元プロのおしごと! (フルシチョフ)
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第一章 元プロのおしごと!
プロローグ


見切り発車です。
将棋勉強していくので暖かい目で見守ってください。


 享年86歳、日本を代表する将棋棋士死去。

 そのニュースは瞬く間に日本中に広まった。彼の名を知らないものはいない。

 通算成績1975戦1450勝525敗勝率0.73歴代2位のまさしくトップの棋士が死んだのだ。

 死因は老衰。けれど、最後まで彼は棋士として生き続け、その生涯に幕を閉じた。

 

 *

 

 「のはずだったんだけどなぁ…」

 

 見た目5歳の男の子はそうポツリと言葉を洩らした。

 目の前は、子供たちが無邪気に遊んでいる光景が目に入る。

 彼は顎に手を掛け考える。

 

 生まれてこの方5年、気が付いたら女性の乳房をむしゃぶっていた。俺は棋士として、生涯に幕を閉じたと思ったんだが…、これが俗にいう「転生」という奴か?生前の若手棋士がそれで盛り上がっていると教えてくれたことがある。

 訳が分からない…、けど折角だ。この生を謳歌するのもいいな。

 まぁ、一つだけやり残したことがあるが…。

 

 彼、八柳太一はため息を零した。

 歴代2位の彼がやり残したこと、それは自分の上に位置していた彼を終始倒しきることができなかったというもの。彼は将棋界の生きる伝説、若手たちには神とまで呼ばれている強者だった。一時期は7冠まで駆け上がり、最終的には永世7冠にまで至ったまさしく最強棋士。

 八柳太一の勝率は行って、2割5分といったところ。彼に負け続けた悔しさは死んだ後も拭えない。

 

 だが、彼は元プロ棋士。将棋から離れることもできずに、親から買ってもらった将棋盤を幼稚園の教室で広げ、昔の棋譜を再現して遊んでる。たまに、先生たちと対戦するが何せん、素人、手加減しつつ負けてあげる。この年で将棋で負けるのは悔しくて仕方がないだろうという年長者の配慮である。

 

 すると、一人の男の子が近づいてきた。

 

 「ねぇ!何やってる!?」

 「これは―――将棋だよ、九頭竜君」

 

 九頭竜八一、将来の最年少タイトルホルダーに八柳太一は笑顔で答える。

 

 *

 幼稚園で九頭竜八一に将棋について教えた後、家に帰る時間になった。

 家は、祖母と祖父の3人暮らし、両親は、訳あって今年から外国で働いている。

 和式風の敷居を跨ぎ、真っ先に祖父の所へ向かう。

 

 「おじーちゃん!」

 「おお!太一来たか!」

 

 祖父は既に準備万端のようだ…。

 ごくりと喉を鳴らし、下座に座る。

 目の前の老人は元名人の―――プロ棋士だ。

 駒を交互に並べ、振り駒をする。俺が先手番だ。

 これがいつもの日常。家に帰ったら祖父と一局指し感想戦をやる。これが今のところ俺の一番の楽しみだ

 

 俺は歩を持ち▲2六歩と指す。祖父もまた△8四歩と進める。

 その日の対局が終わったのは3時間後。俺の勝利であった。

 

 「太一、お前は才能がある」

 

 感想戦が終わると祖父がそう言ってきた。

 

 「才能…」

 「ああ、お前は間違いなくトップの、一番上の棋士になれる。どうだ?」

 

 それは、プロを目指さないか?という提案であった。

 

 

 確かに、プロにはなれる…、けど、生前のあの人との対局の様な胸躍るようなものができるのか?この世界に彼と同等の棋士がいるのか?いや、いない。俺は、彼との対局を望んでいる。

 

 太一は将棋はするがプロになるつもりはなかった。だから、一つだけ情報を見落としていた。将棋界を揺るがす大偉業が、昨日達成されたということを。

 

 「そうか…、お前ならあの名人を倒す棋士になるとおもったのだが」

 「名人?」

 「ああ、昨日7冠…、まぁ、将棋で一番強い称号を手に入れた名人だ」

 

 ほれ、と傍らにあった新聞を手渡してくる。一面には、その名人について書かれてあった。中学生でプロになり、最年少で将棋界で名人と並ぶビッグタイトル竜王をとった。

 だが、俺が一番驚いているのはそこじゃない。

 

 メガネを掛け、相手を睨むような目つきの彼はまさしく―――生前の彼と同じ姿をしていた。

 

 手がふるふると震えてくる。これは武者震いだ。彼が存在するという震えが俺を奮い立たせた。

 俺がいた世界ではないが、彼がいる。その事実だけで俺は、プロを目指すのに十分な理由だった。

 

 

 

 「お爺ちゃん」

 「なんだ?」

 「僕―――プロになるよ」

 

 

 これは、元プロ棋士であった彼が再び名人である彼と対戦するためにプロを目指す物語である。

 



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第1局 戦法

センターあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!


 △2六歩、▲3四歩、△7六歩、▲8四歩、△2五歩といった感じに序盤は定石通りに事が進む。

 盤面を睨む俺と爺ちゃんは額にうっすらと汗を滲ませながら駒を持つ。今日は休日、休日は爺ちゃんと持ち時間5時間、秒読み10秒の将棋を打つことになっている。あの日のプロになる宣言、両親から小学生になってから目指しなさいと言われ、今は卒業するまでこうやって爺ちゃんと競い、腕を上達させている。

 

 121手目、爺ちゃんの△8一角打つ。

 その手に俺は目を見開かせ、頭の中で考える。相掛りから始まったこの試合は、

 

 「…負けました」

 「ありがとうございました」

 

 俺の敗北で幕を閉じた。

 

 *

 

 爺ちゃん強くなってない?

 

 俺は感想戦を終えてお風呂に入っているときそう思った。その爺ちゃんは横で鼻歌を歌いながら石鹸で身体をごしごしと洗っている。

 

 いや、俺が強くなるために指してるんだけど爺ちゃんが物凄いスピードで上達していく。前世のあの竜王の人みたいな指しまわしだった。まぁ、あの竜王は竜王の時だけ強くなるから世間ではひどい言われようだったが…。

 

 そして、俺が一番驚いたことは前世では多用されていた戦術がこちらには存在しないということ。

 藤井システムがいい例だ。最初それをやったら爺ちゃんにすごく驚かれた。曰く、

『とても実用的な戦術だ…』ということらしい。

 それからは藤井システムを見事自分の手にし、得意戦術の一つになっている。ちなみに、俺の得意戦法は矢倉左美濃急戦や居飛車穴熊といった感じだ。

 

 「お爺ちゃんってプロだったんだよね?師匠は誰だったの?」

 「太一、いつもどこでそんな情報を仕入れてくるんだ?…まぁ、私の師匠は坂井十三九段という人だ」

 

 前世では聞いたことがない名だな。しかし、師匠か…。6歳になったら奨励会に入る予定だがそれまでには見つけておかないとあとあと不便だな。

 

 「そうじゃ!太一、お前弟子になってみんか?」

 「?その坂井十三九段って人に?」

 「いんや、俺の兄弟子清滝 鋼介九段って奴だ。アイツのほうが若いが何分俺は弟子になるのが遅くてな…。どうだ、なってみないか?」

 

 それはいい案だな。爺ちゃんの兄弟子にも興味があるし、ならここは頷く一手だな。

 

 「うん!お願い!!」

 

 次の日、俺はその清滝鋼介さんのご自宅に伺っていた。俺がこの5年間で培った子供の演技で見事落としてやるぜ、

 

 「お久しぶりです、八柳さん」

 「おぉ!元気にしていましたか!?」

 

 爺ちゃんが敬語を使うのは初めて見たな…、

 

 そんなことを思っていると爺ちゃんが俺に目配せをする。うん、挨拶大事。

 

 「初めまして、八柳太一です」

 「流石は八柳さんのお孫さんだ。その年でなんと礼儀正しい…。今日は確か弟子入りの件で?」

 「ああ、お願いできませんかね?」

 「―――まずは、太一君の実力を測りたいんですが」

 「そうだな、太一もいいな?」

 「うん!」

 

 そして、促されるがまま居間に通され、基盤を眺める。ここに来る途中可愛らしい女の子がいたがお孫さんかな?

 

 「私が飛車角落としで」

 「いや、その必要はないです。清滝さん、平手でお願いします」

 「…いいんですか?」

 

 横目でちらりと俺のほうを見る。そして、俺は答えずに席について一言、

 

 「よろしくお願いします」

 

 といった。その言葉に清滝さんは困ったような笑みを浮かべた。どうやら大胆不敵だと思われているんだと思う。

 結局平手で指すことになり、俺が後手番になった。

 

 使う戦法は決めてある。実力を認めさせ、なおかつ早めに終わらせる戦法。

 

 清滝さんが▲3四歩と指す。次は大抵△2六歩か△7六歩と指すが俺はある駒を手にする。前世ではマイナーな戦法でこちらにはない戦法。その名前を―――

 

 指された△6六歩を爺ちゃんと清滝さんは驚きの眼差しを向ける。

 

 

 

 パックマン戦法といった。



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第2局 変化

パックマン戦法。

 それは所謂嵌め手と呼ばれる。相手に自身がミスをしたと思わせ、油断したすきを突くという若干卑怯な手だ。

 角道に対して意味のない歩突きだと思われるかもしれないがそれを取ると大乱戦の始まりだ。清滝さんは顎に手を掛け考えているな。

 取ったら取ったで研究し尽くしている俺のほうが有利、しかし、ここで清滝さんが乗ってこなければ普通に進めることしかできなくなる。

 清滝さんは小さく唸って▲同角と動く。

 

 乗ってきた。と少し笑みを浮かべて△6二飛車と動く。というか爺ちゃん盤面覗き込まないではっきりいって邪魔なんだけど。

 

 「これは…。八柳さん、この子は一体?」

 「すごいでしょう、この子はこの年でわしらの策略を上回る才能がある」

 「『瞬殺の名人』であるあなたの口からそう言われるとは…。太一君、本気で行くぞ」

 「はいっ!」

 

 『瞬殺の名人』。それは爺ちゃんの二つ名、彼は早指しで有名で読みも鋭く、序盤中盤終盤隙が無くて有名だ、爺ちゃんの駒が躍動する姿は見る人すべてを魅了したともいわれる。

 そして、雰囲気が変わった清滝さん。まず▲5七角成る、そして、つぎは自陣の角道を開けるため△7四歩と動くのが定跡―――だが俺は△6三飛車成ると特攻。

 

 ここから大駒達が踊り狂う大乱戦、先に制したほうが勝つ。

 

 *

 

 「…ありません、まけました」

 「ありがとうございました」

 

 負けちゃいました☆というか清滝さん、対応するの早すぎなんだけど!研究されてないから余裕やろと高をくくって『初めて使う』パックマン戦法を使ったのがいけなかった…。

 けど、実力は十分に示せたはずだ。この戦いは勝つか負けるかじゃない、どれだけ将棋に対しての才能を示せるかが重要なのだ。

 

 「八柳さん、弟子の件、ぜひ任せてください」

 「本当ですか!?いやあ、本当にありがたい。よかったな、太一」

 「うんっ!」

 

 はぁ~、良かった。まずは一安心だ。けど、清滝さん、いや、もう師匠か。師匠から学べることも多い。前世と違ってこちらでは将棋のレベルは高いと思われる。

 まあ、前世はあの永世七冠を打ち立てた名人世代が異様に強かったな…。最終的にその世代の人は全員タイトル保持者になっていたからどれだけ異常かわかるだろう。

 

 いろいろな手続きを済ませると俺は一つあることを思い出した。弟子になると師匠の家に住み込めるというものだ。少し考えてそれはやめた。

 この見た目だが一応91年生きている。だから先ほどいたあの女の子が孫のようにしか見えない。となると、甘やかしてしまい彼女がよくない方向に進む可能性もあるからな。

 

 「桂香、来なさい!」

 

 ふすまの奥にそう声を掛けると先ほどの女の子が入ってきた。

 将棋盤を見つめる眼差しはよくないものであり、将棋を好いていないことがすぐにわかった。

 

 「ほれ、桂香。自己紹介」

 「……初めまして、清滝桂香です」

 「今日から清滝九段の弟子になりました、八柳太一です。宜しくお願いします」

 

 正座のまま方向を変えお辞儀をする。桂香さんと言うらしい。―――すごくいい名前だ。将棋にとって桂馬と香車は重要であり、『詰めろ』においてその重要性は高い。桂馬の不規則的な動きは相手を翻弄する。香車は飛車の劣化版だと思われがちだがそうではない。横には動けない。下には動けない。だからこそ、相手は油断し、付け入る隙が生まれる。上手く香車のところまで誘導すればその威力は十二分に理解できるはずだ。

 当の本人は面を喰らった表情になる。そりゃ、そうだ。この年頃は圧倒的にうるさい、落ち着きがない、礼儀が鳴っていないの三拍子が揃うバーゲンセールだ。そんな子がきれいにお辞儀するのだから驚くだろう。

 俺は顔を上げると満面の笑みを浮かべた。

 

 今日、俺は清滝九段の門下生になり、そこから一年間たった。一年間だ、将棋を指し続け棋力を高める、その際、名人の棋譜は一切見ていない。

 名人は必ずと言っていいほど悪手を指し勝利する。そう、悪手と思われていた手がのちのち脅威になるのだ。棋譜を見てしまえば常識に捕らわれる。あの名人に勝つには柔軟な発想が必要と踏んで読まないことにしたのだ。

 

 一ヶ月経つごろには桂香さんが心を開いて弟のようにかわいがって来るようなった。あと師匠が素になるととてもうるさいことにも気づいた。いちいち抱き着いてひげじょりじょりという拷問は辛い。

 

 そして、今日は2週間ぶりに師匠の下へやってきた。風邪に屈した自分が憎い…!

 小学一年生にもなり、親からの許しが出て奨励会への入会を済ませるためにきたのだが…。

 

 ふすまの隙間から部屋をのぞく。そこには師匠と一人の男の子が盤を挟んで対峙していた。

 九頭竜八一。同じ幼稚園で同じ小学校に通っている友達。彼に将棋を教えてはいたがまさか弟子入りにまで来るとは…。俺が弟子入りしていることは言っていない。ということは、これも運命か。

 

 そんなことを思っていると後ろから声を掛けられる。振り返ると桂香さんがいた。

 

 「あっ、お久しぶりです桂香さん!」

 「久しぶり、太一君。風邪は…治ったみたいね。けど、なんでこんなところに…、あっ、そうか今お父さん対局中だもんね、弟子入り志望の子と」

 

 やはり弟子入りか…。よし、まず一つ聞きたいことが出来たんだよね。桂香さんの腰辺りから伸びているアホ毛なんすか。

 

 「そうだ!太一君、妹が出来たわよ!!ほら、銀子ちゃん」

 「はじゅ、はじめま、して…、空銀子、です…」

 

 おどおどしながら彼女が姿を現した。

 銀色の髪の毛、透き通るような肌。まさしく美幼女。

 

 妹、だと…?妹弟子ということか!?というか、なんだこの可愛い生き物は!!しかも、この年で師匠に認められる棋力の持ち主…!ああああああああああっっ!!!甘やかした!そのおどおどした表情から見せる照れくさそうに浮かべる笑みが可愛い!指をもじもじさせて頬を染めているのも可愛い!!!!お爺ちゃんと呼ばせたい、孫のように可愛がりたいいいいいいいいっっっ!!!!!―――はっ!いかん、落ち着け。お爺ちゃんと呼ばせるのは流石に不味い。なら考えろ、最善手をっ!!!

『妹が出来た』

―――そうか、わかったぞ。流石は桂香さんだ。銀子ちゃんが可愛いことを考慮し、俺がどう動くかを予測した。兄のように振る舞いたくなるだろうと考えそう発言することにより外堀を埋めたわけだ。

 なら、俺は―――!

 

 「お兄ちゃん」

 「…、え?」

 「君はもう八柳太一の妹弟子だ。なら、お兄ちゃんと呼ぶのが道理!またはお兄さん、兄様、にーにでも可!」

 

 八柳太一は一人っ子であり、そういう関係に飢えていたのもありこういう奇行に至ってしまった。

 そして、俺はどうですか!?と言わんばかりに桂香さんに顔を向けた。おどおどしている銀子ちゃんの頭を撫で、―――怒った笑みを浮かべた。

 

 まずい―――!読み違えたか!あの発言はそういう意図ではなかったのか!!しかし、まだ王手だ。言い訳すれば…ッ!

 

 その時、後ろのふすまが開く音が聞こえた。そうだ、今は対局中。うるさくすれば同然…。

 

 ギギギと俺は後ろを向く。そこには眉間に皺を寄せ明らかに憤ってる師匠の姿があった。

 

 

 詰みです。

 

 ※この後無茶苦茶怒られた。

 




主人公が壊れた!!!!!!!!!!


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第3局 強さ

 無茶苦茶怒られた後八一君が俺にびっくりして話しかけてきた。91年生きてきたせいだろうか同年代や年下になると君付けやちゃん付けになってしまう、まぁこれも愛嬌か。

 桂香さんと師匠にこっぴどく怒られて解放された後次は八一君に質問攻めされた。なんでいる、とか受かったとかそういった話題だ。銀子ちゃんに近づくと磁石の同極同士のように一定の距離を保たれてしまう。

 その体は小刻みに震えており少しばかり胸が痛んだ。―――駄目だな、こんな小さい子を怖がらせては、

 

 と心機一転しようとし俺は謝るべく口を開こうとした瞬間銀子ちゃんがおもむろに口を開いた。

 

 「お、おにいちゃん…」

 

 ぶっはああああああああああああああああっっっ!!やべぇ、危ない所だった!!!!!!鼻血を出して出血多量で死ぬところだった!!今のはずるい、恥ずかしがりながらも上目遣いで舌足らずの口調!!くっ、前世で嫁に『あんたは孫に甘すぎる』と言われ否定していたが認めよう。 俺は―――子供に甘い。

 

 いまいち全容がつかめない八一君に俺は説明する。

 

 「八一君も師匠の弟子になった。つまりもう家族になったわけだ」

 「家族?」

 「そう家族。俺が兄弟子で八一君と銀子ちゃんが俺の弟と妹になった。だから、お兄ちゃんと言っても何も可笑しくないわけ」

 「じゃあ、僕も言ったほういいかな?」

 「そ、それは……まぁ…」

 

 俺がどもると桂香さんに苦笑いを向けられた。察せられておりますな。そうですとも、同年代(見た目上)の男の子にお兄ちゃんと言われても可愛いと思っても何か違うと感じてしまうのだ。

 すると、師匠に3人とも呼び出された。一体なんだろうか?

 

 「桂香から聞いたぞ。兄呼びを求めたらしいなぁ」

 「は、はい…」

 

 そして、俺だけ正座させられている。師匠激おこなのか…?

 

 「ずるいぞ!わしだってわしだってええええええええええ!!!!!銀子、お爺ちゃんと」

 「呼びません」

 「そこをなんとか!!!!!!」

 「呼びません」

 「い、いっか「呼びません」…そうですか」

 

 なぁーるほど、嫉妬というわけですな。しかし、お爺ちゃん呼びだけは銀子ちゃんも譲れない何かがあるのか。

 そして、ゴホンと咳ばらいをする。

 

 「九頭竜八一もこれでわしの門下生となった。でだ、八一と太一は知り合いで銀子は八一と知り合い、しかし、銀子と太一のみ初対面というわけだ。だから二人で将棋を指して友情を育みなさい」

 

 いい顔でいいことを言っているんだろうがさっきのあの言動のせいで全て台無しだ。話に聞くに銀子ちゃんはまだ4歳、しかし才能溢れる逸材だと師匠は言っていた。

 平手で指すことになり将棋盤を二人で挟む。

 

 「よろしくね、銀子ちゃん」

 「よろしくお願いします…お、おにいちゃん」

 

 ぐっはっああああああ!くっ、その年でもう盤外戦を習得しているというのか!しかし、将棋で戦うとなると一切の感情を持つなよ、少しでも動揺したら喰らわれかねない。

 

 「太一君、銀子は本当に強いよ」

 「いやいや、八一君も負けず劣らずでしょ?さて、振り駒の結果は―――僕が先手番か」

 

 その時、対局が始まる。

 場の空気が一様にして変わった。

 

 どういう風に攻めるか…、そうだなまずは。

 

 ▲2六歩と指す。飛車先の歩をつく。これによって相手の出方を伺う。

 

 銀子ちゃんは手慣れた手つきで△3四歩と指す。角道を開けた。

 

 そこからはお互いに攻めらずに傍観に徹する。そこで俺は銀子ちゃんが右四間左美濃の形になっていることに気付いた。その年でその戦法を選択するのはかなり渋い。しかし、定跡もしっかりとしていて読みも深い。つまり―――才能がある。

 師匠の言葉を真に感じ始めてきた。こちらが矢倉だとわかるとその戦法。

 

 これは―――。

 

 数十手進む。その間俺は『わざと』防戦一方の形にして圧倒的不利な形にもつれ込む。

 八一は驚きの表情を浮かべて、師匠は俺を信じられないような目で見る。

 

 銀子ちゃん顔つきは自身に満ち溢れており、勝ったと思っているだろう。

 

 「これで、どうかな」

 

 俺が打ったのは△5四金打つ。

 

 「んなっ!」

 

 銀子ちゃんが驚きの表情を浮かべる。その一手はこの不利な盤面を一撃でひっくり返すことが出来る一手。銀子ちゃんは狼狽えながら盤面を凝視する。

 ゆらゆらと揺れて、次第に目が潤んできて―――え、潤んできて?

 

 「ううううううううぅぅ!」

 

 銀子ちゃんが瞳に涙を浮かばせながら盤面を睨みつける。ぽたぽたと涙をこぼすその姿に俺と八一と師匠が呆然とする。ここで桂香さんが様子を見に入ってきたら間違いなく俺は天に召されることだろう。

 だが、これでいい。これでいいんだ。

 彼女は才能がありすぎる。ゆえに、敗北を知らずに育ってしまい自身に対して驕りを持ってしまう。だからこそ、今の内に圧倒的存在が身近にいるということを知ってほしかった。

 そう、だから大丈夫だ。心をしっかりと保て、八柳太一…!

 

 「まけ、負けました…うぐ、ひっぐ…!」

 

 それから数手圧倒的攻勢をひっくり返され敗北した銀子ちゃんは部屋の片隅で体育座りで落ち込んでいる。

 心が、辛いです。

 

勝負に勝ってもそれ以外では負けた気分だ。

 

 「銀子ちゃん」

 

 俺が話しかけると顔を膝に埋めた銀子ちゃんの肩がビクッと震える。それもそうだ、さっきの戦いは完全な舐めプレイ。圧倒的強者であるからこそ出来た芸当。幼い子には酷なものがあるだろう。

 

 「銀子ちゃんは才能がある。誰にも負けない棋士になれるほどの才能が、だから、これからも一緒に頑張っていこう」

 「………本当?」

 「本当さ、大丈夫。師匠もいい教えをするし絶対いい棋士になれる」

 

 俺は手を差し伸べる。銀子ちゃんは照れくさそうにその手を取った。まさしく友情が育まれた瞬間である。 

 

 そして、俺は一件落着したと思った。そう思ったのだ。

 

 しかし、そこには駒を並べて準備万端の師匠の姿があった。

 

 「こい、太一。銀子を泣かしたその悪行成敗してくれるわ!!」

 「え、僕奨励会について師匠とお話が…」

 「そんなものは後ででよい!!!」

 

 い、今までにない気迫。

 俺は意を決して座る。

 八一君と銀子ちゃんも俺と師匠の戦いに興味津々だ…。

 

 その日の対局は師匠が強すぎたので運よく見つけた千日手でなんとか切り抜けました。あの強さ、やばいです。




右四間左美濃;矢倉の対抗策に使われる戦法。その名の通り左側を美濃囲い。右側を四間飛車で組み立てるものである。

豆知識;第1話の121手目△8一角打つは最近行われた藤井総太四段と佐藤天彦名人の棋譜がモチーフです。


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第4局 結果

 その日将棋界に激震が走った。

 齢11歳、初の小学生プロ棋士誕生。今まで中学生までが最年少だった記録を大幅に塗り替える歴史的偉業。

 その子の名前は八柳太一、清滝鋼介九段の門下生だ。

 彼はインタビューで大人顔負けの冷静さで記者の質問にこう答えた。

 『なぜプロを目指したんですか?』

 『対局したい人がいるから』

 

 その発言は誰を指すのか終始わからず仕舞いだったが彼の今後には目を離せないだろう。

 そして、彼はある異名が付いている。奨励会からプロになるまでの試合で8つの新しい戦法を生み出した。それだけで凄いことなのだが誰かが畏怖の念を込めてこう言った。

『八岐大蛇』と。

 

 *

 

 桂香さんは笑いを堪えながらそう書かれている雑誌に顔を埋めている。

 八一君も銀子ちゃんも同じような反応だ、唯一の救いは師匠が酒に酔っぱらって泥酔していることだろうか。

 今日は師匠宅でプロになった記念ということでパーティを開いてもらっている。爺ちゃんと婆ちゃんは昨日お祝いしてくれた。

 

 「桂香さん、そんな笑わなくても…」

 「ごめんな、さい…!ふふっ、八岐大蛇…さん…!」

 

 あっ、これずっと弄られる奴ですね。

 というか、八一君と銀子ちゃんもそろそろ笑うのをやめてほしい。当の本人である俺が一番恥ずかしいんだから。

 

 「兄弟子、どんまいです」

 「お兄ちゃん、どんまい…」

 

 二人にこうやって慰められるのは如何せんよろしくない。俺なんて二人を甘やかしたいこの心を押さえているのだ。そんなことをやられてしまってはいつかは枷が外れてしまう…!

 そういえば、八一君からは兄弟子、銀子ちゃんからはお兄ちゃん呼びが定着した。

 しかし、プロになったのはいいが今後八一君と銀子ちゃんと顔を合わせる機会というものは少なくなるのが若干寂しいな…。二人ともプロを目指して頑張っている。あと数年すればプロにさえなれるだろう。

 少しばかりの辛抱だ。

 

 「ねぇ、八一君。今から一局指さない?」

 「いいですけど…。もう夜遅いですし帰らなくてもいいんですか?」

 「今日泊まることにした」

 

 このやりとりも何回したかわからない。

 たまに師匠の家に泊まって将棋を指すのもいまではいい思い出だ。

 盤を挟んで対峙する。余談だが1年ぐらい前から桂香さんも将棋を始めた。いいことだ。

 銀子ちゃんはもう眠いのかウトウトし始めて桂香さんにお布団に連れて行かれた。可愛い。

 

 「よし、僕が先手番か。手加減なしで行くよ」

 「よろしくお願いします」

 

 お互いが頭を下げるとそれは対局が始まった合図。九頭竜八一、彼も将棋に愛されているといっても過言ではない。彼の読みはたまに俺の読みの一歩先をいくことさえある。

 今回は得意戦法の一つ居飛車穴熊で行こう、と思ったがやはりやめる。この試合で俺は八一君に一つの戦法を託すことにした。

 

 「兄弟子、それは…!」

 

 八一君が盤面を睨みつける。そこには自陣の下段には何もない状態での俺の駒達あった。

 初めて見る戦法だろうな、

 その名前を『地下鉄飛車』。主に穴熊や右玉に対しての戦法。下段に道を作り、飛車の道を開通させる。

 八一君は初めてみる戦法で恐る恐る駒を伸ばす。俺はノータイムで最善手を指す。

 

 86手目、九頭竜八一投了。俺の勝ちだ。

 

 「兄弟子、また新しい戦法作ったんですか?」

 「まぁね。けど、これは八一君。君に使ってほしい」

 「俺に?」

 「うん、今この戦法を知るのは僕と八一君だけ。八一君、君は将来いいプロ棋士になって弟子をとるかもしれない。その時にこの戦法を使って弟子を導いてほしいんだ。無論、対局でも力になってくれる」

 「俺で…いいんですか?」

 

 八一の疑問はもっともだ。太一が生み出したと言われている八つの戦法は全てがクオリティが高く汎用性もある。

 その太一が作った戦法を託すと言われたのだ。

 

 「あぁ、君に使ってほしい。ただ銀子ちゃんにも一つ戦法を教えるよ、八一君だけだと銀子ちゃん拗ねちゃうだろうし」

 「姉弟子は俺にだけ当たりキツイですもんね…」

 

 八一君、それは違うぞと言ってやりたかった。長年生きている俺だからわかる。銀子ちゃんは八一君のことが―――好きなんだろう。今はそう知らなくても将来必ずその感情を知ることになる。

 だが、ここで俺が口を挟むのもお門違い。年上はただ可愛い子供たちのやりとりを眺めるだけでいいのだ。

 

 「そして、僕は今日からここに来なくなるだろう。偶には来るだろうけど八一君と銀子ちゃんも奨励会で将棋の対局があるからね、顔も合わせなくなる、だから次会ってまともに話すのは二人がプロになってからだ」

 「そう、ですね…」

 

 二人は静かに駒を並べ始めた。俺は八一君に地下鉄飛車の定跡を叩き込む。それが終わるとお風呂に入り、布団へと身を潜らせた。

 

 次の日、銀子ちゃんにもある戦法を叩き込み俺は師匠の家の前に立っていた。

 

 「今までお世話になりました。師匠」

 「ああ、だが偶には帰ってこい。ここはもうお前の『家』なんだから」

 

 ―――やはり師匠には敵わない。

 この人から得れたものはたくさんあった。

 だから、俺は深々とお辞儀をして将棋会館へと歩を進めた。

 

 

 

 

 それから一年後、最年少タイトルホルダーが生まれた。

 『帝位』『玉将』二冠を保持した最年少タイトルホルダー八柳太一二冠はある日自宅で広げた新聞の記事に目を釘付けにされた。

 

 中学生プロ棋士九頭竜八一、誕生。

 その文字に太一は笑って、今では懐かしくなった師匠の家へ走った。

 久しぶりに来た家に俺は「ただいま」と言って、扉を開ける。

 

 そこには、出会った時のように、あの時とは違った笑顔で師匠が出迎えてくれた。

 俺は桂香さんに挨拶し、あの二人が対局しているという部屋に向けて静かに歩いていくのだった。

 




次話から原作に突入します!!
ちなみに八岐大蛇って言われているのは8つの戦法を生み出しただけだはなく八柳→八龍→八の龍→オロチ?みたいな裏話があったりなかったり。


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第5局 弟子

 『竜王』

 それは将棋界最高タイトル、それに俺は16歳という若さで手にいれる寸前まできていた。

 あと一勝。あと一勝すれば多額の賞金と名誉、八段までの進級、そして歴史に名を残す。

 しかし、そのタイトルはあまりにも重かった。

 俺はふらつく足を懸命に前に動かして対局上へと赴く。

 不意にバランスを崩した。

 膝をつき、苦しく吐き出される息を俺は眺めることしかできなかった。

 

 「どうぞ」

 

 近くにいた女の子が水を差し出してくれた、それを飲み干すと俺の呼吸が少しだけ落ち着いた気がした。

 

 「ありがとう」

 

 俺は立ち上がり、しっかりと前を見て進み出す。

 その日、俺は『竜王』になった。

 

 *

 

 俺の名前は九頭竜八一、職業プロ棋士。

 中学生でプロになりそのまま高校には行かずに将棋指しとして生きている。

 竜王を勢いと幸運で取ったもののそこからは不調の真っ只中、現在11連敗中。今日も将棋会館で何か掴めると思ったのだが何もわからず仕舞いだった。

 公園のベンチに座り、携帯の画面を眺める。そこには俺のことをクズ竜王と罵り、祭り状態であるスレがあった。無論、その通りであるためため息しかでない。

 

 「皆はっと…」

 

 携帯でほかの棋士についての情報を眺める。

 

 『浪速の白雪姫、現在無敗』

 

 といった見出しと共にずらーっと書いてある。

 

 「皆調子いいなぁ…」

 

 画面をスクロールし、最後の二つの記事に目を奪われる。

 

 『史上最強名人、またもやマジック炸裂!』

 『新戦法爆誕!僅か76手で決着!!』

 

 画像が張ってありその記事の紹介がされていた。

 俺はそれをただ読むことしかできない。

 

 俺は竜王なんだ…。その称号にふさわしい将棋を指さなければいけない…。あの史上最強と呼ばれる名人のようにーーーそして兄弟子のように。

 

 家に帰る途中そんなこと思う。住んでいるアパートの扉を開ける。

 

 「ただいまー。って誰もいないんだけど」

 

 そう俺は一人暮らし、目の前にJSがいる以外は普通の暮らし………女子小学生……?

 

 「ええええっっっ!!!」

 「お、お帰りなさいませ!お、おししょーさま!」

 

 て ん し が い る。まてまてまて!落ち着け、可愛いからって気を許すな!まずはなんでここにいるか聞くべきだ。

 

 「えっと……君はどうして俺の部屋にいるの?」

 「は、はいっ!やづっッ!」

 

 噛んだ!けど、それも可愛いいいいっ!……はっ!いかんいかん。

 

 「い、いたいでしゅー……」

 「だ、大丈夫?凄まじい勢いで下を噛んだけど」

 「く、くじゅ…先生でいらっしゃいますよね!約束通り弟子にしてもらいに来ました!」

 「…………弟子?」

 「はい!」

 「君を?」

 「はい!」

 「……約束っていつ?」

 「この前の竜王戦で…覚えていませんか?」

 

 話を聞くにどうやら俺は竜王になったらなんでも約束を聞いてあげると言ったらしい。

 なんということだろうか。

 

 結局その子ーーー雛鶴あいという女の子と一局指すことになった。

 俺はこの子を弟子にとるつもりはない、ましてや俺は16歳、ほかの事に気を回すほど余裕がない。

 その約束はまた別のことで我慢してもらおう。

 俺の得意分野である相掛かりから始まった対局は俺の優勢で終わるーーーはずだった。

 あいは盤面を覗き込むようにし、体を前後にゆらゆらと揺らす。

 

 「こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、ーーーうんっ!」

 

 あいが5五桂馬と打つ。

 その一手はまさしく逆転の一手。俺は実感した。この子には才能があると。

 そう思うと喜びに体が震えた。その一手を潜り抜け俺はあいになんとか勝利した。

 

 「うぅ……どうでしたか?」

 「んー、よくわかんなかったからもう一局指そう!」

 「はいっ!」

 

 俺がもう一局指そうと言ったら笑顔で答える。

 

 その日は朝まで将棋を指した。

 

 *

 

 そして、俺は今自分の家で正座させられている。

 事の発端は数分前、あいがお風呂に入っていると姉弟子がやってきた。

 女子小学生が家にいるとバレたら只ではすまないと思い、用事を聞くとVSという所謂練習対局の日だということに気がついた。

 そのあと裸のあいが浴場から出てきて、間違って押し倒してしまい、姉弟子にみつかり今に至るというわけだ。

 

 「だからさっきから言ってるじゃないですか、あれは不幸の事故だって」

 「で?」

 「この子が押し掛けて来たんです!勝手に石川県から一人で!!」

 「で?」

 「で?ってちゃんと聞いてくれてます?」

 「まぁ、大人しく斬首されなさい」

 「冗談ですよね?」

 「台所に包丁あったわよね?」

 「冗談っていってよおおおおおっっ!!」

 

 まずい!!このままでは姉弟子にひどい目に会わされてしまう!!

 

 「やめてください!」

 「何、このアリクイみたいな生き物」

 「誰がアリクイですか!」

 「私のこと知らないの?将棋やってて」

 「知りません!」

 「このお方は空銀子女流二冠、俺の姉弟子、つまり姉貴同然の人なんだ。俺たち二人とも清滝鋼介九段の弟子なんだよ。年は俺より下の14なんだけど入門したのはこちらが先、だから姉弟子なんだよ」

 「そういうことよ、わかった?」

 「わかりません!」

 「あっそ、じゃあ煩いから黙っててくれる?」

 

 こら銀子、小学生になんて言い方だ。

 

 「……だらぶち」

 「は?なんか言った?こわっぱ」

 「こわっぱじゃないですぅー、私には雛鶴あいという名前があーるーんーでーすー」

 

 こらこら煽るな!しかし、煽る姿も可愛いな……って違う違う!どうにかこの場を乗り切らなければ!!

 

 そう思うと険悪に包まれた室内の一つの音が鳴り響いた。 

 ドアの向こうから聞きなれた声が響く。

 

 「八一君、いるー?」

 

 その声はまさに救世主だった。銀子は驚きの表情を浮かべる。俺だって驚いている。

 あの人が、兄弟子が久しぶりに会いに来てくれたのだから。

 竜王就任式のときに少しだけ顔を会わせたがそれっきりだ。

 俺は駆け足で扉を開ける。

 

 「お久しぶりです!兄弟子!!」

 「ーーー」

 

 あれ、なんで無言なんですか。兄弟子。

 視線の先は奥の方、まさしくあいと姉弟子がいるところ。

 何かを察して手に持っていた袋を玄関に置くと同時に踵を返して走り出した。

 

 この人!面倒ごとに巻き込まれると思って逃げる気だな!!確かにいろいろお世話になったがここは巻き込ませてもらう!!

 

 「兄弟子!逃げないでください!!」

 「やめ、やめろおおおおおっ!」

 

 *

 

 弟弟子が竜王を取ったということでお祝いの御寿司を買ってきたのだが、これはどういう状況だろうか。

 奥には苛立っているように見える銀子ちゃんと……あれは小学生か?

 なんだろう……すごい面倒くさい目に合いそうと思って寿司をおいて逃げようとしたら捕まってしまった。

 

 「銀子ちゃん、久しぶり」

 「お久しぶりです、兄弟子」

 

 うううううっ!昔のように「おにいちゃん!」と呼んでくれないのが辛い!!まぁ、今は桂香さんと合同で作った銀子ちゃんアルバムがあるので孫を見る目でそれを眺めてなんとか保ててる。

 というか、興味津々な目で見ているこの女の子は一体誰?

 

 「八一君、これどういうこと?」

 「実は……」

 

 ふむ、成る程。どうやらあのときの竜王戦に魅せられて弟子になりに来たと……。いやいやいや、あんたら二人も似たような感じだよね、なんであんな険悪な雰囲気に……。

 

 「ししょー、その人は?」

 「んなっ!この人も知らないわけ!?」

 

 銀子ちゃん、ええんやで、別に。

 

 「この人は俺と姉弟子の兄貴分、兄弟子の八柳太一二冠!俺が竜王戦最終局で使った『地下鉄飛車』を教えてくれた人物!!」

 

 竜王戦で『地下鉄飛車』を使ったのはびっくりした。まぁ、あのときの竜王の慌てっぷりは面白かったな。

 しかし、とうとう八一君も弟子か……。16歳で弟子をとるなんてすごいな……。いや、まだ決めかねているのかも。だが、これで内弟子になったら桂香さんと銀子ちゃんは叔母になって俺はお爺ちゃんか。

お爺ちゃん……お爺ちゃん……お爺ちゃん……。

 

 エコーのように響き渡るその魅力の言葉に俺はすぐに行動に移した。

 

 「師匠の家にいこう」

 

 銀子ちゃんもそれには賛成らしい。よし、行くぞ!すぐ行くぞおおおおおおおっ!!

 

 「兄弟子、なんか気合い入っていませんか?」

 「家にいくのが久しぶりだからじゃない?」

 「?」

 

 あいはよくわからず首を傾けるだけだった。

 




早く天ちゃんを出してあげたい……。


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第6局 選択

 八柳太一二冠、B級1組。

 小学生5年生の時プロになり、怒濤の勢いで『帝位』と『玉将』の二冠を達成。

 その後、二冠を維持したまま棋士として活動する。

 戦った棋士はこう述べる。

 『まるで長年将棋をやって来たような手筋だった』と。

 そして、八柳太一の一番恐ろしいところは新しい戦術を沢山作り出したということ。

 何故そのような戦術を作れたのか?という問いに本人は『先人たちのお陰』というなんとも謙虚な回答が出たのは記憶に新しい。

 その2年後、升田幸三賞を授与される。

 升田幸三賞とは妙手や新手を産み出した棋士に受賞されるというもの、そして破竹の勢いで進んでいく。

 ファンの方々はいつも史上最強名人との戦いを待ち望んでいるが一向にそれは実現しない。 というのも、太一二冠が勝てば名人が負け、太一二冠が負ければ名人が勝ちというなんとも形容しがたい展開になっているからだ。

 だが、太一二冠がA級に上がればそれも実現するということで皆その日を楽しみにしている。

 

 携帯に書かれている記事をあいちゃんに見せた銀子ちゃんは俺のことを熱心に説明してくれている。

 なんというか……孫が「お爺ちゃんすごいんだよ!」といってほかの子に自慢しているように見えて……とても…可愛いです…。

 あいちゃんは未だによくわかっていないようである。話に聞くにまだ9歳、致し方無し。

 

 「そういえば、兄弟子。今日はどういった用件で?」

 

 歩きながら八一君が聞いてくる。

 

 「いや、竜王就位したからお祝いにと思ってね」

 「す、すみません!わざわざ!!」

 「別にいいさ、銀子ちゃんにも会えたし、可愛らしい孫も出来そうだし」

 「まご?」

 

 あいちゃんがその言葉に首を傾けると目的の家に辿り着いた。

 随分久しぶりな気がするな……。しかし、よく耐えたぞ俺。危うくあいちゃんの手を繋ぎ何でも買ってあげるといいかけた。この子、孫力……高すぎ……!!

 

 「お久しぶりです、師匠」

 

 居間に勝手に入ると師匠がお茶を飲んでゆったりとしていた。

 俺と八一君と銀子ちゃんはここが二つ目の『家族』なので何も気にすることなく入れるのは有りがたい。

 

 座布団の上に正座で座り、八一君が事情を説明する。

 

 「そうか、この子があいちゃんか…。実はさっき将棋連盟から連絡があってな。旅館雛鶴の娘が家出したらしい言うんや」

 「家出……?」

 「八一の竜王戦以来、あいちゃんが将棋にはまっとったのは親御さんも知っておったらしい。そんでもしかしたらと……。あいちゃん、なんで御両親に相談せんかったんや?」

 「言っても絶対に反対されるから……」

 「石川県にもいい先生はいっぱいおるやろうに」

 「嫌です!」

 

 うわっ、突然大声出すからびっくりしてもうた……。

 あいちゃんが言うにどうやら八一君の将棋に魅了され、あんな風になりたいと強く思ったらしい。

 ぞっこんじゃないですか、羨ましい。

 

 「……わかった。なら、八一、あいちゃんを内弟子にしてあげなさい。家族の方にはわしが言っといてやるから」

 

 師匠、あんた最高だよ……ほんと……。

 内弟子になれば俺は合法的にお爺ちゃんと呼ばれる、あとは八一君が合意すればの話だが……。

 

 「……わかりました。俺の弟子として研修会試験に申し込みます」

 「そう、それでいいんだ八一君」

 

 やばい、つい本音が……。

 八一君は俺を申し訳なさそうな目でみて決意に秘めた表情をする。

 

 「ただし、春休みの間だけです」

 「内弟子(仮)というわけやな。これでわしにも孫弟子が出来たということだな。桂香ぁー!赤飯を炊けぇ!!」

 

 「今日はお好み焼きよ」

 「そうか…お好み焼きか……」

 「あいちゃんね、私は清滝桂香。この叔父さんの娘よ」

 「始めまして、雛鶴あいです!」

 「私も女流棋士を目指して勉強中なの。一緒に頑張りましょうね」

 「はい!」

 

 一通り自己紹介をし、桂香さんが切り出す。

 

 「でも、これで銀子ちゃんと私は叔母さん、太一君は叔父さんになっちゃったわねー……」

 「おばさん……おじさん……?」

 「一門の関係は親戚と同じなんだよ、師匠と弟子は親子、弟子同士は兄弟、あいにとって姉弟子と桂香さんは叔母、兄弟子は叔父に当たるわけだ」

 「おばさん?」

 「誰が叔母さんじゃこら!」

 「なんですか、おばさん!」

 

 銀子ちゃん、それぐらい別にいいじゃないか。と思うがやはりその年で叔母さんと言われるのは辛いものがあるんだな。

 だが!この流れにのって俺は言ってやる!大丈夫だ、この流れによって俺の今からの発言は不自然ではない……はず!

 

 「あいちゃん、僕のことはお爺ちゃんって呼んでくれてかまわないよ」

 「……お爺ちゃん?」

 

 はいいいいい!!お爺ちゃんですよおおおおおお!ずるいぞ、その傾げた首と上目使い!!!!昔の銀子ちゃんといい勝負じゃないか!!

 口の中で下を思いっきり噛み、にやけそうになる口許を静止する。

 だが、一人だけこの事に異を唱える人がいることを俺は見越していた。

 

 「おい、太一。それはわしに対しての呼び名だろ」

 「……師匠。それはどういうことでしょうか?」

 「わしの孫弟子だ。だから、わしに対してお爺ちゃんと呼ぶのは普通。太一は精々さん付けが妥当だろうに」

 

 そう師匠は弟子にたいそう甘い。それが孫弟子になれば尚更だ。

 だがしかし、俺とて譲れないものはある。

 

 「ししょー、なんか嫌な空気ですけどいいんですか?」

 「……多分、大丈夫だと思う。というか、兄弟子って呼び名とか気にするタイプだったか……?」

 「八岐大蛇……ふふっ……」

 

 こら銀子ちゃん、聞こえているぞ。あの不名誉な渾名はなんとか取り払った。

 だが、師匠とこう意見が違えるなんて珍しくもない、その時は決まってあることで勝負を決めるーーー将棋だ。

 二人はそそくさと食事を済ませ、盤を挟む。あいちゃんと八一君、銀子ちゃんが観戦者だ。

 桂香さんはお片付け、あの人本当に女子力高い……。

 

 「あい見ておきなさい。俺のようになるということはこの二人に追い付かなければいけないということを」

 「はいっ!」

 

 降り駒の結果俺が先手番だ。

 お爺ちゃんと呼ばれるため俺は…俺は……!!

 

 力強い一指し、▲3六歩。

 師匠もまた相掛かりの形にしていく。今回使う戦法は矢倉左美濃急戦、この戦法は作戦の幅が広いので対応しにくい。

 数十手進むと明らかに此方側が優勢だとわかる。

 

 「すごい……」

 

 あいちゃんがポツリとそう溢した。

 だが、師匠も負けず劣らずと行った感じに食らいついてくる。

 ▲4五桂馬打つ、△4四銀、▲3三金、……

 

 「……負けました」

 「ありがとうございました」

 

 

 102手で俺が勝った。律儀に棋譜をとってくれた銀子ちゃんに感謝だな。

 

 太一はお爺ちゃんの称号を手に入れた!とファンファーレがなりそうだったがあいちゃんが俺を太一おじちゃん、師匠をお爺ちゃんと区別して言います!と言って俺らの戦いは無意味なものへと化してしまった。

 けれど、おじちゃん……いい響きだ……。

 

 *

 

 『そう、それでいいんだ八一君』

 

 俺は師匠の家から帰る途中兄弟子のその言葉をずっと反芻させていた。

 あいは笑顔で俺の隣を歩いている、姉弟子と兄弟子はあの後すぐに帰ってしまった。 

 小学生の頃、兄弟子から『地下鉄飛車』を教えてもらったときあの人は弟子ができたら導けと言ってくれた。

 つまり、あのとき俺が弟子にしなかったら少なくない失望を与えていたのかもしれない……。

 

 「けど、これでよかったんだよな……」

 「ししょー?どうかしましたか?」

 「ううん、なんでもない」

 

 可愛い弟子の頭を撫で、俺は、俺たちは家に向かって歩き出す。

 

 

 九頭竜八一と雛鶴あいの物語はそこから始まったのだ。

 

 




孫力;JSや幼い子がもつ秘めたる力。主に八柳太一特効属性をもつ。

八柳太一;すごく子供が大好き。子供が好きすぎる。やばい。


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第7局 才能

 現在、将棋界のタイトルを持つのは3人のみ。

 『竜王』九頭竜八一

 『帝位』『玉将』八柳太一 

 『名人』『玉座』『盤王』そして、つい最近奪取した『棋帝』を合わせた四冠を持つ史上最強、神とまで呼ばれる棋士、名人。

 そして、そのタイトルの一つ『帝位』を巡ってリーグ戦が開催される。

 九頭竜竜王は幼いころのライバルかつ親友の神鍋歩夢と戦うことになっている。

 

 「ししょー、その人強いですか?」

 「神鍋歩夢六段、今期勝率一位だからね、かなり強いよ」

 

 朝、俺こと九頭竜八一は女子小学生が作ったご飯を口に入れて対戦する相手の棋譜を眺めていた。 

 女子小学生が作ったご飯…!食べ物のすばらしさを感じる…っ!

 

 「太一おじちゃん、おかわりは?」

 「あぁ、お願いするよあいちゃん」

 「…それで兄弟子。今日はどういった要件で」

 「あぁ、ほら今日八一君、リーグ戦でしょ?だから応援に来てね」

 「あなたが帝位ですよね!?」

 

 この人が持つタイトルを争ってのリーグ戦なのになんでこんなに余裕そうなんだ…、いや兄弟子だから、っていう理由で片付けても駄目か。

 けれど、兄弟子はA級の方とも遜色がないほどの力を持っている。だからなのだろか…?

 

 「って、もうこんな時間か。二人ともそろそろ行かなくちゃまずいよ」

 

 兄弟子が時計を指さしそういう。少し早いがあいを案内しなくてはいけないため程よい時間帯だった。

 

 「兄弟子、今日対局は?」

 「あぁ、今日対局ないんだよね…。だから、あいちゃんのことは任せてくれて構わないよ」

 「いいんですか!? よかったな、あい」

 「はいっ!」

 

 いやぁ、実は対局中ずっとあいのことが気がかりになると思ったからな…、本当にありがたい。

 外に出て、3人で歩いているとあいが楽しみなのか「にへー♡」といった感じで笑いかけてくる…!くそっ、可愛いなおい!!

 けれど、兄弟子の前でみっともない姿を見せれない!

 

 「こら、あい。気を付けろよ」

 「はーい♡」

 「元気があっていいじゃないか。将棋会館ももうすぐ着くだろうし、八一君も気合入れなきゃね」

 「兄弟子、あいのことお願いします」

 「泥船に乗った気持ちで任せてよ」

 

 不安しかないぞそれは。

 

 *

 

 「うわー!本物の竜王と太一二冠だ!」「握手!握手してください!!」「やべー!」

 

 研修会室に入ると子供たちに群がられる…!ここが天国か…!

 俺は一人一人握手をする、このやわらかい手、にやけずにはいられない…!

 八一君にはみっともない姿を見せられないから早くいくよう促さなければ…!!

 

 「じゃあ、頑張ってきてね八一君」

 「はい、あいも頑張るんだぞ」

 「はいっ!ししょー、ご武運を!!」

 

 くっそう…ナチュラルに頭を撫でやがって…。前世では孫の頭を撫でようとして逃げられた苦い思い出がフラッシュバックする。

 八一君が対局場に向かう、俺はまずは…どうすればいいんだ?ここで子供たちを眺める?うんそれが最善手だ、俺の頭の中のPonanza先生もそれでいいと言っている。

 子供たちが準備を始め、机に置いた簡易な将棋盤を挟む。あいちゃんの相手は…同じぐらいの女の子か。

 

 「うっひゃあ!太一二冠!?」

 

 近くに寄ったらびっくりされた、流石は二冠だ。ただ、前世で永世七冠取ったあの人はもっとすごかったよな…。国民栄誉賞まで受賞されてたし。

 

 「こんにちわ、えっと…」

 「貞任綾乃って言いますです!」

 「綾乃ちゃんね、頑張ってね、あいちゃんも」

 「うわわわ…二冠と竜王の知り合いと私が今から対局を…っ!」

 

 綾乃ちゃん…見た感じ孫力は上の下といったあたりか…!末恐ろしい…!!

 

 振り駒の結果、あいちゃんが先手番だ。そういえば、あいちゃんの将棋は初めて見るな。

 ▲2六歩か…。八一君から聞くに棋譜は八一君のやつしか見ないで本とかでしか勉強していないと言っていた。つまるところ居飛車か。

 綾乃ちゃんは、恐る恐る△8四歩、二人とも飛車先の歩を付いてきた。けど、これは…。

 

 竜王九頭竜八一の得意戦法は居飛車、そして相掛りを最も得意としている。そして、あいちゃんの才能は八一君から力説されていた。――綾乃ちゃんが相掛りで受けてしまったその時点で勝敗は決してしまっていた。

 

 23手目、小学生とは思えない力強い攻めをするあいちゃんに綾乃ちゃんは防戦一方だった。

 あいちゃんの体が揺れ始める。

 

 「こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、――――うんっ!」

 

 △6四金打つ、その一手は明らかに寄せの一手。つまり、詰ましにきたということ。

 

 この子は一体何手先まで読んでるんだ…?

 

 俺は彼女の溢れんばかりの才能に驚愕する。そう、才能だけならあの銀子ちゃんにも上回り、下手したらあの名人のように…!

 確かに八一君が力説するだけがあるな…。

 

 32手目、綾乃ちゃんが投了した

 

 「負けました」

 「ありがとうございました!」

 

 わずか32手で投了させる。その実力は遥かに小学生という枠を逸脱していた。

 前世のあの中学生棋士もそうだった、彼もまた前人未到の大記録を達成し中学生ながらタイトルホルダーさえ倒していた、それに通じる何かがある…。

 

 「うぅ…悔しい…」

 「太一おじちゃん、どうでした!?」

 「うん二人ともいい将棋だったよ。けど、綾乃ちゃんはもう少し頑張れたかな?ほら、ここでこう打つ変化を入れてみると…」

 

 俺が最も気になった局面を再現し、綾乃ちゃんが打った一打とは別の動きをする。二人はその変化に口をそろえてあっと言う。

 そうその一手は見たら明らかにわかる逆転の一手、だが今それに気付けなくてもしょうがないだろう。

 俺が二人にいろいろとアドバイスしているとほかの子たちからもいろいろとお願いされてしまった。

 しかし、頼られて悪い気は一切しない。ので、丁寧に一人一人教えてあげる。

 数時間後八一君がお昼休憩でやってきた。3人であいちゃんが作った弁当を口にし、八一君の状況を聞く。あまり芳しくないようだ。

 神鍋歩夢六段、話には聞いたことがある。新手を作り出し、なおかつ今の時点で連勝賞と勝率一位賞が確定している棋士だ。

 八一君も元の状態に戻れれば勝機はあるんだけどそれに気付くのは教えられてではなく自分で気が付かなければいけない。

 

 「それじゃあ、いってくるよあい」

 

 八一君がそう言って対局室に戻っていく。

 それからあいちゃんのほうが終わり、八一君の状況を見に対局室に来たのだが―――。

 

 「形作りか…」

 「かたちづくり?」

 「この試合はね、ネットで放送とかされているんだよ。だから、一般の方にもわかりやすくなるように盤面を整理しているんだね。それが形作り」

 「じゃ、じゃあ、ししょーは!?」

 「まぁ、そういうことだろうね。あいちゃん、僕が話を通しておくからあそこにいる記録係と観戦記者の所に行きなさい」

 

 俺が促すと笑顔でそう返事をする。連盟のほうには師匠を通して連絡するとして…。あいちゃんのことだ、最後までいることだろう。八一君もあいちゃんが来たことによって吹っ切れたみたいだし。

 俺は…帰るか。

 

 俺が将棋会館から出ると、日傘をさしている女の子がいた。

 『浪速の白雪姫』と言われている俺の妹弟子。俺はそこへ駆け足で駆け寄って話しかける。

 

 「銀子ちゃん」

 「あっ、お兄ちゃん」

 

 

 

 数瞬の間、銀子ちゃんは自身の発言を思い返し盛大に顔を赤らめる。

 ああああああああああっ!!久しぶりにお兄ちゃんと呼ばれた!!と心の奥底から叫びたがっているがここは我慢だ!!

 銀子ちゃんは赤く染まった顔を見せまいと傘で隠す。

 

 「最近、おいしいスイーツ店見つけたんだ。一緒に行かない?」

 「……うん」

 

 小さく、か細く紡がれた返事を聞き俺は笑顔で隣に立つ。銀子ちゃんは昔からスイーツが好きだったからね、この前おいしい店をみつけておいて正解だった。

 

 二人は、久しぶりに他愛もない話をしながら夕日をバックに一軒のスイーツ店へと姿を消していった。

 




スイーツ大好き銀子ちゃん、可愛い。


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第8局 練習

 九頭竜八一、復活。

 その一文が将棋専門サイトの記事に書かれている。つい先日行われた帝位リーグ戦、神鍋歩夢六段との対局において異様な粘りを見せた竜王は402手という戦後最長記録を打ち立て勝利を収めた。

 だが、それとは別に一つのことで賑わっている。

 それは将棋の放送において幼女が出たということで、勿論あいちゃんのことである。

 

 そして、今日の朝弟弟子から電話が来たわけだが…。

 

 「研究会?」

 「『はい、あいが提案してきて…。もしよければ兄弟子にも見てほしいんですが』」

 

 あいちゃんの提案…だと…!行く、絶対行く。対局があるけど頑張って早く終わらせる。早指し?得意です。

 

 「いいよ、けど銀子ちゃんにはお願いしないの?」

 「『あ、姉弟子に!?できませんよ、それは!!』」

 

 あー、確かあいちゃんと銀子ちゃんは波長が合わないんだっけか…。

 

 「じゃあ、八一君の家に行けばいいんだよね」

 「『すみません、本当にありがとうございます』」

 「久しぶりに八一君と指せるし」

 「『…今何と?』」

 「え?だから久しぶりに八一君と指せるなって」

 「『そ、そうですね!久しぶりに指しましょう!!』」

 

 なんでそんなに慌ててるんだろうか。

 しかし、研究会か…。八一君のことだ途中でスイッチが入っちゃうからね、ストッパー役である誰かがいなきゃ大変なことになる。

 通話が切れた画面を見て、将棋会館へ行く準備をする。

 心なしかその足取りは軽かった。

 

 *

 

 「ししょー、どうでしたか?」

 「うん、いいよって言われたよ。けど、兄弟子と対局する羽目になっちゃったな…」

 「お強いんですか?」

 「あぁ。―――ここだけの話な、あい」

 「はいっ!」

 「姉弟子がいるだろ?あの人小さいころ兄弟子にコテンパンにやられて泣いたことがあるんだ」

 「―――誰がコテンパンにされたって?」

 「だから姉弟子がって…姉弟子ぃいいいいいいい!?なんでここに!」

 「うっさい!頓死しろ、クズ!!」

 

 そう、この会話をしているのは将棋会館前。

 空銀子がいても可笑しくはない。

 銀子は八一に対し若干の怒りを見せた後、あいのほうへ向き直る。

 

 「こわっぱ」

 「誰がこわっぱですか!おばさん!」

 「―――兄弟子とやるなら気を付けることね」

 

 そう言って空銀子女流二冠は将棋会館の中へ消えて行った。

 

 「ししょー、今のはどういうことですか?」

 「…姉弟子は昔から凄かった。4歳にして師匠を本気にさせる才能があったんだ。けど、兄弟子はその上から圧倒的な才能で押しつぶした。兄弟子がフォローしなければ将棋を嫌いになるほどに…。まぁ、そのことがあったお陰でより強くなったんだけどね。だから、あい。もし仮に兄弟子と対局しても自分を見失うなよ?お前は、竜王九頭竜八一の弟子なんだから」

 「はいっ!肝に銘じておきます!!」

 

 そして、ついにその時がやってきた。

 俺は今八一君が住んでいるアパートの玄関前にいる。対局が思った以上に長引いてしまいもう日は暮れかけていた。

 やはりここまで来ると思ったように将棋を指せてくれないな…。なんとか勝てたが最近気が緩んでいるのかも。

 スーパーで買った食材を手に、俺は扉を開けた―――そこはまさしく天国だった。

 

 「あっ、兄弟子!お疲れ様です」

 「うわぁっ!太一二冠!!」

 

 おぉ、あの子は澪ちゃんじゃないか!そしてメガネを掛けた女の子、貞任綾乃ちゃん、そして…あの金髪の子…ッ!なんだこの孫力は!?10万、20万、30万、…どんどん上がっていくぞ!!!!!!彼女はやばい、まともに相手した瞬間、俺が俺じゃなくなってしまう…。

 部屋に行き、なるべく彼女を視界に納めないようにして辺りを見回す。

 女子小学生が4人、おい八一君これ世間に知られたらまずいぞ。

 ん?なんか背中に感触があああああああああああああああっっっ!!しまった!彼女に接近されていた!!!

 

 「しゃうおっとぃずぁーうですっ」

 

 わお、横文字は苦手なんだ。

 そんなことを思っていると綾乃ちゃんがフォローしてくれた。

 

 「彼女はシャルロット・イゾアールちゃんです。フランス人学校に通う一年生です。私たちはシャルちゃんって呼んでいます」

 「そうか、よろしくねシャルちゃん」

 

 俺は動揺を見せないよう頭を撫でてあげる。くっそう…可愛いなぁ、もう…。だが、まだ保ててるぞ!この部屋の総合孫力はやばいな…。銀子ちゃんが居たらそれこそすべてを忘れ甘やかしていたのかもしれない…。―――まさか八一君はそれを知っていて…?(※勘違いです)

 小学一年生だからか身長差もすごいので必ず上目遣いになるので破壊力が某ラスカルアニメにおいて砂糖を水で溶かしてしまい困惑する以上のものがある…!

 

 「しかし、兄弟子。本当にありがとうございます」

 「別にいいさ。あいちゃんの才能の凄さはこの前見させてもらったからね。それを導くのは僕たちみたいな大人の責任さ」

 「よしっ!じゃあ皆!指そうか!!」

 

 八一君の声に皆が気合の入った声で返事をする。

 そこからは早かった。俺と八一君、二人で小学生たちの将棋の面倒を見る。だが、…やはりというかあいちゃんだけ飛びぬけているな。

 対戦相手のシャルちゃんは楽しそうに指してていいが…これじゃあ少し練習にはならないだろう、シャルちゃんには悪いけど。

 

 「八一君、次僕とあいちゃんで指していいかな」

 「太一おじちゃんが指してくれるんですか!?ぜひお願いします!!」

 「こらっあい!まずはその対局に集中しなさい!!」

 「すっ、すみません!」

 

 あいちゃんが対局中にこちらの会話が聞こえているというのは集中できていない証拠だ。

 八一君も渋々頷いてくれた。

 あいちゃんとシャルちゃんの対局が終わり、俺が盤を挟む。

 

 「どうしよっかな…。まず2枚落ちでやろっか」

 「負けませんよっ!」

 

 あぁ、もうそうやって息巻く姿も可愛いなぁ…!

 でも、油断はできない。本気で行かなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 「…負けました」

 「ありがとうございました」

 

 危な気なく勝てた。居飛車しか使わないため対策が楽だが…なんか腑に落ちない。もう一度だ。

 

 「あいちゃん、もう一回。次は4枚落ちで」

 「うぐっ…!は、い…!」

 

 少し苦しそうだ。確か、今は研修会で負けなしだと聞く。久しぶりの負けだから堪えるものがあるのか。

 4枚落ちでやってもこちらが優勢なのは変わらず、あいちゃんは何もできずに負けてしまった。

 

 「…次6枚落ち」

 「うぐっ…!ひっぐ…!」

 「兄弟子、そろそろ寝る時間なので!ねっ!最後に俺が指導対局して今日は終わりましょう!!」

 「あれ?もうそんな時間か、じゃあ頼むよ」

 

 あいちゃんは盤に涙を零しながら駒を見つめる。――しかし、…あの時垣間見た才能はもっと凄かった。

 一体どういうことだ…?

 俺がいろんなことを考えているといつの間にか指導対局が始まった。

 だが、あいちゃんは先ほどのショックから抜け出せないのかいつもより弱い攻めになっている。

 八一君は4人の指導対局を終わると一人一人にアドバイスを送る。

 

 「澪ちゃんは攻めが良いね。けど、自陣のバランスを考えたらもっと良くなるね」

 「は、はいっ!」

 

 「綾乃ちゃんも筋がいい。けど、もっと伸び伸びさしてもいいかもしれないね」

 「頑張りますですっ!」

 

 「シャルちゃんは…楽しそうに指すね!けど、マス目から駒がはみ出さなければもっといいよ」

 「♪♡」

 

 「あいっ!なんだ今の腑抜けた将棋は!もう一回!!次こんな将棋を指したら破門するからな!!!」

 「はいっ!」

 

 あいちゃんが目尻に溜めた涙を袖で拭いながら答える。

 流石に敬愛する師匠から破門という言葉でたので先ほどの負けは気にする余裕がなくなったか。けど、八一君、君一回指導対局終わったら寝るって言ってなかった?

 

 「あの~、これが終わったら寝るんじゃ…」

 「寝たい奴は勝手に寝てろ!強くなりたきゃ一局でも多く指せ!あい、お前は強くなりたいか!?」

 「はい!強くなりたいです!!」

 「わ、私も!」

 「澪も!」

 「しゃうもー」

 「よーしっ!今日は朝まで対局だー!!」

 

 この後無茶苦茶将棋指した。

 最後のほうは俺と八一君との対局であいちゃんたちはそれで俺たちが指すだろうという手を検討してもらった。勝敗は、まぁ…。

 八一君が途中で寝落ちしてしまいうやむやになってしまった。

 

 時計を見るともう午前5時、ほかの子たちもきれいな寝息を立てていて俺だけが起きていた。

 みんなが風邪を引かないように布団をかぶせてあげる。シャルちゃんは八一君にくっついて離れなかった…。これ銀子ちゃん見たら大変なことになるだろうな。

 というか、喉が渇いた。近くにコンビニがあったしそこで何か買っていこう。

 

 

 だが、俺のあの結論に対してどうするか…。その結論とはあいちゃんが弱くなっていることだ。才能がある。けれど、その才能に皆が追い付いてくれない。つまり、高めあえるライバルがいないのだ。

 はぁーと息を吐き、ズボンのポケットに手を入れると一枚の紙の感触が手に当たった。

 そういえば…。

 

 「これ、受けてみようかな」

 

 つい先日、将棋連盟会長である月光聖市さんから頼まれた件の要項が書かれている紙に目を通す。

 端的にいえば鍛えてほしい、彼女には才能があるということが書かれている。

 最初名前を見た時はびっくりした。何て言ったって弟弟子の弟子の名前と一緒なのだから。

 ―――夜叉神天衣、9歳。

 あいちゃんのライバルになってほしいという思いと共にあとで連絡を入れなければと心に強く決めるのだった。

 

 

 なお、この後八一君の家に帰ったら銀子ちゃんが居た。それはもうひどかった。

 ロリ王が誕生と言って小学生たちと一緒に寝ている八一君の姿を関係者にばら撒くといった瞬間の八一君の慌てようは面白かった。

 永世ロリ王就位おめでとうございます。

 




天ちゃんのお爺ちゃんと太一君は仲良くなりそう。


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★第9局 推薦

 「はん、二冠というからどんな顔してるかと思えば、何よ、冴えない顔じゃない」

 

 夜叉神天衣の第一声はそれだった。

 場所は神戸・灘区の一等地、大きなお屋敷には似つかないような和室で黒衣に身を包んだあいちゃんとは可愛さのベクトルが真逆の女の子がいた。

 しかし、この孫力……伸ばせば化ける、つまり、

 

 「素質がある……」

 「! 冴えない顔の癖によくわかってるじゃない」

 

 天衣ちゃんは自慢げな表情を浮かべる。というかあいちゃんと被ってしまうため天ちゃんと呼ぶことにしよう。

 しかし、この溢れる自信は後々この子の成長を促進するには邪魔になる。

 鍛える方針を決め、この子の保護者に話しかける。

 

 「弘天さん、厳しくて宜しいんでしょうか?」

 「先生のやりたいように」

 

 許可は頂きました。

 というか、やりたいようにって本当にいいんですか?

 なんなら今すぐこの若い体で出せる最大速度で最高級ケーキを買ってきて、ぬいぐるみを買ってきて思う存分甘やかします、と言ったら外にいる黒服・サングラスの怖い方々に何されるかわからないので口をつぐむ。

 恐怖………………っ!圧倒的恐怖………………っ!

 

 「それじゃあ、やろうか」

 

 俺は鞄から扇子を取り出し、座布団に座る。駒落ちは……と少し考えたがそれはやめることにした。

 この子みたいなタイプは平手で負けてこそ成長ができる、長年生きてきたからわかる、間違いなくこの子には才能がある、と。

 

 「「宜しくお願いします」」

 

 天ちゃんの先手番から始まる。

 御互いに定石通りの動きをするが……。なるほど、綺麗な将棋を指す、セオリー通りに指すというのは余程勉強していないと無理なことだ。

 

 「あら、二冠のくせに平手で私のほうが勝勢じゃない」

 

 132手目、確かにこちらが分が悪い。けど、それは当たり前のこと。

 この対局はまずどれほどの"才能"があるかを確かめるためのものだ。

 だから……少し残念でもある。

 あの会長からの一押しというので覗いてみればこちらの思惑を考慮しない、顔色を窺わない、勝勢だからといって油断はする。

 そして、易々とこちらの罠にも引っ掛かる。

 

 「こういう手がある」

 「……は?何それタダ銀じゃない」

 

 それはタダで相手に駒を与える一手、そしてーーー反撃の一手だ。

 同玉と取った天ちゃんに追い討ちを掛けるように桂馬を跳ねる。そして、これも王手だ。

 その時、こちらの思惑に気づいたのか初めて自信満々な表情が崩れ、「嘘……」と小さく声に出す。

 跳ねた桂馬によって今まで遊び駒、機能を果たしていない駒たちが驚異のものとなったのだ。

 読み違えれば即詰み、

 

 「…………ま……」

 

 負けました、か。

 俺はここで天ちゃんが投了すると思っていた。

 しかし、

 

 「ま……だッ!」

 

 天ちゃんは盤を睨み付け、ありったけの駒を用いて、詰みから逃れ、囲いを再構築させていく。

 

 「まだ、私は戦える……っ!」

 

 彼女がもつ突出した才能。

 それは『受け将棋』と呼ばれるものだった。そして、天ちゃんの受け将棋は独創的なもの。

 破れそうで破れない、絶妙なバランスを保ちながらの守り。

 すごく威勢のいい子で、本性は受け将棋ときた。これがギャップ萌えか。

 

 だがーーーまだ甘い。

 147手目、天ちゃんの玉を詰ませた。盤上に愛などいらぬ。盤外にはいるけどねええええええええええっっっ!!

 俺が驚いたのは天ちゃんが悔しそうに駒を握りしめ、ポタポタと涙をこぼしていたからだ。

 銀子ちゃんと対局→泣かせる。

 あいちゃんと対局→泣かせる。

 天ちゃんと対局→泣かせる。←new!!

 なんでなん……。

 

 天ちゃんは夜叉の目付きで俺を睨み付け、何も言わずに去っていこうとしていたため流石にそれは咎める。

 

 「天ちゃん、挨拶!!」

 「うるさい!……天ちゃんって何よ!!アンタなんて大嫌い!!」

 

 

 その言葉に今まで大人しく見ていた夜叉神弘天さんも叱責する。

 

 「これ、天衣。先生の言う通りにしなさい」

 「…………おじいちゃまのバカッ!!」

 

 大泣きして席をたっていった天ちゃんに黒服の女性が慌てて追いかけ、室内には静寂が訪れた。

 

 「申し訳ございません、先生……」

 「いえ、大丈夫です。元気があって威勢もいい。そして、負けず嫌いというのは私の好きなタイプですので」

 「……孫はあげませんよ」

 「別にそんなつもりで言ったわけじゃ……」

 

 怖い。

 というか、最後の天ちゃんのおじいちゃまはずるいぞおおおおおっっ!確かにその選択肢はなかった!弘天さん……やり手だな……!!

 けど、まぁ……。

 

 「天ちゃん……天衣ちゃんの将棋は親譲りなんですね」

 「……お気付きで?」

 「はい、彼女の父親はアマ名人ですよね。受け方があの人譲りです。前名人、月光さんとの対局は見たことがあります」

 「本当によくご存じで」

 

 彼女の父親はよく知っている。アマ名人と言われるだけの棋力、それはプロに匹敵するものだった。

 だが、俺がその対局を知っていたのは別の理由がある。

 

 弟弟子がその時の記録係だったからだ。その時俺はーーー会長の思惑に戦慄した。

 『盲目の棋士』、視力を失ったにも関わらずA級にいるだけのことはある。一体どこまで見えているんだろうか……。

 

 「弘天さん、僕はあの子の指導係としては力不足のようです」

 「そう、ですか……」

 「しかし、一人だけ心当たりがあります。天衣ちゃんが出した条件『A級棋士、またはタイトル保持者』にぴったりの」

 「……」

 「九頭竜八一君を彼女の指導役として推薦したい」

 

 彼の名前が出たとき弘天さんの眉がすこしばかりつり上がった。

 会長の狙いは最初からこれだった。A級棋士またはタイトルホルダーとなると俺と八一君のみとなる。

 しかし、まず八一君にこの話を持っていくと必ず俺を推薦するだろう。実績も経歴もこちらが一応上だから。

 しかも、内弟子もいるのでと言われてしまうとそうそう反論できない。

 けれど、先に俺が受けることによってその線を消したわけだ。ーーー俺が断ると言うことも考慮して。

 八一君もそこまでいけばいけば折れるだろう。

 

 弘天さんが承諾し、黒服アーチ(黒服の人たちがお辞儀をして出迎える様)を潜り抜け、帰路につく。

 会長に返答するため将棋会館を訪れたがもう日は暮れていた。

 少し急ぐか……。と早足になり入り口の前まで来ると一人、スーツ姿の中年男性の姿があった。

 暗くなりかけた空のもとで彼の顔がわかると同時に足が止まる。

 彼もこちらに気付いたらしく擦れ違う間際御互いに軽く会釈する。

 なんで……なんでここにいるんだ……!

 

 「名人……!!」

 

 史上最強と呼ばれる名人の姿を再度確認しようと振り返るとそこにはもう彼の姿がなく、淋しい鳥の声だけが響いて伝わった。

 

 

 

 

 なんで名人がいたか、というと月光さんとプライベートで少しお話ししたからだそうです。心臓に悪い。

 




恥ずかしがる天ちゃんを余すことなく愛でて涙目にさせたい。


【挿絵表示】


10分ぐらいで書いた天衣ちゃん。


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第10局 修行

 「…………暇だ」

 

 我輩の名前は八柳太一、とても暇である。今は自室でゴロゴロとしてる。

 ゲームというものをやって時間を潰そうにもファミコンにしか手を出さなかった俺にとって今のゲームというものは理解に苦しむ。

 対局はないし、用事もない。

 久しぶりに爺ちゃんと将棋を指そうかなと思ったが、運が悪いことに今日の朝から熱で寝込んでいる。

 

 「…………暇だ」

 

 パラリ、と銀子ちゃん成長アルバムを見ているがこの行為はもう何千回と繰り返したので癒されはするが退屈というものは拭えない。

 そんな時、ブブブッとバイブ音が携帯から発せられる。

 パカリと開いて画面を確認すると一件のメールが着信していた。

 

 「八一君からだ」

 

 文面を見るとこう書かれている。

 

 『兄弟子へ、天衣についてお聞きしたいことがあります。何故か貴方の名前を出すとビクッと震えて、怒りに染まってしまいます。なにをやらk

 

 

       殺す』

 

 

 ほわああああああっっっ!!何この最後の文字!絶対に天ちゃんだよね!!物騒すぎるよ……。

 ……けど、一応返信はしとくか。えっと、これをこうして……。

 

 

 

 

 「こら、天衣!兄弟子に『殺す』はないだろ、『殺す』は!!」

 

 俺、九頭竜八一は今猛烈に怒っている。事の顛末はこうだ。

 会長から一人の女の子の指導を頼まれ渋々受けてみたは良いもののとんだじゃじゃ馬ーーーしかし、才能があるので鍛えるために『ジャンジャン横丁。』と呼ばれるアーケード街の将棋道場で腕を磨かせようと思ったわけだ。

 会長から俺の前に兄弟子がその依頼を受けたらしくその事について聞いたら天衣がすごい形相で睨んできた。

 その事について兄弟子でメールを送り聞こうとしたところ天衣が横から奪い去り、物騒な言葉と共に送信してしまったのだ。

 

 「あんな奴……!」

 「どうしてそこまで怒ってるんだ?」

 「アイツとは……!平手で指したのよっ!!」

 「いいじゃないか、俺が4枚落ちでやったときは凄く怒ってきたくせに」

 

 兄弟子、9歳の女の子に平手って……容赦なさ過ぎですよ。

 

 「最初は私が押していたわ。けど……アイツのあの一手で全てが逆転した。その時わかったのよ、弄ばれてたってね」

 「わお、本当に容赦ない」

 

 あの人、毎度毎度才能がある人と対局する度、その力を図るような指方をするんだよな……。姉弟子然り、あい然り、天衣然りときた。

 しかも、それで勝つからすごい。

 けど、だからって殺すは駄目だろ。温厚な兄弟子が怒るとは思っていないが……。と、返信が来たか。

 

 メールには短くこう書いてあった。

 

 『イマ ドコダ イク』

 

 うわあああああああっっっ!!

 

 「おい!どうすんだよ、天衣!!兄弟子怒ってるって!!」

 「ふん!来たら来たで返り討ちにしちゃいなさいよ!!」

 「なんで俺なんだよおおおおっっっ!」

 

 こんのクソガキ!兄弟子に負け越している……というか一度も勝ててないの知ってないからそう言えるんだよ!!

 てーへんだ、てーへんだ……。

 兄弟子が来る……。いや、待て。

 これは好機ではないか。

 あの人の、兄弟子の『ハメ手』なら……。

 

 

 

 

 

 「え、今八一君たち『ジャンジャン横丁。』にいるの?なんで」

 

 メールを発信した人物、太一は困惑していた。

 慣れないメール操作でなんとか送れたが返信に書かれてある場所は昔将棋道場があったで有名なところだ……。

 なるほど、そこで鍛えてあげようって訳か。流石は八一君。

 俺は前世では弟子を取らなかったためどのように育てていけばいいのかわからなかったので任せて本当によかった。

 

 ということで、まずは行ってみるか。

 

 

 

 

 

 

 「角頭歩戦法か……」

 「角……トーフ……?」

 

 『双玉クラブ』という将棋道場で天衣は男か女かわからない人と真剣を行っていた。

 真剣とは要するにお金をかけて戦う将棋のことである。

 天衣の付き人ーーー晶さんは俺の言葉に顔をしかめる。

 

 「角・頭・歩、角の頭の歩をついているでしょ?これって普通はやらない手なんですよ」

 

 角は前には動けない。だからこそ自らの首を絞めるような手をまず誰もやらない。

 

 「御嬢様が有利なんだよな……?」

 「えぇ、けれど角頭歩戦法の面白いところはここからなんですよ」

 

 男か女かわからないその人は天衣の一手一手に一々ぼやきながら駒を進める。

 天衣が異変に気づいたとき、それはもう遅かった。

 

 「……えっ?ど、どういうことよ……!」

 

 形勢は完全に相手に傾いていた。

 天衣は額に汗を滲ませ、焦りを顔に出す。

 

 「どういうことだっ!御嬢様が優勢だったんじゃないか!?一体何をしたんだ……!」

 「あれは『ハメ手』っていう奴ですよ」

 「ハメ……何だそれは」

 「要するに、相手を騙すような手ってことです」

 「何!?つまりルール違反をしたってことか!今からアイツを狩ってくる!!」

 「違います違います!別にルール違反っていう訳じゃないんです!!」

 

 懐に手を入れて立ち上がる晶さんを宥める。懐に何が入っているか知らないし知りたくもない。

 

 「…………なら別にハメ手と言わなくてもいいんじゃないか?」

 「そうなんですけどねー。なんつーか、使う相手を貶めるというより、ハマった自分を戒めるための名前というか……。ま、プロには通用しません。通用するならプロなんて名乗っちゃいけない」

 

 一人を除いてと心のなかで付け加える。

 彼の、兄弟子の『ハメ手』のみ別だ。彼の『ハメ手』はそれこそ何が起こるか予測ができないほどの完成度をもつ。

 長年将棋をやってきて、尚且つ若い頃に持ち合わす気合いがなければできないような……そんな『ハメ手』だ。

 

 そして、夜叉神天衣はプロではなかった。

 

 

 

 

 「……負けました」

 「ありがとうございました」

 

 いやぁ……やっぱり将棋は面白いな。

 あっちには昼頃着くってメールをさっき送ったので今は将棋道場で指してる。

 周りにはギャラリーがいつの間にか出来ていた。

 

 「おい、次はお前行けよ」「はぁ!?嫌だよ!」「……俺行こうかな」「バカ、やめとけ」「なんであんなに強いんだ?」

 

 なお、変装しているから俺がプロ棋士だということはバレていない。変装せずに出歩くと熱狂的なファンから新しい戦法教えてください!とか四間飛車で穴熊を突破する方法を教えてください!とかくる。最後の方は振り飛車党にでも聞いてほしい。

 

 「最後、誰か指しませんか?」

 

 その日、一つの伝説が出来上がった。

 ある大阪の将棋道場の出来事である。

 

 最短手数60手、最長手数60手。

 つまり、数局対局して全て丁度60手で勝利を納めたマスクをした若人がいたというもの。

 彼は、対局が終わると丁寧に一人一人感想戦を行い、自身の考えていたこと全てを対戦者に教えたのだ。

 その時、皆が驚愕し口を揃えてこう言ったという。

 

 ーーー彼の考えていることを全て理解できるのは"神"のみだ。

 

 と。

 

 

 

 

 

 

 

 「よし、最近やっとのことで勘を取り戻してきたな。調子がいい」

 

 八柳太一は笑顔でそう言った。

 1()6()()()()()()()()()()()を彼は嬉しく思い、歩幅が無意識のうちに大きくなっていった。




太一くん覚醒間際。
どんな感じかというとポパイが今にもほうれん草を食べる感じ。


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第11局 天衣

 俺が将棋界に身を投じたのは15歳のころだった。史上4人目の中学生プロ棋士ということで注目の的になったのは今でも覚えている。

 それから引退するまで将棋一筋、研究会を立ち上げたり、検討を重ねメキメキと実力を伸ばしていった。

 だからなのだろうか―――生まれ変わると前世では読めた手というものが思い浮かばなくなった。本当にあと少しだという所で思い出せない。

 そこで俺は思考が単純に生まれ変わった体に追い付いていないと結論付けた。そして、その結論は正しいものだと最近は実感させられる。

 盤面を見ると面白いように手筋が思い浮かぶ。幼いころはこれだという最善手のみだったが、ここ最近は相手をこう指すように誘導できる手や、相手を混乱させれる手というものが頭からどんどん溢れてくる。

 天ちゃんと対局したとき、それが顕著に表れた。

 そんな天ちゃんは喫茶店で俺にジト目を向けてオレンジジュースを飲んでいる。可愛い。

 

 「すみません、兄弟子。わざわざ来てもらって」

 「別に大丈夫だよ。俺も天ちゃ…天衣ちゃんに言いたいことがあったからね。あの時は泣いて出て行っちゃうんだもん」

 「…お前兄弟子の時も泣いたのか?」

 「うるさいわね!クズ竜王!!というか、今また『天ちゃん』って言い掛けたわよね?―――晶」

 「はっ」

 

 天ちゃんが付き人の晶さんに何か合図すると懐に手を掛ける。それを八一君が必死に宥める。

 うん、多分チャカだよね?銃刀法違反じゃんと思ったが夜叉神という名前を出せばどうにでもなりそうで怖い。

 

 「お、落ち着いてください晶さん!それで兄弟子、天衣に言いたいことって?」

 「あぁ、一つだけ。―――どうであれ決めるのは自分自身ということを伝えたくてね」

 「……………知ってるのね」

 「…え?今ので終わりですか?というか、今のどういうことですか?」

 「ふん、今のアンタには関係ないことよ」

 「うん、天ちゃんの言う通りだ」

 「晶さんも気になりませんか?」

 「全然」

 「俺だけ仲間はずれか…」

 

 そんなしょぼーんみたいな顔してもなぁ…。

 というか、今天ちゃんと呼んでも何も言われなかった!これ公認ってことでいいんですよね!!

 俺がウキウキ顔になってると天ちゃんが口からストローを話しこちらに疑問を吹っかけてきた。

 

 「前もそうだけどなんでアンタはおじいちゃまと同じような視線を向けてくるのかしら」

 「ん?誰と同じだって?」

 「…。だから、おじいちゃまと」

 「はい?」

 「おじいちゃまって言ってるでしょ!!」

 「天衣落ち着け!!」

 

 ―――はっ!しまった。おじいちゃまという魅惑の言葉に意識を刈り取られていた…。

 いつの間にか天ちゃんは怒った顔つきになっているが…。何かあったのだろうか。

 フーフー!と怒っている天ちゃんを八一君が落ち着かせると本題を切り出してきた。

 

 「兄弟子にお願いがあります。今から天衣と数局指してもらってもいいですか?」

 「僕はいいけど…。いきなりどうしたの?」

 「なっ!?私は『ハメ手』の検討するって聞いてたわよ!」

 

 天ちゃんの表情から察するに『ジャンジャン横丁。』でハメ手を使われ、負けたということがすぐにわかった。

 

 「兄弟子は全ての対局において『角頭歩戦法』を使っていただきたい」

 「おい、この人はプロなんだろ?大丈夫なのか?しっかりと指し回せるのか?」

 「晶さんの言う通りです。プロはハメ手をあまり研究しません。しかし、兄弟子に限ってそうではないんです」

 「は?なんでよ」

 「だってソレ僕が作った奴だし」

 「そう、なら問題ないわね。なら早くやりまs………は?」

 

 作ったというより輸入したというのが正解なんだろうけど、というか天ちゃんって落ちついてると本当にお嬢様なんだなって感じる佇まいだよね。

 『角頭歩戦法』を初めて使ったのは奨励会試験の時。奨励会に入るための条件として3人のプロ棋士を相手に実力を認めさせればいい、ということでその3人の内一人にはその戦法を使わせてもらった。

 勿論意図はある。

 実力を認めさせるということはこういう柔軟な発想ができるということもできるということを証明させたかったのだ。

 

 「アンタあれを私より年が小さいときに作ったの?どんだけひねくれていたのよ」

 「天ちゃん、その言い草はひどい…」

 

  ということで簡易将棋盤をテーブルに置いていざ対局ときた。マスターさんには許可をもらってる。

 八一君と晶さんはそれぞ天ちゃんと俺の横に座って観戦だ。

 

 振りごまをしようにも店内でやるのは気が引けるためじゃんけんで決めた。なお俺はじゃんけんに負けた。その時の天ちゃんの勝ち誇った笑みと言ったら…!もう頭をなでなでしたくなる可愛さがあった。けれど、手を出せば横にいる晶さんから鉄の球がプレゼントされかねないので自重する。

 

 「ふん、吠え面かかせてあげるわ」

 

 天ちゃんの▲3四角から始まる。次は△8四歩と動く。

 ――さぁ、やるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「おい、さっきのあの女か男かわからないやつが使ってたやつと展開が違うじゃないか!」

 「兄弟子…」

 

 86手目、終始天衣が不利な形で続いていた。本来、ハメ手というものは自身に不利な状況を作り最終的に有利に立つような手だ。

 にも関わらず、兄弟子はノータイムで淡々と天衣の手をさばいていく。

 

 天衣が指した一手、▲6四桂馬打。その一手に俺は思わず言葉が漏れる。

 

 「うまい…!」

 「なんだ、今のはいい一手なのか?」

 「桂馬は今金と銀の両取りになっています、これをふんどしの桂と言いますがどちらかが必ず取られてしまいますので形成がひっくり返るかもしれません」

 「おお!流石はお嬢様だ!!」

 

 そして、兄弟子の一手。△2四飛車打。その一手に晶さんが驚きの声を上げる。

 

 「無視!?」

 

 あえて桂馬を無視し、相手陣地に攻め込む。しかもこれは…。

 天衣もそれに気付いたのか目を見開き、悔しそうに下唇をかむ。

 震える声で、こういった。

 

 「負け、ました…!」

 「ありがとうございました」

 「おいっ!どういうことだ!」

 

 突如投了した天衣を不審に思った晶さんが俺に掴みかかると言わんばかりに声を荒げる。

 兄弟子は淡々と天衣に手を説明し、検討に入っていた。

 

 「あのまま行くと天衣の玉は攻め込まれていきます。しかも、そこで合い駒。駒を打って凌がなきゃいけない場面がこのままいくとあるんです」

 「なら、そのあいごま?という奴をやればいいんじゃないのか?」

 「さっき天衣の玉がいた付近は明らかに残したような歩がいくつもありました。それに歩を打って逃れようとしても二歩という反則になって負けてしまいます」

 「な、ならほかの駒を使えば…っ!」

 

 晶さんも気づいたらしい。そう、天衣の持ち駒は歩とさっき打った桂馬のみ。

 終局間際、逆転の一手を狙っていると兄弟子は知っていた。だから、わざと罠を張りめぐらせた…。竜王である俺さえも欺いて。

 そう、桂馬が指された時点で俺の思考は完全に天衣のほうへと偏ってしまったのだ。そして、指された飛車。その一手でまんまと騙されたと気付かされた。

 だが、それは―――。

 

 

 それは相手が何を指すか完全に読み切ることが出来なければ無理な技だ―――!

 

 

 と思ったが天衣の手というものはお手本のようなもの。上のレベルになれば出来なくもない。俺もなんかできそうな気がしてきた。

 哀れ、天衣。

 

 その日、3局指して天衣は3連敗を喫した。だが、局が進むごとに兄弟子の手というものが読みにくくなっていった。

 まるで、―――名人のように。

 

 兄弟子が帰る間際、天衣の頭を優しく撫でてあげた。天衣は最初嫌がる素振りを見せたが段々おとなしくなっていった。ちょろいぞこいつ。不覚にも可愛いと思ってしまった。晶さんがいない時を狙ったようなタイミングだったが…気のせいか。

 

 「天ちゃん、何か掴めた?」

 「ふん、お陰様でね。…ありがと」

 

 …今何と?ありがとっていったよな?兄弟子に向かって。って兄弟子ぃいいいい!気失ってますけどおおおおお!

 あっ、戻ってきた。気失うほど驚いていたのか…。

 

 「べ、別に感謝してるわけじゃないわ!ただ、…そう!これっぽち!これっぽーちだけ恩を感じただけよ!勘違いしない事ね!!」

 

 マニュアルの様なツンデレ…!だが、それもいい。って俺は何を言ってるんだ。まじでロリコン疑惑出始めてるからやばいんだよな。

 

 「わかってるよ。―――またね」

 「ふんっ!」

 「お疲れ様でした、兄弟子」

 

 俺は兄弟子を見送るが天衣は腕を組んでご立腹だ。

 だが、こういう時の対処法は姉弟子のお陰で心得ている!

 

 「天衣」

 「…何よ」

 「あそこのケーキ屋おいしんだよ。晶さんがトイレから戻ってきたら行かないか?」

 「………………いく」

 

 長い沈黙のあと出された満足のいく答えに俺は笑顔で頷くのだった。

 




感想はいつも読ませてもらっています!しかし、返信する時間というものがあまり確保できないため時間をかけてゆっくりと返信していきます、申し訳ございません。

絵もちょくちょく描いていきますのでリクエストがあったら感想の所にお願いします…!

パプワ君に出てくる足が生えている魚人とキョロちゃんにでてくるシバシバには途轍もないトラウマを植え付けられました。

そんな恐怖映像見て涙目で震える天衣ちゃんを甘やかしたい。


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第12局 模索

 ―――熱い。

 一手一手がとてつもなく震える。心の奥底から湧き上がるこの思いを将棋盤という一つの宇宙にぶつけなければ我慢が出来ない。

 頭を、身体を、心を、全てを置き去りにし盤面を模索する自身の勘がもっともっとと雄叫びを上げてくる。

 ―――もっと!もっとだ!

 

 力強く指された一手。それに対局者はたっぷりと時間をかけて心の整理に勤しむ。そして、

 

 「負けました」

 

 この一言で前人未到『30連勝』を八柳太一二冠は達成した。

 太一二冠は対局が終わっても一向に動こうとしない。彼は真理を求めているのだ。終わってもなお捜し、模索し、答えを得ようと頭を働かせる。有り得たかもしれない手を何兆と考えようとする。

 ―――それは間違いなく神の所業。

 将棋界に君臨するあの名人に追いつくために彼は動き始めた。

 

 *

 

 目の前に将棋盤が思い浮かぶ。計40個の駒達が自我を持ったように動き回る。それは流れ、何万局と行われた将棋の動きだ。

 それは途轍もない情報量を有する。だが、彼はそれを目を瞑って繰り広げていた。否応なしのその流れを汗を滲ませ処理していく。

 

 「…………くっ!ぐああっ!!」

 

 痛い。頭が割れそうな痛みだ。今にも将棋という全てを投げ出したくなるような痛み。―――しかし、その痛みと反比例するように気分が高揚としていく。

 違う、違う、違う、違う、違う!!3四飛車、同桂、7三歩、同香、同角、5四歩打、………!

 

 頭の中で悪手をすべて処理し、最善手を探し当てる。違う、こうだ、違う、違う、!!

 そうすると実感してくる。将棋の奥深さというものが…!深い、深い、暗闇よりも暗い一手を探し当てた時の高揚感、興奮、全てが愛おしくなってくる。

 わかればわかるほど将棋というものがわからなくなっていくこの気持ちが止めれない―――!止めれるものなら止めてみろ…!!

 すると、耳元で愛らしくも棘がある言葉が囁かれた。

 

 「何やってんのよ、クズ」

 「やぁ、天ちゃん。どうしたの」

 「…別に朝の散歩よ。そういうアンタは公園で一人ハァハァ言いながら汗を流してキモイったらありゃしないわね」

 

 止められてしまった。しかし、考えてほしい。可愛らしい女の子が座っているベンチに腰掛け耳元で囁くんだよ?どんなミサイルよりも強力な兵器だ。

 これにはあの名人すらニッコリしてしまうものがあるだろう。

 しかし、天ちゃんはジャージ姿で少し汗をかいて息も切れている。多分ジョギングとかそういうものだろう。

 

 「そういえばアンタ30連勝したらしいじゃない。今の気分はどうかしら?」

 「最高だよ」

 「……珍しいわね。前までなら謙虚に答えるのに」

 

 最高に決まってるだろ、朝から可愛い女の子とお話しできるんだぜ。しかも、それが孫の様な子だったら猶更だ。最初のほうは(将棋の棋譜について考えていたため)聞き取れなかったが大方『朝から美少女の私とお話できたのよ』とかそういうことだろう、天ちゃんだし。

 

 「それでわざわざ神戸まで来てどうしたのよ」

 「え、天ちゃん相談に乗ってくれるの?」

 「か、勘違いしないでっ!弱みを握るためなんだから!!」

 「はいはい、いい子いい子」

 「ふにゃっ!?撫でるなー!!」

 

 俺にいきなり頭を撫でられて驚いた天ちゃんは可愛らしい声を出す。ふにゃっ…うん、可愛い。最近この子の孫力が急激に上がって行ってるので財布の紐が緩む日も近いだろう。

 まぁ、最近悩みがあるっちゃある…。

 

 「はぁ?寝れない?はっ!所詮子供ってことね!」

 「父さんと母さんはいないし、お爺ちゃんとお婆ちゃんしか居ないからね。家が広く感じて気を許すと将棋をいつの間にかやってるんだよ。これが質悪くてね、睡眠の邪魔になっちゃうんだ」

 「……………………そう」

 

 なんでそんな長い沈黙が続くんだ?―――っ!しまった。迂闊に父さんと母さんがいないって言ってしまった。天ちゃんのご両親については知っていただろう!

 やばい、泣きたくなってきた。天ちゃんに悲しい思いさせるやつはこの俺が許しません。ので、

 

 「ちょっ!?なんで虚ろな目で自分の首を絞めようとするのよ!?」

 「人生に疲れた」

 「馬鹿なこと言ってないでいいからその首にかけてる手を放しなさい―――今日だけよ」

 

 ん。と言って天ちゃんは膝をポンポンと叩く。

 俺はよくわからず首を傾げた。

 

 「膝枕してあげるって言ってんのよ!察しなさいよ」

 

 『お爺ちゃん!膝枕してあげる!!』前世の記憶がフラッシュバックして俺はそのまま膝に頭を預けようとして―――遠目に白と赤が似合いそうな方々を目に入れて姿勢を正した。

 ほわああああああっっっ!!!あぶねえええええええ!!!!サツの方々じゃないですか!精神年齢は成熟しきってますが見た目はぴちぴちの高校生。もし、こういう公共の面前で幼女に膝枕されてしまったら……。

 『ロリ二冠爆誕』

 『ロリ竜王の後継者現る!!』

 『ロリを統べるもの』

 という不名誉なあだ名やスレと共に警察のお世話になってしまう。ここは丁重に断っていこう。

 無論、そんなことを知る由がない天ちゃんは俺の肩に手をかけ、頭を膝にポフンと乗せる。俺の人生が終わった。

 天ちゃんは優しい手つきで俺の頭を撫でてくる。すると、今までなかった睡魔というものが襲い掛かってくるが何とか耐える。

 この前の対局から妙に優しい気がする。

 

 「天ちゃん、最近優しいね。どうしたの?」

 「重なるのよ」

 「…?」

 「パパに重なるの。褒めるときの口調や私を見るときの眼差し、頭を撫でる手つき、―――それが理由よ、悪い?」

 

 天ちゃんはふてぶてしくそういった。その言葉に含まれる感情は恥ずかしさでも悲しいでもない。ただ今を噛み締めているように感じた。

 幼いながらも両親を失った辛さに立ちむかような―――。

 

 「少し宜しいでしょうか?」

 

 そんな幸せの時間は突如として終わりを迎えた。

 目の前には警察官二人、その二人の眼前には幼女に膝枕され気持ちよさそうにしている俺。

 んーーーーーーー、アウト。

 

 

 

 *

 

 あの後、なんとか解放(主に夜叉神という名前のお陰)された俺は天ちゃんを『ジャンジャン横丁。』へと見送る。この後八一君と練習するらしい。しかし、今日は自信満々だという。『あのパンサーを叩き潰す』とか言ってたけど上手くいけばいいな。

 だが、俺はすぐに意識を切り替える。

 

 今日はとても大事な日だ。俺が持つタイトル『帝位』の挑戦者を決める日。その挑戦者の枠を巡って争う棋士は―――。

 『捌きの巨匠』生石允九段、『王将』タイトルを保持していたA級棋士。振り飛車を使いこなす棋士でありその捌きは見てて驚く手のものばかりだ。

 

 そして、もう一人―――絶対王者名人。

 語るものが多すぎる伝説を築き上げたまさしく神。

 永世六冠の称号を持ち、残り永世竜王を取れば永世七冠となる。しかも、永世竜王は後一期獲得すれば名乗れるという所まで来ていた。

 無論、生石さんにも勝機はある。なんたってあの名人から王将のタイトルを奪った猛者なのだから。だが、今の神に通用するかどうかはわからない。

 今あの人は世間でこういわれている。

 『衰えが衰えた』と。

 

 

 

 

 力を取り戻しつつある名人の渾身の一手はまさしくマジック。

 震える手で生石さんの玉の横に置かれた金、途中で指した悪手を好手に変え、それで寄せ切った。生石さんも最初は果敢に攻めるもすべて捌かれる。―――まるで生石さんの技術を盗むかのように。

 がっくりと項垂れた頭は投了を示していた。

 

 「負けました」

 

 この一言で、俺は―――名人と戦うことが約束された。

 そして、俺は竜王挑戦者決定戦で神鍋歩夢六段に勝利すればまたもや名人と戦うことになる。

 まるで運命が九頭竜八一をはじめとした役者が揃ったと言わんばかりの行動に俺は思わず、

 

 「………熱い…!」

 

 と、口に洩らしたのだった。




届きそうで届かないところに置かれたカニを涙目で見つめるあいちゃんを甘やかしたい。


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第13局 師弟

 ☗ 永世名人と竜王

 

 夜叉神天衣、将棋連盟会長月光聖市を師匠とした9歳の女の子。それがどうしようもなく『嫌だ』と思ってしまった。傍若無人で親友から『悪』と即断されるような考えを俺は成そうとしている。

 弟子のために―――、少しでも師匠らしいことをしてあげたいという俺の想い。

 だがら、成すのだ。

 竜王のお仕事というものを。

 

 翌日、帝位リーグ戦。最終戦第5局を行うため俺は関西将棋会館に出向いていた。俺はこのリーグから陥落が決定している。対する会長も残留はしているが挑戦者決定戦には進めない。つまり、お互いに消化試合―――。

 

 「九頭竜先生!そのお姿は…!」

 

 俺は静かに時計や扇子を取り出し下座に座る。

 

 俺は―――和服姿で対局に望んでいた。

 

 それは『竜王』として決して負けないという強い意志を示していた。

 襖を静かに開けて入ってきた日本刀のように細身な男性もその姿に感嘆の溜息を零す。

 

 「ほう………」

 

 ほかの棋士たちも俺の姿を見て騒ぎ出す。

 そして、俺は対局に入る前に本題を切り出す。

 上座に座った会長を見据え、一言

 

 「会長」

 「何か?」

 「お願いがあります」

 

 その一言を目が見えない会長を補佐する男鹿さんが制する。

 

 「竜王!対局前にそんなこと―――!」

 「伺いましょう」

 

 会長は男鹿さんを抑えると、俺に先を言うよう促す。

 口の中にたまった唾液を飲み込み、俺は口を開く。

 

 「この対局で俺が…私が勝ったら夜叉神天衣を弟子にする許可を頂きたい」

 「彼女は私の弟子になったのでは?」

 

 会長の言葉に俺は―――()()()()()()()()()()()()

 

 「欲しくなりました、どうしても」

 

 会長はその発言に対して笑みで答える。

 それは受けるという意志だということはすぐにわかった。永世名人に対してこのような傲慢な要求が出来るのも一重に『竜王』というタイトルのお陰。

 しかし、俺の扇子を握る手は汗で濡れていた。

 当たり前だ、目の前にいる人はあの人―――現名人からタイトルを防衛し七冠になるのを遅れさせた人だ。

 だが、だからこそ心が熱くなっていく。

 

 そんなすごい人と今から対局が出来るんだという子供ながらの純粋な思いと共に、強い決意を秘めているのだから。

 

 ☖ 道法自然

 

 九頭竜八一の得意戦法の一つとして一手損角換わりというものがある。後手番のときに角を交換し、一手損するためそう名付けられた戦法。だが、何故その戦法を得意としているのか。

 

 「よかったね、八一君」

 

 俺は対局が中継されているのを知って『ニコニコ動画』というサイトを用いて眺めていた。

 憧れの棋士との対局法は誰とだって心が躍るものだ。

 ましてや―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 将棋連盟会長月光聖市の得意戦法は―――()()()()()()()()()

 

 そんな戦法で始まった永世名人と竜王の対局は苛烈を極めていた。

 

 127手目、八一君の玉に王手がかかる。

 画面に映る八一君が苦しそうな表情を浮かべた。

 それもそのはず、全盛期の会長と対局したプロは王手がかかった時点で投了したという。

 それは会長の読みを信頼したから。自分には見えていない道を見つけたからと確信しているからだという。

 

 だが、八一君もめげない。何度王手されても、どれほど追い詰められようともしぶとい粘りを見せ、王手を交わしていく。

 その執念の奥底に眠るのはやはり決意。強く結びつけられた決意という紐は簡単にはほどけない。だからこそ、九頭竜八一は諦めなかった。読む手も、盤外も、全て考慮し思考を揺るがさないよう頑張っている。

 終局も間際ということで隣にぽつんと座る悲しい黒衣に身を包んだ少女に声を掛ける。

 

 「そろそろ行ったほうがいいと思うよ―――天ちゃん」

 「アンタに言われなくてもそうするわよ、ばか」

 

 棘のある発言、だがその裏に隠された感情は喜びだというのはすぐにわかった。現に彼女の頬の緩みは見ていて微笑ましいものがある。

 彼が覚えていなくても彼女は覚えている『約束』。

 それは、数年前の出来事で彼の記憶には決して残らない記憶。

 だが、彼女は―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、一人対局場へと向かうのだった。

 

 そして、俺もまたそそくさと準備をし始める。向かう場所は東京。今から新幹線に乗って向かわなければならない。天ちゃんの件については当事者で話し合ったほうがいいからね。

 東京に行く理由は二つ。

 とある女流棋士に会うため。

 そして、もう一つ―――その女流棋士から八一君を守るためである。

 兄弟子というのもたまには難儀である。才能だけならあの女流棋士最強と名高い空銀子、俺の妹弟子を遥かに上回るものがあるから。そんな人と会わなくてはならないという憂鬱さはある。

 

 しかし、東京か…。そういえば前世でとある人がこう言ってたな『私は頭がいいから棋士になった。兄たちは馬鹿だから東大に入った』という迷言があるところだ。

 しかも、名人の住んでいるところときた。

 

 ―――あれ?新手を生み出したり勝率一位の神鍋歩夢六段も東京だよね。しかも、一時期女流タイトルを全て独占した釈迦堂さんもそこにいるわけだよね。名人も東京にいるわけだし…。東京って魔境なのでは?

 

 ☗ 二人目の弟子

 

 「俺の籍に入ってくれ」

 

 目の前にいる幼くも重く悲しい過去を持つ少女に問いかける。

 俺はその悲しみを表す黒衣を、いつかは純白なドレスを着れるようさらに続ける。

 震える手を包み込み、

 

 「必ず幸せにするから―――だから俺の師弟(かぞく)になってくれ、天衣」

 

 その言葉に彼女は、天衣は涙を零す。

 家族という言葉が今まで溜め込んだ思いのダムを少なからず崩壊させたのだろう。

 

 ―――昔の約束なんてどうでもいい。

 ―――俺は天衣の傍にいたいと強く思ったのだ。

 ―――例え、将棋の才能がなくても、どんなに打たれ弱くても。

 ―――俺は『夜叉神天衣』を弟子にしたいと、ほかの誰でもない自分自身がそう強く願ったのだから。

 

 天衣は袖で涙を拭う。

 そして、出会ったあの時の口調のように、けれども違った輝いた魅力的な笑顔でこういった。

 

 「―――はい」

 

 ☖ 二人の『タイトル保持者』

 

 天ちゃんからのメールに書かれている文面に俺は自然と笑みが零れた―――が、自分に襲い掛かるこれからの苦行に胃が悲鳴を上げ始める。そして、新幹線が東京に着いたことを知らせるアナウンスが流れた。

 げんなりとした顔してるんだろうなぁ…。

 あの子に会うのは別に抵抗というものがない。けれど―――孫力がとてつもなく低いのだ。彼女の性格上それは仕方ないのだが孫力が低い子の若者テンションは俺にとって自慢じゃないが毒になるのだ。要するにすごく疲れる。

 

 改札に出ると、その子はすぐに発見できた。

 ()()()()()その風貌、あちらもこちらに気付いたらしく恍惚とした表情を浮かべ走ってくる。

 目の前まで来ると俺は挨拶する。挨拶大事。

 

 「久しぶり」

 

 その言葉に彼女はニタァとした笑みを浮かべ、

 

 「あは!」

 

 と、甲高い笑いで答えるのだった。

 

 

 

 

 

 




アニメのネタバレにならないようぼかしながら書かせてもらいました。次話で天ちゃん出ますね、予告の最後のほうで手を握られている天ちゃんの姿はやばかった。孫力限界突破してた。




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第14局 対局

 ☗ 二人の『帝位』

 

 「たいちぃ♡」

 

 将棋盤を挟んで俺にネットリとした声音で話しかけてくるこの女の子、名前は祭神雷(さいのかみいか)女流帝位である。

 女流六代タイトルの一つを持っている強者。

 世間からは『イカちゃん』とか言われているけれどそんな可愛らしいものではない。

 物の怪の類と言ってもいい、棋風は正しく才能だけで相手を押しつぶすといってもいいだろう。

 だからこそ、彼女はプロ棋士と対局してもそのほとんどを勝利で納めている。相手が強ければ強いほど自分も強くなるってどこの主人公だよと突っ込みたいところだが―――なぜ俺が彼女と面識を持っているのか、だ。

 

 原因は弟弟子の八一君である。彼、女難に巻き込まれ過ぎでは?流石は竜王(ロリ王)

 事の発端は1,2年前、八一君がインターネットで将棋を指しててそこでイカちゃんと初めて対局したらしい。それで実際会って対局してみると事件は起きた。

 そうイカちゃんが八一君に惚れたのだ。別にここまでなら微笑ましいで済ませるのだが彼女の本質はエゴイズム。自分がよければ他はどうでもいい精神なのだ。

 強者である八一君と戦いたい為だけに付き合いたい。私とずっと指してほしい。私のためだけに将棋を指してほしい。―――無論、八一君がそれを受けるはずもなくフラれるのだが、彼女は八一君の家までに押し掛けたのだ。

 八一君が言うに将棋盤に駒を並べて()()待機していたらしい。流石の八一君も恐怖で師匠の家に駆けこみ助けを求めて将棋連盟とイカちゃんの師匠によりこれ以降八一君には近づかないということで一件落着した……それでよかったのだがなんとイカちゃんがごねた、それはもう盛大に。(師匠談)

 八一君と指せないなら女流棋士をやめるとまで言い始めた。流石に期待のルーキーを失うわけにはいかない、けれど八一君に近づけて竜王の身に何かあれば大変だということで何故か知らないけど俺が時々イカちゃんと対局することになった。本当に何で?

 

 推薦したのが師匠だということを聞いて二重に吃驚した。曰く、『子供好きやろ?』

 誤解を招く言い方だがその通りである。しかも、可愛い弟弟子のためだと思い、イカちゃんと対局して52手で吹き飛ばしたらこう言われた。

 

 『たいちぃ♡弟子にしてぇ♡♡』

 

 無論断った。俺は弟子を取らない主義だし、だから月にこうやって対局して彼女の欲を発散させているのだ。

 

 「たいち、考えてくれた?」

 「だから、何度も言ってるけど僕は弟子を取らないつもりだよ。これからもずっと」

 

 会話をしながら手は動かす。

 イカちゃんの5七銀―――攻めてきたな。しかも、上手い一手である。イカちゃんの飛車と上手く紐ついているし取ったら取ったで角が睨んでいるので脅威である。

 

 しかし、まだ大丈夫だ。

 手抜いてもまだ詰む様子もない。イカちゃんがもう詰み筋が見えてたら話は違うだろうが…。

 

 「あは!いい、いいよぉ♡」

 「イカちゃん、ここ喫茶店だからね?」

 

 艶のある声を洩らすたびにほかのお客さんからの眼差しが痛い。

 

 「だって、たいちがこんなはげしく…!」

 「将棋の話だよね?」

 「こんな上手いのッ!我慢できない!!」

 

 ……俺は将棋をやっているんだよな。じゃあ、なんでイカちゃんは顔を赤らめて身体をくねらせているんだ。これが若者テンション…!

 

 「ねェ、弟子に―――」

 

 終局、俺がイカちゃんの玉を詰ますといつもそういう。

 だが、何故か疑問に思うことがある。

 

 「弟子にしないって。…前々から気になってんだけど八一君には交際を申し込んでるけど僕には申し込まないよね」

 

 別に己惚れているわけではない。イカちゃんが付き合いたいと思う条件は『自分より将棋が強い人』なのだ。俺はイカちゃんより強い、けれど弟子にしての一辺倒で付き合ってとは言われたことがない。

 

 「だって、たいちはじじいだもん」

 「――――――――――は?」

 

 今、何て言った?じじい?

 

 「なんていうか将棋から感じるのは若者の気迫じゃない、年期を感じる将棋。確かに強いけど付き合いたいとは思えない。だから、弟子にして?」

 「しないって」

 

 びっくりした…。これもイカちゃんが言うには勘という奴か、末恐ろしい。

 

 「じゃあ、もっと指そ?勝ったら弟子にして?だから、早く、早く、早く、早く、早く、早く、早く、早く、早く、早く、早く、早く、早く、早く、早く、早く、早く、早く、早く―――――――」

 

 将棋の駒を並べたながら『指そう』と言ってくる。

 その顔つきは明らかに歪んでおり対局することという事実のみを彼女という本質を奮い立たせているのかもしれない。

 しかし、俺は弟子は取らない。

 その理由は単にあの人の言葉に影響を受けたからだ。―――取らなきゃ全員可哀そう。

 たったそれだけである。

 

 結局その日は全部俺が勝利した、最後のほうは本当に危なかった。

 

 外の夕日が沈んでいく様子を眺めながら隣に座るイカちゃんがポツリと口にした。やいちぃ…♡と。

 うん、俺は何も聞いてないぞ。

 さて―――明日の本命の対局の準備をしなきゃな。

 

 ☖ 竜王挑戦者決定戦

 

 「うむ、では行ってこい」

 「はい、師匠(マスター)

 

 俺は、理想の女性であり師匠の釈迦堂里奈女流名跡に送られる形で外に出る。

 向かう場所は関東将棋会館。行われるのは―――竜王挑戦者決定戦。

 相手は俺より年下、だが実績はあちらのほうが上の八柳太一二冠である。

 そう考えると自然と笑いが零れ始めた。

 

 「クックック…アーッハッハッハッ!!良い!良いぞ!!」

 

 この高ぶる感情は抑え切れん!!!何といってもあの『竜王(ドラゲキン)』の兄弟子なのだからな!!我が好敵手(ライバル)の兄弟子!!それだけで熱いではないかっ!!

 

 

 「ままー、あのマントの人1人で笑ってるー」

 「しっ!見ちゃいけません!!」

 

 …………………落ち着こう。

 師匠に手伝ってもらい対策は概ね終わらせてある。だが、いきなり新手を繰り出されて動揺の隙を狙われてはいかん。常に平常心だ。

 太一二冠の棋譜を並べると居飛車が八割型であった。となると、カギになるのは雁木戦法でというのは師匠との研究でそういう結論が出た。

 目的の場所に付き、対局場に赴く。

 

 対局室にまだ太一二冠の姿はなかった。

 俺がまず座って待って居ようと思った矢先、

 

 ―――――――――――――ゾクり。

 

 「ッ!?」

 

 背中に感じた不愉快な冷たさで振り返ると、彼がいた。

 スーツ姿で、その眼に宿す闘志はギラギラと輝いていた。

 一歩、一歩、ゆっくりと進む彼の姿は年下だと思えない。今から俺がこの人と対局をするのか…?()()()()()()()()()()()()()()()()

 鋭く研がれ、すぐにでも相手を切り刻むような目つき。俺の横を通り過ぎても一切気にも止めない。

 いや、()()()()()()()()()()()()()()と思わせる雰囲気。

 ゴクリと唾を飲み込む。

 

 静かに席に座ると観戦棋士と記録係に軽く会釈をする。

 

 駒を並べ、静かにその時を待つ。

 そして、午前9時

 

 「定刻になりました。太一二冠の先手番から始めてください」

 

 その言葉に俺と太一二冠は宜しくお願いしますと言って答える。

 持ち時間は5時間、そして太一二冠が一手目を指したのは―――対局が始まって30分後だった。

 そして、指された一手。▲9六歩。

 

 「ッ!?端歩だとッ!?」

 

 記録係と観戦棋士に動揺が走ったのはすぐにわかった。

 この人が初手で端歩を指した局は一度たりともない…。なら、これはブラフか?我の動揺を狙う一手…。だが、そうだとしても指すにしては時間がかかりすぎている。

 

 だが、狼狽えるな。我はゴッドコルドレン。恐れるものなど何もないではないか!!

 まずは囲いを作りつつ様子見だ。

 

 角道を開ける一手。その一手に彼は5六歩とノータイムで答えてくる。

 

 

 

 

 中、飛車…だとッ!

 端歩よりも俺はその一手で少しだけ動揺してしまう。太一二冠が行うのは間違いなく中飛車だ。しかし、彼が中飛車を使ったのは両手で数えるほどしかない―――!それを今、使うのかッ!!

 

 「熱いッ!熱いぞォォォォ!!」

 

 それは熱いではないか!我のために研究されていないだろう中飛車という手札を切ってくれたのだ!!

 これに応えずして何が漢だ!!

 ―――では、奏でるとしようか。我らの協奏曲(コンチェルト)を!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 「グッ……!!」

 

 我は太一二冠の一つ一つの手に大いに苦しんでいた。

 今は67手目、だが、その間にも彼は意味が分からない、不必要な手を数度と指していた。一回ならまだわかる、二回もまだ許容範囲だ。だが、三回目となると疑わしくなってくる。

 目の前にいる人は小学生でプロになり、二冠を保持している人物だ。そんな人が不必要な手を指すはずがない。

 だから、その一手の意図を読むために我の持ち時間は削られていった。

 

 だが、―――読めない!

 

 我はこれ以上時間を削られるのはまずいと思い、今の最善手である金打つを指す。

 太一二冠との持ち時間の差はおよそ()()()。その差はとても大きく、気を抜いたら喰われてしまう。

 

 

 「グッ!…カハッァ!」

 

 頭が痛い、だが、それは読みが深くなっている証拠だ。

 彼と指すたびに自分が成長していくと感じていく…!

 盤面が頭の中に浮かび上がり、それが鮮明になっていく―――!

 前までが靄の様なかかっていたが振り払われた先にある盤面が行く末を教えてくれる。

 

 

 5四桂、同歩、同角、金打つ、どれだ、どれだ、どれだ!どれが一番良い一手なのだッ!!

 

 

 

 

 我が苦しんで考えている間に、彼は力強く、盤面にねじ込ませるかのようにグリグリと駒を指した。

 その一手は―――()()()()()()()()()()()()()

 口から惚けた声が漏れそうだった。

 その一手の価値は、すぐに切り捨てた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そして、彼の持ち駒と盤面の状況。我の持ち駒と、形勢。

 そのすべてを加味したとき、我は恐怖で身体が震えた。

 

 この駒は……取れない!!

 

 指された駒を我は取れない、取ってしまったらそれこそ即詰みだとわからせるほどの不必要な手が煩い―――!

 

 だが、ここで早逃げをすればと思った。しかし、今形勢はあちらのほうへと傾いているうえに盤面が進むと》限定合い駒《をしなければならなかった。

 限定合い駒というのは決められた駒でしか凌ぐことが出来ないというレベルの高いものである。そして、我が読んだ先にあった限定合い駒に必要な駒は―――()()()()()()()()()()()()()()

 

 「…ここまでか」

 

 

 

 

 この美しい棋譜は汚せない。例え、我がここから粘っても負けるのは目に見えている。

 だから、我は―――清々しく頭を下げた。

 

 「負けました」

 「ありがとうございました」

 

 神鍋歩夢六段81手で投了、八柳太一二冠の勝利であった。

 

 

 

 そして、我は一つ気になったことが合った。それは初手の端歩であった。

 序盤中盤終盤、どれをとっても端歩の意味がわからなかったのだ。

 感想戦をしているとき、我はそのことを聞いて帰ってきた答えに二度目の恐怖を覚えた。

 

 「八柳太一二冠に聞きたい。初手の端歩の意味はなんなのですか?」

 

 そう聞くと彼は照れくさそうに笑顔を浮かべるとこういった。

 

 

 ―――数手先にどこ指そうか考えていてそれで間違って指しちゃいました。

 

 

 そして、付け加えるように

 

 ―――歩夢先生の棋譜を見ているとどうにも端歩の重要性が高いなと感じてしまったんです。

 

 

 

 彼の笑顔が我に恐怖を覚えさせた。

 彼の読みの深さ―――それは間違いなく神の領域だと実感させられたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




天衣って打つときいつも「てんころも」から変換しているんだけどなんだがおいしそうですね。



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第15局 信頼

 ☗ 観戦者

 

 『81手で神鍋歩夢六段が投了しました、解説の篠窪(しのくぼ)先生どうみますか?』

 『そうですね…。正直言って途中から何が何だか(笑)』

 

 某動画配信サイトで行われていた竜王挑戦者決定戦、神鍋歩夢六段vs八柳太一二冠の対局は異様なものだった。

 コメントでは

 『さす二冠』『さすおに』『けど、あゆむきゅんもすごくね?』『そうだな、途中からわけわかんなかったもんな』『あれ読んでるってやっぱり太一二冠も化け物なのでは?』『限定合い駒をさせないってやべぇよな』『その前のあゆむきゅんの金打つは痺れた』『二人とも半端ないって!!あんなん指せへんやろ普通』

 という感じのものが流れている。

 

 「八一………?」

 

 一緒に見ていた姉弟子が心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。

 今の俺の顔は真っ青だろう。それもそうだ、俺は()()()()()()()()()()と思ってしまったんだから。

 

 兄弟子にならまだ抱いても可笑しくはなかった。しかし、この前対局した歩夢にさえそう思ってしまった。

 原因はすぐにわかった。それは、最後の歩夢の一手、金打つ。

 あれは、俺が読めていなかった手だ。

 その時心の奥で『歩夢が勝った』と思ってしまった。その手を見た瞬間、勝ちまでの道筋の光が見えた―――見えたはずなのだ。

 しかし、兄弟子が指した一手はそれを上回った。

 見えた光明を覆うように、その手は脅威過ぎたのだ。

 

 歩夢はその手を見た瞬間、悔しそうな顔ではなく清々しい顔で投了した。

 追い打ちをかけるように俺にこう実感させた。

 ―――この対局は二人を成長させたんだと。

 兄弟子の対局したい人がいるから、その気迫に促されるように歩夢の棋力も引き延ばされていった。

 けれど、俺はへこたれてはならない。

 『竜王』としてそれは許されなかった。

 

 しかも、まだ挑決が残っている。

 竜王の挑戦者を決める最後の戦い、史上最強名人と兄弟子。

 どちらが勝っても俺は失冠するイメージしか湧かない…。

 それが途轍もなく悔しかった。

 

 と、暗い気持ちにさせていた俺の心は天使の声で浄化された。

 

 「ししょー!早く帰りましょー!!」

 

 あいが研修会での対局が終わるまで将棋会館にあるカフェで俺は姉弟子と対局を見ていた。

 そこに、跳ねた髪の毛を健気に揺らし俺のことを輝いた眼差しで見つめる弟子の頭を撫でてあげる。

 すると、「はう♡」という可愛らしい声を出す。俺の顔も自然とにやけてしまう。

 だが、何故かこうするといつも姉弟子が不機嫌になるのだ、そろそろ来るぞー、3、2、1、はいどうぞ!

 

 「このバカ八一!」

 「なんで怒ってるんですか、姉弟子」

 「ロリコン八一!死ね!!」

 

 えー…理不尽。

 姉弟子はそう言うとズカズカとカフェを後にした。このやりとりもう何回目だ…?

 

 「……カニ買って帰るか」

 「きゃにー♪」

 

 あいは大好物の食べ物の真似をしてくるくる回る。

 うーん、可愛い。最近語彙力がなくなってきて可愛いしか言えん、まぁ、中卒だし多少はね?

 

 俺は歩き出す、その後ろをあいが可愛らしく着いてくる。

 

 「そういえば太一おじちゃんどうでした?」

 「勝ったよ、けど二人とも凄い将棋だったなー」

 「すごい!すごいです!!これで太一おじちゃんは史上最強の名人と二回戦うんですね!!」

 

 そう、兄弟子は来月行われる帝位五番勝負で名人と戦う。

 そして、俺のもつタイトル『竜王』の挑戦者を決めるため夏に挑決する。

 名人の獲得期は現在99期、永世称号を六つ有している。兄弟子は小学六年生で二冠に輝き、それからずっとその二冠を維持している。

 

 そんな二人が二回戦うのだ。世間が騒ぎ出すだろうなあ…。

 

 それから数日後のことだった、―――桂香さんについてのことを聞いたのは。

 

 ☖ 研修会

 

 

 

 

 

 「何、この空気」

 

 

 八一君の家にお土産を渡しにきた、きたのはいいけど…。

 暗い、それはもう。外は快晴なのだが部屋の空気が重く、暗い。あいちゃんは虚ろな目で「きゃーに、きゃーに」と言って肉を焼いてる。八一君に至っては手を合わせて神に祈りを捧げていた、いつからキリシタンに?

 

 「八一君、どうしたの?」

 「桂香さん、桂香さんが…」

 「桂香さんがどうかしたのか!!?」

 

 俺が東京に言っている間に『銀子ちゃんを愛でようの会』会長の桂香さんに何があったんだ!?ちなみに、副会長は俺、合わせて二人、悲しい。

 

 「Bがついちゃったらしくて…」

 

 『B』―――それは降級点。

 十戦して二勝八敗以下の成績をとるとBを取ってしまう。

 そしてもう一度、二勝八敗以下の成績をとってしまうと降級することになる。

 三勝三敗すればBを消すことが出来る、しかし、このBを消さなきゃ昇級は出来ない。

 研修会の年齢制限が近づいている桂香さんにとって苦しいだろうな…。

 

 けれど―――

 

 「なんだそれだけか」

 

 そう、それだけなのだ。Bが付いただけだ。

 俺の発言に八一君が感情を爆発させた。

 

 「それだけって…!兄弟子なら桂香さんがどれだけ頑張って、どれだけ苦しんだのか…!!それを一番わかっている貴方が『それだけ』で済ますんですか!?」

 

 八一君の大声に台所にあいちゃんの肩がビクッと震える。

 

 「わかるよ、わかっているからこそそれだけで済ますんだ。桂香さんは正直言って人一倍弱い。悪い言い方だけどね。八一君もそう思ってるでしょ?」

 「そっ、それは……」

 「けど、八一君。桂香さんは人の何倍も将棋に対しての研究は怠らない。それは間違いない『強さ』だ。だから、僕は桂香さんがここで終わるような人じゃないとわかっている。それに、研究がどれだけの強さを持つか八一君、君が一番知っているはずだ」

 

 八一君はA級山刀伐尽(なたぎりじん)八段に研究という最強の矛で三連敗を喫している。

 そして、桂香さんもまた研究には力を入れている。それを最大限出せればあいちゃんや天ちゃんの才能など怖くない。封じ込められるのだ。対等な立場へと引きずり出すことができる。

 それに加え、Bが付いたということは桂香さんもなりふり構っていられないということで銀子ちゃんあたりに師事をお願いするだろう。

 

 「八一君、背水の陣って知ってる?」

 「背水の…陣?なんですか、それは」

 

 

 八一君が首を傾げると台所から猫の刺繍が入ったエプロンをきたあいちゃんが姿を現した。

 

 「もう後がない状況に置き、必死に物事にあたる…ことですよね?」

 「物知りだね、あいちゃん。そう、桂香さんはもう後がない。ここで降格してしまえば、それこそ夏のマイナビでしかチャンスはない。けど、桂香さんもそこまで楽観視しないだろう。『マイナビで勝てば』という意識ではなく、ここで降格すれば引退する気持ちで挑む。―――後がない人間ほど強い者はいない」

 「兄弟子は…不安じゃないんですか?負けて、引退して、桂香さんがどうなってしまうのか」

 

 マイナビ―――それは夏の大会である。そこで一定の成績を出せば女流棋士になれるのだが…。

 今はそんなことを考えている場合じゃないな。

 

 「不安なんてないよ。桂香さんなんだから」

 

 ☗ 信頼

 

 「不安なんてないよ。桂香さんなんだから」

 

 何の躊躇いもなくそう言い放った兄弟子。

 俺は、それがどうしようもなく羨ましいと感じ同時に恥ずかしさを覚えた。

 兄弟子の心の強さ、そして―――桂香さんを信じていなかった自分に。

 

 心のどこかで終わったと思っていたのかもしれない。

 

 

 だが、兄弟子はそういうのは一切なかった。心の奥底から不安なんて感じていない。信じているのだ。

 桂香さんが勝つことを。

 

 これが小学生でプロになり、二冠を保有する棋士の精神の強さか…!

 

 「…すみません、怒鳴ったりして」

 「別にいいよ。家族を心配するのはいいことだ」

 

 兄弟子は何も気に留めることなくそういう。あいも先ほどのよそよそしさは消えていた。

 

 俺は―――この人のように強くなりたいと思った。

 何事にも動じない、そんな人に。

 

 だから、俺は壁を乗り越えなければならない。桂香さんが乗り越えるようなそんな聳え立つ壁を。

 

 

 

 俺が乗り越えるべき壁―――山刀伐尽八段。

 

 一週間後戦う俺の宿敵。

 その、宿敵を乗り越えた先に桂香さんの昇級がかかった対局が始まる。

 

 なら、尽さんに勝つために必要なこと。それは……。

 

 「振り飛車やってみるか……」

 

 俺の発言に二人は顔を見合して、

 

 

 

 

 

 「「えええええええええっっっ!!!!」」

 

 と叫んだ。

 

 

 「あいちゃん、救急車!!」

 「はっ、はい!!えっと、1、1、0…」

 「あいちゃんそれ警察!八一君幼女監禁罪で捕まっちゃうから!!」

 「何すか幼女監禁罪って!!それを言うなら兄弟子だって捕まりますよ!!!!」

 「ええい!どうでもいいわ!居飛車党の八一君が振り飛車やるって可笑しいでしょ!あいちゃん!」

 「119準備できました!!」

 「よし、押せえええええええええええ!!!!!」

 「やめろおおおおおおおおおおおぉぉぉッッッ!!」

 

 

 本当に押すところだった、危なかった。

 

 

 




7巻昨日買いました。泣きました。


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第16局 捌き

 ☗ オールラウンダー

 

 「つまり研究外しってこと?」

 「はい、そうですね」

 

 八一君の宿敵尽さん、あの人は『両刀使い』と言われるように居飛車、振り飛車どちらも使いこなすオールラウンダーだ。

 そして、八一君は生粋の居飛車党。研究されつくしている。

 だから、振り飛車か…。

 敢えて、有り得ないだろうという戦型を用いて意表を突こうというわけか。

 

 ……というかあいちゃん何震えているだ?

 

 「そんなー!師匠はいつも言っているじゃないですか!振り飛車は不利飛車って!!指運にしか頼れないような奴らだって!!だから私振り飛車の人には負けないように頑張ってるんですよ!?」

 

 えぇ…。八一君そんなこと言ってるの?

 それ振り飛車党の方々に聞かれたら大変な目に合うよね。

 

 俺がジト目で八一君を見ていると慌てるように手を振って言葉を否定する。

 

 「ち、違いますよ兄弟子!!きっとあいは何かの記事で見たことを俺がいったように勘違いしているんですよ!なっ、あい?」

 「えっ、師匠が言って―――ふがふがっ!」

 

 あいちゃんの口を押えてももう無駄だよ!!

 

 「はぁ…。じゃあ、振り飛車やるとしてもどうするの?僕はそろそろ帝位戦に向けて準備するから教えられないし」

 「『ゴキゲンの湯』に行こうと思います」

 

 『ゴキゲンの湯』―――なるほど、確かにあの人なら。

 けど、簡単に教えてくれるかな?あの人は尽くし尽くされの関係を望むから一方的に教えてくださいと言っても嫌だろう。

 まぁ、そこは八一君次第か。

 

 「師匠、そこに誰かいるんですか?」

 「あぁ。生石充九段、『捌きの巨匠(マエストロ)』と言われる振り飛車を語る上で最も欠かせない人物だ」

 「その人わかります!この前名人と戦った人ですよね!!」

 

 生石さんの振り飛車はそれこそ格が違う。

 ゴキゲン中飛車を多用し、攻めを捌き、カウンターを喰らわす正に振り飛車党の申し子といっても過言ではない。

 

 「まぁ、名人はどちらも指しこなすオールラウンダーだったからお互いに振り飛車になって押し負けたけどやっぱりあの人の中飛車を教わったら大きな力になるだろうな」

 「そうか、頑張ってね八一君」

 「ところで兄弟子は()()()()()()()()()()

 「あぁ、勿論だとも。それしなきゃタイトル戦望めないし」

 「太一おじちゃんの強さの秘訣はもしかしてそれですか!?」

 

 うっはあああああああああっっっ!!!!!あいちゃんの羨望の眼差しがイカちゃんによって削られた俺の心を治していく!!!!!!

 あいちゃんは誰かを羨望の眼差しで見るときはいつもアホ毛がゆらゆらと揺れるのがまた可愛い。

 

 「まぁ、それがなきゃ僕はタイトル戦で勝てない、対局もね。所謂習慣だよ」

 「それは一体―――!」

 

 あいちゃんの期待する眼差し…っ!これに答えずして何がお爺ちゃんだ!!

 

 「それは―――温泉巡りだ!」

 

 あいちゃんの表情が困惑顔になったのは言うまでもない。

 

 ☖ 強さの秘訣

 

 「師匠、温泉巡りってどういうことですか?」

 

 私は、かっこよくて強くて優しくて何処までも前向きな、そんなところが大好きな師匠に聞いてみます。

 さっき帰って行った太一おじちゃんの強さの秘訣―――温泉巡り。

 それがよくわかりません。

 

 「兄弟子は最初のタイトル戦が行われる前に気分転換に温泉に入ったんだよ。んで、入った後の対局だと考えが鮮明になり指しやすくなるみたいなんだ。ついでに、縁側でお茶を啜るとさらに良しみたいだ」

 「まるで本当のお爺ちゃんみたいですね…」

 

 師匠の言葉に驚きました。

 温泉に入ったら強くなるんて…羨ましいです!

 

 「つまるところリフレッシュになるらしい。確か今年は…乳頭温泉に行くと言っていたな」

 

 乳頭温泉―――お母さんから聞いたことがあります!確か秋田県にある温泉です。

 そこに鶴の湯っていう名前の温泉があるんですけど入ってみたいです!

 

 

 「おっ、あいも温泉入りたそうな顔してるな~!」

 「はう~…♡」

 

 そんなことを思っていると師匠が私の頭を撫でてきます。

 そういう所にも気が付いてくれる。男らしいごつごつとした手、けど優しくてあったかい感じの撫でる手つきも大好きです、

 ………も?

 

 「よし、じゃあ温泉行くか」

 

 私を気遣ってくれる師匠も素敵です♡

 けど、太一おじちゃんは自分が強くなるようなそんな裏技があったんですね…。私にも何か、何か強くなれる秘訣はないんでしょうか?

 

 ☗ ゴキゲンの湯

 

 「ししょー!ここですか!?」

 

 弟子を連れて、京橋と言うところにあるゴキゲンの湯に連れて行こうとしたのだが…。

 そんな可愛らしい弟子は一つの看板を指さしていた。

 

 『乳の湯~大人の健康ランド~』

 

 アカン。

 

 「違う違う!こっち!!」

 「あっ、もしかしてこの『熟女パラダイ湯~至高の一時を君に~』ですか?」

 「ちがうってええええええええ!!」

 

 やっぱりここらへん如何わしい店多すぎだろ!!可愛い可愛い弟子に変なのを見せたくない!

 その一心で俺はあいの手を引く。

 そして目的の所まで来た。

 回りにあるネオンの看板とは打って変わって木造の古い二軒建ての温泉。

 ここがゴキゲンの湯だ。

 

 中に入ると見慣れた番台にいる女の子に話しかける。

 

 「こんばんは飛鳥ちゃん。巨匠(マエストロ)は上?」

 「やっ、やい………ッ!」

 「あ、うん。九頭竜八一。棋士の。覚えてる?」

 「ッ………!ッ………!」

 

 首を上下に激しく降る、

 目にかかった前髪が派手に揺れる。

 

 「お父さんは上?」

 「ッ……!ッ……!」

 

 俺がそう聞くとまたもや首を上下に激しく降る。痛めるよ?筋。

 

 上に上がるとあいはその光景に驚きの声を上げる。

 

 「将棋道場…!ししょー!将棋道場がありますよ!!」

 「あぁ、そうだ。このゴキゲンの湯は一階が温泉で二階が将棋道場になっているんだ。……と居たな」

 

 その人は俺に気付くと気怠そうに声を掛ける。

 

 「…八一か」

 「お久しぶりです、巨匠(マエストロ)

 

 一か月ぶりに会う巨匠(マエストロ)はあまり変わっていなかった。

 

 ☖ 捌きの巨匠(マエストロ)

 

 俺と生石さんは対局することなった。

 なんでも、

 『俺の捌きの切れ味が落ちてないか心配だ』

 『あと、知りたいんだよ。竜王の強さって奴を』

 ということらしい。

 

 「見せてやるよ―――()()を」

 

 生石さんが選んだ戦型は―――ゴキゲン中飛車。

 そして、生石さんの一手は見ていた観客たちを驚愕させた。

 

 「「飛車を切った―――!!」」

 

 振り飛車で、()()()()()()

 その異様さは、すぐに俺の中へ微量の毒を流し込んだ。

 

 俺が飛車を抑え込んだと思ったら生石さんは躊躇いもなく飛車を切ったのだ。

 

 「こんな手が…いやっ…これは…!!」

 

 俺がくみ上げた陣形は生石さんの飛車を抑え込むためのものだった。

 だから、その飛車がなくなってしまえば()()()()()()()()()()()

 理屈ではわかる。理屈では。

 

 「普通やらないでしょ……!!」

 「ゴキゲンだろう?」

 

 意地わるそうに笑みを浮かべる生石さん。

 生石さんは持っている小駒で俺の玉を寄せ切り、見事に詰ました。―――強い!

 だからこそ―――教わる価値はある。

 

 「巨匠(マエストロ)お願いがあります」

 「なんだ」

 「俺に―――振り飛車を教えてください」

 

 俺の言葉に生石さんはため息を吐き、事情を言うよう促した。

 俺が負けたこと、勝ちたいこと、だからオールラウンダーになりたいということ他全てを。

 

 聞き終えた生石さんは煙草に火をつけようとしてやめる。あいのことを気遣ってくれたのだろうか。

 

 「太一には教わらないのか?…って、そうか帝位戦あるからアイツは温泉巡りか」

 

 生石さんの発言にあいは「?」と首を傾ける。

 

 「あいにはまだ言ってなかったな。生石さんは元玉将のタイトルを持っていたトッププロなんだ」

 「そのタイトルって―――!」

 「あぁ、今は太一の奴が持っているな」

 

 その言葉に見ていた観客が舌打ちをする。

 何を隠そう兄弟子は―――振り飛車党の方々に嫌われているのだ。名人もだが。

 

 曰く、兄弟子の場合

 『巨匠(せんせい)のタイトルを奪ったうつけ』

 『振り飛車の勝率のほうが高い居飛車党』

 『クソガキ』

 

 最後のほうは完全に悪口である。

 

 曰く、名人の場合

 『巨匠(せんせい)の棋界制覇を阻むラスボス』

 『振り飛車の技術を盗む鬼畜眼鏡』

 『振り飛車党の奴より振り飛車の勝率が高い悪魔』

 

 といった感じにラスボス扱いだ。

 

 そして、兄弟子が振り飛車を使ったのは総対局の1/3。中飛車はその内9回。中飛車で()()()()()()()()2()()

 その黒星を付けた人物こそが目の前にいる生石さんなのだ。

 兄弟子は玉将のタイトル戦で生石さんと対局すると必ずと言っていいほど中飛車を対局する。まるでスリルを味わうように―――。

 その対局中二人は良く笑って指していた。

 

 後で聞いたところ『生石さんとの振り飛車対決は本当に心が躍るからね』ということらしい。生石さんもそうだという。

 兄弟子も生石さん並みの捌きの技術があるから驚きだ。

 

 

 「…わかった。だが、一つ条件がある」

 

 その日、俺は給料なしの『アルバイター』になった。

 

 振り飛車を教える代わりにゴキゲンの湯で働けということらしい。給料はない。ちくせう。

 

 

 




次話からやっと太一おじちゃん視点中心になりそう…。


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第17局 切望

 ☗ 前日

 

 俺が帝位戦に向けて準備をしていたときに八一君と銀子ちゃん、桂香さんに加えてあいちゃんと天ちゃんでのゴタゴタは見事に解決されたらしい。

 八一君は尽さんに勝利し、桂香さんは…。

 2勝1敗、あいちゃんに負けて降格してしまった。しかし、天ちゃんには快勝らしい、流石だ。

 けれど、桂香さんも女流棋士と言う夢を諦めきれず夏に行われるマイナビ女子オープン将棋トーナメントに向けて頑張ると銀子ちゃんから聞いた。

 

 「頑張ってこいよ、太一」

 「うん、行ってきます」

 

 長年、それこそ幼いころから将棋の相手として切磋琢磨していた爺ちゃんに見送られ、俺は明日から始まる五番勝負の会場へと向かう。

 場所は神奈川県にある旅館だ。

 

 駅に着くと何故か人が騒がしいことに気付いた。

 

 「妖精か?」「すごい美人さん…」「おい!お前話しかけて来いよ!!」「ばかっ!お前が行け!!」「ほかの女の子と女性もかわいいし美人」「だが、なんだあの中に一人ぽつんといる男は、気にくわん」「同意」「やるか」「「「「同意」」」」

 

 凄い物騒な雰囲気だけどそこまでいってなんとなくわかったぞ…。

 うん、あの五人組だろうな。

 

 人混みを掻き分けるとやっぱりというかセーラー服の銀子ちゃんと私服の桂香さん、いつもの服装の天ちゃんとあいちゃん、そして顔が真っ青な八一君がいた。

 殺気に当てられたのだろう、可哀そうに。

 

 「あ…兄弟…子……」

 

 もういい休め!と叫びたい。

 

 「見送りに来てくれたの?」

 「ええ、太一くん頑張ってね。お父さんと一緒に応援してるわ」

 「別に私は来たくて来たわけじゃないわ。どっかのクズに言われて仕方なく来てあげたのよ。勘違いしないことね」

 「えっ、でも早くいこって言ってたのは天ちゃんだよね」

 「ちっ、違う!えっと……そう!何かあって間に合わなかったらそれこそ夜叉神としての恥になるのよ!おわかり?」

 

 どや顔で言っても説得力がない、けれどそれも可愛いので良し。

 

 「兄弟子、頑張ってください」

 「ありがとう、銀子ちゃん。八一君は……うん、お疲れ」 

 

 一応労いの言葉は掛けておく。

 八一君は真っ青な顔のまま(この時あとで胃薬をプレゼントしようと決意)言った。

 

 「俺も桂香さんも頑張りました。あとは、兄弟子の番ですね」

 「あはは、重圧だな。昔の八一君は純粋で可愛げがあったのに」

 「それはお互い様ですよ」

 

 互いに笑いあう。

 その笑みには昔からの付き合いとしての感謝が含まれていた。

 そして、時間が刻々と迫ってきていた。

 

 「太一おじちゃん!勝ってくださいね!!」

 「だらしない対局なんてしたら許さないんだから」

 

 最後にあいちゃんと天ちゃんから激励の言葉が贈られる。

 

 「行ってくるよ。次に会うのは僕がタイトルを防衛、または奪取された時だ」

 

 そう、ここからは一人での戦いだ。

 誰にも頼れない、誰にも会わない。

 相手はあの名人。油断なんてできないから。最初から本気で行かなければ…。

 

 その日、俺は大阪を発った。

 

 ☖ 解説

 

 「いっちゃったね…」

 「はい…」

 

 姉弟子が兄弟子の背中を見ながらそう呟いた。

 心配なのだろう。

 だが、それと同時に俺は途轍もなく熱いと感じていた。

 気温的な意味ではない、心の奥底に眠る闘志、それが何故か俺の中を駆け巡っていた。

 

 「八一君も明日は頑張ってね」

 「あれ、ししょー明日何かあるんですか?」

 「アンタ聞いてなかったの?明日師匠(せんせい)は東京で大盤解説するって言ってたじゃない」

 「はう~……忘れていました…」

 

 天衣の言う通り帝位戦一局目は竜王である俺が解説することになっている。

 

 「八一」

 「どうしました、姉弟子」

 「…兄弟子は勝てると思う?」

 

 勝てると思う…か。

 

 「姉弟子は神鍋歩夢六段を知っていますよね」

 「関東のマント棋士でしょ、知ってる。それがどうかしたの?」

 「あいつが兄弟子と対局し終わった後何て言ったと思います?『今なら名人にも勝てそうだ』と言ったんですよ。兄弟子との対局で成長した歩夢にそう思わせた人が一方的に負けるとは俺は思えません」

 

 それは信頼だ、そしてとても臆病な答えでもあった。

 もし仮に兄弟子が名人に一方的に完膚なきまでに叩きのめされたらそれは兄弟子だけではなく俺にまでショックを与えるだろう。

 俺は、技術も読みも将棋に関して一切兄弟子には及ばない。そんな兄弟子が及ばないような相手が竜王のタイトルを取りに来たとしたら?

 考えるだけでも恐ろしい。だからこそ、俺は()()()()()()()()()()

 

 「あい、お前は師匠の家で留守番な」

 「えー!?あいも東京行きたいですー!」

 

 うっ…!罪悪感が…!だが、こればかりは譲れない。

 

 「本当ごめん。天衣もな」

 「別に。早くいけばいいのに何で当日に出発なのかしら」

 「またまた~、本当は俺と会えなくなるの寂しいんだろう?ん?ん?」

 「うざい」

 

 小学4年生に罵倒される最高位のタイトル『竜王』を持つ俺…!情けない…!!

 だが、それも心地よいと感じている俺がいる。姉弟子足蹴らないで痛いです。

 

 「それじゃあ桂香さん。あいのことお願いします」

 「わかったわ。八一君は準備終わったのかしら?」

 「いえ、帰ったらやろうと思っています。あいは一緒に荷物を纏めような」

 「愛の逃避行をしましょう!!」

 

 唐突に何を言い出すんだこの子は。ほら、姉弟子が余計に機嫌が悪くなるじゃないか。

 

 「…………チッ」

 

 舌打ち!今舌打ちしたよ!!

 こえーよ…。

 

 結局その日は荷物を纏めてあいと天衣に指導対局した後布団に入り眠りに落ちた。

 すやぁ。

 

 ☗ 待っていた

 

 俺は目を閉じて心を落ち着かせようとしていた。

 だが、それでも鳴りやまない闘志の拍動ははやる気持ちを余計に奮い立たせる。

 

 「待っていた」

 

 そうこの時を俺は待ち望んでいた。

 まるで運命のいたずらかのようにプロになってから名人と対局することはなかった。

 

 けれど、戦える。

 

 俺は対局室に向かいながら手に握る扇子に力を込める。

 それは喜びと同時に恐怖でもあった。

 あの人と差異があれば―――いや、それは愚考か。

 あの人と差異があって当然なのだ、あの人は俺の憧れだった。それは今も変わらない。

 だからこそ、この対局で俺は強くなるためにその憧れを捨てる。

 

 対局室に向かう前には大勢の記者たちが詰め寄ってきた。

 それも当然だ。

 二冠と四冠の対局だから世間の注目度は半端ないだろう。

 

 「今のご心境は!?」「防衛できる自信はありますでしょうか!?」「太一先生、今日のおやつは何しますか!?」「名人との対局について一言お願いします!!」

 

 おやつはプリンですね。

 しかし―――

 

 「夢見た人と対局するので楽しみですね。プロになった理由の一つである名人と対局できるので恥ずかしい棋譜にしないよう頑張ります。それだけです。では、失礼します」

 

 言葉少なに俺は記者達の横を通り過ぎ、対局室の前までくる。

 

 扉を開けると、既に記録係などが準備を終わらせていた。

 そして、改めて俺が名人と対局するんだという実感が湧いてきた。

 

 俺はタイトル保持者として、名人は挑戦者として。

 

 「熱い」

 

 そう言わずしてなんだろうか。

 俺が座り、相手を待つ。

 

 

 

 

 

 そして、来た。

 和服に身を包んだ、絶対王者(名人)が。

 

☖ 大盤解説

 

 「皆さまおはようございます。本日は神奈川県、鶴巻温泉で行われる帝位戦第一局の模様を、終局まで完全中継でお送りします。聞き手を務めさせていただくのは女流棋士の鹿路庭珠代(ろくろばたまよ)です」

 

 カメラの前の美女が丁寧に一礼し、隣に立つ俺を紹介してくれる。

 

 「本日の解説者を紹介します。九頭竜八一竜王です。先生、本日は宜しくお願いします」

 「あ、どうも。宜しくお願いします」

 「九頭竜先生はニコ生は初登場ということでコメントのほうでも朝から盛り上がっています」

 

 画面が切り替わり、対局室が映し出される。

 そこにはもう既に二人の対局者の姿があった。

 

 兄弟子と名人、その二人が盤を挟んでいるだけで言い難い感情に襲われる。

 この二人どちらかが俺の前に立つのだから。

 

 「珍しいですね、普段は直前まで姿を現さない名人がすでにいます。九頭竜先生はこれをどう見ますか?」

 「そうですね。名人は対局に真理を求める、つまり勝ちをあまり意識しないことで有名です。そんな名人が早くから姿を現すということはすぐにでも兄弟子…太一二冠との対局で真理を求めたいという意識の表れでしょう」

 「兄弟子といえば太一二冠と九頭竜先生は同門、清滝先生の弟子として有名ですね」

 「はい(笑)まぁ、一緒にいたころは一度も勝てたことがありませんでしたが(笑)」

 「なんと!それではますますこの対局が楽しみになってきました」

 

 俺の発言にコメントが少しだけ騒ぎ出す。

 

 『はえーびっくり』『クズ竜王負け越しか』『さてさてどっちが勝つのか』『流石はクズ』

 

 目に入ったコメントの二つ目と四つ目、貴様らは許さんからな。

 しかし、俺の隣にある二つのメロン…先ほどから大きく揺れている。つまるところ

 おっぱいでけええええEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!

 

 なんだよこれ、もはや爆弾だ、兇器だ。非核三原則はどこ行ったと大声で叫びたい。この二つのメロンを気にしながら俺は兄弟子と名人の対局にふさわしい解説をしなきゃいけないのか…。

 

 「太一二冠は普段日常生活ではどういったことをなさっているんですか?」

 「そうですね…。重要な対局前だと温泉巡りとかしています。あとは(弟子に)指導対局とか」

 「そうなんですねー!(一般の人に)指導対局するなんて器がデカいですね。あと、太一二冠は対局中抹茶を飲むことで有名ですがそのことで何か知っていますか?」

 「兄弟子はお爺さんみたいなところがあるんですよね(笑)姉弟子が小さいころなんてすごく甘やかしていましたし、ガラケーの使い方が未だにわかっていなかったりとか。抹茶については心が落ち着くって聞いたことがあります」

 「九頭竜先生の姉弟子と言えば『浪速の白雪姫』で有名な空銀子先生ですね。あっ、コメントが一気に賑やかになりました!!」

 

 『銀子たんktkr』『ニコ生出てくれねぇかぁ』『ちょっと誰かこのクズ竜王とチェンジして』『俺はたまよんのほうが好きだよ!!』『俺もたまよん派』

 

 コメントでは姉弟子と鹿路庭さんについてで一気に賑わった。俺が置いてかれた…?最速でタイトルを取ったこの俺が…?

 ショックを受けていると、対局が今にも始まりそうな雰囲気だった。

 

 「振り駒の結果は…名人が先手番ですね。先生、どういった戦型が予想されるでしょう?」

 「二人ともなんでも指すタイプですのでよくわかりませんね。しかし、名人は相手の得意とする戦法に自ら飛び込むというのがあります。兄弟子もそれを十分に知っているはずですのでまずは得意の戦法、居飛車穴熊か右四間左美濃辺りが怪しいかと」

 「太一二冠の棋風は正しく『攻め』といった感じですよね。対局では切れのある攻撃力がいつも炸裂していましたからね。どういう乱戦になるのかドキドキが止まりません!」

 「いいえ、太一二冠の棋風は『攻め』ではなく『受け』です」

 「―――え?」

 

 俺の言葉に鹿路庭さんが首を傾げた。しかし、俺は今にも対局が始まることばかりに意識を向けていた。

 

 「始まりますよ」

 

 五番勝負第一局目が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次話から対局が始まります。
棋譜とかいろいろ参考にしますので時間がかかるかもしれません。


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第18局 魔法

ママになりたかった(fgo談)



 ☗ 挑戦状

 

 帝位五番勝負一局目、名人の先手番から始まったその対局を観戦する棋士たちは固唾を呑んで検討室で次の一手を待っていた。

 そして、3手目。

 名人が持ったのは――真ん中の歩だった。

 『中飛車』、神鍋歩夢六段を破った戦法。

 

 「これは…」

 「九頭竜先生、この一手はもしかして」

 「ええ、恐らく名人からの挑戦状でしょう。俺の中飛車にどう対応する?という」

 

 

 その一手に驚愕したのは実況をしている俺も例外ではなかった。

 兄弟子が神鍋歩夢六段を破った戦法は『中飛車』つまり、研究し尽くしている戦法だ。

 その戦法を使うのは名人は兄弟子がどう対応するかを見たいのだ。そしてあわよくば自分の技術にしようと考えている。

 名人は心の奥底から将棋が大好きなんだと俺は知った。

 どんな局面だろうと、どんな劣勢だろうと、楽しいから最善を尽くせる。

 

 そして、当の兄弟子は――

 

 「……笑ってる?」

 

 扇子で口元を隠しているが明らかに笑っている。

 つまり、兄弟子も面白いと感じ楽しんでいるということだ。

 

 飛車先の歩を伸ばし、自分は居飛車で行くと主張する。

 

 「なんというか序盤なのに凄く引き込まれますね…」

 「それは二人が…兄弟子と名人が心の奥底から盤上と言う一つのステージで楽しみたいという思いにほかなりません」

 

 あんな笑みを俺は今まで見たことがあっただろうか…?

 兄弟子は俺や姉弟子と対局しても笑いはしたが不完全燃焼といった表情をいつも浮かべていた。

 それは不満なんだ。

 俺たちが力不足だから兄弟子は本気になれなかった。

 

 

 

 その悔しさが自然と握る手の力を強めた。

 

 ☖ 攻めること

 

 神戸で出会った一人の女の子、夜叉神天衣と会った時俺はどうしようもなく育てたいと思ってしまった。

 原因はすぐにわかる、彼女の棋風が『受け将棋』だったからだ。

 同じ棋風で、尚且つ俺よりも『受け将棋』の才能があった彼女を育てたい、弟子にしたいと思った――そう思っただけだ。

 弟子を取ってしまったら弱くなってしまうかもしれない、そういう予感があったから。

 そして、その予感をさせた元凶が今、目の前にいる。

 

 「カアアアアアアアッッッ!!」

 

 久しく感じていなかったこの感覚――。

 互いに高め合っていくこの心地よさ。

 あぁ―――本当に楽しい!

 

 師匠や、いろんな人がこう言ってきた。

 

 『お前は受けた後の攻めのほうが強い』

 

 しかし、俺はそれを聞き入れることが出来なかった。棋風は『受け』であればもっと強くなるのは知っている。そして試した。

()()()()()()()()()()()()()

 

 順位戦で安全を期すために受けに回り指したことがある。

 最初は良かった。最初だけは。

 途中から自分とのズレというものが現れ始めた。

 脳内にある将棋盤が『受け』を拒否し、最善手をどこかに隠し始めた。

 見えなくなかった手筋のせいで俺は絶不調に陥った。そして、降級することはなかったが昇級することもなかった。

 

 つまり俺は心が弱かったのだ。

 『受け』であれば強くなれる。しかし、弱い心がソレを許さない。攻めろと叫んでくる。

 

 ―――そして、今はその叫び声を受け入れている。

 

 

 

 この局面、右側の銀がお互いに交換になった。

 五筋にいる銀飛車と四筋にいる角を牽制する一手。

 それは―――5二銀打つ。

 

 これで同飛車と取ると4一銀打ちで飛車金両取りもなる。

 さぁ、どうでる…。

 

 「―――」

 

 名人は迷うことなく同飛車と取った。

 その一手が俺を勝勢に導いた―――はずだったのだ。

 

 ☗ 桂馬>銀

 

 「ここまで太一二冠の勝勢ですが九頭竜先生はどう見ますか?」

 「そうですね、形勢が傾き始めたのは52手目の銀打ちですね、そこから徐々に名人が押され始めました」

 

 持ち時間は既に使い切り、お互いが秒読みの中指していた。

 両者額に汗を滲ませ一生懸命考えていることがわかる。

 明らかに名人は不利、だがなんだ。

 なんだこの嫌な感じは―――?

 

 いや、信じろ!

 兄弟子ならやってくれる!!

 現に今名人を追い詰めているのは確かなんだ!!!

 

 

 

 強くそう思った。

 強く思ったからこそ秒読みに入り、名人が指した手が俺に絶望を与えた。

 

 「九頭竜先生、今名人の手が…!」

 「ええ…!震えました…!!」

 

 将棋界にはある伝説がある。

 それは、名人の手が震えた場合相手にもう勝ち筋がないということ。

 震えた手で指された手は見る人の度肝を抜く妙手、人は畏怖の念を込めてこう言った―――魔法(マジック)と。

 

 「けれど、この指された8六銀打つは…タダではないでしょうか?太一二冠も『わっかんねー』といった感じで腕を頭の後ろで組んでいます」

 「ええ、歩の頭に置かれた銀はタダで取ることが―――」

 

 タダ…だって?

 違う――!これは―――!

 

 「最後に7二桂打が出来るんです!」

 

 これは…!詰んでる…!?

 同歩と取れば金打で詰み。そして、同玉で取れば…。

 

 「桂打…ですか…。あああああああっっっ!」

 

 鹿路庭さんも詰み筋に気付き驚きの声を上げる。

 

 「これは…天才の詰みです。名人は昔から天才だと知っていましたが…いや、これは…」

 

 天才…?いや、そんな生易しいものではない。秒読みと言う敗北を呼び寄せる悪魔が近づいているにも関わらずこの詰みを発見できるのは『神』以外にあり得ない。

 

 「普通桂馬より銀のほうがいいという理屈が考えられない、いや天才です」

 「九頭竜先生もお気づきにならなかったと」

 「ええ、まずこの銀を打つという発想が普通有り得ません、思いつきにくいです」

 

 詰め将棋の神であるあいだったら解けるかも知れないが…。

 

 「…今、太一二冠が投了しました」

 

 最後は視聴者の人にもわかるように形作りをして、投了した。

 俺は恐る恐る画面を見た。

 どういう表情をしているのか、あの時みたいな苦しそうにしている桂香さんみたいな顔をしているかもしれない。

 けれどそれは杞憂に終わった。

 

 対局が終わった後、兄弟子と名人は()()()()()()()()()()()()()

 

 悔しさなんて微塵も感じられないその表情は俺に安心させると同時に二人の強さを垣間見た。

 

 もし俺が同じ局面であんな負け方をしたら立ち直れるだろうか…?もしかしたら慰めに来た人たちに強く当たってしまうかもしれない。

 そんな一手だった。

 その一手を笑って流すことが出来るだろうか…?

 

 文字通り格が違う。この二人が本気で『竜王』を取りにくれば、俺はあっさりと喰われてしまうだろう。

 

 渦巻く不安をただただ俺は感じることしかできなかった。

 

 ☖ 盤上での真理

 

 正直言って差異はあった。

 前世での彼のほうが強かった気はするが…それは些細なものだ。

 ()()()()()()()、その事実だけで真理を求めるに値する。

 最後の銀打は見落とした一手だった。

 

 感想戦で、俺が変化を示すと名人も笑ってそれに答えた。

 まるであの人と感想戦をしている錯覚に陥ったな。

 

 中飛車で負けたのは…生石さんとの玉将戦以来だな。

 

 「ああ、熱い」

 

 俺はあと2局負ければ失冠だがそれは絶対にさせない。

 残りの4局、全て使って防衛する。

 それで少しでも真理に近づけるなら―――。無論、ここから3連勝できれば御の字だが、それはないだろう。

 

 将棋の神様がいるのなら俺は心から感謝しなきゃいけない。

 こんな楽しい時間を過ごせれるのだから。

 

 「もっと、もっと強く…」

 

 もっと強くなれるはずだ。名人と指してそれからまた指して、何局も何局も。

 八一君と銀子ちゃん、あいちゃんに天ちゃん、師匠と桂香さんと爺ちゃん、いろんな人にこの言葉聞かれたら怒られるかもしれない。

 

 もっと強くなれて、少しでも真理に近づけれるのなら俺は―――

 

 「死んだって構わない」

 

 ☗ 見てるから

 

 「頑張って…!お兄ちゃん!!」

 

 私は自室で携帯の画面を食い入るように見ていた。

 帝位戦五番勝負第4局目、兄弟子が一勝、名人が二勝している状況。

 つまり、これを落とせば兄弟子は…お兄ちゃんは失冠する。

 

 「お願い…!」

 

 縋るように紡ぐ言葉は願いだった。勝ってほしい、そんな純粋な思い。

 私、空銀子が今女流棋士で最強と呼ばれているのはお兄ちゃんのお陰でだった。

 だから、尊敬する兄が笑って終わるタイトル戦をこの目で納めたかった。

 

 盤面はどちらが優勢かわからないほど入り組んで複雑なものだ。

 裸一貫で地雷原に飛び込むように、一手一手が命取りになる。

 その場にいなくても私は心臓の鼓動が激しくなっていた。

 

 お兄ちゃんの夢が叶った。

 だったら、その夢がバッドエンドで終わってほしくはないの…!

 暇があれば、名人の話を私に聞かせてくれた。そこから伝わった敬意は今でもすぐに思い出せる。

 

 「お兄ちゃん……!お兄ちゃん……!!」

 

 ここまで他人に勝ってほしいって思うのは馬鹿だと一蹴されるかもしれない。

 けど…、けど…!

 

 私はお兄ちゃんの想いを知っているから…!!

 

 そして、盤面は最終局面へと移っていった。

 画面を見ることが徐々に出来なくなった、手を合わせてひたすらに将棋の神に祈ることしかできなかった。

 

 「見てるから…!お兄ちゃんの頑張ってる姿を見てるから…!!」

 

 それは応援だった。

 聞こえなくても声に出さずには居れなかった。

 

 「見てきたから…!お兄ちゃんがどれだけ頑張ってきたか見てきたから…!!―――頑張れ!」

 

 手を合わせ俯き、来るだろうという終わりを私は待っていた。

 

 そして―――。

 

 「負けました」

 

 ハッキリと聞こえた声。

 誰の声かはすぐにわかった。

 

 長年一緒にいるのだ、判別など容易かった。

 

 

 

 

 銀子の見る先には―――、

 

 頭ががっくりと項垂れ、扇子を力強く握りしめていた兄の姿があった。

 

 

 




じいちゃん……あんたは頑張った……!
バレンタイン編の番外編はてんちゃんだけ書き終わった。あいちゃんまだ。
銀子ちゃんと桂香さんはどうするか…。

今回、モチーフになったのは有名なあの一局ですね。


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第19局 帝位

☗ 勝敗

 

 『負けました』

 帝位戦第四局、名人の口からその言葉を聞いたとき体中に強張った力が抜けて、何故か俺がガクリと頭を下げていた。

 これではどちらが負けたかわからない。

 

 「ぁ…ぁり…が…」

 

 ありがとうございました、ただその一言さえ言うことも叶わないほど俺の頭は参っていた。

 汗などとうに出し尽くした、水分を身体が欲しがっているがそれとは別にこう叫んでいた。

 ―――もっとだ。もっと指したい。

 

 俺は生まれ変わって一つ、大きなミスをした。

 それは気付かないミスで、人生の大悪手の一手。

 無意識のうちに思考に鍵を掛けていたのだ。

 それは単に自分の脳が追い付かないから。

 思考の大波に襲われて苦しくなるのを拒んだのだ。

 

 その鍵が外された。

 だが、これが初めてではない。

 これで()()()だった。

 

 一度目は生石さんから初めて玉将のタイトルを奪取したとき、二度目は俺が小学六年生の時帝位のタイトルを持っていた於鬼頭(おきと)さんから奪取したとき。

 どちらとも対局が終わった後ひどい頭痛に悩まされ、一週間はまともに睡眠ができなかった。

 

 そして、三度目がこのタイトル戦だ。

 

 対局が終わると知ると記者たちが対局室に詰め掛けてくる。

 一つ一つの質問に俺は最短で模範的な答えを返していた。

 しかし、とある記者の質問に俺はこう答えた。

 

 「あの89手目の時、受けに回らず攻めに転じたのは何故でしょうか?あの入り組んだ場面ではもしかしたら即詰みがあったかもしれないのではないでしょうか?」

 「はい、僕が見た限り詰みはないと判断しました。しかし、名人なら見えてるかもしれないという怖さはありましたね。そして、あそこで受けに回った時攻めに転じるのが少し重くなります。なので、攻めの一手に決めました。勝つための一手です。

 それに、―――あんな手を指すなら死んだほうがマシだ」

  

 

 これは俺の本心だった。

 あの89手目の場面、確かに詰みはないと判断した。けれど、保険をかけて安全な受けの一手を指すというのはもう既に()()()()()()()

 俺は自分の読みを信じた、もし仮にそれで負けたとしても悔いなどない。信じた自分の一手で負けたという事実があるからだ。

 だからこそ、受けの一手を指すなら死んだほうがマシだと思った。

 

 言葉少なに質問に答え、名人と軽く感想戦を行う。

 2時間ごろ経った頃だろうか、対局場である旅館の女将が対局室へと赴いてきた。

 

 「食事の準備が出来ました、どうなされますか?」

 

 食事か…。そういえばもうそんな時間か。

 お腹も減ったし、行くか。

 

 名人に軽く断りを入れて、席を立つ。

 その名人はまだ物足りないといった表情を浮かべているが渋々といった感じで同じように席を立った。

 

 いつの間にか頭痛は消え去り、何故かすっきりとしていた。

 

 ☖ 兄弟子の企て

 

 『太一二冠、カド番を凌ぐ大熱戦を繰り広げる!』

 『うるさいから旅館の滝を止めさせる新手』 

 『タイトル通算100期まで残り一勝』

 『四枚穴熊で固めていたのにも関わらず彼の原始棒銀に寄せ切られてしましたので結婚することに決めました』

 

 新聞で将棋について紹介されているのに目を通すとほとんどが兄弟子と名人に対して書かれていた。

 

 「すごいです!あの名人とこんな勝負を繰り広げるなんて!」

 「ああ、俺なんかじゃ及びもつかないような対局ばかりだ。改めて壁の高さを実感するよ」

 「でも最強はししょーです!竜王!ドラゴンキングですから!!」

 「ありがとう、あい」

 

 そうだ、俺は最高峰のタイトルを持つもの…!そして、JSを弟子にしている猛者…!ステータス的には兄弟子と名人には劣らないんだ…!!

 

 「けど、兄弟子が対局中にみかんをあんなに食べ始めるなんて」

 「びっくりしました!お皿にこうどかっと乗っていたのに気が付いたらなくなっていましたからね!!」

 「そして、驚くべきなのはあの寝ぐせ!!」

 「後ろにアンテナみたいなのが立ってたあれですね!」

 「ああ!解説者も驚きの声をあげる絶妙手!!だが、相手が悪かったなあ」

 「名人も負けず劣らずでしたもんね」

 

 そう、名人もまた後ろにひどい寝癖がついていた。すごかった、スポーツカーのマフラーみたいな感じで。

 しっかしまあ、兄弟子はいろいろとこの五番勝負でやらかしてくれる。

 特に第三局目、秒読みに入ってもしつこく持ち時間何分?と聞くもんだから記録係が「ありません!」ってキレた奴は歴史に残されるだろう、解説者はその時月光聖市会長だったけど笑ってた、男鹿さんはそれをみてニッコリ。

 第四局目は滝がうるさいからと止めさせたり。

 

 だが、この五番勝負で最も重い知らされたのは―――あいの『才能』だった。

 

 第一局目、名人の銀打ち。

 あいはその前からすでにその詰め筋に気付いていた。

 兄弟子が寄ろうとした時に生まれた隙、それを名人は突いたのだ。

 

 兄弟子が寄りに入る手を見せた瞬間あいは間髪入れず「太一おじちゃん負けましたね…」と呟いた。

 これほどの才能を持つ子を俺は磨き上げることが出来るだろうか。

 

 「って、あい。服」

 「ほえ?」

 「ほら、三つ目のボタン。ほつれてるだろ?」

 「あっ!本当だ!すみません、すぐに直してきますね」

 

 ここで俺は考えた、いつもあいにはお世話になってるからここは俺がやってやるかという邪念、弟子に少しでもいい所を見せようとしたがために生まれた悪手。

 

 「いや、いつもあいにはお世話になってるからな。ここは俺に任せてくれ。裁縫だけは自信があるんだ」

 「えっ、師匠に!?そんな…師匠の手を煩わせるわけには…」

 「あい、つべこべ言わずに服を脱ぎなさい」

 「……はい」

 

 あいが恥ずかしそうに服のボタンに手を掛ける、そして来た。

 

 

 死が。

 

 「幼女の服を脱がしてなにやってんのよ」

 「いや、けどこれは大事なこと…って、ああああああああ姉弟子いいいいいいっっっ!?いつからそこに!?」

 「アンタが『服を脱ぎなさい』って言ったところかしら」

 

 よりにもよってそこかよおおおおおおおおおお!

 

 「い、いや誤解ですって!それに姉弟子勝手に家に入らないでくださいよ!!」

 「ピンポンしても出てこないから入っただけよ、何、文句ある?」

 「ま、まじか…あいとの会話に夢中で全然気づかなかった…」

 「そ、じゃあ早くこわっぱの服の匂いを堪能して『あいたんはぁはぁ♡』と気持ち悪いことをのたうち回った後ドラム缶にコンクリ詰めにされて荒ぶる太平洋に投げ込まれなさい」

 「なんでそう詳しく言っちゃうの!?ほら、あいも何か言ってやってくれよ!!」

 「……ポッ」(まんざらでもない顔)

 

 

 

 

 

 「それで?」

 「コンクリ詰めだけは勘弁いただきたい」

 

 理不尽だ。

 

 

 

 

 

 「すみません、師匠…」

 「ふん」

 

 あの後必死の弁明により死だけは免れた。

 多分、この年齢で死を免れたと心の奥底から思ったことがあるのは俺ぐらいだ。

 

 「それで姉弟子今日はどういったご用で…」

 「別に…ただ」

 「ただ?」

 「……会いたくなったからよ、文句ある?」

 

 照れながらそういう姉弟子、不覚にもかわいいと思ってしまった。

 い、いや待て!相手は姉弟子だぞっ!?そんなどこかのラノベみたいにツンデレで本当は可愛らしい女の子とか断じてないんだ!!

 

 「………だら」

 「というのは嘘で兄弟子について聞きたいことがあってね」

 「兄弟子について?」

 

 嘘かよ、ドキドキ返せ。

 

 「そうよ、帝位戦が始まる前兄弟子がなんかいろんな人に声を掛けていたらしいのよ。何か知らない?」

 「声っていうと…なんかの集まりのことですか?いや、俺は知りませんね」

 「そう…。月夜見坂さんと供御飯(くぐい)さん達は兄弟子となんか企ているらしいんだけど」

 「あの人たち兄弟子と交流があったのか…」

 

 月夜見坂さんと供御飯さんは女流棋士でタイトルホルダーだ。一応、俺はその二人とよく遊びにいくこともある。

 けど、兄弟子があの二人に声を掛けるなんて…、なんか交流とかあったのかな?

 

 「まぁ、いいわ。それよりもこわっぱにはあの話をしたのかしら?」

 「そろそろしようかなと思っています」

 「あの話ってなんですか?」

 「マイナビ、そういう大会が東京であるんだ。それでいい成績を残せば女流棋士になれるんだ」

 「…あっ!もしかして!!」

 「あぁ、桂香さんも女流棋士になれるチャンスがあるというわけだ」

 「そういうことよ、一応アンタは私の弟弟子の弟子と言う一門の関係だからね。少しは準備してみっともない対局にしないよう頑張りなさい」

 

 姉弟子の挑発的な言葉にあいは頬を膨らませて抗議する。

 

 「まぁ、マイナビは兄弟子の第五局目の後にあるからな。まずは兄弟子の対局の行方をしっかりと見させてもらおう」

 「師匠は勝てると思いますか?」

 「どうだろうな…次名人が先手番になって居飛車穴熊を使ってきたら兄弟子でも苦しいかもしれない。名人の居飛車穴熊の勝率は0.91、たった一回しか負けていないんだよ」

 「……え?」

 「その一敗は現役棋士最年長の方が付けたけれど未だに棋士の間では居飛車穴熊を使われたら負けと思えっていわれるぐらいなんだ」

 「え?」

 

 次は姉弟子が俺の言葉に疑問符を浮かべた。

 なんか間違ったこと言っただろうか…。

 姉弟子はそのあと一人で納得し、口元を手で押さえ笑った。

 

 小さく漏れ出した『システム』という単語が妙にざわつきを覚えさせた。

 

 ☗ 驚きの一手

 

 私の目の前にいる和服の子は本当に16歳の男の子だろうか。

 だが、これだけはわかる。強い、それも積み重なった確実な強さだ。

 面白いと思うし、興味も沸く。彼の様な棋士と対局すれば将棋の真理により一層近づくことが出来ると予感させられる。

 そも、将棋そのものの本質を完全にわかっていない。だからこそ追及する価値がそこにはある。今の研究パートナーともいい関係を築き将棋をお互いに理解していっているがそれでもまだ足りないと感じる。もう一人研究熱心な棋士や目の前にいる彼の様な若さを持ち合わせ、尚且つ熟練の手筋を身に着けている棋士が必要だ。

 

 だから、見せてほしい。私のこの最も自信のある戦型にどう対応してくるか。

 

 私が飛車先の歩を突いて駒組を進めていく。居飛車穴熊だとわかる所まで行くと彼は扇子を口元に当て何かを考える仕草をした。

 居飛車に対して飛車を振ったのは驚かされたがそれよりも―――この見たこともない独特な陣形がそれ以上の驚きを与えた。

 

 彼が桂馬を跳ねた瞬間、その陣形の狙いがようやくわかり体が震える。

 

 これは間違いなく新しい戦型だ。―――それも居飛車穴熊を絶滅させるかもしれないそんな戦型。

 

 だが、この感じる高揚感は久しぶりだ。彼の気迫が今は亡き彼に似ているからというのもあるんだろうか。

 

 私は、口元に笑みを浮かべながら次の一手を指した。

 

 

 ☖ 帝位 八柳太一

 

 

 名人が居飛車穴熊を組んだ瞬間、俺は()()()()()()システムへと移行した。しかも、これはただのシステムではない。新・藤井システムまたはネオ藤井システムと言われる戦型だ。7六、7五と歩をついて早石田を連想させる構図から四間飛車にし、居飛車穴熊を倒すものだ。

 元々居飛車穴熊は手数がかかるためそこに大きな隙が生まれる。その隙をつくのがシステムなのだ。

 正直に言って居飛車穴熊に対してこの戦型が上手く嵌れば苦することなく勝つことが出来る。

 

 ―――だが、目の前の人間はそうさせるはずもなかった。

 

 「……将棋星人め」

 

 小さく漏れ出た言葉、それが今の盤面上を表している。

 間違いなくこちらが優勢だ。しかし、それだけであって優勢からまったくもって勝勢へと傾かない。しかも、一手ミスすれば一気に互角へと持っていかれる恐れがある。

 

 お互いに持ち時間を使い果たし一分将棋になっているが指し手はより一層厳しくなっていった。一歩間違えばそれは負けを意味しているからだ。お互いに理解している、理解しているからこそ()()()()()()()()()()()()()()

 

 早く終わってくれ、この苦しい時間から解放されたいと。

 だが、それも勝る気持ちが表面上に現れ始める。

 

 「楽しい―――ッ!!!」

 

 昔、楽しんだもん勝ちという言葉を聞いたことがある。確かにそうかもしれない。苦しい、終わりたい、けれども楽しいという感情が、指す手を緩ませない。

 これで負けたとしてもそれこそ悔いは残らない。

 

 けれど

 

 

 

 「勝ちたい」

 

 扇子で口元を隠し、そう呟く。

 

 

 

 研究に協力してくれた桂香さんのために。

 

 俺を労わってくれた天ちゃんのために。

 

 いつも元気づけてくれたあいちゃんのために。

 

 将棋を見てくれた師匠のためにも。

 

 なにより―――可愛い弟弟子と妹弟子が見てるんだ。

 

 

 

 バシィン!と名人の駒が盤面に叩きつけられた。

 グリグリとねじ込ませるように叩かれた駒は名人の渾身の一手だとすぐに感じた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 名人の口から出ていた苦しそうなうめき声が溜息に変わった。

 それが悪手だとすぐに気付いたから。

 

 記録係が秒読みを始める。

 名人は水を一口飲む。

 それは喉を潤すためだった、ある言葉を紡ぐために。

 

 彼は姿勢を正しこういった。

 

 「負けました」

 

 ☗ 防衛

 

 「太一二冠の勝ちだ!」

 「名人はなんであそこで投了したんだ!?」

 

 関西将棋会館で名人が頭を下げた瞬間賑わいが起こった。

 絶対王者である名人が16歳の男の子に負けた、その事実だけで将棋界が揺れる。それほどの人物を打ち負かしたのだから。

 控室にいる棋士たちがこれ以降の手を検討し始める。

 俺が震える声で数手先の変化を起こすと隣にいた姉弟子がそれに気づいて声を上げる。

 

 「これって…!」

 「……ええ、これは詰めろです」

 

 俺の声にほかの棋士たちが困惑の表情を浮かべる。

 

 「何手なんだ、これは…」

 「一分で読み切れるレベルじゃないぞ…。しかも、名人は指してその次の手を見て気付いたんだよな。二人とも化け物かよ…」

 「これをこうやってこうでこうで…うーん、どう考えても一分じゃ…」

 

 姉弟子も詰めろだとなんとなく感じているが何手かまでわからないらしい。

 けれど。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「35手詰め、しかも場合によってはそれ以上になるかもしれません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「兄弟子、遠くに行っちゃったね…」

 「はい、名人との対局で明らかに変わりました、次元が違うぐらいの成長です」

 

 夜遅く、姉弟子が息を手に当てながらそう聞いてくる。

 時刻はもう遅く、あいと天衣はもう寝ていることだろう。

 

 「八一は…」

 「ん?」

 「八一は私のことを置いていかないわよね?」

 「置いていきません、そんな薄情者になった覚えはありません」

 

 こんな夜遅くに美少女である姉弟子を一人で放り出してみろ、大変なことになるぞ。

 

 「ねぇ、八一」

 「今度はどうしました?」

 「私がはぐれないように、置いて行かれないように

 

 姉弟子は俺の前を歩き始め、振り返り手を差し伸べる。

 町の街灯が綺麗な銀髪をより一層引き立たせ、彼女は魅力的な笑顔でこういった。

 

 ―――手、繋ご?」

 

 俺は、妖精のような彼女の申し出に笑顔で頷くのだった。

 

 

 ☖帰還とマイナビ

 

 

 「あぁー…疲れた…」

 

 着慣れたスーツで新幹線を下り、大阪駅の改札口へと向かう。

 名人ととある約束して、帰ってきたのはいいが未だに疲れが残っている。

 

 「まぁ、頭痛に悩まされないだけましか…、ってなんだ騒がしいな」

 

 改札口付近に人だかりが出来ている。

 …なんだろうこの既視感は。

 

 「ふん、出迎えになんでアタシがこなきゃいけないのよ」「まぁまぁ、そう言わずにさ。心の角道空けていこうぜ?」「きもっ」「八一、きもい」「八一君それはちょっと…」「ししょー…」「あいと桂香さんまでっ!?この言葉結構気に入ってるんだけどなぁ…」

 

 彼らの会話が耳に届く、それが妙に心地よかった。

 銀子ちゃんが一番最初に俺の姿に気付き、駆け寄ってくる。

 

 「兄弟子、防衛おめでとうございます!」

 「ありがとう、皆も。なんとか防衛出来たし名人と念願の対局が出来たしいい経験だったよ」

 

 銀子ちゃんの頭を撫でながら一門を見渡す。

 あいちゃん…少し見ない間に身長が少し伸びたね。前髪も少し左側に寄せて可愛く見せて八一君にアピールかな?

 天ちゃんも今日はリボンの位置が少し下だね、朝急いでいたのが窺える。

 八一君、寝不足だね、隈酷いよ。対局の研究はいいけどしっかり休まなきゃ体に毒だ。

 桂香さんは相変わらずみんなの保護者みたいな人だな。

 銀子ちゃん、孫力上がった?

 

 

 「うん、皆元気そうでよかった。積もる話もあるだろうけどごめんね。僕はこのあとまた忙しくなるんだ」

 

 俺の言葉にあいちゃんが心配そうな声をかける。

 

 「またですかっ!?一回休んだほうがいいとですよ!!」

 

 うん、それ君の師匠に言ってくれ。明らかにやつれてるから。

 

 「そうね、もうそんな時期なのね…」

 「兄弟子、頑張ってください、応援しています」

 「負けちゃ、駄目ですから…!」

 

 桂香さん、八一君、銀子ちゃんの眼差しが俺に力を与えてくれる。

 

 「それで、一体なにがあるのよ」

 「中間テスト」

 「………は?」

 「いやー、高校のテストと防衛戦が大体同じ時期にあるのきついんだよね」

 「ちょ、ちょっと待ちなさい!」

 

 

 天ちゃんが慌てて俺の言葉を遮る。

 

 「アンタ…高校行ってたの?」

 「あれ、言ってなかったっけ?まぁ、出席日数はギリギリだけど行ってるよ」

 「はぁー…うちの師匠は中卒…。師匠変えようかしら…」

 「はぁ!?中卒で何が悪いんだよ!!というか、師匠を変えるとか冗談でも言わないでください、お願いします」

 

 そもそも最初の時代は家庭内の経済環境があれだったから高校には行けなかった。だから、こうやって生まれ変わった今高校生活を楽しんでいるというわけだ。それに知識を蓄えるのはとてもいいことだしね。何かあったとき知識は大きな力になる。

 そして、俺が中間テストをやっている最中八一君たちはマイナビのため東京へと出向いた。俺も後から向かうつもりだ。

 テストも一段落し、東京に着くと八一君とあいちゃんがイカちゃんと一悶着起こしたらしい。

 俺には飽き足らずとうとう二人にまで手を出してしまったか…。

 だが、そこで驚きの結果が生まれた。

 なんとタイトル保持者であるイカちゃんにあいちゃんが平手で勝ったのである。これはすごい偉業だ。天ちゃんと桂香さんも順調に勝ち進みもう少しで女流棋士になれるところまできた。

 

 そして、マイナビ一斉予選が終わると同時に竜王挑戦者決定戦決勝トーナメント三番勝負が始まった。

 

 第一局目、俺は得意の戦型を使い、名人から初戦白星を上げる。

 

 第二局目、中盤のねじり合いを制した名人が黒星をつける。

 

 第三局目、これは波乱の展開だった。俺が入玉した瞬間名人がその玉を追い返したのだ。その前に千日手でやり直しが起こっており、俺の小さなミスを咎められる形で詰まされた。

 

 1-2という結果で俺が竜王の挑戦者になることは叶わなかった。

 

 ☗ 八柳研

 

 

 「はぁ!?なんでこのおばさんと東京に行かなくちゃいけないのよ!」

 

 関西将棋会館で晶さんと桂香さんと天ちゃんの4人で食事をしつつ、本題を切り出したらそう言われた。

 

 「けど、いいの太一君?私たちが研究会に参加して…」

 「はい、俺の知り合いが桂香さんにちょっと興味が湧いたみたいで、天ちゃんは…いい経験になる?」

 「なんで疑問符なのよ…。それで誰が来るのよ、その研究会」

 「あぁー…。月夜見坂さんとか?」

 

 いきなりのビッグネームで桂香さんの顔から色が失われていく。

 

 「桂香さん大丈夫か!?」

 「ほっときなさい、晶」

 「タタタタタイトルホルダーっっっ!?本当に私なんかがいってもいいの!?」

 「大丈夫ですって、桂香さんに興味を持った人はタイトルホルダーではないので」

 「それは少し気が楽ね」

 

 桂香さんは優雅にコーヒーを飲み始める、先ほどの取り乱しは一瞬でなかったことにされたらしい。

 

 「んじゃ、明後日9時に大阪駅に集合ね」

 

 

 

 

 

 

 

 朝、大阪駅に着くと天ちゃんが不機嫌そうに腕を組んで立っていた。

 

 「ごめん、待った?」

 「遅いっ!男ならもっと早く来なさいよ」

 

 と言っても10分前に来たんだが…。

 

 「それで、なんであの小娘や白雪姫様を呼ばなかったのかしら?」

 「あぁ、あいちゃんと銀子ちゃんか。うん、呼ぼうと思ったけどやめておいた」

 「なんでよ」

 「将棋が嫌いになるかもしれないから、天ちゃんみたく心が強くないから」

 「…え?」

 

 天ちゃんの呆けた声が雑踏によって書き消え、その人混みから桂香さんが姿を現す。

 二人に新幹線のチケットを渡し、東京へと向かう。その間、天ちゃんは俺の言葉の意味を考えていた。一方桂香さんは何故か将棋に没頭していた。なんでも恥じない姿を見せたいからだそうだ。あの人好みの性格だな…。

 東京に着くと、白いスーツを着ている少年が俺たちを出迎えてくれた。

 

 「待っていたぞ!竜王の弟子と、竜王の兄よ!!それと、桂香さん、お久しぶりです」

 「あ、歩夢君!?」

 

 歩夢君は俺が師匠の家を出た後からくるようになり八一君と仲がよくなったと当の本人から聞いた。だから、桂香さんと面識があってもおかしくない。

 可笑しくはないけれども。態度豹変し過ぎだろ…。

 

 歩夢君と共に目的地である別荘へと向かう。

 別荘の前に来ると、桂香さんその大きさに驚きの声を上げた。

 

 「おっきい…」

 「まぁまぁね。うちの半分ぐらいじゃないかしら?」

 

 いやいや、天ちゃんの家の半分って相当だからね。

 別荘の門が開き、家の中へ入る。

 靴を脱ぎ、棋士たちが集まっているだろうリビングへと向かう。

 心なしか二人に落ち着きが失われているように思えた。

 この先に俺が呼んだ棋士たちがいる。

 

 「……驚くだろうな」

 

 小さな声でそう呟く。

 歩夢君が先導して、ドアを開ける。

 

 開けると真っ先に写った人物に天ちゃんと桂香さんが息を飲む。

 

 「「―――名人ッ!?」」

 

 名人がいる。

 それだけでこの場にいることがどれだけすごいのか一瞬で理解した。

 

 桂香さんは周りを見渡すと乾いた笑いを浮かべる。天ちゃんも似たような感じだ。

 

 その場にいた棋士たちは

 

 生石允さん、於鬼頭さん、名人、月夜見坂さん、供御飯さん、篠窪さん。ほか、有数棋士数人。

 

 どれもトップ棋士の人たちだ。

 そして、桂香さんに興味を持った人物―――山刃伐さん。

 

 彼は桂香さんから持ってきてもらったノートを借り、名人と話をし始める。

 

 「たたたた、太一君ッ!これっていったいどういうこと!?」

 「まぁまぁ、落ち着いて桂香さん」

 

 山刃伐さんと名人は軽く会話をすると桂香さんのほうに向かってくる。まさかの超トッププロに近寄られるとは思っていなかったのか緊張して体を固める。

 

 「桂香君の研究ノート見させてもらったよ、凄く詳しく書かれているしわかりやすい。それで名人と話したんだけど、もしよかったら…僕と、いや僕と名人と一緒にこれから研究してみないかい?」

 「―――ふえ?」

 

 

 「おうおうおう!竜王の弟子!!こっちに来な!一局指してやるよ!」

 「っ!面白いじゃない、踊ってあげるわ!!」

 

 

 これが後に伝説となる八柳研の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜王戦、第一局はハワイで行われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第20局 屈辱

 ☗ さぁ、頑張っていこう。心が折れたら将棋が出来なくなってしまうよ。

 

 「勝てない…」

 

 夜叉神天衣は盤に突っ伏したままそう呟いた。

 目尻に涙は溜まることはなく、代わりにハイライトが消えていた。

 

 今天ちゃんと対局したのは棋帝のタイトルを()()()()()()篠窪さんだ。

 その前にもいろんな棋士と対局しているが圧倒的な差を見せつけられ敗北している。

 それもそうだろう。

 親譲りの薄くも固い守りを小駒だけで崩され、何もできずに負けているのだから。

 しかし、桂香さんのほうはもっとひどい。

 

 「桂香君、この人とこの人の対局のデータは纏めているかい?」

 「はいっ!こちらに!!」

 

 山刃伐さんと名人二人に揉まれながらの研究なのだから。

 なんとか追い付けているのは研究データのお陰だろう。桂香さんはその時の対局での感想戦での棋士の発言や解説者の発言もできるだけ読み筋として書き加えている。

 それは途轍もない労力を必要する、だからこそあの二人に気に入られているんだろう。

 凄いスピードでソフトとノートが行き交い、あそこの3人だけには生石さんですら近づこうとしない。

 しかも、戦型をノートに分けて纏めているのだからあの二人にとっては最高級のものだろう。

 

 んー、やっぱりあいちゃんと銀子ちゃんは連れてこなくて正解だったな…。

 八一君は名人との対局があって忙しいだろうし。

 

 「おう、太一。何考えてんだ?」

 「あ、生石さん。いや、あそこの3人すごいなぁって…」

 「俺からしてみればあの二人に追いついている清滝先生の娘さんのほうがすごいな。しかし、本当によく研究してある。男性棋士でもあそこまでやってる奴はいないんじゃないか?なんでまだ女流棋士になってないんだか」

 「壁を破ることが出来たらなんとかなると思うんですよね。この研究で少なからず近づけたらと思って連れてきました」

 「まっ、いいや。とにかく一局指そうぜ、捌いてやるぞ」

 「わかりました、次於鬼頭さんにお願いしてもいいですか?」

 

 延々とパソコンに向かってソフトで研究している於鬼頭さんに声を掛ける。

 ちらっと見てただ頷くだけ。

 本当に無口な人だ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生石さんや於鬼頭さんなどの棋士たちと対局し終え、時間を見るとすでに23時を回っていた。

 ほかの棋士たちはほとんどダウンしており、於鬼頭さんと山刃伐さんと名人、あと桂香さんぐらいしか将棋についてやっていない。天ちゃんはソファーでお休みだ。寝顔可愛い。写真撮って晶さんに送っとかねば。

 名人から話を聞くとお風呂は近場の銭湯で済ましてほしいと言われた。

 

 「天ちゃん、起きて。銭湯行くよ」

 「んー…」

 

 むくっとゆっくり起き上がり俺を虚ろな目で見つめる。

 目は半開きで動作が異様に遅い。

 

 フローラルな香りが鼻孔を擽った。

 

 「わお」

 

 誰かがそう漏らした気がした。

 天ちゃんは俺の腰回りに手を伸ばし、―――そう、抱き着かれたと言わせてもらいたい。

 

 「んん~♪」

 

 天ちゃんは俺のお腹に頭をスリスリしてくる。

 

 「ちょ!?」

 

 もしかしなくてもこれ寝ぼけてるよね!

 

 驚いていると余裕を与えずに次は首周りに手を回してきた。

 

 1 延々とこの状況を楽しむ。

 2 天ちゃんを起こし、状況を打破する。

 3 天ちゃんかわいい

 

 

 そんな選択肢を考えていると気が付いたら天ちゃんの顔が徐々に俺の顔に近づいているのがわかりなお慌てる。

 

 そして、夜叉神天衣は

 

 「おじーちゃんのおひげじょりじょりしてない……」

 

 顔を擦り付けて、寝ぼけ顔でそう言い放った。

 その言葉に固まっていると天ちゃんの眼が次第に開かれていく。

 

 右見て、左。

 そして、間近の俺の顔を見る。

 

 そしてまた右見て、左。

 最後に俺の顔を見て、耳まで真っ赤に一瞬にして染まる。

 

 「ななななななっっ!」

 「……おはよう、孫よ」

 

 数秒後に起きる悲劇を悟り、俺は目を瞑った。

 

 「死ねっ!このクズ!!」

 

おっふ。いいパンチだ。

 

 

 

 「ふんだっ!」

 「まぁまぁ、天衣ちゃん。太一君も悪気があったわけじゃないんだし、ね?」

 

 銭湯へ向かう途中、桂香さんがゴキゲンが良くない黒服お嬢様を宥めてくださっている。しかもさっきの体の真ん中を捉えるいいパンチ。

 相手の真ん中を射抜き、ゴキゲンを斜めにする…。

 まるでゴキ中だな…。

 

 「あぁ、もう!なんでこうアンタの前だと調子が狂うのかしら!!」

 「天ちゃん、アイス食べる?」

 「いらないわよ!というか、いつの間に買ってんのよ!!」

 「太一君も甘いのほどほどにしなきゃ銀子ちゃんみたく虫歯になるわよ。はい、没収」

 「そんな殺生な…」

 

 隙見て買ってたんだけどやはり俺らのオカンには勝てなかったよ…。

 うぅ…。バックに仕込んであるクリスプチョコを篠窪さんとあとで摘まもう…。

 

 余談だが、篠窪さんとはかなり仲が良い。というのも、はっきり言って将棋界には変人と分類される人が多く存在する。清滝師匠然りだ。プロになって出会った篠窪さんも何かとその苦労をわかり合ってくれるお人で人格よし、顔良し、頭脳よしで、本当に助かってる。イカちゃんとの件についても把握しており、すごく慰められた、

 あと、奨励会三段の鏡洲さんもかなりお世話になってる。

 

 「何、あの白雪姫虫歯になったの?はっ、無様ね。甘いものばかり食べてるんだったらそうなるでしょうけど」

 「うーん…神戸のシンデレラの辛口評価…。僕も甘いものを抑えねば…」

 「そうよ、神戸のシンデレラである私の…。ちょっと待ちなさい」

 「ん?トイレ?」

 「違うわよ!神戸のシンデレラって何よ!?」

 「あら、天衣ちゃん知らないの?マイナビで勝ち進んでいるその姿を神戸のシンデレラと例えた記者がいて、今ではそう呼ばれているのよ」

 「んなっ!…………その記者見つけ次第火刑に処してやるんだから」

 

 逃げて、その記者超逃げて。

 

 「けど、天衣ちゃんも気を付けなきゃ虫歯になるわよ?」

 「私がそんな無様な姿見せるわけないじゃない。ちなみに、虫歯になった白雪姫はどんな感じだったかしら?」

 「確か―――」

 

 

 

 

 

 『お兄ちゃん、お兄ちゃんッ!』

 「銀子ちゃん!?どうしたんだ!」

 

 ある日、銀子ちゃんから電話がかかってきた。出てみると切羽詰まったようにお兄ちゃん、お兄ちゃんと連呼してくる。

 もう兄弟子としか呼んでくれないと思っていた俺は嬉しい反面、何か不味いことになっているのではと思ってしまった。

 

 『助けてッ!お願―――』

 

 悲痛な叫びと共に電話はプツリと切れ、俺は師匠の家へと全速力で向かった。

 

 「師匠!」

 「おお、丁度ええところに来たな太一。お前さんからも銀子に何か言ってくれんか?」

 「えっ、銀子ちゃんここにいるの?」

 「そうじゃ、銀子の奴虫歯になっての。桂香と一緒に歯医者に行かせようとしても怖がってな、八一もおらんし、丁度お前に電話しようとしていたところだ」

 

 銀子ちゃんが虫歯…だと…!?

 た、確かに最近いろんなスイーツ店に連れて行ってあげているけど。

 原因はそれか。

 

 「銀子ちゃん」

 「お兄ちゃん!」

 

 二階にある一室、よく八一君と銀子ちゃんと将棋を指した部屋に向かうと桂香さんの隙をついて俺に抱きついてきた。

 

 「ごめんね、太一君。銀子ちゃんったら歯医者に行かないの一点張りで…」

 「嫌!桂香さんの頼みでも絶対嫌!お兄ちゃんも何か言って!!」

 

 プルプルと震える銀子ちゃん、可愛い。

 って、違う違う。

 兄弟子からお兄ちゃん呼びになっていることから凄く怖い思いなんだろうとひひひしと伝わる。

 だけど。

 虫歯、ダメ、絶対。

 

 「銀子ちゃん、歯医者に行こう」

 

 俺の一言に銀子ちゃんは全てに絶望したかのような目になり一歩ずつ後退していく。

 

 「う、嘘だよね…。お兄ちゃん…?」

 「嘘なんかじゃない、歯医者へ行くんだ銀子ちゃん」

 「銀子ちゃん、そろそろ観念したら?」

 「……虫歯治さなかったらもう銀子ちゃんとスイーツ巡りできないのか」

 「ッ!?わかった…。歯医者、行く…」

 「うん、銀子ちゃん偉い偉い」

 「治ったらまたスイーツ巡りしようね」

 「……ぅん」

 

 

 

 

 

 

 

 「とまぁ、こんな感じだったな」

 「あっはっはっは!何よそれ!私を笑い死にさせる気!?あの白雪姫が虫歯如きに弱音を吐くなんて」

 

 お腹を押さえて笑う天ちゃん。

 どうやらツボに入ったらしい。

 あの時の気弱の銀子ちゃんはそれこそ稀に見る姿だ。

 八一君ですら見たことがないだろうか。

 

 そんなこんなで銭湯に付き、温泉に入って3人で一休みしている。

 

 「そういえば桂香さん。研究のほうはどんな感じ?」

 「まぁ、順調と言えばいいかしら。名人と山刃伐さんの二人が凄すぎて追いついていくので精一杯…。だけど、自分の力が引き上げられていくのが分かる。この研究会で一度自分の将棋観を洗いなおすつもりよ」

 「将棋観?いいの、そんなことしたら」

 「天衣ちゃん心配してくれてるの?」

 「ばっ!?違うわよ!ただ一門の人間がみっともない棋譜を残してほしくないだけよ!!」

 

 天ちゃんの言う通りだ。

 将棋観は今まで自分が積み上げてきた全てで構成されるもの。それを一度洗いなおすということは不調の原因にもなりかねない。

 

 「でもね、そうしたほうがいいって名人の手を見てると思えてくる。女流棋士には名人みたいな絶対王者はいないけどそれでも常軌を逸した手で将棋観が壊されてしまう時がくるかもしれない。だから、私はあの二人と名人と山刃伐さんみたいな棋士になって、何事にも動じない棋士になりたい。そういう天衣ちゃんはどうなの?」

 「…全敗よ」

 

 女流棋士の二人とはいい勝負が出来ているがやはりプロの男性棋士になると体力面、経験、精神面、全てで劣ってしまい負けてしまう。

 けど、一度いい勝負の対局があったはずだ。

 確か…歩夢君との対局だったな。

 

 「あのエセ騎士との対局は上手くいってたんだけど最後のあの手抜き…。流石に壁の高さを実感したわ」

 

 歩夢君との対局では天ちゃんが力を引き出されるように指されて最終局面、天ちゃんが桂馬を打ち必死を掛けたところ。

 本来ならばその桂馬を受けないと角2枚が襲い掛かり、王が怖くなるところだが…。

 歩夢君が指した手はその桂馬を無視した4三と金。

 あの手抜きは見ている棋士たち全員を驚愕させた。

 しかも、それでしっかりと受かっているのも凄い。

 そして、8九王という逃げの一手も素晴らしかった。

 

 だが、二人はもう朝とは別人と言っていいほどの棋力を手に入れたといっても過言ではない。

 

 「…まっ、あんな化け物二人に勝った棋士が目の前にいるんだけどね」

 「いや、それは早計だよ。確かに僕は名人とは五分の戦績、歩夢君には勝ち越しているけどそれはまだ勝ったとは言えない。現に竜王戦の挑決では名人に負けたし、今日の対局でも歩夢君とは五分の戦績だからね」

 

 そうだ。

 俺はまだ若い。

 ここから攻略されて負け続けるという未来すら有り得て当たり前。

 だからこそ、勝ったという意識は持たないようしてある。

 慢心はよろしくない。

 しかもだ。

 将来名人被害者の会に属することすら有り得るだろう。

 つい最近では棋帝を奪取された篠窪さんが加入したらしい。

 名人被害者の会。

 うん、言葉通りだ。

 名人によって魂を抜かれた人、失神した人、負け越している人。

 そんな人たちの会だ。

 とあるネット界隈にはある言葉がある。

 『名人は名人と戦わなくていいから勝率が上がって卑怯』

 と言われるぐらいに名人は凄すぎるのでその会の人数は計り知れない。

 

 「そういえば太一君はハワイに行かないんだったかしら?」

 「あぁ、その日はヨーロッパにいかなきゃいけないからね」

 「ふーん………ん?」

 「そう、そういえばもうそんな時期なのね」

 「あぁ、頑張ってくるよ」

 

 竜王戦第一局はハワイで行われるが生憎その日はヨーロッパのほうに出向かないといけない。

 

 「ちょ、ちょっと待ちなさい。今、ヨーロッパに行くって言ったわよね?」

 「あぁ、チェスの大会があるからね」

 「……なんかもう驚くのも疲れてきたわ」

 「あぁ、天衣ちゃん知らないもんね、太一君はチェスのFMのタイトルも持ってるのよ」

 

 ちなみにだが名人もFMの資格を持っている。 

 あと、囲碁の段位も持っている。

 名人凄い。

 

 FMとはチェスのレーティングが2300を超えた人に授与されるタイトルである。

 

 「それでそんなアンタからみて師匠(せんせい)の勝機はどれぐらい?」

 「難しい話だね…。正直言って今の名人は全盛期に近い状態だから今のままでは八一君は負ける。だけど」

 「だけど?」

 「名人が発する力っていえばいいのかな?それで八一君が本当の才能を引き出せれば勝機はあるよ」

 

 そう、八一君はまだ才能が芽吹いていない状態。

 そして、名人は必ず八一君を対局で成長するように指すだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 研究会も終わり、ついにその日がやってきた。

 竜王戦第一局、ハワイで行われた対局で九頭竜八一は名人に大敗を喫した。

 

 ☖記者の声、崩壊する世界

 

 

 第一局、あれは完全に名人の大局観が素晴らしかったとしかいいようがない。

 しかし、状況は芳しくない。あいちゃんから聞くに家での八一君の機嫌は悪い。

 それもそのはず。

 名人が繰り出した戦型は『一手損角換わり』

 八一君が最も得意とする戦型だ。

 

 それを使われ大敗。

 堪えるものがあるだろう。

 特に、最終局面に移る手筋だ。八一君はあれを読んでいたのだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()に違いない。

 あまりにも自分が有利だと結論付けて。

 しかし、実際にその手順になった時その恐ろしさは想像に難くない。

 

 「読んでいない手を指されたならまだいい。読みの量を増やせばいいから。だけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 八一君はハワイのホテルでそう言ったらしい。

 将棋観を、何十万と言う棋譜から成り立たせている八一君の『一手損角換わり』の根底から否定し壊した。

 

 そのせいか第二局目もまた見どころなく負けた。

 

 そして、第三局目。

 場所は山形県、天童市。

 将棋好きなら誰もが知っている場所で八一君と名人の大局が行われた。

 

 *

 

 「大丈夫だ…大丈夫…いつも通りにやれば勝てる…」

 

 胸を拳で叩きながら頭の中に響く謎の音を緩和させる。

 今の局面、この入り組んだ状態、お互いに一分将棋へとなっていた。

 

 ―――んんっ!!?

 

 高速道路に突然小石を投げられたような手、それにより全速力で書けていたアクセルが少し弱まる。

 

 「なんだっ!?危ないのかッ!?」

 

 くそっ!読むにしては時間がなさすぎる!!

 ……いや、まてよ。千日手の手順がある。

 

 千日手。

 それは同一局面を四度繰り返す手順ことである。

 それを使えば少しは時間に手に入る。

 しかし、自ら千日手の手順に入り込むのは邪道。

 

 「ええいっっ!!」

 

 しかし、今の俺にそんなことを考えている余裕などなかった。

 千日手の手順に入り、王手を繰り返す。―――()()()()()()()

 

 千日手において、王手の千日手は先に王手したほうが負けになるというルールがある。俺はその変化に気付かず飛び込んでいたのだ。

 

 「今何回!?三回!?」

 「えっ!?あの…」

 「危ない!?」

 

 記録係は言いどもる。

 当たり前だ、そんなことしたら助言行為だ!

 

 「クソッ!」

 

 千日手から逃れる一手を放った瞬間、俺は背筋が冷えていく感じがした。

 対面者からはぁーというため息が聞こえてきた。

 それは失望の溜息で…その瞬間俺は恥ずかしのあまり顔を俯かせた。

 

 名人がノータイムでその手に応じた瞬間、

 

 「…負け、ました」

 

 頭を深く下げて、泣きそうになっている顔を見せないように投了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 対局室には多くの記者たちが押し寄せてきた。フラッシュが背面から沢山焚かれ、自身が敗者だということを改めて実感させられる。

 名人はインタビューでも『難しい将棋だった。最後までどうなるかわからなかった』『次も盤上真理を追究しながら頑張りたい』と語った。

 それが余計に千日手に逃げた自分を辱めた。

 

 部屋に戻ろうした刹那、グイッ!

 誰かの足が俺の和服を踏んでおり、ダァン!という音共に俺はその場に倒れてしまった。

 場を静寂が支配し、誰かがポツリとこう言った。

 

 「かわいそう…」

 

 カッ!と羞恥心と怒りのあまりに俺は赤い顔のまま対局室を後にした。

 

 そのあとホテルの主催者がパーティーの準備が出来たと言ってきた。

 本当はすぐにでも帰りたいが竜王として少しだけ顔を出そうとした。

 

 「まっ、あんな奴は失冠して当然だよな」

 

 扉の入り口まで来ると、よく知る記者の声が聞こえてきた。

 心臓がバクバクと鳴りやまない。

 

 「二人も弟子を取ってるんだろ?しかも、その内の一人は内弟子と来た。将棋を教えることができるぐらい強いとでも思ってんのかね」

 「名人を見習ってほしいよ。あの年で未だに弟子を取らない姿勢、流石だな」

 「運よくタイトル取れただけで調子に乗ってるだろ」

 

 言い返してやりたかった。

 だけど、『将棋を教えることが出来るぐらい強いと思っているのか』という言葉がそれを制止させた。

 記者たちの声は尚も続く。

 

 「竜王と言えば、弟子の二人はルックスがいいからね。ビジネス価値がかなりありますよ。あーあ、もっといい師匠が付いてればなー」

 「それに加えて、浪速の白雪姫。あの人もクズ竜王と別れてくれればいいんですけど…。あっ、太一君とはどうだ!?」

 

 突如出てきた一門の名前に俺は動揺と汗が吹き出し、今すぐにでもその場を去りたかった。()()()()()()()()()()

 

 「太一君ね…。竜王の挑戦者にはなれなかったけど帝位を防衛したときはびっくりしたよ!確かに、太一君が師匠になって白雪姫とくっ付けば…!」

 「兄弟子と姉弟子はすごいけど今にも竜王を失冠しそうになっている八一君」

 「やっ、やめろ!笑わせんな!!」

 

 その一言でその記者たちに笑いが溢れる。

 

 「太一君が」「白雪姫が」「太一君が」「白雪姫が」

 

 繰り返されていくその単語を耳に入れないように俺は走り出していた。

 あぁ、そうだ。

 

 この頭の中になっている音は―――俺の世界が崩壊していく音だったんだ。

 

 

 「ハァ…ハァ…」

 

 

 

 後ろから足音が聞こえてくる。

 ゆっくりと振り返ると、()()()()()()()()()()がそこにいた。

 

 「お疲れ様八一君」

 「兄、弟子…」

 

 

 

 

 

 俺は、今どうしようもなく目の前の人を恨んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第21局 名人

 ☗ 比較という名の

 

 「…兄弟子来てたんですね」

 「まぁね、天童市で買いたいものもあったから」

 「俺の対局はついでですか?」

 「まさか、なんか八一君怒ってる?」

 

 あぁ、そうだよ!と俺は叫びたかった。

 俺はあと一敗すれば竜王を失冠する。

 その事実はあることを意味していた。

 そんな時に一門の人にはとてもでもないが顔を合わせる余裕もない。

 

 

 ついこの前、帝位を防衛し連続5期獲得した()()()()()()()に対して早く帰ってくれと叫びたかった。

 苛立ちから舌打ちしそうになるのを堪える。

 わかってる、この人は何も悪くない。悪くないけど、心がどうしてもソレを許さなかった。

 小さいころから比較され続け、兄弟子が誇らしいと思う反面自分の居場所というものが徐々に見失っていった。

 それが恨めしいと思わせる要因なのかもしれない。

 幼いころから兄弟子の光は凄かった、将棋界全てを照らす太陽みたいで眩しくてかっこよくて、そしてそれが凄く憎たらしい。

 そんな俺が兄弟子や姉弟子と一緒に居られるのは単にこの『竜王』のタイトルのお陰だった。

 俺が竜王だからこの人たちの隣に入れる。やっとみつけた居場所を俺は失いかけている。

 

 「今日の対局おしかったね。最後の千日手のところまで形勢は互角。いや、少し八一君に傾ていた」

 「……………だからなんだってんだ!」

 

 やってしまった。と思うより口は吐露し始める。

 それが兄弟子なりの慰めだと知りながら。

 

 「形勢は俺に傾ていた?それでなんで勝てないんだって言いたいんですかッ!?名人の挑戦を跳ねのけた棋士は言うことがやっぱりいうことが違いますね!!いつも兄弟子はそうだ、上から見るような態度で接してきて…俺がどんな思いで今戦っていると思うんですか!?」

 「知らないよ、僕は八一君じゃないんだから」

 

 有無を言わせない答えに俺は言葉に詰まる。

 そうだ、兄弟子は俺とは違う。

 ―――生まれ持ってきた才能から全て。

 

 「じゃあ、そういう慰めはやめてもらえますか。正直言ってウザいんですよッ!」

 

 俺の言葉に兄弟子は面を喰らったような顔になり、次第に顔を俯かせた。

 そこでハッとなる。怒りに任せて、俺は名人に勝てない鬱憤を晴らそうと兄弟子に当たってしまったということを。

 いつもならすぐに気付く。気付くどころか慰められたことに対して嬉しさも感じていたはずだ。

 そこで改めて実感する。

 心がもう折れかけていると。

 

 兄弟子はどうするだろうかと思ってしまった。

 そして、兄弟子の口から出たのは―――

 

 「八一君はさ、ホンモノを信じるかい?」

 

 訳の分からない言葉だった。

 俺の暴言など耳に入っていないかのように聞き逃し、どこ吹く風でただそこに立っていた。

 

 「……何を言っているんですか?ホンモノって意味が分からないですよ」

 「将棋の何かを変えるそんな人たちのこと」

 「それは…いるんじゃないんですか?名人とか兄弟子とか」

 

 名人と兄弟子によってここ最近の将棋というものは変わりつつある。

 横歩取りから様々な変化も最近出つつあるのはこの二人のせいだ。

 

 「例えばだ八一君、14歳2か月でプロ入りでして六段までわずか一年と四か月、ましてや五段から六段までの期間は16日と言う棋士がいたら信じるかい?」

 「そんな空想上の出来事なんて信じられるわけないでしょう、14歳2か月でプロ入りも偉業なのに昇段までの期間が短すぎます。そんなどこかの漫画じゃあるまいし…」

 「四十代にも関わらず竜王位を奪取し、100期目になるかもしれない名人の挑戦権を六者プレーオフで勝ち取った棋士がいたとしたら」

 「だからッ!そんな有り得ない話を何の意味があるんですかッ!?」

 「いいや、八一君―――有り得るんだよ、ホンモノだから」

 

 凛とした表情、言葉に重みを感じさせる雰囲気に俺は思わず息を飲む。

 

 「あの人たち…中原先生、大山先生、米永先生、加藤先生、渡辺先生、谷川先生、藤井君…そして羽生先生のように君もまた間違いなくホンモノだ」

 

 知らない名前たち、だが何故だろう。兄弟子はまるで()()()()()()()()()()()にそれを語っていた。

 名前の一つ一つから得体のしれない何かを感じていた。

 

 「さっきから何を訳の分からないことを…、とうとうボケましたか?」

 「あぁ、そうかもしれないな…。だが、一つだけお願いがある。

         ―――決して諦めないでくれ、君は間違いなく勝てる棋士だ」

 

 

 

 

 

 

 

 「八柳太一二冠は九頭竜八一竜王の肩を強く握りしめ熱い眼差しを送っていたと…」

 「(くぐい)さん…いたんですか」

 「はい、何やらお二人が漢の友情というものを見せつけていたのであとで記事に乗せるために隠れていました」

 

 いつもお世話になっている鵠さんはメモ帳を片手にそう呟いた。

 

 「俺に竜王戦について聞きに来たんですか、残酷ですね」

 「仕事ですから」

 

 淡々とした様子が今の俺にとっては丁度良かった。

 

 「載せないでくださいね、兄弟子にも迷惑ですから」

 「………竜王サン、こなたも竜王サンのことはホンモノやと、そう思てます」

 

 俺は勢いよく鵠さん…いや、女流棋士供御飯(くぐい)万智さんに掴みかかった。

 我慢が出来なかったのだ。

 息を荒げて、怒りに染まっている俺に供御飯さんはこう続けた。

 

 「こなたが小さいころ出た大会で負けた時、竜王サンはこう言うた『面白い将棋を見せてあげる』と。覚えてはります?そんでこなたは竜王サンの決勝を見て、さっきの言葉を聞いてこう思うたんよ、あぁ、これがホンモノかて」

 「供御飯さん…」

 

 訳の分からない言葉、名人の強さ、それで弱っていた俺の心は…供御飯さんの目尻に溜めっているものに気付き、少しだけ持ち直した気がした。

 その理由は今は分からない、けれど俺の心が少しだけ持ち直したのは確かだった。

 供御飯さんは眼鏡を外し、纏めている髪紐をほどく。

 腰辺りまで伸ばされた艶やかな髪が月の光を反射し、輝きが増した気がした。

 

 「竜王サン……こなたは信じてはります」

 「供御飯さん…けど俺はもう何も……名人に完膚なきにやられて、無様な姿を晒して……ッ!何も残っていないんですよ!!名人に勝つための何かが!!全てで劣ってる、才能も経験も、それを覆す手段なんて俺には……!!」

 「劣ってんものなんて数えたらキリがあらへんよ。劣ってんものよりも優れてんのを数えまひょ。…竜王サン、もう一度言い張ります」

 「―――」

 

 「こなたは竜王サンを信じてます」

 

 目尻にたまっていた涙、男である俺に掴みかかられ怒気をはらんだ表情で睨まれていたから流したもの。

 少なくとも怖いって思っていたはずだ。

 だけど。

 だけど、彼女は言い切った。

 劣っているものより優れているものを数えろと。

 

 「俺に優れているものが…あると思いますか?どうしようもない怒りを人に当てて、そんなクズな竜王に…。なんでそんな俺を信じてくれるんですか…?」

 

 俺の問いに、供御飯さんは満面な笑みを浮かべた。

 

 「さぁ?優れてんものは自分で見つけるもの。ほんで、―――少しだけ惹かれてる相手ぇ信じる理由なんてあらしまへんよ、竜王サン」

 

 満面の笑みで、そして、()()()()()()()()()に俺は小さく笑いを零したのだった。

 

 ☖ 分岐点

 

 「…八一君は何か言ってた?」

 「はい、一度自分を見つめなおすと」

 

 対局が行われたホテルで俺は鵠さんと合流して、軽く食事をとっていた。

 そうか…。これで持ち直してくれると嬉しいんだけど…。

 

 「けど、太一二冠もまた人が悪い。今日、天童市に来たのは九頭竜竜王の就位式に上げるものを買うために訪れたんでしょう?ほかの誰でも貴方が一番信じているのに何故それを伝えなかったんですか?」

 「今の八一君に生半可なことなんて響かない、八一君自身が変わらなければ先には進めない、成長できない。僕だけの存在に気付いても、もっと優れているものがあると気が付かないと今後の八一君は弱いままだからね」

 「……聞いとったんどすか?」

 「なんか二人が熱い展開を繰り広げていたから隠れてた」

 「本当に人が悪い…」

 「それはお互い様だろう」

 

 鵠さんが陰に隠れていたのは気付いていた。

 しかし、本当久しぶりに彼らの名前を口に出したな。

 

 「というか、鵠さん、さっきの雰囲気はずるいですよ。八一君、頬赤らめてたし」

 「そうどすか?本心を伝えたまでどすえ、それともこなたに惚れましたか?」

 「まさか、心に決めた人はもういるからね」

 「ほう、そら興味深い話どすなぁ」

 

 供御飯さんは口元に手を当てて笑みを向けるがここで「まぁこの世にはいないんだけどね」とでも言ってみろ。

 たちまち空気は冷たくなり、供御飯さんのおいしい料理だけ鉛の様なものになってしまうぞ。

 

 だが、この三局で明らかに八一君の将棋は変わってきた。

 前までは刀の刃の部分だけで切るような将棋だったが今は柄を使ったりいきなり二本目の刀を抜いたりと用途を増やしている。

 つまり、読みの量が増えているということだ。

 

 「太一サンは面倒見がええどすな」

 「そうかな」

 「そうどす。普通棋士の成長を促すためにいろいろと仕向けるなんて普通やりまへんよ」

 「そう?名人は自分の読み筋とかいろいろなことを対局が終わった後に全部話すじゃん、あれも棋士の成長を促す一つでしょ、それと変わらないよ」

 「あぁー…、ほら名人は将棋星人どすし…」

 

 将棋星人?なんだそれは。

 宇宙人か何かか、じゃあ地球代表…深浦先生…ハッ!なんだ今の思考は…。よくわからないからこのことについては考えるのをやめよう、そうしよう。

 

 「話変わりますけど桂香サンの対局ももうすぐやなあ」

 「うん、勝てば女流棋士になれる大事な一戦、だけど相手は…」

 「せや、あの釈迦堂(しゃかんど)サンやからなあ、桂香サンも大変どす」

 「…まぁ、あの地獄の研究会があったから桂香さんが勝つ可能性も十二分にある」

 「地獄でしたなあ…………」

 「ねー…………」

 

 一日目まではよかった、本当に。だけど、二日目になってから名人と山刃伐さん、桂香さんの研究成果を俺たち全員の棋士にぶつけられた。名人が負けたのは本当に1、2局ぐらいで、桂香さんも月夜見坂さんと供御飯さんからそれぞれ一勝ずつ白星を上げたし、山刃伐さんも一段と強くなった。そうここまでもまだよかったのだ。

 三日目、何故か研究会組に於鬼頭(おきと)さんも加わっててそれをみた篠窪さんと俺は「嘘やん…」と口に出したほどだ。

 於鬼頭さんのレートは名人に次いで二位、つまり二番目に強い棋士と思っても構わない。そんな人が一番の棋士と一緒に研究し、研究のエキスパートの棋士が二人入ってくるとどう思う?

 無論、死ぬ。

 いや、実際天ちゃんは2時間ほど駒を持てないほど疲弊したし、月夜見坂さんはまた魂抜かれて体育座りしていたし、供御飯さんも脇息に項垂れててた。

 俺は万全の状態を期すため温泉入っていざ名人と対局したら最後の米永玉を見て投了した。

 流石に心折れそうだった。

 しかも秋なのに打ち上げ花火が上がって名人と山刃伐さんと桂香さん、そして於鬼頭さんはベランダでそれを見てニッコリその背後で俺たち棋士の屍がグッタリと。

 まさに地獄だった。

 銀子ちゃんとあいちゃんを連れてこなくて本当によかったと今では心の奥底から思う。

 心が強い天ちゃんだから耐えられたものの…。

 

 「こなたもお繚もお陰様で一段と強うなりましたわ」

 「それは良かった」

 

 供御飯さんが嬉しそうにほほ笑む姿を見て、俺も自然と笑みが浮かんだ。

 うん、やっぱり子供が笑う姿は絵になる。

 たった数日の研究会でそこまで強くなれるものなのかと思うが、だいたい名人のせいと言っておけば解決する。

 名人の発する圧力で皆の棋力が底上げされる、つまり今の八一君と同じ状態だ。

 

 「それで一つだけ聞きたいことがあるんどすが」

 「ほう、なんでも聞いて」

 「ロリコンなんどすか?」

 「ん…?」

 「こなたの妹弟子が竜王サンの所のお弟子サンに膝枕されてんとこを目撃したらしおすんどすが」

 

 おおおおおおおいいいいっっっ!!!あれ見られてるのかよ!!誰だよ妹弟子!!

 いや、まて落ち着け。まだお互いに角道を開けて銀を上に上がるっていううっかりをした形勢状態だ。

 あれ、それやばくない?

 

 「研究会の時もお弟子サンにデレデレしとってはりましたなあ」

 「供御飯さん、その件幼少期時代の八一君と銀子ちゃんのエピソードで手を打たない?」

 「ほんまにお人が悪いどすなあ」

 

 やってやったという顔の供御飯、まさか最初からそれ狙いだったな。

 実は僕転生したんだ★それで孫みたいな子供たちが好きなんだ★★

 こんなこと言っても信じられるはずがない。

 僕子供が好きなんだ。

 これはアウト。

 供御飯さんの手にかかれば棋士たちの印象操作など容易い、それほどまでに鵠という観戦記者は恐ろしいのだ。

 

 すまんな、八一君、銀子ちゃん、偶には犠牲になっておくれ。

 

 ☗ 散華

 

 あの兄弟子から、そして供御飯さんから諭されてから数日が経過した。

 俺は未だに自分の将棋を見つけられずにいた。

 ソフトで検討してもなぜその手が最善手か理解できずにいて、手を覚えたとしてもそれは一夜漬けでテストに望むようなものだ。意味がない。

 「クソッ!どうすりゃあいいんだッ!!」

 

 机を拳で叩き、パソコンの画面を睨みつける。

 一局目、俺の得意の戦型を使われて惨敗。

 二局目、何もできずに負けた。

 三局目、俺は棋譜を汚して惨たらしい負け方

 

 そして、次も負ければ失冠。

 棋譜を眺めれば名人は8割最善手を指していることに気付き、さらに次善手が1割という驚異の棋力を有していることを改めて思い知らされる。

 相手は神と謳われる絶対王者だ。

 

 「神を倒すためには…」

 

 神を倒すためにはどうすればいい。

 いや、そんなことはわかってる。自分も近づけばいいのだ。

 ―――神と呼ばれるあの領域に。

 近づけば、俺の龍が神を喰らうことも出来るはずだ。

 だが、それでも…ッ!

 

 「まだ足りない……ッ!!」

 

 近づけたとしても。俺が一矢報いるためには何かが足りない。

 そして、神の力を振るうには古来から生贄が必要だと相場は決まっている。

 

 「なら何かを切り捨てれば…って、違うだろ!しっかりしろ九頭竜八一!!」

 

 頭を過ぎった弟子の顔を俺は頭を横に振って振り飛ばす。

 俺が不調から抜け出せたのは弟子のお陰だ、成長できたのも弟子のお陰だ。

 それを切り捨てる?それこそ悪手だろ。

 

 ふーっと息を吐き、心を落ち着かせる。すると、ドアが控えめに開かれてもう見慣れたアホ毛ぴょこんと最初に覗き、続いて可愛らしい顔がこちらを不安そうに見つめてきた。

 

 「あい…」

 「えっと、お忙しいところすみません…。けど、ししょーにどうしても見てほしい対局があって…」

 「あっ」

 

 そこまでいわれて気付いた。今日は桂香さんが女流棋士になれるかなれないかの大事な対局がある日だった。相手は女流棋士最強の一角である釈迦堂さん。

 力量の差は歴然だ。

 だが、あいに言われて俺はパソコンのマウスを開いて対局を視れるサイトへと移動する。兄弟子が対局前に温泉に入ってリラックスするように俺も少し自分を忘れようと考えたからだ。

 

 「それでは、わたしはこれで…」

 

 あいが控えめにドアを閉めようとする。

 その姿が見えるようになったのは俺の責任だ。

 あいに頼まれて練習対局をし、苛立ちを抑え切らず駒を握りしめて怒りを露わにしたあの時のせいだ。

 練習対局する暇があったら研究したいという俺の想いが表面上に出てしまった。

 

 「あい」

 「はっ、はい!」

 

 肩をビクッと震わせて恐る恐るこちらに振り向く。

 その表情から読み取れるものは恐怖、戸惑い、様々なものだった。

 しかし、俺は困ったような笑顔でこういった。

 

 「あー…、一緒に見るか?」

 「い、いいんですか…?」

 「ああ、あいが良かったらっていう話なんだけど」

 「見ます!ししょーと一緒に桂香さんの対局を!!」

 「お、おう」

 

 いきなり食い気味にきたぞッ!?

 あいはトテトテと早足で歩き、俺の横にぴたっとくっついて座った。

 って、なんかいつもより距離が近いような…。

 まぁ、いいか。

 

 「えっと、桂香さんの対局は…ッ!」

 「…………すごい」

 

 あいがポツリとそう言葉を洩らした。

 すごい、いや、()()()()

 しかし、相手はあのエターナルクイーンだ。一歩も引かずに攻め続ける。

 こんな荒っぽい桂香さんを見たことがない。

 胸を何度もたたき、小さく何かを言っている。

 何を言っているかは俺には見当がつかない。

 だけど、―――

 

 「熱い……!!」

 

 燻っていた俺の胸の奥底の炎が再び燃え上がる。

 万年研修会の棋士が、絶対王者を破ろうとするその瞬間が起ころうとしているのだ。

 

 しかし、現実は非常である。

 

 

 

 「桂香さん…」

 

 あいが悲しそうにそう呟く、残り時間が少なり始めている状態でもう桂香さんの玉は死にかけている。

 57角打ちから必死、しかし、桂香さんは諦めていなかった。

 

 父のようにズボンを力強く握りしめながら、残り時間を精一杯使って()()()()で次の一手を指した。

 

 その一手は―――

 

 「86歩打ち!?」

 

 相手の龍の前にぽつんと佇ませる一手だった。

 俺は驚いてパソコンで起動しているソフトにその手を読み込む。

 そして、出された結論は―――『悪手』だった。

 

 一気に、桂香さんの形勢は不利に変わっていく。

 俺はだめだと思った。だが、桂香さんの瞳は勝利を確信しているものだった。

 あれを悪手だと思っていない。

 

 

 「角を打ちました!」

 

 あいがそう叫ぶ、打たれた角によって玉が逃げれる場所は54玉であった。桂馬も聞いておりそこしか逃げ場がない。

 釈迦堂さんは落ち着いて浮いている金を取って、桂香さんは飛車を取る。

 簡単な詰めが釈迦堂さんによって打たれた銀によって作り出された。

 簡単な一手詰め、もし仮に桂香さんがここで相手の王を詰ますことが出来なければ負けだ。

 桂香さんが相手の王に王手をかけたその瞬間―――。

 

 

 「な、なんだ!」

 「パソコンがすごい音を出しています!!」

 

 フィイインとパソコンが一気に活動し始めた。

 原因はすぐにわかった、俺が起動している将棋ソフトだ。

 将棋ソフトが先ほどの86歩を検討し始める。

 そして、改めて出された結論は―――『最善手』

 局面が少し進んだ先の評価値は29999と表示されている。それは詰みがある証拠だった。

 

 「ソフトが…判断を誤った…!?」

 「すごい、すごいです!それって!」

 「ああ!桂香さんは()()()()()()()()()を指したということになる!!」

 

 その一手の意味は―――画面に映し出されている泣いて喜びを表している桂香さんの姿で証明された。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――女流棋士になれた今のご感想をお聞かせください。

 

 記者の言葉に桂香さんは言われた初めて気づいたかのように、

 

 『あ……そうですね、もちろん凄く嬉しいです。けど―――』

 

 人生最大の夢が叶ったというのに、それに対しては何の感慨も見せず、桂香さんはまったく別のことを喋り始めた。

 

 『あの…伝えたかったんです』

 

 ―――伝える?何をですか?

 

 『はい。えっと…何ていいっていいのか………その、奇跡って、ありますよね?不可能を可能にしてしまうものが何なのかって、ずっと考えていたんです。だって、私が釈迦堂先生に勝つためには、奇跡を起こすしかないじゃないですか?』

 

 ―――それは見つかりましたか?

 

 『見つかった…見つけた、ような気がします。奇跡を起こせる唯一のもの…けど、それって、別に特別な者じゃないんです。全然そうじゃなくて、むしろ特別じゃないものが、毎日毎日普通に繰り返していくことが…ごめんなさい、何て言っていいのか…』

 

 勝者である桂香さんは謝罪をし、ハンカチを握りしめ頬を伝る涙を拭きとる。

 

 ―――大丈夫ですよ、一つずつゆっくりで

 

 記者の言葉にクシャクシャの顔を笑顔にして()()()()()()()()()()()()()()

 

 『報われない努力はない。それを証明するために戦いました。――――――見ててくれた、八一君?』

 

 ダイヤモンドのような涙が、ダイヤモンドよりも硬い意志で流れていると知り、俺はただ茫然とそれを見ることしかできなかった。

 

 

 「……けいかさん…」

 

 気が付けば泣いていた。

 人生最大の大一番を俺のために戦ってくれた棋士の雄姿がすごく眩しかった。

 俺のために戦ってくれた事実と涙で俺はやっと気付いた。気付かされた。

 あの時も、涙を見て嬉しかった自分がいたはずだ。桂香さんの涙と同じ意味を持った涙を。

 それは、俺のためを思ったものだったのだ。

 幼稚で卵から孵った雛のような行動しかとれない俺のために流してくれた涙。

 盤上では一人だ、だけど……。

 

 傲岸不遜だけど優しい心を持ったお嬢様、白雪のような姫でいつも最後に笑顔を見せてくれる姉、硬い鋼のような精神を持った大事な父親(師匠)、俺に将棋を教えてくれた兄、そして、

 

 「?」

 

 可愛い弟子や好敵手、仲間がいる。

 神の領域にいる名人にはないものを俺はこんなにも持っているではないか。

 それに気が付くことなんて簡単だったんだ。

 

 「……ごめんな、あい」

 「ししょー……?」

 「もう、迷わない」

 

 弟子の頭を撫でて、俺は立ち上がる。

 そうだ、迷うな。俺は俺だ、俺の将棋を指せばいい。

 たとえ、居場所を無くそうとも皆がいる。いてくれる。

 

 名人があの領域に立ち入るために何かを犠牲にして来たのなら俺は何かを得続けよう。

 どんな小さな努力も決して無駄ではないのだから。

 

 ☖ 伝説を終わらせるもの

 

 『竜王戦第四局は異例の盛り上がりだった。

 場所は、石川県にある旅館『雛鶴』

 竜王九頭竜八一の弟子である雛鶴あいの実家で行われた。

 対局前夜、雛鶴あいの女流棋士申請の儀を終え、翌日九頭竜八一は姉弟子の空銀子とついこの間女流棋士になった清滝桂香に見送られる形で対局室へと向かっていった。

 和服の音は旅館の景観と相まって何故か心地よくつい耳を澄まし、目を離せなかった。

 今、一人の棋士が伝説を終わらせ新たなる伝説を作り出す瞬間を見逃さないためにも』

 

 

 検討室ではパソコンのキーボードの音だけがこの閑古鳥が鳴くような空間に響き渡っていた。

 皆が、簡易将棋盤の準備を終えモニターを注目している。

 モニター越しから声が上がる。

 

 『定刻になりました』

 

 第四局、将棋界の絶対王者とホンモノと成り得た若き竜王の対局が始まった。

 

 「ふぅー…」

 

 俺は息を吐き、盤面を見る。

 その景色は見慣れた景色だったが駒達が早く早くと急かしてくる錯覚が起こった。

 

 「あぁ、わかったよ」

 

 名人が飛車先の歩を付くと俺も突き返す。

 名人が打診してきた戦型は―――相掛り。

 俺が得意としている戦法の一つだ。

 

 お互い四千局以上ある棋譜を記憶しているため、定石通りに駒を動かしていくスローペースで竜王戦一日目は名人の封じ手で終わった。

 本番は次の日、どちらかが先に定石を外れた瞬間から勝負が始まる。

 そして、その時はすぐに訪れた。

 

 「来たッ!」

 

 名人が封じた手は()()()()()()()()()()()だった。

 手に汗がにじみ、扇子に自然と力が入る。

 ここからは未知の世界、マリアナ海溝よりも深い場所を探るように、宇宙の果てを見に行くような一つ間違えば命取りの世界が広がる。

 

 けど。

 だからこそ。

 

 「楽しい―――!」

 

 笑みが零れるのだった。

 急激に早くなっていく読みの速度と自分の感覚を信じつつ、駒を躍動させていく。

 でも、だからこそ改めて実感させられる。

 自分がその領域に近づくたびに目の前が人物が人間かと疑わしたくなる事実に。

 

 「この鬼畜眼鏡がッ!」

 

 最善を指せばその上の最善をいかれ、その上の最善を超える一手を超えたとしても目の前の人物は呼吸をするようにそれをも超えていく。

 それが将棋界で絶対王者と言われる所以、神とまで呼ばれる所業。

 

 「カアアアアアアアッッッ!!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()に必死に食らいつきながら一手、一手と進んでいく。

 進んで進んで、形勢が不利になっていく。

 

 

 ダメなのか…?ここまでやっても届かないのか…?

 この人には何をやっても―――。

 

 勝てないのか?と思う寸前声が聞こえた。

 それは聞き覚えのある声で、俺を信じてくれている声で。

 

 

 『報われない努力ない。八一君、私はそう思ってるよ』

 『八一、アンタなら出来るわ。もう少し頑張ってみたら?』

 『そんな手は100点だけど120点の手がほかにあるんじゃない?先生なら見つけれるわ』

 

 

 

 『ししょー―――あいは、信じています」

 『八一君、君は勝てる棋士だ。―――ここまで来てみろ、竜王』

 

 「……負けられないんだ」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そう呟く。

 お互いに既に持ち時間を使い果たし、1分将棋になって既に100手を超えた。

 そんな中聞こえた声は、俺に勇気を与えてくれた。

 

 「俺には背負ってるものも、返しきれない恩も、伝えたいこともたくさんあるんだ!」

 

 負けてたまるか。

 ここまで来たんだ―――!

 でも、

 

 「……だからってここで笑いますか」

 

 扇子で口元を隠しているが明らかにそれは兄弟子との対局でも見せた笑みだった。

 第三局の溜息とはまったく逆の意味をもつその仕草に俺も心が高鳴っていく。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして、俺は勝つために相手の陣地に飛車を切り込ませ裏返す。

 龍、俺が最も好きな駒。

 

 名人もまた次々と手を繰り出し、俺もそれを凌ぎつつ攻撃の手を模索する。

 

 ()()の限定()()駒をしても隙は見せない。

 ()()を使って、相手の玉に圧を掛けても()()で捌かれる。

 

 「ハァ…ハァ…!」

 

 息が切れるほど摩耗する体力なんざもう関係ない。

 勝ちたいんだ―――ッ!

 

 

 バッシィン!と力強く指された()を見て名人は体を前後に揺らすことをやめ、姿勢を正す。

 記録係が秒読みを始め、残り一秒ということころで―――。

 

 「負けました」

 

 竜王戦、第四局。

 俺が聞きたかった言葉をやっと聞けた。

 長い時間を過ごした気がする。

 でも。

 

 

 

 俺は、その日憧れの人(兄弟子と名人)に並び立てた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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最終局 竜王

スッ…

 ササッ……


 竜王戦第七局の様子を眺める検討室では形容しがたい空気が流れていた。それもそのはず一日目にして既に終盤の入り口まで差し掛かっており、二日目は案の定拳同士の殴り合いのような局面になっているからだ。

 検討室で盤面を眺める九頭竜八一竜王の兄弟子、八柳太一二冠はぼそりと呟いた。

 

 「八つ橋食べたい…」

 

 なんで?と突っ込みたいところだったがこの緊迫した空気では言えない。この場には竜王の弟子、雛鶴あいと夜叉神天衣、そして、女流棋士最強と名高い空銀子の姿も見受けられる。

 

 「こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、…」

 

 前傾姿勢で考えるあいを他所に天衣はジッと盤面を見つめ、時折首を傾げる仕草をする。空銀子も同じようなものだ。

 3人が考えている空間に八柳太一二冠の姿が現れ声を掛けた。どのような内容か耳を澄ましてみる。

 

 「八つ橋食べたくない?」

 

 まだ言ってるぞこいつ。

 

 「こう、こう、こう、…」

 「ちょっと黙ってて」

 「―――」

 

 あいには取り合って貰えず天衣には拒否され、空銀子に至っては無視である。八柳太一二冠はしかたないかと言わんばかり駒をもち、盤上に置く。

 すると、3人の表情が驚愕に染まりそれが周りにも伝染していく。男性棋士も八柳太一二冠の変化の手筋に納得し、そこから読みを広げていく。

 そして、改めて思い知らされる。

 八つ橋食べたいとふざけたことを抜かしていてもこの棋士は史上最年少でプロ棋士になり、史上最年少でタイトルを獲得し、史上最年少で永世称号を取った化け物、名人と同じ土俵に片足を突っ込んでいる人間だということを。

 

 今回の対局の戦型は横歩取り。

 しかも、二人が飛び込んだ変化は最も激しいものだった。

 

 ☗2六歩☖8四歩☗7六歩☖3四歩☗2五歩☖8五歩☗7八金☖3二金☗2四歩☖同歩☗同飛車☖8六歩☗同歩☖同飛車☗3四歩☖3三角

 ここでまず横歩取り、3三角型空中戦法となった。

 ここから八柳太一二冠が考案したという青野流(なぜこの名前なのかはつけた本人にしかわからない)か昔からある後手玉が4二に上がる形になるかと思ったがこの二人は☗3六飛車☖8四飛車☗2六飛車☖7七角成☗同銀☖4六角打☗2一飛車成という変化に飛び込んだのだ。

 

 本来、対局と言うのは序盤、中盤、終盤と言う順序で進んでいくがこれに限ってはその中盤戦がないといっても過言ではない。

 30手近い当たりですでに龍が作られ、大駒が行き交う。

 前例がないわけではない、昔に数度あったぐらいのだ。けれども、二日制において現れるのは初めてだ。

 

 だが、刻一刻とその時は近づいている。

 龍が神を喰らい、生きる伝説から新たな伝説へと変わっていく棋士たちの20年以上に渡る積年の願いが成就する瞬間が。

 

                                  観戦記者 鵠』

 

 

 ☗ 喰うか喰われるか

 

 「カアアアアアアアアアアアアアッ―――!!」

 

 俺は、この第七局までに成長させられた読みに従って最善手を指し続けていた。

 気力というものが今の俺に残っているとすればそれはもう雀の涙ほどしかない。それほどまでに疲弊していた。少しでも気を抜けば一気に目の前の神に喰われてしまう。いつも通りやっても負けてしまう。常に、全力で駆けなければこの人には勝てない。

 時速300kmの思考に溺れながら、俺は指し続ける。

 

 「クソッ!まだ足りないっていうのかよ!!」

 

 名人から繰り出される一撃必殺の攻撃をぎりぎり躱す。

 盤面の駒達は俺の意志に従わず自由に頭の中で動き回る。

 ダメだ!俺の読みが早すぎて俺自身がもう既に追い付けていない!

 

 「―――」

 

 なんで目の前の人間は俺よりも早い読みにもかかわらず平然と指せるんだよっ!

 俺が名人によって第7局までに読みが成長させられたように名人もまた俺の指し方を吸収し、成長につなげている。

 名人世代だけがもつバカげた力の一つ。相手の力を自分のものにするという聞けば頭が可笑しくなる。

 

 だからなのだ。俺より読みが早くても平然と指せているのは。

 

 「だからって―――ッ!」

 

 負けてたまるものかよ!

 この横歩取りは俺が得意としている戦法の一つだ!

 第一局では大局観で負けたが…、今の俺なら!

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 第4局、第5局、第6局、そしてこの第7局。全てをつぎ込んで読みに徹してきたんだ。自身の読みに追いつくため、そして

 ―――――……やっと、()()()()()

 

 

 

 

 九頭竜八一の思考はとうとう常人のソレとは掛け放たれた領域に達した。

 名人が立つ土俵に片足を突っ込んでいた、しかし、今は同じ土俵で同じ景色を見ていた。

 

 動く駒達が止まって見え、盤上が静かになる。

 

 

 

 

 静寂だ。

 九頭竜八一はそう思った。

 名人と同じ土俵に立ったことによってどんな景色を見ているのか共有できていた。

 

 ―――これが名人が見てる世界なのか…?静かだ…、あまりにも静かすぎる。

 

 そして、この静けさの裏に隠れている脅威に九頭竜八一は気付いた。

 それはタイトルと言う称号の重みだった。

 

 前からでもタイトルの重さを知ってはいた。知ってはいたが理解してはいなかった。

 このタイトルと言うのは取れば歴史に名が残る偉業。

 無論、それは誰もが狙っている。

 この静けさに隠れる脅威は後ろから追いかけてくる天才たちの影だ。

 途端に重すぎる重圧に体が潰されそうになる。

 

 

 

 「オ゛ぇ…ッ!」

 

 

 吐きそうになる気持ちを気合で堪える。

 タイトルを狙うものはそれこそ死に物狂いで俺たちタイトルホルダーを全身全霊で殺しに来る。

 だからこそタイトルと言うのは一期取るだけで偉業であり、99期を獲得している名人が絶対王者であるということ。

 強者にはそれ相応の振る舞いが求められる。常に強者と言う重圧はあまりにも重すぎた。

 

 

 

 

 

 目の前の人は20年以上この重み耐えてきたのか…。

 凄い。やっぱり名人は凄い…!

 凄いけど…今は、今だけは―――。

 

 

 

 

 

 

 勝ちたい。

 

 

 

 

 

 

 

 興奮する体が、震える心が、限界を超えた脳がこの一手を俺に示した。

 

 ☖ 麟鳳亀竜(りんぽうきりゅう)

 

 パチリッ―――。

 竜王が指した一手は緘黙した検討室に響き渡る。

 差された手は☗3八玉。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 検討室でもソフトでも示されていなかった意表の手だった。

 検討人もこの手に疑惑の声を上げる。

 

 「これは一気に竜王が悪くなったんじゃないか?」

 「評価値が名人に触れてるぞ!」

 

 ソフトの評価値は今まで竜王に触れていたが3八玉によって一気にー400点ほどまで下がった。

 

 

 「いや…、うん、これかなり強い手だ」

 「これって流石に八一の悪手?」

 「ししょー…」

 

 銀子ちゃんとあいちゃんが心配そうに局面を見つめている。おい八一君何心配させてるんだ。天ちゃんはいつもの仏頂面、けどそれが可愛い。頭撫でたい。

 

 「撫でさせないわよ?」

 

 声に出てたわ。

 というか、八一君本当凄い手を出してきたな。

 この手の意味は()()()()()()()()一手だろう。

 名人が好むやり方。

 前世の某永世七冠、まあ最も難しい称号である名誉NHK杯選手権者を含めたら実質永世八冠のあの人もまた最も好むやり方だった。

 最短で勝ちに行く、勝てるけれどもそれを最速でやるというのはやられた側からしたら最もつらい。

 現に、俺は何回魂抜かれたことか。特に6者A級プレーオフの決勝で指された8四角打ちと言う手は未だにトラウマだ。

 逃げても負け、合い駒しても負けにするという手だった。俺中継にも関わらず泣いたしなあれ。

 

 「竜王がその手を選んだということは勝ちたいというほかの想いも込められていると私は思います」

 

 検討室に入った来た二人の人影に俺はあっと声を出す。

 現A級棋士、盲目の将棋棋士月光会長とその秘書男鹿ささりさんだった。

 

 「それってどう意味なんですか?」

 「簡単なことですよ雛鶴さん。竜王はこう言っているんです、もう自分でも歩けると」

 「何よその曖昧な感じ」

 「夜叉神さんにも身に覚えがあるのではないでしょうか?憧れに隠れて自分を見出せないということを」

 「―――。確かに、お父様やお父様が昔よく話してくれた師匠(せんせー)に憧れたわ。いつかは自分もあんな風になりたいって。そう考えて自分がなんなのかがわからなくなった…。でも、それがこの手とどう関係あるわけ?」

 「簡単なことです。竜王の()()()()()()()()()()()()()()。ましてや女流棋士最強と八岐大蛇と呼ばれる化け物格に囲まれていては竜王にとって誇らしいであると同時に自分と言う存在がその二人によって見失ってしまった。竜王が竜王であるために、竜王にあるべきナニカを見出す必要がある。この3八玉がまさしくそれです」

 「確かに会長の言う通りかもしれません…。あとその渾名出さないでくださいお願いします何でもしますんで」

 

 なんで会長シリアスな空気出しといてその渾名出すんですか?ほらよく知らないあいちゃんと天ちゃん以外笑い堪えてるんじゃん。

 天ちゃんが自分を見失った、けど多分持ち直したのはあまり言いたくないが両親の離別だろう。

 大切なものを切り捨てられたことによって、影響を受けていた自身の将棋が自分のための将棋へと昇華した。

 けど、八一君は違う。

 敢えて許容することによって、自分がいかに恵まれているのか。いかに何かを得てきたのか。

 ()()()()()()()

 

 何も名人と同じ土俵に立つために名人と同じ道を辿る必要はない。

 名人が辿ってきた道は茨の道。

 プロになってその時のトップを倒し、同世代の強敵たちをなぎ倒し、一つ下の世代に格の違いを見せつけ、AIが発達したことによって生まれたAI世代の若手を膨大な経験と大局観で圧倒する。

 

 八一君が選んだ道は違う。

 弟子が居て、師匠が居て、好敵手がいて、俺や銀子ちゃん、桂香さんなどと一緒にいるという道を選んだ。

 選んだという心の中で区切りをつけたことによって冷静になった脳が最短で勝ちに行く手順を教えてくれた。

 

 九頭竜八一と言う一人のプロ棋士が見つけたその答えが竜王であるべきナニカにふさわしかった。ただそれだけだった。

 

 ☗ 昇る落日

 

 盤上に描き出される景色。

 自分がなぜこんなにも落ち着いているのかが不思議だった。

 子供のころからの憧れていた人と対局してるならばもう少しばかり興奮していても可笑しくないけど。

 

 「―――」

 

 名人と俺はただ盤上をジッと見つめるだけだった。

 お互いに決着の道筋は見えている。

 

 お互いに持ち時間を使い果たし一分将棋になった。

 名人が☖7五馬と桂馬を取り、下駄を預ける。

 

 そして、とうとうこの時がやってきた。

 約2か月に渡る死闘。

 いろんなことがあった。

 弟子と険悪になったり、兄弟子に八つ当たりにしたりと。

 この対局が終わったらいっぱい話そう。

 将棋のことや他愛のないこと。

 

 

 俺は静かに☗7二龍と駒を滑らす。

 

 記録係が秒読みを始めると同時に、名人が口に水を含んだ。

 そして、残り一秒という所で―――。

 

 「負けました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 名人の背後から多くのフラッシュが巻き起こる。

 それもそのはず、永世七冠がかかったシリーズはまさかに3連勝からの4連敗という結果だったからだ。

 国民栄誉賞の準備もしていたらしい、おい俺が失冠する前提かよ、すると思ったけど。

 

 記者の方が竜王を防衛した俺に対して質問を投げかける。

 疲弊していた頭でまともに答えられたのは検討室でも上げられなかった3八玉という一手だった。

 

 3八玉はコンピュータが否定していた手だったが最善手を続けていれば何故か先手がいいという変化になったという。

 あの局面、3八玉を指せば一手余して勝てるという俺の読みが正しかったわけだ。

 

 次に、名人に質問が投げかけられる。

 中には俺に対する蔑みが少し入った質問もされていた。

 確かに竜王戦前までは俺は絶不調だった。けどそれでも普段なら出ないような質問がでてくるのは興奮のあまりだろう。まぁーしゃーないわな。かえってあいの金沢カレー食べて慰めてもらおう。

 

 そんな俺の心境を他所に名人はマイクを口に当ててこういった。

 

 「竜王は今一番強い棋士です。今回のシリーズを通して流石としかいえない差し回しに感服させられました、ええ、はい」

 

 軽い口調で言っているがその影に怒りが含まれているのが見ているもの全員に感じさせた。

 って、なんで名人やカメラマンたちが俺の顔見て驚いてるんだ。

 

 「あ、あれ…?」

 

 気づけば俺は泣いていた。

 頬を伝る涙を袖で拭う。

 

 「す、すみません…。あれっ……おかしいな…」

 

 涙が止めどなく溢れてくる。

 名人に言われた言葉がどうしようもなく嬉しかった。

 『一番強い棋士』

 歴史に残る大棋士に言われた一言で俺は号泣していたのだ。

 

 「すみません、…少し席を外しても宜しいでしょうか…?」

 

 本当ならこの後感想戦を行わなければいかないがこの状況では流石に無理だ。

 名人は俺に笑顔でどうぞと促してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰もいない廊下で俺は一人歩いていた。

 泣き疲れて、目が真っ赤にはれ上がっている。

 対局の疲弊も祟ってか何もない場所で転んでしまった。

 

 「いっつー…」

 

 ダサすぎだろ俺。

 まぁ、誰も見てないからいいか…。

 

 「ダサいわね、師匠(せんせー)

 「ししょー!だいじょーぶですかっ!?」

 

 おっと見られていたようだ。

 というかこの声ってもしかしなくても俺の可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い、そして可愛い(重要)のあいと天衣だ。

 

 「来てたのか、二人とも」

 「まぁね、形式上は私の師匠(せんせー)だもの」

 「ししょー!実は天ちゃんが一番一喜一憂していました!!」

 「なっ!それは言わない約束でしょう!!」

 「…やくそく?」

 「アンタ大阪に戻ったら覚悟しなさい」

 

 多分だが兄弟子が連れてきてくれたのだろう。感謝…!圧倒的感謝…!

 

 「ま、そんなことより…おめでと、師匠(せんせー)

 「ししょー本っ当におめでとうございます!!すごかったです、あいずっと感動していました!!」

 「ああ、うん。ありがとう二人とも」

 

 なんだろう凄く癒される。

 本当にさっきまで対局していたのか?これが噂に聞くアロマセラピー…!いや、ロリセラピー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「銀子ちゃんは行かなくていいの?」

 「うん、あとで個別に祝っとく」

 

 壁に隠れるように俺と銀子ちゃんは話していた。その後ろからあいちゃんと天ちゃん、八一君が楽しそうに談笑していた。君早く感想戦しなよ、俺が代わりに談笑しとくから。

 

 「―――ねぇ、お兄ちゃん」

 「ん」

 

 銀子ちゃんが真剣そうな眼差しで見つめてきた。

 もしかしてこれは告白イベントなのでは…!?高校の同じクラスの小林君がこんなシチュエーションを教えてくれたんだよ。銀子ちゃんも()()()()()()()()()()に上がれるんだからこういうことに現を抜かしていてはいけない…!

 そして俺たちは兄妹(仮)だ。ここは真摯に受け止めて…。

 

 「お兄ちゃんが昔並べてくれた()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 




次回から銀子ちゃんがメインの話!
続く…!続くか…!?



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盤外編 二人の弟子+α!
盤外編 バレンタイン~夜叉神天衣の場合~


すまない……遅れて本当にすまない……。
本編はまだ出来上がっていないんだ……すまない……。
今月入試があるから忙しいんだ本当にすまない……。
書き終わってる奴だけ投稿します……本当に本当にすまない……。


 ☗ 決意

 

 何故か知らないけど天ちゃんの付き人である晶さんに呼び出された。

 場所は神戸のとある喫茶店。人も少なく落ち着きのある場所だ。

 

 そんな晶さんはテーブルの上で手を組んで深刻そうな顔つきだ。

 

 「それで晶さん、一体どうしたんですか?」

 「お嬢様の様子が最近可笑しいのだ。よそよそしく何か隠しているのはすぐにわかったが聞いても『晶に答える義理なんてないわ』といって教えてくださらない。太一先生なら何か知っていると思ってな」

 「…え?天ちゃんが隠し事?」

 「そうか、先生も心当たりがないか…」

 

 なん…だと…?天ちゃんが隠し事ッッッ!?最近、よく会うがそんなことは微塵も感じさせなかったぞ!!

 なんだ、何かヒントとなるものがないのか…!

 

 2月…。―――嘘、だろ…?

 

 「ど、どうした先生!虚ろな目で世界そのものに絶望した顔は!!?」

 「…晶さん、落ち着いて聞いてください」

 「なんだ!?何か知っているのか!?」

 「今月は何があると思いますか?」

 「今月は確か二月だったな…。おい、まさか―――!」

 

 俺と晶さんは合わせるように言う。

 

 「「バレンタイン!」」

 

 「天ちゃんがよそよそしいのはもしかしたら意中の相手にチョコを渡すためなのでは?」

 「し、しかし!まだそう決めつけるには―――!」

 

 「この前公園で天ちゃんがこう言ってきました『そ、その…男って()()()チョコとか貰ったら嬉しいのかしら…?』と」

 「それで先生はなんて答えたんだ?」

 「喜びのあまり死ぬね、と。これは完全にバレンタインを意識してのことでしょうね。男である僕から聞くことによって作り出す勇気の一歩としたわけだとしたわけだ」

 「いい答えだ、先生。しかし、お嬢様がそういう意中の相手がいるなんて…」

 

 晶さんのその表情は暗い…。かくいう俺も晶さんと同じような雰囲気を醸し出していることだろう。

 晶さんは幼いころから…それはもう天ちゃんのご両親が存命だったころからからの付き合いだ。心の奥底から愛している天ちゃんが誰かに奪われるかもしれないという恐怖感。

 俺もそんな感じだ。勝手ながら天ちゃんは孫のように思っている。くそっ!!情けない!!!天ちゃんの幸せのためだと思っても割り切れん!!

 

 晶さんはおもむろに口を開いた。

 

 「先生、一つ提案があります」

 「…なんでしょうか」

 「お嬢様の意中の相手の調査をしませんか?」

 「晶さん…それはっ!」

 「わかっています。もしばれたら私はお嬢様に嫌われてしまうでしょう。けれど!誰だかわからない男に渡すぐらいなら――」

 「みなまで言わなくてもいいです、晶さん…!」

 

 俺は、晶さんの想いに感銘を受けた。

 だったら!俺もその思いに答えるべきなんだ―――!天ちゃんの幸せのために―――!!

 

 「ゆこう」

 「ゆこう」

 

 そういうことになった。

 

 ☖ 尾行

 

 「前方500m、お嬢様の姿を発見」

 「了解、引き続き尾行を続行します」

 

 晶さんが双眼鏡で天ちゃんの姿をとらえる。

 俺たち二人は黒服、マスク、サングラスという最高の変装を施し天ちゃんの尾行を行っていた。

 

 天ちゃんは朝から地下デパートに赴いていた。

 まだ寒い時期、厚着をしている天ちゃん。すごくモフモフしてる、撫でたい。

 

 付き人も一緒に行こうとしたが強く断られたらしい。

 ますますバレンタインが疑わしくなってきた…。

 

 サッサッと身軽な動きで建物の陰を移動しながら天ちゃんと一定の距離を保つ。

 天ちゃんは、地下デパートの入り口で誰かを待っていた。

 

 「もしや…男か…!」

 「いいえ、晶さん。落ち着いてください。まだわかりませんよ。…と、あの子が天ちゃんの待ち人って…え?」

 「あの子は―――!」

 

 天ちゃんに駆け寄っていったのは()()()()()だった。

 弟弟子、八一君の一番弟子。

 なら天ちゃんのチョコを渡す相手は八一君か…?いや、ならそれぐらいなら最近大人しくなった天ちゃんなら教えるはずだ。

 

 カートを女子小学生二人が可愛らしく引きながら談笑していた。主にあいちゃんが一方的に喋っているが。

 天ちゃんは材料を丁寧に選んでいた。だが、『ひな鶴』の娘であるあいちゃんの観察眼には負けている、途中から機嫌が悪い。

 

 「ほう、『ふんっ!これぐらいで勝った気にならないでよね!』か。天ちゃんらしい」

 「先生、読唇術を!?」

 「いや、天ちゃんの雰囲気、苛立ち様、先ほどまでの行動、それらをすべて考慮して天ちゃんならそういうでしょう」

 「流石だ、先生。とても心強い」

 

 

 だが、晶さんもまた最短ルートを即座に割り出し俺を誘導してくれている――!とても動きやすい。

 俺と晶さんは少しの間見つめ合うと、拳と拳を合わせた。

 友情が育まれた瞬間だった、晶さんとはいい友人になりそうだ。

 

 「しかし…ここで観察しても意中の相手については知りえないな…。どうする先生?」

 「いや…もう少し様子をッ!?」

 「どうした先生!?」

 

 俺の動揺に晶さんが心配そうに問いかける。

 だが、動揺するのは仕方がない。天ちゃんの手には―――赤薔薇があったのだから。

 

 「赤薔薇がどうかしたのか?」

 「赤薔薇の花言葉は…」

 

 俺は震える声でこういった。

 

 ―――『あなたを愛しています』

 

 俺の言葉に晶さんの顔から血の気が引いていく。

 

 「これはもう意中の相手だと考えていいでしょう、赤薔薇を渡して告白…天ちゃんも本気だ」

 

 ☗ 調理

 

 場所は変わってここは料金さえ払えばだれでも料理できるところにいた。

 あいちゃんは八一君に渡すから八一君の家では作れない。天ちゃんはお屋敷だと人がたくさんいて作れない。

 だからこういうところに来たわけか。

 

 俺と晶さんも材料を買って天ちゃん達の様子を伺いながら観察していた。

 

 「ちなみに晶さん、天ちゃんの料理経験は?」

 「ゼロだ」

 

 不安しかない。

 と思っていると天ちゃん達がいるところからあいちゃんの声が届いた。

 

 「天ちゃん、何やってるの…?」

 「…何ってチョコ溶かしてるんだけど」

 

 そこには割ったチョコをボウルに入れて、()()()()()()()()()()()()()()()()天ちゃんの姿があった。直接。とてもワイルドだ。

 

 「違うでしょ!このだら!!」

 

 あいちゃんが怒ったああああああああああっっっ!!??旅館の娘として間違った調理法は許せんのだろう。

 流石の天ちゃんも申し訳なさそうにしている。しょげた天ちゃん。―――晶さん写真撮ってないで集中して。

 

 「わ、悪かったわね!一回も料理をしたことなんてないんだから!!」

 「けどけど直接お湯入れるのは違うってわかるでしょ!?」

 「はぁ!?そんなこと知らないわよ!溶かしてって言われたらレンジかお湯入れて溶かすっていう発想になるじゃない!!アンタが先手番何指す?って聞かれて速効「相掛かり」って答えるようなものよ!?」

 

 えぇー……そんなんで納得するはずが……。

 

 「そう、だね……ごめんね天ちゃん」

 

 あ、相手はあいちゃんだもんな(諦め)

 

 「…先生」

 「どうしました晶さん」

 「何か急に申し訳なってきました…」

 「いきなり冷静にならないでください。僕だってそう思い始めてきたんですから」

 

 天ちゃんは慣れない手つきでチョコを作っている。その光景は天ちゃんのためだと言って勝手に行動している俺たちにとっては猛毒だった。

 申し訳ない―――彼女がこうやって一生懸命作ってくれてる、知らない男の子のために。

 

 天ちゃんのほっぺについたチョコ―――それは彼女が一生懸命な証拠だ。

 天ちゃんの疲れた表情―――相手のために全力を尽くした証拠だ。

 天ちゃんが時折見せる幸せそうな顔―――これは相手を愛しているということに他ならない。

 

 だから―――

 

 「帰ろう」

 「帰ろう」

 

 そういうことにした。

 

 ☖ 結末

 

 俺と晶さんはバレンタイン当日、朝から某コーヒー店でコーヒーを啜っていた。

 あの日以降、晶さんとは気が合いこうやって食事を共にする仲だ。

 

 だが、俺たちの心は穏やかとは真逆のものだった。

 

 「天ちゃん…」

 「お嬢様…」

 

 考えている人物は一緒。

 夜叉神天衣についてである。今どうなっているのか、休日だからいつ頃攻めるのか。

 不安に不安を重ねていると俺と晶さんの携帯に同時にメールが受信された。

 

 宛先名―――夜叉神天衣

 

 その名前を見た瞬間、俺と晶さんは―――限界を超えた。

 

 「…なんで二人ともそんな汗だくなの?」

 「い、や…晶さんと…はぁ…はぁ…追いかけっこ…してて…ね…はぁ…はぁ…」

 「きも」

 

 天ちゃんが指定した公園に全速力で向かった俺と晶さんは冬場にもかかわらず汗をかいていた。青春の匂いがする。

 晶さんは俺よりも息切れが少ない…流石だ…。

 

 「ふぅー…。それで天ちゃん用事って?」

 

 本文に書かれていた『いつもの公園にこい』、つまり用事があるってことだ。

 天ちゃんは顔を赤らめ、モジモジしながら何か迷っているように見えた。

 

 「お、お嬢様、無理は―――」

 「まって、ちゃんと言うから」

 

 天ちゃんはそう言うと二つの可愛らしいラッピングが施されたものを出してきた。

 

 

 「…これ、あげる」

 「天ちゃん―――!」

 「お、お嬢様―――!それは―――!」

 「い、いらないならいいわよ!自分で食べるから!!」

 「いやいやいや!頂くよ!!ねぇ、晶さん!?」

 「あぁ!お嬢様からまさか頂けるとは!?」

 

 天ちゃんが渡してくれたのは―――黒色をベースとした装飾に赤色のリボンと赤薔薇の装飾が為されている『バレンタインの主役』のチョコだった。

 

 「晶」

 「はい…!」

 「い、いつも感謝してる。私のわがままに付き合ってくれて。たまに私のこと嫌いになるんじゃないかって本当は怖かったの。お父様とお母様みたいに突然いなくなるかもなんて…。そう考えた時期が合ったわ」

 「そっ、そんな!不肖晶いつまでもお嬢様と一緒にいます!!」

 「けど、晶は居てくれた。昔からずっと私の傍にいて、離れないようにすぐそばで手を握れるような距離に居てくれた。それがたまらなく嬉しかった。―――だから、本当にありがとう」

 「お、おおおおお嬢さまああああああああああああああっっっ!!」

 

 天ちゃんの言葉に晶さんは大粒の涙で答え、抱きしめる。

 嫌がる素振りは見せずに、されるがままだった。

 なんか…涙出てきた…。

 

 「太一」

 

 晶さんから解放された天ちゃんは次に俺に話しかける。

 いつものような棘のある声ではない、優しくて慈しみのある声だった。

 

 「…天ちゃん」

 「アンタにも感謝している。師匠(せんせい)に会わせてくれたこと、優しくしてくれたこと、将棋を教えてくれたこと…。べ、別にだからと言って何も意味はないけどね!!―――でも、それがお父様の様なのは安心したし、嬉しかった。だから、チョコ…受け取ってくれる…?」

 「うん……!うん……!」

 

 小学4年生に泣かされる俺と晶さん…。

 みっともないかもしれない、周りから見れば恥ずかしい光景かも知れない。

 

 けれど、それがとても愛おしかった。

 

 天ちゃんが一生懸命チョコを作ってくれたのだ。晶さんが訊いても答えなかったのは晶さんに作るため。

 天ちゃんが素直になったバレンタインの魔法。

 感謝せずにはいられなかった。

 

 そして、晶さんの最後の一言―――

 

 「尾行する必要はなかったな!先生!!」

 「は?尾行?どういうことか説明しなさい晶」

 

 これで全て台無しになった。

 

 ☗ 夜叉神天衣という女の子

 

 「ほんっとに信じられないわ!」

 

 晶と太一の奴私のことを尾行していたなんて……!って、あの時の私はどうかしてたわ!

 今思い返せば……うぅ…頬が赤い…。

 

 「恥ずかしかったけど…ちゃんと言えた…。まぁ、いいわ」

 

 私は一人で()()()()()()の前に座り込む。

 服が汚れるけど…今日ぐらいはいいわよね。

 

 「お父様…お母様…。私ね、将棋強くなったわ。今ならお父様に勝てちゃうかも。―――ふふっ、冗談よ。あのね、これ置いておくわね。私が頑張って作ったの。お母さまみたいに上手くできてないけど」

 

 墓石に置いたのは二つのチョコだった。

 ()()の装飾と明るい感じを想像させるラッピングだった。

 

 「話したい事沢山あるの。けど、そろそろ行かなきゃ―――あのクズ師匠(せんせい)がうるさいからね。でも、また来るわ。時間はあるから、離れないって言ってくれた私の…す、好きな人たちがいるから…頑張るわ。だから、見守っててね?私が将棋をやって、頑張ってるってところ」

 

 今、墓石の前にいるのは高飛車なお嬢様ではない。

 ましてや、じゃじゃ馬でもない。

 

 素直で、可愛らしくて、愛らしいどこにでもいる普通の女の子だった。

 

 袖で頬に伝ったモノを拭い、彼女は立ち上がって大きく伸びをする。

 ふぅーと小さく吐き出した息は空中で白く染まった。

 

 それが何故か面白く思い、微笑んだ。

 振り返ると遠くから手を振っている付き人に向かって天衣は歩き出すのだった。

 

 




わい「会長との対局ぼかすか~w」
アニメ視聴後
わい「ええ……(困惑)」


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盤外編 バレンタイン~雛鶴あいの場合~

本編まだできそうにないので一か月前のイベントの話をば…。本当に申し訳ございません。
アニメだと第四局まで行きかけているのに。
ギギギ。

あとがきのほうにりゅうおうせん第三局について書いてあるのでよかったら見てください。


  ☗ 女王と竜王

 

 「そ、それで…私に何の用かしら」

 

 姉弟子が何故かもじもじしながら聞いてくる。

 場所は姉弟子お気に入りのスイーツ店、俺は姉弟子である空銀子を呼び出していた。

 

 「それがですね最近あいの様子が可笑しくて…」

 「…は?」

 「家に帰ってもよそよそしいというか何かを隠しているように感じるんです」

 「ちょっと待ちなさい八一」

 「もしかしたら学校で何か酷いことをされているんじゃ…!ほら、あいって可愛いじゃないですか!だから、獣の塊である男が変なことをし始めたらと考えると恐ろしくて夜も眠れないんです」

 「だから、待ちなさいって」

 「これって学校に直接出向いて先生に言った―――」

 「八一!」

 「ひゃい!!」

 

 俺が必死に話している最中に姉弟子が大声を出した。

 びっくりしたよ、もう!

 周りのお客さんもひそひそと話し込んでるし。俺たちの変装がばれたら大騒ぎだ。

 

 「いきなり大声出さないでくださいよ、カルシウム足りてますか?」

 「死ね、じゃあ、私を呼び出したのはこわっぱについてってことね。流石はロリコンじゃない、死ね」

 「二回も!二回も『死ね』って言った!!」

 「アンタが直接聞けばいいじゃない、あの『女子小学生』は貴方の言葉には『素直に応じる』んだから」

 

 女子小学生や素直に応じるというところだけ大きな声ではっきりといった。

 すると、

 『女子小学生…?』『素直に応じる…?』『やばいよ、警察警察』『俺はいつでも取り押さえるよう準備しとくわ』『さっすが、店長こいつらにパンケーキ、無論俺の奢りだ』

 

 ほらああああ!変な誤解を生むし謎の友情芽生えてるし!!今の状況完全に俺vs店内の人だよ!!確かに将棋界には名人vs全棋士という風潮があるけども!!俺のは全然嬉しくねぇよ!!

 

 「あ、姉弟子!言葉には気を付けてください!!ただあいは人より少し素直なだけなんですってば!」

 「それで?私を呼び出した挙句内容は女子小学生について、通報してくださいと言っているようなものね。で、八一」

 「は、はい」

 「出頭をお勧めするわ」

 「しませんよ!」

 「そう、じゃあ首切りね」

 「まさかの二択!?」

 

 俺に救いがないじゃないか!

 ハァハァと息を切らして、俺は本題に入る。

 

 「それで姉弟子はどう思いますか?」

 「そういうのはお兄…兄弟子に聞けばいいじゃない」

 「いや、最初はそうしようとしたんだけどなんでも今日は晶さん…天衣の付き人と会う約束があるらしくて。早急に解決したいので姉弟子にしました」

 「……私は仕方なくってこと?」

 

 なんでそう辛そうな表情を浮かべるかなぁ…。

 

 「違いますって、姉弟子子供嫌いでしょう?けど、桂香さんは最近忙しいですし師匠も似たような感じだから姉弟子と兄弟子のどちらかになって兄弟子に断られて姉弟子しかいなかったんですよ。仕方なくというか、その…姉弟子しか頼れる人がいなかったんです」

 「そ…そう!なら仕方ないわね!私に頼ってくれる弟のために頑張るのも姉の仕事よね!!」

 

 一気に嬉しそうな表情に早変わりだ。

 けど、これ見方によっては仕方なくに入るんじゃ…。まぁ、姉弟子が嬉しそうにしてるからいいか。

 

 「ま、結論なんてすぐに出るわ。バレンタインよ」

 「バレンタイン」

 「こわっぱも女だからね好きな男に渡すんじゃないかしら」

 「好きな男」

 

 オウム返しに聞いてしまうがそれも仕方がない。

 

 「すすすすす好きな男っ!?」

 「何そんなに焦ってるのよ」

 「いや、そりゃ焦るでしょうよ。好きな男ですよ!?」

 「……はぁ。こわっぱに同情するわ」

 「なんで姉弟子が同情するんですか?」

 「べっつにー」

 

 ぷくーと頬を膨らませる姉弟子、くそう…可愛いな…。

 人差し指で頬を突いたら殴られた、解せぬ。

 

 ☖ 誤解から生まれた誤解

 

 「ただいまー、…ってそういえばあいは今日出掛けてくるって言ってたな」

 

 家に戻ると見慣れた光景が少し寂しいと感じた。

 

 「あいお前もとうとう巣立つ時期か…」

 

 完全に『雛』扱いである。

 すると、あいのランドセルから一冊の本の表紙が出ていることに気が付いた。

 

 「なんだこれ、えっと『男を落とすためのチョコの渡し方10選』」

 

 その時俺は考えることをやめた。

 躊躇いもなく俺はページをめくる。

 

 『体中にチョコを塗りたくって愛する人にプレゼント♡』

 

 誰だよこんなこと書いたやつは!!あ、書いた人の名前が書いてある。

 『本因坊秀埋』

 あの人かあああああああああああっっっ!!

 

 本因坊秀埋、女性初の本因坊のタイトルを取った囲碁棋士だ。普段は大人しいけれど酔うと下ネタを連発する女性である。

 ちなみにだ。

 酔うと、お○んぽおおおおおおおおおおおお!!と叫ぶため多方面の方々が迷惑しているという。

 案の定あとがきのほうに『身に覚えはありません』とあり容疑者が言いそうなことが書かれてある。

 多分、酔った勢いで書いたんだろうな…。何故書籍化した。

 

 「けど、あいも女の子なんだ…。ここは見守っていこう、うん」

 

 そうだよ!俺にはシャルちゃんっていうお嫁さんもいるんだ…!!

 大丈夫だ、心を落ち着かせ…。

 

 「れるわけねえだろおおおおおっっっ!!!」

 

 一体どこの奴だまったく!俺の可愛い弟子を奪おうとする奴は!許さんぞ…絶対に許さん…。

 

 「あいは絶対に渡さないからな…!」

 

 憎らし気にそう呟くとドアのほうから何かが落ちる音がした。

 振り返ると、食べ物が入ったタッパーを床に落とし顔を青くしている桂香さんの姿があった。

 

 「おかず作りすぎちゃって…あの…」

 「も、もしかして聞いてましたか…!?」

 「ううん!いや、別に人の事情にどうこうは言わないわ!!同意の元だったら!そうよ、八一君!!大丈夫よ、お姉さん応援するから!!」

 「ち、違うんです!誤解、誤解ですって!!」

 「いや…隠さなくてもいいのよ。それじゃ、八一君!」

 

 桂香さんが走って出ていく。

 この誤解は解かねばまずいぞ!

 俺は昔から桂香さん一筋なんだから!!

 

 階段を下りながら、こう叫ぶ。

 

 「俺は桂香さん一筋ですから!!誤解しないでください!!」

 

 階段を降り終え、辺りを見回すともう既に桂香さんの姿がなかった。

 はぁー、とため息をついてどう弁解しようと考えていると不意に声がかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 「ししょー♡」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 愛らしい声、しかしこの時ばかりは恐怖を感じさせる声。

 

 

 

 

 

 

 「今、誰かのことが一筋って聞こえたんですが~」

 

 

 

 

 

 彼女はゆらゆらと体を左右に揺らしながら一歩一歩、近づいていくる。

 

 

 

 

 

 「一体、誰のことか詳しく教えてくれますよね―――ししょー♡」

 「…はい」

 

 このあいには絶対に逆らえないと俺自身がよく知っている。

 

 ☗ 雛鶴あいという女の子

 

 「まったく公共の場でそんなことを口走ってはいけませんよ!」

 「すみません…」

 

 あいに全てを話し、母親のように注意された。

 しかし、小学生に注意される感じ…。癖になりそうだ。

 

 

 「めっ!ですからね!」

 「はいっ!!」

 

 あいに人差し指で強く注意され自然と声が大きくなった。

 あいはそんな様子を見て、かばんから一つの可愛らしいラッピングが施されたものを取り出した。

 

 「あっ、あの…師匠!こ、これ受け取ってください!!」

 「これって…」

 「少し早いですけど…バレンタインチョコ…です…」

 

 顔を赤らめて徐々に小さくなっていく声を聞き洩らさずに慎重にそれを受け取る。

 

 「本当に俺にくれるのか…?」

 「はい!いつもお世話になっている師匠に渡したくて今日天衣ちゃんと作ってきたんです!!」

 「う、嬉しいよ!!『義理』でもチョコを貰えるなんて!!バレンタインの日は対局があるから諦めてたんだけど最高のチョコだよ!!」

 「ししょー、今なんて…」

 「ん?だから『義理』でも貰えて嬉しいなって」

 

 本当によくできた弟子を持ってしまったよ!って、あいさん?なんでそんなプルプルして肩を震わせているんですか?

 

 「ししょーのにぶちん!だら!!」

 

 この日、俺はあいに女心のイロハを叩き込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ししょーのだら…」

 

 布団を奥までかぶり、私はそう呟いた。

 今日、勇気を振り絞って渡したチョコが不発だったのは悔しいけど、それ以上にししょーの鈍感さに驚いちゃった…。

 

 にぶくて。

 ちょっと怒ったりするときもある。

 けど。

 かっこよくて。

 優しくて。

 将棋がすごーく強いししょーのことが―――

 

 「大好きです」

 

 雛鶴あいはふすまから除く師匠の横顔を眺めながらゆっくりとその瞼を下ろしていった。

 




アニメの竜王戦第三局
ここだけみると八一は圧倒的クズに見えるけど、パーティーで記者たちに「小学生の女の子二人を弟子にして、そのうちの一人は内弟子なんだろ」「おままごとして強くなれると思ってるんかね」「名人を見習ってほしいね」「あんな奴は失冠して当然」「銀子と別れてほしい」
など酷いこと言われているのであそこまで荒れてしまうのは当然なんですよね…。勝負の世界って厳しいものだと痛感させられます。
アニメだけだと八一がクズに見えるけど原作を読めば少なからずは理解できると思いますので勝ってない人は是非読んでほしいです。


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第二章 元プロの弟子たち!
第一話 弟子


 私は憧れた。

 

若き日に頂点にまで上り詰めたあの棋士に。 敬愛する私の兄に圧勝したあの棋士に。

あの人になりたい。あの人に近づきたい。 どうすればあの領域に辿り着けるか兄と兄の師匠に聞いたことがある。

二人して返した答えは同じだった。

 

憧れてはならない、彼を参考にしてはいけない。

 

何故か悔しかった。それはつまり彼には届かないと私は思ったからだ。

 

でも、この思いに拍車をかける出来事があった。

 

あるタイトル戦で彼の弟弟子―――竜王九頭竜八一がその人が指導対局していると言っていた。

 

あの人の傍にいたい。たとえ届かなくても、違うレイヤーにとどまることになったとしても。騎士のような自身の誇り高いところを見せてみたい。 

マントを翻し、幼き騎士は高々と目の前にいる棋士に告げる。

 

「わらわは神鍋馬莉愛!貴様を穿つただ一人の女性棋士なのじゃ!!」

 

 

☗始まりに告げる駒音。

 

朝の来訪者に俺は困惑する。

だってそうだろう。玄関開けたら獣耳少女がいるんだもん。しかものじゃっ子だと?高校の友達の山西君が言っていた奴か。

 

「それで、えっと何のご用で?」

「ふむ、ドラゲキンが汝が指導対局していると言っておったからな。きてやったのだ」

「は?指導対局?何それ」

「え?」

「え?」

 

まず、事情を聴くために家に上げた。話を聞くに何でも俺が指導対局していることになっているらしい。

件の動画を見せてもらったがこれは誤解せざる得ない。どうりで最近将棋指しませんか?という問いがご近所さんから多いわけだ。

 

「そういえば汝は祖父母と生活していると聞いておったんだが姿が見えんな。かの名人に会えると思って少しばかり浮ついておったんだが」

「……」

「何を黙っておるんのじゃ!」

「爺ちゃんは倒れた。もう長くないからと無理したツケが来たらしい。婆ちゃんは付きっきりで看護してる」

 

俺の発言に今まで凛々しさがあった馬莉愛ちゃんの顔が崩れ、慌てた表情を浮かべる。

安易に触れてはいけない案件だったのかと後悔しているのかもしれない。

 

「す、すまんのじゃ…」

「別にいいさ、古戦場からは逃げていけない。これは宿命みたいなもんだからね」

「ちょっとまつのじゃ」

「待つのじゃ」

「真似するでない!…つまり、貴様の爺様というのは…」

「古戦場からは逃げてはいけない」

「ただのゲームのやりすぎ!?心配して損だったのじゃ…」

 

ほう、グ○ブルとすぐにわかる辺り君も騎空士か。仲良くできそうだ。

さて、そろそろ本題に移るか。馬莉愛ちゃんは俺からの指導対局を望んでいない。本命は別だろう。

目を見ればわかる。目は脳と直結する器官だ。俺は目を見ればその人の考えていることが大体5~6%わかる。八一君に自慢したらそれなら俺もできそうと言われた。嘘つけ鈍感男。

 

「それで、本当の要件は?まさか兄の敵討ちとか?」

「ふん、そこまで愚かなことを考えるわらわではないわ。一つ、聞きたいことがあるのじゃ」

「ほう、聞きたいこと」

 

俺が訊き返すと馬莉愛ちゃんは正座を正して、畳の上に三本指で頭を下げた。

そして、絞り出すように

 

「わらわを…いえ、私を弟子にしてくださいませんか…?」

 

そう言った。

 

「…馬莉愛ちゃん。わかっていると思うけど僕はねタイトルホルダーで永世称号をもってる棋士だよ」

「知っています」

「もし、もし仮に僕が君を弟子にしたとき君はその重圧に耐えきれる?」

 

俺の問いに馬莉愛ちゃんが口から苦しそうな返事をあげる。

そう、中学生で棋士になった人に弟子入りするときやタイトルホルダーの弟子になるとき、永世称号保持者の弟子になるとき。

これらは周囲から期待の眼差しを向けられることになる。

あいちゃんや天ちゃんは好成績を残しているから大丈夫だがこの子も大丈夫とは言えない。

だが…だがもし仮にこの子が最大の才能を引き出す才能を持っていたとしたら。

 

「まず、一局指してみようか」

「…!そうこなくては面白くないのじゃ!!」

 

俺は、弟子を持ってみたい。

八一君のように弟子と切磋琢磨をしてみたいと今では心の奥底ではそう思う。

 

「じゃあ、僕が飛車角落ちで。持ち時間は一人10分。終わったら一手10秒未満ってことで」

「ふん!わらわをそこらへんの『雑草』と一緒にするではないわ!やるなら平手、なのじゃ!!」

 

…あれなんかデジャブ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぅうう……ぐすっ…」

「えっと…」

「まけ、ました…」

「あっ、ありがとうございました」

 

泣いてしまった。

なんで俺と対局したら泣いてしまうん?なんもかんも政治が悪い。そういうことにしよう。

 

「なんなのじゃ!この△2五桂馬は!!なんで秒読みでこんな手を指せるのじゃ!!」

「どやさー」

「むかつくのじゃああああ!!のじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃ!!!!」

 

悔しそうに頭をかきむしる馬莉愛ちゃん。あとで髪を梳かしておかねば(使命感)

まぁ、馬莉愛ちゃんの読み通りに進めてあげて少しの変化で俺が勝ったようなもんだからな。相当悔しいだろう。

だが、よく研究されている。プロ間でも大流行の角換わり4八金型をここまで指しこなせる女の子はそうそういないだろう。

才能で言えば一級品。ただ、特上品の天ちゃんには届かないな。

あいちゃんと銀子ちゃんはまだまだだしな。特にこの間の銀子ちゃん、まさか小さいころ見せた前世の棋譜を覚えていて、見せてくれなんて頼むなんてな。

失望してしまった。

三段リーグに入るためにがむしゃらになるのはいい。けど、将棋星人になろうとしてはだめだ。あれは、別の生命体なんだから。

まぁ、やんわりと断っておいた。

 

「…それでどうだったのじゃ」

「最後に一つだけ」

「のじゃ?」

「君は…神鍋馬莉愛は何を掛ける?」

 

俺の剣幕な雰囲気に押されてか、馬莉愛ちゃんは表情を硬くする。

 

「何を掛けるかじゃと?愚問なのじゃ。わらわは―――神鍋馬莉愛という一人の少女の人生を掛けるのじゃ」

 

俺は考える。

この子を弟子にする分はいい。才能は一級品。育てればプロ棋士になれる可能性すらある。だが、そうだとしても女の子の人生を一緒に背負うというのはあまりにも重すぎる。

 

だが、やってみたい。

育ててみたい。

 

 

「…今度親御さんの所にいって説明をしなきゃだな」

「それって…!」

「あぁ、これから宜しくね。馬莉愛ちゃん」

「―――ッ!うんっ!!」

 

うわ。可愛い。

 

馬莉愛ちゃんを見送り、自室へと戻ろうとする。

すると、何故か右足が動かなかった。

 

「あれ?」

 

動かそうとしてもまったく動かない。

結局動き出したのはそれから2分後のことだった。

 

☖ 新しい家族

 

「今なんて言いました?」

「弟子が出来ました」

「弟子ぃいいいいぃいい!!?」

 

あれから一週間後、馬莉愛ちゃんの親御さんともしっかり話し合って正式な弟子になった。内弟子かどうかというついては今後の馬莉愛ちゃんの意見次第。親御さんも馬莉愛ちゃんの意見を尊重しているしとてもいい人たちだった。

そういうことで今は八一君と二人でレストランに来てる。

 

「でも、なんでいきなり弟子なんて。兄弟子多忙じゃないですか。この前も国民的アイドルグループのテレビ番組のVSなんとかって奴の収録もあって、その前は温泉巡りの番組にも出演してたじゃないですか。あっ、VSなんちゃらでの名人とのコンビネーションが思った以上にグダグダだったのは笑いました」

「まぁ、いろいろとね。僕も挑戦したいなって思って」

「へぇー、一体どういう子なんですか?」

「寝顔の写真あるけど見る?」

「なんであるのか触れませんが、見せてください」

 

馬莉愛ちゃんの実家は東京、そこから大阪に行くのは小学生にとって長旅だ。だから、この前家に来た時疲れからか黒塗りのソファーに激突し、そのままスヤァしたのだ。

可愛かったので写真を撮った。

 

「って、うわ!すごい可愛いですね!!というか、この恰好…」

「歩夢君の妹」

「あっ!ほんとだ!!すっごい似てる!!」

 

頬擦りしそうな勢いで画面を見つめる八一君を他所に俺は薬を飲む。

八一君がそれに気付いたのか指摘する。

 

「あれ、兄弟子。どこか悪いんですか?」

「その件で少し話がある」

 

俺は淡々と八一君に病名とこの薬について説明する。

話を聞けば聞くほど八一君の表情はひどくなる一方で聞き終わると、消え入りそうな声で訪ねてきた。

 

「…大丈夫なんですか?」

「医者が言うに、進行はかなり遅いらしい。3年は必ず持つって」

「ほかにこのことを知ってるのは…?」

「会長とタイトルホルダーのみかなぁ。あっ、あと僕の家族」

 

まぁ、しょうがない。もう優に100年近く生きているのだ。

()()になってしまってもネガティブにはならない。

 

「なんというか、なんでそんなに落ち着ているんですか?」

「治るかもしれない病気だし、病は気からともいうしね。…わかってると思うけど他言無用。特に天ちゃんには知らせないように」

「わかりました」

 

天ちゃんは多分俺に懐いてくれてると思う。そして、両親が既に他界してしまっている天ちゃんに追い打ちをかけるように俺の死が重なったら潰れかねないと俺は考えた。

 

「兄弟子のことですからここで暗い雰囲気になったら怒りますよね」

「まぁね」

「―――今日、うちに食べに来ませんか?あいがカレーを作るんです」

「そうなんだ、じゃあお言葉に甘えて」

「すごく…おいしいんですよ…。優しい味で…」

「それは楽しみだ」

「ほっぺがおちそうなほで…」

「―――」

「…俺はまだあなたに何も返せてないじゃないですか!!」

 

八一君がそう言うと大粒の涙を流し始めた。

その時何故か和服姿で俺と向かい合って盤面見つめる九頭竜八一の姿が脳内に移った。

 

 

 

これは限りなく近い未来の話だと俺は悟った。

 

 

 




ひぇ…なんかシリアス…。
察しのいい人は病名がすぐにわかるんごね。

あと馬莉愛ちゃんかわいい。


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