戦車とともに ~国防女子、秋山優花里の日誌~ (名無し参謀)
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プロローグ 出征です!
チョキン、チョキン。
柔らかな夕日が差し込む部屋の中に、はさみの音が響きます。
わたしは頭を動かさないようにしながら、目の前の鏡越しに写る風景の隅々を感慨深く眺めました。
18年間過ごしたわたしの家――秋山理髪店。
ここで暮らす最後の一日が、少しずつ、少しずつ終わりに近づこうとしていました。
変わらないはさみのリズムを聞きながら、鏡の左上に写る棚に目を向けました。その真ん中に置かれているのは、Ⅳ号戦車のプラモデルと、透明の小さなケースに入った2枚のメダル、それから写真。
プラモデルはわたしが高校1年生の時に作ったもので、両親にプレゼントして以来、そこにずっと飾ってくれています。そして、前に並んだ2枚のメダルは、去年と今年に増えたもの。 写真に写るみんな、大洗女子学園戦車道部のみんなとの日々の結晶です。
両方に「全国高等学校戦車道優勝大会 優勝」と書かれた2枚のメダルは、傾いた日差しの影に隠れて、さっきよりちょっぴり控えめな輝きに変わっていました。
見たお客さんが話題に出すたびお父さんうるさくて困っちゃうわ、と何度も言うお母さんの、嬉しそうな顔を思い出します。
「……メダル、見てたの?」
鏡の中のお母さんと目が合います。
「うん」
「いいのよ、持って行っても」
「大丈夫。飾る場所ないし、ここに置いておきたいから」
――というより、持って行ってはいけない。声には出さないけれど、わたしはそう思っていました。どこかで甘えてしまうような気がして。
卒業式から2週間。
クラスメイトの皆、戦車道部の皆とは、既に離れ離れになってしまっていました。ここは学園艦、3年間あるいは6年間を過ごし、巣立って行くための場所。戦車道部の後輩はもちろん残っていますし、卒業生の中には艦内で就職した子もいます。けれど、一番の仲良しだったあんこうチームの皆も、一人、また一人と別の道をへ進んで行きました。
そして、明日はわたしの番。
勿論寂しいです。できるのなら、皆でずっと、ずーっと一緒に居たかったと思います。
でもそれは子供の理屈。皆にはみんなの、私には私の人生が、これからも続いて行くんです。大人の世界の一員として、自分自身の力で、自分自身の責任で歩いていかなくちゃいけないんです。
一旦、はさみのリズムが止まりました。
「長さ、これでいい?」
お母さんが言います。
「サイド、もう少し短くして欲しいかな。耳全部出るくらい」
「はいはい・・・・・・これでどう?」
はさみがまた少し踊ると、すぐに私の希望が形になりました。
いつもの髪型からバッサリと落とされた、少しくせっ毛が跳ねたショートカット。ちょっと磯部殿を思い出します。
「うん、ありがとう」
「こんな髪型にしたこと、あったかしら? まるで別人ね、優花里」
わたしがこんなイメージチェンジをした理由、それが示された紙に書かれた絵と見比べながら、お母さんが言います。
紙のタイトルは『入隊者の頭髪基準』――そう、明日から私は、自衛官になるんです。
もちろん、入隊するのは陸上自衛隊。憧れて、憧れ続けた自衛隊の戦車に乗るために。
シャンプーをしてもらい、お母さんが片付けをする間に自分でドライヤーをかけて。椅子から立ち上がろうとした私の両肩に、お母さんの手が触れました。鏡に映るお母さんの表情が、いつもよりもっと優しげに感じられます。
「これで、優花里の髪を切るのも最後かもしれないわね」
「そんなことないよ。また、すぐに帰ってくるから」
「自衛隊を辞めて?」
「もう!」
お母さんのからかいに、私はぷくりと頬を膨らませました。
「ふふっ、冗談よ。優花里が辞めるわけ、ないものね。あなたは意志の強い子だから」
「――頑張ってくるね」
「身体には気をつけるのよ」
「うん」
「同期の子とは仲良くね」
「うん」
「たまには西住さんや、高校の友達にも連絡するのよ。みんな心配してるし、応援してくれるわ」
「……うん」
「優花里が世界のどこで何をしていたって、お母さんいつまでもあなたを見守っているから」
「……うん」
いつの間にか、わたしはぽろぽろと涙を流していました。
お母さん、ああ、おかあさん。
「……さあ、お夕飯の支度しましょうか」
「お母さん」
「……何? 優花里」
「今まで、本当に、ありがとう……」
「ありがとう、優花里……」
夕日は、すっかり落ちていました。
お母さんが作ってくれた好物の と、お父さんが買って来てくれたお祝いのケーキを晩御飯に食べてから、私は自分の部屋で最後の荷物点検をしていました。
下着やタオル、体育用の運動靴、外出着、その他こまごまとした日用品。必要な物の大部分は向こうで用意されているとはいえ、それでも大きなボストンバッグはパンパンです。
お気に入りのバックパックやキャンプ用品は、流石に教育期間中は使えないので置いて行くことにしました。
また今度取りに帰って来ればいいでしょう。
「ふう……」
一通りの再点検を終えて満足した私は、ベッドに腰掛けてちかちかと新着通知の光を点けているスマートフォンを手に取ります。メッセージアプリを開くと、友達のみんなから沢山の激励の言葉が届いていました。
「いよいよ明日からだね。優花里さんがどんどん私達より先に行ってしまうようで、ちょっと寂しいけれど頼もしいな。また駐屯地で会いたいから、機会があったら教えてね」
「入隊おめでとう。秋山さんなら体力面は大丈夫だと思うけど、悪目立ちしないように気をつけて」
「頑張ってくださいね。10式戦車に乗った素敵な姿が見られる日を楽しみにしています」
「ゆかりんガンバ! あと、イケメン自衛官と知り合ったら私に紹介すること!」
「グデーリアン改め秋山2士、祝入営! ご武運を」
みんなの個性あふれるメッセージに、ふふっと笑みがこぼれます。
わたしは指を滑らせて、その一つ一つに丁寧な返信を返します。
今日までのこと、明日からのことを考えると眠れなくて、結局みんなから「早く寝ろ」と返されるまでわたしはやりとりを続けてしまうのでした。
「優花里、本当に、ぐっ、うぅ……気を付けてなぁ~」
「立派に……日本の為に、頑張るのよ……」
いよいよ出発の朝が来ました。
身支度を済ませて、玄関口でお父さんとお母さんから最後の見送りを受けます。お父さんは号泣。お母さんは泣きこそしないけれど、目が潤んでいるのが分かりました。
一方の私はと言うと、昨日とは打って変わって晴れ晴れとした気持ちでした。大人としての第一歩、その門出を見送る二人を、心配させる訳には行きませんから。
「それじゃ、お父さん、お母さん……そろそろ」
下船口へのバスの時間です。最後に二人の手をぎゅっと握ってから、私は直立不動、ビシッと敬礼します。
「それでは、秋山優花里、行って参ります!」
そのまま回れ右、一歩踏み出して。
お父さんのわんわん泣く声と、それを宥めるお母さんの声を背に、私は巣立って行くのでした。
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1話 着隊です!
学園艦を降りたわたしは、膨らんだボストンバッグを肩から提げてバス停へと歩きます。集合場所は水戸市役所の前なので、まずはバスで水戸駅に行かなくてはいけません。
中身の詰まったバッグは思いの外重く、例年より暖かいことも手伝って脇に汗がにじみます。
置き場所がないので車輪付きのスーツケースは持っていかない方がいい、と聞いていましたから、この時ばかりの辛抱です。送り返したり、処分する羽目になっては困りますし。
バス停に着いたわたしは、念のため担当の広報官殿に到着予定の時間を連絡してバスが来るのを待ちました。
水戸駅の南口でバスを乗り継ぎ市役所に着くと、「茨城地本」とフロントガラスに紙が貼られた白いマイクロバスが1台、入隊者が集まるのを待っていました。
何の変哲もない普通のマイクロバスですが、これも「人員輸送車2号」という立派な制式装備品なんです! ……わたしもついこの前知ったんですけれど。
扉の前で人員集計をしていた、黒縁の丸メガネをかけた緑の制服姿の殿方――わたしの担当広報官、斎藤3曹です――が、歩いてきたわたしに気づきました。
「おはようございます!」
わたしは反射的に、広報官殿に右手を挙げて敬礼――しようとして思いとどまり、手を腰の横へ引っ込めてぺこりとお辞儀の姿勢を取ります。
危ない危ない。ここは屋外でわたしは無帽、取るべきなのは「挙手の敬礼」じゃありません。この癖は早く直さないと。「入隊して浮かれてるにわか」と思われてはたまりませんからね。
落ち着かないわたしの動きを見てか、斎藤殿は口端を上げてにこりと笑っていました。ちょっと恥ずかしいです……
「おはよう、秋山さん。そんなに緊張しなくてもいいよ。まだ来ていない子が一人居るから、マイクロに乗って待っていてくれるかな。後ろを荷物置き場にしてあるから、カバンはそこに置いて空いてる席に座ってね」
「了解しました!」
元気よく返事してバスに乗り込むと、中には陸と海の制服を着た広報官殿が2人と、10人弱の女の子がバラバラの席に座っていました。その内の何人かは、顔を上げてわたしの方を見ています。
皆、同い年か2つ3つくらい年上でしょうか。
「……おはようございます」
誰にでもなく挨拶をして通路を奥に進むと、確かに一番後ろの列はスーツケースや鞄で敷き詰められ、荷物置きスペースになっていました。
どのスーツケースも海外旅行に行くような大きなもので、この持ち主の彼女達からすれば、入念な下調べをして最小限の荷物だけを詰めた私のボストンバッグは随分頼りなく見えたことでしょう。
向こうには割り当てのロッカーぐらいしかないんですから、荷物が多すぎると大変ですよぉー、と心の中でつぶやきながら、荷物の山に自分のバッグを加えます。
誰の隣に座ろうか、と思いながらバスの通路を戻りますが、皆緊張しているんでしょう、何となくよそよそしい雰囲気です。わたしはむしろ誰かと話したくてうずうずしているんですが……ここは空気を読むとしましょうか。
バスの左側、ドアの後ろの一人掛け席に座り、窓の外に目を移すと、丁度最後の入隊者らしき女の子がスーツケースを引っ張って歩道を歩いてくるのが見えました。
「……」
特に会話もなく無言のまま、動き出したマイクロバスはインターチェンジをくぐり、常磐自動車道に入りました。目的地は朝霞駐屯地、東京と埼玉の間に位置する、首都圏では一番大きな陸上自衛隊の駐屯地。
朝霞には東部方面隊所属の部隊を主体に多くの部隊が駐屯していますが、その東部方面隊の部隊の一つが女性自衛官教育隊――これからわたし達が新隊員教育を受ける部隊です。
自衛隊に入るには、パイロットや医療系など特殊な道を除けば、大きく4つの方法があります。4年かけてエリートコースの幹部を育てる防衛大学校、一般大学の卒業生を幹部として採用する一般幹部候補生、将来の陸曹(下士官)候補を採用する一般陸曹候補生、そして任期制の陸士(兵)として短くて2年、長くて6年程度勤務する自衛官候補生です。
このうち、わたしが合格したのが一般陸曹候補生。定年まで勤務することを前提に昇任試験の制度上自衛官候補生より優遇される、生涯戦車乗りを目指すわたしの為の採用区分と言えましょう!
……実は斎藤殿に「ノルマがあるから、もしよかったら協力してくれない?」って言われて。 一応、いちおう防衛大学校の試験も受けたんです。
受けました、が……定期試験で赤点を取りかねない位だったわたしの学力では、その……
蝶野1尉。あまり頭良さそうにないなぁ、なんて思って申し訳ありませんでした。あの試験に合格できるなんて凄いです。
何とか合格できた一般陸曹候補生も、女子の倍率は10倍以上。3年生1学期時点でのわたしでは危なかった位で、冷泉殿には随分とお世話になりました。
まあ、そんなこんなで幹部にも憧れましたが、そもそもわたしは戦車に乗りたいから自衛隊に入るんです。
幹部はなかなか希望通りの部隊に行けないと聞きます。蝶野殿とも時折電話でお話しさせて頂く機会がありますが、次の異動先は多分偵察隊じゃないかしら、それだったらまだいいけど陸幕か総隊だけは勘弁してほしいわね、などと愚痴をこぼしておられました。
西住殿のように部隊を指揮する才能があれば幹部もいいかも知れませんが、わたしにはきっと、現場でバリバリ体を動かすベテラン陸曹の方が向いているでしょう。
とりとめの無いことを色々考えているうちに、マイクロバスは特に渋滞などにも引っかからず、2時間程で朝霞駐屯地に着きました。
正門に立つ歩哨の殿方が広報官殿の身分証をチェック、車止めを退かして、わたし達は駐屯地の中へと進みます。
迷彩姿の人々が当たり前のように歩く姿を見ると、ついに来たんだと実感してますます胸が高鳴りました。
バスは交差点を何度か曲がりながら、まだまだ進みます。朝霞駐屯地って本当に広いんですね……と思ったちょうどその時、バスがまた左に曲がり、アスファルトの広場に入って止まりました。斎藤殿が立ち上がって、わたし達の方に向き直ります。
「お疲れ様でした。この後は受付がありますので、一般陸曹候補生は私、自衛官候補生はこちらの飯塚3曹が案内します。荷物を持って車を降りたら私達について来てください」
三々五々に荷物を取りバスを降りると、いかにも官公庁でござい、と言わんばかりの味気ないデザインをした白いコンクリートの建物が目の前に立っていました。
玄関の上には発泡スチロールか何かでできた「祝入隊」の飾りが付けられ、結構長く使われているんでしょう、やや昭和チックな紅白の文字が今年の新入りを歓迎してくれています。そして、扉の右脇には筆で「女性自衛官教育隊」と部隊名が縦書きされた大きな木の看板。
目に映るもの全ての新鮮さにはやる気持ちを抑えながら、わたしは斎藤殿のすぐ後ろに続き、看板の字、綺麗だなぁと思いながら隊舎の中へと進みました。
女性自衛官教育隊は、全国から集めた一般陸曹候補生の教育を一手に担うほか、東部方面隊で採用された自衛官候補生の教育も担当します。
乗ってきたバスには、わたしを含む一般陸曹候補生の入隊者と自衛官候補生の入隊者が混ざっていました。隊舎は同じですが、一般陸曹候補生と自衛官候補生は別々の教育を受けるため、どうやら別々の中隊に編成されるようです。
わたし達は斎藤殿に案内されて左側の廊下へ進むと、長机を広げた簡素な受付の前に通されました。
髪を頭の後ろでお団子にした3曹の方が、椅子に座ったまま私達の顔を見上げてはきはきとした調子で話し始めます。
「入隊おめでとう! まずは皆の面倒を見てくれる班長が居室に案内するから、一人づつ名前を言ってね」
とびきり優しそうな声が廊下に響きました。手を指した方向に居た他の女性班長達も、それに合わせてこちらに、にこり。
でも、これって入隊式までの演技なんですよねぇ、多分……
ネットで何でも情報が手に入る世の中ですが、単に良いこととは言えないのかも知れません。
ともかく、ここは積極性を見せてアピールしていきましょう。希望の配属先に行くには成績も重要ですから。
いの一番に机の前に歩み出ます。
「はいっ! 一般陸曹候補生、秋山優花里です!」
「おぉ~、元気だね。秋山、秋山……2区隊1班、あぁ、伊藤かぁ……誰か伊藤呼んできて」
「はいはーい、こちらに」
右手をひらひらさせながら、廊下に並んでいた班長の一人がこちらに歩いて来ました。野暮ったい短髪に、つんと切れ上がった猫目。話し方といい素振りといい、ビシッと規則正しく、といったタイプの人ではなさそうです。教育隊にもこんな感じの人がいるとは……
「秋山優花里ちゃんね、入隊おめでとう! 班長の伊藤だよ、よろしくねー!」
伊藤3曹と呼ばれた女性はケタケタと笑いながらわたしの横まで歩み寄ると、背中に手を回し、右肩をバンバンと叩いてきます。
「よ、よろしくお願いします……!」
「いーっていーって、そんなかしこまらなくてもさぁ。ホントよろしく、秋山ちゃん! ま、とりあえず居室に案内すっからついて来てね」
肩に回された腕に押され、左後ろから漂うタバコの臭いを感じながら、わたしは捕虜のように階段の方向へと連れ去られます。
まさか、まさかこれは――ハズレを引いたというやつでは?
不肖、秋山優花里――新生活に、早くも怪しげな雲がかかるのを感じました。
※注釈
・地本:地方協力本部の略。募集、広報、有事における自治体との連携などを主な任務とする機関。合同の機関なので陸海空どの自衛官もいる。
・陸幕、総隊:陸上幕僚監部、陸上総隊(2018年度新設)のこと。諸外国で言う参謀本部、総司令部にあたる機関。超の付く激務で有名であり、市ヶ谷にある庁舎は「不夜城」の異名をとる。蝶野1尉のような防大出の優秀な幹部だと大抵一度はここで働くことに。
・敬礼:自衛隊では挙手の敬礼(右手を額に当てるお馴染みのあれ)は無帽では行いません。「10度の敬礼」という、いわゆるお辞儀の姿勢を無帽時の敬礼としています。
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2話 迷彩服、初試着です!
班長の伊藤3曹に連れられ――もとい、連行されて、わたしはよろよろと廊下を歩き、2階に続く階段を上っていました。
どこに行かされるんでしょうか、上に寝泊まりする部屋があるんでしょうか。
あ、そういえばわたしのバッグ、廊下に置きっぱなし! 回収しないといけません。気づいていないようですし、まずは呼び止めて――
「あの、伊藤殿」
「……殿?」
――やってしまいました。至近距離で覗き込む、怪訝な顔。感情の定まらない表情は、2、3秒ほどで崩れ始めて。
「ぷ、くくっ、あははははっ、何それ!? 面白い呼び方! 時代劇かって!」
大笑い。
「す、すみません……」
腕が離れたので一歩離れて、わたしは頭を下げて俯きます。恐らく顔は真っ赤でしょう。
「……いや、あたしこそ笑っちゃったりしてゴメンね。 ただ、ここでは階級か『班長』で呼んでくれる? そういう決まりだからさ」
「すみません、伊藤班長」
「ん、結構結構。他の人も、名前分かんなかったら単に『班長』で通じるからね。で、何?」
「我々は居室に行くんですよね。わたし、カバンを下に置いてきてしまいまして。取りに行ってもよろしいでしょうか」
「あー、実は居室――寝泊まりしてもらうトコは別の建物でね。先にちょっと上に寄り道してから行くから、カバンはその後でいいよ」
「寄り道、ですか?」
「そ。ちょっと着せ替え人形になってもらうよ」
2階に上がって廊下を進み、「第1教場」と記されたドアをくぐると、そこは学校の教室を2、3個繋げたほどの広さの部屋でした。部屋の中には沢山の段ボールが積まれ、それぞれの山の前には箱の中身の一部とおぼしき物が出されて並んでいます。
「わぁ……」
迷彩柄の戦闘服、モスグリーンの制服、コンバットブーツ、戦闘帽……
装備品の数々に目を移す度に、わたしは自分の瞳が大きく開かれ、キラキラと光るのを感じました。漫画やアニメだったら星が飛んでいることでしょう!
「よーし。これから被服の採寸と交付をやるよ。とりあえず上着は脱いで、ここのハンガーに掛けて」
「はい!」
「脱いだら、最初は戦闘服。それぞれの物品の前に班長がいるから、所属と名前を伝える。2区隊1班だぞ。入隊前に大まかな採寸は地本でやったと思うけど、採寸結果を元に近いサイズの物を渡してくれるからまずは試着する。違和感が無いならオーケー。合わない場合は小さいか大きいって言えば交換してくれるから、もう一度試着。後から交換するのは面倒だから、じっくりやんな。心配しなくても時間はたっぷりあるからさ」
「了解しました!」
促されるまま、並んだ戦闘服の前に立つ女性班長の所へ。
「2区隊1班、秋山優花里です!」
「はい、入隊おめでとう。秋山、秋山――7Aね。はい、これを着てみて」
受け取った上下セットの戦闘服。ズボンを一旦床に置き、上着を広げて眺めます。
卸したての、渋い迷彩柄。日本の植生に合わせて開発されたその色合いは、本州の植生に対して最大限の効果を発揮するようになっており、専守防衛を旨とする自衛隊に最もふさわしいものであります。以前は冷戦下で対ソ連を重視していたため、戦場になると想定された北海道――熊笹を主体とした植生に対応すべくもっと薄い緑色の戦闘服を使用していましたが、ソ連崩壊後はこのような――
「……山。秋山。おーい、秋山ちゃーん」
「っ、は、はいっ!」
またやってしまいました。自分の世界に入り込んでいたわたしは、後ろから肩を叩く伊藤班長に呼び戻されます。
「どうしたの制服眺めてボケっとして。早く着なよ」
「うぅ、すみません……」
第一印象は完全に変な子で固まってしまったでしょうね……
気を取り直して袖を通し、ボタンを留めます。新品のためか結構ゴワゴワしますが、袖や裾の丈は問題ないようです。ただ、やや胴回りが緩いような。
「どう?」
「あの……」
「あー、胴でしょ? ここはね、ボタンを使って絞るんだよ。ちょっと待ってな」
胴の部分の生地をつまみながら返事をしたせいか、伊藤班長はすぐにわたしの言いたい事に気づいたようです。伊藤班長がボタンを手早く掛け替えると胴回りも綺麗なシルエットに変わり、まるでオーダーメイドのようにピッタリになりました。ズボンにも足を通してベルトを締めます。
「良さそうだな」
「似合ってるわよ」
伊藤班長と、戦闘服担当の女性班長がほぼ同時ににこりと笑い、そう言いました。
改めて下を向き、自分の全身を眺めます。自衛隊の戦闘服。コスプレじゃない、本物の戦闘服――!
ひゃっほぅ、最高だぜぇ! ……とは流石に口にだしませんが、ニヤニヤが止まりません。早く戦車乗員用の装甲戦闘服も着てみたいですね! アレは戦車からの脱出時に乗員を引きずりだせるように背中に取っ手が、ああそういえば靴も違うんでしたっけ――
「……山。秋山ー。ダメだ、アレか。こいつマニアってやつか」
「好きなんですね。自衛隊が。嬉しいじゃないですか。いい自衛官になるでしょう」
「一概にそうとも言えないんだ、これがなぁ……」
班長達のやり取りは、またも自分の世界に入り込んだ私にはまるで聞こえていないのでした。
「すみません、荷物持っていただいて」
「いいのいいの。元からそういう予定だから」
交付された物を、わたしの持ってきたものより一回り大きいOD色のボストンバッグ――これも衣のう、という支給品です――に詰め込んで、わたしが持ち。
わたしのボストンバッグは伊藤班長が持って、居室がある女性自衛官生活隊舎へ向かい道路を歩きます。
「そういえば、飯ごうや携帯シャベルがありませんでしたが」
「採寸の必要ないものは最初から居室のロッカーに入れてあるよ。着いたら確認してみな」
「分かりました」
「色々詳しいね。マニアだな、マニア」
「ぅ……それは否定しませんが」
「高校では戦車道をやってたって? 地本から来た書類に書いてあったよ。強かったらしいじゃん……趣味が役に立ってるなら、結構結構」
「そうですかね」
「やりたいことやって人生生きられたら、それが一番さ」
伊藤班長がふいと顔を背けます。
「伊藤班長は、どうして自衛隊に」
「まー、おいおい話すよ。着いちゃったから」
班長の後を続き、道路を外れて左に曲がると大きな白い建物が30メートルほど前にありました。
横幅は先程の女性自衛官教育隊の隊舎と同じぐらいですが、高さは8階建て。倍以上の大きさです。
「これが駐屯地中のWAC(Woman Army Corps)――女性自衛官が暮らしてる隊舎。入口はカードキーと暗証番号の併用で、男性隊員は立ち入り禁止。女の園、ってやつだね」
「おぉ……大きいですねぇ」
「最初はあたしの引率で入るから。ついて来な」
重いはずのボストンバッグを軽々と振り、スタスタと歩く伊藤班長の後を、わたしは服やブーツのたっぷり詰まった、これまたずっしり重い衣のうを両手で抱えながら追いかけました。
厳重な電子ロックがされた玄関を抜けると、ピカピカに磨かれた白い大きなエントランスホールが目に入りました。
「新隊員はこの一番上の階だよ。エレベーターで上がろうか。――あぁ、マニア秋山は察しがつくかも知れないけど」
「はい! 新兵はウジ虫、エレベーターなどという贅沢品は使用禁止、ですね!」
「……正解だけどさ、何で喜んでんの……」
「班長は何階なんですか?」
「同じ8階だよ。部屋はあんた達と違って、他の班の班長と一緒に固まってるけどね。さ、乗るよ」
エレベーターを降りて8階のロビーに出ると、カーテンのない窓から明るい陽射しが差し込み、綺麗な白い床面をさらに白く輝かせていました。窓から見える景色は、駐屯地の周辺に高い建物が少ないせいもあって上々のようです。新宿ぐらいまでなら見えるんじゃないでしょうか。
「2区隊1班の居室はこっちな」
「はい!」
班長に続くと、廊下の左右にはいくつも部屋が並び、その内何個かの部屋からは既に着隊した子が居るのでしょう、ちらほら声がしてきます。
「新隊員は全部で何人くらいなんですか?」
「今年は第1共通教育中隊の一般陸曹候補生が90名ちょっと。第2共通教育中隊に入る、東部方面隊の自衛官候補生が200名ちょいだね」
「1個班は10名ですか?」
「当たり。10名か11名。班が4個か5個で区隊を組んで、それぞれ2個区隊と4個区隊で中隊になってる。ちなみにうちの班員は10人、もう既に2人来てるからね。たったの3か月だけど、最初の同期だ。仲良くやんな。さ、着いたよ」
話しているうちに、「2区隊1班」とラミネートした紙の貼りつけられた部屋の前まで来ていました。
伊藤班長がドアを開けて中に、続いてわたしもドアをくぐります。
「縫いもの中失礼、新しい仲間が来たぞー!」
「あ、失礼します……」
中に入ると、まず目に入ったのは綺麗に並べられた2段ベッドとロッカー。危惧してはいましたが、2段ベッドですか……上じゃないといいですけど。わたし、寝相はあんまり良くないんですよね――
……って、そうじゃないです!
「「……」」
気配のする右に体を向けると、そこには小さなテーブルと4脚のソファーがあって。
左手に針を、右手に糸を持ったショートカットの女の子と、左手に紙を、右手にペンを持ったロングヘアの女の子が、わたしをまじまじと無言で見つめていました。
――沈黙。
……きょろきょろと余所見していたせいで、何か言い出すタイミングを失ってしまいました……
「おい、秋山、挨拶」
伊藤班長がつんつんと脇腹を付いて促します。挨拶、早く挨拶をしなくては。
「はっ、はい!」
――不肖、秋山優花里。高校生活でいわゆる「コミュ障」は治ったつもりだったのですが、
「お、大洗から参りました、一般陸曹候補生、秋山優花里であります! ふ、ふつつか物ではありますが――」
「「……『あります』?」」
――まだまだ、精進が足りないようですぅ……
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3話 新しい仲間と、青虫です!
「……あ、あのぅ、これは」
接敵、失敗。
ソファーに腰かけ、手を止めたままの二人が、刺すような(わたしの思い違いだと後で分かりましたが)視線を向けてきます。
「……」
何とか次の言葉を、とは思うのですが、それを意識してしまうと最早何も言えず。
「あー、ちょっとオタクっぽいし挙動不審だけど、多分いい奴だから。まあ仲良くしてやってくれ」
結局、伊藤班長がフォローになっているのかなっていないのか良く分からない調子で割り込んでくれるまで、スローモーションの沈黙が続きました。
「……おい、お前らも挨拶――っと、悪い」
再び静かになりかけた居室に、携帯のバイブ音が響きます。
「はい、伊藤です。……そうですか、思ったより早かったですね。今からすぐ戻ります、では。……清水、小坂」
伊藤班長が、携帯をポケットに戻し、手はポケットに突っこんだまま後ずさり。扉をくぐりながら彼女達の名前を呼びました。
「悪いけど後頼んだ。秋山にこの後の行動、教えてやって。着替えと書き物と縫い物な。自分らがやってるのと同じだから分かるだろ。あたしは次の新入りを迎えに行ってくる。あ、自己紹介はどうせ全員揃ってからやるからとりあえず簡単でいいよ。じゃ」
要件だけをひとしきり早口で告げてからくるりと方向転換、伊藤班長は廊下を戻っていきました。開いたままのドアの向こうからテンポの速い靴音だけがしばらく響き、そして何も聞こえなくなります。
「……あ、あの」
「小坂。小坂恵です。よろしくね、秋山さん」
パーカーの裾を指でつまみ、体の前で合わせてもじもじしていたわたしを見かねたのでしょう。ロングヘアの方の女性が立ち上がり、二、三歩歩み寄ると右腕をわたしのお腹の前に差し出します。
わたしは手をパーカーから離し、白く細長い指、同じく色白で、かつサテンのようなきめ細かい肌の腕、そしてこちらを見つめ、微笑みの表情を投げかける顔へと順番に視線を移しました。3から4歳くらい歳は年上の方でしょうか。所作の全体に、どこか大人びたものを感じます。
(……綺麗)
ふと頭に浮かんだのは、プラウダ高校のノンナ殿。彼女もまた、このような白く美しい肌の女性だったことを覚えています。
といっても、目の前に居る彼女――小坂殿と違って、ノンナ殿はここまで温和で優しげな表情を、少なくともわたしの前で見せた事は記憶にありませんが。
「……?」
目を見つめたまま固まる私と同じく、小坂殿が目線を合わせたまま首をかしげます。
「す、すみません! 秋山優香里です、改めてよろしくお願い致しますっ」
慌ててわたしは両手を差し出し、小坂殿の右手をぎゅっと包むように握りしめました。第一印象で思い浮かべた通り、その手は透き通るような見た目と裏腹にとても温かい感触でありました。
「清水有紀です、はじめまして!」
気が付くと、もう一人のベリーショートの女の子もわたしのすぐ横に来ていて、両手を伸ばしています。
清水、と名乗ったわたしより一回り背の小さいその子は、丸顔にくりっとした目をしていて、小坂殿とは正反対の可愛らしい印象。
「はじめまして、清水殿」
こちらも両手を伸ばして握手をすると、力一杯といった感じの強い握り返しをしてくれました。
「また「殿」だ」
「……その「殿」っていうのは?」
またまたいつもの調子をかましてしまったわたしに、清水殿、そして傍らの小坂殿から、ほとんど同時に疑問の声が上がります。
「あのぅ、これはその、癖みたいなもので。決してキャラを作ってる訳では」
「普段からそうやって人を呼んでるの?」
「ええ、まあ……高校のときは」
「秋山さんも高校卒業からすぐ自衛隊なんだ? じゃあ同い年だねっ」
まだ握ったままだった手を、清水殿が嬉しそうにぶんぶんと振りました。
「そうなりますね、同級生が居てわたしも嬉しいです! ちなみに、清水殿はどちらの学園艦に?」
「あ、わたしは陸の高校なんだ。静岡の公立高校」
「静岡出身なんですか。ちなみにわたしは茨城の大洗女子学園で」
「まあまあ二人とも」
勝手に盛り上がりかけたわたし達の肩口を、小坂殿がぽんぽん叩きました。
「細かい自己紹介はみんな揃ってから、でしょ? 秋山さんもいつまでも私服のままじゃだめだし、着替えてもらわなくちゃ」
「そうですね。秋山さんのロッカー、どこでしたっけ?」
「左の一番奥じゃなかった?」
2段ベッドの間に並ぶロッカーを一つずつ確かめながら居室の奥へと進む二人に、わたしも続きます。
「あったあった。これが秋山さんのロッカーね」
「は、はい」
小坂殿が指でコンコンと叩く方へ向き直ると、居室の一番隅っこに「秋山」とゴシック体で印刷されたカードの貼られたロッカーが立っていました。
学校の職員室で使うような、飾りっ気の全くない古ぼけたベージュ色のロッカー。そのノブに手を掛けて引っ張ると、見た目通りの年季を思わせるがたつきを感じさせながら、がしゃん、と両開きの扉が開きます。
幅はおよそ1メートル弱。奥行きはその半分と言ったところでしょうか。左半分は可動式の棚、右半分が服を掛けるクローゼットになっており、最小限の荷物がコンパクトにまとめられる設計のようです。
「ベッドはそこの上段だから」
ロッカーの左隣、ロッカーよりも少し色の薄いアイボリーホワイトの2段ベッドに目をやると、こちらにもネームカードを差して使う取り外し式の金具が骨組みの足元部分にかけられていました。その横には同じく取り外せるようになっている梯子が、上段に上がれるように取り付けてあります。
この簡素なベッドとロッカー、合わせてわずか2畳ほどの空間が、これからのわたし達に許されるほぼ唯一のパーソナルスペースなのです。
「荷物、ここに置くね」
そうしている内に、清水殿がわたしのボストンと衣のうをロッカーの前に持ってきてくれていました。
「とりあえず、ジャージに着替えて。持ってきたのでも、貰ったのでもどっちでもいいってさ。わたしたちは、その……ちょっとどうかな、って思って自分のやつを着てるけど」
先程の被服採寸で受け取った物の中には、鮮やかな青色1色のジャージが1着ありました。いわゆる「官品ジャージ」という、教育中だけ貸与されるものです。折角なので私物ではなくそちらを着ようと思い、わたしは衣のうのジッパーを開けて一番上に入っていたそれを取り出しました。
さっき試着したのですが、改めて手に取り、目の前で広げてまじまじと眺めます。
「うーん、渋い……」
歴代の新隊員に着回され、くたびれてもなお鮮やかな青。ジャージによくある紺やスカイブルーではなく、工事現場のブルーシートのような、まさに三原色の青。ちょっと他のジャージでは見たことのない色使いです。
そして、動きやすくすると同時に少ないサイズバリエーションで済ませる為か、幅にゆとりを持たせたゆったりシルエット。
とどめに、学校指定のジャージでもあるようなデザインやワンポイントは一切なし。
……率直に申し上げて。
ダサい。
圧倒的にダサい。
誰が呼び始めたか、隊員の間では「青虫」と呼ばれているそうですが、実物を目の前にしてなるほどなぁと名付け親の方に拍手を送りたい気持ちにさせられました。
一般的な女の子のセンスからズレている自覚はあるわたしですが(本当にあるんですよ)、それでもこの官品ジャージの放つ強烈な芋っぽさは理解できるのであります。
武部殿なら、これを着ろと言われれば卒倒してしまうかもしれません。
「……ですが」
――ですが、それがいい!
実用性のみを考慮された画一的な衣服に身を包み、個性を捨てて「個人」から「兵士」という群体に成り下がる快感!
ましてや我々新兵など某軍曹の言葉を借りればウジ虫同然なのですから、むしろダサいジャージが相応しいのです!
むしろこのダサさこそが誇り!
「……着るの?」
「着ますとも! 着させて頂きます!」
「……秋山さんって、本当に個性的ねぇ……」
鼻をふん、と鳴らして答えるわたしに、呆れ顔の二人なのでした。
「清水殿、ちなみにジャージの下は」
「あぁ、ベッドの下、秋山さんの側に箱があるから。その下に迷彩シャツが入ってるよ。お金は後で集めるって」
言われるままにしゃがみ、ベッドの下を覗くと濃いグレーのプラスチックで出来た頑丈なRVボックスがありました。大洗でも戦車道の備品をこんな箱に入れて使っていましたが、それとほぼ同じものです。
ちょっとした足場になったり、水がかかっても中身が濡れないため重宝していたのですが、まさかこれを女の子の衣装ケースに使う世界があるとは……
ベッドの下からそれを引き出し蓋を開けると、中には迷彩シャツ――これは官品ではなく、売店などで売っているものと同じのようです――が当面の分として5枚。他にも、運動用と思われる白いシャツとハーフパンツ、スリッパ、ハンガー、靴磨き道具など、隊内の生活で必要な一括購入の色々な小物が入っていました。
今すぐ全部中身を出して一つずつ検めたいのは山々ですが、キリがないのでシャツを一枚だけ取り出し、一旦蓋を閉めて箱を元の位置に戻します。
「着替え終わったらベッドの上に色々書類があるから、まずはそれを書いてね。最初に班長とか区隊長? の面接があるらしいから、それに使う資料とかなんだって。それも終わったら、ジャージとか迷彩服に名札の縫い付け。細かい縫い方はソファのテーブルで今わたしが見ながらやってるから、後で一緒に縫い物しよっ」
改めてベッドの上段、マット上を見ると、今しがた話に出た書類と、白いゼッケン生地の名札が10枚ほど並べられています。名札のサイズは大小まちまちで、どうやら縫う物によってどれを使うか指定があるようです。
(……意外と字は綺麗なんですね)
名札の1枚を手に取ると、手書きで「秋山」と書かれた右部分のほか、左の3分の1ほどが上下段に区切られ、上には「女教」、下には「2-1」と所属が分かるようになっていました。
おそらく伊藤班長が書いたのだと思いますが……正直、大雑把というかガサツというか、とにかく達筆そうな方には見えなかったのでちょっと驚きました。
名札を戻して書類を掴み、自分の作業に戻った二人の輪に加わらせてもらうとします。
「ここ、座ってもいいですか」
「あ、ごめんなさい紙が……すぐ退けるわ」
「大丈夫ですよ、お気になさらず」
「……あ~、もう糸が通んないぃ」
「お父さん昭和何年生まれだったかなぁ」
「電話しても大丈夫よ」
「あ、メールするのでお気遣いなく」
「うわ、また位置ズレちゃった……これくらいなら大丈夫かな……」
「交友関係って……どこまで書くのかしら」
「「関係」って欄がありますし、彼氏とかも書けってことじゃないですか。……まさか小坂殿、彼氏」
「いないわよ? ――ちなみに清水さんは?」
「痛っ!?」
「だ、大丈夫ですか!?」
「ちょっと針が刺さっただけだから平気だけど……も~、縫い物してる時に変なこと聞かないでくださいよお」
「ゴメンね」
「……面白そうなので改めて聞かせて頂くとしましょうか」
――不肖、秋山優花里。
新しい仲間とも、心配したよりもずっと早く打ち解けられそうです。
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4話 2区隊1班、編成完結です!
「さ、入って入って!」
それから一時間ほどでしょうか。丁度わたしが書き物を終え、脱いだ官品ジャージの上着に名札を縫い始めたところで、伊藤班長の弾んだ声が居室の外に響きました。
わたしも清水殿も小坂殿も、それぞれに作業の手を止め、開かれたドアからぞろぞろと入ってくる人達を見つめます。
「こんにちは!」
「は、はじめまして……」
「よろしくお願いしまーす」
それぞれ違った調子の挨拶、あるいは無言のままのお辞儀に返礼をしていると、最後に伊藤班長が入ってドアを閉め、居室の中央に進んで全員に向き直りました。
「さて、皆揃ったことだし、改めてご挨拶と行きたいけど……荷物持ったままじゃ落ち着かないし、自分の名前貼ったロッカーを探して、そこの前に置いてきてもらおっか。あと着替えもだね。秋山たちも荷物、運ぶの手伝ってやって」
「はい」「はい!」「了解!」
誰は居室のどっち側、とてきぱき指示を出す伊藤班長に続き、わたし達もソファーから立ち上がって皆さんの荷物運搬を手伝いにかかりました。
全員がジャージに着替え終わると、わたし達は再び伊藤班長を半円に囲む形で入口近くのスペースに集められました。居室のソファーは4脚しかなく、何より伊藤班長に座る素振りが無いので、皆立ったまま中央の班長に身体を向けています。
「改めて……入隊おめでとう、ようこそ陸上自衛隊へ。あたしはこの2区隊1班の営内班長、伊藤真矢。出身は千葉県、年齢は25歳ね。階級は3等陸曹、職種は普通科、特技は迫撃砲――って言っても、今は分かんないだろうから覚える必要はないよ。分かる奴も中にはいるだろうけど」
3等陸曹は陸曹、つまり下士官の最下位であり、つまりは旧軍や諸外国で言う伍長。普通科は歩兵、迫撃砲は歩兵部隊が運用する曲射弾道の火砲のことですね。
伊藤班長がちらりとわたしに目を合わせ、わたしがこくこくと頷くのを確認してから満足したように話を続けます。
「取り合えずはこんなもんかな。細かいプロフィールはおいおい話すよ、今だらだら喋ったって意味ないしね。秋山、それでいい?」
「は、はいっ」
そして、何も言っていないのにわたしに念押し。好奇心ベタ踏みなのはもうバレバレですね……
「よろしいよろしい。さて、皆にはこれから、3か月の新隊員前期教育を受けて自衛官としての基礎の基礎を身に付けてもらう訳だけど、そこで皆の日常起居――身だしなみや生活全般の指導や面倒を見るのが営内班長、つまりあたしの役目ね。それ以外でも、分かんない事や困った事があったら、何でもまずはあたしに聞くこと。責任を持って皆を預かるから、3か月間一緒に頑張って、一人前の自衛官になろうね。以上! よろしく!」
「「「よろしくお願いします!」」」
「オッケーオッケー、いいよその元気。新兵は元気が第一だかんね」
わたし達の返事に、一度真面目になった表情を再び崩してケタケタと笑う伊藤班長。
第一印象はだらしなく見えましたが、わたしの早とちりだったのかも知れません。
「じゃ次、皆にも自己紹介してもらおっか。出身、年齢、入隊前は何してたか……そんぐらいを簡単に言ってくれればいいよ。順番は――秋山から時計回りね」
伊藤班長の左隣に立っていたわたしに、先陣が任されます。
「はいっ! 大洗女子学園出身、秋山優花里18歳です! 茨城の土浦生まれですが、今は学園艦の上に実家があります。高校では戦車道をやっていまして、10式戦車に乗りたいと思い陸上自衛隊を選びました。――あっ、もちろん74式も90式も大好きですよ! 不束者ですが、どうぞよろしくお願い致します!」
伊藤班長のおかげで緊張がほぐれていたためか、考えていた自己紹介は詰まらずすらすらと言えました。班長が手を叩き始めると皆もそれに続き、居室に拍手の音が響きます。
それからは、自己紹介と拍手が9度、時計回りに繰り返されました。
「小坂恵です。年齢は22歳、北海道出身で今年音大を卒業しました。教育が終わった後は、北海道の音楽隊に行くことになっています。体を動かすのは苦手で皆さんに迷惑をかけるかもしれませんが、一生懸命頑張りますのでよろしくお願いします」
「清水有紀、18歳です。入隊前は地元の静岡県掛川市で、陸の高校に通っていました。災害派遣で活動する自衛隊の皆さんの姿に憧れて、わたしもあんな風になりたいなと思ったのが入隊理由です。よろしくお願いします!」
「あ、あたしの番? 植田美鳥、21、長崎出身。高校出てからは建設会社で働いてて、まあ色々あってここにたどり着いたんだけど、話すと長いから別の機会にするわ。あたしは体力結構自身あっけど、逆に頭は悪ぃからその辺は上手いこと助け合いだね。よろしくっ」
「南かなた、20歳です。和歌山の青師団高校出身です。ここに来る前は地元の会社で事務員をやってました。私も体力に自信がないので付いて行けるか不安ですけど、とにかくよろしくお願いします」
「鈴木純子と言います。富山県出身で、去年まで教諭として陸の公立中学校で働いていました。年齢は27歳で、班の中ではきっと最年長だと思いますが遠慮せずに同期として接して頂けたら嬉しいです。よろしくお願いします」
「山本咲です。神戸のワッフル高校から来ました。高校では吹奏楽部だったんですけど、2コ上の先輩が陸上自衛官で、卒業後も度々教えに来てくれてて。その先輩に、きっと向いてるよって勧められたのが入隊のきっかけです。よろしくお願いしま……あ、年は18です」
「田埜陽子、19歳の京都出身です。今までの人生とは違う世界に飛び込んでやっていきたいと思い入隊しました。当面の目標は少しでも早く陸曹に上がることです。よろしくお願いします」
「阿部奈央、20歳です。東京生まれで、今月までは都内の美術短大に通っていました。でもそれだけじゃ十分な収入のある仕事が見つからなくて……自衛隊を選んだのは、絵を描ける休みがちゃんと取れそうなのと、あと何となく面白そうだと思ったのが理由です。よろしくお願いします」
「宮原巴、18歳です……。私、お父さんとお母さんが両方自衛官で……絶対そうしろって2人に言われて……。あの、私ドジで体力も無くて、きっと皆さんに迷惑かけると思うんですけど、どうか仲良くしてください……」
「ん、こんなもんだね。結構結構」
一人ひとりの自己紹介にぶんぶんとオーバー気味に頷いていた伊藤班長が、両手を胸の前でパン、と叩きます。
「ちょっとはお互いの事が分かっただろうけど、これだけじゃまだまだ足りないと思う。これからは、空いた時間にどんどん話して関係を築いてくこと。年齢も出身地も経歴もバラバラだけど、これから3か月、楽しい事も大変な事も、一緒に分かち合う――2区隊1班総員10名、初めての『同期』ってやつだよ。仲良くやんな」
――『同期』。「友達」、「仲間」、「同級生」、どれとも違うニュアンスを含んだ言葉が、自分の胸の奥底に、まるで鐘の音のようにどっしりと響くのを、わたしはしみじみと感じていました。
「自己紹介も終わったから、後は飯の時間まで個人毎書類記入と縫い物の時間な。先に来てた3人はそのまま作業に戻ってよし。あと申し訳ないけど、机使いたいからソファを空けてもらえる? で、今来た7人はあたしがやる事教えるから、ベッドの上の紙と名札を持ってもう一度集合な。それじゃ、始め」
「「「はい!」」」
「それじゃ、我々はベッドで裁縫しますかね」
「わたしのベッド座っていいよ、秋山さん。上段じゃ作業し辛いだろうし」
「ありがとうございます!」
わたしは名札を縫いかけの上着とソーイングセットを持って居室の奥へ、清水殿のお言葉に甘えることにします。
清水殿のベッドに2人で腰掛けて縫い物を続け、30分程立った頃でしょうか。天井のスピーカーがブツッ、と小さく音を立てたかと思うと、信号ラッパのメロディが鳴り始めました。どうやら屋外にも放送されているようで、窓の外からもタイミングのずれた音が聞こえてきます。時折音が外れているので、恐らく録音ではなくどこかで演奏しているのでしょう。
そんな事を考えながら演奏を聴いていると、ラッパの音色に伊藤班長の声が重なりました。
「よーし、飯行こっか。ジャージの上を着てない子は羽織って、全員スリッパから運動靴に履き替えね。終わったら扉の前に集合、全員揃ったら行くよ」
「「「はい」」」
言われた通りに靴を履き、皆で揃って階段を降りて隊舎の外に出ました。
「さてさて、自衛隊では屋外で2名以上で移動する時、原則として隊列を組み、歩調を合わせて歩かなきゃいけない。1人だったら自由だけど、新隊員の間は無許可での単独行動は禁止ね。って訳で、まずは列の組み方と歩き方から教えるよ。『縦隊』『横隊』って中学校とかで習ってると思うけど、意味が分からない子はいる?」
もちろんわたしは分かるのですが、2人がおずおずと手を上げます。――阿部殿と、宮原殿、でしたっけ、確か。
「素直でよろしい。縦隊は縦の隊、列の数を決めて縦長に並んでいく隊列ね。逆に横隊は横の隊、横列――行列で言えば行の数を決めて横長に並んでいく隊形。移動は基本的に縦列で、列の数は極端に短くなったり長くなったりしないよう適当な数にする。ここでは2列縦隊になろうか。小坂が右の先頭になって、その左と後ろ2列を作って縦に並びな」
皆でぞろぞろと並び、隊形を作ります。わたしは列の先頭、小坂殿の左に並びました。
「歩き始める時は「前へ、進め」の号令を指揮者がかける。1歩目の踏み出しは常に左足ね。歩く速さは1秒間に2歩、1分間に120歩――マーチのリズムだね。心配しなくても、あたしが歩調を刻むからそれに合わせて足を出せば大丈夫」
伊藤班長が列の前で、全員に見えるようコツコツと足踏みし、実際のリズムを刻んでみせます。
「んま、失敗しながら覚えりゃ良しと。それじゃ行くよ」
ごほん、と一度、ちょっとわざとらしい咳払いが聞こえた後。
「まいえぇーーーっ……すすめっ!」
別人のように凛とした声が響き、わたし達10名は一つの「班」として、最初の一歩を踏み出すのでした。
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5話 宣誓書です!
「ひだぁーり、ひだぁーり、左っ右っ!」
右から聞こえる快活な歩調に合わせ、隊列が道の左脇を進みます。
わたしは列の左先頭で、ちょうど道の白線に体の中心を合わせ、またぐようにして歩いていました。
時々右の小坂殿を横目で見て、左右の並びが合うように自分の速度を調節します――列の基準は右なので、わたしが合わせなければいけませんからね。
「歩幅は1歩70センチ! 背の小さい者は普通に歩くと足りないよ、意識して大股で歩くように! 小坂は逆に速い! 左っ右っ!」
指摘を受けた小坂殿が左に顔を向け、横目のわたしと目が合います。
――いけませんよ、右列が基準なんですから。
小さく首を振ってから顎を前へしゃくると、言わんとする所を理解してくれたようです。ぎゅっと唇を結んで顔をもう一度前へ。
「左っ右っ左っ右っ! 鈴木、肘まっすぐ! 秋山、足大げさに上げすぎ! 自然に歩けばいいよ、映画じゃないんだから!」
おっとっと、わたしも人の心配が出来る義理じゃありませんね。
そうこうしている内に、道路の左手に平屋建ての建物が見えてきました。迷彩服を着た隊員の人達がぞろぞろと入って行く様子を見るに、きっとあれが食堂なのでしょう。
「よし、もうすぐ着くよ! 停止の号令は「分隊、止まれ」ね! 「止まれ」に続いて、2歩目で足を揃えて止まる! オッケー!?」
いつの間にか歩道側に回ったらしい伊藤班長の声が、今度は左から聞こえてきます。
「ぶんたぁーいっ、止まれっ、いち、にっ!」
掛け声のリズムに合わせて、わたしたちの足音がザッザッとぴったり二回で止ま――らず、やや不揃いな足音に続いて何人かが3歩目を刻み、隊列が停止しました。
「はーい、いいよこっち向いて」
先程までとはうって変わった、スイッチオフ、と言わんばかりの間延びした声に、皆がばらばらと左に向き直ります。
「まー上出来上出来、一発で完璧にしろとか言ってないし。とりあえずは歩く止まるだけでも最低限にこなせれば、それ以上は求めないよ。今やったようなのを「基本教練」って言うんだけど、どうせコレは課目として今後みっちりやるから、さ。じゃ、メシにすっかね」
そう言って伊藤班長は、外した迷彩帽を両手でくるくる回しながらニカっと笑いました。
わたし達は伊藤班長に続いて食堂に入り、迷彩服の列の後ろに並びました。
「この時間帯はどうしても混むんだよ。もし並ぶ時間が勿体ないと思うなら、15分か20分くらい時間を後ろにずらせば大概は空いてる。12時半以降ならよっぽどの事がない限りガラガラだね。ま、その辺りどうするかは自分達で考えな。はい、ここのお盆と箸、それから茶碗とコップ、一人ずつ取って」
積み上げられたお盆を上から1枚取り、その上のラックに並んだ筒の中からお箸を1膳抜き出します。お茶碗は普通サイズの物と大き目の物、大小2種類あったので小さい方を取りました。本格的な訓練に入ったら、大きいお茶碗で五十鈴殿みたいに沢山食べるようにした方が良いかも知れませんが、流石に今の段階ではそこまでお腹は空いていませんし……。
「まるで給食みたいね。懐かしい」
わたしのすぐ後ろに並んでいた小坂殿が、小さいお茶碗を手に取りながら言いました。取り扱いの容易性と頑丈さを主眼に置かれた樹脂製、デザインも白地に藤の模様とシンプル、確かに小さい頃の給食や、高校の学食を思い起こさせます。
最後に透明のプラスチックコップをひとつ取って前に進むと、腰くらいの高さのステンレスのテーブルに、青い四角形の大きなおひつが6つ並んでいます。空いている所に入り、ご飯をお茶碗に半分くらいよそってから、先の列に続きます。
前に並んだ伊藤班長のお盆を見ると、大きい方のお茶碗に、喫水線の上ぐらいまでご飯がどっかり盛り付けられているのが目に入りました。
「伊藤班長、結構食べられるんですね」
「おー。昔から食べる方だったけど、自衛隊に入ってから更に増えてこうなったね。連隊に居た頃と違って動く機会減ってるから抑えないといけないんだけどなー、ま、いっぺん覚えたら中々減らせないね」
わたしの方に首だけを向け、そう言って伊藤班長は開いている右手で頬をぽりぽりと掻きました。
「自衛隊に入っただけでそんなに増えるんですか?」
続けた質問には、
「すぐに分かる」
目を細め、ふっ、と笑ってから短く一言だけが返ってきました。
「あっはい」
「ごめん、喋ってる間に列空いてたわ詰めて詰めて。次おかずな。盛り付けたお皿が置いてあるから、勤務員の人に頂きますってちゃんと言ってから取るように。いただきま-す」
「頂きます!」「いただきます!」
八宝菜、小松菜のお浸し、わかめのスープ、それからパイナップルのシロップ漬け。
全部のメニューを取り終えお盆に乗せたたわたし達は、班長に続いて食堂に並んだテーブルの脇を進み、隅の一角に揃って座りました。先に来たらしい他の班の新隊員も、この周辺に固まって、それぞれの班の班長と一緒に食事を摂っています。
「新隊員は人数多いから、一般隊員に迷惑がかかんないように規制されてる。使っていい席はあの立看板よりこっち側ね。それから、食べる前は全員揃って『頂きます』、食べ終わったら全員揃って『御馳走様でした』。自衛隊は集団行動が命、こういう所から皆で調子を合わせて行動するのを習慣にしてもらうよ。合わせて、社会人としてのマナーも当然身に着ける。分かった?」
「「「はい!」」」
「よしよし。それじゃ姿勢を正して――合掌、頂きます!」
「「「頂きます!」」」
昼食の後は、伊藤班長が隣の厚生センター、通称PXの中を案内してくれました。
「ここにはコンビニと訓練用品を扱ってる売店、それから喫茶店、図書室、床屋なんかも入ってる。ある程度の日用品は外出しなくても揃うよ」
「へー、意外と凄いじゃん」
「普通のコンビニが入ってるって、何か意外ですね」
「コピー機もチケット端末も、ATMまであるし!」
植田殿、山本殿、阿部殿――でしたっけ、3人が口々に感想を言います。
「特に最初は約3週間、身分証明書ができるまでは外出できないからね。持って来るのを忘れた物があったら今のうちに買っとくこと。特に腕時計を持って来てない子は絶対買いなさい、高いのじゃなくてもいいから。とりあえず今から30分自由時間にするから、各人買い物して来い。秋山は余計な物を買うな」
「は、はい?」
いきなり、また伊藤班長が矛先をわたしに。そんな顔、してましたか……?
「冗談。とはいえ、私物の訓練物品はまだ買わなくていいよ、ホントに。新隊員教育で必要だったり、あった方が便利な物はおいおい教えてあげるから。どうせ統制外の物は買っても使えないし。って言っても見に行くだろうけど」
「まあ、その通り、ですけど」
「うんうん、お前単純でいいわサイコー。好きだぜそういうの」
大げさに頷きながら、わたしの肩をポンポン叩く伊藤班長。
「馬鹿な話ばかりしてても時間がもったいないね。もう解散していいよ。ただし小坂は残れ。朝の約束通り床屋に行くから」
「はい……」
呼びかけられた小坂殿が、か細い声で小さく答えて肩を落とします。
そういえば、小坂殿だけは髪が長いままでしたね。入隊案内にはあらかじめ切って来るように書いてあったのですが……
「気ぃ落とすなって。でも自分が悪いんだぞ、ちゃんと案内に謳ってんだから」
「……はい。前日に気づいた私のせいです。でも、まさか床屋しかないなんて……」
「可哀想だけど、さっき言った通り外出はできないからね。床屋で我慢しろ床屋で」
なるほど、そういう事情だったんですね。
しかしお二方……確かに他に理髪店がない学園艦のような場合は当たり前ですが、普通の床屋でも女性のカットはちゃんとできるんですよ。
理髪店の娘として、その言い草はちょっとどうかと思いますよぉと、声には出さず密かに思うわたしなのでありました。
一時解散となって、わたしはいの一番に訓練用品コーナーへやって来ました。
狭い通路の中に、リュックサックやポーチ、水筒などの装備類から、ワッペンやパラコードといった小物、迷彩シャツや迷彩服、雨具などの衣類まで、様々な種類の物が所狭しと詰め込まれています。その多くは迷彩か黒色で、通路に入り込むと周囲はまるでジャングルのよう。
「やっぱり安いです……流石はPX」
目に付いた物を次々手に取り値札を見てみると、ミリタリーグッズの目利きに慣れたわたしの評価に対して、どの商品も2割から3割引きぐらいの数字が付いています。それもその筈、街のミリタリーショップと違ってここはあくまで隊員の福利厚生施設。売店側の利益が最小限に抑えられていますからね。
「へぇ、モンベルが迷彩のレインウェアなんか作ってるんですね……こっちのブーツはダナー、あのリュックは確かファイブイレブン、海外製も沢山あります……流石に割り引かれても中々のお値段ですけど。しかし、このブーツが2万切りですか、ネットでも2万5千はしたはず――あっ、これはサイズ限定特価で1万6千、しかもわたしの足と同じ――いや、ですが……」
宝の山を現物でどっさり見せられて、気持ちがぐらぐらと揺さぶられます。初任給の使い道はもう決まっていると言うのに。もちろん全額が先約済みという訳ではありませんが、もう両親を頼る訳にもいきませんし、余裕を残しておかないのはあまりに危険でしょう。
「余計な物を買うな、秋山2士!」
班長の言葉を自分自身で反芻して、頭をブンブン左右に振りながら、わたしは洗剤と洗面用品を買いに迷彩のジャングルを後にするのでした。
ああ、でもあのブーツは取り置きしてもらえないかな……今度聞いてみましょう。
あっという間に30分が過ぎ、集合したわたし達は再び列をなして隊舎へ。
今度は書類もみんな書き終えて、10人全員でひたすら自分の縫い物です。ですが、10人の集まるとやはり個性も振れ幅が大きいようで――
「あぁ疲れる! ――もっかい休憩、ロビーでコーヒー買って来るわ」
ギシギシとベッドを揺らす音が止まり、小坂殿のベッドの上段から植田殿が裸足で飛び降ります。ドスン、と着地してからスリッパを履き、イライラした様子で居室を出て行きました。これで確か2回目の休憩、彼女はこういった手先の作業が嫌いなようですね。
左腕のGショックに目を移すと、時刻は14時を回ったところ。わたしも手を止めて一旦休憩することにし、清水殿に一言断ってからベッドを降ります。
「調子、どうですか?」
小坂殿の所に行き、進捗を確かめます。ようやく戦闘服の1着目が終わった所らしく、小坂殿より遅れて取り掛かったわたしよりも進んでいないようです。
耳の上まですっきりとショートに切り揃えられた髪とは裏腹、心は曇り空、ですか……
「髪のことも残念ですけど、我慢できなかったら早めに言った方がいいですよ、上。3か月一緒に暮らすんですから」
わたしはベッドの脇にしゃがんで、小坂殿にそっと耳打ちしました。小坂殿は植田殿とは対照的に繊細な性格、これは早めに何とかしておかないと映画なら必ずトラブルに発展するパターンですからね。
「ありがとう、秋山さん。でも、別に大丈夫だから」
「そうですか? 小坂殿がそう言うならいいんですが……」
「いいの。心配してくれてありがとう」
「でも――いえ、差し出がましい真似をすみませんでした。では」
植田殿がコーヒーを片手に居室に戻ってきたのを見て、わたしはそこで話を打ち切りました。
わたしもお茶でも買ってきましょうか、と思ったちょうどその時、今度は別のベッドから大声が。
「ふぅ、これで全部終わりっ!」
声の主は、午後から縫い付けを始めたばかりの阿部殿。えっ、もう終わりですか?
流石にこれに驚いたのはわたしだけではなかったようで、阿部殿のベッドの上段から、山本殿が首を出して下を見ます。
「えー、早ない?」
「そうかな? 簡単じゃんこんなの」
「ちょっと見してー」
「わたしも見ていいですか」
山本殿が梯子を下り、わたしも阿部殿の方へ近寄ります。2人で阿部殿の縫った階級章と名札を確認してみると――
「いや、あかんやろコレ……」
「縫い目と縫い目の間に親指が入りますね……」
山本殿は絶句、わたしは乾いた笑いが自然に出てきました。
やはりと言うか何と言うか、縫い目は荒いにも程があり、見本の紙で指定された細かさ、およそ4mm間隔が全く守られていません。縫い方も、指定のまつり縫いではなく一番シンプルな波縫いです。
「……これ、普通にやり直し食らうと思いますよ」
「そうやねー」
「えっ、マジ?」
「見本見ました?」
「見てない。ってか、そんなのあったの?」
「ありましたし、班長が皆の前で言ってましたが……」
「うんうん」
「そだっけ。まあ、大丈夫でしょ?」
「えぇ……縫い直ししないとマズいですよ」
2人に追い詰められた阿部殿。3、4秒だけ彼女が考えて出した答えは、
「うーん、班長に言われたら直すわ」
「むっちゃ度胸あるなぁ」
「一応、わたしは止めましたよ……」
後々、何百倍、何千倍のペナルティになって帰ってくるのでありますが――それはまたお話し致しましょう。
「調子どうよ、皆? 終わった子いる?」
時計が4時を回った所で、伊藤班長が居室に帰って来ました。左脇には、バインダーに挟んだA4サイズの紙が挟まれています。
「終わりましたー」
「わたしもです」
「わたしも今終わりました」
「あと5分くらいでーす」
ベッドに座った班員から、わたしのものを含めていくつか返事が返ります。早く取り掛かっただけあって、清水殿も縫い物は終わったようです。
「ふーん、今年の子は結構速いね……まあよし、全員作業やめて中央に集まって」
既に集団行動のスイッチが入りつつあるのか、皆その言葉を聞いてすぐに手元を片付け集合すると、自然に班長の周囲に半円を作ります。
「さて――今から大事な話をするよ。と言っても、大事な子には大事だし、そうじゃない子にとっては何を今更って話だけどね。右から1枚ずつ配って」
半円を時計周りに、紙が手渡されていきます。わたしも阿部殿から紙束を受け取り、1枚とって宮原殿へ。手元に残った紙を見ると、『宣誓書』という題に続いて、下に長々と文章が書かれていました。
「全員行き渡ったね。これは宣誓書――自衛官になる上でここに書かれた事を守りますと、誓って貰うための文書。今からゆっくり読み上げるから、意味が分からない箇所があったらその後で聞くこと。読むよ」
――私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います――
静かな居室に、抑揚をあえて抑えた班長の声が、響くことなくどっしりと染み入りました。
「以上。ま、言葉は難しいけど内容は簡単。自分の職の重さを自覚し国民の期待に応えます、法律や規範は守ります、任務は必ず遂行します、政治的活動は致しません、大雑把に言えばこれだけだよ。既に覚悟して自衛隊を選んだ子なら、何を今更ですか、って感じだと思う」
自分の手元の紙を指で弾きながら、班長が続けます。
「今、この場で貴方たちにとって大事なのはその部分でね。その『覚悟』をしてない子が居たら――例えば、本当は自衛官になりたいと思ってないのに、誰かに強いられてここに来ているなら――この紙にサインをする前に正直に申し出て欲しい」
強いられて、という言葉に、誰かが俯き加減の顔をぴくりと一瞬持ち上げたのが、わたしの視界の端に写りました。確か、宮原殿、でしたっけ。自己紹介以来殆ど喋っていなかったので気にはなっていましたが……
「この紙にサインをするまではあなた達はただの一般人、自衛官じゃない。この誓約書に書かれた事項を守ると誓う――『服務の宣誓』が、自衛官になる法律上の必要条件だからね。逆を言えば、サインしなければ自衛官にはなれない。もっと言い方を変えれば、サインしなければ家に帰れる――極めて穏便に」
確かに、一度自衛官になった後に辞めるのは、わたしの目線で見ても非常に手間も時間も掛かりそうです。部隊長の決裁を得たり、その為の書類を作ったり。
要するに、これはそうしたごたごたをお互いに省くための最後のチャンス。宣誓を拒否する者を引き留める権限は、誰にもありませんからね。
しかし――
「……よし。前口上はこのくらいにして、それじゃ皆サインを――」
それでいきなり、教育が始まってすらいない内から、『極めて穏便に』同期が減ることになるなんて――
「……あの!」
あんまりじゃないですか、と、左隣で震えながら上がる右手を見つめ、わたしは思うのでありました。
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