、ちょっと困るよ」

「私に見つめられるのは、そんなに迷惑ですか」

「いや、そういう意味ではなくてね。えーっと、どう言えばいいか…」

 カタリナに迫られたロニーは動揺して言葉がつまり、何やらごにょごにょ言い出した。武闘派で鳴る地球連邦軍統合参謀本部次長エンテザーム中将を相手にしても全く動じないロニーが慌てふためく姿を見て、カタリナはくすくすと笑い出した。

「仕方がありませんから、特上フィレステーキで許してあげますよ」

「と、特上…か。中佐がそれでいいのなら」

「高くつきましたな、閣下」

 ラモンが笑声を上げた。

「次は、私にもお願いしますよ。フィレステーキ」

「ラモン大佐は、ご自分の財布で食べて下さい」

 あっさりとロニーに願いを却下されたラモンは、自分の額をぴしゃりと叩いた。

「それは残念です。ですが、ネメシスへ帰った際には、ル・モンドのランチを楽しみにしていますよ」

「…うっわーっ。そうだった」

 地球連邦軍第三総軍総司令官代理大将に任じられた直後にラモンと約束したことを思い出し、ロニーは頭を抱えた。その様子を見て、ラモンとカタリナは笑い出した。作戦の第一段階は終了し、“ヴィーザル”は第二段階に移るまでのちょっとした平穏に包まれていた。




とりあえず、PHASE 1が終わりました。

戦闘描写って難しいです。
うまく書けないというか
何というか…

これから戦闘シーンが増えていくのに
こんな弱気ではいけないのですが…

さぁ、PHASE 2がんばるぞ~


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PHASE 2(1)訓令

 クーデター軍から宇宙ステーション“クロノス”を奪取することに成功した火星自治共和国軍第二任務部隊は、航宙母艦“アプカル”とG13部隊を火星軌道上に残し、司令長官であるロニーを乗せた宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”のみ火星表面に降下した。“ヴィーザル”の目的地は、アイギス=シティ。クーデター軍の本拠地となっている火星の中心都市ウラノス=シティを包囲している八個師団のうちの一つ、第42師団が駐留している都市である。司令長官のロニーは、八個師団に対して布告を出していた。

「第二任務部隊に配属となった26、42、88、102、273、331、343、561の八個師団司令官及び参謀長、先任参謀もしくはそれに該当する士官は、この布告から三日後の1100時に第42師団司令部に出頭すること。その際、代理人を立てることは許さない。本人が来ない場合は、火星自治共和国に対する反逆の意思ありと見做し、捕縛する」

という内容だった。ロニーの布告から二日後に、“ヴィーザル”はアイギス=シティの軍港に入港した。

「長旅、お疲れ様であります」

 タラップから降りてきた第二任務部隊司令長官ロニー=ファルコーネ中将を出迎えたのは、第42師団参謀長のチェルニ准将だった。参謀長は5名の士官を従えている。対するロニーは、カタリナの他ラモン艦長とルスタム副長兼航海長、スナイ機動大隊長に司令長官付従卒のジーナとアロワの6名を従えていた。

「出迎えご苦労。ところでベルトラン司令官は?」

「はっ。体調を崩して自室で休養を取られております」

「体調ねぇ」

 ロニーの口調は冷淡極まっていた。

「有事に体調を崩すなんて、たるんでいるのではないか。病気は欠席の理由にはならない。欠席をしたければ、辞表を出すか、私を倒して私に取って代わるか、どちらかの覚悟を持つことだ」

「そんな…」

「まぁ、いい。明日の訓示には、連邦軍の高官からメッセージを頂く予定だ。楽しみにしておけ」

「は…」

「ところで、我々が逗留する場所へ案内してくれないかな」

「はっ。直ちに」

 チェルニ准将は、二十歳以上も年下の司令長官が発する迫力に気圧されてしまい、背筋をピンと伸ばして直立、敬礼を施してロニーたちに案内を始めた。

 

 ロニーの案内を終えたチェルニ参謀長は、第42師団司令部の司令官室を訪れていた。デスクに腰掛け本を手にしているベルトラン司令官は、視線だけを直立する参謀長に向けた。

「どんな奴だった?ファルコーネとか言うインチキくさい仮面の男は」

「は。異様な男でした」

 チェルニ参謀長の声色は弱々しかった。チェルニはベルトランのことが苦手だった。無能なくせに自己顕示欲が強く、上司にこびへつらい、部下をいびり倒す嫌な上司の典型がベルトランだった。

 そのベルトランだが、ロニーが自分より遥かに若いのに、同じ中将であることが気にくわなかった。そればかりか、ロニーは第二任務部隊司令長官なので、ベルトランの上司になってしまう。そのことが、余計気に入らなった。そんな奴の出迎えなんかしたくないから、本来であれば自分がやるべき出迎えの役目を、自分の部下であるチェルニに押し付けたのである。ベルトランは、視線を再び本へと戻した。

「ふん。あのルーデンドルフ提督をたぶらかすくらいだから、異様だろうさ。だいたい、何であんなクソガキの風下に立たねばならんのだ。何が訓示だ。あんなクソガキを崇め奉るなんて、冗談ではない」

「ですが、閣下。ファルコーネ中将は、欠席するなら辞表を出すか、もしくは自分を倒して取って代わる覚悟を持てとおっしゃっておられました」

「何だと」

 ベルトランは本を置き、身体ごと参謀長の方を向いた。

「クソガキのくせに、何調子こいて生意気なことを言いやがるだ。ふざけやがって」

「ですが、閣下もご覧になられたと思いますが、ファルコーネ中将はあのプラト艦隊を撃滅した方です。しかも、クロノスに対する苛烈な仕打ちを考えると」

「むぅ…」

 ベルトランは左手で頬杖し、右人差し指でデスクを叩き始めた。

「ところで、他の七つの師団は、どんな対応をしているのだ?」

「皆様、こちらへと向かっておられます。まだどなたもお越しになられていませんが」

「そうか…」

 誰か一人でもロニーの命令に背いてくれないかと、ベルトランは期待していた。そうすれば、自分もそれに続いてやるつもりだったのに、どいつもこいつも気概がないな。ベルトランは自分勝手な考えで、他の師団司令官たちを心の底で軽蔑した。

「各師団の司令部の皆さんに粗相のないよう、十分に取り計らえ」

「かしこまりました。ところで閣下、妙な噂を聞いたのですが」

「噂?何だそれは」

 ベルトランは身を乗り出した。上司にこびへつらい部下をないがしろにする奴は、決まって噂話が大好きだ。上司の噂好きにチェルニは相当辟易しているのだが、自分の立場を守るためにも上司にエサをばら撒く必要があった。チェルニは小声になった。

「あのファルコーネ司令長官。実は、暗殺されたとされる地球連邦軍第三総軍総司令官代理タカハシ=トオル大将閣下なのではないか、という噂です」

「何だと」

 ベルトランの目の色がくるくる変わった。始めは、この噂話を暴露してロニーを窮地に追い込んでやろうかという悪巧みの色。だが、その噂が嘘だったら当然、虚偽報告をしたという責を問われ火星自治共和国政府と地球連邦政府によって処断されるし、もし本当だとしても、火星自治共和国の最高幹部たちがその事実を知らない訳がなく、ひょっとしたら地球連邦政府ですら黙認している可能性があり、暴露したら却って地球連邦政府や火星自治共和国政府から不興を買って抹殺されてしまうかもしれない。そう思ったベルトランの目の色は、落胆へと変わった。そして、もしロニーがトオルだったら、トオルはフェルミ元帥に気に入られているという噂があるので、ロニーに反抗すると連邦軍統合参謀本部に睨まれてしまい、以後の出世どころか自分や地球に残している家族の安全すら危うくなってしまう。そう思ってしまい、ベルトランの目の色は絶望へと変わった。さらに、プラト艦隊の末路を考えてしまい、最終的には恐怖へと変わった。ロニーはプラト艦隊に対し、武装解除を伴う無条件降伏しか提示せず、妥協は一切許さなかった。抵抗する者は徹底的に叩く。武装解除を拒否したプラト艦隊旗艦“ニガマ”は、“アプカル”のモビルスーツ20機とセネル艦隊旗艦“ダーラン”からの集中砲火によって爆発四散して宇宙の藻屑となり、根拠地だった“クロノス”第二港湾は徹底的に破壊された。敵に対しては情け容赦がない。それがロニー=ファルコーネという男。ベルトランはそう認識した。

「なるほど。他の連中が、あのクソガキの指示に従うのは、そういう訳か…」

 ベルトランは舌打ちした。自分より遥かに若い司令長官を崇め奉るしかないと思うと、ベルトランの腸は煮えくり返った。

「まあいい。面従腹背という諺もある。あんなクソガキに、いい顔をさせてなるものか。連邦軍統合参謀本部が、いち師団長のことなんて分かるはずがないから、クソガキの命令を聞いたふりをして適当にあしらってやる」

 ベルトランは強く強く心に決めた。

 

 ロニーたちがアイギス=シティに到着した翌日、八師団の司令官以下幹部は全員、第42師団司令部ビルにある大会議室に集められた。師団ごとに一列に整列している。先頭が司令官、次に参謀長、最後に先任参謀が直立し、ロニー司令長官の登場を待っていた。

 きっちりAM11時、司令官たちの前にあるひな壇に、第二任務部隊司令長官ロニー=ファルコーネ中将が登場した。ひな壇には演説用の机が置いてあり、その前に立ったロニーの背後には大きなモニターが設置してある。ロニーは八人の師団司令官たちを見渡した。無表情なもの、不満がにじみ出ているもの、緊張を隠しきれないもの、様々だ。師団司令官たちの内心なんぞ興味がないと言いたげな威圧的な声色で、ロニーは話し始めた。

「…これまでは、ウラノス=シティを包囲してクーデター軍の自滅を図る作戦を採ってきたが、方針を転換し、ウラノス=シティに立てこもるクーデター軍を、実力を以って排除、ウラノス=シティを攻略、占拠する。我々、第二任務部隊の攻撃目標は、ウラノス=シティにいる敵クーデター軍の第一軍集団である…」

 現在クーデター軍は、大きく二つに分かれて行動している。第17方面軍第217師団司令官だったネト中将が直率する第一軍集団は、本拠地であるウラノス=シティの防衛を、第3方面軍司令官だったイレーシュ大将が指揮する第二軍集団は、火星自治共和国の実質上の首都であるカドモス=シティの攻略を行っている。クーデター軍の陣容は当初のロニーの予測を大きく上回り、第一軍集団が12個師団、第二軍集団が14個師団、計26個師団に上っていた。火星に展開する師団のうち4割がクーデター側についている計算だ。単純に計算すると、火星自治共和国側に6割がついていることになるのだが、ベルトラン中将のような、地球連邦政府が自治共和国側についているから仕方なく参加しているという師団が多く、名実とも自治共和国側といえる師団は3割あるかどうかだ。今回ロニーの指揮下に入った八個師団は、いずれも自治共和国支持に消極的な師団である。ゆえに、クーデター軍に対して積極的な攻撃行動をとっておらず、依然ウラノスは無傷のままであり、自治共和国のカドモス防衛軍は、戦意の高い第二郡集団の猛攻の前に戦線を維持するのが精一杯という有様であった。

「敵第二軍集団の戦意の高さは、ウラノス=シティが磐石で兵站の心配がないことにも由来する。ウラノス=シティを攻略占拠できれば、敵第二軍集団を挫けさせ、それがカドモス防衛に尽力する友軍を助けることに繋がる。我々第二任務部隊の作戦行動は極めて重要である。本作戦の重要性を認識する各界から、我が司令部にメッセージが届いているので、ここで紹介をしたい」

 ロニーは演壇から退いた。無機色だったモニターが、ある人物を映し出した。

「第二任務部隊に連なる師団長の皆さん。火星自治共和国のナディア=レスコです…」

 ナディア主席からの激励のメッセージだった。続いてナイツェル副主席。そしてルーデンドルフ軍務卿からも激励のメッセージが紹介される。いずれもビデオ録画によるメッセージだったが、最後は違った。画面に時折ノイズが入り、直接通信であることが分かる。ビデオ録画を長々と見せられて、だらけきった雰囲気に包まれていた会場が、映し出された人物が誰であるかが判明すると、一瞬で張り詰めた空気に入れ替わった。参列している第42師団司令官ベルトラン中将は、背筋に脂汗が流れた。

「ま、まさか、そんな」

 この思いは、ベルトランだけではなさそうだった。ちらりと周りを見渡すと、他の師団司令官たちの背筋はピンと伸び、目は緊張で鋭くなっている。そして何も合図がないにもかかわらず、全員が一斉に敬礼を施した。画面に映し出された女性将校は、柔らかい口調で語り始めた。

「火星自治共和国第二任務部隊の皆さん。地球連邦軍統合参謀本部のローラ=フェルミです。この度は、乱れた火星の治安回復のために出動されると伺いましたので、困難な任務の完遂を願い、挨拶に駆けつけさせていただきました。皆さんの真剣な表情を見ることができたことを、幸いに思っております。八個師団司令官の皆さんは、ロニー=ファルコーネ司令長官の指示に従い、全力で以って火星の治安回復に努めていただきたいと思っております」

 年齢を感じさせない豊かで長く淡いカールのかかったブロンドの髪をかきあげると、地球連邦軍統合参謀総長ローラ=フェルミ元帥は言葉を続けた。

「第26師団司令官、アーミル大将どの」

「はっ」

 フェルミに名前を呼ばれた浅黒い肌、口ひげを綺麗に整えた将校が、一歩前に進み出て敬礼する。アーミルは第11方面軍司令官を兼務していたので、階級が高い。続いて、

「第42師団司令官、ベルトラン中将どの」

「はっ」

 ロニーのことを毛嫌いしている、メガネをかけていかにも神経質そうに見える痩身の将校が、アーミルと同じく一歩前に進み出て敬礼をした。

「第88師団司令官、ソン中将どの」

「はっ」

 背が低く、パッと見た目とっつきやすそうに見えるが、尋常ではない視線の鋭さが切れ者であることを匂わせる将校が、フェルミに名前を呼ばれると、一歩前に進み出て敬礼した。

「第102師団司令官、フォルテア中将どの」

「はっ」

「第273師団司令官、ハルシャーニ中将どの」

「はっ」

「第331師団司令官、アバザー少将どの

「はっ」

「第343師団司令官、エプレアヌ少将どの」

「はっ」

「第561師団司令官、カイバラ少将どの」

「はっ」

 いずれの司令官も、名前を呼ばれると一歩前に進み出て敬礼を施した。

 司令官全員が同じ位置に立ったのを確認したフェルミは、微笑を浮かべた。

「火星の平和は、皆さんの双肩にかかっております。皆さんのご活躍をファルコーネ司令長官から聞けることを、そして火星に再び平和が訪れることを、切に願っております。全人類の平和と安定が、永久に続くことを祈念致しまして、挨拶と代えさせていただきます」

「はっ。永久に続く全人類の平和と安定のために!」

 ロニーの号令とともに、参列する全員が統合参謀総長に敬礼を施した。

 

 地球連邦軍統合参謀総長ローラ=フェルミ元帥による訓示が行われたのち、ロニーから作戦の概要が説明され、散会となった。先任参謀を先に帰したベルトラン中将は、参謀長のチェルニ准将を従えて自室へと足早に向かっていた。

「くそう。これで完全に逃げ場がなくなった。こうなったら、とことんやって手柄を上げるしかない」

 ベルトランは苦々しくつぶやいた。堂々と掲げた面従腹背の家訓を、とっつきにくい上司が早々に取り下げたことに、チェルニは驚いた。

「元帥閣下から直々に激励のお言葉を頂いたからには、身を粉にして…」

「あほか、お前は!」

 歩きながらベルトランは、一瞬だけチェルニを振り返って睨んだ。

「あれは、激励なんかではない。ちゃんとしないとタダじゃ済まんぞって元帥は言っているのだ。そんなことも分からんのか」

「は、はぁ」

 うちの上司は、自分の立場に関することに“だけ”は、すごく頭が回るのだなと、チェルニは感心した。当の上司は、ぶつぶつとぼやき続けた。

「しかも、元帥に名前を覚えられてしまった。あのクソガキに悪く言われたら、地球に残している家族の生活が成り立たなくなってしまう。あのクソガキをご主人様と崇め、身命を賭けて戦うしかない」

「そこまでファルコーネ中将に義理立てをする必要なんて、ないと思いますが…」

「この、どあほうが!」

 ベルトランは、部下を一刀両断に切り捨てた。

「上級大将ですら、なかなかアポイントをとることができないのだぞ、あの元帥には。それを、あのクソガキは何をしたか知らないが、このためだけに元帥から訓示をもらう約束を取り付けやがった。フェルミ元帥とあのクソガキの結びつき方は、尋常ではない。我々の働きを、あのクソガキが採点して元帥に報告する。あのクソガキは目ざといから、我々が妙な動きを少しでもしたら、たちまち元帥に報告されて、よくて左遷、下手すればクビになって路頭に迷うことになってしまう」

「そんなことにならないよう、元帥閣下に対して先手を打たれたらいかがです」

「このどあほうが!お前の頭には、脳みそではなく蟹みそが入っとるんか。こんの、どあほうが!!」

 ベルトランは、後ろにつき従うチェルニを振り返って怒鳴りつけた。

「元帥の言葉を聞いていなかったのか。『皆さんのご活躍をファルコーネ司令長官から聞けることを』とおっしゃった。それはつまり、我々現場からの報告を直接聞く気は更々ないということだ。だいたい、私には元帥と直接話ができるチャンネルがない。先手を打とうにも、打ちようがない」

「それでは、いかが致しましょうか」

「いかが致しましょうか、ではないだろうが。ホントにあほだな、お前は」

 ヒートアップしたベルトランは、大声を張り上げた。

「とことんやると言ったのが、聞こえなかったのか。このどあほうが。大隊長以上の士官を、全員招集しろ。司令長官の作戦について詳細を詰める」

「は…」

「分かったら、さっさと行って会場の準備を始めろ。ちんたら歩くな、走れ!」

「はっ!」

 チェルニ准将閣下は、士官や下士官たちに見守られながら、召使のように走り始めた。




すみません。
もう駄目です…


仕事とプライベートが多忙を極め、
執筆時間が取れません…

変な気候のせいで
体調も良くありませんし…


しばらく更新が遅れると思います。




少しでも早く次話投稿できるように
頑張ります。


申し訳ありませんが、
気長に待ってやってください。


宜しくお願いします。


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PHASE 2(2)前線

 ロニーが壇上で師団司令官たちに訓示を行っている頃、司令部ビルの裏手にある小庭の芝生に、“ヴィーザル”乗組員のアロワ=シェロン一等兵が仰向けに寝転んでいた。目を閉じ大きく息を吸って、吐く。そして、わずかに感じる緑の香りをかぎ、そしてゆっくりと目を開ける。やわらかい日差しと青い空の美しさを、じーっと堪能していた。

「これだ…、これが欲しかったんだ…」

 大気の揺らぎが優しく肌を刺激する。エアコンの風とは、明らかに違う。なんとも心地よい。なんという開放感だ。青空の一部をさえぎっているセメント打ちっぱなしの師団司令部ビルの方が、衛星“メティス”にある白亜の宮殿よりも遥かに美しく感じる。これで、“メティス”にいた頃のように、誰もが自分にかしずいてくれたら…

「あんた。こんなところで、何サボってんの!」

 アロワがしみじみと鑑賞していた美しい青空を思いっきり遮断したのは、エメラルドグリーンの瞳が印象的な、ダークブラウンの髪をおかっぱに切りそろえた華奢な体躯の女の子だった。赤色を基調にしたブレザータイプのジャケットに紺色のネクタイを身につけ、純白のスパッツにセミロングのブーツを履いている。まるでアイドルのような姿だが、れっきとした軍服姿だ。対するアロワは、つややかなミディアムロングの黒いサラサラヘアーの下には白皙の肌、整った眉、切れ長だが大きなサファイアブルーの瞳が印象的なとんでもない美男子なのだが、ダークグレーを基調としたごくありふれた連邦軍の制服を着ていて味気がない。そのアロワは、青空鑑賞の邪魔をした女の子に抗議の声を上げた。

「おまえに俺の邪魔をする権利なんかない。どっかいけ」

「あんた、一等兵。私、曹長。私のほうが偉いの。そんな口の利き方したら…」

「暴力反対!暴力なんぞ、野獣のすることだ」

「あんたねぇ…」

 赤いブレザーを着た華奢な体躯の女の子、ジーナはため息をついた。いくら顔がよくても、自分より少し年上の男の子の暴力にびくつく姿は、残念で仕方がない。

「でも、いい天気よね…」

 ジーナはアロワの隣に座り込んだ。膝を立て、後ろに両手をついて空を見上げる。遠くからかすかに聞こえる街の喧騒、風の声、そしてようやく完成したオゾン層が作り出す青い空。つい数日前の激しい戦闘が、まるで嘘のような平穏さだ。アロワは、寝転んだままジーナに視線を向けた。

「何だか、いろんなことがどうでも良くなるな。地球圏がどうとか。地位がどうとか。美しい自然に囲まれ、満足にメシが食えて、住む所があれば、それでいいんじゃないか」

「…そうね。そうありたいね」

 ジーナは張りのない声で答えた。アロワの言うことは理想論として理解できる。衣食住さえ整えば、最低限の人間らしさを保つことができる。それは、その通りだ。でも現実は、いい服を着たいし、いいものを食べたいし、いい家に住みたい。いい音楽を聴きたいし、いい仲間と遊びたいし、いい人と巡り会いたい。人間はより“いい”ものを求めてしまう。“いい”をどこまで求めるか。そのリミットを決められるのは自分だけだ。ついこの前まで、ジーナは研究所から出られさえすればいいと思っていた。だが、研究所から離れることができたら、今度はトオルと一緒に暮らして学校に行きたい、お裁縫が上手になりたい、もっと友達と仲良く遊びたい、と思うようになっていた。せっかく火星に戻ってきたのに、ネメシスに行けないと聞いて、ジーナは不満を覚えた。そして不満を覚えた自分に驚いたのだった。無欲だと思っていたのに、こんなに欲が深かったなんて…

「でも、もっと遊びたいなぁ。リンダと買い物に行ったり、トオルさんとカラオケ行ったり…」

「トオルさんって、誰?」

 何気なくアロワは尋ねた。アロワの声色には何も他意がない。だが、尋ねられたジーナは冷静でいられなかった。トオルはこの世にいないことになっている。しまった。あまりに無防備になりすぎた。どう答えればいいかジーナは迷った。で、出した答えは、ごくありきたりのものだった。

「…昔の知り合い」

「ふうん」

 アロワは興味なさそうな声を出すと、そのまま空を見上げた。アロワに追究する気がないことを感じたジーナは、急いで話題を変えた。

「アロワはどんなことがしたいの」

「…そうだな」

 アロワは寝転んだまま足を組んだ。

「青空の下で、思いっきり身体を動かしたい。人に使われるのなんて真っ平ごめんだから、土地でも買って農業でもしようかな」

「の、農業?」

 ジーナは驚いた。農業の経験なんてしたこともなさそうな、皇帝を自称するほど尊大で、しかも肉体労働なんてできそうにもない華奢な体形の青年を見る限り、とても農業なんてできそうにない。ジーナは、まじまじとアロワを見つめた。

「あんた、農業を舐めているのじゃないの?」

「舐めてなんかいないさ」

 アロワは寝転んだまま視線をジーナに向けた。

「クソみたいなところに閉じ込められて、無理矢理ずっと働かされ続けてきたおかげで、カネは腐るほどある。死ぬまで豪遊を続けても残るくらいにな。農業で儲ける必要なんかないから、どうってことはない」

「あんた、農家の敵ね」

 暇つぶしの趣味として適当にやるくらいでいいのなら、お気楽なものだ。カネのある奴って、何でこう気に障ることを平気で言うのだろう。そんなジーナの思いを知ってか知らずか、アロワは再び視線を空に向け無神経な言葉を吐き続けた。

「どうせなら、大きな島をまるまる買い占めて、農業リゾートの会社を作ろうかな。社長を雇って経営を押し付け、俺は召使を雇って適当に農作業して、たまにキャンプとかすれば、優雅な老後を送れそうだ」

「あっ、そう」

「キャンプするときは呼んでやるから、楽しみにしておけ。ファルコーネの野郎も呼んで、調理でもさせるか。そうだ、あの仮面野郎。農業リゾートの会社を作ったら雑用係として雇ってやろう。あの仮面野郎がトイレ掃除する姿、考えただけでもワクワクする。農業リゾート計画、これは本格的に考えたほうがいいな」

「はいはい」

 たとえアロワが史上最強のリゾート会社を作ったとしても、トオルがアロワの会社に就職するなんて1億パーセントないだろうなとジーナは思う。下種な笑いを浮かべるアロワにジーナは呆れたのだが、ジーナは別のことを口にした。

「農業リゾート会社を作るのはいいけど、肝心の社長候補はいるの?」

「そうだな」

 アロワは再び視線をジーナに向けた。

「なんなら、お前がするか?」

「はぁ?」

 ジーナは素っ頓狂な声を上げた。

「何で私が、あんたなんかのために、汗水垂らして働かなきゃいけないの。そんなの嫌よ」

「飯炊き女のくせに、偉そうに」

「だ・か・ら、私は飯炊き女じゃない」

「ふん、まぁ時間はいくらでもある。こうなったら農業リゾート計画、何としてでも実現させてやる」

 本人以外誰も興味がないであろう決意を両目に湛え、アロワはじっと青い空を見つめたのだった。

 

 火星解放軍を自称するクーデター軍の実戦部隊は、大きく二つの軍集団に分けられる。クーデター軍の最高責任者であるネト中将が直率する第一軍集団と、イレーシュ大将が指揮する第二軍集団である。12個師団を主力とする第一軍集団は、各地に分散配置されているため、ウラノス=シティにいるネト将軍の手元にあるのは2個師団だけである。従って、火星自治共和国の本拠地カドモス=シティ攻略を任としている第二軍集団が、まとまった兵力として最大のものであった。14個師団、総勢21万7,000人を率いる第二軍集団総司令官イレーシュ大将は、身長が190cmに届く偉丈夫の56歳。大将に昇進したのは48歳だったので、将来は上級大将、元帥に進んで軍人の最高位である統合参謀総長に就任するであろうと自身も思っていた。だが、地球、月と方面軍司令官を転々として、ついには火星にまで飛ばされてしまった。もはや昇進はありえない、見捨てられたと思ったイレーシュは、連邦軍に不満を抱き始める。そんな中、偶然知り合ったネト将軍から思わぬ情報を手に入れた

 社会構造学を専攻する大学講師の父の元で成育した彼は、幼い頃より連邦政府の元で歪んでいく社会について父から薫陶を受けていた。だが、彼が中学を卒業する直前に父が謎の失踪をする。幼い頃に母を亡くしていた彼は天涯孤独になったため、養護施設に入って高校生活を送るようになった。頭脳明晰で腕っ節もよかった彼は、連邦軍士官学校に入学。優秀な成績で卒業して軍歴を重ね、40歳で将官になった。養護施設そして士官学校での生活を送る中で父の教えは薄れ、児童に対する温和な政策、そして自由競争による健全な経済政策、幅広い貧困対策など、連邦政府のすばらしさを徐々に叩き込まれていったのだが、いつまで経っても昇進しない上に、ネト中将から情報を得て、彼の考えは180度変わる。父の失踪は、連邦政府によって仕組まれたことが分かったのだ。父の思想が連邦政府に害を為すものと断定されたのが原因だった。連邦政府に騙されていたことに気付き激しく怒るイレーシュを、ネトはなだめた。怒りを爆発させるのは今ではないと。ネトがクーデターを起こすと、イレーシュは真っ先に軍を率いて駆けつけた。連邦政府に不満を持つ高級軍人を組織していた功績により、第二軍集団総司令官に任じられ、現在に至っている。

 イレーシュは、トリグラフ級大型陸戦艇“ストリボーグ”に座乗して、火星自治共和国軍が構築している第二防衛線と正対している。移動司令部ストリボーグの全長は200mほど。ミノフスキークラフトを利用して移動できるが、核パルスエンジンがないので大きく上昇することはできない。ニ連装の砲塔が二つといくらかの機銃座、モビルスーツ発着カタパルトが一つだけ装備されており、戦闘力だけでいえば宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”の足元にも及ばない。但し、食料や武器弾薬を大量に保管でき、多くの将兵を収容することが可能である。装甲が厚く、広範囲にビームシールドを張ることができるため、味方を守る盾の役目を果たすことができる。トリグラフ級は高級将官が座乗することを想定しているため、艦橋が広くモニターの数も多い。艦橋の内部で一番高い場所に設置された司令官席にイレーシュは座っていた。

 イレーシュの機嫌は悪かった。火星自治共和国の第一防衛線を、文字通り粉砕して前進してきたのだが、第二防衛線を前にして足踏みを続けていたのだ。

「上空から、徹甲弾らしき多数の金属を探知」

「…またか」

 情報参謀からの報告を聞いて、イレーシュは舌打ちした。衛星軌道上に展開するルーデンドルフ提督の第七艦隊からの空襲だった。ミサイルや炸裂弾だと、大気圏突入時に燃え尽きたり爆発したりしてしまうから、ルーデンドルフは執拗に金属の塊である徹甲弾をばらまいていた。大気圏突入による摩擦で磨り減っても、それなりの効果がある。ビームシールドを展開できる陸戦艇には致命傷を与えることはできないが、歩兵はもちろん戦車や装甲車、果てはモビルスーツでさえ、徹甲弾の直撃を受けると無事では済まない。

「あの川さえなければ…」

 目前にあるカリスト川をイレーシュは睨みつけた。目前のカリスト川の川幅は200mほど。全軍が渡河できれば、第二防衛線の突破も可能なのだが、川に近づいたとたんにルーデンドルフが徹甲弾をばらまいてくる。こちらが川岸から離れるまで空襲が続くから、渡河することができないでいたのだ。

 カンカンカーンと金属の破片が跳ね返る音が、各所から響く。重力加速度がついて恐ろしい速度で落下してくる徹甲弾は、ビームシールドで粉々にしても船体に破片がぶつかる。跳ね返るくらいならまだましなほうで、破片の先端が鋭い刃物のようになると、装甲に突き刺さってしまう。そうした破片が数ヶ所ストリボーグに突き刺さっていた。

「やむを得ん。全軍、後退せよ」

 この命令を何回出したか、イレーシュには分からなかった。不本意な命令を出さざるを得ない状況にイレーシュがいらだっていた丁度そのとき、メインスクリーンがある人物を映し出した。赤をベースとした軍服を身にまとい、仮面と兜を被った士官らしき男は、おごそかに語り始めた。

「平気で法を無視し、実力で以って社会秩序を粉々にした無知蒙昧な叛乱軍の原始人どもよ。私は、人類の叡智である法を執行する、火星自治共和国第二任務部隊司令長官ロニー=ファルコーネである。つい先程、我々火星自治共和国宇宙艦隊の周りを五月蝿く飛び回っていた叛乱軍のプラト艦隊を、クロノス第二港湾という羽虫の巣ごと燃やし尽くし、完全駆除を行った。法を犯して平然としている社会の害虫は、徹底的に排除されるべきである。害虫に食い荒らされた挙句、害虫の巣と成り果てたウラノス=シティを、我々は48時間後に完全破壊することを決定した。高度な社会性と遵法精神を持っていると自負する人々は、速やかにウラノス=シティから脱出せよ。繰り返す、人間としての理性を持つ者は速やかにウラノス=シティから離れるべし。以上」

 仮面の士官が宣言を終えると、画面はG13部隊による“ニガマ”撃沈の映像と“ヴィーザル”によるクロノス第二港湾完全破壊の映像に切り替わった。戦艦“ダーラン”の主砲の直撃を受けて重巡洋艦“ニガマ”が沈む画面を見て、イレーシュは指揮卓に右拳を叩きつけた。

「ふざけるな。連邦政府の顔色伺いと尻尾を振ることしか能のない、臆病で腑抜けな連邦の飼い犬ごときが偉そうなことをほざきやがって。高尚な志を持つ我々を侮辱したこと、死ぬほど後悔させてやる。あのクズ仮面が、どこで軽口を叩いていたか分かるか。おい、クラナッハ!」

 怒り狂うイレーシュに指名された情報通信参謀のクラナッハ中佐は、全身全霊をかけて端末を操作しながらか細い声を振り絞った。

「多数の通信ターミナルや通信衛星を経由させて流していたようですので、今すぐには…」

「言い訳はいらん。我々火星解放軍第二軍集団は、攻撃目標をクズ仮面に変更する」

「それはいけません閣下」

 慌ててイレーシュに異を唱えたのは、参謀長のミシュラ少将だった。

「我々は、治安対策委員会の決定を受けて行動しております。委員会の決定を待たずに勝手に攻撃目標を変更しては…」

「その治安対策委員会が侮辱されたのだ。恥辱を雪ぐには、あのクズ仮面のクビを上げるしかない。そんなことも分からんのか!」

「……」

 イレーシュに怒鳴りつけられ、ミシュラは黙り込んだ。

「全軍に通達。クズ仮面の居場所を早急に割り出せ。クズ仮面の居場所が分かり次第、全軍を挙げて、これを討つ」

「かしこまりました、閣下!」

 黙り込んで後ろに下がったミシュラに代わり、先任参謀のカタセ大佐がイレーシュの命令に答え、第二軍集団麾下の軍司令部及び師団司令部へイレーシュの命令を伝え始めた。

 クーデター軍の第二軍集団が前進を止めたことで、火星での内乱に大きな変化が現れた。イレーシュの決断がクーデター軍にとって吉と出るか凶と出るか、この時点で判断できるものは、この世のどこにもいなかった。

 

 クーデター軍の第二軍集団第二軍麾下、第188師団。師団司令官のシンクレア少将は、前任者が更迭されたため、急遽昇進して就任したばかりである。前任者の更迭理由はごく限られた人々にしか知らされていない。そのシンクレア司令官の傍に佇むのは、副官のバネッタ中尉である。第二軍集団は火星解放軍に悪言雑言を浴びせかけた“クズ仮面”の居場所を突き止めたので、師団司令部となっている大型装甲車に揺られながら、その討伐に向かっていた。火星自治共和国第二任務部隊地上部隊八個師団が、クーデター軍の根拠地であるウラノス=シティ攻略に進発していたため、そのどこかにいるものと思われていたのだが、クズ仮面は八個師団から東へ200km以上離れた場所にいることが判明した。しかも、クズ仮面は座乗する宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”たった一隻だけで、緑化が進んでいない荒涼地帯の岩山に隠れていた。

「あれだけ大言壮語を吐いていたくせに、岩山に隠れ潜むなんて情けない奴だ。戦艦一隻だけだと見つからないとでも思ったのか」

 新任のシンクレア司令官は嘲笑した。いくら悪口を言っても、まさか21万人に追撃されるなんてクズ仮面は思ってもいなかったのではないか。迫り来る大軍を前にして、部屋の中で縮こまっているクズ仮面を想像して、シンクレアは最高の気分だった。そして、副官のバネッタ中尉も同様だった。

「ネト将軍に付いて来なかった火星自治共和国を僭称する臆病者どもは、やはり弱軍でしたね。我々の正義を万民に示す良い例になると思うと、誇らしい気持ちで一杯です」

「まさにその通りだ」

 シンクレアは大きく頷いた。

「ここでクズ仮面のクビを取りローガンダムを取り返せれば、前任が残した188師団の汚名が雪がれる。それどころか、取り返したローガンダムを使えば、愚かにもウラノスを攻略しようとしている賊軍どもを全滅させ、その返す刀でカドモスを占領して連邦の飼い犬どもを屈服させることもできるだろう」

「そうなることが楽しみで仕方ありません。閣下のおかげで責任を負わずに済みましたが、ローガンダムを取り逃がしたことに責任を感じずにはいられませんでした」

「そうか。ローガンダムを奪い返した暁には、貴官をローガンダムのパイロットに指名しよう」

「光栄の極みです」

 毒舌家のスナイがこの場にいたら、これこそ取らぬ狸の皮算用だと思い切り馬鹿にしたであろう。だが、この二人は至って真面目だった。バネッタは意気揚々としていた。

「最新鋭モビルスーツのパイロットになることこそ、小官の望みでした。それが叶えられるのでしたら身を粉にして…」

 バネッタの名演説は、ドーンという巨大な爆発音によって強制的に中断させられた。爆発による空気振動のせいか装甲車も大きく揺れ、バネッタは手すりにしがみつき大声を上げた。

「一体何が起きた!」

「ストリボーグの機関部が爆発、炎上しました」

「何?敵襲か?」

 報告を上げた通信士に尋ねたのは、シンクレア司令官だった。通信士はキーボードを叩きモニターの凝視したのだが返答はこうであった。

「飛翔体接近の確認なし。付近に敵のものと思われる熱源なし。エネルギー粒子反応なし」

「ならば事故か。ストリボーグから連絡は」

「ありません」

「確認を急げ。総司令官に何かあったら…」

 先程よりも更に巨大な爆発音が響き、シンクレアの声を掻き消した。

「今度は何だ!」

 両手を頭に乗せて身を縮みこませたシンクレア司令官が絶叫した。通信士の答えは絶望的なものだった。

「ストリボーグが爆沈しました」

「な、何だと!!」

 シンクレアは驚愕で目を剥いた。意味が分からなかった。あまりに突然のことだったので、何をどうすればいいのか何も判断できなかった。呆然としている司令官の代わりに、バネッタが通信士に尋ねた。

「総司令官閣下の安否は分かりませんか」

「脱出者を確認できません。おそらく全員が…」

「そんなバカな…」

 バネッタは絶句した。軍事機器は慎重に慎重を重ねた上で設計されており、何度も何度も運用試験を積み、安全が確認されてからも整備には念には念を入れる。トリグラフ級は高級将官が座乗することが想定されているので、安全面には特に配慮がなされている。その結果、配備されてから一度も事故の報告は受けていない。それが何故?

「閣下。これは異常です。一旦行軍を止めて状況確認をするべきです」

 状況確認をせずに行き当たりばったりで作戦を進めた結果、手痛い目にあったことのあるバネッタは、司令官にこう助言した。未だ目を剥いたままのシンクレアが、無言でバネッタに首肯したので、188師団全軍に停止を命ずるよう通信士に伝え、自身は装甲車の扉を開けて外に出た。

「な、何だ…」

 外は、やけに明るかった。乾燥した地域だからか。それにしても明るすぎる。まぶしさを我慢しながらバネッタは空を見上げた。

「空が、輝いている!?」

 火星のオゾン層がようやく完成したので、空は地球と同じように青い。その青い空に、何故か所々星が煌いているように見える。真っ昼間に何故星が…。そして一瞬空が真っ白に輝いたかと思うと、また巨大な爆発音が響いた。

「第一軍司令部“セマルグル”の機関部が炎上」

 装甲車の扉を開けたままにしているので、通信士の報告がバネッタに聞こえた。おかしいと思ったバネッタは、懐から小型端末を取り出し、装甲車のそばにいる量産型モビルスーツ“ジェグナ”のパイロットに通話回線を開いた。

「シドキ曹長。貴官のモビルスーツで状況確認をしたい。すぐに降りてもらえないか」

「はっ。直ちに」

 ジェグナは屈み込み、胸元のコクピットハッチが開いた。中からシドキ曹長が出て来ると、すばやい身のこなしで地上へと降り、近くにいるバネッタに駆け寄り敬礼をした。

「コードをお渡しします。お気をつけて」

「ありがとう」

 シドキから認証チップを受け取ると、バネッタはジェグナのコクピットに乗り込んだ。操縦桿を握りジェグナを飛翔させる。程なくして、爆発炎上した“セマルグル”の近くに達した。炎上を起こした箇所を拡大投影する。

「な、何で…」

 爆発炎上した箇所を中心に広範囲が高熱で溶解していた。何で溶解するのだろう。するとまた空が真っ白に輝いた。360度全面スクリーンが白一色に染まる。すぐにまた大爆発が起き、その振動でジェグナは大きく揺さぶられた。

「死んでたまるか!」

 地面に激突してなるものか。五感をフル動員してバネッタは機体を上昇させた。すぐに視界が戻り“セマルグル”を確認すると、はるか下にいる“セマルグル”は連鎖爆発を始めていた。もはや撃沈は時間の問題だった。

「くそ…」

 上空からだと、味方の動きがよく分かる。自軍のように状況確認のためその場に止まっているもの、更に行進を続けているもの、先程までいた第二防衛線まで引き返し始めたもの、ウラノス=シティへの撤退を始めたもの、第二軍集団は明らかに統制を失っていた。こんな状態でもし敵に攻撃されでもしたら…

「一体、空に何があるのだ?」

 バネッタは、ジェグナのメインカメラを地上から空へと向け、空の拡大投影を始めた。極限まで拡大させると、ちらりと輝くパネルのようなものが見えた。

「鏡…か……?」

 バネッタのつぶやく声は、弱々しく震えていた。そして同時に、何故敵がプラト艦隊を絶滅させることに全力を注いだのかを理解した。

「これでは、共和国に勝てん」

 バネッタは、シンクレアのいる装甲車へ向けてジェグナの身を翻させた。




久しぶりの投稿です。

それにしても時間がなさすぎる…



次回投稿は、いつになることやら。



待って下さいますと幸いです。

今後ともよろしくお願いします。


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PHASE 2(3)会戦

 地球連邦軍第三任務部隊司令長官マクファティ・ティアンム中将。強勢を誇った地球連邦軍がジオン公国軍にまさかの大敗を喫したルウム会戦の直前、地球=火星間にあるカイデルヴァ宙域において、ジオン公国突撃機動軍総司令官アルベール=ゴバ大将率いる主力艦隊と木星航路をめぐって激突、これを撃滅させた高名な提督である。カイデルヴァ宙域会戦の結果、ジオン公国は木星航路の過半を失い、以後資源を地球に求める方針に転換。地球に大規模な軍事力を投入して地球での勢力圏を拡大していく。この会戦で首脳陣を失ったジオン公国突撃機動軍は、新たな総司令官として政権に近いキシリア=ザビ少将を迎えることとなる。勝利したティアンム提督はその功績により大将へと昇進、宇宙艦隊司令長官に任じられ、レビル将軍とともに反転攻勢の指揮を執ることになった。直接指揮したソロモン戦役において、自身は戦死を遂げながらも連邦軍を勝利へと導く。そのティアンム提督がソロモン戦役で採用したのが、一万枚にも及ぶパネルを利用したソーラ=システムであった。のちにジオン公国が完成させたソーラ=レイや、連邦のティターンズが完成させたコロニーレーザーに代表される、太陽光でヘリウムⅢを変位させた大出力高収斂メガ粒子ビームに取って代わられ、ソロモン戦役以後ディアンムのソーラ=システムは表舞台から姿を消した。時代に見捨てられたソーラ=システムなのだが、ロニーはあえてそれに目をつけた。今では、シグ粒子シールドが発達したため、メガ粒子砲の威力はかなり減殺される。しかも、サイコフレームでコーティングされると、たとえニュータイプの感応波との共鳴がなくても幾分かメガ粒子の影響は軽減される。ところが、ティアンムのソーラ=システムは、メガ粒子ではなく虫眼鏡のように純粋に太陽光のみを収斂させるので、Iフィールドはおろかシグ粒子シールドでもサイコフレームでも防ぐことができない。ただし、弱点がある。巨大な太陽光集光ミラーを何万枚も使うので、それぞれを精密に並べてコントロールすることが難しい。もし敵に発見されて作業を妨害されたら、何の戦果も挙げられない。だから、ロニーはまず、クーデター軍の宇宙機動部隊撃滅を行った。プラト艦隊撃滅後、ソーラ=システムを展開させてコントロールする役目をハムザに与え、太陽光集光ミラーを配置する役目をG13部隊と空母“アプカル”に与えたのだった。

「敵第二軍集団総旗艦“ストリボーグ”の撃沈を確認」

 何万枚も並んだ太陽光集光ミラーの傍らに鎮座する空母“アプカル”の艦橋で、第二任務部隊作戦参謀ハムザ=ビン少佐は、“アプカル”艦長ルッカ大佐とともに観測長から報告を受けた。モビルスーツ部隊を中心に総力を挙げてパネルの微調整に取り組んでいたG13部隊と“アプカル”は、“ストリボーク”撃沈の知らせを受け歓声に沸いた。

「長官閣下のご命令は“ストリボーグ”の撃沈だけではありません。次は“セマルグル”です。照準を“セマルグル”に合わせますので、“セマルグル”の座標をご報告願います」

「りょ、了解しました」

 ハムザの依頼を受け、アプカルの観測長は、索敵作業を始めた。地表から100km以上離れた衛星軌道上から、たった一隻の陸戦艇を特定する作業は、困難を極める。理不尽極まる作業なのだが、黙々と業務に取り組むアプカルの観測長に対し、ハムザは尊敬の念を持った。

「こんな根気の要る仕事を押し付けられて頭にきたけど、俺も頑張るしかないな」

 火星への帰路、ロニーに事務作業を断って三次元フットサルをさせてくれと願い出なければよかったと後悔しながら、ハムザはモニターに映る数万枚にも及ぶパネルの位置データと照射目標の気象データを一つ一つ確認し、照準シミュレーションを組み立て始めた。太陽光集光ミラーは、太陽光を透過させるだけでなく、太陽光を屈折させたり反射させたりできるので、どれだけ屈折させるか、どのくらいの角度で反射させるかなどのデータを、パネルごとに組み込まなければならない。ロニーが仮面を被る前、地球連邦軍第三総軍総司令官代理タカハシ=トオル大将だった頃に手に入れた第三総軍総司令官のコードを使って、火星総督府にある既存のミラー制御システムを手に入れたが、それはあくまで地表を暖める程度の単純なものだったので、焦点を一点に絞り込めるようにシステムを改造する必要があった。その改造自体は数日でやり遂げたのだが、照射目標の環境データ補正だけは一個一個手入力しなければならない。この作業がとても面倒なのだ。

 そんな中、“アプカル”のメインスクリーンに、G13部隊のセネル司令官が映し出された。

「ハムザ参謀。よろしいか」

「はっ。何でしょうか」

 礼節を重んじるセネル提督が、多忙を極めるハムザに相談を持ちかけるということは、きっと余程のことなのだろう。面倒極まる作業を邪魔されたことに対する怒りの感情を、ハムザは何とか理性でねじ伏せて用件を伺う。セネルの提案は、自分ひとりの判断で決められるようなものではなかった。かといって、地上のロニーに相談するほどのことでもない。ハムザは“アプカル”艦長のルッカ大佐と相談し、セネルの提案を受け入れることにした。

「かしこまりました。では提督、お気をつけて」

「ありがとう。では」

 セネルは、自分よりもはるかに年齢も階級も下のハムザに対して、敬礼を施して通信を切った。ロニーの作戦は、新たな段階に入ろうとしていた。

 

 クーデター軍の第二軍集団総旗艦“ストリボーグ”撃沈の知らせは、岩陰に隠れている宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”にももたらされていた。14個師団、総勢21万7,000人の大軍に迫られ恐怖のどん底に落とされていた“ヴィーザル”乗組員たちは、喜びに満ち溢れていた。

「これで、敵の総崩れ間違いなし」

 第一軍司令部“セマルグル”を喪失した第二軍集団が、状況確認のためその場に止まっているもの、更に行進を続けているもの、先程までいた第二防衛線まで引き返し始めたもの、ウラノス=シティへの撤退を始めたものに四分五裂したことを確認したのだが、この情報を聞いて艦内は静まり返った。

「敵四個師団が、当艦に向けて進撃を続けています。モビルスーツの数は確認できるだけでも100機を超えている模様」

「まだ、そんなに…」

 ハムザ少佐の代わりに情報長となったクアン大尉の報告を受け、“ヴィーザル”副長のルスタム少佐はうろたえた。まともにぶつかったら負けは必定。だが、こちらは陸上兵力が主体の敵とは違って、機動力に優れる宇宙戦艦。敵を分断するという役目を終えたのだから、あえてここに踏み止まる必要はないはずだ。そう思ったルスタムは、司令部エリアに目を向けて司令長官のロニーの様子を伺った。そのロニーは、静かな声でクアン大尉に尋ねた。

「敵との推定接触時間は?」

「はっ。……およそ、2時間後であります」

「そうか…」

 司令官席に腰掛けていたロニーは、立ち上がり操艦エリアに向かってこう宣言した。

「ここが橋頭堡である。今を逃すと敵に部隊再編の時間を与え、再び結集してカドモス進攻を始めるだろう。それを防ぐためにも分裂した敵に打撃を与え、敵第二軍集団を確実に壊滅しなければならない。衛星軌道上にいるG13部隊に対して来援を要請。“ヴィーザル”は直ちに迎撃態勢に入れ」

「了解致しました」

 司令長官に向けて敬礼を施したラモン艦長は、直ちに第一種戦闘配備を宣言し、機関長にミノフスキークラフト起動を指示して、“ヴィーザル”を岩陰から出して浮上させた。ヴィーザルの純白の船体に、太陽光が反射して煌く。ゆったりと高度を上げていく“ヴィーザル”の動きとは対照的に、艦内の動きは慌しかった。航海長を兼務するルスタムは、観念して自ら舵を握り、巧みに“ヴィーザル”を操る。機動大隊長のスナイをはじめとしたモビルスーツパイロットたちは、ノーマルスーツを着用して割り当てられた自らの機体に向かって走り出す。整備兵たちはモビルスーツの最終チェックに余念がない。機銃座に向かって走り出すもの、負傷兵の受け入れ準備を始めるもの。司令部でも、カタリナは端末を操って様々な情報を集めるのに必死だ。“ヴィーザル”が高度2,000mに達したとき、ラモン艦長は命令を下した。

「来襲してくる第61師団司令部に向け、弾道ミサイル発射」

「測的よし。弾道ミサイル発射!」

 艦長の命令に砲雷長が唱和して発射ボタンを押した。数十秒後にミサイルによる爆発が数ヶ所から巻き起こった。すると敵から何倍にもなってミサイルの雨が“ヴィーザル”に向かって降り注いでくる。ミノフスキークラフトで浮上しているので、クーデター軍は熱源探知を使えない。人間が光学的に照準を合わせてミサイルを撃つので、ほとんどのミサイルが“ヴィーザル”の傍を通過するだけで当たらない。それでも2~3発のミサイルが“ヴィーザル”への直撃コースを辿ってくるのだが、ヴィーザルの前面に展開するシグ粒子シールドに阻まれ、直撃する前に爆発四散する。ミサイルによる応酬が続くが、互いに有効打がなく徐々に距離が詰まってきた。頃合を見計らったラモンは、航海長と砲雷長に命じた。

「取り舵、回頭90度。主砲斉射、準備」

「1番から3番の砲塔、メガ粒子エネルギー充填開始。照準、敵第61師団司令部」

 ヴィーザルの船体と砲塔が回転を始める。砲雷長の端末に全砲座の照準画像が映し出された。全ての砲座から、照準が定まった知らせが入った。

「1番から3番、照準よし」

 砲雷長が報告する。それを受けてラモンは下命した。

「撃て」

 命令が各砲座に伝わるとともに、メガ粒子砲による鋭い光と、発射による振動と轟音が艦橋に襲い掛かってきた。狙われた第61師団には、その数百倍の災害が襲い掛かる。三度目の斉射で、ついに戦果が上がった。

「第61師団指揮車両への直撃を確認」

 観測長からの報告に艦橋は歓声に沸いた。だが、敵の戦意は衰えを見せない。敵との距離は縮まっていく一方であった。

「照準を敵203師団司令部に移行。まもなく近接戦闘に移るので、モビルスーツ隊の出撃準備」

 ラモンの命令に艦内は緊張に包まれた。艦砲射撃に対抗できる兵器が少ない敵の地上戦力に対し、中距離での攻防では優勢を保つことができたが、近接戦闘になると敵のほうがモビルスーツの数が多いので不利である。後退して距離を保ちたいところだが、ここが橋頭堡であると司令長官が命じた以上、退くことは許されない。そんな艦橋の緊張を知ってか知らずか、機動大隊長のスナイ少佐が艦橋に通信を送ってきた。

「モビルスーツ隊の出撃準備、完了しています。ところで観測長、今、敵モビルスーツの数が分かるか」

「これまでの戦闘で10機程度の撃墜を確認している。100機は割ったと思われる」

「それは上々!」

 観測長の報告にスナイは笑顔を向けた。

「一人アタマ3機。俺とジーナが10機を沈めれば俺たちの完全勝利だ。四次元フットサルで鍛えた敏捷性を見せてやるから、祝杯を準備して待っていてくれ。司令長官閣下、いい酒を頼みますよ」

「60年もののワインがある」

「ワインよりはスコッチをお願いします」

「ふっ、減らず口を」

 このとき、ヴィーザルに爆発と思われる轟音と衝撃音が響き渡った。敵のメガ粒子砲が突き刺さったのだ。メガ粒子砲の威力は、距離が遠くなるほど弱まる。シグ粒子シールドを突き破ってくるということは、それだけ敵との距離が近づいたとの証拠だった。

「メガ粒子砲を収斂型から拡散型に切り替えろ。これより近接戦闘に移る。モビルスーツ隊、順次発艦せよ」

 ラモンの命令を受け、艦内に警報が鳴り響いた。




大変長らくお待たせしました。

やはり時間が取れません。

次話ですが、
気長に待ってやって下さい。

これからも宜しくお願いします。


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PHASE 3(1)苦戦

 “ヴィーザル”は善戦していた。

 善戦であって、決して有利ではない。

 敵の陸上戦力に対しては爆雷を投下、敵のモビルスーツ隊に対しては主砲と機銃で応射と宇宙戦闘母艦ヴィーザルは八面六臂の活躍をみせた。指揮官の力量も兵卒の練度も、敵を上回っている。ヴィーザルのモビルスーツ隊も然り。自軍の三倍以上を相手に、よく持ちこたえていた。スナイ少佐は愛機“マリウス=ゼータ”をウェイブ=ライダー形態に変形させたりモビルスーツ形態に変形させたり巧みに操って、圧倒的な機動力で相手を翻弄している。出撃してから三十分もしないうちに既に三機を撃墜していた。そんなスナイを上回る活躍をみせていたのが、ジーナが乗る“ローガンダム”だった。鋭い動きというのは、ジーナのローガンダムのことを指すのだろう。3~4機程度の敵モビルスーツの小集団を見つけては、踊りこんでビームサーベルで斬りおとす。その様は、まるで剣舞のようだ。動きに無駄がない。慣性を利用して必要以上のGがかからないように動くことは、考えてやれるものではない。

 攻勢に出ている始めの一時間くらいは、まだ“ヴィーザル”側が優勢だった。予想をはるかに超える“ヴィーザル”の攻撃力と防御力に、クーデター軍は押された。もしクーデター軍の兵力が“ヴィーザル”と同等であれば、このまま押し切られて壊滅させられてしまっただろう。だが、現実は違った。少々撃ち減らされても戦線を維持することができるくらいの余裕が、クーデター軍にはあった。やがて、“ヴィーザル”側の優勢を支えているのが、スナイの“マリウス=ゼータ”とジーナの“ローガンダム”であることが判明すると、クーデター軍はモビルスーツ隊の多くをこの二機に集中させてきた。

「ぐっ!」

 スナイの表情は緊張でこわばった。当初と比べて自身に迫り来るモビルスーツの数が、明らかに多くなってきた。包囲されまいと、得意の機動力で逃げ回ることに必死になり、思うように敵モビルスーツを討ち取ることができなくなった。

「くそっ。今、どれだけ生き残っているんだ…」

 当初は、味方の生存確認ができるくらいの余裕があったが、もはや自分が生き残ることに精一杯だ。急加速や急旋回を続けているので、体力の消耗も甚だしい。だが、それでも急旋回中に放ったビームが、敵のモビルスーツに命中した。

「これで八機、いや九機か。あともう少しでノルマ達成なんだが…」

 一方のジーナも苦戦していた。これまでジーナが敵に斬り込んでいっていたのだが、今では敵が大きめな集団を作ってジーナに向かってくることの方が多くなっていた。大きな集団の中に居続けると、逆に敵に囲まれて斬られるリスクが高くなるので、一撃しては離脱を繰り返している。これも急加速、急旋回を繰り返すので、いくら強化人間として訓練されているとはいえ体への負担は大きい。ジーナは既に十四機を撃墜していた。斬り込んで十五機目をビームサーベルで討ち取り、そのまま敵集団から離脱、急旋回をしたとき、ほんのコンマ零零零一秒だけ気が緩んだ。そこに運悪く敵が放ったライフルのビームがローガンダムの肩を直撃した。

「きゃああ」

 直撃の衝撃で機体のバランスが崩れる。その隙を敵モビルスーツ隊は見逃さない。ローガンダムに敵が殺到した。複数のどす黒い殺意の刃が、モビルスーツの装甲越しにジーナに襲い掛かる。

「このままでは私はやられる…敵の意思が固まって、私を襲う……」

 肩をやられただけなので、ローガンダムの機動性に影響は出ないはずなのだが、ミクロン単位でのズレが出るとの思いが、ジーナを怯えさせた。怯えから身を翻させようとした丁度そのとき、ジーナの視界に見覚えのある赤い機体が飛び込んできた。

「ト、トオルさん!」

 火星自治共和国の前身であるアリップが独自に開発したモビルスーツ、制式番号ARP-003“ユウギリ”は、第二任務部隊司令長官ロニー=ファルコーネ中将の乗機として知れ渡っている。敵の親玉が直々に戦場に躍り出たということで、クーデター軍全員の関心は“ユウギリ”に集中した。たくさんの敵の悪意が自分から遠ざかっていったことにジーナはホッとしたが、すぐに巨大な絶望感と不安感に襲われた。

「トオルさんが、やられてしまう!」

 ジーナはヘルメットを脱いで放り捨てた。ロニーことトオルの操縦技術がそこそこのレベルにあるということを知っているが、それと同時に、スナイ少佐のように何十機も相手にして戦えるほどではないということも、ジーナは理解していた。そして、トオルがいない世界で生きている自分も想像できなかった。

 “ユウギリ”に、おびただしい数の敵モビルスーツ群が殺到していく。絶望感と不安感に駆られたジーナは、助けに行こうとするタイミングが遅れた。もう間に合わない…。涙を流している自分にジーナは気付かなかった。敵モビルスーツ群がビームライフルを放つ。無数の光線が“ユウギリ”に向かっていく。

「あ、あ、あ……」

 ほんの零コンマ零零秒の時間が、ジーナには長く感じた。トオルとの思い出が、走馬灯のように駆け巡っていく。ネメシス=シティでの初めての出会い。居酒屋での衝撃的な話。安アパートでのトオルとの暮らし。フェルミ元帥と対等に渡り合うトオルの姿。木星への航海…。“ユウギリ”にビームの光が突き刺さる……

「えっ!」

 突き刺さる直前、ジーナの視界から“ユウギリ”が消えた。

「えっ!」

 ジーナは目をこすった。すると“ユウギリ”が消えたポイントの左上にいたクーデター軍のジェグナが、爆発炎上して消滅した。

「な、何」

 それから立て続けに、四機のクーデター軍のジェグナが撃墜されるのを見た。ジーナは慌てて付近の探索を始めた。適当に数箇所ピックアップして拡大投影すると、赤い筋が空中を走っているのを見つけた。

「何、この動き…」

 “ユウギリ”は、重力や慣性の法則を無視した激しい動きをしていた。こんな急加速、急停止、急旋回をしたら、搭乗しているパイロットは加速による圧力で圧死してしまう。強化人間として訓練されたジーナでも、きっと耐えられない。ジーナがあっけにとられている間に、二十機近くの敵モビルスーツが空の藻屑となって消えた。付近に敵モビルスーツの姿がなくなったのを確認したからか、“ユウギリ”は“ローガンダム”に近づいてきた。

「…誰が乗ってるの?」

 ジーナは通信回線を開いて“ユウギリ”に問いかけた。こんな操縦、トオルさんにはできない。すると、ユウギリからの返答がローガンダムに入ってきた。

「お前はパイロットなんかより飯炊きのほうがお似合いだ。ここは俺がなんとかしてやるから、お前はフネに戻って俺の飯の準備でもしていろ」

 ローガンダムのスクリーンに映し出されたのは、つややかなミディアムロングの黒髪と白皙の肌、サファイアブルーの瞳が印象的な青年だった。ヘルメットどころか、ノーマルスーツさえ着ていない。ジーナは顔見知りのこの青年の顔を、思いっきり睨みつけた。

「やっぱり。やっぱりアロワなのね」

「何だ。俺がこいつを操作したらいけないのか」

「当たり前でしょ。誰のモビルスーツだと思っているの」

「これか。ロニーのだろ」

「あんた。大佐のことを呼び捨てにしていいと思ってんの!?」

「フン。お前こそ、司令長官閣下を大佐呼ばわりして、十分失礼だろうが」

 こうアロワに揚げ足を取られたジーナは、怒りをヒートアップさせた。

「私はいいの。木星では偉かったみたいだけど、ここでのあんたは一等兵なんだから、上官の私に意見するなんて一億万年早いわよ」

「一億万年だか一兆億年だか知らんが、飯炊き女はすっこんでろ」

 こう吐き捨てたアロワは、一方的に通信を遮断した。「生意気ばっかり言って、“ヴィーザル”に戻ってきたら修正してやる」と、今は映し出されていないアロワに向かってジーナは叫んだのだが、ふとローガンダムのエネルギー残量を見たところ、くやしいが“ヴィーザル”に戻らざるを得ないと断念した。ジーナは、新たな敵モビルスーツの一団に向かっていく“ユウギリ”を一瞥すると、得体の知れない違和感を抱きながら“ヴィーザル”に向けてローガンダムを飛ばした。

 

 “ヴィーザル”機動大隊の活躍の甲斐あって、“ヴィーザル”付近に敵モビルスーツ部隊の姿はなく、“ローガンダム”は労せずして“ヴィーザル”に着艦することができた。すぐに“ローガンダム”はハンガーに格納され、様々な工具を手にした整備兵たちに取り囲まれた。冴えない表情のジーナは、一息ついてハッチを開けると、見知った顔に出くわした。

「お疲れさん。ガンルームでジュースでも飲んでいな」

 ベテラン整備士のパベル曹長だった。穏やかな笑顔でジーナを迎える様子は、自分の娘が無事に生還してきたことを喜んでいるみたいだった。暗く沈んだ表情だったジーナも、パベルにつられて自然と笑顔になる。

「ありがとう、パベルさん。どれくらいで再出撃できそう?」

「そうだな、三十分もあれば十分だろう」

「分かった。ちょっと席を外すね」

 ジーナは、ノーマルスーツの右袖にあるフックのようなものを掴むと、デッキ目掛けて投げつけた。フックから空気ジェットのようなものが噴出してデッキ上方の天井にぶつかり、貼り付く。フックにはピアノ線のような紐がついており、それはジーナの袖と繋がっている。ジーナはコクピットからダイビングした。重力に落下しながらピアノ線を巻き取り、うまく反動をつけてデッキに飛び移った。

「まだ元気が残っているようだな」

 曲芸師のような軽快さで走り去っていくジーナの姿を、パベル曹長は目を細めて見送った。

 

 ジーナが向かった先は、パイロットの休憩所でも、自室でもなかった。通路を駆け抜け、エレベータに乗り込む。最後に開けた扉の向こうは、艦橋だった。操艦エリアではなく司令部エリアだ。そこにいるのは、参謀長のカタリナと司令長官のロニーだけだ。ジーナは用のある人物の名前を呼んだ。

「大佐…じゃなかった、提督。お話があります」

 アロワにたしなめられたのを思い出したジーナは、あわてて呼び方を変えた。席に腰掛けていた仮面の士官は、立ち上がってジーナのほうを振り返った。

「ジーナ、頼むからあまり派手に暴れないでくれないか。私は心配で心配で…」

「もう、トオルさんったら、私をいつまでも子ども扱いしないでちょうだい」

 半人前扱いされたと思ったジーナは、カチンときた。だが、ロニーは一歩たりとも引く気がなく、腕組みをしてジーナに向き合った。

「何を言う。お前はまだ子供だ。だいたい下宿して学校に行ってさえくれたら、こんな心配なんかしないで済んだのに…」

「じゃあ、アロワはいいんですか」

 ジーナは、自分と年齢がさほど変わらない青年を持ち出した。ジーナに対してロニーは普通の少女のように扱おうとしているのだが、アロワに対しては違った。ジーナに対しては軍人にすることを最後まで渋ったのに、アロワに対しては職権ですぐに一等兵にした。モビルスーツ戦闘シミュレーターでジーナがいくら好成績を挙げてもロニーは喜ばないが、アロワが好成績を挙げると評価している。

「さっき、アロワのユウギリに助けられました。何でトオルさんの大事なモビルスーツをあんなやつに任せたりするんですか。私は、私は、何だか悔しくて…」

「ジーナ。お前、何か勘違いしちゃいないか?」

 ロニーは、兜を脱いで仮面を外し、タカハシ=トオルの素顔をさらした。司令部エリアは独立しているように見えるが、間仕切りをされているわけではないので、操艦エリアから司令部エリアの様子を伺うことくらいはできる。ジーナは無防備なトオルの行動をたしなめようとしたが、トオルの瞳から放たれるプレッシャーに息を呑み、トオルの紡ぐ言葉を聞くこと以外、何もできなかった。

「モビルスーツなんて、単なる道具だ。“ユウギリ”は、ルーデンドルフ提督が私に与えてくれたモビルスーツだが、他人に使わせてはいけないと言われたわけではない。自分なら効率よく扱えるとアロワが申し出てきたから、使用を許可した。ただそれだけのことだ。私がアロワに“ユウギリ”を与えたくらいで、何でお前が悔しがるのだ?だいたい、お前の価値はモビルスーツでの戦闘能力なんかではない。私は何度もそう言っているだろう。何故分からない」

「分からないわよ。そんなの」

 ジーナは勇気を振り絞ってトオルを睨んだ。目には涙が溢れていた。

「私にはモビルスーツしかないの。トオルさんだって、知ったかぶって私のこと何も分かってないじゃない。もう嫌。トオルさんなんかだいっ嫌い!」

 持っていたヘルメットを床にたたきつけると、ジーナは司令部の扉を開け、走って出て行った。意表を突かれたトオルは、あっけにとられて立ちすくみ、ただただ走り去るジーナを見送ってしまった。しばらく呆然としてしまったトオルは、我に返って慌ててジーナを追いかけようとしたが、それをカタリナが制止した。

「提督、そのお姿で出てはいけません。落ち着いて下さい」

「お、落ち着いてなんかいられない…」

 連邦軍統合参謀総長と落ち着いて対等に話をする火星自治共和国軍第二任務部隊司令長官が、一人の少女に「だいっ嫌い!」と言われただけで慌てふためいている。その様子が、カタリナには可笑しかった。

「こういうときは、本人がなだめても駄目です。ここは私に任せて、閣下は身なりを整えて指揮を執って下さい」

「いいのかい、中佐」

「いいんです、閣下」

「ホントにいいのかい」

「ホントにいいんです」

 カタリナは、じっとトオルの瞳を見据えた。

「大丈夫です。ジーナは閣下のことが大好きです。心配しないで下さい。いろんな思いが溢れてあんなことを言っただけです。だから安心して身なりを整えて席に戻って下さい。私もすぐに戻りますから」

「わ、分かった。カタリナ、君に任せるよ」

「ありがとうございます」

 カタリナは微笑んだ。トオルに名前で呼ばれて、カタリナは嬉しかった。



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PHASE 3(2)変転

 ジーナはすぐに見つかった。エレベータの扉の前でうずくまっていた。肩を震わせ、嗚咽が漏れている。カタリナはそっとジーナの肩に手を置いた。

「ジーナ、大丈夫?」

「……うっ、うっ、カ、カタリナさん…」

 ジーナは顔を上げた。涙で目は充血し、鼻水とよだれで顔はくしゃくしゃになっている。あまりにひどいので、カタリナはハンカチをジーナに渡した。ジーナはカタリナのハンカチで余分な顔の水分を拭い取るが、涙は止まることなく溢れてくる。

「……トオルさんにひどいこと言っちゃった。このままじゃ嫌われちゃう。そ、そんなの嫌だぁ…」

「大丈夫よ。あんな程度じゃビクともしないわよ提督は」

「…そ、そうかなぁ」

 ジーナは消え入りそうな声でつぶやいた。こんなにしおらしいジーナを見るのは、カタリナは初めてだった。さっきの動揺しまくるトオルにしろ、今日は珍しい場面に出くわす日だなとカタリナは思った。

「そうよ。今までだってジーナのことを受け入れてくれたんでしょ、提督は。思い出してごらん」

「………」

 ジーナは、トオルと同居を始めて間もない頃のことを思い出した。記憶が途切れ途切れになっているが、あの頃は強化人間の副作用が顕著に現れて、トオルに大迷惑をかけていたことだけは覚えている。それでもトオルはジーナを見捨てなかった。学校に通い充実した日々を送らせてくれた。なのに…

「……でも、トオルさんに大嫌いなんて言ったことはなかった。今度こそ嫌われちゃう」

「だから大丈夫だって。ジーナも知ってるでしょ。あの人の神経は、細い絹糸じゃなくてワイヤーロープで出来ているから、そう簡単には切れないって」

「…カタリナさん、ワイヤーロープは言いすぎ」

「そうかしら」

 ジーナに少しばかり笑顔が戻ってきたので、カタリナは少し安心した。でも、ここからが本番だ。笑顔の裏でカタリナは気を引き締めた。

「提督はジーナのことを頼りにしているのよ。スナイ少佐だけだったら、こんなに持ちこたえることはできなかったって言っていたわ」

「でも、アロワがいるから、私なんて要らないんでしょ」

 ジーナのアイデンティティは、モビルスーツの操縦テクニックにある。それを脅かす存在についてジーナ自身の口からしゃべらせたかったカタリナは、第二段階をクリアした喜びを片隅に追いやって第三段階に入った。

「提督はそれほど期待していないわよ、アロワには」

「そ、そうなの?」

 “ヴィーザル”に来た当初はただの密航者に過ぎず行動の自由すら与えられなかったのに、今では身分が与えられたばかりか、自分の愛機まで貸し与えているくらいだから、トオルはアロワに期待しているのではないかと思っていた。だから、カタリナの言葉はジーナにとって意外だった。潤んだ瞳でじっと見つめられたカタリナは、おだやかな口調で語り始めた。

「少しは矯正されたけど、アロワの自己中心的な性格は直らないと思っているみたい。“ヴィーザル”を失うと自分の居場所がなくなる。だから守る。でも、危ない場所に自分の身を置くことは決してしない。そういうアロワの態度が、提督は気に入らないみたいよ」

「危ない場所に自分の身を置かないって、今もアロワは戦場にいるのでしょ」

「普通はそう思うわよね。でも違うわ。アロワはここ“ヴィーザル”のモビルスーツ戦闘シミュレーターにいるわ」

「えっ」

 ジーナは、カタリナの言っていることの意味が分からなかった。平常心のジーナなら気付いたかもしれなかったが、今のジーナの精神状態ではカタリナの説明を待つしか方法がなかった。

「サイコミュによる遠隔操作システムが“ヴィーザル”と“ユウギリ”に組み込まれているということにアロワが気付いて、提督に提案したの。“ユウギリ”の遠隔操作出撃を。モビルスーツのような大きくて複雑なもの、そしてあんな遠い距離を、サイコミュで遠隔操作できるなんて、とても信じられなかったわ」

「………」

 信じられないという点ではジーナはカタリナと同意見だったが、得心するところもあった。木星圏で、サイコミュで遠隔操作されたサイコ・ガンダムを見たことがあった。そして、先程見せた“ユウギリ”の尋常ならざる機動力も、コクピットに搭乗していなければ可能だ。さらにアロワは言っていた。「操作」と。もしコクピットに搭乗していたのなら「操縦」と言っていたはずだ。さらに、“ユウギリ”と接触した際に感じた違和感の正体もはっきり分かった。

「…そういえば、モビルスーツから発せられるパイロットの息遣いが、“ユウギリ”からは感じられなかったわ」

「なあんだ。気付いていたんじゃない」

 カタリナはくすっと笑った。

「いい、ジーナ。今見せているアロワの異常な戦闘能力も、敵がNT-Bを発動させてしまったらおしまい。だから、アロワに対して引け目を感じる必要なんてないの。分かった?」

「……う、ん…」

「ジーナ、今あなたアロワの真似してローガンダムを遠隔操作しようと考えたでしょ。駄目よ。あれは、アロワのような性格破綻者じゃないとできないから。それともジーナは、強化人間に戻りたいの?」

 カタリナの詰問に、ジーナは思い切り何度も首を横に振って否定した。ジーナが落ち着いてきたことを確認できたカタリナは、自分のミッションが完遂できた手ごたえを感じた。

「それじゃ、顔を洗って戦場へ戻りなさい。そして無事に帰ってきて提督にちゃんと謝るのよ」

「うん。それじゃ、行ってくるね」

 ジーナは立ち上がると、カタリナのハンカチでもう一度顔をぬぐった。そしてカタリナに敬礼を施したあと身を翻し、エレベータの中へと入っていった。

 

 ローガンダムの整備完了までまだ時間があるので、ジーナは浴場に立ち寄って洗面台で顔を洗った。さっぱりしたところで、パイロットの休憩所へと向かった。休憩所には既に先客がいた。

「よお、ジーナ。無事で何よりだ」

 ジーナに声をかけてきたのは、スナイ少佐の部下の一人である中隊長のタム中尉だった。大隊長の影響か、気さくで陽気な性格をしている。タム中尉もジーナ同様、補給のために帰艦していた。タム中尉の乗機は、推進装置が多数取り付けられている高機動型ジェグナEE5だ。

「ジーナのことだから、きっと景気がいいんだろうな。うらやましい限りだ」

「景気がいいかなんて。生き残るのに必死で、スナイ少佐のおっしゃったノルマをこなせたかどうかなんて、分かりませんよ」

「そりゃそうだ。敵さんの方が圧倒的に多いからな。かくいう俺も、逃げ回るのに必死さ。死に物狂いで戦場を走り回っていたら、いつの間にか自分ひとりだけになってしまった。部下たちがどうなったか、皆目分からん」

「そうなのですか…」

 かなり深刻な状況にもかかわらず、タム中尉の口調に暗さがない。きっと生きているだろうという確信がなせる業なのか、スナイ少佐の影響によるものか、それともジーナに余計な心配をかけまいとする気配りなのか。そんなジーナの内心を意に介さず、タム中尉はにこやかに語りかけた。

「うちのボスの思惑通りに進んでいるみたいだから、そう深刻になりなさんな。G13部隊がいずれ応援に駆けつけてくれる。それまでの辛抱さ」

「そうですね」

とジーナが答えたと同時に、敵からの直撃弾と思われる爆発音と衝撃が響き渡った。

「うわっ。大丈夫かジーナ」

「は、はい」

 ベンチに腰掛けていたタム中尉は、衝撃でベンチから転がり落ちてしまったのだが、ジーナは驚異的な平衡感覚で転倒を免れていた。心配した相手のほうが大丈夫そうなので、タム中尉はバツの悪そうな顔になった。

「同じ死ぬならフネの中よりもモビルスーツの方がいいな。補給が終わっていないかもしれないが、そろそろ出るとするよ」

「同感です。私も後に続きます」

「ジーナに背後を守ってもらえるとは百人力だ。ところでジーナ、ヘルメットはどうしたんだ?」

「あっ…」

 艦橋で床にたたきつけたままほったらかしにしていたのを思い出して、ジーナは赤面した。

「…部屋に忘れてきてしまいました」

「そそっかしい奴だな。まぁ、かわいげがあっていいか」

 タム中尉は、中隊の予備のロッカーからヘルメットを一つ取り出してジーナに渡した。

「新品だから、大事に扱えよ」

「ありがとうございます」

 ジーナは礼を言うと、タム中尉と同時にヘルメットを被り、タム中尉のあとに続いてモビルスーツデッキへと向かった。

 

 戦況全体を把握していない現場が比較的穏やかなのに対して、艦橋は殺気立っていた。直撃弾を浴びるようになったのは、“ヴィーザル”の防御陣が崩れかけているからだ。艦橋には、機動大隊の状況が逐一報告されていた。

「味方が押されています。戦線が後退しています」

「通信が途絶した味方機、15機に達しました」

「スナイ少佐機、帰艦します」

「パイロット控室から艦橋へ。タム中尉とグリンカ曹長から再出撃要請が入りました」

 観測長や通信士が次々報告を挙げてくる。ラモン艦長が命令を出そうとすると、また報告が入った。

「右舷に直撃、来ます」

 報告と同時にルスタム航海長が面舵を切ったので、敵が放った強力なメガ粒子砲の直撃はかすめただけで済んだが、乗組員全員が急な方向転換により姿勢を崩す羽目に合った。ラモン艦長は席から落ちないよう、両足に力を込めて踏ん張った。

「タム中尉とグリンカ曹長の出撃を許可する。二機には本艦の左舷を守らせよ」

「了解」

 ラモン艦長の命令をうけ、通信士が二機に指示を与え始めた。“ヴィーザル”のモビルスーツ隊は、“ヴィーザル”の右舷と左舷の二箇所に集まって防戦している。正面は、拡散型に切り替えたメガ粒子砲の主砲2塔で敵モビルスーツ部隊の侵入を防いでいる。アロワの“ユウギリ”の活躍もあり、敵の損害は五十機以上に膨れ上がっていた。だが、それでも敵モビルスーツ部隊は五十機程度残っており、彼我の戦力差は広がるばかりだった。“ヴィーザル”の防衛線が突破されるのは、時間の問題だった。敵モビルスーツに自艦への接近を許すと、機動力の高いモビルスーツを機銃で打ち落とすことは困難を極めるので、撃沈の可能性が格段に高くなる。

と、そのときだった。観測長が報告をあげた。

「後背に艦影。数およそ10」

 一瞬緊張が走った。もし敵だったら正面の陸上戦力と挟み撃ちにされて、全滅は必定。だが、すぐに次の報告が入って、艦内は安堵に包まれた。

「艦種確認。ボスポラス級戦艦。“ダーラン”です。G13部隊です」

「セネル准将、もう来たか。早いな」

 こうつぶやいたのは、仮面を再び被ったロニー中将だった。太陽光集光ミラーの調整が終わり宇宙空間での自らの役割は終わったと踏んだセネル准将は、ルッカ大佐とハムザ少佐の了承を得て“ヴィーザル”と合流すべく行動を開始していた。ロニーが来援要請した頃にはすでに大気圏突入を済ませていたので、ロニーの予想よりも早く到着することができたのだ。

 G13部隊からモビルスーツ隊が発進。クーデター軍との戦いで数を減らしたとはいえ、それでも30機弱が残っている。セネル准将の命令により、G13部隊のモビルスーツ隊は全機、前線へと向かった。これで自治共和国第二任務部隊とクーデター軍四個師団のモビルスーツの数は、ほぼ同等となった。

 戦闘は、更に二時間続いた。ロニー軍とクーデター軍は互いに消耗をしていったが、戦意の高いロニー軍が徐々に押し始めていった。そして、ついに決定的な情報が“ヴィーザル”にもたらされた。

「10時の方角に、多数の艦影。旗艦確認。戦艦“フォルセティ”。ルーデンドルフ提督の第七艦隊です!」

「…とうとう、終わったか」

 ロニーはつぶやいた。大気圏突入中は自由に動き回ることができない。うかつに降下すると敵地上ミサイルの格好の標的となる。ゆえにこれまで、第七艦隊は衛星軌道上からの援護しか出来なかった。だが、ロニーの挑発に乗ったイレーシュ総司令官が全軍を反転させたことでクーデター軍第二軍集団の圧力が消滅し、第七艦隊はようやく大気圏へと降下することができるようになったのだ。前線に戻ってきた第二軍集団の六個師団を圧倒的な戦力差で瞬殺したルーデンドルフの第七艦隊は、勢いに乗ったままロニーのいる戦場にへとなだれ込んで来た。クーデター軍四個師団の後方で、おびただしい爆発が巻き起こる。二十分もしないうちに、“ヴィーザル”と死闘を演じたクーデター軍四個師団は、ロニーに降伏を申し入れた。

「宇宙空間でクーデター軍の艦隊戦力を粉砕する第一段階、クーデター軍第二軍集団を反転させ、ソーラ=システムを用いて大混乱に陥れる第二段階、第七艦隊を火星表面に降下させてクーデター軍第二軍集団に止めを刺す第三段階。あと残すは、総仕上げの第四段階か…」

 勝利を手にしたとはいえ、“ヴィーザル”が受けた損害があまりにも大きく、ロニーは素直に喜ぶことが出来なかった。

 



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PHASE 3(3)大勢

 14個師団、総勢21万7,000人の巨大な戦力を擁した火星治安維持対策委員会火星解放軍第二軍集団が、アルセイスの地においてたった一日で完膚なきまでに壊滅させられたというニュースは、全世界に衝撃を与えた。地名からアルセイス会戦と呼ばれるようになるこの戦いが与えた衝撃は、態度を決めかねていた火星の軍幹部だけでなく、火星解放軍すなわちクーデター軍に組していた軍幹部を変心させるほどの威力を持っていた。

 そのような状況下で、宇宙戦闘母艦ヴィーザルは、第七艦隊旗艦フォルセティと接舷した。激しい戦闘によってボロボロになった白亜の巨艦と、新品同様の美しい船体を保っている蒼穹の巨艦。人々の視線はこの二つの巨艦に集中した。そしてこの二つの巨艦に座している二人の火星自治共和国枢密顧問官の会談に注目が集まった。

「わざわざのお出迎え、ありがとうございます」

 カタリナ参謀長、ラモン艦長の二人を引き連れ戦艦フォルセティに出向いたロニー=ファルコーネ第二任務部隊司令長官を、ハンス=ディードリヒ=フォン=ルーデンドルフ軍務卿兼第七艦隊司令長官が出迎えた。二人の枢密顧問官は互いに敬礼を施すと、ルーデンドルフは神妙な面持ちになった。

「部屋を用意している。二人だけで話がしたいのだが」

「…かしこまりました」

 自治共和国側の大勝利にもかかわらず、ルーデンドルフの表情が冴えないことに違和感を抱きつつも、ロニーは提案を受け入れた。しばらく歩いて応接室に案内されたロニーは、ルーデンドルフと二人きりになったのを確認して仮面を脱ぎ、タカハシ=トオルの素顔をさらした。ラモンとカタリナは、扉で応接室とつながる別室に待機している。

「今回の大勝利、自治共和国を代表して礼を言う」

「もったいないお言葉を頂き、感謝申し上げます」

 トオルは頭を下げた。やはりルーデンドルフの口調は暗い。だが、その理由を率直に尋ねる気がしない。トオルは場を取り繕うことにした。

「この勝利は私一人に帰されるものではありません。G13部隊のセネル司令官をはじめとした各員の奮戦によるものです。彼らの功績には是非報いていただきたいと存じます」

「一部だが戦闘記録にも目を通している。論功行賞の場で、相応の昇進や褒賞が与えられるだろう。だが、君の場合は少々異なる」

 ルーデンドルフの口調が固くなった。うっすらと感じていた最悪の事態が頭上に降りかかってくる予感に、トオルは身構えた。ルーデンドルフは間を置いて、ぽつりぽつりと話し始めた。

「……一部なのだが、かつての仲間であったクーデター軍の幹部たちに対して苛烈な仕打ちをする閣下に対し、糾弾する声が上がっているのだ。これまでアリップに尽力してきたイレーシュやプラトを情け容赦なく殺したのは、あまりにもやりすぎだと」

「…そうですか」

 やっぱりかとトオルは思った。自治共和国軍とクーデター軍の戦闘が膠着していたのは、自治共和国側がクーデター側に対して情が残っていたのも原因の一つとトオルは思っていた。その情を断ち切ってトオルは戦場に赴いた。断ち切れたのは、トオルがイレーシュやプラトと面識がなかったからだ。もし、仲の良い友人が相手だったら、ここまで容赦なく戦えたかどうか分からない。いや、自分の場合はきっと相手が友人だろうと…。だが、普通、情が残っている相手と、割り切って殺し合いなんか出来るものではないのだ。こうやってトオルに話を切り出してきたということは、トオルを批判する声が決して少ないものではなく、ルーデンドルフたちですら押さえつけられないということなのだろう。もしかしたら、ルーデンドルフ自身にも、そういう思いがあるのかもしれない。何せ、ルーデンドルフもイレーシュたちと一緒にアリップの構成員として、行動を共にしてきたのだから。

 そしてトオルは思った。幹部連中というものは、自分たちの顔見知りであればたとえ敵同士になったとしてもその命を気にするが、顔の知らない味方が大勢死んだとしても気にしないものなのだと。いくら顔見知りだとしても、敵ならそれを討ち滅ぼすのが当然だ。顔を知らなくても、味方ならそれを大切にするべきなのではないか。見知らぬ味方よりも顔見知りの敵の方を気にする幹部たちの考え方に、トオルはついて行けないと感じていた。

「私は、地位や褒賞を求めて自治共和国に参加した訳ではありません。まだ三十歳の私には、枢密顧問官の地位は身に余るものです。返上せよとおっしゃるのであれば従います。ただ」

「ただ?」

「条件があります」

 トオルは鋭い目でルーデンドルフを見据えた。イレーシュの大軍を一日で葬り去った軍司令官の迫力に、歴戦の猛将であるルーデンドルフですら圧倒されそうになった。

「条件とは…?」

 こう切り返すことが、ルーデンドルフには精一杯だった。非常事態対処法を撤回してもらうため、トオルに火星自治共和国枢密顧問官の地位を提示したことへの後ろめたさもある。トオルは返答に間を置いたが、その短い間がルーデンドルフにはひどく長く感じた。

 トオルは、誰もが一目置く歴戦の猛将を前にしてふんぞり返り、腕と足を組んだ。

「第二軍集団を失ったことで治安維持対策委員会の敗北は、ほぼ間違いのないものとなりました。地球連邦政府が動き出す前に決着をつけることができたという私の功績を、誰も否定することはできません。ですから、枢密顧問官を辞しても私に自治共和国政府の要人としての地位を与えること。これが条件の一つです。もう一つが、この内乱の指揮権を最後まで私に与えること。そして最後の一つが、私の元で働いた人たちの身と地位の安全を保証することです。この三つを約して頂ければ、枢密顧問官と軍における私の地位を放棄致します。いかがですか」

「…分かった。だが、ワシの一存では決めかねる……」

「では、レスコ主席やナイツェル副主席のご意見を伺ったらいかが。その間、ヴィーザルで待ちますから、結論が出たら連絡を寄越してください」

「それは……」

「ご心配には及びません。私が出した条件です。それを吟味している間に自治共和国に害をなすような行動は取りませんよ。そんなことをしたら、私自身の名誉に傷がつく」

「そうか、分かった。折角の凱旋に泥を塗るようなことをして悪かった」

「お気遣いには及びません。では」

 トオルは仮面を被り立ち上がるとルーデンドルフに敬礼を施し、踵を返してこの部屋から立ち去った。

 

 ものの数分で会談を切り上げて部屋から出てきたものだから、随行していたラモンとカタリナはロニーの様子を訝しんだ。“ヴィーザル”に戻るまでロニーが無言を貫くので、余計におかしいと感じた。

「閣下。一体何があったのですか」

 司令長官室に押しかけたラモンが、第一声を放った。カタリナも一緒だ。そして、カタリナが携帯端末で呼び出したジーナも、途中で合流してこの場にいる。仮面を脱いで素顔をあらわにすると、トオルはデスクの椅子に腰掛けてルーデンドルフとの話の一部始終を皆に伝えた。

「…と、まあそういうわけだ。この戦いが終わったら、私は政府の表舞台から姿を消すことになる。ようやくジーナと二人、静かに暮らせるよ。願ったり叶ったりだ」

「はぁ?何ですかそれは!」

 ラモンはいきり立った。

「この戦いでの一番の功労者は、どう考えても閣下です。私だけでなく、セネル提督もルッカ艦長も、閣下の作戦指導があったからこそ功績を上げることができたのです。閣下の功績が認められないということは、私たちの功績もなかったということです。閣下に褒賞が与えられない以上、私も褒賞を受け取るわけには参りません」

「まぁ、そう言うな。呉れるといっているものを、わざわざ突き返すこともないだろ」

「閣下は、地位や金銭が欲しくて枢密顧問官になったわけではないとおっしゃったのでしょ。私も、地位や金銭が欲しくて大佐の地位を拝領したわけではありません。だいたい、大尉止まりだった私に、三つも上の階級を与えてくださったことですら、身に余る光栄と思っています。これ以上を欲すると、罰が当たります」

「いやいや。ラモン艦長は相応の働きをしてくれている。罰なんか当たるはずがない」

「閣下。なぜそこまで自治共和国政府に対して寛大でいられるのですか」

 ラモンに詰問され、トオルは押し黙った。トオルは視線をデスクに落とした。一瞬だけだがトオルの目から強烈な光が放たれたようにラモンは感じ、息を呑んだ。だがトオルはすぐに目を閉じ、大きく息を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出した。そして開かれた瞳からは、柔らかな輝きだけが放たれていた。

「ラモン艦長。私は決して寛大ではないよ。ただ、君が褒賞を辞退したら、きっと皆が辞退する。すると、自治共和政府からどう思われると思う。ロニー顧問官は、部下たちを引き連れて自治共和国政府から離反し、クーデターを起こすのではないかってね。私は痛くもない腹を探られたくないだけなのだよ。だから、受け取ってやってくれないかな」

「……くだらんですな。そんなことまで考えなければならないとは。自治共和国政府も連邦政府とさほど変わらないじゃありませんか」

「連邦政府ほどではないと思うけどね」

 ようやくトオルは、にやっと笑った。

「連邦政府の掲げる能力主義は、嘘っぱちだ。これは、枢密顧問官に就任してしばらくしてから、レスコ主席から聞いた話だ。ネト将軍がクーデターに走った理由でもある」

トオルがこういう前置きを言うものだから、ラモンもカタリナもジーナも思わず唾を飲み込んだ。

 連邦政府は表向き、出自は関係なく人は法の下で皆平等であり、機会は皆に均等に与えられると謳っている。能力があれば出世して、豊かな生活を送ることができる。チャンスを掴み、成功している人がニュースで取り上げられ、豊かな生活ぶりが全世界に伝えられている。だが、成功した人の裏に潜む、数多くの失敗者たちには、決してスポットライトは当てられない。連邦政府が掲げる「出自は関係なく人は法の下で皆平等であり、機会は皆に均等に与えられる」という看板に全く偽りがなければ、失敗を本人の自己責任に帰することもできるだろう。だが、実際は違った。ネト将軍が掴んだ連邦首相官邸の極秘情報には、こんなことが記されていた。

「身分制度の復活」

と。法の下の平等を完全に否定して、全人類を支配階級、中間管理階級、労働階級、単純労働階級の四つに区分しようとするものだった。身分制度を復活させる理由だが、これがまた白々しいものだった。

 ある中流家庭で育った人が家庭を築き、子をもうけたとする。子供には将来、有利な職に就いて豊かな暮らしを送ってもらいたいから、様々な習い事をさせる。子供に楽しい思い出を残してあげたいから、家族旅行などにも出費を惜しまない。少しでもいい住環境を手に入れたいので、住居の購入にも無理をする。すると、手元には驚くほどカネが残らない。社会福祉に割く費用が馬鹿にならなくなったので、高等教育への政府の補助金が削減され、学費がどんどん上昇する。すると、子供の高等教育にカネを支払うことができなくなるので、子供が自ら有利子の奨学金を利用することになる。奨学金と聞けば聞こえがいいが、しょせんはただの借金である。すると子供は、将来豊かな生活を送るために進学したはずが、社会人になったと同時に大借金の返済を始めなければならなくなるのだ。有利な職に就けたのであればいいが、有利な職というイスは限られており、10個のイスに努力して駆け上がってきた有能な100人が殺到すると、90人があぶれてしまう。あぶれた90人は、結局大した職につくことができず、たいして努力していない人々と同列に扱われることになる。しかも、下手に有能なばかりに、同じ扱いを受けている努力していない人々以上に利用されてしまい、疲弊してしまう。現在の法の下の平等を維持していくと、このような理不尽が横行してしまう。もし身分社会の世界であれば、いくら努力しても中間管理階級が支配階級になることはできないので、こうした無駄な努力や出費を払う必要がなく、それなりに豊かな生活を送ることができるようになる。だから、身分社会が必要なのだ。という論理だった。

 これにネト将軍は激しく反発した。極秘情報が謳う理由は間違っている。もし、社会福祉への負担が厳しいのであれば、爪に火を点す生活を送る貧民に増税してむしりとるのではなく、節税に次ぐ節税をして保有する資産からするとごく僅かな税金しか払っていない超大金持ちに、ゴマすりの減税なんかしないで大増税して大金をむしりとればいい。それでもだめなら、かつて民法大改正を行ったツァイ首相のように人々の道徳観念をひっくり返すくらいの大ナタを振るって、そろそろいいだろうという人々には補助を打ち切り、将来を担うような人々に恩恵が届くように制度を改めればよい。人々の生活を良くするためとか巧言令色を施して身分制度を導入するなど、あってはならない。地球連邦政府の下での自治だと、いずれこの身分社会を強制されることになる。だから、連邦政府の元での自治ではなく完全なる独立を果たして、身分社会となった地球帝国と覇権を争うべきだ。

「……これが、ネト将軍がクーデターを決行した最大の理由だ。完全なる裏付けと有力な証人の確保ができなかったから、公にはできなかったみたいだ。こんなことを考えている連邦政府は、ゴミクズ以外の何ものでもない。ナイツェルさんがどう思っているかは知らないが、支配階級に入る経済界は身分社会を支持しているみたいだ。単純労働階級という奴隷を得れば、格安の労働力が手に入るからね。経済界が大事にしている宇宙ステーション“クロノス”第二港湾を徹底的に破壊したのは、クーデター軍の宇宙での拠点を奪い補給路を遮断して戦意を挫くことが主な目的だったが、経済界が身分社会を支持していることへのあてつけでもあったことは否定しないよ」

 あまりにも衝撃的な事実に、三人は言葉を失った。資産家でなければ地球連邦最高評議会議員に立候補できないよう選挙制度が改められたことは、身分社会への第一歩だったのかもしれない。すると、ある疑念がラモンの中で湧きあがってきた。

「では閣下、身分社会に抵抗しようとするクーデター軍と真っ向から対立して戦う我々は、封建主義的身分社会成立に手を貸した反動勢力ということになるのでしょうか」

 悲痛な表情で訴えるラモン。トオルは腕を組んだ。

「……短絡的に見たら、そう見えるかもしれないね。でも、だからといって私はクーデターを支持することはできないな。身内の誰かが殺されたとする。心情的には、殺人犯を殺して仇を討ちたいだろう。だが、殺人犯を殺してしまったら、それはやっぱり殺人であり法を犯していることになるのだから、法に則って処罰を受けなければならない。いくら連邦政府が愚かな行動に出ようとしているからといって、違法な手段をとってはならない。それに、合法的に成立した政府であれば、その政府が制定する法律や約束事を信用することができるけど、違法行為で成立した政府の制定する法律や約束事は、自分自身が法を破った前歴を持っているのだから、誰も信用してくれないだろう。行動を起こすに際し、動機や目的を持つことは大事だ。だが、手段を誤れば、いくら動機や目的が立派だとしても、幅広い支持を得ることは難しいと思う」

 だから、トオルはクーデターに参加しようとはせず、あえて連邦政府と手を組む方針を採った。非常事態対処法に基づき、合法的に権力を握ったのだ。

 トオルはデスクでやや前屈みになって頬杖をついた。

「話はそれたけど、私が火星自治共和国枢密顧問官でいられるのは、クーデターの終結までだ。政府がどんなポストを私に用意してくれるか分からないが、国政に影響を与えるようなポストではないだろう。それでも、中小企業の平社員に過ぎなかった身からすると、過分なものさ」

「それにしても閣下、なぜクーデター鎮圧まで指揮をとることにされたのですか。お話しぶりからすると、すぐにでもお辞めになりたいように感じたのですが」

 ラモンが発したこの疑問に対し、トオルは意地の悪い笑顔を作った。

「ネト将軍には訊きたいことがあるからさ。君らも疑問に感じていることがあるだろう?」

 トオルの言っていることの意味が、他の三人には分からなかった。



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PHASE 3(4)休息

 火星解放軍第二軍集団の残党狩りは第七艦隊が受け持つことになり、宇宙戦闘母艦ヴィーザルはセネル提督のG13部隊とともに修理と補給を受けるため、カドモス=シティへと向かった。“ヴィーザル”は敵四個師団の猛攻を受けてカタパルト二本が使用不能になるなど船体は著しく損傷しており、モビルスーツ部隊も半数を失った。最後の戦いに向け、“ヴィーザル”を含めた第二任務部隊航宙艦隊は、万全の態勢を整える必要があった。

「それにしても、暇だなぁ」

 こうぼやきながらカドモス=シティの街中を散策しているのは、火星自治共和国軍第二任務部隊司令長官ロニー=ファルコーネこと、タカハシ=トオルである。陽気な日差しの下、安物のパーカーにジーンズ、サングラスのラフな格好なので、フリーターがヒマを持て余しているだけにしか見えない。“ヴィーザル”の修理と補給は艦長のラモン大佐が、G13部隊についてはセネル准将が責任者を務めればいいので、総責任者であるトオルは特にすることがない。仕方がないので散歩に出掛けることにしたのだが、一人で出歩くのはつまらない。そこでトオルは、職権を乱用してローガンダムの整備で忙しいジーナを無理矢理連れ出してきたのだった。

「トオルさんって、ずっと働き詰めだったのだから、たまには羽を伸ばしてもいいんじゃないの」

 こう答えるジーナの声は、弾んでいる。パベル曹長にどやされながら、機械油にまみれながら、汗水たらしてローガンダムの整備をしていたところを、トオルに救い出されたのだから、ジーナの表情は生き生きとしていた。ジーナはトオルの腕を掴むと、すごい勢いで複合商業施設へとなだれ込んだ。トオルに頼み込まれたこともあって、ジーナの服装はTシャツの上にジャケット、そしてジーパンとかなり地味なのだが、顔が小さくスタイルがいいから、どうしても目立ってしまう。ショップに入る都度、店員が駆け寄ってきて、さまざまな服をジーナに勧めてくる。

「うーん。どうしようかなぁ…」

 店員から差し出された服をジーナは体にあてがい、鏡でチェックしている。その様子にトオルは、サングラスで隠された目を細めた。家族や友達と遊んでショッピングを楽しむ。こういう当たり前の幸せを、ジーナにはたくさん体験して欲しかった。モビルスーツに乗って殺し合いを演じることなどではなく。

 当初トオルは、ジーナのショッピングを楽しく眺めていたのだが、ジーナがショップというショップを片っ端から訪ね歩くので、トオルの疲労は我慢の限界を超えつつあった。

「ジーナ。ちょっと休憩しよう」

 トオルは一軒のカフェテリアを指差した。ジーナは一瞬だけ「もう休憩するの?」と言いたげな表情を作ったが、くたびれ果てているトオルの様子を見て、「これは仕方がないか」という諦めに似た表情を作った。

「いいけど、10分だけだからね」

「それは困る。せめて30分は…」

「えーっ。じゃあ、あと三着は買ってもらおうかなぁ」

 すでに二着購入しているのに、まだ買うのか…。ジーナに主導権を握られているので、トオルに拒否権はない。やむなくトオルはジーナの条件を飲み、二人はカフェテリアの扉をくぐった。

 中は広かった。無数のテーブル。談笑する人々。内戦なんて遠い世界で起きていることのように平和な光景だ。飲み物はセルフ方式。軽食はカウンターで注文し、店員から受け取った端末で呼び出される。まだ食事には早いので、二人は飲み物だけを手にとって空いている席に腰を下ろした。

「戦艦なんかに乗っているよりも楽しいだろう」

「…そんなこと、ないわよ」

 トオルの問いかけに対し、ジーナは返答を遅らせた。久しぶりの街歩き、とても楽しい。“ヴィーザル”が大型艦で広々としているとはいえ、密閉空間であることには変わりがない。だから、青空の下で感じる開放感たるや、何物にも代えがたい快感だ。思わずトオルの問いかけに「はい」と答えそうになったのだが、「それなら艦を降りて学校通いに戻れ」と言われそうな気がしたので、返答を躊躇してしまった。学校には通いたい。勉強してクラブ活動して、放課後には友達と遊んで…。でもジーナにとって一番大切なのは、学校から、友達と遊んだ場所から「帰る」場所だった。ジーナが「帰る」場所は、トオルがいる「場所」だった。トオルが“ヴィーザル”にいるから、ジーナも“ヴィーザル”にいるのだ。強化人間としての生活が終わりトオルと暮らし始めた頃、精神状態が不安定でトオルに対してひどい罵声を浴びせたり暴力を振るったりしていたにもかかわらず、トオルは全てを受け入れてくれた。こんな人、きっとどこにもいない。このことをジーナは、無意識に理解していた。

「トオルさんが“ヴィーザル”から下りるのだったら、私も一緒に下りる」

「小さい子じゃあるまいし、私といることがそんなに楽しいかねぇ」

「私、まだ子供だもーん」

 ジーナは舌を出しておどけてみせた。17歳という年齢は微妙な年頃だ。肉体が成人に近くなり知識もそれなりに蓄積されてくるが、世知辛さと人の有難み、危険と困難の見極めができるほどの精神的な強さはない。大人に負けていないと背伸びをすることで成長するとも言われるが、無理をするとどこかで歪が出るし、落とし穴にはまる。背伸びをするのはいいが、まだまだ自分は子供だと謙虚であることも大切なのだ。大人のパイロットたちに囲まれ、彼らよりも目覚しい活躍を見せているにもかかわらず、自分のことを「子供」だと言う。ジーナを研究所という狭い世界から連れ出したのは正解だったなと、トオルは改めて感じた。

「それじゃ仕方ない。私の役目は内戦の終結までだ。内戦が終わったら、ヴィーザルやローガンダムとお別れだ」

「…そうだね」

 トオルに言われて、ジーナはようやく気付いた。トオルが出した条件を枢密院が承諾したので、クーデター終結後、トオルは火星自治共和国枢密顧問官から解任される。新たな役職名は決まっていないが、レスコ主席の補佐官というのが有力だ。きっと軍からも追われるので、トオルが“ヴィーザル”や“ユウギリ”に乗ることは二度とないだろう。トオルと行動を共にすると誓った以上、トオルが軍との関係を絶つということは、ジーナも軍との関係を絶つことを意味する。慣れ親しんだローガンダムと一緒にいられる時間は、もう僅かなのだ。いずれ別のパイロットが、ローガンダムを操縦することになるだろう。いずれ来るローガンダムとの別れに寂しさを感じるとともに、誰知らぬ新たなローガンダムのパイロットに対して嫉妬に似た感情をジーナは覚えた。

 何気なく放った自分の言葉でジーナが葛藤を抱えることになったなんて思いもよらないトオルだが、ジーナが元気をなくしたような気がしたので心配になった。

「軍に残るラモン艦長やカタリナ中佐、ハムザとは、今までのように頻繁に顔を合わせることはなくなるだろうが、今生の別れというわけではない。いつでも会えるから心配するな。それにしても…」

 トオルは、セルフサービスで淹れたコーヒーを一口すすった。ジーナが淹れてくれたコーヒーの足元にも及ばない味気なさだ。コーヒーカップをテーブルに置くと、両腕で頬杖をついた。

「…“ヴィーザル”ホテルは最高だったなぁ。ベッドは下士官が調えてくれるし、部屋の掃除もしてもらえるし、頼めば部屋まで食事を届けてくれるし、執務デスクは高級で使い易いし、窓が大きいので見晴らしがいいし、言うことなかったなぁ。次の仕事でも、“ヴィーザル”ホテル並みの部屋を寄越してくれたらいいのになぁ」

「だったら、絶対にやめませんって、ゴネたらよかったのに」

 トオルのたわごとにジーナは呆れて遠い目をした。トオルが枢密顧問官を辞めなければ、“ヴィーザル”や“ローガンダム”と別れないで済んだのだ。だが、トオルは一歩も引こうとしなかった。

「あんなことを言われて、続けさせて下さいなんて言えないね。私にだって意地くらいはある」

「それじゃ、私の買い物に最後まで付き合うって約束してくれたのだから、意地でも最後まで付き合ってくださいね」

 すました顔でこうジーナに切り返されてしまったので、トオルは困った顔になった。

「もう一杯だけコーヒーを飲んでもいいかな?」

「いいけど、あと5分だけだからね」

「10分ちょうだい!」

 年甲斐もなくトオルは少女を拝んだ。ジーナは苦笑した。

「仕方ないなぁ。それじゃ私は、さっきから気になっていたティラミスパフェを頼んでくるね。トオルさんのおごりで」

 たった5分が高くついてしまったが、ジーナの笑顔を見てトオルは、

「まっ、いいか」

と思い、ティラミスパフェ3杯分相当の現金をジーナに手渡した。

 

 カフェテリアを出たトオルとジーナは、再びショッピングを始めた。ロッカーにジーナの戦利品を詰め込んだあと数件のショップを品定めしていると、一軒の店に人だかりができているのに気付いた。キーボードやギターといった楽器を売っている店だ。気になって近づいてみると、そこでキーボードを試し弾きしている人がいた。音を小さくしているので良く聞こえないが、寂しげな曲調ながらも心に染み渡る旋律だ。思わず目を閉じて聞き入ってしまう。

「……これまでいろいろあったなぁ…」

 トオルは瞳を閉じ、火星に来てからのことを思い返していた。火星に来てからの2年弱は、トオルにとって激動の時代だった。火星に来るまでは、まさか自分が時代を動かす存在になるなんて想像もできなかった。29歳で地球連邦軍大将。30歳で火星自治共和国枢密顧問官、アルセイス会戦で勝利した第二任務部隊司令長官。あまりにもできすぎだ。だが、それもじきに終わる。実質的には解任だが、トオル自身限界を感じていた。本名を名乗れない不便さは当然だが、ついこの前まで雲の上の存在だった年上の人たちと対等に渡り合っていくことには必要以上の労力を使う。アルセイスでの勝利でクーデター軍との戦いにも目途がついた。まだ実行には移されていないが、アステロイドベルトへの鎮守府設置にも道筋がついた。潮時だと漠然と感じていたところだった。

演奏が終わると、自然と拍手が沸き起こった。トオルも瞳を開いて拍手をする。自然と演者に視線を向けたところ、その演者が顔見知りだったので仰天した。

「あ、アロワ!?」

 隣にいるジーナが声を上げた。眉目秀麗な美男子が戸惑いながら会釈している。そしてアロワがジーナの存在に気付き、こちらへと近寄ってきた。

「こんなところまで俺を追っかけてくるとは、ヒマなやつだなぁ」

「誰があんたなんかを。たまたまよ。たまたま!」

 ジーナは体全体を使って否定し事実を述べたのだが、自己中のアロワには全く通用しなかった。

「照れ隠しが下手だな。お前に足りないのは素直さだ」

「はぁ?何言ってるのよ。私はショッピングに来ただけ。信じられないのなら、あとで私の戦利品を見せてあげるわ」

「ふぅん。ロニーもこんなのに付き合わされて、とんだ災難だな」

 何気なく放ったアロワのこの言葉に、トオルはどきっとした。アロワには素顔を見せたことがなかったはずだ。一瞬、どう反応すればいいか判断がつかなかった。

「ショッピングをするとジーナが喜ぶ。喜ぶジーナを見て私は満足する。災難ではないさ」

 どう言い繕ったところで、ニュータイプとしての洞察能力が高いアロワには通じないだろう。トオルはロニーを演じることに決めた。トオルが自分に同調しないので不満げな表情を浮かべたが、それは一瞬だけだった。

「楽しいのなら結構なことだ。俺も少し楽しかった」

「何が?」

 ジーナが生真面目に問いかける。アロワは「そんなことも分からんのか?」と言いたげな蔑む目をジーナに向けた。

「キーボードを弾いたくらいで人が集まって拍手をしてくれるなんて、思ってもいなかった。拍手をもらえるというのは、気持ちのいいものだな。知らなかった」

「そうなの?すごく上手だから、褒めてもらうことなんて何度もあったんじゃないの?」

「ないね。木星で娯楽といったら、楽器くらいしかなかったから。これくらい当たり前だ」

 トオルはマクミランから聞いた話を思い出していた。木星人は、サッカーや格闘技といった対戦式のスポーツや得点を競い合うゲームが禁止されていた。競い合えば、闘争本能が刺激されて騒乱の原因になるからだ。地球から遠く離れた場所でニュータイプ能力が高い者に暴れられると、手の付けようがなくなってしまう。ゆえに、スポーツといえば体操、ゲームといえば数独やパズルの類しか認められないので、ガーデニングや芸術に娯楽を求めるようになる。アロワの場合はキーボードだった。自由時間にただ弾いていただけ。誰かに聞いてもらう機会なんてなかったのだろう。

「当たり前なのかもしれないが、よかったじゃないか。拍手をもらえて楽しかったのなら。もっと拍手をもらえるよう、たくさん練習したらどうだ」

 トオルは親切心でアロワにアドバイスをしたのだが、アロワは不満げな顔になった。

「そうは言うけど、俺にはキーボードを買う金がない」

「えっ。あんた、大金持ちだったんじゃないの?」

 ジーナは驚いた。何があったのか尋ねたところ、アロワのカードが受付不能になっていたというのだ。何で使えないんだとアロワは不平不満を並べ立てたのだが、トオルは驚かなかった。アロワは、連邦政府の監視下で働いていた。そこを無断で脱走したのだ。事前に預金を全額下ろし、マネーロンダリングして安全な場所に蓄財した上で脱走したのならともかく、預金をそのままにして脱走したのだから、連邦政府がアロワの口座を凍結して使用できないようにするのは、いわば当然のことだった。

 トオルは財布からクレジットカードを取り出した。

「アロワ、このカードにお前が一等兵として働いた給与が振り込まれている。残高を確認してみろ。きっと、キーボードを買っても余りあるくらいの金があるはずだ」

「そ、そうなのか?」

 アロワの目が輝いた。こんな傲慢な男でも目を輝かせると愛嬌があるものだなとトオルは思った。

「ただ、お前が木星でもらっていた額からすると、大した額ではない。使い方に気を付けないとあっという間になくなるぞ」

「雀の涙にもならないことぐらい分かっている」

 アロワはカードをトオルから奪い取ると、一目散に駆け出していった。自動預払機に表示される金額を見て、アロワはどんな表情をするだろうか。ジーナは気になったが、それはほんの一瞬だけだった。

「トオルさん。邪魔者もいなくなったし、次の店に行こうね」

「あ、あぁ、そうだね」

 ジーナの無邪気な満面の笑顔を見て、トオルは引きつった笑顔を浮かべた。



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PHASE 4(1)進発

 第二任務部隊司令長官ロニー=ファルコーネ中将は、宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”の応急修理に割ける期間を1ヶ月と限定したため、大破したモビルスーツ射出カタパルト2本の修繕とモビルスーツの補充は見送られることになった。

「ヴィーザルの艦載機が少なくても、作戦に支障をきたさない」

 ロニーがこう断言することには理由がある。アルセイス会戦で奮戦したセネル准将が指揮するG13部隊がいることも重要な要素だが、それだけではない。太陽光集光ミラーの調整を行っていた宇宙正規航宙母艦“アプカル”が、衛星軌道上での任務を終えてカドモス=シティに降下し、ロニーの下に合流してきたからだ。

「これは、すごいな…」

 広大な空間に整然と並ぶモビルスーツの大群を見て、“ヴィーザル”艦長のラモン大佐は嘆息した。彼は、ロニー司令長官、カタリナ参謀長、セネル司令官、そして長官付のジーナ曹長とともに、“アプカル”のモビルスーツデッキを訪れていた。彼らを迎えたのは、“アプカル”艦長のルッカ大佐と作戦参謀のハムザ少佐である。

「“アプカル”はモビルスーツの収容に特化したフネですので、空間のほぼ全てがモビルスーツのために用いられています。武装はいくつかの機銃座しかありません。大型の正規航宙母艦の数は極めて少ないので、驚かれるのも無理はないかと思います」

 直毛の金髪をエアコンの風にたなびかせながら、ルッカ艦長が解説を始めた。一年戦争時に活躍したペガサス級をはじめとした宇宙戦闘母艦の類は、これまで数多く作られてきた。フネ単体の戦闘能力及び防御力、モビルスーツの収容力、兵員収容力、そして航行能力。ペガサス級は拠点制圧用として開発されたため、防御力と兵員収容力に重点が置かれていた。本来収容されるはずの1個連隊が配置されなかったため、ホワイトベースは多くの難民を収容することができたと言われている。のちに製造されたアーガマ級は強襲用にシフトしたため、防御力と兵員収容力を削ってモビルスーツの収容力と航行能力が増強された。その後、宇宙空間での艦隊決戦用へとシフトしていき、フネを大型化して戦闘力とモビルスーツ収容力を上げていった。これまで数多くの戦闘母艦が作られてきたのだが、モビルスーツが宇宙空間での戦闘の主役になったにもかかわらず、モビルスーツの収容力に特化した正規航宙母艦はほとんど作られてこなかった。量産型モビルスーツを生産するだけで精一杯で、正規航宙母艦を作る予算がなかったことが要因と言われているが、それよりもジオン公国が誇った超弩級正規航宙母艦“ドロス”が、大した戦果を上げることもなく撃沈されてしまったことが最大の要因といわれている。モビルスーツの収容力を大きくすると、自重が大きくなりすぎるためフネの足が遅くなり、小回りも利きにくくなる。防空能力も低く装甲も薄い。そこを狙われて袋叩きにされてしまうのだ。ゆえに、正規航宙母艦の開発は進まなかった。だが、数多くの巡洋艦や駆逐艦に守られていれば、数多くのモビルスーツを収容できる正規航宙母艦は巨大な戦力になる。そのため、各艦隊司令長官が直接指揮する戦隊に1~2艦だけ配備されるようになった。そのうちの1艦が“アプカル”だった。

「ヘリウムⅢを原料とするモビルスーツの燃料だけでなく予備の部品も数多く搭載しなければならないばかりか、モビルスーツの整備兵も数多く揃える必要があるため、他のフネに比べて戦闘力や防御力だけでなく航行能力も格段に落ちます。このフネのモビルスーツ格納庫は壮大で圧倒的ですが、それはこのフネの弱点でもあるのです」

「だから、このタイミングで降下してきてもらったんだよ」

 ロニーは口元から白い歯を見せた。

「アルセイスでクーデター軍の大規模な戦闘部隊は消滅した。G13部隊と“ヴィーザル”に守られた“アプカル”を叩けるほどのまとまった戦力は、今のクーデター軍にはない。今こそ、クーデター軍の本拠地であるウラノス=シティを叩いて内戦を終結させる好機だ」

「ところで、そのウラノス=シティは現在どのようになっているのですか?」

 セネル准将が尋ねた。アルセイス開戦前、ロニーは48時間以内にウラノス=シティを完全破壊すると宣言していたのだが、あれから三週間以上経った今でもそれは実行されておらず、第二任務部隊麾下の八個師団に包囲されたままとなっている。アキレウス駐屯基地は第26師団のアーミル大将に占領され、共和国軍の現地司令部になっている。空の玄関口であるクロノス宇宙ステーションはロニー司令長官に奪われ、陸路も発電施設も上下水道もライフラインは全て八個師団に押さえられてしまったため、ウラノス=シティは孤立無援の状態に陥っていた。

「八個師団が築いたバリケードから外へ出るには1ヶ所だけある検問所を通らなければならないのだが、そこは徒歩でなければ通れない。搬出車が通れないので、生活物資の搬入どころか、ごみを出すことさえもできない。当然、上下水も止まっている。医薬品の搬入もできないので、衛生状態は極限まで悪化している。あらゆる物資が不足しているので、略奪が横行して治安も悪い。ウラノス=シティを見限って、市民の脱出が後を絶たないらしい」

 腕を組んだロニーがセネルの疑問に答えた。ロニーが八個師団の各司令官に訓示したのは、以下の3つだった。1つ、ネト将軍指揮下のクーデター軍をウラノス=シティに追い込むこと。2つ、4個師団でクーデター軍を牽制し、残りの2個師団で速やかにバリケードを築き、最後の2個師団でアキレウス駐留基地とウラノス=シティのライフラインを制圧すること。これまでの作業を72時間以内に終えること。3つ、八個師団が互いに他の師団の動向をチェックし、朝晩必ず第二任務部隊司令長官に報告すること。72時間以内に作業を完了させられなかった場合、及びそれぞれの報告や、監視衛星による部隊動向の画像と食い違いがあった場合は、謀反の疑いありとして連邦軍統合参謀本部に報告した上で懲罰の対象とする。たったこれだけだった。第42師団のベルトラン中将が「逃げ道を塞がれた」と言ったように、特に3つ目の訓示が8人の師団長には応えたようだ。時間制限を設けられてしまったので、8個師団は皆、寝る間を惜しんで作戦を立案して実行に移した。

「これは、あまりに酷なのではありませんか」

とカタリナは言ったのだが、ロニーは笑って否定した。

「命がけで優勢なクーデター艦隊と戦ったG13部隊の苦労と比べると、大したことではない」

 確かにそうかもとカタリナは思った。ウラノス=シティにいるクーデター軍の勢力は4分の1の2個師団しかいない。正面決戦になったとしても戦力差が著しいので、首脳陣が戦死するという可能性はほとんどないと言っていい。

 ロニーからウラノス=シティの現状を聞いたセネルは、顔をしかめた。

「ウラノス=シティの住民を、そこまで苦しめなくてもよかったのではありませんか」

「ふむ。セネル准将は優しいな」

 ロニーは口の片端を吊り上げた。

「私は、ウラノス=シティの住民に退去を勧告した。それでも残ったということは、クーデターを支持して共和国に敵対したと言っていい。敵愾心を持つ人間に情けをかけると、必ずどこかで裏切る。敵愾心は徹底した弾圧でしか挫けさせることはできない。武器を持たない人間には、武器を用いずに弾圧する。それには、兵糧攻めが効果的だ。ただし、敵愾心が挫けた人間には寛大に接する。だから、検問所を設けて脱出できるようにしたのだ」

「……なるほど。だったら、このまま兵糧攻めを続けてもいいのではありませんか」

 セネルの疑問に対し、ロニーは頭を振った。

「ここまで耐え忍んだ連中は、そう簡単には屈服しない。今こそ一網打尽のときだ。これより速やかにウラノス=シティへ侵攻、武力で以って敵対勢力を壊滅させる」

 ロニーの宣告を聞き、この場にいる皆が固唾を飲んだ。

 

 “ヴィーザル”の応急修理が完了した。外壁はきれいになったが、当初の予定通りモビルスーツ射出カタパルト2本は破損したままである。それでもロニーは、引き続き“ヴィーザル”を旗艦にして座乗する。

 出立に先立ち、ナディア=レスコ主席がロニーたちの見送りに訪れた。軍幹部だけが入室を許されているロビーで、ロニーはナディアを出迎えた。

「アルセイスでの勝利、おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 ロニーは敬礼してナディアの労いに答えると、話を続けた。

「この戦いでクーデターは鎮圧され、自治共和国政府が火星を司る唯一の政体となるでしょう。ところで」

 ロニーは、一旦間を取った。息を大きく吸い込み、呼吸を整える。

「連邦軍に、何か動きがありましたか」

「…特に何も報告は届いていません」

「連邦政府から、何らかのコンタクトはありましたか」

「こちらも、特に何もありません」

 どういうことだ。ロニーは不審に思った。アルセイス会戦で共和国軍が大勝利を収めて、はや1ヶ月。クーデターの鎮圧は、もはや時間の問題だった。そうなると、連邦政府は火星自治共和国に対し、何らかの動きを見せるはずだとロニーは思っている。

 もし、火星自治共和国と友好関係を築きたいのであれば、内務省が自治権に関する事務レベル協議を持ちかけてきてもおかしくない。流通経済省や宇宙開発省も何らかのコンタクトを取ってくるはずだ。

 逆に、連邦政府が火星直轄統治にこだわっているのであれば、内乱が終結する前に火星へ介入しなければならないので、遠征軍の編成を脇目も振らず急ピッチで進めなければならない。脇目も振らずに急ピッチで進めると、隠密性が蔑ろにされるので、必ず動きをキャッチできるはずだ。

 それなのに、連邦政府からのコンタクトも、連邦軍に動きも見られない。ということは……。ロニーは別の可能性があるのではないかと思ったが、それを今尋ねてもロニーにとって何の意味もないから、とりあえず脇へ置くことにした。

「そうですか。それでは、引き続き情報収集を宜しくお願いします」

「分かりました」

 ナディアの表情が、複雑なものになった。

「ところで、ロニー顧問官の処遇についてですが…」

ナディアは一旦口を閉ざした。なぜ、ここで口ごもるのかロニーは不思議に思った。あれだけルーデンドルフが明言したくらいだ。何の権限もない窓際で一生飼い殺しにするつもりなのだろう。クーデター軍との戦いで大きな功績をあげた人物に、死刑宣告をするのが精神的につらいのだろうな。ロニーは自分でも驚くくらいに冷静に思ったのだが、ナディアから告げられた言葉は、意外なものだった。

「いまだに結論が出ておりません。急ぐべきなのは十分に承知しているのですが、今しばらくお待ち願いませんか」

「はぁ。それは別にかまいませんが」

 受け入れ先が決まらないのか。よほど自分は厄介なのだろうなとロニーは心の中で毒気を吐いた。表面上はその毒を完全に封じ込んで、笑顔でナディアに応じた。

「とにかく、現在頂戴しております第二任務部隊司令長官としての職務を全うするよう、全力で取り組む所存です。それでは、そろそろ出立の時間ですので、失礼をさせて頂きます」

「ご武運を祈ります」

「ありがとうございます」

 ロニーはナディアに敬礼した。ナディアは自分を糾弾している人物の一人だとロニーは思い込んでいるので、果たして誰の武運を祈っているのだろうかと訝しがった。




やばい。書く時間がない。
あともう少しなのに!

更新間隔がどんどん長くなり、
申し訳ございません。

これからも気長に待っていただけますと
幸いです。

これからも宜しくお願いします。


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PHASE 4(2)入港

「これが最後か…」

 宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”の艦橋、司令部エリアの司令官シートに座るロニーは、心の中でつぶやいた。第二任務部隊の航宙艦隊は、総旗艦である“ヴィーザル”と正規航宙母艦“アプカル”そして、戦艦“ダーラン”を旗艦とする第七艦隊第一分艦隊第三戦隊、通称“G13部隊”である。これまでの戦いで傷ついてはいるものの応急修理は済んでおり、“アプカル”に至っては全くの無傷なので、皆の戦意は衰えていなかった。

「閣下。ここからウラノス=シティへの侵攻ルート上に、ネメシス=シティがありますが、いかがなさいますか」

 “アプカル”から戻ってきた作戦参謀のハムザ=ビン少佐が、ロニーに尋ねた。地球連邦軍第三総軍総司令官代理タカハシ=トオル大将がいなくなったネメシス=シティ保安隊は、ウィン大佐が指揮するクーデター軍の第1185連隊によって壊滅させられ、現在ネメシス=シティはウィン大佐の指揮統率下に置かれている。ウィン連隊は戦力としては大したことはなくネメシスを防衛することに手一杯で、火星自治共和国の拠点であるカドモス=シティを攻略する余力はないとロニーは判断している。地上部隊を連れてきているわけではないので、補給線を確保しておく必要もない。無視しても問題はないはずなのだが、ハムザの問いかけに対して、ロニーは即答しなかった。仮面を被っているのでロニーの表情を読むことができないが、何やら考え事をしているのは明らかだった。

「……我が艦隊が収容している地上部隊は、確か1個大隊だったな」

「はい。2個中隊が我が艦に、1個中隊が“アプカル”に、そして1個中隊が“ダーラン”に分乗しています」

「そうか。ところで、少佐はネメシス=シティを奪還したほうがいいと思うか?」

「えっ」

 自分に話を振られるとは思ってもいなかったハムザは、うろたえた。自分の考えに間違いはないはずだと心の中で再確認をした上で、ハムザは答えた。

「我々の当面の目的は、ウラノス=シティの奪還にあります。ネメシス=シティに駐留しているクーデター軍は一個連隊にすぎず、もしこれがウラノス=シティ防衛のために出陣してきたとしても、大した脅威にはなりません。我が艦隊が収容している地上部隊は一個大隊のみであり、クーデター軍の半数以下であることを踏まえると、再占領は容易ではありません。リスクを犯してまでネメシスを奪還する必要性はないと思われます」

「…そうだ。当面の目標を達成させることが先決だ。少佐の言うことは正しい」

 ロニーはハムザを正視して白い歯を見せた。

「いつも、ル=モンドでメシをおごれと言っていたから、再占領したほうがいいと言うかと思った。たまには、まともなことを言うんだな」

「ひどいですね。人を何だと思っているのですか。自分のわがままで人に血を流させるほど、私は落ちぶれていませんよ」

「自分のわがままか…。どこまでが、わがままになってしまうのだろうな…」

 枢密顧問官という最高に近い権力の座についてから、ロニーは自問自答を続けていた。ロニーが木星から帰還する前までは、戦線は膠着状態になっていた。従って、あまり血が流れていなかった。それを、ロニーは変えた。ロニーが第二任務部隊司令長官になってから、おびただしい血が流れた。プラト艦隊とクロノス第二港湾を徹底的に破壊し、クーデター軍の第二軍集団を壊滅させた。

「私は、大量殺戮者だ」

と思うことがある。敵味方を問わず、おびただしい人々を死に追い込んだのだが、それは地球連邦軍による再占領を避けて火星の自治を守るためという信念があったからだ。この信念は、自分のわがままになってしまうのだろうか。ルーデンドルフから枢密顧問官解任を告げられてロニーは、アルセイス会戦を含めた自分の功績が評価されないことに対する無念と悔しさを感じると同時に、ほっとしている面があった。こういう自問自答から、ようやく解放されると思ったからだ。

「ネメシスへのこだわりは、自分のわがままだ。こんなことで、無駄に血を流し時間を費やすわけにはいかないな…」

 自分の中にある迷いを断ち切ってくれた仲間に対し、そして自分が間違った道へ迷い込まないよう諭してくれる仲間がいることへの幸運に、ロニーは心の中で感謝した。

 

 クーデター軍の妨害を一切受けることなく、第二任務部隊航宙艦隊はアキレウス駐屯基地への入港を果たした。アキレウスに駐留する第26師団司令官アーミル大将の出迎えを受けた第二任務部隊司令長官ロニー中将は、アーミルの案内でセネル准将、ラモン大佐、ルッカ大佐、カタリナ中佐、四人の航宙艦隊幹部を伴い、司令部ビルの中央集会所へと向かった。中央集会所には、七人の師団司令官が二列になって立ち並んでおり、彼らはロニーの入場を確認すると一斉にロニーに対して敬礼を施した。列の中央を、アーミルを先頭にロニー、セネル、ラモン、ルッカ、カタリナが進む。アーミルは右側の列の先頭に立ち、ラモンとルッカはアーミルの隣で列を作り、ロニーとカタリナはひな壇に登って第二任務部隊の幹部たちと正対した。

「任務の達成、ご苦労だった。既に報告は受けている。諸君の功績に見合った褒賞と栄達を約束しよう。クーデター鎮圧もいよいよ大詰めである。各員には一層の奮闘を期待する」

 続けてロニーは、ウラノス制圧作戦の概要を説明した。一瞬だが場がざわついた。

「アルセイスに続いて、閣下自ら陣頭に立って制圧に向かうとおっしゃるのか?」

 一同を代表して、アーミル大将が驚きの声を上げた。もはや大勢は決したと言っていい。アルセイス会戦でクーデター軍は主力を失い、ごく少数の師団がウラノス=シティに立てこもっている他は、ネメシス=シティのような一部の地方都市に分散されている戦力があるだけである。クーデター軍の首領であるネト中将が健在とはいえ、掃討戦の局面に入ったと言っても、言い過ぎではない。このような状況になった場合、作戦の総責任者は後方で部下の戦いぶりを指導するのが常である。それなのに、ロニーは自ら敵陣に乗り込むと言っているのだ。驚かないのがおかしい。ロニーは、仮面から覗く口元を吊り上げた。

「私はひどい近眼でね。前線の近くにいないと、戦局がよく見えないのだよ」

「ですが、第二任務部隊の総責任者でいらっしゃる閣下に代わるものなど、どこにもおりません。前線に出られるということは、万一の事が起こる可能性が高くなります。どうか、今回は後方で我々の督戦をして頂くという訳にはいかないでしょうか」

 階級も上で年齢も上のアーミルが、真顔でロニーに訴えた。当初、アーミルも他の将帥たちと同様に、仮面を被った得体の知れないロニーには疑問と猜疑心に満ちていた。アリップの出身者でもないのに、いきなり火星自治共和国最高意思決定機関である枢密顧問官に就任し、そしていきなり第二任務部隊司令長官に就任して、地球連邦軍統合参謀総長フェルミ元帥の代弁者になりおおせた。素性も不明。胡散臭いと思わないほうがおかしいくらいだ。だが、そんなロニーが、ルーデンドルフ提督ですら成し得なかった、膠着状態となっていたクーデター軍との戦いを変えた。クーデター軍の航宙戦力、宇宙空間での活動拠点、地上戦力の主力である第二軍集団、これらをロニーが限られた戦力のみで壊滅させた。この偉業を見せ付けられて、アーミルは感心すると同時にロニーに対する見方を大きく変えた。ロニーは稀代の英雄なのではないか。ならば、自分を火星に左遷した連邦軍にいるよりは、ロニーに付き従った方が得なのではないか。そういう打算がアーミルに働き始めていた。

 アーミルがそんな計算を立てているのを知ってか知らずか、ロニーは声を立てて笑った。

「ご心配には及ばない。私に何かあったとしても、火星には私よりも優秀な人物がいくらでもいる。何かあった時は、その人物の指示を仰げばいいさ」

「…ご決心は固いようですね」

 こんなことでロニーに死んでもらったら困るのだが、今ロニーに楯突いても不興を買うだけで全く意味がない。ここは折れるしかないと思い、アーミルは恭しく頭を垂れた。

「かしこまりました。作戦完遂に小官も全力を尽くします」

「期待しよう。では、他に意見のある方は?」

 ロニーの問いかけに、場は沈黙を以って「無し」と答えた。ロニーは一同を見渡した。

「作戦開始はこれよりおよそ48時間後。改めて各員に開始を発令する。解散!」

 

 ウラノス=シティへの総攻撃が近づいているということで、アキレウス駐屯基地は右も左も準備のために大忙しだった。そんな中、既に準備は完了しているからと悠然と過ごしている一味がいる。ロニー指揮下の航宙艦隊のメンバーたちだった。

「いよいよクーデター軍も年貢の納め時ですなぁ」

 旗艦“ヴィーザル”の司令官室。応接セットの三人掛けソファの左端に座る艦長のラモンは、ジーナが淹れてくれたコーヒーをすすりながら述懐した。それを聞いた真ん中に座るハムザは、首をゆっくりと縦に振った。

「そうなれば、第二任務部隊も解散ですね。そのあと、我々はどうなるんですかねぇ」

「そうだなぁ」

 ハムザの問いかけに答えたのは、三人掛けソファの右端に座るロニーことトオルだった。

「とりあえず、しばらくは遊んで暮らせるんじゃないかな。任務成功報酬くらいはタンマリくれるだろうし」

「それ、いいですね。大金が入ったら、是非ともやりたいと思っていることがあるんですよ」

「何をしたいんだ?」

 仮面を取って素顔をさらしているトオルが興味深々に尋ねてくるので、ハムザは散々じらした挙句にこう答えた。

「地球へ行って、南の島のリゾートで気ままに暮らすことです」

「何だ。つまらん。ありきたりじゃないか」

「ありきたりって何です。ベタな王道にこそ真の癒しが待っているのです。青い空、青い海。木陰のハンモックに揺られて、照りつける太陽とさわやかな海風を全身に浴びることより幸せを感じる瞬間なんて、この世のどこにもありませんよ」

「なんだ、それ。すごく気になるじゃないか」

 ハムザの演説に身を乗り出して興味を示したのは、机をはさんで真向かいの一人掛けソファに座っているアロワだった。

「海って、イルカとかいう海の生き物が群れを成して泳いでいるという場所だろ。俺も行きたい。ハンモックって何だ。気になるぞ」

「あんたねぇ。一番下っ端のあんたが、何でそんないいところに座ってんの」

 アロワの頭をはたいたジーナは、所在無く置いてあるパイプイスを指差した。

「あんたが座るのは、あっち」

「何だと、この飯炊き女が。この俺を誰だと…」

「ただの一等兵」

「屈…」

 上目遣いでアロワはジーナを睨みつけたのだが、アロワの百倍以上の眼光でジーナに睨み返されてしまい、アロワは力なく立ち上がってしぶしぶの体で指定されたパイプイスに腰掛けた。その様子見て、もう一つの一人がけソファに座っているカタリナは、くすくすと笑った。

「アロワ君もジーナには敵わないみたいね。ところでアロワ君、一つ訂正しておくけど、ハムザ少佐が南の島に行きたい理由は、もう一つあるのよ。セクシーな水着を着た女の子との素敵な出会いでしょ」

「それは少し違いますね」

 ハムザは満面の笑顔でカタリナを見つめた。

「カタリナさんとの素敵な思い出を作りたいのです。僕と一緒に南の島でときめきと癒しを求めに行きませんか」

「残念ね。私、インドア派なの。たまりに溜まったドラマの録画を見たいから。ところで、艦長はどうなさるのです」

 カタリナに一蹴されてしまい肩を落とすハムザの隣で、話を振られたラモンは腕を組んだ。

「私は、工科大学に行きたいから受験勉強でも始めようかと思っていたのだが、ひょっとしたらできないかもしれないね」

「そんな。大学へ行くのに年齢は関係ないと思いますよ」

「いや、年齢じゃない。今、置かれている状況だよ」

「状況?」

 のんびりとした口調で尋ねたのは、トオルだった。呆れてため息をついたラモンは、身を乗り出してハムザの向こう側にいるトオルを見据えた。

「閣下はご自身のことになると何も見えておりませんね。大火事の元になりそうな火が、閣下の周りで燃え盛っていますよ」

「ど、どういうことだい?」

 トオルが全く気付いていない様子なので、ラモンはカタリナに目配せしてトオルの疑問に答えるよう促した。カタリナは表情を固くして説明を始めた。

「閣下がアルセイスで勝利を収められてから、高級将校や高級官僚たちからの問い合わせが殺到してきているのです。閣下の為人や閣下への取次ぎです。これが何を意味しているか分かりませんか」

「うーん、分からないなぁ。だって、宇宙空間での戦いはセネル准将の功績だし、アルセイスだってルーデンドルフ提督の第七艦隊が第二軍集団を撃滅したのだから、私が全体を指揮したことなんて関係者以外には分からないだろ」

「そうです。普通の人ならそう思います。閣下が指導した結果だと見抜けるほど優秀な人たちだから厄介なのです」

「……」

 カタリナの説明を受けたのち、トオルは考え込んだ。

 程なくして、トオルは声を上げた。

「ひょっとして、私は警戒されているのか?」

「そうです。一部では、こう囁かれているそうですよ『ロニー顧問官は優秀な人間を引き抜いて自立するのではないか』と」

「………」

 ラモンに断言されて、トオルは言葉を失った。以前、第三総軍総司令官代理になったときに自立しようとして、失敗したことがある。あの時はルーデンドルフ提督に拾ってもらったから、大火傷を負わずに済んだ。あれからいくつか功績をたてたが、それでもまだ国を作って運営していく能力を手に入れてはいないとトオルは思っている。理由は簡単だ。トオルには、軍人以外で仕事を任せることのできる人材がいないからだ。そのことはトオル自身が痛いほど分かっている。偉大な戦果を挙げれば王様になって国を作れるなんてのは、古代や中世の時代のことであって、現代ではありえない。なのに、王様になれると信じている人間の、何と多いことか。

「…困ったな。このままでは、あらぬ疑いをかけられて、下手すれば反逆罪で処刑されるかもしれないじゃないか」

「だったら、皇帝にでもなったらどうだ」

 トオルのつぶやきを聞いて、何気なくアロワが言い放った。場に緊張感が走る。アロワは冗談のつもりで言ったのだが、アルセイスの英雄になったトオルの場合、現実味があるので冗談では済まされない。皆の視線がトオルに集中した。

 場が静まり返ってしまったので、話の中心になってしまったトオルは、きまりが悪そうに頭をかいた。

「皇帝なんて、冗談じゃない。訳も分からず担ぎ上げられた挙句、自分の権力を守るために必死になることほど、ばかげたことはないよ」

「まあな。バーニアひとつで宇宙空間に放り出されそうになったり、ぶん殴られそうになったり、パイプイスに座れと言われたりしたのは、こっちに来てからだからな。皇帝なんて居心地が悪いだけだ」

 アロワが偉ぶった風に言ったので、ジーナが突っ込みを入れた。

「あんたの場合は、せいぜい女王アリ程度の皇帝でしょ。大佐とは違うの」

「大佐って誰のことだ?ラモン艦長か?」

「しょうもない揚げ足取りをして、どうなるか分かっているのかしらァ」

「曹長が一等兵を脅すなんて、パワハラだ。パワハラ反対!」

 ジーナとアロワのやり取りを見て、トオルは朗らかな気持ちになった。ちっぽけな幸せかもしれないが、これをたくさん積み重ねることによって幸福な人生というものが出来上がるのではないか。このちょっとした幸せを守るために自分が何をするべきか、未だによくは分からないが、方向性だけは見えたようにトオルは感じた。

「とりあえずは、目先のクーデター鎮圧を完了させよう」

 先陣を切って、クーデター軍の本拠地に乗り込み、ネト将軍に会う。会って、どうしても聞きたいことがある。先のことは、ネト将軍からもらう答え次第だ。トオルは決意を新たにした。




ずいぶんと久しぶりの投稿です。
やっと出せました。

年々、時間を作ることが難しくなってきています。

まだまだ終わる見込みがないのですが、
気長に待って下さいますと幸いです。

これからも宜しくお願いします。


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PHASE 4(3)仇敵

 第二任務部隊総司令部である旗艦“ヴィーザル”は、ウラノス=シティ外縁部の上空に到達した。上空といっても、高度500m程度の低空である。総督府まであと10kmを切ったところで、警報が鳴り響いた。

「11時の方向より所属不明のモビルスーツ部隊、接近中。距離およそ10。至近です」

「数は?」

 観測長の報告に、“ヴィーザル”艦長のラモンが尋ねる。観測長は、艦長席へ体を向けた。

「熱源の数は13。機種は不明です」

「直ちにNT-Bを発動。総員第一種戦闘配備。モビルスーツ部隊、発進準備」

「了解」

 通信士がラモンの命令に答え、モビルスーツ部隊に出動するよう指示を出した。機関長は、機関室へNT-B発動の指示を出す。それらと同時にラモンは次々と命令を出した。

「ジークレフ作戦の発動を第二任務部隊の全部隊に通達。“アプカル”にモビルスーツ部隊の出動を要請。モビルスーツ部隊発進の前に、所属不明のモビルスーツ部隊に主砲斉射」

「主砲、エネルギー充填完了」

 砲雷長が答えた。ウラノス=シティ上空到達に合わせて既に砲撃の準備を整えていたのだ。ラモンは頷くと、右手を上げて大きく振り下ろした。

「撃て!」

 前部の2砲塔から9本のメガ粒子光線が、まばゆい光と独特の発射音を伴って所属不明のモビルスーツ部隊へと伸びていった。戦艦にはモビルスーツなど及びもつかない巨大な機関室がある。主砲のメガ粒子はそこからエネルギーを供給されるので、その破壊力はモビルスーツ携帯武器の比ではない。かすめただけでも、深刻なダメージを受ける。実際、敵らしきモビルスーツ部隊から、いくつかの光球が現出した。

「モビルスーツ部隊の出撃準備、完了しました」

 主砲斉射が数回行われた後、正面のメインモニターに機動大隊長のスナイ少佐が映し出された。画面のスナイにラモンは下命した。

「“ユウギリ”にかすり傷一つも与えるなよ」

「当然です。ロニー長官が前線に出てこられるというので、パイロットの皆が意気込んでいます。必ず長官を無事に送り届けます」

「くれぐれも、頼んだぞ」

 スナイが敬礼するのを確認すると、ラモンは画面を“ユウギリ”のコクピット内に切り替えた。ノーマルスーツではなく赤を基調とした軍服を身にまとい、シンプルながらも優美さがある兜の下に口元が露出されている仮面を被った将校が映し出された。ラモン艦長はその人物に敬礼を施した。

「閣下、ご無事で。くれぐれもご無理をなさらぬよう」

「ここは、作戦の成功を祈ります、ではないのか?」

「閣下あっての作戦です。逆ではありません」

「ありがとう。心配かけないように気をつけるよ」

丁度このとき、管制室からロニーに連絡が入ってきた。

「閣下。まもなく発進となります。ご準備はよろしいでしょうか」

「いつでも構わんよ」

「かしこまりました。これよりカタパルトへの移動を始めます」

「了解。ところで、ラモン艦長。砲撃後の敵モビルスーツの動きはどうなっている」

 ロニーの問いかけを受けて、ラモンは観測長に状況を報告させた。その結果をロニーに伝える。

「動きは鈍くなりましたが、引き続きこちらに向かってきております」

「そうか。一戦は避けられないな」

「引き続き、艦隊による援護射撃は続けます。射線に入らないよう気をつけて下さい」

「分かった。ウラノス=シティに損害を与えないよう、慎重に事を進めてくれ」

「確か、枢密院での決定事項でしたね。了解しました。各艦に閣下の命令を伝えます」

 “ユウギリ”がカタパルトに姿を現した。ロニーはひとつ息をついた。

「ロニー=ファルコーネ。“ユウギリ”出る!」

 赤い機体が、青空目掛けて飛び出した。そのあとに現れたのは、“ローガンダム”だった。

 “ローガンダム”は、“ヴィーザル”の改修中に白を基調に青と赤のアクセントを加えたカラーリングに塗り替えられている。メインモニターが、ロニーから“ローガンダム”のジーナに切り替わった。ラモンはパイロットスーツを着ているジーナに対して意地の悪そうな笑顔を作った。

「ジーナ。お前の役目は、アロワと一緒に閣下の背後を守ることだ。アロワとケンカするなよ」

「あんな奴の助けなんて要らないのに」

「お前一人だと暴走しそうだから心配なんだ。アロワと仲良くするのだぞ。分かったな」

「はーい。ラモンさんの言い方、大佐に似てきましたね」

「そいつは光栄だ。褒められたと思っておこう」

「では、ジーナ=グリンカ。“ローガンダム”行きます!」

 白い機体が虚空を舞った。次にカタパルトに現れたのは、スリムでシャープなフォルムの“ローガンダム”とは対照的で、ずんぐりと野暮ったいフォルムのモビルスーツだった。足があるのかないのか分からないくらい短い。“ヴィーザル”艦橋のメインモニターが、ジーナからそのモビルスーツのパイロットに切り替わった。つややかなミディアムロングの黒いサラサラヘアーの下には白皙の肌、整った眉、切れ長だが大きなサファイアブルーの瞳が印象的なとんでもない美男子が映し出される。

「アロワ!何でノーマルスーツを着ていない?」

 画面の美男子に向けて、ラモンが問いただした。サファイアブルーの瞳が、うんざりした光を放った。

「あんな不細工でゴワゴワしたものなんか、俺には似合わん。見苦しいにも程がある。それにしても、何で俺のモビルスーツはこんなに不恰好なんだ」

「不恰好とは何だ。火星自治共和国の最新鋭機だぞ。性能は折り紙付だ。文句を言うと罰が当たるぞ」

「この俺に罰を当てるだと。とんだ笑い種だ」

「装備だって充実している。ファンネルだって30基は搭載されている。これ以上文句を言うな」

「NT-Bが発動しているのにファンネルだとぉ。宝の持ち腐れもいいところじゃないか。コケにしやがって。もういい。アロワ=シェロン、出るぞ」

 アロワの黄土色の機体“ジ・オープラス”が、“ヴィーザル”から射出された。そのあとスナイの“マリウス=ゼータ”と7機のジェグナが“ヴィーザル”から発進していった。

 ヴィーザルから射出されたモビルスーツ隊は、“ユウギリ”を中心に前方を“マリウス=ゼータ”、右舷を“ローガンダム”、左舷を“ジ・オープラス”が固め、その周囲を7機のジェグナが球形陣で守っている。そのうちの1機、最先頭を駆ける“高機動型ジェグナEE5”が、スピードを落として遠隔狙撃用ライフルを構えた。

「負け犬に群がる蝿どもめ。目に物見せてくれる」

 アキレウスの激闘で3人の部下すべてを失ったタム中尉は、迫り来る敵モビルスーツの1機に照準を合わせ始めた。まだ、モビルスーツ携行兵器の射程から大きく外れているので、自動だと狙いが定まらない。

「くっそー。ダメか…」

 構えてから数秒だが、狙撃を諦めかけたそのときだった。何故か、脳内に女のかすかな声が聞こえたような気がした。そして反射的に、“EE5”のライフル発射ボタンを押した。ライフルのメガ粒子ビーム光線が真っすぐに伸びていく。伸びるにつれて細くなっていくのだが、タム中尉の意志が乗り移っているせいか芯は強靭なままだ。そして、敵モビルスーツ1機の胸付近を貫き、爆発四散させた。

「な、何だと!?」

 驚いたのは、“ジ・オープラス”に乗り込んでいるアロワだった。ありえなかった。あんな遠方を狙撃するには、何らかのサイコミュ兵器を近くに送り込み、そこに感応波を送って敵に狙いをつけ、そこから攻撃するしかない。タム中尉は、アロワすらも超えるニュータイプだというのか?

「…NT-B発動中だから、感応波は使えない。NT-Bを打ち破れるほどの精神的なプレッシャーも感じない。なぜだ?」

 味方のアロワですら動揺した。敵だったら、なおさらだ。艦砲射撃とは全く違う角度から直撃を受けるなど、ありえないことだった。悪魔か何かの仕業か?もしくは敵に何らかの新兵器があるのか?まだ遠く離れているにもかかわらず、クーデター軍の陣形に乱れが生じた。

 そのとき、ロニーたちヴィーザルのモビルスーツ隊に通信が届いた。

「敵モビルスーツ隊の機種が判明しました」

 ヴィーザルの通信士によると、敵モビルスーツ隊の内訳は、ジェグナ6、アレクト3とのことだった。“アレクト”とは、連邦軍の試作モビルスーツの一つである。次期主力モビルスーツ候補で、バーニアを多く備えた高機動タイプである。

「全機に告げる。ジーナとアロワは閣下をお守りしながら火星総督府へ突入せよ。他は私とともに敵モビルスーツ隊を叩く」

「了解」

 スナイ大隊長の命令に、ロニーとアロワを除く全員が唱和した。その声を聞いた後、スナイはロニーに対して敬礼を施した。

「閣下、ご無事で」

「それはこっちの台詞だ、スナイ少佐。この戦いが終わったら、みんなで祝杯を挙げよう」

「それは楽しみです。閣下の財布を空にして差し上げます」

「なかなか張り合いのあることを言ってくれるな。では、あとのことは頼んだ」

「はっ」

 “ユウギリ”のコクピットに映っていたスナイの姿は消え、“マリウス=ゼータ”とジェグナ7機は敵モビルスーツ隊を目指して上昇していった。彼らの姿を確認した後、ロニーはジーナとアロワの姿を画面に映し出した。

「これから、敵の本拠地に乗り込む。準備はいいか」

「はい、大佐。じゃなかった、提督」

とジーナ。

「飯炊き女だけだったら不安だからな。仕方ない。つきあってやるよ」

とアロワ。ロニーは彼らに対して頷くと、“ユウギリ”を火星総督府へ向けて加速させた。“ローガンダム”と“ジ・オープラス”がそれに続く。フルスロットルで下降させているので、みるみるうちにウラノス=シティ中心部上空に達した。

「全くの無防備だな」

 ウラノス=シティの防空域に侵入したにもかかわらず、ロニーたちは機銃による攻撃を数回受けただけだった。

「これは、すごいな…」

 上空から見たウラノス=シティ中心部は、死んだ町そのものだった。八個師団による兵糧攻めが効いているのか、人の姿はほとんど見えずゴミが散乱している。車も全て止まったままだ。電気による明かりは一切点いておらず、ひっそりとしている。水や食糧、電気といったライフラインを遮断された大都市とは、こうも脆いものなのか。大都市は食糧や電気エネルギーを一気に消費する。家庭で備蓄している食糧なんて1週間分もあればいいところ。しかも冷蔵庫などで保管されているものは、電気を止められてしまえばすぐに傷んでしまう。大都市に設置されている太陽光などの自家発電設備では、大都市全ての電力をカバーすることなんてできない。少ない食糧を軍が独占するなど、市民が飢えて暴動が発生し足元が揺らいでしまうから、以ての外だ。それどころか、規制をかけて食糧の供給を減らすだけでも、自分たちに対する支持が失われ、下手すれば暴動に発展しかねない。ゆえに軍の食糧も早々と尽きてしまった。そしてそこに、アルセイスでの大敗北のニュースが入った。クーデター軍の上層部はともかく、下級兵士の気力はもはや完全に失われてしまったと言っていいのかもしれない。

 火星総督府が近づいてきた。地上部分は三階しかない、それほど大きくない建物だ。総督の住居と執務室、補佐官たちのオフィスと危機管理センターがあるだけで、行政機構はそれぞれ別に庁舎がある。総督府にはロココ調の建物だけでなく豪奢な庭やヘリポートもある。そのヘリポートに1機のモビルスーツが鎮座していた。

「あれは…、“ローガンダム”?なぜ…」

 黒と灰色を基調とした従来のカラーリングの“ローガンダム”だった。ジーナの“ローガンダム”は、白を基調に青と赤のアクセントを加えたカラーリングに塗り替えられている。ジーナは驚き唖然としたのだが、ロニーは違った。“ローガンダム”は1機だけではないだろうとロニーことトオルは思っていた。かつてアキレウス駐屯基地にトオルたちが“ローガンダム”を送り届けた際、第三総軍参謀長チャン=ミンスク中将が出迎えたトレーラー。あれに乗っていたのが、本物の“ローガンダム”なのではないか。だとしたら、ジーナが乗っている“ローガンダム”は…

 そうこうしているうちに敵ローガンダムは飛び上がり、ロニーたち目掛けて迫ってきた。

「ここは私に任せて下さい。提督とアロワは総督府へ!」

 こう叫ぶとジーナは、敵ローガンダムへ向けて突撃していった。ロニーは止めようとしたが間に合わない。しばらくジーナのローガンダムの後姿を見送った後、ロニーは“ユウギリ”の進路を火星総督府へと向けた。

 ジーナは敵ローガンダムに向けてライフルを撃った。敵の気を引き付けるためだ。数発撃ちこんだ後、自らの機体を上昇させた。敵ローガンダムと“ユウギリ”の進路が交錯しないようにするためだ。敵ローガンダムはジーナの誘いに乗った。ジーナは機体を上昇させながらもライフルを撃ち込み続けた。

「NT-Bの影響範囲内。ファンネルは使えない」

 ファンネルとは、ニュータイプの感応波で遠隔操作する小型ビーム砲台のことだ。感応波を無効化するNT-Bを味方の戦艦“ヴィーザル”が発しているため、ファンネルを利用することができない。そして、敵ローガンダムのパイロットが、感応波を発するニュータイプかどうかも分からない。だが、ひとつだけ言えることがある。すでにいくつかの戦場を渡り歩き、ベテランの域に入りつつあるジーナの攻撃を、全てかわしている敵ローガンダムのパイロットは、強いということだ。

「感応波もなしに、かわせるって、一体…」

 大がかりな戦争が無くなって久しい。そのような中で、モビルスーツパイロットが強くなる方法は2つ。局地戦闘の特殊部隊を転々とするか、強化人間の特殊訓練を受けるか…

 ジーナは機体を旋回させ、徐々に敵ローガンダムとの距離を詰めた。ジグザグ飛行しつつライフルを格納し、替わりにビームサーベルを抜き放つ。敵ローガンダムもビームサーベルを構えた。

「………!!」

 高熱素粒子の激突が、悪夢のような極彩色と轟音をまき散らす。ビームサーベル同士がぶつかりあったことで、メガ粒子の火の粉でそれぞれのモビルスーツを僅かに焼いただけでなく、NT-Bで阻害されていたお互いの感応波が通じ合い、二人を二人だけの意識世界に叩き落とした。

「ジーナ?」

「レオナ…なの?」

 ジーナは顔見知りの名前を呟いた。レオナ=ブロツカー。ウェーブのかかった透き通ったブロンド、湖の底のように静かな青い瞳の美少女。カドモス生体科学研究所、俗称カドモス研の優等生。そして…

「また私を陥れるつもりなの」

「陥れる…何のこと」

「とぼけないで。私から色々なものを奪ったくせに」

「奪う?」

 レオナは得体のしれない不気味な気配を放った。

「何の事かしら。あなたのような俗物、どうでもいいから覚えていないわ」

 レオナのあざれるような笑声が、ジーナの奥深くに眠っていたカドモス研での日々を脳内で弾けさせた。……「…私、そんなこと知りません」「なぜ、見え透いた嘘をつく!」「ねえ、レオナ。何か言ってよ」「……」「お前がやったとしか考えられないんだ。いい加減、認めたらどうだ」「…先生も何とか言ってよ」「……」………「…先生、何であのとき何も言ってくれなかったの?」「…私にも分からないから」「あのとき、一緒にいたじゃない。なんでなの、先生!」「…ごめんなさい」「謝らないでよ。謝るくらいなら、そうじゃないってみんなに言ってよ」「…ごめんなさい」「う、う、うわあああああ!!!」………「…ジーナ、軍に配属されるって?」「…ええ」「聞いたわよ。伍長だってね。下士官だってね。サイコー」「………」「普通、研究所出身のパイロットは少尉任官なのに。ジーナってすごいわぁ」「………」……

 ジーナはうつむいた顔を上げ、レオナを睨みつけた。

「レオナ…、あなただけは許さない」

「あなたなんかに許してもらおうなんて、これっぽっちも思っていないわ。そんなことよりも…」

 レオナは不敵に笑った。

「私は、レオナ=ブロツカー少尉。少尉殿と呼びなさい、この下士官風情が!」

 二人の激情が激しくぶつかり合い、意識世界が爆発して二人は現実世界に引き戻された。

 二機の“ローガンダム”は再びビームサーベルを構え、お互いに向かって突撃した。ビームがぶつかり合って、飛び散ったメガ粒子が互いのモビルスーツを焼く。いくらサイコフレームでコーティングされているとはいえ、至近距離でメガ粒子を浴びると無傷では済まない。レオナはガンダムの半身を倒してジーナのガンダムに蹴りを入れ、距離をとった。ビームサーベルを格納してライフルを取り出し、ジーナの“ローガンダム”に向けて数発撃ち込む。ジーナは2発目まではかわしたが、レオナの3発目がジーナの“ローガンダム”の左すねを直撃した。

「やっぱり…かなわないの…?」

 ジーナもビームサーベルを格納させてライフルを抜き放ち、レオナの“ローガンダム”に向けて撃ち込む。だが、当たらない。ライフルの撃ち合いをしつつ、レオナは間合いを詰めていった。何発撃ち合ったか分からない。ついにレオナの“ローガンダム”のライフルが、ジーナの“ローガンダム”の右肩を撃ち抜いた。ジーナの“ローガンダム”の姿勢が崩れる。その隙にレオナは間合いを一気に詰め、ライフルを格納して再びビームサーベルを抜き放った。

「今、楽にしてあげるわ。さようならジーナ」

「……や、やられる!」

 レオナの“ローガンダム”は、ビームサーベルを振り下ろした。また、高熱素粒子の激突が、悪夢のような極彩色と轟音をまき散らす。あれ、おかしい。モビルスーツを斬ったのなら、こんなことは起きないはずなのに…。

「選手交代だ、飯炊き女。邪魔だから、どっか行け」

「ア、アロワ??」

 レオナとジーナの間に割って入ったのは、アロワの“ジ・オープラス”だった。レオナの“ローガンダム”のビームサーベルを“ジ・オープラス”のビームサーベルで受け止めたアロワは、強制的にジーナと回線を開いた。

「お前の仕事は何だ。こんなポンコツ人形に勝つことか?」

「………」

「すぐ熱くなりやがって。だからお前は飯炊き女なんだ」

「うるさーい。何回も飯炊き女って言うな!」

 ジーナは涙目になっていた。憎きレオナに勝つことができないからか、アロワなんかに二回も助けられたからか、ジーナには分からなかった。興奮冷めやらないジーナの姿を見てアロワはため息をつき、毛を逆立てている猫を憐れむようにして言った。

「まだ分からんのか。あの仮面野郎を一人にしていていいのか?お前の役目は、あの仮面野郎を守ることだろうが。さっさと仮面野郎のところへ行きやがれ!」

 “ジ・オープラス”はジーナの“ローガンダム”の胸に手を当て、ぐっと押し出した。ジーナの“ローガンダム”は、重力に引かれるようにして火星総督府のほうへと力なく落ちていった。

「……おまえ、私のことをポンコツ人形呼ばわりしたな!」

 ビームサーベル同士で接しているため、レオナとアロワの感応波が触れ合った。アロワは冷ややかにレオナを見下した。

「うちの飯炊き女に散々なことをしやがって、このポンコツ人形が。いや、ポンコツでも生ぬるい。お前は所詮ただのガラクタ人形だ。まぁ所詮ガラクタだから、泣いて謝ったら今回だけは見逃してやる。尻尾を巻いて逃げ出して、一生穴倉の中で息を潜めて暮らすんだな」

「…おまえ一体、何様のつもり!」

「一等兵さまだ」

 アロワが偉そうにうそぶくので、レオナは声を上げて笑った。

「一等兵?一等兵ごときが少尉の私に偉そうな口を叩くとはね。笑っちゃうわ。お前こそ、泣いてわめいて私に許しを請うたらどうなの」

「ピーチクパーチクうるさい人形だ。俺と戦うつもりなら、さっさとかかってきたらどうだ」

「やかましいわね。言われなくたって……」

 レオナは操縦桿を動かした。ところが、どうしたことか“ローガンダム”は動かない。パネルを操作しても、感応波を使いサイキックを使っても、やはり動かない。どうしたというのだ?画面を見た。よく分からない文字や記号が勝手に無数に並び、スクロールしている。レオナはパニックに陥った。

「ガンダム、動け。“ローガンダム”、なぜ動かない!??」

「ニュータイプ専用機なんかに乗っていたのが間違いだったな。ガラクタ人形ごときが、俺の感応波に勝てると思ったのか?」

 アロワは冷笑した。ニュータイプ専用機は、通常の駆動系と感応波による駆動系の二つがあり、感応波の駆動系が優先されるよう設計されている。ゆえに、通常の駆動系よりもすばやく反応してモビルスーツを動かすことができるのだ。“ローガンダム”にも感応波の駆動系が存在する。余程のことがない限り、パイロットの感応波が妨害されることはない。ないはずなのだ。なのに…

「…く、駆動系が乗っ取られた???」

 レオナの背筋に冷や汗が滴り落ちた。こんな強烈な感応波、味わったことがない。とんでもないプレッシャーがレオナを襲った。

「動け、動け、うごけえぇぇぇ!!」

「冥土の土産に教えてやる。お前は、人の顔色を見ることと、人の弱みに付け入ることしかできない。自分に中身がないから、肩書きや人を貶めることでしか自分をアピールできない。だから、お前はただのガラクタ人形なのだ。来世では徳を積んで、中身が詰まっている善人にでも生まれ変わるんだな」

 ジーナの“ローガンダム”を突き飛ばした左手でライフルを握ると、“ジ・オープラス”はレオナの“ローガンダム”のコクピットに向けてビームを撃ち込んだ。



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PHASE 4(4)威厳

 スナイ少佐の率いる“ヴィーザル”のモビルスーツ部隊は、攻撃してきたクーデター軍のモビルスーツをほとんど無傷で討ち果たしていた。とにかく動きが鈍い。あれでは攻撃を当てて下さいと言っているようなものだ。

「おそらく、兵糧攻めが効いているのだろう…」

というのがスナイの見解だった。食糧が行き渡るのは上層部だけで、末端は食糧不足で飢え死にするというのは、はるか太古から綿々と受け継がれる常識だ。その常識からクーデター軍も逃れられなかったのだろう。人間、腹が減ると気力も判断力も鈍る。腹が減って現場の人間すなわちモビルスーツのパイロットの能力が、十分に発揮されなかったのだろう。一時、人工知能による全自動攻撃が流行ったが、それを妨害して無力化させる技術も進歩してしまい、今や全自動攻撃兵器は存在しない。戦局を左右するのは、いつの時代でも人間次第なのだ。

 早々とクーデター軍のモビルスーツ部隊を片付けたスナイ隊は、ロニーの“ユウギリ”と合流すべく火星総督府を目指して全力疾走していた。ちょうどそのとき、上空から落下してくる物体をキャッチした。

「…“ローガンダム”?ジーナか」

 落下物の照合確認した結果をスナイはつぶやき、自らの機体“マリウス=ゼータ”を飛行形態に変形させた。機体を上昇させて“ローガンダム”に接近し、落下する“ローガンダム”と速度を同調させてから自らの機体の背中に“ローガンダム”を乗せた。

「ジーナ。聞こえるか?」

 返事がないので、スナイは何度かジーナの名を呼んだ。しばらくしてようやく返事が届いた。

「少佐…、私、ダメだった…」

 ジーナの声は弱々しかった。何かあったのだろう。気の利いたことでも言えればいいのだが、スナイには何も思いつかなかったので、とりあえず思っていることを口にした。

「ダメだったか。だが、お前はまだ生きている。いちいち気にしていると先へは進めないぞ。生きている人間には、何かすることがあるはずだ。過去の事はとりあえず置いて、何をすべきかを考えてみたらどうだ」

「似たようなこと、アロワにも言われた…」

 うわ、失敗したかな。スナイは焦った。このまま意気消沈されていても困る。何を言えば元気を取り戻してくれるだろうかとスナイが思案を巡らしているうちに、ジーナが沈黙を破った。

「私がしなければならないことは、大佐を守ること。大佐を守ることが私の望み、私の願い…」

「そ、そうだ、ジーナ。我々も同じ思いだ。全速力で“ユウギリ”の元へと向かうから、しっかりとつかまっているんだぞ」

 ジーナが自分で答えを出してくれてほっとしたスナイは、周囲に合図を送るとアクセルを全開にした。

 

 ロニーは乗機である“ユウギリ”を、先ほどまでレオナの“ローガンダム”がいた火星総督府のヘリポートに降り立たせた。妨害は全くない。熱探知センサーを起動させ、周囲に人間がいないかを確認する。建物の内部には、人間らしきあやしい光点がちらほら見受けられるが、外部にはない。安全そうに思われたのでロニーはコクピットを空け、備え付けられている簡易昇降機を出現させて地上へと降り立った。念のためホルダーからブラスターを取り出し、目に入った入り口へと駆け寄る。空いている左手で端末を取り出し、数秒操作してセンサーを扉に向けた。簡易熱探知センサーだ。人間らしき光点を感知しなかったので、ロニーはドアノブを握った。

「…開いている」

 ロニーはゆっくりと扉を開けた。中から音は聞こえない。まだ中に踏み込まず、そっと中の様子を伺う。中の天井を見ると、何やらセンサーらしきものがあった。あれで、出入りしている人間を探知しているのだろうか。そのセンサーらしきものが一瞬キラリと光った。

「侵入者を探知したか?」

 ロニーは焦ると同時に、壁を利用してセンサーから身を隠した。だが、何も反応がない。警報が鳴るわけでも、機銃が出現して発砲を始めるわけでもない。静寂なままだ。ロニーはもう一度センサーに身をさらした。またセンサーが光を放ったが、何も起こらない。

「どういうことだ?」

 火星総督府の警報システムは、ロニーを敵と判断しないようだ。理由を考えても埒が明かないので、ロニーはかぶりを振ったあと、そろりと中を覗き込んだ。ちょうど廊下の途中のようで、左右に通路が伸びている。左は扉が閉められていて先が見えないが、右は広間へとつながっているようだ。熱探知センサーを左右に向けた。右には3~4個の光点。左にはない。

「わざわざ危ないほうに行く必要はないだろう」

ということで、左に向かいドアノブに手をやる。鍵はかかっていない。ゆっくりと開けて、中を覗き込んだ。ロッカーやら机やらが適当に置かれている。駐在兵の詰め所みたいだ。無人であることから、全員出動中なのだろう。ロニーが入った入り口とは別の扉がある。そちらに熱探知センサーを向けた。光点が一つ扉へと近づいている。ロニーは急いでそちらに向かい身を潜めた。2mくらいの長さの紐のようなものが机に置いてあったので、すばやく掴み取る。熱探知センサーをしまい、ブラスターを構えた。扉が開いた。入ってきた人物にロニーは不意打ちをかけて飛び掛り、したたかに打ちのめすと押さえ込んで、入ってきた人物の頭にブラスターの銃口を押し付けた。

「所属と階級、そして名前は」

「かっ解放軍司令部直属のっ、いインベル大尉だ…」

 ロニーの誰何に対して、犠牲者は力なく答えた。どこかで聞いた名だ。だがロニーにとってこいつの正体なんかどうでもよかった。それよりも、

「死にたくなかったら、これからネト中将の下へと案内するのだ」

「は、は、はいいっ」

 ロニーは先ほど入手した紐らしきものでインベルの後ろ手を縛り、銃口を突きつけたままインベルを無理矢理立ち上がらせた。

 

 扉を開けると、そこは玄関ホールだった。2階へと続く大きな階段がある。正面玄関だから銃を担いだ兵士が数人おり、そのうちの一人がロニーたちに気付いた。

「貴様、何者だ!?」

 無個性的な問いかけを、兵士がロニーに投げつけた。ロニーが気の利いた答えを返してやろうとする前に、インベルが情けない声を上げた。

「な、何もするな。こ、この方は………私の客だ!」

 客だって?自分の考えなんかとは異次元の答えに、ロニーは唖然とした。後ろ手を縛り、銃を突き付けている相手が客ではないということは、子供だって分かる。言われた兵士も、どう応対すればいいのか困った様子だった。

 ロニーは兵士との距離を詰めた。戸惑う兵士は、ロニーの圧に屈して後ずさりして、ロニーたちに道を譲った。他の兵士たちもロニーたちに近づこうとするが、そのたびにインベルがロニーを自分の客だというので、後ずさりする。結果、いとも簡単に2階へと上がることができた。

 インベルが、あまりにも簡単にロニーの問いに答えるわ、兵士を下がらせるわで、あっという間にネト中将の執務室までたどり着いた。ここまで来れば用がないので、ロニーはインベルを突き飛ばして転倒させると、ドアノブに手をかけた。ガチャリ。鍵はかかっていない。ドアノブを回して、片開きドアを手前に引いた。

 中は、オーク材を主に利用した、重厚な作りとなっていた。もともと総督執務室だったところなので、当然といえば当然といえよう。中の住人は一人だけだった。

「招待した覚えはないが、一応ようこそと言っておこうか」

 この部屋の唯一の住人であるネトは、ノックもせずに勝手に入ってきた仮面の男をデスクに座ったまま見据えた。浅黒い肌、白髪が混じった短い縮れ毛、肥満気味のがっしりとした体つきのネト中将は、クーデター発生前と比べて一回り小さくなったようにロニーは感じた。敗色濃厚となったことでネト中将の覇気が衰えたからか、それとも自身が成長したことによるものか、ロニーには分からなかった。

「アルセイスで第二軍集団は潰え、ウラノス=シティの火星解放軍も組織的抵抗力を失いつつあります。ネト中将、どうか矛を収めて、火星自治共和国に降伏して下さいませんか」

「………」

 ネト中将は押し黙った。広報部長のチャン中将をはじめとした治安維持対策委員会の幹部の姿が見えない。他の場所で陣頭指揮でも執っているのか、それとも…

「……他の幹部たちもすでに出撃してしまった。もはや帰ってくることはないだろう。このあたりが潮時なのかもしれないな」

 ネト中将の声は、敗軍の将が持つ独特の寂寥感に満ち溢れているように思えた。彼は一つだけ大きなため息をつくと、改めてロニーを見据えた。

「火星自治共和国のロニー枢密顧問官だったかな。貴官の進言を受け入れる。全軍に戦闘行為の中止、武装解除と原隊への復帰を命令するつもりで、すでに準備を進めている。それも、もうすぐ終わるだろう」

「そうですか。閣下のご英断に感謝いたします。つきましては…」

「そんなに慌てなさんな。全軍への通達が済んだら、ここへ戻ってくるつもりだ。貴官が私に会いに来たように、私も貴官が来るのを待っていたのだから」

「は、はあ…」

「準備完了のお呼びがかかるまで、少し話をしようか」

「………」

 あまりにもすんなり降伏勧告を受け入れた割には、もったいぶったことを言うネトに、ロニーは調子を狂わされた。この人には調子を狂わされっ放しだ。ロニーは思う。眼差しも声色も柔らかく、策を巡らしてクーデターを引き起こすような意志の強い人物には、とても見えない。ロニーが第217師団作戦参謀タカハシ=トオル中佐であった頃から、その印象は変わらない。取り立てて目を引くところのない、ごく一般的な軍人のネト中将のどこに、火星全体だけでなく連邦政府をも巻き込んだクーデターを引き起こす力があったのだろうか。ロニーはネトの語る言葉に興味を持ったので、ポケットにしまいこんでいるボイスレコーダーのスイッチをオンにして、ネト中将が語り出すのを待った。

 やや間をおいて、ネト中将は話し始めた。

「実を言うと、貴官には我が陣営に来てほしかったのだよ、ロニー中将。いやタカハシ=トオル大将閣下」

「えっ!」

 ロニーは二重の意味で驚愕した。ひとつは、自分がかつでの部下であったことをネト中将が知っていたこと。さらにもうひとつが、まさか自分をそこまで評価していたなんて思いもしなかったこと。

 返答に困っているロニーの姿を見て、ネトは口角を緩ませた。

「ここの防犯システムに検知されずにこの部屋まで辿り着けるのは、我々火星治安維持対策委員会の関係者、もしくは地球連邦政府の高官だけだ。委員会の関係者でなければ、連邦の高官ということになる。火星圏にいて我々の拘束から逃れている連邦の高官は、たった一人。それは、第三総軍総司令官代理だ。つまり、貴官を第三総軍総司令官代理とシステムが認知したからだよ」

「…あぁ、なるほど」

 仮面を被り変装していても自分をタカハシ=トオルと認知する連邦の警備システムと、そこからロニー=トオルという答えを導き出したネト中将の分析力に、トオルは驚きを隠しきれなかった。そんなロニーの様子を見て、ネトは微笑を浮かべた。

「それはそうと、少し前の事だが、貴官にウラノス=シティへ荷物を届ける役目を与えたと思うが、覚えているかね」

「…よーっく、覚えております」

 ほぼ確実に失敗する任務を与えるなんて、あれこそ嫌がらせの最たるものだ。でもまあ、そのおかげでジーナたちに会えたのだからよしとするか、とロニーは思っている。忘れようにも忘れられるはずがなかった。

 ロニーの口調に棘があるのに気づき、ネトは苦笑した。

「あのとき、貴官が無事にウラノスから帰って来るとは、全く想定していなかった。渡していた予備のローガンダムを奪われることなく。しかも、初めて会った部下を使って…」

「………」

 やっぱりそうか。ロニーは思った。最新鋭機であるローガンダムを火星解放軍の管轄下に置くための芝居として、ロニーことトオルたちは利用されたのだ。最新鋭機のローガンダムの配属先は統合参謀本部が直々に決定するので、クーデターを決行するまで放置していると、ネト中将たちの手が届かないところへ行ってしまう可能性が高い。そうならないようにするためにも、火星に配属されるタイミングでローガンダムが、奪われたことにするなり、破壊されたことにするなりにして、連邦軍の管理下から外し確実に手元に置きたかったのだろう。それが、ネト中将たちの期待に反して、奪われることなくローガンダムを命令通りにアキレウスまで運んできてしまった。だから、ネト中将もチャン中将もトオルに冷たかったのだ。

 ロニーの内心なんて気にも留めずに、ネトは話を続ける。

「貴官の作戦実行能力には、目を見張るものがある。我が火星解放軍の一員となって欲しかったから、名目上貴官を退役させないことにした。そのことを知らせようと貴官の官舎に行ったのだが、そのときすでに貴官は官舎を引き払っていて、そこにいなかった。行方を捜すために方々に手を伸ばしたが、どうしても見つからない。そのせいで貴官とコンタクトが取れなくなってしまったのだが、それは我々を避けていたからなのか?」

「そ、それは…」

 ロニーは返答に窮した。おそらくそれは、ジーナを引き取ったばかりの頃のはず。まだ精神的に安定していなかったから、ジーナはよく壁を蹴ったり大声を上げたりして近所迷惑を撒き散らしていた。そのせいで同じところに住み続けることができず、引越しを繰り返していたのだ。トオルの足跡を追うことができなかったのは、きっとそのせいだろう。もしトオルがジーナを引き取っていなかったら、一体どうなっていたのだろうか。

 ネトはロニーの返答を待たずに言葉を続けた。

「貴官の存在を知ったのは、ブルーム氏が非常事態対処法を執行して貴官が保安司令官になった時だった。おかげで我々は貴官に手を出せなくなってしまった。ホントに厄介なことをしてくれたな」

「それ、ルーデンドルフ提督にも言われた気がします」

「それはそうだろう。どうせ非常事態対処法の執行も、貴官が絵図を描いたのだろう。あんなカビが生えた古い法律に目を留める人間なんて、おそらく貴官以外誰もいないはずだ。ティターンズの消滅とともに、あの法律を連邦政府が廃止にしてくれていたらと、しみじみ思うよ………」

 立憲民主国家にとって、法律というものは絶大な力を持つ。時には社会の在り様すら変えてしまうほどの。だから法律は、成立させるにしろ、廃止にさせるにしろ、大変な労力と困難を伴う。立法行為に対し、真面目に真剣に全身全霊を懸けて取り組んでいる議員たちが、一体どれほどいるのだろうか。非常事態対処法なんて、執行するための構成要件さえ狭めてしまえば誰も使えないと立法権者が高をくくった結果、トオルに利用され多くの人に影響を与えてしまった。社会の安定と発展は、立法府に懸かっているといっても過言ではない。その立法府の構成員、そしてその関係者が、自己の利益や目先の支持者個人に振り回されたりすると、社会が歪んでゆく。少々歪んでも形は保たれるが、歪みが続いて捻じ曲がっていくと、いずれは千切れて破綻してしまう。前の人がやっていたからと、歪みを正さずに同じ歪みを続けた結果が、今回の火星内乱につながってしまった。ネトもロニーも互いの内心を知ることができなかったが、この思いは一致していた。

 ネトはまた一つため息をつくと、腕を組んでロニーを見やった。

「………人間は理性と感情を持った生き物だ。連邦政府の圧政を良しとしない人々の感情が高まっていた。我々は、その感情を代弁した。だが、理性が伴っていなかったのかもしれない。感情の赴くまま、行動していったのが間違いだったのかもしれない。だが貴官たちは…」

「それは、我々も例外ではありません」

 ロニーは自らを毅然として断罪した。ロニーの発した言葉はネトの予想を超えていたので、ネトは腕組みを解いて身を乗り出した。

「何故、そう言い切れるのかね」

「我々は閣下と戦争をしてしまった。同じ土俵に上がってしまった。戦争は感情が高ぶったもの同士がぶつかり合う最悪の結末です。私も火星自治共和国を預かる指導者の一員として、戦争に関わりました。私の指導の下、おびただしい量の血が流れました。たとえどのような理由を並べようと、その事実は消えようがありません」

「そうか、そうだな。だが、それは少し違うぞ」

 ネトは椅子から立ち上がった。

「戦争状態にしてしまったのは、私たちとレスコさんたちだ。君たち若者ではなく、我々年寄りどもだ。年寄りどもの浅知恵のせいで、君たち若者に苦労をかけてしまった。申し訳ない………」

 ネトは深々と頭を下げた。予想外のネトの言葉と行為に、ロニーはどう反応すればよいのか迷った。ロニーが言葉を選んでいた丁度そのとき、扉をノックする音が響いてきた。

「…どうやら放送の準備が整ったようだ。愚かな戦争というものを終わらせることにしよう。放送が終わったら、貴官たちが勝利者だ。戦争犯罪人として敗者である私を逮捕拘禁して欲しい」

「はっ」

 威厳に満ちた敗者に対し、ロニーは思わず敬礼を施した。




 次回、いよいよ最終話です。
 長かったようで短かったような…
 ただ、投稿がいつになるか全く読めません。

 最後までお付き合いいただければ幸いです。
 よろしくお願いします。


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去竜篇
エピローグ


 ネト中将の敗戦宣言により、火星治安維持対策委員会の解散及び火星解放軍の武装解除が始まった。ネト中将の統制が行き届いていたため、クーデター軍の抵抗によりウラノス=シティが市街戦で壊滅するような事態は避けられ、火星自治共和国軍第二任務部隊によるウラノス=シティ占領は順調に進み、三日を待たずして完了した。

 占領が進むにつれ、クーデター軍に参加した将兵の逮捕及び復員、逮捕した戦争犯罪人の捜査及び起訴、クーデター軍解散に伴う新たな統治機構の確立などを手掛ける軍政庁の設置が急務となった。当初、火星自治共和国の最高意思決定機関である枢密院は、軍政庁の最高責任者である軍政長官に、クーデター軍との戦いを主導した火星自治共和国軍第二任務部隊の司令長官であるロニー中将を指名した。ところが、

「これから平時へと移行していくことを考えると、第二任務部隊の軍人で最高位にいるアーミル大将がふさわしいと考えます」

とロニーが固辞したため、改めて枢密院で人選を進めることになった。その代わりといって枢密院は、ロニーに対し新たな軍政長官が着任するまでの間は軍政長官の代行をするよう、強く要請した。さすがにこの要請を断ることはできず、ロニーはやむなく代行就任を承諾した。そのロニーが、軍政庁として接収した旧火星総督府に入ってからまもなく、彼にとって極めて不愉快な人物を引見しなければならなくなった。地球連邦軍第三総軍総司令官アウグスト=ドゥセック上級大将。ネト中将のクーデターで失脚し、官舎で軟禁されていた人物である。ちなみにハッタ火星総督は、ネト中将の証言によると軟禁中に持病が悪化して死亡したとのこと。

 ネト中将に代わり総督執務室のデスクに腰かけているロニーは、机を挟んで目前にいるドゥセック上級大将を見やった。プロフィールによると年齢は42歳、身長176cm。やややせ形で、金髪をきちんと整髪料で整えており、上級大将の軍服をきれいに着こなしている。顔立ちは世間並よりもやや悪い。長い軟禁生活のせいで、やつれているように見えるが、目元だけは憤然としていた。

「上級大将である私を呼びつけるとは、一体貴様、何様のつもりだ?」

 怒気のこもった鋭い声を上げて、ドゥセックはロニーを睨みつけた。他者を気遣うことなど無縁の生活を送ってきた人間が持つ尊大な態度は、ドゥセックの生い立ちが大きく影響している。彼は、これまで百年以上に亘って多くの政治家、官僚、高級軍人を輩出してきた名門の生まれである。父親は軍機省の官房長から転出した外郭団体の理事長、母親は当選11回の現役上院議員。兄は最高裁事務総局の次長、姉は大学病院の教授である。上級大将以上は、軍上層部で構成される参議官会議の推薦と連邦議会の承認を受けなければ叙任されない。アウグスト=ドゥセックが40歳そこそこで上級大将にまで昇進できたのは、能力ではなく両親の力によるものだとの噂が、あちこちで囁かれている。アロワの尊大さは、自身の能力に裏打ちされたものなので、まだ可愛げがあるが、ドゥセックの尊大さは、生い立ちというただの偶然に裏打ちされたものなので、ロニーは凄まじい嫌悪感に襲われた。

「私は、地球連邦政府軍機長官及び地球連邦軍統合参謀総長が、連名で発した命令書を預かる身である。姿勢を正して敬礼を施せ」

 ロニーが「軍機長官」「統合参謀総長」の単語を発したので、ドゥセックはこれまでのふてくされた表情を打ち消して、直立不動の姿勢を取った。肩書で人を判断する安直な人間なんて、世界中に掃いて捨てるほどいる。目の前にいる人間がその典型であることにロニーは落胆を感じつつも席から立ち上がり、机の右手に置いてある命令書を手に取って内容を読み上げ始めた。

「第三総軍総司令官アウグスト=ドゥセック上級大将

 第三総軍総司令官の任を解く

 統合参謀本部付を命じる………」

「な………」

「速やかに地球へ向かうようにとのことです。外に車を待たせておりますので、今すぐアキレウス基地へいらして下さい」

「今すぐにだと…、ふざけるな。俺はフェルミ元帥に次ぐ軍のナンバー2だ。俺の都合を無視した要請など、聞く耳を持たぬ」

「閣下のご都合など、この際全く関係ありません!!」

 ロニーは言い切った。有無を言わさないロニーの迫力にドゥセックは言葉を失った。そんなドゥセックを、ロニーは冷然と凝視した。

「統合参謀本部は閣下に対し、今回のクーデターを防止できなかった責任があると考えています。近々に軍法会議が開かれますので、相応のご覚悟をなさいませ」

「……そ、そんな、バカな…。そんなこと、議会が許すはずが…」

「ちなみにドゥセック上院議員は、弾劾裁判の被告となっており、現在職務停止中です。そして、閣下の上級大将位の剥奪が、議会に上程されているとのこと」

「…………」

 入室してきたときの威勢は一体どこへ行ったのか、ドゥセックの体は小刻みに震え、表情は青ざめていた。そんなドゥセックなんかに興味がないと言いたげに、ロニーは左手で受話器をつかむと、内線で衛兵を呼び出した。入室してきた衛兵にロニーは命じた。

「ドゥセック閣下を拘束せよ。そしてアキレウスへと連行するのだ」

 ロニーに敬礼を施した衛兵は、無造作にドゥセックの肩を掴むと、強引にロニーの元からドゥセックを連れ出した。ドゥセックの姿が扉の向こうへと消え去るのを確認すると、ロニーはイスに腰掛けて深くため息をついた。

「ネト中将は、とても潔い方だった。それに比べて……」

 きっと、ネト中将は死罪となる。だがドゥセックは、せいぜい短期の有期刑。何とかしようと行動した人物よりも、何もしない人物のほうが、罪が軽いのか?やりきれなさがあふれだし、ロニーは思わず拳を机に叩きつけた。

 

 ウラノス占領からおよそ二週間後、ようやくロニーは自分の時間を作ることができた。ラモンとカタリナを自室に呼んだところ、ジーナ、ハムザ、そしてアロワもくっついて来た。

「閣下の素顔を見るのって、いったいどれだけぶりですかねぇ」

 ハムザがしみじみとロニーことトオルの顔を見た。このメンバーのとき、ロニーはトオルの素顔をさらしている。トオルは苦笑いしてハムザを眺めた。

「やることが多かったからね。でも、それもあともう少しだ。そうだろ、カタリナ秘書官殿」

「そうですね。占領マニュアルさえ出来てしまえば、現場が回り始めます」

 ロニーの軍政長官代行就任とともに、カタリナは軍政長官代行付秘書官へと異動した。ハムザは情報分析を担う軍政庁第二部一課勤務となっている。階級は少佐から降格の大尉。これはハムザ自身が、ロニーに強く申し出た結果によるものだった。

「少佐のままだと課長補佐として部下を率いなければなりません。戦時ならともかく、まだ二十歳そこそこの若造の私が、平時に年上の部下を使いこなすことなんて、とてもできません。何卒ご慈悲で私を降格にして下さい」

と涙ながらに訴えるものだから、部下を持たない課付の主査にしてもらったというわけだ。それ以外は、所属と階級に変更はない。

 宇宙戦闘母艦“ヴィーザル”第二代艦長であるラモン大佐が、トオルに尋ねた。

「占領政策が終了するのは、いつごろの見込みなのですか?」

「そうだなぁ」

 現在、軍政長官を管轄する事後処理委員会のメンバーが集結中だ。委員は全部で9名。委員に枢密顧問官は含まれていない。軍政長官の決定を委員会が了承し、枢密院が承認して法的拘束力が発生する仕組みだ。民主的プロセスを考えるとこういう仕組みになるのだが、事後処理委員会の委員から見ると、軍政長官代行のロニーは部下になるが、枢密顧問官のロニーは上司になる。ロニーが軍政長官就任を固辞したのは、こうした矛盾を回避することも理由だが、これは二番目の理由だった。

「火星解放軍の復員、戦後復興計画の策定と実行、軍事裁判の開始から判決……。こうした占領政策のロードマップを網羅した占領マニュアルが始動して、早くて三年だろうね」

「…なるほど、まだ先は長いですね」

「なぁに。きっと長くは感じないはずだ。それだけ戦後処理というのは大変なのだよ」

「何事もそうですな。火事は起こすのは簡単だが、消火活動は大変だ」

「そうそう。火事は一人でも起こせるけど、消火活動には多くの人手が要る」

「と、いうことは軍政庁に応援が来るのですか?」

「来てもらわないと困るだろう」

 地球連邦政府に介入の口実を与えることなくクーデターを鎮圧するという公約をロニーは守ったのだから、軍政庁職員の増員は当然とロニーは枢密院に迫り、人員と予算全てにおいて満額の回答を得たのだった。

「これからは、武器を持たない戦いになる。うんざりするが、軍政長官が赴任してくるまでの辛抱だ。命の危険がないだけマシとするかな」

「そんなに面倒なのですか?事後処理委員会の委員たちというのは」

「まぁ、その中にルーデンドルフ提督直属の部下が二人いるからね。きっと私たちのことを面白く思っていないはずだ」

 彼らからすると、古くからアリップに関わり、軍事面でルーデンドルフに次ぐ重鎮であるとそれぞれ自認していたのに、いきなり枢密顧問官兼第二任務部隊司令長官としてルーデンドルフ提督に次ぐ座についたロニーや、その一派のことを面白いと思うはずがない。妨害はないだろうが、無理難題くらいは押し付けてくるであろうことが十分に予想された。だが…

「火星自治共和国には、今のところめぼしい強硬派というものが存在しない。これだけはありがたいね」

「ふぅん。穏やかな奴ばっかりか。よかったな」

 ぶっきらぼうにアロワが同調した。関心なさそうなアロワに対し、トオルは熱弁を振るった。

「そうなんだよ。クーデター軍すなわち火星自治対策委員会と火星自治共和国は、権利回復推進同盟すなわちアリップから別れて出来たのだが、強硬派が火星自治対策委員会に集まり、穏健派が火星自治共和国に集まった。だから、火星自治共和国には強硬派が少ない反面、優柔不断で決定が遅い」

「穏健派と強硬派。俺たちはさしずめ、草食動物といったとこか。草食動物が肉食動物に勝ったのか」

「…極端だが、まんざら外れという訳でもないな」

 アロワの奴、うまいこと言うなとトオルは思った。

「肉食動物よりも草食動物の方が数も多いし」

「その話はもういいとして、どうして軍政長官にならなかったのだ?」

 アロワは話の流れを変えた。アリップの内紛なんぞに興味がないようだ。

 もう少しその辺りのことを話したかったトオルは、苦笑を浮かべて頭をかいた。

「アキレウス基地でラモン艦長が言っていただろ。私は中枢に警戒されているって」

 アルセイス会戦の真の英雄ロニー=ファルコーネ枢密顧問官が、優秀な人間を集めて火星自治共和国から自立してしまうのではないか。この疑惑が、共和国内部で囁かれている。内乱が続く限り、ロニーの戦争指導力は必要不可欠なので、トオルの身は安全だった。だが、その内乱はついに終結してしまった。

「内乱が終了したら、私はお払い箱だ。生きていようが死んでいようが、共和国にとっては、どうでもいいことになる」

「………」

「自立が噂される危険因子は処断する。政府の人間であれば、誰もがそう思うだろう。だから、あれからすぐに手を打ったのだ」

「その手とは?」

 真面目な顔をしてアロワがトオルに尋ねた。ラモンたちは皆ニヤニヤしていたのだが、そのことにアロワは気付かない。トオルも真面目な顔をしてアロワに答えた。

「火星自治共和国は、いずれ政府を代表して公使を地球に派遣することになる。その高等弁務官に就任させてもらえないかと、レスコ主席とパク外務卿に働きかけていたのだ。それがようやく認められた。新たな軍政長官が赴任して来次第、私は地球へと向かう」

「な、何で地球に?」

「だから、火星に居続けると危険だからだよ。このまま火星に居座り続けたら、権力闘争に巻き込まれた挙句、暗殺されるか、罪をでっち上げられて罪人として処刑されるかの二者択一になる。それならいっそ、地球へ行った方が安全だ」

「地球だって危険なんだろ。もともと仮面を被っているのは、地球連邦政府から身を守るための変装だって聞いたぞ」

「火星自治共和国に参加した当初は、そうだった。だが、今となっては状況が異なる」

 火星自治共和国の成立承認後に地球連邦軍第三総軍総司令官代理タカハシ=トオル大将が生きていて困るのは、火星の内乱が終結するまでの間だ。火星自治共和国が内乱を治めて火星統治を不動のものとしてしまった後だと、連邦政府及び連邦軍に介入の余地がなくなるので、地球連邦軍第三総軍総司令官代理が生きていたとしても大した問題にならない。

「…火星自治共和国には、元連邦の高官がゴロゴロいる。私もその一人に過ぎなくなるって訳さ」と、トオル。

「そういう訳で私は、高等弁務官付秘書官の辞令が下りる予定なの」とカタリナ。

「私は高等弁務官事務所の国防駐在官に異動となる」とラモン。

「俺は軍籍を離脱し、高等弁務官事務所の技官に就職予定」とハムザ。

「私も軍を辞めて、地球の高校に編入するの」とジーナ。

 次々と地球行きの話が飛び出すので、アロワは面食らった。

「何だとぉ。そんな話、俺は何も聞いていない!」

「だって、アロワ。あんた火星で土地を買い占めて農耕王になるんでしょ」

 ジーナは舌を出してニヤリと笑った。からかわれたアロワは尖った声を上げた。

「やかましい。俺に農地を買い占める金なんてない」

「あんた自分のこと、太陽系を総べる皇帝とか言ってなかった?」

「それ、次言ったら殺す」

 アロワが身を乗り出してジーナに凄んできたので、ジーナは降参の素振りをした。

「ごめん。もう言わないから。そういうと思って、アロワにも提案があるのでしょ、トオルさん」

「まぁな。アロワが気に入るかどうか分からんが…」

「皇帝だったら、真っ平御免だからな」

 木星時代はアロワにとって黒歴史となったようだ。こいつの性格はそう簡単には変わらないはずだと睨んでいたトオルは、いい意味で予想を裏切られて少し嬉しかった。

「アロワ。お前、アナハイム=エレクトロニクスに籍を置いて、大学へ通わないか?」

「アナハイム?月のグラナダに本社がある、あのアナハイムか?」

「そうだ」

「お前らみんな地球なのに、俺だけ月か?腑に落ちないな」

「いずれ月が赴任先になるかもしれないが、大学は地球だ。アロワ、お前の知識は一方に偏りすぎている。もっと満遍なく知識を蓄えたほうがいい。どうだ?」

 アロワは木星からの脱走者だ。火星自治共和国の庇護があるだけでなく、太陽系最大の企業体であるアナハイム=エレクトロニクス=コンツェルンに籍を置けば、いくら地球連邦政府とはいえアロワには手を出しにくいはずだ。退職したとはいえ未だに影響力を残しているナイツェル副主席が、アナハイムへ働きかけてくれることをトオルに約束してくれていた。トオルはアロワの答えを待った。

 アロワはイスにふんぞり返ってトオルを見据えた。

「ロニーがそこまで言うのなら、期待に応えてやってもいいぞ」

「そんな生意気な態度を取るのだったら、今すぐ木星へ帰ってもいいんだぞ。ノーマルスーツとバーニアをプレゼントしてやるから、孤独な宇宙遊泳の旅に出たらどうだ」

「出た。またそれだ。お前には進歩というものがないのか」

「まぁな。どうも私は、ニュータイプというものには、なれそうにないよ」

「ニュータイプ…ねぇ……」

 アロワはつぶやいた。ジオン=ズム=ダイクンが残していった言葉、ニュータイプ。言葉だけで、確固たる定義は残されていない。多くの人がその中身を憶測したが、万人を納得させる定義を確立させた人はいない。ただ、一つだけ確かなことがある。いつぞや飯炊き女に言ったことがある。

「俺はニュータイプではない」

 火星に来て、その思いはより一層強くなった。もう、宇宙空間には戻りたくない。地に足をつけたい。その思いが日に日に増していった。

 アロワは、神妙な面持ちで姿勢を正し、トオルに向き合った。

「さっきは茶化して悪かった。地球の大学へ行かせて欲しい」

 このように言って、アロワは頭を下げた。こんな謙虚なアロワを初めて見たトオルは、一瞬驚きのあまり声を失いそうになったが、正気を取り戻して笑顔を作った。

「………分かった。だが、ひとつ条件がある。地道に勉強しろ。いくら私でも、裏口入学のツテは持っていないからな」

「ま、マジか…」

 落ち込むアロワの姿を見て、周りのみんなが笑い出した。

 

 アロワがトオルの部屋から退出したので、ジーナはアロワのあとを追いかけた。

「アロワ、ちょっと待って」

 ジーナの呼びかけにアロワは振り向きもせず、歩みを止めない。ジーナは駆け足でアロワの後姿に追いつき、アロワの肩を掴んだ。

「…何の用だ」

 ようやくアロワは立ち止まり、面倒くさそうにジーナの方を振り返った。ジーナはアロワの肩から手を離し、アロワに頭を下げた。

「あのときは、どうもありがとう」

「は?何のことだ?」

 アロワはきょとんとして、ジーナをじっと見つめた。美男子のアロワに見つめられて、ジーナは心なしか動揺した。

「あ…えっと、あのとき。助けてくれたでしょ。敵のガンダムから、私を」

「……あぁ、あれか?何で礼なんか言うのだ。意味が分からん」

「だって、あの時、あんたが私を助けてくれなければ、私、レオナに負けてた…」

「はぁ?お前、何を言っているんだ?あれは、お前の勝ちだろうが」

「………??」

 ジーナが不思議そうな顔をして黙ってしまったから、アロワは言葉を続けた。

「お前は何だ?ミジンコか?」

「はあ?あんた私をバカにしているの?」

 ジーナがこう言って、眉間にしわを寄せて詰め寄ってきたので、アロワは面倒くさそうに頭を振ってため息をついた。

「お前がミジンコとか一匹で草原をさ迷うイノシシとかなら、あの戦いはお前の負けだ。でもお前は違うだろ。お前には俺がいて、お前が俺をその気にさせた。だから、お前の勝ちだ」

「………でも、レオナには誰もいなかった」

「だーっ。分からん奴だな、お前は!」

 アロワは右拳で壁を叩いた。

「あのガラクタ人形は、ガラクタのくせに自惚れていた。あんなのを助ける奴なんか、どこにもおらん。だが、お前は違う。お前は………、ま、、まあ、あんなガラクタとは天と地ほども違う。何せ、お前は………、俺の大事な………」

「……大事な、何?」

 ジーナは腰を屈めてアロワを見上げた。ジーナが無邪気にじっと見つめてくるので、アロワはたまらず視線を天井に逸らした。

「………くっ、お、お前なんか…俺の、俺の……飯炊き女だ!」

「な、なにおう!!」

 ジーナは右拳で軽くアロワの腹を小突いた……つもりだった。アロワは苦悶の表情を作った。

「ぐはぁっ!!こ、この…、怪力ゴリラがぁぁぁ……」

「だーれーがーっ、怪力ゴリラですって!!」

 低い声を上げてジーナはアロワにさらに詰め寄った。たまらずアロワは両手を広げて降参のポーズをとった。

「暴力反対、パワハラ反対!!」

「ちょっと小突いただけでしょ。だいたい、あんた、貧弱すぎるのよ。もう少し鍛えたほうがいいわよ」

「そうだな、ジーナ。お前の言うとおりだ。じゃないと、こっちの身がもたん…」

「!………」

 初めて名前を言われ、ジーナは雷に打たれたような衝撃を受けた。普段とは違うアロワの柔らかな瞳に吸い込まれ、周りが見えなくなっていく。詰め寄ったせいでアロワの顔が目と鼻の先にある。心音が跳ね上がり、体中が一気に熱くなっていくのが分かった。アロワが放つ香りがジーナの鼻腔を甘くくすぐり、麻薬となってジーナの思考を徐々に痺れさせる。そのせいか、自分が瞳を閉じたことにも気付かない。アロワに強く抱きしめられたあとのことは、もう何も分からなかった。

 

 アロワとジーナが立ち去ったあと、しばらくしてラモンとハムザも退出していったので、最後まで残ったのは、部屋の主であるトオルと、トオルの秘書官であるカタリナの二人だけだった。しばらく上司と部下の会話を続けていた二人だったが、次第に話題は、引っ越し先となる地球のことへと移っていった。

「カタリナ、地球を離れて、どれくらいになる?」

「そうですね。任官して2年ほど、統合参謀本部にいました。それから火星の217師団へ転勤しましたから、5年は経ったと思います」

「そうか。地球にいる間、どこか旅行に行ったことはある?」

「いいえ。私は典型的なインドア派ですから。休みの日は、本を読むか、ドラマを見るか、外に出るとしたら、買い物に出るか、たまにジョギングするかですね」

「2年ほどしかいなければ、そんなもんだろうね。私も統合参謀本部に勤務していたことがあったが、君よりも短かった。結局、家か職場の近所しか足を運ばなかったな」

「それでしたら、次はいい機会ですね。思い残すことがないように、あちこち見て回られたらいいのではありませんか」

「そうだな。だが、自由気ままな旅行ができるのは、遠い未来のことになりそうだ」

 こう言ってトオルが遠い目をしたから、カタリナは一瞬不思議に思ったが、すぐに意味を理解した。第二任務部隊司令長官から地球駐留火星自治共和国高等弁務官へ異動になると同時に火星自治共和国枢密顧問官から退任するとはいえ、高等弁務官も火星自治共和国政府の高官であることに変わりはない。トオルに万一危害を加えられるようなことがあれば、地球連邦政府と火星自治共和国政府の間に緊張が走ることになりかねない。仕事中であろうと休暇中であろうと、トオルのそばには必ずSPがつくことになる。人目を気にせず自由気ままに過ごすことは、トオルが政府の高官を辞めない限り、叶うことのない夢幻に過ぎないのだ。

 トオルは再び視線をカタリナに向けた。

「どうせ、旅に出ることなんて、当面できないだろうね。高等弁務官になっても、やらなければいけない困難な仕事が待ち受けている。それをこなすのに精一杯だろうさ」

「困難って?閣下には、外交を助言するスタッフが大勢用意されるのでしょ?」

 パク外務卿は、トオルつまりロニーの高等弁務官就任に合わせ、強力な弁務官アドバイザーを用意した。トオルですらメディアを通して名前を知っている国際法の教授から若手の官僚に至るまで、十数名にも及ぶ顧問団が結成されたのだ。どうせパク外務卿の息がかかっているのだろうが、それでも外交経験のないトオルにとっては、ありがたいことだった。

「当面の交渉相手である地球連邦政府内務省を相手にするのであれば、彼らの存在はありがたい。きっと大部分を、彼らに任せることになるだろう。私が決めている仕事は、それとは別だ」

「内務省以外に、交渉する相手が連邦政府にあるとは思えないのですが」

「実はね、あるのだよ」

 トオルは、にやりと笑った。

「内務省という名称に違和感がないかい?地球連邦政府は世界唯一の統治機関だと、みんなが思い込まされている。もし本当に世界唯一の統治機関であるのであれば、治安警察や州政府を統括する省庁名は、総務省なり国務省と名乗るのが当然ではないか?」

「……確かに、そうですね」

「連邦政府は巧みに隠しているのだが、太陽系には地球連邦政府に属さず独立を保っている国家が存在している。そして、それらの国家と交渉する組織が地球連邦政府にあるのだよ」

「えっ、そうなのですか?」

 カタリナは驚きを隠せなかった。士官学校を卒業するまで、割と真面目に勉学に取り組んできた自負があるのだが、それなのに未だ地球連邦政府の管理に下ることなく、連邦政府と対等に肩を並べる国家があるなんて、全く知らなかった。

「未だに独立を保っている国家って、一体何なのですか?」

 たまらずカタリナはトオルに問いかけた。期待通りにカタリナが食いついてきたので、トオルは少し間を置いて、答えを言った。

「………宗教都市国家さ。そして、それらと交渉を行う地球連邦政府の組織は、外務局と言う」

 もともと、国際宇宙開発機構が地球連邦政府の前身である。宇宙での居住空間の創出、食糧及びエネルギーの供給といった世俗まみれの地球連邦政府にとって、宗教は扱いづらいものだった。宗教それぞれが長い歴史をもっており、独自の教義がある。それらも全て連邦政府という単一の組織に取り込むことは不可能だった。そこで、信者からの寄付金で運営される宗教国家に限り、独立を維持できることを地球連邦政府は認めたのだった。

 そして、宗教国家が独立を維持しているということを人々に感付かれないように、宗教国家と交渉する組織は省ではなく庁の下の局とした。但し、外務局長の席次は各省の長官と同等で首相直属である。ジオン公国の独立を目指すデギン公王は、外務局を独立の突破口とするため、ジオン=ズム=ダイクンが提唱したニュータイプ登場説に宗教色を施して教導隊を設立したが、文化技術省と軍部の後押しを受けたギレン=ザビの強硬策を前にして教導隊は親衛隊へと変質してしまい、デギンの策は潰えてしまった。

 トオルは、言葉を続けた。

「連邦政府の高官であったパク外務卿ですら、外務局については知らないことが多いとのことだった。まずは、外務局がどこにあるのか探し出す。そして、拠点と人員について調査する。それから、キーマンが誰かを割り出す。割り出したあと、そのキーマンの性格、嗜好、仕事の運び方、交友関係を調べ上げ、どのように交渉を進めていくべきか十分に策を練り上げる。それと同時に、そのキーマンと接触するにはどうすればいいか、検討に検討を重ねる。失敗したときの挽回方法を何通りも用意する。そして、全てが揃い次第実行に移す。あぁ、考えただけで吐き気がする。クーデター軍との戦いのほうが、気が楽だったなぁ」

 火星自治共和国の交渉相手が地球連邦政府の内務省から外務局に変わったとき、火星は真の独立を果たす。トオルはそう思っている。ただ、地球連邦政府が設立されて以来、外務局の交渉相手は一つも増えていない。あのデギン=ソド=ザビですら成功しなかった、恐ろしく困難な道だ。だが、困難だからと言って諦め、安易な道を選ぶと破滅が待っている。まかりなりにも政治指導者の端くれとなったからには、指導者が安易に走ってはならないのだ。

 字面こそ弱気だが、トオルの表情は生き生きしているとカタリナは感じた。これでこそ、タカハシ=トオル。私が好きになった人。肩書きこそ凄くなったが、知り合った時の地球連邦軍第217師団作戦参謀中佐の頃から何も変わっていない。私に何が出来るかわからないが、これからもずっと支えていきたい。カタリナが決意を新たにしているところを、トオルに話しかけられた。

「……ところで、カタリナ。今日の夜、空いているかな?ナイツェルさんに教えてもらった店が、クーデター軍の籠城戦にもめげずに営業を続けていたんだ。よかったら、一緒にメシでも食べないか?」

 トオルからの誘いを断る理由を、カタリナは持っていなかった。

 

 ウラノス軍政庁の長官執務室で、トオルは資料に目を通していた。

 その時、内線が入り秘書官がやって来た旨が伝えられたので、視線を資料から扉へと移す。ほどなく扉をノックする音が響いてきたので、中へ入るよう促した。

「失礼します。書類にサインをして下さいますよう、お願いします」

 手渡された書類を受け取り、サッと目を通す。内容はすでに聞かされていたので、トオルは万年筆を手に取ると、迷うことなく指定の場所に自らの職名と氏名を記入した。

「まさか、私がこのような役目を背負うことになるとはなぁ」

 サインをした書類を手渡し、その退出を確認すると、再び資料へと視線を戻した。内容は「第三期宇宙開発10ヶ年計画とその概要」であった。

 

(完)




翌日には、あとがきを投稿する予定です。
ガンダム世界について、私の考えを述べたいと思っています。
よければ読んでやって下さい。
そして読後の感想も頂けたら幸いです。
宜しくお願いします。


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あとがき

 機動戦士ガンダム(以後、ファーストと表記)、そして機動戦士Zガンダム(以後Zと表記)は、私の子供心に巨大な衝撃を与えた。主人公そして主人公を取り巻く仲間たち、それが広い世界へと旅立っていく。これだけだと、ガンダムシリーズ(以後、ガンダム作品と表記)以外の作品にも見受けられる。私にとって、ガンダム作品が他の作品と一線を画す点といえば、主人公を取り巻く大人が遠くにも近くにもたくさんいる、ということだった。ファーストでいえば、パオロ艦長やワッケイン司令、さらには遠征軍の総指揮を執るレビル将軍。敵陣営でも、ジオン公国の公王であるデギン、そしてギレン総帥など、枚挙にいとまがない。それぞれが、それなりの権力を持ち人々に影響を及ぼしている。RX-78を操って夥しい戦果を挙げるアムロですら、一年戦争を遂行する地球連邦軍の戦局のごく一部にしか影響を与えない。その全体を指導しているレビル将軍って、すごいな。おっそろしく強いエースパイロットのシャアでさえも、ドズル中将やキシリア少将に頭が上がらない。大人ってすごいな。と子供ながらに思ったものだった。

 少しずつ成長して中学生の頃にZが始まった。主人公が所属する組織は世界的大企業が組織したもので、地球連邦軍の過激派組織と戦っていた。正規軍とガチで戦う軍隊を組織できるって、世界的大企業ってすごいな。と子供心に思っていたのだが、大学生になって様々な書物を読み、歴史や人間社会について勉強していくと、おかしいのではないかと思い始めた。企業というものには、古今東西問わず共通する点がある。それは、企業はあくまでも利益を上げることが目的だということだ。おっそろしく高額であるにもかかわらず破壊されることが前提となる戦艦やモビルスーツ、そしてそれらを運用する多くの将兵に企業が多額の投資をするなんて、ありえないのではないかと思った。戦艦やモビルスーツ、軍人に投資して、いったいどれだけの利益を上げることができるのか?平和なんて金額で表すことができない。社会貢献事業の一環としての救助活動だったら、レスキューに特化した部隊を作ったほうが効果的だ。企業が自らを守るため?それだったら携帯火器を持った特殊部隊を編成するだけで十分であり、艦隊なんて仰々しいものは不要だ。アメリカの軍需産業も、自らが製造した製品を各国政府に販売するだけで、自ら原子力空母や戦闘機を保有して運用したりしない。F-15にしろ、イージス艦にしろ、それらは全て国家が組織した軍隊が持っている。そう思うと、世界的大企業が軍隊を組織したという解説書の説明に対し、疑問がふつふつと湧いてくるのだった。

 地球連邦政府とは何ぞや?

 たどりついた疑問がここだった。大学生の頃は、成立からファーストに至るまでの地球連邦の歴史について空想することが多かった。その頃によくある説明が、地球連邦は国際連合から発展して成立したということだったが、これにも違和感があった。

 ならば、誰が地球連邦を作ったのか?

 導き出した結論が、この物語のプロローグだった。いまや帝国主義的侵略は絶対悪なので、必ず失敗する。だから冷戦時代の米ソは、第二次世界大戦以降領土を拡張していない。ソ連はアフガニスタンに侵攻したが、自国に取り込むことはできなかった。せいぜい衛星国に仕立て上げ裏から支配するのが関の山だ。ゆえに古代ローマのような超大国が地球を統一するということはありえない。国際連合が発展するというのもありえない。既存国家が自らの主権を投げ出して国際連合という他者に委ねるようなことは、ありえないからだ。プラトンの「国家」ではないが、国家にも個人が持つ「人格」のようなものがある。主権を投げ出すということは、自分自身を失うことに他ならない。もし日本が国際連合に主権を投げ出したらどうなるか。主権国家「国際連合」の法律により、言語は英語か何かに統一され日本語は禁止、自動車は左側通行、サービス込み料金を廃止してチップ製を導入など、日本的な慣行や考え方は否定されるかもしれない。そんなことを日本人は受け入れられるだろうか。とうてい受け入れられないだろう。実際、アメリカはユネスコを脱退したし、WHOだって批判にさらされており、今や存続が危ぶまれている状況だ。国際連合は、あくまで加盟している各国が主体であり、国際連合事務局は加盟国に従属する存在に過ぎない。以上のことから、各国が主権を国際連合に返上することはないし、国際連合事務局が、加盟国から主権を取り上げることもできないので、国際連合からの発展で地球連邦政府が設立されることはありえない。とすれば、現在存在しない何らかの機関が、組織的膨張を続け、資金力を背景に強引に成立させたと考えるほかに、地球連邦政府は設立し得ないのではないだろうか。

 続いて、地球連邦政府成立後の世界について述べる。一年戦争が始まるまで、犯罪者や経済的弱者が地球から追い出されて嫌々宇宙へ出て行ったという説があるが、それにも疑問がある。過去を見てみよう。イギリスの植民地として出発した、二つの国を例として出したい。一つは、流刑地としてスタートした。そこそこ発展して今に至る。そしてもう一つ。そこは、希望とフロンティア精神に満ちた移民が、国を切り開いていった。その国はやがて、世界を席巻する巨大国家にまで発展した。さて、宇宙世紀に話を戻そう。宇宙移民の一部はやがて、ジオン公国を設立させ、有史以来最強の地球連邦政府と覇を競うまでに発展するが、ネガティブ思考の棄民がそこまでの力を持つことができるだろうか。どう考えても、希望に満ちたフロンティア精神を持つ移民でなければ、そこまでの力を得ることはできないと思う。ゆえに、宇宙世紀の初期は、希望とフロンティア精神に満ちた移民の力で経済的に飛躍的な発展を遂げていった、という設定にすることが妥当であると考えた。多くの成金を生み出した好景気の後に金融恐慌、そして太平洋戦争という破局に至る。これと同じ流れが、宇宙世紀でも起きたと考えられる。

 そしてジオン公国の成立。有史以来最強の地球連邦政府と、真正面から対決することができた国家。こんな国家を成立させることができるのは、並外れた政策実現能力を持つ実務者以外には、ありえない。フランス最強時代を作ったナポレオンも、ソ連を世界有数の巨大国家に育て上げたスターリンも、奇跡的な復興でアメリカ合衆国を勝利に導いたルーズベルトも、いずれも徹底した実務者だ。過激な思想家ロベスピエールや、理想論にしがみつき世情を見誤ったトロツキーや、消極的で凡庸な政治家フーバーでは、成し遂げることができなかった。ゆえに、サイド3をあれだけの国家に育て上げたジオン=ズム=ダイクンも、徹底した実務者である必要がある。だが、ジオンをいきなり政治家にしてしまうことは、以下の二点で困難だった。ひとつ。彼を有力な政治家にしてしまうと、一年戦争なんかを引き起こすことなくジオンが独立してしまうこと。地球連邦政府で最大派閥を率いる首相とコンタクトが取れる立場であれば、水面下の取引だけで事が解決してしまう恐れが十分にある。一年戦争のような大規模な破壊が起きる前は、好景気であるはずがない。不況下で連邦政府の勢力が衰えていれば、大英帝国の末期のように支配地の独立ドミノが起きてもおかしくない。連邦政府の中枢に影響を与えるような実力者であれば、これと同じようなアクションを各サイドや地球上の各州政府で起こし、大規模な破壊を伴うことなく連邦政府を空中分解させてしまう可能性が大いにある。すると、ガンダム世界を成立させる一年戦争を否定しなければならないという、パラドックスが起きてしまうのだ。それともうひとつ。そこまでの実力がない政治家だと、サイド3であれだけの熱狂的な支持を取り付けることが難しいということ。サイド側に寄り過ぎると、連邦政府に対抗馬を立てられ、選挙に勝つことができず政治家になること自体が困難だ。連邦政府側に寄りすぎると、サイド側の反感を買って民衆の支持を得にくい。従って、ジオンをいきなり政治家にすることは難しいと諦めた。それならいっそのこと、彼を地球連邦政府最大の組織である宇宙開発省の官僚にしてしまい、連邦政府の利益になりつつサイド3の民衆にも支持される政策を実行して、文句の付け所のない実績を確立させたほうが、辻褄が合うのではないかと考えた。しかし、政治官僚個人だけでは、世の中は動かない。表と裏から支える人々がいなければ、選挙に立候補して勝利することは不可能だ。特に裏で動くフィクサーの存在は、絶対に必要だ。そのフィクサーがデギンで、ジオン亡き後、表の顔であったジンバ=ラルとの暗闘に勝利して公王となった。こう考えると筋が通るのではないかと思った。

 それから、ティターンズ。ただ、エリートを集めましただけでは、あんな傍若無人な振る舞いをすることはできない。何の罪もないかなり上の階級の士官を、ただ気に入らないという理由だけでぶん殴るカクリコンなんか、ナチスの親衛隊員ですら真っ青だろう。こんなことが許されるということは、何らかの法的根拠がなければありえないし、そして人類に貢献したという確固たる多くの実績が必要だ。法的根拠として非常事態対処法という法律を勝手に作らせてもらった。実績については本編で語らなかったが、ティターンズが成立してからの数年間は、多くの人々に支持される実績を数多く作っていたに違いない。そういう実績を作っていた人物の代表が、Zで登場したアジス中尉だろう。

 ゆえにエウーゴの成立は、ティターンズ成立の後になる。ティターンズが変質して権力志向に傾いてから出来上がったと考えられる。前にも述べたが、多くの軍艦を擁する組織を企業が持つことはありえない。必ず政治が関わる。メラニー会長の上に連邦軍の有力者がいる。アナハイムに軍が便宜を図る代わりにエウーゴの面倒をみてくれ。というバーターが成り立っていたと考えるのが自然だ。こんな取引が出来るのは、軍人ではない。軍人最高位である統合参謀総長のさらに上、省庁を従える最有力な議員でなければ不可能だ。そこで連邦政府の高官ジョン=バウアーを宇宙開発省=軍機省閥の領袖である上院議員という位置づけにして、エウーゴを成立させたという設定にさせてもらった。世界中の治安を預かる内務省の伸張を善しとしない宇宙開発省=軍機省。この二者が堂々と対決してしまうと、地球連邦そのものが瓦解してしまう。内務省も、宇宙開発省=軍機省も、それは望んでいない。内務省も、宇宙開発省=軍機省も、地球連邦政府という巨大なメカニズムを使わないと自らの勢力を維持できないことを知っているからだ。内務省はティターンズを、宇宙開発省=軍機省はエウーゴを隠れ蓑にして戦った。こうすると、ティターンズもエウーゴも、それぞれ国家予算を背景とすることができ、多くの軍艦やモビルスーツ、そして多くの軍人たちを擁することができたという説明がつく。さらに、ジョン=バウアーがエウーゴの影の支配者であるという設定にすれば、戦後エウーゴの大半をロンド=ベルに転属させることができるし、さらにロンド=ベルが軍内部で一目を置かれる存在になったという説明もつく。

 あと、アクシズだが、これは本編で匂わせただけで終わったので、気付いた読者の方は少ないかもしれない。通常核パルスエンジンでの航行では、木星に辿り着くまで多大な日数を要する。ゆえに船団の数は多くなる。多くしないと、地球圏へ安定的に木星資源を供給することができないからだ。火星軌道から木星軌道までは非常に遠いので、その中間地点であるアステロイド=ベルトには多くの船団が立ち寄り、補給を受け娯楽に興じただろう。木星船団が落としていったお金で、アステロイド=ベルトは大きく栄えたと思われる。シルクロードの中間地点、東西の要衝バグダードみたいなものか。ゆえに金が余っていた。余った金は様々な分野に投資される。その投資先の一つが、アクシズだった。アステロイド=ベルトにやってきたアクシズはまず、警備員か何かの形でアステロイド=ベルトの地方政府に入り込む。地道な活動で徐々に信頼を得、地方政府上層部と接点を持つ。上層部との信頼関係が確立できたら、投資話を持ち出す。ミネバを擁立してサイド3を独立させ、連邦との取引で得た利益をアステロイド=ベルトに還元させる、とでも言ったのではないか。特に産業も何もないアクシズが何故、あれだけ多くの戦艦やモビルスーツを開発、製造することができ、大勢の将兵を養うことができたのか。それらの資金の出処が、資金力のあるアステロイド=ベルトの地方政府だと考えれば、筋が通る。きっと、アクシズへの投資が失敗に終わったとしても、当時のアステロイド=ベルトの地方政府は、痛くも痒くもなかっただろう。

 ここから先は、ほとんど検証していない。申し訳ないが、貴族やら宗教、イデオロギーやらは、現代社会に似つかわしくない。血統を無条件にありがたがるなんてことは、ありえない。政治家一族だからという理由だけで首相が絶対的に支持されることはないし、いくら法王が偉大な人だからといって世界の大統領になれる訳ではない。共産主義のようなイデオロギーが世界を席巻することもないだろう。ゆえに貴族やら宗教、イデオロギーやらが多数出てくる作品には、興味がもてないので検証していない。現代以降は、徹底的なリアリズムと、あらゆる宗教にも共通する普遍的な道徳、この二つの軸の上にバランスよく乗っかった立法主義に基づいて運営される以外ありえないと思っている。

 こうした背景を下にこの小説を執筆することにしたのだが、当初の目的は、良識ある大人たちが試行錯誤して、よりよい世の中にして行こうとしている話を展開することだった。年月を経るに従って、世の中は必ず良くなる。たとえ一歩下がっても二歩進む。これが私の考えだ。長い年月がかかったが、普通選挙を実施する立法国家に限って言えば、暴虐な支配者層の圧政に国民の大部分が苦しむということはなくなった。だが、それでも完全ではない。それを何とかしようとする大人たちは数多くいる。それを描きたかったのだが、そうすると主人公のモデルは、G河E雄D説のY・W提督に行き着いてしまった。そしてその被保護者のモデルは、強化人間の女性をごちゃまぜにしたもの。フォウのような強化人間の女性がY・W提督に庇護されたらどうなるだろう。そしてY・W提督にシャアのような立場を与えたらどうなるだろう。そういう実験をしてみた。結果、Y・W提督もどきはパイロットとして全く活躍せず、最後はIローン要塞のような勢力均衡点に腰を下ろす結果になった。権力志向のない英雄は、勢力均衡点でしか生きられないと思う。漢の上将軍であった韓信は、楚・漢が勢力争いをしている間でのみ重宝され、劉邦が中華統一を為したあとは没落し、クーデターを起こそうとしたが失敗して処刑された。主人公が自ら生き永らえることを考えたのなら、地球と火星の勢力均衡点に行く以外に方法がないと思った。被保護者はY・Mのように優秀じゃないから、フツウの子になった。私自身は、この結果に満足している。ただ、要らん話を多く書きすぎたと思うので端折りたい。終了まで時間をかけすぎたので、矛盾しているところも数多くある。時間があれば改訂したいが、おそらく無理だろう…。

 話は変わるが、ガンダム作品の多くは、子供向けにしているせいか、有力な大人のほとんどが無能で性格が悪い。有能であったり、人が良かったりする大人の多くは、無力だ。だが、ファーストでは、有能で性格の良い有力な大人が、数多く登場していたと思う。ワッケイン司令は、自らの力不足を嘆きつつも、主人公たちに対し無償で最大限の支援をしてあげていた。ティアンム提督は、ソロモン戦勝利のために自らの命も惜しまなかった。悪の親玉だったデギン公王でさえ、国の行く末に悩み、公王の立場からすれば格下の一介の軍人に過ぎないレビル将軍との会談に、恥を忍んで臨もうとしていた。ランバ=ラルについては語るまでもない。素晴らしい大人はたくさんいる。君たちもそういう大人になって欲しい。そういうテーマを持つガンダム作品が他に出てきてもいいのではないか。個人的にはそう思っている。

 創造意欲を掻き立ててくれたガンダム。こういう偉大な作品に巡り会えたことに感謝するとともに、世界がこれからも平和であることを祈りつつ、ペンを置くことにする。これまで長文駄文にお付き合い下さり、まことにありがとうございました。



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