はぐみの兄ちゃんは苦労人 (雨あられ)
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はぐみの兄ちゃんは苦労人

「にいちゃぁぁあああん!」

 

バンと、背にしていた扉が勢いよく開いた。

そして、ドタドタと勢いよく駆けてきたかと思えば、跳んだ勢いのまま背中に飛びついてくる!

 

「ぐえ、はぐみ、いつも言ってるけど、ノックくらいはしてくれ……」

 

「あ、ごめん、兄ちゃん……」

 

シュンと落ち込んでしまったのは、オレンジ色の髪をしたショートカットの似合う快活元気娘、妹の北沢はぐみである。運動神経抜群で、ソフトボールではキャプテンを務めて居たりもするのだが……ちょっとおバカ。いや、かなりのおバカである。そして、感受性が豊かで純粋だからこそこういったちょっとした叱責でも結構気にしてしまう。

 

「……良いよ、別に。それよりどうしたんだ、そんなに慌てて」

 

「あ、そうだった!あのね、兄ちゃん!」

 

 

「はぐみ、バンドはじめる!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぐみの兄ちゃんは苦労人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ」

 

妹に渡されたチケットを持ってライブ会場へと向かう途中、青い空を見上げて一息ついた。

事の初めはなんだったか、はぐみがいきなりバンドをやる!なんてことを言い出したのが始まりだったか。

 

はぐみは小さいころからよく俺の真似をして何かを始めることが多かった。

野球をやっている俺を倣ってソフトボールを始めたし、サッカーやスノーボード、テニスなんかもやったことがある。俺が家で練習したりしていると、はぐみが寄ってきて一緒にやるといった流れになるのが常であった。

 

俺がスポーツ活動を辞めてバンドの活動を始めたときも、はぐみは一度スポーツと同じように真似をしてみようとしたみたいだったが……ちょっと一緒にギターを弾いてみたりしただけで、難しいと思ったのか結局はソフトボールに戻って行った。脳筋の父ちゃんに似て、身体を動かす方が性にあってるのだろう。

 

そのはぐみが、急にまたバンドのしかもベースをやりたいと言い出したのだ。

ソフトボールのベースとは違うんだぞ、と言ったら、でも似てるよね!と意気揚々と答えたのには頭を抱えた記憶がある。

 

 

 

 

渡された黄色いチケットにはハロー、ハッピーワールド!とポップ調字体で書かれており、クマとかトリとかがカラフルに描かれていて、バンド、というよりはまるでサーカス団のチケットのようにも見える。

 

バンドなんて文化祭か何かの出し物でやるくらいだろうと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。はぐみは俺にベースの弾き方を習いながら決して楽とは言えないソフトボールと家の精肉店の手伝いを両立し始めたのだ。夜遅くまでベースの練習をしていて、その本気度は十分に伝わっている。

 

よほど今のバンド活動が気に入っているのだろう。こころが~とか、ミッシェルが~とか、最近夕ご飯などでも毎日嬉しそうにバンドのことを報告してくれている。ただ、はぐみの話は事実が5割、勘違いが5割入っているときがあり、本当に良いバンドなのかどうかは直にこの目で見てみないとわからない。はぐみがそこまで固執するというハロー、ハッピーワールドなるバンドを、一度兄ちゃんとしてどんなものか確認しておこうと思ったわけだ。

 

「ここか」

 

このライブハウスは何度かライブをしたこともある、俺たちもよく使う所だ。

そこに自分の妹が……と思うと、心配やら期待やらいろいろと入り混じった複雑な気分だ。特に、ソフトボールの試合ならともかくバンドのライブとなるとはぐみも緊張して上手くできるかどうか……

 

「あ!兄ちゃんだ!!兄ちゃーん!」

 

「ぐぇっ、は、はぐみ、約束通り、来たぞ」

 

「うん!」

 

素晴らしいタックルをまともに食らってしまった。しかし、こんなものはもう慣れっこである。これで弱音を吐いているようじゃ、とてもじゃないがはぐみの兄ちゃんなんて名乗れないだろう……って、お。

 

「おぉ、似合ってるな」

 

「本当!?」

 

引きはがしたはぐみは赤色と白を基調にしたマーチングバンドのような衣装を身に纏っており、何とも可愛らしい。って、これがバンドの衣装なのか、初めて見たけど、なんというか変わってるな。

 

「ああ、良いんじゃないか?」

 

「そ、そっかな、えへへ」

 

「はぁ、はぁ、はぐみ~、急に走ったら危ないって……って、あれ」

 

次に走ってきたのは、クマだった。

いや、おかしいと思ったが、ピンク色のクマだった。このクマもはぐみと同じ衣装を着ているということから同じバンドのメンバーなのだろう。なるほど、うん、クマだ……。この人が話で聞いていたミッシェル、さん、なのだろう。クマクマとはぐみがいうから、てっきりクマみたいな人なのかと思ったら……本当にクマのきぐるみじゃないか!

 

「ミッシェル〜!はぐみのお兄ちゃんだよ!」

 

「どうも初めまして」

 

「え、ああ、ど、ども……」

 

「兄ちゃん!これがミッシェルだよ!」バフ

 

「うわ、ちょ、はぐみ、急に抱き着いたら危ないって……」

 

「もふもふで、超気持ちいいんだ~!それに、すっごく良い匂いがするんだよ!」

 

「はぁ……はぐみちゃん~、あんまりくっつくと~せっかくのライブ前の衣装が皺だらけになっちゃうよ~」

 

「あ、そっか、ごめんね!ミッシェル!」

 

!……へぇ、あのはぐみが、本番前に笑顔を浮かべる余裕を……ああ、そうなのか、これ……そういうことか~……なんとなく見えてきたぞ……。

 

「ミッシェルさん、いつも、うちの妹がたいっっっへん、お世話になっております……!」

 

「え、あ、はい……?こちらこそ……」

 

「これ、良かったらみんなで食べてください、そこのスイーツ店で買ったドーナツなんで」

 

「ドーナツ!?わーい!ありがとー兄ちゃん!さっそくこころんたちといっしょに食べようよ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「……それじゃあ、ライブ頑張ってください。はぐみも、リラックスだぞ。練習通りやれば、大丈夫」

 

「うん!」

 

「あ、はい、頑張ります……」

 

深々とミッシェルさんに頭を下げ、買っておいた少し有名どころのドーナツを渡しておくと、二人に別れを告げ、入場のためにスタジオの中へと入る。あのミッシェルさんからは、俺と同じオーラを感じる……そう、苦労人的な何かを……。あの人が上手くはぐみのコントロールを行ってくれているのだろう、もう少し高価な手土産にしておけば良かった。

 

「い、意外だ、はぐみのお兄さんって、その、すごく、まとも……!」

 

「兄ちゃんはね、はぐみの自慢だよ!頭も良いから、かーちゃんたちもなんで家の子にこんな賢い子が生まれたんだろうって、不思議がってたもん!」

 

「は、はは……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ありがとうございましたー!』

 

パチパチパチと、拍手と歓声が入り混じった音が響く。ふぅ、次かぁ……何だか俺まで緊張してきた……と、そう思っていると。奥から、ハッピーラッキースマイルイエーイ!といった掛け声が飛んでくる。これ、最近家ではぐみがずっと言ってるやつ……バンドの掛け声だったのか……?

 

そう思っていると、暗闇の中、楽器の調整が入り……?

 

「みんなー!おまたせー!」

 

うわ、急に舞台袖から金色の髪をした少女が側転をしてステージに上がったと思ったら、大きな声でマイクも持たずに話し始める。客席のみんなも面食らっていると、奥からピンクのクマのぬいぐるみが出てきて慌てて止めに入ったようだった。それを見て、会場中にははははと、笑いが起きる……。……もしかしなくても、今のが……。

 

 

 

 

 

 

『みんな、元気――っ?あたし達、ハロー、ハッピーワールドよっ!!みんな笑顔になる準備はいいかしら?それじゃあ、ゴー!』

 

うぇ!?突然演奏が始まったと思ったら、今度は客席にダイブ!?

 

「うわ、駄目でしょ、ダイブはー……」

 

「禁止行為だよね」

 

何て言う観客の声が聞こえる、クマのミッシェルも慌ててその金髪の子を観客席から引きあげて……と、今度はクマの上に少女が馬乗りになって、もう、滅茶苦茶である。

 

「あはは、なにこれ」

 

しかし、曲は既に始まっている。前奏を部分が終わると、少女の歌が始まるが……うん、上手いな。それに、何より楽しそうだ。

 

ギターは、正直下手だな。ただ、なんというか、華があるというか、人を魅せる演奏の仕方をしている。俺の苦手とするところだから、そういうのは羨ましい。

そして、はぐみははぐみで、練習の通りきちんと弾けているようだった。もちろん、ところどころ、やっぱり間違えたかぁ、というコードの部分もあるが、それにもめげずにやり通しているので聞いていて変に思うほどではない。

何よりは、あのドラムの子だ。かなりの経験者なのだろう、なんだか泣きそうな顔をしているが、この騒ぎにも関わらず音一つ狂っていない。

 

「はは、面白いね、このバンド」

 

「うん、なんか他と違って良いね」

 

……へぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕方、またもや背中の扉がノックもなしに開いたと思ったら、ドタドタとはぐみが飛び込んで来る音がきこえ、ぐえ。

 

「兄ちゃん!!」

 

「ぐ、お帰り、はぐみ」

 

「もう、兄ちゃんなんで帰っちゃうの!はぐみ探したんだから!」

 

「ああ、すまんすまん」

 

夜、家に帰ってきたはぐみは想像していたとおり、一番に俺が勝手に帰ってしまったことを怒ってきた。

 

「ライブ、すげー良かったよ」

 

「本当!?」

 

「ああ、はぐみも楽しそうで、兄ちゃん安心した」

 

「えへへ、うん!すっごくすっごく楽しかった!音楽って、魔法みたいなんだね、兄ちゃん!!」

 

目を細めるはぐみの頭に、ぽんぽんと手を置いて、撫でてやる。

あのボーカルの子を含め、結構問題児が集まったバンドなのだろうとは思ったが……それでも、あれだけはぐみが楽しそうにやっていたバンドなのだ。きっと大丈夫だろう。

 

「あとね、こころんが、今度兄ちゃんに会いたいって!」

 

こころん、ああ、あの弦巻こころとかいう、ボーカルの子か。

 

「そうか。まぁ、そのうちにな」

 

「うん!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日、早朝6時。

 

「……」

 

「兄ちゃん、こころんを連れてきたよ!」

 

「おはようはぐみのお兄さん!何だか、はぐみの話を聞いて、居てもたってもいられずに来ちゃったわ!」

 

どこの世界に、朝の6時に寝ている俺の枕元まで友達を連れてくる奴が居るんだよ……!

ここだよ!!

俺の妹は、おそらく、世界で1番おバカだろうとは思っていた。しかし、この金髪の子もきっと負けてはいないだろう。そして、気づいた。

 

これが、ハロー、ハッピーワールド(問題児の集まり)なのだと。

 



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2話

「ふぅ」

 

長いパールグリーンの髪色をした少女……氷川紗夜はとあるドアの前に立つと大きく息を吐いた。

 

今までは、自宅と学校、それから練習スタジオへの行き来をするしかなかった日課に、最近、もう一つ行くところが増えた……たまに行くファーストフード店を除いた自分の日課。それは……

 

「いらっしゃーい、あ、紗夜さん!来てくれたんですね」

 

「え、えぇ、たまたま通りかかったので」

 

「そうなんですね!紗夜さんが来てくれて、嬉しいです」

 

「そ、そうですか」

 

ここ!羽沢珈琲店!

お菓子教室を経て、仲良くなったこの羽沢つぐみさんのいるコーヒー店へ通うのが、最近の私の生きがいに、いえ、楽しみになってきています。

羽沢さんは、私の不器用な性格をとてもよく理解してくれていて、こんなつまらない私相手にでも本当に楽しそうにお話をしてくれるし、同じバンドや生徒会をやっているもの同士、話も合います。何よりは、彼女と話しているときは、無理にクールな自分を演じなくて済む……とても心が落ち着く……。

 

「サヨさ~ん!最近、よく来てくれますね!」

 

奥から現れたのは、白い髪を三つ編みにした妹と同じアイドルバンドのメンバーである若宮イヴさん。

彼女の情報がもとで妹の日菜に私がここに通っていることがばれてしまったので、少し苦手意識を持ってしまった。いい子なのだとは思うのだけれど……。

 

「……そうかしら。まぁ、ここのコーヒーを飲んでいると落ち着きますから」

 

「はい!ここのコーヒーは絶品です!それじゃあ、本日のご注文はなににしやしょう!」

 

「そうね……いつものを一つ」

 

「はい!ポテトとコーヒーですね!」

 

「ちょ、若宮さん!」

 

折角ポテトという単語を伏せて注文したというのに、これではまるで意味がない……。

それにしても、今日は店内が大変に賑わっている。いつもより人が多いような気が、って、あれは……。

 

「?どうしましたか、サヨさん」

 

「いえ……あそこのカウンターにいる男性は、どなたですか?初めて見る顔ですが……」

 

羽沢さんと一緒にカウンターで親し気に談笑している男性が一人……。

同じエプロンをつけていることから、バイトか何かだろうとは思うが、気になる……。

 

「あぁ!あれは、アニキですね!」

 

「あ、アニキ?……えっと、お兄さん、ですか?」

 

「はい、そうです!よく日本の事を教えてくれます!」

 

羽沢さんの……お兄さん!?

し、知らなかった……まさか、あの羽沢さんにお兄さんが居たなんて……。じっと、そちらを見ていると、羽沢さんがこちらを気が付いて、小さく手を振ってくれた。カワイイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせしました」

 

席で待っていると、そう低い声でコーヒーの入ったカップがことりと置かれる。どうやら、羽沢さんのお兄さんがコーヒーを運んでくれたらしい。

改めて見るが、そんなに顔は似ていないように思う……筋肉質な身体に、高い身長……どれも小さくて可愛らしい羽沢さんとは似ても似つかない。

 

「……?顔、なんかついてますか?」

 

「い、いえ。その、……ざわさんの、お兄さんだとお伺いしまして……」

 

(えっと、北沢?)「ああ、そうですけど……」

 

「氷川紗夜です。妹さんには、いつも大変よくして頂いています」

 

「え、あ、そうなんですか?こちらこそ、いつも妹がお世話になっています」

 

やっぱり、本当に、羽沢さんに、お兄さんが……。

 

「うちの妹の相手は大変でしょう。体力がいりますし」

 

体力?買い物などのことかしら

 

「いえ。そんなことはありません。疲れたことなど一度もありませんよ」

 

「え!?あ、そうなんですか……すごいなぁ」

 

そう私が答えると、なぜかお兄さんは目を丸くしていた。羽沢さんの相手に体力も何も、寧ろ癒されている要素が多いと言える。

 

「でもほら、妹って結構友達相手だと急に抱き着いていったりして腰痛めたり……」

 

「え、きゅ、急に抱き着くんですか!?」

 

「え?ええ、よく……俺にも飛んで抱き着いてきますし……」

 

雷に打たれたような衝撃。なんという事だ、羽沢さんは、私にそんなこと一度も……

そういえば、よく若宮さんとも抱き合ったり……いや、あれは若宮さんから抱き着いているような……?でも実のお兄さんがそういっているのだ。実は家では甘えん坊なのかも……いや、本当に心を許している友達にだけ抱き着いたりしている……?

 

「……」

 

「……ええっと、兎に角、これからも妹をよろしくお願いします」

 

「え、ええ、こちらこそ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……羽沢さんは、お兄さんとは仲がよろしいのですね」

 

「え!?えっと、う、うん。その家が近所だから」

 

「え?一緒に住んでいるのではないのですか?」

 

「い、一緒に!?そ、そんなことないよ!それは、小さなころはお泊りとかしてたけど」

 

顔を真っ赤にして手を振る羽沢さん。なるほど……何やら複雑な事情があると見ました。別居中とか……両親の都合とかでしょう……深く話を聞くのはやめておきましょう。

 

「そうなんですね……こういっては失礼ですが、兄妹にしてはあまり似ていないような」

 

「そうですか?あ、たしかに日菜ちゃんと紗夜さんからしたらそうかもしれないですね」

 

「それは…」

 

「ふふ、ごめんなさい、ちょっとからかっちゃいました」

 

あぁ、こんな失礼な発言にも、気を遣ってくれて……。

こんなに良くしてくれているのに、何を疲れることがあるのか。でも、家で甘えん坊というのは少し、興味がありますね……。

 

「羽沢さんは、普段、お兄さんとどんな会話をするんですか?」

 

「え?えっと、普通の事だよ、学校の事とか、後、バンドの事とか」

 

「なるほど、もしかして、お兄さんもバンドを?」

 

「うん、ギターなんだよ。その、カッコいいんだ」

 

照れながらそう笑う羽沢さん。こんな表情の彼女、見たことがない。

私も、日菜にそんなふうに言われたりするのだろうか……。その日も、羽沢さんと一緒に何気ない会話をして過ごすことができた。ただ、羽沢さんが抱き着いて甘えるというお兄さんの存在が妙に引っかかっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日。羽沢さんと一緒に外を歩いていると、反対側の道をお兄さんが歩いているのが見えた、その隣には……!?

 

「は、羽沢さん、見てください。あれ……」

 

「あ、はぐみちゃんたちだ」

 

そう、あれは確か、ハロー、ハッピーワールドのベースを担当している北沢さん……同じ高校の後輩でもある。その彼女がなんと、お兄さんと腕を組んで歩いているではないか!

彼女は恋人を作ったりするタイプだとは思っていなかったが、まさか、彼女たちは付き合って……?

 

「仲いいですよね~」

 

「え!?し、知っていたんですか?」

 

「え?ええ、知ってましたよ」

 

何と、自分の兄が自分の友達と付き合っていると言うのにこの余裕……。

羽沢さん、あなたは本当に大人なのですね……。

私がもし、日菜と誰かが歩いているのを見てしまったりしたら……一体、どんな気持ちになるのだろう?想像もしたくもない。

 

「……羽沢さん、私はあなたを尊敬します」

 

「え?えっと、うん?あの、ありがとうございます?」

 



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3話

「おかえり兄ちゃん!!!」

 

「おう、ただいま……ん?」

 

「やぁ、偶然だね」

 

そういってこちらに振り返ったのは、こたつに座っていた紫色の髪をポニーテールにしたイケメン、そう、瀬田薫……。はぐみと同じハロー、ハッピーワールドのバンドメンバーである。

 

「偶然もなにも、おれんちだよここは……よっこいしょ」

 

「今日は、薫くん、お泊りなんだ!!」

 

「へぇ」

 

部屋の隅に鞄を置いてこたつに足を突っ込むと、冷え切った手をなるべく中央付近に近づけて暖を取る……お。なんだこれ?

 

「ひゃん!?」

 

ビクンと震える薫の肩。さすさすと、何やら出っ張ったものを触ってみると、もぞもぞと薫が身震いする。

 

「ちょ、つめたぃ!」

 

「ははは、すまんすまん」

 

どうやら、薫の足だったらしい。足を引っ込めて、恨みがましくこちらを見つめている。

 

「兄ちゃん、薫くんはさっきまで一緒にお店を手伝ってくれたんだよ」

 

「え、そうなのか?」

 

「ふふ、子猫ちゃんの頼みとあらば、断れないよ」

 

「そうか……はぐみ、後一か月ぐらい手伝ってくれってお願いしてみてくれ」

 

「うん!!わかった!!!」

 

「ちょ」

 

薫が店番を手伝ってくれる時は、マダムたちへの肉の売れ行きが大変良いため、母ちゃんや父ちゃんもそんな薫の事を気に入っている。

しかし、慣れってのは恐ろしいものである、今でこそ、こうして同じ炬燵に入って呑気に談笑できるくらいにはなったが、はじめのころは大変だった。みかんを手に取り、皮をコロコロと回すと、親指をすっと底に突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぐみの兄ちゃんは苦労人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄ちゃん!!特訓してよ!!」

 

確か、あれはまだ春の陽気がうららかな、休日の3時頃だったか。部屋で寝転んでいると、急に扉が開いてはぐみがそんなことを言ってきた。またいつものランニングか千本ノックかと背中を掻いて体を起こそうとしたとき、はぐみの隣に見慣れない長身の……女性?が立っていることに気が付いた。

 

「初めましてお兄さん。私は薫、瀬田薫さ。ハロー、ハッピーワールドでギターを担当している」

 

「あ、ああ、これはどうも」

 

寝転がっていた姿勢を正して頭を下げる、切れ長の赤い目に、スラリとした体躯、中性的な顔立ちをした美人だった。

 

「あのね、兄ちゃん!今日ははぐみと薫くんに特訓してほしいんだ!」

 

「特訓って……あぁ、ギターか?」

 

うんうんと、元気よく頷くはぐみ。

しかし、意外だ。はぐみの友達っていうのは、どちらかと言うと子供っぽい子が多かったからな。こういう大人っぽい女性は初めてなんじゃなかろうか。雰囲気から、どこか知的なものも感じる。

 

「最近独学で学ぶことに限界を感じてきてね、行き詰ってしまったのさ。それをこの子猫ちゃんが相談に乗ってくれてね」

 

……子猫ちゃん?いや、聞き間違いだな、きっと。

 

「まぁギターを教えるのは構わないよ、俺で良ければだけど」

 

「本当、ありがとー!!兄ちゃん!!!」

 

「ありがとうございます、お兄さん。」

 

ぺこりと頭を下げる瀬田薫を見て、もしかしたら、ウチのはぐみも彼女の影響を受けて、少し大人っぽくなるかもしれないと、そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見てくれ」

 

薫がボロロロンと、俺が貸したアコースティックギターを、爪で流れるようにはじくと、こちらを流し目で一瞥し

 

「儚いだろう?」

 

そうつぶやいた。

……早くも、はぐみ知的化計画の雲行きが怪しくなってきた。

 

「えっと、まず、どれくらい弾けるのか見せてもらって良いかな」

 

「ふ、もちろん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よく、それで今まで演奏出来ていたな……」

 

「かのシェイクスピアは言っていた、望みなしと思われることもあえて行えば、成ることしばしばありと……つまりは、そういうことさ」

 

滅茶苦茶なコードの覚え方で、パワーコードとか普通のコードとか混じりまくって何とかドレミファソラシドが出せるような、そんなギターの弾き方だ。それでライブまで出ていたというのだから、大物というか怖いもの知らずというか、本当に、或る意味才能がある。

 

「芝芝になる?……薫くん!芝生になるの!!?」

 

「私が芝生に?……確かに、それはとても……儚い。名前もなくただの草として世間にも疎まれる……あぁ……!っ……なんて儚いんだ……!はぐみ!君は詩人になれるよ!」

 

「しじん?はぐみ、しじんよりソフトボール選手になりたいな!!」

 

もうわかった、あれだな、キミもおバカだな?……はぐみとは少しベクトルの違うおバカだな!?こころとはぐみだけかと思っていたが……ハロー、ハッピーワールド、いよいよもって、やばい奴らの集まりだということが判明してしまった。それと同時に、はぐみが大人っぽくなるのは無理だろうなとそう思った。

 

「えーっと、薫君。まずはちゃんとしたコードを覚えてみよう。それから今の弾き方の方が馴染むっていうのなら止めはしないけど、変な癖をつけるのは演奏の幅を狭めて良くないと思うよ」

 

「おっと、了解したよムッシュ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが、Fコードの抑え方だ、慣れてきたら、ぎゅっと、そう、こう手を丸めて抑えるだけでもできるようになる。まぁ、はじめはなかなか出来ないかもしれないが、練習していたらある日突然できたりする。薫君は指も長いし、すぐにできるだろう」

 

「……ぁ、と、こ、こう……かい?」

 

「そう、上手だ」

 

「……あ、あぁ」

 

……なんか、二人きりになったら急に大人しくなったなぁ。

もう一つギターを用意して、コードの抑え方を教えてあげている間、先ほどまで閉まることをしらなかった薫君の口が、借りてきた猫のようにムの字に塞がれている。さっきまでの元気はどこへ行ってしまったんだ。

 

「後は、そうだな、こうしてグインと弦を揺らすと、ビブラートをかけて音に幅が出る」

 

「おぉ……」

 

ギュ~ンと、音にビブラートがかかる。ふぅむ、物覚えは悪くないな。むしろ早いくらいだ。

ちなみになぜ二人きりになったかと言うと、はぐみは散々騒いだ挙句に俺のベッドで寝てしまったからだ。友達を連れてきておいて何をしているんだとも思ったが、まぁ、せっかく来てもらったのだ、ただで帰すわけにはいかないだろう。

 

「……こうかい?」

 

「違う、指はここを抑えて……」

 

「っ!」

 

手を持ってコードを抑えるのを手伝ってやると、薫はその間、恥ずかしそうに顔を赤くして顔を背けていた。こいつ、もしかして……。

 

「結構、恥ずかしがり屋?」

 

「な、ななな、何を言ってるんだ。私は、その、別に」

 

「まぁ、何だっていいさ。今度は俺が抑えたコードの順番で一緒に弾いてみてくれ」

 

「あ、あぁ、わかった……」

 

それから、俺は薫君に必要以上に声をかけることをやめた。

薫君も、特に俺に話しかけることはなかった。

夕方の陽が入る赤い部屋で、ただ、ギターの音色だけが響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからも、薫はしばしばこの北沢家に来ては、俺と一緒にギターの練習をするようになった。はぐみもいるとよく喋る薫であったが、二人の時は基本的に無言だった。それが少しずつ、少しずつ口数が多くなって……今ではすっかりこの通りだ。

薫のわけのわからない言い回しや、女の子に対するホストのような態度も、慣れるとそれなりに面白かったりする。それに。

 

「薫、そこのティッシュ、取ってくれないか」

 

「あぁ、これだね」

 

「ありがとう、薫は優しいな」

 

「っ!?」

 

ゴンと、机に頭をぶつける薫。コイツは、散々人には歯の浮くような恥ずかしいセリフを吐けるくせに、いざ自分が言われると顔を真っ赤にして滅茶苦茶恥ずかしそうにする。それが、なんというか、年相応に見え、普通の瀬田薫に会えるって感じがして気に入っている。自分自身、こんなセリフを普段から吐くのは御免だが、まぁあの顔を見る為なら悪い対価ではない。これを俺は、心の中で瀬田薫ごっこと呼んでいる。

 

「き、キミはそうやってすぐに私を……」

 

「本当さ、手も白くて、雑煮みたいだ」

 

「雑煮……」

 

うっとりとする薫。これでうっとりする理由は俺にはさっぱりわからないが、薫には効いているようだ。儚いものや薫の好きなもので例えるとこうなる。この前言ったその服、カクレクマノミみたいで似合ってるよ、なんかもきいてたし…逆に薔薇のようだ、とか、白鳥のようだ、とかだと、そうだろう?などと言って普段の薫で逃げられてしまう。

 

「兄ちゃん、はぐみは!?」

 

「はぐみは、そうだな、こんなに寒くても絶対に風邪を引かなくてすごい、花丸一等賞だ!」

 

「本当?わーい!兄ちゃんに褒められた!!」

 

兄ちゃんは、薫をいじるのは楽しいけど、はぐみはいじりたくないな……。

嫌味とか、皮肉っていうのは相手が純粋なほど、言った後に自分に返ってくるものである。そんなもの、いまだにサンタを信じているはぐみに勝てるわけがない。

 

「それよりも、今日もギターの練習、良いかい?」

 

「おお、良いぞ」「この星空の下で」「え?」

 

薫は真顔だった。

 

「最近、星が綺麗だろう?だから、たまにはあの美しい星たちの輝きの下、演奏するのはどうかと、そう思ったのさ」

 

「す、すごいよ!薫くん!!それ、すっごく良い!」

 

かおる!なんて素晴らしいの!と、ここに金色がそろっていたらそう言いそうではあるが、あいにくこの凍えるような寒さの日に、外に出るような自殺行為はしたくない。

 

「寒いから家でやろう」

 

「あ!はぐみ、良いこと考えたよ!!外を走りながら演奏するんだ!!そしたら、体がポカポカして、寒さも吹っ飛んでくよ!!!」

 

「なるほど、はぐみ、キミは天才だ!!」

 

「そうか、じゃあ、俺は留守番してるから二人で行ってきてくれ」

 

「え?」

 

「うん!!わかった!!行こう!!薫くん!!」

 

こいつとの付き合いが長くなってくると、それなりにわかってくることもある。はじめは、ハロハピの3バカトリオだと思っていた俺だったが、こいつに関していえば、少し、そういうキャラを演じている節がある。もちろん、素で天然丸出しの時もあるが、今はまさに、偽っているとき……、スパン!と、はぐみが廊下へと続く戸を開けただけで、ひゅうと冷たい風が吹き抜けていく。ちょっと泣きそうな目で薫が俺の事を見ている。

 

「……かのシェイクスピアは言っていただろ、望みなしと思われることもあえて行えば、成ることしばしばありと……」

 

……そういって、チラリと薫を見てみると、今にもはぐみに手を引かれてギターを担ぎながら町内マラソンに連れていかれそうになっており、本当に泣きそうだったので、慌てて止めに入る。

 

「もうご飯の時間も近いし、やめておけ、はぐみ」

 

「あ!それもそうだね!!」

 

はぁ、全く。自分で苦労するなら演じる必要なんてないのに……ん?

薫の奴、なんでそんなに近づいて……

 

「ありがとう、お兄ちゃん」

 

そういって、頬を染め、俺の耳元で自分の人差し指にキスして見せる薫。

 

 

…………クソ、やられたわ。

 



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4話

「今日母ちゃんは家を空けます」

 

よく通る母ちゃんの声が、居間から店の前まで響いてくる。

今日は母ちゃんの高校の同窓会とかで一日家を空けるらしい。母ちゃんの声に続いて、はぐみと父ちゃんの元気の良い大きな「はい!」の声が聞こえてくる……。本当に、元気だけは、良いんだよなぁ……。

 

ショーケースに加工した商品を並べていると、奥からいつもよりほんの少し気合いの入った化粧をした母ちゃんが出てきた。その目は、後は頼んだよ、と言わんばかりである。

 

「まぁ、楽しんできてよ」

 

「……なるべく早く帰って来るからね」

 

そういうと、コツコツとハイヒールを鳴らして店を出て行ってしまった。

今日は日曜日、バイトの従業員は一人も居ない。

俺と、はぐみと、父ちゃんだけが店番をすることとなったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろかなぁ」

 

仕舞ってあった店の看板を外へと出そうとドアを開いたとき、父ちゃんが何やらストレッチをしながら店の奥から出てきた。

 

「ちょっと、その辺走ってくる。お前も行くか?」

 

「は?もう店開くでしょ」

 

「でも良い天気だしな」

 

そういって、腰に手を当てて天を仰ぐと、はぐみー!走りにいくぞーなどと言って奥に居たはぐみに声をかける。はぐみははぐみで、行くー!なんて呑気な声を出している。ちょ、待て。待ってくれ。

 

「今日は、母ちゃんもバイトも居ないんだぞ」

 

「大丈夫、すぐ戻るから」

 

「そんなのいつも当てにならな……」

 

「いこ!とーちゃん!」

 

「おう、すぐ戻る」

 

「あ、おい」

 

そういって、はぐみと二人、連れ立って外へと走り出してしまった。

駆けていく二つの背中は、もう豆粒くらいに小さくなっている……。俺はただただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開店時間をすぎ、10分、20分と、時間は過ぎるがはぐみと父ちゃんは帰ってこない。時刻もちょうど11時ごろになり、客足も、だんだんと増えてくる時間帯だ。

 

「すみません、豚バラ肉200gくださーい」

 

「はい!」

 

「後……」

 

コロッケを揚げる作業を中断して慌ててショーケースへと戻ると、お客さんの注文している品を用意し、包装を始める。先ほど、お客さんの居ないときに親父とはぐみに電話をかけたのだが……予想通りというかなんというか、二人が電話に出ることはなかった。一体どこまで行ってるんだよ……。

 

「おまけに、コロッケつけておきます」

 

「いつもありがとね~」

 

「いえ、こちらこそ!ありがとうございました~!」

 

そういって、去っていくお客さんの背を見送って一息つくと、何やら、見知った顔がこちらを覗いていることに気が付いた。

 

「あれ?お兄ちゃん一人なの?」

 

「おお、つぐ、ちょうど良いところに!」

 

「え?」

 

見つけたのは、私服姿の羽沢つぐみ……くりくりっとした目と、茶色いショートヘアが特徴的な、近所に住んでいる珈琲店の娘で、俺の所謂幼馴染というやつである。はぐみと同い年とは思えないほどにしっかりしており、頼まれたことは断れないような、そんな人の良い性格をしている。だから頼む。

 

「頼む!店番を手伝ってくれないか?」

 

「店番って……おばさんたちは?」

 

「それが、母ちゃんは同窓会で、父ちゃんとはぐみは……どっか行った」

 

「ははは、いつも通りだね」

 

「その辺走っているとは言ってたんだけど、なんせ二人とも馬鹿だからなぁ……」

 

きっと、走っているうちに気持ちよくなって、遠くまで行ってしまったのだろう。そして、帰り路がわからず迷っている、もしくは楽しい気分のまま景色を楽しんでるとか……目に浮かぶようであった。

 

「え!?じゃあ、今一人で店番を?」

 

「ああ」

 

「大変だ!……うん、私にもお手伝いさせてね!」

 

あぁ、もう天使か……。

勝手知ったるなんとやら、つぐみは何度か家で手伝いをしてくれたことがあったから、特に俺の指示を聞かずとも店の奥に入って、制服に着替えてくれているようだった。そうしている間にも、小さな子供のお客さんから少し鼻の詰まった声で、コロッケくらさーい!と注文が入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございましたー!」

 

「……今日はお客さん多いなぁ」

 

「そうだね、良いことだよ」

 

「そうだけど、なんか父ちゃんたちが居ないタイミングを見計らったかのような気がして……」

 

「ふふ、そういう事あるよね」

 

つぐみが後ろ手に手を組んでそう笑いかけてくれる。本当、助かったよ。一人しかいなかったら、肉の補充もできないし、揚げ物を揚げたりもできなかったからな。最悪、少し店を閉めることすら考えた。

 

肉屋の仕事は意外と大変だ。特に、肉の加工や量り売り、種類とかを知らないお客さんになんの肉か説明したり、調理方法を教えてあげたり。逆に注文された部位が何なのかを知らないと売ることも出来ない。しかし、つぐみならそういうこともそつなくこなせる、安心して色々と任せられる。

 

「本当、つぐが居なかったら危なかった。ありがとう」

 

「ううん、困ったときはお互い様だよ」

 

曇り一つない笑顔、お前は本当に天使だ……。

 

「……って、そういえば、何か用事があったんじゃないか?なんか、めかしこんでたし……」

 

「ああ、うん、大丈夫。目的は半分達成、したから」

 

「?そうか」

 

「あはは、うん」

 

ちょっと顔を赤くしてそういうつぐみ。ここに来る前にどこか行っていたのだろうか。

 

「あ~、つぐ~」

 

ぱっと、声をする方に振り返ると店先に立っていたのは、黒いパーカーを着こんだ、銀髪の少女、眠そうな瞳をした青葉モカ。うちでもそこそこの常連客に入る。

 

「いらっしゃい、モカちゃん!」

 

「今日はどうしたの~。ついに嫁いだ~?」

 

「え!?」

 

「いつの間にか、こんなに立派になって~」

 

「ち、違うよ!?違うよモカちゃん!」

 

「つぐ、真っ赤っか~」

 

ケラケラと楽しそうに笑うモカを見て、とりあえずモカの相手はつぐに任せて、今のうちにショーケースの中身で、鮮度が落ちてきた肉を入れ替えてしまうことにした。

 

「お兄さ~ん、こんなに良物件はなかなかないよ~」

 

「俺もそう思う」

 

「も、もう、二人とも、からかわないでよ~!」

 

あー、もう、本当恥ずかしそうにしてる、つぐ可愛い。

 

「今日はどうしたんだ?」

 

「ん~、なんだったかな~。何かしようと思ってたんだけど~とりあえず、コロッケひとつ~」

 

「はい、まいど」

 

顎に人差し指を当てながら悩むふうなモカだったが、次には目の前の揚げたてコロッケに目を光らせていた。こういう、のんびりした独特な雰囲気が、青葉モカを青葉モカたらしめるところか。ちょうどついさっき揚がったコロッケがあったので、それを茶色い包み紙にいれると、台越しにモカの方へと渡してやる。お代は、俺が用意している間につぐみが貰ってくれたようだ。

 

「ほい、出来立て」

 

「どうも~、つぐ~、ソース~」

 

「うん!はいこれ」

 

「ふっふっふ~」

 

?ガサガサと、背負っていた鞄の中から見覚えのある紙袋を取り出すと、その中から出てきたのは白いふわふわのパン……あれは、山吹ベーカリーの。

 

「ここのコロッケと、パンは最高だからね~。こうして~」

 

ふわっと、ほとんど力を入れずにパンに切れ目を入れると、そこに、先ほど買ったばかりのコロッケを乗せて、ソースをS字に垂らす……

 

「モカちゃん特製、揚げたてコロッケパンのできあがり~」

 

得意げにそれを見せつけ、そして大きく口を開くと、サクッ、サクッと子気味の良い音を立てて、コロッケパンへとかぶりつく……。

思わず生唾を飲んでしまう、そうか、俺昼ごはん食ってねーな、そういえば。それに、何だ、山吹さんちの自慢のふっくらもっちりパンと、うちのサクサクジューシーコロッケ。この夢のコラボがまずいわけがない。

 

「すっごくおいしそうだね!」

 

「そうでしょ~、後は~つぐの家のお茶があればな~」

 

「う~ん、水筒ので良かったら持ってるけど、ちょっと待っててね」

 

「本当、わ~い!」

 

つぐ、本当に優しすぎる……。そしてモカ、お前はもう少し遠慮しろ。

って、なんだ、通行人のおばさんや、サラリーマン風の男性がモカの食べているコロッケパンをじっと見つめている。そして、店の方に近づいてくるなり

 

「すみません、コロッケパン、一つ」

 

そう注文してきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すみません、こっちもコロッケ一つ~」

 

「こっちはふたつ~」

 

「はい!もうすぐ揚がりま~す!」

 

「こっちは、ステーキ肉3枚ください」

 

「あ、はい、わかりました!」

 

大繁盛だった。

さっき、モカの食べていた美味そうなコロッケパンを見て、他のお客さんが同じように、コロッケパンを求めてきたからだ。当然家にパンはないからコロッケだけ売って、パンはすぐそこのパン屋で買ってくれと言った感じで売っていたら、次から次へとお客さんは途絶えることがない……。山吹ベーカリーの沙綾もさぞ驚いていることだろう。俺だって、驚いてる。

 

「はぁはぁ、どうなってるんだ?」

 

「わ、わからないけど、す、すごいね」

 

しかし、流石にこれは客が多すぎる!?

モカもコロッケパンなんてとっくに食べ終わっているし…。

 

「ん~、あ、でもやっぱりこれ、モカちゃんのせいかも」

 

「え?どういう事?」

 

「うん、これ~……」

 

モカが出したスマホの画面をつぐと一緒に覗き込むと、どうやら、先ほど売ったお客さんの中に、有名な芸能人が混ざっていたらしい。インスタで画像を上げたところ、美味そうだと客が集まってきてしまったようだ。

 

「モカちゃんって、もってるからね~」

 

「そ、そんなこと言ってないで、ちょっと手伝ってくれ」

 

「え~……」

 

「今日は焼肉食べ放題!」

 

「任せて~」

 

「はい、こちらお待たせしましたー!」

 

そこからは、何があったのかあまり記憶にない。肉を切って、コロッケ揚げて、材料作って……目が回るほどの忙しさであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

「ただいま~!」

 

家に帰ってきた泥だらけの二人の前に、鬼のような顔をした……母親が立ちはだかる。

その姿を見たはぐみと父は、あわあわと身体を震わせる。

 

「店番は?」

 

「えっと……忘れてた」

 

「はぁ!!?」

 

 

 

 

 

ジューと肉の焼ける音が聞こえる。くんくんと鼻を動かすと、香ばしいお肉の匂いが鼻腔をくすぐり、脳を満たす……もう少しで、これが育ち切って……あ!?

 

「ちょ、おま、それはどう見ても、俺が育ててた……!」

 

「でも、お肉はモカちゃんに食べられたいよ~って」

 

「そんなこというか!?」

 

「喧嘩しちゃだめだよ。はい、これ食べて」

 

「え、いやでもこれは」

 

「良いから、私、お兄ちゃんが食べてるところ、大好きなんだ」

 

お前は、本当に天使か何かか……

 

 

 

 

「美味しそうな匂いがする……」

 

「はぐみお腹空いた~……」

 

「兄ちゃんとつぐちゃんたちが頑張ってくれたからよかったものの、今日は本当に大変だったのよ!?二人とも、きっちり店番をこなせなかったから、今日は罰として晩御飯抜き!」

 

「なに!!?」

 

「で、でも……」

 

「でももへちまもないよ!」

 

「ぐ、ぐす、でも母ちゃん、父ちゃんは今日、いっぱい困ってる人を助けてたんだよ……?迷子の女の子を助けてあげたり、歩けなくなった御婆さんを背負って運んであげたり……」

 

「……え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……わぁ!やったぁ焼肉だ~!!!すっごく美味しそう!!!」

 

「二人ともいらっしゃい」

 

「あ、お邪魔してます」

 

「ます~」

 

部屋の中に入ってきたはぐみと父ちゃんを見て、やはりかと息をつく。会話は聞こえなかったが、なんとなく母ちゃんは許すと思った。だって、二人ともすげー腹が減ってるからなぁ。そんな二人にご飯抜きだなんて、母ちゃんがするわけがないと思っていた。

 

「ごはん」

 

「……はいはい」

 

ドカッと腰を下ろした父ちゃんに対して、母ちゃんが山盛りのご飯をよそってあげると、父ちゃんは手を合わせて、肉を口いっぱいに放り込み、お椀を90度傾けてご飯をかっ食らう。その姿を見て、さっきまで俺の話を聞いて怒髪天だった母ちゃんも、優しげに微笑む。

 

「……うん、やっぱりいいよね、北沢家って」

 

「はぁ、そうか?」

 

「うん、とっても温かいよ」

 

にこにこと笑うつぐみと対照的に、鉄板上では早くもはぐみや父ちゃんが参戦し、モカとの肉争奪戦が勃発していた。こんな騒がしいのの、どこが良いんだか……。

 

俺も育てていた肉を死守するため、ごはん片手に戦場へと突っ込んでいくのだった。

 



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5話

夕暮れ時にぼんやりと歩いていた足がとまって、急に夢から醒めるような気がした。

 

橋の上に立っていた少女が、今にも身を乗り出して、落っこちそうになっていたからである。

慌てて足を駆けだすと、大きな声で少女へと声をかける。

 

「おい、何やってるんだよ!」

 

「だって、携帯が……」

 

鼻を赤くし、目に一杯の涙をためた青い髪の少女の顔と手を伸ばした川辺とを見比べる。川は、汚く薄緑色に光っており、何かを落としたとしても見えるような状況ではなかった。それに、携帯電話ならば水に落とした影響ですでに壊れてしまっている可能性もある。

 

「また買えばいいだろう」

 

「でも、写真が……」

 

……仕方がないと思った。少女に背負っていたギターケースを半ば無理やり持たせると、橋を渡って、岸辺までいき、そのまま上着を脱ぎすてて川の中へと足を沈めた。川はそこまで深くはなかったが衣服や靴が水を吸って、そのうち冷たい水が腰元までまとわりついてきて気持ちが悪かった。

 

橋を見上げて、少女が立っていた位置まで足を進めると、ちょうど指さしていたであろう地点に来たので、前かがみになって手を差し込んでみる。やはり、冷たい水がすぐにまとわりついてきて、鋭さに身を切るような感覚がした。

 

じゃぶじゃぶと、手さぐりに地面を漁っていると、不意に親指と人差し指との間を何かで切ったような感触がした。それを掬い上げてみると、泥がいっぱいに入ったコーヒーの缶で、中身を捨てるとそれを放り投げた、遠くでぼちゃんと再び水しぶきが立った音がした。

もう一度、と、足を動かしたときに、靴に何かが当たったような感触があった。再び手を突っ込んで見ると、今度は頬に水しぶきが立ち、顔も少し濡れてしまった。闇雲に手を動かして手が触れた何かをざばっと取り出してみると、青いケースに入ったスマートフォンが出てきた。それを掲げてやると、橋上の少女は指を指して大きな声を上げたようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ありがとう!お兄さん!!」

 

少しグスりながらも、満足そうな笑みでそういわれると悪い気はしない。拾った時に、わずかに光っていたことからも、携帯電話がまだ使えることが窺える。最近の防水性能というのは大したもんだ。

 

「もう失くすなよ」

 

軽く服で携帯を拭って渡すと、ギターケースを受け取る。

少女は貰った携帯電話を胸元に引き寄せると、目を閉じて何やら感慨にふけっているようであった。それにしても、このターコイズブルーの髪色……どこかで見た気が……まぁ良いか。そのまま、踵を返すとさっさと家路につくことにした。……何だか急に気恥ずかしくなったからである。

 

「……ぁ!」

 

後ろでなにか聞こえたような気がしたが、無視して足を急がせる。

体中にべったりついた衣服も、ズブズブに水を吸った靴も気持ちが悪くて仕方がない。

 

しかし、気分は、決して悪いものではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おねーちゃん!ただいまー!」

 

「そんなに大きな声を出さないでちょうだい……お帰りなさい、日菜」

 

家に帰ってきた日菜が私の部屋へと入ってくるといつも通り、元気な声を上げて私のすぐ傍へと腰かけてきた。こういう時の日菜は大抵私に何かを相談したいとき、もしくはどうしても報告したいような良いことがあった時……。

 

「あのね、おねーちゃん!今日とってもるん、って感じがすることがあったんだ!」

 

「良いことがあったのね?」

 

どうやら、今回は後者だったらしい。

 

「うん!ついさっきなんだけどね、あたしがそこの橋で携帯を落として、わーんって、なってたら、ぱっと現れて、ザバザバーってして!もう、るるんって!!」

 

「……日菜、何を言っているかさっぱりわからないわ」

 

「とにかく、すっっっごく、るんってしたんだー!」

 

両手を一杯に広げると目を輝かせて当時の状況を語る日菜、少なくとも、日菜にとってはとても素晴らしいことがあったらしい。橋で携帯を落として、誰かが拾ってくれたのかしら?まぁ良いわ。

 

「そう、それは良かったわね」

 

「うん!でも……」

 

さっきまでとは打って変わって暗い表情見せる日菜。

 

「どうかしたの」

 

「うん、あのね……「日菜―紗夜―、ごはんを運んでちょうだい」あ、はーい、お母さん!いこ、おねーちゃん」

 

「え、えぇ……」

 

でも、良かったの?と声を出しかけて飲み込んだ。日菜が話を切り上げたということはそこまで大したことではなかったのだろう。それに、もし話したいことであれば、この後食事をしながらでも話してくれるだろうし……そう思って、深く留めることはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コンコンと、控えめなノックの音が私の部屋に響いてきた。

もう寝ようというのに、こんな時間に誰が……と思っていたら、先ほどまで上機嫌だったはずの日菜が、ひどく暗い顔をして私の部屋へと入ってきた。

 

「日菜」

 

「あのね、お姉ちゃん、今日一緒に寝ても良い?」

 

「え?……あなた、いくつになると思っているのよ」

 

「うん、でも、何だかおかしいんだ」

 

「おかしい?具合が悪いの?」

 

「ううん、さっきまですっごく、るん、ってしてたのに、あの時のことを思い出すと、ドキドキ―ってしちゃって何だか、苦しい……」

 

「苦しい……本当は嫌なことがあったの?」

 

「ううん、るんってすることだよ。でも、今はドキドキーってしちゃうの」

 

ますますわけがわからない。

しかし、様子がおかしいのは本当であった。困ったような顔をして胸元を抑えている日菜……こんな日菜は見たことがない。きっと、自分でもどうすれば良いのかわかっていないのだろう。

 

「はぁ……今日だけよ」

 

「本当!?……ありがとう!おねーちゃん!!!」

 

「わかったから、早く布団を持ってきなさい」

 

「えぇ~!一緒のベッドで寝ないの!?」

 

「何を言っているのよ」

 

「すぐ用意するね!!」

 

……はぁ全く。先ほどのしおらしい日菜はどこへ消えてしまったのだろう。そう思うほどに、日菜はすっかりいつも通りの調子を取り戻したようだった。トランプももってくるね!と再びドアから顔をだす日菜。もしかして、本当は一緒に寝たかっただけなのかしら、だとしたら、心配をして損をした気分だ。

 

……それと同時に、日菜の調子が元に戻ったみたいで安心をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、日菜さん、また今のフレーズ間違えました?」

 

「あ、あれ?うん、そうみたい」

 

「珍しいわね、日菜ちゃんが同じフレーズを間違えるなんて」

 

自分でも、何が起こっているのかわからなかった。ギターを弾いていた自分の手をじっと見つめてみるが、変わったことなど一つもない。

 

「何だか日菜ちゃん、ぼーっとしてるし、調子悪いのかな」

 

「え、う、ううん、別に、いつも通りだよ?」

 

「そんなことないです!さっきも、アヤさんが面白い振り付けのミスをしたのに、一つも触れなかったですし!」

 

「え?嘘、言ってよみんな!?」

 

「えっと……いつもなら日菜さんが指摘してくださるので……」

 

「そんな~」

 

パスパレのみんなも練習を一時中断して、心配そうにあたしの周りに集まってくる。本当におかしなところなんてないのに、でも、そう、一つだけ可能性があるとすれば……。

 

「あのね、みんな、実は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、川に落とした携帯を拾ってくれた、ですか」

 

「うん、すっごく、るるん!!って感じだよね!」

 

「そうね、今時珍しい好青年みたい」

 

みんなに昨日あったるん、とした出来事を話すと、みんなも同じようにるん、としてくれたみたいで、何だかあたしまで嬉しくなってきちゃった!……でも

 

「でも」

 

「「「でも?」」」

 

「でも……どうして、こんなことしてくれたのかな」

 

「え?」

 

「だって、こんなことしても、あの人、何の得にもならないよ。それどころか、寒いし、汚れちゃうし、良いことなんて一つもない」

 

ずっと、疑問に思っていたことだった。あたしがお金を持っていたり、その人と知り合いで、何かしらの恩を着せたいとかあったのなら、簡単に納得ができるのに。生憎、昨日の人とは一度も出会ったことがない赤の他人だった。それが、どうして……。

悩んでいると、隣にイヴちゃんがぐっと握り拳を作って口を開く。

 

「それは、きっと、武士だからですよ!」

 

「ブシ?」

 

「はい!武士の情けといって、武士は困った人を決して見過ごせないんです!」

 

「な、何だか、あっているような、微妙に、間違っているような……」

 

お情け……であたしの携帯を拾ってくれたのかな。

 

「日菜ちゃん、きっとその人、そんなに深いことを考えて助けてくれたんじゃないと思うなぁ」

 

「え」

 

皆の視線が、彩ちゃんの方へと集まる。

 

「私もその人の事はわからないけれど、純粋に、日菜ちゃんが困ってそうだから、助けてあげたい、どうにかしてあげたい、ってそう思って助けてくれたんだと思うよ。誰だからとか、どこだからじゃなくて」

 

「彩ちゃん……」

 

そうか、そういうものなんだ。みんなも、きっと、そうねとか、ブシドーですね!と、納得しているようだった。自分の助けたいという欲求から、助けてあげた。それで満足した……うん、それなら、少し納得できる気がする。

 

「でも、羨ましいなー」

 

「え?」

 

「きっと、日菜ちゃんの調子が悪いのって、その人の事が気になってるからだよね」

 

「あ、あたしが?」

 

「そう、るん!じゃなくて、ドキドキーってことは……間違いなく……「恋」、だよ!」

 

おぉと、感嘆の声があがり、照れくさそうにしている彩ちゃんに対して、千聖ちゃんが何かを言っていたりするが、あたしの耳には入ってこない。るん、じゃなくて、どきどきーは、恋なんだ……。

……じゃあ、恋ってなんなんだろう。どうしてこんなに、苦しいんだろう。でも、気分は悪くない。むしろ……すっごく……ふわふわして。

 

「っと、これ以上話をしていると、練習の時間が無くなってしまいますね……日菜さん、その、大丈夫ですか?」

 

「うん、ありがとうみんな!あたし、何だかすっきりしたよ!」

 

「それは良かったわ、でも無理はしないでね」

 

「じゃあみんな、後半も頑張って行こうね」

 

「「「「おー!」」」」

 

わからないことがなくなって。すっごくすっきりした。それと同時に、親切に相談に乗ってくれたみんなのこと、ますます好きになった!

 

それに、わかったんだ。わからないってことは、これから知って行けばいいってこと。さっきみたいに、相談したり、調べて知って、わかるようになれば良いんだ!このドキドキって、気持ち。もっと、もっと!!

 



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6話

「わぁ、すっごいよ兄ちゃん!!一面真っ白、雪いっぱいだよ!!」

 

「本当だな」

 

絵に描いたような雪景色。

視界は一面の純白に覆われていて、いつも見ているはずの商店街が今日は別の場所のように思えてしまう。ザクザクと、白い雪に足を沈めると、通った道に自分の足跡が刻まれていく。はぐみは雪が嬉しくて仕方がないのか、さっきから跳んだ跳ねたの大騒ぎである。この寒い中、どうしてそんなに元気なのかね。

 

「はぐみ、あんまり走るとあぶないぞ」

 

「うん兄ちゃん!」

 

クルクルと回ってからこちらに敬礼をするはぐみ。頬っぺたについていた雪をとってやると、えへへと照れくさそうに八重歯を出して笑った。

 

「……それじゃあ、とっとと雪かき終わらせて中に入るぞ」

 

「え~、折角だからはぐみ、兄ちゃんと雪で遊びたいよ~」

 

「そうだなぁ……まぁ良いか、たまには。勿論、雪かきが終わってからだぞ」

 

「本当!やったー!!よーし、雪かきがんばるぞ~!」

 

壁に立てかけていた雪かき用の紫のシャベルに手を付けると、近くにあった赤いシャベルの方をはぐみに手渡してやる。はぐみはシャベルを手に取ると、早速何も跡のついていない真っ白な雪にシャベルを突っ込み、それ!と天高く放り飛ばす。

……当然、落ちてくる。

放った雪がはぐみの上にパラパラと降り注ぎ、それを2回3回と繰り返す……勿論これじゃあ、意味がない。

 

「……」

 

「あははは、それそれー!」

 

「ま、待て、はぐみ。兄ちゃんがいう所に雪は集めてくれ」

 

「うん!兄ちゃん!」

 

はぐみの頭や服についた雪をぱっぱと払いながらそういうと、両手をグーにして、はぐみ頑張るね!と元気と笑顔だけはいつものように百点満点であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

この街に雪が降るのは久しぶりだ。降ったとしても、ここまで積もるというようなことは滅多にない。最後に積もったのは4年前か?あまり覚えてないが、はぐみが雪を食べてお腹を壊したことだけはよく覚えている。

 

はぐみと競争などしながら、雪かきを進めていると…

 

「見てみて~有咲!商店街が真っ白になっちゃった!!」

 

「お、おい、香澄!あんまり走るとあぶねーだろ!」

 

ふぅ、どこにでも似たようなやつがいるもんだなと、手を休めて声のする方を見ると、元気な声を出していた猫耳のような髪型をした少女と、金髪ツインテールの少女がこちらへ走ってくる。

 

「あれ?はぐー!!」

 

「あ!?かーくん!それにあーちゃんも!」

 

タタっとかけて、パンパンと手袋を合わせる二人。続いて手を握ってピョンピョンと跳ねている。なるほど、はぐみの同級生の娘だったのか。どうりで騒がしいわけだ。

いや待てよ、一人は見覚えがあるな……。確か、あれは戸山香澄ちゃんじゃなかろうか。小さい頃はよくはぐみと公園で遊んでいた……そして、その親御さんは今もこの肉屋の常連客である。にしても、昔はもう少し素直ながらも内気な少女だったような気がするが……。と立ち呆けているわけにもいかず、こちらから頭を軽く下げて挨拶を一つ。

 

「こんにちは香澄ちゃん」

 

「あ、はぐのお兄さん!って、私のこと覚えていてくれたんですか!?」

 

「もちろん」

 

「嬉しいな~!ほら有咲!この人がはぐのお兄さん!」

 

「こ、こんにちは……」

 

声の小さくなったアリサちゃんにも笑みを作って見せる。どうやら向こうもこちらのことを覚えていてくれたらしい。俺に気が付くと元気に手を上げて挨拶をしてくれた。

 

「あそうだ!あのね、はぐ、今からみんなで雪合戦するんだけど、一緒にやらない!?」

 

「え!?雪合戦!!?うん!!やるやるー!!」

 

「げ、おい香澄、お前本気で言ってたのかよ!?」

 

「当り前だよー!有咲だって、満更でもないんでしょ~?」

 

「そ、それはその……」

 

「あ、で、でも、今日は……」

 

ちらっと、小動物のような目でこちらを見るはぐみ。普段はあれだけ元気な癖に、こういう時だけしおらしくなるんだよなぁ……。

 

「良いよ、行ってこい。後は兄ちゃんやっとくから」

 

「本当!?……ありがとう、兄ちゃん!」

 

嬉しそうに八重歯を見せて笑うはぐみ。

こういうときのはぐみの「ありがとう!」は卑怯である。なんせ、本当に心の底から嬉しそうにするもんだから、また喜ばせてやろうと自然と態度が甘くなってしまうのだ。俺の言葉を聞いて喜んでいるのははぐみだけではなくて……。

 

「良かったね~はぐー!!それじゃあお兄さん、はぐをしばらく借りていきますね!レッツゴー!」

 

「ゴー!ゴー!行ってきまーす!兄ちゃん!」

 

「あ、おい、待てよ二人とも!つーか、良い年こいて電車ごっこはやめろ!!え、えっと、し、失礼します…」

 

「行ってらっしゃい」

 

肩に手を置いて連結すると、公園の方へと走っていく3人、やめろと言いながらもあのアリサとかいう子も一緒になっているあたり結構なお人よしらしい。あの二人に振り回されてきっと今日はくたくたになるだろう。

 

……さて、もうひと仕事か……

 

ザクッと、雪の中にシャベルを突き入れると、腰に力を入れてそれを持ち上げる。はぐみがいなくなった周囲は、途端に寒くなってしまったような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コンクリートの地面にようやく再会したころ。遠くからまたも良く響く元気な声が聞こえてくる。

 

「すごいわ!花音、薫!!!これを全部かき氷にしたら、とっても美味しそうだと思わない!?」

 

「あぁ、こころ……君は相変わらず刺激的だね」

 

「こ、こころちゃん、道の雪って食べるには汚いと思うよ」

 

って、この声……

 

「あら、「おにぃ」がいるわ!こんにちは!」

 

「おう、こんにちは」

 

赤いセーターに白いニット帽に身を包んだハローハッピーワールドのリーダー兼ボーカル担当の破天荒娘・弦巻こころ。何を考えているかわからない金色の瞳も、天真爛漫なそのオーラも、引き連れている黒い服の方々も、彼女が「普通」ではないことの何よりの証明になるだろう。

そしてこの「おにぃ」というのは、どうやら俺の名前を「お兄」ちゃんだと思っているかららしい。マジか、と疑いたくなったがマジなのである。

 

「やぁ、久しぶりだねムッシュ」

 

「こ、こんにちは、お兄さん」

 

そして後ろにいるのはつい2日前にあったばかりの薫に……松原花音、ことかのちゃん先輩である。ドラムの腕は凄いのに、どこかおどおどとした弱気な少女である。

 

「どうして、おにぃがこんなところにいるのかしら」

 

「そりゃ、ここが俺の家の前だからだろうな」

 

っていうか、家には何度か来たことあるはずだが……はぐみの誕生日だったり、俺に会いに来たりとかで。

 

「そうだったかしら?じゃあ、はぐみもここに居るのね!」

 

「残念ながら、はぐみはさっき友達と出てっちゃったよ」

 

「そうなのね……でも残念じゃないわ。はぐみには会えなかったけれど、こうしておにぃには会えたんだもの!」

 

満面の笑みを浮かべるこころお嬢様。そう、弦巻こころとはこういうやつなのである。ポジティブシンキングの塊。毎日楽しいこと、笑顔になれることを探しているらしく、その突拍子も無い行動から、変人、という異名を持っているらしい……まぁそれは無理ないか。

それにしても、今日はこのやりとりに少し違和感が……あ!

 

「みーくんは?」

 

「美咲ちゃんは、今日部活の合宿があるらしくて……」

 

「テニスに汗を流す美咲……さぞ可愛らしいのだろう。応援に行けなくて残念だよ」

 

なるほど、それで会話がフリーダムなのか。

みーくん、こと奥沢美咲ちゃんはこの問題児だらけのハロー、ハッピーワールドをまとめる保護者のような人物であり、クマである。

はぐみもいないこの3人組、会話が成立しているのかすら心配になる組み合わせだ……。

 

「そうだわ!はぐみのためにみんなで雪だるまを作りましょう!」

 

「え?」

 

「はぐみの家の前にこーんな大きなミッシェルの雪だるまを作っておくの!そうすれば、帰ってきたはぐみはきっと大喜びよ!」

 

「あぁ、こころ、なんて素晴らしいんだ!」

 

最高だよ!こころん!とはぐみならば続いていただろうが……そうとも言い切れないんだよなぁ。

そりゃはぐみは喜ぶだろうし、普通に雪だるまを作る分には全然かまわないのだが、この弦巻こころの言っている「大きな」のレベルが世間一般の大きなとかけ離れているのが問題だった。下手をすれば、家の前にどこの札幌雪まつりだと言わんばかりの、超巨大雪だるまを建造されてしまいそうである。それくらいこの「こころ」という人物は規格外だった。

 

「あ、あのね、こころちゃん。作るなら、もう少し小さな雪だるまの方が……」

 

「どうしてかしら。折角なら大きい方がきっとはぐみも喜ぶわ」

 

「はぐみはほら、意外と小さくて可愛らしいものが好きだからさ。今回は小さい方にしておいたらどうだ?」

 

「そうかしら?じゃあ、そうするわ!」

 

ほっと、かのちゃん先輩と目を合わせて一息つく。と思っていたら、急に俺の目の前にしゃがみこんでコネコネと雪を丸め始めるこころ。ココで作るの?やっぱり?ちょうど雪かきが終わりそうだったんだが……まぁ良いか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「中々大きくならないわね」

 

こころは雪を拾って、パンパンと丸く固めようとするが、雪はみるみる分解していき、小さくなってしまう。そりゃパウダースノーじゃ固まらないだろうな。

 

「ちょっと待ってろよ」

 

持っていた雪かきシャベルを置いて、家の玄関に戻ってくると、台の上に置いてあった霧吹きを持ってこころの元へと戻る。そして、シュッシュとこころの持っていた雪に水を吹きかける。

 

「これで、同じように作ってみてくれ」

 

不思議そうにしているこころが雪を固めようとすると、さっきまで崩れていたはずの雪がどんどん固まって小さな雪玉となった。金色の瞳が、キラキラに輝く。

 

「すごいわ!おにぃ!」

 

「そんで、その雪玉を綺麗なところで転がすんだ」

 

「こうかしら?」

 

コロコロ―っと控えめにこころが転がした雪玉が雪のカーペットの上を通り、通った距離の分だけ雪がくっつき大きくなる。

 

「わぁ!雪だるまを作るには、魔法の水が必要だったのね!?」

 

「いや、ただの水だよ。今降ってる雪は水気がなくて崩れちゃうから、こうして最初に固めて作るんだよ」

 

「見てみて薫!どんどん大きくなってくわ!」

 

「あぁ、とても幻想的だね」

 

お前も適当な奴だな。と、心の中で突っ込む。この2人に加えてはぐみまでどう面倒見ているのだろう。美咲ちゃんの気苦労が計り知れない。

テンションが上がったのか調子に乗ってどんどんと雪玉を大きくし始めるこころ。こういう所、はぐみにそっくりだよなぁ……とそう考えていると、ちょいちょいとかのちゃん先輩が俺の袖を控えめに引っ張る。

 

「ん?」

 

「あ、あの、私にも、お兄さんの魔法の水……」

 

もじもじと照れくさそうに雪を持って両手を出すかのちゃん先輩。だから、ただの水だって……まぁ、可愛いけども。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからしばらくして、皆に何か暖かい食べ物ものでも振舞おうと、家に入ってコロッケを作っていたら、何やら外が騒がしい。

 

「どうしたん……うわ!?」

 

恐れていた事態が起こっている。店の隣には、見事に大きくなった原寸大サイズのミッシェル雪像が完成していたのだ。そう、ちょっと怖いくらいに出来が良い……っていうかこれ本物?ミッシェルを埋めてるんじゃないだろうな、コレ。

 

「な、なんじゃこりゃ……」

 

「雪玉を大きくしたまま放っておいたら、いつの間にかこうなっていたのよ!きっと魔法の水のおかげね!」

 

チラリと黒服さん達に目をやると、どことなくやり切った顔をして額には玉の汗が浮かんでいる。アンタらのその無駄に卓越した技術をもう少し世界平和のために使ってくれ。

 

「かのちゃん先輩は何を?」

 

「私はその、雪ウサギを……」

 

しゃがみ込んでいたかのちゃん先輩が両手を開いて見せてくれたのは小さな雪……うさぎ?

いや、雪ウサギって半球形の胴体をしているはずなのだが、花音ちゃんの見せてくれたそれは無駄に高さがあって円柱状になっていて、なんというかウサギというより……

 

「わぁ素敵よ花音!それは、ハニワね!」

 

ぶっと、吹き出しそうになったのをこらえる。まったく同じことを考えていた。なんか、ウサギ?の目の所がくぼんでてシュールなハニワに見えるのだ。

 

「えっと、これは一応ウサギで……」

 

「そうだったのね。ん~折角花音が素敵なウサギを作ったのだから、あたしも何か作ってみるわね」

 

「え?」

 

そういってこころがしゃがむと、こねこねーっと、花音の隣で雪をこね始める。そして、山を作ると、それを関節や指先を使い分けたりして、かなり器用に仕上げていく……あっという間にただの雪山から別の何かに作り替わる。こころって本当は天才なのでは?って!?

 

「じゃーん、出来たわ!ウサギのお友達よ!これで、花音のうさぎも寂しくないわね!」

 

「こ、こころちゃん、これ、ティ、ティラノサウルスに見えるんだけど……こんなの、うさぎさんたちが食べられちゃうよ……」

 

「そうかしら?きっと仲良く暮らしていけるわ!」

 

やたらクオリティの高い恐竜といびつな姿をしたハニワが店の隣に並ぶ。どこからどう見ても、侵略してきたティラノサウルスと襲われているハニワである。家の店が変な店だと誤解されなければ良いけど……。

 

「くんくん、ねぇおにぃ、さっきからとってもいい匂いがするの」

 

「ん?ああ、ちょうどコロッケ揚げてきたのさ」

 

そういって、一旦店に戻ると、包み紙に包んだカニクリームコロッケを持って戻ってくる。こころはそれを受け取ると、180度見回した後、パクりとかじりついた。

 

「お、おい熱いぞ」

 

「~!!はふはふ……ん~!とっても美味しいわ!あなたはコロッケづくりの天才ね!」

 

「はは、そりゃどうも。はい、かのちゃん先輩」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「熱いから気を付けてくれよ……はい黒服さんたちも」

 

わ、我々は仕事中ですので……と言って受け取らないのかと思ったが、ずいと、もう一回差し出すと素直に受け取ってくれた。そして、頬に衣をつけるくらいにすごい勢いでがっついてくれる。すぐに仕事に戻れるよう、さっさと食べてしまおうと思ったのだろうが……熱すぎたために、全員が全員あつ、あつと口を忙しなく動かしている……。この人たちも、はじめは怖い人たちなのかと思っていたが、見慣れてくるとそうでもない。自分の感覚がマヒしていってるのだろうか……。

 

「わぁ、本当だ!外はカリカリなのに、中はクリーミーですっごく美味しい!」

 

「食べると笑顔になれる、素敵なコロッケね!」

 

そう素直に褒められると悪い気はしない。それに、こころの場合は気を遣ってお世辞を言うことなどしないから尚更である。大きな口を開けて笑う彼女、それだけでこちらもつられてつい笑ってしまう。こうして彼女を見ているとハロー、ハッピーワールドの世界中を笑顔にするという途方も無い目標も、何だか簡単にできちゃうんじゃないか?とそう思えてしまうような、そんな不思議な魅力がこころにはあった。

 

「あれ、そういえば薫は?」

 

「薫さんなら……」

 

すっとかのちゃん先輩の指さした先には、目を瞑って俺が積んだ雪山の前に佇んでいる薫の姿が……。

悔しいが雪の光が反射して、天然のスポットライトを浴びた薫は中々に絵になるなと思った。黙っていれば、美人なのだ。

 

「あれは……何をやってるんだ?」

 

「その、薫さんが私自身が作品だーって……」

 

「なるほど、つまりは……」

 

「そういうこと、でしょうね……」

 

しばらく放っておいたら、何事もなかったかのようにコロッケを食べにきた。

構って欲しかったんだろうなぁ……

 

余談だが、こころたちの作った作品群ははぐみはもちろん、お客さんにも大好評であった。見てくれた人はみんな自然と笑顔になってくれていたのだから、本当、すごいやつらだよ。



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7話

「巴ちゃん、クッキー食べる?」

 

「お、じゃあ一個貰おうかな」

 

「あこも!」

 

「うん、好きなだけ取っていってね」

 

「オレも欲しい!!」

 

「さーなもー」

 

「こら、純、沙南!靴のまま座席に立たない!」

 

ガヤガヤと雪道を走るバスの車内は騒がしい。巴にあこ、つぐに沙綾兄妹と昔からよく見知った商店街の幼馴染メンバーの顔が揃いたち、俺たちはとある場所へと向かっていた……

 

「兄ちゃん、温泉楽しみだね!」

 

「そうだな」

 

そう、俺たちはちょっとした親の計らいで1泊2日の温泉旅行へと行くことになったのだ。なんでも、親としては、若いのに店の手伝いばかりさせているから、たまには英気を養ってほしいという目論見があるようだが……。この中に、そんなことを苦に思っているメンバーは一人もいない。そんなの要らないから、自分たちが行けと言ったのだが……なんだかんだと押し切られてはぐみと二人旅行に参加することになってしまった。他の奴らも大体そうらしい。

 

「ねぇねぇおねーちゃん、旅館についたら卓球しようよ!」

 

「ああ、いいぞ。でも、手加減しないからな、あこ」

 

「くっくっく、妾の右手に封じられし、え~、竜の力がうずく……!」

 

「ねーちゃん、飴舐めたい」

 

「喉乾いたー」

 

「はいはい、ちょっとまっててね」

 

「さーや!はぐみはパン食べたい!」

 

「あいよ」

 

しかし、本当に騒がしいな。いくらほかの客の居ないほぼ貸し切り状態とはいえ、流石に迷惑なんじゃなかろうか。静かなのは、せいぜい俺とつぐくらいで……?

 

「……」

 

隣に座っていたつぐは、何だか少し寂しそうな顔をしていた。

 

「どうしたんだ?つぐ」

 

「あ、うん、何だかみんな兄妹が居て羨ましいなーって。私、一人っ子だから…」

 

頬を掻きながらそう笑うつぐみ。そういうものなのだろうか。俺には物心つく頃にはもうはぐみが居たから、そういう感覚はいまいちわからないが……確かに、はぐみがもしも俺の妹じゃなかったら、なんてこと想像もできない。仮にそうだとしたら寂しい……かもしれない。

 

「まぁ、つぐは俺たちと兄妹みたいなもんだろ?」

 

「そうかな」

 

「ああ、俺はつぐのことよくできた妹みたいに思ってるよ」

 

「妹……」

 

そう元気づけたつもりなのだが、つぐは何だか微妙な表情をしていた。

 

「……姉の方が良かったか?」

 

「う、ううん、そうじゃないよ」

 

「はぐみもつぐと姉妹だったら良かったのにって思う時あるよ!つぐみたいな妹が欲しかったし!!」

 

「それは生まれ年的にってだけで、どう考えてもつぐの方がお姉ちゃんではぐみが妹だろ」

 

「え~!」

 

「ふふ、うん、ありがとう二人とも……でも、うん、私はどちらかというと、はぐみちゃんのお姉ちゃんのほうが良いかな」

 

「それも良いかも!きっと最強のバッテリーになれるよ!」

 

さっきまでの暗い顔は消えて、明るい顔ではぐみと談笑を開始するつぐみ。にしてもこういう時、結構流されたままになってるつぐが願望を伝えるなんて、やっぱりはぐみの妹だなんて想像できないんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

「これはまた……」

 

「ず、随分と年季が入ってるね…」

 

おどろおどろしい雰囲気を醸し出す旅館の門前。ボロい立て看板に、少し朽ちた屋根……なるほど、今にも何かが出てきそうだ……。

 

「はぐみ一番~!」

 

「あ、ずるいぞはぐみ!オレ2番!」

 

「3番!」

 

「あ、おい、はぐみ」

 

しかしそんなこと関係ないとばかりにかけていくはぐみ。

それに続く沙綾の所の幼い弟・純と、妹の沙南……3人は追いかけっこをするように旅館の中へと入って行った。精神年齢は、おそらく一緒……。っていうか、さっきから、やたらと震えた巴のやつが背中に引っ付いてきて鬱陶しい。

 

「おい巴」

 

「だ、だってよ、その、で、出ないよな?」

 

「あはは、大丈夫大丈夫。純たちだって、あの調子で全然怖がってないし」

 

霊的なものは大人より、子供とか動物の方が鋭いっていうし、はぐみなら野生の勘が働きそうだからきっと大丈夫なんじゃないか。そう伝えてやると、巴の青白かった顔も少しはましになっていく。普段は男前のくせしていまだにお化けが怖いのか……。

 

「でも、こーいう旅館ではお化けが出やすい~って話もあるよね!」

 

「あ、あこちゃん!?」

 

あこの何気ない一言につぐみが声を荒げる。

ぐっと俺に回す腕に力がはいる巴……おいおい、ほのかに柔らかいものまであたって、ちょ、痛!痛いって!?

 

「ようこそいらっしゃいました…「で、でたー!」ほ?」

 

「馬鹿、巴、失礼だぞ」

 

ぬっと、現れた腰の曲がった御婆さんに驚いた巴が、今度はぴょんと飛んで俺にコアラのようにしがみつく形になる。こいつ、ビビりすぎだ!

このお婆さんはどうやら旅館の「美人」女将らしい。今日一日俺たちの事も面倒見てくれるとのことだ。

 

「すみません、弟たちも騒がしくしちゃって」

 

「いえいえ、あれくらい元気にはしゃいでくれると、旅館にも活気がでますよ」

 

「今日はよろしくお願いします」「します!」

 

「巴、もういいだろ」

 

「あ、あぁ……」

 

青い顔をしていた巴が俺と顔を合わせると少し顔を赤くしていた。ゆっくり巴が離れてくが、離れた後も巴はしばらく俺の傍を離れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、兄ちゃん!!ほら見てこれ、すっごい綺麗だよ!」

 

案内された一室に全員集まると、はぐみに言われるがままに窓を覗き込む。

 

「おお、こりゃすごいな」

 

雪で一面、白い化粧をした山景色はどこまでも伸びていて、中々の絶景であった。はじめ外から見たときは大丈夫かと思ったが、なるほど、もしかしたら実は人気の隠れ宿とかかもしれない。

 

「静かで、何だか落ち着くね」

 

「この一面の雪景色を例えるなら……え~、純白のベールを纏いし……とにかく、すっごい綺麗!りんりんにも写メおくろ~っと」

 

全然例えてないけど、それはどうなんだ。早速荷物を降ろすと俺と純は二人で隣の和室へと戻る。風呂に入る支度をするためだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すげーにーちゃん!誰もいねー!」

 

「本当だな、こりゃ泳げるぞ」

 

「マジか!」

 

ガララと、風呂場へのガラス戸を開けると、小麦色に日焼けした純のやつが嬉しそうに浴槽へと向かって走っていく。なるほど、もう少しこじんまりしているのかと思いきや、立派な浴場じゃないか。

 

純は、山吹ベーカリーの長男であり沙綾の弟にあたる。沙綾のお母さんは体が弱く、寝込んでしまうなどして人手が足りなくなる時が多かったので、とーちゃんに文字通りケツを叩かれて手伝いにいっていた。それもあってか、純達もにーちゃんにーちゃんと結構慕ってくれている。

 

「にーちゃん、あの風呂、泡がでてるぞ!」

 

「へぇ、泡風呂もあるのか」

 

純はザブザブと泡が出ている噴射口に一目散に駆けていくと、自分のナニを噴き出してくる泡に当てがって、おお!などという感心めいた声を出すので思わず吹き出してしまう。まぁ、ここには男しかいないしそういう馬鹿は大歓迎である。浴槽に身体を沈め泡に足の裏や腰などを当てると少しくすぐったいような気もするが、圧が加わって何とも気持ちが良い。

 

「次行こうぜにーちゃん」

 

「そうだな、まずは全風呂制覇するか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

体なども洗って、俺たちが最後にやってきたのは露天風呂だった。

思った通り、外はかなりの寒さだったがこの熱々の風呂に入りながらとなると、寧ろその冷たい空気がひんやりと気持ちいい。思わずついた息が白くなったがそんなことよりも、今芯まで温まるような露天風呂に身体ごと沈んで溶けてしまいそうだ。普段の喧騒からは想像もつかないくらい静かで、平和で、落ち着く……

 

「気持ちいなぁ純」

 

「ん……なぁにーちゃん」

 

「ん~?」

 

「好きな人とか、居る?」

 

バシャンと思わずずっこけてしまう。

あの生意気なところもあるが、純粋無垢な純が突然そんな……あまりにも予想外な一言に思わず声が上ずってしまう。

 

「……ど、どうしたんだ、いきなり」

 

「ううん、にーちゃん、彼女とかいねーのかなって」

 

「……まぁ、今は居ないけど」

 

「ふーん!」

 

ぴゅぴゅっと風呂の水を手で水鉄砲を飛ばしながら話す純。しかし、そうか、もしかして純も好きな人が……。

 

「じゃあ、ねーちゃんは!」

 

「え?」

 

スコーン!と衝立の向こう側で何かが飛んだ音がした。気がする。

誰かいるのか?と、純と二人そちらに振り向いてみたが聞こえるのは温泉が流れる音と打たせ湯のパチパチとした静かな音だけ……気のせい、だったのか?

 

「どうしたんだよ、急に」

 

「うん、ねーちゃんはすげー頑張ってるけど、たまに疲れちゃうから、そういう時に支えてくれる人が必要だなって、にーちゃんなら良いよなって、沙南と」

 

「そ、そうか。そりゃ沙綾が困ってたら、俺は手を貸すけど……」

 

「じゃあ、にーちゃんはねーちゃんのこと好きってことだ!」

 

……少し極端すぎやしないだろうか。しかし

 

「まぁ、そうだなぁ」

 

「……もう出る!」

 

「え、おい純」

 

純は露天風呂から抜け出すと、小走り気味に浴場へと続く扉へと走る。そして、ガラガラとガラス戸を開けて本当に風呂を出て行ってしまったようであった。

 

そういえば、俺も昔は風呂に長居するなんてことしなかったな。熱かったし、ずっと隅っこでじっとしてるおっさんなんかを見たらどうしてそんなに長く入ってるんだろうと不思議だった。けれど……

 

温泉の良い匂いを吸い込んで肩までお湯につかると、体中の力が再び抜けていく。あれは普段疲れてる人だからこそ、そうなるんだろうなぁ。俺も知らないうちに疲れが溜まっていたのだろうか。最近は、妹以外にも世話をやく相手が増えたからな……

 

 

少し名残惜しい気もしたが、純を一人にするわけにはいかなかったので、俺も露天風呂を後にすることにした。その時、反対側の女湯に誰が居るかも知らずに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部屋で純と一緒に携帯ゲームをすること小一時間。

 

「ふぅ~、さっぱりした~!」

 

「やっぱ、温泉って良いよな~、風情があるしさ!」

 

宿の浴衣に着替えたらしい沙綾と巴が入ってくる。湿った髪に、少し蒸気した頬などは普段よりも数倍ましで色っぽく見える。特に、髪を降ろした沙綾は普段のポニーテールとは少し違って新鮮であった。それに……風呂場であんな会話をしたせいで、変に意識してしまう気がした。

 

「ねーちゃん長すぎ!」

 

「ごめんごめん。気持ちよくってさ」

 

本当、よくそんなに長く入れるよなぁ。30分入るだけでも長いかなと思うんだが……?

不意に、沙綾と目が合った。沙綾はとたんに、ものすごい勢いで顔を逸らしてきた。

 

「沙綾?」

 

「あーうん、そうそう、売店に牛乳も売ってたよ?」

 

「?ああ、もう飲んだよ」

 

顔を合わせてくれない沙綾だったが、会話を見るにいつも通りみたいだな……たまたま顔が逸れただけか。

 

「巴、はぐみやあこたちは?」

 

「あぁ、そうそう、みんなで卓球しようって話になって今、遊技場で待ってるんだった」

 

ああ、それで二人で俺たちを呼びに来てくれたのか、着ていた浴衣をピシッと正して立ち上がると、腰のあたりの帯を持って立ち上がる。卓球か、夕食前の運動にはちょうど良さそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねーちゃん、にーちゃんが「カノジョ」にしてくれるって」

 

?後ろで沙綾が純にチョップを入れていたが何か言ったのだろうか。

沙綾と再び目が合ったが、沙綾のやつはのぼせたような赤い顔でなんでもないというだけだった。



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8話

松原花音は後悔した。

 

「……」

 

「……」

 

大通りの中。思わず声をかけてしまったのは、ロゼリアのキーボードを担当している白金燐子ちゃん……。黒くて綺麗な長髪に、羨ましくなるくらいのプロポーションの持ち主だ。

クラスは違うものの名前は知っていたし、お互いバンドのイベントで顔を合わせることも多かったので、素通りするくらいなら挨拶くらいはしておこうと、そう思って声をかけた。でも……

 

「……」

 

「……」

 

ふえぇぇ、空気が重いよぉ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぐみの兄ちゃんは苦労人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

えっとえっと、何を話せばいいのかな……。確か、燐子ちゃんは図書委員だったから、本の話とか……で、でも、あまり盛り上がらなかったらどうしよう……。

そう花音が頭の中でふえふえ言っている間、隣でだんまりを決めていた白金燐子もまた、同じように頭を悩ませていた。

そもそもから燐子には友達があまり多くなかった。親しい仲なのはあこをはじめ、せいぜいロゼリアのメンバーくらいなもので、他の誰かと話をするときにはコミュニケーション能力の高い人がリードをして話題を振ってくれるということがほとんどである。しかし……。

 

今、声をかけてくれた松原花音という人物はロゼリアとあまり共通点のないハロー、ハッピーワールドのドラム担当で、話をしたことすらほとんどない、それに自分と同じで内気で大人しいタイプなのだろうというのは今の様子を見ていてもわかる。そうなると、人見知りの燐子は途端に弱り果ててしまう。

 

((どうしよう、何を話せばいいのかな…))

 

((こんな時に、あこ(美咲)ちゃんが居れば……))

 

「松原さんって」「燐子ちゃんって」

 

ばっと顔をつき合わせる。

 

花音は燐子が何か話題を振ってくれるのでは?そう期待を持って次の言葉を待った。

燐子は燐子で、花音の声が自分の声よりわずかに早く大きかった……話題の権限は向こうにある……、そう思って次の言葉を待つ。

 

「……」

 

「……」

 

「「あの」」

 

またも言葉がかぶってしまった!二人はもう帰りたいと心底そう思った。

 

「……」

 

「……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再び、沈黙が続く。と、そんな時……

 

「ハピネス……カル……ハピネスハピィーマジカル!」

 

「っ!!」

 

ぶつぶつと、隣の花音が呪詛のように何かをつぶやいているのを見て、燐子は戦慄していた。

松原さんが、壊れた!?私とのおしゃべりが面白くないから……おかしくなってしまった……!そう怯えていると、花音が目を開いてこちらを見上げる。

 

「っひ」

 

「あの!ね」

 

「は、はい!?」

 

「え!?えっと、その、今日はいい天気、だね」

 

「あ、はい、そう、ですね」

 

「……」

 

「……」

 

沈黙は続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば、先ほどから自分たちはどこに居るのだろう。ふと花音は疑問に思い、辺りを見回す……少しずつ、歩いているなーとは思っていたが、どうやら何かの行列に巻き込まれてしまったらしい。前を見ても、行列の一番先が見えないほどの長蛇の列。

 

「えっと、今日は何だか人が多いね」

 

「そう……ですね。でも、それだけNFOの人気があると思えば、嬉しいことだと思います」

 

「エヌ……エフオー?」

 

「NeoFantasyOnline、通称NFOの特典コード目当ての行列、ですよ?特にキーホルダーについてくるグルメパティシエ装備は性能もそうですが、ドレスアップ装備としても優秀なため、皆さんこぞってグッズを買いに……」

 

そこまで話してから、燐子は自分の話が一ミリも理解されていないことに気が付いた。もしかしたら、松原さんも自分と同じようにこのゲームをプレイしていて、今日はその為に……とそう期待していたのだが。

 

「えっと、みなさんゲームのグッズを買いに来ているんです。私もこのゲームが大好きで……」

 

「そ、そうなんだ。あ、じゃああの人のリュックについているのも、そのキャラクターかな」

 

「……いえ、あれは違いますね」

 

「そ、そっか。可愛いけど、なんのキャラクターだろう?」

 

「その、すみません、わかりません……」

 

「う、ううん!こ、こっちこそごめんね、その、ごめんね……」

 

「す、すみません。すみません……」

 

沈黙は続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば、自分が今日、この行列に並ぶ意味は特にないのではないか?

それに花音が気が付いたのは、列がそこそこに進み、中ほどまで来た時であった。ただ、列は既にポールとロープで仕切られていて、蛇のようにうねっているところまで来てしまったために、今更出るとしたらたくさんの人をかき分けて出ていくことに……それに、それだと何だか気まずくなって燐子ちゃんと別れたみたいで……。

 

燐子もまた混乱していた。

何故彼女はこのゲームのことを知らないのに、この行列に?どうして話も区切りがついたのに別れないのか?

もしかしたら本当はゲームをプレイしていて、わたしには話辛かったのかもしれない。そういった経験は自分にもあるからよくわかる。

もしくは、なんとなく行列があったから並んだ……とか、でも、どうしてまだ並んでるんですか?なんてそんな失礼な事を直接聞くわけにもいかない……。

 

「……」

 

「……あ、あの松原さん!」

 

「ふぇ!?な、なぁに?」

 

「さ、最近、バンドの方はどうでしょうか」

 

「バンド……!」

 

燐子の意を決した渾身の一手に、花音は一筋の光を見た気がした。

そうだ、彼女と自分にはバンドという共通の話題があるではないかと。

 

「えっとね、新曲づくりもがんばってるんだけど。最近はみんなで雪だるまをつくったりして遊んだんだ。後は、水族館に行ったり……」

 

「そうなんですね、何だか楽しそう……」

 

「うん、すごく楽しかったよ!ロゼリアのみんなは……」

 

「ロゼリアのみんなは、その、ライブや練習以外で一緒に出掛けたりは……」

 

「そ、そうなんだ」

 

「はい……で、でも最近は今井さんやあこちゃんが誘ってくれるから練習の後にみんなでペットショップに行ったりすることも多くて……この前は友希那さんたちが一緒にこのNFOのゲームを一緒に遊んでくれて……」

 

「バンドのみんなで一緒にゲーム?すごく楽しそうだね!」

 

「そ、そうなんです、それで友希那さんが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花音の話を聞いていた燐子がうんうんと相槌を打つ。

 

「羊毛フェルトでくらげづくりを……」

 

「うん、クラゲグッズって、中々ないから……」

 

「その気持ち……わかります。無いものは自分で作るしかないんですよね」

 

「でも、中々自分の表現したいものが出来なくて……」

 

先ほどまで沈黙していた時間がもったいなかったと感じるほどに二人の話は弾んでいた。もう話題に困るなどということはない、話してみたいことが次から次へと溢れてくる。

 

「わたしも、NFOのキャラグッズがあまり出ていなかったころ、よく羊毛フェルトを作りました。それで、あこちゃんにプレゼントしたら、喜んでくれて……」

 

「そうなんだ、燐子ちゃんのつくった羊毛フェルト、見てみたかったなぁ」

 

「あ、あの写真があるので、こ、これが……」

 

「……!これ、すごく可愛い!美咲ちゃんのも上手だけど、それと同じくらいすごいよ!」

 

「そ、そうですか?色々とネットで調べながらだったのでわからないところも多かったんですが……」

 

「ううん。すごいよ!燐子ちゃんってピアノも上手だし、手先が器用なんだね」

 

「そ、そんなことは……そういえば、ハロハピの衣装って……」

 

列がまた一歩進む。二人は反射的に一つ進むだけで、話をするのに夢中になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わたし、人ごみの中が苦手で……たくさん人が歩いているのを見ると目が回ってしまって……」

 

「うん……電車やお祭りなんかだと、人の波にのまれちゃって行きたい方向に進めなくて……よく迷っちゃって……」

 

「そうなんです!」

 

燐子は不思議であった。

この松原花音という人物に既に心を開き始めている自分が、である。つい先ほど話し始めたばかりだというのに、もう自分の欠点を話し合えるほどに、この花音という人物は話をするのが落ち着くのである。一体、どうしてだろうか。少し考えたがわからなかった。

 

「燐子ちゃんはこういう人の行列とかは平気なの?」

 

「い、いえ、あまり平気ではないです……だけど、自分の好きなもののためであれば、本を読んだり、携帯ゲームをしたりしながら待てるので、そこまで苦痛では……」

 

「ふふ、私も燐子ちゃんが大好きって言ってたゲーム、今度やってみようかな」

 

「!は、はい、是非!」

 

微笑ながら話を聞いてくれている花音の顔を見て、急に気恥ずかしくなってうつむいてしまう。今日の自分は饒舌で、きっと他の誰かに見られたら驚かれてしまうだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、松原さんは……」

 

……?

 

「松原さん?」

 

……!?き、消えた。

つい先ほどまで、隣で微笑んで居た松原さんが居なくなってしまったのである。

おかしいと、燐子があたりを見回してみるも、あの水色の髪色を見つけることはできない。この、列に並んでいたはずなのに、一体、どこへ……?

 

(そういえば、人ごみの中ではよく迷ってしまうってさっき言っていたような……)

 

だとすると、この列の中で迷子に?一体どうやって?

そんなことはあり得ない……と思う。とすれば、もう列を抜けて何処かへと行ってしまったのだろうか?

不安が波のように押し寄せてくるが、答えは出る気配がない。この列の並び具合からして、あと15分ほどもすれば自分もグッズを買えるようになるだろうし……

 

(き、きっと、帰ったんだよね、きっと……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぇぇ、ここどこ……?」

 

おかしい。

先ほどまで燐子ちゃんと一緒に列に並んでいたはずなのに、気が付くと彼女の姿が見えない。それどころか、自分が今いる場所すらよくわからなくなっている。

 

ど、どうしよう……

燐子ちゃんは今、列に並んでいるところで、きっとそこから動くことはないだろう。

連絡先も知らないから、こちらから連絡することもできないし……だとすれば、何とか元の居た場所に戻らないと……このままでは、また自宅にも帰れなくなってしまう……

 

(えっと、えっと、とりあえず、歩いて行けば知っている所に出るよね……?)

 

しかし、それで成功したためしがないことを、花音は何となく気が付き始めていた……。

 

「ま、松原さん!」

 

「!り、燐子ちゃん、ど、どうして」

 

はぁはぁと、息を切らせながら走ってきたのは、先ほどまで確かに隣にいた燐子であることに間違いはない。でも好きだと言っていたゲームのグッズを買うために、あそこに並んでいたんじゃ……。

 

「い、いえ、その、きっとはぐれてしまったのだと思って……列を抜け出して……」

 

「燐子ちゃん……」

 

思わず、涙腺が潤む。彼女に対して申し訳ないことをしてしまったと思うよりも、彼女のその優しさが何よりうれしかったから。

 

「ぐす、ありがとう。どうしようかと思ってたところで……」

 

「……良かった、です」

 

(松原さんがわたしと話すのに飽きて何処かに行ったわけじゃなくて、良かった……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ごめんね、グッズ買えなくて……」

 

列に戻ってくると、無情にも、グッズを売っていたゲームショップには完売の2文字が貼られていた。周りには、獲得した戦利品を見せあって喜びを分かち合う人や、買えないとなるや散っていく行列の人々……

 

「い、良いんです。この様子だと、このまま並んでいても買えなかったかもしれませんし……」

 

「燐子ちゃん……ありがとう!」

 

ぎゅっと、手を握る。

 

(それに、松原さんがわたしのために声をかけてくれて……一緒に行列に並べて……嬉しかった……から……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、しかし腹減ったな」

 

「おっかしいなぁ、確かこの辺に……」

 

「あれ、お兄さん……?」

 

「ん、おお、かのちゃん先輩」

 

「と、一緒に居るのは燐子さん?珍しい組み合わせですね」

 

かのちゃん先輩は、巴が燐子と呼んだ黒髪ロングの美少女と二人ゲームショップの前で手を握って立ち尽くしていた。俺たちの視線に気が付いたのか、二人は顔を赤くして恥ずかしそうに手を離した。

 

「実は巴のやつが行列を見つけて、絶対これはうまいラーメン屋の行列だ!っていうから行列に並んでたんだが、どうも、ゲームのグッズ販売だったらしくってさ」

 

「確か、この辺にあるってこの前ひまりが言ってたんだけど……」

 

まったく巴の言うことは相変わらず大雑把で困る。まぁ、途中までまかせっきりで並んでいた俺が言うのもなんだが。

 

「あ、あの、それならこの先にある路地を曲がったところに……評判のお店が……」

 

「お、そうなのか!ありがとう燐子さん!」

 

燐子さんとやらが自分のスカートの裾を握りながらそう言ってくれた。先ほどの行列とは全然方向が違う。これだけ並んだのに、また並ぶのか……ん、なんだ、妙に手元に二人の視線を感じるが……

 

「お兄さん、それって……」

 

「ああ、これか?これはさっき言ってた。並んで買ったゲームのキーホルダーだよ、途中でラーメン屋の行列じゃないって気が付きはしたんだが巴が……」

 

「このゲーム、あこがよくやってるやつじゃん、ってなってさ、折角だからお土産に買ってくことにしたんだ。って燐子さんは良く知ってるか」

 

ツギハギのクマがコックの姿をしたキーホルダーを出すと、燐子さんの目がキラキラと輝く。どうやら彼女もこのゲームのプレイヤーらしいな……。ちらと見ると、何だか困り顔のかのちゃん先輩。ふぅむ……。

 

「ほしいなら俺の買ったやつをあげるよ」

 

「え!?い、良いんですか?」

 

「あぁ、俺はこのゲームやってないし、並んだ記念で買っただけだしさ、はい」

 

「え、あ、お金……」

 

バタバタと手を動かしている燐子ちゃんの手を持って無理やりキーホルダーを持たせると、二人に別れを告げて巴を引き連れてラーメン屋へと足を進める。その間、巴の奴がニヤニヤと口元を緩めていた。

 

「なんだよ」

 

「別に~?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「良かったね、燐子ちゃん」

 

「うん……!」

 

キーホルダーを見て満足そうに微笑む燐子。

しかし、これではもう一緒に居る理由が……

 

「……」

 

「……」

 

「「あ、あの」」

 

ぱっと顔を見合わせる。

しかし、今度はお互い黙り込んでしまうことなどはなかった。

 

「あのね燐子ちゃん、もう少しだけお話し、しないかな。その、そこのカフェででも……」

 

「松原さん……うん!」

 



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9話

「はっ、はっ、はっ、はっ……ん?」

 

「……困ったな……」

 

「おはようございます、山吹さん。どうかされましたか?」

 

「ああ、これは北沢さん。おはようございます。いや、昨日から妻の調子が悪いみたいで……」

 

「なんと、それは良くない!すぐに病院に連れていかれた方が良いでしょう!」

 

「……そうですね、やはり店を閉めていくことにします」

 

「店を!?」

 

「はい。私も妻もいなくなれば仕事をするものがいなくなってしまいますから。流石に、娘だけでは……」

 

「だったら……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早朝。親父にたたき起こされた。

そして、やたらとデカイ握り飯だけ持たされ、すぐに山吹家に行けという。意味が分からない。

しかし、文句を言っても仕方がない。道中、塩しかかかってない握り飯を頬張りながら俺は山吹家……この商店街唯一のパン屋である「やまぶきベーカリー」の前までやってきていた。

 

薄ぼんやりとした暗い店内に足を踏み入れると早速この店の主人であり、沙綾や純の父親である山吹亘史さんが商品の準備をしているのが目に入ってくる。俺の姿を確認すると、手に持っていた天板を置いて軽く手を上げて挨拶を一つ。

 

「おはよう。すまないね、急に」

 

「おはようございます。いえ、気にしないでください。俺は何をすればいいですか?」

 

「あぁ、早速だけれどプレーリーを持ってきてくれないか。いつもの倉庫に入っているから」

 

「はい」

 

近くにあった従業員用のエプロンを手に取るとそれを身に着けて原料倉庫の奥へと足を運ぶ。

これ以上、特に亘史さんと話すことはない。父ちゃんが俺に行けと言ったのは十中八九、店の手伝いをする必要があり、その原因が沙綾のお母さんに何かあったからだろうということは容易に想像できたからである。

 

ぱちりと倉庫の電気をつけると、中には山積みになっている数種類の小麦粉や砂糖といったパンの原料……そのうち先ほど指示された25kgの小麦粉の袋を抱えて元の厨房へと向かう。長い長い一日が、始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぐみの兄ちゃんは苦労人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お父さん、コーヒー淹れた……よ」

 

亘史さんに言われた通り、今度はめん棒で力いっぱい生地を伸ばしているとこの家の看板娘の一人、山吹沙綾が顔を出した。家に居るから当然であるが、眠そうに瞼をこすっており、髪はぼさぼさでパジャマはずり下がって油断しきっている。

だからだろう、俺と目が合うなりぎょっと目を見開いて慌てて背を向けてしまう。別にそんなこと気にしないんだがなぁ。

 

「おはよう沙綾」

 

「お、おはよう……」

 

背を向けたまま挨拶すると、ずりずりと、器用にも俺に背を向けながら厨房を抜けて店の方へと出ていく沙綾。そして、亘史さんを見つけたのか、出会うなり怒ったような声が聞こえてくる……。

再び厨房に現れたと思えば背をむけたままずりずりと俺の前を通っていき、渡り切るとダっと廊下を駆けだしていくような音が聞こえる。朝から元気だな……。

 

 

 

 

 

 

「こんなもんで良いですか?」

 

「うん。十分だよ。後は私がやるから、焼きあがったパンから順に店に並べていってくれるかい?食パンはカッターで切ってほしいけど、十分に注意してほしい。パンの並びは名札があるからわかると思うけど、もし何かわからないパンがあったら聞きに来てくれ」

 

「わかりました」

 

「助かるよ」

 

パン屋というのは見た目の華やかさ、可愛らしさとは別にものすごく重労働であった。重い原料の袋や天板を運び、力強く生地をこねて、ひたすらに暑いかまどやフライヤーの面倒を見る……並行して行う作業も多く、店が開いたら仕込み以外にも接客も加わる……それをこの亘史さんは毎日ほぼほぼ一人で行っているというのだから本当に尊敬する。朝からランニングに出て帰ってこないような父ちゃんも見習ってほしいと思う。

 

「おまたせ、コーヒー淹れたよ」

 

オーブンの前でパンが焼きあがるのを待っていると、着替えたらしい沙綾がコーヒーの入ったカップを持ってきてくれた。さっきは顔を合わせてくれなかったが今はきちんと顔も合わせてくれる。トレードマークであるポニーテールもばっちりだ。

 

「ありがとう。砂糖は……」

 

「うん、入れておいたよ」

 

流石である。沙綾は昔から気の利いた少女であった。鼻水が出そうなときにさっとティッシュを出してくれたり、野球の練習で疲れたときにレモン水を持ってきてくれたこともあったし、試合後に腹が減ったときに手作りパンを持ってきてくれたこともある……って、なんだ、なんで餌付けされているような記憶しかないのだろう。貰ったコーヒーを口に含むと思ったよりも熱くて少し飲んですぐにカップを近くにあったテーブルに置いた。

 

「千紘さんは大丈夫なのか」

 

「うん、少しフラフラしてるけど、意識はしっかりしてるし大丈夫。それにお父さんが病院にも連れて行ってくれるし……」

 

「……遠くまで行くのか?」

 

「ちょっとね」

 

「そうか」

 

近くの病院に行くくらいで亘史さんが出張るとも思えないし、沙綾はこう言っているがあまり症状は芳しくないのかもしれない。そこで少し重い空気が流れて、会話はぷっつりと途絶えた。

 

「……さて、そろそろ焼けるな」

 

「あ、うん。ご飯の支度が済んだら、私も手伝うから」

 

沙綾が踵を返した拍子に、ふんわりと、爽やかな良い匂いがして、少しドキリとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午前7時を過ぎると、やまぶきベーカリーのプレートがくるんと回る。

店の中には色とりどりのパンにドーナツ、飲み物にジュースに牛乳なんてのも置いてある。開店後、五分もすればすぐにお客さんがやってきた。主婦も多いがくたびれたスーツを着たサラリーマンやジャージを着た学生なんかもちらほら見かける。土曜だというのに、仕事をする人や部活に行く人はいるのだろう。

 

「合わせて860円になります。はい、千円からお預かりします。140円のお釣りになります……ありがとうございました!」

 

会計を終えて礼を一つすると、奥から天板を持った沙綾が焼きあがったパンを補充にやってきた。

 

「持つよ」

 

「ん、ありがとう」

 

天板を持ち上げると香ばしい良い匂いがしてきて腹の虫がうずいてくる。これだけ美味そうなパンが並んでいるのだ、朝早くに大のおにぎりを食べたとはいえ空腹を覚えてしまうのも仕方がないというもの。じっと見ていることに気が付いたのか、沙綾がソーセージパンを一つトングで挟むと、こちらに振り向き、悪戯っぽく笑う。

 

「1個食べる?」

 

「え?いや、良いのか?」

 

「うん。はい、あーん」

 

「ん!?」

 

口を開くと、ソーセージパンを強引にねじ込まれた!慌ててそれを持つとふんわりしたパンとジワリとしたソーセージのスパイスのきいた肉の味が、口の中に広がっていく……。パンに掛かったケチャップも何だか気が利いていて良い。非常に食べやすいからか、口の中にどんどん詰め込んでくとあっという間にパンはなくなってしまった。

 

「美味しい?」

 

「ん、当り前だろ」

 

「あはは、そっか当たり前かぁ」

 

歯をむき出しにして笑う沙綾を見て、なんとなくその笑顔を前にも見たような気がした。何時だったかなぁ、忘れた。そう思っていると次のお客さんがやってきたのか、入店のベルが鳴り響く。沙綾もすっかり営業スマイルに戻りいらっしゃいませー、と声をあげた。接客が落ち着いたら、次は洗い物だっただろうか、腹が満たされ、少し眠気が戻ってきたのか頭の中はぼーっとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、行ってくるよ。午後に焼きあがるパンはタイミングを見て店に並べてくれ、それからフライヤーやカッターは十分に気を付けて、後……」

 

「わかってるって、任せてよ」

 

車の前でそんなやり取りをしている親バカの親父さんと沙綾を横目に見ていると、奥から純と沙南に手を引かれた沙綾のお母さん、千紘さんが顔を出す。少し足元がふらついていて、顔色もあまり良くないように見える。

 

「ごめんなさいね、いつも」

 

「気にしないでください……困ったときはお互い様、ですよ」

 

それを聞くと、千紘さんは目元を細めて優しい笑顔を浮かべてくれる。美人だよなぁ、千紘さんは。しおらしくって、おしとやかで、体力魔人のウチの女連中とはえらい違いだ。

 

「沙綾の事、よろしくね」

 

ぎゅっと両手で包むように手を持たれたかと思えば、そんなことを言われてしまう。沙綾のこと……ああ、留守番の事か?

それにしたって、なぜそんなにも手を強く握る必要があるのか。滅茶苦茶目をじっと見られているし……。

 

「はい、任せて下さい」

 

そう言い返すと、少し手の力が緩み、先ほど以上に嬉しそうな笑みを浮かべる千紘さん。

これで死んでも安心ね、何て言う縁起でもないことを言っていたが足元に居る純と沙南はそれを聞いて泣きそうになっている。本気で言っているわけではないとわかっているが、彼女が言うと冗談に聞こえない……。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼の昼食ラッシュを過ぎると客足も少しはましになっていた。お客さんの数も極端に少なくなり、パンの補充や洗い物なんかも一通り終わった。流石に商品になるようなパンを焼いたりするのは難しいので後は会計とチルド系とフライヤーくらいか……。

 

「ふぅ、やっと落ち着いたね~」

 

奥から現れた沙綾が再び白いカップを二つもって現れる。見ると、真っ黒いコーヒーが入っているようである。眠気覚ましとはいえ、1日に二杯もコーヒーを飲む羽目になるとは……。

少しだけ口をつけて、カップは元に戻した。

 

「相変わらず凄いお客さんの数だった」

 

「この前なんてこの比じゃなかったよ。って、確かモカのコロッケパンが原因だっけ?」

 

「そうそう。あの日は大変だった……」

 

「本当、純や沙南まで駆り出して山吹家総動員だったんだから」

 

「あはは、そうだったのか」

 

家は、戦力外が二人も居たというのに羨ましい話である。まぁ助っ人天使が居てくれたので助かったが。

沙綾はカウンターに腰かけるように手をつくとこっちをみてにっと笑った。

 

「……なんかさ、久しぶりだよね、こうして二人で話すのって」

 

「そうだっけか」

 

「うん、あんまり二人で会うようなこともなかったし……」

 

そういわれたら、そうかもしれないな。この前温泉に行ったときとかを除けば、せいぜい店の用事で顔を合わせるくらいだったし。まぁ沙綾の家に手伝いに行く必要があるというのは、大抵親御さんが大変な時なので、頻度が少ないのは喜ぶべきことだと思う。

 

後はやっぱり、野球だろうか。まぁ野球に限らずスポーツをやっていたころはとにかく腹が減ったので毎日のように部活や運動帰りにここに寄っていた記憶がある。頑張ってポイントカードを貯めたっけか……。

 

「今は二人ともバンドやらで忙しかったしな」

 

「野球はもう、やらないんだ」

 

「まぁ、野球は好きだけど、今はバンドだな。それに、商店街の草野球チームくらいなら今だって混ぜてもらうことはあるし」

 

「え!?そ、そうなの!?呼んでよ!!」

 

急に大声を出す沙綾。俺が驚いていると、はっと我に返って慌てて手を振る。

 

「だって、その、野球の試合観るの、好きだし……」

 

恥ずかしそうにそう言う沙綾。確かに、沙綾は小さなころからよく試合を見に来てくれていた。沙綾が野球の試合を見に来てくれていたころ……あの頃は俺も野球しかスポーツが存在しないと思っていたくらい超がつくほどの野球バカだったからなぁ。プロを目指すとかではないが、ユニフォームで1日を過ごし、バットとボールを持ち歩き、沙綾の前だろうが何だろうが、毎日毎日野球の話ばかりしていた気がする……って、本当に馬鹿すぎる……。

 

「昔は気にならなかったけど、女の子って、野球の観戦とかして面白いものなのか?」

 

「そりゃ面白いよ。手に汗握る真剣勝負!あの時、ツーアウト9回裏、最後のライナーを泥んこになりながらダイビングキャッチしたときなんか、もう、涙出ちゃうくらい興奮して……!」

 

「それって県大会のやつだろ。よく覚えてるな」

 

「全部覚えてるよ。一番気に入ってるのはね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからも沙綾の熱弁は続いた。あの時のサイドスローの投手が強かったとか、あの時の1番の足が速すぎて驚いたとか、全部俺の出ていた試合のことである。それに、俺が覚えていないような選手の特徴とか、試合の天候まで細かく覚えているようだった。

 

「よくそこまで覚えてるな」

 

「やっぱり生で見たときの熱気と迫力が忘れられなくてさ。応援してるチームが勝ったらめっちゃ嬉しかったし」

 

はにかみながらそう話す沙綾を見て、脇腹の下がくすぐられたようなむず痒い気持ちになった。

 

「後ね……」

 

「俺は……試合の事より沙綾が持ってきた差し入れの方がよく覚えてるな」

 

「へ!?」

 

「さっき言ってた県大会では確かかつサンド持ってきてくれただろう。試合に勝つ!とか冗談言いながらサラダとチーズも挟んだやつ。それから、地区の準決勝の時には焼きおにぎりと梅干とバターロールで、それは他の奴らが群がってきて一個しか食べれなかった。それから……」

 

そう指を折って思い出せる差し入れの数々を列挙していくと次第に沙綾の顔が赤くなっていく。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!どうしてそんなこと……」

 

「だって美味かったしな」

 

今でも味が思い出せる。空っぽになった胃袋を満たしてくれた沙綾の甘いパンや冷たい飲み物……。

真剣に食べ物の感想を伝えていくと、沙綾はぷっと吹き出し、あはははと口を開いて大笑いし始めた。何もそんなに笑うことは……あの頃の過酷な練習の後の沙綾の差し入れは本当に助かっていたのだ。はぐみが持ってきてくれたこともあるが、ウチのコロッケばっかりであんまり有難味がなかった。

 

「はぁ、そっかぁ。美味しかった、かぁ」

 

ニヤニヤと口元をだらしなく緩める沙綾と、そこへ新しい親子連れのお客さんが来店する。

 

「「いらっしゃいませー」」

 

ぱっと、姿勢を正してカウンターに立つ沙綾。先ほどまでの砕けた雰囲気は消え去って、営業スマイルを浮かべた店員モードに切り替えたようであった。

お客さんがレジまで持ってきたパンを袋に詰めると、沙綾がレジ打ちを行って大きく礼をしたのを見て後に続くように礼をする。ぼーっとお客の歩いて行ったドアの方を眺めていると、ちょんちょんと、控えめに横っ腹をつつかれる。見ると、沙綾がこちらを上目遣いに見上げていた。

 

「今度、さ、試合観に行って良い?」

 

「良いけど、草野球何て観ててもそんなに面白くないぞ、きっと」

 

「……ダメ?」

 

手を合わせて、目を潤ませる……。

 

「別に良いけど……」

 

「っありがとう!」

 

ぱっと花が咲いたように笑う沙綾。その眩しい笑顔に思わず顔を逸らしてしまう。卑怯だぞこいつ、笑うと千紘さんそっくりになってきた。再びカランカランとお客さんが訪れると、二人で大きく声を出す。

 

その後も店の仕事をしながら二人でぽつぽつと他愛のない話をして、やまぶきベーカリーの1日は静かに過ぎて行った。母親の無事がわかり、どこか暗い顔を浮かべていた沙綾もほっと息をついたようであった。今後はこんなことになる前に手伝いに来る頻度を増やしたほうがいいかもな…。そんな事を言うと、沙綾は困ったような、けれど、嬉しそうな複雑な顔を浮かべていた。

 

 

 

 

後日、草野球の試合で大きなお弁当を持った沙綾とつぐみが鉢合わせるのだが、それはまた別の話……

 



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10話

最近日菜の様子がおかしい。

 

「はぁ……」

 

夕方になると外へと出て行き、夕食近くになると今みたいにしょんぼりと肩を落として落ち込んだ様子で家へと帰ってくる。そして、大きなため息をついたかと思えば、どこか上の空で何も映っていない携帯を眺める……。いつも元気で鬱陶しいくらいに付きまとっていたあの日菜がである。

 

「日菜、あなた最近変よ」

 

「え、ヘン?前からだよ」

 

「確かにあなたが変なのは今に始まったことではないけれど、いつにも増しておかしいわ」

 

「そうかなぁ……」

 

「……何かあったの?」

 

「え?」

 

そんなことを言うつもりはなかったのに、自然と日菜を心配するようなセリフが出てしまう。私の言葉を聞いた日菜は落ち込んだ様子から次第に目をキラキラと光らせる。

 

「おねーちゃん、心配してくれてるの!?」

 

「べ、別に、心配というわけでは……」

 

そういうものの、日菜には聞こえていないのかじーんと感動したように身を震わせている。これだから……こんなことは言いたくなかったのに。

 

「あのね、おねーちゃん!」

 

「ええ」

 

どうせ、大したこともないことで深く悩んでしまっているのだろう。そう思って次の日菜の言葉を待つ。

 

「恋(こい)ってなに!?」

 

「ああ、恋ですか……!!?」

 

こ、ここここ、恋(コイ)!!????

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぐみの兄ちゃんは苦労人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後。いつもより早く着いたスタジオの中、ギターを持ったまま練習もせずに立ち尽くす……。

 

日菜は、友達は多いが特別仲良くするような存在はおらず、事あるごとに私のそばをついて回るような、そんな妹であった。だからこそ、私から彼女を突き飛ばしでもしない限り、どこまでもついてきてしまうと、そう思っていたのに……。

 

『恋ってなに!?』

 

「……日菜」

 

「紗夜。流石ね、もう来ていたの」

 

「っ!湊さん、お疲れ様です」

 

扉を開いて入ってきたのは羽丘女子学園の灰色の制服を身に纏ったロゼリアのボーカル兼リーダー……湊友希那。このロゼリアというバンドも彼女が居なければ始まらなかったであろう、そんなチームの中心的存在……。彼女は扉を閉めると、持っていた鞄をそっと壁の近くに置いた。

 

「今井さんは?」

 

「少し遅れると言っていたわ」

 

「そうですか」

 

湊さんがマイクの調節を始めたのを見て私もアンプの音量を小さくする。

今日は、この前完成した新曲の仕上げを行うのだろう。あのフレーズは転調の部分が合わせづらいから……と、そう考えていると湊さんが腕を組んで何かを考え始める。

 

「湊さん?どうかしましたか」

 

「紗夜。いえ、どうもミキサーの調子がおかしいみたいなの。音が上手く出ないわ」

 

「なるほど、ではスタッフの方に連絡してみましょうか」

 

「ええ、お願いできるかしら」

 

その場から数歩歩き、白い受話器に手を伸ばすとスタッフの人が出るのを待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、1時間も練習ができないなんて……」

 

「仕方がありません。その分長く部屋を借りられるとのことですし……宇田川さんたちには連絡を入れておきました」

 

結局、機材トラブルのせいで練習が出来なくなってしまった。

仕方なく一番近くのファミレスで時間をつぶし、他のメンバーを待つことになったのだけれど、あたりには同じように制服を纏った学生や、家族連れに主婦の集まりと相も変わらず騒がしくて、ここの雰囲気には慣れそうにない……。

湊さんと二人案内された席に腰を下ろすと、すぐにウェイトレスの女性が近寄ってくる。

 

「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりでしょうか」

 

「ドリンクバーを二つ、それからこのサラダと……」

 

「こ、このポテトを一つ」

 

「ポテトはケチャップと期間限定明太子マヨとお選びいただけますが」

 

「き、期間限定明太子……で」

 

「はい、ご注文繰り返させていただきます。ドリンクバー2つとサラダ、特盛超お得ポテト限定明太子味ですね。少々お待ちください」

 

そういってウェイトレスが去っていったのを見届けると、はたと湊さんと目が合ってしまう。

 

「これは、あの二人が期間限定などという安っぽい宣伝文句に釣られて注文をしそうだったから先んじて注文しておいてあげるだけで……」

 

「私は何も言っていないわ、紗夜」

 

「……の、飲み物を取ってきます。湊さんは……」

 

「ありがとう、紅茶をお願いするわ」

 

「わかりました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

「……」

 

黙って紅茶を飲む湊さん。その姿が夕べの憂鬱そうな顔をしていた日菜と被って見えたため、それを振り払うように少し首を振って自分のカップに口をつける。

 

『恋ってなに!?』

 

別に、日菜がそう言ったことに興味を持つのは何もおかしくないというのに……。どうして、こうも気になってしまうのか。心の奥がざわざわとして落ち着かない。だって、あの日菜が……

 

「恋……なんて」

 

「ぶっ!!??げほげほっ!!?」

 

「み、湊さん!?大丈夫ですか」

 

備え付けのナフキンを手渡すと、それで口元を拭う湊さん。

胸元を抑えて、一通り咳き込み終わると、頭を垂れて、大きく深呼吸をする。

 

「紗夜、あなたもしかして……恋をしたの?」

 

「わ、私が!!?い、いえ、私ではなく、日菜が……」

 

「日菜が……?」

 

「はい、恋とは何なのかと聞いてきたので……」

 

「そう」

 

私の話を聞いて納得してくれたのが、腕を組んで目を閉じて頷く湊さん。どうやら、自然と悩みが口に出てしまっていたようだ。うっかり言葉が漏れてしまうなんて、混乱して疲れてしまっていたのかもしれない。

そう、恋とは何のか、その質問に対して、昨日の私は何も答えることが出来なかった。そして、今もその答えはわからない、考えれば考えるほどわからなくなるのだ……どうして日菜はそんなことを……。

 

「湊さんは、恋、とは何なのだと思いますか?」

 

「……難しい質問をするわね、特定の人物を好きになること、なのだと思うけれど……残念ながら、私にも経験がないからよくわからないわ」

 

「そうですか……」

 

少し頬を赤くした湊さんのその言葉を聞いて、納得をしてしまう。彼女もまた、自分と同じなのだと。彼女は、音楽に生き甲斐を求めている。音楽を全てだと感じている。恋愛になんて現を抜かしている暇があれば、少しでも多く練習をしたい。きっとそう思っていることだろう。

 

「でも、音楽にはよく恋や愛をテーマにした曲が作られている。何時かは、私も向き合わなければいけないテーマだと思っているわ」

 

次に真剣な顔をした湊さんのその言葉を聞き、目を見開く。

 

「確かにその通りですが……しかし、私たちロゼリアの楽曲には合わないのでは?」

 

「……以前の私ならそう言っていたかもしれない。けれど、今は少しでも音楽を高める可能性があるものは否定するべきではないと考えているの。少なくとも、恋や愛、とは音楽においてはとても多様で、力を持っているテーマだと思っている」

 

「なるほど……!」

 

意外ではあったがその理由を聞き納得する。実際自分がそういった想いを抱いたことはないが、曲を聴き、演奏者の心に触れて、それに身を委ねたことは幾度かある。もしかすると、日菜も恋についてはバンドのテーマで悩んでいたのかもしれない。彼女たちのグループではそういった恋愛を題材した曲が多かったはずだ、きっと日菜も曲と向き合うために……。そう思うと、少し心の靄が晴れた気がした。

 

「流石は湊さん、私は少し視野が狭かったのかもしれません」

 

「ええ、ただ……このテーマに関して私には経験がない……想像で気持ちを込めることは出来るけれど、どうしても歌った時には実感のない薄っぺらな言葉だけのものになってしまうわ……」

 

そういってカップに口をつける湊さんを見て。私はさらに感心していた。恋愛などというのは、音楽を突き詰めていく上では妨げにしかならないと思っていたけれど。少し認識を改める必要があるだろう。そう思うと……

 

「湊さん、もう少し恋と音楽の関係性について考察を深めるのも悪くないのかもしれませんね」

 

「ええ。……ところで紗夜、あなた、そういった経験は……?」

 

「わ、私はその………………ありません」

 

嫌でも体中が熱くなってくる。きっと耳の先まで赤く染まってしまっているに違いない。

 

「そう……それは……困ったわね」

 

「そう、ですね……こういった時に、経験者の話でもあれば良いのですが……」

 

そう、私たちは気が付いてしまったのだ。

このまま二人で考察を進めても良いが、そこには答えのない、机上の空論でしかないことを……それではあまり実りのある議論になるとは思えない。

二人で押し黙ったまま腕を組んで考え込んでいると……

 

「はぐみ、なんだかおいしそうなドリンクね!?」

 

「へへーん、コーラとメロンソーダの合わせ技だよ!混ぜると美味しいんだ!こころんも色々混ぜてみると楽しいよ!」

 

「そうなのね、ならあたしは全部混ぜてみようかしら!」

 

「えぇ全部!!?すっごいよこころん!」

 

この声は……。

 

「湊さん、ちょうどこのテーマに詳しい人物に心当たりがあります。少し待っていてください」

 

「紗夜?」

 

席を立ち、ドリンクバーのコーナーに向かう、私の目論見が正しければ……彼女は、北沢はぐみはこのテーマに関してはエキスパートのはずである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これ、食べていい…ですか!?」

 

「え、えぇ、どうぞ」

 

「わーい、いただきます!」

 

「うーん!変わった味のケチャップね!」

 

「それはケチャップではなく、明太子マヨです」

 

目の前には二人の少女。

一人は、オレンジ色のショートヘアをした少女、北沢はぐみ。手を合わせると、「待て」を解かれた犬のように勢いよくポテトを食べ進めている……。

そして、もう一人は金色の髪を靡かせる笑顔の少女、弦巻こころ。彼女の行動は学校でもたびたび問題になっていて生徒会としては、頭を悩ませる種なのだが……まぁここは学校の外、あまり口酸っぱくして何かを言う必要もないだろう。

 

二人はもくもくとポテトに手を付けている……あぁ、みるみるうちに私のポテトが……。と、量が少なくなってきたころに、不意に目の前にいた北沢はぐみが顔を上げて、おずおずとこちらに尋ねてくる。

 

「紗夜先輩は食べないん、ですか!?」

 

「わ、私は別に「じゃあ、はぐみたちで全部」でも!北沢さんがそこまで言うのなら、もぐ、仕方なく、もぐ」

 

……!!美味しい!やはり明太子マヨとポテトの相性は悪くないわね。

もう少し味について検証を……

 

「……紗夜、大丈夫なのかしら?」

 

はっとする。私の事を言われたのかと思いドキリとしたが、どうやら湊さんは、この二人が今回の話題に関して通じているのか心配だといった意味で、大丈夫かといったようであった。

 

「大丈夫ですよ湊さん、弦巻さんはともかく、北沢さんはこの道の経験者ですから」

 

「え、そう、なの?」

 

かなりの衝撃を受けたらしい湊さん。珍しく目を丸くしている。私も初めて見たときは驚いた。なんせ北沢さんにはあの羽沢さんのお兄さんというれっきとした恋人が居るのだから。

 

「んん、お二人にお伺いしたいことがあります」

 

「何々、ソフトボールの話?」

 

「違うわはぐみ、きっと笑顔になるような素敵な話よ!」

 

「いえ、実は……こ、恋とは、何なのか、ということを今議論していて……」

 

「「こ、こい!?」」

 

「二人とも、声が大きいです!」

 

言っている自分が恥ずかしくなってしまい、耳がまた熱くなってくる。

弦巻こころの目はキラキラと星のように輝き、北沢はぐみはもじもじと少し恥ずかしそうに顔を赤らめている。

 

「恋ならいっぱい知ってるわ!」

 

と、次に口を開いたのは予想外にも弦巻こころであった。

何も考えていなさそうな彼女が、まさか恋愛経験豊富、だった!?

 

「そ、そうなのですか?」

 

「ええ、赤くて白い恋とか、黒くておっきな恋とか、金色の恋もたーっくさん!そうだわ、今度友希那たちも観に来てちょうだい!」

 

赤や白、黒や金色?随分と詩的な例えだが……いや、まさか。

 

「……それは魚の鯉では?」

 

「?パンパンって、手を叩くとみんな寄ってくるの!」

 

「こころんちの鯉のエサやり、すっごく面白いよね!!みんな、ぱくぱくーって寄ってきて!!」

 

「そのコイじゃないわ」

 

珍しく、湊さんがツッコミを入れる。

……ふぅ、そういえばハロー、ハッピーワールドとはこのような奇天烈なバンドグループであった。合同でバンド練習をしたときに苦労したことを昨日のことのように思い出せる。この二人と話していると、まるで日菜が二人に増えたような、そんな気苦労を覚える。

 

「こころん、きっと紗夜先輩たちは人間のコイについて聞いてるんだよ」

 

「人間の鯉?そんなものが居るのね!!」

 

「違います!親しい男女間であるような、その、そういった恋です」

 

「男女間のこい?」

 

「えっと、相手の事を好きになっていく、ような、その過程というか、きっかけの感情というか……」

 

ますます、耳が熱を帯びる。この二人に声をかけたことを早くも後悔し始めている。

二人はおぉ、なるほどー、何て言って頷き合っているが、本当に理解しているのか怪しいところである。

 

「大体北沢さんは私たちの誰よりもこういった話に詳しいではないですか!」

 

「えぇ!?はぐみが!?」

 

「そうだったのね!!はぐみ!」

 

どうして本人が驚いているのよ!この二人と話をしているとこちらの頭がおかしくなりそうであった。

 

「で、でも……はぐみ、その……」

 

「別に深い話を聞きたいわけではないわ。ただ、恋とはこんなものだと、心で感じたことを教えてほしいの」

 

湊さんの言葉を聞き、顔を真っ赤にした北沢さんが太腿の間に両手を差し込んで、恥ずかしそうに眼を泳がせている。しかし、興味がある。多くの音楽家たちが揺り動かされたというその感情に。

 

「好きだなって思ったこと……あ、えっと……はぐみが小学生のころね……」

 

!北沢さんの貴重な体験談を聞けると、そう思った時だった。

 

「くっくっくー、お待たせしましたー友希那さん!紗夜さん!って、あれ、こころにはぐみ!?」

 

「この4人って、なんか珍しい組み合わせだね~」

 

「おまたせ、しました……」

 

ぱっと横を振り向くと、そこには今井さんと宇田川さん、白金さんも……!?

どうやら各々の用事が終わり、ここに合流したようであったがタイミングが悪すぎる。3人を見て、北沢さんの開きかけていた口が一の字に閉まってしまう。

 

「?こころー、友希那さんたちと何話してたの?」

 

「今、あたしたち4人で恋について話しをしていたところなのよ!!」

 

「「は?」」

 

「「「えぇ!?」」」

 

そう両手を広げて笑顔を浮かべる弦巻さんを見て固まってしまう。確かにそうなのだが、その伝え方では確実に今井さんたちは勘違いをしてしまう!私達は下世話なものではなくて、もっと深い音楽に関する考察の為に……。

と切り出そうとしたこちらの考えなど露知らず、今井さんたちが顔がくっつきそうなほど身を乗り出てくる。

 

「ゆ、友希那と紗夜の恋バナなんて超気になる!?」

 

「そうですよ!あこたちも呼んでくださいよ!!」

 

「お、落ち着きなさい。リサ、あこ。今、貴重な体験談を……」

 

「あ!そうだ!はぐみ今日はうちに帰ってコロッケ揚げる手伝いしなきゃ!じゃあまたね、みんな!」

 

「あら、面白そうね!あたしも行くわ!それじゃあみんな、また会いましょう!」

 

「ちょ、北沢さん、弦巻さん!?」

 

場をかき乱すだけかき乱していき、北沢さんと弦巻さんはファミレスを後にする。それに続いて黒服の方々は会計を済ませ、ぺこりと一礼をすると走り去っていく……。

 

「それでどんな話したの!?ねぇねぇ、友希那ーアタシにも教えてってばー」

 

「い、いえ、私の事ではなくて……」

 

「じゃあ、紗夜さん!?」

 

「私、気になります……!」

 

っく……結局何もわからなかった!

はぁと大きくため息をつくと目の前にあったポテトに手を出そうとしたが、バスケットの中には既に小さなかけらほどのポテトも残っていなかった。

 



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11話

「すみません、急にお邪魔しちゃって……」

 

「いや、大丈夫だよ」

 

そういって、目の前に居るボーイッシュな服装をした黒髪の少女・みーくんこと奥沢美咲に暖かいお茶を出すと、申し訳なさそうな顔をしてそれを受け取った。

みーくんははぐみが通っている高校の同級生であり、また同じハロー、ハッピーワールドのバンドメンバーでもある。その役割は、なんとクマ兼DJ。

 

そうクマなのだ。

初めクマのミッシェルを見たときはそのあまりの異様さに驚いたものの、今では彼女が、ミッシェルが居なければハロー、ハッピーワールドが物足りないと感じるほどに強烈な印象を残している。そして、その「中身」の彼女はバンドにとって更に重要な存在で、DJのほかに曲の作成、ライブの準備、はぐみやこころたちのお世話役(最重要)といった役割を一身に担っている。いつか無理しすぎて倒れるのではないかと少し心配だ。

 

そんな彼女から、俺に対してお願いがあると連絡があったのだが……。

 

「今日もバンドのことで相談?」

 

「ああ、はい、まぁ、そうなんですけど……う~ん……大丈夫かなぁ」

 

?何とも煮え切らない返事だな。

 

「いつもはぐみがお世話になってるんだ。遠慮せずなんでも言ってくれよ」

 

「あ、今、「なんでも」って言いました?」

 

…………やばいやつだ、これ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぐみの兄ちゃんは苦労人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在、屋外に出た俺とみーくんは人目の少ない河川敷のあたりまでやってきていた。

そこで……

 

「……これは少し無茶があるんじゃないか……」

 

俺は……ミッシェルになっていた。

 

いや、正確にはミッシェルの着ぐるみを着ようとしていた。頭は何とか入ったのだが、胴体を着ることができず。脱皮しかけのセミのようになっていた。すぅすぅと、背中に当たる川の風が冷たい。

 

「う~ん、やっぱりお兄さんには少し小さかったかぁ、あの黒服の人たち、あたしにピッタリに作ってくれてるみたいだし……」

 

「じゃあ、同じくらいの背丈の子に頼んだ方がよかったんじゃ?」

 

「他の子にミッシェルに入ってほしいなんて頼めないですよ」

 

はぁとため息をついてそう答えるみーくん。

そう、みーくんのお願いとは、1日ミッシェルの代役をしてくれというものだったのだ。

言質を取られたのもあって渋々ミッシェルの着ぐるみに着替えようとしたのだが……結果はご覧のとおりである。

 

「しかし、どうしてミッシェルの代わりなんか?」

 

「あ~それはですね、なんというか……ハロハピのライブを見たかったから、ですかね」

 

ポリポリと頬を掻いて、恥ずかしそうに眼をそらすみーくん。

 

「?ライブが見たいのなら、ビデオカメラにでも撮れば良いじゃないか」

 

「いや……その……お兄さんははぐみたちが、ミッシェルの中にあたしが入ってることを知らない、っていうのは知ってますよね」

 

「まぁ……」

 

いまだに信じたくないが、はぐみもこころも薫もミッシェルとみーくんを別人だと思っているらしい。まぁ、薫は……多分気が付いてるだろう。恐らくミッシェルを「演じている」美咲に対して、そんな無粋なことは言わないだけだと思うが。

 

「あたしがミッシェルになってるときに、こころたちが美咲にもライブを見ててほしかった~ってよく残念がられることがありまして……だからちゃんと見てるよって証明したくて」

 

「なるほど……」

 

「まぁ一番良いのは、あたしがミッシェルだって、気づいてもらうことなんでしょうけど……そっちはもう、諦めました」

 

ミッシェルがステージに上がっているとき、観客席に奥沢美咲は存在しえない。

だから、俺にステージに上がってもらい、その間に、みーくんは観客席に、か。

……何というか、面倒くさがりに見えて真面目な彼女らしいお願いだと思う。

 

「でもまぁ、見ての通りなんだ」

 

そう、とてもじゃないが着られそうにないのだ。まぁ頭だけでも3バカの面々はごまかせそうな気はしないでもないが……。観客が驚くこと間違いなしだ。

 

「そうですね、やっぱり諦めて……」

 

「失礼します、北沢様少しじっとしていてください」

 

うお!あんたらどっから出た!?

影の中から突然現れた黒服の方々。そう、弦巻こころのSPの皆さんである。

その彼女たちが俺の事を取り囲むやいなや、一瞬でセミの抜け殻状態のミッシェルを脱がし、メジャーで次々と俺の各部位の寸法を測っていったかと思えば、一斉に、どこかへと消えてしまう。

 

「な、何?何だったんだ?」

 

「ははは、うん、まぁ、それが普通の反応ですよね。なんかもう、慣れちゃって……」

 

「えぇ……」

 

遠い目をしているみーくん。その顔は、全てを諦めているようでもあった。

 

「出来ました。北沢様専用ミッシェルです」

 

「え?」

 

早!?もう出来たの?って?ちょ、どこ触って、やめ!碌に抵抗もできず、あっという間に着替えさせられてしまう……。

 

「……」

 

「あ、ミッシェルだ……なんか、こうしてみると変な気分ですね……」

 

のぞき穴から見えるみーくんがうんうん頷きながらそんなことを言っている。どうやら俺は今ちゃんとミッシェルになっているらしい。にしてもこれがキグルミの中なのか……思った通り中は重いし暑い、かなり蒸す。厚着した上からさらに毛布を羽織ってるような、そんな気分だ。視界も見えないほどでは無いが、そんなに良くもない。

 

「まぁ、これで少しくらいなら代役はできるかもしれないけど……」

 

「あ、普通の声で喋ると声でばれちゃうかも」

 

「……み、みんな~」

 

裏声を出す。と、プっとみーくんは噴き出し口元を抑えた。

 

「ふ、ふふ、そうそう、良い感じです……それにしても、これがみんなの見てるミッシェルなのかぁ……」

 

そういってクスクス笑いながら、みーくんが俺の乳首のある辺りを触ってくる。もちろん、何の感触もないが……って、なんだ、抱き着いてきたぞ。

 

「……確かに、モフモフしてる……」

 

「……」

 

ギュッとくっついてきたみーくんに対して、ぽんぽんと頭をなでてやると、はっとしたように体を離し、顔を赤くすると咳ばらいを一つして、腰に手を当てる。

 

「あー、良い感じです。引き続き、特訓しましょう」

 

「え?特訓?」

 

「そうですよ。だってお兄さん、DJなんてやったことないでしょ?」

 

「……」

 

う、嘘だろ。これを着てDJを?

視界は悪いし、手の感触もそんなにないし……正気の沙汰とは思えない。

 

「まぁあたしもあんまりよくわかってないんですけどね……まずは、せかいのっびのびトレジャーから行きます。あれはクラッチもダンスの振り付けもあって、一番大変なので」

 

!!??だ、ダンスも!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、あそこ……?」

 

「?どうかしたの、燐子ちゃん?」

 

「松原さん……う、うん、ほらあそこ……」

 

「あれは……美咲ちゃんと……ミッシェル!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ヘイヨーメーン♪』

 

DJ。昨今のバンドにおいては居ても珍しくはないのだが……やはり存在するバンドは稀のように思う。音の抑揚をつけたり、クラッチやジャグリングといった手法で音を出したりすることもあるらしいが……このハロー、ハッピーワールドにおいてはそのほとんどの役割が、ダンスやパフォーマンスといったマスコット的な立ち位置となっているという。ただ……。

 

「良いですか、そのまま、てきとーに踊り続けてください」

 

「……」

 

「そこへ、どーん!」

 

「!!!?」

 

ぐえ!?このタックル、まさか……

 

「はい、これが、テンションが上がって急に抱き着いてくるはぐみです。こけちゃわないように気を付けてください」

 

「……」

 

「次に……」

 

!!?急にこちらの手を持つと、舞踏会でやるような社交ダンスをしかけてくるみーくん。当然、俺はその動きについて行けず、足元はふらふらになっている。視界が悪くて目が回る。

 

「はい。これが、急に思いついたワルツのステップを取り入れてきた薫さんです。ギターのコードが絡まないように気を付けてください」

 

「……」

 

このハロー、ハッピーワールドにおいては、普通のDJよりもぐっと難易度があがっている!……今みーくんが見せてくれているのはライブ中のやり取りのほんの一例で、まだまだメンバーとの「絡み」があるというのだから恐ろしい。

 

「そしてこれが……「美咲ちゃん!」?花音さん!?」

 

ぱたぱたと階段から降りてきたのは、かのちゃん先輩と……確か、この前一緒にいた、燐子さん、だったか?よっぽど急いできたのだろう、二人は必死に息を整えている。

 

「み、美咲、ちゃん!はぁ、ど、どうして美咲ちゃんが二人いるの!?」

 

「へ?ああ……そう見えますか?実は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そっか、こころちゃんたちに……」

 

「ええ、まぁ……あんまり毎回言われるのもあれなんで……」

 

休憩がてらすぐそこの階段に腰かけると事情を説明するみーくん。その間、俺はみーくんにミッシェルの口の差し込み口からストローでバナナ・オレを飲ませてもらっている。

本当、暑くて喉乾くな……俺はまだまだいけるが、女の子でそこそこ華奢なみーくんが毎回こんなハードなことを一人でやっていたとは……。

 

「な、何だか、正体がばれてはいけないヒーローものの定番みたいで、か、カッコいい、です」

 

「いやいや、燐子先輩。そんな良いものじゃないですって……」

 

「……」

 

これ、少しくらい外してもいいだろうか。通気性は悪くないが、外のひんやりとした風を感じたい……。おっさんくさく体勢を崩して座ると、パタパタと首元を手であおってみる。風は、あまり入ってこない。しょうがない、これ外して……

 

「あぁ~!!!!」

 

げ!!?この声は、まさか!

 

「ミッシェル!ミッシェルがいるよ!」

 

「まぁ本当ね!ミッシェル~!」

 

ど、どうしてこのタイミングで、こんな人気のない河川敷に来るんだよ。あまりにも間が悪い。まだまだミッシェルの何たるかを把握していないというのに。

 

あっという間にここまで距離を詰めると、嬉しそうに飛びついてきたのはハロハピメンバーの二人、こころとはぐみ。二人とも、キグルミを見て飛びついてくるとは、対応がまさに子供のそれと同じである。二人を抱えながらチラと、みーくんと目を合わせると、少し悩むそぶりを見せた後、コクリとうなづいた。

 

「ふたりともー、急に飛びつくと危ないよ~」

 

!!?みーくんはさっと俺の後ろで屈むと、そんなアフレコ音声を入れてくる……。いやいや、そんな某名探偵みたいなこと、すぐにばれ……

 

「わわ、ごめんね!ミッシェル!でも、ミッシェルに会えたのが嬉しくって!」

 

「そうよ!最近ミッシェルは、ライブの時にしか来てくれないんだもの、寂しかったわ!」

 

全くばれてない。声の聞こえてくる方を見たら、すぐわかるだろ!

 

「ごめんね~、ミッシェルにも用事があって~」

 

「そうだったのね!なら仕方がないわ!」

 

「うんうん!今日は会えてうれしいよ、ミッシェル~!!」

 

スリスリと頬ずりをする2人。二人とも、よほどミッシェルの事が好きなのだろう。ただ、二人が落ちないように抱えるのも立っているのもキグルミの中だと結構大変である。

 

「あ~、んん、二人ともミッシェルが困ってるでしょ、いったん離れて」

 

「あ、みーくん!」

 

ぱっと二人が引き剥がされたのを見て、ふぅと息をつく。暑かった…。

 

「こころちゃん、はぐみちゃん、こんにちは」

 

「こ、こんにちは……」

 

「あら、花音と燐子もいるのね!今日はミッシェルとみんなでどんな楽しいことをしていたのかしら!?」

 

目をキラキラとさせてそう聞いてくるこころ。どうするんだ、この状況……何とか、ボロが出ないようにしないと……。なるべく、変な動きをしないように棒立ちでいることを務めた。

 

「えーっと……特訓!そう、特訓だよ!ミッシェルは今、特訓してたんだよ、うん、そうに違いない」

 

わざとらしく頷いて見せるみーくん……どうやら誤魔化す方向で行くらしい。

 

「そうだったのね!それで、一体どんな特訓を!?」

 

「えーっと、ほら、ハロハピって、キーボードが居ないでしょ?だから、ロゼリアのキーボード担当の燐子先輩にお願いして、教えてもらってたの」

 

「えっ……?」

 

急にパスが飛んできて目を見開く燐子さん。こころたちのキラキラとした目は、燐子へと降り注ぐ。

 

「そうだったのね!!確かに、ミッシェルがキーボードを弾けたら、もーっと楽しいことになるに間違いないわ!!」

 

「うんうん!はぐみ、今からワクワクしてきちゃったよ~!」

 

「え?え?えっと、そ、そうなんです……はい。わ、わたしがみ、ミッシェルさんに、お稽古を……」

 

咄嗟に話を合わせてくれた燐子さん。なんか、えらく緊張しているようだが……大丈夫だろうか?

 

「ねぇ、ミッシェル、あなたがどんな特訓をしてたのか、あたしにも見せてちょうだい?」

 

「あ、はぐみもみたいみたい~!ミッシェルがキーボードを弾いてるところなんて、絶対可愛いよ~!」

 

……どうするんだ、みーくん。

 

「あ~こころ。秘密の特訓だからさ、まだ二人には見せるわけには……」

 

「そうなのね」

 

「秘密じゃしょうがないね……」

 

そういうと、少し残念そうに肩を落としたが、あっさりと諦めてくれた。2人とも、みーくんの言うことには素直に聞く節があるな……やっぱり信頼されてるのだろう。しかし、すぐに笑顔に戻って、ミッシェルである俺の脇腹辺りをモフモフと触ってくる。

 

「ミッシェル、じゃあ、今日は帰るわね!キーボード、楽しみにしているわ!」

 

「うん!はぐみも!またねーミッシェル!!」

 

ぼふっと、最後に抱き着いてくるはぐみ。ふぅ、良かった何とかごまかせたか……。

ポンポンと頭を撫でてやると。不意にはぐみが、不思議そうに顔を上げる。

 

「……兄ちゃん?」

 

「っ!!?」

 

「「「え!!?」」」

 

「どうかしたの。はぐみ?」

 

「ううん、なんか、今凄くミッシェルが兄ちゃん〜って感じしたんだ!……なんでだろう」

 

「そうね……そう言われると、どことなくいつもと雰囲気が違うわね」

 

やばい、やばいぞ。なんでばれたんだ?

かのちゃん先輩たちでさえ、説明されなければ俺がミッシェルだと気が付かなかったのに……。

はぐみとこころがじっと、不思議そうな目でこちらを見ている。ど、どうする、何かごまかす方法は……。

 

「い、いやいや、ミッシェルは女の子だよ、そんなわけないでしょ」

 

「それもそうだよね!なんでそんなこと思っちゃったんだろ」

 

「そうよはぐみ!そんなわけないわ、ミッシェルはミッシェルだもの!」

 

コクコクと首を縦に振っておく。あ、危なかった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、こころたちに気づかれそうになっちゃうなんて……」

 

「うん、お兄さん別に気づかれるようなことはしてなかったのに……」

 

コクコクとうなづいて見せると、いや、もう普通に喋っていいんで、と鋭いツッコミが飛んできた。流石はみーくん……。

 

「もう、俺がミッシェルになるのは無理だと思う」

 

「えっ?」

 

かぽっと頭を外すと、久々に外の涼しい風を感じて、気持ちがいい。

 

「さっき、はぐみになんで気づかれそうになったか俺にはわからなかったし、こころもあれで妙に鋭いところがあるから、さっきはごまかせたけどきっとどこかで勘付かれると思う。それに今日一日ミッシェルになってわかったけど、ハロハピのミッシェルはやっぱりみーくん、美咲ちゃんじゃないとダメだ」

 

「あ、あたしじゃないと……?」

 

「そうだよ、美咲ちゃん。私もその、一緒にステージに立つミッシェルは美咲ちゃんが良いなーって」

 

「花音さん……」

 

今日の特訓で十分わかった。みーくんはミッシェルに入るのが暑いとか、ダンスがすごく大変だとか言ってはいるものの、本人はそれを楽しんでいるし、ミッシェルという存在をとても大事にしているようだった。ミッシェルのDJとしての動きまでしっかりと考えているのが、その何よりの証拠だった。

だからこそ、彼女以外がミッシェルを演じる、と言うのはみーくんにとっても、こころたちにとってもやっぱり違うのだ。

 

「……わかりました。そうですね、ま、あのバカ3人に付き合えるのは、あたしくらいですからね~」

 

口調はやれやれと疲れたように聞こえるが、表情は、今日一番の笑顔を見せるみーくん。折角作ってもらったけれど、北沢様専用ミッシェルは今日でお蔵入りだな。

 

「あ、そういえば燐子先輩、さっきはすみませんでした。あたし、急に話振っちゃって……」

 

「い、いえ、それは大丈夫、ですけど……その、良いんですか?」

 

「ん?何がですか?」

 

「さっき、ミッシェルがキーボードを弾くって……その……」

 

「「「……あ」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日、ライブ会場……。

 

「今日はありがとうございました。お兄さん、燐子先輩」

 

「お疲れ様」

 

「お、奥沢さんのキーボード、上手に弾けて…ましたよ?」

 

「本当ですかー、良かったぁ……滅茶苦茶緊張したんですよね、アレ」

 

ライブ会場のエントランス付近では、先ほどまでミッシェルの姿で演奏していたみーくんがほっとしたように胸に手を当てている。演奏と言っても、指一本で引けるような簡単なものではあったが、ミッシェルに入ってとなると難易度が全然違うからな、そういう意味では本当に上手く弾けていた。きっと彼女でなければできなかっただろう。

 

「そういえば、はぐみたちはどうだった?」

 

「もう、ばっちりでしたよ。今日は美咲が見に来てくれた―って大喜びで。なんで気づかないんだ、って内心ちょっと思いましたけど……」

 

「はは」

 

そう、代役は別にミッシェルでなくてもいい。先ほどまで、燐子さんがみーくんの私服を借りて奥沢美咲の代役をやって居たのだ。そこそこ遠いところに居て、隣に俺が居るとなると、少し髪の長さが違ってもはぐみたちはあれはみーくんだと認識してくれたようであった。一部分ごまかせない部位があったので、心配だったんだよなぁ……。

 

「何か、言いたいことがあるみたいですね、お兄さん」

 

「えっ?いや、何も」

 

「?」

 

ジト目でこちらを見てくるみーくんと、何のことかわからず頭に疑問符を浮かべる燐子さん。いや、だって、ねぇ。パーカーがあんなにエッチになるなんて……。

 

「あ、兄ちゃんにみーくん!それから、燐子先輩!?」

 

「おう、はぐみ。お疲れ様」

 

だだっと、駆けてきたと思ったら、思いっきりタックルをかましてくるはぐみを受け止める。

そのままぽんぽんと頭をなでてやると、はぐみがニヘラと口の端を釣り上げ、八重歯を見せて笑う。

 

「やっぱり、兄ちゃんははぐみの兄ちゃんだよ!」

 

「え?ああ、それはそうだろうけど」

 

「うん!ミッシェルはミッシェル、兄ちゃんは兄ちゃんだよ!」

 

よくわからないが……そのあともはぐみは甘えたようにやたらとくっついてきた。何なんだ、一体?

 

 



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12話

腹が減っていた。

 

今日はとーちゃんに言われて肉の配達をする必要があったために、朝から自転車を漕いで漕いで漕ぎまくり、体力に物を言わせて店とお客さんとの往復を繰り返していた。おかげで時刻はすっかりお昼過ぎである。

 

ようやく配達も終わり、自由の身になったのは良いものの……腹が減って仕方がない。

 

家に帰って適当に何か食べても良いが、今居るのは4駅隣の町であり、自転車で帰っても時間がかかりそうである。どこか、適当に良いところを探すかと、そう自転車を漕いでいると……横断歩道の手前で目立つ赤いロングヘアの人物を見つけた。向こうも、こちらに気が付いたのか、おぉ、と軽く手を上げる。

 

「巴?どうしたんだ、こんなところで」

 

「そっちこそ。なんでこんなところに」

 

「俺は配達だよ」

 

「アタシはこれさ」

 

ガサっと手に持っていた紙袋を見せる巴。中から取り出したのは、二本組の木の棒……。

 

「スティック……にしては太いし、太鼓のバチ?」

 

「あぁ。この近くにお神輿とか太鼓とか祭礼具を売ってる店があってさ、そこで買ってきたんだ。手にしっくりくる樫(かし)バチでさ、名前まで彫ってくれるんだけど、いやぁ、良い買い物した!」

 

何やらご満悦の巴にバチを見せてもらうと、確かにバチの下部に流暢なフォントで宇田川巴と彫られて居る。結構カッコいい。バチを返すと巴はそれを紙袋に戻して再度口を開く。

 

「で、これからどうするんだ?」

 

「ん?あぁ、俺はどっかこの辺で昼飯にしようと思ってた」

 

「へぇ、じゃあ、アタシも行くわ。まだ食べてないし」

 

「ああ、じゃあ……そうするか」

 

自転車から降りると、信号はちょうど青になったところであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぐみの兄ちゃんは苦労人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自転車を押しながら、駅から離れた住宅街を歩く。

何の縁か、巴と一緒に昼飯を食べることになったのは良いものの……先ほどから飯屋が全く見当たらない。住宅街だから仕方がないとは思うが、チェーン店一つ見当たらないというのも珍しい気がする。

 

「お、あそこになんかそれっぽい店あるぞ」

 

「本当か」

 

巴が指さした方を見ると、そこにはいかにも個人で経営しています。といった風な蕎麦屋があった。黒い太字の暖簾に手書きっぽいお品書き……少し、初めて入るにはハードルが高いような気がする……。

 

「あっちにもあるな」

 

また巴が指さした方を見ると、赤い提灯のついた中華料理屋で、こちらも個人でやってそうな門構えだった。一応、どちらも定食メニューという看板が出ているのでやってないことはなさそうなのだが……。店内の様子が見えないのもあって、俺の中での警戒心が強くなる。

 

「……もう少し探してみないか?」

 

「そうか?アタシはなんでもいいけど」

 

お前女の子なのに適当だよなぁ……。

こういうの、普通女の方が入るのを躊躇するものだろうに。

俺たちは店を通り過ぎると、再び歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

カラカラと自転車を手押ししながら道を歩く。接骨院に郵便局に果物屋……何だかなぁ。

しばらく歩いていたが、めぼしい店が見つかりそうにない。いっそ駅まで行けば何か安心できそうな店はあるだろうが、ここからだと結構遠い。もう正直腹が減ってそんな手間までかけたくない……少し戻る形になるが……。

 

「……さっきの店で食うか」

 

「だな、他になさそうだしな」

 

巴は、俺のせいで歩いてきた道をまた戻ることになったというのに、特に文句を言うわけでもなく同意してついてきてくれた。こういう巴のさっぱりした所、良いよな。細かいところを気にしない男友達のような感覚で、一番話しやすい幼馴染かもしれない。踵を返すと先ほど通り過ぎた店へと足跡を辿った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蕎麦か、中華か。

 

「どっちがいい?」

 

「アタシは……中華かな」

 

「俺もそう思ってた」

 

中華というか、ガツンと食えればなんでも良かった。蕎麦は、少し軽い。夏ならありだったかもしれない。

 

赤い看板の中華料理屋に近づくと、外に張り出してあった少し埃をかぶったメニューを見てみる。まだランチの定食をやっている時間らしい。ガラリと扉を開けて中に入ると、もう一つ、横開きの扉があったので、開けようとしたらそちらは自動扉だったらしく手は虚しく宙に浮いていた。チリンチリンと、来客の鈴が鳴る。

 

「……あれ、店員さんいないな」

 

薄暗い店内……立派なカウンターと座敷がある。カウンターにはぼんやりと電気がついているものの、座敷はほぼ真っ暗だった。きょろきょろと辺りを見回すがお客さんまで一人も居ないようであった……いや、よく見ると、カウンターの奥に幼稚園くらいの少女が一人ちょこんと座っているのが見えた。この店の娘さんなのだろうか、こちらを一瞥したものの手に持っていた空のプラスチックの容器を持ち、イー…アール…と一人遊びを再開したようである。

 

「ィラッシャイマセ、ドゾ、オスキニ」

 

「あ、どうも……」

 

ぱちりと電気が付くと奥から赤い顔をした背の低いおばさんが姿を現す。イントネーションから漂う外国人っぽさ……不安だ。しかし、今更引き返すわけにもいかない。巴と二人カウンターに腰かけると、おばさんがカウンターの奥に置いてあった小さなテレビつけてくれ、お昼のワイドショーが流れ始める。これは日本語か……何だか日本語を見ると安心するな。それをなんとなく眺めていると、カランと空のコップにお冷の入ったピッチャーと小さなおしぼりが出てきた。セルフなのか。

 

何とも不安だ。この店、本当に大丈夫なのだろうか。それに奥から日本語ならざる言語で先ほどのおばさんと店主らしき人物が話しているような声が聞こえてくる。目の前の少女は、なぜか、店のおしぼりの袋を無意味にパリパリと開けて、それを積み重ね始める……。不安だ、すごく、不安だ……。

 

「なぁ、何にする?」

 

ぱっと隣を見ると、巴のやつはおしぼりで手を拭きながら、メニューを開き、既に馴染みの客のようなオーラを放っている。

 

「巴……お前すごいな」

 

「えっ?何が?」

 

やっぱり、お前は男前だよ。

 

 

 

 

 

 

定食メニューの中から、俺はがっつり食べたかったので油淋鶏(ユーリンチー)定食を注文し、巴はエビと玉子チリソース定食を頼んだようであった。注文した後で、奥からまた外国語で怒ったように話をしているのが聞こえてきて、更に不安になった。ただ……

 

「でさ、アタシが験担ぎにやってる「アレ」、蘭たちは誰もやってくれなくてさ。ひどくないか?」

 

「むしろ、何でやってくれると思ったんだ?」

 

この通り、全くもって普段通りの巴を見ていると。何だか些細なことで店に怯えを持っている自分が馬鹿らしく思えてきた。良く見回してみると、店内は清潔感もあって決して悪くない。店主が本場の人っぽいのも、逆に言えば料理の味に期待が持てるというもの。

 

「いやいや、アレをやるのとやらないのとじゃ、その日の調子が全然違うんだって」

 

巴の言うアレ……太鼓の時に商店街のおっちゃんたちと一緒に大きな声を張り上げてやってるソイヤとかいう掛け声の事である。あんなの、どう考えてもクール系ロックバンドのやる掛け声じゃないだろ。蘭が本番前にソイソイ言ってたら爆笑する自信がある。

 

「じゃあ、ひまりちゃんのやつをやってあげれば良いだろ。確か、えいえいおー、だっけか」

 

「あれはいいや」

 

ひまりちゃん、不憫な子だ。そうこうしているうちに、奥から料理が運ばれてくる。

俺の目の前には、揚げた鶏肉の上に刻んだネギとタレをかけた油淋鶏定食が置かれる。ご飯は山盛りで、卵とわかめのスープと添え物にザーサイもついている。巴の方は、赤くテラテラと光るエビチリ定食が運ばれており、おぉうまそー、と感嘆の声を上げていた。

 

巴に箱に入っていた箸の一つを渡して、自身も手に取ると早速、料理に対峙する。見た目は……まぁ、悪くない。ただ、どうにも量が多い。最悪、ここで満足できなければ別の店で腹を満たそうと思っていたが、これじゃまずかった時に全部食べ切れるか不安だな……。

 

早速端っこの小さいやつから口の中に放り込むと、思わず、目を見開いた。

 

 

美味いじゃん、コレ……。

 

 

ザクザクっとした衣、ジュワッと鶏肉の油が広がる絶妙な触感だ。醤油ベースの甘酸っぱいタレが効いていて、コレが米に合う。箸が止まらない。

そして、とろっとした甘いたまごとワカメのスープ。こいつが酸味の広がった口を一度中和してくれ、また、油淋鶏に箸が伸びる……。

 

「美味いぞコレ!?」

 

「だな!!こっちも美味いぞ!」

 

隣を見ると、巴のやつはチリソースを米に少しかけてその上にエビを乗せて口に運んでおり。非常に、美味そうだった。しばし、椀を片手に、料理にがっついているとチリンチリンと鈴が鳴る。

 

「すみませ~ん!」

 

「ハーイ」

 

チラリと横目に見ると、帽子をかぶった中肉中背のおじさんが店に入ってきたようであった。おばさんが奥から現れて対応する。

 

「座敷、今日4人、6時から予約しといて」

 

「ロクジ?ハイ、イツモアリガトゴザイマス」

 

「じゃあ」

 

そういって、おっさんはさっさと引き上げてしまう。ふぅむ、地元の人には結構人気の店なのだろうか。その後も俺と巴はもくもくと箸を動かし続ける。遊んでいた小さな少女は、いつの間にか奥へと引っ込んでしまったようであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、腹いっぱいだな」

 

「だな。いやぁ、穴場ってやつだな。今度ひまりたちも誘ってみよう」

 

あの量はきついんじゃないか?と、言いかけたが、ひまりちゃんやモカなら楽々食べそうだなと思いなおして口にするのはやめた。

 

「しっかし、中華ってのはやっぱ良いよな!こう、カーッと腹から力が湧いてくるっていうか!」

 

「わかる。なんか、力が出るよな」

 

食べ終わったばかりだというのに。満腹感からくる気怠さのようなものがなく、体の中は不思議とエネルギーに溢れていた。これが中国四千年の歴史の力なのだろうか。

 

「よし!こうなったら、発散のために今からカラオケいこう!」

 

「今からか?」

 

「あぁ、それでその後つぐんちでお茶でのんでゲーセンいって、太鼓もやろう!よし、決まり!」

 

「そりゃ、お前……まぁ良いか」

 

デートなんじゃないか?と思ったが、こいつに限ってそんな考えあるわけないか。

自転車に乗ると、巴が荷台に腰かけて、細い腕を回す。前を向いて走り出したころに、巴が恥ずかしそうに小さくへへっと笑ったことに、俺は全く気が付かなかった。

 



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13話

「なぁ、曲とかって作れるか?」

 

夜。家族4人でテレビを見ながら晩御飯を食べていると、とーちゃんが不意にそんなことを聞いてきた。さっきまで静かに食べていたのに、急に何なんだ?

 

「まぁ、作った事はあるけど……」

 

「よし、ならウチのテーマソングを作っといてくれ」

 

「は!?」「えぇ!!ウチのテーマソング!!?」

 

驚く俺とはぐみを尻目に頬っぺたに米粒のついたままのおとーちゃんは漬物を放り込んで口を動かしながら事も無げに話を続ける。

 

「ウチは店内にBGMとかかけてないし、コリ、良いかと思ってな」

 

「とーちゃん、それ最高だよ!!」

 

「だろう?」

 

なにが、だろう、だ。

店内で家族の自作したテーマソングを流すだなんて、恥ずかしすぎるだろ!

なぜかドヤ顔のとーちゃんにちゃぶ台に手をついて目をキラキラさせるはぐみ。満更でも無さそうなかーちゃん。いや、いやいやいや

 

「ないでしょ、ないない……」

 

「コロッケ中心の曲が良いな」

 

「とーちゃんとーちゃん!どうせならライブやろうよ!うちのテーマソングを、たくさんの人に聞いてもらうんだ~!」

 

「それだ!」

 

「それだ!じゃないって!そんな恥ずかしいの絶対嫌だぞ!」

 

「そうか?」

 

「あ、ならはぐみが作るよ!」

 

「え?」

 

はぐみが作る……それイコール、ハロー、ハッピーワールドが作るという事ではないだろうか。こころや薫だけならともかく、みーくんやかのちゃん先輩をこんなわけのわからないイベントに関わらせたくない……!

 

「ダメだ、はぐみ。だめだぞ」

 

「え~、なんで~」

 

「ふむ、そういえば羽沢さんや山吹さんの娘さんもバンドをやっていたな……」

 

「っ!?」

 

「二人に頼むのも良いかもな」

 

そういって、今度はずるずると味噌汁を啜るとーちゃん。

さ、流石にそれは卑怯すぎはしないだろうか。つぐや沙綾を盾にするようなそんなこと……。

こんな身内の恥案件を、善良な二人に晒すわけにはいかない。無いとは思うが仮に、引き受けられでもしたら大変困ったことに……サっと血の気が引いていくのがわかった。

 

「ま、まて。わかったよ。俺が何とかするよ」

 

「おおそうか、なら頼んだぞ」

 

米と生姜焼きを口いっぱいに放り込んでそういうとーちゃん。

何だろうか、この敗北感は。嵌められた……わけではないだろう、とーちゃんにそんなスキルはない。ただただ純粋に最悪の流れになっただけである……。なんでこんなことに……。

 

「はぐみも手伝うよ!にーちゃん!」

 

「ん?あぁ……」

 

……まぁどうせ1週間もすれば忘れてしまうだろう。そう思い、俺自身、さっさと忘れてしまうつもりで目の前の生姜焼きを頬張った。最高のてーまそんぐを作ろうよ!なんて浮かれているはぐみをみて、かーちゃんは嬉しそうに微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぐみの兄ちゃんは苦労人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、今回ははぐみのお店のテーマソングを作るわよ!」

 

どうしてこうなった……!?

腰に手を当てて堂々と宣言するこころお嬢様を前に、俺は早くも眩暈を覚えていた。

 

今朝、突然黒服の人たちが現れたかと思えば、半ば拉致同然にこの超豪邸の弦巻家へと連行されてしまった。案内された扉の先には、はぐみはもちろん、足を組んで薔薇を眺める薫に、やたらと辺りを見回して落ち着きのないかのちゃん先輩など……ハロー、ハッピーワールドのメンバーが勢ぞろいしている……。悪い夢でも見ているのかと思った。しかし、後ろからぽんと肩に手を置いて首を横に振っているみーくんの存在が、これは夢ではないぞ、と残酷に告げているようであった。

 

曲なんて、作る気なかったのに……はぐみが昨日、ことの顛末をこころたちに連絡したからか、もう行動に移ってしまったようであった。その行動力だけは素直に感心する。プランの段階がないのには絶望しかないが。

 

「はぐみ、曲は兄ちゃんが作るって……」

 

「うん!兄ちゃん!みんなで頑張ろう!」

 

なるほど、兄ちゃんが作る、はぐみも作る、みんなで作るってことか……。兄ちゃんとしては他の人の都合とかも考えて行動してほしかったが、まぁはぐみなりに真剣に考えた結果なのだろう。それに、こころたちもやる気のようだし……。

 

「それで、どんな曲にしようかしら」

 

「はいはいはい!はぐみ!うちのコロッケは美味しいってことを歌にするのが良いと思う!」

 

「良いわね、はぐみ!はぐみの家のコロッケは最高だもの!」

 

「うんうん、今日もみんなに持って来たんだ!食べながら考えようよ!」

 

「そうなのかい?ありがとう、子猫ちゃん」

 

わーっと、コロッケに群がる3馬鹿トリオ、はぐみは自分で持ってきたコロッケなのに、なぜか自分で二つも手に取って美味しい~!と衣を口の端につけながら満足げに微笑んでいる。薫はナイフとフォークで綺麗に切り分けながら食べ始めるしこころも議題そっちのけでバクバクと早食いを……。何とも頭の痛くなる光景だった。っていうか、美味しいわね~。とか言って食ってるばっかりで、具体的に曲を作り始める気配がないぞ……?

 

「……」

 

「うん、そうなんですよ。曲作らないの!って感じですよね」

 

みーくんは、何故かさっきから頭を抱えている俺の事を見て、満足げに頷いている。めっちゃ嬉しそうなのは多分気のせいではないだろう。かのちゃん先輩は、どこで言い出せばいいのかな?ど、どうしよう……といった感じでコロッケをちみちみ食べているばかりで話が進まない。このままでは曲のイメージすら決まらない気がする……。

 

「……なぁ、はぐみよ、みんなでテーマソングを作るんじゃなかったのか?」

 

「あ!?そうだった!コロッケが美味しかったから、つい~」

 

「うっかりしていたわ!」

 

「ふ、悪魔の罠にはまってしまっていたようだね」

 

……本当、大丈夫なのか、これ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこで……ここの幸せをジュワジュワ~!それから、ドッカーンっ……びよーん!」

 

「こころんこころん、ウチのお店を描いたよ!」

 

「良いわねはぐみ!素敵だわ!それじゃあ、みんなも描いて、はぴはぴ~!」

 

「はぴはぴ~!」

 

わけわからん。

さっきから、不思議な擬音と共にこころが絵や言葉をホワイトボードに書き連ね始めたのだが、さっぱりわけがわからない。しかし、こころが言うにはこれらは全て曲のイメージであり、歌詞なのだという。イメージから曲を作るってのは、テンポが速い曲だとか、バラード調にするとか、悲しい雰囲気にするとか、そういうものだろう。普通。

 

薫を見てみる。ふむ……なるほど、儚い……!などと言って感心しているようであるが、本当に理解しているのか疑わしい。かのちゃん先輩も、こころの描いているイメージを理解しようとはしているようだが、結局ふぇぇと頭をクルクル回している。そんな中……

 

「えーっと、つまり、コロッケ、はぴはぴジュワジュワ?」

 

「それよ美咲!そして~ふんふんふ~ん♪はぴ~」

 

「うわ、まってまって、それも録音してから……えっと、今のは……」

 

凄いなぁみーくんは。カリカリとこころの浮かんだイメージを歌詞に落とし込んで行っているみーくん。どうしてあの壁画みたいな暗号から歌詞が引き出せるんだ?

作詞・作曲の方法は数あれど、こんな曲の作り方は見たことがない。

 

「すまん、みーくん。これはちょっと、手伝えそうにないな……」

 

「え?いやいや、気にしないでください、お兄さん。正直、あたしも全部わかってるわけじゃないんで……」

 

「コード進行や編曲の段階になったら手伝えると思うんだが……」

 

「本当ですか?それだけでも十分助かりますよ」

 

「じゃあ「それから、ざくざくー!クロール!」「うわ、こころ、たんま!まって」」

 

「はぐみ、更にここで薔薇を売り出すのはどうだろう?コロッケを一つ売るごとに、薔薇の花が一つ……」

 

「は、その手があったよ!薫くん!」

 

「……賑やかだなぁ、ハロハピって」

 

「ははは……はい、そうですね……」

 

本当に騒がしいバンドだ。

ただ……隣で同意してくれたかのちゃん先輩含めて、みんな、楽しそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは、ふんふふ~ん♪ふふ~ん♬が良いと思うの!」

 

「ふぅむ、こんな感じか」

 

ジャジャーン、ジャジャン。とこころのメロディに合わせてギターを弾いて見せるとこころの金色の目がキラキラと輝き始める。

 

「そうそう、そんな感じよ!」

 

「ムッシュ、そこにさらに儚さを加えてみるのはどうだろうか?例えば、ふんふふ~ん♬ふふんふん~♪といった風に」

 

儚さってなんだよ。薫の好きそうなのと言えばこんな感じか?と今度は薫の口ずさんだ通りにギターを弾いて見せると、あぁ、儚い…!とわざとらしく自らの身を抱いていた。どうやら満足したらしい。それにしても。

 

「はぐみ?眠いのなら兄ちゃんの膝の上じゃなくて、ソファを借りて寝ろ」

 

「……す~……そふぁ~…」

 

ダメだこりゃ。椅子をくっつけて、だらんと俺の膝の上に頭を乗せるはぐみ。暖かい季節になるとすぐこれだ。おかげでギターが弾きにくくてしょうがない……。

何だか、3人の子守りをしている気分である。近所の公園で小さな子供相手にギターを弾いていた時もこんな感じだった気がする。

 

「はぐみちゃん。お兄さんが居るといつもより張り切っちゃうみたいだね」

 

「うん。それにしてもすごいですね、お兄さん。あの3馬鹿をこうも簡単に……これから毎回来てください」

 

「いや、流石に毎回は無理だろう」

 

「ん?ところでその、今手元で書いてるのって……」

 

「あぁ、こころと薫が思いついたフレーズだよ。作詞はできないけど、あればメロディには使えるかもしれないし」

 

ぺらっと譜面を書いた紙を見せてやると、みーくんの目がカッと見開く。そして、ガシっと力強く俺の右手を両手で包む。な、なんだ突然……。

 

「たまにで良いので!本当、たま~にで良いので手伝いに来てください……!」

 

何もそこまで、と思ったが、みーくんのその尋常ではない気迫に押されてしまい、反射的に首を縦にふってしまう。ぱぁと笑顔が咲くみーくん……苦労、してるんだな……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒くて長い車の中。一人、また一人と、家が近いものから車を降りていき、それに比例して、車の中は徐々に静かになっていく……。

あれから暫く作曲の作業をして、豪勢な夕ご飯をご馳走になったら黒服の人たちが家まで送って行ってくれるということになった。来るときはそれどころじゃなかったので気が付かなかったが、改めてみると本当に高価そうな車の内装をしている。他のみんなはどうやら乗り慣れているらしく、俺1人だけがソワソワしていた。

 

「じゃあ、またねはぐみちゃん。お兄さんも」

 

「うん!バイバイかのちゃん先輩!」

 

「また」

 

ブロロと車が動き出したが、はぐみは後ろを向いてずっと手を振っていた。かのちゃん先輩も車が見えなくなるまで手を振ってくれていたがやがて、見えなくなった。

 

「ふぅ、今日は疲れた」

 

「え?そうなの?はぐみ、まだまだ元気だよ!」

 

そりゃ、お前は俺の膝の上で昼寝してたからだろうに。おかげで足が今でもしびれているような感覚を覚えている。

 

「今日も楽しかったなぁ~!!」

 

「……」

 

バフっと柔らかい座席に座り直すと、小さく跳ねるはぐみ。

 

「兄ちゃんはどうだった!?」

 

「ん?俺は……まぁ普通だな」

 

「え~、でもにーちゃんもすっごく楽しそうに笑ってたよ」

 

「え?」

 

俺が?まさか。

 

「それにね、はぐみ。今日は一日兄ちゃんと一緒に作曲出来たのが、すっごく嬉しかったんだ!」

 

「は?なんでそんなこと……」

 

ぼふぼふっと、何度か座席で跳ねていたはぐみが止まる。

 

「だって、昔はにーちゃんとはスポーツやって色々と遊べたけど。にーちゃんがバンド始めてから、はぐみ、あんまり遊んでもらえなくって……」

 

「……」

 

「でもでも!にーちゃんみたいにバンド始めて、昔みたいに色々教えてもらって、今日は一緒に曲まで作って!……だから、今日もすっっごく楽しかったんだ!!」

 

「……」

 

「……北沢様。ご自宅に到着いたしました」

 

「え、あ、ありがとうございます」

 

いつの間にか車は止まっていた。バタっと、黒服の人がドアを開いてくれたのを見て、外にでると続いてはぐみも車から降りて、んー!と猫っぽく伸びをしていた。黒服の人にお礼を伝えると、ぺこりと綺麗なお辞儀をしてそのままさっさと帰ってしまった。

 

シンと、辺りはすっかり暗くなっており、街灯の明かりだけが頼りになっている。

 

「おうお帰り二人とも!曲は出来たか!」

 

「まだだよ!でもイントロだけちょっとできたんだ~!!」

 

「おぉ!いんとろ?すごいな!どんなだ!」

 

ガラガラと店の扉が開いて出迎えてくれたのはとーちゃんだった。

ぱちりと点いた店側の電気。さっきまで道を照らしていた街灯は、今はどこか、頼りないものに見えた。

 



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14話

「ただいま」

 

傘についていた水滴を何度かバサバサと払うと、すぐ隣にあった傘立てへと差し込んだ。家に帰るまでに何とか天気が持つか?と思っていたが結局土砂降りになってしまったか。背中ではいまだに暗い空に雨の音がザーザーとうるさい。

 

玄関から居間の方へと移ってくると、どこからか美味そうな匂いが漂ってきた。この匂いは……カレーか!?かーちゃんめ、いい仕事するじゃないか。

 

「あ、おかえりなさい、お兄ちゃん。ごめんね、ご飯、もうちょっと待っててね」

 

「ん、わかった」

 

2階へと上がろうとすると、ひょっこりとエプロン姿の羽沢つぐみが顔だけ出して再び奥へと引っ込んでいった。トントントンと子気味の良い包丁の音が聞こえ始める……。

 

……あれ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぐみの兄ちゃんは苦労人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

居間に戻ると、帰っていたらしいはぐみが鞄を床に放りだし、ちゃぶ台に足をつっこんで宿題をしている所であった。苦戦しているのか、シャーペンの後ろでこみかめのあたりを何度か小突いており、うぅ~と犬のように低く唸っている。

 

「……はぐみ、かーちゃんととーちゃんは?」

 

「あ、おかえりにーちゃん!え?かーちゃんたち居ないの?」

 

そりゃ居ないだろ!少しは自分の親ではなく、友達が料理を作っている現状に疑問を持てよ。とそこへ、つぐがカレーの入った鍋を持って居間へと現れ、よいしょっと、鍋をカセットコンロに乗せている。何とも食欲をそそる匂いが……じゃなくて。

 

「つぐ、えっと、かーちゃんたちは?」

 

「え?今日は商店街の集まりがあるからご飯作ってあげてっておばさんが……」

 

……なんだって?

俺が事情を知っていると思っていたのか、困ったように答えるつぐみを見て、改めて記憶を掘り返してみる。しかし、かーちゃんがそんなことを言っていた覚えはない……いやまてよ。商店街の集まりの話もしてなかったから……さては二人とも直前まで集まりをあることを忘れてたな!?それで急遽つぐに晩飯の支度をお願いしたといったところか。

恥ずかしながら、俺もはぐみも料理はからきしな為、その線が濃厚だろう。

 

「そうだったのか……いや、ありがとう、つぐ」

 

「う、ううん!私も今日は一人になっちゃうところだったから、ちょうど良かったよ!」

 

そういって、頬を染めながらおたまでカレーを混ぜるつぐみ。

 

「ねぇ、つぐ、早く食べようよ~!はぐみ、さっきからお腹ぺこぺこで我慢できないよ~!」

 

対してはぐみはこれである。少しはつぐの女子力のようなものを見習ってほしい。

 

「ふふふ、うん、そうだね。今日は見ての通り、たくさん作ったからいっぱい食べてね」

 

「うん!こんな美味しそうなカレー!おかわりも余裕だよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が2杯。つぐがカレーを1杯食べ終わるころ。

 

「……」

 

カチャカチャと、無言でカレーを寄せているはぐみ。

さっきまで勢いよくカレーを食べ進めていて、一杯目はペロリといった。こんな美味しいカレーなら何杯でもいけちゃうよ!とそう豪語していたくせに。調子に乗っておかわりでカレーとご飯を盛りすぎたらしい。明らかにスプーンの進みが悪い。

 

「はぐみ、お前お腹いっぱいなんだろ」

 

「え!!?そ、そんなことないよ?」

 

はぐみは一口、スプーンにカレーとご飯を口に入れて何度か咀嚼したが、大きく呑み込んで、ふぅ、とお腹をさすっている。わかりやすすぎる。

 

「は、はぐみちゃん。無理に食べなくても良いよ?」

 

「!む、無理なんてしてないよ!つぐのカレー、すっごく美味しいからもっともっと食べたいんだ!」

 

そういって、頑張って2口追加して口の中に放り込んだが、明らかに勢いがない。眉を逆への字にしてもう無理です、と困ったような表情を向けてくる……。はぁ、何時のも流れか、まったく。

 

「……ほら」

 

スプーンでこちらに渡せとジェスチャーしてやると、ぱっとはぐみの目が輝く。ずいと、未だに山盛りのカレーの皿を俺に渡して、本人はちょっとトイレと、居間を後にしてしまった。どうやら、カレーを食べ切るという使命感から解放されて、身も軽くなったようである。

 

「カレー、あんまりはぐみちゃんの口に……合わなかった、のかな」

 

「え?まさか。はぐみも言ってたけど、美味しいからいっぱい食べたくなって、つい盛りすぎちゃっただけだよ」

 

カツカツと、カレーを掻きこむ。肉も野菜もちょうど食べやすいくらいに切りそろえられているし、じっくり煮込んだのか良い具合にルーに具材が溶け込んでいて白いご飯が進む進む。それに、なんだ、やけに食べやすいのだ、このカレー。なんでだろうか。

 

「うん、美味い美味い」

 

「本当?……ふふっ、良かった。実は、おばさんに習って北沢家のカレーを私なりに再現してみたんだ」

 

「なんだ、そうだったのか」

 

何時の間に、と思ったが、これで納得がいった。確かにこれは普段かーちゃんが作るカレーの味に近い。通りで食べやすいわけだ。鍋に残っていた残りのルーも全部お皿に入れてしまうとつぐみが驚いたような顔をする。

 

「お、お兄ちゃん。無理しなくても……」

 

「無理なもんか、俺はまだ腹減っててさ」

 

まぁ、一日寝かせたカレーも美味いと思うが、折角つぐみが一生懸命作ってくれたカレーなのだ。全部食べ切るのが礼儀というものだろう。ご飯も炊飯ジャーの残りを全てかっさらってしまうと。どうだろう、さっきはぐみが残してた倍くらいの量のカレーライス大盛が出来上がってしまったではないか。

 

「美味い美味い……」

 

カツカツとカレーを掻きこむ。4杯目の、しかも大盛カレーである。ちょっと、腹の中は限界に近いような気もしたが……俺はそれを、夢中で掻きこんだ。

 

「……ふふっ」

 

つぐみは、何が楽しいのかわからないが、俺がカレーを食べている様子を頬杖を突きながらニコニコと眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つぐー、ここ教えて〜」

 

「ちょっと待っててね」

 

多少食べ過ぎたお腹をさすっていると、ちゃぶ台のはぐみが勉強を再開したようであった。奥に居たつぐみが膝を折ってはぐみの隣に腰を下ろす。

 

「これはね。教科書の……うん、このページにある公式を使うと解けると思うよ」

 

「えーっと、えっと、この公式って……」

 

「この公式は……」

 

はぐみの隣でやさしく勉強を教えてあげているつぐ。その姿はさながら母のようであり、世話好きの姉のようにも見える。

 

はぐみが勉強を見てもらっているうちに、俺はつぐみがテキパキと流しまで運んでしまった洗い物を片付けてしまうことにした。台所まで来て袖をまくって、水を出し始めると。居間の方から慌ててつぐみが飛んでくる。

 

「あ、お兄ちゃんは座ってて、私がやるから」

 

「何言ってるんだよ。料理まで作ってもらって、皿洗いまでさせられないよ」

 

「でも……」

 

「まぁまぁ、ここは旦那を立てて、たまには休んでくれよ。かーちゃん」

 

「え、えぇっ!?」

 

なんだ。冗談で言った一言につぐみはぼっと顔を赤く染める。つぐみの行いがかーちゃんっぽかったからそう言っただけなのに、何を慌ててるんだ。

つぐみの肩を持って居間に戻すと洗い物を始めることにした。遠くからつぐ、真っ赤だよ。とかいう会話が聞こえたような気がするが、水を流し始めたら聞こえなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いってらっしゃいと、つぐみに見送られ。やたらと良い匂いのする入浴剤の風呂入る。そして湯から上がると、はぐみとつぐみがパジャマ姿で並んで棒付きのアイスを食べているところだった。今日はどうやらつぐみは泊っていくらしい。

 

「はぐみ、お前お腹いっぱいだったんじゃないのか?」

 

「デザートは別腹だよ!にーちゃん!」

 

都合の良いお腹だな。

 

「おかえりなさい。お兄ちゃん」

 

風呂から上がっておかえりなさいも何もないと思ったが、手を小さく振って可愛らしかったので特に指摘しないことにした。

 

「ただいま。風呂に入ってた入浴剤は……」

 

「あ、うん。私が持ってきたんだ。どうだった、かな?」

 

「なんか、落ち着く匂いがしたな」

 

「うんうん、つぐの入浴剤、すっごく気持ちよかったよ!」

 

「本当?私もお気に入りの入浴剤なんだ」

 

会話しながら冷蔵庫へと向かうと、自分も冷凍庫に入っているチョコレートが周りにコーティングされたバニラアイスクリームを取り出す。我が家では、アイスクリームは風呂上りに一本と決まっている。居間に戻ってくると、適当なところに腰を下ろしてちゃぶ台をみる。どうやら、勉強は終わったらしい。

 

「かーちゃんたち、まだ戻ってきてないのか?」

 

「うん、カイギが長引いてるんだってー」

 

「新しい年度になるから、商店街で何かやろうって話があがってるみたいだよ。でも、それが中々決まらないみたいで」

 

「へぇ、そうなのか」

 

ぺりっと封を開ける。ちょっと前までアイスなんぞ食べる気にならなかったのに。暖かくなって、アイスも食べやすい季節になったよなぁ。

 

「ねぇ、にーちゃん、なにかゲームやろうよ!」

 

そういって、はぐみがテレビの横に片づけられているテレビゲームを指す。

 

「ん、俺は良いけど」

 

チラリとつぐみの方を見ると、つぐはよぉし、負けないぞ!と何やら張り切っている様子。そういえば、こう見えて結構ゲーム好きだったな、つぐは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……むにゃ……」

 

「はぐみちゃん、寝ちゃったね」

 

そういってつぐみが座布団を枕にして眠るはぐみに近くにあった昼寝用のブランケットを掛ける。はぐみは、9時を過ぎると瞼が落ち始め。9時半ごろには眠る。今日はまぁ、良く持った方だろう。

 

「はぐみ、寝るなら歯を磨いてから自分の部屋で寝ろ」

 

「ん~……」

 

折角つぐみがブランケットを掛けてくれたが、身体をゆすってやると瞼をこすりながら立ち上がった。大きなあくびをして、八重歯が良く見える。

 

「大丈夫かな。私も一緒に」

 

「まぁ、いつものことだし大丈夫だろう。それより、つぐの布団を敷いとかないとな」

 

そういって立ち上がろうとした、その時だった。

 

ピカッと、何かが光った。かと思えば、ドジャーン!と近くで雷が鳴った。かなり大きい!

 

「っひ」

 

びくっと、肩を震わせたのはつぐみだった。

はぐみにかけてやっていたブランケットにくるまると、あっという間にカタツムリのように丸まってしまう。そして、またぴかりと辺りが光る。

 

トラックでも地面にたたきつけたんじゃないかと思うほどに、ドオン!!と大きな音が鳴り響く。すると、再び、びくりと毛布の中にいたつぐみの体が跳ねる。気の毒なくらい、怯えている。

 

「つぐ、その、大丈夫か?」

 

「うぅ……お兄ちゃん……」

 

プルプルと子犬のような目で毛布の隙間からこちらを覗くつぐみ。

つぐみは、昔から雷が苦手だった。たまに、きゃー、雷こわーい。なんて面白がっている女子連中が居るが、つぐみのそれはガチのマジだった。雷が鳴れば誰よりも早く低い姿勢を取り、そして、隠れられるようであればこのように身を隠す。小動物的な本能がそうさせるのだろうか……。

 

などと考えていると、閃光がピカッと窓付近で走り、ガラガラ!!と再び雷が落ちる。「きゃああ!」……。

 

「つぐ、家の中に居るんだ。心配するな」

 

「う、うん、頭ではわかってるんだけど……怖くって」

 

何かを求めているつぐの小さい手をそっと握ると、そこで、またも辺りを光が包む、つぐの身体が緊張で固くなったのがわかる。

 

「つぐ、大丈夫だ。俺がついてる」

 

「……お兄ちゃん」

 

握っている手の力を強くすると同時に雷が落ちる。

しかし、それでつぐが慌てることはなかった。ただ、握っている手の力が強くなっただけである。

 

「ほら、大丈夫だろ」

 

「う、うん」

 

何度か深呼吸して、笑みを取り戻すつぐみ。それからも、暫く雷は何度か鳴り響いていたが、俺はずっとつぐみの手を握っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ大丈夫そうだな」

 

窓から外の様子を見る。ザーザーと、未だに雨はバケツをひっくり返したようではあるが、雷が降ってくるような気配はなく、どこか、さっぱりしているように見える。

 

「……あのね、お兄ちゃん。覚えてるかな」

 

「ん?」

 

もぞもぞと毛布から這い出てきたつぐみ。

 

「昔、小さいころ。雷の日にね、お兄ちゃんが同じように私の事、守ってくれたことがあるんだよ?」

 

「昔……?」

 

……そんな事、あっただろうか。生憎、そんな記憶は……。

 

「すっごく小さいころだったから、お兄ちゃんも覚えてないだろうけど、私はずっと覚えてる。震える私の手を持って、だいじょうぶだー兄ちゃんがついてるーって、ずっと言ってくれてたの。私、それを聞くとすっごく安心しちゃって」

 

「……」

 

……確かに、すごくいい話っぽいのに。全然記憶にない。

 

「だから、お、お兄ちゃんさえ、よければ……」「ただいまー!」「馬鹿!はぐみはきっと寝てるのよ?」「おっと、そうだっ……た……?」

 

つぐがこちらを見上げて何かを話そうとしたときだった。ガララと戸が開いて、帰ってきたとーちゃんとかーちゃんと目が合う。そして、凍り付いた二人を見て、はっと気が付く。潤んだ瞳のつぐみと手をつなぎ、ブランケットがはだけ……まるで。

 

「あ、すまん」

 

ガララと戸が閉じた。って、ちょっと待て!!

 

慌てて二人の誤解を解く羽目になったのだが、誤解を解く間、つぐみは顔を赤くしてずっと俺の服の端っこを摘まんでいた。

ちなみに、はぐみは歯ブラシを持ったまま階段で寝ていた。あの雷の中、よくもまぁ寝られたものだと、妹ながらに大物だと思った。

 



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15話

「日菜ちゃん、何を見てるの?」

 

「あ、彩ちゃん!」

 

バンドの練習が終わり事務所に入ると、珍しく日菜ちゃんがレッスン着のままパソコンに向かって何かを探しているようであった。日菜ちゃんは、いつもなら練習が終われば、まずはお姉ちゃんである紗夜ちゃんに連絡する内容を考えているはずなのに。

 

「うん、実は人を探してるんだけど、中々見つからなくて」

 

「へぇ、そうなんだ!」

 

ふふ、人を探してパソコンを使うだなんて。よっぽどの有名人じゃないと出てこないのに。日菜ちゃんも意外と子供っぽいな。って

 

「あれ、ナニコレ」

 

画面が、真っ黒で。英語の羅列がずらりと上から下に流れて行っている。日菜ちゃんがカタカタとキーボードを動かすと、画面にはいくつかの男性の画像が現れるがやがて、ピーピー―とエラー音が鳴って画像は全て消えて行ってしまう。

 

「あー、まただよ~。どうしてあとちょっとってところまで行くと邪魔されちゃうんだろう」

 

「ひ、日菜ちゃんこ、これって?」

 

「?人探しだよ」

 

な、何だか危険な匂いがするよ……!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぐみの兄ちゃんは苦労人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「日菜ちゃん、本当に見つかるのかなぁ」

 

「大丈夫大丈夫。70億分の1なんて、星を探すよりは簡単だよ!」

 

外に出た日菜ちゃんを追って、私も外に出る。

日菜ちゃんは何度か「ある人」を探して、以前に出会ったという橋の上に行ってみたみたいだけれど、結局会えずに終わっているらしい。なので、今日は自分から探しに行くことにしたと言う。

 

「まずはどこから探そっかな~」

 

……でも、好きな人を探して街の中を歩く、なんてちょっとロマンチックかも!

 

「ふふ、日菜ちゃんも、やっぱり、恋をしたら普通の女の子になるんだね」

 

「?どうしたの彩ちゃん、変な顔して」

 

「ううん、何でもないよ」

 

そう顔を緩ませていると、日菜ちゃんはとある一軒家の前に立ちどまった。

 

「どうしたの。日菜ちゃん?」

 

「ん~、子供が二人に、お婆さんが一人、後ペットに犬2匹かな、お父さんがギターはやってるみたいだけど、女の子二人の家みたいだし、違うみたい、残念」

 

「えっ?」

 

ぱっと、日菜ちゃんが見ていた家を見てみる。てっきり、表札に家族の名前でも書いてるのかと思ったが、書いてあるのは名字だけ……。

 

「ど、どうしてわかったの?日菜ちゃん?」

 

「え?だって、家とか庭とか見たらわかるよ?」

 

「ぜ、全然わからないよ!?」

 

「おっと、いけない。次、行こう彩ちゃん!」

 

そういって鼻歌を歌いながら再び歩き始めた日菜ちゃん。どうして、お家や庭を見ただけで家族構成や趣味までわかるのだろう?何だか、ロマンチックな人探しというよりも、探偵の調査をしているようなそんな感じで、イメージと違うよ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、これはこれでワクワクするね!謎は解けたよ、ワトソン君?」

 

「ワトソン?あはは、彩ちゃん面白―い!あははは」

 

渾身の探偵ポーズを、なぜかお腹を抱えて爆笑されてしまって自分でやった事なのに恥ずかしくなってしまった。日菜ちゃんはどうやら行く場所を決めているのかしっかりした足取りで目的地に向かっている。

 

「日菜ちゃん、どこに向かってるの?」

 

「ん?江戸川楽器店だよ」

 

「へ~、あ、そういえば、さっきもギターがって言ったし、もしかしてギターやってる人なのかな?」

 

「う~ん、多分、そうだと思うよ。ギターケースを持ってたし、指を見たときにお姉ちゃんみたいな豆が出来てたし!」

 

「へ~他には何か特徴あるの?」

 

「えっと、背はぐんって感じで、ごつごつーで、それから、ワン!って感じかな」

 

「ワン?」

 

う~ん、なんとなくだけど、大型犬、みたいな人かな。そう私が考えている間にも日菜ちゃんはずんずんと道を進む。そんなにその人に早く会いたいのかな?そのあとも、日菜ちゃんは家を見つけては、その家の家族構成をピタリと当てていた。途中、このあたりであった殺人事件の全貌まで明かしていたけれど、それは聞こえなかったことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃい~」

 

カランカランと楽器店の中へと足を踏み入れると、紫檀色の髪をして紫色の人形を持った少女に出迎えられる。江戸川楽器店、この町一番の楽器屋さん。よく考えてみたら、私ってバンドは組んでるけど楽器を弾いたりしないからこういう店に入るのって初めてかも……。高そうな楽器がいっぱい並んでいて、何だか場違いな気がして落ち着かないよ……。

 

「日菜ちゃんって、よくこういうお店に来たりするの?」

 

「うん。おねーちゃんもよく来てるし……あ、すみませーん」

 

いきなり大きな声を上げる日菜ちゃん。奥から、はーいと、可愛らしい店員さんの声が聞こえてくる……。

 

「ちょ、日菜ちゃん、私たちこう見えて結構有名人だし、顔くらい隠さないと……」

 

と言いつつ、私は顔は隠さない。楽器店に通う丸山彩、なんて、ちょっと、かっこよくてバレて欲しい……。

 

「別に、そんなことしなくても……」

 

「オウ、ヒナカ、ヨクキタナ」

 

「うわ!?」

 

ぬっと、目の前に現れたのは、頬っぺたにハートマークの付いた丸い紫色の……悪魔!?

って、人形か。私の驚く様子を見て、あははごめんごめんと、笑うエプロン姿の店員さん。

 

「あれ~、あなたどこかで……」

 

ギクッ!

ま、まさか、私が、PastelPalettesの丸山彩だってことがばれちゃう……?

 

「あぁ、前、学校の廊下でこけてた子か~」

 

ズコ!!た、確かにこの前何もない廊下でころんじゃったけど!

 

「あ、あの、私!」

 

「あはは、嘘嘘。パステルパレットのふわふわぴんくちゃんだよね」

 

「そ、そうなんです、えへ」

 

知ってて貰えて、嬉しい……!

人形を持った店員さんをよく見てみると、エプロンの下にはウチの学校の制服が……。雰囲気も、どこか、同い年っていうより大人っぽいし、先輩なのかも。

 

「こんにちは、リィちゃん!あのね、今日おねーちゃん来た?」

 

「キテナイゾ」

 

そう持っていた人形を顔辺りに近づけて返すリィちゃん。この人形、目が細くてふわふわしてて、よく見ると結構可愛いかも……。

 

「そっかぁ、残念~」

 

「日菜ちゃん、私たち今日は紗夜ちゃんを探しにきたわけじゃないよね」

 

「え?あ、そうだった!あのね、リィちゃん、実は、るんって感じがする人、知らない?」

 

「るん?」

 

「えっと、大型犬みたいというか、背が高い男の人なんですけど……」

 

って、こんな中途半端な説明じゃわからないよね……。

 

「シッテルゾ」

 

「そうですよね。知ってるわけ……って、えぇ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここって……」

 

「そっかぁ、どこかで見たことあると思ったら、はぐみちゃんのお兄ちゃんだったのか~!」

 

やってきたのは、商店街の北沢精肉店。

きつね色に揚がったコロッケ、パチパチと美味しそうな音……!見てるだけでよだれが出ちゃうよ!何コロッケにしようかな~!!って、今はそうじゃないよね。

 

「すごいね、日菜ちゃん、見つけるって言って、すぐに見つけちゃうんだもん」

 

リィさんに見せてもらった写真を確認したが、日菜ちゃんは間違いないよ!と大きな声を出していた。人探しだなんて、もっと時間がかかると思っていたけれど、特徴さえあれば結構すんなり見つかるものなのかも……って、あれ。

 

「日菜ちゃん?」

 

日菜ちゃんは店の前までやってきたというのに、固まってしまっていてそこから動く様子がない。どうしたんだろう。さっきまであんなにずんずん歩いてたのに……。

 

「まさか日菜ちゃん、今更会うのが恥ずかしくなっちゃったとか?」

 

そうからかってみるが、まぁ日菜ちゃんに限ってそんなことあるわけ……。

 

「そ、そんなことないよ?で、でも、何て話せば良いかわからなくて……」

 

カァっと、顔を赤らめてもじもじと服の裾を握る日菜ちゃん。瞳にはうっすらと涙が浮かんでいて、女の私でもドキッとしてしまうような色気のようなものが出ている。いつもの堂々とした日菜ちゃんとはまるで別人で、驚いてしまう。

 

「で、でも、折角ここまで来たんだし。会って行かないと」

 

「向こうはあたしのこと覚えてないかもしれないし……」

 

消え入るような声でそういう日菜ちゃん。……いつも可愛いけど、今日は、その何倍もカワイイ!!?日菜ちゃんって、こんな顔もできるんだ……。

 

「大丈夫だよ、日菜ちゃん。私もついてるから」

 

「……彩ちゃん」

 

ぎゅっと、日菜ちゃんの手を握って精肉店へと歩き出す。

震える日菜ちゃんの手、いつもより、小さく感じて。家で待っているであろう妹のことを思い出していた。

 



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16話

よろしくお願いします!!!!

 

眩しいほどの日差しを受けて、甲子園ならサイレンが聞こえてきそうなほど大きな声であいさつをすると、チームのベンチに駆け足で戻っていく。早速、向こうの投手が何度かウォーミングアップに肩を慣らし始めるとこちらの1番バッターが打席へと駆けていき……。

 

「絶好球よ!」

 

キーンと、試合の始まっていない肩慣らしのボールにフルスイングで応えたのはハロハピの風雲児、弦巻こころ。打たれた相手も、打ったこちら側もぎょっと目を剥いている。慌ててネクストバッターズサークルに入っていたみーくんが相手のチームの人に頭を下げて謝罪と、どや顔を決めているこころに一言注意を入れに行く……。

 

「こころん!ナイスバッティン!」

 

「素晴らしいバッティングだよ、こころ!ムッシュ、今ので一点入ったのかい?」

 

隣でそんなことを言っているチームメイトを見て、俺は心の中で相手のチームの人に謝り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぐみの兄ちゃんは苦労人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いけ―!こころーん!」

 

「が、がんばってこころちゃん!」

 

 

「あら?みんなー!なにかしらー!」「ストライク!」

 

……事の始まりは全て父ちゃんだった。

商店街にある草野球のチームでは、月に1,2度、近くにあるアマチュアチームと試合をすることになっていた。そして、今回たまたま日程の調整をすることになった父ちゃんが相手チームとの試合の日程を電話で話していたのだが……どうも聞き間違えで、21日と27日を間違えてしまったらしい。当然、大人たちは全員父ちゃんの間違った日程で調整を進めていたからその日を空けていた人はほぼおらず……。

 

「こころ、前!!前見て前!!」「前?」「ストライク!」

 

その事情を聴いたはぐみが、いつものようにハロー、ハッピーワールドのメンバーに相談してしまい……俺と酒屋のおっちゃん、そしてハロハピ+黒服の皆さんという意味不明な野球チームが結成されてしまった。いつの間に作ったのか、お揃いのユニフォームまである。

ちらと隣を見ると、花音さんが思いのほか早いピッチャーの球を見て、膝が震え、ズボンがくしゃくしゃになるほど握りしめている。

 

「かのちゃん先輩。別に無理して打たなくてもバッターボックスに立つだけで良いから……」

 

「は、はい……」

 

「花音、怖がる必要はないよ。どうしても怖いというのなら、さぁ、私の胸の中においで?」

 

「う、ううん、大丈夫」

 

「遠慮することはないさ、さぁ!」

 

「う、うん、本当に大丈夫だから……」

 

……ちょっと、鬱陶しがられてないか、あの温厚なかのちゃん先……キーン「やったー!!」「まさか!」

 

打ったのか!ばっと身を乗り出すと、どうやらレフト線の良い打球が飛んで行ったらしい。こころは頭はともかく、運動神経は抜群だからな。このあたりならもしかすれば3塁まで……って。

 

「ちょ!おい!どこいくんだ!こころ!」

 

「こころーん!1塁の次は2塁ベースだよ!!」

 

ドドドドと勢いよく1塁ベースを蹴ったかと思えば、ファウルラインの続く限りどこまでも前進し続けるこころ。コーチャーズボックスに立っていた黒服の人が慌てて止めに行っているが……だ、大丈夫なのだろうか。本当。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

折角の長打コースが、シングルヒットになってしまった。とはいえ、相手もこちらが素人だからと油断していたのだろう、少し雰囲気が変わった気がする。次の打席に立ったみーくんは、何度か素振りをして打席に立ったものの

 

「うわ、はや!?」

 

本調子になった相手ピッチャーの投球に完全に振り遅れている……。これは打つのは厳しそ……!?

 

「セカン!」

 

と、キャッチャーが送球したが既にこころは砂埃を上げて2塁ベースに到達していた。ま、まさか一球目から盗塁するとは。

 

「す、すっごいよこころん!あんな速い盗塁初めて見たよ!」

 

「と、とうるい?えっと、はぐみちゃん、美咲ちゃんは打ってないのに、こころちゃんは走って良かったの?」

 

「うん!野球ではね、ランナーが守備側の隙をついて今みたいに進塁してもオッケーなんだよ!」

 

「もちろん、塁に到達する前にボールを持ってタッチされたらアウトになるから、普通はよほど足に自信がない限りやらないんだけどな」

 

「そうなんですね」

 

それにしても、こころのやつ。よく盗塁なんてルールを知っていたな。あまり野球に詳しくないと思っていたが……って!?

 

「サードだ!?」

 

「え!?」

 

2塁手がボールをピッチャーに戻したのとほぼ同時に、再び走り始めるこころ。ピッチャーも、まさか一度盗塁に成功してまたすぐ走ると思っていなかったのか、2塁ランナーの慌てた声にようやく事態に気が付いた。3塁にボールを投げたが、球が大きくそれてしまい、暴投になる。こころはそのままの勢いで3塁を蹴って、ホームまで走ってくる……。

 

「ゴール!!イエーイ!」

 

「やったー!こころん!イエーイ!」

 

「ああ、こころ!なんて儚いプレイなんだ!イエーイ!」

 

バッターボックスのそばにいたみーくんにハグを決めると、ここまで走ってパチパチと皆の手を順番に叩いていくこころ。相手チームはいまだに何が起こったのかわからず、口をぽかんと開けている。ま、まさか、いきなり一点取れるとは……。

 

「それにしても、こころんナイススチールだったね!」

 

「スチール?なんのことかしら?」

 

「え?」

 

え?

 

「あたしはただ、美咲や黒い人たちに言われた通り、白いマットを順番に走っただけよ?」

 

「……」

 

じゃあ、全くの何の考えもなしに走ってただけ……?

こちらの事情など露ほども知らない相手チーム。円陣を組み、頭脳戦もできる油断ならない相手だと喝まで入れ直しているようだった。なんとなくいたたまれない気分になってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こころの1点の後、こちらに追加点のないまま今度は守備側になってしまった。

俺がピッチャーをやり、キャッチャー・おっちゃん。ファースト・薫、セカンド・みーくん、サードにはぐみ、センターにこころ、そしてライトにかのちゃん先輩。後は、黒服の皆さんである。

 

正直、攻撃側の心配はあまりしていなかった。攻撃は凡打や三振でも何事もなく終わるからである……それに、最悪俺とおっちゃんとはぐみが打てば一点は入る。だが守備ではそうもいかない。アウトを3つ取らなければ、いつまでたっても攻守が交代することはないのだ。こうなったら、意地でも三振でアウトを……。

 

「さぁ、みんな!楽しんでいきましょー!!」

 

後ろからこころの大きな声が聞こえる。楽しむ、楽しむか。ふと近くにいたみーくんや薫を見る。どうやら守備なんて初めてやるらしく、カチコチに緊張してしまっていたらしい。だが、こころの声を聴いてずるずると力を抜いていく。そしてそれは、肩に力の入っていた俺も例外ではない。

 

「そうだよ、みんな!!ハッピー!ラッキー!スマイル!イエーイ!」

 

「「「「「ハッピー!ラッキー!スマイル!イエーイ!!!」」」」」

 

両手を上げて、皆で叫ぶ。

……あ、しまった。ついつられて……相手側のベンチもキャッチャーのおっちゃんも、またもやぽかんと口を開けて不思議なものを見る目で俺たちを見ていた。お、俺だって、昔はそっち側だったんだ。俺だって……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キンと、甘く入った外角のボールがサード方面に向かって転がっていく。はぐみはそれを丁寧にキャッチすると、自慢の肩を使って薫に向かってノーバウンドで送球をした。

 

ばしっと、ファーストミットにボールが収まる……。どうやら、薫も運動神経は悪くないらしい。身体も柔らかく、長身だし、ファーストはちょうど良かったかもしれない。

 

「やった、チェンジだよ!」

 

だっと、駆けだすはぐみ。たった一回の守備なのに、こころがセンターから走ってきてピッチャーフライを取りに来たり、ワンアウトを取ってライトにいたかのちゃん先輩がチェンジだと勘違いして戻ってきたりと何だか疲れてしまった。

 

「ふ、ふぅ、これでようやく一回が終わったんだね、わ、私のところに飛んでこないで~って、ずっとお祈りしてたよ……」

 

「ははは……まぁ、あたしもそうでしたよ。でも、お兄さんの投げてる球も速くて簡単には打てないみたいだし、案外勝てちゃうかも……」

 

「う、うん、そうだね。がんばろう。美咲ちゃん!」

 

二人の微笑ましいそんな会話を背中越しに聞きながらベンチに戻ってくると、グローブを外してバットに持ち替える。二人はああ言っているが、別に俺の本職はピッチャーではない。

そのうち、球の速さに慣れたら三振を取るのは難しく、ゴロやフライは打たれてしまうだろう。なので、今のうちに少しでも多く点を取っておかなければ……。ぎゅっと、グリップを握る手に力が入る。何度かスイングをしてからバッターボックスに入ると、地面の感触を確かめて、構える。

 

ベンチからは兄ちゃん頑張れー!といった声や、ホームランよー!なんて声まで聞こえてくるが、次第に耳に入ってこなくなる。すぅっと、大きく息を吸うと、両目を開いて、瞬きもせずに相手の一投を待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんなお疲れ様~」

 

「あ、さーや!」

 

5回裏の守備を終えてベンチに戻ってくると、ベンチには帽子をかぶって応援バットを首から下げたパン屋の娘こと、山吹沙綾が座っていた。どうやら、差し入れを持ってきてくれたらしく、紙コップを渡すと皆に水滴の滴る容器から飲み物を配ってくれた。俺も注いでもらったそれをぐいと飲み干すと、キンキンに冷えたレモン水が渇いた喉をぎゅっと潤わせてくれる。美味い。

 

「おいし~!」

 

「ありがとう沙綾ちゃん。キミの心遣いが詰まった、とても優しい味がするよ」

 

「それはどうも」

 

「でも山吹さん、どうしてここに?」

 

「みんなが試合やってるってお父さんから聞いて、応援しようと思って。今はまだ出せないけど、試合後にはうちの焼きたてパンもあるからね」

 

「まぁ、素敵よ沙綾!」

 

「わ~い!よ~し、はぐみももっと頑張るぞ~!」

 

「あ、ほんとだこれ美味し……って、次のバッター薫さんでしょ!!相手の人たち待ってますよ!?」

 

「ああ、そうだったね、あまりに甘美なレモンの香りに、うっかり心だけでなく、腰まで落ち着けてしまったようだ」

 

「何言ってるんですか、早く準備してください」

 

そういって薫をバッターボックスに向かわせるみーくんに、コーチャーズボックスに向かって走るこころとはぐみ。って、はぐみはともかくこころは打順が近いだろ!?慌ててみーくんが止めに入っている。

 

「あはは、相変わらず賑やかだね~……で、どう?」

 

「ん?」

 

「勝てそう?今日」

 

「……さぁ、どうだろうなぁ」

 

6回表、こちらが3点、向こうが4点。まぁこれだけの点差で済んだのは俺としては上々の結果である。何せこっちのメンバーはルールすら碌にわからないメンバーがほとんどである。守備はそこら中ボロボロであり、外野に飛べば、大体ランニングホームラン状態……ゲッツ―何て高度な処理もできない為、一人ひとり確実にアウトにしていく他方法がなかったのだ。この試合は7回までと決まっているし、このままだと俺の打席になる前に勝負が決まってしまう可能性もある。折角のみんな初めてやる野球の初試合なんだ、どうにかして、勝たせてやりたいが……?

 

「なんだよ、人の顔じっと見て」

 

「え、ううん。別に、なんでも~……いけー、薫さん!」

 

カンカンと持っていた応援バットを鳴らして立ち上がる沙綾。何かすげー優しい笑みを浮かべて見られてた気がするが……。

 

「フ」

 

お!キンと、打った。綺麗なセンター返しだった。それと同時に、いつの間にか集まっているベンチのすぐ近くにいた観客の薫親衛隊から黄色い声が上がる。

 

「ありがとう子猫ちゃんたち!」

 

ヘルメットを脱いで見せてそういうと再びキャーなんて、声を聞こえる。曰く、帽子を直すしぐさがカッコいいだの、ユニフォーム姿も凛々しいだの……軽く薫がウィンクでお返しをしたら、何人かがその場で卒倒していた。……大丈夫なのだろうか。

 

「花音~!薫が打ったのだから、次はあなたの番よ!」

 

「ふ、ふぇぇ、無理だよこころちゃん……」

 

バットを両手で持ってバッターボックスに立つかのちゃん先輩。

構えも、スイングも、はっきり言ってまるで期待ができない。相手チームもかのちゃん先輩が一番の安牌だと知っているからか、キャッチボールのようにゆる~やかな球を投げる。えい!とかのちゃんせんぱいは力強くスイングしているがとんでもないボールの球を振っていて当たるわけがない。相手は楽にストライクを一つ稼ぐ。

 

「かのちゃん先輩~!もっとボールをよく見てバットをバシッと振るんだよ!」

 

「そうよ、花音!目を閉じてちゃだめよ!ちゃんと前を向いて、ボールを見れば、後はバットが勝手に当たってくれるわ」

 

「で、でも……」

 

「大丈夫よ花音!ハピネスハピィマジカル!」

 

「「ハピネスハピィマジカル!!」」

 

こころの叫びに合わせて、はぐみ、薫がそれに続く。すると、俯いていたかのちゃん先輩の目に、徐々に光が宿っていく。

 

「……は、ハピネスハピィ、マジカル!ハピネスハピィマジカル!」

 

「「「「ハピネスパピィマジカル!」」」」

 

感動的な場面なのだがその呪文は何とかならないのだろうか。

何となく、聞いているこちら側は恥ずかしい。沙綾も少し恥ずかしいのか俯いて顔を赤くしていた……。

相手のチームはこちらのこのやり取りにすっかり慣れてしまったのか。投球を少し待ってくれている。もう何て言うか、本当、申し訳ない……。ぽいっと、軽い山なりのボールが今度はストライクゾーンめがけて飛んでくる……。

 

「えい!!」

 

「あ!!」

 

お!?キンと、ボールが転がる。しかし、当たりが弱い。かのちゃん先輩も一生懸命走っているようだったが、彼女の足では内野安打になるわけもなく。アウトになってしまう。しかし……その間、薫は1塁から2塁へ進んだ。それに……

 

「当たった、当たったよ!こころちゃん!」

 

「ええ、ちゃんと見ていたわ!すごいわ花音!」

 

「うん!でもアウトになっちゃって……」

 

「ドンマイドンマイ!」

 

「そうそう、ナイスファイト!かのちゃん先輩」

 

「かっこよかったですよ、花音さん」

 

「……そ、そうかな……えへへ」

 

未だに打ったバットの感触が忘れられないのか、ベンチに戻ってきたというのにバットを握ったまま、グリップをじっと見つめて顔を緩ませるかのちゃん先輩。その姿を見て、俺は何となく、はぐみに初めて野球を教えてやった時のことを思い出した。あの時、初めてボールがバットに当たったはぐみも、同じような顔をしていたっけか……。

 

「かっとばせー、こ・こ・ろ!」

 

「頑張って~!こころちゃん!!」

 

ふっと、我に返るとベンチの皆の声援が聞こえる。俺も、席から立つと、皆と同じように大きな声を上げた。はじめは嫌々であったが、今はもう、このチームで勝ちたいとそう思っていた。

 



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17話

「彩ちゃん、そこの文章、スペルが間違っているわよ?」

 

「え、あ!本当だ……!」

 

そういって、彼女、丸山彩は消しゴムで途中まで書いていた英文を消して、再びペンを手に取り問題文へと取り掛かる。それにしても、私が、白鷺千聖が休日を「友達」に勉強を教えるために過ごすだなんて……昔の私なら思いもしないのだろう。

 

丸山彩は不思議な少女であった。

彼女は決して特別な力を持っているわけではない。頭もあまりよくないし、歌やダンスが特別上手いわけでもない。頑張ろうとしても、それが空回ってしまうことの方が多い不器用な少女である。厳しい芸能界では、彼女のようなタイプは長続きしない……この目で何度も見てきたことだ。

……けれどいつも一生懸命な彼女に、不思議と周りは魅かれていく、そう、この私も含めて……

 

「千聖ちゃん?ここの文はこれで大丈夫かな?」

 

「えっと……そうね間違いではないのだけれど、同じ借りるという意味でもborrowは無料、rentは有料の意味が含まれているの。だから、シチュエーション的に公園でボートを借りるのはどちらが正しいかしら?」

 

「……え!そうなの!?……えっと、じゃあ……ボートを借りるなら有料だよね!こうして……出来た!ありがとう千聖ちゃん!」

 

「どういたしまして。でも、あまり私に頼りすぎるのも駄目よ、彩ちゃん」

 

「う……でも千聖ちゃんの解説がわかりやすくって、自分で解くより頭に入るから、つい……」

 

「もう、またそんなこと言って」

 

「えへへ」

 

彼女が私に勉強を教えてほしいといったのはきっと私が同じ学校で、同じバンドグループのメンバーだからだろう。それ以上でも、以下でもない。きっと仲良くなりたいと言っても、どこかで打算的なところがあるはずである。

 

……なんて、昔の私ならそんな薄暗いことを考えただろう、でも今は……。

 

「あ、薫さんが男の人と歩いてる」

 

ふふ、そうそう、本当に小さなころはかおちゃんくらいしか……?

 

「っ!!??」

 

ばっと、ガラス窓の向こうを覗く……!?た、確かに薫と、その隣には、ラフなジャケットを着た長身の男性が……。

 

「薫さんの隣の人誰だろう?何だかどこかで見たことのある雰囲気だけど……もしかして」

 

「……彩ちゃん、そろそろお店を出ましょうか?」

 

「え?まだ、問題……」

 

「出ましょうか?」

 

「あ、はい……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぐみの兄ちゃんは苦労人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日一日、一緒に過ごさせてほしい?」

 

「あぁそうとも、お願いできないだろうか?」

 

ある日、柿の葉を一枚口元に近づけて気取っているスラリとした紫髪の女性……瀬田薫が家の玄関の戸を叩いたかと思えば、そんな突拍子もないことを言ってきた。前から思っていたことだが、ハロハピのメンバーはみーくん以外事前のアポというものがない。必ずこちらが暇なわけではないのだ、もっと人の都合も考えてだな……

 

「おや、何か用事があったのかい?子猫ちゃんに尋ねてみれば、今日は家で暇そうにしていると言っていたけれど……」

 

……決して暇ではなかった、差し迫ってやることがなかっただけである。

 

「一緒に過ごすって言ったって、なにをするんだ?」

 

「何、言葉の通りさ。君はいつも通り過ごしてくれればいい、それに、私が付いているだけさ」

 

ぴっと、柿の葉を茂みに放ってそういう薫。よくわからないが、何か手伝ったりするというわけではないのか?だったら、かなり簡単なお願いに聞こえるが、いやでもな……。

俺が考え込んでいると、薫が額に手を当てて次の言葉を紡ぎ始める。

 

「実は今度、演劇部で十二夜という作品を演じることになったのだけれど……。いや、それは重要ではないか、兎に角、ムッシュ、君に協力してもらうのが一番だと思ったのだけれど……どうか、お願いできないだろうか?」

 

次には、胸に手を当てて真面目な顔をする薫。何やら嫌な予感がしたがここまで真剣にお願いされては……断りにくい。俺は薫の頼みを承諾することにした。

 

 

 

 

 

 

 

そして、早くも後悔している。

 

「……さ、どうぞ」

 

「あぁ、ありがとう」

 

とりあえず事情でも聞くかと近くの珈琲店へと足を運んだのだが、何だか今日は薫との距離がやけに近い。その上、店に入るまでの間もじーっと、こちらを見つめる赤い瞳。いつもギターを教えているときにはあまり考えていなかったが、こう見えてこの瀬田薫はすごく整った顔をした美人なのだ。おまけに、今日は黙っているからいつものような頓珍漢な言動もない、そう見つめられると妙に気恥ずかしい……。

 

「あ、いらっしゃい、お兄ちゃん!それから……瀬田、先輩?」

 

「やぁ、つぐみちゃん。エプロン姿も良く似合っているね」

 

「あ、はい、ありがとうございます」

 

俺と薫の組み合わせが意外、という顔を正直に浮かべるつぐ。まぁ確かに練習するときは家にいることが多いから、薫と二人でどこかへ行くのは珍しいかもしれない。

つぐの案内で少し歩いた2人掛けの席に通されるとスっと、俺の座る椅子を引いてくれる薫。こういう、細かい気配りがモテる秘訣なのだろうか。椅子に腰を下ろすと、つぐみが羽沢珈琲店お手製のメニューを手渡してくれる。

 

「今日は私が出すよ。遠慮せず、好きなものを頼んでくれ」

 

「そうか、じゃあ、ブラック・アイボリーってやつにしよう。薫もこれにしたらどうだ」

 

「ブラック・アイボリー……!ふふ、とても儚い響きの飲み物だね……ん?」

 

俺が指さしたのは、この店で一番高いコーヒーだった。一杯5000円。薫がマジか、という顔で俺を見る。

 

「前から一度飲んでみたかったんだよ、これ。なんでも象の糞から作ってるらしい」

 

「ぞ、象の?」

 

値段にもコーヒーの内容にも顔を青くさせた薫に冗談だというと、ほっとしたように息をつく。しかし、それはそれで儚い飲み物だね、と少し気になったようである。俺は飲みたくない。

注文が決まったので近くにいたつぐに再び声をかけると、カフェモカを注文する。続いて薫はブラックのコーヒーを頼んでいた。なんか負けた気がした。

 

「それで、十二夜っていうのはどんな話なんだ?シェイクスピアの話っていうのは知ってるけど……」

 

恥ずかしい話だが、俺はシェイクスピアなんてものは生まれてこの方読んだことがない。

ハムレットやリア王なら聞いたことがあるが、十二夜というタイトルは聞いたことがあるような、無いような、そんな感じである。俺の問いに対して、薫が、うん?と目を泳がせる。

 

「そうだね、十二夜は「シェイクスピアの中でも最高の、そして最期の喜劇……」!「ち、千聖!?」

 

すっと、俺たちの座っていた隣のテーブルに腰を下ろしたのは金色の髪に赤い瞳、そしてどこか鋭い雰囲気を持った小柄な女性だった。そして、その後ろには赤いメガネを掛けたピンク髪のふわふわした髪の少女。

 

「ど、どうしてここに……」

 

「いえ、たまたま彩ちゃんとここの喫茶店に行こうという話になったの、ね?」

 

「え?……えーっと、うん、そうだった、かも」

 

にこりと微笑む千聖と呼ばれた少女。何だろうか、あの笑顔、何だか関係ないのに俺までちびってしまいそうなほどの凄味がある。

 

「それで、薫。そちらの方は……」

 

「あ、ああ。はぐみのお兄さんだよ。私のギターの師でもある」

 

「はぐみちゃんの?」

 

「どうも、初めまして」

 

そう軽く頭を下げるとあ!とピンク髪の子が声を上げる。

 

「ち、千聖ちゃん!この人だよ」

 

「え?」

 

「ほら、前に日菜ちゃんが言ってた!この前会えなかった……」

 

「……あぁ、そうだったのね」

 

話に置いてかれているが、ピンク髪の子に納得したように頷く千聖さん。さっきまでの鋭い雰囲気もどこか柔らかいものになった気がする。それにしても、薫が先ほどからこの千聖なる人物が来てからというもの、冷や汗を垂らしてどこか落ち着かないようである。何かあるのか?

 

「私は白鷺千聖……よろしくお願いしますね、お兄さん」

 

白鷺千聖……白鷺千聖!?聞いたことがある。まさか

 

「あの、はぐれ剣客人情伝の!?」

 

「え、えぇ……」

 

「おぉ!」

 

はぐれ剣客人情伝は小さなころからとーちゃんと一緒によく見ていた。カッコいい殺陣が魅力的な時代劇である。中でも白鷺千聖と言えば、子役で昔準レギュラーを張っていた芸能人である。本物の芸能人、初めて見た。一人興奮していると、隣にいたピンクちゃんがちらちらとこちらを見てくる。そして、目が合う。

 

「こほん、まん丸お山に彩を!丸山彩です!」

 

「あぁ、よろしく」

 

俺の返しを聞いて、なぜか少しムッとする丸山彩。そしてメガネを外し…

 

「……えー、パステルパレットのふわふわぴんく担当、丸山彩です!」

 

「?あぁ大丈夫、ちゃんと覚えたから。よろしくな」

 

ビシッとポーズを決めていたが、そう言うと何故かがっくりと項垂れる丸山彩。それにしても、なんで二回も自己紹介したんだろうか。なんとなく、自己主張の激しいことはわかったが。

 

「はい、お待たせしました、カフェモカとブラックコーヒーですね」

 

「……ブラックコーヒー?」

 

そうこうしているうちに、つぐが俺と薫の注文した飲み物を持ってきてくれる、次いで、何やら薫のブラックコーヒーに文句ありげな目をした千聖さんたちの注文を取りに移る。その隙に、身を乗り出して薫に声を抑えて話しかける。

 

「薫。千聖さんと知り合いだったのか。しかし、すごいな千聖さん。近くで見ると小さいしすごい綺麗だ」

 

「……そうだね、そう思うよ」

 

こっそりと薫にそう告げると、どこか力なく笑う薫。何だか、普段と様子が違うな……。

つぐが注文を取り終えて厨房の方へと向かうと同時に、隣にいた丸山彩が俺の方へと椅子を寄せる。

 

「あのですね、こういう人、見たことないですか?」

 

見せてもらった携帯の画面には、ギターのピックを咥えて笑う薄いターコイズブルーの少女……。うーん、ん?

 

「ああ、見たことある。確か、氷川、紗夜さんだろ?ここのお手伝いしてるときに、あった事あるよ」

 

そう答えると、全員が顔を合わせて微妙な顔をする。あれ、結構自信があったんだが……。

 

「紗夜さんは、彼女のお姉さんで……あ、ほら!川の中に入って、携帯を拾ってあげた……」

 

「ん?あぁ、あったあった。そういえば、あったなそんな事」

 

そういうと、丸山彩の頬が一段と緩む。確かに会った。

そうか、あのはぐみの友達の、妹さんだったのか。思い出したぞ、あの後、服がドロドロでかーちゃんにこっぴどく怒られてしまったっけか、そういえば。

 

「えっと、一度会ってみたい、そうなんですが……」

 

「え?なんで」

 

「え、えっと、ほら、お礼を改めて言いたいらしくって……」

 

「お礼って……うーん、ああ、じゃあ今度ウチのコロッケでも買ってくれよ」

 

「え?え~っと、コロッケはこの前買って……」

 

「え、そうなのか?」

 

「はい!とっても美味しかったです!」

 

「彩ちゃん」

 

「と、あの、今度その子に会ってもらえますか?」

 

「え?でも」

 

「お願いします!」

 

ばっと頭を深く下げる丸山彩。この子に会うって、別に彼女自身は関係ないだろうに、どうしてそこまで真剣に……?

 

「わ、わかったから、そんな大きい声出さなくても」

 

「本当ですか!?やった!」

 

顔を上げて笑顔を浮かべる彩ちゃん。なんか押し切られてしまったが、また面倒くさいことになりそうな予感が……。

 

「ところで、薫。あなた、十二夜をやるのよね」

 

「あぁ、そうとも。私は……」

 

「ヴァイオラ、いえ、シザーリオ役じゃないかしら?」

 

「!……ふ、流石だね、千聖」

 

「シザーリオ?へぇ、薫さんまた男の人の役なんですね!」

 

「いいえ、シザーリオは、ヴァイオラという女性が男装しているときの名前よ」

 

「え!じゃあ今度は……」

 

「女性であり、男性である、そんな役だよ、ヴァイオラというのは」

 

ふむ、男装の麗人というやつだろうか。確かに薫にピッタリの役だと思うが……。

 

「お待たせしました、紅茶2つと、チーズケーキです」

 

「ありがとう、つぐみちゃん」

 

「あの、私も一緒にお話ししても良いですか?今なら抜けても良いって、お父さんも言っていたので……」

 

「えぇ、もちろん歓迎するわ。そうね、彩ちゃんたちにもわかるように、十二夜がどんな話か簡単に説明するわね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十二夜。シェイクスピアの戯曲の一つで、先ほど話していた男装の麗人シザーリオ、彼女が仕えている主君オーシーノ公、そして、彼が求婚中のオリヴィア姫。この3人の恋の三角関係の話である。シザーリオは、男装していることを主君オーシーノに隠し、ひそかな恋心を抱く、オーシーノ公は、オリヴィア姫へ報われない恋をして、オリヴィア姫は、男だと思っているシザーリオに対して恋心を抱き始める……。なるほど、薫好みの儚い話だな。

 

「えっと、シザーリオが、ヴァイオラでオーシーノが……えっと」

 

「例えば、そうね、そこの彼をオーシーノ公だとするわね」

 

え、俺?

 

「そして、つぐみちゃんが、オリヴィア姫」

 

「え?わ、私ですか!?」

 

突然名前を指されてびっくりするつぐみ。なるほど、それぞれに配役を割り当ててわかりやすく説明するのか。確かに、外国人の名前で説明されても、覚えるのが大変だからなぁ。

 

「彼はつぐみ姫に恋をしていて、熱烈な求婚をするの」

 

「きゅ、きゅうこ…!?」

 

「けれど、つぐみ姫は彼の事を気に入っておらず、理由をつけて断り続けている……」

 

……なんか、俺の事じゃないとわかっていても傷つくなぁ。

 

「だ、大丈夫だよお兄ちゃん!私はも、もし、その……求婚、されたら……」

 

「ん?」

 

なんだ、つぐみが何か言ったかと思ったら真っ赤になって両手で顔を覆うと小さくなってしまう。

 

「……つづけるわね。そんなある日。彼の下に、シザーリオ、薫が現れるの」

 

「フ、あぁ、オー「薫、台詞はいらないわ」……」

 

「そして、薫は、彼の下に小姓として仕えることになるのだけれど……薫は、性別を偽ったまま次第に彼が好きになってしまうのよ」

 

「へぇ!薫さんがお兄さんの事を?」

 

「っ!!……い、いや、それは劇の話で、その」

 

珍しく顔を赤くして狼狽える薫。役なら恥ずかしがらなさそうな薫だが、意外だ。千聖さんの目が細く光ったような気がしたが、次には何事もなく言葉を続ける。

 

「そして、つぐみ姫は、男装をした薫が好きになってしまう。どう、こんな感じね」

 

そう一息に語り終わると、紅茶に口をつけて目を伏せる。絵になるなぁ。

 

「なるほど~!やっぱり千聖ちゃんの説明はすっごくわかりやすかったよ!」

 

「うん、教師とか向いてそうだ」

 

「くす、ありがとう……物語の最後には、薫にそっくりなシザーリオの兄、という双子の兄が登場して、薫は彼と、つぐみ姫はそのシザーリオの兄と結婚して、全て解決する、という話ね」

 

「そうなんだ、何だか面白そうなお話だし、今度読んでみようかな」

 

「それなら、今度劇を見に来てくれないか?話もさることながら、私はこの十二夜の歌のような儚いセリフをとても気に入っていてね」

 

「良いんですか!薫さん!」

 

「あぁ、つぐみちゃんもムッシュも、もちろん千聖も、是非見に来てくれ」

 

「考えておくわ」

 

話を一通り聞き終わって余韻と少しの疲労感を感じていると、隣にいたつぐみがカップを見つめて難しい顔をしていた。

 

「どうした、つぐ」

 

「ううん、私だったら……例え、好きな人のそっくりさんが急に出てきても、その人を好きになったりしないなって。多分、ずっと、同じ人を、想い続ける」

 

思いつめた顔をしていたので……はぐみにやるみたいに、ぽんぽんと軽く頭を撫でるとはっとした顔をして、俺の目を見て、へへっと目を細める。

 

「さぁ、お店の手伝いに戻らなきゃ!みんな、おかわりはどうですか?」

 

立ち上がって、いつも通りの笑顔を浮かべるつぐみ。確かに、顔が同じならそれで良いというわけじゃないだろうな。まぁ劇だからと言ってしまえばそれまでだが。

俺には何故か、つぐみのその一言が、劇の話よりも深く印象に残った。

 



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18話

「オンラインゲーム?」

 

「そうそう、これが滅茶苦茶面白いんだって」

 

バンドの練習を終えてスポーツ飲料を飲んでいるとそんな話が持ち上がる。いや、どちらかと言うと、そういう話に持って行かれたような……。

 

「一回オンライン味わっちゃうと、もうオフラインのゲームには戻れねーよ。みんなで敵を倒して、レアな武器ゲット、ダンジョン攻略して、ボス倒して……とにかくすげーんだよ、これが」

 

「ふーん」

 

「北。お前も騙されたと思ってやってみろって。あ、そうだ、今度そのゲームのバージョン1、持ってきてやるよ。おまけにUSBもつけてやる!」

 

「いや、俺はやるとは……」

 

「まぁまぁ、遠慮するなって。一緒にNFOの世界を満喫しようぜ」

 

そういって肩を叩かれてしまう。って……NFO?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぐみの兄ちゃんは苦労人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ来てないのか」

 

自室のパソコンを立ち上げてそうこぼす。

俺は……まんまとあいつらの思惑通り、NFOにはまってしまっていた。

 

このNFO、オンラインって聞いただけでどこかとっつきにくい物だと思っていたが、そんなことは全然なかった。想像していたよりもずっとグラフィックが綺麗だったし、ストーリーも面白くて続きが気になるものが多い、戦闘も直感的な操作で思ったよりも簡単で……。とにかくやり始めると止まらなくて気が付くと一人の時でもプレイしてしまうくらいにはまってしまっていた……。細かいクエストなんかをやり始めると、中々終わり時がわからないのだ……。

 

「今日は大樹のストーリーを進めたかったんだけどな……」

 

このNFOにはストーリーのついたメインクエストと、お使い的な要素の強いサブクエストというものがあった。メインクエストを進めれば新しく解放されるコンテンツも多いらしくて、メンバーのみんなと一緒に進めてもらっていたのだが……残念ながら、みんな今日はまだログインしていないみたいだった。

 

「……」

 

今回のメインクエストは、街で差別を受けている異種族の小さな子供が、街の人たちを守っている大樹の危機を救うために、プレイヤーと一緒に奮闘するという話なのだが、物語はもうクライマックスで、いよいよ大樹を脅かしている元凶の本拠地に乗り込むところなのだ。

もう気になって気になって仕方がない。

 

……どうせみんな一度クリアしてるストーリーなんだ。だったら……俺一人で少しでも進めておこう……。そう思い、早速俺は大樹のダンジョンへと進んでいくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

カツカレーと書かれた俺の小さなマスコットみたいなキャラクターがボス部屋の前で天使の輪っかをつけてふよふよと浮かんでいる……。

いや、惜しいところまで行ったはずだ。相手のゲージが減ってきて、後半分!ってところまでは行けたのだ。けれど、そこからのボスの攻撃が激しくなってきて猛攻に耐え切れず、持っている回復薬だけではジリ貧となってしまい……ご覧のありさまである。

 

俺の使っているジョブは短剣を装備した盗賊。あまり攻撃力はないが、素早さが売りのジョブで相性は悪くないと思うんだが……はぁ、やっぱりあいつらが来るのを待った方が良かったかな……

 

そんなネガティブな事を考えていると、俺のキャラクターの前に、フルフェイスの白い兜に白銀の鎧、そして、大きな銀色の盾を纏ったプレイヤーが立ち止まる。見ただけでわかる、初期装備に近い俺なんかと違って熟練のプレイヤーだ!

 

『……』

 

くそーカッコいい鎧で見下ろして……!

俺だってそのくらいの装備があればと三下っぽいことを考えていると、そのプレイヤーがなんと俺に向かって蘇生の呪文を唱えてくれたではないか。

 

『あ、ありがとうございます!』

 

そうエモート付きで感謝をすると、ご丁寧に今度は回復の呪文まで唱えてくれた。

見た目は厳ついけれど、何て良いプレイヤーなんだ……せこい考えを持っていた自分が恥ずかしい。

 

『あの、良ければパーティ組んでくれませんか、一人ではここのボスに勝てなくて……』

 

……俺は早くストーリーを進めたかったのもあって、その鎧のプレイヤーにイチかバチかパーティを組んでくれるように依頼をしてみることにした。俺一人では多分もう一度戦ってもボスは倒せないだろうし……でも、きっと断られるのだろうな……。この人から感じる孤高のオーラに、なんとなくそう思う。

 

……鎧の騎士はしばらく考え込んでいる風だったが、暫くしてチャットが返ってくる。

 

『良いですよ』

 

意外にも、快い返事が返ってきてテンションが上がる。早速パーティ申請を送るとすぐに、仲間の情報が画面内に加わった。プレイヤーネームはサヨさんか。何だか最近どこかで聞いた名前だが……まぁ、オンラインゲームに本名を入れるわけがないし、何かのモジりなのだろう。

 

『ありがとうございます!よろしくお願いします!サヨさん』

 

『こちらこそ、よろしくお願いします。カツカレーさん』

 

真面目にそう答えられると、何だか俺のニックネームが非常に滑稽に思える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『私がボスを抑えるのでその間に取り巻きを!』

 

『わかりました!』

 

戦闘が始まる。

今回のボスは大樹を滅ぼそうとするデカイ毒蜘蛛である。

見た目の通り、蜘蛛の糸で動きを封じて、毒針や、麻痺する粘液を吐いてくる強敵である。先ほど戦った時には、HPが減ってきたときの麻痺粘液でしびれてしまい、その間に取り巻きと一緒にぼこぼこにされてしまったが……今回は頼もしい前衛が居る。先ほど情報も伝えたし、きっと大丈夫だろう。

 

周りの取り巻きである小さな蜘蛛はそこまで強くない。通常の雑魚より少し強いが、俺一人でも大体通常攻撃4回ほどで1体は倒せる。それがさっきは2体で今は4体か……。どうやら組んでいるパーティの人数で敵の数も変わるらしい……。

 

『っく、数が……多いな、ここはこのスリープナイフで!』

 

取り巻きに短剣で眠り攻撃を仕掛ける。すると、雑魚には催眠耐性がついていないのか、瞬く間に眠ってしまう……これで、一体ずつ処理できるはずだ!

その間も、サヨさんは一人で蜘蛛のボスを抑え込む。

 

『なるほど、スリープを入れて……すごいですね。カツカレーさん』

 

『そんな、すごいのはサヨさんですよ!ボスを一人で!』

 

『いえそれほどは、あ、一体、ベビータランチュラがこちらに来ています』

 

『あ、はいすみません』

 

こちらの賛辞も聞き流し、ボスに集中するサヨさん。真面目な人だな……。

サヨさんに向かってしまった取り巻きを引き剥がすと、こいつにもザクザクと短剣で攻撃をする。

 

『SIGYAAAAA!』

 

おぉ!蜘蛛が糸や毒針を放っているが、サヨさんは何かスキルを使っているのか、状態異常をものともしない。それどころか、持っている剣で逆にボスを圧倒している。こちらも最後のベビータランチュラを倒してサヨさんの後ろにつくと、ぺちぺちと短剣でヒットアンドアウェイを繰り返す……いまいちダメージが出ていないのはご愛敬だ。

 

これは楽勝だなと、相手のゲージを1割近くまで削ったころに、ボスの幾つもある黒い目の色が、怒ったように真っ赤に染まる。

 

『あ、サヨさん、なんかやばそうですよ、下がった方が』

 

『問題ありません。全て防ぎます』

 

やばい、カッコいい……!

盾を構えてボスを押し込めるサヨさん。相手が麻痺液を吐き出し始めたが、そんなもの、自信満々のサヨさんに効くわけ

 

『うっ』

 

『サヨさん!?』

 

麻痺して動けなくなるサヨさん。瞬間、相手の特殊な捕食攻撃モーションに入り、一気にHPゲージが減ってしまう。慌てて高価な回復薬をサヨさんに使用すると何とか即死圏内から離れたが……。

 

『GIYAAAAAAA!』

 

再び取り巻きがポンポンと背中から現れる。おまけに、捕食攻撃によりサヨさんのHPを吸い取ったようであった。く、くそ。あとちょっとだったのに。持っていた麻痺治療の薬を使うと、サヨさんの体に自由が戻る。

 

『すみません、助かりました。それに今の回復薬……』

 

『いえ、それよりも今は』

 

『……えぇ、今度は大丈夫です!』

 

再び立ち上がると蜘蛛のモンスターに立ち向かうサヨさん。

取り巻きは再び俺がスリープナイフで引き剥がし……やがてその数は0になる。

すると、再び、目が赤くなり、麻痺液を吐き始めるも、今度はそれもタイミングよく盾で払いのけるサヨさん……おぉ、今のカッコいい!すると、ボスは疲労したのか動きが鈍くなり始める……。

 

『さぁ今です!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ありがとうございました!おかげでボスが倒せました!!』

 

ボスを倒した後、ムービーを見終わるとボス部屋の外で改めてサヨさんにお礼を伝える。それにしても、かっこよかった。俺の方には的確な指示が飛んできて、サヨさん自身はボスの攻撃を全て無効化、一度危険な状態にはなったが、最終的にボスの攻撃はただ一発も飛んで来なかったのだ。

 

『別に、感謝されるほどのことではありません。それに私もあなたが居てくれてとても助かりました……実は、昨日もこのボスに挑んだのですが、全然勝てなくて』

 

『え、そうだったんですか?』

 

意外だった。こんなに強いのに……。

 

『はい、ストーリーは見たかったので必死に倒そうとしたのですが……取り巻きが邪魔で』

 

『なるほど……あれサヨさんも、ここのストーリーは初めて見るんですか?』

 

『えぇ、サブクエストばかり進めていて中々メインクエストに取り掛かれませんでしたから……』

 

なるほど……サブクエストの報酬のおかげでこんなに良い装備を持っているのか。俺はみんなに言われるがままに殆どメインクエストのみ突っ走ってきたからなぁ。

 

『良い話でしたよね。差別を受けていたのに、小さな子供があんなに頑張るだなんて』

 

『えぇ、あの子の為にも、勝てて良かったです。これで、大樹も元通りなればいいのですが……』

 

サヨさんのその言葉を聞いていると、今度は次第に得も言われぬ達成感が湧いてくる。これだ、これなのだ!今まではボスを倒しに行っても、俺以外のメンバーが強いからボスに勝っても無感動だった。けど今は違う、きちんと自分も戦ったという実感がある。

 

ストーリーについてもそうだ、あいつらは先の展開を知っているから、あーはいはいと言った感じで……俺が余韻に浸る間もなく次の場所への指示がポンポン飛んできて、なんかこう、いまいち冒険してる感はなかった。でもこのサヨさんは俺と同じで初めてストーリーを見ているからか、その後どうなるのかと続きも気になっているようで……それが、何故だかすごく嬉しく感じた。

 

『あの。サヨさん、良かったら何ですが……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日もNFOにログインをすると、早速見慣れたキャラクターからチャットが飛んでくる。

 

『サヨさん!こんにちは!』

 

『カツカレーさん、こんにちは』

 

彼と出会ったのは一か月前の事。とあるボスを倒す際に協力してほしいと言われたのが始まりであった。苦心の末に一緒にボスを倒すとフレンドになってほしいと言われ、一緒にメインクエストを進めて……気が付けば、彼とプレイをするのが当たり前になってしまっていた。

 

『今日は何しますか?』

 

『そうですね、今日は……』

 

一緒にレベル上げを行い、素材を集めてクエストをこなす。

今までも同じことをしていたはずなのに、彼とチャットをしながらプレイしているとあっという間に時間が過ぎていく……一緒にプレイをする相棒が居るというのは、心地が良いものであった。宇田川さんや白金さんが練習後に毎日ログインをしていた気持ちが今ならわかるような気がする。

 

『あ、サヨさん、そういえば新しい装備作りたがっていたじゃないですか。あれ、作りに行きましょうよ』

 

『え、でも……』

 

『こういう時くらい、盗賊のぬすむスキルを役立たせてくださいよ』

 

そういって、威張るのエモートを使う彼を見て、何だか頬が緩んでしまう。

 

『わかりました。よろしくお願いします、カツカレーさん』

 

『いえいえ、じゃあ、行きましょう!』

 

そういって小さな体でジャンプしながら走り始めたカツカレーさんに走ってついていく。あまり前に出られると守るのが大変なのに、全くもう。そう思いながらも、その日もカツカレーさんと一緒に世間話をしながら素材を集める。彼もギターをやっているらしく、その話でもよく弾んでいた。気が付けば、私もカツカレーさんがログインしている時間を狙ってログインをするようになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなある日の事だ。

 

「あら、カツカレーさんがログインしているわね」

 

無言でログインしているカツカレーさんを見つけた。いつもなら、私がログインをしていれば人懐っこくパーティ申請とチャットが飛んでくるというのに……。何だか不思議に思いながらも彼のいる町まで戻り、入口の近くにいたカツカレーさんに向かってチャットを打ってみる。

 

『カツカレーさん、こんにちは』

 

『……』

 

『カツカレーさん?』

 

『んどぃおあのうぇsんl』

 

『カツカレーさん!?』

 

急に意味不明な羅列をチャットで打ち始め、彼の小さなキャラクターが右に左に、跳ねたりしゃがんだりと挙動不審に……カツカレーさん。い、一体何が……!?

 

『びぃあ0』

 

『だ、大丈夫ですか?何かありましたか?』

 

『だいじょぶ』

 

しばらくして、キャラクターが動かなくなったかと思えば。ぴょんと一回はジャンプをして、そう返事が返ってくる……。なんだか、いつもの彼らしくないような……。

 

『いこ』

 

『え?えぇ、それは構いませんがどこに』

 

『ごご』

 

『カツカレーさん!?まだパーティを組んでませんよ!?』

 

そういって、カツカレーさんが爆走を始めたので慌ててその後ろを追いかけ始める。この先は私もまだ行ったことがない強力な敵が居る深海エリアだったはずだが、私たちのレベルで立ち入る場所では……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『カツカレーさん!止まってください』

 

そういうと、海藻や珊瑚の生えた深海の通り道をジグザグに走っていたカツカレーさんの動きが止まる。そして

 

『ごめ』

 

『んさい』

 

そう謝罪が返ってくる……しかし、何だろうか、今日の彼は普段と少し違うような……。

彼にパーティー申請を送ると、無事に、パーティは組めたようであった。ステータスなども、異常は見られない……。

 

『よろしくおねが』

『しま』

『す』

 

『こちらこそ』

 

とチャットを打っているといつの間にか近づいてきていた敵とカツカレーさんがエンカウントしてしまう。大きな矛を持った魚人の敵……。ここは

 

『カツカレーさん、いつものコンボで行きましょう!』

 

初めて見る敵は慎重に。私が前衛で守りながら、彼に状態異常をかけてもらう。それがいつもの必勝法である。私が盾を構えるスキルを発動した、のに、カツカレーさんはそれをすり抜けて敵に一目散に向かっていき、通常攻撃を繰り出した!?

 

『とう、やあ』

 

『カツカレーさん!?』

 

敵の矛攻撃がカツカレーさんを襲う。あっという間にHPゲージは赤くなり、瀕死になってしまっている!?

 

『カツカレーさん、早く私の後ろに!』

 

『』

 

『カツカレーさん!!』

 

私の言っていることがわからないのか。またもや敵の攻撃をまともに食らうカツカレーさん。当然ゲージは0になる……。仕方なく、私はその場を一度離脱して、彼から敵が離れていくのを待つことにした……。

 

 

 

 

 

 

『しん』『じた』『ごめ』『なさい』

 

そういって死んでいる彼の亡骸に近づき蘇生呪文を唱えると、彼が復活してピョンピョンとその場を跳ねる……おまけに、今度はぐるぐると私の周りをまわり始めて……飛び跳ねる。

 

『ありがとう』

 

『……あなた、本当にカツカレーさんですか?』

 

そう尋ねてみると、ぴたりと、嬉しそうに走り回っていたカツカレーさんの動きが止まる。

……いよいよ私の推測は確信へと変わっていた。カツカレーさんの動きにしてはあまりにもお粗末すぎるし、何だかチャットも初心者だった湊さん並みに酷いものになっている。そこで、頭の中をよぎったのが……

 

『あなた、カツカレーさんのアカウントを乗っ取っていますね?』

 

アカウントの乗っ取りというもの。運営からのお知らせに書いてあったが、昨今、こういったネットゲームでは他人のアカウントを乗っ取ってフレンドに不正なメッセージを送ったり、アイテムを全て盗まれたりする被害が頻発しているらしい。そして彼も今、その危機にさらされているのかもしれない……。

 

『あなたが行っているのは、れっきとした違反です』

『すぐに、運営に通報させて頂きます、覚悟してください』

 

事件の現場にいる。そう思うと自然と鼓動が早くなっていく……興奮した手つきでチャットを打っていると……。

 

『ごめんあさい』

『やめて』『にーちゃ』

 

といったチャットが返ってくる……何か様子がおかしいが……しかし

 

『なんのつもりか知りませんが』

『私の大切な仲間であるカツカレーさんを偽るのは許しません!』

 

そう宣言すると。カツカレーさんの偽物のチャットが動かなくなる……。観念したのかと、そう思った時だった。

 

『あ!まって、待ってください、サヨさん!通報待って!』

 

『?』

 

急に「慌てる」のエモートと一緒にカツカレーさんのチャットが返ってくる。どことなく、雰囲気がいつものカツカレーさんに戻ったような……?

 

『今、妹が泣きながら謝ってきて何のことかと思ったら、どうも、俺が店番してる間にさっきまで勝手にゲームをプレイしていたみたいで……』

 

『はぁ』

 

『すみません。とにかく今は妹を宥めるので……また今度』

 

『あ、はい、また……』

 

ぴっと、カツカレーさんがログアウトしていく。

 

「何だったのかしら……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「にーちゃ、ごべ、ごべんさい」

 

「もう良いから、サヨさんも、わかってくれたから。な?」

 

「ぐす……ぐす、だっれ、にーちゃのきゃらひっく、ツーホーする、許さな、ゆるさないって……」

 

「もう大丈夫だから気にするなよ」

 

両手で目元を抑えて泣きじゃくるはぐみの頭を撫でながら、何度も慰めの言葉をかける。

どうやらはぐみのやつ、俺のアカウントを使ってNFOで遊んでいたらしい。そして、行動を怪しまれたサヨさんに通報されかけて慌てて俺のところにやってきて……このように、すっかり大泣きだ。

 

「にーちゃ、ぐす、……えも……」

 

「ほら、元気だせ……そうだ、冷蔵庫にあったプリン、食うか?」

 

「ぷいん……?」

 

ぐす、えぐと嗚咽を漏らしながらもプリンという言葉にはしっかりと反応する。そのまま泣いているはぐみの手を繋いで階段を降りると、はぐみをソファに座らせ冷蔵庫から取ってあったプリンを取り出し、ついでに銀色の小さなスプーンを持ってくる。

 

「ほら、冷たくて甘いぞ~」

 

そういってプリンを乗せたスプーンをはぐみの前で左右に動かすと、はぐみは口を半開きにして八重歯を見せたまま目を左右に動かす。そして、それを口元に運んでやるとぱくりとかぶりつく。

 

「ん……えへへ、美味しい!」

 

「そうだろそうだろ」

 

「うん!」

 

そういって一口プリンを食べるとはぐみの顔に笑顔が戻る。昔からこうだ、泣いても美味しいもの食べればはぐみは元気になるし。一回眠って次の日になればけろっとしている。

はぐみの隣に腰かけて、俺は机に置いてあった、せんべいの袋を一つ開けてバリバリと食べ始める。渇いた口の中が、更に渇いていく……。

 

「で、なんでこんなことしたんだ?」

 

「…………」

 

そういうと、機嫌よくプリンを食べていたはぐみの顔が曇っていく

 

「兄ちゃん怒らないから……言ってみ」

 

そういうと、はぐみが食べ終わったプリンを机に置いて、震える口元を開く……

 

「最近、兄ちゃん、ゲームばっかりやってて。だから、はぐみ、兄ちゃんのレベル上げ、しとこうと、思って……」

 

「……はぁ?レベルあげ?」

 

「に、兄ちゃん昔、ゲームのレベル上げはぐみにやらせてくれて、それで、強くなってたら、はぐみのこと、すっごく褒めてくれたから、それで……」

 

予想外の言葉に思わず開いた口が塞がらなくなる。

そういえば、昔そんなこともあった。一人用のゲームを隣から見ていたはぐみに、宿題やるときとか、風呂に入るときに、レベル上げならやっていいよ、と言ってやらせてあげたことがあったのだ。決定ボタンをポチポチと押すだけの単純作業だったが、何が楽しいのかはぐみは喜んで引き受けてくれて、それで……。

 

申し訳なさそうにシュンとしているはぐみ。その頭をぽんぽんと数回軽く叩く。

 

「馬鹿、兄ちゃん今回は頼んでないだろ」

 

「ごめんなさい……」

 

「良いって……じゃ、兄ちゃん店番戻るから」

 

そういって立ち上がると、まだ申し訳なさそうにしているはぐみに向かって去り際に一言残していく。

 

「後で……なんか一緒にゲームやるか」

 

徐々に、八重歯を見せて目を細めるはぐみ、次には元気よく、うん!という声が家の中に響いた。

 

 



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19話

今日はいつにも増してツイていた。

 

当たり付きの自販機では珍しく7が揃ってもう一本貰うことができたし、予約していなかったアーティストのCDは最後の1枚でギリギリ買うことができた。自分は運のない人間だと思っていただけに、このバカヅキは我ながら珍しいと感心していた。

 

「え~、そんなところでアーム止めちゃうんだ?何か意味があるのかな~」

 

だが……それも長くは続かなかったようである。クレーンゲームのアームはお菓子についたリングにかすりもせず空を切る……自分の運を信じてやってきたゲームセンター、景品をとるどころか、投資は増える一方……そして、その不運に更に拍車をかけるのが隣で覗き見しているターコイズブルーの髪色に若草色の釣り目が特徴的な少女……

 

「あ~あ、100円無駄になっちゃった」

 

氷川日菜。おそらくこの少女、人をイラつかせる天才である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぐみの兄ちゃんは苦労人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再び百円を投入してクレーンゲームに向き直る。

今取ろうとしているのは市販のものより大きなベビーチョコやアポロといったお菓子たち、それがタワーのように高く積み上げられている。一見、簡単に全て落とせそうに見えるお菓子タワーであるが、こういったゲームセンターの筐体って、昔に比べてやけにアームの力が弱くなった気がする。というより、弱すぎる。今度はお菓子のリングにうまく引っ掛けられたが、アームはまるでやる気がないのか、お菓子をほんの1ミリ程度動かして仕事した気で帰ってくる。

 

「っく」

 

「あ!わかった!おにーさん、ワザと失敗してるんじゃない?」

 

「ワザと?」

 

「あんまり簡単に取っちゃうと、クレーンゲームって面白くないからね~」

 

うんうんと腕を組んで頷く日菜ちゃんを見て、百円をもつ手に力が入る。

……初めはツイてるなと思ったよ。ゲームセンターの入り口で偶然この娘に会ったこと。

出会うなり、目を輝かせて、俺のファンでまた会いたかったーなんていうじゃないか。こんな可愛い子にそんなこと言われて悪い気になる男子は居ないだろう。それで、その良い気分のまま当初の目的であったクレーンゲームをやっていたら……このザマである。この子、本当に俺のファンなのか?と疑いたくなるほどの煽りの連発……。しかも、無自覚らしいというのがなおさら性質が悪い。

 

「日菜ちゃんはあんまりこういったゲームをやらないのかもしれないけど、こういうのは一発で取れないようになってるんだよ」

 

「うそだ~。だって、あたしなら一回でできちゃうけどなー」

 

「アームが弱くて、少しずつずらさないと……「取れたよー!」……」

 

ドサドサっと、取り出し口に落ちている山積みになっていたお菓子たち。店泣かせのワンコインでの総取りである。一つ取るのに、既に700円も使っていた自分が馬鹿みたいに思える。

 

「はいおにーさん!これ、欲しかったんだよね!」

 

曇り一つない眩しい笑顔でお菓子を全部渡してくれる氷川日菜……。俺のために取ってくれたのだろうが……嬉しいのは嬉しいが、何とも言えないもやもやした気分である。

 

「ありがとう。でも、一個で良いよ……」

 

「そう?じゃあ、他のはおねーちゃんと食べよっと!」

 

お菓子を入れるためにぬいぐるみ用の大きな袋を渡してくれた店員さんは、笑顔であったが目は笑っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲームセンターを出たというのに、俺の隣をニコニコ顔で引っ付いてくる日菜ちゃん。意味もなく交差点を曲がると同じように曲がって、走って点滅していた横断歩道を渡ると、同じように走って隣をついてくる……

 

「ねぇねぇ!おにーさん!どこ行くの~?」

 

観念してゆっくり歩き始めるとステップするように俺の前へと出てそう尋ねてくる。

 

「別に、暇だからフラフラしてるだけだよ」

 

「あたしも一緒!せっかくの休日なんだもん。家ん中にこもってたらもったいないしね」

 

こっちを向いたまま後ろ歩きをして顔を輝かせる日菜ちゃん。その歩き方、危なくないか?そう言ったのだが、平気平気~と、後ろに目が付いているんじゃないかと思うくらいスイスイ人の波を躱していく日菜ちゃん……。って!

 

「きゃ!」「あぶないっ!」

 

がッと段差に躓き、後ろに倒れそうになった日菜ちゃんの手を引いてこちらに思いっきり引き寄せる!ほら見ろ!言わんこっちゃない!

 

「あ、ありがとう」

 

だから言ったのに……

引き寄せていた身体を離して、怪我がないか尋ねてみる。日菜ちゃんはどこか打ったのか、もじもじとしていて、先ほどまでと様子が違って見える……。

 

「どこか、痛いのか?」

 

「う、ううん、けどなんか、胸がキューンって、苦しい……っ!」

 

「さっきこっちに引き寄せたときに胸を打撲したのかもな……念のため病院に……」

 

「う、ううん!大丈夫、ちょっと、落ち着いてきた……から」

 

そう言いながらも、日菜ちゃんは俺と話すとき、明らかに目を逸らしていて、普通の調子ではなさそうだった。強く引っ張りはしたけれど、そこまで強くぶつかったわけじゃないはずなんだが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後も、少し様子のおかしい日菜ちゃんを連れたまま、江戸川楽器店へとやってきた。ドアを開けて中に入ると、涼しい風が、俺たちの事を出迎えてくれる。最近また暑くなってきたので生き返った心地だ。

 

「わー!すずし~!」

 

「いらっしゃい……ムム、メズラシイナ、「カノジョ」ヅレナンテ」

 

カウンターで「デベコ」とかいう悪魔のぬいぐるみと戯れたまま、こちらに声をかけてきたのは鵜沢リィ。Glitter☆Greenのベース担当にして、俺たちのバンドと同時期にデビューしたバンド同期である。リィの冗談に、日菜ちゃんは驚いたように顔を赤く染める。

 

「どこをどう見たらそうなるんだ」

 

「そう?結構お似合いよ、あなたたち」

 

「……えへへ」

 

ケラケラと笑うリィの茶々を聞き流しながらギターコーナーへと向かった。

所狭しと並ぶ楽器の数々、昔はこの妙に気取った空気というか、別世界のような楽器店の雰囲気が苦手だった。

 

バンドの皆と一緒に戦々恐々としながら楽器を買いに来たことを昨日のことのように思い出す。初心者の俺たちには試奏なんて言われても音の違い何てさっぱり判らなかったし、店員に言われるがままに高い楽器を買って……。それから、わからないなりに毎日楽器を練習して、夜にうるさいとかーちゃんに怒られたり、はぐみにギターを教えたり……。

 

「オキャクサン、オメガタカイ!そのフェイザー、今日入った新作よ」

 

「え、あぁ」

 

昔を懐かしんでいると、偶然立っていた目の前にあるフェイザーを勧めてくるリィ。思わず口元に手をやり、表情を隠す。いつの間にか、笑っていたらしい。

 

「ん~、これ欲しいの?カノジョが買ってあげよっか~!」

 

「ば、馬鹿言うな」「あはは」

 

口に手をやり、悪戯っぽく笑う日菜。段々と素の彼女に近づいていると、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音楽店を出た後も、日菜は俺の後をトコトコとついてきていた。初めは嫌な奴だと思っていたけど、向こうが俺の事を気に入ってくれているのは何となく感じ取ることができる。そう思うと、煽りのようなセリフなども段々と気にならなくなってきた。歩きながら江戸川橋駅近辺までやってくると、隣に居た日菜があ!と何かを思い出したような声を出す。

 

「ねぇ、アイスたべよーよ!」

 

「アイス?」

 

「うん!この先にあるアイスクリーム屋さん、ヒヤッとしてて、甘くてすっごくるんって感じなんだ~!」

 

「アイスかぁ……」

 

確かに、今日は暑い。冷たいアイスを食べるのにはもってこいかもしれない。行くか、と短く返事をすると、目を細めて日菜は手を叩く。

 

「あ!アイスと言えばね!この前、彩ちゃんが、かき氷をガガガ―ってしてキーンとしてフラフラしたと思ったらドガシャーンってなっちゃって!」

 

「へぇ」

 

かき氷をいっぺんに食べたら頭がキーンとしてしまい、眩暈で歩いているとイスか何かで転げてしまったらしい。確かにあの子、この前会った時に少しどんくさい印象を受けたけど、そこまでとは。そう思いながら話を聞いていると、上機嫌で話をしていた日菜ちゃんがあ!と再び声を出して、今度は暗い顔で押し黙ってしまう。

 

「どうかしたのか?」

 

「あ……えっと、あたしの話、わかりにくいよね?おねーちゃんにもよく言われて……」

 

「話?あぁ、別に、俺は普通にわかるけどな……気にしなくても良いよ」

 

思いがけないことを聞いた風に眉を上げる日菜ちゃん。そして、目をキラキラと輝かせる。確かに独特な擬音が多いなとは思うが、ウチの家族も大概である。代名詞やフィーリングだけで話すことが多いし、日菜ちゃんの喋り方を変に思ったりはしなかった。とーちゃんなんて偶に、アレだよアレ、だけで会話を成立させようとするから、それに比べたら全然ましだ。

 

「そんなこと言われたの初めてかも……!」

 

「そうか?」

 

「うん!えへへ〜……」

 

照れくさそうに頬を掻く日菜。不意打ちでそういう女の子らしい表情を見せるのはやめてほしい……。目のやり場に困り、全くの反対側に顔を向ける。……?雑踏の中、俺の目にはある光景が飛び込んでくる。

 

「……」

 

「おにーさん?」

 

「ちょっと待っててくれ」

 

道を逸れてそのまま駅の前まで向かっていくと、先ほど見つけた腰の曲がった御婆さんのところまでやってくる。さっきの様子を見るに、何か困っているみたいだったが……。

 

「お婆さん、どうかしましたか?」

 

「おーおー、お兄さん。ちょっと、道を聞きたくて……」

 

中腰の姿勢でお婆さんに話しかけると、肩を数回ポンポン叩いてから、俺の方に手を乗せて体重を預けてきた。結構、よれよれの見かけによらず重い……。

 

「え~、どこに行きたいんですか?」

 

「江戸川公園という所に行きたくて……」

 

「それなら、こっち側じゃなくて、反対側の出口ですね。駅を戻って反対側の出口を出て、そのまま左に歩いて3個目の信号を右に行けば……」

 

「なんじゃようわからんのう……」

 

そ、そうだろうか。結構わかりやすく説明しているつもりだったのだが……。ていうか、さっきから肩に手の甲の「骨」が食い込んできて痛くなってきた……。

 

「えーっと、じゃあ、近いし送っていきますよ」

 

「おーそうかそうか!悪いのうしかし」

 

そう言って立ち上がると、ぎゅっと御婆さんが突然しわしわの手で俺の手を握ってきた。驚きはしたが、まぁ良いかと前を向く。が、しかしそこで変わった連れがいたことを思い出した。さっき居た場所に振り向くと、そこに日菜の姿はなくて……

 

「江戸川公園だよね、行こう、おばあちゃん!」

 

「おうおう、すまんのうお嬢ちゃんも」

 

気が付くと、お婆さんの反対側の手を握って前を歩き始める日菜。鼻歌を歌いながら、そのつないだ手を大きく振って歩いていると、お婆さんは、痛いわ!と日菜に向かってキレていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「面白い御婆さんだったね~」

 

「あぁ、ああいう人ほど長生きするのかもな……」

 

お婆さんを公園に送り届けると、お礼をしてくれたのは良いのだが、その後、なんかよくわからない味の飴をもらって、立ち去ろうとする俺の手を握って、更に10分ほど延々と感謝の言葉を述べてきた。感謝に交じって、娘に邪険にされているという愚痴も混じっていたが……何にせよ、ちょっと、疲れた。

 

「あ、ほらほらアイス屋さんだよ~!飴まずかったから、口直ししないと!」

 

……ちょっと不謹慎だぞ、とは思ったが気持ちはわかる。暑さも大概にきつくなってきたし、そのまま店へと近づくと、どこかで、聞いた声が耳に聞こえてくる。

 

「う~ん、美味しいね~つぐ~。やっぱり来てよかったでしょ~」

 

「うん!甘くてひんやりしてて、すっごく美味しいよ!」

 

「そして、今日も冬に向けて着々とカロリーを貯めこみ続けるひーちゃんなのであった……」

 

「ちょ、モカ~!」

 

あははという楽し気な笑い声が聞こえてくる。どうやら……アイス屋の前に設置されてるテーブルに居るらしいが……とやっぱりこの声、アフターグロウの面々で間違いないみたいだった。今日は5人そろっているらしく俺に気が付いた巴が嬉しそうに手を上げてくれる。そして、次には驚きで目を白黒させる。

 

「日菜先輩!?」

 

「やっほーみんな!元気してる?」

 

「と、お兄さん~?ふ~む、なるほど~」

 

どうやら、日菜ちゃんも既にこの5人と知り合いらしい。気さくに両手を振って挨拶をしている。

 

「まぁ、なんだ、そこで偶々会って、そこからなし崩し的にな……」

 

どこか、説明を求めるつぐと巴の視線に答えるように口から勝手に言い訳めいた言葉が出てくる。って、別にやましいことなど何もないじゃないか、なのに、なんでこうも緊張するんだろうか……。よくわからない圧を感じて気が付くと、手にはべったりと汗が浮かんでいるようである。もしかしたら、さっきのお婆さんの汗かもしれないが。

 

「今日は、お兄ちゃんと二人で何を……」

 

「ん?ん~……デートかな!」

 

「で!?」

 

「デート~!?」

 

ガタンと席を立つ巴。いくら俺がモテないからって、そこまで驚くことないだろう。っていうか、これって、デートだったのか。

 

「デート、いいな~」

 

頬に手をあててうっとりとした目線を向けるひまりちゃんに対して、ニヤニヤ楽しそうなモカ、呆れたような蘭、そして、困ったようなつぐに、座った目をした巴……。不意に、巴がわざとらしく咳ばらいをした。

 

「おほん、えーっと、念の為に聞きますけど、二人はその、つ、つつつ、付き合ったりはしてないですよね!?」

 

「付き合う?ううん、してないよ?」

 

そりゃそうだろ、なんでそんなわかりきった事

 

 

「でも好きだよ」

 

 

 

「「「「「「っ!!?」」」」」」

 

空気が凍った。思わず隣に立っていた少女を見ると、その顔は冗談を言っているようには見えなくて……。俺と目が会うと、照れくさそうに初めてみる顔で笑った。

 

「えっへへー」

 

「お、おぉ~これは、意外な爆弾発言~……」

 

「ひ、日菜さん。好きってそんなストレートに……すごいね、なんか」

 

こ、この子、今日会ったばかりなのに、いや、正確には2回目だが、どうしてそんな事言い切れるんだ?喉のあたりがかっとなって、上手く言葉が出てこない。耳が熱い。

 

「日菜先輩!日菜先輩!ちなみどんなところが!?」

 

遠慮という言葉を知らないのかひまりちゃん。ずずいと身を乗り出して質問をしてくる。

 

「ん~っとね、理解できないところ!」

 

「理解」「出来ないところ……?」

 

口元に手を当てて思案した後、笑ってそう答える日菜ちゃん……。わけがわからないと頭に疑問符を浮かべているアフターグロウの面々……俺だってわけがわからない。ただ、立ってるだけなのに心臓の音は破裂しそうなほど早くなっている。

 

「へ、へぇ~……でも、アタシの方がコイツとの付き合いは長いですよ?」

 

立ち上がった巴が日菜の前に現れると、自分に向かって親指立てて喧嘩腰にそう言い放つ。

 

「え~、好きっていうのに、付き合いの長さとか関係あるのかな?」

 

「え?」

 

「あ!もしかして巴ちゃんもお兄さんのこと好きなの!?」

 

「なななななっ!!?何言ってんですかっ!!?」

 

そうなんでしょ~っと挑発的な笑みを浮かべる日菜に巴は動揺を隠せない。突然、そんな変なこと言われたら動揺もするだろうが、なぜだろうか、すごく胃がキリキリしてきたぞ。できることなら、この場を走って逃げ出したいような……。

 

助けてくれ、つぐ。

そう目を向けると……

 

「……」

 

自らの手を不安そうに胸元に当てて、なんだか泣きそうな顔をしているつぐみ。な、なんだ、どうしてそんな顔を……まさか

 

「つ」「なんかね、彩ちゃんみたいだよね!」

 

ピタッと、そこでまた空気が変わった。凍てついた空気から、どこかカラリとしたものに。

 

「あ、彩さんに?」

 

「うん!今度はどんなことやるんだろ~って、何するかわからないところとか!なーんの得にもならない人助けしたりして、理解できないんだよね~。ほんっと!面白い!」

 

「……と、友達、そ、そうだよな!日菜先輩がまさかな!アハハ!」

 

キラキラと目を輝かせてそう語る日菜ちゃんにはぁと大きなため息をついた蘭たち。どうやら、彼女の好きは、友達に向けるそれと同じってことらしい……何だか疲れてしまった。

 

「それと……あれ?どうかしたのみんな?」

 

「まぁまぁ、日菜先輩~、それより一緒にアイスクリーム食べましょうよ!お兄さんもほらほら~」

 

何だか残念なような、安心したような……?

 

「じゃ、一緒に食べようよ!おに~さん♪」

 

「「あーっ!!」」

 

ぐいっと俺に腕を組むと日菜ちゃんは楽しそうに笑う。

これも友達としてか、と思うと複雑だったが……こんなに可愛い子に懐かれて嫌なわけがない。

 

 

 

 

 

 

(うん、やっぱり彩ちゃんとは少し違ったかも。だって、こんなに、ルルン♪って、なっちゃうんだもん!!)



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最終話

「母ちゃん、父ちゃんとはぐみは?」

 

「もう待ちきれないって言って、とっくに出て行ったよ」

 

あくびをしながら居間に出てくると、台所に立っていた母ちゃんが洗い物をしていた手をエプロンで拭きながらそういった。

今日は商店街のお祭り当日。昔、中止になる案もあったらしいが今回も無事に開催されることになったらしい。その背景にはとある女子高生バンドの影響もあるとのことだが……。

 

「出て行くったって、出店はウチの目の前に出すんだろ?」

 

「はぐみは今日出し物をするからその準備だって言ってたねぇ、とーちゃんは、まぁそのうち帰ってくるでしょ。っと、それよりほら、はやく食べちゃって出店の準備をしとくれ」

 

どんっとおかれた大き目の皿の上には塩のかかった赤いソーセージとサラダに目玉焼き……続いて山盛りの湯気の立った白ご飯と味噌汁。手を合わせてソーセージを口の中に放り込むと、茶碗を持って温かいご飯を掻きこんだ。赤いソーセージが出る日は……大体決戦の日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう、お兄ちゃん!」

 

眩しい朝の日差しを背に受けて、外で事前に渡されていた屋台を組み立てていると、すぐそこの珈琲店からつぐみが顔を出して、こちらまで挨拶にきてくれた。一度作業を中断し、立ち上がる。

 

「おはよう。つぐ。今日はよろしくな」

 

「うん!……お兄ちゃんの出店は、ステーキ串?」

 

ちょうど立てかけられていた「牛串ステーキ」という看板に目を落としてそう尋ねてくるつぐみ。

 

「あぁ、今年はコレだな。コロッケとどっちを出すか~って父ちゃんと母ちゃんで揉めたみたいだけど、結局母ちゃんが勝ってこっちになった。まぁ、父ちゃんのコロッケも並べるらしいから、結局いつも通りかも知れないけど……」

 

「あはは、そうなんだ」

 

折角のお祭りに、何時でも買えるコロッケを売っても芸がないだろう。とーちゃんも、とーちゃんの案を推してたはぐみも無計画すぎるんだよなぁ……。

 

「つぐんちは……」

 

「うちはね、かき氷、やるんだっ!」

 

「へー、いつものソフトドリンクじゃないのか?」

 

「うん、今年は別のお店がソフトドリンクをやるから、被らないようにって」

 

つぐの何処かウキウキとした語り口に自然と笑みが零れてしまう。かき氷と言えば、最近羽沢珈琲店のメニューに増えた新商品だ。値段の割に大きいからと、結構人気があるらしい。

 

「何か力仕事でもあれば呼んでくれよ。手伝うからさ」

 

「うん、ありがとう。お兄ちゃん。わたしも、手伝えることがあればなんでも言ってね」

 

「頼りにしてるよ」

 

やっぱり、つぐは良い子だ……。こんな妹が居れば、人生幸せかもしれん。いや、でもそうなると、妹を嫁に出すときに発狂しそうだ。っていうか、生半可な奴は絶対に認めないぞ、そんなの。

 

「あ、そういえば、今日ははぐみちゃん、アレ、やるんだよね」

 

「……アレ?」

 

そういえば、さっき母ちゃんも出し物をするとかなんとか言っていたな……だが俺には全く心当たりがなかった。

 

「あれ?今日やるんだよね、ハロハピ音頭」

 

「……ハロハピ音頭?」

 

なんだ。その聞いただけで頭の中がハッピーセットになってしまいそうな名前の出し物は。最近、はぐみとあまりギターの練習もやっていなかったし、飯の時も練習が大変だったとかしか言ってなかったから、そんな話きいたことがなかった。

 

「そんなヤバそうな催し物が開かれるのか?」

 

「う、うん。ウチの学校でも薫さんがぜひ見に来てくれ子猫ちゃんたちーって薔薇と一緒にチラシを配ってたよ」

 

「そんな大々的に「ソイソイ!盛り上がってるかー!二人とも―!」」

 

出たなお祭り女。

ざっと現れたのは青い法被、白いハチマキ、赤い髪をポニーテール結上げた宇田川巴。手にはいつか見た名前入りの樫バチが握られていて、祭が始まる前からやる気満々のようである。

 

「おはよう、巴ちゃん」

 

「おはよう!しっかし、良い天気になったよなぁ!まぁ例え雨が降ってたとしても、アタシたちの気合いで吹き飛ばすだけだけどなっ!ははははっ!」

 

「いてぇって」

 

バシバシと豪快に俺の背中を叩く巴。祭の日はいつも以上に暑苦しい。っていうか痛い。

 

「今日も太鼓やるのか?」

 

「お!そうなんだよ~なんといっても、今日はハロハピ音頭だからな!」

 

そういって得意げに笑う巴。だから、なんなんだ、そのハロハピ音頭ってのは。

 

「って、まさか巴も出るのか!?」

 

「おう!アタシだけじゃないぞ。香澄に紗夜さんだろリサさんに、後今回はなんとあこまで出るんだ!」

 

いまいち統合性がないメンバーだと思う。っていうか、そのメンバーみんなでソイソイ言って太鼓を叩くのだろうか?想像できないというか……。おっと、それじゃ、アタシは準備があるから!と言って軽く手を上げると。巴は再び風のように走り去って行く……道中様々な人に挨拶しながら。まったく、呆れるくらい元気な奴だな。

 

「じゃあ、俺たちも準備に戻るか」

 

「うん!そうだね。今日は頑張ろう!」

 

ぎゅっと両手でガッツポーズを作ると張り切った表情を見せてくれるつぐみ。つぐ、お前だけが、俺の癒しだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

屋台を設置したり、交差点の中央にデカイ紅白の櫓を組み立てたり、道のわきに簡易ゴミ箱を設置するのを手伝ったりしていると、日が暮れ始め、街に夕焼けが差し始めた。そうなると、いよいよ辺りに祭囃子が聞こえ始め、商店街もにわかに活気づき始める。

大通りはすっかり出店と通行人で埋め尽くされており、フランクフルトにタコ焼き屋、金魚すくいにヨーヨー釣りなんて書かれた看板が立ち並んでいる。出店の店主は大体見知った人たちであったが、中には今日のためにわざわざよそから来てくれた見知らぬスタッフの人もいるみたいだった。商店街全体が、浮足立っている気がした。

 

「さてと、じゃあ、そろそろ始めるよ」

 

「ん」

 

母ちゃんの開始の合図とともに、軍手をつけて炭火の通った網の上に串の刺さったステーキ肉を置いていく。今日のために特製のタレで漬け込んだ肉は、煙と共に旨そうな肉の焼けた匂いを運び始める……正直、焼いている自分でも美味そうだなとおもう。

 

「一本、貰おうかな」

 

「はい!……って、なんだ、沙綾か」

 

くるりと焼き目が付いた肉をひっくり返していると、今朝も挨拶をしたはずの、やまぶきベーカリーの看板娘こと沙綾がオレンジ色の法被を着て姿を現す。純と佐南も、手を繋いで一緒に来たらしい。口を半開きにして俺の焼いているステーキ串に目線が釘付けになっている。

 

「あら、いらっしゃい沙綾ちゃん」

 

「こんばんは、おばさん。あの、これお父さんが差し入れですって」

 

「そんなわざわざ、どうもありがとうね」

 

沙綾が差し入れてくれたのはソースのかかった香ばしい焼きそばであった。プラスチックのパックに入ったそれを受け取ると、母ちゃんは白い発泡スチロールの皿を何枚か持って、俺が焼いた肉を素早い手つきで乗せていく。まぁ十分に火は通ったかな。

 

「はい、これ、持ってって!」

 

「え!いや、別にそんなつもりじゃ」

 

「良いの良いの!ほらほら、純君と沙南ちゃんも遠慮しないで!」

 

「わーい!」「ありがと!おばさん!」

 

そう母ちゃんが言うと、純と沙南は素直に受け取って早速ステーキ串にかぶりつき、ん~!なんて幸せそうな声を出していた。それを見て母ちゃんは八重歯を出して笑っていたが、沙綾は少し戸惑っている。

 

「沙綾も、気にせず食べてくれよ」

 

「でもちゃんとお金……」

 

「沙綾ちゃんそんなの、気にしなくて良いから!」

 

「そうですか?……それなら、いただきますね」

 

ぱくっと沙綾が赤茶色いタレの滴るお肉を口に入れ、もぐもぐと食べ進めていくと曇っていた目が少しずつに光が宿る。

 

「美味しい!」

 

頬をさすって、大げさにそういう沙綾。

でもまぁ、確かに今年の牛串は美味いよ。父ちゃんも、あんまり儲けとか考えない性質だから輸入肉とか使わずに良い肉使ってるし。一晩漬けこんだ特製タレの匂いもあって、涎が染み出てくる。

 

「あはは、そうかい。良かったら、千紘ちゃんたちにも持って行ってあげて」

 

「そんな!悪いですよ」

 

そういって手を振る沙綾を無視して、かーちゃんはもう食べ終わった純と沙南を呼び寄せて、ステーキ串を持たせている。まぁ付き合いもあると言え、ウチの家族って気前がいいっていうか、なんというか。そんなのいちいち気にしてられない。網の上に再び肉を乗せて焼き始めると、気が付くと、沙綾以外にもお客さんが行列を作っていた。何本買うのか、何味を買うのかと聞いて3分少々かかる旨を伝えて、次のお客さんの注文を聞く。熱い風が、頬を照りつけこみかめ付近から汗が噴き出てきたのがわかる。。

 

「その、ありがとね。また、ハロハピ音頭で」

 

「おう……ん?ハロハピ音頭で?」

 

そういって一言だけ声をかけて手を振ると去っていく沙綾たち。まさか沙綾たちも出るのか?ってか何なんだよ、その、ハロハピ音頭ってのは!!

炭火の炎を肌で受けながら、ハロハピ音頭なる謎の催し物に、頭を痛めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日が完全に暮れて、辺りが真っ暗になったというのに、商店街の熱気は収まるところをしらない。辺りにはオレンジ色の提灯が付きはじめ、いよいよ祭りも本番といった空気が生まれていた。浴衣を着た少女に、安っぽい光るおもちゃをもった子供連中にビール片手に焼き鳥をぱくつくオッチャンたち。世代は違えど、みんな、楽しそうにしているのは一緒みたいだった。

 

「ふぅ……」

 

「あ!おにーさん!」

 

お客さんが来なくなったので、椅子に座って飲み物を飲み、少し休んでいると奥からカランコロンと音を鳴らして誰かが走ってくる。水色のスミレ模様の浴衣に紫色の髪留めをした少女、氷川日菜。ピタリと俺の前で止まると、どーだ!と言ってくるりといきなりターン……。

 

「おぉ、似合ってるな」

 

「えへへ、でしょでしょ!おねーちゃんと一緒に選んだんだ―!ねぇ、おねーちゃん!」

 

そう声をかけた方を見るとしばらくして、「日菜、あなた急に走らないでちょうだい…」と息を整えながらやってきた長い髪を、サイドからだらんとたらし、それ以外を結上げた髪型の氷川紗夜。日菜と似た白百合柄の紺色の浴衣を着ており、中々の和服美人だ。

それにしても、紗夜ちゃんははぐみと遊んでも疲れたことがないという恐るべき体力の持ち主だったのでは?なぜ息を切らしているのだろう。

 

「こんばんは、紗夜ちゃん」

 

「さ、紗夜ちゃん……!?」

 

赤面すると、何やら狼狽えたようすの紗夜ちゃん。

 

「ん?あぁ、紗夜さんの方が良かったかな」

 

「い、いえ、少しむず痒かったものですから。私は、どちらでも構いませんよ」

 

ちゃん、というのは子供っぽかったのだろう。

 

「紗夜さんだと、俺の知り合いと被っちゃってさ」

 

「そうなんですか、紗夜、というのは最近には珍しい名前だとよく言われるのですが……」

 

「あぁ、いや、たまたまNFOってゲームで同じニックネームの人とパーティ組んでるだけで、本当に人の名前かどうかは……」

 

「……えっ!?」

 

「すごく優しくて、話も合って、なんだか一緒に居て楽しい人なんですよ……って、こんなこと紗夜ちゃんに言っても仕方がないけど……」

 

「……」

 

「あれ~。何顔を赤くしてるのお姉ちゃん。あ、そうだおにーさん!ステーキ串、一本頂戴!」

 

「まいどあり、塩コショウとタレがあるけど」

 

「味が濃い方!」

 

じゃあ、タレだろうか。立ち上がると、休憩を終えて早速牛串を焼く作業に取り掛かり始める。その間、るんるんと目を輝かせながら俺が肉を焼いている姿を見つめる日菜に、何か腕を組んで思案した風な紗夜ちゃん。

 

「あの、もしやあなたはカツ『みんなー!お祭りは楽しんでいるかしらー!!!』」

 

こ、この声。思わず声のした方を見上げると、暗闇の中いつの間にか設置されていた電柱のスピーカー……こ、こんなの、昨日までなかったのに!?ざわざわと、通行人たちも音声を聞いてざわつき始める。こんなことを出来るのは、俺が知る中ではただの一人だけ……。

 

『そろそろハロハピ音頭!始まるよー!!』

 

『子猫ちゃんたちは、みんな、櫓がある中央ステージまで来ておくれ!』

 

『えっと、えーっと……その、ま、待ってます!』

 

『あ~、本当、すみません、急にびっくりさせちゃって。始めるっていっても、後20分くらいあるので、まだゆっくりしていてもらって『みんな~!待ってるわよ~!!』ちょ、ここr』

 

ブツっと、そこで音声は途絶える。たった、これだけを言うためだけに、スピーカーを設置するなんて大がかりな仕掛けを?人々のざわめきが一層大きくなったのを感じる……。

 

「あははは!さっすがこころちゃん!今の、最高にるるん!って感じだよ~!」

 

「弦巻さんたち、あんな放送をするだなんて、一言も……」

 

これが弦巻こころ。ハロー、ハッピーワールドのリーダーにして、規格外の主犯格なのだ。人々の群れが、アナウンスに導かれるようにして少しずつ中央の櫓へと向かっている。何か始まるであろう、ドキドキの予感に吸い寄せられるようにして。

 

「はい、焼けたよ」

 

「ありがとー!……っ!ん~!美味しー!出店のお肉って、堅かったり、まずかったりするのに、コレはるんってする!!はい、おねーちゃんも!」

 

「そんな、人前で……」

 

そういって、串を持って、所謂、あ~ん、というやつを紗夜さんに仕掛ける日菜。仲が良いなぁなどと思っていると、また見たことのある人物が人ごみをかき分けて走ってくる。というか、あれは、はぐみとかのちゃん先輩じゃないか。

 

「兄ちゃん!……あ!ステーキ串?すっごく美味しそ~!!」

 

「う、うん、でもはぐみちゃん今はステージの準備しないと……」

 

「そうそう、兄ちゃんも来てよ!」

 

「来てったって、何言って……、あ、おい、はぐみ?」

 

はぐみに手を引かれて、そのまま人ごみの中に潜り込んでいく。チラリと店の方を見やると、かーちゃんは目を細めて微笑んでいて、店は任せても問題なさそうだ。

 

昔は俺の方から手を引くことが多かったのに、ここ最近ははぐみの方から手を引かれることばかりのような気がする。って、まて、はぐみ!かのちゃん先輩があらぬ路地に突っ込んでいくぞ!慌ててはぐみの手を引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんな揃ったわね!」

 

たくさんの提灯が垂れ下がった大きな祭り櫓の近くには異様なメンツが揃っていた。ハッピーと書かれたハッピを着たこころや薫、みーくんの3人はともかく。商店街のおっちゃん連中にそれに交じって談笑する巴。それから浴衣姿の沙綾につぐに香澄ちゃんにその妹まで勢ぞろい。他にも、彩ちゃんにイヴ、あこに燐子さんにと、どこかで見知ったメンツが大集結しているようである。

 

「い、一体何が始まるんだ?」

 

端っこで腕を組んでいたみーくんに尋ねてみるが、あ~とか、う~ん、とか歯切れの悪い返事をするばかり。とにかく、尋常でないことだけは確かなようである。

 

「まぁ、簡単に言えば、盆踊りの、ハロハピバージョンって、感じですかね?」

 

それは何となく名前と今の雰囲気から予想できている。俺が知りたいのは、どうしてそのためにここまで変わったメンツが揃っているのかということである。俺を含めて。

 

「もう、こうなった以上、腹くくるしかねーだろ……」

 

「まぁ香澄たちがやるって言った時点で、それは決定事項みたいなものだし……」

 

ひょこっと現れたのは、どこかでみた浴衣を着た金髪の少女と沙綾。それに続いて、自分も何をするのか全く知らされてなくて……といったメガネの少女や、本当、どうなっちゃうんだろーねと、ギャル風な浴衣美人……。

 

「みなさんほんっと!うちのこころがすみません……」

 

「いやいや、香澄が乗っかったせいで話が大きくなっちゃったわけだし」

 

「紗夜まで協力するって言いだした時は何事かと思ったよ~」

 

「それを言い出したら、彩さんが拡散したのも……」

 

みなで何故かそれぞれのメンバーの行動に対して謝罪を始めだす一行。これ、見たことあるな、子供が遊んでるときの母親たちが井戸端会議をするのとおんなじ光景だ。

 

「「ソイヤー♪」」

 

「ソイヤソイヤー!!」「ソイヤソイヤソイヤ!!」「ソイヤ~!!!」

 

もうあっちは見たくないな。櫓に乗っているこころや香澄の掛け声と共に叫ぶおっさん連中に巴やはぐみたち……と、そこで、ふっと一斉に提灯の明かりが消えたようであった。辺りが急に真っ暗になり、周りのざわめきが一層騒がしくなる。

 

「うそ、もうやるの!?ちょ、通してください、すみません、すみません」

 

そういって、暗闇の中をみーくんたちが櫓の方へと走っていくのが見える。しばらく収まることを知らなかったざわめきだが、その異様な空気とともに、少しずつ静寂に包まれていく……。なんだ、何が始まるっていうんだ。あまり周りが見えないのもあって不安な気持ちになっていると……。ブーとスピーカーの電源が入ったような音が聞こえてくる。そして……

 

『それじゃあみんな!始めるわよ!笑顔になる準備はいいかしら!?』

 

「ソイヤー!」「イエーイ!!」「ヤー!」

 

こころの合図とともに、一斉に櫓に向かって皆が叫び始める。

 

その瞬間、ドン!ドドドンドン!ドンドドドン!ドン!と地響きのように音を響かせて、太鼓の演奏が始まったようであった。大きな音に心臓までたたきつけられる太鼓の音。今度はギュ~ンと櫓の一部がライトアップして、いつの間にか立っていた薫が、櫓の縁に足をかけてビブラートを利かせたエレキ音を会場全体に響かせてはじめる。

 

ズズ~ン!と、次に聞こえてきたのは、地を這うような低音のベース、太鼓の音に合わせて細かくリズムを刻んでいると、身体の底からだんだん熱さがたぎってくる。ライトアップした先に居るのは、案の条、はぐみのやつである。

 

『さぁみんな、踊るわよ~!!あ、ソレ!ソレ♪ハ・ロ・ハッピ!』

 

ぴょんと櫓の上でこころが跳ねると同時に、一斉に辺りの明かりが点いた。櫓の上にはこころにかのちゃん先輩に、ミッシェル?

櫓のてっぺんで踊る3人に、櫓の縁にはあこに先ほどの保護者ギャルに……あぁ、あれって、確かダンス部か!

 

「さぁ、いこっか」

 

「は?ちょ、待て沙綾、行くって……」

 

「決まってるでしょ、私たちも踊らなきゃ!『ソレ、ハ・ロ・ハッピ!!』」

 

沙綾に手を引かれ、櫓で踊っている人たちの群れへと混ざる。皆がほとんど初めて踊るからか見様見真似で、おぼつかない。しかしステップは、普通の盆踊りとさして変わらないうえ、手をぶらぶらしたり、手を上に向かってえいえいおーといった感じに振り上げたり簡単なものが多い気がした。俺たちだけでなく、同じフレーズを繰り返しているから、子供もおじいちゃんたちも皆踊れるようになっていた。だがそこで

 

『さぁ今度は輪になって踊るわよ~!ソレ、ハ・ロ・ハッピ♪』

 

今度は急に隣の人と手をつないで輪になって踊ることとなる。隣に居た沙綾やつぐみと手を握って、輪になって回りだす……なるほど、これがハロハピ音頭か……。普通の盆踊りとは、少し趣向がちがうらしい。

 

その後、ベースとギターを放棄して一緒に踊りだすはぐみと薫に、ミッシェルの顔をしたでっっかい神輿をふんどし一丁の父ちゃんや蘭の親父さんが運んで来たりと……存分に頭ハロハピな思いをすることとなった。

 

ただ……いつもみたいに頭を痛めるようなことはなくて、声をだして叫んだり、見よう見まねでへたくそな踊りを踊ったり、結構……楽しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぐみを背負ったまま、家へと向かう。はしゃぎまわって、遊び回って、片づけをしている最中に、はぐみは疲れて眠ってしまったようである。商店街の皆や黒服さんたちと協力しあって、片づけが大体終わるころ、大人たちは酒を酌み交わしはじめたようだったが、俺たちは家へと帰ることにしたのだ。

 

「じゃあな、つぐ。おやすみ」

 

「うん、おやすみなさい」

 

はぐみが寝て居るから、小さな声でそう言うと、笑顔のつぐに別れを告げる。そして、ずり落ちそうなはぐみを背負いなおすと同時に

 

「あれ、おまつり……」

 

むにゃと、目を開けたはぐみが眠そうな二重瞼をこすりながら目を覚ましたようであった。次に、にーちゃん。と呟き、現状を把握したのか、安心して背中に体重を預けてくるはぐみ。そして、目を閉じたまま、寝言のように何かを呟く……

 

「昔……はぐみが小学生のころと……おんなじ……」

 

「……そうだったか?」

 

「うん、あの時と一緒……兄ちゃんの背中、すっごくあったかいもん……」

 

眠そうな声で俺に回す腕の力を強めるはぐみ。朧気ながらに思い出したのは、昔、兄妹二人で行った夏祭りのことだ。はぐみが珍しく俺のお古の甚平ではなくてかーちゃんに買ってもらった下駄と浴衣何て着て行ったのだが、鼻緒ずれを起こして指の付け根を真っ赤にしてしまって、痛くて次第に泣き出してしまったのだ。

 

当時、俺も小さくって、わんわん泣くはぐみにどう接すれば良いかわからなくって。だから、黙って、はぐみに背中を向けて、背負ってやると無茶言って……。

 

「お祭り、終わっちゃった……」

 

「……来年もあるだろ」

 

「うん、来年……きっと、もっと楽しいよね……」

 

そういって完全に寝息を立て始めたはぐみを左手だけで支えると、右手で玄関の戸に手をかける。今日も祭りで疲れたが……どうせ明日からもお祭り騒ぎは終わらないのだ。この背中の妹とおかしなバンドが居る限りは……。

 

先ほどまで眩く輝いていた商店街は嘘のように暗く閑散としていた。しかし、楽しかった祭りの残り香はほのかにまだ残っているような、そんな気がした。

 

 

 

 

 

はぐみの兄ちゃんは苦労人 完

 

 



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