真剣で帰還者に恋しなさい! (晴貴)
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歓迎会

 

 

 俺が通っている川神学園(かわかみがくえん)源義経(みなもとのよしつね)が転校してきた。その家臣である武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)那須与一(なすのよいち)も一緒にだ。

 改めて口にしてみると俺の頭がイカれたように聞こえるかもしれないが、ところがどっこいこれが事実なのだ。

 

 とはいえ歴史上の人物がそのまま在学しているわけじゃない。世界に名だたる九鬼(くき)財閥(ざいばつ)がその技術力を結集して産み出した偉人のクローン。

 通称『武士道(ぶしどう)プラン』によって産まれたのが義経達である。

 

 ……なぜだろう。事実を語っているのに頭のイカれ具合が増した気がする。

 

「義経ちゃん強いな~」

 

「しかも超可愛いし!」

 

「そうだな」

 

「弁慶ちゃんも色っぽいというかなんというか……」

 

「エロいよな!」

 

「そうだな」

 

 川神学園2年C組。その窓際から校庭を見下ろす男3人。

 眼下の校庭では件の義経が挑戦者相手に大立ち回りの最中だった。屈強な男が車にはねられたかのような勢いでぶっ飛ぶ。

 

「おー、義経ちゃんまた勝った」

 

「可愛くて強くて礼儀正しくてしかも可愛い!」

 

「可愛いって2回言ってね?」

 

「大事なことだろ?」

 

「そうだな」

 

 人体がそんな勢いでぶっ飛んだら普通は生死もしくは怪我の有無を心配するべきだと思うが、この川神学園ではそんな常識なぞ当てはまらない。

 なにせ学園には決闘なるシステムが存在するからだ。

 

 川神学園にはその土地柄か武術に覚えるのある人間が多く、また学園長である川神鉄心(かわかみてっしん)本人も高名な武道家だ。

 恐らくはそういった要素がきっかけになったんだろうが、今や武術に留まらずあらゆる勝負事を決闘で解決するのが学園の校風になっている。

 良く言えば切磋琢磨できる実力主義。悪く言えば決闘は犯罪ですよ、ってなところである。

 

 まあ学園内で賭場が黙認されてる時点で今さらなんだが。かなり治外法権的な学校と言えよう。

 一応、学園内の決闘は合法らしいけど。

 

「なあ(たつみ)

 

「あ?」

 

「お前さっきから“そうだな”しか言ってなくね?」

 

「……そうだっけ?」

 

「そこは“そうだな”じゃないんかーい!」

 

 ビシッと突っ込まれた。我ながら毒にも薬にもならないやり取りを展開しながら昼休みを過ごす。

 川神学園はイベントに事欠かず、いつも騒がしい。特に2年のS組(選抜クラス)F組(問題児クラス)が騒ぎの中心になっていることが多い。

 

 この2クラスには王を自称する九鬼財閥の御曹司とか、その従者でかなりの重量があるだろう人力車を猛スピードで牽引する忍者メイドとか、授業を抜け出してそのままふらりと数日間の旅に出る自由人とか、老若男女を食い散らかす超絶イケメンの性癖倒錯者とか、転校初日に馬で通学してきたドイツ軍中将の愛娘とか、彼女の護衛でトンファー振り回す現役軍人とか、女は小学生までと言い切るロリコンのハゲとか、命を懸けて女子の際どい写真撮りまくってるカメラ小僧とか、お仕置きと称して生徒を鞭で打つ女教師なんかがいるのだ。

 

 そりゃ騒がしいに決まってる。それにひきかえこのC組はキャラクターも成績も普通だ。

 没個性なんて言われたりするが、日々の喧騒を遠巻きに観賞するには最適なクラスだろう。俺にはこれくらいがちょうどいい。

 

 ……なーんて思っていた矢先のこと。

 

 その日、義経達の歓迎会兼誕生会が開催される、という一報が校内を駆け巡った。

 これに食いついたのは俺の友人達である。

 

「巽、行こうぜ!桃源郷に!」

 

「なんで桃源郷?」

 

「なんでってお前、参加するメンツ見てみろよ。全学年の美人どころほとんど来るんだぞ?」

 

 いつの間に開設されたのか、歓迎会用のHPの画面を俺に見せつけながら力説する。義経達が転校してきてまだ数日だというのに仕事が迅速だ。

 ちなみに桃源郷の本来の意味は俗世を離れた仙境である。楽園(ユートピア)的なことを言いたいんだろうが、残念ながら真逆だ。

 まあ要するに学園の美人が一堂に会するからお近づきになりに行こうぜ!という誘いなのだが。

 

 確かに学園には美人が多いし、美人には武士娘(ぶしむすめ)が多い。

 しかし如何せん彼女達は個性的すぎやしないかとも思う。おまけにどうも彼女達の周りはハプニングに溢れているようなので、ゆっくり平穏な学生生活を送りたい俺としては一定の距離を保っておきたかった。

 なので俺の返事は決まっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『かんぱーい!』

 

 学園の多目的ホールに唱和された乾杯の音頭と、グラスが合わさる音が鳴り響く。

 不肖、小篠(こしの)(たつみ)。義経達の歓迎会に参加しております。

 クマちゃんが厳選した材料を用いた料理の魅力には勝てなかったよ……。

 

 歓迎会が開始されてすぐ、連れ立ってきた友人2人は引き寄せられるように美少女達の方へフラフラと行ってしまったので、俺は一人で黙々と料理に舌鼓を打つ。

 川神1の食通であるクマちゃんこと熊飼満(くまがいみつる)が選び抜いた至高の具材だけあって何を食ってもうまい。きっと調理した奴の腕前も相当なんだろう。

 学園には学生でありながらプロ顔負けの技能を持った生徒が沢山いるからなぁ。

 

 その最たる例は武神・川神百代(かわかみももよ)だ。

 川神鉄心の孫娘にして、世界最強との呼び声も高い武道家。俺からは知り合いたくない人No.1の称号を与えよう。

 川神先輩はバトルジャンキーらしいからな。絶対に絡まれたくない。

 

 ちらっと見てみれば葉桜(はざくら)先輩や松永(まつなが)先輩と談笑しているようだ。

 なぜか川神先輩が美少女を侍らせているようにも見えるが、しかしその実態は魔境である。

 納豆小町としてご当地アイドルやってる松永先輩も武道家としてはかなりの腕前だし、葉桜先輩も武神に迫りかねない苛烈な闘気を宿している。

 もしあの人達が暴れ出したら川神市が地図からなくなるだろう。くわばらくわばら。

 

 あまり見ていると勘付かれそうなので視線を外す。次に目についたのは本日の主役である義経、弁慶、与一の3人。

 義経は参加者の元を回りながらはきはきと感謝を述べ、弁慶は川神水を飲みながら主の傍らに寄り添っていた。与一は……ああ、弓道部に勧誘されてら。

 

 葉桜先輩も含めてクローン組を間近で見るのは初めてだが、やっぱり独特の雰囲気があるな。

 それは強さがどうのこうのとは関係なく、もっと根本的な部分の話だ。

 そして気がかりなのは、このクローン独特の雰囲気に覚えがある、ということだ。

 

 どこでだっけかなぁと思案しながらも料理を口に運ぶ手は止まらない。むしろ加速している。

 ああ、料理がうますぎて考えていたことがどうでもよくなっていく。

 

「俺も料理覚えてみるかなぁ……」

 

 絶賛独り暮らし中の身からすると美味しい食事の有無は結構な死活問題だ。外食か市販の弁当を主食にして1年ちょっとになるが、そろそろ飽きてきてる。

 自炊は面倒ではあるけど、出来るようになれば食事のレパートリーも広がるだろう。

 最初は四苦八苦するだろうが、慣れてしまえば……。

 

「あああああ、あの!」

 

「ん?……うお!?」

 

 声をかけられたので振り向くと、そこには刀を握って怖い顔した女子生徒がいた。驚いて思わず半身ほど後ずさりしてしまう。

 

「まゆっち!顔!顔怖いから!」

 

「はうっ!」

 

 まゆっちと呼ばれた女子は後ろに控えていた男子生徒に表情を指摘されて一気に涙目になる。どうやらメンチを切りたかったわけではないらしい。

 

「ま、またやってしまいました、松風(まつかせ)……」

 

「元気出せまゆっち。男子に声をかけた勇気、オラ忘れねぇぜ」

 

 と思ったら今度は馬のストラップと会話を始めた。腹話術か?

 帯刀も含めてなかなかファンキーな女の子だった。

 一緒にいた男子は顔を押さえてため息を吐いているけど。

 

「……えーっと、まゆっちさん?」

 

「は、はい!1年の(まゆずみ)由紀江(ゆきえ)と申します!」

 

「2年の小篠巽だ。それで俺に何か用でも?」

 

「そそ、それはですね!先ほど料理を覚えたいとおっしゃっていたと耳にしまして……」

 

「ああ、そんなことも言ったかな」

 

 どうやら独り言を聞かれていたらしい。

 

「実はまゆっちも料理を準備した一人なんだ」

 

 見かねたように男子生徒……あ、よく見れば2―Fの直江(なおえ)だった。あまり面識はないが顔の広い奴なので名前くらいは知っている。

 その直江が会話が続かせるためか助け船を出した。

 

「マジ?黛さん料理上手なんだ」

 

 どれを作ったかは分からないが、この歓迎会に並ぶ料理を作るシェフに名前を連ねた時点で腕前は伺い知れる。

 

「そうなんだよ。それに初心者でも簡単に作れる料理とかも知ってるんだ」

 

「きょ、恐縮です」

 

「なるほど。なんとなく話の流れが見えてきたような……」

 

 直江は学園内で特に顔が広い。よく貸し借りを作っては人脈作りに勤しんでいると聞く。

 そして恐らく今回は黛さんのために何かしようとしてるんだろう。そうすれば貸しをひとつ作っておくことになる。いざという時に力になってもらうつもりなのかもしれない。

 問題は黛さんが何を求めて俺に声をかけてきたかってことだけど……。

 

「こ、小篠先輩さえよければなんですが……料理をお教えしますので私と、おととととお友達になっていただけないでしょうか!?」

 

「……お友達?」

 

「はい!」

 

 黛さんはテンパっているようなので直江の方を見てみる。直江は静かにうなずいた。

 え?本当にそれだけ?

 

「まあ、俺でよければ……」

 

「本当ですか!?」

 

「ウェェェーイ!やったぜまゆっち!」

 

「ありがとう松風!伊予(いよ)ちゃんに続いて2人目のお友達ができました!」

 

 再びストラップと会話を始めた黛さん。

 友達ってこんな交渉じみたことで作るもんだっけという疑問はさておき、この現象について直江に尋ねてみる。

 

「えっと、直江だよな?F組の」

 

「ああ、そうだ。まゆっちの友達になってくれてありがとう小篠くん」

 

「いや、それはいいんだけどさ。なんで彼女はストラップと会話をしてるんだ?」

 

「小篠くん、あれはストラップじゃないんだ。ストラップに魂が宿った九十九神であって、決して腹話術ではないんだよ」

 

「……ああ、そう。まあ面白い個性だと思うよ」

 

「そう言ってくれると助かる……」

 

 それめっちゃ本音だよね?とりあえず馬のストラップ……松風は黛さんとは別の個人?個体?として扱えばいいらしい。

 松風と会話してるのが通常なら、そりゃ友達を作るのも苦戦するわなぁ。

 

「じゃあ良き友人としてこれからよろしく、黛さん」

 

「はい!」

 

 そう力強く返事をした黛さんの笑顔は柔らかく、そして嬉しそうだった。

 日頃からそういう顔で笑えれば友達作りも捗ると思うんだけど、それを口にして水を差すことはない。

 

 こうして義経達の歓迎会に参加した俺は、後輩の女の子&九十九神という友達が出来たのだった。

 

 

 



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野菜炒め

話の内容はまじこい無印、S、A1~A5の各√ごちゃ混ぜになると思います。


 

 

『お疲れ様でしたー!』

 

 秘密基地にファミリーの声が響く。義経達の歓迎会は成功に終わり、主催者としては肩の荷が降りた気分だった。

 そしてこれからは会の成功を祝しての二次会である。

 

「歓迎パーティーはおかげ様で成功したし……ほんとお疲れ様でしたっ!!」

 

 俺の口から実感のこもった言葉が飛び出す。

 

「いやぁ、今週は色々あったね!マジマジ!」

 

「日曜日は東西交流戦で西の人達と戦って……」

 

「月曜日に源義経達が現れて……」

 

「さらに松永燕(まつながつばめ)という手練れも現れた」

 

 キャップ、モロ、クリス、姉さんが今週の出来事を列挙していく。こうして聞くと本当に色々あったな。

 

「モモ先輩と戦えるなんて、凄い先輩ですよね」

 

 校庭で行われた姉さんと燕先輩の手合わせを見ていたらしいまゆっちも感嘆していた。

 

「とにかく技が多彩で面白い。本人も面白いし」

 

 強者を求めている姉さんは満足そうにそう言った。

 そんな燕先輩でも姉さんには届かないという。恐ろしい人を姉貴分に持ったものだ。

 

「まゆっちは今日のパーティーで友達できた?」

 

(もん)ちゃんと電話番号を交換できました!」

 

「おーやるじゃん!大物を釣り上げたな!」

 

「ありがたいことに、私を九鬼財閥に誘ってくださってるんです。困った事があれば電話してこいと……」

 

「飛び級してきたとは思えない器量にオラ感動」

 

 九鬼英雄(くきひでお)の妹である九鬼紋白(くきもんしろ)。見た目は小柄だけど器の大きさはさすが九鬼の血縁者だった。

 そんな彼女と連絡先を交換できたまゆっちにファミリーのメンバーから次々と賛辞が送られる。

 

「じゃあまだ友達、とまではいかないのかな?」

 

「はい。でもこれからどんどん話していこうと思います」

 

「実に建設的でいいではないか」

 

「明るい話題が多くてめでたいな」

 

「そうだね。それにまゆっち、もう一人友達もできたし」

 

「なに、そうなのか?」

 

「実は大和さんのおかげで、2年生の先輩と友達になっていただきまして……」

 

「おお、年上とはやるねぇ!」

 

 自身もあまり人付き合いが得意とは言えないモロが感心したように言う。だが驚きはそれだけじゃない。

 

「しかも相手は男子だからね。異性の友達だよ」

 

「うお、マジか」

 

 一部を除いたファミリーの面々が俺の言葉に色めき立つ。

 ついでにどういう経緯でそうなったのかも説明しておいた。

 

「なるほど。料理を覚えたがっていたから、その辺をつついて友達になろうと」

 

「でも大丈夫なのか?まゆっちは美少女だし、変な男だったら大変だぞ?」

 

「び、美少女だなんてそんな……」

 

 クリスが全くもってその通りなことを口にする。

 だが俺も誰だっていいから友達にしようとしたわけじゃない。

 

「それはまあ心配しなくても大丈夫そうな人を選んだよ。C組の小篠くんって人なんだけど……」

 

「小篠……知らねぇな」

 

「C組の人っていまいち目立たないからね。まあ僕が言えたことじゃないけど」

 

「確かに目立つタイプじゃないけど、落ち着きがあってよく相談事とかされてるんだ。告白されてもずっとフリーらしいから女関係にだらしないってこともない」

 

 何より目の前でいきなり松風と会話をし始めたまゆっちに対しても、驚きながら個性的で面白いと評したくらいだ。

 その話をすると皆が感心する。

 

「それは凄いわね。松風をすぐに受け入れられるなんて……」

 

「でもまあ告白とかされてる時点で俺様にとっては敵だがな」

 

「そんなこと言ったらキャップはどうなるのさ?」

 

「キャップはいいんだよ。女より冒険だろ?」

 

「おうともよ!俺のことよく分かってるなガクト!」

 

「ガクト×キャップ……ありだ!」

 

「ねーよ!」

 

 10点満点の札を挙げた(みやこ)にガクトがつっこみを入れる。

 いつも通りの光景だった。

 

「まあ大和がそこまで言うなら納得するが……」

 

「心配ならついてくるか?月曜に早速料理部に場所を借りて料理を教えることになってるんだけど」

 

「さすがにそこに顔を出すのは不粋だろう」

 

「そうでもないさ。小篠くんからその時は俺も一緒に来てほしいって言われてる」

 

 たぶんまゆっちが口下手なのを察して円滑に会話をするためにそう提案したんだろう。

 その一言でまゆっちを心配していた面々の小篠くんに対する印象が変わったようだ。配慮ができて、気も回る人だというのが理解できたらしい。

 

「へぇ、それならまゆっちに対する下心はなさそうだな」

 

「まあ相手も男だし完全にないわけじゃないだろうけど、評判を聞く限りそこまで心配はしなくてもいいと思う」

 

「ならいいんじゃねえの?可愛い子には旅をさせろって言うしな!」

 

勇往邁進(ゆうおうまいしん)よまゆっち!」

 

「はい、頑張ります!」

 

 歓迎パーティーの成功とまゆっちの新しい友達、そしてモロが演劇部に入る報告などなど、それらをひっくるめて祝う二次会は夜更けまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 週が明けて月曜日。今日も川神学園は活気に溢れていた。

 S組の前を通りかかったら弁慶が「今日は飲まなければやってられない!」とか言って川神水を煽っていた。

 

 何事かと思ったが、考えてみれば本日6月15日は衣川合戦の日であり、史実によれば義経と弁慶の命日だった。

 クローンとはいえ当時の記憶があるわけでもないだろうに、それでもやけ酒せずにはいられないのだろうか。

 義経は今日も元気そうに挑戦者をなぎ倒してたけどな。

 

 まあそんなこんなあって迎えた放課後。今日は黛さんから料理の手ほどきを受けることになっている。

 家庭科室の一部を間借りして料理部に混ざっての作業になるが、すぐにこういう場所を整えられるのが直江の日頃の努力の賜物なんだろうな。

 

「ほ、本日はよろしくお願いします!」

 

 黛さんは相も変わらず表情が険しい。

 

「よろしく。教えてもらう俺が言うのもなんだけど、そう固くならずに」

 

「そうだよまゆっち。寮でやってるようにすればいいんだ」

 

「あれ、直江も黛さんも寮なの?」

 

「ああ、俺は両親が海外を飛び回ってて……」

 

「私は北陸出身なんです」

 

「だからか。今さらながら俺も寮に入ればよかったな」

 

「小篠くんは地元じゃないの?」

 

「小篠でいいよ。生まれは神奈川だけど七浜の端っこだからな。学園に入るまで川神とは縁がなかった」

 

「あー、七浜だとこっちまで出てくる必要ないもんね。でもそれじゃ通学大変なんじゃない?」

 

「だから今は独り暮らししてるんだ。黛さんはなんで川神まで?」

 

「実は私、地元ではちょっとした有名人でして……」

 

「有名人?」

 

「ほら、聞いたことないか?剣聖黛って」

 

「あるな。もしかして黛さんは……」

 

「はい、剣聖黛大成(まゆずみたいせい)の娘です。剣聖の名前は地元だと神格化されているので、その娘である私も畏怖されてしまい友達を作ることができなくて……」

 

「だから友達を作るために川神までやってきたわけさ」

 

「友達100人を目標に頑張ります!」

 

 友達を作るためにそこまでやるとは健気というか、必死というか……。あれ、でもこの間俺が2人目の友達とか言ってたけど果たして今のペースで目標は達成できるのだろうか。

 けどまあこれで黛さんが帯刀しているわけや、壁越えの実力者である理由も知ることができた。

 

 直江が黛さんに貸しを作ってるのは本人の武力や黛の家名を使いたいためかもしれない。

 でもこうして一緒に作業してみるとあまり打算的なものは感じないんだよな。どちらかというと純粋に黛さんの力になろうとしているように見える。

 まあ何にせよ俺にはあまり関係のないことだけど。

 

 迫力に押される形で友達になってしまったが、対人スキルが壊滅的なことを除けば黛さんは常識人っぽい。友達として友好を深めれば固さも取れていくだろう。

 どこかの武神のようにバトルに飢えているようなタイプにも見えないし、絡まれて無用な注目を集めることもあるまいて。

 

「そういえばまゆっち、今日は何を作るの?」

 

「小篠先輩からのリクエストで野菜炒めを……」

 

「……チョイスが渋いね」

 

「男の独り暮らしは野菜が不足しがちなんだよ」

 

 気にはなりつつも外食メインだとやっぱり野菜の摂取量は少ない。それに野菜炒めっていざ作ってみても味付けに困るんだよね。

 塩コショウだけだと味気ない感じがするし、かといってどの調味料を使えば旨味が出るとかさっぱり分からない。

 定食屋で出てくるような野菜炒めが作れれば野菜を食べる習慣もできる……気がする。

 

「野菜炒めは栄養のバランスも摂れますし作るのも簡単ですから。最初に覚える料理としては適していると思います」

 

「言われてみれば確かに……」

 

「そういうわけでよろしく頼むよ。まずは野菜の皮剥きからだな」

 

 せっかくの機会なので本当に初歩の初歩から教えてもらうことにした。

 

「そこはピーラーでいいんじゃ?」

 

「やるからはには桂剥きとかできるようになりたいじゃん」

 

「思いの外目指してるレベルが高い!?」

 

「小篠先輩パネー」

 

 俺は形から入るタイプなのである。

 そんな感じで直江と黛さん、そして松風とわいわい楽しみながら野菜炒めを作った。

 味はそこそこだったけど作り方は覚えたし、今度から家でちょくちょくやってみよう。

 

 ちなみに審査員松風と料理部2人の判定は1位黛さん、2位俺、3位直江。

 直江が少し悔しがってたのがなんとなく意外だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――夕刻、多馬川(たまがわ)河川敷。夕焼けと宵闇が混ざりあった、薄暗い黄昏時。

 そこに一人の男が立っていた。その出で立ちは胴着姿であり、彼が武芸者であると一目で理解できる。

 彼は自分を奮い立たせるように言葉を口にした。

 

「ここが川神か……武神、そして源義経がいる街」

 

 武芸者として過去の偉人と手合わせをしたい。その一心で彼は川神の土地を踏んだのだ。

 元より地元ではもう敵無しである自分がどこまでやれるのか試してみたかった。むろん、義経にだって勝てるという自負がある。

 

「俺は源義経に勝ってみせる。そして武神にも!そうすれば――」

 

 俺こそが最強の武道家だ。

 そう続けようとして、しかし遮るように言葉が重なる。

 

「貴方は腕試しに来ている武芸者ですね」

 

 声がした。振り返れば架橋の陰から滲み出たかのような人影が立っていた。

 フードを目深く被っているせいで顔は見えないが、声と体つきからして若い女性……いや、少女と呼ばれる年齢だろうというのは分かる。

 

「そうだが、君は?」

 

「私はファントム・サン。宜しければ一勝負いかがでしょうか?」

 

 友人をお茶にでも誘うような軽い調子でファントム・サンと名乗った少女は勝負を提案してきた。

 平時ならば鼻で笑うところだが、ここは武都・川神。ここでは街行く女学生ですら一線級の武道家であると聞いたことがある。

 

 その噂が真実だとしたら、目の前の少女も油断ならない実力者かもしれない。

 それでも遅れを取るつもりなどはさらさらない。

 

「いいだろう。俺も川神のレベルを体感しておきたかったところだ」

 

 河川敷で2人は向かい合う。

 そして勝負開始と共に男は腹部への強烈な衝撃を感じ、意識を手放す。完全に気絶する直前、彼の耳には亡霊の声がしっかり届いていた。

 

 ――ありがとうございました、と。

 

 

 



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壁を越えた者達

 

 

 その日、川神学園ではとある噂が広がっていた。それはファントム・サンと名乗る謎の人物が腕の立つ武道家を倒して回っている、というものだった。

 噂の信憑性はともかくまた変な奴が川神に現れたらしい。

 まあだからといって何かあるわけでもなく、俺ができることと言えばファントム・サンに出会わないよう警戒しておくくらいしかない。

 

 俺はバイト先の梅屋で同僚にそんな噂話を披露していた。

 

釈迦堂(しゃかどう)さんは知ってました?」

 

「いいや、聞いたことねぇな」

 

 ちょっとおっかない風貌にぶっきらぼうな物言いをする人だが、話してみると案外楽しく会話できる。

 ……まあその見た目通りめちゃくちゃ強い人ではあるんだけど。なんでここで働いてんのか意味分かんないレベル。

 九鬼の斡旋できた人だからそっちの関係者なのかもしれない。

 

 釈迦堂さんの知り合いだという女性――板垣(いたがき)さんしかお客がいないことにかまけて駄弁る。ちなみに板垣さんはメニューを選んでいる最中に寝てしまった。

 この人はだいたいいつもこんな感じだ。見かねた釈迦堂さんが勝手に選んで出すまでがお決まりの流れになっている。

 ちなみにこの板垣さんも釈迦堂さんほどではないとはいえかなり強い。どうなってんだこの街。

 

 それからしばらく駄弁っていると自動ドアが開いた。

 

「いらっしゃいませー」

 

 俺と釈迦堂さんの声が重なる。

 店に入ってきたのは学園長と川神学園の教師、ルー先生だった。

 学園長は言わずもがな、川神院で師範代を務めるルー先生もかなりお強い。戦ったらたぶん釈迦堂さんにも勝てると思う。

 

「おお、やっとるやっとる」

 

「まさかお前がここで働いているとはネ、釈迦堂」

 

 2人が釈迦堂さんに話しかける。

 釈迦堂さん知り合いなのかよ。九鬼の関係者かと思ったら川神院の関係者だったのか。

 

「なんだよ。俺に何の用?」

 

「お前がここにいると聞いテ、様子を見に来たまでダ」

 

「しかしその服似合わんのう」

 

「余計なお世話だっての」

 

 ルー先生の砕けた口調ってなんか新鮮だな。それだけ知った仲なのかもしれない。

 一定以上の強さを誇る武道家を『壁を越えた者』と称するらしいが、ルー先生も釈迦堂さんも壁越えしてる超人同士だから古い縁があっても不思議じゃないな。

 

 なんて考えていたら学園長とルー先生は牛飯野菜セットとてりたまハンバーグ定食を頼んだ。食べていくのか。いやまあ牛丼屋だから当たり前なんだけどさ。

 一触即発するような空気ではないがあまりにも強すぎる人達が集まっていると何が起こるか分からないので、早々に食事を終えて立ち去ってほしいところだ。

 

「……あぁ、やっぱり川神院の皆か」

 

「すごい気だったからね。何かと思ったよ」

 

「異常がないなら何よりです」

 

 しかしそんな俺の希望を打ち砕くような来店。やってきたのは川神先輩、松永先輩、そして黛さんの3人だった。

 つーかどうして黛さんは川神先輩と一緒なんだ?もしかして知り合いなのか?

 

「お、モモ達じゃないか」

 

「悪いなじじい、おごってくれるなんて」

 

「誰もそんなこと言ってないわい!」

 

「ありがとうございます。私豚丼、単品とろろで」

 

「分かってるねぇお嬢ちゃん!おごってやれよ!」

 

 学園長の声など聞こえていないかのように松永先輩が注文する。

 そしてまさかの釈迦堂さんによる援護射撃。

 

「しゃーないのう……内緒じゃゾ」

 

「ありがとうございます。それでは私は、えーっと……」

 

「まゆっちここはあれだ、牛丼汁だくだ。お願いしまーす」

 

「あぁ、松風が勝手に頼んでしまいました……」

 

 黛さんもいい性格してるなぁ。いや、これは松風がやったことになるのか。

 とりあえず場違いな俺は気配を消してやりすご……

 

「あ、小篠先輩」

 

 せなかった。

 いくら気配を消しても注文取ってればまあバレるよなぁ。

 

「なに?ってことはお前がまゆっちの友達なのか?」

 

 そして武神にも認識された。黛さんのことを直江と同じ愛称で呼んでるってことはやっぱ友達っぽいな。

 なんてこったい。もしかして直江も川神先輩と友達だったりするんだろうか。

 

「ふーむ……普通だな」

 

 それが俺を値踏みした川神先輩の感想だった。

 

「そりゃまあ川神先輩と比べたら大抵の人は普通ですよ」

 

「お、言うねぇ」

 

 松永先輩はいたずらっぽく笑う。

 ちなみに松永先輩と比べても大抵の人は普通だと思う。

 とりあえず頼まれたメニューを準備しに厨房へ引っ込む。そしてお盆に豚丼ととろろを載せて戻ってくると、新しい人間が増えていた。

 

「この店で何が起きているのかと思えば……」

 

 その正体はつい最近、義経達と同じタイミングで転入してきた1年S組のヒュームくんだった。

 1年生って言っても50すぎたおっさんだけどな……。

 肩書きは九鬼の従者部隊の零番。そんでこの人も余裕で壁を越えてる。

 

「なぁに、ただ客として集っているだけじゃよ」

 

「赤子の群れか。フフフ……」

 

「これはこれは……何という険悪なムード」

 

 また1人増えたぞおい。ヒュームくんと同じ服装ってことはこの人も九鬼の従者か。

 しかし当然のように壁を越えてるなぁ。

 

「また危険なレベルの人間が増えたネ」

 

 街角の牛丼屋に壁を越えた人間が7人とか悪夢のようだ。世界征服だって可能なんじゃないか?

 

「フ……赤子共はすぐ怒るということだ」

 

「喧嘩を売るのが好きな人ですね。高く買いますよ?」

 

 やめてくれよ。お前らがそんなことしたらここが吹っ飛ぶだろうが。

 

「お前はすぐ挑発に乗るでない」

 

「マイ納豆を取り出して……これらとブレンドっ!」

 

 松永先輩は周囲の空気に我関せず。カバンからパックの松永納豆を出して豚丼にかける。

 だがよく見れば腰に下げた武器のようなものに手をかけているのでいざ戦闘となればやる気らしい。

 けど松永先輩、その前に当店は飲食物の持ち込みはお断りしてるんですが……。

 

「さてどうする赤子共?」

 

「どうするもこうするもないでしょう」

 

 依然挑発を続けるヒュームくんの頭を、同じ従者部隊らしい白髪のじいさんが軽く叩いた。

 

「ここは食事をするところです。闘気をおさめて下さい」

 

「……まあいいだろう。おいっ、牛焼肉定食(ダブル)でライス特盛だ」

 

「かしこまりました」

 

 1秒でも早くこの場から離れたかった俺はヒュームくんの注文を取ってそそくさと姿を消す。飯食ってさっさと帰ってくれ。

 その後も直江が九鬼妹と一緒に来店したり、凄まじい気に釣られるように九鬼姉、義経、弁慶の3人衆までやって来たり、さらにその後葉桜先輩まで姿を現した。

 

 極めつけはそんな人外魔境と化した梅屋に強盗が押し入った。新手の自殺かな?

 そんな命知らずの強盗は人質に取った葉桜先輩に逆に突き飛ばされて、無人で動く自転車に股間を攻められたあと、九鬼の関係者に連れていかれた。

 怒濤の展開すぎるだろ。

 

 普段のバイトより数倍疲れた。店長も俺と同じ気持ちだったのか、(まかな)いの牛丼弁当を2つくれたその優しさだけが救いである。

 ともかくバイト先が壊滅しないで良かった。

 さりとて今日という1日はまだ終わらない。

 

「うぅ……」

 

 帰り道で通りかかった多馬川の土手。深く生い茂った草むらの奥から人の呻き声が聞こえてきた。

 げんなりしつつ、しかし緊急性のある事態だとヤバいので草むらの中を覗き見る。

 そこにはジャージを着たお姉さんが行き倒れていた。

 

「大丈夫ですか?意識はありますか?」

 

「だ、大丈夫……だから……」

 

「具合悪いんですか?自分の名前は言えますか?」

 

「名前は、(たちばな)天衣(たかえ)……本当に大丈夫……」

 

 ぐぅ~~~、と豪快に腹が鳴る。むろん橘さんの腹だ。

 どうやら怪我や病気ではなく空腹で倒れていただけらしい。いやまあそれもなかなかの案件ではあるけれども。

 

「これ食べてください。バイトの賄いで悪いですけど」

 

「そんな、受け取れないよ」

 

「かといってこのまま貴方を無視していくのは俺の精神衛生上よくないんです。だから俺の心を助けると思って」

 

「でも、私に関わったら君にも不運なことが起こってしまうかも……」

 

「それならもう前払いしてきてるから平気かな……」

 

 あんな人外集団の中に放り込まれるとか地獄以外のなにものでもないわ。

 川神学園に入学して以来最大の不運を切り抜けてきたんだからあれ以上のはそうそう起こりそうもない。

 

「とりあえずこれ置いてくんで気が向いたら食べてください。じゃあ俺はこれで」

 

「あ……ありがとう……」

 

 あんまり人と関わりたくなさそうな雰囲気を感じたので目の前に牛丼弁当が入った容器を置いて立ち去る。

 ああいうタイプはあれこれ手を焼こうとすると逆効果になることが多いからな。どうせこれっきりの関係だろうから押し付けてさよならしてしまえばそれまでだ。

 

 しかし相当弱ってたけど橘さんもあれ壁越えてるよな?

 それほどの人がどうして空腹で行き倒れになんてなるんだか。世の中は謎に包まれてることがあるもんだ。

 

 例えばそう、川神で旬の話題であるファントム・サンの正体とかね!

 

「びっくりさせてごめんなさい」

 

 橘さんと別れてしばらく。人通りがさらに少なくなったところで上空から男が降ってきた。

 さらに数瞬遅れてフードを被った女性も土手に降り立つ。

 そいつは男を降らせるという異常気象を引き起こしながら、だいぶ軽い謝罪で済ませた。

 

 足元には白目を向いて気絶した男。格好からしてこいつが武道家であることが見てとれる。

 そして数メートル先に立っているフードの女。この女も壁を越えてる。

 今さらだけど川神って頭おかしいんじゃねぇの?ため息が出るぜ。

 

「あんたが噂のファントム・サンか?」

 

「あら、私も有名になったのかしら」

 

「まあそれなりなんじゃないの」

 

「あまりこの名前が有名になるのは望ましくないんだけれど」

 

 じゃあファントム・サンとか名乗るなよ。

 そう突っ込むのは簡単だが、俺にはそれよりも気にかかっていることがあった。その疑問を思わず口に出してしまう。

 

「なあファントム」

 

「そう呼ばれるのは新鮮ね」

 

「1つだけ聞きたいことがあるんだけど」

 

「時間がないから本当に1つだけよ?ちなみにスリーサイズは秘密」

 

 ファントム・サンは思いのほか愉快な性格をしているようだ。

 けど今はそんな情報どうでもいい。俺はこの正体不明の相手に既視感を覚えている。

 

「あんた、もしかして義経達と同じクローンか?」

 

 瞬間、ファントム・サンの雰囲気が変わった。というかイメージの中で斬りかかってきやがった。

 いきなりすぎたので思わずそれを捌いて喉元に剣を突きつけてしまった。もちろんそれもイメージ内での行為だが。

 

「……っ!」

 

 ファントム・サンが弾かれたように飛び退く。

 

「あー……悪い。今のは別にあんたを攻撃しようとしたわけじゃなくてだな……」

 

「……いいの、分かっているわ。先に手を出してしまったのは私の方だもの」

 

「話が分かる相手で助かる」

 

「でも女の子の素性をぶしつけに探るのはよくないわよ?」

 

 反省してね?と言い残してファントム・サンは姿を消した。質問に答えることなく逃げやがったな。

 逃走したのは……西の方か。追いつけなくもないが、興味本意で尋ねただけだしそこまでして聞き出したいわけでもない。

 ああいう厄介事が服を着て歩いてるような奴と関わると大概ろくでもないことになるだろうしな。

 

 俺は制服の内ポケットからスマホを取り出して救急車を呼んだ。

 足元で伸びてる男を放置するわけにもいかないからな。

 

 

 



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納豆と謎

日間ランキング1位ありがとうございます。
名作だけあってマジ恋の根強い人気を感じました。


 

 

 鉄は熱いうちに打て、ということわざの意味は今さら説明するまでもない。そしてそれは人の熱意にも同じことが言えると思う。

 要するに身につけたいことはやる気がある時にやっとけ、ってことだ。

 

「巽、どうしたんだよその弁当」

 

 昼休み。いつもの2人と学園の食堂で昼食をとる。

 いつもと違うのは俺が学食のメニューを注文するんじゃなくて弁当を持参してることだ。

 

「最近料理を始めたんだよ」

 

 といっても本当につい最近だし、まだまだ簡単なものしか作れないけどな。

 ただ、やってみると意外に面白いのは新たな発見だった。もっと早くに始めてれば……って言えるような状況じゃなかったか。

 

「自作かよ。彼女のお手製じゃなきゃいいや」

 

「俺らに黙って彼女作ってたら市中引き回しの刑だからな」

 

 何その取り決め。初耳だわ。

 

「じゃあ彼女できてもお前らには教えないし彼女の友達とかも紹介しねーわ」

 

「「紹介してくださいお願いします」」

 

 即座に下手に出るあたり必死さがすごい。

 川神学園にはイケメン四天王がいるおかげで女子が男子に求めるハードルが高くなってるきらいがあるからな。

 特に四天王のうち3人が2年生にいるってのも大きい。その上3人ともフリーときたもんだ。

 そのせいで他の男子には見向きもしない女子がことのほか多い。

 

 ……まあ2―Sの(あおい)冬馬(とうま)に関しては特定の相手がいないだけでかなりの数の生徒(男子も含む)に手を出してるらしいが。

 などとくっちゃべりながら箸を進めていると、学食に納豆の行商人が現れた。

 

「なっ、とうっ!」

 

 というかけ声と共に納豆をあらゆるものに振りかける。行商人というよりは通り魔的な犯行なのだが、これが意外と人気だったりする。

 松永納豆自体の味はもちろん、納豆ってのは色んなものに合うらしい。まあ好評の1番の理由は押し売りしてくる松永先輩が可愛いからだろうけど。

 さすが地方のご当地とはいえ納豆小町としてアイドルやってるだけのことはある。

 

「納豆ー、納豆はいらんかねー?」

 

「はい!買います!」

 

「俺も!」

 

 そして案の定というか、同席していた2人は松永納豆を購入した。こいつら上客だからな。

 

「ありがとう。いつも買ってくれる君達にはサービスしてあげるねん」

 

 サービスはもちろん納豆だった。まあ1パック分の料金で2パック買えるならお得ではあるが。

 しかしまあよく顔を覚えてるもんだ。こういう細かいところが商売繁盛の秘訣なのかもしれない。

 

「君はどう?」

 

「今日は遠慮しときます」

 

 当然のように同席している俺にも声がかかった。

 が、丁重にお断りしておく

 

「んー、残念……って、おや?君は確かあの時の……」

 

「どこかで会いましたっけ?」

 

 ちょっとすっとぼけて様子を窺う。

 

「あれれ、忘れちゃった?この前梅屋で強盗事件があったじゃない」

 

「……ああ、そういえばあそこに松永先輩もいましたね」

 

「そうそう。こんなに簡単に忘れられちゃうとちょっとショックかも」

 

 そう言う松永先輩の表情に悲しみの色は全くなかった。

 

「強盗と川神先輩のブラックホールが強烈すぎてそれ以外の記憶が曖昧なんですよ」

 

 アホみたいなセリフだが、強盗が押し入ってきた時に川神先輩は本当に小型のブラックホールを作って犯人をどうにかしようとしていた。

 たぶん闘気を圧縮して擬似的に極めて高密度の物質を作ったんだろう。

 結局それが犯人に向けられることはなく、しかし何かを吸い込まないと消せないとのことだったので釈迦堂さんが店のゴミを投棄して事なきを得た。

 

 普通の人間からすりゃ衝撃的すぎる光景である。

 まあ正直なところ驚きよりも便利だなって思ってたけど。独り暮らしはゴミを出し忘れてるとすぐ部屋に溜まるからな。

 

「おい巽、お前どこで松永先輩と知り合ったんだよ!」

 

 友達が小声で叫ぶという器用な真似をする。まあそれ松永先輩にも聞こえてるけど。

 というか知り合いってほどの仲でもないんだが。

 

「実は巽くん、バイト先で松永納豆を扱えないかお店に掛け合ってくれたんだよ。ね?」

 

 松永先輩がさらっと嘘をついた。

 そんな事実は一切ないが、これに乗っかれば面倒な追求は回避できる。そういう意味でも先輩が助け船を出してくれたのは間違いない。

 ただまあ後でこの嘘を事実にしなけりゃいけないんだろうけど。

 

「松永先輩が言った通りだ。店長にサイドメニューに納豆はどうですかって勧めたんだよ」

 

 了解しました、という意味を込めてそう言葉を返す。松永先輩は満足そうに頷いていた。

 友達も俺のバイト先を知ってるのですんなり納得してくれる。

 

「興味無さそうにしておいて、まさか巽がそんは点数稼ぎをしていたとは……!」

 

「先輩、俺もそれくらいやりますよ!」

 

「本当?君はどこかにツテがあるのかな?」

 

 なんか唐突に食堂の一角で商談が始まった。松永納豆の普及活動がどんどん進んでいくなぁ。いずれ川神全土を支配しそうだ。

 とりあえず俺は一足先にその場から離れる。その際に「君にもサービスしてあげる」と言って3パック入りの松永納豆を渡された。

 これでバイト先に売り込んでこい、ってことだろう。本当にどこの世界でも商人というのは逞しい生き物だ。

 

 そのまま自販機で飲み物でも買ってから教室に戻ろうと窓際の方へと足を向ける。するとそこでも見知った顔に出会った。

 黛さんが女の子と一緒に食事をしている。あれが1人目の友達だろうか。

 

「あ、小篠先輩」

 

「やあ黛さん、こんにちは」

 

 声をかけられてしまったので素通りするわけにもいかず返事をする。

 

「あの、私はまゆっちの友達で大和田(おおわだ)伊予(いよ)って言います」

 

「俺は2年の小篠巽だ。黛さんの友達同士ってことでよろしく」

 

「はい」

 

 いい笑顔だった。大和田さんは黛さんとは違って社交性が高そうである。

 あいさつだけにしようと思ったが、大和田さんに席を勧められたので座っていくことになった。

 

「小篠先輩もお昼ですか?」

 

「もう食べ終わったけどね。ただ一緒に食べてた友達が納豆の奴隷になっちゃったから俺だけ脱出してきた」

 

 納豆という単語に2人は何があったのか察したような顔になる。

 

「そういう小篠先輩も買ったんですか?」

 

「これは試供品だな。販路拡大のために渡されたんだ」

 

 なんて会話から始まって俺のバイト先や黛さんのクラスでの様子についてダラダラと話す。普段から一緒にいる大和田さんが潤滑油になってか黛さんもいくらか口数が多く喋れていた。

 

「ところで先輩、つかぬことをお聞きしたいのですが……」

 

 昼休みも佳境。そろそろ解散しようかと思っていたところで、大和田さんはやけに真剣な顔でそう切り出した。

 

「何さ」

 

「ノビのある直球でお尋ねしますが、先輩は野球に興味とかありますか?」

 

「あるよ。ニワカだけどサッカーとかよりは野球の方が好きだし」

 

「本当ですかっ!……ち、ちなみにセとパのどちらが好きですか?」

 

「セだね。俺は七浜出身だから七浜ベイのファンなんだ」

 

 これは本当の話だ。元から生まれは神奈川だから七浜……というか横浜の球団はぬるくだけど応援していた。

 だから不動の4番に座る漢や天才の右バッターが未だにベイに在籍していることに違和感を覚えてるけど……。

 この2人もそのうち巨仁とハードバンクにFA移籍するのかもしれない。

 

「~~っ!!」

 

 それはさておき。

 なんだろう、大和田さんの瞳がめっちゃ輝いている。

 もしかして彼女は熱狂的なベイファンだったりするんだろうか。そういえばいつだったかカープ女子って単語が生まれたくらいだし、最近は若い女の子が野球観戦に足を向けてるのかもしれない。

 

「こ、小篠先輩!」

 

 テーブルを挟んでいる大和田さんがずずずいっと迫ってくる。

 

「私もベイの大ファンなんです!な、なのでもしよかったら私と野球を観に行きませんか!?」

 

 唐突な申し出。とはいえ七浜ベイの本拠地は隣街だし、電車に乗れば十数分の距離だ。

 そう難易度の高いお誘いじゃない。……あくまで距離に関しては。

 

「俺と?選手の名前とか半分以上知らないような奴と行って楽しいかな……」

 

「関係ありません!誰だって最初はそうなんですから!」

 

 大和田さんの圧が凄い。見れば黛さんもハラハラして見守ってる。

 ……まあ彼女がここまで言うんだから知識云々は気にしなくていいんだろう。後は俺の気持ち次第だな。

 

「なら行こうか」

 

「本当ですか!?」

 

「ああ。観ながら色々教えてよ」

 

「もちろんです!」

 

「そうだ、黛さんも一緒にどう?」

 

「わ、私もですか?」

 

 いきなり話を向けられて黛さんは慌てふためく。

 態度には出してないけど数少ない友達が自分を置いて遊びに行くのは寂しいもんなんじゃないのかね。

 

「い、いいんでしょうか……?」

 

「そこは大和田さん次第かな」

 

 少し意地悪く笑いながら大和田さんに託す。

 俺は構わないよ、という合図だ。

 

「うぅ……私ベイの応援になると人が変わっちゃうから、それをまゆっちに引かれたら……」

 

「だ、大丈夫です!私はそれくらいで伊予ちゃんを嫌いになったりはしません!」

 

「そうだぜ。オラのことを受け入れてくれたんだ、その程度で引いたりするもんかよ」

 

「まゆっち、松風……」

 

 どうやら女の子2人と九十九神の絆がいっそう深まったようだ。

 我ながらいい仕事をしたな。

 とりあえず今週末は後輩の女の子達と野球観戦に行くことになったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小篠巽。2年C組、出席番号6番。

 5月4日生まれ。身長176センチ、体重65キロ。血液型A型。

 学内テストの順位は70位前後。

 あまり目立つタイプの生徒ではないが、クラス内では年に見合わない落ち着きからか様々な相談を持ちかけられることが多い。

 部活や委員会には所属しておらず、金柳街の梅屋でアルバイトをしている。

 

「……学園内で手に入れることのできる情報はこれくらいかしらね」

 

 こうした情報から浮かび上がってくる小篠巽の姿は普通の生徒と言う他にない。

 でもあれは……私の放った殺気をいなして反撃してきたという事実は残っている。偶然でもあり得ないことだった。

 

 問題は経歴からそれだけの実力を持っているなんて計れないこと。だからお父様に協力してもらって学園生になる前のことを調べてもらったのだけど。

 

「……七浜市の児童養護施設出身。両親は所在も生死も不明。そして小篠巽が育った施設は彼が巣立ったのと同時期に潰れ、今や影も形もない……か」

 

 さらに児童養護施設で育ったとされる彼以外の児童の行方が一切つかめない。これはどう考えても異常ね。

 書類上では10人以上いたはずなのだけれど。

 

 児童の受け入れ先となっているはずの家は存在せず、近隣の住民もそんな家は知らないと口を揃えているらしい。

 そして施設の関係者の行方も誰1人として分からない。

 

 極めつけは小篠巽が卒業した小中学校。記録としては在学していたはずなのに、彼の同級生にあたる人物は誰も彼のことをはっきりと覚えていない。

 いたような、いなかったような……。誰しもがそんな曖昧な返答しかしなかったとお父様から聞いた。

 

 果たしてそんなことがあり得るのかしら?

 いくら目立たない人間だからといって誰の記憶にも残っていないなんて……。

 

「そんなものはもう、存在していなかったのと同義かもしれないわね」

 

 小篠巽。明らかに壁を越えている実力を有しながら、その詳細はいくら調べても不明なことばかり。

 まるで突如としてこの世界に現れた、世の(ことわり)から外れたような男の子。

 

 貴方は私への試練となるのかしら。

 楽しみにしているわよ、巽。

 ファントム・サンとしてではなく、最上(もがみ)(あき)として出会うその日を。

 

 もうすぐ、会いに行けるから。

 

 

 



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九鬼のメイド

 

 

 風間ファミリーには金曜集会というものが存在する。

 廃ビルを根城――秘密基地にして時には楽しく語らい、時には全力でだらけて、時には文句を言いながら勉強し、時には真剣(マジ)になって遊ぶ。そんな集会だ。

 だからファミリーはこの金曜集会に関しては可能な限り参加するようにしている。そんな中で姿が見えない奴がいればまあ当然気にはなるわけで。

 

「あれ、今日はまゆっちいないの?」

 

 空いてるスペースでトレーニングしていたワン子がまゆっちの不在にようやく気がつく。

 

「今日は遅くなるってさ。友達と野球観に行ってるんだって」

 

「ほほー、まゆっちもファミリー以外の交遊が広がってきていい感じだな」

 

「でもなんで野球?C組の小篠くん……だっけ?彼が野球好きとか?」

 

「いや、まゆっちから聞いた話だと大和田さんっていう1年の友達が七浜ベイのファンらしくてさ……」

 

 その子が同じくベイを応援してるという小篠を野球観戦に誘った。そして小篠はそれを受けて、かつ一緒にいたまゆっちも行こうと提案したらしい。

 

「自分が孤立しないように気をつかってくれたってまゆっちが言ってたよ」

 

「まあ確かに自分の友達が自分を置いて遊びに行っていたらちょっと悲しいな」

 

「友達が少ないまゆっちは特にそうだよね」

 

「なるほどなぁ。大和もそうだけどやっぱりそういう気をすぐ回せる人は凄いなって感心するよ」

 

「俺は……どうだろう。男同士ならまだしもほぼ初対面で学年も違う女子を相手にそこまで積極に動けるかどうか」

 

 俺は基本的にギブアンドテイクの関係だ。社交辞令で一緒にどこかに行こうよ、という話の流れになることは多々あるが、実際にそこまで話が進むことは案外少ない。

 単純に遊ぶだけにしてもほとんど面識のない年下の女子を2人と、となるとかなりハードルは高いしな。

 

「てかそれって小篠の野郎が女2人侍らせてるってことだろ?やっぱ俺様の敵だぜ」

 

「どっちも年下だしガクト的には守備範囲外だろ?」

 

「だとしてもだ!男として相容れねぇ」

 

「はぁ……しょーもな」

 

 京がガクトの主張を一刀両断にする。

 過去に肉布団だのなんだのとハーレムを語っていた男が口にすると単なるひがみにしか聞こえなかった。

 

「しかしその話を聞いているとその小篠とかいう男は女性に慣れていそうじゃないか。本当に大丈夫なのか?」

 

「それはまあ、あまり心配はいらないだろう」

 

 すると意外なところから反論が飛んできた。

 

「モモ先輩?」

 

「皆にもこの前梅屋で強盗に鉢合わせたって話はしただろう?」

 

「おー、あれな。タイミング悪すぎて犯人が可哀想だったやつ」

 

 うん、あれは間違いなく地獄の釜に自ら飛び込んできたような所業だった。

 

「その梅屋で小篠って奴もバイトしてたんだ」

 

「え、そうなの?」

 

「ああ。そしてあいつは私や燕、それにまゆっちという美少女軍団を前にしても視線が全く泳がなかった」

 

 姉さんが言うには男の視線は多かれ少なかれ胸やお尻、足などに向かっているらしい。特に同世代であればほぼ確実にそういったところを見てしまうものだと経験則から語る。

 

「だけどあいつの視線にそういったものは皆無だった。私達のことを異性として一切見てない」

 

「それってつまりキャップレベルってこと?」

 

「そうだな。さすがにキャップほど純粋ではないだろうけど、それであそこまで無関心なのは逆に驚きだ」

 

 確かにファミリー内の女子相手でもふとした時に視線が吸い寄せられることは多々あるので姉さんの指摘はドキッとさせられる。

 けどそういう実感があるからこそ、それに釣られない小篠の異質さ、みたいなものを感じた。

 

「……もしかして男が好きとか?」

 

「それならばまゆっちは安全だな」

 

 俺がなんとなく放った呟きにクリスが反応する。

 

「それは知らんが女に見境のないタイプではないだろう」

 

「モモ先輩がそこまで言うとは珍しい」

 

「基本、モモ先輩は可愛い女の子の話しかしないからね」

 

「うーん……男としてどうこうはないけどな。ただ、多少気になることはある」

 

「ほう、どの辺が?」

 

「あいつは強盗はもちろん、私やヒュームさんを間近にしても臆している様子がなかった。普通なら怖がったり気圧されたりするものなんだが」

 

 言われて思い返してみれば、確かに小篠は普通に注文をとって普通に配給していた。

 ヒュームさんなんか気とか感じ取れない素人でも威圧感や凄みを覚えるものだけどな。

 

「つまり小篠はつえーってことか?」

 

「いや、それはない。気はほとんどないし体の動かし方を見ても一般人そのものだった」

 

「それってただ鈍感なだけなんじゃ……」

 

「まあそれもあり得る」

 

 そんなあっけらかんと……。

 でも姉さんの直感だ。常人を超越した武神の感覚というのは馬鹿にできるものじゃない。

 小篠がどういう人間か、少し興味が湧いてきたな。

 ……断じて姉さんが興味を持ったことに対する嫉妬じゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はありがとうございました!」

 

 大和田さんが満面の笑みを浮かべてそう言った。七浜ベイが試合に勝ったのでかなり上機嫌である。

 ハマの番長こと三浦……ではなく、三崎投手の好投で勝ったのもテンションが上がってる一因だろう。

 七浜ベイはお世辞にも強いチームとは言えないからな。川神駅まで戻ってきても大和田さんはニコニコだった。

 

「こちらこそ色々教えてもらえて面白かったよ」

 

 大和田さんの豹変も含めての話だ。特に7回表ツーアウト2、3塁のピンチで三崎投手が相手の4番を三振にとった時の応援は凄かった。

 まあ意外な一面が見れた、って程度で引いたりはしてない。それは黛さんも同じ意見だろう。

 

「私も楽しかったです。また行きましょう、伊予ちゃん」

 

「まゆっち……うん!」

 

 なんかもう親友みたいだな。友達100人なんて作れなくても、大和田さんがいればいいんじゃない?

 直江とか川神先輩とも仲良いみたいだし。

 

「もういい時間だし、今日はこれでお開きにしようか」

 

「あ、そうですね。もうこんな時間」

 

「では帰りましょうか。途中まで送っていきますよ、伊予ちゃん」

 

「俺は反対側だからここでお別れかな。2人とも気を付けて帰ってね」

 

 黛さんと大和田さんはしっかり「はい」と頷いて帰っていった。護衛に黛さんがいれば滅多なことは起きないだろう。

 この川神でも黛さんより強い人間は数えるほどもいない。だからこれといって心配することもなく帰宅しようとしたんだけど……。

 

「よお兄ちゃん、ちょっと金貸してくんない?」

 

「大人しく貸してくれれば俺らも優しくしてやるからさ」

 

 駅前から離れて人通りが少なくなってきたところで2人組の、いかにもヤンキーな奴らに絡まれた。まさか俺の方にアクシデントが起きるとは。

 俗に言うカツアゲってやつだが、こんなステレオタイプなヤンキーが未だに生息しているのも川神特有の生態系と言える。

 ただこういう手合いは治安が悪い親不孝通りにいるはずなんだけどな。

 

「お金はちょっと持ち合わせが……」

 

「あぁん!?」

 

「ナメてんのかコラァ!」

 

 やかましいし顔が近い。やたらと興奮してるしやんわり断って退散とはいかないみたいだな。

 いやまあここでビビってみせれば逆上することはないんだろうが、問答無用で殺しにくる理不尽な奴らと比べてしまってどうしても余裕をもって対応してしまう。

 あいつらに比べれば戦闘狂の川神先輩だって微笑ましく思える。

 

 だからといって構ってやるつもりもない。ここは逃げる1択……なんだけどなぁ。

 こいつらに絡まれた瞬間から感じられる視線がある。その視線の持ち主がしっかりとここに向かってきていた。

 間違いなく一般人じゃない。

 

 俺の存在を認識させなくすることもできはするが、さすがにそこまでするのは抵抗があった。

 なので俺はアクションを起こすことなく視線の主を待つ。

 そして現れたのはピンクの髪にメイド服、さらには猫の尻尾を装備した奇抜な格好の女性だった。

 

「はいはーい。ちょっと待った、でーす!」

 

「おお!?お姉さん可愛いじゃん!俺らと遊ぼうぜ」

 

 服装をガン無視してノータイムでナンパを試みる節操のなさはいっそ清々しい。

 だが南無三。そのお姉さんは格好だけじゃなくて中身も普通じゃないぞ。恐らくはいくつもの戦場を経験してる本物の兵士だろう。

 そこら辺のヤンキーが束になったところで敵う相手じゃない。

 

 なんて哀れみの目で見ているとヤンキー達がばったりと倒れた。いきなりすやすやと眠り始めたようだ。

 ……薬かな。なんか体から薬物を発生させたように見えたんだけど……。

 

「大丈夫ですか?」

 

「あ、はい。危ないところを助けてくれてありがとうございます」

 

「イエイエ、これもシェイラちゃんのお仕事ですから」

 

 にこやかにそう言ったシェイラさんは、しかしあまり目は笑っていなかった。

 どうやら観察されてるらしい。

 

「それにしてもあまり慌てていたようには見えませんね」

 

「まあ慣れてるんで」

 

「あんなのに絡まられることすら慣れるなんて、話に聞いていた通り川神はデンジャラスな街ですね☆」

 

 一応納得はしてくれたようだ。

 それにしても外見と話し振りからして海外からやったきた人だろうか?海外、メイド、戦闘能力ありとなると……。

 

「シェイラさんは九鬼財閥のメイドなんですか?」

 

「はい。武士道プランの関係で今は川神の治安を守るための警備中なんでーす」

 

 ああ……義経達への挑戦者が大挙してきて、お祭り騒ぎが大好きな川神の人間も浮かれ気味だもんな。

 それで何かしらの事件でも起きれば九鬼のメンツにも関わってくるか。

 

「大変ですね。でも仕事ってことはお礼とか……」

 

「残念ながら受け取れませんねぇ」

 

「ですよね」

 

 知ってた。でもこういうのはしっかり口に出しておかないとな。

 本音を言えば九鬼のメイドに関わりたくないけど、そういう露骨な態度を見せると逆に怪しまれるし。

 これくらい普通の対応をしておいた方が無難である。

 

「それではシェイラちゃんは彼らを連れていきますので。あなたも気を付けて帰ってくださいね☆」

 

 そう言い残して、シェイラさんは2人組のヤンキーをずるずると引きずりながら消えていった。

 ……九鬼従者部隊のシェイラさん、か。あそこも人材の宝庫だけあって厄介な人が多そうだな。

 義経達が転入してきてから俺の周りも少しずつ慌ただしくなってきたような気もするし、より一層目立たないよう、善良な一生徒として生きていこう。

 

 改めてそんな決意をする、6月の夜だった。

 

 

 



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強襲

 

 

 川神学園の体育祭にはいくつか種類がある。去年は学園を飛び出し、海まで出向いて水上体育祭が行われた。

 その名称の通り水や海にちなんだ競技が目白押しで、なんとも川神学園らしい体育祭と言える。

 

 そして今年は通常の、学園のグラウンドで行う体育祭に決定した。借り物競争で黛さんが松風連れてゴールして怒られたり(あとで聞いたらお題は『友達』だった)、教師陣による徒競走というちょっと珍しい競技もあったりしたが、まあここまでは普通の範疇だろう。

 だがしかし、やっぱり川神学園は川神学園だった。体育祭の最中に『川神戦役(かわかみせんえき)』なるものが開催された。

 

 早い話が特定のクラスが1対1で5番勝負を行い、3勝した方が勝ちというクラス単位の対抗戦である。

 そうなると戦う2クラス以外の人間はヒマになるのだが、ノリのいい学園の生徒は一進一退の川神戦役に声援や野次を飛ばして大いに盛り上がっていた。

 

 ちなみに戦ったのは2―S(エリート軍団)2―F(問題児集団)であり、延長戦(フリーバトル)までもつれた末にF組が勝利した。

 義経達やドイツ軍人がいるS組が有利と目されていた中でよく勝ちを拾ったもんである。

 その勝因になったのは延長戦で九鬼のメイド相手に見せた直江の踏ん張りだろう。

 

 まあそんなこんなで今年の体育祭もつつがなく終了した。

 そして日曜日を挟み、明けて月曜。6月29日、学園はまだ少しだけ体育祭の熱気と疲労を引きずっていた。

 

「あ゛ー、授業だっりぃ~……」

 

「なんかいつもより長く感じね?」

 

「体育祭明けだからな。2、3日後には慣れてるだろ」

 

 クラスのそこかしこで似たような会話が聞こえてくる。要するにまだ切り替えができてないってだけのことだ。

 授業を受けてれば嫌でも治るさ。

 

 何はともあれこれで今日は終わりだ。バイトもないし、放課後はどうするかな。

 ……なんて考えていた時だった。

 

「うお!?」

 

「な、なんだ今の?」

 

「背筋がゾクッとしたぞ……」

 

 クラスメイト達が急にざわめき始めた。その理由は明白。

 学園内に突如として壁を越えた人間が現れ、さらにその闘気を全開にしたからだ。

 壁越えの実力者がそんなことをすれば武道に疎い素人でも異変を察知することができてしまう、ってわけだ。

 

 つーかこの気に俺すっげぇ覚えがあるんだけど……。

 覚えがあるっていうか、完全にファントム・サンと同じ気だった。あいつなんで学園にいるんだよ。まさか学園生だったのか……?

 

「……それヤバくね?」

 

 小声で、しかし思わず声が漏れた。

 いやヤバいって。俺ファントム・サンに顔見られてるんだけど。しかも相手の殺気を斬り伏せて逆に脅しかけちゃってるし。

 

「おいテレビ、テレビつけてみろ!」

 

 俺がやっちまった!と後悔している間にも事態は進展していく。

 廊下からそんな声が聞こえてきた。そのただならぬ様子に、とりあえずテレビをつける。

 そこには九鬼の関係者らしき男が映し出されていた。そして男はこう語る。

 

『私達、九鬼財閥は5人目のクローンである(みなもとの)義仲(よしなか)を愛すべき皆さんにご紹介する』

 

 この気がファントム・サンのものなら、やっぱりあいつクローンだったんだな。

 そしてクローンってことは九鬼関係者であることが確定しているわけで、ファントム・サン改め源義仲から俺のやったことについて報告が上がってるかもしれない。

 警戒されて監視とか尋問とかされたらどうしよ……?

 

木曾(きそ)義仲(よしなか)の名でも知られる名将ですね。しかしなぜ今になって5人目の発表を?あの4人が全てではなかったのですか?』

 

『話題の継続だよ。本当ならば毎日だって世間を賑わせたいくらいだ』

 

 そんな理由のせいで俺は九鬼に警戒されるかもしれない地雷を踏んだのかよ。

 

『5人目は私の養女として日常生活を送っている。クローン達が社会での生活を適切に送れるかどうか前もってチェックしていたんだ』

 

 だとしたら不適切じゃない?ファントム・サンとして世の武道家をボコして回る活動してるけど。

 あれにも何か意味があるのかね?

 

『発表されたら周囲の人間は驚くだろう。でも同時にどこか納得もするはずだ。あぁ彼女が、道理で不思議な魅力があったな、と』

 

『養女ということは女性なんですね?』

 

『もうすぐここに来てもらうけど、名前をまずは公開しよう。最上旭。現在、川神学園に在籍している3年生だ』

 

 男が口にした名前にクラス中の人間が騒ぎ出す。

 最上旭。それは川神学園評議会議長の名前だったからだ。

 

 評議会ってのは生徒会を補佐する組織である。生徒会が学園の表の顔だとするなら、評議会はその生徒会を裏から支える縁の下の力持ちみたいな役割を果たしている。

 現職の生徒会長が日本語いまいちの骨法少女なのにも関わらず学校行事が円滑に執り行われているのは評議会の存在が大きいからだ。

 

 というかこれでファントム・サンが学園の生徒だってことが確定したじゃねーか。

 できれば俺のことは忘れててくれると助かるんだけどなぁ……。なんて途方に暮れていると、未だに騒然としている教室の扉が開かれた。

 そして入ってきた人物を見て、まるで時が止まったように静まり返った。それもそのはず、現れたのは話題の渦中その人だったからである。

 

 最上先輩は呆気に取られる俺達を見回す。そして俺と目が合うと真っ直ぐにこっちまでやって来た。

 そうなればクラスメイトの視線も俺の方に集中する。

 

「こんにちは」

 

 しかしそんな周囲の空気など気に留めることもなく、最上先輩は優雅にそう挨拶してきた。

 まあそこまではまだいいんだけど、何よりも帯刀してらっしゃることが気にかかる。この場で斬りつけてくるとかさすがにないよね?

 

「……ど、どうも。はじめまして」

 

 とりあえず初対面だってことをアピールしてみた。

 

「ええ、はじめまして」

 

 ……あれ?もしかして俺のこと覚えてない?

 

「ところで巽、あとで少しだけ時間をもらえないかしら?ゆっくりと話をしたいのだけど」

 

 あ、これは覚えてますね。はいはい、知ってた知ってた。

 話ってのは……まあこの間の件についてだろう。

 もはや逃げられないと悟り諦めの境地に達した俺は、最上先輩のお誘いに力なく頷くことしかできなかった。

 ついこの間、目立たずに生きていこうと決意を新たにしたばかりなのに、それが早くも崩れ去っちまった瞬間である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃい。ここが私の家よ」

 

「はー、さすがに立派っすね」

 

 私が正体を明かしたその日の夜。

 巽は意外と素直に誘いに乗って私の家まで招かれてくれた。

 けれどそこに浮かれた様子はなく、かといってこちらを警戒している素振りも見せない。

 

「褒めても何も出ないけれど」

 

「お茶くらいは出るでしょう」

 

 そう、こんな言葉を返せるくらいには余裕があった。

 確かに落ち着きのある子だという情報はあったけれど、それにしたって落ち着き過ぎじゃないかしら?

 なんて疑問に思いつつもそのままリビングへと巽を通す。

 

「おや、お友達かい?旭」

 

「ええ、学園の後輩なの」

 

「はじめまして、小篠巽です」

 

「ふむ……ようこそ小篠くん。養父の最上(もがみ)幽斎(ゆうさい)だ。歓迎するよ」

 

「ご飯の仕度をするからそれまで男の子同士でお話していてね」

 

「お茶どころかご飯まで出るじゃないっすか」

 

「それはどういう意味なんだい?」

 

「実はさっき最上先輩に――」

 

 結構なキラーパスを出したつもりなのに、巽は臆することもなくお父様と会話を始める。

 いきなり異性の先輩の家まで招かれ、そこで先輩の父親と2人きりにされても平然としているなんて大したものね。

 まあ私を異性とは認識していない、という可能性もあるけれど。

 

 なんというか、掴み所のない子だわ。

 そんな風に感心しながら料理に取りかかる。まあ今日は慌ただしくなることを見越して昨日の内に手間がかかる部分は終わらせておいたから時間はかからないのだけど。

 手早く仕度を済ませてリビングへと戻る。

 

「へぇ、じゃあ九鬼の人達にも最上先輩のことは秘密だったんですね」

 

「愛する九鬼の皆へ試練を与えたくてね。おかげで今日はそれについての説明に追われて大変だったよ」

 

「納得はしてもらえたんですか?」

 

「帝様は寛大な方だからね。私の言い分もご理解してくれた」

 

「懐が広いというかなんというか……」

 

 ほんの30分ほど離れていた間に、お父様と巽はだいぶ打ち解けているようだった。

 私もその輪に加わることにした。

 

「あら、私のお話かしら」

 

「最上先輩が九鬼にも秘密にされてたってのは聞きましたよ。あと義経のライバルとして誕生したってことも」

 

「生まれながらにして英雄という肩書きを背負うことになる義経が心配でね」

 

「それでクローンをもう1人――ってなるスケールの大きさはさすが九鬼って感じだなぁ」

 

 食事をとりながら和やかな雰囲気で談笑は続く。

 巽は会話の合間にも言いながら料理を口に運び続ける。

 

「私はこれから義経と競いあっていくつもりよ」

 

「それは武将として?」

 

「そうね。でも競うのは戦いだけじゃないわ。もっと色々な分野でお互いを高めあって、人間として成長していきたいの」

 

「すごくいい話じゃないですか」

 

「なら巽には義経との勝負の見届け人になってもらおうかしら?」

 

「俺がですか?ムリですってそんなの」

 

「あら、私はそう思わないわよ。なにせ私の斬撃を弾き返したくらいだもの」

 

「それはあくまでイメージの中ででしょ。というか戦い以外の勝負じゃ俺にはどうしようもないですし」

 

「……誤魔化しもしないのね」

 

「ムダなことはしない主義なんで。人生諦めが肝心って言葉もありますからね」

 

 顔色ひとつ変えることなく、食事をしながら事も無げに巽はそう返してきた。

 バレてるなら隠さない、というのは剛胆で個人的には好印象ね。

 

「なら貴方の強さの秘密も聞いたら教えてくれるのかしら?」

 

「そこは黙秘で」

 

「秘密にされると余計に探りたくなるのが人の心情というものよ?」

 

 本音ではあるけれど、ほとんどからかうつもりでそんな言葉をかける。

 すると巽は真剣な顔つきで悩み始めた。

 

「ですよねぇ……でも九鬼の人、特に上層部の人達には知られたくないんすよ」

 

「私とお父様の心の中だけに留めておく、と言ったら?」

 

「その言葉を信ずるに値する信頼感はまだないですね」

 

「はっきりとものを言うのね」

 

「最上先輩こそ分かりきってて尋ねてきてるじゃないですか」

 

 ……平行線ね。まあ私としてもそこまで素直に教えてくれるとは思っていなかったけれど。

 そこで私達のやり取りを見守っていたお父様が口を開く。

 

「小篠くん、君は今『九鬼の上層部には特に知られたくない』と言ったね?つまり君は九鬼にとってよろしくない秘密を抱えているということかい?」

 

「そこは俺にも分かりません」

 

「分からない、とは?」

 

「俺の秘密を知った時に九鬼がどんな判断をするのか想像がつかないんです。危険視して排除しようとするのか、不干渉を決め込むのか、利用するために取り込もうとするのか」

 

 その言葉が意味するところは計りかねる。

 でも適当なことを言って煙に巻こうとしているわけでもなさそうね。

 

「君にはそれだけ危険な秘密があると?」

 

「それを判断するのは俺以外の人ですからノーコメントで」

 

「……そう。なら無理やり聞き出すのは野暮というものね」

 

「俺が言うのもなんですけどそれでいいんですか?」

 

「無理強いをするつもりはないの。それに九鬼がどうこうではなくて、これは単に私の興味本意だから」

 

「えぇ……」

 

 興味本意という言葉に巽は脱力する。

 よほど九鬼とは関わり合いたくないのね。そのわけは彼の秘密を聞かないと分からないけれど。

 

「それに信頼してもらえるくらい仲良くなれば教えてくれるのでしょう?」

 

「あー……ところで最上先輩」

 

「話の逸らし方が露骨すぎないかしら」

 

「逸らしたわけじゃないんで今は置いといてください。それより先輩って誰かに狙われたりしてるんですか?」

 

「そうね……確かに熱い視線を向けてくる男子に心当たりがないわけではないわ」

 

「んなことは聞いてないですよ。そうじゃなくて命を狙われたり身柄を拘束されたりする心当たりってあります?」

 

「今のところないわね。まあクローンという性質上、特定の宗教を信仰している人達からは快く思われてはいないでしょうけど」

 

 でもどうしてそんなことを?と尋ねる前に巽は箸を置いた。

 

「敬虔な信者にしては殺気が洗練されてますね。傭兵か殺し屋か、なんにせよ不穏な2人組がここを目指してます」

 

「ふむ……もしかしたらそれは私のお客かもしれないね」

 

 不意にお父様がそう口にする。

 

「お客という割りには友好的な雰囲気ではなさげですけど」

 

「無理もないさ。私は試練を与えたわけだからね」

 

「……納得しました」

 

 巽が察したように言葉を漏らす。要するにお礼参りが来た、ということらしい。

 私はまだその気配を察知できていないのだけど、巽は当たり前のように話している。

 

「それなりに手練れっぽいですけどどうします?」

 

 巽はそう言って私を見た。その言葉の意味するところは“助力はいりますか?”といったところね。

 彼の強さを窺うチャンスではあるけれど、さすがにそこまではさせられないわ。

 

「私が1人で相手をするから巽はお父様を守っていて」

 

「いいんですか?」

 

 巽は意外そうに目を丸くした。それを見て少し笑いがこみ上げる。

 強さの秘密をあんなに隠したがっているのに、いざ危険が迫れば迷わず私を助けるために動こうとするのがおかしかった。

 

「貴方はお客様だもの。危ない目には遭わせられないわ」

 

 これは本音。

 彼は私の興味を満たすために呼び寄せられて巻き込まれたのだから、招いたホストとしてこれ以上不甲斐ないおもてなしをするわけにはいかないもの。

 不届き者を追い返して、せめて最低限の体裁は保たないといけないわね。

 

 愛刀を携えて中庭へと降りる。白玉砂利を踏みしめるとジャリ、という音を立てた。

 その音が闇夜に溶けるように消えていく。シン、と静まり返った空気が張り詰める。

 ……巽が言っていた通りね。殺気をまとった人間が近付いてきているわ。

 

 そしてその2人は私の眼前に姿を現した。

 どちらも剣を抜くのに値する実力者ね。普段なら喜ばしいところだけれど、今は望ましくないのよね。

 

「お前がM……ではないな?」

 

「ええ。まあその娘ではあるけど」

 

「ならばお前に用はない。そこを退いてもらおう」

 

 槍を携えた黒髪の女性の瞳が鋭く細められる。その隣に立つ赤い髪の女性もすでに臨戦態勢ね。

 

「そういうわけにはいかないわ。お父様に手は出させないし、今はお客様が来ているの。だから今日は帰ってもらえないかしら?」

 

「……そうか。では問答無用で通らせてもらう」

 

 言うが早いか槍を握った女性は一気に間合いを詰めて閃光のような突きを放ってくる。

 それを刀で弾き、いざ反撃を――

 

「って、きゃあっ!?」

 

 間髪入れずに赤い髪の女性も拳を見舞ってくる。それは威力も充分だったことに加え、拳と一緒に炎まで飛んでくる。

 一体どういう原理なのか、はたまた彼女の能力なのか。それを考えるヒマもないほど彼女達の攻めは苛烈で、防御に回ってしまう。

 

 燃え盛る業火と雷鳴のような槍による連撃。しかも決して刀の間合いには入ってこない。

 強さも、連携も、立ち回りも、間違いなくプロのそれね。

 アレを使う隙が一切ない。

 

 かといってこのまま防御に徹していてもじり貧になるのは分かりきっているわ。向こうに増援が現れればすぐに抜かれてしまう。

 巽がいると思えばなんとかしてくれるかもしれないけれど、ここで彼を頼りにするわけにもいかない。

 どうすれば……と、わずかに迷った瞬間。

 

 炎が壁となって私の視界を一瞬遮った。まずい!

 

「せいッ!」

 

 そう思ったのと同時に、炎の壁の向こうから槍が伸びてきた。

 

「くうっ!?」

 

 槍による横薙ぎが左腕に直撃した。

 鈍い痛みが走って剣を取り落としそうになるのを堪えて距離を空ける。

 

「痛めつけたな。私はメインターゲットに向かう」

 

「させないわ!」

 

「お前の相手は私だ!」

 

 私の行く手に黒髪の女性が立ち塞がる。

 その隙に赤い髪の女性が私の横を通り過ぎ――ようとしたところで声がかかった。

 

「無理はよくないですよ、最上先輩」

 

「誰だ!?」

 

 3人の視線を一身に浴びて、巽は肩をすくめる。

 

「ただの後輩ですよ。最上先輩の助太刀をしに来ました」

 

「助太刀だと?何をバカな」

 

 2人の刺客はあきれたような表情を隠さない。

 ……まあ当たり前よね。初めて顔を会わせた時も、そして今も、巽には武人としての“気”がほとんどない。レベルとしては一般人のそれだもの。

 

 その気を感じ取れる実力者だからこそ見抜けない。

 巽の異質な強さを。

 

「……情けないところを見せてしまったわね」

 

「数的不利はしかたないんじゃないですか?」

 

 まるで日常生活の中の何気ない会話のように、巽は飄々と受け答える。

 そんな彼と反比例するように、2人組の雰囲気は剣呑なものへと変わっていく。

 明らかな格下に……いえ、武術を学んでもいなさそうな男に舐められているのが屈辱なのね。

 

「それよりも早く終わらせましょう。まだ食事の途中ですし」

 

「お前……しばらく流動食になっても後悔するなよ」

 

「ついでに大火傷してもな!」

 

 襲い来る隙のないコンビネーションによる一気呵成の攻め。

 しかし巽はそれをいとも簡単に防いでみせた。

 

「え?」「は?」

 

 何が起きたのか分からず……いえ、目の前で起きたことが理解できず、2人から戦闘中とは思えないような気の抜けた声が出た。

 でも、それもそのはず。

 

 巽が左手に持っていた“1本の箸”で槍による突きを受け止めたからだ。しかも素人だと思っていた子に、だ。その衝撃はいかばかりかしら?

 

 コンビネーションが崩されたことで隙だらけになった炎の剛拳を、巽は右手で鷲掴みにする。そのまま強引に引き寄せて回転しながら体の位置を入れ替えた。

 これで挟撃してきた2人組の姿が重なる。

 

「『紫電(しでん)(かいな)』」

 

 そして巽はその一撃で2人を同時に撃ち抜いた。

 そうとしか言いようがない。私の目にはその名の通り紫電のごとく振るわれた拳によって2人まとめて吹き飛ばされたようにしか見えなかった。

 ただし“直撃していないはずの拳”で、なのだけれど。

 

 結果だけを語るならまさに瞬殺。2人は完全に意識を手放したのか、重なって倒れたまま動かない。

 そんな相手を見下ろしたまま、巽は尋ねる。

 

「で、どうします?このお姉さん方」

 

「……九鬼の方でなんとかするわ。それよりも――」

 

 今のは何?……とは聞かない。

 もっと優先しなければいけないことがあるもの。

 

「火傷はしていない?思いきり炎を掴んでいたけれど」

 

「大丈夫ですよ。そんなに熱くなかったですから」

 

 それが嘘だということは彼女と対峙していた私にはよく分かる。

 ……まあ巽なら本当に大した温度じゃないと感じている可能性もあるけれど。

 

「でも制服は焦げてしまったわね」

 

 体は無事でも制服の袖口は一部が燃えてしまっていた。

 この制服で登校したら確実に注意されてしまうわね。

 

「……この人達に請求したら弁償してくれっかなぁ」

 

「その心配は無用よ。私が新調してあげるわ」

 

「え?でもそこまでしてもらう理由は……」

 

「あるのよ」

 

 巽の言葉を遮って、私はニコリと微笑む。

 情けなさや悔しさはあったけれど、それでも素直に笑えたと思う。

 

「危ないところを助けてくれたお礼をさせて。助けてくれて本当に嬉しかったわ」

 

 そう言われて、少し恥ずかしそうに頬をかく巽の姿は年相応の可愛らしさがあった。

 とても慌ただしい会食になってしまったけれど、そんな彼の姿を見ることができた。それだけで満足してしまった私がいる。

 

「でもよく助けてくれたわね。巽は自分の力を隠したいのに」

 

「さすがに目の前で知り合いが痛めつけられてちゃだんまりしてられませんって。まあ隠せるに越したことないのは間違いないですけど」

 

 苦笑しながらそういうことをサラリと言える辺りお人好しの部類なのかしら。自分の利益を守るより相手の不利益を防ぐために迷わず行動を起こせるのはとても素敵ね。

 

 ふふ……まったく、我ながら単純だわ。

 巽。私はもっと貴方に興味を抱いてしまったみたいよ。

 その武だけじゃなくて、男の子としても……ね。

 

 

 



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不可解な一撃

 

 

 6月が終わり、今日から7月になった。2日前に最上先輩の家にお呼ばれしたところ、謎の襲撃があって俺の制服が焼け焦げた。

 それ自体は最上先輩が弁償してくれるし、もう衣替えで夏服になるからどうでもいいっちゃいいんだが。

 気になるのは最上家を襲撃した2人組だ。どう考えても戦闘を生業にしているプロの動きだったが、なんでまたそんな奴らに襲われたのか。

 九鬼関係で色々あるのかねぇ。

 

 なんて思案しながら自作の弁当をつつく。今日は学食じゃなくて屋上だ。理由は最上先輩に呼び出しを食らったからである。

 まあ話の内容は大方予想がつくけど。

 

 ガシャン、と屋上の扉が開く。そして梯から待ち人が顔を現した。

 

「ごきげんよう、巽。遅れてしまってごめんなさい」

 

「良い場所教えてもらったんでチャラですよ」

 

「燕のおすすめスポットなのよ、ここ」

 

 燕……ああ、松永先輩か。あの人転校してきて1ヶ月ちょいなのによくこんな場所見つけたもんだな。

 ただ松永先輩のお気に入りなら不用意に近付くのは止めとこう。

 

 さっき偶然にも死角になるだろう場所に、どこかの誰かが忘れていったらしい盗聴器が、たまたま電源が入った状態で放置されていのを見つけたからな。

 ちなみに壊すのも怪しまれるので盗聴器の近くにスマホを置き、その場のBGMとして不自然じゃない音量で適当な曲を流し、会話の内容は聞き取れないようにしている。

 ただ松永先輩の興味が俺に向いてるのか最上先輩に向いてるのか分からないのが怖い。

 

「して、お話とは?」

 

「まずはこれ」

 

 最上先輩が紙袋を手渡す。中身は真新しい制服だった。

 仕事が早い。さすが議長。

 

「ありがとうございます」

 

「お礼はいらないわ。むしろ謝罪と感謝をしないといけないのは私の方だもの」

 

「なら感謝の印を受け取りたいですね」

 

「あら、大胆ね。健全な男子の欲望を受け止めきれるかしら」

 

「というわけで俺のことは九鬼にも他言無用でお願いします」

 

「巽はつれないわね」

 

「露骨なからかいには乗らないんで」

 

 それだけ真剣(マジ)な話だからというのもある。最悪、俺の異常性に気付かれるまではまだいい。でもその先にあるものまで勘付かれるのはよろしくない。

 上位世界はムリだろうけど、その“入り口”くらいまでなら到達してしまえそうな人が川神にはいるからな。

 川神先輩やヒュームくんはその筆頭だ。特に川神先輩なんかはそっちに行ってみたいとか言い出しかねないし、存在を認識してしまえば自力でたどり着いてしまうかもしれない。

 

 しかし川神先輩でも“入り口”では生き残れないだろう。ビームを撃てようがブラックホールを形成できようが、ただ強いだけじゃ戦いにすらならない連中が(ひし)めいている地獄だからな。

 秘密を隠しているのは俺の保身も目的ではあるが、同時に実力者を無駄死にさせないための配慮でもある。

 

「まあいいわ。その条件、飲みましょう」

 

「助かります」

 

「当然それくらいは、ね。そうそう、昨日捕縛した2人は梁山泊(りょうざんぱく)の傭兵だったわ」

 

 そりゃまたビッグネームが出てきたもんだ。っていうかこっちには梁山泊が実在してんのか?

 

「その梁山泊っていうのは?」

 

「“歴史が動く時、その影に梁山泊あり”と言われるほどの中国の傭兵集団よ」

 

「おっかないですね」

 

 最上先輩の反応からするに俺が梁山泊を知らないことを疑問に思ってる様子はない。つまり元の世界とは違って梁山泊の名前はそこまで有名なもんじゃないらしい。

 少なくとも俺が知らなくても不審がられない程度には。

 

「でもなんで傭兵なんかに襲撃されたんですか?」

 

「お父様が梁山泊と、彼らが対立している組織に試練を与えたのよ。その逆恨みといったところかしら」

 

「それ逆恨みじゃないと思うんですけど」

 

 真っ当な復讐である。

 それをいけしゃあしゃあと“逆恨み”と言ってのけるあたり、最上先輩もなかなかに図太い。

 

「ああ、それとりっちゃんから伝言を預かってるの」

 

 こうして堂々と話を逸らすところなんかもな。

 というか……

 

「りっちゃん?誰ですかそれ」

 

林冲(りんちゅう)よ」

 

「いやだから誰……もしかして梁山泊の人?」

 

「ええ。黒い髪の槍術士がいたでしょう?」

 

 不自然な動きをしていた方だな。あれは精度の高い先読み、もしくは少し先の未来が見えている動きだった。

 だからどちらにしても回避できないような攻撃をしたわけだが……。

 

「そのりっちゃんからよ。『あの攻撃は何なんだ?見えていたのに見えなかった』ですって」

 

 やっぱり良い眼をお持ちのようだ。

 ただまあそれに答える義務もないしな。

 

「黙秘権を行使します」

 

「まあそう言うわよね」

 

「あっさりと引き下がりますね」

 

「昨日も言ったけれど無理強いをするつもりはないの……今は、ね」

 

 最上先輩はそう言いながら意味深な笑みを浮かべる。

 信頼感は“まだ”ない、って言葉は安易だったかもな。あれを口実にがんがんアプローチしてきそうな気配を感じる。

 それが純粋なものならどれだけ嬉しかったか。

 

「それはそうとあの話は考えてくれたかしら?」

 

「あの話?」

 

「私と義経の競い合いよ。その審判をしてもらえないかってお願いしたでしょう?」

 

「本気で言ってたんすか……」

 

 それを受ける利点が俺にはない。

 ……と今の今まで思っていたが、このタイミングで切り出されるとそう断言するのにためらいが出てくる。

 正確に言えば利点があるのではなくて要らぬリスクを回避するという意味で一考の価値があった。

 

 どうも最上先輩は俺が隠している秘密に執心している。それを聞き出すために俺との距離を縮めようとしてくるだろう。

 ここで問題なのが今の最上先輩が大層目立つ立場の人だということだ。

 接点の見えない、学年も違う有名人に構われるモブ男子。周囲からすると俺の立ち位置はそうなる。

 

 同級生にやっかまれるだけならいい。

 だが木曽義仲という正体を晒した直後から親密にし始めた謎の男子として、各勢力から注目を浴びる恐れがあった。

 だが競い合いの審判に巻き込まれた、という言い訳を隠れ蓑にしていればその恐れもいくらか低くなるかもしれない。

 

「もちろん巽にだけやらせるつもりはないわ。せめてもう1人くらい誘うから貴方だけが目立つ、ということはなくなる」

 

「1番穏便なのは最上先輩が俺に近付かないことだと思いますけど」

 

「それは無理よ」

 

 あっさりきっぱり言い切られた。無茶苦茶だよこの人。

 暗に“九鬼や川神院に興味を持たれたくなければ言うことを聞いて”、ってことだろう。正直最上先輩に目をつけられた時点でもう手遅れ感が半端ねぇけど。

 ……ファントム・サンに出会ったのが運の尽きだったのかもしれん。

 

 立ち回りミスったなぁ。

 気を張ってはいたつもりだったけど、知らず知らずの内に緩んでたと言わざるをえない。

 緊張感を維持するには川神はお気楽で、安全で、平穏すぎた。今回の件は脇の甘さが招いた俺の責任か……。

 

「はぁ……分かりました。審判くらいなら引き受けますよ」

 

「ありがとう巽。嬉しいわ」

 

 最上先輩はその言葉に違わぬ笑みを浮かべる。

 ほんと、これでめんどくさい事情さえなけれゃもっと楽しい未来を想像できんだけどねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「む、戻ったか」

 

「ただいま、りっちゃん」

 

「……そのりっちゃんというのは止めてくれないか?」

 

「いいじゃない。可愛いでしょ?」

 

「そういう問題ではなくてだな……」

 

 自宅に帰ればりっちゃんこと林冲がリビングでお茶を飲んでいた。私はそこに相席して一緒にティータイムを楽しむことにする。

 

「ところでまっちゃんはどこに行ったの?」

 

 まっちゃん、というのは武松のあだ名。女の子のあだ名にぶーちゃんはちょっとね、という配慮の末にそうなった。

 まあまっちゃんならそういうことはあまり気にしなさそうではあるけれど。

 

「仲間が泊まっているホテルだ。説明が電話だけだったからな」

 

「意外ね。そういうのはりっちゃんの役目かと」

 

「……仲間の中に武松に懐いているのがいてな。顔を見せに行ったんだ」

 

「ふーん。なら貴女も一緒に行ったらいいじゃない」

 

「私と武松は一応軟禁されている身だ。そこまで好き勝手に動くつもりはない」

 

「義理堅いのね」

 

 軟禁、といっても出ようと思えば出ていけるようにはなっているのに。

 そもそも話を聞きたかったから昨日1日は滞在してもらっただけで、別にもう帰ってもらっても構わないのだけれど。

 

「むしろそちらが手緩いと思うのだが。私達はMを、旭の父親に危害を加えようとしたんだぞ?」

 

「そのお父様が問題ないと言っているのだからいいのよ」

 

 お父様がああ言うということは解決する手段があるということ。

 昨日「手を打ってはおいたけど、一手遅かったみたいだね」と呟いていたのを考えても数日中に事態が変わってくるはず。

 それにまた何日間か九鬼の方で缶詰めになるみたいだし、あそこにいるなら梁山泊も手出しはできないでしょう。

 

「それから巽に伝言は伝えておいたわよ。答えは教えてもらえなかったけれど」

 

「……それはそうだろうな」

 

「それでりっちゃんが巽の攻撃を避けられなかった理由は分かったのかしら?」

 

「いいや。情けない話だがさっぱり分からない」

 

 昨日の聴取でりっちゃんが特殊な眼を持っていることは聞いている。その眼は数瞬先の未来を――攻撃を見ることができるらしい。

 つまり予測ではなく、予知。私の攻撃が狙い通りにいかなかった理由。

 

 にも関わらず巽の攻撃はまっちゃんに、そしてりっちゃんにも命中した。

 

「彼の攻撃は見えていたんだ。攻撃の速度も速かったけれど決して対応できないものではなかった……はずなんだ」

 

 確かに少なくとも私達の眼で見切れないほどの攻撃ではなかった。

 タイミングとしては完全に回避しきることが難しかったのも事実ではあるけれど、無抵抗のまま受けるというのも彼女達の実力からすればおかしな話だ。

 

「巽は強さに見合わないほど気が小さいわ。そのせいで読みきれなかったということは?」

 

 私もそうだけれどある程度の強さを身に付けた人間はあらゆるものを、特に戦闘中は相手の攻撃を気で察知することに長けている。

 言い換えればそれに頼りがちであり、気はないのに強いという世にも珍しい異質な巽の攻撃に惑わされたのかもしれない。

 

「その可能性は低いと思う。読みづらかったとか、タイミングのズレとかそういうものではなくて……」

 

 そこまで口にしてりっちゃんは押し黙る。きっと自分の中で言葉を整理しているんでしょう。

 けれど続いた彼女の言葉は要領を得ないものだった。

 

「なんというか……攻撃を予知した時にはすでに攻撃が当たっていた。そんな感じなんだ」

 

 どういうことだろうか。

 未来を予知するというのは攻撃を先読みできるということだ。その未来を見た時点で攻撃が当たっていた?

 

「……そういえば」

 

 脳裏にあの時の光景が甦る。

 巽が『紫電の腕』と呼んでいた一撃。あれは“2人に直撃してはいなかった”。

 直撃していないと言うと語弊があるかもしれないけれど、でもあの拳は物理的な接触はしていなかったように見えた。あの瞬間だけ加速していたとも考えづらい。

 果たしてそれが意味することは……

 

「どうした?」

 

「……いいえ、なんでもないわ」

 

 りっちゃんは怪訝そうな表情を見せながら、でもそれ以上聞いてくることはなかった。それにほっとする。

 まだまだ仲良くなれていないのは残念だけれど、思いついた仮説がさすがに突拍子もなさすぎて聞かれたら困っていたところだもの。

 

 

 

 ――攻撃を当てる前に、攻撃を当てたという結果を生み出したんじゃないか、なんてね。

 

 

 



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梁山泊

 

 

「時間ぴったり。几帳面なことね」

 

 場所はお馴染みの屋上。そこで待ち受けていた最上先輩は姿を現した義経御一考にそう言った。

 相対する義経は緊張の面持ち。家臣2人となぜか一緒の直江は特に変わった様子もないが。

 

「義仲さん……それと、君は……」

 

 初対面の俺を前にして直江以外は『誰だこいつ?』みたいな顔をしている。当たり前だけど。

 

「私の家来よ」

 

「ということは義経達と同じクローン……?」

 

 やめろやめろ、変な勘違いを招くな。 

 

「最上先輩、無意味な嘘をつかないでください」

 

「あら、私の家来は嫌かしら?」

 

「主人なら考えてあげてもいいですが」

 

「その気概はとても素敵だわ」

 

 話が進まないな。

 いいからさっさと勝負して雌雄を決してくれ。

 

「あの、すいません」

 

 それを見かねてか直江が会話に割り込んでくる。

 

「小篠は最上さんの仲間ってことでいいんですか?」

 

「よくない。俺はただの審判だ」

 

「審判って、君にそんなことできるの?」

 

 弁慶からごもっともな意見が飛んできた。

 俺だって自信はないし、そもそもやりたくないんだが……。

 

「やれる限りはやるさ。最上先輩からのオネガイだからな」

 

「ああ~、そういうこと……」

 

 弁慶は俺の言葉を受けて何かを察したような顔をする。その視線に憐れみの色が若干見えたことを考えれば、俺が巻き込まれた人間だと分かってくれたらしい。

 できればそのまま運の悪い男子生徒という認識でいてくれ。

 

「とはいえ私が用意した審判だけでは不満も出るでしょうから義経にも中立な立場の生徒を連れてきてと伝えておいたでしょう?」

 

「なるほど。つまり俺と小篠でお2人の競い合いの判定をするってことですね」

 

「ご明察。さて、早速勝負といきましょうか。源氏同士の競い合い……どちらがより、優れた者であるか」

 

「……」

 

 義経がごくりと唾を飲む。

 

「1回目はコレで勝負を希望するわ」

 

 そう言って最上先輩が取り出したのは笛だった。笛、といっても当たり前だがホイッスルみたいなのじゃない。

 いわゆる龍笛(りゅうてき)だ。

 

「私はピアノを習っていたのよ。そこそこ自信があるけど、今はこっちにハマっているのよね」

 

「義経も笛が好きです。時々街でも吹いてます」

 

「知ってるわ。貴方と吹いてみたいからこれを種目に選んだのよ」

 

 さすが義経のライバルを自称するだけある。まあ史実を鑑みれば最上先輩が不利そうだ。

 今の義経も笛は嗜んでるようだし。

 

 それにしても芸術の分野となれば無知もいいところだ。音楽の知識なんてそれこそ学校の授業で習った程度のもんであり、笛の音色の善し悪しなんざ聞き分けられるわけがない。

 わざわざ今から音楽に関する見識を身に付けておいたことにする気も起きないし、普通にフィーリングで判別すればいいだろう。

 

 なんて考えている内に演奏が始まる。

 思わず感嘆が漏れそうになるくらい、最上先輩の奏でる笛の音色は澄んでいた。

 

「素晴らしい……義経もやるぞ!」

 

 それに感化されたように義経も口に笛を添えた。

 そして最上先輩の音に合わせるようにして吹いていく。

 

 平安の時代に流れていたかもしれない音色が、悠久の時を越えて平安の血を継ぐ2人によって現代に再現される。

 ……時間旅行といえば大げさだが、まあこういう形で歴史の一端に触れるのも悪くない。

 

 やがて2人はその演奏を終え、どちらともなくふぅ、っと息をついた。

 

「こんなところかしら。さすが、見事な笛の音ね」

 

「いえ義仲さんこそ!ずっと吹いていたい気になりました」

 

 お互いに認め合い、称賛を送る。

 理想的なライバル関係だった。それだけにどちらの笛が優れていたか、判定するのは難しい。

 

「ありがとう。でも白黒をつけましょうか」

 

 表情を引き締めた最上先輩が俺と直江の方に向き直る。

 

「小篠巽、直江大和。どちらの笛の音が良かったか、ジャッジしてもらえる?」

 

「……やっぱり、比べはするんですね。2人とも頑張ったじゃ駄目なんでしょうか」

 

「優劣をつけたいわ。何事にも」

 

 義経はこの競い合いにあんまり乗り気じゃないのな。日々挑戦者をなぎ倒してるし、勝負事が好きな奴なんだろうと思っていたが。

 

「俺は義経の友人ですよ。厳密には中立とは言えないかと」

 

「それぐらいは細かい事よ、気にしないわ。さぁさぁ」

 

 最上先輩がジャッジを求める。

 ……そういう気質の人だと言ってしまえばそれまでだが、どうしてここまで勝負にこだわるのかね?

 確かに生い立ちを考えれば義経との競い合いは最上先輩にとって生きる上で重要なファクターなのは理解できる。

 

 けどその判定を自分と義経の間だけで着けようとはしない。

 公平な判定を求めるという意味では正しいが、どうにも最上先輩が優劣を他人に委ねようとしているように見えるのは気のせいか?まるでどちらが優れているかを周囲に知らしめるようとしている気さえする。

 ……まあいいさ。俺は自分の役割を果すだけだ。

 

「じゃあ俺は源義経さんに1票」

 

 さして迷うこともなく俺はそう言い切った。

 

「え?」

 

 俺が自分の方を選ぶとは思っていなかったのか、義経は意外そうな顔をする。

 弁慶と与一、そして直江も同様の反応だった。

 

「あら、残念。浅からぬ仲だから私を選んでくれるかと思ったのに」

 

「何度か会話したことがあるだけなんだから充分浅い関係じゃないですか。だいたい中立な判定を希望したのは最上先輩だし」

 

 なんとなくだろうと義経の笛の音の方がよく思えた。

 だから俺は義経の勝ちだと判断する。仲がよかろうと悪かろうとそこは動かない。

 

「正論ね。大和はどうかしら?」

 

「……正直引き分けと言いたいですが、それでもあえて比べるとしたら俺も義経の笛の音の方がいいと思いました」

 

「2対0で源義経さんの完全勝利っすね」

 

「そうね、悔しいわ」

 

「でもでも、義仲さんだってすごかったです!」

 

「ふふ、慰めてくれるのね。ありがとう義経」

 

 負けても余裕を崩さない最上先輩と、勝ったのに狼狽えている義経。そんな義経を見ながら川神水を煽る弁慶。

 とりあえず俺もう帰っていいかな?

 

「なあ小篠」

 

「なんだ?」

 

 帰宅するタイミングを窺っていたら直江に声をかけられた。

 

「どうして小篠はジャッジを頼まれたんだ?実は最上さんと親しかったのか?」

 

「まさか。最近まで話したこともなかったよ」

 

「……それは最上さんの正体が発表されてからってこと?」

 

 歯にものが詰まったような聞き方だな。

 探りを入れてるってのは分かるけど、そもそもなんで直江がそこを気にするんだ?

 ……あ、いや待て。まさかそういうことなのか?

 

「安心しろ直江」

 

「え、何が?」

 

「俺は最上先輩と親しいわけじゃない。アプローチをかける邪魔はしないぞ」

 

「……は?」

 

 あれ、直江の反応が薄い。

 気になる女の子に男の影が見え隠れしてるから警戒してきたわけじゃないのか?

 

「面白い話をしているわね。大和は私のことが好きなの?」

 

「なにー、そうなのか大和ー?」

 

「いや別にそんなことは……ってそれは最上さんに異性としての魅力がないってわけじゃなくてですね。学園の先輩としては好きですが恋愛感情となると話はまた変わってくるっていうか……」

 

 ああ、直江が最上先輩と弁慶に絡まれだした。すまん直江。

 

「じゃあ俺は帰るから。直江によろしく言っておいてくれ」

 

「お、おう……」

 

 所在なさげに立っていた与一にそう告げる。

 与一は「こいつこのタイミングで帰るのかよ」とでも言いたげな顔をしていたが、気にしないでその場をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はずなんだけどなぁ……」

 

「何か言った?巽」

 

「……なんも」

 

 最上先輩の家に数日振りの来訪をするための足取りは重い。

 なんでそんなことになったかと言えば、なぜか未だに最上先輩ん家に滞在している梁山泊の人が俺に話したいことがあると言い出したからだ。

 

 はっきり言ってそれを聞き入れる必要はない。しかしそう伝えると最上先輩からこんな答えが返ってきた。

 

「そうなると彼女達、学園に転入してきそうなのよね」

 

 潜入や侵入ではなく、転入である。つまり正規の手続きを経て面倒事を持ってくる恐れがある、ということだ。

 ふざけんな。大人しく祖国に帰れ。

 

 話を聞く聞かないは別にして、あの2人にそう言ってやるために俺は渋々ながらまたもや最上家にお邪魔することになった。

 そして玄関をくぐり、この前と同じくリビングの扉を開ける。

 

「よう、今日は遅かったじゃないか」

 

「おかえり。それとパンツ頂戴」

 

「ごめんなさい、今日ははいていないの」

 

「マジかよ。まさか変態が2人に増えるなんて……」

 

「梁山泊の方も増えてね?」

 

 俺の記憶が正しければ黒髪と赤髪のお姉さん2人だったはずなのに黒髪の貧乳と青髪のパンツ女、そしてロリっ娘が最上家のリビングを占拠していた。

 全員が同一の衣装を身にまとってるってことは新たな3人も梁山泊の人間だってのは分かる。

 

「あん?誰だお前」

 

 貧乳は口が悪そうだな。間違っても巨乳とは言えない最上先輩のおしとやかさを見習えよ。

 まあ先輩も性格がいいとは言えないが。いい性格はしてるけども。

 

「川神学園2年の小篠巽だ。梁山泊が何やら話があるって言うから出向いてきてやったぞ」

 

「わざわざ来てくれたのか。すまない」

 

 襲撃者の片方、最上先輩がりっちゃんと呼ぶ林冲が頭を下げる。

 落ち着きを取り戻したおかげかこっちは礼儀を弁えてるらしい。まあそれはいいとしてだ。

 

「最上先輩や」

 

「何かしら?」

 

「林冲さんの反応を見るに俺を呼んでほしそうにしていたわけじゃなさそうですが」

 

「まあ彼女から“呼んでほしい”とはお願いされてないわね。ただ5人でどうやって貴方と接触しようか話し合っていたのをたまたま聞いてしまったの」

 

「その中に学園に入り込むって案があったと」

 

「だいたいそんなところよ」

 

 なるほどなるほど。これ梁山泊の連中ギリギリで悪くねーわ。

 

「先輩、梁山泊をダシに使いましたね?」

 

「そういう言い方もできるかもしれないわ。じゃあ私は夕飯の仕度をしてくるから巽はゆっくりしていて」

 

 最上先輩はいつも通りの笑顔を浮かべながらキッチンへと消えていった。

 残された俺はため息しか出せない。こういうからめ手って1周回って新鮮だな。

 あいつらはこういう回りくどいことしないで強制的に死の概念を押し付けてきたり俺の存在を時間ごと無くそうとしてきたからな。

 ある意味究極の脳筋である。

 

「だ、大丈夫か?」

 

 林冲さんの心配が身に染みる。

 はあ……とりあえず気持ちを切り替えるか。

 

「問題ない。それで俺に接触したいって話だったらしいけど何か聞きたいことでも?」

 

「それはだな……」

 

「ちょいと待った」

 

 いざ林冲さんが話し出そうとしたところで横槍が入った。貧乳だ。

 どうでもいいけどこいつ何枚パッド入れてんだろ。

 

「お前が本当に林冲と武松を倒したのか?」

 

「ラッキーパンチが決まってな」

 

「嘘つけ。そんなもんでこの2人に勝てるわけないだろ」

 

 ですよねー。俺のわずかばかりの抵抗は通用しなかった。

 そもそも林冲と赤髪――武松というらしい――から直接話を聞いてるなら最初から誤魔化しようがないわけで。

 

「ならそうだとしてあんたは何が言いたいんだ?」

 

「お前の実力が見たい。わっちと勝負しな!」

 

「いいぞ」

 

「お、素直じゃねーか」

 

「ただし条件がある。負けた方は勝った方の言うことをひとつ聞くってのはどうだ?」

 

「はは、分かりやすくていいね!」

 

 この貧乳、自分が負ける可能性を考えてねーな。

 そりゃこいつレベルの手練れなら相手の気を察知することは容易だろうし、実際俺にはそういう気の類いなんざないから感じ取れるわけもないんだが。

 

 仲間を負かしたと聞いていてもなお心の底から警戒しきれないのは強者故の油断だな。

 まあ虎がどうやっても兎を警戒できないのはしかたないことだと言えばそれまでだ。

 最上先輩に許可をもらい、中庭に出て貧乳と対峙する。

 

天微星(てんびせい)九紋龍(くもんりゅう)史進(ししん)だ」

 

「川神学園生、小篠巽」

 

 名乗られたので名乗り返す。

 といってもここじゃ大層な肩書きもないが。

 

「いざ尋常に、尋常じゃなくても、勝負!」

 

 そこはせめて尋常であれよ。

 なんてつっこむヒマもなく貧乳――史進が突撃してくる。

 

 手にしているのは(こん)

 目測でおよそ240センチくらいかね。まあ一般的な棍だろう。

 それが思いっきり振るわれる。

 

 

 

 ――誰もいない虚空めがけて。

 

 史進の棍は当然ながらなにものも打つことはなく空を切った。

 

「……は?」

 

 呆然としたような声が漏れ聞こえた。

 大方俺の姿が消えたようにでも見えたんだろう。

 

「どこ狙ってんだ?俺はこっちだぞ」

 

 俺は史進の真後ろからその背中に向けて声をかける。

 史進が勢いよく振り返った。その顔にようやく警戒の色が浮かぶ。

 

「驚いたぜ。まさかわっちの攻撃を避けるとは思わなかった」

 

「避ける?何言ってんだ?」

 

 俺は両手を広げて首をかしげる。

 そして史進に、答えを教えてやった。

 

「俺は最初からここに立ってただけだぞ」

 

「いや、お前こそ何言って――「ならよく思い出してみろ」

 

 史進の言葉を遮る。

 史進だけでなく、縁側で勝負の行方を見守っている他の梁山泊の3人も訝しげな表情だ。

 ちなみにもう1人のロリっ娘は興味ないらしくまだリビングにいる。

 

「勝負が始まった時、俺はどこに立ってた?」

 

「そりゃここに、決まっ……て?」

 

 否定しようとして、しかし史進は言葉に詰まる。

 当然だ。俺は史進と対峙して、勝負が始まってから1歩も動いてないんだからな。

 史進が、そして他の面々もようやく思い出したらしい。つい数十秒前の記憶を。

 

「言った通り俺はずっとここに立ってただろ?なのに勝負が始まった瞬間、お前が勝手に誰もいない場所へ突撃して攻撃した。それだけのことだ」

 

「……何をした?」

 

「お前も分かってるだろ?俺は何もしてないって」

 

「そんなわけあるか!まさか幻術……でも、わっちに異能が効くはず……」

 

「考え込んでるところ悪ぃけどさ、勝負に集中したらどうだ?」

 

 間合いを詰めるために1歩前に出る。

 それに対して史進は構え……ようとして棍がないことに気付く。

 

「探し物はこれか?」

 

 そう言って俺は手に持っていた棍を振り回す。なかなかよく手に馴染む。

 棒術はさっき一通り嗜んでいることになったからな。史進に劣らないくらいの技術はあるはずだ。

 

「い、いつの間に!」

 

「おいおい、また物忘れかよ。この棍はさっきお前が俺に手渡してくれただろ」

 

「んな、わけ……あるわけないのに……!」

 

「いくら否定しても無駄だ。それが事実だからな」

 

 史進が誰もいない空間を攻撃したのも、会話の最中に俺へ棍を手渡したのも、全て事実だ。

 幻術でも、異能でも、記憶の改変でも、時間の停止でもない。純然たる事実。

 ただそれに対して認識が追いつかなかっただけ。それだけの話だ。

 

「違う……違う違う違うっ!わっちがそんなこと、するはずが……ないのに……っ!」

 

 頭を振りながら史進がうずくまる。そんなことをしたところで記憶がなくなるわけもない。

 なんにしろ史進がこんな状態じゃ勝負にならないのは明白。勝負あり、だ。

 

「……お前は何をしたんだ?」

 

「何もしてないさ。ただここに突っ立って、史進から棍を受け取っただけ。見てたあんた達にもそれは分かってるだろ?」

 

「そんなはず……!」

 

「それよりも史進は大丈夫なわけ?」

 

「記憶が混乱してるだけだ。しばらくすればそれも治まるさ」

 

 青髪に棍を放り投げ、俺も縁側に上がる。

 リビングへと続くガラス戸を開けながら、動けないでいる4人を振り返って言った。

 

「中に戻ろうぜ。そろそろ夕飯もできるだろうからさ」

 

 これでもまだ、俺に踏み込んできたけりゃな。

 

 

 




史進の話し方の違和感が拭えない
プレイし直すかな


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監視

 

 

 今日の最上家の夕飯は麻婆茄子と春雨スープだった。梁山泊の連中がいるから中華で攻めたのかもしれない。

 本場の人間にあえて出す辺りが最上先輩らしい。

 

 前も食べさせてもらって分かってることだけど、味は文句なしだ。俺もこれくらいできりゃなぁ。

 ふと料理を覚えてしまうかとも考えたが、火急の事態でもないのにそこまですることもないかと思い直す。

 

 ここには遍在固体(へんざいこたい)の影も形もなければ、双方向性(そうほうこうせい)の時間概念を獲得してる奴すらいそうにない。

 ましてや不死性存在が0秒以下で殺されるような、狂った奴らが跋扈(ばっこ)する戦場なんてもんがあるはずもなかった。

 

 料理なんて今すぐできなくても命に関わることはない。

 ああいう世界じゃないのなら、人間らしく時間に縛られて物を学ぶのも悪くないだろう。

 ……なんて思いつつさっき棒術を身に付けちゃったけど。全く同じ技を返されれば精神的なダメージを与えられるだろうし、そうなればわざわざ痛めつける必要もなくなる。

 そう思ってのことだったんだが披露する前に史進が折れたから使う機会はなかった。

 

 その史進は記憶の混乱も治まり、今は恨めしそうに俺を睨みながら夕飯を食べている。

 大人しくなってくれて何より。

 

「おい、何なんだよこの空気……」

 

 史進は黙ったが、史進以外も黙った空間に耐えきれず、ロリっ娘こと公孫勝(こうそんしょう)がそうこぼす。

 この重苦しい雰囲気の中で普通に食事を楽しんでるのは俺と最上先輩だけだった。

 

「史進に聞いてみたらどうだ?」

 

「ここでわっちに振るんじゃねぇ!」

 

「負けたからってイライラすんなよ」

 

「え、負けたの?こんな素人っぽいやつに?マジかよ……」

 

 どうでもいいけど公孫勝が俺の皿にピーマンを乗せてくる。麻婆茄子の彩りとして使われてるんだろうけど、見た目通りお子様みたいな好き嫌いをする奴だな。

 正直小学生にしか見えないが、これで18歳以上だってんだから驚きだ。

 

「負けてねぇって!あれは……なんか気の迷いだ!」

 

 まあ自分にそう言い聞かせて納得するしかないわな。

 戦闘中に武器を手渡すとか武士娘にとっちゃプライド的に許せなさそうだし。

 

「なあお前」

 

「なんだ?」

 

「どうやって史進……いや、パッドに勝ったんだ?」

 

「おいコラまさる、なんでわざわざ言い直した?」

 

 史進のこめかみがひくついている。こいつにパッドという単語は禁句なのか。

 貧乳って呼んだらどうなんだろ?……あ、なんか最上先輩が食いついてきそうだから止めとこ。

 

「よく分からないけど残念だわ」

 

「よく分からないなら黙ってた方がいいんじゃないっすかね」

 

 最上先輩が唐突にぶっこんできた。やっぱ止めといて正解だったわ。

 内心冷や汗をかきながら皿の端に積まれたピーマンを口に放り込む。

 

「あーちゃんとの間接キスね」

 

「媒介が油と香辛料まみれだと雰囲気もないですけど。というかなんであーちゃんなんです?」

 

「公孫勝は役職名みたいなもので本名はユアンというらしいわ」

 

 そのユアンは史進に詰め寄られ、最後は武松に泣きついていた。

 ほんと、小学生にしか見えんな。

 

「……あの、巽。少しいいだろうか?」

 

「林冲さんや史進を倒したからくりが知りたいんですよね?」

 

「あ、ああ……」

 

「ぶっちゃけ説明義務はないんですが」

 

 というか説明したところで理解もできないだろう。

 言葉としてなら理解はできても、その性質……概念そのものを獲得することはムリだ。

 

「そこをなんとかお願いできないだろうか」

 

 実直。頼み込んでくる林冲さんの姿にそんな言葉が浮かぶ。

 言い替えればただの馬鹿でもあるが、そういうマイナスな印象を受けにくいのは林冲さんの人柄かもしれない。

 もしくは見た目か。ちょっと幸薄そうだけどかなりの美人だからな。

 

「なんでそんなに知りたいんです?単なる好奇心ですか?」

 

「それもないと言えば嘘になるが……1番は巽をスカウトしたいと思ったからだ」

 

「スカウト?まさか梁山泊にですか?」

 

「ああ。梁山泊というのは異能を持った人間の集まりなんだ。巽の力はよく分からないが、もし異能を持っているなら、と」

 

 俺と接触しようとしてたのはそれが狙いだったってことか。

 異能ってものがどの程度を指すかは知らないが、何にしろ首を縦に振る理由はないな。

 

「せっかくのお誘いで悪いが断らせてもらう」

 

「そうか……」

 

「理由を聞いても?」

 

 俺の答えを予想していただろう林冲さんはしゅんと落ち込む。対してパンツ女……改め楊志(ようし)は飄々とした姿勢を崩さない。

 何となく最上先輩に近い気質を感じる。

 

「梁山泊に入るってことは学園を辞めて、この国を出て、傭兵になって、戦いに身を置くってことだろ?したいことが1つもない」

 

 行きたくない理由は山ほどあって、行きたい理由は全くない。断るに決まってる。

 しかし楊志はニヤニヤしながらこう返してきた。

 

「……ちなみにだけどさ、梁山泊は108星って言って108人の異能持ちがいるんだ。しかも星を名乗れるのが108人ってだけでそれ以外にもたくさんいるの」

 

「それがどうしたんだ?」

 

「その全員が女の子なんだよね~」

 

「ハーレム作れますってか?興味ないね」

 

「私に気を遣わなくてもいいのよ?ちゃんと1番愛してくれるなら」

 

「どさくさにまぎれて正妻ポジションに収まろうとしないように」

 

「まさかホモ?」

 

「ありきたりなボケをどうも」

 

 最上先輩と楊志のコンビは厄介かもしれん。

 しかもこの2人にからかわれるだけでも疲れるってのに、さらに面倒そうなのが屋敷の外にいる。たぶん九鬼の監視だな。

 対象は最上先輩と、アンダーグラウンドじゃ有名だっていう梁山泊の連中だろう。

 

 はっきり言って俺はおまけ以下だ。

 ……が、果たして九鬼の人間が取るに足らないとはいえこんな物騒な面子の中にまぎれる俺を見過ごしてくれるだろうか。

 自問しといてなんだが、とてもそんなに甘いとは思えない。

 

 はぁ、とため息ひとつ。

 気乗りはしないが面倒事を避けるため、ここは俺を見逃してもらうとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なかなか動きがありませんね」

 

「これじゃ滞在先がホテルから最上家に変わっただけじゃねーか」

 

「しかし先ほどのはなんだったのでしょう?」

 

「さあね。梁山泊の1人が変な動きしてたようにしか見えねぇけど」

 

 李ちゃんとステ公が食事を楽しむ最上旭と梁山泊を監視しながら愚痴をこぼす。あれがシェイラちゃん達の監視対象なんですけど……。

 シェイラちゃん的にはそれよりも、あの場に不釣り合いな1人の少年――小篠巽っていう学園生が気になる。

 むむー……どこかで見たような気がするんですけど……。

 

「おい毒蜘蛛」

 

「その名前で呼ばないでくださーい」

 

 私にはシェイラちゃんっていう可愛い名前があるんだから。

 

「けっ、ぶりっ子が」

 

「あぁん?」

 

 おっといけない、ステ公が失礼なことを言うからついつい口調が荒れちゃった。

 ネットアイドルのシェイラちゃんはドスのきいた声なんて出さないんですから。

 でも背中をざっくりやられた恨みは忘れないぞ☆

 

「今は仕事中ですよ。揉め事ならあとでお願いします」

 

 ステ公が余計なこと言うから李ちゃんに注意されちゃった。

 月夜ばかりと思うなよ、ステ公……。今日は満月なのが口惜しいですけど。

 

「お疲れさまです」

 

 ステ公といがみ合っていると、不意に声がかけられる。

 振り返るとそこにいたのは監視対象の1人、巽ちゃんがいた。

 

「あん?何の用だ?」

 

「差し入れですよ」

 

 そう言って巽ちゃんが2つの紙袋を差し出す。片方にはサンドイッチ、もう片方には飲み物が入っていた。

 

「おー、気が利きますね!えらいえらい」

 

「ありがとうございます、巽」

 

「なんだ、ハンバーガーじゃねぇのかよ」

 

「いらないならシェイラちゃんがステ公の分ももらいますよ?ニヤニヤ」

 

「けっ、食うよ!……ありがとな」

 

「いえいえ。それで調子はどうですか?」

 

 巽ちゃんも気になるんですかねー。

 でも巽ちゃんは向こうにいるんだからわざわざシェイラちゃん達に確認しなくてもいいと思いますけど。

 

「なーんも変化はねぇよ。退屈すぎてファックだぜ」

 

「まあ監視ってそんなもんですからね。忍耐ですよ、忍耐」

 

「ステ公の苦手分野ですね☆」

 

「てめーだって得意じゃねぇだろうが!」

 

「まったく、あなた達は……」

 

「元気そうで何よりです。ところで上への報告ですけど、俺のことはいないものとしてお願いしたいんですが」

 

「大丈夫ですって。わざわざ巽ちゃんのことを報告したりしませんよ」

 

「ええ、そんなことをする必要はないですから」

 

「お前そんなこと聞くためにわざわざ差し入れ持ってきたのかよ」

 

 巽ちゃんも心配性ですねぇ。

 たとえ監視対象でも、最上家と私達の元の2ヶ所に同時に存在しているとしても、それで巽ちゃんを報告するはずなんてないのに。

 

「ありがとうございます。じゃあ俺は戻りますんで」

 

「はーい、お気をつけてくださいね」

 

 去っていく巽ちゃんに手を振る。お姉さんに対するこういう心遣いができるところは可愛いですねぇ。

 でも、それはそうと……。

 

「このサンドイッチとコーヒーはなんでしょう?」

 

「いや、知らねぇよ。お前が買ってきたんじゃねえの?」

 

「違いまーす」

 

 いつの間にやら手に持っていた2つの袋に首をかしげる。こんなもの買ってきた覚えはないんですけど……。

 

「うーん、毒の類いは入ってないし……」

 

「じゃあ食っちまおうぜ。腹減ってんだ」

 

「ちょっとステイシー、あなたはもっと慎重に行動してください」

 

「李が慎重すぎんだよ」

 

「殺し屋、特に暗殺者は臆病なくらいがちょうどいいんです」

 

「シェイラちゃんやステ公とは正反対ですね!」

 

 結局サンドイッチとコーヒーはステ公に毒見させて完全に安全だって確認できてからシェイラちゃん達も食べることにした。

 でもこれは本当に誰が用意してくれたんでしょうねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これで九鬼の方に俺の情報は伝わらないだろう。にしてもメイドが監視とか目立つなぁ。

 でもまあとりあえず……

 

「最上先輩はおしおきで」

 

「興奮するわ」

 

「せめて理由を聞いてください」

 

 おしおきって言われてノータイムで興奮するとかどんな脳みそしてんすか。

 

「では理由は?」

 

「九鬼の監視。あること知ってて俺を呼んだでしょ」

 

「ふふ、巽の目は誤魔化せないわね」

 

 いつも通りのクールな笑み。やっぱり確信犯だったか。

 

「本気で俺と信頼関係築こうとしてます?」

 

「しているつもりよ。でも貴方が優しすぎるから、ついついどこまで許してくれるのか確かめたくなってしまうの」

 

 優しい、ねぇ。そんな風に接してるつもりはないんだけど。

 ……いや待て、特殊性癖の最上先輩のことだ。普通の優しいとは意味合いが違うかもしれない。

 

「……先輩」

 

「何かしら?」

 

「今日から1ヶ月、ノーパン禁止で」

 

「そんな……」

 

 最上先輩がショックを受けてよろめく。

 このリアクションがマジなのかノリなのか分からないのがまた。

 変態の業は深いな。そんなことを思う夜だった。

 

 

 



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2戦目

 

 

 ここのところ周りが騒がしい。この2週間で黛さんや大和田さんと友達になって、川神先輩や松永先輩といった学園の有名人にはうっすらとだが顔を覚えられた。

 しかし極めつけはやっぱり最上先輩関連だろう。あの人と知り合ってから加速度的に面倒事になりそうな人間と面識が増えてきている。

 

 だからまあ、そういう厄介なしがらみが一切ない自分のクラス(2―C)は俺にとっての安息地でもあった。

 

「なあ巽、昨日お前と最上先輩が一緒に帰ってるとこ見た奴がいるんだが?」

 

「どういうことか説明してもらうぞ」

 

「……」

 

 一応、まだ安息地である。

 

「俺ら言ったよな?無断で彼女作ったら市中引き回しの刑だって」

 

「それを了承した覚えはないけど、そういう関係じゃないから安心しろ」

 

「じゃあこの前、なんでお前に会いにきたんだよ」

 

 最上先輩の正体が明らかになった日のことか。

 そういや適当にはぐらかしたままにしてたな。かと言ってきちんと説明できることでもないが。

 最上先輩に借りを作ってしまうことになるかと思うとため息が自然と出る。

 

「俺もこの間まで知らなかったんだけど、俺がいた孤児院って最上先輩の父親が関係してたんだとさ。その縁で昔、最上先輩は俺と会ったことがあるらしい。記憶にねーけど」

 

 もちろん嘘だ。各種書類上は孤児院出身になっているだけで施設に居た事実はない。っていうか施設自体もあったという記録が残っているだけで、実際にはそんなもの存在してないが。

 

「そ、そうなのか……」

 

 思いがけない内容に友人らの口調が弱まる。これでこの件に関して追求されることはあるまい。

 

「それで偶然、俺が川神学園に入ったのを最上先輩が知ったらしくてな。わざわざ顔を見にきてくれたんだ」

 

 こんな話でも疑うことなく信じてくれるのはこいつらの美点だと俺は思う。

 なんて話をしているとケータイが振るえた。

 メールの受信。噂をすればなんとやら、その差出人は話題の最上先輩だった。

 適当に断りを入れて席を立つ。

 

 届いたメールの内容は『今から義経と勝負をするから空き教室まできてほしい』というものだった。

 指定された教室まで行くと中で待ち構えていたのは最上先輩、義経、弁慶、与一、直江の5人。

 

 そして本日の勝負は――

 

「腕相撲よ」

 

「俺要りますかね?」

 

 直江1人で事足りる競技だった。審判が1人でも10人でも判定に違いは出ないだろ。

 それとも肘や両足が浮いたり、自分の腕に体の一部が触れたら反則とか、そういう細かいところまで見ていくガチな勝負なんだろうか。

 公式のアームレスリングも主審1人に副審2人でやるらしいし。

 

「それを言ったら俺なんてもっと来る意味はないがな」

 

 やれやれ、とでも言いたげに与一が首を左右に振る。

 

「あんたは義経の家来なんだからついてくるのは当たり前でしょうが」

 

 そんな与一に対して凄む弁慶。その迫力はなかなかのもので、与一はしっかりビビっていた。

 力関係が非常に分かりやすい。

 

「まあいいや。休み時間も有限だしちゃっちゃとやりましょう」

 

 教壇を挟み、最上先輩と義経が向かい合う。

 武人同士だけあってそれだけで空気が張りつめる。まあこういう戦いなら平和的でいいんだが。

 

 2人が教壇に右の肘を乗せ、互いの手を握り合う。

 余程集中しているのか義経の表情は真顔だ。対する最上先輩はいつも通りの笑みを浮かべている。

 さて、この勝負の結果は如何に。

 

「それでは、レディー……ゴー!」

 

 直江の合図で試合が始まる。

 

「ふっ!」

 

「はっ!」

 

 出だしは拮抗。

 絵面だけなら女子高生同士の微笑ましい対決だな。教壇はミシミシと悲鳴を上げているが。

 

「さすがにやるわね、義経……!」

 

「義仲さんこそっ……!」

 

 まるで少年漫画のようなセリフの応酬だ。まさしくライバル。

 そのまま拮抗することしばらく、2人の額に汗がにじみ出した頃。

 ついに情勢が傾き始める。

 

「くっ……」

 

 優勢なのは最上先輩。義経もなんとか盛り返そうと踏ん張るが徐々に押し込まれていく。

 そして形勢は逆転することなく決着がついた。

 

「勝者、最上さん」

 

 直江がそうコールする。もちろんのこと異議を唱える声はない。

 白熱した勝負の軍配は最上先輩に上がった。

 

「これで1勝1敗ね」

 

「はい……うぅ、負けてしまった」

 

 義経が申し訳なさそうに弁慶達の方へ戻っていく。

 小さな声で「義経はダメな主だ……」とか嘆いている。たかが腕相撲に負けただけで落ち込みすぎだろ。

 勝った最上先輩の方はいつも通りの……いや、ちょっとドヤってるな。そしてなぜその顔で俺を見るのか。

 

「お見事」

 

「それほどでもないわ」

 

 とりあえず賛辞を贈っておいた。

 待ってましたとばかりの謙虚なお返事を頂く。なんだかんだ言って負けず嫌いなのは武士娘の性なんだろうか。

 

「ちょっといい?」

 

「何かしら、弁慶」

 

「勝負の結果だから主の負けは認める。でも家臣として主を負けさせたままにはできない」

 

 お、なんか不穏な空気になってきたぞ。

 しかし普段は川神水を煽って飲んだくれてるけど、弁慶って忠義に厚いよな。さすがクローン……なのか?

 

「つまり弁慶はリベンジマッチをしたいと?」

 

「そうなるね」

 

「でも私は義経と戦っているから本調子じゃないのよ?そんな私を倒してリベンジと言えるのかしら?」

 

「うーむ、そこを言われると……」

 

「じゃあこうしましょう。主同士が戦ったのだから、次は家臣同士が戦うというのはどう?」

 

「乗った」

 

 おう頑張れ頑張れ。

 俺は教室に帰るから。

 

「……最上先輩」

 

「なに?」

 

「制服の裾を離してください」

 

「ダメよ。貴方今出ていこうとしたでしょう?」

 

「そりゃもう勝負はつきましたからね」

 

「延長戦よ」

 

「それは先輩の家臣の役目では?」

 

「……私には頼れる仲間がいないの。巽以外には」

 

「俺に弁慶と腕相撲で勝負しろってんですか?腕がもげますよ」

 

「そこまではしないから安心しなよ」

 

「安心できない言い方はやめてくんない?百歩譲ってやるなら直江とにしてくれ」

 

「お、俺?」

 

 唐突に名前を出されて直江は困惑する。

 こいつ完全に蚊帳の外から眺めてたな。まあ立場が逆なら俺もそうしてるだろうけど。

 

「俺も直江も家臣じゃないが、一応それぞれの陣営側だ。男同士だしフェアな勝負だろ?」

 

「まあ姉御とやるよりははるかに平等だな」

 

 弁慶の怪力の恐ろしさを知っているであろう与一が援護してくれる。

 普通に考えたら勝負になんないのは明白だからな。弁慶だって最初から勝ち負けの決まった勝負は面白くないだろう。

 

「……大和、主の敵討ちを頼むよ」

 

「マジですか……」

 

「巽、初陣を勝利で飾りなさい」

 

「何さらっと継続的に戦力に数えようとしてんですか?」

 

 初陣て。これが最初で最後だっての。

 自然と漏れるため息が直江と重なる。お互い巻き込まれ事故に遭遇したようなもんだ。

 まあ直江を巻き込んだのは俺だけど。

 

 昼休み終了まであと5分。

 俺は教壇に肘をついて直江の腕を握った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ってことがあったんだ」

 

 金曜日じゃないけどフルメンバーが揃った秘密基地で、俺は今日あった出来事を皆に話していた。

 源氏勝負はトークのネタにもってこいだった。

 

「腕相撲対決ねぇ。確かに弁慶ちゃんと小篠じゃ勝負にはならないな」

 

「でも俺は弁慶と腕相撲してみたいぜ!」

 

「怪我するからやめときなよ」

 

「さすがに素人相手にそこまではしないと思いますが……」

 

「それでどっちが勝ったの?」

 

「接戦の末、なんとか勝利をもぎ取ってきました」

 

「さすが大和。結婚して」

 

「ありがとう京。お友達で」

 

「シコシコと筋トレしてる成果が出たな。まあ俺様にはほど遠いが」

 

 ダンベルを上下させながらガクトが勝ち誇るように言った。

 確かにガクトの筋肉は冗談抜きで鎧みたいだからな。ああなりたいかと聞かれればノーだけど。

 

「まあね。でもなんとなく姉さんの言ってた意味が分かったよ」

 

「ん?何か言ったっけ?」

 

「小篠が壁越えの人達に対しても臆さないって話。近くで観察してみたけど最上さんや弁慶、義経にもそういう様子がなかったよ」

 

 ああいう特別な人を前にするとその雰囲気に気圧されたり、逆に舞い上がったりするのが普通の反応だ。接点が少ないならなおさらそうなる。

 でも小篠はそれが皆無どころか誰に対しても同じ距離感で接していた。俺に対しても、義経達に対しても。

 

「あれは鈍感とかそういうんじゃなくて、何て言うか……精神的にすごく大人なんじゃないかと思う」

 

 例えるなら小篠はたぶん京極先輩に近い人種だ。

 学園の誇る美少女達を異性というより姉とか妹とか、下手をすれば小さな子どもを見るような目で見ているかもしれない。

 そしてたぶん、ヒュームさんみたいな超人に対しても彼らの特異性を気にすることなく単に一個人として認識しているんじゃないか?

 それが今日、小篠を観察して俺が出した結論だった。

 

「それは……ある意味で究極の無関心だな」

 

「まあ悪く言えば」

 

 関心がないから関わらないんじゃない。小篠はクローンや壁超えの人間と関わってなお、そこまで関心を引かれてないってことになる。

 無関心なのか、精神がすでに老成しているのか。どちらにせよかなり珍しいタイプなのは間違いない。

 知っている範疇で小篠が興味を示しているのは料理くらいだ。

 

「キャップとは真逆のタイプだね」

 

「キャップはむしろ色んなことに興味ありすぎだろう」

 

「好奇心は冒険家の必需品だぜ!」

 

「それは豪運があってこそのセリフだな」

 

 運という要素にも強さのような境界があるのなら、キャップの運は間違いなく壁を越えてる。じゃなきゃもう死んでてもおかしくない。

 

「しかし俺と真逆のタイプか。ちょっと会ってみてぇな」

 

「あぁ、キャップがまた新しいものに興味を……」

 

 モロが呆れたように苦笑する。皆も似たような表情だった。

 しかし、ふと思う。

 

 恥ずかしいから口にするつもりはないが、キャップは……風間翔一という男は、俺が憧れた男だ。

 俺にはできないこと、できない生き方が自然とできる。

 

 そんなキャップとは正反対の感性を持っている小篠巽。

 果たしてあいつはどんな人間なんだろうか。俺はなんとなく、そんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なーんか嫌な予感がする」

 

「おい、手が止まってんぞ」

 

 公孫勝にせがまれてモンスターをハントするゲームを協力プレイしていると悪寒が走った。

 これはあれだ、また新しい面倒事がやってくるやつだ。

 

 九鬼財閥に梁山泊、川神院……心当たりが多すぎるな。川神だとそこら辺とは無関係なところから舞い込んできても不思議じゃないが。

 つーかさ。

 

「お前いつまで俺の家にいんの?」

 

 突然携帯ゲーム機2台を持って家にやって来て、狩りを手伝えと言い放った公孫勝に尋ねる。

 もうかれこれ2時間以上やってるんだけど。

 

「しらねー。とりあえずしばらくお前のこと観察するみたいなことぶしょー達が言ってたけど」

 

「ふざけんな」

 

 遊びに来たのかと思ったら監視員じゃねーか。

 ぐうたらしてる公孫勝を小脇に抱えて最上先輩の家に叩き返しに行く。

 そこで俺と公孫勝の夕飯がしっかり用意されてるのを見て、俺は謀られたことを知るのだった。

 

「さすがに回りくどくないっすか?」

 

「だって普通に呼んでも来てくれないじゃない」

 

「当然でしょ」

 

「なぁ、なんでもいーからさっさとご飯にしようぜ」

 

「……お前ってほんと末っ子らしさ全開だよな」

 

 マイペースな公孫勝は、そんなことを言われても我関せずと席につく。

 梁山泊はこいつのこと甘やかしすぎだろ。

 俺の言わんとしたことを察してか、林冲と武松がどこか申し訳なさそうな顔をしているのが印象的だった。

 

 

 



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集団登校

 

 

 登校途中、見知った相手がいたので声をかけた。

 

「おはよう、大和田さん」

 

「あ、小篠先輩。おはようございます!」

 

 大和田さんが太陽みたいに輝く笑顔で応えてくれる。

 こんなにも上機嫌なのは俺に声をかけられたから、ではもちろんない。単に夕べの試合で七浜ベイが快勝したからだろう。

 普段から愛想のいい子ではあるけど、七浜が勝った翌日はさらに元気がいい。

 惜しむらくは七浜の勝率が4割を下回ってるってことだが。

 

「昨日はいい試合だったね」

 

「はい!若手が抑えて4番が打つ、理想的な試合でした!」

 

「村口はさすがって感じ」

 

「日本代表でも4番ですからね!」

 

 大和田さんと野球トークをしながら登校する。彼女に釣られて七浜の試合を観るようになったおかげで俺も少し詳しくなった。

 既存の知識と微妙な差はあるが、そもそも川神とか七浜とか、そういう地域レベルでの差異があるので今さらなんだけども。九鬼財閥とか俺のいた日本には影も形もなかったし。

 

「そういえば朝は黛さんと一緒じゃないんだ」

 

「家とまゆっちの寮は離れてて。それにまゆっちは寮の人達と一緒に登校してるんです」

 

「へー、黛さんも順調に友達作ってるんだな」

 

 良いことだ。ちょっと心配してたが、考えてみれば直江や川神先輩といった顔の広い友達がいるんだった。

 目標を達成できるかは別にして、黛さんの計画は順調に進行しているらしい。

 

「そういえばまゆっちから聞いたんですけど……」

 

「何を?」

 

「義経先輩と最上先輩の勝負に立ち会ってるって」

 

「ああ、なんか成り行きでね」

 

 半分脅迫だったような気がしないでもないが。

 

「勝負ってどんなことしてるんですか?」

 

「この間は腕相撲で、その前が笛の腕前を競ってたよ」

 

「なんか思ってたのと違う感じがします」

 

「分かる」

 

 あの2人のことだからもっと軍の指揮とか、単純な戦闘能力の競い合いでもするのかと思ってたけどな。

 最上先輩曰く競うのは戦いだけじゃなく、もっと色々な分野でお互いを高めあって、人間として成長していきたいってことらしいから本当に多種多様な勝負をしていくんだろう。

 それでも最終的にはやっぱり戦うんだろうけど。そうなればどっちも無傷じゃ済まないな。

 

 なんて駄弁りながら歩いていくと前方に人だかりを発見した。そこは変態橋との悪名高い多馬(たま)大橋(おおはし)だ。

 悪名の由来は変人奇人が多い川神においても群を抜いて高い変態の出現率を誇るからだそうだ。

 

 ただ、今回の人だかりはみんな橋の欄干から川沿いの土手を覗いている。変態とは違うものが出たんだろう。

 川神学園に通って1年以上になる俺には、その光景に覚えがあった。新1年生の大和田さんが何事か分からないのはまあしかたのないことである。

 

「何かあったんでしょうか?」

 

「たぶん川神先輩じゃない」

 

 前に川神先輩を袋にしようとやってきた不良軍団が朝から河川敷でオブジェに化していたり、腕試しにやってきた武道家が星になったりしたことがある。

 イベント事が大好きな川神市民、ひいては川神学園の生徒はその都度野次馬となってああいう人垣を作るのが常だった。

 

 しかし大和田さんは川神市民的には少数派に入るらしく、俺もああいう騒ぎにあまり興味はない。

 なので人だかりを避けつつ土手沿いに学園へと向かうことにした。通りすぎ様何が起きているのか確認する。

 

 この騒ぎの原因はやっぱり川神先輩だった。

 彼女は河川敷にて次々挑んでくる挑戦者を一撃でなぎ倒していた。なぎ倒すというよりは彼方まで殴り飛ばしている、と表現した方が正確だが。

 しかし気になることがひとつ。

 

「んん?」

 

「どうかしたんですか?」

 

「いや、なんで川神先輩の野試合に九鬼が介入してんのかなって」

 

 審判をやってるのは服装からして間違いなく九鬼の従者部隊だ。

 安全確保のためか?でも今まではそんなことしてなかったはずだけど。

 

「あれは九鬼公認の試合だからよ」

 

「うわぁっ!」

 

 唐突に最上先輩が会話に加わってきた。驚いてる大和田さんには瞬間移動でもして現れたように見えたんだろう。

 実のところ少し前から気配を消してこっちを窺っていたんだが。

 

「おはようございます、最上先輩。あんまり後輩を驚かせないでください」

 

「ちょっとしたサプライズよ」

 

「び、ビックリした……」

 

 俺の影に隠れながら最上先輩をおずおずと見る大和田さんは小動物チックだ。

 

「驚かせてしまってごめんなさい。本当は巽がターゲットだったのだけど、思いのほか反応がなくて……」

 

「俺が悪いみたいに言わないでくださいよ」

 

 というか今日は車で通学じゃないんすね。並んで歩かれると注目が集まるんですが。

 

「美少女発見!」

 

 ああ、もう……。

 早速厄介なのが釣れたよ。

 

「おはよう百代。挑戦者達はどうかしら?」

 

「まあまあだな。たまに筋がいいのはいるけど、義経ちゃんの相手にはならないやつばかりだ」

 

 そりゃそうだ。

 いくら川神と言えど義経レベルの人間がゴロゴロ転がってるわけもない。

 

「でもまあ義経ちゃんへの挑戦者の選別をやらせてもらってるのは退屈しなくていいさ」

 

「ありがとう百代。私と義経のために」

 

「なあに、美少女のためならお安いご用さ」

 

 なんとも男前なセリフだった。

 しかしまあ、九鬼が試合の審判をやってたのはそういうわけか。

 

 最上先輩と義経はベストな状態で戦うために、お互い挑戦者との試合は控えてるらしい。ただそれに納得できない、我の強い挑戦者を治めつつ選別する役目を川神先輩がやってるってとこだろう。

 バトルジャンキーである川神先輩の息抜きにもなって一石二鳥だな。卒業までそのまま大人しくしといてほしい。

 

「お、お前はまゆっちの友達の」

 

「どうも」

 

 川神先輩が俺の存在に気付く。

 

「ちなみにこの子も黛さんの友達ですよ」

 

「は、はじめまして!大和田伊予っていいます!」

 

 未だ俺の影に隠れている大和田さんを紹介する。

 少しビビってるけどまあ普通にあいさつできた。たぶん大和田さんも川神先輩のかわゆい子レーダーに引っ掛かってるから可愛がってもらえるだろう。

 

「ほう、まゆっちの。しかし小篠、両手に花じゃないか。羨ましいぞー」

 

「最上先輩も大和田さんも俺にとっては高嶺の花ですけどね」

 

「そ、そんな!私なんて……」

 

 照れる大和田さんは初々しい。

 対して最上先輩はさすがの反応を見せた。

 

「今ならお手頃価格に値下げするのもやぶさかではないわよ?」

 

「それは高値違いです」

 

 なんて下らない会話だろうか。

 いやまあこういう中身のない会話をするのも楽しいっちゃ楽しいが、いかんせん相手が悪すぎる。

 

「おーい!モモせんぱーい!」

 

 内心でげんなりしているとそんな声が届いた。

 見れば大所帯がこちらに駆け寄ってくる。半分くらい知らない顔だが、黛さんがいるってことはあれが寮の人達かもしれない。

 

「俺達を置いてくなよなー!」

 

 そう文句をこぼすのはバンダナを頭に巻いた男。面識はないが顔と名前は知ってる。

 風間翔一。川神学園イケメン四天王(エレガンテ・クワットロ)の一人だ。良くも悪くも何かと目立つ男である。

 

「悪い悪い、旭ちゃんがいたからつい追いかけてしまった」

 

「百代は熱烈ね」

 

「当然だ。旭ちゃんと戦える日に恋い焦がれているんだからな」

 

「それは義経との勝負が終わってからよ。まあ訓練の手合わせくらいなら付き合えないことはないけれど」

 

「本当か!?」

 

「嘘は言わないわ」

 

 嬉々とする川神先輩。戦闘意欲が全く減退されてねぇな。

 いや、されてこれなのかもしれん。さすが戦闘狂。

 

「そうだ、巽も一緒にどうかしら?」

 

「俺が混ざったら挽き肉の出来上がりですよ」

 

 お茶しに行くんじゃないんだからナチュラルに誘わないように。

 いつまでも最上先輩のトークに付き合ってると爆弾が爆発しかねないな。

 

「なあ直江」

 

「なんだ?」

 

「直江って川神先輩と友達なんだよな?」

 

「まあ友達って言うか、弟分かな」

 

「いやいや、舎弟だろ」

 

 第一印象は筋肉。そう形容するに相応しい筋骨粒々の男が会話に割り込んでくる。

 最上先輩との距離が取れるので全然構わないが。

 

「舎弟?まさかパシリ……」

 

「それは誤解だ!」

 

「そうだぞ!俺達はただの友達でも舎弟でもなく、ファミリーだ!」

 

 風間が誇らしげにそう言った。“俺達”がどの範囲を指しているのかはいまいち分からんが、川神先輩を追ってきた一団は全員そうなんだろう。

 チラッと川神先輩を見る。そしてファミリーという言葉を吟味してから、俺は率直な感想をこぼした。

 

「マフィア的な?」

 

「おーい小篠、今お前私を見てから言ったな」

 

「黛さん助けて」

 

 川神先輩に絡まれたので救援を要請する。

 この中で川神先輩の次に強いのは黛さんか最上先輩だ。そのどちらに頼るかなんて悩むまでもない。

 

「えぇ!?こ、この場合はどどどどうしたら……!」

 

『とりあえず深呼吸して落ち着くんだ!ひっひっふー、ひっひっふー』

 

 黛さん渾身のギャグ。いや、これは松風のギャグか。

 どっちにしろ滑ってるけど。

 

「で、直江。ファミリーってのはなんなんだ?」

 

「え、この空気でそこ聞くの!?」

 

「黛さんは大和田さんがフォローするから安心していい」

 

『鬼畜や……この男は鬼畜やで……』

 

 なんだかんだ黛さんは余裕そうである。まあ目的は黛さんのフォローじゃなくて、知らん上級生に囲まれて縮こまってる大和田さんの気を紛らわせることだからな。

 そんなわけで彼女は黛さんに任せ、俺は気になったことを直江に聞くことにした。

 

「えっと、俺達は風間ファミリーって言って……」

 

 そして登校中、直江から風間ファミリーなるものの説明を受ける。早い話が超絶仲のいい幼なじみ集団ってことらしい。

 その中に新入生の黛さんと転校生のフリードリヒがいるのはよく分からんが、まあなんやかんやあったんだろう。

 そんでリーダーが風間だから風間ファミリー、と。

 

「なるほど。マフィアじゃなかったわけか」

 

「当たり前だろう。悪はこの騎士クリスが許さん!」

 

 フリードリヒはよく通る声でそう言った。初対面だが大層目立つ容姿と転校のインパクトがあったので名前と顔は覚えている。

 彼女はドイツ軍人の愛娘だからなのか正義感が強いのかもしれない。

 いつぞや廊下で道行く男子の制服の着方に注意しているのを見かけたことがある。そんな生真面目な人間がダーティなグループに所属するわけないわな。

 

 ちなみにだが、今も遠方から殺気混じりの警戒した視線が俺に刺さっている。発信元にいるのはS組のドイツ軍人だろう。

 名前は確かエーベルバッハさんだったかな?過保護すぎやしませんかね。

 まあ別にちょっかいさえ出さなきゃ問題ないか。

 

「騎士か。フリードリヒは正義の味方みたいだな」

 

「そうだろう、そうだろう!小篠は話の分かるやつだな!」

 

 さすがまゆっちの友達だ!なんて言いながら満足そうに頷く。その友達に今さっき無茶ぶりしたのを忘れてんだろうか。

 フリードリヒは素直というか、ちょっとアホの子みたいな感じがするな。

 

 なんて失礼なことを考えながら、そのまま成り行きで風間ファミリーと登校することになった。

 ついでに面識のないメンバーも紹介される。

 

 マッチョマンが島津(しまづ)岳人(がくと)、小柄で気弱そうなのが師岡(もろおか)卓也(たくや)、俺に興味なさそうなのが椎名(しいな)(みやこ)というらしい。

 そして最後に紹介されたのが、赤い髪を束ねてポニーテールにしている川神(かわかみ)一子(かずこ)

 その名前に俺は当然「ん?」となる。

 

「川神ってことはもしかして……」

 

「ええ、川神百代(おねえさま)の妹よ!」

 

 ということらしい。似てないけど。

 顔立ちが違いすぎて正直他人にしか見えない。それでも姉妹なんだから何かしら理由があるんだろう。

 わざわざ突っ込むこともないので流すことにした。

 

「へぇ、川神先輩って妹がいたんだ。他にもいるのか?」

 

「いや、ワンコだけだぜ」

 

「ふー……ん?ワンコ?」

 

 島津が言い放った単語を思わず聞き返す。

 

「あだ名よ。アタシの名前は数字の一に子どもって書くから」

 

「漢数字の一を英語読みにしてワンコってことか」

 

 幼なじみといえど女の子を犬呼ばわりとはなかなかにアグレッシブである。何も知らない人間からすると結構ぎょっとするあだ名だ。

 

「じー……」

 

 川神が俺の顔を見つめてくる。

 威嚇……じゃないな。観察か?

 

「何だ?」

 

「あなたはお姉様と似てないって言わないのね」

 

 そんなことを聞いてくるってことは別にタブーな話題じゃないらしい。もしかしたら似てないだけで本当に姉妹なのかもな。

 だからっていきなり尋ねるわけがない。

 

「何か事情があるかもしれないし、初対面の相手にそんなこと聞くほど無神経な人間じゃないつもりだ」

 

「おぉ……大人だわ!」

 

 なんでだよ。いやまあ精神年齢なら確かにだいぶ上ではあるが。

 でもあの世界は時間とかあんまり意味ないし、俺が経験したのも那由多(なゆた)を超える膨大な時間が刹那にも満たない一瞬に凝縮されたような現象だ。

 だから加齢や老成を時間の経過によって判断するなら実質的には肉体も精神も別段歳食ってるわけじゃない。

 密度がアホらしいくらい濃いだけで。

 

「ちなみにアタシは孤児院出身で、小学生の時に川神院に引き取られたのよ。だからお姉様とは似てはいないの」

 

「義理の妹ってことか」

 

「そうよ。でもいつかお姉様みたいになってみせるわ!強さも、ナイスバディも!」

 

「ワンコは可愛いなぁ」

 

 瞳を輝かせて自身を追いかける妹を見て、川神先輩は親バカならぬ姉バカと化していた。

 しかし強さは元より、体つきの方も川神先輩に追いつくのは無理難題じゃなかろうか。

 日本人離れしたプロポーションの川神先輩に対して、川神は平均よりスレンダーなくらいだし。

 

「あら、百代の妹さんも孤児だったのね」

 

「ん?旭ちゃんの知り合いにもワンコと同じ境遇のやつがいるのか?」

 

「知り合いというか、巽がそうなのよ」

 

「すげーあっさりバラしましたね」

 

 つーか教えてないのに知ってるってことはやっぱある程度は身辺調査されてんだな。

 どこまで知られているかは……まあ最上先輩の態度を見たら一目瞭然か。俺の生い立ちの不審点に気が付いているからこそ色々つついてきてるんだろう。

 唯一の救いはその行動がマジで自分の興味を満たすためだけらしい、ってことか。これが九鬼主導だったら今頃俺に何らかの監視があるはずだからな。

 

 そういう意味じゃ最上先輩は俺を九鬼には報告しないって約束は守ってくれている。

 ただ自分の監視に俺を巻き込もうとしてきたり、かなりギリギリのラインを攻めながらだが。

 

「そ、それは俺達に言っても良かったんですか?」

 

 直江を始め大和田さんや風間ファミリーの一部が少し気まずそうな顔をしている。まあいきなり孤児とか言われても困るわな。

 しかしもちろんのことそういうことにしているだけであって、話題そのものよりも自分に関心が集まることの方が俺にとっては嫌だったり。

 

「別に気にしなくていいさ。秘密にしてるわけじゃないからな」

 

「ということよ」

 

「なんで最上先輩がどや顔なんですかね?」

 

「勘違いしないで頂戴。これでも貴方を心配しているのよ?」

 

「例えばどの辺が?」

 

「巽は里親もいない、正真正銘天涯孤独の身でしょう?いざという時に頼れる、事情を知っている人が必要だと思うの」

 

 正論のように聞こえなくもないが、その頼る人間は俺が選ぶべきだろう。少なくとも川神先輩をその選択肢に入れるつもりはない。

 

「そ、そうなんですか?」

 

 大和田さんが思い詰めたような顔で聞いてくる。椎名ですら少し不憫そうな表情だった。

 はぁ……まあこういう感じになるよな。そんでもって最上先輩は狙ってこんな空気にしたんだろう。

 

「……最上先輩の言ったことは事実だよ」

 

「そんな……」

 

 大和田さんと黛さんは泣きそうになっている。心優しいというか、感受性が豊かというか……。

 そこまでの問題では全くもってないんだが。

 

「お前も苦労してるんだな……」

 

 武神からの慰めのお言葉が重い。

 そしてそんな空気を見計らったように最上先輩は言い放った。

 

「だから巽、これからも遠慮なく私の家に来ていいのよ?ご飯くらいいつでもごちそうしてあげるから」

 

 その一言で場の雰囲気は一変し、俺と最上先輩の関係性について色めき立つ。外堀を埋めていくってのはこういうことを言うんだろう。

 事実を元にした言葉しか使ってないのもさすがの手腕だ。今さらだけど最上先輩、俺のこと取り込む気満々っすね。

 

 おいおいどういうことだと迫りくる川神先輩と島津をなんとか宥め透かしつつ、俺が最上先輩の家にお邪魔したことがあるという事実は伏せてくれと頼み込む。

 了承してもらえたが、その結果として俺と最上先輩がそれなりの関係であることが直江達の中では既成事実になってしまった。

 

 登校の合間にこんな大惨事になるとは、思わずため息が漏れる。

 視界の端で捉えた最上先輩は、いたずらが成功した子どものように微笑んでいた。

 

 

 



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