魔法少女かのん☆マギカ (鐘餅)
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かのマギ設定資料集 改

※ニ•五章に入ったので、改めて設定をまとめてみました。
今後のネタバレ及び、物語全体のネタバレを含みます。ご注意下さい。尚ストーリー更新に合わせて加筆予定。


世界観、時系列説明

 

・本作の世界(宇宙)は「まどマギ本編とは外れた別宇宙、並行世界群」である。

 

・五百年前、戦国時代の早島(富枝)は、血で血を洗う内戦状態にあった(土地を納めていた神の御使い=魔法少女が魔女化し、人々が絶望して疑心暗鬼になってしまったことが内戦のきっかけ)。

 

・当時十〜十一の少女、火雨玉は平凡な武家の生まれであり、神の御使い達に祈りを捧げる普通の少女だった。しかし彼女の家は戦争の影響により惨殺され、玉は妹二人と一緒に生き残ってしまう。

 玉は神の御使い達や運命を憎み、早島にはすべてを救う神が必要だと考え、「永劫に早島の神になる」という願いで魔法少女になる。

 

・長い時間をかけて裏切りや下剋上を繰り返し、権力を手に入れた玉は、領主の娘達――双子姫に取り入り、龍神信仰を創り上げる。

 だが幸せは長く続かず、妹二人はお産や病気で死亡。すべてが間違っていたと悟った玉は絶望し、ソウルジェムを破壊して自害する。享年十七。

 

・しかし玉の死後、双子姫が玉の願いの影響で暴走。玉の妹の子供と領主の家の男を結婚させ、玉の器に適した少女を生み出す(これが広実一族の始まり)。

 実は玉のソウルジェムは初めから宇宙の概念として固定されており、生前のソウルジェムはカケラ=体を動かすための魔力受信機に過ぎなかった。

 

・すべては永劫に神となるための願いの結果。玉の精神と記憶は広実一族の少女にランダム(あるいはその時代に適合した最適の器)に宿り、転生し続ける。

(何故こんなことになったかというと、単純に因果の量が足りない&転生により後天的な因果を大幅に強化する必要があったため。また神様のことを己のすべてを差し出し、人々のために尽くす人柱であるという風に考えていたので、それがダイレクトに反映されてしまった)。

 

・転生を繰り返す内に玉の人格は分裂。早島と牛木草から出られず、十七を超えて生き残れない環境から、精神が壊れていく。

 

・玉が過去と未来を行き来しながら、様々な時代に転生することで並行世界が分岐していき、やがて“玉が神になった宇宙及びそこから玉が転生して派生した並行世界”が元のまどマギ時空から分離。独立した閉じた時空となる。

 

・玉は本編五十年前から救済の魔女による世界滅亡の危機を察知する。牛木草の発展を促し、魔法少女の争いを激化させることで感情エネルギーを収集。悦子の次の次の転生体・順那の時に菊名夏音に邪魔をされ、蓄積した感情エネルギーが上手く使えなくなるよう制御魔法陣を壊される(玉との戦闘で夏音は魔女化)。

 結を魔法少女にさせ、入理乃サチコンビと争わせることで再度魔法陣復活のための感情エネルギーを収集。双子姫=龍神の魔女を刺激し、即興で早島と牛木草周辺の地域を地球から隔離するものの、既に滅びは決定づけられてしまう。

 

・更にこの滅びを迎えた世界は、すべての始まりの世界……初めて玉が神になった世界だった。かのマギ時空の並行世界はすべてこの宇宙を元とする枝葉のようなものであるため、かのマギ時空は滅びを迎える運命にある。最早時空全体を支えるためには、並行世界が生まれる度に魔法少女の争いを起こし、感情エネルギーを収集するしかなくなるというどん詰まり状態に。

(ちなみに完全なる裏設定だが、始まりの世界が滅んだのは、玉が神の役割から解放されようと契約しまくったのと、一部の人格が暴走し、夏音を一から十まで誘導したのが原因。暴走した人格達はそのまま自然消滅したので、玉本人も覚えていない。割とマッチポンプ)

 

・玉の人格達は疲れ切り、血塗られた早島を終わらせるため、魔女となった夏音を利用。使い魔の夏音達をあらゆる並行世界に送り込み、争いを発生させる起爆剤のほか、ループをさせることで魔女の夏音に因果を集めさせ、次元の壁を突破し、まどマギ時空とかのマギ時空を統合しようと試みる。

 

・本編開始。

 

キャラ紹介

・菊名夏音

 本編主人公。家族構成は兄、母、父。年齢は十四歳……ではなく十六歳(享年)。高身長で大人びた顔なのがコンプレックス。

 中二病で物事をはっきりと言う性格。お人好し。

 母と父が仕事第一人間で家にいないため、年の離れた兄に育てられた。父母にとっては望まずしてひょっこり出来た子供であり、周囲からも優秀な兄と比較されがちなため、自身の価値を認められずにいる。特別になることで皆から認められたいと思っているが、結局その願いが更なる不幸への入り口だったのは言うまでもない……(おまけに世界崩壊への決断も、実際は玉に誘導されまくりで、死後も利用され続けている&大抵は碌な目に合わない幸薄少女)。

 本編に登場する夏音は、使い魔が生前の人格を模倣した存在。

 真の固有魔法は「死んだ魔法少女の魔法をコピー」すること。

 ちなみに変身の時、気分によってメガネは外したり外さなかったりする(大抵は邪魔なので外す)。

 

・広実結

 本編のもう一人の主人公的存在。

 名前は“ゆい”じゃなくて“ゆえ”。

 広実一族本家の娘で割とお嬢様。一人称は僕。何で僕なのかというと、広実一族のあれやこれやで、本心では女であることに嫌悪感を持っているから。

 狂人のように見せかけて責任感の塊のような人。まとも過ぎるが故に抱え込みがちで、ミズハの件とか、やっぱり広実一族のあれやこれやとかで、魔女狩りに現実逃避した過去がある。痛みや破壊衝動に快楽を見出すのは、完全に広実一族の呪いのせい。本人の体質から神に縋るという暗示の効きは本当に薄いので、その分他の呪いが強く出てしまったと思われる。また破壊衝動の元は玉ちゃんの人格の大半が「世界ぶっ壊してー、でも自分も殺しまくってるから罪を受けてー」と強く思ってるから。玉ちゃんの感情がダイレクトに流れ込んでいる来ている呪いの模様。

 

・阿岡入理乃

 広実一族の外戚、阿岡家の娘。

 普段はオドオドしているがかなり二面性が激しく、本性ははっきり言って腹黒、クズ、自分勝手。

 相方のサチのことは心の底から大切に思っているが、自分にメリットがあるから付き合っていると必死に思い込むようにしている。かなりの天才少女で何でも出来るが、それが原因でイジメられたので極度の人間不信。そのくせ天才故に傲慢であり、子供のままに成長してしまった。人に好かれることがなかったので、根本的に人から好かれようと努力しないし、人のことを考えられない。

 

・船花サチ

 元は広実一族の外戚、香干家の娘。

 口調は乱暴だが相方に比べるとマシな性格をしている。

 良い子でお人好しであり、素で優しい。恐らく曲がりなりにも親から愛されてきたからなのだが、その実の親を殺してしまった罪に向き合えない心の弱さを持っている。

 乱暴な態度も、一つは船花サチを演じているロールプレイ的側面があり、本来のサチは元々大人しい。

 

・東順那(火雨玉)

 結の従姉妹。天然で人をおちょくる態度が目立つ変わり者。

 その正体は広実一族の少女として転生を繰り返す早島の神様(縁結びの神、玉枝)で、物語のすべての元凶。

 よく笑い、かなりフランクに話し、子供っぽい。だがおちゃらけていなければやってられないので、ヤケクソ気味にハッチャケているだけで、内心は相当にグチャグチャ。

 転生の度に人格分裂を起こしており、玉という個人の精神は壊れている。人格の大半が精神世界に引き篭って自殺、人格同士の殺し合いを続けており、主人格は定まっておらず、その都度、適当な誰かが玉の生前を模倣し、感情を代弁する“ベース人格”として振るまう。

 尚、上記の通り人格達は一枚岩ではなく、サチに事情を話す者や、内心夏音達に味方をしたいのに弱気で言い出せない人格も存在する。

 皆共通して猫好きで、「ババア」という単語が禁句。

 

用語集

・早島市

 人口十万人(半分は老人)の錆びれた田舎町。かのマギ時空の表舞台。

 元々は炭鉱の町で、一時期都会だった時もある。古い旧家と広実一族が実権を支配しており、龍神信仰が広まっている。

 五百年の戦国時代では酷い内戦状態で、色々とボロボロだった。未だに玉がかけた呪いが残っており、広実一族以外魔法少女になれない、住民に神に縋る暗示がかけられている等、極めて特殊な町である。

 尚見滝原とは何の関係もない土地であり、何時間も電車に乗らないと行けない距離。

 

・広実一族

 かつての領主一族の末裔。実態は玉の器を作り出すため、双子姫が人為的に人体実験、遺伝子操作した一族である。龍神信仰の神社を運営している。

 特に神を信奉する暗示にかかりやすく、男は家を作り、女は嫁いで子供を生むという家訓が存在する。裏設定だが近親相姦率はもの凄く高いので、蓄積した血が土地の呪いと反応し、代々新しい呪いを生み出してしまう。しかし近年は玉の数百年単位の猛烈な努力により、呪いの効果は弱まり、家訓に反発して大半の若者が出て行ってる。

 船花家、阿岡家は外戚の家。

 

・龍神信仰

 早島及び牛木草で信仰されるマイナー土着信仰。

 御神体は二対の龍神、金早龍と銀島龍。その上に猫の神、玉枝がいるが、玉の工作により忘れられている。

 正体は五百年前、早島の領主の娘達であった双子姫が魔女化した姿。早は敬語口調でおっとりした天然系。島は理知的で本を読むのが好きな性格。自身に向けられる感情エネルギーを魔力に変換する固有魔法を持つ。

 

・牛木草

 早島の隣にある都会の町。かのマギの裏舞台。五百年前は早島と小競り合いの戦争をしていたが、玉の謀略により早島の一部と化する。そのため玉が唯一活動出来る外の世界で、何百年も昔から彼女の手によって早島の都合が良いよう歴史が作られてきた。

 現在は感情エネルギー収集のため魔法少女の争いが激化。マギレコの二木市並みの地獄と化している。ちなみに牛木草だけでなく、周辺地域も玉による情報操作によって、似た状況になってしまった。

 

・転生の呪い

 玉が背負い込む呪い。あらゆる時代、あらゆる並行世界を横断しながら転生する。転生体は巫女と呼称され、幼い頃に玉の思想、記憶を取り戻すが、成長するに連れてそれらの要素を失っていく。元々の巫女本来の人格は玉の精神がダウンロードされた時点で玉の精神に吸収され、合併される。巫女のソウルジェムは巫女本来の魂でもあるが、玉のソウルジェムのカケラでもあるので、魔女化したとしても次の並行世界へ転生する。



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番外編 語られぬ物語
遠い未来の昔話 前編


※順那ちゃん視点の短編です。
 かのマギ、そして同作者が投稿するこゆマギの根幹のネタバレがあります。それが嫌な方は回れ右をお願いいたします。
 それと3万文字なので注意…。まだまだ書き足りないので後編に続く予定です。


 夢を見ていた、気がする。

 もう、遠い遠い場所での――五百年もの前の記憶。

 

 そこでの私は、今の私ではなかった。

 初まりの私。顔も、声も、名前も、形も、何もかもが最初のまま。原初の願いを抱いている。

 でも、どれもしっくりこなかった。

 当然だ。随分とここに来るまで、色んなものを取りこぼしてた。私は最早、何者でもないのだろう。自分というものの輪郭が、酷くぼんやりとして久しい。

 

 でも、今でも覚えていることは、確かにある。

 かつての日々、血に塗れた人生。

 そして、私の――私の妹達。

 

 ……ああ、なんて懐かしいのだろう。

 ほら、手を伸ばせば今でも届く。

 丸ごと抱き締めれば暖かさが蘇る。

 たとえ、それが錯覚で、偽物だったとしても、捨てられない大事なもの。

 私の生きる理由だった。

 だからこそ、私は妹達を守りたかったし……私を含め、妹達の存在を周りに認めさせたかったかもしれない。

 

 あの時、私達には何もなかった。

 父も母も、他の一族郎党も、支えていた主君の政治争いに巻き込まれ、皆殺されてしまった。

 私達が生き残ったのは、単に運が良かっただけに過ぎない。まだ小さかったから、狭い箱の中に隠れることができた。それとも単に、本当はバレてて、見逃されたのか。

 

 ともかく私は、隙を見つけ、必死に妹達を連れて逃げた。

 誓ったのは復讐だった。

 人が人を殺す時代、それはありふれた悲劇のお話だったけれど、幼い私にとっては、すべてを壊された出来事だった。

 許せるはずもなかった。すぐに見返してやると決めた。そして皆に託された妹達を守るのだと誓った。

 絶対、無惨に死なせたりなんかしない。

 そのためにはどうしたら良いか。

 

 ――そう、庇護者である私自身が、まず特別になれば良い。

 

 だってこうなったのも、すべてすべて、私の家が平凡だったから。

 だから良いように周りに翻弄されて、最後は蟻を踏み潰すみたいに、ぺちゃんこにされた。

 やはり力は必要なのだ。それ相応の立場がなければ、身なんて守れない。それに私が特別になれば、いくらでも好きに権力を動かせる。妹達の身分を上げれるんだ。

 

 最早、迷いなんてなかった。

 私は地べたを這いずり、居場所を転々としつつ、思いつく限りのことをやった。

 勿論、殆どがまともな手段じゃない。

 あらゆるものを騙し、踏み躙り、殺した。

 私は自ら進んで、両手を血に染めたのだ。

 罪悪感も、良心も、あの日あの時一族と共に殺され、完全に死んでいた。

 

 そうして。

 いつしか私は、願いも忘れる程、気付かぬうちに魔法少女になっていて、領主の姫様達にお支えするようになっていた。

 そこでの役割は、姫様達の道具だ。

 彼女達に命じられるまま、政敵を滅ぼし、工作を行い、この土地を守った。

 

 正直、案外やりがいはあった。

 思った以上に、私はこの土地に愛着というものを持ち合わせていたらしい。

 それは酷い目にあっても尚、かつての幸せな日々に望郷を抱いた故にか。

 他の者が避けるような、危険な役割も進んでこなした。

 

 必然的に、私は重要な働きを繰り返した。

 段々と私の地位は上がっていく。遂に姫様達の側近になれた時、私はこの土地において特別な存在となっていた。

 誰もが私を見ると、頭を垂れる。

 妹達も、良い暮らしが出来ている。

 物凄く気分が良かった。私は最高に幸せだった。

 

 ……だけど、姫様達は言ってたっけか。

 それで本当に良いのですか、って。

 私は何て返しただろう。

 そう確か……、皆、私のことを認めてくれているのに、何か問題でもあるんですか? と、そう返した気がする。

 すると、姫様達は沈痛な顔をして、またも言ったんだ。

 

『確かに貴女のことを、皆は認めてくれているかもしれませんね。ですがそれは恐怖と立場によるもので、本心で貴女のことを敬ったりなんかしていないんですよ。私達を含め、程の良い道具として扱っているだけです。このままでは本当に欲しいものを、いつまで経っても見つけられませんよ』

 

 それを聞いて、私は内心、複雑だったのを覚えている。

 実に様々なことを思った。

 例えば、今更だという諦念。上から目線だという怒り。

 でも、何より一番大きかったのは、困惑だったかもしれない。

 ……本当に欲しいもの。私の願い。

 それを手に入れている筈なのに、そうじゃないと言われて、私はよく分からなくなった。

 まるで、今の自分が間違っているみたいで。

 

 でも、それ以上は何か良くないことが起こる気がして、考えるのをやめた。

 代わりに姫様達の道具として、勢力争いや、他国との戦争のことばかりを気にした。

 まあ……結局のところ、私は昔から何も変わっていなかったのだ。相変わらず、他者を騙し、踏み躙り、殺し――それしかやってこなかったから、それ以外で何かを掴むことを知らなかった。

 修羅の道からはもう引き返せなかった。

 

 やがて、私の前に死神が降りてきた。

 きっかけは何だったか。

 要因があり過ぎて困ってしまう。

 それは姫様達に対する嫉妬だったり。戦争への疲弊だったり。人生への虚しさだったり。

 妹達も、それぞれお産や病気で死んでしまった。姫様達でも死人は生き返らえらせることは出来ない。認めてくれたと思った周りも、その死を心から悼んだりはしない。

 私はそこで、ようやく今更のように気づいた。

 私のやってきたことは、すべてすべて、無意味だったのだと。

 私はもう、最初から――

 

 ……ああ、今更のように、踏み躙り、命を奪った者達の怨嗟が聞こえて来る。

 お前が憎い、死ね、詫びろ。どうしてお前は、未だのうのうと生きている。お前も、あの日の地獄で殺されていれば良かったのに。

 

 私は天へ向けて吠えていた。

 自分の存在が酷く許せない。私なんていなくなってしまえば良い。誰か、誰か私を罰してくれ、頼むから――いやだ、違う。私は、まだ何も手に入れていない。私は特別にならなければ。何もかも奪うこの世界に復讐を。私達の存在を、この土地に認めさせやる。認めさせてやる。認めさせてやる……。

 

 相反する感情が黒い渦を巻いていて、何を考えているのか良く自分でも分からなかった。

 もし、仮に分かったことがあるとすれば、たった一つだけ。

 それは生まれ変わって、人生をやり直したいという、なんとも虚しく、切実な願いで。

 

 私はそれを自覚した途端に嘲笑った。

 命の宝玉が黒く染まった瞬間に、それを叩きつけて――そこで私という個は終わりを告げる“はずだった”。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 目を開けて気がつく。

 また始まったという感覚。

 ……思えば自我の目覚めは、大体が五才前後だけれど、今回は随分と遅いらしい。

 視界に入る手は小さいが、幼子のそれではない。

 

 私は現場把握のため、記憶の蓋を開ける。

 そうそう……私は今確か十才で、ここは広実一族の本邸で、両親は力ある存在として早島を引っ張っているんだった。そしてこの体の名は、広実悦子。例の如く、魔法少女の素質もあるらしい。隣からキュゥべえの声が聞こえて来る。

 

「やあ、おはよう。その感じだと、目覚めたみたいだね」

「ああ、おはよう。本当に久方ぶりだ」

 

 私はそちらの方を向き、ルビーの瞳を見つめながら返す。

 

「それで今は何年だ? かなり文明が発達して混乱している。前回は江戸で黒船来航した辺りだったからな」

「そうかい。それはまあ随分と昔……いや、最近だったんだね」

 

 キュゥべえは驚くことなく言い直した。

 彼とも長い付き合いだ。私の事情を良く知っている。慣れてる風に教えてくれた。

 

「今は西暦、千九百六十年辺りだよ。昭和の時代だ」

「……昭和」

 

 聞き覚えがあるような、ないような。

 だが、これまた長く眠っていたのだろな。……上手く以前のことは思い出せないけど、そんな気がする。

 ともかく私は、赤子が産声を上げるように、伸びをした。この調子だとまたすぐに記憶を封じられるだろうが、それでも束の間の自由。楽しまなければ損だろう。

 それに、

 

「うむ、この格好、実に良いではないか」

 

 私は笑みをこぼし、その場で踊るようにターン。

 ふわりと回る、ふわふわでヒラヒラのもの。

 記憶によればワンピースとか言うらしい。どうやらこの国は外の文化を取り入れたことで、いつの間にか洋服というものが普段着になっているようだ。堅苦しい着物と違い、締め付けられず動きやすい。デザインもなんて可愛らしいんだ。私は一目で気に入っていた。でももっと言えば、もう少しゴテっとしたものが好みかもしれない。

 

 私は洋装の部屋を見渡し、クローゼットを発見する。

 開け放つと、中には今来ているのと同じような服が沢山入っていた。

 流石は金持ちの家。

 

「ふっふっふっふっ、ふーん♪」

 

 私は鼻歌を歌いながら、ワンピースを雑に脱ぎ捨て、クローゼット内を漁る。

 ああでもないこうでもないと悩み、やがて良いと思うものを見つけると、早速身につけた。

 

 姿見の前に立つ。

 フリルいっぱいのシャツに、これまたボリューム感たっぷりの黒いフレアスカート。胸元にもおそろいで、大きな黒いリボンをつける。そして仕上げにボンネットを被れば、そこにはミニチュアの西洋人形がいた。

 うむ、なかなかに良い格好。

 我ながらご満悦になっていると、生意気にもキュゥべえは、私の姿を見てこう言ってきた。

 

「派手すぎやしないかい?」

「何か文句でもあるのか? 今まで質素な格好ばかりだったし、たまには派手な服が着たいのだが?」

「のわりには全身黒いね」

「ま、ある意味私にピッタリだろ」

 

 “喪”に服す色。“闇”の色。“死”を司る色。

 私を一言で体現してるだろう、なんて皮肉にも言ってみせると、キュゥべえも納得したのか、それ以上何も言ってこなかった。

 そうして静寂が訪れる。

 私は改めて、鏡の中の自分をじっと見つめていた。

 

「どうだい? 大分最初のキミにそっくりになってきただろ?」

 

 すると、キュゥべえが聞いてくる。

 こちらの元までやってきて、確認でもするみたいな口調だ。

 私は肩あたりまでの髪を、そっと一房だけ摘んだ。

 本当に……本当に色素の薄い髪だ。

 それに顎のラインも、顔のパーツだって……。

 

 ……いやはや、姫様達の執念には恐れ入る。

 まるで品種改良――いや、実際同じなのか。

 だって広実一族が特定の家と婚姻を結ぶのは、子供の肉体の遺伝子を最初の私に近づけるためなんだし。

 器を完成させることで、私を完全に降臨させることが目的なのだ。

 おかげで、私はこうして今でも、妹の子孫の血に宿り続けている。

 死んでも復活する、永久機関の呪い、“転生の呪い”として。

 

「ふ……」

 

 私は何度目かの……でも先程とは別の笑みを浮かべる。

 私はもう感情の何割かを、取りこぼしていた。

 

「そろそろ行くか、キュゥべえ」

 

 私はそう言いながらキュゥべえを抱き上げる。

 今は午前七時過ぎ。もうすぐ朝ご飯の時間だ。早くしないと使用人に怒られる。

 そうして私は部屋を後にした――これからこの時代ですべき、布石のことを考えながら。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 今回の転生先の家は、一言で言えば冷たかった。

 まず両親の仲がすこぶる悪い。政略結婚だったためか、いつも喧嘩ばかりしている。二人がまともに会話をしているところを、私は数える程しか見ていない。

 そしてそんな両親の間に生まれた私は、所謂育児放棄というものをされていた。幸いにも使用人にいたので必要最低限の生活は出来ているが、完全にいないもの扱いされ、すべてにおいて無視されていたのだった。

 おかげで今生の私は、幼い頃から愛のない生活を送っており、随分と寂しかったようだ。

 まあ、今はなんとも思わないが。

 だってこんなの慣れっこだし。別段、珍しい家庭とも感じない。ただ一つ思うのは、今後似た家庭が生まれないかの心配だった(情報が流れるのか、稀に子孫が真似をしてしまうのだ)。

 

「……もぐ、もぐもぐ」

 

 と、そんなことはさておき。

 ダイニングルーム、私は一人席につき、テーブルに乗せられた料理を食べていく。

 結構、口にあった。

 いつも食べてはいるが、自我が目覚めたためにより新鮮に感じられる。

 そうして、味わいつつも、器用にテレパシーでキュゥべえと会話していた。

 

『じゃあなんだ。お前、ここ最近魔女が増えてるのに、まだ契約していないのか』

『まあね。でも、この土地が特殊なのも悪いよ』

 

 テーブルに乗ったキュゥべえは、まるで溜息でも吐くように、仕方なさそうにする。

 実質、広実一族しか契約できないこの早島では、必然的に素質のある少女も限られてくる。そういう子は得てして因果の量が多く、魔女化した際のエネルギーもまた膨大だが、それでもキュゥべえが苦労するのも無理はない。

 クソみたいな奴だがちょっと同情してしまう。

 

『それで私に迫ろうとしてたってわけか。つくづく飽きんやつめ。私をアテにするんでないわ』

『だから、この土地が特殊なのも悪いと言ってるだろう? それにキミなら、絶対断らないじゃないか。キミはどっちみち、魔法少女になるしかないんだし。まあ、まさかこんなタイミングで目覚めるとは思ってもみなかったけど』

『……』

 

 私はその言葉に眉間の皺をちょっと寄せた。

 こっちだって好きでこの時代に転生しているわけじゃないのだ。

 味噌汁をかき込みつつ、言ってやる。

 

『けど、どっちみち都合が良かったんじゃないのか? 私が起きて』

『そうだね。キミの行動は、いつだってボクに利益を齎してくれる場合が多い』

 

 が、ムカつくことに、嫌味を無視してあっさりと肯定しやがった。

 ならばと、私は更に意地悪い笑みを浮かべ、味噌汁のお椀を置きつつ、行儀悪く箸をカチカチと鳴らす。

 

『今回はそうでもないかもしれんぞ? 私は別に、お前のことを考えて動いたりなんてしてないからな』

『そうかな?』

『……やっぱ面白くないやつだなー』

 

 少しくらい、引っかかったふりくらいすれば良いものを。

 もうちょっとはユーモアというものを身につけて欲しい。

 これだからインキューベーターは……。

 

『で、今回はどんなことを企むつもりだい?』

『規模のデカいヤツ』

『テキトーだね』

『こーいうのは大まかで良いのだよ』

 

 ただし細部は緻密に。

 一つ一つ計算し、地道に積み上げねばならない。

 今回のは、そういう布石だ。

 

「……ん、ご馳走様」

 

 すべて食べ終わり、パンと両手を合わせる。

 食べ物への感謝は当然ないが、形だけしてると区切りがつく。

 それから私は、側にあったハンドベルを鳴らした。

 すぐに若いメイドが隣の部屋から入ってくる。

 

「お呼びでしょうか」

「ああ」

 

 私はそれに相槌を打ちつつ、彼女の顔をチラリと見た。

 ……若干、私と似ている。広実の血が濃ゆい証拠だ。

 

「ということは、お前、この時代の“妹”なんだな」

「……?」

 

 私の呟きに、メイドは訳が分からないというように首を傾げた。

 私は苦笑した。別に意味なんて知らなくて良い。私がこの一族に対し、そう勝手に思ってるだけだ。それに今から本当に私の妹になるのだから、何も関係ない。

 

「“私を姉と認識しろ”」

 

 私はゆっくりと彼女へと人差し指を向けた。

 ただそれだけで良い。

 メイドは一瞬にして、瞳の光を消して、にこやかに笑った。

 

「はい、お姉様。貴女様は私の姉にございます。なんなりとお申し付けを」

「……また暗示かい? お人形ごっこも飽きないね」

 

 私の行動に、キュゥべえは呆れた声。

 我ながらまったくその通りだと思った。

 

 私は言い訳みたいに、「水先案内人は必要だろう」と言って、立ち上がる。

 というのも今生の私は――悦子はあまり外に出ないから、細かいところまでこの地域について詳しくないのだ。

 

 そういう訳で。

 私は早速メイドに話しかける。

 

「さあ、私の“妹”。まずは名前を教えてくれるかな?」

「リエです」

「リエか。うむ、良い名だ。可愛くて羨ましいくらいだ」

 

 悦子とか結構古臭いからな。

 

「リエ、何処かこの町で中心部に近くて、でも人気がないところってないか?」

「はい。確かこの近くに――」

 

 暗示の効果で、すぐにリエは教えてくれた。

 私は満足気に頷き、頭の中でその場所を指定すると、パチン、と指を鳴らす。

 転瞬――私達は空間を跳躍し、その場から飛んでいた。

 

「……よいっと」

 

 降り立つと響く、軽い靴音。

 飛ぶと同時、ブーツを履いたのだ。勿論リエもお揃いのものに変えた。室内用の靴のままは流石に可哀想だ。

 

 私は辺りを見渡す。

 路地裏だった。

 人の気配がなく、かつ中心部に近い場所。

 リエは本当に、要望通りピッタリなところを言ったのだった。

 私達はしばらく歩いた。表通りに出る。

 この時代の街並みと喧騒が私を出迎えた。

 

「……」

 

 聳え立つコンクリートの建物。

 行き交う洋装の人々。

 道路では奇妙な鉄の箱が、ブーブーと排気ガスを吹かせながら何体も走っている。

 あまりにも音が多すぎて煩かった。

 百年以上経っているとはいえ時代の変化はとてつもなく早い。

 この見慣れぬ光景は、まるで私には異世界か、はたまた遠い外国のように思えた。

 ここがかつての故郷とは信じられない。

 何もかも変わり果てていて、私だけが過去に取り残されている。

 それでも、ああ、こうしていると聞こえて来る。

 

『神様』

『ねえ、神様』

『助けて下さい』

『お願いします』

『どうか、どうか』

 

 それは人々の想念、縋るような願いの数々。

 皆が“私”に対して救いを求めていた。

 ……けど本当は分かっている。

 ここに暮らす人々は皆、暗示で操られているのだ。

 無意識に神に依存するよう魔法をかけられている。

 だから、この声は偽物。雑音と同じだ。

 だけど、やっぱり私はいつだって無視出来ない。

 それこそが私が今ここにいる理由だから。

 故に私は答えるように呟く。

 

「……分かっているよ、お前達」

『――どうか』

『神様――』

『苦しいんです。私達に救いを……』

「……ああ、分かっているとも。待っているが良い」

 

 何の返事も返ってこないのに、私はもう一度だけ頷いた。

 リエに町を案内させながら進み始める。

 やはり前の面影は消え失せていた。

 あのよく遊んでいた森も。かつて住んでいた屋敷も。姫様達のお城は崩れて、石垣が残るのみ。博物館で紹介された歴史は間違ったものばかりだった。

 代わりにこの現代で埋めつくされているのは、昔じゃ考えられないものばかりで、例えばテレビとかが良い例だろう。あんなもの、不思議の極みだ。アレの仕組みは一生理解できない。どれだけの技術がそこに使われているのか。

 食べ物一つにしたってそうだ。

 新生野菜、果物、マヨネーズなどの加工品。

 当たり前に並んでるだけで驚愕に値する。

 本当、作るだけで大変だったから。

 

 ……私はこの時代を、なんて豊かな世界なのだろうと感じた。

 きっと生きてるだけで、幸せになるチャンスがたくさん転がっている。

 それなのに、お金が欲しいだの、出世したいだの、病気が治って欲しいだの。

 聞こえて来る声は、昔に比べて実にうるさく我儘だった。

 ま、それもそうだろう。

 余裕がなければ、手が伸ばせる範囲は限られて来る。

 つまり逆を言えば、豊かに成れば成る程、人々の欲望はどんどん膨らんでいくわけで。

 所詮、人も獣。際限なく求めてしまうのが人の性なのだ。

 私も例外なく、こんなにも人間は醜い。

 

「あの、お姉様」

 

 しばらくして。

 リエが話しかけてきた。私は口をもぐもぐとさせて首を傾げる。

 歩き疲れたので、ちょっと公園で小休憩を取っていた最中だったのだ。

 私はベンチに座りながら、リエに買い行かせたお菓子――チーズおつまみを食べていた。

 

「んぐぐ、んぐぐん?」

 

 何か質問?

 私はそのままの状態で聞いた。

 リエはちょっぴり呆れて、でも暗示の効果で、私の言いたいことは分かったみたいだ。

 意を決したように聞いてきた。

 

「お姉様。お姉様はどうして、そんなにいつもいつも、この町を見るとつまらなさそうな顔をするのですか?」

「……」

 

 私は数秒黙り、もがもが、ごくんと、口の中のチーズおつまみを飲み込む。

 自分でも驚くくらい、感情のない声が出た。

 

「私がそんな風に見えるのか?」

「見えます。それに家でも、学校でだってそうでしょう?」

「……もしかしてお前、私に同情なんかしちゃってる?」

「まあ、可哀想だとは」

 

 無関心な言い方だった。

 どうも心の底から思っている訳ではないらしい。

 聞いてきたのは、単純な好奇心からか。

 

 私は溜息をついた。

 忌々しいことに、リエに言われたことで悦子の記憶が浮かんでくる。

 乾いた日常、冷たい家族、上部だけの友達ごっこ。

 自我が芽生えていなかったとは言え、その時の私が“私”であることに代わりはないのだろう。

 幸せな思い出はそれなりにあれど、私はいつも疲れ切っていた。何でもない時でさえ死を望むほどに、いつも疲れ切っていたのだ。

 

「だからこそ、お姉様はおかしいのです」

 

 何の因果か、リエは私の思考を続けるように言った。

 

「この町はこんなにも素晴らしく、ここに生まれただけで幸せなのに。それを認めようとしないだなんて変ですよ」

「………じゃ、そう言うお前は、早島で生きて幸せだと本気で思ってるの?」

「はい。龍神様を崇めて、一族の責務を果たせて。これ程良い生き方はありません」

「自分で選んでないのに?」

「偽物でも喜びは喜びですよ」

「……ハッ」

 

 思わず笑みが溢れる。

 この胸の内に広がるもやもやはなんなのか。

 悲哀? 嘲り? よく分からない。

 私は何に対してこんな感情を抱いているのだろう。

 複雑だ。謝りたくもあるし、ぶっ叩きたくもなる。私はこのリエという妹を、心底可哀想に思っているのかもしれない。

 

 キュゥべえは会話に入ってこなかった。

 ただ静かに私達の側にいる。

 私は何を思ったのか、ふと独り言のように、語られぬ物語を読み上げる。

 

「――昔々、遠い未来のお話です。どこでもなくて、どこにでもある宇宙に、ある一匹の怪物がいました。小さくて、醜くい姿をしていて、その声は外見以上に酷い声でした」

「……何ですか、それ」

 

 唐突に始まる奇妙な話に、リエが訝しそうにする。

 私は肩をすくめた。

 

「ただの御伽噺さ。まあ、聞いておくれ、私の妹」

「……はあ」

 

 リエは何がなんだかよく分からない顔。

 私は気にせず喋り続ける。

 

「怪物はいつも一人ぼっちでした。誰も怪物のことなんて見てくれないし、名前も呼んでくれません。怪物がどれだけ歌っても、その歌はやっぱり酷いもので、無視されてしまいました。――怪物は、誰とも交われなかったのです」

「……随分と可哀想な怪物ですね。必死に愛されようとしてるのに、愛されないだなんて、不憫なものです」

 

 率直な感想に、私は苦笑を浮かべる。

 そりゃ、何も知らなければ、この怪物は哀れな奴に見えるのだろう。

 だけどね。違うんだ。

 

「怪物は全然可哀想じゃないさ。どちらかと言うと怪物は極悪人だ。彼女は多くの者を殺してきた。ただ特別になりたい、認めてもらいたいという願いだけで多くの屍を積み上げ、その山の上で歌っている。姿が醜いのもそのせいだ。心が映し出されてるんだよ。なのに、他の子の綺麗な歌に嫉妬して、おまけに気に入らないからって、綺麗な歌が記録されたレコードを壊したくなるんだ。そんな奴の歌に、一体何の価値がある?」

「……」

「でも、まあ、実は怪物にも歌ってくれって言う奴らは、ごまんといるけどな。ただ、奴らには本当の怪物の歌が聞こえないだけで」

「……え?」

「結局さ、怪物が一人で宇宙にいるのは、神様という名の人中になってるからだよ。望んでないのに、勝手に崇めて奉られて。そんで人としての権利を剥奪されれば、あら不思議。人々の願いを叶える唯のシステムになっちゃうんだ、これが……。まったく、皮肉なものだよな」

 

 私はそう言って正面を向き、遠くを見つめた。

 ずっとずっと、ここでは無い遠くを見つめていた。

 そして。

 

「そろそろ良いだろう」

「……?」

 

 リエは不思議そうな顔をした。

 出会ってばかりだけど。なんだかこの子にはずっとこんな顔をさせている。

 私は申し訳なく思いながら、指をパチン、と鳴らした。

 

 世界が切り替わる。

 辺り一面、真っ青な空。流れる雲。

 眼下にはミニチュアの町が広がっている。

 ……そう、私達は早島市の遥か上空に移動したのだ。

 ちなみに落下の心配はない。魔法の力によってふわふわと浮かせている。

 

「……!? ……!?」

 

 流石のリエもこれには驚いているらしい。

 さっきから口をぱくぱくさせている。

 その彼女を微笑ましく思って、けれど私は無慈悲に死神の鎌を構える。

 

「さよなら、リエ。短い間だったけど、楽しかったよ」

 

 人差し指を向ける。

 瞬間、リエに異変が生じる。

 彼女は頭を抱え、もがくように体をくの字に曲げて苦しみ出した。

 

「ガ……アガアアアア!! ギャアアアアアアアアアアア!!」

 

 その絶叫は、あらゆる死を体験した時のような、絶望の音色だった。

 そしてそれは比喩でもなんでもない。

 彼女は今、私の魂の記憶を見ている。

 勿論、本で例えるなら、まだ一ページの半分だけど……ちょっと見るだけでこの様だ。常人に耐えられるものではない。

 やがて彼女は死んだ。発狂死したのだ。

 もうリエはピクリとも動かず、ただ浮いているだけだった。

 

「……っ」

 

 私はその姿を深い悲しみと共に見ている。

 自分で殺したくせに涙なんかも出てきた。

 けど、心の奥底は凪のように静かだ。

 これが私。

 私は目的のためなら、あらゆる者を切り捨てられる。割り切れる。実行出来てしまう。

 私の本質は機械であり人形なのだ。

 

「玉」

 

 涙も枯れた頃。

 キュゥべえが、私の最初の名前を呼んだ。

 自我が芽生えると、彼はいつもこうやって“玉”と呼ぶ。

 

「一体どうしてリエを殺したんだい? 無意味って訳じゃないんだろう?」

「まあ見ていろ。すぐに答えは分かる」

「――、これは……」

 

 キュゥべえの紅い両目が見開かれた。

 視線は町の中心部――早島神社に向けられている。

 その屋根の上には、金と銀、二対の龍の顎門が浮かんでいた。

 金早龍と銀島龍。

 魔法少女にも、一般人にも見えない、土地と同化しているこの町の神様だ。

 さっきから何かを喰らうよう、一心不乱にバリバリと咀嚼している。

 その周りでは枝葉を広げるよう、蜘蛛の巣状の巨大魔法陣が町中を覆って輝いていた。

 

「まさか、エネルギーの回収……? 島と早に……あり得ないほどの膨大な因果を集めるつもりなのかい?」

「そうさ。私がただで町中を歩き回っていたと思うのか?」

 

 すべてはこの魔法陣を直接土地に刻むためだ。

 何故なら龍神はこの早島そのもの。

 この方法が一番手っ取り早かったのだ。

 

「そして今リエを殺し、上手く魔法陣が作動するか実験した。結果は見事に大成功。彼女の絶望――感情エネルギーが島と早の元へ回収されたって訳か」

 

 キュゥべえは感心するように呟く。

 

「いやはや、恐れ入るね。流石は妖術使いの玉。今に至るまで続く早島の呪いを紡いだキミなら、このくらいは朝飯前なのか」

「当然だろう。体が変わっても私は“私”だ。出力は落ちてるが、生前の魔法ぐらい使えるに決まってる」

「それでも、さらっとこんなことをやってのけるんだから、キミは出鱈目だね。本当、昔から化物みたいに何でもありだよ」

「……」

 

 相変わらず褒めてるんだか褒めてないんだか分からない言い方だった。

 私はなんとも言えない顔をするしかない。

 キュゥべえは可愛らしく尻尾を振ると、

 

「さて、それでエネルギー回収の仕組みを作ったとして……まさか早島の人間から感情エネルギーを集めるんじゃないんだろ? 餌場はどうするつもりなんだい?」

「作るよ」

 

 私は早島の隣の方の町――牛木草を指差す。

 あそこは元々、早島の一部だったところだ。

 この土地に縛られている私が唯一活動できる“外”であり、ちょうど良い具合に人口も増えてきている。まさに絶好の場所だと言えよう。

 

「私は今から、あの町に呪いを振り撒く。過剰に発展させ、因果が集まりやすいよう仕掛けを施す。勿論、魔法少女も沢山育ちやすいようにするから安心してくれ。魔女化の際のエネルギーとかも全部譲るし」

「いたせりつくせりだね」

「前にも言ったが別にお前のためではない。くれぐれも邪魔だけはするなよ」

「勿論さ。でないと今後、キミからの恩恵を受けれなくなるし、むしろボクとしても今回はとても助かる話だからね」

「さいですか」

 

 私は皮肉とも取れるキュゥべえの言葉に鼻を乗らした。

 

「でもそんな膨大な量のエネルギーを集めて一体どうするつもりなんだい? 今のままでも十分、早と島は強力じゃないか」

「……それじゃ足りんのだ」

「足りない?」

「エイリアン野郎には関係のない話だ」

 

 そう、この地球を去るお前には何の関係もない。

 すべては五十年後、訪れる厄災のために。

 だからお前はこれまで通り、私の行いを黙認すれば良い。

 それよりも、

 

「呪いを振り撒くにも起点が必要だ。今あの町で最も魔法少女の因果の中心にいるのは誰だ?」

「夜見ミキオだよ」

「ミキオ……? 魔法少女じゃないのか?」

「彼は魔法少女の研究者さ。その力を解明しようとしてる、なかなか面白い人物だよ」

「ふーん……」

 

 そう言われると少し興味も湧いてくる。

 私は手の中に魔力を凝縮させ、望遠鏡を生み出した。

 側面についたダイヤルを動かし、その筒の口を目に当てる。

 途端、見えたのはまだ若そうな男だった。

 あれが夜見ミキオだろう。見ている感じ、実に使い道のありそうな奴だった。

 

「ふふ……」

 

 私は目から望遠鏡を離して消した。

 口元を緩める。

 ああ、たしかにキュゥべえの言った通り、なかなか面白い。

 これなら布石を予想以上に……。

 

 私は何のアクションもなしに、魔法でリエに火を付けた。

 内側から燃えがった炎は瞬く間に遺体を灰に変えいく。

 すべて散りになった後は、風に乗って流れていった。

 

「――――」

 

 それを見届け、私はキュゥべえを連れてミキオの元へと飛んでいく。

 興味を抱いても酷く無感情だった。

 私はリエと同じく、彼のことを道具としてしか見ていない。

 そしてこの自分自身さえそうだ。

 だから私は私が壊れることを前提で、記憶が忘れたタイミングで偽りの感情を抱くよう、この瞬間にも薄れていく自我にプログラムを施す。

 その結果、酷い死に方をしても別に構わない。

 それが運命。

 運命は変えられないのだから、もう自ら進んで身を委ねるしか、私に残された道はないのだ。

 

 

 

 

 それから私は束の間とも言える自由を過ごした。

 毎日のように牛木草に行っては人々に仕掛けを施す。

 例えば欲望を煽ってやったり、逆に地位を貶めてやったり。

 特になんの芽もない奴のところに行って、力をプレゼントしたりもした。何れ大きく成長し、この地を支配する存在となるだろう。

 

 そうやって至るところに、私は災禍と絶望の種を振り撒く。

 こういうのは基本、地味な作業が多い。

 人は思ったよりも単純じゃないのだ。

 望んだ結果を引き起こすためにはそれなりに緻密な計算が必要で、おかげでかなり疲れるわ、面倒くさいわで、まったく嫌になる。

 ま、別に良いけど。

 

 だって、全部がどうでもいいし。

 私が私である時点で、もう死んでいるようなものだ。

 この無意味な生に、一体何の価値を求めれば良いのか。

 私にはもう分からない。それを考えるのも疲れ果ててしまった。

 今はただ、何れ終わる終焉に翻弄されるのみ。

 その証拠に……ほら、今でも自我は崩れている。

 タイムリミットは残り僅か。

 

 私は盤面の駒を進めるよう、ミキオと親睦を深めていく。

 人と仲良くなるのは造作もない。

 私には手に取るように人の心の隙間が分かる。

 それに従って望む姿を演じてやれば大抵、コロっと落ちるのだ。

 特にミキオは、なんてことない、有象無象のうちの一人だった。そのくせ、変に好奇心があるのだから隙だらけにも程がある。

 すぐに警戒心を解いて、私を丁重にもてなしてくれた。

 道具としては非常に便利だ。

 

 とはいえ、私もミキオと話すのは楽しかった。

 嬉しかった。

 心が薄れていく度に、作り上げた偽物の恋が鳴動する。

 

 やがて一週間、一ヶ月……仕掛けを施し終わった後でも交流は続き、一体どれだけの時が過ぎただろう。

 私はいつの間にか、崩れた自我の代わりに執着心を得た。

 いつ食べても飽きない、甘い甘い綿菓子のような、でも強く焦がれるような、不思議な気持ちだ。

 

 これが私を操っていく。

 既に前世の記憶さえも失っていた私にとって、もうそれはすべてだった。

 だから私は絶対に逃さない。絶対に許さない。

 綿菓子の糸はミキオにも手を伸ばし、魔法少女に関わらないと言った彼を絡め取っていく。

 気がつけば私は願っていた。

 ミキオに魔法少女の因果が集まるように。

 それは私の思惑通りだった。

 強い思いであればある程、因果は絡まり、紡がれていくのだから。

 だから、私は恋の感情を埋め込みと同時、自分を騙した。

 私の取り柄は、魔法少女のことしかない。

 その繋がりを失えば私はミキオの側にいられない。

 そう思わせるように思考を改竄して。

 

 後はいつもの流れと同じだ。

 結局、私はミキオに拒絶された。当たり前だ。無理やりの束縛は相手を逆に遠ざける。しかし私は納得出来ずに荒れに荒れまくり、失意の内に魔女に捕食される。

 痛みに喘ぎながら、ようやくすべてを思い出した。

 

 ――ああ、またこの最後なのか。

 

 ほら、やっぱり運命は変わらないでしょう?

 口元が歪めば体も歪んでいく。

 ああ、お休みなさい。いつか会う日まで。

 頭を噛み砕かれて、私は遂に絶命した。

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 そしてまた、次の“私”が始まる。

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 ――今度の私は、江戸中期に生きた少女だった。

 日の本の中でも比較的平和な時代だ。

 戦国のように戦うこともなく、民草は日々安寧を享受する。

 しかし決して豊かとは言えない。

 しかも、ここの土壌はあまりにも悪かった。

 飢饉、日照り、干ばつ、壊滅的な被害を被ればすぐに再起不能に陥る。

 そして私が生まれたのは丁度そういう時期だった。

 次々と一族の少女達が生贄として身を捧げられていった。

 私の番が回ってくるのも時間の問題だ。

 私はとっくの昔に自我が目覚めていたので、隙を見て逃げ出した。

 記憶も不完全だったから、きっと抜け出せると信じていた。

 

 でも、いくら懸命に走っても、早島からは出られない。

 転移を繰り返しても同じ。何故かすぐに元の場所に戻るのだ。

 一体どうしてこんなことに。

 疑問に思って原因を探っていると、今度は押しつぶされそうなほどの声が聞こえてきた。

 

『助けろ』

『逃げるな』

『お前ばっかりずるい』

『私達を救ってよ』

『何故救ってくれないんだ』

『お前は神様だろう。だったら――』

 

「………!?」

 

 これ以上ないくらい鳥肌が立って、私は耳を塞いだ。

 足が震える。

 

 波のような声の渦は、救いを求める人々の想念だった。

 それが鎖となって私の魂を束縛している。

 逃げられないのも当然だった。

 ならば、この土地の人々をどうにかすれば良い。だが、呪いを解呪する方法は存在しない。

 ましてや、彼らを皆殺しにすることも出来なくて。

 私はなすすべなく広実一族に捕まり、やがて本当の記憶も失って、魔法少女にさせられた。

 結果として早島は救われたが、私の心はまったく晴れない。

 いつしか無意味な日々に絶望し、私はその内魔女になっていた。

 

 また、命が終わる。

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 そして次の“私”が始まる。

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 ――再び昭和の時代に生まれ変わっていた。

 といっても前回のような平和な時代ではない。

 戦争の時代。

 第二次世界大戦真っ只中の時代だ。

 

 そこでは毎日のようにアメリカとの戦いがラジオで流れていた。

 飽きもせず連勝のニュースが飛び交い、雑誌も教育も戦争一色に染め上げられている。

 お国のために戦うことが何よりも名誉なことだとされていたが、国民の暮らしは当然貧しく、空襲も度々あった。

 

 特に早島は酷かった。

 毎日のようにサイレンが響き渡り、炎の雨が何度も降り注いだ。

 火の海の中で誰もが逃げ回り、焼き殺されていく。

 私の家族も死んでしまった。

 私だけは奇跡的に助かったが、もう後がない。

 悲しむ間も無く魔法少女になるしかなかった。

 目覚めた自我は徐々に薄れていく。

 

 私はいつかのように泥水を啜りながら必死に生きた。

 最初は同じような境遇の子と一緒になって生活した。

 しかし、余裕もないので他の子と喧嘩になる。

 私は気の弱い方だったので、毎日良いようハブられていた。

 このままここにいてもしょうがないだけだ。

 もう用はないと早々に逃げ出す。

 

 次は一人で過ごしてみた。

 力もあるので余裕だろう。

 そう思っても、しかし孤独には耐えられない。

 

 結局、血縁を探し求め、最終的に流れ着いたのは裏社会の闇……広実一族が運営する早島の暗部だった。

 彼らは戦争の道具として、魔法少女を利用していた。

 私は暗殺用として重宝され、遠隔から敵を殺した。

 そうすると政府から報酬が出て、大量の金が流れる。

 それらはすべて早島の復興資金となるのだ。

 大人達は大して褒めてくれながったが、私は何故か自分のやってることが妙に誇らしかった。

 別に気分が良かったという訳ではないが、それでも私は寂しかった。寂しかったから、誰かに必要とされたかった。報われていたかった。

 そのために私は頑張り続ける。だが救いは訪れない。

 私は所詮、大人達にとっては都合の良い道具でしかなく、逃げ出そうとしても早島からは出られずに。

 しばらく経たない内に、私は知らない子に殺された。

 多分、敵から復讐されたのだ。似合いの最後と思った。

 

 そうして、真っ赤に染まった世界で呟く。

 ああ、次はどんなやり直しを? さようなら、さようなら。またいつか会う日まで。

 私は目を閉じて、輪廻の渦に飲み込まていく。

 

 今生の生も終わった。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 そして私は繰り返す。繰り返す。生きては死んでを繰り返す。

 

 ――とある時代に姫として生まれた。

 何不自由のない生活だった。

 しかし無理やり結婚させられ、子供を産んだ。

 子供はすぐに病死した。

 悲しくて悲しくて、魔法少女の契約で生き返らせた。

 しかし肝心のその子は女の子で、家の人々は口々に、余分なことを責め立てる。立場を守るために必死で早島に尽くしたが、ついぞ見直されることはなく、私は結局、追い詰められて子供と心中した。

 とても悲しい結末だった。

 

 ――明治の頃に一族の外戚の家に生まれた。

 所謂成金で、紡績で一旗揚げた家だった。

 だがある時、雷で工場は燃えてしまった。

 悲しくて悲しくて、私はキュゥべえと契約した。

 すると全部が元通り。

 嬉しくなって父にそのことを言うと、彼はすごく驚いていた。

 そして、目が眩んだのか、私のことを政治に利用しようとした。

 私は反発したけど、別の魔法少女を見つけてきて、父は早島の経済を滅茶苦茶にした。

 私は父を殺した。これ以上の狼藉は見過ごせなかったからだ。

 だが同時に絶望もしてしまった。父が死んで深い悲しみに囚われたのだ。

 これでこの人生もお終い。

 魔女化してさようなら。

 

 そうしてまた生まれ変わって――平成の世で那お子という少女になった。

 生家は一族の中でも、特に情報管理を担う家だ。

 東家は早島の機密情報を守っていた。

 しかしある時、何処からか情報が漏れてしまう。

 魔女の仕業だった。私はこの問題を解決するために魔法少女となり、海辺にて魔女を追いつめて交戦する。

 だが強力な魔女であったために、私は呆気なく死んでしまった。

 内側から爆死しての最後だった。

 

 ……とまあ、このように。

 振り返るとどれも碌でもない人生ばかりだ。

 私はこんなのを、もう数えただけで千は経験している。

 

 過去も未来も関係ない。

 時間軸さえ飛び越えて、振り子のように行ったり来たりをしながら、あらゆる時代の早島で生まれ変わる。

 そのどれもが例外なく私だ。

 生育環境関係なく、私の意識、魂が、広実一族の女子の赤ん坊にランダムでダウンロードされる。

 記憶の解凍は五、六歳の時。

 そこから徐々に自我が薄れてその時代の“私”となる。

 だが、転生毎に記憶の情報を完全に持ち超せないので、十七を超えて生き残れはしない。

 必ず魔法少女として生き、早島のためにと供物に捧げられる。

 私はずっとそうやって転生してきた。

 

 勿論、その運命から逃れようと必死になったこともある。

 しかしそのどれもが失敗に終わった。

 そもそも自殺したところで無意味なのだ。すぐに生まれ変わり、またゼロからのスタートになる。いくら足掻こうと、私がこの輪廻の渦から解放される術はないのだ。

 

 まったく皮肉なものだと思う。

 私はずっと特別になりたかった。

 だから龍神信仰を造り上げた。

 だが、その末に待っていたのは真の苦しみだった。

 

 こうなったのもすべては自業自得だろう。

 何故ならかつて忘れ去っていた最初の祈りは、文字通り“未来永劫、この土地で誰よりも特別な存在になる”というものだったから。

 そのために私亡き後、双子姫は暴走し、私をこの早島の神様に仕立て上げた。わざわざ、どの時代でも“私”が生まれるように、自身の一族にまで手を加えて。

 おかげで私は私のままに、“早島の神様”として早島を守る存在となってしまった。

 

 それは奴隷に……いや、システムになることと同義だ。

 どう思おうが、私は早島を守り続けなければならない。

 始まりの私が実行していた“特別”になる方法がこれなのだ。

 だから私の体は自然とそういう風に動くし、最終的に私は人々の願いを背負って死ぬ運命にある。

 

 前にも言った通り、本当に数え切れないほどの死を迎えた。

 貫かれて死んで、潰されて死んで、切り付けられて死んで、燃やされて死んで、腐り果てて死んで、踏み砕かれて死んで、拷問されて死んで。

 最早、体験したことのない死に方など存在してないだろう。

 どんな痛みも、私の前では同じことだ。

 それよりも本当に苦痛なのは、また繰り返すこと。長く生きられないこと。孤独なこと。

 私は全部がどうでも良いくせに、全部を破壊したくて堪らなかった。

 普通に生きて死ねる人々が、妬ましくて妬ましくて仕方がなかった。

 

 ……思えば私の本当の願いは、たったそれだけのことだったかもしれない。

 全部、普通で良かったのだ。

 愛し、愛されていればそれで。

 私は幼い頃のように、誰か愛されて死にたかった。

 

 でもそんな奇跡は二度とこないだろう。

 本当の理解者など何処にもいない。

 一体誰が、永劫の時を回帰する私に寄り添えるというのか。

 おまけに私の魂は、祈りのせいで宇宙の外側に縫い付けられている。

 そこには誰もいないんだ。一人ぼっち。

 ここにいると叫べば叫ぶ程、醜い声しか出やしない。

 

 ――あああ……ああああ……あああああああああ……。

 

 私は泣いて泣いて泣きまくる。

 寂しい、辛い、耐えられない。

 ソウルジェムは砕けも濁りもしなかった。

 ただその身を、糸で出来た猫の怪物にしただけだった。

 そんなことでさえ、ますます悲しくなってくる。

 連星のようなレコードを壊したくなった。

 人恋しさから、望遠鏡で他の時間軸を覗きまくった。

 

 そうして長い長い時を過ごし。

 旅の途中、幾つもの転生をした後、遥か未来の世界で、ふとした終わりを垣間見た。

 

「何だアレは」

 

 私はそれを見上げて呟いた。

 その魔女は、世界を覆い尽くすような、果てが見えないくらい大きくて黒い魔女だった。

 まさしく天災と言っても良い存在だ。

 枝分かれした下半身を揺らめかせながら、上へ上へ、伸びていく──渇望するかのように、手を伸ばしていく。

 しかし、両手は何も届かない。欲しいものは手に入れられない。ただ、その手は哀れな魂をつかみとるだけ。

 

 名はすぐに分かった。

 彼女は救済の魔女という。その性質は、慈悲。

 この現世という名の鳥籠から魂を拾い上げ、その手で天国へと導く救世主。しかし、それは何もかもを崩壊させる、恐るべき化け物。

 いや、化け物と形容するには、これはあまりにも強大すぎる。

 これを表す言葉は、それこそ“神様”とか、そういう言葉しかないだろう。

 ワルプルスギスさえ凌ぐ、超弩級の魔女だった。

 

「ハ……、ハハハハハハハハ……ハハハハハハハハハハハハハハハハ……!!」

 

 乾いた笑い声しか出せなかった。

 何だアレは、何なんだアレは。

 突如現れてはすべてを壊し尽くしていく。

 この早島も例外ではない。何人か魂を吸い取られた。

 もう彼女は止まらないだろう。この地球を十日そこらで壊滅させてしまう。

 

「凄いだろう、玉」

 

 滅びゆく光景の中、隣でキュゥべえは言った。

 

「彼女こそが、ボクらの追い求めてきた理想そのものだよ。これでエネルギーノルマも概ね達成出来た」

「……ハハ、そうか」

「いくら双子姫が強力といえど、まどかには敵わないだろうね。早島も消えてなくだろう。おめでとう。キミはこれで、やっと解放されるんだ」

 

 言祝ぎの言葉。

 私はニヤリと笑う。

 

「何だ。私のこと、どうでも良くないのか?」

「キミの苦しみを、ボクらはずっと見てきたからね。キミたちで言うところの情くらいは持つさ」

「……ッハ、らしくない言い方だな」

 

 それでも彼らは理解者じゃない。私の友達にはなってくれない。

 それどころか私の死を運んでくる腹立たしい連中だ。

 ……まったく嫌で嫌で仕方がない。

 

「そもそも、そんなことで解放されるなら、私はここになどいないではないか」

「? どういう意味だい」

 

 首を傾げるキュゥべえに、私は構わず指を向けた。

 情報を一方的に抜き取る。

 成る程、成る程。

 見滝原、鹿目まどか、時間遡行……。

 なかなか面白いことが起きているらしい。

 それに伴い、更にとんでもない光景を目にした。

 こことは違う、別の時空の光景を。

 

「ハ……ハハ……」

 

 割けるみたいな笑みが浮かんだ。

 私は今こそ、この世界の深淵を知る。

 また腹を捩らせ、しかしさっきよりも笑いに笑った。

 

「アッッハハハハハハハ!! ハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!! アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 

 ああ、すごい、すごい。なんて素晴らしい。

 五十年後、何か厄災があるとは予見していたけど、まさかこれ程とは。

 しかも時間遡行? 宇宙の改変? 何それ、聞いたことも見たこともない。

 その結果“こんな神様”が生まれるなんて!

 これなら……これなら私も――

 

 生まれたのは怒りか随喜か。

 ともかく私は、これまでの自分を酷く馬鹿馬鹿しく思っていた。

 だから哄笑は、今や最高潮に達している。

 魔女のケタケタという笑い声と合わせ、歪なハーモニーが生まれた。

 キュゥべえは酷く困惑しているようだった。

 これまた珍しいことだ。面白い。

 

「ふ……」

 

 ここに来てようやく笑いが収まった。

 少し冷静になってきたらしい。

 冷えた頭で、頭上に手を翳す。

 五指から迸る魔力は糸となって、二対の龍の顎門を引っ張ってきた。

 金早龍に銀島龍だ。

 かつて私が支えていた双子姫。

 それが今や私の手足となるなんて、なんておかしいことなのだろう。

 

「行け」

 

 糸で操り、二対の龍を操作する。

 龍の顎門はカパっと口を広げて、その喉奥からそれぞれ、レーザーを発射した。極度に圧縮した超高密度の魔力だ。その威力は核爆発にも匹敵する。

 しかしあの魔女に届いても、まるで効いている様子はない。

 二発、三発、打っても同じこと。格だけならワルプルギスにも劣らないのだが……いかんせん、相手が悪すぎるようだ。

 

 まあ、別に構わない。

 始めからそんなことは分かっている。

 双頭龍はあくまで時間稼ぎ、囮でしかない。

 本命はどちらかと言えばこっちだ。

 

 手を大きく広げ、大気に満ちる魔力を集める。

 この東順那――最後の転生体は、広実一族が造り出した完璧な器だ。

 これまでと違い、記憶も自我も保持されてるどころか、権能にセーフティがない。

 すべてはこの時のためだろう。

 そして五十年前に打っていた布石もこの時のために。

 

「――――」

 

 私は更に力を解放した。

 この空間すべてを塗りつぶすよう、因果の糸が大量に吹き荒れる。

 元になっているのは、牛木草の住民から集めた感情エネルギーだ。

 それを一気に使い潰している。出し惜しみなんてまったくしない。全力全開だ。

 

 やがて糸達は早島とその近辺全域を覆うと、ドームのように結界へ姿を変えた。

 独立した宇宙のように、外界と関係を断ち切っていく。こうなればもう慈悲の魔女の手は届かない。キュゥべえは困惑を通り越して、感嘆するように呟いていた。

 

「これはボクらの干渉遮断フィールドかい? ……なんて規模と精密性なんだ……」

「それだけではないぞ。ほれ」

 

 私は顎門に結んでいた糸を、くん、と人差し指を動かすことで引っ張った。それだけで龍達は動きをピタリと止め、次には魔女を無視し、二人ともこちらへ戻ってきた。

 私のその頭を撫でてあげると、再び糸を操作する。

 龍神達は早島の地中深くへと沈んでいった。

 

 転瞬――ゴゴゴゴゴゴッ。

 地面が揺れる。世界が揺れる。空間は歪曲し、魔女は遠くへと消え去った。すべての揺れが収まると、既にそこは虚空の彼方だ。

 私達は早島の外――正確には早島の外には出られないので、干渉遮断フィールド内にある空間の狭間――に移動していたのだ。

 キュゥべえは何が起きたか分からないって感じだ。

 私は腕を組み、自慢げに言ってやった。

 

「早島を“その近隣”ごと時空の狭間へと転移してやったのだ。もうこの地は何処にもなく、さりとて何処にも存在しない。この宇宙を漂う一つの方舟だ」

「……!?」

 

 キュゥべえは驚愕を隠しきれないように、紅い目を見開いた。

 周囲はスクリーンになっていて、星空瞬く宇宙の中だ。

 その眼下には青い青い星が――地球が存在している。隣には衛星のように、小さなスノードームみたいな球体があった。干渉遮断フィールドに覆われた早島だ。これで宇宙の紫外線などから身を守っている。

 

「……信じられない。こんなことが可能だなんて」

 

 キュゥべえは恐るべきものを見たように呟く。

 そんな彼に対し、自慢するように話しかける。

 

「一応自給自足も可能だぞ? 感情エネルギーは豊富だからな。それを食事として提供してやれば良い」

「ならば住民の認識は? 異変には気づいているんじゃないのかい?」

「そこはいつものように暗示をするまでだ。しばらくすれば、彼らは普段通りの日常に戻る」

「……」

 

 改めて驚いて、キュゥべえはしばらく言葉を無くしていた。

 しかし一つ疑問があったのか、「でも……」と、やがて口を開く。

 

「ここまで大規模なことをやって、早島は持つのかい? せいぜいよくて、二、三年だろう?」

「ま、そうだな」

 

 私は当たり前の指摘に微笑を浮かべる。

 言われなくたって分かっていた。この箱舟は既に瓦解を始めている。

 維持するだけで精一杯なのだ。でも、だからこそ。

 

「他の時間軸でも同じことをやって、魔力を連結させるのだ。大量の因果を紡げれば、膨大な感情エネルギーが手に入るからな。それを無限に繰り返せば、まあなんとかなるだろ。そのための手っ取り早い方法を思い付いたんだ」

「手っ取り早い方法……?」

「お前も知ってる奴だよ」

「というと、時間遡行かい?」

「ザッツライト。大正解♪」

 

 私は拍手で褒めた。

 この器と箱舟なら、今よりももっと因果を弄れる。

 そうすればせいぜい一人くらいは良い奴を見繕ろえるだろう。

 そして、そいつを使えば、時間遡行なんて簡単に出来るのだ。並行世界を螺旋状に束ね、因果を大量に紡ぐことも出来る。

 

「だが、その因果の先を誰に集めるんだい? キミ自身……という訳じゃないんだろう?」

「……」

 

 キュゥべえの問いに、私は無言で返した。

 代わりに指を鳴らし、星空の巨大なスクリーンに別の像を映す。

 それは桃髪の神々しい女神様だ。透ける羽とピンクのドレスを身に纏い、惑星の輪に腰を下ろして、とある一つのレコードに歌を重ねている。

 

「彼女は――」

「鹿目まどか」

 

 その名を口すると、キュゥべえが息を飲むように尻尾を揺らした。

 私は彼の台詞を先回りする。

 

「あの姿は知らない、だろう?」

「――、一体彼女は何なんだ。彼女は本当に、ボクが知ってる鹿目まどかなのか?」

「そうさ。けど、これはイレギュラー。別の時空の話だ」

「……キミはさっきから何が言いたいんだい」

 

 訝しがるキュゥべえ。

 一つ、悩むふりをして、私は遠回りとも思える話を振る。「唐突だが、お前はどうして、私がこんなにも出鱈目なのだと思う?」

 するとキュゥべえはすんなりと乗ってくれた。

 

「それは間違いなくキミの祈りが原因だろうね。キミの祈りが、キミ自身の因果を滅茶苦茶にしてしまった。そして転生を繰り返すことで、キミの存在そのものに因果が集中してしまった。ようは、暁美ほむらが鹿目まどかに齎した現象と同じだ」

 

 つまり、卵が先か、鶏が先か。

 まるでメビウスの輪のように、原因と結果が結びついてしまっているのが、今の私という訳だ。

 でもそれだけじゃない。その祈りはある副作用を私に……いや、世界に波及させた。

 

「あらかじめ言っておくが、私の転生のシステムは極めてシンプルだ。魂が初めから宇宙の上に固定しあって、自我や記憶が、時を飛んで転生する。死んだらまた別の時間軸でやり直しだ。

 しかし、その時点で過去と未来はぐちゃぐちゃなのだ。因果を束ねるどころか上書きして切り離す。可能性が分岐しても一本道に選定される。そうやって時間軸がまとまって、淀んで、一つの次元そのものを形成したとしたら――」

「――まさか、この世界そのものが、あの地球と早島のようなものだと言うのかい? じゃあこの“鹿目まどか”は、元の世界は――」

「ルールが改変された宇宙。対してこの世界は、改変前の宇宙ってことになるな」

 

 まったく馬鹿げた話だ。

 長い間生きてきたのに、こんなことにも気づかないなんて。

 自分の愚鈍さに呆れそうになる。

 でもショックは受けていない。むしろその逆。この女神様の存在は希望そのものだ。私は彼女に感謝したいくらいだ。

 だって、

 

「改変された宇宙では、魔法少女は魔女化することなく、救われるのだから。私もあの女神様と接触すれば、この世界さえ壊せば、救われるのだ」

「キミは……本来交わるはずの無い、断絶された次元の壁を越えようと言うのか……?」

「少し違う」

 

 私は久し振りに相棒を呼び出す。

 身長を大きく超える巨大な鉈。

 乱杭歯のような無骨な刀身は、まさしく私の心のようだ。

 可視化される因果の糸は、私の身を包んで魔法少女の衣装に変質した。

 フリルつきのゴスロリ衣装……ではなく、真っ白な死装束だ。こちらも“玉”としての武装。スリットが入り、大胆に太ももが露出している。

 

「さて、初めますか」

 

 正式な装備を身に纏い、私は足を一本前に、進み出す。

 キュゥべえの、「やめるんだ、玉! そんなことをしたらますます――」という制止の言葉が聞こえたが、気にしない。

 私はそのままふわりと飛び上がり、そして時間軸を物理的に“超えた”。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 また、五百年前の夢の話をしよう。

 

 私は今でも、驚くくらい、幼い頃のことをはっきりと覚えている。

 当時の早島は、とても貧しくて、小さくて、身内同士で争うぐらい権力闘争が激しく、そのくせ他の土地――例えば牛木草なんか――と年中戦争するような、そんな平穏とは無縁の、とても荒れ果てた場所だった。

 当然、誰もが互いを信じられない。何処かギスギスとした雰囲気の中、大人から外の奴らはすべて敵なのだと教えられた。簡単に人を信用するなと言われた。

 

 でもかつては、平和だった頃もあったのだよと、ある時祖父である族長は子供達に話をした。

 祖父は望郷の彼方を見つめながら、遠い遠い昔話を、朗々と語り出す。

 

 それはとある、特別な少女達の話だった。今ならば分かるが、魔法少女の話だ。

 彼女達は神の身使いと呼ばれていた。

 不思議な術を使い、土地を納め、あらゆる戦乱から人々を守っていたという。そして、平和の尊さを訴え続け、人々を励ましていたらしい。

 人々の方も神の身使い達に感謝していた。彼女達を現人神のように崇め、奉り、その周りに集って助け合った。敵にやられても、災害に遭っても、いつでも誇りを忘れず、互助の精神を持ち続けたのだ。

 

 けれど、いつからだろう。

 平和は長く続かなくて、神の身使いたる少女達は少しづつ死んでいき、遂に一人になった時、残された者は怪物に変じた。恐らく寂しさからの絶望、生き残ってしまったが故の自責で、宝石が黒く染まったのだ。

 そして、その姿を目にした時、人々の絆にも亀裂が生じた。

 当たり前だろう。ずっと信じていた希望の象徴が崩れたのだから。

 そうして、人々はそれまで以上に争い合うようになった。

 今日に至るまでの、戦乱の歴史の始まりだ。

 祖父はその過程を余すことなく見てきた、最後の生き証人だった。

 そんな彼が、私達孫の世代へと言ったのだ。

 

「どうか子供達よ、呪いは引き継がないでおくれ。お前達が殺し合う必要は、もう何もないのだ。希望の象徴なんてなくたって、本当は手を取り合えるはず。一度紡がれた平和、誇りは、お前達にも受け継がれているはずなのだ。だから、もう一度この土地に、安寧を齎しておくれ、子供達。どうか、どうか――」

 

 彼は切なる願いを言い残して。

 数日後、何の予兆もなく死んだ。老衰だった。あんなに穏やかな死に顔を見たのは生まれて初めてだった。慕われていたから皆が泣いた。暖かな葬式だった。……とても愛に包まれた。

 多分、当時の早島の状況を考えると、最も幸せな死に方をしたのは祖父だ。祖父はかなり幸運に恵まれていた。

 だから、祖父がいなくなって悲しかったけど、何処かほっともしていた。

 ああ、もうこれ以上、苦しまなくて良いんだって。満足して逝けたんだなって。

 

 そして私はこう思った――死ぬ時は、祖父のように死にたい。

 平凡に生きて、平凡に死んで。皆を愛して、愛されて。

 戦争なんかに巻き込まれたりせず、穏やかな日々の中で、ただ自然に死んでみたい。きっとそうすれば、私は幸せになれる。後悔なく御仏の元へ行ける。祖父の死が、私の望みの原点となった。

 

 でもそれが容易いことでないと、私は幼いながらに知っている。

 平和なんて何処にもない。いつも戦争、戦争、そればかり。内での争いも激しくて、付き合いがあった幼馴染は、ある日実家の政敵に攫われ殺された。密かに恋した使用人の男は、他の家の間者だった。その他にも沢山、幾つも身内の死体が転がるのを私は見てきた。

 

 そんな日々に、希望を見出せるはずもない。

 だからこそより渇望は疼き、祖父の死が尊いものに思える。

 その“終わり”が、普通のものであって欲しいと思う。

 私にはどうすることも出来ない代わりに、ただ神様に――いや、神の身使い達を祀る祠に、祈っていた。

 

 お願いします。どうかどうか、この土地を平和にしてください。

 これ以上皆には苦しんで欲しくないんです。私の大切な人達に、笑顔と安寧をください。どうか、どうか――

 

「熱心だな。毎日来ているのか?」

 

 すると、ある日、私の隣に兄がいた。

 私はびっくりした。その兄は私と酷く年が離れていて、おまけに次期当主だったから、今まで話したことなんて一度もなかったのだ。

 

 私は当然のように萎縮した。元々そんなに気が強い方でもない。

 慌てて謝ろうかと思ったけど、緊張と困惑で、口をパクパクさせるだけだった。そんな私に対し、兄もどうしたら良いか迷うように口を閉じていた。ずっとずっと、無言でいた。

 それで私はハッとなった。この人もまた、気まずいのだと気がついた。

 なのでこちらから話かけることにした。

 

「お兄様。お兄様はどうしてこちらに?」

 

 兄は私と同じようにハッとした。

 バツが悪そうな顔をして、

 

「ただの散歩だ」

 

 と返した。

 私は絶対違うだろと思いつつ(実際は本当にたまたまだったのだが)、「そうですか」とだけ言った。

 また気まずい雰囲気が流れた。

 そうして、何を言えば良いのやら、長い時間悩んでいると、兄の方からしゃがみこんで私と目を合わせ、話題を振ってきた。

 

「玉こそ、ここで何をお願いしていたんだ?」

 

 私は慣れず、急に近くなったら距離に瞳を彷徨わせた。

 何かのプレッシャーを感じるように、ボソボソっと答える。

 

「み、皆が……争いをやめますようにって……お願いしてました」

「争いを? ……そうか。玉は優しいな」

「優しい……?」

 

 私は兄の言うことに首を傾げた。

 

「心が綺麗ということだ。それはとても良いものだよ」

「……」

 

 私は黙る。

 単純に思ってしまった。私のこの心は――兄が言うその綺麗な心とやらは、本当に良いものなのかなって。

 だって、少なくとも、この乱世の時代には不必要なものだ。そんなものあったもいつか他人に漬け込まれるだけ。良いように利用されるだけ。

 まったく何の役にも立たない、言うなれば無用の長物だ。それなのに、この兄は私に真っ直ぐと向かって、言ってくる。

 

「その優しさは大切にしなさい。こんな世の中だからこそ、それはとても尊いものなのだ」

 

 私はまたも黙った。

 兄がそんなことを言うだなんて信じられなかった。

 そのため私は、兄の言うことを疑った。その私の顔を見て、兄は小さく笑う。

 

「まだ分からんのだろうな。しかし、一度失えば、それは二度と手に入らないものなのだ。俺もかつて、玉のように純真だったのだがな。気がつけば、敵を騙したり、殺すことでしか、生きれなくなってしまった」

「? それはどういう……」

「……ようはな、血で血を争う日々が、俺にとっての居場所になってしまっているということよ。小さい頃から人が死ぬのが当たり前だったから、逆に平穏な時間を過ごしても生きている実感がせんのだ」

 

 兄は悲しそうな顔をして、投げやりに言った。

 そこに込められた虚無を、私はなんとなく感じ取った。

 でも、当時の私はまだまだ純粋で、その彼の言いたいことまでは分からなくて。また、難しいことを言っているなと感じた――後になって、兄の言葉を思い知るとも知らず。

 なので、私はとりあえず、曖昧に分かったみたいな顔をした。

 

「……えと……、周りに合わせすぎて、道が分からなくなったってことですか?」

「そうかもな」

 

 兄も、曖昧な顔で返した。

 私の考えなんてお見通しみたいだった。

 そしてふと、兄は聞いてきた。

 

「……玉。お前は、女だ。非力な子供だ。その意味が分かるな?」

「はい」

「お前はこの先、政治の道具として利用されるか、争いに巻き込まれて死ぬだろう。お前の人生は最初から定められ、縛られている。奴隷と同じだ。……そんな人生が嫌だと思ったことはないのか?」

「仕方がないことだと思います」

 

 私ははっきりと答えた。

 いくら平穏を望もうと、私は多くの欲望を諦めてきたのだ。当然のように運命を受け入れていた。

 けれどやはり、兄はなんとも言い難い複雑な表情を浮かべていて。

 どうやら、笑顔も見せない、まるで人形のような私を、哀れでいるようだった。

 

 兄は気遣うように、私の頭を撫でてくれた。

 ぎこちなくて、慣れていない手つきだった。

 それから何を思ったのか、次に感極まったように私を抱きしめて、可哀想になあ、と言った。

 

「お兄様?」

 

 私は思わず困惑して兄を呼んだ。

 だが兄は何も返さず、しばしの間、私を強く抱きしめ続けた。

 やっと口を開いたのは、およそ十五分も後だった。

 

「玉。良いか、玉。今から兄上の言うことをよく聞くんだ。良いな?」

「は、はい。お兄様」

「玉、お祖父様の遺言通り、決して俺達大人から、呪いを引き継ぐな。お前はお前らしく、自由に堂々と生きろ。お前にはその権利がある。お前は、お前の望む通りに生きて良いんだ」

「え……」

 

 私は息を飲む。

 予想外のことに目を見開く。自然と私は聞き返していた。

 

「そんなこと、本当に良いんですか?」

「ああ」

「けど、そんなの絶対、許されるはずがありません。大体、妹達はどうなるですか」

「妹達もお前と同じだ。好きに生きて良い。お前達子供は可能性の塊なのだ」

「でも、でも……」

「大丈夫だ。兄上が全部変えてやる。子供の未来を作るのは、いつだって俺達大人の役割だ。俺がこの土地の争いをなくす。一族の皆と協力してな」

 

 そう言って兄は、私のことを励ました。

 その瞬間のことを……多分、私は永遠に忘れない。

 すごく嬉しくて仕方なかった。初めて未来のことを思えた。

 私は気が付けば、悲しいことなんて一つもありはしないのに、兄に縋りながら、ワンワンと赤ん坊のように泣いていた。

 兄はただ私の背中を撫で続けてくれた。

 

 その日からだ。私が兄に懐くようになったのは。

 私はいつどんな時も、兄のそばに着いて行くようになった。

 兄は大きな存在だった。

 決して口数が多い方ではなかったが、私の我儘を嫌な顔せず引き受けて、忙しい時も常に一緒にいてくれた。まるでもう一人の父だった。

 

 私は多くのものを、兄からもらった。

 楽しいことも、色んな知識も。安らかな時間だってもらった。

 それは兄の膝に寝転がる一時だ。

 私が影で泣いていると、必ずそっと兄がよってきて、胡座をかきながら側に来てくれる。

 私は兄に駆け寄り、悲しいことを沢山喋った。そうして気が済むまで泣きじゃくると、後はちょうど足を組んでるところに頭を乗せて、兄の温もりを感じながら、うとうとと眠った。

 兄といると、いくら悲しいことがあっても、平気になれた。

 

 私は短くない時を兄と共に過ごしたが、その間、私が終始能天気な顔をしているのに対して、兄は裏で厳しい顔をしているようだった。

 彼は以前から早島の状況を憂いていたのだろう。

 祖父が願った真の平穏。それを叶えようと兄は派閥を作り始め、遂には周りの大人達も引き込んで、私の一族は早島を変えようと動き始めた。

 勝手に争いをしている領主を討ち滅ぼさんとした。

 

 しかし派閥のリーダーは兄ではなかった。

 領主の弟だ。私の一族は平凡だったから、大きな力を持つ人物を……支えている主君を頼るしかなかったのだ。

 しかしこの領主の弟がなかなかの曲者だった。

 能力も申し分なく、次代の早島を担う傑物であるに違いなかったが、野心が強過ぎた。優しい顔して兄達を騙し、平和のためと言いつつ、兄達の兵力を利用して邪魔な政敵を潰し、自らが領主に返り咲こうと画策した。

 だから余計な勢力にまで手を出して、領主の弟はピンチになった。

 その結果として何が起こったのか……思い出すだけで、今でも視界が真っ赤に染まる。

 

 なんと領主の弟は、自らの責任を私の一族に押し付けたのだ。

 こいつらが悪いのだと、でっち上げた証拠を作り上げて。

 ……こうして私の一族は、領主の弟の負債によって、命を狙われることとなった。

 

 例の如く、一族郎党皆殺しだ。

 屋敷が燃えたのは一瞬だった。兵が雪崩れ込んできたのは刹那だった。

 大人達は皆、子供たけでもと私と妹達を逃した。

 そのせいで多くの首が飛ぶのを見た。父も、母も……従兄弟も、叔父も、姉さえも。最後まで守ってくれた兄まで死んで、私は思い描いていた未来がガラガラと崩れる音を聞いた。

 抜け殻になった心地だった。

 

 私達はどうにか逃げ出した夜を、何処か現実味のない足取りで歩いていた。この手に繋いだ妹達の温もりだけが、世界に繋がる縁だった。

 しかし妹達は、寒いよ、お腹が空いたよと仕切りに騒ぐ。

 私はそれに対し、壊れたカセットテープのように繰り返した。

 大丈夫だから、大丈夫だから。

 

 でも全然大丈夫じゃなかった。

 既に喉はカラカラで、体力だって限界だ。このままだと皆死んでしまうと不安で不安で仕方がなく、私はどうしたら良いんだろうと途方に暮れていた。

 そんな時……私の淀んだ目に映ったのが、あの神の御使達の祠だった。

 

 いつの間にかこんなところにまで来たらしい。

 私は馬鹿馬鹿しくなって笑ってしまった。

 毎日毎日祈りを捧げたのに、お前達は何も助けてはくれないのだなと。

 そうして次に、何が神の御使だ、と唾を吐いた。

 

 限界故にか、怒りも頂点に達していた。

 私は鬱血するほど唇を噛み締める。

 あの祠が酷く許せない。神は、運命は、どんな思いで私達を見下ろしているんだろう。

 いつも私達を見捨ててあんまりだ。

 私達はただ、希望を創り出そうとしただけなのに。一生懸命に生きようとしただけなのに。

 それを無情に摘み取るなど、お前はなんなんだ!

 お前は、兄の、皆の仇だ!

 

「うあああああああああああああああああああああ!!! 死ね、死ね、死ねええええええええええ!!!」

 

 私は理不尽な怒りを持って吠える。

 妹達が心配そうな顔をするが、構わない。

 

 手頃な石を祠に投げつけた。

 でも石が小さかったから、跳ね返るだけだった。

 そこで今度はもっと大きい石を持って、祠を何度も何度も殴りつけた。けれど案外丈夫らしく、祠は崩れもしなかった。

 やがて私は力無くへたり込んだ。何をするにも無駄だと気づき、気力が急速に萎えていた。

 だけど、ちょうど目の前に、奇妙な白い獣が現れるのを見た。しかも獣は、頭に響く少年の声で話しかけてくるのだ。

 

「もう気が済んだかい、火雨玉。それ以上の破壊行動はおすすめ出来ないよ。更に体力を消耗するだけだ」

「…………」

 

 私は本格的に、頭がイカれたのかと思った。獣が喋るなんてまずあり得ないと、狐に黙された顔になる。

 しかし私は神の御使の伝承を知っていた。そのお話の中には必ず、キュゥべえと呼ばれる存在が登場するのだ。

 まさにそのキュゥべえに、この獣はそっくりじゃあないか。妹達にも見えていないようだし、何もかもが、教えられた通り……。

 

「ハ……ハハ……」

 

 乾いた笑い声が口から漏れ出る。

 奇妙な運命にクソッタレと叫びたくなった。

 これをチャンスと捉えるには、もう何もかもが今更遅い。それでも、私は選ばれたのだという実感に震えて泣いていた。

 私は今この場において、誰よりも“特別”なのだ。

 

「ねえ、そこの貴方。貴方、キュゥべえなんでしょ」

 

 不思議がる妹達を黙らせ、私は白い獣へと聞いた。

 すると「そうだよ」と、白い獣は答えた。

 私はやっぱりと確信を深めると、本格的に話をする前に、一つだけ訂正する。

 

「キュゥべえ。私を呼ぶ時は、玉とだけ呼んで。もう私は火雨じゃない。その一族はとっくに滅んでいる。だから私はただの玉。玉だよ」

「……そうかい。ならば玉と、君が望むならばそう呼ぼう」

 

 キュゥべえは私の言うことに頷いた。

 それから、早速話を進める。

 

「それではキミの望みを聞こうか。キミは既に、巫のことを知っているようだね」

「うん、お祖父様から聞いたから」

「それなら、願えばなんでも叶うということも?」

「……それは知らない。でも貴方に願えば、お兄様達は本当に帰ってくるの?」

「無論さ」

 

 そうして、キュゥべえは私に歩み寄る。

 私は正直胸が高鳴っていた。もう一度願えば、兄達に会える。そう思うと、もう後は何もいらなかった。

 でも――私が何かを喋る前に、キュゥべえは尻尾に持っていたあるものを差し出した。

 震えた手で受け取れば、キュゥべえは教えてくれた。

 

「キミの兄が残したものだよ。今日に至るまでの日記だ」

「……っ、お兄様の……」

「キミにはまだ難しいだろう。ボクが読んであげようか」

 

 キュゥべえは日記のページをゆっくりと前足で開きながら、内容を読み上げていった。

 そこには事細かく、兄がどういう経緯で、派閥を作り上げていったかが記されていた。そして他にも、私と過ごした日々や、領主に対する不満が綴られていた。

 どうやらそれによると、兄は私や親族を愛する一方で、その愛情故に、この早島に憎悪を爆発させていたらしい。

 無闇に命を奪うこの土地が許せないと、何度も何度も書かれてあった。

 そうして、御仏への罵詈雑言、この世に救いはないという諦観と、もしも神がいればという望みが刻まれていた。

 最後のページに至っては、不条理への憤怒しかない。

 

 私は強く兄の無念を感じ取っていた。

 改めて涙を流す私の横で、キュゥべえは語る。

 

「キミの兄が死んだのは、領主の弟に嵌められたからだ。キミの家に力がなかったばっかりに、良いように利用されたのさ」

「つまり普通だったから……弱かったから、こうなった……」

「そうさ」

「何でたったそれだけのことで……何で、この土地ではどいつもこいつも……っ!!」

 

 私は許せず、もう一度持っていた石で祠を殴った。しかし、やはり祠はびくともしない。

 キュゥべえは無感情に言ってくる。

 

「だから無駄だと言ったじゃないか、玉。そもそも君の腕力じゃ無理だよ」

「……小動物風情が……」

 

 私は気に入らず睨みつける。

 最早何もかもが怒りの対象だ。私は理不尽にキュゥべえに迫った。

 

「もう何なの貴方。さっきから言いた放題!! 私にどうして欲しいんだよ!」

「それは勿論、契約して欲しいのさ。何でそうも怒るんだい?」

「この野郎……!!」

 

 私はキュゥべえの言い草にムカッとなる。私はこの獣を好きになれる未来が見えなかった。絶対大っ嫌い!! ってこの時に思ったのだ。

 でも、おかげで、少し調子が戻ってきていた。

 やがて私はオツムの足りない頭で考え始めた。

 そして、言った。

 

「ねえキュゥべえ。私を特別にしてよ」

「……特別?」

「神様にしてよってこと。ずっとずっと、未来永劫、私はこの土地の神様でい続けたい」

「……これまたとんでもないことを願うね」

 

 キュゥべえは驚いたように目を瞬かせた。

 

「どうしてそんな願いを?」

「決まってるでしょ。だってお兄様の言う通り、この世に御仏なんて何処にもいないじゃない。だから私が本物の神様になって、逆に運命を操作してやるの。二度と大切なものを奪わせやしないし、否定なんかさせない。そんなことをする奴らは皆殺しにする。そんでお兄様や他の皆を生き返らせて、幸せに生きるの。何でも出来るくらい強くなる」

 

 それだけじゃない。

 私は一族の生き残りとして、この土地を平和にするという、兄達の悲願を叶えなければならない。

 そのために、私が絶対の象徴としてこの土地に君臨するのだ。

 ……争い合うくらいなら、ずっとずっと、人々を管理し続けてやる。

 

「私は、この土地を呪うんだ。たとえ私の人生を捧げても、皆に“私達”の存在を認めさせてやる。神の御使で駄目なら、神そのものになって、この土地を平和に導いてやる」

 

 私は兄の本当の願いも忘れ、そう言い放った。……他に使い道もあったのに、そう祈りを消費した。

 そうして、

 

「良いだろう。玉、キミの望みを叶えよう」

 

 私は――未来永劫解けない、呪いを背負うこととなったのだ。

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 ……ま、結局のところ。

 私の心は、あの時既に壊れてしまっていたのだ。

 私は一身に早島の呪いを受け継いだ。

 そこに希望も未来もなく、まるで本物の魔女みたいに……多くの人を祟り殺した。

 

 最初はどっかの落武者だったと思う。

 妹達に襲いかかってきたから、何の躊躇もなく殺した。案外呆気なさすぎて、笑ってしまったぐらいには昂揚した。

 そうやってタカが外れた私は、更に野党を襲って、金品や食べ物を巻き上げ、魔法少女と戦っては、グリーフシードを奪い取った。

 

 私にはどうやら魔法少女の才能があったらしい。

 負けることもあったが、基本的にはどんな奴らにも勝つことが出来た。

 妹達はそんな私を怖がっていたようだったが、それでも離れていては生き延びれまいと、私に縋り付いては、嫌われないよういつもニコニコしていた。

 私はそれを愛情だと勘違いし、嬉しくなって、ますます貴女たちを守るからねと、人を殺した。

 

 といっても、やれることなんてのは限られていて、例えば脳筋一筋、大鉈でのミンチだったり、媚びへつらっては隙をつき、毒を飲ませるといった手法しかなかった。

 やはり私はまだまだ子供で、非力だったのだ。

 だからこそ慢心を捨てず、誰も信じなかった。

 そして、全ての善意を振り払い、この土地から逃げるという選択肢も捨て、他者を騙し続ける道を選んだ。

 

 そのためだろうか。

 もうその頃になると、最初の思いも、願いも、見失ってしまっていた。

 自分が“神”になれたのだと微塵も信じてはいなかった。

 私は酷く、自問自答することが増えていた。

 

 どうして私は、まだ生きてるんだっけ。

 どうして私は、こんな風になったんだっけ。

 

 探せども探せども答えは見つからず、私は兄に会いたいがために、兄の日記を抱いて眠った。

 そうすればほんの一瞬でも昔に戻れる気がした。

 でも、安心したことは一度もなかった。

 それどころか涙も既に枯れ落ちていた。

 私は弱い自分を今更だと嘲笑い、最後は兄の日記を焼き払った。

 

 そうして甘えを捨て、私は復讐への道を淡々と進む。

 一族を潰した領主の弟は、真っ先に捉えてから何年も拷問にかけ、殺してやった。

 かつての兄の政敵達は、すべて打首にした後、死体を無惨にしてから家族に送りつけてやった。

 

 そんなんだから、私は多くの悪名と共に、恐れられた。

 悪魔、死神、鬼の子供。

 魔女の魔法を使っていたから、妖術使いとも呼ばれた。

 

 敵もそれなりに多かった。

 一つのところにいると危ないので、その時その時、まるで蝙蝠のように有利な方については、自分にとって最も欲しい人材を引き込み、かつての兄のように派閥を作り上げた。

 勿論、トップの座には自分が座って。

 だけれども、そこまでしても尚、頂点にはまだ一つ手が届かない。

 

 私はどうすれば良いか長い間考えた。

 そうして出た結論は、やはり権力者を使った方が良いということだった。

 そっちの方が皆ついてきてくれるし、古来よりよく使われていた古典的な手法だ。効果は歴史書が教えてくれている。しかし反抗されては敵わない。

 そこでと目をつけたのが、領主の娘である双子姫だった。

 

 というのもこの双子姫、見るからに頭がフワッフワのお花畑だったのだ。傀儡としては十分、もし歯向かっても口八丁で丸め込めば良い。

 そして保険として契約させる前に首輪をつけておけば支配可能と、なんて優良物件なんだと思った。

 

 私は早速双子姫に接触した。

 わざと話を誇張させ、いかにこれまでが悲惨だったか、妹達を愛しているか、といったことを語る。

 そうして、これまでの非道を詫びる代わり、貴女たちの力を貸して欲しいと頼んだ。この土地を守るのは、貴女たちしかいないと言って。

 

 すると狙い通り、双子姫はお人よしな顔で頷いた。

 私はほくそ笑むと、彼女達にこっそりと呪印を刻み、私と妹達を殺させないよう呪いをかけたうえで、キュゥべえを連れてきて契約をさせた。

 

「この土地の象徴となる力を我々に」

 

 それは皮肉にも、かつて私が願った“神になる”という願いに近かった。

 文言は私が決めたものだった。双子姫が強くなればなるほど、私の権力も上がるから。双子姫は平和のためにと軽く了承してくれた。

 

 こうして、双子姫による早島の政治が始まる。

 早と島は仲のいい姉妹だったが、結構性格は違った。

 

 まず早は、ポワポワとした雰囲気の、可愛らしい少女だった。

 なんというか今で言うところの天然系で、魔性の女故に悪い男に引っかかりそうな臭いがぷんぷんし、何処かほったけない雰囲気に、私は妙に何度か絆された。勿論、部下にもファンが多く、民にも優しい。まさに陽を司る存在だ。

 

 一方島はクールな性格だった。

 寡黙で知的、静かに本を読んでいるような子で、頭が良い。爪が甘いが政治に優れ、私の暗い部分にいち早く気づき、暗殺などの裏の仕事を頼むようになった……正直、ここまで割り切りが出来ると思っていなかったが。彼女はやがて陰を司る存在として、早島の魔法少女を引っ張る存在となっていく。

 

 双子姫は、平和の象徴としてかなり機能してくれた。

 もともと因果が強いこともあるが、私が演出に手を加えるなどして神秘性を高めてやると、すぐに民衆は双子姫の虜になった。

 神様じゃ、神様じゃ、と敬って。

 しかしただの神では何の面白みもない。

 そこでもともと根付いていた土着信仰、領主の家系の家紋を利用し、双子姫を龍神様の化身ということにしておいた。

 そうするとますます熱狂的に信者は増えていく。

 

 民達は神の名の元に団結した。その裏で私が悪の芽を剪定する。

 いつものやり方で人々を騙した。

 殺し、操り、呪いをばら撒き。扇動と洗脳で人心を掌握する。

 恐怖と信仰を元にした管理は上手くいき、争いは減り、一応の平和と呼べる安寧の時代がやってきた。

 その象徴たる双子姫は私の手中の中なのだ。

 

 つまりは私こそが、この土地の真の支配者。

 

 姫様達の側近にまで上り詰め、私はあの祠を打ち壊して勝ち誇る。

 遂にお前達を超えたぞ。今度は私が運命を支配する番だ。

 

 私は喜び狂い笑った。

 祠の後に神社を立て、そこで大切な妹達に報告する。

 

「これでお前達の将来は安泰だぞ。もうお前達は奴隷ではない。やっと自由な未来を築ける。好きに生きられるのだ」

 

 そうしたら、妹達は微妙な顔して顔を見合わせた。

 

「……? どうしたんだ、お前達」

「い、いえ。何でも。何でもありませんよ、姉上」

 

 妹達はヘラヘラと笑った。それはいつもと同じ顔だった。

 なのに何処か愛想笑いに見えたのは気のせいだろうか。

 

 自由になったというのに、妹達は私にしがみついたまま、側を離れることなんてしなかった。

 ……今思えば、私は妹達を縛りつけていたのだろうか。

 私は妹達を守ろうと人を殺してきた。それが貴女達のためなのだと常に言い聞かせ、食事も、寝床も、衣類も、遊び相手だって用意してあげてきた。

 そうやって何もかも与えてきたから、妹達は自然と、私に付き従ってないといけないと思ったのかもしれない。そうすれば生き残れなかったから。そうしないと私が何をしでかすか分からなかったから。

 

 私はそんなことにも思考を巡らせなかった。

 私はただ献身という名の押し付けを持って、妹達を飼い殺しにしているに過ぎなかった。

 事実、妹の一人は、私が進めた男と結婚をした。意思を奪った、地位だけがある男と結婚したのだ。

 私は自由だのなんだの言いつつ、心の何処かで思っていたのだろう。

 私の言うことに従っていれば、すべて間違いはない。

 ……そう考えてる時点で、既に間違いは始まっているのに。

 

 やがてその報いはやってきた。

 妹達は時待たずして死んだのだ。

 前にも語った通り、一人は病気、一人はお産で。

 

 当然、二人を助けることも、私には出来た筈だった。

 しかし妹達は嬉々として死ぬことを望んだ。彼女達は既に生きることが苦痛になっているようだった。妹達も、結局一族の皆に会いたかったんだ。

 それが分かったから、私は妹達の死を止められなかった。無論、昔に望んだような、暖かな死ではなかった。

 

 私はそこで、今更のように過ちに気づく。

 すべてのことに後悔していた。

 何故、何故、何故、何故、何故――

 

 それなのに、その頃から双子姫は、まるで私を妹のように――いや、小さい子供のように扱い始めた。

 私が家族を失ったから、その寂しさを埋めてあげたかったのだろうか。

 ある日、気になって聞いてみることにした。

 するとまず、島がこう答えた。

 

「玉、幸せになって欲しいから」

「幸せ……?」

「ええ。だって、貴女はずっと今まで頑張ってきたんです。一つぐらい報われても良いじゃないですか。だから――」

 

 そう次に早が言って、私に近づき、腕を背中に回した。

 島も同じようにした。

 二人の暖かな体温。私は呆然となって目を見開く。

 

「だから抱きしめてあげることにしたのです、玉。貴女の心の傷を、私達は癒してあげたい」

「ん。それに玉、本当は子供。ずっとずっと、今まで甘えたいの押し込めてきた。どうせ私達が年上だし、我慢してきた分、お姉ちゃん達が良い子良い子してあげる」

 

 双子姫の――姫様達の言葉は、まるでその時の私には、ノイズのように聞こえた。

 

 ――何これ……え? ……何だ、これは。

 

 どくどくと、早鐘のように心臓が鳴り響いた。

 それは自分でも自覚していない感情だった。一番認めたくない部分だった。

 故に私は……幼い時に捨てたはずの安らぎを感じていることに、酷く嫌悪している。お花畑の香りは、甘いけどすごく強い。クラクラして吐きそうだ。

 でも私は心と体を切り離せる。

 抱きしめ返しはしなかったけど、双子姫が望むように、ニコリと笑い返した。

 

「はい、ありがとうございます。……姫様方」

 

 それを聞いて、双子姫はパアって明るい顔になった。

 嬉しそうに何度も何度も、私の名前を呼ぶ。

 

 それから、双子姫の甘やかしはエスカレートした。

 振り回され気味だったけど、彼女達は必ず私に優しくしてくれる。

 お休みのキスをして、絵本を読んでもらって、頭を撫でてもらって。

 その日々は、ああ、なんてぬるま湯みたいに生暖かいんだろう。

 

 正直、茶番も良いとこだ。

 こんなの馬鹿にされてるのと同じ。私でままごとをされても困る。

 

 なのに……どうして、こんなにも離れ難いと思うのか。

 今まで感じなかった胸の痛みも、ズキズキと走るようになった。

 良心も中途半端に戻ってきた。眠る度に、地獄から死者の声が無数に聞こえてくる。

 お前が憎い、死ね、詫びろ。

 そのくせ、酷くこの状況に現実味を感じない。光が濃くなれば濃くなるほど、また影も深まるように――日向の世界にいたところで、最早そこに居て良いのかどうか、分からなくなってしまった。だって私は、すべてとも言える妹達を亡くした。

 それよりも、人を殺したり、騙したりしていた方が、ずっと生きているという感じがする。かつての兄と同じだ。だから私は、戦争の道具としての役目に固執した。

 なのに、罪悪感を感じ、吐いてしまう。

 

 ひたすらに双子姫が妬ましかった。

 どうしてこんな感情を教えたのか。お前らは何の気兼ねもなく、優しさを保てて、ずるい。

 ずるい、ずるい、ずるい――

 

 ここまでくると、流石の私でも感情をコントロールすることは出来なかった。

 私は迫り来る死を悟る。

 ならば長くないこの命、せめて精算のために役立たせましょう。

 

 私は姫様達に一言謝り、城を出た。

 この土地を歩きながら、すべての呪いを解呪する。

 この時ばかりは穏やかな気持ちだ。特別だなんてどうでも良い。私はこの土地を解放する。そうすれば同時に私も自由になれるから。

 もう神様とか、真平、ごめんなのだ。

 

 ……しかし運命なのか、私は導かれるように、神社の前にやってきた。

 むくむくと捨てた筈の気持ちが蘇る。

 

 やっぱり皆から認められたい。愛されたい。一人ぼっちは嫌だ。

 私は皆に。

 

「何で会えないの、お兄様っ!!! 」

 

 そうして遂に、ドロドロの感情は黒い渦になった。

 

 私は――

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 ……これが、五百年前の記憶、そのすべてだ。

 しかし私の長きに渡る旅は、ここから紡がれる。

 

 物語は――まだ始まったばかりだ。



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遠い未来の昔話 中編

待たせたが予想以上に長くなり中編ということで。
二万文字です。


 目を開ければ、私は見知った建物を見上げていた。

 大きくて立派な神社。

 何故か少し古くなっていたが、疑いようもなくここは私が死んだ場所で――

 

「は……?」

 

 私は訳の分からない状況に混乱していた。

 上手く現状が飲み込めない。一体何が起こっている。私は確かに死んだはずなのに……。

 

「……まさか、死後の世界か?」

 

 言って、即座に否定する。

 それにしては違和感があり過ぎるのだ。上手く言葉に出来ないが感覚が現実的過ぎる。この風も、この臭いも、すべて故郷のもの。私が間違えるはずがない。

 

 それに気になる点がいくつかある。

 何やら視点が低いのだ。髪の長さも色も違うし、何よりその小さなプニプニとした手は幼く、指輪がはめられていない。

 生前からして見れば有り得ないことだらけだ。

 

 何かがおかしい。

 

 私はとりあえず鏡代わりのものを探した。

 すると丁度、池があった。懐かしい。昔、私が指揮して造らせて、……って、今はどうでも良いか。

 

 私は早速池に近づき、自分の顔を映した。

 そうして、言葉を失うしかなかった。

 果たしてそこにあったのは、まったく見知らぬ(見知った)幼い少女の姿だった。

 毎日見ている私の顔じゃなかった(私の顔だった)

 

「何だこれは」

 

 更なる混乱に陥るのは、それで充分だった。

 私は頭の中の記憶を探った。だが、奇妙なことにその瞬間、鋭い頭痛が走った。

 

「……っ!」

 

 思わず頭に手をやるが、止まらない。

 ズキズキ、ズキズキ――次第に苦しみで息も上がり、脳髄を内側から食い破るが如く、膨大な記憶が溢れ出る。

 それは私が知らない……否、“私”が知っている、これまでの人生の記録。

 

 そう――“私”の人生の記録だ。

 

 私の名前は広実久遠。

 この地で生まれた由緒ある娘で、父と母の顔は知らないが、お婆様の元、日々、広実家の者として研鑽に励み、領民の皆とも仲良くしていて、龍神様や玉枝様の器となるべくこの身を――

 

「――っ、違う! 違うぞ!!」

 

 否定するべく、私は強く絶叫した。

 この体の人生を、自分のものだと思うこと。それを認めてしまう訳にはいかなかったからだ。何故なら私は玉だから。久遠などという娘ではないから。

 

 だが、私の自己認識は間違いなく自分が久遠だと言っている。

 それが玉という私を拒絶し、弾き出そうとしている。しかし当然のように玉の記憶も黙っていない。彼女は、お前は誰だと叫んだ。それに久遠の記憶も負けじと吠えた。すると玉の記憶は怒るのだ。その身を殺さんと襲いかかる。必然、久遠の記憶も抵抗するのだ。

 まるで、玉と久遠、その存在同士が喰らいあってるみたいで。

 

 自分が誰なのかすら、最早、見失いそうになっていた。

 すべてが虚構とさえ思えて、そうして、私は“私”に飲み込まれ、アイデンティティが崩壊しそうになったその時に――現実に引き戻されるかのように、声がかけられた。

 

「久遠? そこで何してるの?」

「……」

 

 その声には聞き覚えがあった。

 私は振り返る。

 銀色の髪の、恐ろしく美しい少女。時を経ても尚、その若さを保つ“龍神”は――

 

「島」

 

 私はあえて、お婆様ではなく、その名で呼んだ。

 玉の自我が僅かに勝っためだ。やはり私の大元は玉なのだ。そしてその彼女が一度死んだ以上、色々と取り繕ったものが崩れて、心の中で見下していた呼び方になった。

 

「……!」

 

 当然、島は驚いた顔になった。驚愕のあまり固まっている。

 私はもう一度島に呼びかけた。

 

「島。早はどうなったのだ。何故ここにいない。それに、玉枝などという妙な神は何だ。お前は何をやろうと――」

 

 そこで私はギョッっとなった。

 島が泣いていたのだ。その瞳から滂沱の涙を流している。だが口元は愉悦を滲ませるように、ニタリと三日月のように笑っていて、その昂りはいっそ狂気すら感じられる。相反する二つの感情は矛盾だらけで、だからこそ恐ろしく感じられる。その様はまさに妖怪そのものだ。

 島は長き時の中で、何かが壊れて狂っていた。

 

「お前……」

「やっと……」

 

 島は涙を流したまま、震える声で、胸の前に手を組む。まるでメシアか何かに、祈るみたいに。

 

「玉……っ! やっと思い出したんだね!」

「!? 何を言っている!!」

「私は、間違っていなかった! 間違っていなかったのだ!」

 

 島は私の話など聞いていなかった。代わりに組んでいた手を解き、私に駆け寄って抱きしめる。それはいつかの時のように暖かかったが、同時に力も強く鎖のようですらあった。

 

「玉、よくぞ、よくぞ戻ってきた。これからはずっと一緒だ! 離さない!」

「――ッ、やめろ!! 気持ち悪い!!」

 

 私は島を突き飛ばした。あっさりと離れる彼女。私は怖気から脂汗を滲ませ、拒絶を込めて叫ぶ。

 

「さっきから意味の分からないことをごちゃごちゃと!! 何なのだ!! お前は一体何なのだ!!」

「……ハ」

 

 すると、島はまたも笑った。鳥肌が立つ。

 ……こいつは駄目だ。そう直感的に分かった。

 

「……ッ!!」

 

 私は反射的に島を殺そうとした。常日頃から戦場にいた私にとって、親しい者を殺す覚悟は一秒あれば充分なのだ。

 それに何故か私は己の魔力を使えていた。ソウルジェムもないのに。

 

 だから咄嗟のように、いつも通りに、呼び出した大鉈で、その島の体を真っ二つに両断し――嫌な感触と共に、血の泉が吹き出した。

 

「????」

 

 島は訳の分からないといった顔だ。すぐになす術なく崩れ落ち、だが私は手を緩めない。その指輪ごと左手を容赦なく踏み潰した。

 

「これで……」

「……フヒ」

「!?」

 

 島が私を見上げていた。あり得ない事実に固まる。何が起きているのか分からない。何が……。

 

「い、良い加減にしろ!!」

 

 私は困惑と共に島の首を断ち切った。だが、島の口元は歪んだまま、ゆっくりと瞬きを繰り返す。

 ついに私は絶叫した。

 

「この化け物が……!!」

「そう。私はとっくに怪物だ」

 

 肯定。

 私の言葉に答えて、島は自身の頭を抱え、ぴったりと首をつける。そして下半身が自ら張って、上半身と繋がった。完全復活。何事もなかったかのように、血だらけの怪物は、私の前に再び立っていた。

 

「……なんなのだ、お前は」

「ふふ、ふふふ、フフフフフ――もう離さない、玉」

 

 島の体から後光が溢れ出し、背後から何か大量のものが――触手が溢れ出し、私を捕まえる。私はもがいたがどうにもならなかった。やがて、いつの間にか意識は暗転し、気が付けば地下牢にいた。

 

 ……そこは冷たく狭く、そして暗い場所だった。

 

 私は起きて早々、冷静な頭で周りを分析した。壁の感触、カビの匂い。捕えられたことは一度や二度じゃない。その度に隙を見つけて脱出してきたのだが、今回のは完璧過ぎる。少し調べただけで分かった。空間全体にありとあらゆる結界魔法が施されている。

 対策もなしに逃げようとすれば、より強固に縛り上げられるだろう。

 であるなら、まずは状況の整理、そして魔法の解析をしなければならない。

 

 私は改めて記憶を呼び起こした。

 

 ……すると、現状のことが少しずつ理解出来た。

 今は前の私が死んで丁度三十年ぐらいらしい。戦乱の時代が終わり、豊臣公が天下を納めているそうだ。しかしこの地方を牛耳るのは、島と呼ばれる現人神。早は若くして亡くなって、島はそこからおかしくなっていったのだろう。

 力を使い老化を抑え、私の妹の子供と自らの血縁を番わせて、何度も赤ん坊を造らせた。

 

 私は六人目の赤ん坊である。

 そのせいか生まれた順は別に珍しくもないが、母親、父親共に死亡している。

 今の私の体は尋常じゃないくらい異常なのだ。徹底的に弄られ、改造され、ソウルジェムがなくても魂の力を引き出せるなど、最早その身体構造は人間ではない。

 胎児の頃からの魔法干渉、因子操作の賜物だ。

 だが、母体はその無茶に耐えきれなかった。また父の方も精巣を作り変えられ、その影響で病死している。今世の私にとって、親とは島である。

 久遠はずっと、島に育てられてきた。

 そして、教えられてきた。

 

 玉枝という存在。

 そう、前の私を神格化した神だ。

 

 何故か早や島より、上位の存在とされている。

 私が大好きだった猫の姿をしていて、因果を操り、時を超える輪廻の神らしい。

 私にはそんな力はないのだが……。

 しかし、私は確かにここにいる。私は確かに久遠という少女になっているのだ。

 一体どうして? まさかそのために久遠を産ませたのか?

 

「……」

 

 そうだとしたら地獄だ。

 私はここまで望んでない。妹の子供の尊厳を踏み躙って、妹の子孫を乗っ取って……私が皆を殺したようなものだ。

 私はそんなことないよう、呪いを消したのに。

 

「くそッ!!」

 

 思わず悪態が口から出る。幼い体のせいか、感情を制御するのが難しい。久しぶりの感覚だ。私は今……やるせなさに打ちのめされている。

 底無し沼のような絶望だ。

 

「……どうして。何でこんなことに……」

 

 考えども考えども、答えは出ない。

 ただ、事実として、島は私に執着している。気色悪くて吐き気がする。もしかしたら私を不憫に思って、こんな行動をしているのかもしれないが、余計なお世話だ。

 だけど……、

 

「私も散々、お前を操ってしまった――これは天罰かもしれないな」

 

 自分がやったことが、自分に跳ね返ってしまった。

 これは多分、そういう状況だ。

 自業自得過ぎて笑えてくる。やがて私は実際にくつくつと笑った。笑って笑って笑って……今度は泣いた。限界まで泣いた。泣いた後は蹲った。このまま何もしたくないとさえ思った。

 けれど、そうやってどん底に落ち切っていると、ぼんやりと殺さなければいけないという思考が浮かんだ。

 

 多分、そんなに早と島が、嫌いじゃなかったからだ。今になって、心の底からすまないと思う。だからこそ、今の島は見てられない。この土地の安寧のためにも、終わらせてあげたいと強く思うのだ。

 

「……それに時間がない」

 

 こうして一人でいるからこそ分かる。

 刻一刻と、玉の記憶が薄れつつある。多分、前世の自我は芽生えたけど、だからと言って記憶はずっと保持していられないのだろう。それこそが島の狙い。

 そうなる前に、島を殺すしかない。

 

「急がなければ……」

 

 そうして、私は策を巡らせ、何日もかけて地下牢を脱出した。

 

「そうだ。それで良いんだ」

 

 そう近くで笑う、島のことにも気付けずに。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 ……そして、その後はどうなっただろうか。

 結論から言おう。私は島の殺害に成功した。その道のりは決して平坦ではなかったが、確かに島の殺害に成功したのだ。

 

 手順としては単純だった。島の本体を倒したのだ。島は本来の肉体を捨て、ソウルジェムを隠し、魔力の受信機を用いて仮の体を操っていた。だからすぐに再生出来たし、偽のソウルジェムを砕いても不死身だった。だが、私はそれを暴き立て、島のソウルジェムが祀られている祠を破壊した。

 それで終わりだ。島の生命停止を確認した後、私も速やかに自害した。こんな異物、この世界にはいらないと思って。

 

 だが……次に目を開けた時、そこは一面田んぼ畑だった。

 私は驚いた。しかし同時に、先程のことがまるで思い出せないことにも気が付いた。

 私は何をしていたのだろう。

 確か……確か……。いや、そもそも私は何者で、何故こんな場所にいるのか。

 私は誰?

 

 そう思っていると、遠くから声をかけられた。

 

「船花様ー!」

 

 そうだ。

 私の名前は、広実船花なんだった。

 この地で生まれた由緒ある娘で、父と母の顔は知らないが、お婆様の元、日々、広実家の者として研鑽に励み、領民の皆とも仲良くしていて、龍神様や玉枝の器となるべく、巫として過ごしている。

 光栄なことだ。私は、そのために生まれてきたんだ。

 

「船花様、大変なんです、船花様!!」

 

 振り返ると、声をかけていたのは領民だった。

 慌ててていたようなので、思わず彼の元に駆け寄って、「どうしたの?」と聞いた。

 すると、必死な形相で領民は叫んだ。

 

「実は病気が流行っていて、土地全体の畑が枯れてしまったのです!! 今すぐお確かめを!!」

「分かった」

 

 私は急いで土地中の畑を見て回った。

 確かに畑が全滅していた。このままでは食うにも困る有様だろう。だから領民達は、玉枝の巫である私の周りに集まって、祈りを捧げていた。

 

「どうか、どうか」

「お願いします」

「お助け下さい」

 

 皆が私を必要としてくれる。私は無言で頷いた。手を広げ、力を解放すれば、畑の作物は次々と実りを豊かにさせて生き返る。

 領民は喜び、声を上げ、私を称えた。

 

「ああ、ありがとう、ありがとうございます!」

「船花様!!」

「流石は我らの巫様じゃ」

 

 領民達は、まるで私のことを救い主のように崇めてくれる。

 私はそれだけでここにいていいのだと思える。

 その後も、私は沢山、この土地の民に奇跡を起こし続けた。雨を降らせ、太陽を呼び、川を作り。

 領民の皆に認められて、嬉しかった。

 

 ああ、私は、ずっとこういう風になりたかったんだ。

 神様でいる限り、ずっと皆と一緒にいられる……この土地で平和に生きていけるんだ……。

 

 ……。

 

 ………。

 

 …………………………?

 

 ……あれ? でも、私にそんな資格あったんだっけ?

 

 私はこの世界にいちゃいけな存在なんじゃ……。

 

「――!?」

 

 その瞬間、私は今までのことをすべて思い出していた。

 いつの間にか目の前、あの日壊したソウルジェムを祀る祠がある。

 冷や汗と共にゆっくりと振り返った。

 そこにいたのは金髪の少女、早だった。この世界では、島が死んで、早が生きていたのだ。

 

「……」

 

 言葉を失う私に対して、早は微笑んでいた。

 

「どうでしたか、この世界は。幸せでしたか?」

「……あ、あり得ない。お前は一体……」

「貴女が知っている早ですよ。正確には怪物となった私が作った、手下ですが」

「……嘘」

 

 呆然とする私に、やはり早は不気味な笑いを返すだけだった。

 

「嘘ではありません。その驚きようからするに、貴女が前にいた世界では島だったんですね」

「は……? い、いや、待て待て。待ってくれ。私はあの時、確かに島を殺したんだぞ! それがどうして手下だのなんだのの話になっている!」

 

 それに今の私はなんなんだ。

 この幼い体、慣れない髪色。全部私のじゃない。

 また転生している。

 

「また私は妹の子孫を体を奪って……どうしてこんなことを!!」

「でも、楽しかったんですよね?」

「そういう問題じゃない!! 私は望んでいないんだ。こんなことは今すぐ――」

「でも、楽しかったんですよね?」

 

 有無を言わせぬ物言い。

 私は黙ってしまう。事実だったからだ。

 そして早は続ける。

 

「大好きなこの土地の人々に囲まれて、愛されて、認められて、美味しいものも食べられて。可愛い着物も手に入る。まさに貴女が思い描いていた幸せですよ?」

「……幸せ?」

 

 これが?

 何を馬鹿なことを。大体、私は死んだんだ。散々人を殺しておいて、妹達も守れなくて、更には自分の都合で早と島を利用した。私の一族ももういない。

 そんな私に幸せなんてないだろう。もう私には何もないんだ。

 

「けれど、またやり直すことが出来ますよ」

「……!」

「それこそ妹の子孫の体を使って、何百回でも、何千回でも、世界を超えて、時代を超えて。貴女の魂にかけられた呪いは、そういう呪いなんです。失われた家族だって、私の一族や領民達が代わりにいます。現に、貴女はもうこの土地の全てを、昔の家族と同じくらいに愛しているんでしょう?」

「…………」

「おめでとうございます。これで貴女は真の神になられました」

 

 パチパチパチパチパチパチパチパチ。

 

 島は乾いた拍手を私に送った。

 私は上手く考えることが出来ず、ただ固まっていた。

 冗談じゃなかった。

 

 でも……。

 

 島の言っていることは本当だった。

 久遠や船花として生きて。玉だった頃に無くした、幸せな幼少期を過ごせた。

 その時点でもう、私は広実一族を家族と認識しているし、慕ってくれる領民のためなら、喜んで命を差し出せる。

 そして実際に力が目覚めて――巫になって、私は歓喜していた。これでようやく、皆を救うために人生を生きられるのだと。

 

 ……最早、私はこの土地を救うことだけでしか、自分に価値を見出せないのだ。そのためなら何度だって、皆のために犠牲になれる。

 

 そう考えられる者だけが……きっと神になれるのだろう。

 神とは即ち、究極の人身御供なり。

 私はこれから、多くの救いを齎すべく、死ぬためだけに生まれ変わる。

 

「さあ、新たな神よ。私を殺して下さい。ずっと思っていました。この土地を守ろうとして下さる貴女こそが本当の神様。私達は貴女のようになれなくて、すぐに怪物となりました。私達は貴女のような神様を作りたかったのです」

「まさか、それだけの目的で、お前のような手下を生み出したとはな……」

「私のことなんてどうでも良いんです。さっさと私を喰らい、呪いを完璧なものへ。そうしなければどうなるか分かりますよね?」

 

 ……分かるさ。

 お前を殺さなければ、この土地を滅茶苦茶にするくらい暴れるんだろう。そんでお前を殺すことでしか、転生の術式は完成しない。あえて大切な者を壊させ、私の人としての心を失くす気なのか?

 

「ふざけるなよ」

 

 自分から引き金を引かせようなんざ、反吐が出る。反吐が出る。

 しかし私は祠の方へ、振り返って近づいてしまう。やはりこの祠のソウルジェムこそが、手下の本体なのだ。

 だが、この世界で私を育ててくれたのは彼女だった。

 私は今から、この手で親を殺す。

 

「――ッ」

 

 私は呼び出した武器で、ソウルジェムごと祠を破壊した。

 早が倒れる音がする。魂が絶望で黒く染まった。

 

 ――私の中で、何かが壊れた。

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、私は何度も転生を繰り返した。

 死んで、生まれて、死んで、生まれて。

 

 転生の呪いは、当初、上手く機能してはいなかった。

 そのため、自我の目覚めが長く続いたり、記憶が戻るのが比較的成長してからというケースが多かった。

 そういう時は動きやすかった。そのため、色々と転生の呪いや土地の呪いをどうにかしようと頑張ることが出来た。

 けれど、段々と転生の呪いは私を縛り、何十年もかけてどうにか出来たのは玉枝の存在を消すことだけ。その最中思い出した最初の願いには、愕然ときたものだ。まさか、この状況が全部自分のせいだったとは。その時はどうしようもないと、絶望して魔女になった。

 だが、次には生まれ変わっている。

 死んでも生まれ変わっている。

 そしてその度に、私は妹の子孫の体を乗っ取ってしまう。

 

 ……ごめんなさい、と謝らなくなったのはいつからだろう。

 罪悪感が薄れていったのはいつからだろう。

 

 私は亡霊なのに。いちゃいけない存在なのに。何度も人生をやり直している。

 自我が曖昧になる感覚。

 私は誰だ。色んな私がいた。

 大人しい私、だらしない私、あまり賢くない私、活発な私。

 どれが本当の私だと言えるのだろう。

 まるでシュミレーション。ルーレットを回して、その人生双六を進めて、はい、終わり。

 でも結末は決まってバッドエンド。

 

 笑えない。笑えないよ。

 本物の私が何処にもいない。

 

 でも、私は心の何処かで役割に徹している。

 神様という人身御供の役割。その役割さえあれば私は欠片でも幸せを感じるのだろう。

 そのために、いくら犠牲を払おうとも。騙し、犯す、そうすることでしか私は何かを掴めない。

 

 ……そのせいで、私は大勢の家族を殺し続けた。

 家族。

 広実一族。そして早島に住む人々。

 

 彼らはどの時代においても、私に何らかの形で寄り添ってくれた。

 時には親として、時には親友として、時には兄弟として。

 幸せをくれるのは、いつだって彼らだ。

 けれど、敵として戦うのも、また広実一族や早島の人々だ。この早島を支配するからこそ、悪の芽がそこから生まれ、魔法少女も広実一族の出身者しかいない。

 早島を守るために、守りたい家族である彼らを殺す。

 その矛盾こそが、私の真の絶望だった。皆が私の手から零れ落ちて離れてしまった。

 

 ――ああ、何が神様だ。

 

 ……神様になったって、何も出来やしない。

 すべてが無駄のままに、また繰り返し、繰り返し。それでも、大切な早と島を殺したことで、私の中で歯止めが壊れてしまっている。

 

 ずっとずっと……惰性のままに、神様を続けた。

 その内、時代は何度も移り変わり、早島は発展を続けた。

 私はぼんやりとそれを眺めていた。無感動にも、あるいは感傷的にも。

 だが、そこで生きる人々の煌めきは、私の心を捕らえて離さなかった。

 人々は生きる逞しさに溢れていた。私は悟った。龍神信仰の意味も、失くなっていくべきだ。しかしいつまで経っても、呪いは残り続け、人々は神への依存をやめない。

 

 ……どうしたら良いか、分からなかった。

 私もまた、この土地に依存していた。

 

 そして……やがてすべてを諦めた頃、私は“東順那”に生まれ変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 その転生は、普段のものとは違っていた。

 生まれて数ヶ月で既に、私は自分の自我を取り戻していた。

 記憶も欠けることなく、ちゃんと思い出せていて。

 

「………………?」

 

 うん。意味が分からなかったよ。

 初めは、何の冗談かと思った。

 まさか赤ん坊になっているなんて。普通は想像だにしないだろう。おかげで驚愕のあまり、悲鳴を上げていた。けれどそれは泣き声になっていた。

 

「あらあら、まあまあ!!」

 

 すると、その泣き声に母親が飛んできた。よしよーし、よしよーし、と私を抱き上げてあやす。

 その母親が、那お子の時と同じだったので、ゲンナリした。

 またお前なんかーい、という感じだ。しかもこの人とは致命的に合わないっていうか、あんま好きじゃないっていうか、そりゃあ情はあるけど、一緒にいたくないタイプだ。

 

「順那ちゃん、いないいないばあー!」

 

 後、こいつのネーミングセンスも微妙だ。

 何だよ、順那って。可愛くない。サチとか、いのりとか、そういう名前の方が良くないかい?

 

 とは言え、東家は情報管理の家だ。何かあった時、動きやすいのもまた事実だ。

 

「アー……」

 

 私は適当に赤ん坊のふりをしつつ、悦子の時にした布石を思い出した。

 私の固有魔法は“その土地に眠る魔法少女の魔法”を引き出すこと。その魔法の中に危険予知……つまり未来における災厄を予知するものもあった。そのため、私はそれに従い、最悪の事態を想定して何度も策を打ってきた。だが正直言って、予知できるのは曖昧な部分だけだ。十数年後、この先に早島を揺るがす程の何かが起きる。それだけしか分からない。

 しかし、放っておく訳にはいかない。私はこの早島の神なのだから。

 

 ……まあ、その神が絶賛、赤ん坊になってるってのは如何なものかと思うけど。

 でも、赤ん坊になってる時点で、何かがおかしいのはやっぱり明白だった。それこそ、まるでここが終着点みたいな。行き止まりみたいな。

 

「……」

 

 ……しかしふとそう思っても、私の中の期待はすぐに霧散していた。私は何も夢見たくなかった。既に無駄だと嘲笑った。

 だが何かがある。その予感だけはあった。

 そして、それは数ヶ月後に確信に変わった。

 

「わー、かわいい!!」

「ちっちゃいねえ!」

 

 定期的に行われる親戚の会合。そこでその少女達は私の周りに集まってきたのだ。

 まだ小さく、この出会いのことも忘れてしまうだろう。

 でも私はいつまでも覚えている。一目見ただけで、似ていると思った。

 “玉”であった頃の妹達。

 その二人の少女――結とミズハは、何から何まで妹達にそっくりだった。

 

「――!? ――――!!」

 

 あまりに似ていたので、私は思わず、驚きに息を飲んだ。そして次には込み上げる懐かしさで号泣してしまった。ワンワンと泣いたので、結とミズハは困り果てていた。けれど、そんな様子も似ていて、涙が止まることはなかった。

 時を超えて、また大切な妹達が会いにきてくれたんだと、そう思った。

 

 だけど……頭も冷えてくると、二人が妹達とは全然違うということは、やはりはっきりと分かってきた。なんていうか、似ているのは顔と性格だけで、根本的には別人なのだ。

 当たり前だった。死んだものは回帰しない。

 転生しているのなんて、この世で私、ただ一人だろう。

 

 だが、間違いなくそれは一つの救いだった。

 昔失った感情の欠片が、少しだけ戻ってきたような気がした。

 私は自我を取り戻して、決めていたのに。他の人達からは、わざと嫌われようと。そもそも彼らとは距離を置きたかったから。何らかの形で殺してしまうかもしれない相手と仲良くなるのは、残酷過ぎる。

 

 けれど、結とミズハだけは例外だった。

 仲良くなりたい。妹達を失った分、一緒に遊んでやりたい。

 ただの自分勝手な自己満足が、私の心を支配していた。

 

 ……それでも、嫌ってくれたら、どんなに良かったか。

 

 めんどくさく、変わり者で、嫌われ者の順那。

 成長し、その仮面を被っても、結とミズハは態度を変えなかった。

 ゲームをしよう、なんて、誘ってくる。

 

「……しょうがないなあ」

 

 今更本当の私になれなくて、偽物のキャラのままで笑った。

 

 だけど、結とミズハが楽しそうにしているから、一緒にゲームをするのは悪くなかった。

 わざと負けて、拗ねるふりすると、彼女達は私の頭を撫でてくれて、ああ、私を妹扱いするのが好きなのだなと思った。そうした方が仲が深まるから、私はその状況に甘んじた。

 

 しかし私はその裏で、いつものように、いつも通り、来たる災厄に備えるべく、日陰の世界を生きるのだ。

 殺し、犯し、奪い去り――古株の魔法少女が死んだので、サチと入理乃という少女達を、誘導して魔法少女にした。

 バラバラにすると管理が面倒だから、コンビを組ませた。相性はお世辞にも良いとは思えなかった。

 

「そろそろ、結とミズハを、魔法少女にした方がいいんじゃないかな」

 

 だから、それを危惧してか、キュゥべえにはそう言われた。

 だけど私は少し考えてから、首を振った。

 

「まだ早いよ」

 

 思えば、私は何がしたかったのだろう。

 私と親しい友人、兄弟、恋人はごまんと居たはずなのに。だが必要とあらば、私はそんな彼らであっても、例外なく生贄にしてきたはずだ。

 それが、結達をそこから遠ざけるようなことを言ってしまっている。それは本当にまだ、魔法少女の替えがいないから? 

 違う気がする。今回の転生先で、不思議と私の自我がいつまでも消えていない。そのせいか、昔の私にはなかった何かが、芽生えつつある。

 

「あ、順那!」

 

 その時、後ろからパタパタと足音がして、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。キュゥべえはさっさといなくなった。振り返ると、結とミズハがいた。

 

「もう探したんだぞ。今まで何処行ってたんだよ!!」

「えへへ。ごめんね。何となく、別の場所に行きたくなっちゃって」

 

 誤魔化すと、やれやれまたか、という顔を彼女達はした。

 

「相変わらず気まぐれだなあ……まあ良いや。いつも通り一緒にゲームやろうよ」

「新作だぞ。これ好きでしょ」

 

 別に好きでも何でもないゲームソフトを見せられた。

 それでも私は微笑んだ。偽りの、“妹”の笑顔で微笑んだ。

 

「うん! すごく楽しみ!」

 

 それから私達は、ゲームで対戦を楽しんだ。

 すぐに私のゲーム機の画面に、ゲームオーバーの文字が映った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そしてしばらく経った頃である。

 暖かく、ぬるま湯なような日々に変化があった。

 事件が起きたのだ。

 

 ミズハの姉の駆け落ち。

 

 別に駆け落ち事態、よくある話だ。最近、若者が嫌気を指して、一族を出奔することが増えてきた。

 今になって、私が少しずつ蒔いてきた種が芽吹いてきたとも言える。結構長い間、考え方が変わるよう、一族の掟改革などをやってきたのだ。……結局、神の依存心が完全に消えなくて、頓挫したが。

 

 ともかく、広実一族は解体され、血が薄くなれば良いと私は思っていた。そのため、私はこの駆け落ちを歓迎していた。

 だが……ミズハの姉というのはよくなかった。

 駆け落ちした家は、迫害され、取り潰しになることも多いのだ。

 ミズハが酷い目に遭うのは確定していた。

 

 ……まあ、実際のところ。

 何れこうなるんじゃないかな、とは予想していた。

 だってミズハの姉が、誰かと付き合っているのは知っていたから。私がそれを防ごうとしなかったのは、本当にミズハには一族を出て行ってもらおうと考えていたからだ。

 

 多分、そんなことをしなくたって、私は結とミズハの性格を変えることが出来たと思う。一族に縛られず、自由奔放に生きられる性格に。だが、肝心の私自身が、この早島に一番縛られていた。

 道の示し方は分からず、さりとて誘導したところで、気質というのはどうしようもない。

 例えば結の場合、精一杯、他の道を教えてやったのに、諦めモードで完結してしまった。ミズハに至っては、一族にしがみつく有様だ。

 

 最終手段として、強制的に追い出そうと思った。

 結は本家の娘だから、どうにも出来ないかもしれない。

 だがミズハは、魔法少女の才能がかなり低い。問題ないはず……問題ないはずだと思った。

 

「……本当にそうかい?」

 

 しかしキュゥべえは聞いてきた。

 それが本当にお前の望みなのかと。

 

「君は順那に転生して、随分と変わってしまったね。訳が分からないけど、相当甘くなったんじゃないのかい?」

「それでも……それでもミズハが早島のために死ぬことはなくなる」

「ふーん。そう納得しているなら良いけどね。けれど結への影響、考えなかった訳じゃないんだろう?」

「……」

 

 分かっている。

 結は今回の件が自分のせいだと、大分落ち込んでいる。どうせ結がいなくても、ミズハの姉なら勝手に駆け落ちしてるだろうに。

 だが、同時にこれで、結は一族を更に嫌うはずだ。溜め込んだら溜め込むだけ、後は爆発するタイプなのだ。高校生にでもなれば、すべてが自棄になって一人暮らしを始めるはずだ。

 

「少なくとも自分の人生を束の間でも生きられる……その一助くらいにはなるはずだ」

「成る程ね。かつての妹達と、おんなじことはしたくないって訳か。未だに割り切れてないんだね」

 

 当たり前だ。あれが私の最大の間違い。

 新たに出来た妹達を束縛するくらいなら、私から遠ざける。

 たとえエコ贔屓だとしても。サチと入理乃には心の底から悪いと思っていても。……幸せにしてやりたいと、私は強く望んでいる。

 

「長く生きてるのに、酷く不器用だね」

「しょうがないだろう……」

 

 そうじゃなきゃ、私はきっと神様になっていない。

 

 ……そうして、私はミズハを追放した。

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 ミズハを追放するにあたって、私は事前に長に取り行っていた。

 ミズハを牛木草行きにして欲しいと。

 結がそう頼むはずだから、その願いを聞いてやってくれと。

 

 果たして、その願いは聞き届けられた。

 ミズハは牛木草に引っ越し、私と結はそれを悲しみと共に見送った。

 とは言え、私としては目論見大成功で、ほっとしていた。

 

 長には感謝しても仕切れない。

 なので後日、改めて礼を言いに言った。

 すると、彼は虚な目をして、首を振りながら答えた。

 

「別に、かしこまる必要はございません。姉上である貴方様がそう仰るのですから」

 

 そう。

 彼は私の暗示にかかっていた。いくら神様と言えど、私は長にとってただの孫に過ぎない。言うことを聞かせるには、やっぱり魔法が一番手っ取り早かった。

 

「それでも、お前の働きあってのことだよ。私はお前のことが誇らしいよ」

「滅相もございません」

 

 長は控えめな態度で首を振った。

 

「さて。それで? 例の件はどうなっている?」

「はい。すべて順調にございます」

 

 長の隣で両親が答えた。こちらも必要な時は暗示をかけて操っていた。

 情報を扱っているだけあって、物事の管理が上手く、便利だ。

 

「牛木草、早島共に、玉様が設置した結界の魔法陣は機能しております」

「魔道具の方は?」

「それも無事、所定の位置へ。これでここら一帯は、玉様の魔力が干渉できるエリアとなりました」

 

 よし。布石は順調だ。

 感情エネルギーの収集。そのエネルギーを用いた遮断フィールド及び防護結界魔法陣の生成。

 その範囲は早島や、早島に深く関わる経済圏の町々と、かつてないほど大規模なものとなる。

 ここまでやるのは、想定する厄災が、それ程やばいからだ。

 

 ワルプルギスの夜。

 ――かつて早島にもやってきた最大最悪の魔女。

 

 私だって、何も調べなかったわけではない。

 これまでの経験や勘、ありとあらゆる書物から、ワルプルギスの夜に思い至り、統計データをとったところ、やはり進路的に見滝原へ向かうらしい。

 見滝原と言えば、ここから真っ直ぐ行ったところにある町だ。勿論、真っ直ぐと言っても距離はとても遠い。電車で何時間もかかる程遠い。

 

 だが、ワルプルギスはその距離を無視してやってくるだろう。

 しかも早と島を呼び出しても、本気で戦闘すれば多くの人が死んでしまうし、ましてや昔のように牛木草に逸らす訳にもいかない。

 牛木草は早島と深く結びつき、早島市民の働き口のほか、買い物場所や経済圏そのものになっている。牛木草一帯も守らなければ早島は別の意味で終わるのだ。五十年前の時点でワルプルギスの行動パターンを変えられれば良かったが……まあ、早島の外から出られないのでどうしようもない。

 そんな訳で、今のうちにワルプルギスの夜から早島を守ろうと動いているのだ。五十年前から想定していたことである。

 

「とは言え……」

 

 嫌な予感はまだあった。

 今回の転生が普段と違うこともそうだが、それとは別に、気になることがもう一つあるのだ。

 それは予知夢である。私は危険予知のほかに、未来を知る手段をいくつか持っていて、その内の一つが、限定的な未来をランダムで見るという魔法だった。

 そこで私が目にした光景は、キュゥべえが地球を去るという未来だ。あれだけ古代からこの星に干渉してきた宇宙生物が、この地球を去るのだ。

 

 ……考えれば考える程、訳が分からない未来である。

 ただ、それだけの理由がキュゥべえ側に出来た……ということなのだろう。

 しかし、予知夢は当たり外れがとにかく酷く、あまり信用できない魔法でもある。それを百%信じるのも馬鹿馬鹿しいことだ……だが私の中で不安はいつまでも消えない。

 

 もしかしたら、地殻変動が起きて、地球が爆発するのではないか――そんなことさえ思った。

 後はあまり考えたくないが、ワルプルギスの夜を超える魔女が生まれたとか――

 

「……。それは流石にないだろう……」

 

 言って、否定する。

 

 そんな膨大な因果を持つ奴が、突如として発生するなんてことがあり得るのか?

 過去にはラ・レーヌの黄昏や、早や島みたいなのはいたらしい。

 だがあくまで、この地球以下のスケールに収まっている。それが地球を滅ぼす規模なんてのは、荒唐無稽な話だ。

 

「……まあ一応対策を立てておくか」

 

 それでも可能性があるなら気にするすべきだろう。

 両親に新しいノートを持ってきてもらい、ペンで計画を書いていく。

 今の仕組みを利用すれば恐らくは――いやいや違うだろうと考え直し。

 そんなことを、何度も何度も繰り返した。

 

 最早、ミズハや結に構っている暇など、この時の私にはなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて月日は流れた。

 気がつけば、二年も時間が経っていた。

 

 結は相変わらず落ち込んでいる。ミズハのことを全部自分のせいと思い込んでいるようだ。

 

「……しょうがない奴だなあ」

 

 というのが私の正直な気持ちだ。

 何回もそうじゃないと言っているのだが……頑固なところは誰に似たのだろう。

 なんだか可哀想だ。

 お詫びのように、私はペットの手配をしていた。

 珍しく妹が我儘を言ったので、こっそりでも叶えてやりたかった。

 

 そうして、一族から白猫の子猫が届いた。

 私はケージに入れられたそいつに向かって微笑んだ。

 

「我が妹の話し相手になってくれ。私はあいつを見てやることが出来ないからな」

 

 子猫はニャーと鳴いた。人懐っこい奴を選別したつもりだ。結も気に入るだろう。

 

「よし、頼んだぞ」

 

 渡す前、思う存分猫吸いしてから、子猫を結の元に送った。

 結に笑顔が戻ってきた。これで大丈夫だろう。

 

 そう思い、私は更に計画の方にのめり込んだ。

 ミズハの方に気を回そうとした時には、既に遅かった。

 

 ――予期せぬアクシデントが発生したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、私は牛木草に赴いていた。感情エネルギーの回収のため、魔法少女の争いを激化させようと動いていたのだ。

 だが。

 大きな広場を移動していた時、そいつは突如として暗がりから現れた。

 

「お前は――」

 

 そう、言葉を続ける前に、何かが風を切って飛んできた。

 槍――いやこれはハルバードだ。赤黒いオーラで作られたハルバードが、何者かによって射出されたのだ。

 

 ――遅い。

 

 しかし私にとっては止まって見えるも同然だった。

 武器を使うでもなく、手刀ではたき落とした。だがその何者かは、次々とオーラでハルバードを生成し、打ち出してきた。数は百。ちょっと面倒だ。

 

 私は糸を一本、指から伸ばした。

 縦横無尽に薙ぎ払うことで、その何者かを含め、寸断しようとした。

 だがハルバードは破壊できたが、そいつは視界から逃げていた。しかも空間を飛びように一瞬で。

 

 ――転移?

 

 そう思った時には、そいつは後ろから回り込んでいた。振り返り、軽くバッグステップで回避すると、ガアン!! と大きな音が響いた。

 見るとオーラじゃない、ちゃんと金属で出来たハルバードの刃が地面にのめり込んでいる。力いっぱい振り下ろしたんだろう。刃を中心に地面に蜘蛛の巣状のヒビができていた。だが、その少女はあっさりとハルバードを引き抜き、構え直した。相応に筋力はあるらしい。

 

「お前は誰だ?」

 

 私は少女に尋ねた。

 しかし少女は何も答えない。答える必要はないとばかり、殺気を漏らし、ハルバードを私に向けている。

 

 見たこともない魔法少女だった。黒い格好で、黒い帽子を被っていて。黄色い菊の花飾りが帽子についていた。横に結ばれたオレンジの髪は、目に痛い程鮮やかだった。そして一番印象的だったのは、その顔を隠す仮面。

 これが魔力そのものの気配を隠している。魔力が大きいのか、異質なのか。特徴が分からないから、捉えどころのない感じだ。

 

「私を殺しに来たのか?」

「……」

 

 再び問いかけるも返事はない。

 私はそれでも思った。こいつは私を殺しにきたのだ。別に珍しいことでもない。裏で動き回る以上、私の敵は多いのだから。

 ならばやることは一つ。排除、あるいは捕縛し、情報を吐かせる。

 

「――ッ」

 

 と、そこで、少女を観察していると、何かよく分からない、得体の知れない違和感を感じた。

 ゾクリと、その瞬間、悪寒が全身を駆け巡った。

 

 ――こいつヤバいかもしれない。

 

 私は侮りも、油断も、すぐに捨てて死装束に変身した。懐からグリーフシードをいくつも放り、魔力を込めた瞬間、それは羽化する。

 

 結界が現実世界を飲み込んだ。

 

 淡いピンク色の空。空に突き立つようなビルの摩天楼。しかし町並みは昭和時代のものであり、何処かレトロな懐かしさを感じさせる。

 空中に何匹も浮かぶのは蛇――否、ウミヘビである。しかも木でできた翼が生えた。

 目の部分は車のライトに、その下には巨大な人間の唇があり、ベロンと大きな舌を覗かせている。胴体には無数の錆びた車輪が付いていた。

 

 旧車の魔女。私はそう呼んでいる。早島で五十年前、悦子が魔女化した時の姿である。

 私は天高く浮かび上がり、その内の一つに着地した。

 黒の魔法少女は地面からそれを見上げていた。

 両手の十指から糸が伸びる。魔女に接続、完了。私の意思に呼応し動き出す。

 

「っっkぇlwmっwlwrーfーpdぺーえーdー!!」

 

 旧車の魔女達の目が光り輝いた。そしてそれは光の筋となった。黒の魔法少女を、明るくスポットライトのように照らし出す。彼女は身構えたが、直接的な攻撃ではない。ただ逃げられないよう、“魔法”を封じさせてもらっただけだ。

 

 そして続く第二手。

 糸を動かす。魔女達は喋り出した。魔法により形となった言霊である。その結果、ただの“喋り声”が質量を伴って降りかかる。所謂音波攻撃というやつだ。

 

「!!」

 

 魔法少女は気配で気づいたらしい。

 避けた。かわした。だが、鼓膜は破れたのか耳を抑えた。音波は脳に直接干渉し、平衡感覚を狂わせる。

 堪らずと言った感じで、また空から丸見えは不味いと思ったのか、彼女はフラフラとビル街の奥へ逃げていく。

 

 そこで第三手。

 

「“世界よ、震撼せよ”」

 

 そう言葉にした時、文字通り世界が震えた。

 地震だ。私の切り札的な魔法でもある。ビル街が一瞬にして倒壊し、ほんの一秒足らずの出来事ですべてが崩れていった。後は魔女に号令を出し、炎を発生させて残骸を火の海へと変えた。

 

 これだけやったのだ。何も残らないはず。本来ならば。

 

「……」

 

 でも、魔法少女は瓦礫を退かし、立ち上がっていた。腕も、足も、あり得ない角度で捻じ曲がっていたが。全身血だらけの少女は、それでも立っていたのだ。

 あり得ないことだ。

 

 ――なんだこいつ。

 

 それが最初に思ったこと。

 次に、久方ぶりの戦慄を味わった。こいつは今までの奴とは違うのだと、私は認めた。

 

「……」

 

 だって黒の魔法少女は、その目だけは私から逸さなかったから。

 仮面の左半分は砕けてなくなっており、案外素顔は大人びていたが、可愛らしい顔立ちだった。

 

「お前、何者だ?」

 

 私は三度目の質問をした。少女はやはり無言だった。しばらく黙って……やがて、くはッ、と笑いを溢した。

 

「この顔を見てもまだ気づかないんですか。兄さんに似ているって、結構言われてるんですけど?」

「兄さん……?」

「ハハ……そりゃそうか。アンタにとっちゃ、有象無象の一人ですもんね……早島の五万人の顔なんて、覚えられる訳ないですもんね」

 

 意味の分からないことを魔法少女は喋っていた。だが、一人で納得したように、少女は呟く。

 

「これではっきりした。やっぱりアンタは、全知全能じゃありません」

「……そりゃそうだ。私はたった一人なのだから」

「――けど神様ってのは、万能で、人の願いを叶える存在なんでしょ」

「そうだ」

「だったらアンタは違う。アンタは本質的に誰の願いも叶えられない。アンタは神様なんかじゃありません。そう仕立てられた紛い物だ」

 

 ――紛い物。

 誰が、何の、紛い物だって?

 

「いや、そもそも私の情報をどこで手に入れた。お前はなんだ」

「……」

 

 ここでも黙るか。拉致が空かない。

 私はダメ元で暗示を使った。しかし案の定跳ね返された。

 魔方阻害(レジスト)

 ……やはり暗示は使い勝手が良いが、その分魔女や魔法少女相手には効果が薄い。それでもこの黒い魔法少女は“魔法を封じたはずだ”。何故別の魔法である魔方阻害(レジスト)が使える。

 いや……そういえば、旧車の魔女が封じられる魔法は一つだけだったな。転移が使えなくなっただけで、他の魔法は使えるのだろう。それも複数。

 

「厄介だな」

 

 様々な魔法少女がいたが、このタイプは何気に面倒くさい。

 色んな能力を持ち、あまつさえ異常な生命力を持つ。

 危険である。思いつく固有魔法は一つしかない。

 

「名付けるなら能力模倣と定着上書き(コピー&ペースト)か? 随分と特殊な固有魔法だな」

「……」

「だがいくらコピーしたものとは言え、大量の魔法を使えば、その分魔力も食らおう。何やら私を恨んでるようだが……今のうちに逃げるのが得策ではないか?」

「馬鹿言わないで」

 

 黒い魔法少女は吐き捨てるように言った。

 事実、逃げ場なんて何処にもありやしない。

 

「アンタがどれだけ不幸をばら撒いたと思ってるんですか。人を殺して、家族を滅茶苦茶にして、全部を奪って! それが神様のやることなんですか!」

「そうだが?」

「ッ!」

「早島のために必要なことだ。それがこの土地の五百年もの歴史である」

 

 そう言い切ると、少女はぶわりと髪を逆立たせるように怒りを露わにした。

 

「ふざ……ふざけるな! そんなことのために兄さんや仲間達は死んだんですか!!」

「まあ……そうする理由があったのだろう。ご愁傷様だ」

「はあ!?」

 

 魔法少女は納得出来ないように、ブルブル震えた。私は冷徹な目で見下ろしていた。……憎悪を向けられても……私の心には何も響かない。

 

「話は終わりか? そろそろこの余興にも飽きてきたのだが」

「待って。本当に、待って。本当に何も思い出せないんですか? 菊名という名前に聞き覚えは?」

「菊名? 確か入理乃の友達か何かだろ? でもそいつは入理乃の願いで牛木草に――」

「そっちじゃありません! 関係ない訳ではありませんが、そうじゃありません!」

「ん? ……ああ、成る程。思い出したぞ」

 

 そう言えば牛木草の暴力団の中に、そんな名前の奴がいたな。

 そいつは、実は早島警察の一員で、早島への麻薬密輸調査のために、牛木草の暴力団の中にスパイとして潜り込んでいたのだ。だが暴き立てられると面倒だったので早々にぶっ潰した。

 そして行方不明になって騒がれても困るため、偽物の人形を用意し、本人の知識と顔を与えて、任務が失敗したように見せかけた。後は今まで通りに、本人のふりをさせておいたのだ。

 それがまさか……関係者に気付かれるとはな。

 

「兄さんをあんな目に合わせるだなんて」

 

 魔法少女は、この世の憎悪を煮詰めたような目で、私を見ていた。

 

「あの兄さんは人形なんですよね? 本当は死んじゃってて、私はそれに気づかず、何年も一緒に暮らしてたんですよね? 母さんも父さんも気付かずに」

「……」

「何でなんですか? 兄さんは早島を守ろうとしてたのに、何で殺すんですか? ……早島を守る存在のくせに、早島を守ろうとした兄さんをどうして奪ったんですかッ!!」

 

 悲痛な叫び声だった。

 心を抉られるような声だった。

 私は平静な声で、答えた。

 

「人間では、早島を守れんだろう?」

 

 それは私の気持ちとは真逆の言葉だった。

 私は早島の人々のことを信じていた。きっと自分達でやっていけると。

 だが、それなら、これまで早島の安寧のために、犠牲にしてきた人達は――早と島を殺したのは、何なんだろう。彼らは亡霊のように私の背後で囁いている。

 もっと、もっと。役目を果たしてよと。

 だから私は止まる訳にはいかない。

 

「馬鹿馬鹿しい答えですね……」

 

 だっていうのに、少女は呆れた表情を作った。本当に呆れた表情を。

 

「アンタのことは知ってますよ、火雨玉。一族を滅ぼされて、お兄さんを殺されたそうですね。その復讐のために、早島の神になったのも。その体は子孫のものですか? 子孫の体に乗り移ってまで生き伸びるだなんて、そうまでしないと、早島は守れないんですか?」

「……よく調べてあるな」

「長い時間をかけたんです。……それでね、私、思うんですよ」

 

 黒い魔法少女は、冷たく目を細めた。

 

「そうまでして神に守られないといけない早島ってのは、クソだなって。そんな町、滅びれば良いんです」

 

 そうして彼女はそう、さも当然のように、断言した。

 

「――ッ、何を」

 

 馬鹿なことを。

 私はそうやって反論しかけた。しかし声が出なかった。それは私も心の何処かで、思っていたからかもしれない。

 

 神様なんて嫌だ。

 助けて欲しい。

 この町は歪んでいる。

 

 犠牲が増えるくらいなら、今すぐにでも全部、なかったことにしてしまいたい――

 

「すべてを終わりにするんです。そのために私はここに居るんです」

 

 魔法少女は仮面を外し、地面に放った。途端、吹き荒れる魔力。格が違う。この私が圧されている。傷がみるみる内に再生し、五体満足の状態になった彼女は、今度はハルバードに力を与え始めた。

 

「――最早私が守りたかった小さな世界は消えました。兄さんが愛した早島。特別だと認めてもらいたかったのは、兄さんに勝ちたいだけじゃない。私は私の手で、大好きな人達や、今を生きる世界を、精一杯守れるという証明が欲しかったのです。そしてその世界が、幼い私にとって早島だった。そこに住まう病原菌を、どうして放置など出来ましょうか」

「――――」

「私は兄さんが愛した故郷が、大好きです」

 

 ハルバードの周りに、赤い黒いオーラの渦ができ始めていた。

 あれに直撃したら不味い。

 

「散開!!」

 

 すぐ様、魔女を散り散りにさせて逃げた。

 カアッ!! と、その直後、私がいた場所目掛け、赤いオーラが一直線に収束されて、まるで竜巻のように、螺旋状に魔力が打ち出された。

 一瞬、視界が紅く染まった。

 次に目を瞬かせると、空に穴が空いていた。

 大きな大きな穴が。

 

 ……空間に直接ダメージが入っているだと?

 

 にわかには信じられない光景だった。

 この結界は特別で、主である魔女達は、一匹につき五十人も人間の死体を食べている。

 魔女が強力な分、空間自体も頑丈なのだ。神である私でも苦労するくらい。だが目の前の奴は、それに届く力を見せている。

 

「ちっ――」

 

 舌打ちを一つして、私は魔女に音波で攻撃するよう命令した。

 更に、彼女の周り、三百六十度の空間から、無数の糸を出して串刺しにしようとする。

 

 でも奴の姿が消えた。

 また空間転移?

 違う。高速移動。しかもこちらに飛び上がり、空中に足場があるように駆け上がってきている。

 

「もらいますよ」

 

 魔女の支配権が奪われた。

 私が乗っている旧車の魔女が暴れ出す。振り落とされた。そこに他の魔女が殺到する。

 

「鬱陶しい」

 

 だが私は冷静だ。糸を虚空から何十も伸ばす。素早く動き、その勢いで魔女が細かく切り裂かれて消滅した。

 その糸を一つに束ねる。出来上がったのは大鉈だ。元々私の相棒は、糸を集めて出来たものなのである。

 

「……!」

 

 空中で姿勢を直し、停止すれば、一直線に魔法少女がハルバードを突き出して突進してきた。鉈で防御する。高い金属音が響き渡る。重い。だがそれだけだ。

 私は大鉈を振るう。魔法少女が弾かれる。その側には旧車の魔女。魔法少女は旧車の魔女に乗ろうとした。その前に空中を歩き、魔女に近づいて両断した。

 

「!?」

 

 見えなかったらしく、魔法少女が驚いた顔をした。容赦せず、続けて鉈を振るう私。咄嗟に防御したものの、魔法少女はその勢いで地面に叩き付きられた。遥か上空から。しかもその地上で待っているものは何だろうか?

 旧車の魔女は死んだのに、結界は消えていない。

 そう。答えは別の魔女だ。

 

「ひっ!」

 

 地中から現れたのはイソギンチャクのような触手である。地震にも二発で耐えられるようなすごい奴だ。一瞬にして魔法少女を捕縛した。そして、私は隠し球を投入する。

 

「出ておいで、私の可愛い妹達?」

 

 すると次々と。

 次々と、空間が捻じ曲がり、別の場所で飼っていた早島の魔女達が姿を現す。

 召喚魔法だ。全員、広実一族が魔女化した姿だ。

 愛おしくも愛らしい、私の妹達である。

 

「簡単に行くと思うなよ?」

 

 私は低い声で言った。

 容赦はしない。

 

「“蹂躙せよ”」

 

 そのワードで、魔女が一斉に魔法少女に襲いかかった。

 普通ならばなす術はないだろう。だがここで魔法少女のハルバードが“発光”した。

 光り輝いたのだ。

 

 ――それは聖なる、魔女特攻の光だった。

 

 離れているので視界が焼かれることはなかったが、それでもイソギンチャクの触手は直に浴びて、消滅していた。妹達も一瞬、硬直したどころか、攻撃を跳ね返されていた。その隙をついて魔法少女は高速移動で逃げた。魔女の群れから遠くへ。

 

 その際中、ふと空を見上げ、私と目が合った。

 

「堕ちろ!!」

 

 刹那、上からすざまじい速度で何かに叩きつけられる感覚がした。

 否、これは下に引っ張られている。

 重力か?

 

「……」

 

 私はそのまま落下した。

 魔女の群れの中心へと。

 

 魔法少女がハルバードを指揮棒のように振るう。これだけの数の支配権を奪うのは流石に無理らしい。だが別の魔法なら?

 

「認識反転、攻撃対象変更。火雨玉を殺せ」

 

 魔女の群れから、一際大きな個体が飛び出す。幻覚で操られているのか。……まあ良い。

 

「お前達を失いたくはなかったんだがな」

 

 背に腹は変えられない。私はすぐ様立ち上がり(正直ダメージは皆無である)、鉈を振るった。

 一撃で魔女が沈んだ。後ろから来ているやつも、右から来ているやつも、斜め前から来ているやつも、まとめて十体薙ぎ払った。

 その合間を縫うように魔法少女が突貫する。

 

「アアアアアアアアアアアアアアア!!」

「……ふん」

 

 私は攻撃を軽く弾いた。

 ハルバードがまた唸りをあげて襲いかかる。

 右、左、斜め上、下から。

 何処までも泥臭い、凡人が限界まで鍛えて初めて、到達出来るような素晴らしい技量だった。

 だが、私には届かない。戦闘経験が違い過ぎるのだ。

 

「ッ!」

 

 しかし乱戦に持ち込むことでカバーしている。

 再び魔女が横から火を吹いた。邪魔だ。避ける。そこを魔法少女が狙う。弾く。魔女を片付けるべく、糸を発射する。まとめて二十匹が死ぬ。その血飛沫を目眩しに、魔法少女が突きを放つ。再び、高い金属音が鳴り響いた。

 

「……どうしてそこまでする。魔力は付きかけ、体力は底を尽きているはずだろう」

 

 私は四度目の質問をした。

 少女は一瞬悩んでいるようだった。だが、

 

「言ったはずだよ。すべてを終わらせるためだと」

「……」

「私の願いは、“お前を超える存在”、“特別になることだ”!!」

 

 瞬間、目も眩まん光が瞬いた。

 これは先ほどの聖なる光――

 勿論、こんなので死ぬ私じゃない。すぐに勘で、魔法少女のハルバードを押し除け、その両腕ごと一秒で断ち切った。

 

 だが、ぬ――と、何かが光の中から無数に伸びた。

 全身が粟立つような鳥肌がたった。

 戻った視界に映るそれは、クリスタルで出来た人間の手腕。しかも少女の背中から飛び出ている。

 

 ――こいつ、体内で魔女を飼って……!?

 

 逃れられない。魔法少女の膨大な魔力は、多分この魔女の魔力だ。

 しかもこの感じだと、相当強力な――

 

「さあ、これで終わりです。ジゲンノトビラ――」

「ッ!!」

 

 咄嗟に糸を発射する。狙いは衣装の裾についたソウルジェム。本体を狙えば一発で死ぬ。

 

「くっ――」

 

 だが魔法少女もまた、腕から血を吹き出し、苦痛に声を漏らすも、身を捩った。僅かでも逃げられるよう、身を捩った。果たして揉み合いのような形なったせいか、糸は右足太ももを直撃した。

 

「――ヘイモン!!」

 

 その痛みを乗り切って、魔法少女が叫ぶ。

 魔法陣が広がり、私はその赤い光に飲み込まれた。



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遠い未来の昔話 後編

一万五千文字です。結構短くおさまった。


 紅く染まる世界で、私は黒い魔法少女の“記憶”を見ていた。

 

 発射した糸は、ただの糸ではなかったのだ。

 魂に接続し、直接内側から侵食する魔法の糸。

 それを利用し、彼女の正体、弱点を解析しようとした。

 

 別に自分が殺されるとか、微塵も考えてなかった。

 私は黒い魔法少女との力の差をはっきりと自覚していた。

 あの魔法少女は私を倒すこと絶対に出来ない。彼女がある程度戦えていたのは、体内に飼っていた魔女の力だろう。

 

 ならば、奴はどうしてわざわざ近づいてきたのか。

 遠距離からひたすら攻撃すれば良いものを。そっちの方がまだ勝算はあるのに。

 つまり近づいたこと、そのものに狙いがあるのだ。

 

 きっとあの魔法少女は気付いていた。

 放った魔女は“すべて体力を削ぎ落とすための囮に過ぎないとうことを”。戦っている時、“観察に徹していたことを”。バレないように“遅効性の毒ガスを散布していたことを”。

 最初、徹底的にやったのに倒れなかったのだ。なので方針を変更し、じわじわ弱らせる作戦に出た。

 それにどっちみち捕らえて解剖するつもりだったから、もし逃げても対処出来るよう、データが欲しかった。

 

 だが……それはそれで私の隙でもあっただろう。

 

 あの黒い魔法少女は、私の行動パターンを知り尽くしていた。

 知り尽くした上で、彼女は接近戦をしかけ、魔女の力を私に使った。

 魔女の力は極めて近距離でしか効果がないのだろう。

 

 こうなったら、内側から侵食して魔女を殺すか、その力を解析して逃げるしかない。大抵のことは出来るため、情報さえ分かれば対処できるはずだ。

 

 という訳で、私は魔法少女の中を調べていく――するとまず最初に見えたのは、彼女が契約した時の記憶。

 

 名前は菊名夏音というらしい。早島に生まれ、そして入理乃の願いによって牛木草に引っ越した普通の少女。

 だが、夏音は鬱屈とした感情を幼い頃から抱いていた。

 それはありふれた話だ。優秀な兄を慕いながらも嫉妬するという、典型的なコンプレックス。

 

 いつしか、それは刷り込みのように夏音の心を蝕む。

 特別でなければ誰にも愛されない。けれど平凡だから、猿真似のように他人の模倣しか出来ない。

 アニメや漫画の影響で、圧倒的な力があれば、皆認めてくれるかもしれないと、ありもしない妄想を夢見た。

 

 気が付けば夏音は自分のコンプレックスに追い詰められていた。そんな時に、キュゥべえが現れたのだ。

 

「君の望みを何でも一つ叶えてあげる。さあ、君の願いを言ってご覧」

 

 夏音は驚きつつも、だが、追い詰められていたが故に、深く考えることが出来なかった。夢ならどうせ言っても構わないと、そう思って、中二病も発症していたために、咄嗟にポツリと呟いたのだ。

 

「じゃあ、特別な存在になりたいです。……誰よりも、何よりも特別な……大きな力が欲しいです」

「ふむ……つまりは、神様のような存在ってことかい?」

「神様?」

「過去にそう願った子がいたんだよ」

「……じゃあその子を超えるような存在になりたいです」

 

 夏音としては適当な言葉だっただろう。

 だが、次には魔法少女になってしまった。

 後悔して、縄張り争いに敗れて、逃げて逃げて。でも、牛木草の大きなグループに入れてもらい、それなりに仲間も出来て楽しい日々を送れるようになった。

 

 だがそこに“私”が現れる。

 “私”は今ここにいる私と同じように、牛木草に不幸を齎していたようで、牛木草では泥沼の殺し合いが繰り広げられていたようだ。その元凶に気づいた魔法少女グループは“私”を捕縛しようとしたらしい。

 そのせいで大きな争いが起こり、半数近くが“私”によって殺害された。

 “私”のことを調べるうちに、夏音は兄が人形だということにも気づいた。

 

「どうしてこんなことに?」

 

 ただ兄は、妹と一緒に過ごした思い出の故郷を守ろうとしていただけなのに。

 この時、ようやく彼女はそのことに気が付いた。

 夏音にとっても、早島は特別な場所だった。

 その頃は、まだ親も家にいることが多くて、家族の時間が作れたから。兄と色んなところに行って、楽しい時間を過ごせたから。

 

 彼女は思い出したのだ。

 自分にとっての本当の幸せとは、そんな当たり前の日常だったのだと。

 

 だから、夏音は兄と故郷を穢した玉という存在に怒りを覚えた。

 仲間も殺されたから、尚更だ。

 

 “私”にやられた魔法少女は、その憎しみから一つの集合体として魔女化し、唯一生き残った夏音に憑依した。夏音はそれを受け入れた。彼女の願いのおかげか、はたまた魔女化した魔法少女が夏音を思いやったのか、夏音はこの憑依に耐えてみせた。

 

 魔女の情報を元に、上書きの魔法を使い、仲間の能力を獲得していく。

 空間転移、重力操作、支配――

 それらの魔法を使い、とある一つの力を知った。

 

 時間遡行だ。

 

 ――そう。

 夏音はこの時間軸の人間じゃない。時間遡行の魔法をコピーし、劣化したその力をもって過去へ何度も飛んだ、タイムトラベラー。そうやって“私”がやってきたことや、“私”の弱点を色んな角度で調べ尽くしたのだ。

 

 そして、その過程の中、何度も人形の兄や、早島が狂っている様を見せつけられて。

 きっと過去を変えようとしたのだろうが、それも叶わなかった。

 実に二年という歳月で、故郷への執着と妄執が熟成されていった。

 

 そんな彼女はとある計画を立てる。

 

 それは――

 

「そこまで、……です!!」

 

 その瞬間、パタン、と音がした。

 気が付けば目の前に、満身創痍の夏音がいた。記憶の閲覧がストップされている。

 ……こりゃ抵抗されたな。

 夏音の背後には魔女がおり、その魔女が消滅しかけるほど全力で夏音を守っているのだ。

 

「……」

 

 だが今の私には雑魚にしか見えなかった。

 記憶の閲覧は、その魂を、存在を、グチャグチャにかき混ぜること。

 夏音だってただじゃ済まないはずだし、彼女を基盤に存在する魔女は更に弱体化しているだろう。

 

 でも。

 何だ、この継続している違和感は。

 肌が粟立つような焦燥は。

 

 ……こいつらは、何のために、私に“あの魔法”を使った?

 

「情報を見た今なら分かるぞ。コピーした魔法は少なからず変質するんだろう。時間遡行の魔法が、時間移動の魔法になったように」

 

 夏音が私に使った魔法は、まさしくその時間移動――物体を未来に送る魔法だ。

 多分、駄目元だろうが、それで厄災が起きた後の時間まで、私を転移させようとしているのだろう。

 すべては早島を滅ぼすために。

 

「それとも、私を足止めして、何か罠を作動させるつもりだったのか? このタイミングで記憶の閲覧を止めにかかったのは、そういう魂胆だからか? 菊名夏音」

 

 しかし、夏音は最初に出会った時のように、しばらく何も答えないでいた。

 否、答える余裕がないといった感じだ。

 そもそも戦闘の影響で全身傷だらけだし、実際に荒い呼吸を繰り返して、ケフッっと血を吐いた。

 

「ふふ……さあ、どっちでしょうね」

 

 それでも笑っていたから、私は気付いた。

 ソウルジェムが黒く染まり始めている。

 魔女化も想定内ということなのだろう。やはり数秒でも良いから、ここで私を足止めするつもりなのだ。この空間の中では、短い時間であったとしても、外では長い時間が経過する。

 

「――――」

 

 私は人の感情を見抜くのが得意だが、それを抜きにしても、夏音の考えが手に取るように分かった。

 きっと、こいつの一部は、昔の私と同じなのだ。

 最初の頃の私。

 

 平凡で、ささやかな幸せが何よりも大事で。

 それなのに、私のように慕っていた兄を殺され、仲間も奪われた。

 

 すべてを失って、地べた這いずり回りながら、時に悪をなしたこともあっただろう。

 こいつの上書きした膨大な数の魔法は、仲間の能力だけじゃない。

 何でもかんでもコピー出来るのではなく、その獲得条件は能力の持ち主の“死”を確認すること。持ち主の情報を知っていること。つまりこいつは数多くの魔法少女を見殺しにしてきた。

 復讐のためだけに。

 

 ……いや? 

 それだけじゃないはずだ。

 

 そう。

 こいつは求められたから見殺しにした。

 仲間に求められ、“私”に苦しめられた人々に求められ、彼らが復讐を望むが故に、力を得る必要が出来て魔法少女を殺した。

 

 夏音も復讐鬼だが、それは本質ではないだろう。

 彼女は根っこの部分で空っぽだ。

 自分を認められないから、特別になりたいと思う。

 特別になれば、すべてを取り戻せると思っている。

 

 しかしそれは純粋な願いからではなく、兄や仲間を取り戻したら、特別な自分を必要としてくれるかもしれない、という歪な願いからくるもの。

 こいつが考える特別は、人の役に立って、人の願いを叶える存在。

 そうやって、愛されたい。それでしか自分を認められないのだ。

 

 こいつは恐怖も、不安も、全て無視して、人の願いに自分を捧げようとしている。

 無意識かもしれないが、その在り方はまるで私とそっくりだ。

 

「小娘如きが、可哀想なものだな」

 

 私は憐憫を持って、本気でそう言った。

 だが夏音は、何言ってんだこいつって顔をした。

 そりゃそうか。私が元凶だもんな。

 

 私のせいで、人生が壊れたんだもんな。

 

「クク……アハハハハハハハハ……」

 

 私はある意味で、かつての領主の弟と一緒だったって訳だ。

 理不尽にすべてを奪った。

 暴力的かつ一方的に。

 

 それは初めから気付いていただろう? 今更だ。

 

「夏音」

 

 私は彼女に呼びかけた。既に魔法の解析は完了し、外部を探るための糸は現実世界へ伸びている。

 そこで夏音のやりたいことは分かった。

 歴史を知っていれば可能なはずだ。後普通に使い魔を使って、重要な魔法陣が百個もぶっ壊されていた。

 その魔法陣がなければ、五十年貯めたエネルギーは使えなくなるのだ。

 かなり痛手だ。

 

「大したものだな。後にも先にも、ここまで私を追い詰めたのはお前が初めてだ。もしかしたら、私と同じ時代に生まれていたら、神になれていたかもしれない」

「……何ですって?」

「この時ばかりは、敬服を持ってお前を認めよう。お前の覚悟と信念は素晴らしい。お前はある意味で私を滅ぼす存在だよ」

 

 夏音はその賞賛に、しばしば目を見開いていた。

 そして、

 

「ふん、紛い物とは言え、神にそこまで言われちゃ、私の願いも無駄ではなかったんですね」

 

 その言葉の意味も理解せずに、仲間の魔女も飲み込んで、ソウルジェムを黒く黒く染め上げた。

 

 新たな怪物がこの世に生まれる。

 それは不定形な霧の化け物。

 ただ中心には仮面があって、その下に紅い目玉が隠されている。

 

 空っぽなために、何も姿を持たない悲しい魔女。

 

 名付けるならば無貌の魔女といったところか。

 性質は猿真似。特別になりたくて、誰かの真似を演じ続ける、無名のプリマドンナ。

 

「――繪囘えーswメーえーフォmrm!!」

 

 奇声を上げて魔女は私に襲いかかった。

 私はそれに対して、ただ、手を挙げた。

 

「“氷結せよ”」

 

 その瞬間、魔女の体を構成する霧が凍った。こいつには斬撃は効かないが、こういった攻撃ならば効くのだろう。

 そして固形化したものなら、大鉈で崩せる。

 

 私は一撃で、魔女を仕留めた。

 夏音の強固な意思とは反対の結果だった。

 しかし――その後で出てきたグリーフシードは別だ。

 私にはそれは、大量の因果が詰まっているものに見えた。

 

「……」

 

 それを無言で拾い上げ、この空間から脱出を図る。

 

 この出来事は、私にとって一つの大きな不幸であり、幸運だった。

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 脱出すると、私はすぐに結を探した。

 結がこの近くにいる気配がしたからだ。

 当然、彼女も私を探していたようで、こちらを見るなり、嬉しそうに駆け寄ってくる。

 

「ああ、順那!! 良かった、良かった!! 無事だったんだね!」

「お姉ちゃん……」

 

 私は涙が出そうなふりをして、結を歓迎した。

 結は感極まるように、顔をくしゃりとさせた。

 

「今までどこ行ってんだ! 心配したんだぞ!」

「ごめんね。悪いことをして。……ところで私がいなくなって、どれくらい経ってたの?」

「数ヶ月だよ!! もう大騒ぎでさ」

「そう……じゃあ、やれるな」

「?」

 

 結が首を傾げた途端、私は指を鳴らした。

 早島、牛木草全体に暗示をかけたのだ。

 私が行方不明になっていた事実をなくせと。

 

 その影響か、結は数秒黙ったが、次にはキョトンとした顔で私を見ていた。

 

「あれ……? 順那?」

「お姉ちゃん、偶然だね。久しぶり」

「ああ、久しぶり……いや、久しぶりだけど……でも……」

 

 私が暗示をかけた直後だからか、混乱している。

 私はぷくっと頬を膨らませた。

 

「もう、どうしたの? しっかりしてよ」

「……、そうだね。ごめん」

 

 結は曖昧な顔で私の頭を撫でてくれた。

 

「それでお姉ちゃん。今、ミズハの方はどうなってるの?」

 

 声に強制的な暗示の魔力を乗せる。

 紅い空間にいた時、外界に伸ばした糸で得た情報を確かめなければならなかったのだ。

 

 すると、結は教えてくれた。

 

「変わらないよ。まだ部屋から出てこなくて」

 

 ビンゴ。

 やっぱり、そうだった。

 ミズハは引きこもっていた。

 

 まあ、いじめをやったからって引きこもるのは、若干自分勝手なような気もするが。私が行方不明の間も部屋から出なかったのだろうか。

 出てはいただろうな。

 もう魔法少女になっているはずだろうし。

 

 ……そうだ。

 ミズハは魔法少女になっていた。

 

 私が阻止する機会を、夏音は摘み取ったのだ。

 しかもミズハは牛木草じゃなくて早島で活動しているようで、彼女は入理乃達とも関わりを持っている。実に面倒な事態だ。

 今はいない夏音に、嘲笑われているような気がした。

 

「……」

 

 とは言え、今はそんなことをしている暇はない。

 一刻も早く魔法陣をどうにかしなければならない。

 魔法陣を土地に刻んでいる以上、二度も同じものを上書きなんて出来ないんだから。

 

 だが……私はミズハを無視することが出来なかった。

 大事な妹なのである。

 せめてミズハと話しをしなければならない。

 

「教えてくれて、心配もしてくれてありがとうね、……結」

 

 そうお礼を言って、私は結に三度の暗示。

 ここで会ったことを忘れさせる。これから牛木草に行くから、追いかけられても困るのだ。

 

 そうして、私はミズハの元に向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 念の為、私はミズハの学校のことも調べて来た。

 ミズハのクラス。

 そこでは一人の男子生徒が、大勢からいじめられているらしい。

 とてもひどいいじめだ。でもありふれていた。

 

 こんなもの、別に珍しくもなんともないのだ。

 何なら私のクラスでも起こっている

 

 ……まあ、男子生徒にとっては地獄だろうが。クラスメイトも良くなさそうだし、ミズハをここに戻そうとは思えなかった。

 

 正直な話、学校には行きたい奴だけ行けば良いだけに。

 

 と、そんなことを考えている内に、ミズハの家に着いていた。

 鍵がかかっていたようだが、魔法を使って開錠し、中に入った。ミズハの親はびっくりしていたが、暗示で黙らせた。

 さて……そうやってミズハの部屋の前である。

 

 ……ここからどう話せば良い?

 一応、ノックだけはやってみる。

 

「……ミズハ」

「!? 順那!?」

 

 すると、すぐに反応があった。

 部屋のドアが開き、勢いよくミズハが出てくる。

 

「順那、どうしてここに!? なんでこんな所に来てるの!?」

「……」

 

 その質問に私は黙っていた。

 言葉が出てこない。

 ここで暗示をかけても良いが、そうやって心を救っても、本当の意味救ったとは言えない。

 だから思案するように一回目を閉じて……そして、

 

「ミズハ、君の事情は調べさせてもらった。何で引きこもっているかも、何で魔法少女になったかも。その上で、君と話しをしたいと思ってここまで来た。それじゃ駄目か?」

「……? 順那……?」

 

 普段と雰囲気が違うせいか、ミズハが困惑している。

 それに何で魔法少女まで知ってるんだって顔だ。

 そりゃそうだろう。ここにいるのは以前までの私じゃない。でもそれで良い。私は仮面の一部を外して対話をしている。

 本当の心を曝け出すのは怖いけど、しかしこの際、本当の私で話をしたいと思った。たとえ嫌われてでも。

 

「ミズハ」

「アンタ……偽物じゃないのよね?」

 

 ミズハが絶句してしまっている。

 私は何故だか笑ってしまった。

 

「私が偽物に見えるか?」

「いや、何処からどう見てもアンタにしか見えないけど……」

「でも、それにしてはあまりにも……ということだろう? そうだよな。私は生まれながらにしてこうなんだ。お前達と話していた時は、演技をしていたに過ぎない。だってこの私は不気味すぎて気持ち悪いから」

「……」

「別に騙そうとしたわけじゃない。それは誓って本当だ。嘘は言っていない」

 

 そう言えば、ミズハは混乱しつつも、受け入れるように、「そうなのね」と呟いた。

 

「とにかく入って。話はそれからだよ」

 

 ミズハは中に入れてくれた。それはそのまま、彼女の心の中の入り込んでいるに等しかった。

 

 向き合って、座る。

 久しぶりに会った妹は、少しやつれて見えた。

 私を探した影響だろうから、可哀想だった。

 

「それでミズハ、まずは……」

「待って。その前にまずはアンタからでしょ。突然やってきて、突然演技をしてたとか言われても意味分かんない。そのことはちゃんと話してよ」

「最もな話だな。実は私はね――」

 

 それから、誤魔化しを多く含めつつも、私は真実を手短にしゃべった。

 私は生まれながらに記憶があること。

 それはおかしいことだから、皆に嫌われたかったこと。

 でも、赤ん坊の時に見た結とミズハは別だということ。

 幼い頃からキュゥべえと知り合いだということ。

 わざとミズハをこの牛木草に行くよう誘導したこと。

 

 今まで人を殺すより、よっぽど至難で、言葉を発する度に心が悲鳴を上げたが、私はそれでもすべてを話した。

 

「な――」

 

 当然、ミズハはその話を最後まで聞いていて、声を失っていた。

 当たり前だ。信じられるものではない。

 特に、牛木草に引っ越すように誘導したことには、怒り狂っていた。

 

「何で! どうしてそんなことをしたの! 私達と一緒にいたいって思ったのは嘘だったってこと!?」

「そうじゃない。しかし、あのまま一族に関わらせたくはなかった。ユミハのことは応援してたしな」

「何故姉さんを応援する必要があるの!! 彼女は裏切り者じゃない!!」

「本当に裏切りものなのか?」

 

 私にはそうは思えなかったが。

 ただ幸せのために、自分の道を選んだだけだろう。

 むしろ、それだけのことで騒ぎ立てる一族の方がおかしいのだ。

 

「あの一族は我ながら、個を押しつぶし、未来を奪うロクでなし共ばかりだった。結婚なんて、本来ならば祝福されるべきことだし、お前だってあんなところにいたら食いつぶされる。それが姉妹として嫌だったのだ」

「何で!! そんなの、私達の当然の運命じゃない。一族に生まれたからには責務だわ」

「それは歪んだ考えだよ。もし結がそれで苦しんだら、どうするんだ?」

「……っ」

 

 流石に同じことは言えないらしい。ミズハは顔を顰めた。

 

「でも、いじめをしてしまった。姉さんのせいで、こんなところに来なければ……」

「結果論だろ。姉のせいにするな」

「……順那、もしかしてさっきから私を責めてる?」

「責めていないよ。それで魔法少女にまでなったんだ。相当辛かたっんだって分かるよ」

 

 もしお前のように、記憶を無くして、ただの少女として転生したら、私も泣いていると思う。

 

「でもだからこそ言うが、さっきのようにここに来たという言い訳で、いじめをした現実から逃げては行けないと思う。誰のせいでもなく、いじめに乗ったのはお前が――」

「だったら、何でこっちに来て惨めな思いをしなきゃ行けなかったのよ」

 

 瞬間、ミズハは私に詰め寄った。

 

「友達もいなくなって、一から人間関係作るためにへこへこして。乗るしかないじゃないの、じゃなきゃ私がいじめられるじゃないの! どうすれば良かったっていうのよ! こっちに来たせいじゃない!」

「落ち着け。別にそれはこっちに来たからとか、そういう関係の話じゃないだろ。早島にいたって同じことが起きたかもしれない。高校に行けば人間関係はリセットされる。その時、いじめに加担した場合、お前にも責任が――」

「私が全部悪いっていうの? 竹林が私を好きだからって、私もいじめに参加しろって言われて、どんな気持ちだったかアンタには分かんないわよ!!」

 

 ミズハはその後もしっちゃかめっちゃかに吠える。

 

 こりゃ駄目だ。

 全然聞く耳を持たない。元々、こいつの性格自体そこまで良いものじゃないし、そもそも私だって、本質的には現代で言うところのコミュ障なのだ。人を利用する話術はあっても、人に寄り添うコミュニケーションが出来ない。

 

「ミズハ!!」

 

 私は叫んだ。びくりとミズハが硬直した。

 

「良いか、ミズハ。私はお前には同情している、いいや、すまないと思っている。私の都合で振り回した。それは謝ろう」

「……順那」

「だが、それを棚に上げて言うが、いじめを自分のせいではないと、自分の姉さんに押し付けるのは良くない。それはお前が背負うべき荷物だ」

 

 もしあの男子生徒に引け目を感じると言うのなら、その時は助けてあげよう。

 自身を責めて苦しむというのなら、その苦しみが癒えるまで側にいよう。

 

 でもお前は何故、姉が悪いと言い訳をした。

 まるで自分の方こそ被害者なのだと言わんばかりだ。

 

 だがお前は被害者である前に加害者だ。

 忘れてはいけない。罪を、忘れては行けない。

 

「そうしなければ報いが来てしまうぞ。それでも良いのか?」

「……何よ、それ。私のこと、やっぱり責めに来てるじゃない」

 

 ミズハが私のことを睨みつけてくる。

 

「元を辿れば、アンタが原因のくせに、偉そうなこと言わないでよ。姉さんの前に、アンタのせいでいじめをしちゃったようなものなのに。何で勝手な真似をしたの」

 

 ……。

 

 ……そう言われて。

 私の中で、何かがピクンと揺れ動いた。続くミズハの言葉は決定的だった。

 

「アンタが余計なことをしなければ、私は今でも一族の皆と笑い合えたのよ。神様に身を捧げて、幸せになれたの。アンタの思いはありがた迷惑。自分の感情を押し付けないで」

「……押し付ける?」

 

 私が? ミズハに?

 けど私はただ、お前の幸せを願って、それで……。

 それで…………。

 

「フ……フフ……」

 

 感情が乱れているくせに、笑えてくる。

 ああ。私の気持ちは、お前にとっては邪魔にしかならないのか。

 私の言葉は届かないのか。自分を曝け出しても尚、お前は私を理解してくれないのか。

 

 ……それでも良い。

 元より私は嫌われ者。

 お前のためなら、何だって出来る。だから、

 

「神様に身を捧げるとか、言うなよ……私はそうして欲しくはないんだ……お前のことを利用したくはない」

「何で利用するとかの話になんのさ。私を利用して良いのは、神様方だけでしょう?」

「いや違う。お前はお前だけのものだ。誰のものでもない」

「それこそ違うよ? 神様がそう決めたから、一族皆そうなんだよ」

 

 私も、結も、順那も。

 

 そう笑った顔は、あまりに無垢な笑顔であった。

 今度は私の方が絶句する番だった。いくら呪いの効果とはいえ……ここまで酷いと手の付けようがない。私の心を折るには充分だった。

 

「どうして」

 

 どうして、ここまで言ってもお前を一族から切り離せないんだ。

 救いすらも拒絶して。これじゃあ誰の言葉も耳に入らない。

 

 それにいじめに対して、何もせずにいるのも腹立たしい。

 

「ミズハ」

 

 私は幽霊のように立ち上がった。

 ミズハの顔色が変わる。

 

「どうしても、考えは変えられないのか?」

「そりゃそうだよ。生まれながらに教えられたことだもん! 広実一族として、私は神様に自分の存在を捧げるつもり」

「それで不幸せに感じないか?」

「ただで死ぬよりマシだよ。この命を少しでも早島のために使ってくれたら嬉しい。そうすれば痕跡は残るってことだよね」

 

 私は息を吸いて、吐いて……それから在らん限りの罵声を浴びせた。

 何でそんなことをしたのか分からない。

 だが私は感情の赴くまま、怒声を撒き散らし、唾を飛ばし、時にはミズハに殴りかかった。

 でもミズハは変わらなかった。変わらず、いじめを私や姉のせいにしながら、一族の宿命に殉じると言って見せた。

 

 私は悟ってしまった。

 こいつは何があっても救われない。

 

「救われないなら……もう仲良く出来ないよ」

 

 そんなもの私にとって残酷過ぎる。

 

「さよなら、ミズハ」

「え?」

 

 ミズハはびっくりしていたが、私は容赦なく暗示をかける。

 先ほどの記憶を曖昧に改竄させた。

 背を向けてくるりと歩き出す。

 

 私は部屋から出て、そのまま外に出るのだった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 無貌の魔女のグリーフシードを見ながら思う。

 

 計画に修正を加えよう。

 如何なる犠牲を払うことも厭わない。

 私は妹も何も救えないから。救えないことが分かったから、もう早島以外、何もかもがどうでも良い。だから、この土地だけは守ってみせる。

 

 どんなことをしても。

 

 まずは……そうだな。あの男子生徒、竹林を自殺させよう。

 そしてミズハを魔女化させる。

 結は芋蔓式で魔法少女になるだろう。入理乃とサチとも、縄張り争いを起こさせる。

 それは土地の奪い合いに発展すると想定。

 かつての戦争の再現になり得る。その映像を早と島に見せつけ、誤認を与えれば、彼女達の力は増すどころか活性化する。

 余った力を魔法陣の再生に当て、補強の魔法陣は空に描き出す。

 

 これしかない。

 

 私は迅速に行動を開始した。

 さっき言ったことを、ほぼ完璧にこなした。

 

 ミズハが絶望して、結が壊れた。

 その様を見て、私も泣いた。

 争いが始まった。見守りつつ、状況をコントロール。

 数ヶ月で充分なエネルギーを回収出来た。

 その頃になると、入理乃達が結を追い詰め始めた。

 

 結が逃げる。

 

 それを見守っていると、何故かだが戯れを起こしたい衝動に駆られた。

 どうしてそんなことを思ったんだろう。

 ただ面白そうだと思ったんだ。

 ミズハに会わせたらどんな顔をするんだろうって。せめて頑張ったご褒美に、ね?

 

「キュゥべえ」

 

 私は小動物の名を呼ぶ。

 彼は何処からともなく現れて言った。

 

「契約だね?」

「そう。今から心の中で思う三つの魔法を私にくれ」

「何のために?」

「ミズハのためだ」

 

 しかしそうは言いつつも、いくら戯れのためとはいえ、本当は計画のためだった。

 私のすべてはそう、この早島のためだけに。

 そのための実験としてミズハを使うだけ。

 気まぐれに。何の躊躇もなく、私は魔法少女の契約を結ぶ。

 

「フフ……アハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 

 そうして、私は新しい姿に生まれ変わる。

 衣装はゴスロリ服。

 可愛くて、かっこよくて、なんて素敵な衣装なの。

 

「アハハハハハハハハ!! ねえ、見て! 見てみてミズハ!! こんなに可愛くなったぞ、私は!!」

 

 夜を一人、くるくるとダンスを踊りながら、天に手を伸ばす。

 その手は何も掴めやしない。何も。

 ただその手は見えない糸で何かを作り出している。

 

 一つ目の魔法。

 擬似人格の再現。私自身の自我を切りとり、自分の中に姿を落とす。

 

 二つ目の魔法。

 肉体の生成。その擬似人格に形を与える。

 

 三つ目の魔法。

 能力の付与。これにより、擬似人格を使い魔として確立させる。

 

 こうして目の前には、私そっくりの肉人形が生み出された。

 でもその中身は、ミズハのもので、結果的にミズハは生き返ったように思える。

 

「だけど、あんまり出来が良くないな、私。まあ好きなところに行くと良い、“私”。結に会いたいだろう」

 

 すると目の前の肉人形はこくんと頷いて、夜の中を走っていった。

 きっと結に何かするつもりなのだろう。

 それで良い。魔女化せずある程度絶望してくれたら、その後の舞台はもっと華やかなことになる。

 

「そうだろう?」

 

 ――夏音。

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 そうして、厄災がやってきた。

 黒く黒く、柱のような慈悲の魔女は、全てを飲み込み始めた。

 

 でも大丈夫。

 私が、“私達”がいるから。

 

 私は魔法でいざという時に、自分自身を増やしていた。その彼女達が、魔法陣を起動させ、早島の人々を守って、結界に誘ってくれた。

 

 ここにいる私は、魔法でこの早島を宇宙に浮かべる。

 狭い狭い箱庭が出来上がった。

 

 きっともうこれで、ここから先は何処へも行けないし、何処からも進めない。

 早島は、ゆっくりと滅びを待つだけの存在になってしまった。

 本当は後何十年も持つ計算だったのに、夏音のせいでそれも出来なくなっちゃった。やっぱり急拵えの魔法陣じゃいけないね。どうあっても消えてしまう運命だ。

 

「夏音。これが狙いだったんだな。この袋小路こそが、お前の真の目的」

 

 こうなることを、最初から夏音は予見していたのだ。

 

 滅びるのなら潔く滅んだ方が良いってのが、彼女の意見だったしね。笑えてくるよね。

 結局こんな結果しか出せなかったのかって。

 妹達を生贄に出したのに。

 

 けれど無意味なんかじゃなかったよ。私達は見つけてしまったんだ。

 

 白く輝く女神様――鹿目まどかを。

 

「ねえ、女神様。私、疲れちゃった」

 

 遠く、遠く、空の向こうにいる女神様に、私は話しかける。

 

「死んだり痛い思いをするのは嫌なの。寂しいのは嫌いなの。どうして私だけこんなに醜いの。どうして私の歌声は汚いの。どうして私は友達もいなくて一人ぼっちなの?」

 

 ずっとずっとこんなところで、ポツンと一人で、永久に生きていく。

 周りを見渡せば、飽和した自我達がいるけれど。それは全部私でしょ。

 

 私が、私で、私が、私を、私を産んで、私が私が私が私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私――!!!!

 

「「「「もう何も……分からないよ」」」」

 

 私達は一斉に呟いて、泣いた。

 訳が分からなかった。

 

 ああ……目を閉じれば、瞼の裏にソウルジェムが見える。

 あれは本当の私の魂。宇宙の裏に縫い付けられた私の本体。

 そこから何か靄が出て、糸の猫になっている。

 

 私は魔女化出来ないけど、それでも穢れは澱んでいるはずだ。その感情の欠片からこぼれ落ちたものが、あの猫だった。私の本質は魔法少女ではなく、この世界を呪う魔女なのかもしれない。

 

「終わりにしたい」

 

 ふと、私の中のうち、誰かが言った。

 続くのは幼い姿の私。

 

「皆に会いたいよ。お兄様、何処?」

「父上に会いたいんですのよ。父上を殺してしまったことを詫びたいの」

「娘を死なせてしまった。娘を抱き抱えるなら何をやっても良い」

 

 明治時代に転生した私が、江戸時代に転生した私が、他にもたくさんの私が、故郷に帰りたいと言った。それを合図に、誰もが私も、私も、と手を挙げた。

 

 そうか、私達の意思は最初から決まっていた。

 もう死にたい。誰かに愛されて、消えてしまいたい。

 妹達を犠牲にしたのに、何も守れなかった。

 何も成せないこんな世界に何の価値がある。

 

 私は一体、いつまでこんなことを繰り返せば良い。

 

「――この早島は歪んでいる。すべてを正さねばならない」

 

 私の存在を全宇宙から消してしまおう。

 そして、始まりの幼いあの夜に戻って、一族の皆と一緒に死ぬんだ。

 その方が良いに決まってる。

 

「……けれど、それで本当に良いの?」

 

 また、誰かがポツリと呟いた。

 これはもしかして……この私自身か?

 

「そうだね」

 

 すると、同意する声が現れ始めた。

 

「そうなっちゃえば、その後に続いた歴史は否定されてしまう」

「私が愛した早島が消えてしまうということ」

「それは嫌だ。それまで紡ぎ上げてきた人々の努力を無視して良い訳がない」

 

 それもまた私の思い。私の愛着心なのだ。

 

 今まで見守ってきた中で、早島を守ろうと思えたのは、そこで生きる人々が一生懸命だったからに他ならない。

 

「じゃあどうすれば良いんだよ。どうすれば私は救われる?」

 

 なので私は聞いた。何か代案があるのかと。

 別の私はすぐに答えてくれた。

 

「任せれば良いんだよ」

「任せる……」

 

 私は手の中のグリーフシードを見つめた。

 まさか……夏音に任せるというのか?

 確かに早島を存続させるためには、ループが必須だが。

 

「ようはアレでしょ。女神様に接触して、この時間軸を向こう側に統合しちゃえば、私の存在は消えてなくなってハッピーエンド。そうしなくても、夏音が代わりの神様になっちゃえば、私達は解放されるんだし、その道が来なくても、夏音は自らの選択肢を選べる」

 

 つまり人に託すか、神に託すか。

 そのルーレットの出目は何処に出るのか、実験しようと、私の中の一定数の私が言っている訳だ。

 それに私は――乗ることにした。

 

 何より面白そうだ。

 

「フフフ、アハハハハハハハハ。良いね、それはグッドアイディアだ」

 

 嬉しくなっちゃって、孤独な世界で、ワルツを踊った。

 

 産声のような笑い声が、空を満たしていった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

「そうしてループは生まれたのさ。夏音のループがね」

 

 長い長い、話が終わった。

 

「……」

 

 すべての話が終わると、目の前の少女は、息を呑んだまま固まっていた。

 何だかさっきからずっと驚きっぱなしだ。勿論、衝撃的な話だろうから、無理もないだろうけど。でも、そんなことを抜きにしても、リアクションが面白い子だ。揶揄いがいある。

 

「どうして……」

 

 やがて少女は――船花サチは、私に聞いた。

 

「どうして、夏音じゃなきゃいけなかったんだ。もっと他にも、適任者はいたはずだろう? それが何でまた……」

「そりゃあ、彼女の願いがまだ終わってなかったからさ」

 

 私は答える。

 

「彼女は私を超える存在となるため、因果を紡ぐ必要があった。私はそれに便乗した。それにこの現状の遠因は彼女だ。夏音に責任を取ってもらってるに過ぎぬ」

「でも、それを抜きにしても残酷過ぎるだろ。大体、見滝原が隣町だなんて認識はどっから来た。この世界の仕組みはどうなっている」

 

 私はフフ……と笑った。

 考えてみれば簡単なことだろう?

 

「そりゃ暗示だ。暗示でそう思い込ませてたのだ」

「暗示……?」

「時間遡行の元の持ち主は、暁美ほむらと言ってな。そいつを殺して、夏音はこの魔法を手に入れたのだ。そこで一つ思った。暁美ほむらの状況を元にすれば、もしかしたら因果が集まりやすくなるのではないかと。結果は見事に大成功。奴を踊らせ、悲劇が起きれば、因果が集まって無貌の魔女も強力なものになっていった。私以外の神が、ここに誕生したのだ」

 

 うっとりとそう言えば、サチは思いっきり引いたような顔をした。

 その反応もまた愛らしい。

 

「……、ていうか、何でそんな話をこの私にしたんだよ。私にされても困るってば、そういうの」

 

 ふと、サチは自分の境遇を思い出してか、そう思いっきり眉を寄せる。

 そうだ。サチは入理乃に拘束され、眠らされている。こうやって会話している世界は夢だ。私が彼女の意識に介入し、今までのことを話して聞かせたのである。

 

 でも、サチにとっては、いまいち私の狙いが分からないらしい。

 私は馬鹿だなあ、なんて冷笑を浮かべて、言う。

 

「単純な話だよ。お前が我が妹の中で一番純粋だった。ようは信じ込みやすいってことだな。私の話を素直に聞いてくれる」

「はあ……なんか嬉しくねえんだけど」

 

 サチは実に微妙な顔である。褒められても特にはならんからな。

 

「んで? その神様は、そんな話をした上で、この船花様に何をして欲しいんだよ。なんか目的があんだろう?」

「ああ……それはね、お前には私の邪魔をして欲しいんだよ」

 

 この私は、人を何よりも信じる私なのだ。

 人を信じるからこそ、サチを解放するし、早島をその手で守って欲しい。

 

「すでに夏音の因果は収束した。この時間軸でループは最後。だからこそ、私は行動に移るし、お前達にはそれに立ち向かってもらいたい。新たな未来を見せて欲しい。この袋小路を滅ぼすか否か。すべてを否定し、何かもを消してしまうのか。――選べ、我が妹よ。お前はこれからどう動く?」

 

 サチはそこで黙考した。

 長い間考え、やがて私を睨みつけて、

 

「お前に負けてたまるかよ。世界が終わるなんて知ったこっちゃねえ」

 

 そんな期待以上の答えを返してくれた。

 

「そうか」

 

 私は満足と共に頷く。ならば迎え討とう。全力で持って、すべてを終わりにするために。

 

「じゃあね、神様。ここから出してくれてありがとよ」

 

 サチはそう言いこ残して、踵を返して去っていった。

 私はそれをいつまでも見送っていた。

 

 いつまでも、妹の背中を……。






好きなもの 早島 妹達

嫌いなもの キュゥべえ

戦国時代から早島を守る存在にして、人々の願いを叶える神。順那の正体。苗字は火雨(ひさめ)。しかし一族を滅ぼされたことによってその名を捨てている。
元々は普通の一族出身だったが、家族を滅ぼされて魔法少女となった。その後、願いのせいで転生を繰り返しながら、早島をずっと一人で守ってきた。
冷酷ではないが冷徹。言動は軽く、人をおちょくったような態度が目立つ一方、その裏に苛烈ながらクレバーな本性を併せ持つ。
根は気弱な普通の子供で、お兄ちゃんっ子。一族の中でも末っ子に近かったので本質的には甘えたがり。だが幼い頃に保護者がいなくなったこと、妹を抱え、血に塗れた人生を生き抜いたことが合わさり、無理やり大人にならざる得なかったためか、歪な幼な心を残している。
そのため、ある意味一途でまっすぐ、純真な性格の持ち主である。
特別になることに並々ならぬ拘りをもつ。

得意なことは謀略を張り巡らせることと殺人。それ以外で物事を掴む方法を知らず、また他人を信用しなかったことからワンマン気味。
傲慢かつ平気で人を裏切るクズである。しかし他人の性質を見抜く力には長けており、相手の望んだ通りの性格を演じることによって、人心を掌握することも可能。
また、心と体を切り離す術も習得している。
影に潜みながら、虎視眈々と勢力図を広げていく、まるで蜘蛛のような女。

魔法少女としてもくれない。その才能はマギウスを凌駕し、ほぼ何でも出来る。
その理由は固有魔法にあり、それは土地に眠る歴代の魔女、魔法少女の記憶を呼び出すというもの。
これにより様々な能力を模倣し、主に魔女の魔法(呪い)を模倣していたので、妖術使いの玉と恐れられた。

ちなみに武器は糸と大鉈。衣装は死装束で、ソウルジェムの位置は太もも。高速で動き回り、本編で描写されることはなかったが、主に足蹴りを使っていたとか。
かなり膨大な因果を持つ彼女だが、それは願いのせいで死後も転生を繰り返しているため。
魂の大元は始めから宇宙の外にあり、玉のソウルジェムはその一部を元にしたものである。
そのため、歴代の転生先の魂もカケラに過ぎず、ある意味でイミテーション、しかしソウルジェムを砕かれれば命を落とし、また転生することになる。
この時引き継がれる記憶は曖昧である。これは大元の魂が既に膨大な呪いのせいで半魔女となってるからであり、玉自身の本来の姿は糸で出来た巨大な猫。
玉の精神もとっくに変容しており、人間のそれではなく、人間のふりした魔女のようなもの。
今の人格は模倣された偽物である(使い魔たる夏音と似た感じ)。
彼女が行き着く先は、果たして……。


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ごめんね

“大切な人達”の、伊尾ミズハ視点。ネタバレありです。

※一部設定と矛盾している箇所を見つけたので、修正しました。


私は、私の魂にひびが入って、そこから黒々とした穢れが溢れていくのを見ていた。

 

この穢れは、恐らく私の怨嗟と悲しみ、そして諦めと郷愁が混ざり合ったもの。私の負の感情。それは今からはっきりとした形になって具現化する。

 

ならばせめて、私のなりたい姿であれば良いのにと望んでしまう。私は自然と理想の私を思い描いていた。

 

それはラスボスのドラゴンだ。鋭い爪。強靭な顎に生える牙。あらゆるものを薙ぎ倒せる尻尾。空を駆ける翼を持っている。全身にびっしりとある石のように硬い鱗は何でも防いでしまう。瞳は爬虫類特有の目で、きっと遠くまでよく見える。

 

ああ、私はドラゴンになりたい。私はその爪で憎いものを切り裂いてやりたい。私はその牙で邪魔なやつを噛み砕いてやりたい。私はその尻尾で障害を撃ち払いたい。私はその翼で元いた場所に帰りたい。私はその鱗でどんな攻撃でも効かないようになりたい。私はその目で従姉妹達を探したい。

 

そう思ったら、ぐるりと。ぐらぐらと、ギュルんと。視界が回って回って。深い沼へ落ちてくみたいに意識が溶解が始まった。

 

急速に感覚が失せていく。きっとこれは、私というものがなくなっていく証明のようなものだ。アルバムに貼られた写真が色あせていくように、思い出も、罰も罪も、己の絶望さえもわからなくなっていく。最早何故こんな風になったのか、原因が思い出せない。

 

私は暗闇の中でどうでも良いことばかりを考えている。私の大切なもの、それはたくさんあったはずなのに、そうじゃなくなっていく。

 

思い出の地である早島から離れて、見滝原にやって来たのは一体何のためなんだろう。私はどうしたら魔女にならずに済んだんだろう。

 

教えてよ、助けてよ、許せないよ。だからーーどうか、神様。私の願いを叶えてください。

 

 

◇◆◇◆

 

恋とは、成熟する人としない人がいる。成熟した人は幸福な人。逆にしない人は負け組。私はその負け組で、不幸な人間だ。私の恋は叶ったことがない。というかそもそもの話、私は最初からそんな権利など生まれた時からないのだ。

 

大体私は昔からモテたためしがない。従姉妹の広美結や、東順那は、多少告白されたことがあるらしいが私には一度もない。

 

従姉妹達曰く、私には女らしさが欠片もないのだそうだ。確かに、私は身なりには無頓着で、めんどくさがりである。だから、魅力というものが欠けているのかもしれない。しかし、そんなことを言うなんて失礼であると思う。

 

まあ、それはともかくとして、私は恋愛なんてものにあんまり期待なんてしていなかった。それどころか、諦めてさえいた。私にとって恋愛とはただの憧れであった。

 

私は恋に恋していた。私は好きになった相手にいつも告白できなかったし、しなかった。そしていつの間にかその恋を忘れて、取っ替え引っ換えするように、次々と新しい恋をしていった。私は恋すること自体を楽しでいた。好きになった男子はブラウン管の中のアイドルとおんなじだった。

 

だからその噂を、お昼休みに友人と席で話しているさいに聞いたときは、本当に本気で自分の耳を疑った。

 

「え? 私のことが、好き?」

「そうだってよ。マジ、ヒョロガリ気持ち悪」

 

私たちのクラスには竹林という、いつも一人でいる男子がいる。かなり痩せており背が高いため、ヒョロガリと呼ばれており、クラスでは浮いた存在だった。女子からも男子からも、その根暗でボソボソと喋る様子や、ガリガリな体形から気持ち悪がられている。

 

私は別に好きでも嫌いでもなかった。というか興味がなかった。どうでも良い群中の中の一人って感じだった。それに言うほど見た目が酷いわけじゃないと思うし、内面はそこまで悪いやつには見えなかった。もちろん、聖人ってほどに良いやつでもなさそうだけど。

 

「なんでもね、放課後にミズハの下駄箱をうろついていたんだって。手紙持ってね」

「まさか、私へのラブレレター…!?」

「たぶんね。で、それを昨日クラスの男子が見たんだって」

 

しかし朝来たときには、ラブレレターなんか入っていなかった。結局ラブレレターはいれなかったのだろうか。もしや、恥ずかしくなっていれられなくなったのかな。

 

…いや、噂だから本当かどうかわからない。浮かれちゃいけない。期待なんてしない。期待なんて、しないんだから。なんて密かに恥ずかしがっていると、友人が心底こっちを憐れんでいて、私は心の中でぎょっとした。なんだか、嫌なものを感じとったからだと思う。

 

「でも、かわいそうだね、ミズハ」

「え……、かわいそう?」

「だって、ヒョロガリキモいもん。そんな奴がミズハに好きっていうの、気持ち悪いわ。災難だね~」

 

友人が眉をひそめた。それに私は疑問を感じた。

 

ヒョロガリは嫌われいるが、だからってそんな反応はないんじゃないんだろうか。噂なので嘘かもしれないけど、私のことが本当に好きなのかもしれない。その“好き”という気持ち自体を気持ち悪がるなんて間違っている。

 

「本当よね。寒気がするわ」

 

しかし私は否定せず、彼女に同意するようなことを言ってしまった。私は怖かったのだ。彼女に嫌われることがじゃない。本音を言って、非難されることを恐れたのだ。

 

「あ……」

 

ちょうどそのとき、竹林が教室の扉を開けたまま固まっているのが見えた。彼はかなり驚いた様子で私達に視線を向けていた。私達が座っている席は、入り口のすぐ近く。ばっちり先ほどの会話を聞かれてしまっただろう。

 

何かを言おうとする前に、見かねていたように複数の男子が、痩せた少年に近づいた。ニヤニヤと嫌な顔で笑っていて、私には彼らの方が数倍醜くい姿をした悪魔のように感じられた。

 

はやしたてる彼ら。私のことが好きだということを、声をあげてクラス中に聞こえるようにからかう。口々に、友人もヒョロガリのことを悪く言う。

 

同調するものがクラスから何人か現れた。彼らはクラス内では少数だったにも関わらず、それがまるで全体の総意のように痩せた少年を気持ち悪がった。竹林は傍目から見ても可哀想なほどに、萎縮してしまった。

 

クラスの大半はその様子に口を出さない。当然止めようとはしなかった。ただみんな冷たい目で見るだけだ。

 

私も止めなかった。ここで何か言えば、その矛先は私に向かうだろうことを考えると庇ってやろうという気持ちは失せてしまった。私は自分の方が大事だった。

 

その日からいじめがはじまった。竹林にしょっちゅう男子が絡んで、ちょっかいをかけはじめるようになり、その度にクスクスと女子が愉快そうに嘲ける。クラスメイトからも竹林は無視されるようになった。まるで関わりたくないとばかりに。そのうち彼らも竹林の悪口を目の前で言うようになった。

 

いじめはどんどん酷くなっていき、気がついたときには竹林には暴行が振るわれることが当たり前となり、彼が蔑まれることは自然のこととなっていた。

 

たぶんあの噂は、単なる切っ掛けにしかすぎないのだろう。いじめている男子らや友人達は、ずっと心の奥底では竹林を馬鹿にして面白がりたいという思いがあったに違いない。毎日の中で抑圧されて生じた鬱掘を、玩具にぶつけたかったというのもあるだろう。人としてではなく、それよりも下の存在としてみなせば、何の気負いもなく案外簡単に、醜い行為を愉快に笑いながらできるものだ。

 

しかしそういう風に相手を見ていなくても、酷い行為はできる。保身のためなら、人は残虐なことにも手を染める。

 

私は彼をいじめた。友人に誘われ、断ることができなかった。友人はクラスの中心的存在であり、実質私は取り巻きみたいなもので逆らえない。だから私は彼のものを隠し、彼を友人と同様に侮辱した。

 

でもある意味このいじめは、私のせいかもしれない。私がいなければきっと彼は何もされずにすんだはずなのだ。そんなことを考えていたせいか、なんだかいつも後ろめたかった。いじめる度に、竹林への謝罪の言葉で心がいっぱいになって、心底嫌になった。

 

だからついキュゥべえに、いじめに巻き込まれたくないと頼んだ。その願いはすぐに叶えられ、私はいじめに参加しなくてすむようになった。しかしそれは結局のところ逃げだ。いじめている子以外の、その他多数の観客になったなっただけの話。罪悪感がそのうち生まれ、さらに学校からも逃げて、家にいるようになった。

 

そのことで順那と言い争いとなり、一方的に絶交された。その時私には、何で彼女が怒っていたのかわからなかった。順那は変わっていて、時々何か理解できないことを言うけれど、怒っていた際の彼女の言い分は尚更理解できなかった。

 

結とも関係がぎぐしゃくしてしまった。私は結が信用できなくなってしまった。彼女は神様を信じようとしなかったというのが、言い争うでわかったからだ。役目を果たそうともしない結に幻滅さえしていた。

 

だが今思えば、彼女の気持ちを図ろうとしなかったことは間違った選択だった。ずっと来てくれたのに、彼女の思いを私は踏みにじって傷をつけてしまった。

 

私は部屋にいる間、昔の三人での思い出を閉じたアルバムをよく眺めていた。姉さんが原因で、家族共々私は三滝原にやってきた。ちょうど二年前、中学校の入学と同じタイミングだ。

 

でも中学校に入って仲が良い友達は皆いなくって、周りに話しかけづらくて馴染めなかった。私は人見知りになって、人の顔色ばっかり見てるようになった。気がつけばへこへこ頭下げてて、好きでもないやつのご機嫌伺いをしていた。

 

ここには良い思い出がないに等しい。本当、気に食わないやつばっかり。私の居場所なんて、とてもありはしなかった。三滝原という町そのものが憎い。私は三人一緒のころに戻りたくて戻りたくて仕方がなかった。

 

だから、私はリノちゃんと仲良くなれて喜んだ。順那と同年代ということもあって彼女にその姿を重ね合わせていたし、従姉妹達とはほとんど本当の姉妹みたいなものだったので、妹的存在がまたできて嬉しかった。サチちゃんとリノちゃんに魔女狩りを任せることは心苦しく、自分の中の責任感が激しく私に責め立てたが、どうしてだかリノちゃんとは楽しく付き合えた。多分シンパシーってのを感じたのかも。

 

そんな彼女に、みっともない自分を見せるのが恥ずかしいと思うのは、時間の問題だった。私は客観的にミズハという少女を見てみた。すると何もしていない、何もできないクズがそこにはいた。

 

ああ、なるほど。確かにこんなやつ、順那も叱責したくなるはずだ。本当に見放されて当然である。

 

………じゃあこのままでいたら、また順那の時のようになるのでは?そんな思考が一瞬頭をよぎり、そしてそれはすぐに明確な不安となって即座に私の大部分を支配した。

 

私は変わることにした。再び大事な子に嫌われるのが嫌だったからだ。学校にはどうしても体が拒否して、足を踏み入れられなかったけれども、とにかく外の世界へ自分の足で歩いた。そんなことさえ私には大きな負担だったけど、ようやく学校の校門を遠く見られただけでも本当に嬉しかったのだ。

 

しかしそんな行為は無駄だった。私には何もできなかった。結局私は逃げ続けたままで、そんなやつは現実を何も変えらない。

 

その日私は竹林の自殺を電話越しで聞いた。遺書にはどうやら私のことが書かれてあったようだ。その内容は私への謝罪。そしてわたしに対する思い。彼は本当に私のことが好きだったのだ。

 

ああ、何故私はいじめを終わらせてほしいとあの時祈らなかったのだろうか。いいや、そもそももっと最初からいじめに反対しておけば良かったんだ。そしたらなにかが変わったのかもしれない。自分一人で逃げるんじゃなかった。私は彼を見捨てたんだ。

 

絶望は私の宝石を一瞬にして濁らせた。ふと、気がついて手の中を見れば、“ソウルジェムなのにソウルジェムじゃない”ものがあった。

 

いつのまにか周りの景色は変わっていた。私は空き地に立っており、空は暗くなっていた。そういえば、ショックで家をそのまま飛び出してしまったんだった。そのあとふらふらとさ迷ってこんなところまでやってきたのだろう。記憶がかなり曖昧で自分でも不気味だった。何をしていたのかさっぱりわからない。

 

……私はこのまま怪物になるのか。これは罰なのだろうか。一人で逃げた罰。人を殺した罰。この罰は償いとして受け入れなければならないのだろう。

 

でも怖い。どうしようもなく怖い。死にたくない。逃げたい。

 

「認めたくないわよ、こんなの。でも、どうしようもないし。…私はどうすればいいの。化け物になって、殺されたくもない。せめてーー」

 

そのとき視界の先にスマホが目に入った。外に出るさいにたまたま持っていたものだ。電話をとる前に、私はこれでゲームをしていたのだ。

 

運が良かった。最後の最後に神様が私のささやかな願いを叶えてくださったんだ。それはあの白い獣から願いを叶えてもらったときよりも嬉しかった。

 

私は自分を殺してもらうためリノちゃんを呼んだ。こんな形で死にたくないけど、でも殺してもらうのは彼女良い。これが私の抵抗。絶望に対しての最終手段。逃げ続けた私はようやくここで逃げなかった。

 

魂に亀裂が走る。私は後悔と自分への失望を抱いて涙を流した。

 

今までありがとう。リノちゃん。こんなことさせてごめんね。本当にごめんね。

 

でもなんでかな。私ってば悔しいの。どうしようもなく、私は何もできないのが嫌なのよ。

 

私、やっぱり納得できないよ。何で私ばっか辛い目に合うのよ。竹林を殺したのは私だけど、クラス全体が同罪じゃないの?何で私一人が重荷を背負わされるの?私だけが損して、何故みんなも損しないの?おかしいじゃん。

 

ていうか三滝原に来なきゃそもそもこんなことになってないじゃないの。そうだよ。私の人生、三滝原に狂わされたんだよ。

 

ああ、憎い。私はーー三滝原が憎い。私を苦しめたこの土地が大嫌い。この手でいつか殺して呪ってやる。




伊尾ミズハ

年齢 十四

身長 156センチ

好きなもの ゲーム 従姉妹達

嫌いなもの 目覚まし時計

見滝原中学校二年生。戦闘能力はあるが、固有魔法のせいで、魔女と戦えない魔法少女。武器は炎でできたダガーで、変身時はローブを身に纏う。明るくお調子ものであり、人をからかうのが好きなフランクな性格だが臆病なところがある。ゲームが好きなインドア派で、親しい者には基本的に面倒くさがりで雑。感性がずれた従姉妹のなかでは、一番普通。


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怪物と不思議なレコード

どこにもなくて、どこにでもある宇宙に、ある一匹の怪物がいました。小さくて、醜くい姿をしていて、その声は外見以上に酷い声でした。

 

怪物は、いつも一人ぼっちでした。仲間は誰もいません。怪物に寄り添うものは、ゼンマイがついたお人形だけ。誰も怪物のことなんて、見てくれないし、名前も呼んでくれません。怪物がどれだけ歌っても、その歌はやっぱり酷いもので、無視されてしまいました。

 

怪物の周りでは、幾つものレコードが、無数のレコードが、常に回っていました。レコードは、ゆっくりと回るものもあれば、早く回るものありました。

 

それらは光を反射しながらチカチカ瞬いて、まるで生きているかのようでした。しかし光の強さは皆違います。早いものほど輝いていているのです。

 

やがていくつかのレコードは、回転が遅くなるにつれて光を漸減させて、最後に一際眩しくカッと瞬くと、二つに割れて消えてしまいました。そしてまた新しいレコードとなって、回っていくのです。それが延々と空では行われていました。

 

レコード達は、まるで星のよう。ガスの塊から惑星は生まれ、死ねばまたガスの塊となり、生まれ変わる。同じように、レコードもまた、生産されては割れて、また新しいレコードの材料となるのです。

 

一人ぼっちの怪物には、その繰り返しが、命のサイクルのように思えました。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。生は死へと向かって行き、死は生に邂逅します。

 

怪物は、その輪廻をもう何回見たでしょうか。怪物自身、それは分かりませんでした。もう完全に見慣れていて、もう飽きる程です。思わず、溜息が出ても仕方がないでしょう。

 

怪物はレコードを壊したくて壊したくて、仕方がありませんでした。レコードに刻まれた魔法少女の歌声が、自分よりも遥かに綺麗だったからです。怪物は嫉妬して、人形相手にぐちぐちと少女達の悪口を言いました。

 

どうして彼女達は、私よりも上手く歌えるのかしら?彼女達だって、私と同じじゃない。それなのに、おかしくないかしら。ねえ、貴女もそう思うでしょう?

 

ええ、そうね。あんまりよ。女神さまは何故この子達に、祝福の歌を歌って差し上げるのかしら?

 

人形の口をパクパクと動かして、怪物は誰かと会話をするふりをします。怪物は自分で自分の考えを肯定しながら、早速レコードを壊そうと、手を伸ばしました。

 

でも、レコードから流れてくる少女達の歌声は、怪物にとって心地よいものでした。時々過去を思い出して、悲しくなるけれど。時々未来のことを思って、切なくなるけれど。

 

歌は泣きたくなるくらい、美しくて尊くて。声は可憐で素晴らしいものに思えて。怪物の中で紡いでいる絶望の歌は、この時ばかりは希望の歌へと元に戻り、怪物は懐かしくなって、安心するのです。

 

結局手はレコードに触れる前に、自然と止まって。諦めて怪物は大人しく人形を手に取ると、ゼンマイを巻いて、レコードの回転に合わせ、その周りをとことこと歩かせました。そうしていると、何だかいつの間にか自分も、ただの一人の少女になった気がして、胸が踊りました。

 

しばらく遊んでいると怪物の耳に、聞き慣れた歌が飛び込んできました。それは、忌々しくも、どの歌よりも美しいと感じる調べでした。

 

遊ぶのを中断して、顔を上げて見れば、そこには神々しくも恭しい、魔法少女の女神さま。彼女は優しくにっこりと微笑まれ、星の円盤に座りながら、暖かくレコードを見守っておられました。

 

怪物は女神様に同調するかのように、歌い始めます。ガラスを引っ掻いた時のような、金属が擦れた時のような、この世で最も聞くに耐えない声が喉から発せられます。息が空気に触れるたびに、世界に拒絶されてるかのように、歪な音がしました。

 

やがて段々と声は掠れて小さくなっていきました。怪物を除け者にして、女神さまと魔法少女の合唱が響いて、怪物の歌を飲み込んでいきます。女神さまは一等星よりも輝いていて、怪物は惨めになって口を閉じます。漏れた声は、余韻一つ残しません。

 

そんな可哀想な怪物に、女神さまはまったく気がつきませんでした。というより怪物の姿は、女神さまには見えないのです。怪物は、宇宙の領域の外に存在を固定されていて、概念である女神さまよりも、上のところにいるのです。何でも見通し、知り尽くしている女神さまにとって、怪物は唯一視認できない、未知の存在でした。

 

怪物はそれを分かっていたので、また諦めて溜息をついてから、今度は箱の中を開いて、収納している円盤を一つ取り出しました。それは、怪物の宝物。女神さまとは違う、金と銀の二対の龍の神様が下さった、大切なレコードです。このレコードのみ、怪物は歌を刻むことができるのです。

 

怪物はレコードに荒く針を落とし、回しました。同時に怪物は人形を抱きしめながら、壊れたメロディーを歌います。ネジがずれたオルゴールの音が狂っていくように、レコードも悲鳴を上げて、軋んでいきます。因果という楽譜に沿って歌っていた少女達の歌声も心なしか、共に共鳴しているようです。

 

ふと、女神さまがはっとなされて、こちらを向きました。怪物はあまりのことに驚いて、レコードの上に人形を落として、歌うのをやめてしまいました。怪物は期待して、女神さまに呼びかけました。

 

ねえ、女神さま。私、寂しいの。救われたいの。だから、私にも祝福の歌を、歌ってくださらない?

 

当然、女神さまは聞こえていないご様子で、声に応えることはありません。不振に思って女神さまの視線を追うと、そこで初めて怪物は、時が止まったかのように静止している、淡い光を放っているレコードを見つけたのです。

 

そのレコードは、他のレコードにも良く似ていました。しかし怪物にはそれが、今にも割れそうなくらいに形がおかしくて、脆いもののように思えました。そこから流れる魔法少女達の歌は、めちゃくちゃになっていて、こんがらがっているに決まっています。こんなレコード、自分が持っているレコードの中にもありません。

 

女神さまも驚かれているようです。無理もありません。きっとそれは、怪物以外に初めてできた、知らないもの。すべてを把握しているのに、“把握しきれていなかった”なんて、異常にも程があります。

 

女神さまは、止まったレコードを回しました。思ったよりも、いつも通りの聞き慣れた歌が鳴り始めます。

 

頭の良い少女の、内に秘めた叙情的なアリアも。

 

明るい少女の、陽気なバラードも。

 

優しい少女の、眠気を誘う子守唄も。

 

どれも、何千、何万回と聞いた歌です。寸分違わず、彼女達の歌声です。女神さまは知っているはずのレコードを、どうして知らなかったのか疑問に思われたようで、首を傾げておいででした。

 

と、そこで、初めて聞く少女達の歌声がしました。これには怪物もびっくりして、女神さまと一緒に目を見開きました。そして、女神さまの後を追いかけ、共に色んなレコードを確認しましたが、やはりそのレコードだけがおかしいようでした。

 

何故こんな歌が聞こえてくるのかしら?とっても耳障りだわ。

 

女神さまは初めて聞く歌に聞き惚れておられましたが、怪物にはその歌が、不快に感じられました。それは、自分が歌う旋律と、かすかにイントロが同じ歌。明らかに絶望の歌だったのです。

 

でも、同じ絶望の歌といっても、毛色が違うようです。よくよく聞いてみれば、希望の歌も聞こえてまいります。その他にも、色んな歌が錯綜しているのです。この円盤に刻まれた音楽は、どうやら絶望でも希望でもない音色をしているようです。

 

そのためか、女神さまがいくら歌っても、レコードには祝福の歌が刻まれません。女神さまは不安に思われたようで、顔が曇りました。このままでは、このレコードに刻まれた魔法少女に、祝福を授けることは愚か、全体の宇宙に何が起こるかわかりません。

 

怪物は僅かに期待します。このレコードは、普通のレコードとは違います。ならば、自分の歌を刻めるかもしれません。怪物が駄目でも、限りなく人間に近い人形ならば、可能性はあります。

 

レコードから怪物の歌が流れれば、きっと女神さまは自分に気がつくはず。やらないより、やってみる方が、数倍良いように思えます。怪物は表情を明るくさせました。

 

怪物は箱から新たな人形を取り出して歌を吹き込むと、ゼンマイを回します。そうしてレコードに近づくと、人形を置きました。人形は静かに動き出し、レコードの回転とは逆に周りを歩きます。

 

怪物はそれを確認すると、落ちた人形を探しにいきました。そして探している中で、置いてきた方の人形のことなんて忘れてしまいました。

 

取り残された人形は、存在しないはずの肺に空気を送り込み、吐き出します。呼吸は歌となって響き、虚空に広がってゆきます。ジリジリ、ジリジリと、レコードには怪物の望み通り、絶望と希望の歌が溝として刻まれます。

 

それはやがて、一つの歌と重なり、二重奏となりました。その響きは、今までにないくらい、女神さまも聞いたこともないハーモニー。それが一体この先何を齎すのか、怪物にも、女神さまにも、数えきれないレコードも、知りませんでした。



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一章 はじまりの時
“天災”


※加筆及び誤字脱字修正&設定変更等に伴い、以前のものとは中身を大幅に書き直しております。ご注意下さい。


 そこは、確かに地獄だった。

 

 ――見滝原市。

 

 それがここ数年、あらゆる面を急成長させた開発都市の名前だった。

 

 最新技術が生活システム、インフラなどの至るところに普及。ビルの群れが建ち並び、いたるところにある人工物はオブジェ地味いて、一風変わった町並みを形成している。

 まさに見滝原は近未来都市と呼ぶに相応しい町であった。

 

 だが、今宵一瞬にしてすべてが崩壊した。ワルプルギスの夜によって。

 

 この結界を持つ必要のない大いなる魔女は、その強すぎる力のせいで人間からはスーパーセルとして観測される。いつしか伝説になったそれは、過去に滅ぼしてきた町と同様に、一切の区別なく、平等に公平に、見滝原のあらゆるものを蹂躙した。

 

 その結果が目の前の燦々たる光景だ。

 倒壊した建物だらけの、風と雨が吹き荒れる荒廃した町。

 

 でも果たしてそれを“終わり”と呼ぶのなら――まだマシな地獄だ。

 本当の絶望は、ここからなのだから。

 

「……」

 

 その少女は、呆然と空を見上げていた。

 風になびく、肩までのオレンジの髪。ヒビが入っているメガネ。

 菊の花飾りがついた帽子。下半身が前垂れ、ガーター付きのハイブーツという露出度の高い黒装束は、何処か喪服めいてもいて。

 

「アハハ……」

 

 そうして彼女は、壊れたようにひくっと口の端を引きつらせていた。

 考えられることは一つだけ。

 

 何だアレは。

 

 その視線の先には、世界を覆い尽くすような、果てが見えないくらい大きくて、すべての恐怖を表すかのようにドス黒い、きっとこの世で一番強い魔力を持っている、天災と呼ぶに相応しい魔女がいる。

 

 魔女は枝分かれした下半身を揺らめかせ、上へ上へ、伸びていく──渇望するかのように、手を伸ばしていく。

 しかし両手は何も届かない。ただ、その手は哀れな魂をつかみとるだけ。

 

 彼女は救済の魔女という。その性質は慈悲。

 この現世という名の鳥籠から、魂を拾い上げ、その手で天国へと導く救世主。

 だがそれは何もかもを崩壊させる恐るべき化け物。いや、化け物と呼ぶにしてはこれはあまりにも強大すぎる。これを表すには、それこそ“神様”とか、そういう言葉しかないだろう。

 

(……神様、か……)

 

 心底、皮肉に思えた。

 何故ならその“神様”こそが、少女の大切なものを、仲間を、故郷を、皆壊してしまったのだから。だから、血塗れの牛木草うしきそうから前の時間軸に戻ってきたというのに。

 

「間に合わなかった……」

 

 こうなったらもうこの世界は諦めるしかない。

 現に今まさに顕現したばかりであるというのに、その力は計り知れないオーラとなって、ビリビリと市全体に轟いている。

 それだけでもこの魔女にとっては微々たる力だ。いかにこの魔女が危険は語るまでもない。

 

 多分、このままここにいたって死ぬだけだろう。

 しかし、それで良いのかもしれないとも思えた。

 

 ――だって。

 

 側に黒髪の骸が転がっている。倒壊したビルに足を挟み、傷だらけのその魔法少女は死んでしまっている。

 ある意味では皆の仇である「暁美ほむら」が。

 世界を破滅させた愚か者が。

 

 でも何故だか憎みきれなかった。

 彼女の経歴を一方的に聞いて、同情したためだろうか。それともその覚悟に胸を打たれたから?

 今となっては何も分からないが、そもそも彼女を殺したのは少女自身だ。目の前で魔女化しそうだったからとは言え、責めてはいけないのかもしれない。 

 

「けどさ……一言、言ってやりたくもなるじゃん? どうしてなの? 何で勝手に絶望して、何で勝手に……」

 

 いっそ、不満の一つ二つ、本人に言えれば良かったのに。

 感情をぶつける矛先が何もない。そこには怒りもなくて、ただただあるのは無力感、諦観、やるせなさ。そして何で殺さなければいけなかったのだろうという、暁美ほむらへの罪悪感で。

 

 ……本当に、迷子になった気持ちだ。人間、キャパオーバーを超えると、涙ながらに笑い声を上げる他なくなるのだろうか。

 

「アハ……ハハハハ、ハハハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!! ハハハハハハハハ……」

 

 だが、それさえも馬鹿馬鹿しくなってくる。

 一体何のために。自分はここにいるのだろう。

 何のため? 故郷のため? 仲間のため?

 

「もうわっかんないんだよ!!」

 

 答えなんて出て来るはずがない。

 選択肢なんて初めからなかった。半ば追い詰められて、少女は――

 

「ちくしょう!! ふざけるなよ、どいつもこいつも!!」

 

 ――死ねよ! 死んでくれ!

 

 少女はすべてへ向けて慟哭する。

 まったく理不尽過ぎて反吐が出る。

 だから嫌いなんだ、“現実”は。いつだって優しくなくて、少女をギリギリと締め上げる。

 世界すべてが、都合の良い理想で埋め尽くされたらどんなに良いか。

 

「――――」

 

 そこでふと、思い出す。ある先輩の言葉を。

 彼女は泣きながら、こう言ってたっけ。

 

 ――逃げて。

 

『あたしのことも、皆のことも。神様のことも、牛木草のことも。全部忘れて逃げるの! お願いだから、貴女は貴女だけの人生を生きてよ……お願い……!!』

 

 彼女は最後に、そう願ってくれた。

 特別にならなくて良い。ただ生きろと。

 一番大切じゃないのに、それでも少女のことを思ってくれた。

 

(ごめんなさい。でも、出来ないんです)

 

 こんな暁美ほむらの姿や、死んでいった仲間達を前にして、少女は目を逸らす程無神経ではいられなかった。

 どっちみち選択肢は最初から存在等していない。

 

(私は皆の未来を食いながら生きているもの――)

 

「くっそぉ……何でことになるのかなあ」

 

 少女は壊れかけの眼鏡を外した。まるで「暁美ほむら」が決意を固めた時のように。

 そして虚空から取り出したマスカレードの時につけるような道家の仮面を被って。

 

 余計な心を殺す。

 いらない過去を殺す。

 

 これより少女は何者でもない、無貌の存在となった。

 けれども、けじめだけは必要だった。

 瓦礫を退かし、死んでしまった魔法少女を抱き抱え、もう一度だけ空を覆う魔女を見やる。

 

「――行こう」

 

 彼女は、背を向けて歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 ――それは、数ある「暁美ほむら」が辿った結末の内の一つ。

 

 ――見滝原の魔法少女が全滅するという未来。

 

 普通ならば、その遺体はそのままに、やがては朽ち果てていくだろう。

 だが、そうはならなかった。

 

 ある少女が、一部とは言え遺体をすべて回収したのだ。

 埋められた地面の上には、結界の起点となる突き立てられた一本のハルバード。

 

 救済の魔女が地球を破壊するまでの十日間、結果は何者をも通さなかった。

 まるで奮闘した魔法少女を讃えるかの如く。

 

 だが、この世界の誰も知らない。

 同時にそれが、少女自身の墓標であることに。

 

 彼女は己が目的のため、時を飛び越え、果てのない旅路へと出たのだった。

 

 ――これは、その後の話である。



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白い孵卵器

菊名夏音は一言で言えば、かなり重度の中二病患者だった。

 

例えば、普段からマイナーなロックバンドをわざと聞いてみたり(別にたいして好きでもないのだが)、絶対後で見て悶絶するような、転生主人公の小説を書いてアップしたり、こっそり両親に内緒で際どい黒のパンクファッションの服を買ったり、秘密の儀式をやってフィーバーしたりしていた。

 

それらを夏音はかっこいいと本気で思っていた。夏音は昔から、“かっこいい人”に憧れていた。そして自分もかっこいい人になりたいと願っていた。夏音のその思いは、彼女の考え方の基底に含まれるほど強かったが、しかし兄のせいでそれはどこかずれた方向へと向かった。結果夏音は想像の中でアニメや小説の主人公になりきるという、痛々しい趣味を持つ中ニ病患者になってしまったのだった。

 

しかし、だからといって、夏音はこんなシチュエーションを決して望んでいたわけじゃない。確かにそういうやつを、幼い頃に想像して憧れはしていたけれど、もう夏音はそんな年齢ではない。そんな夢物語なんぞ、とっくに自分の中では忘れ去った遠い記憶である。

 

だというのに、何でこんな夢を見るのだろうか。もしかしてやばいお薬に引っかかったのか?授業で知ったが、過去に麻薬などが日用品に紛れて売られていたという事例があったらしい。夏音もそのような詐欺に引っかかり、日用品に見せかけた麻薬を使ったのかもしれない。

 

思わず目を疑って、夏音はメガネを何度も何度もかけ直した。しかし、いっこうにそれは姿を消さない。ただ、ビー玉のような瞳でこちらを見て、不思議そうに首を傾げている。

 

「あのお、すみません。良く聞こえなかったんだけど、もう一度、さっきのセリフ、言ってもらえます?」

 

夏音がそう頼むと、嫌に媚びた動作で、

 

「菊名夏音、ボクと契約して、魔法少女になってよ!」

 

自室の机の上にいる、一匹の動物が言った。いや、そいつは本当に動物なのだろうか、と夏音は疑った。だって、動物って喋らないし。それに動物といっても何の種類なのだろう。

 

彼女は、じっくりとそいつの全身を見た。白い体毛に、とんがった耳。その耳から出ている長い羽みたいな部位。背中には丸い卵に近い円の模様があり、ゆらゆら揺れる尻尾はふさふさしている。

 

はっきり言ってこんな生物、見たことも聞いたこともない。あえて言うなら、猫か犬に近い外見だから、猫科か犬科かもしれない。下手したら狐に見えなくもないから、狐から派生した種族という可能性もある。でもどれも言い表すには中途半端だし、どちらかといえば、動物の一種類というよりも可愛らしいぬいぐるみといったほうがまだ納得できる姿だ。

 

「えーと……、マスコット的なやつなんですか、あなた?」

「マスコット?」

「お約束のあれですよ。魔法少女にくっついてなんかやっている、あれです」

「マスコット的なのはともかく、魔法少女をサポートするというのもボクの仕事の一つだ。そういう意味では、そうかもしれないね」

「やっぱりマスコットじゃないですか!でも、確かにかわいらしいんですけど、目が超赤くて怖すぎですよね。喋ってるとき口動いてないですし、不気味ですよね、こんなマスコットなんていらないのに、何で帰ってきたら平然と部屋にいたんでしょうかね。ていうか、これ夢ですよね。そうですよね?」

 

まさか、実は自分は密かに魔法少女になりたいと思っていたのだろうか。いやいや、この年になって魔法少女願望とか持ってなどいない。そうだったらヤバいだろう。アニメでいえば魔法少女の適齢期ではあるけど、夏音は何がなんでもこの状況を否定したかった。

 

しかし、幻覚の住人たるはずの獣は、夏音の考えを逆に否定した。

 

「残念ながら、夢ではないよ、夏音」

 

そんなまさか、と笑いながら、試しに思いきり頬をつねってみる。瞬間、そこの箇所に痛みが走った。ぎゃ、と声が出る。思わず頬を撫でた。

 

「…イテテ。夢じゃないの、これ?」

「ようやくわかってくれたかな、夏音」

「信じられないけど、わかったってことにします。夢じゃないって信じてあげます。とりあえず、説明頼みますよ。マジわけわかんないし」

 

うん、わかったよ、何て、白い小動物ーーキュゥべぇは、尻尾をふった。

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

魔法少女。それは、希望を振り撒く存在。魔法を自在に扱うことのできる少女。そして、魔女を狩る者、魔女を倒す使命を帯びる者。

 

魔女とは、人に害をなす存在。人に気づかれず、人に悟られず、この世界に潜み呪いをもたらしているもの。こいつらに食われたりさらわれたりして、自殺者や行方不明者が出ていたりするそうだ。

 

ここまで聞いて、夏音はキュゥべぇが何を要求しているのかを理解した。つまりこの小動物ーーキュゥべぇは、自分に化け物を倒してほしいと頼んできているのだ。もちろんただ倒してくれというわけではない。キュゥべいはちゃんと見返りを用意していた。それも破格の。

 

それは、なんでも一つだけ願いを叶えることができるというもの。億万長者になりたいという願いだろうが、世界征服という願いだろうが、何でも自分の望みを現実にすることができる。つまり、自分は今ある種の特権を与えられているのだ。しかしそれを行使すれば、命懸けの戦いに身を投じることになるのである。

 

もちろん、そうなれば自身はいつ死んでもおかしくなくなるし、平凡な人生や日常を捨てることになるだろう。そして、恐らく夏音はまともな人生を歩めなくなる。

 

なるほど、確かに“契約”。まさにギブアンドテイクというわけだ。ここまでするということはキュウべぇ側にも、魔女を倒して欲しい何らかの事情というものがあるのだろう。

 

事実、キュウべぇは魔法少女の素質がある少女を、常日頃から探し回っているらしい。それほどまでに、魔女を倒して欲しいようだ。そして、夏音には前々から目をつけ、ずっと観察していたらしい。とても迷惑なことだ、と夏音は思った。

 

「あの、何でしたっけ、その……魔女ですか?よく分かりませんが、魔法少女になったら、それを倒していかなきゃいけないんですよね?」

「そうだね」

「でも、何でも一つだけ願いを叶えてくれるんですよね?願った通りにちゃんとなるんですか?」

「なるよ。一つアドバイスするなら、願いは具体的であればあるほどいいよ。その方がよりキミの望み通りに願いが叶うだろう」

 

そう言って、キュウべぇは紅い瞳でこちらをじっと見た。

 

「夏音、もしかして契約する気になったのかい?」

「まさか……と言いたいところなんですけど、ぶっちゃけ興味はありますよ。だって、何でも一つだけ願いを叶えられるんです。こんなおいしい話はありません」

 

しかし、そうは言っても、夏音自身あまり叶えたい願いがあるわけではない。だって、夏音は今とても充実した生活を送っているからだ。父、母、兄の三人の家族は自分にとても良くしてくれるし、友達だってそこまで多いわけではないが、良い子達ばかりだ。学校生活もかさね良好と言って良いだろう。一番のネックは来年の高校受験だが、別にそれは自分で頑張るしかないと思っている。

 

しかし、だからといって、そのチャンスを手放したいわけじゃないのだ。だって、そのチャンスはあまりに大きいチャンスなのだから。その権限を使えば、何でも出来るのだから。

 

「でも、やっぱり都合が良すぎますよ……」

「というと?」

「いやだって、考えてもみてくださいよ。命懸けの戦いに身を投じることになるとはいえ、願いは何でも叶えるなんて、リスクよりも、リターン(・・・・)が大きすぎません?」

 

疑わしい目でキュウべぇを、またじっと睨み付ける。夏音は中二病だが、この夢見がちな年齢に反して同年代よりも比較的、現実的な考え方をする方だ。親が両方と共働きでしっかり者であったから、そのような性格に育ったのかもしれない。兄の影響を諸に受けてしまったが。

 

「大体、マジで本当に願いが叶うんですか。やはり、幻聴、幻覚なのでは………」

「やれやれ、やっぱり信じてくれないんだね。まあ、まれなタイプではないけど、夏音はちょっと変わってるなあ」

 

キュウべぇが、困ったような声で言う。それに、夏音はムッとせざる負えない。幻覚の類いとはいえ、人様の家に勝手に入ってきて悪口なんてあんまりじゃないのだろうか。つくづくこの小動物はムカつくやつである。

 

「じゃあ、こうしよう。夏音、明日の休日、空いているかい?」

「特に用事はないですけど、なんですか?」

「魔法少女の体験コースだよ」

「……体験コース?」

 

体験コースとはなんなんだ?

 

「そうだよ、夏音。この早島市に隣接する都市、見滝原にはね、君と同じような魔法少女の素質を持つ子達がいるんだ。その子達を、巴マミという魔法少女が、魔女の結界に連れていったんだ。そして、今回はそれと同じようなことを、早島の魔法少女にやってもらおうと思って呼んであるんだよ」

「な、勝手に呼ばないでくださいよ!」

「それで、どうかな?」

「無視ですか!」

 

でも勝手とはいえ、確かに実際に会ったり体験すれば、この現状が本当かどうかは、はっきりするだろう。幻覚ながら一理ある。それに、どうせ明日は暇だったし、何もすることがない。

 

しかし幻覚の言うことを、聞いても良いのだろうか。ここは、お断りしたほうが良いような。そう思っていると、外から何か声が聞こえてきた。

 

思わず声がした方を見る。その視線の先には、小柄な少女の影がいた。なぜか彼女は、自室のベランダの手すりの上に立っていて、大きく手を振っていた。しかも大声で叫んでいる。

 

「キュゥべい!!わざわざ私がきてやったよ!!さっさと中に入れてー!!」

「あれ、何なんですかね?何で人がいるの?…は?」

 

夏音は思わず、困惑した。玄関から入ってくるってものが常識であるはずなのに、どうしてベランダから訪ねてくるのだ。というか普通二階建ての一軒家のベランダに、ただの少女が登って来られるはずがない。ますます現状がこんがらがってきたように思えて仕方なかった。



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生意気な魔法少女と気弱な魔法少女

菊名夏音

年齢 十四

身長 166センチ

好きなもの 兄 アニメ カッコいいもの

嫌いなもの 虫 カッコ悪いもの

早島中学校に通う十四歳の少女。真面目で常識人かつしっかりもので、家族思いで優しい性格。ズバッとはっきりと物事を言う。だが、中二病でイケメン好きであり、秘密のノートを日々量産している。頭はそこそこよく、現実的に色々考えられるが慌てたりすると、混乱しやすい。背が高いことと、ネーミングセンスがないことがコンプレックス。


唖然とした。一体、何でこんなところにこの少女がいるのか、わからなかった。どうしてベランダから入ろうなどと考えたのか、まったく理解できなくて夏音は直接少女の頭の中を見たくなった。

 

「開けてー!!」

 

小柄な少女が、肩までの髪を揺らしながら、再びいう。まさか、彼女はここというか、どうやってこのベランまで上がってきたのだろうか。

 

「開けてよ~。可愛い後輩の頼みだよ~」

 

後輩とは、何を言っているんだろうかと思ったが、よくよく見れば、彼女には見覚えがあった。確かこの少女は、毎日同じ通学路で早島中学校に通っている子ではないだろうか。時間の目安になるほどだから間違いない。

 

夏音はにわかに信じられない思いだった。少女の制服のリボンは一年生の赤。青いリボンの二年の夏音とは学年の差があって会話はしたことなどない。しかし少女は視線が合えば、必ずにこりと会釈をしてくれていた。だから明るそうな印象の子だなと、個人的に夏音は少女を好いていたのだ。

 

「ほら、早くしてよ。この私が頼んでるんだよ?」

 

しかし、それが百八十度ひっくり返った。もはや良い子ちゃんのイメージはガラガラと崩れ去ってしまった。どうやら今まで見せていたのは外面で中身はこの有様らしい。その差がひどい分、夏音はショックを隠しきれなかった。

 

「開けろっつてんだろ!聞いてんのかよ!? ぶち殺すぞ!?」

 

少女は、勝手に入ってきたというのに、一分もしないうちに、勝手に逆ギレし始めた。心配になるくらい気が短いようだ。こちらとしては怒られる正当性は皆無だ。逆に怒る立場は夏音であるというのに、一方的に怒鳴られて、思わず眉をひそめた。

 

これは、関わったら駄目なやつだろう。関わったら、絶対めんどくさいことになるのが、目に見えている。そんなのお断りだ。

 

「すみません。お帰りください」

「お帰りくださいだと?ざけんな!この船花サチ(超可愛い魔法少女)様の言うことが聞けないのか?このデカ女!!」

「で、デカ女…」

 

罵声がコンプレックスにクリティカルヒットした。おまけに中指もたてられた。胸をえぐられるような心の痛みに思わず涙腺が暖かくなる感触がした。夏音は白い小動物の方を見る。

 

「ねえ、アンタの知り合いですよね。何とかなりませんか、この子?デカ女って、あんまりです!ひどすぎません!?好きで身長高いわけじゃないのに!!」

「残念だけど、どうにもならないね。それよりも、早く窓を開けた方が良い。見てわかる通り、彼女は短期だからね、このままだと窓を割って入ってくるよ?」

「マジですか」

「早く入れろ!突っ立てるのもキツイんですけど!」

 

少女の怒りは限界らしい。その苛立ちは沸点を越えそうで、確かに窓を割って入ってきそうな気がした。仕方がないので、夏音は自室の窓を開けた。瞬間サチは、先程まで怒っていたにも関わらず、パッと笑顔を咲かせ、ありがとうございまーすと明るく言う。手すりから降りて、靴を脱いで部屋にあがり窓を閉めた。

 

「キュゥべい、おじゃまするよ」

「いや、私の部屋なんですけど。そこの小動物ではなく、この私に、わ、た、し、に、それを言ってください」

「え~、こんな、趣味の悪い部屋の人に、この船花(せんか)サチ様が言うわけないじゃん」

 

そう言いながら、サチはぐるりと赤い壁紙の部屋を見渡し、最後に押し入れを見た。

 

ところで、中二病患者に関わらず、誰でも隠したいものが一つや二つ、あるのではないだろうか。夏音にも当然あり、決して見つからないようにそれらを一箇所に集めて隠している。それが、秘蔵の禁断の書庫だ。

 

そこには、ギリシャ神話だとか、自作の魔導書(税込百五十円のノート)だとか、マイナーロックバンドのCDとかがあって、ギュウギュウになっている。壁には中二病的な発言や格好に定評のあるイケメンの歌手、通称血の失墜した使者のポスターがはってあったりしている。

 

こうした最大級の秘密は両親は知らず、この世で知っているのは自分のほかに兄しかいない。だがそんな恥辱の塊は今、目の前で晒された。サチが襖を開けたことによって。

 

「い、いやああああああああああ!!」

 

夏音は、顔を真っ赤にして悲鳴をあげた。幸い、両親はまだ帰ってきていないため、その悲鳴を聞かれることはなかった。声の大きさに不快感を覚えたのか、サチは思わずと言った風に耳を塞ぎ抗議した。

 

「うるさいな、勘弁してよ」

「アンタがうるさくしてるんですよ!!つか、何で人の勝手に見てるんです!?」

「いいだろ、別にさ!! 船花サチ様は、何をしても許されるの。船花様は自由なんだから」

 

サチはそういって、馬鹿にするように笑った。それに、内心ぶちギレる。

 

この後輩生意気すぎるしうざい。いちいち、わざとらしい口調がムカつくし、何よりも偉そうなのが気にくはない。こちらは先輩だというのに、後輩の彼女は、自分に対して敬意が足りなさすぎだ。サチへの好意はいまや泡となって消えてしまった。

 

見ているだけのキュゥべぇが、やれやれとため息をついた。ため息をつくぐらいなら、助けてほしいと夏音は思う。しかしあの諦めている様子からするに、本人でもどうしようもないのだろう。

 

しかし、何から何まで幻覚だと思っていたのに、どうもこの現状、幻覚じゃないらしい。なぜなら目の前のサチが小動物と普通に会話してるのだ。自分だけの幻覚だったら、そんなこと起きないはずだ。

 

もしかしたら、この少女も幻覚である可能性もなくはないが、間違いなくこの状況は現実のようにも思える。通学路が同じなだけの後輩が、こんな魔法少女とかいう、ファンシーな幻覚にいきなり出てくるなんておかしい。出てくる理由がない。つまり目の前の状況は逆に幻覚ではないということだ。いや、これが現実だとしても、そうとうおかしなことになっているのだが、もう混乱しすぎて夏音としても、この現状を本当のことだと受け入れ始めていた。もはや、頭を抱えるしかない。

 

それにしても、と目の前の少女はニヤニヤしながら、また馬鹿にするような目でこちらを見た。なんだろうか、果てしなく嫌な予感がする。

 

「あれなのかな、こんなのがカッコいいって思ってたの? めちゃめちゃ笑える。フフフ」

「は?船花? 何言ってーー」

「これ、ばらしちゃおうかな、何てね」

 

驚きのあまり、目を見開いた。夏音は当然ながら、こんな趣味があるだなんて、他人に一言も喋っていない。流石にかっこいいと思ってやっているとはいえ年頃的にも恥ずかしい。もし、知られたらなんて想像しただけで、死んでしまいたくなるのだ。それなのに、ばらす、だって……?

 

サチは、押し入れを指さし、キュゥべえに向かって問いかけた。

 

「ねえ、キュゥべい。これどう思う?」

「すざましい本の数だね。こういう趣向の持ち主は、キミたちの年代でたまに見かけるけど、彼女はそのなかでも、そういう系統のものを所持しているという点においては、飛び抜けているんじゃないかな?でも、何故そんなものを好きになるんだい?訳がわからないよ」

「私も訳がわからないよ。だからね、皆に言ったら、さいっこうにおもしろそう」

「まって、まって、ばらさないでください!!何でもしますから!!」

 

必死に言う夏音。ここでばらされたら、一生笑い者になってしまうから、それは断固阻止しなくてはならない。だからつい、何でもする、と言ってしまった。その言葉の意味を深く考えず。

 

「やった!!その言葉を待ってたよ」

「待ってた……ちょ、まさかそのためにわざとばらすなんて言ったんですか?」

「は、はあ!? 何それ!? 私は、そ、そんなことを考えてなんかいないよ。第一、この私がそんなことを考えるわけないじゃん」

 

ギクリと、分かりやすく肩を揺らすサチ。彼女は必死にとぼけたが、もはやバレバレであった。夏音がジト目で見ると、サチはなんだよという風に若干の弱気になった。

 

「それよりも、サチ。夏音に魔法少女の体験コースをしてくれるっていう件に関しては、承諾してくれたかい?」

「例の巴マミがやったっていうあれかでしょ。良いよ、別に。そのために私はここにきたんだし」

 

笑顔を咲かせると、サチは拒否権何てねえぞ、と脅すような口調で言う。

 

「じゃねえと、テメエの秘密をばらすからな。最悪の場合は、色んなことしてでもーー」

 

と、そこでサチははっとなったかのように、真顔になった。キュゥべえも、何かに気づいたかのように立ち上がる。一方の夏音は、何が何だかわからず、困惑した表情を浮かべた。

 

「この、魔力反応……。すでに、近くにいる」

 

独り言を呟き、サチは数秒を目を閉じた。誰かと話をしているかのように、数度頷いたりすると、途端にニィと口角をあげる。夏音は先程同様嫌な予感がした。

 

「どうやら、こっちに魔女が向かって来ているみたいだよ。ちょうど良かった」

「良くなんかないですよ。え、何なんですか、これかなり不味いんじゃないんですか?」

「不味くなんかないよ?」

「でも……」

「不味くなんかねえつってんだろ!!あいつとこの船花サチ様さえいれば、テメエは大丈夫なんだよ。心配すんな、このクソゴミのボケが!!」

 

そう怒鳴ると同時に彼女の姿が、一瞬光に包まれる。制服が全く違う服装へと変化していく。身を覆う露出の多いセーラー服。素肌や服の上に、幾太にも巻かれたリボンや包帯。下はプリーツスカートにブーツ。帽子には錨の形をした水色の宝石が輝いている。最後に、巨大な錨を召喚した時には、すでに周りの光景は、グニャリと変わっていた。

 

「え……!?嘘ですよね…!?いきなり何なんですか!?」

 

夏音が叫ぶ。辺り一体のその空間に、驚きと恐怖を隠せない。その空間は、今までに見たことのないものであった。

 

夕暮れの空に浮かぶ、大量の雲。そこから伸びる白い鉄塔。下には、地面を支える鉄の構造と雲が見える。空中にある目玉が生えたランプのような物体が、空間を明るく照らしている。明らかに異常な場所だった。しかしさらに異常なものがある。自分等を取り囲んでいる、五体の何かである。

 

それらは、鉄屑でできた、猫と犬の両方の頭を持つ、二足歩行の動物。雲や綿あめが付着した体からは、鉄と甘い匂いが混じって、なんともいえない耐え難い匂いがしている。彼らは汚ならしく長い舌を揺らしながら、鋭い爪を光らせた。その目は、完全に捕食者の目であり、二人と一匹を確実に食い殺そうと、じわりじわりと接近していた。

 

「何ここ、それに、こいつら一体何ですか!!」

「ここは、魔女の結界。そして、あいつらは魔女の手下の使い魔。今はそれだけでいいよ」

 

と、サチが言った瞬間、敵の集団の一匹が夏音たちに襲いかかった。思わず、身を固くする夏音。だがサチはめんどくさそうに、しかし、慌てず冷静にその手にある武器を、上から振るった。

 

ズドンっと、重たい一撃。たったそれだけの動作で、恐るべき敵はペシャンコになって淡い光を発しながら消えた。そして、続けて襲いかかってきた三体を、掛け声一つで振り払う。鉄の動物は錨による襲撃でバラバラに粉砕し、飛んでいく。

 

あと一体ーーと、サチが顔をあげた瞬間、夏音が悲鳴をあげた。残った個体が彼女に襲いかかろうと、牙をあけて飛びかかっていたのだ。しかし、ここでサチは焦った様子を見せなかった。何故なら、相方の魔力反応があったからだ。

 

「危ない!!」

 

瞬間、夏音達がいる反対側から、何かが軽い音と共に飛んでくる。それは敵の死角、すなわち使い魔にとって、背後からの攻撃であった。反応するまもなくそれは頭に深々と刺さる。犬猫の合成獣は苦しみの声を上げながら、そのまま重力の法則に従う前に、夏音の目の前で消滅した。夏音はその場で、ぺたりと座り込んでしまった。

 

「船花ちゃん!!」

 

鋭い声が聞こえてきた。思わず夏音たちは、その声の方ーー先程の攻撃が飛来した方を向く。すると、少女が遠くにいるのが見えた。赤い宝石を中央に展開する花飾りを頭につけ、手には金属の籠手をしている。大きな身の丈ほどの筆を手にしている彼女は、着物の袖を激しく振らして高い下駄を鳴り響かせ、二人のもとまで、走ってきている。

 

夏音は目を見開く。その少女もまた、見覚えがあったからだ。今度は名前もきちんと知っている。彼女の名前はたしかーー

 

阿岡入理乃(あおかいりの)……?」




鉄塔の魔女の手下。その役割は補食。
魔女が大事に思っている鉄塔の、その前の姿。この使い魔が人を食べると、空に浮かぶ鉄塔となる。そのため、魔女によって、人をとにかく見たら食べるよう、プログラムされているが、頭が悪く、でき損ない故に、人をよく食べ損ね、鉄塔になることは滅多にない。噛みつくことしか脳がないので、鉄塔の魔女にはあまり好かれていない。


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鉄塔の魔女結界

船花サチ

年齢 十三

身長 145センチ

好きなもの 船 鳥 養父 自由 入理乃

嫌いなもの 過干渉 実の両親

早島市で活動する魔法少女で、魔法少女歴は三年とかなり長い。明るく優しそうに見えるが、実はかなりわがままで、そのうえ短期で乱暴でナルシストという、問題だらけの性格。外面だけはよく、学校では目立たずおとなしい方であるが、周囲を気にかけているようで気にかけていない。固有魔法はレプリカの精製だが、戦闘ではゴミをつくるだけなので、あまり役にたたない。しかし固有魔法の性質から武器を造ったりといった魔法に長けている。


「知ってるの……?って、ああそうか。有名人だもんね、入理乃は。逆に知らない人がいないよね」

 

一瞬不思議そうに首をかしげたが、サチは納得したような顔をした。

 

サチの言う通り入理乃は有名人だった。早島市の中学生、特に夏音の母校である早島小学校出身の生徒ならば、その少女のことは皆知っている。それくらい、彼女の名前は広まっている。

 

阿岡入理乃という少女は特別だった。この早島市一番のお金持ちの名家、阿岡家の一人娘であり、ばりばりのお嬢様。通っている学校も、市内で有数の名門、蘭ノ家学院だ。母校は夏音と同じく早島小学校であり、何度かクラスメイトになったこともある仲だ。かなり頭が良く、百点以外のテストをとったことがないとまで噂されている。スポーツも優秀で、全国記録を何度も塗り替えるほどであるらしい。所謂天才に分類される人物で、特に小学校六年生から始め出した書道の才能が頭一つ、飛び出ていた。

 

しかし、その性格は気弱でいつもおどおどしており、夏音には彼女が自己否定の塊に見えた。六年生になるとそれはさらに悪化して、夏音は密かに彼女のことを心配していたが、そこまで話すことは互いになかったので、中学生になったと同時にその関係は絶えた。

 

入理乃がはあはあと息を荒げながら、到着する。サチは、途端怒りを露にし遅いと怒鳴った。

 

「船花ちゃん、ごめんね。私が使い魔に手こずってる間に、魔女がそっちに結界ごと、移動しっちゃったみたいで。その…」

「何やってたんだよ、入理乃!!この魔女はあいつが育てたやつだし、自分が排除するって、テメエは言ったよな!?それを忘れたのかよ!?今度から気を付けろよな!?」

「うん……。ごめんなさい。気を付けるわ……」

 

縮こまりながら言う入理乃。年下の後輩から怒られるその姿には、どこか哀愁が漂っている。どうも、入理乃はサチに対しては頭が上がらないらしい。と、そこでようやく夏音にようやく気がついたらしい。

 

「ところで、そこの子は大丈夫ーーえ!?」

 

入理乃が、夏音を見た瞬間驚いた表情をする。何故この場にいるのか理解ができないとたばかりに、彼女は取り乱しながらキュゥべぇに問いかける。

 

「な、何故、その子がここにいるの!?一般人のこの子が、どうして……」

「それは、魔女が夏音の家に移動したからだよ。恐らくサチの魔力反応を魔女が捉えて、結界に取り込もうとしたんじゃないかな。ここの魔女は、好戦的だからね」

 

幸い、この魔女の結界は小さく、主の影響か他の一般人を飲み込もうとはしなかった。それに、この辺りを通っている通行人もいなかったし、夏音の自宅は住宅街の外れのほうにあるから、被害はでなかったようである。だが夏音の場合は魔法少女が運悪くそばにいた。だから、巻き込まれるように結界の中に入ってしまったようである。

 

「キュウべい。その言い方だと、この船花様が魔女をおびき寄せたっぽい感じになるじゃん?マジやめてよね」

「でも事実、こんな所まで魔女が来るなんてことは滅多にないし、過去にも同種の魔女で同じことがあっただろう?だから、客観的にーーわかったよ、黙ればいいんだろ?」

 

サチが錨を自身の頭上に構えたのを見て、白い小動物は口をつぐんだ。それを見てサチは錨を肩にのせ、満面の笑みを浮かべた。入理乃は苦笑いをしていて、疲れたような色を浮かべていた。色々苦労してるのかな、と夏音は少し入理乃を不憫に思った。

 

「巻き込んじゃって、ごめんね。たてるかしら、えと、…菊名さん」

 

座り込んでしまった夏音に、入理乃は少々混乱した様子で、手を差し出す。その手を借りて立ち上がると、夏音は礼を言った。

 

「ありがとうございます、阿岡さん。すいません、わざわざ」

「そんなことないわ、菊名さん。それにこんな私に、お礼なんて、言わなくていいから…。あと、それから……。そんな阿岡さんって言う呼び方じゃなくて、リノでいいわ。堅苦しい感じは…、その…、苦手でしょうし」

 

おどおどしながら、気弱な態度で入理乃は言う。相変わらず、自信がなさそうに見える。何故この子はこんなにも自信がないのだろうか、と思いながら、夏音はできるだけ温和な笑顔をつくった。

 

「じゃあ、こっちも菊名さんじゃなくて、夏音で良いですよ。リノ」

「………………」

「リノ?」

「ごめんない。何でもないの。ただ、少しボーとしちゃって」

「そうなんですか?」

「ええ。それじゃあ、いいのかな?私も…、夏音ちゃんって呼ばせてもらおうかな…」

 

入理乃は、少し遠慮しながら僅かにはにかむ。夏音も釣られるように共に微笑んだ。この状況に怯えていた夏音だったが、その緊張が少々和らいだような気がした。

 

「そこのお二人、いつまでこの船花サチ様を待たせてんの?さっさとさー、魔女倒しにいこうよ。じゃないと、結界が消えないよ?」

「消えない?」

「そうだよ、魔女を倒さないと、結界が消えないんだよ。何せ、結界を造りだしてんのは魔女だし。幸い最深部は近いみたいだし、このまま一気にこちらから攻めこむと思うんだ。だから、私たちから離れないでね。わかった?えーと、えーと。……ボケカス!!」

「名前違います!!菊名夏音です!!ごまかさないで!!」

 

いくらなんでも、ボケカスはあんまりだ。自分の名前を忘れたからって、そんなごまかしかたをしないでほしい。

 

「……な!!ごまかしてないし、夏音って名前は知ってたし、ボケカスって顔してるしボケカスって呼んでいいと思うし?」

「なんていう暴論ですか……」

「三人とも、そろそろ警戒をした方がいい。また使い魔が集まりだしている」

 

キュゥベえの言葉に、はっとなる三人。周りをみるとわらわらと、使い魔がこちらに向かってくるのがわかった。しかも、先程の犬猫の使い魔だけでない。馬の頭部から綿菓子でできた蜘蛛の足を生やした使い魔や、ランタンを持つ、空中に浮かんでいる鳥の使い魔などの、新しいタイプの使い魔が混じっている。

 

「さっきよりも、多い……!!」

 

身を固くする夏音とその前に立つサチと入理乃。キュウべぇは夏音の肩にのぼり、周りを見据える。

 

空気を切り裂くように馬の頭部の口から、糸が発射される。それは本来ならば殺傷能力を持つことなどない、ただの糸。だがそれに魔力を通し、勢い良く射出することにより岩をも砕く立派な凶器となっている。

 

その凶器による攻撃が三方向から同時に来る。しかしそれよりも前のタイミングで、入理乃が着物の袖からそれをーー三つの和紙を素早く取り出した。

 

ばっと、ばらまかれた。ひらりと紙が空を泳いで、瞬時に鉄のように硬化。肥大化して攻撃をすべて防ぐ。そして防いだあとは、その形は突如くしゃくしゃと、鋭く細く針のような形状に細められらた。

 

「行け」

 

入理乃の号令を出す。三つの紙の棘は主の命令を聞き飛んでいく。先程の糸と同等か、それ以上の速度で飛来したそれらは、他の使い魔をも一掃。馬の使い魔に貫通したころには、すでに周囲の何体かの使い魔は、大量の光の粒になって無へとかえっていった

 

「スッゴい。紙が……」

「入理乃の魔法は紙を操ることなんだよ。自由自在にその性質、形状を変えることができる。例えばーー」

 

入理乃が、筆を地につけ一線を描く。墨の軌跡から、ごう、と和紙でできた長方形の箱が縦に伸びだした。

 

「船花ちゃん」

「わかった」

 

サチは紙の箱を足場をにし、鳥の使い魔へと錨を槍のようにつきだしながら跳んだ。鳥の使い魔は、慌てた様子でランタンから炎の攻撃を放射。しかし遅すぎる。サチは炎ごと使い魔の体を貫く。そしてまた同じように精製された和紙の足場を踏みしめて飛躍。巨大な武器を、さらに大きくさせ使い魔をまとめてはたきおとした。

 

ものの、数分の出来事だった。あっという間に使い魔を片付けた魔法少女達は迷わず走りだし、夏音も後に続く。

 

襲い来る敵の群れを、二人は次々撃退していく。サチが豪快にアンカーを振り回しては使い魔を牽制し、怯んだ隙に投擲された紙が突き刺さる。使い魔の攻撃を、入理乃が紙を飛ばして目くらましをしかけ、サチは武器の爪を食い込ませ倒す。あまりに見事な連携と、僅かな一瞬をも逃さない正確無比な攻撃だ。夏音はまるでフィクションでも見ているような気持ちで、思わず感嘆していた。

 

十分ほどしただろうか。やがて、突き当たりに行き着く。その先にあったのは、一つの扉だった。描かれていたのは、馬の死体のパーツ。それが中央で積み上げられている様子だ。夏音は血の気が引いて、吐き気が込み上げてくる。目を背け、青ざめた。

 

「この先が、魔女がいる最深部だよ。夏音」

「魔女がいる……」

 

唾を飲み込む。恐怖が、込み上げてくる。凶悪な使い魔の親玉が、この先にいるのだ。ただでさえ使い魔は、怖くて恐ろしい存在なのに、それ以上の存在なんて絶対危ないに決まっている。本当に、魔法少女は魔女を倒せるのだろうか。

 

「ま、こんな魔女に、負けはしないよ。こう見えても私たち、ベテランだよ? 特にこの船花様は強いからね。そんじゃそこらの魔法少女とは戦闘経験がちがうんだよ。安心しなって」

 

えっへんとサチは胸を張るが、それでも夏音は暗い表情のままだ。すっかり、彼女は怖じ気づいてしまった。命の危機にさらされたことなど、これまでに一度もなかった夏音にとって、使い魔や結界は、明確な死を予感させる死神だった。

 

「夏音ちゃん。こんなことを言うのはあれだけど、この魔女は以前戦ったことがあるから、攻略法方はわかるの…。だからね、船花ちゃんの言う通り安心していいわ」

 

入理乃が、夏音の目を見据えて言う。夏音はうつむきながら、どうにか返事した。

 

「じゃあ、行くよ。よーし、魔女お!!この船花サチ様が、フルボッコにしてやっからなあ!!」

 

サチが豪快に叫び、ドアを乱暴に蹴破る。三人は中へと足を進めた。




鉄塔の魔女の使い魔。その役割は鉄塔の管理。
馬の頭部から吐き出した糸で、鉄塔の修復を行い、蜘蛛の足であらゆる場所を昇ることができる。働き者で、戦闘でも使い魔の中では最強だが、他の使い魔と同じく頭が悪い。

鉄塔の魔女の使い魔。その役割は作業場の照明。
カンテラを運ぶ、鳥の姿の使い魔。カンテラから炎を出し、攻撃する。照明の役割を与えられているも、基本的に仕事をしようとしない。したとしても、無能で気がきかないので、いても困るしいなくても困る、迷惑な存在。しかし、この使い魔は、そのことを気にしていない。


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鉄塔の魔女

阿岡入理乃

年齢 十四

身長 157センチ

好きなもの 黙々と一人で何かをすること 雑学 サチ

嫌いなもの 自分 理解できないもの

金持ちの家のお嬢様で、蘭ノ家学院の中等部の二年生。文武両道で、特に書道の才能が飛び抜けており、部活も書道部に所属している。気弱な性格であり自信がないせいかおどおどしている。しかし意外と淡白で、服やイベントごと、恋愛や勝負事に無頓着で流行りに疎い。固有魔法は紙を操ること。武器は筆だが、紙を精製する目的で使うことが多い。


「ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

扉をくぐったその先でまず聞いたのは、空間を揺るがすほどの絶叫だった。その悲鳴はひどくひどく、醜く悪意に満ちている。しかし悲痛にも聞こえ、どこか子供が駄々をこねている時のような、癇癪に近い声だった。そしてその声の主もまた、やはり醜悪な姿であった。

 

その魔女は血のような夕暮れを背景に、雲の地面に陳列する無数の鉄塔の中央にいたーーいや、そびえ立っていた。エッフェル塔に似た、黒いその魔女の身長はおよそ七十メートル前後か。他の鉄塔よりも抜きん出たその高さの頂点には、長い首の羊の頭が三つ、ギョロりと白目をむいている。その下には左右に一本ずつ鉄骨が延び、そこから羽のはえた触手が二本、それぞれ生えていた。

 

「大きい、キショい、グロい……。全然想像と違うんだけど…」

 

そのグロデスクな見た目と大きさに圧倒されながら、そして怯えながら夏音が言う。魔女と言うぐらいだから、もっと人型の何かだと思っていた。だがまさかこのような姿をしているとは、予想外だ。

 

「ま、魔女って、どれもこんなのなんですか!?」

「……ええ。だいたい、こんな気持ち悪い姿なの。でも、魔女にも様々な姿や形、能力もあるから、気をつけないといけなくて……」

「あー!!何船花様が言おうとしたことを先に言っちゃうの!!つか、さっさとそいつらに結界張れや、カス!!それが、お前の役割だろが!?」

 

声を張り上げるサチはそう入理乃に指示する。後から聞いた話によれば、実はサチは結界を張ることが大の苦手らしい。それどころか、魔力操作自体が苦手で、故に応用である他の魔法全般がかなり不得意だ。戦闘センスはピカ一でも、身を守らせる防壁を造ることには、サチは向いていないのだ。

 

「ご、ごめん、そうだよね。キュゥべえ君、夏音ちゃん。急いで結界はるね」

 

そう言って入理乃は十数枚の紙を着物の裾からとりだし、魔力を通す。それらは自ら手から離れて、一人と一匹の周囲を囲み、ドーム状の結界となった。

 

二人はそれを見届けるまもなく、跳躍する。その飛躍は、常人の限界のそれを易々とこえ、一番近くの鉄塔の上へと着陸する。少女らはひときわ高いその塔を見上げ、魔女は己が天敵たるちっぽけな者どもを、三つの羊の計九つの目で捉える。

 

途端すべての目が、細められた。口が裂ける。そして、矮小なる存在に向かって、魔女が嘲笑の声をたてた。あまりにも魔法少女達が弱々しく見えたようだ。あんなやつらに自身が負けるはずがない。なのに彼女らはこの自分に武器を構えている。それがひどく滑稽だ、とでも言うように舐めくさった顔をしている。

 

「何船花様を笑っての?むしろ、やられるのはお前なんだよ。このくそ魔女が」

 

やれやれと言いながら、余裕の様子のサチは入理乃に目配せする。それだけで、彼女は自身の相棒が何を伝えたいのか理解したようにうなづいた。それは長年共に戦った、二人だからこそ伝わるやりとりだった。

 

まず動いたのは入理乃だった。彼女は使い魔の時同様、筆で横に線を引いた。しかし、その目的はあの時に行ったような、足場の精製ではない。今回は攻撃のため、より正確にいうならば防御のための攻撃である。

 

ぐりんとすべての魔女の頭部が入理乃に向き。うち一つが、炎の息吹を吐いた。それにあわせ墨のあとから大量の紙が数百枚、わっと出てきた。和紙は一つ一つが鉄をも切り裂く花びらとなって、吹雪の如く襲いかかる。その猛攻は空間を圧迫し、多大なスピードとそれなりの攻撃力をもって赤い炎とぶつかった。しかしそれは、所詮紙の攻撃である。触れた瞬間めらめらと燃えていき、全体に広がって黒い炭と化して地に落ちていく。

 

しかし、それで良いのだ。先ほど述べた通り、これは防御のための攻撃。すなわち相殺できればそれでいいのである。そしてーー魔女の隙さえ造れれば。

 

入理乃とは反対側から、九つの視線の外から、もう一人の魔法少女が巨大な錨をもって、飛んできた。雄叫びをあげ、そしてそのまま魔女の左側の触手を、鉄骨ごと粉砕。すぐ近くの鉄塔に降り立った。

 

「ーーーーー!!ーーーーー!!!」

 

ふいに轟いた絶叫。鉄骨とはいえ、魔女の体の一部だ。だから痛い。鉄塔の魔女はその苦痛に悶え、もう一つの残った触手を、苦悶の元凶へと伸ばす。しかし彼女はニヤリと笑いながら、軽い身のこなしで跳躍する。当然攻撃対象から逃げられたその触手の勢いは止まらない。そのまま周囲の鉄塔にぶつかり轟音と共に崩壊させる。

 

「ーーーーーーーーーー。ーーーーー!!」

 

恐ろしい表情の羊が、ふいに焦ったような声をたてた。己のミスにより大事な鉄塔が破壊されたのだ。これを慌てぬはずがない。他のことなど忘れ、鉄塔を直そうと急いで口から馬頭の使い魔を出し、触手で倒れた鉄塔を立たせようとする。

 

と、同時に二人が攻撃を仕掛けた。魔女の左側に回り込んだ入理乃が下から使い魔を、右側に移動したサチが触手を、それぞれ貫き切り裂く。

 

「ーーーーーーー!!!!?!!?!」

 

三度目の絶叫が、響き渡る。錨により破壊された二本の触手は、もう使い物にならなかった。使えなかった。

 

「フフフフ、こんな手に引っ掛かるなんてね。三つも首がついているっていうのに、この船花様に気づかないなんて。アホすぎ、マジありえない」

 

近場の塔に着地した魔法少女の一人が、錨を手に楽しそうに言う。

 

羊の顔が歪んだ。やられている。なぜ自分がやられているのだ、あり得ないとばかりに憤怒した魔女は、がむしゃらに何度も、彼女に向かって輪状の電気を発した。

 

しかしそれもすべて相殺される。入理乃の魔法による、大量の硬化した紙が弾丸となり、一瞬のうちに互いを搔き消していく。

 

「本当に、一つの敵にしか対処できない魔女…。私ごときが言うのもあれでしょうけど…こんなに楽な魔女はあまりいないわ。触手さえ、潰せばいいのだから」

 

ーーそう、それこそが二人の作戦。触手を封じることこそが、この魔女の攻略法。

 

鉄塔の魔女はその巨体故に動くことができないが、その代わり強力で多彩な攻撃方法を持つ。口から火を噴く攻撃に電波による範囲攻撃。使い魔による様々な遠距離攻撃にも優れている。

 

そして、二本の触手による攻撃。これが一番やっかいな攻撃だ。何せ小回りがきくしスピードもある。何より単純に防御できない、すべてを薙ぎ倒す破壊力を持っている。逆を言えば、他のものは相殺したり避けたりすればいい単調な攻撃であり、対処が可能な攻撃。そして、魔女は馬鹿だ。多種多様な能力を折角持っているのにもかかわらず、使いこなせるだけの頭がない。

 

魔女が初めて恐怖を抱いたかのように泣き叫んだ。そのあまりの轟音、そのあまりの衝撃に地が揺れ、二人のいるそれぞれの鉄塔にまで伝わってくる。

 

しかし二人の魔法少女は平然としていた。このような時、どうすれば良いのかわかっていたからだ。

 

少女たちは柱に捕まっていた手を放すと、同時に飛び降りた。ぐんぐんと地面が近づいてくる。魔女の羊の顔が、ふいに落下物をその目で捉える。驚いたようにいななく魔女。入理乃が手を空にかざす。足場である固い和紙を、相方と自身の落下地点に精製する。

 

しかし、その和紙が作成された場所には高低差がある。入理乃の足場は比較的地面に近い場所に。そしてサチの足場は、比較的高い場所にある。

 

たん、と軽い音と共に飛んだサチはさらに周囲の鉄塔の柱を蹴り、魔女へと飛躍。その超重量級の武器を向けて、敵を殺さんと向かっていく。魔女が慌てふためいたように、三つ首の口から鉛を発射する。しかし、それを低いところに着地した入理乃が紙で打ち落とす。

 

「やああああああああ!!」

 

サチが錨を羊の頭部へと振るう。その理由は至極明快だ。そこが魔女の本体だからだ。

 

ぐしゃりと錨の湾曲した部分がぶつかる。頭部がひしゃげた。頭蓋骨が、嫌な音をたてた。

 

彼女らは最初から知っていた。その魔女がどの様な方法で攻撃し、どの様に自分達に対処し、どの様な弱点を持っているのかを。そう、彼女達は初めからわかっていたのだ。魔女の殺しかたを。だからこの魔法少女達に負ける道理はなかった。つまりこれは当然の結果であった。

 

しかし、魔女にはわからない様子だった。何故自分が負けたのかを理解しようと、錨が突き刺さった顔を下に向けようとするが、その前にその体を構成する鉄骨が落ちていく。朽ちていく。そして、魔女の意思さえも消え去ってーーあとには、黒い宝石しか、残らなかった。




鉄塔の魔女。性質は蔑み。
自分が特別な存在であり、優秀であると心から信じている魔女。しかし、かなり頭が悪く、愚鈍。自分に釣り合う者を求めており、鉄塔を造っているが、決して自分より高いものは、つくらない。何故ならば、自分より優秀なものはいないから。自身が、見下されるのは嫌だから。魔女は、仲間を欲している。しかし、それは、取り巻きがほしいだけ。集団のトップにいたいだけ。この魔女は、永遠に自分の愚かさに気がつかないだろう。


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ーーそれは、いつかどこかであった出来事だ。これは、その少女にとって、忘れられぬ記憶であった。

 

そこは、三滝原のデパート内だった。しかしデパート内と言っても、店や行き交う人々の姿はなく、また照明の類いも少ししか存在せぬ薄暗い場所だった。

 

かわりにあるのはコンクリートの柱に地面といったものであり、さしずめ建物内にある駐車場のような感じではあったが、車などは止まっておらず、またそのための白線もない。ただ、建物の資材だけが寂しく置かれてある。そう、そこはデパートの改装工事が行われているエリアなのだ。しかし、どうも工事は進んではおらず忘れ去られているようだった。

 

当然そんなところに誰も寄り付くはずもないが、しかし奇妙なことにその空間にて、二人の少女が互いの武器を構えて相対していた。

 

「一体、貴女は何者?」

 

そう聞いたのは、銃を持つ黒髪に黒の衣装の魔法少女。腕には円形の盾をつけ、左手の甲には宝石が輝いている。

 

「覚えていない、という風でもないですね。今回の貴女は、私のことを知らないんですね。ですが私は知っていますよ、暁美ほむら」

 

対するハルバードを向けた魔法少女は、同じく黒をメインに構成された衣装で、深々と帽子をかぶり仮面をつけていた。そのせいで表情はまったく分からず不気味な雰囲気を感じる。

 

「貴女、どうして私の名前を知って…!? いえ、誰に教えてもらったの?キュゥべえ?それとも別の魔法少女かしら?」

「教えてもらった、といえばそうですね。はい、教えてもらいましたよ、すべてキュゥべえに。ただし、こちらのキュゥべえとは話したことはないんです。つまり、教えてもらったともいえるけど、教えてもらってないとも言える」

「……それは、どういう意味?まどろっこしいしゃべり方をしないで、はっきりと答えなさい。貴女は何者で、何で私のことを知っているの!?」

 

苛立ったように黒い魔法少女、暁美ほむらが言う。それに、どこか悲しそうな、憐憫のような感情で、もう一人の魔法少女がほむらを見たのは気のせいだろうか。ふいに、仮面から覗く口元が笑った。その笑顔もまた、何かを憐れむようなものなのであろうか。

 

少女は仮面を取りながら、挨拶をした。

 

「はじめまして、時間操作魔法の使い手さん。私は菊名夏音だよ。かつて貴女と会ったもの。貴女の同類であり、ウロボロスの輪にその首を差し出した魔法少女です。私は絶対に貴女のことをーー」

 

ほむらが、驚いた表情をする。夏音が、それに微笑する。二人の魔法少女はーー

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

「おはよう、夏音」

 

自室のベットで目を覚ましたら、少年の声が聞こえてきた。いや、これは正確にはテレパシーなるものであって、この聴覚が捉えたものではない。自分はあんなやつの声など聞いちゃいない。じゃあ、目の前の小動物は一体何だと言うんだ。この小動物はそう、マスコットである。だが、そんなマスコットなど現実にいるはずがない。

 

つまりはこれは夢である。夏音は目を覚ましたわけじゃない。だというのなら、夢の中でもカッコをつけたいものだと、逆に開き直る。夏音は片手で顔を覆い、指の間から覗いた目を閉じて、しばらくもったいぶってから大げさに見開いた。

 

「宇宙の彼方より舞い降りた、血の瞳の淫獣よ。我に、この地獄の底から具現化せし悪魔の血の力を、与えにきたのか?」

「…………淫獣、血の悪魔?」

「とぼけても無駄だぞ、血の毛皮を持つ白き小動物。邪悪なる血の魔眼の持ち主たる我を。フフフフ、わかっておるのだろう?なあ?」

「いや、訳がわからないよ。それよりも、何のことを言っているんだい、夏音?」

「………。何でもないですよ!!あーくっそ、言うんじゃなかった!!」

 

夏音が赤面した顔を両手で隠しながら、項垂れる。心の中では、後悔と羞恥でいっぱいになる。そして、夏音はひっそりと脳内で悶えに悶えまくった。穴にあったら入りたい、とはよく言う言葉ではあるが、本当に穴に入りたい気分である。

 

「………えーと、キュゥべえ、でしたっけ。貴方の名前は」

「そうだよ」

「じゃあキュゥべえ。聞きたいことがあるんですけど」

「なんだい?」

「何でまだいるんですか!!昨日出て行ったはずなのに!!」

 

魔女を倒した後、その頃にはもうすでに外は暗くなっていた。それに、夏音の兄が勤め先からちょうど帰ってきたのだ。だから二人の魔法少女は(というかサチが入理のを連れて勝手に)、彼に見つからないよう窓からそれぞれの家に帰っていったのだ。そして、その時にこの小動物も一緒についていったはずなのだ。なのに何故ここにいるのだ。しかも、また不法侵入で。

 

「実はサチから伝言を頼まれて、またここにやって来たんだ」

「サチって、あの船花から………?」

「魔法少女体験コースはまだまだ続くから、覚悟しとけよ。こなかったらただじゃおかないんだから、だそうだよ」

 

瞬間、眉を潜めた。魔法少女体験コースに参加しろとは、そういえば昨日もサチが言っていた気がする。魔女のことでついすっかり忘れていた。そうか、まだ続くのかと夏音は苦々しく呟いた。

 

しかしそれにしても、運が悪すぎるのにも程がある。昨日も大変な目にあったのに、また魔女の結界へと足を踏みいれることになろうとは。速攻でお断りしたい。しかし、そんなこともできないんだろうなーと若干諦めたように、夏音は溜め息を吐いた。

 

なにしろ、船花サチ様の命令なのだ。あの柄の悪い後輩に逆らったらどうなるのかわかったものじゃない。それにそもそも、彼女は強大な魔女と渡り合う強さを持っている。自分ごときがどうにかなる相手でもない。結局のところ、拒否権などないのである。

 

「ちなみに、今日の十時に、入理乃がここまで迎えにくるそうだよ」

「あの子もかわいそうですねえ、どうせパシりにさせられてるんでしょう?」

 

立場上で見れば、サチよりも入理乃のほうが先輩だ。普通、こういうのは逆なはずなのだが、どうも二人の性格によってその関係性は反対になっているようだ。ガツンと一言言わないといけないのでないか、と夏音は思うのだが、まあそう簡単にはできないのであろう。本当に、難儀なことである。

 

時計を確認すると、もう午前八時だった。休日の朝にはいつもこの時間に起きるが、約束の時間にはあと二時間と残りわずかである。彼女はキュゥべえを自室の外へと追い出し、普段着に着替えると、部屋を降りて一階のリビングへ行った。

 

と、そこで空腹に訴える、カレーの良い匂いがしてきた。きっと、誰かが昨日作りおきしていたカレーを暖めなおしているのだろう。案の定、台所に到着すると暖めたカレーのルーを先客がご飯にかけていた。

 

夏音はその先客に近づくと挨拶する。

 

「おはようございます。兄さん」

「ああ、おはよう、夏音」

 

夏音の兄、菊名皇紀(こうき)は、朗らかな笑みで妹を迎えた。

 

皇紀は夏音とは大分年が離れていて、実家暮らしをしている。市役所で働いている、いわゆる公務員であり、公務員になった理由は単純で給料が安定しているから。このご時世の不景気に不安を懐いたのか、とにかくそういう仕事を選んだようである。投資も密かにやっているようで、着実に貯金はたまってきているらしい。我が兄ながら本当にしっかりしていると、夏音は皇紀のことをそれなりに評価していた。

 

夏音は兄から皿をうけとると、スプーンをとってそのまま机の席に座り、皇紀もまた同じように皿とスプーンをおいて、二人は食事を始めた。

 

「母さんと父さんは、今日も遅いってさ」

 

皇紀がカレーを食べながら言う。

 

菊名夏音の両親、菊名夫妻は、共に働いている会社員だ。同じ会社で働いているが、部署は違うらしい。その関係性はわりとドライだが、別に愛し合っていないわけではないらしい。今日は休みであるが、しかし会社の都合により、働きに行っている。

 

「じゃあ、私が何かつくりますね。何が良いですか?」

「焼き魚」

「相変わらずヘルシーなものが好きですねえ。あと、兄さん。今日ちょっと用事があって外に出掛けます。十時に友人が来るはずです」

「じゃあ、皿洗いをやっておこうか?」

「いいの?じゃあ任せますね、皿洗い」

 

兄妹は匙を口に運び続ける。早く食べおわらなけば、と夏音が思ったその時ふと、いつの間にかキュゥべえが机のはしにいることに気がついた。思わずぎょっとして手をとめた。怪訝そうな顔の兄に慌てて、

 

「に、兄さん。これは違うんです、この小動物は、連れ込んだとかじゃなくて、勝手に入り込んできてーー」

「……夏音、何を言っているんだい?動物なんてどこにも……、そうか、そういうことか」

 

一人納得したような顔をする皇紀。手を頭に当ててポーズをとる。そして、ニヤリと笑った。

 

「我が妹よ…、ついに禁断の獣と契約したのか?」

「いや……。契約はしておらぬ。我は血の悪魔。淫獣の誘いになど、のりはしない」

「夏音、君の兄も君と同じような趣味を持っているのかい?」

 

同じようにポーズをとる夏音に向かって、キュゥべえが質問した。しかし視線を感じるが、あえてスルーする。この場では、とても肯定したくなかった。

 

皇紀は確かにしっかりしている。が、裏の顔はこの通り残念な中二病患者だ。我が兄ながら本当に恥ずかしい。まあ、夏音も人のことなど言えないのだが。

 

「あの、あのね、兄さん。本当のところマジで何でもないんだよ?この小動物は闇の組織に開発されたというか血の味を求めるただの淫獣で…」

「うんうん、わかってるって。人間の死体を食らう悪魔なんだろう?」

「兄さん、違うって。ただの淫獣ーー」

「やれやれ、淫獣じゃないんだけどね。夏音、心配しなくて大丈夫だよ。姿は見えないし、声も聞こえない」

「!?」

 

そんなの初耳だ。一体どういうことなのだと、視線でキュゥべえに説明を求める。するとキュゥべえは尻尾をゆらゆら揺らし、説明をしてくれた。

 

どうやら話を聞く限り、キュゥべえの姿は魔法少女かその素質がある少女ではないと視認できないらしい。声もテレパシーであり、他の人には聞こえない。あと、自分が中継することで、夏音にも他の人にテレパシーを送ることができるという。

 

ちなみに魔法少女は自力でテレパシーできるとか。使えれば電話いらずで便利かと思いきや、距離に限界があるらしい。地味に不便なので、何事も万能ではないんだなとぼんやり夏音は考える。

 

「……ところで兄さん。例えばの話なんですけど、何でも一つだけ、魔法で願いを叶えてもらえるって言われたら、どうしますか?」

「フフフフ…、そんなの決まっているだろう!!魔眼だよ、魔眼!!そして、魔法を使えるようにしてもらう!!」

「あの、そういうのじゃなくてですねーー」

「あと、彼女と会いたい!!具現化して欲しい!!」

 

“彼女”とは、人気のアニメのキャラ、ハニーガールのことである。名前の明るい印象とは裏腹に、その立ち位置は悪役であり、仮面をかぶり黒い服装にハルバードをふるう、ドSキャラだ。作中でもっとも救われない人物であり、その過去と末路は悲惨すぎるとファンの間で評判だった。ちなみに夏音もそのキャラが好きだが、兄と比べるとその愛情は赤子レベルである。

 

「兄さん。もう一度言いますが、そういう話じゃないんです。真面目な話なの、こっちは真剣に悩んでるんです。もうちょっとちゃんと考えて」

「おお、すまん。…そうか、現実的にねぇ。そうだなあ……、何も思いつかんわ。そういうお前は?」

 

逆に問われ、返答につまった。まさかこちらに質問し返されるとは思ってもいなかった。一瞬、ちらりと尻尾をふるマスコットを見て、

 

「そうですね………。特にないですね」

「だよなあ、こういうのって、わりと思いつかないよなあ」

「ですね。あー、そうだ。老後を保証してもらう、とかは?」

「そんなものを願うというのもなあ。あ、そうだわ。今思い付いたけど、願いを保留にする、ってのはどうだ?」

 

これから先、人生には色々な出来事がある。悲しいことや、楽しいこと。そして、人生の節目にもいつか直面するだろう。そんなときに、いざとなったら魔法によって、願いを叶えてもらう。そのために願いを叶えることを、それ自体を先伸ばしにする。それが一番賢い願い方じゃないか、と兄は言った。

 

「何でも願いが叶うなんて、そんな都合が良いことをパッと決めてはならないと思うんだよ、俺。だから、こういう願い方をするかなあ、俺だったら」

「なるほど。思い付きませんでした、そんなこと」

 

関心したように言う夏音。それに、そうか、と照れる皇紀。その仲が良い二人の兄妹を、キュゥべえは見つめる。じっと、なにかを考えるように。

 

「兄さん、ごちそうさまでした。皿洗いよろしくお願いしますね」

「おう」

 

食べ終わった食器を置いて、台所を出る。そして自室に戻るために、階段を上がっていく。その時に、肩に乗っていたキュゥべえがふと、夏音に聞いた。

 

「仲が良いんだね、二人は」

「まあ、仲がいいほうだとは思いますよ、兄さんとは。それにーー」

 

そこで、菊名夏音は少し照れたように、笑いながら言った。

 

「兄さんを、私は尊敬してますから」



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願いとは

時計が十時を指したちょうどに、ベルの鳴る音が聞こえた。夏音が玄関へと、向かい、ドアを開けると、そこには、予想どうり、阿岡入理乃が立っていた。茶色のパーカーのフードを被り、ワンピースを着た彼女は、紙でできた小さな袋を、首から下げていた。

 

「お、おはよう、夏音ちゃん」

「おはよう、リノ」

 

夏音がにこりと笑いかけると、入理乃が途端に赤面して、少しはにかんだ。そして、夏音の足元にいるキュゥべえに視線を移すと、

 

「キュゥべえ君も、おはよう」

「おはよう、入理乃。今日はどこへ行く予定なんだい?」

「船花ちゃんの家よ…。そこで、夏音ちゃんと会って話をしたいらしいの…………」

 

自分に話とは、何なのだろうか、と夏音は一瞬首をかしげたが、すぐに魔法少女の話をしたいのだろう、と思った。ともかく、会ってみなければ、その話の内容もわからない。

 

二人と一匹の集団は、夏音の自宅を出て、入理乃の先導のもと、千花サチの家へと向かいだした。入理乃とキュゥべえの話によると、夏音の家から、およそ三十分でつくらしい。いつもの通学路を通り、途中から、左へと逸れて、公園を横切ったとき、ふいに夏音が口を開いた。

 

「さっきの公園、懐かしいですねえ」

「…………懐かしい?昔ここで遊んだことがあるのかい、夏音」

 

肩にのせた小動物が、質問する。

 

「いえ、そんなことはないんですけど。何ででしょうか?」

 

なぜだろうと疑問に感じる。少なくとも、思い当たることがない。それとも、夏音は覚えてなくて、昔本当は小さい頃、ここで遊んでいたのだろうか。しかし、それなら見覚えがあってもいいものだ。それすらもないのだから、きっと自分はここに来たことがない。

 

「一度見ているとか、かしら?」

「たぶん、この公園に来たのははじめてです」

「………ご、ごめんなさい。ここに来たのは、はじめてだったのね………。違うこと言ってごめんなさい」

 

間違ったことを言って、ごめんなさいと、弱々しく消え入りそうな声で、入理乃は言った。その姿を、じっと夏音は見ていた。彼女のなかで、入理乃の態度が、どこかイライラとしたものとして、広がっていく。そして、ついにおさえきれなくなって、夏音は目の前を歩く少女に問いかけた。

 

「あの、前々から思っていたのですが、どうしてそんなにおどおどしているんですか?」

「………………」

「貴女ほど、頭もよく、何でもできてしまう人が、こんな弱気なのはおかしいと思うんです」

 

それに、そんな人物は、普通自分に自信を持っているのではないだろうか。何もできなくて、だからそのせいで弱気になる、というのはわかる。しかし、何でもできるのに、弱気になる、というのはわからない。そうなる、理由が思いつかない。

 

「だからって……。弱気にならないわけじゃないわ。……優秀でもね、心の中が、弱い人はいるの。…むしろ、優秀だからこそ、それに、苦しめられることもあるの…」

「優秀だからこそ、それに苦しめられる………?」

「人間は自分に足りないものを持っている個体を見ると、自身とどうしても比較をしてしまう。それによる感情は、決して良いものばかりじゃないからね」

 

人間は誰しも、自分より優れた人に対して、様々な感情を感じる。その感情は、実に様々で、羨望、妬み、自己嫌悪、絶望など、人それぞれによって、抱く感情はちがってはくるが、そのどれもが、大抵は、暗い感情だ。なかには、良い感情というのもある。しかし、それさえも、感情を向けられた本人には苦痛となる場合がある。過剰な感情、たくさんの感情を向けられることは、時と場合によっては、心に突き刺さる刃となるのだ。

 

「……夏音ちゃん。唐突だけど、私の願いについての話をしていいかしら?」

「………願いについて、ですか?いいですけど、でも、そんなことを言ってもいいですか?」

 

どんな願いでもたったひとつ叶えるキュゥべえとの魔法少女の契約。その契約した際の願いというものは、きっと本人にとって大切なものだったり、隠したいものだったりするはずだ。なのに、それをあっさり、こんな自分に言ってもよいのだろうか。

 

「いいの。夏音ちゃんには、知っていてほしくて………」

 

そう言いながら、入理乃は少し笑って、

 

「私の願いはね………、決して誉められるような願いじゃないの……。魔法少女はその願いによって、それぞれの魔法が決まる………。私の魔法………紙を操る魔法は………、私の願いによって、生まれたの。だから……、どんな願いをそのキュゥべえ君に私が願ったのか……そこからある程度、推測することができる。夏音ちゃんは…、私が何を願ったと思う?」

「紙を操る魔法だから……、紙に関することとかですか?」

 

それ以外を夏音は考えられなかった。推測できる、と言われても、こんな単純なことしか、答えられない。入理乃は、申し訳なさそうに、ごめんなさい、違うわ、と言った。

 

「紙…、それで思い浮かぶことは、何かしら?」

「新聞とか、雑誌とか、あとは本とかです。それからーーー白紙」

「そう……、白紙。…………白紙は、真っ白。私は、あるものを、真っ白にしたの……」

 

故に、紙の魔法が、入理乃に与えられた。何かを白紙にしたものは、それを操る魔法を、手にいれた。

 

「それって、何かの色を染めたとか、そういうこと何ですか?」

「ごめんなさい…。そういう意味じゃないの…。何かを真っ白にするっていうのは、何かを、なくした、という意味なの。私の願いは………“書道教室の同級生が書道を始めたきっかけを消すこと”。自分よりも優れた才能を持つあの子が書道をしないことを、私は望んだのよ………」

 

あまりのその告白に、夏音は息を飲んだ。信じられなかった。そんなことを、この弱気な少女が願ったとは、どうしても思えなかったし、思いたくもなかった。

 

「な、何で、そんなことをしたのですか?」

「それは………。私がその子に嫉妬したから。どうやっても、自分はあの子のようには、なれないということが、………私にはわかってしまった。はじめて好きになって、全力でやりたいと思ったものだったのに………。よりによって、上をいかれてしまった。優れた自分が、負けてしまった。…………その事実がショックで、あの子さえいなければ………、そう思ったから、あんな願いを叶えてもらったの………」

 

入理乃が、自虐的な笑みを浮かべる。自分が、いかに愚かだったのかを振り替えって。

 

「………、おかしいわよね。私は……、あんなにも、妬まれ続けたり、いじめられ続けた元凶である自分の才能を、……とても疎ましいと思っていたのに、いざと、それを越えられたら嫉妬しちゃうなんて………。思い上がりよね………」

 

自分はどこかで、他の人よりも優れていると思っていたのかもしれない、と入理乃は自分に言い聞かせるように、呟く。水溜まりの上を、彼女はぱしゃりと踏んだ。水が飛び散り、続いた足跡は、道路にくっきりとスタンプのようにうつる。

 

「後悔してるんですか、願いを叶えたことを…?」

「……………わからない。後悔はしていると思うわ。…その子の人生を変えたのだし。………でも、その子に抱いているコンプレックスは、ずっと消えないの。むしろ……、それが、自分のなかで大きくなっているの………」

 

その言葉を聞いて、それは、どうしてなのだろうと、夏音は漠然と、考える。もしかしたら、その子に対して、申し訳ないと思っているからなのだろうか。そして、嫉妬の対象を自分勝手に排除し、その己の浅ましい行為に自分自身を責めているのだろうか。

 

夏音自身、その願いは、よくないものだと思うし、入理乃が当時抱いた思いは、彼女自身の言う通り、思い上がりだと感じる。だから、それに対して、自責の念を持つなとは言わない。でも、

 

「話てくれて、ありがとうございます。おかげで、貴女のことを、少し知ることができました」

「え………?」

 

驚いた声があがる。そんな言葉を想定していなかった彼女は、目を見開いて、実に心底訳がわからないという表情をした。

 

「こ、こんな私なんて、知っても別にどうでもいやつなのに、どうして………」

「私、貴女とは前々から友達になりたかったんです。だから、リノのことを知れて嬉しかったんですよ。それから、この私の前で、自分を卑下するような言葉はやめてください。対等な友人関係を築きたいですからね」

 

そう言って、屈託のない笑みを、夏音は入理乃に向けた。その笑顔に、入理乃は、眩しそうに目を細める。船花と書かれた表札がかけられた白い一軒家が、すぐ目の前で、たたずんでいた。



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船花家

船花家は普通の一軒家と比べると、比較的大きく、軽く豪邸と言っても差し支えないほどであった。白い壁に茶色の屋根が特徴であり、童話にでも出てきそうな外観は、どことなく清廉さを思わせる。塀で囲われた庭も、家の大きさに相応しくとても広いようだった。ちらっと見た限りでは、芝生も伸び放題になっておらず、きちんと手入れがなされているらしい。

 

二人は庭へと入ると、船花家に近く。入理乃が手をのばし、チャイムを鳴らす。少し間が空き、しばらくすると男性がスピーカーを通じて、阿岡君、久しぶりと親しげに話しかけた。夏音はどうしてこちらのことがわかったのかと驚いたが、すぐにカメラで見ているのだろう、と納得した。

 

「そばにいる子は、一体誰なんだい?」

「船花ちゃん……サチちゃんの友人です。三人で遊ぶ約束を彼女としていたのですが、聞いていませんか?」

「ああ、そういえばサチからそんな話を聞いたな。今鍵を開けるから、中に入って、リビングで娘を待っていてくれ」

 

直後ガチャンと音がした。遠隔操作か何かで鍵が開いたのだろう。夏音はすごいなと思いながら、言われた通りにドアを開け、中に入って玄関を見渡す。

 

外が外なら、中もすごいかと予想していたが、茶色のシックな壁紙に、白い靴入れと至って案外普通だ。しかし靴入れの上にはボトルシップがあって、精巧な作りをしているのが素人の目にもよくわかり、かなりの値段がするだろうと思われた。その隣には、サチと、その父親であろう妙齢の男性の写真が飾られてあった。砂浜で貝殻を持って笑いあっている様子から見るに、本当に仲が良いのだろう。

 

リビングに行けば、大きい白いソファーやら、近年噂になっている憧れのハイスクリーンのテレビがあったりと、こちらは予想どうりの部屋だった。家具はどれも値段が高そうなものばかりで、見ているだけで気後れしてしまいそうだ。

 

「なんか、お金持ちの家って感じです……」

 

そのお洒落な内装に、貧乏くさい自宅と比較して、密かに敗北感を味っている夏音に、入理乃は、

 

「船花ちゃんのお養父さんね……、有名な資産家なんだって。……船花久士(せんかひさし)って人なのだけれど……。聞いたことない?」

「聞いたことあるような、ないような………」

 

たしか、ニュースでその人物が出ていような気がするが、記憶があやふやだった。夏音がテレビで見るのは、アニメやらバラエティーやらが中心であり、ニュースはあまり見ない。だから、興味がないものその分野に関しては、そこまで記憶にとどめていなかった。

 

「おまたせ、夏音、入理乃、キュゥべい」

 

がちゃりと扉が開き、赤いチェックのシャツに黒のスカートを着たサチが、何やら上機嫌で、リビングに入ってきた。鼻唄を歌いながら、私の部屋で話そうよと明るく笑うサチに、ただただ、夏音は困惑するしかない。しかし、入理乃は何故サチがこんな風になっているのかを理解しているようで、苦笑していた。夏音は、キュゥべえにこっそりと耳打ちし、

 

『あー、あー、聞こえてます?リノ』

『聞こえてるわ、夏音ちゃん』

 

テレパシーで返事する入理乃。途端、夏音が嬉しそうに顔を輝かせ、キュゥべえを見ながら、感激したように言う。

 

『……すげえ、本当にマジでテレパシーが使えるんだ。そして、キュゥべえはただの影がうすい淫獣じゃなかったんだ……』

『夏音、キミはボクのことをどんな目で見てるんだい?』

 

キュゥべえが、そう尋ねる。夏音はそれを無視して、入理乃に、再びキュゥべえを介して、テレパシーを送る。

 

『船花は一体どうなっているんですか?なんか、妙に優しいんですけど』

 

昨日の様子とは、まるで違う。感情の起伏が激しく、かつわがままで、自分勝手なあのサチには見えない。何かあったのか、逆に心配になってくる。

 

『たぶん、だけど………お義父さんに、何かしてもらったんじゃないかしら………。サチは、お義父さんのことが、…とても好きだから……』

『そうなんですか。なんか意外ですね』

 

サチが父を好きとは、驚いた。普通、この年頃だと、父親のことを、何かと嫌ったりするものである。それに、サチは年下のくせに反抗的だから、何となく親や先生などにも、自分と同じような態度をとっているように、夏音には思えた。

 

「ここが私の部屋だよ」

 

二階に上がって進んだ先にある突き当たりの部屋を、サチが開ける。中に入りながら、夏音はちらりと部屋の内装を見た。白の壁いっぱいにはられた海の写真に、ボトルシップがのってある勉強机。青い毛布のベット。こじんまりとした本棚は、教科書よりも、漫画やゲームのソフトなどが、大半を占めている。中央にある折り畳み式の机の真ん中には、事前に用意してあったのか、様々な種類のお菓子が入れられてある容器が、鎮座している。

 

「どうぞ、腰かけて。お菓子も好きなの食べていいよ?」

「いいんですか?じゃあ、お言葉に甘えて」

 

夏音が机の前に座り、遠慮なく菓子の山からクッキーの袋をとって、あけた。それを、ベットで腰掛けながらニヨニヨ笑うサチ。と、そこで、困り眉だった入理乃が、はっと気づいたように、声を張り上げた。

 

「夏音ちゃん、それはーーー」

「っ!!」

 

しかし、時はすでに遅く、夏音は言葉にならない声をあげた。思わず、口元を隠しながら、それを、吐き出す。混乱しながら、夏音は考える。自分は、クッキーを食べようとしたはずだった。なのに、カキン、と固い鉄のようなものを、噛んだ感覚がした。そして中で、ゴムのような味が、口いっぱいに広がった。一瞬で理解する。これは、クッキーなどではない。これは、クッキーによく似た何かだ。

 

では、何のためにこんなものを用意したのか?答えはもう、わかりきっている。夏音は目の前で笑っているサチに向かって怒った。

 

「船花!!ふざけるのもいい加減にしてくださいよ!?」

「フフフフ、何怒ってんの?こんなのに引っ掛かるテメエのが悪いんじゃん。フフ、アハハハハハ!!」

 

そういって、サチは、ベットに倒れこんで、腹をねじらせ笑った。そして、傑作だ、あー、傑作だと夏音を散々馬鹿にした。さすがに入理乃が注意するが、途端に不機嫌になったサチに睨まれて、しゅんとなった。

 

「あ~あ、せっかくお義父さんに、新しいボトルシップ買ってもらったのになあ。夏音がきたせいで、嫌な雰囲気になって、嬉しかった気持ちがどっかにいっちゃったよ」

「お前が呼んだんですけどねえ、その夏音は。ていうか、そもそも何で魔法少女体験コースをしようと思ったんですか?そう言うくらいだったら、しなきゃいいでしょう?」

 

怒りを通り越して、むしろ呆れながら言う。すると、先程まで寝転がっていたサチが起き上がって、逆に夏音に対して呆れたように、さも当然のような顔をしていった。

 

「わかんないの?船花様は、テメエのために魔法少女体験コースをしてやってんだよ。契約する前に魔法少女がどんななのか、紹介してやろうと思ったんだよ。この船花サチ様に泣いて感謝しろよ、ボケカス!!」

 

瞬間、一同に、皆が無言になった。入理乃が、若干苦笑し、夏音は、驚きのあまり固まった。キュゥべえは、首をかしげ、尻尾を揺らしていた。

 

「ま、まともだ………。思ったより、まともな理由でした。驚きましたよ。考えはまともなんですね、キュゥべえ」

「そうだね。サチはこんな性格だけど、考えることや言うことはまともだ。まあ、目的を達成するためのやり方は乱暴だけれど」

「キュゥべいー、首をへし折られたいのかなあ?」

 

むんず、と首が捕まれ、持ち上げられるキュゥべえ。やれやれといったようすで、キュゥべえは、

 

「わかったよ。ごめん、サチ」

「うむうむ。わかればいいんだよ、キュゥべい」

 

満面な笑みを浮かべた少女は、白い小動物をぱっと離す。ふぎゃっと、キュウべえが地に落ちて、小さく悲鳴をあげた。その光景を、夏音はドン引きしながら見ていたが、入理乃はいつものことだったので、特に気にせず、苦笑して眺めていた。

 

「そういえば、入理乃から聞いたんですけど、貴女話をしたいそうじゃないですか。一体何の話をしたいんですか?」

「魔法少女体験コースの話だよ。夏音には、放課後に、毎日結界のなかに一緒に来てもらうと思ってるんだ」

「拒否権は?」

「もちろんねーよ」

 

実に良い笑顔で、サチが言う。マジかよと、夏音はちょっと顔をひきつらせて笑った。毎日とは、なかなかに、ハードである。いつ死ぬかもわからない場所に飛び込んでいくなんて、嫌にもほどがある。

 

「それから、今日もこれから魔女狩りいくから」

「やっぱりそうですか…」

「あ、でも、その前にーーー」

 

と、そこでサチがニヤリと、笑った。それだけで、入理乃は相方が何をしようとしているのか、ある程度検討がついたらしい。戸惑った顔をして、困ったように眉をひそめた。でも、止めなかった。彼女には止められなかったし、むしろ、夏音にも聞かせたほうがいいと判断したらしく、おとなしく黙っていた。

 

サチは、キュゥべえを見た。その赤い目をじっと見た。そして、瞳を細めた。その瞳には、深い感情と感情とが、それぞれ混じっているように、夏音には見えた。そして、それがどういう感情なのか、理解ができなかった。

 

「私が、何で魔法少女になったか、について話すね。先輩の失敗談としてさ」

 

そう言うと、サチは語り始めた。あの三年前の出来事を。自分の願いのことをーーー




色々と忙しくなってきたので、これから、更新が遅くなると思います。


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だから、何でも許される

船花サチは、最初から船花サチだった訳じゃない。船花サチは、以前は香干(かほせ)サチだった。

 

サチは、伯父に養子として引き取られ、三年前に名字がかわった。何故ならば、彼女が両親を殺したからだ。その願いによって、両親が死んでしまったからだ。

 

でも、別にサチは両親を殺そうとしたのではない。ただ、両親がいらなかっただけ。でも結果的にそうなったことで、サチはあらゆるものから解放された。香干サチが、船花サチになったことで、彼女は真の意味で欲しいものを手にいれ、あれほど羨望していた自由の身として飛び立てた。

 

でも、その願いは、本当に正しかったのだろうか。その願いは、呪いではなかったのか?自分は、あの二人を犠牲にしても良い人間なのだろうかーーああ、良い人間だ。むしろあんなのは、いない方がましだった。いつだって、あいつらは自分勝手だったのだし。

 

それに今のサチは、船花サチだ。“船花サチ”は、何をしても許される。船花サチは、香干サチじゃない。だから、両親を踏み台にして、幸せを教授していてもいい。何も知らない顔をして、好きなことをやっていていい。船花サチは何者にも、もう縛られないのだからーー

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

「サチ、貴女の名前は私の名が由来なのよ」

 

そう笑ってサチの母、(ゆき)が娘の髪をとかした。傍らにいる父が、サチに肩に手をのせて言った。

 

「サチ、お前は私たちの自慢の子だ。私たちの、可愛い娘だ」

「うん、お母さん、お父さん」

 

サチは虚ろな目で答えた。アンタ達が自慢なのは、可愛いのは、私じゃない私でしょう、とは言わなかった。ただ、このままこの時間が過ぎて、終わってほしかった。

 

サチは幼いころから、虐待をされて育ってきた。でも、だからと言ってサチが親から暴力を振るわれてきたのかというと、むしろそういうことは一度もなく、怒られたことさえなかった。

 

彼女はただ、愛されていた。過剰とも言えるほどに、サチは父母から甘やかされ、色々なものを買い与えられた。お洋服、玩具、豪華な料理。欲しいものは、思いのまま。何でも、両親が与えてくれる。

 

でも、本当に欲しいもの、愛情だけは手に入らなかった。だって、両親が求めているのは、このありのままの自分じゃない。理想の娘だ。お行儀がよくて、誰よりも可愛くて、優秀で、素直で、わがままじゃなくて、謙虚で、それでいて元気がよくてーー従順な、馬鹿みたいに自分達に都合の良いお姫様だ。

 

両親は、お人形ごっこでもをするようにサチをひたすらに愛でていた。自分達の娘を誰もが羨む娘に育て上げ、そんな娘を愛することで、自分達がいかに幸せなのかを実感し、周囲に見せつけることに、香干夫妻は躍起になっていたのだ。

 

サチのその生活は両親が一からスケジュールをたて、徹底的に管理されていた。朝には必ず七時に起き、車で蘭ノ家学院の小等部に登校。学校が終われば、習い事やお出掛け。時には学校を平日の日に休んで、遠くまで旅行に出掛けた。夜にはこうして両親に寝る前に、ねっとりと絡まれた。

 

自分の将来も、すでに決まっていた。自分は大人になったら、海外の一流大学を卒業して、そこのセレブの妻になるらしい。両親はそんな夢物語をサチに毎日のように延々と聞かせ続けた。

 

正直言って馬鹿馬鹿しい。アホかと思う。そんなにうまくいくはずがないとサチは心の中で嘲笑していた。だいたい自分はそんな柄じゃない。セレブになんかなりたくない。お高い服も靴も、美味しいお料理だっていらない。全部見栄を張るための道具は必要ない。

 

それよりも、もっともっと船とか海とかを見ていたい。海を見るのは好きだ。どこまでもどこまでも広がって、果てが見えなくて、気が遠くなるのがとても良い。船に乗るのは最高だ。波を切り裂いて進んで、風を一身にうけるときが心地いい。

 

それらは自分を唯一両親から解放してくれるもの。サチにとっての自由とはそれしかない。サチは両親の愛情を欲しながらも同時に両親からの解放を望んでいた。

 

そんな相反するような感情に苦しみながらも、親に反抗しなかったのはきっと偽物でもいいから、愛してほしかったから。嫌われたくはなかったからだ。あの人たちに見放されたら、自分は誰からも見向きもされない。そうなったら、サチは一人寂しく孤独でいるしかなくなるのだ。そんな世界で生きるなど耐えられない。サチは自分から手錠ををはずすことが、どうしてもできなかった。

 

しかしある日の夜、一匹の悪魔が表れた。そいつはキュゥべえと名乗る魔法の使者だった。曰く、サチに魔法少女になるよう勧誘しにきたという。混乱し、現状を把握できなかったサチは聞き返す。

 

「……魔法少女?」

「うん。ボクは何でも一つだけ、願いを叶えてあげる。でも、その代わり魔法少女となって、キミは魔女と戦う使命を負うことになる」

「……………………」

 

何でも一つだけ、願いが叶う。サチはそれを心の中で何度も何度も、繰り返した。その言葉は、いわば手錠の鍵だった。この白い赤い目の猫はそれを目の前でぶら下げたのである。サチはもうそれだけで、魔法少女とかキュゥべえとかのあり得ないようなことを、すっかり信じこんだ。

 

「じゃあ魔法少女になったら、私はお母さん達から愛されるようになるの?」

「それは、どういう意味だい?キミはもうとっくに、二人から愛されているじゃないか」

「愛してなんかない!!あの人達が愛しているのは、私じゃない私、“良い子の香干サチ”っていう外面なの!!」

 

サチは気がつけば、そう怒鳴っていた。抑えきれずボロボロと、白い小動物に思いを吐露し続ける。

 

「私はもっと自由になりたい。そして、誰か私を私として、認識してほしい。ああそうだよ、親は私のこと、私として認識してないんだよ!!ふざけんな、道具じゃねえんだぞ、私は!!何が自慢の娘だよ。それは、テメエらの理想じゃねえかよ……」

「だったら、キミはキミの理想を叶えれば良い」

 

目を見開いた。そんなこと一度も考えたことなかった。予想外のキュゥべえの言葉に、サチの心が震えた。

 

「私の理想……」

 

思わず、サチは唾を飲んだ。そしてその魅惑に抗うことなく、考えることもなく、彼女は願いを言った。

 

「私は、今の家族を捨てたい。私のことを愛して、尊重して、ありのままに接してくれる、私の理想通りの親がほしい!!」

 

瞬間胸の辺りが熱くなって苦しくなった。サチはたまらず苦痛の表情を浮かべた。自分の中から何かが引き出されるような感覚のなか、目の前に浮かぶ光輝く宝石へと、手を伸ばす。

 

触れた瞬間その力は弾け、身を包んだ。素肌を包帯が覆う。布の面積が際どいセーラー服を着用し、頭には帽子を被った。いつのまにか、彼女は魔法少女の姿になっていた。戸惑うように、自分の服装を確認するサチに、キュゥべえは新たな魔法少女の誕生を祝福した。

 

「おめでとう、これでキミの願いは遂げられたよ」

「そうだ、願い………」

 

本当に願いが叶っているのだとしたら、今の両親はどうなるのだろう。今は一体どういう状態になっているのだろう。そしてどのような形で自分の願いは叶えられたのだろう。

 

いてもたってもいられず、サチはそのまま親の寝室へと足を運び、そしてそのドアを開けた。二人は部屋のなかで一つのベットで寝ていた。サチはそれでも構わずに、二人を起こそうと近づくと父親の肩を掴み、はっとなった。

 

「冷たい……?」

 

急いで、隣の母親の脈をはかる。しかし無情にも、心臓は動いていなかった。そんなはずがないと、二人に心臓マッサージを試みるもすでにそんなことは無駄だった。

 

その後は、目まぐるしいほどの早さで時間が過ぎていった。二人は脳卒中が死因であると判断され、近くの寺に埋葬された。親が死んで、身寄りのなくなったサチは、伯父の希望で彼の養子となることになった。そして名字が香干から、船花になった。彼女は、そうなることで理想の家族と自由な未来を得ることができたのだ。

 

でも彼女の心は晴れなかった。両親が突然死んでしまったのがショックだった、というよりも、自分が両親を殺してしまったという事実のほうが衝撃だったのだ。

 

人殺しがいけないことだとサチも分かっている。ましてや肉親を殺すなど、本来ならば死刑になるんじゃなかろうか、とサチは恐怖に震えた。願った夜のことが脳に何度も再生されては、新たな手錠となってサチを苦しめる。心ごと牢屋に閉じ込められたような気がした。

 

「何で、こんなことに……」

「それは、キミが理想の親を願ったからだ。でもそれがどういう形で実現するのかは言わなかった。だから、こんなことになったのさ」

「…………自業自得だってこと言いたいの?」

 

不機嫌そうに睨み付ける。しかし、キュゥべえは涼しい顔で首を傾げた。

 

「不満なのかい?」

「不満っていうか、何ていうか……」

「キミの望みは叶った。キミの新しい親は、キミが言っていた、本物の愛情を向けてくれているじゃないか。それにキミは強制された生き方をしているのではない。何もかもいいことじゃないのかい?」

 

確かに、何もかもいいことだらけだった。その事に、不満事態はない。だが、自分が犯した罪は、果たして許されるものなのだろうか。

 

こんな自分は、いてはいけないのではないのだろうかとサチはこのごろ考えていた。そんな娘を、養父は実の両親が死んで沈んでいると思っているらしい。明らかに気を使わせてしまっていて何だか申し訳なかった。

 

「そもそも、そんなに落ち込むこともないんじゃないのかい?キミは、もう“船花サチ”だ。船花サチは、自由なんだろう?」

「……私は、“船花サチ”。香干じゃない。自由になった、私…………」

 

自由になったということは、何でもできるということだ。そして、それはすなわち、何でも許されるということではないか?香干サチは、許されない。でも、今の船花サチならば?許される。何したっていいから。

 

だから、元の両親なんて、知ったことじゃない。自分を愛してくれるのは、あの人だけだから。

 

 

◆◇◆◇

 

 

「ま、そんなわけでこの船花様は魔法少女になったんだよ。いやあ、アホかっての、当時の私は」

「……船花は、魔法少女になって後悔してるんですね」

 

船花サチが話し終わると、夏音は俯きがちになってそう言った。

 

夏音はサチのことを軽い気持ちで魔法少女になったのだと誤解していた。しかし全然違ったのだ。そこには重い過去と苦しみがあって、夏音はそんなことを考えず勝手に決めつけてしまっていたのだ。そのことを今、夏音はとても後悔していた。いっそ申し訳ないと思うほどだ。

 

「そりゃあね、でもまあ魔法少女もそこまで悪いとは思わないんだよね」

「どうして…?命の危険があるんでしょう?」

 

魔女なんて怖いし殺されるかもしれないから、夏音は特別な理由もない限り、絶対に自ら魔女の元に近づかないだろう。それを毎日のようにやっているなんて嫌気はささないのだろうか。

 

「魔法が使えるってだけで、他の奴らよりもすごいし特別じゃん。便利だしちょっとのずるもできる。最高だよ」

「ああ、なるほど。言われてみればそうですね」

 

ずるはいけないが、特別というワードには惹かれる。魔女との戦闘を思い出す。あんな奴らと戦えるその力、常識じゃ測りきれない魔法。それがこの手の中にあったならと思うと心臓が高鳴る。もしかしたら、兄のような存在にだってなれるかもしれない。

 

「私よく授業で使ってカンニングしたりしてる。あとイタズラとか」

「おい、元お嬢様」

 

ジト目で睨むとサチはなんだよとでも言いたげに仏頂面になった。

 

「これでも外面は良くしてるっての」

「でも何でそんなことを?」

「どーでも良い奴ら多いし、そんな奴に本性見せるとかアホらしいもん」

「逆を言えば…、どうでも良くない人には本性を見せるのよね、船花ちゃんは」

 

入理乃が横からボソリと呟く。サチはムッとした顔になって、入理乃の頭を両側から握りこぶしでグリグリとやった。入理乃は痛い、痛いと言って逃れようとするが、サチは許さずこちょこちょの刑に処した。

 

「ちょ、やめ、ふふ、アハハハハハハ!!」

 

入理乃は堪らず笑った。入理乃は涙目になりつつ辛い辛いと言う。しかしどこか楽しそうだ。サチも笑ってふざけて脇腹をひたすらくすぐっている。

 

「…これってじゃれてるのかな?」

 

取り残された夏音に構わず、二人は笑い続けた。船花家に笑い声が響いて、サチの養父がギョッとなったのはまた別の話だ。



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人のためには、戦えない

船花サチ、阿岡入理乃、そして、菊名夏音の三人は、魔法少女のお供のキュゥべえと一緒に町の中を散策していた。それぞれサチは宝石を手のひらにのせ、入理乃は透過させ、中身が見えるようにした紙の袋を掲げながら進んでいる。そして、その光の点滅具合を時々確認する。彼女達の様子を夏音は不思議そうに眺めながら言った。

 

「そんな風に魔女を捜索してるんですね」

 

絵面だけ見れば、ただ歩いているだけだし本当に花がない。魔法少女というアニメみたいな存在は、妙なところは地味で現実的なんだな、と思わずにはいられず、なんだかがっかりだ。本音でいえば、夏音としてはもっとこう派手ですごいと思えるような感じのが見たかった。

 

「ええ。魔女の魔力の後を、こうして、探してるののよ…」

「つまりそれを追って、魔女を見つけるということですね?」

「そうそう。で、その魔力に反応してこのソウルジェムが光るの。私達はこれを便りに魔女のもとに行くんだよ」

 

と言って、サチは手に持っているものを見せた。それは金色の台座に支えられた卵型の宝石。色は深々とした海を連想させるコバルトブルーだ。てっぺんには錨のマークがついており、本体の方に刻まれている紋章らしきものもアンカーだ。

 

しばしば夏音はそれを見つめると、肩にいるキュゥべえに質問する。

 

「ソウルジェムって、何ですか?」

「魔法少女の証であり、魔力の源。ボクと契約した魔法少女の祈りが生み出す石だよ」

「要は変身アイテム的なやつってことですか?」

「まあ、厳密には違うけど、概ねそう考えてもらっていいよ」

 

そう答えるキュゥべえ。それにしても、と夏音は紙の袋を下げている入理乃に尋ねる。

 

「何で紙の袋なんかに、ソウルジェムをいれてるんですか?」

 

入理乃が提げている袋には、色が紫でてっぺんについたマークが桜の花びらという差異こそあるものの、サチと同じ形の宝石が入っている。透過できているということは、袋は魔法の紙で造ったのだろうが、だとしてもわざわざそこまでする理由がわからない。

 

「そのまま指輪にして露出させといたら、割れちゃう可能性あるじゃない?そもそも命と同価値のものを守っておかないと安心できなくて気が気じゃないっていうか…」

「まったく、大袈裟じゃないの?入理乃ってば、昔から神経質だよね。本当心配しすぎー」

 

声をたてながらサチは笑った。まるで、馬鹿じゃないのと言わんばかりに。

 

夏音はそれを一瞬ジト目で睨むと、縮こまっているだろう入理乃の表情を見るためこっそりと視線を向けた。しかし彼女は驚いたことにまったく弱気そうな態度をとっておらず無表情だった。だがそれも一瞬のことだった。

 

入理乃は空いた手の上に魔法で同じ袋の紙を出すとサチに、

 

「ね、ねえ……よかったら、船花ちゃんも、これにソウルジェムを入れてくれないかしら……?」

「しつこいなあ。何度もいらないっていってんでしょ?第一、そんなのにいれたら持ち運び不便だし、どっかに忘れそうじゃん!!」

 

怒鳴られて、びくりと肩を揺らす入理乃。しかし、それでも食い下がらず続けておどおどした口調で言う。

 

「そ、それは……、自分で気をつけて……、肌身離さず常に持ってれば……」

「あーもー。うっさい。これ以上、船花様に口答えするな。面倒なんだよ」

 

うんざりだったらしくサチはぎろりと鋭い目をした途端、低い声を出す。入理乃は、ようやくそれで口を結んだ。もうこれ以上言っても仕方がないと思ったのだろう。しかしその表情は完全にあきらめたものではなくまた同じことをやろうとしようという意思が表れているようだった。

 

夏音は頭のなかで小動物に話しかける。キュゥべえは少女の顔を見るため上を向いた。

 

『ソウルジェムって、割れたらいけないんですか?』

『ソウルジェムは説明した通り魔法少女の力の源。それが割れたら、大変なことになる』

『魔法少女じゃなくなっちゃうんですか?』

『そうだね。ソウルジェムを失えば、魔法少女は魔法の力を失う。そういう意味でも、入理乃はソウルジェムを特に大切に扱っているのさ』

 

しかしサチを見る限り彼女は自身のソウルジェムをそこまで大事に扱ってはいないらしい。まあ、面倒くさがりのようだし物も雑に扱うイメージがあるけれどと夏音は心の中で呟いた。

 

少女たちはそれから休憩を挟みながら二時間ほど歩いた。回った場所は、廃虚や廃ビル、商店街の路地裏などの不気味な場所だった。その他にも大通りやデパート内部などの華やかなところをパトロールし続けた。

 

魔法少女の二人曰く事件や事故などが頻発する場所には魔女がいる可能性が高らしい。なぜならば、その事件や事故を魔女が引き起こしているからだ。そして自殺などをさせやすい廃虚や単純に人が集まるところに魔女はよく潜む。魔女は餌が得られる場所を好むのだ。

 

もちろん普通の場所に普通に魔女がいることもある。また魔女の種類によって潜んでいる場所に偏りが見られるらしい。故に魔女がどこに潜んでいるのか基本的に予想がつけられるが、うっかり見落とす場合も多々あるのだという。魔女探しは町の隅々まで行わなくてはならない。

 

人気のない裏通りを通っている時にふいにソウルジェムの点滅が光を増した。二人が、はっとなってそれを見つめる。ソウルジェムが魔力を捉えたのだ。

 

「反応、強いですね。この近くに、いるんですね」

「……そうみたいね。でも、この感じだと……微妙かしら。なりかけっぽいけど、でも成長しきっていたら…」

「一応、いってみよーよ。あいつのところのかもしんないしー?」

 

仕方がないように入理乃は頷いて、三人は再び歩き始めた。そうして魔力の反応をたどっていき路地裏に入る。ひたひたと湿った通路を歩く。背の高い両脇の建物の影でそこは真っ昼間だと言うのに薄暗かった。突き当たりまでいくとピタッとサチが止まった。

 

「どうやら、使い魔の結界のようだね」

「使い魔……。あの手下って、魔女みたいに結界をはるんですか?」

 

夏音が疑問をキュゥべえに投げ掛ける。彼はそれを肯定する。補足するように、入理乃が続けて説明する。

 

「こういった使い魔はね……、魔女に成長するかもしれないの……。人を何人か食えば…、親と同じ魔女になるの。これはなりかけみたい……」

「じゃ、じゃあ放っておいたら大変じゃないですか。だったら、早くーー」

「倒せって?やだよ」

 

思わず、耳を疑った。サチが、何でそんなことを言ったのかがわからない。話を聞く限り使い魔は魔女同様に危険な存在だ。それどころかそれらのボスである魔女に成長するのだ。絶対に倒しておいたほうがいいはずなのだ。

 

なのにサチは乗り気ではない。入理乃の方も目をそらして、うつむいたまましゃべらない。やはりなにかあるのだろうか。使い魔を倒せない理由が。それとも、倒したくない理由が。

 

「何で、使い魔を倒さないんですか?」

「そんなん、決まってんだろ。メリットがないからだよ」

 

サチがポケットからなにかを取り出す。それは、上と下に針が生えている黒い球体だった。黒い色に相応しいくらい、夏音には禍々しくて見えてかなり嫌悪感が湧いてくる。サチはその刺を手の平に立たせて夏音に見せた。

 

「これ、あの時魔女が落として、貴女達が回収したもの……」

「グリーフシード。魔女の卵だよ」

「卵!?あいつらって、卵から生まれたりするんですか…って、ヤバイやつなんじゃ、それ」

 

孵化したら、またあの魔女が生まれてしまうのだ。このグリーフシードは処分したほうがいいのではないだろうか。

 

「夏音。今の状態のグリーフシードは安全だよ。そして、魔法少女は、これを使って魔力を回復するんだ」

「そうそう。魔法使う度に、ソウルジェムには穢れがたまってくんだけど、この卵使えばキュゥべいの言う通りそれが元に戻るんだよ。ほら、よく見てよ。濁ってるじゃん?船花様のがさ」

 

ソウルジェムを彼女がもう片方の手でつきだす。言われた通りに見てみると、確かにその輝きの中に黒いモヤモヤとした穢れが蠢いていた。サチが宝石にグリーフシードを接触させる。すると穢れがグリーフシードに吸いとられソウルジェムが本来の光を取り戻していった。逆にグリーフシードは穢れを吸収したぶんより真っ黒になっていた。

 

「こうやって穢れをとって魔力を回復させんの。ゲームとかにさあ、よく特定のアイテムを時々落とすやついるよね。それと同じで、魔女もグリーフシードをたまに持ってるんだよ。わかりましたか、クソ夏音先輩?」

「私はクソ夏音先輩じゃありません。つまり使い魔を倒しても、グリーフシードは手に入らないってことですね」

 

そもそも使い魔を倒すためには、魔法をどうしても使わねばならない。つまり魔力を消費しなければならない。しかしそれを回復するアイテムは転がってこない。使い魔を倒すのは余計な穢れをソウルジェムに溜め込むことになる。それは何の利益にもならない。使い魔を倒しても何のためにもならず逆に負担になるだけなのだ。

 

「勘違いしないでほしいんだけど、別に他の人が犠牲になればいいやなんて、思ってないよ?一応昔は私達も多少は使い魔を狩ってはいたし」

「あれ、そうなんですか?」

「船花様を何だと思ってんだよ。被害はないほうがいいじゃないか、ボケ」

 

心外そうに言うサチ。その後を今まで黙っていた入理乃が、でもあることがきっかけで、使い魔を狩らなくなったのと言った。

 

「魔法少女にはね、魔女の狩り場、要するに縄張りがあるの…。昔は見滝原も私達の縄張りだった…。でも、二年前巴マミが魔法少女となった…。そのことを知ったから…、私達は、その子に知られないように、見滝原から出ていったわ…」

 

これは、サチの提案だったらしい。入理乃は反対したのだが、結局新入りの巴マミに見滝原を譲ることにした。グリーフシード不足で魔力が足りなくならないように。

 

「でもちょうど同じ頃に、ボクは広実結(ひろみゆえ)という少女とも契約していたんだ。早島に新しい魔法少女が生まれたんだよ。そして彼女はサチたちと縄張りのことで対立した。話し合いによって、早島市の半分をサチと入理乃が、もう一方を結が縄張りとすることになったんだ」

 

結果二人の魔法少女の狩り場は、初めと比べてずいぶんと収縮した。もちろんそうなってくると倒せる魔女の数も減るのだ。必然的にグリーフシードを手に入れられる数も激減した。当然、そうなると、魔力を今までのように、無駄に消費できなくなる。

 

「だから、使い魔を狩るのをやめた。被害も、仕方がないと、割りきることにしたんだ。それに、使い魔を倒しても、自分には何もかえってこないし」

「………」

 

しかしそれだと使い魔は魔女へと成長し、この世界に呪いをもたらす。人がたくさん死んでしまうのだ。だが夏音は彼女らに、そのことについて何も言えなかった。だって夏音も彼女達の立場だったら、彼女達と同様の考えに至るとしてもおかしくない。そう思うと急に言葉が引っかかってしまった。

 

「この船花様はね、グリーフシードが欲しいから魔女を倒してるの。私は他人のためじゃなくて自分のために魔女を狩るんだよ」

「……リノはどうなんですか。貴女もそうなんですか?」

 

夏音が入理乃に質問を投げ掛ける。それに彼女はうつむいたまま、静かに頷いた。



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奇妙な夢

結局、三時間街を歩き回ったものの魔女は見つからなかった。もう遅い時間だったので、それぞれ帰路につくことにした。夏音とサチに別れの挨拶を述べた入理乃は公園へと足を運び、そのブランコに座って夕暮れの空を見上げていた。

 

「…………………」

 

辺りは静かだった。この世界から音が消失したみたいだ。唯一の音源は自分の心臓だけ。とくとく波打ちリズムが、不思議と心地いい。それがここにいるのは自分一人だよと教えてくれて、入理乃は酷く安心して溜息を吐いた。

 

入理乃は一人でいるのが決して好きではない。そりゃ一人で何か黙々とやることは好きだけど、ずっと孤独だったから結果的にそうなってしまっただけだ。入理乃は友達もおらず学校で孤立していて、家族とだって話さない。そんな生活苦痛以外のなんでもない。

 

でも人のいない空間は好きだ。だって、他人の目を気にしないでいられる。自分は自分として振る舞える。汚い人間のことなんて、この時ばかりは頭の片隅にポイと投げ捨てて、ぐしゃぐしゃにしてやれる。

 

「やあ、入理乃」

 

ふいに、静寂をぶち壊す声がして入理乃は不快になった。声の方を見れば白い体の契約者がそばにいて、その身を赤く染めていた。二つの影は斜めにのびて、そのシルエットを地に映す。

 

入理乃は真顔で、ブランコから降りた。そして、手に光を集める。紙でできた刺を握ると、腕力を強化。そうして入理乃はキュゥべえのーーその脳天に、いきよいよく腕を降り下ろした。

 

小動物の頭が貫かれ赤い鮮血が吹き出す。手には、ベットリと血がつき袖にも同様に赤くそれが付着する。しかし、そんなものは魔法でどうにかなるので入理乃は気にしない。突き刺さった棘から手を離して小動物の体を何度も何度も踏み続ける。

 

理屈じゃ説明できない思い、感情。それらが入理乃の体を勝手に支配して突き動かす。思いっきり足には力を込める。その胴体を踏む度に、まるですべての忌々しいものへの怒りを、この小動物にぶつけている気がしてどこか心の中が虚しくなっていった。

 

やがて息切れたたころに、視界のはしから一匹の獣がやって来た。それは紛れもなく、殺されたキュゥべえの姿。そいつは、原型がわからなくなるほどぐしゃぐしゃになった死体に近づいて、くしゃくしゃと食べた。そして食べ終わると目の前の少女に、抗議するように言った。

 

「ひどいじゃないか、いきなり殺すなんて」

「よく言うわよ。体を一つや二つ失っても、どうってことないじゃない。私達と違って」

 

通じないだろうけど、皮肉をあえて混ぜる。入理乃は遠慮なくまたもキュゥべえを踏んづけた。その表情は怒りと苛立ちで歪んでいたが、当のキュゥべえは無表情だった。

 

そのままサッカーボールを転がすように、軽く蹴り飛ばす。再び背後からキュゥべえがやって来る。入理乃は抵抗する隙さえ与えず素早くその首根っこを掴んだ。顔の高さまで持ってくると、紅の双眼を睨みつける。

 

「やれやれ、キミは相変わらず、ボクに対しては容赦がない」

 

困ったように尻尾をふるキュゥべえ。入理乃は冷たい視線を向けながら、自分で思っていたよりもずっと怖くて低い声で言う。

 

「私はどうしても許せないもの、自分の大切なものを壊すもの、そして、自分自身を脅かすもの、すべてが嫌い。お前はその全部に当てはまる。私はそういった者には容赦しないって、決めてるの」

「でも、それにしては、少し苛立っていないかい?もしかして、彼女が原因なのかい?」

「そうよ」

 

彼女はあっさりと肯定した。誤魔化す必要性がなかった。キュゥべえはどうせそんなことなんてとっくに最初から見抜いている。本当に厄介なことに。ああ、心の中で黒い感情が疼いている。まるで膿のようだ。今すぐ搔き出してしまいたい。

 

「キミは彼女をどういう風にするつもりだい?」

「それは、どういうこと?」

「彼女はキミにとって、目障りな存在だ。それを、キミがどうにかしない訳がないだろう?」

 

少女は何も答えない。そしてこんな存在とは話したくないとばかりに、パッと手を離して地べたに落とすと、それに思いきり紙の槍を突き立て殺した。

 

周囲を見渡すと生きたキュゥべえの姿はどこにもなかった。どうやらこれ以上の対話は無駄だと判断したようだ。入理乃としてももうキュゥべえと話すのは面倒くさかったので丁度良かった。

 

入理乃はキュゥべえの死体を掴むと、何の躊躇もなくごみ箱に放り込んだ。あの死体はどっちみちごみだし、公園にそのままにするのも気が引けたのだ。この場所を気に入っているので、キュゥべえがいるだけで嫌で仕方がない。

 

入理乃は一仕事終えて一人満足するとその場をあとにする。

 

「……インキュベーターなんか、いなければいいのに」

 

呟いた言葉は、誰にも聞こえない。真実を知る魔法少女は、憂鬱な気分で家へと歩いていった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

早島市に存在する公立の中学校、早島中学校。その二年A組では、現在五時間目の国語の授業が行われていた。このクラスの担任でもある男性教師、畠山は黒板にチョークで文章の要点を書いていく。

 

早島市は見滝原の南に面する市だ。しかしながら、お隣の見滝原のように都市開発はあまりなされていない。

 

見滝原にある見滝原中では、最新式の設備が揃っている。その校舎も設備に見合うほど立派でクラスを仕切る壁はガラス張りになっているらしい。だが早島中学校はそんなハイテク設備もないしオシャレじゃない。予算がなくて建て替えられてない校舎は古くて木でできているし、むしろ一般的な学校よりも不便で劣る設備しかない。クーラーさえもなくて、夏は暑くて冬は寒い。

 

かつて早島市が炭鉱で栄えたころは、この校舎も立派な方だったらしいが、すっかりみずぼらしい。しかし人が見滝原や周辺の市に流れていき、それに伴って子供の数が減っている今でも、早島中学校は市内有数のマンモス校の座を守っている。

 

その生徒数も無駄に多くて、だからクラスごとの人数もそれなりにいた。二年A組の場合、人数は計三十名。男子が十六、女子が十四名で構成されている。そしてーー菊名夏音も、そのうちの一人だった。

 

「ーーであるから、彼は彼女に対して別れようと思ったのですね。そしてこの彼の台詞からその心情がわかります。つまりーー」

 

畠山先生が話を始める。しかし生徒達は、大半が眠そうな顔をしていてそれに耳を傾けていない。五時間目で今日の授業は終わりだが、この時間帯はかなり眠くなってくる。集中力などどこかに飛んでいってしまって、何人かの生徒に至っては隠れて寝ている。無論先生はすべてお見通しだったが。

 

しかし夏音は真面目にうける方だった。眠かろうが意地でも起きて先生の話をしっかりと聞いているので、怒られたことは一度もない。平凡な夏音は畠山からそこまで注目されていなかったが、真面目なことだけは評価されていた。夏音も真面目なところだけが唯一の褒められるべき長所だと思っていたので、より一層勉強には熱心だった。

 

しかし今日はいつものように授業に集中でなかった。前を向いたまま、時おり必要最低限のところだけ坂書をする。どうしても一昨日のことと、昨日のことが頭をよぎり、先生の話が耳から耳へ通り過ぎて脳には到達してくれない。

 

「…………………」

 

魔法少女、魔女。どちらも夢の中の出来事のようだった。本当にあんなものがいるなんて未だに自分で自分を疑ってしまう。ついこの間まで魔法少女を笑っていた。そんな存在いるわけがない、そんなものは子供っぽいし馬鹿馬鹿しいとさえ言っていた。

 

なのにーーそんなものが実在しているなんて。そしてまさか自分にその素質があるなんて思ってもみなかった。今も夢の中にいるみたいでいまいち実感が湧きにくい。

 

鉄塔の魔女と二人の魔法少女の戦いを思い出す。あの巨大な魔物に、華麗にとはいかずとも余裕に対処する阿岡入理乃と船花サチは、映画の中に出てくる登場人物のように現実味がなかった。計り知れない超越した力でこの世の悪と戦う彼女達はまさに正義の味方のように思えた。

 

でも、全然違った。彼女達はグリーフシードを得るために魔女を狩る魔法少女だった。そしてそんな魔法少女は珍しくはないと言う。人は結局のところ見返りを求めてしまうのだろう。冷酷なまでに人は人を切り捨てることができる。

 

だけれども全く夏音は彼女達のことを失望はしていない。そりゃあ、使い魔による人食いを放置するのは許せない。仕方がないとも思わない。でも彼女達はまだ二十も生きてない少女。夏音は経験したことがないから想像するしかないけど、そんな少女達が人に知られず魔女退治をし続けるのはあまりにもきつい事なのだ。あの二人のように利己的にもなる。決して魔法少女は、テレビのヒロインのようにきらびやかではない存在なのだろう。

 

でも魔法少女についてはもっと知りたいと思った。だってあんな化け物がこの世にいて、それと戦う魔法少女が存在するなんてこと、誰も知らないのだ。だったら自分ぐらいは知っておかないといけないのではないだろうか。昨日二人の願いを聞いて、そして魔法少女の世界の一端を覗いたことで夏音はそう思ってしまった。知らないことを知ってしまった今、このまま何にもないような顔をしているのはなんとなく居心地が悪いような気がした。

 

それにしてももし自分が魔法少女になったとしたら、一体どうなるのだろうか。きっと利己的な魔法少女になるのかもしれない。自分は自分で思っているほど正義感はない。兄のようになりたいけど、夏音は兄のように特別じゃないし優しくない。兄みたいに品行方正ではないのだ。やはりグリーフシード目的に魔女を狩り続ける日々を送るだろう。

 

その姿を想像しようと、夏音は頭の中で魔法少女の自分を描こうとする。しかしぼんやりとしたイメージさえもわかない。悪魔とか、大王になったときの妄想はいくらでもできるのに、魔法少女となると途端それができなくなったことに内心笑う。

 

正直に言ってしまえば、夏音は力には惹かれている。きっとその力を手に入れれば、平凡な自分なんて変えられるからだ。生活に不満もないし毎日充実しているけれど、飽き飽きしていたのも事実だ。魔法少女の力を見て以来、まるで喉が乾いたみたいに胸が燻っているのを感じる。きっと自分でも気づかない内に、抱いていた特別への憧れを刺激されたのだ。

 

けれど魔法少女になりたいかと訊かれたら首を振るだろう。魔女は怖いから、この命を対価に差し出そうとはどうしても思えない。自分が魔法少女になった未来なんて、訪れる可能性は皆無だろうーーそう、思った時だった。

 

頭に一瞬鋭い痛みが走ったと思ったら、突然に視界がブラックアウトした。聞こえていた畠山の声もどんどん遠ざかる。代わりに耳に飛び込んできたのは、何かの絶叫、破壊音。武器を振るったときに聞こえるびゅうと言う空気の音と、自身の息づかい。

 

気がついたら夏音は戦っていた。魔法少女として、戦っていた。

 

うねり狂う深海のような、青一色の結界の中。相対しているのは、空中に浮かぶ巨大な船の魔女。そして、直接魔女に乗りこんだ骸骨の使い魔達。そばにいるのはへたりこんだ阿岡入理乃。目を見開いたままその場からぴくりとも動かない。

 

船から次々と爆弾が砲撃される。それを夏音はハルバードをふるい、叩き落とす。そして、襲いかかる剣を持ったゾンビの首をまとめて刈り取り、近づいた魚の使い魔を蹴り上げ消失させた。

 

「すいません……!!」

 

そう言うと夏音は背後の少女の手を掴んだ。驚愕した顔の入理乃が口を開いた瞬間夏音は魔法を発動させた。入理乃が座る地べたに、魔方陣が生まれ、瞬間少女を飲み込む。入理乃の姿はまるで手品のように忽然と消えた。

 

夏音はその手のハルバードを悲痛な思いで握り直す。魔女が大砲の砲口をこちらに向け、火を吹き上げた。夏音は走って回避、同時にそのまま助走をつけて魔女の元に飛ぶ。船の上にいる骸骨が銃を向け狙いを定める。しかしその前にハルバードの柄を伸ばし甲板に使い魔ごと突き立て降り立つ。

 

そしてありったけの魔力を武器に流し、ハルバードを下へ下へいくように力をこめた。赤い魔力の渦が、切っ先を中心に巻き起こり魔女の体をえぐり徐々に破損箇所は広がってーーやがて魔女は粉々に粉砕した。

 

結界が壊れた。風景が揺らいで現実の世界へと戻る。夏音は空中で宙返りをして降り立つと先程目の前に現れた阿岡入理乃に歩み寄った。彼女は信じられないといったように夏音を見た。

 

「……うそよね。貴女、殺したの?」

「そうだよ。私が彼女を倒しました。貴女に代わって、彼女の命を、演目を終わらせました。こうするべきなんです。あんな劇には幕を下ろした方が良いんです。そもそも魔女を殺すのが私達の役目でしょう?」

 

その冷たい返答に、入理乃は固まった。そして次の瞬間泣き崩れた。それを夏音は悲しげな表情で眺めていた。やがて、入理乃のソウルジェムの輝きが黒に侵食されていった。

 

「嫌だ、イヤアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

絶叫。パキンと魂が弾けて絶望の卵となって孵化した。

 

魔女が現れて、結界が周りの風景を書き換えていった。入理乃の体は、中身が無くなって倒れた。抜け殻は人間の死体じゃなくてただのでかいだけの人形に見えた。

 

何でこうなるんだろう。目の前の生まれたての化け物を見て、夏音はそう思った。

 

また失敗してしまった。自分の力不足で。自分が特別じゃないから。今回もこうして最悪の未来に至ってしまった。次は失敗できない。変えて見せる。

 

変える。絶対に、変える。変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える変える。

 

だからーー演目を続けよう。

 

「ちょっと、授業終わったよ」

 

はっとした。ばっと横を向くと、友人の東順那(あずまじゅんな)がノート片手に立っていた。教室では帰りの支度をした生徒が何人か残って談笑してる。

 

夏音は先程まで何をしていたのかまったくわからなかった。記憶が不自然に欠落していて今の状況が理解できない。困惑した表情で順那の顔を見る。

 

「どうかしたの?具合でも悪い?」

「いえ、大丈夫ですよ。とうちゃん」

「もう、しっかりしてよね。さっきからずーとぼけーとしちゃってさ」

 

順那が困ったように笑う。それに夏音も曖昧に微笑した。と、あれ、という表情をした順那が、開いてある夏音のページを指差す。

 

「夏音、なにそれ?」

「……何ですか一体?」

「いいから、見なよ」

 

促されそのページを見る。そこには、大きな船のシルエットとそれに対峙する二人の少女が描かれていた。一人はハルバードを握り、一人はその場に女の子座りをしている。

 

ぞっとした。いつのまに自分はこんな絵を書いたのだろう。書いた覚えがない。似たようなことも見たことがない。でも、なぜだろう。見覚えがあると確信をもって言える。

 

ふと絵のはしに何かが書いてあるのを見つけた。それは、公園の絵だった。ぐしゃぐしゃに書いてあるが間違いない。その他にも見知らぬ言語でかかれた奇妙な字があったが夏音には、今はまだその内容がわからなかった。



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レプリカ生成の魔法

「あ、そういや、昼休みに一年の子から夏音に伝言頼まれたんだけど」

「一年の子?それって、髪の短い小柄な子ですよね」

「ああ、うん。その子だよ。なんか、放課後校門で待っているっていってた」

 

と、順那は答える。

 

一体どういうことだろうか。約束の集合場所は、校門ではなかったはずだ。まさか、自分と一緒に行こうと思ったのだろうか。何か色々言われそうで面倒くさい。何より、サチが何をしてくるのかわからない。

 

そんな風にちょっと夏音が顔をしかめていると、心配したのか順那が怪訝そうに尋ねる。

 

「何?あの子と知り合い?何か厄介なことでも起きたんじゃないの?」

「まあ…、色々ありましたよ。色々と…」

「色々ねえ…。もしかして、お化けにでも襲われて助けられた?」

「な、何馬鹿なこと言ってるんですか!?」

 

相変わらず変わっているというか、変なことばかり言う友人だと思う。しかもほぼ言い当てられている。順那は時々、こういうことばかり言うので普段から気にはしていないが、今回ばかりは心臓が飛び上がりそうになった。

 

「いや、冗談にマジにならないでよ」

「な…!!あ、貴女にだけは言われたくありません!この不思議ちゃん!!」

「酷い言い草だよ!?…でも本当に何にもなかったんだよね?何もされてないよね?」

「…大丈夫ですよ。少し心配ですけどね」

 

ちょっと苦笑しながらノートをスポーツバックに突っ込むと、夏音は順那に別れの挨拶を告げて廊下に出る。そのまま一階にまで降りて、下駄箱に行き、上履きから靴にはきかえる。そして下校中の生徒らと共に学校を出て校門に行くと、サチがふわっとした笑みで出迎えた。彼女の肩には、あのぬいぐるみのような獣、キュゥべえが乗っていた。

 

「やあ、夏音」

「夏音先輩、お待ちしておりました」

「………何で敬語使ってるんですか?頭がどうかしたんですか?アホだとは思っていましたが、こんなにもおかしくなるなんて…。私、可哀想で仕方ありません」

「ひ、ひどいですよ!!何でそんなこと言うんですか!?」

 

そう言って、大袈裟に驚くサチ。夏音は怪しいものでも見るかのようにサチの顔を睨みつけながら見る。また何かあったのだろうか。この少女はあまり信用ならないのだ。何を企んでるのだろう。

 

「それより~。先輩、私欲しいものがあるんです」

「欲しいもの?」

 

上目使いでサチが(といっても夏音は背が高く、サチは背が低いので、常にそうなっているが)妙に猫なで声で言うので眉をひそめる。サチはにんまりと笑いながら言った。

 

「金」

「ざけんな」

 

軽くチョップする。ふぎゃっとサチが小さく悲鳴をあげた。サチが恨めしそうに涙目になって睨み付けてくる。夏音はそれを良い笑顔で返すと、無視して歩き出した。

 

「あー、待ってよ」

 

慌ててサチが走りよってきて、ごますりをしながら再び金をせびる。

夏音は何も言わず帰り道から大きく外れて駅にまで行くと、バスに乗る。十分ほどで目的のバス停につくとそこで降りる。そこから二十分ほど歩けば本屋に着く。ここが本来の約束の集合場所だ。

 

と、そこで夏音はひっついてるサチをジロリと見た。サチは未だ、金をくれと言い続けている。相手をするのも馬鹿馬鹿しくて無視していたが、もう我慢の限界だ。

 

「好い加減にしてください!うるさいです!」

「良いじゃん!!一万円だけ、一万円だけでいいから!!」

「しつこいです!!あとそんなに余裕ないです」

 

菊名家のおこづかいは、月毎に渡されない。一年が終わるごとに、一気にもらう。故に、計画的に使わねばすぐになくなり、その一年間は何も買えない。だからサチにやるお金などないのだ。この少女にお金を渡すよりも、夏音としてはおこずかいを欲しいものに(神話全集)や必要のあるもの(イヤホン)に使いたい。

 

「奪う訳じゃないから、これはマジで。私は、嘘つかないから」

「夏音。百円だけでもいいから、渡してみたらいいよ。きっと、面白いものが見られるよ」

「…じゃあ、一円だけですよ」

 

バックから財布を取りだし、そこから一円をとって渡す。サチがやけに得意顔でにやける。正直言ってうざかった。

 

三人はキュゥベエの指示で本屋の裏側に回り込むと、サチは持っている一円を両手で包む。魔力を送り込むと、青い光が手の覆いから漏れる。夏音は何をする気か黙って見ていた。

 

「じゃ、いくよ」

 

光が極限まで輝く。夏音は思わず目を閉じてしまう。再び目を開けたときにはその彼女の手は開かれていた。そして、その中にあった硬貨は、

 

「増えてる…?」

 

手のひらの上には、一円の硬貨があった。しかし渡した一つだけではない。およそ六十枚の硬貨がサチの手の中で山をつくっていた。夏音はしばらく驚きで固まっていたが、やがて敬語も忘れるぐらい興奮したようにはしゃぎ始めた。

 

「今の、魔法だよね!一体何の魔法を使ったの!?」

「ちょ、何いきなりテンション上がってんの?」

「もしかしなくても物質創造系の能力だよね!?すっごい!!マジですごいし羨ましいよ!だって大体そういうのってカッコイイじゃない!!本当、そういうの憧れなんだよ!!」

「カッコイイ…。憧れ…」

 

予想していなかったのか、その言葉に船花サチが今度は驚いた。彼女はぽかんとしていたが、少ししてから取り繕ったかのように、当然だと言わんばかりに胸を張った。しかしどう見ても、照れているのはバレバレで、口の端が上がっている。しかし夏音はそれどころじゃなくて、気にすることはなかった。

 

「ふん、テメエもわかってんじゃんない。そうだよ、船花様の魔法は超スゴいんだよ。私の魔法は、何でも生み出せるんだよ」

「おおー!!」

「この船花サチ様の魔法はレプリカ生成!!あらゆる物のレプリカをつくる魔法!!めっちゃすごいでしょ!!」

 

サチがどや顔で言い放つ。しかし次の瞬間夏音は真顔になっていた。まるで、どうでもいい話を聞いたかのように一気に冷めてしまった。

 

「どうしたんだい、夏音。さっきまで、興奮した様子だったのに」

「いや……、以外とショボい能力だったので、ついがっかりしちゃって」

「ついじゃねえよ!!船花様の魔法だってスゲエだろ!!金量産できるんだよ!?」

 

そう言うと、手からじゃらじゃらと金を出して見せる。金の洪水に身を引きながらも、夏音は言う。

 

「レプリカじゃないですか。使えないですよね?」

「ばれなきゃ使用していいんだよ。使ってばれたことなんて、一度もないんだし」

「マジですか!?」

 

だがしかし、その使っているお金はそもそもレプリカだから偽金である。サチはすでにそれを使って買い物やってしまっており、なおかつそのような行為を日常的行っているらしかった。立派な犯罪である。

 

そんなに感じでドン引きしていたら、突如サチの手から半分ほどのお金が消え、その山も二分の一になっていた。滝のように流れていた硬貨の川も消えてなくなる。夏音が目を見開いてそれらの現象にいちいち驚いているとキュゥべえが、その疑問の答えを言う。

 

「サチは産み出した物質を自由に消すこともできるんだよ、夏音」

「自在に消す?じゃあ、レプリカを無限につくっても、そのすべてを消せるんですね。なんと微妙な……」

 

はっきりいって地味な能力であろう。いや、スゴいと思うのだ。だがやはり地味である。それに消したとしても自分でつくったもの限定だからあまり便利そうには思えない。

 

「微妙ではあるけど、それでも日常的には役立つ魔法だ。しかし、戦闘面ではその魔法だけでは何の役にもたってない。単一の物質ならば限りなく近い物質を生み出すけれど、価値が高いとサチが思うもの、複雑なものほど再現は難しい。機械なんかのレプリカを魔法で造ったところで、ガワだけだからね。そういうところも実に微妙だね」

「キュゥべい?黙らねえと、潰すよ?」

「やれやれ、ごめんよ、サチ」

 

まったくと、うんざりした声音で言う。それに満足そうにサチが笑った。相変わらずころころと感情が浮き沈む子だな、と夏音は呆れながら思った。

 

サチは再度魔法を発動させると、金が光に包まれ、次には瓶の中に入った状態になっていた。それをバックにしまいながら、サチが言う。

 

「とまあ、これが船花様の魔法だよ。魔法少女は契約内容によって魔法が決まってーー」

「あ、それもう知ってます」

「え」

 

思わず声を出したサチ。そういえばサチは船花家にいく時の入理乃と夏音の会話内容を知らないのだ。もしやサチは魔法少女の魔法について伝えるためにその実演をしようと、お金をせびったのではなかろうか(金をせびったのは単純に金が欲しかったからだろう。一円ぐらいならくれてやらなくもない)。だとしたらなんだか決まりが悪い。

 

「キュゥべいー。お前この私より先に説明したのかよ?」

 

疑われたキュゥべえは、しかし、それを否定する。

 

「ボクが説明したんじゃないよ。入理乃が彼女に魔法のことを説明したんだ。自分の魔法を例にしてね」

「え、じゃあ、アイツ、自分の願いを言ったの!?」

「はい、そうです」

 

肯定した瞬間、サチが信じられないと呟いた。その予想にもしなかった事実に困惑した彼女は、どこか呆けたように言う。

 

「マジかよ。まさか自分の願いを言うとか、あり得ないでしょ」

「でもそう言う貴女は、自分の願いを私に言いましたよ?」

「そりゃそうだけど、私は言うほど隠すつもりもないよ。私が悪いわけじゃないし……。でも、入理乃に限って話すのはないんだよ」

 

…どういう意味だろうか。サチの口ぶりからするに、入理乃はよっぽど願いについて言いたくないのだろう。しかし、じゃあ何で自分に願いのことを話したんだろうか。特別親しくもない夏音に、どうして知ってほしいと思ったのだろうか。

 

サチは溜め息をついて、額に手をやった。

 

「……はあ、相変わらず何考えてんのか、わかんねーやつ」

「何考えてんのかわからない?」

 

阿岡入理乃は、気弱で自己主張をあまりするタイプではない。それにサチには強く出られない。恐らくだが、自分の思いをサチにうまく伝えることは彼女にとっては、難しいことだろう。しかしサチが言う“何考えているのかわからない”には、そのような意味がどうしてだか込められている気がしなかった。

 

「入理乃ってさー、気弱そうに見えるじゃん?」

「まあ、そうですね」

「うん。だけど、アイツって結構勝手なんだよな」

 

思わずそんなイメージがなかったので、その言葉に首を傾げる。サチが不満そうに、愚痴るように続けて言う。

 

「入理乃は、マジでスゴい。さすがは、船花様の相方だ。だけど頭が良すぎて、“どうしてそんな風に考えついたのか”いつもわからない。その思考回路とかわりと意味不明だし、そのくせ何も言わずに突然行動したりする。私はさ、何で入理乃がそうするのかあんまりわかんねえんだよ。ただ一つ言えんのはそれはアイツはアイツの考えで動いていて、そこにはちゃんと根拠があるってことだな」

「貴女、リノを一応信頼してはいるんですね」

 

勝手に相方が行動することもあるのに、考えが読めないというのに、サチは入理乃のことを信じているのか。あんなに乱暴な態度で接してはいるが、それは夏音に対してもだ。ある意味平等に扱っている。それにどうでも良い奴には本来の素を見せないので、案外サチは入理乃を大切に思っているのかもしれない。

 

「あたりまえに決まってるでしょ、なに馬鹿なことを言っているんだよ。この船花様が、コンビ相手を信頼しないわけがねえでしょ。このボケが」

「ボケじゃないですって。ていうか、リノ遅すぎません?もうとっくに集合時間すぎてますって」

 

確か入理乃の学校、蘭ノ家学院は文化祭の振り替え休日で休みだったはずである。だから学校に行ってはおらず、ここにも余裕でつけるはずだ。

 

何か用事でもできたのだろうか。それならばサチの携帯に電話の一つや二つしてほしい。

 

「キュゥべえ、何かリノから聞いてません?」

「いや、ボクはなにも聞いていないよ。というか聞いていたら、キミ達に知らせているさ」

「それもそうだな。よし、この私がじきじきに電話してみるね」

 

サチはそう言ってバックからスマホを出して、素早く番号を入力すると耳に当てた。呼び鈴が辺りに響く。しかししばらく待ってみても、それに返ってくる言葉はない。再度電話をしても駄目だった。

 

「何かあったんですかね?」

「その可能性は否定できない。もしかしたら、この本屋に向かう途中で魔女にでも遭遇したのかもしれないね」

「魔女にか……。最近ここらへんに一人で来たとき、使い魔らしき気配はしたんだよね。確かそれって、入理乃がここに向かう道の途中だったような……」

「じゃあその使い魔が魔女化して、リノが戦っているんじゃないんですか?だったら行かないと」

 

万が一という可能性もある。いくら強いとはいえ、負けない保証はどこにもないのだ。

 

「でも、入理乃なら大丈夫でしょ。それにさすがに考えすぎじゃね?行かなくてよくない?」

「千円あげますけど、それでも行かないんですか?」

「行きます!!」

「…サチは相変わらず単純だなあ」

 

キュゥベえが千円札を手に喜ぶサチを見て呟いた。夏音はチョロいですよね、とその言葉に同意して、入理乃がいるかもしれない、あるかどうかもわからない魔女の結界へと向かった。



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失敗

本屋の裏手から出て、夏音達はしばらく歩く。彼女らは、一言二言、会話を交えつつ、ソウルジェムに注目した。卵型の宝石を眺め、反応が出るのか出ないのか、ドキドキしながら見ていると体感時間は引き伸ばされて、一秒一分が長く感じられる。夏音はできるのならば、反応しないでくれと願い、ソウルジェムを睨みつけた。

 

本屋から十五分歩いたところで、コンビ二の前を通る。その前方にある信号機を渡りきり、次の信号を待つ。長すぎる信号にサチがイラつき初め、ようやく赤が青に変わり渡った瞬間。タイミングよく宝石が点滅し始め、夏音達は食い入るようにソウルジェムを見つめた。

 

急いで横向の白線の列の向こう側へと向かうと、夏音達はソウルジェムを確認する。やはり、見間違いではなかったようだ。青い光が明滅を繰り返している。明らかに魔女の魔力に呼応している。

 

「ソウルジェムが、僅かだけど魔力に反応してるね」

 

サチが歩きながらソウルジェムに視線を向けた。改めて見れば、確かにサチが言う通り、宝石の反応はわりと鈍い。しかし反応しているのに変わりはない。この反応は、この近くを魔女が通ったという証明に他ならないのだ。

 

夏音はキュゥべえと共に、ソウルジェムを覗きこみながらサチに問いかけた。

 

「これって、船花が言っていた、使い魔が魔女化したやつの反応なのでは?」

「いや、魔力パターンがあの使い魔とは違う。これは、別の魔女だよ。えーと………、夏音」

「貴女今一瞬私の名前忘れましたよね?」

「……だけど、魔女が実際にいるということは、入理乃が今、その魔女と戦闘をしているか、もしくは捜索しているのか、そのどちらかをしている可能性はますます高くなったと思うよ」

 

キュゥべえがそう言い、尻尾を振った。しかしそこで、夏音が首をかしげる。

 

「でも、ずっと思ってたけど、そうする前に電話するってもんが、普通じゃないんですか?」

「そうする暇もないほどのことが起きたのかもしれない。まあ、どっちにしろ、このまま魔女を放置しておくわけにはいかない。そうだね、サチ?」

「うん。入理乃がいようがいまいが、この船花様が派手にやってやるよ」

 

高笑いをしながら、船花サチは胸をはる。夏音は、それに、何だか大丈夫か、と心配になる。魔女に対する不安は、拭いきれていない。キュゥべえはそんな二人を気にせず、赤い瞳で遠く見ている。雲は、赤い太陽の光で、オレンジに染まっていた。

 

魔力の反応を追って歩く。進む度に、ソウルジェムの点滅具合も、強くなる。魔女結界を想像すると、なんだかどうしようもないほど、喉が乾いた。途中から、夏音達は、人気のない脇道に入り込んだ。

 

近所でも有名な廃墟への、近道だ。魔女が出そうな場所は、ここら辺では、せいぜい数ヵ所しかない。そして、一番近いのは、それらのうちの一つであるその廃墟だ。

 

数分もかからないうちに、夏音達はそこにたどり着く。窓ガラスが割れた、風化した屋敷が、蔦があちらこちらに巻き付かれ、いかにもホラー映画に出てくるような相貌をしている。恐ろしく不気味なものだったから、夏音は少々恐怖を感じた。

 

ソウルジェムの反応が、ここに魔女がいると、告げている。古びた門をあけ、サチは躊躇なく、夏音は恐る恐る、ぼうぼうと草が生えた庭に入っていく。サチは館の入り口で止まると、魔法少女の姿となり、結界への扉を強引にこじ開けた。その際に、ばちり、となにかが弾けた感触が、彼女の体にかけめぐった。

 

「……うっそ、マジでビンゴだったよ」

「まさか、本当にリノが戦っているんですか!?」

「しかも、この感じだと苦戦しているみたいだね。急いで中に入ろう!」

 

キュゥべえの言葉に、二人は頷く。不安が、的中したのだ。一刻も早く、助けにいかねばならない。サチが、夏音をちらりと見て、そして、

 

「夏音は残って」

「え、でも私はーーー」

「テメエがいったところで何になるんだよ。入理乃が苦戦してるってことは、相当こいつはやべえんだよ!!」

 

この結界に入るには、夏音はあまりにも足手まといだ。魔法少女だったらともかく、夏音には魔女や使い魔に対抗する力がない。彼女はただの少女だ。そんな夏音を、普通の魔女だったらともかくとして、こんな強力な魔女からは、守りきれるはずがない。この結界に入ったが最後、夏音は生きて帰ってこれはしないだろう。

 

夏音は、思わず黙った。その事を理解したからこそ、悔しくて仕方がなかった。無力感が、こころをいっぱいに満たし、胸が苦しかった。

 

「……気をつけて行ってきてね、サチ」

「こんな魔女なんざ、すぐに終わらせて入理乃を助けてきてやるよ!!鞄よろしく!!」

 

持っていた鞄を、サチは軽く投げる。慌てて夏音がバックをキャッチする。不適に笑うと、水兵の魔法少女は、相方を救うため、結界へと侵入した。

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

サチは入った直後、戦いにくいなと眉をひそめざる負えなかった。なぜならばサチがいたその場所は、両脇を壁に挟まれた石畳の通路だったからだ。延々と続くその先の道を見て、サチは溜息をつきたくなった。

 

サチの武器は、巨大な錨。その大きさ、重さを生かして、強烈な一撃一撃を敵に食らわせてやるのがサチの基本スタイルだ。しかし、ここでは横の幅がそこまで広くはないから、武器などあまり振り回せない。武器の性質上、サチは小回りがきかないのだ。このような狭い場所では、サチの動きには制限がついてしまう。

 

だが良い利点もあった。まずこの空間では、構造上敵が前か後ろか、両方しかこない。警戒する場所が三百六十度ではないだけで、かなり気配が察知しやすく、対処もしやすい。そして狭いが故に少量の使い魔でしか、こちらに向かってこないのだから、ありがたいことこの上ない。

 

サチは、小柄な二体のゴブリンを見据える。いかにも雑魚モンスターというビジュアルのそいつらは、手になまくらのようなナイフを持っていて、下半身に、毛皮でできたズボンをはいていた。

 

錨を、しっかりと両手で持ち上げ、ゴブリンどもに水平に向けた。この程度のナイフ、結の鉈と比べれば全然恐るにたらない。サチはニヤリと笑みを浮かべーー突如として、突進を開始した。

 

「邪魔だああああああああ!!」

 

使い魔に、接近する。周りが、後方に流れていく。一陣の風と化したサチは、緑の魔物がその武器を掲げるより速く、その先へと進む。モンスターが吹っ飛ばされ、空中で胴体から別れて血をまき散らした。気色悪い見た目のわりに、その色は人間と同じ赤だった。

 

サチはその後も、武器をまっすぐに向けながら、走って、使い魔を切り裂いていった。後ろからくる敵には、あらかじめ背後の道を、複数の巨大な錨を呼び出して、壁をつくって塞ぎ対処した。サチの魔法が物を造る魔法なせいか、こういう武器の召喚は大した魔力を消費せず、苦もなくできてしまう。サチの唯一得意な魔法といっても、過言ではなかった

 

『入理乃のクソゴミー!!返事しやがれー!!』

 

あまりの暴言をテレパシーで発しながら、入理乃を探す。しかし、やはり反応は返ってこない。サチの表情にも流石に焦りが浮かんできた。

 

いくら呼び掛けても何も返事がないということは、もはや入理乃は無事ではないのかもしれない。最悪の場合になったとしても、おかしくない。サチの脳裏に魔法少女の先輩の死体が、一瞬だけよぎった。途端サチは乾いた笑い声を上げ、馬鹿馬鹿しいと否定する。

 

「……そんなわけないに決まってんじゃん。冗談も程々にしないと」

 

入理乃が、死ぬはずがない。だって、入理乃はすごいのだから。戦闘能力はさることながら、その戦術眼は折り紙つきだ。そんな入理乃が、サチが手こずらない使い魔や魔女になんて負けるはずがないし、それに何より彼女はこの船花様のパートナーなのだ。そんな予感は、当たるはずがない。そう思いながら足を踏み出した、その時だった。

 

カチリ。何かが、作動する音が聞こえた。思わず足元を見る。サチは、敷いてある石のうちの一つを踏んでいた。その石がーーわずかに紅く発光していることに、気がついた刹那、辺り一面の景色ががらりとかわった。

 

そこは王宮の間だった。紋章が描かれてある深紅の布が、王座の背後にかけられてある。大理石でできた床には、華美な絨毯が敷かれてある。さぞかし、豪華絢爛な部屋であったであろう。

 

そこは、しかし酷い有り様であった。爪が壁に後を残し、焼き焦げた布と絨毯は、見るも無惨に引き裂かれている。象徴たる王座はひっくり返っており、床には無数のヒビが走っている。

 

それらは、随分と前につけられたものなのだろうか。いいや、違う。それらは今つけられたもの。この結界のラスボス、石のドラゴン、石像の魔女と、パートナーの入理乃との、目の前で行われている戦闘によるものにほかならない。

 

ドラゴンが鋭い爪で、猛攻を仕掛ける。それを入理乃がすんでのところで回避するも、散乱していた小粒ほどの石が舞って顔に血が流れる。拭っている間にも再びドラゴンが、発達した尻尾を振るう。鞭は材質が石でありながらしなやかに、しかし相当の攻撃力を以って襲いかかる。入理乃は大いに焦りながら下駄を鳴らし跳躍。どうにかしてかわし、距離をとる。床に尻尾が激突し、結界全体にヒビが広がった。

 

その戦闘は入理乃が圧されていた。傷だらけで、魔女の攻撃に対処するのに苦労しているようだった。しかし彼女が防戦一方であったかというと、そうでもなかった。攻撃しようと思えば、こちらからいくらでもやりようはあったのだ。でも入理乃はやらなかった。決して、自分から攻撃しようという素振りを見せない。

 

石像の魔女の口が開く。それと同時に、熱が竜の目の前で集まる。そしてそれは、急速に集束し、炎の固まりとなっていく。サチは途端冷たいものを体にぶち込まれたような感覚に陥った。

 

「ッ!!やばい!!」

 

まずい。炎はまずい。それは、入理乃の明確な弱点だ。入理乃は防御が得意とはいえ、生み出す盾は紙である。強固な紙でも炎ではたやすく燃えてしまうだろう。石の龍の攻撃は、入理乃には強烈過ぎる一撃だ。

 

サチは、呆然とする彼女に、一心不乱で飛び出した。

 

「入理乃!!」

 

驚く入理乃が、サチの名を言いかける。しかしその前に、サチが入理乃に飛びかかる。遅れて熱線が、二人がいた場所に放たれ、絨毯を燃やし床に焦げを造った。魔法少女達は倒れ、ごろごろと転がって柱にぶつかった。

 

入理乃はすぐに体を起こし、同じようにして隣に立ったサチを見た。

 

「何でここにいるの……!?」

「それは、私の台詞だよ!!テメエ、遅いと思ってここまで来てみれば、何やってんだよ!!そんな怪我までして!!」

 

恫喝され、入理乃がびくりと肩を揺らす。口を噛み締め、何か言いたそうに瞳が揺れる。サチは、一瞬だけ戸惑ったように眉をひそめたが、すぐに切り替える。上から下へと下ろされた魔女の手を、錨で受け止め、力をありったけこめて逆に押し返した。

 

ズドン、と魔女が後ろのめりになって倒れた。天井からパラパラ砂つぶが舞う。サチは隙は逃さないとばかりに、上に手を掲げる。大きな錨が怪物の上に召喚され、鉤爪が魔女を向いたままの形で空中に固定される。サチはその錨を下に降下させるため、錨と連動している手を振り下ろそうとしーー瞬間、入理乃がその手をつかんだ。

 

「待って!!殺さないで!!」

「何言ってんだ!?正気か!?」

「………とにかく攻撃しないで!!今は撤退したほうがいいわ。深追いしちゃダメ」

 

入理乃が、普段とは真逆の強い口調で言う。サチは、入理乃の全身を見た。あちこちが切り裂かれた着物のから見える肌には、痛々しい生傷や火傷が目立つ。頭の怪我は相当ひどく、血が流血している。もう戦えるようには見えないほどボロボロだ。

 

「……わかった、今は逃げよう」

「ありがとう。船花ちゃん」

 

そうやって話している間に、ふと魔女が起き上がり翼を震わせた。サチは冷や汗をかき、警戒して入理乃を守るように前に立った。ドラゴンは咆哮した。長く、長く、その音が鳴り響く。部屋に反響し、鼓膜を震わし、地を揺らした。二人は耳を手で防ぎ、苦悶の表情を浮かべる。

 

と、突然音がやんだ。ドラゴンが制止する。サチは、奇妙なものでも相手にするように、石像の魔女を見た。その巨大な翼が、魔女の体を包む。その姿はまるで大きな卵のように見えた。

 

「逃げる、魔女が………」

 

入理乃が呟いた途端に王宮の間が崩れ去る。魔女の姿がうすれ、遠くなっていく。それを入理乃は、苦い顔でいつまでもいつまでも、見続けていた。




石像の魔女。その性質は現実逃避。
臆病な性格で、普段は最深部にて眠り続けている。その眠りを妨げるものが、現実を直視することが、何より嫌い。しかし、結界内を管理したり、使い魔を生み出したりする場合は、嫌々起きている。わりとめんどくさがり。

石像の魔女の手下。その役割はトラップ
結界が使い魔化したもの。侵入者に対して、様々な罠を発動させる仕組みそのもので、その罠の内容も、日々進化している。

石像の魔女の手下。その役割は撃退。
所謂、ゲームにおける雑魚モンスター。もとはどろどろの粘液だが、魔女に指定されたモンスターに、擬態させられている。ちなみに、一度擬態させられたら、もう本来の姿には戻らない。


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もう、暗くなり始めていた。空の上のほうが、徐々に徐々に紫から藍色に近づいて、夕と夜の境目では、互いの色が混じりあい、ピンクがかった雲が、うっすらと見えた。

 

夏音は、キュゥべえと共に、サチと自身のバックを持ちながら、無言で待っていた。心配で心配で堪らなかったからだろうか。結界の入り口で、うろうろしたり、手遊びをしたり、どうにも落ち着いていられなかった。あれからしばらくたつが、中は一体どうなっているのだろうかと、夏音がキュゥべえに問いかけた、その時だった。

 

結界の入り口が、うっすらと、消えていったのは。戸惑う暇もなく、二人の少女が、突如現実世界へと現れる。サチの背に、右手を回して支えてもらいながら、入理乃がゆっくりと歩く。身体中につけられた怪我に、夏音が驚いて、すぐに駆け寄ってくる。

 

「リノ、大丈夫ですか!?」

「夏音ちゃん。…………………」

 

入理乃が、夏音の肩にいるキュゥべえの顔を見て、

目を見開いた。紅の二つの双眼に、まるで吸い込まれるように、凝視する。しかし、それは数秒のことであった。入理乃は、無表情になって、グリーフシードをもらい、ソウルジェムをきれいにすると、怪我の治癒を始めた。サチも、なけなしの治癒魔法をかける。傷が少しずつ再生していく。そうして、どうにかしてましな状態にまで怪我を治した。折れていた左腕の骨も、なんとかくっつけた。

 

自分のことを見て驚いていると勘違いした夏音が心配そうに、しかし無事だったことに安心しながら、説明した。

 

「貴女が時間になっても来なくて心配だったので、私たち、何かあったんじゃないかと思ったんです。それで、もしかしたら魔女に遭遇しているのではないかという話になりまして。そうやって魔女を捜索して見つけたら、リノが中で苦戦しているので、船花が助けにいったんです。無事で本当によかったです」

「………で?何でテメエは、魔女のことを知らせなかったのさ。この私ににもうちょっと言ってくれてもよかったじゃねえか」

 

サチが、入理乃に吠える。彼女は納得できていなかったのだ。相方が危険に晒されたことが、そして自分に頼ってもらえなかったことが、この上なく悲しかったに違う無い。そんな気持ちが、ひしひしと伝わってきて、夏音も自然と、入理乃に、目で若干責めるように問いかけた。うつむいて、入理乃が申し訳なさそうに、ぽつぽつと答えた。

 

「……ごめんない。考えて歩いてたら………魔女の結界に取り込まれちゃったのよ。……………テレパシーも圏外だったし…」

「携帯鳴らしたんだけど!!」

「ごめんね…戦闘中で気づかなかったの…」

 

入理乃の見立てによると、あの魔女は攻撃すると、逆に刺激してしまい、さらにパワーアップしてしまうらしい。かといって、背を向けると、必ず弱点の炎を放ってくる。入理乃に炎を守るすべは、あまりない。あっても、それは気休め程度であり、防ぎながらの撤退は難しかったのである。

 

「それでも、それでもさあ!!こっちはむちゃくちゃ心配したんだよ!!ふざけんな!!この船花サチ様に何も言わずに死んだら、許さねーぞ!!」

「……本当に、ごめんね。何度も……何度も逃げようとしたのだけど」

「アホ入理乃のくそったれ~~~!!」

 

号泣しながら、サチが入理乃に飛び付く。着物がぐちゃぐちゃにされ、苦笑しながらも、どこか嬉しそうに、入理乃が、後輩の背をゆっくりと撫でた。普段はサチに逆らえなかった入理乃が、優しいお姉さんになったように、夏音には感じられた。涙ぐみながら、肩にのるキュゥべえに、話しかける。

 

「リノが生きててよかったですね、キュゥべえ」

「そうだね、夏音。それは、本当にいいことだ。だけど、入理乃、キミに一つ聞きたいことがあるんだ」

 

すたりと、キュゥべえが肩から降りて、入理乃のそばに座った。着物から手を離して、相方の魔法少女の横にたっていたサチは、足元の小動物に目を向けた。

 

「………………何かしら?」

「キミは、嘘をついているんじゃないのかい?」

「嘘……?」

 

まさか、さっきの言っていたことが、嘘であると、キュゥべえは言いたいのだろうか。いや、そんなこと、あり得るのだろうか。

 

「キュゥべい、テメエ何を言っているのかな?馬鹿なの?こんな時に嘘なんかついても、何にもなんないよ?」

 

夏音と、同じことを思ったのだろう。サチも、この白い生物の言うことを、信じられず、すぐに反論した。

 

「サチ、こんな時だからこそだよ。嘘というのは、自分に不都合なことを回避したりするためにつかれるものだ。入理乃は、“自分にとって都合が悪いこと”が起こらないように、あえて嘘をついたのさ」

 

都合が悪いこととは、“二人に真実を知られること”であると、キュゥべえは、主張する。阿岡入理乃は、隠している何かがある。あの魔女について、知られたくないことがあるのだ。そうキュゥべえは、赤い二つの目で、入理乃の目を見ながら言う。入理乃は、微妙に目を細めて、それに返した。

 

「ちょっと、待ってください。何ですか、その言い方は。キュゥべえは、何でそんなこと言えるんですか?」

 

何故、キュゥべえは入理乃が魔女について何か隠していることを知っているのだろう。サチが驚きと困惑のあまり、眉をひそませた。その様子から、彼女も、入理乃が魔女のことを隠していたのを、知らなかったようだった。

 

「それは、ボクじゃなくて、入理乃から聞けばいい。彼女はそれを含めて、すべて知っているはずだからね」

「………ねえ、入理乃。キュゥべえが言っていることは本当なのか答えろよ」

「……………」

 

相棒から言われても、入理乃は困ったような顔で、黙ったままだった。キュゥべえから、じっと向けられる視線を嫌がるように、彼から目をそらす。そして、二分ほどしてから、サチの顔を見ながら話すために、正面を向くと、入理乃は、予想外のことに、ぎょっとした。

 

夏音は、入理乃の前に立っていたのだ。相対する入理乃は、今までにないくらい、狼狽えている。キュゥべえは上を向いて、二人の表情を、探るように見つめた。

 

「言わなくていいんじゃないんですか、今は」

「………………………。………………は?」

 

入理乃が思わずといったように、声を出した。夏音は、無表情で言った。

 

「無理して言う必要はないと、私は思います。少なくとも、今はまだ、言わなくていいです」

 

再び言う。まるで、気遣うように。端からもそう見えたであろう。サチが、納得しきれてないが、しょうがないというといった、苦虫を潰したみたいな顔をした。

 

しかし、言われた本人である彼女、阿岡入理乃は、そうは捉えなかった。その言葉が、どんな意味なのか、理解したからだ。小刻みに体を震わせ、夏音が気づいた時には、ひどく動揺した様子で、怒鳴られていた。

 

「少なくとも今はまだ?一体どういう意味なのよ、それは!?」

「………ちょっと、どうしたんだよ。……入理乃?」

「こんなこと言うなんて、あり得ないわ!!少なくともって、これじゃまるで、全部ーーー」

 

と、そこで、入理乃がはっとした表情をした。目の前の夏音が、戸惑ったように、彼女を見つめる。次に、唐突な慟哭に、びっくりしているサチの方を見た。視線に気がついたサチは、様々な感情がこもった目を向けた。

 

着物の姿の少女は、それらの瞳に、ひどく動揺したようだった。一歩一歩、わずかに下がった。そして、背を向けたと思ったら、大きく飛躍し、廃墟の館の屋根に飛び乗った。突然のことに意表をつかれたサチは、一瞬だけ固まったが、すぐに慌てて、相棒の名前を叫んだ。しかし、時はすでに遅く、叫んでいた頃には、入理乃は館から飛びさって、もうその姿はどこにもなかった。

 

「さっきの魔女みたいに…、あいつも逃げやがった」

「どうして、いきなり、逃げたりなんかしたんでしょうか?」

「それは、キミがあんなこというからじゃないか」

「キュゥべい、人のことなんか言えないだろ!!テメだって、同罪だろ!!」

 

サチが、キュゥべえを睨み付けながら怒鳴る。しかし、苛立ったサチに反して、キュゥべえは、平然と答えた。

 

「でも、あの発言は、あそこでしか言えなかった。ボクはどうしても隠し事をしてほしくなかったのさ」

「だからってなあ……!?」

「あの、ちょっといいですか?」

 

船花サチとキュゥべえの言い争いに、割り込むように夏音が言う。一人と一匹が、夏音の方を見た。

 

「私、何かリノに言ったのでしょうか?」

「それはどういうことだい?」

「……さっき、自分が彼女に何をしたのかがわからないんです。気がついたらリノの前に立っていて、怒鳴られたと思ったら、逃げてしまうし……。正直いってーーー」

 

そして、彼女は自分でも信じられないとばかりに、

 

「先程の記憶がないんです」

 

そう言った。

 

 

 

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最後に貴女へ

「はあ?そんなのありえないでしょ」

 

訳がわからないと言いたそうに、船花サチは顔をしかめる。その反応は、予想道理であったものの、自分でも理解不能な出来事であったので、あり得なかろうが、本当であると主張するしかない。

 

「いや、マジで記憶がないんです!!」

「何でだよ!?馬鹿にしてんの!?」

「してません!!信じられないのはわかってますけど、でもマジなんです!!」

 

キュゥべえが、夏音の方を向き、尋ねた。

 

「夏音、覚えていないのは、どこからどこまでなんだい?」

「リノが黙ってしまった辺りから、私が彼女の前ににいたときまで…。あの、さっきも尋ねましたが、私はリノに何て言ったんですか?」

 

入理乃が、あんなに狼狽するなんて、自分はどんなひどいことを言ってしまったのだろうか。自覚のない、自分がいつのまにかしてしまった行動が招いた事態に対して、困惑、混乱、恐怖などの、様々な感情が起こる。そのなかでも、一番強い感情は、不安だったのか。夏音は胸の中で広がる、漠然とした嫌な予感に、不吉なものを感じていた。

 

「本当のことを言わなくていいって、テメエは言ったんだよ。少なくとも、今はまだってな」

「私が、そんなことを言ったんですか…」

 

やはり言った覚えがない。何故自分はそんなことを彼女に言ったのだろうか。わからない。何もかも、わからない。何でこの言葉で彼女が動揺し、逃げたのかも。そして、阿岡入理乃が、何であの魔女のことについて隠しているのかも。

 

サチが、疑わしげに夏音を見ていたが、しばらくして、不機嫌そうな顔をした。夏音の様子から、どうやら嘘を言っていないのだと、察したらしい。しかし、そのうえで何でそんなことが起きたのかを、不可解に思ったようで、苛ついたように舌打ちをした。

 

キュゥべえが、何食わぬ顔で、提案する。

 

「二人とも、とにかく、今は入理乃を探そう」

「……キュゥべい、よくそういう感じでいられるよね。でもテメエの言う通り、今はあいつを探さないといけない。だけど、夏音は帰ってね」

「え!?」

 

自分だって入理乃が心配なのだ。なのに、何故だ?

 

「魔法少女の足に追い付けるのは、魔法少女だけだし。それに、これ以上、遅くまで付き合わせてられない。家族に心配かけんのはダメなんだよ、アホ」

「でも私はーーー」

 

言い終わる前に、サチは夏音が持つバッグを乱暴に奪うと、目に追えない速さで、ジャンプし、館の屋根へ。あっという間にその屋根から飛び降りると、夏音とは反対側に着陸し、その姿は見えなくなった。

 

「船花……」

「どうする、夏音?家に帰るかい?」

 

静かに首をふる。こんなときに、帰ってなどいられない。

 

「私も彼女を探します。だって、友達ですから」

「わかった。じゃあ、二手に別れよう。その方が、効率がいい」

 

淡々としたキュゥべえの言い方に、思わず、少し怒りを感じながらも、夏音はうなずいた。

 

「……………見つけたら、知らせてくださいね」

 

キュゥべえが、もちろんだよ、と答えて、走り去っていく。夏音はそれを見届けると、自分も入理乃を探すべく、館を後にした。

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

曇っているせいで、すっかり暗くなった空には、星は光っていない。闇の中で、外灯の光に誘われ、虫集まっているのを、そばでベンチに座りながら、入理乃は見ていた。虫たちは、ぶんぶんと外灯の回りを飛び回り、決して遠くにまで離れたりはしなかった。その様子はまるで、暗闇の中で唯一のなにかを求めているかのようだった。

 

これらの行動は、正の走光性と呼ばれるものにより起こされるらしい。光を当てると、それに反応して、明かりの方に向かうのだ。しかし、こんな話を聞いたことがある。虫がこのような灯りに集まるのは、その人工の光を、月光と勘違いしたためである、とする話だ。上手く飛ぶために、月光の光を使うらしい。

 

入理乃は、それを聞いたとき、このような虫達を、魔法少女のようだな、と思った。自分達は、願いを叶えるために、キュゥべえと契約した。望みが現実になることが最善であり、それが希望なのだと思った。自分達は、的はずれなことを心から信じていたのだ。そういうところが、そっくりだと感じた。

 

「やっぱり、ここにいたんだね、入理乃」

 

軽い足音に目を向ける。キュゥべえの影が、外灯に照らされた地面に映りこんだ。無表情のまま、入理乃は、口を開いた。

 

「わざとでしょ、あれ」

「それは、何のことを言っているんだい?」

「とぼけないでよ。最初から、全部知ってて、わざと夏音ちゃん達を連れてきたんでしょ」

 

そう考えるほうが自然だった。だいたい、遅くなっただけで、魔女と戦闘をしているのではないかという結論に至るのは、おかしな話である。何故なら、そういう風に判断する材料も少なく、また魔女がいたとしても、こちらが知らせるはずだと、サチ達は考えるはずだからである。それに、こういうとき、普通家にいってみるとか、しばらく待ってみるとか、そういう行動をとる可能性のほうが高いと思う。

 

恐らくだが、キュゥべえは、魔女のことを話題にだすことで、魔女を捜索するよう、二人を誘導したのだろう。まったく、ひどい詐欺師だと思う。

 

「それを言うなら、キミだって、一昨日サチに、紙の袋にソウルジェムをいれるよう言ったのは、わざとじゃないか。そうすることで、夏音にソウルジェムに対する疑問を持たせたんだろ?」

「でも、お前は夏音ちゃんの質問に、誤魔化した返答をしたはずでしょうね。大事な魔法少女候補を失うわけにはいかないから、嘘をついたに違いないわ」

 

キュゥべえのその紅い瞳をさけるように、そっぽを向く入理乃は、不機嫌そうに、皮肉混じりに、そう言う。ぬいぐるみみたいな、愛らしいその姿を視界にいれるだけで、頭のなかを、激しい感情に襲われる。それが正直不愉快だ。

 

入理乃は、この魔法の使者が大嫌いだ。どのくらい嫌いかと尋ねられたら、地球上で一番嫌ってると言っても過言ではない両親よりも、さらにその百倍は嫌いだと答えるだろう。希望を語り、絶望を産み出す、得たいの知れぬ、別の生き物。詐欺師、嘘つき、悪魔。そんな言葉が相応しい、滅んでほしいやつ一位に輝く存在だ。

 

キュゥべえは、心外そうに、

 

「ボクは嘘はついていないよ。あくまで説明の内容を簡単にしただけさ」

「それは、嘘とおんなじよ。ねえ、インキュベーター?」

 

入理乃が、低い声で、言い返す。キュゥべえは、ため息をついた。

 

「やれやれ。むしろ、その事を計算にいれて、彼女に疑問を持たせたくせに。そうやって彼女から真実を遠ざけるたんだろう? ソウルジェムがどんなものかの疑問に対して、僕が答えてやれば、彼女はそれが全ての信じ込む。そうすれば、彼女は余計な考えを持たない」

「……………うるさいわ」

 

見通されたことに怒りを感じ、ベンチから立ち上がると、入理乃は八つ当たりぎみに、キュゥべえを踏んづけた。靴越しに感じる物体の感覚が、いやに生々しい。そのまま、何回も何回も踏み続ける。軽く蹴って仰向けにする。その動かない表情を、踏み潰した。

 

「まったく、無駄だと言うのに」

 

新たなキュゥべえが、闇夜から現れる。入理乃は、まるで威嚇する猫のように、睨み付けた。歩み寄ると、キュゥべえは、言った。

 

「阿岡入理乃。キミは矛盾している」

「………………」

「キミは彼女のことを、あまり良く思っていないんだろう?なのにどうして彼女を真実から遠ざけたんだい?サチに、ソウルジェムのことについて、聞かれないために、というのもあるだろうけど、きっとそれだけが、目的じゃないはずだ」

 

黙る。黙り続ける。この悪魔に惑わされてはいけない。彼は、自分を絶望させたいのだ。だから、こうして揺さぶっている。こいつの話に耳を傾ける必要などない。聞いてはいけない。

 

「ボクは、キミの意図がよくわからないんだ。ただ、言えるのは、キミはまだ彼女に執着しているということ」

「………………」

「そして彼女が、キミにかなり強い友愛を、未だにもっているということだ」

 

びくりと、体が反応する。そんなことはないと、心が叫ぶ。それを、深紅の瞳は見逃さなかった。

 

「そのことに、気づかないキミじゃないはずだ。夏音は、キミとの絆を失ったようでいて、失っていなかった。密接な関わりを持ったのは、一昨日からだというのに、キミのことを自分のように心配している」

 

畳み掛けるように、追い詰めるように、キュゥべえは、その言葉を放った。

 

「キミが、この場所で、裏切ったのにね」

「ーーーーー!!」

 

入理乃が、目に見えて動揺した。聞きたくなかったはずなのに、聞いてしまったその言葉が、深く深く心をえぐった。自分の罪、自分の愚かな願いを、明確に言葉にされ、突きつけられた彼女は、それに反論するため、無理矢理にでも、口を開いた。

 

「わ、私は……」

 

しかし、何も言えなかった。反論する何かがなかった。あったとしても、それは偽りだ。偽りをいくら言っても、どうしようもないのを、入理乃はわかっている。だって、誤魔化すたびに、今まで自責の念に苛まれてきたのだ。どうあがいても、心の中に、光など宿らない。もう、自分にはーーーー

 

「………………………」

 

ソウルジェムがいれてある、紙の袋を握る。そして、キュゥべえを、紙の杭で殺すと、ポケットからスマホをとりだして、番号を打ち、耳にあてる。呼び鈴が、静かな公園に響く。数秒もしないうちに、相手がでた。

 

「入理乃!!テメエ、勝手にこの船花様から逃げやがって!!今どこいるんだよ!?」

 

その質問に、公園にいると答えた。そして、唐突に、入理乃は、言った。

 

「私、話したいことがあるの…………」

「話したいこと………?」

「公園にきて………。そして、よく聞いて。今からすべてを話すから」

 

そこまで言うと、一方的に話始めた。死人めいた入理乃の顔は、驚くほど、恐怖を感じるほどに、絶望的に笑っていた。



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大切な人達

「本当にいつもごめんね。縄張りを押し付けて。迷惑でしょう?」

 

ふと、淡い色の髪を二つに結わえた少女が、そう言った。入理乃は、一瞬だけその突然の言葉に驚いたが、すぐに首を振って否定した。

 

「いや、……そんなことはないよ。ミズハさん。おかげで…グリーフシード……、困ってないもん。それに…ミズハさんは悪くない」

 

それは、ある意味仕方がないことだったと、今でも思う。彼女、伊尾ミズハは、魔女を狩ることができない魔法少女だった。戦闘する力を持ち合わせてはいるが、その能力のせいで、戦うことができなかったのである。

 

彼女の固有魔法は、自分に降りかかる災難を回避させること。そのために、魔女と相対すれば、すぐに逃げられてしまった。それどころか、使い魔でさえも、会えばたちまち去っていってしまう。“魔女”というのは、言うまでもなく人に危害を加える存在だ。それに接触するということは、いわば“災難”の一つであり、それを避けさせようと、勝手に魔法が発動するのである。これでは自分の身を守れても、住んでいる街、三滝原は守れない。

 

だから、隣の市の魔法少女達、船花サチと阿岡入理乃に、三滝原を委ねた。ミズハは、縄張りを譲ったのだ。もちろんサチと入理乃は、二つ返事で了承した。こんなおいしい話、なかなかないからだ。以来、主な狩り場の担当を、早島はサチ、三滝原を入理乃とそれぞれ決め、活動した。

 

入理乃が三滝原で活動すると決めたのには、理由がある。ミズハの監視をするためだ。サチは単純なので、そこまで勘ぐらないが、なにかミズハに裏があり、不利益なことをおこしている可能性は十分にあった。

 

というわけで、大事な早島市をサチに任せ、自らはミズハに接触し、こうして、いっしょに彼女の家で遊ぶほど、仲良くなった。ミズハと親しくしているうちに、彼女の人柄の良さもわかってきて、裏切ったりすることはないんだろうな、と思った。それに、彼女は臆病なところがあって、そんなところに勝手に共感してしまっている。いつのまにか、ミズハは入理乃にとって、大切な存在になっていた。

 

「それでも、他の子に任せるのは、情けない話よ」

 

そう言って、伊尾ミズハは、困ったように笑った。

入理乃は、それを見て、なんだか胸の辺りがきゅうと締め付けられた。そんな悲しい笑顔をされたら、こっちだって、どうしたらいいのかわからない。ミズハよりも、困った顔をしてしまう。ミズハは、一瞬、ばつが悪そうにしたが、すぐにこの暗くなった雰囲気をどうにかしようと、自室の棚から二台、ゲーム機を取り出すと、ソフトが入っていることを確認してから、明るくこういった。

 

「ゲームやろう。いつものやつ」

「………うん」

 

またか、と思いながら、受けとる。ミズハは、えらく、ゲームが好きだった。その中でも、特にダンジョンを攻略するゲームが好きで、それをずっとやっていた。そんな感じのゲームばかりを、当然入理乃もやらされていて、もう飽きてしまった感じがある。でも、気の弱い性格上、悲しいことに、そんなことを言えなかったのだった。

 

小一時間ほど、ゲームで対戦した。勝利内容は、どちらが先に、ダンジョンの最奥にある宝を手にいれるか。ダンジョンのステージは、二人とも同じだが、キャラは選ぶことができる。ミズハは、強力な“ドラゴンナイト”を選んだ。難点である遅さがネックだが、このキャラが好きだった。入理乃は、ドラゴンナイトの別バージョンを選択した。こちらは力が弱い代わりに、弱点である鈍さが改善されている。

 

結果は、入理乃の圧勝だった。ミズハが敵を殲滅しているすきに、わざとそばを通り抜けたり、トラップを置いて足止めしたりと、姑息な手で先に進み、涼しい顔で宝箱をゲットした。少々反則のような気もするが、相手が本気で来ることを要求してきたので、本気で戦った。

 

「ああー、負けたちゃったわ。強いわね」

「そう、なのかな」

「ええ。それにしても、本当、最近始めたばっかなのに、どれもあっという間に強くなっちゃうわ。リノちゃんはなんでもすぐにできて羨ましいわ」

 

入理乃が、曖昧な顔で笑った。よく言われる言葉にうんざりしたのを、表に出さぬための顔だ。なんでもすぐに出来てしまうなんて、まったくいいことなんかない。過去にはそれでいじめられ、嫉妬された。おかげで、視線が怖くなり、気弱になった。人の本性の奥を、探るようになってしまった。

 

それに、結果を残しても、親は見向きもしてくれなかった。互いの家の都合で結婚した両親に、愛情はなかった。それは、子である入理乃でさえも、そうであった。寂しかった。

 

入理乃は、優秀な記録を出せば、親は振り向くと思った。だって、そうすれば、大人はいつもすごいと集まってくるのだから。だから頑張って、色々賞をとった。でも、すぐにそれが無駄だと気づいた。親がそもそも、自分のことをどうでもいいと思っていることが、なんとなく見ているうちにわかったからだ。結局、入理乃は諦めた。親の愛情は、どうやっても手には入らないと悟った。

 

「なんか、ごめんなさいね。いやなこと言って」

「え…、なんのことかな。全然嫌なこと…、言われてないよ」

「………嘘よね、それ」

 

ミズハは、優しく笑った。呆気なく看破され、言葉につまる。

 

「私もよくするの、その曖昧な顔。だから、わかっちゃったの」

 

伊尾ミズハの事情を、入理乃は知っている。三滝原中学校で、ミズハが所属しているクラスは、いじめが行われているらしい。それはとても酷く陰湿だったらしく、全体を巻き込んで、エスカレートしていった。ミズハは、いじめに加担していた。自分もいじめられたくなかったからだ。しかし、本音ではそんなことをしたくなくて、徐々に現状に嫌気がさした。そして、キュゥべえに頼んで、いじめに巻き込まれないようにしてもらったのだ。曖昧な顔は、その願いの罪悪感からくるものだ。誤魔化すことで、逃げるための行為だ。

 

「私、なにやってるのかしら。今じゃ学校もあんまり行ってないしだし。一日中ゲームばっかりやって、魔女も殺せない。逃げてばっかり」

「…で、でも、テレビでさ……よっぽどのことあったら、……逃げてもいいっていってたよ」

 

暗く沈むミズハを浮上させるべく、入理乃は無理矢理明るく言った。でも、ミズハは諦めた目でただ自虐的に笑うだけだ。

 

「ありがとう。気を使わせちゃって。私のために、そこまでしなくていいのよ。こんなこと愚痴っちゃってごめんなさいね」

「いや…、いくらでも愚痴っちゃっていいよ。というか…むしろ愚痴って」

 

力強く言った。彼女のつらい思いを、自分が受け止めてやりたいと思ったのだ。彼女が悲しくなると、こちらまで悲しくなってしまう。呆気にとられた表情で、ミズハはしばし目を瞬かせた。

 

「優しいわね、リノちゃん。何でそんなに私のためにしてくれるの?」

「そ、それはたぶん…ミズハさんが好きだから」

 

もじもじと赤くなりながら言う。結構恥ずかしくて、目をそらしてしまう。そんなリノを見て、ミズハは驚愕し、目を見開いた。

 

「な……!!私が好きですって…!?ご、ごめんね、私ノンケなの。お断りさせてもらうわ」

 

どけ座された。困惑して、さらに顔を赤くさせ、あわてふためいた。

 

「え、そ、そういう意味じゃないよ!!」

「そういう意味じゃないなら何よ。ナニだけに」

「上手いこと言えてないよ!!」

「アハハハハハ、もう冗談よ。本気にしないで」

 

そう言って、ミズハは微笑んだ。明らかに、こちらをからかって楽しんでいる。明るく、面白い性格のミズハだが、いろんな意味で、相手をするのは疲れる。

 

「まあ、学校に行く努力はしなくちゃ。明日学校に行ってみる」

「でも、大丈夫なの?」

「うん。なんか、年下の子に慰めらてるのもなって、思ったのよ」

 

あ、でも明日じゃなくて、明後日にしようかな、と目をそらしながら言うミズハ。やはり、何だかんだで決心をつけられていないようだった。

 

しかし、変化はあった。ミズハは外出するようになったらしい。習字教室が終わったとき、ミズハの母からお礼を言われた。ミズハの家は、習字教室をやっていて、習うようになったのも、もとはミズハの薦めだった。両親に言ったら、呆気なく許可してくれた。金はいくらでもあるため、入理乃が通っても痛くも痒くもないのだろう。ここまで楽しく続けられるものが見つかったのは、ミズハのおかげである。

 

ふと、電話が奥でなった。ミズハの母が、ごめんなさいね、と軽く言う。笑って、いえ、と言うと、そのまま別れを告げて、帰っていった。

 

夜、ミズハから、電話がかかってきた。大事な話があるから、来てほしいらしい。なんだか、きな臭く感じ、不信を抱いた。両親には何も言わず、言われた空地に急ぐ。電車で、二十五分ほど揺られると、路地裏などを魔法少女の姿で駆け、その場所についた。

 

そこには、魔女がいた。竜の魔女。石で覆われた魔女。どこか、即視感があった。そうだ、あれは、前にミズハに見せてもらったドラゴンのオリジナルキャラクターに、似てはいないだろうか。ゴブリンの使い魔や、ダンジョンの結界や罠。そして、こんなところに魔女がいること。そして、目の前にある

人間の死体。それらが、頭の中で、ある一つの答えを導き出す。

 

「………嘘でしょ」

 

呆然とする。こんなこと、信じられない。だって、ミズハはこんな姿じゃなかった。人間だったはずだ。なのに、どうして、どうしてーーーー魔女になっている!!

 

魔女の攻撃が来る。炎が、飛びかかってる。入理乃はとっさに避けた。さらに、爪が迫った。それを、紙の盾で防ぐ。

 

「ミズハさん!!私だよ!!」

 

訴える。その猛攻をしのぎながら、何度も何度も。でも、届かない。こちらを敵としか見ていない。

 

「ミズハさん、気づいてよーーーきゃ!!」

 

尻尾がこちらに向かってきたのに気づいたのは、一歩遅れてから。次の瞬間、すざましい衝撃が、体に襲いかかった。まるで軽い紙切りみたいに、吹き飛ばされ、床にに激突する。あまりの衝撃に、骨が折れ、内臓が揺れた。肺が圧迫され、せり上がってくる異物感に耐えきれず、血を吐いた。

 

視界が、暗くなり、霞んでいく。前方にいる魔女が、吠えた。翼でその身を包み込む。だんだんと、その姿が薄れていった。逃げている。自分から、去っていく。

 

「あ……」

 

魔女と化したミズハに手をゆるゆると伸ばす。行かないでと思いながら。でも、願いは通じなくて、ミズハは行ってしまった。代わりにこちらにやって来たのはキュゥべえ。赤い瞳が、ぶきみに不気味に光っていた。

 

「貴方、なんなの…?何で、こんなことになったの?」

「彼女は、いじめを受けていた少年の自殺に絶望したんだ。自分が何もできなかった、自分は逃れていた。その事実に耐えきれなかった。そして、ソウルジェムを黒く染めあげ、グリーフシードとなり、伊尾ミズハは魔女となったんだ」

 

その驚きの真実に、ソウルジャムを意識する。そんな馬鹿なことがあり得るか。ソウルジャムがグリーフシードとなって、魔女になるのなら、それはつまりーー

 

「まさか、私たちは、脱け殻?こんな石ころが命なの?」

「そうだよ、入理乃。それにしてもさずがだね。こんな短時間でその事実に気づくなんて」

 

体を魔法で癒し、立ち上がる。睨み付けながら、泣きながら、キュゥべえを見る。体が怒りで震えた。そのまま、憤死してしまうのではないかと思うほど、どうにかなりそうだ。

 

「何で私達を騙したのよ!!はっきり説明してよ!!お前は一体何者!?」

「ボクはインキュベーター。はるか昔から人類に干渉してきたもの。分かりやすく言えば、宇宙人だね」

「宇宙人……」

 

現実離れした単語を、なんとか飲み込む。たまらず、様々なことを聞いた。何故魔女を産み出すのか。何故人類に干渉するのか。そして、すべてを聞いて、愕然としたのだ。

 

あまりの現実に、恐怖する。サチに、こんなこと言えない。言えるはずがない。彼女には、この事実を教えたくない。

 

でも、もう限界だった。教えたくないけど、伝えることにした。何も言えず、去れないのだ。ああ、今は現実なのだろうか。目の前が、歪む。自分の名を呼ぶ少女は誰だろう。サチなのだろうか。よくわからなかった。でも、一つだけ、伝言を頼まないと。

 

「夏音ちゃんには何も伝えないでね」

 

だってあの子が知ったら、首突っ込むにきまってるよ。なんて、言う前に、パキンと何かが割れた。入理乃は、倒れこんだ。涙が、頬を伝った。



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その意思を託す

公園は結界が浸食するたびに、その光景をかえていった。遊具のある広場は墓地になり、草がわずかに生えた地面は、石が敷き詰められた通路へ。

 

結界の空は外と比べれば明るいが、外の闇夜とかわらず色は黒く見える。天井に逆さに生えた漆黒の彼岸花が、一面に咲きほこっているせいだ。花弁の中央から墨が滴り落ちて、漆黒の雨が結界内に降り注ぐ。そしてそれを浴びている魔女はゆらゆらと空に浮かんでいた。

 

その姿を一言で言うならば、和紙でできた人。紙でできた人間の体に死装束を纏っている。その顔を長く伸びた、先端が筆となっている白い頭髪が覆い隠していた。彼女は墓地の上を浮遊する。周囲には使い魔とおぼしき落武者のような格好の折り紙を何体か護衛として侍らせていた。

 

「あれが…、阿岡入理乃だっていうの?」

 

船花サチは思わずといったように、声を漏らした。とても、目の前の“それ”が、もともとは自分の相棒であったなんて思えなかった。一ミリだって同じところなんてないし、似ても似つかない。

 

だいたい、人が化け物になるなんて馬鹿な話があってたまるものか。もしそうならば、最初からサチ達は化け物になる運命だったということになる。そしてそれが事実ならば、サチ達は化け物にならないために、化け物を狩っていたことになってしまう。

 

でも確実にサチはこの目で、入理乃が魔女に変貌する姿を見たのだ。間違いなくこの魔女は入理乃。あの魔女のそばで寝ている体は、死体であり捨てられた脱け殻のようなものだ。

 

入理乃の話はすべて真実だ。入理乃は自ら魔女化して、その話が真実だと証明してくれた。信じられないが、信じるしかなかった。

 

サチは相棒が魔女化したというあまりの現実に立ち尽くした。ショックに頭が混乱し、どう行動したらよいかわからないーーそう思ったとき、魔女の周りにいる兵士が弓を手にもち、こちらにつがえていた。

 

「……………くそったれ!!」

 

ソウルジェムを構えると、魔法少女へと変身。武器を振るう。ごう、と重い音と、ヒュウ、という軽い音が同時になる。まっすぐに放たれた矢が横から錨に介入されて弾かれる。

 

しかし一度外したからといって使い魔は攻撃をやめるわけではなく、再び弓を引き絞って射る。サチは後ろに軽やかに飛び回避する。すとんと数本の弓矢が石畳に突き刺さった。

 

続いて、狙撃が無駄だと悟り、突撃してきた折り紙武士を切り払う。そして上斜めにもち、空にいる使い魔に向けた。がちゃりと武器の仕掛けが音を立てる。サチの手の中で、錨の爪が折り畳まれ、形状を変形させていき、やがてそれは長い大きな銃となった。

 

無言でサチは引き金を引く。反動とともに大きな銃声が響き渡る。発射された弾の軌跡は四方に枝分かれし、使い魔のみに直撃する。白い紙っぺらの武者が貫かれて火を吹き上げ、空気抵抗を受けて回転しながら落ちていく。

 

魔女はそのやられた配下が死んでいくのをじっと見て、次にサチを見た。どことなくその仕草が入理乃に重なって、サチはやるせなくなった。

 

「入理乃、私達さ、長い付き合いだよね」

 

サチは唐突魔女にそう話しかけた。しかし魔女は首をかしげるばかりだ。サチは悲しげな表情をして銃を下ろす。

 

魔女が話を理解していなくても良い。何も返事がなくても良かった。ただ何故だかサチは話を聞いてもらいたかった。だからサチは何の反応もない魔女に向かって喋り続けた。

 

「あのとき入理乃は初めて魔法少女になったばっかでさ、笑っちゃうくらいに弱くて、魔女にやられそうになってた。そんなピンチな状況を、この船花様が華麗に助けてやったのが、私達の出会いだった」

 

得意気に言うサチ。しかし偉そうに言ったものの、サチだって三年前のあの頃は魔法少女になったばかりだった。他の魔法少女など知らず、ましてやサチにとってその時が、魔法少女としての初戦闘であった。当然のように魔女相手に即座にやられ返され、窮地に追いやられた。しかし入理乃と協力することでなんとか魔女を倒すことに成功した。

 

それからだ。入理乃とコンビを組むようになったのは。入理乃は頭が良かったが、当時はまだまだ弱くて、戦闘方法を確立できていなかった。サチは反面頭がそれほど良くはなく、しかし強さは入理乃以上にあった。互いの弱点を補うために、彼女らは一緒に魔女を退治した。

 

「ずっと三年間一緒にいた。コンビだから、一緒にいるのは当たり前だと思うかもしれないけど、でもそれだけじゃない。今さら気づいたけど、入理乃がかけがえのない存在だったから、ずっと一緒にいたいと思ったんだ」

 

最初は、なんて使えそうなんだと思った。なにしろ彼女は、気が弱くてこちらにあまり逆らわない。パシリとして有料物件だ。ほどほどに面倒ごとを押し付けられそうで、ほくそ笑んだものだ。

 

でも互いに関係を深めていくうちに、彼女のコンプレックスを知った。それは自分の存在に対するもの、自分が存在してもいいのだろうかと言う疑問だった。

 

その疑問につい哀れんだ。サチは罪による苦しみを抱えていたが、同じようなものに入理乃は自分以上に苦悩しているのだと思い、同情したためだ。

 

だから彼女を理解してあげられるのではないか、という偽善も顔を出した。それがやがて“理解したい”にかわり、最後には友情が生まれた。そして入理乃の価値はサチの中で昇華され、“信じたい、支えてあげたい”とさえも思うようになったのだ。

 

「でも、私なんかを、入理乃は信じてくれてないのかもしれないと悩んでたよ。隠し事もずっとされたから。だけど、隠していたのはすべて私のため。最後には本当のことを話してくれた。私のことを信じてくれたんだね。……、こんな形で話してほしくなかったんだけど」

 

サチは怒りをこめた目で魔女を睨み付けた。涙腺から熱いものこみあげほほをつたう。黒の雨と涙はまじりあい、地面に滴り落ちる。激情のままサチはかつて入理乃であった化け物に対してその思いを叫んだ。

 

「ふざけんなよ!!知らない間に絶望して、目の前で魔女になりやがって!!テメエはどこまで勝手なんだよ!!この船花様に相談でもなんでもしてくれたらよかったのに!!こんなの、こんなの……!!」

 

何がどうなっているのかとか、何が起こっているのかとか、そんなの考えたくない。そんなふうに思うのさえ嫌だ。相棒が魔女になったのも、魔法少女の真実も、あの阿岡入理乃の入れ物であった体も、受け止め切れない。

 

見たくない、見たくない、見たくない。もう、全部、見たくない。すべて嘘なら良いのに。

 

サチは、立ったまま泣き続けた。キャパオーバーを超えてしまい、ついに我慢できなくなったのだ。

 

死装束の魔女は傾げていた首をもとに戻した。そしてゆっくりと地面にまでくると、ふわふわと浮遊したままサチに近づいた。はっと気づき驚いた彼女は銃を構える。

 

しかし撃つことを体が拒否しそのまま固まってしまう。髪の触手を手で魔女はかきわけ、素顔をさらした。セーラー服の魔法少女は目を見開いてそれを凝視した。

 

その顔は鱗に覆われていた。口は前に突き出されて横にさけて、鋭い牙が覗く。小さな二つの鼻の穴はひくひくと動き、顔の両端に耳らしきものはどこにもない。ちろりと、長い舌が一瞬だけでた。

 

完全に、魔女の頭部は爬虫類のそれ。おまけに歪に変形していて、ところどころが腐っている。とても直視できるようなものではない。

 

しかしそれでもサチはその顔に見入ったのだ。何故ならその瞳から、黒い液体が流れていたから。入理乃が、泣いていたからだ。

 

「どうして、泣いてんだよ…」

 

元の人格なんて魔女になった時点で失われているはずだ。しかし、この魔女はサチが泣くのを悲しんでいる。三年間一緒にいた魔法少女の仲間を心配しているという事実に、サチは困惑とともにさらなる悲しみと暖かなものを一緒に感じて顔を歪ませる。その蛇の目が生前の彼女の瞳とどうしてもかぶって見えてしまい、切なくなる。

 

と、突然に魔女が髪を動かして、銃をサチの手ごと自分の首にあてがわせた。それだけで魔女が何をしてほしいのかわかってしまう。彼女は死のうとしている。自分の手でその命を狩られようとしている。

 

思わず、サチは声を荒げた。

 

「な…、私に何させる気なんだよ!!」

 

自分が大事な友達を殺すなんて、とんでもない。ゆるゆると、首を振る。彼岸花から振りそぞく雨が雨量を増す。ザア、という音が結界に反響する。

 

魔女は強い瞳で魔法少女を見続ける。その目はやはり阿岡入理乃という少女を想起させるような目だ。まるで懇願するように光が揺れる。

そのときに気がついた。瞳の光が闇に食われそうになっていることに。

 

きっと入理乃の人格は魔女となった時点で、もうとっくに失われている。しかしその意思というのが、奇跡的に魔女に残滓として残っているように思えてならなかった。だがそれも、絶望に飲み込まれようとしている。そうなったら、その意思を抱いて死んだ入理乃の思いはーーなくなってしまう。

 

「わかった…。入理乃が信じてくれるなら。それが望みなら、私が…」

 

引き金に添えた指先が、震えている。それをサチは必死に抑え、軽く力を入れた。銃の筒から魔力の弾が放たれ、あっけなく魔女の首を打ち抜いた。

 

刹那魔女の体がどろどろと溶けていった。結界に地響きがなり、天井が崩れ去り、彼岸花の花びらが雨や破片とともに落ちてくる。墓地は瓦解し、紙でできた不可思議な形の遊具が立ち並ぶ景色へと一瞬だけ姿を変えると、結界は完全に消え去った。地面には、グリーフシードが刺さっている。入理乃の遺体は、どこにもない。

 

彼女は魔法少女の姿から普段の姿へと戻った。それと同時に体に付着した墨も蒸発した。

 

「……………」

 

グリーフシードを拾いあげ、手の中で転がす。そしてそれを見続けた。しばらくそうしていると、足音がこちらにかけてきた。振り返ると、そこには橙色の髪を左右の上に結った少女がいた。思わずサチは手にもっていたものを後ろに隠した。

 

「夏音…。帰ったんじゃないの?」

「こんなときに帰れるわけないじゃないですか。今までずっと入理乃のことを探していたんです」

「…まじかよ。本当、アホなんじゃないの?」

 

呆れたようにそう言うと、夏音はアホじゃないです、と不満そうに反論した。

 

「それで、船花はどうだったんですか?リノは見つかったんですか?」

「……見つかっていない」

 

サチは嘘をついた。本当のことを教える気はない。だって最後に入理乃が頼んだから。魔女と魔法少女の真実を知られるわけにはいかない。

 

ふとサチはあることを思いつく。それはとてもとても、良いことのように思えてならなかった。普段ならば絶対思いつかないだろうし、否定するだろう。本当なら、こんなの悪いことだ。

 

でもなんだか、上手く考えれない。もう、今更という感じがした。思考が笑っちゃうくらい、狂ってて、おかしくなっている。夏音がいなければ、その場で本当に大声を立てて爆笑するくらい、愉快で愉快で仕方がない。

 

サチは後ろにもってきた手を前にもって、夏音に渡した。思わず受け取った夏音はそれを見ると、わけがわからん、といった表情をした。

 

「何でグリーフシードなんか…」

「まあ、もっといてよ。これ以上見つからないってことは、入理乃は魔法を使って、一時的に隠れてる可能性があるってことだし。でも、そういうのには魔力を多く使うし、だいぶ消耗するはずだよ。もう手持ちは持っていないはずだから、もし見つかったら渡してほしいんだよ」

「…ああ、そういうことですか。そういうことならもらっておきます」

 

夏音はポケットに、黒い宝石をいれる。サチは、それを少々悲しげな顔をして、気づかれないように下唇を噛んだ。




死装束の魔女。その性質は、悲しき思い出。
本当はじめじめとしたところにいたくないが、明るいところに行けない魔女。ただ延々と生前を思い出しては、悲嘆にくれているが、恐ろしく頭が良い。自分の心、結界に踏み入れられることを極端に嫌い、敵には容赦がない。しかし、唯一相棒であった少女のみは、踏み入れられることを許されるであろう。

死装束の魔女の使い魔。その役割は迎撃。
結界から敵を追い出すためにつくられた兵士。魔女に従順かつ絶対の忠誠を誓っているが、当の魔女には、便利の良い道具としか思われていない。


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狂う運命の針

夜遅くまで入理乃を捜索していた夏音は、サチ共々、二人の警察に見つかり、警察署にまで連れていかれた。一人が夏音達の親達に電話をしている横で、もう一人が、自分達を探していたことを、話してくれた。

 

考えたら当たり前のことだが、中学生の少女達が、こんな時間になっても家に帰らずにいたら、親は心配するに決まっている。警察の協力のもと、二人の親達は、血眼になってあちらこちらを駆け巡ったらしい。学校にも連絡がいき、なんだか大変なことになっていたみたいだ。よく、今まで親達に見つからなかったものだ。

 

親達が、数十分してからくると、二人は説教をくらった。そして、何故こんな夜遅くにまでうろついていたのか、理由を聞かれた。さすがに魔女のことやら、魔法少女のことは言えなかったが、入理乃のことは素直に話した。もちろん、少々ごまかしはしたが。

 

それからも、詳しく話を聞き出され、解放されたのは、数時間後だった。サチはやけに黙ったままで、挨拶もせず養父とともに去っていき、夏音は親の車に乗った。車内のなかで、兄からいかに自分達が心配し、焦ったのかを、申し訳なく思いながら聞いた。そして、こんな自分を大切にしてくれる家族を持てたことを、ひそかに嬉しく思い、悲しませないようにしようと、心の中で誓った。

 

次の日、学校にいけば、同級生から取り囲まれた。どうやら昨日のことが噂になっているらしかった。夏音達が遅い時間まで外にいたことよりも、皆、あの“阿岡入理乃”が何故行方不明になったのかが気になっているようで、質問も彼女のことばかりだった。それは、数日たっても、かわらなかった。

 

そう、阿岡入理乃が姿を消してから、数日たっているのである。警察が夏音達の証言をもとに、早島市内中を捜索しているが、いっこうにその手がかりは見つからない。それもそのはずで、裏の世界で起こったことは、裏の世界の方法で捜索しなければ意味などない。しかし、彼らは魔女や魔法少女のことを知らない。だから、こうやって表の世界の方法で探すしかないのだ。

 

もはや警察に期待などないが、それでも何かしらの情報が掴めればよいと思ってしまう。頼みの綱のサチも、入理乃がいなくなってから、学校を休んでいるし、自宅にいっても、会いたくないの一点張りである。己の足で探しても、それこそ何にもならないし、限界がある。

 

サチのこともそうだが、入理乃のことが心配だ。今ごろ、彼女は何をしているのだろう。

 

「…ねえ、夏音。何ぼーとしているの?」

 

未だに自分に怒っているのだろうことは、間違いないだろう。だとしたら謝らければいけない。それから、サチにも。きっと入理乃が見つからないのが原因で、家に閉じ籠っているのだ。彼女が逃げてしまったのは、自分のせい。悪いのは、この菊名夏音。謝罪をして、どうにか彼女達と仲直りする責任が、自分にはある。

 

「ちょっと……?」

 

だが、謝罪したところで、果たしてサチは許してくれるのだろうか。サチが協力してくればければ、入理乃は見つからない。一体どうすれば……?

 

「夏音、聞いてる?」

「………あ、すいません。ボーとして、とうちゃんに気づきませんでした」

 

さっきから声をかけていたであろう順那が、自分の机の前に立って、膨れっ面をした。気づかなかったと言われ、腹を立てたらしい。少し明るい、量が多い癖のある灰色乃ポニーテールが、そっぽを向いたことで、馬の尻尾のように大きく揺れた。

 

「ひどすぎ」

「本当、すいませんって」

「許さない。罰として、お父ちゃんを育てようシリーズのアニメ、第一期の視聴をしてもらいます」

 

お父ちゃんを育てようシリーズとは、ある日突然、赤ん坊になったお父ちゃんを、成人になるまで育てる謎のゲームである。発売当初、そのあまりの突っ込みどころ満載のシステムとゲーム性、シリアスで、引き込まれるストーリーで一部から爆発的な人気をはくした。三期までアニメがつくられたが、その内容はあまりにも奇想天外かつカオスすぎるために、“日本で一番頭がおかしくなるアニメ”という異名がつけられている。

 

順那はオタクで、生粋のクソアニメ好きであり、このアニメが一番好きだといつも言っていた。だから、夏音は名字の“東”とお“父ちゃん”をかけて、彼女のことを“とうちゃん”と呼んでいるが、順那はそれを案外気に入っている。夏音はネーミングセンスがそこまでないが、この渾名はからかってつけたものだ。

 

そんな渾名を気に入る順那は、やはり人と感性がずれている。また天然気味なせいか、フレンドリーな性格に反して、友達は夏音くらいなものだ。しかし、それを順那が気にしていないのだから、大したものだと思う。

 

「ええ、あれをですか?いやです。内容が色々凄すぎて、ついていけないんですよ。何ですか、あれ。何故第一期から第三期まで、最後は父親と母親が離婚するんですか?」

「それがお約束だから」

「意味がわかりません」

 

というか、あのシリーズは、すべてが意味がわからない。ゲームをしたこともあるが、あれはやっていると馬鹿になる。それぐらい、変なゲームだ。さすが、“日本一頭がおかしくなるアニメ”の異名を持つだけある。

 

夏音が心の奥底から嫌そうな顔をしたのを、順那はひとしきり笑った。夏音と軽口を何度か交わしたあとで、ふと、真剣な顔になった。

 

「最近、夏音は変だよ。授業中上の空になったり、遅くまでふらついていたり。真面目な夏音が普段そんなことするはずないよね?阿岡さんのことといい、一体何があったの…?こんなあたしでもよければ相談に乗るよ?」

 

そう言ってくる友達の顔は、本当に心配そうだった。もしかしたら、話した方がいいのではないか、そんな思いが、言い訳のように浮かんだ。心の中のモヤモヤを吐き出したくて、つい夏音は、本当のことを言おうと、口を開きかけた。しかし、真実を慌てて飲み込んで、ごまかした内容の悩みを話した。

 

「実は、最近知り合った後輩と喧嘩したんです。それ以来、話もしてくれなくて。どうしたらいいと思います?」

「そんなの決まっているよ。話をしてくれるまで、何度も挑戦するんだよ」

「それでうまくいくんですか?」

 

実際、諦めずに何度も話しかけようとしているのだ。それでも何も起こってないのだ。だから、こうやって相談しているのに、そんなことを続けても、果たしてサチと話をすることができるのか?

 

「そんなの、わからないよ」

「わからないんですか……」

「第一、あたし上手く人と話せないもん。良い解決方法なんてそもそも、思い付かないよ」

「思い付かないんですか…」

 

夏音が、少し後悔したように、じと目になる。はっきりいって、そんな風に言い切られても困るだけである。

 

「でも、思いは伝え続けなきゃ駄目だよ。あたしはそれで後悔したことあるからさ」

「後悔……?」

 

思わず聞き返す。順那が、暗く表情に影をおとしながら、しかし努めて明るく笑顔で言った。

 

「二年前にさ、従姉……ミズハがいじめが原因でひきこもっちゃったんだよね。でもあたし、何でいじめに立ち向かわないんだって、怒っちゃって喧嘩したんだ。ずっとあたしは怒ったままで……、しばらくして、従姉は、失踪しちゃったの。あたしは未だに生きてるって信じてるけど、親戚の間では、死亡扱いだよ」

「そんなことがあったんですか………」

 

頭の片隅で、入理乃のことがちらつく。このまま何年も見つからない、なんてことが、もしかしたらあるのかもしれない。そう考えると、背後がうっすらと寒くなった気がした。

 

「それにもう一人の従姉とも、ミズハのことでぎぐしゃくしてるんだ。もう三人仲が良い頃には戻れないよ。だから、伝えた方が良いよ。謝れるうちが花なんだから」

 

そう言った順那は、精一杯の笑顔で言った。明らかに、こちらを気遣って、元気に振る舞おうとしていた。それが、胸に悲しみを広がらせ、同時にその気遣いが嬉しくも感じられた。

 

夏音は自分の友人に、感謝しながら言った。

 

「わかりました。今日、後輩に会ってきますね」

 

そうして、入理乃を一緒に探そう。見つけたら、謝って許してもらおう。そして、三人で仲良くしよう。そんな決意を、夏音は密かに心の中で誓った。

 

しかし、そんなことは、もはやできないのだと、夏音はこのとき知らなかった。運命の針が、気づかないうちに狂い始め、歪な音を立てながら、進んでいた。



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旅立ち

最近隣の市、見滝原でも早島と同様に、ある一人の少女が行方不明になった。その少女は見滝原中学校に通う三年生で、両親を交通事故でなくして一人で暮らしていた。

 

彼女は真面目な性格だったらしく、生活態度も成績も悪くはなかった。決して悪行をする生徒ではなかったという。しかし数日前から、何故か少女は学校に無断欠席をしていた。担任教師は毎日家に電話したが、返事が返ってくることはなかった。

 

不審に思ったその教師は、少女の住むマンションへと行き彼女の部屋を訪ねた。だがどういうわけだか、その部屋は最初から鍵が開いており、家に入るとそこには少女の姿がなかったという。辺りを探しても彼女は見つからず、今でも調査は続いている。

 

このように連続して失踪事件が起きたために、警察は入理乃の事件との関係性を疑い、また同じような事件が起こるのではないかと懸念した。その通達は早島中学校にまで伝えられ、急遽職員会議が開かれることとなり、今日は午前授業だけで生徒は早めに帰ることとなった。

 

夏音は授業が終わると真っ先に教科書と荷物をバッグに詰め込んだ。もちろんそのまま家には帰らず、全速力で船花サチの家へと走っていった。数十分後、サチの家につくころにはすっかり息切れしていて、夏音は失礼のないよう呼吸を正してから、インターホンを押した。

 

軽快な音が響き、しばらくしてから聞き覚えのある男性の声が出た。船花サチの伯父であり、義理の親の船花久士だ。夏音は若干緊張して鼓動が速くなっていくのを感じ、口を開いた。

 

「こんな時間にすいません。菊名夏音です。学校が早く終わったので、サチちゃんに、また会いに来ました」

「………菊名君か。いつもすまないね。サチのためにありがとう。鍵を開けよう」

 

数分後、がちゃりと鍵が回る音がして、久士が扉を開けた。夏音は失礼しますと頭を下げてから行儀よく靴を脱いだ。そして案内されるままリビングに入った。部屋が目に飛び込んできて、ふと入理乃と一緒にここにきた時を思い出して胸が痛くなった。

 

「お茶を入れようか。アールグレイでいいかい?」

「はい。ありがとうございます」

 

アールグレイというのが一体何のお茶なのか良くわからなかったが、一応夏音は頷く。久士は頷いて茶をいれるため、厨房に向かった。夏音はソファに座りバッグを膝に置くと、内装の金持ち感と自宅をまた比較して、それに落胆しては立ち直るを繰り返した。

 

そうしているうちに久士がカップを二つ持ってやってきた。夏音はカップを受けとると、中身の紅茶を少し飲む。普通の紅茶とそう変わらない味に思えたが、何でも外国のブランドもので高級茶葉を使っているらしい。小市民の夏音には普段紅茶を飲まないこともあって、よくわからなかった。それでもさすがに失礼なことは言える訳がなく、高級茶葉は違うだのなんだの、出来るだけ世辞を言った。

 

「おお、わかるのかい?これは旅行にいったときに見つけてね。サチもこれが好きなんだ」

「よくサチちゃんと飲まれるんですか?」

「ああ。でも、飽きちゃったらしい。別の茶葉を探して購入しているみたいでね、ずっと阿岡君とそれを飲んでいたみたいなんだ」

 

そう言って久士は柔和な笑顔をつくった。夏音はカップの紅茶を覗きこむ。わずかに揺らすと灯りで反射した光も、波とともに揺らいだ。じっと見つめていると、紅茶の色が血液の色に似ているような気がしてきた。

 

「またサチちゃんと阿岡さんがそのお茶を一緒に飲めるといいですね」

「そうだね。阿岡君がいなくなってから、ずっとサチは引きこもるようになってしまった。だが私はサチに何もしてやれていない。父親だというのにね……」

 

サチの養父は奥歯を噛み締めて俯いた。自分自身が情けなくてその事が悔しいようだった。思わず同情していると、突然彼は顔をあげ、夏音をまっすぐ見て、頭を下げた。

 

「お願いだ。私も君と一緒に彼女と話をさせてくれ。友達の君となら、サチの心を開けるかもしれない」

 

夏音はすぐに頷いた。断る理由もないし、なにより彼の父親としての思いに心を打たれたのだ。彼らは紅茶を飲み干すと、サチの部屋に行くために階段を上り始めた。

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

「お邪魔するよ」

 

そう言って音もなくキュゥべえは部屋に入ってきた。鍵はかけていたはずだが、とちらりと見て締め切ったカーテンが風になびいているのを見て、窓が開けっ放しになっていることに気がつく。冷たい風が入ってきているが、不思議と気にならない。それどころか、もはやすべてがどうでも良い。サチは薄暗い部屋の片隅で、膝を抱えて座りながらそう思う。

 

「元気がないのかい、サチ?」

「………見ればわかるでしょ。そんなこともわかんないの?ハハハ、おかし…」

 

なげやり気味に笑う。キュゥべえは、とたとたと足元まで歩いてきてその赤い目でサチの表情を見た。無機質な二つのそれは、冷たいとか暖かいとか、そんなことが一切感じられない。虫の複眼の無機質さによく似ている。きな臭い奴だとは思っていたが、本当に感情というものがないのだと、改めて実感した。

 

「こんなのが、宇宙人かあ」

 

見た目はかわいいらしいぬいぐるみ。だけどその正体が、遥か遠くからやってきた別の星の文明の存在で、自分達を魔女に変えるべく接触してきたとか詐欺にもほどがあると思う。宇宙人など信じていなかったのに実際に目にすると変な気持ちだ。

 

「やっぱり君はボクのことを、すべて入理乃から聞いたんだね」

 

インキュベーターは尻尾をふった。まるで、最初からわかってたような言い方だった。

 

「うんうん、聞いたよ。エントロピーとかよく分かんないけど、魔女の真実は全部知ってる」

「そのわりには随分と落ち着いているね。普通はもっと取り乱したりするものだけど」

 

魔女の真実、魔法少女の真実、そしてインキュベーターの真実。それらは信じていたものを、土台ごと揺らす。常識が崩れた時の衝撃は、心に大きな傷をつけて色んな感情が剥き出しになる。しかしサチはその剥き出された部分が見えてこないのだろう。キュゥべえは、その事に首を傾げていたようだった。

 

「………それはたぶん、入理乃を殺しちゃったからだと思うけど」

「? それなら、尚更取り乱しそうなものだろうけど……」

「あー、理解しようとしなくていいんじゃない?」

 

説明したところで何故このようになったのか、この宇宙人には理解できはしないだろう。

 

もう投げやりになってしまって、何をするにしてもやる気が起こらなかった。完全に自暴自棄になっていることを自覚しながらも、気力は湧いてこなかった。これまでの全部に絶望したあまり、自分がやってきたことが何の意味もない気がしてきた。

 

いくら本人の意思だったとしても、大切な相棒を殺した。それどころか元々魔法少女であった魔女を何体も殺し、実の親を願いによって死なせた罪の上に、罪状の山を築き上げてしまったのだ。

 

重さに、到底耐えれない。十三歳の心には、あまりに重い現実。受け入れるどころか、拒絶もできなかった。理解した途端に怒りが湧き上がるどころか頭が麻痺して虚脱感に支配されてしまった。生きている理由がもうなかった。

 

だから良いのだ。自分の結末はわかってる。大切なものはこぼれた。後は投げ出すしかないだろう。死ぬしかない。

 

サチは白い獣など、もう認識していなかった。手の中の宝石を見て、笑う。

 

「入理乃。私ももうすぐーーー」

「船花、聞いてますか?」

「はぁ!?その声、か、夏音!?」

 

扉のむこうから夏音の声がしたことに、サチは驚愕して立ち上がった。今頃は学校がある時間のはずだ。彼女がここにいることなどありえない。

 

いや、そんなことはどうでも良い。ドアのところまで走ると、大声で叫んだ。

 

「さっさとここから出てけ!!」

「出て行きませんよ。私は話をしにきたんです。貴女の父も横にいますよ」

「じゃあ、お義父さんだけにして、ここから離れろ!!テメエはお呼びじゃねえ!!」

 

一刻も早く夏音をここから追い出さなければ。彼女には何もするつもりはない。なんのために、入理乃を託したと思っているのだ。彼女には、生きてもらわねばならないというのに!!

 

「何を言っているだ、サチ。友達に失礼だろう!!」

「ここにいてほしくねえんだよ!!この船花様の計画が台無しになるだろうが!!」

「…何を言っているんですか?計画…?」

 

夏音の戸惑った声が聞こえる。しかし、サチはそれどころではない。取り乱し、ドアノブをつかんだ。

 

「!!!」

 

しかし黒々とした穢れはソウルジェムにひびをいれる。もう間に合わない。

 

手から、ソウルジェムーーいいや、魔女の卵、グリーフシードが滑り落ち、床をころころと転がった。そして机の足にこつんとぶつかる。その瞬間グリーフシードから、エネルギーが発生し魔女が生まれだす。その時点でサチの意識はなくなった。

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

「サチ!!」

 

寄りかかったサチの体が前のめりになり、ドアが開くのと同時に倒れてきた。とっさにサチの体を父親が支える。それとともにまわりが変わっていく。ドアはなくなり壁もなくなり広い場所に放り出される。

 

青空がプリントされた床。それから生える珊瑚や海草。突き刺さっている十字架の墓の横には、難破船と思わしき木の残骸がある。上から差し込む光は、空間を満たして二人を照らして、海の底にいるような錯覚を覚える。

 

完全に異質な空間。幻想にしか存在しない場所。まるで物語に出てくる摩訶不思議な世界のよう。

 

「な、何だ!?サチ、早く起きなさい!!」

 

突然娘が意識がなくなったことに、そして周囲が突如として変わったことに、うろたえる久士。だが夏音は、“何も知らない”久士とは違い、ここがどこか少なくとも彼よりかは正確に理解していた。

 

ここは化け物の住処。そう、魔女の結界だ。それが分かったのは、目の前の空に魔女がいるからだ。

 

巨大なガレー船の姿の魔女。ボロボロの帆船、寂れた木の船体。正面には目玉と牙がつき、サメのような顔をしている。内部や甲板には、骸骨の使い魔を乗せ、彼らがもつ長いオールが魔女の周囲にも展開している。体からは大砲がせり出してハリネズミみたいだ。

 

「魔女…!!」

「あれが何か知っているのかい、菊名君!?」

「……どうして魔女が!?何で……!?」

 

混乱する。わけがわからない。恐怖が走り、頭が真っ白になった。視界が揺れ、魔女に釘付けになる。

 

「お、落ち着くんだ、菊名君」

「で、でも!!」

「いいから、逃げるんだ、じゃないとーー危ない!!」

 

ふいに久士が夏音の体を突き飛ばした。それにより横に倒れこむ。刹那、ぐしゃりと嫌な音がした。それに夏音は顔をあげた。

 

「………え?」

 

自分が見ている男性は本当に船花久士なんだろうか。だってそこに彼はいないではないか。いたのはどう見ても使い魔だ。

 

人サイズの、骨がむき出しのピラニア。それが大きな大きな口で、彼の頭部を引きちぎっていた。

 

直立する父親の体から、どさりとサチの体が落ちる。そして倒れる前にあっというまに使い魔にその体は飲み込まれ、続いてサチの体に、牙が突き刺さる。骨を噛み砕く音を立てながら、使い魔はサチを筆舌し難い有様にしていく。

 

そうして二人の親子は使い魔の腹におさまる。腹部がぽっこりと膨らんだ。でもまだまだ使い魔は物足りない様子。餌を探す目が、ギョロっと動き。

 

夏音と目が合った。

 

「キ、キャアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

思わず悲鳴をあげた。反応した使い魔が牙を打ち鳴らす。その牙にはべっとりと血がついており、夏音はそれを見てさらに小さく悲鳴をあげた。後ずさり声にならぬ声を出した。

 

何故こんなことになった。久士とサチが死んでしまうなんて。そして自分もサチ達と同じようになろうとしているなんて。自分はただ、サチに思いを伝えたかったはずだ。どうしてこんなことが起きたんだ。あまりに理不尽すぎる。こんなの納得ができない。

 

「ああ、あああああああ……。死にたくない。せっかく、せっかく仲良くしようと思ったのに、こんなことになって、こんな形で終わるなんて、そんなの……!!」

 

生存本能が恐怖から逃れたいと、危機から脱したいと訴える。そして、こんな状況が、結果が嫌だと心が言う。ああ、死にたくない、終わりたくない、できることならーー力が欲しい。何も起きない前に行きたい。

 

「菊名夏音。ボクと契約するんだ」

「…キュゥべえ!?」

 

足元には、いつのまにか孵卵器がいた。その白い毛皮は、夏音には今の現状と不釣合いに思えた。

 

「さあ、ボクと契約を。早く願いを言うんだ!!」

「…私。私はーー最初に戻りたい。こんなことになる前、二人と会ったあの日に、もう一度行きたい!!」

 

無我夢中で願いを叫ぶ。瞬間胸が熱くなり、その思いが赤く赤く光ながら目の前に現れた。使い魔が迫り大きく口を開ける。しかしその前に菊名夏音は、己の魂を掴み取る。そして契約によって手に入れた魔法を発動させた。

 

こうして、菊名夏音は、この時間軸から旅立った。




船の魔女、その性質は傀儡。
自身が好きなもの、自由にしてくれるものになったが、自ら動くことはできない。その体に乗り込んだ使い魔が、魔女を操縦する。そのため、己の意に反する行動ばかりさせられている。この魔女は、生前と同じように、束縛され続ける。

船の魔女の使い魔、その役割は決定。
魔女を崇拝し、独善的なまでに彼女を愛している。所詮は骸骨であり、脳みそがないせいか、やや頭のおつむが足りていない。だが、それでもチームワークは抜群で、侵入者には集団で襲い掛かる。また、たまに魚のような姿に変異してしまうらしい。


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二章 失ったものと得たもの
過去と未来


サブタイトルを変更しました


幼い頃の記憶だが、はっきりとあの時のことを、菊名夏音は覚えている。

 

ちょうど幼稚園に入ったころ。両親は既に忙しく働いていて、夏音はよく兄である高紀に面倒を見てもらった。遊んでもらったし、寝る時には絵本を読んでもらった。高紀は夏音にとって両親以外のもう一人の親のようだった。

 

兄は夏音をよく散歩に連れて行ってくれた。いつも同じコースを歩いていたけれど、いろんなことを話して教えてくれて、全然飽きなかった。色んな発見に満ち溢れていて、何より大好きな兄と一緒にいることが楽しかった。どんなことでも、兄がいれば嬉しかった。

 

そうしてその日も手を引かれ、いつものように歩いていたら、ふと目の前で、老女が通りかかった。彼女は荷物を重そうに持っていて、よろよろと倒れそうな様子だったが、誰一人手助けしようとしない。道行く人は一瞥もしないで先に進んでいく。兄一人を除いては。

 

高紀は優しく老女に話しかけると、荷物をすべて持ってあげて、夏音に謝ってから彼女の目的の場所まで一緒について行った。そして、老女は兄にお礼を言ったのだ。

 

それが、兄がいかに立派なのかを知ったきっかけだった。その後も、兄と一緒にいることが多い夏音は、彼の人を助ける行動をいくつも見た。周りから慕われ、好かれ、時には逆に人に助けられながら高紀は本当に楽しそうにまた人を助けるのだ。

 

妹は不思議に思って、兄にどうしてそんなに人を助けるのかと聞いた。兄は自分のためだ、自分のエゴのためだと答えた。人が嬉しそうにするのを見るのが好きで、それが生きがいで、思いを返してもらうのが好きだ、とさらに高紀は言った。

 

夏音は、そんなことを自分は思えないと感じた。だって、夏音は兄ではないからだ。自分と彼の自意識は異なるのだ。夏音は兄にはなれないし、故に同じ思考になることはできない。夏音は彼のことが聖人のように思えた。

 

兄の行動は夏音に多大な影響を及ぼた。いつしか彼女は兄を尊敬するようになり、彼のような真面目なしっかりとした少女となった。そして人に寄り添えるような少女になった。彼女はそうであるように努めた。兄の真似をした。

 

家族は夏音を愛し、夏音もまた家族を愛した。夏音は家族が好きで友人が好きだった。決して彼らを裏切ることなどはしなかった。そしてこれからもずっとそうであるはずだったがーー

 

 

◆◇◆◇

 

 

菊名夏音は願いにより魔法少女と変わった。光ある一般の世界から、闇夜のような魔女の世界へと足を踏み入れた。彼女の人生は明るいものから黒いものへと転換した。

 

夜の帳は落ちた。夏音は魔法少女として、巡る時間を旅し続けなければならない。劇場の幕が上がることで、舞台は始まるのだ。果てのない劇が、終わりのない物語が、これから紡がれることになる。

 

踊り疲れても休むことはできないし、歌い疲れても声を止めることは許されない。そのうち一人一人と演技に飽きて、観客はいなくなっていく。

 

でも演劇は終わらないから、演者は誰もいない観客を前に演技をし続けるしかない。やがて演者はホールに取り残される。踊っても歌っても、誰も見てくれないし響いてくれない。忘れ去られまいと、ついには叫んで訴えても、観客が見てくれることはないし、そもそもの話気づいてもらえるはずがない。

 

苦痛は永遠。孤独も永遠。痛みも永遠。それは演者にとって、地獄と同義であろう。

 

そう、その演劇は地獄である。決して抜け出すことはできない。繰り返すということは、そのループに閉じ込められるということ。つまり時間の檻に閉じ込められるということを意味する。抜け出すという行為事態が許されない。スタートはゴールに結び付けられて、終演はない。

 

××××、×××××、××××××××(菊名夏音、私はもうね、私しかいないのよ)

 

舞台の上に立つ、黒くシルエットが塗られた少女が言う。菊名夏音は漆黒の服を身に纏い、ハルバードを手に持ったまま座ってそれを聞いていた。

 

一体、どういう意味なのかさっぱりわからない。少女は何故そんなことを言うのだろう。私には私しかいない?何かの頓知でも聞いているかのような気分になってくる。

 

と、腕を組んで考えたところで、袖が学校の制服のそれとは違うことは気づいて、今更自分の格好が普段とは違うことに気がつく。夏音はすぐさま確認するように全身の格好を見て、しばしば混乱し困惑して思わず少女に問いかけた。

 

「私のこの姿は何か、貴女知ってる?」

××?××××××?(あれ?覚えてないの?)

「…言われてみれば、そうだった。私はあのとき、彼と契約したんだったね」

 

と、すると、この姿は自身の魔法少女としての姿なのか。立ち上がり、改めて全身を眺めてみる。肩だしの黒の長袖を着用し、紫の手袋。赤いコルセットが、銅を締め、服の裾に、同色の十字の宝石がある。被っている帽子には、菊の花飾りがついており、下は、スカートやズボンなどではなく前垂れ。はいている靴はブーツだった。

 

そんな服装であったので、思わず夏音は慌てて座った。こうすれば、椅子の影で、下半身が見えないはずだ。少女はくすくすと笑い、改めて名をなのった。

 

「………、そうなんだ。貴女、“クリスティーヌ”っていうんだ。じゃあ、クリスでいいかな?」

×××?(クリス?)

「私、結構人にあだ名をつけるんだ。まあ、思い付いたらなんだけどね。なんだかあだ名をつけたら、親しくなれそうな気がするんだよ。でももし嫌なら普通に名前呼びでも……」

×××。××××××××××××(いいや。私はクリスって呼ばれたい)

 

クリスティーヌは、首をふって、拒否をした。むしろ、名前呼びを嫌がっているようであった。夏音は少々首をかしげながら、

 

「クリスがそう呼んでほしいと言うのならば、クリスと呼ぶよ」

××××××××、××××××××××××(そういえば貴女、私を不審に思わないんだね)

「……確かに、何故私は貴女を不信に思いはしないんだろう」

 

普通、こんな少女がいれば困惑するであろうし、第一自分が魔法少女になったことを何で知っているのだ。十分に怪しい。だが、まるで以前からの顔馴染みのように話せていたし、そこにいるのが当たり前のような感覚でいた。そしてその事に何の疑問も湧かない。

 

×××××、××××××××。(無意識でも、覚えているんだね。)××××、×××××××(だったら、いずれ分かるよ)

「いずれわかるって……。てか、そもそもここどこなの?何で私はこんなところに?」

 

これも、今更の疑問。願いが叶えられたのならば、自分はあの“二人に会った”あの日に戻っているはずなのだ。この劇場にいるはずがない。

 

××××××××××。(認識したくもないのね。)××××。(分かるよ。)××××××××、(でももう無理だし、)××××××××××、(戻れないということを、)××××××××××(理解するはめになるの)

「戻れないということを、理解するはめになる?」

××××、×××××、××××××××(菊名夏音、私はもうね、私しかいないのよ)」」

 

少女は最初に言ったことを、もう一度口にした。泣きそうな声で、でもどうしてだか少し笑ってしまいそうなくらい、滑稽な声のように思えた。心の中で、失笑が広がっていくのが分かる。

 

××××××?(もう無駄だよ?)

「何でそんなことが言えるの?初めて会った貴女に、それを言れたくない」

 

少なくとも、自分はこの思いを否定したくなかった。自分は、本気なのだ。この思いはきっと間違いない。菊名夏音はそう信じている。

 

×××××××?××?(馬鹿じゃないの?本気?)

「だって、誓ったもの。今度こそ私は、彼女達と仲良くする。あんな結末は、認められない」

「…×××××。×××××(眩しいな。純粋だなあ)

 

黒い少女がふと目を細めた気がした。顔など見えないというのに。夏音は少女に駆け寄って抱きしめたくなった。垣間見えた孤独な冬のような心を、春のようなあたたかなものに変えてあげればと思った。そして、実際に席から立ち上がると、舞台の床に手をかけた。

 

しかし、そこから体を動かすことができない。電気を流されたみたいに、痺れが全身に広がっている。

 

××××?×××××××××?(どうして?私のこと心配なの?)

「うん。だって、貴女が寂しそうだから。一人にさせたくないの」

 

そんな少女を放っておくのは良心が痛くなるからしたくないのだ。そして兄の真似をしたいという欲求が自分にはある。兄は優しく、敬愛すべき人物。自分は彼のような人物になりたいと、常日頃思っているのだから、これくらいは当然の行動だ。

 

×××××××××。(猿真似でも優しいね。)×××××。(安心してね。)×××、×××××(いずれ、会えるから)

「そんなのどうして、わかるの?」

××××××。(私は私だから。)××××××××××××××××(本質からちゃんと目を逸らさないで)

 

そうやって、彼女は手を招いて、

 

×××。私は待ってる。さ×、×あ、×い×(おいで。××××××。×あ、さ×、お×で)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、おいで

 

だって、私は貴女しかいないのだか



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サイカイ

「あれ、ここは……?」

 

眉を開ければ、そこは結界に取り込まれる前にいた場所、船花家の廊下だった。顔の全体を覆っていた仮面をとる。白一色のそれを一瞥し、きょろきょろと辺りを見渡す。混乱する頭で、さっきのは夢であったのだろうか、と思う。そうしているうちに、着ているものに目がいった。

 

「これ、魔法少女服?」

 

黒いその服は、いかにもコスプレっぽい。夏音には、こんな服を着がえた覚えなどない。これは、夏音の魔法少女服なのだろうか。

 

では、あれは本当に起こったことで、自分は本当にキュゥべえと契約したのか。と、すると、今日はあの二人にあった日なのであろう。だが、しかし、何故自分はこんなところにいるのだ? アニメの知識だが、こういう時は、普通二人があった直後に戻されるとか、そういうのではないのか?

 

とりあえず、この前垂れだけの格好は恥ずかしい。見よう見まねで、夏音はさりげなくポーズを決めながら、変身を解除しろ、と念じた。すると、すんなりと、黒い魔法少女服は消え、元の制服に戻った。驚いたり喜んだりしながらも、土足のままであったので、靴を脱いで、手に持った。

 

さて、ここからどうすればよいか。とりあえずこのままここにいたらまずい。外に出よう。それから、それからーーーそうだ、阿岡入理乃と船花サチ、二人と接触したほうが良いのかも。

 

自分は、この時はまだ、魔法少女に関係ない部外者の一般人だった。それが、いきなり魔法少女になったらびっくりするだろう。話をしないまま、その事実を知らせないと、何が起こるかわからないのではなかろうか。そう、二人に会おう、二人に会わなければ、と夏音は必死に自分に言い聞かせる。

 

さあ、いますぐにでも、行動しないと。そう考えていた時だった。ギシリ、ギシリ、と廊下の向こうから足音がしたのは。

 

「ーーー!!」

 

驚きのあまり、心臓の音がドクンと鳴った。

 

こっちに、誰かが向かってる。まさか、サチがこちらに来ているのかだろうか。それとも、父親の久士であろうか。とにかく、この状況は、やばすぎる。このまま誰かと会えば、犯罪者になってしまう。いや、もうすでに、夏音は不法侵入しているも同然ではあるが、しかし警察に厄介になり、兄達家族に迷惑をかけるわけにいかない。

 

慌てて、部屋に隠れようと、ドアのぶを掴んだが、背後から大きな声で呼び止められた。

 

「何してんだ、テメエ!!」

「!? あ、貴女は……」

 

振り返ると、廊下の奥には小柄な少女、船花サチがいた。服装は、制服のままで、私服には着替えていない。バックを持っているあたり、今帰ってきたのだろうか。侵入者に対する怒りのせいか、すざましいまでの形相で、こちらを睨み付けている。

 

夏音は言葉をなくし、サチを凝視した。それもそのはずだ。目の前に、死んだはずの少女がいたのだから。夏音はその事実が許容できなくて魔法少女となった。彼女が実際に生きているのを見て、うれしくならないわけはない。

 

だが、サチを見て生まれた感情は、それだけではなかった。そしてその感情は、喜びを塗りつぶし、かき消した。

 

その少女の姿に、ふと脳裏に記憶が再生された。前にいた時間軸での、さっきまでの船花家での出来事が、フラッシュバックする。

 

倒れてきたサチを合図に、突如として広がった、海中の結界。現れた船の魔女。恐怖で混乱して動けなくなっているときに、突き飛ばされたさいの痛み。そして、夏音の代わりに、船花の父がピラニアに食べられて、意識のないサチも生きたままーーー

 

ああ、あの牙が、あの牙が少女の体をいともたやすく引きちぎる。骨を砕く歪な音が、そのたびに鳴って。鳴って、鳴って、鳴って。赤い鮮血が、ぼたりぼたりと使い魔の口から滴り落ちる。そんな光景が、明滅しては、その感情を呼び起こしてーーー菊名夏音は、

 

「いーーー」

「い?」

「イヤアアアアアアアアア、アアアアアアア!!!」

 

絶叫した。頭を抱え、叫び続けた。頭を訳がわからないほどのものに、支配されて。

 

「え、何、ちょっと……!?」

 

サチは、あまりの豹変に戸惑う。だが、次にはできるだけ、自身と相手を落ち着かせようと、声をかける。しかし、夏音の耳には入らない。ただ錯乱しているだけだ。手に負えず、しびれを切らしたサチは、乱暴な手つきで肩を掴んだ。

 

「おい、いい加減に黙れよ!!」

「ヒッ!! は、離せ!!」

 

興奮し、夏音はサチを思いっきり突き飛ばした。そこで、はっとなるが、もう遅い。サチはドスンと大きな音を立てて、床にしりもちをついた。慌てて夏音は、大丈夫ですか、と声をかけた。が、しかし。サチは遭遇した時のように、いや、それ以上に怒りの炎を燃え滾らせ、鬼のような目で、笑っていた。

 

やってしまった。そんな言葉が、頭の中に浮かんだ。

 

「テメエ、まじで何? 勝手にこの船花サチ様の家に入ったりしてさ、おかしいよ。常識ないの?ないよね?そこんとこ、自覚すべきだよ。しかもあまつさえ私を見るなり、いきなり騒ぎ出して。ねえ、何なの?」

「…す、すいません…」

 

今回はこちらも悪いことと、サチのあまりの怒りに、夏音は自然と謝ってしまった。何も言い返せない。サチは腰に手を当てて、

 

「てか、そもそもテメエ何者なわけ?鍵がしまってたのに、どうやって侵入したんだよ」

「そ、それは私にもさっぱりわからなくて」

「わからないわけないだろ!!はっきり言え、泥棒が!!」

「え、ちょ、私は泥棒じゃありません!!あ、そ、そうです。多分必死だったせいです。無我夢中だったから、魔法でここに飛んできちゃったんです!!ほら、泥棒じゃないでしょう?ここにきた原因は、魔法の失敗なんですから!!」

「は? 魔法?」

 

と、そこで、サチは“魔法”というワードに反応した。魔法という言葉を、何故この不法侵入者が使っているのか、サチはいぶかしげな顔をする。しかし、夏音の薬指に光る指輪と、彼女が“少女”であるということから、

その言葉を発した理由に到達するまで、そう時間はかからなかった。

 

「もしかして、魔法少女…?」

「そう、そうですよ。まだなったばっかりなんですけど。け、決して怪しいものではなくてですね…」

「十分に怪しいだろ。キュゥべいからもそんなこと聞いてないしさあ。仲間に知らせて、テメエの処置はそいつに任せる。それまで縛っとくからな。泥棒!!」

「泥棒じゃありません!!そう見えても仕方ないですけれど!!」

「あー、もう黙れよ、このクズ!!」

 

そういうと、サチは魔法でロープを作り出す。そのまま、夏音の両手首を、手錠をかけるようにしっかり縛り上げて自室に共に入ると、カバンから携帯を取り出して入理乃に電話し、彼女を呼び寄せた。そして、電話をし終えた後は、夏音が何かしないように、また何かしたさいに対処できるように、魔法少女に変身し、夏音をずっと見張っていた。

 

やがて、ドアをノックする音が聞こえた。阿岡入理乃が、やってきたのだ。船花家と距離のある場所に住む入理乃は、必然的にここまで来るのに時間がかかる。到着したのは、夏音が縛られてから、数十分後だ。しかし、それでも急いで来た為か、乾いた声で、入るよ、と弱弱しく言った。そうして、ドアを開けて、夏音を目にした瞬間、入理乃は目を見開いた。

 

「……………。夏音、ちゃん?」

 

入理乃はゆっくりとした足取りで、夏音に近づく。夏音は、またもサチのとき同様、入理乃を凝視した。しかし、サチのときのように、喜びを消す感情はわきあがらない。故に、こちらにきた少女に、涙を流しながら笑顔を向けた。だが、入理乃は、疑わしそうに眉をひそめた。

 

同様に、顔をしかめたサチが、入理乃に聞いた。

 

「入理乃、こいつの名前わかんの? てか、知ってるの? このいきなり泣き出した気持ち悪いやつのこと」

「え、ええ…。で、でも、何でいるの…?というか、ありえない…。彼女が、ここにいるはずがない……、そんな可能性は…。貴女は…、本当に、菊名夏音、なの?」

 

恐る恐る尋ねられたその質問に、夏音はもちろん頷く。自分は菊名夏音。それは、間違いないのだから。阿岡入理乃は、そんな夏音を見て、また、ありえないとつぶやく。

 

「どうする? 入理乃なら、良いこいつの処遇を決めれるよね。てか、決めろ、ボケが!!」

「う、うん…わかった。わかったから、そんなに…怒らないで…。今から彼女の処遇を考える…。考えるわ…」

 

どこか、取り乱しているようにも見られる彼女は、無理やり平静に保つように、自身にそう言い聞かせる。そうして、夏音を見据え、考え始めた。やがて、ふとーーー何かを理解したのか、阿岡入理乃は、気弱な顔から一変、その表情を、冷たいものへと変えた。夏音は、急激なその変化に、戸惑いを隠せず、入理乃の表情を見つめた。

 

「ああ、そういうことなのね。……サチちゃん。決めたよ…、彼女の処遇を」

「おお、さすが、この船花様の相棒だよ!! で、それは?」

「彼女は…、怪しすぎる。言っている言葉を信じることが…どうしても無理なの。野放しにできないーーー監禁するしかないかないと思う……。それに、船花ちゃんは、その方法が一番納得すると思うの…。ごめんね」

 

刹那、ずがん、と突然の頭をなんらかの衝撃が与えられた。何者かに、殴られたのだ。しかし、それを理解する間もなく、菊名夏音は意識を手放し、倒れた。



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代償と敵意と仲間

「起きなさい、菊名夏音」

 

ふと、声が聞こえた。その呼び声に、夏音は目を覚ました。そして、次の瞬間、辺りを視線だけで見渡して、目を見開いた。

 

「な……!!」

 

夏音は、予想だにしなかった自分の現状に驚き、様々な疑問が頭を襲う。何故こんな場所に自分はいて、そして彼女が目の前にいるのか。夏音は再度、目を動かして周りを見る。

 

縞模様の壁。ミルク色の床。豪華な家具の数々。大きな照明。そこは、ぱっと見、どこかの館の部屋の中のようであった。だが、長い間、人に管理されていないらしい。壁紙は破れ、床からはあちらこちらに草が生え、家具には埃が被っている。照明は傾いて、今にも落ちそうだ。

 

そして、そんな部屋の片隅に、夏音は椅子に手を縛られ、座らされている。目の前には、自分を呼びかけて起こした少女、阿岡入理乃が、私服のパーカーのフードの奥から、こちらを睨み付けている。

 

「わからないの? 貴女は監禁されてるのよ」

「か、監禁!?」

「当たり前でしょ。貴女をそこらへんに放置しておくことなんて、できないわ」

 

彼女の言い分は、最もであった。自分は彼女達の目から見て、言うまでもなく、怪しすぎるのだ。魔法少女である以上、夏音を警察に突き出すわけにもいかないであろう。下手な真似ができぬよう、サチがしたように、自分を縛って閉じ込めるのは、当然の行為であったのだ。

 

「船花ちゃんに、貴女の扱いを任せられているの。ここにいるのは、私一人よ。ああ、ここから逃げようとしても無駄よ。外には結界が張ってあるもの。魔法少女になりたての貴女が、出られはしないわ」

 

まあ、たとえ結界がなくとも、ここからは逃げられないだろう。夏音は、まだ数時間前に魔法少女になったばかり。それどころか、戦ったことすらなく、己の武器が何であるかさえもわからない。対して、入理乃は三年間魔法少女をやってるベテラン。夏音が敵うはずがない。

 

「…ずいぶんと、流暢にしゃべるじゃないですか。あの弱弱しい態度は、演技なんですか?」

「演技じゃないわ。素よ。でもね、私はどうしても許せないもの、自分の大切なものを壊すもの、そして、自分自身を脅かすもの、すべてが嫌い。そんなやつは、私の敵。つまり、貴女は私にとって恐れる対象じゃない。私は敵には牙を向ける。貴女は私の敵よ」

「て、敵!? 何で!?」

 

あまりの衝撃的な言葉に、つい大きな声で聞き返す。自分は、この少女にそこまでのことをしたのか?いいや、していない。別に自分は入理乃に許せないことをしたわけじゃないし、大切なものを壊したつもりもなければ、入理乃を脅かすなどするはずがない。というか、そもそも夏音はこちらの時間軸にやってきたばかりであり、そんなことをするひまさえもない。

 

「それは、貴女が私の大切なものを壊したから。私の友達を、菊名夏音を殺したから」

「は……? 私が私を殺した…? な、何、それ?」

「そりゃあ、自覚なんてないわよね。あのね、この世界にはね、菊名夏音はいないの。貴女がこの世界に来たからよ」

「……………え?」

 

この世界に来たから?それは、時間を遡ってきたことを言っているのか?だとしたら、何でそんなことを知っている?いや、そもそも、菊名夏音がいないだって?ここに、菊名夏音がいるのに?いや、入理乃が言った夏音は、自分のことではなくて、この世界の菊名夏音のことである。その菊名夏音を、自分が消してしまった…?

 

駄目だ。わけがわからない。頭がこんがらがる。

 

「せ、説明してよ。一体、どういうことなの!?何でそうなってるの!?ていうか、世界は一つじゃないの?」

「世界は一つじゃない。キュゥべえ……インキュベーターから、この宇宙には、あらゆる時間軸が存在しているって話を聞いたことあるの。貴女は、私達と少なからず交流があった過去の時間軸から来たのね」

「……そうですよ。で、でもそんなの、どうしてわかるんです?」

「だって、船花ちゃんの話とか聞くと、貴女は私達のことを知ってたみたいだったもの。こっちでは、菊名夏音はいないから、船花ちゃんは貴女のこと知らないのよ」

 

思い返してみる。ああ、確かに船花サチはこちらを知らなかった。こちらの彼女は、自分に魔法少女の体験コースをさせようとしていたし、そもそも毎日、通学路で顔を合わせていたのだ。彼女は自分と交流する前から、自分を知っていた。だが、この世界では、そんなことがなかったから、自分が誰かわからず、“何者”なのかを問うたのだ。

 

「つまり、貴女は、ここではない、“別の時間軸の菊名夏音”ってこと。だけど、菊名夏音である以上、“この世界の菊名夏音とは同一人物”。でも、同じ人物が二人もいるのはおかしい。矛盾が生じるの」

「じゃ、じゃあ……」

 

“矛盾”を解決するために、この世界の菊名夏音が消えてしまったということなのか? そうしなければ、自分はこの世界に存在できないがために。

 

…では、そうなると、自分はこの世界ではどこに居場所があるんだ。菊名夏音が消えたのなら、その記憶も周りからは消えてるはず。それはもう戻らない。だどすると、

 

「私…、私の家族は…、私を知らない? 兄さんは私のことを忘れてる?」

「そういうことになるわね」

「う、嘘だ!!全部嘘だ!!」

 

ありえない。ありえるはずがない。家族が自分を忘れている?冗談にも程がある。だって、家族は自分を愛してくれていて、そして自分も家族が大事だ。そんなものが失われるなんて、ないに決まってる。帰ればおかえりと言ってくれるはず。阿岡入理乃が言っていることは、すべて出鱈目だ。自分の居場所はある。

 

「嘘じゃないわ。というか、貴女は、“この世界の菊名夏音”ではないでしょ?この世界の菊名家は貴女の家族じゃないわ」

「わ、私の家族よ。貴女の言うこと、むちゃくちゃだもん。本当なんて信じられない。兄さんも父さんも母さんも、私の家族。私は家族を失ってない」

「……。まあ、貴女が家族をなくそうが、いい気味でしかないわ。それよりもーー今から貴女にこの苛立ちをぶちけようかしら」

 

そう言うと、阿岡入理乃は魔法少女へと変身し、袖から取り出した紙で、杭のような尖った短めの棒を生成し、握りしめた。それを見た瞬間、嫌でも、それを何のために使うのかが、すぐにわかってしまった。全身の毛が逆立ち、お腹のあたりが、冷たくなる。ぐるぐると、不安が吹き出そうなほど、かき混ぜられる。

 

だが、入理乃は冷ややかな笑顔で、目を狐のように細めた。

 

「や、やめて…、下さいよ。そんなのしたら…、死んじゃいますよ、私……」

「大丈夫。その程度で魔法少女は死にはしない。ただ、痛いだけ。そう、死ぬほどね」

 

忌々しげに呟くと、彼女は怒りの篭った瞳で睨みつける。それが、夏音には、たまらない程ショックだった。彼女に拒絶され、あろうことか、敵意を向けられていること自体に、心が悲鳴をあげた。だが、彼女はそうやって夏音が苦しそうに顔を歪めるのを、嬉しそうには、笑った。そうやって、何の迷いもなく杭を振り下ろそうとしたーーーその時。ピクリと阿岡入理乃は止まった。

 

「………?」

 

痛みに耐えようと、思わず目を瞑っていた夏音は、くるであろう苦痛がこないことを不審に思い、目を開ける。そこには、杭を消して、腰に手を当てた入理乃が、不満げな顔で立っていた。

 

「…運が良かったわね、本当に」

「運が良い?」

 

首を傾げた瞬間、真ん中の天井から、ゴトン、ゴトンと、何かを外側から打ち付ける音がした。それは、あまりの轟音であり、衝撃だった。それが幾度目か続き、ついには照明が、ガシャンという、氷が割れたみたいな音を立てて、辺りにバラバラに砕け散った。それに唖然とする暇もなく、もう一度の轟音と衝撃。今度は天井を突き破り、崩壊したそれの瓦礫が、これまたすざましい音と共に、土煙をあげながら落ちてきた。

 

「あ…、ああ……」

 

いきなりのことに、夏音は声がでない。目を見開きながらびびってしまう。だが、対して入理乃は、冷静に何が起きていたのか把握していた。そして、嫌そうに、天井を崩落させた人物の名を呟いた。

 

「またか…、広実結め…」

 

ひょこっと、頭上の穴からその人影が顔出す。それは、高校生くらいの、若干背が高い少女。右側の髪を高く結び、左側の髪を三つ編みにした、随分と特徴的な髪型で、スリットの入ったメイド服のスカートからは、緑色に発光する楕円状の宝石がついている飾りをした左太もも見えた。彼女は手に持った鉈を振り上げながら、大声で顔を輝かせた。

 

「何これ、頑丈すぎだよ。魔法少女の力で壊れないとか、ちょっと、どういう事!?凄すぎない、ねえ凄すぎない!?」

「…こんなの…、別に凄いことではない…、と思いますよ…。結さん」

「いや、凄いよ。普通に凄いことだよ」

 

再び、彼女は声を張り上げる。それで、入理乃はびくりと肩を揺らして、一瞬だけ、見えないように眉をひそめた。だが、魔法少女、広実結は気づくことなく、凄いね、と褒めた。しかし、次には姉が妹に言い聞かせるように、

 

「でも、監禁なんて駄目だよ。その子をいじめようとしてたの?」

「で、でずが、私は…」

「僕の言うことが聞こえないの? いくら怪しいからって、その子を監禁したら駄目。それともーーー」

 

そこで、広実結は、にっこりと笑って武器を向けた。

 

「僕と戦う? それはそれで歓迎するよ」

「…………狂人」

 

小さく、阿岡入理乃はそう吐き捨てたのを、夏音は聞き逃さなかった。だが、それを問うことはできなかった。なぜならば、入理乃が、こちらを見て笑っていたからだ。そして、その瞳が、冷徹に自分を射抜いていたからだ。

 

…彼女は、自分を敵としてみている。その事実が、まだ信じていなかった心のどこかに、そっと広がって、それを溶かしていった。

 

入理乃は、無言で部屋から出て行く。それを、少し不満げな様子で、広実結は呟いた。

 

「あーあ、残念…」



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一人ぼっち

広美結

年齢 十七

身長 163センチ

好きなもの 激辛カレーひき割り納豆乗せ 散歩 猫

嫌いなもの 甘いもの 車(乗り物酔いが酷いので)

歴史ある一族の本家の出身。進学校の和馬高校の生徒だが魔法少女の活動に夢中になりすぎで、成績が下がっていることを悩んでいる。面倒見は良く年下にはつい優しくしてしまい甘くしてしまう。センスや感性が人とは少し変わっていて友人は少なく孤立気味。運動神経は抜群であり、魔法少女時も身のこなしには目を見張るものがある。武器は鉈であり、基本的に二丁持つ。足蹴りを何故かよく使う。

魔法少女姿

【挿絵表示】


私服

【挿絵表示】



広美結は、頬を膨らませ、またも不満げに呟く。

 

「全力でやりたかったのになあ」

 

剣鉈を見る。刃物の輝きに、結は背徳感や嫌悪感に苛まれれながらも、興奮が抑えられず、恍惚として、閉じていた口を裂けさせた。その笑顔は、常人が浮かべるものではなく、まさに獲物を狩る獣のように獰猛で、見るものに恐怖を与えるような、恐ろしい表情であった。

 

だが、幸か不幸か。結が真下ではなく、真横を向いていたために、夏音は狂人の顔を見らずにすんだ。そのためか、わずかな躊躇で、彼女に呼びかけることができた。

 

「あ、あの。助けてくださり、ありがとう、ございます」

「……ん? え、ああ、うん。どういたしまして」

 

想像に夢中だった結は、少しどもったが、先ほどとは打って変わって温和に微笑んだ。そして、縛られたままである夏音を見て、はっとなって、慌てて降り立つ。その縄を、鉈で切って、夏音を開放した。

 

「………すいません」

 

立ち上がり、礼をする。だが、結は眉を少し下げて、

 

「いいって、いいって。君が無事でよかったよ。それにしても怖かったでしょ。大丈夫?」

 

心配そうに、結はそう尋ねた。夏音は首を縦にふって肯定した。本当はまだ、頭は混乱のさなかにいたのだが、しかし相手を困らせるわけにもいけない。なので、頑張って、明るく大丈夫であることを強調した。それを察した結は、ちょっと申し訳なさそうに微笑した。

 

「そういえば、君は名前なんて言うの?」

「夏音。菊名夏音です。貴女は?」

「僕? 僕は広実結。和馬高校の二年生で、趣味は刃物収集と、散歩。あとは運動かな。よろしくね、夏音ちゃん」

 

そう言って、彼女は剣鉈をくるりと回して、腰のホルダーに収納してみせた。夏音は、目の前の少女が名乗ったその名を、心の中でゆっくりと反芻させる。

 

広実結。早島市で活動する三人の魔法少女の、その一人。確か、巴マミとかいう少女に、サチ達が見滝原を譲った時期に契約した魔法少女。そして、縄張りのことで、阿岡入理乃と船花サチのコンビと対立している。現在は、この町の二分の一を己のテリトリーとして、魔女を狩っている。そう、サチ達から聞いている。

 

なので、夏音は驚いていた。だって、サチと入理乃が敵対している魔法少女が自分を助けてくれたのだ。普通に考えてみれば、これはまずありえないことだ。

 

なぜなら、捕虜ともいうべき自分を、入理乃が対立している相手に明かさないと思うからだ。彼女らからしたら、自分は不審で、何をしでかすかわからない存在だ。そんな奴が、結の手に渡るのは、たまったものではないはずだ。だから、入理乃が夏音を監禁するのは、必然的に、自陣の、しかも頑丈で見つかりにくい場所になってくる。当然、結は自分の縄張りからあまりでないだろうから、菊名夏音が捕まっているなんて、わからないはずだ。

 

「ところで、何で私がここで捕まってるってわかったんですか? 」

「キュゥべえから聞いたんだ。知らない魔法少女が、ここに捕まってるって。それで、助けなきゃって思ったんだ」

「そういうことだったんですか。そうか、キュゥべえ、ですか…」

 

なるほど。キュゥべえという点を見落としていた。キュゥべえは、いわゆる魔法少女のサポーター兼魔法少女の管理人のようなもの。キュゥべえになら、入理乃が夏音のことを言ってもおかしくはない。だが、それでも違和感がある。何故、キュゥべえは、広実結に情報を流すようなことをしたのだろう。その心意、その意図がわからない。

 

「夏音ちゃんは、どうして捕まっていたの?」

「あー、それはですね…」

 

果たして、本当のことを言って信じてもらえるのだろうか。自分は実は、過去からやってきて、しかも気づいたら、船花家にいて、結果捕まってしまったとか、言えない。それに、簡単に広実結という少女を信じられない。“狂人”という言葉が、こびりついて離れない。

 

「…まあ、事情があるんみたいだし、無理にいわなくていいよ。というか、敬語を使わないでいいよ。同じ高校生でしょ?」

「……私は十四です」

 

菊名夏音の身長は、百六十三センチ。クラスの女子で一番高い。いつも身長が高くて羨ましいと言われるが、そんなことは無い。中学生なのに、高校生と間違われ、なまじ、顔もどちらかといえば大人びているためか、大学生と勘違いされたこともある。そのため、夏音はサイドアップテールだとか、ツインテールだとか、子供っぽい髪型をしているが、それでも、間違われ続けている。夏音自身、それを気にしないわけがなかった。

 

「そ、そうか。そうなんだ。中学校の制服も来てるし…、ま、間違えるほうがどうかしてるよね。ごめん」

「いえ…慣れてるんで…」

「そ、そこまで落ち込まないで。ああ、そうだ。これからどうしようか考えないとだね!!……本当に、どうしようか。君が家に帰るのは、危険だろうし」

「家………」

 

ぱっと、家族の顔が、脳裏に映し出される。思い出一つ一つが上映される。それに、自然と胸が温かくなる。だが……自分には、家がない。家族がいない。存在がない。素性が、ない。そんな風に、言われてしまった。本当に、入理乃は正しいことを言ったのだろうか。いや、全部違うんだ。全部嘘だ。だから、そんな風におもっちゃいけない。

 

「あ、そうだ。よかったら、僕のところにおいでよ。僕一人暮らしだから、もう一人ぐらい住ませることはなんとかなるよ。それじゃあ、サチちゃんと入理乃ちゃんがここに来る前にさっさと移動ーーー」

「その前に、いいですか?」

 

夏音はそう、強い眼差しで、結の言葉を遮った。メイド服の魔法少女は首を傾げるたものの、すぐにニコリと、

 

「何かな? 」

「一回、家に帰らせてください」

「え、でもーーー」

「お願いします!!」

「ちょ、頭上げて、上げて」

 

結は、夏音が頭を下げたのに面食らい、思わず慌てて、彼女を正面に向かせた。それでも、夏音は、訴えるように、瞳に光を宿していた。困った結は、顎に手を当てて考える。そして、しばらくして、しょうがないと笑って、夏音の願いを了承した。

 

 

◆◇◆◇

 

 

外に出て分かったのだが、菊名夏音が捕まっていた場所は、どうやら入理乃が逃げ出し、行方不明となったあの廃墟の館だったようだ。空は分厚い雲が覆っていて薄暗いが、結のデジタルの腕時計はまだ午後の一時を指している。日付は巻き戻った日から、一日経過していた。

 

一体、入理乃はここまでどのようにして自分を運んできたのか、夏音には検討もつかない。実は入理乃は、夏音を大きなバッグに無理やり押し込め、魔法の紙で包んで見えなくしてから、館まで運んだのだが、夏音がそれを知るのはまた別の話である。

 

夏音達は館から歩いてバスに乗り、それから駅につくと菊名家まで行った。その間は、互いに色々会話をしたが、次第に菊名家に近くなるほど、夏音は不安で口数も減っていった。そして、自身の家を目の前にして、とうとう黙りこくってしまっていた。

 

「………………」

 

だが黙ったのは不安のせいではない。驚きのせいだ。

 

夏音の家、菊名家の表札には、苗字だけでなく、家族の名が刻まれている。菊名ユウ、菊名花火、菊名高貴。そして、菊名夏音。本来ならばそこには四人の名があったはずだった。だが、この表札に菊名夏音の文字はない。あるのは不自然に欠落したスペースのみだ。

 

「………、入らないの?」

「入り…、ます。確認しないと……」

 

結には物陰に隠れてもらい、夏音は震える手でチャイムを鳴らす。ピンポーンと、心中とは程遠い明るい音がした。すると、数分後、ガチャりとドアが開いた。

 

「はい、どちら様でーー」

「兄さん!!」

 

夏音は思わず高貴に迫った。あまりに嬉しくて嬉して胸が熱くなる。一方突然のことに赤面しながら、高貴は困惑しているようで、怪訝そうに尋ねた。

 

「あの…、君は一体……」

「忘れちゃったんですか!?夏音ですよ!?妹の夏音。私は菊名夏音です!!」

 

ゆさゆさと彼の肩を揺さぶる。

 

兄が妹をわすれるなんて、ありえない、嘘だ。嘘だ。嘘だ。だから、否定しろ。忘れてるということを否定しろ。夏音は願う。妹は兄に、お帰りと言ってくれと、必死に願う。

 

「妹…? ちょっと何を言っているのかわからない。俺には、妹はいない。菊名夏音なんて知らない」

「…何で?どうして忘れてるの?」

 

気がつけば夏音は、呆然として呟いていた。頭がぼんやりしていた。

 

「貴方私のこと、可愛がってたよね?なら、私のこと忘れるはずないよね。ねえ、惚けてるんでしょ?私のことからかわないでよ」

「ごめん。知らないんだ。君のことは」

 

そう言って、肩に触れている手を離される。夏音の兄は、逆にこちらを心配そうに見つめてきた。

 

「君、家族は…?何で制服姿でいるの?」

「…………」

「なあ、何で答えないんだ?」

「…………」

 

何で、この人は菊名夏音の家族なのに、そんな質問をしてくるんだろうと、夏音は思う。その目は、まるで知らない人を見るようなものなのだ。

 

ああ、そうか。嘘じゃないんだな、と。菊名夏音は、ようやく気づく。自分が、一人ぼっちなんだと自覚する。

 

「何があったのかわからないけど、でもーー」

「……何も、ありませんよ。ただ、勘違いしただけです。貴方が私の兄だと思ってしまっただけなんです。こんなやつ、馬鹿みたいですよね、変に思いましたよね。だから、ごめんなさい。………、ごめんなさい」

 

自分でも何に謝っているのか、わからなかった。ただ、申し訳ない気持ちと、羞恥心。それと、この場にいたくないという感情と、やりきれぬ苛立ち。それらがごちゃごちゃと暴れ回っているのは確かだった。

 

夏音は失礼します、と言うと、走って結がいるところま来る。そして、結にありがとうございました、と無表情で礼をした。

 

「………、夏音ちゃん。さっきのは……、君の家族、だよね……? 家族なのに、何で…、家を間違えた…、とか?」

「違います。家を間違えてはいません。ただ、私にはすべてがないだけ。学校も、友人も、家族も。私は…、どこにも居場所がない……」

 

涙が零れると同時に、雨が空から、ポツリ、ポツリと降ってきた。服に水滴による点ができ、やがてそれが全身が広がった。

 

「…………」

 

無言で、結は夏音の頭を撫でた。温もった手は、冷たい世界を溶かすように、そっと触れてーー夏音の悲しみを、さらに助長させた。そうして、いつまでもいつまでも、雨と一緒に泣き続けたのだった。



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三つのルール

早島は、廃れた町だ。端的に言って、何もない。都会でもなければ、かといって、自然が豊かでもない。目立った特産品もないし、観光名さえもあまりない。だから、都市開発をする金もない。年寄りの人口の増加と少子化で、町は活気がない。急速に発展した見滝原とは雲泥の差がある。

 

早島市の長所は、もはやその長い歴史のみであろう。“早島”の名で長年紡がれた、軌跡のみだろう。だからこそ、早島”の名前が、この市では何より尊いものであるとされる。

 

だが、そもそも早島市の名の由来は、何であるのだろうか。早島市、というわりに、そこは島ではない。海に面することはない内陸部だ。

 

では、早島市は、何故早島という地名になったのだろうか。その所以は、自分達の一族にある。そう結は教えてくれた。

 

広美一族。結の家を本家とする一族。昔、あの阿岡と、力を伸ばして活躍した、しかし今は力を失った、ただ歴史があるだけの旧家。延々と受け継ぐ、ある習慣を続ける一族。

 

そんな広実一族の始祖、いわば、結の祖先は、早島において、重要な役職についていたらしい。彼は、土地が乏しく、貧弱であったこの地をどうにかしたいと思い、ある一つの神社を建てた。それが、早島神社だ。

 

そして、その神社こそが、早島市の名の由来。龍神を祭る、かつては市の中心にあった、聖なる場所。今は、別の場所に再建された神社だ。

 

「そのそばに、このマンションがあるんだよ。ほら、見えるでしょう、早島神社が」

 

そう言って、結は窓から見える、近くの赤い神社を指さす。夏音は、眼鏡越しで目を細め、それを見つめた。

 

ああ、あの神社は行ったことがある。兄の厄祓いの際に、ついていった記憶がある。そういえば、この神社は、自宅からは遠い神社だったはずだ。家からは、車で五十分もかかる。それぞれが、入り組んだところにあるからだろう。だがそれが、こんな建物から見える場所にあるだなんて。変な気持ちになってしょうがない。

 

「ごめんね、手狭でしょ?」

「いいえ」

 

結がいうほど、今いるこの一室は、狭くはない。リビングに、二つの使われていない部屋。結の寝室。電気で調理できるキッチンを備えた台所。トイレに、足をゆっくりと伸ばせる浴槽。色々とごちゃごちゃはしているもののそれでも十分家族で暮らすのにも困らないくらいには、広い。まあ、なんせここは、そこそこ良いマンション。その中も、そこそこ良いのだ。

 

時計を見ると、四時二十五分だった。あの館で確認したときは、一時だったので、あれから三時間以上は経っていることになる。

 

夏音が泣いて、落ち着いた時には、もう雨は止んでいた。どうやら、にわか雨だったようで、そのためすぐに晴れてくれた。だが、それは良かったものの、服はずいぶんと濡れてしまっていた。夏音達は、急いでバスに乗って、駅で電車に駆け込み、市の最北端、見滝原に面する地域、富上で降りた。そして、このマンションに移動。結が住む六○二号室に入り、服を着替えたり(夏音は制服しか持っていないので結から私服をもらった)、ご飯を食べたりした。そんなことをしているうちに、いつの間にか、こんなにも時間が経っていたようだ。

 

「結さん。色々と、ありがとうございます。あの、ご迷惑おかけてしていますよね、私…」

「そんなことないけどね。まあ、色々準備してたし」

「……え?準備?」

 

今、何か聞き捨てならないことを聞いた気がする。思わず、問い返す。

 

「いや、最初からね、助けた子と仲良くなりたいなあと思ってたんだ…。僕、他の子とは感性もはずれているし、普通とはかけ離れているし。従姉妹達も従姉妹達で仲良かったんだけど、今は話せないというか…。とにかく、友達いなくてぼっちで…、助けたら友達になってくれるかなあ…みたいな…。アハハハ…」

 

結は、組んだ手を見ながら、どこか死んだ目をした。ああ、…そんな理由で、自分を助けたのか。なんというか、彼女は哀れだ。

 

「だからね、布団も買ったし、あらゆるサイズの服も買ったし、物置にしてた部屋も全部きれいにしたし。あ、僕流行ものとかうといけど、それでも大体のものは歌えるよ、昨日の夜に覚えたんだ。グリーフシードもいくつか分けてあげる」

 

そうやって、まくし立てる結は、夏音の両手を掴んでぶんぶんと振る。あまりの彼女のテンションについていけず、困惑する夏音は、その一方的な態度に、既視感を覚える。このような行動、一度されているような気がする。いや、待て。思い出せ。自分は本当に、このような行動をされた経験している。

 

そう、あれは中学一年の入学式だった。ひょんなことで順那と話して、意気投合して友達になったときに、彼女に結と同じようにまくし立てられた。

 

…そういえば、広実結は、東順那と顔が似ている。それこそ、姉妹のように。だが、順那は一人っ子。さらに言えば苗字も違う。ということは、結は順那の従姉妹なのか?先ほども、従姉妹と今は話せないと言っていたが…。

 

「とりあえず、安心してね。悪いようにはしないよ? 生活費も僕が受け持つし、遠慮なんかいらないよ? 大丈夫、大丈夫」

「……あの、従姉妹の方々の名前は、何ていうんですか?」

「ん?どうしてそんなこと聞くの?」

「いや、気になって…」

 

一瞬、結は夏音にきょとんとして、首を傾げた。だが、すぐにニコリと笑い、彼女は答えた。

 

「東順那。…それから伊尾ミズハ。それが、従姉妹達の名前だよ」

「東順那那と…、伊尾ミズハ…」

 

やはり、そうだった。彼女は、順那の従姉妹。友人の親戚だった。まさか、こんな偶然があるなんて、信じられない。

 

「ごめん。僕、従姉妹の話はしたくないんだ。これ以上は、ちょっと…」

 

結は、沈んだ表情で、そう苦笑する。そこで、はっとなる。確か、彼女らの従姉妹、伊尾ミズハは失踪しているのだ。そして、そのことで従姉妹同士の関係は悪くなっている。そんな話をしたいはずがない。

 

「すいません。そうですよね…、失礼しました…。それよりも、これからのことを話し合いましょう」

「うん。そうしてくれるとありがたいよ。ああ、そうだ。一つ聞いてもいい?」

「? 何でしょうか?」

「君って、僕らのことを、どこまで知っているの?」

 

瞬間、夏音は顔を引き締めた。質問の意味が、わかったから。

 

この問いは、自分が“阿岡入理乃と船花サチのコンビと、広実結の関係を、どこまで知っているのか”、ということを聞いている。つまり結は、自身とあのコンビの関係について、夏音と共通認識というものをつくりたいのだ。もはや、夏音と結は、入理乃とサチに対抗せざる終えないのだから。

 

「あなた達が、縄張りのことで対立しているってこと。そして今は、早島の半分を、それぞれがテリトリーにしていること。それは知っています」

「ってことは、結界はしらないんだね?」

「結界?」

 

結は、しばらく待っていて、と言うと、自室にまで行き、地図を持ってくると、夏音に見せた。覗き込むと、そこには、中央に書かれた丸ごと、紙をまっぷたつに裂くように引かれた線があった。それ以外にも、右側のところにだけ、やたらとペケ印が赤でつけられている。

 

「僕らね、停戦の取り決めを結んでいるんだ。“早島の半分をそれぞれ縄張りにするかわり、争いません”っていうのを。僕がこの線の右側。サチちゃんたちが左側と決めてね。で、そのときに、いくつかルールを設けたんだ」

「ルール?」

「うん」

 

そういって、結はその三つのルールを説明する。

 

まず第一に、市を横断する規模の結界を張って、それを互いの縄張りの境界線とすること。この結界は、サチ、入理乃、結で共同につくりあげた。もともと早島神社があった跡地を基点に、そこに残存していた魔力を利用して、超規模の結界を張ったのだ。これで縄張りをはっきりとさせ、より明確にわかりやすい形で、互いを文字どうりに、分けた。

 

第二に、魔女の数の調整。つくりあげた結界は、いわば壁のようなのではあるが、普通に魔女も人も行き来ができる。しかし、それでもこの町は、魔女が多い見滝原のように、複数の魔法少女を支えることは難しい。ましてや、市を分担して活動すれば、いずれどちらかが潰れる。だから、魔女の数を調整する。使い終わったグリーフシードを、相手の陣地に投げ入れたり、使い魔を放置したり、他の市から魔女をこっそり捕まえてつれてきたり、様々な手段で魔女が枯渇しないように保つ。

 

「最近だと、石の竜みたいなの育てて、あっちに放ったね。あとでっかい鉄塔のやつとか」

「え…、それってーーー」

 

自分が始めて遭遇した魔女ではないか。あれは、この少女が原因で、こっちに現れたのだ。ということは、結のせいで自分はしにかけたのか。ああ、なんということか。あの出来事がなければ、自分はこんな目にあわずに済んでいるというのに。ルールのせいといえど、なんとなく怒りがこみ上げてくる。だが、夏音は我慢し、再び尋ねる。

 

「それで、第三のルールは?」

「第三のルールは単純。結界を無断で出たら、このルールはなくなる。また、もとの争う関係に戻るってことだね。だから、きっと、あの二人とは、少なからず戦わなくちゃいけない」

「はい…」

 

正直、二人とは戦いたくない。仲良くなりたいと思った子達を、傷つけたくない。だが、こうなった以上仕方がないことだ。少なくとも、自衛はしなければならないだろう。

 

「夏音ちゃんは、どのくらい戦える?」

「…まったく戦えません。というか、戦ったことがないです」

「え、嘘だよね?」

 

びっくりしたような視線に、夏音は目をそらす。何もいえない。

 

「特訓…しようか」

「……はい」



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動き出し、動き始める

「僕もできれば争いたくないんだけどね。また停戦することはできないだろうし」

 

夏音を助けるために、結は無断で結界を踏み越え、向こうがわの縄張りに入った。結自ら、ルールを破ったのだ。そんな奴が、今更また停戦しようなどと言ったところで、虫の良い話だ。停戦の取り決めがもう無理であるということは、結も夏音もわかっていた。

 

「ですが、一応話し合いはしなければいけませんよね。このまま放置しておく訳にもいかないですし」

「そうだね。あの子らが応じてくれるかはわからないけど、でもーーー」

「その話し合いについてたけど、少しいいかい?」

 

突然として、頭に少年の声が割り込むように響いた。聞き覚えのある声音に、二人はその持ち主を思い浮かべ、次にはひどく驚いた様子で、振り返った。そして、そこに居たのは、まさしく予想どうりの、白い体躯を持つ小動物であった。

 

夏音は、彼がいつの間にか現れた事実に目を見開いて、穴が開くかというくらい、その姿を見つめた。キュゥべえも、初めて会う魔法少女を観察しようと、彼女を視界に入れる。二つのルビーが、夏音の瞳の奥を垣間見ようとし、互いの目が合うーーーふっと、脳裏に知らない、いや、知っている光景が浮かんだ。

 

それは、崩壊した都市の様子。変わり果てた、“災害”による被害を受けた三滝原だ。そんな残骸の町に、菊名夏音が、血を流して、横たわっている。彼女は、すべてを諦めたかのように笑い、曇った、暗い空を見る。そのはるかなる天空には、黒い何かが塔のように伸びている。

 

ーーあれは、何なのだろうか。私は何を見ているのだろうか。“天災”がこの世界を、天国という救済の地へと、数多の命を引っ張りあげている。でも、時間の檻に閉じ込められているから、もうすでに地獄にいるから、助けてもらえない。

 

自分は檻のいるのは嫌だ。だから、ここから出たい。そう願っているというのに、出られないのだ。こんなに頑張っているのに、あいつらと、白い孵卵器のせいで、それが失敗する。彼らはいつも、檻から脱出するのを邪魔する。

 

ああ、だからこそ、憎くて仕方がない!! 憎い、憎い、憎い、もうそれしか思えない!! もはやこの感情に、愛さえも沸くほど憎い!! 彼女らさえいなければ。特にあいつとインキュベーターさえいなければ、自分はーーー自分は!!

 

「×××××」

「……夏音ちゃん? どうかしたの?」

 

声をかけられ、はっとする。隣を見ると、不思議そうな結が首を傾げていた。正面を見ると、いきなり現れたキュゥべえが、結と同じように首を傾け、こちらの様子を伺っていた。

 

先程、眩暈がした気がするのだが、意識が少し飛んでいたのだろうか…。一瞬だが、記憶がない。とにかく、何かをごまかすように笑う。

 

「どうもしてませんよ。ちょっと、くらっときただけですから」

「それって、大丈夫なの?」

「はい。心配しなくていいですよ」

 

そう言うと、夏音は今度はキュゥべえに向き直り、少々変な気分になりながらも、彼に挨拶した。

 

「キュゥべえ、ですよね。初めまして。菊名夏音です」

「初めまして、菊名夏音。君は、ボクのことを知っているんだね。ボクは君のこと、まったく知らないけどね」

 

つい彼と昨日契約したばかりだというのに、そんな風にはっきり言われ、夏音は奇妙な感覚に陥って、なんとも微妙な顔をした。やはり、ここは自分がいた世界ではない。証拠を改めて突きつけられ、そのことを痛感せざる負えなかった。

 

「今すぐにでも、キミのことを、自分の口から説明してほしいけど、その前にここにきた目的を果たそうとしよう。結、夏音。君たちに伝言があるんだ」

「伝言…?」

 

それは、一体、誰からの伝言なのか、と結が首を傾げる。だが、この状況で、言葉を自分達に伝えてくる人物など、それこそ彼女らしかいないだろう。すなわち、船花サチと、阿岡入理乃。あの二人が、夏音達に伝言をしたと考えるのが妥当だ。そのことに結より先に思いあった夏音は、真剣な顔になって、キュゥべえに、その確信を確かめるために尋ねた。

 

「それは、船花達からの伝言ですか?」

「そうだよ」

「あの二人が僕達に…? キューベー、その内容は何なの?」

「そちらも思っていることだろうが、こちらも話し合いがしたい。今から五日後に、早島神社跡地に集合して、そこで話し合おう。だそうだよ」

 

相手側も、話し合いをしたいと言ってきたことに、夏音と結は顔を見合わせた。こっちから提案しようと思っていたら、向こう側から提案してきたのだ。夏音達は、二人が応じてくれるかどうかもわからないと考えていたので、素直に驚いた。

 

だが、同時に不可解なこともある。それは、“五日”という、長い日にちの後に話合いがあることである。こういうのは、すぐにやってしまったほうがいいに決まっている。五日も延ばす必要はない。そんなことを考えられない入理乃ではないはずだ。

 

「不審がるのも無理はない。だが、彼女達は、考えをまとめる期間をほしがっている。そして、それは君達も同じのはずだ」

「それはそうだけど…。五日のうちに、むこうがこっちに何かをやってこないとは限らないじゃないですか。大体、私達が逃げたりする可能性だってあるんですよ?」

「それは君達も言えているんだけどね。だけど、入理乃曰く、そんなことはありえないそうだよ。夏音はサチ達を気にしているし、結はこの対立を起こしたことを心ぐるしく思っているから、他のところとまたそういうことをしたくない。それに、君達はサチ達と争いたくはないと本当は思っている。だから、こちらが仕掛けないかぎり、君達が何か危害を加えることはしない、とね」

 

すべて、こちらの考えは、お見通し、というわけらしい。結が渋い顔をしているあたり、キュゥべえが言った入理乃の主張は間違いではないようだ。そして、自分の考えもあたっている。夏音は、自分らの思いをぴたりと当てた入理乃に驚嘆し、同時に薄らと寒いものを感じた。

 

「僕らが断ったら?」

「彼女達は、話し合いをするつもりがないと判断するだろうね」

 

もしそうなったら、夏音達にあの二人は攻撃をしてくるということなのか。どちらにせよ、こちらに決定権はないに等しい。結は前述した通り、自分からルールをやぶっており、夏音は助けられた捕虜で、自ら出しゃばる事ができない。要するに、夏音達は発言力というものが、入理乃とサチと比べて低いのだ。

 

「わかった。そう入理乃ちゃんとサチちゃんに伝えて、キューベー」

「うん、伝えておくよ。それで、もう一つ、お願いしたいんだけど、夏音と二人きりにさせて欲しいんだ」

 

そう純白の獣が言った瞬間、夏音は少々固い顔つきをした。結は、そんな夏音とキュゥべえの、一人と一匹を、見比べるように視線を動かした。おそらく、キュゥべえは、菊名夏音の事情を聞きだそうとしているのだろう。そのことぐらい、結も理解していたが、やはり未知の魔法少女のことが気になるのか、頷いたものの、そわそわとした様子で出て行った。

 

彼女の気配が、完全になくなると、改めて、夏音は緊張してキュゥべえと向き合った。彼は、その長くふさふさとした尻尾をふると、率直に菊名夏音にこう言った。

 

「菊名夏音。君は、一体何者だい? 君は、一体いつ契約したんだい?」

「…私は、別の世界から、別の時間軸からやってきた魔法少女です。つい、昨日…いえ、貴方にとったら数日後なんですけど…とにかく、最近契約したばかりです」

 

一瞬だけ、本当のことを言うか言わないか、葛藤がうまれた。だが、厘差で前者が軍配が上がり、夏音は静かに質問に答えた。ここで、何も話さないわけにもいかないと思った。キュゥべえは、きっと何でもしっている。だから、もう少し、自身の現状を入理乃よりも詳しく教えてくれるに違いない。それに、自分だって、色々と聞きたいことがあった。

 

「別の時間軸から…? ひょっとすると、君は契約のさいに、過去に戻りたいと願ったのかな?」

「はい。私は手に入れた自分の魔法で、昨日に戻ってきました。私は今日から数日後の未来から来た人間なんです」

「……しかし、それならボクは君にある程度目星をつけているはずだ。だがボクは君のことを知らない。初めて君を知ったのは、サチがうっかり君のことを喋ったときだ」

 

入理乃とサチの二人は、夏音を隠蔽していた。そして、契約者に秘密のままに、夏音をどうにかしようとしていたらしい。だがら、入理乃はキュゥべえに何にも言わなかった。しかし、サチは思慮深くなく、慎重でもないためか、口が軽い。ついついポロリと菊名夏音のことを、いる場所まで、相方に禁じられているにも関わらず、彼にすべて話してしまった。

 

だが、阿岡入理乃はそうなるだろうということがわかっていた。キュゥべえがあの夏音が監禁されていた館にいくと、すでにそこには結界が貼ってあった。あれは、単に夏音を逃がさないためだけのものではなく、キュゥべえを中に入らせないためのものでもあった。やむなく彼は、夏音と接触するために、結に情報を流した。争いが再び起こることはわかっていたが、正体不明の魔法少女の方が、キュゥべえには重要だったのだ。

 

「それが、リノによれば、私が来たことによって、この世界の私が消えたらしいんです。私が二人いるのは矛盾があるから…」

「なるほどね…。同じような願いでも、これほどまでに、手に入れた魔法が違うとはね…」

「ーーー!?」

 

同じような願い? まさか、自分のように、契約して過去に戻った魔法少女がいるというのか? 自分と同様の存在が!?

 

「他にも、私のような子がいるんですか!? 」

「うん。いるよ」

 

ザワりと、心がざわついた。鼓動の波打つ音が体に響き渡り、流れる時間が急激に、遅くなった。夏音は期待のような、あるいは不安のような何かをキュゥべえにぶつけるように尋ねた。

 

「その子の名前は、何ていうんですか!?」

「ほむら。暁美ほむらだよ」

 

聞いた瞬間、頭の中である記憶が射影された。夏音は途端に、目の光を閉ざした。彼女は、実際に見ている光景を見るのをやめて、その記録による演劇を鑑賞する。それにより、感情が這い出て、夏音の内部を縦貫し、横断し、あちらこちらを駆け巡った。

 

嫉妬に似た思いが、動き出し、動き始めた。



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奪われたもの

夏音は、確かめるように、手の指にはめられた赤いソウルジェムに触れる。そして、意識しないうちに、奥歯を密かに噛み締めた。ぐつぐつと、胸の中が煮えたぎっていたのか、我慢できずに、しかしバレぬように、心の声で恨み言を呟いた。

 

「……、どうしたんだい? 急に黙り込むで」

「え……、私…」

 

彼女は、キュゥべえに声をかけられ、はっとした。目に光が灯ったが、同時に夏音は同時に、先程の刹那の記憶が、ポロリと零れていたことに気がついた。そのことに、ぎょっとし、ふと彼女は本日二度目の目眩に、あの前の世界での廃墟の館での出来事を連鎖するように思い出した。

 

あの時、夏音は入理乃に、彼女にとって良くないことを言った。だが、夏音はそんなことをした記憶も自覚もなかった。ただ、一瞬意識がなくなってしまったことは、はっきりと覚えている。

 

今回のこれも、結の時のも、あれは似ている…、いや、むしろ同じか? だとしたらーーー

 

「私、何かやりましたか?」

「何がって…? 黙りこんだ以外、君は何もしていないけど…」

「それならばいいです…」

 

どこか安心して、ほっと胸をなでおろす。何か自分がやらかしていたとしたら、何かを起こしていたとしたら、それほど恐ろしいことは無い。不幸の引き金を、誰だって引きたくないはずだ。まして、自らの意思ではない、無意識でよくわからない状態での行動というのは、あまりにぞっとする。

 

「それで、その子の名前は何でしたっけ…?」

「暁美ほむらだよ」

「そう、その暁美ほむらさんは、どこにいらっしゃるのですか?」

 

ぜひ一度会いたい。同族に会いたい。そうして、安心したいという気持ちで、夏音はキュゥべえに尋ねる。しかし、返事は希望していたものではなかった。彼女は、そう、

 

「見滝原にいるよ」

「………」

 

夏音は、黙るしかなかった。肝心の居場所が、市外だった。考えるまでもない。自分が、市外に行くことはできない。接触することは不可能だ。そもそも、暁美ほむらが市内にいたとしても、会いに行けるかどうかは怪しい。結の陣地外に、自分が入ることは無理なのだから。

 

「しょうがないですね…。本当に、しょうがないですね」

 

だから、夏音は何とも言えぬもどかしい気持ちを無理矢理、頭の片隅に押し込んだ。そのことを、気にしまいと努めた。

 

「それにしても、さっきも言った通り、やっぱり君の魔法は、ほむらとは大分違うね」

「?」

 

同じような願いでも、発す魔法が完全に同じであるとは思わない。だが、そこまで違いがあるのか。話を聞くかぎり、ほむらも、夏音のように時間を遡ってきたのだろう。つまり、ほむらもまた、夏音と同類の魔法を使っているということだ。だから、彼女の能力が自身とそうかけはれているとは思えない。

 

「言うほどに違いがあるのですか?」

「かなり違いがあるよ。ほむらの魔法と君の魔法は、性質的にも根本的なところにおいても、違う。それに、ほむらの魔法には、そもそも君の魔法が引き起こした“副作用”は起こらない」

「………」

 

一瞬、どくりと心臓がはねた。夏音は、目をみ開いてキュゥべえを見た。いや、睨みつけた。それは、ほとんど無意識の行為だった。だからこそ、本人は気づいていなかったし、キュゥべえも興味深そうに、双眼を向けながら、反応を伺うように、説明し始める。

 

「滝に流れる水を思い浮かべてほしい。あるいは、ボールが地に落ちる光景でもいい。それらは、上から下へと落ちるだろう? 決して、下から上へとは向かわない」

「…同じというわけですか? 時間も、上から下へと落ちる。つまり過ぎた過去には戻れない、と? そう貴方は言いたいんですね?」

「そうさ。だからこそ、君達はその世界から飛び出すのさ」

 

時間逆行というのは、ある意味では時間逆行ではない。基本的に、過ぎた過去に戻ることはできない。

 

しかし、それを、擬似的ではあるが、可能にする方法がある。それが時間軸の移動。

 

要するに、別の世界に渡るということだ。まだ未来に到達していない世界に、現在よりも、さらに過去の時間が流れる世界に、ジャンプする。そのような原理で、無理矢理前の時間に戻ってくる。自分達の魔法は、そういうものなのだ。

 

「そこは、二人とも何ら変わらない。時間逆行という魔法の奥底にある、変えようのない摂里だ。だけど、移動方法が、君達二人では手段が違う。決定的にね」

「決定的に?」

「ここからは、推測になるが、恐らくだけど、君の魔法は、指定した時間に戻る魔法なんじゃないのかい?」

「ん……?」

 

思わず、疑問の声をあげる夏音。彼女には、何故キュゥべえがそう考えたのか、まるでわからなかった。

 

「ほむらの魔法はね、自分の経験という時間をもとに過去に遡るんだ。きっかり同じ時間、同じ場所にね。対して君は、魔法を使ったにも関わらず、ほむらのようにならなかった」

 

キュゥべえの言うことに、夏音は微妙な顔で頷く。

 

「…たしかに、私は魔法を使った時に立っていた場所と、同様の場所に、同様に立って、時間を遡っていましたが…」

「つまり、君の魔法は、ほむらの魔法のような性質ではないということだよ。夏音は自身が経験した時間に遡っているんじゃない。時間を指定して、その座標に飛んでいるんだけ」

 

時間を移動しているのであって、場所自体を移動している訳ではないということである。自身がいる世界の時間の流れより、前に戻っているだけ。だから、立っている位置が、魔法使用時と、同じ場所になる。夏音自体が主体となっている、経験という“個”の時間を遡らないために、そのようなことが起こっているのだ。

 

「だから、彼女は私みたいなことが起こらないんですか。あくまで経験した自分の時間をなぞって遡るから、決まった時間、決まった場所に戻ると…」

「これも推測だけど、彼女は自身を、情報かなにかの形で、過去の自分に送っている。そうやって、精神的、肉体的なものを塗りつぶす、一種の乗っ取りのようなことを行って、同一人物が二人いるという矛盾を防いでいるんだろう。だけど、夏音は生身でこちらに来ている。だから、この世界の夏音を消したり、色々しないと、その矛盾を防げないんだろうね」

 

キュゥべえは、絶句する彼女に向けてそう言った。夏音は苦虫を噛み潰したように、渋い顔をして、我慢ならない様子で呟いた。

 

「……同じような魔法なのに。どうして、私の魔法は…」

「同じようなものでも差異というものは、当然あるんだし、気に病む必要はないんじゃないのかい?」

「…………」

 

そんなことを言われても、気にしないわけがない。だって、自分は何もかも失ったのだ。彼女は、何も失っていない。たまらなく、暁美ほむらが羨ましい。

 

「それに、君の魔法は、時を遡るだけの魔法ではないはずだ。ほむらもそうだからね」

「他にも、時間を遡るだけじゃなくて、色々できるってことなんですか? 」

「どんなことができるかまでは、まだわからないけどね。とにかく、その魔法がどんな魔法なのか、君の手で調べるといい。ただし、注意することが一つだけ」

 

キュゥべえの視線が、はめられたソウルジェムに吸い込まれる。夏音は釣られてそれを見て、指輪を卵型の宝石の姿にした。そうして、ぎょっとした。そんな馬鹿な、と思ったが、改めて見ても、ソウルジェムの様子は変わらない。その宝石の濁りは、一度魔法を使っただけにも関わらず、既に三分の一も、光を飲み込んでいた。

 

「やっぱり、思った通りだ。時間逆行のさいに生まれるその矛盾を解決させるために、君は余分に魔力を消費して、色々世界に干渉していたんだ」

「…うわあ、まじですか…。い、いや、それより早く浄化しないと…、あ…!!」

 

と、彼女はふとそこで、グリーフシードを持っていたことを思い出した。前の世界で、サチからもらったそれは、あの時サチ自身に返そうと、制服のポッケトに入れていた。夏音は、サチと一緒に入理乃探そうと思っていたので、もう自分には、この魔女の卵は、無用なものであると感じていたのだ。

 

しかし、そのグリーフシードは。もう手元にない。それに気づいたのは、廃墟から逃げたあと、バスに乗っていて、ポケットを探っていた時で、確かに入れていた黒い宝石は、どこを見ても、なかった。おそらくだが、落とした訳では無いのだろう。たぶん気を失っているうちに、持っていかれたに違いない。

 

「…………」

 

夏音は、複雑な気持ちで、濁ったソウルジェムを見つめた。



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今のうちに

一羽のカラスが、突然、アホのように大音量で、カーと鳴いた。確か、雑学好きの相方の話によれば、本来カラスはとても頭が良い動物らしい。だが、こんなにも大きな声で鳴くなんて、やはりあの鳴いているカラスの頭は、悪いのではないのだろうか。

 

ふと窓のほうを見れば、そこから、夕日が差し込んでいて、四角い赤い光が、暗い部屋の床に映っていた。それで、ああ、もうここまで時間がたっているのか、と更にいらだちが募った。そしてついに、船花サチは我慢出来ず、思いっきり不満を叫んだ。

 

「遅ーい!!結のところから戻ってこない!!本当、キュゥべい、遅すぎー!!」

 

ビクリと、相方の阿岡入理乃が、驚きで肩を揺らして、誤魔化すかのように、パーカーのフードを引っ張った。しかし、サチはかまわず、ぐりんと入理乃を向くと、やはり怒ったように攻め立てた。

 

「本当にキュゥべい来るのかよ!! お前が待っていようっつったから、この船花様はいちいちこの時間まで自室っで待っていたんだ!! なのに、こないじゃんか!?」

 

大体、何故キュゥべえを自分が待たなければいけないのだろうか。その理由がわからない、いや、なんとなく理由はわかるが、しかしそれだけの理由で、相方が自分を待たせているはずがない。っかし、その説明が入理乃からされていない。ただキュゥべえに会えば、すべてがわかると言われただけだ。そうやって、珍しく強気な態度で、半分強制的に、入理乃にここで待つよう指示されてしまい、結果何時間もキュゥべえを待っている。

 

しかし、そもそもこうなったのは、サチのミスのせいである。サチがうっかりキュゥべえに喋らなければ、彼が広実結に、菊名夏音の情報を流すことはなかった。そして、捕まえていた少女が向こうに行くことはなく、話し合いの取り決めを、キュゥべえに頼むこともなかったのだ。

 

だからこそ、自分の非を認めているからこそ、サチは文句を言わず(普段より)入理乃の頼みを聞いて待っていたのだ。だが、こうも遅いと話しは別だ。さすがに、この時間まであの猫もどきが来ないなんて、どうにかしていると思う。そろそろ、堪忍袋の尾が切れそうだ(というか切れているが)。

 

「…も、もう少しで来るから…、そ、それまで…」

「マジなのか!?」

「う、うん。マジ、マジだよ。来させてるから…だから、落ち着いて…」

 

そう、目を逸らされながら言われ、ちっと舌打ちをすると、その場で座り込んだ。拗ねたように、不機嫌な顔になって、頬をついた。

 

「何か話してよ」

「え……?」

「暇なんだよ!! だから、この船花様に話せ。そう、例えば、カラスの話とか」

 

入理乃が、目をぱちくりとさせる。

 

「えーと、それじゃあ……、カラスの話をしよう、…かしら…。でも何でカラスの話なんかを……?」

「さっき、カラスが鳴いてたじゃん。それでその話題を今ぱっと思いついたんだよ。つか、最近私カラスの動画にハマってんだよ。船には及ばないけど、鳥も最近興味がでてきたんだよね。だから、カラスについての雑学でも知ってんじゃねーのかなーって」

「う、うん。あの…、カラスってさ、…どんな漢字書くと思う?」

 

そう聞かれて、サチは顔を歪めた。そんなことを言われても、知っているわけがない。だいたい、カラスに漢字何かあったのが驚きだ。

 

「こ、この船花様はなあ、知らなくていいことは知らないんだ。ましてや、そんなことを答えられるわけがないだろ。というわけで答えは?」

「答え…は、これだよ」

 

彼女は手元に紙を出現させると、実際にボールペンで烏と書いて見せた。さすがの字の上手さに感嘆していると、ふと指さして、サチは文句を言った。

 

「何カラスじゃないの書いてんの?おかしー」

「…おかしく、ないよ。あ、あってるわ…よ、よく見て、ここ一本線がないでしょ」

「………、私は既に気づいてたし。カラスじゃないなんて冗談言っただけ」

 

本当は気づいていなかったが、誤魔化すために、早口で否定する。それに、入理乃は口を手でかくして、少し笑った。だが、サチは真っ赤に顔を染めらせて、入理乃を怒鳴ったために、彼女は再度ビクリと肩を揺らしてしまった。

 

「で?何でカラスには一本線がないの?昔の人が書き忘れて、それがカラスって意味で定着したとか?」

「諸説あるのだけど…、カラスって、全身真っ黒…よね?つまり…、目がどこにあるのか、わからない…」

「あ、そっか、この線って、目なのか」

 

カラスには、目がないように見えるから、線自体がないのか。言われて見れば、確かにカラスというものは、どこに目があるのか分かりづらいと思う。

 

「黒いから逆に目が分かりづらいのが漢字の由来とか、なにそれ。凄くね? へえー、なるほどねー。つか、やっぱ入理乃は何でも知ってるな。さすがこの船花様の下僕…、いや相棒だよ」

 

感心しながら、サチが頷く。入理乃は、少し恥ずかしげに微笑むと、しかしすぐに暗い表情で、その紙をじっと見つめた。

 

「でも…、目がどこかわからないって、よく考えたら、カラスは、怖いわ。目という感情を表す器官が一瞬でもわからないない、黒い体なんて、怖い。感情がわからないなんて…、気持ち悪い」

「気持ち悪い…?」

 

まさか、そんなことを言うと思ってもいなかったので、思わずサチは聞き返した。それだけ、阿岡入理乃という人間から、“気持ち悪い”という言葉がでるなんて、信じられなかった。少なくとも、阿岡入理乃は、サチの目の前では、そんなことを言わなかった。

 

「入るよ」

 

と、その時、頭の中に少年の声がした。サチの目が窓へと自然といき、その下にいるキュゥべえを捉える。サチはやっとか、という思いで、心の中でため息をつくと、一言言って、ぶったっ叩いてやろうと彼に近づこうとした。だが、その前に、入理乃が彼に近づいた。

 

そしてサチが入理乃にそのことについて、文句を言おうとする前にーーー彼女はキュゥべえを掴んだ。身体強化の魔法によりあがった腕力で、その首を軽く絞めて絞殺した。がくりと、キュゥべえの頭が下がった。

 

それを見た瞬間、入理乃は気がつくまもなく、入理乃に迫った。あっという間の出来事に、一応ある倫理感が、サチに相方への怒りを起こさせ、怒鳴らせた。

 

「な……、何してんだよ!!いきなり殺して…!!そりゃむかつく野郎だけど、いくらなんでも、殺す必要なんかないだろ!!」

 

だが、入理乃は平然として、小動物の死骸を片手に、おどおどしたりもせず、極めて冷たい声で、説明した。

 

「………。大丈夫だよ。キュゥべえは死んでない。この体はスペアだから。キュゥべえは、何個も体を持っているの。つまり、これくらいじゃ死なないわ」

「…は? え、マジで?」

 

幾つも体があるなど、今までそんなことを、聞いた覚えなどない。そりゃあ、世界各国に魔法少女がいるわけなので、キュゥべえが、何匹いてもおかしくはないかもしれない。だが、サチは、キュゥべえという存在は、一個体であると認識していた。

 

だから、彼女はまるでそのことが信じられなかった。そして、自身が知らない情報を知っていた入理乃を、訝しんだ。だが、それよりも気になる疑問を、サチは相方にぶつけた。

 

「え…だとしたらさ…、お前その死骸どうするつもりなんだよ。なんか、そうする意味があるんでしょ?」

「ええ。…これを使って、あるものを作るの。サチちゃんにはそのお手伝いをしてほしいの」

「手伝い……? ね、ねえ入理乃。そのあるものを何に使うんだ?つか、あるものって何だよ」

 

その問いには、沈黙しか返ってこなかった。ただ、入理乃は、珍しく、サチに対して怒っているようだった。目尻を上げ、怖いくらいに、唇を噛み締める彼女の姿は衝撃的すぎて、初めてすぎて、サチは思わず怯んで、何も言えない。

 

「貴女は何も考えなくていい。何も知らなくていい」

 

彼女は、断言する。そう、サチは、相方にはっきりと言い切られる。それに、サチは、当然の権利を否定されたことに、怒りを露わにした。

 

「な…、何でなんだよ!!何でそんなこと……」

「言うんだって?そんなの決まってる。私が貴女の手を煩わせたくないからよ」

 

すべてをいう前に、入理乃はサチの質問に答えた。そうして、だから安心してほしいと、菊名夏音達から、気持ち悪い奴らから、守ってあげるのだと、諭すように言った。

 

「守ってあげる……!?この船花サチ様を守るとは、何言ってんだよ!?上から目線なんだよ!?私のことがそんなに信用ならねえのかよ!?」

「信用しているからこそ守りたいのよ。だから、徹底的に気持ち悪い奴らから貴女を守る」

「はあ!?そこまでするほど、あいつらが気持ち悪いのかよ!?」

「……、ええ。気持ち悪い…。気持ち悪いよ…」

 

そう言うと、戸惑うサチを他所に、フードを掴んで引っ張りながら、入理乃は小声でぶつぶつと呟き始めた。

 

「あいつらは気持ち悪いのよ。わかんなくて、狂ってて、得体がしれなくて、本当に、考えていること自体が、とても、わからなくて。いえ、わかるの。考えていることの内容は理解できるの。でもちっとも共感できないし、その考え自体が理解できないの。何もわからないのは、おぞましい、理解できないのはおぞましい……そういうやつは、私から何もかも奪って、奪って、奪って………、邪魔をして……」

「い、入理乃……?」

 

いきなりの言動だった。一体、何が引き金で、彼女がこうなったのか。突然どうしたというのだろうか。明らかに様子がおかしい。フードを更に引っ張りながら、顔を隠す相方は、何かに怯えていて、震えていた。

 

サチは、その何かがわからなかった。というよりは、その何かに怯える理由というものがわからなかった。奪う? おぞましい?言っていることが、何もかも訳がわからない。

 

「わからない、あいつが彼女が、わからない何で現れたのか理解できるけど何を思ってるのかわからない何を起こすのかわかない見たくない邪魔もさせない奪わせない気持ち悪い気持ち悪い…」

 

だからーーーと、阿岡入理乃は虚ろな表情で、何があっても、絶対に貴女を守るからと、サチに宣言した。




早島の魔法少女の強さ

広実結>>船花サチ≧阿岡入理乃>>>>>>菊名夏音≧伊尾ミズハ

結はサチ+入理乃だと強さが同じに。伊尾ミズハは生前実戦経験がほぼ無し。あったとしても1回ぐらいで、魔力の扱いも、素人。夏音は言わずもがな。しかし、素質が僅かに夏音が上回っているのに加えて、頭の良さもミズハは負けているので、もし戦ったら夏音は勝ことが出来る。




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名付け

「あ、終わったの?」

 

キュゥべえが去ったのを伝えるために、夏音が部屋から出ると、既に廊下には、広実結がいた。彼女はずっと、話が終わるまでそこで座り込んで待っていたらしく、立ち上がると、一つ伸びをした。

 

「お待たせしてすみません」

「いいよ。それに、話ている間に特訓のことを考えれたし」

「特訓…? 私の戦闘訓練のことですか?」

 

つまり、結はその内容を考えてくれていたのか。そこまでしてくれるなど、正直思ってもいなかった。感謝の気持ちよりも、申し訳なくて仕方のない気持ちの方が強くなる。

 

「ありがとうございます、しかし…、そこまでしていただかなくても」

「そこまで謙遜しないでよ。それに僕が特訓の内容を考えるのは、むしろ当然じゃない? 」

「それはそうなんですが…」

 

特訓と言っても、夏音には、何を鍛えたらいいのか、というものがわからない。だから、先輩として結が特訓の内容を考える。それは確かに理に叶っていることなのだろう。しかし、全部任せるのは、違うと夏音は思ってしまう。自分の意見も、きちんと言わなければいけないというのが、夏音の考えだ。それに、しなければならない特訓もある。

 

「何かしたいの?」

「はい。あの…、少しやりたいことがあって…。それを、一人でやりたいんです。そして、そのために、グリーフシードが必要なんです」

 

自身の魔法の特性がどんなものなのかを調べるためには、当然実際に魔法を使わねばならない。だが、それを黙ってやるのはほぼ無理だ。何故ならば、使う場所と、グリーフシードがないからだ。それを提供してもらうためには、今ここで、切り出すしかない。

 

「図々しいお願いだとは思いますが…、いいでしょうか?」

 

ドキドキとした不安を胸に、尋ねる。結は微妙に困った顔で考えて、

 

「グリーフシードが必要…、しかも一人でやる特訓…?もしかして、見られたくない特訓ってわけ? …まさか、固有魔法?」

「……!?」

 

何故、何も言っていないのにわかったのだろうか。先程、少し考えただけで、固有魔法のことがわかったのか? いや、そんなことあるのだろうか。そりゃあ、言ったことは怪しさ100パーセントのことだ。しかし、それだけで固有魔法と判断するには、情報不足過ぎだ。

 

結は、困惑している夏音に、申し訳なさそうに笑った。

 

「あー、ごめん。当てずっぽうだったんだけど…、マジで当たってた?」

「………はい」

 

手に汗をかくのが、はっきりとわかった。本当に、油断も隙も見せない方が良さそうだ。たぶん、それらを見せてしまうと、色々バレそうだ。

 

「うーん。そうだなあ…。とにかく、危険なものじゃなきゃ別にいいけど。それじゃあ、明日、朝からやって、昼の時に一時間ぐらいその時間をつくろうかな。ああ、でもーーー」

 

結は無表情になって、目を細めた。思わず、夏音はその彼女の態度に怯む。まるで、脅すように結はニッコリと笑った。そして、次には低い声で、笑みを浮かべたまま言った。

 

「逃げないでよ。僕のために(・・・・・)、ね?」

「ーーー!!」

 

悪寒がした。毛が逆立つ感覚が、全身に起きた。

 

結の言葉は、一方的だった。結は夏音の気持ちを考えていない。自分の感情しか、彼女には見えていなかった。束縛の欲望と、歪んだ執着のみが、そこに込められていて。自分を繋ごうという結の考えが、とても恐ろしい。

 

思わず一瞬だけ、ここから逃げ出そうと、体がピクリと動いた。しかし、今そんなことをしたら、どうなるのか。間違いなく、広実結は怒る。そうなれば、自分の身が危ないのではーーー気がつけば、夏音は早口で必死に自身の思いとは反対のことを言った。

 

「に、逃げるわけないじゃないですか。私には、逃げる理由がそもそもないですし? 逃げたとして、それでどうにかなるわけないですし、そうですよね、ねえ?」

「うんうん、そうだよね。逃げたいなんて思っていないよね」

 

なんて結は笑っても、しかしその目はこちらをしっかりと捉えている。明らかに見定めているのがはっきりとわかった。

 

「そうですよ。逃げたいなんてこれっぽっちも思っていませんよ。結さん」

 

夏音は苦笑いをして、目を逸らした。それで、結は満足そうに目尻をあげる。だが、すぐに不満そうな、不服そうな表情になった。

 

「結さん、ね…。別にいいけど、結さんじゃなくて、できれば別の名前で呼んでくれないかな?」

「べ、別の名前…? 別の呼称をつけるってことですか?それはーーー」

 

夏音にとって、線引きのようなものだ。名前をつけるその対象を、特別な存在であると定義することだ。自分で考えて、自分でつけて、自分だけが口にする。そうすることで、その名前は、自分だけのものーーー特別なものになるのだ。

 

結を渾名で呼ぶということは、つまりは彼女を特別な存在だと認識することだ。だが、しかし、夏音は広実結を特別な存在だとは、どうしても思いたくない。彼女には、助けてもらったという恩があるが、信頼ができない。何より、彼女は怖いし、それだけで嫌いになりかけていて、なおかつ親しくするほどの関係ではない。

 

「わかりました、広実さん」

 

しょうがなく、苗字の方で呼ぶ。愛称をつけず、別の名前で呼ぶとなると、苗字で呼ぶしかない。だが、結は下の名前で呼ばれるよりも、さらに不満気で、まるで嫌な何かを食べたかのようだった。

 

「その名前は…、ちょっと勘弁して欲しいかも。僕にとって、自分の名前って、“広実”の名前って、重いんだよね。僕には、その重さがきつくて、耐えられない。抱えたくない」

 

一族の名前が、自分には相応しくないのだ、と結は語った。広実結の名前は、いわば鎖そのもの。忌々しい呪いに近い。だから、彼女はだからこそ、“友達”には別の名前で呼んでほしいと、夏音に再度頼んだ。

 

…やはり広実結は、一方的のような気がした。自分の思いを、遠慮なくぶつけて。そうやって、自分に愛称をつけろと、広実結は強制してきたのだ。

 

しかし、どうしてだろう。広実結は、何故かどうしようもなく、必死そうだった。夏音に対して、何かを期待しているようだった。いや、すがりつくといった方が正しいのだろうか。彼女は、救いを待つ小羊みたいに、“それ”

を求めていてーーーだからこそ、夏音は自然と口を開いた。過去の一切を失い、何もかもなくした自分が、“必要とされているということに”、つい嬉しくなってしまったせいで。

 

「…………家主さん」

「家主さん? 」

「家に置いていてくれているから、家主さん。……いい渾名ではないですが…」

 

名前をつけるといっても、あまり深い意味にしたくなくて、この名前にしたが、ネーミングセンスは悪い。“名前”をつけて特別な存在にするという考えを持っているくせして、そういうところが駄目なのは、本当にどうか。自分でも、何故このような考えを持つに至ったのか、不思議に思う。

 

「……家主さん」

「ごめんなさい、変というか、ダサいですよね」

「………………」

「やっぱり、気に入りませんよね…」

 

むしろ、起こらせてしまったのか? と、なると、自分の印象が悪くなったのかもしれない。ただでさえ身勝手なお願いをしたのであるから、そのことを加えると、さらに印象は最悪になる。そうなると、結はどうするのか。自分の身がやばい。

 

黙り込んで、下を向いている結が、どうしても恐ろしく思える。とりあえず、様子を伺おうとしばらく見ていると、突如結がぱっと顔を上げた。

 

「とっても気に入ったよ! 夏音ちゃん!!」

「へ………?」

「いやあ、家主さん。家主さん…、ムフフ」

 

予想に反して、彼女は気持ち悪いほどニヤニヤして喜んでいた。夏音は何となく、ほっとしたような、疲れたような気持ちになった。

 

しかし、このような変な渾名で喜ぶとは。自分の友人と同じ血筋を感じる。同じように喜んでいた順那の姿が、脳裏に浮かんだ。呼び始めた時期などは、校舎内でも、お構い無しに喜んでいた。曰く、信仰する“神”と名前が一緒らしい。あの渾名と一緒の名前など、どんな神だと、そのたびよく思ったものだ。

 

と、そこで学校のことを思い出して、ふと気がついた。そういえば、今日が一日、体育の日で休日なのだから、明日は平日なのだった。明日、特訓に付き合うと言っていたが、朝からやるのならば、スケジュールは良いのだろうか。

 

「家主さん。ところで、大丈夫なんですか? 学校は」

「うん。しばらく休みになったから。なんか複数の場所でテロをやるぞー!!ていう手紙が来たらしい」

「テロ!?」

 

結構な事件が自分の知らぬところで起こっていた。そんなことがあったのか、と思わず聞き返す。

 

「うん。お父さんの職場とかも、急遽休みになったらしくてね」

 

犯人はまだ見つからないらしいが、いたずらという可能性もなくはない。しかしそれでも安全のために、登校禁止になったそうだ。なるほど、と納得すると同時に、元の世界でそんなことがなくて良かったと思った。

 

だが、広実結は訝しげな表情で、夏音をじっと見ていた。

 

「まさかーーーまあ、そんなことあるわけないよね」

 

結は突飛な考えを捨てるためか頭を振りほくそ笑む。夏音は、それに気がつくことはなかった。



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異形

何故、どうして、自分はこんな“渇望する何かが”あるのだろう。昔から、彼女はそう思っていた。

 

彼女の中には、常に衝動があった。それも、とてつもない。ふとした時や、何気ないとき。そして、赤い何かを見た時。それはとても、強くなった。

 

だが、彼女は無償に欲しているにも関わらず、その“渇望する何かが”どうしても、わからない。自分が何をしたいのかもわからなくて、ただただ衝動を持て余す。息苦しくて、景色は灰色になっていった。心には、風穴ができた。その風穴は、たぶん虚しさと呼ばれるものだった。

 

だから、このままなのは駄目だと思い、他にもやりたいことを数多くもった。幸い、この心を埋めるための夢を持つことは、そこまで苦労はせず、そして、その分だけ、挑戦してきた。そのすべてを、一生懸命、頑張ったつもりだった。

 

だが、どれもうまくいかない。失敗ばかり。他の子に先を抜かれる。彼女はドジでノロマで、それはどうしようもなかった。それに、たとえ得意になったものができたとしても、上には上がいることもそのうち知った。

 

だいたい、その夢は偽物の夢だった。本当にやりたいことじゃなった。だから、本物の夢に勝てるわけがなかった。ただ現実だけが突きつけられて、絶望した。

 

また彼女は、他人とは全然感性が違っていた。周りの子が、“かわいい”と感じるものが、かわいいと思えない。“流行り”とかも、よく分からない。更には味覚まで自分はおかしくて、周囲から引かれてしまうくらいだった。

 

“仲が良い”二人も、同じようにどこかネジが数本飛んでいたが、しかし、一人はそれを偽ることに成功し、一人はずれた感性などを肯定した。だが、どちらも彼女にそれは無理だ。演技できない。割り切れない。本当に、彼女は自身が情けなかった。

 

しかし、一族のみんなは、それでもいいのだと肯定した。その役割を果たすことのみ、考えればいいのだと、誰もが当然のことのように言った。

 

だけれども、それが当然のことではないと、彼女は思ってしまった。皆、どうしてそんなことを言うのか、不可解だった。

 

そんな思いを抱く中で、二人のうちの一人がいじめに関わってしばらく引きこもり、やがて失踪して行方不明となった。喧嘩していたもう一人とは別に、何日も何日も、探して、探して。何か知っていると思い、いなくなった子の友人と会っても、何の事実もわからない。だがしかし、彼女はその日出会ったーーーあの純白の獣、キュウべえを。

 

赤い満月の夜。失意に沈む彼女の部屋に、彼は訪れた。彼女に接触し、彼は話した。この世に蔓延る魔女の存在と、それを狩る魔法少女のことを。そして、その魔法少女が、いなくなった子であることを。その内容はあまりにも、咀嚼することも躊躇うほど、非現実的だった。

 

それでも彼女は、訳もなく、根拠もなく、それらが真実であると思った。きっと彼は本当のことを知っていると感じたのだ。だから彼女は尋ねた。

 

「あの子はどうなったの?」

 

彼はすぐに、単調な言葉で答えた。

 

「死んだよ」

 

心の窓の外から、ザワり、と風が動く音がかすかに聞こえた。それは穴に、吹き込んで、彼女を動揺させた。ただ彼女は、“死”というワードそのものに、衝撃を受けて、震えていた。

 

身近でそんなことがなかった彼女にとって、死とは、ふわふわとした現実味のないものであった。どこか遠くのことだった。だからこそ、彼女は“死”に目を向けなかった。

 

だが身近で、しかも親しい人間が死んでしまった。初めて死というものが、リアリティを帯びた。そして、その分死の重み、死の概念が、彼女の中で、明確になって刻まれた。彼女はようやく、死というものが何であるのかを認識した。

 

それによって、自分が求めていたものの正体がわかった。衝動が欲する、渇望する何か。それが、はっきりとわかった。

 

そしてキュゥべえが帰ったあともーーー数日後も、そのことばかりを考えてしまった。大切なものは頭から欠落し、そしてその事自体を、排除してしまった。衝動を押さえつけようにも、どうしようもなく、彼女は“それ”を渇望した。

 

今までわからなかった分、彼女は我慢してきた。ずっと、ずっと、ずっと。だがわかった今、もうその必要などなく、彼女の理性は本能に支配された。

 

彼女は手頃な“獲物”を掴むと、誰もいない、人気のない空き地へと連れ込む。持ってきた包丁を取り出す。そうして、その刃を獲物へと下ろした。“刺した”手応えと共に、鮮血が、手やらアスファルトやらに、勢いよく、巻き散った。

 

「アハ…、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!! アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

 

笑い声をあげる。嬉しくて、嬉しくて、あまりにも楽しくて、充実感があって、恍惚として、ぞくぞくとして、目の奥が熱くなった。

 

何度も何度も、包丁をめちゃくちゃに“獲物”に振り下ろす。そのたびに感じる、肉を切り裂く感覚が堪らない。加虐的な彼女は、紅をもっと見たくて、狂い咲く。原型を留めぬほどの、ぐちゃぐちゃになったものが醜く、美しく、おもしろい。

 

「フフフ………、アハハハ………」

 

ふとその死体から目を離すと、赤まみれの彼女の前には、二つの赤い瞳が、暗闇の中で、浮かび上がっていた。煌々と輝く月の元で、彼女は双眸に手を伸ばす。

 

「ねえ、キュゥべえーーー」

 

刃から、血が滴り落ちる。それが、愉快で仕方なかった。彼女は笑った。声をあげて笑った。

 

まるでーーー怪物のように。

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

意識が底から浮上してきて、夏音は目を開ける。カーテンから漏れた光が眩しくて、顔を顰めて数度瞬きをする。唸りながら、無理やり身を起こすと、体の節々が痛かった。

きっと、フローリングに直接布団を敷いたせいだろう。疲れもあまりとれていないのか、それとも起きたばかりだからか、ひどくだるい。一つ、大きく欠伸をする。

 

そばに置いていた眼鏡をかけると、彼女は億劫な気持ちで、中からでて、布団を畳んで左手の隅に積む。次に、パジャマを着替えようと、服と髪を結んでいた二つのリボンを中に入れた、押し入れを開いた。

 

ここの部屋は、元々物置きだったので、箪笥などは無い。だから、そういうものに収納することはできず、服とリボンはここに置いておくしかなかった。結も流石にカラーボックスは用意できなかったらしい。では制服はというと、こちらは元々この家にあった物干し台を、部屋の右手の片隅に移動させて、それにかけて、乾かしていた。

 

私服を手に取って、振り向いた瞬間、ふと制服が視界に映った。

 

「……………」

 

彼女はしばらく、制服を無償に変な気持ちで見続けた。服を一旦押し入れに置いて、制服を触ってみると、既に乾いていた。夏音は制服をとって、体に重ね合わせるように前に持ってきた。だが、やはり馬鹿馬鹿しいと思ってしまって、再び制服をかけ直し、私服に着替えた。

 

リボンを手にとり、風呂場に行くと、鏡台の前に立って、顔を洗い、髪をくしで梳かす。そうしていつものように、ツーサイドアップに結わえた。だが、しかしーーー

 

「なんか、しっくりこない…」

 

普段自分が着ている服とは、別のものを着ているからだろうか。セーターに、スカートという落ち着いた、悪く言えば派手でない適当な組み合わせに、この髪型は浮いてしまっている。

 

髪を解き、今度はツインテールにする。だが、同様に不釣り合いだ。下に二つに結んでも、思いっきってサイドテールにしても、やはり子供っぽい感じがする。わざとそんな髪型をし続けたとはいえ、なんだか果てしなく似合っていない気がした。

 

しばらく考えて、夏音は自分から見て右手に、編み込みをいれ、リボンで横結びする。残ったリボンは、不必要に思われたので、手に持ったままにした。そうして、鏡を見て、おかしなところがないかをチェックして、出来栄えに満足して微笑んだ。

 

さあ、これで完璧に身支度が終わった。後は、結の部屋に行って、彼女に会いに行こうか。だが、もし眠っていたとしたら、気まずくて起こすことができない。リビングで待っていよう。そう考えて、廊下の方を夏音が見た丁度その時、結が欠伸をしながら、こちらにふらふらとした足どりで歩いてきた。

 

「………おはようございま〜す」

 

先程起きたばかりなのだろうか。風呂場にやってきた結は、ひどく眠そうだった。心なしか元気もなく、けだるげな様子だ。寝癖はくるくると飛びはね、髪はボサボサで、それを無造作に一つ結びにしていた。

 

「おはようございます、家主さん。…あの、大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ。いつものことだし…」

 

もう一度、大きな欠伸をした。そして、結はふとそこで夏音の髪型に気がついたようで、声をもらした。

 

「髪型昨日と違うね」

「ちょっと普段とは変えてみたんです」

「あっちが普段の髪型なの? なんだかしっくりくる髪型だから思わず、昨日と同じ髪型と思っちゃったよ」

 

そう言って、微笑まれた。だが、正直褒められているのか褒められていないのか、よくわからない。なんとなく、夏音は髪の毛先をいじる。

 

「心配しなくても、似合ってるって」

 

結は三度目の欠伸をして、続けて四回目の欠伸をした。そして、目を細めて、瞬きしながら、しかしニッコリと笑いながら、

 

「あ、そうだ。どこでするのか、僕言ってなかったわ」

「…特訓のことですか? 一体どこでやるんですか?」

「富枝神社跡地だよ」

 

特訓、楽しみだねと、そう言って。三日月の目はぎらりと光る。結は口角をあげる。こちらを見ているようで見ていない彼女は、声をたてて、狂い、笑った。

 

まるでーーー怪物のように。



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不可解

窓から見える町なみが、後ろへと過ぎ去っていく。エンジン音が僅かに聞こえ、座先ごしに、がたごとという感覚が伝わる。掴む者がいないたくさんのつり革も、一緒にゆらゆらと揺られる。

 

赤く、古いバス。富枝内を走るそれは、頭がうっすらと禿げかかった、めんどくさそうな表情の中年男性に操られて、道路を走る。巡るバス停の距離は長く、またそのそばにある建物や場所は、人が来そうにないところばかり。入り組んだ道を、手洗い運転で通るためか、時々ヒヤリとさせられる。

 

車内の席は、ほとんど埋まっていなかった。平日というのもあるだろうが、こんな調子だ。このバスは、あまり人から使われない。利用するのは、よっぽどの物好きか、行き先が、このバスでしか辿りつけないといった客だけだ。そんな、僅かな乗員も、一人、また一人とバス停に止まる度にいなくなっていく。やがて、車内にいるのは、後座席に座っている自分達のみになってしまった。

 

だからなのか。少しほっとしたように、というか完全にだらけた様子で、結は窓によれかった。しかし、青ざめた顔は、一向に良くならない。ガタン、と車体が揺れたと同時に紫色になって、思わずといったように、口を抑える。彼女はなんとかせり上がってきたものを飲み込むと、また虚ろな目で、宙を見つめた。

 

「あー………」

 

いくらなんでも、具合が悪そうだ。それに、ある意味人間としての尊厳が消えかかっている。これは、やばい。彼女の酔の酷さは、深刻というレベルを最早超えている。

 

「あの、本当に大丈夫ですか?」

 

夏音は、死にそうな表情をした彼女を心配しながら言う。結は目だけで隣の少女を見て、ヘラりとなけなしの笑顔を浮かべた。

 

「大丈夫だよ〜。眠気と酔のダブルパンチとかいう、まるで地獄のような状態だけど、いつものことだし……ウプ…」

 

またも、吐きそうになって、寸でのところで抑える。それで、空元気も消えたのか。限界一歩手前といった感じで、しかし少しふざけた感じで結は、

 

「ヘルプミー」

 

などという、しょうもないダジャレを言った。それに笑っていいのか、笑わないでいた方がいいのか。寒すぎる冗談に、夏音は困り顔になって、苦笑する。

 

「ごめん…、僕こういうの弱いんだよ…。特にこのバスは……、キツイ……。でも、このバスでしか、あそこに行けない。徒歩だと一時間はかかるし……ウプ…」

「そ、そこまで無理しなくていいですよ!!」

「いや、君に歩かせる訳にはいかない。……………、ヴゥ!!」

 

瞬間、必死の形相で、夏音はボタンを押していた。それに気がついた運転手が、ブレーキを踏み、バスが大きく揺れ動く。結は突然のことに驚き、目を見開く。あまりのことに、胃液が引っ込んだ。だがしかし、お、と声に出したのも束の間。車体が止まった拍子に、そのまま座先から転がり落ちた。

 

「……………助かった」

 

だが、お間抜けな醜態を晒しても、結は心底からといった様子で、そう呟いた。夏音は安堵して、長く長くため息をついた。

 

こうして、彼女の人間としての尊厳は、ぎりぎりのところで守られたのだった。

 

 

◆◇◆◇

 

 

バスを降りた後、夏音達は、移動手段をどうしようか話し合った。まずタクシーは、却下だ。また結が酔ってしまう。次にバスだが、これは同じ理由で却下。というか、乗るためには、十分かけてバス停にまで行かねばならないので、それを考えると、非常にめんどくさい。結局、歩いていこうという話になった。

 

やはり、入り組んだり、坂が多かったりする道を通るみたいだが、それでもバスに乗った分、辿り着くまでの時間は、短縮されている。二十分ぐらいで、目的地に行ける。それならば、多少キツくても、車に乗る必要はない。

 

というわけで、現在二人は、目的地へと足を進めていた。

 

「うう、ごめん。迷惑かけちゃったね?いや、それどころか、命の危機を救ってくれた…、ありがとう、ありがとう…」

 

結は感謝の言葉を連呼する。そこまで車酔いがキツかったらしい。まあ、流石に命の危機は大袈裟な気がする。

 

喉から上ってきた、それほどだったら、別の場所で、特訓するように予定を立てとけばいいのに、という言葉は、あえて抑えた。だって、こちらのために彼女はあえて、苦手なバスに乗り込んでくれた。結が気を使ってくれたのだから、そんなことを言うべきではないだろう。

 

しかし、いつまで謝ったり、感謝しているのだろう。…なんというか、やっぱりこの人は割とオーバーだ。絶対、映画館で号泣するタイプだと、リアクションに困りながら、そう思っていると、ふと結がじっと夏音を見ていることに気がついた。

 

ギクリと体が跳ねる。結の目が、笑っていたのだ。猫のように。さらに瞳を細めると夏音もビクリと反応する。それが面白かったのか、結はぐいっと、口の端と端を上げた。ひきつりそうになりながらも、夏音は結に、

 

「…な、なんでしょうか?」

「いやあ、富枝神社跡地で特訓することについて、何も思っていないのかなあって。他のところでやらねえのかよ、とか」

「いや、それは思ってませんよ」

 

慌てて誤魔化す。本当は思ったが、そんなことを今ここで言えるはずがない。思った、なんて言ったらそもそも失礼だし、そうしたら何をされるかわかったもんじゃない。

 

「そう? まあ、でも一応あの神社跡地にした理由はあるんだよ? なんてったって、早島神社関係の土地だし。あそこには、魔力が残留しているんだよ」

 

その魔力は、一体どこからやってきたものか、一体どのような存在の魔力かわからないが。それでも、昔から莫大な魔力が染み付いていたのだという。明らかに異常なものであったが、さらにおかしなことに、そうなっているのは、早島神社跡地や、富枝神社跡地といった、龍神信仰に関連のある土地のみらしい。

 

「でね、その魔力はこれまた上質な魔力なんだ。それを利用して、入理乃ちゃんとサチちゃんは、富枝神社跡地に、僕への罠を張っていたことがあってね」

「その罠が今もあるんですね」

 

多分、何かあった時のための処置として、富枝神社跡地を特訓場所として選んだのだ。自分が魔法を失敗したりすれば、どんな被害がでるのかわからない。だから結は罠がある場所を選んだ。その罠は、きっと暴走するものを抑え込むためのものだから。

 

そんな推測したこと言った瞬間、結が少し固まった。やがて、複雑な顔ながらも、半分感心、半分驚いた様子で言う。

 

「うん、その通りだよ。頭いいんだね」

「私なんて、頭よくありませんよ」

「いやいや、頭いいよ!天才だよ。僕ってば、頭悪いからさ、憧れるよ」

「そんなことありませんよ」

 

夏音ははっきりとそう否定する。自分は天才ではないということがはっきりとわかっているからだ。天才というのは、自分のような常人ではないーーー阿岡入理乃のような逸脱した人間のことだ。

 

「だけど、早島神社関係のところだけ魔力が残留しているなんて、妙な話ですね」

「そうでしょ、そうでしょ。本当におかしなことだよ。この本家の僕でさえ、そんなこと伝わっていない。でもね、少しひっかかったんだ」

 

本家は、分家とは格が違う。広実一族のなかでは、それだけで優遇され、崇拝のような感情を向けられ、また様々な特権を持ち合わせる。その一つが、“本来の伝説の継承”。今はほぼ忘れられた昔話を受け継ぐ、ということを代々本家は行ってきた。その昔話の中に、疑わしい部分があるらしい。

 

「それは、一体何なんですか?」

「えーとね…、わかりやすいように最初から昔話を話した方がいいかな?」

「え、私に話しちゃって大丈夫なんですか?」

 

代々伝えてきたものを、こんなあっさりと喋っていいものか? それは、重大な掟を破ることなのではないだろうか。

 

「大丈夫、大丈夫。僕、結構お家の規則が大嫌いだから。それで今、一人暮らししているぐらいだよ。だから、あえて破ることぐらいどうってことないよ」

 

“どうってことない”。その部分だけ、彼女の声が低くなった。静かに瞳が揺れる。激しい怒りが一瞬、火花の如く、瞬いて消えた。



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古いお話

昔話をする前に、龍神信仰のことについて話すね。

 

ねえ、そもそも龍神信仰のことを、詳しく知っている? ……うん、知らないんだね。まあ、無理もないかもしれない。君のような年代の子は、龍神信仰を信じていないことが多いから。じゃあ、改めて、詳しく説明するね。

 

龍神信仰は、その名の通り、龍神を崇める信仰なんだよ。随分と前から根付いているそれは、今でも一部の人々に厚く信仰されていて、早島の人々の根本にも染み付いているんだ。信仰において、重視される考え方なんかが、地域的に残っているんだ。早島の人々は、神頼みすることが多いんだって、東の叔父さんも言っていたくらいだよ。

 

龍神は二匹いて、双子で対の関係だ。生を象徴する、金早龍。死を象徴する、銀島龍。彼女らは、信仰するものに、恵みを与え、逆に反逆者には呪いをもたらす。この世の摂理や理、循環するものを司っている、といわれている。

 

この龍神信仰の起源は、僕らのご先祖さまの建てた神社が始まり。昔話にでてくる二匹の龍神を祀ったんだよ。

 

では、その昔話はどんな内容かだって?色々とパターンはあるのだけど、一般的には、二匹の龍神が富枝、つまりは昔の早島に現れて、貧弱だったこの地に降臨し、人々を救うという話だ。オチとしては、信じるものは救われるという、典型的なもので、信仰心のない人は、必ず罰が下されている。

 

でも、今から話す本来の昔話は、ほぼ違う内容だ。この話は、時が経つにつれて、欠けたり、脚色されたりしているんだけど、それでもまだ、原型を保っている。

 

どうか、聞いてくれないかな。本来の伝説をーーー

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

昔々、何百年も前のこと。世はまさに戦乱の時代。お殿様達は、皆天下統一を目指していました。民のために、自分もために、平和のために、利益のために。それぞれの野望、価値観、そして“願い”を持って、お殿様達は領土を奪い合いました。

 

それはこの地、富枝と、見滝原も例外ではありません。二つの土地は争っていました。

 

富枝のお殿様は、見滝原を何としてでも破壊したくて仕方がありませんでした。富枝のお殿様は、見滝原をどうしよもなく、滅ぼしたがっていました。

 

二つの土地は、互いを元々嫌っていました。それは、この地があまりにも貧弱なせいでしょう。土地柄、作物が育たず、目立ったところもない、何もない土地。望みに伸ばす手を枝として、それが豊かなものになるようにとの願いが込められた、富枝の名前を持つこの地の人々は、しかし絶望していました。この地が嫌いで呪ってさえいました。生活することが大変で、とても貧しかったから。

 

対して、見滝原はそれはそれは豊かな土地でした。田畑は山々に広がり、長閑な風景の中で、人々はゆったりと暮らしました。そこは物が溢れ、富が溢れ、自然が溢れたところでした。希望に満ちたその地を、人々は誇っていました。恵身を与えてくれる見滝原に、感謝していました。

 

しかし、富枝は見滝原を妬みました。当然といえば当然でしょう。だって、自分達は苦しんでいるのに、向こうは実に幸せで、豊かだったのですから。嫉妬しないほうが、おかしいのです。そして、そんな感情を向けられて、見滝原も良い気はしません。

 

互いが互いを嫌悪するのは、自然の流れといえるでしょう。関係は最悪。希に、仲良くしようと、努力した代もあったようですが、それも一時的なものであり、次の世代になると、途端に破綻しました。

 

それでも、互いに争うといったことは嫌でしたので、そういうことにならないようにはしてきました。しかし、残酷なことに。時が重なるにつれて、負の感情もその分積み重なっていくもの。些細なことがきっかけとなり、とうとう戦争が、始まってしまったのです。

 

結論から言いますと、この戦争は富枝が非常に不利でした。だって、そもそも土地の豊かさが違うのですから。貧しい方が力が弱いのです。豊かな方が、強いのです。つまり、富枝は見滝原よりも弱いのです。

 

多くの血が、流れました。多くの民が、死にました。それは、どれも富枝のもの。働き手の男がいなくなったことで、田畑は耕せなくなり、飢饉が発生。戦争の出費で、金はなくなり、人々はさらに困窮しました。

 

しかし、見滝原は違います。まったくと言ったら過言ではありますが、そこまで酷い被害は出ていませんでした。逆に、富枝の財を奪ったおかげで、潤ったぐらいです。見滝原の勢いは盛んになり、富枝を飲みこむかのようなに、さらに攻め込んでいきました。

 

富枝の人々は、震え上がりました。このままでは、戦争にまけて、富枝がなくなってしまう。そうなれば、自分達の命はなくなる。見滝原のお殿様は、富枝が嫌いだったので、人々はそんな未来を噂したのです。

 

そうして、とうとう、見滝原の軍隊は、瞬く間に富枝のお殿様が住む、お城を取り囲んでしまいました。

 

お城の中には、民達がいました。そう、彼らは戦から逃げてきたのです。怪我人でそこは一杯で、子供の泣きじゃくる声が、あちらこちらから聞こえてきました。町や村からは火の手が立ち上り、上から見下ろすと、黒い煙がところどころに空に向かっていく様子がわかりました。

 

軍隊の中から、平服せよ、という大きな声がします。その声の主は、軍の大将たる、見滝原のお殿様。人々はそこに目を向けて。次の瞬間には、悲鳴をあげました。

 

何故ならば、彼の顔が笑っていたのです。まるで、化け物のように。しかしそれは、ただの錯覚だったのかも知れません。実のところ、見滝原のお殿様は、そこまで民に興味がありませんでしたから。ですが、少なくとも、富枝の人々の目には、そう映りました。彼らは、予感していた最悪の結末が、今やってきたのだと、そう確信し、恐怖したのです。

 

ですが、その結末は訪れませんでした。その部分を、ある一人の少女が書き換えたのですから。

 

ふと、天から光が、上から下へと降り注がれました。雲がすっと払い除け、空が晴れ渡っていきます。煌々たる聖なる明かりは、下界を照らしました。城を、村を、人々を、軍を、富枝のすべてを。その輝きはーーー燃え盛る炎を消し、傷を瞬く間癒してしまいました。

 

人々はどよめき、その奇跡に驚嘆します。その中の一人が、窓に近づくと、見ろ、と突然叫びました。つられて、全員がそこに駆け寄り、その視線は上へと向かいます。

 

空に、一人の少女が、神々しいまでの輝きを浴びて浮かんでいました。裾の長い、白い白い着物と髪。それらが、空気に解けるように、ふわりと世界を撫でるように、たなびいています。美しい顔が、凛とした花のように引き締まると、彼女はゆっくりと両手をあげました。

 

すると、何ということでしょうか。軍が風にさらわれたかのように、跡形もなく姿が消えてしまったのです。本当に、この光景は、出来事は、何なのでしょうか。人々は信じられないものを見るように、少女を見ました。

 

そんな人々の考えが少女に伝わったのでしょうか。彼女はふっと笑うと、その身に炎を纏わせてると、黒い煙に包まれて。ドロドロと体を溶かしながら、一匹の赤い白猫の姿へと変化しました。

 

一声鳴いて、猫は天へとかけ登ります。そうして、雷雲を引き連れながら、去っていきました。あとに残った空の光は、地へと移るかのように、大地の隅々へと行き渡りますーーー恐らく、この光こそが、魔力。染み付いた濃厚な力ーーー辺り一面に、一瞬にして、花が咲だれ、植物が青々と生い茂りました。富枝の土地は、作物が育つだけの土地へと変わったのです。

 

さらに数日後。富枝に、ある知らせが届きました。なんと、見滝原に嵐がやってきて、壊滅していると言うのです。富枝も、資金があまりありませんし、両者共、もう戦争を続けられません。こうして、殺し合いは終わり、富枝は救われたのです。

 

しかし、それでも、富枝は別の脅威に晒されてしまいました。見滝原に潜伏していた賊がこちらにやってきて、悪さをするようになり、再び富枝に多くの血が流れたのです。

 

人々は、祈りました。あの奇跡がもう一度起きないか、と。戦争によって弱まった富枝は、もうそれに縋るしかありませんでした。起きなければ、富枝は滅びるだけです。

 

そうやって、幾日も幾日も、願いを捧げた人々の思いが届いたのでしょう。ある日突然、白い猫のように、空から二人の少女が降臨しました。彼女達は、金と銀、二つの龍に変化して、賊をあっという間に飲み込ん出しまいました。

 

そして、猫の使者たる龍のうち、金色の方が、このようなことに二度とならないように、人々に力を与えました。しかし、力に溺れるものが現れてしまいました。そんな者には、銀色の方が現れて、力を剥奪して、賊と同じように飲み込んでしまいました。

 

金と銀の二つの龍は、良きものには力を、悪しきものには罰を与えました。同様に、恵みをもたらし、不敬なものには貧しさをもたらし、生と死を自在に操りました。彼女達は、いわば世界の理、自然の精霊なのです。

 

二匹の龍は、今はお隠れになりました。しかし、その体は、まだこの地にある。あの白い猫の配下の龍を敬いましょう。従いましょう。

 

そうすれば、いつか必ず、貴方達は幸せになれるのですから。信じる者は、きっと、あの白い猫の恩恵をもらえます。

 

さすれば、この富枝に繁栄が約束されるでしょう。もしも、そうしなかった場合はーーーどうなるのでしょうかね。



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特訓スタート

「今の話が、この地に伝わっていた、本当の昔話…」

 

よくある話だなあ、というのが夏音の感想だった。特別面白くもなくつまらなくもない。ありふれて飽和しそうなほどある気がする。実際に似たような話を探せば、きっとどこかにあるだろう。神が人間を救い罰を与えるという筋書きは、結が言った通り一つの典型だ。

 

だがそれならば何故白い猫の部分が忘れ去られたりなどしたのだろう。彼女は話の中でも重要な立ち位置、二つの龍神の主人だ。龍神よりも崇められる立場であるにも関わらず、そんな簡単に関係性が消えたりするものなのか?

 

他にも何個か注目すべき点がある。それは昔話の内容が幾つか早島の歴史と合致している点だ。例えば見滝原と早島の戦争。これは今も跡が残っていて町唯一といっても過言じゃない観光スポットとなっている。まあ観光スポットとは、名ばかりなもので、あまり人が来ない場所だがそれでも地元民には有名だ。

 

夏音も一度行ったことがあり随所に立つ説明板にはこんなことが書いてあった。戦争が終わると同時に作物の生産力が倍加した。盗賊が早島に蔓延ったがいつの間にか消え失せた、と。

 

昔話は多くの事実を含んでいる。もしかしたらあの昔話は恐らく本当に起こったことなのかもしれない。だったら、あの神々の化身の少女はーーどうだろうか。

 

わからない。幾らほぼ原型を保っているとはいえ、伝説なのだから元から創作や誇張が紛れ込んでてもおかしくない。書き換えられる前の状態でも、嘘が混じっているかもしれない。故に少女の部分が完全なる空想の存在だったとしても、不思議ではない。

 

「僕がこの話を聞いたのは一年前。魔法少女になったあとだね。十六になったらこの話を聞かされるんだ。そうしてこの話を聞いた時、思った。まだ神はいるんじゃないか…、三柱の神は本当に存在するんじゃないかなって」

「何故そう思ったんですか?」

 

夏音はそう尋ねると、結ははっきりとした答えを口にした。

 

「なんか変な感じがして、本当にこの話が本当か調べるために色々やったんだ。そしたら早島の戦場跡地の遺体と土を魔力が検出されたから。でもその後の前の年代で採取された土とそこで死んで埋葬された一般人の死体には魔力が検出されなかった」

 

この結果は戦国時代に何かあって、魔力が残存しているということを明らかに示したものだ。ではその何かを起こしたという者は一体誰だろう。

 

昔話の一文にはこんなものがある。“あとに残った空の光は、地へと移るかのように、大地の隅々へと行き渡ります”。昔話は実話が混じっている。この一文も実話ならばこれが魔力が残存している原因そのものなのではないだろうかと結は推測した。

 

この原因を引き起こしたのは昔話の内容から見るに神だろう。原因が実際のものなら引き起こしたものも実際にいたということになる。つまり、神はーーこの世に本当に存在していた。神は架空ではなく現実の存在かもしれないのだ。

 

「僕は、あの時から神の存在を信じるようになった。でも、僕は早島の神が嫌いなんだ。信じなかったし、信じたくもない、くだらないものだった。それなのに、神を信じたなんて、馬鹿馬鹿しいとは思わない?」

「いえ家主さんを、私はそう思いませんよ。そんなのただ、考え方が変わった程度ですよ」

 

何気なくそう言う。それが結の琴線には触れないとは考えたからだ。実際にその言葉は結を怒らせたりなどはしなかった。だが結の中のなんらかの感情を刺激してしまったようだった。

 

結は苦笑した。こちらを困ったようなものとして認識していて、それでいてどこか仕方ないと、諦めているような雰囲気だった。それどころか若干申し訳なそうにも見えた気もしたし、微笑ましくしているようにも感じた。夏音としては自分の発言でどうしてそんな風に結がなっているのかわからなくて困っていた。

 

結はやっぱりよく理解できない顔をして口を開くと、

 

「考えが変わるってのは、大きなことだよ。君が思っているほど、ずっとね」

 

上へと視線を向けた。釣られて、夏音も結と同じように見上げる。

 

前方に濁った水が入った手水鉢。そして境内へと誘う石の階段と鳥居があった。

 

鳥居はなかなか大きなもので、普通の神社のものより二倍は大きそうだった。しかし赤い塗料は禿げてしまってところどころ石のザラザラとした表面が露出して、ヒビが入ってしまっている。しめ縄はボロボロで汚れているし、傾いた神額には何故か剣鉈が一本刺さっている。長い年月によりすっかり古びて、鳥居自身が本来の威容を忘れてしまったかのようだった。

 

夏音は己の身体全身に、何かの反応が走っているのを感じ取っていた。しかし夏音はこれがなんなのか知らない。断続的かと思うと消えてしまったり、突如やってきたりを繰り返している。一言では言い表せられない感覚だ。でももしかしたら、波のようだと表現するのが一番適当かもしれない。この感覚はそれによく似ている。

 

「なんか、変な感じがしませんか? 何かあると言いますか…」

「それ、魔力反応だよ。魔法少女は魔力を感じとれる。これ(・・)の魔力を感知したんだろうね」

 

結は神額の刃に目を移す。それから魔力が発せられているらしい。確かによくよく感覚を研ぎ澄ませば、そんな感じがしないでもなかった。

 

「この刃をあちこちに配置して残存魔力を利用して、それらを起点に結界を張っているんだ。目に見えないくらい薄くね。これで一般人からここを遠ざけているんだ」

 

言うと彼女は魔法少女の姿になる。そうして促すように夏音を見た。どうやら魔法少女に変身しろということらしい。もしかしたら結界内には魔法少女の格好でなければ入れないのかもしれない。

 

夏音は自分の魔法少女の服を思い返す。と、途端に恥ずかしくなって、変身するのを躊躇う。だがここは変身するしかないので夏音は内心嫌々ながらも黒い魔法少女服へと身を包んだ。

 

「………、ウワオ」

 

視線が下に注がれた。顔に、全ての熱が集まる。

 

やっぱり前垂れだけなんて、痴女の格好ではないか。この魔法少女服はかっこいい。我ながらかっこいい。あと、仮面もかっこいい。だが何故下はこんな風なのだろう。もう恥ずかしくて恥ずかしくて、今にも心臓が爆発してしまいそうだ。

 

「あー、うん。まあ、いちいち恥ずかしがってもしょうがないんじゃないかな!僕のも恥ずかしいものだし」

「………」

 

確かに、メイド服なのである意味恥ずかしいものであるが。

 

「それに…、なんていうの? ハニーなんとかってイケてるキャラそっくりの服だし、いいデザインじゃないかな?」

 

夏音は改めて服を見直す。言われてみれば、ハニーガールの服にそっくりな気がしないでもない。全身を見れば完全にハニーガールのコスプレのようになっているだろう。

 

それに素直に喜んでいいのやら、恥ずかしがっていいのやらよくわからない。

 

「じゃあ、気を取り直していこっかな。あ、足元気をつけて、滑りやすいから」

 

結は先に行き鳥居をくぐり上に伸びる階段を上がる。夏音も仮面を外すと彼女の後を追い結界の中に入って、石でできた階段を一段一段踏みしめる。

 

階段はでこぼこしてかなり急で歩きにくい。それでも結は慣れた様子で進んでいく。夏音もそれほど苦労はしない。魔法少女に変身したおかげで、全体的な身体能力は向上されている。そのため、このくらいでは体力は尽きることない。

 

夏音は自分の変化に戸惑いながら、高揚するような気分に包まれる。魔法少女の力をはっきりと僅かながらに実感し持っているものの大きさに興奮する。ちょっとした全能感があって、今ならば何でもできそうで気が大きくなったような気がした。

 

しかしだけどとそこでふと思う。それは自分の大切なものを代償に手に入れたものではないか?そんな力に喜んでどうするというのだろう。

 

そもそも夏音は何故魔法少女になったのか。勿論それは阿岡入理乃と船花サチのため。あんな結果が嫌でそれを覆すためだ。夏音は真実を知らなければならない。あの時願った奇跡は、無駄にできない。

 

でも二人から敵対する相手に見なされてしまった。特に入理乃は自分を相当憎んでいる。しかも何故か自分の意思に反して、体が勝手に動くことが度々起っている。確実に失敗するんじゃないないだろうか。それなのに彼女達と仲良くできるのかーー仲良くする必要あるのか?

 

だいたい一人になってまで、家族をなくしてしまうまで、別の自分の存在を消してしまうまで、魔法少女になる価値はない気がしてこない訳でもない。

 

どうして菊名夏音は一人にならなければならない。他人のために祈ったのにあんまりだ。二人さえいなければこんなのことにならなかったのに。あんな願いするんじゃなかった。

 

「………」

 

自分は、何を今更考えているのか。こんなこと思うべきじゃない。それどころか、許されることでもない。助けたい、仲良くなりたいと思ったのは、本当の気持ちだったはずだ。結の家にいた時は、あんなにもやる気があったのに、一日で不安がっても仕方ない。

 

もしも兄が自分の状況に置かれたらどうするんだろう。後悔なんてせず迷わず二人を助けて、仲良くなるのかなと思う。少なくともヘマなんてしなくて立派にやり遂げるはずだ。だったら自分もそれを目指すべきだ。だってーー

 

「ついたよ」

 

結の声にはっとなる。考え事をしている間、階段は終わったらしい。

 

いつの間にか石畳が敷かれた境内が広がっている。手入れされているらしくゴミはあまりないし草も生えていない。建物は木でできた社一つと休憩所らしきものが一つだが、整備できずにボロボロのまま。それぞれ屋根に鉈があり恐らく結界の起点にされているようだ。ぐるりと辺りを見ると、両脇からさらに二つ階段が伸びていて、恐らく上にも社があると思われた。

 

夏音と結は参道を歩き、ほぼ真ん中に移動する。結は前のを向いていた身体を右回転して、夏音と顔を合わせる。ホルスターから武器を取り出し、手でくるくる弄んでから鈍い尖った銀色をこちらに向け、結はにっこりと笑った。

 

「それじゃあ、特訓スタートだね」



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改めて

「では、まず、武器を出してください」

「は、はい」

 

出し方は、なんとなく分かっていた。二回目の変身を経た今、武器も同じ要領で出せば良いと、知識はないのに感覚的に理解出来てしまった。魔法少女の本能というやつが夏音にそう教えてくれたのだ。

 

夏音はせめてこんなものであったらいいな、と思う武器のイメージを紡ぐ。内に潜む魔力が赤い光となって現れて、渦を起こしながら細長く伸び、空想を現実へと変えていく。やがて手のひらに重さが伝わった。見ると、自分の手は血の如き色をしたハルバードを握っていた。

 

夏音がもっと良く見ようと僅かに動かすと、刃に光が反射する。鮮血を溶かした色が少し薄れて、白い斜線が入る。死を刈りとる斧と、生命を貫く槍が禍々しくもあったが、まるで装飾品の様な見た目をしているためか、とても美しく思えた。

 

斧槍を触る感触は慣れないはずなのに、何故か馴染んでいる。自由自在には扱えないけど、少なくとも振るったり攻撃したりといったことはできるはずだ。そう思うと、同時に少しだけ心臓が縮んだ気がした。

 

「おお、また物騒なものが出てきたなあ。僕からしてみれば、やはり刃物は、鉈に限るよねって感じだけど、嫌いじゃないよ、君の武器」

「あ、ありがとうございます。ブラットも、嬉しいと思います」

「え……、ブラット……?」

 

結が戸惑ったように、突然出てきた言葉を聞き返す。当たり前だが、ブラット、という単語が何を指しているのかわからないらしい。

 

ならば、ブラットが何か解説しなければいけないだろう。自分にしては良い名前をつけれたから、緊張するけど、さっきから言いたくて仕方がなかったのだ。今は、正しくそのチャンス。夏音はちょっと自信を出して、ハルバードを両手を突き出すことで見せた。

 

「これの名前です。血を吸う霊魂宿る輪廻の斧槍、ブラック・リンカネーション・オブ・ブラット。通称ブラット。かっこよくないですか!?」

 

興奮気味に言う。実はこの名前、以前に考えていたものだったりする。一年前、小説のキャラの武器の名をどうしようか悩んだ時、兄が一緒になってこの名前を考えてくれたのだ。結局小説は断念したけれど、ずっと気に入っていた。

 

「へ、へえー。意外だなあ、君そういうことするんだね。まあ、ポールウェポンで良かったよ。長いから、その分敵と距離が取れる。さらには、身が守りやすい」

「そういうものなんですか…」

 

武器には恵まれたということだろうか。考えてみれば、魔法少女の武器は博打みたいなものなのかもしれない。魔法は願いである程度方向は決まるけど、武器はそうじゃない。魔法少女になってからのお楽しみだ。

 

その点で言えば、よくわからない武器ではなくて良かった。でも、銃とか遠距離でも良かった気がする。接近する前に攻撃出来るのはとても魅力がある。

 

「うん。もっと欲を言えば、槍が一番扱いやすいから、それが良かったんだけど。四の五の言っても仕方ないか」

 

そう言うや否や。結は指揮者のように鉈を横に振った。と同時に、一瞬だけ、ズキ、と感覚が針のように背中を刺す。刹那的に恐怖が噴出して、身体は反射的に屈む。風邪を切る音が、ギリギリのタイミングで頭上を通り過ぎ、パシリと受け止められた。

 

「……!?」

 

今のは、一体なんだったのか。何かが自分を攻撃しようとしたのか?それも、突然?まさか彼女が?

 

恐る恐る上を見る。すると、ニヤニヤと結が、鉈の柄を逆手で持って、こちらを見下ろしている。相変わらず笑っていて、垂れた前髪で目元が見えない顔が、ぐにゃぐにゃ歪んで見える。

 

夏音はどこか、呆けた表情で尋ねた。

 

「い、いきなり何を……?」

「何って、僕、特訓スタートって言ったよね?」

 

では、今のは特訓の一環なのだろうか。しかし、何のためにそんなことをするのか。理由は一つしか考えられない。あれは、不意の攻撃で、避けられるかどうかのテストだったのだ。

 

「君、油断していたでしょ? かわしたのは褒めてあげるけど、常に警戒しないと駄目だよ?」

 

はっとして、後ろを見る。しかしもう遅い。横に動くために足を動かそうと思考する一歩前に、二本の飛来する刃物が、脇腹と足をかすめとる。

 

「ぐぁ………!!」

 

ずぎゃ、と嫌な音が肉と衣服を切り裂いてえぐる。血飛沫が舞って、視界が暗転。からん、と武器が手を離れて、体が前のめりになり倒れる。床に剣鉈が刺さって、目の前で露散していく。じん、とする痛みが広がり、夏音は思わずそこを押さえる。とてもじゃない激痛に、呼吸するのもままならず、涙が自然と出てきて、立てない。

 

「あら…、足に怪我しちゃったね」

 

結は夏音に手を向ける。何かされると思って身構えたものの、しかし攻撃はしてこない。それどころかどんどん痛みが引いていく。己の変化に戸惑う夏音は気になって手を離し、その部分を覗くとぎょっとした。

 

傷口から流れる鮮血が、立ち上るように、奇妙に動いている。蠢く動物のように地面から飛んで、血飛沫の形に(・・・)なりながら、夏音の体へと入っていく。そして、敗れた衣服と一緒に、傷口が薄くなっていき、瞬きもしないうちに元の通りになっていた。

 

まるで、動画のスローモーション。現実が、過去に置換されていくような、不思議かつ恐ろしい光景。ここまで登ってきた疲労感もいつの間にか少なくなっているし、汗も結構かいたのに、からりと乾いている。自分の体は、どうしてしまったのだろう。

 

「や、家主さん、今のは、なんの魔法なんですか?」

「僕の固有魔法だよ。僕が夏音ちゃんの体を元の状態にしたんだ」

 

結の固有魔法を使えば、四肢がたとえばらばらになろうが、心臓が引き抜かれようが、頭がなくなろうが。無理矢理身体を元に戻すことができる。下手したら、死んだものまで生き返らせることができる。

 

結曰く、あまりこの魔法が好きではないらしいけど、あらゆる面で助けられてきたのだという。結はこの魔法を持つことで、傷つくことが怖くなくなった。強烈な魔法が、感覚を狂わせ麻痺させてしまっているのかもしれない。

 

「今更だけど、特訓内容を説明するよ。方法は至ってシンプル。僕の攻撃から自分の身を守りながら、この上に逃げ切って。足を怪我したらアウトで、元の位置からやり直し。それまで治癒はしてあげない」

「そ、それが…、特訓…?」

「君も話し合いには参加しないといけない。何しろ、今回のきっかけは君と僕。でも、僕は君を守れないかもしれない。だから、夏音ちゃんはまず逃げ切ったり、死なないようにしないと。二人には、君は勝てないんだから」

 

結の、“勝てないんだから”、という言葉が、耳に入り込んだ瞬間。図星を付かれたように、嫌なものがはっきりと目の前で、見せられたような気がした。お腹の中にぐるぐるした思いが沈下し、広がっていく。

 

「勝てない…、そうだよね、勝てないよね…」

 

ああ、いつの間にか、思い上がっていた。本当にどうにかできるのか、という不安はあった。ここの登る途中でそれを考えた。だけど、夏音は自分が“二人に立ち向かう”ことを前提として、先のことを考えていた。

 

実際は失敗どころの話ではなかった。戦闘は避けれないのに、抵抗するだけの夏音は二人に手出しはできない。だから、失敗“さえ”できないのだ。敵に見られている? 体が勝手に動く? 戦えないくせに、よくほざいたものだ。

 

夏音は、自分が情けなく思えた。勝手に不安になって、そのくせ大事なことを見落としていたのが、とても恥ずかしい。馬鹿みたいに思えて、仕方がない。

 

夏音はどうすればいいのか、わからなくなった。このままでは、いや、このままでなくても、自分は二人に介入できないから、突っ立ていることしかできない。二人の先頭に、役立つことも何も無い。どこまでも、夏音はお荷物だ。

 

「不安になるくらいだったら、逃げ出してしまえば?」

「え…?」

 

驚きの声が上がる。喉から、そんなことなんて、出来るわけないじゃないか、という言葉が飛び出しそうになった。だが、それはできなかった。ちっぽけだけど、逃げ出してしまいたい、という思いがあったから。そこに結の発した音が響いて、仕方がない。

 

「……夏音ちゃん。僕は君達三人がどういう関係か知らない。君のこと、わからないけど、本当は二人から逃げ出してしまいたい訳じゃないんでしょう?」

「はい……」

 

頷く。弱々しく、肯定する。入理乃の考えどうり、二人が気になる。放棄するのが、躊躇われる。

 

「でも、逃げるのも手だと思うんだよね。あの子は、クレイジーだからね。危険だし。あの子が言ったのと、反対の行動をしてもいいんだから」

「そしたら、貴女に迷惑かかるんじゃないんですか?」

「別に?苦じゃない。その時は僕一人でも良い」

 

真顔で、当然のように言われる。そこから察するに、どうやら本気で言っているらしい。二人と対立するのは、“大変”でもなければ、“めんどくさい”訳でもないようだ。そんなことすれば、敵対関係はますます深くなり、互いに互いが、さらに傷つくのに。それは彼女の本意じゃないのに。

 

うずうずと手が動いているあたり、それはそれである意味“楽しそう”なのだろうか。本人は気づいているのか、いないのか分からないけれど。

 

「逃げるのって、別に悪いことばっかじゃあない。どうしようもないとき、全てのことを捨てて、身軽になる。そしたら楽になれる」

「……………」

「逆に、望まない逃走は、枷になる。後々まで後悔する。それでも死んじゃうよりはましじゃないかな。全てを失ったら、意味無いからね。本当に、“死んだら”無意味なんだよ」

 

結が、悲しそうな、やるせないような、怒っているような、“逃げたいような”、それらをごちゃ混ぜにした顔をした。夏音は、何故か結に同情のような念をもってしまった。と、同時に軽蔑や嫉妬の感情も。

 

ふと、結に鎖が絡みついて、自分にも同じようなものが絡みついているような、そんなものを思い浮かべる。

 

夏音は、鎖がどんどん体に絡みついているような気がした。鎖が、逃げるな、と言っているのが聞こえる。鉄の蛇が、鎌首あげて、歌い出す。

 

“死んだら”無意味。それは、他の人も一緒。“死んでしまう”結末は、嫌。何も残らない。残せない。死んだら、死んだら、死んだら、無意味。私は、貴女しかいない。皆死ぬから。だから、皆に死んで欲しくない。皆といたいから、助けたい。それにこの行為自体が、とてもーー

 

傲慢な考えが、夏音の中を無意識に支配していく。夏音は、それを自覚しながらも、同時に二人を助けたい、仲良くなりたいという気持ちが強くなったのを感じていた。どうせ逃げようとしたって、もうそれ自体できない気がする。だったら、やるべき事をしよう。何か、それで変わるかもしれないから。

 

夏音は武器を構える。自分の思いを感情を、吐き出す。

 

「私は、逃げません。特訓、お願いします!!」

「……、わかった。じゃあ、改めて、特訓スタートだね」

 

結の後ろに浮遊する鉈が生み出され、こちらに標準を定める。結の握る刃物が、項垂れるように下を向き一斉に飛びかかっていった。



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逃走と戦闘

グロ注意。見る人によっては不快になる表現があります


剣鉈が、体へと吸い込まれるように、飛んでくる。そのスピードはとても速く、普通では到底捉えることはできない。だけど夏音は、それらをはっきりとはいかずとも、捉えていた。

 

魔法少女は、人間の肉体を凌駕する運動神経を持っている。腕力、膂力といったものから、体力的な面を含め、戦闘に関する機関が、ほぼ強化されているからだ。そして、動体視力でさえも、それは例外ではない。動体視力がもし平時のものであったら、敵に対応出来ずにすぐに殺されてしまうだろう。そうならないためにも、魔法少女は他の運動機関同様に、無意識のうちに目に魔力を流す。

 

夏音も意識なくそれを行った。結果、鉈の動きが見えたのだ。そして見える分、体も動かすことができる。最初のような、反射的な動きではない、意識的な動きが可能となるのだ。

 

夏音は、足を動かそうとはせずに、手を動かした。握ったハルバードが、真正面で半円を描く。夏音に触れようと来る鉈と、行く手を阻もうとするハルバードの軌跡がぶつかり合い、打ち砕く金属音が響く。明後日の方に飛ばされた鉈らがくるくる回って、あちこちの床に刺さった。

 

結はそれを最小限の動きで交わしながらも、おっ、という顔で驚いたように、嬉しそうに見る。攻撃を弾き返すことは、何も特別なことではない。現実では、銃の玉を剣で防ぐといったことは、物理的に不可能なことだ。しかし魔法少女は、非現実的な存在。そんなアニメのようなことも容易にできる。

 

だがそれならば、回避だって同じことだ。このくらい、後ろならともかく前なのだから、避けることは十分できた速度だった。だが、夏音は回避ではなく、防御を選んだ。逃げるためには“自分の身を守る”必要がある。一度痛い目を見たためか、ちゃんと夏音はそれを頭に入れていたのだ。

 

「ふーん、それじゃあ、これはどうかな?」

 

そう言うと、結は警戒する夏音をよそに、楽しそうに、ポケットから取り出した瓶を取り出した。その中には、大量の人骨。蓋をとって、中身を鉈とともに、同時に前に落とす。

 

緑色に発光する、結の魔力が絡みついたそれらは、地面へと触れると溶けて、地中へと浸透していく。そうやって、土に含まれた残留魔力と結の魔力が結びついてーーー石畳を突き破り、無数の骨の手が、ぼこぼこ、大量に出現した。

 

「ヒィ!!」

 

まるで、ホラー映画に出てくる光景。人間の部位が植物のように生えているのは、おぞましい。しかも、わさわさ、カタカタと動いているのだから、尚更見ているだけで気持ち悪い。

 

僕の体(・・・)、結構頑丈だよ?さあ、逃げ切れるかな?」

 

新たな鉈を両手に生み出して、髪を抜きながら、左手を振るうと、一斉に骨の手が夏音へ伸びていく。無数の、何百といった手が、生者の命を消して、黄泉の国へ誘うように、夏音を掴もうとする。流石に夏音も、これには防御しようなどといった考えは浮かばない。叫び声を上げながら、逃げ惑う。

 

「アハハ、こっちも追加だよ?」

 

髪と一緒に右手の鉈を落とすと、爪の時同様に地面に溶ける。ボコリと、人間の五倍はありそうな骸骨の頭部が、走っている夏音の前に生えて、彼女を食おうと大きく口を開け、狭ってくる。夏音は悲鳴を上げながら、後ろから向かってくる手から逃れるために、咄嗟に大きくジャンプする。その足に、赤いオーラを纏わせながら。

 

どがあ、と骨の手と頭部が互いにぶつかり合い、弾けてバラバラになっていく音が聞こえたのも一瞬、視界が遥か上空を映し出す。ふわりと、体が浮く感覚がして、怖い。下を見ると、結が鉈を構え、空に浮かぶ六本の凶器を侍らせながら、笑っていた。

 

「そおれ」

 

歌うように指示をだされた鉈が、滑るように夏音の元へ飛ばされる。弾き飛ばした際よりも、幾分か速いスピードで飛ぶそれらを、夏音は、しかし“意識的に魔力を通して”、赤く目を輝かすと、それらを“はっきり”と視認する。

 

夏音はハルバード、ブラッドを力強く握りしめる。槍の部分に、ジャンプした時と同じように、赤いオーラが回りながら集まっていく。そうして、彼女は思い切り突き出し、放出。回転するオーラは散らせながら、鉈を吹き飛ばす。

 

菊名夏音は、地面に降り立つ。ハルバードを見ながら、自分がやったことに、驚愕しながら。結は考えるように顎に手を当てる。興味深そうに、夏音と同様にハルバードを見つめる。

 

「面白い武器だね。さっきの赤いのは何?どうやったの?」

「…ぶ、武器に魔力を通したら、赤いのが纏わりついたんです。好きなところに」

「その武器に流した魔力がオーラになって、任意の場所に現れたってことか」

 

つまりそれが、夏音のハルバードの能力ということだろう。決して、固有魔法の類ではない、いわば武器固有の能力。流した魔力を操つり、それをオーラなどといった形で、具現化させる。ただ単純にそれだけで、決して万能ではない能力だ。だが、汎用性はありそうだ。

 

「色々使えそうです。ああ、そうか。こうすればいいんだ」

 

なんとなく、どう戦闘すれば良いのか、分かってきた気がする。夏音は再び武器にありったけの魔力を込める。それに比例するように、ハルバードが光り輝く。

 

結はじっと、ハルバードを眺める。その魔力が如何程か、計っているのだろう。そうして、ふとニヤリと不敵に笑った。粉々に砕けた骨の手を拾いながら、鉈と接触させながら言った。

 

「よし、次はこれだよ!!」

 

鉈と骨が、融合していく。状態が変化し、骨が伸びて湾曲する。そうして気がついた時には、それは錨になっていた。結は、錨をぶんぶん降るって、調子を確かめる。ブオンと空気が鳴って、こちらに軽そうな感じとして伝わってくる。

 

夏音が驚いたように呟く。この武器、明らかに骨で構成されて、如何にも禍々しいが、どこかで見たことある。このデザイン、この形状、どう見てもーーー

 

「船花の武器…」

「あ、二人の武器知っているの? 戦ってないのに、どうやって知ったのかな?」

 

目を細め、結は探るように目を覗き込んでくる。ぎくっとして、夏音は慌てて、たまたまだと言う。まだまだ本当のことを言う訳にはいかない。夏音は、結を信用していないのだ。真実を伝えるほど、気を許すつもりも、親しくするつもりもない。

 

それにしても、何故錨を創り出したりなんかしたんだろう。今まで通りの戦い方で、自分を攻めればいいのに、どうしてそんなことをするのか。

 

と、そこではっとする。言うまでもなく、これは特訓である。内容は、この境内の上に逃げること。“船花サチと阿岡入理乃から逃げる練習”である。であるのならばーーー二人の攻撃を再現しなければ意味などない。この錨はそのために、創り出したのだ。

 

よく思い出してみれば、鉈を飛ばす攻撃は、鉄塔の魔女の時に見た入理乃の攻撃に似ている。硬化した紙と、鉈という違いはあるが、飛ばして攻撃する点は同じだ。となれば、あの手や骨の頭も、模倣の可能性が高いのかもしれない。

 

……なんとなくそれを想像し、ちょっと嫌な気持ちになる。骨の手がわさわさ動くシーンを思い出すと、吐きそうになるくらいゾッとした。

 

「それじゃあ、いくよ」

 

骨の錨を振り上げ、夏音に結は接近する。それは、鉈の攻撃よりも遅い速度で行われた。だから、結の錨を夏音はハルバードを簡単に、横で受け止めることができた。

 

「う、うぐ………!!」

 

しかし、予想に反して重い。カタカタ手が震えて、その質量を支えるだけで、足が地面にめり込んでゆく。入れようにも、上手く力が入らない。筋肉一本一本が、叫んで限界が近いことを知らせてくる。結がさらに力を込めると、アラーム音が酷くなった。

 

「ほら、どうするの?」

 

結が煽るように言ってくる。それにイラつきながらも、確かにこの状況をどうにかしなければ、と思う。ぱっと、武器の能力をついて考えていた時に思い付いたことが、閃光のように、頭に駆け巡る。

 

「や、やああああああ!!!」

 

ばあん、と腕に魔力を纏わせ、武器を押す力をブーストする。思ったよりもきいたようで、結が後ろめりになる。その隙に、夏音は後ろに大きく飛び、再度斧槍に魔力を流す。

 

「まだまだ!!」

 

体制を立て直した結は、錨を突き出し、だんと、右足を踏み出す。彼女の元来の運動能力、さらに倍加され、強化された膂力が合わさって、爆発的な瞬発力を生み出し、結の体を押し出す。

 

「ーーー!!?」

 

夏音は突然のことに、目を見開く。それでも、反射的に体は動くようになってきた。夏音の足がオーラを纏い、右へ反らせる。びゅおん、と僅かすれすれのところを、錨が通った。

 

夏音は、冷や汗を書きながらも、さらに後ろに大きく飛ぶ。しっかりとその手の武器に、悟らせないように、慎重に魔力を流す。流し続ける。攻撃を避けながら、飛び続ける。できるだけ、後ろへ後ろへ。

 

攻撃はしない。防御もしない。錨の攻撃は重いから、抑えるのは難しく、魔力を消費しかねない。それは困る。一撃が重くても、動きは遅いから、よく見て避ける。そして、後ろに後退する。徐々に。

 

やがて、夏音は敷地内の隅に追い詰められる。夏音は緊張しながらも、魔力を通し続ける。結は行き場のない夏音に対して、頑張ったけど、残念という顔で笑ったままで、無言で錨で足を狙う。

 

だが、それは夏音の計画通り。正直、こんなことに引っかかるのか心配だった。だが相手は、今自分に対して油断している。だから、自分にはもう後がない、そう思ってくれた。ここでまたやり直しだと気が緩んで、隙が生まれてくれた。

 

鮮血の魔力が足を包む。錨が斜め上から弧をつくったその前に、夏音の体は上に飛び、武器を構えたと同時にずどんと、錨の爪が地面にめり込む。

 

結が驚愕したように、空にいる夏音を見たが、豊富な戦闘経験を積んでいるだけあって、すぐに切り替えて、鉈を幾多も発射する。だが、それも予想していたことだ。ぐるりとハルバードを回転させて弾いた。

 

夏音は落ちていくのを感じながら、階段に武器を向けた。ハルバードを握りしめ、その武器を大きくして、長く長く伸ばしてーーー結がいる隅から見て、真正面、近くもなく、遠くもない、右の階段に突き刺す。そして、一気にハルバードを元の長さに戻す。

 

「え!?」

 

柄が短くなる勢いで、夏音はすざましい速さで、階段に引っ張られる。奇想天外な動きに、呆気に取られた結が視界に一瞬だけいれると、風を受けながら、夏音はしっかりと迫り来る石の階段を見据え、足のオーラが集わせる。

 

だん、と着地したと同時に、武器を抜きながら、もう一方の足を突き出し、身体を前へ前へ進ませる。慌てて結も、錨を持って駆け出すも、距離が離れて、しかも重い武器では、流石に素のスピードでは追いつかない。

 

長い階段を二段飛ばし走る夏音は、一陣の疾風になって上の境内へ向かう。武器を通して貯めた魔力が、夏音をバネのように押し出す力をくれる。

 

「うあああああ!!!」

 

残り十段を、魔力を放出する勢いで飛び上がる。夢中だったせいか、訳がわからないくらい、声がでる。そうして、足が石畳踏みしめる。ブーツが、カツン、カツンと、二回なって勢いが減速し、夏音は立ち止まる。

 

目を開くとそこは、三つの社がある境内だった。さらに上にも境内があるようで、右端に坂が伸びていて、左手を見ると、後ろと同じように下り階段がある。つまり、夏音は無事に上に上がり切ったのだ。

 

「や、やった……!」

「おめでとう、夏音ちゃん」

 

喜ぶ夏音の背後から、結が声をかけてくる。振り返ると、彼女はにこやかに笑っていて、夏音と同じ場所にくると、

 

「じゃあ、さっきの特訓の続きしようか」

「え、さっきの特訓内容はあれだけなんじゃ……?」

「ごめん、言い忘れてた。実は一番上につくまで、これ繰り返すんだよ」

 

夏音の顔が、真っ青になる。結が実に良い笑顔で、骨の錨を手に目を細める。

 

その後から、夏音は記憶を保持していない。ただ、昼になった時には、立てないほどぐったりしていたのだった。



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諦観

富枝神社跡地は、四つの境内を、それぞれ階段で結んでいる構造をしている。四番目は広実一族の先祖で、三番目は銀島龍であり、二番目は金早龍。一番は玉枝を祀っている。

 

その二番目の境内にて、二人の魔法少女は変身を解いて、社の階段に腰をかけ、食事をしていた。

 

食べているのは、コンビニで買ったおにぎりなどの軽食。もちろん、夏音はお金を持っていないため、払ったのは結である。

 

彼女は実家からある程度仕送りされているようで、お金には困ったことはないようだ。バイトをしていたこともあるが、それも一時的なことであり、今は勉学と魔法少女の方に専念しているらしい。

 

結は一族であっても、ある意味半分そこから抜け出しつつある。少なくとも、結は自立を望んでいるし、将来は転々と旅をするつもりだ。では、何故勉学に精を出しているかと言うと、一人暮らしを続けるためである。従順なふりをすることで、優等生と見なされ、わがままを聞いてもらえた、という経緯があるため、そのイメージを保ち続けなければならないのだ。

 

結は、大変だよ全く、などと言いながら、前の話に戻る。その前の話とは、この神社についてのことである。夏音はボロボロの跡地が何故できたのか興味があったため、質問したのだ。

 

「それでね、ここは僕も存在しか知らなかったんだ。ほとんど皆知らなかった。神社に関わるくせにね」

 

広実一族は龍神信仰の系列の神社管理をしている。重要な場所は東家などの家が、小さなものは、伊尾家などの比較的身分が高くない家が管理している。そして、この神社は本来、東家が管理しなければいけない神社だった。

 

しかし、手が回らなくなってしまった。一族は、年々人数が少なくなっていた。断絶する家は数えしれず、しかしそれでも“ある習慣を続けた”彼らは、いらない神社を捨て始めた。大していらない神社を取り潰し、放棄した。

 

富枝神社も、そうやって忘れさられたらしい。富枝神社は、実は複数あるらしく、ここは最も信者が来なかった場所。御神体を移動させたあと、当然、管理されなくなった。

 

結がここの場所を発見したのも、単に魔女が周辺にいたからだ。それで結は神社跡地に魔女の結界を縫いとめ、育てていたのだが、あの二人にバレて激しい奪い合いになった。

結局魔女はサチに倒され、グリーフシードは手に入らず、罠もそのままだが、その後ここは、結の拠点とも言うべきところになった。残存魔力があるため、それを利用して、様々なことができるのは、たくさんの利点があったのだ。

 

当時のことを語りながら、結はふっと笑みを零してしまったらしい。次には、ちょっと恥ずかしげに苦笑をして、なんとも、明るく言った。

 

「いやあ、懐かしいね。楽しくもあったし、何も悩まなかった。一直線に、振り向かず、ただ目の前しか見えなかったよ。あの頃は、本当に幸せだった」

 

夏音は微妙な顔をする。幸せ、と言った意味が、測りかねたからだ。対立関係を二人と築いて、何故楽しいのだろう。二人は邪魔なはずだし、争いたくないのならば、当然嬉しくもないし、愉快にもなりはしない。

 

それに、だった、なんて、過去形ではないか。つまり今は、不幸であると言うのか?現状が不満であるのに、変えようともしないのか?いや、むしろできないというのか?それは何故?

 

彼女はこのことが心苦しいと、入理乃が言ったように、それは本当のことだと思うが、だが幸せで楽しかったのなら、後悔する必要なんてない。何かあったのか、それとも、やはり自分の行いがいけないものと反省したのか、そのどちらかだろう。

 

だったら、やはりその過去を綺麗さっぱり、消したいなどとは思わないんだろうか?払拭したいと思わないのだろうか?

 

何か、確かめなければいけない気がした。逆行した者として、不幸な結果に絶望した魔法少女として、同じことを目の前の少女が思ったのかと考えると、気が気ではなかった。怖いが、それでも聞きたい。この人に、自分と合致する部分を見つけ出し、少しでも安心したい。

 

夏音は、内に秘めるべき疑問を言葉にして紡ぐ。菊名夏音は、広実結に質問する。

 

「あの頃に戻りたい、と思いますか?やり直したいとは、思わないんですか?」

 

一瞬だけ、結は面食らったように、固まった。眉を潜め、口は一文字になり、視線があっちこっちに移動する。完全に、しかめっ面だ。こちらに答えようとしない。驚き、というよりも、戸惑いや動揺といった感情が、そうさせたように見える。

 

夏音は途端、申し訳なくなった。好奇心の天秤に、その重りが乗った。しかし、それで片方の重りが上がることはなかった。

 

「僕は……、戻りたくない。やり直したいとか、そんなの烏滸がましい」

 

やがて、しばらくして、結はふと空気に混じってしまいそうな、小さな声で、息を吐くように呟く。だが、はっきりと明確に、再度、己の思いを吐露し、繰り返す。

 

「戻りたくない。やり直したいとか、思えない。しょうがないよ、やり直したところで、また同じになる。所詮、僕はーーーいや、なんでもないや」

 

続きに注目していた夏音の期待を裏切り、結は滑りかけた口を防いだ。馬鹿なことを言いかけた、とばかりに、結は謝る。だが、それを言うならば、馬鹿なことを言ったのはこちらであるため、夏音も謝罪する。相手の気持ちに不用心に踏み込むのは、無礼なことだ。罪悪感が、心に注がれていく。

 

無論、夏音は少しがっかりしていた。知らない人物のことをもっと知るチャンスだったのに、と残念がった。まあ、探りをいれるなんて、まだ早すぎたのかもしれない。

 

結は、そんな風に思っている夏音を、無表情で眺めていたが、奇妙で、不気味で、それでいて、何事もなかったように、素早く面に出す感情が入れ替わった。まるで仮面を交換したように、のっぺりと、結は笑う。やはり、夏音はそれにぞくりとした感覚を感じるが、差し出された手に持たされた物を受け取る。

 

「…グリーフシード、それに三つも?いいんですか?」

「良いんだよ。僕のを浄化した後で、二つはあと一回しか使えないしね。あ、魔力どのくらい残ってる?」

 

夏音はグリーフシードを見る。確かに三つのうち二つ、少し濁っていた。結の言った通り、穢れを吸い込んだのだろう。ともかく、夏音は自分のソウルジェムを卵型にし、結も確認できるように見せた。すると、既にほとんどが真っ黒になっていた。

 

「うわ、真っ黒!体きつくなったり、不調になったりしなかったの?」

「? 全然大丈夫です」

「そう…? と、とにかく、早く浄化しなよ!大変なことになるよ!?」

 

ぐい、と結は迫りながら、普段の笑い顔を外し、怒り半分、焦り半分を込めたように怒鳴る。あまりにも迫真な勢いで、必死な様子だ。本当に、自分が“死んでしまうかのような”、それをなんとか止めようという気迫が伝わってくる。

 

促されるように、夏音は言われるがまま宝石に卵を当てる。黒々としたもやが乗り移るように、ソウルジェムから離れて、グリーフシードに移る。

 

「夏音ちゃん、ちゃんとこういうのは伝えなきゃ駄目だよ!? 何考えてんの!?どうして伝えなかったの!?」

「それは……」

 

濁りきっても、なんともないから?大体、そんなのどうでもいい。ソウルジェムが黒くなったとしても、関係ない。自分には、支障なんてない。魔力がなくなろうが、なんだろうが、どうにかできる。

 

「………?」

 

……あれ、と思う。こんなこと、自分は考えていたはずがない。伝えなかったのは、グリーフシードを特訓以外の理由でせびるのが、言いずらかったからだ。それに濁っていた、ということは魔力を使った、ということになるから、余計な詮索されるのではないかと懸念したためだ。どうせグリーフシードが手に入るのだから、その時に浄化しようと思ってーーー

 

「とにかく!!」

「は、はい!!」

「ソウルジェムは定期的に浄化することが重要なんだから!!分かった!?」

「はい!!」

 

敬礼して答える。それに、困ったように、腕を組んで溜息をつくと、満足気に笑って、結は魔法少女に変身する。首を傾げる夏音をよそに、結は言う。

 

「ごめん、ちょっと私用があるから席離すね?君も、一人でしたいって言ってたしね、特訓」

「はい。…あの、すいませんでした。それと…、ありがとうございます。心配してくれて」

 

ぺこり、と頭を下げる。結は驚いたように、口を開けたが、照れ笑いして頬を人差し指でかいた。

 

「いや、心配するのは当然だよ。…うん、特訓頑張ってね」

 

結はそう言って、背を向けて遠ざかり、階段を登っていく。それを見届けてから、夏音は魔法少女に変身した。ハルバードを出し、くるりと回す。

 

「よし…」

 

夏音は魔法の特訓を始める。その魔法が、どんなものかのか、見定めるために。それをどう使えばいいのか、思案するために。

 

 

◆◇◆◇

 

 

「結」

 

ぴょこんと何かが、社の屋根にいる結のそばに現れた。しかし、それでも結はそちらを見ず、魔力で強化した望遠鏡で、下を見て夏音の様子を監視する。

 

結にはそいつが近くに来ただけで分かった。自分の名を呼んだ者の正体が。それは、純白の体毛を生やした、小さく四足歩行の生物。人の言葉を喋る、不思議な存在、キュゥべえだ。

 

「夏音に黙って盗み見みかい?」

「しょうがないじゃん。彼女の魔法を知ってた方が得でしょ?」

 

夏音は自分の魔法を隠したがってる、ということは様子を見ていれば分かる。しかし、こちらはそういう訳にもいかないのだ。彼女の魔法を把握しておかないと、いざという時対処できないし、守れない。結は夏音が大切なのだ。結は夏音をそばに置いておきたい。ずっと、ずっと、永久に。

 

キュゥべえは結の肩に登ると、尻尾を振る。ゆさゆさ揺れる尻尾が髪にあたって鬱陶しい。しかし、今はどうでもいい。それより、夏音の様子に集中するべきだ。

 

「結。キミは相変わらず、狂っている」

「どうもありがとうございます。僕は狂っていますよ」

「こんなこと、無駄以外のなんでもない。菊名夏音は、広実結の求めに応じないと思うよ?」

 

そうだろうね、と結は同意する。結局、夏音は自分の気持ちに答えてくれないのかもしれない。わがままを押し通すのも、無理がある。

 

結自身、愚かだと思う。だって理由が身勝手なんだから。でも、そうせずにはいられない。孤独でもいい、誰にも理解されなくていい。ただ、誰か自分のところにいて、自分を見て欲しい。

 

彼女は、自分を見てくれる。何故なら、部外者だから。広実一族じゃないから。色眼鏡をかけずに、そのままの姿を理解してくれる。

 

「それで、用事があるの?」

「いいや。ただ結達の様子が気になってね」

 

なんでもないように、キュゥべえは可愛らしい高い声で言う。酷く耳障りが悪い声に、結は警戒する。絶対、何か企んでいる。すぐにでも追い返したい。

 

…いや、待て。むしろちょうど良かった。ずっと、気になっていたことが、これで聞けるではないか。結はほくそ笑みながら、そう考えてキュゥべえに問いかける。

 

「ねえ、キュゥべえ。夏音ちゃんの正体って何?」

 

双眼鏡のガラス越しで、少女が魔法を発動させているのを見ながら、メイドの魔法少女は問いかける。菊名夏音が何者なのか、実は結の望みとは全く関係ない。だけど、気になる。好奇心のみで、結は夏音のことが知りたかった。

 

「彼女の正体はねーー」

 

こうして、結は夏音のことを知る。夏音が未来の人間であることを、夏音が時間を巡り、ここに辿り着いたことを。

 

「……………そっか」

 

全てを聞いて、思ったことはただ一つだった。

 

「立派だなあ」

 

彼女は、やり直せる。そうならば、役に立ちたいな、と。純粋に、そう思った。



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邂逅

少し長めです

※間違いがあったので修正しました。正しくは五日ではなく、四日でした。


普通よりも大きな、しかし質素なつくりの日本家屋。その隅の自室は、暗い闇に包まれ、赤い三日月の月明かりだけが、唯一の光源だった。

 

そんな静かな部屋の中、ふっと、蛍にも似た緑の光が浮かび上がる。照らし出された彼女の姿は、私服ではなく魔法少女の装束。コンプレックスから選ばれた、メイド服の格好は、少しも似合ってなどいない。ちぐはぐすぎて、気持ち悪いぐらいだ。

 

彼女は一瞬だけ迷ったように、耐えきれず泣きそうな顔をしたが、意を決したように、机に置いてあるお守りを握ると、畳の上に載せる。

 

このお守りは、自身の髪の一部を入れ、互いに交換する、という伝統的なお守りだ。親愛を込め、安全祈願をするためのもので、彼女は従姉妹達とそれを交換していた。いじめが始まって、従姉妹の一人が引きこもり、ついには死ぬ半年前に。魔法少女になる前に。

 

これには、その従姉妹の一人の髪が入れられている。つまり、従姉妹の体の一部が入ってる。ならば、理論上は戻せるはずなのだ。分離した髪を元に、従姉妹の肉体を生み出せるはずなのだ。

 

彼女は、自分でも思うほど、馬鹿馬鹿しい考えを抱いていた。死んでしまった従姉妹を、こんなことをしてでも、生き返らせたい。もう一度、その顔がみたい。

 

だが、大体そんなことができるわけがない。自分の魔法がいくら凄かろうと、ありえない。人一人の肉体を丸ごと生み出すなんて、神の御業以外、あるものか。

 

でも、認められない。従姉妹が死んだなど、認めるわけにはいかないのだ。自分を見てくれたあの子。姉と慕ったあの子は、宝だ。無くしたなら、それを取り戻してあげないといけない。

 

彼女はお守りの従姉妹の髪に、魔力を送り込む。変化はすぐに現れた。まるでコマ送りのように、ひと房の髪が、一瞬にして長く伸び、先から頭の皮膚を構成。さらに顔を復元し、首の骨を筋肉などが覆い、四肢が出来上がって、徐々に分離した前の状態、従姉妹の体になっていく。

 

呆けて、彼女はその様子を見ていた。やがて、顔を覆って、うわ言みたいに、呟く。涙腺が熱くなった気がする。自然と笑みが零れ、歓喜で息が震える。

 

「………、あの子だ。あの子がここにいる…」

 

彼女はかるく魔法で刺激してやって、全裸の従姉妹の目を覚まさせる。すると、ぱちぱち、目が閉じた。胸に耳を当てると、どくどく、心臓の音を感じる。命を確かに感じる。

 

「……信じられない」

 

今は、夢か、幻か。恐らくその両方だ。彼女はその時、そう思った。自分は、甘い甘い、理想の世界を見ているのではないかと。

 

「……信じていいのかな?」

 

その体は、からっぽになり、消滅したはずだった。それが、どういうことだろう。体は完全に元通りなっていた。手足、心臓、腸に肺に血管に、脳髄。それらがちゃんと揃って、一つの体として、目の前にいる。

 

「ねえ」

「………………」

「ねえってば…」

 

だが、何故だろう。反応はなく、抱き寄せても、自ら動くことはなかった。その従姉妹の目は虚ろである。何もない、というか、“存在していない”というか、まるでぬいぐるみみたいだ。しかも綿がなくって、萎んでしまったものにそっくりだ。

 

それを理解したのは、一時間たった後。声が枯れたあとである。

 

彼女は愕然とした思いで、従姉妹を見た。無表情な顔が、とても無機質。暖かなものが、途端に冷たいものに変貌した様に感じられる。月の光が、雲に影っていく。

 

……良く考えてみれば、分かることだった。これは、意思なんてない、ただの肉塊。魂はとっくにないのだから、心なんてあるわけない。従姉妹は確かに生き返ったのかもしれない。だが、肉体しかないのだ。

 

絶対、帰っては来ない。帰ってこない、だから、何も言えない。彼女に対して、何も。

 

「ーーーそうやって、安心しないでよ。馬鹿お姉ちゃん」

 

幻聴か、幻覚か。突然、抱き抱えた人形の顔が、ぐりんとこちらを向いた。閉じた目が瞬く。炎にも似た輝きが、月が隠された部屋の中で、ボッと二つ点て、彼女を凝視する。射抜かれ、思わずどくんと心臓が飛び跳ねる。

 

「………!?」

 

驚いたあまり、固まった。従姉妹の体が、勝手に起き上がって離れ、手の中が軽くなる。しかし、重みがこびりついたように感じられてしまう。

 

従姉妹はローブの姿に変身すると、彼女に相対する。その表情は、まったくと言っていいほどに闇夜で見えない。

 

不気味とは思わなかった。奇妙だとは思わなかった。ただ、恐怖があった。あんなにも、会いたいと思っていたのに、何でだろう。とても、とてもーーー

 

「……どうして?」

 

従姉妹は、低い声で尋ねる。ぎん、と双眼の火が燃え上がる。憎々しげに。怒りを従姉妹は纏い、全身に震えを出している。彼女が、ゆるゆる首を振るのも構わず、従姉妹は激情のまま怒鳴り、怨嗟を吐き出す。

 

「どうして、私はこんな目に合う!!!どうして役目を果たそうとしない!!!私はこんななのに!!お前は本家の人間だろうが!!」

「…ごめん」

 

彼女は涙を流す。

 

ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめん。

 

謝る。

 

すいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいません。

 

頭が真っ白になっていく。

 

ごめんごめんごめん、すいませんすいませんすいませんすいません。

 

謝罪で、埋め尽くされる。

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

……そして、そこからハサミを脳髄にいれたみたいに、ちょっきんと、切られて。

 

モウナニモオモイダセナイ。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

「ーーー!?」

 

あまりの悪夢に、目が強制的に覚まされる。汗だくになって、シャツが体に張り付いている。鼓動が、早く波打って、毛が逆立っていた。不愉快な頭痛と寝ぼけに、船花サチは顔をしかめる。

 

ガタガタ揺れる感覚がする。縦長の空間には、そこまで多くない座席が、列をつくっている。サチはその最後列の、一番広い座席にいて、他に座っているのは、三席前にいる黒い服を来た少女のみ。両端の窓から、バスの車体の赤いラインが見える。

 

最近、夜更かしもしていたから、眠ってしまったのだろう。しかも恥ずかしいことに、だらしなく奥の席で横になっていた。誰もいないからいいものの、この年でこんなことをするなんて、と一応反省する。深呼吸してから、サチは起こして、ため息を吐き出す。

 

スマホで時間を確認すると、三時十八分だった。そしてその上には、十月九日と表示されていた。そういえば、今日は本来は平日だった。テロの予告のせいで休みになったおかげであるが、そんなことあるのか、と思ってしまう。

 

「後、四日か…」

 

夏音とかいう知らない魔法少女。そいつのせいで、結が出てきて、入理乃がおかしい様子を見せて、結局話し合いをすることになってしまった。とんでもなくややこしい状況だ。それもこれも、夏音のせいだ。

 

むしゃくしゃして、サチは舌打ちをする。髪の毛を衝動的にぐちゃぐちゃに掻きたくなる。一体どうなるのだ、この早島は。今の状態でも苦しいというのに、縄張りがまた小さくなるのか。

 

サチ達はグリーフシードが必要だ。魔女との戦闘などですぐに消耗するし、そうなると、ますます魔女と戦いずらくなる。魔女を狩れなくなると、大勢の人は死に、早島は滅びてしまう。大切な養父がしんでしまい、思い出がなくなる。

 

でも、そのためには使い魔を放置して魔女にして、グリーフシードにして、使い切ったら、それも放置しておかなければならない。人を犠牲にして、人を救う。人を食わせる化け物を育てて、化け物を殺す。そうするしかない。

 

「……しょうがないんだけど、なあ。どうにもなんねえし」

 

でも、入理乃は何故わざわざグリーフシードを集めろ、なんて言ったんだろうか。彼女は二人を排除するために、グリーフシードが必要だと主張したが、そしていざという時のためにも従い、今移動しているが、そうしてどうするのか。皆目検討がつかない。

 

このまま言う事を聞いていて大丈夫なのだろうか。入理乃を信用してはいるけど、でも良からぬことをしたらどうしようか。彼女が何しでかすかわからないし、大体連絡しても出てくれない。家にもいないし、どこで何をしているん

だろう。

 

「……、この船花様を無視しやがって。くそったれの入理乃め。同じ魔法少女の仲間なのに」

 

思わず、溜息がでる。まったく、入理乃には困ったものだ。こういうところが入理乃にはある。自分の方が優れている。自分の方が賢い。それを理解しているから、全部自らやる。その方が早くて効率がいいと、入理乃は多分思っている。今までそうだったから、そうするのが一番だと信じているのかもしれない。

 

実質、今までそうだった。入理乃に任せておけば、大抵上手くいくのだ。それに感心し、同時にすごいと尊敬もした。言うことも自然と聞くようになりもしたし、気弱な態度のくせに、なんて思っていた彼女を見直したりもした。

 

だが、嫌な予感がする。夏音が、全てを壊すきっかけに、いや、全てを消してしまう、きっかけにしか思えない。今回ばかりは、上手くいくとは限らない。結の時も手こずったことを考えるに、しくじる可能性も捨てれない。

 

「………ちっ。ふざけんなよ」

「ねえ、どうしたの?」

 

幾度目かの舌打ちをした丁度その時、声をかけられた。イラつきながら、誰かと見ると、三列前に座っていた少女が立っていた。

 

ふと、サチははっと目を見開く。見知った顔が、目の前にいる。死んでしまった魔法少女、そしてかつて縄張りを奪い合った魔法少女。そのどちらにも瓜二つの顔を、少女は持っていた。

 

「……顔に何かついてる?」

「いえ…、別に」

 

血縁者だろうか、と思いながらも、改めて少女を見て、その服装に引く。眠っている間に来て、背を向けていたので気づかなかったが、少女の服はこちらが恥ずかしくなるぐらい、ふんだんにフリルがあしらわれた、漆黒のワンピースだ。薄い髪を高く縛るリボンも、カチューシャも、同様にフリルがたくさんある。派手派手しいし、ゴテゴテしているし、普通の服じゃない。

 

よくこんな格好ができるなあ、と心の中で嘲笑しながらも、サチは愛想よく笑う。どうでもいいやつには、本質は見せない主義であるサチは、お俊哉かなお嬢様のように、問いに返した。

 

「何もありませんよ?」

「そんなこと言われてもさあ、さっきからブツブツ独り言言ったりして、うるさいんだよ。あたし、気になって仕方ないよ」

「ぐ…、それでも、関係ないことです。貴女には」

「いいや、関係あるね」

 

訝しげに、サチはぴくりと眉を動かす。少女はそんな反応が面白いのか、意味深に微笑みを称えてから、言う。

 

「“魔法少女”、なんでしょ?」

「!? 」

 

サチはばっと立ち上がる。どうして、そんなことを知っているのだ?さっき独り言でそうは言ったが、それをおかしなことと思う様子もなく、からかう様子もなく、平然と自分のことを魔法少女と言えるのだ?

 

「お、お前一体なんなんだ!? 魔法少女のことを知っているのか!?」

「知っているよ?キュゥべえに勧誘されたから。断ったけど」

「キュゥべえから!?」

「うん。それに、従姉妹の結が魔法少女ってことも知っている」

 

やはり血縁者だったらしい。言われてみれば納得いく。顔も言わずがなだが、あまり濃くない色合いの髪も、瞳の色も、よく似ている。…いや、似すぎだ。本当に、何なのだろうか、一体?

 

「……ていうことは、従姉妹の…ミズハのことも?」

「知っている。魔法少女だったこと。魔女と戦えなかったけど、でも魔法を抑えることに成功して、結果的に結界で死んじゃったんだよね?」

「まあね…」

 

入理乃からは、そう聞いた。いきなりだったから、驚いたことが、今でも鮮明に覚えている。ミズハとサチはあまり話さず、親しくなかったが、入理乃は仲良くしていたのもあって、ショックだったらしい。

 

口調を変え、髪型を変え、性格もさらに暗くなった。お墓を結界の基点の上に秘密裏に建てて、密かに花を送っていたのもこっそり見た。ちなみに、サチも時々お供え物を置くが、来る度にきちんと掃除しているあたり、入理乃は欠かさず手入れをしているのだろう。

 

入理乃でさえそうなのだから、この少女だってショックを受けているはずだ。暗い表情から見るに、それは間違いないだろう。ちょっと気まずいなとか、ちょっと何を話したらいいのかとか、ちょっとこの雰囲気どうしようかとか、思いながら、サチは話題を変えようと、粗雑な態度で名前を聞いた。

 

「あー、私、船花サチっつーんだけど、アンタ名前は?」

「あたし、東順那。よろしく、サチ」

 

後ろに腕を組みながら、結にも似た、しかし彼女よりも明朗快活な笑みで、親しげにそう言った。

 

 

【挿絵表示】

 



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コルウス

東順那

年齢 十四

身長 156センチ

好きなもの 人間観察 ゴスロリファッション

嫌いなもの キュゥべえ

早島中学校二年生に在籍している少女。結とミズハとは従姉妹。たちの悪い天然で人を苛つかせ、周囲からは嫌われているが、それを気にしていない。むしろ自分の周囲などの悪口や偏見でさえも、興味深く面白いと感じる変人で、結構性格は良い方ではない。マイペースかつ独自の価値観を持っており、それを誇りに思っている。コスプレ趣味のためかゴスロリファッションが好きで、普段の服装にもそれが現れている。実はクソアニメ好き。


「……順那ね。ふーん、珍しい名前だわ」

「普通にいると思うけど。まあ自分の名前、そこまで良い由来じゃないし、サチって名前の方が良かったな、あたし」

 

羨ましげに順那は言うが、しかしサチは不快で鼻で笑う。この名前が良い名前なわけがない。忌むべき両親の片割れの母親から付けられたその名を、いかに恩着せがましいほどに説明されたか。その事を思い出すだけで、反吐が出る。

 

「私の名前より、アンタのがよっぽどマシでしょ」

「そう? あたしの名前の由来、本当にまともじゃないよ。いや、マジで。ひどすぎんだろ、って感じでさ。嫌になっちゃうよ」

「じゃあ…そのひどい由来ってなんなのさ?」

 

順那という名前の意味なんて、サチにとっては、正直どうでもいい。しかし、そこまで言われると、逆に気になってしまうものだ。本人が心底嫌そうに言っているようには感じられないから、多分気にしてはいないだろうし、聞いてもいいのではないかと、サチは思った。

 

後から考えてみれば、とても失礼な思考ではあった。嫌そうな素振りがないのは、己の感情を隠しているだけとも、読み取れたはずである。しかし順那は考えた通り、眉一つ曲げなかったし、気軽そうに、まるで雑談でも喋るみたいに、話し始めた。

 

「あたしってさ、生まれる前に、那お子っていう、姉がいたんだよ。だけど言うこと聞かなくて海の事故で死んじゃったんだよね。だから両者は、今回の子は、従順な子が良いなって思ったんだよ」

 

曰く、逆らう我が子が、元々順那の両親は好きではなかったという。わがままなものより、静かなものが。元気なものより、大人しいものの方が。ずっと扱いやすくて、面倒くさくない。だからお前はそういう子になれと、順那はいつも言われ続けてきたのだと、何でもないように言う。

 

「……まさか、そんな理由で、順那…っていうの?」

「うん。従“順”な“那”お子で、順那だよ」

「……………」

 

思わず、黙ってしまった。順那の笑みに、戦慄する。

 

「親の跡をついで、その使命を果たす子を、父さん達は求めていたんだ。使命を果たせないものは、いらないし、使い道がないんだよ?」

 

サチは絶句して、驚愕に染まった瞳で順那を見つめた。自分が思っていたよりも、あんまりな、身勝手なその由来に、薄ら寒いものが全身に広がる。かつて、サチは全てを支配されてきた。だが、親から理想を押し付けられながらも、愛してくれたのは事実である。でも順那の話を聞く限り、彼女の親は全くそういったことを感じない。

 

まるでーーーー使い捨ての道具だ。そう考えると、なんとも言えない、胸のもやもやが強くなった。

 

「………。まともじゃないね、その親達。下衆なんじゃないの? アンタも、何で何気なくそんなこと言って笑ってるの?ありえなくない?」

 

震える声が、最後には沈む。怒りなのか、やるせないのか、普段自分が抱く感情とは程遠いであろう熱が、拳を握らせる。順那は横に座ると、平然とした顔を向けた。

 

「でもあたし達にとっては、これが普通なの。あたし達広実一族は、龍神様を称えるための存在なの」

「広実一族…? 」

 

龍神信仰のことについては、親が信者だった影響で知っているが、広実一族なんて、聞いた事がない。少女が、得体のしれない、それこそ魔女よりも訳のわからないものに思えてくる。

 

「知らないの?サチは船花家出身なのに?」

「知るわけないでしょ? 大体元々私は……。つか、船花家が、広実一族?ってのに関係あんの?」

「大有だよ。広実一族の外戚といえば、阿岡、香干だよ。船花は香干の分家じゃん」

 

当たり前のように順那は言うが、サチは初耳なので、あんまり実感がない。元々の家がそんな家系なのも今初めて知ったし、入理乃の家との繋がりも、ピンとこない。

 

「交流もなくなったし、船花の人間が広実一族を知らないのも無理ないね。でも、それならよく龍神信仰知っていたね?…香干の家出身?情報管理の東家だから知っているけど、数年前に、確か娘は伯父に引き取られたんじゃなかったけ?香干夫妻が死んだから」

 

瞬間、元の両親が冷たくなった感触を思い出し、サチは瞳を一瞬だけ大きく見開いた。喉に、吐き気が込み上げてくる。不愉快で、不透明な感情が渦巻き、暴れて口から飛び出す。

 

「私は香干じゃねえ!この船花様が、あんな家の苗字だったわけねえじゃねえか!」

「あんなって…、やっぱり元々は香干だったんじゃん。というかずっと思ってたけど、同時に二人死ぬのおかしいよね。死んだことと、関係あるの?」

「関係ねえ!この船花様は関係ねえ!違えんだよ!」

 

もう、自分は違う。もう、自分は違う。両親が死んだのは、仕方ない。あいつらが悪かったからだ。罪なんてない。自分のせいじゃない。だから、自分は違う。万が一に責められるべきは香干サチで、船花サチではない。

 

「この“船花”様ねえ。何で、そこは船花様なの?サチ様じゃなくて?」

「何が言いたいんだよ!」

 

我慢の限界だった。背けていた部分を見たくなくて、激情のまま、がっと少女の胸ぐらを掴む。順那はその腕に右手でそっと触れて、愛しいものでも見るように、瞳の形を細めた。

 

「認めたくないんだよね? あたし、わかるよ。貴女、ずっと自由がなかった目をしている。乱暴な態度も、その反動でしょ?」

「何言ってんだ!私は根っからこういう性格でーーー」

 

言う前に、彼女の弧を描いた双眸が、心の内を覗くように、睨みつけた。帯びた光は妙な迫力があって、サチは硬直する。ゆっくりと、静かに力の抜けたサチの手を離させる。

 

「それこそ違うよね?貴女はミズハと同じく、罪から逃げたくて、でもそれを自覚しているから、イライラしてるんでしょ? 鬱憤がたまってそんな風になっちゃたんだよね?」

「……鬱憤なんて、溜まってない。不満なんかなかった」

「船花様、って言って自分を香干じゃないって言い聞かせて、全部過去の自分に押し付けているだけだよね?」

「……悪いっていうのかよ。“今の”私が、悪いっていうのかよ。両親を殺したのは、“今の”私が悪いのかよ」

 

サチはサチだ。それは、変わらないし、変えられない。でも、でも、でも。自分は変わった。変わる前と変わったあとは、別人なのだ。昔の自分が罪人である。今の自分は無罪だ。

 

「悪いも何も、殺したなら、貴女が悪いんじゃないの?」

「偉そうに言うんじゃねえよ。さっきから、何言いたいんだよ。認めろっていうことか?正しくない…、てことか?私が、船花サチ様が、悪いということか?」

 

何となく、責められているように感じて、サチは目尻を上げる。正反対に、反抗的な態度の少女をものともせずに、順那は飄々と答える。

 

「あたしは、貴女のこと、悪いと思う。だから、悪いって言うけど、貴女が正しいって思うんなら、両親を殺したことは、正しいことになるんだよ?」

「それは、私の中だけってことになるじゃんかよ」

 

罪は、誰がなんと言おうと罪だ。悪いことは、定められていて、決められているものである。自分がいくら正しいと思っても、それが無罪になることは無い。まあ、サチはもう、船花サチだから、何の重荷もう背負っていないけど。

 

「悪いか、正しいか。罪か、罪じゃないか。そんなの、人によって様々だよ。自分の価値観に従って、善悪を決めれば? それとも、ずっと悩み続ける?逃げ続けるの? それも良いよ?そうする?」

 

無表情に、抑揚もなく、八つ裂きに質問が浴びせられる。悪い、正しい、様々、価値観、善悪、逃げる。耳の鼓膜に、無数の声が反響する。直に頭を揺さぶられる様な気がして、サチは目眩を覚える。混乱のまま、やはり訳のわからない、不気味な少女に、つい言う。

 

「お前は、何考えてんだ?」

「逆に貴女は何を考えてるの?今、何をしたがっているの?あたしは、それが知りたいな」

「テメエに話すことなんて、これっぽっちもねえよ!!何でテメエ如きに、私がしたいことを話さなきゃならねえ!?」

 

怒声を撒き散らし、サチは隣の少女を噛み付くように見る。体が酷く熱い。興奮気味なサチは、唸るように荒立てた息をする。きょとん、と順那は首を傾げ、苛立ったサチをどうでもいいように普通に口を開いた。

 

「あたしが、それを聞きたいから、聞く必要があるからだよ。あたしは、貴女が、魔法少女の今回の“対立”で、どうするのか知りたいの」

「なーーー!?」

 

声が詰まる。この少女は、どこまで知っているのだ。キュゥべえが、そこまで話したとでも言うのか。対立のことまで知っているなんて、

 

「順那、私達が今どんな状態なのかも知っているの!?」

「知っている。阿岡さん…まあ、入理乃でいいか。まあ、その入理乃が、昨晩訪ねてきたんだ。事情を話して、協力してほしいってね」

「…嘘だろ!!そんなの……」

 

またも知らなかった事実に、歯ぎしりしてムカムカする気持ちを抑える。でも、魔法少女ではない少女が、入理乃の役にたつとは思えない。話しかけた意図がわからない。

 

「あたしを戦力として加えたかったんだろうね。未知には未知をぶつけるってね。それに、あたしにはお姉ちゃんをどうにかしたいって気持ちもずっとあったから…」

「そうか。魔法少女にまだなっていなかったもんな、アンタは」

 

サチの能力は知り尽くされているし、結相手に一人だと勝てない。でも従姉妹である順那だと、相手を動揺させ、不意打ちさせることもできる。こんな言い方はしたくないが、性格的にも順那の方が、駒として使える。つまり、サチはそこまで信頼されていなかったということだ。

 

頼ってもらえず、しかもまだ一般人である順那を使おうとするなんて。考え方は理解したけど、限度というものがあるだろう。やっぱり、何か良くないことをしようとしているのだ。無性に腹立たしくて、サチは舌打ちする。合理的選択だと思ってしまって、ますます悔しい。

 

だが、サチの入理乃への友情は揺らがなかった。初めての仲間で、初めて自分と似た感情を持っていた友人で、初めての相棒だった。だからこそ、自分が止めなくては。

 

ああ、入理乃には、どうしても執着してしまう。裏切られようが、見捨てられようがーーー

 

「それでも、まだ彼女のことが信じたいんだね?」

 

自分の心を正直に言い当てられ、動揺する。黒い少女が、それを逃さず、そうでしょう、と再度問う。苦々しい表情が途端に浮かんだ。

 

「そうだけど…」

「本当に?」

「しつこいなあ!!そうだよって言ってんじゃん!つか、意味わかんないんですけど。私の気持ちなんてどうでもいいじゃん!!」

「どうでも良くないよ。貴女の気持ちがどのくらい強いのか、あたし確かめたかったもん。そして、予想どうり、貴女は意思が強いね。うん、互いの目的を達成するために、協力し合おう!」

 

サチ入る理乃を止めたい。順那は結を止めたい。そのために、手を結ぶのだ、なんて順那は嬉しそうに笑う。サチは眉を顰め、馬鹿にした。

 

「首突っ込むの?部外者のくせに?魔法少女じゃねえくせに、協力なんてし合えるか!」

「………魔法少女じゃなきゃ、協力できないの?突っ込んじゃだめなの?」

「当たり前だろ!」

 

魔法少女同士のことは、魔法少女同士の問題だ。一般人が立ち入る隙なんて、どこにもない。無理に来られるのは、わがままだし、迷惑だ。

 

「あたしには、資格があるよ。あたしにだって、できることはあるよ。あたしは、戦うことができないし、争いに介入できない。でも、魔法を使わなくても、説得はできる。お荷物になるかもしれないけど、あたしは、お姉ちゃんにもう一度会って、言ってやらなきゃいけないんだ」

「そんなの、個人的にすればいいじゃん」

「それができなきゃ、協力し合おうなんて言わない。でしょ?」

 

すっと、順那が手を差し出す。色白の肌が、陶器のように見える。サチは出しかけた手を、迷って引っ込めようとした。しかし、その視線からの圧力から、外すことができない。不思議な強制力が、魅力が、そこにはあった。順那の瞳は、黒く黒く、濁っていて、全身の服装と合わさって、全てが影に同化して見える。

 

サチは、自然と順那の手を握る。がしりと掴んだそれは、予想に反して、暖かい。彼女は満足そうに、さらに笑った。



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有り得ざる声

「ありがとう、サチ。これで、お姉ちゃんと話ができるよ」

 

順那は何気なく礼を言う。瞬間サチは、たらりと冷や汗をかいた。途端何かが引っかかったような気がして、仕方がなかった。しかし、サチは自己が捉えたものを分析するといったことが、得意な方ではない。だから、どうしてそう感じたのか、この時のサチにはわからなかった。ただ、末恐ろしいものが腹に沈殿していった。

 

突然の変な感情に、訳も分からなくて、サチは苛立った。狭い箱しか持っていないサチは、すぐに溢れたイライラを元に、あえて乱暴に手を離して、小馬鹿にするように鼻で笑った。

 

「……別に、互いの利害が一致しただけでしょ?お前みたいなクズと協力してやるんだから、むしろそっちがもっとありがたがってよね」

「うん、わかったよ。ありがたやー、ありがたやー」

「…おちょっくてんの?」

 

いきなり手と手を合わせて拝み始める順那。それをサチは怒りの笑みで、冷ややかに言う。自然と、ピクっと眉が釣り上がる。しかし順那の方は一瞬だけ、本当に驚いたような顔をした。

 

「え、違うけど」

「まさか本気だったの?ありがたがる方法ズレてない!?」

「ということは、さらに拝めばいいんだね?」

「そういうことじゃない!」

「じゃあ、別の方法なんだね?よし、ミズハ直伝アクロバットどけ座を披露し、そのあとで拝めばいいかな?」

「ミズハはどんなことをテメエに教えてたんだよ、つか結局拝むんかい!?」

 

ぜえぜえと肩で息をする。突っ込み疲れってこういうことかな、なんて意味不明なことを考える。なんか、話するだけでも疲れる。おかしい。自分はどちらかと言うと相手をからかう立場なのに、何故振り回されるんだろう。途方に暮れ、額に手をやる。

 

「あはは、なんか懐かしい。お姉ちゃんみたい」

「ふざけんな、人をからかいやがって!!」

「別にからかったつもりはないけど…」

「ちくしょう、天然野郎が…!!」

 

順那が、サチの様子に楽しそうに笑う。サチは若干殴ってやりたい気持ちに駆られたが、舌打ちをして順那に尋ねた。

 

「アンタら従姉妹の普段の感じってどんなだったのさ…?」

「んー、そうだね…。ミズハがあたしをからかって、あたしが何か言ったら、お姉ちゃんが突っ込んで…、でもお姉ちゃんもズレてるとこあるから、そういう時はミズハがあたし達を止めて…。ミズハは案外いたらずら好きで、元気でね、お姉ちゃんはいつも過保護で心配性だったんだよ」

「……ミズハってそんな性格なのか。それに結がブレーキ役?信じらんない…」

 

サチにとってミズハは、重要人物であるものの、悲しげな大人しい少女だった。入理乃ほどじゃないけど、気弱な感じで、笑った顔もどこかやりきれない何かがあった。少なくとも大人しく、アグレッシブという性格ではない。対して、結は一方的に支離滅裂なことばかりを話す、薄気味悪い奴だった。いきなり笑い出すわ、切りかかるわ、とにかくまともではなく、狂気に支配されていた。

 

だから、想像してみるも、うまく光景は思い浮かばない。ミズハと結の見えない側面を知っても、知っていた部分からくるイメージの方が強いくて、印象は変わらない。

 

「ねえ、あたしが今から行くところに、一緒に行かない? 時間ある?」

「時間?まあ、あるにはあるけど」

 

まだまだ昼だし、グリーフシード集めは他の日にもできる。協力者となった相手から、付き合ってほしいと言われたら、そっちの方が気になるし、優先させるべきだろう。

 

「でも、この船花様をどこに連れていこうとしてんの?」

「…それは、ついてからのお楽しみだよ?でも、これだけは言っておく。貴女は、今から狂気の一端を見ることになる。覚悟した方がいいよ?」

 

神妙な顔で、順那が平坦な声で忠告するものだから、どきっと心臓がはねる。覚悟なんて言葉が使われるほどのものとは、一体何であるのか。少し恐怖が湧いて、僅かに黙る。しかし、渋ったところでどうにかなるものでもないし、後に引き返すことも出来るわけがない。

 

「わかったよ。何があっても驚かないし!!」

 

サチは、粗暴な態度で怖い気持ちを隠し、ぶっきらぼうに、ふんと鼻を鳴らした。そんな姿が、幼稚であったか、愚かしかったのか、順那は声をあげて笑った。それでますますサチは憮然とした顔になって、恥ずかしい心を誤魔化すように、また鼻を鳴らした。

 

 

◆◇◆◇

 

境内では、まだ戦いの音が響いている。

 

反響する、ハルバードと二丁の飛来する鉈。骨の錨が、地面をえぐり、ハルバードが操る魔力の斬撃の進路を邪魔する。

 

高く登った太陽も、からりと青く晴れた空も、流れる時間によって、姿を変える。武器を振るい、逃げ惑い、怪我を負って痛い目をみて、魔法を不発する。特訓をがむしゃらに行ううちに、段々と日は沈み、赤く風景は染まっていく。いつしか、すっかり辺りは暗くなりつつあって、カラスが頭上を横切った時、境内で戦っている魔法少女のうちの一人、広実結は武器は、ぴくりと体をはねさせて、ふと武器をおろした。彼女は一瞬酷く慌てた様子で考え込むと、何か思いついたように笑った。

 

そうして、何の気兼ねもなく、唐突に言った。

 

「よし、今日は逃げの訓練は、ここまででいいかな」

「…………え?」

 

これに驚いたのは、彼女の相手をしていた菊名夏音である。しかし、彼女が驚いたのは、別に特訓が途中で中途半端に終わりだと告げられたからではない。特訓そのものが終わる時間帯になっていたということに、今更驚いたのだ。

 

菊名夏音は、真面目な性格である。言われたことはきちんとするし、不満があっても、道理が通っていれば、なんだかんだでやろうとする傾向がある。だからか、放たれたボールがまっすぐ進むように、夏音も集中してしまえば、周りのことが見えなくなって、一つのことにのめりこんでしまう。前の時間軸でも、嫌がっていたのに、魔法少女の体験コースに付き合ったし、行方不明になった入理乃を家にも帰らずに、探し回ったのも、この気質に起因するものだ。

 

つまり、裏を返せば、夏音は、加減があまりできないタイプだと言えるだろう。それは長所でもあったが、しかし同時に彼女の短所でもあり、十四才特有の未熟さ故のものでもあった。今回も、夢中になりすぎて、他のところに目がいかなくなったのだろうか。

 

とはいえ、逃げきれてもいないのに、終わりとはどういうことか。戸惑いは隠しきれず、夏音はたどたどしくお礼を言う。

 

「あ、ありがとうございました。…あの…えーと、明日からも、頑張ります…」

「…なんか勘違いしているようだけど、特訓は終わらないよ? 」

「そうなんですか?」

「逃げの訓練が終わっただけ。…中途半端で驚くのはわかるけど、ヤツが起きたから、仕方ないんだよ。安心して、これが終わったら、今日は一日終わりだから」

 

ヤツとは一体何だろう、と首を傾げる間もなく、ついてくるように言われ、素直について行く。階段を降りて三番目の境内に着くと、そこから続く道を進む。舗装のされない、ごつごつした石の道を通り、数分でこじんまりとした、木でできた、古びた社につく。予想どうりと言うべきか、腐りかかった柱に支えられた、苔で覆われた屋根の上には、結の鉈が刺さっている。

 

それを視認した途端、得体の知れない感覚が襲いかかり、なんとなく、嫌な感じがした。それでいて、波のように、来るのには間があく。これは、魔力の波長なのだろうか。だが、結のものとは性質が違うというか、奇妙なことに、どちらかというとーーー

 

「この社にはね、魔女が封じ込めているんだよ」

 

魔女。悪しき、化け物。ここにそれがいる。認識した途端、脳裏に記憶が蘇る。前の時間軸にいる前、船の魔女が突如として出現する。その使い魔が親子に迫り、体に牙を突き立てる瞬間、鮮血が舞い散る。捕食する音が、残響する。

 

「…魔女が?」

 

恐る恐る聞き返す。声が、何故か掠れた。体が、冷たくなっていく。目に見えない衝撃のようなものが、精神を揺らす。しかし、それに結は気づいていないようで、淡々と説明する。

 

「そう。僕は魔女を管理する際、判別できるように、仮名称をつけてる。工具の魔女、鉄塔の魔女って具合に。そして、この魔女の名前は、お嬢様の魔女。ヤツは、早島で最も多くいる魔女だよ。君が来る数日前にここに閉じ込めて、封じてたんだ」

 

言った瞬間、屋根に刺さった鉈が、一人でに光り出す。すると、爆ぜた音ともに、徐々に、目の前の空間が歪み始め、風景を曲げる。目を見開く間もなく、魔女の紋章が現れ、黒い結界の口が開いた。

 

「これ、今から倒してきて」

「魔女を、私が…………?」

 

混乱と共に、問いかける。縋るような視線に、結がちょっと罰が悪そうにしたが、すぐに首を降って真剣な眼差しで言った。

 

「突然だけど、ごめんね。でもちょうどいい機会だと思ったんだ。こいつ、ずっと眠らせてたはずなのに、どうしてだか、今動き始めてしまった。そうなると、すぐに僕の結界から逃げ出されてしまう。それを追いかけて連れてくるのは、結構大変だ。魔法少女である以上、魔女を倒さなきゃいけない。その役目を、君も果たすべきだ」

「私が…役目を果たす?」

 

ーーー菊名夏音は、真面目な性格である。言われたことはきちんとするし、不満があっても、道理が通っていれば、なんだかんだでやろうとする傾向がある。

 

魔法少女が魔女を倒すのは当然、当たり前の責務。魔法少女の願いの代償。道理が通っている。結が言っていることは、何も間違ってない。

 

「そう…ですよね」

 

だから、彼女は怯えていても、無理矢理に前に出る。足がすくむものの、入口に近づいた。結の顔に、若干不安気な感情が浮かぶ。

 

「やります。魔女…倒してきてきます」

「…いざとなったら助けるけど。でも、そんな状況になって欲しくはないから、気をつけて」

「はい…」

 

行ってきます、と結に夏音は言って、ハルバードを手に持ち、ぎゅっと目を瞑り、突入する。そうして、目を開けると、そこはもう外界から隔絶された異界、結界だった。夏音は辺りを警戒するように、武器を構えてビビりながら、周囲を見渡し、ふとあるものを見つける。

 

「…………?」

 

曇り空の下、ボロ小屋が立ち並ぶ貧民街。その一軒のそばにある、木の看板。その張り紙が、不思議と夏音を引き寄せる。そばに近寄ってみると、張り紙は、実に奇妙な形の文字で一言何か書かれている。しかし、見覚えがないわけではない。

 

この文字は、前の時間軸で変な夢を見た直後に、ノートに書いてあった文字ーーー“自分”で書いた、奇形な文字。あの時は読めなかったけど、今なら読むことができる。習っていなくても、理解ができる。夏音は、その文字の意味をつぶやく。

 

「お腹がすいた?」

『うン。おなかすイタの』

 

頭に、ノイズが交じった言葉が響く。立ち上がる危機感と共に、反射的に夏音は振り返り、武器を向ける。前方にはいつの間にか、尻に木屑を詰め込んでいる、手が大きな、しかしサイズは小さな、豚のぬいぐるみがいた。

 

夏音は唾を飲み込み、攻撃できる体制をとる。しかし、一歩も足を動かすことができない。まさか、という予感がして、気になって、使い魔の様子を伺う。やがて、ぬいぐるみは、ぱくぱくと口を開閉させた。

 

『オナか、スいた…。オナカがすいたよう…』

「……!?」

『たべもの、タベもの…たべ…も…ノ…』

 

再度、響き渡る幼い雑音混じりの声。その度に動く、使い魔の口。予感が的中した。夏音はそれを理解し、青くなる。驚愕し、腕がぶるぶる震え、カタカタと武器がなる。

 

「な……、使い魔が、喋った…!?」



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役割

夏音は、しばらく何もできなかった。使い魔はそんな夏音を攻撃しようともせず、気にする素振りもみせず、お腹がすいた、とつぶやき続ける。それが、とても怖かった。いっそこちらに飛びかかってくれれば、まだ恐怖はマシだったかもしれない。

 

「あ…、ありえない。こんなの……」

 

現実離れした出来事に、思考が上手く働かない。それでも、理解し難い状況を必死に把握し、安心しようとするのは、人間の性。夏音は頭を回転させて、どうにか自分に、この声について納得のいく答えを探す。

 

そして、もしかして、幻術を魅せられているのかもしれない、と結論を出した。多分、敵を錯乱させるために、わざとそんなことをしているのだろう。いや、そうに違いない。だったら、惑わされちゃ駄目だ。

 

そう思いつつ、夏音は地面と一体化していた足を強引に動かして踏み込み、ハルバードの槍でぬいぐるみを刺そうと、切っ先を使い魔から見て、斜め上に向ける。実に魏心地なく、しかし力任せに思いきり、勢いよく振り下ろす。

 

『ネえ、キみ…』

 

しかし、既のところで動きは止まった。使い魔の視線が、夏音をじっと見つめたから。まるで値踏みでもするような感じが、どうも人間くさくって、夏音は金縛りにあったみたいに、また硬直した。

 

『……キ見、も、おなかスい他? タベ流…ごはんを、イッショ…、ゴハんだ…べ…よ』

「……つ…、う……!!」

『オイしソウーなものと、おなジ。キミは…タベもの?』

 

肩がはねる。夏音は震えながら、豚の口を見る。突如、その姿が変わり、骨が剥き出しのピラニアになる。呆然として見ていると、目の前に人間が二人、瞬きもしないうちに、船花久士、船花サチの親子が、現れた。

 

そして夏音が手を伸ばすよりも速く、ピラニアは二人に襲いかかると、体を食い始めた。その光景は、前の時間軸で見た時とーーー完全に、同一で、耳障りな音がする。

 

ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ。

 

ばきり、ばきり、ばきり。

 

ああ、鮮血が舞い散る。ああ、こんなにも、あっけなくて、軽々しく命がなくなっていく。やがて、いつの間にか、二人の親子は腹の中に消えていて。代わりに、ピラニアの口には、夏音の頭部があった。そばを見ると、首なしの胴体があって、だくだくと首から赤い液体が流れている。引きちぎられたのだろう。

 

夏音は、ぼんやりと思う。

 

ーーー何……これ? 私が喰われている?意味、わからない。今からこうなっちゃうから、こんなの見ているの?私の末路…、使い魔に喰われることなの? 私は、喰われるのか? ……ああ、そうか、今度は私が、消えるんだね?死ぬんだ。喰われて…、私は、死ぬんだ。

 

あの親子と同じように、喰われて死ぬんだ。

 

そう、考えた次の瞬間、夏音は頭を激しく振って、

 

「イヤ、アアア…アアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

空想を吹き呼ばすために、喉から声を絞り上げ、叫んだ。

 

「食べないで!!……違う、違う違う!!私は、食べ物じゃない…!おいしくない食べないで食べないでごめんなさい!!」

 

最早、何を言っているのかわからないし、何か言いたいのか、自分でもわからない。死にたくないという欲求で、必死になって、懇願していた。お願いしたって、絶対に聞いちゃくれないなんて理解しているけど、それでも生にしがみつきたい。何もかも終わるなんて、嫌だ。何より、無残な姿になりたくもない。

 

あの親子みたいに、食べられたくない!!

 

「…お願い…、食べないで…、私はおいしくない…!!」

『キミ…を、わたシ、たべない。おいし居、じゃない。タベものじゃ無いカラ』

「…本当に!? 本当に、私を食べないでくれるの!?何でもするから…お願い、食べないで、死にたくない……!!嫌…!!」

 

夏音はぬいぐるみに、いつに間にか涙やら鼻水やらで酷い有様になった顔で聞く。お嬢様の使い魔は、ぶらんとさせた腕を僅かにあげる。

 

『じャあ、イッシょに、オショクジかいにイコーよ。ヒメは、キみにあいたいんだって差。コーエいな子とだよ』

「ヒメ…?」

『ボクらの…、オヤ。ハナシタイって、いっテル』

「……つまり、魔女? ヒメは魔女ってことなの?魔法少女と魔女が会う…そして話す…?」

 

馬鹿馬鹿しいにも、程がある。いや、使い魔と話している時点で、既に馬鹿馬鹿しい状況だ。怖いけど、この現状が、少し嘘みたいに思えてくる。そうなると、僅かに強気にもなって、誰が魔女と話すか、と言いかけた夏音は、しかし、もしや、これはチャンスなのではないだろうか、とも考える。

 

使い魔じきじきに、お嬢様の魔女のところまで連れってくれるのだ。幻覚だったとしても、大元を倒せばそれで解けるし、罠であっても、さっき何でもすると言ってしまった以上、ついていかなければ、喰われるかもしれない。

 

「わ、わかった。私、そのヒメにあうよ。案内して、使い魔」

『ツカイ間じゃナクて、トンジ』

 

使い魔はそう言うと、くるりと背を向ける。そこには、あの看板と同じ字で、トンジと赤い糸で縫われている。つまりは、この使い魔の名ということだろう。夏音は、使い魔にも名前があるのか、と少し驚いた。

 

それにしても、奇形な文字をどうして読めるようになったんだろうか。そもそも、この文字はなんという文字だ?わからないが、一応魔女文字、とでも呼んでおこう。

 

使い魔が、ついてこいとばかりに、ゆっくりと歩き出す。夏音は嫌に表情筋が凍りついたかのような表情で、ハルバードを携え、同じ速度で合わせて、歩を進め、スラム街を抜けて、ドアを開けて次の階層に向かい、一風変わって、日本屋敷の屋内になった通路を、ひたすら奥に行く。

 

その間に、使い魔がこちらに向かっていくことはなかった。それどころか、忙しそうに辺りを這いずり回ったり、かといって、興味を示さずに、料理を食べていたり、個々の思うままに過ごしている。

 

だから、夏音も何もしない。夏音は遠巻きに、彼らのやることを、観察して眺めるだけだ。薮蛇にわざと指を突っ込む馬鹿が、どこにいるだろうか。恐怖は拭えない。使い魔の様子を伺っているのも、いつこっちに来るかわからないから、警戒してるだけだ。

 

それでも、相変わらず使い魔は好き勝手にしていて、何をしているのだろうか、とも思えてくる。前にいるトンジ(どうやら、トンジとは使い魔の種類事態を指す名称らしく、同タイプにも、トンジと赤い糸で縫い付けてあった)に、夏音は恐る恐る質問する。

 

「お前達使い魔は、何のためにいるの?」

『や九め…反映のタメ…。ヒめの、シタイこと、ヒめが野ゾマれ、ヤりたい、ことをじっコウスる。トンジは、ソのタメのも乃』

 

つまるところ、要するにトンジという使い魔は、魔女の望みの反映という役目を果たす存在らしい。他の使い魔のことも聞くと、やはりそれぞれに役目があるようで、皆それに沿って行動しているという。

 

ということは、他の魔女の使い魔も、きっと同じなのかもしれない。使い魔は、魔女の願望、感情から生まれ、役目を与えられる。使い魔は、所詮、その役目を果たすだけの、道具に過ぎない。

 

『アア、デもおな化スいた…』

「…トンジは、そんなにオナカ減っているの?」

『ヒめがオナかスいた…、だカラ、おなか、スい田。あ…デも、そーイえば、キミの…なまえハ?』

「…………、私は…」

 

どうしてだか、言葉が詰まる。自分の名前を、無性に言いたくなくて、変な気持ちが湧いてくる。だが、別に自分の名前を名乗ったところでどうということもないだろう。だから、普段通り、菊名夏音の名を名乗ろうとする。しかし瞬間、頭痛がして、クラりと目眩が生じた。

 

武器を持っていない方の片手で頭を押さえ、なんとか耐えると、手を下ろして、見つめる。すると、ジジ…、と視界がぶれる。手袋に、一瞬だけ、奇形な文字が浮かぶ。しかし、びっくりして再度見ても、普通だ。

 

「……あれ…?」

 

何か、おかしい。何故か、何か忘れている気がする。それを今、思い出したような感じがする。大切なことのはずなのに、何で忘れているんだろう。

 

『シラナいの? カワいそーに』

「わ、私は、知らないんじゃなくて……、よくわからないだけ」

『まス増す、カわいソう』

「私はかわいそうじゃない!このままでいいの!!」

 

心が、酷くざわざわして、逆にむきになって怒鳴る。認めたくない、死にたくない。無意識に、切望する。でも、何でそう望むのかわからない。

 

ああ、自分がおかしい。魔女に関わるようになってから、おかしくなっていないだろうか。確かに、魔女と戦う変な夢を見たのも、勝手に体が動くようになって入理乃に酷いことを言ったり、意識がなくなったりしたのも、ソウルジェムの穢れがどうでもいいと感じたのも、どうしてだか、すべて魔女のことを知ってから、接触してからだ。

 

……つまり、魔女と関わったりする度に、自分がおかしくなっていくんだろうか。じゃあ、それだったら、最終的に、どうなってしまうんだろう?このまま、魔女と戦いつづけるのは避けられないし、逃げるつもりもないけれど、でも、それじゃあ、菊名夏音は菊名夏音じゃなくなる。

 

菊名夏音()が、菊名夏音(私ではない何者か)になる。

 

だとしたら、たとえどんなに、菊名夏音であったとしても、そう呼べなくなってしまうかもしれない。おぞましいことに。

 

でもーーーやらなければいけない。菊名夏音が、菊名夏音であるためにも。

 

この世は舞台。心は台本。人生は演劇。夏音は、この演劇を演じきる。死後も踊り続ける。菊名夏音の演目は、菊名夏音しか踊れない。

 

 

◆◇◆◇

 

 

結界の入口、富枝神社の末社は、しんと静かに冷たい。光が落ちていく空に、無機質な、三日月よりも、半月に近い赤い月輪が一つ。彼方にある星々も、何千光年離れた場所から、灯火を届け始める。

 

結は、息をふぅ、と吐いた。その吐息が、静かな肌寒い境内に、沈殿するかのように、空気に消えていく。結は結界の前に立ち、鉈を両手に持ちながら、やはり大丈夫かと気が気じゃなかった。

 

そこで、ふっと、結は何だかおかしくなった。妙に、懐かしい感情だ。従姉妹達と過ごしていた日々が、頭をよぎる。

 

まだ元気で、お茶目で、それでいて行動的なミズハ。変わり者で、天然で、誰よりも頑固で意思が強い順那。二人には、本当に困らされた。損を何度もさせられて、そのくせ何かあったら、お姉ちゃんだからって、自分だけ怒られて、無茶ばっかりするから、その度に冷や冷やした。

 

でも、凄く楽しかった。あの二人と、もっと笑いたかった。今では、できないけど。

 

「……もう、死なせたりはしないよ。それに、これは必要なことなんだ」

 

命を喰らわねば、命なんて維持出来ない。魔女が人間を食べるのも、食料としてみているから、という点が多いということを、結は知っている。彼女らは、呪いを振りまかねば、生きていけない。そういう存在になった、穢れの化身だから。

 

魔法少女も、魔女を喰わねば生きていけない。自然の摂理からは、逃れられない。尻尾を加えたウロボロスの輪のごとく、繰り返し、繰り返す。

 

「…だけど、僕は…」

 

鉈を見つめる。鈍い銀色が、チカチカして。結はにぃと口角を上げた。



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没落の魔女

結界内を、どのくらいの時間歩いたのだろう。一時間、二時間、それとも数分だろうか?どうも魔女の結界にいると、時間感覚が狂う。

 

魔女の結界に入るのはこれが三度目だけど、やはり魔女の結界はイカれた裏側の場所らしく、常識ではありえない法則が働いていると思う。鉄塔の魔女同様、この結界も階層を跨ぐ度に周りの空間が変わる。まるで扉を壁として、複数の世界を並列にくっつけたみたいだ。

 

その世界を五つくぐり抜けた時、ようやく最下層、最後の扉らしき、蝿の紋章が刻まれたドアにたどり着いた。

 

夏音は最後の階層に繁華街で見た光景を思い出す。

 

お客様をご招待。ヒメ様の、ヒメ様のための、ヒメ様のお食事会。餌は豊富なので、お客様も楽しまれるでしょう。

 

そんな文章があちらこちらに、ベタベタベタベタ書き込まれていた。壁にも、天井にも、床にも。建物すべてに魔女文字が浮かび同じ文言が刻まれたビラを、使い魔が配りまくっていた。

 

「うっ……」

 

気分が悪くなって顔がひきつる。もしかして自分も餌にされるのではないか。やっぱりこの使い魔について行くのは、油断しすぎだのではないか、という考えが浮かんでは消えていく。しかし足に逆方向へ走れと命じることさえもできないまま、使い魔トンジは扉を開けるように指示する。

 

『さァ、尾キャくサマ』

「わ、わかったよ。開ける、ヒメ様に会いにいくよ」

 

言われるがままにドアを引き、ギイ、と静かに音を響かせる。黒々とした虚空に怯えながら、菊名夏音は魔女のいる空間に進み、後ろからは豚の使い魔がポテポテついてくる。

 

ドアを後ろ手で掴んで閉める。バタン、と部屋を隔絶すると、夏音は魔女の庭を見る。

 

ボロ布の垂れ幕が、単体で浮かび上がったいくつもの木の枝に引っかけられ、赤黒い空に棚引ている。華美過ぎる襖が乱立し、畳に机がズラっと各所に設置されてある。部屋を横断するのは何百もの光の帯だ。最初は綺麗だと思ったが、それが近くを通りすぎた事でぎょっとなった。光の正体は、なんと羽虫。蛍のように尻に火をつけ、飛んでいたのだ。

 

ふとカタカタカタ、という不気味な音がして、ビクリと上を眺める。そこには、派手な着物を着た、天井にへばりついた女。蝿の翼を持ち、羊の曲がった角を生やしたろくろ首で、六本の腕はすべて人間の腕だった。

 

口だけの顔が歯を剥き出しに笑う。夏音は醜悪な姿に、生理的な嫌悪感を感じた。まるで目が腐ってしまいそうだ。こんな魔女をずっと視界になど、とても入れたくない。だが、信じられないことにトンジは、うっとりとした様子で声を漏らした。

 

『アア…、アア、ヒメさま、おうツクシい…』

「…これがヒメ様、お嬢様の魔女…。これが…」

 

美しい、とはとんでもない。なんて醜い。なんて汚らわしい。なんてとてもおぞましいんだ。

 

鳥肌が止まらない。震えも止まらない。冷や汗が止まらない。何故か思わず自分の手を見る。するとあの文字が浮かび上がったことがフラッシュバックして、自分自身が嫌になく不吉なものに思えて、吐き気が込み上げてくる。

 

『…ア…、ずいブン億びょうなオキャくダ』

「!?」

 

頭上から声がしてハルバードに力を入れる。一体誰がと戸惑いながらも警戒して、やがて天井の魔女に、恐る恐る視線を向ける。声の主は途端に三枚の舌を伸ばして夏音の頬を舐めた。

 

「うひぃ!!」

 

頬の冷たいヌルッとした感触に身がこばわる。ゆっくりと舌が離れる。だがそのあとも感触が妙に残っていて、背筋がぞっとする。

 

よだれが付着しているのが堪らなく嫌で、恐怖を誤魔化すようにゴシゴシと袖で拭うと、夏音は追い詰められた獣ように武器を構える。体が固くなっているのを悟らせぬように、懸命に魔女を睨みつけた。

 

しかし魔女は夏音を恐れる様子は見せなかった。それどころか首を傾げて、不思議がった。

 

『やっぱりリオイシくない。タベものチガう』

「…そうだよ。私は…食べ物じゃない。じゃ、じゃあさ…わかったなら食べないでよ…私のことを。本当に、食べたら病気するからさ…」

『マズ胃ものクウはズナイ。けいか医し那いデ。ハナシをしよ雨よ』

「…………わかった。ベルゼブブ」

 

夏音は武器を向けるのをやめ、魔女の舌に書かれてあった化け物の名を呼ぶ。すると嬉しそうに、魔女ベルゼブブはカタカタカタ歯をうち鳴らす。不快な思いを必死に表に出さないようにしながら、夏音は緊張して聞いた。

 

「……何で、お客様として招待なんかしたの?」

『キョーみ会った。だぁら、あイタくナッタ。タベモのジャないの、ハジメて。コトばわかるのも、ハ字めて。ハナシをしよ兎』

「で、でも…。わ、私から話すことなんて、これっポっちもないよ」

『…じゃ、シツもんシテ、ナンデもいいよ?』

 

そう言われて夏音は少しだけ考える。

 

聞きたいことはたくさんあった。魔女はどんな存在なのかとか、グリーフシードはどのようにして生み出すのかとか。だけど一番聞きたいのはそういうことではない。夏音は未だに這い上がる冷たさを、生唾と共に飲み込み魔女に尋ねる。

 

「貴女達は…自分のことをどう思っているの?そんな姿で呪いを振りまかねばならなくて…悲しくないの?」

『ナニ?ドうイうコト?』

「……魔女は、普段どう思っているのかなってこと」

 

魔女は化け物だ。きっと、人間と同じ思考回路をしてない。だけど、本人達はそれをどう感じているのだろう。魔女にもそういう感情らしきものがあったりするんだろうか。ふと、なんとなくそう思ってしまった。会話できるとかいう、到底信じられない(というか幻聴かもしれないけど)状況だからか、変な考えをしてしまちゃのかもしれない。

 

『オナカすいた。フ団おも羽のは、ソレダけ。デも、いまナゼか目がさめた。ほかノカンガエれる…かもしれなイ。デモオナかすいた』

「目が覚めた…?いや、それはともかく…、お腹すいた、しか思えないの?憐憫とか、後悔とか、恐怖とか、感じないの?」

『カンジれるけど…、デモ目がサメタからそうおもえるダケ』

 

駄目だ、と夏音は落胆した。よくわからないけれど、とてもがっかりしているのを夏音は感じていた。希望が踏み潰されたみたいに胸くそ悪くて、何もかもやけくそになりたくなった。そしてそんな荒々しい感情を持っている自分に、夏音は驚いていた。

 

『どうしてそンなイミノ無いこトを言うノ?ムダナコトをする乃?』

 

没落の魔女は夏音を訝しがるようにそう聞いてきた。口だけの顔であるはずなのに、どうしてだかギョロりと全身を見られた気がする。うひぃ、と夏音は舌で舐められた時同様、情けない悲鳴を上げた。

 

『キミは…ナぜそんななの?』

「私は………、私であるために……」

『ヤッパり、オカシい。キミは、オカしい、クルっテル。君は何?』

「何って、私は…。私は、魔法少女だよ」

 

そう答えた時。言いようもない冷気のようなものが辺りを包んだ。お嬢様の魔女はーー没落の魔女は、口を噛み締める。夏音の傍らにいた豚の使い魔も、めいいっぱい口を大きく開けて、歯をうち鳴らす。

 

ガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチ。

 

結界いっぱいに、波紋のように伝染していく音。羽虫の使い魔も、豚の使い魔も、魔女も。顎を上下に動かし、歯と歯を合わせ鳴らしていく。

 

ガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチ。

 

堪らないのに、もどかしい。そう主張する反響。

 

ふいに一斉にしんと静かになる。あまりにも呆気ないほどうるさかった音が消える。残響が何も残らないほどに。

 

『…、へえー、そう。オも白イジョウだんだ。マホウショウジョ、ヨうジュつつかい………』

「………あ、貴女達魔女は…魔法少女が嫌いなの…?」

『キライキライ!!ダイキライ!!』

 

魔女が、絶叫する。使い魔も同じように、ダイキライ、と再度復唱した。

 

『ダイキラい、アイツラのせ意で、家が、いえがツブレて、オカネなくて…、ああああああああぁぁぁ!!オナか、す居たああああああ!すいたよおおおおお!!!!』

「きゃ!?」

 

魔女が欲望を吐き出し、地面に背中から落ちて夏音は驚きたじろぐ。どん、と地面の衝撃が走る。起き上がれずに、わさわさ人間の腕を動かす魔女。その姿は蜘蛛をひっくり返してしまった時の動きとそっくりで気持ち悪い。

 

『ゴハん、持ッテきて!』

 

天井にポッカリと穴が空いた。その穴からボテボテっと大量の“ゴハン”が落ちてきた。それらは酷く見覚えのある、細長かったり、丸かったり、赤かったりしたものだ。

 

戸惑って、もう一度目を凝らす。だけどどう見ても、それらは酷く見覚えのある、細長かったり、丸かったり、赤かったりしたものーー“広実結”の腕だったり、頭部だったり、血だったりした。

 

「……は?」

 

夏音は無数の肉体の山を見た。感情が一瞬にして焼き尽くされ、真っ白になる。そうしているあいだにも魔女は首を伸ばし、ゴハンを検分している。そうして、こちらを向いて、

 

『イッショにタベる?』

「………は? 私が何を食べるって?」

『ゴハン』

「ご飯?」

『そう。ニク、オサカナ、マッシロなたキタてのおコメ。タベナイの?』

 

……ニク、オサカナ、マッシロナタキタテノオコメ?

 

「……違う、でしょ」

 

目の前のものが、ご飯?冗談じゃない。あれらはただの肉体だろう。多分広実結そのものではない。彼女が魔法で生産したただの肉体だろう。じゃなきゃ、ここにある説明ができない。

 

ニクでも、オサカナでも、マッシロナタキタテノオコメでもない。

 

菊名夏音のご飯じゃない。

 

「こんなの、食べものじゃない……!!なんなの…、貴女、何でこんなのご飯だと思うの……私に、どうしろっていうの…!?」

『ゴハンキライ?オキャくサ真ナノニ』

 

突如。ろくろ首の顔が、ぐいっと視界いっぱいに広がる。夏音は息をのみ叫び声を抑える。口の奥から、歯が見える。赤い血と、生臭い匂いが鼻につく。夏音は恐怖のあまり、少し口角が引きつった。

 

「…私…ゴハンキライ…はは、そう、ゴハンキライです!!」

『ゴハンキライ……なら井いや。クオう、オナカすいたよォお、マズクテも、もう、ドウデ喪イイや…オイシくない、タベル』

「…ちょ、や、やっぱり、そうじゃないの!!違います!違いますぅ!!」

 

夏音は全身全霊で否定する。違うと。ゴハンが好きだと主張を続けた。

 

何か言い続けないと。それだけを夏音は考える。それだけしか、考えれない。

 

でも、現実は無情だ。捕食者にとって獲物の御託などどうでもいい。

 

その口がぱっくり大きく開いて空虚な腹に夏音を落とさんと向かう。夏音はぎゅっと身構えて、せめて最後の時を耐えようとしーーその前に、がっと腕を掴まれ後方に大きく体が浮遊した。

 

「……え?」

 

驚愕して、自分の腕を引っ張っる人物の袖を見る。何が起きているのか一瞬理解できない。ただその人物の服の袖が、何度か見たメイド服の袖であることが、瞬時に脳裏で蘇る。夏音が人物の正体を確信した瞬間、同時にろくろ首の歯と歯が噛み合う音がする。

 

地に落ちて、足がつく。腕から手を離し、メイド服の少女が若干呆れたように言う。

 

「こいつ弱くてちゃんと倒せるのに、隙を見せすぎだよ。夏音ちゃん」

「……家主さん!」

 

夏音は安堵と希望、疑念を織り交ぜた、縋りつくような声音で彼女のあだ名を呼ぶ。広実結はそれににこりと返しし、

 

「あ、ありがとうございます!!」

「うん。でも、油断しすぎ」

 

次の瞬間、ぐるりと足を軸に回る。

 

その勢いのまま、鉈が一線。飛びかかからんとした三びきの豚の胴体が、綺麗に二等分切り裂かれた。鮮血が飛び散る。彼女の白いメイド服のエプロンに、顔に、全身に返り血が降りかかる。鉄の匂いが鼻腔をくすぐる。結は鉈を下に向ける。ぽたんと液体が刃を伝ってたれる。

 

「………!!」

 

夏音は青ざめる。

 

危なかった。全然、気づかなかった。先程もそうだか、もしも一人だと本当に死んでいた。

 

夏音は再度結にお礼を言おうと口を開く。しかし何故だろうか。異様な雰囲気を感じて夏音はピタリと止まった。

 

結がおかしい。そのまま後ろ姿で立ったまま動きがない。不振がって夏音は声をかける。

 

「……家主さん?」

 

メイド服の魔法少女は反応して夏音の方を向く。そして、顔についた血を拭うと、にぃ、と笑った。夏音がその動作に動揺するのを見ずに、結は鉈の方を眺める。赤く赤く、血がついたそれを、結は楽しそうに、面白そうに、角度を変えて観察し、

 

「アハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」

 

実に、愉快そうに笑い声を上げた。




没落の魔女、その性質は虚しさ。
仮名称、お嬢様の魔女。煌びやかな生活から、一気に転落したオヒメサマ。満たされていたはずなのに、いつも空っぽ。華やかだったはずなのに、今は遠くにそれがある。彼女は空腹のまま喰らい続ける。その空腹が何を意味するのかは、彼女にはわからない。

没落の魔女の手下、その役割は反映
仮名称、お嬢様の魔女の手下。魔女の望みを聞くお手伝い。生前の魔女の道具にそっくりで、魔女は彼らを愛している。手下にとっても、それが一番。他はどうでもいい。だが、生まれた時点ではそうではなく、魔女にキスをされてその役割を自覚する。


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紅の月

※不快な表現が含まれています。グロ注意。


山に続いている夜道を、二人の少女が歩く。少女のうちの一人、東順那は、怖がる素振りを見せずに、どこか堂々としていて、もう一人の船花サチは、訝しがるように憮然として文句を言っている。

 

それもそうだろう。順那に着いて行ったら、こんな遅くまで一緒にいるはめになってしまったのだ。予想以上に、結にまつわる場所を巡るのに、時間がかかってしまった。これが最後の場所だというが、親になんとか説得するのも申し訳なかったし、しかも、この道は、時間帯的にも、地理的にも、車は通っていないし、人家もない。本当に、目の前の先は見えない。一応懐中電灯を一旦コンビニで買ってきて(魔法で造っても、所詮レプリカなので、精巧な偽物はできても使えない)、人工の光を用いても、それはあまり変わらない。

 

普段魔女の結界に行っているためか、暗がりなどに今更不気味さも感じない。誰か人が来ても、魔法少女が一般人に叶うはずもないから、そういうことに関して不安な気持ちはない。ただ、本当にこの道であっているのか、サチは懸念して順那に尋ねる。

 

「こっちでいいの? 間違ってたらぶっ飛ばす」

「合ってるって。ほら、あそこ」

 

懐中電灯の光が傾き、最終地点を照らす。少し遠くの道の横側に、神社がある。サチはまた神社か、とうんざりとした面持ちで頷いてみせ、先行する順那と共に鳥居をくぐる。神社の裏手に回ると、そこにあったのを見てサチはっとして、次には神妙に黙り込んだ。

 

順那は、しかしやはりマイペースだ。サチを気遣わず、ある地点まで行くと、そこを指さした。

 

「ここ掘って」

「え……?」

「いいから。おもしろいの見れるよ」

 

サチは一瞬だけ心底嫌そうにしたものの、覚悟してスコップを魔法で造る。そうして、ひたすら二人で掘り返して、果たしてそこにあったのはーーー

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

広実結は、笑い続ける。こだまする声の主を、皆黙って見ていた。夏音も、使い魔も、魔女も。驚愕し、息を飲み、戸惑いを向けている。彼女は、鉈を空に向けて、何かの感触を確かめるように数度軽く振るう。そして、震える体を自身で抱き締めて、身もよだつ奇声を発し、甘美なとろけるような顔でうっとりしている。

 

「や、家主さん……?」

 

もう一度呼びかける。これ以上、訳のわからないものが増えて欲しくない。怖いものがあって、それがようやく退けれくれるだろう人が来たのに、その人まで怖いものになるなんて、最悪だ。そうなって欲しくない一心で、夏音は結に、また呼びかける。

 

すると、結は笑顔のまま夏音と目を合わせた。結の愉悦に満たされた瞳と、夏音の揺れる瞳が交差する。ゾッとするほど、結の双眸に、何らかの感情がしみだし、沈殿する。慈しむように結は目を細める。喉がひゅうと乾いた息を吐いた。

 

「大丈夫、僕がやっつける。絶対、殺させない。たとえ、どうなろうとも。君は僕のためにそばにいて欲しいんだ。僕が僕であるために」

「……、それはどういうーーー」

 

質問する前に、強く後方に押され、足のそばに鉈が飛んでくる。鉈からほとぼしる閃光が、ぐるりと夏音を囲むように四つ円を描き、どうするまもなく、しゅるりとそこから線が伸びて触れた瞬間、体が硬直する。無理に動かそうとしても、声を出そうとしてもピクリとも動けず、周りを箱状の網目模様の結界が覆う。

 

「ごめん」

 

そう謝って、申し訳なさそうな顔をしたのも、結は一秒にも満たず、魔女が動く音がする。

 

ガチガチガチガチ。歯を鳴らす音が、不自然に明るく、軽い。その歯で齎されるであろう死とは比べ物にならいほどに。だが、そう感じるのは、目の前の結が異常だからということもあるだろう。結が纏う空気は、彼女の口角が示す通り、うきうきとした浮ついたものだ。

 

ろくろ首の顔の口が、動く。その困惑した魔女の言うことが、夏音にのみ伝わる。

 

『ヨうジュツ…、バカな。アノかお……ゴハン、ナノに…ニテイル。アイツラ…、アイツラ…、いえが…、オナカすいた…。アイツラ…のせい…で…』

「…アハハ、おかしい?おかしいよねえ?そこの死体と同じ顔がいるんだからさあ…、ぐちゃぐちゃだよねえ。これから、もっと楽しくしてあげる。踊ろう、死の舞踏を共に」

 

もう片方の手に握った鉈の切っ先を、結は魔女にまっすぐ見せつける。没落の魔女は、蝿の羽をぶうんと唸らせ、着物から伸びた人間の腕で癇癪を起こし、地を鳴らす。

 

『バカナアアア!!にくい、にくい、いアアアアアあアアアああ!!!!』

「アハハ、アハハハハハハハハ!!!!」

 

咆哮と笑い声が、醜悪な程に重なる。途端、六つの足が床を蹴って、跳ね飛んだ。大きな質量が動いたことで、大気が一瞬だけ軽くなって、重くなる。体が鋭利なナイフのように硬質化したまま、その影が結に近づき大きくなって、そのまま体重で押し潰さんとする。

 

しかし、結は滑らかな動きでバックし、巨体が下りた衝撃で舞い上がった机の一つを右足で弾いて魔女にぶつけ、怯ませる。その隙に、一気に接近。両手の鉈を、そのがら空きの横腹に、グサリと刺した。傷口から、生物じみた紅の体液が溢れて、着物を染め上げる。ぐりぐり、と結は鉈を押し込め、加虐的に言う。

 

「どう…痛いでしょ?」

 

結はさらに、鉈の柄を握って前にやる。抉られる箇所が深くなって、魔女から苦痛の叫びが上がった。夏音は思わず、耳を防ぎたくなった。

 

『イダ、いだあああああい!!』

 

長い首がブンブン、縦横無尽に激しく動く。暴れ出す醜い女は、無茶苦茶に足をばたつかせる。結は突き立てた鉈から手を離し、ニヤつきながら、鉈を二本再召喚する。洗練された技術で、立ち向かう馬鹿な使い魔どもの爪による攻撃を、手ごと切りふせ、メイドはさらに血を被る。今度は魔女ではなく、彼女が大きく飛躍する。そしてーーー没落の魔女の背に、勢いよく刃を逆手で振り下ろす。

 

ざくり。嫌に軽やかに、されど確かな抵抗をねじ伏せるように結は力み、刃を体に入り込ませる。痛みが伝染するような絶叫がまた上がる。夏音はまざまざと、魔女がのたうち苦しむ様子を見せつけられる。結は鉈を引き抜く。内部から上に走った激痛が、魔女の体から発せられる声を借りて、夏音に報せる。

 

一方的な遊びが始まる。血の解体ショーが、開始される。

 

結は子供のように無邪気に、魔女を好き勝手に、虫の羽を根元から、ぶちゅんと引き抜いたり、首に刃を指して、縫い止めたり、無数の刃を腹や着物に突き刺して、降りると今度は内蔵を引きずり出したりする。血が撒き散らして、泉をつくって、川になる。

 

ぶちゅん。ざくり。ぶちゅん。ざくり。グサグサ、ぐるり。ねちょり。

 

気持ち悪い音。吐き気を催す匂い。タダでさえ醜いものが、醜くなっていき、見るに堪えない。刃の反射した光が、視界で明滅し、煌めいて、肉に吸い込まれては突き刺さったままの楔となる。刺繍が施された高級な衣は、もはやボロ布で、身にまとえていない。鮮血の川に、うき沈む。魔女はもう、動けず、命の炎は消え去ろうとしている。

 

と、そこで結はふと、思案するように目を閉じて、そして思いついたように瞼を開いて弾んだ声を上げた。

 

刃を向けると、緑の光が天使の祝福の如く、没落の魔女に降り注ぐ。魔女がピクリと動いた。神の奇跡を体現したかのように、みるみるうちに傷が巻き戻り、治っていく。だが、体には無数の刃。完治していく度に、鉈が食い込む。

 

「アアアアアア⁉︎助ケ、タ巣ケテ!!赦し手、ユルして、モウシ氏センから!!!?」

 

そしてまた、魔女は血を流して枯れた声で叫んだ。

 

夏音には、聞こえていた。魔女が許しを乞う言葉が。哀れすぎるほどの、懺悔が。憎しみと自らの運命を呪う呪詛が。まるで、自分が没落の魔女でもなったかのような錯覚に陥る。

 

だから、夏音は泣いていた。あんなにも怖がっていたのに、魔女に共感し、同調した。可愛そうで、結に恐れを感じて、震えていた。

 

『いい、イイイイイイイイイ!!キレイ、サイコウ!!ウハハアハハ!!』

 

ただ一人、血濡れのメイド服の少女が高らかに歌う。耽美し、頬が高潮するが、目は爛々と輝く。常に笑みを浮かべる彼女ではあるが、この笑顔こそが本物であるとばかりに、あまりにも生き生きとしている。

 

だが、それもしばらくすれば、なりを潜める。山から下って、思考が平静になっていっているようだ。結は絶頂から来た余韻に浸り、薄く笑う。

 

「アハハ……。ふう、つまんないけど、まあまあ満足したあ。そろそろ終わり……」

 

二本の腕に握られた鉈が、彼女の欲望を叶え、行使する。

縦に、横に、斜めに。追えないほどの斬撃が、魔女をバラバラに切り刻む。パリん、と結界が割れて崩れ去る。

 

『ふざ…ケる…ナア……!!』

 

一言、没落の魔女が呟いた。それが耳に響いた途端、畳の間が揺らぎ消え去る。周りが闇に包まれる。自由になった体で、社と月を眺める。ここは、現実の世界なのか、よくわからない。夏音は呆然と、それらをじっと見つめた。しかし、草を踏みしめる音に反応し、そちらに視界を移す。

 

紅の月明かりの下。広実結がいた。不釣り合いな髪型が、戦闘中にとけたらしく、そのシルエットは左右対称となっている。以前は純粋な白を讃えていたメイド服は、しかし全てが背徳的に赤い。スリットから見えた太もものソウルジェムが、きらりと眩く一瞬光る。鉈は、怪しく鈍い色をさらに血で濁していた。

 

夏音は驚いて後ずさり、たたらを踏んだ。結は魔法少女の姿のまま、親しい者に語かけるように問いかける。

 

「良かった。ちゃんと守れたよ。怪我はない?」

 

結はにいっと笑って、鉈を手に言う。

 

「僕が、治してあげる。きっと、そのさまは綺麗だから」



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すれ違う思い

赤い月が浮かぶ絵画の空が、窓という額縁に収められている。クローゼット、ベット、本棚。そして、湯気をたてる紅茶を容れたカップに、レポートが散乱した机。それだけの、必要最低限の家具。それでも、阿岡入理乃は、所持品ばかりは多い。本棚には読みもしない雑学の本でぎゅうぎゅうだし、着ない服も何着もある。特に年々書いた龍神信仰についてのレポートの束は厚くって、見直すのも大変だ。

 

「これじゃない…。これでもない…ああ、もう…!」

 

入理乃は、面倒くさい作業に、冷たげに息を吐く。こうであるのなら、もう少し整理するのであった。そして、ふと

少しだけ、こんなものに意味などないような気がして、くだらなくなり、ふとこれを書いたきっかけを思い出す。

 

昔から、阿岡入理乃は、幼い頃から天才だった。あらゆる才能が突出していた。しかし、阿岡入理乃は本流の子供ではない。そして、早島の伝説では、銀島龍は自ら選んだ子に才能を授ける力があるとされていた。つまり、入理のは選ばれた子であるとみなされていた。

 

早島の古い家の者は、呪いのように、血統と伝説を重んじる。親戚一同は入理乃のことをよく思わなかった。信仰心と嫉妬心。それが、いじめの原因。

 

暴力、罵詈雑言を浴びせられて、同じ家の子供から、石を食わされた。大人からは、殺されかけたことだってある。両親は見て見ぬふり。いつだって、面倒はみてくれなくて、普通の人からは賞賛されても、結果しかみないし、不気味がる。

 

人は、どうして自分を愛してくれないのか。他の人は、愛されているのに、どうしてなんだろう。入理乃は、昔それだけしか思ってなかった。自分をいじめる周囲の気持ちがわからなかった。だけど、愛されようと努力するうちに気がついたーーー阿岡入理乃は、そういう存在なのだと、気がついた。

 

阿岡入理乃は、卑下されて当然で、愛される権利なんて元からない。馬鹿で、愚かな人間の中でも、最低で最悪のもの。人間なんて、メリットがあるのとないのとでしか、自分を判断しないし、価値を見出さない。能力だけしか取り柄のない…、いいや、それさえも意味の無いのだ。元々、入理乃はそういう存在として生まれてきたのだ。

 

そうわかった時。人間というものを理解したことで、恐怖が薄れ、安心した。そして入理乃は、理解すれば、怖いものも怖くなくなる。わからないものがあるから、恐怖する

ということを学んだ。

 

故に、入理乃は、龍神信仰のことについて調べ始めた。龍神信仰は、人間の心に巣食う恐怖の元凶。だったら、それを理解すれば、怖くなくなるはずなのだ。そうして、数年の間情報を纏め、レポートを書き上げていったのだ。

 

「…見つからない。これじゃあ、駄目だわ…」

 

いつも一人でいると、独り言が増える。自分で自分に話しかけるのは、気楽なものだ。自分自身が嫌いだけど、最も怖くない。阿岡入理乃は、阿岡入理乃が一番よくわかっているのだから。対して、他の人は予測がつかない反応を示す。得体の知れないものなんて、嫌いだ。

 

ポケットから、グリーフシードを出す。このグリーフシードは、菊名夏音が持っていたものだ。それが、つまりは何を意味するかなんて、明晰な脳はすでに答えを出している。首から下げた袋から、指輪を取り出して、比べてみる。

 

魔法少女と魔女は、ある意味イコールではあるが、厳密にはイコールではない。魔法少女は人間で、魔女は化け物。阿岡入理乃が化け物に変質してない以上、彼女は魔女と同じものとは呼べない。だから、これらのソウルジェムとグリーフシードが、同時に存在できる。恐らく、入理乃が魔女になればこのグリーフシードの方も消えるだろう。全く、皮肉なのだろうか。馬鹿馬鹿しい。

 

「………はあ、私ってやっぱこうなるんだね」

 

なんとなく、どうやって魔女になったか想像はついている。でも、何があったかなんて、本当のところはわからない。年を取るにつれ、理解できないものが増えていく。

 

魔法。魔法少女。魔女。インキュベーター。広実結。菊名夏音。東順那。全部、嫌い。大嫌いだ。どうして阿岡入理乃は、こんなものに関わってしまったのだ。魔法少女の素質があるから、といったらそれまでだけど、でもそんな素質はいらない。才能なんて、欲しくない。嫌なことばっかりだ。

 

でも、良かったことが二つ。船花サチと伊尾ミズハに出会えたことだ。これらだけが、入理乃を救ってくれた。彼女らは自分と同じもので、同じ感情を持っていて、共感できた。安心できる場所をくれた。絶対手放したくない。

 

カップを持ち、よくサチと一緒に飲んでいる紅茶を口にいれる。嗅ぎなれた甘い匂いが鼻を通り抜け、喉を通る液の熱が、じわりと胸に広がる。穏やかな気持ちのまま、入理乃は、目を閉じる。

 

サチは、絶対に行動しない。それがわかる。いつだってサチは入理乃を利用していた。入理乃に肝心なことや厄介なことを任せた。そうする方が合理的だから。そして、それで入理乃も構わない。合理的なのは良いことだ。

 

だって、自分の方が上手くやれる。下手に手を出されても困るし、優れているんだから、やる義務がある。それが一番良いことなのだ。当たり前のことを、当たり前にやるまでだ。

 

サチは怒っていたけど、けど大丈夫。あんなの、現状が訳がわからないから怒っただけなのだ。誰だって、わからないものは、怖い。サチもそうだっただけ。

 

入理乃は、立ち上がりパーカーを羽織る。フードをかぶると、その布の感触に安堵して、窓を開ける。そうして、飛び降りて、家を出ると、街に繰り出していった。

 

魔女を殺し、グリーフシードを得るために。

 

 

◆◇◆◇

 

 

十月十日。静かに鳥がなく早朝。肌寒さがあって、思わずベットの中でうずくまる。サチの携帯電話からは、さっきから軽快な音楽が響いている。わりとうるさくって、でも億劫で行けない。いや、行きたくない。そのまま半分起きながらも、唸りながら再度夢にダイブする。

 

「……うう……」

 

サチの普段の寝起きは、そこまで良いほうじゃない。せっかく携帯電話で目覚ましを鳴らそうが、起きない時は起きない。ほんの数年前までは、こうはいかなかった。実の両親にきっちりとした時間に起こされるものだから、つい自然に目が覚めた。それがなくなったのは、良くも悪くも、普段の生活が息苦しくなくなったからだろうか。

 

気が抜けて、だらしなくなったのは、本人も自覚ずみである。だが、サチはそれで良いと思う。むしろ、それこそがサチの本来の姿だ。

 

眠気に抗うなんて嫌なこったと、サチの思考がなくなっていく。やがて、サチは締まりのない顔で、鼻ちょうちんを作り始める。意識を底に沈めれば、そこに音は届かない。気にする必要もなく、気持ちよく眠りに浸る。

 

ああ、素晴らしい。眠るのは最高だ。朝の布団で、時間を気にすることなく二度寝。これに勝る幸福があるものか。

 

だが。そういうものは、いつだって早く終わる。一つの人影がベットに近づくと、すうと空気を取り込んで、爆発させる。

 

「…おい、起きろぉ!サチィ!!」

「…ぐぅ!?」

 

耳元で叫ばれる怒鳴り声が、頭を揺らして意識を引っ張りあげる。なんだよと眠気まなこでイライラしながら起き上がり目を開けると、サチはまずい、と顔を引き攣らせた。

 

「何度いえばいいんだァあ!馬鹿娘!!」

 

目の前には、いつの間にか船花久士。手にはしつこいくらい鳴っていた、しかし今は静かなサチの携帯電話。久士は、普段の温厚さが鳴りを潜めるくらいには、サチ以上に朝が弱い。部屋は隣同士だから、恐らく携帯電話のアラームが聞こえてしまったのだろう。それで彼を怒らせたのだ。

 

朝の眠気に加え、騒音への怒り。彼のボルテージはレッドラインの限界をぶっちぎっているだろう。

 

人生最高の幸せから、人生最悪の不幸へと叩き落とされた。その落差は、あまりにも激しい。サチは冷や汗を流しながら、ごまをする。

 

「お、おはようございます。本日もご機嫌麗しゅうーーー」

「ああん!?」

「ヒィい!!」

 

びびって萎縮する。寿命がそれだけで百年は縮んだ気がする。養父は、くまが残っている目でぎらりと睨み、青筋をたてる。その姿はまるで鬼神、あるいは閻魔大王である。魔女よりも恐ろしい。あれ、最強じゃね?うちの父親まじすげえ、なんて頭のどっかでアホみたいに思う。無駄な現実避難である。

 

彼は凄みのある、唸り声のような低い声音で、言い聞かせるように言う。

 

「何がおはようじゃ、ボケえ。チャッチャラーって、少しはましな音楽にしろい!!これだから最近の若いもんは!」

「え、怒るのそこ…。ていうか、ポップの良さはお義父さんにはわからないですよー!」

「うるせえ!!朝はクラシックと決まっている!!ポップなぞ、どこが良いんだ!」

「流行も把握してないとか、老けてるね!おじいさんじゃん。おじいさんー!!」

 

おじいちゃん、おじいちゃん、とはやし立てる。サチは基本的に単純である。そして調子に乗って、痛い目を見るタイプである。恐怖なんて忘れて、楽しい気分で煽る。だが、当然の流れで、ゲンコツが頭に炸裂。星が視界に飛んで消えた。

 

「…サチ。なにか言ったか?」

「何も言ってないですう!」

 

痛みに耐えながら、首を降る。しかし、暴力おやじぃ、と心の中で地団駄を踏みしめ、満足そうに携帯電話を置いて出ていく義父に、ちくしょうと、サチはさらにあっかんべーと舌を出した。

 

「………ああもう、酷い目にあった…!」

 

サチは自分の頭を撫でる。これはたんこぶができているかもしれない。

 

全部、これも菊名夏音のせいに違いない。こんな休みに早く起きたのだって、順那と電話をする約束をしていたからだ。だから、入理乃をおかしくさせた夏音がいなければこんなことになっていない。そう思うくらい、人のせいにしたくて堪らない。実際には、因果応報、自業自得というものだが。

 

あくびを一つ、ゆっくり伸びをする。サチはベットから立ち上がって、パジャマを床に散らかし、私服に着替えると、改めて携帯電話片手にベットに座る。昨日登録した東順那の番号を選択する。耳に当てると、今度は目覚ましとは別の明るいメロディーが流れる。しばらくして、それがぶつりと途切れて、代わりに明朗快活すぎる声が弾けた。

 

「いやっほー!!時間通りっすね、サチ!!」

「何かテンション高くね? どったの?」

「いやあ、実はさあ、朝ネットの掲示板見てたら、お父ちゃんを育てようシリーズのゲーム最新版がでるっていうから、もう嬉しくて嬉しくて!」

「…何そのシリーズ…」

 

お父ちゃんを育てる? そんなの意味あるのか?というかそんなことするのを見たりしたりするのって、どうなのだ? おもしろいのか? そもそもそんなゲームを考えついたのはどこの会社だ。頭狂っているように、サチには思える。

 

「文字どうりお父ちゃんを育てるゲームだよ。赤ん坊のお父ちゃんをね」

「はあ!? ますます何それ!?」

「ちなみに、派生作品に、赤ん坊を育てようゲームもあるよ」

「何でそっちは普通なの!?いや、そうじゃなくて、入理乃のことについてなんだけど、どうする?」

 

そうだ。わざわざ電話をしたのは、入理乃について話し合うためだ。くだらないことを気にしている場合じゃない。一刻も、彼女を止めなければいけないのだ。

 

サチは、少し神妙な顔で、自分の考えを言う。

 

「……私としては、まず先に入理乃がどこにいるのか知りたい。そうじゃなきゃ、話もできないし」

「でも、グリーフシードを集めてって言ったんでしょ?連絡とれないのに」

「それもそうだけど…それじゃあ、向こうから連絡してくる可能性が高い…か…」

 

逆にこちらから積極的に接触するのは、いけないことなのかもしれない。無駄に動きを見せない方が、返って怪しまれなくて良い場合もある。

 

「うん。それに、彼女の居場所はわからないけど、昨日家に帰ってるはずだと思う。さすがに、一日中外にいるわけじゃないでしょ」

「まあ…確かに…」

「だから、盗聴器に何か録音されているかも」

「…は?」

 

耳を疑う。盗聴器?盗聴器なんて、仕掛けたのか?どうやって?

 

「いつの間にやったんだよ、お前!?」

「東家に普通にあるのを、お家にお呼ばれした時にちょちょっとね」

「…いやいや、どうなってんの?お前…信じらんない、マジでやったの!?本当、テメエら従姉妹はどうなってんだ!?」

 

もう、驚愕しかない。頭のネジとんでいる、とは思っていたが、さらにネジだけでなく部品までどこか落としてきたみたいだ。盗聴器が普通にあるなんて有り得ないし、それを普通のノリでこっそり仕込むなんてのも有り得ない。

 

「……で、でも、それで情報が掴めるんなら、回収するべきか」

 

サチは表情にドン引きの文字を貼り付けたまま、そうとりあえず言う。この場合、グッジョブと言えるのだろうか。

 

「あたしにしかできない仕事だね。今日タイミング見計らって侵入するから、貴女はグリーフシードを集めててよ」

「大丈夫なの?私が回収してくるけど」

「でも、教えたところでわからないよ。それに慣れてるから。あ、最悪ピッキングでもいいけど、合鍵持ってる?ちょうだい?」

「…まあ、持っているけど」

 

サチは一末の不安を感じつつも、一応レプリカを渡しておこうと思い、家の近くの公園に集合場所と時間を決める。順那は気安く了承し、通信を切られる。

 

サチはその直後、ベットに倒れ込むと声に出さずに、叫んだ。じたばたして、思い切り愚痴を言ったあと、サチは苛立った様子で合鍵をぶんとってレプリカを作ると、部屋を出ていった。



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少しぐらい甘い物

サチの養父、久士は中々器用な人だった。その上わりと凝り性で、料理にもそれが現れる。朝が苦手だから、といった理由で妥協は許さない。いつも、プロ並の盛り付け、プロ並の味付け。クオリティは落ちないけど、でも全体的に重い。

 

今日の朝ご飯は、サラダ、スープ、ライス、牛肉のステーキ。それからデザートのケーキ。飲み物はいつもの紅茶。中々肥えた舌を満足させるにたる絶品の品々に、今日もサチはご機嫌で、しかしきちんとしたテーブルマナーで食べ進める。そんなサチを、この時ばかりは、少し潜めた眉を下げ、久士は微笑ましげに見る。サチも、久士の表情が嬉しい。自分を見てくれてるのが嬉しい。

 

いつもの朝の光景が、今日もゆったり流れている。この時間は幸せで、穏やかで、それでいて、サチのかつての理想そのもの。理想の親は、理想の生活、理想の暮らし、理想の暖かさをもたらした。

 

養父は時々、サチに感謝の気持ちを伝える。サチに会って、自分の本当の自由と存在意義がわかったというのだ。

 

かつては伯父は、とても人の面倒を見る人ではなかったらしい。悪い人ではないけれど、気ままにぶらぶらして、周りなんて顧みない性格だった。しかし、三年前にサチを見て、守りたいと思ったのだそうだ。どんなことがあっても、大切にすると誓った。そんな彼を、突然人柄が代わったみたいだ、と伯母が話していた。

 

サチは伯父に会ったことすらなかった。思えば、両親の葬式で、初めて出会った。だから、サチにとっては、今の久士がすべてだ。どうであろうとも、その思いは嬉しい。偽物じゃない。

 

でも、サチは不安になる。幸せを噛みしめるほど、楽しいと思うほど、疑念が心で渦巻いて、ひどくイラつく。罪が目の前に権限して、その度にサチは今の自分が船花サチだと言い聞かせる。

 

そうしないと、気持ちが落ちつかない。

 

サチは、養父をちらりと見る。機嫌が大分柔らかくなっていることを見て、少し安心して、それから呼びかける。

 

「…………。ねえ、お義父さん」

「どうした?」

 

サチがいつもより大人しいからだろうか。久士が、可笑しそうな、珍しいものでも眺めている顔をする。サチは一瞬だけ口ごもり、ゆっくり尋ねる。

 

「もし…、もしもさ、何でも願いが叶うよって言われて、その子が自分の願いを願って実行するじゃない?すると、周りが変わっちゃって、書き換えちゃったとしたら…どう思う?」

 

サチは、どうして、養父にこんなことを聞いているんだろうと、疑問に思う。だけど、すぐに答えがわかった。多分、この人に、悪くないと言って欲しかった。自分が悪くない、という確証が欲しかった。

 

「サチ、そんなこと言うなんて、本当にどうした? 何で変なことを唐突にいうんだい?」

 

訝しげな久士。シチュエーションも限定的であるし、彼の言う通り、変なことだ。奇妙そうにするのも無理はない。サチは何て言ったらいいのか分からず、これまた変な言い訳をする。

 

「…いや、自分でもこんなこと言うなんて、キャラじゃないし、おかしいと思うんだけど。えーと…、そういう話?を見たんだよねえ。だから、その話について、どう思うのかなって」

「ふうん。何時も、鳥とか船とか、あとは超ベタベタな恋愛ドラマしか見ないのに、そんな話のものを見たのかい?」

 

サチは思わず、超ベタベタで悪かったですよ、と悪態をついた。別にいいではないか。乙女の端くれでもあるサチだって、男子とイチャイチャしたいと思うのだ。ドラマでくらい、主人公に自己投影してキュンキュンしたい。

 

ちなみに入理乃は全くそういうものに興味はない。テレビも見ないから、芸能人も知らない。ただ、雑学の本を読んだり、彫刻したり、編み物をしたり、模型を作っている。意外と多趣味であるらしい。

 

「でも、その話ってアニメだよね?」

「え、まあアニメ、かな」

「そうなのか。じゃあやっぱり、歌劇場ってアニメかい?」

 

サチはあまり知らないが、歌劇場、というのは、三十年前ほど前に流行ったアニメだと聞いたことがある。演者と呼ばれる少女達が、それぞれの思いを糧にした特別な力を振るい、脚本、つまり歴史を改変しようとする敵勢力と戦うというストーリーだ。特に敵の幹部、ハニーガールは有名で人気があるとかなんとか。

 

「…あー、うん。そんな感じのタイトルだったわ」

「懐かしいな、クラスのみんな見てたよ。サチが言っているシーンは、超名シーンのあれだろう?」

 

曖昧にうなづく。あれとか言われても、知らんという感じだ。

 

「そうだな、あれは正直言って、同情もできたけど、勝手だったと言わざる得ないだろう」

「へえー、そうなんだー」

 

もう、いつのまにかアニメの話になっていて、望んだ返答は返してくれなさそうにない。アニメの話題に繋がってしまったとか、思ってなかった。だいだい、やっぱり変な質問したサチ自身が馬鹿だった。サチは後悔して、そんな自分にまたイラついた。

 

「だけど、その思いはどうであれ、尊かったんじゃないかとも思う」

「じゃあさ、お義父さんはさ、わーーーううん、他の子が同じ立場だったとしても、同じことをやっても、尊いと思う?」

「ああ、もちろんさ」

「ふーん…」

 

サチはケーキを頬張る。サクサクの生地。まろやかな味わい。甘さは控えめだった。このぐらいがちょうどいいけど、もっと甘さが欲しい時もある。今が、その時のような気がした。

 

 

◆◇◆◇

 

 

食事を食べ終えて外に出て、約束の時間ギリギリについたサチは、同じくギリギリに来た順那と挨拶を交わした。会話をすれば、相変わらずのわざとなのか天然なのか、よくわからない論点ズレまくりな彼女に辟易とする。サチは前回と同じく振り回されながら、絶対に悪用しないことと、失敗しないことを言い含めて、レプリカスペアキーを渡した。順那は軽い調子で受け取って了承し、不安で仕方がないサチは、ジト目で彼女を見ていた。

 

それから、少しだけ会議をしてそれぞれ別れた。そして現在ーーーサチは魔女狩りに明け暮れていた。

 

「オアアアアアア!!!!」

 

サチの唸り声が上がり、錨が振り回される。だんだんと大きくなっていた椅子の影が、盛大な音で弾かれ明るくなる。綿毛にヒゲのついた使い魔を横にはたき、汗を拭い、サチは魔女ーーー黄色い雌しべのような胴体に、蝶の羽、緑の薔薇の生えた髪、さらには無数の触手という異形を見据える。

 

「だあ…、めんどくさい!ちゃんと今回は、グリーフシード落としてよね!」

 

結界、最深部。灰色の壁に囲まれた、薔薇の花が咲く場所。そこは、薔薇園の魔女、結から仮名称として、花の魔女と呼ばれる魔女の、大事な花園。魔女にとって、これは全てであり、これを汚すものは敵である。他の魔女の例にもれず、薔薇園の魔女は全身全霊を持って、この敵を倒そうとして、そしてサチもまた、魔女を退治しようとしていた。しかし、どちらが上かは、もうこの時点で決まっている。サチはそれを信じて疑うことなく、錨を持ち直して、駆け出す。

 

魔女が髪の毛を振り上げ、雷鳴の如く、蔦が降り注ぐ。一つ、二つ、三つ、飛び跳ねて回避して、四つ目は突っ込んで切り裂き、魔女の懐に飛び込む。錨の半月が押し出す勢いのまま、魔女の身体と共に、一直線に移動。壁に魔女の身体をぶつからせ、縫い付ける。

 

「ーーーーー!!」

「るっさい!!」

 

文句を言って、柄を離して距離をとり、新たに手にした武器のギミックを発動。変形させた長い銃の銃口に、魔力を注ぎ込む。中に仕込まれた弾丸と反応しあい、薄く淡く、銃が輝く。

 

反動と共に、銃が砲撃の声を上げる。魔女の頭部が、瞬間火を吹いた。続いてもう一発、二発、三発。胴体を貫く。そして合計五発目、ちょうどその頃に、銃の魔力が胎動する。そろそろだ。

 

「オラァ!」

 

サチは銃を思い切り魔女に放り投げる。空中で、銃がチカチカと点滅し始める。

 

サチは、基本接近戦をとる。それどころか、遠距離戦は滅多にせず、避けたがる。武器を銃に変形できるのに、だ。別に銃が苦手なわけでもない。ただ、遠距離担当の入理乃がいたから、やらなかったという事情もある。しかし、最大の理由は、銃自体にある。

 

サチの銃は、五発しか弾がない。だから、撃てる回数も少ない。そしてそれを超えると、魔力が暴走して、子規模な爆発を生み出す。こんなんだから、危なくて使えないのだ。だが、それが敵に向けば話は別である。

 

銃が放射線を描いて、黄色い胴体に触れる。魔力が爆ぜた。

 

ドン、と炎が炎上して魔女が焼かれる。薔薇に火の粉が燃え移り、大切な園が、ぐちゃぐちゃにされていく。魔女は萎むように黒くなり、灰になって、グリーフシードが落ちる。

 

結界が揺らぐように消滅した。元の場所ーーーガラガラになった、デパート近くの商店街に降り立つと同時に、セーラー服が紐解け、私服にかわる。黒い宝石を手に取ると、サチはやっとか、と安堵した。そして汗を拭い、誰もいないのを確認してから、どっかりベンチに座り込んだ。

 

「もう無理!! 誰か変われよぉ〜…!」

 

魔女狩りは、足だのみである。移動し続ける魔女を追うのは大変で、最悪一日で見つからない場合もある。そしてグリーフシードは滅多に出ない。それでもサチは、ある程度経験がある。そして、結との対立の時に、彼女が魔女を狩るために、どこを好み、どこに潜むのか、的確に研究して狙ってきたお陰で、大体の魔女の居場所に目星がついていた。

 

けれど、その情報を使っても、ここまで歩いてきて、尚且つ連続戦闘は流石に疲労が溜まる。さっきのを合わせた戦闘回数において、二十回中六回のグリーフシード出現率のなさにも、泣きたい気分だ。いや、よく考えてみれば、普通の確率なのだけど、前持っているのと合わせても、七つなのだ。二人で分けるには、まだ全然足りない。しかも一つ、ちょっと使ってしまった。

 

「あー、船花様ってば、超偉いわー。いやあ、マジで。うん、やっぱ我ながら良いやつだわ、私って」

 

サチは、密かに自分を褒める。サチがここまで頑張るなんて滅多にないことだ。だから、少しぐらい、ぬぼっとしててもいい。幸いにも、誰もいないようだし、だらしなくしても問題ないだろう。多分。

 

サチは再度周りを警戒し、それからしばらくそうしていたが、やがてまた、勤務時間を終えたサラリーマンのように、両手を背もたれに乗せて、だらんと脱力して座った。

 

ボーと空を見る。青い空。白い雲。確か二時くらいだったと思うけど、もう三時ぐらいになっただろうか。いや、時間なんてどうでもいい。

 

「ああ、魔女狩りもどうでもいいや。他の人がやってくれ。いや、やれる人がいないから、自分がやるしかないのか。あーあ、魔女とか滅びてくれないかなあ。メンドクセ〜」

 

サチは愚痴り続ける。どうしても、独り言は多い。昔っから、両親に束縛された反動というか、やはり一人だと何もかもが、気が緩む。もちろん、孤独が好きなわけではないが。

 

グゥ〜と、ふと腹が鳴った。人はいない分、恥ずかしさも感じないサチは、そういえば、お昼を食べていないな、とぼんやり思った。サチはふふ、と笑いながら、鞄から効果音交じりに袋を取り出す。

 

「ジャジャーン、チーズおつまみ〜」

 

このチーズおつまみは、父からパクったものである。久士は、大層チーズおつまみが好きで、サチも好きだ。一つねだって食べてみたが、あの超庶民的なお味は、サチにとっては軽くカルチャーショックだった。だが、あんまりにも気に入って、勝手に全部食べちゃったことがあったので、以来食べさせてもらえない。どころか、独り占めするのである。

 

何という、馬鹿な大人か。子供のわがままの一つや二つ、許すのカンヨーさがない。だからいつまでたっても、童貞なのだ。

 

サチはこっそり食べ続けていたが、もう我慢ならなかった。だから、報復としてレプリカの袋に、チーズおつまみを半分詰めた。これでいつでも好きな時に食べられる。そして今がその時だ。

 

袋を開け、チーズおつまみを出す。むひひと笑いながら、チーズおつまみを口に入れようかしたその時ーーー魔女の魔力反応が走った。

 

「ハィ!?」

 

驚いて立ち上がった瞬間、現実が湾曲して、甘ったるいお菓子の世界が広がっていく。チーズおつまみを持ったまま、サチは無意識のうちに変身する。視認できた、高い椅子に座った可愛らしい人形の口から、大きな影が飛び出す。黒地に赤い斑点のポップな大蛇が、いかにもポップな顔立ちで、ペロリと舌舐めずりし、ドクロを巻いて出現した。

 

「な、こんな時にぃ!って、おわ!」

 

突然に、魔女がその巨体に見合わぬスピードで襲いかって、反射的に避ける。ホットしてコンニャロウと睨みつけてーーー手に持った袋がないことに気がついた。魔女の方を見ると、そこに落とした袋が。魔女はニッコニコの笑顔で、袋を飲み込んだ。満足そうに、味わいながら。

 

むしゃむしゃ。ごくん。

 

食べ終わると、魔女はそっぽを向いた。興味がなくなった様子だった。

 

結界が掻き消える。菓子の臭いが遠ざかる。肌寒さが再び戻って、商店街の風景も目の前に戻った。

 

呆然として、サチは突っ立った。次の瞬間、頭を抱え叫んだ。

 

「私のチーズおつまみがーーー!!」

 

食べ物の恨みだ。絶対に逃がすものか。休んでいる暇などあるものか。成敗してくれる。

 

「追いかけて、絶対に、徹底してクソヘビをぶちのめしてやる!」

 

サチはそう言うやいなや、変身を解除して走り始めた。



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必然

チーズおつまみを勝手に食い漁り、どこかに消えた魔女は、見覚えのない魔女だった。つまり、新種か、それか三滝原から流れてきたのだろうか。どちらにせよ、新種は見つけた時点で、即殺すべきだと、魔法少女になってしばらくしてから、入理乃は話した。

 

サチがよく分からず何故かと問えば、今まで戦ってきた魔女の種類が、一定以上重なっている場合がある、と入理乃は答える。つまり、人間を食らって繁殖し、広まってしまった魔女が存在していると結論づけられる。そしてそのまま地域的に定着した魔女がいるということは、ほかの魔女だって、そうなる可能性があるということだ。それがいかに危険か、言わずもがなである。

 

しかし、魔女に辿り着くのは、予想以上に難航した。すぐ現れて離れたので、そう遠くにはいかないはず。魔力の痕跡を辿れば、すぐに追いつける。そう思った自分が甘かった。

 

魔女は意外と、すばしっこかった。捉えたと思った魔力の波動も微弱で、人の密集地などの、感情が集まりやすい場所などを探ったが、逆に薄くなるばかり。かといって、暗い人気のない魔女が好みそうな場所とて同じ。むしろ、普通の道をほぼ一直線に進んでいっているようだった。

 

「…で、ようやく会えたわけだけど、まさかよりによって…」

 

魔力の反応からして間違いない。苦心して、何とか、何とか追いついた魔女の居場所。それは、よくある空き家。丸く右折する石垣に囲まれた道の角に位置する、杜撰なつくりで、かつ錆びているトタン屋根の家だ。

 

サチは微妙な気持ちで、頭を悩ませた。普段なら、ズケズケと行って、ちゃっちゃと終わらせる。だがあいにくそういうわけにもいかない。トタン屋根の家に続く道にはーーー壁がある。魔力で編まれた、早島市を二分する壁が。

 

その壁は、サチが基礎の魔力を注ぎ、残る二人が拡張した結界。薄く遮断の効果がないそれは、目視できないほど淡い。だけど、感じることができる。壁に近づこうとした時、警告のように魔力反応が伝わる。結界は、文字通り領域の境目、線引きの役割がある。

 

その先に踏み込むのは、その線引きを破壊すること。結の行為で、もう役目はないも同然に等しい結界だけれど、こちらが敵対者と同じ行動をとったら、バレた時まずいことぐらい、サチにも分かっている。だが、せっかくの獲物が、しかも新種が結界の向こうにいるなんて、もどかしい。

 

サチは結界の前で渋い顔をしながら、悶々としていると、ふいに魔力反応が徐々に遠ざかる気配が走った。魔女がどこかに行こうかしているのだ。サチは思わず落胆した表情をした。

 

もう駄目だ。逃してしまうーーーそう思った瞬間、家の壁に鉈が、まっすぐ右手から飛来する。壁に刺さった途端、ギィン、と緑の鉈の魔力が唸り、移動しようとした結界が半強制的にその家に縫いとめられて動けなくなり、入口が顔を出す。

 

サチの瞳が驚愕に染まる。この魔力の反応、忘れるはずがない。それにこの武器。入理乃の分析と、本人の話曰く、魔力を込めることで魔法の媒介となる鉈ではないか。考えるまでもなく、目の前の鉈を放ったのは、

 

「今の、まさかーーー結か!?」

 

答えるように、こつん、こつん、と足音が響いて一人の少女が姿を現わす。色素の薄い髪を、左を高く結んで、右側を三つ編みにした髪型が揺れて、サチの真正面に体が来た時に治る。淡い瞳が笑って、従姉妹の顔を彷彿とさせたが、今更になって、数年会っていないせいか、随分と昔の印象と異なることに気がつく。青い上着にシャツ、半ズボンとスニーカーの組み合わせはほぼ実用性を重視したせいか、微妙に本人に似合っていない。中学の制服姿しか見たことなかったから、これはこれで違和感がある。

 

サチはジロリと少女、広実結を睨みつける。憎たらしい瞳に、結は一瞬相変わらずだなあ、と懐かしげな、しかし申し訳なさそうな顔をしたが、次には気さくに話しかけた。

 

「久しぶり。サチちゃん。元気にしてた?」

「…元気にしてた?この船花様が元気に見えまして?わかるよね、アンタがしたことのせいで、こっちは色々大変なんだよね、クズ!何で助けたんだ!揉め事起こしやがって!」

 

助けたも何も、大元を辿ればキュゥべえに話したサチが悪い。その事は理解している。自分のことを棚に上げて責めているのは分かったが、でもわざわざ助けたなんて、また対立を起こしたいからではないのだろうか。いや、そうに決まっている。普通なら、めんどくさくて、助けるはずない。

 

これから先もずっと前と同じだったら、どんなに良かったか。本音を言うとサチは結が嫌いだから、今までどっかに行って欲しいと思っていた。だけど、そんなことはできなくて、サチも入理乃も小さなテリトリーの中で、グリーフシードがないなか、仕方なく我慢していた。我慢していた方が、平穏だったからだ。でも、結は平穏を壊した。サチには、それが許せない。自分も自分勝手だが、結の方が数倍自分勝手だ。

 

「そんなに魔女を独占したいのかよ!アンタ、そうやって私達を追い出しテェんだろ!!」

「…僕はそう思ってない。ていうか、そんな訳ないじゃん。よく考えなよ。独占したり、追い出したりしたいなら、夏音ちゃんを助ける以前に、とっくに行動してるって」

 

呆れた声色に、サチは図星を突かれて黙る。何も反論できず、自分の馬鹿さばかりがひけらかされたような気がして、無性に恥ずかしい。サチはイラついて、舌打ちをした。

 

「で、何でいるの?船花様に教えて?」

「んー、それを説明するには、彼女に出てきてもらわないと」

 

彼女?と、サチが渋い顔をすれば、結が横を少し困ったように笑って、右を向いた。すると、しばらくして、石垣の陰から、橙色の髪を横に結んだ、セーターにスカート、ローファーという地味な格好の少女が出てきた。迷っているように、恐怖で震えるように、眼鏡ごしの瞳が彷徨う。そして、意を決したように、目を合わせた。それにサチは、息を呑んで、彼女に指を指した。

 

「な、何でいるんだよ、菊名夏音!!」

「そ、それはこっちも同じです。何でいるんですか…?」

 

夏音も驚愕の意を伝える。どうやら、互いに、この場で邂逅したのは想定外であるようだ。何故こんなところにいるのか、一体何をしているのか、全く混乱して、訳がわからない状態だった。動けず、瞳と瞳の間で睨み合う。

 

ただ、唯一、結は両者を見比べて静かにしてていて、不憫そうに隣の少女の方を見た。夏音は視線に一瞬だけびくりと驚いたが、眉間に皺を寄せて、目を細め、怖がるというよりも、拒絶に近い反応をした。結は参ったとばかりに、苦笑する。

 

サチは、そんな二人のやりとりが引っかかったものの、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきて、先に自分から事情を説明する。

 

「私はその魔女を追って、こんなところに来たんだよ。アンタらは?」

「僕達は、魔女を探していたんだ。夏音ちゃんがどうしてもって言うから。で、どうせ近くにこの壁の結界があったから、一応どういうものか実感した方がいいかなって、連れてきたんだ」

「それで、貴女に会ったんですよ…。本当に、こんなことってあるんですね…」

 

歯切れの悪い口調で夏音が言う。まるで、会いたくなかったといわんばかりに弱腰というか、いちいち隠れられていたし、なんとなくムカつく態度だ。舐められて入るのだろうか。失礼極まりない態度だ。サチは無性に馬鹿にされた気がして、むかっ腹が立った。

 

「ていうか、二人揃って仲良しなの?夏音、どうしてもって、グリーフシードでも集めて私達と戦う準備がしたかったってことなの?それに付き合う辺り、結も結だよ!アンタら協力関係ってやつ?早島を自分達だけのものにするんだね」

「ち、違います!そんなつもりありません!」

 

慌てたように夏音が否定するが、そんなのサチには信じられない。こんな奴の言うことなんか、一ミリだって、信用なんかできない。これなら、順那の方が信用できる。だって、彼女は身元がはっきりしているんだから。夏音はそうじゃない。夏音に関しては、何もわからない。

 

「アンタ、何者!?どこから来たの!?早島中の制服だったけど、ここの近くに住んでんの!?そもそも、何が目的なのよ!!」

 

訊きたいことを次々とぶつける。だけど夏音は、黙った。何かを言いたそうに、顔をしかめて、俯いた。奇妙なことに結も、腕を組んでサチに悲しそうにしている。サチは二人の反応にイライラして、さらに畳み掛ける。

 

「何で何も言わないのさ!卑怯者、黙るとか、良い子ちゃん気取り!?ずるいよ、そういうの!」

 

サチがずるいと言った瞬間、ピクリ、と夏音は肩をはねさせた。真顔になって、かすかにずるい、と反芻して、泣きたげに自嘲した。彼女は明らかに沈んだ表情で、嫌に馬鹿みたいな笑顔で言った。

 

「…そうですね。私は貴女が訊きたいことに答えることができません。本当になにもかも、ずるいかもしれません。…すみません」

「はぁ!?何謝ってんのさ!?意味不明!アンタみたいなのが、私をバカにするんじゃねえ!」

「……馬鹿になどしていません!」

 

サチに、真正面から夏音が怒鳴る。サチは鼻を鳴らして、目尻を上げて警戒心を剥き出しにした。胸の奥で、炎が弾けて大きくなっていくのがわかる。それが、バンと弾けて、サチは思わず、ソウルジェムを衝動的に構えて変身して、武器を向けた。

 

「こちとら、我慢の限界なんだよ!いい加減にしろ!」

「……船花、やめてください!こんなの、何にもなりませんよ!」

「うるさい!逃げようとすんなよ!」

「………っ!」

 

夏音の体を魔力が覆い、黒い服に帽子の姿へと変わり、ハルバードを同じように向ける。サチはふぅんと夏音を一瞥する。彼女の構えが、明らかに丸腰の様子じゃないのだ。恐らく、どこかで訓練か何か受けたのだろうか。だが、一日で大したものだけれど、まだまだ戦い慣れていないものがする姿勢で、隙が多すぎる。どうやら契約したてというのは嘘じゃないらしい。

 

サチは、憤怒の火を夏音に近づける。それだけで、夏音は躊躇するように顔をしかめて、こっちまで眉がくっつきそうだ。サチは足を踏み込み、動かそうとしてーーーそこで沈黙していた結が二人同様変身して、やめて、と鋭く言い放った。

 

「武器を下ろして。ここで争ったって、しょうがない。魔女もいることだし」

「…そうだわな。頭に血が上りすぎてたわ」

 

…考えなしに動いてしまった。癪であるが、結の言う通りだ。何の利益にもならない戦いなんて意味がない。むしろ騒動を起こせば、さらなる問題に発展しかねない。

 

夏音とサチが臨戦態勢をとく。夏音はホッと息をついて、サチはガサツな動作で錨を下ろした。一応、武器は消さないでおく。何をするか、わからないから。向こうも構えはないが、ハルバードを握りしめている。

 

結は、よくできました、と言うようにうなづくと、さてと魔女の方を向いて、当然のように言った。

 

「あの魔女、もらっていいよね?」



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共闘

長らくお待たせしました。かのん☆マギカ、今年もよろしくお願いします。

※結の一人称が私になっていました。正しくは僕なので修正しておきます。


結はウキウキとした様子で、唇を三日月の形にする。彼女は上気したかのような頰に手を当て、弾んだ声でくつくつ笑った。

 

「久々の大物だもん。思いっきりやりたいんだよ、僕。ね、夏音ちゃん」

 

結に名前を呼ばれたと同時に、夏音はピクリと肩を跳ねさせ、冷や汗をかいたのか、誤魔化すようにぎこちない動きでうなづいた。わかりやすくらいに、顕著に怯えた反応だ。サチも結が未だに怖いと感じている部分があるので、彼女の気持ちはなんとなくわかる気がした。

 

よくよく思えば、夏音は運がないのではないのかもしれない、とサチは考える。結の側に居らざる得ない夏音は、二十四時間常に恐怖の対象と過ごさねばならない。それは、ある意味生き地獄すぎる。サチだったら絶対に無理だ。なんなら、自殺したほうがマシなレベルだ。

 

「…そうだね。そこから踏み込めないんだ。魔女は自由にしていいよ」

 

サチは苦々しい思いをしながら答える。こうなっては仕方がない。結の領域に入ったのだから、もう獲物の所持権はサチにはないのだ。

 

無論、言うまでもないことであるが、サチは本音の部分で言えば全然納得しきれていない。今すぐ許されるのならば、ぶっ飛ばして魔女を狩りに行きたいところだ。それか夏音を倒して再び監禁したい。

 

物騒なことを考えているのが顔に出ているのか、結はサチに獣みたいだなぁと困ったように懐かしそうに笑った。サチは気にくわなさそうに、柄の悪い態度でふんと鼻を鳴らした。

 

「うん、ありがとう。早速狩らせてもらうよ…と思ったけれど、本当はそんなこと嫌だよね?なかなか強力な魔力を感じるし、ここは共闘しない?」

「は!?」 「本気なんですか!?」

 

思わぬ結の発言に、サチと夏音は同時に声を上げた。もらっていいかと聞いておきながら、共闘とはどういうことか。いや、それ以前にサチにとって驚きなのは、あの広実結から共闘の二文字がでたことだった。

 

結はずっと暴れんぼうで、魔女のことしか考えていなくって、人の気持ちなんて慮ることさえ知らない有様だったのだ。そんな奴が、他人と協力しようと提案してくるなんて、想像できるわけがない。サチが気持ち悪いものにでもあったかのように顔が歪んでいくのも無理はなかった。

 

「どうしてこの船花様と結なんかが、一緒に戦わなきゃいけないんだよ?」

「やりたくなきゃしなくて良いよ」

「いや、その前にどうして共闘っていう発想が出てきたんだよ!?」

「だってこいつ、魔力パターンから察するに新種だから」

「?」

 

ちょっと言っている意味がわからない。

 

「こっちだって好みってのがあるの。魔女の姿とか、切り心地とか、殺した時の悲鳴とかいうことに、僕はこだわりを持ってるの。サチちゃんだって好きな食べ物にはこだわりとかあったりするでしょう?例えばカレーには納豆をかけるとか、その納豆はひき割りじゃなきゃ認めないとかさ」

「まあ、あるにはあるけど。食べ物で例えられても」

 

あとカレーに納豆は邪道だと思う。

 

「とにかく、僕は長い間苦労して、好みの魔女を研究して育てて、理想の環境をようやく作り上げたの。そんなところに、いきなり新種が広まっちゃったら管理に困るのよ。だから、なるべく新種は殺しておきたいの。でも僕こいつを倒せる自信がないから、協力者が欲しいなって思ったの」

「…うわあ、嫌な理由だわ」

 

返ってきた返答は、予想以上にとんでもないを通り越して、軽くやばい。魔女を殺すのを楽しむために、魔女を殺したいとはまったく理解に苦しむ。その感性は永遠に共感できなさそうにない。どうして魔女を殺すのを楽しむことができるんだろう。戦闘は慣れてはいるけど、サチは未だに楽しいとなんて感じない。魔女と戦うのは、養父とグリーフシードというメリットのためだ。

 

「ていうか夏音と一緒に戦えば良いんじゃないの?」

「夏音ちゃんは見たとうりなりたてだから」

「ああなるほど。弱っちそうだもんね」

「事実だけど、納得しないでください」

 

足でまといは連れて行きたくないということだろう。惑いは危険に晒したくないという配慮からくるものか。どっちにしろ、死んで欲しいとまでは思っていないので、夏音を連れていかないのには、サチも賛成だった。

 

「じゃあ、もしもグリーフシードが出てきたとしたら、それはどっちのものになるんだよ」

「揉めないように、グリーフシードはトドメを刺したほうがもらうってことにしない?」

「では、私はどうするつもりなんですか?」

 

この妙な展開についていけないのか、夏音が必要以上に様子を伺うように、不安げな顔をして結に質問する。結は安心させるかのように、柔らかな口調で、

 

「大丈夫。ちゃんとここに縛っておく。君が戦うことはないから。そもそも、今回はちょっと、夏音ちゃんには荷が重すぎるしね」

「わかりました」

 

夏音は素直にうなづいた。夏音が関わるのはフェアではないし、縛っておかないと、サチの方が結を信じることができないと判断したらしい。反対も言わないところを見るに、力が強い結に逆らう意思はなさそうで、決定には何の文句もないようだった。けれども一時とはいえ縛られるので、気分が乗らないのかもしれない。夏音は悲しげな複雑な表情を浮かべた。

 

「で、どうする?共闘する?ゆっくり時間をかけて、入理乃ちゃんと相談して決めてくれていいから」

 

サチは思い悩む。こういう時、真っ先に相談するべき入理乃は行方が分からないので自分で考えるしかない。サチは一人だけの時に共闘の提案がされた不運を呪いならしばらく考えて、

 

「言い分は理解した。私、結と共闘するよ」

「いいんですか?入理乃に何も聞いてないのに」

「私の相棒が私の立場でも同じこと考えるでしょ。あとグリーフシードを上手くいけば一人じめ出来るし」

 

入理乃を止めるためにも、グリーフシードは一つでも多く欲しいのが現状だ。それを考えるとこの魔女を逃すのはとても惜しいと感じられた。改めて魔女を探すのも大変だし、グリーフシードが手に入るチャンスを逃すのは嫌だ。

 

「本当に君一人だけで判断していいの?」

「いいよ、入理乃にはうまく伝える。きっと納得してくれる。さあ、さっさと魔女を狩りにいこう」

 

セーラー服の魔法少女がそう言うと、夏音が訝しげな顔をしてちらりと隣の少女を見た。結は答えるように一瞬だけ瞳を鋭くさせると、家の壁に刺さっている鉈を引き抜いた。その瞬間、結界の入り口は萎んで閉じて、結が固定するかのように、境界線の上に鉈を刺せば、再びその扉を開いた。

 

結はもう一本、鉈を召喚して、夏音の足元に飛ばす。ストンとそれは突き刺さり、突如輝いたと思ったら、地面に緑色の円を映し出して、そこから無数の光線が飛び出す。夏音は光線に貫かれ、ピクリともせず硬直した。

 

以前にサチも喰らったのと同じ技だ。入理乃の説明によれば、確か結の鉈は、あらゆる魔力を媒介する作用を持っているらしい。それを利用し、結の魔力を直接対象に通して、干渉。結の魔法を体の内側に展開することによって、目以外の全身を動けなくしているのだ。

 

「これで夏音ちゃんは動けない。彼女がこっちに来ることはできないよ」

「こうして見ると間抜けな顔してるなあ」

 

思ったことを口にすれば、ムカついたのか夏音はサチを軽く睨みつけた。しかし言ってみればそれだけしかできないのだ。何も言わないし、何もしてこない。ちょっと良い君だな、とサチは愉快な気持ちになった。

 

「それから揉めないようにって言ったけど、やっぱ揉めそうだから念を押して言っとくけど、とどめを君がさしても文句は言わないから、僕が魔女倒した後で、サチちゃんも文句言わないでよ?特別な場合を除いてさ」

「え、今更そんなこと言うの?この船花様が言う訳ないでしょ。結は私が文句を言うと思ってるの?」

「思ってなきゃ釘を刺してない」

 

瞬間、夏音がこちらを目だけで笑った。喋れない状態だが、動けたとしたら恐らく口を手で塞いで、笑い声を必死に抑えていただろう。サチは気に食わない夏音に馬鹿にされていらっときたが、すんでのところで我慢する。

 

しかし一発どころか百発は滅多打ちにしたいので、代わりに脳内で夏音を殴りつけ、罵倒し、ボコボコにする。夏音を服従させ、ついでに結もボッコボコにして、さらにはチーズおつまみを奪いやりやがった魔女をボッコボコにしてやる。そうやって手に入れたグリーフシードを掲げて勝ち誇れば、惨めったらしく泣いて謝る彼女達。

 

ああ、本当にそうなればどれだけ良いだろうか。脳内で描いたようなことはなくとも、実際にグリーフシードを手に入れれば見せつけてやれることもできる。悔しがる結が目に浮かび、俄然サチはやる気が湧いてきた。

 

「そこまで言うんなら、私がとどめを刺してやる!結なんかに負けないからね?わかった?」

「競争じゃないんだから、そんなはしゃがないの。本当、君はすぐそうやって調子に乗る性格みたいだね。先走らないでよ?」

 

嗜めるかのように結が腕を組みながら言う。まさか説教くさいことを言われるとは思ってもみなかったので、サチはちょっとだけ驚く。しかし順那が、結が従姉妹の中では一番年長者で抑え役だったと言っていたことを思い出して、納得した。そして、結の性格って面倒だなあと眉をひそめた。

 

「ちょっと、話聞いてる!?」

「聞いてる聞いてる」

「聞いてないでしょ!いい?死んじゃったらそれまでなんだよ?死ぬって本当にダメなことだからね?重大な怪我も一緒だからね?怪我したらすぐに言ってね。治してあげるから。ソウルジェムの穢れは定期的に浄化した方が良いよ。真っ黒になったらやばいから。これは確実なことだからね?あと怪我したらいけないって言ったけど、怪我以上に良くないのは、ソウルジェムが割れちゃうことだよ?自分の体よりもソウルジェムを優先的に守って。理由は聞かないで良いから。そして私が倒れてやばいと感じたら逃げて。出来る限りかばうけど、守れる保証なんてないんだから。他にはーー」

「ね、ネチネチうっさいな!心配性のオカンか!」

「お、オカン…」

 

地味にショックだったようで、結が固まる。それから思った以上に自分の心配症なところを気にしていたのか、結は頭を抱えて予想以上に落ち込んでいた。

 

なんなんだよ、と思いながらサチは結を無視して結界へと入っていく。後ろから、

 

「いざとなったら、逃げるんだからね!?わかった!?」

 

という言葉が聞こえてきたが、過保護すぎて余計なお世話だと思った。



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拒絶

戦闘シーンって書くの面白いですけど難しいですよね。少々わかりにくいかも。ちょっと長めです。感想が欲しい…。


結界は魔女によって千差万別の姿を持つ。空中要塞、海原、教室、草原。明るかったり、暗かったり、暑かったり、寒かったりと、明るさや温度もまた違っており、それがずっと続くのかかと思いきや、階層によって百八十度環境が変わるでありながら、しかし共通して言えるのは、どれもこれも奇妙で複雑怪奇な空間であるということ。そして魔女の性質に結界もまた寄るのだということである。

 

この結界も例にもれず、魔女同様、十分ポップでファンシーだ。そしてとにかく甘ったるい。なんせそこらかしこにお菓子があるのだ。胸焼けがしそうなほどの匂いがして、げんなりしそうだ。今まで入ったところで、お菓子が結界の材料の一つとして使われてあるのを幾度か見てきてはいたが、ここまで全部がお菓子なのは経験したことが過去になかったので、入ったのが二回目であってもげんなりした。

 

後から、普段着のままの姿で結が結界の中に入ってきた。彼女は彼女でこの結界に充満する匂いと菓子のビジュアルにやられたようで、具合が悪そうにした。

 

「僕甘いのダメなんだよね。お菓子を見るだけで吐き気が…」

「おいおい、油断するなって言ったのに、そっちがダウンしちゃいそうってどういうことなの?しっかりしてよ」

「ごめん、しゃんとしないとね」

 

結が左手を掲げる。薬指の指輪から光が迸り、全身へと広がって、彼女の服を魔女と戦う時に相応しい装束へと変えていく。一秒よりも短い時間でメイド服を身に纏うと、結は不敵に笑った。久方ぶりに見る、狂気の魔法少女がサチの目の前に現れたのだ。

 

魔力は以前に増して数段上がっており、立ち振る舞いも隙がなさすぎる。見ているだけでもサチは圧倒された。入理乃を含めた二対一ならともかく、一対一ではまともに相手をすることなく、やられてしまいそうだ。恐らく、この魔法少女と互角に渡り合えるのは巴マミや佐倉杏子のような強力なベテランであろう。

 

「お前、なんか以前より強くなった?」

「うん。魔女殺すために、色々勉強もしたからね」

「勉強?わざわざそんなことしてたんだ。私なんかーー」

 

と言いかけたところで、ふいに何かが飛んでくる気配がして、サチはとっさに動く。結の前に素早く前に出ると、錨を横にする。軽い音の割に強い衝撃が加わり、サチは少し後ろに後退する。柄に当たったカルテが落ちる。

 

「お見事。サチちゃんも腕が上がったね」

「でしょ!船花様も強くなってんだからね!」

 

そうやって軽く言い合ってるうちに、カルテを投げたであろう、顔に渦巻き模様がある看護師の見た目の使い魔が現れる。釣られるように、ネズミのような小型の使い魔もわらわらやってきた。

 

サチは軽くそれらを見る。情報分析はまずやっておく。戦いの基本の一つだ。

 

まず看護師の使い魔であるが、ただのカルテを投げつけるだけの攻撃であの衝撃なのだから、強い個体であるのは間違いない。ねずみの使い魔も、一匹一匹がそれぞれ驚異的だろう。最大の問題は群れていることだ。ざっと見たところ数がとにかく多い。数の暴力とは本当にシャレにならない。塵も積もれば山となるということわざが示す通り、単純に集まれば集まるほど質量、物量は増していく。下手すればその波に飲まれかねない。サイズも小さいので、素早さそうなのもネックである。

 

「じゃ、軽くやっちゃおうか!」

「いや、軽くってほどでもないけど」

 

鉈を二丁召喚して構えながら気安く言う結に対してサチが突っ込む。現状はそんな簡単に言って良いほどのものでもない。どうしてそんなに笑顔でいて、緊張しないのかわからない。

 

「乗り切れるかどうか心配なの?」

「そりゃね」

「大丈夫。僕達は一人じゃない。二人なんだ。二人ならこれくらいなんてことないよ。それに心配しなくても、僕が君を守るから」

 

サチは目を見開いて面食らった。結の表情があまりにも優しい、まるで慈しむかのようなものだったからだ。狂気的な顔でもなく、ましてやおもしろがっている、ひょうひょうとしたものでもない、初めて見るその表情。あまりに広実結らしくなくて一瞬誰だこいつと思ったほどだ。

 

サチはすっかり調子が狂ってしまい、顔をしかめて言った。

 

「守られる必要なんかないんですけど。むしろこの船花様が活躍してみせるし」

「うん、君の力に期待することにしようか」

「ふん、ちゃーんとこの船花様の力を見てなよ!」

 

言うや否や、サチは錨を水平に持ち上げ魔力を一点に集中させはじめた。

 

サチは華奢な見た目の割に、爆発的なパワーを持ち合わせている。魔力を乗せた武器を手に突進するだけでも、相当な威力がある。その威力を以ってすれば、別の時間軸のサチが石像の魔女の結界で披露した通り、使い魔なぞ吹っ飛ばしながら進むことができる。

 

しかし一人ならばともかく今は二人だ。突進してしまうと、流石に結を置いてけぼりにしてしまう。だから今回は突撃するのではなく、そのパワーを一点に集めて使い魔を吹き飛ばす。そして道を切り開いた後は、一気に走り抜けるのだ。まあ端的に言ってしまえば、壁をなくしそのまま逃げ切ってやろうという単純明快な作戦である。

 

数の暴力というものは確かに洒落にならないが、何も馬鹿正直に相手にする必要はない。使い魔なぞ、所詮魔女と比べれば倒すべき相手ではないのだ。そうであるのなら、危険な使い魔から逃げて次の階層に行ってしまったほうがまだ利口というものだ。

 

「吹き飛べ!!」

 

溜めていた魔力を錨を突き出すことで解放する。突如青白い雷が走り当たった瞬間、周辺の使い魔が一斉に吹っ飛んだ。まるでピンポン玉のように跳ねていくねずみの使い魔達。看護師は地面に腰を打ち付けた。視界が一気に拓けていく。

 

「結!」

「うん!今の内に突っ切ろう!!」

 

二人は切り開かれた道を全速力で走り抜けていく。二対の風はぐんぐんと距離を伸ばし、使い魔達との間を引き離していく。しかし突如として、行く手を遮るように新たなねずみの使い魔が二匹現れた。サチは簡単にいかないことをわかっていながらも、舌打ちをした。

 

「ちっ!!そう上手くいかないか!」

「やむ負えないね。私から仕掛ける!!」

 

二丁の鉈を振りかぶり、ねずみの使い魔へと結が踊り上がる。上から下へと走る鈍色の軌跡を避け、使い魔は二手に分かれる。ねずみらは反撃とばかりに走り寄ると、勢いのまま魔法少女達にそれぞれ体当たりをしてきた。サチは冷静に武器を振り回し、結は足で逆に蹴りを仕掛ける。使い魔は勢いよく弾き飛ばされ、着地する直前に結が飛ばした斬撃を受ける。それでも次にはむくりと起き上がり、ピンピンしていた。

 

「ありゃあ、まじでかぁ」

「一筋縄でいかないってことか…。って、また集まりだしてる!早すぎるでしょ!!」

 

天井や物陰。死角になっているところから、次々にねずみの使い魔がやってくる。みるみるうちに、黒い斑点模様の数は膨れ上がってゆき、背後からは吹き飛ばした使い魔がもう迫ってきている。丁度挟み撃ちといった格好だ。しかも吹き飛ばした使い魔と、今増えてきているものを合わせると、結果的に最初の時よりも何倍も数が多くなっているのだ。

 

吹き飛ばしを行おうにも、どちらかがまた到達してしまう。結もパワーがある方だがサチのような芸当はほぼ無理である。だから同じタイミングで吹き飛ばし、牽制することはできない。

 

ベテランの魔法少女達は顔を見合わせる。

 

危機的状況に際して常用なのは、冷静な判断力に、とっさの反応や対応力。僅かな手段で活路を見出す。利用できるものは何でも利用する。そして一番大事なのが、周りをよく見ること。時にそれが命を左右するキッカケになるということを、サチは重々承知していた。

 

この状況を乗り越える方法がないか、一瞬にしてサチは周囲を観察する。前、後ろは使い魔の群れ。横もまた同様。下は地面。掘って逃げることは現実的にまずできない。ならば残るはーーそう考えたところで、同じ考えに至った結が鋭く言い放った。

 

「足場を造って!!」

「言われなくても!!」

 

手を掲げると青い魔力が空に向けられる。召喚されたのは通路に対し横向きの、五メートルの錨。サチと結はそれを視認すると素早く跳躍。その上に飛び乗った瞬間、前と後ろの二方向からわっと使い魔の津波が押し寄せ、地面を覆い尽くす。あっという間に通路は一変の隙間もなく、ぎゅうぎゅうずめになった。

 

サチは錨の上で青ざめる。一歩遅ければ、サチと結は使い魔に押しつぶされていただろう。死んでいたかもしれないと思うとぞっとしたが、それよりも恐ろしいと感じたのは、とてつもない使い魔の量である。

 

何百?何千?一体どれほどの数の使い魔がいるのだろう。もしかしたら、結界すべての使い魔が集まっているのではないだろうか。今まで魔法少女をやってきた中で、ありえないことに沢山遭遇してきた。でも、こんなにも一同に介した使い魔を見るのは初めてだ。経験から言わせてもらうと、ちょっと異常すぎる光景である。

 

「ちょっと、なんなのこれ!!?こんなの絶対、ありえないでしょ!!そりゃ結界ってのは常識は通用しないけど、限度ってものがあるよね!?」

「こんなの僕も初めてだよ。よっぽど魔女が強力なのか、あるいは外的な要因があるのか。さっぱりわからない」

 

結は、飛びかかってくる使い魔に蹴りをお見舞いしながら言う。表情には訝しがるような色。声には戸惑いが含まれていた。サチもカルテの雨をすべて跳ね除けながらも、顔には困惑の二文字を浮かばせていた。

 

しかし、考えるのは後ででもできる。今すべきことは、現状の打開。サチは自身も考えながら使い魔を錨で下に沈め、意見を求めるため、結に視線を向けながら問いかける。

 

「何か策ないの!?このままじゃジリ貧だよ」

「そんなのはわかってる。足場がこれだとーーそうだ、足場だよ!サチちゃん、錨の足場を造ってこのまま下の階層まで逃げ切ろう!結構きついけどできる!?」

「舐めんな!!造るのは得意なんだよ!」

 

サチの声を合図に、通路の奥へと群青のスパークが走り抜ける。出現したのは何十という錨で構成された道だ。遠く先が霞み、はっきりと見えないほど続いている。アンカーの大きさは約三メートルもあり、武器よりも巨大。四本の鎖で連結されていて、その鎖からは別の鎖が下に向かって垂れている。錨を島だとするならば、鎖はさながら橋のようだった。

 

結は驚いたかのように歓声を上げ、サチを褒め称える。

 

「さっすがサチちゃん!やればできる子だ!」

 

サチは自身の顔が、微妙な顔に段々なっていくのが、どうしてもわかってしまった。結に褒められても嬉しくないどころか、ギャップがありすぎて気持ち悪いのだ。

 

「よし、このまま今度こそ走り抜けるよ!」

 

サチ達はアンカーから飛び立つ。降り立つとジャラリと鎖の音がする。そのまま二人は上空にできた錨の道のりを進んでいく。足元は妙に不安定で恐怖を感じるが、使い魔に溢れかえった下よりかはよっぽどましだ。

 

魔法少女の脚力は馬鹿になどできない。数十メートルを、僅かな時間で駆け抜ける。常人から見たら、サチ達は疾風のように見えただろう。二つの風は使い魔を蹴散らして、快進撃を続けていく。

 

襲いかかる敵どもを、結が実体化した斬撃や鋭い蹴り、鉈による連続攻撃で畳み掛ける。サチは前方から飛びかかってきた使い魔を、垂れている鎖を操り、触手のように動かしてはたき落とす。大きく道が揺れ動き、同時に飛び跳ね使い魔を踏みつけて飛躍。さらに前進していく。

 

思いのほか、戦っていて気持ちがいい。しかし高揚よりも驚愕が優っている。サチは武器を振るい余計な感情をぶつけるように、力一杯なぎ払うと、ありったけの魔力を乗せ下方に向けて鎖を発射した。

 

風穴が穿たれたように、一気に使い魔が弾き飛ばされ、黒い斑点の一部分がえぐられ地面が露出。同じように壁の一部が現れーーそこにあったのは下の階層へと続く扉だった。

 

二人の魔法少女は下に刺さった鎖を伝い、すぐさま飛び降りる。そして使い魔が再び押し寄せる前に全速で扉を開き、中に入るとサチは息を整え、汗を拭った。

 

「お疲れ、大丈夫?」

「余裕はまだあるよ。…それにしても、結ってば変わった?以前は使い魔を見るなり、飛びかかってたのに」

 

共闘などあり得ないと思っていたサチだが、予想以上に共に戦えていた。違いの戦闘スタイルを知っているからというのもあるが、それ以上に初めてなのにここまで戦えているのは、サチがワンマンプレイではなくツーマンプレイを得意としていること。そして結がサチに合わせているからだろう。つまり、結には本当に共闘しようという意思があると言うことだ。ちょっと前までは考えられないことだ。

 

「そりゃ今でもどうにかなりそうなほど、使い魔をぐちょぐちょにしたいよ?でもそうなると周りに目がいかなくなる。それを反省して我慢してるんだよ」

「反省?」

「僕はあの頃ね、自分がやりたいことがわかって浮かれてたんだ。この望みに溺れてしまえればと魔女を殺してた。だけどそうしたらね、大切なものを忘れてたんだよ」

 

サチは息をするのを忘れた。

 

結は笑っていた。けれど笑っているのは外見上だけで、本当は笑ってないように感じた。結の笑顔は、無理して笑っているのか酷く義心地ないものだったのだ。こんな顔もするんだな、とサチは胸の奥で呟く。

 

こんな顔をした原因は、もしかしたらミズハなのだろうか。テリトリーの争いになったのは、ちょうどミズハが死んで間もないころのことだった。結があそこまで魔女を殺そうと躍起になっていたのは、一つはミズハが死んでどうでも良くなったから、というのもあるかしれない。

 

脳裏に浮かんだのは、夜の神社で見つけた光景。神社にはーーミズハの墓があった。恐らく結が造ったであろう、手製の墓だった。そして掘り返した時に発見したのは大量の動物の骨だった。あれほど、ゾッとした経験はないだろう。

 

結は、殺害衝動を合わせ持っている。残虐な行いで動物を殺したり、魔女と戦うことに快楽を感じている。一方で彼女は家族同然の、妹のような存在のミズハに深い愛情を持っている。そして積年の後悔の念は重くて強い。

 

結は二面性がある。サチは昨日、結にまつわることを知ったけど、それでもそれらが真実だとは信じられなかった。だがこうして目の前の結を見ていると、順那が教えてくれた結も間違いなく広実結だとわかった気がした。数年前の狂った姿も、今ここにいる別人のような姿も、どちらも結なのだ。

 

「ねえ、結。順那と話をしてやってくれない?」

 

今見せている姿の方の結に、サチはふともう一人の妹のことを伝えたくなった。結と順那は疎遠だ。それが続くのは結が従姉妹を失っているのと同義のように思えた。何故かはわからないけど、もう結の手から従姉妹をこれ以上、失わせたくなかった。

 

「…え?どういうこと?順那がどうしてサチちゃんと?」

 

結が固まった。サチは構わず言い続ける。

 

「私は昨日順那と会った。あいつ会いたがってたよ。ミズハと同じで大切なら、慕っている妹を姉としてーー」

「確かに順那が大切なことに変わりない。だけど僕はあの子と話さない。会いたくないんだよ」

 

結は感情を押し殺した声で、きっぱりと言った。それから、これ以上は余計なことを言うなよ、とでも言いたげに鋭く睨みつけられ、刃を向けられる。サチはそれであらゆる疑問をどうにか飲み込み黙ると、結は明るく笑った。

 

「じゃあ、魔女を殺しに行こうか」



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麻薬に侵されて

順那のことを伝えたものの、結は何の変わりもなく、むしろ何事もなかったかのように自ら率先して道を切り開いていった。使い魔は相変わらず強かったが数も減って、それも合わさりサチは割と楽に戦うことができた。

 

戦う中で感じたのだが、広実結はやはり見ない間に相当な実力をつけていたようだった。手数が多い攻撃が特徴の結だが、以前にも増してスピードが上がっていて、パワーも上がっている。それだけでなく、フェイントや不意打ち、急所を的確につくなど、地味に凶悪さが混ざっている。頻繁に繰り出される足技はさらに鋭くなっていて、喰らった使い魔に穴が空いているのを見て、怖くなったのは内緒だ。

 

サチはなんだか、自分の自信が抜け落ち剥がれていくように感じた。魔法少女歴はこちらの方が長いはずなのに、どうして結といい、巴マミといい、佐倉杏子といい、短いはずの奴らが強いのか。

 

素質の問題なのだろうか。サチは素質は入理乃よりも結よりも劣っている。まさか夏音にまで負けているのだろうか。あんな奴に負けてたら、いよいよ立ち直れないかもしれない。

 

「アンタどうやったらそう強くなれるの?何、化け物級じゃない?どんな特訓してるわけ?」

 

仏頂面でそう聞けば、結はいきなり何で質問をしてきたのか、訳がわからなかったようだ。キョトンとした間抜けズラをした。しかし不思議そうな顔をしたのは僅かな間だけで、次には微笑ましいものでも見るような視線を向けた。

 

「案外サチちゃんって可愛いんだね」

「!?」

 

可愛い、と言われてサチは固まった。自称しているとはいえ、こうはっきりと言われたことは両親以外初めてだ。気分が良くなってきて、サチは胸を張った。

 

「か、可愛いのなんて当たり前じゃん。今更気づいたの?気づいたのならもっと可愛いと褒めてよ」

「あはは、嬉しいの?」

「……はッ!?私は何を!?いや、結が可愛いって、ええ!?やめて、やめて!?別に嬉しくなんかないんだから!」

「でも声が弾んでーー」

「うっさい、うっさい!」

 

断じてサチは認めない。嬉しくないし、ましてや照れてなどいないったら、いないのだ。ほだされかけてどうする。

 

「そんな不安になんなくてもいいのに」

「はあ!?不安になってなんかーー」

「自分のことが頼りないから、入理乃ちゃんに迷惑かけちゃったかもって思ったんでしょ?」

「………」

 

若干違うが、大体合ってるので言い返す言葉が見当たらない。

 

そもそもサチはいつだって不安で仕方がないのだ。サチは入理乃を認めてる。入理乃が大切だと思ってる。けれど当の本人はどう思ってるんだろうかわからない。捨てられるのが怖い。仲間じゃないと言われると思うと、泣きたくなってくる。

 

よくわからない入理乃に、サチは時々虚しくなる時がある。心の奥底を見せない入理乃に付き合ってどうなるというのだと、サチのどこかが耳元で囁くのだ。

 

しかしサチは決して、入理乃から離れようとはどうしても思えないのだ。きっと、サチは入理乃に認めて欲しい。認めた相手に認められたい。入理乃と本当の意味で友達になりたい。入理乃はすごいけど、あまりにちっぽけで、あまりに弱々しいんじゃないんだろうか。だから、どうにかしたくってほっとけなくて、寄り添いたいんだ。

 

「君は十分強いよ。自信を持っても良いんじゃない?」

「そうなの?」

「うん。それに君の強さは一人じゃなくて、君の相方との二人の時に発揮されるじゃないか。君は自分で思っている以上に入理乃ちゃんから認められてる。じゃなきゃあんなコンビネーションは生まれないって」

「そうだと良いんだけど…」

 

言いながら見えてきた扉を見る。潜ってきた階層から考えてみれば、どうやらこの扉は最深部への入り口らしい。魔女の巣へと誘うかにように存在するそれに近づくと、サチは考えていることを頭の隅の方へ追いやる。ドアに手をかけ開ける。

 

一気にドアが目の前に近づき、潜り抜けるように通り過ぎていく。それが何度も続いて突然終わったと思ったら、突如空間に放り込まれる。

 

甘い香りがより一層濃くなり、目の前には沢山のお菓子が。下は生クリームを彷彿させる白にマーブルの斑点が広がっている。立ち並ぶのは、身長の十倍以上もあるテーブル。そしてその上にいるのは可愛らしいぬいぐるみーー魔女である。

 

隣を見れば結は驚いていた。無理もないだろう。使い魔が強力なので、魔女も強いと考えるのが普通だ。しかし魔女は何の変哲もないぬいぐるみ。いささかイメージと違ったのだろう。

 

「あれ、あんな外見だけど中からでっかい蛇みたいの出てくるから」

「戦ったことあるの?」

「あるっていうか…偶然鉢合わせたことがある感じ?」

 

曖昧に言葉を濁す。腐ってもチーズおつまみを取られたなどとは死んでも言えない。

 

「言った通りかなり大きい。テーブルを超えるぐらい。鋭い牙があって、攻撃力は多分高い。あと結構巨体のくせに素早かった」

「厄介だね…。じゃあ、僕が夏音ちゃんにやった奴を魔女に仕掛ける。そして動きが止まったところを、一気にやろう。そうすれば勝機はある」

 

しかし結曰く、一つの鉈に込めた魔力ではせいぜい人間サイズぐらいしか体を停止させることはできないらしい。鉈はどこに刺しても良いらしいが、魔力が強すぎれば効かないらしく、確実に魔女を止めるためには、魔女の周りをぐるりと鉈で囲み、結の魔力を一点に集中させる必要がある。

 

「鉈は一気に召喚できるけど、あんまり速いと囲むことは難しい。それに僕はその間鉈に魔力を割くから無防備になる」

「要するにこの船花様が隙をつくれってこと?それなら入理乃と戦ってる時よくやるし、お安い御用だよ。どーんと任せてな!!」

 

不敵に笑えば、結は頼りににしてるよ、と返した。

 

「じゃあ、作戦開始だよ」

 

結は二丁の鉈を振り下ろす。クロスさせるように空を切りかれ、刃の形をした魔力が放たれた。高いテーブルが崩れ落ち、人形が落下していく。その隙をついてサチは接近して、野球選手がバットでボールを打つように、アンカーの爪で飛ばす。魔女は壁にぶつかり、口からにゅっと一瞬にして何かが飛び出す。着地した途端に大きい音がする。出現した黒い蛇は怒ったようにムッとした表情だ。結が素早く下がったのを確認してから、サチはアンカーを片手で持ち上げ魔女に向けた。

 

「お前の相手は、この船花サチ様だ!!こい!!」

 

触発されたのか、サチの方へとお菓子の魔女は大きく口を開けて攻撃をしてきた。サチは足に魔力を貯めてギリギリのところで飛び上がる。一気に地面からテーブルの上にまで移動。視界が魔女の顔で埋め尽くされその身が飲み込まれる前には別のテーブルへと着地する。

 

「うわっ!!」

 

ふいに魔女は、飛びかかるのではなく尾による叩きつけを繰り出してきた。サチはギリギリのところでジャンプで回避。テーブルが倒される。そのまま落下していき、魔女の頭をさらに踏みつけることで高く高く飛び上がる。遠くのテーブルに足を着けると、サチは嫌な汗を拭って悪態をついた。

 

「ちっ、このクソウナギが!!ちょこまかと来やがりやがって…!!本当どうすれば良いってんだよ!」

 

飛び移ったり避けたりしているだけでは駄目なことぐらい、サチにもわかる。動きを止めるためには、この魔女の周りを鉈で囲まねばならない。サチを追って魔女が常に動き回っているので、今のままでは結が狙いを定められない。結が狙いやすくするためにも、上手く魔女を何らかの方法で誘導する必要があるのだ。

 

しかし、結に大口を叩いておいてなんだが、正直に言えば避けるだけで精一杯で誘導することなどできない。そもそも誘導しようと考えようとしても、どうしても避ける際に思考が霧散し良い案が思いつかない。他のことに集中しようとすればするほど、魔女の攻撃に当たりそうになる。こんな時に入理乃がいればと思わずにいられない。

 

どうしようもないじゃんか、とサチが心の中で舌打ちをしていると、ふと大きなお菓子の物陰に隠れている結が身を乗り出してきた。避けながらも不振に思っていれば、結はサチにテレパシーを送ってきた。

 

『サチちゃん!申し訳ないんだけど、あの地点までできるだけ引きつけてもらえる!?』

『はあ!?あの地点ってどこだよ!?』

『すぐ近くの、テーブルが密集してるとこ!テーブルの上に鉈を召喚する!!』

 

なるほど、と思う。ちょうど結の指差す方のテーブルが密集しているところは、丁度上からみれば円状に配置されてある。そこに魔女を誘い込みさせすれば、位置的にテーブルに囲まれるという形になる。そのテーブルに鉈を刺せば、魔女の動きを止めることも可能だろう。

 

サチは途端に強気になって、わざと魔女の前を横切るように飛んだ。魔女はまるで引っ張られでもしたかにようにサチを追いかける。サチは黒い胴体にぶつかる寸前に地面に降りると、バックステップを駆使しながら、ジグザグに魔女を翻弄する。ちらっと場所を確認すると、後ろには結に指示された場所が迫ってきている。

 

一歩、ぐんと中心部に距離が近くなる。二歩で円心へ。三歩目で離脱すれば、代わるように魔女がサチがいたところにやってきた。

 

「結!!」

「うん!!」

 

次の瞬間、無数の鉈の雨がテーブルに降って次々と突き刺さる。眩い光がテーブルから発射され、魔女の頭上に大きな五芒星を描く魔法陣が四つ生み出される。緑の光線が下へと伸び、触れた瞬間に魔女を石化させたようにその動きを固まらせた。魔女の目が困惑したように泳いだ。

 

「よし、作戦成功!サチちゃん!!」

 

サチは結の声に合わせ錨を両手で支えて魔女に向けた。魔力を込め始めると瞬時に錨から溢れ、バチバチと弾ける音を発生させる。片足と手を引き、脇を引き締める。まるで剣を突き出すかのように、アンカーを前に出して魔力を放出させる。

 

青い魔力が唸りを上げてお菓子の魔女へと突撃していく。魔女は驚いたかにように目を見開くが、結の魔法が肉体を支配していて動くことはできない。全身全霊の一撃がぶつかって爆発が起き、煙が舞った。

 

これで魔女を倒せないはずがないだろう。なんせ先ほどの攻撃は、並大抵の魔女ならば三回は葬りさせることができるほどの魔女を込めたのだ。巴マミのティロなんとかよりも数倍の威力がある。

 

「よし、これでーー」

 

本当に、突然のことだった。煙から何かが飛び出したと思ったら、気がついた時には魔女が前にいた。その差は僅か二十センチ足らず。鮮明に魔女の顔が見える。

 

耳のように両側から青と赤の羽がぴょんと生えていて、白い下地に、ぐるぐるの目と高い鼻があり、とても面白い顔立ちだなと思う。しかし反面大きな口は不釣合いな気がする。その口が大きく開かれて牙が覗き、攻撃的な本性を剥き出しにしたみたいだった。

 

サチは恐怖を何も感じなかった。ただ漠然とぼんやりとしていた。きっと一瞬すぎて感覚が追いついていないのだろう。

 

黒い影がサチに覆いかぶさる。ぐわりと牙が体を両断ーーせずに、空中に体が移動して視界がぶれた。そのままオブジェのお菓子にぶつかって全身に痛みが走る。サチはしばらくの間呻きながらも、何がなんだかわからないままどうにか身を起こして、閉じていた目を開くとひゅっと息を飲んだ。

 

「ゆ…え…?」

 

声が掠れている。全身の震えが止まらない。それでも辛うじてサチは腕を持ち上げると、目の前にいつのまにかいた結を指差した。

 

「食われてる…!?」

 

結の体は、左半身がなかった。正確に言うならば、左腕から胸にかけて、食いちぎられていた。最早生きているのが不思議なほどガッツリなくなっていて、骨が飛び出ている。メイド服は全部血に染まっており、頭も破損したのか脳の一部が見える。流石の結も苦悶の表情を浮かべていて、辛うじて立っている状態だ。

 

考えるまでもなく、こんな状態になっているのはサチの身代わりになったせいだ。彼女は食われる前にサチを投げ飛ばし、それから攻撃を受けた後でここまでどうにか逃げてきたのだろう。

 

「な、何で…?私を庇ったの…!?どうして…!?」

「……だって言ったじゃん。僕は君を守るって。それを実行しただけだよ」

「だからって…!!」

 

サチは不思議で仕方なかった。まさか自分を犠牲にしてまでサチを守るだなんて、信じられない。しかも痛いだろうに、苦しいだろうに、こちらが無事だと分かった途端安堵したように溜息をついたのだ。本当にどうかしてるとしか思えない。

 

「それに僕は大丈夫」

 

結の体の時が巻き戻る。肉が復元されて骨を隠していき服に白い色が戻ってくる。血が蒸発していき、最後に頭の怪我が癒えると、ほら、なんてことないよ、と結は言った。

 

それにサチは思わずカチンときて胸ぐら掴み、説教の一つでもしようとしてーー妙な魔力の気配を感じてすぐさま手を離し、戦闘体勢をとった。

 

魔女の様子は明らかにおかしかった。まるで何か苦々しいものを食べたかのような苦しげな表情をしていて、こちらを襲ってこない。そして不思議そうな顔をした瞬間、魔女のぐるぐる目が白眼をむき、正気を失ったかのように舌をだらりと垂らした。

 

「な、何がどうなってーー」

「早島の残存魔力にお菓子の魔女がやられたみたいですね。それにしても相変わらず麻薬みたいですね、この魔力は。魔力反応から察するに、これは(とう)じゃなくて、(そう)の魔力でしょうか。島の魔力ではこんな風にならないはずだし、間違いないね」

 

驚いてサチと結は声をした方を振り返る。そこにいたのは、全身黒い服の魔法少女。左手に仮面、右手に彼女の武器たるブラッド、血の色をしたハルバードを持っている。

 

「夏音…?」

 

あまりにもいつもの雰囲気と違う。澄んでいた目は、今は冷たく諦観の色が滲んでとても濁っている。横に結んだ髪のせいかどうかは知らないが大人びたというか、どこかニヒルな印象を受ける。

 

「さっさと終わらせてあげます。そもそもこんな茶番劇、演じたくはないの。私が踊るのは、もっと別の舞台が相応しい」

 

そう言うと、夏音は武器を構えた。



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私は力が誰より欲しい

某時刻、お菓子の結界前。菊名夏音は一人で、魔女を倒しに結界へと入った船花サチ、広実結の両名の帰りを待っていた。

 

二人が結界に入ってから、もう何十分かしただろうか。そこまで長い時間が経っていないが、足や背などが痛い。夏音は現在、鉈を介して体の内に働いた魔法により動くこともできないため、姿勢は常に変わらず突っ立ったままの状態だ。これがなかなかにきつく、筋肉を地味に使う。伸びもできないため妙に息苦しくて仕方がない。

 

夏音はそれでも真面目なので律儀に我慢我慢、なんてことない、と自分に言い聞かせる。しかし我慢は良いが、いささか退屈すぎる。そのせいかどうしても目の前の結界へ意識が向いてしまう。脳は自然と過去を遡求しはじめた。

 

今日朝起きて朝食をつくって(家事は当番制ということになり、今日は夏音が家事当番だった)、夏音は結に魔女のことについて真っ先に相談した。本音を言えば気が引けて、というか昨日のことで怖くなって、結には近寄りたくもないし話もしたくもなかったが、魔女を殺せないのはグリーフシード一つ手に入れられないということと同義だ。それにもしかしたら入理乃が魔女を仕掛けてくるかもしれない。だから勇気を出してぶつかったのだ。

 

すると案外結は一緒に真剣に考えてくれて、いささか拍子抜けしたものだ。本当に昨日見せた狂気はどこに行ったのかと思うほど普通だった。今までもそうだったのだから、狂気だけ見なければ良い人なのかもしれない(それでもやっぱりかなり怖いが)。

 

話し合いの結果、午前はみっちり特訓を、午後から魔女探しをすることになり、特訓後に昼ご飯を食べた後、町へと行った。そして早島を分断する結界へと案内されている時、夏音達はサチと魔女の魔力反応を察知したのだ。夏音達は大いに困り果て、考え込んだ。

 

夏音としてはサチと会うのは渋られた。サチを見ればトラウマが刺激されるし、会って話すのにもリスクが多いし、魔女を横取りされると勘違いされるかもしれない。会わない方が無難だ。

 

しかしその魔女は魔力反応からして強力であることは明白。サチ一人ではやられてしまうかもしれない。ここでサチを死なせるわけにはいかないし、逆に言えば共闘という形で一緒に魔女を倒せば恩を売れる。協調性もあるし、話し合いがまともにできますよというアピールになる。そうすれば入理乃と会う時にこちらに有利な手札を揃えることができるかもしれない。

 

まあ、まさか掻い摘んで意見したそんなことを、結が実行するとは思わなかった。しかしどうも夏音の考えに賛同したようには見えなかった。多分結はサチを死なせたくはなかったのだろう。意見する前から結はサチのことを心配し焦っていたから間違いない。

 

夏音は結界を見つめ、その奥で繰り広げられているであろう魔女との戦闘を空想する。一体二人はどんな風に協力して魔女に対し戦っているのだろう。二人とも接近戦が主体でありバランス自体は悪いものの、もしかしたら案外コンビネーションが良いのかもしれない。結がいるからサチが怪我をしても治癒ができるだろうし、今頃二人は魔女を相手に圧倒しているだろう。

 

夏音は二人の強さが羨ましかった。この胸の内に湧き上がる熱い何かには目を逸らす。こんな感情を抱いてはいけない。そして大きくしてはいけない。この感情は火そのもので、燃料があればあるほど燃え盛る。

 

なんだか自分の不甲斐なさに悲しくなってきた。立場上仕方がないが、こうして動けないでいるのも輪にかけて情けなくなってくる。魔女の恐怖に打ち勝てていたら、その前に最初からさっさと魔法少女になっていたら、こんな惨めにならず皆幸せにすることができたのかもしれない。夏音はカッコよくなれたかもしれない。

 

しかしそれも所詮願望に過ぎない。もしも前いた時間軸で魔法少女になっていたとしても、入理乃とサチの足手まといになるだけだったろう。

 

結の見立てによれば夏音の素質は平凡であり、魔力を感じることが人よりも長けてはいるが能力全般も平均的らしい。しかし特化したところが一つだけ。それは相手の動きに合わせ、時には模倣する能力だ。

 

ハルバードが持つ汎用性に優れた特性。魔力を操り、自在にオーラとして具現化できる武器の性能。元々頭が良かったがために備わっていた状況判断力と、得意とする動体視力を向上させる魔法。それらを駆使して敵の動きや能力を把握して対応し、場合によっては真似をすることができるという特殊な才能を夏音は持っているようだ。

 

新人でいきなり才能を開花させたのはすごいらしいが、別にそんなことはないと思う。なんというか、こんなことできて当然だと思うのだ。しかも言ってしまえば夏音はその才能だけしか取り柄がない。ちょっと対応力に優れているというだけで、やはり飛び抜けた才能ではなかった。いくら真似しようが、決定力に欠けるという欠点も存在する。

 

魔法少女として見た菊名夏音は本当に普通だ。どこまでも平凡で能無し。特別じゃない。強力な力なんてない。手に入れた固有魔法は特殊だけど使いどころなんて限定的。人を救うことは難しい。

 

今の夏音は、自分が望んでいた魔法少女の姿と違う。憧れていた高紀の姿は自分の手で遠くなって此方になく彼方にある。その不確かな背中を、果たして追いかけらるのだろうか。

 

「!?」

 

そこまで考えてさらに落ち込んだ時だった。結界から、今までにありえないほど違和感のある、しかしどこかで感じたことのある魔力が爆発的に放出された。

 

いや、それでは語弊がある。正しく言うならば、漏れ出した。器から水がこぼれ落ちるように、結界から魔力が出てきたのだ。

 

異常な魔力に、唯一動かせる部位たる目を、思いっきり見開く。脳裏に浮かんだのは、船花サチと広実結の顔だ。夏音はいてもたってもいられず、動こうとした直前に、はっとなって鉈を見た。

 

鉈は緑色に発光し、未だ魔法を発動させている。こんな時に動けないことに酷く苛立つ。鉈に込められた魔力の量は多く、それに比例して動きを止めている時間も長くなるから、最悪一日夏音はここから移動できないかもしれない。このままでは二人の救出には行けないのだ。

 

夏音はちょっとの間迷ってから、心の中で覚悟を決めた。実は昨晩、何かあった時のために一夜漬けで結の動きを停止させる魔法の対抗策を考えていたのだ。もうそれにかけるしかないだろう。一か八かだが仕方がない。

 

夏音は半分祈るような気持ちで魔力を編み上げる。カランと音を立てて武器が地面に現れ爪先に当たる。夏音はしっかりと武器に足が触れているのを確認し、鉈を睨みつけた。

 

魔法が発動して、鉈の下から展開される緑の魔法陣に重なるように、赤い魔法陣が生み出される。そして、次の瞬間跡形もなく、赤い魔法陣が収縮したとともに消え去った。

 

「これで消えたけど、大丈夫かな…って、私声出てる!やった、喋れてる!やればできるじゃん!!」

 

声帯が動かせたと言うことは、どうやら成功らしい。まさかここまで上手くいくとは予想外だ。失敗する確率の方が、てっきり高いと考えていた。

 

思った通り、この動きを停止させる魔法にはある弱点があるのだ。それは鉈を引き抜けば魔力が途切れてしまうことだ。鉈は物体に刺すことで魔力を通している。鉈は魔法の起点とも言うべきものであり、故に鉈を物体から離れさせれば、魔法は解けてしまうのである。

 

夏音の固有魔法は時間移動。時間を自在に移動する魔法。厳密に言えば、時という帯に印をつけ、そこに物を転送する魔法。その帯は沢山下を向くようぶら下げられていて、過去はどんどん消えていく代わりに未来へのメモリは更新されていく。だから今いる時間軸の帯の過去に印をつけられないけど、未来にはつけ放題で、魔力をその分消費するが、指定した時間を自由に変えることもできる。

 

武器に直接魔法を刻んで発動させるので、ハルバードに触っている必要があり、移動できる対象は視界に映る十メートル以内の物体。大きさは三メートルが限度。数は五十前後が制限で、多ければ多いほど魔力が必要。魔力が魔法陣に反発する場合は転送は難しい。

 

この鉈に宿る結との魔力の相性が良かったらしく、十分先の未来へ簡単に転送することができた。しかし込められていた魔力がもう少しばかり多ければ反発され動けなかっただろう。本当に運が良かった。

 

夏音は武器を拾って今度こそ二人を助けるために足を進める。しかし勝手に体が僅か一メートルというところで止まる。あれ、と思った瞬間、知らぬうちに体に震えが走っていた。全身の毛が逆立ってしまって、幽霊の手にでも後ろから触られているみたいに異様に背中が凍える。結界の入り口が、まるで獣の乱杭歯そのもののように見える。

 

「わ、私…」

 

やっぱり、とても怖い。せっかく結の魔法から脱したのに、代わりに魔女のトラウマが夏音の動きを止めている。今にも頭を抱え込んで、逃げ出して、すべて見ないことにして目を逸らしたい衝動に駆られそうになる。結界に行きたいのに行けなくて、もどかしくてもどかしくて、涙が出そうだった。

 

本当、菊名夏音はなんて意気地なしなんだろう。勇気を出せない。自分のやりたいこともできないなんて馬鹿みたいだ。

 

「私がこんなじゃなかったら。私に力があればーー」

「だったら、私を演じればいいんじゃないの?」

「!?」

 

かちん。誰かが時計の針を止める音が鳴り響く。

 

すべてが灰色になる。流れている雲。全身に纏っていた空気。そばを通り抜けていた猫。風に舞っている葉っぱ。それらが一斉に動きが静止した。この世界が、一枚の絵のように固まった。

 

驚くまもなく、今度は世界そのものが塗り替えらていく。戸惑って後ずされば、ジャリっと音がする。足元に沢山ある、砂利を踏みしめた音だった。眼前にはいつのまにか、大きな淀んだ川。どうやらここはどこかの河原らしい。

 

ふと近くに何かあるのでしゃがんで見れば、石が積み上げてあった。夏音は何気なく側の石を拾うと、積み上げてあった石の上に置いた。そして塔を作ろうと順調に乗せていって、ようやく完成というところで自然とガラガラ崩れてしまった。思わず溜息が出る。いつものことのように、仕方がないと思う。

 

横を見れば、川に映った夏音の顔があった。横断する舟によって波が生まれて像が歪み、川面が揺らいで元に戻る。そうして再び映し出された姿は、知らない少女(知っている夏音)の姿だった。

 

まず目に引いたのは、手にある菊の仏花。造花だと明らかに分かるのに、生花のように瑞々しく見える。手袋に長い袖の喪服を着ていて、両手から全身に至るまで肌の露出は一切ない。真珠のネックレスは、二連だ。髪はかなり長く、黒曜石を宿したような色をしている。顔の上部分は仮面で覆われていて、まるで心にベールを被せているように感じた。

 

なんとなく、菊の花言葉が浮かぶ。菊の花言葉は、確か高尚だった気がする。口の中で高尚という言葉を転がしてみる。その響きは鼓膜を震わせ、夏音の奥底の部分にまで響くほど、すっと浸透してかなり魅力的に思えた。

 

「ごきげんよう、夏音」

「な!?」

 

ふいに少女の像の口元が動き、夏音は驚愕した。使い魔が喋った時のような不気味さと嫌悪感を思い出して、気分がかなり悪くなってくる。まるで悪夢が、現実で実体化したかのような感覚だった。

 

「そんな驚かなくて良いじゃない。私は貴女。貴女は私。自分で自分に驚くなんて馬鹿みたいじゃん」

「んなこと言ったって、そうは思えませんけど…!?だって水に映った女の子が喋るなんてありえないし、見るからに貴女は私とは全然違うじゃないですか」

「全然違わないよ。私達は別人格でもないし、裏表だけど一つの存在のようなもの。それにありえないことはここでは普通に起きてもおかしくない。ここは頭の中なんだから」

「つまり、空想ってことですか…?」

 

想像の世界だからこそ、自由自在だということなのだろうか。目の前の少女が話しているのも、この川原もすべては現実に存在してはいない。きっと夏音にしか認識できないのだ。

 

「大体合ってるかな。厳密には違うけど自演ということに変わりない。自分との対話って良いものだよね。こういうの好きなの。あと、敬語はなしね?自分に敬語とか使わないじゃん」

 

確かに言う通りではある。元々敬語で話していたのは、相手に礼儀正しいと思われたかったから。高紀が使っているのを見て真似をしていたから。もう今ではだいぶその意味も薄れてきて、すっかり癖になっちゃって、年下相手にも敬語で話してしまう。けれど本当の口調はもっと砕けている。

 

「…こんな状況で空想とかそんな状況じゃないでしょ。ていうか、さっきの魔法も空想なの?」

「良いや、あれは空想じゃない。あれは暁美ほむらの魔法。私自らが演劇したんだよ」

「は?どういうこと?」

 

まるで意味が分からず首を傾げれば、我ながら困ったと少女は溜息をついた。それから、どうでもいいやと言うと、

 

「ねえ、夏音。オペラ座の怪人って読んだよね?」

「急にこんな時に何を唐突に…。まあ、読んだよ?」

 

オペラ座の怪人は、ハニーガールのモチーフに使われた作品だ。そもそも歌劇場という作品自体がオペラ座の怪人の影響を受けていて、原作の小説がオペラ座の怪人を見たことがきっかけで書かれたものなのだ。そんな作品を一ファンとして読まないわけがない。

 

「クリスティーヌは歌姫だけど、確か元々平凡だったよね。だけど彼女はただの石ころから宝石になれた。音楽の天使に会ったから。そして彼女は光り輝いたの。まあ、その輝きを天使自身が地下深くの湖の家へ攫っちゃうんだけど」

「つまり何が言いたいのよ」

「私も貴女を攫ってあげる。まあ、本当は湖で連れ去りたかったんだけど、ここは川だし同じ水辺ってことで我慢しとくか」

 

少女はにたりと笑うと、手を伸ばしてきた。不審に思っていると突如として水面から手が飛び出して、夏音の右手を掴んできた。手袋越しから伝わるのは氷のような体温。夏音は恐ろしさのあまり悲鳴を上げた。

 

「ねえ、菊名夏音。こんな茶番劇さっさと終わらせようよ。付き合ってられないでしょう、馬鹿馬鹿しいったらありゃしない」

「ひっ!!」

 

思わず掴まれている右手を無茶苦茶に振り回そうとする。しかしあまりの力の強さに抵抗などできもしない。そのまま川底へと誘われるように引きずられていく。夏音はさらにパニックになって暴れた。

 

「嫌がらないでよ。本当は私へ変わりたいと望んでるくせに。それともやっぱり嫌なの?私には私しかいないのに拒絶するの?私を音楽の天使にしてよ。貴女も歌姫になりたいでしょう?兄さんよりもリノよりもコルウスよりも暁美ほむらよりも、美しく可憐に踊って歌いたいんじゃなかったの?」

「は、離して!!離せ!!」

「力、欲しいんじゃないの?」

「!?」

 

夏音は瞬間、大人しくなった。少女は満足そうにすると、ずるりといとも簡単に夏音を川へと引きずり込んだ。

 

バシャンと川面が跳ねて水が絡みついてくる。視界が掠れて曇る。服が急激に重くなって、徐々に徐々に川底へと沈んでいく。意識が闇に溶けていった。

 

そうしてふと気がつけば夏音は、椅子に座っていた。内装はどこかの劇場のようだった。映写機がどこかで回る音が聞こえる。目の前のスクリーンに映されていたのは、見慣れぬ結界。そして大きな黒いドクロを巻く魔女に、サチと結。

 

夏音は冷めた目でスクリーンを見ていた。彼女は現実の夏音と、まったく同じ雰囲気を漂わせていた。




祝、五十話!やっと五十話です。本来なら五十話でこの小説は終わる予定だったんですけど、予定通りにはいかないもので、思ったよりも話の展開は遅くなってしまい、まだまだ続きそうです。一体原作キャラはいつになったら出せるのやら。多分百話あたりになりそうで怖い…。

早島の魔法少女達もここまで書くと愛着も湧くもので、皆気に入っています。皆名前を決めた後でギャップを与えようと考え、キャラを作ったのですが、ここまで個性的?というか主人公より周りがやばくなるとは。最近ではサチ視点が多く、夏音の立場がかなり危うくなってしまいました。

元々主人公の夏音は、没になったオリジナルの作品の主人公でした。兄がいるのもその名残です。中二病だけど現実的でハキハキして前に出る…というギャップを与えたはずなのに、気がつけば結構臆病で普通になっていた子です。ぶっちゃけ周りより個性が負けてしまっている。しかしこれからガンガン成長していく予定なので応援してください。

サチは元々元気な子がほしくて短くて呼びやすい名前ということでつけました。しかしまあ一人くらい乱暴な奴がいてもいいんじゃないかなということで、根はまともというギャップを与えました。しかし正直書いていて読者に嫌われていないか心配しつつも、素直というか行動がかなりはっきりしていて書きやすいキャラでもあります。

入理乃は珍しい名前をコンセプトに考えました。読みはいりの。言いにくいので愛称はリノ。相方とは対照的におどおど気弱なタイプです。夏音以上に怖がりで臆病で、自己肯定ができない子です。ギャップは臆病なのに能力は高いこと。書いているうちにサチ以上にヤバいやつへとなりつつあります。彼女は彼女で当初の予定通りではありますが。

最後に結ですが、彼女も珍しい名前ということをコンセプトに考えました。勘違いされてる方も多いと思いますが、結と書いてゆえと読みます。彼女のギャップはずばり殺害を楽しむ狂人でありながら従姉妹に愛情を持っていること。ネタバレになるので詳しくは言えませんが、彼女も彼女なりに従姉妹について苦しみ悩んでいます。結のことを書くのはまだ先になりそうなのが少し心配ですが…。

ここまでこられたのも読者の皆様のおかげです。技量が至らぬところがありますが、早島の魔法少女達の魅力的を頑張って伝えていこうと思うので、よろしくお願いします。


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爆煙

サチは何がなんだか分からず、混乱していた。魔女の異様な魔力と変化、そして動けなくなっていたはずの夏音が、まるで別人のようになって現れたこと。それらすべてが一変に起きて、まったく訳がわからない。

 

サチはばっと横を向いて、結に問い詰めた。

 

「ゆ、結!!お前ちゃんと動きを止めてたんだよね!?」

「そりゃあ、もちろんだよ。本当普通何も出来ないはずなんだけど…、って、そういうことかぁ。迂闊だったね、僕も…」

「何が起きたのか分かったの!?なら、ちゃんと教えろ!!」

 

額に手をやって沈んでいる結に、サチはいらいらして怒鳴った。こっちは何もかもが状況が把握できてないのに、自分だけ納得しないで欲しい。一人だけ取り残されるのは嫌だし、本当に勘弁して欲しい。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「うるさいですね。猿か何かですか?今は魔力に馴染まず、まだ動けない魔女ですが、騒げば刺激してしまいます。少しは静かにしてください」

「な、何んだよ、いきなり現れて!!偉そうに!!」

「黙ってください。それ以上騒ぐとソウルジェムを砕きます」

「!?はあ!?何言ってんの!?」

 

ソウルジェムがなくなるということは、魔力の源も消滅するということ。ソウルジェムがないとサチは魔法少女ではなくなってしまう。こんなところでただの一般人に戻るなど、ここでくたばれと言っているようなものだ。

 

結も夏音の発言に息を飲んだ。とても驚いているようで、サチよりも困惑しているらしく、動揺していた。結はサチに遠回しに死ねと言った夏音を恐れているのか、震駭して青ざめていた。やがて結は自分の恐怖を押さえつけるかのように、グッと鉈を握りしめから夏音に話しかけた。

 

「君、固有魔法で鉈をどうにかしたんだろうけど、ここまで到達するのには早すぎないかな?それにソウルジェムを砕くって言ったり、魔女がああなった原因について何か知っているみたいだし。…君は一体何者?」

 

結はサチに夏音のことを説明してやれなかったことが申し訳なかったのか、夏音がどうやってここまで来たのかわかるように、“固有魔法で鉈をどうにかした”というところを強調する。さらにはサチ自身も聞きたいことを質問してくれて、素直に認めたくはなかったが、正直ありがたかった。

 

感謝しつつも少し結を見直し、サチは夏音へと疑念を込めた視線を向けた。夏音はしかし、それを意に介さず淡々と答えた。

 

「私自身も私が何者なのか、もうわかりません。でも私を表す言葉は沢山ある。プリマドンナに及ばない、脇役にもなれないゴミの寄せ集め。本来はいちゃいけない存在。私は塵芥なんです」

「…お前本当に菊名夏音なの?とてもそうには見えないんだけど」

 

菊名夏音とは、ここまで虚無的で無気力で自虐的な少女だっただろうか。少なくともサチが見てきた菊名夏音は、感情がはっきりとわかりやすかった。決して今のように、何を考えているのかわからない、得体の知れない変な不気味さなんてなかった。彼女の素性もよくわからないし、怪しいけれど、それを抜きにして見れば夏音はただの普通の少女だった。

 

黒い魔法少女は結を一瞥してからサチを見た。目と目が合う。瞬間、瞳に吸い込まれそうな錯覚に陥る。まるでブラックホールのようだった。すべての色を混ぜれば黒という色になる。それと同じように、とても表現できないような様々な感情が混ざりあい、闇となって眼球の中で渦を巻いている。

 

「だったら、菊名夏音って何なの?教えてよ、今すぐ。私はなんなの?最早答えがわからない。私は“私”だけど菊名夏音を表すのは何よ?私は誰なのよ。どうしてまだこの狂った次元の中を踊って歌い続けているの?そして未だにそれを望んでいるの?歌なんてもう誰にも届かないというのに」

 

彼女の二つのガラス玉の中で、ぐるりと闇が蠢いた。夏音は目を細め、口の端をほんの少し上げて、楽しげな笑顔を浮かべる。いや、楽しげな、というのはほんの第一印象で、よくよく見ればそれは嘲笑に近い笑みだった。しかし馬鹿にされてるにも関わらず、サチは何だか怒りよりも恐怖を感じて、口を噤んだ。

 

「え、えと…」

「やっぱり聞くだけ損でした。ああ、家主さん。大丈夫ですよ。私を貴女の望み通りにして構いませんので。今の私はあくまで“私”ですから」

 

菊名夏音はサチの怖気付いた姿を鼻で笑い、目だけで結を向いた。結は数秒の間、限界まで目を見開いて、次には探ぐるように夏音をじっと見たが、その中には何か期待しているかのような感情も含まれているように見えた。

 

「…夏音ちゃん。魔女の状態がどうなっているのかわかるのなら、この異常な魔力は何なのか教えてくれない?」

「嫌でもこの先この魔力が何なのかわかりますし、時間が惜しいので教えません。もちろんしーちゃんにも」

「ふーん、じゃあこの結界から出たら色々と教えてもらうから…ってしーちゃん!?私のあだ名何で勝手につけてんの!?つか何でしーちゃんなんだよ!?」

「貴女の名前は船花でしょ?それから関連づけるものは海。船と海からあだ名をつけました」

 

一瞬、本気で訳がわからなかったが、船と海という言葉からすぐに納得した。船と海、英語に直すとそれぞれsipとseaだ。だから二つをかけてしーちゃん、なのだろう。

 

サチは夏音の意外な一面を知り、呆れた気持ちになった。一体どうしたらそんな発想になるのだろうか。絶対夏音のネーミングセンスは悪い。一周回って逆にしーちゃんというまともなあだ名になっていない気もしない。

 

「よく聞いてください。この魔女は見ての通り魔力に侵されています。その効力は何かの能力を下げる代償に、他の能力を上げること。この魔女は状況判断能力が下がることが代償となりました。だから動き出したら間違いなく暴走します」

「…その話が本当だとしたらさらに前以上に厄介だけど、上がった能力は何なの?」

「再生能力です。このお菓子の魔女は脱皮をし、攻撃を受けてもすぐに再生してしまうんだよ」

 

サチは攻撃した直後、魔女に食われそうになった時のことを思い出した。殺せるはずだった魔女が何故あんなにも無傷で、しかも結の魔法があったにも関わらず動くことができたのか、いまいちよくわからなかったが合点がいった。

 

あの時魔女は確かに動けなかった。しかし恐らく内部までに魔力は届いていなかったのだろう。表層的な部分だけ結の魔力は働くから、内部までに浸透することない。つまり、結の魔法は魔女の皮に働いていたのだ。攻撃を受けた際に、ダメージを受けていたのは皮だった。だから魔女は無事で済み、おまけに皮が消失したことで、自由に動けるようになったのだ。

 

「だ、だったら一体どうやって倒せばいいの!?そんなの無理じゃん!!」

「なら連続で再生が追いつかないまで攻撃をし続ければ良いんです。ですが私達の攻撃をずっと続けても火力が足りません。だから私の時間移動、そしてしーちゃんの銃を使います。家主さんは私達のサポートをお願いします」

「…わかったよ、夏音ちゃん」

 

サチも渋々ながらうなづくしかなかった。一番情報を持っているだろう夏音しか、この魔女を倒すすべは知らないだろう。癪だが夏音に従うしかない。自分の感情一つで死ぬわけにはいかない。サチには入理乃を止めるという大事な仕事があるのだから。

 

異常な魔力は、未だにその力を増して穢れのように禍々しく感じられる。魔女の周りを取り囲んでいるのが、魔力反応からも実際に肉眼でで見た限りでもわかる。魔力があまりに濃ゆいのか、白い霧のように漂っているのだ。

 

霧はぐるぐる、モヤモヤ魔女を侵していく。魔女の魔力パターンと異常な魔力のパターンが掛け合わさって、全く別のパターンとして届く。

 

サチは戦慄しながら、同時に変な汗が出てくるのを誤魔化すために眉間辺りに力を入れる。膨らみ続ける魔力に対して自身を鼓舞するよう、武器を強く握りしめると、夏音の指示により計二十の錨を召喚。横に整列させる。

 

夏音もハルバードに魔力を通し、魔女の頭上で赤いオーラが無数の戦輪のような形に具現化する。戦輪はよくよく観察すれば、イバラを結んだかのような形状をしていて、数百の棘がついている。サチがそれに一瞬ビビっている間にも、霧と化した魔力はどんどん膨張を続けーーそして一気に弾け、魔女が動き出したと共に、夏音はオーラを叩きつけた。

 

「ニンギョヒメノナミダ」

 

夏音の名付けた技名の通りに、血の涙のように魔女へチャクラムが回転しながら降り注ぐ。ミキサーに何か嫌なものでも入れたかのような音が響く。どうやら回っていることで、棘が魔女の体をえぐっているらしい。

 

しかし夏音の言う通り、魔女は尋常じゃないスピードで脱皮を繰り返し、攻撃を掻い潜っていく。輪の雨は古い皮を細切れにしていったものの、魔女に致命傷を与えることはできていない。

 

上空のオーラがやがて尽き、動きを制限するものがなくなる。魔女は脇目もふらず、焦点の合わない目で無茶苦茶な体制のまま飛び込んできた。サチはそれに合わせて錨を変形させて銃とし、魔女へ向ける。

 

「撃ってください!!」

 

一つの銃口から弾が飛び出した。魔女に当たると燃え上がり、脱皮した隙にもう一射。炎上する。他の銃も引き金を引き、銃声を上げた。脱いだ皮が鉢の巣になっていき、魔女は後方へ押されていく。

 

「もうそろそろ全部三発打ち終わる!!このままだと爆発するんだけど!?」

「心配する暇があったら、しーちゃんは銃をもっと召喚して、私の合図で打ってください。さあ、銃を未来へ送ります。ジゲンノトビラ・ヘイモン」

 

夏音がそう言った瞬間、打ち終わった銃の下へと魔法陣が敷かれ、瞬く間にその姿が消える。サチは驚いて一瞬だけ狼狽えたが、夏音にこずかれてハッとなり、手に魔力を宿らせると突き出した。

 

地面がせり上がり、空中にも青い魔力が駆け巡る。それらはあっという間に五十ほどの様々な形の銃へと変化する。

 

夏音がハルバードに魔力を練り上げている傍で、サチは集中して自分を中心に魔力が広がっていくイメージを思い描く。すると真ん中から順に、弾に魔力が送られて銃身が輝き始めた。

 

しかし、魔女は銃全体に魔力が伝達する前に突っ込んでくる。その有様は最早狂態と言って良いだろう。のたうつように不自然に酔っ払ったかのようなめちゃくちゃな動きでこちらへ接近してきている。完全な暴走状態だ。

 

サチは思わず唇の下を噛み、銃口を一斉に向ける。しかし、夏音に腕を掴まれて、発射を思い留まる。刹那、視界の端にいた結が動く。銃の壁の隙間を通って抜け出した瞬間、姿がぶれた。

 

驚いた時には、すでに結は魔女の頭よりも高い位置にまで、飛び上がっていた。そのまま魔力を乗せた渾身の蹴りを、上から下へとお見舞い。魔女の顔が地面に叩きつけられ、攻撃が逸れる。

 

その間にサチの魔力が全部の銃へと届き終わり、ついにそれぞれ銃口の前に光が集い出した。結は魔女を踏み台にし素早くサチ達の元へとバック。ほぼ同じタイミングで、すべての銃が弾を放った。

 

発泡音が重なり、轟音となる。魔女は突如爆炎をあげ、飛来した弾によって穿たれ文字通り火だるまとなった。しかし再生能力は銃の猛攻に十分追いついている。脱皮せずとも不気味に隆起して回復していく。

 

サチには大量の銃のコントロールが難しかったのか、軌道が交差して、いくつか弾と弾がv跳ね返えり、地面にぶつかり埋まっていく。他にも魔女に当たらなかった弾はお菓子のオブジェに当たって火をつけ、テーブルの支柱に当たって倒壊させていく。土煙が上がって、魔女が覆い隠された。

 

「そろそろ弾が尽きる!!夏音!!」

「言われなくてもやりますよ」

 

夏音がハルバード内に貯めていた魔力を解放する。呼応するように直径が十メートルもの魔法陣が現れ、すべての銃の下にまで広がる。銃は一つ一つ弾を失っていき、群れ全体の魔力が急速に青白く胎動する。最後の一射が放たれ、五十丁の銃は魔法陣と共に消えた。

 

「二人とも下がって!!」

 

夏音に叫ばれ、反射的に足が動く。三人が後ろに下がったのに合わせて、魔女が煙を突き破ってくる。そして、大量の銃があった場所へと(・・・・・・・・・・・・)やってきた。地面へ走る夏音の魔力は、魔女を囲うように線を描き、複雑な文様を造り上げ、円となっていく。

 

「さあ、貴女の劇を終わらせましょう。ジゲンノトビラ・カイモン」

 

赤く、紅く、赫く、魔法陣が輝く。バタン、とどこかでドアが開く音が聞こえた。空中から一つ銃が現れ、爆発する。魔女が脱皮して攻撃を凌いだところでもう一度爆発。それを皮切りに銃が元いた場所に次々と出現。銃身が耐えきれなくなり弾け飛んで、魔力同士が連鎖するようにさらなる爆煙を生み出す。

 

その威力は、五十発の砲撃の比ではない。爆発一つ一つが、サチの魔力を乗せた錨の一撃の半分に匹敵する。魔女一匹殺すのには十分だ。しかも銃が現れるタイミング若干ずれているのか、連続で炎が吹き上がっている。

 

これには魔女の回復能力も付いていっていない。爆煙は次々と生まれて、なす術なく魔女を燃やしていく。火の粉は辺りに飛び散って着火していき、結界内が火の海と化していき、むせ返るような煙と臭いに思わず手で口を覆う。

 

銃が二十丁現れ、全く同じ瞬間に爆発。魔女の肉体が木っ端微塵になり、肉塊が弾け飛んだ。すざましい音が鼓膜を破りそうになり、耳の奥が痛くなってサチと結は耳を塞いだ。

 

結界が消失し、どろりと溶解して元の場所に戻る。コロン、と音を立ててグリーフシードがコンクリートに落ちた。




ニンギョヒメノナミダ
チャクラムをオーラで形成し、相手にぶつける技。何百もの棘を備えており、威力不足を補っている。基本的には相手の頭上にチャクラムを形成するが、そのまま飛ばすことも多い。技の命名は夏音。


ジゲンノトビラ
誰かが名付けた夏音の固有魔法の名前。ヘイモンで対象を飲み込み、カイモンで対象を出現させる。過去へ飛ぶ際は燃費が悪く、未来へ飛ばす際は比較的燃費が良いが、送る物質の量や種類、大きさや重さ、距離に魔力の消費量が比例する。送った物質はまったく同じ場所に出現。魔力が魔法陣に反発すればその物質は送れず、まず魔女などを未来へ送ることは実質難しい。未来に限り、魔法陣に物質を飲み込んだ際に指定した時間はいつでも変更できる。


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個人の定義

あんなに強い魔女と戦ったのは久しぶりで、終わったと思うと全身を倦怠感が襲ってきた。かなりの体力の消耗を感じる。気づかないうちに、随分息が上がっている。帽子をとってソウルジェムを見てみるととても濁っていて、予想以上に我ながら身体的にも魔力的にも無茶をしたらしい。

 

サチはグリーフシードの元にまで歩み寄ると、それを拾ってちょっと観察する。黒い球体の中は、普通のとは違ってすけすけで、何気に面白い。グリーフシードは、一つ一つ魔女によって形が微妙に異なっている。それが少し興味深かったりするのだが、特に眺める状況でもないし意味もない。

 

サチは少し名残惜しいと思いながらグリーフシードをちらりと見ると、結に投げた。結は突然こちらに投げられて驚いたのか、慌ててキャッチして手を滑らせ、落としそうになりながら受け取った。

 

「な、何で僕に!?とどめを刺したのは君と夏音ちゃんで…」

「…だからだよ。もう魔女倒すのに疲れて文句言う気力もないんだよ。その前にアンタに譲る。それに夏音と一緒のいるのは結でしょ?」

 

魔女を殺したのはサチの魔法により生み出された銃だし、その銃を時間移動によって魔女にぶつけたのは夏音だ。どちらとも魔女を殺したと言えるし、言えない。判断が難しいところだ。

 

これがパンとかクッキーだったら、二つに分けて仲良く半分こできるだろうが、グリーフシードはそうはいかない。分け合うことは不可能だ。だからこそ、魔法少女の争いの主な原因の一つとしてなりうるのだ。

 

そうでなかったら、魔法少女は一人で戦わず複数で戦っているだろう。その方が効率は良い。しかしそうしないのは報酬が独り占めできないから。

 

魔法少女が基本、一人かツーマンセルで行動するのは、そういう理由だ。群れているところはそうそうない。複数いる地域は必ず争いが発生するし、実はサチ達のように町を区画ごとに縄張りをそれぞれに分割して、それで互いに黙認しているなんてケース、珍しくもない。

 

とにかく、争いごとは面倒だし、サチも人を傷つけたいわけじゃない(頭に血が上って冷静じゃなくなると、その限りじゃないが)。いくらサチが暴力的とはいえ根は善良だ。誰かが怪我をしているのを見ているのは好きじゃない。争いなど避けられるのなら避けたいのが本音だ。

 

「いや、そんなこと言われても…」

 

しかし、結は結で困っているらしい。自分に貰う権利が初めからないと考えていたようだ。しかも魔女戦において彼女はあまり活躍できてはいない。功績というものはほとんどないのだ。それがいきなりグリーフシードを渡されたのだから、こちらに悪いと思っているのだろう。

 

せっかく譲歩してやっているのに、とサチは不満に思う。こういうものは素直に受け取ってくれた方が、ありがたいのだ。しょうがなくサチは、今まで黙って突っ立っている夏音に何か言ってもらうべく声をかけた。

 

「ねえ、グリーフシード譲るから、それで良いでしょ?」

「………」

「夏音?」

 

しかし、夏音はこちらの声が聞こえていないのか、ぼんやりと両手を見続けた。そしてうわ言のように、菊名夏音は呟いた。信じたくないとばかりに。認めたくないとばかりに。

 

「あれは…“私”じゃない。“私”は、“菊名夏音”は、もっと“特別”で“力”があるはずなのよ。私が求める“私”はあんなじゃない。望んでいないのに…!!何なの…?一体何なのよ…!?」

「お、おいおい、大丈夫か!?」

 

サチは本当に気でも狂ったのではないかと疑った。それ程までに錯乱していた。今すぐ正気に戻そうと、会った時と同じように夏音の肩に手を置こうとした瞬間、夏音は頭を抱えて蹲った。

 

「違う…!!違う、違う、違う…!!」

 

苦悶の声を上げて逃れるように、激しく首を振る。震えを抑えるように、夏音は自分自身を抱いた。顔の血色は悪くて、蒼白していると言っても過言じゃない。彼女には淡々とした様子もなければ、厭世的な雰囲気もなかった。

 

「おま、お前…。お前元に戻ったの?本当に菊名夏音だよね?」

 

思わずサチは夏音に尋ねる。緩慢に眼球を動かされた。その目には、馬鹿なことを言うんじゃない、という言葉が浮かんでいた。

 

「そうですよ。逆に“菊名夏音”以外ありえません。私が菊名夏音じゃないなら、私は何なんですかね?そんな当たり前のこともわからないんですか?貴女は脳味噌がないんですか?」

「な、脳味噌がないだって!?」

 

突然の暴言に、カチンと来て怒鳴る。そのまま文句を言おうとして、結はどうどうとサチを抑える。サチはそれに免じて口を噤む。結は夏音の顔を覗き込みながら聞いた。

 

「夏音ちゃん、どしたの…?具合が悪いの?」

「あんまりにも“私”が気持ち悪くて吐き気がしただけです。…もう楽になりましたから」

「いや、この船花様が見る限り、全然そう見えないんだけど。夏音、マジで病気か何かじゃないの?どこかやっぱり悪いんじゃ…?」

 

サチが心配して聞くと、夏音は緩慢に目を動かしてこちらを見た。瞳には明らかに、面倒くさいという言葉が浮かんでいる。呆れたように、やれやれと、

 

「…平気だと言っているじゃないですか。あ、そうか。わかりました。貴女の耳はちくわと同じで、穴から穴へ聞いたことがすり抜けていくんですね。なら、仕方ありません。ごめんなさい、無理なことを言っちゃって」

「はあ!?無理じゃねえよ、何で哀れんでんの!?腹が立ってくるんですけど!?」

 

脳味噌がないだの、耳がちくわと同じだの、酷い言い様だ。結果の中でもそうだが、夏音は何て毒舌で嫌味な奴なのだろう。この船花サチは頭も良いし、他人が話した内容はちゃんと一回で聞いて覚えれる。それなのにどうして理不尽に、こんなことを言われなければならないのだろう。

 

「そんなこと言っちゃ駄目じゃないか。いつからそこまで口が悪くなったの?」

 

そう結が言った途端、夏音は肝を潰した。そして夏音は考えるような仕草をした。顔は無表情になったようにも見えたが眉間には少しの皺が浮かんでいる。

 

それは、注意しなければならないほどの微妙なものだったためか、結は気づかなかったようで、再び注意した。

 

「サチちゃんは君の身を案じたんだよ?イライラしたとしても言い過ぎだよ」

「…そう、ですね。船花、すいませんでした」

 

夏音は無愛想に謝罪を言ってから、またぼーとしている時と同じように黙り込んだ。俯いて目を伏せたまま、体育座りをする。そうしていると、高い身長であるはずなのに、小さく見えて仕方なかった。

 

結は、そんな夏音にちょっと苦笑してため息をついてから、すぐに真剣な顔になった。結の喉がゴクリと動いて、緊張しているのがサチには分かった。結は努めて優しく質問した。

 

「ねえ、君は何か知っているの?どうしてあんな風になったの?」

「…家主さん。私は何も知りませんし、自分の身に起こったあの状態が何なのか、わかりません。一言言えるのは、あんな“私”は私じゃないと言うことだけ。だって、あんなのが“私”とかあり得ないですよ」

 

半ば笑って否定する。“私”、つまり“お菓子の魔女の結界で一緒に戦った菊名夏音”を、吐き捨てるように。心底嫌いで嫌いでどうしようもない様子で、怨嗟すらしていると言わんばかりに、彼女は忌々しげに語る。

 

「私、魔法を使った記憶はあるし、自分が魔女を殺した実感もあるんです。生々しいくらい覚えてます。でも私がやったように思えないんです。あの時、私の体は私じゃなく別の誰かが操っていた。その感覚が染み付いて離れてくれなくて、私の意識がその誰かになっていくような気がして寒気がしてきます。吐き気がする程、それが不快で不快で仕方がないのよ…!!」

 

結は自分の袖を掴んだ夏音の両手を見る。結は夏音が言った言葉がどういう意味かよくわからなかったようで、何も返さなかった。それでいて夏音は、目を震わせて無言で、わかってくれと訴えてくるのだから、結はどうしようもなく困ってしまったような表情を浮かべた。

 

サチも夏音が言っていることが、まったく信じられない。しかしサチの目から見ても、夏音は演技しているようには見えないのだ。不思議と真実味があるように聞こえてくる。

 

「私は確かに二人を助けようとした。でも、私は魔女が恐ろしいんです。あの子みたいに食われたくないと願うこの私が。菊名夏音が。魔女を今殺せますか?殺せませんよね?だって私は私なんだから!!殺せたとしたら、もう別人じゃないですか!!」

 

夏音は必死に、それこそ死にものぐるいで、泣きながら主張し続けた。それはこちらが圧倒され、飲み込まれそうになるほどの勢いだった。

 

「私は何も知りません!!知るすべもありません!!大体、残存魔力に詳しい魔法少女は貴女です!貴女はずっと、残存魔力を扱ってきたのですから!!家主さん自身が知っているでしょ!?」

「それはそうだけど…」

「家主さんが知らないことを、私が知ってるはずがないよ!!私は“私”じゃないんだ!!あの“私”は偽物!!私の方が本物なの!!」

 

ふと、全然違う、と思った。この少女は、お菓子の魔女の結界で共に戦った“夏音”ではないような気がした。支離滅裂なことを言っている辺り、本当に彼女自身が一番困惑しているのだろう。上手く表現できないが、まるで照明のスイッチがオフからオンに切り替わったようだと思った。

 

陰から陽。闇から光。黒から白に移り変わるように。不可思議なことに、大人びたような感じもするが、それでも夏音の印象は先ほどとは格段に相違がある。まるで正反対だ。

 

今の夏音の瞳は正常で、あれ程荒れ狂うような濁りは完全に消え失せていた。いっそ違和感を覚えるほどだった。泣いているせいか、常人と同じか、それ以上に異常なほど透き通っている。まるで水晶のようだ、と思った。

 

「…それとも、もしかしたら、私の方が偽物で、あっちの方が菊名夏音なの…?私を指す言葉は菊名夏音なのに、あいつの方が菊名夏音と呼ばれるべきなの!?私は菊名夏音以外の何者でもないのに、私が“菊名夏音”じゃなかったら、私は誰なのよ!!」

 

夏音は心からの思いを吐露した。それは懇願に近い、絶叫だった。

 

「…夏音ちゃん」

 

結はその二つの双眼を観察するように目を合わせた。そうして、辛そうに目尻を下げながら、それでも瞳を逸らさずに、言い聞かせるような、静かな声音で言った。

 

「名前なんてのはね、固有名詞なんだ、所詮呼び名なんだよ。名前よりも大事なのは、個人を個人として見ることじゃないかな。人は、存在そのものをありのまま見てくれる他人が必要なんだよ。そうじゃないと自分を自分だと定義できない。外から僕を認識してくれる人がいないと、僕は僕じゃなくなる」

「……」

 

サチは聞いていて、何だか心が抉られる感じがして、胸がずきずき痛んだ。思えば、サチがサチとして自分を認識できるのは、養父が、入理乃が、何より自分自身が、船花サチを船花サチだと見ているから。

 

実の両親はサチをお人形として見ていたから、過去のサチはサチじゃなかった。言ってしまえば傀儡だ。あっちこっち振り回されて、自分の意思はなかった。自分の意思を持って、ようやくサチは自分を肯定できるようになった。

 

逆に言えば、サチは養父か入理乃を失えば、ただの傀儡に戻るだろう。見てくれないのなら、一人になってしまう。そうなったら、自分は最早存在している価値はないとさえサチは思う。それほどまでに二人の存在は大きかった。

 

「だから、僕が君を君個人だと思う限り、君は君だよ。ね、サチちゃん」

「え!?」

 

こっちに同意を求められ、サチは戸惑った。これが事前のことだったなら自然に喋れるが、突然のことだったので、上手く言葉が紡げない。意外とサチはこういうのは弱いのだ。

 

「まあ、うん…。何というか、その…。よ、よくわかんないけど、結の言う通りなんじゃね?それに、元気出してもらわないと、こっちが困る!やりづらいんだよ、しょげられるとさ!早く立って、しゃんとしろよ!!」

「…粗野なくせに、貴女は良い奴ですよね」

「何か言った、今?」

 

あまりにも小さな声だったので、サチは聞き取れずに首を傾げた。夏音は目を細めると、首を振って何も言ってないと否定した。

 

「…二人とも、心配してくれたり、励ましてくれて、ありがとうございます」

 

手のひらをぐっと僅かに握りしめて立ち上がる。そして意を決したように、サチに握っていた手を差し出した。サチは意図が読めずに、その手と顔を交互に見た。

 

「あの…、私凄い怪しいですし、沢山そちらに迷惑かけました。私は、静かだった池に投げ込まれた石のようなものですし、 さっきみたいなことがあった後だから、貴女は私のことが嫌いでしょうがないと思います」

「そりゃそうだよ。嫌いにならない理由がないし。アンタが言うように怪しいよ」

「信じられないと承知の上で話しますが、私は何もするつもりはないです。縄張りを奪うこともしない。私は、ただ貴女と阿岡入理乃と仲良くなりたい」

 

サチは何と返したら良いのか、困り果てた。こちらと仲良くなりたいなど、口にするのは難しいだろうと思う。サチ達に捕まえられて、運良く助けられて、結の庇護下に入れた状況で、よくもまあ言えたものだ。しかもその結の目の前でわざわざ言っているのだから、どんだけ恐れ知らずなのだろう。それは見方を変えれば結ヘの裏切り行動のようにも見えるというのに。

 

そう思ったら、意外なことに結も真剣な顔でサチに頼んできた。

 

「僕も概ね、君達とは争いたくない。夏音ちゃんの処遇、縄張りのこと。問題は山積みだし、それぞれ事情や不満もあるよね。けど、どうか争う意思がないということは、君の相方に伝えて欲しい」

 

頭を下げてくる。夏音も彼女を一瞥してそれを真似して、頭を下げた。年上二人にそんなことをされたものだから、サチはさらに困ってしまった。サチは慌てて、口を開いた。

 

「…私はーー」

 

しかし言葉を発する前に、何処からかカラスの鳴き声が聞こえてきて、驚いて口を閉じた。鳴き声の方を見れば、不吉なものを感じさせる、漆黒の羽を持つ鳥が彼方から飛んできていた。影は頭上を旋回し、一声鳴いてあっという間に過ぎ去っていく。

 

一体何だよと思ったところで、突如としてポケットから電話の音が鳴り響いた。



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ガラス細工の心

携帯は滑らかにお気に入りの音を奏でる。呆気に取られたのか、夏音とサチは頭を上げて、こちらにどうするのかと視線で問うてきた。サチはさっきとは別の意味で困ってしまい、愚痴を漏らした。

 

「なんなんだよ。何でこんな時に…」

 

頭によぎったのは、ゴスロリファッションに身を包んだ、淡い色の髪を結った少女だ。サチは予感が当たっているのかどうか、一応念のために、スカートのポケットから電話を取り出して、画面を確認する。すると思った通り、表示されている名前は東順那。

 

どうしようと思う。こんなところで電話のやり取りなんてしたら、万が一の時が恐ろしい。しかしこの場には結がいるのだ。もしかしたら、電話越しだったら結は順那と話をしてくれるかもしれない。

 

サチは迷いなく結の方を見た。それに何かを感じ取ったらしい。結は眉を下げて口を上げる。実に完璧な、事務的な笑顔が瞬時に浮かびあがった。人形というよりも、無機質なロボットをこちらに連想させる笑みだった。

 

サチは結の笑顔に、誰かに掴まれたみたいに喉の辺りが苦しくなった。結はそれを察したのか、不自然に柔らかく優しい口調でサチに質問した。

 

「もしかして、東順那?僕の従妹からなの?」

「家主さんの…従妹さんの電話…?って、東順那!?本当に、あの東順那!?」

 

夏音は順那の名前を聞いた途端、目を丸くする。明らかに、知っているものが、突然話題に出た時の反応だった。結はそれが気になったのか、夏音に尋ねる。

 

「夏音ちゃん。僕の従姉妹の名前を聞いた時にも驚いてたけどさ…。もしかして順那を知ってるの?」

「はい…。とうちゃん…、じゃなくて東順那のことは、知っています」

 

夏音は仕方なさそうに答える。どうも順那とは同じ学校らしく、それで知っていたようだ。順那は、夏音達の間では、変人として有名みたいだった。

 

夏音が語るところによれば、順那は何らかの動きや働きを、じっと観察することが好きな子らしい。そして、自分が観察したものを話しては、楽しそうにしていた。

 

当然、周りから共感してもらるはずもなく、普通ではないからと敬遠されていったそうだ。しかし当の本人は図太くて天然なものだから、それを気にすることは皆無な様子だった。順那は良く言えばマイペース、悪く言えば周囲を気にしない人物のようだ。

 

夏音がまるで見てきたかのように話すものだから、サチはやけに詳しいなと疑ったが、夏音のネクタイの色を思い出して納得する。夏音のネクタイの色は、二年生の色だった。そして順那も中学二年生のはずだ。

 

だとしたら同学年だし、夏音と順那が話をしていてもおかしくない。下手したら同じクラスという可能性すらある。まあ、仲良くはないだろうが。

 

「しかし、解せませんね。どうして順那が貴女に電話をしてくるんですか?」

「色々あったんだよ、色々」

「色々って何ですか、色々って。何があったか気になりますね…」

「それより電話に出てあげなよ。順那が待ってるよ」

 

結は普段と変わらない態度でそう言う。それが逆に気が動転しているようにも見えた。そんな様子が気になったものの、彼女の言う通り、待たせるのも悪い。サチは画面をタップして通話をオンにすると、携帯を耳に当てた。

 

「もしもし、サチ?あたし、東順那なんだけど、盗聴器を取ってきて分かったことがあって、作戦会議をしたいと思うんだけど。時間空いてる?」

「…悪いんだけどさ、話は別のとこでしてくんない?目の前に結と夏音がいるから」

「え、何で会えてんの?縄張りは違うはずなのに?」

「それがさあ、魔女を追ってたら偶然縄張りの境界線で鉢合わせちゃったんだよ」

 

そう説明すれば驚いたのか、声が一切聞こえなくなった。それこそ、電話が切れたのかと一瞬疑う程だ。やがてしばらくして、笑い声が聞こえてきた。幼い子供のような印象を受ける、どこまでも純粋な声だった。

 

「…何がそんな面白いんだよ」

「いや、だって!!とっても都合が良い偶然だもん!普通こんなのない!!おかしすぎるもん!」

 

確かに考えてみると、順那の立場からすれば都合が良すぎる。サチとわざわざ手を組んだ程に、従姉と話すのは難しかったのだ。それなのに電話をしたら、肝心の従姉がサチの前にいる。サチにとってはバットタイミングと言っても良いが、順那にとっては凄いグットタイミングなのだろう。

 

「ねえ、お姉ちゃんに話すようお願いして」

 

分かった、と答えてからサチは改めて結に向き直った。夏音はサチが訝しく思えたのか、不安げに二人の顔を見比べた。サチは夏音の行動にうざいと思いながら、駄目元で結にお願いした。

 

「結。順那がアンタと話がしたいってさ。…なあ、どうしても駄目なのか?順那と話をしてやってくれないか?だって何年も話してないって聞いたし、何か不憫だしーー」

「嫌だ」

 

結は案の定、即答で断った。横にいた夏音は、僅かにびっくりした後、悲しそうに俯いた。その行動は、何かを知っているからこそのもののように思えた。だからか、夏音が今感じている気持ちが、サチには手が取るように分かった。

 

「…どうして、順那と話したくないんですか?ぎぐしゃくしてるとは聞きましたが、それが原因なんですか?」

「…今更、あの子と話すことなんてない」

「家主さん、ですがーー」

「僕はあの子の声を聞きたくない」

 

夏音が何かを言う前に、結は邪魔するようにばっさりと言い放った。彼女は全くの無表情に見えたが、唇の端を噛んでいて、感情が出てこないように、必死に我慢しているらしかった。無意識なのか、手は握り拳になっていて震えていた。

 

「順那、結は話したくないってさ」

 

サチは諦めて、順那に結が会話を拒絶したことを伝えると、スマホからはあ、という息遣いの音がした。どうやら順那は溜息をしたようだ。落胆のためかと思ったが、次にはやっぱりと言ったため、どうやら困窮のため溜息をしたらしかった。

 

「もう良いよ。これ以上言ってもどうせ無駄だから」

「…どうせ無駄って、お前諦めちゃって良いの?大体どうしてーー」

「話したがらないかって?それをこれ以上結の目の前で言っちゃいけないよ。只でさえお姉ちゃんの精神は限界まできてるんだから」

「? 何それ?どういうこと?」

 

意味が分からず困惑してると、順那は勿体ぶるように黙ってから、次に愉快な話でもするかのような口調で言った。

 

「ねえ、早島の魔法少女、サチ、入理乃、結、ミズハの四人はね、共通してることがあるんだよ?それが何か分かる?」

「皆親戚ってこと?」

 

昨日、順那に見せてもらった家系図で分かったことなのだが、サチ、入理乃の家は外戚といえど、広実一族の分家からやってきた婿や嫁がいるらしい。そして当然ながら結とミズハは従姉妹同士であり、互いに同じ一族の血が流れている。全員が広実一族のDNAを持っているのだ。

 

「んー、それも共通点でもあるけどね。キュゥべえ曰く、早島において、広実一族の子孫以外は、魔法少女にならないようになってるんだって」

「え、何で?」

 

問いかければ、それが間抜けだったのか、順那はくすりと笑った。そしてそれから、朗々と本でも読み上げるみたいに、キュゥべえから教えてもらった、何百年も前のことを話した。

 

昔々、早島と三滝原は戦争をしていた。力の差は大きく、このままでは早島が飲み込まれるのも時間の問題。

 

しかしそんな時。丁度一つの災害が三滝原にやって来た。それは市の記録には残されていないが、広実一族の記録によれば、スーパーセルだという。豪雨による大洪水に、大風による建物への被害。死者は数えきれず、行方不明者は多く出た。お陰で三滝原は戦争どころではなくなり、早島は生き延びることができたのだ。

 

しかし災害の余波は早島にも及び、戦争直後は混乱が続いていた。それに乗じて、領主以外の他の家が権力を手にしようと動き出し、内乱が起こりそうになったのだ。

 

最終的には、魔法少女であった領主の娘の働きにより家は潰され、その家が権力を得ることはなかった。領主はそこで安心したが、娘の姫は安堵できなかった。

 

敵方は、実は魔法少女を知っていた。そしてその一族の末端の少女に契約をさせ、願いによって権力を奪おうとしていたのだ。そんなことが次に起こっては、自分達の家は今度こそ終わる。魔法少女であるが故に、その力もその脅威も、姫は十分に理解していた。

 

姫は他の一族すべてに、魔法少女の素質を持って生まれることがないよう、固有魔法で因果を弄った。例え庶民に素質を持った少女が生まれたとしても、何らかの形で死ぬようにレールを敷いた。こうして領主の一族のみ、魔法少女を生み出せるようになった。

 

「領主の家は、その後複数分派して広実一族となった。そして未だに魔法は早島全土に広がって、効力は無くなっていない。だからここでは広実一族の血を流す人じゃないと魔法少女になれないんだ」

「と、とんでもない、話だな、それ…」

 

まるで嘘のような話だ。まず因果を弄ったこと自体が無茶苦茶だ。それは未来を書き換えた、ということに他ならない。あらゆる可能性を別の物に湾曲するなど、スケールがでか過ぎる。

 

そして早島市のすべてに魔法をかけたという事実も、呆れを通り越して、驚きさえも消えてしまう程には出鱈目だと思う。サチ達も確かに早島を縦断する程の結界を造ったが、それは三人だからこそ出来たのだ。それぞれの魔法を掛け合わせなければ、成功はしなかった。一人でやれば結界の維持はもちろん、魔力が足りない。つまり姫はそれ程魔力を多く保有していたのだ。

 

何より恐ろしく、鳥肌が立ったのが、今もまだ魔法が切れていないこと。すなわち、何百年もの間、素質を持っただけという理由で少女が殺されてきたということになる。願いを叶える選択肢さえ与えられず、無理やり死を与えるなんて、虐殺と同じだ。考えただけで堪らなくなる。

 

「ん?じゃあ、おかしくない?何で夏音が…」

 

ふと気づいたが、そしたら菊名夏音は死んでいなければおかしいのではないのだろうか。彼女は広実一族でもなければ、その子孫でもない。ただの一般市民であり、普通の家系だろう。順那の言うことを鵜呑みにすれば、今ここに夏音がいること自体が有り得ない。

 

「流石にそこまであたしは知らない。キュゥべえちゃんから聞いてみたら良いよ」

「…で、私達の共通点って何だよ?」

「生死に関する何らかの罪だよ」

 

脳髄にまで声が届いた途端、音が表す意味が理解できなかった。いや、理解は出来たのだ。しかしサチはそれを認めるわけにはいかなかった。認めたら最後、何もかもが瓦解するような気がしたからだ。

 

拒絶反応が手に震えとして出てくるのを、必死で抑え込む。サチは自分の口が半笑いになってるのを自覚しまいと意識しながら、改めて質問した。

 

「それがどうしたんだよ。それが共通点なの?」

「罪…というか、業って言い換えた方が良いかも。皆んなその業から逃げちゃってるんだよね。まあ、悪も正義も罪も罰も、自分とか皆んなが勝手に決めてるもので、本当は存在しないと思うんだよね。そんなのに苦しむなんて、人間って変だよね」

 

心底不思議がるような言い方だった。サチは順那に一ミリも共感できなかった。人とずれている、とは聞いたが、実際に相対すると、イライラしてくるし、頭がこんがらがってくる。

 

「そんなのって何だよ。理屈でどうこうなるもんじゃない」

「そう。理屈じゃないんだよ。お姉ちゃんはミズハのことに必要以上に責任を感じてる。けど、実はミズハの死に関しては割と悪くはない」

「…そう、だな。苦しめたかもしれないけど、決定的な要因じゃない」

 

サチには、結が行ったことが悪いことのようにどうしても思えなかった。結がやったことは、少なくとも一人の人間を幸せにした。結果的にそうしなければ、確実にその人は不幸になっていた。

 

「お姉ちゃんは、自分の業に恐怖して逃げた。でも、逃げ続けるだけの精神を持っていない。この二年、発狂しなかったのは奇跡だよ」

「奇跡…」

「お姉ちゃんが何をしたか、貴女だって知ってるでしょ?お姉ちゃんはそれを指摘されたくなくて、あたしと話したがらないの」

 

両親と一緒に博物館で見た、繊細なガラス細工を思い出す。流線的な、水から飛び出す龍。手で触れるだけで崩れ落ちそうで、透明で冷たくて、なんと美しいと思ったことか。その時は力強いという感想を抱いたが、しかし今は弱くて儚いと感じた。

 

「アンタは、何でそれを分かってて話したがるの?結を追い詰めたいの?」

「いいや。あたしはただ苦しまなくて良いよって言いたいだけ」

「…そうか。アンタは、やっぱり結を本気で思ってるんだな」

 

それ以上は何も言えなかった。順那はすべてを理解した上で、結を救済しようとしている。それ程の覚悟があるのなら、文句はなかった。結のためにも、協力してやろうと思う。

 

「話は、公園でしても良いよね」

「うん」

「あ、でもその前に、入理乃が二人をどうしようとしてるか教えるね。彼女はねーー」

 

神妙な順那から伝られたのは、信じがたい内容だった。絶句してしまう。立ち尽くしてしまう。温度が体から抜けていく。

 

まさか、そんなことを?そこまで、相棒は落ちてしまったのか?どうして、どうして?いくらなんでも、入理乃がそこまでするのか?

 

「ど、どうしたんですか、船花?」

「!? な、何でもない!!」

 

様子がおかしかったのを心配したであろう夏音に、サチは過剰なくらい慌てて首を振った。何でもない、という言葉は、自分を納得させるものだったと、後から振り返れば思う。

 

「そ、そうだよ。何でもないんだよ、夏音!」

「…それなら良いのですが」

 

釈然としてなさそうな夏音。結は眼光鋭く、サチを見ている。何だか自分の事情を見抜かれてるようで、寒気がしてきた。後ろめたいことなんてないのに、居心地が悪くなってきたところで、夏音がサチに話しかけた。

 

「あの、順那と話をさせてもらえませんか?」

「何でだよ。夏音が話をする意味なんてないだろ」

「…そうだよ。順那と話さないでよ。夏音ちゃん」

 

便乗するように、結も反対する。しかし夏音はうんともすんとも言わず、意思を曲げない。サチは、どうして夏音がここまで順那と話したがるのかまったく分からなくて、困惑した。

 

「あたしは夏音に興味があるな。一言何か言わせて」

「は!?」

 

順那が突然勝手なことを言うので、サチは何を言っているのかと耳を疑った。そうやって訝しがっていたら、順那はお願いお願いと連呼し始めた。耳元がうるさくなって思わず、

 

「分かった、分かったから!!ただし、声が周りに聞こえるようにはするから!!」

「やった!!」

 

イラついて舌打ちをする。サチは音のボリュームを最大にしてから、携帯を夏音に渡した。夏音は受け取ると、耳に当てるのではなく、顔の前に携帯を持ってきた。

 

「もしもし、私は菊名夏音です。貴女は、順那ですか?」

「そうだよ。初めまして」

 

初めまして、と言われて夏音は何故か明らかに悲しそうな顔をした。しかし気を取り直すように首を振ると、話題を手探りするような口調で話し始めた。

 

「あの、貴女は魔法少女のことを知っているんですか?」

「知ってるよ。ミズハが、私の従姉が死んだ時に勧誘されたから。断ったけど」

「な、何で断ったんですか?」

 

神妙に夏音が聞けば、結の手がピクリと動く。ガラスの向こうからは、当然の答えが返ってきた。

 

「命を掛けたくなかったから」

「つまり死にたくないと?」

「デメリットとか考えると、まだ人間でいたかったの」

 

まるで魔法少女が人間ではない、という言い方だ。サチは自分や入理乃を馬鹿にされた気がして怒りを感じた。人間じゃないなら、自分達は何だというのだろう。嫌なことを言わないで欲しかった。

 

「貴女は何で魔法少女になったの?」

「わ、私は…」

 

口を閉じる夏音。複雑そうな顔からするに、並大抵じゃないことがあったのだと分かる。

 

魔法少女にとっての願いとは、人によってはデリケートだ。サチは違うが、夏音は願いのことを口にはしたくないだろう。それが理解できたので、サチには順那が不躾に思えてならなかった。

 

「…貴女はある意味、一番人間らしいんだろうね。あたしにはそんな貴女が好きになったよ、夏音。ぜひ友達になってくれないかな」

 

そう言われた瞬間、夏音はぱっと明るい表情になった。結は納得ができないように見ていたが、サチも同じだった。こんな奴と友達になりたいとは思えなかったからだ。しかし夏音は嬉しいのか、二人の胡乱げな視線に気づかず弾んだ声で提案する。

 

「ほ、本当ですか?じゃ、じゃあとうちゃん、ってあだ名で呼んで良いですか?」

「お、良いあだ名だね!とうちゃんって、可愛い!」

「可愛い…?」

 

とうちゃんって、あの父ちゃんに聞こえなくもない。かなり酷いネーミングセンスだと思うが、何故喜んでるのか、サチには理解できなかった。

 

「でも、あたしのことは、良かったらコルウスって呼んで」

「コルウス…?」

 

夏音はコルウスが何か知らないようで、同じ言葉を復唱した。結も分からないようで、一緒になって首を傾げている。唯一この場でその意味を知ってるサチは、コルウスが何かを説明した。

 

「昔の船の兵器。カラスって意味」

 

言いながら、苦い思いになった。入理乃がカラスを気持ち悪いと言ったことを、ふと思い出してしまったのだ。

 

「…分かりました。貴女のことは、これからコルウスって呼びますね」

「うん。ありがとう。でも残念だけど、これ以上話せないんだよね。充電切れそうだから」

 

どこか安心したように、結はホッと息をついた。だが話し足りなかったのか、夏音はシュンとして見るからに落胆していた。仕方なさそうに一言順那に言ってから、サチに電話を返す。

 

ボリュームを下げてから、再びサチは画面を耳に当て、自分に代わったことを伝えた。それから集合場所に行くと二人に気づかれぬよう、それとなくなく言ってから電話を切った。そして、どっと疲れた気がして、何気なく溜息を吐いた。

 

「私、家で休みたいから、もう帰るわ」

「グリーフシードは良いですか?」

「もう良いわ、どうせ手元にいっぱいあるし」

 

そう言えば、夏音は渋々ながら頷いた。悪いと思っても、受け取ることにしたらしい。相手も相手で、グリーフシードがいるのだろう。というか、入理乃の目的を聞いた今では、持ってくれていた方が助かる。

 

これでもうここにいる用事はなくなった。サチは先のこと考えながら憂鬱な気持ちで踵を返した。そうやって帰ろうとしたところで、ハッとして振り返る。そして、夏音の方を向いた。まだ彼女に伝えてないことがある。

 

「…聞いても良いか?どうして会った時怯えたんだ?魔女か何かの影響なの?」

「………」

 

夏音は何も答えない。サチはそれを肯定だと捉えた。

 

「でも、絶対に魔女を殺せるようになっとけよ」

「…はい。ところで、一つ聞いて良いですか?船のような魔女を、見たことがありますか?ガレー船のような形をしていて、ピラニアの使い魔を従えているんですが…」

 

サチそう聞かれ、記憶を掘り返してみる。三年間、色んな魔女と戦い続けたため、魔女が本当に様々な姿をしているのだということは、誰よりも分かっているし、それを実際に目の当たりにしてきた。当然、その中に船のような姿をした魔女もいた。だが、ガレー船の魔女はいなかったはずだ。ピラニアの使い魔も、見たことがない。

 

「いや、知らないね」

「…そうですか」

 

どこか落ち込んだ表情をする夏音。そのガレー船の魔女と何かあったのは様子から何となく察せた。サチはなんだか、申し訳なかった。

 

「まあ、そのうちその魔女については分かるんじゃね?」

「そうでしょうか…?」

「多分分かるって。あ、あと…それから…ありがとう。魔女を怖がっていたのに、助けようとしてくれて」

 

 

【挿絵表示】

 

 

頰を掻きながら感謝の気持ちを伝える。夏音と結が顔を見合わせて、何かを言う前に、逃げるように走っていった。照れて、恥ずかしくて、赤くなったのを、見られたくなかったから。

 

向こうでは、飛び去ったはずのカラスが、笑うように鳴いていた。



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血統の因子

彼女は生まれながらに狂ってた。一族の皆も狂ってた。

 

血統の因子によるものなのだろうか。積み重ねた、掛け合わせた代の分だけ、彼女達の細胞に刻まれた魔法による呪いは蓄積していった。そして、彼女達の中で、先祖代々受け継がれた狂気も育まれていく。

 

その狂気は、衝動という。愛したい。満たされたい。何かに変わりたい。彼女達の一族は、そういう根源的な欲求のどれか一つが、呪いによって増長されていく。

 

しかし、狂気は一般的な一族であれば表面化することはない。魔法は狂気を生み出しているため、狂気を制御することもできるのだ。故に表面化するのは、一部の一族のみ。女性の、不思議な力を扱える素質があるもののみ、狂気が浮かび上がる。

 

と言っても、やはり狂気の強さにはそれぞれ度合いが違う。例えば彼女の従姉妹の一人には、狂気はほとんどない。運が良いことに、普通の人間に近い存在だった。

 

それを、彼女は正直に言って羨ましいと思っていた。自分にはないものを持っていた従姉妹を、妬み、恨み、羨望した。仲良くするふりをしながらも、心の中では常に従姉妹を罵倒し、笑顔の裏では悪態をついていた。

 

やがて、それも年を重ねていくにつれて泡のように無くなっていく。彼女と従姉妹は交流を積み、嫌悪感は親愛へと変化していく。

 

けれども、彼女のことを従姉妹が真に理解することはなかった。従姉妹は彼女のことを誤解していた。彼女のその姿を、龍神を熱心に信奉する格上のものとして敬い、尊敬するべきものとして見ていたのだ。

 

…しかし、彼女はそれを気にはしない。己がどんなものか、どんな風に見られているか、理解はしていたけれど。そんなもの、どうでもいい。見てくれさえすれば、それだけで良かった。

 

今更だったのだ。誤解されることは、日常茶飯事。誰も自分の本質を見ないし、見たとしても他のものとして認識されてしまう。それを悲しんではいたけれど、彼女にとってそれは当たり前のことであり、それこそ生まれた瞬間からそうであった。故に慣れ切っていたのだ。

 

彼らは現代において、あまりに時代遅れな一族だった。彼らの社会に蔓延っているのは、先祖から伝えられた古くからの理念である。それが彼らの価値観を固定していた。彼らはこの時代に取り残され、他とは違う感覚で生き、価値観から離れたものは醜いものとして嫌った。

 

無論、それを全員が全員是正したわけではない。古い習慣を受け付けようとせず、現代に染まろうとしない一族を毛嫌い、出奔したものは数多くいた。そして彼女もそんな人々と同じで、一族の価値観を全て受け入れることは出来なかった。彼女は、一族の考え方に否定的だったのだ。不可解でならなかった。

 

だから彼女にとって重視されるべきものは、自己と周囲の関係ではない。それによって生まれる様々な感情だった。従姉妹との触れ合いで気がついた、自分にはないと思っていた悪感情。従姉妹と一緒に遊んで、楽しいと笑い合った時の、楽しいという気持ち。互いにぶつかり合うさざ波のような、キラキラとした感情達。それらこそが、彼女の本当の宝物だったのだ。

 

それを無意識とはいえ教えてくれた従姉妹のことが、彼女は大好きだったし、大切だった。従姉妹が殺されそうになったのだならば、この命を惜しみなく差出せる程には愛していた。その愛は歪なものであったかもしれないが、確かに本物だった。

 

だから、許せなかった。従姉妹を消してしまった、一族の皆。早島と三滝原という土地。従姉妹と同じクラスメイトだった少年少女達。どれもが憎い。そしてそれ以上に、彼女は自分が憎くて仕方なかった。

 

自分もまた、従姉妹を誤解していた。いや、変わってしまった本質を、以前のままであると思ってしまった。自分が見てきたはずの姿が失われてしまったことに、彼女は怒りを感じていたのだ。

 

いじめから逃げ出すなんて、そんな子ではなかった。自分がいない間に何故弱くなった。貴女は一族の考え方に囚われていたけれど、それ以外の理不尽なことには立ち向かっていた。私はそんな姿に感動した。初めて湧き上がるような気持ちに気がつけた。なのに、どうして。

 

そんなことを、彼女は思っていたのだ。あんまりにも愚かな思考回路だった。そうしてはっと気がついた時には運命の歯車は回っていた。

あっという間に従姉妹は行方不明になってしまい、彼女は失意に沈んだ。

 

そして三日月の夜、真実を知って彼女は狂気に陥りーー狂い笑った。二つの赤い目に手を伸ばしながら、彼女はうっとりとして笑った。

 

「ねえ、キュゥべえーー」

 

彼女は自身の願いを言う。それにキュゥべえはしばらくの間、何も返さなかった。どうやら感情がないのにも関わらず、幾ばくか驚いているらしい。

 

「馬鹿げている。それに、何の意味があるんだい?」

「意味、ね。…この願いに意味なんてないのかもしれないね。無謀と言っても良いから。だけど叶えなくちゃいけないの。願わなくちゃいけないの。それがあの子のためでもある」

「訳が分からないよ。結局そう言いながら、君は自分の欲望を叶えようとしているじゃないかい?君はミズハのことなんて、これっぽっちも考えていない」

 

その言葉があまりに面白かった。堪らず彼女は吹き出した。

 

「何がそこまでおかしいのかい?」

「いや、キュゥべえも皆と同じなんだと思ったら、おかしくって。気を悪くしたらごめんね。あ、そう思うことも出来ないんだよね。可哀想に」

「可哀想?」

「うん。だってーー自分がどんなに無価値なのか、認識できないのだから。これが可哀想じゃなくて、何と言うの?ねえ、インキュベーター」

 

彼女はそう言ってまた口角を釣り上げる。まるでーー怪物のように。

 

 

◆◇◆◇

 

 

サチと別れた後、道の向こうからさっそうと現れたキュゥべえに、胡乱げな視線を向けてしまったのは、今でも少し夏音は申し訳ないと思っている。しかし、それ程までに怪しかった。何しろあんまりにも、タイミングが良すぎたのだ。その行動は、サチを避けているもののように見えた。

 

しかし彼は、少し落胆したような口調で、開口一番こう言った。

 

「やれやれ、サチとはすれ違ってしまったようだね」

「貴方、サチに会いに来たのですか?」

 

夏音は素直に疑問に思い、キュゥべえに尋ねた。キュゥべえは尻尾を一つ振ってから、疑問に答えた。

 

「というよりも、君達三人に会いたかったのさ」

 

その言い方に、夏音は妙なものを感じた。

 

早島の魔法少女は、菊名夏音、船花サチ、阿岡入理乃、広実結の四人のはずだ。しかしキュゥべえは、君達三人とはっきり言った。その三人は、言うまでもなく、夏音、サチ、結のことだろう。そこには当然入理乃は含まれていない。つまりキュゥべえの発言は、入理乃には用がないと暗に示していたのだ。

 

「…一体僕達に会いたかったなんて、どういうつもり?」

 

今度は結の方が、警戒しながら聞く。キュゥべえはその態度に溜息をついた。

 

「随分と気が立っているみたいだね」

「…そんなことないよ。それより何かあったの?」

「さっき、異常な魔力を感知してね。それで近くにいた君達の魔力反応を追ってきたのさ。あれが何か二人とも知らないかい?」

 

そんなことを言われて、ちょっとだけ夏音は驚く。てっきりこの魔力が何なのか、キュゥべえが知っているものだと決めつけていたからだ。だからキュゥべえに後で聞こうと思っていたのだが、逆に質問しようとしたことを質問されて、夏音は困ってしまった。

 

「…分からないよ。突然、あの異常な魔力が発生したと思ったら、魔女が暴走し始めたんだ。本当、大変だったんだから」

「そうかい。じゃあ何か不審だと思った点はないかい?」

 

そう聞かれ、結はちょっと考えるような仕草をしてから、疑問点を上げていった。

 

「まずね、結界内で使い魔が異常に出てきたんだ」

「具体的には?」

「床を埋め尽くすぐらい」

 

夏音はその様子を想像し、思わず背筋が凍った。あんなのが何匹も出てくるなんて、夏音にとってみれば、悪夢以外のなにものでもない。よく生きていたと、改めて感心する。

 

「次は話した通り、魔女と戦った時に突然暴走したこと。再生力は半端じゃなくなっていて、理性というものは消えていたよ」

 

魔女との戦闘を思い出したのか、結はげんなりした様子になる。夏音も戦った記憶自体はあるので、結に釣られてその記憶が頭をよぎってしまう。確かにあれは、とてもきつい戦いだった。結が疲れたような表情になるのも、無理はないだろう。

 

「それは魔力によって魔女が暴走したのかい?それとも、暴走した魔女自体が魔力を発していたのかい?」

「魔力によって魔女が暴走しました。こんなことって、前例はないんですか?」

 

何らかの外的要因があることは確定なのだ。ならば、前例から何か分かるのではないかと、夏音はキュゥべえに探りを入れる。

 

「前例が無いわけではない。わざと魔女を暴走させ、自滅させるといった戦法をとったり、悪意で魔女を使って人を襲わせる子もいるからね。ただそれなら、魔力反応が魔法少女のものでなければおかしい。あれは、明らかに別のものだ」

 

確かにあれは、魔法少女のものでも、魔女のものでもなかった。では、それは何に分類されるべきものなのだろうか。まったく発見されなかった種類のものだからこそ、謎も深い。

 

「そう、それが最後の疑問点だよ。あの異常な魔力は、早島の残存魔力にとても似ていた。でも何かが違う気がする…。異質なんだよ」

「異質?」

「うん…。何か、凄い妄念というか、執念のようなものを感じたんだよ。普通そんなの分かるわけがないのに。だって、禍々しいとかそういうあやふやなものは分かるけど、魔力からこんなにはっきりと感情が伝わることなんて、今までなかった…」

 

ずっと残存魔力を扱ってきた結がこう言うのだから、その言葉は的を得ているのだろう。証言として、これは確実に信頼できるものだ。ふむ、とキュゥべえも、結の発言に頷いた。

 

「何か他にないかい?気になったことがあったら、何でも教えてくれないかな?」

 

キュゥべえにそう聞かれ、夏音は自分に起こった出来事を話しても良いか、結に視線で尋ねた。結はそれに首を振らず、少しだけ下を向く。肯定でも否定でもない。好きにすれば良いということらしい。

 

夏音は遠慮なく、あの魔女との戦いにおいて、自分の身に起こった変化のことについて、隠すことなく話した。キュゥべえは時々質問しながら、夏音の話を耳を傾けた。そしてはっきりと、こう言った。

 

「なるほど、つまり君は意図的に思い出したくない記憶を封印しているんじゃないのかい?」

「…は?」

 

ーー何だ、それは。何を言っているんだ、こいつは。

 

その言葉を聞いた直後、全細胞が粟立つ。そんなことある訳がない、と夏音は強く心の中で否定する。意図的に封印したとか、信じられるはずがない。信じたくもない。そんなの嘘としか思えない。

 

しかし、何故だかそれを言葉にすることが出来なかった。認めたくないのに、キュゥべえの言っていることが正しいような気がしてくるのだ。夏音はぶるぶると、何かに対する怒りで、体を震えさせた。

 

「…あの夏音ちゃんは、ここにいる夏音ちゃんと同じってこと?でも本人は違うって…」

「思い出したくないからこそ、否定的なのさ。自分を認められないんだ」

 

夏音はふと、自分の手を見つめた。何の変哲もないただの手なのに、そこにはあの魔女文字が浮かんでいるような気がした。

 

「…だけど、今回のことが起こり、二人を守るために封印を一時的に解除したんじゃないのかい?問題なく魔女と戦えたみたいだし、本当の君は恐らくそれなりの経験を積んでいたはずだ」

 

…あり得ない、と夏音は呟いた。そんなことを言われても、急に受け入れられない。頭がこんがらがる。

 

夏音は数日前に魔法少女になったはずだ。だがキュゥべえの言ったことを鵜呑みするならば、夏音は一体いつ契約したことになるのだろう。一体どこから、記憶が欠落しているというのだろう。

 

「寝言は寝て言って!それとも何?感情がないくせに、人間みたいに冗談の真似事してるの!?片腹痛いんだけど!!これ以上笑わせないでよ!!」

 

気がつくと口から発せられるのは、以前では言わなかった罵詈雑言の数々。それが、夏音のいらいらをより助長させた。

 

「でも、君の境遇は一般的な視点から見れば、辛いものであるのは間違いない。大切にしていた家族に忘れられ、当てもなくなった。そんな中で一人で戦っていたのは想像するまでもない。君は目的のために邁進し続けたのだろう」

「だけど、夏音ちゃんはそれに耐えきれなかった…?」

 

結の視線がこちらを向いた。哀れむようなそれが、夏音には不快だった。

 

「何を根拠に…」

「夏音は自分が誰かに操られたと言っていたけれど、その誰かを夏音は“私”と呼称した。つまり本人がその誰かを他人ではなく自分だと分かっているんだ。そんなこと、分かるはずがないのにね」

 

言っていることが、夏音には訳が分からなかった。夏音はただ、キュゥべえを睨みつけるしかなかった。

 

「夏音。辛いかもしれないけど、その記憶を思い出せれば、あの異常な魔力の正体が何か分かるんじゃないかな?君は思い出した時に、魔力のことについて言及していた。君は、魔力のことを知っているんだ」

「…でも、無理に思い出させる必要はあるの?」

 

再び夏音に悲哀の眼差しを向ける結。いい加減にしろ、と言いたくなった。記憶が封印されていることを前提に話されて、とても困っているのだ。そんなことを、事実として捉えないで欲しい。

 

「…思い出した方がメリットがある。戦闘力も元に戻るし、情報も手に入るじゃないか」

「そうだけど、あんまりじゃない?記憶を思い出せって、僕だったら嫌だよ、絶対。絶対に、思い出したくない」

 

結は俯きながら、沈んだ声で言った。気を使ってくれているらしいが、そんなものは必要なかった。むしろして欲しくなかった。

 

「…そんなことしなくても、情報なら探せるんじゃないんですか?」

「何か提案があるのかい?」

「はい。早島の神社に行って、魔力を調べれば…」

 

異常な魔力は、残存魔力に似ていたのだ。そこにも何か異変が起こっているかもしれない。ある意味、調べるのは当然のことだ。

 

「…そうだね。結、明日ボクも付いて行くから、君の家の近くの神社に行って、調べてくれないかな?」

「…特訓の時間が減っちゃうけど、夏音ちゃんはどうする?」

「私は、異常な魔力について調べたいです」

 

それはきっと、特訓よりも大事なことだ。それならば、そちらの方を優先するべきだ。だから、

 

「私のことは、どうかお構いなく」

「…」

 

結は、無言で頷いた。そうしてーーキュゥべえの方を、ちらりと見た。それに夏音は、気がつかなかった。



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方針

今回はまとめ回。話が一向に進まない…。


十月十一の午前八時、夏音は朝早くからキッチンに立って、食事の準備をしていた。

 

夏音の両親は、仕事が生きがいという人間である。そのため、子供よりも仕事に打ち込むことが多かったように思う。朝から早く仕事に行き、夜遅くまで帰ってくるのは、夏音にとって当たり前のことだった。

 

当然、そうなってくると、両親が食事を作っている時間はない。だから夏音達兄妹は、自分達で自炊する必要があった。

 

おかげで、ある程度のメニューなら夏音は作れるようになった。味は普通だし、腕も普通だが、作れるようになったことに、夏音は内心両親に感謝していた。

 

二つの器にスープをそれぞれ注ぐ。次に二つの皿にチャーハンを盛り付ける。メニューはたったこれだけだが、朝食なので充分だろう。むしろ、重たくない方が良いに違いない。

 

「あぁ〜…」

 

呻き声を上げながら、奥から結がやってきた。髪は寝癖などもなく、服装もきちんとしたものだが、朝が弱い彼女のことだ。身支度を済ませても、顔はまだまだぼんやりとしている。欠伸が止まらないらしく、彼女は大きく口を開けては、また噛み殺すのを繰り返していた。

 

やがて結は夏音に気がつき、ようやくといった感じで料理に目をやった。そして寝ぼけた様子で、ありがとうと礼を言って、自分の分のスプーンと料理を運んでいった。その足取りはふらふらとしていて、見ているだけで冷や冷やしてくる。

 

夏音は苦笑しながら、彼女が無事に皿を割らずテーブルに乗せたことを確認すると、自分の分とスプーンをテーブルにまで持ってきて座った。

 

いただきますと挨拶をしてから、スプーンでスープを掬い、口にまで運ぶ。いつも通りの、いつもの味だ。 普通に不味くなく、かといって特別美味い訳でもない平凡な味。

 

しかしそれが今の夏音にとって、一番安心する味だった。結の普段メニュー(彼女は辛いものが好きらしい)も不味くはないのだが、あまりにも味が濃ゆいのでちょっと辟易としていた。だからか、何も思わないような自分の味付けが、いつも以上に胸に染み渡った。

 

それに、兄が好んでくれた味でもある。夏音は自然と、幼い頃に初めて作った料理を兄に食べてもらい、褒めてもらったことを思い起こした。内側が次第に暖かくなる。本当に、とても良い思い出だ。

 

「っ…」

 

思い出という言葉が浮かんだことで、昨日のキュゥべえの言っていたことが、耳朶の中で幻聴として再現される。スプーンを動かす手が止まった。暖かいものは、いつの間にか苦いものに変わっていた。

 

それを察したのか。結が途端心配そうな顔になって、病人に気分を伺うように夏音に尋ねた。

 

「どうしたの?もしかして、昨日のことで何か…?」

「…何でもありません」

 

本当は何でもなくない。この身がばらばらに張り裂けそうな程苦しい。

 

夏音はキュゥべえを疎ましく感じた。確証もないことを突然言われても、困るだけだ。ただでさえ、入理乃のことに集中しなければならないのに、混乱するようなことをしないで欲しい。

 

苛立ちのせいか、思考はまるでサチのように少々荒々しくなっていて、キュゥべえを少々ぶっ飛ばしてやりたいと、これまたサチと似たようなことを夏音は考える。

 

しかしそうすることは、果てしなく無得な行為であり、無駄なことであり、無益な時間を浪費するだけである。それでも夏音の理性じゃない部分は、そのことに全然納得できておらず、一度でも良いからと望まずにはいられない。勿論実際に行動する気はないが、夏音は前の時間軸でキュゥべえに苛立っていたサチの気持ちが、改めて分かった気がした。

 

「気にしなくて良いよ。そうと決まったわけじゃないし、ね?」

 

何でもないと言ったにも関わらず、結は声をかけた。夏音にはその気遣いが逆にきつかったが、同時に嬉しくもあった。

 

ずっと感じていた結への恐怖は、いつの間にか気づかぬうちに溶け始めていた。魔女を倒したものの、自身が何者か分からなくなった時に、励ましてくれたからだろう。それがどれだけ有り難かったか、言うまでもない。夏音の心は、本の僅かだが開きかけていた。

 

「はい、ありがとうございます」

「…僕も、あり得ないと思っている。そんな事は、起こり得ないと思っている」

「………」

 

しかし、仮にキュゥべえの言っていることが事実ならば。夏音はどうすれば良いのだろう。本当は、思い出した方が良いのかもしれない。

 

だってたった思い出すだけで“力”が手に入るんだから。すべてを覆せるとまではいかないが、けれど手っ取り早く強くなれる。対抗手段もできるし、魔女も倒せる。キュゥべえに同意するのも癪だが、確かにメリットだらけだ。

 

“力”があれば、何でも出来るのだ。人を救うことができる。兄みたいになれる。かっこよくなれる。すごくなれる。“力”とは、それだけで特別なのだ。特別なものは、選ばれたものであるということ。選ばれたものは、夏音の理想に他ならない。

 

逆に“力”が何も出来ないし、何も変えられない。“力”がないものは愚か者だし、軟弱者だ。笑い者だ。演劇で言えば、プリマドンナにも及ばない脇役。いや、それにすらなれない者。“力”がないなど、まるで塵芥ではないか。

 

そこまで考えたところで、夏音はチャーハンを口に含む。舌が味を感知する。パラパラというよりも、どこか水分を含んだ感触。チャーハンの出来は、スープと比べればあまり良くないらしい。

 

ーー私は、何てことを思っている。まるで認めているようじゃないか。記憶を封印したという、馬鹿みたいな冗談を。

 

夏音は肯定していたそれを改めて否定する。そうして心の中で自分ごと一緒に、キュゥべえを嘲笑した。

 

「…家主さん、昨日のしーちゃん…船花サチについて、どう思いますか?明らかに様子がおかしくありませんでしたか?」

「確かに、僕もサチちゃんはおかしいと思ったね。どこか彼女らしくなかった」

 

結も夏音に同意する。どうやら二人揃って、サチの昨日の言動には違和感を感じていたらしい。

 

何せああ見えてサチは、入理乃のことを非常に大切にしていたのだ。粗雑に接しながらも(それにしても問題ばかりであるが)、サチは入理乃をちゃんとしたコンビの相方として扱っている。

 

夏音がサチの家に突如現れた時にも、彼女は夏音を捕まえてから入理乃にそのことを伝え、助言を求めていた。サチは一人で勝手に行動しようとはしていなかった。

 

だが、昨日の場合は何故か違った。入理乃の意見を聞かずに、サチは独断で共闘をしようとした。しかも、入理乃のことを聞けば、明らかに不機嫌そうに眉を潜めたのだ。多分本人は気づいていないだろうが。

 

「…ところで、しーちゃんって呼んじゃっていいの?サチちゃんのこと」

 

ふと、訝しがるように夏音を見つめながら、結が質問する。それに夏音は首を傾げた。

 

「何故ですか?」

「いや…、その…。そのあだ名で呼ぶの、何とも思わないの?嫌じゃないの?夏音ちゃんの立場からしたら、呼びたくないあだ名じゃないの?」

「え…?」

 

夏音はさらに首を傾げた。きょとんとした顔になってしまう。まるで言っている意味が分からない。

 

「夏音ちゃん…、君はやっぱりーー」

 

結は夏音の様子に、絶句したように顔を歪めた。しかし言いかけたところで結ははっとしたらしく、慌てたように表情筋を無理やり上げて、力のない愛想笑いを浮かべた。

 

「ご、ごめんね。ちょっと変なことを考えちゃった。心配しなくて良いから」

「そう…、ですか…?」

 

しかしそんな風には見えない。少し、夏音は結が心配になった。昨日は、良くも悪くも色んなことが起こり過ぎた。しかも順那のこともあるし、結はもしかしたらそれを引きずっているのかもしれない。

 

夏音としても、順那のことは衝撃だった。まさか、彼女が魔法少女の対立に関わってくるなんて思わなかった。普通、一般人が魔法少女の争いに関わるなんて、あるはずがないのに。

 

正直電話越しで話せたのはとても嬉しかったが、魔法少女に関わるのはこれ以上やめてほしい。友人として、せめて危険がない場所で平穏に過ごして欲しいと願わずにはいられない。もし巻き込まれて死んでしまったらと思うと、恐怖で体が震えてくる。

 

「…意外と話がややこしくなってきたましたよね…」

「そうなんだよね…」

「現状をちょっと整理しないといけませんね」

「うん。じゃないと、ちょっと混乱しそう」

 

それに、今のうちにやっとかないと色々やばいし、と結が言う。夏音もその言葉に頷く。

 

「まずこの早島では、僕とサチちゃん達が縄張り争いをしていた。そして早島を壁のような結界で二分し、それぞれを自分の縄張りにすることとなった。壁を互いに無断で超えないという条件で」

 

他にも魔女を融通したり、グリーフシードをそのままにしたりといったことが二年間行われた。その期間、早島の魔法少女達はグリーフシード不足に悩ませらるという厳しい状況に立たされたが、特に波風は起きなかった。

 

「だけど私のせいで、その均衡は崩れた…」

「僕も同罪みたいなもんだよ。僕も責任は取る。…とにかく、僕が夏音ちゃんを助けるために、サチちゃん達の縄張りのところに入ったことで、条件を破ることになってしまった。そして五日後に話し合いをしようということになった」

「今日は四日目。つまり明日に話し合い…」

 

夏音は何だか、重たい石を飲み込んだような心地になった。その石は、段々と体内の中で重くなって、このまま動けなくなってしまいそうだ。

 

だが、この時のために夏音と結は何も考えてない訳ではなかった。特訓の後には、必ず話し合いについてどのように振る舞うか、どのようなことを発言するか、二人で頭を悩ませた。しかしそれらが果たして意味を成すのかは、まったくの未知数だった。

 

「僕らの目標は三つだ。一つ目は以前のように早島を二分し、それぞれの縄張りにすること。これが、一番綺麗な形だからね」

 

しかし、これは達成する望みはかなり薄い。夏音達がこんなことをお願いしたところで、当然素直に承諾するはずがない。夏音がサチ達と同じ立場だったら、多分頷かないだろう。

 

「だから、自分達でこちらのペナルティを用意するんですよね?」

「うん。一ヶ月に一度、ある一定量のグリーフシードを納めることにする」

 

そうすれば、グリーフシードの獲得量が変動し、サチ達がグリーフシードを多く持ち、結が少ないグリーフシードを所持することになる。力関係は逆転し、結はサチ達に逆らえなくなるだろう。自分達で提示するペナルティとしては、かなり不利なものだ。

 

「その他のペナルティも飲もう。あんまり不利なものは、流石に反論しなきゃいけないけどね」

「いざとなったら…、しーちゃんと共闘したことを前面に押し出しますか?」

 

脅し、という形にはなるが、効果は少しはあるかもしれない。サチが死にそうになったところを助けたと言えば、入理乃も反論はしずらくなるだろう。あまりに不利な条件では、最悪の場合夏音達は死んでしまうかもしれない。相方の命の恩人を粗末にするのは、心苦しいことのはずだ。

 

「…どうだろう。危険なカードだと思うし、サチちゃんだって、共闘しなければ魔女を倒せていなかったことを痛感はしていると思うけど…」

「…しかも独断で動いたということは、リノとは何かあったということです。もしかしたら、そのことで不仲になっているのかもしれません」

「何かあった、ねえ…」

 

うーん、と考える二人。すぐに結が苦々しい顔で、

 

「まさか順那のせいなんじゃないの?あの子が首を突っ込んだから、喧嘩になったとか…」

「ありそうですね…」

 

可能性としては、非常に高い。どうして順那がこんな時に首を突っ込んできたのか結局聞きそびれてしまったが、魔法少女のことは知っていたのだ。キュゥべえから何か聞いて、それがきっかけでサチと接触したのかもしれない。

 

「…あの子のことは、もうどうでも良い。けど、これはチャンスなんじゃないの?サチちゃんを上手く引き込めば、入理乃ちゃんも強くは出れない。二つ目の目標は、何をするか分からない入理乃ちゃんをどうにかすることだし、三つ目の目標は、僕と君の安全と自由を確保することだもん」

 

この二つの目標は、ある意味連結している。二つ目の目標が果たされなければ、三つ目の目標も達成することは不可能なのだ。入理乃がもしどうにもならなければ、また夏音は監禁状態になるだろうし、結も下手をすれば、大変なことになりかねない。

 

しかも、サチが目の前にいる状態で入理乃が襲いかかるなんてことはないだろうが、その分結局何をしてくるのか分からないから、対策の立てようがないのだ。二人に奥の手がない訳でもないが、それが通用するのかは分からない。

 

それに、夏音の安全を確保する方法が、まだ目処が立っていないのだ。夏音はこの早島ではイレギュラーな存在だ。だからこそ、監禁されていたのである。そのまま自由になるなんてことはあり得ない。

 

「…あの、私の安全の確保の件なんですが、どうしても駄目なんですか?」

「ああ、あれのこと?」

 

それは夏音が三日前にアイデアだった。一つ目の目標を達成するために考えた、自らペナルティを与えるよう進言するという方法と同じように、夏音が自身に呪いをかけるように提案する、というものだ。

 

さらに呪いの内容は、二人に決めてもらい、また解除できないような仕掛けを施してもらう。これならば夏音はサチ達にとって脅威ではなくなる。拘束力は十分だ。

 

「…何度も言っているけど、駄目だよ。あまりにも、相手に判断を委ねすぎだと思う」

 

だが、拘束力が強すぎる。これでは、入理乃の好きなようにされてしまう。言葉では別のことを言っておき、違う強力な呪いをかけることさえも可能なのだ。結は危険すぎると、断固として首を縦に振らない。

 

「だけど…」

 

そもそも、夏音がループしてきたのは、あの前の時間軸での結末を変えること。最低でも、船の魔女をどうにかしなければならない。

 

船のような魔女は、本当に謎の存在だった。様々な種類の魔女を育て、研究していた結に聞いても、まったく知らなかった。つまりは、外からやってきたものか、突然変異を起こしたであろう新種という可能性が高い。

 

だが、今のままでは自由に調べることができない。こんなところでもたついている訳にはいかないのだ。解決できるのなら、さっさと解決したいというのが夏音の本音だった。それがいかに危険だろうが、夏音は構いはしなかった。

 

「はあ、どうしたものか…。君がそこまで頑固とは」

 

結は呆れ返ったまま、スープを掬って飲んだ。それが最後のスープだった。チャーハンも、すでに彼女の胃袋の中に落ちていて、皿には米一粒もない。

 

「ご馳走様でした」

 

行儀良く手を合わせてから、彼女は持っていくねと、台所の方まで食器を持っていった。

 

「……」

 

夏音も残りわずかなチャーハンを食べる。それで、朝食は完全になくなった。



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一族の歪み

 キュゥべえがやってきたのは、食べ終わってから一時間としなかった。その頃にはちょうど身支度も終えていた夏音と結(といっても結の場合、少しまだ寝ぼけまなこであるが)は、マンションを出て早島神社へと向かった。

 

 数分で辿り着いた早島神社は、平日であるためか人は疎らであった。そしてその殆どが老人の夫妻だったり、一人だったりした。

 その目には、熱心な信仰心は宿っていなかった。彼ら彼女らは、ただ気まぐれに神頼みをしに来た、一般的な市民だった。

 

 しかし結は警戒するように、或いは何か目的の者を探すように辺りを見渡す。特に念入りに顔をチェックしているようで、そのせいで彼女の目は半分睨むように細められていた。

 

「どうしたんだい、結。誰か探しているようだけど」

 

 それを夏音の肩にいるキュゥべえは不思議に思ったのか、結に質問する。すると、彼女は一瞬キュゥべえを恨めしげに見ると、気まずそうに視線を逸らすと、

 

「な、何でもない……」

「……そうは見えないけど」

「う……。何というかその……、ほら、ここって早島神社だからさ……」

 

 その口調は、やけに歯切れが悪い。夏音はその抽象的な物言いに妙なものを感じて、素直に首を傾げた。

 

「……えーとね……」

 

 結は更に困った顔になる。出かかっているものを、何と言葉で表したら良いか分からない様子で、思わずといった様に苦笑する。

 

「昨日のこともあるし、君の提案に乗らない訳にはいかなかったしさ、でも──」

「そこの方、もしや結様ですか?」

 

 背後から声をかけられ、びびった様に結は固まった。全身から、苦いオーラが出ている。緊張したのか、表情はいつの間にか険しいものになっていた。

 後ろを向けば、そこには着物姿の老婆がいた。見るからに頭が硬そうで、どこか古臭い時代の空気を身に纏っている。まるで明治の時の写真の一部分をくり抜いて、それを無理やり令和の時代の写真に張っつけた様だ。

 

「……結、様?」

 

 夏音は、着物姿の老婆を奇妙に思った。

 初めて、リアルに“様”呼びをする人がいるなんて、とてもではないが、信じられなかった。ますますこの人物が時代錯誤に感じる。

 

「……久しぶり。こんなとこで会うなんて、偶然だね」

 

 結は朗らかな笑みを老婆に向けた。しかしその目は驚くほど、何の感情も篭っていないように見えた。

 

「久しぶりでございます。本当に、本当に……。それに、この様な方まで……」

「な、何かありましたか……?」

 

 いきなり俯いて老婆が涙ぐむので、夏音は思わず慌てて話しかけた。しかし、顔を上げた老婆は暗い表情ではなく、微笑みを浮かべていた。

 

「いえ、私感動したのです。まさか、貴女みたいな若い方が信者だったとは」

「……え?」

 

 何か盛大に勘違いされ、無意識に夏音は驚きのあまり声を出した。どうしてそう思ったのか、皆目検討もつかない。はっきり言って、彼女は何を言っているのだろうと、勘繰ってしまった。

 一方でキュゥべえは赤い瞳で、じっと老婆を見つめた。相変わらずビー玉のようなそれらは、まったく動かない。

 

「ち、違います。私は──」

『ごめん、話を合わせて』

 

 戸惑いながらも否定しようとしたところで、結がテレパシーを送ってきて、夏音はすんでのところで黙った。

 ちらりと視線で問えば、結は僅かに返事として老婆を見た。そうして、うんざりとした顔を僅かにする。どうやら、彼女はこの老婆の相当面倒なところを知っているらしい。そんな様子を見せられれば、夏音も付き合うしかなかった。

 

「……何かおかしなところでも?結様と一緒にここに居られるということは、信者以外にいないのではないですか?結様がまさか信者の方以外と仲良くされるなんてあり得ないことですから」

 

 心底当然の様に老婆はそう言う。

 しかし、その理屈は明らかに滅茶苦茶で、一方的に決めつけている。そこにどうしても歪みが存在していて、夏音は老婆に対して嫌なものを感じた。

 

「……どこもおかしなとこなんてないよ。それに、この子は僕の目から見ても、とても敬虔なんだ。そんなの、万が一でもあり得ないよ」

「そうですか。ご立派な心を持っておられるのですね。流石は結様のご友人でいらっしゃる」

 

 またも感動したのか、頷きながら老婆は夏音を褒める。しかし、夏音はそんなものは、元来持っていない。戸惑って、微妙な思いになった。

 

「感心します。一般の人は、信仰を忘れていますから。近頃は一族の中の若いものでさえ、責務を果たそうとしませんし……」

「責務……?」

 

 その言葉に普通ではない何かを感じて、夏音は恐る恐る聞き返す。老婆はそんな夏音のことに気づいていないのか、まるで困ったように、溜息をつきながら答えた。

 

「ええ。知っていると思いますが、我ら一族は龍神様を讃えるための存在。その教えを守ることこそが、責務なのです。その中の一つに、家を重視する考えがありまして」

「家……、ですか?」

「はい。我々はその教えにより、この広美一族の血統を代々守っていかなければいけないのです。そして時々、他の特定の家と婚姻し、関係を保っているのですが……」

「……!!」

 

 驚いて言葉を失った。

 古臭い、とは感じていたが、まさかそんなことをしていたなんて、思いもよらなかった。改めてこの老婆には異質さというか、薄ら気味の悪いものを感じる。

 

「何故それを嫌がるのでしょうね」

「……」

 

 夏音は本気で老婆の言っていることが理解できなかった。そんなの当たり前なのに、何故彼女はそれをおかしいと思わないのだろう。むしろ、不思議がる方がおかしい。

 教えを守ろうとすることは立派だが、だからといって、好きでもない相手との結婚は大抵の人は良い思いはしないだろう。そもそも、血統を維持するという考え自体が今の時代の考えとは離れすぎている。それを不快に思う者がいるのは、当然と言えば当然だろう。

 

「……本当に、どうしてだろうね」

 

 結は平坦に声で言った。夏音は結のその様子に、どこか白けたような印象を抱いて、はっとした。

 

「結様も教えを守ることこそが、大切だと思われますよね?」

「そうだね。ごめん、……僕達、用事があって忙しいから。それじゃあね」

 

 結はそう強引に切り上げて、無理矢理夏音の腕を握ると、その場を離れていった。

 速足になって結は歩き続ける。そうして人気のない場所にくると、ベンチがあるところを探す。そこの前に来ると、夏音をぱっと離した。

 

 彼女の姿は、どこか痛々しい。荒い呼吸が、その口から発せられた。

 

「家主さん……」

 

 夏音には、結の事情はよく分からない。けれど今の老婆との会話や今の様子から、相当心が乱れていることが分かる。

 あまりにも時代遅れな考え方。そして、先程聞いた、教えが絶対なのだという思想。その異常なものを、夏音は到底守りたいとは思えなかった。

 夏音でさえ嫌悪感を感じるのだ。それらに幼い頃から触れてきたであろう結は、一体今までどんな思いを抱いてきたのだろうか。家の規則を嫌がったりしていたことから、良い思いをしていないことは明白だ。わざわざ一人暮らしをしているのも、一族と一緒に居たくないためなのかもしれない。

 

『キュゥべえ……何であのお婆さんはあんなことを、平然と話せるんですか?有り得ないですよ……』

 

 夏音は、堪え切れずテレパシーでキュゥべえに語りかける。この気持ちを留めておくことが、夏音には出来なかった。

 

『……でも彼女達はそれを当たり前だと、根拠もなく信じている。昔から広美一族はそうだよ。そしてそれに反発する者も多かった。昔の素質ある一族の女の子達は、そういったものから逃れるために、契約することがほとんどだった』

『……何故、そんなことを信じられるんですか?神様なんて、どうせ居ないんじゃないんですか?居たとしても、願いを叶えるなんて眉唾ものじゃないですか』

 

 キュゥべえと出会った時も、願いが叶うなんて信じられなかった。それを世代を超えて長い間信じるなんて、無理なような気がしてならない。

 

『だとしても、昔からそう言われているなら、それが真実なのだと捉えるのが、信仰じゃないのかい?』

『だからって──』

 

 …と、そこで。ふと、結は呼吸を落ち着かせると、夏音の方を向いた。唐突に口角を上げる。瞳が細められ、三日月のようになった。

 夏音は思わず、没落の魔女の結界内での彼女の姿を思い出す。彼女の異常性を思い出し、何となく気分が悪くなってくる。

 

「……気持ち悪い、気味が悪いって思った?」

 

 ゆっくりと、絡みつくような口調で尋ねる。夏音は冷や汗をかきながら、ぶんぶんと首を振った。

 

「い……いや、そんなことは全然思っていません…」

「無理しなくても良いんだよ?僕らが──僕が気持ち悪いんだってことは、分かってるんだから。むしろ、そう思ってくれて構わないんだよ?」

 

 結はにっこりとしながら言った。

 夏音はそれが言葉通りの意味なのか、反対にそう思って欲しくないという意味なのか、判別できなかった。

 だって、先程まで動揺していたのに、突然笑顔になったのだ。しかも結は何がそんなに嬉しいのか、本当に喜ばしげに微笑んでいる。

 結の真意が、夏音には掴めなかった。その感情の動きは、とても考えられない、あり得ない感情の動き方だった。夏音は、結に大きな違和感を感じた。

 

「僕のことなんか、本当に軽蔑して構わないからね、ね?」

「……何で、家主さんを軽蔑しなきゃいけないんですか?」

 

 夏音はぽつりと心の声を漏らした。結は表情を崩し、戸惑ったように困惑した。

 

「……え?」

「はっきりと言います。私には、家主さんを軽蔑することは不可能です。ですから、そんなことは出来ません」

 

 結はこんな見ず知らずの自分に、とても良くしてくれている。マンションの一室に住ませてくれているし、心配したり、助けてくれたり、特訓までしてくれた。……そして、昨日の魔女の戦闘の後、元に戻って錯乱していた時にも、励ましてくれた。

 

 そんな結を馬鹿にすることは間違っている。もちろん、あの変な老婆と同じ一族の一員という理由で、気持ち悪いと思いたくない。それは、気持ち悪いと思う正当な理由にはならない。

 

「……家主さん。恩のある人を、そんなことで軽蔑したくありません」

「……夏音は本当に真面目だね」

 

 キュゥべえが褒めているのか、貶しているのか分からない調子の声で言った。夏音はそれに思わずむっとして、ちょっと不貞腐れた。

 

「……」

 

 結はしばし、夏音の言葉に黙った。どうやら罰が悪いらしい。

 

「……そっか。ごめんね」

 

 やがて彼女は小さな声で謝る。目尻には、涙があった。

 

「ごめんね。夏音ちゃん。……お嬢様の魔女の時、僕は君に怖い思いをさせたよね。あの時も、前も、今も……ずっと自分のことを、君に押し付けて……。すごく……自分勝手だった。自分のことしか見えてなかった。……押し付けずには居られなかったんだ。君は、僕のこと知らなかったから……」

「家主さん……?」

「何言ってるか、まるで分からないよね。けど、謝らせて欲しいんだ。ごめん。今みたいなこと、もうしないから」

 

 すまなさそうに結は謝罪する。本当に、すまなさそうに。

 夏音は少しだけ、きょとんとなった。結がこのタイミングでそんなことを謝ってきて、驚いてしまったのだ。

 

 しかし、次の瞬間嬉しくなった。結がちゃんとそのことを自覚していたのもそうだが、こうして謝ったことで、彼女の人柄がとても優しいのだということが、何となく伝わってきた。

 

「……私の方こそ、面倒もいっぱいかけて、嫌なことも考えてました……。だから、すいません」

 

 彼女のことを恐れていたし、嫌っていた。結に対して、色んな良くない感情を抱いていた。本当に、酷いことをしていたと思う。それは、こちらも謝らなければならないだろう。

 

「……じゃあ、お互い様だね」

 

 結は、へらっと笑った。先程の笑みと違い、それは幾ばくか明るいもののように思えた。



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一歩前へ

 夏音達は、そのままあの異常な魔力を調べるために、移動を開始した。

 

 その間、キュゥべえは何故数ある神社の中から、この早島神社を選んだのかを説明してくれた。

 なんでもキュゥべえ曰く、残存魔力というのは龍神信仰関連の土地にあるものだが、その中でも特に魔力が集まっているスポットというものが存在しているらしい。ここはその内の一つで、五つ指に入る、強力な魔力が秘められた場所だ。しかも結が住むマンションに近い。他のスポットは遠いところにあるか、入理乃達のテリトリーに点在している。残存魔力を調べるには、ここが一番打って付けなのだ。

 しかし、だからといってこの場を所構わず調べれば良いわけではない。魔力は満遍なくこの地に残留していない。特定のところに集中していて、そこから離れれば離れるほど、魔力は薄くなっていく。本当に魔力を調べたいのなら、残存魔力が集中している箇所に行かなければ意味はないらしい。

 

「そしてその残存魔力が集中している場所が、すぐ近くの摂末社……ですか?」

「そうだよ、夏音。残存魔力というものは、信仰の対象になっているものの近くに集まるんだ」

 

 キュゥべえが説明を補足する。夏音は、ますます残存魔力のことが不思議に思えた。

 そもそも残存魔力自体、正体は分からないし、異常な魔力と関係しているというだけでも、十分奇妙だ。そして先程聞いた、信仰の対象に集まるという話も、奇天烈だ。残存魔力というものがこの早島の地に存在し、龍神信仰関連の土地という限られた場所のみに残留していることと、何か繋がりがあるのだろうか。

 …それらの鍵を握るのは、恐らく龍神信仰だろう。残存魔力に関わっているそれは、もしかしたら残存魔力の正体や、残存魔力が存在する原因に、何かしらの形で要因として働いているのかもしれない。

 

「そこはちょうどあまり人気もないし、結界を張れば心起きなく調べられると思うよ」

「ところで、摂末社って何ですか?」

 

 疑問に思い、夏音は結に尋ねる。

 信仰の対象というからには、神社にとって大切なものだということは理解できるが、しかしそれが何か、夏音にはよく分からない。何分、神社には興味が一欠片もなかったので、そういうものは知識の中にないのだ。

 

「境内とか、本社の近くに小ちゃい神社があるじゃない?あれのことだよ。関係のある神様何かを祀ってて、枝宮とか言うこともあるよ」

「へえ。家主さん詳しいんですね」

「結は龍神信仰の本家の娘だしね。そこら辺の知識は一般の人よりはあるさ」

「まあ、自然と身についてね……」

 

 喜んで良いのか分からないのか、微妙な顔をする結。余計なことを言ってしまったかもしれない、と少しだけ夏音も複雑な気持ちになった。

 龍神信仰も、一族のことも嫌いだろうに、その関連の話題で褒められても、思うところはきっとあるはずだ。それを考えなかった自分が、夏音は恥ずかしい。

 

「す、すいません。余計なこと言っちゃって」

「いや、こっちこそ別に良いよ。そんなことをいちいち気にしてたら、僕も君も息つまるでしょう。気楽にいこう。気楽に」

「は、はい……」

 

 夏音はちょっとだけしゅんとしながら答える。結はその様子がおもしろいと感じたのか、くすりと笑った。

 しかしその刹那、断続的に響く、うるさい鳴き声が空から降り注ぎ、二人の顔が顰められる。上を見れば、広闊たる空に黒い染みのように浮かび上がる烏が、くるくると同じ場所を回っている。

 

「うるさい烏ですね。さっさと何処か行けば良いのに」

 

 夏音は思いっきり眉を寄せながら、さも不機嫌そうに言った。この烏が、妙に気に入らなかった。

 

「君本当に口めちゃくちゃ悪くなったね……」

「何言っているんですか?私は元々からこんなですよ?」

 

 小首を傾げる。どうして、結がそんな風に心を痛めるような顔をするのか、分からない。

 

「にしても、最近烏が多いですね。昨日もいましたし」

「そうだね。ていうか……あの烏、何か変じゃない?足、三本ない?」

「え……?」

 

 結に言われ、烏を観察してみる。

 すると確かに、本来二本足があるはずの場所に、もう一本足が生えている。それによくよく見れば目もおかしい。辰砂を溶かし込んで、固めたような色合いをしている。

 

 夏音はぎょっとして、後退りした。ひぃ、と口から小さな悲鳴もどきが零れた。

 

「な、何ですか、あれ……!?」

「恐らく病気か何かでああなったんじゃないのかい?一種の奇形かもしれない。でも、初めて見る病例だよ」

 

 冷静に分析するキュゥべえ。

 しかし病気でああなるのか、夏音は甚だ疑問に思った。もしかしたら、あの烏は新種の烏ではないだろうか。

 

「……でもあの烏には悪いけど、ちょっと不気味すぎるよ」

 

 そこは夏音も首を縦に降る。

 あんな烏は、初めて見た。普通の烏ではなく、言っちゃ悪いが使い魔のような見た目をしている(魔力を感じないので、あり得ない話だが)。恐らく結界にあの烏が紛れても、何もおかしくなさそうだ。

 

 夏音達は、その様子をじっと見つめていた。あまりにも奇異だったためか、目が離せなかったのだ。何か予感がして、心臓がどくどく鳴って、変な気分だった。

 烏は、やかましく一頻り鳴いた後、夏音と結の頭の上を通り過ぎる。ばさりと翼は鳴って、漆黒の羽がひらりと一つ落ちる。そうして、やがて点となって、しばらくしてそれも消えてしまった。

 

「!?」

 

 刹那、夏音は不可思議な波のようなものを感じた。間違いなく、これは魔力反応、しかもこのパターンは──

 

「使い魔……」

 

 悪寒が体を走り抜けていく。その存在を認知した途端に、精神の根底の部分から悲鳴が上がった。

 夏音は、何故こんな時に魔女が現れるのかと、疎ましく思った。魔女を倒せるようにはなりたいけど、今は魔女に会いたくなかった。

 

「夏音、結……!」

「急ごう、夏音ちゃん!!」

「は、はい!!」

 

 夏音は先を走っていく結の背中を追う。湧き上がる恐怖は、必死に抑えなければ、すぐにでも言葉として出てきそうだった。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 入り組んだ道を歩き、着いた場所にあったのは、本殿とは別の、一メールくらいの子規模な神社。つまり、結が言うところの摂末社だった。

 そこは何の偶然か、夏音達が向かっていた摂末社だったらしい。社のそばにいるだけで、残存魔力のパターンが魔女のパターンに混じってやって来る。

 夏音は何だか、掛け合わさったその魔力パターンが、何処かお菓子の魔女のパターンに似ているような気がした。しかし、微妙に違うような気もして、気のせいではないかという気持ちにもなって来る。

 

 結は変身してメイド服に身を包むと、鉈を手に持って摂末社に向かって空間を切り裂いた。

 するとぱっくりと裂け目が肥大化し、不可思議で奇妙な紋章が浮かび上がる。次に結界への入り口が、夏音達の目の前に現れた。

 

「やっぱり使い魔だね。魔女になりかけの」

 

 キュゥべえがすてっと地面に降りて結界を見据える。そう言われてみれば、確かに使い魔の割に強力な魔力反応だ。かと言って魔女程強くない。彼の言う通り、この使い魔はあと一歩のところで魔女になるのだろう。

 

「でも何でそんな使い魔がこんなところにいるの?こんなところにずっと居たってことは、まさかここに来た人を食べて……」

「それはないと思うよ。そうしたら、少なくとも騒ぎが起きているはずだ」

「じゃあ、たまたまここに流れ着いたということですか…?」

 

 しかし、そんな都合よく使い魔が現れるなんてあり得ない。しかもこの摂末社に現れるのも変だ。少し出来過ぎなのではなかろうか。

 

「…けど、今は考えるより倒さないと」

「そうですね。今は使い魔を倒さないと……」

 

 このまま使い魔を放置しておく訳にはいかないだろう。ここには少ないけれど、人間がいる。倒さなければ、その人達が使い魔に食われて、被害はどんどん酷くなるだろう。

 だが、やっぱり本音では戦いたくない。とても恐ろしい。使い魔のことを考えると、足が震えてきてしまう。

 

 結はそんな夏音のことを察したらしく、心配そうな顔になった。

 

「……大丈夫?」

「はい……。すいません」

 

 結の気遣いに、心が暖かくなる。駄目だなぁ、とますます自分のことが不甲斐なく感じた。

 思えば、魔女に対しては怯えてばかりだった。普通の人間だった時も、魔法少女になった時も、それは変わらなかった。勇気を振り絞っても長く続かなくて、重要な場面では夏音は何も出来なかったし、誰も救えなかった。

 ──果たして、このままで良いのだろうか。こんな自分では、何も変えられないのではないだろうか。…いや、まず変わるべきは、この菊名夏音ではなかろうか。迷っている自分ではなかろうか。

 

 夏音は薬指にあるソウルジェムを掲げる。赤い光が零れ落ち、体へと魔力が浸透していく。着ている服が別のものに糸単位で変わり、結び、解け、再構築され、黒い装束となる。宙に現れた帽子を深々と被り、夏音は顔に装着された仮面を外す。そうして、ハルバードを手に呼び出すと、結の顔をじっと見た。

 

「夏音ちゃん……?」

「……家主さん。私にこいつを任せてください」

「え……?」

「使い魔を倒したいんです。自分一人の力で」

 

 ここで逡巡して一歩前に踏み出さなければ、他にも手は伸ばせない。その最初の足がかりとして使い魔を倒すことで、その実感を自分のものにしたい。そうすれば、多少は怖いものも怖くなくなるだろう。

 

「キュゥべえからも、お願いします。私、自信を持ちたいんです」

「…そうだね。今の夏音なら、そう簡単にやられはしないだろう」

 

 すると、結は少し考えるように目を閉じ、そしてしばらくすると、

 

「……分かった」

 

 夏音の決意が伝わったのか、結はこくりと肯首した。夏音の顔が、ぱあっと明るくなる。

 

「あ、ありがとうございます!家主さん」

「…あ、でも使い魔だからといって油断しちゃ駄目だからね?ちゃんとソウルジェムの魔力を確認しながら戦うんだよ。本当、大変なことになるからね」

 

 前に夏音がソウルジェムの穢れを浄化しなかったためか、思い出したかにように魔力切れを気にするよう、結は念を押す。その圧はかなりのもので、ちょっとだけ夏音はたじろぎながら頷いた。

 

「わ、分かりました」

「そんなに心配だったら、僕が彼女について行こうか?」

「お願いするよ。君が居れば、もしもの時忠告してくれるだろうしね」

 

 結は、その方が良いという感じでキュゥべえの提案に賛成する。確かに彼が居た方が、何かとアドバイスをくれたり、サポートはしてくれそうだ。

 

「じゃあ、行きましょうか」

 

 夏音とキュゥべえは、横一列に結界の前にまでやって来る。

 ぐっと得物を握りしめると、自分を鼓舞させ、黒い魔法少女は結界の中へと飛び込んだ。

 



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魔女への感情

 侵入した異界のその様は、夏音にとって見覚えのある場所だった。

 空は夜と朝の境の色。浮かぶ無数の雲に建つのはトラス構造の純白の鉄塔。踏みしめるのは地面ではなく、鉄の骨組み。その隙間からは雲が見える。周りに浮遊しているランプには、奇妙な目玉があって気持ち悪いことこの上ない。 

 

「鉄塔の、魔女結界…」

 

 そう。ここは、前の時間軸で初めて遭遇した魔女、鉄塔の魔女の結界に似ている。意匠など細部違うところはあるが、この雰囲気といい、この鉄塔やランプといい、あまりにも同じである。

 何の因果か、夏音が飛び込んだ結界の主人は、どうやら鉄塔の魔女の使い魔らしい。あまりの偶然に、夏音は大いに驚いた。

 

「この使い魔について、知っているのかい?」

 

 キュゥべえが聞いてくるので、夏音は素直に頷いた。

 すると、少しだけキュゥべえは考えるように黙ってから、

 

「……じゃあ、ここの使い魔の特徴は掴めているんだね?」

「はい。ちょっとびっくりしましたけど……、こっちの方がかえってやりやすいかもしれません」

 

 攻撃方法が分かっているだけでも、よく考えてみたら有難い。それに、これが何も分からない使い魔だったら、混乱してしまうだろうし、こうして何とか平静でいられるのも、この使い魔を知っているからだろう。

 

「気をつけて……来るよ!」

 

 キュゥべえが、ふと唐突に叫ぶ。反射的に武器を構えた瞬間、ざわり、とより強い魔力の波動が迫る。

 そうして──

 

『ああいゥ、恋羽いぅ!!』

 

 陽炎のように揺らめきながら、何もない空に突如として鳥が現れた。鳥の足に掴まれているカンテラの中では、絶えず炎が踊り、煌々と夕焼けにも負けぬ赤い光を放っている。

 

 夏音はその使い魔を捉えた途端、情けなく尻込みし、一歩下がった。彼女は引きつった表情を浮かべる。体が動きずらくなっていくのを感じた。

 勇気を出したとはいえ、恐怖が消えてくれるわけではない。それだけで、トラウマは乗り越えられるほど甘くはない。たとえ記憶を無くしているかもしれなくても、だ。

 

「……こんなの駄目だ!!」

 

 夏音は首を強く降り、迷いを振り捨てる。ぎゅっと、ハルバードを握りしめて、深呼吸をする。

 逡巡してはいけないのだ。怯えても良い。恐怖を捨てなくても良い。だけど何かを変えたければ、自分が変わらなければならない。暗闇の中で怯え、丸まる猫のように縮こまってはいけない。本当に怖いことが何なのか、すでに夏音は自覚している。だから、

 

「この使い魔を殺して、私は“力”を得るんだ!!」

 

 叫び、ハルバードに魔力を込める。同時に鳥の使い魔が動く気配。カンテラの炎が一段と燃え、それを一点に放出しようと使い魔の魔力が高まっていく。

 夏音も、赤黒いオーラを纏わせたハルバードを使い魔へ向け、一気に魔力を収束。カッとカンテラの炎が噴射したのと同じ瞬間に、魔力を解放した。

 

「ボウリュウノアギト!!」

 

 魔力が形をなし、螺旋を描いて、躍り掛かる。さながら小さな竜巻である。しかしながら、見た目に反して威力は些か足りないらしい。炎を飲み込むことが出来ず、僅かに拮抗して互いに相殺される。

 勿論夏音はそれを見越していたので、そのことにはいちいち驚かない。使い魔へ走り寄ろうと、スピードをブーストさせるために、オーラを足に纏わせる。そうして前身しようとする動作に移行した。

 

 しかしその直後カンテラが光り、炎の雨が発生。次々と降り注いで、夏音を消し炭にせんと強襲する。

 夏音はその迫り来る熱気に息を飲んで、慌てて前のめりになった姿勢から、後ろに飛び跳ねた。無理矢理な動きだったが、オーラを纏わせたこともあって、回避はぎりぎりで間に合った。

 だがこれにより、近づいて叩こうとしたにも関わらず、大きく夏音と使い魔との距離が離れてしまう。しかし、遠距離から攻撃できる使い魔にとって、その間は大した問題にはならない。

 すぐさま豪炎が浮かび上がり、また夏音へと向かってくる。夏音はそれに反応できず、思わず固まった。

 

「危ない!!」

「……っ!!」

 

 キュゥべえの声ではっとなり、急いでその場から走る。すぐ横を炎が通り過ぎ、床の一部が焦げる。それを目の当たりにして戦慄し、夏音は震え上がった。

 

「あ、ありがとうございます、キュゥべえ!」

「大丈夫?」

「はい……」

 

 先程は本当に危なかった、と夏音は心の中で呟く。恐らくキュゥべえに声をかけられなければ、動けなかっただろう。そうなった場合、今頃消し炭になっていたに違いなかった。

 

「よし、もう一回近づいて……」 

「……冷静になるんだ、夏音。さっきもそうだけど、あれくらい避けられたんじゃないのか?」

「ッ!!」

 

 突然キュゥべえに言われ、どきりとする。何か隠している時に、その秘密を暴かれた時のような気持ちが広がっていく。特に何も、やましいことはしていないのに、苦々しさを感じた。

 

「それはそうかもしれませんけど……!!でも……」

「怖いとか以前に、体が反応しなかったんだろう?」

「けど、私は──」

 

 と言いかけたところで、炎の追撃がやってくる。夏音は咄嗟に避け、さらに距離をとった。

 

「もう一回言う。君は今、冷静じゃない」

 

 キュゥべえが、またもや注意してくる。それを半ば自覚していた夏音は、何も反論する気にもなれず、かといってどんなことを言っていいのか分からず、黙ってしまった。

 

「……」

「落ち着くんだ。何故そこまで突っ込むの一点張りなんだい?」

「そう、ですね……」

 

 言われて、夏音は自分に呆れ返った。

 まず遠距離の攻撃を仕掛ける相手に対し、近づいて攻撃するのは、常道にして基本、かつ有効で確実な一手ではある。しかし何も考えずにそればかりに気をとられて無闇に突っ込むのは、まさに愚の骨頂だ。さらにこの使い魔は飛んでいるし、飛び上がって攻撃しようにも、簡単に避けられるだろう。それに夏音は近距離の武器だが、魔力のオーラを放出すれば、遠距離攻撃も可能だ。近づかなくても、攻撃する術を夏音は持っている。

 夏音は、保有する手札を使おうともせず、工夫もしようとしなかった。ただただ馬鹿正直に、無謀に攻撃しようとしていたのだ。それが、明らかに悪手なのに。夏音は、そのことにも気づけなかったのだ。

 

 これは確かに冷静な思考回路ではない。恐らく、使い魔への恐怖と、倒さなければならないという焦りが、判断能力を割いていたのだ。

 先走りすぎたし、こんなミス、恥ずかしいったらありゃしない。迷わないようにすることも大事だが、逸る心をもう少し抑えなければ、今と同じような失敗を繰り返してしまうだろう。

 

「……落ち着け、冷静になれ……考えろ……」

 

 夏音は静かに、鳥の目の前に浮かぶ、三つの炎を睨みつけながら呟く。

 思考が高速で回転し、使い魔を分析する。そうしてこちらが持っている攻撃の手段から、有効なものが何かを抜擢し、一分にも満たない時間で、作戦を構築していく。

 刹那、二つの火の玉が落ちるまえに横に駆ける。ついで来たる三つ目の炎は、斜めから斬り伏せるというよりも、鈍器で叩くような動きで振り下ろして防ぐ。

 

「……ニンギョヒメノナミダ!!」

 

 オーラを三つ生成してリング状にする。じゃ、と針を無数に円に沿うように生やすと、オーラを鳥目掛けて殺到させる。当然、すんなりと使い魔は避ける。そこを追撃するようにもう一発放つが、これも難を逃れて外してしまう。

 しかし、夏音は構わず集中して魔力の操作を行った。すると、四つの円がくるりと軌道を変更し、使い魔へとそれぞれ迫っていく。予想外だったのか、逆に使い魔は慌てたように夏音を視界から外し、チャクラムに対抗するために火を放った。

 

「えい!!」

 

 だがその隙に、夏音は五つ目の輪を使い魔の上に生み出す。そうして火を吹き終わったタイミングを見計らい、全力で叩きつけた。

 

『胃でぃ射出っァAAA!!』

 

 ちょうど羽の付け根に直撃し、翼が引き裂かれる。飛ぶための機関を失えば、もう空にはいられない。血を流しながら、使い魔が床に落ちる。その拍子に、からんと足で掴んでいたカンテラが離れた。

 

「成る程……。四つの輪を囮にして、その間に攻撃したわけか」

 

 キュゥべえが頷きながら感心する。

 

 キュゥべえの言う通り、四つの輪は本命に気付かせぬための囮だ。注意を引きつけさせるためのもの。軌道を変えて向かわせ、ふいをつくことで、五つ目の攻撃に確実に繋がるように仕向けたのだ。四つも輪を放ったのは、当たるわけがないと使い魔に油断させるのと、逃げ場を作らせないためである。

 

 夏音は乱れる動機を抑える。作戦どうり墜落させることに成功したものの、思ったよりも何故か心臓の音がうるさい。目の前がぼやけたように遠く感じられる。

 使い魔は、まだ力なくピクピクとしている。だと言うのに、この場から逃れようと動いていて、小さな鳴き声を時折上げている。

 

「……」

 

 夏音にはそれが、意味のある単語として聞こえる。使い魔の鳴き声が鼓膜を通り過ぎ、神経を通して脳髄にたどり着いた瞬間、知っている言語へと変換されていくのだ。拒んでいるのに、勝手に認識してしまう。

 痛い、Itai、イタイ、いたい。

 シンプルな言葉だが、それ故に使い魔の苦しみが伝わってくる。自分でその苦痛を与えたくせに、これ以上傷つけたくないなどという腑抜けた考えが頭をよぎった。使い魔が弱々しくなった途端、まるで自分が悪逆非道なことをしている気分になる。

 

「どうしたんだい……?早く殺すんだ」

 

 キュゥべえが、夏音に対して使い魔を倒すよう催促してくる。それはこの場ですべき事であり、最も正しい判断だった。ここまでやって最後の最後で撮り逃すなんて以ての外だし、被害のことを考えたら、やはりその危険は摘み取るべきなのだ。

 

「キュゥべえ……。この使い魔、なんか可愛そう……」

 

 夏音は、武器を下ろす。キュゥべえがその動きを驚いたような様子で目で追いかけた。

 

「何かあったのかい…?」

「……私、何か悲しいんです。使い魔を殺すんだと思うと、苦しくなるんです。使い魔なんかに……、そういうこと思っちゃいけないって、分かってるはずなのに」 

 

 しかし、それでも哀れに感じてしまう。言葉が分かるせいか、この使い魔が普通の動物や人間といった生命と、同じように見えてしまうのだ。異形の姿をしている、呪いから生まれし怪異だと言うのに、こうして命を永らえさせようと死に抵抗する様は、あまりにも胸が痛くなる。

 

 キュゥべえは、あり得ない、と一言言った。

 

「……そう思う子がいるなんて、信じられないよ。その魔女に恐れを抱く感情は理解できる。誰だって、魔女は怖いだろう。初心者の子は魔女がトラウマになって、戦えなくなったというケースは多々あることだ」

「……」

「だけど、君みたいな子が使い魔や魔女を憐れむのは、初めて見たよ。……君は本当に稀有な存在だと思うよ」

 

 やはり、夏音のように憐憫を持つのは稀らしい。それはそうだろう。誰が怪物などに、同情や、哀れみや、悲しみを向けたりなどするのだろうか。誰もそんなもの、殺したいと願うし、排除したいと思うに違いない。

 

「……私、何なんだろう……」

 

 その問いかけを自分に向けるも、答えは出なかった。キュゥべえでさえも、何も言わずじっと黙っているのみである。

 

 使い魔の動きが止まる。どうやら限界がきたらしい。やがて、その体を構成していた組織が崩壊し、穢れや魔力が霧散していく。

 それに合わせて、周りを取り囲み結界も、掻き消えた。



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ディテクション・マナ

感想欲しい……。


 結界へと通ずる門たる紋章が消えると、そこから吐き出されるように夏音とキュゥべえは摂末社へと戻ってきた。

その姿を認めた途端、結界の入り口近くでずっと待っていてくれた結は、安心したような、それでいて嬉しそうな笑顔をこぼした。恐らく、夏音が使い魔を倒せたことを、純粋に喜んでくれているのだろう。

 しかし使い魔を憐れんでしまい、達成感も何もなく、むしろ罪悪感がある夏音にとって、その笑顔は目を逸らしたくなるものだった。共に喜ぶ事が出来ないのが、彼女に悪いような気がしたのだ。ぐさりと、杭を打ち込まれたような痛みが、錯覚として精神に走った。

 

「……」

 

 その様子に、流石の結も何かに気がついたように、一瞬だけ気まずそうにした。そうして次にそのことを悟られぬよう(夏音はそれを何となく感じ取れたが)、明るい笑顔を彼女は浮かべた。

 

「上手くいって良かったよ。次はもっと上手くいくよ」

「……あ、ありがとう、ございます」

 

 お礼を返す夏音。その時でさえ、痛みが大きくなったような気分になった。

 

「それじゃあ、残存魔力を調べようか」

 

 夏音の肩で、キュゥべえがそう言う。その口調は、まるでこの気まずげな雰囲気を、無理やり壊そうという意図が感じられた。夏音はキュゥべえを肩に乗せているため、当然彼が真正面を向いていたら、その表情は伺うことはできない。しかし見えずとも分かるほど、さっさとしてくれと言わんばかりに、じっと結を見つめているのだけは感じられた。

 逆に結もキュゥべえにちらりと視線を向けて、何かを思うところがあったのか、不思議がる様子でキュゥべえを観察していた。しかしそれを気のせいだと処理したためか、すぐにキュゥべえの言葉に頷き返した。

 

「そうだね。こんなこと、さっさと出て行った方が良いし」

 

 結にとってここは、あまり良くない思い出の場所に違いない。それに、他にも信者や親族の人がいるかもしれないし、もう今日に限って二度も彼らに遭遇はしたくないだろう。その言葉には、嫌に感情が込められていた。

 

 夏音はポケットから、ここに来る途中に結から渡されたものを取り出す。

 それは、グリーフシードを加工したものだった。中心部を球状に綺麗に抉り、その中に動物のものと思わしき白い毛を閉じ込めた、透明な宝石を嵌め込まれている。両端の棘の先にも小さな同じものがあって、それがどういう意味で付けられたのかさっぱり分からなかった。

 結の説明によると、これは残存魔力を調べる、魔力調査機のようなものなのだという。元々は入理乃が考案したものであり、作成者も入理乃だ。そのためか名前もディテクション・マナと何のひねりもない。

 仕組みはよく分からないが、魔力を流すことで起動させると、その場にある残存魔力を宝石が感知し、どのような状態なのか色によって可視化してくれるらしい。例えば宝石は残存魔力が安定しているのなら、済んだ群青に。不安定ならば淀んだ赤になる。その他にも、色相によって様々な状態を教えてくれる。その彩度は、魔力が強ければ強いほど高くなり、弱ければ弱いほど、下がっていく。明度は、よりそこに魔力が集っていくに従って変動するらしい。

 魔法少女は魔力を感じ取れるが、しかし正確さは個々人によって違う。しかも残存魔力の波は普通の魔力の波長に比べて感じとりにくく、不安定さや乱れなどが複雑になることも多い。故に、どういう風におかしくなっているか、残存魔力の魔力反応からでは識別しにくい。

 しかしディテクション・マナは宝石の状態一つで、そんな残存魔力がどのようになっているのか、一発で分かる優れものだ。それはキュゥべえも太鼓判を押す程高性能で、恐らく残存魔力を感じ取るという点においては、魔法少女の感知能力を軽く超えているだろう。

 と言っても、そう簡単に操作できるものではない。結果が出るまで常に魔力を送り続け、さらにはその魔力をずっとコントロールしなければディテクション・マナの宝石は何の変化も示さないのだ。ベテランの結でさえ、なかなか扱うのは至難の代物だ。

 

「夏音ちゃん、よろしく」

「はい」

 

 しかし、それは結一人だったらの話だ。ここには結以外に、夏音がいる。夏音が魔力を送り、結が魔力を操るという役割分断をすれば、そう手間をかけずに使うことができるだろう。

 

 夏音は、透明の宝石がはめ込まれた魔女の種へと意識を集中する。そうして魔力を送ると、宝石以外の黒い部分だけが眩く光り輝く。瞬間結がディテクション・マナに手をかざし、魔力の流れを回転させ、体動させていく。

 光が中心部の鉱石へと集う。その透明な無の色をじわりじわりと別の色相へと飲み込みながら。やがて、宝石の色がすべて変色した時、光は収まっていた。

 

「これ……」

 

 その宝石の色を見る。薄っすらとした紫色の中に、雫を一滴垂らして閉じ込めたように、これまた淡い金色と銀色が混じっている。目を引かれ、思わず溜息が出るほどに美しい色合い。絡み合い、重なり合うその様は、まさに双龍を連想させる。

 

「……こんなの、見たことない」

 

 絶句したように、結が言う。それに夏音は驚き、思わず疑問を口にした。

 

「どういうことですか?」

「この宝石に金色や銀色が浮かび上がるなんて初めてで……。紫色ってことは、少し不安定になってるんだろうなってことなんだろうけど……」

 

 そこから先は続かなかったが、夏音には彼女が何を言いたいのか分かった。つまりは、この金色や銀色が何を指しているのか、理解ができないということだ。それを目にするのが今日で最初のため、その知識を結は持ち得ないのだ。

 

 結は訝しがるように摂末社を見た。残存魔力というものを利用してきた彼女にとって、その異常は夏音よりもずっと大きなものとして感じられたに違いない。それに何か不気味なものを予感してしまったのか、その目は不安げに揺れていた。

 夏音も彼女に比べて度合いは少ないが、怪訝に思わずにいられなかった。昨日の、お菓子の魔女から発せられた異常な魔力の影響が出ているのだろうか、と夏音は口元を手で覆いながら考えた。

 

「キュゥべえ。どう思う?」

 

 同じように考えるような仕草をしていた結は、答えがさっぱりでなかったのか、キュゥべえに尋ねた。

 彼はディテクション・マナを覗き込み、興味深そうにしばらくじろじろと見つめた後、納得したように頷いた。

 

「……やっぱり、何かの魔力が残存魔力に混じっていると考えていいんじゃないかな」

「確かに、そう見るのが正しいのかもしれませんね。でも、これ……絶対、お菓子の魔女のあの魔力に関係ありますよね?この魔力のせいでああなっちゃったのかな?」

 

 夏音はそう言いながら、首を傾げる。そして瞬間、はっとなって固まった。

 自分が今、何を言ったのか。それを自覚したのと同じタイミングで、空気が重くなるのを感じた。結とキュゥべえも、夏音同様、その発言の意味を理解したのだ。

 夏音は改めて、その宝石を見る。金と銀の二つの色を観察しているだで、冷や汗が出てくる。ぞくり、と何か背中を這い上ってくるような悪寒がする。

 

「……まさか、そんなことって……」

 

 結が少し笑って否定する。しかし、夏音はそれに対して簡単に同意出来なかった。だって自分で言ったことが、半ば本当のことのように感じられたから。

 

「……一番の問題はこの残存魔力にどうして他の魔力が混じっていたかだよ。これを突き止めなきゃね……」

 

 それは最もな言い分だった。

 原因を突き止めなければ、新たな問題が発生するのは目に見えている。

 

「でも、その魔力がお菓子の魔女を狂わせた物だと仮定したとして、……考えたくないけど、これが人為的なものだったら最悪だよ」

 

 お菓子の魔女を狂わせた犯人が、悪意ある魔法少女だった場合、相当厄介なことは言うまでもない。何せ意思を持って、好きな時や厄介なタイミングで魔女を狂わせられる。自然発生的な原因の場合、それは突発的に起こるかもしれないが、そこには意思や策略といったものは存在しない。まだましな時に起こる確率だってあるのだ。

 

「しかし、それを起こすメリットはあまりないんじゃないのかい?限りなく原因は自然発生的なものだと思うよ」

「というと……?」

 

 キュゥべえから指摘され、結は素直に聞く。夏音は、ああと納得したように声を上げた。

 

「そうでしょうね。仮に人為的なものだったとして、魔女を狂わせるとすると、その先の目的は多分縄張りの乗っ取りだと思います。何せこの、“私が来て均衡状態が崩れた”タイミングに起こりましたからね。そこから推測するに、犯人は魔女を狂暴にして混乱を起こし、縄張りを掠めとろうという意図があったと考えられます」

「なるほどね。だけど、そこまでしても報酬はあまりないよね。……そんなことしても手間と時間の無駄ってわけか」

 

 こんな土地をまるごと手に入れたところで、得はあまりしないだろう。魔女を育て、融通し、使い魔を放置しなければ、三人もの魔法少女を賄えないほどに、この早島の土地はグリーフシードが少ない。それよりも、隣のグリーフシード見滝原を狙った方が良いに決まっているのだ。

 

「キュゥべえ、そういえば、魔女がおかしくなったことはサチちゃんは当然として、入理乃ちゃんは知ってるの?」

 

 ふと思い出したかのように、結が問う。

 それは夏音もずっと疑問に思っていていて、後で聞こうと思っていたことだったので、キュゥべえにどうなんだと視線を向ける。するとキュゥべえは、困ったような口調で言った。

 

「もちろん伝えたから彼女も知っているよ。だけどサチとは今揉めているみたいだね。そのことなんてどうでもいいって感じで無視されたよ」

 

 やっぱり、二人の間に何かあったのは間違いないらしい。よく考えれば今の状況は、下手したら対立どころではない非常事態なのだが、入理乃にとってはそれは二の次のようだ。

 しかし“揉めている内容”が何かは分からないが、そのことの方を重要視しているのは、些かどうかと夏音は思わずにはいられなかった。そんなことあって良いのか、と入理乃に対して不満のようなものが湧いて、何だか納得がいかない。

 

「そう……。何だか向こうも向こうでややこしいことになってるんだね」

 

 僅かに結が顔をしかめる。少し面倒くさい、という風な感じだった。

 

「サチちゃんはどうしているの?」

「入理乃にどうやって和解をしようか、色々と考えているみたいだよ」

「……」

 

 若干思案するように、結は手を顎に持ってくる。それから、迷うようにしばらく間を置くと、質問した。

 

「……ねえ、僕の従姉妹に順那って子がいるんだけど、彼女について何か知らない?あの子どうやらサチちゃんと会ったみたいなんだけど」

 

 すると、キュゥべえはすぐに、知らないと答えた。

 

「そんなこと、僕は初耳だよ。それにどうして君の従姉妹とはいえ、サチとは無関係な順那が会う理由も分からない」

「そっか」

 

 ちょっと残念そうに、結は笑う。夏音は何だか胸が苦しくなって、眉を下げた。

 

「結さん……」

「気にしなくていいよ。キュゥべえが知らないって分かっただけでも良かったから」

 

 明るくそう振る舞うので、夏音はそれ以上何も言えなくなった。本当は色々何か励ましたかったのだが、それは不要で無粋なもので、逆に相手にとって不愉快になるだろう。

 それを感じ取ったのか、感謝の意を返す意味で彼女は笑顔を向ける。そして、ふっと次には真剣な表情になった。

 

「……夏音ちゃん。一応さ、他にも龍神信仰関連の土地を回って、この魔力が残存魔力に混じっているか、確認したいんだ。特訓の時間はどうにか作るから。良いかな?」

 

 その口ぶりから、心当たりを巡り、出所が何処かを結は調べたいらしい事が夏音にも伝わってくる。それはむしろ夏音も思っていた頃だったので、力強く返答する。

 

「はい。私も、こうなったらとことん調査したいと思ってところなんです。だから、ぜひ協力させてください」

「ありがとう。ごめん、夏音ちゃん!!」

 

 大げさなくらい、ぱんっと両手の平を合わせて謝る。夏音はそれを、いえいえとやんわりと止めるように促した。



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カップと紅茶

 入理乃は、世間一般の女子が好むもの、例えば洋服やインスタ、アイドルやイケメン俳優などに、まったく興味がなかった。彼女には、そのどれもつまらないもののように見えたからだ。

 洋服は着れればそれで良いし、インスタ映えとかいって、料理の写真に拘る人を見かけた時などは、さっさと食べれば良いのにと思ってしまう。テレビだってどうせ家に帰ってわざわざ点けないから、芸能人の名前さえも分からない。だから当然、アイドルやイケメン俳優と騒がれる彼らの名前を聞いたところで、誰かまったく分からない。

 

 とにかく入理乃は、そういうものにとことん疎かった。そして、それらの知識を会得する必要性も、今までまったく感じていなかった。

 普通の年頃の少女ならば、仲間と価値観を共有するために、常に流行りの情報を敏感に収集するだろうが、他人と極力接しないように周囲と距離を置いている彼女は、その分同年代に合わせる必要性が皆無だった。だから入理乃は趣向においては、他人に配慮することなく、自由に没頭した。そうして、自分にしか分からない愉悦を噛み締め、思う存分楽しむ事が出来たのである。

 しかし困ったことに、そうもいかなくなった。最近になって、入理乃は一つ年下で、同じ魔法少女であるサチと出会い、コンビを組むことになった。つまりは二人という最低限の人数ながら、初めて同年代の友人のコミュニティに属することになってしまったのだ。

 

 しかし、人付き合いの苦手な入理乃は、どうやって他人と一緒に共通のものを楽しめるのか分からなかった。考えても悩んでも答えは出ず、結果入理乃はサチに合わせることにした。そうした方が、一番無難なような気がしたからだ。

 だが、盛大に失敗してしまった。本当に、思い出すたびに顔を曇らせてしまう。

 

 それは、この間、サチに誘われて一緒に遊びに出かけた時にやってしまった。

 サチはその日、わくわくとした様子で入理乃をある場所へ連れていった。そこは、可愛らしい洋服や、煌びやかなアクセサリー、化粧品などが並ぶ店。サチは、入理乃とは正反対にそういったいかにも女子らしいものが好きだったのだ。

 入理乃はそれが分かった途端、目眩が起きたかのように鬱屈とした気分に陥った。

 それはとてつもなく無縁の極致にあったもの。慣れてなくて、見ているだけで恥ずかしくて仕方がない。そもそもあの女子特有のノリが入理乃は苦手なのだ。派手で可愛らしくて甘ったるいその空間や雰囲気に当てられ、くらくらしてしまう。きゃっきゃと騒ぐ店内にいる女の子の声も、耳障りな黒板を引っ掻いたような音にしか聞こえない。

 当然、テンションが上がったサチのノリにも付いていけず、最終的にサチの方も入理乃が嫌がっているのを察した。結果気まずい雰囲気のまま、次に予定されていたレストランへ行くことになってしまったのだ。

 

 あれ以来サチは、妙に不機嫌になって、ふてくされている。ご機嫌伺いをしても素知らぬ顔でふんと鼻を鳴らされるばかりで、元に戻る気配は微塵も感じられない。

 

「……あのさあ、何でこの船花様が怒ってんのか、テメエまだ分かんねえの?」

 

 そんなある日のこと。必死な入理乃に対し、彼女の家に遊びにきたサチは、不満げな顔をして静かに言った。本当にその部分が気に入らないという様子で、憤慨している。ついに堪忍袋の尾が切れてしまったらしい。

 

「……ご、ごめんなさい。私、その……」

 

 萎縮しながら謝る。付き合いきれなかった自分に非があるから、怒られたって仕方がない。それにサチの事だから、どうせ怒鳴られて責められるに決まっているのだ。

 入理乃は思わず、俯きながら密かに彼女の顔色を伺ってしまう。来るのが分かっていても、やっぱりそういうものは怖い。いつだって、それにいちいち傷ついてしまう。入理乃の心は、繊細ですぐに壊れてしまいそうなほどにボロボロだったから。

 

 案の定、サチは入理乃の態度にむっとなったようだ。すざましい形相で、苛ついたかのように目を釣り上げた。

 

「よく聞けよ、ボケカス。私さあ、テメエに自分の好きなものを紹介したいと思って、あの店に連れてきたわけ。なのに、何であんな態度とるの?阿保なの?」

「ほ、本当に……ご、ごめんなさい……。私、つい……嫌そうな顔しちゃったと思う……。今度はもっとちゃんと……」

「そっち怒ってんじゃねえよ!!」

 

 ぐわっとサチが吠える。入理乃はさらに肩を竦ませて、びくりと震えた。

 

「何で嫌なら嫌って言ってくれねえんだよ!!そしたら、別の場所に連れていったりして一緒に楽しく遊べたかもしれないのに!!」

「……は?」

 

 思わず間の抜けた声を発してしまう。完全に予想していなかったことを言われて、ぽかんとしてしまった。

 

「えと、つまり……、不満を言わなかったから……、船花ちゃんは、怒ってるの?」

「そうだよ!!私は、入理乃と同じものを楽しみたいんだよ!!それで仲良くしたいの!!」

「え……?」

 

 瞬間入理乃の脳裏に、かつての光景が浮かんだ。

 赤い夕焼けの空。その色と同化するように、染め上げられていく遊具達。まるですべて、一体となって境目がなくなるよう。腰掛けるブランコの感触はでこぼこで、握る鎖は冷たい。そんな中で、隣にいる少女は微笑んで──

 

「私と仲良く……?」

 

 入理乃の中で、言い知れぬ歓喜が湧き上がった。

 入理乃の心の器は、何もなく空虚だけがあった。前は充足していたが、願いによって伽藍堂になってしまったのだ。しかしそこに、サチは自ら入りたいと言ってきた。その気持ちはまるで、冷めきったカップに、熱々のミルクティーが注がれて満たされていくように、入理乃を暖かさでいっぱいにしてくれた。

 そう、だから。本当に、嬉しくて仕方がなかった。舞いあがらんばかりに、心が弾んだ。

 ──でも。何で、こんな自分と仲良くするのか、心底分からない。……意味が分からないものは、排除しなければならない。だって、恐ろしいから。どんな意図がそこに眠っているのか、検討がつかないから。

 

「………私なんかと仲良して良いの?どうしてこんな私なんかと?」

「……それは、その……」

 

 と、そこでサチは言い淀んだ。顔も先ほどの入理乃のように俯きがちになっていく。心なしか、頰が赤くなって、動作ももじもじとしているような気がする。そうして、意を決したように、実に恥ずかしそうに彼女は叫んだ。

 

「ふ、普通に考えろよ!!分かるだろ、頭良いんだから!」

 

 …それで出した結論が答えだ、とサチは主張するのを聞いて、入理乃は考え込む。

 彼女のメリット。そしてデメリット。それを加味に、分析し、吟味し、ひっくり返し、何度も何度も反芻する。

 ──それで、ようやく理解する。彼女が何を思っているのか、何を思っているのかを悟る(こじつける)

 

「……うん。分かったわ。ごめんね、私そんなことにも気づけなかったよ」

 

 納得したように頷く。サチはそれで、嬉しそうに顔に笑みを浮かべた。

 

「よ、ようやく分かったのかよ。この船花様はなあ、ずっとずっとそれを望んで来たんだよ。なのにテメエは、何も喋らず、何も興味もねえみたいな顔しちゃってさぁ!!淡白すぎんだろ!!それで、だからしょうがねえなあと思って遊びに誘ったら、失敗してさあ!!……分かる!?この気持ち!!本当に、本当に、嫌になるんですけど!!」

 

 そうやって口では散々文句を言っているが、その語調は弾んでいる。その様子は、いかにも彼女らしいと言える。乱暴で口が悪く、態度も大きいサチ。しかしその実彼女は喜怒哀楽がはっきりとしている、愛らしい少女なのだ。

 

「ごめん。私、お前に迷惑かけてた。けど、……これ以上、こんなの嫌だからね。だから、せめてこれはっていう、共通で楽しめるようなものはないの?……思いつくなら、言ってみて。私も考えるから」

 

 入理乃はそこでヒントはないかと辺りを見回す。すると、机に置かれていたカップに目が入った。

 瞬間、入理乃は台所にある不要だと思って収納していた紅茶のティーパックを思い出す。もしかしたらサチも、紅茶というカテゴリーなら楽しめるかもしれない。噂で聞いたが、サチの養父も紅茶が好きだというし、サチ自身も嗜んでいてもおかしくはないだろう。

 

 ……そう思って、淹れて一緒に飲んだお茶は美味しくて。美味いじゃん、と言って笑ったサチの笑顔が、入理乃の網膜に焼き付いた。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 目覚めはいつだって、億劫なものだ。幸せな夢を見た後だと、特にそれは酷くなる。

 ぼやけた視界の目の前には、レポートの束。そして、今や旧種となったガラゲーに、紅茶が注がれ、今やそれが一滴しか残っていない陶器製のカップ。

 それで、どうやら自室の机に突っ伏して眠っていたらしいということを思い出す。眠ってからそれほど経っていないように思えたが、しかし窓の外では太陽が沈みかけている。そろそろ良い時間だった。

 

 しばらくぼんやりとしていると、とんとん、と軽く戸を叩く音がする。入理乃は無表情のまま、扉の向こうの人物に言った。

 

「入って良いわよ」

 

 静かに室内に、小柄で肩ほどまでの髪を持つ少女、サチが入ってくる。

 今日は四日目。明日には、話し合いがある。そこで入理乃は、そろそろ集めてもらったグリーフシードをそろそろ回収せねばと思い、サチを自室に呼んだのだ。

 

「遅かった?」

「いいえ、むしろ早いくらい」

「なら良かった。この船花様が相方を待たせてたとか、阿保みたいだからな。ま、それは良いとして。……入理乃。残念ながら、私はグリーフシードを一切持ってきていない。利用されたらたまったもんじゃないからね」

「……何のつもりかしら」

 

 相方を見つめ、問いを投げかける。サチもニヤリと笑みを返した。

 

「私はね、テメエがやろうとしていることを止めるよう、説得しに来たんだよ」

 

 どうせ頭脳を使って阻止しようにも、無理がある。だから、真っ向からぶつかることにしたんだよ、とサチは言う。

 

「私な、テメエの狙い知ってんだよ。グリーフシードを何に使おうとしているのか、ある程度の推測もついている。順那のおかげでな」

「……貴女、彼女に会ったのね」

 

 思ったよりも、低い声が出た。冷徹な怒りがふつふつと湧いてきている。

 ……非常に不可解で不愉快だった。どうして彼女がそんなことをしたのか、意味が分からない。やっぱり、東順那という少女は嫌いだと、改めて思う。

 

「でも、その順那はどうやって私のやろうとしていることを知ったの?……盗聴器か何かでも、使ったのかしら?」

「そうだ。あいつが盗聴器を仕掛けたんで、それを使ってね。あとこういうのも何だけどさ、順那ってばご丁寧にビデオカメラ使って資料とか撮ってきてくれたんだよね……。ていうか、お前驚かないんだね。やっぱり盗聴器とか資料とか撮られたの、ばれてたのか」

 

 サチは不敵な笑みを浮かべた。しかしその顔には冷や汗が浮かんでいる。きっとその胸中は、決して穏やかではないだろう。

 彼女は確かにそれほど賢い人間ではない。しかも意外とこう見えて、信じ込みやすい。上辺では疑っていながら、しかし心の奥底では他人の言葉を鵜呑みにしてしまう、ある意味純粋な部分があるのだ。だからこそ、利用されやすいし場合によっては騙されてしまう時もある。

 ……でも、鈍いわけじゃない。だから、入理乃がサチのことをお見通しだということを、どこかで覚悟していたに違いない。諦めたような笑みが、その証拠だろう。

 

「いや、私は使われてるだろうなあと予想していただけ。それに盗聴器とか初めて知ったし、資料とか撮られてるのも初めて知ったんだけど」

「……なら、どうやって知ったんだ。私がテメエの狙いを知ったってのを。そんなの嘘だろ?それとも、自分で考えてそこまでたどり着いたのか?」

 

 それもそれでありそうだ、と彼女は笑い飛ばす。決して嘘を言ったわけではないのだが、信じられないらしい。

 

「断言する。私はそんなの知らなかったわ」

 

 だから、きっぱりと入理乃は言ってやった。別に隠すようなことでもないし、嘘だと思われるのはあまり良い思いはしなかった。

 サチは、そんな入理乃をじっと見る。訝しがる色が、表情には浮かんでいた。

 

「それじゃあ、どうして知ってるんだよ?」

「教えてもらったの。“彼女達”にね」

「っ!?」

 

 サチは目を見開いた。入理乃の隣に、揺らめくように少女が突如として現れたのだ。

 

「こんにちは。この姿で会うのは、初めてだね」

 

 彼女はにサチに挨拶の言葉を言う。それはまるで、懐かしき友人に百年ぶりに会うかのような感じだった。

 

「お前、何で……」

「……驚いているよね。そりゃあそうだよね。……こう見えても、君とは別の意味でこっちだって驚いているんだよ。こんなの夢みたいだから」

 

 サチは完全に混乱している様子で、少女の顔をじっと見つめた。そうして、まじまじとその場にいるはずのない少女に酷く狼狽した。

 

「…お、…お前何なんだ!!あり得ない!……何がどうなっている!!入理乃、どうしてアイツがそんなとこいるんだ!?」

 

 問われても、入理乃は無言のままだった。

 先程の怒りはまだ尾を引いている。しかしその対象は、何も順那だけではない。サチに対しても、入理乃は同じように燻る熱が湧き上がるのを感じていた。

 入理乃は少女をちらりと見る。彼女はもう、笑っていなかった。それを確認してから、入理乃は相方へ尋ねた。

 

「……貴女はどうして、何であんな夏音ちゃんや結を庇おうとするの?」

「当たり前だろ!!だって、そんなこと絶対間違ってるじゃんか!!」

 

 サチは当たり前のように言う。それは、確かに世間一般で言うところの正しい倫理観に基づいた、至極当然の主張だった。

 

「入理乃こそ、どうしてそんなことをする!?気持ち悪いって、ただそれだけの理由でか!?」

「……それだけって何よ!?」

 

 入理乃は怒鳴った。今までの人生で一番、大きな声で。それ程までに、今の発言は聞き捨てならなかった。

 理解できないものは、いつだって大事なものを奪っていく。そして夏音と結は、その理解できないものなのだ。きっと今度も、すべて無くしてしまう。すべてが瓦解してしまう。

 それが嫌だから、入理乃はどうにかしようと思ったのだ。しかしサチは“それだけ”と言ってのけた。決して、そんな軽い理由じゃないのに、あたかもどうでも良いような感じで。

 

「私は貴女を大切に思ってるの!!だからこそ、こんなことをしているの!!なのに、どうしてそんなこと言うのよ!!私は正しいことをやっている!!」

 

 ──そう、これは正しいことなのだ。こうすることが正解なのだ。二人を排除すれば、何も失わない。恐怖しなくて済む。

 

「……笑える冗談言わないでよ。こんなの正しいわけあるか!!」

 

 しかし、サチはそれを否定する。愚かしいと入理乃を蔑み、嘲笑う。

 

「船花ちゃん……、何でよ……!!正しいって言ってよ!!私のこと認めてくれるのは、貴女だけなの!だから──」

 

 どうして肯定してくれないのか、分からなかった。いつだって重要で危険なことの対処は任せてくれたのに、今回ばかりは駄目だと言われて、裏切られたような気持ちになってくる。

 

「いつもみたいに、流石私の相方だって、任せてよ!!そのために、仲良くなったんでしょう!?」

 

 思わず、絶句したと言わんばかりに。サチは固まった。

 空間は、時間が止まったかのように静かになった。沈黙が訪れる。

 少女はこの場にいる二人を見比べる。その表情は、悲しげなものに対する憂いが浮かんでいた。

 

「……何言ってんだよ。そんなわけないだろ」

 

 ……やがて、サチは震えるような、掠れるような声で言った。静かに再度、そんなんじゃないと否定する。

 

「……嘘」

 

 だったら、何でこんな自分に仲良くしようなんて言ってくれたんだろう。優しくされる価値なんて、あるはずがないのに。こんなつまらない子何て、嫌なはずなのに。

 分からない、と入理乃は思った。サチのことが、訳の分からないもののように感じた。

 瞬間、虫が這いつくばるかのような悍ましさが身を包み込んだ。ぎらぎらと視界が散らつく。衝動は、抑えられそうになかった。

 

「……彼女を取り押さえて!!」

 

 少女に向かって叫ぶ。少女の方も、仕方がないといった表情でサチに手を向けた。

 当然危険を察知した相方は、すぐさま魔法少女へと変身する。しかし瞬間、全身の力が抜け落ちて床に倒れ込む。

 

「テメエ……、何したんだ?」

 

 床に這いつくばった姿勢のまま、サチは少女を睨みつける。

 そのまま立ち上がらないのは、上手く力を入れられないからだろう。いや、その“感覚”がそもそもないのだ。サチは今、力を入れるという動作そのものに伴うすべての“感覚”を、この少女に操られている。だから、力を入れても“何も感じられず”、故に“何もできず”に動けないでいる。

 

「“彼女”の魔法を使ったの。……じきに、意識も薄れる」

 

 その直後。サチの目がとろんとなり、瞼が落ちていく。恐らく少女は“眠気という感覚”を増長させたのだ。

 

「……入……、理乃……、どうして私を……」

「……だって、私もう──」

 

 それを言い終わった時。サチは完全に意識を手放していた。

 

 彼女の頰を、涙が一筋流れる。いつの間に、泣いていたのだろうか。

 入理乃には、それが分からなかった。でも、むしゃくしゃした。どうしようもなく、ムカついた。

 

 カップを手に取ると、思い切り床に叩きつける。がしゃん、と何かがと一緒にカップは割れ、壊れた。



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厄災の序曲

 ここが、何処なのか。今いる場所が、どこに位置しているのか。その少女には、それはよく分からなかった。

 少女にとって、それは無理もないことだっただろう。なんせ、元に戻ったのは良いが、記憶は抜けたもの(・・・・・)が多く、完全ではなかったのだ。以前見た場所も、覚えているべきはずの住所も、多く忘れ去っている。そんな状態で、この今いるところはここだよと地図で刺されても、はあと生返事ぐらいしかできなかった。

 

 しかしそんな彼女でも、この胸に宿る感情だけは忘れなかったようだ。今でも、こうして静かに何もせずにいれば、その炎はより勢いよく燃え続ける。

 

「……何だろうね」

 

 少女は自らに起こったすべてのことを振り返りながら呟く。

 

 運命というものが、果たして最初から神様がお決めになっているのだとしたら。この自分がここにいることにも、何か意味があるのかもしれない。

 ……いや、絶対に意味はある。無意味な運命なんて、きっとこの世には存在しない。それを、運命とは決して呼称してはならない。

 だからこの摩訶不思議、かつ奇々怪々な運命を、偶然とか幸運とかの安っぽい何かで納得して済ませることは、少女にはできない。それほどまでに自らの運命は重く、そして尊いものだ。それに責任を持ち、この願いを成し遂げることこそ少女がすべきことなのだろう。

 

「だからさ、貴女をこんな風にするのを仕方がないって思っちゃうんだよね。だって計画に邪魔だからさ……?」

 

 少女は上を見上げた。

 そこにはガラスでできた、人間大の正十二面体が、上から吊り下げられている。中は何らかの青い溶液で満たされており、僅かに正十二面体が揺れる度に、水面も揺らいでいる。

 

「……貴女には、恨みなんてこれっぽっちも抱いていない。むしろ憐れみを感じている。……だって、貴女は可愛そうすぎるもの」

 

 初めから、きっとサチと入理乃はすれ違っていた。どうしようもなく、埋めようがなく。

 サチは入理乃を信頼していた。入理乃もサチを信頼していた。その絆は、三年を経てより太く強固となった。

 だが、それはお互い一方的なものだったのだと、少女は理解していた。二人は勝手に思い込んだパートナー像へその絆の紐を繋げ、理解し合えたと、その結び目を強くしていただけに過ぎないのだ。サチも入理乃も、本来の相方へ紐を繋げていなかった。

 

 今回のような結果になるのは、時間の問題。必然だったと言える。だが二人にとって不運なのは、それが最悪のタイミングで起こったことだろう。

 時期がずれていたら──夏音が現れなければ、彼女はこんな目に合わずに済んだだろう。もっと穏便な形でサチは入理乃の元から遠ざけられたはずに違いない。

 

「……でもそれが貴女にとっての運命なのかもね」

 

 運命とは、偶然に非ず。ましてや運に非ず。そこには何らかの因果や縁が、間接的に、あるいは直接的に、順序立って働いている。

 さながらそれはドミノ倒しと同じ。因縁という名のドミノがぱたぱたと倒れ、運命というゴールに辿り着くのだ。

 今回の件だって、そのドミノが揃わなければ起こらなかった。それを互いに用意して並べ、夏音が倒してしまったからこそ、ゴールに到達してしまった。

 それに、自分も、サチも、入理乃も、夏音も、皆が皆ドミノの並べ方を誤った。あべこべに、無茶苦茶に、滅茶苦茶に並べたものだから、そのルートはガタガタになって、歪な線を描きながら、幸せな本来辿り着くべきゴールを外れたのだ。

 

「その確定してしまった運命は、覆らないよ。それは、貴女にとっては凄く酷なことだよね。とっても、辛いよね……」

 

 そう言いながらも、意地悪くニヒルに少女は笑う。その顔は、少女がよく知っている、従姉妹とそっくりの顔だった。

 それもそのはずだろう。ほぼ姉妹同然に育ったのだから、仕草も当然共通部分がある。

 それに、彼女達従姉妹の母親は三つ子だった。母親似の従姉妹三人は、だから必然的に顔も驚くほど似ているのだ。

 そのためか、ある日親達が自分達従姉妹三人を、同じ服装で並べてみたことがある。それは、身長差こそあったものの、かつての彼女達の幼少期の頃を彷彿とさせたに違いない。はしゃぎあっていた親達の姿は、今でも目に浮かぶ。

 

 そんな少女たちを、無意識かもしれないが、何かと母親達は一つのグループとして見ている節があった。何かあると三人ひとまとまりにさせられてきた。年も近く、当時は家も近くにあったため、一緒に遊ばされる事も多くあった。

 

 最初はグループとして見られるのは、嫌な事だった。こいつらと自分は違いのだと思ったから。しかしやがてその輪が、もう一つの姉妹の集まりのように錯覚し始めた。ここにいるべきなのだと、その認識を変えていった。

 ……少女にも兄弟は三人程いたが、いずれも年が一回り離れており、物心つく頃にはほぼ一人っ子のような状態だった。彼らは気のいい親戚のお兄ちゃん程度しか、交流がなかった。だから、実の兄姉だという感覚はほぼないも同じだったのだ。

 

「だから、どうかそこで大人しくしていてちょうだい」

 

 一生、その水面の底に沈んで、揺蕩って居て欲しい。船花サチなんて、所詮この感情の前では、炎を燃やす薪でしかない。邪魔されたら、今の自分は彼女を殺してしまうだろう。

 しかし自らが死神となり、その鎌をふるって首を刈り取り、高らかに叫び笑うのは、少女の本意ではない。少女が鎌を向けるべき相手は、もっと他にいる。サチは、薪にすべき存在ではないのだ。

 

 ……きっと、このまま目覚めない方がサチや入理乃のためにもなるだろう。

 入理乃は恐らくサチを受け止めきれないし、受け入れられない。その分からない、理解できないという恐怖の感情から、サチを傷つけ拒絶し、排除するのが目に見えている。

 しかしそれはある意味自傷行為そのものといえるだろう。サチを大事に思う心は、恐怖を抱いていても変わらない。だから、大切なものを傷つける度に、心には消えない怪我を負わざる得ない。

 

 そこまで考えた時、背後から足音がした。てっきりここには来ないと思っていた少女は、若干びくりとしながらもその人影へと振り返る。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 着物姿に、頭の花飾り。両腕には和装に不釣り合いな金属の籠手。足には下駄。

 そこにいたのは、魔法少女に変身した、阿丘入理乃だった。

 

 少女は気づかれぬように僅かに顔を曇らせる。その目の前の入理乃の表情が、あまりに淡白なものだったからだ。一切の感情を排した、と表現すれば、それがいか程のものか分かるだろう。

 

 少女は、入理乃のソウルジェムを見る。その輝きは案の定、穢れに飲み込まれて、大分曇っている。それは、彼女の精神状態を如実に表していた。

 正直、絶句する。まさかここまで、と思わずにいられなかった。

 

「貴女……、ソウルジェムが……」

「……」

 

 言われ、入理乃は己の魂の宝石を確認する。そうして、僅かに驚いたかのような、いや、呆気に取られたような顔になる。どうやら今の今まで、気づいていなかったらしい。

 

 入理乃は苦々しい様子でグリーフシードを取り出し、穢れを吸わせる。

 そのグリーフシードは、サチが集めてきたものだということを、少女は知っていた。“彼女”が最後に、サチのグリーフシードの在り処を教えてくれたのだ。

 

「ありがとう」

 

 入理乃は浄化し終えると、素直にお礼を言う。大分、それは先ほどの顔と比べたら、朗らかで柔らかいものだった。

 だから少女も、出来るだけ優しい、包み込むような笑顔を向けた。

 

「うん。どういたしまして」

 

 すると入理乃は、くしゃりとした泣き顔にも似た笑みを浮かべる。少女は見ているだけで、彼女に同情した。そんな顔をされたら、せざるを得なかった。

 

「……貴女は、本当にあの結とは違うね。こんなにも顔は似ているのに」

 

 何てことないような、普段の喋り方と同じトーンだったが、その口調は、結への侮蔑が含まれていた。

 それに、どこか腑が煮え繰り返るところがなくもなかったが、しかし結を嫌っているのは少女も同じだ。

 少女は、結を憎んでいる。正当ではなく、しかも逆恨みに近い形で。だから、そんな身勝手な理由を抱いている少女は、何も言えない。言ってはいけないのだと、少女は言葉を飲み込んだ。

 

「“彼女”の様子は、どんな感じ?」

「……消え去った。この体に宿る違和感はごく僅か。殆どないって言っても良い」

 

 と言っても、やはり馴染みがない。この腕も、足も。どうにも、本調子になれそうもない。

 

 ……だからか、時々すべては妄想なのかもしれないと感じる。この眼球が映し出す視界も偽物のように思えるし、この鼓膜で捉えた世界の音は、幻聴かもしれない。すべてが、まるで現実なのか否か、判断が難しい。

 

「“彼女”がいないってことは、もう貴女一人だけなんだね」

「うん。でも、辛いけど頑張ろうって思える」

 

 ずっと前から覚悟をしていたことだ。だから今更ころりと覆るはずなどない。それに“彼女”のことを考えれば、少女はその覚悟を放棄してはならないのだ。

 

「……“彼女”が居なくなって、とても寂しい。でもだからこそ、すべてを終わらそうと思えるの」

 

 この喪失感は、何をすべきなのか少女に教えてくれる。胸の内に宿る感情が望みし戯曲を紡げと。

 ならば、奏でようではないか。作詞作曲、お任せあれ。タクトを振るう練習は些か足りないが、それでも華麗に振るってみせよう。楽器の具合も分からないが、きっと奏者は上手く演奏してくれる。

 

「ええ、そうね……」

 

 同意する入理乃。まるで、ああ、安心するといったように。

 入理乃は、少女のことを理解できると思って、心安らいでいるのだろう。恐らく、自分の事を利用するために共にいるのだと、思い込んでいるに違いない。

 そしてそれは、半分間違いで半分当たっている。少女は彼女を庇護すべき友人共思っている。だが、少女は確かに入理乃を、自分の望みを遂行するための協力者としても見ているのだ。

 

「私も、もうこの因縁を、消し去ってしまいたい……」

 

 その“因縁”とは、多分夏音のことだろう。それ以外に彼女を指すべき言葉は、見当たらない。

 

 少女は、夏音について考える。

 菊名夏音のことを、少女はよく知らない。会ったこともないし、話したことさえ──いや、ある意味話したことはあるが、それも一度きりである。入理乃の口ぶりからして、どうも良い子だというのは何となく分かったが、しかしそれもそれでいまいち彼女の人物像を把握しずらい。優しいとか、性格が良いとか、そういうありふれた褒め言葉は、実はこの上なく曖昧な表現なのだ。

 だから彼女の人格に対して、どうこう言うことはできない。だがその存在が、あらゆることの起因に繋がっているのだということは、無視できない。暴論だが、夏音はすべての元凶だと言えるかもしれない。彼女は、いまやこの早島のあらゆる因果の終着点。魔法少女の中心人物だ。

 

 どちらにしろ、菊名夏音は純粋に排除すべき敵だ。こんな厄介な存在を、放置するわけにはいかないし、殺しておかないとまずいだろう。

 

「絶対、計画を成功させよう。そうしなければいけない」

「うん。そして呼び寄せよう。この手で」

 

 少女は愉快になって、高笑いした。その笑い声は、まるでカラスにようにやかましいものだった。



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思い出せ

やっと書きたいところがこれから書ける

※ミスがあったので修正しました。


 電気を消しているので、部屋全体は暗い夜の闇に包まれている。しかし既に目は慣れている。はっきりとは見えないが、手のひらほどの四角い物体、置き時計が側にあることくらいは分かっていた。

 夏音は布団から出ずに俯せの姿勢のまま、それを手に取った。

 上部にあるボタンを押すと、時計の灯りがついてそのアナログで表記された時刻を浮かび上がらせる。

 

 午前一時八分。

 それが現在の時間らしい。普通だったら、今頃ぐっすり眠っている時間帯だ。

 だが、眠気なんてありはしない。それどころか、冴えに冴えている。無理やり目を閉じてしばらく横になってみたが、結局一時間もこのままだ。

 

(眠りたいけど……、でも眠れない……)

 

 やっぱり明日のことを考えると、不安になってくる。

 上手く話し合いが進みとはとても思えないし、明日次第で夏音の処遇は良くも悪くも変わる。まさに明日、すべてのことが決定づけられてしまうのだ。

 それをもし、失敗してしまったら。今までの夏音の努力は水の泡になってしまう。勿論前の時間軸で死んでしまった二人の父娘の命も無駄になる。

 魔女の暴走という懸念すべき問題も増えてしまった。おまけに情報はまったくなし。

 結局謎の魔力──仮に金と銀の魔力と呼ぶが──の発生源を調べようと、昨日あちこち回ったものの、最終的に見つけることが出来なかったのだ。どこも残存魔力の調子は普通であり、むしろ異常なんて起きないくらい正常だった。

 

「……どうしたものかな」

 

 何度も何度も考える。

 自分のこと。周りのこと。未来のこと。過去のこと。

 そして──結のことを。

 

(家主さん、どんな思いで過ごしてきたんだろう……)

 

 広実一族の歪んだ考え。それを聞いてしまった以上、結のことを思わずにはいられなかった。

 それだけではない。従姉妹であるミズハの死に、それによって生まれただろう順那との確執。入理乃とサチとの縄張り争い。

 この数日で知った結の事情についても、自然と考察してしまう。

 

 夏音は、未だに広実結が何を考えているのか、よく分かっていない。

 過去に対して、何か思うような素振りを結は何度か見せていたが、しかしその心情がどんなものなのか、夏音は知らないのだ。

 ただ一つ感じ取れるのは、それが深い深い悲しみを内包しているということだ。

 ……だからこそ夏音は、どうしても結のことが気になってしまう。

 傲慢かもしれないが……、何かできることがあれば、と思うのだ。

 苦しんでいるのなら、その苦しみを少なくしたい。寄り添えるなら、寄り添ってあげたい。

 結の深い悲しみを、どうにかしてあげたい。

 

 数日間で見た、広実結のことが思い込こされる。

 朝に弱いせいで、早朝からふらふら歩るいている様子。フレンドリーに話しかけ、時にする大げさな仕草。かなり独特で変わったところもあるけれど、特訓をしてくれたり、ここまで面倒を見てくれた。

 

(でも、彼女は異常だった……)

 

 二日目の夜。没落の魔女の結界の中で、結は残虐に魔女を苦しめた。その行いを心底楽しむかのように笑いながら、巻き散る血に興奮し、恍惚としてみせたのだ。

 普段から向ける、こちらに期待するかのような視線も、絶対に逃がさないという感情が含まれていた。

 夏音は当然、結に恐怖した。そして、危険な狂気的な人物であると思った。

 ……でもその行動の数々を昨日は謝ってきた。こちらにどう思われているのか、自覚していたのだ。

 

(彼女は……、何がしたいんだろう)

 

 ただ、押し付けていただけ。彼女は謝罪する際にそう言った。

 その言葉が意味することは、つまりは夏音前でやってきた上記の行動が、すべて“押し付け”だということなのだろうか。

 ……そういえば、結は“気持ち悪いと思ってくれて構わない”と言っていた。

 あれが、実は個人的に引っかかっていたのだ。

 結は何故、気持ち悪いと思ってくれなんて言ったのだろう。普通の人ならば、気持ち悪いなんて思われたくないはずだ。ましてや入理乃達とギスギスしたくないと言っていた結が、夏音にそんなことを言うだろうか。

 

 ──しかし、そう思うことの方が実は間違いなのだとしたら?

 気持ち悪いのは当然。軽蔑してくれて構わない。

 ──これが、彼女の考えていることそのものなのだとしたら?

 

「家主さん……、私に気持ち悪いって思って欲しかったの?」

 

 そう考えれば、すべての事に説明がいく。

 怯えた時に嬉しそうにしていたのは、自分が望む反応だったから。期待を込めた視線は、夏音ならば気持ち悪いと思ってくれるという確信から。そしてそれらを夏音に向けるのは、“押し付け”以外の何物でもない。

 

「で、でも……!!そこまでして、どうして私なんかに……?」

 

 誰であっても良かったはずだ。それこそ、サチなんかは結を嫌っているようだった。

 “嫌われたい”という広実結の願いは、もう既に叶っているのだ。

 しかし、それでは結は駄目なのだろう。サチなんかに嫌われたところで、それにメリットは見出せないのだ。

 その願望は、きっと夏音でしか叶えられない。

 

(だとしても──)

 

 ……結の気持ちが察せてしまった以上、そんなことをしたくはなかったし、何より許せなかったのだ。

 嫌われたい?気持ち悪がられたい?

 ふざけるなと言いたい。

 そこまで思うほど追い詰められている人を──非難することなんて、やりたくない。

 

「家主さん……。嫌われてどうしたかったの?……何を、そこに求めているのよ……」

「──結はね、誰かに常に側で罰して欲しいんだよ。嫌われて、馬鹿にされて、罵倒されて。そうやって自分の悪い部分を指摘されることで、逃げようとしたの。……あたしからね」

 

 闇の中、突如として聞いたことのある声が聞こえた。

 くすくす、と笑う。その不気味さは、魔女よりも悍ましい。

 

(……!?)

 

 思わず跳ね起きて立ち上がると、黒い魔法少女服へと変身する。

 ブラッドを呼び出すと、夏音は迷わずそれを構えた。

 

「誰!?」

 

 尋ねた時には、もう人の気配が目の前に現れていた。

 しかし、その人物は相変わらずくすくすと笑うだけで、夏音には何も答えない。

 警戒心を強め、夏音は人影へ武器を向けて叫んだ。

 

「もう一度尋ねます。何者ですか……!?」

 

 すると堪忍したかのように、人物はぱちんと指を鳴らす。

 その人物の手のひらに、光る球体──卵のようなものが召喚され、辺りを照らし出した。人物の全体像が、闇夜に浮かび上がる。

 

「……!?」 

 

 言葉を失う。喫驚仰天とは、まさにこのことだろう。

 

 その人物は、サチや入理乃と同じくらいの年の少女だった。

 淡い色の髪を下ろし、頭に大きなリボンをしている。そのリボンには烏の羽を模した黒い宝石が付いていて、妖しい光を放っている。

 服装は黒い色を基調としたゴスロリ服だ。よくテレビのアニメで出てきそうなデザインだった。靴も上げ底だから、余計にそう見えて仕方がない。

 

「貴女……」

 

 しかしそんな奇抜な格好なんてどうでも良いとさえ思うほど、夏音はの顔に驚いていた。

 だってその顔は──順那だったから。

 

「……、何でこんなところにいるんですか?」

 

 ……色々と混乱して聞きたいことが沢山あったが、まず口出たのは、かなり無難な質問だった。

 しかしそれを確認しない限りでは、話は進まない。

 

「復讐のためよ」

 

 順那はそう告げる。すべてが愉快だと言わんばかりに。

 

「復讐……?誰に対する復讐ですか?」

「……この早島にいる人間全員」

「は……?」

 

 呆然となった。

 早島の人間全員に復讐する。そのスケールの大きさのせいか、順那の考えがさっぱり分からない。

 

「……巫って、知ってる?」

「……」

「昔の魔法少女の呼び名なの」

 

 順那は話す。

 

 魔法少女──巫。

 

 悪鬼──魔女。

 

 悪鬼の子分──使い魔。

 

 名前は違えども、昔の時代でも魔法少女は日本のあちこちにいた。

 魔法少女は、巫はその力を使い、悪鬼から日本を守り、人々の期待に応えていった。

 やがて彼女達は神格化され、神々として信仰されるようになり、彼女たちが語るキュゥべえも、同じように神格化された。

 

「でも……、そんな力はね、利用価値があり過ぎるの。だからその力は、あまり良くない特殊な伝統とか残すのよね。もしかしたら、あるところじゃこの土地以上に、そういったものが未だに根強く残ってるかもね。」

「……何が言いたいんですか?まさか……」

 

 魔法少女の神格化──それは、龍神信仰のことを指しているのだろう。

 そしてその信仰は薄れているものの、早島の人間の考え方に大き影響を与えている。あの広実一族の老婆に至っては、信仰が絶対的なものであると信じて疑っておらず、信仰こそが己の価値観の基準となっているようだった。

 その価値観を変えるためには、大きな労力を必要とするだろう。それこそ、何十年単位で。

 でもその価値観を根本から消す方法が一つだけある。それは、早島そのものを滅ぼすことだ。

 龍神信仰の価値観を持つ人間が全員死ねば、必然的に龍神信仰は消えてなくなる。

 

(けど……そのやり方は正しくない!)

 

 しかし、それが悍ましいことであるのは、説明されなくても分かる。

 悪い価値観を消す、というのは素晴らしいことだ。

 だがこれは、ただの大量虐殺だ。

 気に入らないから、無理矢理でも捨ててしまう。それと同じことを、彼女はやろうとしているのだ。

 

「貴女、おかしいよ……、とんでもない馬鹿なんじゃないの?……どうしてそんな方法に行き着いちゃったのよ!他にやり方はあるでしょ!?」

 

 恐怖と怒りが高まり、夏音は激昂した。

 その首に触れないギリギリの距離にまでハルバードを突きつけ、睨みつける。

 この世界の順那とは、何の親交もない。

 けれど、友人だったことに変わりはないのだ。そんな子がこんなことを言うなんて、裏切られたような気分でいっぱいだ。

 単純にそのことが悔しかった。勝手なことをしようとする順那と仲良くしていたことを、今心の底から後悔している。

 

「私の質問に答えてよ、ねえ!?順那!」

「──何か勘違いしているようだけど、あたし順那じゃないから。あたしの名前は、伊尾ミズハ」

「は?」

 

 夏音は少しだけ怒りの感情を忘れてしまった。

 伊尾ミズハは、失踪している。つまりこの場にいる訳がない人物なのだ。

 ましてや、その顔や声は順那だ。それが、私は伊尾ミズハですと名乗ったところで、信じられるはずがない。

 

「あたし、順那と全然違うでしょ?何処かおかしいと思わないの?」

「……確かに口調がいつもと違いますけど、ふざけてるだけですよね?貴女、東順那なんでしょう?」

「だから違うって」

 

 一向に受け入れない夏音に苛立ったのか、ゴスロリの魔法少女は溜息をついた。

 そして──順那がしないような、憎悪を帯びた寒々しい瞳を夏音に向けた。

 

「あたしね、一度死んだの。でも復活したのよ。順那の願いで、こうして蘇ることができたの」

 

 今度こそ、目を見開く。

 死んだ、と言うこともそうだが、復活したと言うことが何より信じられなかった。死人は普通、蘇ることはできない。

 ……しかし、酷く真実味を持って聞こえた。だって、魔法少女の願いは、何でも叶うんだから。

 

「体があたしのじゃなく順那なのは、彼女の“あたしを自らの手で復活させるっていう願い”から生み出された魔法が、あんまりにも歪だったからよ。……本当、余計なことしてくれちゃって……」

 

 再び蘇らせてくれたと言うのに、順那は──ミズハは憎々しげ呟く。

 その顔に浮かぶ表情は、もはや生者のそれではない。地獄の底にいる亡者や悪霊がするような、現世に対する恨みを抱えた悍ましい面様だった。

 

「……じゃあ、順那は?彼女はどうなったの?」

「消えた。約束どうりあたしが完全に目覚めたから……、この体をくれたの。だからもうこの体にはいない」

 

 友人が消えた。

 そんなことを言われて、目を見開く。

 ミズハの人格が復活するのはまだ良いとして、どうして順那まで消えているのだろう。消える必要性なんて、ないではないか。

 目覚めたとか、体をくれたとか……意味が分からない。

 順那が消えたなんて、嘘のようにしか聞こえない。

 

「……夏音なら、あたしの言っている意味が分かるんじゃない?だって、覚えてるんでしょう?今まで旅してきた数々の時間軸のことを」

「……」

 

 ──でも、嘘だとはとても思えなかった。

 だってそんなこと、とっくに知っていた(思い出してた)から。その体にいない(からでていった)んだって、ミズハを見たときに最初から気づいていたから。

 

 いつも、そうだった。

 ミズハは、どこの時間軸でも順那によって復活させられていた。

 この世界でも、それは同じだった。

 

「あたしの復讐のためにも、思い出して。貴女は早島の因果を集約している存在。あたしの憎き早島。……そんな相手を、思い出さないまま殺すなんて、そんなのあたしが望む復讐じゃない」

 

 その言葉をきっかけに、連鎖的に思い出す。

 悲鳴を、怨嗟を、涙を、笑顔を、怒りを、悲しみを、快楽を、愛情を、憎悪を、諦観を、楽しみを、興奮を、感謝を、興味を、不安を、希望を──絶望を、思い出す。

 

(そうだ。私は知ってた。早島の魔法少女のことを……。それだけじゃない)

 

 自分の役割を、初めから知っていた。それをずっと、夏音は誤魔化し続けていた。

 

「何で忘れたふりなんてしてんの?やめなよ。そんなのやってる場合じゃないでしょ。……思い出さなかったら、結は死んじゃうよ」

「……っ!!」

「……今リノちゃんが、結に“記憶”を取り戻させてる。何とかしないと、すぐに魔女化するでしょうね」

 

 ……それは、駄目だ。魔女化なんて、絶対に避けねばならない。

 結が魔女になれば、彼女が救われるなんてことはあり得ない。ずっとずっと、自分の後悔に囚われて生き続けることになる。そんな生き地獄、結には味わせたくない。

 

「魔女化は、嫌だ……」

 

 恐怖心でいっぱいになる。

 ……自分で思っていたよりも、ずっとあの結のことを大事に思っていたらしい。

 当たり前だ。結にはたくさんお世話になった。前の時間軸でも、その前の時間軸でも、その前の前の、ずっと前の時間軸でも、助けてくれたんだから。

 

 もうあんな姿、見たくない。

 結の心の叫びは、いつも悲惨の一言に尽きる。ずたずたな彼女の心は、魔女になってもずっと泣いていた。

 

「だったら穢れを食えば?そうやっていつまでもそんなんだったら、出来ないでしょう?何で思い出さないの?」

 

 怖かったから。自分のことを思い出すのは、辛いことだから。

 自ら記憶を書き換えて、蓋をした。そうやってありもしない妄想を信じていたのだ。

 

「あたしみたいに逃げんなよ。あたしに立ち向かってこいよ。そしてあたしを殺してみろ。……乗り越えてみせなよ。結共々ね」

 

 ──でも結が魔女化するのは嫌だから、もう出来ない。する必要は、なくなった。忘れていたら、自分の能力が使えない。

 どうせ逃げることなんて、出来やしない。だったら──

 

「私は、もう演じるのを止める」

 

 夏音は武器を下ろすと、ミズハを睨みつけた。

 

 その瞳の虹彩が、徐々に徐々に変化していく。まるで、布を別の色で染めていくように。

 そして、夏音の目は前の彼女の目ではなくなっていた。

 鮮血のような、キュゥべえのような目。それが今の夏音の目だった。

 

「……ねえ、夏音、いくつか確認させてもらっていいかしら?」

 

 ミズハは神妙な顔つきになると、夏音をじっと見た。

 

「貴女が保持してるその記憶、何処から嘘で何処から真実なの?」

「分からない。けど、ほぼ嘘っぱち。あり得ないこと多すぎる。特にしーちゃんの行動は虚構。私の彼女に対する偏見。私の彼女への第一印象が作り出した記憶」

「リノちゃんやあたし達のこと、最初から知ってたの?」

「知ってた。知ってて忘れてた」

「その髪型、いつからし始めたの?」

「元からこんな髪型だった。最初の髪型なんて、本当はあんまりしたことない」

「何回ループを繰り返したの?」

「多分二十回」

「貴女の魔法は、体ごと移動するのよね?」

「そう。私は肉体ごと、時間軸に移動する」

 

 じゃあ、最後の質問だ。そう言って、ミズハは問う。

 

「──貴女は、何才?」

「多分十六才。私は十四才なんかじゃ、……ない」

 

 生身で移動する以上、暁美ほむらのように中学二年生で体の時間は固定されない。夏音の体は、重ねた時間の分だけ年をとるのだ。

 だから、十四才なわけがない。夏音はずっと、自分のことを十四才だと思い込んでいただけに過ぎない。

 

「うん。全部とはいかないけど、思い出せた」

「あたしね、結がここで魔女化するなんて嫌なの。でも、あたしが結を助けるなんて、御門違いだから。……貴女が助けてよ」

「……ありがと。私、絶対貴女を喰う」

 

 ばちん、と。夏音はその時、強い魔力の気配を感じ取った。

 結の魔女化が、始まろうとしているのだ。

 

「さあ、どうやって助けるの?菊名夏音」

「こうやって」

 

 夏音は左腕に意識を持っていく。

 すると左腕が一瞬震え、汚れなき新雪のような色をした剛毛に覆われる。手のひらの肉が隆起すると肉球が生まれ、平爪は鉤爪へと置き換わっていく。

 そうして現れたのは、猫の足だ。

 人間に動物の部位をくっつけた姿は、酷くアンバランス。まるで、神話上に出てくる怪物の如き異様さだ。

 

 しかしそれを夏音は受け入れていた。気持ち悪いとさえ思わない。最早自分が何者かなのか分かっているから。

 

 左腕を地面へと突き刺す。

 白い毛が光り出し、魔力を、穢れを吸い取っていく。

 それでも穢れは、この現実を侵食して──やがて、世界は結界へと包まれた。



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“記憶”

 何かかが降り立ったような、そんな僅かな物音が聞こえた。

 照明はまだ明るかったので、結はその正体が何であるのか、はっきりと認識することができた。

 締め切ったカーテンに、窓の向こうにいるだろう、小さな猫のような動物のシルエットが映っていたのである。

 

「キュゥべえ……?」

 

 今は深夜だ。起きている(明日のことを気にし過ぎて、眠る気になれなかった)自分が言うのも何だが、いくらなんでもこの時間帯に来るなんて、普通ではない。来るとしたら、明日の朝頃の筈だ。

 

 何かキュゥべえには、今の時間でしかやれない用事があるのだろう。そしてこの部屋に来たということは、夏音ではなく自分と話がしたいということに違いない。

 

 それが何であるのか、結にはさっぱり分からない。だからこそ、彼女は大きな恐怖を感じた。

 

 勘は自分でも鋭い方だと思う。その勘は、何かとてつもないことが起こることを、さっきから結に警告し続けている。

 今すぐキュゥべえを殺せ。さもなくば、後戻りが出来なくなる。

 頭の中を、そんな言葉が無茶苦茶に暴れ回っている。延髄がそのまま食い破られそうな錯覚を覚えるほどに。

 

 でも、そこから一歩も動けない。それどころか、僅かな動作さえ何もできなかった。

 緊張のあまり、体が固まってしまっているのだ。

 それは今まで魔女の戦闘の時でさえ、味わったことがない経験だった。

 結は当然、激しく戸惑う。完全に彼女の思考は、こんがらがっていた。

 

(これは……、一体何?僕はどうしてしまったんだ?)

 

 キュゥべえに対して、吐き気を伴う拒絶感が湧いてくる。そのせいか、酷く気分が悪い。

 体温も上昇し、全身を嫌な汗が伝う。

 何故か目はキュゥべえ以外から動かせなくなっていて、手は自然と震えていた。

 

『こんばんは、広実結。今宵は、宴にぴったりの良い夜ね』

 

 頭に響くその声は、キュゥべえの、あの少年のような声ではなかった。少女の、恐ろしく冷たい声。知ってる人物の、知っている声だった。

 

 それを理解した瞬間──結は体が固まっている状態から解放された。

 

 本能的に魔法少女へと変身する。そして次には、鉈をキュゥべえ目掛けて投擲していた。

 しかしそれは、窓に到達することさえ出来なかった。シルエットの前に大きな紙が現れ、鉈に覆い被さり、地に組み伏せたからだ。

 

『……君、キュゥべえじゃなくて入理乃ちゃんだね?』

 

 新たに呼び出した鉈を構え、そのシルエットを睨みつけながら念話で問う。

 すると、案外あっさりと声の主は自分が入理乃であることを認めた。

 

『そうよ。キュゥべえを殺してね、その死体に私の魔力を込めた紙を入れて操ってるの』

『……そういうの好きだものね』

 

 入理乃は昔からやたらと魔法の道具を考案し、試作していた。

 そうして入理乃は小細工を沢山用意して、対立時には結を散々苦しめてきたものだ。

 それは撤去されず罠として残っていたり、時として土地に多大な影響を及ぼしたりして、今でもその後が自分のテリトリーには随所に残っている。

 

 しかしそれはもはや懐かしい過去だった。平穏な日々を送るうちに、忘れつつあったのだ。

 それが今……、再びこうして仕掛けられるとは。……分かっていても、正直思うところがある。

 

『ということは、……僕達のことを、ずっと監視していたんだね』

 

 最近会っていたキュゥべえは、全部入理乃が操っていたに違いない。

 キュゥべえは信用ならないが、かといって関わらない訳にはいかない存在だ。だからキュゥべえは、結達に容易に近づけることができる。

 そうやって入理乃は、結達を観察していたのだろう。自分にとって有理に事が運ぶように。

 

 ……しまった、と後悔する。入理乃のことを詳しく知っていたのだ。もう少し彼女の行動を予測して、警戒していれば良かった。そうしたら、こんなことにはならなかった。

 入理乃達への対策は全部キュゥべえに伝えてはいないが、入理乃には関係ない。僅かな情報と結達の行動から、彼女はある程度答えにまで行き着いてしまう。

 これでは、すべて筒抜けになってしまったも同然だ。もう揃えた手札は、使い道になりやしない。

 

 しかし入理乃の行動は、不可解だ。

 どうしてそんなことをわざわざ言うのだろうか。黙っていれば、断然有利に事は運ぶはずだ。

 おかしな点はまだまだある。

 操られていない、本来のキュゥべえは一体どうしたというのだろう。

 個体が殺されて、それを操って本人のふりをされているのだ。これはキュゥべえ側も看過できない行動に違いない。ここで何もしないのはおかしい。

 

(まずいことになった……)

 

 まったく入理乃の意図が読めない。何をしてくるのか、分からない。

 もしかしたらこの間も、何か仕掛けをしていても不思議ではない。

 ……ここはもう危険だ。この場から一刻も逃げなければ。

 

(でも僕が真っ先に逃げる訳にはいかない。……夏音ちゃんから先に逃がそう。僕が時間稼ぎをしないと)

 

 夏音には、かなり迷惑をかけた。

 自分の都合で、怯えさせて、気分を悪くして。それにあわよくば、ずっとそのままの状態で、無理矢理にでも側にいさせるつもりだった。

 だがそれは、ただの我儘だ。自分の罪を他人に押し付けて、救われようなんて……、あまりにも虫が良すぎる。一番やっちゃいけないことだった。

 どれだけ不快だっただろう。こんな気持ち悪い自分となんて、居たくないに違いない。きっと逃げ出したかった筈だ。

 でも彼女に行き場なんてなかった。仕方なく、ここに居るしかなかったのだ。

 

 ……それを利用しようとした結は、なんと愚かしいのか。もはや言葉では言い表せない。

 だから、せめて夏音は守らなければならない。傷つけたものとして、そのくらいの責任はある。

 

 結はさっそく夏音へテレパシーを送ろうと、思考を彼女へ届けようとする。

 しかしその直前、

 

『……私ね、“記憶”を取り戻したの。すべてを思い出したわ』

『……え?』

 

 そんなことを言われ、呆然となった。

 

『な、何言ってるの?』

 

 結は思わず、顔を引きつらせた。何でか知らないけれど、悪寒がより一層強くなった。

 誰か、自分を助けて欲しい。この場に居たくない。この子の言うことなんて、聞いていたくない。

 

『今まで私は、その記憶を魔法の紙に封じることで忘れてた。そして封印したことさえも、忘れてた。けれどね、ずっとその紙を、首に下げた袋に入れて肌身離さず持ち歩いてたの……。何か異常があった時に思い出さなきゃいけないってことは、無意識に感じてたから』

 

 夏音という異分子の出現。それは紛れも無い、異常。

 だから入理乃は、真っ先に記憶を取り戻したのだ。夏音に対抗するために。

 

『お陰ですぐに思い出せたわ……。でも、思い出して分かったけれど、忘れてたのは私だけじゃなかったわ。結も、記憶を忘れてる。ミズハさんが復活したっていう記憶を、私に封印してくれと言ったのよ。それで私もこんがらがっていたから、二人で記憶を封じたの』

 

 言った覚えなんてない。言うはずがない。

 それにミズハが復活した……?何のことを言っているのか、結は理解ができない。

 

『懐かしいわ。互いに記憶を封じるには、互いの力が不可欠だった。それを条件に、見返りとして私達は境界線を作ったり、テリトリーを半分にしたり、色々分け合ったものね。そういうのがなければ、信頼し合う事が出来なかったから』

『そ、それは違う……。そんなことのために、取り決めをしたんじゃ──』

『でも、真実はそうなのよ』

 

 冷酷なまでに、入理乃は言い放つ。結の希望は……、容赦なく斬り伏せられた。

 

『……今思えば、何で忘れようとしていたのかしら。何で偽物なんだって拒絶したのかしら。ミズハさんは間違いなくミズハさんだったのに……』

 

 後悔しているような声だった。そして彼女は心の底から自分の行いを恥じるかのように、最後は黙り込んだ。

 

『……私は、皆許せないのよね。私も、夏音ちゃんも、船花ちゃんも、全部ぜーんぶ。もちろん貴女も許せない、結』 

 

 結は唇を噛みしめる。

 その怒りは、正当なものだった。だから甘んじて受けるしかない。言い訳なんて許されてはいないのだから。

 

『どうして、貴女までも忘れようなんて言ってきたの?大切じゃなかったの?もしかして、利用価値がなくなったの?どうせ何かメリットがあったから仲良くしてたんでしょう?』

『……あの子と僕を馬鹿にしてるの?ふざけないで』

 

 入理乃のあまりの言い草に怒りを覚え、怒気を含ませた声で反論する。

 本当に結はミズハを愛していたし、ミズハもまた結のことを愛してくれた。そこには一切、打算的な考えなんてない。ただ絆のみが存在していた。

 ……確かに今は、その絆はないのかもしれない。けれど、大切なものだった。それを否定されたのは、幾らなんでも許せない。

 

『嘘つき。何綺麗事言ってんのよ。私知ってるもの。人間は皆そうなのよ。人間はね、他者に対してメリットしか見てないの。利用価値があるから、他者と付き合ってるの』

『……!?』

 

 その考えに、つい驚いてしまった。

 入理乃は相方を何よりも大切に思っていた。それは本物の気持ちで、サチも入理乃を誇りに感じていた。両者には強固な信頼の原則繋がりがあったのだ。

 しかしそれを入理乃自ら、違うと言いのけたのだ。

 

『き、極端過ぎるよ。そういう人がいるのは事実だけど、でも皆そうじゃない。純粋に信じ合っている人もいる。君達もそうなんじゃ──』

『違うに決まってんでしょぉ!嘘つき嘘つき嘘つきぃ!!』

 

 突然入理乃が大声でテレパシーを送ってきて、びくりと肩を跳ねさせた。

 その後も入理乃は気にせず、感情任せに続ける。

 

『船花ちゃんは、私にメリットがあるから付き合ってたんだ!そうじゃなきゃ仲良くしてくれないんだ!皆そうだったもん!私に近づく子は、私を打算的な目で見てきたし、大人だって自分のことしか考えてない!私が優秀だから自慢してるだけよ!いらなくなったら、ぽーいって捨てて、無関心!誰も……私なんて見てもくれないのよぉ!!だから、船花ちゃんも私を捨てるんだ!!ミズハさんしか、私を頼りにしてくれないんだ!!そうに決まってるんだよぉぉぉぉぉ!!!!』

 

 入理乃は泣いているのか、かなり激しい声で癇癪を起こす。その様はまさに小さな子供だ。

 結も流石に唖然としてしまって、言葉も出なかった。

 いつもおどおどしていたが、こんな風になることはなかった。本当にあの入理乃と同一人物とは思えない。

 

『……』

 

 やがて落ち着いたのか、入理乃は無言になった。

 結は少しほっとした。頭の中を大声でわんわん叫ばれていたので、かなりきつかったのだ。

 

『……私にはもう、ミズハさんしかいないの。分かる?私はね、船花ちゃんにとってはもういらない子なのよ。捨てたられたの、私は』

 

 自分に言い聞かせるためなのか、かなり早口だった。

 結は入理乃に憐憫の感情を抱いた。彼女の声は、其れ程までに痛ましいものだった。

 

『……何でそんなこと思うの?君は、相方を信じてたんでしょう?』

 

 入理乃は数秒だけ黙った。しかしその時間は、それよりももっともっと長い時間のように感じられた。

 

『信じてた。でもあの子は裏切った。私を頼ってたのに、頼らなくなっちゃった。……私に対するメリットがなくなったんだ。私は邪魔になったんだ。うふ、うふふふ。うひひひ。…………』

 

 自虐的に笑った後、また少しだけ沈黙。重苦しい空気が、部屋を満たした。

 

(……あのサチちゃんが?あの子はそういった子じゃないのに……)

 

 サチの思いを結はよく知っている。そんな彼女からしてみれば、入理乃の言っていることは、すべて有り得ないことだ。

 サチは決して、メリットがなくなったからといって、人を切り捨てたりなんてしない。むしろ彼女は、何があったか知らないが、それを恐れていた。そして入理乃を一生懸命信じようとしていた。

 だから……、これは明らかに何かの誤解だ。

 

『サチちゃんは君を捨てない筈だよ。どうして三年も一緒だった相方を信じれないの?君が思っているより、人はメリットだけで繋がってるものじゃない。……もっと人を信じてよ』

『……ふん。そっちこそ私以上にミズハさんを捨てたくせに、人を信じろなんてよく言えたわね』

『ぼ、僕は捨ててなんか……』

『捨てたわよ。……その自覚がないって言うんなら、私が思い出させてあげる。サチちゃんの持ってきたグリーフシードのお陰で、仕掛けも完成してるし』

『!?』

 

 瞬間、あらゆる負の感情が、結の中から湧き出た。

 その感情で、叫びそうになる。しかし口から出るのは、声にならない掠れた息だけだった。

 

(や、やめて。それだけは……)

 

 何が起こるか、容易に想像できた。

 だから、怖い。思い出すのが怖い。

 ミズハのことなんか、考えたくない。罪を見せつけないで欲しい。

 

(僕は──)

 

「魔女になんかなりたくない!だからやめろ!やめて!」

 

 ついに結は頭を抱えて絶叫した。

 しかし入理乃はざまあみろと言うように、結を罵倒する。

 

『死ね!消えろ、私の前に二度と姿を見せるな!!本当に訳わかんない!!何でそんなに狂ってるの!?意味不明すぎるわよ!!そんな存在、排除してやる……!!奪われる前に、奪ってやるんだから!!そのまま記憶の幻覚の中で絶望して魔女になれ、結ぇええええええ!!!』

 

 キュゥべえの瞳が、ぎらりと金色に煌めいた。

 刹那魔力の波動が発せられ、部屋全体を包み込む。それに合わせて、視界が回転を始めた。

 

 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。

 

 奈落に落ちてくみたいに、その渦に結も飲み込まれていく。

 

 そして気がついた時には、もう──



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結 1

ついに結の過去編始動。でも今回は短め


 何度見たか分からないほど、同じような演目が延々と舞台では続けられている。

 踊っているのは、白い動物のおもちゃ達。音楽を奏でるのは、これまた玩具。背中にぜんまいを付けた、ブリキ製のお人形だ。

 彼らには、おもちゃという以外にも、いくつかある特徴があった。

 それは龍のような仮面をつけていることと、赤い目をしていることである。ちなみに仮面をしているのに赤い目だと分かるのは、それが常に光っているからだ。

 

「……ようやく、ようやく思い出したんだね」

 

 特別な、夏音専用のボックス席。しかしそこには、魔法少女姿の夏音一人だけではなく、もう一人少女が座っていた。

 

「やっぱり、貴女には私しかいない」

 

 少女は黒い髪に黒い喪服を着ていて、龍の仮面をつけている。だが少女の表情が、夏音には手に取るように分かった。

 彼女は、きっと口を歪めて微笑んでいる。夏音を歓迎しているのだ。

 

「……。そうだね。私には、貴女しかいない。だから本当に申し訳なく思うよ。貴女が与えてくれた記憶を忘れちゃって、妄想の中に逃げ込んでいたのだから」

 

 ああ、本当に悪かった。

 あれは、とても大切なものだった。思い出して、初めてそれが身に染みて分かる。

 彼女が与えた記憶は、菊名夏音という人格を形成する上で大事な要素の一つだった。いや、核とさえ言っていい。あの記憶がない夏音は、夏音ではない。

 ……だから今まで自分は、紛い物だった。夏音という名を騙る、ただのお人形に過ぎなかったのだ。

 それがいかに自分の役割から逸脱していたか、想像するだけで恥ずかしい。

 

 なんと愚かな自分。記憶を忘れるなんて、馬鹿馬鹿しい!

 

「でもほとんど虚構だなんて言う割には……、その妄想はすべて記憶をパッチワークみたいに切りはりして作ったものじゃない。たしかに矛盾も多いし、しーちゃんには偏見が入ってる。けれども、リノちゃんは一貫してリノちゃんだし、後半のしーちゃんは本当のしーちゃんにとても近い」

 

 特に最後の船の魔女については、シチュエーションは違うけれど、本当のことだし。

 そう言いながら、少女は首を傾げる。

 

「けどさ、クリスの私。エリカの私では、それは妄想なんだ。菊名夏音が体験したことなんて……私が体験したことじゃないんだから」

「だけど、私と貴女は同じだよ。だから、船の魔女に恐怖を抱くことは、魔女を怖いと思う心は、偽物じゃない」

「……そうかな?」

 

 クリスの言うことに、こちらも首を傾げる。

 

(どうせそんなの……、エリカの自分にとっては全部虚構なんだ。だって私は……“私”じゃないんだから)

 

「そうだよ。偽物じゃない」

 

 しかし目の前の少女、クリスティーヌは、それが完全なる妄想ではないと否定する。

 夏音はそれが実に不可解に思えた。やはりクリスティーヌは自分のことを分かっていない。立場に違いがあり過ぎて、考えにも違いがあるらしい。

 

「……この世界は、貴女の目から見てどうかな?偽物じゃないかな?」

 

 夏音は舞台へと目を移す。

 そこでは大袈裟な演技で、ドレス姿の白い毛の猫が、真ん中で泣き崩れている。それを盛り上げるように、音楽の旋律も切なく激しくなっていく。演目はすでに、クライマックスだった。

 

「偽物じゃない。本物だよ。ここはまさに、私の、菊名夏音の心。龍神信仰の世界観などない、一切早島を省いた、私が満たされた私だけの世界」

 

 うっとりとした声音だった。クリスティーヌは舞台へ向けて、手を広げてみせた。まるで、そのすべては自分の物だと言わんばかりに。

 それは、実際に正しい。この世界は夏音が生み出したものだから、クリスもまた、この世界を共有している。つまり、ここはクリスティーヌの世界でもあるのだ。

 

「……ごめん。この世界に、結さんを、家主さんを引き入れちゃって」

 

 夏音は謝る。

 本来ならば、それは許されざる行為だ。この世界に、龍神信仰に関するものは入れてはいけない。そうすればたちまち、この世界は龍神によって汚染され、劇場は崩壊する。

 

「良いよ、別に。それくらい、私は耐えられるから。この世界観を守ってみせるよ。それに分かってるでしょ?」

「うん。結さんを助けることは、私達の望み。ならば私達の世界へ誘っても、私達は構わない」

 

 演目が終わる。舞台に立つ主演者は、深々とお辞儀をした。

 二人が惜しみない拍手を彼らに送ると、それに共鳴するように、何処からともなく、次々と歓声が湧き上がった。

 

「これで……、次の演目が始まるね」

「その演目の主役は誰なの?」

 

 クリスティーヌが尋ねる。エリカはそれに当然のように、決まりきっていると答える。

 

「もちろん、広実結だよ」

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 結は生まれた瞬間から、決められた人生を歩むことを宿命づけられていた。

 

 十七年前。広実一族本家に、娘が生まれた。

 その娘は久しぶりの娘で、実に十年もの間、本家には娘が生まれなかった。

 一族一同は皆歓喜し、彼女が生まれたその夜は盛大に歌い騒ぎ、それが一週間も続いた。

 そして彼らはその喜びから期待を抱き、それを娘の名前としてつけることにしたのだ。

 

 その名は、(ゆえ)

 その血を子孫へ繋げ。本家の娘として、相応の家と結婚し、繁栄をもたらせ。

 その未来へ、一族を結え(・・)。そんな意味が込められた名だった。

 

 広実一族の起源は、魔法少女、巫によるものだ。

 その巫達は、ある一族たる広江の家の者から、遠く離れた集落のことを聞いた。そしてその集落をモデルとして、己の一族を徹底的に血統や信仰による管理をすることに決めたのだ。

 その考えは、今でもなお根強く残り続けている。

 男は家を継ぎ、または分家を作る。女は他の家に嫁いで、優秀な“女”を生み出す。

 広実一族は、それを昔からずっと続けてきたのだ。

 特に本家の娘は、直径の血を最も濃く受け継いでいる。この血を時代へと繋ぐのは、結の生まれながらの責務だった。

 

 だが、それ以外何も求められなかった。ただその責務さえ果たせばそれで良いと一族の皆は言った。

 繰り返し繰り返し、洗脳でもするみたいに、責務、責務、責務、責務、そればかりだった。

 

 まるで、責務を果たすためだけの道具。一族の奴隷だ。

 

 しかし結はそれを、幼い頃から疑問に思っていた。本当にこのまま、奴隷で良いのだろうかと。

 ずっと心の中では何かの感情が蠢いて、結を常に突き動かさんとしていた。それは結が生まれながらに持つ、やりたいことに違いなかった。

 結はそれに従って生きることが、本来の自分の生き方なのではないかと考えていた。感情を持て余し、世界はもうこの時から灰色に見え始めていた。

 ならばその感情を叶えれば、この世界は素晴らしいものになるに違いない。そしてその世界を素敵なもので埋め尽くせば、きっと幸せになれるのだ。奴隷から、解放される。

 

 でも、やりたいことなんて見つからなかった。

 小さい頃、結は本当に不器用でのろまだったから、何をやっても上手くいかず、上達もしなかった。そんな中、他の子達は上達し、結を置いていく。

 それに、どれもこれも、しっくりこない。やっても全然楽しくない。情熱を向けられず、最終的には苦痛になっていた。

 

 やがて結は、自分があまりにも空っぽなのだと気がつく。やりたいことなんて、そもそもこれっぽっちもありはしない。この感情が高ぶるものではない。

 ……そんな自分に、結は絶望した。生きる意味が、責務以外に何も思い浮かばなくなった。

 結局彼女は、奴隷でいることを選択した。夢が叶わないのなら、奴隷のままでいた方が良い。それ以外、やるべきことがなかったのだから。

 

 ……もちろん迷いはあった。

 結のすべては、責務じゃないのだ。やろうと思えば、もっと他の生き方だってある。そして感情は消化されず、目を逸らすにはあまりにも苦痛だった。

 いつだって、結はここから逃げ出せる。今からでもやりたいことを探して見つければ、この衝動を叶えることができる。

 

 しかし、勇気が足りない。自分に自信が持てない。それに気がつけば、大切な従姉妹達ができていた。逃げ出したら、彼女達にも迷惑がかかる。

 結はこのまま、奴隷であるしかないのだ。それから逃れるなんて、出来やしない。

 

 ──だから……、“それ”を見た時。結は純粋に、応援しようと思った。自分が叶えられない自由を、手に入れて欲しくて……。

 

 そして結は、ミズハを裏切った。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 “それ”を見たのは、まったくの偶然であった。

 

 結はある日、見滝原の町中を歩いていた。特にその日は用事はなかったが、暇だったので一人で見滝原に遊びに行っていたのだ。

 見滝原は早島と違い、何もかもが真新しくてあらゆるものが進んでいる。まあ、端的に言えばお洒落なのだ。だから、ただお店を回るだけで楽しい。早島は退屈でつまらないから、より一層そう、そう感じられる。

 

 結はきまぐれに、ゲーム関連の商品が売ってあるお店に足を運ぶ。そして店内を歩き回り、ある一角まで来た時、結ははっとして止まった。見覚えのあるゲームのパッケージを見つけたのだ。手に取り、確認してみる。

 

(やっぱり、最新作だ!)

 

 そのゲームは、超マイナーのゲームシリーズ。早島の店では見かけなかったゲームだった。

 結、ミズハ、順那は結構ゲームオタクだ。三人でよく集まって、休日はいつもゲームをするのだ。

 このゲームは、前々からミズハがやりたがっていたものだ。三人で対戦プレイもできるし、買えば彼女達と一緒に楽しむことができる。

 

 結は財布の中のお金を見、そして手持ちがどうにか足りることを確認する。

 実は案外このゲームは高く、本音を言うと買いたくはない。しかし、まあミズハの誕生日も近い。そのプレゼントだと思えば、構わないだろう。

 

(喜ぶだろうな、ミズハ)

 

 三人の中でも、特にミズハはゲーム好きだ。きっとあげれば、飛び上がって嬉しがるに違いない。

 そんな姿を想像して、ついくすりと笑う。気分が良くなって、結は鼻歌混じりで入り口近くのレジに向かった。

 

 ……しかしその時。ふとガラス張りの入り口を向いた時、外に見覚えのある女性を見かけた。

 しかもその女性は一人ではなく、知らない男性と一緒に歩いている。

 彼女は全体的に、らしくもなかった。普段着ないような、どこで買ったんだと思うような可愛い洋服を着ているし、化粧も普段よりも気合が入りまくり。一瞬、本当に別人ではないかと疑ってしまった程だ。

 

 驚いて、しばらく固まってしまった。まさか彼女に限ってこんなことをするとは、有り得ないと思っていたから。

 

 結は急いでゲームを買うと、店を飛び出して女性の後を密かに追いかけた。



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結 2

プロットを読み返したけれど、結さんの過去編、下手したら一ヶ月じゃ終わらないかも……。


 結は歩く女性と男性の姿を追う。気づかれないように物陰に隠れ続け、つかず離れずの距離を保ちながら、彼女はその様子を伺った。

 遠くから見ても、女性と男性はとても仲睦まじい。談笑し、時にはふざけあって冗談を言い合う。

 そして、何だか異常なまでに距離感が近い。自然と腕を組んだり、手を繋いだり……。

 

 どう見ても、二人はカップルだった。しかも、付き合って一ヶ月や二ヶ月と言った、あの初々しいしさがどこにもなかった。二人は妙にそういう行動に慣れていた。

 恐らく半年か、下手したら一年以上の関係なのだろう。それでも結が知らなかったのは、女性がその間バレないように上手く黙っていたからに違いない。

 

 しかし、結は二人を見てしまった。隠していたのに、偶然といえど知ってしまったのだ。

 

(僕は、どうすれば良いんだろう……。こんなの、予想していなかったよ……)

 

 女性がこのことを黙っておきたい気持ちが、結には痛いほどよく分かっていた。

 だからこそばつが悪くて、申し訳ない。

 

 だが結は尾行を止めるつもりはさらさらなかった。

 結は女性の気持ちが知りたかったのだ。男性と付き合って、果たしてどうしたいのか。その気持ちがどこまでのものなのか、気になって仕方がなかった。

 

 女性と男性が、進路を右に進む。その道中で何か会話をし、とある喫茶店に入っていった。

 結ももちろんこっそりとその店内へと入り、女性と男性が座っている座から、程よく離れている席へ座る。メニュー表を開いて、料理の写真を見るふりをしながら顔を隠し、じっと二人を観察した。

 

「……実は、大事な話があるんだ」

 

 男性は唐突に神妙な顔になって、そう女性に言った。その男性の雰囲気のせいか、女性も緊張したような顔になった。

 

「な、なあに?」

「……俺、お前といてすっげえ楽しいんだ。時々喧嘩もするけどさ、お前の笑ってるとことか……、拗ねたりするとことか。以外と子供っぽいところも……、全部好きだ」

 

 途端、ぼんっと女性の顔が赤くなった。あまりに直球な愛の告白に、女性はかなりやられてしまったらしい。

 

(こ、これは……、聞いている僕も恥ずかしい……。す、好きとか……。こんな目の前で彼女に言うの……!?)

 

 結も顔が熱い。何かいけないものを見ている気がして(まあ、実際はそうなのだが)、メニュー表で上手く顔が隠れているのか、心配になった。

 

「あ、ありがとう」

 

 女性は照れながら、なんとかお礼を言う。男性はキザな性格なのか、そんなとこもかわいいと言って、さらに女性を赤くさせた。

 

(うわ……)

 

 結は、少しだけ驚く。普段の彼女と、全然違ったからだ。

 いつも女性は、どこか諦めたような……、それでいて、どうでもいいような、そんな無気力さに溢れていた。顔だって、こんなに表情豊かではなかった。

 しかし女性は男性の眼の前で、結達にも見せない顔をしている。きっと、男性には本来の自分を出せるのだ。……それ程までに、心を許しているに違いない。

 

「お前さ、以前俺といて楽しいって言ってくれたよな?」

「うん。貴方と一緒にいると楽しい。だって……大好きだから」

「そうか……」

 

 男性は女性の返答に、覚悟を決めたように真剣な眼差しになった。そして、少し間をあけてから叫ぶ。

 

「俺もお前が大好きだ。だから、これからも俺の側にいて欲しい。どうか、俺と一緒にいてくれ!!」

 

 彼はポケットから、紺色の小箱を取り出す。そしてぱかっと開いて、中のものを見せた。

 

「!?」

 

 女性は目を見開く。結も口をあんぐりと開けてしまった。

 

 そこにあったのは、大粒のダイアが輝く、銀のリング──婚約指輪だった。

 

「プ、プロポーズだ……」

 

 結は恥ずかしさのあまり、さらに身を竦める。

 いくらなんでも、展開が予想外の上に早過ぎる。付き合っていると分かっただけでも衝撃なのに、まさか結婚という段階まで至る仲だったとは。……女性には悪いが、いくらなんても信じられない。

 

「…………嘘」

 

 女性も結と同じで驚き過ぎたのか、そう言ったきり、黙り込む。目線は、結婚指輪に釘付けだった。

 

「た、頼む……」

 

 男性が懇願するように女性に頭を下げる。しかし女性は表情を変えず、何も言わない。

 

 ……それが、その後数分も続く。流石に男性の額にも脂汗が滲み始めていた。

 

(…………。……さ、さっさと返事して!すっごくもどかしいから!!)

 

 結は耐えきれず、心の中で叫ぶ。かなり今の状況がじれったい。早く何とか言ってくれと、結も女性に懇願する。

 

「わ……私は……」

 

 やがて女性が、何かを言おうとする素振りを見せる。結は女性をドキドキしながら注目した。男性も、穴があかんばかりに女性を見つめた。

 これでプロポーズは成立──

 

「指輪を受け取れません……」

 

 しなかった。

 

(…………)

 

 結は思わず、俯いてしまった。その結果を……、どこか考えていたいたからかもしれない。

 

「ごめんなさい……」

 

 女性は謝る。

 しかし男性はショックだったのか、固まったまま何も反応を示さなかった。

 彼女は一瞬だけその姿を一瞥すると、逃げるように店外へ出て行った。

 

「……」

 

 唇を噛み締め、立ち上がる。そのまま、すたすたと店の外に出た。

 

「ちょっと待って」

 

 低い声で、女性を呼び止める。振り返った女性は、かなり驚いた様子で一歩下がった。

 

「……!?ゆ、結……ちゃん!?」

「さっきのことで、話がある」

「……」

 

 女性は、いつかこんな日が来ると分かっていたのかもしれない。彼女は仕方がなさそうに頷いた。

 そんな女性に、なんだか怒りが湧いてくる。結はぐっと握りこぶしを作った。

 

「じゃあ、こっち来て」

 

 結は女性の手を引き、歩いていく。

 その間、女性は一言も喋りはしなかった。そして結もまた、何も話さない。

 

「……一体何してるの?」

 

 その辺の建物の裏へ連れていくと、結は女性に向き直り、尋ねる。すると怯えたように、女性が萎縮した。

 結は確認するかのように、また問いかける。

 

「どうして、あんなことをしたの?伊尾ユミハ」

 

 ……伊尾ユミハ。それが女性の名前だった。

 ユミハは、伊尾家の次女。伊尾ミズハの実の姉。……つまり、ユミハも広実一族の一人であり、“責務”を果たす役割を持っている。

 でもそれが、決められた家の者以外と付き合っていた。これは、責務を放棄していることに他ならない。

 

「ご、ごめんなさい……!!」

 

 ユミハは謝る。いつの間にか、瞳には涙があった。

 それでますます、イライラして不機嫌になってくる。それが顔に出たのか、ユミハは言い訳するみたいに、一気に自分の気持ちを喋った。

 

「ほ、本当は責務を果たさなきゃいけないって分かってた!でも、彼を好きになってしまったの!!だから結ちゃんやミズハ達にも黙って彼と付き合ったのよ!彼は本当に良い人だった。本当に大好き。お母さんが決めたあの人よりも、よっぽどよ!」

「……それなのに、プロポーズを断ったんだね」

 

 結は冷ややかに言う。ユミハは雫を目から流しながら、どうしようもないと、首を振った。

 

「結局、駄目なのよ。私は広実一族。私は……責務を果たすしかない。……本家として、駄目だとでも言うんでしょ?従うよ。彼と別れる。私はもう、諦めた」

「……それがどうしたの!?」

 

 大声を出せば、びくっと、ユミハの肩が跳ねた。しかし構わず、睨みつける。

 本当にこの人は何を言っているのだろう。そんなこと言うなんて、自分の前では許さない。

 

「もう一度言う、それがどうしたんだよ!!何でそこで諦めちゃうんだよ!」

 

 ユミハはここまで、彼の存在を隠し通して見せた。しかしその分、彼女は一人で孤独に戦ってきたはずだ。一族の古臭い考えに。自由を手に入れようと、彼との未来のために必死になったのだ。

 ……正直結は、それが嬉しかった。だって、自分が抗えなかった責務に、彼女は抗ってみせたんだから。その勇気は、結には輝いて見えた。

 けれどユミハはプロポーズを断った。最後の最後で、抗うのを止めてしまったのだ。

 その中途半端さが、かなり癪に触る。抗うのなら、それを貫き通せ。

 ユミハは、奴隷とは違う。広実一族の責務なんて、背負って欲しくなんかない。

 

 だから、

 

「本気で好きなんでしょう?断ったのは、本当の気持ちじゃない!!自分を偽つわるな!!素直になってよ、ユミハ!!自由に選んで良いんだよ?何で選ばないんだよ!僕こそ責務の奴隷なんだよ。責務を果たす役割の未来しか選べない!!この名前の通りにね!でも君は違うでしょ!?だから、僕の代わりにユミハは自由な未来を選んで!!」

「……結ちゃん」

 

 驚いたように従姉妹は呟く。結は責務に対する反感を、誰にも話したことがなかった。だから、こんな思いを抱いていたなんて、きっとユミハは思っていなかっただろう。

 

「だ、だけど、私は自由になれない。他の人もそれで、大変なことになったでしょう!?」

 

 一族の考えに反発して嫌がった若者が、勝手に結婚して出ていくことが、ここ十数年では急増していた。そのせいで、取り潰されたり、一族から追放されたりといった罰を受ける家が多発したのだ。

 そうなると、この早島の古い家から差別的な目で見られ、嫌がらせを受けることになる。広実一族は力はないが、一応龍神信仰の祖だ。一族から捨てられることは、龍神信仰からも捨てられることを意味する。だから蔑まれ、馬鹿にされるのだ。

 

「……今更かもしれないけど、でも家族がそんな目にあうのは、私は耐えられない」

「けど、本当は結婚したいんじゃないの?……彼を、捨てられるの?」

「…………。……出来ないよ」

 

 しかし口ではそう言っているが、あまりにも弱々しい。家族のことを考えると、安心して彼氏を選ぶことができないのだろう。

 

(だったら僕が、安心させてあげなきゃ)

 

 選ばせてあげたい。その気持ちを無駄になんてできない。もしもしがらみがあると言うのなら、この広実結が引き受けよう。

 責務なんて、いらない。一族なんて、捨ててしまえばいい。幸せのために、自分を犠牲にする必要なんかない。

 

 結は、そっと彼女の手を包み込む。出来るだけ、勤めて柔らかく微笑んだ。

 

「僕に……任せて」

「……え?」

「僕が、ミズハ達を守ってみせるよ。だから、君は安心してあの人と一緒になって欲しいんだ。君は……自由だよ」

 

 自由。その言葉に、ユミハの瞳が揺れる。

 

「……良いの?私、一族から解放されるの?」

「後のことは、どーんと僕に任せとけば良いよ。仮にも、本家の人間だからね。長の爺様を説得してみせるよ」

 

 今度は、力強く笑ってみせる。ユミハは、はっとしたかのように目に光を宿させた。

 

「……ごめんなさい」

 

 一言謝る。その返答に、結も満足した。

 

「ううん」

「……でも、大丈夫?」

「大丈夫」

 

 ユミハは心配そうに結を見る。……だが、それだけ。止めようともしないし、反論もしない。

 もう、覚悟が決まったのだ。

 

「……じゃあね」

 

 手を振って、ユミハは去っていく。その背中を、結は消えるまで見送っていた。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 結は自宅である、無駄に大きな日本屋敷の戸を開いて玄関へと入る。そして並べられている靴が、自宅のものより二組多いことに気がついた。

 その二組の靴には、見覚えがあった。この靴は、ミズハと順那のお気に入りの靴だ。

 

(ミズハ……)

 

 複雑な気分になってくる。ミズハはまだ、自分の姉が駆け落ちしようとしていることを知らない。多分今頃のんきでいるはずだ。それを今から知る羽目になる彼女のことを考えると、途端自分でそのユミハに結婚のことを説得したのに、罪悪感が湧いてきてしまう。

 これから、きっとミズハは少なからず大変な目にあう。一族内の立場が、悪くなるだろう。しかしその原因を作ったのは、結だ。結は何が起こるか分かっていて、ユミハのことを優先してしまった。

 ……諦めて欲しくなかったのだ。自由になって、自分の分まで幸せになって欲しかった。

 

 けれど、ミズハ達を守るなんて大口を叩いてしまったが、正直不安でしかない。どうやって守ったら良いかなんて、分かるはずがない。

 

(どうすれば良いんだ。僕はどうすれば……)

 

 結は俯いたまま、木張りの廊下を渡り、自分の部屋の前に来る。そこで暗い表情になっているのに気がついて、無理やり笑顔を作り、ばっと襖を開けた。

 

「ミズハ、順那、お土産買ってきたよー……って、何勝手にくつろいじゃってんの!?」

 

 そこにはだらしなく畳の上で寝転びながら、DSでゲームをしているミズハと順那の姿があった。

 画面はよく見えなかったが、やたら効果音は打撃音、ビームを放っているような電子音が多く、bgmは激しいロック調だ。恐らく、格ゲーでもやっているのだろう。

 

「あ、ああ……!!負ける、負けちゃう!」

「くらえ、必殺技!!」

 

 バアン、といった破裂音が響く。そしてやたら大きな悲鳴が、順那のゲーム機から流れる。それに合わせ、ミズハは勝ち誇ったようにいえーいとガッツポーズをした。

 

「ひ、酷い!!あそこでするのなしだよ!!鬼畜、悪魔、外道!!」

「おーほっほっほ、何とでも仰いな!」

 

 敗者の悔しがる様が面白かったのか、ミズハはどこぞのお姫様でも真似るように高笑いする。順那はふて腐れたように、ぶすっとした顔になった。

 

「……二人とも、遊ぶのはいいけど、ちょっとは僕の部屋なんだから遠慮してよね」

「あ、お帰り」

 

 注意を華麗にスルーして、ミズハが結に寝たまま顔を向ける。結は相変わらずのふてぶてしさに、額に手をやった。

 

「お土産買ってきたよ。はい、ミズハ」

「おおー、マジか!やったー!」

 

 起き上がったミズハに、ゲームのパッケージを渡す。するとミズハは無邪気に喜んで、上機嫌にパッケージを開け始めた。

 結は買ってきたかいがあったなと、笑顔を浮かべる。ここまでリアクションがいいと、こっちも嬉しくなるものだ。

 

「むぅ。ミズハばっかりずるい……。あたしにはないの?」

「あ……」

 

 少しだけしまったと思う。いつもはミズハに何か買ってやったら、順那にも不公平にならないよう、同じようなものを買ってあげていた。しかし、今回はそれをすっかり忘れていた。

 

「ごめん。でもミズハ誕生日だしさ、大目に見てやってくれないかな?後でちゃんと何か買ってあげるから」

「……まあ良いけど。でもなんか……」

 

 そこで順那は、じっと結を見つめる。

 結は僅かにたじろいだ。彼女は時々、物凄く鋭い時があるのだ。

 

「ふーん……。……お姉ちゃん。もしかしてあれかな?何か良いことあったんじゃないの?」

「ど、どうしてそう思うの?」

「なーんか、嬉しそうだから」

 

 その言葉に、少しだけほっとする。どうやら、この罪悪感は見抜かれてはいないらしい。

 

「……それは、ミズハが喜んでくれているからだよ」

「そっかぁ……」

 

 納得したように笑う順那。結も複雑な感情を表に出さぬように笑う。

 

「にしても、あれドラゴン使ってダンジョン攻略するやつじゃん。よく見つけたね」

「うん。まさか見つけるなんて思ってもいなかったよ。あ、良かったら来年もシリーズが出るらしいし、買ってあげようか?ちょうど来年、中学校だもんね」

「良いんじゃない?ねえ、ミズハ」

 

 しかしミズハは微妙な顔をする。

 

「いやいや、中学校祝いがゲームって……」

「わがままだなあ。なら何が良いの?」

「特に何も……」

「何もって……。そういう訳にもいかないよ。何かないの?」

 

 んー、と悩ましげにミズハは考え込む。そして、閃いたように、ぱんと手を叩いた。

 

「なら、一緒にパーティーでもしようよ。どうせ結は四月、誕生日なんだし。ならそれも兼ねて、盛大に祝うってのはどうかな?その後で思いっきり今日買ってくれたゲームとかで遊ぶの。その時は、対戦相手になってよね」

 

 満面の笑み。その純粋なまでにこちらを慕う気持ちに、結は心臓を跳ねさせた。

 ……正直、今の自分には眩しすぎる笑顔だ。見ているだけで、心が痛くなってくる。

 

(……なんとしてでも、守らないと。僕の都合で、大変な目に合わせるんだから。任せてって僕から言った……。その責任を果たさなきゃ)

 

 密かに、胸の内で決意を固める。結は、自然とごくりと唾を飲み込んでいた。




ちなみに結さんの誕生日は四月二十五日。夏音は三月二十九日。サチは七月二十日。入理乃は四月六日。順那は七月二十六日。ミズハは十一月十一日。


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結 3

今回はちょー長い


 あの日から数日後。伊尾ユミハは、いなくなった。

 同じシェアハウスをしていた彼女とミズハの姉、フタバがいないすきに荷物を纏めて出て行ったらしく、慌てて旅行から帰ってきたフタバが家に戻った時、そこにユミハの所持品を含めた数々のものがなくなっていた。

 代わりにあったのは、丁寧な文字で書かれた手紙。内容は、好きな男性と結婚するので、一族から離れるということだった。

 

 それは瞬く間に連絡網を飛び回り、本家の日本屋敷へと一族を収集させる。集まった彼らは、広い畳の間に序列順に座りながら、そのあまりに唐突かつ身勝手でわがままな手紙の内容に、口々に腹を立てた様子で悪口を言った。

 

「なんと愚かなことを!龍神の教えに背くとは」

「まったくだわ!私達の存在は、龍神様を讃えるためにある!龍神様の教えに逆らうなんて馬鹿でしかないわ!そうすれば私達は幸せになれるのに!」

「だいたい、これで何人目だ!?今年に入って三人目だぞ!?お前の家は、確か子供達に伝承を教える係だっただろう!?ちゃんと教えたんだろうな!?」

「な……、なんだと!?俺を馬鹿にするのか!?そういうお前こそ、息子が一族から離れるのではないかと噂になっている!お前の方が、ちゃんと教えたんだろうな!?」

 

 やがて、悪口は互いの罵り合いへと変わる。お前が、お前が、お前たちが、ちゃんとしていなかったから、一族から人が離れていく。そう言っては、責任を押し付けて、過去の失態を抉りて突きつけ、みっともなく騒ぎ立てる。

 誰一人、今回の件で自分は何も悪くないと思っていて、教えを守らない者は悪だと、周りに吐き捨てている。

 

 本家の人間として上座にいる結は、どこか冷めた目を彼らに向けた。この場所は、親族全員を見渡すことができる。だからこそ、一族の醜態を嫌でも客観的に見ることができた。

 

(皆、何を言っているんだろう。教えを守ったからと言って、龍神様が僕達を幸せにするわけがない。龍神信仰は、そんなに尊いものなの?僕にはそう思えない。そう思えるなんて、狂ってるよ。龍神信仰を、僕は信じない……)

 

 だって龍神なんて、いるわけがない。神様なんているわけがない。それらは全て、人間が作り出した作り物であり紛い物。紛い物に縋り

付くなんてどうにかしている。本当に馬鹿みたいだ。

 

 しかしいくらそう思おうとも、それは結だけの思考。この場において、同じことを考えている人間などいるわけがない。つまり、結に同意してくれる者はいないのだ。

 

(僕がいくらユミハに罪がないと主張したところで、彼らは教えに背いたと言うだけだ。彼女の罪は軽くなりはしない)

 

 ……決意を固める。

 ユミハを結婚へと促した結には、ミズハやその家族を守る責任がある。そしてそれを約束した。

 どこまでやれるか分からないけど、結はやり遂げなければならない。……ミズハのために。

 

「静粛にしろ」

 

 ただ一言。それだけで、場がしんと静まりかえり、声を発した人物に全員が注目する。

 

「騒がしい。少しは落ち着きというものを覚えろ、忌々しい馬鹿どもが」

 

 結のすぐ側にいる、細身の老人が威厳ある声でまた言う。彼こそが、一族の長たる結の祖父。広実知造(ともぞう)である。

 

「伊尾家の者よ。前に出ろ」

 

 おずおずと中年夫婦、そして伊尾家の子供達が長の前にやってくる。その中には当然ミズハの姿もある。こっそりとその表情を伺う。

 

「……」

 

 ミズハは困惑しているのか、緊張しているのか。訳がわからないと言ったように、若干眉を潜めて、額に汗を浮かべている。

 

 結はミズハに対し、土下座をして謝りたい衝動に駆られた。その顔を見ているだけでも、とても辛い。

 でもそんなことは今できないし、やるべきことではない。

 

(僕がやることは、責任をとること。だけど……僕は本当に、この策でミズハを守れるのだろうか。僕が“こんなこと言ったら”……爺様はなんて言うんだろうか)

 

 祈るような気持ちで、長を見る。どうか、自分の都合が良く動いて欲しい。

 

「お前の家の者は、大罪を犯した。責務を放棄したのだ。……我らの始祖がお決めになさったその教えは、龍神を信仰する上でとても大事なものだ」

「……」

「何とユミハは情けない。そしてそういう風に育てたお前達を、とても残念に思う。本当に今まで何をやっていたのだ」

 

 伊尾夫婦は俯き、暗い表情のまま答える。ミズハは両親を心配そうに見つめていた。

 

「責務を放棄する者を生み出した家は、我が一族に必要などない。よって、伊尾家は今日より追放とする」

 

 思ったよりも容赦なく、知造は告げる。

 結は僅かに目を見開いて、自分の見立てが相当甘かったことを自覚する。まずいと思って、慌てて口を開こうとする。

 しかしその時、ミズハがばっと立って、夫妻を庇うように彼らの前に来ると、長に詰め寄った。

 

「お、お爺ちゃん!あたしは納得いかない!あたし達は何も悪くないもん!」

「……だが罪は罪。当家の罪は、当家の者が責任を持って被るべきだ」

「な……!!」

 

 ミズハは絶句したように知造を見た。だが親族達は、後ろから長の言うことの同意する。

 

「そうだぞ、ミズハ。あまりに言い訳がましい。お前達は、追放だ」

「な、何よそれ……!!」

 

 ミズハはぶるぶると体を震せた。そして次には耐えきれなくなったのか、怒りの表情を浮かべて激昂した。

 

「何でそうやって責めてばかり!?何で誰も庇おうとしてくれないの!?この際だから言わせてもらうけど、いつも思ってたわ!……貴方達は、どうかしてるわ!!普通じゃない!!何を言っているのか分かってるの!?」

「お前こそ何を言っている。教えを破った分際で」

 

 一族の、あまりに心底疑問に思う声。ミズハはますます怒ったようで、その怒りに飲み込まれたように強く吠える。

 

「ふざけるな!!あたしは教えは破ってないわ!……どうしてあたし達が悪者扱いなの!?悪いのは、姉さんなのに!……そう、姉さんが勝手に出て行ったのが悪い!こんなのあんまりよ!罰を受けるのは、姉さんであるべきよ!?ねえ、結!!」

「ッ!!」

 

 ミズハが縋るように結を見て、彼女は固まる。

 思わず、何か言おうとした。しかし口さえも固まって、何も言えない。

 ……すべて自分が悪いだなんて、この場で言うことができなかった。

 

(ミズハ……。ごめんなさい、ユミハを選んでしまって……。ごめんなさい……)

 

 だから、心の中で謝る。

 激しい悔恨が今更のように浮かんできて、痛みのようものが胸いっぱいに広がる。それがあんまりにも痛いものだから、結は泣きたくて仕方がなくなった。

 

「アンタまであたし達を……」

 

 けれど、それは伝わりはしない。その感情は、内側にしかない。表には出されてはいない。

 ……きっと結は、側から見ればただ目線を逸らしただけに見えただろう。だって、ミズハの姿をとてもではないが見ることができなかったから。

 ミズハは裏切られたように呆然とする。

 

「どうして……!?」

 

 彼女は憤怒を向ける。その熱は炎となり、痛みに直接押し当てられた。

 痛みはさらに増し、じくじくと傷になって膿を出す。

 

(……。何か、言わないと……)

 

 見えない何かからプレッシャーを感じ、心臓が爆発しそうなほど鼓動が速まる。場の雰囲気が結の首に手を添えて締め上げ、かなり息苦い。

 彼女はそれに圧されるように、どうにか声を絞り出す。

 

「ま、………。……待って……、ください……」

 

 その声は、勇気を出した割に小さい声だった。とてもか細くて、弱々しい。まるで頼りになりはしない。

 

「結?」

 

 だがミズハの目が失望したものから、何か期待するものに変わる。ほんの少しだけ、結はほっとする。息苦しさが軽くなり、語調が少し強くなる。

 

「じ、爺様。これ以上追放したら、不味いのではないですか?ならいっそのこと……」

「……結。お前まさか……」

「……一族が抱える問題を、伊尾家に押し付けては如何でしょうか?見滝原にある神社の管理を、任せてみては?」

 

 結がミズハを守るための索。それは、ミズハ達一家を見滝原へ移住させることである。

 見滝原は一族が住んでいる数も少なく、龍神信仰を奉じる古い家がない。だからそこに住めば、ユミハのことで差別的な目で見られることはない。

 しかしこのままただ追放されたり、お取り潰し程度で、伊尾家は早島から離れることはないだろう。ミズハの両親は、それはもう熱心な龍神信仰の信者だ。だからそこに住まう龍神から遠ざかることは、決してやらない。

 そこで、それを“罰”という形で叶える。

 見滝原には昔早島だったところがあり、龍神信仰を祭る神社が複数ある。そこはどれもが古く、ボロボロになっている。しかし捨てるにはあまりに由緒正しき神社であり、維持をしていかなければならない。

 だから皆、その管理を誰もやりたがらない。しかも見滝原に住むと言うことは、実質的に一族の中で序列は下となる。龍神から遠くなるのを、ミズハの両親同様嫌がるのだ。

 それを、罰として伊尾家にやらせるのだ。もちろん、追放やお取り潰しの代わりの罰の主張としてはかなり弱い。

 だが……妥協点として出せば、もしかしたら祖父に一案として聞いてもらえるかもしれない。もうこれ以上容赦なくお取り潰しするのも限界に近いはずだ。一族の人数が減ったことで、色々問題が出まくっている。それを知造が悩んでいることを、結は知っている。

 我ながら随分と楽観的な策だ。しかしこれ以上は何も浮かばない。方法は、一つしかないように思えた。

 

「そ、そんなのは……」

 

 ミズハは納得がいかない顔をする。罰を受けるのに、どっちみち変わりはない。だからこそ、不服なのだろう。

 ……許してくれとは言わない。だが、しょうがない。これもミズハを守るためだ。

 

「お願いします。爺様。伊尾家にあの神社を任せてください」

 

 その場がざわっとなった。

 当たり前だ。こんな考え、今までなかったのだから。

 

「……確かに、結様の言う通りかもしれない。あそこには皆困っていたからな……」

「し、しかし教えには追放ということになっていたが……」

「私は良いと思うわ。ぶっちゃけ、何から何まで追放しなきゃいけないのもちょっと……。それに“追放”っていうのは、厳密に言えば、昔の始祖が始めた慣習よ。教えに反してはいない」

「そうであっても、わしは認めない!昔からやっているのなら、それも守るべきだ!」

 

 皆顔を見合わせて話し合う。

 意見は実に様々で、反対意見もあれば、肯定的な意見もある。しかしどちらも同じくらいの数の意見なので、話は一向に進まない。平行線のまま、彼らはぐだぐたと論争を続ける。

 

「静粛に」

 

 そんな彼らを、長は最初の時同様一言で黙らせる。一族はしんとなって、知造を見る。

 だがそれを知造は一瞬だけ煩わしそうにすると、結に問いかけた。

 

「……お前は、どうしてそんな提案をしたんだ?」

「……そ、それは、このまま一族を減らすわけにはいかないと思ったからです」

 

 まさかミズハを守るためです、とは言えなくて、結はごまかす。正直、自分の顔が苦笑いしていないか不安だった。

 

「だ、だいたいさっき、親族の方も言っていましたが、何でもかんでも追放追放って……。ちょっと酷なんじゃありませんか?」

「結、さっきからお父様に向かって無礼よ!少しは黙りなさい!」

 

 結の親が祖父に変わり、嗜める。だが結は親の言うことを聞かず、そのまま続けた。

 

「そこまでやる必要性が、僕には分かりません。考え直していただけませんか?」

「そ、そうよ!どうしてそこまでやるの!あたし達が追い出される道理なんてない!」

 

 ミズハが結の言うことに強く頷く。結もお願いします、と言って知造に頭を下げた。

 だが、それを見ていたミズハの父は首を振った。

 

「……ミズハ。やめなさい。結様も、ありがとうございます」

「と、父さん……!!何言ってるのよ!!」

 

 ミズハは父に憤慨する。すると彼は心底申し訳なさそうに、娘や結、長を見渡した。

 

「これ以上ご迷惑をかけるわけにはいけない……。ミズハ、お前ももう僕達を庇わなくて良い。大人しく、一族を出て行こう」

「そうよ。そんなことをしても無駄よ。だから、どうか……」

「母さんまで……。何よ、それ……。どうして……」

 

 両親にそう言われて、ミズハは膝から崩れ落ちてどさりと座ってしまった。結もその様子にショックを受け、悲しげな表情を浮かべた。

 

(ミ、ミズハ……。僕のせいで……。それにこのままじゃまずい……!!)

 

 ミズハの両親が自ら出て行こうとしては無意味だ。それでは彼らはこの早島に残ることになり、ミズハ達を守ることができなくなる。

 結は焦燥を感じ、伊尾夫妻に考え直すように主張する。けれど彼らは聞き入れようとせず、出て行くと言って己の意見を変えない。

 

「はいはーい。……ちょっと良いかな〜」

 

 その時だった。比較的前列に座っていた順那が、場に似合わない気の抜けた声で、手を上げながらそう言った。

 順那に目線が集中する。それに順那は、にたりと笑みを浮かべた。

 

「順那!!このような時まで!!」

「まあ良いじゃん。許してよ、お母さん」

 

 母親に叱られるが、順那は特に反省した様子もなく、ふざけた口調で謝る。それで諦めたのか、母親ははあと困り果てたように溜め息をついた。

 

「私達に何か反論があるの?」

 

 順那にミズハの両親は質問する。少しその顔には、怒りが浮かんいた。

 しかし順那はそれに一瞬失笑すると、氷みたいに冷たい表情になった。

 

「あのさ、ミズハや結の言うことに長はまだ何も答えちゃいないんだよ?……あたしは長の意見が聞きたいんだよ。それを何勝手に自分たちでもう決めちゃってるわけ?」

 

 ……それは、あまりにも正しい正論だった。だから伊尾夫妻は何も言えない。結やミズハ、周りも無言になって、順那に釘付けとなった。

 普通これほど堂々と、このような場面で正しいことは言えない。ましてや、まだ順那は小学五年生と幼い。そんな少女が、長相手に臆せず、むしろ当然のように言ってみせるのだ。妙な迫力があって、皆順那に呆気に取られていた。

 

「ていうことでさ、長。ぶっちゃけどうなの?」

「……」

 

 しばらく知造は、順那をじろじろと見る。そして結、ミズハを見やった。

 

「……お前達は、哀れだな。巫の素質があるのに、それがこうして仲が良くなるとは……」

「……爺様?何をおっしゃっているんですか?」

「何を言っているのか、理解しなくて良い。その方が、ずっと良い。あまり深く気にするな」

 

 結達三人はきょとんとしていたが、すぐに頷く。まったく意味不明だが、今は気にすることではない。

 長は彼女達のその動作を確認し、気を取り直すようにふうと息を吐いた。

 

「…………。結の言うことは、もっともだった。その提案、聞き入れよう」

「え……?」

 

 意外とあっさりと聞き入れてもらったので、結は思わず驚いた。知造はもっと渋るのではないかと思ってたので、ついぽかんとしてしまった。

 

「よろしいんですか?」

「ああ」

 

 結の父が聞くが、知造の答えは変わらない。

 いつもならば問答無用の追放しているのに、今回ばかりは結の言うことを聞くので、結の両親は知造を不思議がるように首を傾げた。この知造は、何かがおかしかった。

 

「……二人とも、それで良いか?」

「はい……」

 

 伊尾夫妻も素直に返事をする。長の決定に逆らう気がないからだろう。

 

「ミズハも良いか?」

「……あたし達は、何も悪くないのに」

 

 ぶすっとしたようにミズハは答える。それを彼女の兄弟が宥めた。

 

「仕方がないよ。……受け入れよう。追放より、まだましだ」

「……分かった。けど、あたしは自分達が悪いなんて思わないんだから」

 

 ミズハは自分の祖父を睨みつける。彼女の瞳は、真っ赤に燃えていた。

 しかし知造はただ、哀れみを込めた目で見るだけだった。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 それから、知造は詳細な罰を伊尾家に言い渡した。

 

 まず見滝原に行くのは、来年の四月。管理する神社は、二つの神社。そして伊尾家の序列を、下から数えて三つ目とすること。

 

 その処分に、ミズハも最早何も言わない。これ以上騒いでも迷惑になると悟ったからに違いない。ただし、顔は渋いままだった。

 

 すべてを知造は言い終えると、さっさと部屋を出てしまった。他の親族も、つられるように出て行く。伊尾家も、そして東家も、結の両親も、外に出て行く。

 その場に残ったのは、結、ミズハ、順那の三人だけ。特に仲が良かったので、せめて話をさせてあげようと言う親達の意図により、ここに残らされたのだ。

 

「そんな優しさがあるのなら、庇ってくれても良かったのに」

 

 ミズハは体育座りをしながらぼやく。

 あの時、誰もが追放に反論しなかった。それがミズハにとっては許せないのだろう。

 

「味方は結達だけだったよ。ありがとう」

「あたしはただ、言ってやりたかっただけ。だからお礼なんか良いって。ね、お姉ちゃん?」

「う、うん……」

 

 結は暗い表情で肯首する。本来ならば、お礼を言われる立場ではないからだ。

 

「……でも、ましにしてくれたとはいえ、こんなのあたしは嫌だ。だってこんなんじゃ三人ずっと一緒にいられない!中学も別々だし……。結と順那とは、もう気軽にお話さえ出来ない序列になっちゃうし。これじゃ……、パーティとかも出来ないだろうな」

「ミズハ……」

「こんなの嫌だ……。姉さんが悪いのに、どうしてあたしばっかり!?うわあああああああん!!」

 

 わっと泣き崩れる。悲しみの泣き声がぐわんと飛来して結の中まで飛び込んできて、あの痛みに響き渡る。

 

 結は自分の愚かさを呪う。

 こんなに悲しむんなら、ミズハを選べば良かった。こんなことになるなら、ユミハを選ばなければ良かった。

 どうしてそれができなかったんだろう。こんなに大切な、妹みたいな子なのに。彼女を選ぶのが、結のするべきことだったのに。

 ……しかしあの時、ユミハを選ばなかったら、代わりに泣いているのもユミハだ。それも、嫌だった。ユミハもまた大切な存在だ。不幸になんかさせたくなかった。

 

(何で……、両方とも選ばなかったの?そしたらどちらか片方を悲しませることなんてなかったんじゃ……)

 

 だが、そんなの出来っこない。現実はそんなに甘くない。どっちかを取らないといけなかった。

 

「僕がこんなんじゃなければ。……ごめんなさい。ユミハは何も悪くないの」

 

 不甲斐なさすぎて、謝ってしまう。

 すべて悪いのは、この広実結だ。罵倒は全部聞く。ちゃんと傾聴しよう。

 だから、どうか怒りをぶつけてくれと思う。そうする権利が、ミズハにはある。

 

「結……。姉さんが全部悪いのよ。そうに決まってる!だから庇わなくて良いの」

「……で、でも──」

「そうじゃなきゃ、怒りが収まらないの!!頼むから……、そう思わせてよ……」

 

 そのまま、ミズハは俯いてしまう。それに動揺した結は、順那の方を向いた。

 

「……僕、僕が悪いのに……」

「けど客観的に見れば、あたしもユミハお姉ちゃんが一番悪いと思うな。結お姉ちゃんは見事ミズハを守りきったんだし、そう自分を責めなくて良いよ。もともと抱え込みやすいタイプなんだから」

「そうよね。……冷静に考えると、確かに守ってくれたんだし。結は何も悪くないよ」

 

 そう言って笑顔を向けられ、また心が痛む。傷口が、さらに深く深くなっていく。

 

(こんなの、守ったなんて言えないよ)

 

 悲しませておいて、守れたなんて嘘だ。

 漠然と、見滝原に行かせさえすれば良いのだと思っていた。でもその方法は、ミズハの気持ちを蔑ろにしたものだったのだ。

 結は守るどころか……、ミズハを傷つけた。

 

「ありがとう。守ってくれて。離れるけど……ずっと、ずっと、結のことを思ってるから」

 

 でもミズハは結が守ってくれたと勘違いして、“ありがとう”なんて言ってくる。そう言っちゃいけないのに。

 

「う、うん……」

 

 だが結は、頷いてしまった。それ以上、ミズハに違うと言うことは、もうできなかった。



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結 4

※プロットの書き換えにより、大きく今後の展開が変わったので、後半部分を削除いたしました。勝手なことをして、すみませんでした。


 それからの日々のことは、過ぎ去るのがあまりに速すぎて、毎日を記憶に留めておくのに必死だった。だってそうしないと別れた後に、思い出が気泡みたいに消えてなくなりそうだった。

 他の従姉妹二人も、結と同じように思っているに違いない。何かと理由をつけては用事を断り、三人で過ごすように努めているようだった。

 

 彼女達の日常は、表面上はいつも通りに見えた。

 それぞれの家に定期的に集まって、アニメを見たり、三人で対戦ゲームしたり。そこでミズハが圧勝して、負けた順那をからかい、順那が拗ねて結がミズハを叱った。

 そんな普段の習慣とお決まりの流れが、毎日毎日繰り返された。

 そうしていると、ずっとずっとこれからも、三人で一緒にいられる気がしてきて、時々別れが訪れることを忘れてしまいそうになる。

 

 そして、その度に後悔する。どうして、もっと上手くやれなかったのか。

 

 本当はもっと上手くやろうと思っていた。

 ユミハを結婚させて、ミズハを守る。その二つを最良の結果で達成したかった。

 だがミズハの方は上手くいかなかった。どうすれば差別をされずに済むのか考えた結論は、ミズハを苦しめるだけだった。

 いや、ミズハだけじゃない。順那も苦しめている。仲の良い二人を、結は引き剥がしてしまった。そんなことしたら、どんな風に思うのか、ちょっと考えれば分かるのに。

 

 結は守りことばかり必死になって考えていた。だからそのことばかりに目がいって、視野が狭くなっていた。結果、簡単なことさえ気がつくことができなかった。その余裕がなかった、とも言えるからもしれない。

 

 よく考えてみたら、広実結は何と無責任だったのだろうか。

 衝動的にユミハを選んで、出来もしないくせに守るなんて言ってしまって。ミズハの心を度外視しして見滝原へ行かせ、順那までも傷つけた。

 そもそもの話、見通しも甘すぎたと言わざる得ないだろう。それは奢りと傲慢の考えだった。

 

 全部全部全部──結の責任。結のエゴ。結のせい。

 

 何もかも、結が悪いのだ。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 その賑やかな声が、まだ耳に残っていた。結はそのせいか、つい昨日のことをぼんやりと思い出す。

 昨日は、約束だったパーティーを前倒しでお祝いした。その日が、三人で一日中いられる、最後の日だったのだ。

 本来ならば親達も参加させる予定だったが、しかしいきなりだったので、三人だけで行った。

 だからそれは、いつもの誕生日パーティーと言えるほど豪華ではなかった。バースデーケーキを買ってきて、ただゲームをするだけだった。毎年三人揃っているパーティーでは、ちゃんとしたお店に行って、それなりに豪華な食事をしていた(もちろん、その分お小遣いは引かれるし、それぞれの親に頼みこまないと無理だが)。今年の誕生日パーティーは驚くほどぱっとしない。

 でも異様なほど楽しかったのは言うまでもない。柄にもなくはしゃいで馬鹿騒ぎしたのは久しぶりだったけれど、昨日は最高の一日だった。

 

(……今日は、まったく逆だな。そしてそうしたのは……)

 

 結はぼんやりと自室で、天井を見上げる。そして俯くと、はあとため息をついた。

 さっきから楽しいことを考えようとしているのに、憂鬱な気持ちがまったくいって晴れなかったのだ。もう少ししたらミズハが見滝原に行くので、その見送りまでに笑顔にならなきゃいけないのに、どうしようもなく暗い気持ちになる。

 

「もうさあ……。ネガティブ思考、やめた方が良いんじゃないかなぁ?」

 

 順那はあまり優れない表情の結に、そう声をかけた。見送る前に、順那は結を心配してやってきてくれたのだ。

 

「……僕ね、今までミズハのお姉ちゃんを上手くやれてるつもりでいたんだ。けどさ、失格だよ。……あの子の姉でいる資格なんて、僕にはなかったのかも。もちろん、順那のお姉ちゃんでいる資格なんて……」

 

 ミズハには言えない心の声を、順那に話す。ここにはミズハはいない。ただ結と順那だけがこの場にいる。

 

「そんなことはない。お姉ちゃんは、あたし達のお姉ちゃんだよ」

 

 ミズハはさも当然のように言う。彼女はこういうことを、躊躇なくさらりと言ってのけてしまうのだ。

 それが前なら嬉しくもあったが、しかし今は違った。

 

「どうして君は、僕をお姉ちゃんなんて呼べるの?」

「だって、あたし達を誰よりも、愛してくれてる。貴女は優しくて最高のお姉ちゃん。それはミズハだって同じことを思ってるはずだよ」

 

 ならばミズハは、そんな風に思っている人から裏切られたということになる。そんなの、結だったら到底耐えきれない。いつまでもいつまでも引きずるだろう。しかしそれを、結はミズハにしてしまったのだ。

 ……自分がますます最低に思えてる。罪の重さが、また増えた気がした。

 

「……僕は、なんてことを……」

「……そうやってまた抱えこんじゃって。……可哀想に」

 

 順那は憐れむような、あるいは呆れるような感じの口調で言った。結はそんなことを言われると思っていなかったので、驚いて目を見開いた。

 

(聞き間違い……だよね?)

 

 いや、聞き間違いであって欲しい。そんなことを、順那に言われたくない。“可愛そう”なんて、広実結がかけられるべき言葉じゃない。

 

「……そろそろ時間だね。じゃあ行こっか」

「そ、そうだね」

 

 さっきのは気のせいだということにしておいて、結は順那と共に自室を出ると、家を出た。

 しばらく歩くと、ミズハの家が見えてくる。その駐車場には赤い軽の車が止まっていて、中に伊尾一家が乗っていた。

 ちなみに見送りに結や順那の親達は来ていない。もう既に、挨拶は済ましてあるようだ。

 

「叔父さん、叔母さん」

 

 近づくと、ほぼ同じタイミングで車の窓が開いた。

 

「順那、結様。わざわざありがとうございます」

 

 ミズハの父が礼をする。いえいえと言って、結も頭を下げる。

 

「……すいません。僕が不甲斐ないばかりに……」

「いえ。……僕らが悪いのです。僕ら、伊尾家が」

 

 古臭い価値観に基づいた発言に、結は叔父に少しだけ呆れ返った。この人は、昔からこういうところは変わらない。

 そして同時に、すまなく思う。結は、伊尾家に迷惑をかけたのだから。

 

「元気でね。あたし、見滝原で始めるっていう書道教室も応援しているから」

「ええ。精一杯頑張るわ」

 

 伊尾家はやらない代もあるが、ずっと書道教室を開いていた。ミズハが生まれてからは諸事情により止めてしまったが、これを機会にまた始めることを決意したという。

 新天地で何かやらねば、虚無感に襲われるからだろう。早島から離れることが、よっぽどショックなのだ。

 

「結……、順那……」

 

 ミズハが潤んだ目で、従姉妹達を見た。

 もう、別れの時だ。一応、電話番号やラインなどのコミニケーションツールを使えば、会話もできるし顔も合わせられる。しかしそれらを媒介としなければ、こうやって面と向かって話す機会は少なくなる。

 やはり機械越しと直接会うのとは、まったく違う。それが彼女にとって一番辛いかもしれない。

 

「……これも、姉さんのせいよ」

 

 ミズハはボソリと呟く。そして、嘲るように鼻で笑った。

 

「……」

 

 今、自分の顔に浮かんでいる表情が分からなかった。

 結は唐突に、どうしようもなく声を荒げたくなった。そして、ミズハの顔を引っ張たいて、笑ったことを否定したくなる。

 怒りの感情とユミハを馬鹿にされたくないという思いが、結の中で湧いてきたのだ。

 

(ユミハは立派なんだ。……自分で自由を掴みとった)

 

 ユミハは一族とずっと一人で戦ってきた。そこには当然孤独感もあったし、悩みもあっただろう。だがそれを、ついには乗り越えることに成功した。

 そんな彼女を、結は誇らしく思う。だから、ユミハを罵るのは許せなかった。

 しかし、結はミズハには何も言えない。言うことなんてできない。

 そんなことを……、どの口が言うのだろう。

 

「……見滝原に行っても、二人のこと忘れないよ。ちゃんと、あたし頑張る。二人がいなくても、上手くやれるよう努力する。結に勉強教えてもらってたけど、自分の力でやれるようする。順那をからかって遊んでたけど、それももうやめる。……あたしのこと、何も心配しなくて良いから」

 

 そこまで言うと、ミズハの涙腺が決壊して、瞳から涙を溢れさせた。

 順那はミズハに悲しげな顔を浮かべると、しきりに頷いた。

 

「……あたしも、忘れない。お姉ちゃんもそうでしょう?」

「う、うん……」

 

 答えたものの、胸はとてももやもやしていた。先ほどの怒りが、まだ残っている。

 純粋に悲しめなくて、酷く嫌な気分だ。何故このような時にこんなことを思うのか。薄情に思えて仕方がない。

 

「……というか、忘れることなんてできやしないよ。何年いたと思ってるの?」

 

 順那は少しだけ結の顔を見て、その気持ちを察したのかだろう。場を和ませるために、ウインクまで決めて、ちょっとおどけてみせる。

 ミズハはくすりと笑った。その笑みはとても彼女らしいものだ。

 

(ありがとう、順那)

 

 ちょっと空気が変わったせいか、気持ちが随分楽になる。そのおかげか、まだ完全に消え去ってはいないけれど、怒りが収まった気がした。

 

「……これだけは、ちゃんと伝えるね」

 

 顔はすでにぐしゃぐしゃだったが、ミズハはそれを元に戻すように手で涙をごしごしと拭う。

 そして、普段ではしないような、珍しい真剣な眼差しで従姉妹達に言った。

 

「あたし……、二人のこと大好き!これだけは絶対、何があっても変わらないから!だから、二人ともあたしのこと思ってて」

「……!!」

 

 思わず、はっとなる。ミズハの思いが、強く感じられたのだ。

 気がつけば、視界がぼやけていた。そして、暖かい水滴が頬を伝う。

 ……結は、今更のように自分が泣いていることに気がついた。

 

「当たり前だよ」

 

 小指と小指とを、三人で絡ませる。本来ならば二人同士でやるものだが、この際そんなのは構わない。仲良く、指切りの歌を歌う。そして指切った、のところで、それぞれ器用に指を離した。

 

「バイバイ」

 

 ミズハが手を振って、窓を閉める。

 叔父達は一礼すると、赤い車を発進させた。すぐにそれは道路の車の流れに乗り、あっという間に見えなくなっていった。

 

「行っちゃったね……」

「そうだね」

 

 もう、これでミズハとはさよならだ。三人でいられた日々は、終わった。この手で、終わらせてしまった。

 

「……っ、うっ……」

 

 また、涙腺が熱を帯びる。みるみるうちに、目元に涙がたまっていく。

 結はみっともないような気がして、ぐっと涙をこらえた。順那が泣いていないのに、自分が泣くわけにはいかない。

 でも。

 

「……お姉ちゃん。思い切り泣きなよ。我慢なんかせずに、泣いても良いんだよ」

 

 そんなことを言われたら、もう耐えられなかった。

 

「う、うあああああああああああああああああああ!!!!」

 

 咆哮するように泣き声を上げる。通行人が見ていても、構わず泣き続ける。

 悲しくて悔しくて寂しくて、自分に怒りが込み上げて、この身に流れる一族の血を呪った。

 

 順那が、頭を撫でてくる。この時ばかりは、それを甘んじて受け入れた。

 まるで、立場が逆転したような気がする。お姉ちゃんなのに、自分が妹みたいで、それが心底おかしかった。



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結 5

 早島市に存在する市立中学校は、早島中学校以外に四つある。

 その中でも和馬中学校は最も伝統があり、前時代的なお堅い教育方針もあって校風は厳しく、厳格と言っても良い。そこに在籍する生徒のイメージが何かと聞かれたら、大半の他の中学生は、生真面目で品行方正と答えるだろう。

 だが実のところ、それほど多くの生徒は真面目ではない。嫌々ながら校則を守り、渋々先生方の言うことを聞いて、大人しくしているだけに過ぎない。

 流石に他校と比べて不良の数は少ないものの、裏では先生の陰口や色んな不満を、友人同士で言い合うのが常である。

 

「今日の野口さ、めっちゃ話長くなかった?しかもどーでも良いことばっか話すしさー」

「分かるわ〜。何でそこでマスコットの話?あのオッさん変人だよね」

「しかもマスコットの話ばっかのせいで、一時間経っちゃったよ。もう少し私達のこと考えてくれても良いのに」

 

 昼休み、和馬中学校の屋上。そこに先生がいないことを良いことに、結を含めた仲良しグループ四人はお弁当を食べながら、口々に野口について悪口を話す。やはり彼女達も生徒達の例に漏れず、普段からこういった話題で盛り上がるのだ。

 ちなみにここで話されている野口という名前は、実は本名ではない。単にその先生が野口英世ファンなので、野口という渾名が付いているだけだ。

 

「……はあ。あの人、やっぱり私達が受験生だってこと、分かってないよ」

 

 一人が、溜め息を漏らす。

 野口はさっきの会話内容から分かるとうり、授業中にマスコットの話ばかりするのだ。他にもどうでも良い趣味のことばかり話し、そのせいでなかなか先に進まない。

 

「勉強しないといけないのにね」

「でも勉強したくないよ」

「うん。受験とかなくなっちゃえば良いのに」

「早く中三終われー!!」

 

 青空に向かって、三人は思いっきり不満を言う。相当勉強のストレスが溜まっているようだ。

 

(受験……、かあ……。もうそんな年なんだよね)

 

 だがその割に、長くなかった。ミズハが見滝原に行くまでの数ヶ月間もあっという間だったが、この二年間も同じくらい早かった。

 

 別れた後、結と順那はミズハとの交流を続けていた。

 流石に会うことは無理だが、電話やラインなどは携帯一つでできたので、お互いそれらを利用して談笑した。

 しかし格下の序列の家と仲良くするのは、一族内ではタブー視されている。

 ミズハが早島を離れるまで、一応伊尾家の序列は元のままだったので、その間は大目に見られていた。だがその期間を過ぎたので、親に見つかれば唯では済まない。

 だから結達は、こっそりと見つからないようにミズハと話した。そんなことで、この関係を断ち切らせたくなかった。

 でも、そんなことを続けているうちに、次第に連絡のやり取りは減っていった。

 毎日だったのが、一週間。一週間が、半月。最終的には、一ヶ月に一回になった。

 

 ミズハがいないことを寂しく思いつつも、やがてはそれにも慣れた。

 そうなってから、急激に時間のスピードが速くなった。

 ミズハ抜きの日常が自然だと思えるようになったからだろう。

 それとも、ミズハのことを忘れようと日々を過ごしていたせいか。

 

 ……どっちにしろ、あれからもう随分と時間が経った。二年という長さは、結達十代にとってはあまりに重い。

 中学校と高校は三年で卒業してしまう。二年間はその三分の二を占め、それぞれの期間を足した六年でも、三分の一だ。

 それは大人が過ごす二年よりも、濃厚な時間であることは間違いない。

 

「そういやさあ、志望学校決まった?」

 

 友人がそういえば、とでも言うように皆に聞く。受験のことが出たので、他の人がどこに進学するのか、少し気になったのだろう。

 

「私、早島高校。結ちゃんは?」

「僕?僕は……」

 

 そこで言い淀んでしまう。

 正直な話、決まっていない。高校は受かりさえすれば、どこだっていい。やりたいこともないし、将来の夢もない。どうせ、一族の奴隷として生きるしかないんだから、何をしたって無意味だろう。

 だが、友人達は勉強が嫌だと言いつつも真剣に自分の進学先を考えている。そんな彼女達に向かって、決まっていないですと言うのは、とても恥ずかしい気がした。

 

「富ノ枝、かなあ……。あそこ、就職率良いみたいだし」

 

 結局適当なところを言う。実際そこは候補のうちの一つなので、あながち嘘も言っていなかった。

 しかし周りは、ちょっとだけ意外そうな顔をした。

 

「大学行かないの?」

「……うん。高校出たら、働こうと思ってるんだ」

「もったいないよー。成績は良いんだし、どうせなら和馬高校にしちゃえば?結ちゃんなら受かるんじゃないかな?」

 

 僅かに驚く。和馬高校という進学先を、一度も考えたことがなかったのだ。

 

「でも和馬高校って、進学高だし……」

「けど、考えてみても良いんじゃないかなぁ。今のうちじゃないと悩めないもん」

 

 確かに、今は五月。まだまだ余裕がある時期だ。これが夏休みになると本格的に勉強が始まって、二学期には追い込みに入る。

 彼女の言う通り、今だからこそ進路をゆっくりと考えられる。

 

「結ちゃん、ちょっと将来決めつけちゃってない?もっと自由に考えても良いんだよ?」

「……っ!!」

 

 自由という言葉に結はびくりと反応する。

 それは、結が最も焦がれるものにして、最も手に入れられないものだ。

 

(僕が自由に考える?広実結が、自由……?)

 

 何度夢見ただろう。責務なんてなかったら、もっと普通の家の子だったら、自由になれたのにと。

 その妄想は一応、実現可能だ。一族以外の、唯一無二の何かを選び、掴み取れば良いのだ。

 しかしそんなの、無理に決まっている。自分には、自由なんてない。こんなにもからっぽだから、選ぶとか、掴み取るとか、出来るわけがない。

 

(何をしたいか、なんて。僕にはないもの……)

 

 せめて、この情動が分かれば良いのにと思う。そしたら、こんな諦め気味な自分なんて、変えられるかもしれないのに。

 

「……難しいかも。ごめん」

 

 申し訳なさそうな顔をして謝る。すると仕方ないよね、と友人達は顔を見合わせた。

 

「……まあ、難しいよね。それに結ちゃんの進路だし、私達があれこれ言ってもね。しょうがないか」

 

 “しょうがないか”。その部分が、ぐさりと結の心に突き刺さった。

 それが……、何だか妙に、腹立たしかった。

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 休日ということもあって、その日は何も用事がなかった。だから、やることは一つだけしかない…即ち、受験勉強である。

 

「こうして豊富秀吉は、明智光秀を打ち……」

 

 結は自室に篭り、学習机に座りながら教科書を声に出して読む。

 これは彼女なりの記憶方法だ。他に色々試したこともあったが、こうして音読した方が、一番覚えやすい。

 そのまま後五ページまで読み進め、次に買ってきた問題集の、先程音読した範囲のページと、問題集用のノートを開く。そして問題を解いて、答えをノートに書いていき、最後に見直しをしてから採点をしていく。

 果たしてその結果は──

 

(……半分もいってない)

 

 結は思わず、頭を抱えた。

 実はここのところ、何の教科をやっても覚えが悪い。成績は下がる一方で、この前のテストは過去最低の点数を叩き出しそうになった。

 その原因は、きっと勉強に集中できていないからだろう。友人が言った自由という言葉と、しょうがないという言葉が引っかかって、ふと頭に散らつくのだ。

 でも、何でこんなことに引っかかっているのか、何となく分かってはいる。だからこそ、どうしようもないというか、延々と考え込んでしまう。

 

「なーんか、やりたくないな……」

 

 元々勉強自体好きではない。せめて高校は皆卒業するので、自分も入らなければと思ってやっているだけだ。

 そのせいか、一旦意欲が失せるともう駄目だ。教科書さえ見たくなくなる。

 

(最近勉強ばっかりだし……。息抜きに遊びに行こうかな……)

 

 時間を確認すると、まだ午前だ。充分、今日一日遊ぶだけの時間がある。

 結は立ち上がると、仕度を整えて、自室を出て行った。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 都会の町並みを、歩いていく。しかし周りにある建物は、見滝原のような近未来感はない。それどころか若干レトロで、明治時代に流行った西洋建築物や、日本の古い家が目立つ。

 ここは見滝原とは別の、早島の隣町、飛有角(ひゆうすみ)市。

 見滝原ほど人口はなく、さりとて特別な町ではないが、この独特な風景は一種の観光スポットとして密かに人気だ。

 結もこの町が嫌いではない。それに案外こう見えて、遊ぶところなどは非常に充実している。だから自由に歩き回って、時々お店の中に寄るだけで楽しいのだ。

 

 やはり飛有角市の方が、早島より何百倍も面白い。

 早島にあるのは、廃れた文化と老人だけ。しかし飛有角は古いものの中に、新しいものを取り入れて発展している。自分達の良いところを伸ばすとと共に、積極的に他のものを参考に町興しをやっているのだ。

 そういうところに、結は感心していた。

 早島の人々では、こうもいかない。龍神信仰のせいか、かなり他力本願。自分から何も変えようとしない。ただ、誰かが変えてくれるのを待っている。

 

(あれ……?)

 

 何気なくコンビ二の角を曲がった、その時だった。見覚えのある女性の姿が、目の前の信号を渡ったのだ。

 しかもその顔は、ミズハとよく似ていた。服装も以前着ていた洋服だし、背格好も同じ。唯一の相違点として、若い一頭の柴犬を連れていることが挙げられるが、それは後から飼ったのだと考えれば説明がつく。

 疑いようもなく、女性はユミハで間違いなかった。二年の時間を経て、また偶然にも彼女を見かけてしまったらしい。

 

(同じことが二回もあるなんて……)

 

 驚いて、一瞬のうちに呆然。だが、すぐにその背中を追いかけねばと思った。さらに先の角に消える前に、早足で追跡する。

 ユミハはしばらく十分くらい歩いて、飛有角駅まで行く。そしてそこで、再び数分だけ待った。

 やがて、ユミハの元に一人の人影がやってくる。その人物は、かつては彼氏だった、今は夫であろう男性だ。

 

「すまねえな。ちょっと用事が立て込んでて、遅くなった」

 

 男性がちょっとばつが悪そうに言うと、ユミハはわざとらしい怒ったような口調で言った。

 

「そうよ。約束と全然違うじゃない」

「ご、ごめんな!そんなつもりじゃ……」

「もう、冗談よ。でもこの子は、待ちくたびれたかもね」

 

 女性が確認すると、柴犬はオン、と一声吠えて、男性へとじゃれついた。彼は顔を舐められて、擽ったそうに笑う。

 

「もうその辺にしてあげなさい」

 

 ユミハは周りが見ていることに恥ずかしくなったのか、主人を倒さんばかりにはしゃぐ柴犬を、無理やり引き剥がす。すると芝犬は切なげな声を出し、潤んだ瞳を男性へ向けた。

 

「う……」

 

 男性は若干すまなさそうにする。あんな目で見つめられたら、誰だってやられてしまう。

 勿論結だって同じだ。何も悪くないのに、堪らなく謝りたい衝動にかられた。

 

「ご、ごめんよ」

 

 謝られると、柴犬はぱっと表情を明るくさせて、また激しく尻尾を振った。ユミハは呆れたように、やれやれといった仕草をしてみせた。

 

(可愛いな、あの子)

 

 結はユミハから隠れながら、柴犬を見つめる。

 あんなにも甘えている姿が、とても愛らしく思える。出来るなら、自分の胸にも飛び混んできて欲しい。

 

「ほらほら、さっさと行くわよ。今日は家族三人で遊ぶんだから」

「お、おう。そうだな」

 

 男性は照れ臭そうに笑うと、ユミハの手を握る。それはとても自然な動作で、ユミハでさえも数秒遅れてはっとした程だった。

 夫の突然の行動に、妻はしばし驚いて固まったが、すぐに心の底から幸せそうに笑った。

 

(……良かった)

 

 ほっとする。

 結婚して上手くやれているのか、正直言って心配していた。男性を選んだからといって、必ずしも正解とは限らないことを、この二年間の間に気づくことができた。

 そうなった場合、自分の思いがすべて否定されるような気がして怖かった。せめてユミハだけでも、幸せでいて欲しかった。

 でも、その不安は杞憂だったらしい。こうしてユミハは、ちゃんと幸せそうにしている。

 ──そう。自分と違って、幸せそうにしている。責務を捨て去って。

 

「……」

 

 浮かび上がる感情に、目を逸らしたくなった。

 こんな感情を抱くのは、駄目に決まっている。身勝手で、わがまま過ぎる。

 

 結はその場から立ち去った。これ以上、醜い自分を見ていたくなかった。

 けれども、その感情は一層強まるばかりだった。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

「で、お姉ちゃん。その猫は一体どうしたの?」

「最近親に頼んで、一族の人から引き取ってもらったんだ。名前はミアちゃんって言うんだよ」

 

 結は白い子猫を抱いて、順那に見せる。順那はミアを観察しながら、訝しげに首を傾げた。

 

「どうしてこんな時期にペットなんか?」

「……ちょっとね、ペット飼っている人が羨ましくなっちゃったんだ」

 

 あの犬が、結にはどうしても忘れられなかった。そして自分も、あんな風に懐いてくれるペットが欲しいと思ってしまったのだ。

 ちなみに犬ではなく猫なのは、単純に結が猫派だったからだ。それに一族は猫を飼っている人が多く、そこから子猫を引き取ることができる。

 

「にしても、よく懐いているね。本当に可愛い」

 

 ミアは結の腕の中で、ごろごろと喉を鳴らしている。実に機嫌が良さそうだ。

 

「でしょ〜」

「……!?」

 

 口元がゆるゆるになって、だらしない笑みを浮かべる。順那は普段見せない結の表情に、ぶはっと吹き出した。

 

「ミアちゃんは本当に本当に、可愛いんだよ。この子の前では、すべての猫は見劣りしちゃうね。ねえ、ミアちゃん」

 

 ミアは呑気に欠伸をする。結は欠伸とはいえ、デレデレになって猫撫で声を出した。

 

「眠いのか〜。そっか〜」

「ぷっ、ぷぷ……」

 

 そんな結に、順那は顔を真っ赤にして笑いを堪える。誰がどう見ても、猫バカ以外の何者でもなかった。

 

「お姉ちゃん、そんな一面もあったんだね」

「……だ、誰にも言わないでよ」

 

 友人見られたら、流石に恥ずかしい。こんなところ、家族以外見せられない。

 

「……あら、寝ちゃったね」

「本当だ」

 

 気がつくと、真っ白な子猫は結に身を任せるように、その腕の中で眠っていた。

 結は微笑む。その信頼が、とても心地良く感じられた。



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結 6

 学校から家に帰ると、何か奥から母が起こっている声が聞こえてきた。気になって、何があったのかと聞き耳を立てた。

 

「……何を言っているのよ、結をそちらに行かせるわけにはいかない!たとえ、ミズハちゃんのことでもね!」

 

 ミズハの名前に、結訝しがる。急いで声がする方へ行くと、古めかしい旧式の電話を手に立つ母に駆け寄った。

 

「ミズハに何かあったの?」

 

 一瞬だけ母が固まった。そのせいか、受話器の向こうからよく聞き取れない、困惑するような声が聞こえた。母は思わずといった感じで、受話器に空いている無数の穴を両手で覆った。

 

「あ、貴女は知らなくていいことよ」

「そんな訳にはいかない。教えてよ、母さん!!」

 

 母に詰め寄る。母の様子から、何かがあったことくらい察せられる。そしてそれは母の発言によると、ミズハのことらしい。聞かずになんて、いられるものか。

 結の強い眼差しに、母はたじろいだ。そしてしばらくの間逡巡したのち、堪忍したかのように結に電話を渡した。直接電話の相手と話した方が、早いということだろう。

 すぐにそれを耳に当ててミズハのことを問う。

 

「もしもし、結です。ミズハに何かあったんですか?」

「結ちゃん?」

 

 相手が驚いた声を出す。その声に、結は相手が誰かを理解する。声の主は、間違いなくミズハの母親だ。

 だが、何故わざわざ彼女がこちらに電話してきたか分からない。序列は下の方になっているし、普通なら絶対かけてこないはずだ。

 つまりは、それ程よっぽどのことが起こっている、ということだ。

 結は嫌な予感に震えながら、自然と声を荒げていた。

 

「叔母さん、ミズハはどうなっているの!?酷い目にあってないよね!?」

「そ、それが……」

 

 叔母はここにきて、途端言いづらそうに口を噤んだ。そして数秒経ってから、お願いがあるの、と言ってきた。その間がどうしてももどかしくて、結は食い付き気味に、お願い?と復唱する。

 

「……ミズハ、家に引きこもっちゃって、学校に行けなくなっちゃったの」

 

 結は瞠目し、動揺した。嫌な予感がこれ程当たって欲しくないと思ったのは、初めてのことだ。

 ミズハを案ずる気持ちが高まっていく。

 学校で何か酷い目にあったに違いない。その心の傷が原因で、家に引きこもったのだろう。ならばその傷を、せめて分かち合いたい。こういう時、電話越しじゃ駄目だ。直接彼女の元へ行って話をしないと、気持ちが上手く伝わらない。

 

「学校には行きたくないって、突然言い出して。色々試してみたけど、事情を話してもくれない。学校側に問いかけてみたけど、問題はありませんでしたって、それだけ。そこで結ちゃんなら、ミズハから何か聞けるんじゃないかと思って電話をかけたの」

 

 その後詳しい事情を、叔母は話していく。結は何とか落ち着いている風を装って頷く。そうしないと、少し冷静になれない気がした。

 

「主人はかけない方が良いって言ったけど、……この際、序列とか関係ない。娘が引きこもってまで何もしない訳にはいかないわ。結ちゃん、どうかミズハに会ってやってくれない?」

「もちろんです」

「無理に決まっているでしょ?」

 

 即答した瞬間、母が横から否定する。信じられぬ気持ちで見ると、こちらを叱る時にするいつもの顔になっていた。

 

「ミズハちゃんと会ってはいけない。それに事情が知れただけでも充分でしょう?」

「……っ」

 

 電話を握る力がきゅっと強くなる。胸が悔しさで満たされた。

 口にはせずとも、母が言いたいことが結には分かる。

 要はミズハは序列が下だから、会ってはいけないということだ。

 

(ここでも……!!)

 

 また一族の悪しき考えが、結を鎖で縛りつける。まるで飼い犬にでもなった心地だ。結はその鎖を無理にでも引きちぎりたくて仕方がなくなった。少し待つように言うと、一旦受話器を置いてから、反抗する檻の中の獣のように怒鳴った。

 

「全然充分じゃないよ!!僕はあの子のお姉ちゃんなんだよ!?僕が行かなくて、誰が行くのさ!!それなのに言っちゃ駄目ってどういうことなの!?」

「決まっているでしょう。序列が下だからよ。本家が下の者と親しくしちゃいけないの」

「母さん!!何で分かってくれないのさ!」

「むしろ、どうしてこっちの言い分を分かってくれないの?」

「……」

 

 自分の母親なのに、結は彼女に憎しみを覚えた。いや、いっそ呆れさえ感じる。まさかここまでだとは思わなかった。その盲目さに、同情する。この人は本気で可哀想な人だ。結は心の底から、親を薄情者だと思った。

 この人は、皆と同じでいつもそう。一族の考えを押し付けて押し付けて押し付けて押し付けて。それに反することをしたいと主張すると頭ごなしにすべて否定して、言うことを聞けば一族に相応しいと褒めそやす。

 

(……歪んでる。どうして僕の母親はこんな人なの?クラスメイトは皆、普通の親なのに)

 

 抱えている不満が怒りと結びつき、ますます膨れ上がっていく気がした。

 母の目に映るのは、果たして誰なのだろうか?本当の広実結を見てくれたことなんて、多分ない。

 何で自分の周りは、こんなにもぐちゃぐちゃなのだろう。もっと普通が良い。普通の家に生まれたかった。

 そしたら、全部しょうがないと諦めなくて済んだのに。自分の母親は普通と違うけど、でも仕方がないよねって、無理矢理納得せずに済んだのに。

 

 思えば、ちょうど限界だったのかもしれない。一族への貯めこんでた感情は、受験勉強や“しょうがない”の一言でますます強くなっていた。それは抱え込みやすい彼女の性格もあって、外に吐き出されず、内で悶々とし続けていた。

 ……だから、親にこんな押し付けがましいことを言われて、我慢なんか出来なくなった。トリガーが引かれたら、もうその感情は止まらなくなった。

 

「そんなにも、その考え方は大事なの!?叔母さんでさえ一族の考えより娘を優先したのに!!僕のことは、僕の意思は、母さんにとっては一族の考えより大事じゃないんだ!!……ミズハがいつか言ったよね?貴方達は狂ってるって!!僕もその通りだと思うよ!!母さんも皆もおかしいよ」

「何てこと言うの、結!!」

「どうして僕はこんな一族に生まれたの!?どうして僕は普通じゃないの!?皆はさ、こんな変な親とかいない!!それどころかさ、押し付けがましくないんだよ!子供のことちゃんと考えてる!!でも母さんや一族の皆は違う!!良いように縛り付けてる!そりゃ、ユミハもこんな一族捨てるさ!むしろ捨てて良かったよね、うん、正解だよ!!だって、皆ろくでなしだもん!!」

 

 頰が全力で叩かれた。涙が出るくらいには痛かった。母の顔を確認すると、見たこともないくらい怒り狂った表情を浮かべていた。結は彼女の本性をその奥に見出し、冷ややかだが、とても激しい気持ちになった。

 最早この女を、許せはしない。結のことを何も理解せず、一族のことしか考えてない母を、親と思いたくない。母もまた、娘に対して怒りを抑えきれないようだ。

 

 両者は互いの顔を取って食わんばかりに睨み合う。そしてまた、罵り合おうと口を開く──前に、足音が聞こえてきた。いつの間にか、向こうに一族の長がいた。

 

「……ミズハのところに行くことを許す。行かせてやれ」

 

 長の発言は、絶対のものである。いくら母でも、逆らえはしない。

 それでも母は訳が分からさそうにしている。長の考えが理解できないのだろう。それは、結も同じだ。

 

「どうして……許してくれたんですか?」

「…………。ただの気まぐれだ」

 

 長い沈黙の後、これまた本音を誤魔化すかのような返答。結は老人に詳しく尋ねたくなったが、しかし余計な詮索は失礼だと思い、その思いを消す。親しき仲にも礼儀あり。いくら祖父でも、踏み込んじゃいけないラインは存在する。

 

「俺の気が変わらないうちに行け」

「ありがとう、爺様!!」

 

 手早くお礼を言うと、叔母に待たせてしまった謝罪と、そちらに向かうことを伝える。そして、母が止めるのも聞かずに家を飛び出す。もう、母の言うことなんか聞く気になれなかった。

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 電車に乗り込むと、ほんの数十分で見滝原についた。そのため、季節の関係もあってまだ空は青く明るい。

 幸いにも住所は知っていたので、タクシーに乗り込む時に付近のコンビニで降ろしてもらえた。そこから伊尾家の書道教室を地図アプリで検索し、それを用いてミズハの家へと辿り着く。ミズハの家は、書道教室も兼ねた作りになっているのだ。

 だが見た目は大きめの一軒家でしかない。正面入り口に、看板がかけられていなければ、書道教室だと気づかないだろう。

 結は正面入り口とは別の、目立たない横の入り口のチャイムを鳴らす。すぐにミズハの母親が出迎えてくれた。

 

「……結ちゃん。よく来たわね。電話から結構揉めてる声が聞こえてきたけど、大丈夫?」

「大丈夫です」

「そう……。何はともあれ、来てくれてありがとう」

「いえ……」

 

 来るのは当然だ。それが、姉というものだ。

 

(それにしても……)

 

 少し、叔母が老けた気がする。苦労をさせたことに、胸が張り裂けそうになった。そう感じている自分にも、何様のつもりなのだとも思った。

 心が言い訳で満たされていくのが気持ち悪い。自己嫌悪で、吐きそうになる。二年間、ずっとずっとこんなものを感じ続けている。

 

 案内されて、家に上がる。伊尾家の匂いが馴染みのないもので、本当にこの家にミズハが住んでいるのか疑問に思った。

 だがそこは当然、ミズハの家だ。上がった二階の先のドアに、ちゃんとミズハと書かれたプレートが下げられている。それで、ああ本当にここは伊尾家なんだな、と実感した。

 

「ミズハ、ちょっと良いかしら?」

「……何?もうあたしのことなんか、ほっといてよ」

 

 母親が声をかけると、いかにも鬱陶しいといった返事が返ってきた。そこがいかにもミズハらしい。

 

「母さんは話をしたいだけなの。それが済んだら、もう何もしないわ」

「本当にそうなの?」

 

 するとどう受け止ったのか、ミズハは嫌そうな声を出す。昔の記憶が蘇り、ちょっとだけ懐かしい気持ちに襲われた。

 

「……せ、説得しようなんて無駄だから。あたしは、絶対に学校行かないわ。絶対によ!」

 

 少しムキになったのか、ミズハは大声を出した。いつものことなのか、母はうんざりした風だ。もう少し近所のことも考えて欲しいと思ってるのだろうか、と結は何となく思った。

 

「……ミズハ」

 

 勇気を出し、結はミズハに声をかける。刹那、しん、と場が静かになった。怒鳴っていたミズハが、まるでカセットテープを一時停止したように、黙り込んだからだ。

 

「ゆ、結!?」

 

 やがてどたどたと音がして、がちゃりと自らドアを開けた。そしてジロジロと結を見て、驚愕したように口を開けた。

 

「ど、どうしてここに!?来ちゃいけないんじゃないの?」

「叔母さんに頼まれて。ああ、爺様からちゃんと許可は貰ってあるから」

 

 その説明を聞いて、ミズハは複雑そうな顔をした。結が来てくれて嬉しい反面、“母親の頼み”を良く思わなかったのだろう。

 責めるように親にジト目を向ける。母親は悪戯が成功したかのように笑った。やはり、こういうところはそっくりだ。

 

「……何でこんなことに。余計なことしないでよ!」

「でもこうでもしないと、まともに顔も合わせてくれないじゃない」

「だからって……、ああ、もう、良い!!母さんのバカ!!結、こんなのほっといて二人で話そう!!ほら、母さんは出て行って!」

 

 ミズハは母親をしっしっと手で追い払う仕草をすると、結の手を掴み自分の部屋へと連れ込む。ばたんと扉をしめた。

 自分の座布団を二つ向かい合うようにおき、ミズハは窓側の方に座った。結もそれに習って、ドア側の方へ座る。

 

「結、ごめんね。……母さんのせいで、迷惑だったでしょう?」

「いいや。それにそう言う風に言うもんじゃないよ。君の母さんは心配して僕をここに呼んだんだから……それに──」

 

 自分の母親と違って、君のことを見てくれているんだよ、とつい直前で言いかけてしまい、咳で誤魔化す。そして、勤めて明るい表情を浮かべた。ミズハも同じように微笑んでくれた。

 

「……こうして会えるなんて、夢みたいだわ。正直、嬉しい」

「僕もだよ。ミズハに会えて嬉しい」

「あたし、そっちにいなかったけど……順那元気だった?あの子変人だから、学校上手くやれてないんじゃないかな……」

「そんなことはないよ。……あの子はあの子なりに上手くやっているよ」

 

 結が首を振ると、ほっとしたように安堵の顔になる。どうやら順那のことを心配をしてくれていたようだ。

 

「久しぶりだから、色々話を聞かせて欲しいの。良いかしら?」

「良いよ」

 

 結は、電話で言っていないことを含めて、この二年間のことを話し始めた。

 受験勉強がとても大変なこと。友達の失敗談。先生の愚痴。新作のゲーム。順那が最近言うことを聞かず、反発し始めたこと。一族は相変わらず考えを改めようとせず、この前一人出て行ったこと。

 とにかく思いつく限り、途切れることなく一気に喋った。ミズハはどんな下らない事でも楽しそうに耳を傾けて、時にはリアクションを取ってくれた。だから話しているこっちも楽しくなって、さらに話題は弾んで行く。

 ……気がつけば、空が赤らんできていた。時計がないから良く分からないけど、恐らく一時間は喋っていただろう。

 

「そろそろ帰らないと、不味いんじゃないの?明日学校でしょう?」

 

 ミズハが空へ目をやるが、結は大丈夫と笑った。

 

「終電まで時間あるし、まだまだ話せるよ」

 

 出来るだけ家に帰りたくなかった。母と顔なんて、合わせたくなかったのだ。

 その感情が表に出たのか、ミズハは少し心配そうに聞いた。

 

「何かあったの?」

「ちょっと、勉強が億劫でね。……それより、そっちこそ何かあったんじゃないの?そろそろ、話して欲しいな。もちろん無理に言わなくて良いから」

 

 当然、そこまで強制的に聞こうとは思わない。ミズハの中で解決するまで、待つつもりだ。それまで、彼女の隣にいよう。い続けよう。もう母や父に反対されても知るか。兄や弟も何か言うだろうか、すべて聞き流そう。

 

 従姉妹は、薬指に輝く指輪をじっと見つめた。いつの間にそんなものを付けるようになったんだろう、とちょっと疑問に思った。そんなの、興味がなかったはずなのに。

 

「……結なら話しても良いかな」

「話してくれるの?」

 

 まさかこの場で話してくれると思わなかったので、結は驚いて問い返す。だがミズハは何の躊躇もなく頷いた。

 

「うん」

「本当に?」

「本当に話すよ。だから、何も言わずに聞いて」

 

 そしてミズハは深呼吸をすると、母にも言えなかった、学校での出来事をぽつりぽつりと説明する。

 曰く、ミズハは中学校に上がると、なかなか友達が出来なかったらしい。小学校からそのまま中学校になった子が沢山いたので、グループが既に出来上がっていたのだ。

 ミズハは一人取り残され、そんな彼女を可哀想だと思ったのか、クラスの中心人物が自分のグループに入れた。しかしそこでは明確な序列があり、余所者のミズハは下の位置に居らざる得なかった。何もされなかったとはいえ、当然周りの目は冷たい。いつの間にか、ミズハは人の顔色を伺うようになっていたらしい。

 それは二年になっても変わらず、ミズハはその中心人物の取り巻きを務めた。そしてその子に逆らうのが怖くて、一緒になってクラスメイトの男子を虐めてしまった。その罪悪感に耐え切れず、こうして家に閉じこもってしまったようだ。

 

 結はすべてを聞いて、愕然とした思いになった。電話で定期的に話していたのに、そんな話、一度も聞いたことがなかった。学校では友人も沢山いて、楽しくやっている話ばかりしかしらない。

 ずっとずっと、嘘を突かれていた。真実なんて、これっぽっちもなかった。

 無論、ミズハを責める気持ちにはなれなかった。ただ気づけなかった自分に、相談してくれるに値しなかった自分に、とことん嫌気がさした。

 

「……ごめん。こう言うのも何だけど、あたし今まで言おうとは思ってたんだ。だけどやっぱり何となく言いずらくて」

「……君は何も悪くないよ。言えない気持ち、良く分かるから」

 

 ミズハは共感してくれたことが嬉しいのか、微笑した。そしてふと、沈んだ表情になった。

 また、指輪を見つめる。その指輪に何か特別な意味があるのだろうか。この時は、それが分からなかった。

 

「何で、こんなことになっちゃったかな……。どうしてあたし、こんなになったのかな?」

 

 遠い遠いところを見るように、目を細める。

 ……深い悲しみと後悔、結には分からない何かに対し、ミズハは沈んだ表情を浮かべた。

 そして自分に問いかけるように、呟いた。

 

「やっぱり、見滝原に来ちゃったせいかな?」

「……っ!!」

 

 瞬間、結は自分がやってしまったことを理解する。

 まさか、こんなことって。いや、でも。結がユミハなんか説得しなければ。

 ミズハの言うとおり、彼女が見滝原に行かなければこんなことにはならなかった。仲の良いグループにそのまま一緒にいることができただろうし、人の顔色なんか見なくて良いはずだ。つまりは、いじめに加担せずに済んだ。

 ミズハを見滝原に行かせたのは結だ。ミズハが引きこもった原因は、元々を辿れば結にある。

 

 自分のやってしまったことに戦慄すると共に、後悔の念が押し寄せる。

 自分のせいだ。全部全部全部全部全部全部──

 

「結?」

 

 様子のおかしい結に、ミズハは訝しげにする。しかし結は取り乱しながら、頭を抱えた。

 

「見滝原に行かせた僕のせいだ。僕がいなきゃ、ミズハは……」

「何を言っているの?あたしが見滝原に行くようになった原因は、姉さんじゃない。姉さんがその事に関しては一番悪い」

「……悪くなんかないんだよ。ユミハは何も悪いことなんかしてない」

「姉さんは悪いに決まってるでしょ!!」

 

 ミズハが大きな声で怒鳴る。瞳には、二年前からずっと抱いている憤怒が宿っていた。

 

「……あの人なんかいなければ!!あたしは、あたしは……!!最初からいなければ良かったのよ!!龍神様を見捨てた姉さんなんか!!」

 

 その時、静まっていた怒りの炎が燃え上がった。

 龍神様、という言葉がミズハから出たのが許せなかったのだ。一族の考えを肯定するミズハが、癪に触った。何より、ユミハを否定したのが嫌だった。

 

「何でそんなこと言うの!?ユミハは正しい選択をしたんだよ!?それに龍神様龍神様って……、ミズハも母さんとおんなじなの!?龍神信仰なんて、この世で一番下らないものなのに、どうしてそんなものに拘るの!?」

 

 途端、はっとした。勢いでつい、隠していたことまで喋ってしまった。

 恐怖が広がっていき、蒼白した。

 やばい。とても不味いことをしてしまった。でも、何れ言わなきゃいけなかった。こんな日はいつか必ず訪れた。だからってこんな時に?ずっと隠し通さなきゃいけないのに。言ったらどうなるか分かるでしょう!?そしたら、自分がどんなに孤独になるか!

 矛盾した思考がループする。だから何を考えているのか、自分でも分からなくなった。だが妙に冷静な部分があって、今の状況を客観的に分析していた。

 

 ミズハは結の問いに、信じられぬものでも聞いたかのように、しばらく呆然としていた。

 考えるように俯き、数分経ってからようやく答える。

 

「……だって拘らなきゃ、いけないもの。そう教えられてきた。……あたしはこの教えに縛られて生きていくしかない。他の生き方なんか、やっちゃいけない……。だから私は……、あたし(龍神様を信じる私)になったのに」

 

 辛うじて聞こえる声だった。ミズハはいつの間にか、体を震わせていた。もちろんそれは、怒りによるものに間違いない。顔を真っ赤にさせて、彼女は叫んだ。

 

「私達は決められた人生しか生きられない!生きちゃいけないの!!私はあたしを、この考えを変えられない!拘らなきゃ、しょうがないの!!」

「しょうがないって何さ!!今からいくらでも変えられるのに!!」

「何も変えられない!二年前の皆の態度、見てたでしょう!?あいつらは、何も庇っちゃくれなかったわ!!そんなあいつらの考えなんて変えられる気がしない!!」

「そう言う意味で言ったんじゃない!!この一族に縛られるなって言うことを言ってるんだよ!!ユミハみたいに、こんな一族捨てちゃえば良いんだよ!!こんな誰も個人なんか見ない一族、見捨てれば良い!!」

「何で姉さんがやったことを私がやらなきゃいけないの!?私はあんな奴らでも、家族だと思ってるの!!大切なの!!家族が信じるものを、あたしは信じなきゃいけない!!どうして結はそんなこと言うの!?」

「嫌いだからだよ!!龍神信仰が、一族が!!古い考えを持つ人皆、僕は嫌いなんだよ!!」

「……じゃあ私のことも嫌いなのね?だって私も古い考えをもつ一族の一人だもん」

 

 ミズハは途端、冷たい表情になった。

 全身の毛が逆立つ。結は慌てて、違うと言い放つ。しかしミズハの顔は、もう歪んでいた。

 

「約束したのに。嘘つき。……私の方こそ、大嫌い」

 

 足元が、崩れ落ちたような気がした。実際にはそうじゃないけれど、でも何か大事な心の支えが無くなったことだけは、確実だった。

 

 無理矢理部屋の外に出される。ノックをしても、何も言わない。結はショックのあまり、その場に立ち尽くした。



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結 7

 家に帰ると、父と母、それと兄と弟、祖父を含めた家族全員が居間にいた。

 彼らの目は、とても冷たかった。当たり前だ。ミズハと会ったのだから。

 家族のあまりの態度に、ショックを受けなくもなかったが、意外なほど結は平気だった。冷めたような気持ちが、心の底にあったからかもしれない。

 その後、何か散々言われ、勝手に自分のことで揉めていたような気がするが、ぼんやりとしか覚えていない。会話の内容なんて、興味がない。

 

 結はその日から、家族と必要最低限のことしか話さなくなった。

 もう、彼らにはうんざりだった。あんな人達、どうでも良い。家族なんかじゃない。家族だったら、もっと自分のことを大切にしてくれるはず。でも彼らは一族のことしか考えず、結のことを考えない。なら、こちらも考えるものか。たとえどんなに酷いことが起ころうが、知ったこっちゃない。

 

 それよりも大事なことは、ミズハのことだ。ミズハとちゃんと、話をしなければいけない。

 まずは、二年前に自分がやってしまったことをちゃんと説明して、謝りたい。自分が思ってきたことも、全部話そう。ずっと隠してきた分、この際ミズハには正直になりたい。

 嫌われたのはとても辛くてショックだったけど、よく考えたらこれも因果応報だ。やってきたことを考えると、“しょうがない”。

 でも、これだけは伝えたい。たとえどんなに嫌われても、ミズハのことが大好きだと。

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 忙しい受験勉強の合間を塗って、結は定期的にミズハの元へ行くようにした。そして彼女の部屋の前に行くと、色んなことを一方的に話す。

 それは、もしかしたら己の傷を癒すための行為だったかもしれない。だが止めなかった。止めたくはなかった。たとえどんなことがあろうとも。

 そんな生活が続いて二週間近く経った頃。親に聞いたのか、はたまた他の親戚から聞いたのか、家に遊びに来た順那は、結にふとこう尋ねてきた。

 

「……もしかしてさ、ミズハのこと、あたしに隠しているつもりなの?」

 

 ……その時、つい結は何と言ったら良いのか分からず、目を泳がせてしまった。

 順那の言う通り、ミズハのことを結は黙っていた。心配などかける訳にもいかなかったし、自分が解決しなければいけないと思っていたからだ。だからこの悩みを言うことも憚られた。

 だが、どうやらそれも限界らしい。結のことを、きっと順那は見抜いている。どう取り繕ろうが、無駄でしかない。

 結は堪忍して、その通りだと答えた。

 

「……ごめん。実はミズハと喧嘩しちゃってさ。そのことで、順那に迷惑かけたくなかったんだ」

「別に良いよ。……それより、どうして喧嘩なんかを?」

 

 当然の質問にも関わらず、結はぎくりとする。

 流石に本当のことをすべて言う訳にもいかず、結はあえて言葉を濁した。

 

「……ぼ、僕が言っちゃいけないことを言ったからだよ。それで怒らせたんだ」

「それでその後もミズハのところへ通っているのか。……お姉ちゃんも大変だね」

 

 順那は妙に達観したかのように言う。結は彼女の様子をおかしいと思いながらも、ちょっとだけ不快感を抱き、眉を寄せた。

 

「……何でそんなことまで知っているの?親に聞いたの?」

「いいや。噂になってから、それで知った」

 

 結は顔を渋くさせた。

 連絡網は、ありとあらゆる一族に張り巡らされていて、また一族は近所同士に住んでいることも多い。

 情報が伝わるスピードは、尋常じょないほど速い。恐らく、もうほぼ全員、結が何をやっているか知っている筈だ。

 それでも妨害がなかったのは、長が許可を出したからか。いずれにしろ、あまり気持ちが良いものではない。

 

「……それで、お姉ちゃんはこれからもミズハのとこへ通い続けるの?」

「あたり前だよ。誰に何を言われても、これだけは止めない。……順那はどうする?」

「……あたしは何もしないよ」

 

 順那は平然と、無表情でそう言ってのけた。結は思わず、順那に詰め寄る。

 その、さもどうでも良いと言いたげな態度が、結には薄情に感じられた。それだけではない。ミズハへの愛情が、順那から欠落しているようにも思えた。

 

「どうして、何もしないの!?ミズハのことが、大切じゃないの!?」

 

 すると順那は、乾いた笑い声を立てた。

 結はびくりとして、黙ってしまった。手に汗が滲んでいく。

 

「……あたしさ、ミズハと電話したんだ。彼女は全部、話してくれたよ。何で引きこもったのか、とか。本当、聞いてびっくりしたよ」

「そうだろうね。まさか、ミズハがあんなことになるなんて思いもしないよ」

 

 ミズハは元々明るいこともあり、友人も多くいた。クラスの中では中心的な存在だったらしく、弱いものいじめをしたクラスメイトを叱るなど、堂々とした性格だった。

 決して、取り巻きなどをするタイプでもなく、人の顔色を伺う性格ではなかった。

 彼女は、見滝原に来て変わってしまった。結が環境を変えたせいで、いじめをしてしまった。

 

「……あたしちょっと、幻滅した。まさか、いじめをやってたなんて」

「な……!?」

 

 順那の発言に、声を詰まらせる。……まさかそんな理由で何もしないなんて、思いもよらなかったのだ。

 

(ちょっ、ちょっと待ってよ。それだけのことで嫌っちゃうの?)

 

 いじめをしたのは、間違いなく許されることではない。引きこもったのも自分勝手と言えなくもない。

 しかしミズハには同情の余地がある。そもそもミズハは、率先して自分からいじめを行った訳ではないし、逆らうのが怖いというのは、誰もが持つ感情で、その点は責められるべきではない。

 だから、見方を変えればミズハだって、いじめの被害者みたいなものだ。

 それでも嫌うなんて、少しあんまり過ぎる。

 

「……信じられない。君が、そんな事を言うなんて」

「正直酷すぎるかなって、自分でも思うけどね。……でも、それだけじゃないんだよ。話してて分かったけど、ミズハは周りと向かい合う気がさらさらないんだよ。そのまま心を閉ざしている。誰の声も、きっと彼女には届かない。ミズハはもう、駄目だ」

 

 はっきりと、断言する。順那はもう、ミズハのことを諦めきっていた。

 結は順那に怒りの表情を向けた。

 そんなに簡単に、どうして見捨てられるのか不思議で仕方がない。自分達が味方にならないで、どうするというのか。それにミズハに声が届かないなら、届くまで何度も何度もかけ続ければ良い話だ。

 

「……さっきも言ったけど、僕は止めないから」

「勝手にすれば良いよ。あたしはもう、見守るだけにする。でもどうせ無駄だよ」

「無駄じゃない!!いつか──」

「諦めなよ。これは“しょうがない”ことだからさ」

「……」

 

 そうなのか、と強く疑問に思った。

 これは、すべてしょうがないことだったのか。何も変えることは、できないのか。

 

(そんな筈がない)

 

 変えられないことなんて、あっちゃいけない。しょうがないことなんて、あるわけがない。

 

 順那は言いたいことだけ言ったからか、手を振ってその場を去っていった。結はその後ろ姿を追いかけることができず、見つめることしかできなかった。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 平日、学校の帰り道。結は俯きながら、道を歩いていた。

 頭の中は、常にもやもやしていた。色んなことが、ごちゃごちゃしている。

 家族のこと。ミズハのこと。順那のこと。受験のこと。最近では一族から酷い言葉も浴びせられた。その言葉も、忘れる事が出来ない。

 正直ここ最近、気分はあまり良くなかった。悩みが多過ぎて、気持ちが悪い。

 

 最早どうしたら良いのか、分からない。どうしたら悩みが解決するのか、考えられない。

 

「あ……」

 

 そこで、はっとなる。学校に宿題を忘れたことを思い出したのだ。

 あれには結構、重要なことが書かれていたし、提出しなければ先生がうるさい。

 結は億劫な気持ちなった。重たい足を動かし、道のりを引き返す。

 

 幸いにもすぐ近くだったので、数分で学校に着く。上履きに履き替えて階段を上がり、教室へと入ろうとしたところで、結はストップした。

 教室から、仲の良い友達の話し声が聞こえてきたのだ。しかもその内容から察するに、どうやら自分のことらしい。結は気になって、そっと聞き耳を立てた。

 

「ここのところさ、結ちゃんおかしいよね。冷たくなったっていうかさ」

「なんかいつも周りを睨みつけてるよね。心配してやったらさ、何でもないって言われるし」

「マジで?酷すぎじゃん。仲良くしてやってるのに、あの子何様のつもりなの?」

「てかさ、あの子元々から変わっているっていうか、変だよね」

「分かる。周りと違うよね。あの子だけめっちゃ浮いてる」

「他の子に聞いたけどさ、あの子の家も相当変わってるらしいよ。親があそこの家は、色んな意味でやばいって言ってた」

「やっぱそんなんだから、結ちゃんもおんなじで変わってるのかな。なんか納得だわ」

 

 それ以上先を聞く前に、結は教室から離れた。友達の会話が、下らないものに思えたからだ。

 

(……あの子達、僕のことを多少なりとも分かってくれてるって思ってたのに。とんだ勘違いだったよ)

 

 結は心の中が、嘲笑でいっぱいになっていくのを感じた。もう、宿題をする

 

 雨が降ってきそうになったので、走って学校を飛び出す。それでも逃れることはできず、空から降ってくる豪雨に激しく叩きつけられる。

 しかし、結にはそれが心地よく思われた。すべてどうでも良い事のように、思わせてくれた。

 雨は結の感情を洗い流すように振り続ける。結は愉快になってきて、人知れず笑い声を立てた。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 家に着くと、結はずぶ濡れの制服を脱がず、自室に閉じこもった。

 畳の上に大の字になって寝転がり、ぼんやりと天井を見上げた。何だか、とても疲れた気がする。

 

 何も、する気になれない。何もしたくない。だって、何をしたところで、何にもなりはしないような気がしたから。

 

 目を閉じて、視界を閉ざす。

 今までのことを、振り返ってみる。そうして、自分がいかに空回りしてきたか実感する。

 今まで自分がやってきたことは、すべて裏目に出てきた。望んだ未来なんて、これっぽっちも実現できていない。

 それどころか、どうしていつの間にか一人になっているんだろう。

 家族も信じられない。ミズハと喧嘩して、順那とも気まずくて話せない。仲良くしていた友達は、本当の友達ではなかった。

 

 ……これも、罰なのだろうか。何もかも、しょうがないんだろうか。

 ああ、だとしたら受け入れるべきなのかもしれない。この孤独に諦めきって、目を逸らして……。

 

(そんな訳には、いかない……)

 

 諦めるなんて、したくない。こんな現実、認めたくない。しょうがないなんて、絶対に嫌だ。

 

「でも、どうしたら良いんだよ。何をすれば……。何を信じれば……」

 

 その時、かりかりと襖の方から音がした。結は起き上がると、気になって襖を開いた。

 そこには、あの白い猫がいた。まだ子猫ではあるが、随分と成長している。だがそのくりくりとした目の輝きは、当時と何も変わっちゃいない。

 

「……ミアちゃん。心配してきてくれたの?」

 

 名前を呼べば、ミアは返事をしてくれた。それが堪らなく嬉しくて、結はしゃがむと、ミアを強く強く抱きしめた。



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結 8

※グロ注意。また見る人によっては不快な描写があります。苦手な方は注意するか見ないようにしましょう。


 ミズハが失踪した。夜、家を飛び出したと思ったら、そのまま行方不明になった。

 そのことをミズハの母親から電話で聞かされた時、世界が真っ暗になった気がした。引きこもったことを知った時よりも、ミズハがいじめをしていたことを知った時よりも、遥かに大きな衝撃を受けた。

 どうして、と思わずにいられなかった。自分勝手にも、ミズハを心底恨んだ。

 いなくなったのは、まさか自分が嫌になったから?すべてが嫌になったから?

 逃げたって、結は責めはしない。何もかも捨てたって、結は止めない。

 だけど、せめて自分と一度だけは話して欲しかった。

 結局心の何処かで、ミズハと仲直りしたいと思っていた。そうじゃなくても、せめて視界の端には入れて欲しかった。

 喧嘩して以来、ミズハは結を居ないものとして扱っているように感じられた。だっていくら話しても、無視するだけで何も言わない。それどころか、部屋に閉じこもって顔も合わせようとしないのだから。

 

 一族は皆、ミズハの行方不明に悲しんではくれたが、探そうともしなかった。神を信じなかったから天罰が下ったに違いないとか、そんなことばかり言うだけだ。

 順那でさえ、呼びかけても何もしない。結はとうとう順那に怒り、やがて口論となった。それで、完全に絶交だ。もう彼女のことも、信じれない。

 

 結は心当たりを巡り、知らない場所まで行って、見滝原中を探し回った。

 ミズハの家族も、色々な場所や人に、ミズハを探すよう呼びかけた。警察も動き出し、ミズハの失踪はニュースにも報道された。

 だが、一向に成果は出ない。仲が良かったという入理乃という少女にも会ってみたが、彼女は何も知らないと首を振るだけだった。

 ミズハは、その足取りさえも何も残さなかった。まるで完全に、この世から消え去ったみたいだった。

 

 それがあまりにも奇妙すぎて、snsは逆に盛り上がりを見せ、ある者は好き勝手に予想を立て合い、ある者は不謹慎だと騒ぎ立てる。

 従姉妹が行方不明だということで、クラスメイトも結に詰め寄る。面白がっている彼らに、結はもう、同じクラスの仲間としての親愛を持てなかった。

 世間は、残酷なまでに自分勝手だった。好きなように悪口を言って、好きなように好奇心を向けてくる。まるで個人なんか見ようとしない。同情と偽善に塗れ、自分の価値観だけを押し付ける。これでは、まるで広実一族のようではないか。

 

 信じられるのは、もう飼い猫だけになっていた。ミアのみが結のことを気遣って、分かってくれる。こんな醜い自分を、見てくれる。

 それ以外、すべて信用できない。結はすっかり、人間不信になっていた。

 本音を言えば、結だって人をもっと信用したいのだ。だけど、もう無理だ。人の冷たさを一旦知ってしまったら、忘れることができない。 

 

 結はこの世界を呪うしかなかった。

 こんな現実、嫌だ。すべてが憎い。すべて疲れた。いっそのこと……、全部なくなってしまえば良いのに。

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 その日の夜。結は自室でぼんやりと、開け放たれた窓の外を覗いていた。特にそうしていた意味はないが、なんだか眠れなくて、少しでも夜風に当たって気分転換でもしようと思ったのだ。

 

 空には、煌々と輝く満月が浮かんでいた。人間の血を最も凝縮させた色をしていて、禍々しく不気味ではあったが、不思議と美しい。

 その月へ結は手を伸ばし、掴み取るような仕草をする。そして、急に何をやっているのかと馬鹿馬鹿しくなって、腕を下ろした。

 本当に欲しいものなんて、何一つ掴み取れやしないくせに。こんなことをしたって、何になるのだろう。

 

「ミアちゃん。僕って、馬鹿じゃないかな?」

 

 布団の方にいるミアに近づき、語りかける。しかしミアは眠っていて、何も答えない。

 それを結は残念に思いながら、ミアを静かに撫でた。

 

(……ミズハ)

 

 ミズハのことをふと思い出し、結は彼女のことについて考える。

 今、何処にミズハはいるのだろう。もしかして、危険な目に合っていないとも限らない。それとも、無事で安全なところにいて、楽しく暮らしているのだろうか。結や順那、一族のことを忘れて。

 

 でもミズハの現状なんて、ミズハを見つけるまで知ることが出来ない。そしてもうミズハは、見つからないかもしれない。

 

 探していた最初のうちは、皆絶対に見つけてやると意気込んでいた。しかし徐々に徐々に、諦め気味になってしまった。

 なんせ手掛かりがなさすぎる。これで捜索を成功しようというのも無理がある。

 

 結も最近、何をやっているのか疑問になってきた。自分の努力がすべて無駄だと感じてくるのだ。

 初めから、分かっていた。いつも結は、空回りばかり。何も出来ず、何も得られない。

 だから──

 

「……諦めるしかないかも。どうせ……」

「諦めるのはまだ早い。君が望めば、僕はその願いを叶えてあげられるよ」

 

 頭の中に、聞き覚えのない可愛らしい少年の声がする。結は肩を跳ねさせ、窓のそばにいつの間にかいたものを凝視する。

 それは、今までに見たことがない獣だった。白い毛に、尖った耳。円らな丸い赤い目。四足歩行で、長い尾がある。

 全体的にはとても可愛らしかったが、暗がりでも分かるほど表情はまったく動いておらず、それが返って無機質というか、不思議な印象を与えていた。

 

 結は驚きすぎて、獣から目が離せなくなった。

 自分は何を見ているのだろう、と思った。それに動物が喋って、しかも願いを叶えるなんて、出来すぎている。

 でも、だからこそ惹きつけられて、興味が湧いてきた。願いを叶えるというその言葉が、酷く魅力的に聞こえた。

 結は混乱したままだったが、何とか白い動物の存在を受け入れると、真剣な表情を向けた。

 

「……願いを叶えるってどういうこと?」

「僕と契約して、魔法少女になって魔女と戦って欲しいんだ。その代わり、何でも一つだけ願いを叶えてあげる」

「ま、魔法少女……?」

 

 何が来るだろうと身構えていた結は、少しだけ気が抜けてしまう。

 魔法少女なんてワード、あまりにもファンシーすぎる。この場の空気に、まったくそぐわない。

 だが、妙に納得してしまった。確かにこの動物の姿は、魔法少女のマスコットにはぴったりだろう。

 

「魔法少女とは、希望を振りまく存在。この世に呪いを齎している魔女と戦う使命を持った存在のことさ」

 

 聞けば聞くたびに、まるでアニメの中の話のように思えた。いまいち現実味が薄い。

 しかし話を聞く限り、どうやら魔法少女とはとても凄い存在らしい。そんな存在に自分がなれるなんて、とてもではないが信じられない。

 

「僕が、魔法少女?そんな、まさか……。僕なんて、どうせ何をやったって駄目なんだよ?僕にはなれっこない」

「僕は嘘は言っていないよ。君は魔法少女の素質を持っている。それもとても優れたね。……正直、ミズハよりも君の方が才能は上だね」

「ッ……!?」

 

 動物からミズハの名前が出たことに、結は激しく戸惑う。

 何故、この動物はミズハのことを知っているのだろう。そんなこと、あり得る訳がない。

 思わず結は、白い獣に近寄って質問する。

 

「……ど、どうしてミズハのことを知っているの!?」

「彼女が僕と契約した魔法少女だからさ」

「あの子が……?」

 

 その返答が、またとても予想外な答えで、結の頭の中はこんがらがった。

 つまり、ミズハはこの動物に会って、そして願いを叶えてもらっていた?

 一体いつ?何処で?いつの間にこんなのと?

 

(ミズハが、魔法少女……?)

 

 白い獣の存在以上に、上手くミズハが魔法少女だということを認められない。

 だが、動物は嘘をついているように見えなかった。そう思う決定的な根拠はなかったが、何となく直感でそんな気がした。

 

「じゃ、じゃあ、ミズハは……、魔法とか使えたりしたっていうの?……それで手がかりがなかったとか……」

「確かに魔法を用いれば、そのくらい造作もないだろうね。だけどミズハはそんなことしてないよ」

「その言い方……。やっぱり真実を知っているんだね。……じゃあ教えてよ。あの子はどうなったの?」

 

 すると彼はすぐに、単調な言葉で答えた。

 

「死んだよ」

「………………………………は?」

 

 意味が、分からなかった。何を、言っているんだろう。

 

 心の窓の外から、ザワり、と風が動く音がかすかに聞こえた。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 “死”は、結の世界に今までないものだった。

 祖父母は健在だし、親だって元気。もちろん友人が事故にあって死にました、なんてこともなかった。

 だからこそ、“死”に対して何処かリアリティがなかった。ニュースで誰かが死んでも、他人事のように感じられた。

 でもミズハが“死んで”、初めて死に目を向けた。そして、初めて結は“死”が何なのか分かった。

 

 死とは、永遠にこの世から消えることを指す。死んだら、すべてが無意味になるのだ。

 

 結は“死”を理解して、初めてこの衝動が何であるのか自覚した。自覚した以上、渇望する何かの正体も分かる。

 それは、何かのモノを壊したいという気持ちだった。何もかをもぐちゃぐちゃにしたいという暴力的な感情だった。

 ……明らかに、とても危険で嫌悪感を催す衝動だった。だが、衝動は結の中で激しく暴れ、その存在を主張し、悪魔のように甘美な言葉を耳元で囁くのだ。

 ずっとずっと、この衝動に従えば幸せになれると信じていたのだろう?やっと分かったのだ。なら、我慢する必要なんてない。ようやく、夢を叶えられる。もう諦めなくていい。

 

 数日の間、結は必死に衝動を我慢した。

 しかし、もはや頭から大事なものは欠落していた。そして結はそのことを思い出そうとすることもなく、綺麗に忘れ去った。

 どうしようもなく、感情が止められない。

 

 今まで分からなかった分、彼女は我慢してきた。ずっと、ずっと、ずっと。だが今、もうその必要などなく、彼女の理性は本能に支配された。

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 キュゥべえと名乗った、あの白い獣が来た時と同じような、赤い色をした三日月。今宵も、それが夜空に浮かんでいる。

 結は自室の窓を開け放つと、片手で月を掴む仕草をしてみせる。そして、すっぽり手で隠れたのを確認すると、ニタリと異形の笑みを浮かべた。

 

 気分が今までにない程高揚している。今なら、どんなことでも出来そうな気がした。

 

 結は机の上に置いていた、鈍く光る包丁を手に取る。見つからないように、台所から持ってきたものだ。

 刃を三日月の光に照らすと、より恍惚としてしまう。

 これを自分の腕に振り下ろせば、どんな綺麗なものが見られるんだろう。

 ……壊すなら、まずは自分からだ。じゃないと、大変なことになる。だって今の結は──

 

「……!!」

 

 その時、かたんと襖の向こうから音がした。結はすぐに反応すると襖を開け、そこに座るミアを見つめた。

 ……そういえば最近、遠ざけているにも関わらず、ミアは結の元によく来てくれるようになった。今日も、同じように甘えに来てくれたのだろうか。

 

(………)

 

 結は手の中の包丁と、ミアを見比べる。瞬間、脳内で真っ赤なイメージが浮かび、興奮が湧き上がった。

 呼吸が荒くなり、心臓の音がうるさくなる。けれど顔に浮かぶのは、醜悪な笑み。

 思考が、塗り潰されていく。そして最後の、一本の拙い拙い理性の糸が、ぷつん、と切れた。

 

 ガッっと、結は“獲物”を掴んだ。当然激しく暴れるが、結はそれすらも愛おしく思う。

 捕まえたまま窓から裸足で庭に降り立つと、“獲物”の口元を防いで、家の外へ飛び出す。

 幸いと言って良いのか、車も周りの人影もなく、引かれることなく道路を横断する。途中で見つけた茂みの中を通り、誰もいない空き地へ辿り着くと、結は“獲物”を地面に抑えつけた。

 抜け出そうと“獲物”がもがき、手に爪を立てられる。

 その痛みは、麻薬のように結に快感を与えた。傷から流れ出る血液も、まるでワインのように見えた。

 

「アハハ……」

 

 包丁をゆっくりと、高く高く掲げる。そして次には、その胴体めがけて振り下ろした。

 刺した感触と、絶叫。鮮血が咲いて、愉悦が広かっていく。

 

「アハ……アハハハハ、」

 

 刺した、刺した、刺した!!壊した、壊した、壊した!この、広実結の手で!!

 壊れている様が、実に美しい。壊れる刹那が、目に焼き付いて離れない!!

 ああ、一緒に、世界と滅びたい。一緒に、世界と消えたい。こんな世の中、何もかもめちゃくちゃになってしまえ!!

 

 

【挿絵表示】

 

 

「アハ……、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!! アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

 

 笑い声をあげる。嬉しくて、嬉しくて、あまりにも楽しくて、充実感があって、恍惚として、ぞくぞくとして、目の奥が熱くなった。

 

 何度も何度も、包丁をめちゃくちゃに“獲物”に振り下ろす。そのたびに感じる、肉を切り裂く感覚が堪らない。加虐的な彼女は、紅をもっと見たくて、狂い咲く。原型を留めぬほどの、ぐちゃぐちゃになったものが醜く、美しく、おもしろい。

 

 やがて、何時間時が経っただろう。

 気がつけば、“獲物”の息は無くなっていた。その姿も、無残なものになっている。

 臓器を撒き散らせ、あらゆる部位が血の海の上でバラバラとなって転がっている。

 これが元々元気に走り回っていた猫だと、結も思えなかった。それでも確かめるように、しゃがんでその体に触れる。

 

「……僕は、何を……」

 

 頭が、この時になってようやくクリアになっていく。結は包丁を見て、真っ赤に染まった全身にも視線を移す。そして最後に猫の惨殺死体を見ると、呆然とした。

 

(……何これ。誰がこんなことを?)

 

 ……そんなの、分かりきっている。これをやったのは、結だ。

 つまり、“ミア”を殺したの結だ。

 

「フフフ………、アハハハ………」

 

 力なく結は笑った。手から包丁が滑り落ちる。

 不思議な感覚だった。愉快なのに、胸の内から悲しみが込み上げてくる。絶望で心が彩られているのに、意味不明なくらいに馬鹿馬鹿しい。

 

 幼い頃からやりたかったことが、こんなに残忍なことなのか。抱いていた夢は、未来は、暖かくて輝きに満ちたものではなかったのか?

 確かに、今までにないくらい楽しくて、最高に自分が生きている感じがした。

 でも、これは望んでいたものではない。こんなことを、したかった訳じゃない。幼い頃から見ていた夢と、全然違う。

 

 ……結はふと、飼い猫から目を逸らす。それ以上、何も見ていたくなかったからだ。

 だが、結の視線の先には既に別のものがいた。それは白い毛皮の獣。赤い目をした魔法の使者。

 

「広実結。まさか君の呪いは……」

 

 すぐさま包丁を掴むと、腕を振り下ろす。するとあの白い獣が、悲鳴一つあげずに絶命した。

 結は瞳から雫を零しながら、ニタァ、と口を裂けさせた。

 これで、この白い獣も壊れた。

 

「……会って早々、殺さないでくれるかな」

「!?」

 

 殺したはずなのに、また声が聞こえてくる。驚いて辺りを見渡すと、まったく同じ姿をした獣が、こちらに歩いてくるのが見えた。

 信じられなくて、結は少し目を見開いた。

 

「代わりがあるとはいえ、もったいないじゃないか」

「……君、不死身なんだね」

「ちょっと違うね。僕達の本体は別にあるんだ。これは端末に過ぎない。確かに君達からすれば、そう見えても不思議ではないけど」

「ふーん。でも、……それじゃあ壊し放題ってことだよね。アハ……」

「無闇に殺さないでくれるかな。代わりは無限ではないんだ」

 

 動物はあたかも困ったように言う。それがいちいち偽物臭く感じられる。

 

「……そういえば君の名前って何だったけ?」

「キュゥべえだよ」

「キュゥべえ……」

 

 不思議な名前だ。呟けば、まるで神に対する信仰心のようなものが湧いてくる。

 だが、同時に悪魔に対する嫌悪感のようなものを感じる。

 

「ねえ、キュゥべえ。僕が願えば、どんな奇跡も起こせるんだよね?」

「もちろんさ。さあ、……君の願いを言ってごらん」

「僕の願いは……」

 

 結は闇夜に浮かぶ赤い目に、手を伸ばす。その様は、何かに縋り付くように見えた。

 ごくりと息を飲み込むと、結は少し黙る。そして意を決したように、自身の願いを口にする。

 

「ミアちゃんを、生き返らせて欲しい」

 

 瞬間、胸に痛みが走り、何かが抜き出ると共に光となった。それは緑色に強く輝き、辺りを真昼のように照らし出す。結はその光を抑え込むように、両手で包み込んだ。

 

「おめでとう。君も今日から魔法少女だ」

 

 力が溢れて、陶酔する。結は気持ち良さのあまり、うっとりとした表情を浮かべた。



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結 9

戦闘シーン書いてたら遅くなった。それと今回はちょっと長め。今回もグロ注意。


 闇夜の中、家の屋根を伝いながら、キュゥべえは全速力で駆ける。

 結も同じように、音もなく屋根から屋根へ軽く飛び移りながら追いかける。

 その動きはかなり身軽で、サーカス団も真っ青だ。その気になれば、空中で体を三回転捻ることも造作ではない。

 しかし今している格好は、そんな動きをしている自分とは、とても合っていないだろう。にも関わらず、この姿だからこそ、ここまで超人的な身体能力を獲得しているのだ。

 

(まるで魔法少女みたいだね)

 

 いや、本当に魔法少女か、と今更のように思う。だがよりよって、どうしてこんな服なのか疑問だ。

 結の魔法少女としての服装は、スリットの入った、いわゆるメイド服だ。

 つまり、結の服は奉仕者の服装なのだ。それが結にとって何を意味するかなんて明白だ。

 

 ああ、笑えてくる。愉快になってくる。

 

 衝動が疼いて、結は夜空に向かって一気に飛躍した。そして一瞬だけ心地よい浮遊感を感じながら、暗い街並みへ落ちていく。

 でも恐怖心はない。今の結は魔法少女だ。このくらい、なんてことはない。

 すとりと先のビルの屋上へ降り立つと、そこに既に辿り着いていたキュゥべえを素早く片手で鷲掴みにした。

 

「捕まえたぁ」

 

 鉈を呼び出し、空いている方の手で握ると、キュゥべえに突き刺す。ぶあっ、と血が白い体から出て、全身に浴びる。口元を舌で舐めれば、鉄の味がした。

 それが愛おしくて、キュゥべえをめちゃくちゃに解体する。そうして遊び終えると、魔法をかけてそれ以上の腐敗を防ぐ。腐らないように保管して、また遊ぶためだ。

 結は契約して以来、キュゥべえを壊して壊して遊びまくった。そしてその中で、死んだキュゥべえを魔法で腐らせるのを送らせれば、その死体でも遊べることに気がついたのだ。

 ちなみに結の魔法は動物の細胞の操作だが、しかしそれはどうやらキュゥべえにも使えるらしい。他の拾った生物の死骸で研究した結果と比べると魔法の効果は効かず、数日で腐ってしまうが、それでも保管するには十分だ。

 

 結はキュゥべえを抱えると、何の躊躇もなくビルから地上へ飛び降りる。路地裏を歩いて廃屋へ行くと、その前に置いてある、事前に家から持ってきた木箱を開ける。

 その中には、幾重にも重なったキュゥべえの死骸が詰まっている。結は乱雑に、手に持っていた死体を箱へ押し込めて蓋を閉めた。

 

『……何度も言っているけれど、いい加減これ以上殺さないでくれるかな?僕の体も無限ではないんだよ』

 

 そのタイミングで、頭に直接声が響いた。だが辺りを見渡しても、あの動物は何処にもいない。恐らく結から離れたところからテレパシーを送ってきているのだろう。

 結はため息をついて、こっちもテレパシーを送り返す。

 

『どうして?別に死なないから良いじゃん。体の一つや二つ、僕に壊させてよ。……ああ、それとももったないっていうの?大丈夫だよ、ちゃんと再利用してるし、遊べなくなったら近所の神社に埋めてるからさ』

『そういうことを言っているわけじゃないんだけど……。それにしてもどうして僕ばかりを狙うんだい?他にも色々壊したいんじゃないのかい?』

 

 最もな疑問だった。確かに自分ばかり標的にされたらたまったものではない。キュゥべえからしてみれば、何とも傍迷惑な話だろう。

 結はそのことに思考を巡らしてみる。しかし馬鹿馬鹿しくなって、彼女は笑い声を立てた。

 

『ハハハ、ハハハハハハハハ。だってさぁ、しょうがないもん。色々壊したいのに壊したらいけないもん』

『そういうことか……。君はその衝動を持ちながらも、周囲のものを壊すべきではないと考えているのか』

『そうそう、アハハ、だからさぁ、壊せるキュゥべえを壊してんのぉ、アハハハハハハハハハ』

 

 そうしなければ、衝動を抑えられない。もしも身を任せてしまえば、周りをミアのように無残に殺すのが目に見えている。

 流石にそんなのは駄目だ。壊したくても腹が立っても、幸せそうで許せなくても、他の人の日常を壊したくない。殺すのなんて嫌だ。

 それに多分他の人を壊したら、結もそのまま壊れてしまう。最後の理性が飛んだら、この心は衝動に食われるだろう。

 自分は、元々おかしい。でもだからって、もっとおかしくなりたいわけじゃない。こんなの、当然嫌に決まっている。

 狂っていくのは、とても恐ろしい。自分が消えていくのも恐ろしい。それに悦楽を感じている自分が一番恐ろしい。

 

 壊れたくなくて、でも壊れたくて。矛盾した気持ち。本能と理性がぶつかり合って、もうぐちゃぐちゃのどろどろだ。

 

「アハ、アハハハハハハハハハハ……」

 

 結はまたおかしくなって、笑うことにした。笑わなきゃ、やっていられなかった。

 そしてひとしきり笑った後で、結は一瞬だけ真顔になる。何だか無性にむしゃくしゃして、があん、と力いっぱい木の箱を蹴った。

 すると箱は木っ端微塵の木屑となって崩壊し、中のキュゥべえの死骸はぐちゃりと醜い肉塊になって辺りに飛びちった。

 結はそれにも少しぞくぞくして、けれども満たされない渇きに嘆き、そんな自分がますます嫌いになった。

 

『……結、少し落ち着いた方が良い。君のソウルジェムを見てごらん』

『……ソウルジェム?それって確か……』

 

 言われて、太ももに付いている宝石を見る。そこで、少しだけ違和感を覚えた。

 ソウルジェムの光に、黒く淀んだものが混じっていたのだ。しかもそれは、宝石の半分を埋め尽くしている。

 こんなものは契約時にはなかったので、結は酷く驚いた。いつの間にこんなものが、と思わずにはいられなかった。

 

『ソウルジェムは魔法を使う度に少しずつ穢れ、魔力を失っていく。そして絶望したり、怒ったりといったマイナスの感情でも、ソウルジェムは穢れるんだ。今のままでは、穢れきってしまうよ』

 

 つまりこのままイラつけば、魔法が使えなくなると言いたいらしい。

 正直、少し余計なお世話だと思った。だが、結も魔法が使えなくなるのは非常に困ることだ。

 深呼吸をし、心を落ち着ける。イライラは治りそうになかったが、先ほどよりかはましになった。

 

『でもこれってさ、どうやって魔力を回復させれば良いの?』

『魔女を倒すと出るグリーフシードを使うんだよ。……君は契約してから一度も魔女を狩っていないだろう?これを機会にぜひ魔女を狩ってくれないかな』

『……魔女って、壊しても良いの?』

『もちろんさ。むしろ狩ってくれないと困る』

 

 口の端が釣り上がる。

 興奮が全身を駆け巡って、結の恐怖を吹き飛ばす。

 壊せるなら、壊したい。めちゃくちゃにして良いなら、めちゃくちゃにしたい。

 

『それはどこにいるの?』

『ちょうど一匹、倒して欲しい個体がいてね。そこまで僕が案内するよ』

『分かった』

 

 結はキュゥべえの言葉に従い、迷路のような路地裏の奥へと進む。いくつか曲がり、真っ直ぐ歩くに連れて禍々しい気配を結は感じ取る。それが魔女の気配なのだと、結はキュゥべえに説明されてないにも関わらず、自然とそう理解した。

 やがて行き止まりに行き着くと、より一層気配は強まった。間違いなくここに、魔女がいる。

 キュゥべえに言われ、結は魔女の世界への入り口を抉じ開ける。すると見たこともない紋章が壁一面に現れた。それはかなり不気味で、まるでそういったコンセプトで作られたアート作品のように見えた。

 

 口のニヤつきが止まらない。

 結界を前に、結は歓喜している。壊せる玩具を思うだけで、もうそれ以上何もいらないとさえ感じた。

 

 足を踏み出し、結界へと入る。ずぶり、といとも容易く結は飲み込まれた。

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 そこは、広大な世界だった。

 地平線を、何処までも何処までも稲の群が埋め尽くしている。それは最早、大海と表現しても良いだろう。

 結はその海の中にいた。結界に入った途端、稲穂の上に放り込まれたのだ。

 なんとなく上を見上げてみれば。眩い光が謎の透明の球体から発せられている。そのせいで、この結界は昼間のように明るい。外はまだ夜なので、かなり違和感がある。

 

 あまりにも外と違うので、結は驚いた。異様な空間だと聞かされてはいたが、それでも現実離れしすぎだ。

 だが、結はすぐに驚きを笑い飛ばした。魔法少女になった時点で、もう今更すぎる。

 

 ふぅと息を吐くと、腰のホルスターから鉈を出して、ゆっくり構える。

 その瞬間、結界を満たす禍々しい魔力が高ぶった。それと同時に、ぶわぁと風が強く吹き、凪いでいた大海の湖面を一斉に揺らす。きっと、自分の存在に魔女が気づいたのだろう。

 結は楽しそうに笑った。

 

「さぁ、魔女。出てきてごらん。どうせ、気づいているんでしょう?僕、君を壊したいんだ。君も、僕を壊したいんじゃないの?」

 

 すると、その言葉が聞こえたのか。周りの景色がぐにゃりと回り始める。

 そして一段と強く歪んだ後、稲穂だけはそのままに、空だけが重たい灰色の雲に覆い尽くされた。

 それと同時に、薄っぺらい案山子が結を丸く囲むようににょきりと草むらから生えた。恐らく魔女の手下、使い魔だろう。

 

 結は体を低くする。

 無意識に魔力を溜め、高めていく。ぎん、とその魔力は足元に魔法陣を浮かび上がらせた。

 それが一際光輝いた刹那、稲穂の海を切り裂きながら、結は自身を囲っている使い魔の一部へ突撃する。

 その速さは、一瞬ではあったが音速に達していた。結の身体能力と魔法陣が組み合わさった結果だ。

 当然案山子が動く前に、結はもう彼らの前に辿り着いていた。

 その勢いを乗せたまま、鉈を広範囲に薙ぐ。狙うは下半身。確かな手応えと共に、案山子達ががすぱりと綺麗に両断される。一瞬にして使い魔のうち、ちょうど半分が崩れ落ちた。

 

「ハハハハ」

 

 気分が高まっていく。

 呆気なく壊れてくれて、晴れ晴れとした気持ちになる。

 

 攻撃されなかった案山子達が両腕を曲げ、バネのようにぐぐっと縮めると、一斉に結へ伸ばす。それは空中で絡み合いながら一つの大きな腕を作り、結を押しつぶさんと上から振り下ろされた。

 だが問題ないとばかりに、結は不敵に笑う。彼女の手が目まぐるしい速度で動き、鉈は縦横無尽に、めちゃくちゃな軌道を描く。巨人の手は、それだけで細切れになった。

 魔法少女はその隙をついて敵に一気に近づき、体全体を使って鉈を振るう。その攻撃の軌道は、最初の攻撃と同じ水平。しかし狙うは上半身だ。

 剣鉈が、確かに胴体を横一文字に通過する。そしてすべての案山子達を切断した。

 

「……!?」

 

 思わず、結は目を見開いた。

 どうしたことか、瞬きした次には、何事もなかったように綺麗な案山子がいる。まるで攻撃したのが嘘のようだ。

 動揺し、もう一度斬撃を放って両断する。これで今度こそは──そう思った瞬間、結は信じられないものを見た。

 切断面から藁が伸びて、案山子がみるみるうちに再生していったのだ。

 かなり異常な再生速度だ。その速さは、魔法少女の動体視力では決して捉えることができない。

 こんなものあり得ない、と結は呟いた。明らかに出鱈目だ。

 

 驚くまもなく、近くにいた使い魔の腕が湾曲しながら伸び、鉈が叩き落とされる。

 結はまた振るわれた腕を、とっさに体を逸らして逃れる。だが完全には避けきれず、左腕の一部が切り裂かれた。

 

「く……!!」

 

 暇も与えず、別の使い魔達も腕を伸ばす。結はしゃがみこむことで回避し、そのまま茶色の海に身を隠す。

 幸い稲穂の高さはそれなりにある。こうしてしまえば、完全に使い魔の視界から隠れることができるだろう。

 

 蹲り、左腕を抑える。それでも鮮血は傷口から流れ、腕を伝いながら地面に垂れた。

 今になって痛みが広がっていく。あまりにも痛すぎて、涙が出た。多分、今まで生きてきた中で一番の大怪我だ。手を離せば、肉が少し露出しているのが見えた。

 頭がくらくらする。血が出血したせいか、ぼぉっとしてふわふわする。上手く、思考できない。

 

(ああ、この感覚……。僕、今壊れようとしているのかな?………だとしたら……、最高だ)

 

 結は笑った。望んでいた感覚に、興奮する。

 

 そうだ、もっとだ。

 自分が大嫌いだ。

 自分なんて、壊れてしまえ。壊れてしまえ。壊れてしまえ。もっと、もっと、もっと、壊れてしまえ。

 世界も壊れてしまえ。大嫌いで、何も見たくないから。

 だから壊して壊して壊して壊しまくってめちゃくちゃにしたい。

 

 自然と笑い声が漏れる。きっと脳みそではアドレナリンが大量に出ているかもしれない。

 

 結は鉈を生み出して掴む。腕は一応治癒する。流石にこの怪我では戦闘に支障が生じる。

 そのまま身を潜め、使い魔の一体へ近づく。そおっと背後に回ると、結ははっとしてそれを見つめた。

 

 案山子に、バッタの足が生えていたのだ。しかもその片方には麻紐が付いていて、その先端は他の案山子に生えているバッタの足に結び付けられていた。

 よく観察すれば、結びつけられいるのは一個体だけではない。どの案山子にもバッタの足があって、片足に他のバッタ足の紐を結び、片足からは紐を伸ばしている。

 それらは稲穂に隠れていたので、しゃがみこまなければ気づくことさえ出来なかっただろう。

 この紐は、間違いなくこの使い魔の秘密を握っている。結はこの紐と使い魔の関係性を考えた。

 

 紐は、バッタの足すべてに繋がれている。つまり、使い魔はすべてこの紐で連結されている。

 だが気になるのは、どうして足に繋がれているのかだ。他の部位に繋がっていない理由でもあるのだろうか。それこそ、頭や肩などの場所にも繋がっていても良さそうに思える。

 こんな下に紐があるのも、何か訳があるのだろうか。そうだとしたら、そこにはどんな意味があるのか。

 

(……下、か。……そういえば、なんか下を攻撃した時だけ使い魔は倒れたような……。…………そっか、そういうことなんだね)

 

 上半身を攻撃して倒れなかった理由が、やっと分かった。

 恐らく、あの下半身部分に本体が収まっているのだ。だから足に紐が繋がれているし、本体ではななかった故に、あんなにも容易く元どうりになれたのだ。

 でも、この紐が結局何か分からない。紐が足につながれている“理由”は分かったが、この“正体”が判明しなければどうにもならない。

 

「正体……?」

 

 結は自分の言葉に固まった。ある予想が、結の頭の中で閃く。

 そもそも、この紐が使い魔に繋がっているのは何故なのか。それは恐らく、魔力の供給や動きの操作だろう。じゃなきゃ、繋がっている理由が考えられない。

 そして使い魔の魔力の供給や動きの操作を行う者は、一つしかいない。

 

 麻紐を掴む。見た目はただの紐なのに、よくよく見れば紐は僅かに胎動していた。やはり、この紐は生きている。

 結は鉈を振り下ろす。紐が切り裂かれ、化け物の悲鳴が辺りに轟いた。

 

 ごごご、と地が揺れる。二十メートル先の稲穂の海が一瞬膨らんだからと思うと、地中から出てきたものによって、大量の土ごとぼこりと掘り返された。

 それはそのまま、ずしんとその場に現れる。

 その姿は、麻紐で構成されたウンカだった。大きさは、役六メートルといったところか。鉄塔の魔女には敵わないが、それでも十分に大きい。

 唖然として、ウンカの魔女を見つめる。

 思っていたよりも遥かに異様で、かなり禍々しい。端的に言えば、気持ち悪い。こんなのが普通に生活している裏に潜んでいたなんて、考えただけで吐き気が込み上げてくる。

 でも、だからこそ衝動が疼く。この手で、今すぐにでも壊したい。

 

 麻紐が触手のように蠢き、ウンカの魔女の体から発射される。それは、あの案山子達の腕とは比較にならない速度を誇り、しかもその数も尋常じゃない程多い。あっという間に結界全体が紐によって埋め尽くされ、体が貫かれる。

 

「ガァ!!?」

 

 鮮血が自分の体から溢れる。あり得ないくらい、とても痛かった。

 しかし、それが堪らないくらい心地良い。自分もまた、壊れてしまえばいいと思っているから。

 

「クフフフフフフ、」

 

 紐は結を貫いても、まったく止まらない。だから、まるで暴風の中にでもいるかのような錯覚をしてしまう。

 嵐は結の体を絶えず傷つけ、その体に穴を開けていく。だが、結は微笑む。これくらい、なんてことないからだ。

 

「フフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ」

 

 魔法を発動させる。すると、体の傷が瞬時に癒えていく。それは紐の射出速度に勝るとも劣らない再生速度だった。当然、治った端から攻撃を受けて血は流れるが、それでもまた治っていくから、全く動けない訳ではない。

 紐の風に切り裂かれながら、結は姿勢を低くする。そして、一瞬麻紐の嵐が緩んだ途端、走り出した。

 メイド服の少女は、ウンカの魔女へ突っ込んでいく。

 傷つきながらも再生し、再生しながらも傷つく彼女は、もう正気ではない。まさに、その様は狂人だ。

 こちらに向かってくるのが分かったのか、嵐が突然激しさを増す。暗かった視界が、完全に闇に閉ざされた。

 再生の速度が追いつかず、結の歩みが遅くなる。これでは、先に進む前に倒れてしまう。

 結は鉈で紐を素早く切りつけていく。こうなったら、邪魔な紐を排除しながら進むしかない。

 しかし、いくら速い結の攻撃でも、紐の猛攻を防げない。せいぜい傷の量を多少少なくする程度だ。

 

「アハハハ、だったら……」

 

 武器を握っていない片手に、もう一本鉈を生み出して握る。そして、まったく同じ速度で両腕を振るった。

 紐の嵐がずたずたに切り裂かれ、初めて道を開く。一本から二本に鉈が増えたことで、その攻撃量も純粋に増したのだ。

 

「gyis、どpqんzhそあmjsぱかbくぉwーzんw!!!!???」

 

 歩みが速まり、急速に自分に近く結に魔女は悲鳴を上げる。その声があまりにも耳障りが良かったから、気分が良くなった。

 強く踏み込むと、結は音速の速さを超えて魔女へ突っ込んでいく。二本の鉈が、魔女を深く深く貫いた。

 

「嗚呼嗚呼ああああああえんそqlんdそあーpsぁぁlまま!!!!!!!!!??!!!!??!」

 

 埋め尽くしていた紐が、急速に解けて縮んでいく。魔女の奏でる悲鳴に合わせ、萎んでいく。

 やはり醜いものが壊れていくのは綺麗だ。壊れたものこそ──

 

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ、アッハハハ、ヒャァハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 

 結は狂った笑い声を立てた。

 鉈を引き抜き、また切りつける。絶叫が響き、結は調子に乗って更に切って、切って、切りまくった。

 ウンカがビクビクと体を痙攣させ、弱まっていく。それを結は回復魔法で回復させる。それは固有魔法の細胞操作とは違うただの回復魔法だが、結の最も得意とする魔法だった。

 ウンカの魔女は望むまもなく再生し、傷を癒していく。しかしその最中に、結は鉈を魔女の体に突き刺し、痛みを与えた。

 

 当然その間、いくつも傷を負ったが……、そういうのを含めて、とても面白かった。

 何故か、と問われれば、多分命のやり取りが楽しかったのだろう。

 なにもかも壊したいというのが、結の衝動だ。そしてそれは自分も例外じゃない。互いに壊れあって、そして互いに傷つけ合うのは、最高の悦楽だった。

 ……それに、魔女は壊しての良いものだとキュゥべえに言われた。だから、壊しても何も悪くない。殺しても、罪なんてない。

 

「だから、我慢する必要なんてないんだ」

 

 ぽつりと呟くと、魔力を込めた鉈の二連撃を魔女へ振るう。それだけで、ウンカは真っ二つに裂かれた。

 魔女が霧散し、結界が壊れる。世界が歪み、夜の暗闇が辺りに戻ってきた。

 

『お疲れ、結』

 

 キュゥべえのテレパシーが頭に響く。その声は、相変わらず無機質だった。

 結はそれに何も返さず、ただ己の武器を見つめた。周りの音が、一切聞こえなくなった。

 

『……結?』

 

 異変に気がついたのか、疑問の声を上げるキュゥべえ。それはいっそ、不気味がるようにも結は聞こえた。

 

 口の端が歪んでいく。衝動の正体を自覚してから、何度も何度も笑ってきたけど、それらは誤魔化しが含まれていた。

 けど、この笑みは違う。これは、心からの笑顔だ。

 

『……魔女を壊すのって、こんなに楽しいんだね。しかも、我慢しなくて良い』

 

 うっとりとする。魔女はなんと素晴らしいんだろう。キュゥべえ以上の、最高の玩具ではないか。

 ……魔女を壊せば、それだけでこの心は満ち足りる。だから、他のものなんて壊そうという気にならなかった。

 それはつまり、魔女を壊してる限り、自分はおかしくならないということだ。一人の人間として、真っ当でいられる。

 

「アハハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!」

 

 それが、とても嬉しくて嬉しくて仕方がない。

 もっと、もっと、魔女を殺したい。そうすればきっと、壊れなくて済む。



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結 10

今回も戦闘書いてたら遅くなった。でも多分恐らくもうすぐで結編終わる……かもしれない。


 魔女を殺した次の日から、結はキュゥべえを壊すのを止めた。代わりに魔女を、壊して、壊して、壊しまくった。

 魔女を壊すのは、キュゥべえを壊すより喜悦だった。

 自分を壊したい。でも壊れたくない。魔女を壊せば、その二つの望みが一変に叶えられたれたのだ。これがどれほど嬉しいことか。

 

 結は魔女を壊してる限り、あらゆることから解放された。

 矛盾も、世間も、ミズハも、一族も、誰のことも考えなくて良かった。

 だからその日も、いつも通り魔女を壊そうとしていた。

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 円形にぐるりと構成された観客席。その中央に設置された、大きな広場。

 まさに闘技場と呼ぶに相応しいこの空間こそ、結界、その最深部であった。

 

 そこでは互いの命を削らんと、先程から二つの人影が、金属音を響かせながら武器をぶつけ合っている。

 交差している武器の内、鉈を振るっているのは、メイド服の魔法少女、広実結。大剣の方は、囚人の格好をしたミイラの魔女だった。

 

 その戦闘は、一見するとミイラの魔女が押されているように見える。

 結の攻撃は、捨て身の攻撃だ。それは我が身の無事を考えない代償に、凄まじい速度と威力を誇っていた。次々と繰り出される鉈は反撃をする猶予すら与えず、魔女を防御に回らせている。

 しかしミイラの魔女は、その場から一歩も後退していないかった。それどころか、いくら結が攻撃を畳みかけようとも、的確に跳ね返してしまう。

 その点で見るならば、決定打を与えきれていない結の方が負けていた。しかもこちらは、魔力のリミットがあるのだ。先にどちらが限界を迎えるかは明白だ。

 だがそんなもの、結は求めていなかった。

 魔力切れしてしまったら、流石に魔女に殺されてしまう。しかしそれでは、あまりにもつまらない。

 魔女との戦闘で求めているのは、傷つき、傷つけ合うこと。互いに壊れ合うことだ。だから、こちらだけ傷を負うのは我慢ならない。

 

「いい加減壊れろぉ!!」

 

 怒り任せに、力いっぱい上から鉈を振り下ろす。

 当然それも、簡単に弾かれる。

 次に素早さを重視して、めちゃくちゃに鉈を振り回す。

 だが同じ速さで弾かれる。

 諦めず、今度は急所をピンポイントで狙う。

 でも大剣に邪魔されて弾かれる。

 何度も何度も鉈と剣が火花を散らし合い、弾かれていく。それが先程から幾度となく繰り返されていた。

 結の中で、苛立ちが増していく。やはり、何度やっても攻撃が通らない。これでは最悪の事態に陥ってしまうだけだ。

 

 そう思っていると、突然魔女が後ろに大きく飛んだ。

 どうやら、魔女の方も現状では上手くいかないと判断したらしい。

 ようやくこの状態が崩れたのでほっとなる。それと同時に、そのまま動かなくなった魔女を興味津々に観察した。何か面白いことが起こってくれればと期待したのだ。

 

 しばらくして、魔女が手に持っていた大剣を投げ捨てた。大剣は大きい音で地に倒れ、瞬間霧散する。

 魔女の周りが揺らめくと、使い魔が生み出される。その数、約三体。その姿は、どれも魔女をミニチュアにしたような小さな囚人ミイラだ。若干目つきは悪いが、デフォルメされているためか、意外と可愛らしい。

 だが魔女は、躊躇なくその使い魔の一匹を無理やり掴む。そして──あろうことか、こちらに砲丸投げでもするように、投げ飛ばしてきた。

 

「!?」

 

 それは、かなり予想外の攻撃だった。そのため、なんとか回避したものの、姿勢のバランスが崩れた。

 そこに追撃するように、また使い魔を投げる魔女。

 今度は逃げきれない。そのまま、使い魔は自分の元へ一直線に飛んでくる。

 

 だけどようやく、面白くなってきた。

 結はこれから先、どれだけ自分が壊れるか想像して、笑みを浮かべる。気分が高揚し、素直に使い魔がもたらす痛みを受け入れ──

 

「行け……!!」

 

 突如として、横から風を切りさくような音が響いた。それとまったく同じタイミングで、使い魔が吹っ飛ぶ。その体には、深々と矢のようなものが突き刺さっていた。

 結はそれが飛んできた方を見て、目を見開いた。

 

 そこには、二人の少女がいた。

 一人は以前、ミズハを探していた時に会ったことがある少女、阿岡入理乃。その顔は結程ではないにしても、驚きでいっぱいだ。

 もう一人の方は、知らない顔だ。肩までの髪と小柄な体躯が特徴で、いかにも大人しそうな印象を与える。だが、それは黙っていればの話だろう。さっきから苛立たしげに、これはどういうことだと文句を言っている辺り、中身は外見と真逆らしい。

 二人の格好は、この場に似つかわしくない変な服装だった。

 入理乃は着物を、知らない少女はセーラー服を着ている。それぞれ大筆と巨大な錨を手にしていて、持っているものまで珍妙だ。

 だが、結には彼女達の格好の意味が分かる。そしてこの場にいる意味も。

 だって彼女達は、

 

「魔法……少女」

 

 初めて、自分以外の魔法少女に出会った。だからか、変な感じだ。

 本当にいるんだな、とここに来てようやく実感が湧いた。結は漠然と、魔法少女は実は自分だけなのではないかと、心の何処かで思っていたのだ。

 そして一番驚きなのが、入理乃が魔法少女だということだ。見知った人物が自分と同じだなんて、何かの間違いであって欲しい。

 

「その通りだよ、このボケカス。……つーかいつからなったんだよ、こんなの聞いてねえぞ」

 

 開口するなり暴言を混ぜながら、小柄な少女が答える。しかし乱暴に言うわりには、困惑気味な声音だった。

 入理乃の方も、見定めるようにこちらを観察している。

 だがこっちだって、二人の事情がよく分からない。何が何だがさっぱりだ。

 

「……いや、そんなことはどうでも良い」

「……?」

 

 何を言ってるんだ、という小柄な少女を無視し、結は一歩を踏み出す。

 結にとって大切なことは、この魔女を壊すことだけだ。それ以外、何も考えるべきではない。考えたくなんかない。

 そうだ。他のことなんてどうでも良い。二人のことも、どうでも良い。

 

「ッ!!」

 

 その刹那、魔女が残った使い魔を投げつけてきた。

 よほど強く握られていたためか、使い魔は泣きながらこちらへ飛来してくる。

 結はチャンスとばかりに、その場に留まった。このまま傷の一つでも負いたかったのだ。だからあえて、逃げようとはしなかった。

 

「あ、危ない!!」

 

 だが使い魔が己の体に当たる直前、あの小柄な少女が飛び出す。

 槍のように突き出された錨が、使い魔を貫き、消滅させた。

 

(え……?)

 

 驚きのあまり、結は固まった。

 ダメージを負うことにわくわくしていたのに、それが邪魔されたのだ。ショックのせいで、つい呆然としてしまう。

 

 結が動かない間にも、勝手に状況は進んでいく。二人の魔法少女はほれぼれするほど息ぴったりの連携で、魔女を追い詰めていった。

 そうして気がつけば、魔女は既に動けなくなっていた。入理乃が地面から紙の帯を無数に生やし、魔女を締め上げたのだ。

 

「サチちゃん!!」

「任せろ!!」

 

 入理乃が合図を送ると、サチと呼ばれた少女は力強く頷いた。

 瞬間、カチリと何かが作動する音がして、あっという間にアンカーが長銃に変形した。

 構えると、銃身から青い火花が散り始める。

 

「死ねや、クソ魔女!!」

 

 口汚く罵り、サチは引き金を引いた。

 空気が破裂するような発砲音と共に、魔弾が打ち出される。それは魔女の体を一直線に穿ち、大きな穴を開けた。

 

「漢那音mホmslんwls!!!」

 

 案外致命傷だったのか、それだけでミイラの魔女は体を崩れせていく。手強かった魔女だけに、なんともあっけない最後だった。

 

 結界がなくなり、風景が元の廃ビル跡地へと戻る。思わず、結界の入口があった方をぼんやりと見てしまった。

 結界に入る前は、あんなにも弾むような気持ちだった。しかし今は、心が完全に白けている。

 

「おい、テメエ!!」

「……何?」

 

 怒鳴られたので、サチの方へ向く。案の定、彼女は心底から怒っている様子だった。

 

「何逃げようとしねえで突っ立てたんだ!お前、あれわざとだっただろ!!見てて分かったぞ、このクソボケが!!」

「せ、船花ちゃん、……お、落ち着いて……」

 

 入理乃が慌てたように、サチを宥める。だがサチは怒気を強めて吠えた。

 

「こいつ、命を捨てようとしたんだぞ!?それがどういう意味か分かってんのか、入理乃!!お前がよく一番分かってる筈だろう!?アホか!?」

「そ、それは……」

 

 そう言われ、着物の魔法少女は暗い表情で俯いた。そしてくしゃっと顔を歪めると、泣くのを堪えるように口の端を噛む。それきり、何も言わなくなった。

 そんな彼女を少し心配そうに一瞥すると、サチは改めて結に向き直る。詰め寄ると、力強く睨んだ。

 

「こんな馬鹿なこと、何でしたんだ!?死んだらなあ……、どれだけ周りの奴が苦しむのか分かってんのかよ!!」

「……それが僕を庇った理由?……笑わせないでよ。僕が死んで、誰が悲しむんだよ。それに何で余計なことをしたの?僕の邪魔をしないでよ」

「は?」

 

 サチが首を傾げる。自分が何をしたのか、分かっていないらしい。

 そのことが腹立たしく思えて、結は彼女の胸ぐらを掴んだ。 

 

「僕はねえ、魔女を壊したくて壊したくてしょうがないんだよ……。ぐちょぐちょのぐちゃぐちゃにして、その腹わたを切り裂きたくて仕方ないんだよ。それを何勝手に壊しちゃってくれてるの?」

 

 悦楽の時間が始まるはずだったのに、その機会をこの少女達は奪ったのだ。その時間は、今の結にとって唯一の生き甲斐であり、自分であるために必要不可欠のものだった。

 だからこそ怒りが収まらない。結はサチに顔を近づて、忠告を告げた。

 

「僕から魔女を奪うな……。さもなければ、どうなるか分かっているよねえ?」

 

 ニタリ、とわざと笑う。

 その表情が不気味だったためか、目の前のサチの顔が恐怖に染まった。緊張したのか、その額に汗が滲み出す。

 

「イ、イかれてる……」

 

 思わずといったように呟いて、入理乃が一歩後ずさる。完全に怯えた様子で、蒼白していた。

 

「アハハ、何言ってんの?僕は正常だ。魔女を壊せば壊すほど、僕は狂わなくて済むんだから」

「……」

 

 更に怯えたように、入理乃は身を萎縮させる。本当のことを言ったのに、どうしてそこまで怖がるのか、訳が分からない。少し失礼だ。

 

「あ、そうそう。そういえば、この前キュゥべえから聞いたんだけどさ、魔法少女には縄張りってのがあるらしいね。それ、僕にくれない?」

 

 胸ぐらから手を離すと、結は笑顔を浮かべたままそうお願いする。

 縄張りがこの手にあれば、結はこの町で好き勝手できる。そうなったら、きっと今以上に楽しいはずだ。

 

「……」

 

 二人は顔を見合わせる。そこには渋い表情が浮かんでいた。

 

「そんなの……、駄目に決まっているじゃない」

 

 入理乃がすぐに首を振る。気弱な態度が嘘かのように、とても強気な態度だ。

 そのためか、驚いたようにサチが瞠目する。だが数秒程ではっとすると、自身も入理乃に続くように拒否の意を示した。

 

「そうだな……。テメエにこの町は預けられないよ」

「……どうして?何もかも良いことばっかりなのに……」

 

 これは互いにとって良い提案の筈だ。魔女狩りなんて危険で、ふとした拍子に死んでしまうかもしれないのだ。だったらそんなの、結に押し付けてしまえば良い。キュゥべえが言うには、魔女を狩るのは魔法少女の使命らしい。でも、だからと言って素直に従ってやる必要はないと思う。魔女は狩りたい奴だけが狩れば良い。

 

「……だってお前、まともじゃないもん。そんな奴に、魔女から一般人を守れるの?」

「守れるよ。あとさっきも言ってるけど、僕正常だから。狂ってないし、普通だし」

「……何処が普通なの?」

 

 ぼそっと入理乃が呟く。いくら言っても、結の言葉が信じられないようだ。

 

「……それならしょうがないか。だったら力付くで奪うよ。ほら、かかってきなよ」

「……このクソ野郎が!!」

 

 挑発するようくいくいと手で手招きすると、サチが怒りで顔を真っ赤にさせる。彼女は乱暴に、手に持っていた銃を発砲した。

 弾が肩筋に命中し、血を流させる。サチは一瞬だけそれに目を背けたものの、銃口を向けたまま低い声で脅した。

 

「……さっき言ったことを撤回しろ。今なら許してあげる。さもなければ、もう一発食らわせるぞ!!」

「……君も甘ちゃんだね。本気で心臓とかに撃てば良かったのに」

「な……!!」

 

 結は涼しい顔で魔法を発動させる。みるみるうちに血が引いていき、傷跡が逆再生のように治っていく。

 その様子に、サチは驚愕したように息を飲んだ。

 

「な、何だそりゃ……。今明らかに時間が巻き戻ったみたいに……」

「僕の魔法、動物の細胞の操作だけど、本質は時間操作なんだよ。まあ半年の期間しか巻き戻せないけど、この程度ならどうってことない」

「つまり貴女の魔法は、正確には“肉体限定の時間操作”……」

「そういうことだよ、っと!!」

 

 気配を察知し、体を捻る。その脇を、目視できないスピードで何かが通り抜けた。

 首を捻って、後ろの地面に突き刺さった何かを見る。それは紙でできた、一本の槍のように長い針。入理乃の方へ視線を向ければ、強い敵意を秘めた目でこちらを見ていた。

 

「今のは危なかったよ。惜しかったね」

「……船花ちゃんと私の縄張りから……出て行け!!」

 

 入理乃は目の前の空間に、大筆で黒い軌跡を描く。そこから何百もの紙吹雪が吐き出されて襲いかかった。視界が大量の白で遮られる。

 冷静に結は二丁の剣鉈を呼び出すと、紙吹雪を瞬く間に微塵にする。

 だが視界が晴れた瞬間。その隙を突くように、サチが背後から元に戻した錨を振るった。

 

「!!」

 

 驚きつつも、その攻撃をかわし、足払いを仕掛ける。

 サチはギリギリで逆にその足を蹴り返し、大きく錨を振り上げた。それによって、胴ががら空きとなる。結はそのタイミングを狙って、強くその腹を押し出すように蹴った。

 苦悶の声をあげるサチ。そのまま二メートル後方まで下がり、よろめく。

 入理乃が慌てたように筆で地面に線を描き、無数の紙の帯を放つ。それはどう見ても、魔女を拘束した時のような意図で生み出されたものではない。その先端は鋼のように硬化しており、確実にこちらを殺そうとしている。

 サチも合わせて、突撃してくる。前と後ろから、帯と錨が迫ってきた。

 

 ニヤリ、と結は笑った。

 同じ魔法少女なのに結を壊そうとしてくる二人がちょっと面白かったのだ。

 

 高く高く、結は飛んだ。

 それを追いかけるように、帯の軌道が変わる。だが結はその帯を軽々と足場にして、更に飛んだ。

 そしてくるりと空中で体を捻ると、サチへ飛び蹴りをお見舞いする。

 その体に足がめり込み、サチは血を吐いて仰向けに倒れる。結は起き上がれないように組み伏せ、その首筋へ鉈を押し当てた。

 

「っ、……」

 

 サチは声にならない息を吐き出す。彼女の体が震えているのが、結にも分かった。

 入理乃はこうなることを予見していたのか、少々諦め気味な顔をしている。それでも苦々しい感情が面に出ていた。

 

「これで分かったでしょ?僕には敵わないって。……早くこの場を立ち去ってくれないかな。じゃないと、自分でもどうするのか分からないからさぁ」

 

 サチは逡巡するかのように黙る。そして首に押し当てられた銀色の刃を、恨めしそうに見つめた。

 

「……分かった」

 

 しぶしぶと言ったように、サチは答える。ありがとうと礼を言うと、結はサチを解放して、彼女が入理乃の元へ行くまで見守った。

 

「………」

 

 サチは血を吐き出したことで汚れた口元を拭うと、力一杯両手の拳を握り締めた。こんなポッと出の魔法少女に負け、しかもかなり痛めつけられたのだ。当然その怒りは、尋常じゃない程燃えたぎっていることだろう。

 やがて彼女はべっと舌をこちらに出すと、踵を返していった。

 入理乃はその背を見てから、こちらを睥睨した。その目にははっきりと、鈍いながらも確かな憎しみの炎が宿っている。

 

『……いつか必ず、お前を倒してやる。覚えてろよ、このババアが』

 

 相方にも負けない暴言をテレパシーで言うと、入理乃は親指を立て、それを下に向けた。地獄に行け、と言いたいらしい。そうして背を向けて、大股で去っていった。

 結はそれに呆気にとられたものの、しばらくしてくつくつと笑った。妙におかしくおかしくて仕方なかった。



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結 11

今年最後の投稿。色々忙しくて遅くなった。


 縄張り争いは、約三ヶ月に渡って繰り広げられた。

 結は入理乃達のグリーフシードを奪い、時には深い傷を負わせた。入理乃達もまた、仕返しとばかりに結から魔女を取り上げ、その活動を妨害した。

 

 争う中で、結は残存魔力を活用するようになった。

 元々その存在はキュゥべえから聞かされていたが、入理乃が残存魔力を使って罠を仕掛けたことから、結も色々と何か出来ないか研究するようになったのだ。

 その魔力は、何故か結と抜群に相性が良かった。鉈を媒介にすれば、自分の魔力だけでは足りない、規模の大きい魔法だって使えた。例えば、大きな結界を張って魔女を閉じ込めたり、入理乃と同じように罠を張ったり。

 それはつまり、残存魔力がある土地を有すれば、その分だけ大きな力を手に入れるということだ。

 だから縄張り争いは、グリーフシードの奪い合いだけでなく、残存魔力がある土地の奪い合いもあった。次第に戦いの場は路地裏などといった場所から、古い神社跡地に移っていった。

 それが結には、とても奇妙に思えた。あれほど龍神信仰を嫌っていたのに、神社を手中に収めようと躍起になっているのだ。これではまるで、熱心な信仰者のよう。相手も同じように神社を手に入れようとしていて、実に滑稽だった。

 そのせいか、結はどんどん魔女を壊すことにのめり込んでいった。それに伴い、結はやるべきことを半ば放棄した。

 例えば学校には行っていたが、受験勉強は完全に止めていた。毎日毎日家を飛び出しては、夜間に徘徊を繰り返り返し、不良みたいに悪ぶったことさえあった。

 すべて魔法で隠していたので、学校や両親にばれることはなかった。まあ、ばれていたとしても、無視していただろうが。

 今となってよくよく考えてみれば、ただの現実避難だった。

 縄張りを奪おうと暴れている広実結は、傍若無人。入理乃達のような、幼い子供を傷つけるろくでなし。まるで狂人そのもの。

 それを自覚したくなかった。自分を必死に正常だと言い聞かせて、何も考えないように、何かをし続けた。

 それでも衝動は、まるで呪いのように常にある。

 

 気がおかしくなりそうだった。いや、既におかしくなっていた。

 もうとっくに、結は運命の歯車に沿って、狂っていた。

 しかしそれはある意味、結にとっては救いだったかもしれない。おかげで辛うじて絶望せずに済んでいるのだから。

 

 狂気がなくなった時、結は──

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 夕焼は沈もうとしている。それを、僅かに忌々しく思った。

 この朱色を見ていると、昔の記憶が思い起こされる。その記憶は大切なものかもしれないが、捨て去りたいものでもある。だからそのことを考えると、どうしても苦々しく思ってしまう。

 

「……でもまあ、今更よね」

 

 独り言を呟いて、気分を切り替える。今から、“あいつ”を呼び出すのだ。こんな顔じゃあ、何か言われるに決まっている。

 

 入理乃は、今いる公園を見渡す。

 この時間帯だからか、誰もいない。そもそも、この公園は随分と昔から忘れ去られているのだが。

 

「出てきなさい、インキュベーター」

 

 ブランコに座り、虚空へ向かって呼びかける。すると、すぐに視界の端からあの白い獣がやってきた。そして彼は何も悪びれることなく、淡々とした感じで入理乃へ問う。

 

「君が自分から僕を呼び出すなんてね。何か僕に聞きたいことがあるのかい?」

「ええ。勿論そうに決まってるでしょ」

 

 冷たい声を出す。

 けれど、無駄。キュゥべえは顔色一つ変えない。

 やはり、本人の言う通り、こいつには感情が備わっていないのだ。だから、罪悪感なんて持つはずがない。

 

「その口調……」

 

 予想通り、言葉遣いに反応してくる。キュゥべえは首を僅かに傾け、あたかも興味深そうな仕草をした。

 

「入理乃、以前はもっと違う喋り方をしていなかったかい?それは、ミズハの真似──」

「もう違うわ」

 

 きっぱりと言い切る。

 最初は、確かにミズハの物真似だった。だが、この口調を日常会話でも、思考でも無理やりしていたのだ。一ヶ月もすれば、完全に素になってしまっていた。

 ……だから入理乃が喋る言葉は、ミズハを真似た言葉ではない。入理乃の意思による、入理乃の言葉だ。

 

「だとしても、ミズハの真似を君がするなんてね。……よっぽど彼女の魔女化に何か思うところがあったんだね」

「……」

 

 そう言われても、自分でもよく分からない。

 もしかしたら、夏音の影響かもしれない。彼女は兄の真似をすれば、兄に近づけるとよく喋っていた。

 それと同じように、入理乃もミズハの口調を真似ることでミズハに近づことしたのだろうか。

 そこまで考えたところで、入理乃は心の中で首を振った。

 ……ミズハの口調を真似たのは、恐らく戒めのためだ。ミズハの真実は入理乃だけしか知らない。そして魔法少女の真実もまた、入理乃しか知らない。それを自覚して忘れないように、ミズハの口調を真似たのだ。そうすれば自然と、ミズハのことを意識するから。

 

「……貴方、結と契約したのは何で?」

 

 気を取り直して質問する。だが言った途端、大声で罵りたい気分に襲われた。

 彼女はそれをどうにか押さえつける。ここで怒鳴っても、しょうがない。

 

「隠さず、正直に話して。私はあらかた、予想はついている」

 

 そしてそれは多分、外れていない。入理乃は頭が良い。他の人間よりもずっとずっと。だから、致命的なことまで外さない。外したことなんてない。

 

 キュゥべえはしばらく無言になる。本当のことを言うか、考えでもしているのだろう。

 

「君達の魔女化を狙ったんだよ」

 

 やがてキュゥべえは答える。その内容は、最悪のものだった。

 

「……お前って、本当に悪魔そのものよね」

 

 思った通り、インキュベーターはソウルジェムの穢れるスピードをより加速させ、いずれ誰かがミズハに次ぐ第二の魔女になるよう計画を企てていたのだ。

 入理乃、サチ、結は皆、ミズハのことで少なくとも精神的にダメージを負っていた。そして結を魔法少女にすれば、グリーフシードの争いは確実に起き、魔力消費も増大する。

 ……まったく、ろくでもないことを考える。流石は孵卵器(インキュベーター)。魔法少女を魔女に変えるためなら、御構い無しだ。

 

「……ふふ、残念ね」

「……どういうことだい?」

「お前の企みが、無駄ってこと」

 

 インキュベーターの計画なんて、結をどうにかすれば阻止できる。

 そして今夜で、結は早島から排除されることとなる。だから、魔女化なんて起きるわけがない。もし魔女化するとしたら、それはグリーフシードの入手ルートを失う結だけの話だろう。

 

「まさか……」

「そういうことよ」

 

 無表情だったが、内心ほくそ笑む。キュゥべえの反応が、実に心地良い。

 ざまあないな、と思う。キュゥべえが悔しがることはないけれど、その企みを邪魔出来ただけで、少しやり返せたような気持ちになる。

 

「そういうわけで、もうその手には引っかからない。……言いたいことはそれだけよ。死ね」

 

 刹那、風を切り裂く、ひゅ、という軽い音がした。その次の瞬間、キュゥべえが血を流し、がくりと倒れる。その体にはいつの間にか、白くて硬い四角形が刺さっていた。

 入理乃が素早く、見えない速度で硬化させた紙を投げたのだ。

 

 彼女はブランコから立ち上がると、キュゥべえにぺっと唾を吐き捨てた。

 

「……私は敵を許さない。容赦しない。いつかお前も、私の世界から排除してやる」

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 夜の町の中を、ふらふら歩いた。その途中で、人混みに紛れ込む。

 湖面に浮き、風に翻弄される木の葉のように、人にぶつかっては流されていく。しまいには人混みから弾かれて、尻餅をついた。だが、それに手を差し伸べてくれる者はいない。誰も見えていないように、あるいは見ないふりして、通り過ぎていく。

 

「…………。アハハ」

 

 おかしくて、嗤う。微笑う。

 笑みを仮面みたいに顔に貼り付けたまま、結は立ち上がる。

 手のひらにソウルジェムを乗せて歩き、魔力を探知。

 しばらくすると、突然宝石がちかちかと光り出す。すぐ近くに、魔女が出現したのだ。

 

「ハハハハハハ」

 

 笑い語を漏らす。変な風に周りから見られたが、気にしない。

 上機嫌に魔力を追って、導かれるように既に閉まったスーパーに行く。魔力を確認すれば、思った通り先程感知した魔女のものだった。

 だが何故か、その正面ドアには既に魔女の紋章が浮かんでいる。つまり、誰かが結界への入り口を開けたのだ。

 

「……?アハハハハハハ、関係ないアハハハハハハハハハハ」

 

 一瞬疑問に思ったものの、結は笑う。余計な思考なんて、したくなかった。

 

 迷わずメイド服に変身して、結界に入る。

 途端、結界の背景が後方へ伸びて、別の背景へ変わった。そして一秒を数える間も無く、また同じように景色が後方へ流れ、見知らぬ世界へ入れ替わっていく。

 まるで絵本のページを捲るみたいに、次々に背景が歪んで、異なる背景へ切り替わっていく。

 その度に、おどろおどろしい気配が強くなっていった。どうやら入った瞬間、魔女に気づかれたらしい。こうして背景が変わっていっているのは、階層を強制的に跨がされているからだ。結は最深部へ向けて、誘われているに違いない。

 

 やがて、背景の切り替わりが終わる。

 そこは、見事な内装だった。天井には煌びやかなシャンデリアがあり、床には豪奢な家具の数々が並べられていた。その中央には大きな天蓋付きのベットが備え付けられており、そのカーテンは完全に閉められている。

 だからか、その場所だけかなり違和感を覚えた。不思議に思って、不用心に近づいていく。

 そして二メートル弱まで近づいたところで──カーテンの奥からジャコ、という無骨な音が聞こえた。

 それを認識した途端、発砲音が響く。カーテンの内側から銃弾が飛び出し、右腕の付け根に当たった。

 思わずよろめく。

 そこへ、カーテンが開かれて飛び出した人影が、手にした長銃で結を横から殴りつけた。体が吹っとび、家具の一つにぶつかって止まる。その衝撃で、カハ、と息が漏れた。

 

「入理乃!!」

 

 人影──セーラー服の魔法少女、船花サチが叫ぶ。 

 それに合わせ、上から紙の帯が降ってくる。それはぐるぐると結に巻き付き、きつく縛り上げる。

 僅かに仰ぐと、家具の上には着物姿の魔法少女、阿岡入理乃がいた。その手には、結を拘束している紙の帯が握られている。

 入理乃はすとりと家具から降りると、逃げられぬよう結の上に乗って、彼女を床に押さえつけた。普段ならば退けられるだろうが、縛られている以上、それは叶わない。

 

「……意外とあっさり」

 

 少し驚いたように、入理乃は呟く。そしてしばらくの間、信じられないような顔をしていたものの、ゆっくりと満面の笑みを浮かべる。

 

「……でも、あの時とは逆に、お前が船花ちゃんにしたことをやり返せてる。……ふふふ、ざまあみやがれ」

 

 サチに気づかれないためにか、小さく控え目に入理乃は笑う。だがそ

れは勝利に酔いしれている声で、明らかにこちらを嘲ったものだった。

 

「……」

 

 にもかかわらず、結は口の端を持ち上げる。そして、そこから一切他の表情に変えない。

 ……もう結は、魔女以外のことしか考えていなかったのだ。だから、いくら馬鹿にされようと、何も思わない。反応しない。

 

「……魔女。魔女魔女魔女魔女……」

 

 結は笑って、魔女魔女魔女、と譫言のように言い続けた。

 早く早く、魔女を壊さなきゃという気持ちでいっぱいだった。湧き上がる衝動に心が支配されて、思考は完全に凍結されている。

 抵抗できないことも認識できなくて、結はもがき続ける。魔女の元に、一ミリでいいから近づきたかった。

 

「……っ」

 

 そんな結が気に入らなかったのか、入理乃は笑うのを止めた。そして納得できない様子で、結を睨み続けた。

 

「お前はどこまで……」

 

 恨み節を吐き捨てる。そこには、彼女の中で暴れ、渦巻いているであろう感情がすべて込められているようだった。

 

「入理乃……」

 

 側にやってきたサチが、心配そうに入理乃の顔を覗き込む。入理乃はそれにはっとし、一瞬だけ瞳を揺らした。何か言おうとしたのか、口を開きかける。しかし、首を振ると、

 

「私は……、大丈夫」

「けどよぉ……」

 

 結を見下ろすと、サチはどうすればいいのか分からないといった表情になった。

 それもその筈だ。

 結の状態は普通ではない。そんな異常なもの前にしたら、誰だってそんな顔にもなる。

 

「大丈夫……。だから……」

「……任せてってことね。分かったよ……」

 

 しょうがない、とサチは肯首する。入理乃は少しだけ嬉しそうに微笑すると、すぐに真剣な顔つきになった。

 

「……結」

 

 入理乃が呼びかける。勿論、結の耳には届かない。

 彼女は、はあ、とため息をつく。そして面倒臭そうに、紙の帯を握っていない方の手で、袖口からあるものを取り出す。

 

(……!?)

 

 眼前に現れたそれに、結は目を奪われ、一瞬のうちに釘付けになってしまった。魔女、魔女と連呼するのさえ忘れてしまう。

 何故なら入理乃の手にあるものは──魔女の卵、グリーフシードだったからだ。

 正確にはグリーフシードが加工がされたもの、といった方が正しいか。その先端の両方にはどちらとも白い紙に覆われており、中心部はくり抜かれていた。

 入理乃は自分が持っているものを、結がちゃんと見ていることを確認すると、静かに告げた。

 

「……この結界に、魔女はいない」

「……魔女……、いない……?」

 

 あり得ないと、戸惑ってしまう。

 だって、ここはどう見ても魔女の結界だ。それに感知した魔力は、確かに魔女のもので──

 

「……詳しくは忘れたけど、“これ”はな、魔女を孵化させずに魔女の結界を張れるっつー便利なもんなんだ。まあ、その代わり使い切りなんだけどね」

 

 サチが入理乃が持つ、黒い球状のものを指指しながら説明する。

 ほらとでも言うように、入理乃はそれを結に突き出すと、握ってヒビを入れてみせた。

 すると結界が消え、夜のスーパーへと世界が戻る。

 結は目を見開いて、周りをきょろきょろと見渡した。当然、魔力反応も、消えてなくなった。

 

「……元はグリーフシードよ。結界の魔力反応も、……元のグリーフシード──魔女のものになる。……勿論、少しは違うけど。でも……貴女なら、引っかかってくれる……。魔女を目の前にすれば、私達への注意も鈍くなるし」

 

 大変だったよな、この三ヶ月間、とペラペラとサチが話し出す。

 曰く、使い魔とか魔女が出ないように細工するのが大変だった。しかも結は残存魔力のあるところしか現れず、また残存魔力でパワーアップするから、それ以外で捕獲しなければならなかった。それで行動圏内を調べるのにかなり時間もかかった。“これ”が完成するまでの間、残存魔力がある土地とられねえようにしなければならないのが、一番辛かった。

 懇切丁寧な説明だった。こうして捕らえた以上、どうしてこうなったかの答えを教えてあげているのだろう。

 そうして一頻り喋った後で、数分沈黙すると、

 

「……お前は私達に負けたんだ。大人しく、奪った縄張りを私達に返せ」

 

 若干苦しげに銃を結の眉間に押し当てた。

 

「……」

 

 結はぽかんとした表情になった。

 サチが説明してくれたのに、今の自分の状態がよく分からなかったのだ。

 だから、サチが言った言葉を復唱してみる。

 

「……負け」

 

 自分が負けた?

 ……もしかして、こうして縛られて銃口を向けられているのはそのせい?

 しかしそれこそ、おかしい。どうして結なんかが、こんな簡単に負けなければいけない。

 それに負けちゃったら、もう好き勝手出来なくなるではないか。縄張りを失えば、当然魔女も壊せなくなる。

 

(……あれ?あれ、あれ、あれ?)

 

 おかしいことに、内から何か熱いものが込み上げてきた。それは胸のところに集まって、心臓を締め付ける。

 その感情を止めようと、いつものように笑った。だけれども、全然止まってくれない。更におかしくなって、結はげらげら笑った。

 

「……何がそんなにおかしいんだよ」

 

 サチが暗い表情で俯いた。こんな状況で笑っているのが、未だに彼女には解せないようだった。

 

「……もう笑わないでよ。気分が悪くなってくる」

 

 入理乃がぼそりと呟く。そして、行き場のない苛立ちをどうしたら良いんだとでも言いたげに、憎々しげに奥歯を噛み締めた。

 

「……ねえ、一つだけ聞かせて……」

「アハハハハハハハハハハハハ。………………」

 

 笑うのも疲れてきた頃、入理乃がそう聞いてきた。その声に、ちょっとだけ耳を傾ける。

 

「結……。どうして、貴女は私達の縄張りを奪おうとしたの?……何か理由があるんでしょう?」

 

 そう言われて、どうしてだっけ、とぼんやり考える。

 きっかけが思い出せない。……いや、思い出せるけど、思い出しくない。

 でも、どうして思い出したくないんだろう。

 

「もしかして……、ミズハさんのせいなの?」

「……?」

 

 首を傾げた。ミズハ、なんて覚えがない名前だったからだ。

 

(……そうだっけ?)

 

 けど、本当は知っていたような気がする。ずっとずっと昔から……、いつもその名を呼んでいたような気がする。

 

「ミズハ……」

 

 愛おしくなる響きだった。魔女、魔女、と連呼する代わりに、ミズハ、ミズハ、と心の中で繰り返した。

 ……ずき、と頭が痛む。その時、“ミズハ”の顔が脳裏に浮かんだ。

 

「あ……」

 

 結は青ざめた。

 ……自分がやってきたすべてのことを、ミズハのことを思い出したのだ。

 それと同時に、心底ぞっとした。大切な従姉妹を、今まであろうことか忘れていた。そんな自分が、とても恐ろしかった。

 ようやく、狂気が薄れて正気に戻っていく。結はしっかりと現状を把握し──残酷な現実をも、把握してしまった。

 

「あ、ああああああああ、あああああああああ!!!!」

 

 黒い絶望が心を襲った。

 自分の罪を、今こそはっきりと自覚する。その罪の重さに耐え切れる訳もない。泣きながら、言葉にならない叫びを上げた。

 

「な、何だ一体……」

 

 何が何だか分からない、とサチは怖がる様に顔を引きつらせた。

 一方の入理乃はぎょっとした様子で、慌てたように袖口からグリーフシードを取り出す。

 そしてすぐに結の体から離れ、彼女の太ももにある宝石──穢れがかなり溜まったソウルジェムへと押し当てて浄化した。

 その時、紙の帯が弛む。急いでいたあまり、うっかり帯を手放してしまったのだ。

 

「……ま、まず!!」

 

 はっとして入理乃がそれを再び握ろうとするが、もう遅かった。結は起き上がる反動で銃口を押し、サチに尻餅を着かせる。入理乃が飛びかかるも、その頃には紙の帯は解けていた。入理乃を容易くかわすと、結はその場から走り出した。

 

「待て!!」

 

 後ろから入理乃達が追いかける。だが、その足の速さは結に軍配が上がっていた。

 どんどん距離を離し、結は暗闇の町へ溶け込んだ。



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結 12

今年もよろしくお願いします。


 闇夜の中、入理乃とサチは路地裏を全速力で駆けていた。

 彼女達の前方には、メイド服の魔法少女が同じように全速力で逃げている。その差は、ぐんぐんと引き離されていっている。

 

「くそ、あいつ速すぎだろ!」

 

 隣で並走しているサチがぼやいた。

 確かに、結の速さは尋常じゃない。こちらは名一杯脚力を強化しているというのに、結は何もしていないのだ。その素の運動神経だけで、入理乃達から逃げきろうとしている。

 勿論、入理乃達が特別足が遅いわけじゃない。むしろ、ベテランな分そんじゃそこらの魔法少女よりかは速い。

 それだけ結の能力が出たら目だということだ。結は誰よりも魔法少女の資質が高い。

 

(あんなことがなければ……!!)

 

 走りながら心の中で、自分がやってしまったことを悔やむ。

 結が叫んだあの時、思わず柄にもなくやばいと思った。

 あのまま結に魔女になってもらわれたら、サチに魔女の真実がバレてしまう。それだけは、なんとしても避けねばならなかった。

 だからグリーフシードでソウルジェムを浄化したのだが、まさかその時に帯を落とすとは、なんてドジなのか。

 焦って失敗してしまった。自分で自分が嫌になってくる。慌てず、もうちょっと冷静に対処すればこんなことにはならなかった。

 だが後悔しても後の祭りだ。今はくよくよしているよりも、結を捕まえなければならない。

 

 入理乃は結が角を曲がったタイミングで、もう一帯を放とうと手に魔力を集める。

 だが、結を追いかけて角から飛び出したその時、パッと幾つもの灯りが飛び込んできた。

 角の向こうに、多くの灯りをつけた店が並び立っていたのだ。どうやら市内でも数少ない、人が多く集まるところらしい。通行人が結構いて、店の前の道路にもビュンビュン車が走っている。

 

「……!!」

 

 慌てて入理乃達は角に身を隠す。

 しかし、結の方は変身を解かずに町の中へ走っていく。

 少し周囲がざわついた。結が目の前を通ったのが一瞬過ぎて、何が走っていったのか分からなかったのだろう。誰もが首を傾げていた。

 

「あいつ……、有り得ないだろう」

 

 サチが信じられないといった感じの呆れ顔をする。

 魔法少女の姿のまま一般人の前に行くのは、色々ややこしいことになりかねない。にも関わらず、結は魔法少女のまま飛び出していった。普通ならば有り得ないことだ。

 

「彼女……、見えなくなっちゃったわね」

 

 辺りを見渡しても、結が何処にいるのかは分からない。彼女の背はあっという間に小さくなって、通行人に紛れてしまった。今頃、もっと見つからない場所へ向けて逃走していることだろう。

 

「……入理乃。どうしてくれるんだよ。結が逃げたの、テメエのせいじゃねえかよ」

 

 不機嫌そうにサチが言う。入理乃はびくりと肩を跳ねさせて縮こまった。

 

「……ご、ごめんなさい……!!」

 

 サチに迷惑をかけたことが心底申し訳なくて、入理乃はこれ以上ない程怯えた。

 入理乃にメリットが見出しているから、サチは入理乃と一緒にいるのだ。役立たずと判断されたら、きっとサチは入理乃の元から去ってしまう。だからこちらを攻めるサチの視線が怖かった。

 

「……そう怯えるなよ。心底責めているわけじゃねえし」

 

 居心地が悪くなったのか、サチはちょっとだけばつが悪そうにする。

 申し訳なさが増して、入理乃は悔しさのあまり俯いた。

 

「それに……何で結のソウルジェムを浄化したのか、とか、色々気になることもあるんだけどさ。……何か事情があるんだろ?なら聞かないでおくよ。答えたくなさそうだしね」

「船花ちゃん……」

 

 内心、ちょっとだけほっとする。深く追求されずに済んだのは、かなり運が良かったと言えるだろう。これで誤魔化す手間が省けた。

 

「とりあえず、結を探そう。そうしたら、全部解決済んだから」

 

 元気付けるように、サチは入理乃の肩を叩いた。その心遣いに、じんと胸が熱くなる。

 入理乃は顔を上げ、うんと小さく頷いた。

 

「そうね……」

 

 二人は一旦変身を解くと、角から出て結の魔力パターンを追った。

 しかしあまりにも結が速く逃げすぎたためか、何かに邪魔されたように上手く魔力を捉えることが出来ない。

 

「なんかおかしくねえか?……何でこんな魔力の痕跡がねえんだよ」

 

 訝しげにサチが呟く。彼女の言う通り、ここまで魔力反応がないのはおかしい。

 結の魔法か、と入理乃は一瞬思う。

 だが、結は今までこんな魔法を使ったことは一度もない。それにあの逃亡時の様子から、冷静な判断が出来ているとは考えにくい。彼女に小細工は不可能のだろう。

 

「……でも、そう遠くに逃げているわけがない。あんなに速く走って行ったんだもの。……体力の限界はすぐに訪れるわ」

「でもあいつ、あんな反則級の魔法もってるんだよ?」

 

 結の固有魔法、肉体の時間操作を使えば、疲れる前の状態に幾らでも戻せる。つまり、疲労なんて一瞬で回復してしまうのだ。

 走り放題じゃねえのか、とサチは疑問を口にする。入理乃はそれに、首を振って答えた。

 

「……あんなじゃんじゃん使っているから分かりづらいだろうけど、……あの魔法は魔力消費量が比較的高いし、ソウルジェムにもかなり負担をかけるわ。最近、お互いグリーフシードの量は少ないし、何度もあの魔法は使えはしないはずよ」

「……ふーん。なるほどねえ。それじゃあ、やっぱり遠くまで逃げるのは不可能なのか」

 

 説明を聞き、サチは納得したような顔をする。

 

「なあ、だったら二手に分かれようよ。そうした方が速いでしょ」

 

 入理乃は考える仕草をする。そして、サチの言うことに頷いた。

 

「……そうね。そうした方が早いかも……」

「なら、船花様はこっち探すから。入理乃はあっちな」

「ええ。……見つけたら、連絡する」

「分かった。こっちも見つけたら連絡する」

 

 サチはそう言うと、すぐ横の道を曲がっていってしまった。

 入理乃はそれを見届けることなく、心当たりの場所へ走っていく。

 その場所は、小さな神社跡地。ここで一番近い残存魔力があるところだ。

 人目を避けるため、再び路地裏へ入ると同時に変身。走るスピードが、一段と速くなった。

 道をショートカットしながら約十分間進むと、目当の神社跡地に辿り着く。

 きょろきょろと周りを見渡し、魔力を集中して探る。しかし空振りだったのか、結の魔力は感知できなかった。

 期待外れか、と少々落胆する。そうして、さっさと次の心当たりへ行こうとした。

 

「……!!」

 

 だが、足が止まる。背後から、何か足音が聞こえてきたからだ。しかも、感じ慣れぬ魔力パターンまでする。

 急いで武器を召喚し、警戒態勢をとって振り返る。そして後ろにいた人物を見た瞬間、酷く驚いた。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 結は脇目も振らず、とにかくがむしゃらに走った。

 何処に逃げようかなどは、まったく考えていない。もちろん、周りの目なんてものも考えていない。

 あらゆることに、気が回らない。ただただ逃げることだけを、足を動かすことだけを優先して、必死になっていた。

 

「……はあ、はあ、はあ」

 

 やがて体力の限界が訪れ、結はそばにあった家の壁に手をついて立ち止まる。

 呼吸は酷く荒い。心臓の鼓動が、耳の奥でばくばく鳴っている。

 

 結はふと、何をやっているのだと自分で自分に呆れた。

 あの場で素直に捕まっておけば、縄張り問題も多少は丸く解決したかもしれない。だが逃げ出したことで、そのチャンスを潰してしまった。

 ……魔女をあれだけ壊したいと躍起になっていたのに、完全にその気は失せていた。

 魔女を壊したところで、この呪いじみた破壊衝動はなくならない。壊すだけ無駄だ。それどころか、より狂って正気を失っていたのだ。

 それなら、縄張りなんて面倒なもの、いらない。グリーフシードもいらない。結が持っていたって持て余す。

 結は自分のことを、阿保だと嘲笑った。

 何が、魔女を壊せば壊すだけ正常になるだ。そんな訳がないだろう。ただ何かを壊したくて仕方がなくて、言い訳していた。自分で自分を正当化し、やりたい放題、好き放題していただけだ。

 愚かにも程がある。何て馬鹿馬鹿しい。

 結局、結が普通になる方法などないのだ。結は根っこから狂っている。

 でも何で、自分はこんななのだろう。何故、こんな風に生まれてきてしまったんだろう。

 皆、皆、普通だ。なら結だって、普通に生まれてきても良かった筈だ。

 結は自分と周りを比較し、すべてのものに憎悪する。

 大嫌いな一族も、仲が良かった友達も、結婚したユミハも、死んでしまったミズハも憎い。何より一番憎いのが、からっぽで、何一つ上手くいかない自分。他人を憎んでいる自分だった。

 

 こんな時に、ミアが居てくれればと思う。心が不安定になった時、ミアの毛を撫でれば、それだけで心がすっと軽くなった。

 しかし、ミアはもう結の元にはいない。願いを叶えたあの後、結はミアを別の家に預けた。また自分がミアを殺してしまうのではないかと思うと、怖くて仕方がなくなったのだ。

 ……これで、結の理解者は一人もいなくなった。結はミアを殺した時から、完全に独りぼっちになってしまった。

 

「広実結」

 

 少年の声が、名前を呼ぶ。結ははっとなった。

 

「……!!」

 

 すぐ近くの外灯の光が、小動物、キュゥべえを照らし出している。

 自分よりも小さいくせに、変な迫力はあるように感じられた。結は怖気付くように、少し後退った。

 

「キュゥべえ……」

「どうしたんだい?ただ事じゃない様子だけど」

「それは……」

 

 沈黙し、俯く。

 ここは詳しく説明するべきだろう。だが、素直に話そうとすると、喉の辺りでつっかえるのだ。次第にどうしたら良いか分からなくなって、感情が膨らんでいく。

 結はつい、キュゥべえに助けを求めた。

 

「……償える方法を教えて」

「償う方法?それは誰に対しての償いなんだい?」

「ミズハだよ。伊尾ミズハ」

「……君はもしかして、ミズハに謝りたいのかい?」

「そうだよ……」

 

 自分のやってしまったことを、ミズハの前で懺悔したかった。この気持ちを、ミズハに伝えたいと思った。

 それは神の前で、何かを必死に祈る時の心情と同じだった。

 

「だけど、ミズハ本人は既に死亡している。もしも彼女の墓に謝ったとしても、それはミズハには届かない」

「……」

 

 そんなの、言われなくても結は分かっている。いない人間にいくら話しかけたところで、何も返事は返ってこない。

 だったら、いっそのこと──

 

「僕、ミズハを生き返らせたいんだ……。生き返らせて、この理不尽な現実を無かったことにしたい」

 

 結は自分の孤独を、認めたくなかった。新しい自分の理解者──自分を救ってくれる人が欲しかった。

 だから、もう一度だけで良い。ミズハの顔に触れて、ミズハの言葉を聞きたかった。この現実を──ミズハが死んだことを改めて否定したい。

 

「……だって、おかしいよ。何であの子は死ななきゃいけなかったの。僕のせいで、何で死ななきゃいけなかったの?」

 

 ミズハはもっと生きるべきだった。幸せになるはずだった。死ぬとしたら、それはある程度老いて寿命で死ぬべきだ。

 それが、結のせいで死んでしまった。まだ中学生で、この先もっともっと楽しいことが待ち受けてる筈だったのに。

 

「あの子は普通に生きる権利があった。あの子は自由だった。それがどうして……。……皆死んでしまえばいいのに。ミズハの代わりに、僕も皆も死んでしまえばいいのに。アハ、アハハハハハハハハハ……」

 

 怒りと苛立ちが湧き上がり、結は自分の腕を引っ掻いた。その際に力を入れ過ぎたせいで、ぎゃりっと皮がむけて血が流れた。

 破壊衝動が、少しだけ満たされる。それが煩わしくて、結は腕を治癒しながら少しだけ笑った。

 

「……死んだなんて、認めない。僕が、生き返らせなきゃ」

 

 ミズハを殺してしまったからこそ、ミズハをこの手で生き返らせる必要がある。

 ……そう思わなければ、とてもではないが平静さを保てなかった。

 

「……」

 

 キュゥべえは、結をしばらくの間無言で見つめていた。

 結には、キュゥべえが何か熟考しているように思えた。不思議と緊張してしまって、結もキュゥべえを見続ける。

 そして、やがて彼は唐突に衝撃的なことを言ってのけた。

 

「……。生き返らせることとは違うかもしれないけれど、伊尾ミズハを復活させることはできるよ」

「……え?」

 

 耳朶に飛び込んできた言葉が、一瞬冗談に思えた。

 でも、キュゥべえは何でも一つだけ願いを叶えることができる魔法の使者だ。どれだけ非現実的であろうとも、キュゥべえの言うことなら、何でも実現可能のように感じられた。

 

「……ど、どうすれば良いの!?教えて!!」

 

 縋るように請う。

 どんなに大変なことだろうが、ミズハのためなら何でもやりたい。たとえ、自分を犠牲にしてでも彼女にまた会いたい。

 

「……ミズハの体の部位から、彼女の全身体を復元すれば良い。その部位が切り離されたその前の状態に、君の固有魔法、肉体の時間操作を利用して再現するんだよ」

 

 思ったより突拍子もないことを言われ、結は息を飲んだ。

 結の固有魔法で、肉体を復元?自分にそんな力があるなんて、想像したこともなかった。人一人の肉体を丸ごと生み出すなんて、神の御業だ。

 

「キュゥべえを疑う気はないけどさ、……ほ、本当に出来るの?僕なんかが?」

「前々から思ってたけど、結構君は自信がないところがあるね」

 

 キュゥべえがこちらに歩み寄る。結は魅入られるように、その赤い目を見つめた。

 

「そう弱気になる必要はない。理論上は可能だし、結はそうできるだけの力がある。もっと自分を信じるんだ」

 

 ごくり、と生唾を飲み込んだ。結は自分を信じたことが、一度もなかった。だからこそ、そう言われて急に手汗をかいてしまった。

 

「……分かった。キュゥべえの言う通り、自分を信じる」

 

 ありがとうと礼を言って、結はキュゥべえを抱える。そして大きく飛躍し、近くの家の屋根に軽く降り立つ。ぴょんぴょんと、次々と家々の屋根を飛び移り、結は目的地へ急いだ。

 

「一体どこへ向かっているんだい?」

 

 腕の中でキュぅべえが聞いてくる。結は足元に気をつけながら答えた。

 

「僕の家だよ」



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結 13

これでようやく結編は終わりです。


 結は自分の家である日本家屋にまで辿り着くと、庭に回った。そしてそこから自室の窓を開け、中へ入る。

 玄関から入っても良かったが、鍵ではガチャガチャと煩い。おまけに玄関の引戸は古くなったせいか、開けると結構音がする。それならば、こうやって中に入った方が静かで良い。泥棒に間違われるのは心底ごめんだ。

 

 結は照明がわりに(蛍光灯が切れていたので仕方なく)、緑色の光る浮遊する球体を呼び出す。

 そして、机の引き出しからお守りを取り出した。

 

「これをどうするんだい?」

「これを使って、ミズハを復活させるんだよ」

 

 このお守りは、自分の髪の一部を入れ、互いに交換する、という伝統的なお守りだ。親愛を込めて安全祈願をするためのもので、彼女は従姉妹達とそれを交換していた。いじめが始まって、従姉妹の一人が引きこもり、ついには死ぬ半年前に。魔法少女になる前に。

 そしてこのお守りには、先程も言った通りミズハの髪が入っている。つまり、ミズハの体の一部が入ってる。ならば、理論上は戻せるはずなのだ。分離した髪を元に、ミズハの肉体を生み出せるはずなのだ。

 

「っ……」

 

 いざやるんだと思うと、緊張して躊躇が生まれた。込み上げてくるものがあって、思わず泣きそうな顔をしてしまう。

 だが逡巡している場合ではない。意を決してお守りを握ると、畳の上に置いた。

 

 彼女はお守りのミズハの髪に、魔力を送り込む。

 変化はすぐに現れた。まるでコマ送りのように、ひと房の髪が一瞬にして長く伸び、先から頭の皮膚を構成。さらに顔を復元し、首の骨を筋肉などが覆い、四肢が出来上がって、徐々に分離した前の状態、ミズハの体になっていく。

 呆けて結はその様子を見ていた。

 

「……ミズハ」

 

 顔を覆って、うわ言みたいに呟く。涙腺が熱くなった気がする。自然と笑みが零れ、歓喜で息が震える。

 

「………、あの子だ。あの子がここにいる……」

 

 結は畳に座ると、うつ伏せになっている全裸の従姉妹へ、魔法で軽く刺激し目を覚まさせてやる。

 すると、ぱちぱち、目が閉じた。抱きしめて胸に耳を当てると、どくどく、心臓の音を感じる。命を確かに感じる。

 

「……信じられない」

 

 今は、夢か、幻か。恐らくその両方だ。彼女はその時、そう思った。自分は、甘い甘い、理想の世界を見ているのではないかと。

 

「……信じていいのかな?」

 

 その体はからっぽになり、消滅したはずだった。それが、どういうことだろう。

 手足、心臓、腸に肺に血管に、脳髄。それらがちゃんと揃って、一つの体として目の前にいる。

 

「ねえ」

「………………」

「ねえってば……」

 

 だが、何故だろう。反応はなく、抱き寄せても、自ら動くことはなかった。

 その従姉妹の目は虚ろである。何もない、というか、“存在していない”というか、まるでぬいぐるみみたいだ。しかも綿がなくって、萎んでしまったものにそっくりだ。

 それを理解したのは、一時間たった後。声が枯れたあとである。

 

「……どうなっているの」

 

 彼女は愕然とした思いで、従姉妹を見た。無表情な顔が、とても無機質。暖かなものが、途端に冷たいものに変貌した様に感じられる。

 

「……キュゥべえ!!ミズハは僕の魔法で復活したんだよね!?なのにどうして動かないの!!」

 

 裏切られたような気持ちになって叫んだ。しかしキュゥべえは、何も表情を変えることがない。そしていっそ冷酷とも取れる平坦な声で告げた。

 

「あくまで復活したのは、体だけだ。心まではどうにもならないよ」

「そんな……」

「……でも、このミズハに自我はないが、聴覚は正常に働いている。君の謝罪は彼女に届く」

「……。そういうことじゃない。僕が望んでいるのは、そういうことじゃない」

 

 納得できない思いに駆られる。親しい人物に、騙されたような心地だった。

 しかし、……良く考えてみれば、分かることだった。これは、意思なんてない、ただの肉塊。魂はとっくにないのだから、心なんてあるわけない。従姉妹は確かに生き返ったのかもしれない。だが、肉体しかないのだ。

 

(……そっか)

 

 やはり死者は絶対帰っては来ない。だから、何も言えない。彼女に対して、何も。

 

「ふふふ、まあ、……そうだよね。上手くいく訳ないよね。だったら……」

「──そうやって、安心しないでよ。馬鹿お姉ちゃん」

 

 その時、窓の方から声がした。その方を向くと、結はぎょっとした。

 窓脇に、色素の薄い髪の少女──東順那が座っていたのだ。

 何でこんなところにいるのか分からなくて、言葉も出なかった。しかしそれよりも、結は少女のその格好に驚いていた。

 順那は黒いゴスロリ服を身に纏っていた。まるで魔法少女の服装だ。頭には大きなリボンがあり、ソウルジェムと思わしきものが付いている。

 

「順那……」

 

 絶句した眼差しを向ける。

 だが順那はにこりと微笑むと、窓枠から降りて中に入ってくる。結の前まで来ると、自慢するように両手を広げた。

 

「見て、この魔法少女衣装。とっても可愛いよね」

「……信じられない」

 

 悪い悪夢でも見ているようだ。頭痛がしてくる。こんなの、まったく聞いてない。

 

「何やってんの……、順那」

「そっちこそ何やってんの?どうして死んだミズハがそこにいるの?」

「それは……」

 

 結は言い淀んだ。何と説明したら良いか、分からなかったからだ。

 まさかミズハに会いたくて、魔法でミズハの肉体を復元したなんて、言えるわけもない。

 

「お姉ちゃん、ミズハに謝りたいの?だから、そんなことをしているの?」

 

 順那は首を傾げた。

 その明るい調子が彼女らしくもあったが、それが返ってぞくりとする。順那の瞳はとても純粋すぎて、人間離れしていた。今まで妹同然に可愛がってきたのに、結は心底彼女のことを気持ち悪いと思った。

 順那はにこにこしたまま、ミズハの体に触れる。

 すると、突然抱き抱えたミズハの顔が、ぐりんとこちらを向いた。

 ミズハの目が瞬く。炎にも似た輝きがボッと二つ点り、彼女を凝視する。射抜かれ、思わずどくんと心臓が飛び跳ねる。

 

「……!?」

 

 驚いたあまり、固まった。

 従姉妹の体が勝手に起き上がって結から離れ、手の中が軽くなる。しかし、重みがこびりついたように感じられてしまう。

 ミズハは立ち上がって、魔法少女の衣装と思わしきローブの姿に変身すると、結に相対する。その表情は、まったくと言っていいほどに闇夜で見えない。

 

「……あ、ああ……」

 

 動くはずがないと言われたのに、ミズハが自ら動いた。明らかな異常に、結は瞠目した。

 しかし、結はミズハを不気味だとは思わなかった。奇妙だとは思わなかった。

 ただ、恐怖があった。あんなにもミズハに会いたいと思っていたのに、何でだろう。とても、とても──

 

「……どうして?」

 

 ミズハは、低い声で尋ねる。

 ぎん、と双眼の火が憎々しげに燃え上がる。結がゆるゆる首を振るのも構わず、彼女は激情のまま怒鳴り、怨嗟を吐き出す。

 

「どうして、私はこんな目に合う!!!どうして役目を果たそうとしない!!!私はこんななのに!!お前は本家の人間だろうが!!」

「……ごめん」

 

 結は涙を流し、謝る。頭が謝罪で埋め尽くされ、真っ白になっていく。

 

 ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめん。

 

 すいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいません。

 

 ごめんごめんごめん、すいませんすいませんすいませんすいません。

 

「許さないで許さないで決して許さないで許されようとは思っていません思ってませんから君を忘れた罪も君を殺した罪も入理乃ちゃん達を傷つけた罪もちゃんと清算します清算させてください僕は汚い罪人だ罪人は裁かれなくちゃいけない罪人は罪人らしく酷い目に遭うべきなんだ僕なんか死刑がお似合いなんだよ僕はいちゃいけないんだ僕には相応の報いが必要だ罰は受けます罰をきちんと受けます贖罪しますどうか僕を詰ってください、だから──!!」

「──僕を罰して欲しい?」

 

 息が止まった。全身の毛が逆立つ。ゆっくりと、順那の方を向いた。

順那は、よく分からない表情を浮かべていた。

 

「……お姉ちゃん、ミズハが動かないって分かって安心したよね?それが自分の罰だとでも思ったの?」

「ち、違う……」

 

 声が酷く弱々しかった。強く否定したかったのに、結にはそれが出来なかった。

 順那は少しだけ、憐むように微笑んだ。

 

「……罰を受けるのは怖いけど、でも罰して欲しいんだよね。貴女は罪で苦しんでるけど、その罪は簡単に許されるわけじゃない。だから、それ相応の報いを受けて解放されたいんでしょ」

「そ、そんなことない……」

「じゃあ、何でそうやって笑ってるの?」

「……!!」

 

 そこで、結は初めて気がついた。自分の口角が、僅かに上がっていることに。

 思わず愕然とする。全身が震えた。

 

「……()から怒鳴られたら、そんな反応をしちゃうんだね。……罰を与えようとも少し思ってたけど、でもそんな姿を見ちゃったら……」

 

 可哀想ね、と順那が俯く。瞬間、結は奇妙な感覚を味わった。

 彼女の雰囲気や表情が、急に変わったのだ。しかもその感じが、何処か見覚えのあるものだった。

 順那はミズハの体に再度触れる。すると、ばたりとその体は畳の上に倒れた。結は驚きのあまり、我が目を疑った。

 

「結。悪いことをしたわね。今の私は順那に縛られてるから、彼女の悪ふざけを止められなかったの」

 

 申し訳なさそうに謝ってくる。

 結はそんな順那の変わりっぷりに戸惑いを隠せない。一体、何がどうなっているのさっぱりだ。

 

「……とても信じ難いことだ。いくら魔法少女の奇跡であっても、復活なんてできないはずだ。それが、もしかして……」

 

 キュゥべえが珍しく、驚いたような口調になる。順那は、らしくない笑顔を浮かべて見せた。

 

「そう、私は伊尾ミズハ。順那は成功したの」

「……え?」

 

 ぽかんとなった。結からして見れば、どこからどう見えても彼女は順那だった。

 それが、ミズハだと名乗ったのだ。結は順那の気がおかしくなったのではないか、と思わず疑った。

 しかし、かなり嫌なものを結は感じていた。何か、良くないことが自分の知らぬうちに起こったような……、そんな予感がして仕方なかった。

 

「……何、……言ってんの?順那がミズハの訳がないじゃん……。それにミズハは死んだんだ。絶対に帰ってくることなんてない……」

「……そうね。普通、死者は帰ってこない。でも、それが魔法少女の奇跡なら?」

「……じゃあ本当に?」

 

 その言い分は、ある程度真実味を持って聞こえた。結は魔法少女の奇跡を、誰よりも信奉しているところがあったのだ。

 だが、結はこの時、それらに恐ろしさを感じていた。魔法少女の存在が、まるで触れてはいけない、禁断の果実に思えてならなかった。

 自分だって生き返らせようとしたくせに、いざ目の前でミズハが生き返ると、幽霊みたいで不気味だったのだ。

 

「……色んな意味で、夢みたいだ」

 

 生き返らせようとして、絶対に帰ってこないというと思っていたのに、次の瞬間、ミズハが搭乗した。

 それが酷く衝撃的すぎて、現実味がなかった。そのためだろうか、素直にミズハが生き返ったことを喜べない。半信半疑になってしまう。

 

「……信じがたいことだが……、彼女の言っていることは本当のことだよ、結。とても出鱈目だけどね」

 

 キュゥべえが順那の言うことを肯定する。結はそれに、苦い表情を浮かべた。

 

「一体どういうことなの……?説明して……」

「……うん。ちゃんと説明する。キュゥべえも私がどうやって復活したのか知りたいだろうし」

 

 そう言うと、順那は──ミズハは真剣な顔になった。

 

「順那はね、私が死んだことをそこのキュゥべえに聞かされて、こう思ったらしいの。“もっとミズハに生きて欲しかった。その人格が消え失せるなんてこと、許さないって”」

 

 それは、実に当然の感情。誰だって、大切な物を無くしたら嘆くし、怒る。順那も、ミズハが死んだと知って同様の思いを抱いたのだろう。そしてそう思ったら、ミズハを復活させようと願っても何もおかしくない。

 だが、

 

「……順那はそう、願わなかった。代わりに“ある三つの魔法を手に入れる”ことを望んだ。その魔法を使って、私を自らの手で復活させようとした」

「……まったくそんなこと、無駄だと思ったけどね。だけど、本当に成功させてしまうとは」

「……」

 

 結はしばらくの間、ミズハの話を聞いて沈黙してしまった。

 まさか結と同じことを、順那がその前にやろうとしていたなんて、想像していなかった。

 だが、ミズハを生き返らせること自体を願うのではなく、ミズハを生き返らせる力を願う辺りが、順那らしいといえば順那らしい。意外と、順那はそういうことを気にする。大切なものは、自分で掴むとることが重要だと彼女は思っていた。

 そんな順那のことを考えると、何だか居た堪れなくなって、自分が情けなくなってくる。

 もっと早く、ミズハを生き返らせることを結が願えば良かった。そうじゃなければ、順那は魔法少女にならずに済んだ。

 

「……いくつか質問があるんだけど、まず三つの魔法って一体何なの?」

「それが僕にもさっぱり分からないんだ。何しろ、その三つの魔法がどんな魔法か、僕にも説明してくれなかったからね。ミズハは何か知らないかい?」

 

 そうキュゥべえが問うと、ミズハは首を振った。

 

「……私もその三つの魔法が何か分からない。私、順那の記憶を見ることが出来ないし、魔法のことも教えてもらえない。今だって頭の中で、あたしは絶対に言わないってうるさいし」

「頭の中……?」

 

 変な言葉だと思った。まるで一つの体に二つの人格があるような……。いや、実際見ている限り、そうなのだろうが、

 

「……君達、何でそんなことになってんの?」

 

 普通、復活させるとしたら、ミズハの体ごと復活させるはずだ。それがどうして、人格だけなのだろうか。訳が分からない。

 キュゥべえが、そうか、と納得したように頷いてみせた。

 

「それが、順那の魔法の限界だったんだね。人格の復活には成功しても、肉体の復活には成功しなかったんだ」

 

 その結果、一つの体に二つの精神が宿っているのだろう。……しかも様子を見る限り、ミズハ達はそれぞれ別個の存在として思考し、一つの体を自分の体として共有している。かなり歪な状態だ。

 

「そんな状態で君達大丈夫なの?」

「大丈夫大丈夫。そういう風にしてるから」

 

 にかっと笑う。恐らく順那の方が表に出てきたのだろう。その不思議な光景にちょっと面食らいながら、本当に大丈夫かと結は訝しげな顔をした。何かあったら、それこそ嫌だし、耐えきれない。

 

「てか……、何でもっと早く言ってくれかったの?そしたら……」

「……成功したのが今日だったんだよ。しょうがないでしょ」

 

 ミズハか順那のどちらか分からないが、勘弁してよとでも言いたげに、疲れた顔をした。

 そこに苦労の数々が滲み出ているようで、結もそれ以上何も言えなかった。

 

「……でも、これから先そんな状態でどうするの?何とかならないの?例えばミズハの人格を、別のものに移動させるとか。……ここに都合よく、ミズハの体があるし」

 

 気まずげに、結は倒れている空っぽのミズハの体を指した。

 二つの人格が一つの体にあるのなら、その一方をこの体に移せば良い。そうすれば、ミズハは元通りだ。

 

「それは難しいだろう。恐らくこのミズハは──」

「インキュベーターは黙れ」

 

 ミズハが冷たく言い放ち、キュゥべえの言葉を遮る。そして、結に向き直った。

 驚いていると、ミズハは決意を込めた目で言う。

 

「……ねえ、結。私、どうしても貴方に話したいことがあるの」

「話したいこと……?」

「そう。私が死ぬまでの経緯。そしてそこに隠された真実よ」

 

 結は自然と、顔を強張らせた。ミズハの圧に押され、緊張したためだ。

 ミズハは僅かに迷いを見せながら、しかしあの決意を込めた目の光を強くした。

 

「……正直、本当は話すべきじゃないのだけれど、でも伝えておかなきゃいけない。どうか、落ち着いて聞いてね」

 

 そうして……、泣きそうな声でミズハは話し始る。まるで、葬式で遺言状を朗読する、遺族のように。

 

「……私は、いじめをしていたことにかなり罪悪感を感じていたの。だから、いじめに巻き込まれたくないって、そこの奴にお願いをして魔法少女になったの」

 

 ミズハは忌々しげにキュゥべえを睨みつけた。キュゥべえは迷惑そうに、そこまで敵意を向けるのはやめないか、と言った。

 

(……思っていたとうりだ)

 

 結は顔を曇らせ、俯いた。

 こんな予感は、どこかでしていた。

 ……ミズハが魔法少女になる理由なんて、いじめのことしか考えられない。

 

「……じゃあ、やっぱりミズハは僕のせいで、魔法少女になったせいで死んだんだね」

「……どうしてそう思うの?」

「だって、魔法少女は魔女と戦う危険な仕事だもの。命を落とす理由なんて……、それしか考えられない」

 

 直接確認するのは怖くて、ミズハの死因をキュゥべえに聞いてはいない。

 だが、魔法少女を殺せるのは、魔女くらいなもの。魔法少女は結構頑丈で、ちょっとやそっとのことじゃ死なない。交通事故とか病気とかで死ぬはずがないのだ。

 だから、結はミズハは魔女との戦闘で死んだのだと結論づけた。それに遺体が残っていないのも、魔女との戦闘だったら説明がつく。

 

「でも……、それって僕が殺したようなものだよね。僕さえいなければ、君は死ななかった……」

「……そうね」

 

 ミズハが無表情で頷く。

 それに結は、自分が串刺しにされたように思えるほど胸が締め付けられた。だが、結は彼女に少し安心感を得ていた。

 ……ミズハが自分を“大罪人”として見てくれると思うと、自分が理解されているような気になった。

 もちろん、そんなことは結は認めたくなかった。結はその安心感から、必死に目を逸らし続けた。

 

「……結。でも、ミズハは魔女との戦闘で死んでいない」

「え……?」

 

 驚きの声を出して固まる。

 キュゥべえはミズハの方を向くと、不思議がってる結に、詳しく説明した。

 

「ミズハの固有魔法は、あらゆる災難を跳ね除けるというものだ。そのせいでミズハが魔女と出くわせば、魔女の方から逃げてしまう。入理乃達に縄張りを任せてたくらい、彼女は魔女を狩れない魔法少女なんだよ」

「……な、なら、どうして死んだの?」

 

 魔女に殺された以外で、死んだ要因があるというのだろうか。

 だがそんなの、考えつかない。ミズハが自殺したとは思えないし、入理乃達がミズハを殺したのも想像できない。

 ミズハは戸惑う結に対し、何と言ったら良いやらわからない、といった表情をして見せた。そして、はあとため息をついて、

 

「私ね……ある日竹林……いじめていた子の自殺を、学校の連絡で知ったの。私は深く絶望したわ。当然、ソウルジェムは真っ暗に染まりきってしまった。そして……、そこからソウルジェムが別のものに変化して、そのせいで私は死んでしまったの」

「……別のもの?それって──」

「グリーフシードよ」

 

 ミズハが告げた瞬間、腹の底がぞくりと冷たくなった。頭が真白になる。

 

「……で、でも。それがどうしたの……!?ソウルジェムがグリーフシードに変化しただけなんでしょ?」

 

 話の方向がおかしい。

 ソウルジェムなんて、ただの変身アイテム。そのアイテムがグリーフシードになったところで、ミズハには何の影響もない。

 

「ソウルジェムは、魔法少女の魂そのものなんだよ。つまり、魔法少女の本体なのさ」

「……は?」

 

 結は素っ頓狂な声を出した。こんな石ころが魂とか言われても、ピンとこない。ちょっと顔が引きつってしまう。

 

「……そいつが言ってることは本当のことよ。私は嘘はついてない」

「……そうなの?キュゥべえ」

「うん。彼女は嘘は言っていないよ」

 

 視線が、自分の太ももに移る。そこで輝いているのは、自身のソウルジェム。その輝きはいつも綺麗だと思っていたのに、かなり不気味に思えた。

 こんな石が、魂とは信じられない。そしてグリーフシードになると言うことも、信じられない。

 でも、ミズハは嘘ではないと言う。キュゥべえも嘘は言っていないと言う。

 ならば本当に?だとしたら──

 

(僕は……ミズハを魔女化させて、挙句に動く抜け殻になって、魔法少女を殺してた?そして魔女になる?)

 

 全身から血の気が引いた。体が冷たくなっていく。がちがち、と歯がなった。

 罪の重圧が心の中で肥大化し、押しつぶされそうな感覚に襲われる。

 その重さに、絶望の目が育ち、成長していく。目の前が真っ暗になった気がした。

 自分が何れ、自分ではなくなる。狂った怪物になって、暴れ回る。

 それが結にとっては、どんな罪よりもかなりの恐怖だった。

 もうこれ以上何も壊したくなかったのだ。何の罪も、増やしたくなかったのだ。衝動に支配されるなんて、ごめんだったのだ。

 何より、自分が死ぬのが嫌だった。

 

「ひっ!!」

 

 短く悲鳴を上げる。ソウルジェムの端に穢れが生まれ、じわじわとその光を飲み始めたのだ。

 結はミズハに縋り、必死の形相を浮かべた。

 

「た、助けて!!僕、魔女なんかになりたくない!!」

「……」

「詰って!ぶって!!僕を殺して!!僕をどうか、どうか……!!」

 

 開放してくれ、開放してくれ、開放してくれ、と結は懇願する。

 罪の重圧、衝動、嫌悪感、魔女の恐怖、それらから逃げたかった。

 だから、ミズハに自分の断罪を求めた。罰を受ければ、罪は清算されるから。

 しかし、ミズハは首を振った。そして、静かにグリーフシードを結のソウルジェムに押し当て、浄化しながら言う。

 

「……あたし、東順那は、貴女を許す。けど、私、伊尾ミズハは、貴女を許さない。だから、罪の清算なんてさせない。だから、何もしない」

「そんなの……」

 

 怒りが込み上げてくる。

 それは、逆恨みに近い感情。自己中心的な、理不尽な感情だった。

 

「……開放されるなんて、甘い考え許さない。もし解放されたいなら、そのうじうじした態度を止めて、自分を、絶望を乗り越えろ。私なんかに縋ったら、結は自由じゃなくなっちゃう。それは本当の結じゃない」

「……。知ったような口を聞くな……」

 

 さも理解しています、なんていう風に言わないで欲しかった。

 自分なんて乗り越えられない。絶望なんて乗り越えられない。

 誰かに縋るしかないし、何かに逃げるしかない。目を逸らさなきゃ、やっていられない。

 それを、簡単に乗り換えられるから、とか励まされても困る。

 

「……お前は、所詮ミズハじゃない。そんな奴が、僕のことを語るな。偽物は、出て行け……。僕のことを詰ってくれないお前なんか──」

 

 いらないし、忘れてやる。

 

「……!!」

 

 それを言う前に、ガリン、という音が目の前で広がった。

 はっとすると、目の前が一瞬グニャリと曲がる。

 

 そうして、気がつけば。順那──ミズハの姿も、キュゥべえの姿も消えていた。

 代わりのように、何故かそこには入理乃が立っていた。

 

「……ようやく、こちらを向いたわね」

 

 何処かうんざりとした様子で入理乃は言った。こちらに近寄ると、すざましい勢いで彼女は結に追いすがる。

 

「一体、どうなっているのよ!!何でミズハさんの偽物がいるのよ!!意味わかんない!!貴女、何か知ってないの!?こんなの、あり得ないわよぉ!!」

 

 口振りからするに、入理乃もミズハに会ったらしい。かなり困惑した感じで、青ざめて泣いている。

 それが、結には少し哀れに思えた。だから、提案した。

 

「……ねえ、入理乃ちゃん。ミズハに関する記憶、消さない?」

「え……?」

 

 思わずと言ったように、入理乃が呆けた。結はそんな彼女に微笑みかける。

 

「お互い、ミズハのことを覚えてたって辛いだけ。このまま魔女になるくらいなら、忘れた方が良くない?」

「貴女、知ってたの……?」

 

 びっくりして、更に入理乃は気が抜けたような表情になった。結はニコニコと笑顔を崩さない。

 

「残存魔力とかあれば、記憶ぐらいどうとでもなるよね?あのミズハとか覚えてても気が変になるよ」

 

 そう言うと、入理乃はしばらくの間、顔を俯かせた。前髪が目を隠し、その表情を分かりにくくさせた。

 そしてそのままの姿勢で、考えるように沈黙すると、僅かに首をこくんと頷かせた。

 

「……ありがとう」

 

 心の底から、礼を言う。でも何故か、何かが引っかかって苦しかった。



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自分を愛して

長い間お待たせしました。


 夢を、見ていた。

 すべての始まりの夢を。

 

 ある少女が泣いていた。ある少女が何度も犠牲になっていた。

 少女は人柱として捧げられ、勝手に神様として奉られていたのだ。

 その結果すべての絶望を負わされ、宇宙の彼方で一人ぼっちに泣いていた。

 

 ただ、特別になりたいと願っただけなのに。

 

 ──その少女は、どこまでも哀れで愚かだった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 初めて(・・・)見たのは、真っ暗な世界だった。

 

 辺り一面、闇だけ。

 光という光は一切なく。色という色もなく。方角も重力も感覚も何もかもが曖昧で、嗅覚も視覚も聴覚するも働いているのか怪しい。

 だから、自分が曖昧だった。自分とこの闇との間に差はなく、自分と闇を隔てる思考すらなく、むしろ闇こそが自分と言っても良かった。

 

 闇はまさに、ゆりかごのようであった。

 無垢な自分の魂を両手で抱きしめ、大事に大事に汚い世界から守ってくれた。

 ふわふわした微睡は、いつまでもいつまでもそうしていたいと思えるくらい心地が良い。

 

 そんな状態で、一体何百、何千年時を過ごしたのだろう。

 ある時唐突に、脳内に声が響いた。

 それが“彼女”の──××××の意識が明確になった瞬間。闇と自分が分離した瞬間だった。

 

「……起きて。起きなさい。貴女はもう、起きなきゃいけないんだよ」

 

 両目の目蓋をゆっくりと開く。すると闇が少し晴れて、目の前の人影を“視覚”がとらえた。

 

 それは大人びた顔立ちの、背が高い少女だった。

 瞳に何か達観したかのような冷たさを宿し、長い橙色の髪を横に結んで流している。

 全身を覆っているのは黒を基調とした衣装で、下半身を隠しているのが前垂れのみという大分ハレンチな格好である。

 被っている帽子には菊の花飾りがつけられ、その黄色の色彩がやけに目についた。

 

 彼女を見て最初に思ったのは、見慣れている、だった。

 自分はこの少女に、既視感を持っている。

 そう、その髪も。目も。格好も。全部全部、知っている。

 

 しかし、同時に違和感もあった。何か、何か違うような気がする。

 例えば、髪型だ。彼女は、確か橙色の髪をツーサイドアップにしていた。その大人びた顔立ちが嫌いで、だからせめて髪型だけは幼いものにしていた。

 それに、ここまで背が高かっただろうか?そりゃあ同年代より少し背は高かったが、それも百六十いくかいかないかぐらいで、決して百六十六センチもなかった。

 

「あれ?」

 

 そこで疑問に思う。何で自分は、この少女の身長がはっきりと“百六十六”だと断定できたのか。

 目見当だと、〜くらい、とかいう言葉を使うはずだ。知っているからといっても、だからってどうして他人の身長をはっきり覚えている。彼女と自分は、そこまでの仲だっただろうか?

 

 ──仲も何も、そんなの“自分”で“自分”を測ったんだから、知っていて当然じゃあないか。

 

「あ……、……」

 

 そう考えて、気がつく。

 自分の目線と、少女の目線の高さが同じことに。

 肩に乗る長い髪の毛を触る。それは橙色をしており、横に結ばれていた。

 よく見ると、自分が着ている服も少女と同一のデザインである。

 

 つまり──眼前にいるこの背が高い少女は、“自分”だ。

 

 頭の中で、ある姿が思い浮かぶ。

 それは、橙色の髪をツーサイドアップにし、身長が百六十前後の、中学校の制服を来た“自分”の姿だった。

 その姿が、段々と“二年”という歳月を重ねていき、成長していく。

 それが、目の前の少女になった。

 

 ……同時に、少女に感じていた違和感が急激になくなっていく。むしろ、“二年前”の姿である方に違和感が出てくるほどに、その姿はしっくりきていた。

 

「……二年前の自分を、ちゃんと殺した?」

 

 少女が、平坦な声で聞く。××××は一瞬だけそれを不快そうに顔を歪めると、

 

「……その意味は分からないけど、自分のイメージを二年前から二年後には切り替えはした。けど、どうして私が目の前にいるの?」

 

 ドッペルゲンガーじゃあるまいし、自分が二人いるなどおかしいではないか。

 まさに異常事態である。

 ていうか、そもそもここはどこだ。どうしてこんな場所にいるのだ?

 

 何故、何故、何故?

 疑問ばかりが増えていく。正直この現状に、混乱しかない。

 

「……もしかして、自分が何なのか分かっていないの?普通生まれた時から、役割を自覚しているはずなのに」

「役割……?自覚……?」

 

 言っている意味がわからず、××は更に困惑。首を傾げるしかない。

 するとその様子に呆れ果てたのか、目の前の“自分”は物凄く嫌そうにしかめっ面をして、とてもとても大きな溜息を吐いた。

 

「うわー……。そこで戸惑うとか意味わかんね〜。我ながら何でこんなボンクラなんだよ。ここまで間抜け面だと腹がたってくるわ」

「よく言うなあ。間抜け面は貴女もでしょ?私の顔と貴女の顔は同じなのだし」

「……そのすぐ煽る癖。太々しい態度。うん。どうやら精神年齢はともかく、性格については“私”らしい」

 

 悪口を言いながら、何かを納得する“自分”。

 何か釈然としないというか、不愉快である。少女を半目で見ながら、××はそう思う。

 しかし××の視線を少女は気にせず、両手をぱちんと叩いた。

 

「……よし。じゃあ、基本的なプロフィールから、自分のことを話してみて」

「何でそんなことを……」

「これは大事なことなんだよ。貴女にとっても私にとっても」

 

 そう言うと、少女の瞳の中でどす黒くて鈍い光が蠢いた。

 ××は、“自分”はこんなにも絶望していたのだろうか、と恐怖する。

 あれは狂気そのものである。何かを異常なほど執着し、欲している醜い欲望が、少女の全身から発露している。

 

 これは自分のことを言わねば不味い。渋々としながら、××は自分のことを話していく。

 

「……私は……、私は、菊名夏音。正確なところは分からないけど、多分十六才。魔法少女。

 出身地は……、恐らく早島。

 高校には通っていない。本当は通いたくて仕方がなかったけど、通えなかった。

 身長、百六十六センチ。前は皆と同じだったのに、私だけが伸びた。私だけが、二年間時間がずれた。

 家族構成は……、母さんと父さんと、それから──兄さん」

 

 兄さん、と呟いた瞬間、××は苦々しい表情を浮かべる。

 

 兄に対して、××は複雑な感情を抱いていた。それはもはや愛憎といってもいいくらい、強く強く絡み合っている。

 

 兄は、生まれた時からすべてだった。

 色んなことを教えてくれたのも兄だったし、遊んでくれたのも兄だった。

 兄は××の第三の親で、憧れで、なんでも出来て、かっこよかった。

 しかし──だからこそ、幼い頃から兄と無意識のうちに比べてしまう。

 

 何故兄は出来るのに、自分は出来ないのか。

 何故兄は特別なのに、自分はそうではないのか。

 

 その能力差に憤慨し、失望し、諦観し、最終的には憎悪した。

 

 だってだってだってだって、能力的に劣った人間は、ただそれだけで負けているじゃあないか。

 誰もが優れている方を見る。力があるものに従う。人格に魅力がある人についていく。

 自分には何もない。何も。ただ周りを真似るだけの塵芥。その本質は、惨めで馬鹿で愚鈍な凡人なのだ。

 だから××には価値などない。××の存在意義は、何処にもない。

 

 ……別に兄がいなければいい、とは思わない。

 ただ、勝ちたい、見下したい、その特別という座から、引き摺り下ろしてやりたくてたまらなかった。

 

「……それは、兄さんだけじゃない。私は皆より上に立ちたくて、皆より特別になりたくて……、だから私は約二年も……」

 

 ──何をしていたんだっけ?

 

(あれ……?ちょっと待って……?私は……、“私”は何を──)

 

 思い出せない。思い出せない。思い出せない。

 記憶はある。今まで何をしてきて、今までどんな思いをしてきたのかという記録は、この脳髄にちゃんと収まっている。

 でも、十四才から十六才にかけての“二年間”だけがごっそり抜け落ちている。

 

 それは奇妙な感覚だった。

 精神は十六として成熟しているのに、記憶だけは十四才で完結している。そのギャップの差がとてつもなく気持ち悪い。

 

「……貴女、ループの記憶がないのか。それに、どうやら十四才の時と十六才の時の“私”が中途半端に混ざった人格をしてるみたいだし。やっぱり、こんなバグまみれの私が貴女を作っちゃったから、自分が何なのか“自覚”ないんだね」

 

 少女は可愛そうな目を××に向ける。

 完全に××の存在自体を馬鹿にして見下していた。

 

 流石の××××もその態度に腹を立てる。何故よりにもよって“自分”からそんなふうに見られなければならない。

 いや、そもそも、

 

「貴女本当に私?私なんですか?魔法か何かで私のふりしてんじゃないんですか?」

 

 バグまみれだの作っただの、こんな訳の分からないことをペラペラ喋る人物が、××××のわけがない。

 これが××ならば、もっと××が分かるように説明してくれるはずだ。

 きっと、この少女は××をこんな変な場所に拐い、××の姿をしてこちらをおちょっくているに違いないのだ。

 そうじゃなきゃ、この状況が理解できない。

 

「私のくせに鋭いじゃないか」

 

 少女は相変わらず、××の神経を逆撫でするような言い方をしてくる。

 一つ、彼女はまた溜息を吐いて、仕方がなさそうに答えた。

 

「……そう。私は、『私』であって“私”じゃないよ。故に私は『菊名夏音』であり、“菊名夏音”ではない」

「……菊名夏音であって、菊名夏音じゃない?じゃあ、貴女は誰なんです?まさか、同じ見た目で同じ名前の別人だとでもいうんですか?」

 

 ──そう言った瞬間。少女の唇が上がった。

 

 それは肯定の意味でそうしたようにも見えたし、反対に否定の意味なのかもしれなかった。

 ××には、その答えは分からない。分かろうはずもない。××は、少女の考えが一ミリも読めなかったから。

 

「そうだね。……まあ端的に言うと、私はある怪物が置いてったゼンマイ人形なんだよ」

「ゼ、ゼンマイ人形……?」

 

 ××はぽかんとし、訝しげに聞く。

 またこの少女は、訳の分からないことを言う。

 ゼンマイ人形?怪物?ちんぷんかんすぎて、考えてもまったく推論が出ない。

 

「うん。私、その怪物に作られた存在なの。歌を歌って怪物を慰めるのが私の存在意義であり、役割だった。それ以外何もなくて、何もできなかった。

 でも、今は違うの。私は置いていかれたことで自由になって、成長することが出来たんだよ。私は“私”に──怪物になれたんだ」

 

 うっとりと何かに耽溺し、赤く染まった頬に手をやる少女。その仕草は妙に艶かしく、その姿が自分だということもあって気味が悪い。

 全身から発露するあの絶望はより濃く深くなり、それを側で感じているだけでこちらがおかしくなりそうになる。

 

 ××××はますます目の前の“自分”との差異を感じ、全身が粟立つほど恐怖を感じていた。

 最早ここにとどまっていたくなかった。

 この少女は本人が言う通り、悍しい怪物だ。

 

 耐えきれず、××は絶叫にも似た怒声を放つ。

 

「貴女……、貴女何なんですか!?私の姿をして私を混乱させないで下さい!!貴女を見ているだけで、吐き気がします!!」

「ごめんね。それは無理な相談だよ。私は“私”を模するように“私”からデザインされているし。ていうか、私の姿をしないでって言ってるけど、それ逆だからね?私が貴女の姿をしているんじゃなくて、貴女が(・・・)私の姿をしているんだよ」

 

 少女はそう軽い口調で、××を指しながら指摘する。

 その刹那──世界がぐるりとまとめて反転するかのような、そんな衝撃が××に走った。

 

「……は?……嘘でしょ、まさか、そんな馬鹿なことが……」

 

 作っちゃったから。自覚。貴女が私の姿をしている──それらの言葉が意味するものが、頭の中で自然とある一つのことに結びついていく。

 

 そうして最悪の可能性に気がつき、全身が震えた。

 少女に感じたのとはまた別の根源的な恐怖が湧き上がり、××はその場に崩れ落ちる。

 

 こんなの認めたくない。あり得ない。

 ××××は正真正銘、本物だ。今まで生きてきた××××の記憶がそれを証明してくれている。それが嘘だというのなら、今いる自分は何だというのだ。

 

 ××は必死に頭を振って自身の考えを否定する。そうしなければ、とてもではないが××自体が文字通り無くなりそうだった。

 

 しかし、少女は容赦などしないとばかり、

 

「嘘じゃない。貴女は、私が作り出した私だけのゼンマイ人形だ。私には、最早私しかいないんだよ。私のために、これからは歌を歌ってもらう」

 

 とん、と、少女は××の額に人差し指を押しつけ、その指先に淡く白い光を灯した。

 同時に脳内で火花が散り、すざまじい勢いで映像が次々と流れていく。

 

 それは十四歳の自分が、十六歳になっていく過程の記憶であった。

 

 その中で××は、いくつもの絶望を見た。いくつもの嘆きを感じた。

 ××はそれを覆そうと必死になり、何度も何度も世界を渡り、時間を繰り返す。

 それは平坦な道のりではなく、世界を渡るたびにすべての人物に忘れられるという孤独が常に付き纏う地獄だった。

 おまけに、その身ひとつで世界を渡るために、自分だけが周囲と時間がずれていく。

 

 そのため、二年間で急に伸びた自分の背の高さが、いつの間にか強烈なコンプレックスになっていた。

 成長は、ループを積み重ねた時間を表す砂時計だったのだ。

 

 それと共に、手にできないものがどんどん増えていく。

 中学校はおろか、高校にすら通えない。

 友達もいない。家族もいない。当たり前の日常すらない。

 ないないづくしの二年間だった。

 

 そんな環境で、どのくらい発狂したか自分でも分からない。

 世界を渡る都度、不安定になり、自我が分裂していく。

 最終的には、自分と自分で会話をして孤独を慰め、自分の人形を作って遊んでいたくらいにはイカれた。

 “暁美ほむら”はよくループに耐えたものだ。あの魔法少女の精神構造は、どうにかしている。

 

 すべてをやり直したいと思って、その手段を問うた時、キュゥべえから聞かされた“暁美ほむら”の存在。

 彼女は過去を変えるべく、別の時間軸に旅立ったという。その願いで得た魔法で。

 

 ……十四歳の××は、その“暁美ほむら”の真似をし、彼女と同じ魔法を手にすることを選んだ。

 だが、所詮××は凡人である。何も為せず、無為な繰り返しばかりを行い、十六歳になるまでの二年間、何も積み上げられなかった。

 

 それでも××はループすることをやめなかった。

 何故なら、××はすべてを救うことで特別になって、周囲を見下したかったから。

 そして──

 

「              」

 

 ……××の口から、空白の言葉が漏れ出す。

 ××はガチガチとあまりの恐怖から歯を噛み鳴らした。白目を向いた目からは惨めったらしく涙が零れ落ち、その他にも口やら鼻やらからも体液を垂らした。

 

 ××の脳内で、さっきから同じ光景がフラッシュバックのように繰り返されている。

 それは、数ある××のループ中でも一際鮮烈な記憶──船花サチが魔女化し、その使い魔が船花久士を襲った光景だった。

 

 ××は、それをはっきりと覚えている。

 何せその出来事が、ループを始めたきっかけなのだから。

 

 深海のような結界の中。宙に浮かぶのは、サメのような顔をした巨大なガレー船。

 こちらに向かってくる、ピラニアのような使い魔。その顎が××を庇った船花久士の体に食らいつき、噛み砕き──

 

「あああ、あああああああああああああああ──」

 

 空白の言葉が、今度は意味のない掠れた叫び声となる。

 ××××は、たしかに××××だった。

 しかし、同時に××××は“××××”ではない。不完全な××××は正真正銘狂う前の××であり、一般人と同程度のメンタルだった。だから、その酷い記憶に押し潰される。

 

 それを見る少女は指を離して不自然な角度で首を傾ると、しばらくしてメソメソと泣きながら、嬉々としてその場でくるくる回り始めた。

 

「……何故そんなに叫ぶの?これが、“私”。これが貴女。これが、本当の記憶だというのに。理解ができないなあ。不思議だなあ。でも自分が何なのかは自覚したでしょう?自覚したよね?……え?なんて?うん、うん。自覚したよ。ありがとう。誠心誠意私のために歌うよ。気に入らないけどね?やったー、自覚したんだね!おめでとう!!なーんてうっさいバーカ!!あはははははは母者はじゃjkswぇぇwsーslslslーsーkfuxeoemrxeelfdxextsumemeーeーxtsuxtsuxtsuxtsuldddasshi !!」

 

 後半になるにつれて、ガラスを爪で引っ掻いたような、そんな耳障りな声となっていく。

 それと共に変化する少女の姿。

 黒い魔法少女服がどろりと溶け落ち、代わりに全身を露出の少ない喪服が覆っていき、ベールが顔に被さる。

 手には菊の造花が握られ、そしてその腕は──白い毛が生えた、巨大な猫の手に変貌しているのだ。

 

「怪物……」

 

 ××××は涙でぐしゃぐしゃになった視界でそれを捉え、呆然となる。

 そうして自分の手も見ると、少女と同じようにいつの間にか白い毛が生えた猫の手となっていて。

 

「は、はは……」

 

 乾いた笑い声を立てる。

 ××××は、自分があのピラニアの使い魔や目の前の少女と同じ存在だというのを、はっきりと“自覚”する。

 

 少女が言っていたことは正しい。××××は偽物だ。この記憶もこの考えもこの体もすべて、模倣、擬態、複製。

 ……皮肉な話だ。××はいつだって誰かの真似しかしてこなかった。自分が何一つなかったのだ。

 その結果、全部が全部、紛い物になってしまった。

 

 心が、絶望に喰われていく。救いがない。こんな××、誰も見ない。誰も、見つけてくれない。

 

 ああ、それでも××は──ループ中に何度も優しくしてくれた、あのメイド服の魔法少女に、どうしようもなく焦がれるのだった。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

「起きて。起きて下さい。貴女はもう、起きなければいけません」

 

 聞き覚えのある少女の声が、先程から自分に何度も何度も投げかけられた。

 それは酷く優しく、しかし何処か必死な声音で。

 だから、起きなければならない、と結は思った。自分を待ってくれているこの少女を、一人にしてはいけない、と。

 

 徐々に、意識がその輪郭を取り戻していく。結は寝そべっていた体制から重い体を起こし、数回目を開けては閉じたりを繰り返すと、すぐ側で座っている少女を見た。

 

「夏音、ちゃん……?」

 

 最後の方で疑問符をつけてしまったのは、彼女の雰囲気があまりに変わりすぎたせいだった。

 

 高い身長。黒い魔法少女服。オレンジ色の、横に結ばれた長い髪。

 見た目は、菊名夏音と相違ない。

 しかし、目が違う。

 そこには絶望の闇が禍々しく宿り、こうやって目を合わせているだけで寒気がしてくる。

 まるで、お菓子の魔女との戦闘中、いきなり現れた時の夏音と同じようである。

 

「君、一体どうしたの……?何でそんな……」

「記憶、思い出したんですよ。自分の正体ってやつを」

 

 静かに、無表情に答える。その振る舞いも一段と大人びたように思え、結は愕然とする。何より、その正体とやらに嫌なものを感じた。

 

「正体……?」

「ええ。私は、ある怪物を慰めるためだけに存在するゼンマイ人形。人格分裂した“私”が作り出した、自我のあるイマジナリーフレンドなんですよ?」

「……何言ってんの?ゼンマイ人形?イマジナリーフレンド?」

 

 夏音の言っている言葉の意味が、理解できない。

 それとも、起きたばかりで頭が上手く働いていないのだろうか。

 そもそもここは何処だ。自分はどうなっている。何故夏音が目の前にいる。それに入理乃はあれからどうしているのだ。

 疑問点が多すぎて、結は当惑するしかない。

 

 それを煩わしそうに夏音は溜息を吐くと、服の裾についている己のソウルジェムを取り外し、結の眼前に突きつけた。

 結は息を飲む。そのソウルジェムの輝きは穢れに侵食され、真っ黒に染まり切っていたのだ。

 

「は、早く浄化しないと!!」

 

 このままでは、夏音は魔女になってしまう。結は慌てて手持ちのグリーフシードを取り出し、夏音のソウルジェムに押し付けようとする。

 しかし夏音は、こちらに伸びる結の手首を掴んで彼女を止めると、

 

「良いですか。よく見ていてください。これが私の正体ですよ」

 

 ソウルジェムを握りしめ、強く強く圧力をかけていく。

 末端からひびが走り、ピキピキと音を立てる宝石。それはやがて、ガラスが割れるような音と共に──砕け散った。

 

「!?」

 

 夏音の行動に頭を白くさせる。

 当然だ。ソウルジェムは、魔法少女の命だ。それを自ら割ることは自死を意味する。

 

 だが、結は別の意味でも瞠目していた。

 ソウルジェムが眼前で割れたのに、夏音は平然としているのだ。何処か具合が悪くなった、という様子すらない。

 それによくよく考えれば、まずソウルジェムが汚れ切っているのに魔女化してない時点でおかしい。

 夏音は、普通の魔法少女から逸脱している。

 

「……まさか、君は──」

「家主さん。私……、ただ特別になりたかっただけのはずなのに、いつの間にかこんなことになってしまいました」

 

 夏音は自嘲をしながら俯いた。その視線は自分で砕いたソウルジェムに向けられている。

 その破片は最早墨のように炭化してしまい、魔力を失ってしまっているように見える。

 

 結は、はっきりと理解する。夏音のソウルジェムは、ただのイミテーション。夏音を魔法少女であると誤認させるためだけの、ただの飾りなのだ。

 

「でも、当然の末路ですよね。だって私……、人の為に頑張ってなかったんですもん。自分がないからただ皆見下したくて、出来もしないことして……。その罰が、きっとこれなんですよ。そうなるだけのことをしてきました。でも、そんな偽物の私でも──」

 

 夏音が顔を上げる。強い決意をする様に、悲痛そうに唇を結んで。

 

「君は君だと言ってくれた貴女を助けさせてください。だからどうか過去と向き合って、もうそろそろ自分を愛してください。家主さん」



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死なせて下さい

「そんなの、無理だ」

 

 気がつけば結は、首を振っていた。

 明確な拒絶の感情からか、体温が高くなっていく。荒れ狂うほどの憤怒は拳を力一杯握らせ、彼女の目を血走らせた。

 

 自分を愛せだのなんだの、それ程無責任な言葉があるだろうか。

 広実結は、広実結を──自分を好きだと感じたことは一度たりともない。

 その自己肯定感を育つのを、周りが、環境が、そして運命が許さなかった。

 代わりに積み上げられたのは、無力感。味わったのは、強烈な罪悪感。己の存在に対して常に感じていたのは、嫌悪感のみだ。

 

 忘れていたはずなのに、何故か結は不思議なほど、今まで歩いてきたその過ちをはっきりと思い出すことができる。

 ユミハを好きな人と結婚をさせる代わりに、ミズハを見滝原に追放させたこと。

 そのミズハが中学校でいじめを受け、引きこもりとなったこと。

 そんな彼女と喧嘩し、最終的に魔女化させてしまったこと。

 愛猫を殺してしまったこと。魔法少女になって、入理乃とサチと縄張り争いを起こしてしまったこと。

 そうして──ミズハを捨てるために、ミズハを忘れてしまったこと。

 

 結は何度も何度も頑張って、皆を救おうと必死になった。

 だけどその度に何度も何度も失敗して、自分に失望し尽くした。

 最終的には自暴自棄になって、周囲を傷つけまくった。

 

 なんて野蛮で、なんて無能で、なんて傲慢なのだろう。

 そんな自分を、嫌いにならないはずがない。そしてそのことを思い出して、ますます自己否定が進む。

 この感情を捨て去るなど、無理に等しい。覆せない。それが出来るなら、罰を誰かに与えてもらおうなど望みはしない。

 

「無理だ。

 僕には、そんな資格も権利もない。そのくらい分かれよ。この数日間、君は僕のことずっと見てただろ?」

 

 八つ当たり気味に言い捨てる。

 この少女に自分は、とても酷いことをしたのだ。

 無理やり感情を押しつけて、束縛して、怖がらせて、傷つけた。だから、きっと結のことを嫌ってくれる筈。

 さあ、さっきの言葉を否定してくれ。こんな無様な結など見捨ててくれ。

 結は、そう瞳で夏音に訴える。

 

 しかし──

 

「……見てましたよ。貴女が苦しんでいたのを、ずっとずっと。今まで、よくその絶望に耐えてきましたね」

 

 夏音から返ってきたのは、暖かい言葉だった。

 その憐憫を、結ははっきりと感じ取る。目の前にあるのは、今までに見たこともない悲哀に満ちた表情だ。

 

 結は苦虫を噛み潰したような顔になる。

 優しさなど、求めてないのだ。可哀想だと思われたくもない。それなのに、夏音はこちらの望み通り動かず、結の意に反する情動を向けてくる。身勝手だが、はっきり言ってそんな夏音がムカついて仕方がなかった。

 

「耐えてなんかない。忘れてただけだ」

 

 結は低い声を出し、ゆっくりと首を振る。

 

 この世には嫌なことが多すぎた。

 普通じゃない生まれ。決められた未来。無理解な周囲。味方はとうにおらず、仲の良かった従姉妹達はいない。生まれながらの渇望は、否定されるべきものだった。

 

 もはや希望はなく、絶望しかない。

 だから、せめてすべてから目を背しらたかった。そうすれば、どうにか解放されると信じていたのだ。

 

 事実、この二年間はお気楽そのものだった。

 以前のような明るさと気軽さを取り戻し、いくらか笑えるようになった。渇望は強くなっていたけど、それに飲まれることはなかった。何より、人を信じられるようになった。

 ……今思えば、人生で一番楽しい期間だったかもしれない。それが続けば、いずれ自分のことを好きだと思える日もきたのだろうか。

 

 だが、所詮そんなものは偽物の希望。絶望は、今こうして追いついてきた。

 そうなることを、結は薄々分かっていたのに。

 

「……だから、僕は現実逃避をしていただけなんだよ。全部、捨て去っていたんだ」

「──はたして、そうでしょうか」

 

 嘆く結に対して、ふと夏音が疑問を呈する。

 

 それに結は一瞬だけ、頭が真っ白になる。

 そんな馬鹿なことがあり得るか。あの時感じた絶望は、深く深く底が見えないものだった。忘れていなければ、無事ではない。

 

「な、何が……!!僕は、忘れてた!!忘れてたんだよ!!どうして、そうじゃないって言えるんだよ……!!」

 

 結は訳が分からず、困惑のまま叫ぶ。

 夏音はその姿に目を伏せて、

 

「……だって、忘れてるなら、死んだら無意味なんて言わないじゃないですか」

「……!?」

 

 結は驚き、目を限界まで開かせた。

 それは、いつの言葉だっただろうか。そう、あれは確か、夏音に特訓をつけてやった時に言った台詞だ。

 結は夏音のことが心配で、彼女の身を守れる自信がなかった。だから、その心をあわよくば挫けさせようと思い、少しだけ意地悪のつもりであんな発言を放ってしまったのだ。つまり、過去とは何の関係もない。

 ……なのに、何故心がこんなにも動揺しているのだろう。意味不明で、気持ちが悪い。

 

「ミズハが死んで……、ずっと悲しかったんですよね?そして、あの順那が願いによって生み出したミズハを、貴女は受け入れられなかった。家主さんにとってミズハはいないも同然。だから、死んだら無意味だって思ってるんですよね?」

「……違う」

 

 再度首を振る結。そんな彼女を、夏音もまた否定することで己の意見が正しいのだと主張する。

 

「違いませんよ。それに、貴女は私のソウルジェム──まあイミテーションですが、それが黒くなっていた時、焦ってくれたじゃありませんか」

 

 そう言われた途端、特訓初日、夏音と一緒にお昼ご飯を食べていた時にあった出来事が、頭の中を過ぎる。

 ……確かに、あの時何故必要以上に慌てたのか。今まで慌てたことに、違和感すら感じなかった。

 魔女化。ソウルジェムの真実。そんなことも、ミズハのことと一緒に、忘れていたというのに。

 

「ち、ちが……」

 

 う、とまで、今度は言い切れなかった。

 それは、夏音の言うことが本当なのではないか、という疑問が芽生えたからだ。

 しかし、認めたくない。もし、そうだったら、今まで何をやってきたというのだ。これほど虚しいことなど、ありはしない。

 いや、そもそもの話──

 

「忘れていようといまいと、何も変わらない。僕は、所詮薄汚ない存在で。何の価値もなく、望みもどうせなくなって、伸ばした手も誰も掴んでくれやしないんだ。……僕は、僕は──」

 

 そこから先は唇が震えて、何も言えなかった。

 その代わりのように、激情は別の矛先に宿る。

 

 結はふと、腕を振るった。そうすることで、自分の手首を掴んでいる夏音の手を離れさせのだ。

 そして、その白く細い手首を掲げると──バン!!っと渾身の力を込めて地面に叩きつけた。

 

 それは、常人ではせいぜい打撲が出来る程度の衝撃しか出せないだろうが、しかし、そこは魔法少女である。

 地面と接触した瞬間、結のその手首は根本からひしゃげた。

 あまりの力の強さに、手は湾曲するどころか肉片と化して血と共に辺りに飛びちり、夏音の衣服にまでべとりと張り付いてきた。そしてその力の余波は、手首だけに留まらない。結の二の腕までも歪に折れ曲がらせ、骨を飛びださせている。その傷口からは血が垂れ続け、足元に紅の水たまりを作り出していた。

 

 結は、それをヘラヘラヘラヘラと見つめて笑っていた。

 痛い。いたい。イタイ。

 熱を帯びたみたいに、とってもイタイ。でも、それが良い。自分が壊れて苦しめられるなら、それでいいのだ。

 でも、そう思っている自分が異常で気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

 気持ちが悪いから、壊してしまおうか。そうするのが一番良いに決まっている。

 

 結は哄笑しながら、今にも千切れてしまいそうになっている二の腕を無理やり動かす。そうして、また地面に叩きつけようとし──

 

「もう良い。もう十分です」

 

 その時、夏音の凛とした声が場に響き渡った。

 結は思わずびくりと止まり、いつの間にか下がっていた顔を僅かに上げる。

 夏音はその瞳に悲しみの色を灯し、こちらを見ていた。

 

「自傷行為なんて、しないでください。痛々しくて見ていられません」

「何で……?放っておいてよ。僕はこうなって当然!!こうして当然!!罪人に、罰を与えているだけだ!!」

「そんなもので、どうにもなりませんよ……。いくら自分で自分を傷つけようとも過去は変えられません」

「……分かってるよ!!そんなの知ってる!!どうにもならないのなんて、今更だ!!だからこそ、こうして傷つけているんじゃないか!!それなのに、なんだよ!!自分に優しくしろって言うのかよ!!冗談も大概にしろよ、こん畜生!!」

 

 その綺麗事に、憤怒が最高潮に赤熱。その熱を怒声として汚らしく吐き出す。

 そんな言葉、欲しくない。哀れみなど遅い、あまりに遅すぎる。もうこの心は凍りついている。暖かさなど、受け入れられるものか。

 結だって、もちろん人並みの救いを求めはした。それを密かに期待した。

 しかし、ずっと責められて踏みにじられてばっかりで、挙げ句の果てに一人ぼっちにさせられたのだ。どいつもこいつも、自分を含めて周りにはクソしかない。クソクソクソクソ、クソばかり!!

 

「どれだけ僕の尊厳が汚されてきたと思ってんだ!!それこそ、生まれた時から、僕が生まれる前から否定されてきたんだぞ!!自分を嫌いにならないでください?自分を傷つけないでください?

 ……ざけんな!!そう出来ないようにしたのは、お前らクソ野郎じゃん!!僕がこうなったのは、僕のせいじゃない!!」

 

 しっちゃっかめっちゃかなことを言い続ける。結はまるで、子供のような癇癪を起こしていた。

 夏音など、自分の過去や出自とは無関係な人間だ。こんな感情をぶつけたところで、どうしようもない。だが、怒りが止まらない。結は今、すべての事象に狂うように憤怒している。

 

「それともなんだ!?僕をお前がどうにかしてくれるのか!?ええ!?もう、そんなこと望んじゃいねえよ!!」

 

 結は怒鳴ると、指を指して睨みつける。だが夏音ははっきりとした口調で、

 

「……そうだとしても、助けます。“私”が何のために、何十回もループしたと思ってんですか。ここできっちり、何が何でも貴女を助けます。そのために、わざわざ貴方のソウルジェムの汚れを食らって──この場所に運んだんですから」

「はぁ……?」

 

 相変わらず言っている意味が分からず、苛立った声を出す。

 そんな結に、この広大な世界を見るように言った。

 その言葉の通り、結は改めて周囲の空間を観察する。

 

 そこは、一面暗闇の世界だ。周りはすべて黒という黒で塗りつぶされ、その色彩以外に存在している色はない。

 遮蔽物も一切なく、また壁もない。空と地面はどこまでも広がっていて果てがなく、ずっと歩いていても同じ景色が続いていくことだろう。

 いるだけで、平衡感覚が薄れて発狂しそうな場所だった。

 ただ無機質な空気のみが漂い、それを吸い込むと、違和感が肺の中に巣食う。

 

「ここがどうした……。何をする気だよ……」

 

 警戒心からか、胡乱げに聞く結。夏音は両手を広げ、

 

「ここは、貴女がいる世界を覆う、もう一つの世界──“私”が作り上げた結界の一端です。ここには、“私”が積み上げてきたループの記憶や、貴方がいる世界の記憶が内包されている。その記憶を貴女に見せて、本当の望みを思い出してもらいます」

「本当の望み……?」

 

 結は首を傾げる。

 ……思い出す?何を?

 罰されること以外に、結に望みなどあるのだろうか。ミズハも順那も何もないのに。

 くだらなすぎて、歯を剥き出しにして笑う。菊名夏音が、とんだ大馬鹿ものに思えてならなかった。

 

「何がおかしいんですか」

 

 不快そうに眉を寄せる夏音。結はますます小馬鹿にしたように笑うと、

 

「わっかんないかなあ!!そんなの、どうでも良いってことだよ!!そんなことのために、僕を助けるな!!その口振り、お前が僕の魔女化を防いだんだろ!?」

「はい」

「……お前、お前はぁ!!余計なことを……、余計なことをしやがりやがってぇええええええええ!!!!」

 

 膨れ上がる激情のまま、獣のように吠える。

 そこで初めて、夏音が動揺したかのようにびくりと肩を跳ねさせた。その表情には、何故、という問いが浮かんでいた。結は哄笑しながら、わざわざそれに答えてやる。

 

「こんな記憶を、思いを、絶望を、思い出した状態のままにしてんじゃねえよ!!また、苦しい思いをする羽目になったじゃねえか!!これなら、魔女化した方がマシだったわ!!」

 

 結には、絶望しかないのだ。苦しみしかないのだ。

 それを自覚させらるなど、地獄の再来でしかない。気がおかしくなりそうになる。

 いっそのこと、自我などなくしてしまった方が良かった。たとえ、魔女になってでも、狂うことになっても、罪を重ねることになってでも──

 

「──すべて、どうでも良い。すべて疲れた。何も考えたくない」

「家主さん……」

 

 叫び終えた結は頭を抱え、がくりと力なく項垂れた。

 案ずるような夏音の声も、耳に入らない。

 

 怒りはすでに消え、代わりのように悲しみが一気に押し寄せる。それと共に、熱くなる涙腺。結は無事な方の手で顔を覆う。

 

「ころ、殺してくださいぃ……。頑張ったけど、これ以上は無理だよぉ。ぼ、僕はぁ、ミズハを忘れてぇ、捨てましたぁ……。順那もおかしくなっちゃって、訳分かんなくて……、頭の中がぐちゃぐちゃで、どうしたら良いか……、思いつきません……。僕は、罪人なんですぅ……。罰を受けなきゃいけないんですぅ……。で、でもぉ、誰も僕を救ってくれなくて……皆僕のこと見でぐれないし、酷いんですぅ……。だがら、ごんな酷いぜがい、いらない。……ひっく、……生きでたくない。……死なぜてぐだざい。お願い、じます……。がみざまぁ……」

 

 辛くて辛くて辛くて堪らない。気力が何も湧かない。

 一人ぼっちの少女は、慟哭することもなく泣き続ける。

 ただ、死なせて、死なせてと懇願しながら。

 

 彼女に降りかかった絶望は、それほど重いものだったのだ。

 魔女化にあれだけ恐怖していたというのに、その感情すらもその絶望の前では搔き消える。

 それは、すべてを奪い、広実結に死だけを望ませる。

 

 その様子は、ひたすらに哀れだった。本人の望むように、いっそ終わらせてやるのが慈悲であろう。

 だが──

 

「死なせませんし、殺しません。私は、無理やりにでも貴女を助けます」

 

 夏音は、その慈悲を与えなかった。苦しそうに、だが冷徹に、ただ救うと言ってのけた。

 結は涙でぐしゃぐしゃになった顔に失望の色を宿らせる。

 

「どうして……」

「そうするのが、“私”の──私の役割なんです。……それを抜きにしても、貴女には生きていて欲しいんです。それだけが、今の私に残されたものなんです」

 

 夏音の瞳の絶望が、一段と深みを増した。

 結は泣くのも忘れて、はっとなる。

 ──恐怖。それが、背筋を凍りつかせていた。

 

 夏音の眼球に宿る闇は、ただの執着などではない。もはや、怨念や狂気と言い表すべき何かである。

 そして、そういった感情を持っている夏音を、果たして普通の少女と呼べるだろうか。

 

 ──魔女。

 その存在が、思い浮かぶ。

 途端におかしくなって、結は身をよじって前のめりになり、バンバンと怪我のない方の手で地面を叩く。

 

「ア、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!

 魔女が、僕を助ける!?おか、おかしい!!フフフフフ、アハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 

 まさか嫌悪している対象から、救うという言葉が飛び出るとは。これほど滑稽なことがあるか。

 あり得なさすぎて、とち狂っている!!

 

「……おかしいのはどっちですか。あと私一応魔女じゃないんですが。どっちかっていうと、“私”の方が魔女なんですが」

「どうでも良いよ。だいたい、そこまで代わりないじゃない」

「────」

 

 夏音が、唇の端を噛み締める。自分でもそう思っていることを突かれたためだろう。

 せせら笑う。その黒々とした喜びは、ミズハを捨てようと思った時に湧き上がったものと同一の感情だ。

 

 結は固有魔法を発動。

 肉体の状態が巻戻り、ビデオの逆再生のように損傷した腕が元に戻っていく。そうして、ぴちゃぴちゃと水たまりの血を跳ねさせながら立ち上がると、完全再現された手に剣鉈を召喚し、それを夏音に向ける。

 

「……殺してくれないなら、君なんていらない。魔女に、助けられるものか──君を殺して、自害してやる!!」

「そうですか。ならば私は──それを、阻止します」

 

 同じように立ち上がる夏音。その手に紅のハルバード、ブラッドを握りしめ、悲痛そうに刃を向けた。

 結の口角が、ニヤリと上がる──同時に両者は腕を振るい、鉈とハルバードがぶつかって、火花が舞った。



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再びの戦闘

戦闘回。少し長いです。グロ注意


 ──戦闘が開始される。

 

 二丁の鉈とハルバード。双方の武器がぶつかり、火花が散り合った。

 そのまま押し合いになるかと思い切や、両者は再度腕を振るい、互いの武装を払い除ける。

 その速度は互角。タイミングは一緒だ。

 しかし、二人の顔に宿る感情はそれぞれ違っていた。

 

 結の顔には、狂笑が。

 そして、夏音の顔の方には苦々しい表情が浮かんでいる。

 

 さっきの攻防で広実結の出鱈目を改めて感じ、夏音は内心で冷や汗を浮かべていた。

 夏音がハルバード一本で払い退けたのに対し、なんと結は両方の鉈を使わず、その一本の鉈だけで跳ね返してみせたのだ。

 しかも、涼しい顔で軽々と。

 その速度と重さは、その動作に不釣り合いなほど速く力強い。

 とっさにオーラで筋力を倍加しなければ、防げなかったであろう。

 

 もちろん夏音は結を舐めてはいなかったし、その実力も充分理解していた。何しろ特訓をつけてもらっていたし、夏音には“菊名夏音”の記憶もある。結が戦う姿など、見飽きるぐらい見てきた。

 しかし、こうして向かい合い、本気で争いあうのは、この自分にとってはほぼ初めての経験と言って良い。

 やはり、“菊名夏音”とこの自分は同一人物でありながら、限りなく違う存在なのである。

 

 だからこそ、思うのだ。

 ──広実結は、強い。生半可な覚悟では、結を負かすことなどできはしないのだと。

 

「うあああああ!!」

 

 決意新たに、ハルバードを握りしめる夏音。その腕に渦を巻くような赤黒いオーラが纏わり付き、その勢いを倍加。斜めからの斬撃の威力を高める。

 

 それはただの力任せの攻撃ではない。

 さっきも言ったことだが、夏音は“夏音”の記憶──即ちオリジナルの“菊名夏音”の記録を持ち合わせており、そのため結の戦闘のくせも熟知している。

 それを利用し、結が苦手であろう角度からハルバードを振り下ろしたのである。

 

 が、それは些か見当違いのようであった。

 その斬撃の軌跡を見て、結は一言呟き、笑う。

 

「甘すぎる」

 

 ──瞬間、結の右腕がぶれた。そして次には、夏音の体制が少し崩れる。

 先程同様、鉈一本のみでハルバードを弾き返してみせたのだ。しかし、そのスピードは桁違いに速い。結はまだまだ、本気を出していない。

 

「ちィ……!!」

 

 思わず舌打ちをする。だが、立ち止まることだけは、この戦場では許されていない。

 手を緩める事なく、夏音は一歩を踏み出しながら、重たくも堅実な攻撃を仕掛けていく。

 その動きは新人とは言えない、熟練した腕前のそれである。夏音は、もうあの“記憶”を失っていた頃の夏音ではない。戦闘能力も元に戻っている。

 

 だが、それでも結に一歩及ばない。

 元々凡人程度の素質である夏音と、最高クラスの才能を持つ結。

 そのスペック差は歴然だ。

 

 結は哄笑の笑い声を響かせながら、鮮やかな手つきで唸るハルバードを逸らす。

 彼女にとって、夏音の攻撃など子供の遊びのようなものであろう。

 ポールウェポンであるハルバードと鉈の相性はそれほど良くないと言うのに、それを感じさせないどころか、圧倒的な技量と速度、手数の多さで夏音を圧倒していく。

 

 それでもなんとか対応できているのは、結の戦闘スタイルをある程度知っているから。また、夏音が対人戦において、人の動きを捉え、真似することが上手いからだ。

 

 その様は、まさに鏡合わせ。

 打ち合うごとに火花が何十と散り、攻撃と防御が目まぐるしく入れ替わり、まるでダンスを踊っているようだ。

 ──無論、その足並みがどちらが巧みかは、言わずもがなであるが。

 

(このままではいけない──)

 

 激しい攻防の中で、夏音は思考を走らせる。

 このまま打ち合っていても、拉致が開かない。何れこちらの体力がつきてやられてしまうだろう。

 

 格上相手に、真正面で戦って勝てるものか。ならば、搦手を使うしかない。

 

 そう決めるや否や、夏音は大きく腕を振り回して鉈を弾き、結との間の距離を確保。そしてすぐさま武装──ブラットに魔力を収束させ、次にその石突きで地面を軽く突いた。

 

「カツボウノシュワン」

 

 呟くと、夏音の魔力が地面へと浸透していく──刹那、結の足元に魔法陣が浮かんだ。そこから生えてくるものに、結は笑い声をやめて瞠目する。

 

「……これは入理乃ちゃんの!?」

 

 そう、それは阿岡入理乃がよく用いる紙の帯だった。

 より正確に言うのなら、その真似といったところか。

 夏音は地面に流したオーラを、入理乃の紙の帯のように具現化させたのである。

 そのため、帯は赤黒く、グロテスクな光を放っている。まるでその輝きは、夏音の瞳にある絶望を映し出しているかのようだった。

 

「家主さん。私、猿真似だけは得意なんです。その帯も、多分リノのそれに性能は劣りますが、拘束力の再現だけは完璧だと思います」

「お前は──!!」

「そのままぐるぐる巻きにされちゃって下さい!!」

 

 夏音が手を翳すと、さらに魔法陣から赤い触手が出現。

 それは結の足に、手に、胴体に絡みつき、その場に縛りつけようとしてくる。

 もがくが、夏音の言った通り、拘束力だけみれば入理乃のものとなんら遜色はないのだ。どんなに抵抗しようと無駄である。

 

「──なら、本人を攻撃すれば良いだけだ!!」

「な──!?」

 

 突如として、背後から殺気の気配が出現する。

 慌てて振り返ると、そこには空に浮かぶ二十本の鉈が、至近距離で夏音を見つめていた。

 

 一体いつの間に……。そんな疑問も、一瞬しか持たなかった。

 次の瞬間、夏音目掛けて剣鉈が殺到したからである。

 夏音は迷わずオーラを足に纏って跳躍。大きく飛び上がる事で、鉈の雨を回避する。

 しかし、驚くのはここからだった。

 

「嘘……!?」

 

 鉈は夏音が回避したことによって、結の方へと直進していた。

 当然、拘束されている結は動くこともできずに、己が放った攻撃に晒される。

 だが、その剣鉈は足に、手に、胴体に絡み付いていた帯を正確に断ち切っていた。

 そう狙うように、結に操作されたのだ。

 

 再び自由の身になるメイド服の少女。切り裂かれ、傷だらけになった体は瞬く間に魔法によって再生し、ニィと口裂け女のように笑う。

 

 なんて滅茶苦茶な脱出方法なのだろうか。その発想を実現する魔力の操作もそうだが、その自分の体を容赦なく傷つける姿勢は普通ではない。

 ──完全に壊れている。二年間の絶望に、過去の記憶。それらが合わさり、結は狂人と化していた。

 

「……っ」

 

 死なせてくれと懇願していた姿が頭を過り、夏音は胸が苦しくなる。

 あんな涙を流すまでのことを、彼女はやったのだろうか。

 確かに、結はミズハの自殺の原因を作り出したのかもしれない。縄張り争いを繰り広げ、早島の平穏をぶち壊したりもした。

 だが、そうだとしても──

 

「生者が死にたいなんて、言っちゃ駄目!!」

 

 黒装束の魔法少女は、怒りを露わにしながらそう叫んだ。

 と、ぐるりと宙で一回転し、魔法陣を足元に展開。それを足場として、結目掛けて落下しながら飛び込んでいく。

 

 帯を再び生成しようにも、もう地面に流し込んだ魔力はないため、オーラは具現化できない。他のところに着陸しようにも、また同じように鉈が飛んでくるだろう。

 ならば、このまま突っ込むのみだ。幸い、結も迎え撃つつもりらしい。夏音を見据え、面白がるように歯を見せて笑っている。

 

「ああああああああああああああ!!!!」

「アハハハハハハハハハハハハハ!!!!」

 

 絞り出される大声と、愉悦に酔う醜悪な笑い声が重なり合う。

 落下する勢いのまま、夏音は鮮血の斧槍──ブラッドを突き出す。

 対して結は、二丁の剣鉈で刺突を繰り出した。

 

「グギャアアアアアア!!!」

 

 果たして、その悲鳴は誰のものだろうか。

 同時に繰り出された互いの武器は、まったく同じタイミングで互いの体を突き穿つ。

 夏音の方は、両肩の辺りに剣鉈が深々と突き刺さり、結はその腹にハルバードを貫通させていた。

 

「ぐぅ……!!」

 

 痛みがあまりに酷すぎて、上手く着地ができない。夏音は叩きつけられるように地面と激突。その場に崩れ伏せ、夥しい量の血を流した。

 一方、結もノーダメージでは済まされていないらしい。口から泡のようなものを吹き出し、夏音のように血を流しながら蹲っている。

 

「ふ、ふフフフフフ……」

 

 しかし、結は笑っていた。

 生来結にとって、痛みなど快感のようなもの。それが彼女の呪い。結は涙を流しながら、その愉悦に笑い続けている。

 

「や、家主さん……」

 

 夏音は痛みに歯を食いしばりながら、明滅する視界の中、手を伸ばす。

 その距離は、あまりに遠い。届きはしない。

 

 そうしている間にも、結は笑い狂い、フラフラと立ち上がる。そして夏音が手を伸ばしていることに気がついたのか、こちらに近づいてきた。

 

「僕の、勝ちだ」

 

 結はそう、静かに言い放つ。夏音はそんな彼女を、焦点の定まらぬ瞳で見つめていた。

 

「……君、強くなったね。特訓した時より……、ずっと強くなっているよ。でも、……まだ弱いね。とっても弱いよ」

「────」

「それなのに……、どうして挑んだりしたの?……逃げれば、良かったのにね……」

 

 口を開くのも苦しいのか、辿々しく喋る結。心なしか笑みは消え、可愛そうな目で夏音を見てくる。

 そこにはさっきまでの狂気はなく、本来の広実結の優しさだけがあった。

 

 ──こんな私に、慈悲を向けてくるのか。

 夏音は複雑な顔を浮かべた。

 彼女は歪だが、同時に慈愛の心を持ち合わせた人物だ。だからこそ、こうやって菊名夏音を哀れんでいる。

 そして、そういったあり方をするから、夏音は結が好きなのだ。

 ……綺麗な心があるから、好きなのだ。

 

「ねえ……、何で、逃げなかったの……?君は魔女、なんでしょう……?魔法少女は、天敵じゃないか……。そうでなかったとしても……、さっき言った通り、君は弱い……。勝ち目なんて、初めからない戦いだった……」

 

 声に悲哀の色が混ざっていく。ポタポタと、何か温かい水滴が夏音の上から降ちた。

 これは、涙だ。結が、その瞳から大粒の滴を溢している。

 

「ごめんね……。ごめんね……。傷つけて、ごめんね。でも、こうするしかないんだよ……。きっと……、君は僕が死ぬのを、……止めるよね?」

 

 こくりと頷く。そんなこと、当たり前だ。夏音には、結しか残されていないのだから。

 

「……だけど僕は、死にたい。この世界から、消えたいんだよ……。もう、疲れちゃったからさ……。死だけが、僕の救いなんだ」

 

 結はへらりと力なく、だが恍惚として笑う。それは、死に希望を見出す自殺願望者の顔だ。

 

 ──その表情を見ているだけで、夏音は腹が立ってくる。

 

「──何を言っているんですか。貴女は、生者でしょうが。死が救いになることなど、あり得ない」

「は……?」

 

 その発言が予想外だったのか、結は呆気に取られたように声を出す。

 してやったり、と夏音はニヤリと笑う。その顔の方が、結には似合っている。

 

 黒い装束の少女は体に力を入れると、痛みに耐えながら身を起こし、

立ち上がる。

 大分やられたけど、まだまだ大丈夫。“擬態”も解けていやしない。

 この体は、魔法少女のそれよりよっぽど頑強なんだから、このくらいでへばることは許されない──!!

 

「ぐぅぅ!!うああああ!!」

 

 夏音は息を吸い込むと、一気に右肩に刺さった鉈を引き抜く。激痛が走り、鮮血が流れた。しかし歯を食いしばり、今度は左肩の鉈へ。そうして、同じように血を撒き散らしながら引き抜いた。

 からんからん、と落ちる二つの鉈。夏音はそれを下らないとばかりに踏みつぶし、グリグリと地面に擦り付けた。

 

「はあ……、はあ……、すっごく、痛い……」

 

 荒い呼吸を繰り返し、夏音は患部に触れて治癒魔法をかける。

 気休めのようなものだが、しないよりはマシである。

 

 そんな夏音を呆然と見つめ、結は動けずにいる。当たり前だ。つい先程の夏音の行いは、痛々しいにも程があったのだから。

 

「……今の、ドン引きしましたか?」

「……いや、その……、綺麗だと、思った……、けど……」

「でも、ドン引きしたんですよね?貴女がやってることって、つまりはそういうことなんですよ?」

 

 そう言えば、結は渋いような、怒っているかのような反応を見せ、眉間に皺を寄せる。

 その口から流れ出る血をぺろりと赤い舌で舐め、夏音以上に迷うことなく、ハルバードの柄を掴む。

 そして、一気に血を撒き散らしながら引き抜くと、これまた夏音に見せつけるかのように、遠くにハルバードを放った。

 

「そんなこと、分かってる、よ……。うるさいなあ……」

 

 苦しみながら不快そうに、だが喜悦そうに結は微笑む。

 魔力が昂る気配がし、結の固有魔法が発動される。腹部の傷が癒ていき、その穴はみるみるうちになくなっていった。

 そうして五体満足になった状態で、消耗している夏音を睨みつける。

 

「偉そうにしやがりやがって……。お説教も大概にしろよ。君に、僕の何が分かる!!僕は、望んでこんな風になってはいない!!」

 

 結は感情を剥き出しにして叫び、だん、と足を踏み鳴らした。

 

「僕だって本当は、普通が良かったんだよぉ!!こんなに、おかしくなりたいわけじゃなかった!!だけど、どうにもならないし、どうにもできなかった!!だからぁ、今の僕に残されているのは死ぬことだけだ!!死だけが、僕の罪を精算してくれる!!」

「そんなもので精算されない!!それは死者への──私への侮辱行為だ!!」

「はあ!?何を言っているんだよ!!君はこうして生きて──」

 

 そこで、結は怒り狂っていたのが嘘かのように口を噤んで止まる。

 その悍しい夏音の事実に気がつき、息を飲んだのだ。

 

「……夏音ちゃんは魔女。そして魔女化しているということは、もうとっくに君は──」

「──死んでますね。こうして今いる私は、その幻影に過ぎません」

 

 だからこそ、この自分は何処までいっても偽物。塵芥なのだ。

 しかし、本物に限りなく近い。その精神性は、“菊名夏音”を完全に再現している。単なるコピーとは、呼べないであろう。

 

「私のオリジナルは、二年間ループを繰り返し、既にその道半ばで魔女化しています。そうして、その魔女化した“私”は──“菊名夏音”は、生前の自分と同じ能力、精神性を持った、もう一つの菊名夏音と呼ぶべき使い魔を無数に生み出したのです。

 その使い魔のうち、ある一体だけが成長して魔女となりました。そしてその魔女もやはり親の真似をして、“菊名夏音”と同じ能力、精神性を持った使い魔を生み出しました。──それが、ここにいる私ですよ」

「────!!」

 

 自身の正体を告げた瞬間、結が瞠目し、唇をわなわなと震えさせる。

 困惑、混乱、驚愕、怒り、悲しみ。そういった感情が、今彼女の中で渦を巻いているのだ。

 

「そ、そんな馬鹿な……」

「私の方がそれ言いたいですよ。でも、マジなんです、これ。私は“菊名夏音”の人格を持った使い魔です」

 

 ……まあ記憶の方は今はまだ、あまり思い出せていませんが、と夏音は軽く笑ってみせる。

 しかし、結はまだ信じられないのか、動揺を隠せずにいる。

 

「あり得ない……。それじゃあ、まるで幽霊みたいじゃないか……」

「……そうですね」

 

 言いえて妙だ。

 死後も未練を残し、ただ一つのことに縋り付く夏音は、確かに怨霊のようなものだろう。

 ──本当に、どうしてこうなってしまったのか。おかしくて、笑ってしまう。

 

「……そんな、家主さん曰く幽霊みたいな私から言わせてもらえば、普通に生きているだけで恵まれてんですよ。……本当にそれが、どれだけ幸せなことなのか。軽々しく死ぬだなんて、腹立たしいんですよ。……無理やり生き帰らされた私の身にもなってください」

 

 死の記憶──絶望して魔女化する記憶が、夏音の中にはある。

 それがどれだけ身の毛がよだつことか、結には分かるまい。

 この場に意思を持って存在しているというのに、生きているという実感がまったくないのだ。常に自分が死者であることを突きつけられる。

 本物のはずなのに、本物ではないという恐怖。未来をこれ以上紡げないことへの絶望──それに比べれば、結の自殺願望など大したこともない話だ。

 

「私達死者には、結局先がない。袋小路に行き着くしかないんです!!でも貴女は違うでしょ?新しい可能性を作れるでしょう?それなのにどうして、自分から潰すんですか!?」

「……そ、そんなこと言われたって、困る。僕は、僕はどうしようもなくて。僕にとって死は、救いなんだ。死は──」

「死者として、断言しましょう。生者にとって……、いえ、貴女にとって死は救いなどではない──!!」

 

 叫ぶや否や、夏音は手を振り上げた。

 すると、大気中を魔力が迸り、結が放り投げていたハルバードが音を立て地面から数メートル程浮かび上がる。

 結は瞠目。そして同時に、理解した。

 ──夏音はわざと、自分の正体を伝えることでこちらの動揺を誘ったのだ。そうすることで、ハルバードへと魔力操作を密かにしていたことに、目をいかなくてさせていた。

 

 なんと夏音は悪どいことをするのか。そして、それに引っかかる自分は、なんと愚かなのか。結の顔に、悔しげな色が浮かぶ。

 

「真正面から勝てませんからね。小細工しちゃいました。でも、こうなったのは貴女が油断して、武器を破壊しなかったからですよ。──私を、侮りましたね」

 

 夏音はそう笑うと、容赦なく腕を振り下ろす。その動作を合図としてハルバードが滑るように直進し、結を再び串刺しにせんと向かってくる。

 

「く……!!」

 

 結は咄嗟に鉈を召喚し、それを迫り来るハルバードへと投げつける。

 二つの武器は激突し、鉈はその衝撃で壊れ、ハルバードは弾き返されてはるか遠くまでくるくると回って消えていく。そのまま、結界の奥まで進んでいくことだろう。そうなったら、いくら夏音とて引き寄せることはできない。

 だが、それはさして大きな問題にはならない。武装なぞ、再度作り出すことができる。

 現に夏音の手元にはもう、新しいハルバードが握られている。

 

「ああああああ!!」

 

 夏音は掛け声を上げ、突貫していく。無謀、無茶のように思えるかもしれないが、その手元にはオーラ──紅の魔力が纏わり付き、尾を引いている。

 

「カツボウノシュワン!!」

 

 夏音はハルバードを突くと見せかけ、不意打ちで手の中のオーラを射出。それは入理乃の紙の帯を真似た触手へと具現化し、結へ突き進む。

 しかしメイド服の魔法少女は、やはりただではやられない。

 鉈を一本左手に召喚すると、その一太刀だけで赤黒い帯を切り伏せてみせる。そして次に、右手に生み出した鉈で夏音の放つ斬撃を逸らすと、がら空きとなった夏音の腹部へ、

 

「──やっぱり、弱いじゃないか。挑むだけ無駄だったね」

 

 左足を伸ばし、鋭い蹴撃を繰り出す。

 その一撃には、大気を穿ち、岩をも砕く威力が込められている。当たれば、体に穴が空くどころでは済まされない。結はさっさと済まそうと、焦りのあまり、ここ一番で強い攻撃を無意識のうちに仕掛けたのだ。

 だが──それこそが罠。夏音の本当の狙いだった。

 

「冷静さをかきましたね──」

 

 ニヤリと笑う夏音。それを見て結は直感的に危機を悟るが、もう遅い。

 夏音は殴りつけてくる爪先を、簡単に避けてみせる。その流れのままハルバードをくるりと半回転。柄を結の左足の引屈の下へ掬うように滑りこませ、引っ掛ける。

 そうして、もう一度斧槍を腕の中で回せば、連動して結も転倒。あっという間に地面に打ち付けられる。

 

 夏音はその上へ素早く馬乗りとなり、今度こそ結を拘束。彼女を完全に動けなくする。

 その顔を覗き込めば、結は鋭く敵意のある眼差しをこちらに向けてきた。

 夏音はそれにせせら笑うこともなく、勝ち誇ることもなく、ぼそりと呟いた。

 

「……まさか、絡め手がここまで上手くいくとは思いませんでした」

「なん……だって……?」

「私は貴女をわざと動揺させましたが、それは何も、ハルバードを動かすための時間稼ぎとは限らなかったということですよ」

 

 ──菊名夏音は、結の戦闘の癖をある程度知っている。

 どんな時に、どのような足運びをするのか。どんな時に、どのような練撃を放つのか。すべて、知っている。だから、結が動揺した時にどんな行動を取るのかも、夏音は知っていた。

 

 結は大きく感情が昂ると、決まって蹴り技を使用してくる率が高くなるのだ。

 その一撃は強力だが、同時に結の攻撃の中で最も隙が大きい。そして単調だ。

 そこを突けば、いくら凡人の自分でもチャンスがあるかもしれない。それが夏音が思いついた小細工だった。

 

 そのためだけに、夏音ははっきりと自分の正体を曝け出した。

 ハルバードを操るための時間稼ぎなど、あくまで副次的な狙いに過ぎない。

 

「読んでいたっていうのか。僕の行動パターンを……」

 

 困惑気味な結。彼女の中で、夏音はあくまで数日過ごしただけの相手だ。そのため、夏音が自分のことを、そこまで熟知していることに考えが及ばなかったのだろう。

 だが、夏音からしてみれば、結は何度も何度も顔を合わせた人物。その虚をつくのは容易くないが、可能であった。

 

 今回の戦いの、何が勝敗を分けたのか。それは、どちらがより相手のことを知っていたかで決まった。これは、ただそれだけの話。

 

「……っ、」

 

 結は何となくそのことを察知したのか、唇の端を悔しげに噛む。そして諦めないと、

 

「でも、いくら拘束されていようと、帯の時のように君を攻撃すれば──!!」

 

 結は大きく笑い、鉈を夏音の頭上数メートルに召喚。

 それを落下させるように命令すれば、夏音の頭は鉈に貫かれ、結は再び自由となるだろう。

 だが、

 

「こうして私が触れている時点で、貴女の負けです」

「!?」

 

 瞬間、結の顔が驚愕に染まる。

 自身の頭を触れている夏音の手──それがいつの間にか、少女の細腕のそれより、一回りも二回りも大きい、白い毛が生えた獣の腕になっていたのだ。

 形状からして、恐らく猫科のものだろう。ぷにぷにとした肉球の感触が触れられている頭に伝わってくる。

 

「それは、一体──」

「一部分、擬態を解いただけですよ。言ったでしょ?私は使い魔だって」

「────」

 

 結の顔は、驚愕で固定されたままだ。彼女はまだ、夏音の正体を受け入れられていない。

 それを良いことに、夏音は巨大な猫の手に魔力を込め始める。こうすることで、この空間に揺蕩う記憶を収集しているのだ。

 

「目的のためには、何も貴女を倒さなくても良いんです。直接、ここに内包されている記憶を打ち込めば良い」

「──!?ま、待て!!」

 

 嫌な予感に結は叫び、引き金を引くように魔力を操作。夏音の頭上に浮いている鉈を落下させる。

 しかし、それが夏音に到達する前に──猫の腕そのものが発光し、空間に光が、溢れた。



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“菊名夏音”という少女 1

ようやく連載再開&今年最後の投稿です。来年もかのん☆マギカをよろしくお願いします。


 “それ”を願ったのは、いつの頃だっただろうか。

 恐らく、生まれた時からだ。

 

 だって、“それ”は人が誰しも望む、根源的な欲求だから。この世に存在する意味を、そのためだけに考える者もいる。中には人生のすべてをかけて、たった一つの“それ”を守ろうとする者もいる。逆に身近にある“それ”に気づかず、一生を棒に振る者も。

 

 人間は良くも悪くも、“それ”に振り回される。しかもそれぞれ人によってその形は変わっていて、他人の“それ”が、自分にとっては“それ”ではない、なんてことも珍しくない。

 

 実に“それ”は曖昧模糊であり、不定形で定義できない。概念としての意味を皆が知っていても、だからといって、“それ”を答えられる人間は、どれだけいるのだろう。どれだけの人数が“それ”を手に入れているのだろうか。

 

 ……その答えを誰か教えてほしい。“それ”が何なのか知りたい。

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 自分がどうなったのか、よく分からなかった。

 

 これまでの経緯は覚えている。

 結は入理乃によって忘れていた過去を思い出し、一面何もなく、ただっぴろい黒い空間で目を覚ました。そこで夏音──正確にはそれを模した使い魔とのことだが──に自分を愛せとかいうふざけたことを言われ……、結果として結は逆上し、彼女と戦闘になった。

 ……そして、負けたのだ。

 

 そこまでは良い。そこまでは理解できる。だが、この現状は何なのだろう。結は困惑と共に辺りを見渡す。

 

 そこは、意識を失う前にいた、あの黒い場所ではなかった。

 

 夕暮れの空に浮かぶ、たくさんの雲。その上にはそれぞれ白い鉄塔が立ち並び、下を見れば地面を支える鉄の構造と雲が見える。空中では、目玉が生えたランプのような物体がふよふよいくつも泳いでいて、空間を明るく照らしていた。

 何回か来たことがあるから分かる。ここは鉄塔の魔女の結界だ。

 

 ……一体いつの間にワープでもしたのか。こんなの意味不明だ。頭が状況に追いついていない。

 

「……キャー!!」

 

 戸惑っていたその時だ。ふいに遠くから悲鳴が聞こえた。弾かれたように結はそちらの方を見る。と、その次の瞬間には、反射的に体は走り出していた。

 そうして、急いで急いで急いで。一分にも満たぬ時間でそこに着いた時、結は我が目を疑った。

 だって目の前にいた少女は──

 

「夏音ちゃん……!?」

 

 見た目は少し幼く、身長も低い。

 だが、そのツーサイドアップにされた、オレンジの長い髪の毛。大人びた顔立ち。早島中学校の制服。初めて結が会った時の菊名夏音にそっくりだ。

 ……間違いなく本人と言えるだろう。

 

 結はまさかの展開に、一瞬だけ驚愕と共に硬直。しかしすぐに冷静さを取り戻す。今は混乱しているどころではない。

 夏音は見るからに絶体絶命だったのだ。

 

 一、ニ、三……、ざっと十を超える使い魔に彼女は囲まれている。

 その種類は嫌に豊富だ。猫と犬の頭が生えた、鉄屑の二足歩行の動物。カンテラを持つ鳥。他にも、馬の頭部に蜘蛛の足がある奴までいる。

 そのどれもが、不気味な怪物どもだ。ビジュアルだけで、恐怖を与えるのに十分であろう。夏音は蒼白し、震え、すっかりその場にへたり込んでいた。

 

「……!!」

 

 鉈を二つ召喚して構えた。

 あれだけ死にたい死にたいとわめいて夏音と戦っていたのに、眼前の光景のせいで、それがすっかり頭の角に追いやられていた。

 代わりに助けなければいけない、という使命感でいっぱいとなる。

 

 結はその感情に従い、使い魔達へ向けて飛び込む。

 夏音に近づこうとする二足歩行の動物の首を切り落とそうとし──またも、我が目を疑った。

 斬撃が、当たらなかったからだ。

 

 ……いや、正確には当たったのだ。

 しかし刃がぶつかった途端、“すりぬけた”。まるで空気を切り裂くかのように。当然手応えなんてものはない。再び蹴りを入れ込もうとするも、こちらも“すり抜ける”。

 

 そして、滑稽な醜態を晒し続ける結を見ても、夏音は何も言わない。その視線は使い魔に向けられており、相変わらず怯え続けたままである。

 

 すべてが不可解であった。現実ではあり得ない事態。

 結は更に困惑する。だが、珍しく冴えていたのか、夏音が言っていたことをふと思い出した。

 

『目的のためには、何も貴女を倒さなくても良いんです。直接、ここに内包されている記憶を打ち込めば良い』

 

(まさか……!?)

 

 ある可能性が頭の中をよぎる。当然、否定したい気持ちになったが、しかしそれ以外にこの状況を説明できない。

 

 結はあまりのショックに、その場で棒立ちになる。

 使い魔は構わず夏音に歩み寄った。その過程で結と接触したにも関わらず、やはり“すり抜けて”しまう。

 

 夏音が命の危機に、一層甲高い悲鳴を上げる。

 二足歩行の化け物の、二つの頭。その顎門が今ゆっくりと開かれ、夏音を捕食せんと襲いかかる。

 夏音はせめてもの抵抗か、耐えるように身を縮めた。

 

「危ない!!」

 

 まさに飲み込まれる寸前であった。唐突に、バン!!という、発泡音が響いた。

 それと共に鉄屑の動物が倒れる。結と夏音は、思わずといったように息を飲んだ。

 

 その場にいる全員の視線が、自然と発泡音の発生源に注がれる。

 そこにいたのは、露出度の高いセーラー服を身に纏う、小柄な少女。

 彼女は五メートル向こうで長銃を構え、大胆不敵に笑っている。

 

「……サチちゃん」

 

 何処からどう見えても、その少女は船花サチだった。

 夏音と違い現在の姿と同じだが、考えている通り、この世界が“それ”なのだとしたら、間違いなくこのサチは、自分が知るサチとは同一人物のはずだ。

 それを証明するように、サチも結を見ていない。無視して、夏音や使い魔の方へ目を向けている。

 

「貴女は……!?」

「間一髪ってところだね。ふふん。さっすがは船花様!!」

 

 片手で長銃を肩に担ぎ、サチは得意げだ。一方、上手く状況を飲み込めないのか、夏音は混乱したままの表情であり、ちょっと結は同情したくなる。

 

 使い魔達は夏音から離れて、サチへと臨戦態勢をとった。この新たに現れた敵を、排除しなければならないと悟ったらしい。サチはニッと笑うと、わざとらしく煽った。

 

「そんな奴じゃなくて、こっちに来なよ!!このクソボケ使い魔ども!!全部相手してやらあ!!」

 

 鉄屑の動物が、鳥が、馬の頭部が、一糸乱れぬ動きで小柄な少女に飛びかかる。普通ならば、その時点で彼女の死は確定したようなもの。

 当然、夏音は三度目の悲鳴を上げる。……だが、そんなことは無用の心配だ。

 

「おらぁ!!」

 

 サチが裂帛。

 途端、一斉に化け物の群れはぶっ飛ばされた。一瞬すぎてよく分からなかったが、どうもサチが長銃を振るって迎え撃ったらしい。

 見れば、担がれていたはずの長銃は両手の中にあり、剣を構えるように握られている。

 息も上がっていない。サチにとっては、本当に軽く、たった一振りしただけに違いない。それだけで、あれだけの数の使い魔を退けた。恐るべき膂力だ。

 

 機械が作動するような音がして、長銃が変形し始めた。そうして、折り畳まれた爪が飛び出し、柄の形や長さが変わり、アンカーになったその時。

 空飛ぶ鳥のランタンがピカリと光り、炎を放出した。

 ……サチは迷わず一閃。錨の爪が火炎を切り裂く。

 その勢いで横から来た別の化け物を殴りつけ、上からの振り下ろしで、襲いかかってきた馬の頭部達を粉砕する。

 

 サチは入理乃の相棒を務めるだけあって、強かった。

 一騎当千とも言うべき暴れっぷりで、次々と使い魔をミンチに変えていっている。

 まあ、この結界を作り上げた魔女は大したことはない。だからどれだけ来ようが、鉄塔の魔女の使い魔では、サチを殺すことは不可能だ。

 それでも、小さな子があれだけのパワーを見せているのは、何も知らない夏音からしても、ある意味衝撃的だろう。

 サチから目を離せずにいる。

 

「すごい……」

 

 夏音の目に、最早恐怖はなかった。

 そこにはただただ純粋な、キラキラとした輝きがあった──それは“憧れ”なのだと、結はなんとなく感づく。

 ……自分が知るあの使い魔の夏音では、絶対にしなさそうな目だ。

 

(……そりゃそうだろうね。だってこの子は生前の……)

 

 念のため、握っていた鉈を消し、確かめるように夏音に手を伸ばす。その体に触れた瞬間、使い魔の時と同じく“すり抜けた”。

 改めて確信する。

 結はこの世界に干渉できない。何かをやったとしても、この世界には何の影響も及ぼせない。

 では何故、こんな現象が起きているのか。

 

 ──ここに来る前に夏音は言った。

 直接、ここに内包されている記憶を打ち込めば良い、と。

 ならば、この世界そのものが、その内包されているとかいう記憶なのだろう。

 

 ……そう考えれば色んなことに辻褄が合う。

 この世界は過去の映像だから、すべて現実ではない。謂わば夢のようなものなのだ。

 だから周りが突然変わったりしたし、サチも夏音も使い魔も、結を見ない。すべて幻影で実体ないから、干渉できない。

 

(よく出来た嘘だよ、本当に)

 

 結は鉈を再び召喚し、手首を切ろうとしたが、虚しく“すり抜ける”だけだった。

 この体も実体がないらしい。鉈を呼び出せるようになっているのは、それを実感させるためか。

 こんなのいくら足掻いても無駄だと、暗に言っているようなものだ。

 結は逃げもできないし、もう過去の映像をこのまま見せ続けられるしかない。

 

 ……まったく、菊名夏音という少女は、なんと意地が悪いのだろう。

 

「分かった。良いよ、夏音ちゃん。大人しくこの茶番劇を見続けてあげるよ……」

 

 おかしくなって、皮肉げに笑う。だけど怒りもあったから、半ば吐き捨てるように言葉を呟いた。

 

 すべてが無駄なことだ。

 生きる気力を失っていたことを、結は思い出している。この人生に意味を見出せない。

 そして今更のように何かをされたところで、……煩わしいだけだ。

 何も出来ない分、こうなったら最後まで抵抗してやる。

 どんな出来事があろうとも、絶対に心を変えない。

 

「……僕にも意地ってもんがあるからね。……戦闘では負けた分、精神的な部分では思い通りになってあげないよ」

 

 結は鉈を消し、目の前の光景を睨みつけた。

 

 結界は既に消え、現実世界に戻りつつある。

 サチが使い魔を倒したことで、魔女は怖気付いて逃走したのだろう。

 

 夏音は周囲を見渡すと、ゆっくりと立ち上がった。

 彼女は一先ずの危機が去ったことに気が緩んだのか、心の底から安堵したような顔になる。そして歩み寄ってきたサチの手を取ると、

 

「あ、ありがとうございます!!……助かりました、本当に……!!」

 

 そう深々と頭を下げて、涙声でお礼を言うのだった。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 現実世界で戻ってきたその場所は、どうも夏音の自室らしかった。

 

 几帳面な性格なのか、はたまた真面目な性格なのか、割と遊びがないという印象の部屋で、余計なものが何もない。家具も必要最低限であり、どれもがよく掃除されてある。結の家の中とは大違いだ。

 

 あの後で変身をといたサチ(ちなみに靴は脱いで手に持ったまま)は、この部屋に戻ってからずっと、かなり気まずそうにしていた。

 夏音がサチの手を握り、赤ん坊のように泣いていたからだ。

 

 ……それも仕方ないことだろう。

 夏音はソウルジェムの指輪もしていないし、使い魔に抗う素振りも見せなかった。つまりこの時点では、まだ普通の女の子なのだ。

 しかも、状況から考えるに、夏音は自宅にいたところ、運悪く魔女の結界に取り込まれたみたいだった。突然訳の分からない場所に──非日常に叩き落とされたのだ。……そこを救われれば、号泣の一つや二つする。 

 

 といっても、こんな夏音の姿を見るのは少々複雑な気分だ。

 

 ここにいる夏音こそが“本物”──“本当の菊名夏音”。

 だが、結の知る夏音は、使い魔の方の夏音だ。その人格は元となった“菊名夏音”をコピーしているとのことだが、結からしてみれば、そんなの関係ない。菊名夏音は誰か、と聞かれたら、迷いなく使い魔の方を指す。

 だから、逆に“本物”の方が“偽物”に思えてきてならない。はたして、この泣いている“夏音”は、使い魔の夏音と同一人物といえるのか……、よく分からなくなってくる。

 ……そもそもの話、夏音が使い魔だとかいうのも、未だに飲み込めない。

 こっちは今まで人間だと思って接してきたのに……、それが今まで殺してきた化け物と一緒とか言われても、戸惑うだけだ。

 

「おいテメエ……、大丈夫?どっか怪我でもした?」

「ずび……。すいません、ちょっと安心しちゃって……。私は大丈夫です。本当に……、ありがとうございました」

 

 しばらくして、ようやく泣き止んだ夏音は、サチの手を離し、改めてお礼を言った。サチは気恥ずかしかったのか赤面し、胸を張った。

 

「ま、まあ、大丈夫なら良かったわ。怪我してもらっちゃ、この船花様が困るし……?むしろ、お前みたいなクソが生き残ったのは、私のおかげなんだから、もっと感謝しても良いんだよ」

「おい、今クソって言いませんでしたクソって。昨今でも貴重なツンデレなんでしょうが、貴女割と口悪いですね。失礼ですよ」

 

 夏音は先程の態度から一点、不愉快そうな目になり、容赦なく毒舌を吐いた。こういうところは、昔でも変わっていないらしい。

 サチはものすごく面倒くさそうに顔を歪めた。

 

「……テメエ、泣いてた割にはっきり言うじゃん。泣いてた割に……」

「うっさいです。それとこれとは話が別ですよ。あと二回繰り返さないでください」

 

 夏音は少し怒ったような口調で抗議した。サチはへーい、と面倒臭そうに返事を返す。

 

「それであの……、さっきの一体何だったんですか?あんな変なとこ、見たことも聞いたこともなくて……」

「あー、まあ、そりゃそうだろうね……。なんせあんなとこに入った時点で、生きて帰っては来れないから」

「……そうですか」

 

 夏音は暗い表情になる。身を持って使い魔の恐怖を知っただろう夏音にとっては、サチの言葉は、より重く聞こえたのかもしれない。

 

「……そんな場所から私を救ってくれた貴女は、凄い人ですね。あんな化け物を簡単に倒せるなんて……、まるで小さい頃、アニメの中で見た魔法少女のようです」

「……」

 

 その発言で、サチが渋い顔になるのも無理はなかった。

 だって本当にサチは魔法少女なんだから。

 それに夏音の目には、キラキラとした“憧れ”の輝きがあった。

 

「何より、とてもカッコいいですね、貴女!!変身したり、長銃に変形する錨とかって、正直心をくすぐられるんですよ!好みど真ん中です!貴女は一体何者なんですか?悪の秘密結社に魂を売った改造戦士だったり、この世に蔓延る悪と戦う正義の使徒だったりするんですか!?ねえ!?」

「お、お前何の話をしてるんだよ……」

 

 急に夏音のテンションが上がり始めたので、サチは困惑気味になった。

 結はそのやりとりに苦笑いを浮かべ、やっぱり夏音はこの年頃特有の病気にかかっていたんだなあ、と思う。

 

(なんせブラッドとか武器に名前つけちゃうくらいだしなあ……)

 

 この“夏音”には、あの使い魔の夏音との共通点があり過ぎた。

 しかし、こちらの“夏音”の方が明るいし、普通だし、その差異をますます奇妙に思う。

 

「あ、ああ……、ごめんなさい。つい一人で盛り上がってしまいました」

 

 夏音ははっとすると、慌てて謝った。でも興奮は収まっていないらしく、鼻息を荒くしている。

 

「ですが、さっきも言いましたけど、貴女カッコ良かったんですもん!!とっても素敵でした!!」

「私が……?」

「ええ、そりゃあもう!」

「……そっかあ。私ってそんなにカッコいいかあ!!」

 

 力強く夏音がこくこくと頷くので、サチはすっかり機嫌を良くした。相変わらずちょろい子だ。

 こういうところがサチの弱点でもあるのだが、結はサチのこの純粋さが嫌いではない。見ていて微笑ましく思う。

 思うのだが……、サチは鈍感だから、気づいていないのだろうか。

 

 夏音の目。そこには変わらずあの“憧れ”の輝きがあったけれど、しかし、少しだけ鳥肌が立つような目つきをしていた。

 まるで、惑溺したかのような視線をサチに向けていたのだ。

 

 結には、“夏音”が何を考えているか全然分からなかった。ただ、この子は思っていたよりも、ずっとずっと、元から怖い子だったのかもしれないと感じた。

 

「貴女、あの場所のこと知っているってことは、何度かあの場所に行ったことあるってことですよね?」

「うん。この船花様はね、ああいう奴らを相棒と一緒に日夜倒して、善良な市民様を守ってやってるんだよ。マジで感謝してよ!私達がいなかったら、テメエは平和な暮らしを享受出来ていないんだからなあ!」

「おおー……」

 

 調子にのっているサチに、感心したようなリアクションを夏音が取る。

 何処かズレているようなやりとりだった。

 

「やっぱ、貴女ってこの世界で特別な存在なんですね!どうやってそうなったんですか?」

「──え?」

 

 そこできょとんとなり、サチは声を漏らした。

 

「どうやってなったかって……、それは……」

「……私、貴女の姿に感動したんです。だから、怖くても良いから……その……、私も“特別“になりたい」

「────」

 

 夏音がもじもじと、恥ずかしそうに願望を吐露したことで、またサチは渋い顔になった。

 ……結にはその気持ちが痛いほど分かる。魔法少女として、長い期間過ごしきたからこそ、サチはその役割の重さを知っている。だから、夏音の発言に危ういものを感じたに違いない。

 何と言っていいか迷うように、サチは言葉を詰まらせた。

 

「……」

「あ……」

 

 これには流石の夏音も無言となる。傍目から見ている結でさえ気まずくなるほど、室内に重い空気が広がった。

 そして、それに耐えきれなくなったのだろう。サチは視線を彷徨わせた後、窓の方へと走り出し、それをガラッと開けた。

 

「うっせえ、ボケカス!!知るかそんなこと!!」

 

 それだけを言い残し、サチは勢いよく外に飛び出すと、夏音が呼び止める声を無視して、そのまま逃げてしまった。そうすれば魔法少女のことについて、これ以上夏音が関わることはないと考えたのだろう。

 サチはやはり、本質的に優しい。

 だが、夏音がこの後魔法少女となることは確定している。それを思うと、悲しい気分になった。

 

「……まだお礼してないのに」

 

 夏音は呆然としたように開け放たれた窓を見つめると、残念そうに溜息をついた。反省して罪悪感が出てきたのか、ベットに背中から倒れ込み、両手で顔を覆う。

 

「ああ〜……悪いことしたかも、私……。ああ〜……どうしようどうしよう……。どうやってこの恩を返せばいいかなあ……」

 

 彼女はその後も、どうやってお礼をすればいいのか、と独り言を言って悩み始めた。

 根が真面目で、お人好しな性格なのか。この少女があの惑溺したかのような目をしていたとは思えないし、一瞬だけでもそれを忘れそうになる。

 だが──次の言葉で、結は“夏音”の異常性を、はっきりと感じ取った。

 

「……“特別”なれる方法も慎重に聞けばよかった。そしたら何もわからずに仕舞いにならずに済んだのに。これじゃ“特別”になれないじゃないか。……戦うのが怖くても良いから、“特別”になって“力”が欲しい……」

 

 夏音の瞳に、“憧れ”と“惑溺”の色が宿った。それらは混ざり合い、どろどろとした、恐ろしい闇──文字通り、本当に何処までもどす黒い闇となって、夏音の瞳の中にあった光を食いつぶしてしまった。

 そしてその光の代わりに、夏音は闇をギラギラと光らせるのだ。

 

(何だこの子……。特別……?)

 

 仕切りに繰り返される、特別という単語。使い魔に恐怖しながらも、時折見え隠れする、力が欲しいという渇望。

 “夏音”が何故そんな執着を抱いているのか分からないが、しかし、そこに込められた感情の重みは……尋常じゃない。

 とても歪だ。実体なき体だというのに、首筋に寒気が走る。

 

(こんなの見せて……、夏音ちゃんは一体何を考えているんだ?意味が分からない)

 

 あの使い魔の意図が分からず、漠然とした気持ち悪さを感じた。

 それがどうにも認め難い。イライラしてくる。

 

「ああ、“特別”になりたい……。特別になれば、こんな何もない私でも、変われるのに」

 

 夏音の独り言は続いていた。良く聞き取れない音量だったが、時々出てくる“特別”という言葉だけは、やけに鮮明で、瞳の中の闇は一層深くなっていくばかりだ。

 ……やがて悔しげに、ぎりっと夏音は唇を噛んだ。顔には苛立ちの感情が張り付いている。

 

「……畜生。畜生畜生畜生……!!やっと夢見た瞬間が来たかもしれないってのに、……特別になれないなんて嫌すぎる……!!……私はどうしても、どうしても勝ちたいのに!!特別になれなきゃ私なんてなんの価値も──」

「──“特別”になる方法を、教えてあげようか」

 

 少年の声が聞こえた。結にとって聞き覚えのある、そして夏音にとっては、聞き覚えのない声が。

 

 突然のことに、がばっと夏音が起き上がる。

 一体いつの間に現れたのか。

 勉強机の上には、白い四足歩行の獣がいる。

 猫のように尖った耳と、狐のような尾を持ち、背中には円が刻まれている。

 見た目は可愛らしく、ぬいぐるみのようではあったが、赤い両目は微動だにせず、昆虫のような無機質さを感じさせた。

 夏音が今まで見たことがないような、不可思議な生物だ。夏音は何度も何度も何度も、眼鏡を外してはかけ直し、目の前の動物が本当にいるのか確かめた。

 

「夢じゃない……?」

「夢じゃないよ、菊名夏音」

「うわあ、喋った。しかも私の名前まで知ってるとか……、気持ち悪……」

 

 正直な夏音は、不気味なものでも見るような目をして、思ったことを素直に口にした。

 だが白い獣は気にせず、媚びたように仕草で尻尾を振り、挨拶をした。

 

「初めまして。僕の名前はキュゥべえ。──僕と契約して、“最後の魔法少女”になってよ」



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“菊名夏音”という少女 2

かなり時間がかかってしまった。何でだ。


 魔法少女になって欲しい。まるで女児向けアニメの中で、主人公が頼まれそうなお願い。

 それを実際にされて、夏音は眉をひそめ、怪訝な表情になった。そしてベットから立ち上がり、キュゥべえをじろじろと眺める。

 

「あのお、すみません。良く聞こえなかったんだけど、もう一度、さっきのセリフ、言ってもらえます?」

「菊名夏音、ボクと契約して魔法少女になってよ!」

「……」

 

 若干違うものの、やはり前と同じようなことを言うキュゥべえ。夏音は何とも言えぬ微妙な顔になり、額に手をやった。

 

「何科だこいつ……」

 

(気にするとこ、そこ……!?)

 

 ズレた発言に、結は思わず心の中でツッコミを入れてしまった。

 あえて本人には何も言わなかったが、夏音は少し変わっているのではないだろうかと結は思う。時々、無自覚にボケるというか……、若干アレなのは間違いない。

 そういう面を見ると、今みたいにすっかり調子が狂ってしまって、変な気持ちになった。

 

「えーと……、マスコット的なやつなんですか、貴方?」

 

 やがて、しばらくして。うんうんと唸るように考えていた夏音は、胡乱げな目付きはそのままに、キュゥべえに確認を取るように聞いた。

 

「マスコット?」

「お約束のあれですよ。魔法少女にくっついてなんかやっている、あれです」

 

 ……夏音はアニメの影響か、どうやら、キュゥべえのことを妖精か何かだと思い始めたようだ。

 まあ、本当の正体は宇宙人なのだが……、ポジションとしては、割と近いものがある。

 キュゥべえ自身も、それは認めているようで、

 

「マスコット的なのはともかく、魔法少女をサポートするというのもボクの仕事の一つだ。そういう意味では、そうかもしれないね」

 

 と、答えた。

 途端、夏音が大きな声で、「やっぱりマスコットじゃないですか!」と叫ぶ。

 

「でも、確かにかわいらしいんですけど、目が超赤くて怖すぎですよね。喋ってるとき口動いてないですし、不気味ですよね、こんなマスコットなんていらないのに、何で平然と部屋にいたんでしょうかね」

 

 彼女は現実を認めたくないらしく、やけっぱちになっていた。

 ……結界に入ってしまった時点で、キュゥべえぐらい、結としては今更のように思うのだが。

 しかし夏音は混乱したままで、キュゥべえに詰め寄った。

 

「ていうか、これ、夢ですよね?」

「残念ながら、夢ではないよ、夏音」

 

 キュゥべえは冷静に否定する。夏音は乾いた声で棒読みを言って、笑った。

 

「そんなまさかー」

 

 試しとばかりに夏音はその頬を抓る。そうやって、夢と思いたかったのだろう。

 だが当然、目の前の“これ”は現実で起こっていることだ。瞬間、ぎゃ、という短い悲鳴が上がる。

 

「……イテテ。夢じゃないの、これ?」

「ようやくわかってくれたかな、夏音」

「信じられないけど、わかったってことにします。夢じゃないって信じてあげます。とりあえず、説明頼みますよ。マジわけわかんないし」

 

 頬を撫でながら、少女は状況を話すよう要求した。

 キュゥべえは、うん、分かったよ、なんて言って──ようやく、先に展開が進みそうだった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 それからは、キュゥべえによる魔法少女の説明会が行われた。

 魔法少女に魔女。契約。船花サチの正体について。

 時に夏音の質問に答えながら、小動物は基本的なことを教えていく。

 

 それらは実に分かりやすく、細かな内容ではあったが──しかしあえて重要なことを避けたり、省いたりしているのは明白だった。全てを知る結は誤魔化せない。

 こうして他の子も騙していたのかと思うと、結は腑が煮えくりかえる思いだった。

 

 夏音は船花サチや結界のことを知り、状況を把握して色々と納得すると同時に、随分と驚いていた。当たり前だ。こんなもの、聞けば聞くほど現実味がない。

 しかし、それは確かに日常の裏側──平穏の直ぐ側に存在する世界なのだ。そんなものがありながら、夏音は自分が今までのほほんと過ごしていたのが信じられない様子だった。

 

「こうしていることが、まるで嘘のように思えます。……私、結界とかいう場所に入った時点で、本当は帰って来れなかったんですよね」

「……うん。キミはサチに感謝するべきだろう」

 

 キュゥべえ曰く、恐らくサチは魔女を追いかけて結界に入り、その中で偶然、夏音を発見したのではないか、ということだった。

 本当に、夏音は運が良かった。

 これが一歩でも遅ければ……、もしくはサチが魔女を追いかけなければ……、夏音は今頃、使い魔の胃袋の中だ。

 当然死体なども残らず、永遠に行方不明者として表の世界で処理されてしまうだろう。

 

「……」

 

 もしそうなった時のことを想像したのか、夏音はしばらくの間、俯いた。その顔に浮かぶのは、様々な感情が入り乱れた末に生まれたものだろう、複雑な表情だ。

 だが、それでもなお、目に“憧れ”の光を宿している。

 彼女は一つ一つ、確認するように聞いた。

 

「あの、何でしたっけ、その……魔女ですか?よく分かりませんが、魔法少女になったら、それを倒していかなきゃいけないんですよね?」

「そうだね」

「でも、何でも一つだけ願いを叶えてくれるんですよね?願った通りにちゃんとなるんですか?」

「なるよ。一つアドバイスするなら、願いは具体的であればあるほどいいよ。その方がよりキミの望み通りに願いが叶うだろう」

 

 キュゥべえのはっきりとした口調。夏音の目の色が明らかに変わった。食い入るように、キュゥべえの方へ前のめりの姿勢となる。

 

「本当に……?本当に私の望みが……」

 

 夏音は息を飲み、キュゥべえが何者なのかを思案した時と同じような仕草をする。

 ただしその顔は、決して悩ましげなものではなく。無意識なのか、先程とは違い、その口の端は僅かに釣り上がっていた。

 

「夏音、もしかして契約する気になったのかい?」

「まさか……と言いたいところなんですけど、ぶっちゃけ興味はありますよ。だって、何でも一つだけ願いを叶えられるんです。こんなおいしい話はありません」

 

 キュゥべえの問いかけに、夏音は否定をしなかった。

 特別になりたい、と夏音は言っていた。このキュゥべえの契約なら、それが実現する。魔法少女になるのは、夏音にとって願ったり叶ったりだろう。

 だが、結が思っているよりも、夏音は少ししっかりしているようだった。ここで二つ返事をするかと思いきや、次には予想していなかったことを言ったのである。

 

「でも、やっぱり都合が良すぎますよ……」

「というと?」

「いやだって、考えてもみてくださいよ。命懸けの戦いに身を投じることになるとはいえ、願いは何でも叶えるなんて、リスクよりも、リターン(・・・・)が大きすぎません?」

 

 いきなり確信をついた、鋭い発言。

 キュゥべえはピクリと耳を動かした。何か思うところでもあったようだ。

 

「何があってもそこまでやるメリットが貴方にあるんですか?割にあいませんよね?」

 

 夏音はじと目気味になりながら、更にキュゥべえを追求した。

 彼は少し黙すると……、はあ、と困ったように溜息を吐いた。

 

「やれやれ。警戒心が強い子だね、キミは」

 

 キュゥべえは尻尾を一振りすると、机から飛び降り、彼女の足元まで歩いた。

 

「ならば逆に聞こう、菊名夏音。キミは結界に入り、その危険性を知ったうえでなお、契約に興味を持ったね。キミにとって、そこまでするメリットが何処にあるのかい?」

「────」

「……それほど特別になりたいと思う理由は何だい?」

 

 キュゥべえが下から夏音の顔を覗き込む。

 まるで機械のように、微動だにしない赤い瞳。

 それに夏音は気圧されたのか、他白いで、一歩下がった。

 

 白い獣は明らかに、都合が悪かった話題を逸らしていた。

 確実に夏音を魔法少女にするつもりなのだ。しかし、裏があるのではないか、という考えを持っていたはずの夏音は、すっかり空気に流されているようだった。

 

「ボクらは、ボクらのために、キミに命をかけてもらおうと頼んでいるんだ。願いを叶えてあげるぐらい、当然の対価だと思っている。だから、キミを色んな形で特別にしてあげられるよ。……夏音。キミがどんな風に特別になりたいのか、教えて欲しいな」

 

 甘い、悪魔の囁きの如き誘惑だった。

 夏音は逡巡するかのように、目を彷徨わせる。

 

「……で、でも……、願いが叶って、特別になったとしても、それって特別の中の普通……ですよね?」

「ん?どういう意味だい?」

「だって魔法少女っていっぱいいるんでしょう?その子達だって、選ばれた存在です。それで願いで特別になったとして、どうやって私は誰かに勝つことができるんですか?」

 

 ようは願いを叶えたところで、飛び抜けた存在にはなれない、ということだろう。

 魔法少女になった時点で、それぞれ強い力を持つことになる。謂わば皆が特別なのだ。

 それに、誰よりも特別になりたいなんて思い、夏音の年頃の子は誰だって抱えている。つまりそれほど多くの少女が、“特別”になることを願っているはず。そんな中で夏音が望みを叶えても、埋没してしまうだけだ。

 

「そうだね。……確かにキミの言う通り」

 

 夏音の言い分に、最もだとキュゥべえは肯首した。

 

「ならば、良いことを教えよう。──夏音、キミは既に普通ではないんだよ。魔法少女になるだけで、誰よりもなによりも、他のどんな子よりも、“特別”なれるんだ。キミは神になる素質を持つ子だからね」

「え……?」

 

 突拍子もないこと言い出したキュゥべえ。夏音は目を見張り……、二人のやりとりを聞いていた結でさえ、驚いて困惑してしまう。

 

(……神?……何を言っているんだ……)

 

 神という言葉に、結は何か嫌なものを感じた。

 それはこの土地が、あまりに龍神信仰に縛られた土地だったからだろうか。それとも結自身が、龍神信仰を祀る一族の掟に苦しめられたからだろうか。

 どちらにせよ、神という存在に対して、結は良い気分を持ったことがない。

 ……特に夏音が神になるなど、尚更冗談ではなかった。

 

「どういう意味ですか?」

 

 夏音としても、理解が追いつかないのだろう。恐る恐るといった感じで、彼女は問いかけた。

 すると、少しを間を開けて、またとんでもないことをキュゥべえは言ってのけたのだ。

 

「そのままの意味だよ。キミには神様になれる素質がある。キミは神様に直接選ばれた、唯一の魔法少女になるんだよ」

「え……、何それ」

 

 返事は答えになっていなかった。相変わらず訳の分からない話に、少し夏音は不満だったのか、呆れたような表情をする。そこには、こっちをからかいやがったな、という怒りも含まれているようだった。

 

「まあまあ、順を追って話そうじゃないか」

 

 しかし気にすることなく、キュゥべえはマイペースに対応する。夏音は仕方無さそうにその場に座ると、出来る限り小動物と目線を合わせた。

 

「で、私が神になれるっていうのは何なんですか?」

「うん。じゃあ、まず初めに言っておくけど、キミは龍神信仰を知らないかい?」

 

(────!?)

 

 龍神信仰の名前が出て、結は思わずびくりと肩をはねさせた。

 動揺が広がっていく。嫌な予感が早速的中したような気がしてならなかった。

 

「……龍神信仰?」

 

 何だそれは、と言わんばかりに夏音は首を傾げた。

 市全体で信仰されているとはいえ、龍神信仰自体が、かなりマイナーな信仰なのだ。

 信じているのは古い一族ぐらいで、他の人々には縁遠いものである。

 故に、夏音のような普通の子が知らないのは無理がなかった。

 

 そんな彼女のために、キュゥべえは詳しく龍神信仰について語る。

 

「龍神信仰とは、二対の龍神を祀る信仰だ。

 御神体の名は金早龍(きんそうりゅう)銀島龍(ぎんとうりゅう)。この地域で戦国の世から祀られている……、まあ土地神様だね。

 彼女達は双子の龍で、金早龍は願いを叶えて人々に力を与えて、銀島龍は逆に、罪人から力を剥奪し、不幸をもたらすと言われている。

 龍神信仰は、昔は随分と熱心に信仰されていたみたいだけど、今では極小数の人々を除き、信仰されなくなった古い神だ。それでも早島の住民は、心の何処かで無意識にこの神に縋り、頼っているんだよ」

「はあ……、じゃあ私だってその神様とやらに縋っているんですか?」

「もちろん。覚えはないだろうけどね」

 

 キュゥべえは断言する。夏音は腕を組み、訝しがる視線を彼に向けた。

 

「龍神信仰を初めたとされるのは、この土地の領主とされている。しかし実はね、それは誤って伝わった歴史なんだ。

 初めたのは(はや)(しま)──領主の娘である双子の姫。二人合わせて双頭龍(そうとうりゅう)と呼ばれていた魔法少女達だ」

「へえ……そんなことが……、ん?早島……?それって……」

 

 そこで夏音同様、結もはっとして気がつく。言うまでもなく、その双子の名は、この町の名前の由来だ。そして結の知識では、早島という名称は、神の名前から来ているとされている。

 ということは──

 

「双頭龍は、金早龍と銀島龍そのものだ。彼女達は……期待とか、希望とか、羨望とか、そういう感情を向けられれば向けられるほど、力を増幅させることができる魔法の持ち主だった。まあ正確に言うと、感情エネルギーを魔力に変換する能力、といった方が正しいのかもしれないけれど」

「じゃあ、龍神信仰というのは、自分達の力を高めるために自分達で生み出した信仰……?」

「ああ。

 元より貧しい土地。さらには戦争により疲弊したところに、魔法少女の力を見せさえすれば、自分達を神の化身と信じさせることは容易だ。

 そうして人々の信仰集めれば、それは力に変換され、本当に“神”の如き権能を得ることができるという理屈だ。

 ……双頭龍にとって、信仰というのは利用するのに都合が良いものだったんだよ」

「成る程。合理的なことを考えますね。でも、そこまでして力を得る必要がどこに……?」

 

 夏音が話を聞いて理解すると共に、その最も根本的な部分を聞く。

 すると昔を懐かしむような感じで、キュゥべえは目を伏せた。

 

「かつてこの地域は他の家による権力争いも酷くてね。魔法少女はそのの権力争いの道具として利用されていたのさ。

 ……多くの魔法少女が大人の都合で殺しあったよ。

 そしてある時、魔法少女の力で領主の家が潰されそうになり……、双頭龍はそれを未然に防いだものの、このままではいけないと思ったらしいね。

 彼女達は自分の家を守るため、また早島に平穏を齎すため、大きな力を欲したのさ。

 そうして、この地域に君臨する神となった後、手に入れた力で呪いを土地全体にばら撒き、自分の血族以外、魔法少女になれないようにした。願いを叶える力を独占したんだよ。

 この呪いは今でも残り、早島に限り、広実一族と呼ばれる、双頭龍の血族やその子孫以外、魔法少女にはなれない。普通の生まれで、魔法少女の素質がある子は、その資格を何らかの形で剥奪される。

 他にも、“転生の呪い”や……、自分達に縋るような暗示などなど……多くの呪いを土地にかけ、自分達に都合が良いような状況をつくり出した」

「……」

「その双頭龍の呪いが、現在の早島を形作っていると言っても過言ではない。

 ……そしていつしかその肉体が滅び、信仰の影響で本当の龍に変生しても、双頭龍自体はまだ生きているんだよ。意思は滅んでない。今でもはるか上空にいて、この早島を支配していることだろう」

 

 ……結は唖然となって、言葉も出なかった。

 まさか、自分の血族のルーツが魔法少女にあったとは思わなかったし、神が実際にいた昔の人物で、しかも今でも健在だなんて……到底信じられる話ではない。

 他にも、呪いだとか、初めて知ったことだらけだ。

 正直、何でこんなことを今更になって知る必要があったのだろうと思う。広実結など、ただの死に損ないなのに。

 ……改めて、この記憶を見せている夏音の目的が、分からなくなってくる。

 

「……そんな馬鹿なことが。証拠でもあるんですか?あり得るわけないでしょ、神様がいるなんて」

 

 夏音はせせら笑うように言う。

 やはりキュゥべえの言うことを未だに疑っているらしい。

 しかし次の彼の言葉で、黙る。

 

「ならば、ボクのことは何だっていうんだい?魔女や使い魔は?あり得ないはずの存在が、今キミいる以上、神様だっている。キミが思っている以上に、世の中は知らないことだらけで、不思議なものだよ?」

 

 キュゥべえらしい、ずるい言い方だ、と思った。夏音は反論ができずにいる。彼は更に畳み掛けた。

 

「ボクが願いを叶えることは信じるのに、神は信じないのかい?それはあまりにも、おかしいことだよ。夏音」

「……、その通りではありますが……」

「ボクが胡散臭いことは認めよう。だが、ボクの言うことはすべて真実だ。一先ずは信じて欲しい。必ず後から、本当のことだって分かってくるから」

 

 真摯に、訴えるような語調で頼む。その可愛らしい外見も相まって、普通の少女ならば、イチコロで頷いてしまいそうになるだろう。

 夏音も流石に申し訳なくなってきたのか、

 

「うるさいですねえ……」

 

 と言いつつも、キュゥべえに丸めこまれている。完全にキュゥべえのペースに乗せられていた。

 

「……分かりましたよ。とりあえずは貴方の言うことを信じます。夢じゃないってことにするって、言いましたからね」

「ありがとう。分かってくれて嬉しいよ」

 

 やれやれというポーズをとる夏音(若干カッコつけているように見えるのは気のせいだろうか)に、キュゥべえは感謝を口にした。彼女を誘導したくせに、だ。

 一体どこまで本心で喋っているのか。白い獣はいちいち癪に触る。段々とイライラしてくるのを結は自覚し始めていた。

 

「それでは説明の続きをしよう」

 

 キュゥべえはそう言うと、話を戻す。

 

「金早龍と銀島龍。双子の姫にして、早島の頂点に位置する存在。

 龍神信仰はこの神々を崇め、奉っている。

 だけどね、実は早島の神は、双頭龍だけではない。まだ神様がいて、それは現在空席なんだ」

「……空席?」

「元となった人物はいるんだけど、金早龍や銀島龍とは違い、実在してないんだよ。その名は、猫の神様、玉枝(ぎょくし)。龍神の主人と呼ばれる神だ」

 

 それは、人々からいつの間にか忘れ去られた神。龍神信仰において、最も重要な神でありながら、軽視される哀れな存在。

 

「双頭龍は、(たま)という名の魔法少女を部下にしていた。

 彼女は平凡な武家の娘であり、双頭龍の血族でもなかったが、早島を愛する心と特別になりたいという思いは人一倍強く、裏で様々な工作を行っていた」

「……それって──」

「当然、龍神信仰を広めるための工作さ」

 

 敵方からすれば、龍神信仰は面白くないものだろう。だって、自分の力を高めるための動きなんて、冗談にも程がある。

 龍神信仰は、そう簡単に始められた信仰ではないはずだ。その裏では様々なことがあったに違いない。

 殺し合い。騙し合い。一体幾つの者が犠牲になったのか。

 ……神は、幾千の涙と絶望を食らって生み出された。血塗られた歴史がやはりそこにはある。

 

「妖術使いの玉。

 ……優秀な魔法少女だったよ。色んな一族を潰し、色んな魔女を殺した。時にはスーパーセル──ワルプルギスの夜という魔女を誘導し、敵の領地を壊滅させ、戦争を止めたこともあった。早島の真の平和を守っていたのは、双頭龍ではなく玉だね」

 

 そのことを分かっていたからこそ、彼女亡き後、双子の姫は玉の存在を信仰の中に混ぜたのだろうか。

 玉枝──猫の神として。

 そう考えると、様々な疑問点を説明できる。

 

 いつしか忘れさられていたのは、そもそも本物の神などではないから。

 猫と龍という、何の繋がりもない生物同士で主従があるのも、玉枝が無理矢理後から組み入れた神だったからだろう。

 

「双頭龍にとって玉は大切な存在だった。妹のように可愛いがっていたのをよく覚えている。

 ……だからか、今でも彼女にかなりご執心らしい。この数百年間、何度も何度もその片鱗を見せていた」

「……片鱗って……」

「広実一族の血族の顔や性格が、玉に似てきているんだ。……彼らはその血に代々、呪いを無意識のうちに受け継いでいるからね。神の魔力の影響がもろに出るんだよ。特に、広実結やその従姉妹あたりの顔が、もう玉に瓜二つだ。あれは生き写しだよ」

 

 ぎょっとして結は自分の頬に触れた。……あまりの事実に血の気が引いていく。これほど恐怖し、心底気持ち悪いと思ったことはなかった。

 

「もしかしたら、龍神は死んだ玉の代わりに、居ないはずの玉枝を作り出そうとしているのではないかとボクは思うんだ。生前、彼女達は玉が神になれないのを悔やんでたからね。……せめて、代わりの何かを生み出し、自分達の同族にしたかったんじゃないかな。

 そして今回、キミというイレギュラーな存在が現れた。ここまで言えば分かるね?」

 

 ようやく話が繋がってきた。

 ……この早島に限り、広実一族以外の魔法少女は存在しない。素質がある子は皆、何らかの理由によりその資格を呪いで剥奪される。だが、夏音はキュゥべえの姿が見え、魔法少女になる権利が残っているのだ。

 これは、神が直接夏音を魔法少女として選んだ、ということに他ならないだろう。

 

「実はキミのことを、ここ数日観察させてもらっていたけれど、正直、とても驚いたよ。……サチと会った時はそうじゃなかったみたいだけど、時々──本当に、時々だけどね、キミ、魔力を発しているんだよ。それはこの地の魔法少女が残存魔力と呼んでいる、特殊な魔力と同一のものだ」

「え……?」

「……それは神への信仰心……早島の住民の感情エネルギーを変換した、双頭龍の魔力。双頭龍を神たらしめてる力の正体さ。その性質状、龍神信仰に関係がある場所や物体に集まり、そこからしか発生しないんだよ」

「つまり、信仰の対象になれば、その残存魔力を発するようになるってこと?……神になる兆候が私に現れている?」

 

 ……そうだとしたら、これほど恐ろしいことはない。

 いつの間にか自分が変わっているという事態は、“自己“を揺らがせる。

 どうなるか、予想がつかない。

 

「……本当に、何で私なんかが……」

 

 戦慄したらしく、夏音は手を振るわせ、当然の疑問を口にする。

 

「私には何もありませんよ。……この通り、平々凡々な人間です。当然、玉とかいう子と繋がりなんてありませんが?」

「……まあ、たしかに血筋とか境遇を見ればそうなんだけどね。

 でも、玉が当時抱いていた感情を、キミは強く持っているように見えるよ。それに、いかにもこの地域の“神”に好かれそうな性格してるし。

 あと、広実一族じゃなかったからこそ、選ばれたのかも。玉は双頭龍とは血がまったく繋がってなかったから。

 彼女達は、玉と同じような性質の人間を求めていたんだろうね」

「はあ……。そうだとしたら、なんか複雑な気持ちなんですけれど……」

 

 誰かの代わりにされているのは、不愉快でしかないのだろう。

 夏音は思いっきり眉を寄せる。キュゥべえは、龍神達をフォローするように、そう悪い話でもない、と言った。

 

「玉枝の位は、龍神よりも高い位置にある。もしキミが玉枝になれば、その龍神を上から操ることが可能になるだろう。それはこの早島を好きにできるということと同義だ。その気になれば、人々の記憶の改築から、天候の操作だってできるようなる」

 

 そうなればもう、早島は何でもありの、夏音だけの箱庭だ。文字通り、そこの住人を生かすも殺すも、夏音次第ということになる。

 とんでもない、突飛な力。

 ただの少女が手にすべきものではない、手に余る権能である。

 

 ここまで色々と聞いた話の中でも、笑えない。頭の中がパンクしそうになる。

 

「な……、スケールがデカすぎますって……」

 

 それは夏音とて同じのようである。……先程よりもなお戸惑っている。

 だが、キュゥべえは意に返さない。どころか、不思議そうにこう言うのだ。

 

「だが、キミは特別になりたいんだろう?これほど都合が良いことは滅多に起こらない。何故、喜ばないんだい?」

「……」

 

 夏月は無言と共に、何か言いたげな顔をした。当たり前である。さっきの発言は、少し無神経過ぎた。

 

「……貴方、少し空気読めないって言われません?」

「よく言われるよ。ボクとしては、キミ達の方がおかしいんだけどね」

「なるほど。どうも、良い性格してるようじゃないですか」

 

 皮肉を言う少女。この白い獣はどうにもならない、と悟ったらしい。

 ……やがて溜息をつくと、笑い声を漏らした。

 

「ふふ……、ふふふ……、うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ……!

 アハハハハハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ……!!

 確かに!!確かにそうだよ!どんな形であれ、私は特別になれるんだから、喜ぶべきだよ!これで私は、誰からも認められる存在になれるのよ!

 勝てる──兄さんより私のが偉いんだ……!!」

 

 目をギラギラさせて、口角を上げる。……それに既視感を少しだけ覚える。

 まるで順那のようだと、何故か結は思った。広実一族の顔が──特に結と、その従姉妹が、玉に似ていると言われたからだろうか。

 夏音も“神”に選ばれるだけあって、その精神性が玉に限りなく近いのかもしれない。

 

「……夏音。

 きっと神になるには、魔法少女にならなければ無理だろう。その力は魔女少女でなければ振るえない。……そしてその願いによって、その力の大きさも変動するだろう。慎重に願いを決めるんだ」

「偉く協力的なんですね。……そういうとこ、なんか胡散臭い感じするんですが」

「そうは言うけどね、ボクだって“神”には逆らえないんだよ。だからボクは“神”の意向に従うまでさ」

 

 キュゥべえは無感情に、そんなことを当たり前のように言う。正体を知っている結からしたら、この上なく不気味だ。

 しかし夏音は、一瞬だけ少し不安げな顔をしたものの、次にはまた、あのニヤニヤとした顔に戻る。

 

「まあ良いや……。私が神になるってんなら、別にこんな淫獣どうとでもなるし。私が支配者なんだから……」

 

 夏音は調子に乗っていた。

 いや、この場合、浮かれていた、という方が正しいのだろうか。

 その重みを実感することなく、ただただ神ってかっこいいよね、とぶつぶつ呟いて喜んでいる。

 ……最初の警戒心など、呆れるほどまるでなかった。

 

「……あ、そうだ」

 

 と、ふと彼女は唐突に、何か思い出したように声を漏らした。そして、キュゥべえに真剣な表情をして問いかける。

 

「キュゥべえ。貴方船花サチっていう子と知り合いなんですよね?」

「そうだけど。……もしかして、彼女と会いたいのかい?」

「ええ。お礼できていませんからね。こういうのって、ちゃんとしなきゃ駄目ですもん」

 

 実に真面目な返答をする。

 ……変なところがしっかりしているのだった。

 

「高級なお菓子でも買って、挨拶出来たら良いんですが……。事前にお知らせしたりとか、出来ませんかね?」

「それくらいはお安い御用さ」

「────。ありがとうございます」

 

 嬉しかったのか、夏音は笑みを浮かべる。

 それはとてもまっすぐで、純粋で、柔らかくて──本当に人が良い子がするような、そんな笑顔。

 それが彼女の本質を現しているように、結には思えた。

 

「ああ、でも何故か楽しみですね。何を話しましょうか」

 

 言う通り、楽しげに目を細める。……その表情を、じっとキュゥべえは見つめていた。



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“菊名夏音”という少女 3

本編の更新が何年ぶりか分からない。しかも短いという。順那ちゃんの短編も終わったし、ここからラストスパートまで頑張ります。


 ――次の場面に移った。

 

 結は辺りを見渡した。

 外だ。見覚えがあるような、ないような。広い道を、沢山の学生が歩いている。

 

 つまり、ここは通学路なのだろう。結は別の中学校だったためあまり来たことはないが、早島中学の生徒はこの道を毎日通っているらしい。

 事実、目を凝らせば、遠くには校舎が見えた。アレが早島中学なのだろうか。

 

 と、そんなことを思っていると、ふと後ろで話し声が聞こえてきた。

 

「あ、貴女はあの時の……」

「……げえっ」

 

 振り返れば、夏音とサチが鉢合わせたらしく、両者共にびっくりした顔をしている。特にサチは、嘘だろうと言わんばかりの表情だった。

 

「やっぱり。見覚えがあると思ってたんです。同じ学校の生徒だったんですね。貴女」

 

 夏音が妙に納得して言えば、サチは文字通り頭を抱えた。

 

「ちくしょう。こんな展開ありかよ。マジで頭が痛いんですけど」

「むっ」

 

 夏音はその様子が嫌だったのか、頬を膨らませ、「相変わらず失礼な方ですね」とちょっと怒った。

 

「とは言え、先日はどうもありがとうございました。貴女のおかげで助かりました」

「……ふん。ま、船花様にかかれば当然のことだし」

 

 そうお礼を言われて、満更でもなさそうなサチである。

 本人は隠しているつもりかもしれないが、得意げに鼻の穴がぷくっと広がっていた。

 

「それで、キュゥべえにも伝えておいたんですが、改めてお礼をさせて欲しいんです。魔法少女のこととか、色々ありますし」

 

 最後の方、やけにコソコソ言って、夏音はサチに対して耳打ちする。

 サチは思いっきり渋面を作っていた。

 

「その話は奴から聞いてる。ったく、マジであの白狸は余計なことしかしねえ」

 

 小声で返しなら、しかし怒り心頭と言った感じで悪態をつく。それに関して言えば、結も大いに同意する。

 

「ていうか、テメエ、本気かよ。死にかけたくせに、まだ魔法少女になるつもり?」

 

 だが、どちらかと言えば夏音の方に激怒しているようだ。サチはぐっと眉間に皺を寄せて、夏音を睨みつける。でも、彼女も引かなかった。

 

「確かにまだ怖いんですけど、願いが叶うと言われて、無視は出来ません。私にも思い描く夢があります」

「……お前が思う以上に大変なんだけど?」

「はい。しかしそれを承知の上で、魔法少女のことを知りたいんです」

「……」

 

 すると、こいつマジで正気で言ってんの? と驚いたようにショートカットの少女は目を瞬かせた。

 

「はぁ……。そこまで言うならしょうがねえなあ。分かったよ、テメエの話は聞いてやる」

 

 もう一度ため息を吐いて、サチはうんざりした風に頷いた。

 夏音はパァっと擬音がつきそうな程、明るい笑顔を作ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 そして、時間は流れて放課後である。

 

 場所は早島でも有名な喫茶店。そこで夏音とサチは、二人で紅茶のお茶っぱを選んでいた。

 

「こんなことで良いんですか?」

 

 とは、夏音の疑問である。

 彼女としてはもっとキチンとしたものを……と考えていたのだろうが、サチとしてはこちらの方が良いようで、実に満足気に鼻歌を歌っている。

 

「お茶の方が長く持つし、入理乃と一緒に楽しめるから最高なんだよ。丁度切らしてたしある意味助かったわ」

「それは良かったですが……ていうか入理乃!? 入理乃って、あの阿岡入理乃ですか!?」

 

 夏音がびっくりすれば、サチは何処か誇らし気に微笑み、

 

「そうだよ。有名人だもんな、アイツ。後で紹介すっからちょっと待ってなよ」

 

 そう言って、お茶っ葉の袋を一つ手に取る。気に入ったもののようで、カウンターに直行して購入(夏音のお金で)。結構お高いせいか、一瞬夏音が物凄く死んだ目をしていた。

 財布の中身が空になったんだろうなと、結はなんとなく察した。

 

「さて、連絡すっか」

 

 二人はそのまま外に出ると、適当な公園に入り、ベンチに座った。

 サチが携帯を出してから電話をかけ始める。

 

「もしもし? うん、私、船花サチ。実はさ――」

 

 それから数分ぐらいやり取りが続いた。どうやら入理乃がごねているらしく、サチはちょっと困った顔をしていた。最終的には「とりあえず来たほうが良いって!! じゃあな!!」と、サチが一方的に電話を切った。

 

「クソッタレめ。臆病なところは相変わらずじゃんか。直せば良いものをさあ」

 

 愚痴るサチに対し、夏音はバツが悪そうだ。

 

「やっぱりご迷惑だったんでしょうか。話をしたいだなんて、そんな……」

「ああ、何言ってんだ?」

 

 だが正反対に、サチはイライラし始めた。

 

「何で今更そんなことを気にしてんだよ。そもそもどうしてお前が気を使う必要があるんだ?」

「いや、だってどう考えても、阿岡さんとって私って邪魔な存在じゃないですか。唐突に押しかけてきたもんですし」

「そりゃそうだ」

 

 サチは力強く同意する。

 本当のことだったが、それはそれであまり良い気分ではなかったらしく、夏音はちょっとムッとしていた。

 

「ま、魔法少女になりたいって時点でめちゃくちゃ目障りだけどね。本当はやめて欲しいから、ガチで」

 

 しかし、次に言ったその言葉は、彼女らしからぬ真剣なものだった。皮肉混じりでも、本気で夏音のことを考え、普通に生きて欲しいと思っているようだ。

 でも、サチは夏音のすべてを否定した訳ではなかった。

 

「けれどさ、何かを叶えたい気持ちって止められないんだよね。私だって身勝手な願いで、身勝手な望みを叶えたし。結局、本人がどうしたいかなんだよな」

「……船花さん」

「だから、どうしてもってんなら無理に止めない。アイツのために遠慮なんかすんなよ。テメエには魔法少女のことを知る権利がある」

「……」

「その代わり、よく考えて選びなよ。後悔することになるからね」

 

 実際に魔法少女が言うからこそ、そこには重みがあった。

 夏音はごくりと唾を飲み込んだ。

 改めて魔女のことを考えて、緊張しているのかもしれない。

 

「……船花さんは後悔なさっているんですか? 魔法少女になって」

 

 そのためか、夏音は結構踏み込んだことを聞いた。

 サチはみるみる内に、複雑な表情となっていった。

 

「そりゃあ……なんつーか、いくら何でも遠慮のない質問だな」

「すみません」

「謝らないでよ。むしろそのくらいのが付き合いやすいわ」

 

 本当に気にしてなさそうな雰囲気で、彼女は話し始めた。

 

「――そうだな。確かに一言で言えば、後悔してるよ。まさかあんな結果になるだなんて。でも同じくらい、お義父さんや入理乃に会えたのは良かったんだ。二人に会えて自由になれたんだよ」

 

 それでも船花サチの顔は、普段からは想像がつかない程、弱ったような、悲しんでるような、そんなどっち付かずの微笑だった。

 少なくとも結は、初めて見る。

 そう言えば、サチのことは何も知らないな、と実感したくらいだ。

 

(今までは同じ地域に住む、魔女を奪い合うライバルという認識が強かったしね…)

 

 あるいは、自分の都合で勝手に迷惑をかけたという子供か。

 とにかく、結にとって、船花サチとはその程度の存在だった。

 

 しかし、思っている以上に、サチは多くのものを抱えているらしい。

 だが、よく考えてみれば、彼女も魔法少女なのだ。

 過去に一つや二つ、辛い経験があってもおかしくない。それこそキュゥべえに縋る程の何かが――

 

「……」

 

 そこまで思考を走らせ、でもサチのことを知って何になるのだろうと、結は思った。

 だって何処までも行ってもサチは他人でしかないからだ。それに他人だからこそ、勝手にその心に踏み込みたくはなかった。人様の家を物色したくないのと同じだ。

 

 でも、そうやって思っている間にも、会話はどんどん進んで行く。

 サチは良い機会だと言わんばかり、入理乃の凄さを語って聞かせている。夏音は真剣に頷きつつ、「やっぱり阿岡さんは別格なんですねえ」と時折褒めていた。機嫌を取るためのようだが、サチには分からないようで、褒められる度に笑顔になっていった。

 

「テメエ、分かってんじゃん、見直したよ! ウハハハハハハ!」

「そうですか――って、痛いです、叩かないで下さい! 痛い!」

 

 しかしサチのテンションが高くなっていくごとに、夏音は背中をバシバシ叩かれて痛がっているのもあって、面倒くさそうだ。結が自然と苦笑いを浮かべるのも無理はないだろう。

 

「もう……本当に貴女は阿岡さんのことが好きなんですね」

 

 やがて呆れ気味に夏音は言った。

 

「最初てっきり不仲なのかなって思ってたんですけど、全然違うじゃないですか」

「あったりめえだろ! 船花様と入理乃はな、三年間もコンビを組んでるんだぞ! テメエに疑われるような関係じゃねえよ」

「いや、何だか対して彼女に怒っていたので。喧嘩をしょっちゅうなさるのかなと思ってしまっただけです」

 

 それは先程の電話のやり取りから想像したことだろう。

 確かその部分だけ切り取れば、サチが一方的にイジメているように見える。

 だからか、サチも一瞬、ぐっと喉を詰まらせた。

 

「別にアレはその……アイツを一方的に詰りたかった訳じゃねえよ。単に、いつものように自信なさげにしてるからムカついただけ。アイツ、テメエのことも怖がってるからさ。そんなで良いって言えねえだろ」

「しかし、そうは言っても、あまり話したこともありませんし、人見知りな方ですから、それはそれで――」

「そんな問題じゃねえよ!」

 

 サチが怒鳴る。夏音が驚いたように目を見開いた。

 

「私は――船花サチ様は! アイツにもっと広い世界を知ってほしいんだよ! こんな世界にも良いところは沢山あるって! もっと優しい人もいるはずなんだって。それをアイツは避けてる!! 私はそのことが許せないんだよ!」

 

 その叫びは、何処までも入理乃を思う、強い強い気持ちだった。

 結は切なさでいっぱいになった。

 何故ならサチの思いはすれ違っているからだ。

 入理乃だって、サチが大切だろう。けれど、入理乃は多分、真逆のことを考えている。彼女は二人だけの世界で完結したい。故にサチの気持ちとは相入れず、入理乃の思いとは反発する。

 どう足掻いても、伝わるはずがない。

 

 だけど、肝心のサチは、そのことを知らず、入理乃を変えていきたいようだ。だが彼女自身、あまり人と仲良くするタイプには見えなかった。

 そのため、次には落ち込んでいた。

 

「私だって頑張ったけど、こんな弱い自分じゃ入理乃は何も変わらない。どうしたら良いか……」

「そうですか。色々と考えていらっしゃってたんですね」

 

 だが、夏音はサチの気持ちを察したようだ。

 励ますように微笑んだ。

 

「分かりました。ならば協力します」

「え?」

「この先どうなるか分かりませんが、この瞬間、この時は、阿岡さんと友達になろうと思います。どれだけ嫌われても、私が貴女と一緒に、彼女を引っ張っていきますよ」

「お前……そんなこと本当に良いのか?」

「当たり前です。船花さんは命の恩人ですから。これぐらい構いません。むしろ、船花さんとも友達になりたいくらいです。折角出会ったんですからね」

「……」

 

 今度はサチが目を見開く番だった。

 そして、しばらくすると、おかしそうに口の端を釣り上げた。

 

「テメエ、変な奴だよ」

「何ですか。変な奴って」

「良い意味でだよ」

 

 釈然としない夏音に、サチはスッと手を差し出す。

 

「仕方ねえな。そういう事なら友達になってやるよ。えーと――」

「菊名夏音です」

「夏音」

 

 夏音が手を握り返したら、サチは心の底から嬉しそうにしていた。

 年相応の、幼い笑顔だった。

 

 と――その時であった。

 

「――船花ちゃん?」

 

 見ると、そこにいたのは、中学生くらいの女の子だった。

 パーカーのフードを深く被り、茶髪を二つ結びにしている。おどおどした態度が特徴のこの少女は、サチのパートナー、阿岡入理乃。

 すぐにサチが気がつき、喜色満面に立ち上がった。

 

「入理乃!」

 

 だがその腕の中には、白い動物が抱き抱えられていた。

 

「ボクもいるよ、サチ」

「アー……お前まで来てたのかよ」

「その反応はないだろう? 相変わらずだね、キミも」

 

 すると横から夏音が挨拶をした。勿論、サチ同様立ち上がって。

 

「こんにちは、キュゥべえ。お久しぶりです」

「うん。久しぶり。と言ってもそこまで日数は立ってないけどね」

 

 キュゥべえは夏音の方を向いて答える。

 入理乃もまた、夏音に向き直り、ボソボソと話しかける。

 

「えーと。貴女が……菊名夏音さん?」

「はい。阿岡さんもお久しぶりですね。小学生以来ですか?」

「――ええ」

「これも何かの縁です。よろしくお願いします」

 

 サチにしてもらったのと同じように、夏音は入理乃に手を差し出した。

 だが、入理乃はそれをじっと見るばかりで……心なしか、表情も引き攣っているように見えて……そんな調子なので、夏音がいくら待っても、その手を握り返しはしなかった。

 ただ、こくんと、小さく頷き返しはしたが。

 

(――けど、どう見ても、夏音ちゃんを警戒しているように見える)

 

 何故か彼女は、異様に夏音を凝視していた。

 魔法少女になりたいという以外にも理由がありそうだ。

 

 過去に何かあったのだろうか……と思っていると、キュゥべえが「さて」、と切り出した。

 

「まずは改めて確認させてもらおうか。夏音、キミは魔法少女のことを色々知りたい。それで合ってるね?」

「はい」

「続けて入理乃、サチ。ボクがお願いした通り、夏音に魔法少女のことを教えてあげることは出来るかな? キミ達だって、色々思うところはあるだろうし」

「まあな。けど話してみて分かった。夏音は悪い奴じゃねえ。船花様に断る理由はないな」

 

 サチは思ったより柔らかい口調で言った。

 入理乃がピクリと眉を動かしたことには気付いていなかった。

 

「入理乃、お前はどう思う?」

 

 そのせいか、相棒に無遠慮とも言える態度で聞いていた。

 勿論、電話で入理乃と揉めたせいか、強制する気はないようで、

 

「お前が嫌なら、この話はなかったことにするぞ」

 

 と、付け加えた。

 夏音も一瞬、話が違うくないか? と言った顔をしたが、「そうです、そうです」と便乗した。

 

 しかし、入理乃はここでノーと言える性格でもないだろう。

 サチをチラリと見ると、

 

「船花ちゃんが良いなら……」

「本当にそれで良いのかい?」

 

 キュゥべえが驚いたように口を挟む。

 

「アレだけ嫌だって言ってたじゃないか。何か心変わりでもしたのかい?」

「まあ…船花ちゃんが認めた相手だから……」

 

 サチが受け入れれば、文句はないと言ったところか。

 それにしては不満がありそうだが、ここでグッと我慢することにしたのだろう。

 

「そうかい。なら決まりだね」

 

 なので、最後にキュゥべえが話をまとめた。

 今後の方針が決定した瞬間だった。

 そして、彼は一つの提案をする。

 

「じゃあ、話が終わったところで、ボクから良いアイディアがあるんだけど、どうかな?」

「アイディア?」

「魔法少女体験コースだよ」

 

 その後の詳しい説明によると、どうやらサチと入理乃、二人の魔法少女の活動に、夏音を同行させて欲しいとのことだった。

 そうしたら、実感も湧くし、分かりやすいだろうとキュゥべえは言う。

 

「元々は見滝原で、巴マミが後輩にやっていたものなんだ。効果もあったし、丁度良い機会だと思うよ」

「見滝原ねえ……」

 

 サチが腕を組んで考え込む。

 まあ、見滝原は隣町だし、巴マミも有名だ。複雑な気持ちになるのもおかしくない。

 が、彼女は首を傾げて、不思議なことを呟いた。

 

「見滝原って何処ら辺だよ?」

 

(え……?)

 

 結は思わずびっくりする。

 入理乃も変なことをキュゥべえに質問していた。

 

「えと……その巴マミさん? って人がやってたの……? 具体的にはどんな感じ……?」

 

 まるで巴マミを知らない口ぶりだ。

 こんなのあり得ない、と結は再び驚く。

 巴マミは強すぎるから警戒対象だったはずだ。それにそもそも、見滝原なんて誰もが知っている町ではないか。

 それこそ、結だって遊びに行ったり、ゲームを買ったり、何度も何度も――

 

「……?」

 

(いや、本当にそうだったっけ?)

 

 そこで何故か、そんな疑問が浮かんだ。

 何かがおかしくないかと。

 

 ――そうだ。

 何かが変なのだ。

 

 本当は巴マミも見滝原も知らない。きっと遠くにある町で、早島の隣と言えば、それこそ飛雄角か“牛木草”……、

 

「牛木草?」

 

 自分で言ってて違和感が薄れる。

 聞いたことのある名前だ。

 牛木草。

 早島の経済圏と深く繋がり、働き口や若者の遊び場となっている町。この町があるからこそ、早島が成り立っていると言っても過言ではないくらい、大きくて人がたくさん集まる都会だ。

 

 だから、結も頻繁に通っていた。

 時には魔女狩りなんかもして……そこに住む強力な魔法少女の名前も把握していた。

 確か名前は色梨こゆり。

 

「……。それがいつの間にか巴マミに変換されている? じゃあ僕達が見滝原と思い込んでいたところは――牛木草?」

 

 ……どうしてそうなったのだろう。

 誰かに記憶を改竄された?

 何が目的で。

 

 しかし、そう思った直後、キュゥべえがポツっとため息吐いた。本当に本当に小さな、結にだけ聞こえるような声で。

 

「うーむ、やはり魔法陣の問題か、魔法少女への効果は甘いな」

「は……?」

()としたことが、とんだ失態だな」

 

 キュゥべえがそう吐き捨てた瞬間、彼の瞳がギラリと光った。

 

「“何を言っているんだい? 見滝原は隣町で、巴マミは皆もよく知っているベテラン魔法少女だろう?”」

 

 その途端である。

 夏音、サチ、入理乃が、棒人形のように固まった。

 やがて、意識を取り戻したようにハッとなるも、それぞれぼんやりしたように目を瞬かせた。

 

「あれ? 何だったっけ?」

「……えーと、確か。隣町が見滝原……で?」

「そうだよ。隣町と言えば見滝原! 見滝原と言えば巴マミ! 何でこんな情報を忘れてたんだよ! ああ、もう!!」

 

 サチが嫌そうに顔をしかめる。

 だが全員、自分達の異常さに気付いているのだろうか。

 

 皆、さっきと言っていることが逆転している。

 結は鳥肌が止まらない。

 

(何だ今の。まさか記憶がおかしいのはコイツが原因!? 本当にキュゥべえなのか!?)

 

 口調も一瞬違ったし、何らかの力を行使していた。

 絶対あの白い動物じゃない。

 得体の知れない何かが化けているとしか思えない……!!

 

「夏音ちゃん! 皆!!! コイツ何かがおかしいよ!」

 

 結は堪らなくなって叫んでいた。

 しかし、目の前の光景はただの映像。声は届かない。手を伸ばしても触れることは出来ない。

 

「……ッ」

 

 もしこの場に本当にいたのなら、と思わずにはいられなかった。

 そしたら、どうにか出来たはずなのに。

 

「くそ……」

 

 結はそのまま黙ってことの成り行きを見守るしかなかった。

 三人は魔法少女体験コースをやることに決めようで、さっきからその会議で盛り上がっている。

 

 夢中になり過ぎて放置されてしまった白い獣は――ただ結を見て、笑っていた。



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“菊名夏音”という少女 4

 魔法少女体験コースがスタートする。

 サチと入理乃は、思いのほかまめに、定期的に魔法少女活動を夏音に見えせていた。

 

 魔女の捜索、討伐、調査。

 

 おまけにグリーフシードの管理の仕方まで教えていた。

 おかげで夏音は、日に日に魔法少女のことについて詳しくなっていった。

 今では自ら魔女について調べ、サチと入理乃をサポートする程である。

 それくらい、彼女達と馴染んできたと言えた。

 

 でも……入理乃とはギクシャクしている。

 彼女が夏音を嫌っているからだろう。

 夏音の方は仲良くしようとしているようだが、距離は一向に縮まらなかった。

 

「……はあ、どうしましょう」

 

 だからか、夏音は最近ため息が多くなった。

 見ている結が嫌になるくらいに。

 今日この日だって、帰ってきた途端、椅子に座り、机に突っ伏してしまっている。

 

 そうやってしばらく彼女が俯せていると。

 

「やあ、夏音」

 

 そんな頭に響く、幼い声が聞こえてきた。

 

「キュゥべえ?」

 

 正しくはキュゥべえに化けた何か――である。

 その白い獣は、いつの間にか開いた窓から侵入していた。

 机にスッと降り立つと、挨拶をする。

 

「こんばんは。今日は良い夕焼けだね」

「……そうですね」

「おや、反応が薄いね?」

 

 夏音がゆっくりと顔を上げる。

 もう既にキュゥべえの言う通り、空はすっかり赤くなっていた。

 部屋の中もすべて朱色に染まっている。

 

「でも……何でなんでしょう。夕焼けは寂しいです……」

 

 しかしその美しい色に、夏音は切なそうに目を細めるのだ。

 本人も理由は分からないようで。

 それを見てキュゥべえは、やけに人間臭い苦笑を溢した。

 

「――ま、君ならそうだろうな」

「キュゥべえ……?」

「いや、忘れてくれ。ただの独り言、戯言だ。あ、ちなみにボクは、夕焼けは結構好きだけどね」

「へぇ。キュゥべえがそう言うなんて珍しいですね」

 

 夏音が少し驚いたように言った。

 キュゥべえの雰囲気が明らかに普段と違っていたからだろう。

 どういう訳か、さっきから感情的な部分を出している。今度はちょっと笑っていた。

 

「まあね。今日は誰かと喋りたい気分だったんだ。ほら、若い子に話を聞いて欲しい時ってあるだろう?」

「……なんか理由が親戚のおばちゃんみたいですね」

「ッ!? 親戚のおばちゃん!?」

 

 瞬間、くわっと目を見開いてショックを受けるキュゥべえ(普段の彼は無表情なのでシュールである)。

 よっぽど心に来たのか、わなわなと震えていた。

 

「おまっ……わた……じゃなかった、ボクはそりゃあ長生きだけども。キミが言うように老人じゃないって! 感性が年寄り臭いだの、精神年齢は百超えだの、言わないでくれる!?」

「……別にそこまで言ってないんですけど」

「とにかくそういう話はNGだからな! NGだからな!」

「わ、分かりましたよ」

 

 必死になっている分、余計に年寄り臭いのだが、夏音は仕方なさそうに頷いた。

 

「で、要約すると、なんやかんや暇だから来たってことですよね?」

「そうだけどざっくりし過ぎじゃないかい?」

「でも、間違ったこと言ってないと思います」

「キミも相変わらず毒舌だね」

 

 と言っても、このキュゥべえは楽しそうである。

 得体が知れないが、案外、気の良い奴なのかもしれない。

 

(不気味だけど……)

 

「しかしお喋り……ですか。何が良いんでしょうか」

「さっきため息吐いていたね。良ければ相談に乗るけど」

「うーん、どうしよっかな。白ダヌキに言ってもなぁ」

「そこはせめて白猫と言ってくれよ」

「何故に」

「猫、好きだから」

「……、その成りで言うんです……?」

 

 自分も小動物のくせに、他の動物が好きとは……夏音からして見れば、随分変に聞こえただろう。

 結だってそうだ。

 何ともズレていて、掴みどころがない感じである。

 

(? ――掴みどころない?)

 

 ふと、どうしてか、その思考が引っかかった。

 何故だろう。このキュゥべえの雰囲気、何処で覚えが……、

 

(――っ、とにかくこのまま見ていけば、違和感の正体に気付けるかもしれない)

 

 今は見守るしかないだろう。

 出来ることなど、それくらいしかないのだから――。

 

 そうして、短い思考の海から戻ると、夏音がこの白い獣に興味を持ったところだった。

 

「ていうか、キュゥべえのことについて、私ってよく分かんないんですよね。貴方って何なんです?」

 

 どうやらキュゥべえの正体や秘密について知りたいらしい。それを察してか、キュゥべえは楽しそうに、うんうん、と頷きつつ、

 

「それなら出来る範囲で答えてあげようか」

 

 と返した。

 

「じゃあ、まず何について聞きたい?」

 

 そしてキュゥべえが聞くと、夏音が僅かな間悩んだ。

 

「んーと、ならキュゥべえがいつからこの町にいるか知りたいです。神様のことも知っているんでしょう?」

「そうだね」

 

 赤い目を伏せ、彼は尻尾を揺らす。

 そこには深い思いがあるようだった。

 

「ボクは生まれた時からこの町にいるよ。出た事がない」

「え? でも外にも魔法少女はいるって――」

「そのキュゥべえは別の奴。今ここにいる自分は、この町で生まれて、この町をずっと見守ってきた存在なんだよ。何百年も昔からね」

「……そう聞くと途方もない存在ですね、貴方」

 

 確かにそうかもしれない。

 この偽物が言っていることが本当だとしたら。

 ただの魔法少女や魔女の範疇に収まらない。

 

(それだけの絶大な力があることになる)

 

 それがどれだけ恐ろしいか。

 一層不気味さが増して鳥肌が立つ。

 

「本当に長い間生きたんだ」

 

 だが、そんなよく分からない何かは、結を無視して己の人生を語り続ける。

 

「色んな魔法少女がいた。追い詰められて自殺したり、子供を亡くしてしまったり、中には生贄に出された時もあったなあ」

「それって……全部貴方が契約した子ですよね?」

「フフ……まるで昨日のことのように覚えているよ」

 

 違和感満載の口調で話すキュゥべえ。

 夏音の質問に答えているようで答えていなかった。

 

「その中でも特に覚えているのが玉だ。彼女は純粋な分、ひたむきでね。けど報われなかった」

「何かあったんですか?」

 

 夏音が首を傾げると、キュゥべえは自嘲めいた響きを乗せて、言った。

 

「絶望して自殺したんだ」

 

(それって――)

 

 グリーフシードになる前に、ソウルジェムを砕いて死んだ?

 魔女にならないために?

 

「彼女は多くの者を殺し過ぎたからね。二人の妹がいたんだけど、皆お産と病気で亡くなって、一族も幼い頃に死んだから一人だった。でも、そこで姫様達に優しくされて、人を殺すことに迷いが生まれた」

「……」

「結果として魂が黒く染まり、限界が来たところで……」

「自ら死を選んだと? 罪悪感に押し潰されて?」

「フフ。言った通り碌でもない最後だろ?」

 

 だからこそ双子姫は玉を哀れに思った訳か。

 説明を聞くと納得のいく話である。

 

「そして彼女を認める者は誰もいなかった。むしろ血塗れの彼女を避けて遠巻きに見てたんだ。死後に神様となったのも皮肉だね。死んだ後に祈りが届いてもしょうがない」

「じゃあ、早島の“神様”になることが玉の願いだったんですか?」

「ああ。彼女はこの土地を守るために、神のような力が欲しいと思っていた」

 

 しかし、そんなとてつもない願いが叶う訳でもなく。

 きっと玉の因果では足りなかったのだろう。そのため、しょうがなく双子姫を神に仕立てた。

 擬似的とは言え、裏で操れば絶大な力を行使出来る。

 実際にキュゥべえが言うには、玉は彼女達を口八丁に丸めて誘導していたらしい。

 

「そう考えるとなかなかエグいですね。まるで操り人形じゃないですか」

「まあ我ながら言うけど、玉って結構性格悪いから。むしろこの最後で妥当だと思うよ? 巻き込みたくないから自殺したんだしね」

「……? どういう意味ですか、それ?」

「ンフフ。キミはどう思う〜?」

 

 偽物は挑発的に、酷く艶やかに笑う。

 キュゥべえの体でその表情やっていたとしても、ゾッとしかしなかった。

 

「……」

 

 そのため、夏音でさえ言葉を失った。

 やがて何を言うべきか考え始めたようで、数秒の沈黙の果てに、

 

「あ、貴方なんなんですか。そんな軽い口調で言って。そもそも、それを見ていて何とかしようとは思わなかったんですか。貴方だって契約したなら責任が……」

「アハハ。でもどうしようもなかったんだよね、それ」

「え?」

 

 夏音がびっくりする。

 

「過去は変えられない。過去に戻る方法なんてない。玉だって契約しなきゃ生き残れなかったし、一族を殺された報復も出来なかった。そのために戦ってきた彼女が止まれたと思う?」

 

 再び無言になる夏音。

 キュゥべえは語る。

 

 玉はこの土地を誰よりも呪っていたのだと。

 幼い時に全てを奪われたのだと。

 

 父も、母も、兄も、姉も、一族郎党皆殺し。

 ただ内乱を止めようとしただけなのに、邪魔だからって排除された。

 

 逃げ出せたのは、玉と妹達だけだった。

 その時、彼女は運命を恨んだ。

 毎日、神の御使の祠に祈っていたけど、祀られていた巫達は、玉の家族を守ってはくれなかった。

 

 だから彼女は決めたのだ。

 代わりに本物の神様になろう。

 争うぐらいなら力で抑えつけ、真の平穏を齎す。

 

 それがこの土地に滅ぼされた、我が一族を認めさせる唯一の方法。

 妹達も守るから。

 そのためだけに。

 そのためだけに、人を殺し続けた。

 

 神様のような力があれば、家族を取り戻せるかもしれないと思いながら――

 

「結局そんな彼女に、最初っから救いなんてなかったのさ。すべてを奪われた時点でもう終わりだった。他の魔法少女もまた然り。早島の魔法少女は、多かれ少なかれ、早島のために犠牲になってしまう。それが玉が残した呪い」

「……っ、じゃあ阿岡さん達もそうなんですか?」

「まあ、と言っても大分呪いも薄れてるよ。後は本人達次第だろうね」

 

 キュゥべえは曖昧な表現を使って断定を避ける。

 

「でもここにいるこの自分だけは変えられないよ。ボクは早島を守るための機構。そのためにどれだけ生きても、契約を続けなければいけない。そこに自由意志などありはしない」

「なら、今後も魔法少女を増やし続けるって言うんですか?」

「いいや。キミで最後だ」

 

 赤い瞳が夏音を射抜く。

 執着と偏愛が、入り乱れたような、そんな闇のような瞳。

 

「キミで終わりなんだよ、夏音、キミという神の――神殺しの器が現れたからね」

「神……殺し?」

「そうさ。本物の神になるためには、前にいる神をちゃーんと殺さないといけない。だって早島の神は一人だけで充分なんだ。早と島は所詮、失敗作なんだよ」

 

 失敗作。

 そうはっきりと言う声には、明らかに侮蔑が篭っていた。

 

「だからね、キミだけが本物で特別なんだよ。キミだけが、早島をあるべき姿へ戻せるんだ」

「――っ」

「夏音。キミならサチも、入理乃も、この自分だって救えるよ。そうしたら魔法少女は増やさなくて済む。サチ達からも感謝されるよ。認められて友達になれるかも」

「……!?」

 

 夏音はびくりと肩を跳ねさせる。

 心に入り込むような言葉だった。

 その瞳は全てを見通しているみたいだった。

 

「どうせ自分に自信なんて持ってないんでしょ。ただでさえ、サチと入理乃には魔法少女ってことでコンプレックス持ってるのに、差がつきっぱなしでいいの?」

「な、何故そのことを……」

 

 動揺する少女に、白い悪魔はほくそ笑む。

 

「見ていれば分かるよ。キミの心はスカスカのチーズみたいだ。他の何かで埋めても満たされない、欠陥だらけの空虚な存在」

「……」

「そろそろ遅い時間だね。夕焼けが沈みそうだ」

 

 いつの間にか結構時間は経っていた。

 夜の気配が近づいてくる。

 

「ああ、この夕焼けだけは、戦国時代と何も変わらない」

 

 キュゥべえは窓の方を向いて、そう一つだけ町を眺めながら呟きを残した。

 

「今日は話せて良かった、夏音。キミが満たされるためには、神様になることでし果たせないこと、覚えていおいて」

「キュゥべえ……」

「ずっとその時が来るまで待ってるから。“勿論、この話は誰にも言わないようにな”」

 

 そうして次に瞬きをすると、キュゥべえはいなくなっていた。

 何らかの魔法を使ったのだろうか。

 夏音は暗示をかけられたのか、ずっとぼぅっとしていた。

 

 ひたすらに、ぼぅっとしていた……。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 ――意識が暗転する。

 

 これは誰の夢だろう。

 誰かの記憶。

 ずっとずっと昔にあった――。

 

(……ここ……は?)

 

 いつの間にか、結は見覚えのない場所に来ていた。

 

 さっきと違って、まるで意識だけ浮いているような感覚だ。

 一瞬慌てるも、不思議なことに視点だけは動かせることに気が付く。

 落ち着いて辺りを見渡せば、病室だった。

 

(……)

 

 室内には二人の男女がいる。

 

 女性の方はベットで横になっていて、お腹が膨らんでいる。妊婦なのだろうか。

 側に座る男性は旦那のようで、ひたすらに女性を心配していた。しかし、それを抜きにしても、二人とも浮かない顔である。

 

(何かあったんだろうか)

 

 そう思っていると、ふと男性が表情通りの沈んだ声で言った。

 

「にしても、まさかこのタイミングで妊娠してしまうとはな……避妊はちゃんとしていたはずなんだが」

「しょうがないわよ。出来てしまったものは仕方ない。この子に罪なんてないわ」

 

 女性は優しい手つきで、膨らんだお腹を撫でる。

 

「でも今後のキャリアを考えると、君にとっては歯痒いだろう? せっかく、チャンスが来たのに」

「それを言うなら貴方もでしょう? 夢を犠牲にしてしまったわ」

「そうだね……」

 

 男性は肯定する。

 落胆の色は隠せていなかった。だからか、母親の目が厳しくなった。

 

「まさかこの子のことが嫌いなんて言わないでしょうね、貴方」

「それこそまさか。嫌いじゃないよ。けれど望んでいた子じゃない。それを考えると複雑なんだ」

 

 すると女性も顔を伏せた。彼女もまた何処かで、男性と同じことを思っていたのかもしれない。

 

「そうね。私達の愛の器は、あの子の存在でいっぱいだった。あの子だけを愛したいと思っていたわ」

「……。僕達は、この子をどう受け入れば良いんだ」

 

 つまり夫婦にとって、お腹の“赤ちゃん”はいらない子供らしい。

 しかも第一子だけが特別で、その子と比較すると愛情を持てない。

 何とも身勝手な話だ。

 

 そして、身勝手ついでに、夫婦は言った。

 

「――せめてお兄ちゃんに似てると良いな」

 

 やがて時が経ち、可愛らしい赤ん坊が生まれる。

 音楽が好きだった両親の影響で、「夏音」と名付けられた。

 

 ――カノン。

 主に輪唱と訳されることが多い、楽曲様式を表す単語の一つである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこから時計の針がどんどん進んでいく。

 

 赤ん坊から幼児へ、幼児から少女へ。

 成長していく度に、夏音は色んなことを覚えていく。

 

 人並みに優秀だった。

 優秀で、聞き分けも良かった。何処にでもいる普通の子供だ。

 でもお母さんとお父さんは、家に帰ってこない。

 

「どうして母さん達は家にいないの?」

「お仕事が忙しいからだよ」

 

 幼い夏音に、彼女の兄はいつもそう答えた。

 そしてこうも言った。

 

「夏音が良い子にしていれば、すぐ帰ってくるよ。それまで頑張れるかい?」

「うん!!」

 

 幼い夏音は、その言葉を信じただろう。

 でも。数日経っても、数週間経っても、家には全然帰ってきてくれない。

 やがて一ヶ月経って、やっと両親が家に姿を見せた。

 しかし、いつだって真っ先に声をかけられるのは、兄の方なのだ。

 

「ただいま。元気にしていたかい?」

「ただいま!! 聞いたわよ! お爺さんを助けて、賞をもらったんですってね」

 

 誇らしいわ、なんて言ってはしゃぐ母。

 兄と親し気に話す父。

 

 一人取り残された夏音は、その輪に入るように、おずおずと両親に話しかける。

 

「あの、母さん、父さん」

「……あら、夏音」

「なんだ。そこにいたのか」

 

 父親が頭を撫でる。夏音が期待するように彼らの顔を覗き込み、手に持っていたテスト用紙を広げ、

 

「あのね! 昨日のテスト頑張ったんだ! 少し点数上がったんだよ?」

 

 だが、そう言う割には、点数自体は平均的なものだった。

 両親は一瞬顔を見合わせ、やがて一見すると愛情深く、しかしよく見ると義務的な感じで、夏音を褒めた。

 

「本当にえらいわね。その調子でもっと頑張るのよ」

「ああ。お兄ちゃんを見習うんだぞ」

 

 やがてそのことを察してか、夏音の表情が曇る。

 両親は淡白なもので、真っ先に疲れたと言って部屋に行くのだった。

 

「……。じゃあ夏音も遅いから、部屋に行こっか」

 

 そうしてこういう場合、大抵兄だけが夏音の相手をしてくれたのだった。

 

 でも――

 

「お前、あの人の妹なんだよな?」

「スッゲー! お兄さんめちゃくちゃ優秀なんでしょ?」

「けど思ったよりお前って普通なんだな」

「ガッカリ。妹だから期待してたのに」

 

 年を重ねるごとに、そんなことを言われることが増えてしまった。

 更に夏音は、兄が友達と話してるところも見てしまう。

 

「正直な話、夏音といる時はしんどいんだ」

「親にさ、比べられて夏音の見本みたいにさせられて」

「ほら、夏音って普通だから。必死に頑張っても、父さん達の期待には答えられないみたいで」

「歯痒く思う父さん達の気持ちが分からないでもない。俺は優秀過ぎて夏音の気持ちが分からない」

「だから思ってしまうんだ。幼い夏音の相手は本当に大変で、どうして出来ないんだってイラついてしまうことも多くって。夏音に対して本気で愛せてるか――」

 

 そこから先は夏音が逃げてしまって、声がぶつ切りのように聞こえなくなった。

 辺り一面、闇だらけになった。

 

(……なんなの、これ。こんなことって……)

 

 結はここまで見守ってきて愕然となった。

 

 この光景は間違いなく夏音の夢だ。

 夏音の心だ。しかし思ったより過去が酷過ぎて、驚いてしまう。

 

 こうしている今でも、感情が流れてこんでくる。

 

 自分の居場所が何処にもない。

 自分は誰からも認められない。

 最初から居ない方が良い、皆にとって邪魔な存在。

 

 だったら何で生まれてきたの。

 誰が私を愛してくれるの。

 

 良い子でいるのは疲れたよ。

 誰か私を――

 

(夏音ちゃん!!)

 

 結は思わず叫んでしまう。

 虚空の果てに夏音がいる気がした。

 

 でも、心の声だから、彼女には届かなかった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

「ッ……、――!?」

 

 またもや続いた意識の暗転。

 今度は目を覚ますと体の感覚が戻ってきていた。

 

「夏音ちゃんは!?」

 

 慌てて例の如く辺りを見渡す。

 紅茶みたいな色の空。下に見えるは早島の町並み。見覚えはないが、何処か学校の屋上だろう。柵が四方を囲んでいる。

 

 すぐに夏音は見つかった。

 一つ並べられたベンチ、そこに座る色素の薄い髪の少女が、彼女を横にさせて、膝枕をしている。その頭を優しく撫でながら。

 

「ふふふ、ふふふーん♪」

 

 そして歌っている鼻歌は、アニメのテーマソングだろうか。

 聞いたことが、あるような、ないような。

 でも少女の正体は知っている。結にとっては妹のような存在。

 

「――順那」

 

 そう、彼女は東順那だった。

 そう言えば夏音とは友達のはずだ。

 こうして膝枕をする辺り、相当気仲が良いらしい。どういう状況か知らないが、実際安心して夏音は眠っている。スースーと寝息まで立てて気持ち良さそうだ。

 

 だが既に夕方である。

 そろそろ帰らないと、屋上が施錠されてしまうかもしれない。

 

「おーい、夏音。起きて!」

 

 そのため順那は鼻歌を中断、撫でていた手を止め、何度か名前を呼びかける。

 すると、夏音がそれに反応して目を開けた。

 

「……あれ? 私眠っていたんですか?」

 

 でも表情がとろんとしていて、どうやら寝ぼけているようだ。

 順那が呆れたように、もう、とため息を漏らした。

 

「夜眠れなかったから、ちょっと寝かせていったのは夏音でしょう。覚えてないの?」

「ああ、そう言えば。じゃあ、もう時間なんですか……?」

「うん」

「そうですか」

 

 夏音がむくりと起き上がる。

 軽くお礼を言って立ち上がると、柵の方に近寄って、眼下の町を見下ろした。

 

「本当、夕焼け見るの好きだよね。いっつも放課後ここに来てさ〜」

 

 順那が揶揄うように言う。

 夏音はまだ眠いのか、ぼんやりとした目で、

 

「……別にそんなんじゃないです」

「ならどうして?」

「分かりません。……ただこうして一日が終わっていく。その光景を目に焼き付けて、自分の不確かさを改めて実感したいのかもしれません。自分の人生が無意味だって、逆に確認しなきゃいけないんです。本当に生きているか、時々分からなくなるので」

「ふーん」

 

 順那は何を考えるのかよく分からない、実に曖昧な顔で夏音を見ていた。

 

「そっかー。まあお兄さんのこともあるもんね」

「……」

「気持ちは分かるよ。私、夏音のことはいっつも大変だなーって思うもん。お兄さんと比較されるのは、そりゃキツイよ」

「そう言っていただけて、ありがとうございます」

 

 夏音が振り返って、微笑みを投げかける。

 順那は「フフフ」と笑って、立ち上がると、夏音の隣までやってきた。

 

「私も似たような思い、したことあるなぁ。あの時は大変だった」

「え? そうなんですか? 予想外です」

 

 夏音が驚愕すると、順那がじと……と視線を向ける。

 

「ちょっと、失礼なんだけど」

「だって普段から、人のことどうでも良さそうにしてるから」

「そりゃ有象無象に構う必要ないもの」

「ほら、言った通り」

「馬鹿。私の方が、皆よりお姉さんなんだよ。ガキの相手は疲れるだけ」

 

 しかし、ここで「私より大分年上みたい」などと言えば、逆ギレするのが順那である。過去に似たようなシチュエーションがあって、こっぴどく怒られた記憶がある。

 あの時は「その話は二度とするな、ババアじゃない」などと、普段とは違う口調で叱られたものだ。

 

「とにかく意外です。貴女も私と同じだったんですか?」

「いいや。けど、私はこの町に縛られてるから。生きてちゃいけないのに、まだここにいるのが不思議でさ」

 

 くしゃっとした、泣きそうな順那の顔が印象的だった。

 

 もしかしたら龍神信仰やミズハのことを言ってるのだろうか。

 何だか違う気がする。何かもっと別の――

 

「私、この町が好きだよ」

 

 ふと、順那は話題を変えた。

 

「……え?」

「縛られてるけどね、守りたい場所なの」

 

 また変わった、今度はびっくりするほどの真剣な表情。

 この順那は結でさえ見たことがない。見たことがない一面を、夏音にだけは見せている。

 

「田舎だけど、ここまで発展してきたのは、多くの人が頑張ってきたからでしょ? それにね、こうしてる今でも、色んな人が生きてる。その事実が、私にとってはただ愛おしいの」

 

 だからね、と続けて。

 

「この早島の歪みは……正さなきゃいけないって思ってる」

「――っ、正す?」

 

 ここに来ていきなり話が飛躍した気がした。

 順那の背後でカラスが鳴き始める。

 

 カア、カア、カア、カア――

 

 一羽、二羽どころじゃない。

 沢山のカラスが空を飛んでいる。まるで不吉な呪いを呼び寄せてるようで、不気味だった。

 

「フフ」

 

 そしてあり得ないほど美しく、笑い声を漏らす順那。

 

「一番の呪いは愛。早島を縛り付けているのは、神の愛。神の愛が、早島のすべてを歪ませ、人々に苦しみを与えている」

「貴女まさか、早島の神を知って――」

「それでね、夏音。貴女が本当に特別な存在になって、“神の愛”をなくせたら……」

 

 ――私を、この町から解放してくれない?

 

 人格が切り替わったみたいに、順那の顔は能面のような無表情だった。



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“菊名夏音”という少女 5

久々の一万文字越え


 ――これは、知られざる昔話です。

 

 昔々、とある一人の少女がいました。

 名前は×××といいます。

 何処にでもいる平凡な少女でした。しかし少女が住む世界は地獄でした。何故なら皆が争っていたからです。

 

「ああ、私、長く生きれないんだろうな」

 

 だから少女は、とっくに自分の未来を諦めていました。どうせ何処かに嫁いで、良いように使われるのだと思いました。

 しかし、心の何処かでは平和を求めています。

 少女は絶望しつつも、神の御使達の祠に祈ります。

 

 どうかどうか。皆、安らかに、優しくなれますように。

 

 ですが、そんな時は訪れません。

 幼馴染は政治に巻き込まれて死んで、初恋の人は間者で、親戚の人は戦いで大怪我を負いました。少女は何も信じられませんでした。

 

 でも。

 

「お前の未来は、俺達大人が変えてやる。お前は自由に、幸せになって良いんだ」

 

 兄がそう言ってくれました。兄の言葉で、初めて希望を持てました。

 

 けど。ここでも。

 運命は少女を裏切ります。

 

 一族が殺されました。生き残ったのは×××と妹達だけでした。

 

「お腹が空いたよ、辛いよ、疲れたよ、お姉ちゃん」

 

 妹達は少女に縋り付きました。

 少女は壊れた機械のように繰り返しました。

 

「大丈夫、大丈夫だから」

 

 しかし本当は全然大丈夫じゃありません。

 夜の中、あてどなく歩きます。やがて辿り着いたのは、あの神の御使達の祠でした。

 

「……」

 

 少女はぼんやりと祖父の話を思い出しました。

 戦いが起きる前は、神の御使い達がこの土地を治めていたと言います。しかし御使い達は、呪いで妖になってしまいました。信じるものがなくなって、人々は争いを始めてしまいました。

 何とも滑稽な話です。

 本当に本当に、滑稽で、馬鹿馬鹿しい……。

 

「くそ、くそ、くそお!!」

 

 そのことを思うと、途端、怒りが湧き上がりました。

 

 ああ、くだらない、くだらない。

 

 少女は理解しました。

 この世界に神様はいない。運命は、ただ見下ろして少女達を笑っているだけ。

 

「――ッ!?」

 

 ですが、その時。何のイタズラか、本当の奇跡が起こりました。

 

 祖父の話で登場する白い獣。

 それがいつの間にか、目に前にいるではありませんか。

 

「……もしかして、キュゥべえ?」

 

 何故だか直感で分かりました。

 当然、彼のことはよく知っていました。妹達は首を傾げていたので、少女だけに見えるのでしょう。

 

「私は選ばれた」

 

 少女はそう思いました。しかし今更遅すぎます。

 こんな奇跡が起こるくらいなら、最初から一族が死なない方が良かったのです。でもこの力があれば、家族を再び取り戻せます。妹達も守れるのです。

 

 そうして自然と彼女は口を開きかけ、でもその直前、キュゥべえは持ってきた日記を差し出します。

 

 それは兄の日記。

 神を、御仏を、運命を呪う日記。

 

 一族と一緒に、少女のためにこの土地を変えようとした記録でした。

 

「……」

 

 その瞬間、少女の願いは変質したのでした。

 

 ――本物の神様が、この世界には必要だと思ったから。

 

 そして彼女は多くの人間を殺し、絶望に飲まれていきました。

 結局、何が正しかったのでしょう。少女にも分かりません。

 ただ言えることは一つだけ。

 

 少女の時間は、一族が死んだあの瞬間に、止まってしまったのです。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 ――カア、カア、カア、カア。

 

 夕暮れの世界で、相変わらずカラスがやかましく鳴いていた。

 

(順那。君は一体――)

 

 結はゾッとした思いで、妹にも等しい従姉妹を見ていた。

 夏音は何も言わなかった。順那も何も。ただ張り詰めたような静寂だけがあった。

 

(順那。君は一体何を隠しているの――?)

 

 でも、結はそう思わずにはいられなかった。

 聞くことは出来ないけど、そう心の中で何度も何度も問いかけた。

 

 するとそれに反応するかのように――いや、これはまったくの偶然であるが――屋上の入り口がバン!! と開いた。

 出てきたのは生真面目そうな先生だった。

 

「あ、お前達! 東に菊名じゃないか! 何処に行ったかと思えば、そろそろ屋上が閉まる時間だぞ!! 早く帰りなさい!!」

「ありゃりゃ。やっちゃったね」

 

 注意をされてマイペースに肩をすくめる順那。口元に人差し指を当て、イタズラっぽく、言う。

 

「夏音、こうなったら話は次の機会にしようっか? たっぷりと……そう、たっぷりと時間はあるんだから」

「……は、はい」

 

 夏音は力無く頷いた。順那に怯えたからかもしれない。

 

「じゃ、数日後にここに来てね」

 

 それから順那は一方的に紙を渡し、帰っていった。

 夏音はポツンと取り残されたように帰路につく。

 そのまま家への道を歩いていると、着信音が聞こえてきた。

 

「もしもし?」

 

 夏音が電話に出ると、相手は兄だったらしい。

 彼は急いでいるように、

 

「ごめん、今日は忙しくて帰れない。晩御飯何処かで食べて」

 

 と言ってきた。

 そのため、一瞬夏音は何か言いたげな顔をしていたが。

 次にはグッと飲み読んだように、無理やり明るい声を作って返した。

 

「分かりました! 外で食べてきますね! お仕事頑張って下さい!」

「……ああ」

 

 兄は複雑そうにプツッと切ってしまった。

 ツー、ツー。虚しくそんな音が響く。

 

「――兄さん」

 

 夏音はスマホの画面をタップし、音を消した。途端に虚無に支配された顔をしていた。

 

(……)

 

 そこから彼女が何を考えているのか。窺い知る事は出来ない。寂しいのか、憎んでいるのか。ただ夏音は後ろを振り返り、家とは反対側へと進み始めた。

 

 そして夜の町を歩いた。

 妙にボーとしている。まるで、現実と夢の境にいるかのように。

 

「でさー。ほんっと、最悪でー」

「あー疲れたー」

「今日は何作ろうか?」

 

 そのせいか人々の話声が雑音のように聞こえてくる。

 うるさい。不愉快だ。でも、よく耳を澄ませば、もっとその裏では悍ましい声が潜んでいる。結の耳朶にも届いてきた。

 

『救って』

『ああ、苦しい』

『神様、お願い』

 

 テレパシーのように、頭にも入り込んでくる不気味な声だ。

 ただでさえ結も頭痛がするのに、夏音はもっとダイレクトに響いているらしい。思わずと言ったように彼女は耳を塞いだ。しかし止まることはなかった。

 ――仕切りに願う。神様に。

 

「……っ」

 

 やがて夏音は耐えるように、あるいは苦しむように、歯をギリっと食いしばった。抵抗するように頭も振るも、次第にもっと目が虚になり始め、足取りがフラフラになっていった。おまけにブツブツと呟き出す。

 

「はい……はい……分かっています。皆さんの望みは、この私が必ずや叶えてみせます……幾らでも死んでも……魂を捧げてみせますから……私を必要としてください……お願いします……」

 

(か、夏音ちゃん……)

 

 結は絶句する。夏音の言葉が悲しいのもそうだが、明らかに様子がおかし過ぎる。

 

(この声が原因か? というかもしかしてこの声……)

 

 そのタイミングでキュゥべえが言っていたことを思い出した。

 ――確か早島の住民は、無意識のうちに神に縋るよう、暗示がかけられていたはずだ。

 

 そうすると、この声は今目の前にいる人々の声なのかもしれない。

 そして夏音はそれに影響を受けている。神の器だから……?

 

「……」

 

 何れににしろ止めることも出来ないので、結はそのまま夏音について行った。

 しばらくして辿り着いた場所は病院だった。まるで周囲の人々が見えないかのように、そしてまた看護師からも、不思議なことに注意されず、堂々と病棟の中に入っていく。病室を開けば、そこにはベットにいる病気の子供が。

 何だか絶望感溢れる顔をしている。

 

 それでも夏音は聞いた。

 

「貴方、これから先も生きたい?」

「え?」

 

 子供は当然驚いている。だが何故か操られたようにとろんとした表情になって、「生きたい、死にたくない」と答えた。

 夏音は満足そうに頷いた。後は手を翳すだけだった。

 すると――

 

「あれ? 体が軽くなった?」

 

 子供が呆然としたように呟く。まさか、夏音が病気を治したとでも言うのだろうか。

 

(信じられない)

 

 結が驚愕していると、夏音はニッと微笑んでいた。まるで自慢するかのように。それに対し、子供は感謝するように涙を流す。

 

「ああ、ありがとうございます。ありがとうございます、神様」

「はい。……私のこと、必要だって思ってくれましたか?」

「勿論です。なんとお礼を言ったら……」

 

 その言葉を聞いて、夏音はますます嬉しそうにするのだった。

 

 そしてその後も、次々と別の場所に行っては、金銭を生み出したり、欲しい物を与えたり。有り得ない出来事が続く。これが神の器としての力なのか。

 

(それに夏音ちゃん、人の願いを叶え始めている……?)

 

 そう思えるような行動だった。おまけに叶えられた側も、夏音を当り前のように受けいれている。

 不気味がるでもなく、怖がるでもなく。

 夏音に礼を言い、中には崇めるように――神様と。

 

(……嫌なもんだな)

 

 恐らく暗示の効果だろうが、こんなもの、見ていて良い気分ではない。結局夏音も、早島の住民も、良いように操られているだけではないか。

 しかし干渉不可能な記憶の世界では、結はやはり傍観者の立ち位置なのだった。

 

 結にはどうすることも出来ない。何も。

 

(……)

 

 やがて気が付けば夏音は、暗く、人通りが少ない路地裏に入り始めた。一際目立つ声に誘われているせいだ。

 

『痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――』

 

 それはずっと鳴りやない、悲痛な悲鳴だった。

 誰か、怪我をしているのか。

 そうして夏音が立ち止まる。周囲が歪んでいく――結界だ。

 

 地面に空に、壁に。浮遊する窓が現れていく。その全てに星柄のカーテン。それ以外の上下左右何処を見ても、タータンチェックの模様しかない。見上げると、大きなベットがあった。

 

 そこから――鮮血がポタポタと落ちていく。

 

「っう……」

 

 思わず目を背けたくなった。

 魔女が、人間をムシャムシャ捕食している。しかも三人も。彼らは既に、足を、手を、下半身を失っていた。もう声をあげる元気すらないらしい。

 

 けれど。

 

「……」

 

 夏音はじっと見ていた。食い入る様に。

 ……彼女の瞳が揺れ始める。魔力の昂りを感じる。今、夏音は魔法少女も超える力を放ち始めているのだ。

 

(……!? この子に何が起こったの!?)

 

 鳥肌がぶわりと立って、結は硬直した。しかも夏音は人間とは思ない声と言葉で、何かを喋っていた。

 

「nr家大dっ、mrぉえぺp、nr家大dっ、mrぉえぺp」

 

 勿論、結には何のことだかさっぱりだが。

 でも夏音は異常な興奮状態で、同じことを繰り返している。

 その声が空気中に溶けると、結界で見かけるような文字となって消えていった。

 

「rっmっdめーrぃ」

 

 そして夏音は、一歩足を踏み出す。

 それはあまりに無防備で、あまりに無謀な歩み。当然魔女がこちらを向く。

 

 タータンチェック柄のバク。車輪の後ろ足。縫い付けられた目でも、その瞼の奥で、夏音を睨みつけているのかもしれない。威嚇するよう鳴いた。

 

「根系ををウェイウィwwくぅ!」

 

 瞬間、光る紫色の鎌が無数に現れた。コウモリの翼がついているので使い魔だろう。それらはバクの魔女に操られ、夏音へ雨霰のように襲いかかる。

 

「――ッ!」

 

 結は反射的に手を伸ばすが、その時既に夏音は息を吸い込んで、吐いていた。

 

「Aaaaaaaaa――」

 

 高く、何処までも響き渡る、複数にも重なった輪唱が放たれる。鎌の動きが止まる。麻痺させられているのか。再び夏音が歌うと、そのまま地面に叩きつけられ、バラバラに霧散する。

 しかし、それでも。魔女は血の気が多いらしく、すぐさまベットから離れ、夏音に煙を噴射する。側から見ていても、かなり強力そうな攻撃だった。

 

「ヲ絵ジェいいヲww……」

 

 が、夏音はピンと前方を指差した。するとどす黒い魔法陣が展開され、障壁のように広がった。煙を反射。魔女が怯んだ隙に、その頭上で赤い暗雲が立ち込め、雷が落ちる。

 

 ──轟音。

 

 プスプスと黒煙が立ち上がった。

 やがて晴れていき、一撃を食らった魔女は……だが信じ難いことに傷一つ付いてなかった。

 そしてお返しとばかりにベットから飛び降り、突進。夏音はぶっとばされた。

 

「!!」

 

 夏音はボールのように跳ねながら、地面を転がっていく。魔女は弄ぶようにそれを追いかけ、もう一度彼女を轢いた。グシャっと嫌な音がして、夏音は肉塊に変わり果てる。

 

「……っ」

 

 結が息を飲んだのも無理はない。

 夏音はそれくらい、酷い有様だったのだから。

 

 けれど、記憶はまだまだ続いている。現に、夏音はピクピクと痙攣していた。まだ生きているのだ。普通じゃない。

 

(そもそも夏音ちゃんはまだ人間はずだろう……?)

 

 なのにどうして魔女と戦えた。あれじゃまるで、どう見ても――

 

「……、……夏音ちゃんッ!!」

 

 とその時だ。結界の奥から、カランコロンと足音が響いた。

 魔法少女に変身した阿岡入理乃が、奥から走ってきていた。魔女退治に偶然やってきたのだろう。すぐ様夏音の側に来ると、悲痛な表情を作った。

 

「まさかこんなことが起きるなんて……! 船花ちゃんに何て言えば……!」

「……mふjd……」

 

 だが、返事をするように肉塊が喋る。

 入理乃はピシリと固まった。やはり死んだと勘違いしていたらしい。恐怖に彩られたように、ひくっと口の端が動いた。

 

「一体何が――」

「――brけおpwぺ!!」

 

 その刹那、魔女が入理乃を捉えて吠えた。入理乃はハッと気づき、臨戦態勢。手に持つ大筆を一閃し、空中に描かれた線が黒い斬撃となって向かう。魔女に当たるもダメージは軽微だった。入理乃は一瞬で不利を悟ったのか、舌打ちを打った。

 

「くっ……! アイツ固すぎる!」

 

 かくなる上は逃げるしかない。入理乃は三人の被害者を無視し、とにかく夏音を抱き抱えて逃げようとした。

 すると夏音が何事か……いや、今度は人間の言葉で喋った。

 

「何やってるの。私を置いて先に行ってよ」

「! 貴女――」

「置いていって」

 

 しかし、それで入理乃が、はいそうですかと頷く訳がない。

 

「出来るわけないわ……船花ちゃんが悲しむ!」

「それが理由なの?」

「ッ、そうよ!」

 

 色々と切羽詰まった状況のためか、入理乃はついに素の状態で叫んだ。

 

「ていうか見りゃ分かんでしょ! あの魔女はヤバい! 私じゃ相手にならないわ!」

「ああ……それもそうですね」

「……行くわよ!」

 

 入理乃は今度こそ撤退をすべく、背を向けた。その瞬間だ。

 

「なら逃げる訳にはますますいかない」

 

 夏音は肉塊から、人の姿に再生した。

 入理乃はギョッと停止する。夏音は降り立つと、入理乃に向けて、

 

「じゃ、行ってくるんで。一人で逃げて下さい」

「……はあ!?」

 

 入理乃は信じられないものを見た顔をした。夏音は何でもないように魔女に突貫する。

 そこから――壮絶な戦いが始まった。

 

 血が噴き出て、内臓が飛び出し、時には頭が吹っ飛ばされ。

 けれど、夏音はその度に生き返り、魔女を徐々に追い詰めいく。

 やがて格闘の末にバクの口の中に手を突っ込み、赤く渦巻いたオーラを射出。内側から破裂して魔女は死んだ。

 

「……」

 

 結界が消える。元の場所に戻ってきた。

 そうして夏音が振り返れば、入理乃の側には三人の被害者が。一応欠片程の良心はあったらしく、見捨てようとしたくせに、彼女は夏音が戦っている隙に被害者達を保護していたのである。しかしその被害者達が助かる道はない。そしてそれを分かっているからこそ、入理乃は被害者達を困り果てた目で見ていた。

 

 それに。

 

「……夏音ちゃん。貴女何なの……?」

 

 魔女を殺した夏音に怯えていた。

 当たり前だ。しかも全身血だらけで、おまけに腸が少し腹の傷から出ていたのだから。

 だが当の夏音はキョトンとし、またボーとし始め、首を傾げた。

 

「えーと私は……めmぇえlーdーfpf……で、ねkぉえっぇっぇっpの役割を持つrっめおぺえ……」

「え……何……?」

「とにかく、私は人の願いを叶えなくちゃいけない存在なんです」

 

 夏音は被害者達に近づいた。

 入理乃はビクついて下がる。夏音が被害者達に手を向けると、たちまち怪我が治り、元の健康状態に戻っていた。

 

「さあ、救急車を呼びましょうか」

 

 淡々とした様子で携帯を取り出す夏音。

 入理乃は聞かずにはいられなかったようだ。

 

「貴女、本当に菊名夏音なの?」

「え?」

 

 入理乃が大筆を構える。ともすればここで殺しかねない勢いで叫んだ。

 

「答えなさい! 貴女は何者なの!」

「……」

 

 しかし、夏音はしばし沈黙を貫いてから答える。

 

「私は目m家オエっけ。神の器。願いを叶える存在……」

「……神の器? 願いを叶える存在?」

「行かなきゃいけません。声が……声が聞こえるんです」

 

 突如慌てたように夏音は背を向け、フラフラと歩き出す。入理乃は思わずと言ったように呼び止めた。

 

「待て! まだ話は終わってな――」

「――ねmdっlrlrltrっぇー」

 

 次の瞬間、夏音はバタリと倒れ込んだ。

 まるで電源が切れたみたいに。恐る恐る入理乃が確認すると、彼女も被害者達同様、普通の状態に戻っていた。一瞬で治ったのだ。

 

(これまた不可解な……)

 

「!?」

 

 が、それ以上考え込む暇はないようであった。

 懐中電灯の光が向こうから見えてきたからだ。警察官だろう。

 

「っち」

 

 悪態を吐き、入理乃はその場から離れた。

 ……夏音を置いて。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 そこから記憶の視点は、入理乃になった。

 彼女は夜の中を走り、とある公園に辿り着いた。変身を解かないまま、ブランコに座る。整理が出来ないようで、仕切りに「何があったの」と呟いていた。

 そんな彼女に向けて、

 

「どうやら見てしまったようだね」

 

 話しかける声が一つ。

 キュゥべえだ。相変わらず神出鬼没で、いつの間にか入理乃の隣に現れていた。

 

「覗いてたの?」

 

 入理乃は特別驚いた様子もなく、キュゥべえに視線をやり、尋ねる。

 彼は答えることなく、代わりに質問で返した。

 

「夏音を放置してきて良かったのかい? キミとしてはもっと調べたかったはずだろう?」

「しょうがないでしょ。警察が来てたんだから」

「ま、置いてきて正解かもね。恐らく起きたところで彼女は何も覚えていない。今の夏音はただの普通の少女だ」

 

 その口調は、まるですべてを見透かしたような言い方で、気味が悪かった。

 そして面白がるように、

 

「それよりもあの夏音はどうだったかい? なかなか強かっただろう」

「強いなんてもんじゃないわよ」

 

 反対に入理乃は不機嫌そうだ。

 

「あのバクの魔女の能力からして、正体は牛木草(みたきはら)の前々リーダーでしょう? 余計に有り得ないわ」

「彼女は素質が高かったからね。もしキミとサチが相手でも殺されていただろう」

 

 それを再生ありとはいえ、夏音一人で殺した。

 それだけでも信じられない出来事だ。

 

「夏音ちゃんはただの人間じゃなかった。一体どうなってるのよ」

「どうなってるって……神の器としての力が目覚め始めたんだよ」

 

(神の器……)

 

 結は心の中で呟く。

 何でもないようにキュゥべえは言うが、あの夏音を神と言うには抵抗を覚える。そもそもボロボロになりながら人を助けようとするなんて、正気の沙汰とは思えない。

 入理乃も同じ感想のようだ。

 

「嘘よ。意味不明だし、広実一族じゃないんでしょ」

「ああ。けど玉に似ているから。その魔力を早と島から与え始められ、結果、人間離れした能力を開花させたみたいだ」

「……だとしても色々腑に落ちないわ」

 

 入理乃はキュゥベえを睨みつけた。ギュッとブランコの鎖を握る。

 

「私はずっと早島のことを調べてきたのよ。牛木草(みたきはら)のこともね。――その知識からいくと、本来の神の器は順那ってことになるわ」

 

(!? 何だって!?)

 

 結は衝撃の事実に瞠目する。

 しかも話はそれだけに留まらないらしい。

 

「思えば早島の裏側には何かがあるのよ。現代まで続く呪い、神に縋る暗示。しかも牛木草(みたきはら)の発展と早島の経済成長は釣り合わない。まるで人の手が加えられたみたいに見える。それに……どうして、牛木草(みたきはら)は何年も魔法少女で争ってるの?」

 

 ――そうだ。

 牛木草には早島とは比べものにならない程魔法少女がいる。

 そのためか知らないが、突如前々リーダーが死だのをきっかけに、地域をまとめていた共同体は消滅。結果泥沼の戦争が繰り広げられる地獄となっている。

 

「おかげで魔女が増えてグリーフシードは足りてるけど、不自然なのよ。これ、始まったの結と縄張り争いする後じゃない? 作為的よね?」

「……そうかな?」

「色梨こゆりも違和感を持ってたわ。私、彼女と連絡を取り合ってるから聞いたのだけど、どうも牛木草(みたきはら)の状態は五十年も前から下地が出来てたらしいわね」

 

 曰く、五十年前からすべてが変わった。その頃から暴力団がやってきたし、経済が活性化するようになった。

 更にミキオという人物に目をつけた広実一族の子供がいた。その子はミキオに因果が集まるよう契約し、そのミキオの親族や魔法少女の影響が広がっていき、牛木草(みたきはら)は爆発的な発展を遂げた。そしてそして、自殺した竹林はミキオの親戚なのだとか。

 

「竹林の姉だった魔法少女は暴走して、前々リーダーを魔女化させたそうね。でも彼女はそんな性格ではなかった。何者かに操れたというのがこゆりの仮説よ」

 

 他にも怪しい点がいくつかあるという。

 前リーダーさえ死んでしまったこと。竹林の姉以外にも、不可解な暴走をした魔法少女がいること。

 更に根気よく調べたところ、牛木草中に魔法陣があったこと。

 

「壊せないし、いつ誰が設置したのか分からない。確かなのは、それが早島に繋がっているということ。魔法少女の感情エネルギーを回収しているということよ」

 

 つまり、だ。

 

牛木草(みたきはら)の争いで発生した感情エネルギーを、その何者かは早島に流してる。……ねえ、こんな大規模なことを誰が、何のためにやってるの?」

「何が言いたい」

 

 初めて、ここにきてキュゥべえの声が硬くなった気がする。

 入理乃の目は冷たいままだ。

 

「貴方、知ってるんじゃないの? 牛木草(みたきはら)にはまだまだ色んな話があるわよ。五十年前だけじゃない。七十年前も、二百年前も。その歴史には早島の都合が良いように、人の手が入った痕跡が残っている。で、とある文献には、その干渉した何物かが少女の形をした神だったってのもあるわ。あるいは悪魔とも」

「……」

「変よね。そもそもミキオに接触した広実一族の女の子って何? 何で因果が集まるよう契約したの?」

 

 まるで魔法少女を増やすためのような。

 現在の牛木草を見れば明らかに――

 

「広実一族の血には“何かが”いる」

 

 それから語れるは、広実一族の本当の役割だった。

 

「広実一族は“神”――“玉を降臨させる器”を創り出すための一族よ。実際に玉の妹の子供が領主の一族と結婚してるし、そうやって何代にも渡って玉に近い遺伝子を近親間での交配によって生み出そうとしてる」

 

 それが五百年も続く、早と島の妄執。

 自分の人生を生きられなかった玉を取り戻すために。もう一度やり直しをさせるために子孫の命を差し出した。

 

「そして実際に玉と似た子供が生まれ続けた。彼女達の行動は共通部分がある。これも広実一族の本に記されていたわ」

「ほう。盗み出したのかい?」

「離反する人もいるのよね」

 

 入理乃は調べるのが大変だったけど、とため息をついてから、

 

「それによると、彼女達は皆根っこの部分では同じような性格をしていて、皆魔法少女になったらしいわ。早島の暗部に携わったり、牛木草を利用したりといったことをやっていたけど、これは幼少期の頃の話。その後は人が変わったみたいにそのことを忘れて、様々な非業の人生を遂げた。追い詰められて自殺したり、子供を亡くしたり、生贄になったり、ね」

「……フ」

 

 一瞬、キュゥべえは何を思ったか笑ったが、次に冷徹な表情で聞いた。

 

「それで? さっきから聞いてるじゃないか。何が言いたいんだい」

「――私はね、彼女達こそが本物の神の器だったんじゃないかと思うのよ。玉の記憶や思想が引き継がれたから、皆同じ性格をしていたんじゃないかって」

 

(は?)

 

 結はあらゆる意味でゾッとした。

 じゃあ何だ。

 彼女達は、玉に皆支配されていて。順那もそうだったとでも?

 

「神の器は玉の思想に従い、早島を守るため動いてきたんでしょう。けれど多分、神の器は幼い頃しか力や記憶を保てない。後は普通の人間として零落する。でも順那が生まれた。順那は……彼女は何か違うように感じる」

 

 違う。

 一体何が。

 

「ねえ。東順那は明らかにおかしいわ。裏でコソコソやってるみたいだし、今でも牛木草(みたきはら)に行ってるし……そもそも、それ以外の土地から出たことがある?」

「それ以外の土地?」

「神の器は早島と、元々早島の一部だった牛木草(みたきはら)でしか行動出来ないらしいの。そこから離れることは一生ない。魂が縛られてるんでしょうね」

 

(そうなのか?)

 

 結は順那のことを思い出す。

 確かに……あまり彼女は市内から出たがらないが。それどころか小学生の修学旅行の時も――

 

(確か事故かなんかで行けなくなって……後都会に遊びに行こうとした時も寝込んじゃったり……)

 

 そうだ。そう考えると、順那は外に行こうとする度、何かしらかの形で妨害されている。呪われたように早島に捕らわれているのだ。彼女にとってこの土地とは、牢獄に等しい場所なのだろう。

 そしてそれこそが神の器たる証明。

 

「順那は、今でも玉の思想を保ってるんじゃなくて? 五百年の歳月で、完璧な器が出来たとしたら――」

 

 ――東順那は、本当に東順那と言えるの?

 

 そう入理乃が聞いた、次の瞬間。

 夜なのにも関わらず、何処からか烏の鳴き声が聞こえてきた。

 

 ――カア、カア、カア、カア。

 

「……で?」

 

 威圧感すら感じる瞳で、キュゥべえは入理乃を見つめる。

 

「それをわざわざ話して何の意味が? 夏音に何の関わりあるというんだ」

「……もし、私が神の器だったとしたら」

 

 入理乃はそう前置きして。冷や汗を溢しながら。

 

「誰かに変わって欲しいって思う。……ううん、解放されたい。だからこそ、夏音ちゃんを――もう、こうなったら確かめずにはいられない。良い加減、本当のことを言ってちょうだい。貴女は実際は――」

 

 そうして、彼女が何かを言おうとしたその瞬間。

 

「残念ながら、お前は間違っている」

 

 キュゥべえは首を振った。入理乃は目を見張る。自分の仮説に自信を持っていたらしいが……キュゥべえは嘲笑うようにカラカラ笑い声を立て、

 

「フフフ。お前のお望み通り、キッパリ教えてやるよ。お前は本当に節穴だ。お前の考察には穴がある。記憶を引き継ぐ? 思想を継ぐ? そんなレベルで済むと思っているのか? 私が今までどんな目に遭ってきたと思う?」

「ッ、――もしかして……」

「一体その証拠を残したのは誰なんだろうなあ? でも見つけたところで何も出来ないんじゃ意味がない。私の悲鳴に誰も気付かない」

 

 キュゥべえの姿が闇に溶ける。再び何か形になった時、それは少女のシルエットをしていた。

 

(彼女は――)

 

 顔はよく見えない。たが間違いなく覚えのある雰囲気で、淡々と喋る。

 

「それなのによくもまあベラベラと。別に構いやしないが、好奇心から藪蛇を突く癖は、お前の悪癖だな。我が愛おしき妹よ」

「……妹?」

「なあ、分からないのか? 聞いているだろう? お前はどうしてそこまで踏み込んできた? 怖いもの知らずなのか?」

 

 彼女は入理乃を無視して、一方的に捲し立てる。

 入理乃はしばし、恐怖で動けなかったようだが――やがておずおずと口を開いた。

 

「そ、それはこっちの台詞よ。やっぱり貴女が、早島に潜む闇なのね? 何故私に正体を見せたの」

「お前が格下だからだ」

 

 はっきりと少女の影はそう言った。

 

「そして真実を語ったところで、お前なら何の不都合もない。いや? お前に話してるつもりなど初めから毛頭ないよ、阿岡入理乃」

「……どういうこと?」

「こういうことさ」

 

 影はまっすぐ手を向け、横に引っ張るような動作をした。

 すると、入理乃の体が勝手に動き、立たせられる。

 

「ぐッ!? これ、糸!?」

「ああ。ところで、お前をわざわざ夏音に会わせたのは何のためだと思う?」

 

 入理乃はごくりと唾を飲み込んだ。少女の影は、歌うように続けた。

 

「ソウルジェムが濁っているだろう。サチと仲良くなる夏音。かつての願いの象徴たる夏音。お前にとっては心を抉られるも同じことだ」

「や、やめ――」

「夏音を選んだのは私にとって、本当に特別な存在だったからだ。だから今回も、良い感じに駒になってくれよ? 生贄さん?」

 

 刹那――周りの風景が歪んでいく。

 目の前に現れるは……大きなドラゴン、石像の魔女で。

 

「さ、ミズハと殺し合ってくれ」

「え? ま、待て。イヤッ……!」

 

 そして糸で操られ、入理乃は魔女へと突っ込まされいくのだった。



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“菊名夏音”という少女 6

久しぶりだけど短い


 ――すべてが、呆然とする中で動いていく。

 

 訳が分からない。訳が分からない。

 あの魔女がミズハ? 何故入理乃は戦わされている?

 

「やめろ……やめてくれッ!!」

 

 ミズハの魔女を見ていたくなくて、結は叫ぶ。

 だが現実は変わってくれない。入理乃は悲痛な顔で魔女を攻撃していく。魔女は逃げられないようで、炎で応戦するも、傷がつき始めた。

 相性は最悪なはずだが、彼女を操るっている者は只者ではない。その潜在能力を引き出し、的確なタイミングで回避や迎撃をさせている。

 

 やがて魔女はトドメを刺され、戦闘は十数分で終わった。

 結界が消え、コロンとグリーフシードが落ちた。

 

(ミズハ……)

 

 結は受け入れた難い気持ちで、絶望に支配された。入理乃も顔を蒼白させ、掠れた声を漏らす。

 

「あっ……ああ……」

 

 しかしそんな状態であっても、嘆きの種に必死に手を伸ばそうとしているようだった。

 だが、それは許されていない。入理乃は縛られて突っ立っているのみ。

 代わりに少女の影が遠慮なくグリーフシードを拾い上げた。

 

「これは私がもらっていく。お前が触れて良いものではない」

「ッ、返せ、返してよ!」

 

 入理乃は怒鳴るが、少女の影は不気味に見ているだけだった。

 

「じゃあな。我が愛おしき妹――阿岡入理乃よ。せいぜい束の間の夢を見ると良い」

 

 そして少女の影が消えると同時、いつの間にか遠くから足音が聞こえてきた。

 船花サチ。あの影が呼んだのだろうか。

 何処か焦ったような顔をしていて。

 

「入理乃! あのメールはどういうことだ! 一体何が――ッ!?」

 

 入理乃の側に来ると、サチは驚いたように固まった。

 その彼女のソウルジェムは、

 

「おい、どうしてそんな真っ黒に……」

 

 輝きが見えないほど、穢れに侵食されていた。

 こうなるともう、後は堕ちるだけ。

 

「船花ちゃん。私――」

 

 入理乃は何か言いかけるも、その時パチンと、無常に魂は砕けて。

 ――新たな魔女が孵化した。

 

(そんな……)

 

 それを、結は悲しみと共に眺めているしかなかった。

 ずっと、ずっと――

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……それでも。

 記憶は容赦なく続いていくのだ。

 この過去を見る旅も終わりが見えない。しかも今度はいつも通り、夏音の視点に戻っていた。ミズハのことが気になるのに。

 

「はあ、まったく。どうしてこんなことに」

 

 夏音はやはり、何も覚えていないようで、ベットの中で悪態をついていた。彼女は倒れていたこともあり、病院に入院しているらしい。警察の事情聴取もあったが、答えられることいったら特になく、彼女にとっては煩わしいだけだったようだ。

 

 何度も何度も溜息をついては、現実逃避をするかのように携帯をいじっている。実際に考えるのが怖いのだろう。

 一体何が起こったのか。何故倒れていたのか。魔女を知っていることもあり、嫌な予感でいっぱいに違いなかった。

 

(そうか。この子は何も知らないんだな……)

 

 ふと結はそう思った。

 そして一旦そう思ってしまえば、何とも言い難い気持ちになる。

 だってこれじゃあまるで、あの影の少女の操り人形だ。彼女が望む通りに、夏音は変化していっている。

 

「君は、これからどうなるんだ?」

 

 そのせいか余計に怖くなって、結は呟いてしまった。

 誰にも届かないだろうに。

 

(僕はこれまで君のことを見てきたんだ。君のことを全然知らなかった)

 

 元は普通の少女で、兄に嫉妬をしていることも。

 寂しがりやな女の子なことも。

 初めて知った。知ったからには、放って置けない。そりゃあ、まだ死にたいという気持ちはあるけれど。

 

(どうにも僕は、君のことを嫌いになれないらしい……過去の君に、教えてあげられるなら教えてあげたい)

 

 今まで見守ってきた一部始終、そのすべてを。

 

(きっと君は、あの影の奴の身代わりだ)

 

 そこには何かとんでもない秘密があるのだろう。夏音にも、あいつにも。その正体はきっと――

 

「夏音、来たぞ」

 

 と、その時だ。

 コンコンと、ドアをノックする音が聞こえた。夏音は顔を上げ、やがて嬉しそうに顔を綻ばせる。

 

「兄さん……!」

 

 兄を呼んだのと同時に扉が開かれる。夏音とよく似た男性が、病室の中に入ってきた。

 

「ごめんな、夏音。なかなか仕事が休めなくてな」

「ううん。良いんです」

 

 夏音はやけに上機嫌で答えた。兄は林檎の詰め合わせを持ってきたようで、それを机の側に置いてから椅子に座った。

 

「しばらくは入院なんだってな。体の調子はどうか?」

「ええ。何処も問題ありません」

 

 むしろ「元気が良いくらいですよ」と夏音は言ってみせる。

 検査もあっただろうが、異常はないらしい(それ自体が異常なのだが)。それに対して、夏音の兄はホッとしたように息を吐いた。

 

「良かった。無事で何よりだよ」

「えへへ。兄さんが心配する程じゃありませんよ」

 

 夏音はおちゃらけて言うが、兄の方はムッとしていた。

 

「そんなことは言わないでくれ。こっちは真剣なんだ」

「……」

「遅くまであまり出歩かないでほしい。一人で辛いのは分かるけど、万が一のことがあったら……」

 

 兄が夏音の手を握る。本当に本当に、心配そうな顔で。

 

「夏音、危ないことはしないでくれ。もう二度と、あんなところに行かないでくれよ?」

「はい」

 

 夏音は頷くが、きっと形だけなのは結にも分かった。力への憧れが止められないのだ。彼女の兄も何となく察したようで、不安げな表情をしている。しかし言いすぎるのも良くないと思ったのか、

 

「にしても、母さんも父さんもこんな時だっていうのに、出張で来ないなんてな」

 

 と手を離しながら話題を変えた。

 すると、さっと夏音の顔色が変化する。まるで思い出したくないと言わんばかりだ。

 

「薄情だよな」

 

 しかし兄はそれに気づかず、少し怒ったように眉根を寄せる。

 

「お前だってずっと寂しいだろう。責めたって良いんだぞ」

「別に――」

 

 夏音は複雑そうに俯く。乾いたような瞳、その反面期待を抱きたいというような表情。必ずしも両親を嫌っているわけではなさそうで、しばらくして仕方なさそうに、

 

「別に寂しくありませんよ。だって後で来てくれるでしょ? それで十分です」

 

 そう言ってのけた。でも、やっぱり兄は納得していない。

 

「そんなんで良いはずがないだろう。俺達は家族なんだ。家族である以上、今すぐ駆けつけなきゃ駄目だ」

 

 兄ははっきりした口調で言った。

 

「今までの分も怒れよ、夏音。遠慮している必要なんてないんだぞ。いくら何でもほったらかし過ぎだ」

「遠慮……?」

 

 その時、夏音が何を思ったのか分からない。しかし、そこで何かを言いかけたようだった。

 なら、どうして。

 

 どうして私を、兄さんは――

 

「……」

 

 けれど、途中で黙ってしまった。申し訳無さそうに、罪悪感塗れの顔で、

 

「……いえ。私はいらない子ですから。一度だって母さん達に怒る権利はありません。むしろ私より、兄さんこそ怒るべきでは?」

「!」

 

 兄はハッとしたように目を見開いた。言葉の意味を悟ったからだろう。そちらこそ、これまで自分のことを両親から押し付けられてきたではないか、と彼女は言ったのだ。

 そして、それで何も思わない兄ではない。一瞬図星を突かれたように息を飲み、次には謝った。

 

「夏音、ごめん。そういうつもりで言ったんじゃないんだ」

「謝る必要はありません。兄さんは……私に構わなくても良いんですよ」

 

 その曖昧な笑みに、兄は首を振った。

 

「そんな訳にはいかない。お前は大事な妹だ」

「……、それを言うなら私もです。貴方が大事です」

 

 苦しげに眉を下げると、瞳を伏せた。

 

「だから私のことは気にしないで下さい。兄さんは自分のことだけ考えて」

「夏音」

「すみません。せっかく来てくれたのにこんなこと言ってしまって。こんなんじゃガキみたいです」

「そうは言っても、まだ子供だろ……」

「いいえ。みっともないのに変わりないです。でも兄さん、心配してくれてありがとう。それだけで私は大丈夫。大丈夫だから――」

 

 そして夏音は再び兄へと視線を戻し――首を傾げた。

 

「……?」

 

 何か違和感を持ったらしい。どうして気になったのかは分からない。分からないが、彼女はポツリと言った。

 

「兄さんって着物着てましたっけ?」

「? いいや? 冗談か何かか?」

 

 勿論、夏音の兄はキョトンとしている。

 だが夏音は訝しがるようにパチりパチりと目を瞬かせ、

 

「いえ、何故だが妙に黒く見えてしまって……」

 

 そのせいか、無意識に瞳を赤く光らせてしまった。

 

 すると――化けの皮が外れるように、夏音の兄の姿が揺らぐ。いつの間にかそこにいたのは、烏の頭部を持つ、死装束を着た人形だった。

 

「ッ!?」

 

 ガタンっ!

 

 唐突なことに、夏音はベットの端まで後ずさる。結もあまりの事態に一歩下がった。

 

(は――?)

 

 思考が追いつかない中、さっきまで夏音の兄だった人形は、訳の分からない言葉を話しながら夏音に手を伸ばす。

 

「mfこkrkおえーーs?」

「ひっ!」

 

 当然、夏音は怯えて拒絶する。もうそれは兄ではなく、化け物でしかなかった。

 

「んっけーAえっぇーぇ? mどどpめl」

 

 しかし、その人形はまるで自分が兄だと言わんばかりに、自分を指差すのである。そして夏音は“それ”が言っていることを理解しているようで、半狂乱で否定した。

 

「何を言っているんだ! お前は兄さんなんかじゃない! ふざけるな!」

「mflろぇーえfーf」

「だから違うって!! 何なのよお前!!」

 

 夏音は果敢にも睨みつけるが、人形には効果がなかった。

 しかも遂にはベットにまで乗り込んできた。少しずつ近づいていき、口をパカリと開ける。だから夏音がやったことは、本当に咄嗟のことだろう。

 

「とにかくあっちに行ってよ!」

 

 彼女は思わずと言ったように人差し指を向けた。

 途端その瞬間――指先に魔法陣が浮かび上がり、赤黒い雷が放たれた。

 

「え?」

 

 夏音が呆然とする間もなく雷は直撃。人形を丸こげの物体に変えた。

 おまけにそれなりに大きな音がしたので、外がざわつく気配がした。

 でも、夏音はそれどころじゃない。信じられないように手を見下ろす。

 

「わ、私――」

 

 けれど。

 その手が一瞬、白い毛並みに覆われたように見えたのは気のせいだろうか。見覚えのある手。結は……戦慄し、息を飲んだ。

 

 そんな中である。

 

「あーあ、やっちゃったみたいだね」

 

 軽快な声が一つ。窓をすり抜け、獣が侵入する。途端、ガチん、と音がして、外が静かになった。

 夏音は白い獣に気付き、呟いた。

 

「キュゥべえ」

「やあ、菊名夏音。順調に力が目覚めているようだね」

 

 キュゥべえはベットの真ん中に降り立つ。夏音は呆けたように固まっていたが、少しすると質問した。

 

「兄さんは? 兄さんはどうなったんですか?」

「兄さん?」

 

 キュゥべえは嘲笑うように繰り返した。

 

「ああ、キミのお兄様のことか。いや、お兄様なんて始めからいやしないよ? そいつは偽物だ」

「偽……物?」

 

 別の意味で、夏音は再度震えた。冷や汗をダラダラ溢し、「そんなはずが無い」と言う。

 

「だって兄さんは今まで通りでした! ずっとずっと、これまでだって!」

「うん。でも、キミのお兄様は邪魔だったから。神様が消して人形にしたんだよ。人格や姿を完全に再現したコピーさ」

「……有り得ない」

 

 夏音は一筋涙を溢す。こんなもの、はいそうですかと飲み込めるわけが無い。しかもそれを認めてしまうと、今まで化け物と暮らしていたことになる。夏音は怒り任せに、キュゥべえの首を掴み、締め上げた。

 

「馬鹿なこと言わないで! 兄さんはちゃんと生きていたの! 生きていたのよ!」

「やはり、そこで怒るか」

 

 キュゥべえは構わず目を鋭くさせた。なんとも思っていないらしい。

 

「あのなあ、夏音。キミ、兄が憎かったんだろ? それなのに今更怒るなんて滑稽じゃないのか?」

「何処が!」

「いや、矛盾してるなって。だって兄を見下して、マウント取って、兄の全部を奪いたかったんだろうが。いっそいなくなればなんて、いつも考えてたことじゃない」

「ッ!」

 

 夏音は何も言えず、手を緩めてしまった。

 キュゥべえはそこから逃げると、

 

「ま、所詮、お前はガキでしかないってことなんだよ」

 

 冷たい顔で非難した。

 

「甘ったれて、兄のことも理解せず、自分のことしか考えてない。そのくせ自分に向き合おうともせず、欲しいものが手に入らないと納得出来ない我儘女。後悔しても後の祭りってやつだ……まるで玉と同じだな」

 

 そして次に、わざとらしい悲しげな表情で笑った。今度は夏音が睨みつける番だ。

 

「うるさい……何で貴方にそんなこと言われなきゃいけないの! やっぱり貴方、性格最悪です!」

「アハハハ、言ったことあるだろう?」

「何を知って、何を隠しているんだ! 全部言えよ、今すぐに!」

 

 夏音は人形にやったみたいに、キュゥべえへと指を向ける。

 生み出された魔法陣から、バチバチと嫌な音が立った。

 

「おおう。怖い怖い」

 

 それにキュゥべえは肩をすくめる様に怖がるふりをして、

 

「じゃ、そう言うなら言っちゃおうか。実はもう一つニュースがあるんだ」

 

 すると、キュゥべえはワントーン声を低くさせた。

 

「――昨日、阿岡入理乃が死んだ。キミのせいだ」

「!?」

 

 目を見開き、夏音は手を下ろして魔法陣を消した。縋るようにキュゥべえを見る。

 

「キ、キュゥべえ! 今すぐ契約を! 阿岡さんを生き帰らせて!」

「出来ない」

「!? どうして!」

 

 キュゥべえが拒否をするので、夏音はますます詰め寄った。

 

「何故です! 何でも願いを叶えてくれるんじゃないんですか!?」

「ああ。しかし、このタイミングで願いを叶えて良いのかい?」

「は?」

「そもそも何で死んだのか。キミは知らないよね?」

 

 圧を感じさせる物言いに、夏音は気まずそうに瞳を震わせた。

 

「……それはそうだけど」

「キミは覚えてないかもしれないけど、魔女結界に入り込んだんだ。そこを入理乃が……」

「まさか身代わりに? 船花サチがいるじゃないですか」

「だがキミも知っているだろう? 彼女達は時々別々でパトロールしている。今頃、世間は入理乃が行方不明で大騒ぎだろうね」

「……」

 

 キュゥべえの白々しい嘘を信じたらしく、夏音は絶句していた。

 スマホでサチに電話をかける。しかし出ない。何度電話をかけても、出ない。やがて人形の亡骸を見て、夏音は絶叫した。

 

「違う! 何もかも全部違うんだ! お前の言うことは出鱈目だ!!」

「ふーん。でも現実は何も変わっちゃくれないぞ?」

「黙ってよ!」

 

 ついに夏音はキュゥベえを叩いた。キュゥべえはその勢いでベットから落ちるが、やれやれと体勢を治し、

 

「それよりも良いのかい、夏音。東順那から紙をもらっただろう。後日来るようにって」

「……それが何なの」

「さっきので分かっただろう? キミは神の力に目覚め始めている。魔法が使えたのもその証拠だ」

「え……いや、でも……」

 

 戸惑う夏音に対し、キュゥべえは赤い目で見つめながら、

 

「もし入理乃のことで後悔しているなら、キミは本物の神になるしかない。そして東順那は広実一族の血統だ。彼女は神と通じる巫女でもある」

「巫女……」

「契約して、それで本当に救われるなら良いかもしれない。しかし早島やキミの兄を救うには不十分だ。神について知りたいなら、順那に聞いてみるべきだよ」

 

 そう言われ、夏音は納得出来ないように顔を顰めた。しかし、無視できる訳でもないようだった。たとえ、誘導されていると分かっていても。

 

「気になります。……分かりました。抜け出してでも行きますよ」

 

 そうして夏音は立ち上がり、窓の方へ視線をやるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 丸こげの人形を、取り敢えず部屋の隅に隠すとして(夏音は何度も吐きそうな顔をしていたが)。

 ……そこから病室を抜け出すのは容易だったみたいだ。

 今の夏音は魔法を使える。魔法が使えたなら、後は誤魔化すのはどうとでもなるのだ。

 そうして病院服から普段着に着替え、向かった先は、大きな神社だった。

 名前は――

 

「富枝神社……」

 

 ある意味早島市で一番権威ある神社だ。

 今日は珍しく参拝客はいない。

 結は色んなことを思い出して顔を顰めた。それにこんなところに来て一体何をしようと言うのか……まったくもって分からなかったのだ。

 

 でも、順那は待ち合わせ時間ぴったりにやってきた。

 普段では絶対に着ない様な、粗末な着物を着て。

 

「とうちゃん……」

 

 そんな順那に、渾名で呼ぶ夏音の顔は困惑に満ちていた。

 順那はじっと彼女を見ていて、普段とは比べ物にならない程、深く落ち着いた声で言った。

 

「やあ、来たんだね、菊名夏音。嬉しいよ。素直に会いにてきてくれて」

「……その格好」

「ああ……普段のゴスロリも良いけど、神社だと合わないじゃない? だから昔の服を引っ張ってきた。どうだろうか」

 

 そう言って、順那はその場でくるっと回ってみせる。

 不思議と様になっていて、夏音はしばしの間見惚れたようだった。

 

「……。何だか妙にに着慣れてますね」

「さっき言ったでしょう。昔はこんな服装だったんだよ」

 

(そんなはずが無い)

 

 結は即座に頭の中で否定する。

 少なくとも順那は小さい頃からゴスロリや洋服しか着なかったはずだ。確か――「自由な服装が許されている時代なのに、好きな格好をしない理由がない」とかで。結構な執着ぶりが見受けられたが。

 

(その順那が着物を着ているということは、何か意味あるだろうか?)

 

 そう思っていると、順那が腰に手を当て、答えを言ってくれた。

 

「ま、神について真実を話すんだ。それなら少しでも、当時の服装の方が話しやすいのさ」

「よく分からないですけど。でも、やはり神の存在について知ってたんですね」

 

 夏音は軽く睨む。そこに友達を信じるような色はない。

 しかし順那は飄々とした態度を崩さなかった。

 

「そうだね。私はずっと神を監視してきた。謂わば私は巫女だ」

「巫女……それってあの白いチンチクリンも言ってた奴ですか。一体何なんです?」

 

 お前、キュゥべえも知っているんだろう? というニュアンスも含めて質問する夏音。順那は誤魔化すこともなく、

 

「それをこれから話すのさ。っていうか、キュゥべえは連れてないんだ? 何で?」

 

 と返した。

 

 ――そう。夏音の側にキュゥべえはいなかったのだ。

 なんでもサチが心配だから見てくるとかで。

 夏音もそれを了承し、一人でここにきたのである。

 そして彼女のそのことを説明すると……順那は納得したような顔をした。

 

「成る程ね。入理乃が死んだニュースは私も聞いているよ」

「……じゃあ嘘じゃないんですね」

「同じ魔法少女としては驚きだけどね。彼女は強かったもの」

 

 すると夏音は複雑そうに眉根を寄せた。

 これも予想していたことだろうが、いざ本人の口から聞くと、思うところもあるのだろう。

 

「じゃあ着いてくると良いよ。こっちだよ」

 

 それから順那は背をくるりと向けて歩き出した。それを、ただ黙って夏音は追いかけた。



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“菊名夏音”という少女 7

滅茶苦茶時間かかった。


 しばらく歩き、着いたのは神社の裏側だった。

 本殿に通じる道で、当然入り口の側には、『ここより神域です。関係者以外立ち入り禁止』の看板がある。

 だがそんなことを気にする順那ではない。

 易々と中に入ってみせる。夏音も後に続いた。

 

 途端、風景が歪んでいき――

 

「これ……屋敷?」

 

 狭い筈の敷地は広大となり、神社の横にはデデン! と豪華な日本屋敷が現れた。

 順那が懐かしそうに瞳を細めている。

 

「これは生前の家だ。……猫屋敷って、呼ばれてた」

「猫屋敷? ていうか生前の家って誰の――」

「玉は猫が好きでね」

 

 質問にも答えず、突然何の関係もなさそうなことを順那は言う。

 

「だからその名が着いた。白猫を十何匹も住ませて、飼ってたんだよ」

「ってことはこれ、玉の家なんですか?」

 

 順那はまたも、問いに返すことなく微笑んでみせた。その時一瞬――気のせいか視線をこちらに向けた様な気がして。

 

「ここは空間を捻じ曲げて造った場所さ。そこで幾つか早島の真実を教えよう」

「……」

「こっちだよ」

 

 順那は屋敷の元へ行き、扉を開いた。

 その先には宇宙空間が広がっていた。魔女結界のようなものだろう。

 中心には貫く様、下へ下る長い長い回廊が続いていた。本当に長い長い――

 

「さて、最新部に着くまでには時間がかかる。歩きながら話をしよう。この早島の深淵について」

 

 彼女が回廊に足を踏み入れながら話し始める(結もこっそり後に続く)。

 夏音はごくりと唾を飲み込み、誘われる自身も進みながら、しかしその前に。

 

「それより、まずは貴女のことを教えて下さい。貴女は何なんですか」

 

 と聞いた。すると順那は先を歩きながら。

 

「キュゥベえから言われなかった? 私は巫女だ。龍神様を讃える巫女」

「……、だからそれが何だって言ってるんです。巫女って言っても、意味分かんないんですよ。……て言うかそもそも今の貴女は、口調も雰囲気も、普段の貴女とは違って見えます。それが貴女の本性なんですか」

 

 夏音が強い口調で言うと、順那はおかしそうにクツクツと笑った。

 

「フフ、この私が、本当の“私”だって思う?」

「……それは……」

「私だって、私のことなんか分からないよ。君の見たまま、好きに考えればそれで良いんじゃないか?」

 

 酷く乾いた、投げやりな言葉だった。

 自暴自棄というか、なんというか。

 

「まあ確かに、巫女のことを話すって言ってたもんね」

 

 そして深く入り込み様な不思議な声で、順那は喋り始める。

 

「一言で言うと、巫女っていうのは、生まれつき神様と繋がっている広美一族の少女のことだ。その証拠に、私は玉のことも知っているし、早と島のことも“覚えている”」

「じゃあ何百年も前の記憶を、貴方は持っているっていうんですか」

「そうさ。この巫女はランダムで選ばれる。遺伝子操作により、玉の因子が濃く発現した少女が、巫女として神に束縛を受けるんだ」

 

 神の力を引き継ぐと言っても良い、と順那は続けた。

 

「故に私は全てを把握し、早島を裏から見守ってきた。私にとって、早島は牢獄であり、決して外には出られない鳥籠。私はこの時代においても自由じゃない」

「……なら縛られてるってのは、そう言うことだったんです?」

 

 夏音は順那の話が信じられない様子だったが、それでも何処か理解したいと思っている様に問いかけた。そのためか順那は嬉しそうに笑い、

 

「やはり君は甘く、優しい。愚かで狂おしい程にな」

 

 偏愛に……いや、もっと別のドロドロとした何かを渦巻かせ、目を爛々と輝かせた。

 

「しかし、それだけじゃないんだ。見せてあげよう。ここから語られるは、玉と巫女達の物語」

 

 パチン。

 順那が指を鳴らす。

 やけに音が反響すると、宇宙の一部が歪んでいき、しばらくしてある光景が映し出された。

 

 ――戦場だ。

 その中に、一人の魔法少女がいる。

 スリットの入った死装束。目元を隠すように伸ばされた前髪と、腰まで届く髪量のある純白の髪。赤い瞳に、東順那と瓜二つの顔立ち。まるでアルビノの様な色白の少女だ。彼女は無感動に軍隊を殺戮していた。

 

「……」

 

 あまりにグロテスクな映像に、夏音は思わず声を失っていた。

 結もここまでの血が飛び交う光景は見たことがない。

 魔法少女が腕を振るう度、何か白い糸の様なものが走り、兵士の首が飛んでいく。

 

 やがて数分もしないうちに、軍隊が壊滅。血の海の中、やっと満足そうに魔法少女は微笑んでいた。

 

 そうして彼女は、主人から褒美をもらう。

 豪華な着物、お金、地位。

 これでしばらくは安泰な筈だった。しかし物足りないらしく、結局魔法少女は数日の内に主人を殺した。新しい、しかも位の高い雇い主が見つかったからだ。

 

『フフフ、今度は豪勢な料理も食べ放題だそうだ。良かったな、お前達』

 

 魔法少女は主人の首を持ち、似た顔立ちの少女達に笑いかける。

 その目はあまりにも壊れていたので、少女達は恐怖に彩られた表情をしていた。

 

 しかし、頷かざる得なかったのか、無理やりの愛想笑いを浮かべる。

 

『ええ。……ありがとうございます。姉上』

 

 そしてそれに気付かず、魔法少女は優しげに言うのだった。

 

『すべてはお前達のためだ。これからもお前達のために、いっぱい人を殺し続けよう』

 

(まさかこれが――)

 

「――これが生前の玉だ」

 

 結の思考に応えるように、順那は口を開いた。

 

「キュゥべえから聞いたと思うけど、家族を奪われた彼女は、妹達の意思を無視し、裏切りを繰り返しながら下剋上を繰り返していった。それしか方法が分からなかったからだ。生き残るためにも、復讐を果たすためにも」

「……まさか、こんなのを幼い頃からやってたって言うんです?」

「まあね。と言っても、そんなんだから願いすらも忘れてた。無我夢中で、殺して、殺して。偽の信仰を作り上げて人を扇動し――」

 

 だが話しによれば、報いは訪れるらしい。

 

 映像が切り替わる。妹達が病気とお産で死んだ。

 助けることも出来たはずだが、彼女達は生きることを拒否した。

 ここでようやく、玉は間違いに気づくのだ。

 

『ああ、私がこんなだったばっかりに、ずっと妹達は束縛されていたんだ』

 

 自由がなく苦しかっただろう。辛かっただろう。

 玉が泣かない日はなかったみたいだ。

 そんな時に姫達からも優しくされ、更に玉は良心が返ってきたように戦場でも迷いを見せた。

 

 最後には全てを後悔したのか、土地にかけた呪いを解除し、途端プツンと。糸が切れた様に――

 

『何で会えないの、お兄様っ!!!』

 

 そう、内に溜め込んでいただろう、しかし傍目から見れば何の脈絡もなく、とち狂った叫びを残して死んでいった。妄想か何かに囚われていたのかもしれない。

 

「玉はお兄様や一族の皆に、ずっと会いたかったんだよ。――“玉”の望みはただ一つ。家族を愛し、愛されること。家族と一緒に、この生まれ故郷で穏やかに暮らせればそれで良かった」

 

 それなのに。

 妹達も亡くして、家族はいなくて。一人ぼっちの惨めな最後。

 彼女もある意味で被害者だった。戦による犠牲者の一人。

 

 しかしその死は悲劇の序章に過ぎなかった。そこからこの早島の運命は徐々に狂っていった。

 

「……気が付けば。“玉”の思想と記憶は、最初の巫女に受け継がれていた」

 

 再びの映像の切り替え。

 

 幼い少女が呆然としている。

 彼女こそが最初の巫女だろうか。

 

「それは既に亡くなった筈の“玉”にとって、生き地獄に等しかった。まさか大切に預けてた妹の子供が、双子姫によって体を弄くり回されていて、無理やり赤ん坊を産まされていたとはね。……その結果生まれたのが巫女だ。呪いも復活しちゃってるし。本当、絶望しかないよね」

「……どうして」

 

 戦場の光景とはまた別に、エグ過ぎる事実に夏音は青ざめていた。

 結の感情を代弁しているみたいだ。

 

「どうしてそこまでのことを彼女達は……」

 

 そうだ。どうしてそこまでのことを双子姫はやったのか。

 どう考えても普通ではない。だからそこには、“普通ではない何かが絡んでいる”のだ。

 

「“玉”の願いのせいだよ」

「え……?」

「“玉”は願ってしまった。未来永劫、この土地において特別な存在になりたいと。――その時はまだ定義が曖昧だったけどね。やがて彼女が考える神とは、この土地を守り続ける都合の良い存在となっていった。それに従い願いが叶えられた訳だ。そしてその役目を果たすために、双子姫は壊れ、“玉”の願いに侵食されたのさ」

「ッ!? そんなのっ……」

 

 夏音が声を詰まらせる。

 

 何処までも救われない話。

 

 じゃあ、つまりなんだ。

 巫女とは玉の存在を消さないための器で。それに付随して呪いも復活してしまったと。そういうことなのか?

 

(嘘、だよね……)

 

 まるで究極の人身御供ではないか。しかも、願いは“未来永劫”だ。

 ということは――

 

「“玉”の死に終わりはない。最初は受け入れられず、自害した」

 

 映像の中で、幼い少女が自らの首を大鉈で刎ねた。

 しかし暗転した直後、何処かの田んぼの中に、同じ様な顔をした少女が立ち尽くしていた。

 その後も自害、自害、自害。

 別の時代に誕生、誕生、誕生。

 

「死んでも死んでも、別の時間軸に飛ばされる。振り子の様に過去と未来を行き来しながら。……当たり前だよな? 神になるなんて荒唐無稽なんだ。だったら対価は必要になってくる」

 

 そもそも、“玉”は普通の少女でしかない。過去と未来に生まれ変わることで、初めて“玉”は神になれる。

 そうやって願いに必要な因果を、紡ぎ続けるしかない。

 

「私はこの運命に逆らうことが出来ないんだよ」

 

 順那の顔には自嘲が浮かんでいた。

 映像の中の巫女も、同じ表情をしていた。

 

 それでも。それでも巫女達は、運命に抗おうと必死になったようだ。

 ある時は呪いを解こうとして失敗し。ある者は一族の考えを変えようと躍起になった。

 

 だが待ち受けるのは変わらない結末と、信仰に熱心な信者達。そして早島のために自身を捧げなればならないという鎖。

 どんなに抵抗しても、早島の暗部を裏で管理せねばならず、また“玉”の記憶を失っても、誰一人として十七を超える巫女はいない。殺し合うのは、いつだって自分の家族である広実一族だ。

 それがどれだけの絶望か。結にも夏音にも、計り知れないだろう。

 

「それにね。“玉”はこの土地も、人々も、本当は好きだったから。穏やかに、普通に早島で生きたかった。でもここで止まったら……それじゃあ今まで何のために人を殺してきたんだってなる」

 

 次の映像は別の場面へ。

 非業の死を遂げる巫女へ、無数の声が聞こえてくる。

 

『死ね』

『消えろ』

『詫びろ』

『それが出来ないならせめてこの土地を救え』

『お前が神ならば、私達を守れよ』

 

 それは呪いによって齎された、人々の縋り付く声か。

 それとも、少女が抱く妄想か。

 とにかく、死者が“玉”を許すことはなかったのだ。それに取り憑かれ、巫女達は早島の裏側の世界を、犯し、壊し、血の花を咲かせる。

 人々の願いを叶えると感謝された。

 

 その時、巫女の胸に広がったのは、薄暗い喜びだったに違いない。

 

「神様でいれば、誰かには認めてもらえたんだ。私は本当は、誰かに認めて欲しかった」

「……人を殺していたのに、ですか?」

「そうだな。でもそこには歪んだ承認欲求も潜んでいたのだ。夏音、君と同じだ。私はすべてを無くしちゃったから、生まれてきた意味も、自分の価値も分からなかった。皆に愛して欲しかった。そのために経緯は違えど、誰よりも特別になりたかった」

「……」

「でも神様になって。転生してただの少女となって。幸せな生き方があるんだって分かっちゃったら。もう戻れないよね。私は諦めてしまったよ。人を殺せば、穏やかな早島と人々の愛が手に入る」

 

 最早、死ぬことが自身の価値となった“玉”にとって、呪いは祝福ですらある様になった。

 こうして精神的にも、概念的にも、物理的にも。“玉”は神というシステムに成り下がったのだ。

 

「すべては自業自得だ」

 

 兄の願いを無視した……愚かな妹の自業自得。

 

「アハハハハハハハハ……改めて思うと私はどうしようもない奴だな。何が正しいのか分からない。私は何のために生きているのか。痛いのも苦しいのも、全部全部、どうでも良いんだよ。……全部どうでも良い」

 

 いつの間にか、順那の表情からは感情が抜け落ちていた。すべてが漂白された真っ白な布のようであった。

 

 しかし阿呆なことに、結は思考が停止してしまっていた。

 話の内容も、“玉”の思いも。受け入れられる脳の容量を超えていたのである。それで、どうして良いか分からず、しかし順那があの学校の屋上で言っていたことを思い出し、ただただ胸の内側が詰まる様で仕方なかった。傍観者なのを良いことを何も出来ずにいた。

 

 だが、夏音は結よりも図太かったから、必死に言葉を紡ごうとしていた。

 

「ぜ、全部どうでも良いなんて……言わないで下さいよ。正直貴女の話はスケールが大き過ぎて分かりかねます。ですが、今から道を探せば何とか……大切なものだって、きっと――」

「うーむ、お前みたいな奴に言われてもなー」

「へ?」

「いや、こっちの話だ。それよりも、本題はここからなのだが? “お前”が知りたいのは、お前のお兄様がなぜ偽物になったか? ということだろう?」

 

 思考を読まれた様で、夏音は酷く驚いた。何故そのことを。そう聞く前に、順那は馬鹿にしたように人差し指を頭の横に持ってくる。

 

「当然知っているさ。お前はここ()が悪いから分からないようだが、そのくらい予想出来る範囲だ。簡単なことだよ」

「か、簡単って……」

「アハハ、つまりはね、一部とはいえ、お前のお兄様は早島の深淵の一端に触れかかったんだよ。確かお前の兄は警官だっただろ」

 

 映像が現代の風景になった。

 誠実そうな夏音の兄が、何と別人のような格好に扮し、暴力団と思わしき連中の元に向かっていったのだ。そして仲良く話したりしている。

 

「に、兄さん?」

 

 夏音はとてもじゃないがショック受けずにはいられなかったらしく、かなり混乱していた。だが結はすぐに違う、と思った。よくよく見れば夏音の兄は、密かに周りを監視しているような挙動していたのだ。

 これは潜入捜査。スパイ活動だ。

 

「いやー、ぶっちゃけ滅茶苦茶困ったね! 牛木草の暴力団って、牛木草の社会を活性化させてる面もあるから」

「は?」

 

 順那が急にふざけみたいに腕を組みながら言うので、夏音は首を傾げた。

 

「それはどう言う……何を言って……」

「――人を不幸にしてくれないと、魔法少女が生まれにくくなる。魔法少女が生まれないと、牛木草で魔女が減ってしまう。そりゃあ早島に悪影響はあるけど、後々のことを考えれば微々たるものだ。それを邪魔されるのは、まーね。うん! 気に食わないね!」

 

 そうして夏音の兄が一人になったタイミングで、その後ろから小柄な影が現れていた。その少女は顔は見えなかったが、大きな鉈を持っていて、それで彼をミンチに変えてしまった。

 

「な――」

 

 再び唖然となる夏音。

 結は……その後の場面に顔を青くさせた。少女は手から出した糸でカラスの人形を作ると、それにミンチを詰め込み始めたのである。

 

「状況的に死んだことにすると不味かったのでな。任務は失敗、警察内部に情報を操作をさせて撹乱。死体は再利用で、抽出した記憶から本人のフリをさせた。まさに究極の再利用! クリーンなエコ! なんちゃって♪」

 

 テヘペロ――などと可愛らしく舌を出しているが、やっていることはおぞまじいことこの上ない。

 そうするとあのカラスの人形は文字通り肉人形で、しかもその状態で夏音は一緒にいたのだ。当然、夏音の顔はみるみるうちに憤怒に染まり、瞬時に手の中にハルバードを呼び出した。

 

「殺す! 殺してやる!」

 

 夏音は順那へと飛びかかった。

 が、順那が指を鳴らすと、瞬く間に虚空から無数の糸が飛び出し、夏音を捕まえる。順那は歩みを止め、肩をすくめた。

 

「やれやれ。無駄に血気盛んな奴だな。そういうとこ面倒くさいだよなー」

「……、何なのよこれ」

 

 もがけども脱することは出来ない。

 順那は宥める様に言った。

 

「まあ落ち着け。話は最後まで聞くものだ」

「……」

「お前は気にならないのか? そもそもどうして、牛木草に暴力団なんかいるのか。どうして魔法少女が生まれないと困るのか」

「それは……」

 

 兄が死んだ経緯は分かった。だがまだ、原因については語られていないのだ。

 夏音は言われた通り大人しくなった。それを見て、順那は再度指を鳴らし、糸を消す。

 

「また歩きながら話そうか。深淵には近い」

 

 夏音達は歩みを再開した。

 

「始まりは……まあ五十年前だ。私はその時、広実悦子という少女に生まれ変わった」

 

 その言葉通り映像は昭和時代の街並みになった。

 五十年前の早島だろう。その中を黒いフリフリの服を着た少女が歩いている。

 

「私はこの頃、とある“未来”をぼんやりながら予知していた。それはキュゥべえが地球を去るという未来だ」

「……キュゥべえが?」

「あいつらはエイリアンだよ。自分達の目的のため、地球人を利用しているのさ」

 

 順那は端的にキュゥベえの正体を告げる。

 

「それなのに出ていくということは、よっぽどのことがあったはずだ。つまりこの早島だけでなく、恐らく惑星規模で何らかの大いなる厄災が訪れ――すべてが崩壊したのだと私は結論付けた。考えが飛躍しているとか、そんなことはないからな? これは私自身、キュゥべえを長く見てきたから言えることだ」

「……」

 

 上から目線で偉そうに……いや、そもそもいきなり世界が滅亡するなんて言われて、夏音は納得できないようだった。顔を顰めている。

 ……反面、その内容が本当だと結は感じていた。順那とは長い付き合いなだから分かるのだ。いくら得体の知れない存在になろうとも……順那の声音に嘘はない。とはいえ、流石に“玉”のこととは別ベクトルにぶっ飛び過ぎてて実感が沸かないのだが。

 

(けれど、この世界滅亡から早島を守ることが、順那の行動原理になったはずだ)

 

 悲劇は……そこから紡がれ始めたのだ。

 

「私は厄災から早島を守るため、外界からこの土地を丸ごと隔離することにした。そのためには膨大なエネルギーが必要だ。そこで感情エネルギーを収集するべく、牛木草に不幸の種をばら撒き、わざと社会格差が起きるように裏から手引きした。……そうそう、ミキオとかいう奴も誘導したっけ? そうやって実に、五十年もコツコツと頑張ってきた訳だ」

 

 その間に悦子は魔女と戦って死んだらしく、次には那お子として生まれ変わり、そしてまた死亡して、ようやく“玉”は東順那として転生した。

 

「でもその世界が私の行き止まりだったのかな? 私は赤ん坊の時から“玉”の記憶があり、周りのことをはっきりと認識出来ていた」

 

(じゃあ……僕やミズハのことも、分かっていたってこと?)

 

「だから驚いたよ。二人の従姉妹が、ここまで“玉”の妹に似ていたなんて」

 

 本当に、幾度目か分からないが、順那は結の疑問に答えていた。

 その目には親愛があり、顔には哀しみがあり――救いすらも感じられて。

 

「結とミズハは、私にとって特別な存在だったよ。また妹達が会いに来てくれた気がして嬉しかった……守りたいと思っていたんだ。本当だ」

「……兄さんを犠牲にしたくせに。よくも自分はそんなことを」

 

 夏音はあからさまに皮肉を言った。まあ彼女にとってみれば、虫の良い話にしか聞こえないのだろう。

 でも、結はその一瞬だけ、何故かホッとした気持ちにもなった。どうしてだろう。人殺しをしていたことに変わりはないのに。

 

「でもそうなんだ……私は神様だ。すべてを守るためにすべてを捧げなければいけない」

「……」

「しかし。邪魔さえなければ順調だったはずだ。でなければこんなことにはならずに済んだ――」

 

 ――いつの間にか回廊は行き止まりになっていた。

 入り口の時と同じように大きな扉がある。その深淵の扉を順那が思いっきり開いた。

 

「え……」

 

 そうして、あり得ない光景を突きつけられる。

 そこは変わらず宇宙空間なのに……下には青い地球があったのだ。そしてそのすぐ近くには月とは違う、衛生のような球体があった。金と銀、二匹の龍の頭に見守られながら。

 

「これは――」

 

 夏音も絶句しているのが分かる。順那は最初の時のように、目を細めた。

 

「言ったはずだ。私は早島を世界から隔離することに決めたのだと」

 

 ――つまりあの衛星のような球体こそが、早島。

 

「正確には、その周辺地域ごとだけど。ま、鳥籠であることには変わりないか。お前達はね、二年前からずっと、この狭い世界の中でずっと生きてたんだよ」

「ッ……お、おかしいです! それならば食料は! 人々の認識は!? 今まで違和感は何も――」

「そりゃ魔法の効果だよ」

 

 至極明快な答えが返ってきた。

 確かに……それさえあれば、確かに何でもありなのだ。

 

「魔法さえあればそんなの簡単に解決出来る。姫様方の力さえあれば」

「な、なら! そもそも世界の厄災だって簡単に解決出来たはずです! こんなことが出来るくらいですから!」

「アハハハハハハハハ!! 無茶言わないでくれる!? 私は見滝原になんか行けないよ!」

 

 見滝原。

 それは早島から離れた、まったく無関係の土地。

 

「そこで生まれた魔女が地球を飲み込んでしまったんだ! ワルプルギスの夜も! 暁美ほむらも! 鹿目まどかも! 全部憎くて仕方がないね!」

「な……何を言っているんです……ワルプルギス……ほむら? 誰なんですそれ……」

 

 夏音が引いたように聞くと、順那は案外丁寧に教えてくれた。

 

「二年前――見滝原にワルプルギスの夜って魔女がやってきてね。そいつは町を破壊する程、危険な魔女だった。必ずまどかという少女が犠牲となり、ほむらという魔法少女はそれを認める事が出来ず、何度もループを繰り返していた。様々な並行世界を渡り、何度も何度も失敗を繰り返して、そんでその魔法の副作用が原因で、ワルプルギス以上の魔女が爆誕しちゃったて訳ですよ。わー、スゴイ! 皮肉な話だね〜」

「……ッ」

 

 戯けたように言うが冗談じゃない。頭が白くなっていく感覚がする。

 

「でねでね。この話には続きがあります。その世界の滅亡を影から見ていた一人の少女がいました! 菊名夏音ちゃんです!」

「わ……私?」

 

 呆けたように自分を指す夏音。

 

「ええ、別の並行世界の菊名夏音ちゃんです。お前は覚えて無いけど、お前は元々牛木草の魔法少女だった。お前はそこで戦いに巻き込まれたり、兄を人形にされたショックで、私に対し激しい憎悪を持つようになった。わざと私の前で死んだふりをすると、全ての原因である見滝原に直行し、世界の滅亡を防ごうとした」

 

 だが今の現状からするに、間に合わなかったのだろう。

 

「フフ……だからお前は何をしたと思う?」

「何をしたって――」

「ぶっ殺したんだよ、死にかけてた暁美ほむらを」

 

 夏音が息を飲んだ。全身が震えている。

 

「お前の本当の魔法は、死んだ人間の魔法をコピーする事。お前はそれを使い、実に二年もの間ループを重ね、私が起こす事象を調べ尽くし、様々な魔法少女の死を観測して魔法を増やした。そうして再び私の目の前に現れたんだよ……ハハハハハ……たまげたね。そしてそこから……何をやったか分かる?」

「分かりません。分かりたくも無い……」

「じゃあ教えてあげる。お前はね、全部に絶望しちゃってたのさ。魔法陣をぶっ壊しまくって、五十年も溜めていた感情エネルギーを使えなくした。人を殺してまで世界を存続させるなんて、お前は優しいから許容出来なかったんだろ」

 

 順那からはとてつもない憎悪が発せられていた。

 早島を守る彼女にとって、まさしく夏音は最悪の相手だった筈だ。

 

「こうなるともう最終手段を使うしかない。私はお前を殺した後、我が妹達を利用することにした――」

 

 そこから今までにないくらい、衝撃的な話が告げられる。

 

「ハハハハハハハハハハ!! 今まで守ってこようって、散々思ってたのにな。あの手でこの手で一族に縛られないようにしたんだぞ? なのに性格が変わるどころか結は勝手に運命を受け入れちゃうし、ミズハに至ってはすべてを捧げるつもりだった。やむ無く長を操ってミズハを追放したが、魔法少女になるとか話が違う。利用する前に素の自分で話をしたのに、ミズハは“神のためなら死んでも良い”と説得に応じてくれなかった。

 ……馬鹿か。私は結局何も救えない。……どうでも良くなかったから、ミズハを絶望の底に沈めて結を魔法少女にした。入理乃達と争ってくれたおかげで、それは土地の奪い合いとイコールになり、五百年前の領地争いの再現になった。

 勿論、姫様方は早島の争いに反応し、守ろうと力を活性化させたさ。おかげでどうにか五十年分のエネルギーを使えるようになって、早島の隔離はどうにか成功することは出来た」

 

 出来たけど。

 こんな世界、袋小路でしかなくて。

 

「半永久的だった筈が、魔法陣を破壊された影響で二年しか持たない! ハハハハハハハハハハ!! 結とミズハを捧げて二年!! 全部全部無駄だ!! 私の捧げものは何だったんだ! アハハハハハハハハ!!」

 

 笑う、笑う、笑う。

 順那は笑い続ける。

 

 結はどういうことか分からなくなってきた。

 ただ……自分が悪いのだと思い込んできたのに、実際はまったく違っていたのだと言われて。それなのに、この世界は終わるのだいうのだから、何となく嫌だと思った。

 純粋に、ただひらすらに、思ってしまったのだ。

 

 一方で……夏音は混乱から抜け出せずにいるようで。

 

「…………」

 

 黙ったままだった。その彼女の肩をガシッと順那は掴む。

 

「アハハハハハハハハ!! これで分かったはずだ!! すべてはお前が悪いのだと!!」

「え……ち、違……」

「違うものか! 他の世界でも同じことが起きるんだよ! 私は全部の記憶を持ち込めないし、他の世界で何も知らず動いてしまう時もある! 何より転生をし過ぎた影響で、この時間軸から派生した並行世界全体が、元の次元とは切り離されている! 女神様の加護は届かないんだ!」

「……?」

「でも私は嬉しくて仕方ないんだよ! ここまで私の邪魔をしたのはお前が初めてだ。それにお前は私を殺すことも研究していたようだ! お前のおかげで知れたことも沢山あった!!」

「………………」

「さあ、菊名夏音!! 私が憎いのなら私のために私を殺してくれ! 責任とって、女神様に気付くようにさせろよ!」

「……………」

「どうした? やはり動けないか? お前を選んだ理由がそこまで不服だというのなら、一言くらい何か言えば良いだろう?」

 

 しかし夏音は黙り続けていた。そこで順那は一旦離れ。

 

「おい、冗談だろ? ふざけるなよ」

 

 恐ろしいまでの形相で呟く。

 

「ふざけるなふざけるなふざけるな――」

「………」

「ハハハハハ……ならばこれならどうかな?」

 

 パチンと指を鳴らす。

 転瞬――別の場所に転移させられた。

 

「!? ……あれは……」

 

 海のような結界。宙に浮かぶ大きなガレー船の魔女。

 船花サチの魔女体だった。当然彼女の遺骸が落ちていて、それをピラニアの使い魔がもぐもぐと捕食している。

 

「え……イヤ……何これ!?」

「船花サチが魔女になった姿だよ」

「は!?」

 

 突然の事実に、夏音は認められずに叫ぶ。

 

「嘘、何なのそれ!」

「言い忘れてたけど、魔法少女は絶望すると魔女になるんだよ。イヤー、私も随分魔女化したな〜」

「ッ……何で、船花さんが……」

「入理乃が死んだからじゃね? ま、その入理乃も、お前がサチと仲良くしたから、絶望して魔女になったけど。……お! ということはつまり、お前のせいでぜーんぶ、ぶっ壊れことになったね? いやー流石っすわ! 私の邪魔しただけのことはある!」

 

 いけしゃあしゃあとそんなことを言う順那。何処から来たのか、キュゥべえが何処からともなくやってくる。

 

「夏音! ちょうど良いところに! 願いを叶えてサチを元に戻すんだ」

「……戻す?」

「それかやり直せば? フフ、もうそれしかないんじゃない?」

 

 怪しい微笑みに、夏音は目を見開いた。

 頭がくらりとなる。

 

「私……私っ……私は……!!」

「さあほら。さっさと思い出して、前みたいにやり直して? それでね? ね? 因果を紡いで――」

「アアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 すると、ピーーーーー。

 そんな音が突如として響き渡った。

 

「……」

 

 見れば夏音の全身から……煙が噴き出ている。

 やがてドサッと倒れると、姿が歪んで、それは人間じゃなくなる。

 

 それは化け物だった。

 

 背中にはゼンマイ。手足はモフっとした白い獣の足。しかし頭部は陶器製の猫の顔で、マスカレードに付けるような目元を隠す仮面を身に付けている。洋服は、魔法少女時代の服を簡略化したデザインだった。

 

「……」

 

 いくら馬鹿な結でも悟るしかない。これは本物の夏音じゃない。使い魔の夏音だ。なかなかショッキングな光景である。

 

「んー……壊れたか。耐えられなくなったのだな」

 

 にも関わらず、順那は無垢な子供のように微笑んだ。

 

「まーいっか! もう一度作り直そっ!」

 

 癇癪を起こしたみたいに、グシャ、とその頭を粉砕して、手を横に薙ぐ。それだけで海の結界も、ガレー船の魔女も、細切れになって消えていった。

 

 そして後は暗い空間に放り出された。

 

「アハハハハハハハハ、あー、失敗したね。こんな無様な姿見せてごめんね、アハハハハハハハハ!」

 

 順那は明確にこちらを向き、親しげに話しかけた。

 結はもう……驚けなくなっている。

 

「順那、君は――」

「まだその名前で呼ぶのか?」

 

 順那……いや、その少女は、結に対しても何処か見下したように言った。

 

「東順那など最初からいやしない!! 私は“玉”。ただの――玉でしかないよ!!」

 

 その容姿は不思議なことに、瞬きをした次には変わり、彼女の生前のものとなっていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 ――アハハハハハハハハ……私のこと信じらんないって顔してんなー。

 

 まあ……そりゃそうだよな。

 

 ごめん。

 

 でも、どうしようもなかったんだ。何が正解なのか分からない。

 

 ……だから、私は夏音に教えて欲しかったんだよ、結。

 

 私と同じくせに、正反対の決断をした彼女に。

 “菊名夏音”という少女が何を選ぶのか。

 

 そしてその答えの果てに――私とは違う、本物の女神様が待っているのかもしれないね。




玉ちゃん視点のお話は短編、遠い未来の昔話に乗っております。
今後の展開的にも、今回の話と合わせて読むことをおすすめします。


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“菊名夏音”という少女 8

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
これにて二章が終了です。
ここからはニ・五章、夏音の過去及び裏舞台である牛木草の話になります。


 ――笑う、笑う、笑う。

 目の前で少女は笑い続ける。

 

「アハハハハハハハハハハハハハ!! アハハハハハハハハ!!」

 

 その少女は悍ましい程に美しかった。

 

 白雪のような長い白髪。長い前髪の奥で細められる紅玉の瞳。艶やかな唇は、逆さ三日月を描いて。

 死装束に包まれた体は完璧な肢体のバランスだった。

 そんな作り物めいた美少女が、無垢な子供のように体をくの字に曲げて笑うのだがら、嫌に歪さが強調された。

 

 彼女は何から何まで、壊れていた。

 そこにいたのは、結の従姉妹ではなく。

 

 ――ただの化け物だ。

 

「ッ、何者だ……お前は!」

 

 思わず結は叫ぶ。

 受け入れるわけにはいかなかった。こんなのが順那だなんて、今まで親しくしていた子だったなんて。

 これまでのすべてが否定されるような気分だった。

 

 しかし現実は変わらない。無情なまで、残酷な事実を突きつけてくる。

 

「だーかーらー、玉だって! 玉ちゃん!」

 

 玉は頬を膨らませ、ぶすーとした顔を作ってみせた。

 まるで幼稚園児が拗ねたみたいな、可愛げのある表情……しかしそれ故に腹が立つものでもあった。

 結は玉を睨みつけた。

 もう一度叫ぶ。

 

「お前は何者だ!!」

「……いや、話は聞いてたはずだろ? 早島の神様だけど」

「僕には訳が分からないんだ!」

 

 もう何もかも訳が分からない。

 そもそも、いきなり世界が崩壊してるだの、神様がいるだの、ミズハの件は全部悪くなかっただの。

 何だそれは? じゃあ一体自分は今まで何だったんだ。これからどうすれば良いんだ。キャパオーバーを超え過ぎている。

 

「大体お前はただの記憶! 夏音ちゃんが見せた過去の映像の登場人物だろう!! それが何で僕に話しかけているんだ!! お前は何故……っ」

「あー……やっぱそんな感じだったの?」

 

 すると玉は妙に納得したような顔をした。

 

「まーそんな感じはしてたんだよな。どーりでおかしいと思った」

「おかしい?」

「何か弄られてるって言うのか? ちょっとした違和感だよ」

 

 玉はやれやれ、と溜息をつく。

 

「そもそもこの時空、この宇宙は、私の管理下だ。私の体みたいなもんなんだよ。つまり世界に刻まれた過去の映像を引き摺り出すということは、私の体に触れることと同義だ」

「え……?」

「夏音は迂闊だから気付かなかったようだが、それでもせっかくだからお前にはこっちに来てもらうかと思って。だから、フフフ……この過去の世界に連れてきたんだ。なかなか興味深かっただろう?」

 

(!? ということは、まさか精神を無理矢理繋がれて――?)

 

 そう思った時、玉はまた笑った。

 

「フフ」

「……何がおかしい」

 

 結が不機嫌に尋ねると、彼女は艶やかに仕草で、袖で口元を隠した。

 

「フフフフフ、色々考えてるようだなって。私はお前に聞かせるつもりで話をしていたが……それでも分からないことだらけで気になるだろう。例えば――お前の世界の夏音はどうなったのか、とか」

「ッ!」

 

 そう言われて思い出した。

 そうだ。自分が玉と接触したのなら、夏音は?

 ただで済むとは思えない。

 

「お前、夏音ちゃんに何かしたのか?」

 

 返答によっては殺す。

 結は殺気をぶつけた。しかし、玉はおかしそうに首を傾げた。

 

「どうして怒る。お前にとってみれば取るに足りない存在だろ?」

「夏音ちゃんはそんなんじゃない!」

「果たしてそうだろうか」

 

 玉は問いかける。

 

「過去を見たところで何も変わらない。それはただブラウン管越しに見た映像と同じ。何処までいっても赤の他人だろう?」

 

 まるで夏音のことを今思い出したのがその証明のような……そんな風に言われたようで、結は唇を噛み締める。

 完璧に否定できないのだ。そもそもたかが数日しか過ごしていない。夏音の人生をすべて知っているわけじゃないくせに、一方的に同情しているだけだ。

 

「ならばこそ、もう少し色々と見ようじゃないか、結」

 

 玉は両手を広げて結を誘う。

 

「出ないと色々と後悔することになるだろう。それで良いのか? 我が妹よ」

「……私はお前の妹じゃない」

 

 ありったけの嫌悪を込めて結が悪態をつけば、玉はそれすらも嬉しそうにした。

 

「ウフフ。まあそう言うなって! お前は愛おしい妹の子孫じゃないか! であれば広実一族は皆、私の弟妹に相応しい……!」

「……」

 

 何だか理由は判らないが、もの凄く玉が気持ち悪かった。

 結局、広実一族だから、玉の妹に似ているから、結は執着されているのだろう。結個人なんて、最初からどうとも思っていないのだ。

 

 ――その証拠に、玉は結の人生を滅茶苦茶にした。

 

(許す事なんて出来はしない……)

 

 出来はしないが、後悔することになる……その言葉は無視出来なかった。変な予感だけはあるのだ。ここで首を振れば、結は夏音を知るチャンスを失う。

 何より……、

 

「で、どーするの?」

「選択肢は一つしかありませんよ?」

「そうそう! 早く答えなよ!」

 

 いつの間にか現れた無数の魔法少女に取り囲まれている。

 ……こいつらは一体何者だろう。全員、何処となく顔が似ている。背格好も、衣装すらバラバラなのに。

 

「フフフフフ、フフ」

「クフフフフ」

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハ」

 

 皆、同じ笑い方をする。不気味なまでに一緒だ。

 

「お前達は……」

「フフフ。全員が“玉”の転生体だよ。私達は数多の人格の集合体さ」

 

 “玉”はあまりに多くの転生をし過ぎたのだろう。

 元の人格なんて無くなって当然だ。ここにいるのは、転生の度に増えて分裂した“玉”の色んな人格。そして生前の玉の姿をしている奴は、一番玉の要素を残したベース人格といったところか。

 

「くッ……」

 

 他勢に無勢。向こうはきっとこちらに干渉できる。結はしぶしぶ頷いた。玉達は異口同音に口を揃えた。

 

「「「その答えを待っていたよ――それじゃあ見せてあげるね! 楽しいお話の続きだよ!!」」」

 

 ――次の瞬間、ベース人格の玉が消えた。

 宇宙空間の時と同じようにスクリーンが生まれる。

 

「!?」

 

 驚いていると、玉の人格達が話を始めた。

 

「むかーしむかしーし……じゃなくて今の時代に、早島の神様はこの土地を守ろうと動いていました」

「でも、にっくき菊名夏音に邪魔をされて、失敗してしまいました」

「やがて世界を壊す、厄災が訪れました」

 

 スクリーンに映るのは巨大な魔女。

 黒く塔のようで、天に手を伸ばしている。何も届かない筈なのに。

 

「こ、これは――」

 

 結は信じられない思いで震えた。

 本能的に、見ているだけで分かる。これはどんな魔女よりも凶悪で強大な魔女。この魔女の前だと、世界が滅んだというのも現実味がある話だ。

 

「玉は絶望してしまいました。何故こんなことになったのか。キュゥべえの頭を通じて見滝原のことを知り、更に生まれた違和感から、次元の狭間までも覗き見ました」

「するとそこにあったのは、残酷な世界の真実と、キラキラと輝く希望でした」

 

(希望……?)

 

 疑問に答えるように、スクリーンの映像が切り替わる。

 そこに映るのは……桃髪の長い長い髪を持つ、白い少女。

 まるで女神様のようだと思った。

 

『そう、彼女は本物の女神様』

 

 スクリーンの中から声が聞こえる。

 ベース人格の玉の声だ。

 

『とある鹿目まどかは願いを叶えて、魔女のいない世界を本当に作ってしまった。もう魔女なんて本当は何処にもいない。あの女神様が魔法少女を救ってくれる』

「……!?」

『でもさ。この宇宙にはまだ魔女がいて。私は死に続けて魔女になる。何でなんだろうね』

 

 ……そんなことを言われても。

 分からないとしか言いようがない。

 

「大体魔女がいない世界だなんて……」

『でも実際に外の世界はそうだ。この宇宙だけが、そのルールから外れている。改変なんてされていない』

 

 玉の声はやけに無機質だった。

 

『この宇宙――この時空は、すべてから外れた世界だ』

 

 そしてまた映像が切り替わり、宇宙空間の中に輝く、黒い星が現れた。

 ――凶星。

 そんな言葉が頭を過った。なんという禍々しい光だろう。

 

『アレが本当の私のソウルジェム。私の魂は願ったその瞬間から、概念ごと宇宙に固定されてしまった』

 

 それは永劫の神になるために。

 恐らく、生前玉が持っていたソウルジェムは本来のものではなく、端末であり、カケラだったのだ。カケラが割れても本体は無事だったから、その自我と魂は別の時間軸に飛ばされた。

 そして玉は死に続け、転生しながら色んな時代、世界を渡り続けたのだ。その度に色んな可能性と未来を生みながら。

 

『元より転生のシステムは時間軸を曖昧にする。過去と未来はグチャグチャに。因果は澱み、捻れて狂う。私の転生は数多の並行世界を生み出し続けたが、同時に因果を束ねるどころか上書きして切り離した。そうやって私が転生した時間軸がまとまって、元々の世界から独立し、一つの宇宙そのものを形成したとしたら――』

 

 何処にも干渉されない閉じられた時空が誕生する。

 何もなくなった地球と、隔離された早島。その関係と同じだ。

 

「じゃあ僕達の世界は、初めから鳥籠だったの? 世界が終わらなくても……」

『ま、どっちみち私が作り上げた時空では、破滅の因果は確定事項そのものだがな。何故なら最初に滅んだ世界は、すべての並行世界に繋がった元々の“幹”――玉が神になることを願った始まりの世界だったから。その決定的な事柄は、他の世界にも波のように波及する』

 

 だから、すべての世界は滅びゆく運命なのだ。

 結の世界もきっと滅ぶ。

 滅ぶ――

 

「――そんなの認められる訳がないじゃないか!!」 

 

 結はついに絶叫した。

 だってそれじゃあ自分だけじゃなく、入理乃も、サチも、他の人々まで死んでしまう。それは結が望むことじゃない。

 

(皆が不幸になる必要はないじゃないか!)

 

 優しいが故に、結は他人のために怒りを持ったのだ。それを見透かしたように玉はやるせ無さそうに嘲笑した。

 

『フフフ、やっぱり結はそう思うよなあ。あんなに死にたがりの癖に』

「……黙れ」

『だけどさ、この世界はやっぱり最初から間違ってるのかもしれないよ?』

 

 そして玉は自虐的に続けた。

 

『他の世界を存続させるために、新たに並行世界が生まれる度に魔法少女の争いを起こし続けじゃなきゃいけない。そうやって生まれた感情エネルギーでこの時空は成り立っている。君達は死に続けるしかないんだ。世界のためにな』

 

 それがこの時空の魔法少女に課せられた運命であり、宿命。

 ……キュゥべえに食い物にされているのと、究極的には何も変わらないのだ。

 

「そ、そんなの意味なんてないじゃないか」

 

 結はそんな風に吐き捨てるしかなかった。

 どう考えても馬鹿馬鹿しいからだ。そんなことのために自分は魔法少女になったんじゃない。

 結は玉が憎くて憎くて仕方がなかった。

 

『しかし……それでも。他に道はあるか?』

「……ッ」

 

 だが、そう言われると何も思いつかなかった。

 どん詰まりだ。足元が崩れる気分だ。

 

『だから。皆が救われる方法は一つしかないだろう?』

「方法……?」

『あの女神様に縋るんだよ。この時空を、女神様の宇宙に統合する』

「――!」

 

 驚きで言葉が出なかった。

 確かに……そう出来れば、新たな可能性が生まれるかもしれない。結も他の魔法少女も、魔女にならなくて済む。

 それは最高のハッピーエンドだ。

 

「……」

 

 でもその結果、この世界はどう変わるのだろう。

 使い魔である夏音は? 真実を知った自分は?

 

 どうにも嫌な予感しかしない。

 そう都合が良いことなど、これまでに一度もなかったではないか。

 

「そうすると僕達の世界は、どうなる」

 

 試しに結が聞けば、しばらくの沈黙。

 やがて、人格のうちの一人が答えた。

 

「玉が神様じゃない世界になるよ?」

「は?」

「だって当たり前じゃん。この世界は玉の転生が前提で成り立ってる宇宙。それが原因で本来の宇宙から切り離されているんだよ?」

「つまりそれがなくなるってことは、“玉が契約しない世界”になるってこと」

 

 ようは、これまで紡がれてきた早島の歴史が、丸ごと消えるということだ。

 

『もう疲れたんだ。殺すのも、殺し続けるのも』

 

 それは本当に疲れたような声だった。

 

「私は道を間違えた」

「友達も、子供も、親も、兄弟も。全部転生の度に捧げてきたのに」

「結局はこんな様」

「私は一人」

「だったら歪みは正さないと」

 

 ――だって血塗れなのは間違ってる。

 

『私はこの土地を愛しているから、すべての苦しみをなくしたい。それが私の答えだ』

 

(……)

 

 ……絶句だった。

 

 本当に上から目線で、勝手で、独善的で。

 

「お前は、僕達を消すつもりなの……? 僕にはこう聞こえるんだけど。――“都合が悪いから、全部をリセットする”って」

『……フフ。心配しなくても大丈夫。ちゃんと結とミズハは、生まれるようにしてあげるから……』

「そんなの僕とは言えない!」

 

 結は拒絶する。

 いくら幸せな世界になろうと、ここにいる結はただ一人だ。誰に言われようとも、この結が結なのだ。

 

「そりゃあ僕は僕を否定してるけど。だからと言って今の早島を消したら、広実一族はなくなる……!! それにすべての早島の人々は生まれなくなるぞ!!」

 

 結局、世界が滅亡するのと一緒だ。

 結が必死に生きた痕跡はなくなる。

 

「嫌だ! 僕はまだ――!!」

 

 まだ、まだまだまだ!

 

 ついついそう思ってしまう。

 あんなに絶望していたのに。結は何故か、目の前がどす黒い意思で満たされている。

 

 ああ、この思いは何なのだろう。

 これが……結の生きる意味というのだろうか?

 

『アハハハハハ、今までのこと、無くしたくないってか? 君は怖いんだな』

 

 反対に玉の口調は酷く優しげだ。

 

『でも何でだ? それは普通に愛されて、普通に人を愛することが出来る世界だ。それが人としての一番の幸せだ』

「ぐちゃぐちゃに潰されたり」

「魔女に食べられちゃったり」

「腕がもげたりとか」

『そんなことはもう二度とない。広実一族の呪いは消える。――早島は解放されるのだ』

 

 それは何処までも幸せに生きられる早島。

 玉は救われたがっている反面、神として最後まで早島を救いたいと思っているのだろう。たとえ歪な形であっても――本心からの玉の願いだ。

 

「……そのために、夏音ちゃんをどうするっての?」

 

 だが、結には予感がある。

 

 そもそも疑問に思っていた。夏音を利用して何をしようとしているのか。ここまで来て夏音が早島救済に無関係……なんてことはないだろう。

 

「どうするつもりなんだ」

 

 強く質問すれば、玉は相変わらず飄々として態度で答えた。

 

『ループの魔法は、転生と同じく可能性を切り替える魔法だ。何処までも何処までも、因果を集められる』

 

 転生という形で玉が神となったように。

 ループを繰り返せば繰り返す程、夏音の親である本体の魔女も、膨大な呪いを蓄積し続ける。

 

『そのために使い魔の夏音を使う必要があった。でも、世界を滅ぼした夏音が大人しく従う筈ない』

 

 それどころか中には耐えきれない個体もいるだろう。

 事実、結が見た使い魔は自壊してしまった。

 あれから察するに、大抵の使い魔は記憶を封印して現実逃避をしてしまうのかもしれない。

 

「だからお前は、無理矢理にでも思い出させようと……特別になりたいなんて煽ったりして。神様になりたいのかって、誘ったりしてたってのか……?」

 

 そう考えると本当に人形遊びみたいだ……。

 それで使い魔の調整に成功すると、今度はその使い魔を終わりの見えない無冠地獄に叩き落とす筈に違いない。

 

「そうやってお前は夏音ちゃんを利用しながら、成長した親の魔女に次元の扉を開けさせるつもりなんだな……」

 

 しかし指摘されても、玉は悪びれる様子すらなかった。

 

『うん。もう千回は試してるけどね、割と』

「せ……!?」

 

 あまりの数に声が詰まる。

 映像に砂嵐が走り、収まると、そのループの一部の光景が現れる。

 

 ――舞台は早島と牛木草。

 魔法少女の運命を変えようとするが、夏音は必ず失敗している。

 無数の夏音が死んで、死んで、死を無限に繰り返していた。

 

「……ッ」

 

 残酷な映像に息を飲む。

 助けたい。こんなことあって良い道理があるものか。

 

 結はスクリーンに怒りの形相を向けた。

 

『おいおい……私が何か悪いことをしているとでも?』

 

 だが玉はガキ臭い性格らしく、あからさまに拗ねた態度を取り始めた。

 

「あいつが悪いのに」

「……復讐して何が悪い」

「仕方がないじゃない」

「いつものこと」

 

 いつものこと。

 いつものこと。

 

 なんだか無理やり言い聞かせてるみたいに繰り返す。

 

『それに私はただ……夏音がどうするか知りたいだけ』

「知りたい……?」

 

 話が噛み合わないような気がして、結は訝しがるしかない。

 玉の人格達は、虚無の顔だった。

 

「アイツ、私に似てたもの」

「アイツは私だった」

「私は一時期、キュゥべえに祈り続けたんだ。助けて、殺して」

 

 その結果、夏音が殺しに来たとしたら。

 

「私はもう終われるんじゃないか」

「私に似たアイツは何故世界を滅ぼせたのか」

「どうすれば私もあんな風に早島を捨てられる?」

 

 それは矛盾に満ちた実験でしかない。

 早島を救いたいのに、見捨てたい。

 そう言っているのと何ら変わりはないのだ。

 

『君だって憎悪を持つべきでしょう。誰のせいでこんな事態になってると思ってるの?』

「それは……」

『だから君は、夏音をブラウン管越しで見てるのと何ら変わりはないんだよ。夏音と君は無関係。ただの――他人』

 

(他人……)

 

 その言葉が頭の中をぐるぐると回る。

 

 ……そうだ。

 分かっていたじゃないか。

 この怒りなんて一時的なもの。

 分かっているだろ。大体、さっき思ったじゃないか。助けたところで世界を救う代案は何処にもない。

 

『むしろ、世界を滅ぼした代償として、責任をとってもらってると考えることも出来る。てか使い魔だろうが。人じゃないのに救う資格があるのか?』

 

 トドメにそう言われると、結は何も言い返すことは出来ない。

 それが魔法少女の存在意義。

 使い魔をあえて助けて、その後は……。

 

「くそ……こんなんどうしろってんだよ」

 

 絶望。

 まさにその二文字が相応しい状況だ。

 

 何も、打開する術が分からない。笑うしかない。

 

「ハハハ……」

 

 どん底に沈む。

 涙の代わりに笑い声が漏れる。

 

 玉も合わせて笑った。

 

『アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――』

 

 何処までも響く狂笑。

 壊れたカセットテープみたいだ。

 

 ……ああ、涙はとうに枯れ果ている。

 枯れ果てても無理やり感情が溢れ落ちる。

 

 自分が今悲しいのか、虚しいのか。

 ぐちゃぐちゃ過ぎて、文字通り、この絶望の前では笑いしかない。

 この現実がおかしな妄想だと笑い飛ばし、ふざけて。

 

 玉がおちゃらけたい気持ちがよく分かる……。

 逃げなければ、更なる負の心に絡みとられる……。

 

「ふざけるな……余計なお世話をしやがって……」

 

 そしてどうしても、次に浮かぶのは怒り。

 こんな現実は知りたくなかったという、当然の怒りだ……。

 

「……お前、どうしてこんなことをわざわざ僕に話したの?」

 

 だから気になって仕方がなかった。

 だって言わなければすべて上手くいくじゃないか。結だったら手間をかけて伝えたりしない。

 

「面倒なんじゃないの、こういうのさ?」

 

 そう聞けば、玉達は微笑んだまま固まった。

 まるで図星を突かれたような……見透かされて嬉しそうな……でもちょっぴり嫌がってるような……、

 

(何だこの反応)

 

 些か妙な雰囲気で、変に思う。

 そして結はハッとする。つまりはそういうことなのか?

 

「いやお前……そういや人格の集合体だったような……もしかして人格同士も一枚岩じゃないとか……」

 

 もしも玉が本当に普通の少女だとするならば。

 そこに葛藤がないと言えるのだろうか。

 

 告解したい。裁かれたい。許されたい。罰を与えられたい。

 

 そういう感情がないなんてことはないだろう。

 解放されたいのなら尚更だ。

 

 ……結も夏音に同じことをしたから気付けた。

 彼女は一人で抱えられないから、丁度見つけた結に、ほぼ衝動的に縋ってしまったのだ。

 

 だったら――いるに違いない。

 

「おい、“玉”!! そこで見てる“玉”の人格共!!」

 

 結は目の前の少女達ではなく、空を見上げて呼びかける。

 すると、確かに意識を向けると視線を感じた。

 

 やはり、人格の中にも、迷って静観している奴らがいる。

 どっちつかずで、決断出来ない、臆病者達。それか最初から放棄して流れのまま身を任せている者達。

 彼女達へ向けて、結は必死の思いで頼む。

 

「どうか僕のことを妹だと思ってるなら、助けてくれ! こんなこと納得出来ないって、そう思っている筈だろう!?」

『……』

 

 しかし帰ってきたのはただの沈黙。

 ざわりとした気配がある。

 

 ダメなのか……。

 弱気が顔を出すが、それを無視し、結はあらん限りの声を出す。

 

「なあ、“玉”!! 助けてくれ――そうじゃなかったらせめて、夏音ちゃんに会わせて!!」

 

 こんなものはフェアじゃない。

 結局これは玉の自己満足なのだ。ただ責められて罰を受ける気になりたいだけ。

 

 逆にそれは、自己正当化したいことの証でもある。

 つまり、本心では間違っていると思っているんじゃないのか。

 

「それを欠片でも見せてくれたって良いだろう!! 良い気になって、気持ち良く自己憐憫に浸っているじゃないよ!」

 

(良い年したババアの癖に!)

 

 ついでに心の中で毒を吐けば、その瞬間、背後から声がかけられた。

 

「……ババアは余計じゃない? お姉ちゃん」

「!?」

 

 振り向けば、そこにいたのは色素の薄い髪を持つ少女――順那だった。

 一瞬ベース人格の方かと思ったが、様子が違う。今まで見たこともないほど、冷たく刺々しい目をしていた。

 

(……まさかあいつとは別人? こいつ、本物の順那の人格……?)

 

 転生ごとに人格があるのなら、順那としての人生を生きる中で、独自の人格が育まれていったのは想像に難くない。

 

 その順那が答えてくれたのだ。

 

「順――」

「勘違いしないで。あくまで私は、このままだと先に進まないと判断しただけ。最初から貴女を助けたいなんて思っていない」

 

 だが涙ぐみそうになった時、順那は拒絶するかのような声で言った。

 

「それよりも勝手に暴走しないでよ、“私”。一方的に話しても何にもなりはしないでしょう。私達全体の総意とは、外れている」

『ハハハハハ……何を偉そうに。今まで黙って、奥に引っ込んでた人に言われてもね』

「でもお前だって本心を忘れてるだろ」

 

 順那は大元の自分へ向けて文句を突きつけた。

 

「私の目的はこれからも変わらない。だが――新しい未来も見たいと思ったのも事実だろう? これはそのために結に与えたチャンス……そうだった筈じゃないか」

『……』

 

 そう言われて、玉の人格達は、薄く笑った状態からブスッとした膨れっ面になった。

 どうやら大人しくなったらしい。

 順那は顔を俯かせた後……結の手を握った。

 

「行こうか」

「え……行くって何処へ」

「貴女が言ったことでしょ。夏音に会わせろって」

「……!!」

「約束通り会わせてあげるよ」

 

 結達の周りを、いつの間にか生まれた細かい糸が、輪のように回っていく。糸の量は増していって、どんどんどんどん視界を埋め尽くすと、ふわっと意識が途切れて、上昇しているような感覚。

 目を開けると、場所が変わっていた。

 

 魔女の結界のような場所だ。

 劇場の席の中だった。

 

「か、夏音ちゃん……?」

 

 そして舞台の上には、見慣れぬ魔女がいた。

 霧の集合体。その中心に浮かぶマスカレードのような仮面。

 

 ――立っていられないほどの圧倒的な穢れと、穴のような虚無を感じた。

 

「アレが無貌の魔女。菊名夏音が魔女化した姿だよ」

 

 何者にもなれず。誰にもなれず。

 路傍の石としか自分を思えなかった少女のなれの果て。

 

「使い魔は彼女の中にいる。アレが邪魔だけど、倒そうなんて思わないと方がいいよ。厳密にはアレも本体じゃないんだからね」

 

 むしろ本体を守る兵隊と見るべきだ。

 攻撃した途端、何が起きるかは分からない。

 

「ま、どうせこれも良い機会だ。繋げてやるから、夏音の記憶を見ていく?」

「記憶を?」

 

 聞き返すと、順那は試すように、

 

「全部説明は受けたでしょう。残るは夏音のことだけ。世界の過去を見たとして、それは夏音の都合が良いように編集されたものでしかないよ。すべてを知るなら、本人の視点から、綺麗も汚いも知るべきだ」

「……」

「嫌なら貴女の記憶を消して、元の世界に返してやっても良いけど。どうする?」

 

 その問いかけに、結は魔女を見つめた。

 聞かれるまでもない。こうなるまで一体何があったのか。たとえ使い魔じゃなくても、結は“菊名夏音という少女”が知りたい。

 

 そうでなければ腹が立つ。

 

「……その結果失うものもあるだろうけど、得るものもあるかもしれない。今更――」

 

 今更引けるか――その思いと共に手を伸ばす。

 魔女と結の魂が繋がり、精神は過去へと逆行していく。

 

 ――切り捨てられた裏舞台の、幕が上がった。




無貌の魔女
その性質は猿真似。プリマドンナを夢見て日々歌を歌う魔女。しかしそもそも肉体はなく声帯もないため、魂による呪いの歌しか歌えない。それでも自分の歌を聞いて欲しいのか、何処かで見覚えのある曲を集めたり、お客様を無理やり呼んだりする。綺麗な声の持ち主がいると、嫉妬して声を奪ってしまうらしい。特別素敵だと褒めれば、満足してあっさり逃がしてくれるが、そんな人間はこの世に一人もいないだろう。


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ニ・五章 無貌の少女
裏舞台・始


新年を記念して連続投稿
ここからニ・五章、本当の菊名夏音と早島の舞台裏が始まります。
この章では新キャラ登場及び、同作者が投稿しているこゆマギのネタバレも含みます。ご注意下さい。


 これは“菊名夏音”という少女の物語だ。

 何処までも何処までも――愚かで哀れな物語。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 何もかもがフィクションのように。チート主人公のように。

 苦労も、努力も。

 そんなのなくても、すべてが私のためのご都合主義であれば良いのに。

 

 ――私は、誰よりも特別になりたい。

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 私は兄が好きだったけど、同時に兄が嫌いだった。

 ずっとずっと大嫌いだった。

 だって私が欲しかったものを、全部持っているから。

 

 能力。称賛。期待。

 父さんと母さんからの愛情。

 

 ずるいって思ってた。

 何で何で? 私はこんなに頑張ってるのに。

 何処がいけないんだろう……。

 

 誰かに教えて欲しかったけど。皆、何も言わなかった。

 私のことなんて、それくらいどうでも良い存在なのだと思った。

 だから、皆にとって私なんていらない子だって気付くことが出来た……皆にとって私なんて兄のおまけみたいなものなんだ。

 そう考えると、途端自分のことが塵芥みたいに思えてくる。

 

 じゃあ良いや……。

 何もかもどうでも良い……いつの間にか私は逃避していた。

 程の良い妄想に逃げ込んだ。

 

 ――そう……それは都合の良い妄想。

 そこでの私はカッコよくて特別で、何でも出来て何にでもなれて、皆からチヤホヤされる。

 まるでチート主人公のように。

 

 所詮、中二病的な妄想だったが。それでも異能人と戦い、悪の親玉をぶっ倒し、英雄になれば、周囲は必ず私を誉めてくれる。こんなつまらない私から、私は解放される。

 現実離れしているからこそ、私はその妄想が楽しくて楽しくて仕方なかった。

 

 けど――実際の私は、透明な存在だ。

 兄のように人を助けるが、そのせいで良いように使われたり、陰口を叩かれたりする。やることはいつもいつも、誰かの真似ばかり。

 自分から何かをやりたくてやったことなんて一度もない。

 ただ褒めて欲しい。それだけ。

 

 その自分がないという現実と理想とのギャップ――寂しさを埋めるものが、私には何もなかった。

 妄想する度、段々と虚しさが募っていった。本当の私がどこにあるのか。何も分からない。

 

 だから世界から消えてしまいたいと強く思う程、私は追い詰められてしまったのだ。

 そしてどんどん苦しくなって、何故だが意識が朦朧となっている時に、その声は聞こえてきた。

 

「随分と苦しんでいるようだね、菊名夏音」

「……?」

 

 それは幻聴のようだった。

 頭に響く幼い子供の声。ぼんやりと視界に映る、白い獣。

 

「……誰……なの?」

 

 反射的に私は尋ねていた。

 すると彼は答えた。

 

「ボクの名前はキュゥべえ」

「キュゥべえ……?」

「ああ。早速だけど、ボクと契約して魔法少女になって欲しいんだ」

「魔法少女……?」

 

 現実じゃまず聞かないような言葉に、私はいつもの妄想かと考えた。

 しかし……こんなことを妄想したことは一度もないのに、変なの。ノートに書き綴ったことすらないのに。

 だからこの時点で何かがおかしかったのだ。

 でも。

 

「キミは今、自殺しようとしているのかい? たった一人、こんな廃墟で」

「……」

「このままだとキミの体は危ないだろう。最悪命を落とすかもしれない。それで本当に良いのかい?」

 

 そう言われて。

 

 ――お前に何が分かるの。

 

 そう叫びたくなった。

 そのため、耳を傾けてしまったのだ。更にその次のタイミングで、キュゥべえは悪魔のように誘惑してきた。

 

「契約の対価に、君の望みを何でも一つ叶えてあげるよ。さあ、君の願いを言ってご覧」

「願い……」

 

 私は無意識に呟く。

 

 私の願い。

 願い。

 願い――?

 

 ……願いって何だっけ。

 

 私はただ、寂しいだけなの。

 

「……」

 

 思えばこの時、私は冷静ではなかった。

 そもそも死にかけで余裕はなかったし、メンタルだってやられていた。

 普通だったら。成長していたら。こんなものは馬鹿馬鹿しいことだとすぐに気づけたはずだ。

 

 本当に特別になりたいのなら、もっと努力すれば良いだけの話だった。

 自分を認められないのなら、自分を認められるよう、行動すれば良いだけの話だった。

 

 具体像もないくせに、私はポロリと、夢ならいっかなって、言ってしまった。

 

「じゃあ、特別な存在になりたいです。……誰よりも、何よりも特別な……大きな力が欲しいです」

 

 そうすればアニメや漫画、妄想の通り、私を誰かが褒めてくれるかもしれない。そんな愚かしい願いにキュゥべえは、

 

「ふむ……つまりは、神様のような存在ってことかい?」

 

 と返した。

 私は思わず首を傾げる。

 

「神様?」

「過去にそう願った子がいたんだよ」

「……じゃあその子を超えるような存在になりたいです」

 

 私は適当に言ってのけた。

 勿論冗談だ。叶うはずがないと心の底から思っていて。

 だけど、それが契約の言葉になってしまった。

 

「良いだろう、菊名夏音。契約は成立だ」

 

 その刹那――一瞬の苦しみと共に、何かが明るく光ったと思うと……私は見慣れない黒い衣装を身に付けていた。

 何だかちょっとだけ息も軽くなった気がする。

 

「――ゴホッ! ゴホッ! 私……」

 

 それに、私はどうしてかうつ伏せの状態になっていた。困惑しつつ、咳をしながら辺りを見渡した。

 確かにそこはキュゥべえの言う通り廃墟のようだった。

 狭い室内で、目の前にあるバケツには洗剤みたいなのが入ってて……否、本当に洗剤なのだろう。

 すぐ側に空の洗剤容器が二つ転がっていた。絶対混ぜちゃいけないやつだ。

 

 それで何となく思い出してきた。

 私、本当に死んじゃおうとしていたんだ。いっそ寂しい場所で、悲惨な最後を迎えれば、皆私のことずっと覚えてくれるかもって。

 だけど、怖くて実行できなかったはずだ。

 何でこんなことになってるんだろう。

 

「ッ!」

 

 だからゾッとなって、私は即座に起き上がると、バケツごと窓に向けて放った。

 窓が割れて、バリーンとガラス音が響き渡る。

 

「ハアッ、ハアッ、ハア……」

 

 激しい息と共にへたり込んだ。

 生きた心地がしない。

 

「一体何があったの……」

「夏音、キミは使い魔の口付けを受けていたんだよ」

「口付けですか?」

 

 キュゥべえが説明してくれたけど意味が分からなかった。

 口付けってキスマークのこと?

 

「ていうか待って。この動物……喋ってる?」

「動物じゃなくてキュゥべえだよ」

「!? やっぱり喋った!」

 

 途端に私の頭は混乱状態に陥った。

 思わず白い獣に詰め寄る。

 

「あ、あああ貴方何なんですか!? ちょっとキュゥべえでしたっけ? 今すぐ説明を求めます! 私に何したんですか!?」

 

 すると私の捲し立てた質問にキュゥべえは、

 

「落ち着いて夏音。一気に聞かないでくれ。あまり時間はないんだ」

 

 なーんて腹立つ返事をくれた。

 

「それより警戒した方が良いよ。魔女の使い魔に気づかれた」

「魔女?」

「そう。この世界に厄災を齎す存在だ。ほら――来るよ」

「へ?」

 

 気の抜けた声を出した途端、それは現れた。

 

「っめlーwーw、んrkぇlーqーー!!」

 

 シュ、シュー!!

 それは全身から蒸気の煙を吹き出した。

 ゼンマイが背中についた、レトロなブリキ人形。錆びた目が私を見ていた。そして周囲を異界が塗り潰していく。昭和映画に登場するような街並み。

 

 あまりの不気味さにさっきとは別の意味で、また生きた心地がしない。

 

「……まさかアレが使い魔?」

「そうさ。さあ夏音――構えるんだ!」

 

 え……ええ? 構えるってどういうこと?

 ――そうやって困惑していると、その使い魔は私に突進してきた。あんな鈍そうな見た目で!

 

「うわわ!!」

 

 私は咄嗟に逃げた。

 その時、ピューンと人間離れした速さで動くことが出来た。

 

 遠くでキキーと止まると、私はびっくりして口を開けてしまう。

 自分が自分でなくなったみたいだ。

 すごい。すごい。何だか状況を忘れてはしゃいでしまう。

 

「夏音!!」

 

 キュゥべえが叫ぶ。

 私は恐怖も忘れてノリノリだった。無駄な決めポーズを挟むと、なんか出ろ!! と念じる。想像では気功法とかビームだったんだけど……代わりに手の中に現れたのはハルバードだった。けど、それはそれで厨二心をくすぐられて良かった。

 ちょっと見かけないのがカッコいい。

 

「こwっpwp!」

 

 再び使い魔が突進してくる。

 私はハルバードを言われた通り、ゆっくりと構えて……振り下ろす。

 

「えい!!」

 

 攻撃はまぐれにも当たった。

 使い魔が吹っ飛ばされた。すぐ起き上がってくるけど、興奮のドキドキは止まらない。

 やっぱり私は、私らしくもない、すごい力を手に入れたみたいだ。

 まるでアニメや漫画の主人公になったようで、妄想の中に入り込んだようで楽しい。――現実離れしてるから、楽しい。

 現実は辛い事だらけだ。

 

「ふっ!!」

 

 その後、頑張って戦い続けて、ついに最後の一撃が決まる。

 嫌な感触と共に使い魔は倒れた。

 異界は消えて元の現実風景に戻ってくる。

 終わったのだ。

 

「初めてにしては上手く行ったね、夏音」

 

 キュゥべえが私を褒めてくれる。

 疲れていたけど、割と嬉しかった。私は素直に笑顔をこぼす。

 

「えへへ……ありがとうございます」

「この調子で、今後の魔女退治もよろしくね」

「……。魔女退治……」

 

 ……魔女退治、か。

 ってことは、私はこれからも、ずっとあの化け物と戦うことになるのか。

 

 そう考えると、もしかしてあんなのがこの世界には沢山いるのだろうか? とふと思う。

 じゃあ、私のように死にそうになった人達も沢山?

 

 それが事実だとしたら恐ろしかった。

 だが反面、禁断の果実に触れたようで、誰も知らないことを私だけが知っているというのは、変な優越感があった。

 

 癖になりそうだった。

 

「……フフ」

 

 気が付けば私は笑っていた。

 試しに頬を引っ張ってみたらとても痛かった。これは夢じゃない。夢みたいだけど夢じゃないんだ。

 

「私の願い、本当に叶うんですよね?」

 

 一応キュゥべえに確認すると、彼は頷いてくれた。

 

「勿論だよ。それが契約の対価だからね」

 

 だが後から考えれば、その戦いの運命と引き換えにするにはあまりに重く。よくよく落ち着いてみれば、胡散草いし、信憑性のカケラもないし、都合が良すぎる気がした。

 

 でもたとえキュゥべえが悪魔だったしても、“魔法少女”になれたワクワクの前では、すべてが些事だった。

 私は本物ヒーローみたいになれたのだ……なんて思ったりもして。

 それに私の願いが叶うなんて言われたら、やっぱり惹かれてしまうのだ。

 

 それくらい、私は特別になりたかった。

 特別になって、皆に必要とされる自分になりたかった。

 

 ――これから、魔法少女を頑張ろう。

 

 そうすれば皆を助けられる。助けた皆は私を褒めてくれる。

 ……私は漫画のように何もかも上手くいくのだと、そんな幻像でいっぱいだった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 ――でも、そんなに都合が良い筈がない。

 

 魔法少女の世界は紛れもない現実なのだ。

 私が嫌いな“現実”だった。

 

 だから結果から言うと……私は上手くいかなかった。

 

 楽しいのは数日のうちだけ。

 

 使い魔は倒せても、魔女は恐ろしく、戦いは辛くて苦しくて。

 魔法が使えたり、超人的な身体能力を持てるけど、それは戦闘において有利には働かない。むしろ最低条件みたいなもので、弱いからやられる。

 ワクワクした感覚はすぐに消え失せた。

 

 それに皆、助けたって魔法少女には気付かない。それどころか知ろうともしない。呑気な顔をしている。

 よく考えてみたら当たり前で、私だって魔女や使い魔のことは知らなかった。

 

 それでも私は……自分が他の奴らとは違うんだと、変な自尊心と優越感で自身の心を守り続けた。

 私は特別なんだと。そう願ったし、魔法少女なんだから。

 

 だけど、一週間もしたある日、私は自分以外の魔法少女と出会うことになる。

 それは結界での出来事。

 いつものように数時間もかけて魔女を見つけたけど、私は良いようにやられていた。

 

 吹っ飛ばされて、殴られて、切り裂かれて。

 嬲られ放題だ。いっそ殺してほしいとさえ思った。

 

 しかしその時。二人の魔法少女が現れたかと思うと、あっさりと魔女をやっつけてしまった。結界が消えて、後に落ちたのはグリーフシード。

 魔女の卵を初めて見たのも、この時だった。

 

「あ……っ、っ……」

 

 私は呻きながら、それに手を伸ばした。

 本能的だった。

 怪我と魔力を回復させるには、この卵しか無い。

 

 だけど、そんなの二人の魔法少女が許してくれる筈がなく。

 

「ちょっと近寄らないでよ!」

 

 蹴られた。ボロボロなのに、蹴られた。

 

「ギャ!」

 

 と悲鳴を上げて私は倒れる。

 苦悶の表情を浮かべる。

 痛い、痛い。

 

「もー何なの? ボロ雑巾みたいで汚ーい」

 

 更に言葉の刃が私の心を深く傷つける。

 確かに私は汚かっただろう。それぐらいボロボロで、魔法少女でなかったら死んでいたに違いない。

 しかし私は、また手を伸ばせずにはいられなかった。

 

「た、助け……」

「え? ヤダ。何で助けなきゃいけないの? この町の現状分かって言ってる?」

「……?」

「てかコイツ新人じゃね? 見かけない顔してる」

「そうかもね。マジで邪魔だわ〜」

 

 そう訳の分からない会話をすると、二人の魔法少女は私に近付いた。

 助けてくれるのか? と一瞬思ったが、そんなことはない。

 ニヤニヤ笑いながら私を見下ろしていた。

 

「あのさー、ここは私達の縄張りなんだけど。勝手に入らないでくれる?」

「……縄張り?」

「ここは私達のテリトリーってことだよ。アンタみたいな新人が来て良い場所じゃないんだよ!」

「!? ギャ!」

 

 瞬間、脇腹に二回目の蹴りが入れられた。

 それから四回、五回、六回――

 

「ッ!」

 

 二十を超える頃には、悲鳴さえ上げられなくなった。

 私は血反吐を吐く。胃液が逆流する。

 苦しい。

 

「ギャハハハハハハ!」

 

 私が動けなくなったのを見て、二人の魔法少女は笑った。

 

「これに懲りたら二度と近づかないでね!」

 

 そしてもう用は済んだとばかりに去っていった。

 私はポツンと一人になった。

 一人。そこは町外れだったから、誰も来ない場所だった。

 

「うぐ……ぐぅ……」

 

 そんなところで、私の意識はどんどんなくなっていく。

 涙が出た。強い力なんて私には何もなかった。

 特別だと思ってたけど、他の“特別”の前じゃただの……。

 

「ぐす……」

 

 これじゃあ何のために魔法少女になったのか分かりはしない。あの時助かったのに、また死にかけてるんだから。

 

 でも生きたかった。私は死にたくない。

 寂しいからまだ死にたくない。

 

「うう……ヒック……うう……」

 

 涙声を出しながら、私は何とか腕を使って、ずるずるとその場から張った。

 家に帰らなければいけない。

 こんなところにいたくない。それがどれだけ辛いことでも――

 

 だが、私は途中でバタリと倒れたらしい。

 そしてそこから先の記憶はない。

 

 再び気が付けば。

 私は高架線の下にいて、また別の魔法少女に囲まれていた。

 

「ねえ、大丈夫?」

「え? ……?」

 

 当然、初めは何が起こったかまったく分からなかった。

 しかし起き上がれば傷は元通り。ソウルジェムの穢れもなくなっている。

 私は助けられたのか? 

 

「貴女、道端で倒れていたんだよ。もう本当にびっくりしたんだから!」

 

 やはり私の推測は間違っていないらしい。

 何だかホッとして、私は心の底からお礼を言った。

 

「あ、あの……ありがとうございます」

「良いって良いって。気にしないで!」

 

 周りの少女達はにこやかに笑った。優しそうなので、ますます私は気を許した。こんな人達もいるんだなと。

 しかし――

 

「けどさ、こっちもタダで助けてやってる訳じゃあないんだよね?」

「え?」

「貴女新人だよね? この町の状況分かる?」

 

 状況って言われても……。

 

 私は首を振るしかなかった。

 この町のことを知ってはいるが。

 

 名前は牛木草だ。

 都会で、早島の隣にある町だ。私は三年前にそこに引っ越してきた。私にとっては普通の町でしかない。

 そんな町が、どうなっているというのだろうか。

 

「この牛木草には、二年前から魔法少女が急速に増え始めている」

「……」

「他の地域も同様なの。だから魔女の数は足りても、土地の数は足りなくなっている」

 

 謂わば魔法少女の飽和状態。しかも一気に増えたから今でも混乱状態が続いているらしい。そしてその状態のまま、派閥が分かれては消えていく。魔女の取り合いは生まれるし、グリーフシードを融通し合う奴らはあまりいない。

 手を取り合う精神がほとんど根付いていないのだ。

 

「だからね。他のグループとは魔女も取り合いなんだ。こっちとしても人手不足だし、私達のグループに入って欲しいの? 良いよね」

「それは……」

 

 私としても願ったり叶ったりだった。

 まさか縄張りなんて概念があるとは知らなかったし、一人でやっていけるとは思えなかった。

 何より……。

 

「ねえ、良いでしょう? 助けてやったんだから対価は支払うべきだよね?」

 

 あからさまに武器を向けられた。

 文字通り、従わなければ殺される……。

 

「は、はい……」

 

 私は頷くしかなかった。

 それに、集団のリーダーは満足そうに微笑む。

 

「うんうん、良い返事だね。じゃあさ、良い返事ついでに、まずグループへの上納金としてお金持ってくんない? 十万円ね?」

「!?」

 

 私は息を飲んだ。

 そんな大金手に入れられない。私のお小遣いじゃとてもじゃないけど足りない金額だ。

 

「まさか盗めってことですか?」

「魔法少女なんだから出来るよね?」

「……」

「嫌なら代わりに、グリーフシード五個取ってきてよ。それで許してあげる」

 

 拒否出来る空気じゃなかった。

 私は……承諾した。

 

 こうして私は、お金かグリーフシードを集めることになって。だけど、お金を盗む勇気なんて私にはあっただろうか。

 結局、誰かから何かを掏ることは出来なかった。

 ならもう、グリーフシードを取ってくるしかないんだけど、それだって弱いから簡単なことじゃない。

 他の縄張りに入って、追いかけ回されたり、殺されかけたり。

 何とか倒した魔女も、グリーフシードは落とさなかった。そうしているうちに、期限はとっくに過ぎていった。

 手に入れられた魔女の卵は――たったの一つ。

 

「えー、こんだけ!?」

 

 当然、リーダーからはそう怒鳴られて。

 

「信じらんないんですけど! こっちだって困ってるんだよ!? 分かる!?」

「……」

「もーちょっとさあ、誠意を見せてよ! 誰が助けてやったと思ってんの!? ほら!」

 

 リーダーが八つ当たりで攻撃してくる。私は避けきれず、まともに受けてしまった。

 

「グッ!」

「ほんっと……上のグループになんていやあ良いんだよ。私達だってお金とかグリーフシード、払わなきゃいけないの! アンタだってその役割を全うしなきゃいけないのよ? 分かる!?」

「……」

「また黙るの? アンタ、マジでムカつく奴だね」

 

 ……そんな理由でムカつかれても。

 そっちこそ言いがかりじゃないの。私は何も知らないんだよ?

 

 私はそう言ってやりたかったが、どうしても口にすることが出来ない。

 リーダーも、他の人達も、気に食わなさそうだ。

 

 ――それが原因だったのだろう。

 

 私はこのグループを追い出されることはなかったけど。

 次の日も、その次の日も、そのまた次の日も。

 

 無茶な要求を突きつけられ、それが叶えられないと痛めつけられるようになった。

 

 ……私は魔法少女の社会で、いじめにいじめられていた。



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裏舞台・絶

少し久しぶりに書いた


 ――地獄の日々が続いていた。

 

 魔法少女の活動が長くなればなる程、牛木草という町の異常性がよく分かる。

 まず魔法少女の数がとにかく多い。他の地域も同じで、総数でいくと三百人や四百人いたっておかしくはない。

 

 だから魔女退治に行く度に、魔法少女と出くわす。

 不思議なことに魔女の数は足りてるんだけど、その分争いは頻発して、殺し合いが日常茶飯事。

 新しいグループが乱立しては消えていく。

 更には明確な序列があり、場合によってはグリーフシードやお金といった上納金を上のグループに支払う必要がある。

 

 払えなければ目の敵にされ、縄張りを没収されるのだ。

 それは魔法少女にとっての死活問題。死刑を宣告されるのと同じ。

 だから皆必死になってグリーフシードを取ろうとするし、そこでまた新しい争いが発生する。

 

 ただでさえ魔女との戦いは命懸けなのに、牛木草の状況は過酷そのものだ。魔法少女の心は荒れに荒れ、どんな酷い行いも強ければ許容される。

 

 逆にそれは、弱者は良いように扱われるということ。

 特に私なんかみたいな新人は尚更――

 

「――ギャッ!!」

 

 ――そしてその日もまた、私は痛めつけられた。

 誰に? 同じグループの魔法少女から?

 

 ――違う。

 私は使い魔にやられていた。囮として目の前に放りだされたのだ。

 おかげで散々嬲られて、今こうして酷い目にあっている。

 

 しかしその私の犠牲で、他の魔法少女は魔女へ攻撃出来ていた。

 やがてリーダーがトドメを刺す。

 結界は消えて、使い魔も魔女と一緒に消えた。やっと解放された私は、そのまま地面に倒れ伏す。

 

「ッ、………、…………」

 

 息が乱れている。正直危ないところだった。

 私はギリギリのところで助かったのだ。

 

 だが私の無事を喜ぶものはいない。

 私そっちのけで、仲間は出てきたグリーフシードの戦果に喜んでいる。いや……仲間ですらないか。だって私は良いようにイジメられてるだけ。

 おまけに。

 

「おい、ゴミ」

 

 こんな感じだ。ここでは名前を呼んでくれる人が誰もいない。

 

「さっさと立てよ、行くぞ」

 

 グループの人達は、早足でその場を去っていった。

 私はそれにフラフラとついていくしかなかった……。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 この頃の私の状況は、最悪と言っても良かっただろう。

 私が入ったグループは、牛木草の中でも最低な奴らの集まり。犯罪を犯し、平気で人から何かを盗み、お酒や煙草を吸っている。

 そんな不良集団の下っぱな私は、正しく牛木草の最下層に位置する魔法少女に違いなかった。

 

 正直……どうすれば良いか、分からなかった。

 

 勿論、必死に現状をどうにかしようと足掻いてはいたのだ。

 

 強くなるため、隠れて特訓をした。

 何時間も魔法の研究をしたし、他のグループに入れないか、牛木草のことを調べていた。

 

 しかしそれでも。

 その結果、僅か一週間で、情報をまとめたノートが山のように積み重なったとしても――私はそのグループを抜け出すことが出来なかった。

 

 何故か。

 牛木草で一人で生きていくのは、不可能だったから。

 

 裏切ればどうなるか分からない。

 また縄張り争いをする余力が私にはなく、助けを求めたところで誰もが自分のことで精一杯だ。

 目の前で転がった魔法少女の死体を見て、私は逃げるのを躊躇ってしまった。

 

 それに暴力という名の支配で、服従心を植え付けられていた。

 何度も何度も何度も何度も――暴力を振るわれたり、いじめられる度、逃げてはいけないのだと叩き込まれる。

 

 離れようとすると足がすくむ。

 どうしようもなかった。必死に必死に……グループの人達に従って、そのくせ心の奥底で、実は私はこんな奴らとは違うんだと自分自身を慰めた。

 

 それはいつもの現実逃避だ。

 いつもの弱い私がそこにはいた。

 

 ああでも……そんな私を受け止めてくれる存在が、いれば良かったのに。

 

 ――なんとか家に戻って、扉を開ける。

 電気をつける。ゴミが散乱している。こんな疲れた状態で綺麗にするとか無理だった。

 そしてそのことを咎める人は一人もいない。

 誰もいない、私の自宅。

 

 まるで私の心の中を写しているようだ。

 母さんも、父さんも、兄さんも。いつもいつも全員仕事に行っちゃってて。相談しようにも電話をしたら忙しそうにして、すぐに切られて。

 

 期待したって無駄なんだって、私に突き付けてくる。

 毎日のことだから、もう涙も出てこなくなった。

 

 けど慣れっこな筈なのに、魔法少女になった影響か無性に寂しいなあ……とは思う。

 何故私は誰にも愛されないんだろう。

 

「……兄さん」

 

 私は小さく呟く。

 昔の家はこんなんじゃなかった。

 

 この町に引っ越す前、牛木草にいた頃。

 あの頃、いつも私の側には兄がいた。母さんも父さんも、時々家に帰ってきていた。

 だから、私は耐えることが出来た。

 

 寂しくても、大丈夫。

 兄がどれだけ憎くても、許すことが出来たし、好きでいられたし。

 

 でも牛木草に来て、中学に上がるようになってから……私が成長したためだろうか。

 いよいよ本格的に母さん達は私に会わなくなった。

 兄さんも仕事漬けの毎日。

 

 ……私は、引き留めることが出来なかった。ただでさえ私のせいで、母さんや父さんは仕事に集中出来なかったのに。私の我儘で兄さんがやりたがっていることを邪魔するなんて無理だった。

 

 私は兄さんの、重しなんだ。

 

 それを自覚しているからこそ、私は一人でいることを選んだ。

 

 いくら悲しい思いをしたって我慢。

 いくら嫌なことがあったって我慢。

 

 耐えられなくなったら、妄想の世界に引き篭もる。

 幸い、夢を見る自由は沢山ある。

 

 私は――

 

「……もう、眠ろう」

 

 今日も、早めに寝ることにした。

 この“現実”から目を逸らすように。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 けれど、そんな理想の夢の世界さえ、最近悪夢が多くなった。

 

 そこで私は嬲られ、焼かれ、殺される。

 使い魔や魔女にやられた記憶が延々とリフレインする。

 

 私はグループにおいてゴミ同然だ。毎回魔女狩りの度に囮として放りされて、肉壁として運用される。

 

 彼女らにとって私なんてどうでも良いから、代わりがいるから、そんなことが出来るのだ。

 私は痛い、痛い、痛いと泣き叫んだ。

 助けてくれる人も、寄り添ってくれる人も、誰もいない。

 

 家に帰っても、何もない。

 

 私が私でいて良い場所は何処にあるんだろう。何処でなら私は逃げられる? そう考えた時、場所が変わっていた。

 

 ――学校。

 

 そうだ。

 私にはまだ、学校という逃げ場所があるんだ!

 

 意気揚々と教室に飛び込んだ。

 私を見るクラスメイト達。

 

 私は思い切って皆に本当のことを話した。いつも隠している怪我だってみせた。私はこんなにも努力しているし、皆を助けてる。そんじゃそこらの奴より特別な存在だ。

 さあ私を褒めて、認めて、抱きしめろ。頑張ったねって言って。

 どうかどうか――そう思っているけれど。

 

「……え、何それ。冗談か何か?」

 

 クラスメイトの一人がそんなことを言った。他にもたくさん、たくさん、耳障りな言葉が聞こえてくる。

 

「お前それ本気か?」

「貴女普通じゃないわ」

「……その怪我、もしかして不良にいじめられてる?」

 

 私は立ち尽くすしかなかった。

 受け入れてもらえない。そもそも、ここでの私の立ち位置を思い出してみろ。

 

 私はすごい人の妹だけど、案外何にも出来ない奴。そんな奴が突然訳の分からないことを言ったとして……信じられるのだろうか?

 肯定されない。否定されるだけ。

 

「あ――」

 

 その瞬間――足元が、崩れ落ちていく感覚がする。

 それなのに私をそっちのけに、皆は兄の話ばかりする。

 

「夏音ちゃんのお兄さんって――」

「早島の――」

「こんなところまで名前が聞こえるなんて凄い――」

 

 ……本当だよ。何で早島じゃないのにこの牛木草でも名前が広まっているんだよ。おかしいだろ。そんな天才だとか何でも出来るとか、普通じゃない。

 私のいるべき居場所を奪って、そのくせ――

 

「……ッ!」

 

 その時後ろに気配を感じ、私は振り返る。

 いたのは私の兄。周囲は学校じゃない真っ暗な世界になっている。

 兄は思わずと言ったように呟いた。

 

「ごめんな」

 

 その謝罪に私の頭はカッとなった。

 いつの間にか手の中にあったハルバードを振り下ろす。

 

「うるさい! 黙ってよ!」

 

 兄は本物じゃないから、切り裂かれたら紙のようにペラペラになって、地面に落ちた。それでも私は、その兄に向かってハルバードを突き立て続けた。

 

 ザクザクザクザクザクザクザクザクザク――

 

「消えてよ! 私を捨てたくせに!」

 

 叫ぶ。叫ぶ。叫びまくる。

 

 ここは私が自由になれる唯一の世界。どんなことをしても、どんなことを言っても許される。

 現実じゃないから、何をしたって良いんだ!

 

 ほら、例えばこんなことも言える。

 

「私ずっとアンタのことが嫌いだったの! アンタのせいで、父さんと母さんにも愛してもらえない! 皆にも!」

 

 頑張っても褒められない!

 どうせ私は優秀じゃないからガッカリされてる!

 

「お前のせいだぞ!」

 

 お前のせいで特別なんてのに憧れてしまった。

 

「ならせめて私を助けてよ!」

 

 見捨てないで、置いてかないで!

 

「私を一人にしないで!」

 

 そこで私の手は止まる。“兄さん”はもう散りのようになっていた。

 “兄さん”の苦しそうな顔さえよく分からない。涙が溢れて止まらなかった。本当は私にだって分かっていたのだ。

 

 兄は何も悪くない。悪いのは私、甘えているのは私。兄を理由に不満ばかりぶつけている私は悪い子だ。

 

「……ごめん。ごめんね」

 

 惨めに謝るしかなかった。嫌いになりたくないのに、妬みが生まれてしまうから、兄と兄妹であることは苦しかった。

 私は生まれてくるのを間違えたんだ。

 

 ……もしかしたら、今の状況ってその罰だったのかも。

 ――私って……何のために……。

 

「……」

 

 そして、私はそのタイミングで目を覚ます。

 なんて悪趣味な夢。最悪だ。

 

 しかも既に本当の学校にいる。

 お昼休みの時間は終わりそうになっていて、私は机に突っ伏し、まるまる眠っていたようだ。それを見ていたであろう友達達は、私を見て微笑んだ。

 

「あ、夏音ちゃん起きた?」

「ヨダレ垂れちゃってるよ」

「最近ずっと寝てばかりじゃない」

「……」

 

 ……私は一瞬、本当のことを言おうかと考えた。

 でも、私は彼女達に心を許してなんかいなかった。

 

 目が語っている。お前は無価値だ。有名人の妹のくせに、何だか冴えない奴だと見下されている目……嫌いな目だ。

 密かにギリっと歯を軋ませてから、私は顔を上げる。

 

「――何でもないよ?」

 

 ――何でもないフリを続けよう。

 

 誤魔化し続けるのは得意なんだ。なんせ私はずっとあらゆることから目を逸らしてきた。

 

 それにさ。

 

 どうせ現実は変わらないでしょ?

 私は特別になれないみたいだ。

 

 私は愚かにも、選ぶことを放棄し始めていた。

 その結果――何が起きるかなんて想像もせずに……。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 ――いつもと変わり映えのしない日々が、二ヶ月経った頃。

 日常に変化があった。

 

 グループ内に、新しい新人魔法少女が入ってきたのだ。

 ……私より一歳年下で、まだ中学一年生だった。幼い顔をしている子だな、と私は漠然と思った。

 

「こいつの教育をしろよ、ゴミクズ。良いな」

「はい」

 

 先輩に命じられ、私は後輩へと話しかける。

 

「そういう訳ですので……あの……よろしくお願いしますね」

「はあ……」

 

 私のえらく卑屈な態度を見て、その子はすごく面食らった顔をしていた。だが何れ、お前だってこうなるのだ。逃げられはしないんだ。私の胸中は、半ば嘲笑うような暗い気持ちで満たされていた。

 

 そうして私は、後輩へ戦闘訓練を行う。

 その子は筋が良かった。

 

 ――っへん。

 どうせ凡才様は天才様に勝てませんよーと捻くれながら、上辺だけは褒めてあげる。

 

「とても良い動きと魔法ですね」

「えへへ」

 

 後輩はチョロくてすぐに照れた。

 でも本当に良い魔法だ。赤いオーラを纏わせ、実体化させる固有魔法。

 便利そうな魔法で私が欲しいくらいだ。正直良いなあとしか思えない。

 

 しかし後輩は私の心を抉るように聞いてくるのだ。

 

「そう言う先輩こそ、何か魔法とかないんですか? どんな感じで戦うんです?」

「……私ですか?」

 

 私は手の中のハルバードを見つめる。

 果たして何と答えれば良いのか……実はこの時、私は自分の固有魔法を自覚していなかった。

 何もない私は、だからこそまともに戦うことも出来ない魔法少女だったのである。

 

 誤魔化すように笑うしかなかった。

 

「私弱いですからね。私なんかを知ったって何にもなりませんよ」

「……そうですか?」

「それよりさっさと強くなって下さいね。……出来るでしょ?」

「……はい」

 

 私の圧を受けて、後輩は戦闘訓練を再開する。

 私は心の中でニヤつく。それで良いのだ。お前が強くならないと私が困る。そしていざという時にはこいつを肉壁にするか、守ってもらうのだ。

 

 そんな最低の思いを膨らませ、私は密かに八つ当たりをしている。

 どうせグループの序列がある以上、こいつは私に付くしかない……こいつは私より下なんだ。

 罪悪感に目を向けないまま。密かに、密かに。

 

 ……その間にまた時間は過ぎた。

 やがて後輩も私と同じようになっていった。

 むしろ私より少し強いから最前線で戦わされている。思惑通りと言っても良い。こっちの負担も減って、私は満足だった。代わりに誰かが痛めつけられるのは、すごい愉悦だった。

 

 だけど……。

 

「先輩、先輩、先輩!!」

 

 何かあると、後輩は私に泣きつくようになっていった。私以外、側にいてくれる人がいなかったからだろうか? それとも私が年上だから?

 

 これって私は必要とされているのかな?

 

「はい、何ですか?」

 

 私は仕方なく話を聞いてあげていた。

 他にやることもなかったし、暇だったし。正直……嬉しかったんだろうな……とは、後から気付いたが、この時ばかりはただただ煩わしいだけとしか思えず。さりとて拒否も出来ないので、形ばかり慰さめていたように思う。

 それでも最後には必ず、後輩は救われたように笑うのだ。

 

「先輩だけですね。私のこと分かってくれるの」

「え……?」

「……先輩、私のためにありがとう」

 

 そんな感謝に溢れた笑みを向けられると、逆に私の心は沈んでしまった。

 違うからだ。私は何もしていない。やめて欲しかった……。

 

 やめて――

 

 だが結局本心を何も告げられず、その後輩との関係は続いた。

 そんなある日……呆気なくその関係は終わりを告げることになる。

 

 ――いつものように魔女狩りをしようと結界に入り……私達のグループは苦戦を強いられたのだ。

 

「ぐッ!!」

 

 当然私は早々に倒れて、戦闘不能状態だった。グループのメンバーも次々にやられていった。

 無理だった。この魔女は私達の手に負えない。

 

「あ――ああ……」

 

 今まで魔女にやられた記憶がフラッシュバックし、明確な恐怖が浮かび上がる。

 やっぱり私がこの時思ったのはただ一つのこと。

 死にたくない。これ以上痛い思いはしたくない。

 

 もうガムシャラだった。

 誰も私を見ていない今、簡単に物陰に隠れることが出来た。幸いにも、起き上がる体力だけはあって、逃げ出しても何も言われなかった。皆戦いに夢中で、私はこのまま――そう思ってこっそり外の様子を伺った時、後輩と目が合った。

 

「ッ――!?」

 

 後輩は私を凝視していた。

 先輩、私を見捨てるんですか、と言ったような気がする。

 

 私は否定出来なかった。だって私がやっていることってつまり、“そういうこと”だ。

 

 だがどうすれば良いという。

 どう選択すれば良い?

 

 ……今ならまだ間に合うかもしれない。いっそのこと後輩だけ連れ出して、他の奴らなんて見捨てれば良いんだ。少なくとも二人でいたら、この先も生き延びれる確率はグッと増す。

 

 でも――

 

「でもっ……」

 

 私はとっくの昔に諦めている。

 現実は変わらない。

 

 動いても変わってくれない。変われない。

 褒められなかった。愛されなかった。強くなれなかった。助けてもらえなかった。

 

 じゃあ、私が他人を無理に助ける道理なんて……ない筈だ。

 

 ……そうに決まっていて……。

 

 ………………。

 

 ………………………………。

 

 ………………………………………………いや。

 

 本当はそうじゃなくて……つまるところ……その怖くて……ていうか体が固まって動けなくて……あの……。

 

「――ッ、――ッ、――ッ、――ッ」

 

 ……そうやって心の中で言い訳をしている間にも、後輩はどんどん追い詰められていく。呼吸が荒い。手汗が酷くて、ガチガチと歯が鳴る。

 その内、後輩が転んだ。

 

 あっと、呟いた時には遅かった。

 

 パクリ、グチャグチャ。

 

 後輩は使い魔に捕食された。血とか、内臓とかが、飛び散るのが見えた。あの子の先輩って微笑んでくれた可愛い笑顔も、使い魔の腹の中に皆消えてなくなっていった。

 

 ……気が付けば私は、悲鳴を上げていた。

 グループの人達も、これには全員固まっていた。

 

 しかし、私はふらりと飛び出している。

 許さない。許さない。許さない。許さない。

 自分が許せなくてしょうがない。

 

 無謀にも突っ込んでいって、後輩を食った使い魔へ突貫する。ハルバードに赤い魔力が宿る。あの子の固有魔法であるオーラ……何で私が使えているのか分からない。分からないままにオーラを槍の形で射出した。

 ――使い魔が倒れた。

 

 もしかしたら、初めて苦労をせずに倒せたかもしれない。

 だが私の限界はそこまでだった。バタリと倒れて……意識を取り戻した時、そこは元の場所だった。

 

 何が起きているのか分からなかった。

 

「起きたのね」

 

 聞き覚えのない声がした。見ると、高校生くらいの魔法少女。

 長い長い茶髪に、平凡な顔立ち。簡素なワンピース。情報と顔だけなら調べていて分かっていた。彼女は牛木草最強の魔法少女。

 名前は確か――

 

色梨(しきり)こゆりよ」

「……色梨さん」

「……別に、こゆりで言いわ」

 

 こゆりさんの顔は恐ろしいくらいに真顔だった。なんだか何も感じていないロボット見ているような感覚がした。

 

「貴女は見かけない顔ね。新人なのね」

 

 そうしてこゆりさんはポツリと呟き、しばらく何かを考えるように目を伏せて。

 

「――端的に言うわ。貴女のグループは壊滅した。あたしが来た時には既に、皆やられてしまっていたわ」

「……は?」

「貴女だけ何故か生き残っていたの。他の使い魔や魔女は皆貴女を避けてた。何らかの力が働いたとしか思えないくらいにね」

「……」

 

 何じゃそりゃ、嘘でしょ。

 

 何を言っているのか理解出来なかった。

 え、じゃあ何だ。私……皆を犠牲にして生き延びたのか?

 

 ……それって馬鹿みたいじゃないか……。

 

 私の目に涙が浮かぶ。そこで初めてこゆりさんは一瞬、同情するように瞳を振るわせた。

 

「……辛いだろうけどね。貴女は生きるしかないのよ、このどうしようもない現実を」

「……何で。貴女に何が分かるっていうんです」

「分からないわよ。そして貴女のことなんて分かりたくもないわ……あたし、貴女をこれ以上助けられないもの」

「ッ!」

 

 こゆりさんは告げる。私を見捨てるのだと。

 この人もまた、私を置いていくのである。

 余裕がないのだ。いくら強くても、私を救ってなんか……。

 

「……じゃあね。せいぜい、頑張りなさい」

 

 グリーフシードだけ置いて、こゆりさんはさっさと去っていった。

 まるで逃げるようだ。自己満足に助けて。

 

「くそ……」

 

 私は逆に惨めな気持ちになった。

 そして後悔の渦に飲み込まれた。

 

 私は……あの時何で後輩を助けなかったんだろう。

 あの子はもしかしたら、私と同じ気持ちだったかもしれない。

 助けて欲しい。認めて欲しい。寂しくて仕方がない。私が一番その感覚を分かっていた筈だろう? 私はあの子の居場所になってあげなかった。

 

 何でなんだ?

 

 私が全部諦めて選択しなかったばかりに――!!

 

「うう、ううううううううううううううううううう!」

 

 みっともなく泣き叫んだ。

 私は見方を変えれば、解放されたのかもしれなかった。

 でも大海に放りだれたような気分だった。

 

 私はこの罪を抱えて、どう生きていけば良い。

 教えてよ――誰か……。

 

 そう願っても、自分でどうにしかしないといけないのが“現実”。

 縋るものは何もない“現実”。

 

 私はその残酷な現実の前に、絶望するしかなかった……。




色梨こゆりさんは優しいですけどツンデレでマジ口下手


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裏舞台・結

またお久しぶりです


 私はそれから、学校にも行かなかったし、外にも出なかった。

 ただ自分の部屋の中に閉じこもっていた。

 

「……」

 

 食事を喉が通らなかった。思い出すのだ、後輩の最後を。

 ぐちゃぐちゃになった人間が、食われていく光景。

 私の中でトラウマになっていた。

 

 そして同時に思う。

 どうして。どうして。どうして。

 そんなことばかりを考えても無駄だというのに、思考は止まらない。

 逃げるように一人、誰も抱きしめてくれない寂しい自室の中で、温もりを閉じ込めようと布団の中にくるまっている。何かに縋りたくて堪らなかった。

 

 そうやっていると、今が朝なのか、夜なのか、曖昧になってくる。

 今日が何曜日で、平日なのか、休日なのかも分からない。それすらどうだって良くなる。

 

 私はいつものように妄想の中に逃げようとした。

 目を閉じれば嫌でも眠気はやってくる。うとうとと眠ればそこは夢の中。

 ……安心する。ここはやっぱり私だけの世界なんだ。

 

 なのに。

 

「……あ」

 

 なんでここにも、血溜まりがあるんだろう。

 私は暗闇の中で立ち尽くしている。圧倒的な孤独の中で、それでも寄り添うように肉片が転がっている。

 ドロドロ、グチャグチャ。

 

 彼女が誰かなんて言うまでもない。私はそれでも抱きしめようとした。この子のことを、誰が抱きしめてあげられるのだろうか。私が助けてあげなくちゃだったのに……私が……。そう思って。

 

 しかし肉片は、言った。

 

『じゃあ、どうして動いてくれなかったの』

『言い訳ばかり言って』

『結局私のことなんて、どうにでもなれと思っていたんじゃないの』

『全部諦めてたお前は臆病者だ』

 

 私は……何も言い返せなかった。いつの間にか肉片は人の形に戻って、私を突き飛ばしていた。

 

『偽善者、気持ち悪い。お前なんて――嫌いだ』

 

 そこで、目が覚めた。

 最悪な目覚めだった。頭がぐわんぐわんする。

 

「キュゥべえ……」

 

 そして私の目の前には、あの白い獣がいる。

 悪魔のくせに、私の部屋に来るなんて、嫌な感じだ。けれども私は笑ってしまっていた。何だか話し相手が欲しくて仕方がなかったのだ。

 

「……ねえキュゥべえ」

「何だい? 菊名夏音」

「……何のつもりで来たんですか? 無様な私を、笑いにとかですか?」

 

 私が力無く尋ねれば、キュゥべえは何だかよく分からないって感じで目を瞬かせた。それがすごくおかしく見えた。

 

「ハハ……何ですかその反応……馬鹿ですか」

 

 そうして私は実際に小さく笑う。

 ――クハ、ハハハ……ハハハハハ……。

 

「……こんな目に遭ったのは貴方のせいなのに……どうして私達を……」

 

 どうして。

 口から出るのは、やはりずっと考えていたその言葉。

 私はもう……何もかもが嫌なんだ。

 

「キュゥべえ……私を普通の女の子に戻して下さい。何でもしますから……お願い……」

 

 気付けば、そう懇願していた。ご丁寧に土下座までした。

 良い加減、日常に戻りたかったのだ。だが無情なまでに、冷たい返答が返ってくるだけだった。

 

「無理だよ、そんなことは」

「ッ!」

 

 弾かれたように顔を上げる。思わずキュゥべえに詰め寄る。

 

「ふざけたことを言わないで下さい!! この詐欺師!!」

「詐欺師……? ボクはキミの願いを叶えたじゃないか。騙してなんて――」

「叶ってなんかない!!」

 

 私はキュゥべえの言うことを遮るように絶叫する。

 ……そうだ。私の願いは叶ってなんかいない。私は大嫌いな私のままで、現実に逃げ惑うだけの惨めな存在に過ぎないんだ。

 

「そんな私のままで、この先も一生苦しめっていうんですか!? ずっと魔女や魔法少女と戦い続けろと!? 有り得ないですよ」

 

 て言うか無理だ。

 限界。頑張れない。

 

「こんなものは願い下げです……私が望んでいたものとは違う……」

 

 ……私は本当は……。

 

「――じゃあ菊名夏音。キミは、あそこで死んだ方が良かったのかい?」

 

 ふと、私の考えを読んだかのように、キュゥべえが聞いた。

 瞬間、体がピシリと固まった。何故だ。私はどうして、こんなにも動揺している。

 

「そ……それは……」

「どっちみち、キミの選択肢は一つだけだった筈だよ?」

 

 震える私に向かって、キュゥべえは逃げ道を塞ぐように言う。

 

「それに魔法の力を手に入れて、一般人とは比べ物にならない程の特別な力を行使できるようになったじゃないか。それで何が不満なんだい?」

 

 まるで我儘な子供を説教するように。あるいは私への痛烈な皮肉のように。そう問いかけてくるキュゥべえ。私はぼんやりと思った。

 何で、私は選ばれることを望んだんだろう。

 一体何を選んで欲しかったの?

 

 決まっている。それは私自身だ。私は、誰かに必要とされたかった。

 そしてそれだけじゃなく、本当は必要としてくれた誰かのために、その人を愛したいとも思ってた。当たり前の人としての繋がりが欲しかった……まだ、その愛を見つけられていない。

 愛が、どうしようもなく欲しい。

 だからこんなにも後輩の死に後悔を覚えている。

 

「夏音、ソウルジェムを見てご覧」

 

 私は言われた通り、指輪の宝石を見る。

 結構濁っている。おかしいな。あの後こゆりさんから貰ったグリーフシードで綺麗にしたのに……。

 

「ソウルジェムは負の感情でも濁るんだ。このままだと完全に濁り切るだろう」

「……」

 

 指摘され、私は一ヶ月前のことを思い出す。

 限界寸前までソウルジェムが濁ったことが、実は一度だけあった。あの時は同じグループの人が一応助けてくれたが、それまでは苦しくて動けなくて、死にそうな程辛かった。

 私はあの一件で思い知った。

 新しいグリーフシードを集めなければ、魔法少女は生きていけない。そういう体に作り変えられてしまっている。そして今持っている魔女の卵は、もう使えない段階まで黒ずんでいるだろう。

 

 つまり私が生きる残るためには、外へ出てグリーフシードを手に入れなければならないのだ。

 しかしそれは、心地よい微睡のようなこの部屋を捨て、再び嫌いな現実に立ち向かわなければならないということだった。

 

「だけど夏音。ここで死んで本当に良いのかい?」

「キュゥべえ。貴方まさかそんなことを言いにわざわざ……」

「ボクは、キミに興味があるからね」

 

 しれっとキュゥべえは告げた。

 

「何故キミだけが生き延びたのか。どうして赤いオーラの魔法を使えるようになったのか。疑問は尽きないし、キミはサンプルとして貴重なんだよ」

 

 ハハ……だから死なれちゃ困るってか。実験動物か何かかよ。

 気持ち悪いな……。

 

「くっそぉ……」

 

 私は歯噛みし、頭を抱えた。

 

「何なんだよ私は……」

 

 自分自身のどうしうもなさに反吐が出る。

 

 ――今更ながら、また死にたくないって思ってしまっていた。私は死にたくない。怖い。

 涙が溢れて止まらなかった。

 

「ぐす……ぐす……」

 

 一頻り泣いた。

 そしてこれまた今更ながら、私は何かを食べたいと無性に感じていた。フラフラと立ち上がり、キュゥべえなんてほったらかして、台所に歩く。

 しかし冷蔵庫を開けると、食品は全部腐っていた。

 それが訳もなく悲しかった。

 

「うう……」

 

 ぐしゃぐしゃな顔のまま部屋に戻る。

 机の上に放置していた財布を手に取れば、中身はたったの百円……何も買えない。

 

「……」

 

 とは言えないよりマシだ。小銭だけポケットに突っ込み、財布を放る。窓に向かい、開け放つ。

 正直、こうしているだけで息が荒くなる。出たくない。

 

 ……だが、この部屋に居続けても、優しい終わりが待っているだけなのだ。それはそれで幸せな最後かもしれないが、私の望むことではなかった。

 

「ッ!」

 

 背を押されるように外へ飛び出す。

 鳥籠から飛び立つように。

 

 それでも私は、自分のことを首輪に繋がれた犬みたいに思えて笑った。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 キュゥべえを無視していた私だったが、しばらく進んだところで、彼が後からついてきてることを知った。仕方がない。私は小動物を肩に乗せ、裏道を歩く。

 

 ちなみに何故町に行かないかというと、今の私では目立つからだ。

 チラリとガラス窓に映った姿を見て絶句したが、今の私は髪の毛がボサボサで、目のクマが酷いボロボロの状態だ。こんなところを見られたら、最悪警察が来るかもしれない。

 

 という訳で人目につかないようにコソコソ移動している。

 それに私の“お目当て”は町の中にいない。

 彼女達は常に社会の暗闇の中にいる。ほら、今もこうして――

 

「やった〜!! ちゃんとゲット出来たー」

「お疲れ様〜。キツかったねえ〜」

 

 路地裏の奥から、声が聞こえていた。

 物陰から見ると、少女達が話していた。

 魔女と戦闘を終えた傷だらけの魔法少女達。新人のようだ。何も知らずはしゃいでいて、本当に馬鹿みたい。だが私にとっては都合が良い。まさかこんなに早く見つかるとは。

 

「夏音、もしかしてキミは……」

 

 キュゥべえが何か言いたそうにしている。しかし今の私では魔女と戦えない。葛藤がない訳ではないが、この方法が一番現実的だ。私だって何度もやられたのだ。

 ……こいつらだって、遅かれ早かれ、酷い目に遭う。

 我慢してもらおう。私のために。

 

「……」

 

 変身し、流行る鼓動を抑え、深呼吸。震える手を無理やり動かし、ハルバードを構える。

 私は現実を生きるため、手を汚す決意を固める。

 

 ――綺麗で偽善者な私にさようなら。

 

 魔法陣を浮かべ、赤いオーラを渦の形にして飛ばした。

 

「……!?」

 

 吹き飛ばされ、倒れる新人魔法少女達。

 魔女にやられる私の姿と重なった。

 ああ……私はきっと、あのグループの人達と同じ立場に堕ちている。こんなことをして、誰かに愛されるとか、無理かもしれない。でも……今更だ。

 

 私は人殺しだもの。生きたいもの。

 ごめんなさい――

 

「……」

 

 素早く物陰から出て、転がったグリーフシードを拾う。新人魔法少女達は、私やキュゥべえを信じられないように見つめていた。

 何で? そう目が聞いていた。

 言い訳出来る立場じゃないから、代わりに私は無言で立ち去った。あの子達がどうなろうと、知ったこっちゃなかった。

 

 歩きながらグリーシードをソウルジェムに当てがう。

 綺麗になった私の宝石。憎たらしい程ピカピカで、私は不愉快な気分になってしまう。そして、相変わらず訴えてくる空腹。仕舞いにはぐぅーとお腹が鳴った。

 ほんっとう何なんだ私は……アホか……。

 

「夏音。ついにやってしまったね」

 

 キュゥべえは私を止めなかったくせに、いけしゃあいけしゃあとそんなことを言った。私は思わずムッとなった。だって私だって、やっちゃったって思ってるもの。

 

 ……でも何だろう。思ったよりも簡単だったな。何でこんなのを今までやんなかったかな。

 そう考えて、特に理由がないことに気付いた。

 ただ勇気がなかっただけなのだ。私は最初から醜い人間だったし、人から何かを奪ったり踏みじったり出来る奴だった。

 

 お笑い草だよ。

 

「私ってつくつぐどうしようもない奴ですよね……」

 

 つい同意を求めてしまうのも無理はないだろう。

 キュゥべえはキョトンとしている。

 

「いや、むしろキミは普通じゃないかな。キミみたいな子は珍しくないよ」

「そうですかね……」

 

 しかし、こんなグリーフシードの強奪を続けるわけにもいくまい。

 他の奴らに目をつけられたら堪ったもんじゃないし。

 

「これからどうすれば良いと思います?」

 

 試しに聞けば、キュゥべえは私でも思い付くことを提案した。

 

「他の地域も似たようなものだし、何処かのグループに入るのが無難じゃないかな」

「やっぱりそうなりますよね」

 

 かと言って、またイジメられるのが目に見えている気がした。

 お先が真っ暗で嫌になる。

 

 そうして溜息をつき、変身を解除したところで、ふと周囲を見ると、見知らぬ場所にいた。どうやら入り組んだところに入ってしまったらしい。

 ヤバいな。適当に歩いたから帰り道が分からない。どうしよう。

 

 ええと……携帯も置いてきたし、確かこっちに行ったら……ってあれ?

 

「また迷った?」

「一周したみたいだね」

 

 ドジなことに、同じところをぐるりと回ったみたいだ。

 私は慌てて別の方向へ進む。しかし更に分からなくなるだけでなく、複雑だったので、来た道がどっちだったか判別できなくなった。

 そして、途中ベテラン魔法少女の縄張りにも入り込み、必死になって逃げているうちにキュゥべえと逸れてしまった。……まあそれはそれで良いんだけど、人気がないどころか、空き地がいっぱいあるみたいなところに出ちゃって、途方に暮れてしまう。

 

「ここ何処……」

 

 おまけに空腹と疲れは最高潮。ついでに家から出た時よりも薄汚れてる。

 その内、ポツリと空から水滴が降ってきた。雨だ。傘もないからそのまま打たれる。

 数分も立たずに土砂降りになった。

 

「ッ! もう!」

 

 私はヤケクソに走り、雨宿りが出来る場所を必死に探す。これ以上体力が削がれるのはごめんだ。そうして、何とか見つけた古い廃神社の屋根の下に入り込み、ようやく腰を落ち着ける。

 

 ホッとしたのも束の間、しかし、気配がしたので、そちらを見る。

 

「……」

 

 綺麗な女の人が、そこにはいた。

 私の近くに座っていて、すごく驚いた顔をしている。髪が長くて特徴的な結び方だったから、ちょっと印象的だった。

 

「誰なの、君」

 

 その人は何だこいつって顔で、私をマジマジと見ていた。しかしそれはこっちの台詞だ。私は警戒するように身を固くした。

 

「貴女こそ、どうしてここにいるんですか?」

「見て分かんない? 雨宿り」

 

 女の人は当たり前のように答えた。

 っていうかこうして見ると、顔が若干幼い。高校生ぐらいだろか。まあ、だからこそ、こんなところにいるのは不審なのだが。いや、私が言えたことじゃないだろうけど。

 

「ジー……」

 

 今度は私の方がマジマジと見る番だった。

 その人も、パチパチと目を瞬かせた。そしてやがて何がおかしいのか、首を傾げられた。

 

「もしかしてすごい怖がってる? 君」

「……」

「そう怯えなくたって、取って食おうだなんて思わないよ」

 

 彼女はカラカラと笑った。

 人好きするような雰囲気。少し調子が狂うな、この人。

 

「でも只事じゃないみたいだね。家出?」

「……そんなところかもです」

 

 少なくとも、あの家に戻りたいなんて思えない。

 あそこには何もないのだから。そういう思いを込めて言うと、女の人は何かを考えたようだった。ポケットをゴソゴソ弄り、取り出したのは、銀紙に包まれたチョコ菓子だ。

 

「食べる?」

「良いんですか?」

「疲れてるみたいだからね。マシになるかもと思って」

「……」

 

 差し出したそれを、恐る恐る受け取る。怪しいものには見えない。一瞬後輩の肉片がフラッシュバックしたが、もう空腹に勝てなかった。意を決して銀紙を開き、パクっとチョコを食べた。

 モグモグ……ごくん。

 

 ああ――美味しいなあ。

 

「〜〜〜〜」

 

 久方ぶりの食事と、思ったよりも蕩けそうな甘さに、笑みが生まれる。

 何だこれ。何でこんなに、胸に染みるんだろう。

 

「君ってば素直だねえ」

 

 そんな私の様子に、女の人はちょっと苦笑しているけど、そこまで大袈裟だったのだろうか。それはそれで気になるけど、それよりもほんっと、嬉しくて泣いてしまいそうで……。

 

「……ぐす」

 

 そして本日二回目の涙を私は流した。

 我ながら泣き虫が過ぎる。それでも物を貰ったんだから、お礼言わないと。

 

「ぐす……うう……ありがとうございます……うう」

「良いって」

 

 女の人は気にしないように言ったが、涙は相変わらず止まらない。ゴシゴシと目元を拭い続けて、ずびっと鼻水を啜る。もしかしたら赤くなってるかもしれないなあ……。

 

「はぐしゅっ!」

 

 とそのタイミングで、くしゃみが出た。

 寒気がする。雨に濡れたせいだろう……体が震えていた。

 

「大丈夫?」

 

 女の人が心配してくれる。しかし次の瞬間、その人もくしゃみをした。

 

「はくしゅっ!」

「……ふふ」

「え、な、笑ったでしょ今!」

 

 女の人は顔を赤らめた。

 案外可愛いかもしれない。で、また私たちは同じタイミングでくしゃみをした。数秒顔を見合わせ、お互いに笑ってしまった。

 いやでも寒い。めちゃくちゃ寒い……。

 

 しょうがなく、寄り添うように、私と女の人はもっと近くに寄った。

 体温が伝わってきて、訳もなく安心した。疲れ過ぎて警戒するのも馬鹿らしくなっていたのだ。もうそんな余裕すらなくて。

 

「……」

 

 そして眠気がやってくる。

 色々と限界には抗えなかったのか。うつらうつらとなって、やがて私は堕ちるように眠った。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 夢を見ていた。

 昔の夢だ。

 

 私は幼い頃からずっと寂しい思いをしていて、この頃から誰かに見てもらいたいという気持ちが強かったように思える。

 でも、とっくの昔に諦めてもいたから、寂しさを埋める方法をずっと考えていた。

 

 辿り着いた答えは、人形遊びだった。

 

 お気に入りの可愛い猫のぬいぐるみは私。

 大きな象さんは父さんで、小柄な熊は兄さんで、犬は母さんだった。

 

 その人形達を動かして、私は理想の家族を作り上げた。

 この父さんは私を心から愛してくれる。母さんは抱きしめてくれるし、兄さんは普通で、私は嫉妬しなくて良いし、頑張らなくて良い。

 

 人形の良いところは、全部を受け止めてくれるところだ。彼らは何も言わない。どんなに泣いても、見捨てないで、ただそこに居てくれる。それが、私の唯一の安らぎだった。

 

 そう――私はただそこに居てくれる、そんな存在が欲しかった。

 

 理想を投影する人形遊びにハマったのも、結局はそこに行き着く。

 何故妄想に逃げ込むのか。何故夢の中だと安心するのか。

 

 すべて、現実は“絶対”じゃないからだ。

 好きになってくれる努力をしてみた。でも必ず相手が好きになってくれるとは限らなかった。

 人に尽くしてみた。でも何かが返ってくる訳じゃなかった。

 何かをやって何かを手に入れても、満たされた気持ちにはならなかった。

 

 父さんも母さんも兄さんも、どうせ私を置いていく。

 結局のところ、その事実があるのだ。

 

 だから私には無条件に信頼出来る人がいなかった。生涯ただ一人も。人を信じてみようとも思えない私が、どうして誰かと繋がりを持てる。

 選んで欲しいのに、私は他人を選んでこなかった。

 

 ……何で、こうなっちゃうだろうね。

 

 いつの間にか“私の別の部分”は、ガラス越しに幼い“私”を見ていた。

 私はこの歳だというのに、本質的には子供のままだった。

 

 アレが本当の私なのだ。

 私は成長出来ておらず、誰かに縋ろうと必死だ。

 

 ……惨め過ぎる。

 

 とっくの昔に知っていた筈だろう。現実は変わらないと。

 ――これ以上他人に自分の運命を振り回されないためにも、私自身が変わるしかない。

 

「……」

 

 そして何もかもが悔しい、と。

 腹の底から立ち上がるような、怒気が湧いてくる。どいつもこいつも。私を含めて嫌なことばっか。

 死ねば良いんだよ。

 

 死ね。

 

 我ながらクヨクヨして腹が立つ――

 

「いなくなってしまえよ……」

 

 そうして、ハルバードを構えて、“ガラス越し”の向こうへ行こうとして。

 

 ――何か暖かな感触が、手に触れた。

 

「?」

 

 私はその瞬間、目を覚ます。

 私の目に映るのは夢じゃなくて現実の世界。ここは何処だ? 誰かの部屋の中にいることは間違いない。ベットで横になっているし、何がどうなって――

 

「起きた?」

 

 すると女の人が覗き込んできた。あの神社で会った女の人。すべてを察した私は、正直助けられて碌な目に合ってこなかったので、ギョッとした。しかし、彼女は今までの人達とは様子が違っていた。

 

 私の手を、握ってくれていたのだ。

 まるで、寄り添うように。安心させるように。

 

 私はハッとして、その手をじっと見ていた。

 柔らかくて、でも小さい手で。お姉さんみたいな手だと思った。

 

 でも女の人は何故か泣きそうな顔をしていた。

 それがどうしてだろう――夢の中の小さな私と、ダブってしまったのだ。

 

「……」

 

 この女の人は、今まで何を思って生きてきたのだろう。何故そんなに寂しそうな目をしているの?

 知りたい。純粋にそう思ってしまった。

 

 ――私は、後輩のことを思い出していた。

 何もしてやれなかった後輩。こんなに悔しい思いをするなら、いっそのこと今回はもうこの人を“選んでしまえ”ば良いんじゃないの?

 なんかもう失うものは何もないんだし……。

 

 何処か投げやりにそう決めて。

 その時から――私と結さん……家主さんとの奇妙な縁は始まったのだった……。



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裏舞台・鋼

 女の人……ううん、良い加減、女の人っていうのも変か。

 この家の家主さんは、良い人だった。

 

 ボロボロだった私は、いつの間にか綺麗になっていて、新品の服を着ていた。つまり彼女がそこまで世話をしてくれたってことだ。

 チョロいと思うし、もっと警戒した方が良いとも思うが、良くしてくれた人を信頼しないのも、それはそれで失礼な気がする。一先ずこの人を信じることにした。それに私はこの人を“選ぶ”と決めたのだ。

 じゃあ、良いじゃないか。

 裏切られたらその時はその時でしょ。

 

 いや……これから先一緒にいられるとも限らないし、迷惑なら離れるけど……。

 

「助けてくれて、ありがとうございます」

 

 私はとりあえず身を起こし、礼を言った。本当に心からの感謝だった。

 

「あ、うん」

 

 家主さんは恥ずかしそうにしている。案外照れ屋なんだろうか。

 

「私は夏音です。菊名夏音」

「夏音ちゃん」

「……貴女の名前は?」

 

 そう尋ねると、家主さんは答えてくれた。

 

「広実結、だよ」

 

 その途端、私は妙な感慨を覚えた。

 広実結。聞いたことのある名前だった。

 

 曰く、狂気の魔法少女。曰く、イカれ野郎。

 早島の魔法少女で、あまり良い噂は聞かない人だ。だからこそ私は早島には寄り付かなかったし、他の魔法少女だって行こうとしなかった。しかも、メチャクチャ強いらしいし、何だかとんでもない人に拾われたみたいだ。

 

 だがその噂の内容と実際の目の前の人では、何処か乖離があるように思える。というか信じられないのだ。こんな優しそうな人なのに。

 

 まあ噂は噂ということだろう。よくあることだ。

 そう思っていると、彼女は単調直入に聞いてきた。

 

「それにしても君、魔法少女だよね?」

 

 いきなり突っ込んできたな……。

 しかし隠すつもりもないので頷く。

 

「ここは早島ですか?」

「そうだよ」

 

 やっぱり。

 

「君は牛木草から来たの?」

「はい……色々ありまして。道に迷ったんです」

「コンビの相手とか……同じグループの人は……」

「……死にました」

「ごめん」

 

 気に病んだことを言ったと思ったのか、結さんは謝った。別に気しなくて良いのにな。

 

「あ」

 

 ――と、そのタイミングでグゥーと、お腹の鳴る音が聞こえた。

 しかし私ではなく結さんだ。彼女は、たはは、と苦笑。

 

 思わず視線を動かす。部屋には時計がかけられていた。

 十二時。……待って。私はどのくらい寝てたの?

 

「まさか丸一日――」

「正確には半日ぐらい?」

「マ、マジですか」

 

 どんだけ疲れてたんだって話だ。

 本当に色々限界だったんだな……。

 

 そこで、私はしばし思案する。ずっとお世話になっているのも罪悪感があるし、幸い眠ったことで体調も回復している。普通だったら倦怠感もあるだろうが、今回は魔法少女の体様々かもしれない。

 私は意を決して申し出た。

 

「あの……良ければ昼食お作りしましょうか?」

「良いの?」

 

 すると、いかにも悪いなあって顔をする結さん。

 私はそれでも自信満々に胸を張る。

 

「こう見えて料理は大得意なんですよ。難しいものでもサクッと! 作れちゃいます。助けてくれたせめてものお礼です」

「んー……けど……」

「あ、ちなみにリクエストがあればお答えしますよ?」

 

 そう言えば結さんのお腹がもう一度、グゥーと鳴った。そして彼女は恥ずかしがりつつも、考えるような仕草をして。

 

「じゃあ、サバの煮付け」

 

 と割と渋い好みを頼んだのだった。

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 冷蔵庫の中身は充実していた。

 だがこれでは散乱していると言った方が正しい。

 

 適当というか、何というか。

 とりあえず買えるだけ買って、とりあえず詰め込めるだけ詰め込みました! って感じの並べ方だ。奥の方にいくつも賞味期限の切れた調味料があって、何とも言えない気持ちになった。

 

 しかし女の一人暮らしなんてこんなものかもしれない。

 面倒な気持ちはよく分かる。私も兄がいなくなってそこら辺は無頓着になった。

 

 ともかく、冷蔵庫の件は見て見ぬフリするとして。リエクエストに答えるとしよう。

 貸してもらったエプロンをキュッと腰に巻き、調理を開始。

 

 サバを取り出し、フライパンに乗せて、みりん等で甘辛く煮つける。

 火も調節。合間に副メニューも付くちゃって、三十分弱でお昼ご飯の完成。

 

 既に結さんはリビングで待っている。

「お待たせしました」、と私は料理を机に並べた。

 その瞬間、良い匂いのおかげか、あからさまにごくっと唾を飲み込み結さん。やっぱり分かりやすいな、この人。

 

「いただきます」

 

 結さんは恐る恐るサバの煮付けに箸を伸ばす。

 パクッと口に運ぶと、驚いたように呟いた。

 

「――あ、美味しい」

「好みに合いましたか?」

「うん。これ結構好き。これ美味しいよ夏音ちゃん!」

 

 不思議なことに、結さんはパアっと顔を綻ばせた。

 大袈裟だと思う。正直料理が得意なんて言ってみせたが、私の腕は良くて中の上と言ったところだろう。つまりこのサバの煮付けは普通以外何物でもなくて、特別美味い訳でも、特別完成度が高い訳でもない。

 それなのに、結さんの反応は大きくて、人によっては癪に障るかもしれないそれも、私にとってはくすぐったかった。

 

 あまり心から褒められたことなんてないのだから。

 悪い気はしないのだ。

 

「ありがとうございます」

 

 お礼を伝え、私もサバの煮付けを食べる。

 ……うん。可も不可もない、いつもの味。

 

 そしてそのまま食事を続けながら、私達は話を続けた。

 

「それで、夏音ちゃんはこれからどうするの?」

 

 話題はこれだ。一番の問題でもある。私は少し悩んだ。私自身、色んな迷いがすごくあったからだ。

 だが、あれこれ考えても、答えは決まっているようなものかもしれない。

 

「牛木草に戻ります。普段の生活に戻るだけですよ」

「君はそれで良いの?」

 

 正面から告げれば、結さんは少し強めの口調で確かめた。

 確かに、むざむざあんな場所に戻らなくても良いじゃないかとも思える。でも私は納得してこの結論に行き着いた。

 

「ええ。しょうがないです」

 

 結局、“現実”はどうしようもないのだ。

 あの家に兄達が帰ってくることはない。牛木草から逃れても学校には通わなきゃいけないし、周辺地域も牛木草と似たような状況になっている。むしろ他の流れものを警戒し排他的だ。だったら牛木草にいた方が逆に安全とも言える。

 

「それに結さんのテリトリーに無断で入ったことに違いはありません。この町にいる他の魔法少女も黙ってないでしょう」

 

 名前は阿岡入理乃と船花サチだったはずだ。

 彼女達は気性の激しい魔法少女として知られている。絶対に私のような存在を許さないだろう。

 

「だから私の行き場は牛木草だけ。私は今度こそ生き抜く」

 

 勿論、自分の力で。

 “現実”を受け入れた上で――どうするか考える。

 もう誰にも、自分の運命を握らせたりしないのだ。

 

 それが私の思いで、答えだった。

 私は強くなりたかった。

 

「そっか」

 

 その私の決意に、結さんは何処か痛ましそうな目を向けていた。彼女も牛木草の状況は知っているはずだ。私に同情しているのかもしれない。

 

「でも君は一人でしょ……そんなの……」

 

 机の上に載せた拳を、グッと握りしめている。

 ああ……それだけで私は、嬉しいと思っている。この人に助けられて良かった。

 

「私は一人じゃないですよ」

 

 にこりと微笑んだ。安心させるように。

 だって。 

 

「貴女が助けてくれた。大丈夫……私は貴女のその思いだけでやっていけます」

「……」

 

 結さんは、それでも心配そうな顔をしていた。そして瞳を伏せる――目の奥で彩られる、複雑そうな、寂しそうな色。

 

 ちょっとびっくりした。

 何で今そのタイミングでそんな風な目を? もしかして私と離れたくないとか?

 

 ……。

 

 いや、まさか。

 それこそ私の願望だろう。でも結さんが寂しいなら、その寂しさを癒してあげたいと純粋に思った。一人にはさせない。

 だから、また微笑んで私は言った。

 

「結さん。友達になってくれませんか?」

「え?」

 

 結さんは下げていた視線を上げ、私を見る。

 一瞬、何を言っているか分からないって感じでポカンとしていた。

 

「そ、それってつまり――」

「私は結さんともっと一緒にいたいんです。牛木草の人間ですけど、貴女への恩を返したい」

 

 はっきりとそう言えば、結さんは目を見張った。

 やっぱり迷惑だっただろうか。慌てて、

 

「勿論、嫌でしたら断っても構いません! 場合によっては――」

 

 と続けようとしたら、全力で首を振られた。

 

「い、嫌じゃないっ! むしろ大歓迎!」

 

 結さんはあまりに必死で前のめりだった。今度は私が引いて目を見開く番だ。結さんはそれに気付くと気まずそうに姿勢を正し、咳払い。

 

「ごめん。僕ってあんま友達いないタイプだからさ。その……嬉しくって」

「そうなんですか?」

 

 そうは見えないけどな。

 でもそんな理由で喜んじゃうとか、結さんって結構可愛いな人なんだな。段々と彼女のことが分かってきて親近感が湧いてくる。

 

「ってことは、結さんとは気が合うかもです」

「へ?」

「私もあんまり、他人を信用しないタイプですから。あ、結さんは別ですよ? 助けていただきましたし」

「……そう」

 

 結さんははにかんだ。

 それから雰囲気が柔らかくなって、

 

「じゃあ結さんじゃなくて、他の呼び名で呼んでよ」

 

 と言ってきた。

 私は不思議に思い、「名前じゃなくてですか?」と聞き返すと、彼女は非常に微妙な顔をしながら、

 

「実は結って名前が嫌いなんだよね。それより、渾名の方が親しみがあって良いかなって」

「うーん、でしたら――」

 

 そこでポクポクポク……と考えるも何も思いつかず、ぽろっと出たのは心の中での最初の呼び名。

 

「家主さんとか?」

「え、や、家主?」

「ここの家の持ち主だから」

 

 何とも安直な理由を言えば、結さんは途端に吹き出した。

 

「ブッ! アッハッハッハ!」

「ちょっと、笑わないで下さいよ!」

「ごめん、ごめん! おかしくって! でもそれで良いや、うん」

 

 そうしてあっさりと結さん――いや、家主さんは頷いた。

 

「君、家に帰りたくなって言ってたよね?」

「はい」

「なら、いつでも僕のところに来なよ。待ってるから」

「――!」

 

 私は酷く驚いた。

 だってここは早島だ。そう簡単に家主さんの家になんて―― 

 

「使ってない拠点が、牛木草と早島の境にある」

「……」

「その拠点で毎回会う約束をしよう。そこが君の家よりも、もっと暖かみのある場所になると嬉しい。なんなら泊まってっても良いよ。誰も使わないし」

 

 ――それはつまり。

 そこは文字通りの、私の新しい帰る家ってこと?

 私が何よりも欲しかった、お帰りって言葉が聞けるの?

 

 ……もう一人ぼっちじゃない?

 

 自分がどんな顔をしているか分からない。

 でもアワアワし出す家主さんが面白くて、思わず口角が釣り上がった。

 

 ――とにかく込み上げる感情が大き過ぎて、胸が詰まりそうだ。

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 それからしばらくして。

 私は改めてお礼を言って、家主さんの家を出た。

 

 道はある程度結さんが調べてくれたから帰れるだろう。そうやって進んでいくとあの廃神社に通りがかった。

 ポケットには丁度百円。本当なら何か買おうと思って持ってきたのに、結局使わなかったのを思い出した。

 

「なら良いかな」

 

 私はほんの気紛れに、神社の敷地内に入った。

 別に信心深い訳でもないし神様なんか信じちゃいない。だが願掛けぐらいはしたいと思い、百円を賽銭箱に放り投げる。

 

 そして鈴をガラガラガラ。

 鳴らして、両手を二回、拍手するようにパンパン。

 

 これから、家主さんと仲良く出来ますように。

 

 強く、強く私は願いを込めて祈った。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 ――そうして、また数日過ぎて。

 学校にも通い出し、私はいつもの日常に戻ったものの、やっぱり色々と息苦しかった。

 

 まず先生にこっぴどく怒られた。

 親に連絡も行っていたらしく、電話を掛けたら、父さん達に簡単な説教を喰らった。まあ、それでも家に帰って来ないあたり私への扱いが相変わらずだが。

 

「……ハア」

 

 それに友達からも何があったかしつこいし、うざったらしいし。

 好奇心で近付いてるのが分かるから、なんだか馬鹿馬鹿しくて真剣に答えることもなかった。

 

 ――そりゃ分かってはいたけどさ。

 私の周りに私を思ってくれる人なんて全然いないんだって。

 

 でも良いんだ。

 “現実”はどうにもならないと受け入れたから。

 

 だから、もう良いんだ。

 優等生の仮面なんて投げ捨てちゃえ。

 

 私は良い子を頑張らない。

 今日もこうして授業をサボって、屋上で寝っ転がる。

 気持ちの良い青空。最高だ。私は自由――

 

「……でもないんだよなあ」

 

 と、生真面目に起き上がる私は、やっぱり相変わらずなのかもしれない。

 

「何の用ですか、キュゥべえ」

「やあ、夏音」

 

 そう。

 私のもとにあの白い獣、キュゥべえが現れたのだ。

 またわざわざ私の元に来るとは、相当暇と見える。

 

「そんなんだから、皆から嫌われるんですよ」

 

 容赦なく皮肉を吐けば、キュゥべえは呆れたように言った。

 

「よっぽどボクの顔が見たくないようだね、夏音」

「そりゃあそうですよ。分かりませんか?」

「……」

「じゃあはっきり言ってやります。私は貴方のことが嫌いです。せめて契約のクーリングオフぐらい用意しろってんです」

 

 というか、まだ私は自分の願いが叶ったとは思っていないのだ。

 怒りは募る。大体、こいつの言うことなんて信じられるか。

 

 ――後輩の魔法を使えだの、私“だけ”が生き残っただの。

 

 全部偶然じゃないみたいに言いやがって。馬鹿にしないでよ。そんなのたまたまに決まってる……。

 

「でもキミ、あんなことがあった割には元気そうだね」

「え?」

 

 ふとそんなことを言われ、私は気の抜けたような顔をする。

 まあ……少なくとも落ち込んではいないか。

 

「だって私には結さんがいますし。もう一人で泣かないで良いんです」

「そうかい。あの後早島まで迷い込んだのか。……奇妙な縁だね」

 

 キュゥべえは何を思ったのか、そう不可解なことを呟いた。

 そして。

 

「ただ言っておくけどね。結はキミが思っている以上に難しい子だよ」

「難しい?」

「一筋縄じゃいかないってことさ。果たして、結と一緒に居ていいのかどうか。もしかしたら後悔するかもしれないよ?」

「良いですよ別に」

 

 確認してくるキュゥべえに私は平然と言ってのける。

 私の意思は覆らない。

 

「もう決めたんです。だからそれ以上ぐだぐだ言わないでもらえます? 鬱陶しい」

 

 次にしっしと、手で追い払う仕草をする。

 文字通りここから立ち去って欲しかった。すると気味のいいことに、キュゥべえは素直に「やれやれ」と言って退散しようとして。

 だが不思議なことに、そこで最後に言ってきた。

 

「そう言えば夏音。キミは色梨こゆりと会ったようだね?」

「そうですが。それがどうかしたんです?」

「こゆりには気をつけた方が良い」

 

 瞬間、息を飲む。

 あの一見何処にでも居そうな顔のくせに、妙なオーラのある姿が思い浮かんだ。

 

「何故か最近、彼女は早島について調べているらしい。もし結と何かあったら――」

「分かりました。家主さんに伝えておきます。不服ですが、その点については感謝しますよ。キュゥべえ」

「ああ――それじゃあね」

 

 そうやって今度こそキュゥべえは去っていった。

 私はその後見つめ続け……ポツリと呟くのだった。

 

「色梨こゆり……、か」

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「――そっか。そんなことをキュゥべえが……」

 

 後日だ。

 

 私は待ち合わせ場所で会った家主さんに、早速こゆりさんのことを話していた。早急に伝えるべきだと思ったからだ。

 そして家主さんも同じように面倒と思ったのか、思いっきり渋面を作っていた。

 

「家主さんは、こゆりさんのこと知ってますか?」

 

 早くなんとかしないと。そう思い、家主さんに聞けば、「勿論」と家主さんは頷いた。

 

「有名人だからね。でも直接会ったことはないよ。君から見てどんな感じだった?」

「そうですね。よく分からないっ人って感じでした。一度助けてくれたようですが、気難しくて、近寄りがたい印象で……」

「けど助けてくれたなら、そんなに悪い子じゃなさそうだね」

 

 家主さんは顎に手を当ててうーんと考える。

 確かに言われてみればそうなのもしれない。

 だが、あの冷たい目は一体。彼女は何を考えているのか……。

 

「とりあえず拠点に行こっか」

「はい」

 

 ここでアレコレ悩んだってしょうがない。

 とにかく私達は当初の目的通り、家主さんの拠点に行くことにした。

 

 そして数分かけて歩けば、そこは無人駅だった。今は誰も使われていないだろう古い場所。廃墟と言っても差し支えない。しかしそこそこ駅舎は広くて、まるで一軒家ぐらいの大きさはありそうな。

 

「………………」

「………………」

 

 でも、さあ早速中に入ろうとドアを開けると、椅子に横になり、毛布に包まって何かをぶつぶつ呟いている誰かの姿があった。

 

「え……えーと?」

 

 突然の不審者に、私達は困惑して顔を見合わせるしかない。

 しかも床に散らかっているのはペットボトルのゴミ、荷物入れのバック(空いている中から服が見えてる)、それから何かのお菓子の箱。

 ……よく見ると、「リアーゼ」と書かれていた。

 これって有名なボンボン菓子の名前じゃあ。

 

 ――気になって耳を澄ましてみる。

 魔法少女の身体強化のおかげか、なんとか言葉は聞き取ることが出来た。

 その内容はこうだ。

 

「くっそ……ほんと……なんなのよ。アイツってば好き勝手ばっかり……あたしだって好きでこんなんじゃないわよ……うう……」

「……」

「そうよ……。万年ボッチ隠キャなんて、もうお呼びじゃないのよ。ああ……死にたぃ……」

 

 ……何なのこれ。

 ツッコミどころしかないんだけど。

 

 ていうか、酔っ払ってるっぽい?

 

「……もうチョコレートないの? 柘榴」

 

 誰だよ柘榴って。

 そうやって心の中でツッコミを入れたタイミングで、ようやくモゾモゾとその人は起き上がった。

 それで毛布がするっと落ちて、彼女の素顔が明らかになる。

 彼女は――

 

「なッ、し、し、色梨こゆり!?」

「……」

 

 何で!? と大袈裟に驚く私だったが、しかしこゆりさんのその視線は家主さんに固定されていた。

 

「…………“糸使い”」

「へ?」

 

 びっくりしている家主さんに、こゆりさんはすっと立ち上がり、近づいていく。彼女の着てる黒い喪服のようなワンピース――それが光に包まれ、簡素な魔法少女衣装になった。

 ……この雰囲気は明らかに不味いような。

 

「家主さん!」

「ッ!」

 

 私の声にいち早く反応した結さんが、私の手を引っ張ってその場を飛び出す。にも関わらず、次の瞬間、勢いよく破壊されるドアと、その衝撃に巻き込まれて吹っ飛ばされる私達。

 

 何が起きたのか分からず、即座に立ち上がった私と家主さんは、呆然とこゆりさんを見ていた。

 

「な、何なのよアレ……」

 

 それは本当に奇妙な代物だった。

 

 こゆりさんの側で、プカプカ光沢を放つ銀色の水球が浮かんでいた。

 液体のようにも、金属のようにも見えるそれは、しかし恐らく両方の性質を併せ持つのだろう――即ち液体金属。

 その一部が伸び、硬化し、極太の鋭い針となって入り口を貫いていたのだ。

 

 空いていた口が塞がらない。

 

 幸い家主さんのおかげで無事……なんだけど、それよりも突然何するんだこの人は!

 

「どんな神経してるんですか、アンタ!」

 

 私は目の前の人物が牛木草最強の魔法少女だというのも忘れて叫ぶ。色々と衝撃過ぎて、一言くらい言ってやらないと気が済まなかった。

 だがこゆりさんは無視した。

 液体金属が溶け、針が短くなり、ギュルギュルとこゆりさんの手元に集まって形状を変化させる。

 

 やがて出来上がったのは、魚の背骨のような刃を持つ大剣だ。

 それを持って外に飛び出し――一直線にこっち向かってくる。

 

「!?」

 

 さっきの威勢は何処へやら。

 ビビった私は思わず短い悲鳴を漏らす。

 

「ちょ、ま――」

「夏音ちゃん!!」

 

 家主さんが庇うように前に出た。

 激しい金属音。

 

 ――彼女は大剣を家主さんに向けて振り下ろしていた。

 家主さんも変身し、なんとか二丁の鉈で受け止めてはいるが、かなりの冷や汗が浮かんでいる。それなりに強い家主さんでも、こゆりさんには分が悪いらしい。

 

 そしてこゆりさんが言っていることも相変わらず訳が分からなかった。

 

「何で。どうしてここにいるの、“糸使い”。どうして」

「は? 何を――」

「答えて! 何故こんな場所に。何故貴女は――!」

 

 こゆりさんは大剣をさらに押し出した。

 追撃。二十を超える斬撃が繰り出れ、家主さんはそれを捌こうとするも、致命傷を避けるので精一杯らしく、血だらけでふらついた。

 

「……ッ!」

 

 私は絶句するしかなかった。

 一瞬、本当に一瞬の出来事だったのだ。その一瞬で家主さんは傷だらけになり、しかし目を瞬いた次の瞬間、逆再生するかのように家主さんは元通りになっていた。……固有魔法だろうか。脅威的な再生スピードだった。

 

「ちょっとちょっと。何してくれちゃってる訳! 物凄く痛いんだけど!」

 

 苦しかっただろうに、それを感じさせない困り顔で、家主さんは叫ぶ。鉈を向け、戦闘態勢を解かない。

 それにこゆりさんは怯まず、同じように大剣を家主さんへ向けた。

 

「じゃあお前こそその顔について教えろ。何故そっくりなんだ」

「は? そっくり?」

 

 訳が分からないとばかりに首を捻る家主さん。こゆりさんの顔には畏怖……憎悪……色んな感情が浮かんでいた。

 

「……何よそれ。知らないなんて、言わせないわ」

「――、だから何のことを――」

「無関係な訳がないって話。悪いけど、“糸使い”本人じゃなくても力付くで情報を吐かせてもらうわ」

 

 そうしてこゆりさんは剣を持っていない方の手を上に上げた。

 その五指からドロリと極細の液体金属が発射され、折り重なり、それらは上空で糸となって降り注いで周囲を取り囲んでいく。まるで空から被せたような鉄線の檻。逃げ場を防がれた。

 

「これは“糸使い”にあやかり、よく使っている鉄の糸よ。触れればズタズタなるわ」

「このっ……」

「さあ、始めましょう」

「ああもう……何だかなあ……」

 

 こうして、戦闘が開始される。

 私をそっちのけにして。私はただ必死に――どうにかならないか考え続けていた。




色梨こゆりの魔法設定

色梨こゆりの固有魔法は「金属操作」である。武器である液体金属を自在に操り、硬化させる力で、つまり月○髄液。
結構思いつく限りのことは何でも出来るので、はっきり言って仕舞えば割とチート能力である……(尚こゆり本人の素質も結さんをぶっちぎりで抜く程優秀な模様)。


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裏舞台・甲

 ――色梨こゆり。

 牛木草最強の魔法少女。

 

 彼女を一言で語るなら忠犬だろう。

 こゆりさんはとある魔法少女に仕えている。

 

 名は白亜日華。

 通称、狼王――文字通りその人は牛木草の王だ。

 数多の縄張りを独占し続ける彼女は、多くのグループを傘下に従え、日々勢力を拡大している。

 

 しかし白亜日華の仲間は、こゆりさんただ一人だけだ。

 こゆりさんは彼女の手となり足となり戦い続けている。

 

 だからこそ遭遇したらすぐに逃げろ――それが牛木草の魔法少女の常識。日華への忠誠心は半端ではないらしく、フラフラと出没する“風来坊”のくせに、日華の命令であれば即座に動くという。

 

 そんなヤバい魔法少女が目の前にいて――尚且つ、酔っ払いながら敵意を剥き出しにしている。

 

 一体何が起きているのだろうか。

 突っ込みどころが多過ぎて意味不明だ。

 

 とにかく分かるのは、逃げ場がないということ。そして現状をどうにかしなければいけないことだけだ。

 

 しかし、私に出来ることなどたかが知れている。

 私はどうすれば――

 

「夏音ちゃん、とりあえず下がってて!」

 

 そう色々考えていた時、家主さんが叫んだ。私は思わずギョッとする。そんな訳には行かない。

 

「でも私だって!」

「でもじゃないからっ!」

 

 叱責され、私は固まる。家主さんの声は真剣そのものだ。

 

「ここで君に出られても邪魔なだけなんだよ!! 危ないからひっこん出て!」

「……ッ!」

 

 家主さんの言うことは正論だった。何より私の体は……震えていた。まだ戦うことそのものが怖いというのか?

 

「っ……分かりました」

 

 悔しさから拳を握り締め、大人しく後ろに下がる。勿論、巻き込まれないよう鉄線の檻のギリギリのラインまで。

 その私を見て、こゆりさんは冷ややかな目だ。

 

「ふうん。他にも羽虫がいたの」

「……」

「わざわざ庇うなんて殊勝なことね……“糸使い”」

 

 瞬間、こゆりさんが勢いよく大剣を振り下ろした。

 刃の形状が変化する。溶けながら伸び――刹那、ジャラリラと擦れた金属音。刀身が鎖に。切先が棘付きの鉄球になっていた。

 モーニングスターだ。

 

「!?」

 

 突然武器の姿が変わったことに、家主さんは目を見開いた。

 だが流石はベテランか。ジャンプして横に避ける。それをこゆりさんは追撃する。鎖が蛇のように踊った。

 

「どうしたの? 反撃しないの?」

「ちッ!」

 

 鉄球が縦横無尽に襲い掛かり、家主さんはやはり逃げざる得ない。

 苦し紛れに召喚した剣鉈を投げ付け続けても、こゆりさんは涼しい顔だ。

 

 まるで事前に分かっているかのように最小限の動作でかわす。

 

 例えば頭――首をちょっと傾けるだけ。

 例えば肘――僅かに腕を上げるだけ。

 

 それだけの動作で鉈の軌道上から外れていた。

 まさに神技と言っていい。なんせ鎖を操作しながらだ。人はここまであり得ない動きをするのか――

 

「ほら、ほら、ほら――」

 

 そしてそのまま、ジャラン、ジャラララ、ジャラリラ。

 尚も挑発するように鉄の蛇は鳴き続ける。

 鉄球を防ぎ、防ぎ、防ぎ……、

 

「距離をとってもキリがない!」

 

 だからこそ、あえて家主さんは接近することを選んだようだ。

 

 前進。家主さんはこゆりさんへ向けて走り出す。

 今度はこゆりさんが下がった。でも冷静な感じだ。

 モーニングスターの鎖を巧みに操る。

 

 ――薙ぎ払う。

 鉄の尾が、大きな大きな弧を描いて音速をも超える速度で迫る。

 その鎖を。

 

「コンニャロ!」

 

 家主さんは、なんと弾いた。鉈も反動で取りこぼしたが。

 

「せぇーのー!!」

 

 それすらも気にせず、次に腕を振り上げた。

 空中に生み出されたのは大量の剣鉈。ミサイルのようにすべて飛んでいく。こゆりさんはそれでも無言で溜息をついて。

 

「……なんて生温い攻撃なの」

 

 足をタンと、踏み鳴らした。

 彼女の目の前に金属の壁が迫り上がる。

 鉈を全部防いだ。けれど家主さんは、その頃にはもう既に壁の向こうへ回り込んでいる。

 

「ふっ――!!」

 

 地を割るほどに踏みこんで、家主さんは跳び膝蹴りを繰り出す。こゆりさんは何故か先程とは違い防御しなかった。

 そのまま腹部に当たる……が、その足はボキリと折れて。家主さんが息を飲んだ隙に、こゆりさんもお返しにローキックをお見舞いした――血飛沫が、舞った。

 その靴の裏には、液体金属で作りあげただろうびっしり生えたスパイク。

 

「家主さん!」

 

 私は思わず叫ぶ。アレは確実にヤバい。現に家主さんは吹っ飛ばされて血塗れだ。普通だったら起き上がれるはずも無い……。

 

「フヒ……大丈夫!」

 

 だが、家主さんは回復力が桁外れだった。なんとか足を治癒し、フラフラと立って、体勢を立て直す。

 

 けれど何で何だろう。

 やっぱり痛いはずなのに。苦しいはずなのに。平然としてる……いや、これは笑顔?

 どうして?

 

「……」

 

 私は家主さんが怖くなった。家主さんは血に染まったまま、ニタニタ、ニタニタ、不気味に笑っている。

 さっきのこゆりさんに一体何が起こったのか。家主さんはおかしそうに尋ねた。

 

「ハハ! 何それ、すごいねえ! やけに固かったけど…… 鉄板でも仕込んでるのかなぁ!?」

「違うわよ。でもあたしの固有魔法は金属操作――なら答えは単純よ」

 

 ほら、なんてご丁寧に、こゆりさんが片腕を広げる。その袖の一部が鉄のように銀色に変色し、硬化した。

 

「つまり……お前は服までも金属にすることが出来るってのか!」

 

 家主さんはいかにも褒めるように言う。

 だが、厳密にはそれどころの話じゃなかった。

 

「あたしの魔法少女服は全身、金属の繊維で出来ているのよ。そんじゃそこらの攻撃でどうこうできるもんじゃないわよ」

 

 ようは常に鎧を纏っているようなものなのである。

 こゆりさんは防御力も高い。恐らく家主さんの攻撃は……まともな方法では届かない。

 

「それよりもやっと本性を見せてくれたわね」

 

 こゆりさんは憎々し気に呟く。

 

「お前はあの時も笑ってた――血塗れになりながら」

「はあ?」

 

 家主さんは、本当に意味が分からん、という風に首を傾げた。

 そりゃそうだろう。家主さんには全く心当たりがなさそうだ。

 だからか、こゆりさんは泣き出しそうな、複雑そうな表情をして。

 

「二年前よ……知らない? あたしには双子の妹がいたの。さゆりっていうんだけどね」

「――――」

「似てなかったけど半身みたいで、助けたかった。守りたかった。あたしの唯一の味方だった。それを……“糸使い”はあたしの目の前でわざわざミンチにしたの」

「……!?」

「そいつは首を切っても、腹を切っても死ななかった。訳あって思い出したのはつい最近のことで……でもそれ以来、あの時の顔がこびりついて仕方がない。あの時の、アイツのニヤニヤ笑う顔が……」

 

 最早、憎しみと恐怖が止まらないって感じの表情だ。

 ようやく事情が見えてきたが、確かにそれなら、誤解しない方が無理な気がしてきた。だってさっきの話を聞く限り、こゆりさんからしてみれば妹の命を奪った化け物がいきなり目の前に現れたようなものなのだ。そりゃあ混乱してもおかしくないし、しかも今の彼女は酔っていて正気ではない。

 ――たとえ無関係でも、怒りが湧き出るのだ。

 

「さあ、さっさと“糸使い”の情報を吐きなさい!」

 

 容赦なくこゆりさんは攻撃を再開させた。

 ブオン!! と空気を穿ちながら迫る棘付きボール。

 家主さんは退避。固有魔法で傷は治っていく。こゆりさんはギリリと歯噛みをした。モーニングスターでは意味がないと思ったのか、それをドロドロに溶かし、違う武器を錬成する。

 取り回しが効きそうなサイズの弓だった。

 

「答えなさい――何故あたしの大事な人達を奪った!」

 

 ワイヤーで出来た弦を引っ張り、こゆりさんは魔法で生み出した金属の矢を番る。いつの間にか頬は赤くなり、かなり興奮しているようだ。

 もう色んな意味で見ていられない。やはり――何もせずにいるのは駄目だ。恐怖はあるが、それ以上に後悔はしたくない!!

 

『家主さん!!』

『……ッ!?』

 

 テレパシーで話しかければ、家主さんはよっぽど驚いたらしい。まるで咎めるように、私のことをチラリと見る。

 

『何!? なんか用!?』

『……』

 

 でも、怯んでいる場合じゃない。私は変身し、ハルバードを構え、意を決して言った。

 

『家主さん。こゆりさんには絶対に勝てません。ここは逃げましょう』

『――どうやって?』

 

 家主さんは怪訝な顔だ。最初に言った通り、出来ることなどないとばかりに――けれどこんな私にだってやれることはあるはずだ。幸い近くにいることだし。

 

『私が……この檻を破壊します!』

「成る程。そういうこと」

 

 私達が目配せしているのを見て、大体会話の内容を察せられたようだ。

 こゆりさんは不快そうにして。

 

「羽虫風情が。ブンブンうるさくされちゃ困るわ。ここは――」

「アハハハハハ……やらせないよ!」

 

 瞬間、家主さんがこゆりさんに飛び掛かる。腕は再生している。

 速い――瞬く間に零距離まで接近。二丁の剣鉈を高速で突く。狙うは白いソウルジェム。よく見ればこゆりさんの腰にはベルトがあり、そのバックルには丸い宝石がついているのだ。

 

「……!」

 

 こゆりさんは苦々しく表情を歪めた。勿論、対抗できない訳がない。

 イナバウアーのように体を逸らして回避。逆立ちの要領で剣鉈を蹴り上げ、弾き、後方へくるりと大きく一回転。そのまま飛び上がり、矢を撃つも、家主さんだってその矢を撃ち落とした。

 

 着地したこゆりさんは悔しそうだ。

 

「本気なのね。何故……そこまでするの。命を弄ぶくせに、あの羽虫はお前にとって何なんだ」

「さあ……何だろうね?」

 

 家主さんは肩をすくめる仕草をした。

 

「まあ、でも先輩としては、後輩が勇気を出したことには報いなきゃでしょ?」

「? そりゃあそうだろうけど……?」

 

 さっきとは逆に、こゆりさんの方が首を傾げる。だが、気にしても関係がないと思ったらしく。

 

「……どうでも良いわね。あたしがやることは、何も変わらない」

「――ッ!!」

 

 こゆりさんが再び矢を撃ってきた。

 しかもそれとは別に、私狙いで鉄塊をバカスカ飛ばしてくるし、なんなのこれ。まるで流星のよう――当たったら即死する、死の星雨。

 

「ぐ……、……ッ、おりゃあッ……!」

 

 けれども家主さんが必死に防いでくれている。

 剣鉈で矢を、鉄塊を、切る、切る、切りまくる――!!

 

「夏音ちゃん!!」

「はい!」

 

 だから、私はその必死の献身に報いなければいけなかった。

 が、さっきから何度も切り付けてるのに、鉄線の檻は異常な硬さでハルバードを跳ね除ける。どうして破れないのだろう。私じゃ役不足なの?

 

「くそ、くそ、くそ!!」

 

 段々やけくそになってくる。

 そして私は私自身が持つ唯一の“力”を思う。

 死んだあの子は――赤いオーラの魔法をどんな風に使ってた?

 

 ふと、脳内で蘇るとある日の記憶。

 

『そう言えば先輩! オーラで強化されるのって、筋力もみたいなんですよ? ほら、こうやって――』

 

 ――そうだ。

 私はあの子の魔法を一番近くで見ていた。ならばやれる筈だ。所詮猿真似だろうとも。

 

「ああああああああああああ!!」

 

 私は後輩がしていたのと同じように、ハルバードにも腕にもオーラを宿し、力を倍加させる。ソルジェムが濁りきるのも覚悟で、思いっきり魔力を乗せてハルバードを叩きつけた。

 

「あ……」

 

 すると、だ。

 鉄線の一部に、切れ込みが入った。本当に小さな切れ込みが。

 こゆりさんが目を見開いている。

 それが影響したのか、ほんの少しだけ動きが止まった。その隙を見逃さない家主さんではない。

 

「やっ!」

 

 家主さんは剣鉈を投擲した。

 ざくりと刺さった――何処に?

 肌の露出している部分……即ちこゆりさんの左手首だ。こうなるとこゆりさんは鈍くなる。

 

「ようやく一撃いられられた」

 

 家主さんは大きくバックステップしながら、次々と鉈を放る。こゆりさんは仕方なさそうに矢を撃つのを中断、弓を変形させ、大盾にして身を守る。

 

 それはチャンスを意味していた。邪魔されないその間に、私はハルバードを押し込める。あらん限りのすべてで――そして鉄線は完全に切れた。その勢いで私は外に出る。

 

「家主さん!」

 

 私が名前を呼ぶ前に、足が速い家主さんも滑べるように鉄線の切れ間から一瞬で飛び出ていた。ある物をこゆりさんに投げつけながら。

 それは、

 

「グリーフシード……!!」

「僕からの置き土産だよ。喜んでくれると嬉しいな」

 

 黒い魔女の卵が一斉に孵化する。一個だけじゃなく、二、三、四、五つも。家主さんは出し惜しみしなかったようだ。そうして、巻き込まれないよう、反応するより先に私を雑に担ぎ上げ、とんずらをこいた。

 

「ええ!?」

 

 当然、私は混乱したが。

 何を勘違いしたのか、家主さんは叫んだ。

 

「大丈夫だって。あの化け物があの程度で死ぬ訳ないじゃん!?」

 

 どうやらグリーフシードの件を言っているようだった。

 まあ確かに悔しいが同意見だ。アレでもこゆりさんはまだ余力があるとみるべきだ。なんせ日華さんに仕えている身である。確実に魔力を回復するストックは持っている筈だ。

 

「そんな奴が襲いかかってくるなんて、まったくとんだ厄日だよ」

 

 走りながら家主さんは嘆息。それから。

 

「とにかく今は飛ばすよ!」

「――!?」

 

 更にスピードアップした。

 思わず悲鳴が喉から飛び出、風景が流れるように過ぎていく。

 人間業とは思えないような動きで、家主さんは建物の壁の出っ張りや階段に跳び移ってを繰り返し、人に見つからないような道を進んでいく。

 

 そうやって最終的に行き着いたのは何処かのビルの上だった。

 廃駅から二キロぐらいは離れているだろう。

 ここまで来ればきっと大丈夫な筈だ。多分。

 

「ふぅ」

 

 そこで家主さんは私を降ろした。疲れたように額の汗を拭い、よっぽど焦っていたのか、次には気が抜けたようにどかりと座り、屋上の柵に背を預ける。

 

「はあ……夏音ちゃん大丈夫〜」

「うえ……」

 

 で、私は大丈夫じゃなかった。

 何でかって言われると酔ったからだ。頭の耳鳴りが酷い。

 もう少し優しく運んで欲しかったが、文句を言う資格は私にはないだろう。

 

「ありがとうございます……うぷ」

 

 なんとか感謝を伝えれば、「いやあ、ハハ……ごめん」と家主さんは反省するように頭を掻いた。

 

「……」

「……」

 

 そっからは無言だ。お互い体力も気力も限界なのだ。

 実に数十分もそのままボーとしていた。

 

「あ、そう言えば家主さん」

 

 私はふと家主さんに声をかけた。

 気になったことがあったからだ。

 

「ソウルジェムの穢れは大丈夫ですか? さっきグリーフシードを投げましたけど」

「いいや」

 

 家主さんは首を振った。

 

「魔力を強制的に与えて無理やり孵化させただけだし……手持ちはアレで全部かな」

 

 その顔に浮かぶのは苦笑だった。本当にあの戦いがギリギリだったことがよく分かる。

 

 私は懐を探った。

 実は一個だけちゃんとグリーフシードを取っていたのだ。

 まだ魔力には余裕があるし家主さんに渡す。

 

「使って下さい」

「――。うん」

 

 家主さんは素直に受け取ってソウルジェムを綺麗にした。

 

「色々とありがとね、夏音ちゃん」

 

 そしてお礼を言われ、私は柔らかな笑みを作る。

 

「当然のことをしたまでですよ。むしろ早めに動いていればこんなことには……」

「良いんだよ」

 

 でも家主さんは私を咎めることはしなかった。

 私の罪悪感を和らげるように。自らを責めるように。

 

「こっちこそ悪いことをしたと思うから。あんな気持ちの悪い……」

「……?」

「ねえ、夏音ちゃん。僕のこと怖いって思った?」

 

 そうして図星を付くようなことを言われて私は驚く。

 どうしてって思う前に、家主さんは歪に見える少しの喜びを、だけどそれ以上の辛さを顔に出していて。

 

「“あの姿”を見せてごめん、夏音ちゃん。君を追い詰めることを、僕はしたくないと思ってる。でも違う形で出会っていれば、きっと僕は君に酷いことをしてたと思うんだ」

「家主さん?」

「……本当に難しくて上手く言えないんだけどね。君がボロボロになってるのを見てたからさ。これ以上はちょっとと考えて――」

「……」

 

 その時、私は家主さんが顔を伏せていたので、それを追って視線を少し下げていた。それで、違和感を持てたのだ。

 ――何か。家主さんの魔法少女衣装についているような。角度のせいか、ピカっと反射しているようにも見えた。

 これは……、

 

「……まさかッ!」

 

 私は即座に家主さんに近づき、その服についていたものをとった。

 え? 何? って顔をしている家主さんを他所に、手の中のそれを観察する。

 小さな針だった。金属の。そして金属操作と言えばこゆりさんの固有魔法である。

 

「一体いつの間に――!?」

 

 タイミングはいつか分からない。だがこゆりさんは私達が逃げ出した時のこともちゃんと考えていたのだ。

 言われてみれば当たり前だ。

 

 私達は二人もいて。それぞれ役割分担をすることくらい、いくらでも想像がつく。それを見越した上で、こゆりさんは行動していたのだ。

 “自身の魔力”を探知出来るように。

 

「ッ!?」

 

 そして、ざわり。

 案の定、禍々しいとさえ思える魔力反応の気配がする。転瞬、バサバサッ、と羽ばたきの音が聞こえ、ビル下から大きな大きな影がこちらまで“飛んで”上がってきた。

 

「……、色梨こゆり……!」

「あら? 羽虫のくせに意外と勘が鋭いのね」

 

 それは空に浮かび上がる、液体金属で形作られた巨大な狼だった。背には翼。ゴエティアに記載される悪魔マルコシアスのようだ。そしてその上には当然こゆりさんが乗っているのである。

 流石に五体の魔女を相手にするのは苦労したらしく、若干ボロボロになっていたけれども。

 それでも目は鋭く、剣呑な雰囲気は変わらない。そのこゆりさんに家主さんは驚きを隠せないようだった。

 

「嘘でしょ!? こんな短時間で!?」

 

 が、こゆりさんはなんてことないように答える。

 

「あたしを誰だと思ってるの? 雑魚ばっかりでつまんなかったわよ」

「……やっぱり化け物じゃん」

「なんとでも言うが良いわ――それよりも良い加減ちょこまかと目障りなのよ。“糸使い”!!」

 

 悲痛な叫びに呼応し、狼の口が開く。魔法陣が浮かび上がる。鋭く極太の金属針が口の前で生成されていき――打ち出される、その前に。

 

「ストーップ!! ストップ、ストップ、ストーップ!!」

 

 棒読みながら大きな声が聞こえてきた。

 

「柘榴?」

 

 こゆりさんが動揺したみたいに止まる。ふっと金属針が掻き消えて、同時に横の建物からピョンと人影が飛んできた。

 

「何やってんのさ! こゆり!」

 

 抑揚ない声で赤髪の少女が私達の眼前に降り立つ。

 不服そうなこゆりさんに対し、彼女は咎めるように人差し指を突きつけた。

 

「ほんっとこんなところで弱いものイジメして! こんなことやって恥ずかしくないの!? 馬鹿、隠キャ、ついでにメンタル超不安定暴走列車脳筋女!!」

 

 そうして怒号の悪口にこゆりさんはと言うと……素直にダメージを喰らったようで、「……うぐッ……」と呻いたのだった。



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裏舞台・問

 突如として現れた少女。

 彼女は私達と同じ魔法少女らしい。

 

 膝辺りまで伸びてるロングヘアの赤髪。酷く整った顔立ちは、しかし表情筋が固まっているらしく無表情で、勿体無いことにこれまた伸ばした前髪で少し隠れている。衣装は緑を基調とし、ベールを被り、植物や花をあちらこちらにあしらった可愛らしいもの。

 

 小柄だし、全体としては大人しそうな印象の容姿ではあるが、しかし実際の性格は全然そんなんじゃないらしい。

 むしろさっきから悪口ばっかり言ってる。

 

「ほんっと最悪。馬鹿、馬鹿、馬鹿!!」

「っぐぅ……」

 

 そしてその少女から繰り返し悪口を浴びせられているこゆりさんは、現在進行形で苦々しい顔をして呻き続けており、よっぽど心に来てるようで、仕舞いには涙目になって少女を睨みつけた。

 

「い、いきなり何なのよ、柘榴!!」

 

 お返しとばかりにこゆりさんも指を突き付け、文句を言い放つ。

 

「今の状況で普通そういうこと言う!? 喧嘩売ってんでしょアンタ!」

「うん」

 

 柘榴、と呼ばれた少女は揶揄うように頷いた。こゆりさんは即座に突っ込みを入れた。

 

「肯定しないでよ!」

「だってこゆりが変なことやってるから」

 

 柘榴さんがやれやれと溜息を吐けば、こゆりさんはビクゥと肩を跳ねさせた。目を逸らしてる辺り、この少女には弱いらしい。そうして彼女は二回目の溜息をついて。

 

「そんなんだから相変わらず意固地でヘタレでぼっちなんだよ。昔のことを忘れたの? あの時も初恋の人に意地を張って告白も出来ず咽び泣いてやけ食いを――」

「ああああああああああ!」

 

 途端、赤面して慌てだすこゆりさん。今までのイメージが崩れるくらい動揺してる。

 

「な、なななな、何を言っちゃってるの!? べ、べべべべべべべべべべべ別にそんなんじゃないし! あくまで! そうあくまで! ニッカさんのために身を引いただけであって!?」

「ジー……」

「その生暖かい目は何なのよォ!」

 

 私と家主さんも含め意味深気に見れば、プルプルと震え始めた。そして堪忍袋の緒が切れたらしく、青筋を立て、柘榴さんへ反撃する。

 

「そう言うアンタだってみいかに黙ってエロ本隠し持ってるの知ってるんだからね! あーんな際どい――」

「はああああああああ!?」

「SM!! 亀甲縛り!!」

「あああああああああああ!!」

 

 今度は柘榴さんが性癖をバラされ悶絶した。それに私と家主さん、揃って呆れ顔。

 

「亀甲縛り……」

「SM……」

「やめてぇ!!」

 

 柘榴さんは頭を抱えて頽れた。

 こゆりさんはザマアみろと言いたげな顔をしていたが、どうにも気まずい空気が流れ――

 

「って、何なんですかこれぇ!!」

 

 そのタイミングで割って入るように私は叫んだ。

 こゆりさんとかあからさまに「ひゃわっ!?」とビビっていたが。良い加減我慢の限界だ。

 大体、

 

「私達を勝手に置いてけぼりに会話してるんじゃありませんよ!! アンタら一体何ですか!!」

「え、えと……?」

 

 私以外全員戸惑った顔をするが、言っていることは正論な筈だ。ふんす、と鼻息を荒くして怒る私である。やがてポカンとしていた家主さんも「そうだよ」と同意し、コクコクと頷く。

 

 するとこゆりさんは妙な圧を感じたらしく(多分私のだ)思わずと言ったように弱気になった。

 

「あ……す、すみません……」

「……」

 

 ……謝っちゃったよ。あんなに剣呑だったのに。

 逆に私達の方が呆気に取られる番だ。

 

「……あー」

 

 そうして困ったように柘榴さんが頬を人差し指で掻く。

 

「確かにうん……まあ、その子の言う通りではあるよね。どうしよっかこゆり」

「い、いや……どうするもこうするも言われても。まずあたし達のことを説明して――て、ッハ!! そうだったわ!!」

 

 と、まるで今思い出したように。

 実質忘れていたのだろう――若干のポンコツ感が否めないが、今更のように焦燥を顔に浮かべ、こゆりさんは大声で言う。

 

「柘榴!! そいつ“糸使い”!! 今すぐ離れて!!」

「? ええ?」

 

 柘榴さんは当然、キョトンとしていた。仕切りに私達とこゆりさんを見比べるように目線を行き来させる。

 

「なーんか言ってることおかしくね? つーかさっきから思ってたけど、こゆり普段とちょっと違うし何かあった?」

「はあ!? 何もなかったし!! あたしはいつも通りだもん!」

 

 いかにも子供っぽい口調でこゆりさんは答えた。それから、

 

「それよりも離れてってば! 貴女までいなくなったらあたしは――」

 

 そして、さめざめと。はらはらと。

 こゆりさんは大粒の涙を流し、幼い表情をくしゃりとさせた。

 やっぱり悲痛な感情が見え隠れして、なんとも言えない気持ちになる。

 

 それにしばし柘榴さんは呆然としつつ。

 

「……まさかあのボンボン菓子でここまで?」

 

 と呟くと、何を思ったのか実に複雑な顔で黙り込むのだった。

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 ――とりあえず私達は、廃駅跡まで戻っていた。

 見事に周囲は荒れていたが駅舎の中(ドア以外)は無事だ。

 

 で、肝心のこゆりさんはというと。

 

「……死にたい」

 

 部屋の隅で体操座りし、文字通り死にそうな顔でどんよりしている。

 その彼女の隣で、変身を解いてポンチョ姿になった柘榴さんが、「意外とナイーブなんだよねこの子」と苦笑していたが。

 

 やっぱり最初に会った時とえらく感じが違う。

 こっちの残念な方が素なのだろうか……。

 一応柘榴さんの魔法で酔いは醒めたらしいので、今までのことを思い出して羞恥と申し訳なさでいっぱいなのかもしれない。

 

「まあ君にも事情があったみたいだし、話を聞ければそれで良いから。元気出して、ね?」

「……ごめんなさい」

 

 家主さんが慰めるも、こゆりさんは謝るだけだった。

 ていうか気まずそう。そこで柘榴さんがフォローをした。

 

「こゆり。そろそろ……ね?」

「……ん」

 

 そうしてちょっとだけおずおずとこゆりさんは顔を上げ、改めて柘榴さんと一緒に椅子に座り直す。私と家主さんも反対側に座り、向き合った。

 何はともあれ、まずは柘榴さんのことからだ。

 

「えーと。柘榴さんでしたっけ? こゆりさんとはお知り合い……なんですか?」

 

 そしたらあっさりと柘榴さんは肯定した。

 

「そ! 私の名前は江戸柘榴。こゆりとは二年前からの付き合いで、親友と言っても過言じゃ――」

「……ただの腐れ縁よ」

「腐れ縁!?」

 

 瞬間、ガガンッと柘榴さんはショックを受けた。

 

「ちょ、酷! 元々同じグループだったのに! そんな言い方しなくても良いじゃん!?」

「でもそれを抜きにしても色々あり過ぎたでしょ。それに柘榴にはみいかがいるし、もうお互い譲れないものがあるなら――」

「――それでも。私には別の意味でこゆりは特別だから」

「!?」

 

 一見告白とも取れないような言葉にこゆりさんの顔は真っ赤に染まった。そもそも、「貴女までいなくなったら」と言っていた時点で、こゆりさんの中で柘榴さんは充分大切な存在なのだろう。

 

「ざ、柘榴はこれだから……っ」

 

 と口では咎めつつも、満更でもなさそうな顔をしていた。

 意外にチョロい。

 

「ほら、こゆりも自己紹介! この子達だってよく分からないだろうし」

「えぇ……?」

 

 そしてその状態のまま柘榴さんから背中をポンと押され、仕方なさそうにこゆりさんは口を開く。

 

「え……あ、あああ……あッ……えとッ。は、はじッ、初めまして。し、色梨こゆり。十六歳ですっ」

「……」

「特技は日曜大工……、趣味は美術館巡りとバイク……そ、そう言うわけですので……よ、よろしくお願いしましゅ……」

 

 ……あ、噛んだ。

 恥ずかしかったのか涙目になって震えてる。やっぱりなんかポンコツ感のある人だ。

 

「アハハ……そこまで緊張しなくても良いよ」

 

 あの結さんでさえ、柔らかい笑みを浮かべる始末である。が、ガチガチになってるらしく、こゆりさんは上擦った声で全力で頷いた。

 

「は、はひ……!!」

「……」

 

 なんだか会話が先に進まない。こゆりさんは遂に柘榴さんに助けを求めるような顔をしたが、柘榴さんは半眼になるだけだった。「お前本当に」って目だ。それでこゆりさんはうぐぐ……と呻いた後、大分時間をかけて決意を固め、勇気を振り絞るようにごほんと咳払いして。

 

「……先程のことについては本当に……申し訳ありませんでした。……謝罪します」

「えーと……私もなんだかんだこゆりを酔わせたみたいですみません」

 

 二人揃って頭を下げるものだから息ぴったりだ。

 まあ……正直言って思うところがない訳でもないが、こうして素直に謝ってくれるから、責める気持ちはなれない。

 家主さんは「気にしないで良いよ」と微笑んだ。

 

「それから一応こっちも名乗っておくけど、僕は結。この子は夏音ちゃんね」

「こゆりさん、一度お会いしたありましたよね?」

 

 私が聞くと、こゆりさんは控えめに肯定した。

 

「え、ええ。本当にあの後も無事で良かったわ……」

「こゆりさんが助けてくれたおかげです」

「……そう。あたし相手にそこまで言ってくれるのね」

 

 こゆりさんが感じ入るように目を伏せた。

 しばらくして――雰囲気が、変わった。

 次に顔を上げた時、こゆりさんは私達の目をはっきりと見ていた。さっきと違い堂々したその彼女の姿は、スイッチを切り替えたように、別人みたいで。間違いなく“白亜日華の部下”に相応しい貫禄があった。

 

「――じゃあ本題に入りますね。そもそも何でここにいたのか、ってことですよね」

 

 家主さんとも会話してるからか、こゆりさんは敬語口調で話し始めた。

 

「とはいえ、あたしからすれば、逆に何で貴女方がここに来たのかまったく分かりません。ここにしばらく住み付いてましたし」

「住み付いてた?」

 

 私達は不思議に思って聞き返す。

 確かに今は隅に寄せられているが――入った時には荷物が散乱していた。もしかしなくてもアレってそういう……。

 

「色々と理由はありますが――廃墟に住むようになったきかっけは、あたしに家族がいないからでしょうか」

「え……」

「親はいますよ。ですがさゆりを殺された後、何も知らない親はその現場を見て錯乱してしまいました。血塗れのあたしが犯人じゃないかって罵って。魔法少女の姿だったし、武器も持ってたから、化け物だって」

 

 ……だから、家を出ざる得なかったのか。

 その過去に私達は衝撃を受け、特に家主さんは目を見開いていた。

 

「君……そんな状況でよく生き延びられたね」

「自慢じゃありませんが、あたしは当時から最強でしたので」

 

 こゆりさんは皮肉気に笑みを浮かべる。それは親への怒りか、それとも憎しみか。よく分からないが彼女だって別に強くなりたくて強くなった訳じゃないのかもしれない。

 

「それに私達がいたおかげでもあるよね。今でも定期的に世話を焼いてあげてるし、今日の差し入れもこゆりは嬉しがって――あいて!」

 

 柘榴さんはこゆりさんから軽く頭をチョップされた。

 耳が赤くなってることから察するに余計なことは言わんで良いということらしい。

 

「後は紆余曲折あって白亜日華――ニッカさんに拾われたという感じです。それでも今はこちらの事情……“糸使い”を探っている関係でニッカさんから離れてますが。これも詳しくは言えませんけど、ニッカさんには今頼れない状況なんです」

 

 むしろ、だからこそ白亜日華から命じられた可能性すらある。明らかに話を聞く限り“糸使い”って奴はヤバイし、放置なんてしたくないはずだ。そしてその予想は的中しているのか、こゆりさんは告げた。

 

「ニッカさんは言いました……手掛かりは早島にあるのだと」

「……」

「そしてそれは実際に正しかった」

 

 こゆりさんは家主さんを見つめていた。

 その視線の鋭さに家主さんはギョッとした。よく考えてみれば、まだ“糸使い”の疑惑が晴れた訳じゃない。家主さんは何処か困惑しているような、それでいて複雑そうな表情を浮かべていた。

 少なくともこの状況で不安が生まれない筈がない……。

 

「どうして早島だって“牛木草の王”は言ったの」

「分かりません」

 

 キッパリとこゆりさんはそう言ってのけた。

 

「ですがニッカさんの言うことですので」

「それだけで信じるっていうの?」

「むしろ、それこそが配下の役目ですよ」

 

 まるで当たり前でしょうと言わんばかりに。こゆりさんは真剣な眼差し。この人の中でそれは絶対の価値基準なのだ。私達にはあまりにも馴染みがなく、共感する事は出来ない価値観だったが、でもそこには中途半端ではない真の覚悟があるのだろうことは分かる。

 

 そうして彼女は続けた。

 

「これですべて事情は話しましたよ。結さん。次は貴女の番です。心当たりがあるなら話して下さい」

「い、いやそんなことを言われても……」

 

 やはり家主さんは戸惑いつつも、困り果てていた。

 

「ここは以前使ってた拠点だったからってことで来ただけだし、そもそも“糸使い”だの何だの言われてもどんな奴かなんて僕には分からないよ。そこのところもちゃんと説明してくれないと」

「……そうですね。では、思い出せる限りのことを言いますね」

 

 その途端、こゆりさんは憎悪を押し殺したような物凄く怖い顔になり、グロテスクな現場を等々と語り出す。

 

 ――アレは二年前、まだ魔法少女になって数日後のこと。

 

 ――魔女狩りから帰ると自室から魔力反応があった。急いで向かうとそこで妹が捕まっていて。

 

 ――目の前には一人の女。白髪で、着物を着てて。手から糸を出し、大鉈を作ると、あたしにニヤニヤしながら言った。

 

 ――ああ、そんなに怒って哀れだなあ。いっそのこと心の底から愉快で笑えるよ。

 

 ――そうやって妹めがけて武器を振り下ろし、血の海が広がって………。

 

 そこで、口を閉じた。

 かなりマイルドに話してくれたようだけどキツイ。

 家主さんは蒼白している。

 

「や、やってない! そ――そんなことを誰がやるものか!」

「……今の貴女を見ていると、確かにそうかもしれないですね」

 

 こゆりさんは何故かチラリと私を見てから、目を細めた。

 

「でもまあ……正直なところ、“糸使い”の件に関しては、偽物の記憶なのかもしれないとは半分は思ってます。……いくら何でも怪し過ぎるから……」

「……」

「それでも……何で貴女に似ているか説明がつかない。本当に貴女はやっていないんですよね? あの時の“糸使い”じゃあないんですよね?」

「ッ――」

 

 追い詰められたように息を飲む家主さん。彼女は今、どれだけ身の潔白を証明出来るだろう。更にこのタイミングで、静観していた柘榴さんが恐る恐ると言ったように喋り出す。

 

「ね、ねえ。……似ていると言えばで思い出したんだけど。結さん、ミズハって子、知ってる?」

「!?」

 

 その名前を聞き、家主さんは明らかに動揺した。

 冷や汗を浮かべている。震える声で尋ねた。

 

「あ、会ったことあるの? ミズハに」

「一回だけだよ。でも知り合いと色々あったから覚えてる」

 

 柘榴さんの表情筋はあまり動かないが、それでも不思議なことに苦々しい顔に見えた。恐らくあまりミズハという人に良い思い出がないのだろう。

 

「そのミズハと何処となく似てる気がするんだよね……結さん。どうして?」

「……! 待って柘榴。それ本当なの?」

 

 無論、その話にこゆりさんはすぐに飛び付いた。

 柘榴さんは頷く。

 

「うん。当然、それだけで結さんが犯人だと決めつけてる訳にも行かないけど――ただミズハも二年前に魔法少女になってるから、気になって……」

 

 それに私も、こゆりから“糸使い”の話を聞いてるからさ、と続けて。

 半ば確信するように。

 

「もしかしたらミズハとも繋がりがあるんじゃない。というよりミズハが“糸使い”に似ている可能性も――ッ!?」

 

 その瞬間だった。

 家主さんが、聞いたこともないような低い声で呟いた。

 

「それ以上はやめろ」

「え?」

「やめろ! ミズハの名前を出すな!! 聞きたくもない!!」

「……」

 

 殆ど錯乱に近かった。訳が分からないが、こゆりさん達は家主さんの地雷を踏んでしまったらしい。これには、彼女達もびっくりしたようで。

 

「やっぱりミズハと何かあるの?」

 

 踏み込むように聞いた。

 彼女達は答えて欲しい、教えて欲しいという懇願にも似た表情を浮かべている。ミズハさんというのは、それだけこゆりさん達にとっても重要な存在らしい。

 

 だが、家主さんは何も言えそうにない。怯えが出てしまっている。

 

「すみません。やめてあげて下さい」

 

 だから、私は反射的に庇うように家主さんの前に立っていた。守らねばと思ったのだ。

 そしてもう一度お願いした。

 

「お願いします。やめてあげて下さい」

「……夏音?」

「こゆりさん達の気持ちも分かります。とっても苦しんだんだろうなって。でも、結さんを追い詰めてしまってます。今日のところはお引き取り下さい」

 

 しかし、こゆりさんと柘榴さんは何か言いたげにしていた。まあ引き下がるに引き下がれないんだろう。

 だったらと私は呟いた。

 

「……初恋の人に意地を張って告白も出来ずやけ食い……亀甲縛りのSM本……」

「「あ――ああああああああああああああ!!」」

 

 勝手にバラシあった黒歴史なのにやはり息を揃えて二人は身悶える。

 効果は抜群だ。

 

「分かった! 分かったからそれやめて!」

「この子ヤバい! ガチだ!」

「……え、本当に誰か言うつもりなの?」

「そうだよ! 目がマジだもん」

「あ、あばばばばばばばばばばば――」

 

 こゆりさんは面白くもない変な子供のおもちゃのようにガタガタ震え始めた。最終的には真っ白に燃えつき、口からうっすらと魂のようなものが出ているかのようで……。

 

「あぴゃあ」

「こ、こゆりぃ!」

「……。……ふふ」

「ぎゃああああああああああああああああ!!」

 

 取り乱していた結さんでさえ笑ったのだから、柘榴さんも撃沈した。本人達は只事じゃないんだろうけど、側から見ればあまりに面白い。

 何処となく憎めないその人達は、堪忍したようにもう一度言ったのだった。

 

「分かったからもうやめてええええええええ!」

 

 ……本当に、切実な叫びだった。




二・五章新キャラ紹介及びキャラ設定一
色梨こゆり
牛木草最強の魔法少女。十六歳。牛木草を実質的に支配する牛木草の王、白亜日華に仕えている使用人。
一見冷たいように見えるが本質的には善良且つ流されやすい性格で、素はボッチ、隠キャ、意固地、ヘタレのコミュ障ポンコツ娘。しかし実は多芸で芸術分野において謎のクリエイター「ブランカ」として活動していたり、あっさりと皆が出来ないことをやってのける天才肌。ただし阿岡入理乃のように何でも出来る訳ではなく、あくまで偏った分野に特化した才能を持つ。
趣味はバイクの改造と美術館巡り。実家は出たが、日華のおかげで学校には通えている。ちなみに成績は結構悪い方。

江戸柘榴
こゆりの親友(こゆり側は腐れ縁と否定)。十五歳。こゆりとは元グループメンバーで、歌羽という魔法少女をリーダーとしてスリーマンセルを組んでいたが、なんやかんやあって仲が拗れ、現在でも違うグループに属している。明るいように見えるが実際はこゆり同様コンプレックスの塊であり、割と捻くれ者で腹黒い。
固有魔法は「増幅」。補助魔法に長けており、みいかという相方と共に魔法少女の身体、ソウルジェムの異常を健診する専門医のような立場となっている。


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