ネギま! another scenario (たつな)
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【学園生活編】
副担任、赴任!


 

 

 

―――桜咲く季節。

 

気温が上がり肌寒い過ごしずらかった寒波は消え、体中を包み込む暖気がより一層睡眠欲を増幅させる。新しい仲間との出会い、だがそれは今までの仲間との別れになるかもしれない。

 

麻帆良学園では新学期が始まっていた。

 

 

「皆さん、おはようございます!」

 

「「おはようございまーす!!」」

 

 

喧騒に包まれるクラス。

 

年齢不相応に賑やかなクラスに、生徒の数名は『餓鬼臭い』と悪態をつく。かつて新学期が始まるだけでこれほどに騒がしくなるクラスがあっただろうか、皆の中学時代、高校時代を良く思い出してほしい。新学期といえば校長のつまらない話で幕を開け、教室に戻れば新しい教材の数々が机の上へと積まれ、日々の授業に絶望を覚えることも多かったのではないだろうか。

 

 

生徒全員が女性の麻帆良学園女子中等部。男性なら一度は夢を見る、まさしく女の園。麻帆良学園は小学校、中学校、高校と別れるだけではなく、共学校、男子校、女子高にも別れる全国が誇る学園都市の一角だった。

 

その一番端に位置する女子中等部。

 

 

賑やかな女性の輪の中にいる教師は。

 

 

「元気がいいですね! それでは朝のSHRをはじめます!」

 

 

子供、だった。

 

齢十歳で教壇に立つこの教師、今巷では噂になっている子供先生ことネギ・スプリングフィールドだ。

 

昨年度の年明けから麻帆良学園女子中等部の二年A組に赴任し、教鞭を取っている。初めこそ頼りない一面が多かったものの、幾分垢が取れて来たのか、その表情にはどこか自信が満ち溢れているように見える。

 

周囲から歓迎されてどことなく恥ずかしそうに頬を掻いている所を見ると、褒められたり煽てられたりすることに関しては慣れていないらしい。

 

 

そんなネギに対して生徒たちは笑いながら答えた。また一年、彼の授業を受けられることに安堵するとともに、喜んでいた。それだけ彼女たちもネギに対して一定の信頼を置いていたのだろう。

 

……ご最も、子供先生だからこそ従来の堅苦しさがなくやりやすいというのもあるだろうが。

 

 

(こうして見るとまだお話していない生徒さんたちも沢山いるなぁ。この一年間で三十一人全員と仲良くなれるかなぁ)

 

 

クラスにも個性がある、明るい子から暗い子までいるように全員が同じタイプではない。ネギ自身仲良くなった生徒もいれば、まだほとんど話したこともないような生徒もいる。いくらネギとはいえども三学期で全員の名前と個性を把握できるはずもなく、名前こそ分かっていれど何人かはどのような生徒なのか、自信をもって答えることが出来なかった。

 

また新学期になってそうそう盛大なバタバタ……主に魔法関係の問題に巻き込まれ、正直教師としての仕事が思うように行かずにふさぎ込むことも多かったものの、何とか乗り越え本日に至る。手に持っている生徒名簿と、簡易のメモ帳を机の上に載せ、中身をざっと見返す。

 

朝の職員会議で、生徒たちに伝える伝達事項が何点かあったはずだとパラパラとページを捲っていく。

 

 

(あ、いけない。今日は皆さんにお伝えしなきゃいけないことがあるんだった!)

 

 

そういえばと、朝のSHRで話さなければならなかったメインの話を思い出し、まずはそこから話そうと、本題へと入っていった。

 

 

「本当なら連絡事項と行きたいところなんですが、今日は皆さんに新しくこのクラスに赴任する副担任の方の紹介をしたいと思います!」

 

 

ネギの一言に、多少なりとも静けさを取り戻していたクラスがざわつき始めた。

 

 

「副担任? ネギ先生それって本当!?」

 

「男性の先生? 若い? それともイケメン!?」

 

「くっ、私の情報網をしても分からないだなんて……こりゃ学園側が相当内密に進めてたのかな?」

 

 

「わわっ! みなさん落ち着いてください!?」

 

 

ざわつきから喧騒に変わるまでそう時間は掛からなかった。一度ついた喧騒の嵐はそう簡単にやむことはない。まるで合唱でもしているのかと思うくらいの声量が三年A組の教室いっぱいにこだまする。むしろこれだけ騒いでいて隣のクラスからクレームがこないのは不幸中の幸いか。むしろ三年A組だからと諦められているのかもしれない。

 

クラスの配置は一年から三年まで変わらない。故に学年が上がろうともクラスの標識が変わるだけであって、クラスの配置は全くと言っていいほど変わらないのだ。故に他クラスがこのうるささと三年間付き合ってきたと考えれば多少の喧騒に包まれたところで、さほど問題視はしない。常識であれば問題視するべきなんだろうが、周囲が気にしていないのならそれで良いだろう。

 

ただしここで問題なのは周囲ではなく、担任であるネギだ。

 

先生と生徒の関係ではあっても年齢は十歳と十五歳。一般世間では小学四年生の年齢であり、年頃の女性の暴走を止めるノウハウを持っているわけではない。すでにネギの声は生徒たちの声でかき消されてしまっていた。

 

 

「あや、副担任やってアスナ。うちらのガッコ基本的に一クラスに担任一人やのに、珍しいなぁ」

 

「うーんそうね。まさかとは思うけど、またネギみたいのが増えるなんて言わないわよね?」

 

「そんなまさか。流石にネギくんは特例中の特例やろうし、そう偶然が何回も続くとは思わんけど……」

 

「そう思いたいけどね。前例があるから確証はもてないのよね」

 

 

喧騒に包まれる中、隣通しで雑談を交わす生徒。

 

はんなりとした京都弁とどこか間延びした天然な雰囲気が特徴的で、腰あたりまで伸びる黒髪が際立つ美少女。名を近衛木乃香。

 

もう一人も両サイドを鈴の形をしたヘアアクセサリーで結わえた長髪を持ち、ハキハキとしたしゃべり方はどこまでもまっすぐな芯の強さを伺わせる美少女。名を神楽坂明日菜。

 

 

「もしかしてそこそこに渋いオジ様だったりしてなー」

 

「えっ!?」

 

 

『オジ様』という単語に強烈な反応を見せる明日菜。それもそのはず、彼女は三十代後半から四十代といった渋いオジ様が大好きなのだ。もしそれが本当であればと目を輝かせる明日菜。

 

一方、新副担任の赴任が決まって首をかしげるのは木乃香だった。普段、自身に関わるような人事があれば自身の祖父である学園長から、何かしら連絡がくる。当然具体的な内容は伏せられるものの、それとなく伝えられていた。

 

それが今回はない。偶々忘れているだけなのか、それとも何か意図があってのことなのか。真意は誰にも分からない。

 

 

 

喧噪の中、ネギは必死になって止めようとするのだが、ネギの声が届くことは無かった。

 

 

「はうぅ~」

 

 

言っても聞かないクラスにネギは完全にお手上げ状態だ。オロオロと困惑する中、一番前の座席に座っている一人の女子生徒が立ち上がり、バンと机を叩く。

 

 

「静かになさい! ネギ先生が困ってらっしゃるでしょう?」

 

 

一声掛けるとようやく声が全体に行き届いたのか、ざわつきつつも徐々に声量が収まり、平常時の落ち着きを取り戻していく。

 

彼女の名前は雪広あやか。

 

三年A組を束ねる委員長を務める生徒であり、文武両道、容姿端麗と全てを兼ね備えた女性だ。彼女の立ち居振る舞いから、育ちの良さが伺える。とはいえ一声で生徒たちを静かにさせることが出来るのだから、あやかの持つ影響力、カリスマ性は本物なのだろう。

 

 

「あ、ありがとうございます! いいんちょさん!」

 

「いえいえネギ先生。委員長として当たり前のことをやったまでですわ。ささっ、どうぞお話の方を続けて下さい!」

 

 

一旦は中断してしまった話を再度ネギへと振るあやかの表情は、どこか満足そうなものだった。自身の尊敬するネギに感謝されたことで、幾分機嫌がいいのかもしれない。

 

あやかに促されるまま、ネギも話を再開する。

 

 

既に朝のホームルームの終了時間まで残り僅か、本来なら余るくらいが理想なのだが、このクラスに関しては毎回茶々が入ってしまうが故に、いつも終了時間はギリギリ。稀にオーバーし、次の時間の教員が入ってきてしまう事もあった。

 

話し合いが白熱するのならまだしも、完全に話題が違う方向に逸れ、雑談となってしまうのはいささか問題かもしれない。

 

さて、話を戻そう。

 

 

「えーっと、早速ですが紹介しますね! それでは入ってください!」

 

 

生徒全員の視線が入り口に集中する。

 

ガラガラと引かれるドアの外から現れたのは男性だった。コツコツと一歩ずつ、教室の中へと足を踏み入れる。

 

生徒たちはどのような人物を想像していたのだろう。

 

ネギと同じ年下タイプか、はたまた自分たちよりも年上の渋いオジ様タイプか。それともまた別の何かか。少なからず教室に入ってきた時点で前者の選択肢は消え失せた。

 

まず彼の身長。

 

明らかに男性の平均身長よりも高く、180くらいある。体格的には華奢というよりかは、比較的肩幅はがっちりとしていて、着こなすスーツの上着はピッタリと体格に合っていた。

 

カジュアルスーツというよりかは、商談の場を中心としたビジネスに通用するビジネススーツで、黒に紺を混ぜたお洒落を気遣った色合いが大人の雰囲気を醸し出す。

 

髪型に関しては、教師っぽいというよりかは今風の男性に近い。が、逆にそのフランクな感じが親しみやすい雰囲気と共に、若さをより一層感じさせる。

 

そう、ネギほど行かなくとも、教師としては十分なくらいに若かった。教壇の横に立つと、軽く一礼し自己紹介を始める。

 

 

風見雄(かざみつよし)です。今日から麻帆良学園女子中等部に配属になりました。担当教科は歴史だけど、授業がない時は帯同する形になります。まだ至らない点等多々あるとおもいますが、皆さんよろしくお願いします」

 

 

簡単に自己紹介を終えて再度一礼する。するとどうだろう、いつもは騒がしくなることがテンプレだというのに、嘘のように静まり返ってしまっていた。

 

自己紹介の内容としてはオーソドックスなものにはなるが、何か失言しているわけではない。なら彼の見た目に問題があるのか……否、それはあり得ない。

 

確かに好みが分かれるかどうかと言われればあるだろうが、全員から嫌われるような見た目かというとそれも考えずらい。清潔感に問題があるわけでもない。

 

静まりかえってしまったクラスを危惧し、何とか話題をつなぎ止めようと、ネギが行動を起こす。

 

 

「あ、あの皆さん! 何か質問は……」

 

 

ありますか、と言いかけた時だった。何かを察した雄は反射的に耳を押さえる。

 

 

「「キャーーー!!!」」

 

 

瞬間爆発的な甲高い声と共に、席に座っている生徒たちが一斉に押し寄せてくる。あまりの大声に思わず顔をひきつらせつつも、生徒たちを邪険にすることなくその場に立ち尽くす。

 

年頃の女性ばかりであるが故に、若干対応に四苦八苦しつつも当たり障り無いように対応している。

 

 

「どこから来たんですか?」

 

「趣味は何ですか!」

 

「好きな女の子のタイプって、どんな子ですか?」

 

「後で独占インタビューさせて下さい!」

 

 

再び喧騒に包まれるクラス、一度火が付いたクラスはもう止まらず、お祭り騒ぎのような騒がしさである。伝達事項も残っているというのに、ホームルームの時間は減っていく。

 

ネギにはどうすることも出来ず、ひたすらワタワタと慌てるだけ。静かにさせようと割って入った明日菜とあやかが喧嘩を始めるなど、ある意味カオスとなったホームルームは、別の教師の介入まで続くことになる。

 

その喧騒の中、押し寄せる生徒たちから一歩下がり、新任の様子を見る生徒が一人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウチ……あのセンセにどこかで会ったことある?」



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旧友

 

 

 

「ふぅ……最近の生徒たちはアグレッシブだな。まさかあそこまで押し寄せてくるとは」

 

 

クラスに入った後、順調に自己紹介まで進んだはいいものの、そこから先が長かった。出身はどこか、趣味は何か、彼女はいるのか、といった如何にも年頃の女の子たちが好きそうな質問の嵐を掻い潜り、朝のホームルームを無事に終えた。

 

無事に終えたというよりかは、ホームルームが終わりの時間にもかかわらず騒がしいクラスに他のクラスの担任が入ってきたことで、事なきを得たといった方が正しい。

 

押し寄せる生徒たちの大群を相手にすること十数分後、改めて解放された俺、風見雄は一人学園長室へと向かっていた。

 

ネギ君には一限目は学園長に呼ばれていることを伝えると、快く承諾してくれた。赴任早々大変ですねと気遣いの言葉までもらう始末、本当に十歳としては根本の礼節が良く出来ている。

 

年上……とはいえ、教師歴としては俺の方が浅いというのに、傲り高ぶる事無く、敬うその姿を同い年だった頃の自分に言い聞かせてやりたい。

 

まぁ無理な話なので、それは諦めることにする。タイムスリップなんか出来るわけもないし、仮に出来るのなら人生を一からやり直したい。

 

 

「しかしまぁ、まさか自分がここで先生とは……人生どこで何が起こるか分からないもんだね」

 

 

まだ赴任して初日だが、自分が教員に、それも女子校の教員になるとは夢にも思っていなかった。ここ最近の驚きの中で、今回の決定が間違いなく一番だ。

 

担任の補佐役として雇われた身であるため、緊張もあったがいざ生徒たちを目の当たりにすると、その緊張は幾分ほぐれた。ましてや十歳のネギ君が担任を請け負っているのだから、年上の自分が揺らいではいけない。

 

そう思うとより、やってやろうという気持ちがわいてきた。

 

 

「っと、学園長室はここだったな」

 

 

他のことに意識が向いていて、学園長室を通り過ぎたところで、慌てて扉の前に戻る。表札を再度確認し、部屋が間違いないことを確認すると、軽く扉をノックする。

 

中からやや年輩の男性の声が聞こえた後に、改めて学園長室への扉を開いた。

 

 

「失礼します」

 

「おぉ、来てくれたか雄くん。すまんのぉ、忙しいところ呼び出して。新しいクラスはどうじゃった?」

 

「中々刺激的でしたね。自分が年下に慣れていないっていうのもそうですけど、あんな大勢の女性の前で話す事なんて早々無いですから」

 

「ほっほっほっ、そうかそうか」

 

 

どこか満足そうに髭をしゃくる妙齢の男性。

 

会えば間違いなく頭部へ視線が行くだろう。もはや頭部の形状は通常の人間とは思えないほど変形している。幼稚園くらいの子供が間近で見たら、泣いて逃げ出すくらいには特徴的なため、遠目から見ても人物判定はすぐに出来る。

 

この人物こそが何を隠そう麻帆良学園の長、近衛近右衛門。全てを統括する、最も頂点に立つ人物だ。

 

 

「君なら上手くやってくれると信じておるよ。大変だとは思うが、ネギくんのサポートもよろしく頼む」

 

「分かりました、微力ながら協力させて貰えればと思います」

 

 

 

 

 

 

 

「……ふむ。やはりその口調は違和感があるのぉ」

 

「は?」

 

「ここには今ワシと君しかおらん。かしこまる必要は無いのではないか?」

 

「……そうだな」

 

 

そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……全く。急に明日から教師をやってくれなんていう奴がどこにいる。突拍子の無さは学生時代から変わらんな、近衛」

 

 

俺の学生時代の同級生でもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「仕方ないじゃろう。赴任予定だった教師が急病で来れなくなるだなんて、想定出来まい。それにお主も暇していたじゃろ? ワシからの仕事がないときは日雇いの警備の仕事で食いつないでいたそうじゃが」

 

「だからって教師経験の無い俺に声を掛けることか? いいのか、俺教師なんてやったこと無いぞ?」

 

「お主が教員免許を持っておるのは知っておるぞ。何、十歳の少年が教師をやっているくらいじゃ、生徒たちも細かい事は気にせんと思うが」

 

 

あーいえば、こーいう。何を言っても同じ展開の繰り返しで結局は変に言いくるめられるような気がしてならない。

 

昔からこの男はそうだ。年を取って大分丸くはなったものの、人を言いくるめるのが上手い。正直あまり敵には回したくないタイプの一人だったりする。

 

実は一時期麻帆良とは別の場所で講師を務めていた事もあり、指導経験はゼロではない。

 

それこそ近衛と学生として校舎に通っていた時は、中学、高校、大学とエスカレーターで卒業していて、何かの役に立てば良いとふざけ半分で教員免許もちゃっかりととっている。つまり俺が教壇に立って勉強を教えることに何ら問題は無い。

 

 

「にしてもお主本当に変わっとらんのう。今年でいくつになるんじゃ?」

 

「さぁ? もうすっかり忘れたよ。長寿番付があるなら、とっくに記録を更新しているだろうな」

 

 

これは事実。正直自分で今何歳か分からない。

 

誕生日だったら何回祝って貰えた事だろうか、祝ってもらったこと自体が数えるくらいしかないから虚しい。

 

 

「しかし久しぶりだな。こうしてちゃんと話す機会っていつぶりだ?」

 

「ふむ……卒業以来まともに話をした記憶がないの。数十年振りではないか?」

 

 

近衛とは数十年前に共にここ、麻帆良学園にて生活を共にした仲であり、かつて自身の背中を預けたこともあるパートナーでもあった。年齢から前線は退いているが、今でもその力は学園最強と言っても過言とはないほど、やつの力は強大なものがある。

 

元々魔法生徒の中でも一際目立つ人間だったし、年を経ればこうなることはある程度想定できた。まさか顔のつくりまで大幅に変わるとは思わなかったが。

 

 

「だろうね。まぁ実際の所、声を掛けてもらって助かってるよ。久しぶりにここにも顔を出したいとは思っててさ」

 

「構わん構わん。偶々縁があっただけのこと。おっと、忘れんうちに渡しておくぞ。三年A組のクラス名簿じゃ」

 

「はいはい。っと、どれどれ?」

 

 

差し出されるクラス名簿を受け取り、中身を確認する。講師をしていた事はあれど、女子中学生を教えた経験は皆無のため、実は中々楽しみだったりする。

 

メインは歴史を教えることになるが、授業の被りが無ければクラスに帯同することになる。担当外の授業でも補佐役として動くから、なるべく早めに生徒の顔と名前を覚えなければならない。

 

そこにこのクラス名簿は欠かせない。

 

右上の生徒から左側にざっと流し見をしていく。クラス全員で三十一名、一人一人の名前を覚えるとなると中々時間が掛かりそうだ。

 

流し見をしていく上でふと、一ヶ所で視線が止まる。

 

 

「近衛木乃香……近衛? ってまさか」

 

 

近衛と同じ名字、同性と言われればそれまでだが、珍しい名字が何人もいる訳ではない。

 

「木乃香はワシの孫じゃよ。気になるのか? お主がよければ紹介するぞ」

 

 

予想通りの答えが返ってきた。

 

さり気なく紹介してくるあたり、将来の婿候補とでも考えているのだろうか。

 

 

「やっぱりか。紹介って、俺とこの子じゃ年が離れすぎだし、流石に無理があるんじゃないか? それに一教師と生徒がそんな関係になったらマズいだろう」

 

「んーそうかの? 木乃香も気にしないとは思うが。まぁお主がそう言うなら好きにすれば良い。それと君の部屋じゃが女子寮の空き部屋を使ってほしい」

 

「はい?」

 

 

さらりとトンデモない発言をしてくれる。

 

一体どこの女子寮に男性部屋がある女子寮があるのか。

 

 

「おいおい、本当に大丈夫かよ? 俺男だぞ?」

 

「君なら変な事もせんじゃろ。今日の配布物で寮のルールと、入浴時間の変更も伝えてある」

 

「……嫌な所で用意周到だな、おい」

 

 

怒るを通り越して、呆れてくる。完全な確信犯にまんまと釣られている自分が、どこか情けない。言われてみれば、タダで住まわせてくれるとまでは言っていたから、別に部屋が選べる訳じゃないのも事実。

 

近衛の言葉を鵜呑みにし、既に昨日まで住んでいたアパートは引き払ってしまっている。必要最低限の荷物だけ纏めて、出て来ている以上、もう後には退けない。

 

俺に残された選択肢は二つ。このまま学生寮の一室に住居を構えるか、野宿で生計を立てるか。誰がどう考えても選択肢が一つしかないのは一目瞭然だ。

 

 

「分かった分かった、分かりましたよ」

 

 

両手をあげて、白旗を上げたことを証明する。これ以上駄々をこねたところで意味がないし、変に交渉したところで活路が見いだせる訳でもない、ここは諦めて素直に退くのが得策に決まっていた。

 

 

「で、話は以上か?」

 

「うむ。すまんの授業中に呼び出したりして。空いた時間は学園の見回りにでも使って欲しい」

 

「要はサボリって事ね、了解。何かあったらまた連絡する。じゃ、俺はこれで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひらひらと手を振りながら学園長室を出る。

 

学園長室の扉閉めると、壁に背を預けてほんの少しだけ考え込む。さっきクラス名簿に載っていた近衛の実の孫、木乃香。

 

あの顔、確か昔どこかで見たような気がする。特に長く関わっていた訳じゃないが、どこかでほんの一瞬関わった記憶が頭の片隅に残っていた。

 

 

「……」

 

 

ダメだ、思い出せない。

 

すぐに思い出せるかと思ったら、中々思い出せない。長く生きてしまっているせいか、他の記憶が混じり合ってしまい、この場ですぐに具体的なシーンを思い出すのは無理だった。 

 

 

「まぁ、いいか。どっかで会った気がするんだけどな……」

 

 

改めて学園長室を後にする。

 

そして一限の授業が終わるまでの間、校舎内をぶらつきながら適当に時間を潰すのであった。



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雄と木乃香

 

 

 

「それでは今日はここまでです。皆さん気をつけて帰って下さいね!」

 

「「ありがとうございましたー!」」

 

(ん、終わったのか?)

 

 

気が付けば赴任初日の授業を全て終え、放課後を迎えようとしていた。

 

赴任初日と言うこともあり、担当したクラスが三年A組だけだった雄にとって、教師としての仕事を全うしたというには程遠い内容だった。一日の最後に行われるホームルームへと突入し、たった今それも終わった。

 

思いの外淡々と一日を終えたことに物足りなさを覚えつつも、すぐにまだ初日だからと切り替える。

 

生徒たちが帰る準備を進めていく中、一番後ろのイスに座っている雄は、自身の手にある名簿の中に、今日一日で気付いたこと、思ったことを手早く書き込んでいく。一日の生徒たちの動きを見て、何となく個性が分かった人間と、まだ分かり切っていない人間と分かれる。

 

比較的声をかけに来てくれた生徒の名前と顔は一致するようになったが、まだ知らない顔も多々ある。早めに覚えようと意気込む雄だが、何かに気付いたかと思うと不意に声を出して生徒たちを呼び止める。

 

 

「あー、皆終わったところ申し訳ない。今日やった歴史の小テストなんだが、何人か赤点に引っかかった生徒がいる。再試組にだけ先に答案用紙を渡しておくから、今日勉強して、今度の追試に備えて欲しい」

 

 

一日の流れが早すぎて、すっかり伝えることを忘れていた。

 

今日は一発目の授業ということで、生徒たちの学力レベルを測るために小テストを実施。赤点だった場合は、別日に追試を実施するとアナウンスをしたが、内容に関しては記述問題を抜いた簡単なものだったため、そう悪い点にはならないだろうと見込んでいた雄。

 

が、クラスの数人は目も当てられない点数であり、流石に見逃すわけにも行かず、帰りのホームルームで赤点者のみ、追試があることを伝えようとしていた。手元には追試者の答案用紙が握られており、それを見た該当者の中から『うげっ』といった声が聞こえてくる。

 

 

「じゃあ渡していくぞー」

 

 

答案用紙を持ったまま、各机を回っていく。解答用紙と睨めっこをしながら固まる者、きっと夢だと現実逃避をする者、机に伏せながら折角の放課後が……と崩れる者。

 

勉強をしていない自業自得なのだが、年頃の女の子の悲しそうな顔を見ると、雄も申し訳ない気持ちになってしまう。机を回りながら順番に答案用紙を返し、最後の一枚を返そうと、該当者の人物に近付く。

 

 

「えーっと……神楽坂。全問埋めた努力は認めるが、流石に火星人が漢字を伝えたらマズいだろう?」

 

「うぐっ……すみません」

 

 

明日菜の解答に思わず苦笑いをこぼしながら答案用紙を返した。内容が内容なだけにクラスからはどっと笑い声が起き、本人は恥ずかしそうに顔を赤らめて顔を逸らす。

 

 

「うぅ、まさかこのタイミングで小テストがあるなんて」

 

「ま、今回のテストはあまり気にするな。しっかりと復習して、次一発で受かるように」

 

「はーい……」

 

 

点数が余りにもショックだったのか、意気消沈しながら答案用紙をカバンへとしまう。兎にも角にもこれで全員配り終えたことだ。生徒たちは全員教室で待機している状態だし、一旦お開きにしよう。

 

手を二度三度軽く叩き、全体に各自自由に行動して良いことを伝えると、徐々に教室から生徒たちが出て行く。

 

 

「先生さようならー!」

 

「センセ、また明日なー!」

 

「おーう、気をつけて帰れよー!」

 

 

教室から出て行く生徒たちの挨拶に、答えていく雄。生徒で溢れかえっていた教室は、数分と経たない間に、ほとんどの生徒たちが居なくなった。

 

残るのは担任のネギと、二名の生徒だけ。荷物を纏め終わると、ネギの元へと向かう。

 

 

「あ、風見先生、お疲れさまです。今日一日過ごしてみてどうでしたか?」

 

「んー、やっぱり人を教えるって難しいなと。それにしても流石ですね、その年齢でこれだけしっかり教えられるなんて」

 

「いえいえ。僕も最初からちゃんと出来た訳では無いですから、風見先生もすぐに出来るようになると思いますよ!」

 

「ははっ、そう言って貰えるとありがたい限りです」

 

 

とりあえず初日を乗り越えられたことに安堵の息を漏らす。初日から全く出来ませんでした、ではお話にならない。仕事を与えられた以上、しっかりとこなすことが出来てこそ。半ば無理矢理とはいえ流石に学園長の顔に泥を塗るわけには行かない。

 

今日の振り返りと言う形で二人で話していると、ふと残っている生徒の一人が声を掛けてきた。

 

 

「ネギくんちょっとええか?」

 

「あっ、木乃香さん。どうしたんですか?」

 

 

ネギに声を掛けたのは木乃香だった。ネギに声を掛けたにも関わらず、視線が雄の方へと向いている。彼女の視線に、雄も気付いていて、腕を組ながら事の顛末を見守る。少なからず、彼も木乃香に対して興味を抱いている。

 

ただそれはあくまで好意という形ではなく、単純に昔会ったことがあるかもしれないからという部分と、学園長である近右衛門の実の孫であるからという部分から来る興味によるものである。

 

当然木乃香が美少女であるのは揺るぎ無い事実であり、それは雄も分かっていることだが、いくら可愛い、綺麗だとはいってもそれだけで惚れてしまうことは少ない。

 

内面を悟られないように、平静を保ちつつ二人の会話を聞く。

 

 

「うん、ちょっとな。この後って、風見先生と何か予定あったりするん?」

 

「この後ですか? いえ、特には。風見先生は今日が初日なので、敷地内を見てもらおうと思ってたんですが」

 

「ホンマに? それならウチが風見先生を案内してもええかな?」

 

「はい、構いませんよ。実は敷地内に詳しい人が一人付き添ってくれればと思っていたところで……風見先生もそれで大丈夫ですか」

 

 

トントン拍子で話が進んでいくものの、ネギと木乃香の話に一切介入しない雄だったが、話の顛末を確認したところでフッと笑う。

 

 

「えぇ、正直この広大な土地を一人で出歩くのは気が滅入ると思っていたので」

 

「そうでしたか。では木乃香さん、お任せしますね」

 

「はいな♪ アスナ、ごめんな。ウチちょっと帰るの遅くなるわ」

 

「大丈夫よ。私もちょうど部室に顔だそうと思っていた所だし、ゆっくりと風見先生を案内してあげなさい」

 

「ありがとな。じゃあ風見センセ、行こか?」

 

「了解」

 

 

ネギと明日菜を残し、雄と木乃香は教室を後にした。何気なく教室を出て行く二人だが、部屋を出たときに雄は何かに気が付く。

 

立ち止まり、キョロキョロと見渡す。周囲には壁という壁も無ければ、隠れ場所も多く点在する訳ではない。ただの一般人なら隠れていたところですぐに分かるが気のせいか。

 

 

「センセどうしたん?」

 

「あぁ、いや。何でもない」

 

「?」

 

雄の行動に疑念を持つ木乃香だが、それもほんの一瞬。雄も必要以上の詮索を辞め、校舎を後にする。

 

 

「……」

 

 

そんな二人を物陰からのぞく人間が一人。気付かれそうになった時はひやりとしたが、どうやら上手く監視の目をかいくぐることが出来たようで、ほっと胸をなで下ろす。

 

本人としては気付かれように立ち回ったようだが……。

 

 

(敵じゃないみたいだが、少し監視しておくか。取り返しが付かなくなってからじゃ遅いし)

 

 

雄にはしっかりと気付かれていた。

 

もし彼一人での行動であれば、多少強引になったとしても取り押さえに行くことは出来たはず。しかし今回は近くに木乃香がいる、隣に人がいる状態で無茶をして事態が悪化したら元も子もない。

 

部屋を出たときに感じた気の流れは、強い敵意や殺意ではなく、あくまで雄の存在に対して、警戒しているもので、自身が余程の失態をしなければ危険性は低いものだった。

 

なら自分が変に身構えても仕方ない、逆に木乃香に気付かれては本末転倒。変に心配を掛けることにもなる。

 

 

「どこか行きたいところってあります?」

 

「ん、特に無いし近衛に任せるよ」

 

「んー、了解やー♪」

 

 

何年も生きている雄にとって、年頃の女性と共に行為は新鮮そのものだった。ましてや自分が学生時代の知り合いの孫と行動を共にしていると考えると、まるで想像が付かない。

 

 

「……」

 

 

それにしても、あの学園長からどうすればこんな可愛い孫が生まれるのかと首を捻る。パタパタと歩く木乃香の姿は、年齢不相応に幼く見えるが、彼女の見た目は間違いなく大和撫子、一線級の容姿を持ち合わせている。

 

学園長が自身を持ってお勧めするのもよく分かると勝手に頷いてしまった。

 

 

(案外悪くないかも。これはこれで中々)

 

 

美少女に先導されるのも悪くはない。パタパタと駆ける木乃香の後を追う姿は、どこか年の近い兄妹を連想させるようだった。



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回想

 

 

 

「センセこっちやでー!」

 

「んー? おお! こりゃすごい!」

 

 

ネギたちと分かれた後、木乃香に連れられるがまま校舎の外に出ること数分。学園全体が見渡せる高台から、麻帆良学園全体を一望する。手すりに寄りかかり、高台に吹き込んでくる春風を全身に受け、靡く髪の毛を手で押さえた。

 

視線の先に飛び込んできたのは広大なまでの麻帆良学園の敷地と、ヨーロッパを意識したかのような建物の数々、とても一端の学園都市とは思えない造りに思わず、唸らざるを得ない。

 

ある一種の芸術のようにも見えた。

 

 

「これ一日でまわるのはまず無理だろ。というよりこの学園都市の全てを把握してる人っているのか?」

 

「んーどうなんやろ。ウチも把握してるんは中等部エリアを含めたほんの一部やし、それ以外は広すぎて迷ってまうからなぁ、あまりいないと思うえ」

 

 

小、中、高、大を含めた教育機関だけではなく、商業エリアに研究エリア、図書館と、その広さは全国有数。一般的な私立のレベルでは到底成し得ない程の施設の多さ。

 

麻帆良学園に入学希望をする生徒が多いのも頷ける。

 

 

「実はここ、ネギくんが来たばかりの時も案内したんよ。ウチらは途中でおじいちゃ……学園長に呼び出されてしもて、一緒にまわられへんかったけど」

 

「へー」

 

 

雄にとって割とネギがここに来たばかりの時の話には興味があったりする。

 

修行とはいえ異境の地で教師をやるのは並大抵のことではない。今でこそクラスに馴染んでるが、常識的に考えて十歳の教員は未だかつて前例がない中、どうやって数々の試練に耐えてきたのか、そんな一面を知りたい。

 

 

「あぁ、そや。あんまり時間ないんやった。風見センセ、どこか行ってみたい場所ある?」

 

「んー、折角だし運動部辺りを見に行ってみたいかな」

 

「ほかほか、ならこっちやえ」

 

「お、おい! んな慌てなくても……」

 

 

パタパタと側に近寄ってきたかと思うと、手を引っ張りながら強引に連れていこうとする。 

 

力は強くないものの、思いもよらないアグレッシブさに驚き、慌てて後を付いていく。こんな学園で男女が、それも生徒と教師が手を繋いでいたなんて事実が公表されたらマズいんじゃないかと思い始める。主に雄の世間体的な部分で。

 

そんなことはお構い無しとばかりに、グイグイと引っ張っていく。木乃香にとって異性と手をつないぐことはそこまで気にしていないらしく、人の手を掴む力も強いような気もした。

 

ただ、走り方が若干危なっかしい。運動神経が良くないのか、動きから見ても普段は運動していないことがよく分かる。どこかに小さな石でも転がってたら、いとも簡単に躓くような気がしてならない。

 

気がするだけで、まさか現実に起こるハズはないだろう、そうポジティブに考えていた雄だったが。

 

 

「はよはよ……あっ!?」

 

「ほら、いわんこっちゃない!」

 

 

案の定、ものの数秒でフラグを盛大にへし折ってくれた。小走りで走る先にあったのは地面に埋まった拳大の石。大きさからしても足は引っかけやすく、しっかりと前を向いて歩いていれば気付くであろう、大きさのものだった。

 

ただ今は雄の手を引いて目的地へと連れて行くことに意識が行き過ぎて、足下の注意が幾分疎かになっていたようで、避けずに石の上を通過。テンプレ通りに踏み出そうとした足を引っかけ、体は前へと投げ出される。

 

足の筋力があれば踏みとどまることは出来ただろうが、あいにくそこまでの筋力はないみたいだ。それに受け身を取れる体勢でもない、このまま行けば地面に思い切り顔面をぶつけてしまう。

 

考える前に体は動いていた。勢い良く地面を蹴って体を近衛の前に出すと、足腰に力を入れて倒れないようにして、倒れ込んでくる木乃香の体をしっかりと受け止める。

 

思いの外ずっと軽い感触を受け止めてすぐ、体に怪我がないかを確認する。パッと見た感じ、どこかに怪我をしていることは無さそうには見えるが……。

 

 

「大丈夫か、しっかりと足下見ないと危ないぞ?」

 

 

 

 

そう伝える雄の姿。

 

何気ない一言に過ぎないその言葉は、かつて自身にあったことのある人物の言葉と寸分の狂いもなく合致し、過去の記憶を呼び覚ました。

 

 

『大丈夫か、しっかりと足下見ないと危ないぞ?』

 

「あっ……」

 

『次会う時にはもっと可愛く、綺麗になった姿を見せてくれよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――幼少期の記憶。長い人生の中では幼すぎるが故に記憶に残らない人間もいる。

 

人里離れた山奥で育った木乃香はいつも一人ぼっちで遊んでいたことを思い出す。

 

友達を作ることを知らないから、むしろこれが当たり前なんだと勝手に思い込んでいた。別段一人で遊ぶことに対して抵抗も無く、友達が居ないことに対して寂しさを感じることはなかった。

 

いつものように鞠つきをして遊ぶ木乃香。しかし寂しさを感じなかったとしても、毎回同じ遊びを繰り返していては飽きがくる。両手で鞠の玉を掴みながらじっと見つめ、今度はそれを空高く上げ始めた。

 

物心が付く前の年齢だ、今までバウンドさせていた鞠を、空高く打ち上げるだけの些細な変化でも、新たな遊びを思いついたと嬉しい気持ちになる。

 

もっと高く上げられないかと、どんどん力が強くなっていく。当然加減を知る由もないく、最終的に生い茂る草木に鞠が引っかかってしまった。

 

 

「あ、ウチの鞠……」

 

 

枝に引っかかってしまったことに気付き、慌てて取りに行こうと樹木の根本まで駆け寄る。上を見上げるも彼女の身長の何倍もの高さに引っ掛かっていて、木乃香の身長では到底届かない。

 

仮に小さな梯子を持ってきて一番上に乗ったとしても、高身長の人間がジャンプでもしない限りは、到底届きそうにもなかった。周囲には自分以外は誰もいない。家に戻れば誰かに取ってもらえるだろうが、今日は大切な話があるから、終わるまで外で遊んでいて欲しいと言われたばかりだった。

 

とはいっても遊ぶ道具はない。誰かを呼びに行こうにも、待ってて欲しいと言われた手前、呼びにも行けない。

 

 

「……」

 

 

どうしようかと、しばらく考え込んだかと思うと、何と木に足を掛けて登ろうとし始めたではないか。

 

幼い木乃香が木に登るのは危険極まりない行為であり、本来なら真っ先に止めなければならない。ましてや履いているのは草履であり、不安定な木のとっかかりに足を引っ掛けた際に足を滑らせたら、軽い怪我では済まない。

 

 

「あうっ……」

 

 

子供の力ではとっかかりに足を引っ掛けたり、手でくぼみを掴むことすら難しい。自分の全体重を支えきれずに、ずるずると落ちてしまう。

 

樹木と擦れあったせいで、折角の着物は汚れ、木乃香の頬には黒い土汚れがつく。

 

 

「むう」

 

 

黒く汚れた頬を膨らませながら、今度は背伸びをしながら精一杯手を伸ばして取ろうとする。取ろうとするがどれだけ頑張っても、身長がゴムのように伸びない限り、届くはずも無い。分かってはいるが諦めきれずに手を伸ばし続けた。

 

が、それが裏目に出る。

 

何度か背伸びをしているうちに立ち位置がほんの少しずつ変わり、やがて大きな根が張る不安定な地面へと足を着けてしまった。

 

 

「あっ!」

 

 

木の根が張った地面は、たとえ気をつけていたとしても、足を引っ掛けて転ぶことが多い。ましてや子供、かつ草履を履いているともなれば、可能性は一気に高くなる。踏みとどまる力もなく、重力に逆らうことなく後方へと倒れ込んだ。

 

 

「おっと」

 

「ふぇ?」

 

 

だが地面には倒れ込まず、柔らかい何かが木乃香の身体を受け止めた。何がなんだか分からずに可愛らしい声を出しながらきょとんとしている。

 

 

「大丈夫か、しっかりと足下見ないと危ないぞ?」

 

 

倒れ込んだ木乃香を場に立たせると、おもむろにタオルを取り出し、顔に付いてしまった汚れを、タオルで優しくぬぐい取る。

 

 

「着物は取りようが無いか。君が詠春の娘さんかな?」

 

「う、うん……おにーさんは?」

 

 

身長差を見上げる木乃香。自身より高い存在に、思わずたじろぐ。

 

 

「俺? 君のお父さんに仕事の依頼を受けてね。偶々通りかかったら……」

 

 

君が居たんだ、とはにかむ。

 

仕事の依頼という割にはラフなTシャツにジーパンと、到底仕事着とは思えない服を着ている。それに仕事で来ているとはいえ、はいそうですかと信じることが出来ないのも事実。山里離れた場所にあるから人が来ること自体珍しい、逆を返せばそうそう人が来ることは無い。

 

ましてや身元不明、自身も会ったことの無い人間を信じることなど出来るはずも無かった。

 

 

「……」

 

 

警戒心マックスの視線でじーっと眺める姿に、思わず男性の方も苦笑いを浮かべるしかない。

 

 

「そういえば、枝に鞠が引っ掛かってたんだっけ。よっしゃ、ちょっと待っててくれよ?」

 

「?」

 

 

登ることに悪戦苦闘していた木に近付くと、僅かに出ている出っ張りに手を掛け、半ば力任せに登っていく。その動きたるやもはや猿そのものだった。

 

 

「よっ、ほっ!」

 

 

取っ掛かりはほぼ無く、四肢を引っ掛けられないため、使っているのはほぼ上半身だけだ。難なく枝まで辿り付くと、胴体部分を掴んで身体のバランスを安定させ、枝の先端に引っ掛かっている鞠へと手を伸ばすが僅かに手が届かない。

 

丈夫で、そう易々とは折れない胴体部分に比べて枝の部分は酷く脆い。彼も男性の中ではガタいも良く、身長も高い部類に入る。もし枝にぶら下がろうものなら、枝が体重を支えきれず、根元からポッキリと折れてしまう。

 

 

(んーどうするか。流石に手を伸ばしても届かない場所にあるし……)

 

 

悩んでも仕方ない。

 

一旦体勢を整えると、鞠の引っ掛かっている枝の根元に手を掛け、雲梯の要領でぶら下がると、振り子のように身体を振ることで遠心力を付けていく。

 

いくら枝が脆いとはいえ、胴体部分との接続部分は枝の先端に比べて強固になっている。だから簡単に折れることは無い。数回ほど振ったところで、下にいる木乃香に視線を向けて、声を掛けた。

 

 

「そこはちょっと危ないかもしれないから、少し離れてて!」

 

 

言葉の意味を理解すると、パタパタと落下地点から外れて建物近くまで移動する。これだけ離れていれば例え落ちたとしても、木乃香に危害が加わることはない。

 

離れたことを確認した後、思い切り身体を振り、鞠に向かって自身を飛ばした。勢い良く飛んだことで、枝に引っ掛かっている鞠を見事に掴むことに成功。

 

重力に従って地面へと落下していくが、体を新体操選手のように回転させ、地面に両足を着いた。ドンという落下の衝撃音が周囲に鳴り響くも、怪我らしい怪我は見当たらない。

 

相当な高さから落下したにも関わらず痛むそぶり一つ見せないのは、彼自身の肉体が相当なまでに鍛えられているからだろう。

 

鞠を持ったまま、木乃香の元へと向かう。

 

 

「あっ……!」

 

 

先ほどまでの警戒心はどこへやら。

 

鞠を取ってくれた姿に、パァッと表情が明るくなる。木乃香から見て、目の前の人物は得体の知れない人物であるには変わらないが、自身に危害を加えようとする人間では無いということ。

 

また悪い人間ではないは今のやりとりで判断することが出来た。本当に悪気があるなら、わざわざ大怪我をするリスクがある方法は取らないんじゃないか、と木乃香の中では一つの結論がついた。

 

 

「ほい。これだろ?」

 

「わぁー! おにーさんありがとなぁ!」

 

 

改めて鞠を渡す。

 

キャイキャイと頬を緩める木乃香の姿に、思わず彼自身の表情も緩んだ。

 

 

「まだ少し時間もあるし、俺で良かったら遊び相手になるよ」

 

「え? ほんまに?」

 

「あぁ、どうかな?」

 

「ウチ、嬉しい! おにーさんよろしゅうなぁ」

 

 

短い時間ではあれど、人との関わりが全く無かった木乃香にとって、初めての遊び相手が出来た瞬間だった。



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またな

 

 

 

「げっ、もうこんな時間だ。そろそろ戻らねーと」

 

 

遊びに夢中になるあまり、すっかりと時間感覚を失った男性は、腕時計を確認して頭を抱える。もう少しゆとりを持って行動する予定が、時間一杯遊び倒してしまった故に、ギリギリとなってしまった。

 

本来、彼に与えられたメインの仕事は木乃香と遊ぶことではなく、彼女を守ること。

 

とどのつまり護衛任務だ。今日行われているのは西日本の術師たちを集めて行われる緊急集会であり、全ての人間が常識的な思考持ち合わせている訳ではない。中には気性が荒いもの、性癖が狂っているもの様々であり、仮に近衛家に恨みを持っている人間が場に居合わせたとしたら、狙われるのは最も力を持たないもの。

 

そう、子供である木乃香が狙われることになる。人質を取られてしまえば、いくら実力がある人間とはいえ無事に取り返すことは極めて難しい。

 

木乃香の父親、詠春は関西の呪術者たちを束ねる長として君臨する。

 

だがその傍ら、父親として自分の娘を何が何でも守らなければならなかった。ただしどうしても守れないタイミングがある。集会中、詠春は席を外すことが出来ない。

 

つまり木乃香のことを見る人間が誰もいなくなる。

 

かといって魔法の存在を知らない木乃香を集会に同席させるわけにも行かなかった。それに同席させるということは守りやすいが、反面狙いやすくもなる。

 

考えられる選択肢は少ない中で彼はこの男性に護衛を依頼する選択を取った。

 

 

かつて共に仕事をしたことがあり、実力が確かなものであることは良く知っている。第三者から聞いた不確定要素の高い噂話ではなく、自分の目で見たことのある確かな実力者だからこそ、信頼を置けた。

 

幸いなことに特に何も起こることなく……むしろ彼としては護衛としての仕事を何一つしてないからこそ、何か裏があるんじゃないかと思い始めていたところだった。

 

 

(娘を守ってほしいって言われたけど、結局俺遊んでただけだよな。おいおい、これで報酬貰っていいのか?)

 

 

木乃香に背を向けながら本当にこれで良いのかと焦り始める。

 

護衛任務と聞いて来たまでは良かったが、結果はただ遊んだだけ。時間的には集会が行われている間だけと聞いたため、長時間にならないことは分かっていた。こうもあっさりと仕事が終わってしまうと、来た意味が果たしてあったのかと疑問に思えた。

 

呼んだのは万が一のためなのは分かるが、ここまで来るまでの手間の方が掛かったと思うと、何とも言えない気持ちになる。意地汚いことを言えば、楽して儲かった、とでも言うところか。

 

 

 

「おにーちゃんもう行ってしまうん?」

 

「ん?」

 

 

 

後ろを振り向くと鞠を持ったまま、不安そうに見上げる木乃香の姿が。

 

ここで嘘をついても仕方ないし、実際受けた仕事内容は集会中の彼女の護衛。つまり仕事が終わったら彼女と別れなければならない。既に終了時間を過ぎている、あの細かい詠春のことだ、集会も時間通りに終わらせていることだろう。

 

集会が終わる時間になったら屋敷まで連れて来るように言われていたのに、完全に過ぎている。そろそろ

心配をした詠春が姿を現すはずだ。

 

 

「あぁ。集会中に君と遊んでくれってお父さんに頼まれただけだから、集会が終わったら今度は違うところに行かなきゃいけないんだ」

 

「うぅ、そんなんいやや! ウチはもっと遊びたい!」

 

 

眉をしかめて嫌だと駄々を捏ねる木乃香。

 

年齢的にも本来なら友達と遊んでいる年頃、本音は彼女だって色んな人と遊びたい。僅かな時間とはいえ、自分と遊んでくれる人間を見つけたのに、また別れなければならない。その事実は幼い木乃香にとって受け入れがたいものだった。

 

近付いて服の裾を掴み、必死に引き留めようとする。別れを悲しむ木乃香の姿に呆気にとられる。とはいえ、いつまでも自分もここにいるわけにはいかない。フッとほほ笑むと足を曲げてしゃがみこみ、木乃香の身長に自身の身長を合わせると、平均よりも大きいであろう大きな手を頭の上に優しく乗せた。

 

 

「……ふわぁ?」

 

「俺も、だよ。仕事で友達にも会えないし、いつも一人のことが多くてね。今日は俺も久しぶりに遊べて楽しかった」

 

「……」

 

「でも俺には他にもやらないといけない仕事があるから、さ。何、会えなくなるって言っても、ずっと会えなくなる訳じゃない。人間生きていれば、必ずどこかで会える」

 

「ほんまに? 嘘やない?」

 

「もちろん。俺だって君のお父さんに会うのも久しぶりだったけど、ちゃんと会えてる。諦めなければ必ずどこかで、な」

 

 

瞳に溜まった雫をごしごしと拭い去る。二度と会えなくなるわけではない事が分かり、多少なりとも安心したのだろう。

 

 

「また会うた時は、ウチと遊んでくれる?」

 

「当然。次会う時にはもっと可愛く、綺麗になった姿を見せてくれよ」

 

「う、うん!」

 

「よっしゃ、君は笑っている方が「おーい木乃香ー!」お?」

 

「お父様!」

 

 

何かを言いかけた途端、二人の後方から男性の声聞こえてくる。声の主は木乃香の父親、詠春のものだった。いつまで経っても戻ってこないことが心配で駆けつけて来たようで、小走りでこちらに向かってくる。詠春の姿を確認した男性もまた、彼に向かって歩き始めた。

 

 

「あ、あの! おにーちゃん名前は?」

 

 

歩き出したところで再度、木乃香から声が掛かる。内容は名前を教えてほしいとのことだった。数時間ほど行動を共にしていたのに、彼は一切名前を伝えておらず、最後の最後に木乃香が聞いてくる。また会うのならせめて名前くらいは聞いておきたい、別れる前の彼女の最後の願いだった。

 

 

「俺か? 俺の名前は(つよし)だ。しっかり覚えておいてくれよ」

 

 

ニコリとほほ笑み、自分を指さしながら名前を伝える。

 

 

「つよし、おにーちゃん?」

 

「お! つよしおにーちゃんか。この年でお兄ちゃんって呼んでくれるのは嬉しいねー」

 

「つよしおにーちゃんありがとう! またなぁ!」

 

「こちらこそ! またな!」

 

 

後ろ向きに手を振る雄に対して、同じように手を振り返す。

 

木乃香と別れた後、ポケットに手を突っ込んだまま、詠春の元へと歩き出す雄だがどこか表情が硬い。何故表情が硬いのか、実は先ほど帰ると言った時の木乃香の反応が気になっていた。

 

幼い少年少女程、仲良くなった相手と別れる時に感情が出てしまい、嫌だとゴネることが多い。だが、多くは比較的長い期間、共に遊んだ人物や面倒を見てくれた人物に出てしまう感情であって、たかだか数時間遊んだだけ得体の知れない人間に感情が出るケースはそうある訳ではない。

 

考えられるケースとしては人との交流がほぼ無いままに育ったか、自宅で日常的に虐待を受けているか。後者はあの詠春に限っては考えられないと踏んだ雄は、前者の可能性が高いと判断した。いくら離れた山里の中で育ち、親が術師たちの長を務めている立場があるといっても、この年で友達がほとんど居ないのは流石に気の毒ではないか。

 

 

「おう詠春。これで良かったのか?」

 

「ええ、ありがとうございます。特段問題は起きなかったようですね」

 

「あぁ。さっき枝に引っ掛かった鞠を取ろうとして、少し着物は汚れているけど怪我はしてない。一緒に居る間は周囲も警戒したけど、特に妙な気は感じなかった」

 

「そうですか。すいませんわざわざこちらまでご足労頂いて。謝礼はいつもの場所で大丈夫ですか?」

 

「ん、頼む」

 

 

去り際に淡々と話を進める二人、あまり時間を掛けると木乃香が不審がると思ったのだろう。

 

立場的には詠春よりも雄の方が上なのか、やや丁寧口調で雄へと語りかけている。

 

 

「しっかし大丈夫か、木乃香ちゃんだっけ? あまり誰かと遊んだこと無くて寂しそうだし、もう少し同い年くらいの誰かと遊ばせた方が良いと思うんだが」

 

「私も少しばかり過保護すぎるとは思ってまして。立場もあるとはいえ、木乃香に寂しい思いをさせていることは自覚してました」

 

「立場的には難しい立場なのは分かるけどな。そういえば神鳴流の師範とか弟子とか来るって言ってたけど、誰か木乃香ちゃんと年が近い子とか居ないのか?」

 

「どうでしょう。探してはいるんですが、どうしても年齢的には高くなってしまいますね」

 

「あーそりゃそうだ。逆に木乃香ちゃんと同い年くらいで、剣握って振り回してるやつがいたら怖いわ」

 

 

すぐに解決できる問題では無さそうだが、詠春なりに考えているところがあった。もし詠春が何も考えておらず、現状を野放しにしておこうと考えているのであれば、一発ぶん殴ってやろうとでも思っていた雄だが、その心配は杞憂に終わった。

 

近衛家の事情、そこは雄も十分に汲んでいる。幼い木乃香が寂しがっている姿を見て、少し気の毒に思ってしまった。

 

が、詠春の選択は決して間違ってはいない。その理由を雄が話していく。

 

 

「それに、あの子の内に秘めた魔力量。下手に外に出したら、狙われてもおかしくはない……ってところか」

 

「正直なところ、そこが大きいです。本人からしたら身に覚えがない理由で狙われる訳ですし、そんな目にあわせたくない」

 

 

木乃香と遊んでいる時から気付いてはいた。彼女の内に秘められた以上なまでの量の魔力。現状、本人も自身の力、魔力については何一つ理解していないが、外部の第三者がつけ狙う理由を一つあげるならそこだ。眠っている魔力を活用すれば多くの人間を助けることが出来る、しかし裏を返せば悪用して、多くの人間を不幸のどん底に陥れることが出来る。

 

彼女の持つ魔力の強大さは、詠春の表情を見れば一目瞭然。眼鏡の奥の詠春の表情が曇った。我が子を思う気持ちの強さ故か、冷静な口調の中にも感情が込められてる。が、いくら考えたところですぐに解決出来る手立てはない。

 

何より父親である詠春が一番分かっていることだ。子供を持たない自分がぐだぐだと言ったところで意味はない。それ以上、雄が木乃香に関する内容を話すことはなかった。

 

 

「とりあえず、また依頼したいことがあったらいつでも連絡してくれ。ここ最近は家に籠りっぱなしだから、時間はいつでも作れる」

 

「ふふっ、そう言っていただけると助かります」

 

「ま、まずは木乃香ちゃんのところに行ってやりな。今日一日は寂しがるかもしれないし」

 

「えぇ、本当に何から何までありがとうございます。では、また」

 

 

詠春に別れを告げると、近衛家の門をくぐり抜けて帰路へと就く。

 

これが二人の、木乃香と雄の初めての出会いだった。

 

ほんの一瞬の出会いであったがこの時交わした些細な約束が、十年後に思わぬ形で叶えられるなど、今の二人は知る由もなかった。



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そして二人は再会する

 

 

 

「……」

 

「おい、近衛!」

 

「ふぇ?」

 

「どうしたんだボーッとして、どこかぶつけたか?」

 

 

受け止めたまま微動だにしない木乃香の身を案じ、何度も声を掛けるが反応が見られずに心配した雄だが、ようやく反応を見せたことに安堵しつつも、怪我がないかどうかを再確認していく。実は自分が知らないところで怪我をしていたんじゃないかと思うと、居ても立ってもいられなくなる。

 

木乃香は自分の大切な生徒だ。こんな些細なことで怪我をして辛い思いをして欲しくない。

 

そう思う雄と別に、我に返った木乃香は抱きついた格好のまま、顔だけを上げて雄の顔を見つめた。純粋な子供のような眼差し、不思議そうに、何かを観察するかのように見つめる木乃香の視線に、年齢不相応にドキリとする。相手はまだ年端も行かない、十五歳の少女。成人している雄が手を出したらただの犯罪であると必死に頭の中の雑念を振り払う。

 

 

(おいおい、なんだこの展開は!? ちょっ、近衛の視線が)

 

 

あまり雄は女性関係には慣れていない。

 

普通に話したり遊んだりすることは問題ないが、一歩踏み込んだ状況になると正常な思考がままならなくなる。だから意図的にくっつかれたり、ドキリとする仕草に弱く、冷静な姿から一変してオロオロと頼りない男性に早変わりする訳だ。

 

幸い周囲に人がいないからまだしも、もし仮にこれを誰かに見られていたとしたら固まったまましばらくは動けないことだろう。

 

 

「つよし、おにいちゃん?」

 

「……は?」

 

 

雄を見つめながら木乃香が呟く一言に反応する。

 

恥じらいに満ちた雄の表情は急変し、みるみるうちに驚愕の色に染まっていった。今、何て言ったかと。

 

そう呼ぶ人間は限られてくる。未だかつて自身のことを『つよしおにーちゃん』と呼んだのは僅か数人しかいないからだ。

 

ましてや木乃香とは今日が初対面だったはず、なのにどうしてその呼び方を出来るのか、知っているのか。昔京都で彼女と知り合ったことに気付かず、必死に頭をフル回転させた。

 

未だ分かっていない雄とは別に、既に木乃香は気付きかけている。目の前にいる人物が、かつて木乃香が京都にいた時に遊んでもらった男性と同一人物であると。

 

朝はどこかで会ったことがある程度の認識だったが、先ほどのフラッシュバックにて出て来た男性と、雄の姿がピタリと一致した。

 

名前、仕草、見た目。

 

何から何まで寸分の狂い無く一致する。十年以上前の出来事にはなるが、あの時交わした約束をしっかりと覚えていた。

 

 

『また会うた時は、ウチと遊んでくれる?』

 

 

木乃香の問いに対して彼は肯定した、当然だと。十年以上前の約束であるが故に忘れていた部分もあったが、彼とこうして再会する事で、ようやく過去の眠っていた記憶を呼び起こすことに成功した。

 

 

「お、おい。その呼び方は一体どこで……」

 

「何言うとんの。雄お兄ちゃんが昔京都に来た時、言うたやんか」

 

「京都……あっ!」

 

 

未だ気付かずにいた雄に対して、ムゥとリスのように頬を膨らめながら、京都に来た時に自分から呼んだと伝える。京都、の単語に一瞬考え込むも、徐々に過去の記憶が蘇ってくる。

 

確か十年ほど前、関西呪術協会の長の近衛詠春に護衛任務を依頼され、単身京都に向かったことがあった。が、護衛とは名前ばかりで、実際雄がやったのは対象者と遊んだこと。それも集会が終わるまでの数時間を、だ。

 

京都訪問時に遊んだ少女の名前、詠春に教えてもらった名前は。

 

 

「まさかあの時遊んだ相手って……木乃香、なのか?」

 

 

言われてみれば体格は変われども、話し方や仕草、顔立ちはそこまで大きく変化しているわけではない。加えて同姓同名、顔がほぼ同じの段階で何故気付けないのかと、そっちの方が不思議に感じる。

 

全国に近衛姓はそう居ない。良くある名字のランキングを出したら、間違いなくレアなケースに当たる。

 

あの時人間生きていれば、必ずどこかで会えるだなんて青臭いことを言ったが、まさかこうも早く再会するとは。あまりにも衝撃的かつ、予想外の事態に頭の中が真っ白になる。

 

それと同時に、父親にも似た、娘の成長を喜ぶような感覚に襲われた。

 

 

(大きく……なったよな)

 

 

あんな小さかった木乃香がいつの間にか立派な大人の女性に育った。まだまだ中学校三年生、さえど中学校三年生。時間の流れは早い、いつの間にか五年、十年と歳月が過ぎていくことだろう。

 

あの頃は小さな子供が、二十年も経てば立派な大人になる。成長を喜ぶと共に、自分自身も年を取ってしまったことを再認識する。たかが十年、さえど十年。今年で自分はいくつになるかと思うと、年月の無常さを感じることも出来た。

 

 

「ははっ、こりゃびっくりだ。昔遊んだ子が教え子だったなんて」

 

 

有り得ない現実に苦笑いを浮かべるが、改めて世間の狭さを知る。

 

十年前の記憶ともなれば多少なりとも忘れるもの。それでも思い出せたのは、木乃香にとって雄と僅かな時間でも遊んだ記憶は、何よりも根強く脳に紐付いていたことになる。

 

 

「久しぶり木乃香ちゃん。十年ぶりだったか、まさかあんな小さな子がこんなに綺麗になるなんて。また会えて嬉しいよ」

 

「えへへー! ウチも久し振りにお兄ちゃんと会えて嬉しいで♪」

 

「わっ!? こらこら、誰か見てたらどーすんの!」

 

 

近衛から木乃香へと呼び名が変わる。

 

久し振りの再会を分かち合うように、再度ぎゅっと抱きつく木乃香。現状は周囲に誰も居ないのだが、誰かに見られたらと、焦る雄を余所に胸元に顔を埋めた。

 

数分間ほどくっついていると、やがて思い出したかのように雄から離れると、少しだけ前屈みになりながらニコッとはにかむ。

 

 

「なぁなぁ、またあの時みたいにお兄ちゃんって呼んでええかな?」

 

「ん、あぁ」

 

 

かつての知り合いだと分かり、風見先生だと他人行儀で話し掛けづらいとのことで、木乃香は昔の呼び方でも問題はないかと尋ねるが、すんなりと了承を得た。ポリポリと頬を掻きながら恥ずかしそうに視線を逸らす辺り、満更でもないらしい。

 

呼び方は若干変化していて、今までは名前を付けていたものの、名前が外れてより純粋な呼び方になっていた。雄自身、そこはあまり気にしていないようで、呼び方は人それぞれだからと括っているように見える。

 

少なからず、木乃香の雄に対する呼び名が気に入っているのは間違いなかった。

 

 

「しかし他の生徒が見てる前で、お兄ちゃんは結構恥ずかしいな」

 

「えー、何で? お兄ちゃんはお兄ちゃんやん」

 

「そりゃそうだけど……」

 

 

木乃香の無垢な眼差しがあまりにも純粋で、言葉が詰まってしまう。かつて遊んだことがある仲とは言っても、教壇に立っている時にお兄ちゃんと呼ばれるのは些か抵抗がある。悪い気分ではなく、純粋な恥じらいといえば良いだろうか。

 

これは人として当然の反応であって、流石にプライベートでの呼び方は別々にした方が良いんじゃないか。一瞬はそう思うも、すぐに無理だと悟った。ネギのことを先生呼ばわりせずに、それぞれ好きに呼んでいる時点で、三年A組で公私混同の区別をつけること自体が無理難題な内容であること。

 

それを崩すにはよほどアッパーで高圧的な態度で臨まなければならないが、まずネギも雄も周囲を敵に回すような指導方法を望んでいない。

 

故に拒否権はなかった。

 

と―――。

 

 

 

 

「―――っ!!?」

 

 

不意にゾクリと背筋が凍る。

 

明確なまでに当てられる敵意に、周囲をキョロキョロと見渡すが周囲には誰の姿も見えない。だが、ふと教室を出る時に感じた監視の視線と同じ雰囲気を感じることが出来た。つまり同じ人間が近くにいることになる。それも雄たちを監視出来る至近距離に。

 

比較的見開けた場所の高台ではあるが、姿を隠そうとすれば幾らでも隠すことが出来る。故に、見渡しただけでは視線の人物の断定までには至らない。先ほどと同じで敵意は強くなったものの、直ぐに襲ってくるような感じは無い。

 

 

「?」

 

 

キョロキョロと周囲を見渡す雄を木乃香はポカンと首をかしげながら見つめていることから、彼女自身には敵意を向けられていない。否、もしかした単純に気付いていないだけの可能性もある。あらゆる可能性から、相手の狙いは木乃香ではなく、おそらく自分であろうと推測。

 

相手の出方にもよるが、現状は視線に我慢すれば問題はないとの判断で考えるを一旦辞めた。

 

 

「あ、お兄ちゃん。学園の案内せな時間なくなってまうえ」

 

「そ、そうだな。行くか近衛」

 

「あーん! 近衛じゃなくて、木乃香って呼んでぇな!」

 

「わ、分かったから! あんま引っ付いたら歩きにくいって!」

 

 

木乃香に引っ付かれたまま、高台を後にする雄。

 

二人の後ろに映るもう一人の影。その影は二人の姿が見えなくなると同時に、後を追うように消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「数時間で見てたのが屋外の運動部の一部だけか。全てのクラブ活動見て回るって考えると、結構時間はかかりそうだな」

 

「んーせやなぁ。細かい非公式のクラブ入れるといつまで掛かるか分からんえ」

 

「うへー、マジか」

 

 

日はどっぷりと暮れて夜。

 

すっかり暗くなった夜道を雄と木乃香は二人で歩いていた。帰りの電車で、何人かから飛んでくる好奇に満ちた視線。赴任初日で木乃香と出来ているんじゃないかという噂が、一部で広がっただとか何とか。

 

屋外の運動部をまわっている内に、何人か自クラスの生徒たちと出会ったため、何人か知らない生徒たちとも会話を交わすことが出来た。雄にとっては比較的貴重な時間を過ごすことが出来たようで、満足げな表情を浮かべている。

 

後いくつクラブがあるのかと、考えると気が狂いそうなため、木乃香の一言を聞いた後は、極力考えないように気を紛らわした。

 

 

「お兄ちゃん、さっきからウチと歩いているけど、住むとこってこっちなん?」

 

「木乃香と同じ寮らしいぞ」

 

「えぇ! そうなん!?」

 

「何でも部屋の調整が難しいとかで、空いている部屋を使ってくれだと。学園長に押し切られてどうしようも無かったんだわ」

 

 

一部始終を思い出したのか、雄はがっくりと肩を落とす。まさか男性の身で、女子寮に住むことになるとは思ってもみなかっただろう。万が一間違って女子が入浴中に風呂に入ろうものならと、最悪のケースを想定すると背筋がゾクゾクしてくる。

 

 

「おじいちゃん、ごーいんやからねぇ。ウチも良く無理矢理お見合いさせられてるんよ」

 

「へー、だからあいつあの時あんな事言ったのか」

 

 

今日の午前中、学園長室を訪れた時のこと。

 

クラス名簿を見て木乃香の名字が近右衛門と同じことに気付いた雄は、近右衛門から孫娘を紹介すると言われていた。紹介したところで流石に年齢が離れすぎているのではないかと、やんわりと断りを入れたところ、木乃香はそこまで気にしないと押し切られそうになる始末。

 

何となく木乃香にお見合いを頼み込む近右衛門の姿がイメージ出来、思わず苦笑いを浮かべる。

 

 

「んー? あいつ? あの時?」

 

「あー……いや、何でもない」

 

 

学園長室での一件がうっかりと口に出てしまい、慌てて口を塞ぐ。そんな慌てた様子を雄を笑いながら話を続ける。

 

 

「それにな、ウチまだ中学生やのに、将来のパートナーなんて早すぎると思わへん? 人によっては倍以上年が離れてるんよ」

 

「そうか、まだ中学生か。でも木乃香は綺麗だし、学園長が勧めるのも無理ないかなって思うんだが」

 

 

贔屓目に言わなくても、木乃香は美少女である。周囲の人間に聞けば、誰しもがそう答えるだろう。決して雄も大げさに言ったわけではなく、本音を伝えたのだが。

 

 

「ありがとな。でもそれならウチ、お兄ちゃんがええなぁ」

 

「はい?」

 

 

まさかのあらぬ方向へと飛び火する。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしながら、ギギギッと音を立てて木乃香の方へと顔が向いた。

 

 

「だってお兄ちゃん優しいし。ウチと年もそんなに離れて無さそうやし」

 

「ははは……」

 

 

理由としては木乃香らしいというか、なんとも単純明確な理由だった。いくらイケメンな男子とはいっても素性の知れない男子と付き合えないのと同じで、お見合いは写真でしか相手のことが分からない。いざお見合いに臨んだところで、相手方の内面を瞬時に見分けるのは難しく、いくらでも取り繕うことが出来てしまう。

 

年齢もさることながら、中学生の女の子が一回りも二回りも離れた大人の男性と付き合うというのは無理があるよりも、想像が出来ないだろう。

 

 

(年齢……ね。そう考えると一番不釣り合いかもなぁ)

 

 

内心そう思うしかない雄。

 

あーでもないこーでもないと雑談を交わしていると、いつの間にか女子寮の玄関前に着いていた。

 

 

「あれ、お兄ちゃんどこ行くん?」

 

 

寮の中に入ろうとしない雄を不審に思った木乃香が声を掛ける。

 

 

「いや、ちょっと軽く寮の周りを散歩してこようと思って。もう遅いし、先に帰ってていいぞ」

 

「ほんなら先に帰るなー。また明日な、お兄ちゃん!」

 

「おう!」

 

 

手を振り、木乃香と別れる。

 

散歩に行くのは決して嘘ではない。彼にとってはこれが散歩みたいなものだから。木乃香の姿が完全に見えなくなると、周囲を軽く見渡す。玄関の明かりや街灯の明かりを除けば、真っ暗な空間が辺り一面広がっている。夜も遅いことから、周囲に人影らしい人影も見当たることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何者かの気配を除いて。

 

 

「さて、誰だ? 学園からこそこそと後を付けているのは」



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神鳴流剣士の少女

 

 

「さて、誰だ? 学園からこそこそと後を付けているのは」

 

 

木乃香と別れ、一人寮の外で後ろに居るであろう存在に向かって声を掛ける。学校が終わってから数時間が経ち、既に周囲は真っ暗。明かりと言えば寮の玄関の明かりと、通学路に灯る街灯の明かりのみ。

 

学園内を回っている間、片時も俺たちから離れなかった視線。気配は上手く隠していたため、場所自体の特定は出来なかったが、視線の正体は同じ人物なのは分かった。

 

途中で何度かカマを掛けて誘き出そうとするも、周囲に人が多すぎた事もあって辞めた。特に視線が強くなったのは、木乃香のことを名前で呼ぶようになった辺りか。

 

二人きりになったタイミングで思わぬ話をされて、ようやく靄掛かった俺と木乃香の接点が明らかになったが、距離が近付いた途端、嫉妬感情の入り交じったものへと切り替わった。

 

何だろう、悪いことをしてないのに理不尽な仕打ち。

 

 

「……よく気付きましたね」

 

 

建物の柱の影から姿を現す一人の女性。

 

 

「君は……桜咲?」

 

 

彼女の姿に見覚えがあった。

 

確かうちのクラスの生徒。出席番号十五番、桜咲刹那。

あまりクラスでは目立つ存在では無かったはず。どちらかというと自ら存在感を消し、人との関わりを極力避けているようにも見えた。

 

クラス名簿には京都神鳴流と書いてあったから、その手の生徒だとは思うが……。

 

ん、京都? 京都って確か木乃香の実家だったっけ?

 

もしかして関係があるのか?

 

 

「どこに隠れてるかまでは分からなかったが、同じ視線と気が数時間に渡ってついてくれば流石に気付くよ。まさか桜咲がつけているとは思わなかったけど」

 

 

警戒心はマックス。

 

彼女の仕事柄、人を疑ってかかる性分はしかないのかもしれない。それにネギ君をはじめとした魔法使いの人間にも、俺の立場を一切教えていないため、俺がかつて近右衛門と共に仕事をしたこともある魔法関係者だと知っている学園の人間は限りなくゼロに近い。

 

 

「貴方は一体何者なんです? 雰囲気から見ても一般人とは思えない。それにこのタイミングでの赴任……都合が良すぎるような気がするんですが」

 

 

んー、あれだ、ちょっと堅すぎるかな。

 

得体の知れない人間に警戒心を抱くのは仕事人として当然だが、それが全面に溢れすぎている。これでは誘導尋問もへったくれもない。ここまで圧迫感のある質問をされて、正直に答える敵はいないだろう。

 

逃げられて終わる未来が如実に見えている。それが未熟な敵であれば彼女にも対応できるだろうが、レベルが上がれば上がるほどに対処は困難になる。

 

桜咲がどれだけ出来るか知らないが、俺だったら即座に逃げている。

 

 

「おいおい、随分な言い草だな。赴任のタイミングは偶々依頼を受けたからだよ。特に理由はない。それに習わなかったか? 人の素性訪ねる時にはまず自分からだって」

 

「っ! 目的は何だ!」

 

 

少しからかったつもりが、警戒心を飛び越え、明確な敵意が込められた視線で睨まれた。長い袋包みを握る手の力が強まる。袋の長さからして、中に収納されているのは木刀や竹刀、もしくは業物か。

 

ただ彼女が神鳴流剣士なら、いざという時の戦闘も想定しているはず、そう考えると木刀や竹刀もいった選択肢は除外される。

 

目的……目的か。特に何もないんだけど彼女の実力を見るのにはちょうど良いかもしれない。

 

 

「目的? 特に目的は……ないけど」

 

「貴様っ!」

 

「へ? うおっ!?」

 

 

中途半端に答えを濁すと同時に、俺の眼前を鋭い蹴りが通過していく。咄嗟に体をリンボーダンスの要領で折り曲げ、すんでのところでかわす。少し余裕をこきすぎたか、体勢的に連続攻撃は難しいと判断し、バックステップを踏みながら桜咲との距離をとる。

 

後一瞬判断が遅かったら間違いなく、俺の顔面に彼女の踵がめり込んでいたことだろう。それに恐ろしく手加減の無い一撃、完全に俺を無力化する前提で攻撃している。

 

今の彼女にどれだけ弁明したところで聞く耳は持たない。からかうつもりがとんだ災難だ。変に挑発するのも良くないと、改めて分かっただけでも収穫……じゃなくて。

 

 

「あぶねぇな! 今の避け遅れたら死んでいたぞ!」

 

「ちっ、外したかっ!」

 

「外したかっ! じゃねぇよ! 俺の話聞いてたか!?」

 

「聞く耳など持たん!」

 

「くそっ、ここだと目立つな……仕方ない」

 

 

このまま玄関の前で戦い続けるのは非常に頂けない。遅い時間帯とはいえ、生徒の誰かが通るとも限らないし、バレるリスクを考えると玄関前での戦闘は避けたい。

 

攻撃をかわした後、走って林の中へと逃げ込む。

 

 

「待てッ!」

 

 

案の定、俺のことを追いかけてくる。表情をみる限り、キチンとした話をしない限り納得しない……というか何を言っても手遅れか。逃げたら逃げたで、最終的には近衛が説得してくれるだろうが、個人的にはあまり面白くはない。

 

戦いに面白いことを求めること自体、完全に間違っているが、この際桜咲の現状を、実力を把握しておく機会には丁度良い。

 

どちらにしても安易な挑発にのっているようでは、一人前の神鳴流剣士としては成長出来ない。精神的な成長、それは一戦士として最も必要なスキルとなる。もろい精神は自身を弱体化させ、率いる仲間たちにまで被害を被る事になりかねない。

 

 

「待てって言われて誰が待つか……よっ!」

 

 

待てと言われて待っているほど、俺は優しい人間ではない。

 

先を走る俺の動きを止めるために、木の枝を折り、それをクナイのように投げ飛ばしてくる。正確無比なコントロールだが、狙うところがはっきりしていれば怖い攻撃ではない。

 

体の軸をぶらさずに顔だけ後方に向け、飛んでくる木の枝を素手で掴む。変に体ごと後ろに向けてしまうとバランスを崩す可能性もある上に、その後すぐに走り出せずに追いつかれてしまう。

 

攻撃が片目でも追いきれるのであれば無理な体勢のままでも十分、だがそれを過信してはならない。どんなケースにおいても戦況を冷静に判断し、適切な行動をとることが得策。今回は俺がそう判断しただけであって、相手の力量や余裕によっても変わってくる。

 

単純な戦闘力だけなら桜咲はそこそこ腕が立つみたいだし、下手な油断は禁物だ。

 

逃げている間にも容赦のない攻撃が続く。

 

 

「だーかーら! 人の話を聞けっつーの!」

 

「ふん! そんなものは貴様を捕らえてからゆっくり聞けばいい!」

 

「そういう問題じゃねー!」

 

 

なんか相手にするのが段々疲れてきた。ふざけた点は申し訳ないが、それ以外に何か悪いことをしたかと言われると、した覚えがないような気しかない。

 

まさか放課後に木乃香と出かけたことを根に持っているのであれば、完全な冤罪だ。とばっちりも良いところである。

 

仕方ない。

 

 

「お?」

 

 

進行方向に見えるのはサッカーボールサイズの石。タイミングが良すぎるような気がするが、接地面をみる限り、そこまでべったりと地面にこびり付いている訳でも無い。

 

こびり付いている場合、引き剥がす、蹴り上げるといった二行程が必要になり、同時に行えるだけのキック力で蹴ると、先に石が割れてしまう。

 

 

「よっと!」

 

「!」

 

 

走り際に足を引っ掛け、ロングシュートをするイメージよりかは、パスをするようなイメージで上に蹴り上げた。すると接着の弱い石はいとも容易く地面から剥がれ、俺の胸元ぐらいまで上がる。

 

胸元まで上がった足を一旦足下付近にまで落とし、再度自身の蹴りやすい高さに調整すると同時に、体を勢い良く反転させ、遠心力を利用して右足をピンポイントで石にぶち当てた。

 

 

「何っ!?」

 

 

桜咲もこればかりは想定していなかったハズ。蹴られた石はぶれることなく、一直線に桜坂の元へと向かっていく。

 

よし、これで多少なりとも時間を稼ぐことが出来る。石が向かう先に桜咲の素顔が確認できる。改めて見てみると整った顔立ちだ、もう少し笑うことを覚えれば大人の女性になれるんだがと思いつつ、どんな表情を浮かべるかと観察する。

 

 

「……ふっ」

 

「へ?」

 

 

ニヤリと笑った。

 

 

「神鳴流奥義……」

 

「はっ!? ちょっと待った! それは流石に洒落にならな……」

 

「斬岩剣っ!!!」

 

 

俺が最後まで言い切る前に、桜咲は剣を抜いた。

 

寸分の狂いもなく放たれた一閃は、俺が蹴った石をいとも容易く真っ二つに切り裂く。が、それだけにとどまらず放たれた斬撃の風圧の刃が俺を襲う。

 

 

「このっ!」

 

 

このまま逃げたところで直撃する。地面を蹴って桜咲と対面するように前を向くと、次の片足着地で横へと飛んだ。

 

間一髪、斬撃を避けることに成功するも、俺がもたついている間にも桜咲は俺との間合いを詰めている。更なる一撃が俺に襲いかかろうとしていた。

 

取ったと咄嗟に判断したのか。大きく振りかぶる桜咲の姿が映る。流石にこの攻撃をモロに受けたら出血多量で病院送り、下手すりゃ死ねる。

 

桜咲が振り下ろす瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まぁ、とりあえず落ち着けよ桜咲」

 

「えっ……」

 

 

素早く俺は後ろに回り込み、桜咲が持っていた刀を首元に突き付けた。

 

何が起きたか分からず、立ち尽くす桜咲。自身の手を見ると、先ほどまでは確かに握っていたはずの自身の刀が無い。

 

いつ奪われたのか、刀を振り上げるまでは確かに握っていたはず。まさか攻撃が当たる僅か瞬間で自身の手から刀を奪い、背後に回り込んだのか。目の前の事実が信じられずに頭の中をぐるぐると思考が駆け回っているはず。

 

力なく場に膝を落とす桜咲。抵抗する気は無いように見えるが、万が一の事もある。桜咲から距離を取ると、近くの気の根本付近に刀を突き立てる。

 

 

「良いか、よく聞け。聞きたくなくてもよく聞け。まず俺は敵じゃないし、学園や近衛に手を出すつもりもない」

 

「……」

 

「後は、そうだな。あんな如実な反応じゃお前が誰を守っているのかすぐにバレる。もう少し精神面を鍛えた方が良い。まぁ、まだ若いし、いくらでも成長出来るよ」

 

 

一方的に話を続けるが、桜咲からの反応はない。聞いてはいるんだろうが、これ以上追い討ちするのは酷か。

 

 

「言ったからな、俺は敵じゃないって。夜も遅いし、気をつけて帰れよ」

 

 

踵を返し、寮へと戻ろうとした時、近くの林がガサガサと揺れる。化け物でも出て来たのかと身構えるも、その不安は次の瞬間、一気に取り払われる。

 

 

「そこに誰か居るのかい?」

 

「ん?」

 

 

林から現れたのは、三十代くらいの白スーツを着た渋めの男性だった。



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雨降って地固まる

 

 

「そこに誰か居るのかい?」

 

「ん?」

 

 

ガサガサと草木をかき分けて姿を現したのは、見た目三十代から四十代くらいの男性だった。わざわざ林の奥を覗きにくる物好きが居るとも考えられないし、玄関で俺たちの一部始終を見ていた人間は居ない。

 

桜咲の一撃の時に発した気を感じ取り、場所を特定したか。だとしたら完全に魔法関係者ということになる。逆に魔法関係者じゃなかったら割と本気で詰む。

 

先ほどの戦闘でここ一帯の木々は、見るも無惨に根こそぎぶった切られている。桜咲の一撃による風圧の刃は周囲の木々をも巻き込み、竜巻が通り過ぎたかのような状況を作り上げてくれた。

 

冷静になって考えて見れば、この林は学園の私有地であり、私用目的での伐採は禁じられているハズ。それをここまで盛大にやらかして、赴任早々始末書にならないかとヒヤヒヤしてくる。

 

 

「……あれ?」

 

 

今来たばかりの男性、その姿に多少の既視感があった。

 

人の顔を覚えるのは苦手だが、一度覚えた顔は早々忘れたりはしない。今から十数年ほど昔に、似たような顔立ちをした男性に会っている。

 

十数年経てば顔つきも変わってくるが、大元の根幹の顔つきは早々変わることはない。なら少し逆算して考えてみよう、今あるこの顔が若くなったと考えて……。

 

 

「はは、にしても盛大にやったね」

 

 

見るも無残な現状を見てもあっけらかんと笑う男性。見慣れているのか、常識はずれなのかは分からないが、彼の落ち着きようからして、魔法関係者であることが分かる。一般人であれば何が起きたかも分からず慌てふためくだけだ。

 

 

それにこの人、相当強い。

 

 

眼鏡に奥に潜む優しそうな感情とは別に、隠された膨大なる力。もし戦えと言われたら正面から正攻法で戦いたくはない。

 

 

「盛大どころの騒ぎじゃないような気がするけど。あなたは?」

 

「ん? あぁ、これは失礼。僕は高畑・T・タカミチ。麻帆良学園の教師さ」

 

「あぁ、麻帆良学園の……ん、高畑?」

 

 

高畑・T・タカミチ。

 

間違いなくどこかで聞き覚えのある名前だった。今から十数年程前、聞いたのは日本ではなくて海外の……。

 

 

「あー! 思い出した! アンタ、ガトウと一緒に居たタカミチか!」

 

 

頭にずっと引っ掛かっていたモヤが取れ、ようやく目の前の男性の正体が分かる。

 

一時期日本におらず、海外でちょっとした仕事をしていたことがあった。公共事業とでも言うべきか、世界各国を飛び回って活動をしており、その際に所属していた国連団体で会っている。

 

昔あった時は初々しさ残る青年だというのに、十数年ぶりに会った時には立派な渋い大人の男性に成長していた。身長もガタイの良さも当時とは雲泥の差、何より体を纏う戦士独特の雰囲気が心身共に成長していることを物語っていた。

 

 

「えぇ、お久しぶりです。雄さん」

 

 

ニコリと笑いながら俺の元へと歩み寄る立ち居振る舞いの全てが、紳士を物語るかのように様になっていた。今目の前にいる男性がまだまだ赤の抜けない青年だったと思うと、時代の流れをより感じてしまう。もうそれだけ年を取ってしまったのかと。

 

 

「初めて会った時は垢が抜けていない青年って感じだったのに、いつの間にか大人の風格漂う教師とは……ほんと世の中分からないもんだ」

 

「僕も全く予想してませんでしたよ。ところで、一体何があったんです?」

 

「あぁ、そうだった。話せば長くなるんだが」

 

 

俺はタカミチに事の顛末をなるべく分かりやすく、簡潔に伝えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっはっ! 自分は敵ではないことをアピールしようとしたら逆に敵に間違われたんですね!」

 

「笑い事じゃねーって。一瞬本気で死ぬかと……」

 

「ふふっ、あ、いやいや、すみません。僕の元生徒が迷惑かけました」

 

 

桜咲との一連のやり取りを説明した後に待っていたのは、タカミチの爆笑だった。ムッとする俺に平謝りで返す姿を見ていると、変に何かを言い返す気力も無くなる。

 

 

(いや、いくら桜咲が勘違いをしたからと言っても、それを止めるのが教師の役目だよな)

 

 

……事の発端を正せば、あの場でからかい半分で挑発せずに、しっかりと事情を話しておけば今回のようなことにはならなかったとのこと。

 

桜咲の実力を見ようとしたのは良いが、自分が死にかけるという何とも間抜けな顛末に正直目も当てられない。今回は偶々事なきを得たが、もしあれで一撃を受けていたら、桜咲を悪者にするところだった。実力を持っていることが分かり、実力を見てみたいと舞い上がってしまった部分があるのは自分の未熟さ。

 

本来なら頭に血が昇ってしまった桜咲を止めることが俺の役割だったはず。

 

きっとタカミチなら難なく納得させることが出来ただろう。ただ俺にはそれが出来なかった、やろうとしなかった。教師として一番大切な部分をケジメることが出来なかったことは、戒めなければならない。

 

ここはもう独りよがりの戦場ではない。相手を倒してそれで終わりの世界でもなければ、自分だけの力で何とでも出来る世界でもない。

 

あくまで生徒たちが集う学び舎だ。そこで俺がすべきこと、為さなければならないことは相手の力量を計るようなちっぽけな行動ではない。

 

 

「あぁ、いや、今回は完全に俺が悪い。桜咲が勘違いをしたタイミングで、俺が諭すべきだった。危うく自分の教え子を殺人犯にするところだった」

 

 

「あっ、雄さん」

 

 

タカミチに伝えると、自身の刀を回収し、やや気まずそうに視線を逸らす桜咲の方へと歩み寄る。俺と彼女の身長差は三十センチほど、彼女の足元に影が映ったのか、視線を上に向けた。どこか不安そうな上目遣い、戦っている時とは異なる彼女の顔。

 

戦っている時は誰よりも勇ましく、強く逞しい顔。しかしその裏側は誰よりも繊細で傷付きやすい、ガラスのハートを持っているようにも見えた。

 

こちらの世界に身を投じるということは少なからず、自身の女性としての時間を潰すことにもなる。表面上はこれが仕事だと取り繕っているのかもしれない、自分自身の本当の気持ちを押し殺してまで。

 

俺が木乃香に学園を案内してもらっている間、片時も離れず後ろを付けていた。それだけで、彼女の行為が誰のためのものかなんてすぐに分かる。

 

近衛木乃香と桜咲刹那。

 

二人には切っても切れない刎頚の交わりがあると。

 

 

「すまない。俺があの時ちゃんと話すべきだった。こんなことで許して貰えるとは思えないが、謝らせて欲しい」

 

 

桜咲の前で頭を下げる。すると彼女もワタワタとしながら、反応を返してくれた。

 

 

「い、いえ! 私の方こそ勝手に勘違いをして……あまつさえ刃まで向けるだなんて」

 

「気にしないで、むしろあれは怪しまれても仕方なかった。わざわざ挑発するようなことを言った俺に非があるよ」

 

「は、はぁ……」

 

 

先ほどの態度とは正反対の態度に、桜咲は桜咲で混乱しているように見えた。第一印象は最悪なものとなってしまったが、嫌でも一年間はクラスの副担任として、麻帆良学園に赴任することになる。

 

どんなに嫌だと言われても、生徒は教師を選べない。逆に教師も生徒を選ぶことは出来ない。最初はぎこちない対応でも、少しずつ時間を掛けて互いの関係値を良くしていければと思う。

 

それに彼女はもっともっと強くなる。剣術をある程度極めているとはいっても、これから十五歳を迎えることなる。身体的にも、精神的にも最も成長する年頃であり、充実する時だ。

 

この一年で学ぶこと、経験すること。それは全て彼女の力となり、人生においての礎となるはず。俺はその手助けをしてやらないといけない。

 

 

もちろん前提として仕事人としてではなく、あくまで中学生の桜咲刹那として過ごして欲しい。本音はむしろそっちかもしれない。

 

 

「これから一年、桜咲のクラスの副担任になる。今後ともよろしくな?」

 

「は、はい! わひゃっ!?」

 

 

突然の接触に驚き、ポカンと口を開けたまま立ち尽くす桜咲。その様子を後ろで笑いながら見ているであろうタカミチを余所に、くしゃくしゃと、桜咲の髪の毛を撫でる。

 

 

「あ、あの風見先生……」

 

「ん? あぁ、悪い。嫌だったか? つい昔の癖でな」

 

 

女性だけではなく、自分より年が若い男女の頭を無意識に撫でてしまうことがある。

 

悪い癖だと思っていても、これが中々治らない。手の動きにあわせて縦横斜めの縦横無尽に動く、桜咲の頭。されるがままといった表現が正しいだろうか。

 

ポカンとしつつ、されるがままの状態だったが、流石に人前でいつまでも頭を撫でられるのは恥ずかしいと悟ったみたいだ。

 

桜咲の言葉に合わせるように手を退ける。

 

 

「ふぅ……あっ! いっけね、忘れてた!」

 

 

手を退けると同時に自分の部屋の鍵を貰っていないことに気付く。今日の朝、近衛に会いに行った時には仮住居が女子寮の空き部屋になることを知らされただけで、部屋の鍵や部屋番を聞いていなかった。

 

木乃香を送り届けた後に聞きに行こうと思っていたら、災難に巻き込まれてしまい、今の今まで完全に忘れていた。今から聞きに行くのも遅くなるし、預けている荷物も取りに行かなければならない。

 

どうしようか、やや焦り気味の俺に今度は後ろから声が掛けられた。

 

 

「そうだ雄さん。学園長からこれを渡すようにと頼まれていたんですが」

 

「お? この……学園長から? って、これって部屋の鍵か! いや、助かるよタカミチ。一瞬でどうしようかと」

 

リアルな話一瞬本気で野宿をしようかとも考えたが、どうやら無事に部屋で就寝できるみたいだ。

 

 

「ははっ、お役に立てて良かったです。雄さんも初日でしょうし、そろそろ部屋で休まれては? 後始末は僕がやっときますので」

 

「あー、本当か? 色々と面倒かけてすまない」

 

「いえいえ、これくらい気にしないでください」

 

 

何から何までタカミチに面倒を見てもらっている現状に、もはや頭が上がらない。さっきからただひたすら頭を下げてばかりだ。これではどっちが年上なのか、プライドもへったくれもあったもんじゃない。

 

 

「じゃあ桜咲も。先に行くな」

 

「あっ、はい。お疲れ様でした」

 

 

タカミチと桜咲を場に残し、俺は一人寮へと戻っていった。



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逆さまな彼女

「あぁ~」

 

 

頭に熱したタオルを乗せて、どっぷりと湯船に浸かり体を癒す。長かった一日を終えてようやく一息ついたところで、雄は絶賛開放中の大浴場へと赴くことにした。

 

朝の自己紹介から始まり、初めての授業、放課後、寮前での戦闘と初日としては目まぐるしい日だったが、無事に一日を終えることが出来た。もうこれ以上問題が起きることが無いようにと、切に思うばかりだ。

 

さて、大浴場だが夜の十一時から十二時までは男性の入浴時間となっていて、この間の時間であればゆったりと湯船に浸かることが出来る。事前に配布物で周知をしていたため、入浴してくる生徒はいない。

 

むしろ来られたら四面楚歌、有無を言わさず捕まる自信がある。

 

もしかして誰か入浴しているんじゃないかと不安に思い、念のためにノックして大浴場に入ったところ、無事に誰も入っていることはなかった。

 

周知によると十時半には完全に女子入浴時間が終了するため、残りの三十分は着替えや髪を乾かすための時間か。いずれにしてもしっかりと入浴時間を取ってくれているのは嬉しいところ、最初はシャワーだけを覚悟していたが、手配してくれた近右衛門にも感謝しなければならないと心の底で思っていた。

 

 

「そういえば来ないな、ネギくん」

 

 

ゆったりと湯船に浸かりつつも、いつまでも入ってこないネギの存在が気になる。

 

折角大浴場が使えるというのに、一向に入ってくる気配は無かった。何故だろうとは思いつつも、まだネギは十歳。今現時刻は十一時半、ゆっくりと浸かっているから実際はもっと経っているかもしれない。

 

今の小学生がどうなのかはよく分からないが、大体の小学生は寝ていることだろう。

 

 

「……」

 

 

どれくらい浸かっているのだろうか、少しばかり頭がぼーっとしてきた。あまり浸かりすぎるとよくないし、そろそろ上がろうかと考え始める。

 

その時だった。

 

 

カラカラ……。

 

 

「ん? ネギ先生?」

 

 

突如、風呂場の入口の扉が開く。

 

入口に向かって声を掛けるも返答がない。自分の声が小さすぎたのだろうか、そもそもこの夜遅くに大声で叫ぶわけにもいかず、それ以上声を掛けることはしなかった。ひたひたと、タイルを踏みしめる足音が近づいてくる。肩までどっぷりと浸かっているせいで、顔は上にしか向けれず見上げる先は天井しかない。

 

加えて浴槽から立ち込める湯気と、心地よさによる眠気が雄の視界を遮ろうとした。こんな湯船で寝るわけには行かないが、それでも初日の疲れからか、瞼が閉じたり開いたりを小刻みに繰り返す。

 

リラックス状態の雄に、ふと入ってきたのが女生徒だったらどうしようかと、一抹の不安が過る。

 

近右衛門はしっかりと事前の配布物に、特記事項として入浴事項の変更を記載して周知したと言っていたし、ちゃんと書類を見ていれば、見逃すことはないはず。仮に見逃したとすれば、絶賛年頃の男性の裸を見ることになる上に、自身の体も見られることになる。

 

年頃の女性がこの時間にわざわざ入ってくる可能性も低いし大丈夫だろうと、安易な考えのまま湯船に浸かり続ける。

 

そしてその足音は雄の近くで止まった。

 

 

「あぁ、ネギ先生。こんな遅くに。まだ起きてたんですね」

 

 

瞳を半分閉じかけたまま、目の前にこちらをのぞき込むようにして見ているネギであろう人物に声を掛ける。

 

 

「……っ!」

 

「どうしたんですか?」

 

 

フワフワとした思考の中で声を掛けたものの、ネギの反応に違和感を覚えた雄はどうしたのかと聞き返した。

 

が、返答はない。彼の性格上、こちらが声を掛ければどんな状況でも、返答してくれそうなのに、何故返答が無いのだろう。ましてここは大浴場、何かで思考が手一杯なんてことはない。

 

ネギが全力で雄のことを嫌っているのなら話は別だが、会って一日しか経っていない人間を嫌うことは難しい。嫌えるとしたら、どんな酷いことをしたのかと逆に尋ねたいくらいだ。

 

 

「ん……?」

 

 

思考が徐々に冷静になるにつれて、視界が晴れてくる。否、冷静になったわけでは無く、扉を開けたことで風呂場が喚起され、多少目の前の湯気が取れただけに過ぎない。

 

それでも雄の視界を取り戻すには十分だった。晴れてきた視界の先に映るネギの姿を身ながら、やはり外国人らしく黒髪が似合うなどと思うのだが。

 

 

「黒髪? あ、あれ?」

 

 

明らかに自分の言っていることがおかしいことに気付く。

 

何をどう見ればネギが黒髪などと的外れな発言が出来るのか。冷静になって今一度、顔をじっくりと見つめ直す。

 

 

「あ、え? 桜、咲?」

 

 

視界の先に映っていたのはネギではなく、顔を真っ赤にして白い四肢をさらけ出した刹那だった。口を真一文字に結び、ふるふると体を震わせ、持ってきていたバスタオルを慌てて拾い上げると、慌てて身体を隠していく。

 

当然、雄に悪気があったわけではない。確信犯的に刹那を待ち構えていたわけではなく、指定された入浴時間に風呂を済ませようとしただけ。だが、そこで運悪く刹那が大浴場へと入ってきてしまった。

 

頭が覚醒している状態であれば、バレないように風呂場ら逃げ出すことも出来たはず。しかし忙しい一日を終えたことで気が緩み、いつも以上に長風呂をしてしまったせいで、若干のぼせかけており、正常な判断がし難い状態だった。

 

更に、周知が既に出回っているこのタイミングで、刹那が大浴場に来るだなんて雄も想定は出来ない。周知を見落としていたとしても、彼女を責めることは出来なかった。

 

まずは謝ろうと、勢い良く立ち上がろうとする。

 

 

「わ、悪い桜咲! 直ぐに出るか……ら?」

 

 

途中まで言い掛けると不意に目の前にいる刹那の姿が斜めになった。むしろ刹那だけではなく、視界に映る全ての世界が斜めになっている。

 

 

「あっ」

 

 

声は聞こえるが、体の自由が聞かず、思考もままならない。足元も覚束ず、普通に立つことが出来なくなる。このままではヤバい、倒れる。

 

何とかしようとすればするほどみるみるうちにバランスを崩し、気がつけば世界は反転。最後に雄が見たのは大浴場の天井と、歪んだ刹那の顔。

 

長時間風呂に入っていたことで完全にのぼせた雄は刹那と反対方向に倒れ込み、そのまま湯船へとダイブしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んぁ?」

 

 

頭部に当てられた冷たい感触に、思わず目を覚ます。壁を背にして座っていて、頭の上には冷えたタオルが乗せてある。

 

目の前に脱衣用の籠が置いてあることから、目を覚ました場所は大浴場ではなく、脱衣所らしい。どうして湯船に浸かっていたはずの自分がこんな場所にいるのかと、徐々に覚醒する思考とともに、周囲に視線を張り巡らせて現状を把握しにかかる。

 

 

(あぁ、そうだ。風呂場でのぼせたんだっけ)

 

 

思い出すまでは早かった。

 

湯船に長く浸かりすぎてしまった雄は風呂場でのぼせて失神。一人で起きあがれず、誰かが自分自身を脱衣所まで運んでくれた。

 

そして雄を運んでくれた人物、それは。

 

 

「あ……風見先生、目が覚めたんですね。良かった」

 

 

雄のクラスの生徒、桜咲刹那だった。

 

赴任初日で副担任を介抱する羽目になるとは、刹那自身も思わなかったことだろう。手には替えのタオルと氷の入った冷たい水が握られている。ふと安心して笑みを見せると、テキパキとタオルを替え、水の入ったコップを雄に手渡した。

 

 

「桜咲? お前どうして……?」

 

「どうしたもこうしたも、お風呂場でのぼせて溺れかかっている人間を見捨てるようなことは、私には出来ませんから」

 

「ははっ、そりゃそうか」

 

 

差し出されたコップを受け取り、中に入っている水を口へと運び、渇いた喉を潤していく。水分が不足しているせいか、ただの水でしかないのに、普段飲む水よりも美味しく思えた。

 

 

「ふぅ、すまない。助かったよ桜咲、ありがとう」

 

「いえ、当然のことをしたまでですから」

 

 

あくまでも雄の切り返しに淡々と答える刹那。

 

そんな彼女からは寮に帰ってきた時のような敵意や、殺気は感じ取ることは出来ない。襲われた時のことは清算したにしても、不可抗力とはいえ、一瞬でも裸を見てしまった。

 

一言、二言くらいは覚悟していたのだが、特に何事もなく話が進んでいく。相手から話を出さないのであれば、変な話題に出して思い出させるのも良くない。一旦は胸の中に仕舞おうと、あえて話すことを辞めた。

 

 

「凄い人だと思っていたのに、結構変なところで抜けてるんですね、風見先生って」

 

「良く言われる。肝心なところでやらかすって」

 

 

思わぬ図星に恥ずかしそうに視線を逸らす。成人した男性が湯船に浸かりすぎてのぼせた後、女性に運ばれて介抱されるなど、どんな滑稽な図だろう。

 

雄を運び出した時の状況を思い出したのか、刹那は口に手を当ててクスクスと笑い出す。

 

 

「笑うなよ。結構これでもショックなんだから。教え子の前で醜態晒すだなんて、一生もののトラウマになりそうだ」

 

「ごめんなさい、つい。ぷっ……くくっ」

 

 

未だに思い出し、笑いが止まらないのか、顔を背けて必死に笑いを堪えようとするが、全く堪えきれていない。

 

些細な仕草を見てみると、自分の感情を表現するのが苦手なだけで、全然普通の女の子だった。それに素っ裸を見られたと言うのに、体調が戻るまでしっかりと介抱したりと、気遣いも出来る。

 

仕事としての一面が、厳しく凛とした刹那を作り上げているだけなのだと分かると、雄はホッと胸を撫で下ろした。

 

既に刹那は着替えていて、自分だけが上半身裸の状態で座っている。さすがにこのまま話を続けるのは恥ずかしい。一旦話を区切って、服だけ着替えようと立ち上がる。

 

 

「あ、大丈夫ですか? あまり無理はしない方が……」

 

「何とか。多少頭は痛いけど、着替える分には問題無さそうだし、着替え終わったら少しここで休んでから部屋に戻るよ」

 

 

支えようとする刹那に大丈夫だと伝え、一人で座っている場所と反対側にある脱衣籠まで向かうと、刹那に着替えが見えないように身を屈めて身体を拭く。

 

拭き終わった後は、素早く部屋着へと着替えていく。流れるままに手を動かし、この間僅か十数秒。一通り着替え終わると、雄は濡れたタオルを洗面器の中に入れて、代わりに渇いたミニタオルを取り出して頭を拭き始めた。

 

 

「よし、こんなもんか」

 

 

着替え終わった雄は、刹那が座っているソファの一番端に座る。雄の反対には刹那と、二人の間には大体人一人分の隙間が空いている。座りつつも手を動かしながら、自分の髪を水分を取り除いていく。

 

 

「お着替え早いですね。ちょっと驚きました」

 

「多少はね。桜咲も居るし、あまり時間は掛けられないって思って。まぁちょっと長目の髪は簡単に乾かないから時間が掛かるけど」

 

 

ある程度まで水分を拭き取ると、ミニタオルも洗面器の中へと仕舞った。

 

と、まだこちらを心配そうに見つめる刹那の視線が。多分雄の体調が回復するまでここにいるつもりだろう。彼女の善意なのかどうなのかは不明だが、追い返しても性格上隠れて様子を伺うに違いない。

 

先の未来が予測できた雄は大きく一つ息をつく。

 

 

「それじゃ、ちょっとだけ話をしようか。タカミチに多少は聞いたんだろうけど、俺に聞きたいことあるんだろう?」

 

「えぇ、まぁ」

 

「そうか。ちなみに何を聞きたいんだ?」

 

 

雄が切り出し始めたことで、内密な話は進んでいく。

 

刹那はタカミチから伝えられなかったこと、自身の中で気になっていることを雄へと伝えていった。

 

二人の夜はまだ、終わらない。



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Greet someone by first name

 

 

「風見先生は魔法先生なんですか?」

 

「あぁ。俺魔法使わないし、厳密には魔法関係者って言い方が正しいかもだけど」

 

 

ソファに座りながら聞きたいことがあるという、刹那の話を聞いていく。

 

雄の言うことに偽りはなく、彼が戦う際には魔法を使って戦うわけではない。

 

この麻帆良学園は魔法が使える使えないに関わらず、魔法に関係している教員のことを魔法先生と呼ぶようだ。刹那の言うことに対し、頷きながら肯定する。盛大に戦ってしまっているせいで、戦うことが出来ないただの一般人ですといった言い訳が出来ないのがつらい。

 

 

「そうだったんですね。本当に先ほどは失礼しました。こちらの味方だとは知らず、いきなり切掛ってしまって」

 

「ははっ、あれくらいなら良いよ。物静かな桜咲が実は血気盛んな剣士だって知れたし、俺もふざけ過ぎたから天罰が当たったんだろ。互いに怪我が無くて良かった」

 

「そ、それは忘れてください!」

 

 

からかわれることに慣れておらず、顔をほのかに赤らめて恥ずかしがるそぶりを見せる。

 

いくら雄がふざけていたとはいえ、冷静さを失い、怒り任せに切り掛かってしまったことは事実。刹那の中では味方サイドの魔法関係者に剣を振りかざすといった剣士としてあるまじき行為をしてしまったことを悔いているようだ。

 

 

「悪い悪い。まぁそれはさておき。実際問題、君の本来の仕事は木乃香の護衛ってところかな?」

 

「あ、はい。どうしてそれを?」

 

 

どうしてと言われても、あんな分かりやすい感情の爆発があるだろうか。

 

それに雄と木乃香が教室から出たタイミングから後をつけ、二人で屋外クラブの様子を見まわっている時も片時も視線を逸らすことが無かった。

 

一瞬だけならまだしも、寮で木乃香と別れる時まで尾行を続け、木乃香がいなくなった瞬間に姿を現す。刹那の目的が木乃香と雄の両方であれば、わざわざ寮に帰宅するまで待つ必要もなく、人通りの少ない高台に来たタイミングで襲っていればいいだけ。だが彼女は雄が一人になるのを待った。

 

つまり木乃香に危害を加える必要などなかった、加えてはいけなかった、巻き込んではならなかったことが想像出来る。

 

 

「いやぁ、あれは流石に気付くと思うんだけど……」

 

「え゛っ!? 本当ですか?」

 

「うん、分かりやかったし」

 

 

がっくりと肩を落とす刹那を、ケラケラと笑う雄。風呂場でのぼせて失神し、刹那に助けられたことをすっかりと忘れているようだ。

 

 

「ただ護衛なら、あれくらい熱くなっても良いと思うけどな」

 

 

熱くなりすぎるのはよくないけどね、と付け足す。

 

中々一人の人間に尽くせる人は少ない。刹那があれだけ感情を露わにしたのも、木乃香のことを心から大切に思うからであって、刹那自身が短気なわけではなかった。

 

 

「そんなことないです。お嬢様のことになると熱くなって、周りが見えなくなってしまう。私の悪いクセです」

 

「ふーん、お嬢様かぁ」

 

 

刹那の言葉を興味深気に頷く。

 

彼女の呼び名で、何となく木乃香との原状の距離感を測ることが出来た。元々は二人とも相当仲の良い、友達だったのではないかと。

 

二人が出会ったのは雄が京都を訪問した後で、昔は仲良く遊んでいたが、何かを切っ掛けに木乃香と距離感を置いているのだろう。その場だけの護衛ならば対象を守らなければといった使命感には駆られるものの、思い入れがあるわけではない。

 

あそこまではっきりと感情を出されれば、刹那が本気で木乃香のことを強く大切に思っていることは容易に想像出来る。

 

 

「直るさ。桜咲はまだ若いし、経験も不足している。仕事のみならず、日常生活でも、もう少し周りを見ながら生活してみな。どこかにヒントが隠されていたりしてな」

 

「……そんなものでしょうか?」

 

「おう、案外自身が意識してないところに答えがあったりするものさ。色々試しても良いと思うぜ」

 

 

とはいえ、何をどうすれば良いのか刹那は分かっていない。だからこそ、そこは自分自身で考える必要があった。雄や周りが伝えてしまえば簡単だが、それでは彼女のためにはならない。

 

 

「……」

 

 

顎に手を当てて刹那は考え込む。変に深く考えていないかと、刹那の顔を見つめる雄だが、何かを思い付いたようで、ニヤリと笑いながら言葉を続けた。

 

 

「距離感が気になるなら、木乃香と話すのも手じゃないかな」

 

「は、はい!? わ、私は別に!」

 

 

案の定予想通りの反応で、関係ないですとばかりにワタワタと慌て始める。

 

木乃香と話すのが嫌というわけではなく、話すのが恥ずかしい、話したいけど立場上話せないといった葛藤を抱えているように見えた。

 

 

「いやいや、流石に話したくないってのは嘘でしょ。俺が木乃香だったら直ぐにでも話したいって思うけど」

 

「わ、私は良いんです! 私は木乃香お嬢様を影から見守ることさえ出来ればそれで!」

 

「大きくなったらただのストーカーになりそうな気もするんだが……」

 

「な、なりません!」

 

 

顔はすでに真っ赤。

 

図星をつかれて照れているのか、一気に捲し立てる。総括すると木乃香と常に共に居たくて、踏み込んだプライベートの話もしてみたい。

 

今の刹那は木乃香の護衛という立場から本来の自分を隠し、桜咲刹那という名の仮の姿を偽って演じている。果たして今のままで誰が幸せになるのか、木乃香が刹那のことを想っているなら、嫌われていると思ってショックを受けることだろう。

 

学園を案内してもらっている時には刹那との関係までは洗い出せなかったが、共に生活していくにつれてどこかで本人の口から刹那との関係を相談されるかもしれない。中々言いづらいこととはいえ、相談される可能性はゼロではない。

 

それを知った時に刹那と木乃香の両名はどう思うのか、下手をすれば双方ともにショックを受ける可能性もある。

 

雄自身としては二人が悲しむ顔は見たくない、考えすぎかだといいが最悪のケースとしても十分に考えられた。

 

 

「私は近衛家に仕える身! 私のような者がお嬢様と気軽に口を利こうなど「友達であることには変わり無いだろう?」―――え?」

 

 

刹那の素直になれない発言に、不器用だなぁと言いたげな苦笑いを浮かべながら話し始める。

 

 

「立場が違えども、木乃香と桜咲は友達。その事実が変わることはないよ。それとも桜咲は、木乃香のことを友達だとは思ってないの「そんなことは断じてありません!!」……おおう」

 

「私だってお話したいです! でも! ウチが介入することでこのちゃんに迷惑を掛けたらと思うたら!」

 

 

傍にいることも出来なくなってしまう。

 

木乃香は彼女にとって最も大切な存在であり、命に代えてでも守り抜きたい存在だった。だからこそ、裏の仕事に手を染めた自分が近くにいては、いつか裏の世界に木乃香を巻き込んでしまう。

 

刹那が一番恐れているのは、木乃香に嫌われることではなく、彼女を失うこと。裏社会に顔を突っ込めば、常に生死と隣り合わせになる。

 

今戦う術を持たない木乃香が巻き込まれてしまえば、刹那も守ることが困難となる。万が一木乃香に何かあったら……。

 

そう考えると居ても立っても入れなくなると共に、変にかかわってはいけないと思うようになった。物心がない時は分からなかった、物心がついたからこそ分かった。

 

だからこそ、これで良い。自身が距離を置くことで、危険な目に遭わなくなるのならそれで十分。元々木乃香は雲の上の存在、自分が一緒にいるにはあまりにも眩しすぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、これで……。

 

何度も何度も暗示し、脳に刷り込んだかと思ったのに、意図も簡単に解けてしまう。雄も本心を聞き出そうとするつもりは微塵も無かった。だが、雄の想像以上に刹那の木乃香への想いは強いものだった。

 

良いわけがない。

 

それが刹那の結論だ。一緒に居れないなら、一緒に居られるくらいに強くなれば良い。

 

突然の大声、そして唐突な京都弁に、雄は思わず横へと転げ落ちそうになる。

 

 

「はっ!? す、すみません風見先生。急に取り乱してしまって……」

 

「いや、大丈夫。ちょっとびっくりしただけだから」

 

 

 

普段は冷静沈着で、クールなイメージの刹那がそこまで熱くなるとは思わず本気で驚いたようだ。体勢を正して、改めて刹那へと向き直る。

 

なお、京都弁を発動した時の巣の刹那を可愛いと思った一瞬は、彼の心の奥底にそっと仕舞われた。

 

 

「あれだ、個人的な感情は置いといて、木乃香のことを嫌ってる訳じゃなくて安心した」

 

「え? それはもちろん私だってお嬢様とお話を……」

 

「そ。それが君の本心だろ? ならずっとは無理でも多少なりとも歩み寄っても良いんじゃないか? って急には無理か。そりゃそうだ、出来てるならとっくの昔にやっているって話だ」

 

「はい……」

 

 

出来ないからこそ悩んでいる。そこは雄も何となく感づいていたが、一旦は事実を確認する必要があった。

 

少なからず、刹那が木乃香のことを嫌っている訳ではないという確信を得られただけでも十分だ。だがこれ以上は雄も干渉するつもりはない。後は二人が解決していく問題であって、第三者が下手に関与してしまったら意味は無くなってしまう。

 

彼女ならいずれ、と淡い期待を抱くだけだった。

 

 

 

 

 

 

「ま、ボチボチとやっていこう。時間はたっぷりとあるし好きなだけ悩んで、好きなだけ考えて、また悩めばいい」

 

「はぁ、本当に不思議な方ですね。こんなにプライベートの話をしたのは久しぶりかもしれません」

 

「こんなんでも一応先生だからな。生徒のメンタルケアくらいはしないと」

 

「なんですかそれは」

 

 

全く様にならない教師っぽい素振りをする雄の姿を見て、クスクスと刹那は笑う。失礼な、と返す雄の姿にも笑みが浮かんでいた。

 

何はともあれ、今年一年は共に生活をすることになるし、今後は学園に通う魔法関係者として仕事も一緒にこなすことになるはず。変にいがみあい、けん制し合っても仕方ない。だが今この場の様子を見る限りは、先ほどまで敵だと思って戦いあっていた姿は微塵も想像できない。

 

雄はソファからおもむろに立ち上がると、刹那の前に立ちおもむろに右手を差し出す。意図が分からずに不思議そうに首を傾げる刹那。いきなり手を差し出されても握っていいものか分からず、ポカンと口を開けたまま佇む。

 

 

「同じ魔法関係者として、今後協力して仕事をこなす時もあるだろう。改めてよろしくな、桜咲」

 

「……はい!」

 

 

意図が伝わり、雄の差し出した右手をしっかりと握り返した。刀を握って戦う剣士とは思えないほど、彼女の手は柔らかく、小さなものだった。

 

 

「よろしくお願いします。()さん」

 

「……! あぁ、()()!」

 

 

 

名字から名前へ。

 

互いの信頼関係は生まれたばかりだ。



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もうすぐ楽しみ修学旅行

「全くもー! アンタが寝ぼけたせいでまた遅刻しそうじゃないー!」

 

「すみません、朝は弱くて……」

 

「いつものことじゃない!」

 

「まーまー二人とも」

 

 

雄が赴任してきた翌日、登校中の生徒で込み合う通学路を駆けるネギ、明日菜、木乃香の三人は学園へ向けて走っていた。普段と変わらない朝の一時、だがどこか明日菜の機嫌がよろしくない。

 

そもそも朝から機嫌が良い人間の方が少ないのは事実だが、それを差し引いたとしても期限の悪さが如実だった。一体何があったのだろう、様子を見る限りは明日菜とネギの間で何かが起きたかのは間違いなさそうだが、二人から内容が語られることは無かった。

 

 

「よっ、三人とも。おはようさん」

 

 

挨拶をしながら、走る三人の横に並走する雄。昨日とは違い、グレーのスーツに濃褐色の水玉ネクタイとお洒落に気を遣った色合いを纏いながら、十代と並走する姿はシュールに映ること間違いなしだ。

 

 

「あ、風見先生!」

 

「風見先生、おはようございます!」

 

 

走りながら挨拶をするネギと明日菜、二人の挨拶に元気がいいなと相槌を打つ。

 

 

「お兄ちゃん! おはようー!」

 

「ん、おっす」

 

「「お兄ちゃん!?」」

 

 

木乃香の発した一言に、二人の顔が一斉に木乃香の方へと振り向いた。

 

笑顔のままの木乃香に対して、雄の表情は特に変化がない。昨日までの雄であれば、恥ずかしいだの羞恥心がだの様々な言い訳を言っていただろうが、完全に割り切ったようで特段反応するようなことはなかった。

 

雄と木乃香の関係を知らないネギと明日菜は何が起こったのかと、驚きの表情を浮かべながる。まず口を開いたのは明日菜だった。

 

 

「こ、このか! 風見先生ってのお兄さんだったの!?」

 

 

木乃香とは比較的古い付き合いになる。大概のことは知っていたつもりが、兄妹(きょうだい)がいることを聞かされてはいなかったためか、驚きを隠せない様子。

 

 

「か、風見先生! こ、このかさんって妹さんだったんですか!?」

 

「あー、いや。そういうわけじゃないんですけどね」

 

 

ネギも二人の関係に興味津々の様子。

 

昨日までは普通の教師と生徒の関係だった二人が、一日経って『お兄ちゃん』と呼ぶような関係になれば、興味を持つのも頷ける。ごもっとも、卑猥な意味ではなく、純粋な意味で、だ。

 

もう一つ、ネギと明日菜、揃って言っていることがほぼ同じである。むしろ二人の方が兄妹(きょうだい)に見えるような気がする。

 

 

(ん? ネギくんの肩に居るのは……)

 

 

ネギに対して苦笑いで否定をする雄だが、ふとネギの肩に視線を止めた。昨日見た時は居なかったはずの、オコジョのような生き物がこちらをじっと見つめている。

 

ネギのペットと一瞬は判断するものの、ほんの僅かに感じる魔力の存在を見逃さなかった。

 

 

(ペット……いや違う。僅かだが魔力を感じる。妖精か?)

 

 

あくまで予想だったが、この推測は当たっている。

 

変に探ろうとすると、墓穴を掘ってネギに自身の正体を明かすことになるかもしれない。将来的には明かすタイミングはくるだろうが、それは今ではないと悟り、そっとオコジョに関しての追求を止めた。

 

 

「二人ともちゃうちゃう! お兄ちゃん……風見先生はウチの幼なじみみたいな感じや」

 

「あーびっくりした、このかにお兄さんが居るなんて聞いたこともなかったからつい」

 

 

ネギと明日菜が勘違いするのも無理はない。雄の反応にも抵抗が無かったため、事実だと受け取ったところで何の違和感も無かった。

 

 

「あれ? でもそうなると昔からの知り合いってことですよね」

 

「それなんやけど「悪い皆、一発目の授業の準備があるから先に行くよ」あ、お兄ちゃん……はやっ!?」

 

 

関係を言い掛けた途端、次の授業がと腕時計を見ながら駆けていく。力強く地面を蹴り、一歩抜け出したかと思うと、ぐんぐんと三人との差を付け、やがて見えなくなった。

 

 

「ちょ、風見先生って陸上選手か何か?」

 

「わ、分からないです……」

 

 

明日菜も自慢ではないが、そこら辺の一般人には負けないくらい、自分の脚力に自信を持っていた。現に木乃香が明日菜に着いて行くために、ローラーブレードを着用している。

 

極めつけは履いている靴が運動靴ではなく、革靴なところだ。そう考えると女性としては速すぎる部類に入る。また学園の距離をそのスピードで涼しい顔をして走りきる持久力に関しても、目を見張る部分があった。

 

明日菜にばかり目が行きがちだが、十歳にして明日菜のスピードに着いていくネギも相当なもの。ただしネギの場合は魔力の補助に依存する部分が多く、実際の身体能力は十歳の子供とそう変わらない。

 

 

(兄貴、今の風見って副担任の行動に何か思い当たるところは?)

 

(え? と、特にないと思うけど。どうかしたのカモくん?)

 

 

カモくんと呼ばれる、ネギの肩に乗っていたオコジョ。本当の名前はアルベール・カモミールであり、雄の推測通りオコジョ妖精だ。

 

 

(今の速さ兄貴も見ただろ? 何の補助も無しにあんな事が出来るハズがねぇっすよ!)

 

 

普段から常識外れなことが多いのか、ネギを始めとして周囲の人間の誰一人、違和感に気付かない中、カモだけが気付いていた。

 

もし人より多少速いくらいのスピード、なら話は分かる。しかしカモは明日菜の足の速さ、魔力の補助を受けているネギの速さを考慮しても速すぎだと言いたいらしい。

 

(えぇ!? で、でも風見先生からは魔力や気なんて微塵も……)

 

(それが問題なのさ! 逆に純粋な身体能力であの速さだろ? 世界記録保持者もびっくりって話だぜ!)

 

(た、確かに)

 

 

ネギも明日菜の足の速さを知っている。

 

以前追試のテストを受けてる際に、あまりの出来の悪さをタカミチから指摘を受けて脱兎の如く走り去ったことがあった。

 

ネギは周囲に人が居ないことから、魔法の杖を使って追いかけたのだが、明日菜は自動車くらいの速度が出る杖での追跡を追い付かれることなく逃げ切っている。

 

常識的に考えればあり得ない話だが、その明日菜が驚く程のスピードなのだから相当なもの。

 

 

「ネギくん、何一人でぶつぶつ言っとるん?」

 

「わー!? こ、このさかん! な、何でもないですよ!」

 

「ちょ、ちょっとネギ! アンタ早くしないと完全に遅刻するわよっ!」

 

「は、はわわぁ!?」

 

 

と考え込んでいる内に本業の方を忘れて遅刻寸前。一行は慌てて校舎の方へと駆けて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えーっと、皆さん僕たち三年A組は京都、奈良へ修学旅行に行くそうで……もう準備は済みましたかー!!?」

 

「「はーい!!」」

 

 

時間は流れて放課後、二日目の授業も難なくこなした雄は帰りのホームルームに参加していたのだが、唐突に始まった修学旅行の話に口をあんぐりとさせたまま手に持っていた名簿を落ちる。落ちた名簿は一番後ろに居た生徒、長谷川千雨の手によって拾われた。

 

 

「あぁ、長谷川か。すまない、助かる」

 

「先生、先生の言いたいことは何となく分かります……!」

 

「はい?」

 

 

名簿を渡す千雨から同情の視線を向けられて、意味が分からずに首を傾げる。挙句の果てには手間で握られそうな勢いだ。プルプルと震える彼女を余所に、クラス全体は大盛り上がり。一端の人間が居たら、動物園の猛獣たちが叫ぶ檻の中にでも入れられた気分だろう。

 

雄としては予想もしていないタイミングで大声を出されたせいで耳に響いてしまい、驚いて名簿を落としてしまっただけだったのだが、どうやら千雨は彼の反応を勘違いしたようだ。たった一瞬の会話だったのと、ホームルーム中だったこともあり、必要以上に聞くことは無かったが、今の反応は何だったろうかと、尚更首を傾げることに。

 

 

(京都、京都ね。行くのは十年ぶり、丁度木乃香と初めて会った時以来か)

 

 

京都という単語を聞いていつぞやの出来事を思い返す。

 

最後に京都に行ったのは、十年ほど前。修学旅行に同行するとすれば、仕事の一環として近衛家に赴いて以来のことになる。前回はほんの数時間の仕事のためだけに行ったせいで、京都観光はせず帰ってきてしまった。

 

夕方から京都観光をしたところで、回り切れる場所は限られてくる。

 

 

「うちのクラスは留学生も多く、ネギ先生は日本が初めて。日本文化を学ぶ意味でも奈良、京都を選択させて頂きました」

 

「ありがとうございます! いいんちょさん!」

 

 

感動のあまりネギはあやかの手を握り始める始末。そんなネギの年齢相応の無邪気な姿に、頬を赤らめながらネギ先生と喜びをあらわにするあやかに『いいんちょのショタコンが出たぞー!』といった突っ込みが飛び交った。その一言があやかの耳に入ったのか、あやかはショタコンではないと必死に否定する。

 

帰りのホームルームということで生徒たちの過半数のテンションが振り切れていて、雄が赴任してきた当日よりも騒がしい、そして止めるはずのネギも、修学旅行先が京都である嬉しさからうれし涙を流しながら感激していた。

 

 

「うわーい! 楽しみだなー京都!! 早く来週がこないかなー!」

 

 

喜ぶ姿はやはり十歳の子供、普段の教師としての業務をこなす年齢不相応な傍ら、新鮮で楽しみなことには心の底から喜び楽しむ、年齢相応な姿。雄が赴任して二日目で初めて見るネギの子供っぽい姿に、どこか安心したかのように息を吐く。

 

 

「こらお前ら! はしゃぐのは良いけどまだホームルーム中だろ。少し落ち着け!」

 

 

おもむろに立ち上がると一旦は場を鎮めようと、割って入った。学校が終わりの時間とはいえ、あまり騒ぎ続けるのも良くはない。そんな雄の姿に、ネギは恥ずかしそうに頭をかきながら教壇へと戻り、立ち上がった生徒たちは各々の席へと戻る。

 

改めて静寂が戻ったクラスで、締めの言葉を伝えるネギ。丁度ネギが挨拶を終える頃合いを見計らい、教室の入口の扉がガラガラと開かれた。

 

 

「ネギ先生、学園長がお呼びですよ」

 

 

ネギを呼びに来たのは源しずな。

 

昨年度にネギが麻帆良学園に赴任した時からネギの指導教員を務めていて、大人っぽいアダルトな雰囲気と、抜群なポロポーションが生徒に人気な教員だ。

 

 

「あ、はーい! それでは皆さん、本日も一日お疲れ様でした!」

 

 

ホームルームを終わらせると、先ほどのテンションそのままに、ネギは教室の外へと駆けていく。完全に後ろ姿が見えなくなったところを見計らい、今度は教室の中で片付けをしている雄の元へと近づいて来た。

 

 

「あぁ、雄先生。実はあなたにもお呼びが掛かってまして、少し後に来て欲しいと学園長が」

 

「学園長が? えぇ、分かりました」

 

 

突然かつ二日連続での呼び出しに、雄は何だろうと考え込む。

 

もしかして昨日の夜に、寮前で散々暴れまくったことで、誰かから苦情が出ているのかと苦い顔を浮かべた。しかし実際は違うようで、ネガティブな話を考えた雄を悟って、しずなが笑みを浮かべながら否定をする。

 

 

「ふふっ、悪い話じゃないみたいですよ。何でもお願いしたいことがあるそうで」

 

「お願い? 何だろう……」

 

「ふふっ、赴任したてなのに随分と頼られていらっしゃるんですね」

 

「ははっ、ありがたいことですよ。こんな新任教師に色々と任せてくれるなんて」

 

 

笑みを浮かべる雄だが、また面倒事や突拍子もないことを押し付けるんじゃないかと一瞬不安が頭を過ぎった。とはいえ、行かないわけにもいかず、しずなの言う通りに向かうことに。

 

 

「では、お願いしますね」

 

「はい、分かりました」

 

 

しずなは言伝を終えると、教室を後にする。雄が見送ったタイミングを見計らい、一人の生徒がパタパタと雄に駆け寄ってきた。

 

 

「あ、おに……じゃなかった。風見センセ、放課後空いているかえ?」

 

「おお、この……近衛。ああ、学園長に呼ばれた後は特に何もなかったと思うが」

 

 

二人揃ってプラーベートでの呼び方が出そうになる寸前で我慢し、会話を続ける。周囲の生徒の何人かの頭にはてなマークが浮かぶも、深くまで詮索してこないことからあまり気にしていない様子だった。

 

 

「あんな、今日アスナと修学旅行の準備に買い物行こうと思ってるんやけど……センセも行かへん?」

 

「修学旅行? んー」

 

 

顎に手を当てて、そういえば何も準備していなかったなと思い出す。普段から外出の機会が多い訳ではないため、あまり服のレパートリーは多くない。自由時間には私服で出歩くことになるだろう、それは教員にとっても自由時間であり、流石に制服のまま歩きたいとは思えなかった。

 

とはいえ、果たして自分がそう教え子と出掛けていいものか、そこだけが不安要素ではあったが、断って残念がる顔も見たくは無かった。

 

 

「いいぞ。少し遅れるかもしれないけど、それでもよければ」

 

「ホンマに? ならアスナにも伝えとくなー!」

 

 

嬉しそうに明日菜の元へと戻っていく後姿を見つめながら、雄は教室を後にした。



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買い物へ行きまSHOW!

「あれ、刹那?」

 

「あっ、雄さん。もしかして雄さんも呼ばれたんですか?」

 

 

しずなの言伝に従い、学園長室へ向かう道中に部屋の前でばったりと出会う雄と刹那。

 

刹那はノックをしようと扉に手を伸ばしていて、部屋に入る直前に声を掛けられた形になる。

 

 

「俺も……ってことは刹那もか。同じタイミングに呼ぶってことは、同じ話ってことか?」

 

「分かりません。一旦入ってみましょうか」

 

 

呼ぶタイミングが同じってことは、話す内容も同じと言うことになる。もし二人だけの内密な話なら、わざわざ重複する時間帯を選ぶことはない。とはいえ、人間間違いは誰にでもある。

 

ひょっとしたらスケジュールを確認せずに呼んでしまったがために、被ってしまった可能性もある。一旦確認するべく、扉に手を伸ばしコンコンと扉をノックをした。

 

桜咲ですと名乗ると中から入室許可の返事が戻ってくる。戻ってくると同時に扉を開け、中へと入った。

 

 

「失礼します」

 

「おお、刹那君に雄君。よく来てくれた」

 

「学園長、私たちを纏めて呼んだのは一体?」

 

「ふむ、端的に今度の修学旅行についてなんじゃが……」

 

 

事の顛末について、話し始める。二人が同じタイミングで来るようにしたのは、偶々ではなく共に修学旅行へ行く魔法関係者だからとのこと。

 

行き先は京都、つまり孫である木乃香の実家であり、関西呪術協会の総本山がある。

 

既に麻帆良学園の生徒が修学旅行で京都に行くという話は通っているのだが、魔法使いが同行する事に対して、一部の過激派が難色を示していて、場合によっては修学旅行の京都行きが中止になること、そして親書を渡す役割をネギが任されたこと。

 

 

「つまり、ネギくんが親書を渡すまでのサポートと、木乃香の護衛をお願いしたいってところか」

 

「うむ。本来ならタカミチも行ってくれるはずだったんじゃが、急な任務で海外に出張中での。迷惑を掛けるとは思うが、二人にお願いしたい」

 

 

元々ネギの受け持つクラスの担任だったタカミチは出張中、他の魔法関係者は自分たちの仕事があるため、身動きが出来ない。現状動けるのは、クラスにいる魔法関係者だけだった。

 

そうなると、必然的に二人が選ばれるのは納得がいく。

 

 

「私は構いません」

 

「助かるわい、刹那君。して、雄君はどうじゃ?」

 

「え、俺?」

 

「この場に雄なんて名前は、君しかおらんじゃろう」

 

 

おいおいと半ば呆れ気味に雄へと声を掛けた。少し別のことを考えていたせいで、何とも間抜けな返事になってしまったが、決して近右衛門のお願いに否定的な訳ではない。それとは別に彼自身が京都に関して思うことがあったようで、多少近右衛門の反応に遅れてしまった。

 

 

「あぁ、いいですよ。まだネギ先生を一人で向かわせるのは不安ですから」

 

「そうか、やってくれるか。ところで二人にも聞きたいんじゃが、このかに魔法のことはバレとらんじゃろうな?」

 

「いえ、特には。私の方から距離を置いている状態だったので、おそらくは問題ないかと」

 

「俺も大丈夫だと思う。昔会ったことはこのか自身も覚えていたけどな」

 

「む? 昔に会っているじゃと?」

 

 

昔に会ったことがあるという一言に近右衛門が反応をする。

 

その反応に対し、逆に知らなかったのかと雄は驚いた表情のまま固まった。

 

関西呪術協会の近右衛門は詠春の義父であり、当然ながら密接な関わりを持っている。だからこそ木乃香のことは共有されているとばかり思っていた。

 

 

「あれ? もしかして聞いたことなかったり?」

 

「初耳じゃよ。ほっほっ、君なら婿殿も信頼を置けるのじゃろう。とにかく君たちの腕に掛かっている。気を引き締めて臨んでほしい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「関西呪術協会か。正直誰がいるかも分からないし、どんな手練れが居るのか分かったもんじゃないな」

 

「そうですね。実際相手の出方もあるでしょうし、しっかりと対策を立てないと……」

 

 

近右衛門からの話が終わり、雄は刹那と二人で学園外の商業通りの近くを歩いていた。それぞれ考えていることは似ており、得体の知れない存在にどう対応しようかと考えているところだ。

 

雄も京都に行った時に本山には入っているものの、集会に同席しているわけではないため、詠春が長をしている事くらいしか分かっていない。

 

陣形的には魔法使いと従者の関係に似てはいるが、いつどこで行動を起こされるのか、分かる術はなかった。修学旅行まではまだ若干ながら期間がある。ある程度先方の偵察をしておくことも必要になってくるだろう。

 

が、そうは言っても変に気を張りすぎても仕方ない。

 

現状こちらに居るうちは簡単に手出しは出来ないし、向こうも誰かを襲おうとは思わないはず。

 

 

「ま、とにかくあまり深く考えすぎないように。気楽にな」

 

「ちょ、雄さん! 子供扱いしないでくださいよ!」

 

 

ポンポンと気難しい顔をして考え込む刹那の肩を叩く雄。そんな一連のやり取りを子ども扱いされたのではないかと思って、顔を赤らめて反抗する。ムキになって反抗する姿が、雄にとってはより一層幼く見えた。

 

変に難しく考え込んでしまうところは刹那の悪いところでもある。よく言えば真面目、悪く言えば頭が固くて融通が利かない。そこも含めて刹那らしいとは思っても、いざという時に誰かを頼らず、自分だけで抱え込んでしまえば元も子もない。

 

 

「そう言えば刹那。俺に着いて来ているけど、お前も木乃香や神楽坂と一緒に修学旅行の買い物するのか?」

 

「へ?」

 

 

刹那も気付かないうちに着いて来てしまったせいか、雄の一言でようやく現状を把握する。雄はこの後、木乃香や明日菜たちと修学旅行の準備のための買い出しに出る予定だった。

 

今二人が歩いているのは学園の敷地内にある、商業施設が集まる一角であり、店頭には修学旅行の生徒をターゲットにしたポップやのぼりが並んでいる。展示されたカゴや特売品を狙おうと、数多くの生徒たちで賑わっていた。

 

 

「あ、いや! こ、これはですね! 無意識に着いて来てしまったというか……そ、そう! 不可抗力で!」

 

「お、おう? そこまで否定されると怪しさ満載気がするんだが」

 

「き、気のせいです! 私は今後の対策を考えなければならないので「あ、居た! おーい!」っ!? そ、それでは私はこれで!」

 

「あっ!? お、おい、待てよ!」

 

 

会話の途中で入ってくる見知った声に反応したかと思うと、慌ててその場から立ち去ってしまう刹那。何故急に逃げるのかと追いかけようとするも、想像以上のスピードで走り去ってしまった。

 

ぽつんと取り残される雄の元に声の主、木乃香が駆け寄ってくる。

 

 

「なぁなぁ、今お兄ちゃん誰かと話してへんかった?」

 

「んー? あぁ、道を聞かれて……」

 

 

刹那と話していた、ではなく道を聞かれていたと誤魔化す。二人の間には確執的な何かが生まれていて、下手に刹那の話題を出せば、木乃香が悲しむ要因になるかもしれない。

 

麻帆良学園に来たばかりの雄に、ここ周辺の地図など分かるはずも無いのだが、出て来た単語を並べてその場を凌ごうとした。

 

振り向き様、いつもの制服姿の木乃香ではなく、私服に着替えて髪の毛を結わえた一風変わった姿が目に入る。

 

 

「風見先生、こんなところに居たんですね。探しましたよ!」

 

 

木乃香に続くように同じく私服に着替えた明日菜が駆け寄ってきた。長い髪の両端をリング状に結わえ、カジュアルなジーンズといった活発さを醸し出すチョイス。二人揃って美少女というオマケ付きのため、立ち姿が非常に様になっている。

 

 

「待ってくださいアスナさーん!」

 

 

最後に姿を現したのはスーツ姿のネギだった。自分の姉を追いかけるような仕草はまさに年齢相応、はたから見たらただの姉弟のようにしか見えない。

 

 

「おお、こりゃ新鮮だ」

 

「ほえ? 新鮮って?」

 

「普通教師って、中々生徒の私服姿を見ることはあまりないだろ? 改めてプライベートに踏み込んでいるんだなーって」

 

 

現実問題、あくまで教師と生徒としての関係がほとんどであり、教師は生徒の、生徒は教師のプライベートに踏み込むことは早々ない。仕事として教師が生徒の相談に乗ることはあれど、個人的な感情はまず無い。ましてや放課後、生徒と一緒に買い物に行くなど、あり得ない。と世の教師陣は言うに違いない。

 

 

「あーそれもそうね。ネギや風見先生もある意味特殊なのかも」

 

「それな、やっぱり神楽坂もそう思うか」

 

「早々教師と仲良くなるなんてないですから。あ、風見先生、私のことは明日菜でいいですよ。言いにくいでしょ、神楽坂って」

 

「そうか? それならお言葉に甘えて……なら、俺のことも名前でいいぞ」

 

 

あまり生徒のことを名前で呼びすぎるのもよくないのかもしれないが、生徒たちの同意があるのであれば問題はない。赴任二日目ではあるが、前に講師をしていた学校とは全く勝手が違い、常に新鮮な感じであることに雄自身も満足していた。

 

 

「じゃあ雄さんで。雄さんってもう服とかは結構買いそろえたんですか?」

 

「いや、私服は全然だな。普段はスーツの方が多いし、プライベートで外出もそう多くはないから、スウェットを着て過ごしていることも多いかも」

 

「あはは……大人の人って皆そうなのかしらねー」

 

 

予想通りの答えだったのか、明日菜は雄の返しに苦笑いを浮かべる。

 

聞こえが悪く言えば、よくあるダメな大人の過ごし方といったところか。

 

そもそも普段で歩くことのない雄にとって、私服はそう必要がないものになる。必要な衣類といえば、就業中に着るスーツであったり、中に着るワイシャツであったりと、いずれも仕事に関わるもののみだった。

 

だが今彼が住んでいる場所はアパートではなく、女子寮の一角だ。休みの日に、スウェットを着た教師が出歩く姿など、到底見せられるものではない。それが自分のクラスの副担任ともなれば、猶更目も当てられないだろう。

 

これまでは通用していたことが、これからしばらくは通用しなくなる。雄自身も分かっているからこそ、木乃香の誘いを受けたのだと思われる。

 

 

「結構な買い物になりそうだけど仕方ないか」

 

 

財布の中身を見ながら一人自問自答を繰り返した。今まで怠けていたツケが回ってきたと考えれば納得がいくし、決して損になる買い物ではない。

 

自分をより一層よく見せるための、投資と考えれば高くはなかった。

 

 

「じゃあ行きましょ! 時間も限られているし」

 

 

ある程度話もまとまったところで、四人は人ごみの中へと消えていった。



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現れるモノ

「はぁ、何故逃げ出してしまったんだ私は……」

 

 

雄から離れた後、人の居ない並木の道を、トボトボと歩く。刹那の背後からは悲壮感が漂っていて、後悔の念を感じ取ることが出来た。

 

反射とでもいうのか。聞き覚えがある声が聞こえた途端に身体は動いてしまっていた。嫌なことがあると身体が拒否反応を起こすのと同じように、彼女の声を聞くと無意識の内に距離を取らねばと、否が応でも勝手に反応してしまう。

 

 

「折角背中を押してもらったというのに」

 

 

嫌いな訳じゃないからこそ、自身の行動に首を傾げざるを得なかった。かつては共に笑い、共に泣き、共に遊んだ親友だったというのに。昔の関係に戻りたくないと言えば嘘になる。

 

だが現実は逃げてしまった。逃げてしまったことで、背中を押してくれた雄に対する申し訳なさだけが募る。最も、雄自身はさほど気にしては居なさそうだが、刹那の必要以上の責任感がより一層彼女をネガティブな方向へと導いていった。

 

 

「私は一体どうしたいんだ」

 

 

雄にも本音をさらけ出したように、木乃香と話をしたい。それは紛れもない事実であり、今でも木乃香のことは親友だと思っている。

 

ただ刹那の中では、久しぶりに再会した時から木乃香によそよそしい態度を取っている事に対する罪悪感が勝ってしまい、今更話そうとしてもと悪循環に陥ってしまっていた。

 

 

 

加えて今回の京都への修学旅行が重なってしまい、木乃香が関西呪術協会総本山の近くへと立ち寄ることになった。

 

当然、麻帆良学園が修学旅行に行くという上方は先方には伝わっていて、関西呪術協会の過激派の何人かは場所を問わずに襲ってくる可能性もある。故に木乃香と仲直りをする前に、彼女を守る必要があった。

 

 

(私が、私がお嬢様を守らないと!)

 

 

必要以上に、責任を背負ってしまっているのは否めない。雄の言う責任感の強さから来る融通の利かなさは、まだ当分直りそうには無かった。

 

そしてそれは、ほんの一瞬刹那の判断を鈍らせることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……オン」

 

「え?」

 

 

背後から聞こえる呪文のような声で現実に戻された。

 

平和ボケしていたのか、白昼堂々学園内で襲ってくることはないと油断していたのか、先ほどまでは無かった気配が背後に現れる。

 

いつもだったら難なく気付いていたはずの気配にも関わらず、反応が遅れたのは自身の慢心以外の何者でもない。

 

これが日常生活の油断ならまだ良い、こればかりは相手もプロ。一度背後を取れた上に、ほんの一瞬とはいえども反応が遅れてしまえば、隙を逃すはずがない。振り上げられた右手が、刹那の首筋を襲った。

 

 

「しまっ……うぐっ!!?」

 

 

夕凪を抜く直前、全身を駆けめぐる電流。高電圧のスタンガンを当てられれば、如何に鍛えた歴戦の剣士とはいえ、抵抗することはかなわなかった。

 

全身から力が抜け、手の力が入らなくなり夕凪を下へと落とし、場に崩れ落ちる刹那。周囲に人は誰も居ない、つまり目撃者ゼロ。自ずと助けてくれる人間は誰一人として居ない。

 

まさか自分が一人になるタイミングでも見計らっていたとでも言うのか。視界が霞む、身体が言うことを聞いてくれない、気を上手く練れない。

 

視界に何者かの足元が映った。映ったところで今の自分には何も出来ない。霞む視界の中、そのまま刹那は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん、これなんか似合うと思うで」

 

 

刹那が襲われる少し前。

 

買い物に来た一行は、それぞれ自身の買い物をしながら店舗巡りを楽しんでいた。木乃香は商品棚に陳列されているTシャツを広げて、後方に居る雄に見せる。

 

 

「まーだ選ぶのか? もうだいぶ買ったと思うんだが」

 

 

そう言う雄の両手には幾つもの紙袋が握られていた。女性に荷物を持たせるのは如何なものかと、袋の何枚かは木乃香や明日菜が購入した服だが、それを差し引いたとしても雄の買った量は、普通の男性が一回に購入する量よりも多い。

 

 

「えー? でも着るもの無いんなら、多めに持っといた方がええと思うけど」

 

 

上下セットで考えるのならざっと五、六セットほどである。学生都市ということで、値段は総じて安めのものが多いが、如何せんセット数が多い分値段はかさばる。

 

諭吉が紙吹雪のように飛んでいくのを見て、お金は儚いものだと再認識させられたのはまた別の話。

 

 

「うーん、そこの物差しはよく分かんね。木乃香に任せる」

 

 

と、最終的には任せっぱなしになってしまうのは自分のことに対して無頓着だから。私服はだらしなく無ければいいという認識でしかないため、そこまで重要性を感じていないらしい。

 

 

「あはは、雄さんも意外にずぼらなんですね」

 

「普段私服なんてそう着ないしな。だらしなくなければ、くらいの認識なんだよね」

 

「あー、分かるかも。私もあまり気を遣う方じゃないから」

 

 

どの私服を着るか選ぶの面倒なんですよねと明日菜。女性はより身だしなみに気を遣うため、男性よりも服に関しては敏感になる。外を出歩くのに、ヨレヨレのシャツや、ロゴが消えかけている服を着るなんて考えられないはず。

 

面倒という割には、キチンと着こなしている辺り、かなり気を遣っているんだろう。

 

 

「ネギくんもこれなんかどうや?」

 

「あはは、このかさ~ん」

 

 

放課後の限られた時間を、全力で楽しんでいる木乃香を見ている雄の表情は無意識に緩む。

 

 

「なんか雄さん。木乃香の本当のお兄さんみたいですね」

 

「そうか?」

 

 

初めて会った時から随分変わった。もう木乃香は一人じゃない、彼女の周りには多くの知り合いが、そして頼れる親友がいる。

 

 

「……そうかもしれないな」

 

 

一気に大きく成長した木乃香にどこか寂しさを覚えつつ、ネギに服を着せようとする姿を見つめた。人間必ず成長し、やがて年を取って、一生を終える。そのサイクルは誰にでも必ず訪れることであって必然なもの。

 

……だからこそ儚く思えてしまう。

 

 

「? どうしたんですか、哀愁漂った表情して」

 

「何、ちょっとな。それよりも明日菜が哀愁漂うだなんて難しい言葉を使うとは思わなかったわ」

 

「なっ!? し、失礼ね! 私だってそれくらい分かるわよ!」

 

「今日の授業で極寒を『ゴッサム』って読んだのはどこの誰だって」

 

「うっ!」

 

 

痛いところを突かれて思わず口ごもる。担任と違って副担任は自分の担当授業がない時間帯、メインクラスの授業に帯同している。偶々国語の授業に帯同した雄は、クラスの後方で様子を伺っていた。

 

朗読発表で当てられた明日菜が、漢字の読み間違いをしたことに盛大に吹き出してしまい、クラス全員が大爆笑するといった珍事が起きた。

 

その内容というのが『極寒』を『ゴッサム』と読むものだった。

 

 

「仕方ないじゃない! 読めないものは読めないんだから!」

 

「えぇ、開き直るのかよ。まぁまぁいいじゃん、クラスの皆を笑顔に出来たと思えば……」

 

「よくない!」

 

 

明日菜にとっては屈辱的な一件であり、顔を真っ赤にしながら否定する。ちょっとからかいすぎたか、ただ明日菜の解答が毎回毎回ツボをくすぐる者が多く、昨日の歴史のテストでは日本に漢字を伝えたのはどのような人々かとの問いに『火星人』と答えるなどユニークな答えばかり。

 

からかうつもりがなくても話題を出せば自然とからかいに変わってしまうのは、持ち合わせている天性とでもいうのか。

 

 

「ははっ、冗談だよ明日菜……ッ!!?」

 

 

ケラケラと笑って見せる雄だったが、ふと違和感を覚えて表情を強張らせた。

 

 

(この感じは……気のせいか?)

 

 

学園の周囲に張られている障壁を魔力、ないしは気力を持つ何かが通過した。魔法関係者の内で学園周辺に張られている障壁を強い気や魔力を持つ人間が通ると、感知できる人間がいる。

 

その一人が雄だった。壊されるまでは行かないものの、確実に何者かが通ったことは明らか。本来なら麻帆良学園と言う都合上、魔法関係者が来ることは珍しいケースではなく、度々障壁を通過されることはある。

 

本当に害のないものであれば、雄も見過ごしていただろうが、今回ばかりは違っていた。正直違いなど、感覚で判断する以外の何者でもなく、信憑性は乏しい。

 

そこを正確に判断できるか出来ないかは、その人の腕次第。雄の場合は正確な証拠があって判断している訳ではなく、彼の長年による経験からだ。合っているのかはどうか断定は出来ないが、否定も出来ない。

 

周囲の様子にじっと注意を凝らす。

 

 

「あ、あの雄さん? もしかして私変なこと……」

 

(これは……マズイッ!)

 

 

周辺にある気や魔力の気配を探っていると、近くに二つの気の点在が見受けられた。何気ない二つの気、それは一瞬の静止の後に、一点がもう片方へと近づいたかと思うと、融合。

 

否、片方が消えた―――

 

消えたということは気を扱えない状況になってということ。つまり気絶させれたか、眠らされたか。

 

最悪、死さえあり得た。

 

 

(くそっ、変に悟られるわけにはいかないか)

 

 

助けに行こうにもこのままでは助けに行きようがない。両手には大量に買い込んだ服の数々、持っていって破こうものなら着ることは出来ないし、何故あの時買った服を着ないのかと疑問を持たれるかもしれない。一旦誰かに預けようと周囲を見渡す。

 

ちらりと近くにいる明日菜が視線に入る。態度が急変した雄に慌てるばかりで、現状を全く把握していないようだ。

 

どうやら自分の口調に対して雄が不機嫌になったとでも思ったらしいが、不機嫌にはなっておらず、単純に誰かが襲われたであろう実態に、思考を張り巡らせているだけである。

 

が、荷物を預けるには丁度良い。

 

モタモタしているとネギや木乃香も戻ってきてしまう。考えるよりも先に、身体は動いていた。

 

 

「明日菜!」

 

「ひ、ひゃい!?」

 

 

急に声を掛けられたことで、ピクリと身体を振るわせる明日菜。勢いそのままにガシッと両肩を掴むと。

 

「ちょっと今、やり残した仕事を思い出した! 一旦学園に戻るから、これちょっと預かっててくれ!」

 

「へ? え? ええっ、ちょっ、ちょっと!?」

 

 

ドサドサと一方的に荷物を預け、走り去ってしまう。

 

 

「つ、雄さん! ってやっぱり早っ!?」

 

 

あまりの速さに思わず目が点になる。今朝も見たが、やはり足の速さは異常なまでに速い。

 

両手に荷物を抱えている状態では上手く走れず、後を追おうにもぐんぐんと距離を離されてしまう。

 

案の定、人混みに紛れて姿が見えなくなった雄を完全に見失ってしまった。こうなった以上、下手に追ったところで追いつけない。諦めて雄の走り去った方向を見ていると、買い物を終えたネギと木乃香が戻ってきた。

 

 

「あれ? アスナー、お兄ちゃんの荷物持って何しとるん?」

 

「あ、アスナさん何してるんですか?」

 

「ネギ! 木乃香! ってちょっとネギ、何でアンタ顔を赤らめてるのよ?」

 

 

戻ってきたネギの顔がほのかに赤い。走ってきたからか、いや、それは考えにくい。朝登校する時は涼しい顔をして自分の足にも着いてくる脚力と、体力があるネギがこれくらいで暑がったりするわけがなかった。

 

だからこそネギに聞いたわけだが、当の本人は慌てたまま、手をバタバタとさせて誤魔化そうとする。

 

 

「はぅ!? こ、これには深い訳が!」

 

「って、そんなことどうでも良かった! 雄さん、仕事を思い出したとかで、預けてどこか行っちゃったのよ!」

 

「お兄ちゃんが?」

 

「と、とにかく後を追いかけましょ! 何か急に仕事を思い出したって感じじゃないようにも見えたし」

 

「わ、分かりました!」

 

 

三人は学園に戻ると言い残した雄を信じ、改めて学園への道を戻っていった。



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○刹那の危機

「う……こ、ここは?」

 

 

身体に吹き付ける風が刹那の意識を覚醒させる。本来であれば日の当たる場所での居眠りは、至福の一時とも言える。が、今は到底そんな気分にはなれなかった。もぞもぞと身体を動かそうとするも、自由が利かない。先ほどのスタンガンによるダメージはもとより、幹に全身を縛られているせいで力を入れてもビクともしない。

 

それにどうやらただの縄ではなく、特別な術式を施されたもので、身体から自身の気が吸い取られてしまっていて力が入らない。死ぬことはなさそうだが、少なくとも現状戦えるような状況ではないことは事実。

 

極めつけは愛刀『夕凪』を襲われた際に落としてしまったこと。持っていれば何とかなったかもしれないが、今は何一つ刹那に抗う手段などなかった。

 

 

「ふふっ、起きましたか」

 

「っ! 誰だ!」

 

 

不意に掛けられた声に反応して、周囲をきょろきょろと見渡す。

 

自分をとらえた人間が近くにいるはず、何のために自分を捉えたのかは分からないが、せめて犯人の意図くらいは確認しなければならない。無差別に人を襲う愉快犯なのか、それとも自分や周辺の別の人間にターゲットがいて狙って襲ってきた確信犯なのか。

 

ただ、無差別に人を襲う愉快犯なのであればこんなまどろっこしい真似はしないだろうから、推測するに後者である可能性が高い。

 

やがて空間が歪んだかと思うと、中から一人の男が姿を現した。

 

 

「呪符使いか!」

 

「楽なものですね。捕縛する相手がこんな中学生とは」

 

 

中学生の刹那が持ち合わせている力は桁外れであり、学園内の魔法関係者だけで判断しても実力は上位に位置する。不意を付いたとはいえ、彼女の背後を取るのだからそこそこの実力者であることに変わりない。口元以外を隠す不気味な様相、開いた口元がニヤリと歪む。

 

呪文詠唱を行い攻撃する魔法使いとは違い、術式が施された札を用いて戦う陰陽道の一種。基本的に自らが前線に出ることは少なく、呪符にて召喚した式神、もしくは護衛でついている神鳴流剣士が戦い、後方にて強力な術式を唱えて戦うのが、基本的な戦闘スタイルになる。

 

 

「それでもいくら中学生だとしても、神鳴流の使い手とまともにやりあうのは分が悪いですからね。対策だけはさせて頂きました」

 

 

刹那は神鳴流の使い手であり、完全後衛タイプの式神使いからすれば正面からぶつかり合って戦うのは危険であり、無謀すぎる。相手は刹那が神鳴流剣士だと分かっていたからこそ、不意打ちで刹那を襲ったと考えるのが妥当か。

 

一般人が到底知る由もないはずの事実、刹那自身を神鳴流剣士だと知っている者。つまりこの相手は。

 

 

「関西呪術協会の手先が何をしに来た!」

 

 

刹那はついさっき耳にしたであろう単語をぶつけた。そう、自身を知っている人間が居るとすれば、かつて自身が属した関西呪術協会にいた人間のみとなる。

 

わざわざ関東の地に何をノコノコと出向いてきたのか、未だ相手の口からは意図が話されていない。身動きを出来ない状態ながらも、常に相手を威嚇し続ける。私に何かをしたところで、絶対に口は割らないと。

 

 

「何をしに来たと言われて、口を割る悪者がどこにいます? まぁ、身体も動かないようですし教えましょうか。魔法関係者たちの偵察と、貴方の無力化ですよ」

 

「な、何っ?」

 

「幸い、魔法関係者も全員が全員動けるわけではないみたいですし、木乃香お嬢様に所縁のある貴方さえ無力化しておけば、京都で木乃香お嬢様を攫うのも容易になると思いまして」

 

 

相手の口から次々と出てくる事実に、目を見開いたまま固まってしまう。自身が狙われるのは立場上仕方のないことだった。だが、最終的な目的は木乃香を攫うことだと伝えられ、動揺の色を隠せない。これでは京都に行けば必ず、木乃香を攫いに行きますと宣言しているようなもの。

 

その言葉に、嘘偽りの感情は一切込められていなかった。

 

 

「ほう、動揺してますね。貴方にとってそこまで大事な存在だったとは」

 

「くっ……」

 

 

仕事に私情は挟むな。

 

一般世間でも会社に勤めている社会人なんかはよく聞く言葉かもしれない。言葉通りで、仕事中には私的な感情や行動を表面に出すのはやめろとの意味合いになる。私的は感情や行動が、会社にとって不利益を被る可能性もある。

 

まさに今回の刹那の反応がそれに当たる。動揺をしたということは、彼女にとって大切な存在であると暴露しているようなもの。予想通り過ぎる反応に一層歪んだ笑みを浮かべる姿を見ると、相手が人の不幸や悲しみを楽しむ人間であることが分かった。

 

雄にも言われたはずだ、表情に感情を出しすぎていると。結局自分の反応で、相手が木乃香を誘拐する理由を一つ作ってしまった。いくら腕が立つといっても、まだ齢十五歳の少女。大切な人間の危機が迫っているというのに、冷静沈着を貫けというのは酷な話だが、現実はそうも言ってられない。

 

 

(夕凪さえあれば……!)

 

 

不意打ち気味とは言っても、完全に相手に出し抜かれてしまった。夕凪もない、気も上手く練れない。何も出来なければ、一端の十五歳の少女と何ら変わらない。もし何れかが出来れば、多少なりとも反抗が出来ただろう。何も対抗手段が打てない、無力な自分が情けなかった。

 

握り拳に力をこめ、悔しさをあらわにする。改めて全身に力を込めて縄を引きちぎろうとするも、純粋な身体能力では肉体に縄が食い込むだけで、痛みが増幅するばかり。かといって気も使えない現状をみると、誰かが助けに来るのをじっと待つしかなった。

 

何人も魔法関係者がいる麻帆良学園だ、いずれ誰かが気付いてくれる。そう淡い期待を抱いたのだが……。

 

 

「おっと、誰も助けに来ませんよ。ちゃんと人払いの呪符は貼らせて貰ってますので」

 

 

淡い期待は一瞬のうちに壊された。ただの愉快犯ではない以上、何の対策もせずに人を襲うハズがない。刹那が捉えられている林全体をすっぽりと覆うように、張り巡らされた人払いの呪符による結界。これでは一般人も近づけない上に、魔法関係者とはいえどもそう簡単に気付くことは出来ない。

 

しかも数は一枚ではなく、数枚単位と来たもの。あらゆる方向からの侵入を防げるように張り巡らされているところをみると、事前から準備をしていたのは明確。

 

用意周到な準備になす術もない。

 

 

苦渋に満ちた表情を浮かべる刹那に、一歩、また一歩と歩を進めていく。何一つ情報が分からないことで、得体のしれない恐怖が刹那を襲う。

 

 

「くくっ、その表情たまらないですね……!!」

 

 

ニヤニヤと気色の悪い口元を隠さないまま、懐から短刀を取り出すと、鞘から刀身を引き抜いた。

 

 

「な、何を」

 

「安心してください、貴方の体を傷つけるつもりはありません。最も今のところは、ですが」

 

「な……やっ!」

 

 

短刀を刹那の制服に当てると、切れ込みを入れてびりびりと切り刻んでいく。ブレザー、ワイシャツと、刹那の上半身を纏う衣服ははだかれ、白い素肌がむき出しになり、さらしだけを残す状態となった。涙目の状態ながらも、毅然とした表情のまま睨みつける。

 

どんなことがあろうと決して心は折れない。折られてなるものか。強い決意が込められた表情に、ますます相手は調子付き、頬に顔を近づけると舌で舐める。ゾクゾクとした嫌な感触が頬に伝わってきた。

 

 

「あぁ、本当にいい表情だ! 今すぐにでも貴方の表情を無茶苦茶にしたいほどに!」

 

「くっ……この下種がっ!!」

 

 

盛大に性癖のネジがぶっ飛んでる。一般世間からしたら完全なセクハラであり、刹那の嫌悪感はマックスに。思わず口から出る言葉が汚いものへと変化するも、そんなことはどうでも良かった。

 

もし身体の自由が利くのであれば、直ぐにでも殴り飛ばしてやりたい。こんな性根腐った奴にまんまとハメられるだなんて情けなくて仕方なかった。

 

 

「まだ自分の立場が分かっていないようですね。なら多少強引にでも……!」

 

 

懐をガサガサと探ったかと思うと、また別の呪符を取り出そうとする。掴む手に握られているのは、武装解除の呪符であり、使われればさらしはおろか、下に纏うスカート含めて全て剥がされてしまう。

 

自分が何をしようとしているのか、本気で分かっているのだろうか。敵に常識を問うのもおかしな話だが、このふざけた性癖は間違いなく常識を別ベクトルで逸していた。

 

 

「待て! やめろ!」

 

「やめろと言われてやめる人間がどこに居ますか。観念することですね!!」

 

 

刹那の制止を無視し、再び呪符を使って、今度は身ぐるみ全てを剥がそうとする。ここまで言いようにされて納得出来る訳がない。最後の抵抗と言わんばかりに相手の接近を見計らい、タイミングを合わせて右足を思い切り蹴り上げた。

 

 

「───っ!!??」

 

 

蹴り上げた右足は、相手の下腹部にジャストミート。ぐしゃりといった鈍い音を立てたかと思うと、後から来る強烈なまでの痛みに崩れ落ちた。言葉にならない悲鳴を上げながらうずくまる相手に、今度は蹴り上げた足を振り下ろす。

 

 

「舐めるな!」

 

 

振り下ろした先にはうずくまった相手の後頭部があり、見事直撃。気が練れない分威力は半減してしまっているが、非力な女性であっても踵が後頭部に直撃すれば激しい痛みが襲う。

 

思いも寄らない下と上からの連続攻撃に、痛みを堪えるが、やがて回復すると明らかに怒りの篭もった口調で刹那に詰め寄った。

 

 

「ひ、人の好意を無碍にしますか! なら仕方無いですね!!」

 

 

落とした呪符を拾いながら、呪文を呟こうとする。

 

その時だった。

 

 

「あがっ!!?」

 

 

何とも間抜けな声が聞こえたかと思うと、目の前から姿が消える。変わりに目の前に現れたのは、何者かの腕だった。吹っ飛ばされた相手は飛ばされた勢いそのままに、近くの木に盛大に激突。

 

刹那の攻撃と合わせれば正に三連コンボ。格闘ゲームさながらの、見事なコンビネーションへ繋がった。相手が刹那から離れたことを見届けると、現れた腕は彼女の身体を固く束縛している縄を解きに掛かる。

 

解くとは言っても正式な解き方はないだけに、左手を刃物のように見立てて縄に当てる。すると不思議なことに、何をしてもビクともしなかった縄が、いとも簡単に切断されたのだ。

 

束縛から解放されて自由の身になる刹那だが、まだスタンガンのダメージは残っていて、足腰に力が入らずに地面へと崩れ落ちる。

 

 

「おっと」

 

 

が、寸前のところで刹那の身体をキャッチし、優しく地面に座らせ、剥き出しになっていた上半身に自らのジャケットを羽織らせた。

 

 

「あぶね、ギリギリだったか」

 

「あ、あなたは……」

 

「遅れて悪かった。後は俺に任せてくれ」

 

 

上半身を隠しながら、現れた人物を見上げる。ぐるぐると腕を回しながら、刹那の前に守るように立つ。

 

現れた人物とは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

「白昼堂々、うちの生徒に何してくれてんだ」

 

 

三年A組副担任、風見雄だった。

 



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救世主登場

「怪我はないか?」

 

「は、はい。特には……」

 

「そうか、良かった」

 

 

顔を刹那の方へと向けず、声だけで刹那の状況を確認する。ジャケットを羽織らせたとはいえ、上半身がさらしだけの女性の身体を見るほど、常識が無いわけではない。

 

この状況で裸に近い状態を見られて、気分が良いものではない。それに後ろを振り向くことは隙を与える事になる。吹っ飛ばしたとはいえ、油断は禁物だった。

 

 

「ぐっ……このっ」

 

 

二人の会話が終わった頃合いを見計らうように、ヨロヨロと立ち上がる。完全な死角、それも意識をしていないところからの攻撃に、身体へ伝わるダメージは計り知れない。

 

相当効いたようで、背後の木に背を預けるように立っている。

 

 

「バカな! 何故ここが分かった!? 一般人では人払いの呪符を破ることすら出来ないはず!」

 

「ここまで来た俺が一般人に見えるか? 人払いの呪符の効果があったとしても、お前と刹那の気の行方を追っていれば関係ない。刹那を気を失わせたのが裏目に出たな、場所を特定するのはそう難しくは無かったよ」

 

「だとしても何体もの式神が配置してあるはず。ここまで来るのに出会わなかったとでも言うのか!」

 

「式神? あぁ、この紙切れの事か」

 

 

握った右手を差し出して開くと、中からは幾つもの破られた紙切れが落ちてくる。いくつあるだろうか、少なくとも式神十体分ほどはあるはず。

 

僅かな時間で居場所を関知し、あまつさえ配置した式神を全て葬って来たなど、馬鹿げたことがあり得るのか。

 

 

「どう判断するかは勝手だが、この程度じゃ俺は倒せない」

 

「ぐぐぐっ……」

 

 

まさかこうも簡単に自身の計画を破られるとは思ってもみなかったはず。今日に関して入念な下調べもしたし、ターゲットの力量も全て調べた。イレギュラーに備えて人払いの呪符だけではなく、ある程度の実力を持つ式神を配置し、万全の状態で作戦を実行。

 

成功目前というところでイレギュラーが登場し、全てをぶち壊してくれた。彼にとっての盲点、それは雄の存在だった。

 

下調べをした段階で、雄の情報は何一つ入っていない。

 

それもそのはず、雄が麻帆良学園に赴任してきたのは昨日、赴任が決まったのが一昨日と、めまぐるしい速度で配属が決まったために、敵側も雄の存在を認知出来なかった。もっとも、分かっていたとしても、精々新しい新任教師が赴任したくらいの認識である。

 

彼に関しての記録もほぼ残っておらず、現実には居なかったものとして処理されている。だから彼の存在を認知出来るのは、彼と共に仕事をしたことがある人間のみ。

 

全世界に点在する魔法関係者の中でも、ほんの一握りしか彼のことを知る人間は居なかった。

 

本性はかつて麻帆良学園学園長、近衛近右衛門が背中を預けていた人間であることを。

 

 

「調べていることが全てじゃない。裏の人間なら裏の裏を読んで見せろ」

 

 

本当の意味でのイレギュラーを把握出来なかったことが、今回の彼の不測の事態を巻き起こす結果になった。調べることが出来なかった、調べても情報がなかった、そこに関しては仕方のない部分があるかもしれない。

 

ただし、裏の社会では当たり前のように理不尽が付きまとう。知りませんでした、調べてませんでしたは、自身の生死を分けるかもしれない。何が起きても良いように対策し、動じないのが本当の一流の術者であり、それが出来ていないのなら、結局は半端者である。

 

ツメが甘い、ではなくイレギュラーに対応できない未熟者、それが雄が下す評価内容だった。

 

正論を言われて何も言い返せず、悔しそうに歯を食いしばる相手に対して必要以上に戦うつもりはないと、雄は伝えていく。

 

 

「ここで退くのなら、俺は何もしない。追跡する事もない。どうだ? お前にとっても悪い条件じゃないと思うが」

 

 

諦めて手を引くのであれば、これ以上無駄な戦いはしないと断言する。わざわざ自分が戦った痕跡を残すような真似をしたくはないし、何より不要な戦いであるなら避けたい。

 

本人が首を縦に振るのであれば、雄も刹那を連れてさっさとこの場から離れる。無意味な追跡をする事もないと断言した。

 

悪い条件ではないはずだがと伝えるも、プライドがある。雄の条件を飲んで、無様に背中を見せながら帰ってきました、などとは死んでも出来るはずが無かった。

 

 

「悪い条件? ははっ、この期に及んで退くわけないやろ!!」

 

 

取り繕っていた化けの皮が剥がれ、荒々しい口調へと変貌する。懐から数枚の札を出すと、強引な術式で複数の上級式神を召喚した。

 

林の周辺に配置した式神は下級から中級クラスの式神であり、実力も並の術者を留めておくくらいの力しか持ち合わせていない。だが今召喚をしたのは中級クラスの式神とは比べ物にならない力を持つ、上級クラスの式神であり、並の術者では一体でも手を焼くほどの実力を持つ式神だった。

 

それが複数ともなれば、実力を持つ術者でも対応が難しい。その代わりに、使用者は大きく気や魔力を消耗してしまうといった欠点のある諸刃の剣であり、使用するタイミングは非常に困難を極める。ただこの期に及んで出し惜しみは出来ない、加減をしてしまえば逆にこっちがやられる。

 

少なくとも並の実力者ではないと判断した相手は、気力を大きく消耗すること覚悟で手当たり次第に式神を召喚した。

 

 

「なるほど、手当たり次第に上級式神を召喚したのか。こりゃ骨が折れるわ」

 

「はっ! 一度に複数は無理やろ!」

 

 

さすがに今回ばかりは厳しいだろうと勝ちを確信する。さっき殴られた仕返しだと言わんばかりに、満足そうに口元を歪めた。

 

 

「やってまえ!!」

 

 

召喚された数体の式神は一斉に雄へと飛び掛かり、雄の上へと覆いかぶさった。

 

 

「ぐぅっ!」

 

 

襲い来る圧力に思わず苦悶の声を漏らす。

 

一体あたりの重さは定かではないが、質量が身の丈通りだとするのであれば、総重量は数百キロとなる。飛び掛かった勢いと、落下時の重力から雄へ掛かる一時的な重量を考えると、計り知れない圧力がかかることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「雄さん!」

 

 

背後で見ている刹那が声を掛ける。両手をクロスさせて式神たちの攻撃から耐えているが、いつまで持つか分からなかった。加えて相手方も更なる反撃に身を転じてくるかもしれない、式神を防いでいる横から反撃を食らったら雄とはいえ、ひとたまりもない。

 

このままではやられてしまう。無意識に悟った刹那は、足に力を込めて立ち上がろうとするも、そこまでの力はもう残っていなかった。

 

 

(こんな時に、目の前で身を挺して守ってくれている人がいるのに、私は無力なのか……!!)

 

 

また自分は守れないのか、木乃香が溺れた時のように、迷惑だけをかけて終わってしまうのか。

 

そんなことはさせない、誰かが傷つく姿など、もう二度と見たくない。

 

力が欲しい、守れるだけの。せめて立ち上がれるだけの力が。再び足に力を籠める、守られているだけではない、窮地を救ってくれた雄を今度は自分が守る番だ。

 

そう思った瞬間、身体の奥底から力が湧いてくるのを感じた、上手く練れなかった気が練れる。そこからの行動は早かった。

 

 

「う、うわぁぁぁぁあああああああああああ!!!」

 

 

女性とは思えない咆哮と共に、全身の力を込めて一気に立ち上がると同時に気を開放させる。力が入らず、立ち上がることが出来なかったことが嘘のように力が入る。これなら戦える、そう自身に強く言い聞かせた。

 

 

「んなアホな!? あの状態から立ち上がるやと!!」

 

 

相手もこれには驚きと動揺を隠せなかった。多少の抵抗は出来たとしても、高電圧のスタンガンで刹那の自由を奪っている上に、捕縛した縄で気を吸い取っているのだ。ましてや自身の体重を支え切れるだけの力なんて残っていないはず。一体どこにそんな力が残っているのか。

 

戦える状態に戻ってしまったのであれば、今回の作戦は全て水の泡となる。二対一の状況に、勝てる見込みは限りなくゼロに近い。本来であればおめおめと逃げ出すなど、考えたくもない選択肢だったが、この際仕方がない。捕まって捕虜になるよりかはマシだ。

 

そうは言っても、雄の方だけでも痛手を負わせることが出来そうなのは収穫だったと思う相手。刹那の反応を見る限り、クラスの担任か副担任のどちらかであるのは間違いないし、修学旅行に着いてくるのは間違いない。 

 

戦力をある程度削いでおけば、木乃香の誘拐は容易くなる。刹那をダウンさせられなかったのは残念だが、この際仕方ない。とりあえずは成功した、そう認識をして一方後ろに下がる。

 

 

 

 

 

 

 

───しかし相手は知らなかった。自分が喧嘩を売った相手が、如何に努力をしようとも越えられない壁の先に居る存在だと言うことを。

 

 

「……刹那、良く立ったな」

 

「えっ?」

 

 

グシャリという場にそぐわない音と共に、目の前に居た上級式神の上半身が宙を舞い、煙と共に存在がかき消されていく。地面には媒体にしたであろう紙だけが残った。一瞬の出来事に訳が分からず、呆気にとられたまま、刹那は何度も瞬きを繰り返す。

 

何をしたのか、逆に何かをしたのか、全く見えなかった。それは刹那だけではなく、相手も同じ心境のはず。自身の気力の大部分を使って、手当たり次第に召喚した上級の式神たちは、たった一瞬の出来事であっという間に送り返されてしまった。

 

雄が何をしたのか、何一つ分からず残ったのは媒体の紙だけ。

 

 

「そ、そんなバカな。上級式神が……」

 

 

与えられたショックは計り知れない。完全にこちらのペースだと舞い上がっていたのは自分だけだった。初めからこの程度の式神だったら、雄一人でどうとでも出来たのだと認識する。

 

服に着いた土埃を払う姿を見ると、汚れている以外、傷一つついていない。あれだけの労力を使ったところで、傷一つ付けることすら敵わなかった。

 

この後自分が何をしたところで、先の未来は目に見えている。

 

勝てない。

 

呪符使いとしての勘が警鐘を鳴らしていた。今すぐこの場から逃げろ、と。

 

土埃を払い終えた雄はギロッと、こちらを見つめてくる。先ほどまでは全く感じられなかった殺意が込められた視線は、真っ直ぐに相手を射抜く。

 

 

「言っただろ、退くのであれば追跡まではしないと。聞き分けの無い馬鹿は、一度痛い目にあって貰わないと分からねーってか?」

 

「……くっ、くそがっ!!」

 

血迷ったのか、自棄になったのか、呪符使いの立場を忘れて飛びかかって来た。

 

あらゆる作戦を立てていたのは、正面からの衝突では勝てないと悟ったから。普段から接近戦に持ち込まない相手と、接近戦をものともしない雄。

 

どちらに軍配が上がるかなど、既に答えは出ていた。

 

 

「もう少し接近戦の練習をしたらどうだ。呪符使いとは言っても、全く前線で戦えないのはきついぜ?」

 

「なっ、はやっ……」

 

 

踏み込む素振りを見せず、あっという間に背後を取る。

あまりにもかけ離れた実力差に、絶句し、そして絶望する。

 

売ってはいけない相手に、喧嘩を売ってしまったと。

 

 

「しばらく寝てろ……」

 

 

振り向くと同時に掌底が叩き込まれる。顔面に直撃すると、トラックにでもはねられたかのように、二度、三度地面をバウンドすると、数メートル先の地面でようやく制止した。

 



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保健室での一時

「ふう、ちょっとやりすぎたか」

 

 

雄は頭をポリポリとかきながら、倒れ込んだ相手の心配をする。力は幾分か抜いたものの、捉えたのは頭部であり、当たり所が悪ければ後遺症が残る可能性があった。

 

 

「とりあえずコイツを近衛のところへと連れてくか。場合によっちゃ、関西呪術協会のことを聞き出せるかもしれないし」

 

 

何だかんだ言いつつも、今回の修学旅行で障害となるであろう関西呪術協会の人間を捕まえることが出来たのだ。この戦闘が決して無駄なものになった訳ではない。

 

完全に気絶していることを確認すると、相手の顔を拝もうと羽織を取る。刹那の服を強引に破くような人間だから、案外相応な顔立ちをしているのではないか。若干の期待をしながら、顔を覗き込んだ。

 

 

「お?」

 

 

意外にもその顔は整っていた。見たところ年齢は刹那たちと同じ十代か、少し年上くらいだろう。気絶している顔立ちだけでは到底、あんなふざけた行為をするような人間には見えない。

 

人は見かけによらない、どんなに感じが良い人間であっても、敵ともなれば豹変する。見た目だけでの判断は、いずれ自身を裏切った時に大きなダメージとなるかもしれない。

 

 

「あの、雄さん」

 

「あぁ、そうだった。怪我は無いか刹那」

 

「は、はい。何とか」

 

 

すっかりと刹那の存在を忘れかけていた雄は、改めて刹那の方へと歩み寄る。見た感じ怪我らしい怪我はなく、上半身が裸に近い状況以外は目立った部分は見られなかった。幸い駆けつけてすぐにジャケットを羽織わせたため、目立った露出も見られない。

 

そうは言ってもこの状態で寮へと帰ることは出来ないし、一度保健室にでもよって、刹那の状態と着替えを済ませてから戻ろう。それにダメージが残っている中で力を振り絞って強引に立ち上がったのだ、緊張が取れればまた元の状態に戻る。

 

 

「あっ……」

 

 

案の定、ストンと力が抜けて足がすくんでしまった。立ち上がろうとする刹那を見て、雄は苦笑いを浮かべながら無理をするなと伝える。

 

 

「まだダメージが残っているみたいだし無理すんな。あいつを運んだ後に、刹那も保健室に……ってげっ!」

 

 

運ぶからと言いかけた途端、後方から魔力の気配を感じて振り向いた。するとそこには敵の体が水に入水するように、ズブズブと地面へと潜り込んでいる。

 

身体の周りには魔方陣が描かれていることから、また別の第三者が術式を組んで逃がそうとしているらしい。このままでは逃がしてしまうと悟り、慌てて地を蹴る雄だが、寸前のところで間に合わずに、身体は奥底へと沈んでしまった。

 

 

「くそっ! 逃がしたか」

 

 

流石にどこに逃げられたかまでは追うことは出来ない。ただ周辺に自分たち以外の気の点在は見受けられなかった事を考えると、相当離れた距離から回収された事となる。

 

 

(敵は一人ではなく複数人。ある程度の実力者が揃うと考えると、結構厳しいか)

 

 

つまりその段階で敵は一人ではなく、複数居ることになる。今回の作戦を牛耳る親玉を含めて何人いるのか検討も付かなかった。

 

痛い目にあわせたし、恐らくこちらに居るうちは先方側も手出しは出来ないと考え、一旦気持ちを切り替える。

 

 

「逃げられましたね。出来れば捕まえておきたかったんですが……」

 

「あぁ。元々やられたら、こちらの隙を付いて回収するつもりだったんだろう。まんまと一杯食わされたよ」

 

 

切り替えるとはいえ、相手方に一杯食わされてしまったことについては、悔しそうに表情を歪めた。

 

 

「とにかく無事で良かった。今運ぶから待ってろ」

 

「わっ!? つ、雄さん。一人で立てますから!」

 

 

刹那の前にしゃがみ込み、膝間接裏と肩に手を回すと、お姫様抱っこの要領で持ち上げる。見た目以上に華奢で軽い身体は難なく持ち上がるも、刹那は突然のお姫様抱っこに顔を赤くして恥ずかしがった。

 

そんなことまでしなくても立てると強がるが、今の状態では誰かの支えがあったとしても立つことすら困難な状況。ちゃんと立って歩けるようになるまで待っていたら、何時間掛かるか分からない。

 

立てるまでの間、野ざらしになることを考えれば放ってはおけなかった。

 

 

「立てるまで回復するのにどれだけ掛かるんだよ。ここに野ざらしには出来ないし、這って校舎に戻るわけにはいかないだろ」

 

「そ、それはそうですが何もここまで!」

 

 

お姫様抱っこが相当に恥ずかしいようで、必死に理由を並べるも言葉が浮かんでこない。普段冷静沈着な刹那とは思えないほど、ころころと切り替わる表情に、雄は思わず吹き出した。

 

 

「ふっ、ははは! 面白いな刹那は。大丈夫、人目につかないように保健室へと運び込むから安心してくれ」

 

「うっ……」

 

 

自身の足に力が入らず、歩いて帰ることも出来ない。誰かに頼らざるを得ない状況ではあるのだが、あまり人を頼ることが無いせいか、誰かに助けて貰うことに慣れておらず、口をもごもごとさせながら俯いてしまう。

 

幸運なことに、先ほど周囲に散りばめられた人払いの呪符の効果は残っており、周囲にはほぼ人が居ない。ここから保健室までの道のりを考えると、さっさと運んでしまった方がいい。

 

 

「さ、行くぞ。ちょっと飛ばすから舌噛まないようにな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼します……って誰もいないか」

 

 

足早に保健室に到着するも誰もおらず、つんと鼻を刺すアルコール消毒の香りが広がっていた。保険医はどこに行ったのか。時間的には部活動が行われている時間のため、部活動の方で誰かが怪我をして部屋を開けているのかもしれない。

 

待つわけにもいかず、一番近くにあるベッドに刹那を寝かすと、すぐ隣にある背もたれの無い椅子に座った。

 

 

「少し休めば元に戻るだろうから、二、三時間ここで安静にな」

 

「あ、はい」

 

「それと、これ。大切な刀だろ?」

 

 

広場にて拾った刹那の夕凪を手渡す。襲われた時に手放してしまったであろう刀は、刹那を探している際に回収していた。どこから取り出したのかと一瞬疑問に思うも、差し出された自身の愛刀を反射するように受け取る。

 

 

「ありがとうございます。本当に何から何まですみません……」

 

 

刀を受け取ると如実に落ち込みながら俯いてしまう。昨日から何度雄に迷惑を掛けているのだろうと、自分のあまりのふがいなさにやるせない気持ちでいた。

 

結局、自分は何もしていない。昨日は冷静さ失って敵ではない雄を攻撃し、今日は平和ボケからくる油断が、相手に背後を取られる要因となり、あっけなく無力化され、最終的には雄に助けられる始末。

 

先日の件に関しては、すぐに事実を話さなかった雄にも非はあるが、今日の件に関しては雄は関係ない。こんな実力でこれからも木乃香の護衛が務まるのかと、先の未来に大きな不安を抱えていた。

 

 

「どした? 随分と暗い表情しているけど」

 

 

刹那の表情の変化には雄も気付いていて、流石に気になったのか率直に疑問をぶつける。雄の問いかけにピクリと身体を震わせると、ぽつぽつ聞こえるかどうかも分からないような弱々しい声で話し始めた。

 

 

「……私は結局何もしていない。いえ、出来なかった。今日だって関西呪術協会の手先を追い払ったのは雄さん」

 

 

悔しさからか下唇を噛み、沈痛な表情を浮かべる。

 

 

「何一つ守れない……私は未熟者です。このままじゃこの先……ぇう!?」

 

 

ぐしゃぐしゃと右手で刹那の頭を撫でまわす。頭を撫でる雄の顔は穏やかそのものであり、何辛気臭いこと言ってやがる、そう問いかけるようだった。

 

 

「前に言ったけど、まだこれからだろ。失敗なんて誰にでもついてまわるものだしな。それに無理に背伸びしたところでいい方向になんて進む訳がない」

 

「……」

 

「どうしてもやらなければならない時は来る。だがそれ以外は一歩ずつでも良いんじゃないか」

 

 

どうしてもやらなければならない時とは、命を掛けてでも守るときだろうか。意味合いが曖昧する過ぎるせいで、意味が分かるのは雄だけしかいない。もしくは意味は自分で考えろと、暗に刹那に伝えているのかもしれない。

 

刹那より長く生きてきたことに加えて、魔法世界に関わりを持っていることで、様々な窮地や生死との隣り合わせを味わっている。いずれ刹那にも、本気で命をかけて守らなければならないケースが来る。だからこそ、今はそこまで深く考えすぎるなという雄なりのエールでもあった。

 

 

「木乃香が心配なのはよく分かるし、それを守るのが刹那の仕事なのも知っている。ただ完璧にこなせる人間なんて居ないんだ、もう少し周りを頼ってもいいと思うぜ?」

 

 

俺みたいに頼りにならない副担任もいるけどな、と笑いながら付け足す。

 

十五歳。

 

本来なら青春を謳歌する年齢であって、生死と隣り合わせの仕事をする年齢ではない。自分だけではどうにも出来ないとなるのなら、誰かを頼ればいい。挫折を何度も味わうことで、見えてくるものもある。

 

今回の失敗を糧に、また次ぎ同じ事にならないように精進すればいいだけのこと。

 

 

「どちらにしても、この後が大切だ。同じ事を繰り返さないように、頑張っていこうぜ」

 

 

 

雄は刹那に諭すように伝える。彼女に真意が伝わったかどうかは分からないが、雄が過ぎ去る際の刹那の姿はどこか晴れやかだったそうだ。



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変化

「ふーむ……」

 

 

保健室を後にし、雄は学園の噴水前の道のりを歩いていた。顎に手を当てて考え事をしているようだが、一体何を考えているのか。

 

刹那との件が一段落し、近右衛門への報告も済んだことでフリーになった雄は、自分を探しているであろう木乃香達の元へと戻ろうとしていた。トントン拍子で事が片付いたお陰で、時間はそこまで経ってはいない。買い物を楽しむ時間は、多少なりとも残されている。

 

一緒に買い物へ行こうと話はしたものの、いつまで出掛けるのか、時間に関しては明確に決めていない。もしかしたら終わっている可能性もあるし、逆にまだ買い物中の可能性もある。

 

ただ刹那の元へと駆け付ける際に、自身の買った衣類等の荷物を全て明日菜へと預けてしまったため、確実に迷惑を掛けていた。会った時には一旦謝罪を入れておこうと、心に決める雄。

 

 

「んー」

 

 

それとは全く別に考えるべき事があった。先ほどからずっと唸っているばかりで、考えが纏まらない。端から見たら不審者そのもの、近くで見たら鬱陶しいことこの上なかった。

 

 

「ダメだ、分かんね。今考えても仕方ないか」

 

 

考え込んでも結論に至らず、匙を投げる。今考えても無駄だと判断し、一度考えるのを辞めた。うだうだと考え込んだところで何も出てこないのなら完全な時間の無駄、だったらもう少し有意義なことを考えた方が有効な時間の使い方に繋がる。

 

 

「あー! あんなとこにいた! 雄さーん!!」

 

「お、明日菜?」

 

 

丁度階段を降り切った頃合いを見計らったかのように、遠方から声が聞こえてくる。周囲を見渡すと、両手に紙袋を抱えた明日菜がこちらに走ってくるのが見えた。明らかに走りにくそうに走っているも、それでも後を追いかけてくるネギや木乃香よりも早いところをみると、明日菜の足の速さがよく分かる。

 

そんな明日菜を驚愕させるほどの脚力を持つ雄。ものの見事にぶっちぎってくれた。雄の存在に気付いた後は早く、明日菜に続いてネギと木乃香が駆け寄ってくる。

 

 

「もー! 急に何なんですか! 人にこんなに荷物押し付けて!」

 

「悪い悪い! ちょっと急用を思い出して」

 

 

うがーっと両手を挙げて文句を言う明日菜に、申し訳なさそうに謝る雄の図といった何とも奇妙な絵面が出来上がっていた。そうは言っても明日菜からしてみれば理由もあやふやなままに全荷物を預けられ、一方的にどこかへ行ってしまえば、多少なりとも怒るのは無理もない。

 

 

「まさか、遊んでいたとかじゃないですよね!?」

 

「違うっつーの。ちゃんと仕事はしてきたって」

 

 

仕事をしてきたことは事実だが、教師とはほぼ関係ない裏の仕事という事実だけは伏せた。流石に敵勢力を追い払って来たなどと馬鹿正直な発言は出来ない。

 

 

(嘘は言ってないよな。まぁいずれタネを話すタイミングは来るだろう。明日菜の立ち位置もこっちよりみたいだし)

 

 

実力や認識まではつかめないものの、ネギとの距離感からどことなく、明日菜がこちらよりの存在だと察する。よもや雄に悟られているなど、この時ネギも明日菜は知る由も無かった。

 

明日菜も雄の淡々と話している様を見て、嘘は言っていないと勘ぐったのか、それ以上追求する事を辞める。だがどことなく納得の行っていない表情にも見えた。それもそのはず、どこの教師がやり残した仕事があるからと、生徒に荷物を押しつけて居なくなるのか。

 

これくらいの荷物なら預けなくても、と明日菜は多少の文句を言い掛けたところで踏みとどまった。

 

 

「はぁはぁ、やーっと見つけた。お兄ちゃん急にどうしたん?」

 

 

明日菜の相手をしていると、追い付いた木乃香が息を切らしながら疑問を投げ掛けてくる。明日菜には理由を話したが、木乃香とネギには一切理由を伝えていない。明日菜の口からそれとなく話は伝えられているとはいえ、真意は分かっては居なかった。

 

切らした息を整えながら、木乃香は雄の顔を見上げる。

 

 

「いや、明日菜にも話したんだが、急にやり残した仕事を思い出してな。明日に回すわけにも行かなかったから、片付けに行ってたんだわ」

 

「ほーん、そうなん? アスナはサボってるんじゃないかーって言うてたけど」

 

「はは、んなわけあるか。どこのアホ教師だそれは」

 

 

教師として失格の烙印を押されるような真似はしないと、木乃香に伝えるとすんなりと納得する木乃香。戦闘時に刹那からかって痛い目を見たり、イレギュラーとはいえ女子寮で生活することを容認したりと、適当な部分はあれども、私用のためにサボることはしない。

 

危機を察すれば、いち早く助けるために現場へ駆け付けているように、常に自分の生徒のことは考えるようにしていた。

 

 

(ん、何だこの感じ)

 

 

先ほどまでは気のせいかと気に止めることは無かったのだが、やはり気のせいではなかったと木乃香のことを見つめる。

 

 

「ほぇ?」

 

 

見つめられていることに気が付き、木乃香は声を漏らしながら首を傾げる。雄が違和感を感じたのは木乃香を纏う雰囲気だった。

 

元々彼女の中に眠っている魔力量は膨大なものがあり、初めて雄が会った時も、あまりの量に驚きを隠せなかった。上手く扱うことが出来れば、どれだけの人たちを救えるかという希望とは逆に、悪用されればどれだけの血を流すことになるかといった絶望も危惧されている。

 

むしろ木乃香自身に悪用する気持ちは微塵もないだろうが、彼女自身の魔力を扱うことが出来るのは本人だけではない。第三者、直近では関西呪術協会なんかは間違いなく扱う事が出来るだろう。

 

 

 

その魔力が僅かだが、確実に身体の外に溢れ出てきているのだ。魔力を纏えるようになるには、多少なりとも訓練が必要になる。ただ木乃香には魔法の存在を一切知らせていないことことから、個人で学んだとは考えづらい。

 

それに、たかだか数十分ほど会わないだけで、ここまで如実な変化が現れるとは思えない。雄が刹那を救出に向かっている間に、残された三人の中で何かがあったと考えるのが妥当か。

 

三人に対して、関係のない第三者が介入した可能性は極めて低い。となると考えられるのは現段階で魔法使いのネギが介入している可能性だ。

 

 

(それとネギくんの肩に乗ってるオコジョ、確か魔法妖精だったか。魔法妖精がいるとなるとまさか……)

 

 

そういえばと、雄はネギの肩に乗っているオコジョの存在を思い出す。魔法妖精が出来ることはそこまで多くはないが、扱える魔法もある。その中に魔法使いと結ばれる、仮契約の儀式があった。

 

仮契約には対象者を強化するだけではなく、秘めている力を呼び覚ます効果もある。総合的に判断するとネギと木乃香が何らかの理由で仮契約を交わした、そう考えると全ての辻褄が合った。

 

何故ネギと木乃香が仮契約を交わしたかは不明なものの、執行時に出てくるカードが可愛いから欲しいだとか、割とありきたりな理由ではないかと雄は推測する。

 

そしてこの推測が当たっているのだが、それが明らかになるのはまだ先のことになる。

 

 

「お兄ちゃん、どうしたん? ウチの顔に何かついとるん?」

 

「……」

 

「お兄ちゃんってば!」

 

「あ、いや。そういう訳じゃないんだが」

 

 

長い時間見つめていたせいか、自分の世界に入り込んでしまい、一回目の木乃香の声掛けに反応が出来なかった。雄は平静を取り繕いながら、何事も無かったかのように話を進めていく。

 

 

「結構木乃香も買ってるなと思って。それ全部そうなのか?」

 

「あ、ちゃうちゃう! これはウチのだけやのーて、ネギくんの分も入っとるんよ」

 

 

よく見てみると木乃香の手にも結構な量の紙袋が握られている。自身の量に比べれば少ないものの、一人当たりの量で考えると相当な量があった。雄の反応に対し、不審がる様子も無く受け答えをしているところを見ると、どうやらあまり気にしてはいないみたいだ。

 

持ち物の持ち主を知ったことで、今度はネギへと話題を振る。

 

 

「へー、ネギ先生の。先生はあまり私服とか持たれないんてすか?」

 

「へぅ! ぼ、僕ですか? あはは、そうですね。あまり自分の服に頓着が無いというか……」

 

 

何気ない質問にわたわたと慌てながら答えるネギだが、そこまで慌てることかと雄の頭の中に疑問が浮かぶ。何かを隠したがっているような仕草に、何故か顔が赤い。

 

 

「ん。顔赤らめて、何かあったんですか?」

 

 

思ったことが既に口に出ていた。ネギのことを疑っている訳ではなく、純粋に気になったからこそ聞いたのだが、年上からの何気ない質問はネギの思考をより動揺させる。

 

 

「ふぇっ、ぼ、僕はべ、別に隠し事なんかしてないですよ! ね、このかさん!」

 

「んー、隠し事? ネギくんとキスしたら貰えるっていうカードのことかえ?」

 

「ちょ、ちょっとネギ!? アンタやけに買い物が長いと思ったら……!」

 

「はぅぅ! す、すみませんアスナさん!」

 

 

完全に聞いた相手が悪かった。

 

木乃香の天然が炸裂し、盛大に暴露してしまう。内容を知った明日菜はどういうことかとネギに問い詰め、明日菜に詰め寄られたネギはただ謝るばかり。一般人からすれば何の話かくらいで済むレベルだが、聞いている相手は魔法関係者の雄。

 

どうして木乃香の身体から微量の魔力が漏れだしているのか、一発で判断が出来た。同時にネギと木乃香が仮契約を交わしたこともバレてしまったことになる。

 

一見明日菜の反応も、女の子に何をしているのかという部分に対して言っているようにも見える。またそれとは別に魔法関係の事象に木乃香を巻き込んで良いのかと、暗に伝えているようにも見えた。

 

ガミガミと問い詰める明日菜を前に、頭を垂れてショボくれるしかないネギ。そして二人を宥める木乃香の図が何とも言えない図になっていた。

 

雄は三人の様子を腕を組ながら観察する。木乃香の件にカンしては、おおよそ予想通りではあったからこそ、別段驚くようなものは無かった。

 

 

(まぁ、予想通り。漏れ出したのは仕方ないし、今しばらくは様子見になりそうだな)

 

 

結論として、大事に巻き込まれてしまった訳ではないため、現状特に気にするものではないとして結論付ける。

 

 

「はいはい。明日菜もその辺りにして、ちょっとカフェにでも行って一息つこうぜ」

 

 

わいわいと騒ぐ二人を一旦静めて、話題を別のものへと振り替えた。

 

 

「へ? カフェですか?」

 

「あぁ、今日他クラスの生徒に聞いてね。最近改装したばっかりで、ショコラケーキが美味いんだと。迷惑掛けちまったし、今日は俺が全部奢るからさ」

 

「え、本当ですか? でも先生にお金を出して貰うなんて……」

 

「お兄ちゃんも言ってくれとるし、ええんとちゃう?」

 

「そうそう。それに明日菜には結構大変な思いさせたし、せめてこれくらいは格好つけさせてくれ」

 

「……雄さんがそこまで言うのなら」

 

「よし、決まりだな!」

 

 

明日菜も納得したところで、一同目的地に向かって歩き出す。その後日が暮れるまで、四人はカフェで時間を潰すのだった。



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感謝

「えーっと、俺が居ても良いのか?」

 

「ええよ。偶にはちゃんとしたもの食べんと、お兄ちゃんも身体壊してまうえ」

 

「んー、そうか。ならお言葉に甘えて」

 

 

時は移り変わって夜。

 

買い物を楽しんだ一行はそれぞれ部屋に分かれて夜を過ごす……予定だったのだが、何故か雄はネギたちの部屋に居た。

 

既に今日の業務を終え、完全にプライベートモードに移行した雄は、既にジャケットを脱ぎ捨てて、ネクタイを取っており、ワイシャツ姿で部屋に来ている。

 

そもそもネギたちの部屋に来ているのも木乃香に夕飯の誘いを受けたからであり、事の発端はカフェにて漏らした雄の一言だった。

 

 

「顔色もわるーないし、体つきも良いから、ちゃんとしてると思ってたんやけど……まさか毎日出来合いとコンビニ弁当で過ごしているやなんて」

 

「し、仕方ないだろ。独り身だと買った方が早くて安いし」

 

 

普段食事はどうしているのかとの質問に対し、雄は何の抵抗もなくレトルトとコンビニで済ましていると言い切る。

 

毎日手作りし、出来合いに頼ることをしない木乃香にとって、毎日レトルト、コンビニのオンパレードの雄の食生活は到底許せるものではない。まして自分を孤独から救ってくれた兄的な存在である雄が、そこまで腑抜けた生活を送っているとは思ってもなかった。

 

自分と大きく歳が離れている訳ではないため、なおさら彼の生活が木乃香にとっては気になる要因にもなっている。

 

そんな生活アカン! と一喝すると共に、雄の夕食も用意するから食べに来て欲しいと誘ったところ、雄は満更でもない表情で、首を縦に振った。

 

 

「でも意外よねー。雄さんって割と私生活はしっかりしてそうなのに」

 

「いやいや、結構適当だぞ。飯なんかは食べれれば良いくらいの認識だし、私服も着れればくらいにしか考えていないしな」

 

 

明日菜の問いかけに隠すことなく話す。

 

下手に取り繕ったところで、後々バレるのだからはっきりと言い切ってしまった方が楽だと割り切っていた。食生活に関してはだらしない自負はあるものの、私服がダサいと思ったことは一度もなく、あくまで人前に出るにあたって恥ずかしくない服装はしている。

 

それはそれで当たりはしないだろうが、外れもしない。ただ今回は女子寮、年頃の女性と顔を合わせるが故に、流石に多少お洒落を気にした方が良いと思い、修学旅行の服と併せて、大量に買い込んだ。

 

 

「うーん。私たちと同い年くらいの男の子って、皆雄さんみたいに育つのかしらねー?」

 

「十人十色だろうよ。全員が俺みたいに育ったら世界が崩壊する。身の回りに俺がわんさか居るって想像してみ」

 

「あー……」

 

 

何となくイメージが出来てしまったようで、苦笑いを浮かべながら言葉を詰まらせる。実際に自分の周囲が全員雄と置き換えると、そんな世界には居たくない。

 

明日菜と雄が話をしている間にもエプロンを羽織った木乃香は淡々と料理を進めていく。改めて手際の良さに感心しながら、彼女の後ろ姿を見つめた。トントンと規則的にかつリズミカルに包丁が上下し、まな板に乗った食材が刻まれていく。

 

ふんふんと鼻歌を歌いながら料理を作る様は、家庭を持つ母のようにも見えた。

 

 

(良い奥さんになりそうだな木乃香は)

 

 

率直にそう思えるあたり、料理をする仕草が様になりすぎている。見ない間に大人の女性としての階段を順調に上っているみたいだ。

 

 

「ふふーん?」

 

「ん?」

 

 

木乃香を眺める雄のことを、ニヤニヤと見つめる明日菜。雄の姿が彼女にどう映ったのか、隅に置けないわねとでも言いたげな眼差しだった。

 

 

「何だよ明日菜」

 

「雄さんも中々隅に置けないなーって」

 

「はぁ?」

 

 

何を言っているんだとでも言いたげな態度で明日菜へと返す。特に色眼鏡で見ていたわけではなく、木乃香の女性としての成長ぶりに関心していただけであり、特別な感情を持ち合わせている訳ではなかった。

 

 

「料理をしているこのかに見とれてたんでしょ」

 

「違うっての。見とれてたっていうか、良い女性になったなと思って感心してただけだ」

 

 

好きか嫌いかと言われれば、間違いなく好きだ。

 

ただそこに恋愛感情であったり、独占感情は微塵も無い。あくまで一生徒、年下の存在としての可愛がる感情はあれど、一緒に生活したいだとか、恋人にしたいといったものは全く沸かなかった。

 

 

「えー! そうだったの。あ、そういえば木乃香から聞いたんだけど、昔遊んだって本当?」

 

「遊んだって言ってもほんの数時間だけどな」

 

 

どうやら木乃香は雄と昔遊んだことを明日菜には話しているらしい。

 

どこまで話しているかは謎だが、幼い頃に遊んだ記憶など完璧に覚えては居ない。それに完全なプライベートの全容を掻い摘まんで説明するとは思えないし、ざらっと話したのだろう。

 

懐かしいなと話を続ける雄だったが、話している途中で料理をしている木乃香が表に出てきて声を掛けた。

 

 

「アスナー、お兄ちゃんもお皿の準備手伝って貰ってええ? ネギくんだけやと大変そうやから」

 

 

料理が完成したらしく、手伝って欲しいと言伝をされ、重たい腰をゆっくりと上げる。先ほどからネギが机付近に居ないのは木乃香の料理を手伝っていたからであり、彼もまた慌ただしく皿の準備をしていた。

 

働かざる者食うべからず、ネギだけに任せておいて自分は何もしないのは流石に一大人としてどうなのか。そう思ってからの行動は早かった。

 

つまらない平々凡々の毎日から、充実した多忙な日々。日々の生活の大きな変化に、雄は感じたことのない満足感を覚えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「屋上の景色も悪くない。前住んでいたアパートとは大違いだなこりゃ」

 

 

夕食後、ネギたちの部屋を後にした雄は一人屋上を訪れていた。

 

落下防止のために付けられている手すりにもたれ掛かり、先に広がる麻帆良学園の風景を一望する。夜ということもあり、明かりは灯って居ないが、周辺に広がる街の光が何とも言えない夜の風景を照らしだしていた。

 

 

「おい、お前」

 

 

ふと背後から声を掛けられる。

 

雄は振り向かない。しかし背後にいる人間が誰だか分かったかのようにニヤリと笑みを浮かべた。

 

 

「あぁ、アンタか」

 

 

声と共に後ろを振り向く。背後に立っていたのは小柄な金髪の女性と、耳に機械のようなパーツをつけた、比較的長身の女性だった。雄が声を掛けると長身の女性が礼儀正しくぺこりとお辞儀をする。

 

それに対してどことなくムスッと仏頂面をしながら、腕を組んでいるのは小柄な金髪の生徒。もはや麻帆良学園の制服を着ていなければ、小学生にでも間違えられかねない体躯だった。が、彼女から溢れ出れる並々ならぬ雰囲気は、一般人とはまるで違った戦士としての雰囲気を思わせる。

 

一見無防備そうに見えて、いつでも戦える状態にある。こちら側から飛び出せば、本人だけではなく隣にいる長身の女性も出てくることだろう。

 

それでも雄の口振りは淡々と冷静そのものであり、彼女の雰囲気をもまるで無かったかのように立ち振る舞ってみせる。更に言うなら、彼女の事を知っているような口振りだった。

 

 

「全く。表舞台から姿を消したと思ったら、まさかこんなところに赴任してくるとはな、風見雄。大方、あのジジイに頼まれたんだろうが」

 

「まぁ大体は当たってるな。そんなことよりも、こっちからすれば闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)と呼ばれたアンタがここにいる方が不自然でたまらん」

 

 

知っているような、ではなく知っていた。彼女の二つ名を知っている以上、雄とどこかで面識があるらしい。

 

彼女の名前はエヴァンジェリン。

 

表向きは麻帆良学園に通う生徒だが、本性はかつて闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)として魔法世界を震撼させた魔法使いであり、魔法世界の中でも指折りの実力を持つ、実力者である。

 

 

「これにはちゃんと理由がある。おかげさまで十五年間も中学生をやる羽目になってな」

 

「ふぅん、そうかい。相当厄介な術者に封じられたのか、そりゃご苦労なこった」

 

「……とはいえ、マスターもここ最近はネギ先生のお陰で学園生活を楽しめて居るよ「茶々丸、余計なことは言わなくていい」……失礼しました」

 

 

茶々丸と呼ばれた長身の女性が言い掛けたところで、ぐいぐいと袖を引かれて止められる。それ以上は言って欲しくないのだろう。素直にエヴァンジェリンの言うことに従った。

 

退屈だと言う割には、それなりに今の生活を楽しんでいるようにも見える。彼女の表情がそう物語っている。茶々丸を止める際の表情はどこか照れくさく、恥ずかしそうにしていた。

 

 

「随分丸くなったんだな、あの福音が。到底同一人物とは思えないぞ」

 

「私だって好き好んで丸くなったわけではない。あの馬鹿騒ぎする連中が……って何を言わせるんだ貴様!」

 

「俺じゃねーって! 自分で言ったんだろうが」

 

 

盛大に自爆しそうになり、ノリ突っ込みをかますエヴァンジェリン。この言い方では自身が丸くなったのは、クラスメイトたちのおかげだと言っているようなもの。

 

むしろ彼女の良い方には感謝の念が込められているようにも見えた。自身の知る闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)の姿とは百八十度変わっていた彼女の立ち居振る舞いに、微笑みを向ける雄。

 

すると彼の表情に、エヴァも気づいたようで。

 

 

「おい! 何を笑っている! 私には別に特別な感情などだな!!」

 

「まだ俺何も言っていないんだけど……」

 

「マスター、完全に墓穴を掘っていますが」

 

「う、うるさい! 本当に私は何とも思っていないんだ!」

 

 

雄に茶々丸とダブルパンチを食らい、顔を赤くしながら茶々丸へと飛び蹴りを食らわす。

 

これがあの福音なのか。氷のような冷たい顔つきに感情を失った瞳。人を寄せ付けず、捉えた獲物には容赦しない残忍かつ冷酷な最悪の吸血鬼。

 

周囲からは恐怖の目で見られ、何人もの優秀な魔法使いが手も足も出なかった賞金首。

 

そのイメージは既に、目の前の少女からは消え失せていた。どこにでも居るような普通の女子高生、喜怒哀楽をはっきりと表す姿からは、邪悪な感情を感じることはなかった。

 

一連のやり取りを笑いながら見ている雄に、エヴァンジェリンが噛みつく。

 

 

「だ、だいたいお前はどうなんだ! 昔はハイライトが消えたいい感じの悪人面だったというのに、今じゃすっかりと丸くなってるじゃないか。オマケに副担任でチヤホヤされて、かつての面影はどこへ消えた?」

 

 

彼女はどうやら昔の雄を知っているらしい。いつどこで何のために出会ったのか。

 

出会い方は彼女の口から語られる事はなかったが、昔の雄は今みたいな明るく接しやすいタイプではなく、触れば切れるナイフのような性格だったらしい。

 

 

「かつての面影ね。ずっと居るよ、(オレ)の中に。どっかの馬鹿たれお節介が表に出してくれなかったら、一生変わらなかっただろうけど」

 

 

噛みつくエヴァンジェリンに対しても雄は動揺せずに、淡々といつもの調子で答える。あくまで昔の自分は居なくなったのではなく、胸の奥底に仕舞い込んでいるだけであり、それを心の奥底に追いやってくれたのは、他でもないどこかの馬鹿だと言い張った。

 

つまり今の雄の性格や仕草は、その人物に影響を受けて形成されたといっても過言ではない。悪態をつきながらも、彼なりに相手には感謝しているようで、身体からにじみ出る雰囲気は穏やかかつ、優しいものだった。

 

 

「ふん! 何だ、おもしろくない」

 

「悪かったな、面白いオチにならなくて」

 

「マスター、先ほどから放課後のお礼が一切出来ていません。あまり話を長引かせても、雄先生が疲れるだけかと」

 

「なっ!? か、勝手に言うなと言っただろ!」

 

「放課後のお礼? 一体何の話だ?」

 

「今日の昼過ぎ、学園に侵入者が入ってきたのですが、本来なら私たちが対応するべき相手でした。それを変わりに雄先生が対処してくれたお礼を一言お伝えしようと、こちらに赴いた次第です」

 

 

部屋に行ったのですが……と言いにくそうに伝える辺り、行き違いになってしまったらしい。放課後の侵入者で心当たりがあるとすると、刹那を襲った関西呪術協会の手先が思い浮かぶ。最初は誰が襲われているのか分からずに目的地へと向かったが、まさか自分の教え子が襲われているなど、雄にとっても思いもよらなかった。

 

自分がしようと思って起こした行動が故に、特に感謝されることはないと思うのだが、わざわざお礼に来る当たり、なんだかんだ彼女たちの人の好さが見受けられる。

 

 

「ぐっ……まぁ茶々丸の言うとおりだ。本来なら魔法障壁を割って入ってきたタイミングで私たちが対応するべきだったが、お前に先を越されてな。全く、こんな余計な仕事を「マスター」ぐぐぐっ……礼を言う、風見雄」

 

 

素直になれずにツンツンと皮肉の羅列を並べるエヴァンジェリンだが、再度茶々丸に突っ込まれたところで観念し、プルプルと身体を震わせながらお礼の言葉を伝えた。彼女自身、誰かに感謝の言葉を伝えることになれておらず、照れて言い出すことが出来ない。

 

どんな形式であれ、お礼を言われて悪い気分にはならない。雄は一つ息を漏らして笑みを浮かべるも、こそばゆいのかプイと後ろを振り向いてしまった。

 

 

空には無数の星空が広がる。

 

年月が経てば人は変わる、それが自然になのか人為的なものなのか、そればかりは当人しか分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、近衛。もしお前があの時声を掛けてくれなかったら、今も俺はあの時のままだったのかな?」

 

 

 

ぽつりと呟く雄の一言は、虚空に消える。

 

人から感謝される人間に自身を変えてくれたことに対し、改めて感謝の意を示すのだった。



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【修学旅行編】-上巻-
修学旅行開始!


早朝。

 

まだ太陽の陽も昇りかけの時間帯に、けたたましく鳴る携帯の目覚ましで目を覚ます。手探りで携帯の位置を探し、未だに鳴りやまないアラームを止めようとする。

 

いつもよりもはるかに早い時間帯の起床に、眠気が取れずに薄っすらと目を開いた。瞼は重く、身体に掛かる布団の重みは、更なる安眠へと誘おうとしてくるも、二度寝をしてしまったら集合時間に遅刻してしまう。布団の強烈なまでの誘惑を振り切り、何とか身体を起こした。

 

 

「うー……」

 

 

うなり声をあげながら、身体を起こすまでは良かったものの、再度襲ってくる眠気に寝床に戻りそうになる。時刻は朝の五時。普段起きるのが六時半といつもよりも起きる時間が早い。朝は得意ではないが故に、半ば強引に立ち上がって洗面台へと向かう。

 

歯ブラシに歯磨き粉をつけ、シャコシャコと歯を磨く。まだ眠気が取れないせいか、瞼を閉じたまま惰性で歯を磨いていた。歯を磨き始めて数分、ある程度磨き終えたところで、口の中の歯磨き粉を吐き出して口を濯ぐ。乾燥した口をスッキリさせると、洗面台の排水溝に栓をし、蛇口から流れてくる水を貯めていく。

 

寝返りを何度も打ったせいで髪の毛はぼさぼさで、某超人の如く盛大に逆立っていた。未だ取れない眠気を覚ますべく、一定量の水を貯めこむと洗面台の水桶の中に勢いよく顔を突っ込んだ。

 

温度の低い冷水が顔全体に浸透し、眠りかけていた脳が一気に覚醒状態へ切り替わる。数十秒ほど顔を突っ込み、ある程度スッキリとしたタイミングを見計らって顔を上げた。

 

 

「ぶはっ! 冷たッ!!」

 

 

お陰様で眠気は綺麗に取れた。冷水を温水へと変え、今度はボサボサになった髪の毛を湿らせていく。一般の男性に比べると毛量が多く、髪も長い故に全体を効率よく湿らせるのに数分費やす。ある程度濡れたところで、蛇口を捻り水を止めると、近くに用意してある新しいタオルを手に取り顔と髪に残る水分を拭った。髪が長く、水分を残すと乾かすのに時間が掛かってしまうことから、より入念に髪を拭いていく。

 

鏡を見ながら拭いていき、ある程度水分が取れたところで、使ったタオルを洗濯籠の中へ入れた。

 

 

タオルを籠へしまうと、ドライヤーのスイッチを入れていつも通りの髪型へとセットしていく。一通りセットを終えると新調したばかりのワイシャツを手に取り、手早くネクタイを締めてジャケットとパンツスーツを着た。

 

先日買ったばかりの私服類は全てキャリーバッグの中へとしまい、修学旅行に必要な準備物や教員専用のしおりは全て手持ちのビジネスバッグの中。準備万端の状態で後は部屋を出るだけ、朝はネギと共に集合駅である大宮駅まで向かうことになっている。

 

 

 

 

 

既に準備は終えている状態であり、これ以上何かすることもないため、持っていく予定の荷物とビジネスバッグを片手に部屋を出た。ネギと待ち合わせているのは部屋ではなく、寮の入り口になる。決して寒い季節ではないし、外で多少待っていても問題はなさそうだ。

 

入り口につくと近くのベンチに腰かけて教員用のしおりを取り出し、今日のスケジュールを確認する。宿泊時の見回りの時間帯や、全体公道での訪問場所、各班のメンバー構成等、事細かに記したものになり、これ一つで修学旅行の一連の流れを把握することが出来る。

 

赴任したての雄は昨日渡されたばかりで、修学旅行の全容を把握しきれていない。はっきりと分かっているのはネギがいつ、関西呪術協会の総本山に親書を持っていくのかくらいだ。

 

 

 

ざっとしおりを確認すると午後に京都到着後、清水寺を往訪予定。二時間ほど散策後、今日は旅館に戻り一日目は終了する。修学旅行初日ということもあって、比較的楽なスケジュールになっており、やること自体もそこまで多くなかったことからホッと一息をついた。問題になってくるのは二日目以降であり、判別行動を取るタイミングから管理やらなんやらが手間になってくる。

 

それまでにある程度の準備が出来る期間があると考えると気は楽になる。

 

 

「年頃の女の子たちだから、夜はちょいと騒がしいかもなぁ」

 

 

予想できる未来を想像し、思わず苦笑いをこぼす。

 

三年A組にとって問題なのは昼間ではなく、夜。昼なら多少騒ごうとも何とでもなるが、夜は迷惑になってしまう。お祭り好きのクラスからしてみれば騒がしいのは必須、そんな中雄は旅館を見回りしなければならない。当然見回りする教員は雄一人だけではなく、付き添いの教員が何人かいる。

 

中には生徒たちから恐怖の目で見られている教師がいるのも事実、あまり騒がさせすぎると責任問題の部分で何かを言われるかもしれない。ネギのサポートとして律する部分は律しなければならない。

 

 

(ま、何とかなるか)

 

 

変に身構えてもいい結果にはならない。気楽に考えてやっていこうと気持ちを切り替える雄に、リュックサックを背負ったネギが姿を現した。

 

 

「あ、風見先生! お待たせしました!」

 

「いや、そんな待ってないですよ。にしても随分嬉しそうですね」

 

「だって、日本の文化を学べる滅多にない機会じゃないですか! 朝も楽しみすぎて目覚ましが鳴る前から起きてまして!」

 

 

嬉々として笑うネギの姿に、十歳の少年を垣間見る。教員として気を張り詰めなければならないといった気疲れではなく、純粋に修学旅行を楽しもうとする無邪気な笑み、想像以上に楽しみにしていることが受け取れた。

 

 

「あっ、すみません、自分のことばかり。実は風見先生にこのかさんから渡して欲しいと言われているものがありまして」

 

「渡してほしいもの?」

 

 

ネギは手に持っている巾着袋のうちの一つを雄へと手渡す。可愛らしい熊の絵が刺繍され、如何にも女性らしいピンク色の巾着袋を受け取ると、確かな重量感があった。何だろうと首をかしげていると、続けてネギが補足を入れる。

 

 

「多分お兄ちゃんのことだから朝食食べていないんじゃないかって、このかさんが」

 

 

そこまでの言葉で何が入っているのか推測出来た。おもむろに巾着袋を開くと、中には小さなおにぎりケースがあり、中には握りたてのおにぎりが三食分入っている。そしておにぎりケースの蓋の部分には小さなメモ書きが記されていて、そこには。

 

 

『朝ごはんはちゃんと食べなあかんえ!』

 

 

そう一言記載されていた。

 

自分の行動を読んだとでも言うのか、確かに今日は朝食を取らずに出てきてはいるが、普段は外で買った菓子パンやらなんやらを何かしら口に含んで学園へと向かっている。朝食を取らなかったことだって偶々なのに、雄が朝ごはんを食べていないことを見越して、わざわざ自分の分を作ってくれた事実が何よりもうれしく、温かく感じた。

 

 

「……ありがとう。幸せ者だな俺は」

 

「え? 風見先生?」

 

「あぁ、いや。何でもないです。さ、ネギ先生、そろそろ行きましょう。あんまりグズグズしていると、集合時間に間に合わなくなるんで!」

 

「あ、はい! そうですね!」

 

 

最高の朝を迎えた雄は、笑顔のままネギと共に最寄り駅へと駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーおー、皆早いな」

 

「わー! 皆さんもう来てらっしゃったんですねー!」

 

 

まだ教員の集合時間であるにも関わらず、既に生徒の半数近くは集合場所に集まっていた。ネギや雄もいつもよりも早く出ているのに、駅に集まっているということは始発で来ている生徒も何人かいるようだ。

 

 

(ん、視線?)

 

 

ふとどこからか向けられる視線、以前体感したそれと全く同じ視線は自身の背後から感じることが出来た。雄以外の生徒や教師、ネギは気付いていない。こんな朝早くからきて遠くから監視とは、ご苦労なこと。視線の正体を確かめるべく、皆から離れて一人背後の物陰へと歩いていく。

 

そして物陰の後ろとみると、そこにはやはり例の人物が居た。

 

 

「こんな朝っぱらからご苦労なこった、刹那」

 

「あ、おはようございます。雄さんも早いですね」

 

「早いも何も、教師陣は生徒よりも早い集合だからな。それよりも早く来ているとは思いもよらなかったけど」

 

 

竹刀袋を提げて物陰に立つ刹那の姿がそこにはあった。

 

物陰から監視しているところをみるとあまり人に自分の姿を見られたくないらしい。単純に木乃香だけを見ているわけではなく、クラスに近付く脅威がないかどうかを確認していたようで、彼女の雰囲気を見る限りは特に何もなさそうだった。

 

 

「修学旅行中に、何があるか分からないですから。それにいつ奴らが行動を起こすとも限らないですし」

 

「そりゃ確かに。まぁでもここに来るまでに嫌な気配は感じなかったよ。新幹線に乗るまでは大丈夫そうだし、少し一息入れてきたらどうだ?」

 

「いえ、私だけ休んでいるわけには……これくらいなら特に負担になることもないですよ」

 

 

念には念をということで早めに来たらしい。あまり気を張りすぎてもと伝える雄だが、大丈夫だと刹那は言い張る。確かにそこまで負担になることはやっていないため、必要以上に何かを言う必要もないと一歩引きさがった。

 

 

「そうか? なら良いんだが、あんまり初日から飛ばしすぎるとどこかでガス欠になるから、休めるときはしっかりと休んでおけよ」

 

「はい。そこはもちろん分かっています」

 

「後は早く木乃香とも話せるようになれよ」

 

「はい! ……はい?」

 

 

木乃香の名前を耳にしたとたん、刹那の声がいつもよりも半オクターブほど高くなった。今まで冷静に話していた姿はどこへやら、口ごもりながら後ろへと後退りしていく。

 

 

「い、今は木乃香お嬢様は関係ありません!」

 

「そうか? 多分もう少しで来ると思うぞ。機会見つけて話してみれば良いんじゃないか」

 

「わ、私は影で見守れればそれで!」

 

 

何だこの娘持ち帰りしたい、と顔を赤らめて激しくまくし立てる刹那に対して思った雄の感想だ。

 

否定するところは変わらなくとも、以前に比べると雰囲気は丸くなっているし、変に張っている壁が完全に崩れるのも時間の問題かと推測する。

 

あまり長く話していると時間だけを使いそうなため、一旦話を区切り、最低限の伝言だけを伝えた。

 

「ははっ、知ってるよ。とりあえず道中は俺も気を張るようにするから。また新幹線に乗った後でちょいと打ち合わせしよう」

 

「え? あ、はい。分かりました」

 

 

踵を返すと、再び教師たちが集まっている場所に、雄も戻る。

 

こうして短くも長い、修学旅行が幕を開けた。



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カエルパニック?

集合時間となり、新幹線への乗車を始める三年A組一行。

 

旗を振るネギを先頭に、次々と生徒たちは新幹線への乗り込みを開始した。ネギは班ごとに分かれて順番に乗り込む生徒の数と班の数を確認しながら、次々と座席へと誘導をかけていく。連結部分ではネギが待機し、車両の中では雄が指定された座席に生徒たちを割り振っていた。

 

 

「ネギ大丈夫だった? ご飯ちゃんと食べれたの?」

 

「はい! おにぎりありがとうございます!」

 

「ほかほか、よかったー!」

 

 

そして今は五班の誘導をかけている最中。新幹線に乗り込んだ明日菜が、ご飯を無事に食べれたかどうかを確認すると、ネギは笑顔で返答する。

 

ネギの返答に対して答えるのは木乃香、ネギの反応から自身の作ったおにぎりの評価が上々であることを確認すると笑みを浮かべながら、良かったと喜ぶ。自分の作った料理を好評されて悪い気分はしない。

 

二人の一連のやり取りを見てネギと何かあるのではないかと思ったクラス委員長のあやかが、木乃香に疑問を投げかけるも何のことかと飄々と答える。

 

やり取りをみている限り、ネギに対して何か特別な感情を持っているわけではないのは分かるが、以前の出来事を知っているために、油断出来ないと思い込んでいるようだ。

 

 

「ん、今ので最後? もう一班足りないぞ」

 

 

騒がしいクラスだと、木乃香とあやかの後姿を眺めるネギだが、誘導した班の中で一組足りないことに気付く。誰がいないのかと考え込むネギの後ろから、一人の生徒が声を掛ける。

 

 

「ネギ先生」

 

「あ、貴方は桜咲刹那さん……とザジさん」

 

「はい。私が六班の班長だったのですが、欠席者が出たために、私とザジさんの二人きりになりました。どうすればいいでしょうか?」

 

「え、あっ、そうですか。困ったな……」

 

 

刹那だった。

 

元々六班の班長を担当していたものの、エヴァンジェリンや茶々丸が休んだことにより、六班はたった二人きりになってしまい、どうすればいいのかとネギへと尋ねる。

 

不測の事態に困ったなと頭を悩ますネギだったが、二人では満足な判別行動が出来ないことを理解し、各自別々の班に組み込むことに決定。近くにいた三班班長のあやかと五班班長の明日菜にそれぞれザジと刹那を組み込むように伝える。

 

 

「じゃあ明日菜さんは桜咲さんを、いいんちょさんはザジさんをお願いできますか?」

 

「はいはい」

 

「かまいませんわ、ネギ先生」

 

「え……」

 

 

班長の二人が何事もなく了承するのに対し、明日菜の近くにいた木乃香が反応を現す。

 

 

「せっちゃん。一緒の班やなぁ」

 

「あ……」

 

 

木乃香の声に言葉足らずのまま、一礼すると踵を返してそのまま車両の方へと歩いて行ってしまう。

 

そんな後姿に寂しそうな表情を浮かべる木乃香と、何が起きたのか分からずに首をかしげるネギ。二人の関係を知っているのは雄だけであり、その雄も車両の中で誘導を手伝っている兼ね合いもあって、ここにはいない。誰一人二人の関係を理解する間もなく、無事に班分けも終わった一同は車両へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう、本当に最近の子たちはアグレッシブだな。朝っぱらからこの騒ぎとは」

 

 

点呼や朝礼も終わり、乗り換えから東京駅を出発した一行は、つかの間の移動時間を楽しんでいた。

 

車両の前の席に座り、椅子を反転させてカードゲームを楽しむ生徒や、単純に雑談だけを楽しむ生徒。

 

我関せずウォークマンで音楽を聴きながら眠りに落ちる生徒など様々だが、生徒の大半はワイワイと騒いでいる状態であり、朝早くから集合しているのにどこにそんな元気があるのかと感心するばかり。

 

そんな雄は、朝に手渡されたおにぎりを丁度食べ終えたところで、食後のお茶を楽しんでいるところだった。お茶とは言っても車内販売で売られているペットボトルのお茶であり、優雅なティータイムとはほど遠い内容になる。

 

ペットボトルに口を付けながら、改めてスケジュールに目を通していくと、ほぼ毎日のようにある夜間の見回りに骨が折れそうになる。これも教師の仕事とはいえ、中途半端な睡眠は朝の体調に直結するが故に、出来ればきちんと睡眠はとりたいと本音は思う雄だが、彼だけにわがままが許されるはずもない。

 

シフトに出てくる『風見雄』の名前に、ため息をつきながらスケジュール帳を閉じた。

 

乗車してから小一時間ほど経つが、今のところこれといった出来事は起きてない。東京から京都までは新幹線ひかりで二時間半、新幹線での移動もようやく半分を折り返そうとしていた。このまま何も起きずに京都に到着してくれればと平穏無事を思う雄だが、一旦は見回りに行こうと席を立つ。

 

京都までの間は特に何か指示を受けているわけではなく、ある程度までは自由に動くことが出来る。多少車両周辺の見回りに出掛けて仕掛けられているものがないかどうかの確認をしといて損はない。むしろ罠をそのままにした方が今後に悪影響を及ぼす可能性もある。

 

 

「あや、お兄ちゃん。どっかいくのかえ?」

 

「おう、木乃香。ちょっと見回りに行ってくる。うちの生徒が別の車両とかでふざけてたら問題になるし……ってあ! そういえば、ありがとうなおにぎり。さっき食べたけど凄く美味かった」

 

 

立ち上がり、通路で鉢合わせたのは木乃香だった。この後の自身の予定について伝える雄だったが、おにぎりの件でのお礼を思い出し、改めて感謝の気持ちを伝える。朝食を取らず出てきた雄は案の定、駅前での朝礼の時から空腹に襲われていて、もし木乃香がおにぎりを作ってなかったら魂が抜けて仕事もままならなかったことだろう。

 

 

「よかった! センセたちの集合は朝早いって言うてたから、もしかしたら食べてないんやないかっておもて……」

 

「いや、マジで助かったよ。木乃香のおにぎりのお陰で今日一日頑張れそうだ。何ならここから走って京都に行けるかもな」

 

「ややわぁ、大袈裟すぎるでお兄ちゃん」

 

 

ちょっと例えが大げさすぎたか、木乃香は笑いながら突っ込みを入れてくる。くだらないジョークでも本心から笑ってくれるところが、木乃香の人の好さがにじみ出ていた。

 

 

「ははっ……ん?」

 

 

人の好さがにじみ出ているのは分かったが、彼女の笑顔にいつも程の力がない。気のせいかとも思ったが、普段の笑顔と比べると、若干影が差しているように見えた。

 

木乃香の性格上、小さなことでは挫けることはまずない。雄が初めて会った時、同世代と遊ぶことが出来ずに過ごしていたが、浮かべる笑顔に影が差すことは無かった。

 

歳月を経て彼女の内面が大きく変わったのか。仮に変わったとしても、何の兆しもなくこのような状態になるとは思えなかった。

 

昨日会った時も別段変わったところは無かったし、今日の午前中に何かがあったのだろうか。刹那との一連のやり取りを見ておらず、雄にはどうして木乃香が暗くなっているのか理解出来ずにいた。

 

どの道、二人のやり取りに関して第三者として口を出すつもりは雄にも無いため、一旦は深く理由を聞かずに胸の中へとしまう。

 

 

「とりあえず京都に着くまでまだ一時間くらいあるし、木乃香もカードゲームでもやってきたらどうだ?」

 

「お兄ちゃんも今は仕事中やもんなー。また後で時間ある?」

 

「あぁ。基本今日はベタでクラスに張り付くから、ある程度は時間作れると思うぞ」

 

「それなら後で行くなー。ちょっと夕映のとこいってくるわー」

 

「了解」

 

 

木乃香と別れて、改めて三年A組の車両を後にする。他にも四クラスがこの新幹線には乗車しており、新幹線の何両かは麻帆良学園で完全に貸し切っている状態だ。その先頭に三年A組の車両があるため、進行方向に向かって歩いて行くと先頭車両へと行き着く。

 

見回りとは言っても万が一に備えてのためだけであり、そこまで時間を掛けるつもりは無かった。一般車両と麻帆良学園貸切の車両の連結部分に出ると、壁にもたれ掛かりながら立つ刹那が居る。

 

が、こちらもどこか元気が無いように見えた。

 

 

「よう、刹那。どうしたんだこんなところで」

 

「わっ!? び、びっくりした。驚かさないで下さいよ……」

 

「そ、そうか? そりゃ悪かった」

 

 

雄としては驚かす気持ちなど微塵もなく、いつも通り声を掛けただけに過ぎないが、上の空の時に声を掛けられたせいで、刹那はいつも以上に敏感に反応してしまったようだ。

 

軽く謝罪の言葉を伝えると、ふぅと一つ息を吐き、いつもの凛とした表情へと変わる。

 

 

「ちょっと先に見回りをと思ってまして。可能性は低いですが、相手が何か仕掛けて来るとも限りませんから」

 

「確かに。特にこの車両近辺での気は感じられないし、先の車両でも見ておこうと思ったんだが……」

 

「えぇ。それが良いでしょう。術式も一カ所だけとは限りませんし、バカ正直に正面から来るとも思えませんから。遠くから何か妨害をしてくるとすると、気の察知も難しそうです」

 

 

この狭い車内で正面から飛びかかってくる可能性は低い。逆に雄や刹那も大きく動けないのも事実。念には念をと考えるのなら、多少なりとも車両別に配置を変えた方が良いかもしれない。

 

幸い周辺の気の流れは雄が追えるが、呪符による術式は、発動までは呪符を目視で確認して剥がすしか対策はない。

 

 

「何があるか分からないし、一旦先の車両まで見てくるよ。そしたら「ひっ、いやぁぁぁ!!」……言ってる側からこれか! 刹那、先の連結部分を押さえろ! 俺は後を押さえる!」

 

「分かりました、気をつけて下さい!」

 

 

不意に車両から聞こえてくる悲鳴の方向を見る二人。突如の異変にも関わらず冷静に判断を下し、先の車両に刹那を、後方の車両に雄を配置し実行犯が居た場合は取り押さえようという作戦だった。

 

全長は長くとも、所詮新幹線は密室の匣。時速三百キロ近くで移動する匣から逃げ出すなど、自殺行為に等しい。

 

簡単な指示を伝えると、二人は散開。雄はクラスの車両へと戻ると。

 

 

「なっ……!?」

 

 

座席や通路を両生類、カエルの団体が埋め尽くしていた。苦手な生徒も多く、車内は阿鼻叫喚の渦に包まれており、耐性のある生徒は慌ててカエルの回収に取り掛かっていた。

 

 

「そういうことか。やってくれるぜ」

 

 

どのみちこの騒動を鎮めなければならない。ゲコゲコと鳴いて飛び回るカエルの回収を手伝うべく、一目散にカエルを素手でつかんでいくのだった。



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脅威は側に

「カエル百八匹回収終わったアルよー」

 

 

やれやれと額を拭うしぐさを見せながら、カエルがパンパンに詰め込まれた袋を持ち上げる古菲。袋の中では詰め込まれたカエルたちがゲコゲコと元気に暴れまわっている。それほどの数のカエルが車両内に充満していたと考えると、どんな地獄絵図だろうか。

 

何とかカエル騒動は解決したものの、生徒の何人かと引率教師のしずなが気絶するという事態に、ネギは車両内で深く考え込んでいた。今は各班の人員がいるかどうかの確認をあやかが行っていて、他の生徒は待機といった形になっている。

 

 

(あ、兄貴間違いないぜ! これは関西呪術協会の仕業だ!)

 

(う、うん。でもどうしてカエルなんだろう)

 

 

ネギと相棒のオコジョ妖精のカモは二人で現状の把握に努めていた。何の前触れもなく出現したカエルだが、自然に湧き出たものではないのは明白。潜伏している術者の誰かが今回の騒動を起こしたと考えられる。その術者は関西呪術協会の手先の可能性もあり得る。ただわざわざカエルを召喚した意味が分からずに、ネギは頭を悩ましていた。

 

 

(うーん……ただの嫌がらせか、それとも騒動の隙に何かを狙っていたか)

 

 

念話で会話をする二人だが、何気なくカモの発した発言にハッとした表情を浮かべながら、背広の内ポケットを必死に探していく。何かを狙う可能性があるとすると、修学旅行前に近右衛門から預かった親書もあり得るのではないかと推測した。

 

関西呪術協会の一派からすれば、関東呪術協会からの親書を詠春に渡されれば自由に行動が出来なくなる。つまりこの親書を手渡されることだけは、何が何でも防がなければならない。逆にネギたちはこの修学旅行を円滑に行う上でも、必ず渡さなければならない。それが修学旅行を行う上での絶対条件だからだ。

 

上の左右のポケットを探すもどこにも見当たらずに焦燥感を覚えるネギ。

 

 

「な、ない! 学園長から預かった親書が!」

 

「何!?」

 

 

上のポケットで見つからず、入れた覚えのない下についているポケットを探すと何かが手にあたる。それを掴んで引き出すと見覚えのある手紙が出てきた。親書があったことにほっと安堵の表情を浮かべ、カモは驚かせるなよとネギに言う。

 

しかしたった一瞬の油断が時には命取りになる。

 

 

「えっ……」

 

 

不意に握っていたはずの親書が消えた。

 

親書を見つけたことで周囲のことに気が回らなかったネギは、僅かな隙をつかれて、親書そのものを盗まれてしまう。

 

 

「あーっ、鳥!?」

 

 

まさか人間以外の動物が、正々堂々と物を盗んで行くなんて考えられなかっただろう。どこからか燕の様な鳥が飛んできて奪っていった。ネギたちから逃げるように、鳥は先の車両へと逃げていく。

 

このまま見失えば、親書を届けることが出来なくなる。そればかりは何としてでも防がなければならない。

 

 

(しまった……大切な親書を奪われた!!)

 

「兄貴!! 追うぜ」

 

「う、うん!」

 

 

慌てて逃げ去る鳥を追いかけていくネギとカモ。二人が走っていく様子を不審に思った明日菜が、座席越しに声を掛けるも、制止を振り切って車両を後にした。

 

丁度ネギたちが居なくなったタイミングで、点呼を追えたあやかが明日菜の元へと訪れる。

 

 

「アスナさん、このかさん。桜咲さんがいませんわ」

 

「え……せっちゃんが?」

 

 

刹那が居ないことに首を傾げる木乃香だが、背後から雄が声を掛ける。

 

 

「いや、桜咲ならさっきお手洗いにって外に出たぞ」

 

「あ、あらそうでしたの? それでは問題なく全員いらっしゃいますね」

 

 

雄の言うことに納得したあやかは名簿に丸を付け、自分の席へと戻っていった。あやかが立ち去ったのを見て、雄は二人に疑問を問いかけていく。

 

 

「そう言えば二人はネギ先生はどこに行ったか知ってるか? さっきから姿が見えないんだが」

 

「え? ネギならさっき血相変えてあっちに……」

 

「そうか、ありがとう。助かるわ」

 

「あっ、雄さんストップ! 今は行かない方が」

 

 

前方車両に向かおうとした雄を、明日菜が止めた。

 

 

「え? 何でだ?」

 

「え、えーっと、それは……」

 

 

止められた事に疑問を持つ雄に、どう伝えれば良いのか分からずに口ごもる。ネギが慌てていると言うことは、今回のカエルの件も、魔法によるものではないかと明日菜は推測した。今行ってしまうと何も知らない雄が、魔法の存在を認識してしまうかもしれない。

 

無関係者に魔法の存在がバレてしまえば、当事者はオコジョにされて、強制送還を食らうことになる。それだけは何としても阻止しなければと咄嗟に雄を止めたはいいが、どう言い訳をすればいいのか分からずに黙り込んでしまう。

 

まさか魔法に巻き込まれるかもしれないのでなどと言うわけにも行かず、かといって変に向かわせたところで何かがあっては遅い。どうすればと考える明日菜を余所に、駆けだそうとする雄を今度は木乃香が止めた。

 

 

「お兄ちゃん、待ってーな。しずなセンセも気絶しとるし、流石に引率のセンセが誰もここにおらんのは不味いんやない?」

 

 

木乃香の咄嗟のフォローに明日菜も内心ガッツポーズを浮かべたことだろう。

 

元々いた教師は雄、ネギ、しずなの三人。ネギは前方車両に、しずなはカエルの件があって気絶してしまっているため、今動けるのは雄しかいない。もし雄が行ってしまえば、引率の教師が誰もいなくなってしまう状況になる。

 

木乃香の言い分に、少し考え込む雄だったが、やがて納得したように頷いた。

 

 

「それもそうか。分かった、ネギ先生には電話で連絡を取ることにするよ」

 

 

引き留められたことが分かると、肩の荷が下りたかのように、安堵の表情を浮かべる明日菜。全く騒がせてくれちゃってといわんばかりの雰囲気だが、そんな明日菜を見つめる雄の視線が。

 

 

(引き留めれて一安心って顔だな。ま、前には刹那もいるし大丈夫だろう)

 

 

と、明日菜の真意は全て筒抜けの状態だったが、あえて言わずに平静を装った。

 

 

「ところで雄先生。このカエルどうすれば良いアルか?」

 

 

自身も一旦座席に戻ろうとしたところで、古菲に声を掛けられて立ち止まる。車両内のカエルの捕獲を捕獲したまでは良いが、どこに渡せば良いのか分からず、古菲は困惑した表情を浮かべながら確認してきた。

 

京都まで彼女に持たせるわけにも行かないし、かといってどこかに預ける訳にも行かない。術式が組まれた低級式神で、害らしい害はほぼ無いに等しいが、どうにかして処分が必要だろう。

 

幸いカエルたちには袋を破く力は無いようだし、一旦巡回する車掌にでも預けて、ネギに取りに行って貰うのが無難か。

 

 

「……あぁ、貰うよ。これは俺から車掌にでも渡しとく。ここに置いておいても嫌な気分になるだけだからな」

 

「ん、わかたアル」

 

 

古菲から口を閉じたまま袋を受け取ると、外に出ないように縛った。

 

 

「一旦車掌に預けてくる。渡してくるまでの間の管理は雪広に任せるから、ちょっとだけ待っててくれ」

 

 

一言だけ伝えると後部側へと向かい、誰も追ってきていないことを確認すると、片手を袋の下で支えるように付く。

 

……本来式神であるカエルを車掌に渡したところで、何も出来やしない。それに先方側が召喚した式神ゆえに、放っておけば必ずこちらを追尾してくることだ。だが、人が見ている前で行動を起こすわけにもいかず、適当な言い訳を述べて、明日菜たちから離れた。

 

連結部分には幸いなことに誰もいない、後方には同じく修学旅行に来ている他のクラスがいるだけで、トイレ以外の目的で立ち寄る生徒が来る可能性は皆無に等しい。そもそもこの連結部分はトイレがなく、その可能性も消える。

 

 

「……」

 

 

目を閉じたまま、支える手に力を籠める。ほどなくして袋の下部がほのかに発光を始めた。

 

それと同時に今まで鳴き続けていたカエルたちの鳴き声が徐々に小さくなっていく。一匹、また一匹と確実に鳴く数は瞬く間に減っていき、百匹以上居たカエルの鳴き声はピタリと止んだ。

 

袋の中で暴れ回っていた姿はどこへやら、今では鳴き声はもちろんのこと、暴れ回ることもなかった。

 

 

「これで大丈夫か。さて、後はこれをネギ君に……」

 

「風見先生!」

 

「っと、どうしました?」

 

 

戻ろうとするのと同時にネギが駆け込んでくる。

 

相当に急いでいたらしく、まるで出発前の電車に駆け込んでくる様子を思わせた。一瞬自の感情が出そうになるも抑え込み、いつもと変わらない様子でネギと接する。

 

 

「あの、カエルが入った袋を風見先生に渡したって聞いたんですが……」

 

「それでしたらこちらに」

 

 

用意していた袋をネギへと渡す。口は開かないように閉ざしてあるため、下を抱えたまま渡した。

 

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 

貰うまでは良かったものの、雄から手渡された途端に袋の中身に違和感を感じたネギは、疑い深く袋を上下に揺らす。

 

 

「あれ、何かやけに静かじゃ無いですか? それに心なしか軽い気が……」

 

 

先ほどまでは袋を持っていたのが古菲であり、ネギが持っていたわけじゃないことから、元の重さがどれくらいなのかを確認する事は出来ないが、カエルが入っているにしては軽く、車内に響きわたるほどの声で鳴いていた声が聞こえない。

 

鳴き声が聞こえないのは聞こえないのは、既に雄が中にいるカエルたちに細工を施したからだった。式神形態を解除するための術式を気を介して袋の中に送り込み、通常の紙の状態へと戻す事が出来る。

 

一定の外傷が加えられれば、自動的に紙の状態へ戻るものの、袋に入ったカエルを紙に戻すためには、力一杯袋をぺしゃんこにしなければならない。袋には潰した形跡はなく、回収した時と何ら変わらない状態にも関わらず、鳴き声が無くなるのはおかしい。

 

不思議そうに袋を眺めるネギだが、あくまで雄は知らない振りを貫き通す。こちらから魔法関係者であることを伝える必要はない、あくまでネギが気付くまでは黙りを決め込むつもりだった。

 

とはいえ、少しくらいはアドバイスを伝えた方が良さそうだ。修学旅行だと浮ついているのは分かるが、現に先方が行動を起こしてきている以上、身構えた方がいざという時にも対処しやすい。

 

考え込むネギの隣に立ち方を叩くと、去り際にネギだけに聞こえるように小さく囁いた。

 

 

「……多少なりとも周囲に動きがある。動ける人間は限られてくるわけだから、用心して損は無いと思いますよ、ネギ先生」

 

「へ?」

 

 

意味深なアドバイスに、ネギが反応する前に雄は立ち去ってしまう。

 

様々な疑念と思惑が渦巻く修学旅行。

 

果たして無事に終えることが出来るのだろうか。

 

一人残されたネギは、ただただ不安に駆られるだけだった。



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いざ、京都へ

「……」

 

 

───気をつけた方がいいですね、先生。特に……向こうに着いてからはね。

 

───……多少なりとも周囲に動きがある。動ける人間は限られてくるわけだから、用心して損は無いと思いますよ、ネギ先生。

 

 

二人の声がネギの頭の中から離れない。それほどまでに印象的かつ、この現状を一言で物語る言い方であり、まるで全てを見通されているかのような錯覚に陥っていた。刹那と雄と続けざまに忠告を受けて、脳内の思考が一気に真っ白になっていく。何を信じていいのか分からない、周囲から仲間が一斉に消え去った感覚と言えばいいのだろうか。

 

二人が果たして味方かどうかは分からないが、怪しい存在に認識されたことは事実。仮に敵だったとすれば、これまで以上に気を配らなければならない。果てしなくグレーゾーンに近い存在である二人が、四泊五日の修学旅行にどう影響してくるのか想像も出来なかった。

 

呆然と立ち尽くすネギに、先に我に戻ったカモが声を掛ける。

 

 

「お、おい兄貴、何やってんだよ! 今のどう見ても怪しいだろ!」

 

「へ……え?」

 

「え? じゃなくてだな。明らかにおかしいだろうよあの二人!」

 

「ふ、二人って風見先生と桜咲さん? で、でもこれといった証拠は……」

 

 

ないと言い切ろうとしたものの、二人が怪しいことには変わらない。とはいえ二人が敵である証拠がない以上、一方的に決めつけることは出来ない上に、仲間であると言い切ることも出来なかった。中途半端なもやもやとした感情が渦巻くせいで、どうにも気分が悪い。

 

逆に確固たる証拠があれば敵だと言い切ることが出来るのだから。

 

そういえば回収したカエルはどうなったのか。袋には潰した形跡も、開封してカエルを出した形跡もない。見た感じ雄が袋に手を加えた形跡はなさそうだが。

 

もし中身を覗いて折角集めたカエルが跳び出して来てしまったら元も子もないが、中身を確認せざるを得ない。本当に雄が式神を逃したのであれば、それは敵であることを決める確固たる証拠になる。後々事実が判明して、取り返しがつかなくなっては遅い。これも教師であり、親書を届ける上での仕事だと割り切り、静かになった袋の中を恐る恐る開封していく。

 

 

「ん、あれ!?」

 

 

袋を開けたネギは驚きを隠せなかった。

 

あれほど溢れかえっていたカエルの大群は全て式神の媒体状態、紙の状態へと戻されていたからだ。中身に手を付けずにどうやって紙媒体に戻したというのか、中身を覗いた当初こそ気が付かなかったが、よくよく集中力を研ぎ澄ますと、ほのかに気が残っていた。

 

 

(これは……確かに気の力を感じる。ということはやっぱり風見先生は魔法関係者……?)

 

 

敵ではないにしても雄が気を使えると分かった以上、魔法関係者である事実は否めない。実力があるかどうかまでは分からなくとも、一般世界とは別世界を見たことがある人間、もしくは知っている人間だということは確実。敵だと疑わなければならないのか、それとも本人に直接確認をした方が良いのか。

 

 

 

 

「桜咲の時と一緒だ! やっぱり式神が元に戻ってやがる。奴がカエルの式神の術者だ!」

 

「えぇ!? じゃ、じゃあ!」

 

「そうだ。奴らが西からのスパイかもしれねえぜ! 風見って副担任の身体能力も気の強化によるものだったんだ!」

 

「そ、そんな!」

 

 

カモはスパイの線が高いと推測するも、ネギはまだ信じられなかった。まさかあの二人が……。

 

そうこうしている内にも新幹線は京都に向けてひた走る。いつまでも呆然としているわけにも行かず、一旦クラスの元へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「次は京都、京都です───」

 

 

新幹線内に響きわたるアナウンスが、もうすぐで京都に到着することを伝える。二時間半の移動時間は今を謳歌する少女たちにとっては物足りない一時だったのか、多くがもう着いたのかとしぶしぶ重たい腰を上げ、自分の手荷物を整理し始めた。幸いなことにカエルの件を除けば至って平和な移動時間であり、むしろカエル騒動に関して、既に何人かの生徒は忘れかけている。

 

そんなことよりもこれから学業を忘れて楽しめる時間に対しての期待具合が大きく、例え覚えていたとしてもそこまで気にしていないというのが現実だろう。

 

 

「皆さんー降りる準備をして下さいねー」

 

 

ネギも担任として、降り忘れが無いようにクラスメイト誘導している。先ほど起きた電車内での一件を気にしていないと言えば嘘になるが、業務にまで介入はさせられない。あくまで魔法関係としての問題であり、教員業務とは関係ない。

 

生徒たちもネギの事情は知らないのだから、こればかりは心の奥底に仕舞い込んで平静を装うしかなかった。

 

 

 

「荷物が下ろしにくい奴らはすぐに言えよー、手伝いに行くからなー」

 

 

ネギとは反対側で雄も同じように生徒たちに声を掛ける。彼もまた意味深な一言をネギに告げた一人であるが、業務を行う仕草に変化は特に見られなかった。敵であるならいつ行動を起こしてもおかしくないと考え、あれから気を張るようにしていたものの、変な行動を起こすことは一切ない。

 

それどころか京都に到着するまでの小一時間は、生徒たちに話し掛けたり、クラスで流行っている魔法のカードゲームに参加したりと、率先してコミュニケーションを取っていた。

 

 

「あー鳴滝姉妹。お前らの荷物は取ってやるから無理して取ろうとするな、落ちてきたら危ないし」

 

 

そのままでは荷物棚に届かないために、座席に乗ってカバンを取ろうとするのを制し、代わりに自分が取りに行く。些細な気遣いをしている姿を見て居ると、とても敵だとは思えない。演技をしている可能性がゼロとは言えないものの、分け隔てなく接している姿を見ると演技には到底見えなかった。

 

 

(ホントに、敵なのかな? カモくんは間違いないって言ってたけど……)

 

 

やはりそうは見えない。

 

刹那に関しては元々人付き合いを好む傾向にはないせいで不鮮明な部分も多く、ネギとしても把握しきれていない部分もあるが、雄の行動を見る限りはクロとは言えない。

 

 

「雄先生ありがとー!」

 

「はは、こらこら引っ張るなっての」

 

 

(うーん……ん?)

 

 

京都到着が近づくにつれてがやがやと賑やかになる車内の影に隠れ、こちらを静かに見つめる姿が一つ。向こうもネギが見たことに気付いたようで、サッと視線を逸らしてしまう。彼女の、刹那の挙動だけで判断するのなら、最もスパイ候補に近いだろう。

 

 

「ネーギくん! もうすぐ着くよ? なーに堅い顔してるの?」

 

 

近くに居た桜子に気難しい顔をしていたのを悟られ、ネギは慌てて我に返る。

 

 

「あ、いや。ハハッ、すいません。では皆さんいざ京都へ!!」

 

 

改めて一同は古都、京都の地に足をつく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「刹那、どう見る?」

 

「今回はただの嫌がらせで、混乱を招ければ良い……くらいの考えではないでしょうか。あわよくば親書を盗めればといったところですかね」

 

 

京都駅に到着し、点呼も終わったところで合流した雄と刹那は、新幹線内で起きた一連の騒動に関して考察を重ねていた。ここからバスに乗って京都内を散策する流れになるのだが、バスの搭乗時間まで時間があるということもあり、各々分かれて別行動をとっている。

 

本来なら班別で行動するのだが、刹那の場合はトイレに行くと言ってこっそりと班を抜けて来た形になる。当然その際に木乃香に話し掛けられるも、軽く一礼をして出てきてしまったらしい。流石にそれはダメだろうと雄に突っ込まれるも、やはり身体が勝手に反応してしまうそうで、どうしようもない様子。

 

数分ほど落ち込んでいたものの、落ち込んでいたら話にならないと、気持ちを切り替えて新幹線内の状況報告を雄に伝える。

 

彼女の報告に何度か相槌を打ち、どこか満足そうな笑みを浮かべながら聞く。考えていることが同じで良かったと安堵しているようにも見えた。

 

 

「ふむ、ほぼ同じか。とりあえず、地味な嫌がらせ程度で収まっている。今日一日は団体行動だし、周囲に危害が無いように見張っておこう」

 

「そうですね。正直、新幹線内での一件で突拍子もないことをやってくる可能性も分かりましたし、少し気を張った方がよさそうです」

 

 

話としてはある程度同じような考え方であり、この後しばらくは気を緩めずにやっていくといった結論でまとまった。

 

 

「ところで、ネギくんは刹那の目にどう映った? 率直な意見を聞いてみたいんだが」

 

「ネギ先生ですか? うーん、何と言えばいいんでしょう」

 

 

話題を仕事の話からネギの話へと振り返ると、意外といった表情を浮かべる刹那。率直に言って欲しいと言われてどこか言いずらそうに口ごもる。まだ刹那の中でネギのイメージが漠然としていること、更に大切な親書を不意打ちとはいえ式神に盗まれるところを目撃しているせいで、やや不甲斐なさが目立っていることで、評価自体は及第点といったところか。

 

 

「よくも悪くも年相応で不相応……ですかね。ちょっと頼りない印象は否めないですが」

 

 

年齢的には十歳。良く言えば十歳という年齢で頑張っているという評価がある反面、重大な事柄では頼りない一面も見せてしまっているということになる。決してネギをマイナスに見るわけではなく、裏の仕事を請け負う視点から客観的に判断するとそのような判断になる。

 

そもそもネギが裏世界に関わって自ら問題解決に走るのは今回が初めてであり、イレギュラーに慣れていないのは当然。頼りなく見えたところで仕方が無かった。彼のフォローのために刹那や、雄がいる訳であり、この任務は近右衛門

もそこを見越して、ネギに任せている。

 

雄はふむふむと刹那のネギに対する評価に頷く。

 

 

「そうか。なるほど、刹那はそう思ってたのな」

 

「あっ、あくまで私の個人的な見立てなので。い、言わないで下さいね?」

 

 

まさか今のをまんまネギに伝えるつもりなのかと、確認をする刹那に雄は思わず突っ込みを入れそうになる。第一印象が適当なイメージのせいで、所々信用ならないと思ってしまう部分が刹那にはあるようだった。

 

 

「いわねーよ。言ったら自分から魔法関係者だって言っているようなものだし、そこはネギくんに自力で気付いてもらうさ。もうだいぶヒントは与えているしね」

 

「ヒントですか?」

 

「そ、ヒント。この修学旅行、ネギくん一人では乗り切れない。現状のネギくんは俺や刹那に不信感を覚えている……違うか?」

 

 

雄の返しにコクリと頷く刹那。そこは自分でも良く分かっている。先ほどの式神を撃退したのも、婉曲して刹那が召喚したのではないかと疑いを掛けられていることも。

 

影でこそこそと行動する以上疑われるのは承知の上だが、下手な探り合いでつぶし合いになったら元も子もない。

 

 

「だからこそだ。こちらからネギくんに正体を明かすのは簡単だろう。だが、それを周りで誰かに聞かれていたら先手を打たれる可能性だってある」

 

 

どこで誰が聞き、見ているかなんて分からない。今自分たちから正体を伝えに行くのはリスクがある。極力火種になりそうな事柄は潰しておきたかった。

 

 

「後は、これを刹那に渡しておく。修学旅行期間中、本当にどうしようも無い時に使ってほしい」

 

「これは……何かの呪符ですか?」

 

「そ。まぁ普段はお守り代わりに持ってくれ。使うことも無いと思うしな」

 

 

ただこれから先、雄と刹那が分かれて行動しなければならない機会は出てくるはず。懐から一枚の小さな札を刹那へと預けた。複雑な術式が二重、三重書かれており、刹那が目を凝らしても何が書いてあるのか読み取ることが出来ない。

 

それに効力を説明されず、お守り変わりと言われても困るものがある。普段は使うなということだろうか、少し考え込むも折角くれたのだからと断り切れずに、札をしまった。

 

 

「さ、そろそろ行くぞ。トイレに行くって伝えて来たなら、戻らないとマズイだろ?」

 

「え、は、はい。そうですね」

 

 

 

 

修学旅行は始まったばかり。

 

先の見えない未来に、舞台はいよいよ清水寺へと移る。



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I can fly 清水寺へ

「せんせー早くいこうよ!」

 

「待て待て、お前ら歩くのはえーんだって!」

 

 

バタバタと清水の一角を駆けていく三年A組の生徒たち。元気に走り去る後を小走りに追うのは雄、学生の元気さには着いていけないのか、苦笑いを浮かべる表情には疲れが見えた。

 

もっとも体力的な部分での疲れではなく、気疲れであるといったことには現状誰一人として気付いてはいない。

 

清水寺と言えば清水の舞台が有名であり、生徒の一人、長瀬楓が足を掛けて飛び降りようとするのをあやかが必死に止めている。

 

綾瀬夕映曰く、意外にも生存率は高いそうだが、リアルな数値を出されても何か複雑なところがある。ぺらぺらと皆野知らない知識を並べる夕映に対して、変な人がいると驚きの眼差しを向ける明石裕奈だが、早乙女ハルナは平常運転だと告げる。

 

奥の深い日本の伝統文化に、何度も頷きながらメモを取るネギの姿を見ると、本当に日本の文化が好きなんだと改めて知ることが出来た。日本文化に関心するネギを、今度は生徒の何人かが別の場所へと連れて行こうとする。

 

 

「ほらほら、ネギくん! いこー!」

 

 

背中を押されて半ば強引に連れていかれるネギの後姿を遠巻きに見つめるのは雄。腕を組みながら柱に背を持たれ、自分の幼い弟を見るような眼差しを向けて見守っている。

 

 

「相変わらず元気ね、うちのクラスは」

 

「あぁ、むしろこうじゃないとな。明日菜も騒ぎたいなら混ざってきてもいいんだぞ?」

 

 

缶ジュースを持ちながら雄の近くに寄ってくる明日菜に、混ざってくればと伝えるも苦笑いを浮かべながら首を横に振られる。色々と楽しみたいのは山々だが、そこまでぶっ飛んで遊ぶほどアクティブではないらしい。

 

 

「私はあーいうのはガラじゃないしね。遠くから見つめることにするわ」

 

「そうか。まぁ、あそこまでぶっ飛んでるとちょっとついていけないわな。俺も若かったら全然ありなんだけど……」

 

「いやいや、まだ雄さん十分若いでしょ」

 

 

何言ってんのと突っ込みを入れる明日菜にケラケラと笑ってみせる。流石に女性集団の中に割って入って騒ぐ勇気はなかった。さて、これからどうしたものかと腕時計を見る。清水寺に来てから数十分が経つが、今のところ何かが起こっている兆しはない。

 

午後の状況に応じては多少行動を変えようと思っていたものの、特に変わりなく時間だけが過ぎていた。むしろ平和すぎていいことではあるのだが、逆に今後反動が来るのではないかと思ってしまう。

 

うーんと考え込む雄だが、そんな雄の背後に忍び寄る影。敵意がないせいで雄の注意も完全に散漫になっており、あっけ無く、影の接近を許してしまう。影の人物はニヤリと微笑むと手に持っている何かを、雄の頬に当てた。ヒヤリとした冷たい何かが押し当てられ、突然の冷気に我慢出来ず、思わず声を上げる。

 

 

「冷たっ!?」

 

 

想像以上に声が大きかったのか、周囲の人間も何事かと雄の方を振り向く。大の大人が場にそぐわない声を上げたことで、好奇の視線が一斉に降り注いだ。マズいとおもった時には既に遅く、何人からかクスクスと笑い声が聞こえる。

 

これでやった相手が男性ならば雄も容赦せずに突っ込んでいただろうが、振り向いた先に映った姿に思いとどまってしまう。

 

 

「驚いた?」

 

「ああ、びっくりした。木乃香か」

 

 

木乃香だった。

 

してやったりと言いたげな笑みを浮かべながら、キンキンに冷えているコーヒーを雄へと差し出す。どこで買ったのか、少なくとも自動販売機で買ったような冷え方ではない。

 

 

「お兄ちゃんコーヒー飲む? 出店で飲み物買ったら、サービスでつけてくれたんやけど……」

 

 

缶のラベルから判断するに、ブラックコーヒーのようだ。独特が苦みがあるせいで、好き嫌いが大きく分かれる。木乃香の世代だと甘いものが好きな女性も多く、苦いコーヒーは口に合わない、飲めない方が多いはず。言いづずらそうにしているあたり、木乃香も飲めないように見えた。

 

雄の好き嫌いは一切確認していなため、雄がコーヒーを嫌いな可能性もある。若干いつもより言いづらそうなのは、分からないからだろう。

 

 

「え? マジで貰っていいの?」

 

「あ、うん。ウチもう自分のあるし、苦いのはちょっと苦手で……」

 

「そっか、ならもらうよ。ちょうど喉も渇いていたし」

 

 

差し出されたコーヒーを嬉しそうに貰う。雄の反応に目を何度も瞬きしながらも、やがて手を合わせて嬉しそうに微笑みを浮かべた。

 

 

「なんか雄さん、本当の木乃香のお兄さんみたいですね」

 

「アスナみたいちゃうで、ウチのお兄ちゃんや」

 

「ははは、こんな可愛い妹なら大歓迎だなぁ」

 

 

容姿端麗、頭脳明晰、家事万能におまけに性格良しとまで来た。ここまで理想的な妹がいるだろうか、世の男性からすれば喜んで招き入れること間違いない。

 

缶の蓋を開けて中のコーヒーを口の中に入れた。本来なら水かスポーツドリンクが好ましいところだが、人から貰ったものにいちいちケチをつけても仕方ないし、雄自身コーヒーは嫌いではなく、好きな部類に入る。渇いた喉を潤すコーヒーがいつも以上に美味く感じるのと同時に、想像以上の喉の渇きを感じた。

 

清水寺は死角になる部分も多く、どこに誰が潜んでいるか分からない。ネギのサポートとは別に掛かる負担は並ではなく、気付かぬうちに口の中はカラカラに渇いていた。

 

 

(俺もまだまだ甘いってことか。思った以上に気を張り詰めているみたいだ)

 

 

生きている時間も長ければ、こなした裏の仕事の数も多い。それだというのに想像以上に気を張り詰めているということは、まだまだ自分の実力が未熟であることを悟る。表情にこそ出さないものの、彼自身が思う部分は多いみたいだ。

 

と、思っている間に周囲から自クラスの生徒たちがほとんど居なくなっていることに気付いた。先ほどまで隣に居たはずの明日菜まで居なくなっている。

 

少し話が長すぎたか、集団行動だからあまり離れると迷惑を掛けてしまう。

 

 

「あれ、みんなもしかして行っちまったのか?」

 

「そうみたいやね。あらら、ウチら置いてきぼりかいなー」

 

「ま、すぐに追いつけるさ。あまり時間かけても仕方ないし、俺たちも行こう。後コーヒー美味かった、ご馳走さん」

 

「あはは、ありがとう。せやね、いこかー」

 

 

木乃香は無意識の内に雄の手を握りしめる。彼女の仕草に気付き、雄はほんのりと顔を赤らめた。いくら妹みたいな存在とは言っても血は繋がっていないし、木乃香は女性。

 

いきなり手を繋がれれば驚くし、人前であるが故に恥じらいも持つ。極めつけは二人が教師と生徒という関係図にもなっているせいで、話が拗れると色々問題があった。

 

幸いクラス内で、過去に会って遊んだことがあることは知られていて、本当の兄妹のような関係なのは周知の事実であり、手を繋いだくらいでは何とも思われない。からかうのが好きな人間からは『お熱いですね』くらいの声は掛けられても、それ以上のことは一切無い。

 

ここは京都。更に二人の関係を知らない生徒も点在する上に、ネギを除いた他の教師たちは二人の関係を知らない。教師や他クラスの生徒にバレたらマズい。雄も木乃香もそこについて十分に分かっていた。しかし今は周りに誰もいない。

 

多少なりとも彼に甘えても良いのではないかと判断し、木乃香は雄の手を握った。

 

 

「お、どうした急に。寂しくなったのか?」

 

「んー? えへへ、こうやって手を繋ぐの夢だったんよ」

 

 

親族以外の男性の手を握り締めるなんてかつては考えられなかった。幼少期はもちろんのこと、現状の学生生活も異性と関わる機会などほとんど無い。かといって年頃の女性が抱える要望や、願望が全くないわけではなかった。木乃香だって年相応の恋愛事情に対して興味はあるし、いつかはしてみたいとは思っている。

 

前もお見合いに対して、将来のパートナーを探すのは早いと言っただけで、彼氏や恋人が早いと言ったわけでは無かった。手を繋ぐのが夢だと言う木乃香に、少し考え込みながら雄が言葉を被せる。

 

 

「夢だったのに、繋ぐ相手が俺なんかでよかったのか?」

 

「あーん、ちゃうちゃう。お兄ちゃんだからよかったんよ」

 

 

大切な夢なのに、相手が自分みたいな男でよかったのかと。彼からすれば、何年も相手を作らずにフラフラとしているような人間で夢をかなえてしまっていいのかと、申し訳なさから言ったつもりだったが、その意見を即答で木乃香は否定した。

 

歳の差は離れていても、自分にとっては一番最初に『誰かと遊ぶことの大切さ』を教えてくれた異性であり、いつか話してみたい、会ってみたいと思っていた人物に、奇跡的に出会えた。自身が尊敬する人とこうして手を繋げて嬉しくないはずがない。

 

木乃香にとって雄と手を繋ぐことは、幼少時から抱き続けてきた夢の一つがかなったと言っても過言ではなかった。それだけ彼女の中で雄の存在が大きいものだと実感させると共に、異性として意識させる相手だということを表していた。

 

 

「そりゃ光栄だ。木乃香みたいな可愛い子と手を繋げるだなんて」

 

 

異性としての認識は雄にもある。

 

だが、それを共に居たいという好意の眼差しで見ているかどうかで判断すると違う。あくまで妹的な存在として可愛がることはあれど、恋愛をしようとは考えていない。手を握られたり、抱き着かれたりして恥ずかしく思うのは人前だから。

 

二人が初めて再会した時も、木乃香に抱き着かれたものの人前ではないことから恥ずかしがることは無かった。

 

 

(おかしいな。こんなかわいい子と手を繋いでいるのに全くドキドキしないだなんて)

 

 

単純に鈍感なだけなのかどうなのかは分からない。もしかしたらとうの昔に人に対する恋愛感情全てを置いてきてしまっているのかもしれない。

 

そんな心当たりは……。

 

 

(恋愛感情か。そんなもの、とっくの昔に置いてきたはずなのに何で今更考えるんだろうか)

 

 

あった。だが、昔の一切を語ろうとしない。

 

誰にも伝えることのない、彼だけの秘密。闇はどこまで広がっているのか。

 

 

「むぅ、またお兄ちゃん変なこと考えとる」

 

「こらこら、人の心を勝手に読むんじゃない」

 

 

雄の醸し出す雰囲気で変に悟ったらしく、ムッと頬を膨らませながら顔を覗き込んでくる。

 

 

「だって、お兄ちゃん。表情にはでーへんけど、何か考えとると絶対に黙るんやもん」

 

「そりゃ俺だって考え事はするさ。こう見えても一応教員ですから」

 

 

忙しいんだぞ、と付け加えるものの説得力はあまりない。教師らしからぬ学生よりの考え方や行動がそのようなイメージを染み込ませていた。おまけに髪型に関しては到底教師に見えない、男性教員で何人顎までもみあげが伸びている教員がいるか。麻帆良学園の制服を着たら完全に生徒そのものである。

 

 

「……でもお兄ちゃんが教師ってやっぱりイメージわかないなぁ。ウチからするとホンマに同世代の友達みたいな感じやし」

 

「逆に変に教師っぽく見られたくは無いな。むしろ同世代の友達みたいな感じで見てくれた方が、俺としても接しやすいし木乃香たちも接しやすいだろ? って立ち話している場合じゃなかった、そろそろ行かないと皆に心配されるし行くぞ!」

 

「あっ、待ってえな!」

 

 

皆の後を追うように、場を後にする。

 

それと同時に二人の背後に現れる黒い影。影は二人の方向へ進もうとしながら、やがて消失した。

 

 

修学旅行初日はまだまだ続く。



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酔っぱらい一行と意外な彼女

「あの……ネギ先生? これは一体どういうことですか?」

 

「か、風見先生! こ、これはですね! 何人かが疲れて寝てしまったというか!」

 

 

何ということをしてくれたのでしょう。

 

客観的な立場から見ればそう見えるであろうこの悲惨な状況をどう説明すればいいのか、非常に頭を悩ませていた。クラスの中では恐らく最後尾にいた俺と木乃香は適度に周囲を観察しながら、音羽の滝にて生徒たちと合流。

 

……したまでは良かったのだが、飲めば恋愛の運気が上がるともいわれる縁結びの滝の水汲み場には、顔を真っ赤にして寝込んでいる生徒たち。それも全員が全員三年A組の生徒と来た。何をどうすればこうなるのかと頭を抱えるも、寝込んでいる理由は直ぐに分かった。

 

鼻をさす独特なアルコールの匂い、お酒だ。

 

何でも俺がいない間に飲めば恋愛運が上がる噂話を信じて、縁結びの滝の水をこぞって飲み始めたそうだが、飲んでいくにつれて生徒たちの顔は真っ赤に。飲んだタイミングで水にしては味がおかしいと気付いた生徒も何人かいただろうが、運気の上昇がある水だから多少変な味がしてもおかしくはないと、酒だと微塵も疑うことなく飲み続けた結果、酔いつぶれてしまった。

 

いくらアルコール耐性がある人間がいたとしても限度はある。それも度数の高い酒をハイペースで飲み続けていれば確実に潰れる。ネギくんが異変に気付いた時には時すでに遅く、水だと信じて疑わず飲み続けた生徒は全員潰れ、死屍累々の見るも無残な現状に。今はさすがにそのままには出来ないと、素面の生徒たちと近くの休憩所まで酔いつぶれた生徒を運び、休ませていた。

 

いまいち現状を把握出来なかったことで説明を求めるも、生徒たちがお酒を飲んだという事実を隠したいのか必死に言い訳を並べる。ネギくんとしても生徒が無意識でもお酒を飲んだ事実を、隠したいのだろう。バレたとしたら修学旅行中止、下手をすれば停学も免れない。

 

経緯を悟り、必要以上に掘り進めようとはしなかったが、どうしてただの水がお酒にすり替わっていたのか、問題はそこにある。

 

 

「ん? なんかお酒臭くないですか?」

 

「あー!! 瀬流彦先生! そこの甘酒ですよ甘酒!」

 

 

潰れている生徒たちを休憩所まで運び、ようやく一息つくと思いきやそうも行かず。近くを通りかかった新田さん、瀬流彦さんの引率教員二名がアルコールの匂いを嗅ぎつける。新田さんに関しては生徒が休んでいる方の香りを何度も嗅ぎ、匂いの出所を探そうとした。

 

最終的には明日菜まで割って入り、近くで売っている甘酒の匂いですよと誤魔化し出す始末。二人が必死に誤魔化している後ろで綾瀬が猛烈な往復ビンタを雪広にかましているが、酔いつぶれた雪広には痛みもただも心地よく感じるのか、満足そうな顔を浮かべながら寝ている。

 

 

「……嫌がらせが増え始めてるか」

 

 

縁結びの滝の水が酒にすり替えられたのも恐らくは嫌がらせの一つだと思われる。

 

直接的な実害は薄いが、新幹線でのカエルの件に続き清水寺でも二件。滝の水以外にも落とし穴を掘られたらしく、連続で起きている。地味な嫌がらせでこちらの気を引き、集中力を無くそうとでも考えているのかもしれないが、ただの嫌がらせで集中力が切れるほど、俺も刹那も柔な鍛え方はしていない。

 

ただ今回の嫌がらせは決して許せるものではないということ。無意識のうちに酒を飲まされたことで、彼女たちは進級の危機にまで晒されている。それに偶々出なかったが、体質によっては急性アルコール中毒になってもおかしくない量を飲んでいた。

 

常識で考えて、あり得ない。

 

嫌がらせにも限度がある。次は真っ向から向かい合う形になる、情けをかける必要は無い。徹底的に潰す。

 

 

「あ、あら風見先生。これは一体?」

 

「え?」

 

 

今後の対策を考えていると偶々通りかかったしずなさんが異変に気付き、休憩所近くまで近寄って来た。背後で酔いつぶれている生徒と、俺の顔を交互に見るが、生憎俺は何もやっていない。

 

下手な誤解をされると後がこわいから、先に誤解を解いておこう。

 

 

「あー、しずなさん。どうやら一部生徒がはしゃぎ疲れてしまったと、とネギ先生から報告を受けてます。バスの方には強引に押し込みますので」

 

「あ、あら。そう? 大変ね、雄くんも」

 

「いえいえ、これくらいなら別に。もうそろそろ旅館に向かう時間だと思うので、生徒たちをバス乗り場に集めときます」

 

「わかったわ。頑張ってね」

 

 

激励の言葉を受けつつも、ネギくんを盾に使ったことと、盛大に嘘をついたことに関しては申し訳ない気持ちしかない。

 

一旦気持ちを切り替えよう。これからもう一度バス乗り場までの道のりを運んでいかなければならない。ここにいる全員を運ぶとなると結構な手間にはなりそうだが、事態が起きてしまった以上は仕方ない。酔いの回り方的にも戻るのは明日だろうし、今日に関しては大人しく寝てて貰おう。

 

今日に関しては騒がしさも薄れるだろうし、日程の中ではゆっくり出来る唯一の時間と思えばプラスに働く。ポジティブ思考であればなんとかなると誰かが言ってたし、何とかなるはず。

 

 

「あ、先生。ちょっといいですか?」

 

 

間髪入れずに背後から誰かが声を掛けてくる。あまり聞き覚えのない声に、振り向くとそこには長身の生徒が立っていた。こうして面と向かって話すのは初めてかもしれない、大和撫子を体現するかのような美人。スラリとしたスタイルと、立ち居振る舞いから端から見ると大人の女性を連想させる。

 

名は大河内アキラ、常に四人組でいるイメージが強い。

 

この後どのようにすればいいのか、困った顔をしながら、俺に声を掛けてきた。

 

 

「どうした?」

 

「あの、これからどうすればいいですか? もうすぐバスの時間なんですけど……」

 

 

沈黙の後は言わずもがな、彼女が振り向く先には酔いつぶれの集団が。バスの時間が近くなったことを彼女自身も把握しており、何とか行動を起こそうとするも、自分自身だけではどうしようも出来なくなり声を掛けてきたみたいだ。普段共に居る他の三人は全員撃沈。

 

ネギくんもクラスの半数近くが酔い潰れる異例の事態に、激しく動揺しており、すぐに的確な指示を飛ばすのは無理に見えた。何よりネギくんだけに負担を掛けたら、今度は仕事で潰れてしまうかもしれない。一旦俺が受けきれる部分は俺の方で処理することにする。

 

 

「時間は少ないけど、二人一組、もしくは一人で運ぶぞ。細かい指示出しは俺がするから、何人か動ける生徒を連れてきてほしい」

 

「はい、分かりました」

 

 

大河内に最低限の指示を伝えると淡々と素早く行動をしてくれた。

 

そこからは早かった。

 

力がある生徒は一人で生徒を抱え、非力な生徒は二人組で抱えるなど効率よくバスの中へと運び込むといった連携を見せ、あっという間に酔いつぶれた全員をバスの座席に座らせることに成功。集合時間の十分前までには全員がバスに搭乗を終えているといった状態で清水寺を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやーマジで助かった! 好きな飲み物持ってってくれ」

 

 

旅館に到着し、無事に生徒たちを自室へと運び終わったところで、ロビーにて手伝ってくれた生徒たちにそれぞれ飲み物を配っていく。皆、飲み物を嬉しそうに受け取り自室へと戻っていった。これから就寝時間までは自由時間になるから、仕事らしい仕事は無くなるため、一旦一息つける。

 

何とかなったとホッと一安心する一方で、これから先大丈夫なのかとやや不安を覚える部分もある。結局今まで嫌がらせはしてきても、相手方が姿を現すことは一度もなかった。清水寺で背後から感じた妙ちくりんな雰囲気も、音羽の滝を訪れた時には既に消失。ただ単に嫌がらせをしたかっただけなのか、相手の意図がイマイチ読めなかった。

 

以前学園で刹那が襲われた時には京都で確実に木乃香を攫うと言われたため、念には念をと今日は常に着いて歩いたわけだが、反応はなく。そうなると考えられるのは皆が寝静まった深夜の襲来か。旅館には京都に修学旅行に来た全クラスが泊っているが、三年A組のいるシマは大半の生徒が酔いつぶれて寝ている。誰かが忍び込んだところで、誰一人気付かない可能性もあった。

 

流石に俺やネギくんが木乃香たちのいる女性の部屋に入るわけにはいかないし、部屋の前で警備をするわけにも行かない。つまり、一番無防備になるのが旅館の部屋でもある。後で刹那と打ち合わせをして旅館の周りに護符の札を張り巡らすなど、相応の対策は必要になりそうだ。

 

そうこうしているうちに山積みにした飲み物はみるみる減り、残り一個。最後に残ったスポーツドリンクを大河内が受け取ると、こちらに受けてペコリと頭を下げた。

 

 

「あ、風見先生。先ほどは助かりました。ありがとうございます、声を掛けてくれて」

 

「いやいや、あれくらい造作もないよ。むしろこっちの方こそ助かった、大河内が声を掛けてくれなかったら周囲に迷惑をかけていただろうし」

 

 

感謝されることをしたつもりはないし、手伝ってもらったのは俺たちの方だ。もしあのタイミングで大河内が声を掛けてくれなかったら、搭乗に間に合わす周囲に迷惑を掛けることになっていた。気の利いた彼女なりの配慮に、こちらの方こそと頭を下げる。

 

 

「気が利くんだな大河内は」

 

「いえ、私なんてそんな。偶々ですよ気付いたのも」

 

 

照れ臭そうに謙遜するも、どこか嬉しそうな表情を浮かべていた。

 

クラスの名簿の写真や授業中や普段の立ち居振る舞いから寡黙なイメージが強かったが、話してみればなんてことは無い普通の女の子だ。むしろ恥ずかしそうにはにかむ姿が非常に可愛らしい。ギャップ萌えってこういうことを言うのかと理解をするも、頷きが表面に出たせいであらぬ誤解を与えてしまったのか、ジト目で睨まれる。

 

 

「……」

 

「な、なんだよ?」

 

「先生、今変なこと考えてませんでした?」

 

「変なこととは失礼な。しっかりしてるなって思っただけだよ。後は話してみて何となく大河内のことが知れてよかったなって」

 

「え……?」

 

 

これもあらぬ誤解を与えてしまったのか、固まったままの顔をさらに赤くさせる。こっちからすれば何の気なしに言ったつもりだったのに、大河内のことがよく知れたと伝えたのがまずかったのだろうか。どこか恨めしそうに睨みながら、プイと顔を背ける。

 

 

「こ、これはだな。特別な感情は無いというか……そ、そう! 口から無意識に出来て! ハッ!?」

 

 

もはや今の発言が失言であったことに、言ってから気付くという間抜けさ、穴があるのなら入りたい。

 

 

「……先生は、そうやって他の女の子も口説いているんですか?」

 

「違う、それは断じて違うぞ! だから俺が言いたいのは……あーもう! 何かごめん!」

 

 

一方的にまくしたてた後に謝るという、もはや年上の威厳など完全にかなぐり捨てた行動に他の生徒や教師が見ていたら目を点にすることだろう。

 

 

「あははっ、風見先生って面白いですね。雰囲気とか授業中のイメージとは全然違う人だったなんて、ちょっと驚きです」

 

「……俺だって人間だからな、そりゃギャップの一つや二つくらいあるもんさ」

 

 

割と女性を勘違いさせてしまう言葉を伝えたのに、気にしていないあたり大河内の心が広かったのだと感謝する。

 

いや、本当に一般世間でやらかしたら笑い事では済まない。

 

今後注意しよう。

 

 

「では皆が心配なので、一旦部屋に戻りますね」

 

「あ、あぁ。初日の移動日で随分疲れただろうし、ゆっくりと休んでくれ」

 

 

部屋へと戻っていく後姿を見守ると、近くのソファにどっかりと座り込む。何だろう、ウチのクラスの誰にも当てはまらない、今頃の女子中学生に見えない雰囲気があった。物静かだからあまり話さないイメージがあったのに、話し始めると結構話すし、何より周囲のこと、人のことを良く観察している。

 

それゆえに同世代の生徒たちよりも一段と大人っぽく見えるのだと思われた。

 

……意外にまだ話していない生徒も多い。

 

そんな生徒の一面に、俺は思わず手玉に取られてしまった。

 

まだ刹那が来るまでは時間が残っている。少しの時間ではあるが、全体重をソファの背もたれに預け、身体を休めるのだった。



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邂逅

 

 

 

「雄さん、お待たせしました。ちょっとお嬢様たちの目を盗んで出てくるのが難しくて……あの、どうかしました?」

 

「来たか。いや、何でもない。僅かばかりの休息を楽しんでいただけだ」

 

 

大河内と話してから待つこと十数分、ブレザーを脱いだ刹那がロビーへと到着した。ソファで座っている俺を見て、不思議そうに尋ねてくるが別段何もなかったことを伝える。

 

何、最近の女の子はよく分からないよなって話だ。

 

さて、そろそろ本題を伝えていこう。俺が居なかった間の状況も知りたいし、常にクラスに帯同していた刹那なら分かるはず。

 

立ち話も何だからと、立っている刹那をソファへと誘導し、向かい合うように対面に座らせた。

 

 

「さっさと今回の件も片付けば良いんだがな。関西の誰がやってきているか分からない以上は、迂闊に手出しも出来ないし。ところで、全員が酔いつぶれてしまった件だが……」

 

「ええ、間違いなく関西の手先によるものでしょう。今日起きた事象は全てそうかと思われます」

 

「やっぱそうか」

 

 

ここに関しては言わずもがなだろう。最初に起きた新幹線での事象は、あくまで様子見の意味合いで送り込んできたんだろうが、その後立て続けに起きた二件はどうか。

 

 

「清水寺の二件に関しては、一番最初の新幹線内での様子を見て起こされた可能性も高い。実際、調子づかれている部分はあると思うんだがどう思う?」

 

 

一件目の処理にそこそこ手間取っていることから、相手をつけあがらせている可能性もある。またこちら側の戦力を図る意味合いもあったのかもしれない。

 

 

「正直、あると思います。親書を呆気なく奪われた挙げ句、事態の収束に三人全員関わってしまったいますから」

 

 

戦うことが可能で、今回の件を把握している人間は全部で俺、刹那、ネギくんの三人。クラス内にそれとなく魔法に関係している生徒、もしくは実際の戦場を駆けめぐったこともある生徒が数人見受けられるが、あまりアテには出来ない。

 

つまりほぼ全員が新幹線内での一件の解決に関わってしまっていた。もしかしたらこちらの戦力を把握され、多くの戦力をかき集められるかもしれない。本来ならこっちの戦力はある程度内緒にしておきたかったが、バレてしまった以上どうしようもない。

 

ただし、幸いなことに三人揃って本気を見せていないため、相手も戦力を把握しきっているわけでは無いのは事実。実際、俺たちが知らないだけで、協力してくれる人間がいることも考えられる。ネギくんの側にいる明日菜なんかは典型的だ。

 

 

「私も雄さんもネギ先生も、本来の実力を出していないことが不幸中の幸いですね。あ、でも雄さんは前に一度……」

 

「あれくらいなら、見られたところでたかが知れてるよ。戦い方が分かっていると言っても、俺の動きに完全について来れるとは限らないだろ? ま、用心はするけど」

 

 

慢心を逆手に取られたら面倒だし、対策は常に考えていく。呪符使いの対応なら前回の件であらかた把握はしているし、問題なのはタイプが違う相手が出て来てしまった場合か。

 

先方の現有戦力が不鮮明な以上、勝手な判断や決め付けは禁物。常に最悪の可能性は想定するべきだろう。

 

 

「すみません、あの時は私が……あぅ」

 

「いいっつーの、んなこと気にしてないし、今は気にすることでもない」

 

 

話の途中で謝罪が入ると共に、見る見る内に表情が暗くなっていく。この真面目娘は未だに自分の失態を引きずっていた。気にするなと頭をポンポンと撫でると、恥ずかしそうに俯く。

 

 

「つ、雄さん。私もう子供じゃないんですから……」

 

「成人もしてないのにどの口が言う。まだ刹那は十分子供だよ」

 

「う……」

 

 

何も言い返せずに押し黙る刹那。年齢的には俺よりも若いし、何より花の十代。俺から見れば年齢的には子供だ。俺もやっていることは子供っぽいが、年齢だけは刹那や他の生徒たちよりも上だ、年齢だけはな。

 

まぁ、本音を言うと今回の仕事に過去のことを引きずられても困るし、リセットして貰わないといけない。一旦話はこれくらいにして、風呂にでも入れば少しくらい肩の荷は下りるだろう。今なら部屋で休んでいる生徒も多いだろうし、そこまで混んでいないはず。

 

 

「とりあえず一旦風呂にでも入ってきたらどうだ? 俺も早目に済ませておこうとは思っているし、後々入ろうにも何かあったら遅くなるだろうから」

 

 

どうせ教師陣は早目に済ましてくれと言われるのが目に見えているし、夜以降はおちおち風呂に入っている余裕もない。そう考えると、俺もさっさと済ませておいた方がいいかもしれない。

 

 

「そうですね、そうさせてもらいます」

 

「ん、後でこの旅館中に式神返しの札でも貼って最低限の対策は立てよう。向こうが攻めてくると分かっているなら、対策は立てやすい」

 

「分かりました。夕食後の自由時間でも大丈夫ですか?」

 

「了解。時間は空けとくからまたロビーで。他の教師に見つからないように頼む」

 

 

小さくこくりと頷くと、足早に去っていく。思った以上に短い話し合いだったが、仕事の話だけをするのが俺の役目ではない。彼女のメンタルケアもするのも、一教師として、年上として大切なことだ。相も変わらず過去の失敗を抱えていたが、いつかは消える。今のうちは好きなだけ悩めばいいと思いつつも、抱え込みすぎないようにフォローしなければならない。

 

思いのほかにこのポジションは大変で、かつやりがいのあるところだと嬉しく思った。とんとん拍子でのスピード採用だったが、教師という仕事からつまらなかった人生に一筋の光が差し込んでいる。得体のしれない敵からターゲットを守るなど、つらいことこの上ない仕事だというのに、それをどこか楽しんでいる自分がいた。

 

 

「風見先生も早目にお風呂は済まして下さいねー」

 

「はーい、分かりましたー」

 

 

ロビーを横切るしずなさんから声を掛けられ、やっぱり言われたかと淡々と返す。

 

まさかの浴衣姿で登場してくれたが、そのスタイルの迫力は如何に。世の男たちを軽く悩殺するダイナマイトボディに、胸元の空いた浴衣。胸元がきつくて最後まで締められないんだろうが、いざ実態を目にすると凄まじいものがある。

 

目の保養なんてよく言われるものの、この場合はむしろ逆で目に毒だ。もちろん良い意味で。

 

 

別れ際に軽く会釈をし、ソファから立ち上がると、自室に向かって歩き始めた。俺の部屋は、ネギくんの前の部屋になる。角部屋のため、その先に部屋はない。挟まれているわけでもないから、騒音被害に遭う可能性は低い。

 

また男性教師陣の部屋は端にまとまっている故に、下手に騒ぐことも出来ない……はずなんだが、いやな予感がする。今日は良い、主に明日にだ。

 

一抹の不安を覚えつつも部屋に到着し、中で着替えを物色する。備え付けの浴衣もあるが、部屋着の着用も許可されていた。旅館の浴衣を着るのは身の丈上合わないことも多く、スウェットなどの部屋着で過ごすことも多いが、今は普通の私服を着た方が良さそうだ。

 

折角木乃香も選んでくれたことだし、これを脱衣所に持って行こう。

 

着替えを持って、改めて浴場へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何の音だ?」

 

 

男性専用の脱衣所に入った途端、露天風呂の方から聞こえてくる轟音。

 

何かと何かがぶつかう衝撃音の他にも床を走る音に、水しぶきがたつような音など、露天風呂にあるものを使ってオーケストラでも奏でているのかというくらいの音が響いてくる。はしゃいでいる子供でもいるのだろうか、家の風呂とは違って広いし、洗い場も広いから騒ぐ気持ちは分からんでもないが……。

 

他に入る人もいるんだから、最低限の節度は守ってほしいところ。体洗っている時に後ろから突っ込まれたりしたら目も当てられない。衣類を脱ぎ捨て、籠の中に畳んでしまうと、タオルを腰に巻いて洗い場へと続く扉をカラカラと開く。

 

すると開くと同時に飛び込んできたのは、銭湯特有の湯気だった。

 

 

「うわ、すげえな」

 

 

洗い場の近くにある露天風呂の周囲は綺麗な石で囲まれていて、如何にもザ・温泉を連想させるものだった。特に湯船に沈んでいる大きな岩なんか、天然温泉そのもの……。

 

 

「ん?」

 

 

そんなわけない。

 

何で岩が温泉内に転がっているのか。いくら天然温泉とはいっても、危険防止のために露天風呂の中にある岩の撤去や整備くらいは行っているだろうし、態々岩を転がしていく理由がない。岩が転がっている近くをよく見ると、元々岩があった場所が見るも無残に切り取られている。

 

石カッターを使った荒い削り面ではなく、何の抵抗もなく切り取られたような痕跡が残っていた。

 

 

「何者だ。答えねば捻り潰すぞ?」

 

 

聞きなれた声が浴場内に響く。

 

声が聞こえる方向をみると、見慣れた姿が二つ。一糸まとわぬまま全力で殺気を込める姿の刹那と、あまりのド迫力に身体全体を震わせて怖がるネギくんの姿だった。

 

端から見るといたいけな少年を襲う、年上の図にしか見えないわけだが、問題なのはそこではなく何で男性専用の湯船に女性である刹那がいるのか。そもそもの問題はそこにある。刹那はショタコンだったのかと一瞬変な妄想が脳裏をよぎるも、まずありえない可能性に直ぐに頭の中から消失した。

 

 

「ってアレ、え? ね、ネギ先生?」

 

 

凄んだ刹那も相手の姿を確認し、我に返ったかのようにその名前を呼ぶ。片手が湯船に隠れるネギくんの下腹部辺りにあるのは、どこぞのナニを掴んでいるからなんだろう。いくら華奢で小柄な刹那とはいえ、男性にとって大事な部分を握られながら『潰すぞ』だなんてすごまれたら戦慄すること間違いない。

 

ある程度成長した大人であっても怖がるのだから、相手が十歳の子供相手なら泣き出さないだけいい方だ。変にネギくんがトラウマを持たないことを願うばかり。

 

ところで俺は出て行って良いんだろうか。刹那は完全なすっぽんぽんの状態だし、成人した俺が行くのは不味い気がするが、事態の収束のたえにも出て行ったほうがよさそうだ。

 

視線を刹那から外し、二人の元へと歩み寄る。

 

 

「す、すいませんネギ先生! あっ……」

 

 

素早くネギくんから距離を取ると、左手をみながら刹那は顔を赤らめる。改めて自身の知っている人間、ましてや担任のナニを握ってしまったのだ。今頃全力で羞恥心に駆られているはず。

 

 

「いえ、あの! これは、その……し、仕事上急所を狙うのはセオリーで……ご、ごめんなさい先生!」

 

 

左手を慌てて湯船に隠した。もはや言葉がまとまっていないし、ネギくんはおびえて言葉を発せる状態じゃないし、このままでは話が進まない。かなり接近しているというのに二人揃って俺の存在に気付いていなかった。近くに落ちている大きめのバスタオルを拾い、横から刹那の裸を見ないように羽織らせた。

 

 

「おいおい、ネギ先生相手に何してんの刹那」

 

「ふぇ、あ、雄さん!?」

 

 

不意にバスタオルを羽織らされたことと、俺が現れたことに驚きつつも受け取ったバスタオルで身体を隠していく。

 

刹那の身体を正面からは断じて見ていない。それは誓っていい。

 

 

「はいはい、雄さんですよー。一旦刹那はこのタオルで身体を隠して……で、ネギ先生は一旦こっち側の世界に戻って来ようか」

 

 

ひらひらと手を振ると視界に俺が現れたことで多少の落ち着きを取り戻すと、ネギくんの肩に乗っていたオコジョがオラつきながら声を荒げた。

 

 

「や、やいてめぇ桜咲刹那、風見雄! やっぱり関西呪術協会のスパイだったんだな!?」

 

「なっ!? ち、違う! 誤解だ! 違うんです先生!」

 

「何が違うもんか! ネタは上がっているんだ。とっとと白状しろい!」

 

 

ふしゃーっと威嚇をするオコジョに誤解だと伝える刹那。やっぱりただのペットではなくてオコジョ妖精だったかと、ようやく点が線になった。つまり木乃香から魔力が漏れ始めたのは、このオコジョが原因だったわけだ。

 

 

「おーおー喋るオコジョとは珍しいな」

 

「うおっ!? なにしやがる!」

 

「まーまー落ち着けよ」

 

 

ネギくんの肩に乗るオコジョをつまみ上げて、じっと近くで見つめる。オスだとは思うが、ジタバタと抵抗する容姿が可愛い。

 

 

「とりあえず、俺も刹那も敵じゃない。一応今回の任を学園長から任されている協力者だ」

 

 

横では刹那が夕凪を納刀しながらコクリと頷く。

 

 

「……へ? あ、あの風見先生。つまりはどういう……」

 

 

まさかの告白に目を点にしながらあっけにとられるネギくんとオコジョ。

 

とりあえず敵ではないことは伝わったが、現状がよく把握出来ていないみたいだし、しっかりと説明する必要がありそうだ。

 

 

「俺はネギ先生のメインサポートを任されていてね。理由(ワケ)あって刹那と行動している」

 

「わ、私はこのかお嬢様の……「ひゃぁぁああああああ!!?」っ!?」

 

 

途中まで言い掛けたところで、脱衣所から木乃香の悲鳴が響くのだった。

 



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おサルの進行

「ひゃぁぁああああああ!!?」

 

 

脱衣所から聞こえる悲鳴に露天風呂にいる全員が振り向く。

 

 

「おいおい、今度は一体何の冗談だ」

 

「こ、この声は……」

 

「このかお嬢様!?」

 

 

悲鳴の主は木乃香、脱衣所で何かが起こったのかもしれない。だが脱衣所ってことは木乃香が素っ裸になっている可能性もあった。

 

世間体は気にしたいが、今はそれを気にしている場合ではない。一刻の事態を争う。だから今回だけは勘弁して欲しい。

 

 

「まさか奴らこのかお嬢様に手を出す気か……!?」

 

「え? お嬢様?」

 

 

刹那の物言いにネギくんは疑問を持ったようで首を傾げた。木乃香が屋敷で育ったお嬢様だという事実を知らない。最もこの話はクラスの中でも俺や刹那くらいしか知らないオフレコであり、知らないのは無理もなかった。

 

さて、あまり悠長なことを言っている時間は無い。何事もなければ俺が殴られるだけで済む、何かあったら笑い事じゃ済まない。

 

急ごう。

 

 

「刹那」

 

「はい! お嬢様っ!」

 

 

地を蹴り、一目散に脱衣所方面へと向かう。入り口は違えど、出口は同じ混浴のようだ。この時ばかりは混浴でよかったと思う。

 

先についた刹那が確認もせずに、勢いよく扉を開く。この際確認なんかしている暇が勿体ない。悪いと思いつつも俺が、そしてネギくんも脱衣所へと足を踏み入れた。

 

 

「おい! 大丈夫……か?」

 

 

視界に広がる光景や如何に、誰がこんな展開を予測できただろうか。目の前に広がるのはほぼ全裸に近い明日菜と木乃香だった。下着は辛うじて残っているのだが、もはや全裸に果てしなく近い状況になる。

 

そもそも露天風呂へ続く脱衣所なのだから、別に全裸になることは問題ない。

 

あくまで冷静かつ客観的に分析をすると問題なのはそこではなく、自分たちで意図的に服を脱いだのではなく、周囲に群がる猿たちが、二人の衣類を引き剥がそうしているのだ。

 

その様子を見たネギくんは盛大にずっこけ、刹那は体勢を崩される。身につけている下着も猿に引っ張られ、もはや全裸寸前。必死に抵抗するも物量に身を任せて襲ってくる猿の力に徐々に抵抗力を失っていった。

 

そもそもこの猿、動物園で見るようなものではなく、非常にファンシーな感じの可愛らしいものなる。当然、こんな猿は現実にいない。誰かによって生み出された、式神そのものだった。

 

 

「いやぁあーん!」

 

「ちょっ、ネギ! 雄先生!? な、なんかおサルがー!」

 

 

抵抗している間にも二人はポンポンと剥がれていく。下着を脱がされていく様子をワナワナと体を震わせる刹那。脱がされた下着を何とか取り返そうと、木乃香は足で下着を摘もうとするも空振り、猿に物の見事にかわされてしまった。

 

床に這いつくばっているために、大事な部分は隠れていてるが、それでも素っ裸である事実は変わらない。

 

 

「あっ、せっちゃん。お兄ちゃんにネギくん!? あーん、見んといてー」

 

 

脱衣所に刹那や俺、ネギくんが来たことに気付き、木乃香は口に手を当てて恥ずかしさを露わにした。ただ本人の口調や雰囲気もあってか、あまり緊迫感を感じない。

 

 

「こ、この小猿ども……このかお嬢様に何をするかーっ!!」

 

 

こめかみに青筋を浮かべながら、夕凪を引き抜く。完全な真剣、触れればいとも容易く物を両断する鋭い刃がキラリと光った。

 

ここにいる全員が本物の刀を見ることなど早々無いし、刹那のことを知らない人間がいきなり刀を抜けば驚くのも無理はない。近くで見ていた明日菜は刀が本物であることにぎょっと目を見開く。

 

 

「え、ちょ、桜咲さん! その刀ホンモノ!?」

 

 

もちろん本物だ。式神退治にわざわざ紛い物を使う理由もない。木乃香に襲いかかる猿の式神の群に飛び込もうと、ぐっと体勢を屈めた。

 

 

「ダメですよ! おさるさん斬ったら可哀想ですよー!」

 

「なっ!? ね、ネギ先生! こいつらは所詮式神! 斬ったところで紙に戻るだけで……わっわっ」

 

 

攻撃をしようとする刹那を止めようと、ネギくんが飛びかかる。刹那は猿が式神だと分かり刀を抜いているが、ネギくんは気付いていない。

 

恐らく式神だと分かっていないだけではなく、日本の温泉といえば猿が人間と一緒に入浴しているといった独自の先入観が邪魔をしていて、本物か式神かを見分ける区別が出来ていないように見えた。

 

突然、予想もしないところから飛びつかれた刹那は、バランスを崩しそうになるも、何とか体勢を立て直そうと踏ん張る。

 

 

「ウキッ!」

 

 

不安定なバランスの元、木乃香と明日菜の近くにいた猿の一匹が二人へと近づき、解け掛けていた刹那のバスタオルの端を思いきり引っ張った。着物の帯を引っ張るように勢いよく引かれて、バランスが崩れかけていたところへの追い打ち、さすがに両足で立っていることは出来ずに、くるくると回ったかと思うと床へと倒れこんだ。

 

ただ倒れこんだまでは良かったのだが、刹那はネギくんの顔付近に尻もちをつくように倒れこむ。つまり刹那の下腹部の前の辺りは盛大にみられていることに。案の定、現状を悟ったネギくんと明日菜の二人が声を上げ、自身の今の体勢に気付いた刹那も顔を紅潮させた。

 

 

「な、ななな!? わ、私は味方と言ったでしょう、邪魔をしないでください!」

 

「べ、別にそんなつもりは……」

 

 

この緊急事態に二人はコントでもやっているのか。随分な身体を張ったコントに、呆れつつも時間は決して待ってくれ無い。二人がバタバタとしている間に、式神たちが木乃香の身体を抱え上げ、脱衣所の外へと運び出そうとしている。小さな身体のどこにそんな力があるのだろうか、思いのほか機敏な動きに俺は思わず声を上げた。

 

 

「おい、刹那!」

 

「あっ、お嬢様!」

 

 

近くに落とした夕凪を拾い上げ、床を強く蹴るとあっという間に式神の背後に追いつく。

 

 

「神鳴流奥義……百烈桜華斬!!」

 

 

弾丸の如き速度のまま、式神の元へと飛び込むと刀を横に一閃。振り払ったかと思うと、一瞬の静寂の後、刹那の周囲を斬撃の渦現象のようなものが起こった。

 

見るも無残に斬撃によって切り刻まれた式神の紙媒体が、まるで桜吹雪が散るかの如く周囲を舞う。見事、一閃で周囲の脅威を消し去った。地面に直接落ちないように木乃香の身体を優しく支え、湯船へと着水する。

 

 

「あ……?」

 

 

何が起きたのか分からずに混乱する木乃香だが、彼女の視線は確実に刹那の顔を捉えていた。どのような状況であれ、近くに刹那がいる。望んでも叶わなかった状態が目の前にある。

 

式神たちが消え去ると同時に、点在していた気配も消え去る。わざわざ誘拐が成功するかどうかを見に来るだなんて、物好きな術者もいたもんだ。近くにターゲットがいたにも関わらず、隠れていたのは自身が前線に立って戦うほどの近接スキルがないからだろうか。

 

式神が居なくなったと同時に、気配を消して逃げ去った。

 

 

「このかー!」

 

「このかさん大丈夫ですかー?」

 

 

事態をイマイチ把握できずにいる二人も、バタバタと後を追うように浴場を駆けてくる。

 

 

「逃がしたか」

 

「ええ、でも今は無理に追わない方がいいでしょうね」

 

 

何があるか分かりませんからと返してくる刹那。変に後を追ったとしても何も得られなければ意味がない。それに誰かが後を追うということは、その分旅館に滞在する戦力を分散させるようなもの。相手の戦力がどれほどあるかも分からないのに、迂闊な判断で行動するのはあまりにも危険すぎる。

 

しっかりと判断、分析した上での冷静なコメントにこの短期間でも成長しているなと思うと、思わず笑みが漏れそうになった。

 

 

「せ、せっちゃん。なんかよーわからんけど助けてくれたん? あ、ありがとう……」

 

「あ……いや」

 

「あっ、せっちゃん」

 

 

木乃香から声を掛けられて顔を赤くする刹那だが、数秒固まった後、木乃香を湯船に優しく落とすと夕凪を持ったまま走り去ってしまった。なるほど、刹那が木乃香を目の前にした時の行動は今回は初めて見たが、想像以上に対面するのが気まずいらしい。

 

刹那にとって木乃香が大切な存在であることは間違いないが、それでも急に木乃香の前から姿を消したこと。今更どの面を提げて木乃香と接すればいいのか分からずに、一歩踏み出せないみたいだ。……前言ったとは思うが、こればかりは当人間の問題であり、第三者が介入して何とかなるような問題ではない。

 

仮に俺が介入したところで、事態が大きく好転するとも思えなかった。変に走り去った刹那を追いかけても、自分の知らないところで何かやっているのではないかと、木乃香の不信感をあおることにもなりかねない。

 

ふぅ、一体どうしたもんか。

 

 

「あ……」

 

「ちょっ何よ今のはー」

 

 

刹那の後姿を見ながら明日菜がぼそりと呟く。状況や理由を呑み込めていないからか、刹那のした行動に不満の色が見受けられた。

 

 

「木乃香、これ」

 

 

湯船に全裸で浸かる木乃香に、なるべく身体に視線を向けないように配慮をしながら、バスタオルを渡す。どう言い表せばいいのか、何とも言えない状況をいざ目の当たりにすると、声を掛ける行為が激しく気まずく思えた。小さく頷きながら手渡されたバスタオルを纏うも、やはり木乃香の表情には寂寥感がにじみ出ていて、元気はなかった。

 

 

「こ、このかさん! あの刹那さんって人は何なんですか!? このかさんのことお嬢様って言ってましたけど。そ、それに……」

 

「ん?」

 

 

ネギくんがチラリと俺の方を見る。それに釣られるように明日菜の顔もこちらへと向く。どうやら俺の立ち位置がよく分からずに、混乱しているように見えた。木乃香とも共に居る機会が多ければ、刹那とも一緒にいる。一体どのような関係なのかと、気になっているのだろう。木乃香がいる手前、話せることは限られてくるが多少なりとも話せる部分は話しておいた方がよさそうだ。

 

 

「俺のことか。ま、今回色々あったし、ちょっと話さないといけない部分があるとは思ってたんで。とりあえず場所を移動しませんか? ここで話すのも、他の生徒が来たら聞かれてしまいますし」

 

 

内容的に風呂場で話すようなものではない。

 

それにタオルを纏っているといっても、裸同然の女性が二人いる。一旦着替えて、ゆっくり掻い摘んで話した方が良い。

 

 

「それでいいか? 木乃香」

 

 

念のために本人に了承を取る。深く考え込むかと思っていたが、意外にも素直に首を縦に振った。

 

 

「うん……ごめんな、お兄ちゃんにも気ぃ使わせて」

 

「気にするな。それくらい慣れてるよ」

 

「……ありがとう」

 

 

 

 

 

 

そして場所はロビーへと移る。



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True colors

「どこから話そうかな。ウチ、引っ越してアスナと暮らす前までは、京都に住んでたやろ?」

 

 

手短に着替えを済ませ、脱衣所前にあるソファに集まった俺、明日菜、ネギくんと、オコジョ妖精の三人と一匹は、椅子に座る木乃香の過去の話を黙って聞いていた。木乃香の昔の話はあらかた聞いていて、実際に幼い頃の木乃香に会い、遊んだこともある。壁に背中を預け、腕を組みながら木乃香の背後で静かに話を聞く。

 

財閥を思わせるような大きな屋敷で育ったはいいものの、人里離れた土地で育ったことから友達など誰一人として居なかった。木乃香の口から発せられる言葉に耳を傾け、彼女の過去を聞いていく。

 

 

「山奥やから友達一人もおらんかったんや。これが当たり前や思っとったんやけど、やっぱり寂しくて……そんな時に会ったんがお兄ちゃんやった」

 

 

ネギくん、明日菜、オコジョの視線が一斉に俺の方へと向く。今から十年ちょっと前の出来事で、関西呪術協会の長、詠春から依頼を受けて京都に飛んだ俺は、奴の実家にて幼い頃の木乃香と遭遇。

 

元々、当日は呪術協会の集会が行われるらしく、誰も木乃香のことを見守る人間がいないから、来てほしいと言われるがままに行ったわけだが、いつの間にか木乃香と遊んで仕事を終えるという、依頼の中でも五本の指に入るくらいの楽なものだった。

 

当初は遊ぶつもりもなく、一人で遊んでいる彼女を木の上から遠巻きに見つめるだけにしておこうと思った。しかし、鞠を高い木の上に引っ掛けてしまい、それを取ろうと何度も木を登ろうとしていたために、変わって俺がとっただけに過ぎない。

 

ただ今思えばあれがあったからこそ、俺と木乃香が今このように面識を持てているのは間違いなかった。

 

 

「短い時間やったけど、ウチと初めて遊んでくれた。ウチにとっては、お兄ちゃんが初めて出来たお友達やってん」

 

「へえー、雄さんが」

 

「ふふっ。それにな、人間生きていれば必ずどこかで会えるやなんて、幼いウチからして見ればお兄ちゃんが童話の中にしかおらん魔法使いみたいに見えたんよ」

 

「魔法使いって……大げさだな」

 

「ううん。本当にお兄ちゃんには感謝しとるんよ。ホンマはあの時別のお仕事で来とったんやろ?」

 

「まぁ、そうだな」

 

 

身体も成長し、考えるようにもなった。あくまで遊ぶことが仕事だなんて出任せを言ったが、今思えば不自然なことばかり。人里離れた山奥に遊びにいくだなんて、そんな仕事があるはずがない。

 

あくまで護衛の延長上に遊びが入っただけで、本来の仕事は木乃香の一時的な護衛になる。だが今も昔も本当の理由を打ち明ける訳にも行かなかった。

 

 

「お兄ちゃんが居なくなった後、少しの間一人になったんやけど、時間を置かずに今度はまた別の出会いがあったんよ」

 

「それって……」

 

「うん、せっちゃんやねん。せっちゃんは剣道やってて、怖い犬を追っ払ってくれたり、危ない時は守ってくれた」

 

 

「へー」

 

 

俺の話から刹那との話に切り替わる。ネギくんや明日菜が最も聞きたかった刹那の話題、俺も木乃香の口から直接聞いたことはないから、それなりに興味はある。そうは言ってもセンシティブな情報にはなる故に、本当なら一教師としては聞かない方がいい内容なのかもしれない。

 

 

「川でウチが溺れそうになった時も……一生懸命助けようとしてくれたんやけど」

 

 

二人とも溺れて結局大人に助けられたと、木乃香は続ける。子供の体躯では流れの速い川で人一人を支えることは難しい。それに溺れた本人は服を着ているのだとすれば、支える重さはより増える。浅瀬でも溺れる事例があるのだから、二人とも大事に至らなくて良かった。

 

が、この時刹那は押し潰されそうな自責の念に駆られたはず。木乃香は性格上、助けられたなかったとしても気にするなと、言える優しさがある。でも刹那は人一倍責任感が強く、過去の失態をいつまでも引きずってしまう傾向があった。

 

自分が不甲斐なかったから、木乃香が危ない目に遭った。自分がしっかりしていれば怖い思いをさせずに済んだ。何度も何度も、頭の中で自問自答を繰り返したことだろう。

 

 

「その後、せっちゃんは剣道の練習で忙しくなって会えんようになって……うちも麻帆良に引っ越して。中一の時にやっと会えたって思うたんやけど……」

 

 

そこまで言い終えた木乃香の瞳に涙が浮かぶ。久しぶりに再会したかつての親友。数時間だけ遊んだ俺とは違い、比較的長い期間、共に遊んだ友達が、久しぶりに会った時に、全く口をきいてくれなかったとしたらどう思うか。刹那としては成長と共に木乃香の立場を知り、遠慮して距離を取るようにしたのかもしれない。もちろん気まずいと思っている部分もあるだろう。

 

が、事実を全く知らない木乃香がいきなり刹那に距離を取られてしまえば、嫌われてしまったのだと思っても仕方ない。むしろ誰しもが嫌われたと思うはずだ。

 

仮に理由を話そうにも一旦切り出してしまった手前、後に引けずに気まずさから歩み寄れない刹那。理由を知らず、自分が何か悪いことをしたせいで嫌われてしまったと思い込む木乃香。蓋を開けてみれば互いの事を想い合っているのだ、素直になれば全て解決するとはいえ、簡単なことだからこそ出来ていない。

 

 

「ウチ、何か悪いことしたんかなぁ。せっちゃん昔みたいに話してくれへんよーになってて……」

 

 

涙を拭いながら、笑みを浮かべようとするも無理をしている感が強すぎて、笑顔になっていない。本人は多少の笑い話にしようとでも思っていたのか、だとしたら相当に無理のある話だ。

 

 

「このか……」

 

「このかさん……」

 

 

木乃香の心中を察し、ネギくんと明日菜は何も言い返せずに名前を呼ぶしかなかった。木乃香が悲しそうな表情をするのもほんの一瞬で、次の瞬間には気遣う明日菜を大丈夫だと静止させる。

 

一旦部屋へと木乃香を送るべく明日菜は離脱、俺は一足先にどこかで式神返しの札を貼っているであろう刹那を探しに向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どいつもこいつも、本当に素直じゃないよなー」

 

「……それってもしかして私に言ってます?」

 

「いや、こっちの話」

 

 

壁に式神返しの札を貼っている刹那にジロリと睨まれて顔を逸らす。

 

刹那しかり、木乃香しかり、そして俺しかり。本当の意味で素直になれる人間が果たして何人いるのか分からないが、周囲には少数なように思えた。

 

 

「私だって、出来ることなら話したいです。でもお嬢様がそれを今更許してくれるとは……」

 

「はいはい。またネガティブのエンドレスループになるから一旦忘れましょうねー」

 

 

刹那にとっても地雷だったらしく、頭を垂れながら落ち込む。何だろう、刹那ってこんな落ち込みキャラだったっけ、凛々しい表面とは裏腹に、内面が繊細過ぎてたまに分からなくなることがあった。気を取り直して、壁に一枚一枚丁寧に式神返しの札を貼っていく。身長も高くないため、背伸びをしても届かないところが多く、ロビーに置いてあった踏み台を使い、背伸びをして一枚一枚丁寧に貼っている後姿が可愛い。

 

他意は無く、小柄な女の子が高いところにあるものを一生懸命取ろうとする姿が絵になると思うのは少なくとも俺だけじゃない。

 

 

「ん……」

 

 

背伸びをしても届かずに、何度も同じ動作を繰り返している。人を頼るのが苦手なのは間違いないようで、背伸びしても届かない場所に何とか貼り付けようとしている。

 

 

「待て待て、そこは俺がやるよ。さすがにここは届かないだろ」

 

「あ、は、はい。ありがとうございます」

 

 

高さ的に普通の女性では厳しい場所に貼り付けようとしていたために、一旦刹那の行動を止めさせた。こっちとしては足をプルプルさせながら頑張っている後姿は絵になるが、本人としては面白くも何ともない。一旦台をおりて、俺と居場所をチェンジし、札を刹那が指定した場所に貼り付ける。

 

等間隔に何枚か貼り付け、台から降りると刹那が何とも言えない表情でこちらを見つめていた。

 

 

「我ここにあらず見たいな顔してどした?」

 

「い、いえ。特に何でも……」

 

 

ハッとした表情を浮かべながら、刹那は俺から残った札を受け取る。まさかさっきの一件を思い出していたのか。あまり深く聞くと本人もいい思いはしないし、それ以上の詮索はやめた。

 

 

「あ、いたいた桜咲さんと雄さん」

 

 

階段の方から聞こえる声に振り向くと、ネギくんと明日菜が階段を下りながらこちらに歩いてきていた。もういくら魔法とは関係ありませんと伝えたところで、誤魔化しはきかないし、ある程度割り切って話した方がよさそうだ。

 

 

「な、何をしているんですか?」

 

「今は式神返しの札を貼っているところです」

 

 

受け取った札を机の上で整える。

 

やるべき仕事はあらかたやり終えたし、これ以上特に手を加えることもない。近くにあるソファに腰を落とし、両肩をグルグルと回した。

 

 

「えと、刹那さんも日本の魔法を使えるんですか?」

 

「ええ、まぁ。剣術の補助程度ですが」

 

「なるほど、ちょっとした魔法剣士ってやつだなつまり」

 

 

ネギくんの肩にいるオコジョも話している辺り、もはや隠す気などさらさらなさそうだ。それに明日菜も驚いていない様子を見ると、彼女もまたこちら側の世界に引き込まれた人間らしい。一応念には念をとのことで、刹那は確認を取る。

 

 

「あ、神楽坂さんには話しても?」

 

「は、ハイ大丈夫です」

 

「もう、思いっきり巻き込まれているわよ」

 

 

明日菜は刹那に言い分にやれやれとした表情を浮かべた。ネギくんの距離感を見ると相当前から魔法の存在を認知しているようにも見える。魔法がバレたらオコジョにされて本国へ強制送還という規律は何処へやら、そもそも魔法関係者の多い、麻帆良の地で完全に魔法がバレないように生きるのは中々難しいものがある。

 

好きでバレたわけではなさそうだが、やむを得ない事情がありそうだ。

 

 

「そ、そういえば風見先生も魔法使いなんですか?」

 

「俺? 俺は魔法使いではないですよ。もちろんこの立ち位置なんで魔法の存在は熟知してますけど」

 

「やっぱそうだったのね。買い物の時の足の速さとかあり得なかったもの」

 

 

ようやく納得できたと言うのは明日菜。以前修学旅行の買い物中に、荷物を預けて刹那を助けに行ったことがあり、目的地に向けて全力で走り去る様をまざまざと見られていた。

 

 

「あれ、でも新幹線でカエルの式神を紙に戻したのは……」

 

「あぁ、それは俺です。袋越しに気を流し込んで元の姿に戻しました。さすがにあのままにするわけにも行かなかったんで」

 

 

ネギくんからも同様に質問が飛んできた。新幹線で袋の中にいたカエルの式神をどうやって紙媒体に戻したのかと。原理は簡単で、自身の気を袋の中に流し込んだだけなのだが、少しだけ工夫を加えている。

 

 

「刹那と違って具体的な戦闘スタイルは無いんでね。気を扱える魔法関係者くらいに思ってもらえれば」

 

「ふむ、ちょっとした気の使い手って感じだな」

 

 

 

一同の質問も一段落したところで刹那が一つ咳ばらいを入れると、ようやく本題へと話が移る。



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作戦会議

「―――敵の嫌がらせがかなりエスカレートしてきました。このままではこのかお嬢様に危害が及びかねません」

 

 

その一言が周囲を静寂に包みこんだ。

 

結局のところ、現状言いきれるとすれば木乃香を狙う人間がいるということ。ごくりと固唾を呑み込む二人と一匹に、いつもと変わらない様子で場を見守る。淡々と話し始める刹那だったが、ふうと一つため息をついたうえでジト目でネギの方を見つめた。

 

 

「……ネギ先生は優秀な西洋魔術師と聞いておりましたので、上手く対処してくれると思ったのですが、意外と対応が不甲斐なかったので敵も調子に乗った様です」

 

 

軽く毒を吐きつつ期待していたのにと落胆の眼差しで見つめる刹那に対し、不甲斐なくてすいませんと謝る。

 

最も全容をほぼ聞かされていない状態での、修学旅行だったために準備が不十分であることは否めない。まさか木乃香が狙われるだなんて、ネギも思ってもみなかっただろう。

 

 

「相手も間抜けじゃないからな。こっちの戦力を探ろうとしている節は見受けられるし、あまり悠長なことを言ってる暇もないのは事実だろ」

 

「えぇ。もう先方は動いているでしょうし、次いつ襲われるかなんて分かりません」

 

 

雄の言葉に刹那は深く同調する。一旦は修学旅行を楽しみながら仕事を完遂するなどといった認識を改め直さなければならない。少なくとも相手を捕獲するでもしない限りはおちおち休んでもいられないだろう。一瞬だが仕事に対する厳しい表情を浮かべる二人に、たじろぎそうになるネギと明日菜。

 

ネギと明日菜の様子に気付いた雄は、苦笑いを浮かべて言葉をつづけた。

 

 

「そこまで硬くなる必要はないよ。俺や刹那も自由に動けるように体は空けるし、万が一の対策も立てている。まず二人にやってもらうのは相手を知るってところだな」

 

「相手は関西なんちゃらって奴らじゃないの?」

 

「大まかには。ただ関西呪術協会にも派閥がある、そこを簡単に説明しようと思う」

 

 

途中まで言い掛けたところで、後は頼むと刹那へと託す。明日菜もネギから部分部分では確認しているものの、全てを把握しきれているわけでは無い。敵を知っておけば、相手の動きに合わせた行動が出来るし、対応、対策も練ることが出来る。最も危ないのは何も知らないまま、闇雲に突っ走ってしまうこと。

 

今回は偶々、雄と刹那のスパイ疑惑が解けたから良いものの、もし最後まで気付かなかったとしたら全員共倒れする可能性も考えられた。雄からのスイングに快諾すると、雄の話から続けるように切り出した。

 

 

「そうですね。神楽坂さんもネギ先生も、まだ今回の全容を把握できていないと思うので。……私達の敵はおそらく関西呪術協会の一部勢力で、陰陽道の呪符使い、そしてそれを使う式神です」

 

「あ、あの新幹線でのカエルとかですね」

 

「あぁ。もちろんネギ先生の言うように、カエルのような戦闘力を持たない低級式神もいるんだ……が」

 

 

式神と聞いて、ネギと明日菜は先ほどの新幹線内での出来事を思い出す。カエルや露天風呂での猿は全て物理的な戦闘力を持たない、低級式神に分類される。

 

もちろん、それ以外にも式神には数多くの種類が存在する。以前雄が刹那救出の際に戦った式神は、上級式神に位置する。

 

 

「力の差はまちまちだ。術者のレベルによってはとんでもないレベルの式神がくることもある」

 

 

式神のクラスは術者が持っている気力によって変わり、力を持つ式神を召喚するのであれば、相当量の気力を込めなければならない。無理をして上級式神を呼び寄せようとすると、自身の気力を使い果たしてしまい、戦うことすらままならなくなることもある。

 

 

「術者の匙加減にはなってくるので、全てそうとは限りませんが、今後はそのような相手も対応しなければならない、と考えた方がいいでしょう」

 

 

雄の説明に刹那が付け足す。

 

あくまで想定するのは最悪の事態に対してであり、誰でも対応出来るものなら、対策をする必要はない。式神や呪術協会に対応出来るのは、限られた魔法関係者のみ。そう考えればもう少し早く、打ち合わせをしてもよかった内容かもしれない。

 

 

「話を戻しますね。基本的に呪符使いは、呪文を唱える間に無防備になるのはネギ先生のような西洋魔術師と同じです。そこをカバーするために、前鬼や後鬼といった式神を前衛に置いて戦うのが、基本スタイルになります」

 

 

エヴァやネギといった魔法使いが、茶々丸や明日菜を前衛にして戦うのと同じように、呪符使いも前衛を置いて戦う。遠距離から戦う自身のスタイルでは接近戦に強い前衛タイプの剣士や、肉体派の相手はまさに天敵。適材適所で能力を割り振り戦う方法が、ほとんど。

 

納得したかのように首を振るネギと、よく分からず冷や汗をかきながら明後日の方向を見つめる明日菜、反応は様々だが、刹那は当然と、前置きをした上で話を続けた。

 

 

「今のは基本スタイルです。更に関西呪術協会は我が京都神鳴流と深い関係があります。神鳴流とは京を護り、魔を討つ為に組織された掛け値なしの力を持った戦闘集団。呪符使いの護衛として神鳴流剣士が付く事もあると厄介な事極まりないです」

 

「うーん……僕も近接戦は苦手ですし、考えれば考えるほどに先が見えなくなってきますね」

 

 

漠然と状況をイメージし、ネギは小さくつぶやく。元々完全な後衛型のネギにとって、前衛タイプの神鳴流は天敵以外の何物でもない。

 

相手の手の内がほとんど見えない中、どう対処すればいいのかと頭を悩ませる。ネギからすれば相手方は、今まで出会ったことのないタイプであるが故に、具体的な対応策も考えなけばならなかった。

 

現状麻帆良学園側で完全に対応出来るのは、雄と刹那の二人だけ。ただネギたちに足りない要素を補うべく、二人はここにいる。

 

 

「ネギ先生には雄さんもついているので、あらかた大丈夫かと。もちろんイレギュラーは加味する必要はありますが」

 

「そうだ。雄さんって結局魔法使いじゃないのよね? 身体能力が高いのは分かったんだけど、戦えるの?」

 

 

話を聞いていて、明日菜が雄に対して思った疑問を投げつける。実際に先ほども刹那が戦った場面は見ているが、雄が実際に戦っているところを見たことは無い。雄の実力が分からない以上、本当に大丈夫なのかと思うのも無理はなかった。

 

明日菜の鋭い発言に、苦笑いを浮かべながら答えようとする雄だが、それよりも先に刹那が代弁する。

 

 

「そこに関しては全く問題ありません。私や学園長が背中を預けても問題ないと思うくらいですから」

 

「え!? 学園長先生が!?」

 

 

刹那の出した単語に、真っ先に反応したのはネギだった。

 

学園長、近衛近右衛門といえば麻帆良学園が誇る最強の魔法使いだ。それこそ世界中に点在する魔法使いの多くが尊敬し、敬意を払っていた。そんな凄い方が背中を預けられるぐらい信頼を置いているということは、つまり自身の命を預けられるような存在になる。

 

身近に凄い存在がいたと、驚きを隠せない。

 

 

「待て待て刹那、買い被りすぎだって。……まぁ明日菜やネギ先生が混乱するのも無理はないよ、戦っているところを見た訳じゃないしな」

 

 

身近で一番強さを感じているのは刹那だろう。百聞は一見に如かず、見たことも無い相手の力量を信じるのも無理な話になる。

 

不思議そうな、どこか疑った表情で雄のことを見つめるネギだが、それにはちゃんとした理由があった。

 

 

(雄さんから全く気を感じない……どうしてだろう、普通の術者ならある程度は感じ取れるはずなのに)

 

 

担任と副担任という間柄、側にいることは多いはずなのに、雄の気を感じ取ったことは一度もない。対象者が遠方に居るのならまだしも、自身の隣り合わせるほどの距離に居るのに、何故気を感じ取れなかったのか。

 

元々素質が必要な魔力と違い、気はある程度の厳しい修行によって身に付くものになる。そこまで行き着く人間は限られてくる故に、気付きやすいものにはなるのだが、自身は感じ取ることが出来なかった。

 

改めて集中力を研ぎ澄ましても、感じることが出来るのは近くにいる刹那の気のみ。

 

一体何などうなっているのか、ネギの中で疑問は深まるばかり。

 

 

「とにかく、刹那からもお墨付きは貰えているみたいだし、一旦はそれを信じて欲しい。時期が来れば嫌でも戦っているところを見るだろうから」

 

「そ、そうですね。ってあれ? 刹那さんの話を纏めるとやっぱり神鳴流は敵ってことになるんじゃ……」

 

 

ネギの一言に、再度明日菜も刹那の方を見やる。予想通りの反応だったと、落ち着いた様子で切り出し始めた。

 

 

「はい。東に降りた私は、彼らにとっては裏切り者。でもこればかりは仕方ありません」

 

 

淡々と特段感情を込めずに話す刹那だが、途中まで話したところで一旦間を置く。

 

そして柔らかな表情を浮かべて続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は―――このかお嬢様をお守り出来ればそれで十分ですから……」

 

 

決して語気を強めたわけでは無い。

 

小さく、場にいる人間にしか聞き取ることが出来ないほどの声だったにも関わらず、強く並々ならぬ決心がひしひしと伝わってきた。事情を知らなかったネギと明日菜には、想像以上に強い想いが伝わって来たことだろう。そして二人には確実に伝わったであろう、木乃香への想い。

 

少なくともそれは、嫌っている人間が言う言葉ではないことも。明日菜は初等部から木乃香のことを知る一人であり、周りの人間よりかは木乃香のことを知っているつもりだ。だからこそ、刹那の強い想いがより理解できた。

 

同時に木乃香のことを嫌っているのではないかという疑問は、誰よりも大切に思っているという確信へと変わった。ソファから立ち上がると、刹那の近くへと歩み寄り肩をバシバシと叩く。

 

 

「よーし! 分かったわよ桜咲さん!! あんたがこのかの事を嫌ってなくて良かった事が分かればそれで十分! 友達の友達は友達だからね、アタシも協力するわよ!!」

 

 

ダメなことも良いこともはっきりと言い切る明日菜にとって、刹那の真っすぐな思いは協力するには十分すぎる理由だった。明日菜に続いてネギも刹那の元へと歩み寄り、その手を握る。慣れないことの連続で恥ずかしさから頬を紅潮させた。自分の周りに協力すると、人が歩み寄ってくるのは初めてだろう。

 

刹那の周囲に人が集まる様子を静観していた雄は、ようやく仲間が出来たかと、思わせぶりな笑みを浮かべた。

 

 

(刹那、意外に悪くないもんだろ仲間って。一人で解決することだけが全てじゃないんだぜ)

 

 

 

 

 

 

 

雄の心の声は誰にも聞こえることは無い。

 

その後、旅館内と外で分担を決めて各自は散開するのだった。



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事は動く

 

 

 

「ん、何だ?」

 

 

刹那たちと分かれて一人自室に戻った後、シフト制の見回り業務をしていた雄だが、旅館に貼っていた式神返しの結界を通過する気配を感じた。最初はネギが外部の見回りの際に通過したためかと想像をしたものの、あれから結構な時間が経っている。戻ってくるには早すぎるし、出ていくにしても遅すぎる。

 

分担でネギは外を、明日菜と刹那は中を見張る予定で、そもそも外に出ていく人間はネギしかいない。他の生徒や教員が出ていったとも考えられるが、つい先ほど先任の教師から雄は引き継いだばかりで、他の教師たちは仮眠を取るために自分たちの教員室に籠っているはず。

 

態々貴重な時間に外に出るほど、暇を持て余す教師もいない。

 

 

生徒に関しても今日は外に出た生徒はいないと聞いている。自クラスに関しては大半がお酒を飲んで酔いつぶれてしまっていて、出歩くことはほぼ皆無。となると考えられるものとしては、他の第三者が自動扉を通過した可能性だ。

 

 

「……」

 

 

一瞬どうしようか考える雄だが、万が一のこともある。事態が悪化してからでは元も子もないため、様子を見るために持ち場を離れて歩を進めた。一旦は刹那にも報告すべく、第五班の部屋へと向かう。女性の部屋に向かうのはいささか抵抗があるが仕方ない。

 

嫌な予感がする。思えば思うほどに歩く足は速まっていった。そして五班の部屋の近くの曲がり角に近付いた時、目の前に映る影に足を止めた。絨毯状の床に浮かぶ影など、ほんの僅かに黒が浮かぶだけで目視で判断するのは困難を極める。だが僅かな変化でありにもかかわらず、雄は色の変化を見逃さなかったのである。

 

影がはっきりと色濃く出てくる瞬間に雄は物陰に身を潜め、顔だけをのぞかせたまま様子を伺う。

 

 

(あれは確か清水寺の時にも見た影だよな……)

 

 

清水寺ではほんの一瞬視界に映っただけのため、同じものだと確信は持てなかった。が、同じものである可能性は高い。敵の姿が見えない、かつ正体が分からない以上、何かを仕掛けるわけにも行かず、いつの間にか数秒ほど点在していた影は何事もなかったように消失していた。

 

まさか今の影が式神返しの結界を通過する気配だったのか。消失してしまった以上は確認することも出来ず、五班の部屋へと向かうべく、曲がり角を曲がると部屋の前には自室に入ろうとする刹那の後姿が見えた。バタバタと忙しなく扉を開けようとする仕草は、窮地に追い込まれているような雰囲気を連想させる。

 

 

「刹那? 見回り終わったのか?」

 

 

たまらず雄は刹那に向かって声を掛ける。すると声に反応した刹那は、いつもより焦りの表情を浮かべたまま雄の方へと振り向く。

 

 

「あ、雄さん! ひょっとして雄さんも?」

 

「……ってことは刹那もか」

 

 

同じように何らかの気配を感じた、と考えるのが妥当か。とにかく今は時間が惜しい、木乃香の無事を確認しなければ、何事もなかったの一言では済ませられない。

 

 

「刹那、木乃香は?」

 

「今から確認するところです。私も結界を通過した気配を感じて駆け付けたばかりで……」

 

「そうか。俺はどうすれば良い? 一旦部屋に入った方が良いか?」

 

「寝ている方もいらっしゃるでしょうし、中まで入るのは雄さん的にもまずいでしょうから、ちょっと入り口付近でお待ちいただければと」

 

「分かった」

 

 

刹那の一言に大きく頷くと、雄は五班の部屋へと入る。

 

入ったところで待ち、先に刹那が部屋の奥へと進んでいった。部屋の奥では遊んでいるのか、ガヤガヤと騒がしい様子が伝わってきた。気にはなるが許可も無しに部屋の奥まで入ることは出来ないし、雄の方から行動を起こすことも出来ない。待たされてから数分ほど玄関先で時間をつぶしていると、再び刹那が戻ってくる。

 

 

「起きているのは神楽坂さんと、綾瀬さんだけのようです。綾瀬さんには見回りの体で一旦許可を取ったので、どうぞ入ってきてください」

 

 

どうやら刹那が入室の許可を取ってくれたらしい。彼女の言葉に誘導されるがまま、部屋の中へと入る。

 

 

「あ、雄さん」

 

「よ、明日菜。それと……綾瀬?」

 

「う、うぅ。こんばんはですぅ……」

 

 

部屋で起きているのは明日菜と夕映の二人のみ。明日菜は先ほどと何ら変わらない表情で居たが、綾瀬はやや苦悶の表情を浮かべながら、忙しなくうろうろと部屋を徘徊する。少し徘徊したかと思うと、今度は急に立ち止まりぴょんぴょん飛び始めた。

 

一連の動作を見ていた雄は、夕映が何かを我慢していることを察する。そしてその我慢しているもの、事象が何なのかも。ただ本人にとってはセンシティブな情報であり、おいそれと言葉に出して言えるものではなく、何事も無かったかのように視線を刹那と明日菜の方へと向けた。

 

と、そこで部屋に木乃香が居ないことに気付く。一番居て欲しい人物が部屋におらず、雄はキョロキョロと辺りを見回した。

 

 

「雄さん、このかなら今お手洗いに。ちょっと長引いちゃってるけど」

 

「え?」

 

 

明日菜の発言に同意を求めるように刹那の方を向くが、反応は変わらず頷くだけ。言われてみればトイレの電気は付いていて、中には人のいる様子が伺える。なるほど、中に人がいれば夕映は用を足せない。

 

初めの内は何の気無しに我慢していたが、入っている時間が思いの外長く、徐々に我慢の限界が近付いていると言ったところだろう。それもそろそろ笑い事では無いレベルらしく、夕映の顔には冷や汗が浮かび、表情はより一層険しいものとなる。

 

 

「……」

 

 

生理現象など当事者にしか分からない。しかし物事には限度がある。今部屋に入ってきたばかりで現状が掴みきれておらず、初めから部屋にいた明日菜に改めて状況を聞いていく。

 

 

「木乃香っていつくらいから?」

 

「え? えーっと確か十分くらい前からかな。一回ノックはしたんだけど、入っているって返事が来たから間違いなく居ると思うんだけど……」

 

「……そうか」

 

 

最後の方は明日菜もどこか自信なさげに伝えてくる。流石に友人とはいえ、トイレの中まで介入することは出来ない。声はドアの外からでも聞くことが出来るが、姿は扉を開けない限りは見れない。

 

扉の上部に小窓があるものの、特殊なガラス素材によって中の様子は確認できない。だからこそ確実に居ると言い切ることが出来なかった。

 

そうこうしている間にも確実に夕映の限界は近付いて来る。

 

 

「う、うぅ……こ、このかさぁん」

 

 

トイレの扉に倒れ込むように身体を預け、中にいるであろう木乃香に声を掛ける。すると中にいる木乃香から返事が返ってきた。

 

 

「入っとりますえー」

 

「ほら、返ってくるでしょ? だから大丈夫だと思うんだけど」

 

「……」

 

 

声は返ってきたが違和感が拭えない。

 

トイレに十分くらいこもることは有り得ないわけではないため、時間に関しては気にする要素ではないが、何回も呼び掛けて居るにも関わらず、返ってくる言葉が同じなのはいささか不自然に思える。

 

しかも相手は木乃香だ。少なくとも相手を気遣う言葉を掛けることくらいは、容易に想像できる。だが今は彼女の優しさが感じられない、我慢をしている夕映を一言で返すのみ。

 

 

「こ、このかさん……わ、わたしにも限度と言うものがっ……!!」

 

「お嬢様! 大丈夫ですか!」

 

「入っとりますえー」

 

「っ!?」

 

 

刹那も流石に心配に思えてきたか、ドンドンと二度トイレの扉をノックすると。先ほどと変わらない返事が、中からは返ってきた。一件何の変哲もない返事に思えるが、木乃香の返事に対して違和感を覚えていた。

 

おかしい。

 

まるでリピートされた曲を何度も聞かされているみたいだ。気遣う部分が微塵も感じられず、感情が捨てられた機械音声のような一言。繰り返し呟かれる無感情の声に、表情を変えて雄は立ち上がった。

 

 

「わっ! 雄さん?」

 

 

不意に立ち上がった雄に驚きの声を上げる明日菜は、急にどうしたのかと見つめる。

 

 

「刹那、トイレの扉を開けろ」

 

「え? し、しかしまだ中にはお嬢様が」

 

 

トイレで用を足しているかもしれないというのに、いきなり何を言い出すのかと瞬間的に判断する刹那だが、雄の浮かべるいつもと違った雰囲気の顔立ちに、言葉を止めた。

 

彼の顔にふざけているような節は見受けられない。それどころか切迫したかのような、危機迫った仕事人のような表情を浮かべていた。

 

 

「いいから早く! 取り返しが付かなくなる!!」

 

 

普段、語気を強めることなどまずない雄が、強い口調で刹那に指示する。雄の声にトイレの方振り向くと同時に我慢が限界を向かえている夕映が、涙目で何度も何度もドンドンとトイレの扉を叩いた。

 

 

「入っとりますえー」

 

「っ! これは……」

 

「う、うん。おかしいわね」

 

 

変わらない言葉の羅列に、刹那と明日菜の両名も流石に可笑しいと気付き、扉の前へと立つ。幸い鍵は掛けられていないようで、ドアノブを回せばすぐにでもトイレに入れる状態だった。

 

 

「このかさぁんっ!!」

 

「お嬢様、失礼します!」

 

 

失礼なのを承知で、トイレの扉を開ける。四人の目に映るのは木乃香の姿ではなく、便器に貼られた呪符だった。

扉が強引に開けられた今でも繰り返し、同じトーンで同じ言葉を繰り返し続けている。

 

 

「こ、このか!? お、お札が喋ってる!?」

 

「くっ、しまった!」

 

 

木乃香居ない。勝手に部屋の外へ出て行く姿は明日菜も刹那も見ていないことから、誰かに連れ去られたと考えるのが妥当か。

 

一番起きて欲しくない事態が起きてしまったことに、頭を悩ます一同だが、悩んでいる暇など無い。今は一刻も早く木乃香を見つけ、助け出さなければならない。

 

 

「いいから、わたしにおし○○させて下さい~っ!!!」

 

 

夕映の悲痛な叫びにトイレから呪符を引き剥がし、場所を譲る一同。旅館内に姿を潜めている可能性は低く、既に外へと連れ出されていることだろう。雄と刹那は顔を合わせると、意志疎通で追いかけようと伝えあう。

 

互いの意図を把握した二人は、一目散に部屋の外へと駆け出そうとした。

 

まさか人目を盗んで強攻策に出てくるとは、想定もしなかった。不測の事態、慣れない経験にどうすればいいのか分からずわたわたと慌て回る明日菜だが、ふと足を止める。

 

 

「あ、二人とも待って! 何か急にネギの声がっ!」

 

「ネギ先生の声?」

 

 

明日菜の呼びかけに立ち止まる二人。

 

ネギは一人、旅館外に出て見回りを続けている。もしかしたら旅館の外で、木乃香を誘拐した犯人と出会っているかもしれない、出会っていなかったとしても今回の件に関しては一旦共有を入れた方がよさそうだ。

 

 

「多分念話だろう。ネギ先生と仮契約を結んでいるなら、それを使って連絡が取りあえる」

 

「で、でも私どうやって返したら……あぁ、もう! 携帯の方が早いじゃないのよ!」

 

 

どうネギに返せばいいのか分からず、カバンの中にしまった携帯電話を探す。探し出したところで、携帯電話を開き電話を掛けながら、三人揃って部屋の外へと出た。



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始まる鬼ごっこ

「アスナさんアスナさんー、聞こえますかー?」

 

 

周囲を照らす光は街灯のみ。

 

暗く、不気味に周囲の木々が揺れる中、十歳の少年がオコジョと佇む様子は何とも不釣り合いに映ることだろう。街灯の下に立つネギとカモを街灯が照らし、二つの影が地面へと映し出された。

 

渡月橋にて仮契約(パクティオ)カードの説明を受けて、さっそく明日菜に向けてテストをするネギ。おでこにカードを当てながら何度か声かけをしてみるものの、明日菜からの反応は一向になく、こんな夜遅くに外で一人何を呟いているのだろうと、若干恥ずかしくなってくる。

 

いつまで経っても返答がないことに対し、カモへと確認する。

 

 

「あ、あれ? か、カモくんこれってアスナさんからの声は聞こえないの?」

 

「ま、まぁな」

 

 

従来互いの会話が出来ないわけでは無く、パートナー同士の通話用に用いられるツールにはなるのだが、あくまで互いに仮契約カードを持っている状態でなりたつものであり、ネギはまだ明日菜にコピーを渡していない。故にネギから明日菜への一方通行になってしまっていた。カモもネギの質問に対して、バツが悪そうに歯切れの悪い返事をする。

 

刹那、ネギの携帯が鳴り響いた。着信相手は明日菜からだ。

 

 

「もしもし、アスナさんどうしたんですか?」

 

 

こんな時間に一体何があったのかと、電話先のアスナへと尋ねる。声を返したネギの耳に聞こえてくるのは、小刻みに聞こえる足音と、微かな吐息。足音のペースの速さから走っているのだろうか、それも一人ではなく複数の足音が聞こえてきた。一瞬強風が受話器に当たったような音が響いたかと思うと、電話先から声が焦りに満ちた明日菜の声が聞こえてきた。

 

 

「ネギごめん! このかが攫われちゃった!」

 

「えぇ!! 誘拐された!?」

 

「何だって!?」

 

 

木乃香が誘拐された事実を聞き、ネギとカモは驚きを隠せない。一体どういうことなのかと続きを伺おうとするネギだが、電波状況が良くないのかどうにも声が聞き取りづらい。

 

 

「ちょっと……え? あ、ネギ! 今、雄さんに代わるから!」

 

「は、はい! 分かりました」

 

 

雄に電話を代わるという一言を受け、自然と背筋に力が入る。

 

今までは年齢は上でも教師としての立場から、普通に接することが出来たが、刹那の口から学園長からも信頼されていると聞いてからは、すごい人だったと分かり、話すことですら緊張するようになった。

 

 

「ネギ先生、聞こえるか?」

 

「はい、よく聞こえます!」

 

「そうか、今先生はどちらに?」

 

「今はちょうど渡月橋辺りに、カモくんと一緒に居ます!」

 

 

雄に言われるがまま現在地を電話先の雄に伝えると、少しの静寂の後、返事が戻ってくる。

 

 

「丁度ネギ先生がいる方角に、敵が向かっている。おそらく木乃香も一緒のはずだ! 厳しいとは思うが何とか足止めをして欲しい! 俺たちも直ぐに向かう!」

 

 

雄からの依頼は自分たちのいる場所に来るであろう敵を足止めして欲しいとのこと。どんな敵なのかは雄たちも姿を見たわけではなく、誰も分からない状況。そうは言っても敵が来ることが分かっているのなら、待ち構えるしかない。

 

臨時用の可愛らしい杖を取り出し、来る敵に備えようとした時だった。

 

 

「あ、兄貴アレ!!」

 

 

カモが指示する方角、春の夜空に大きく浮かぶ月に、黒い影が映った。初めの内は小さく、月の中に収まっていた影は、徐々に巨大化してをすっぽりと覆い尽くしてしまう。

 

否、覆い尽くしたのではない。みるみる内にネギの元へと近寄ってきていた。徐々に大きく、はっきりとしてくる影の輪郭。目を凝らして見ていると、人型と思っていた影は、二メートル近い巨大なサルだったことが分かる。

 

 

「さ、サル!? 何でこんなところに!」

 

「で、でっけぇ!」

 

 

熊の姿を見た時は驚きを隠せなかったものの、冷静に考えて普通のサルが高々と跳躍するハズもなく、こんな可愛らしいファンシーなサルが居たら大変だ。

 

すぐに着ぐるみだと分かるネギだが、サルが抱えているものを見て驚愕した。

 

 

「こ、このかさん!」

 

「何っ!?」

 

「あーら、可愛い魔法使いさん。さっきはどうもおおきに。無事にこのかお嬢様は頂きましたえ」

 

「ってあ! さっきの従業員の人!?」

 

 

先ほど旅館の外へ見回りに行く際に入り口で台車にぶつかってしまったネギだが、目の前にサルのぬいぐるみを被っている人物は何を隠そう、ぶつかった時の従業員だったのだ。

 

ニヤリと不敵な笑みを浮かべると、そのまま立ち去ろうと地面を蹴る。本来だったら異形の対象として恐怖感を覚えるはずが、着ぐるみという何とも可愛らしい様相に、どうにも敵だという認識が薄れてしまう。だが実態は木乃香を攫おうとしている関西呪術協会の手先である。

 

一切の手加減は不要。動きを止めるべく着ぐるみの進行方向に対して、練習用の杖を向けて呪文詠唱を始めようとした。

 

 

「待ちなさい! ラス・テル、マス・キル、マギ……もがっ!?」

 

 

矢先に大量の猿の式神が、ネギに覆いかぶさっていく。一匹だけならまだしも、複数ともなれば対応が出来ない。体中を至る場所に猿が張り巡らし、ネギは身動きが取れなくなってしまう。

 

近くにいるカモも追い払おうと一匹ずつ式神を攻撃していくも、数が多い。低級式神に悪戦苦闘していると、後ろから刹那や、雄、アスナが走ってきた。

 

 

「あぶぶ! に、逃げられました!」

 

「ちぃ、一足遅かったか! 追うぞ!」

 

 

ネギに引っ付いた猿を引き剥がして、逃げた先へと駆け出す一行。

 

しばし駆けているとようやくその後ろ姿を捉えた。

 

 

「あっ、居た! 待てーっ!!」

 

「ちっ、しつこい人は嫌われますえ」

 

 

忌々しげな表情をしながら、先に見える駅の中へと逃げ込もうとする。終電間際の時間帯ではあるが、駅周辺には人っ子一人見あたらない。後を追うように一行も駅へと入っていった。

 

多少繁華街から離れているとはいえ、人の気配が無い駅はあり得ない。管理している駅員まで居ないところを見ると、行き当たりばったりの誘拐ではなく、事前に綿密な計画を立てていたことが伺える。

 

 

「ちょっ、ちょっとおかしいわよ。終電間際にしても誰も居ないだなんて」

 

「人払いの呪符です! 普通の人では近付けません!」

 

 

駅構内の柱や壁に張り巡らされる札が散見された。

 

逃げ込むことを想定してあらかじめ準備をしていたんだろうが、ここまで大掛かりな準備を一人でやったのだろうか。追跡する中、雄は他にも当事者以外にも協力者が居るのではないかと、考えていた。

 

正面突破の誘拐は決して不可能なことではない。だが実行するのであれば、あらゆる可能性を想定し、作戦を練る必要がある。そしてそれを成功させるのに、果たして一人だけで実行できるのかと。

 

もしこの作戦に複数名が関わっているとすると、木乃香を取り返すのに相当手間が掛かることが考えられる。

 

 

改札を飛び越えると、既にデカ猿は正面に停車している電車に乗り込んでおり、発車を合図する音楽が鳴り始めていた。

 

 

「げっ、このっ!」

 

「雄さん!」

 

 

このままでは乗る前に逃してしまうと悟った雄は、着地と同時に強く地を蹴り、刹那と明日菜のど真ん中を駆け抜ける。風のように地を駆け抜けると、閉まろうとする自動ドアに両手を引っかけ、力任せに開いた。

 

術式が組まれているのか、通常電車の自動ドアは人が挟まると車掌が操作して開くようになっているが、今回は違う。そもそも車掌が操作しているのかどうかも怪しい。追跡を振り払おうと、ドアは閉まろうとする動作を続け、ミシミシと断続的に力が込められている音が聞こえる。

 

 

「っ! 早く!」

 

 

ドアを開いているのにも限界がある。両手でドアを開きながら顔だけを振り向かせ、背後にいる三人に声を掛けた。腕が小刻みに震えているところを見ると、相当な力が腕に掛かっているように見える。

 

転がり込むように乗り込むと同時に、手を離すと勢い良くドアが閉まった。

 

 

「間に合った! 前の車両に追いつめますよ!」

 

 

電車に乗り込むことに成功した一同は、刹那の言葉を合図に、先の車両へと逃げていく敵を追いかけていく。所詮電車は密室空間、先に逃げたところで行き止まりだ。

 

ブレーキをかけない限り電車は止まらないし、高速で動く電車から飛び降りようとするのなら、相応のリスクを負わなければならない。人質である木乃香を抱えている状態で、ギャンブルに走るとは思えない。

 

次の駅に着くまでに何とか、捉えようと前の車両へと追い詰めて行く。

 

 

「お札さんお札さん。ウチを逃がしておくれやす」

 

 

車両の前方まで追い詰めたところで、相手は一枚の札を取り出し、こちらに向かって投げつけた。投げつけられた札が発光したかと思うと、一気に大量の水が溢れ出す。

 

 

「わーっ!!?」

 

 

大量の水はみるみるうちに車両を水没させていく。あっという間に車両全体を埋め尽くした水は、ネギたちの行動を制限する。

 

呪文詠唱をしようにも口を開く度に水分が口の中に進入してくるせいで、まともに喋ることが出来ず。ドアを力任せに破壊しようにも、水中では力を込められずに前に進むのが精一杯。

 

このままでは数分と保たずして全員窒息してしまう。

 

 

「ほほっ、車内で全員死なへんようにな~」

 

 

車両間を繋ぐドアの扉から、中の様子を伺いながら笑みを浮かべるデカザル。相手がどうなろうが、木乃香さえこちらの手に渡ればそれでよしと考えているようだ。

 

自らの野望のためには、手段を選ばない。野望が叶えば、相手の命など知ったことではない。淡々と陽気な京都弁を連ねるところを見ると、頭のネジが何本か盛大に抜けているように見える。

 

中で追いかけて来た愚か者どもが苦しむ様子をもう少し見てやろうか、前の車両に逃げ込むのを止めて再び小窓を覗き込んだ時だった。

 

 

「っ!!?」

 

 

不意に背筋を襲う悪寒。

 

立場的に自分自身が優位なのは変わらないハズだというのに、どうして相手に対して恐怖感を覚えるというのか。瞳の先に映る、相手を震え上がらせるような殺気を込めた視線。

 

水没する車内でじたばたともがく中、たった一人は何事もないかのように片目だけを開けながら、彼女の視線を射抜く。

 

 

(な、何や!? あ、あの男は一体……まさか、千景(ちあき)が言うとった要注意人物っちゅうんは……)

 

 

以前、麻帆良学園に偵察に行った弟が、コテンパンにやられて帰ってきたことがある。西洋魔術師だからといって油断するからだと伝えたが、当の本人はボロボロになりながら口を真一文字に結んでそれは違うと否定した。

 

情報として入ってこなかったとんでもない使い手がいるするから、修学旅行中は注意した方が良いと伝えられたことを思い出す。それがあの男だというのか、もし仮に千景の言う男だったとしたら、木乃香をさらう上で大きな障害になる。

 

千景は何らかの対策をしてくれたのかと悪態をついた瞬間、目の前のドアがトラックがぶつかったかのように吹き飛ばされた。

 

 

「あーれー!」

 

 

隣の車両から流れてくる水に流される。それとほぼ時を同じくして、駅に到着した電車は自動ドアが開くと同時に貯まった水が、ダムの決壊のように勢い良く流れ出した。

 

水の力に流されるだけのネギと明日菜、雄と刹那は体勢を整えて、びしょ濡れになりながらもホームに着地した。

 

 

「あーあーびしょ濡れだよ……折角木乃香に選んでもらったのに。よくもやってくれたな、このデカザル女」

 

 

雄は濡れて体中に引っ付く服を、鬱陶しそうに絞る。加えて木乃香が選んでくれた私服を何の理由もなくびしょ濡れにされて、多少の苛立ちを覚えているようにも見えた。

 

 

「ふん、嫌がらせは諦めて、大人しくお嬢様を返すがいい」

 

「はぁはぁ、中々やりますな。しかしこのかお嬢様は返しまへんえ」

 

 

再び木乃香を抱え上げて、駅から逃げ去ろうとする。

 

関西呪術協会との鬼ごっこは、まだ終わらない。



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異変

「フフ……よーここまで追ってこれましたな」

 

 

長く続く階段の半ばまで追いつめる一同。着ていた熊の着ぐるみを脱ぎ捨て、着ぐるみには気を失った木乃香が寄り掛けられていた。

 

着ている服に見覚えがあるのか、ネギは目を見開いて驚く。

 

 

「そやけどそれもここまでですえ。三枚目のお札ちゃんいきますえ」

 

「させるかっ!」

 

 

呪符の発動を食い止めようと一人先に駆け出そうとする刹那だが、それよりも早く術式が作動する。

 

 

「三枚符術京都大文字焼き!」

 

 

読んで字の如く、大の字に展開された炎が刹那の行く手を阻む。階段一体に広がる炎から発せられる熱が、近付く刹那を襲った。

 

 

「うあっ!?」

 

「桜咲さん!」

 

 

広がる炎から刹那を守ろうと、明日菜は力任せに後ろへと引き寄せる。引き寄せると同時に、刹那が居た辺り一帯を業火が埋め尽くした。

 

後一歩遅ければ大火傷をしていたかもしれない。間一髪のところで助けることに成功し、熱線が当たらないギリギリの場所まで退避する。この高さの業火を飛び越え留のは難しい、もしこの一帯を突き抜けるのであればまずは目の前に燃え広がる炎を消し去らなければならない。

 

 

「ホホホ、並の術者では越えれまへんえ。ほな、さいなら」

 

 

勝ち誇ったかのように笑みを浮かべるが、場にはまだ二人切り札が残っている。杖を構えて素早く詠唱を唱えると、ネギは広がる炎めがけて魔法を発動させた。

 

 

「風花……風塵乱舞!!」

 

 

並の術者では越えられない炎かもしれない。だが、ネギは魔法学校を主席で卒業したエリート、近距離戦は苦手でも、遠方からの魔法攻撃は彼の十八番。

 

この程度の炎を消し去ることなど、そう難しくはなかった。一帯に広がる炎はみるみる内に消え去り、やがて何事も無かったかのように鎮火した。

 

 

「逃がしませんよ!! このかさんは僕の生徒で、大切な友達です!」

 

 

そう宣言すると左手に握った仮契約カードを高く掲げて、契約の執行を行う。明日菜の周囲にはネギの魔力が纏い、いつでも戦える状態になる。

 

自身の前に守るように立つ、ネギと明日菜の姿を見て、刹那は何とも言えない気持ちになる。いつもは自分が居たであろうポジションに、今はネギと明日菜がいる。守ってもらうことなんて、ほぼ無かっただけにどう反応すればいいのか分からずに惚けてしまった。

 

そんな刹那の心中を察してか、今まで無言を貫いていた雄が、刹那の横に立つ。

 

 

「なっ、頼もしいだろ? 木乃香を思う気持ちが強いのは、何も刹那だけじゃないぜ」

 

 

一言呟くと、場にしゃがみ込む刹那を立たせた。

 

 

「桜咲さん、行くよっ!」

 

「え……あっ、はい!」

 

「もー、さっきの火下手したら火傷しちゃうじゃない。冗談じゃ済まないわよ! さっさとこのかを返しなさい! このバカ猿女ー!」

 

 

階段を蹴り、刹那と明日菜は二手に分かれて相手に走っていく。そして二人の後を追うように、ネギと雄が続いた。

 

どうやらネギとカモの反応を見るに、仮契約を交わしたパートナーには、専用の武器が与えられるらしい。それを先を走る明日菜に告げ、ネギの呪文が唱えられたかと思うと『ハマノツルギ』と呼ばれる専用武器(アーティファクト)が、明日菜の手元に現れた。

 

形状を成していく魔力の固まりに、期待を込める明日菜。しかし光り輝いた瞬間、明日菜の手に握られていたのは。

 

 

「は、ハリセン?」

 

 

何の変哲もないハリセンだった。

 

ハリセンにしては装飾が凝らされているが、誰がどう見たところでハリセン以外の何物でもなく、剣要素を微塵も含んでいない。階段を上り掛けていた雄が拍子抜かされて、思わず足を踏み外しそうになる。

 

無理もない、誰がどう見ればハマノツルギに見えるのか。そう思ったのは雄だけでは無く、塚を握っている明日菜も同じ気持ちだった。どういうことかと顔だけを振り向かせて、ネギに抗議する。

 

 

「ちょっと、ネギ! ただのハリセンじゃん!」

 

「あ、あれー?」

 

 

召還したネギもただ首を傾げるしかない。とはいえ、この際武器に対して贅沢を言っている余裕はない。事態は一刻を争う状況であり、武器が悪いから変えてくれなどと悪態を付いている状況ではなかった。

 

 

「もう、仕方ないわね!」

 

 

相手に近付くと、魔力で強化された脚力を生かして高々と飛び上がり、ハリセンを振り下ろす。

 

確かな手応えと共に眼前に現れたのは、先ほど風呂場にて現れた小猿を大きくしたかのような式神と、熊の式神の二体だった。片方はしっかりと刹那の斬撃を止めているが、猿の式神に関しては白羽取りしようと試むも、間合いが足りずに頭部に一撃を食らってしまった。

 

ダメージらしいダメージが無いのは、突如現れた式神が何とも間抜けな顔をしていたせいで、当たる直前に力を緩めてしまったから。また今まで着ぐるみとして着ていたはずのものが、勝手に動き始めたことに驚きを隠せなかったからだ。

 

見た目は間抜けでも、呪符使いの前衛を担う善鬼と護鬼。油断はままならない。それに当の術者本人も、強力な式神であることは分かっているようで、再度勝ち気な表情を浮かべながら場を立ち去ろうとする。

 

 

「ウチの猿鬼と熊鬼は中々強力ですえ。一生そいつらの相手でもしていなはれ」

 

「……待てよ。まさか他に二人居ることを忘れてないだろうな?」

 

 

立ち去ろうとする背後に既に回り込んだ雄は、両手を広げながら先へ行かせまいと立ちふさがる。が、そんな雄にも焦りの表情を浮かべることは無かった。

 

 

「ふん! アンタの相手はウチではありまへんえ」

 

「何……「雄さん、後ろ!」ちいっ!!」

 

 

刹那の声かけに瞬時の反応を見せ、場から飛び退くと同時に雄の居た地面がえぐり取られる。

 

地面に片手を付き、勢いを利用して側転しつつ近くの地面へと立つも、ほのかに頬を伝う生暖かい感触に、視線下げた。しっかりと避けたつもりだったのだが、ほんのわずかに相手の攻撃が掠ったのか、左頬の切り傷から、じわりと血液が溢れ出ている。

 

実力から見て上級クラスの式神だろうか、以前戦った上級式神に比べて実力が高い。式神の中でも本当の上級に位置する式神なのだろう、この場で二体相手にしなければならないとは、面倒なことこの上ない。

 

忌々しげに舌打ちをすると、前から近付いてくる足音に気付き顔を上げた。

 

 

「お前は確か……」

 

「久しぶりやなぁ風見はん。麻帆良学園ではどうもおおきに」

 

 

声を含めた立ち居振る舞いに見覚えがあった。あの時は羽織のせいでよく見えなかった顔が、夜だというのによく見える。かつて刹那を不意打ちで誘拐し、手を出そうとした関西呪術協会の手先。

 

 

「お礼をされるようなことはした覚えがないんだがな。むしろよくもまぁ、おめおめと面を出せれたもんだ」

 

 

相手の正体が分かるや否や、平静を装っていた表情が険しいものへと変化する。未然に防げたとはいえ、自分の大切な生徒を手に掛けられそうになったのだから、麻帆良学園での一件を快くは思ってはいない。まして間隔的にも短期間で顔を合わせているせいで、相手の印象を雄も覚えてしまっている。

 

もう少し間隔が空いていれば、多少なりとも雄の相手に対する負の感情は薄れていたかもしれない。が、これも運命だろう。すぐにでも殴り倒したい気分に苛まれるが、自身の気持ちを抑え込みながら話を続けていく。

 

 

「んで、この前やられた人間が今回は何の用だ? まさかリベンジなんて言う訳じゃねーだろーな」

 

 

戦線に出てきている時点で、前回の復讐のためであることは分かっているが、あえて皮肉を込めながら伝えていった。わざわざ顔を出すくらいだ、相手方にも勝算があるからこそ出てくるのだろう。鬱陶しそうに頭をかきながら尋ねる。

 

 

「ははっ、アンタも頭が悪いなぁ。こっちから出向いてんねんから分かるやろ?」

 

「……」

 

 

煽りに煽りで返されて、雄のこめかみがピクリと反応した。軽口を叩かれたことに、多少の苛立ちを覚えている。我を見失うレベルで沸点が振り切れているわけではないが、頭が悪いと罵られれば気分が悪くなって当たり前。

 

それに加えて、この緊迫した状況に余裕があるわけでもない。こうして話している間にも明日菜は熊鬼と、刹那は新たに現れた神鳴流の剣士と戦っていて、既に残っている人材はネギのみと少ない状態だ。

 

もし追加で増援が現れる可能性も考えると、悠長なことは言っていられない。しかしそれは相手にも同じことが言えた。

 

 

千景(ちあき)、遊んどる場合ちゃうで。増援を呼ばれたら面倒やし、さっさとこいつらなんとかしーや!」

 

 

千景と呼ばれた男性に向かって、デカザルの着ぐるみを着ていた女性が声を荒げて伝える。ある程度、麻帆良学園側の戦力を見越して、作戦を決行しているのだから、戦力的には足りると踏んでいるのは関西呪術協会の方だ。

 

しかし、時間を掛ければ掛けるほど、相手に情報を伝える上に、総本山に援軍を求められたら今後の作戦完遂に支障を来す。また必要以上の戦闘は、現有戦力を削ることにもなりかねない。例え木乃香を無事に誘拐出来たとしても、後に残る戦力が無ければまた奪還されてしまう。

 

理想は最後まで気付かれずに、木乃香をさらうことだったがそれはもはや叶わぬ夢。ならばこちらの損害を極力減らし、相手を撒くことが最優先事項になる。

 

 

「分かっとるわ千草(ちぐさ)ねーちゃん。時間を掛けるつもりなんて毛頭無いわ」

 

 

結局のところ時間は掛けたくない。千景と呼ばれた男性が、姉である千草に言うようにさっさと片付けなければならない。つまり彼の言い方は、雄に勝算があることを明示するようなものだった。

 

一連のやり取りを静観していた雄だったが、千景が返事をした瞬間に、一歩足を踏み出す。

 

 

「時間を掛けるつもりはない、ね。随分と舐められたもんだ」

 

「勘違いすんなや、風見はん。別にアンタのことを弱者と言うとるわけちゃう。正直アンタと正攻法で立ち向かいたくはない。せやけど、どんな人間にも弱点はある。弱点のない人間なんてあり得へんのや」

 

「……何が言いたい?」

 

 

意味深な千景の発言に歩を止めた。

 

場にそぐわない発言に、もしかしたら別の意味が込められているのではないか。本当に雄に勝つための勝算があるのかもしれない。一旦様子見のために、千景との距離を取る。

 

罠でも仕掛けてあるのに、このまま進んだらそれこそ相手の思う面。

 

 

「ワイが何かしたところでアンタには見破られてまう。それはウチのねーちゃんでもそうや」

 

 

なおも千景は言葉の羅列を続けて行く。

 

もし仮に千景が何かを考えたところで、すぐに雄にはバレてしまう。それは彼なりの雄に対する評価であり、正攻法では敵わないという紛れもない事実だった。

 

雄を倒すためには不意打ちを狙っていかなければ厳しい。だが不意打ちを仕掛けようにも、彼に近付くのは容易なことではなく、少しでも敵意を見せれば気付かれてしまう。

 

彼を奇襲するのに有効な手段があるとすれば一つ。

 

 

「でもな、それがアンタの近くにおる、大切な人やったらどうや……?」

 

「?」

 

 

雄の周囲を取り巻く人間を利用したとすればどうだろうか。

 

少なくとも第三者が奇襲するよりかは、確実に成功率は跳ね上がる。ただ、雄の周囲を取り巻く人間といえば木乃香や刹那が挙げられるものの、二人が理由無く雄を攻撃する可能性は万に一つもない。

 

千景はニヤリと表情を歪めると、その場で術式を唱え始める。嫌な予感がする、不測の事態備えて身構える雄だが、数秒もしないうちに雄の身体を異変が襲った。

 

 

「ぐっ……てめっ、俺の身体に何を……!?」

 

「アンタ、ホンマに甘いなぁ。せやから足下を救われるんやで?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身体に力が入らず、膝から地面に倒れ込んだ。



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違和感

「ぐっ……てめっ、俺の身体に何を……!?」

 

「アンタ、ホンマに甘いなぁ。せやから足下を救われるんやで?」

 

 

ニヤニヤと笑みをこぼす千景の前で、突然雄は膝をついて場に崩れた。千景は雄の身体には触れていない、あるとすれば崩れる前、何かしら呪文のようなものを呟いたことくらいか。

 

とはいえ、目に見える動作に何も対応しない程、雄が油断しているとも考えづらい。ただ現実は胸元を抑えながら、深い呼吸を繰り返す。

 

 

(神経毒でも盛られたみたいだ……一体いつ?)

 

 

身体が思うように動かない、動かそうと試みるも痺れてしまい全く言うことを利いてくれない。まるで操作も分からないゲームをやらされているみたいだった。

 

なまじ身体が上手く動かないあたり、ゲームよりもたちが悪い。麻痺により呼吸機能も低下し、通常よりも多くの酸素を身体が欲していた。死ぬまでは至らないみたいだが、これでは戦うことなど到底不可能。仮に戦ったとしたら赤子の手をひねるようなもので、相手にならないのは明白。

 

退いたら木乃香の誘拐をみすみす許すことになる。

 

 

「分からんやろ。そらそうや、何の疑いも無く飲んでくれたからな」

 

「飲んだ……だと?」

 

 

何を飲んだと言うのか、千景の言っている意味がよく分からない。恐らく毒のことを刺しているらしいが、見知らぬ第三者から手渡された飲み物を飲んだ覚えはない。そもそも知らない人間から渡された飲み物を、何の疑いもなく飲むメリットがどこにあるのか。

 

これだけ関西呪術協会の妨害が激しくなっている中で、知らない人間を信用するほど、雄は落ちぶれていない。今日一日で飲み物を口にした回数は数回。その中に全く知らない第三者から何の疑いも無く、飲み物を貰ったことなどあっただろうか。

 

ありうる可能性を脳内の記憶から探っていく。考える雄の耳に、千景から衝撃的な一言が発せられた。

 

 

「流石に気ぃ付かへんやろ。自分の身近にいる人間から手渡された飲み物に、術式が施されているやなんて」

 

「お前……まさかっ!」

 

 

そこまで言われて気付く。今日飲んだ物の中で、唯一何の警戒も無しに飲んだ物があることに。その事実が受け入れがたいと言いたげな表情を浮かべ、杞憂であって欲しかった事象の現実に、どこか絶望した。

 

一番最初に訪れた清水寺での出来事だ。クラスの生徒たちと様々な名所を回り、清水の舞台に立ち寄った時に、雄は木乃香からコーヒーの差し入れを貰う。

 

最初はわざわざ自分のために買ってきてくれたのかと思うも、自分の飲み物を買った時に、偶々サービスでつけて貰ったと言った。このご時世、いくら容姿が優れているとはいえ、サービスで飲み物を渡すようなことは早々ない。タダで貰った時点で多少なりとも何か裏があると疑って掛かるべきだった。

 

渡されたコーヒーに通常の毒物は入っておらず、液体に特殊な術式を組む。当然何も入っていないのだから、無味無臭。自身が信頼している人から手渡された飲み物であれば、抵抗もなく飲むだろう。

 

飲んだところで何かが起こるわけではない。だが、術式はコーヒーを介して、雄の体内に進入。体内に張り巡らされた術式を発動させれば、相手を強制的に拘束出来る。内からの術式は効果も高く、相手を無効化するにはうってつけの方法になる。

 

 

「……」

 

 

歯を食いしばりながら、雄は千景を睨みつけた。

 

相手の罠にはまったのは完全に自分の認識の甘さからくるものであって、そこに対して別段思うところは無い。しかし今回、木乃香が渡したコーヒーを飲んで、このような事態を巻き起こしている。

 

罪悪感が全く無いとはいえ、雄に罠が仕掛けられたコーヒーを飲ませてしまったのは木乃香であり、もし木乃香がコーヒーを渡していなければ、雄が相手の術中にハマることは無かった。それに知らなかったとしても、得体の知れない飲み物を雄に飲ませてしまった事実は変わらない。

 

目標を排除するためなら、関係のない第三者を利用しようとする卑劣さ、腐った根性に猛烈に腹が立った。

 

 

「ま、どちらにしてもこれでアンタは動けん。麻帆良学園で一方的にやられた借り、返させてもらうで」

 

「……」

 

 

千景の何気ない一言で、雄の中で何かが切れた。

 

声を荒げるわけでも、暴れまくるわけでもない。周囲は戦いの音で騒がしいというのに、二人の空間だけは何事もなかったような異常なまでの静けさ。その雰囲気を、近寄ろうとした千景が悟る。

 

嵐の前の静けさなのか。目の前には無力化された雄が居るだけで、油断さえしなければまずやられることはない。

 

 

(なんや? この妙な感じは)

 

 

雄を倒すためだけに木乃香を利用し、ここまで追いつめた。彼にとって木乃香の奪還はおまけに過ぎず、今回の全てを雄を倒すことだけに捧げてきた。後は憎き相手に手を下すだけ……しかし、進もうとすると足だけが言うことを利かず、場に止まってしまう。

 

無力な相手を恐れている、そんなバカな話があるかと自身に言い聞かせるように、足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふ。今の内にこのかお嬢様を連れて……」

 

 

天ヶ崎千草は、階段下で戦う様子を伺いながら逃げるタイミングを図っていた。

 

既に麻帆良学園側の戦力はほぼ全員手が塞がっている状態で、彼女を相手にする者はいない。近接戦を得意とする相手が居なければ怖いものはない上に、今の内に逃げてしまえば、無事に木乃香の身柄が手に入る。

 

だが千草は立ちはだかる障害の多さに、もう一人の存在を完全に忘れていた。

 

 

「魔法の射手、戒めの風矢!!」

 

「あぁっ、し、しもた! ガキを忘れとったー!?」

 

 

杖をかざし、千草の居る方向に向けて光の矢が一斉に向かっていく。呪文詠唱に時間は掛かるが、その効果は絶大。ネギの存在を失念していた千草は慌てて呪符を使おうとするが、今から展開したのでは間に合わない。

 

 

「ひいー! お助けー!」

 

 

身を守るための反射行動で、とっさに抱えていた木乃香を自らの前に置き、盾にしようとした。このままでは無関係の木乃香に矢が直撃してしまう。

 

 

「あ……ま、まがれ!!」

 

 

千草の想定外の行動に、ネギは慌てて矢を別方向へと誘導。間一髪のタイミングで矢が明後日の方向へと逸れていく。攻撃が逸れたことを薄目を開けながら恐る恐る確認する千草と、盾にされた木乃香はその場にしゃがみ込んだ。

 

流石に木乃香を盾にされてはネギも迂闊に攻撃をすることが出来なかった。無防備な相手を盾にするなんてズルいと、抗議をするネギだが、慌てる姿を見てニヤリと勝気な笑みを浮かべるのは千草だった。この娘がいる限り、ネギたちは自分に手出しを出来ない。

 

勝気な笑みはやがて狂気の薄笑いへと変わる。

 

 

「ははーん、読めましたえ。甘ちゃんやな、人質が多少怪我するくらい気にせず打ち抜けばえーのに」

 

「こ、このかさんを離してください! 卑怯ですよ!」

 

 

ネギの抗議にも耳を傾けず、ひたすらに高笑いを繰り返した。

 

 

「全くこの娘は役にたちますなぁ! この調子で利用させてもらいますわぁ」

 

 

ネギと千草の戦いだけではなく、周辺にて行われている戦況もあまり芳しいものではない。突如現れた神鳴流剣士と戦っている刹那は、慣れない二刀流の相手にペースを掴めずに悪戦苦闘、そして雄は見てのとおり飲み物を介しての術式で、身体の自由を封じられて動けないでいる。

 

式神と戦っていた明日菜は露天風呂に居たサルたちに身動きを封じられ、身体を掴まれたまま締め付けられていた。間抜けな顔をしているとはいえ、式神としては強力な部類に入る。ここまで良く戦っていたが、元々つい最近まで一般人だった明日菜にとっては少々荷の重い相手に変わりなかった。

 

ネギとの一部始終を聞いていたようで、振り向きざまに千草へと問いかける。

 

 

 

「こ、このかを如何するつもりなのよ……」

 

「せやな。まずは呪文や呪符使て口でも利けんよにして、上手い事ウチらの言う事を聞く操り人形にするのがえーとこやろ」

 

 

何気なく発した非人道的な行為は周囲の人間全員の耳にしっかりと聞こえていた。

 

 

「な……」

 

「何ですって……?」

 

 

ネギと明日菜は目を見開き、刹那はこめかみに血管を浮かべ、今までにないレベルでの怒りの様相を浮かべている。夕凪を握る手に力が入り、徐々に相手の刀を押し返していく。

 

 

「あら……?」

 

 

相手である月詠も刹那の異変に気付いたようで、冷や汗をかきながら剣を押し戻そうとするも、徐々に刹那の刀身が自身に迫ってきた。月詠も手は抜いていない、実際に刹那の力が上回っていることになる。今まで終始押され気味に戦っていたというのに、一体何が刹那の力を増幅させたのか分からず、首を傾げるしかなかった。

 

最後に千景と式神二体を相手にしている雄だけは、先ほどと様子が変わらないまま。ただし千草の一言に対して一瞬だけ身体を揺らして反応を見せる。

 

其々似たような反応を見せる中、勝ちを確信して油断しきった千草は変化があった周囲に目もくれずに言葉を続けていく。

 

 

「ウチの勝ちやな。フフフ、このかお嬢様か。なまっちろいおケツしてかわいいもんや。ほななケツの青いクソガキども、お尻ぺんぺーん♪」

 

 

剥き出しになった木乃香の尻肉を数回叩いた瞬間、場に居た何人かの堪忍袋の尾が切れた。

 

 

「このかお嬢様に何をするかーっ‼」

 

「このかに何てことすんのよっ!!」

 

 

ブチりと何かが切れる音とともに刹那は目の前の月詠を彼方へと吹っ飛ばし、明日菜は自らを掴んでいた式神の手を振り払い、無防備な胴体にハリセンを一閃。着ぐるみの切れ目から煙が出て、あっけなく元の紙状態に送り返した。

 

それと同時に二人一斉に千草の元へと駆け寄ってくる。反撃されることを想定して居なかった千草は、あっさりと接近を許す。

 

二人に加えて手が空いている人間はもう一人、ネギがいる。再度杖を構えると素早く呪文詠唱し、技を発動させた。

 

 

「風花……武装解除!」

 

 

ネギの魔法が千草を捉え、障壁もろとも服まで消し飛ばす。同じように人質として捉えられていた木乃香の浴衣もきれいさっぱりと消し飛ばしてしまうが、木乃香は目を覚ましていないために気付くことは無かった。

 

 

「なあーっ!?」

 

 

素っ裸にされたことで、顔を真っ赤にさせながら照れる千草だが恥ずかしがっている暇などはあるはずもない。間髪を入れずに懐へと飛び込んだ明日菜は、ネギが咄嗟に発動させた仮契約カードの魔力を纏ったハリセンを上から下へと振り下ろす。

 

紙媒体のハリセンとはいえ、無防備な脳天を直撃すれば頭部には強烈な痛みが走る。小気味良い乾いた音とともに、千草の眼鏡がずれる。

 

 

「あだーっ!?」

 

 

まだまだネギたちの猛攻は止まらない。

 

 

(くっ、護符が効かん。こうなったら必殺の……)

 

 

更なる大技を出そうと別の呪符を取り出そうとする千草だったが、それよりも早く背後に現れる気配に気付く。だが気付いた時には既に手遅れ、ネギと明日菜が攻撃する隙を突いて背後に回り込んだ刹那は刀を抜き、下から上へと振りきった。

 

 

「秘剣……百花繚乱!!」

 

「ぺぽーっ!?」

 

 

強烈な峰打ちを喰らい、攻撃の勢いそのままに地面を二転三転と転がっていくと、近くにある柱に激突してようやく勢いが止まった。千草の手から離れた木乃香は、ふわりと下から吹き付ける風によって、優しく地面に接地した。

 

周囲にいた猿の式神も残り僅かに対してネギや明日菜、刹那はまだまだ戦える状況にある。

 

脇腹を押さえながら、よろよろと立ち上がる千草だが諦めているようには見えない。

 

 

「くっ……何でガキがこんなに強いんや。千景! アンタは何しとんのや! はよ加勢せん……わぶっ!?」

 

 

別に手駒は全て使い切った訳ではない。まだ雄と戦っている千景が残っていたはず。先ほど見た時は雄を千景が追い込んでいた。とっくにケリをつけているとしたら、何で加勢に来ないのか。

 

途中まで言い掛けたところで、千草の体に衝撃が走る。衝撃の正体を確認すると、その表情が一変した。

 

 

「ば、化け物……」

 

 

顔をあげて一言、弱々しく呟くのは千景だった。いつもの余裕ある表情は面影すらなく、全身ズタボロにされている。まるでトラウマを植え付けられたかのように酷く怯える表情と、ガタガタと小刻みに震える身体。

 

到底戦えるようなコンディションではなく、これ以上の戦闘は誰が見たところで不可能。

 

 

「お、おい。何があったんや! しっかりしなはれ!」

 

 

たまらず場にしゃがみこみ、両肩を掴んで揺らす。ここまで酷くやられるとは思ってもみなかったことだろう。綿密に組まれた作戦がこうも簡単に打ち破られるだなんて、全く想像だにしなかった。

 

端から見るネギや明日菜も、突然のことに驚きを隠せないでいる。刹那だけはどこか悟ったかのような表情を浮かべながら二人のやり取りを見つめた。

 

コツコツと階段を降りてくる音が聞こえる。音が大きくなる度にガタガタと、千景の身体の震えが大きくなっていく。その様子を見た千草は、たまらず階段を降りてくる人物を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーおー、今のを喰らって意識があるのか。もっと鍛えりゃ良い戦士になるんじゃないか」

 

「あ、アンタはっ!」

 

 

戦いを終え、何事もなかったかのように淡々とした表情の雄だった。



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一日目終了

「つ、雄さん!?」

 

「よっ、明日菜。そっちはもう終わったみたいだな」

 

 

あっけらかんとして現れる雄にハリセンを構えたまま、明日菜は驚きの声を上げる。あまりにも場に不釣り合いな雰囲気で現れたことに、若干顔が引きつりつつも表情を変えないように注意する。

 

呆然と立ち尽くす明日菜とネギ。かなりの苦戦を強いられているのは分かったが、自分たちが千草と戦っているうちにケリをつけてしまったらしい。

 

 

(風見先生、確かさっき敵の罠にハマっていたみたいだけど……)

 

 

敵の罠にハマったことはネギも知っている。一度は加勢に行こうとも思ったが、刹那や明日菜がそれぞれ別の敵と戦わなければならなくなり、ネギも千草に捕らわれた木乃香を救出する必要があった。

 

それ故に手助けをすることは出来ずに、千草と戦うことになったものの、問題なのはそこではない。

 

雄が崩れてから、千景を倒すまでに掛かった時間はごく僅か。罠にハマって、回復するまでの時間を除くと、如何に効率よく相手を倒したかが分かる。それに千景の周囲には上級式神である善鬼と護鬼が守っていたはず。その姿も無いところを見ると、全て倒してしまったようだ。

 

そして完膚無きまでに倒された千景の表情は、恐怖を見せつけられたかのように、絶望の色に染まっていた。

 

相手に絶望を与えるほど、何をしたというのか。たった一瞬の出来事故に、ネギも明日菜も何一つ把握出来ずにいた。

 

 

「雄さん、お怪我は?」

 

「大丈夫。多少服が汚れたくらいだ」

 

 

身を案じる刹那に、ぐるぐると腕を回しながら問題ないことを伝える。本人の言うように目立った外傷も無く、精々纏った服が湿っているくらいだった。三人の無事を確認すると、倒れ込む千景と歯を食いしばりながら悔しがる千草の方を向く。

 

 

「……何が何でも勝とうっつー執念だけは認めてやる。だが、お前のやることはあまりにも品がなさ過ぎだ」

 

「あ、あんた、ウチの弟になにしたんや!」

 

「多少おいたが過ぎたんでね。相応のトラウマは植え付けさせて貰った」

 

 

雄は睨む千草にも動じずに淡々としたまま話す。彼女からすれば自身の大切な弟が、得体の知れない恐怖に怯えている様子を放って置くことなど出来ない。雄も千景がやったことに対してやり過ぎだと言っているあたり、戒める意味合いが強かった。

 

術式を組んだ飲み物をあろうことか関係の無い木乃香に渡し、雄に飲ませた罪は重い。間違っていれば雄の生命を奪っていたかもしれない。本人には全くその気も、悪気も無いのにだ。

 

本来であれば雄とて許していなかっただろう。だが、今は周囲で見ている自らの教え子もいる。沸き起こる怒りを抑え、何事も無かったかのように振る舞った。

 

 

「不意打ちをしたまでは良かったけど、喋り過ぎたな。カラクリさえ分かれば、後はこっちの専門分野だ」

 

「ぐっ……くそ!」

 

 

圧倒的に分が悪い。

 

素っ裸にされた千草に、恐怖に怯え、目が虚ろのまま明後日の方向を見ている千景。刹那に弾き飛ばされた際に掛けている眼鏡を失い、必死に地面に落ちた眼鏡を探す月詠と、満身創痍の関西呪術協会側に比べ、麻帆良学園側はほぼ全員戦える状況。

 

状況を把握できずに無茶をするほど、思考がままならない訳ではなかった。忌々しげな苦い表情を浮かべると、残しておいた呪符を使い、先ほどとは別の猿の式神を召喚する。千草自身と千景、眼鏡を探す月詠を乗せて地面から飛び立った。

 

 

「お、覚えてなはれー!」

 

「あっ、逃げた!」

 

「神楽坂さん! 追う必要はありません!」

 

 

逃げようとする千草を追いかけようと、明日菜は駆け出そうとするも刹那に止められる。単独での深追いは、後々致命的なミスを生むかもしれない。相手の正確な人数が分からない以上、下手に追う必要もない。

 

十分に抗えることを証明し、痛手も負わせている時点で連続しての襲撃の可能性は低い。相手とて闇雲に突っ込んでくる能無しの集いではないことは今回の戦いで証明された。

 

ならその期間にこちらも相応の対策をする必要がある。深追いして戦力を削げる程の余裕はない。

 

憎々しげに空高く飛び立つ猿のぬいぐるみを見る明日菜だが、肝心な人物を忘れていることに気付く。

 

 

「あいつめー……はっ、そういえば木乃香は!?」

 

「そこにいるよ。ただ奴ら薬がどうとか言っていたし、すぐに確認する必要がありそうだ」

 

 

木乃香をさらった事実は変わらないものの、さらった手口は明らかになっていない。先ほど千草がボソリと呟いた一言が、全員の脳裏に残っていた。誘拐の際に何かしらの薬品を飲まされたり、嗅がされたりしていて、副作用が出ることも考えられる。

 

刹那を筆頭に、慌てて階段の上に寝かされている木乃香の元へと駆け寄った。刹那が木乃香の上半身を優しく起こし、ゆさゆさと肩を揺らしながら安否を確認する。

 

 

「お嬢様、このかお嬢様! 大丈夫ですか!」

 

 

二度、三度と声を掛けたところでようやく木乃香が反応を見せる。

 

 

「ん……あれ、せっちゃん?」

 

 

ゆっくりと重たい目蓋を開きながら、視界の先に映った人物の愛称を呼ぶ。十年ほど前、幼き頃の木乃香が刹那に付けた大切な大切な呼び名。大切な親友を見間違うほど、木乃香の目は悪くない。

 

薄目を開けた状態で刹那のことを確認すると、どこか安心したかのように笑みを浮かべる。

 

 

「何か可笑しな夢を見たえ。変なおサルにさらわれてな。けどせっちゃんや皆が助けてくれたんや」

 

 

ついさっきまで起きていた出来事を、どうやら夢だと勘違いしているようだった。ネギを含めた魔法関係者からすると、夢だと思って居てくれた方が都合が良かったりする。

 

ともかく今は魔法関係者がどうだの気にしている暇はない。木乃香の安否を確認することが先決だった。木乃香を抱える刹那が身体の至る所に視線を這わせていくが、外傷は無い。起きたばかりで頭はまだぼーっとしているみたいだが、何かを飲まされたり嗅がされたりすることはなさそうだ。

 

無事が確認できたことで、ホッと胸を撫で下ろす。大きく一つ息を吐くと同時に、今まで一度たりとも見せたことのない優しそうな笑みを木乃香へと向けた。

 

 

「良かった……お嬢様、ご無事で。もう大丈夫ですから」

 

 

口からこぼれる偽りのない本心の言葉が、木乃香の心に届く。嫌われているんじゃないか、何度そう思ったことだろうか。

 

不安だった、怖かった。昔はあれだけ遊んでいた仲だったというのに、麻帆良学園で再会してからは、一切口を利かずに過ごす日々。最も親しい友人であったはずなのに、最も疎遠な存在になってしまった。

 

歩み寄ろうとしても、頭を下げて逃げられるばかり。何か悪いことをしてしまったのかと思い詰め、考えども考えども結論に行き着かず、心の奥底では悶々とした日々を送っていた。

 

刹那の一言で全てが逆転した。

 

 

「よかったぁ。せっちゃんウチの事嫌ってる訳やなかったんやなー」

 

 

自分の疑問が晴れた瞬間、今までため込んでいたものが滴としてこぼれ落ちる。

 

刹那の笑顔を最後に見たのはいつだっただろう。遙か昔のこと過ぎていつだったかまではあまり覚えていない。ただ刹那の浮かべる笑みは親しみやすく、何事にも変えられない優しい笑み。

 

それだけはしっかりと覚えていた。

 

刹那は自身のことを嫌っている訳ではなかった、少なくとも彼女の反応でそれくらいは分かる。刹那のことを一番よく知っているのは、他でもない木乃香なのだから。

 

純粋に嬉しいといった気持ちが心を満たし、つっかえていたものが取れる。そんな木乃香の微笑む姿に顔を赤らめる刹那は、自身が距離を置いていたことで、木乃香が悲しい思いをしていたことを知った。

 

立場上、何とも言えない気持ちが混ざり合い通常の思考がままならないまま、抱える木乃香に言葉を伝える。

 

 

「え……そりゃ私かてこのちゃんと話し……はっ!?」

 

 

思いの外刹那も内心穏やかなものではないようで、話す時の口調が京都弁に変わってしまう。途中までは何気なく言葉を続けて行くも、やがて地が出ていることに気付き、木乃香から距離を取ると頭を垂れた。

 

 

「しっ、失礼しました! わ、私はこのちゃ……お嬢様をお守り出来ればそれで幸せ! それも陰からひっそりとお守り出来れば!」

 

 

まくし立てたかと思うと、近くに木乃香がいることに恥ずかしさを覚え、口ごもってしまう。地を隠そうとするも隠し切れておらず、木乃香の背後で見つめる雄は刹那の様子に爆笑し、明日菜やネギも刹那の表情の移り変わりに思わず笑みを漏らした。

 

刹那が自分自身に素直になれないことが分かったからである。

 

 

「なのでその……御免!!」

 

「あっ、せっちゃん!」

 

 

雰囲気に耐えきれなくなり、踵を返すと階段を下りていってしまう。後ろを振り向かずに一目散に走り去ろうとするが、階段の中腹に来たタイミングから聞こえる大きな声に足を止めて振り向いた。

 

 

「桜咲さーん!! 明日の班別行動、一緒に奈良回ろうねー!」

 

 

階段の上から明日菜が手を振りながら声を掛ける。人数不足により六班は解体され、メンバーの刹那とザジはそれぞれ五班と三班に。五班の班長は明日菜だった。

 

明日菜の声掛けに一瞬呆然と立ち尽くすも、やがて小さく頷き、場を去ってしまう。残された四人は刹那の去った後を眺めながら物思いに浸る。

 

 

「ほら大丈夫だってこのか、安心しなよ!」

 

「でも……」

 

 

不安そうに見つめる木乃香の背中をぽんぽんと叩く。木乃香はまた明日になったら刹那が素っ気なくなってしまうのではないかと、杞憂を拭えないでいた。

 

 

「ま、大丈夫さ。刹那も恥ずかしいだけだろうし、明日は思い切り楽しんでこいよ」

 

「お兄ちゃん……うん、そやね」

 

 

雄のフォローもあり、木乃香の顔から不安が薄れていく。明日のことは明日になってからと割り切り、改めて前を向いた。が、ここで自身の身体がいつになく肌寒いことに気付く。

 

 

「あれ、そういえば何でウチ裸なんやろ?」

 

「あ、そ、それは!」

 

 

いつ服を脱いだのかと、脱いだ覚えがなく首を傾げる木乃香を誤魔化そうと言い訳を連ねていくネギ。

 

 

「はっ! 僕いろいろなもの壊しちゃったけどどうしよう!」

 

 

それと同時に、ここまでの道中であらゆるものを壊してしまったことで、どう対処しようとネギはオロオロと狼狽える。いくら頭が良いとはいえ、まだ精神年齢は十歳だ。業務のキャパシティが限界を超えてしまっているせいで、どう対処するのが正解なのか、判別が付かない状態でいた。

 

 

「……何とか一日目終了、ってやつか」

 

 

ボソリと呟く雄の一言が、長かった一日の終わりを告げる。

 

修学旅行は一日目を終え、二日目へと移っていく。



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【修学旅行編】-中巻-
二日目へ


「それでは麻帆良中の皆さん、いただきます」

 

「「いただきまーす!」」

 

 

二日目朝、無事に初日を終えた麻帆良学園一行は、大広間に集まり朝食を取っていた。ネギの一声で各々、目の前に並べられた朝食へと手を掛け始める。昨日の思い出を語り合うなど、修学旅行に良く見られる至って普通の光景ではあるのだが、三年A組だけは少し違っていた。

 

というのも、昨日はほとんどの生徒が清水寺の音羽の滝にて酔い潰れてしまったが故に、途中からごっそりと記憶が抜け落ちている。潰れたままホテルに運ばれ、夜はそのまま寝てしまったことを考えると、初日の大半を潰してしまった。故に盛り上がる要素がなく、学年一騒がしいはずのクラスが異様なまでに静かなのだ。

 

現にまだお酒が残っているのか、味噌汁を片手にクラス委員長のあやかは眠そうな表情を浮かべている。

 

 

「うー……昨日の清水寺からの記憶がありませんわ」

 

 

寝起きは悪くないというのに、いつも以上に目がシバシバとした。当然、自分たちが水と思っていたものがお酒とは思うはずもなく、慣れない土地に来たことで疲れてしまっただけだろうの一言で済ませてしまう。

 

特に深く気にすることなく、並べられている精進料理の数々に手を着けていく。

 

 

「せっかくの修学旅行の初日だったのに、くやしー!!」

 

 

同じくあやかの席の近くに座り、朝食を取っている裕奈は、勝負に負けたかのように悔しそうな表情を浮かべながら味噌汁を啜る。

 

お祭り好き、騒ぐことが好きな彼女にとって、醍醐味ともいえる修学旅行初日を潰してしまうことは何よりも由々しき事態だった。それは裕奈だけではなくクラスの大半がそう思っていることだろう。

 

三年A組の生徒のほとんどがぽかんとしながら食事を進めていく。朝食だと気付かず、夕食だと思っている生徒も居るくらいだ。

 

 

「とりあえず、寝坊してる生徒は居ないみたいだな」

 

 

食事を取る生徒の数を、離れて数えていく雄は、全員無事に大広間に居たことで、ふぅと息を吐いた。酒の回り方によっては二日酔いで起きれない生徒が居るのではないかと危惧していたものの、心配は杞憂に終わった。

 

ただ、朝のテンションの低さは雄も感じているところで、いつもだったらもっと騒いでいただろう。多少の物足りなさを感じつつも、雄もネギの隣に腰掛けて朝食を取り始めた。

 

すると、お盆を持った木乃香が二人の前を通る。

 

 

「二人とも眠そうやねー」

 

「おっす木乃香」

 

「おはようございます、このかさん」

 

「昨日はありがとなー。何やよー分からんけどせっちゃんやアスナと一緒にウチを助けてくれて」

 

 

木乃香のいう昨日は、天ヶ崎千草たちによる誘拐阻止のことを意味する。木乃香自身、連れ去られたことをあまり覚えておらず、そもそも自分を連れ去ったのが誰かも分かっていない。

 

唯一覚えていたのは、刹那を筆頭に雄やネギが助けに来てくれたことだけであり、身に覚えがないと思いつつも、二人に感謝の言葉を述べた。

 

 

「ははっ、んな大したことはやってないよ」

 

 

木乃香に事情を悟られる訳には行かず、淡々とした口調で雄は返答する。何故さらわれたのか木乃香が気にしていないため、必要以上に情報や状況を伝える必要もない。雄の反応ににこりと笑うと、ふと視線が先の方へと向いた。

 

 

「あっ、せっちゃん」

 

 

ネギと雄の先、席の端の方に存在を消すかのように刹那は佇んでいる。木乃香の声掛けにピクリと身体が反応したかと思うと、自分のトレイを持って無言で場を立ち去ろうとした。近くにいた夕映が刹那の姿をちらりと見やる。

 

一緒に食べようと近寄る木乃香から逃げるように、そそくさと離れる姿に、たまらず木乃香が声をあげた。

 

 

「あんっ、何で!? 恥ずかしがらんと一緒に食べよー!」

 

 

刹那の後をパタパタとついて行くものの、追跡を振り切るかのように逃げる足を早めていく。

 

 

「せっちゃん、何で逃げるんー?」

 

「刹那さーん!」

 

 

刹那の後を木乃香だけではなく、ネギまで追い始める。流石に恥ずかしくなってきたのか、刹那も言葉を返した。

 

 

「わ、私は別に! そういうわけでは……!」

 

 

バタバタと追いかけっこをする刹那、木乃香、ネギの三名。端から見れば何をしているのかと笑いの対象になるだけだが、三年A組の生徒からすれば、刹那と接点を持っている生徒がいたことに驚きだった。

 

元々寡黙で凛とした雰囲気の彼女は、クラスと溶け込むような事はせず、一人孤高の存在として生活を送っていた。休み時間は誰かと会話を楽しんだり、交流を含めることは無く、光り輝く存在とは正反対の陰のような立ち位置。

 

いわばエヴァと似たような立ち位置に居た。そんな彼女が照れ隠ししながら逃げ回っている。普段の学園生活では決して見せない表情であり、如実な変化だった。

 

 

「なになに? 桜咲さんのあんな表情初めて見たー」

 

「私が知らないところで何かが!?」

 

「くぅー! 今日こそ寝ないよー!」

 

 

各々、刹那の見たことのない表情に驚き、新鮮に思えた。朝食を取り終えた一同は、改めて二日目の行動へと移る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ、ネギ先生は五班と回るんだな」

 

「はい、万が一の事を考えるとアスナさんや刹那さんも居ますし、宮崎さんからも誘われたので」

 

「ん……宮崎?」

 

 

朝食後、今後の軽い打ち合わせをするべく、ネギと雄はロビーに来ていた。今日は奈良の班別行動日であり、各教員は好きなところを巡回、もしくは班に付き添って一日を過ごすスケジュールになっている。

 

ネギは朝食後、あらゆる班に声を掛けられ、盛大な争奪戦の後に五班と奈良を回ることに。明日菜や刹那が居ることも大きいが、のどかの勇気を絞った一言が無ければ別の班と回っていたことだろう。

 

ネギの話を聞き、のどかの想いを汲み取りつつ当時の争奪戦の様子を想像した。

 

 

「そうか、なるほどね。しかしまぁ頑張ったな宮崎も」

 

「あの、頑張ったとは?」

 

「兄貴もスミに置けねぇってやつですよ! ですよね、雄のダンナ!」

 

「あぁ、まぁそんなところだ。となると俺は別の班に付き添った方が良いか……」

 

 

昨日の一件からオコジョ妖精のカモとも打ち解け、たわいの無い会話を交わす。意味が分からずに首を傾げるネギ。まだまだ彼に女心を理解するだけの経験はないようだ。

 

さて、現実に話を戻すと、木乃香の護衛のために動ける人間は雄、ネギ、刹那、明日菜の四人。内二人は五班の班員で、引率としてネギが付くことが分かっている。手札は何枚あっても困らないが、流石に同じ班に引率教員が二人も付くのは見栄えがよろしくない。

 

基本的には一班に付いて一人であり、二人が纏まってしまえば、他の班から反感を食らう可能性もある。幸い昨日の戦いで、先方の戦力をダウンさせている事もあり、二日連続で襲ってくる可能性は低い。

 

それなら分散しても良いのではないかと、雄は考えていた。

 

 

「昨日相当コテンパンにしたし、今日は姉さんや刹那の姉さんも居るから、大丈夫だとは思うんだけどよ。兄貴はどう思うよ?」

 

「んー、僕も大丈夫かなとは思うんだ。白昼堂々襲ってくるとは考えられないし」

 

 

とはいえ、頭の片隅に懸念点があるようでうーんと考え込む。襲ってくる可能性が無いとは言い切れない以上、対策は万全にしておいた方が良いのではないかと。

 

昨日は無事に木乃香を取り返せたと言っても、一度は気付かぬ内にさらわれてしまっている。ネギが気にするのも無理はなかった。かといって下手に気を張り巡らして、いざという時に集中力が切れるのも避けたい。どうすれば良いかと悩むネギに、何かを思い付いた雄が助言を送る。

 

 

「そうだ、ネギ先生。これなんかどうだろう?」

 

「え? あ、これって……」

 

 

ネギが手渡されたのは、一枚の人型をした紙。そこには漢字で『風見雄』と記載されており、ネギが紙を受け取ったことを確認すると、顔の前に手をかざし、日本の指を立てながら呪文を唱えた。

 

 

「オン」

 

「わっ!?」

 

 

受け取った紙から煙が出たかと思うと、音を立てて小さな人形へと変化する。昨日の熊や猿のようなものではなく、今回はちゃんと人型をしていて、見た目は雄を小さくしたかのような顔立ちをしていた。

 

 

「俺の分身だ。戦闘力は高くないけど、この式神に何かあって消滅すると、俺と記憶が共有されるようになっている」

 

「へぇぇー! 風見先生も日本の魔法を使えるんですね」

 

「補助程度にだけどね。呪符使いみたいにメインでは使わないよ」

 

 

フワフワと浮かぶ雄の分身に、ネギは感心しながら分身体をつつく。何の対策もせずにネギたちに木乃香を任せる訳ではなく、自身の分身体を置くことで遠方からでも動向を伺えるようにしておく。もし分身体が消滅すると、その瞬間に分身体が見た映像や記憶全てが雄に共有される。

 

通常の式神は消失したらそれまでであり、記憶を共有する事は出来ない。だが、雄の作った式神は特殊な術式を組み込むことで、消失した瞬間に記憶が共有することが出来るようになっていた。

 

一般的には記憶の共有をすることが出来ない故に、敵に悟られる事も無い。まさに付き添いとしてはうってつけの方法だった。

 

 

「でもダンナ、それだと周りから見えねーか?」

 

 

ふと疑問に思ったカモが質問をしてくる。いくら小さくなったとは言ってもこの大きさでは周囲から丸見えである。が、カモからの質問を待っていましたと言わんばかりに、得意げに笑みを浮かべた。

 

 

「大丈夫。簡易のステルスを掛けてあるから、一定以上の術者でもない限り見えやしない。あんま強くないけど、一応戦闘要員としても使えるし割と利便性はあるから付き添わせて損はしないはずだ」

 

 

昨日の戦い方を見れば雄が後衛ではなく、完全な前衛タイプであることが分かる、それも強烈なまでの。

 

戦い自体はネギも見ていないが、窮地をあっさりと脱する辺り、頭の回転もそうだが相応の実力を兼ね備えている事が分かった。根拠のない自信であれば突っぱねているものの、雄が言うのだから説得力がある。

 

 

「確かに。兄貴にとっても味方は何人いても損はしねーだろうし、戦えるのなら心強いな」

 

「風見先生、ありがとうございます!「ネギー! もう行くわよー!」あっ、待たせているんでした。じゃあ僕はこれで……」

 

「ん。あまり気負わないように楽しんで。刹那には俺から伝えとくから」

 

「はい!」

 

 

ぺこりとお辞儀をすると元気よく駆けていく。ネギの後ろ姿に若さを感じつつ、雄は背を向けた。五班は分身体に任せるとして、自分はどうしようかと。

 

特に指示を受けていないため、割と自由に行動することは出来るが、時間内に各班の向かう先に顔を出すのは厳しい。最悪一人で観光するのも手かと顎に手を当てて考え込むが、不意に背後から声を掛けられた。

 

 

「風見先生、まだいらっしゃったんですね」

 

「色々とやることがあってな。大河内たちもこれから出るところか?」

 

 

声の特徴から人物を特定すると、振り向きざまに名前を呼ぶ。声の主はアキラで、丁度ホテルを出発するみたいだった。

 

 

「はい。やっと準備が出来たんで。風見先生は出掛けられないんですか?」

 

「んや、行くよ。流石に一日ホテルにはいれないし。ただどこの班に付き添うか決めかねてて……」

 

「そうなんですね」

 

 

アキラに抱えている悩みを伝える。元々は木乃香の護衛のために五班に付く予定だったが、同じ班に教員が二人付くのはいただけない。故に五班をネギに任せ、雄は単独で別行動となった。

 

当然本音を伝えるわけにも行かず、事実は伝えないままぼっちであることだけを話す。すると彼女からは意外な一言が返ってきた。

 

 

「それなら先生、私たちと回りませんか?」

 

「え、良いのか?」

 

「えぇ、先生なら皆歓迎だと思うし。あ、でも別に用事があるのなら、構わないんですけど」

 

 

もしかしたら一人になりたい理由があるのかもしれないと、顔の前で手を振り、雄に決めて欲しいと伝える。アキラの提案は悪くないし、むしろどうしようかと悩むくらいなら付き添った方が早い。

 

加えて話したことのある生徒が居るのは心強いし、折角誘ってくれたのだから断る理由も無い。どこか不安げに見つめるアキラに対し、少し微笑みを浮かべながら答えを返した。

 

 

「あぁ、大河内たちが良いなら喜んで」

 

「本当ですか? なら一旦皆に伝えてきますね」

 

「了解。俺も必要なものだけ揃えてくるから、入り口で合流しよう」

 

 

 

 

 

 

こうして、ひょんな事から四班と回ることが決まった。



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奈良公園は鹿まみれ

「鹿だぁっ!!」

 

 

現物を目の当たりにし、大きな声をあげるのはまき絵と裕奈の二人だった。周囲の観光客は何事かと、こちらを振り向く。一方で何人かは我興味なしと言わんばかりに、観光を楽しんでいる。

 

観光客の中には常連のマニアも混ざっており、騒がしい修学旅行の生徒たちには慣れていた。そんな様子を遠巻きに見つめる班員の和泉亜子とアキラは恥ずかしそうに顔を赤らめ、龍宮真名はふぅとため息をつく。

 

初めて見る鹿の大群に、二人は目をキラキラとさせながら子供のように駆けていった。

 

 

「すみません……恥ずかしいですよね」

 

「ははっ、そうか? 年頃の女の子って感じがして良いと思うけど」

 

 

引率として四班に着いて来た雄は、恥ずかしそうに話しかけてくるアキラの言葉にも、顔をひきつらせることなく、淡々とした口調で答える。誰がどう見ても元気すぎる二人の行動は、他の教員であれば間違いなく止めに入っているだろう。

 

本来であれば止めた方が良いが、あえてそれをしようとはしなかった。

 

 

「でも……」

 

 

それでも不特定多数の第三者が見ている前で、あれはいただけないのではないかと、表情を曇らせる。

 

普段の彼女であれば、どんなバカ騒ぎであろうが共に楽しめるだけの余裕と器があるものの、公共の、それも世界遺産として登録されている施設の中ではしゃぐ勇気はない。

 

何より近くで副担任である雄が見守っているのもあった。ネギと違い、雄はアキラたちよりも年齢が上になる。年頃の女性として、あまりはしたない姿を見せたくない思いもあった。

 

 

「あーやって出来るのも今のうちだしな。就職なんかしたら、嫌でも大人しくなるさ」

 

「そういうものなんでしょうか……」

 

 

よく分からないと首を傾げる。実体験でもしたことがない限り分かるものではないし、そもそも学園都市に居る以上、教員以外の社会人と会う機会が少ない。故に雄の心理を分かりかねる部分もあった。

 

 

「あぁ。ま、大河内なんかは二人と比べるとだいぶ大人びているし、将来絶対良い女性になるよ」

 

「こ、こんな場所で何言ってるんですか……」

 

「センセ、アキラのこと口説いてるん?」

 

「違うっつーの、モノの例えだよ。こんなところで口説いてたら、下手すりゃセクハラで教員免許剥奪されるわ」

 

 

アキラと雄の一部始終を見ていた亜子が声を掛けてくる。どうやら先述の二人を追いかけるようについていっていたらしく、前方から走ってきた。

 

 

「ほら、修学旅行なんだし、俺なんか構わずに楽しんでこい」

 

 

アキラの肩に手を置くと場に残る三人を送り出す。中学校生活の思い出の一ページとして、はるばる古都まで繰り出したのに、雄ばかりにかまけていたら勿体ないと背中を押した。

 

雄の後押しに、アキラ、亜子、真名の三人は先に走っていったまき絵、裕奈の二人の後を追う。雄もそれに続いてゆっくりと歩き出すのだった。

 

 

 

 

 

「鹿煎餅?」

 

「そ、テレビで見たことあるだろ」

 

 

奈良公園の代名詞といえば鹿であり、生息している鹿に餌、とどのつまり『鹿煎餅』を与えるのは、お約束と言っても過言ではない。聞き慣れない単語に首を傾げるまき絵に、周囲のクラスメートたちは苦笑いを浮かべる。割とメジャーな単語ではあるため、知らないとは思わなかったのだろう。で

 

直売店の目の前で足を止めた一同は、台の上に並べられている煎餅を興味深げに見る。すると雄は一人直売の側にいる年輩の女性に近づき、声を掛けた。

 

 

「おばちゃん、六セット貰えるか?」

 

「あいよー! あんちゃん引率の先生かい、若いねー!」

 

「ははっ、どうも。そう言って貰えると光栄です」

 

 

軽いやり取りをした後にお金を渡すと、場にある六セットの煎餅を手に取り、それを一セットずつ配っていく。いきなり手渡されたことに亜子は目を見開いて驚いた。

 

 

「えっ、センセこれは?」

 

「折角奈良公園に来たんだから、思い出作りには良いんじゃないか?」

 

 

にこりと微笑みを返す雄。

 

わざわざ奈良公園に来たんだから、食べさせる体験してみても良いんじゃないかと、全員分を買った。が、それが彼女たちにとって意外な行動に思えたらしい。些細な金額とはいえ、教師に奢って貰うのはやや申し訳ない部分もある。

 

 

「でもお金は……」

 

「あー、気にすんな。それくらいどうってことない。多少の出費で楽しめるのなら、痛くはないさ」

 

 

心配をしてくるアキラを大丈夫だと静止する。額面としてはさほど高い部類には入らないため、雄自身奢ったことに関して特に思うところは無い。普段からあまり奢られることが無い人間からしてみると、人から奢って貰うことに抵抗感を覚えやすいのかもしれない。

 

そうこうしている間にも一同の周囲に、数多くのシカが群がってくる。匂いにつられたのか、それとも購入するタイミングを見計らっていたのかは疑問だが、まるで人参をぶら下げられた馬のように目の色を変えて近寄ってきた。

 

 

「はいはい、どうどう。やり方は簡単でまずはせんべいを鹿の頭上に上げる」

 

 

群がってくる鹿をあやしながら、一匹の鹿に近づき、鹿煎餅を半分に割ると、それを鹿の頭上に掲げる。鹿の視線が上を向くか否かという瞬間、人間がお辞儀をするかのようにぺこりと頭を下げた。

 

 

「頭を下げたら、食べさせる。差し出せば勝手に食べてくれるから、後は手を離せば良い」

 

 

鹿の顔の前まで手を下げると、勝手に鹿がかぶりつく、そして雄は頃合いを見計らって手を離した。 

 

 

「なっ、簡単だろ?」

 

「はいはーい! しつもーん!」

 

「どうした? 何か分からない所でもあったか?」

 

 

一通り動作を説明したタイミングで、まき絵が元気よく手を上げる。そこまで難しいことを言わなかったとは思ったが、質問があるというまき絵の質問を聞く体制に入る。

 

 

「このおせんべいって食べること出来るのー?」

 

「あぁ、一応な。材料的には人間の食べれるものしか使って「じゃあ頂きまーす」あー……ただ、味ないから美味くは無いぞ」

 

 

肝心なところを言い切る前に、まき絵は口の中へと入れてしまう。彼女の様子を見ながら、しまったと言わんばかりの苦々しい表情を浮かべる雄だが、時既に遅し。まき絵の口の中に放り込まれていた。

 

素材的には米ぬかと小麦粉のみであるため、人間が口にして害があるわけではない。ただ賞味期限の区分けはなく、かついつ作られたものか分からない。下手をすれば半年以上前のものである可能性もある。

 

賞味期限の定かではない飲食物を食べようとは思わない。加えて長期保存のために味付けという味付けは一切なく、味は全くしない。味付けのない、いつ作られたかも分からない煎餅ほど美味しくないものは無い。

 

口の中に入れたまき絵は初めこそ笑顔を浮かべて居たが、徐々に表情がひきつり、涙目になりながら口に残る感触を減らしていく。口の中が空になるとその場に両手を付きながらがっくりとうなだれた。

 

 

「うぇ~……なにこれぇ、全然味がしないよ……」

 

「最後まで聞かずに食べるやつがどこにいるんだっての。まぁ佐々木の反応を見て貰って分かるように、味がない。食べるのは自由だが、オススメはしない」

 

 

雄の一言に、絶対に食べませんと言いたげな生徒たち。目の前に食べた張本人が居て、その末路を見ているのだからよほどの物好きでない限りは食べることはなさそうだ。

 

気持ちを切り替え、近くに寄ってきている鹿の方へと向き直り、それぞれに餌づけをしていく。餌を待ち望む鹿の仕草に、キャイキャイとはしゃぎながら楽しむ様子を遠巻きに見つめながら、近くのベンチへと腰掛ける。

 

煎餅がなくなるまではそう遠くには行かないだろうし、むやみやたらにあげるわけではなく、可愛らしい鹿を選んでいるところからそこそこ時間は掛かるだろうと判断。一息つけると思い、一人背もたれに体重を預けた。

 

 

「風見先生は行かないんですか?」

 

「ん、俺が率先して楽しんでも仕方ないし。大河内はもう終わったのか? だとするとやけに早い気が……」

 

「あ、いえ。まだ終わってはいないんですけど」

 

 

アキラの手には数枚の煎餅が握られている。他の班員が戻ってきていない所を見ると、彼女だけ早く戻ってきたことが分かった。もしかして気を遣わせてしまったのか。だとしたら杞憂だと伝えなければならない。

 

多少なりとも教師の仕事を知っている人間であれば、見えない業務が多いことくらいは想像出来たはず。特に修学旅行は仮にも生徒たちを束ねる立場として引率をするため、生徒の身に何かがあれば、それは全て引率教員の責任になる。

 

それに三年A組は他クラスに比べて騒がしく、悪く言ってしまえば問題児も多い。だからこそ想像以上に細心の注意を払って見守る必要があった。ネギは十歳であり、年頃の生徒を完全に止めるには無理があるし、年が上である雄は言葉に説得力はあれど、麻帆良学園に赴任してから日も浅く、教師としての経験がネギに比べると不足している。

 

故に、思った以上に疲れているのではないか。そして本当だったら休みたいところを無理矢理誘ってしまったのではないかと、罪悪感でも抱えているようにも見えた。

 

 

「……何か無理矢理誘って申し訳ないみたいな顔してるけどちげーよ」

 

「え?」

 

 

ベンチから立ち上がりながら、アキラに返答する。雄の一言にはっとしながら顔を上げた。考えていることがバレたと思い、その表情はどこか恥ずかしそうなものだった。

 

 

「こうして皆の行動見ているだけでも、俺は楽しめているよ。一応教員だから、あまりバカ騒ぎは出来ないし、俺が率先して楽しんでるのもどうかと思って一歩退いているだけさ」

 

「本当ですか?」

 

 

心配そうな表情のまま、アキラは上目遣いに雄を見上げる。女性の中ではかなりの長身のアキラだが、それでも雄の方は身長が高く、見上げるような形になってしまう。

 

人の世話を焼くのが好きな性格ではあるが、相手が年上で、それも年が近そうな男性教師徒もなれば対応は変わってくる。少なくとも今まで以上に気を遣うことも多くなる。

 

 

「むしろここまで騒がしい環境に身を置いたことがないから、新鮮なくらいさ。見ているだけでも飽きないよ、今みたいに座りながらでも「せっちゃん待ってー! 一緒にお団子食べよー!」……な?」

 

 

話している途中に自身の背後を横切る木乃香の姿。目の前のことに視線が向いてしまっているせいか、すぐ側にいる雄の存在には気付かずに駆けていく。木乃香の視線には顔を赤らめながら逃げていく刹那が。

 

刹那の木乃香に対する対応が、以前に比べて良くなっており、雰囲気も幾分柔らかいものになっている。が、まだ面と向かって会話をするには勇気がいるらしい。

 

刹那と木乃香に接点があったことなど、クラスのほとんどが知らない。だからこそ、何気ない一個人の生活の一コマが、雄にとって新鮮に思えた。

 

 

「……つか、五班も奈良公園だったのな。ナチュラルに繋げてみたけど、本当に偶然って怖いわ。まぁ俺も麻帆良に来て日が浅いしな。見るもの全てが新鮮でかつ楽しいんだわ」

 

「そうなんですね。良かった、私早とちりしてたみたいで……」

 

「いや、むしろ気を利かせてくれて助かる。ありがとう。とりあえずまだ残っているみたいだし、鹿たちに渡してきたらどうだ?」

 

「はい! それじゃ、先生も!」

 

「えっ、俺も?」

 

「見るもの全てが新鮮なら、生徒と一緒に鹿に餌をあげるのは、もっと新鮮で楽しいですよ?」

 

 

さっき先生言いましたよね? とくすりと笑うアキラに、まんまとしてやられ思わず苦笑いを浮かべる。

 

 

「ははっ、こりゃ一杯食わされた。分かったよ」

 

 

雄はアキラの言葉に対しニヤリと笑い、彼女の後ろ姿を追い、公園の奥へと消えていくのだった。



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増える協力者

修学旅行二日目。

 

刹那や雄の読み通り関西呪術協会の妨害はなく、何事もなく一日を終えようとしていた。奈良探索を終えてホテルへと戻った雄は、飲み物を買いにロビーへと向かっている最中。

 

普段とは別の班に付き添うことで、ほんの少しではあるが何人かの生徒のことが分かり、満足感を覚えながら意気揚々と歩く。既にスーツを脱ぎ捨て、木乃香と買いに行った室内用の部屋着に着替えていて、完全にオフモード。

 

夕食も済ませ、後は湯船に浸かって寝るだけだった。二階から階段を下り、ロビーへと差し掛かる。

 

 

「魔法がバレたぁ!? そ、それもあの朝倉に!?」

 

「はい……」

 

 

突如階段下から聞こえる大きな声に、思わず体を反応させた。何やら誰かが騒いでいるらしく、ロビーを突き抜けて他の部屋にも響き渡りそうな勢いだ。もっとも、内容が余りにもグレーゾーン過ぎて、関係のない人間が聞いたら一大事だろう。

 

自身が知る限りで魔法の話をする可能性があるのはほんのわずかしかいない。階段を下りながら声の中心に顔を向けると、そこにはベンチに座りながら涙目になりながら、しょぼくれるネギの姿。他には座るネギを囲うように明日菜と刹那が居た。

 

声の発信源は明日菜であり、喜怒哀楽のはっきりとした表情を浮かべながらネギへと迫る。一方で刹那は一歩引きながら二人の様子を見守っていた。

 

 

「……!」

 

「よっ、何してんだ?」

 

 

手すりを飛び越えて床に降り立つ。そんな雄の存在にいち早く気付いたのは刹那であり、腕を組んだまま顔だけを雄の方へと向けた。

 

明日菜の声が大きく、何が起きたかは何となく把握しており、あえて気付いていない振りをしながら三人の元へと歩み寄る。

 

 

「あ、雄さん! ちょっと聞いてよ!」

 

 

雄の接近に気付き、ズカズカともの凄い剣幕で近付いてくる明日菜に、若干物怖じしながら後ずさった。

 

 

「お、おう? 明日菜、気持ちは分かるが少し落ち着け」

 

「あ、ゴメン!」

 

 

もはやパーソナルスペースを完全無視。そこまで気を遣えなくなるレベルで焦っていた、それも自身の事ではなく、ネギのことについて。遠くからも明日菜の声は聞こえているため、ネギの魔法が誰かにバレてしまったところまでは分かった。

 

むしろここで問題なのは誰にバレたかだ。他のクラスにバレてしまったのなら、あっという間に広がってしまうことだろう。それに生徒との関係値も、自分たちのクラスに比べれば低い。言い訳をしたところで、無駄な労力をさくだけになる。

 

一方で、三年A組であれば多少のカバーは出来るはず。最も、どこ誰にバレたのかまでは分かっておらず、ネギに聞く必要があった。

 

 

「うぅ……仕方なかったんです、人助けとか猫助けとか」

 

 

涙ながらに話すネギの事情を聞くと、防ぎようの無かったことが伝わってくる。背に腹は変えられないし、その場で魔法を使ったことで命が救われるのなら、誰だって同じ行動を取る。ネギの取った行動は何一つ間違っていないが、タイミングが余りにも悪すぎた。

 

 

「でも朝倉にバレるってことは、世界にバレるってことよ? 全く……」

 

 

朝倉和美、通称麻帆良のパパラッチ。

 

三年A組の生徒であり、持ち合わせる情報量は他の追随を許さない。報道部に所属し、ありとあらゆる情報を仕入れ、日々諜報活動を続けている。そんな生徒に魔法の存在を知られてしまえば、どうなるかはお察しの通り。

 

明日菜の反応を見れば一目瞭然だった。

 

 

「もーダメだ。世界に魔法の存在がバラされて、オコジョよオコジョ」

 

「えー、そんな!? 弁護してくださいよアスナさんー!」

 

 

どうしようもないわと匙を投げる明日菜に引っ付きながら、援護を求めるネギ。もう彼のキャパシティは一杯であり、どう対処すればいいのかも分からないようで、激しく慌てた様子を見せる。

 

当然、明日菜や刹那がどうにか出来るような問題ではなく、事態が落ち着くのを見守ることしか出来ない。二人とも魔法関係者ではあるが、魔法自体を使う術者ではない。

 

頭を抱えるネギを見つめながら、ふとあることに気付いた。

 

 

「なぁ、いつもネギ先生と一緒にいるカモはどこにいった?」

 

「え?」

 

「そういえばさっきから見ないわねー」

 

 

いつもはネギの頭や肩に乗っているカモの姿が見えない。雄も何気ない拍子に気付いただけに過ぎなかったが、言われてみればいつもセットでいるはずの存在がいないことに、違和感しかなかった。

 

魔法の存在が和美にバレたともなれば、真っ先に行動を起こしそうなもの。どこに行ったのかと考え込む一同の背後から、再び何者かが声を掛ける。

 

 

「やぁネギ先生。こりゃまた珍しい組み合わせだこと」

 

「ぇう! あ、朝倉さん!」

 

 

和美の登場にピクリと身体を震わせると、そそくさと明日菜の背後に姿を隠す。

 

ビクビク怯える様子から、ネギにとって軽くトラウマになっているのかもしれない。彼にとっては恐怖の象徴ともいえる和美だが、ネギの反応をモノともせず、にこやかな表情で一同の元へと歩み寄ってきた。

 

一同の前に明日菜がたち、和美に話しかけていく。

 

 

「朝倉ー、アンタ小さな子供いじめて楽しんでいるんじゃ無いわよ」

 

「なーに、アスナ。小さな子供には興味無いんじゃなかったの?」

 

「それとこれとは関係ないわよ。一体何しにきたのよ」

 

「姉さん落ち着いてくだせぇ! パパラッチの姉さんはこちらの味方ですぜ!」

 

「あっ、カモくん!」

 

 

ひょっこりと朝倉の肩から顔を出すカモにネギが反応する。一瞬、和美側にカモが付いてしまったのではないかという恐怖に襲われるものの、カモの口から発せられる言葉を聞き、頭にはてなを浮かべながら首を傾げた。

 

 

「あ、あの、それってどういう……」

 

「この朝倉和美、カモっちの熱意にほだされてネギ先生の秘密を守るエージェントとして協力していく事にしたよ。よろしくね」

 

「え、えぇ!?」

 

 

和美の口から発せられる予想外の発言に、目を見開き驚く。まさか自身の正体を黙っているとは思えなかったに違いない。彼女の本質はスクープを追いかけることにあり、自分の担任が魔法使いだったなど、空前絶後の大スクープだ。

 

証拠を突きつけて全世界に公開すれば、一躍時の人として有名人にもなれた。が、彼女とて人の子であり、外道ではない。ましてや自身より幼いネギをダシに這い上がることなど、冷静に考えて出来なかった。

 

パパラッチとしてのプライドではなく、彼女の一般人としてのプライドが勝り、今回に関してはネギの正体を黙っていることに決めた。おもむろに懐を探ると、そこからはかなりの分厚さを誇る写真の束が出てくる。

 

タイミング的にネギが魔法を使った瞬間、もしくはそれに等しい行動をした瞬間の写真だろう。この短期間でこれだけの写真を集められるのだから、彼女の情報収集能力には目を見張るものがあった。

 

端から和美を見つめる雄は小さく口笛を吹き、彼女の行動力、情報収集能力に素直に感心する。おそらく彼女はそちらの方面に天賦の才があるようだ。

 

 

「今まで集めた証拠写真も返してあげる」

 

「や、やったー! あ、ありがとうございます朝倉さん!」

 

 

出された写真の束を受け取り、ネギはほっと胸を撫で下ろす。

 

 

「よ、よかった。問題が一つ減ったですー」

 

「はいはい、良かったわね」

 

 

泣きながら喜ぶネギの頭を、明日菜はポンポンと叩く。その様子を相も変わらず、淡々とした無表情のまま見つめる刹那だが、あまりこういうことに慣れていないらしい。どう反応すればいいのか分からずに、無言を貫いたままだった。

 

写真をネギに渡した後、和美の視線が雄の方へと向く。

 

 

「風見先生もここにいるって事は……」

 

「察しがいいな。ま、一応そんなところだ」

 

 

下手に隠したところでどうせ足はつく。場に居合わせている人間は全員、魔法関係者であることは、カモの声を聞いて驚かないことから容易に推測出来るはず。

 

あえて魔法の存在を知る、一人の関係者だと暴露する分には何の問題もない。淡々と、かつ堂々とした口調で肯定した。

 

 

「先生は否定しないんだね。結構ストレートに聞いたのに」

 

「否定したところですぐボロが出る。それにこの状況で隠したところで、何かメリットがある訳じゃない。隠す必要はないだろう」

 

「ふふっ、意外にサバサバしてんのね。面白いじゃん!」

 

 

和美は雄の言葉を聞いて、ニヤリと口角を歪める。

 

本当にマズいと判断すれば、全力で止めようとするだろうし、彼にとってはまだ精神的な余裕があった。魔法の存在を知られないに越したことはないが、バレてしまったことは仕方ないことであり、今回のケースを防げたかと言われれば、それもまた違う。

 

なら自身が下手に慌てる必要もない。自分の全てを知られて、それを意図的に第三者に公表しようものなら話は別だが、和美にはその意志は無い。

 

 

「あら、ネギ先生こんなところでどうされたんですか?」

 

 

そうこうしていると、ロビーを露天風呂上がりのあやかが声を掛けてくる。彼女の一言に、魔法関連の話をしていた一同は一旦会話を区切り、元の会話へと戻していく。

 

 

「……あぁ、そうだ。飲み物買いに来たんだ」

 

 

話に区切りがついたところで、ようやく本来の目的を思い出す。ネギの魔法がバレた話でロビーに来た目的を完全に失念しており、はっとしながら群衆から離れた。

 

方や和美の一言で、あらぬ勘違いをしたあやかとまき絵が暴走しかけるところを見て一人姿を消す。離れる間際、雄の様子に気付いた刹那だけがぺこりと頭を下げた。

 

刹那に軽く手を振ると、何事もなかったかのように自動販売機の方へと向かう。

 

 

「……ふぅん。こりゃ今夜、何かあるかもな」

 

 

誰もいない場所でぽつりと呟きながら、自動販売機のボタンへと手をかける。呟いた内容だけでは何を意味するのか分からないが、先ほどの和美とカモの距離感を見て、感じる部分があったようだ。

 

先の未来を想像し、思わず苦笑いが出てくる。よからぬ事を考えているんじゃないか思いつつも、悪意が無いのであれば放任しておく予定ではある。

 

二人が結託して出来ることなど知れてはいるし、わざわざ介入するまでもないと割り切った。

 

 

「ホント、平和だわ」

 

 

周囲にはぽつりと呟く雄の声だけが、木霊するのだった。



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気になるあの人

「はぁあ、楽しかったー!」

 

「ねー! 鹿も可愛かったし。後まき絵が鹿せんべいを食べたところとか……くくっ」

 

「あー! ゆーな、もうその話は終わりだってばー!」

 

「そんなんまき絵が風見先生の話聞く前に食べてまうからやん。しばらくはネタになるで」

 

 

一旦時は戻り、ホテルのとある一室。

 

二日目の奈良観光を終え、無事にホテルへと戻ってきた四判は部屋で各々着替えを始めていた。一日来た上着をハンガーに掛け、まき絵と裕奈はワイシャツ姿のまま積み上げられた座布団の塔へともたれ掛かる。

 

完全に半日を潰されてしまった初日とは違い、キチンと自由行動を楽しめた事に満足そうな声をあげる。クラスの中でもはっちゃけている二人にとって、酔いつぶれてしまったことは相当悔いが残ったことだろう。朝の悔しそうな表情とは一変し、観光の程良い疲れが全身に残っていた。

 

 

「二人とも。そのままやとシワが残ってまうで。はよ着替えな」

 

 

そんな二人に亜子が、すぐにワイシャツを脱ぐように伝える。いくら自室に戻ってきたとはいっても、ワイシャツ姿でくつろぐのはいただけない。それにスカートもはいたままだ。

 

毎日制服は洗うわけではないため、変にシワが出来ると着た時に目立ってしまう。修学旅行中は洗濯にも出せないし、あまり制服姿のままくつろがない方が良い。

 

 

「昨日の静かさが嘘みたいだな」

 

「うん。そうだね」

 

 

昨日は上述の三人は酔いつぶれていて、起きていたのは真名とアキラの二人のみ。いつもの騒がしさが戻って来たことに嬉しそうな笑みを浮かべるアキラと、また始まったかと苦笑いを浮かべる真名。

 

真名も騒がしいことが嫌いな訳ではないが、普段は単独での行動を好む故に不思議と静かな場所が落ち着いてしまう。

 

 

「昨日はねちゃったけど、今日はぜーったい寝ないよー!」

 

「おー!」

 

「二人とも一日中歩きっぱなしやったのに、ほんま元気やなぁ」

 

 

無尽蔵なスタミナはどこから来るのか。楽しかったとは言っても、帰ってくれば身体の力が抜け、多少は疲れが出る。が、二人は疲れを全くと言って良いほど感じさせなかった。

 

 

「あ、せや。今日風見センセと初めてちゃんと話したけど……思った以上に面白い人やったな」

 

「あ、それは分かるかも!」

 

「そう、それだよ! 特にアキラとはいい感じに話していたみたいだし……」

 

「え?」

 

 

何てことはない雄の話から、アキラは不意に話題を振られて固まった。まさか自分に話が来るとは想定していなかったらしく、どうしようかと慌てる。隣にいる真名はご愁傷様だと笑みを浮かべながら、部屋の外へと消えていった。

 

まさに四面楚歌、自分に味方がいない状況である。キラリと目を光らせているのは、まき絵と裕奈の二人。亜子は亜子で興味深げな表情を浮かべていた。三人とも年頃の女子であり、他人の恋愛事情には目がない。特に男性の少ない女子校であり、色恋沙汰には共学校に比べて敏感なものがあった。

 

 

「ねーねー、いつの間に風見先生と仲良くなったの?」

 

「な、仲良くって。風見先生と話したのなんて昨日が初めてなんだから、皆が期待しているようなことなんて一つも……」

 

 

柄になくオロオロと狼狽えるアキラの姿を見て、場にいる三人が微笑ましい表情を浮かべる。担任のネギが年下であり、恋愛対象としては今は見ることが出来ないが、雄であれば十分に恋愛対象として見ることが出来る。

 

アキラも雄に対して悪いイメージを持っている訳ではなく、むしろ逆。授業中は淡々とした教え方ながらも、要点を掴んだ非常に分かりやすい説明であり、実体験でもしたかのようなリアリティある教え方が、生徒たちには非常に好評だ。

 

ふと微笑むシーンはあれど、授業中はあまり表情が変わらない冷静沈着なイメージからクールな教員だと思われていたが、アキラは雄の授業の時とは違った一面を偶然見かけた事で、多少なりとも彼の見方が変わりつつあった。

 

 

「ほーんーとーにー? 今日も真っ先に声を掛けに言ってたし、実は気があるんじゃないのー?」

 

「そうそう! 初日にアキラが風見先生と話していたってことも聞いてるんだよ!」

 

「話って、皆を運ぶために指示を仰いだだけで、特別な事は何もしてないよ。も、もう! 何で私の話になるの!」

 

「えー、だってねー!」

 

 

この話は終わりだと、目の前で手をクロスさせるアキラだが、火のついてしまった二人は止まる素振りが無い。特別な感情は一切持ち合わせて居なかったアキラでも、周りから変におだてられると、変に意識をしてしまう。

 

雄を客観的に見てどうかと言われれば、間違いなくイケメンの部類に区分けされる。教師と生徒の関係ではあるが、頼れる年上の存在として意識することもあり得る。現に班別行動の時の彼の立ち居振る舞いは、教師としての面が垣間見える反面、一個人としての素の感情が出ているようにも見えた。

 

 

「そういえば風見先生ってよくこのかと一緒に居るよね。何か昔会ったことがあるなんて噂だけど」

 

「ウチ前、桜咲さんと一緒におるの見たで」

 

「えー! 桜咲さんと!?」

 

 

裕奈、亜子、まき絵が更に多い被さるように話を続けていく。彼女たちが言っていることは事実であり、普段雄は木乃香や刹那と行動をしている。木乃香に関してはもはや周知の事実であり、実の兄を慕うように懐いていた。もはや本当の兄妹ではないかと想像する人間も少なくはない。

 

一方で刹那は意外に思う生徒が大半。それもそのはず、クラスの変動がない麻帆良学園において、クラスメートとほぼ関わりを持たずに、二年間を過ごしてきたのだから。行事をサボることはないが、自らが率先して何か行動を起こしたり、誰かと話している様子を見たことがなかった。

 

また、本人の触れれば切れるような凛とした立ち居振る舞いから、話し掛けにいく生徒自体も少なく、周囲で話していることがあるのは真名くらいだ。話す内容に関しては表向きに言えるような内容ではなく、プライベートで仲睦まじいわけでもない。

 

肝心の真名も雰囲気を悟ったのか、いつの間にか姿を消しており、聞くことは出来なかった

 

つまり刹那とまともに会話をしているのは雄だけなのだ。

 

 

「風見先生ってもしかして結構凄い?」

 

「誰とでも分け隔て無く接することが出来るのは凄いよね。授業も分かりやすいし、カッコいいし! 何かあったらコロッと惚れてもおかしくないよ! ね、アキラ」

 

「だ、だから私は……」

 

 

雄との関係を根掘り葉掘り聞かれるアキラだが、このやり取りは後小一時間に渡って繰り広げられたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「むぐぐ、明日の予定は……」

 

 

歯を磨きながら明日の予定を思い出す。自由行動三日目は完全な自由行動であり、各班が回りたい場所を散策するといった、何とも分かりやすい一日になる。京都奈良だけではなく、周辺の都道府県に自由に足を運ぶ事が可能になるわけだが、これがまた各班綺麗に分かれている。

 

ネギ君が引率予定の五班は京都の各名所の散策。完全に行き当たりばったりな行動になるため、隙を見計らって抜け出すらしい。抜けるのはネギ君と明日菜の二人だけで、刹那はそのまま五班に残り、木乃香の護衛を続けるとのこと。

 

明日の重要な任務は親書を総本山に届けることであり、最優先事項になる。親書を届ける際、必然的に先方からの妨害が想定される故に、木乃香は刹那が直で護衛した方が安全だと判断。

 

あくまで今回の修学旅行に関してはメインはネギくんたちであり、俺はサポーターに過ぎない。近衛からはネギくんたちがどうしようも無い時だけ、手を貸すように頼まれているものの、それはそれでまた難しいものがあった。

 

悪い言い方をすれば、非常事態に何も行動しない魔法関係者、薄情者といえば良いか。幸い大事にはなっていないが、いつどうなるかまでは把握できない。

 

今日一日、五班にベタ付きで監視させた俺の分身体からの共有記憶には、襲われた類の出来事は無かった。まぁ、他の衝撃的な出来事は記憶として残っているけど……それを語るのはまた改めてにしよう。

 

前提として最後まで分身体が残っている時点で、襲われた可能性は限り無くゼロになる。分身体の方には本当にヤバいときは、自分から媒体に戻るよう共有してあるし、一日無事に過ごせた。

 

 

「……明日が勝負か」

 

 

結論としては明日が全ての鍵を握ることになる。本山に入ってしまえばある程度安全には過ごせるかも……いや、正直この現状で安全な場所などない。木乃香がさらわれかけた時に、先方側の戦力を分析してみたが、あのメンバーだけで来るのなら、大した戦力ではない。天ヶ崎千草、千景の両名でかかったしても、刹那の力量にも及ばない。

 

歯磨きによって口の中にたまった歯磨き粉を洗面台に吐き出し、口の中に水を含んで濯いでいく。

 

 

問題なのはもう一人居た神鳴流剣士だ。両手に小刀を纏い、独特の動きから相手に近寄り、手数の多い攻撃を加える。一本刀の刹那からすると、不慣れな間合いな上に、対戦してきたことの無いトリッキーなタイプに苦戦は必死。

 

が、対抗できるのは俺か刹那くらいしかいない。

 

本当なら俺も五班に加わり、サポートに回りたいが、うるさい広域指導員が頑なにそれを許さず。今日もホテルを出掛ける際に、ネギくんと重複しないように言われたばかり。赴任早々大事にするわけにも往かないし、今回も分身体に任せることになりそうだ。

 

 

「やっかいだな。堂々と抜け出せるのは夜か、ホテルも空けるわけには行かないし」

 

 

万が一は常に想定しなければならない。今日の分身体はほぼ気を込めずに作り出したが、明日はキチンと戦えるレベルの分身体を作り出す必要がある。また麻帆良側の業務を終えたら、即本山へ駆けつける事にしようか。

 

相手には木乃香をさらうという明確な目標があるとはいえ、他の第三者に危害を加えないとも限らない。自由行動も含めて丸一日、全神経を尖らせておくのが良いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あ、何だ?」

 

 

顔を吹いた辺りで、何やらガヤガヤと部屋の前がやたら騒がしい。

 

何かをおっ始めようとでもしているのか。昨日が静かすぎたせいですっかり失念していたが、これが本来の三年A組だ。

 

が、この夜遅くに騒ぎ立てるのは頂けない。俺は笑って済ましたとしても、黙っていない教員だっている。どこぞの鬼教師とかな。乾かしたばかりの髪をわしゃわしゃとかきながら、入り口へと向かう。

 

どーせくだらない事でもやっているんだろう。あまりにも騒がしいようなら軽く注意して、部屋にでも戻せば良い。

 

 

様々な想像を膨らませながら部屋の扉の鍵を開け、外へと踏み出した。

 

 

「えっ!?」

 

「あれ? 何してんだこんなところで……」



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出会ったのは……

「ね、ねえ。本当に私も参加しなきゃダメなのかな?」

 

「何言ってんの! 折角近付けるチャンスなんだし、活用しなきゃ!」

 

「だ、だから私は……」

 

 

ホテルの廊下の一角。枕を両手に持ち、周囲を警戒しながら歩くのは四班の裕奈とアキラの二人。明らかに乗り気ではないアキラと、ノリノリのまま先へと進んでいく裕奈と、全くの正反対な反応を見せる二人だが、一体何をやっているというのか。

 

既に消灯時間を過ぎている。

 

昨日は大半が酔いつぶれて静かだった三年A組だったが、今日はほとんどが起きている状況であり、何人かは行われるゲームに参加すべく、リスクを負いながら廊下へと繰り出した。

 

そんなゲームのタイトルとは。

 

 

「でもラブラブキッス大作戦かぁ。考えるとワクワクしちゃうよねー!」

 

 

読んで字の如し。

 

ネギか雄の教師のどちらかにキスをすれば優勝となる、何とも修学旅行で行われそうなゲームだ。優勝者には豪華景品が用意されており、また勝者を巡ったトトカルチョも行われていた。勝者を見事当てれば、総取りにもなる。

 

だがゲームを遂行する上での障害があり、定期的に見回りをする教師陣の包囲網を突破しなければならない。

 

特にゲームの時間帯は見回りをするのが学園広域生活指導員の新田という事もあり、見つかれば朝までロビーにて正座。先ほど厳重注意ということで、何人かの生徒は呼び出されて注意を受けたばかり。

 

一度目は厳重注意で済まされたが、二回目は容赦されることはないだろう。まさに命を懸けたゲームとも言える。

 

使用しても良い武器は枕のみと、安全性にも配慮したゲーム内容にはなっているが、失敗したときのリスクがあまりにも高い。

 

加えるのであればネギの部屋は事前に貰った間取り図に記載済みだが、赴任直後の雄に関しては個別で部屋を取ったせいで、間取り図に記載されていない。

 

まずは雄の部屋を捜し当てなければならないという、途方に暮れるレベルでの部屋探しが待っている。事前情報から階層は分かっているが、どの部屋が雄の部屋かまでは分かっていない。

 

たどり着ける可能性はかなり低い。

 

とはいえ、大半の生徒の目当てがネギであることから雄の競争率は低くと思われる。引き当てれば一人勝ちが十分に想定できるが、引き当てるまでが問題だった。何せ分かっているのは他クラスを含めた間取りだけであり、雄の部屋は完全に不明。

 

幸い、フロア全域を麻帆良学園で貸し切っていることで、他の観光客の部屋を当てることはないが、どこが目的の部屋なのかも分からない。ノックしたところで出てくる可能性も想定できない事から、会える確率は低かった。

 

 

「うぅ……」

 

 

テンションがどんどん上がっていく裕奈とは反対に、アキラは部屋に帰りたげな反応を見せる。元々はアキラではなく、まき絵が参加予定だったものの、アキラの顔を見た途端に『親友の恋を見守るのも、また一興だよね』などと意味深な言葉を呟き、ペアを譲ったことにより消去法にてアキラが選ばれてしまった形になる。

 

人生の大半を女子校で過ごしてきた彼女に、彼氏が出来たことはない。中学生離れしたプロポーションから、その気になれば周囲の男性からの視線など、釘付けに出来そうなものだが、彼女の謙虚かつ寡黙な性格がそれをさせなかった。

 

何よりも本人があまり異性との交友を意識したことが無いのも、理由の一つになる。

 

が、雄の赴任が生活を一変させた。

 

 

 

若い男性が居るだけで、無意識ながらも意識をしてしまう。相手がネギであれば違っただろうが、年頃の男性ともなれば見方も変わる。

 

自身の着替えを見られたところで、ネギなら笑って済ますことが出来ても、雄に対して同じ対応が出来る自信はない。

 

年齢が違うだけで、大きく対応は変わっていく。少なくともネギと同じ対応を、雄に取るなど出来るはずがなかった。

 

 

「さっ、先を急ぐよアキラ。もう他の班も仕掛けてくるだろうしね」

 

 

あまり同じ場所で長居するのも良くないと、裕奈が催促をする。渋々、重たい足取りで先行する裕奈の後をアキラは追い掛けていった。流石に一人で同じ場所に留まる勇気は無い、かといって裕奈を裏切ることも出来ない。つまりはこの現状を何とか楽しむしかなかった。

 

誰がどこから出てくるかも分からない廊下を、目的地に向かってひたすら歩く。まさか一人の敵にも会わないなんて可能性はゼロに近い。必ずどこかしらでどこかの班と遭遇することになるはず。

 

 

「うーん。誰とも会わないのは逆に不安になるかにゃ~」

 

「……」

 

 

手元の枕をぎゅっと握りしめ、来るべき時に備えて臨戦態勢を取る。目の前に見える曲がり角が完全な死角となり、左右どちらから敵が現れてもおかしくはない。細心の注意を払い先を目指そうとした。

 

が、いくら油断をしていないといえどもいきなり見えない位置から人が現れれば、急に反応することは出来ないもの。先を歩く裕奈が角を曲がろうとした刹那。

 

 

「「あっ」」

 

 

三班のあやか、そして千雨とばったり遭遇した。一瞬の硬直の後、先に動き始めたのはあやかと裕奈だった。

 

 

「うわっ、いいんちょ!? 覚悟!」

 

「ゆーなさん! 勝負ですわ!」

 

 

手に持つ枕を振りかぶり互いに向けて振り下ろす。握られた枕はお互いの攻撃を阻害することなく、差し違えるように二人の頭に向かっていく。

 

 

「もっ!?」

 

「うくっ!」

 

 

裕奈の一撃があやかの顔面に直撃し、あやかの一撃は僅かに逸れて裕奈の顔を掠めた。

 

顔中に広がる衝撃に目の前が眩んだあやかは二歩、三歩と後ずさる。逆にクリーンヒットを免れた裕奈は、追い打ちを掛けるべく一気に間合いを詰めようと地面を蹴った。

 

 

「いいんちょ、覚悟……あっ!?」

 

 

近付こうとした矢先に何者かによって足を掛けられ、重力に身を任せて床に向かって倒れていく。足を掛けた人物は他でもない、千雨だった。やれやれも鬱陶しそうな表情を浮かべながらも、間一髪あやかの窮地を救う事に成功。

 

 

(ったく、何やってんだ私は。こんな下らないガキみたいなことを……)

 

 

仮に裕奈がこの状態で踏みとどまれるのであれば、相当な体幹とバランス感覚の持ち主だろうが、一端の中学生が化け物染みた動きを出来るはずもなく、受け身になればと枕を使って倒れる際の衝撃を和らげる。

 

顔面から落ちることは免れたが、倒れてしまったことで、相手に立て直す隙を与えてしまった。その間に立ち眩みから回復したあやかは、追撃を加えようと再度向かってくる。

 

だがここでタイミング悪く、別の班の介入が入ることになる。

 

 

 

「おお! 獲物がいっぱいいたアルよ~!」

 

「あいあい~」

 

 

各班にとって最も会いたく無いペアである、二班の長瀬楓、古菲の武闘家コンビ。視界に広がる敵の姿に目をきらきらとさせながら突っ込んでくるのは古菲、階段の上に居たというのに、高さなどお構い無しに一目散に飛び降りると持っていた枕を周囲に向かって投げ飛ばした。

 

枕の直線上にいた裕奈たちはものの見事に枕をぶち当てられ、場に倒れそうになる。

 

 

「にょほほ~!」

 

「く、くーふぇさん! や、やりましたわね!」

 

「このぉ! 負けないよ!」

 

 

床に散らばった枕を拾い、再び三つ巴の戦いが始まる。身体能力に勝る古菲に圧倒的なアドバンテージがあるも、負けまいと応戦していく。戦う様子を静観する楓とは別に、アキラはオロオロと慌てる。

 

 

「くっ、千雨さん! 援護を……って居ない!?」

 

 

一人では太刀打ちできないと判断したあやかは、もう一人のメンバーの千雨に声を掛けるも、先ほどまで居た場所に彼女の姿は無かった。いつの間に居なくなったのか、目先の戦いですっかり夢中になっていたあやかに知る由は無い。

 

とはいえ、この場で退くわけにも行かず戦いを繰り広げる一興だったが、突如悲鳴とともに聞き慣れた、しかし聞きたくなかった声が耳に入った。

 

 

(に、新田先生!?)

 

(まずい、逃げるよアキラ!)

 

 

近くで聞こえた新田の声に一同は、戦いの場から立ち去ろうとする。新田の声の前に聞こえたのは千雨の声であり、一人戦いから離れて見つかってしまったと考えるのが妥当か。

 

ともかくこの場に居たら捕まってしまう。声が聞こえる方向とは別の方向に逃げようとするが。

 

 

「お先アルよー!」

 

 

古菲は見計らったように、馬跳びをして裕奈を飛び越えていった。その反動から裕奈はバランスを崩し、壁に頭をぶつけてヨロヨロとよろめく。

 

連れて行こうと身体を支えようとするアキラだったが、このままでは自分まで捕まってしまうと悟り、反射的に近くの角へと姿を隠す。隠すと同時に反対の角からスーツを纏った新田が姿を現した。

 

 

「あ、明石お前もか!」

 

 

先ほどまで繰り広げれていた乱戦が嘘だったかのように静まり返る廊下で、取り残された裕奈を見つける。彼女を取り押さえ、まだ近くに居るのではないかとキョロキョロと視線を張り巡らせるも、当たり前のことながら既に人はいない。

 

唯一居るとすれば、角に隠れながら様子を伺うアキラのみ。角に隠れたは良いものの、近くに新田がいるせいで身動きが取れない。

 

加えて先ほどまで争っていた騒がしさから、周囲に生徒が隠れているのではないかと警戒していた。万が一警戒した新田がアキラの方向へと来たらまさに最悪のタイミングだ。

 

来ないでくれと心の奥底から祈るアキラだが、そんな時に限って神様は味方をしてくれ無かった。曲がり角をじっと見つめた後、こちら側に向かって歩き始めたでは無いか。

 

 

(うそっ、こっちに来る!?)

 

 

じりじりと、確実に近付いてくる気配に周囲を見渡すも、曲がった方向は先が行き止まりになっていて、逃げ道がない。完全に退路を断たれた形になった。

 

隠れようにも身を隠す場所が無い。通路の奥は非常口になってはいるが、走れば足音でバレてしまう、走らなければ間に合わない。

 

どうすれば良い……八方塞がりのアキラだが、次の瞬間近くの部屋の扉が開いた。振り向くアキラの視界に飛び込んできたのは。

 

 

「えっ!?」

 

「あれ? 何してんだこんなところで」

 

 

部屋着姿を纏った雄の姿だった。事前に部屋を知らされず、今いるフロアの何処かが雄の部屋であることしか分からなかったが、偶々自身の近くにあった部屋が彼の部屋だったようだ。

 

 

「もう消灯時間だし一体何を……」

 

 

部屋から出てきた雄は突然かつ、意外な人物に驚くも、何かに気付いたかと思うと、アキラの手を引っ張り、半ば強引に部屋の中へと招き入れる。

 

何が何だか事態が飲み込めず、されるがままに部屋の中へと引き入れられた。

 

 

「少し隠れてな。すぐ終わるから」

 

 

一言告げると、入れ替わるように現れた新田に対応していく。

 

 

「あぁ、新田先生。もう交代の時間ですか?」

 

「おや、風見先生。いえ、ちょっと三年A組の生徒の何人かが出歩いて居まして。風見先生も優しいのは良いですが、しっかりと締めるところは締めて貰わないと……」

 

「あはは、すみません」

 

 

新田の軽い指摘に表情を歪めることなく、淡々とした口調で答えていく。雄は生徒たちの行為に対しては割と寛容に見ているが、あまりにも度を過ぎていることに関してはしっかりと指摘しなければならない。

 

騒がしくし過ぎて、一度生徒たちが叱責を受けているのは知っているが、ちょっとばかり生徒たちもおいたが過ぎたようだ。

 

裏で何をやっているのかは知らないが、この現状を調べた方が良さそうだ。一通り指摘をすると、続きがあるのでと踵を返し、来た道を戻っていった。

 

その姿が見えなくなった頃合いを見計らって、部屋の中にいるアキラに声を掛ける。

 

 

「もう大丈夫だ。新田先生も居なくなったし、しばらくこの廊下に来ることは無いだろう」

 

「あ、ありがとうございます。迷惑掛けて申し訳ないです……」

 

 

部屋の奥からひょっこりと顔だけを見せ、申し訳無さそうな表情を浮かべながら、謝罪の言葉を連ねた。雄もそんなアキラに対して気にしていないと返しながらも、一応何をやっていたのかを聞き出そうとする。

 

 

「ははっ、気にするなよ。あれくらいは慣れっこだからさ。んで、こんな遅くに何やっていたのかだけ教えてくれないか?」

 

「は、はい」

 

 

実はと前置きをしながら、ぽつぽつと話し始めた。



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真相は

「まぁ、少しゆっくりして行きな。まだ外に出るような雰囲気じゃないだろうし」

 

「え……」

 

 

くいくいと手招きをしながら、大河内を部屋の中へと招き入れる。急に出ていったところでバレるのは目に見えているし、少し外のほとぼりが落ち着いたタイミングを見計らって部屋に送り届けた方が良さそうだ。

 

俺が一緒であれば仮にバレたところで新田は口出し出来ないし、理由なんていくらでもこじつけられる。さっき会ったときの口振りだと、勝手に部屋を出た生徒を本気で正座させているようだし、指導だとしても些かやり過ぎな気もする。

 

修学旅行の記憶と言えば、夜遅くに枕投げやら恋バナで騒ぎまくって、生活指導の教員に叱責を食らうのがもはや常套句だが、いくら何でも朝まで反省の意味を込めての正座は厳しすぎる。

 

後でそれとなくロビーの様子は見に行ってみよう。

 

 

遠慮しがちに部屋の入り口で立ち尽くす大河内だが、やがて奥の部屋へと入ってくる。キョロキョロと辺りを見回しながら物珍しそうに部屋に入ってくる辺り、男性の部屋に入ったことはほとんど無いように見えた。むしろホイホイと部屋に入っている方が問題だが、想定内といったところだろう。

 

誰が来ても良いように私物は鞄の中に仕舞ってあるし、スーツやワイシャツはハンガーに掛けてシワが残らないように管理している。見られて困るようなものは何一つおいていない。

 

 

「……」

 

 

想像しているイメージと違ったのか、意外そうな表情を浮かべていた。ズボラな小汚い部屋を想像していたのか、はたまたもっとキャリーの中の荷物が部屋中に散乱しているとでも思ったのか、それは大河内にしか分からない。

 

 

「どうした。想像している男の部屋と違ったか?」

 

「え? あ、いや。そう言うわけでは……ただ凄く小綺麗だなって」

 

「ま、数日の宿泊なのに汚く出来ないしな。それに普段から部屋は綺麗にと言われてるから、気をつけてはいるよ」

 

 

服の着こなしから、食事や掃除全てに関して言われれば、嫌でも意識して行うようになる。普段の生活が余りにもずぼら過ぎていたせいで言われた当時は戸惑ったが、冷静に考えれば当たり前のことであり、今までやってこなかった事が変な話だった。

 

ほこりまみれだとか、ゴミ袋まみれのゴミ屋敷には住んで居なかったが、仮も女子寮の一室を使わせて貰う以上、身の回りの整理だけではなく、より清潔感には気を遣うべきだと認識させられた。

 

お陰様でゴミの回収日までキチンと把握しながら、生活を送れている事に驚きを隠せない。行き当たりばったりの生活を繰り返してきた今までの生活に思わず苦笑いが出てくる。

 

すると俺の一言に興味があったのか、続けるように質問を投げ掛けてくる。

 

 

「言われてるってことは、誰かと一緒に住まわれているんですか?」

 

「ん。あぁ、木乃香によく言われるんだよ。ご飯はちゃんと三食取らなアカンーとか、ちゃんとした服着るんやでーとか。こんな適当な性格してるから、どーも私生活にずぼらでな」

 

 

木乃香が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたお陰で、ようやくここ最近は人として当たり前の生活を送ってはいるが、以前は三食食べないこともザラであり、体型が変わらないことを良いことに二、三年間は同じ服を着回すなど、到底女性には暴露できないような事をしていた。

 

人とは不思議なもので、誰かに世話を焼かれると何とかしなければと行動してしまうらしい。ホント出来の良い妹を持った感じで、木乃香も本当の兄を持ったように寄り添ってくれる。色々と気を遣うようになったのは十中八九、彼女のお陰なのは間違いなかった。

 

 

「近衛さんが……」

 

「ははっ、意外だろ。まさか俺も赴任してきた時は知ってる人間がいるなんて思わなかったよ」

 

 

ちゃぶ台の前に腰を落とすと、合わせるように大河内も対面に腰を下ろす。何かこうしているとお見合いでもしているような感じだ。

 

俺と木乃香の関係が気になるのか、大河内は話を掘り進めていく。

 

 

「お二人は一体どんな関係なんですか?」

 

「何、昔ちょっと遊んだ事があるだけさ。互いに最初は忘れていたのに、ふとしたタイミングで思い出してな。それ以来色々と生活へのアドバイスを貰ってるよ」

 

「幼なじみみたいな感じなんですね」

 

「それに近い……けどずっと遊んでいた訳じゃないから、正解とも言えないか」

 

 

俺と木乃香の関係を聞いたことはあっても、事実を知らない生徒は多い。そもそもプライベートを話す生徒が少ないのだから、知らない生徒が多いのは当然。それに進んで話すような内容でもないし、聞かれたら答えるくらいの感覚で良いと、個人的には思っている。

 

やや中途半端な解答に、うーんと大河内は考え込む。普段はあまり見ないであろう彼女の表情を見れて、個人的にはご満悦だが、一応は彼女が何のために廊下を出歩いて居たのか聞かなければならない。

 

俺と話している間にも外でよく分からないクラス対抗の催し物が行われているみたいだし、場合によっては止めに行かなければならない。大体の主催者は分かるが、何の意図があって、どのような目的があって行われているのかまでは把握出来ていない。

 

単純に修学旅行の一環として楽しむためだけに行われているとも考えにくいし、どうにも裏で何か図っているんじゃないかと思えた。

 

 

「んで、大河内は何で廊下にいたんだ? この時間帯に廊下に出るのは自殺行為だと思うんだが……」

 

「え? えーっと、それは……」

 

「ん?」

 

 

話題を振った途端に歯切れの悪い返事をする。答えたくないのだろうか……いや、答えたくないというよりも答えづらそうにしていると表現した方が的確か。彼女のことだから、むやみやたら廊下に出るとは考えられないし、悪ふざけを考えているようにも思えない。

 

では、一体何を。

 

 

「そ、その……あの……」

 

「……」

 

 

相当言いづらいものらしい。加えて俺が目の前に居るのも影響しているのか、どこか怒られるかもしれないといった負の感情が混ざり合っていた。

 

 

「えっと……ネギ先生か」

 

 

……ちょっと待て、何故そこでネギ君の名前が出てくる。もしかして黒幕はネギ君なのかと思いつつも、万に一つも考えられない可能性であることを悟り、一旦心を落ち着けた。大河内もネギ先生か、と言っただけで、ネギ先生が黒幕とは言っていない。

 

続く言葉を待とう。

 

 

「風見先生に」

 

「……俺?」

 

 

何気に俺の名前も出てくる。

 

二者択一。俺かネギ君のどちらかに何かをするゲームなのか。自分の担任の部屋に悪戯のために入ったり、何かを仕掛けたり、それなら大河内がわざわざ部屋前をうろついていたのも納得できる。

 

 

「あの……き、キスしたら、豪華景品プレゼントっていう企画でして……」

 

「……はい?」

 

 

いつもより二音ほど高い、間の抜けた声が無意識に出て来る。俺の聞き間違えだったか、とんでもない単語が聞こえたような気がした。

 

 

「今何て?」

 

 

聞き間違いなら仕方ない。むしろ聞き違いであってくれと切に願うが、淡い願望は次の言葉で木っ端微塵に打ち砕かれる事となった。

 

「だ、だからキスしたら豪華景品プレゼントっていう企画で……」

 

 

何度聞いても単語は同じ、俺の聞き間違えでも理解不足でも何物でもない、事実の言葉。予想の遙か斜め上を行く事実に、思わず眼前を手の平で覆った。発想は無限大だなんてよく言うが、こればかりはそのレベルの話ではない。

 

キスしたら豪華景品が貰えるとは言っても、こんな部屋の中にまで入ってきたら、したかしてないかなんて分からないし、どうやって証拠を残すのか。魔法使いと交わす仮契約で、カードが出るわけでも無いし……。

 

 

「……」

 

 

いや待て、そう考えれば納得が行く。カードが出れば証拠になる、そして仮契約を行える使い魔もいる。だとすると今回の企画にはウチの生徒だけじゃなくて、使い魔も絡んでいることになる。

 

バラバラだった全ての点が一本の線になった。

 

 

「なるほど。んで、大河内は俺の部屋へ来たと?」

 

 

そうなると、気になるのは大河内だ。

 

まさかこんな短期間で俺のことを好くとは考えにくいし、部屋の前に居たのは確信犯ではなく、偶々である可能性が高い。俺の部屋は、中途半端な時期に赴任をしてきたことから予約が遅れ、直前に別途手配をしたものになる。

 

故に生徒に配られる部屋割りのリストに、俺の部屋は載っていない。だから俺の後をつけてでもいない限り、分かりようがない。

 

 

「ち、違うんです! わ、私は人数合わせで!」

 

 

断じてやましいことは考えていないと、大河内は俺を説得させるように話す。ムキになればなるほど、本当のことなんじゃないかと自分の中で錯覚してしまうが、嘘をついているようにも見えないし、本人としては乗り気ではなく、事情があって参加しているみたいだ。

 

……やばい、何かそこはかとなく悲しくなる自分が居る。

 

 

「あ、で、でも風見先生のことは嫌いという訳ではなく!」

 

 

微妙な雰囲気の変化を悟ってしまったのか、必死に弁解しようと顔を赤くしながら必死になる大河内、ここまで来るともうただ首を縦に振るしかない。繋げる言葉を必死に考えるも、思い付かずにもごもごと口ごもっていた。

 

 

「う、うぅ……」

 

「あー、ごめん。俺は大丈夫だからさ」

 

 

ぽんぽんと二度三度頭を撫でた後に、何とか事態を収束させようと立ち上がる。あれから時間も経っていることだ、何人かが捕まってロビーで正座させられている可能性は高い。加えて、今回の主犯を捕まえる必要もある。今の状態をどこかで実況しながら見ていることだろう。

 

あらゆる場所にカメラをつけたところで、最終的には一点に集約される。それを実行し、管理できる人間が居るとすれば、クラスでは一人しか思い付かなかった。結界を破る気配は感じないことから、外部の線は限りなくゼロに近い。

 

 

「先生、どこへ?」

 

 

立ち上がる俺にどこに行くのかと声を掛ける。あぁ、そうだ、大河内をこのままにしたらマズいな。部屋に置いてきぼりの状態になるし、部屋に戻るタイミングを失うかもしれない。バレるリスクはあるが、どうとでもなる。

 

 

「皆のところにね。大河内も来いよ、部屋に一人きりにさせるわけには行かないし。ま、さっきのことはあまり気にするな」

 

「え……は、はい」

 

 

大河内を連れて足早に部屋を出る。さて、首謀者の彼女と、妖精くんはどんな表情を浮かべてくれるのか、見物だ。



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二日目は終わる

「よおっしゃー! 宮崎のどか仮契約カードゲットだぜー!!」

 

 

旅館内のとある一室。仮契約カードを片手にガッツポーズしながら、某主人公が決めゼリフとして言いそうな単語を連ねるオコジョ妖精のカモ。正式な仮契約一回につき、五万オコジョドルが仲介料として手に入る。日本円にした場合の単価は定かではないが、一般企業なんかではコミッションやインセンティブと呼ばれるようなものであり、かなりの高額なものであることが伺えた。

 

カモの喜び方を見ても、それほどに価値のあるものだということがよく分かる。

 

 

「おぉ! 偽物の先生でもカードが出るんだね!」

 

 

今回のイベントの主催者である和美が、偽のネギとのキスによって生まれたカードを手に持って、枚数を数えている。枚数によって報酬が変わるのか、若干目には期待の光が見えた。

 

 

「大がかりな準備だった割には情けねぇ成果だが、仕方ねぇ」

 

「よっしゃ、ずらかるよカモっち!」

 

 

パンパンに膨らんだ袋を持ち、和美は颯爽と部屋を後にしようとする。袋の中身は今回のトトカルチョで集めた食券であり、数えるとかなりの枚数があった。仮に予想が当たった人物に価値分の食券を配当したとしても、手元には多くの食券が残る。

 

これだけあれば、今後学園生活を送る上で当分昼食に困ることは無いだろう。カモ的には寂しい成果かもしれないが、和美からすると今回の企画は相当儲かったことになる。後はバレないうちにここから離れれば、全てが円満に終わる。

 

ここまで来たならと、楽観視しながら部屋を出ようとするが、そこまで融通を聞かせるほど神様は甘くなかった。

 

 

「ん?」

 

 

扉を開けた瞬間に何か堅いものが顔に当たる。部屋の前に固形物をおいた覚えはなく、何が当たったのか分からず首を傾げるばかり。

 

 

「……」

 

 

が、状況を把握すると血の気が引いたかのように顔が青ざめた。だらだと嫌な冷や汗が吹き出てくると共に、恐怖の二文字が相応しいと言わんばかりのオーラが当てられる。自分がぶつかったのは固形物ではなく、部屋の前に立つ人間の胸板だった。

 

ギギギッと壊れた機械のような音を立てながら顔だけを、対象の方向へと向けると、そこには恐怖の象徴とも言える存在がいた。

 

 

「なるほど朝倉、貴様が主犯か」

 

 

こめかみに血管を浮き上がらせながら、怒り心頭の新田が和美の視界に入る。どうしてこの場所が分かったのか、それはどうでも良い。今の彼女にはどうこの場をやり過ごすかを考えるだけで精一杯だった。

 

が、現状を打破出来る要素は皆無。手にはトトカルチョで集めた大量の食券がある。もはや修学旅行に全く関係ないものであり、これをどう良いわけすればいいのか思い付かなかった。

 

和美がテンパっている間にも、コソコソと場から逃げ出そうとするカモ。ドアから出てすぐの出来事だった。

 

 

 

「むぎゃっ!?」

 

「何だ? 今どこかから声が……」

 

「すみませんね、新田先生。ウチの生徒が迷惑を掛けて……」

 

「風見先生、どうしてここに?」

 

 

新田が振り向く先には、申し訳無さそうな表情を浮かべる雄の姿があった。手にはバタバタと逃げ出そうとするカモがいるが、カモの力よりも遙かに雄の握力が勝るために、抜け出そうにも抜け出せない。

 

視線だけを下げ、和美がいることを確認するとすぐに新田の方へと視線を向ける。

 

 

「いえ、ちょっと外が騒がしかったもので。もしかしてと思って出て来たんですが……」

 

 

先ほど偶々部屋前で居合わせた二人だが、新田よりもう少ししっかりと締めて欲しいと指摘を受けたことで、自身も外に出てきたと説明する。

 

そしたら案の定、新田に捕まった和美を発見。助けるためではないが、自分のクラスの生徒が起こしたトラブルは、自分たちで解決しようと。ある程度理由を説明すると、新田も納得したかのような表情を浮かべた。

 

 

「ところで、朝倉以外にも出歩いていた生徒は居るんですか?」

 

「えぇ、むしろA組の大半が朝倉の企てたゲームに参加しておりまして。今は参加者全員と一緒に遊んでいたネギ先生も、ロビーで正座をさせている状態です」

 

「……」

 

 

新田の口から出てきた事実に、思わず頭を抱える。まさかネギも一緒になってロビーで正座させられているとは、彼も思わなかっただろう。そもそもネギが本当に今回のイベントを知っていて、かつ積極的に参加していたかどうかも甚だ疑問だった。

 

が、結局は新田の口から語られることが事実であり、覆しようのない証拠になっているのは間違いなかった。

 

 

「新田先生、後は俺が引き継ぎますよ」

 

 

兎にも角にも生徒たちを救出するのが先決だ。このまま朝まで正座コースはいくら何でもきつすぎる。おいたが過ぎた結果がこれだが、次の日の行動に支障を出したくはないし、まずは生徒の体調管理が第一。

 

 

「それに冷たいロビーで正座をさせたら、次の日にも影響が出かねませんし、解放してやって頂けませんか?」

 

「いや、しかしですな風見先生……他の生徒も自室では寝ております。万が一また騒がれても、周囲の部屋に迷惑が掛かる。私としては了承しかねます」

 

 

新田の三年A組に対するイメージは、あまり良いものでは無い。雄の申し出に対し、表情をやや歪めながら断りを入れる。

 

端から見ても、騒がしいクラスであることは明白だが、普段の彼女たちの行いが、学園広域指導員としての新田に対し、他クラスに比べて悪く写ってしまっていた。もちろん敵意むき出しにして、目の敵にしている訳ではなく、教員として他のクラスを守る意味合いも含めている。

 

立場上、生徒たちを律するのも仕事であり、今回はやむおえないと判断した。

 

 

「……ですが今回の件、私の管理不足もあります。本来は新田先生の手を煩わせることがあってはならなかった。キチンと生徒には伝えます、絶対に騒がないようにとね」

 

「えぇ、風見先生が?」

 

「私も学生の頃はどうしようもない人間で、夜はいつもはしゃいで迷惑を掛けたものです。特に広域指導員の方にはね」

 

 

雄は自身の学生時代の思い出を恥ずかしそうに語る。新田の方を見ながら、まるで今日みたいにねと言いたげな表情を浮かべた。

 

雄の表情に新田は押し黙る。

 

いくら鬼教員とはいっても、学生時代から堅苦しい人間だった訳ではない。新田自身も今の三年A組のようにふざけていた時期もあっただろう。

 

 

「……そうですな。私も昔のことながら、当時は中々に言うことを聞かない生徒でした。なるほど、そういうことか」

 

 

やがて口を開く。何かを悟ったかのように、雄の顔を笑みを浮かべながら見つめた。恐らく近くにいる和美は新田の笑う表情を見たことなど無かったのか、驚きを隠せないでいる。

 

言葉に置き換えるのなら、あの鬼の新田が……とでも言いたげだ。過去を懐かしむような柔らかな表情は、今の生徒たちの現状を過去の自身に置き換えたのか、それともまた別の要因があるのか、そればかりは本人にしか分からない。

 

 

「今回は多目に見ましょう。ただ次は無いですから、気をつけて下さいね、風見先生」

 

「寛大な処置に感謝します」

 

 

最後にふと笑うと、踵を返して二人のいる廊下から立ち去った。終始ぽかんとしたまま、状況を見ていた和美だが、やがてはっとしたかのように口を開く。

 

 

「あ、風見先生。助けてくれてありがとう……」

 

 

改めて助けて貰ったことに対し、感謝の言葉を述べる。まさかの救いの手に、些か感動を覚えながら頭を下げた。

 

「ま、これくらい気にするな。ただ後できちっと話は聞くから覚悟しておけよ?」

 

「うっ……しっかりしてるのね」

 

 

今回の一連の騒動に対する話は後でしっかりと確認すると告げると、若干引きつった顔をしながらも渋々了承する。

 

本来だったら新田にしょっぴかれるところだったのを、助けられたのだから雄には感謝しか無いのだが、いざ後々じっくり話を聞かれることを想像すると、何とも言えない気分になる。

 

雄と二人きりの話し合い、この場合は『OHANASHI』とでも言うのか。

 

 

「カモ、お前もな?」

 

「……旦那、ひでーっす」

 

 

胴体を摘ままれたまま身動きが取れず、吊されるカモの姿が哀れに見えた。事態の収束を見届け、ホッと一息つくと和美にロビーで正座をしている生徒たちに、部屋に戻るように伝えるよう指示すると、和美はバタバタとかけていく。

 

やがてその姿が見えなくなると、自身の背後で隠れているであろう人物に声を掛けた。

 

 

「おい、もう良いぞ」

 

 

雄の声に釣られるように、背後の曲がり角から姿を現したのはアキラだった。周囲をキョロキョロと見回し、改めて人が居ないことを確認すると、遠慮しがちに声を掛ける。

 

 

「あ、あの、新田先生は……?」

 

「見回りに戻ったよ。後はうちのクラスで、正座させられている生徒は解放してくれるらしい」

 

「ほ、本当ですか!」

 

 

自分と共に行動していた裕奈は交戦途中に新田に見つかり、ロビーへと連れて行かれてしまった。裏切るつもりはなかったが、結果的に自分だけが助かる形になってしまい、彼女に対して申し訳なさで一杯だった。

 

が、雄の機転により裕奈を初めとするロビーに連れて行かれた生徒たちは全員救出する事に成功。数分もすればそれぞれ部屋に戻るはず。

 

一度新田にしょっぴかれていることから、騒がしくしたり部屋の外に無断で出ようと企てる生徒はもう居ない。イベント自体も終わったことで、改めて普段通りの夜が戻ってきた。

 

 

「あぁ、だから大河内も早めに部屋に戻れ。また新田先生が戻ってきたら面倒なことになるだろうし」

 

 

雄はアキラに対し、早めに部屋へと戻るように促す。新田を説得することには成功したが、出歩いていればとやかく言われることは間違いない。事態が収束している間に、さっさと部屋に戻ってしまった方が、後々手間になることもない。

 

このまま裕奈の元へ駆けつけようとも考えたが、流石に下手に出歩こうとは思わなかった。

 

 

「ホントに何から何までありがとうございました。ご迷惑かけてごめんなさい」

 

「大丈夫、何事も無く済んで良かった。また明日な」

 

「はい、おやすみなさい」

 

 

ぺこりと頭を下げると、足早に自室へと戻っていく。アキラの姿が無くなったことを確認すると、同じように自室へと戻り始めた。

 

なお、先ほど捕まえたカモは未だに掴んだままであり、いつになったら解放されるのかと、顔だけを上げて雄へと尋ねる。

 

 

「だ、旦那? オレっちはいつまで捕まって居れば?」

 

「お前には話があるから少しだけつき合え。拒否権は無い」

 

「へい……」

 

 

カモはがっくりと力なくうなだれる。

 

余談だが、この後数時間、カモは雄の部屋で取り調べを受けたらしい。

 

 

修学旅行も二日目が終わった。



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勝負の三日目へ

「ふわぁ……」

 

「随分と眠そうですが大丈夫ですか?」

 

「あぁ、一応ね。どっかのアホのせいで夜遅くまで起きてたからな。つーか日付変わってるわ」

 

 

欠伸をしてだらしなくなる口元を押さえながら、ロビーを歩く雄と、かなり眠そうな表情をしている雄の身を案じる刹那。

 

原因の大半が夜中に行われたイベントなのだが、立場上は致し方ないと割り切るも、身体に溜まる疲労感や眠気ばかりはどうしようもない。

 

朝食後、今日のスケジュールを確認しようと合流した二人は、他の協力者たちが待つ場所へと向かっていた。修学旅行三日目、今日はネギが親書を総本山へと届ける最も大切な一日となる。

 

昨日は何事もなく、本当の意味での平穏無事に過ごすことは出来たが、今日はそう簡単には行かない。本来なら雄も同席するべきなのだろうが、同じ班に担任と副担任がつくことは許されておらず、必ず分担するようにと釘を刺されていた。

 

最も、身代わりでも作ってしまえば十分その役割は担ってくれそうだが、先方が無関係な人間を手に掛けないとも限らない。故に全戦力を親書側に傾けてしまうと、学園側が疎かになってしまうために、最善策に見えて実は違う。

 

それに親書を渡す道中での妨害を考えると、丸一日時間を費やすことにもなる。雄が付き添ってしまうと、それだけの間、学園側が完全な無防備な状態になる。相手の出方が不確定である以上、完全に放置する訳にはいかなった。

 

 

「粗方伝えたと思うけど、今日も昨日みたいに俺の分身体を付ける。完全自立型な上に戦闘能力も高いから、二日前の手先に遅れを取ることはまずない」

 

「ありがとうございます。今日が恐らく山場でしょうし、親書さえ届けることが出来れば……」

 

「ただ問題なのは、増援があったときだ。十分に考えられるし、最悪木乃香を連れて実家に逃げ込む必要も出てくるかもしれない」

 

「えぇ、そこはこちらで上手く対応します」

 

「頼むぞ。本当の緊急事態には俺も駆けつけられるようにしておくから」

 

 

不安要素は事前にある程度潰しておくのが定石。万が一が十分に考えられる以上、すべての不安要素に対して完全な対応は不可能に近いが、致し方ない。

 

動ける人数は限られているし、仮にタカミチが居れば雄も自由に動くことが出来ただろうが、無いものをねだっても仕方ない。現有戦力でやれることをやる、それだけだ。

 

気持ちを切り替え、ロビーへと向かうと既視感があるような声と内容が聞こえてきた。

 

 

「ちょっとどーすんのよネギ! こんなに仮契約カード作っちゃって!」

 

「えぇ! ぼ、ぼくのせいですかー!?」

 

 

大量のカードを持ち、ネギへと詰め寄る明日菜と、自分のせいではないと半泣きで訴えるネギ。

 

話の内容は昨日のイベントにより大量生産された仮契約カードであり、右手には成立カードであるのどかのカード、左手には偽物のネギにキスしたことで作られたスカカードが数枚。いくら本人にその気が無かったとしても、状況が状況だけに詰められるのは仕方なかった。

 

 

「まぁまぁ姐さん」

 

「いーじゃんアスナ。儲かったってことで」

 

 

と、楽観視しながら言葉を発するカモと和美だが、二人の一言が、明日菜の怒りに油を注ぐことになる。

 

 

「エロガモと朝倉は黙ってて!!」

 

「はい……」

 

「エロガモ!?」

 

 

表情を歪ませて二人に一喝する明日菜に、和美は蛇に睨まれた蛙のように身をすくませ、カモは悪口のような言葉にショックを受ける。二人は今回の一件の原因を作った張本人である故に、情状酌量の余地はない。

 

挙げ句の果てに、新田にしょっぴかれる寸前のところを雄に助けられているのだ。本来なら笑い事で済むような話ではない。

 

 

「相変わらず朝から元気だな明日菜」

 

「雄さん、ちょっと聞いてよ! ネギったらこんなにカードを……」

 

 

ガミガミと説教を続ける明日菜に近付き声を掛けると、昨日一日で作ったカードを見せながら歩み寄ってくる。持っていたカードの枚数に驚き、思わず目を見開いた。まさかあの一時間足らずの出来事の間に、これだけの枚数を作っているとは思いも寄らなかったのだろう。

 

和美とカモを聴取した時には、具体的に何枚仮契約カードを作ったのかまでは聞いていないし、驚くのも無理はない。カードを見る雄からあからさまにバツが悪そうに視線を背ける和美とカモの両名に苦笑いを浮かべながら、半泣き状態のネギに労いの言葉を掛ける。

 

 

「やぁ、ネギ先生。昨日は色々と大変だったみたいだね」

 

「い、いえ! こちらこそ風見先生に迷惑を掛けてしまって……」

 

「ははっ、気にしてないさ。修学旅行の夜はあれくらい賑やかじゃないとな。ま、どっかの二人はやりすぎが祟って痛い目を見たわけだが」

 

「うっ……」

 

 

ジロリと視線を向ける先の二人が如実に反応をした。和美は雄に何をしたのかの詳細を聞かれ、カモは部屋に呼び出され直々に『OHANASHI』するという地獄を味わう羽目に。

 

和美の場合は夜も遅いために、夜は何事もなく部屋に戻り、今日の朝食前に聞かれるだけに留まったが、カモの場合は捕まってから数時間もの間雄に睨まれ続けて、若干のトラウマになっているようだった。

 

 

「カードを作ったのは仕方ないけど、宮崎には事実を知らせない方が良いな。現状、彼女を今回の案件に引き込むには危険すぎる」

 

 

話題を変え、改めて仮契約カードについての注意をネギに伝えた。のどかは魔法側のことは何も知らないため、下手に事情を話せば彼女を危険にさらすことになる。

 

あくまで景品として渡すのはまだしも、本来の仮契約カードの能力を使うようになってしまえば、自ずと魔法世界に関わりを持つようになる。そうなれば守ることも難しくなるし、生死と隣り合わせの状況を生み出す可能性も出てくる。

 

現状はただの景品として渡すのが一番良いだろう。

 

 

「そうね。景品としてコピーカードを渡すのは仕方ないにしても、マスターカードは使っちゃ駄目よ。本屋ちゃんは完全な一般人なんだから」

 

「その方が良いかもしれませんね。知らせて危険な目に合わせる訳には行かないですし、魔法のことは黙っておいた方が良いでしょう」

 

 

明日菜や刹那も、雄の意見に賛成のようだった。三人の意見に対し、ネギも首を縦に振り同意見であることを伝えた。

 

 

「そうですね。宮崎さんには魔法のことは黙っておきます」

 

「しかしあのカード強力そうなんだけどなー。まぁいいや、姐さんにもコピーカードを渡しておくぜ」

 

 

のどかの仮契約カードの効能にカモは残念がるも、気持ちを切り替えて明日菜にもコピーカードを渡す。が、先日の一件にてコピーカードの性能は念話が出来るだけだと思い込んでいる明日菜は、若干疑い深い眼差しでカモを見つめた。

 

 

「えー? いいわよ、そんなの。どうせ念話出来るだけなんでしょー?」

 

「ち、ちげぇって! この前使った武器が自分でも出せるようになるのさ」

 

 

疑い深くも、カモが掲げる仮契約カードを受け取る。本当に念話だけじゃないのかと、信用出来ないような雰囲気を醸し出すも、ちゃんと武器が出せるのであれば、使い方を知っておいて損はない。

 

カードの裏表を交互に見つめながら、続くカモの説明を聞いていく。

 

 

「で、どう使えばいいの?」

 

「簡単でぇ。手に持ってアデアットって言えばいいのさ」

 

「ふーん? ……じゃあ、アデアット!」

 

 

明日菜が呟くと同時にカードが発光し、いつの間にか一昨日の夜に使ったハリセンが出てきた。まるで手品のような一連の流れに明日菜は驚き、そして少しばかりの感動を覚える。

 

 

「すごい! 手品みたい!」

 

 

大道芸に使える! とクルクルとハリセンを回しながら、興奮を抑えきれないでいた。この前までは一端の中学生だった明日菜が、いきなり自分も魔法具を使えると分かれば、多少なりとも感動するのも無理はない。

 

 

「ん?」

 

 

仮契約カードに夢中になる一方で、不意に何者かの気配を悟り、雄は背後を向く。すぐ後ろの自動販売機の影は死角になっていて、角度をずらさないと先が見えないようになっている。

 

今誰かがこちらの様子を覗いていた気がするが、自分の気のせいだろうか。敵特有の気配ではないため、深く気にする必要は無さそうだが、一般生徒に見られていたとしたら人によっては面倒なことになるかもしれない。

 

が、比較的距離はあるため、恐らくこちらで話している内容は聞こえては居ない。仮に聞こえていたとしても部分部分で、何を言っているのか分からないはず。カモも意識的に大声にならないように声を抑えているし、変に勘ぐられることはないはず。

 

それにここにいるメンバーが、誰かに聞かれたところで口を割る可能性は低い。下手に心配する必要はない。

 

雄が背後を振り向く様子を見ていた刹那も、何かあったのかと声を掛けてきた。

 

 

「何かありましたか?」

 

「あぁ、誰かに見られているような気がしてな」

 

「まさか関西呪術協会が……?」

 

「いや、奴ら特有の雰囲気は感じられなかったし、恐らくうちの学園の関係者だと思うぞ。幸いそこまで声は響いて無いし、魔法がバレる可能性は低いだろう」

 

「だと良いんですが……」

 

 

比較的楽観視している雄に対し、刹那は一抹の不安を抱えていた。雄が言うんだから間違い無いんだろうが、ほんの少しでも可能性があるのなら気にするべきではないか。

 

彼女にとって良い部分であり、逆に悪い部分でもある細かさ。深読みは相手の術中にハマり、かえって混乱を招く可能性がある。下手な推測は命取り、深く考える必要はない。

 

 

「ははっ、心配性だな刹那は。大丈夫だよ、俺が言ってるんだから安心しろって」

 

「……はい」

 

 

雄に肩をぽんぽんと叩かれてようやく納得した。二人のやりとりの一部始終を見ていたカモが、ニヤリと笑みを浮かべながら、二人へと話題を振る。

 

 

「そういえば、旦那は仮契約をしないんですかい?」

 

「俺? 俺なんか仮契約しても仕方ないだろ。そもそも俺なんかとする相手が何処にいるんだよ」

 

「意外に居ると思いますぜ、例えば刹那の姐さんとか」

 

「は、はい!?」

 

 

カモの一声に、刹那はあからさまに裏返った声で反応をし、顔を赤らめた。そんな刹那の反応に、カモは親父モードで畳み掛けていく。

 

 

「実のところどうなんですか姐さん? 俺たちが知らねぇ間にも一緒に仕事をしていた訳だし、全く気が無いってわけじゃ……ぷげらっ!?」

 

「やめんか」

 

 

不意に伸びてきた雄の手によって潰されるカモの体。流石に多少なりともセンシティブな情報になる故に、黙認は出来ないと判断したらしい。

 

押しつぶされるカモの様子を、何やってんだかと溜め息をつきながら眺める明日菜に、苦笑いを浮かべるネギ、和美は改めて刹那と雄の関係が気になるようだった。

 

刹那は刹那でほうと一息つき、やがて真剣な顔へと変わる。

 

 

「それでは皆さん。大変な一日になるとは思いますが、よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長い長い三日目が幕を開けた。



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頼んだぞ

「そうだネギ先生」

 

「はい、どうしました?」

 

 

打ち合わせが済んだ後、雄は個別にネギを呼び止める。何だろうと歩みを止め、雄の元へともどってきた。周囲に誰も居ないことを確認すると、昨日と同じよう一枚の人型をした紙を取り出す。

 

見覚えのある紙に心強さを感じながらも、今日も雄が同席出来ないことに改めて寂寥感を覚えた。

 

 

「あ、そういえば風見先生は同席出来ないんですよね……」

 

「あぁ、流石に学園側を空ける訳には行かないし、そもそも担任副担任が同じ班に付き添うのはおかしな話だからな。で、今日の分身は自立型の分身でね、昨日の分身とは違って俺の身に何かあっても分身が消える事はない」

 

 

念には念を。

 

昨日のような見せかけだけの分身体ではなく、雄自身に何かがあったとしても動けるように、完全な自立型の術式が組まれた分身を用意した。

 

 

「それにそこらの術者には遅れを取ることはないから、十分信頼を置ける。ま、いつも俺に接するようにしてくれれば違和感は無くなるはずだ」

 

「そうなんですね。助かります」

 

 

 

昨日よりも長い術式を唱えると、人型の紙から光が発し、徐々に人型を成していく。昨日と同じようなミニマムサイズの雄が出来上がると、ネギに再度、今日の流れを簡単に説明する。

 

 

「今日は初日のようには行かないだろう。先方も全力で妨害してくるはずだ。木乃香には刹那をベタで付けているけど、いつどこで何が起こるか分からない。この分身体も、万が一の時は等身大の大きさで戦うことも出来るから、上手く使って欲しい」

 

「ありがとうございますっ、じゃあ僕も準備があるので行きますね!」

 

 

頭を下げると元気良く、ネギは部屋へと戻っていった。その後をミニマム姿の雄が追いかけていく。端から見たらRPGのような構図にも見えるが現実である。昨日と同じように簡易のステルスを掛けているため、ただの一般人には目視することが出来ない。

 

雄が把握している生徒の中で数名、目視できるであろう人間を見つけているが、そもそもこちら側の世界に足を踏み入れている人間であり、バレることに対する危険性はかなり低いものがあった。仮に知られたところでも事情を悟って変に聞いてくることも無さそうだ。言い訳を考える必要もないだろう。

 

雄の用意した分身は当然喋ることは出来るものの、人前で声を発すると雄自身、とどのつまりオリジナルが話してもいないのに、話しているように見えてしまい、かえって混乱を招きかねない。それにステルスを掛けてるとはいえ、声は一般人にもしっかりと聞こえる。雄が居る前で分身体に話させるのは、避けた方が良いのは明白だった。

 

 

「あや、お兄ちゃん。こんなところで何しとるん?」

 

「ちょっとネギ先生と打ち合わせをな。木乃香もこれから出掛けるのか?」

 

 

ネギが立ち去るのと入れ替わるように、木乃香が姿を現す。すでに私服姿に着替えたようで、カジュアルな服装がよく似合っている。

 

 

「せやで。お兄ちゃんはどーするん? 何かネギくんから聞いたんやけど、教員は同じ班に二名付けないって……」

 

「まぁね。こればかりは決まりだからどうしようも無いよ」

 

「うーん……でもそれはちょっと残念やなぁ」

 

 

雄と一緒に京都散策を出来ないことが寂しいのか、如実に寂しさが表情に現れた。木乃香の良いところに、極めて喜怒哀楽がはっきりしているところがあげられる。今の彼女の表情は恐らく本気で寂しがっているのだろう。

 

雄に木乃香が懐いていることは既にクラスでは知らない生徒は居ない。アキラには付き合っているんですかと勘違いされるほど、二人の仲は良好なものがあり、どの生徒よりも関係値は高い状態にあった。

 

初日の全体行動こそ共に回ることが出来たが、二日目の奈良散策から今日まで二日間、一緒に行動出来ないでいる。もちろん教員としての仕事がメインにあるのと、ネギでは抱えきれない業務を全て対応しているため、彼に掛かる負担は相当大きいものがある。

 

昨日の一大イベントも落ち着かせたのは雄であり、この修学旅行中、まともに休めた日はあったのか。無理矢理駄々を捏ねればきっとついてくるだろう。だが、それでは他に大きな迷惑を掛けてしまう。

 

心の奥底に潜む甘えたい感情を仕舞い込み、何事も無いかのように振る舞う。

 

 

「でも、仕方ないな。ウチのワガママだけで甘えている訳にもアカンし」 

 

「……すまん」

 

「謝らんといて。お兄ちゃんは何も間違うたことしとらんし、センセとしての仕事を全うしとるやん。これくらいのこと、ウチが我慢すればええんよ」

 

 

本心はもう少し甘えていたい。内に潜む本心を隠して木乃香は笑顔を向ける。

 

彼女の本心は懐いている、尊敬している以外の感情も混ざって来ていた。木乃香にとって理想の兄、先輩のイメージは雄であり、全て雄が基準になっている。それ程までに強く影響を受けているのだから、当然と言えば当然かもしれない。

 

 

「あ、そうだ。今日は俺大阪方面みたいだし、何か大阪の土産を買ってくるよ。木乃香に合いそうなやつ」

 

「え、ほんまに?」

 

「おう。すげー良いやつ探してくるから楽しみにしててくれ!」

 

「やったぁ、お兄ちゃん大好きやー♪」

 

 

笑みを浮かべたまま、雄に飛びつく木乃香。反射的であろう彼女の行為に驚きながらも、その小さな体躯をしっかりと受け止める。

 

 

「ってこら、ここで引っ付くなよ! 誰かに見られたらどーするんだ!」

 

「えへへー♪ 誰もおらんから大丈夫やー!」

 

 

誰かに見られることを危惧して逃げようとするも、思いの外、木乃香の力が強いようで抜け出すことが出来ない。無理矢理こじ開けようとすれば出来るかもしれないが、それでは木乃香が怪我をしてしまうかもしれない。

 

上手く誰からも見えないように、物陰に誘導しようとする雄と、ニコニコと笑顔を崩さずにひっついたままの木乃香。

 

時間にしてはほんの十秒から十数秒の出来事だったが、満足をしたようで離れる。ったくと苦笑いを浮かべる雄に対して、木乃香は満面笑み。どうやら寄り添うだけでも、不満を解消できたようだった。

 

 

「ほな、お兄ちゃん。行ってくるな~!」

 

「ああ、行ってらっしゃい」

 

 

踵を返し、パタパタと駆けていく木乃香の後ろ姿を見つめ、姿が見えなくなると同時に背後を振り向く。一見何もない、誰も居ないような空間に見えるが、その誰も居ないはずの場所に向かって雄は声を掛けた。

 

 

「刹那、もういいよ。出て来い」

 

「あの……もしかしてお邪魔でしたか?」

 

 

物陰からひょっこりと姿を現したのは刹那だった。元々最後の打ち合わせにと雄を探していたのだが、偶々木乃香が行る現場に鉢合わせ、反射的に姿を隠す。

 

初日の夜に木乃香との距離は一気に近付いたかのように思えたが、やはり木乃香が近くにいると落ち着かず、話しかけられると恥ずかしさの余り、反射的に逃げてしまう。

 

刹那が木乃香を嫌っているという誤解は解けたものの、面と向かってしっかりと話すという根本的な部分は未だ改善されず、昨日も一緒にお団子を食べようと歩み寄る木乃香から逃げる姿が奈良公園で目撃されている。むしろその目撃者が雄だった。

 

 

「いや、大丈夫。逆にもっと早く出てきてくれくらいに思っていた」

 

 

雄が木乃香に抱きつかれた時、既に刹那の存在に気付いており、だからこそ誰かに見られたらどうするのかと木乃香に伝えたのだ。最も相手が刹那だったことが不幸中の幸いであり、隠れてるくらいなら早く出てきてくれと思うも、当然一歩引いた位置にいる刹那は姿を現さず。

 

 

「し、しかしですね。私ごときがお嬢様と話すなどと……」

 

「良いじゃん。きっかけは作っただろ? 後は多分刹那次第だって」

 

「うっ……」

 

 

ど正論を叩きつけられ、ぐうの音も出ない刹那はたじろぎながら視線を逸らした。木乃香は刹那が自身のことを嫌っていると思わない限りは、歩み寄ってくるはず。それに対して、後は刹那が応えるだけだ。昨日も似たような内容を明日菜に言われるも、中々改善されず。

 

どれだけの時間を費やすことやらと、途方の見えないゴールに思わず溜息をつきそうになる。ただ前と違って刹那も改善しようと努力をしている事は分かるし、意外にその時は近いのではないかと、期待はしていた。

 

それに今日はネギと明日菜が親書を届けに行っている間、フォローしてくれる人間は居ないのだから、木乃香と刹那が話す機会は自然と増える。少なくとも関西呪術協会側の妨害が苛烈になれば、自ずと近くに寄りそう機会も増えてくる。

 

もし危機的な状況であるにも駆けつけず、遠巻きに木乃香を守ろうとするのであれば、護衛失格だ。それくらいは刹那とて分かっているはず。

 

 

「そ、それはそうなんですが……」

 

「ま、ちょいと変なことは言ったが、以前の刹那に比べればだいぶ良くなっていると思うぞ」

 

 

とはいえ雄も決して刹那を非難している訳ではない。少なくとも刹那の精神的な成長は雄も認めており、木乃香との現状を何とかしようと陰で行動していることは知っていた。以前ならば、私は守れるだけで幸せだの一点張りで、何も前進する事はなかった。

 

先の戦いでも、一度は敵の罠にハマるも自身の力で活路を見出し、罠を破っている。そこは間違いなく評価すべき点であり、彼女の成長でもあった。

 

 

「え?」

 

 

意味が分からないと首を傾げるが、彼女の反応は当たり前だろう。何故なら本人は意識しているやっているわけでは無いからだ。

 

自分自身の成長は自分が決めるものではなく、見ている周りが決めるもの。自分で成長したと線を引けば、その時点で成長は完全に止まる。無意識のうちにやっていた事が、刹那としては吉に転んでいた。

 

 

「とにかく、今日は長い一日になるだろう。刹那ばかりに重荷を押し付けて申し訳ない。今日を乗り切ってしまえば後は何とかなるはずだ」

 

「もちろん、それくらいは分かってます。何としてもこの修学旅行が無事に終わってくれることを……」

 

「そうだな。その為にも、ネギくんや明日菜だけじゃなくて、お前の力が必要になる、刹那」

 

「はい!」

 

 

自身で出来ることには限りがある。

 

今回の人員の配置に関しても苦渋の策だったに違いない。

 

それでも今日を乗り切れば、何とか活路を見出すことが出来るはず。そう信じ、二人は場から散開する。

 

去り際に一言、刹那に聞こえるような声で。

 

 

「……木乃香を、頼んだ」

 

 

そう呟いた。



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【修学旅行編】-下巻-
大阪へ向かう雄


「しかし急に別行動してくれって言われても、どこの班に付添えば良いんだか」

 

 

ネギたちを送り出してからというもの、雄はロビーでただ一人どの班に付き添うかを考えていた。各班の行き先リストはしおりで貰っており、それをパラパラとめくりながら惰性で眺める。

 

五班には自身の分身をつけては居るのと、色々と仕込みは施してある。とはいえ動かなければならなくなる可能性がゼロとは限らない。

 

ある程度自由に行動が出来そうな班、つまりは少しでも関係値が高い班に付き添う方が良いのは目に見えていた。

 

 

「あれ、風見先生。こんなところで何やってるんですか?」

 

「大河内か。いや何、ちょっとどの班に付き添うかを考えていたんだ。てかもう殆どの班が出たと思ったのに、お前らはまだ残ってたのか」

 

 

振り返る先に居たのは私服姿に着替えたアキラだった。青のジーンズに、黒基調のポロシャツとシンプルな組み合わせだが、高身長かつ抜群のプロポーションを誇る彼女はものの見事に着こなしている。

 

あまり女性特有のファッションは好まないのか、とはいえ身長が高くなればなるほど選べる着こなしも限られてくる。もしかしたら彼女も着れない服があることに悩んでいるのかもしれない。

 

 

「実はまき絵がお財布を部屋に忘れちゃったみたいで。ついさっき出たんですけど、すぐに戻って来たんです」

 

 

部屋に財布を忘れるというありがちな理由に、どこか恥ずかしそうにアキラは話す。まき絵らしい理由に、雄は思わず苦笑いを浮かべた。

 

 

「ははっ、何やってんだか。んで、無事に回収は終わったのか?」

 

「はい。皆もそろそろ戻ってくると思うんですけど「もー! 何やってるのまき絵ー!」あっ、ちょうど戻って来ましたね」

 

 

途中まで話し掛けたところで、何やら遠くの通路から賑やかな声が聞こえてきた。

 

 

「だってー! 間違って化粧ケースを入れちゃったんだもん!」

 

「普段化粧なんかせーへんのになんでこんな時だけ間違えるん! もう、抜けとるなぁまき絵は……あ、風見センセーやん!」

 

「あ、ホントだ! 先生まだホテルに残ってたんだね!」

 

 

雄の存在に気づき、パタパタと近寄ってくる一行。

 

それぞれが動きやすい私服姿であり、普段制服を見慣れている雄のとってはどこか新鮮に見えた。

 

 

「おーお前らか。今日はどこへ行くんだ?」

 

「今日はUSJに。日本の文化遺産を見るのも良いんですけど、思いっきりはしゃぐのもいいんじゃないかなと思って」

 

「如何にも若者らしくていいんじゃないか、USJ。何も日本の昔の文化を学ぶだけが修学旅行じゃないからな」

 

 

雄のどこに行くのかという質問に対して答えるアキラ。

 

修学旅行の醍醐味といえば自由行動。

 

修学旅行の定義としてよく、伝統ある日本文化を継承している文化遺産に触れながら、学習を深めるなんて言われるが、人生でたった一回しか味わうことが出来ない、中学の修学旅行。

 

生徒にとっては勉強することが目的ではなく、一つの思い出として残すことの方が大切だ。彼女たちの選択は決して間違ってない。

 

 

「さっすが! 先生分かってるね〜!」

 

 

求めていた回答が得られ、裕奈は嬉嬉として反応する。そんな裕奈に対し、そりゃ学生なんだからと雄も付け加えた。

 

 

「そいえばセンセは何しとるん?」

 

「あぁ、さっきも大河内には話したんだがどこの班に引率で入るか悩んでいるんだ。適当にブラブラしてようかと思ったんだけど、修学旅行に来てまで何もすること無いっていうのはちょっとな」

 

「そらそうや。でもセンセはてっきりこのか達と行動するんやとばかり思ってたんやけど」

 

「うん、それは私も思った」

 

「えー! もしかして先生このかに振られちゃったの!?」

 

 

木乃香に振られたと口にするまき絵に対して、雄はどうすればそんな結論が出るんだと苦笑いを浮かべながら、事情を説明した。

 

 

「おいおい、なんで俺が振られたって話になるんだよ佐々木。違う違う、単純に引率できるのはひと班につき、教員一人。五班にはネギ先生が付き添ってるから、俺は別の班に付き添わないと行けないんだわ」

 

 

ルールは破るためにあるもの。

 

どこぞの悪人はこぞって口にする言葉だが、決められたものは守らなければならない。仮な話雄の分身を残して、彼自身は五班に付き添うことも可能だったが、今後のリスクヘッジをすると、そう簡単にいくものではない。

 

木乃香を拐うために、学園の生徒たちへ被害が及ぶ可能性を想定すると、雄自身が五班に付き添うのは得策ではなかった。いつどこで何が起こるかわからない以上、今は慎重に事を運ぶ必要がある。

 

 

「へーそうなんだ! じゃあ先生も私たちと一緒にUSJに行こうよ!」

 

「お、良いのか?」

 

「全然大丈夫、むしろ大歓迎! ね、アキラ?」

 

「え? な、なんでそこに私に話を振るのゆーな!」

 

「だってー!」

 

 

裕奈はニヤニヤと笑いながら雄の顔をみつめ、アキラはほのかに顔を赤らめた。

 

一連のやり取りを若いなと思いながら眺めていると、今まで黙り混んでいた小麦色の長身の生徒に声を掛けられる。

 

 

「風見先生、ちょっといいか?」

 

「あぁ、龍宮。どうした?」

 

「念のために話しておいた方が良いと思って。少しだけ席を外してもいいかい?」

 

「……おう、分かった。悪い、少しだけ龍宮に伝えることがあるから、お前たちは先に外に出ていてくれ」

 

 

 

 

 

 

テンションが高くなった一同は雄の発言に対して特に気にするそぶりもせず、早く来てねと先に旅館の外へと出ていく。

 

姿が消えたところで雄は一つ大きく息を吐くと、近くにある柱に背をもたれた。一度目を閉じると、やや鋭い目付きで小麦色の長身の生徒、龍宮真名(たつみやまな)に声を掛ける。

 

 

「学園長から聞いてる。何でも確実に任務を遂行する仕事人がいるって」

 

「ほう、さすがは情報が早い。でも安心してくれ、今は別に敵ではない」

 

「今は……ってことはある条件を満たせば敵になる可能性もあるってことか」

 

「ふっ、そういうことになる。が、どちらにしてもこの旅行期間中は絶対にないと断言しておこう。私も数少ない学校行事は楽しみたいからね」

 

「そいつは助かる。何せ俺も面倒事は好きじゃなくてね。危険因子が増えることだけは防ぎたかったんだわ。先の噂があったから、もしかしてとは思ったんだが……どうやら大丈夫そうだな」

 

 

 

今後無事に任務を遂行するために、少しでも危険因子は減らしておきたい。ましてや自分のクラス内で敵が増えるなんて事は最も避けなければならない。

 

事前にクラス内に関西呪術協会の敵が居ないかどうかの洗い出しを行ってはいるが、クラスの数人は黒か白か不確定の状態だった。その中でも唯一ケースバイケースで立ち位置が変わる恐れがあったのはこの真名であり、雄の中では一つの懸念点として抱えていた。

 

金銭の授受で敵にも味方にもなる。何とも対応がし辛いこと限りない。最悪のケースも想定していたが、真名の口から今回の修学旅行では敵になる可能性はないと、はっきり言い切っている。自分の言葉に責任を持てない人間ではないし、本人のプライドもあるはずだ。

 

 

「ったく、ヒヤヒヤさせるなよ。急に個別の話があるだなんて、何か裏があると思うだろ」

 

「ははっ、すまない。ただ変に身構えているのであれば、先に伝えておこうと思っただけだよ」

 

 

それでも、と前置きを入れながら真名は話を続ける。

 

 

「私一人が動いたところで、風見先生ならすぐに対応できるだろう? まともに戦って絶対に勝てない相手に無謀な戦いを挑むほど、私は馬鹿じゃない」

 

 

真名の口から出てくる言葉に、恥ずかしそうに頭をかく。一体どこからどんな話が彼女に伝わっているのだろう。自分の過去を知っている人間など、今の麻帆良学園にはほぼ居ないため、彼女に彼のことを伝えられる人間は限定される。

 

 

(近衛かタカミチか……ったく、何をどう伝えたんだよ)

 

 

咄嗟に関わりのある二人の人間が脳裏をよぎるが、誰が言ったかを明らかにしたところで何かが変わるわけでもなく、すぐに考えるのを辞めた。

 

 

「買い被り過ぎじゃねーか? 誰からどんな噂を聞いたんだよ」

 

「それは秘密にしておこう。本人のプライバシーもあるしね」

 

「そうかい」

 

 

少し話しすぎたなと雄はもたれかかっていた柱から離れ、服に付いたホコリを払った。

 

これ以上話していたら流石に怪しまれることを加味してか、話が一段落したタイミングで口を閉じる。

 

 

「とりあえず行こうぜ。皆待ってるし、積もる話はまた今度ということで」

 

 

また今度。

 

その話が交わされるのは少なからず近い未来のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも大阪か……何年ぶりだ?」

 

 

古都京都。

 

中学生の修学旅行の選択肢としては定番中の定番のスポットになるだろう。初日から二日目に掛けては基本的に全体行動で、奈良や京都市内の神社仏閣の散策がメインになり、三日目は自由行動になのが流れになる。

 

中学生の修学旅行は二泊三日であることが多い中で、麻帆良学園は四泊五日。一般的な私立校と比べても期間が長いと思うのは気のせいでは無いはずだ。

 

そんな修学旅行は早くも三日目に突入する。

 

旅館を出た雄と二班一行は大阪へ向かうべく電車に乗っていた。道中、思っていたことがボソリと口に出る。

 

 

「もう、先生ったら何もの思いにふけてるの!」

 

「ん? あー、悪い悪い。久しぶりの大阪だからちょっと色々考えてたんだよ。旅行にでも行かない限り、大阪の方までは出てこないしな」

 

「へー。出張とかで来るとかはないの?」

 

「俺は基本出張が無いんだわ。そもそも出張も頻繁にあるわけじゃないしな」

 

 

久しぶりの大阪だと呟く雄に、何をしているのかと裕奈は尋ねる。久しぶりの大阪だから懐かしくなってしまったと言う雄。正しくは今のところないってだけであり、今後出張が発生する可能性はある。ただ拠点を関東に置いている限り、中々大阪方面まで足を運ぶことはない。

 

 

(実際大阪に来たのなんて遥か前だし、あの時は何のために来てたんだっけか)

 

 

随分前のことになるようで、雄自身も何のために大阪へ赴いたのか覚えていなかった。

 

 

(ま、いいか。特に気にすることでもないし、本当に気にするべきことはまだ別にある)

 

 

大阪に来たとはいえ、気にしなければならないのはネギたちの動向だ。

 

ネギに渡した自立型の分身からの視覚情報を通じて、雄の方にも情報はリークされる。ただリアルタイムでというわけにはいかない上に、リークまでにはタイムラグが発生するという部分と、断片的なものでしかないため、正確な情報を掴むことは難しい。

 

分身体が何らかの攻撃を受けて消失した際には完全な情報が伝わってくるものの、状況としてはかなり悪い状況になっている可能性が高い。出来ればそうなる前に対処したいところだが、果たしてどうなることだろうか。

 

脅威が襲うのはネギ一行だけではない、大阪へと向かう雄たちの背後にも脅威は迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「風見雄、君の力見せてもらおうか……」



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ゲーセンへGO!!

 

「あ、あっちにゲーセンあるから京都の思い出作りの一環としてプリクラ撮ろうよ! ほら、ネギ先生とも一緒に撮れるチャンスじゃん!」

 

「へぅ……わ、私は」

 

 

雄たちが大阪に向かっている最中、五班は旅館を出発した後、近くにあるゲームセンターへと足を運ぼうとしていた。

 

と、本来は明日菜とネギの二人で本山へと向かい、二人が戻ってくるまでの間、木乃香を刹那が守るといった予定を立てていたものの、旅館を出発する際に班員の早乙女ハルナに見つかってしまい、やむなく一緒に出かけることとなった。

 

タイミングを見計らって、ネギと明日菜の二人は抜ける計画を立てているようだが急な離脱は変に怪しまれてしまうため、ある程度は共に行動するようだ。

 

 

「それにしてもホント皆さん元気ですよねー」

 

 

バタバタと駆けていくハルナとのどかの姿を見つめるネギの口から、ポツリと本音が漏れる。

 

夜遅くまで起きてどんちゃん騒ぎをしていた生徒も多く、寝不足になっていてもおかしく無いはずなのに、ハイテンションを保っているあたり若さなのだろう。

 

彼女たちの行動に疲れなど微塵も感じられなかった。

 

 

「うちのクラスは特別元気過ぎよ。他のクラスを探しても中々居ないわ」

 

 

明日菜は全員が全員そうでは無いとやや呆れながら言う。

 

 

「そんなことより……本当に魔法って凄いのね。こんな大きな分身体がいるのに誰も気付かないなんて」

 

 

明日菜が改めて関心を示すのは、先ほどから着いてきている雄の分身について。大きさ的には手乗り人形ほどのサイズであり、元々の雄の大きさと比べればかなりのミニマムサイズにはなるが、傍から見たらかなり目立つ存在である。

 

だが、分身体に気付く人間はおらず。分身体が見えているのはネギと刹那、そして明日菜の三人だけだった。一定のレイヤーをクリアした人間にしか見ることは出来ないため、一般人の第三者がその姿形を捉えることはない。

 

 

「どちらかといえばこれは呪術の類ですね。もちろんネギ先生のように魔力を込めることで発動することも出来るタイプの式神なので、術者の属性によってどちらとも捉えられます」

 

「へー、そうなんだ。色々あるのねー」

 

 

魔法って難しいわねと明日菜は改めて考え込む。ついこの間まで一般人だった明日菜からすれば、目の前で起きる魔法や気に関する事象はどれもこれも斬新に見えるに違いない。

 

 

「今回、雄さんの分身は完全自立型ですし、何かあった際には等身大に戻って戦うことも出来ますから、かなり心強い味方でもあります。ただ、本来はそうならないことを祈りたい限りですが……」

 

 

何も起こらずに全てを解決したいというのが本音なのは誰しもが思うことであり、好んで戦いたい人間はいない。本来であれば雄の分身体などないことが好ましいが、同行させなければならないほど、現状は緊迫しつつあった。

 

下手なごたごたに巻き込まれる前に念書を渡すことが平穏無事な修学旅行を終えるための一番の近道になるのは間違いない。

 

 

「しかし兄貴、ゲーセンならかえって都合がいいや! 何かゲームでもやって隙を見つけて抜け出そうぜ」

 

「う、うん。そうだね」

 

 

その為には一度生徒たちの目を欺き、ゲームセンターから抜け出さなければならない。

幸いなことにゲームセンターであれば物陰も多い上に、常時鳴り響くゲームやアトラクションの効果音が周囲に鳴り響いているため、上手くやれば簡単に抜け出すことが出来る。

 

決して大勢で抜け出すわけではないので、そこまで大変な工程ではないはず。

 

 

「あれー皆さん何やってるんですかー?」

 

「あーネギくんごめんねー! 実は関西限定のレアカードゲット出来るかもしれなくてさー」

 

 

とあるゲーム台に座りながら夢中になっている一同にネギは声を掛ける。彼女たちがやっているのは新幹線内でやっていたカードゲームのゲーセン版のようだ。運が良ければ限定のレアカードが手に入るかもしれないと嬉々としてモニターに向かう姿を見て、ネギの心の中にも若干の興味が湧いていた。

 

このカードゲームのコンセプトは魔法。

 

魔法使いであるネギからするとどこもなく親近感が湧く内容でもある。当然ながら自身が魔法使いであることを口外するのはもっての外だが、ちょっとやってみるのも面白いかもしれない。

 

 

「魔法使いですか……やってみようかなぁ」

 

「お、ネギくんノリいいねー!」

 

「ネギ先生、これスタートセットです。お貸ししますよ」

 

 

夕映から手渡されたデッキを元にネギもゲームの世界へとのめり込んでいく。つかの間の時間つぶし、一種の気分転換と考えれば悪くなかった。

 

意外にも筋がいいのか、出てくる敵を次つぎとなぎ倒していく。完全初見の初心者であるにもかかわらず感覚で動けるあたりは、彼の魔法使いである才能がそうさせているいるのかもしれない。

 

モニターに映し出される強敵を次々と撃破し、ものの見事にステージをクリアしてしまった。

 

 

「おお! すごいネギくん!」

 

「ネギくん本当に初めてなの? 流石〜!」

 

 

ある程度ゲームをやり込んでいる木乃香やハルナから見てもその腕前は確かなようで、思わず感心の声が上がる。

 

ゲームに夢中になっているとネギの隣の空いている席に一人の少年が座る。背格好から見てネギと同じくらいの年齢だろうか、表情を見せないままカードを取り出すと一言ネギへと言葉を掛けた。

 

 

「盛り上がってるとこ悪いな。入ってもええか?」

 

「え? あ、うん……」

 

 

突然話し掛けられたことで返事が中途半端なものになってしまう。対人での対戦を申し込まれたということで、周囲は大いに盛り上がる。

 

 

「ネギくん大丈夫!? 勝負だよ!」 

 

「ネギくん頑張れー!」

 

 

自分の名前を入力して対戦が始まる。

 

はじめのうちは互角の勝負となった。

が、いくら才能があるとは言えどもまだゲームを始めたばかりのネギと対戦相手の少年では大きな差がある。

時間経過とともに徐々に押され始め、最終的には持ちキャラを撃破されてしまった。

 

ネギの見ている画面には『負け』の文字が映し出され、コンティニューするかどうかの選択が表示される。

 

 

「あー負けちゃった」

 

「いやいや初めてなのに良くやったよ!」

 

 

敗戦に残念がるネギだが、彼の様子を健闘したと褒め称えるハルナ。ゲームをやり込んでいる彼女から見ても、ネギの戦いぶりは十分すぎるものだったに違いない。

 

そして再戦しようかどうかと悩むより早く、隣に座っていた少年が立ち上がった。

 

 

「やるなぁアンタ。でもまぁ……魔法使いとしてはまだまだやけどな」

 

「え? あ、うん……どうも」

 

 

突然の一言に対して違和感を覚えるも、そのまま言葉をネギは続けてしまう。幸いなことに少年の声の大きさはネギ以外に聞こえるほどの声量ではなかったため、周囲の人間にバレることはなかった。

 

少年の口から発せられた、ネギが魔法使いであることを断定した一言。それは少年自身が紛れもなくネギが魔法使いであると知っていることになる。

 

しかしネギはその一言に気付かなかった。

 

 

「ほなな、ネギ・スプリングフィールドくん」

 

 

被っているニット帽の向きを変えると、少し得意げな表情を浮かべながらネギの名前を呼ぶ。

 

名前を呼ばれたことに対して、どうして自分の名前を知っているのかとネギはギョッとしながら質問を返した。

 

 

「え!? ど、どうして僕の名前を!」

 

「何言うとんの。対戦する時に自分で名前入れたやろ?」

 

「あ。そ、そっか!」

 

 

指差す画面には確かにネギのフルネームが記載されている。どうやら自分で名前を入れたことを忘れていたようだ。

 

 

「ほな、また何処かで会おうや」

 

 

そう言うと少年はそそくさと場を後にしてしまう。走り去る後ろ姿を見ながらボソリと木乃香は口を開いた。

 

 

「なんや、エラい不思議な子やったなー」

 

 

傍から見れば別になんの変哲もないよくある光景だが、どことなく普通ではない雰囲気であることに木乃香はうっすらと勘付いたらしい。

 

だが次の瞬間には対戦した少年のことは忘れ、一同はゲームへとのめり込んでいく。念書を渡しに行くためにはバレないように抜け出さなければならない。下手なタイミングで抜け出してバレることを考えれば、ゲームに目が行っている今が絶好のタイミングと言えるだろう。

 

ネギと明日菜は話を刹那に任せ、頃合いを見計らって店の裏口から抜け出すことに成功した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしまだ二人は気付いていなかった。

 

念書を渡すという簡単な任務が、長く遠い道なりになろうなどとは。



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