機動戦士ザクレロSEED (MA04XppO76)
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序章-ヘリオポリス襲撃

「連合によるモビルスーツ開発計画ですか? 正気の沙汰ではないですね」

 手に持った古風な黒電話風の受話器を通じて、ムルタ・アズラエルは溜め息混じりに言った。

 アズラエル財閥の所有するビルの一室。完璧に環境を整えられた快適な執務室にいるのに、アズラエルの顔には不快の色が現れている。

「MSだなんて。あの宇宙の化け物どもの真似事をして、戦争に勝てると本気で思って居るんですか?」

 アズラエルが反発するのは、何もコーディネーターへの嫌悪からだけではない。

「今から開発……まあ、機体が出来るのは早いかも知れません。しかし、動かす為のOSの開発の時間は? それに、訓練はどうするんです? MAのパイロットだって、1000時間を超える訓練をして、やっと一人前だというのに」

 MS自体は宇宙開発用の工作機械から発展した既存技術でもあり、完全に新技術というわけでもない。人型の機械人形を作るのは、難しいとは言えないかも知れない。

 一番、問題に思えるのが、OSと訓練時間だ。

 実際、MSと言う物は操作が煩雑であり、コーディネーターに対して基礎的な能力に劣るナチュラルでは、まともに動かす事すら困難な代物なのである。

 OSによるサポートに加え、パイロットの訓練も必要だろう。

 パイロットの訓練も、数週間で終わりと言うようなものではない。

 それを、戦時中に1から始めようという考えが、どれほど悠長なものか……だいたい、全部上手く行ったとしても、MSの運用に関しては、ZAFTが年単位で先を行っている。後を走ったところで、追いつけるとはとても思えない。

『ハルバートンが、調子に乗ったのですよ』

 電話の向こうで、答える男の声。その男の声も、苦々しさを強く表している。

 アズラエルは、電話の向こうの男の、苦虫をかみつぶしたような顔を想像した。映像付きの通信ならそれも見られたのだろうが……ZAFTがばらまいたNJのせいで通信機器はまともに使えず、有線の電話という古い物を引っぱり出して使うハメになっている。

 何事も、ZAFTのせいで、非常に忌々しい。

 男の声を聞きながら、戦争が始まって以来、続きっぱなしのイライラに浸っていたアズラエルは、電話の向こうの男……連合軍の高官なのだが、彼がハルバートン准将への不満を並べ終わるのを見計らって答えをかえした。

「多分、彼はモビルスーツ偏執症になったんですよ。病気です。静養をお勧めするべきですね。正常な脳なら、今からモビルスーツ開発を始めるとは言い出さないでしょう」

『モルゲンレーテに唆されたとも聞きますが』

 アズラエルは、オーブの敵対企業の名を聞いて眉を寄せた。

 平和主義の中立国を騙るオーブ。その国の企業が兵器開発分野に首を突っ込んでる。果ては、モビルスーツ開発にまで手を広げようと言うのか。

「モルゲンレーテなら、連合にスクラップを卸しても良いのでしょうね。自分達の国は戦争の外側ですから。連合が負けても、痛くもない」

 しかし、アズラエルにしてみれば、連合に負けて貰っては困る。

 ブルーコスモスの頭首であるという事もあるが、何より商売が立ち行かなくなる。路頭に迷ってしまっては、コーディネーターの粛正どころではない。

「やはり、MSなどより、今までの実績のあるMAを使用すべきです。MSの研究はしておくべきですが、この戦争には間に合いません。やはり、MAです」

『しかし、MAでMSに対抗できますか? 戦場では、一方的にMAがやられています』

 電話の向こうで、男が問うた。

 連合製MAのメビウスが、ZAFTのMSに対して5対1の戦力比と言われている。

 ドッグファイトに対応できる機種でその成績であり、他の船外作業艇モドキのMAでは、戦力比を考えるのも馬鹿らしい。

「当たり前です。過去の兵器は、現在の戦場に対応していないのですから」

 MAが負けているのは、MAがレーダーや通信が使えていた時代の兵器なのに、レーダーや通信が使用できなくなった戦場で戦ったからゆえの結果だ。

「とはいえ、いっそ今のままメビウスを量産しつづけても、今度の戦争には勝てますよ? 人口と資源の差を考えてください。こっちが揃えられる兵士とMAの数は、ZAFTの10倍以上なんですから。でもそれでは、無駄に資源を浪費して、人の被害を増やすだけです」

 宇宙の化け物が減るのは大歓迎だが、人の被害が大きいのは困る。だから……

「現在の戦場にあわせて、MAを作り直せばいいのですよ。攻撃力で負けているなら、より強大な火砲を持たせればいい。防御力に負けるなら、より重厚な装甲を。機動力で負けるなら、より高出力なバーニアを。MSを凌駕するMAを作ればいい。違いますか?」

 アズラエルは、言いながら机の上に置いてあるファイルを手に取り、そこに挟まれた資料に目をやった。

 アズラエル財閥兵器開発部門に属するMA開発研究所が上げてきた、新型MAの企画書である。

 そこには、アズラエルが上げた、攻撃力、防御力、機動力、全てにおいて現在のMAを凌駕する筈の物が描かれていた。

 新型MAの開発には、今までのノウハウが利用できる。だから、MSの新開発よりは、手堅い物が出来上がる筈だ。また、パイロットも、MAのパイロットが機種転換訓練をする事で対応可能。

 この新型MAは、MSなどよりも、兵器としての完成度は高くなるはずだ。

「新型MA開発プラン。やっと、本題に入れましたね。連合に対して、当社が提案する最新兵器というわけです。詳しい資料は、まずは貴方に1部……そして、後ほど公式に連合へもお送りします。さしあたっての根回しを、お願いしたいのですが?」

『わかりました。大西洋連邦派閥は、ハルバートンを良く思っておりません。対抗出来るプランがあるならば、多くが飛びつくと思われます。他の派閥からも、賛同者を探してみます』

「ありがとうございます。では、お礼はまた後ほど」

 電話の向こうの男が答えたのに満足し、アズラエルは受話器を置いた。

 そして、もう一度、手の中のファイルに目を落とす。

 新型MA……その姿は、MSに無い力強さに満ちている。

 これが、宇宙の化け物共が作った人形を次々に討ち滅ぼす……その想像は、アズラエルの顔に満足げな笑みを浮かべさせていた。

 

 

 

 ――その後。

 ハルバートン主導のMS開発計画に、対抗するように立てられた新型MA開発計画は、MS開発計画とは別枠で開発が進められる事となった。

 そして、完成した新型MAの先行量産機の一機が、ヘリオポリスへと運び込まれる。

 そこで開発された5機のMSとの評価試験に望むために。

 

 

 

「……大きいわね」

 マリュー・ラミアス技術大尉はドック内を見渡す指揮所の窓の傍らに立ち、停泊中の輸送船から降ろされている、コンテナの予想外の大きさに、そんな言葉を漏らした。

 このヘリオポリスで開発されたMSより、かなり大きい。新型MAとは聞いていたが、通常のMA等とは比べものにならない大きさがあるようだった。

 マリューは、輸送船の到着に伴い、荷下ろしに先んじて送られてきた分厚い資料をめくる。

 そして、その顔を疑問と不快さに歪ませた。

「こんな物を……連合軍は、本当に使おうというの?」

「当然です。新型機にかかれば、MSなど玩具みたいなものですよ」

 突然、かけられる不満げな声。マリューが顔を上げると、いつ指揮所に入ってきていたのか一人の連合兵がいた。どうやら、彼も技術士官らしい。輸送船に乗ってきたのだろう。

「搬入作業終わりました。受領証を確認していただけますか?」

 言いながら、書類を差し出してくる。

 マリューは、自分の不用意な発言が彼を怒らせた事に気付き、書類を受け取ってから詫びの言葉を探す。

「ごめんなさい。悪く言う気はなかったの。でも……」

「謝罪は不用です。ですが、開発に関わった者全てが、これで戦局を覆せると確信しています。ご理解、いただけますでしょうか」

「……ええ」

 口ではそう言いながらもマリューは、このMAは、好きになれそうにもないと思っていた。

 しかし、好悪の感情で、戦力をはかれるものではない。

 マリューは、手近のコンソールに触れ、港湾内各部署の作業進展状況を確認の後、受領証にサインをした。

「TS-MA-04X……受領。確認しました。任務、ご苦労様です」

「はい……では、テストの方をよろしくお願いします。もっとも、新型MAが負ける事は、絶対にないですが」

 根に持ったのか、受領証を受け取りながら技術士官は声だけは平静にそう言って、マリューに礼をして指揮所を出ていく。

 マリューは、彼の背が締まる自動ドアの向こうに消えるのを確認してから、溜め息をついて再び資料を見た。

「負けない……か。そうよね。MSの方はまだ、動かす段階にもなってないんだから」

 開発中のMSは、OSの開発で止まっている。現状では、ナチュラルが動かすことはもちろん、コーディネーターだって満足に動かせそうにもないのだ。

 その点、資料を信じるなら、手堅い技術で固められた新型MAは、ナチュラルによる動作テストを既に終了している。まあ、軍の公式の資料を疑う理由もないのだが。

 OS開発の技術者達に、またデスマーチの日々が訪れるのが目に見える。マリューも、それとは無関係でいられない事を考えると、溜め息ばかりが出てくるわけで。

「また、お肌が荒れるわね」

 つまらない事を言って気を紛れさせながら、資料のページを繰る。

 とにかく、この資料を一通り頭に入れようと……マリューはその場で資料を読みふけり始めた。

 

 

 

 ――そして、翌日。事件は起こった――

 爆音と砲声。合間を埋める銃撃音の中、マリューは格納庫を目指して、基地内の廊下を走っていた。

 突然、襲い来たZAFT。

 3機のMSが既に奪取され、残る2機のある格納庫も襲われている。

 一刻も早く格納庫へと向かい、MSの奪取を阻止しなければならない。あそこにあったMSは、ZAFTに対抗するために必要な物なのだから。

 MAの資料に熱中してなければ……

 マリューは、走り続けながら悔やんだ。

 MAの資料……技術士官として、魅力的なそれに熱中していたため、今日は格納庫へは行かなかった。普段なら、格納庫のMSの側にずっといただろうに。そうしていたら、MSに乗り込んででも、ZAFTを阻止できたかもしれない。

 しかし、現実は、遠く格納庫を見ながら走っているわけで……

 と、その時、轟音が響いて格納庫が炎と黒煙を上げた。

 中から、巨大な人影が2体、立ち上がる。連合製MS2機……

「しまった。遅かった!?」

 マリューは声を上げて足を止める。状況はあきらか……間に合わなかった。

 MSは全て奪われた。なら……どうする? 奪還する? どうやって?

 いや、その前に、ZAFTの攻撃の前に基地が……いや、このヘリオポリス自体が危ない状態にある。

 ZAFTを撃退しなければ……

 そこまで考えて、マリューはその存在を思い出した。

 資料には、操作マニュアルが付属していた。それに、MAの操縦も動かすくらいならした事がある。

「そうよ……見てなさい。まだ、武器は有るんだから!」

 そう思い至った瞬間、マリューは走り出していた。

 今度は、昨日、コンテナを運び込んだ格納庫へと。

 

 

 

 格納庫。いま、そこには誰も居ない。

 戦場より少し離れたせいか、砲声もやや遠く、むしろ静寂が勝っている。

 走り込んだマリューはようやく足を止め、両の膝に手をついて荒い息を沈めようとした。

 そして……彼女は見上げる。そこに居座る、連合製新型MAの姿を。

 そこに、巨大な顔があった。

 昆虫の複眼のような目。その目は前方に鋭く伸びた涙滴状の形で、前をぐっと睨み付けているように見える。

 その下には、大きく開いた口。5本の牙があり、今にも噛み付いてきそうだ。

 その巨大な顔の横には、先端が鉈になった腕が二本。

 足はなく、巨大な円筒状のバーニアが、後方に向けて伸びている。

 既存のMAとは全くかけ離れた……そして、MSとも違う。兵器としては、あまりにも異質な姿だ。

「……思ったよりも、良い面構えじゃない。やっぱり、見合い写真よりも、実物を見なきゃってところね」

 資料添付の写真で見たときには、その姿に呆れたが、実物を見ると、その巨大さもあって、身体が震えるほどの威圧感を感じる。

 伝説の中の魔獣と向き合えば、こんな気分になるのだろうか? そんな事を考えながらマリューは、新型MAのコックピットに向かった。

 ワイヤーリフトを使って、機体のコックピットまで上がり、中に入って座席に身を沈める。

 OSを起動。既存のMA用OSをバージョンアップさせたのであろうそれは、MSのOSとは違い、頭文字が「GUNDAM」と読める文字列を表示しない。

 ややあって、このMAの機体名が表示され、そしてMAは完全稼働を開始した。

「頼むわよ。貴方しか、いないの」

 マリューは呟きながらコックピットハッチを閉じ、操縦桿を手にする。

 そして、目の前のモニターに映る、凶悪な鋼の魔獣の名を目でなぞった。

 

 TS-MA-04X ZAKRELLO

 重火力、重装甲、高機動を併せ持つ、MSを凌駕する新型MA。

 

 ――連合製新型MAザクレロが、その姿を現した瞬間であった。

 

 

 

「ここまで壊されたんだから、追加で屋根の一枚くらい良いわよね」

 マリューは、ザクレロの姿勢制御バーニアを使って僅かに機体を浮かせた。

 そして、徐々に機首を上げ、ザクレロに上を向かせる。

「よし……じゃあ、行ってみましょうか」

 言うが、ザクレロは動かない。

 何か問題があったのかと、コックピット内を見回したマリューは、操縦桿を握る指先の震えに気付き、安堵とも苦笑とも取れぬ顔をした。

 緊張で、身体が動かなかっただけ。踏み込むべきフットペダルは、まだ軽く足が乗せられているだけだ。

「落ち着いて、マリュー。こんなの、入隊試験前の24時間耐久教科書丸暗記に比べたら、どうってことないわよ」

 気休めを言う。それでも、多少なりとも落ち着きは取り戻せた。

 こんどこそ……行ける。

「マリュー・ラミアス! ザクレロ、行きまあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!?」

 台詞の途中で、マリューの声は濁った悲鳴に変わる。

 フットペダルを躊躇無く踏んだ直後、マリューの身体を凄まじい圧力が押し潰した。

 ザクレロは、派手に噴射炎を吐き出した直後に飛び立ち、屋根を紙のように突き破って、コロニーの空へと舞い上がる。そして、そのまま一直線に加速を続けた。

 その間にも、複眼に似た複合センサーは周囲の空間を見渡し、精細な情報をコックピット内にもたらす。

 もっとも、中のマリューが、ザクレロの急加速で発生したGで押し潰されている状態では、その情報は何の役にも立たなかったが。

 ザクレロはコロニーのガラス面へと真っ直ぐに向かいながら順調に加速を続け、そのまま愚直にガラス面へと突っ込み、大穴を開けて宇宙へと飛び出していった。

 

 

 

「何だ、あれ」

 ZAFT製MSジンに乗っていたミゲル・アイマンは、格納庫を吹っ飛ばして一直線に空へと登っていった物を見送った。

 機体のデータが無いので正体はわからなかったが、少なくともMSではなかった。宇宙に飛び出したことだし、当面の脅威にはならないだろう。それに、外には隊長が居るはずだ。

 ミゲルは、MAを甘く見ている事に気付かないまま、今見た物のことを頭の片隅に追いやった。

「アスラン、ラスティ、撤退準備は?」

『OSの書き換え完了。大丈夫だ』

『…………』

 通信機に問うと、イージスのアスランが通信で答え、ストライクのラスティは無言のままストライクの手を振って答える。脱出準備は完了。

「じゃあ、先行したイザーク達と合流する。俺が最後尾になるから、二人は先に行ってくれ」

 ミゲルはそう言って、アスランとラスティを先に行かせた。

 この作戦は、連合製MSの奪取が目的。量産機のジンで支援に出たミゲルが、盾になるくらいの事は最初から折り込み済だ。それに、もし連合MS強奪組に何か有れば、ただではすまないと言う予想もある。

「政治家のお坊ちゃん達は良いよな」

 彼らを嫌いではないが、立場の違いはやりきれない。

 呟きつつ、ミゲルはジンを歩かせた。

 

 

 

 宇宙。そこでも戦闘は行われていた。

 連合製MSのパイロットを運んできた輸送船が、折り悪く今日の襲撃に巻き込まれたのだ。

 輸送船は、護衛の連合製MAメビウスの部隊を発進させて抗戦。

 しかし、ZAFTの側はローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフとナスカ級高速戦闘艦ヴェサリウスという戦闘艦2隻にMSジンの部隊という戦力。

 戦闘は一方的で、メビウスは次々に屠られていた。

 もはや、残るメビウスは1機のみ。メビウス・ゼロという、有線式ガンバレルを装備した特殊な物だ。

 最後に残ったそれも、白いカラーリングのシグーに一方的に追われ、苦戦の最中にある。

 シグーの中、ラウ・ル・クルーゼは顔を覆う仮面から垣間見える口元を歪ませて言った。

「どうも、君との縁もここまでのようだな。エンデュミオンの鷹くん」

 皮肉げに追いつめつつある敵のことを考える。

 エンデュミオンの鷹……ムウ・ラ・フラガ。連合のエースパイロットであるという以外に、色々と因縁のある相手だ。

 もっとも、ムウの方はラウをZAFTのエースパイロットとしてしか見ては居ないだろうが。

 だからといって、因縁をとくとくと語るまでもない。ラウにしてみれば、ムウは因縁があるにしても、歩む道に落ちた石に過ぎない。排除して進むだけだ。

 ラウがトリガーを引くと同時に、シグーはその手の重突撃銃から銃弾を吐き出す。

 銃弾の奔流が、宙を滑るように走るメビウス・ゼロの後を追った――

 

 

 

 ラウが、メビウス・ゼロの撃墜を確信した瞬間。虚を突いて、コックピット内に警報が鳴り響いた。

 コロニー方面に熱源反応。高速で接近中。

 それだけの情報を読みとったその時には、メビウス・ゼロは既に攻撃から逃れてしまっていた。

 タイミングの悪さを残念に思いながら、ラウは新たに現れた物を確認する。

「何だこれは?」

 大きさからすれば、脱出艇か何かにも思えるのだが、それにしては速度が速すぎる。驚異的な速度で、それは真っ直ぐにこちらへと突っ込んでくるのだ。

 ラウは、カメラの映像を拡大して見る。その時の操作……拡大率を若干大きめにしたのは、ラウの失敗であった。

「顔!? 巨大な顔だと!」

 拡大表示したモニター一杯に映し出されるザクレロの顔。

 凶悪なその人相に睨まれた瞬間、原初的な恐怖感がラウの身体を襲った。

「MA風情が、大きければ良いという物では!」

 僅かな恐怖が、判断を鈍らせる。

 ラウは、躊躇することなくMAに対するのと同じ対処を行った。

 その動作は正確無比であり、シグーの手にある重突撃銃から撃ち出された銃弾の奔流は、正確にザクレロを捉える。

 MAならば、それで粉微塵になる……そう、並のMAならば。

 ザクレロは、全ての銃弾をその装甲表面で弾いた。

 PS装甲ではない。ザクレロの重厚な正面装甲は、そんな物に頼らずとも、ZAFT製MSの基本装備である重突撃銃に耐えられる厚さが持たされている。

 敵に正面から突っ込み破砕するのがザクレロ。

「ちっ……」

 手元で、重突撃銃が最後の銃弾を吐き出し、弾倉が外れた。

 それを報せる警告音が、ラウを現実に引き戻す。あらゆる攻撃を正面から弾きながら迫る魔獣と言う悪夢から、現実へと。

「連合の新兵器……MSだけでは無いというのか!」

 回避をとラウは操縦桿を倒す。しかし、その動作は遅きに失していた。

 いや……それでもラウは早かったのかもしれない。致命的な直撃は避けられたのだから。

 ザクレロの口から、前方に広がる様にビーム粒子が飛んだ。それは、回避するシグーをわずかの差で、その効果範囲に捉えた。

 下半身にビーム粒子を浴びたシグーは両足を砕かれ、その衝撃は脱出の機会を奪う。

 直後、ザクレロは、脚部の爆発に煽られて宙を漂うシグーに突っ込み、はじき飛ばした。

 力の抜けた人形のように出鱈目に手足を振り回して回転しながらシグーは、宇宙の彼方へと飛ばされていく。

 不規則な高速回転の中、コックピットの中で出鱈目に振り回され、ラウはその意識を失った……

 

 

 

「!? あいつが消えた!」

 その瞬間、メビウス・ゼロの中でムウはその事実に驚く。と、同時に、今が最大のチャンスと言う事も察した。

「やっぱり俺は、不可能を可能にする男だったってわけだ! ここで、戦局逆転させられるなんてな!」

 ムウは即座にメビウス・ゼロを駆り、後方に位置するZAFT戦闘艦を目指す。

 指揮官であるラウを失ったことで、ZAFT側は軽い混乱状態にある。その空隙を突いて、ムウはナスカ級高速戦闘艦ヴェサリウスに肉薄する。

 機を逃してではあったが、ヴェサリウスは対空砲を撃ち始めた。

「遅いよ。残念だけど」

 弾幕を抜け、メビウス・ゼロは対装甲リニアガンの射界にヴェサリウスを捉える。同時、有線式ガンバレルは既に展開を終えて、艦の要所に狙いを定めていた。

 引き金を引く。

 ヴェサリウスの艦橋が、対装甲リニアガンの直撃を受けて引き裂かれた。

 そして、二つの有線式ガンバレルは砲塔に銃弾を浴びせ損傷を与える。残る二つ有線式ガンバレルは、艦の後方にまわって推進機に銃弾を叩き込んだ。

 ヴェサリウスは艦橋を崩壊させ、そして砲塔二つを拉げさせた。推進機の損傷は確認できないが、無傷とは行かないだろう。

「撃沈とまでは行かないか……っと」

 艦橋を破壊されたせいで一瞬止まっていたヴェサリウスの対空放火が復活した。ついでとばかりに、ローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフが接近し、対空放火をばらまき始める。

 十字砲火でメビウス・ゼロを確実に仕留めるつもりだろう。

 そうなる前に、ムウはこの空域から離脱する事を決めた。

「十分な戦果だね。で……あの、不格好なMAはどうなったかな?」

 

 

 

 一方でザクレロは、まるで何事もなかったかのように、そのまま飛行を維持していた。

 かなりの速度で宙を突っ走ったため、敵のいる場所からは遠く離れてしまっている。

「は……ははっ……落ちた」

 シグーを吹っ飛ばしたお陰で加速に歯止めがかかり、Gから開放されて座席から身を起こすことが出来たマリューは、フットペダルから足を放してコックピットの中でただ虚ろに笑う。

 操縦不能のまま真っ直ぐ敵に突っ込んでしまい、恐怖にかられて拡散ビーム砲のトリガーを引いた。後は全部、ビギナーズラックとザクレロの高性能さ、そしてザクレロの顔の怖さのお陰。

 誇る気分には全くなれない。というか、着ている作業服の、股間が濡れているのが不快で仕方なかった。

 無事だったとは言え、自機に対して銃撃を行う敵に真っ直ぐ突っ込んだのだ。その恐怖は、なかなかの物だった。その恐怖の残滓に、呆然としてしまったくらいに。

 と……その時、通信機が叫んだ。

『ザクレロの搭乗者! もうすぐ奪取されたMSが宇宙に出るぞ!』

「……うわ、そんなの相手するの無理。って、その声はナタル?」

 怒声じみた警告。その声を聞いてマリューは、知り合いの連合少尉を思い出す。彼女は、最新鋭強襲機動特装艦アークエンジェルの艦橋要員だったはずだ。

 改めて通信ウィンドウを見れば、そこには思った通りの顔があった。

『ラミアス大尉? 正規のパイロットでは……』

 ナタル・バジルール少尉の声は少し戸惑った様子だったが、すぐに元の調子に戻って言う。

『ラミアス大尉。奪取されたMSが外に出ます。すぐに撤退してください』

「でも、敵はどうするの!?」

 ZAFTがそこにいる以上、何とかしなければ殺されてしまう。ヘリオポリスを破壊されたら、民間人にまで被害が出る。

 そして、誰が戦えるかと言うと、自分達しか居ないのだ。

 しかし、ナタルは首を横に振って言う。

『ラミアス大尉が敵の指揮官を撃墜、また味方のメビウス・ゼロが敵戦闘艦に重大な損傷を与えたようです。敵もすぐには戦闘出来ません。今の内に、防衛体制を整えましょう』

「……それは、基地司令の命令? それとも艦長?」

 聞き返したマリューに、ナタルは深刻な声と表情で返した。

『……お二方とも、ZAFTに攻撃を受けた際に戦死いたしました。現在、士官は私だけです。下士官も兵も被害甚大で、手が全く足りていないんです。だから、私が代理で指揮を執っています』

 状況は、マリューの想像以上に深刻らしい。

「わかったわ。ザクレロ、これより帰還します」

 答え、マリューは操縦桿を握る。そして、慎重にそれを動かして、ザクレロの進路をヘリオポリスに向けた。

 

 

 

 ザクレロのコックピットの中、マリュー・ラミアスは慎重に操縦桿を傾け、それこそ舞い降りる雪片のようにそっとフットペダルに足を落とす。

 ザクレロは、マリューでも制御できる速度でゆっくりと動き出し、その進行方向をヘリオポリスに定めた。

 前方、ヘリオポリスから脱出する光点を、ザクレロの複合センサーが確認。

 内5機を連合機と判断したが、それが奪取されたMSで有る事は確実だった。

 一瞬、マリューは戦う事を考えたが、このまともに動かせないザクレロで6機のMSを相手にするのは分が悪すぎると判断する。

 そして次には、敵がこちらに来ない事を祈った。

「……そんだけ分捕ったんだから、これくらいは見逃しなさいよね。欲張りは嫌われるわよ?」

 

 

 

『敵がいるのだぞ! みすみす逃すのか!』

 通信機の向こうで騒ぐイザーク・ジュールに辟易としながら、ミゲル・アイマンは答えを返した。

「俺達の任務は、MSの奪取。それを完璧にこなす事が第一なんだよ」

『臆病風に吹かれたか! クルーゼ隊長の仇だぞ!』

 そう言う問題じゃないだろうイノシシめ。そんな感想が、思わず口から漏れそうになるミゲルだったが、言っても自分の立場を悪くするだけだ。

 ミゲルの役目は、要するに実戦経験のない若造共のお守り役。それでも、ここで任務を果たせば、明日の食事に繋がる。

 お守り役はお守り役で、ちゃんとその役目を果たさないと。

「だから……」

『イザーク、俺は死にたくないぜ?』

 茶々を入れるかのように、ディアッカ・エルスマンの声が通信に割り込む。

『こんな、マニュアル読みながら動かしてるようなMSで戦えるかっての』

「ディアッカの言うとおり。初めて乗った連合製MSで、クルーゼ隊長を落とした新型MAに勝てると思うのか? 無理無理」

 ラウ隊長が、連合の新型MAに落とされたとの連絡は、ついさっき届いていた。

 エースである隊長……しかも新型のシグーを一蹴した新型MA。それは確かにこの宙域に存在している。

 幸い、こちらに攻撃を仕掛ける意図はなさそうで、遠く離れた位置からこちらを監視しているようだった。

 この際、敵の気が変わって襲撃してくる前に、母艦と合流したい。

 こちらは、連合の新型MS5機を持っているとはいえ、乗ったばかりで操作に慣熟しておらず、戦力としてはとても評価できない。

 こちらから仕掛けるなら、少しばかり整備したり、機種転換訓練をしたりしてからでも遅くないだろう。

「とにかく、ここの先任は俺だ。まずは指示に従ってくれ。勝手な行動をしても、支援はしないぞ」

『ちっ……腰抜けめ!』

 通信が切れる。幸い、イザークも勝手に敵に攻撃をかける事はしなかった。

 ミゲルは天を仰ぎながら呟く。

「はいはい、腰抜けですよ。俺は、死ぬわけにはいかないからな」

 

 

 

「行ってくれたわね」

 遠ざかるZAFTのMSを見送り、マリューは安堵の息をついた。

 そして、操縦席にモニターにヘルプ画面を表示させて機能を確認しつつ、マリューは機体設定の変更をする。

「巡航モード……これ?」 

 設定を変えると、暴れ馬のようだったザクレロの反応が、ずっと穏やかになったのが実感できた。

 流石に戦闘モードの加速力ではコロニー内は飛べないと判断して、より穏やかな加速と低速度での安定した飛行をする為の巡航モードにしたのである。

 巡航モードでは低速度故に戦えないが、敵も退いた様なので、戦闘はもう無いと判断したのだ。

 ザクレロは、ヘリオポリスの港湾部からコロニー内へと入り、そして強襲機動特装艦アークエンジェルが潜む軍用のドックへと進路をとる。

「こちら、マリュー・ラミアス技術大尉です。ザクレロ、ドックに入りました。着艦許可を」

『了解、ラミアス大尉。シャトル用のデッキに着艦してください』

 アークエンジェルに送った通信に、ナタルの声が答える。

 本来なら通信士が答えるはずで、これはおかしいのだが、マリューはそこまでは気付かなかった。着艦に備え、緊張していたのだ。

 ザクレロは大きすぎて、MSや通常のMAが出入りするデッキからでは入る事が出来ない。

 そこで、シャトルやランチを出入りさせるデッキに入る。

 見れば、アークエンジェルの船腹の一部が開放され、そこから発光信号が送られていた。

 確認すると、ガイドビームも出されている。これなら、自動操縦で着艦が可能だ。

 ザクレロが自動で着艦するように操作し、あとはコンピューターに任せて、マリューは操縦席に身を任せて深く息をついた。

 なにか、凄く疲れた気分だった。

 ややあって、コックピットが揺れる。ザクレロが、デッキに着艦した衝撃。

 じゃあコックピットハッチを開けて外に出るか……と、考えたところで、マリューは自分の格好を思い出した。

「あ……どうしよう」

 作業服の股間に広がる染み。Gに潰されかけた時に失禁して、そのままになっていた。

 さすがに、このままでは出られない。しかし、この中にこもったままでは、どうする事も出来ない。

「でも、ずっとこもってたら、乾くかも」

 情けない解決策を思いつき、マリューは苦笑する。

 と、その時、何の前触れもなくコックピットハッチが開いた。

 外からの明るい光がマリューを照らす。そして、のぞき込むコジロー・マードック曹長。

「大尉! 初陣って奴はどうでした?」

 コジローの笑顔を呆然と見上げた後、マリューは顔を赤く染めて股の辺りを手で隠した。

「あ、ちょっと! ちょっと……待って……」

 慌てるマリューを見て、コジローはちょっと驚いた表情を見せた後、何か悟った様子で目をそらした。

「あの……見た?」

 マリューに問われ、コジローは着ていたジャケットを脱いだ。

「ああ、新兵はたいていやらかすんです。こいつを腰に巻くと良いですよ。下りたら、整備の更衣室へ行って、自分のロッカーから予備のツナギを持って行って良いですから」

「あ……ありがと」

 差し出されたジャケットを素直に受け取り、それを腰に巻く。

 そうしてからやっとコックピットで立ち上がるマリューに、コジローは後は任せろとでも言うかのような目線を向けつつ笑顔を見せる。

「掃除をして、臭い消しもまいときます。なに、痕跡が消えるまで、ここには他の誰も入れませんよ」

 シートも汚れている。これを内緒で掃除すれば、マリューの粗相はバレる事はないだろう。

「ありがとう、曹長」

「いや、良くある事ですんで」

 気にする必要はないと笑うコジローを背後に、マリューはザクレロのコックピットを出る。

 入れ替わりにコジローがコックピットに入ったのを見送ってから、マリューは昇降リフトを動かして高所に位置するザクレロのコックピットから、ドックの床へと下りた。

 そして、そのまま急いで更衣室に行こうとする。

 だが……その時。

 ドックに無遠慮な声が響いた。

「うっわ、格好悪! こいつに比べたら、俺のメビウスのが百兆倍は格好いいぜ!」

 ドックの中、一人のパイロット……ムゥ・ラ・フラガ大尉が、格納庫に置かれたザクレロを指さして笑っていた。

 戦闘が終わり、メビウス・ゼロでアークエンジェルに着艦した後、ザクレロの着艦を聞きつけてわざわざやって来ての行動だった。

「そこのパイロット! ザクレロを笑ったわね!? 時代遅れの役立たずに乗ってるくせに!」

 脊椎反射的に怒りを表し、マリューはムゥを指さして怒鳴った。

 それを聞き、ムゥも愛機をけなされて怒りを覚え、マリューに歩み寄る。

 しかし、マリューにある程度近寄って、彼女の体の一部……正直に言うと、はち切れんばかりの胸を見た時、マリューと諍いを起すのは損だと考えを改めた。

「怒ったなら謝るよ。君がパイロットなのかい?」

「ええそうよ。正規パイロットじゃないし、初搭乗だけど」

 怒りを保ったまま、マリューはムゥをにらみつけて答える。

 ムゥは、最初の接触を間違った事を少々後悔しながら、挽回を目指して言う。

「そうか。でも、初搭乗でMS1機撃墜……しかも、あの、ラウ・ル・クルーゼをだなんて凄いじゃないか」

「えぇっ!? アレ、ラウ・ル・クルーゼだったの!?」

 いきなり出てきたZAFTのエースの名に、マリューは驚きの声を上げる。

「ん? まあ、確実だね。あの、嫌らしい気配は他にない」

 答えて……ムゥは不幸な事にマリューからかすかな臭いを嗅ぎ取った。そして、不用意にも何も考えず言葉を続けた。

「凄い戦果だった。初めてでそれだけやったんだ。漏らしたって気にする事無いさ」

 そのムゥの声に、廻りで働いていた整備員が手を止めた。

 そして、マリューを一斉に見て、それぞれに無言のまま反応を示し、そして作業に戻る。

 直後、マリューは、容赦なくムゥのその頭をぶん殴った。

「バっカじゃないのあんた!!」

 

 

 

 しばらくの後、アークエンジェルの艦橋。そこに、マリューとムゥの姿があった。

 マリューの中でムゥの評価は、「私の可愛いザクレロを嗤って、わざわざお漏らしを皆にばらしたバカ男」という所まで落ちている。

 一方のムゥも、マリューの評価を「胸はでかいが、メビウス・ゼロを時代遅れのゴミ扱いしたクソ女」という所で落ち着かせていた。

 要するにあの後、喧嘩になり、お互いが乗った機体の貶しあいになったのである。

 感情にまかせての言い合いは、呆れて下りてきたコジローに止められるまで続いた。

 そして今、二人はナタル・バジルール少尉に呼ばれて艦橋にいる。

 ちなみに、マリューは新しい作業服に着替えを終えていた。

 ふたりは艦橋で、ナタルから現状を聞いている。ナタルは、僅かに疲れた様子で、それでも毅然とした態度を崩さずに言った。

「艦長も、基地司令も、他の士官も全員が戦死。残ったのは下士官と兵だけで、それも足りない状態です」

 状況は最悪。それだけは理解した。

「艦は動かせるの?」

 少なくとも、通信士は居ないらしい。マリューは、だからナタルが直接通信に出たのだと理解した。

 マリューの問いに、ナタルは頷く。

「最低限の人員は居ます。本当に最低限ですが。ただ、艦を統率する者が居ません」

「艦長か……」

 ムゥが唸る。艦長を欠いては、戦艦はまともには動かない。

「最高階級は、ラミアス大尉かフラガ大尉ですが」

 ナタルは、マリューとムゥを見ながら言った。

 それに、ムゥは即答する。

「俺はこの艦を知らない。艦長なんて出来ないぜ?」

「私は……」

 艦長、やっても良いかなとか、マリューは考える。しかし、

「ラミアス大尉。実は、アークエンジェルには戦力がありません。大尉には、MAパイロットとして、これからも戦って欲しいのですが」

「え? 何で!? MAパイロットぐらい、他にも……」

 マリューの問いに、ナタルは首を横に振った。

「敵の襲撃により、MAパイロットは全員が戦死しました。乗れると言うだけなら、他にも居るかも知れませんが、実戦経験があるのはラミアス大尉だけです」

「こいつ、MAパイロットなんじゃないの?」

 マリューは、ムゥを指さして聞いた。だが、直後にムゥは鼻でせせら笑って答える。

「俺は、あんな顔のでかい奴に乗るのはゴメンだ」

「何ですってぇ!?」

「フラガ大尉は、メビウス・ゼロがありますから。ラミアス大尉が、ザクレロに乗っていただけるなら、戦力はメビウスゼロとザクレロの2機を保有できます」

 激昂しかけたマリューを無視して、ナタルは戦力についての話をする。

 1よりも2の方が多い。単純な話だ。

「じゃあ、艦長はどうするの?」

 少々ふてながらマリューは聞いた。ナタルは、最初から決めていた言葉を返す。

「暫定的に、私が指揮を執ります。お二人には、それを認めてもらいたいのです。何分、私の指示に従っていただく事になりますので」

 階級が低いナタルが、この場でより高い階級の二人を差し置いて、勝手に艦長を名乗る事は出来ない。

 だから、承認が欲しいという。

「俺はそれで良い」

「……良いわ。ナタルなら、きっとやれる」

 ムゥは何でもかまわないからと承認し、マリューはナタルを信じてその職務を任した。

 というか、マリューは技術士官なので、艦の運用は門外漢なのだ。階級が高いという理由だけでは、人も物も動かせない。

 その点、ナタルは艦橋勤め。マリューよりは艦長に近い。

「ありがとうございます。艦長としての任務、つとめさせていただきます」

 ナタルは二人に、軽く敬礼して答えた。そして、

「では、早速、失礼して……」

 言いながらナタルは、艦長席に歩み寄り、通信機を手に取った。

 そして、基地及び艦内に向けて放送を行う。

「総員聞け! ナタル・バジルール少尉だ! ムゥ・ラ・フラガ大尉およびマリュー・ラミアス大尉の承認を受け、アークエンジェル艦長として命令を下す!

 技術関係者は、重要情報の回収。機密に関係有る物で、運び出せない物は全て破壊!

 陸戦隊はコロニー内の避難壕をまわり、連合国籍の者を全員集め、アークエンジェルに避難させろ!

 残る全兵は基地内の物資を、洗いざらいアークエンジェルに運び込みなさい!

 作業完了後、速やかに全員がアークエンジェルに乗艦。脱出する。

 総員かかれ!」

 

 

 

 キラ・ヤマト。そして、彼の友人であるミリアリア・ハウ 、サイ・アーガイル 、トール・ケーニヒ 、カズイ・バスカーク。

 工業カレッジの学生一同は、シェルターを出てカレッジに戻っていた。

 戦闘の巻き添えを食って崩壊した建物を眺めながら、校庭に腰を下ろして話し合う。

「戦争、始まるのかな?」

 カズイが、不安そうに呟いた。

 戦闘は一段落ついて、ZAFTは今はコロニーの外にいる。しかし、いつまた攻めてくるかも判らない。

「オーブは戦争に関係ないのに」

 ミリアリアが言う。

 実際にはMSを開発していたわけで、少なくともヘリオポリスだけは戦争に関係がある。

 だが、それを知っているのはこの場ではただ一人で、そのただ一人であるキラは思考にふけって話を聞いていなかった。

 戦場で出会ったアスラン・ザラ。かつての親友の事で、頭がいっぱいだったのだ。

「これからどうなるんだろ」

 カズイのぼやきがまた漏れる。

 と……そこに、遠くから車の音が聞こえてきた。

 トールが立ち上がって、音のする方を見る。

「連合のジープ? あれ、フレイじゃないか?」

「フレイだって?」

 その名を聞いて、サイが立ち上がる。

 その時には、ジープはかなり接近してきており、助手席で手を振るフレイ・アルスターの姿がよく見えた。

 ジープはそのまま走ってきて、一同の前で止まる。

 直後、ドアを開け放って、フレイはジープから飛び出した。

「サイ!」

 フレイはそのまま、婚約者のサイの胸へと飛び込む。

「……どうしたのフレイ?」

 フレイを受け止め、彼女の背中をそっと撫でながら、サイは聞いた。

 フレイは少しの間、サイの胸に身を預け震えていたが、ややあって口を開く。

「サイ……お別れなの……連合の市民は、連合の戦艦でヘリオポリスを脱出するって」

 ヘリオポリスはオーブ領だが、フレイを始め連合国籍の市民はそれなりにいる。

 彼らには、アークエンジェルに乗ってヘリオポリスを脱出するよう、命令が出されたのだ。

 それを聞き、トールはジープに残っていた連合兵士に詰め寄った。

「連合の人だけが逃げるんですか!?」

 オーブ国民を見捨てて逃げるのかというニュアンスの問いに、連合兵は強く言い返す。

「オーブ国民は、ここに居た方が安全なんですよ!」

「どういう事ですか? 説明してください」

 ミリアリアがトールを抑えて割って入り、連合兵に聞く。

 連合兵は、言い聞かせる口調で、説明を始めた。 

「ヘリオポリス行政府は、連合軍の撤退と同時に無防備都市宣言を出します。

 これ以上、このコロニーを戦場とさせないために、外のZAFTに降伏するんです。

 プラントとオーブは戦争をしてませんから、市民の安全は保障されます」

 まあ、オーブ領内であるヘリオポリスで連合のMS開発が行われていたのだから、オーブが政治的にZAFTから締め上げられる事は避けられないだろう。

 しかし、それはオーブ政府が責任を取る事であって、オーブ国民には罪がない。危害を加えられる事はないだろう。

「ZAFTの兵士に逢わないよう、しばらくは家に隠れている方が良いかも知れません。

 不安でも、武器は絶対に持たない事です。ゲリラと間違われると殺されても文句は言えません。良いですね?」

 連合兵は、アドバイスを付してトールとミリアリアを諭した。そして、付け加える。

「脱出と言えば逃げられるとお思いかもしれませんが、実際には軍艦への同乗ですから、敵に艦を沈められる危険がつきまといます。とても、安全とは言えませんよ」

「そんな危険なら、どうして連合の市民を脱出させるんです?」

 聞いたのはサイだった。フレイを抱きしめながら、思い詰めたように連合兵を見据えている。

「連合市民の場合、虐殺は無いにしても、収容所送りは確実です。政治的に利用される可能性もあります。連合軍として、保護しなければなりません」

 連合市民の場合は、オーブ国民の場合とは状況が違う。プラントの厚遇は全く期待できないのだ。

 説明を終えて、連合兵士はフレイに声をかけた。

「アルスターさん。そろそろ良いですか? 時間がありません」

「はい……」

 促され、フレイは名残惜しそうにサイから身を離した。

「サイ、待っててね? 戦争が終わったら、必ずヘリオポリスに戻るから。必ずよ?」

「……でも……いや、わかったよ…………」

 サイは答えに詰まり、いくつもの言葉を飲み込んで、やっとそれだけを言う。

 そのまま、どうする事も出来なくて俯くサイ。

「サイ」

 フレイは名を呼ぶ。直後、サイの口に、フレイは唇を押しつけた。

「さよなら」

 そしてフレイは、泣き顔を隠す為にサイに背を向けジープに駆け乗る。

「行ってください!」

「…………」

 連合兵は、フレイの気持ちを思いやって、無言のまま車を走り出させた。

「フレイ!」

 後を追って走ったサイだったが、その足は数歩で止まる。ジープに追いつくすべはない。

 そしてサイは肩を落とし、大地に膝をついた。

「サイ……」

 トールが、サイの肩を叩き、そして言葉に詰まる。なんと言ってやればいいのかわからない。

 かわりに、ミリアリアが気遣わしげに声をかける。

「大丈夫よ。フレイも言ってたでしょ? しばらく経てば、またここで逢えるわよ」

「でも、外にプラントの軍艦が居るんだろ? 逃げられるかな?」

 カズイが空気を読まず、余計な事を言った。

 直後、トールとミリアリアに睨まれ、カズイは黙り込む。そして……

「……フレイ」

 その名を呼び、サイの顔が苦悩に歪む…………

 

 

 

 一方。

 サイとフレイの愁嘆劇を横目で眺めながら、キラはフレイの事を心配しつつも、他の事を考えていた。

「アスラン……」

 横恋慕の美少女なんていう浮ついた事より、かつての親友の方が大事だと……

 しかしキラは気付いていなかった。サイを見るとイラつく自分と、だからこそ無意識にサイとフレイの事を考えず、アスランの事を考えている自分に。

 だが、悩んだにせよ、どうせキラに出来る事なんて何もないのだ。

 フレイを守って戦える訳じゃなし。アスランの真意を問い質しにZAFTまでいけるわけじゃなし。

 何せ、MSに乗ってる訳じゃないのだから。



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ヘリオポリス脱出

「っ!」

 大地に膝をつき、うなだれていたサイ・アーガイルは、おもむろにその顔を上げた。

 そして、立ち上がるや、港とは逆の方に走っていく。

「おいっ、何処に行くんだサイ!?」

 トール・ケーニヒが、そう声をかけながら追おうとする。それを、ミリアリア・ハウが腕をつかんで止めた。

「そっとしといてあげましょうよ」

 サイは、婚約者のフレイ・アルスターと別れ別れになる。

 その悲しみを癒そうとしているのだと、ミリアリアは想像していた。

「……そうだな」

 トールは、ミリアリアの言葉に従い、サイの背を見送るに終わる。

 サイは、市庁舎がある市街中心部に向かってがむしゃらに走っていき、やがてその姿を消した。

 見送りが終わったところで、カズイ・バスカークが言う。

「なぁ、僕等も家に帰らない? さっきの兵隊さんも、ZAFTが来るから隠れてろって言ったし」

「そう……だなぁ。とりあえず、皆の無事は確認できたし」

「そうね、ここにいても、何もできないもの」

 トールと、ミリアリアは、カズイの言葉に賛同する。

 そして、トールはキラ・ヤマトに聞いた。

「キラはどうするんだ?」

「……ZAFTが来るんだよね? 会いに行けないかな?」

 キラが返した言葉は、トールの質問に答えてのものではない。

 今までの話など聞いていなかったので、トールの問いに、反射的に自分の考えが口に出た。

 キラは、ZAFTがヘリオポリスに進駐してくるというのなら、アスラン・ザラに会えないかと考えたのだ。

 その答えに、トールは僅かに眉をひそめる。

「ヘリオポリスをこんなにした敵と会いに行ってどうするんだよ?」

「アスランは敵じゃない!」

 キラは、突然表情を怒りに変え、トールに向き直って叫ぶ。

 が、その怒りは、トールの前で萎れるように消えていった。

「敵じゃ、ないんだ……」

 何か意味ありげに言うキラ。

 トールは訝しげにキラを見、同じく訝しげにミリアリアがキラに聞く。

「何かあったの? アスランって、誰?」

「昔の友達なんだ。でも、ZAFTの兵士になっていた」

「それは……」

 キラの答えを受け、トールは言葉に詰まった。

 旧友と敵味方に別れての再会。どう答えたものか。

 気休めを言って慰めるには、トールの口は上手くなかった。

 と、トールが悩んでるところに、カズイが口を挟む。

「キラ、それあんまり言わない方が良いよ? みんな、ZAFTを敵だと思ってる」

「でも、アスランは敵じゃないんだ!」

「……まあ良いけど」

 反射的に叫ぶキラに、カズイはもう忠告するのを止めようと思った。

「家に帰ろうよ。キラも帰った方が良い。僕は帰るよ」

 

 

 

 ローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフの中。

 MSデッキからパイロット用の二人部屋に戻ってきたミゲル・アイマンは、同室のオロール・クーデンブルグの声に迎えられた。

「見つからなかったな」

 一足先に帰ってきていたオロールは、ベッドに腰をかけながら暗い表情で苦笑いしている。

「キザな仮面が気に入らない奴だったけど、こうなると哀れでしょうがない」

「ああ……苦しまないと良いな」

 ミゲルもオロールに同調して頷く。

 ヘリオポリスからのMS奪取の直後、ミゲルやオロール等ガモフのMS部隊、そして連合MSに乗った赤服達までが周辺宙域を捜索していた。

 しかし、ラウ・ル・クルーゼが乗ったシグーは見つからないまま……ついに捜索は打ち切られた。

 誰もいない宇宙を何処までも漂いながら、徐々に汚れていく空気の中で、いつか遠くない死を迎える時を待つ。

 宇宙で戦う者にとって常に覚悟しなければならない……そして、出来るならば避けたい、最悪の死だ。

 ミゲルは、重い気分で自分のベッドに這い上がり、横になる。

 時間がどれだけあるか判らないが、少しだけでも寝ておこうと。

 そんなミゲルに、オロールは聞いた。

「これで、ミゲルがMS隊の隊長か?」

「そうなる。でも、赤服新兵達は俺の管轄外になるだろうな。肩の荷が下りたよ」

 ミゲルのどうでも良さげな返答に、オロールは舌打つように返す。

「赤服共は連合から奪取した機体でプラントに凱旋か」

「仕方ないだろ。そもそもが、議員の御子息達に箔を付ける為の作戦だったんだ。

 英雄が生まれれば戦意も上がる。目的は果たしたのに、このまま戦場を引っ張り回す方がどうかしてる。

 それに、俺達にだってボーナスぐらいは出るだろう」

「ボーナスか……へへっ、そりゃ良い」

 オロールの嬉しげな声に、ミゲルは興味を覚えた。

「どうしたんだ?」

 聞いたミゲルの顔の前に、開かれた雑誌が突き出される。

 そこには、真っ赤なスポーツカーの写真が載っていた。確か、大人気の最新モデルだった筈だ。

「もう少しで金が貯まるんだ。ボーナスが出たら、一発さ」

 オロールは、それが楽しみでならないらしく、満面の笑みで続ける。

「俺、こいつを買ってストリートを乗り回すんだ。

 ミゲル、お前も乗せてやるよ。他の誰よりも先に乗せてやる。

 そして、後ろには女の子を乗せようぜ。なに、この車でナンパすれば飛び乗ってくるさ」

「ああ、そりゃ良いな。約束だぞ」

 ミゲルも自然、微笑みながら返す。そう言うのも良い。

 ミゲルは、ベッドに寝直して、睡眠を取る事に決めた。

 オロールはそれに気付き、邪魔をしないように自分のベッドへと戻る。

 ミゲルは眠りに落ちるその時、真っ赤なスポーツカーとそれを運転するオロール、助手席に座る自分、そして後部座席ではしゃぐ弟の姿を思い描いていた。

 

 

 

「誰か!?」

 宇宙港の軍の管轄区入り口の通路に立っていた歩哨の連合兵は、走り寄ってくる人影に銃を向けて誰何した。

 人影……サイはそこで足を止め、荒ぐ息を整えながら、大事に持ってきていた紙を二枚差し出す。

「帰化申請書! そして、兵役への志願書です! 連合軍に志願します!」

 大西洋連邦への帰化を希望する事。そして、その為に兵役につく事。

 書類が表すのは、この二つ。

 連合兵は驚き、思わず銃を下げる。

「落ち着けよ。何を言ってるんだ?」

 落ち着けとサイに言いながら、明らかに狼狽えている連合兵に、サイは落ち着いた様子で言い返した。

「連合軍に志願します」

「……志願って、今の状況が判ってるのか? オーブ人なら、脱出しなくても……」

「判ってます。でも……」

 サイは、僅かな逡巡の後に、決意を込めてはっきりと言い放つ。

「守りたい人が、連合国籍なんです。連合の船に乗っているんです」

 フレイを守る為に、一緒にいる為に、サイは連合軍に入る事を決めた。

 この事は、友人達には内緒にしている。

 彼らを巻き込みたくない。特に、トールあたりは、一緒に志願するとすら言い出しかねない。

 だから、一人で決め、一人で実行した。

 崩れかけて閉業中の市庁舎から申請書を取ってきて、必要事項を書き込んだ後、ここまで走ってきたのだ。

 サイにそうまでさせたその決意は、連合兵も察した。

 幾つか、止めさせようと説得の言葉を探し……そして言葉を見つけられず、連合兵は諦めて通信機を手に取る。

「……わかった。確認してみる。待ってろ」

 

 

 

「志願兵? ……わかった。書類がそろっているなら受け入れよう。まず物資搬入作業の方へ」

 艦橋で指揮を執っていたナタル・バジルールに届いた確認。

 忙しい時間の中、ナタルは深く考えずに許可を出した。

 ともかく、人手が欲しかったのだ。

 アークエンジェルでは、凄い勢いで脱出準備が行われていた。

 連合国籍の市民の避難誘導とアークエンジェルへの物資搬入が急ピッチで行われている。

 脱出までのタイムリミットに設定した時間は五時間。とはいえ、これは目安にすぎず、敵に動きが有れば即座に対応する事になるだろう。

 一刻とて、無駄には出来ない。ナタルは、全ての作業を監督していた。

「どうした? 重要情報の回収は終わったか。残りがある?」

 新たに来た通信にナタルは答える。

 基地にあった重要情報の回収や破壊をしていた班から、手を付けられる場所は全て終わったとの連絡だった。

 コンピューターの中にあった情報や、機密書類などの重要な物に関しては処理したという。

 しかし一部、基地が破壊された事により、瓦礫などに埋まったお陰で近寄る事も出来ない物もあった。

 技術者の私物のコンピューターや、MS用の予備部品などだという。

 ナタルは、工兵かMAを使って破壊する事を考え……

「残った情報は、MSに関係する物だけか? 連合の軍事に関わる物は? ……無いか。

 MS開発の情報なら、放棄もやむを得ない。作業を終了させて、アークエンジェルに戻ってくれ」

 MSは、どうせ現物が敵に奪われている。情報の漏洩はもう避けられない。

 ならば、多少の追加情報は諦めて、人員を戻して脱出準備をさせるべき。ナタルはそう考えた。

 通信機の向こうからは、了解の声が返る。ナタルは通信機を置いた。

「残るは、避難民の収容と物資積み込み。そして……」

 呟くように言って、艦橋の天井を見上げる。

「港を出てから、ZAFTと一戦か」

 それは、他の何よりも困難な仕事だと、ナタルは頭を悩ませていた。

 

 

 

 一方、MAパイロットの二人は、アークエンジェルの格納庫でシミュレーターをやっていた。

 シミュレーターに乗るのはマリュー・ラミアス。そして、教官はムゥ・ラ・フラガ。

 シミュレーターに表示されるTS-MA-04Xザクレロのスペックを見て、ムゥは呆れたように声を上げた。

「良く生きてたな。これ、正規のMA乗りでもなければ死ねるぞ」

 ベテランのムゥから見ても、ザクレロは人間の限界に挑戦でもしたのかと聞きたくなる代物だった。

 いや、格闘戦用MAなどというカテゴリーからして冗談にしか見えないのだが。

 高速で敵に突っ込み、近距離で拡散ビーム砲を浴びせ、ヒートナタで叩き斬るなんていう戦い方は自殺行為にも思える。

「加速でかかるGで、ペシャンコになるって話? 安心して、もう体験したわ」

 マリューは軽く言い返す。加速の洗礼には晒されていた。でも死にはしなかったと。

 しかし、ムゥはマリューの甘さを嗤って言葉を返す。

「気絶しなかったんだろ? じゃあ、まだまだこいつのスペックを引き出せてない。いや、引き出せなかったから助かったとも言えるか」

 本来の加速力を出していれば、マリューはすぐに気絶していた事だろう。

 パイロットが気絶してしまえば、MAはただの棺桶だ。撃墜か、もっと運が悪ければMIAが待っている。

 MIA……戦場での行方不明の意味だが、広大な宇宙で行方不明になると言う事は、多くの場合、絶望に満ちた最後を迎える事を意味していた。

「何がどうあっても、五時間で、あのパンプキンヘッドを乗りこなせるようになってもらうからな」

「あんた、また私のザクレロを馬鹿にして!」

 ムゥの軽口に、シミュレーターの中からマリューが怒声を返す。

 しかしムゥは、冷静な風でマリューに言い返した。

「お前を馬鹿にしてるんだよ、お漏らしちゃん。悔しかったら、一人前になって見せろ」

「後で吠え面かかせてやるから、おぼえてなさい!」

「とりあえず、速度調整ができるように練習だな。自分の思った速度が出せないんじゃ、戦いようがない」

 ムゥはマリューを無視して、第一の練習メニューを決めた。

 もの凄く初歩的な事なのが、それだけにこれが出来ないと困る。

「ほれ、フットペダルの強弱だけで一定速度を維持してみろ。直進になれたら、旋回やロールもやるから、早く慣れろよ」

 シミュレーターは、一定の加速度や速度を外れると警報が鳴るようにしている。安定した動きを教える為に。

 しかし、直後に鳴り響き、いつまで経っても鳴りやまない警報に、ムゥは思わず天を仰いだ。

「不可能を可能にする男でも、こいつは無理かぁ?」

 

 

 

「来たか! 物資搬入作業の手伝いをしてもらうぞ!」

 アークエンジェルの元まで来たサイは、そこで作業の監督をしていたらしい、如何にも無骨な姿の連合兵にいきなりそう言われた。

 アークエンジェルの置かれている港には重力はない。

 それでもサイは慣れた様子で、連合兵の側まで飛んだ。

「え? でも、書類は……」

「大事に取っておけ! 後だ後!」

 書類も出してないし、兵士らしい格好もしていないサイを使うらしい。よほど、人手不足なのだろう。

 連合兵は、サイを見て無遠慮に言った。

「ひ弱そうだな? お前、何が出来る?」

「あ……はい。工業カレッジの学生で……」

「船外作業艇に乗れるか?」

 自分の技能とかを真面目に教えようとしたサイだったが、連合兵は全く耳を貸さずサイに聞く。

「はい、選択授業で資格を取りました。免許もあります」

 サイがとまどいながら答えるやいなや、連合兵は大きく頷き、アークエンジェルの格納庫内に入るように促す。

「動かせる奴がいなくてな。ミストラルが余っている。それで、荷物の搬入作業をしろ」

「ミストラル……って、軍用機じゃないですか!?」

 サイは思わず声を上げた。軍に来て早速、そんな物に乗せられるとは思っても見なかったからだ。

 MAW-01ミストラル。旧式ではあるが、現在も使用されている立派な軍用機だ。

 連合兵について格納庫に入ったサイは、捨てられたように格納庫片隅に置かれた機体を見る。

 その側までサイを案内してから、連合兵は言った。

「ZAFTの機械人形が出てからは、ただの棺桶だ。戦闘に使う奴はいない。

 だが、船外作業には十分に使える。ひ弱な坊やが荷物を運ぶよりは役に立つだろう。

 火器管制のスイッチは入れるなよ。一応、武装はあるが荷物運びには必要ない」

「はい、わかりました」

 拒否するという選択は意味がないので、サイは素直にミストラルに乗った。

 中は、基本的には船外作業艇と変わらない。というか、民生用のミストラルになら、サイも乗った事がある。

 ミストラルを起動させ、OSが立ち上がるのを見守った。

 OSの中身も、民生用と大差ない。

 ただ違うのは、起動メニューの中に火器管制という項目がある事だった。

 機関砲二門という貧弱な武装ではあるが、これが兵器なのだと思い起こさせる。

「本当に軍に来たんだな……」

 胸の奥に後悔がわく。今になって、怖いという気持ちがふくれあがってきた。だが……

『おい! グズグズするな! 準備が終わったらさっさと格納庫から出ろ!』

 ミストラルの通信機から飛び出てきた、先ほどの連合兵の怒声が、サイの意識を現実に引きずり戻す。

「はい、今出ます!」

 サイは通信機に答えてから、ミストラルをゆっくりと動き出させた。

 

 

 

『連合軍の脱出と同時に、ヘリオポリスは無防備都市宣言を出し、降伏します。

 これ以上の攻撃は、ヘリオポリスの崩壊があり得ますので、避けて頂きたいのです』

「なるほど、そちらの状況は判りました」

 ヘリオポリスの行政官からの通信に、ローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフの艦長ゼルマンが、艦橋の艦長席に座して応じていた。

 ゼルマンは今、部隊指揮を執る役目を負っている。

 ラウ・ル・クルーゼはMIA。つまりは行方不明。

 ナスカ級高速戦闘艦ヴェサリウス艦長のフレデリック・アデスは、艦橋を破壊されて戦死。

 もうゼルマンしかいないのである。

「わかりました。ヘリオポリスへの直接攻撃は避けましょう」

 ヘリオポリスを破壊すれば、自国のコロニーを破壊されたオーブが、プラントに対して敵対するかもしれない。

 オーブは永世中立を謳ってはいるが、どう転ぶのかなど軍人のゼルマンには判断がつかなかった。

 ただ、無闇に攻撃して自国を不利にするような真似はすべきではないという自制はある。

「しかし、連合軍が抵抗する以上、どうしても戦闘に巻き込んでしまう可能性が……」

『ヘリオポリスの、損傷部位のデータを今、送らせて頂きました。

 特に損傷の大きい部分への攻撃を避けるだけでもお願いします。

 それと……ヘリオポリスを傷つけないように戦う為に、お役に立てばよろしいのですが』

 行政官の微妙なニュアンスを込めた言葉に、ゼルマンは興味を引かれた。

 直後、ゼルマンに通信士が声をかける。

「艦長、ヘリオポリスから送られてきたデータに、連合の新型艦のデータがあります」

「なるほど……これは助かりますな」

 ゼルマンの答えは、通信の向こうの行政官へのものだった。

『いえ、これから降伏する身です。寛大な処置をお願いしたい』

 ヘリオポリスは尻尾を振る相手を変えてきたのだろう。いや、それとも行政官の個人的なサービスかもしれない

 何にせよ、ヘリオポリスは今、全力で保身をはかっている。

 所詮はナチュラルだからと内心で嘲笑い、ゼルマンは答えた。

「了解した。本国にも掛け合おう。ヘリオポリスの扱いも、貴方の身の保証も」

『ありがとうございます……』

「では、これで失礼」

 行政官の媚びた台詞は、ゼルマンは最後まで聞く事もなかった。それよりも、早く考えなければならない事がある。

 ゼルマンは通信を切ると、現在残された戦力の確認を始めた。

 

 

 

 ヴェサリウスは艦橋を失い、推進器も破損している。幸い、自沈する事はないが、とても戦闘には使えない。

 まともに使える戦力は、ガモフ一隻とガモフに搭載してあった三機のジン。

「いっそ、合流してから叩くか?」

 後続のローラシア級モビルスーツ搭載艦ツィーグラーが、合流する予定になっている。

 それには、ミゲル・アイマン専用ジンを始め、何機かのMSが積まれているはずだ。これは大きな戦力になる。

 しかし、合流予定日時はまだ先。合流してからとすれば、連合に逃げる時間を与えてしまう。

「やはり、今ある戦力だけで、一戦は避けられないか」

 連合MSが、戦力として使い物になるかどうかが判断のしどころだった。

 何せ、奪取に成功はしても、その後の実戦投入で失ってしまっては何の意味もない。

 ラウなら惜しみなく実戦投入を決断したかもしれないが、ゼルマンはラウと違い責任感の強い男だった。

 そこで、ゼルマンは連合MSを二軍と見る事にした。

 ヴェサリウスに搭載して戦場から遠ざけ、ガモフの背後に置く。ガモフの後背の索敵と、ヴェサリウスの護衛を任務とするのだ。

 では、残る戦力でどう攻めるか……ゼルマンは考え、決断を下す。

「ジンをD装備で出撃準備させておけ」

 通信機を取り、言葉短くMSデッキに伝える。

 D装備……「M66 キャニス短距離誘導弾発射筒」「M68 パルデュス3連装短距離誘導弾発射筒」「M69 バルルス改特火重粒子砲 」

 拠点攻撃用重爆撃装備と呼ばれる、そのままの意味の任務に使われる装備だ。

 MAの様な高機動兵器に使うのは馬鹿げている。しかし、重突撃銃を易々と弾く装甲を持つMSに対抗できる武器は他にない。

 それに、ヘリオポリスから連合の戦艦が出てくるところを一気に叩けるのは、おそらくD装備だけだ。

「しかし、戦艦……そして、新型MAか」

 ヘリオポリスから渡されたデータを、手元のコンソールに呼び出して読む。

 写真と、外観から予測したデータが主で、軍の内部資料的な物ではない。おそらく、オーブ側が勝手に集めた資料なのだろう。

 ただ、予測値であっても、その性能は明らかにローラシア級モビルスーツ搭載艦を超えていた。

 それは良い。MSが三機あれば、戦艦一隻など幾らでも落とせる。

 だがそれは、MSが戦艦に取り付く事が出来ればの話だ。

「やはり、新型MAの性能次第だな。張りぼてだと良いのだが」

 ゼルマンは呟く。

 しかし、クルーゼを落としたという一点だけを理由として、新型MAの性能を侮る事は出来なかった。

 

 

 

 ナタルは、アークエンジェルの艦橋で艦長席に座り、コンソールに表示した時計を睨んでいた。

 そんな彼女には、各方面から最終報告が上がってきている。

 連合国籍の市民の収容は完了。一部、残る事を決めた者や、行方不明の者を除き、全員が収容された。

 物資の積み込みは概ね完了。基地の備蓄物資を相当量運び込んだはずだが、具体的に何があるかはまだまとまっていない。

 何か、足りない物があるかもしれないが、今はどうしようもない。

 タイムリミットに伴い、作業をしていた全連合兵はアークエンジェルに搭乗を完了。残っている者は居ない。

 アークエンジェルは今、その全機能を立ち上げ、出航の準備を終えていた。

 ナタルの見る時計が、時間が来た事を示す。

「……アークエンジェル、出航!

 全クルー、戦闘準備! 港を出てすぐ、会敵するぞ!」

 ナタルの号令を受け、艦内各部署が動き出す。始まる戦闘に向けて。

 

 

 

「さあ、行きましょうかザクレロちゃん」

 マリューは、ザクレロのコックピットの中、ナタルの声を聞いていた。

 ザクレロは、アークエンジェルの外におり、アークエンジェルに先行して外に出る。

 待ち伏せの敵があった場合に、それを蹴散らす為に。

 ザクレロは浮上、練習の成果あってか、戦闘モードであるのにゆっくりとした動きで……

 と、思った時、ザクレロは急加速した。壁に突っ込む……直前に急制動。跳ねるような動きで、方向を変え、港出口めがけて疾走する。

「あああああっ! ストップ! ストップぅっ!」

 マリューの悲鳴が響き渡る。

 

 

 

「何やってるんだ……」

 回線を開いていたムゥは、メビウス・ゼロのコックピットで舌打ちを打つ。

 メビウス・ゼロは今、アークエンジェルの中。

 アークエンジェルがヘリオポリスを出てから射出される事になっている。

 戦闘では、アークエンジェルの直掩と、ザクレロの後方支援を受け持つ。

 だが、マリューの操縦では、メビウス・ゼロが支援に出るまで生きているかどうか。

 やはり、五時間程度の練習では、付け焼き刃にもならなかった。

「……死ぬなよ。そこまで、でかいおっぱいは貴重なんだ」

 誰も聞かない冗談……あるいは本音を言って、ムゥは出撃の時を待つ。

 

 

 

 通信機からあふれ出すマリューの悲鳴に、通信士がナタルを困ったような目で見た。

 ナタルは一抹の不安を覚えながらも、冷静を装って命令を出す。

「作戦通りだ。ザクレロの後に続いて外に出ろ」

 アークエンジェルは、特に何の問題もなく動きだし、ザクレロの後を追う。

 今、アークエンジェルは、ヘリオポリスから出航した。

 

 

 

 ザクレロはヘリオポリスの港口から、ザクレロから見て左側の壁に体を擦るようにしながら宇宙に飛び出した。

 削れた壁材が、火花となってザクレロを取り巻き、その機体を宇宙に鬼火のように輝かせる。

 直後、二本の光条が港口の前で交叉した。ザクレロはその光条の隙間を擦り抜ける。

 その光……ビームを放ったのは、ミゲル・アイマンとオロール・クーデンブルグのジンだった。

「正直には出てこないか!」

 ミゲルは舌打つように声を上げる。

 ザクレロが飛び出した瞬間に、M69 バルルス改特火重粒子砲 で予測射撃を行った。

 単純にまっすぐ出てきたなら、今の一撃はザクレロをとらえていただろう。

 しかし、ザクレロは壁面に体をすりつけるようにして飛び出し、攻撃を避けて見せたのである。

「オロール! 敵はやるぞ!」

『見たかよ! どうする本物の化け物だ!』

 ミゲルの通信に、オロールの興奮した声が返る。

 その声に混じるもの……ミゲルが感じたそれと同じものが、ミゲルの心の奥にも宿っていた。

「ああ……ふざけた姿だぜ」

 僅かな手の震え。

 ミゲルは、操縦桿を強く握りしめてその震えを消す。

 恐怖……闇に潜む猛獣を恐れるのと同じ、原初的な恐怖。

 鬼火のように燃えるザクレロの姿が、それと対峙する者達の心に恐怖を植え付けていた。

「手はず通りだ。俺達で押さえるぞ!」

 ミゲルは通信機に向けて声を上げ、恐怖に揺らぐ意識を戦いに引き締める。

 今は怯えている時ではない。それは、オロールにもわかっていた。

『了解! 猛獣狩りだ!』

 ミゲルとオロール、二機のジンは、一時飛び去ったザクレロを追って身を翻した。

 

 

 

「あっ……危なかったぁ……」

 ザクレロのコックピットの中、マリューは胸をドキドキさせながら青ざめた表情で言った。

 思いっきり操縦ミスをして、壁を擦った時にはどうなる事かと思ったマリューだったが、結果としては無事に外に出られたわけだ。

 なお、操縦ミスのお陰でジンの攻撃が当たらなかったという幸運には気付いていない。

「それより、敵は!?」

 気を取り直してモニターを見る。複眼センサーが捉えた状況が、表示されていた。

「敵は二機……」

 ザクレロを追尾するのは二機のジン。ザクレロが港口から飛び出した際に、二機は後方に置いてきてしまっていた。

「出航の邪魔はさせないわよ!」

 言ってマリューは操縦桿を引く。

 方向転換。機体を斜めに傾けながら緩やかに旋回して、ザクレロは二機のジンへ向かう進路を取る。

 

 

 

「オロール! 上下から挟み込む!」

 一旦離脱した後、旋回して戻ってきたザクレロを前に、ミゲルはオロールに指示を下した。

 自分達を狙ってるのだろうザクレロは、目標めがけてまっすぐに突っ込んでくる。

 それに対し、ミゲル機はザクレロの正面下方、オロール機は正面上方に位置して、それぞれが武器のトリガーに指をかけた。

「ミサイル全弾ばらまけ!」

 ミサイルは、機体を重くして機動性を損なわせる。

 だから早くに撃ち尽くし、敵にダメージを与えると同時に機動性を少しでも上げる。

 ミゲルの指示に、通信機からオロールの声が上がった。

『化け物、お前にもボーナスくれてやるよ!』

 直後、ミゲルが、そして一瞬の後にオロールがトリガーを引く。

 ジンに装備されているM66 キャニス短距離誘導弾発射筒から、大型ミサイルと小型ミサイルが各四発ずつ。

 M68 パルデュス3連装短距離誘導弾発射筒から、六発のミサイルが発射された。

 二機あわせて計二十八発のミサイルが拡散するような軌跡をたどり、そして向きを変えて包み込むように一つの目標……ザクレロを目指して突っ込んでいく。

 マリューの目にはそれが、まるで宇宙に広げられた投網の様に見えていた。

「な……ミ、ミサイル!? 避け……ぐぇ……」

 吠え猛るミサイルアラートを聞きながらマリューは、とっさに操縦桿を左に一気に傾ける。

 直後に、発生する横向きのGが、マリューを操縦席からもぎ取らんばかりに横へと押しやった。

 ザクレロはそんなマリューの状況はさておいて、操縦に忠実に従い、左へと進行方向を曲げる。

 だが……遅い。

 右側から迫るミサイルは、ザクレロの動きに応じて進路を変えてきている。左側から迫っていたミサイルは、完全に直撃コースを……

「あ…た…るぅ…かああああああっ!!」

 Gに押し潰されながらマリューは、必死で操縦桿のトリガーを引いた。直後に、ザクレロは拡散ビームを吐き出す。

 ザクレロの口腔からあふれた閃光は、左側から迫ってきていたミサイルの群れを包み、宙を彩る光球に変えた。

 その傍らを、爆散したミサイルの放つ炎に炙られながら、ザクレロが高速で飛び抜ける。

 ザクレロの後に続いた生き残りのミサイルの群れは、爆散したミサイルに惑わされ、あらぬ方向へとその進路を変えて宙をむなしく彷徨った。

「やった……」

 ミサイルアラートが消えたコックピットで、マリューが安堵の息を漏らす。

 しかし、そこへ新たな警告音が襲った。

「!? 撃たれた!?」

 モニターに表示される被弾を知らせる警告。イエローアラート……ダメージは、機体の戦闘力に影響を及ぼすほどではない。

 被弾箇所は背部。直撃ではあるが、装甲は何とか耐えてくれた。

「良くも傷つけてくれたわね! 乙女の柔肌に!」

 理不尽にも、自分が傷つけられたかのように怒って、マリューはモニターの中に敵を探した。

 先ほど、ミサイルを撃ち放ったジンが、大型の銃……M69 バルルス改特火重粒子砲を手に持ってザクレロに追いすがろうとしている。

 重粒子砲の攻撃は当たった。しかし、そのジンの中でミゲルは、背中に嫌な汗が溜るのを感じていた。

「直撃の筈だぞ」

 思わず呟く。

 ミゲルの射撃は、ザクレロに直撃していた。しかし、ザクレロは装甲表面を焼いた程度で、殆どダメージを受けたようには見えない。

 この敵は、不死身の化け物ではないのか? そんな愚にもつかない想像が、心の奥から沸き上がってくる。

『あの数のミサイルを全部振り切った上に、ビームが利かない……どんな化け物だよ』

「落ち着け。ダメージは行っている筈だ。不死身の化け物なんかじゃない」

 ミゲルは、通信機から聞こえたオロールの声に答える事で、自らの恐怖心を押さえつけた。

 そう……敵は神世の魔獣ではない。連合が作った機械兵器だ。そう、自分に言い聞かせる。

「それに、俺達の役目は、こいつを引きつける事だ。時間さえ稼げればいい。後はガモフがやる」

『わかってる……おい、来るぞ!』

 オロールの声が、恐怖に囚われたものから、普通に緊張したものへと変わっていた。

 モニターの中、ザクレロは再度方向を転換し、ミゲルとオロール達に突っ込んできているのが見える。

 凄い勢いで距離を詰めてくるザクレロに、ミゲルとオロールのジンは重粒子砲を構えた。

 

 

 

 ヘリオポリス港口。

 アークエンジェルは、ザクレロがジンと交戦状態になっている事を確認してから、その姿を港の外へと現わした。

 慎重に船を進めるアークエンジェル。その艦橋の中、索敵を行っていたジャッキー・トノムラが声を上げた。

「敵艦……下です!」

「何だと!」

 ナタル・バジルールは、驚きに声を上げた後、一瞬だけ表情を苦悩に歪めさせる。

 港口からではヘリオポリス自体が邪魔になって死角になっている位置から、ローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフが姿を現わしていた。

 そこは、アークエンジェルの背後、下側に位置する方向である。

「イーゲルシュテルン用意! アンチビーム爆雷射出!」

 ナタルはすかさず命令を下した。

 しかし、それは遅く……

「全兵装、撃て!」

 ガモフの艦橋で、艦長のゼルマンは指示を下した。

 その指示を受け、450ミリ多目的VLS四基が、937ミリ連装高エネルギー収束火線砲二門が、450ミリ連装レールガン二門が、125ミリ単装砲二門が火を噴く。

 狙いは、アークエンジェルの無防備な艦底。そこに、次々に着弾を示す爆発が煌めいた。

 そして、VLSから放たれたミサイルが、砲弾に遅れてアークエンジェルを目指す。

 その内の二発は、アークエンジェルに届く前に対空機銃イーゲルシュテルンに絡め取られて爆散する。

 しかし、二発はアークエンジェルの艦底に突き刺さり、さらに大きな爆発を起させた。

「ダメージは!?」

 攻撃を受けた事による激しい振動が収まるや、ナタルはオペレーターに聞く。

 オペレーターは、各種データに目を走らせ、答えた。

「ビーム砲、直撃二、至近弾一。ラミネート装甲に蓄熱有り。

 砲撃、艦底部に直撃六。内、装甲貫通二。

 ミサイル、艦底部に直撃二。

 戦闘継続は可能です」

 負傷者や死者も出ているかもしれないが、今はそれをチェック出来る時ではない。

「そうか……ならば、反撃する。バリアント、スレッジハマー用意! 目標、後方敵艦!」

 後方下面に位置する敵に攻撃できるのは、110cm単装リニアカノン「バリアントMk.8」二門と、艦尾大型ミサイル発射管の内、後方に向けられた十二基だけだ。

 艦の側面に付けられたリニアカノンが、旋回して後方を向く。

 艦尾大型ミサイル発射管の内、後方に向けられた十二門に艦対艦ミサイル「スレッジハマー」が装填される。

 方向転換すれば他の武器も使えるのだが、対艦戦闘中に向きを変えるような悠長な真似はなかなか出来ない。

「メビウス・ゼロの射出急げ。ザクレロは何をしてる?」

「ジン二機と戦闘中です」

 索敵手のジャッキーが、ザクレロが二機のジンを相手にしている事を報告した。

 ザクレロを戻せば、ノーマークになった二機がアークエンジェルに襲いかかるだろう。ザクレロは使えない。

 ナタルは、すぐさま結論を出した。

「メビウス・ゼロに、敵艦への攻撃を指示しろ」

 直掩機が居なくなってしまうが仕方がない。

 何としてでも敵艦を牽制し、アークエンジェルの向きを変え、正面から対峙しなければならないのだ。

 

 

 

 アークエンジェルへの初撃の成功に、ガモフの艦橋では、クルー達の歓喜のどよめきが沸いていた。

 が……アークエンジェルが爆沈する事無く、前進を続けているのを見て、どよめきは落胆の色を混ぜて途切れる。

「敵艦健在です」

 落胆するクルーに比して、ゼルマンは落ち着いていた。

「かまうな。我々は良い位置を取ろうとしている」

 見た目、アークエンジェルは武装の殆どが上部に向けて付けられているのがわかる。

 それを、ヘリオポリスの行政官からもらった資料で確認したゼルマンは罠を張った。

 アークエンジェルが、港でどう停泊していたかによって、どんな向きで出てくるかは読める。

 そこで、アークエンジェルの最も弱いであろう方向……背部下面から襲える位置に艦を伏せたのだ。

 その罠にアークエンジェルはまんまとはまっており、抵抗出来ないままに攻撃を喰らっていた。

「VLSに対空ミサイル装填。ミサイル迎撃に使う」

 ゼルマンは、アークエンジェルが後方に撃てる武器の一つ、対艦ミサイルへの防御を固める事を指示した。

 そして、操舵士に前進を指示する。

「連合新型戦艦の弱点は背部下面だ! 押し上げるように追うぞ!」

 ゼルマンの指示に従い、逃げるアークエンジェルを追って、ガモフは背後から追っていった。

「敵艦より、攻撃来ます!」

 オペレーターが叫んだ直後に振動。

 軽い揺れの中、さらに報告は続く。

「対艦ミサイル十二発接近。対空ミサイル迎撃……」

 モニターの中、こちらに迫ってきていた光点……対艦ミサイルの噴射炎に向かって、こちらから発射した対空ミサイルが飛んでいくのが見えた。

 対空ミサイルは、対艦ミサイルの側で爆発し、周囲に撒き散らした破片でミサイルを傷つけ、押しやって軌道をずらす。

 そんな、対空ミサイルによる攻撃を抜けたのは四発。しかし、その対艦ミサイルには次に、対空機銃による迎撃が行われる。

「……撃墜八発。対空機銃による迎撃……成功。突破ゼロです」

 対空機銃から打ち出された銃弾の奔流に巻き込まれ、対艦ミサイルは全て撃ち落とされた。

「砲撃による被害は、艦首に至近弾一発です」

「ふん、単装砲ごときでは、艦はそうそう沈まない。倍返しだ」

 アークエンジェルが使えるのは110cm単装リニアカノン二門のみ。

 対して、ガモフは持てる全武装を使用できる。火力では圧倒しているのだ。

「それに……もう一つ仕掛けがあるからな」

 ほくそ笑むゼルマンに、オペレーターが新たな報告をする。

「敵艦より、MA出撃を確認。メビウス・ゼロです。後続の機はありません」

 ガモフのモニターには、ガモフへ向かってくるメビウス・ゼロの姿が映し出されていた。

 

 

 

 ムゥ・ラ・フラガは、メビウス・ゼロのコックピットの中、軽口を叩く。

「対艦戦闘か。俺って頼られてる?」

 ザクレロと違い、専用の射出口を使用できるメビウス・ゼロは、素早く戦場に展開できる。

 宇宙へと飛び出したメビウス・ゼロは、そのままガモフへと向かう進路を取っていた。

「とはいえ、きついな」

 ムゥは、通信機に声が入らないよう小声で呟く。

 MAは本来、軍艦を単機で撃破出来る兵器ではない。

 よほど好条件が揃わない限り、ヴェサリウスを戦闘不能にしたような真似は出来ないのだ。

 案の定、近寄ったメビウス・ゼロに、ガモフは持てる対空火器を振り向けてきた。

 六基の58ミリCIWSが、対空ミサイルを装填した450ミリ多目的VLSが、二門の125ミリ単装砲が作り上げた濃密な弾幕が、メビウス・ゼロの行く手を遮る。

「隙がなければ作る……か」

 ムゥは、隙を探してガモフの周囲を巡り始めた。

 ガモフが弾幕に切れ間を作ったその瞬間に飛び込めるよう、隙を狙いながら。

 しかし、その間にもメビウス・ゼロをめがけて対空機銃は弾丸を吐き散らしている。

 一瞬の不注意、一つの操縦ミスが死を招く状況で、ムゥは飛行を続けていた。

 一方、そんなムゥの決死の攻撃を受けるガモフ。こちらは、たかが一機のMAを相手にしての事であり、余裕を持っていた。

 そして……ゼルマンは、勝利が見えた事の喜びに口端を笑みに歪める。

「これで直掩機が居なくなった。我々の勝ちだ」

 それは予定されていた事。

 ナイトを全てキングから引き剥がし、チェックメイトをかける一手。

「信号弾三発放て。予定通りだ」

 ガモフから打ち上げられた信号弾が宙で炸裂して、光を放つ三つの球となる。それは、出撃の合図だった。

 ヘリオポリスに張り付くようにしがみつき、動きの一切を止めて隠れていたジンのモノアイが鈍く光る。

 そのジンは壁を蹴るようにしてヘリオポリスから離れると、アークエンジェルを追った。

 それは、アークエンジェルでも察知する所となる。

「敵MS出現! 後方上面から来ます!」

 索敵担当のジャッキーが声を上げた。

 その事実の示すところを悟り、ナタルはサッと表情を青ざめさせる。

「はめられた……!」

 直掩機の居ない状況で、攻撃手段に乏しい後方から、敵艦と敵MSによる十字砲火を受けるのだ。

 不利ですませられる状況ではない。致命的だ。

 ナタルの心の中を、冷たく重苦しいもの……絶望が染める。

 しかし、戦場はそんなナタルに、立ち上がる時間を与えてはくれない。

「敵艦より砲撃!」

 再びの振動。ミサイル攻撃こそ無くなったが、ガモフはまだ主砲と副砲をアークエンジェルに向けている。

「ビーム砲、直撃三、至近弾一。ラミネート装甲の蓄熱が限界値に到達。

 砲撃、艦底部に直撃三。内、装甲貫通二……」

 アンチビーム爆雷で威力が弱まっているとはいえ、ビームの直撃が続けばラミネート装甲の蓄熱が廃熱処理能力を超えてしまう。

 超えれば、ラミネート装甲は溜め込んだ熱で船体にダメージを与え始めるだろう。

 それに砲撃も、無視できないダメージをアークエンジェルに与え続けている。

 何にせよ、これ以上の攻撃を受ける事は危険だ。

「後方のジンからミサイル! 十四発来ます!」

 オペレーターの被害報告が終わらぬうちに、ジャッキーの報告が響く。

「イーゲルシュテルン用意! ヘルダート放て!」

 ナタルは素早く命じた。

 艦橋後方ミサイル発射管から対空防御ミサイル「ヘルダート」十六発が放たれて、迫り来るミサイルの群れに殺到する。

 ヘルダートの爆発に巻き込まれ、次々に破壊されるミサイル。流石に生き残ったミサイルはなかった。

 だが、ミサイルが残した爆発の残光を貫き、光条がアークエンジェルに突き刺さる。

 直後、今までにない激震が、アークエンジェルを襲い……艦橋には今までにない警告音が鳴り響いた。

 艦長席から投げ出されないよう、しがみついて耐えていたナタルに、被害報告をするオペレーターの悲痛な声が聞こえる。

「ビーム着弾! ラミネート装甲の蓄熱限界を突破しました!

 影響を受け、船体各所に被害が拡大しています!」

「く……」

 自分ではダメだったのかと、ナタルは口惜しく思っていた。

 艦長の真似事でも頑張ってはみたものの……所詮は紛い物か。

 多くのクルーや、連合国国民達を巻き添えにして、ここで負けなければならないのは……

 しかし、うちひしがれながらも、ナタルの口から出たのは、あきらめの言葉ではなかった。

「まだだ! まだアークエンジェルは戦える!

 艦上方にアンチビーム爆雷!

 ザクレロを呼び戻せ!

 ヘルダート、コリントスM114用意! MSを叩け!」

 声を上げるナタル。しかし、その目からは涙が一粒こぼれていた。

 

 

 

 幾度もの振動に揺れるアークエンジェルの中、格納庫で、サイ・アーガイルはミストラルに乗ったままでいた。

 搬入作業終了後すぐの出航だったので出る間が無く、すぐに戦闘だと聞いていたので何となく乗り続けていただけなのだが……

 今は、ミストラルに乗っていた事を良かったと思っていた。

「こいつにも鉄砲がついてるんでしょう? 出してください!」

 通信機に向かって声を張り上げる。相手は、艦橋の通信士。

『ミストラルで出る気か!? 死ぬぞ!』

 馬鹿を言うなと言わんばかりの反応だが、サイはここでは引けなかった。

「どうせ、この艦が沈んだら、みんな死んじゃうんですよ!

 なら、やらせてください!」

 戦闘は正直、怖い。

 それに、何をすれば良いのかも、はっきりとはわからない。

 それでも、この艦に乗っているだろうフレイを、自分が何もしないまま死なせてしまう事は出来なかった。

 可能なら守りたい。命を賭してでも。

 それが、自分に出来る事だと思ったから、連合軍に志願したのだ。

「お願いです! 砲台の代わりにくらいはなって見せます!」

『……わかった。確認する』

 通信士は、サイの熱意の前に折れた。

 もしサイが、ついさっきミストラルに乗ったばかりの学生だと知っていたら、誰も出撃は許さなかっただろう。

 しかし、サイは書類を提出しては居らず、サイの身上を知っているのは、数人の兵士だけだった。

 何より、連合基地に居た兵士を洗いざらい詰め込んだこの艦の中では、どんな兵士が乗っているのかを正確に把握している者など居なかったのである。

 それ故に、サイの事は連合のMAパイロット訓練生か何かだという誤解が生まれていた。

「……艦長。MAパイロットが、ミストラルで出撃すると言ってます」

 通信士は、艦橋のナタルに報告し、判断を仰いだ。

「MAパイロット? 居るとは聞いていない」

 ナタルは、一瞬の思考の後に答える。正規のMAパイロットは、全滅したはずだ。

「どうも新兵らしいのであります」

 通信士はそう答えたが、事実はそうではない。しかし、今は事実を調べる時間などあるはずもなかった。

 ナタルは少しの間、考えを巡らせる。

 ミストラルで出撃しても、MSに対抗し得ない事は知っていた。

 しかし、今はアークエンジェル自体が危機にある時。僅かでもMSに隙が出来れば、それが転機になるかもしれない。

 パイロットを捨て駒にするような判断だが、打てる手は何でも打とうと……決めた。

「許可すると……いや、私が言おう。通信を回せ」

 ナタルは判断を下し、それを通信士に伝えさせようとしたが、思い直して自分が直接言う事にする。

 パイロットを死地に送り出す事への罪悪感から、パイロットに一言詫びたいと思ったのだ。

「つなぎます」

 通信士が通信を回す。手元のコンソールに、ミストラルのコックピットのサイが写り込んだ。

「……若いな」

『若いと戦いには出せませんか!?』

 サイの姿に思わず呟いたナタルだったが、直後に返されたサイの問いには首を横に振った。

「いや、出撃を許可する。MSに対して攻撃をしかけ、一瞬で良いから動きを止めろ。出来るか?」

『やってみます』

 緊張と押さえ込んだ恐怖に顔を青ざめさせながらも、サイの決意は固く、その目に迷いは無い。

 ナタルは、サイを前にして詫びの言葉は言えなかった。その決意を汚すような気がして。

 だから、ナタルは別の言葉を言う。

「必ず任務を果たせ」

『わかっています。必ず、この艦を守ります』

 サイの返事を聞いて、ナタルは通信を一方的に切った。そして自嘲含みの苦笑混じりに呟く。

「任務を果たせか……もっと違う事を言うべきだったかな」

 

 

 

 アークエンジェルをガモフが追いつめる一方、ミゲルとオロールのジンは、マリューのザクレロとの戦いを続けていた。

 戦うに連れ、ザクレロへの本能的な恐怖が薄らいでいるのは、ミゲルとオロールが優秀な戦士である事の証だろうか。

 しかし、戦闘の状況は芳しくはなかった。

「くそっ! 追い切れない!」

 ミゲルがトリガーを引く。ジンが持つ重粒子砲がビームを放つが、それは高速で宙を走るザクレロの後ろを抜けていくに終わった。

 大きくて重く、取り回しの難しい重粒子砲では、ザクレロを追い切れない。

 それに、何とか当たっても装甲に阻まれ致命傷にはならない。

 装甲の弱そうな所を狙うという対艦戦闘などでのセオリーも、ザクレロ相手では速度が速過ぎて無理だ。

 ザクレロは単調にまっすぐ飛んで時々突っ込んでくるといった戦い方しかしないので、今のところは何とかなっている。

 元々ザクレロを引きつけての時間稼ぎが目的なのでそれはそれで良いのだが、倒す事が出来ないのはしゃくだった。

 そして、苦々しい思いをしているのは、ザクレロのマリューも同じ。

 ザクレロを駆り、その速度に潰されかけながら頑張っているのに、未だジンに有効打を与えていない。

「こんの、チョロチョロとぉ!」

 大回りで旋回しながら方向をジンに定め、突っ込みをかけて拡散ビームを放つ。

 しかし、ジンは小回りが利くところを活かして、巧みに射線上から逃げ回る。そして、チマチマとザクレロにビームを当ててくる。

 簡単に言うと、マリューがザクレロを上手く扱えず、攻撃が単調になってしまっている為に逃げられているだけだ。

 だが、だからといってマリューが急にザクレロを上手く扱えるようになるわけでもない。

 闘牛士に翻弄される闘牛の様に、何度も突撃を仕掛けるのみである。

 ただそれも、いつまでも繰り返しては居られない。

『ザクレロ聞こえますか?』

「……は……い」

 突然に聞こえた通信に、突撃時のGに耐えていたマリューは苦しい思いをしながら返事をした。

『現在、アークエンジェルが攻撃を受けています。早急に戻ってください』

 通信士は、アークエンジェルの危機を伝え、戻ってくるように連絡した。

 その連絡を聞きながら、マリューはオロールのジンに向かう。

 慌てて進路上から逃げ出すオロールのジン。

 拡散ビームのトリガーを引くタイミングを逸し、マリューはそのままザクレロを通過させる。

「アークエンジェルが!?」

 攻撃の間が空いてから、マリューは驚きの声を通信に返した。

 そして、即座に状況を確認する為、複眼センサーが戦場を広範囲に捉えて得た情報を改めて見る。

 すぐに、アークエンジェルがガモフともう一機のジンから不利な後方からの攻撃を受けているのがわかった。

「……わかったわ。すぐ行くから、ナタルに泣かないで待ってなさいって伝えて!」

 あの真面目なナタルだから大泣きはしないだろうが、涙目くらいにはなってるだろうと軽口を叩き、マリューはザクレロの進路をアークエンジェルの方へと向けようとする。

 しかしその時、進もうとした先をビームの光条が走り、ザクレロの行く手を遮った。

 それをしたのはミゲル。彼はザクレロの動きから、ザクレロがアークエンジェルの方へ行こうとしたのを察したのだ。

 ミゲルは続いて、ザクレロとアークエンジェルの進路上に割り込み、追い払う為に重粒子砲を撃ち放つ。

 その攻撃にはオロールも加わり、二人してザクレロを追い始めた。

『もう少し、俺達と遊んでいってくれないと困るんだよ』

 ミゲルが、わざわざ共用周波数で軽口を叩く。これはマリューにも聞こえていた。

『本当は、おっかねーけどな』

 オロールも、共用周波数でからかうように言う。

 コックピットの中、マリューは自分も共用周波数で通信を開いた。

「強引なナンパは嫌われるわよ、坊や達。わかったら、そこを通しなさい!」

 通信を送った後、一瞬の沈黙。そして、返信。

『うっわ、まさか女かよ!? 顔に似合わねーっ!』

『嘘だ。俺はそのMAには吠え声以外は認めねーぞ!』

 ミゲルとオロールの無遠慮な驚きの声。

 マリューは一瞬の内にぶち切れた。

「私のザクレロを馬鹿にするんじゃないわよ!」

 思わず、今まで加減していたフットペダルを思い切り踏みつける。

 直後、今までにない急加速。伴う強力なGの発生。

 ザクレロは一気に宙を切り裂いて飛ぶ……

 

 

 

 推進器から溢れた噴射炎が、ザクレロの背後に長い炎の尾を生み出す。

 その莫大な推力は、ザクレロに常識外の加速を与えた。

 行く手に立ちふさがるジンのコックピットの中、モニターに映るザクレロは距離を詰めるにつれてモニターに占めるその大きさを急速に増していく。

 コックピットに座るミゲル・アイマンとオロール・クーデンブルグには、まるでザクレロがその体を大きく膨らませながら迫ってくるように見えた。

「くっ! 化け物……」

 オロールは、迫りくるザクレロに思わず威圧され、恐怖に駆られたかのようにザクレロの進路上から逃げ出す。

 しかし、ミゲルは逃げない。

「化け物だと!? まやかしだ!」

 声を上げ、ジンにM69バルルス改特火重粒子砲を構えさせると、ザクレロの真正面からビームを浴びせかけた。

 ビームはザクレロの右の複眼センサーを焼き切り、一筋の深い傷を刻む。だが、

『ミゲル逃げろ!』

 オロールの叫びが、通信機を通してミゲルに届く。

 その時になって初めてミゲルは、自分の足が震えて動かないことに気づいた。

 眼前には、モニターいっぱいに迫るザクレロ。

 ビームを真正面から受けきったザクレロは、今まさにミゲルのジンに突っ込もうとしていた。

 悲鳴を上げる間もなくミゲルは、突然の激震に襲われたコックピットの中で全身を激しく揺さぶられ、そして襲いかかってきた猛烈なGに体を叩き潰される。

 ミゲルの意識はすぐに途切れた。

 しかし、意識を失った体を激震は容赦なく揺らし、コックピット内でミゲルを振り回す。

『ミゲル! 応答しろ、ミゲル!』

 オロールの呼びかけに、ミゲルは答えない。

 オロールは、ザクレロを追ってジンを飛ばしていた。

 ミゲルのジンは、ザクレロの顔面に張り付いたままで、宙を引きずられている。

 ミゲルの応答がない事から、ザクレロの衝突はパイロットの意識を失わせるに十分な衝撃をジンに与えたのだろうと、オロールは推測した。

 一方でザクレロは、ジンと正面からぶつかった事など無かったかのように、変わらぬ動きを見せていた。

 

 

 

「くぅ……」

 ザクレロのコックピットの中、操縦桿を握るマリュー・ラミアスの体にも凄まじいGがかかっている。

 まるで酔った様な感覚。そして、灰色に色を失っていく視界。

 グレイアウト……正面からかかるGで、脳内の血液が偏る事で起こる現象。気絶する事はないが、判断力の低下を伴う。

 マリューはGに耐えながら、ザクレロを戦域中の戦闘艦に向けて飛ばす事だけに集中していた。

 ガクガクと揺さぶられる座席でマリューは、何も考えずにモニターを見つめる。

 ビームを受けて複眼センサーの一部が死んでいるため、モニターの右半分にはノイズが混ざり込んでいた。

 だが、それだけではない。モニターの半ばを何か巨大な影が塞いでいる。

「ぁあ……じゃま……」

 マリューは、ミゲルのジンがザクレロに張り付いている事に、今になってようやく気づいた。

 即座に、何も考えずにトリガーを引く。

 直後、ザクレロの口からはき出された拡散ビームが、直前にあったジンの下半身を消し飛ばした。

 下半身を失ったジンは、ザクレロの顔の前からズルリと滑り、ザクレロの背に体をぶつけながら後方に吹き飛ばされたかのように去っていく。

 ジンが去り、遮る物がなくなったモニターの中、マリューは敵の姿を正面にとらえた。

 ローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフ。

 マリューは、Gに耐えながら呟く。

「……ごめんナタル……方向間違えちった……」

 

 

 

「ザクレロ、敵艦へ向かいます」

 アークエンジェルの艦橋に、索敵担当のジャッキー・トノムラの報告があがる。

 艦長席のナタル・バジルールは、思わず席から身を乗り出して通信士に向けて叫んだ。

「直掩に呼んだ筈だ! 呼び戻せ!」

「はい、呼びかけます! ザクレロ! こちら、アークエンジェル。聞こえますか!?」

 通信士は、即座に呼びかけを始めた。

 しかし、ザクレロからの返答が返る前に、戦況は推移する。

「艦長! ジンが接近してきます!」

 ジャッキーの新たな報告。

 艦後方上に位置し、M69バルルス改特火重粒子砲で攻撃を仕掛けてきていたジン。

 アークエンジェルが使用したアンチビーム爆雷によりビーム攻撃の効果が薄れた事を悟ったか、距離を詰めてきていた。

 アンチビーム爆雷の効果範囲を超えて、艦の至近でビームを撃たれれば、アークエンジェルは多大な被害を受けるだろう。

 また、更に接近を許して艦に取り付かれれば、白兵攻撃に何の対抗手段も持たない戦艦はたやすく落とされる。

「ヘルダート、コリントス発射!

 イーゲルシュテルン、対空防御!」

 ナタルの指示が飛んだ。

 艦橋後方の十六連艦対空ミサイル発射管から対空防御ミサイル「ヘルダート」十六発。

 艦尾の大型ミサイル発射管の内、後方に向けられた物十二基から、対空防御ミサイル「コリントスM114」十二発が放たれる。

 計二十八発のミサイルが猟犬の群れの様に一塊になって宙を駆け、ジンへと向かう。

 ジンは、ミサイル迎撃のため重粒子砲を薙ぐように放つ。

 ビームはミサイルの群れを切り裂くように走り、直撃および至近でビームの重粒子を浴びたミサイルを次々に誘爆させた。

 その爆光の中、生き残ったミサイルが六発飛び出してくるが、四発は目標を見失っており何もない宙へと進路を向けている。残る二発を、ジンは無視して突っ込んだ。

 近接信管で爆発し、その爆発に巻き込んで敵を損傷させる対空ミサイル。

 非装甲のミサイルならば迎撃するに十分だが、装甲を纏ったMSには効果が薄い。

 ジンは重粒子砲を抱え込んで守り、ミサイルの爆発に耐え、ほぼ無傷のままで対空防御ミサイルを突破した。

 それに対し、艦上面に六基配置されている75mm対空自動バルカン砲「イーゲルシュテルン」が無数の砲弾を吐き出し、弾幕を張ってジンの接近を阻止する。

 実弾に紛れ込ませている曳光弾が宙に光の線を描く。それが無数に集まり、まるで光の線を束ねたかのように見える弾幕。

 ジンは弾幕の合間を縫うように飛行し、わずかずつその距離を詰める。

 そして、身近に位置する艦右後方のイーゲルシュテルンの砲塔に向け、重粒子砲を放った。

 直撃を受けた砲塔が、爆発を起こして無数の破片へと変わる。

 一つ、落とされれば死角が増えて回避はさらに容易になる。ジンの動きに余裕が出て、アークエンジェルは更にもう一撃を許す。

「後方上面のイーゲルシュテルン全損! ジンが死角に入りました!」

 索敵担当ジャッキーからの報告。直後、アークエンジェルが揺れる。

「左推進機関に被弾!」

 艦を揺るがす振動の中で上がる報告の声に、ナタルは奥歯を噛みしめた。

 艦後方のジンが、アンチビーム爆雷の効果範囲を、そしてアークエンジェルの対空防御網を抜けてきていたのだ。

 これで……チェックメイトをかけられたも同じ。

「被害は!?」

「推進剤の誘爆発生。自動消火中。推力、60%以下に低下」

 足を狙われた。これで、逃走を防ぐつもりだろう。そして、とどめを刺す。ナタルはそう判断する。

 状況は危機的ではあるが、予想通りとも言えた。ザクレロが帰ってこないという一点を除いて。

「ミストラルはどうか?」

 ナタルは、残された戦力を使う決定を下す。通信士は確認の連絡をとってから答えた。

「MAミストラル。出撃準備完了との事です」

「わかった。ミストラルの出撃用意。指示を出す」

 ナタルは、ミストラル出撃について素早く指示を出す。ジンの不意をついて攻撃できるように……

 

 

 

 格納庫。ノーマルスーツを着込んだコジロー・マードック曹長は、無重力に故に宙に浮く体をMAミストラルのコックピットにしがみつかせていた。

 マードックはコックピットの中を覗き込みながら、パイロット席に座るサイ・アーガイルに説明をする。

「良いか坊主。今、対艦ミサイルを積み込んだ。

 おそらく、MSに効果があるのはこいつくらいだ」

 ノーマルスーツの内蔵無線通信機がサイに言葉を届けた。

 ミストラルの基本装備は機関砲のみ。これでは、ジンに対抗し得ない。

 なので整備班は、ミストラルの出撃があると聞いてから、急遽、追加装備を取り付けていた。

 とはいえ、TS-MA2メビウスの整備部品の在庫から引っ張り出した有線誘導式対艦ミサイル一基を、剥き出しのまま無理矢理取り付けただけなのではあるが。

「狙って撃つもんじゃない。自動的にホーミングして当たる。

 敵がモニターの真ん中にいるようにすればいい」

 マードックには、自分の説明が嘘であるという自覚があった。

 規格外の武器を無理矢理積み込んで、僅かな時間でこれまた無理矢理にセッティングした物だ。

 モニター中心辺りに映る目標をホーミングするようにはセッティングしてあるが、正直、ちゃんとホーミングするかどうかも怪しい。

 ちゃんと動く確率は、五分とまでは言わないが、六分か七分か……

 十五分程度の突貫作業だ。整備班全員で全力を尽くしたが、それでも完全な仕事にはならなかった。

 あと一時間あればと思うが、そうも言ってはいられない。

「わかったか?」

「はいっ!」

 マードックに、サイは緊張に青ざめた顔で答える。

 何か緊張をほぐす言葉がないかと、マードックが頭の中を探ったその時、甲板員が駆け寄ってきてマードックに言った。

「曹長! 出撃命令でました! 離れて!」

「帰って来たら、もっと良いマシンに乗せてやる! 機体を捨てるつもりでぶつけてこい!」

 無茶を言うと思ったが、他の言葉も見つからなかったマードックは、とにかくそれだけ言ってコックピットを離れた。

 残ったサイはミストラルのコックピットハッチを閉じ、緊張に震える手で操縦桿を握る。

 いよいよだと思うと、不意に言葉が口をついて出た。

「最後に、フレイに会いたかったな……」

 その言葉の意味に気がついて、サイは首を横に振って、今し方吐いた言葉を振り払う。

「何を言ってるんだ。生きて帰るんだろ、サイ・アーガイル」

 モニターの中、格納庫のハッチが開いていくのが見えた。

 

 

 

 ジンは、速度を落としたアークエンジェルとの距離を詰めていた。

 至近から艦橋を確実に射抜き、一撃で勝負を決めようと。

 ジンのコックピット内、モニターに映るアークエンジェルがその大きさを増していく。

 抵抗を示す対空火器がまだ砲火を輝かせているが、既に死角に踏み込んでいるジンには当たらない。

 頃合いかと、ジンは重粒子砲を構える。

 照準がアークエンジェルの艦橋を捉えようとしたその時……アークエンジェルのカタパルトから、一機のMAが出撃するのを視認した。

 機種確認。画像データからMAミストラルと判別され、モニターにその名が表示される。

 ミストラルは隠密行動のつもりか推進器を使っておらず、機体後方に噴射炎は見えない。

 ジンから離れたところで方向転換し、ジンの後背を襲うつもりか?

 ジンのパイロットの戦闘経験によれば、ミストラルは脅威になる敵ではない。

 放置してもかまわないのだが、敵の出現に対して反射的に振り上げた重粒子砲が既にミストラルを照準に捉えていた。

 カタパルトから撃ち出されたままに宙を進むミストラルは、射撃演習の的よりも当てやすい。

 ジンのパイロットはこの格好の標的を逃すことなく、引き金を引く。

 重粒子砲から放たれたビームが、宙を進むミストラルへと一条の線を描きながら突き進んだ――

 

 

 

 ジンの放ったM69バルルス改特火重粒子砲。ビームの直撃を受け、アークエンジェルから射出されたばかりのミストラルが爆炎に変わる。

 

 

 

 ザクレロは速度を増しながら、ローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフに突き進む。

「……落ちなさい」

 急加速に伴う高Gにより脳内の血液が偏る事で起こる現象……グレイアウト。

 その症状で判断力を落とし、視覚への障害で灰色に染まった世界を見るマリュー・ラミアス。

 彼女はただ、眼前の敵を攻撃するという単純で希薄な意志しかもっていなかった。

 故に何の考えもなく、照準の中にガモフの艦影が入った瞬間に引き金を引く。

 ザクレロの口。その両脇に開く左右四連ずつ計八連のミサイル発射口。そこからミサイルが撃ち出される。

 八発のミサイルはザクレロから飛び出し、それぞれが加速を行ってガモフを目指す。

 だが、そこで本来有り得ない事が起きた。

 加速を続けるザクレロが、先行するミサイルに追いつき始めたのだ。

「敵MAおよびミサイル高速接近!」

 それを察知したガモフの中、索敵担当の悲鳴のような報告が上がる。

「対空迎撃!」

 今までアークエンジェルからのミサイル迎撃にあたっていた450ミリ多目的VLSと58ミリCIWSが、ザクレロへと向けられ、躊躇無く撃たれる。

 直後、ガモフからの迎撃ミサイルと対空機銃の弾幕が、ザクレロと共に飛来してきたミサイルの群を絡め取って爆発させた。

 ガモフの艦橋の中、迫り来るザクレロとミサイルを捉えていたモニター上が爆発の閃光で埋まった。

 迎撃成功……艦橋の兵達の喜びの声が挙がる。

 しかし、その喜びは、索敵担当の報告で脆くも打ち砕かれた。

「敵MA健在!」

 直後、迎撃ミサイルと自身の放ったミサイル八発の爆発に巻き込まれた筈のザクレロが、消えゆく爆発の残滓の中からその魔獣じみた姿を表す。

 艦橋に居た者達の喜びは、瞬時に恐怖へと変わった。

 逃げ出す者が居なかったのは奇跡と言っていい。

 だが、全ての者が恐怖故にモニターを見つめる以外の行動をとれなかった。

 艦長のゼルマンですら、下すべき命令の事を考えることも出来ず、迫り来る恐怖の魔獣にただ目を見開いて見入るばかりでいたのだ。

 そして、ザクレロはついにガモフに肉薄。直後、ガモフを下から突き上げるような振動が襲った。

 ガモフ艦底部の通路。

 無重力の中を壁のガイドに掴まって、泳ぐように移動していたZAFT兵士。

 彼の真横、壁を破って巨大な刃が姿を現す。

 一瞬の後、彼の身体は前後に断たれ、上下に分かれた身体は中身を零しながら、刃が開けていった壁の穴から宇宙へと吸い出されていく。

 刃は、そんな惨状を後に残し、ガモフの中を切り裂きながら突き進んでいく……

「あっちゃあ……」

 ザクレロの中、マリューはへらりと笑った。

 背後に離れ行くガモフが、モニターの一部を占めて映されている。

 ガモフは、艦底部分を切り裂かれてそこから火花や破片を吐き出していたが、未だ沈む様子もなくそこにあった。

「失敗しちゃったぁ」

 マリューのグレイアウトに思考力を低下させた脳でもそれくらいの判断は付く。

 ガモフが幸運だったのは、ミサイルの爆発にザクレロが無事でも、中のマリューはそうでは無かったという一点だ。

 機体全周で起こった爆発にマリューは気を取られ、ガモフに接触するまで何もしなかったのである。

 そうなったのはマリューの思考力が低下しているからでもあるが、戦闘慣れしていないからという理由も厳然としてありはした。

 ともあれ、ガモフにザクレロを接近させすぎたマリューは、追加のミサイルを放つことも、拡散ビーム砲を放つことも出来ず。

 艦底部を擦れ違いざま、とっさにヒートナタを引っかける位しか出来なかった。

 打撃は与えたが、撃沈の機会は活かせなかったのだ。

 ザクレロは、そのまま高速でガモフから離れていく。ターンして戻ってくるまでは、それなりの時間が必要だった。

 

 

 

「艦底の被害甚大!」

「航行、戦闘に支障有りません!」

 魔獣が去って動きを取り戻した艦橋には、今の攻撃の報告がもたらされていた。

 それを聞きなが、ゼルマンは苦々しく呟く。

「黄昏の魔弾が、敵を抑えきれないとはな」

 出しうる最強の札、エースのミゲル・アイマンで、アークエンジェルを仕留めるまでの間、ザクレロを抑えるのが作戦の肝だったのだ。

 それが出来なくなった今、MSの直掩の無いガモフで大型MAザクレロに対抗するのは不可能。

 そう分析したゼルマンは声を上げた。

「退避! ヘリオポリスの陰に入れ!」

 アークエンジェルに対し、ヘリオポリスの陰に隠れる。その為、ガモフはゆっくりと動き始めた。

 もちろん、艦の速度では、再度のザクレロの肉薄の前に完全に隠れ去る事は不可能だろう。

 だから、今回は示威行動をとる。

「主砲、ヘリオポリスに向けろ!」

 ガモフは主砲をヘリオポリスの無防備な側壁へと向けた。

 その動きの意味に気付いたのは、メビウス・ゼロでガモフへの攻撃を続けていたムゥ・ラ・フラガ。

 ムゥは、この動きが攻撃終了を意味すると同時に、自分やザクレロからの攻撃も止めさせる為の牽制だと察する。

「ヘリオポリスが人質か! それはちょっと、卑怯なんじゃないの!?」

 一応は、アークエンジェルの居る方向に砲は向いているが、実際にはあからさまにヘリオポリスを狙っている。

 ここで無理に攻めれば、誤射とでも言ってヘリオポリスに穴を開けるだろう。

 いや、実際にするかどうかは微妙ではある。政治的なデメリットが大きいコロニーの破壊などという大事件を起こしたがる者はそうはいない。

 だが、コロニーの破壊を匂わせている以上、こちらもガモフの攻撃を誘発するような無理な攻撃は出来ない。

「良いでしょ、そっちがその気なら」

 ムゥは舌打ちをしながら、ガモフから離れるコースを取った。その後を追って、ガモフからの対空放火が宙を射抜くが、それに当たるムゥではない。

 ガモフへの攻撃を止めさせてはいるが、戦闘は継続中というわけだ。

 恐らく、撤退信号の発信は、アークエンジェルに肉薄しているジンの戦果を確認してからになるのだろう。

 ならば、メビウス・ゼロとザクレロは、アークエンジェルの直掩に戻るべきだ。

 そう判断したその時、ムゥはザクレロが戻ってきているのに気付いた。

 ザクレロはガモフを狙うコースを辿っている。

「……あのバカ、何考えてるんだ? こっちよりも、アークエンジェルが先だろうが!」

 ムゥは、通信を開いてザクレロのマリュー・ラミアスを怒鳴りつけようとする。

 だが、ムゥは通信モニターに映ったマリューを見て、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた。

「ラリってんのかよ……」

 コックピットの中マリューは、操縦桿を握りしめたまま人形のように微動だにせずそこにある。

 アークエンジェルから、直掩に戻るよう通信士が悲鳴の様な声で呼びかけているのも確認できたが、それにも反応を見せていない。

 加速による高Gでグレイアウトになっているのだと、ムゥは判断した。新米にはままあることだし、戦闘開始前から危惧していたとおりの展開だ。

「全力で加速するなって言ったろうに……困ったな。このままガモフに突っ込ませるわけにはいかないんだがね」

 どうする? ザクレロは放置して、自分だけでもアークエンジェルに戻るべきか?

 ムゥは迷った。

 天秤に掛けるわけではないが、ヘリオポリスが無傷でも、アークエンジェルが落とされれば自分達の負けなのだ。

 だが、逆にヘリオポリスが破壊されても、アークエンジェルが残れば連合軍的には負けではない。

 しかし……

 迷うムゥ。

 その時、ムゥの目の前のモニターに警告表示。

 ムゥはアークエンジェルの後方で新たな爆発が起こったのを確認した。

 

 

 

 ミストラルを仕留めたジンは、改めてアークエンジェルの艦橋を狙った。

 アークエンジェルからの反撃は無い。ジンのパイロットは勝ちを確信する。だが……

 ジンのコックピットを襲う激震。一斉に鳴り響くレッドアラート。その時、ジンの下半身を爆炎が貫いていた。

 ジンの下方、アークエンジェルの船体下から姿を見せたミストラル。

 その機体には、空になったミサイル発射筒が取り付けられていた。

「や……やったぞ」

 ミストラルの中、サイは震える声で呟く。

 サイのミストラルは格納庫ハッチから直接宇宙に放り出され、ジンから死角となるアークエンジェルの艦底沿いに移動していた。

 カタパルトから射出されたのは囮。ジンの注意を、一瞬でも引きつけるための。

 ジンが囮に気を取られている間に、サイのミストラルはジンの下方へと位置し、有線誘導式対艦ミサイルを発射できた。

 ミサイルは、線を曳きながらその進路を僅かに補正しつつ突き進み、ミストラルのモニター中央に映っていた物……ジンへと突き刺さったのだ。

 今やジンは腰から下を失い、破断面から細かな破片と油をまき散らしながら、宙を無力に漂っていた。

 それを、ミストラルの中からサイは見ている。

 自分の戦果だとは今でも信じられない、あっけない勝利。サイに実感はない。

 と……ジンは最後の抵抗を試みた。

 上半身だけで、重粒子砲を構えようとする。

 その動きは緩慢で、おそらくは放置してもそれを完遂する事は出来なかったろう。

 しかし、経験のないサイはそれを読む事は出来ず、まだ戦おうとする敵に戦慄すると同時に、単純な怒りから激高した。

「やらせないぞ! その艦には、フレイが乗っているんだ!」

 機関砲を撃ちながら、サイのミストラルはジンに突っ込む。

 照準もつけずに撃った機関砲の砲弾は、そのほとんどが何もない宙に消えた。

 焦れたサイは、そのままミストラルでジンに肉薄。

 ジンの正面に回り込んで、その身でアークエンジェルの盾となってから、マニピュレーターで掴みかかる。

 緩慢な動きしか取れなくなっていたジンは抵抗する事もなく、ミストラルに真正面からその両腕を掴まれてしまった。直後……

『……チュラルに! どうしてナチュラルなんかに負ける!? 動け! 動けよぉ!』

 接触したことで通信回線が開いたのか、ミストラルのコックピット内に、ジンのパイロットの物と思しき声が響いた。

『畜生、ナチュラルめ! ナチュラルのくせに、俺を殺すのか!? 殺すのかよ畜生!』

 サイは、その泣きじゃくるような怨嗟の声に驚いたが、やがてその驚きは怒りへと変わっていった。

「な……何を! こいつ、勝手だ! お前達が攻めてきたんじゃないか!」

 ZAFTが攻めてこなければ、戦いにはならなかったはずだし、フレイも戦いに巻き込まれなくて、サイも戦わずにすんで……そしてこいつも死ななくてすんだ。

「お前達が悪いんじゃないか! 殺させておいてさ!」

 殺す気はなかった。

 ただ、黙らせたかった。

 勝手を言う敵への怒りのあまりに。

 トリガーは軽かった。

 ジンの腕を掴んだ状態で、ミストラルの機関砲が火を噴いた。

 至近距離で放たれた砲弾は、ジンの装甲を穿って機体に無数の小孔を刻み込む。

『い、いやだ死にたくな……』

 その内の幾つかは、ジンのコックピットハッチの上に刻まれ、あっけなく通信は止んだ。

 機関砲弾を全て吐き出して、弾切れの警告音を聞いてサイは気付いた。自分が、機関砲のトリガーを押していた事に。

 そうしてから、敵の声が聞こえない事に気付く。

 サイは少し惚けてから、敵の声が思ったよりも若かったなと思い返した。

 直後、サイはヘルメットの中に胃の中の物を吐き出していた。

 

 

 

 どうやら、アークエンジェルにとりついたジンは撃破されたらしい。

 そう知ったムゥは、安心してザクレロ対策に乗り出すことにした。

「ちょっとでもずらせば!」

 ザクレロは物凄い速度で宙を進んでおり、猶予の時間は短い。

 ムゥは、ザクレロの機体右側に照準をあわせた。

 対装甲リニアガンに対軟目標用の榴弾を装填。そしてすかさずトリガーを引く。

 直後、ザクレロの右正面で起こった爆発が、ザクレロの進路を左にずらすと同時に、爆圧でその速度を減衰させた。

「っ!?」

 マリューは、突然に襲いかかった激震に、一瞬だけ気を取られる。直後。

『減速!!』

 コックピット内に響くムゥの怒声。

 その短い命令にマリューは反応し、何も考えずフットペダルから足を放し、逆噴射で緊急制動までかけていた。

 ザクレロが、つんのめるように止まる。

 今まで身体の後ろ側に押しつけられていた血が、一気に身体の前面に移動する。

 マリューの視界は赤く染まり……レッドアウト状態となった所でザクレロは巡航速度にまで速度を落とした。

 

 

 

「敵艦を攻撃中のジンが撃破されました」

 ガモフの艦橋に、ジンの反応が無くなったことが知らされた。

「攻めきれなかったか……」

 ゼルマンは悔しげにそう言うと、撤退信号を上げるように命令を出す。そして、

「ジンから脱出は確認されたか?」

 ゼルマンは通信士に確認した。

 通信士は、即座に首を横に振る。

「……いえ。残念ながら」

 脱出に成功したなら出されるであろう、救助要請の信号は出ていない。

 つまり、戦死と言う事だ。

「そうか」

 また、若いパイロットが死んだ。若くはあったが、歴戦の勇士でもあった。優秀な者ほど、早く死んでいく。

 そんな事を苦く思いながら、ゼルマンは残り二人のパイロットの安否を確認する。

「ミゲル・アイマンの隊はどうした?」

「確認します」

 ザクレロに突破された以上、撃墜されている可能性も高いのだが……何事も確認しない事には終わらない。

 行方不明なら、探さなければならない。だが、幸いにもその手間は省かれた。

「オロール機より返信。敵MAに撃破されたミゲル機の回収に成功とのこと。艦ではなく、近いヘリオポリスに退避する許可を求めています」

「許可を出せ。ヘリオポリスにも連絡をしろ……そういえば、降伏の連絡はまだだったな?」

 ゼルマンは許可を出した後、ヘリオポリスがまだ無防備都市宣言を出していない……つまりまだ降伏をしていない事に気付いた。

 約束では、とっくの昔に降伏していなければならないはずだ。

「まさか、この期に及んで抵抗はしないだろうが……何故、降伏が遅れている?」

 ゼルマンは訝しげに首を傾げたが、今はそれを追求している場合ではないと思い直す。

 今はまず、戦場を離れて安全な場所まで移動しなければならない。

「敵艦の動きに注意しながら後退。ヴェサリウスと合流する」

 

 

 

 ガモフが発した発光信号を、アークエンジェルの艦橋でも捉えていた。

「ZAFT艦からの撤退信号を確認」

 通信士の報告に、艦長のナタル・バジルールは密かに安堵の息を吐いた。

 戦闘はこれで終了だ。アークエンジェルは今、転進して攻撃できる状況ではない。

「敵艦を警戒しつつ全速離脱。各MAには帰還するように伝えろ」

 ナタルが命じたその少し後、通信士はナタルに報告を返した。

「ミストラル、応答有りません。ザクレロからは『目が見えない』と。メビウス・ゼロより、ザクレロを曳航して帰還すると連絡がありました」

「何かあったのか?」

 確認するナタル。返った報告は、前途の思いやられるものばかりだった。

「マリュー大尉は、高Gによるレッドアウトです。ミストラルの方は……新兵特有の奴です。その……吐いてます」

「ミストラルは、作業班にミストラルを出させ、牽引して回収させろ」

 頼みの綱のMAパイロットは、内二人が新人と言う事になる。

 これからを考えると不安ではあるが、とりあえずはそんな戦力でも生き残れた事に感謝をすべきだろう。

 ナタルは不安に押し潰されそうになるのをこらえる為、無理にでもポジティブに考えてみた。

 ……あまり効果はなく、深い溜め息が出る。

 それでもナタルは、何とか気を取り直して、まだ終わらない作業に意識を向けた。

「艦内の被害状況確認急げ。航行しながら、補修作業を行うよう艦内作業員に伝えろ。艦橋要員は気を抜くな、敵の追撃や待ち伏せがあり得る。最大の注意をしろ」

 まだ、一度の襲撃を凌いだだけである。

 何も終わったとは言えない状況にあるのだ。

 

 

 

「目の前が赤いわぁ……」

 マリューは、ザクレロのコックピットの中、自分の目の前に手をかざして呆れたように言った。

 視界は赤く染まっており、全てが赤く見える。

『Gの影響で、目に血が溜まったんだ。戦闘中になったら死ぬぞ』

 通信機から、ムゥの声が入る。怒らせたのだろう、声が非常に険悪だ。

『艦に帰ったら、Gを発生させない戦闘法を叩き込んでやるからな』

 マリューは、モニターに映るメビウス・ゼロを見て溜め息をついた。

 今、ザクレロは、メビウス・ゼロに牽引ワイヤで曳かれて、アークエンジェルの格納庫へと入ろうとしている。

「迷惑かけちゃったわね」

 ムゥに助けてもらったのだと実感し、感謝の言葉でも言っておこうかと思ったマリューだったが、その前にムゥから言葉が返された。

『全くだ。こんな邪魔くさい物を引きずるハメになるとはよ。でかくて黄色くて丸くて、カボチャの馬車かよってんだ』

「……じゃあ、あんたネズミの馬? 貧相なメビウスにはお似合いかも」

 その後は二人ともに沈黙。ただ二人の間に、どうしようもない険悪な空気が漂っていた。

 そうこうしている間に、二機のMAはアークエンジェルの格納庫に入る。

 入ってすぐに見えたのは、上半身だけのジンとそれにしがみついたミストラル。

 ミストラルに整備兵達がとりついて、コックピットの仲からパイロットスーツを引きずり出していた。

「何かあったの?」

 マリューは、返事を期待してではなく、なんとなくムゥに聞いてみる。

『あー……何だろうな』

 ムゥもそれに気付いていたのだろう。確認しているのか、少しの間、声が途切れた。

『わかった、お前と同じだ。お前は下から漏らしたけど、奴は上から出した』

「あんた死になさいよ!」

 すかさず怒鳴るマリュー。だが、それを読まれていたらしく、一瞬早く通信回線は閉じられていた。

 怒りを奥歯で噛み殺し、マリューは座席に身を沈める。ちょうどそのタイミングで感じる振動。

 今、ザクレロはアークエンジェルの格納庫に着底した。

 

 

 

 ここにヘリオポリス脱出戦終了。

 アークエンジェルはヘリオポリス近域を脱して、地球方面に向かって逃走を開始した。

 

 

 

「……逃げていくなー」

 去っていくアークエンジェルの推進器の火を見送り、ZAFTのMSパイロット、オロール・クーデンブルグは暢気にそんな事を言った。

 彼の乗るジンは、ザクレロに弾き飛ばされたミゲル・アイマンのジンを抱え込んでいる。

 そのジンのコックピットから引きずり出したミゲルは、意識は無いが命に関わる怪我はなかった。

 確認の後、ミゲルはオロールのコックピットの隅に押し込めている。

「さ、帰ろうぜ」

 オロールは同室のミゲルに言って、お荷物のミゲルのジンを引っ張って移動を始める。

 とりあえず、近場と言えるヘリオポリスへ。とは言え、それなりの距離があるので時間はかかった。

 しばらくかかって、港口にオロールは辿り着く。

 この時、オロールは全く油断していた。連合軍が居なくなった今、危険はない物と思っていたのだ。

 港口に踏み込んだジンを、港奥から撃ち放たれたミサイルの群が襲った。

「なぁ!?」

 とっさにオロールは、ミゲルのジンをミサイルの方に放り出した。同時に、自機は港口の外へと飛び出すべく動く。

 ミサイルはミゲルのジンに突き刺さり、港口で巨大な爆発を生み出す。その爆発を逃れて港口の外に出たオロールは、思わず口に出して愚痴る。

「話が違うぞ……ヘリオポリスは降伏するんじゃなかったのか?」

 



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ヘリオポリスに屍を焼べて

 時間は、アークエンジェルがヘリオポリスを出港しようとしていたその前に遡る

 先のコロニー内での戦闘を生き延びたヘリオポリス行政府。豪奢な執務机が据えられた行政官用の執務室。

 執務机の背後、壁一面の窓からはヘリオポリス全域を見渡せる。先の戦いの被害が、爪痕となって残るヘリオポリス市街が。

 そこで、行政官は変事に混乱していた。

 ヘリオポリスの無防備都市宣言……つまりは降伏に際し、オーブ軍ヘリオポリス駐屯地の部隊にも降伏をしてもらわねばならなかった。

 半ば自治権を与えられているヘリオポリスは、本土の了承無しに行政府の判断で無防備都市宣言を行える。

 しかし、領内に占領軍に対する戦力が残っている状態では、無防備都市宣言は認められない。

 もちろん、事前に駐屯地司令とは話し合っており、オーブ軍の降伏は決定していた。

 だが、この期に及んで……オーブ軍は抗戦の意志を一方的に行政府に伝え、後は連絡を拒絶したのである。

「……どういうつもりなんだ」

 行政官は、執務机に座したまま頭を抱え込んだ。

 状況的に、抗戦など有り得ない筈だ。軍事の専門家ではない行政官でも、そんな事くらいわかる。

 MA隊などのMSに対抗しうる兵種は既に全滅しており、このヘリオポリスを守る戦力は失われているのだから。

 では、何がオーブ軍を抗戦に走らせたのか? その答えは、行政官の元を訪ねようとしていた。

 ノックの音が、行政官の意識をドアへと向けさせる。

 直後、遠慮無く開け放たれたドアの向こうに、その姿は見えた。

 先頭に立つ、儀礼用の士官服を着た少女。その背後に続く、戦闘服の兵士達。

 行政官は、少女の姿を見知っていた。

「カガリ様? 何故、このようなところへ……」

 執務机から立上がり、行政官はとりあえず声をかける。

 カガリ・ユラ・アスハ。オーブ連合首長国代表首長及び五大氏族アスハ首長家当主ウズミ・ナラ・アスハの娘。

 とはいえ、本人は何の権力も持たない民間人である。いきなり、行政官の執務室に駆け込んでくる事が許されている筈もない。

 それに、行政官は別の氏族であるセイランに近い。アスハとは関わりはほとんど無い。

 だからこそ、何故かという疑問。VIPの筈の彼女が、何の連絡もなくヘリオポリスにいた事への疑問も混じってはいるが。

「今は火急の時。お相手をしている時間はございません。今は避難を……」

 言いながら、行政官はもう一つの疑問を覚える。

 何故、カガリが兵士を連れているのか? 最初は護衛かと思ったが……違う。

 行政官は思い出す。アスハ家には、つまりはその娘のカガリには、軍の強い支持がある。それも狂信的なほどの……

 そのカガリは、怒りをあらわにし、行政官を問い質した。

「行政官、お前に聞きたい事がある! 降伏を選ぼうとしたというのは事実なのか!?」

「それは……事実です。それが何か?」

 行政官はその問を不可解に感じながら答える。

 政治を任された行政官の権限で決めた事。行政府の議員の賛成も得ている。

 カガリにとやかく言われる事ではないはずだ。

 しかし、カガリは行政官を糾弾した。まるで、その権限を持っているかのように。

「他国の侵略を許さず! このオーブの理念はどうした!」

「そうは言われましても」

 行政官は言葉を濁す。

 他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入しない。この三つがオーブの理念である。

 それはまあ素晴らしい事なのかもしれないが、現実的に今の状況で守りきれるものではない。

「戦力が無い以上、敵を追い払う事は出来ません。援軍を呼び寄せる余裕もない」

 今のヘリオポリスに戦力は無いし、本国やアメノミハシラからの援軍に期待するにしても間に合わないだろう。

 よしんば援軍が間に合ったとしても、オーブ軍のメビウス部隊がどれほどの戦力になるというのか。

 結局、秘密裏に行われたMS開発がZAFTに察知された段階で、もはやヘリオポリスには打つ手は無かったのだ。

「今、採り得る手は無防備都市宣言。ヘリオポリスの全面降伏だけです」

 これを出さないと、オーブにはヘリオポリスを戦場として戦う意志があるという事となる。

 だが、カガリはそんな事は理解しようともしなかった。彼女は、目の前にある事しか頭になかったのである。

 すなわち、オーブの理念が侵されようとしている事。

「全ての原因は、他国の争いに介入しないというオーブの理念を破り、ヘリオポリスでMSなんか作ったりしたからだろう!?

 自分達でまいた種じゃないか! それなのにお前はまた、オーブの理念を捨てるのか!?」

 ヘリオポリスが悪いと言いたげなカガリに、行政官は頭痛を覚えながら言った。

「……MS開発は国策です。ヘリオポリスは内閣の決定に従い、場所を提供したにすぎません」

「お父様の責任だというのか!?」

 連合との共同でのMS開発は公開情報ではない。

 形としては、オーブ五大氏族のサハク家が秘密裏に請け負った形となっている。

 しかし、国家の長がそれを知らないという事は常識ではかると有り得ない。ウズミ・ナラ・アスハは絶対にそれを知っていたはずである。

 知っていてそれを黙認したのだから、責任が無いとは言えない。

 仮に知らなかったとしたら、国家の長として知るべき事を知らなかったと言う事で、それはそれで大問題である。

 だが、ウズミ一人の責任となるかと言えば、それは少々違う。

「国の責任です。オーブは、ウズミ様のものではありませんから。

 その責任は、政策を承認した内閣や関連省庁、果ては国民に至るまで無数に分割されます」

「責任逃れをするな! お前は、オーブの理念を破っているのに、その責任を他になすり付けるだけじゃないか!」

 ヘリオポリスがオーブの理念を破らざるを得ない状況に追いやったのはオーブ本国の責任だという話をカガリは理解してくれない。

 状況がどうあろうと、オーブの理念を破る事が罪らしい。そして、その責任を行政官に求める。

「では、具体的に何をしろと言うんです? オーブの理念を捨てずに、ZAFTからヘリオポリスを守るにはどうしろと」

「それを考えるのが、お前の役目だろう! 行政官の役職は飾りか!」

 カガリの声に行政官はいらつく。

 飾りであればどれほど良かったか。さぞや、安穏と暮らせた事だろう。

「話になりませんな。苦情は承りました。しかし、この件は行政府で決めた事です。お引き取りください」

 行政官がそう言って退去を促そうとした時、カガリの側に控えていた兵士が口を開いた。

「オーブの理念を守る為、自衛戦闘の許可は出ています。MA隊は全滅しましたが、歩兵部隊や機械化車輌部隊は残っています」

 行政官は、唖然としながらその兵士を見る。その時、襟に見えた階級章から、その兵士の階級が一尉である事を知った。

 基地司令の下、実戦部隊を指揮していた者だろう。その一尉は、行政官の反応に関わらずに言葉を続けた。

「オーブの理念を守る為、オーブ軍ヘリオポリス駐屯地の将兵は、命を賭して戦う事を選びました」

「コロニー内で戦うつもりか!? それも、勝てない戦いを!」

「戦う前から決めつけるな! 諦めたら、そこで終わりだろ!」

 思わず激昂した行政官に、カガリの怒りの声が飛んだ。

「そうやって諦めてしまうから、オーブの理念を捨てる事が出来るんだ!」

 理想と決意に萌える少女の毅然とした眼差しに見据えられ、行政官はできの悪い演劇を見ている気分になった。それもこれはきっとコメディに違いない。

 頭の中が混乱し、言葉が出ず、行政官はへたり込むように椅子に腰を下ろし、執務机に沈み込む。

 保身の為でなかったと言えば嘘になる。ZAFTに恩を売り、亡命する腹づもりではあった。どうせ、残っても詰め腹を切らされるだけなのだから。

 それでも、市民を犠牲にしない為にとれる最善の手だったと考えている。

 占領されれば、市民をZAFTに委ねる事になる。しかし、虐殺されるわけではない。

 オーブ本国との交渉次第で、幾らでも何とか出来るはずだ。

 例えオーブの理念を……法律でも何でもない、ウズミのお題目に過ぎないオーブの理念を破ったとしても、国民を守る事が出来る。

 抗戦すれば、巻き添えでどれほどの人命が失われるかわかったものではない。

「許さないぞ! お前の勝手に、巻き込まれてたまるものか!」

 行政官は執務机から立上がり、カガリに向かって詰め寄ろうと小走りに歩いた。

 直後、一尉がかばうようにカガリを引き寄せ、部屋の外へと出る。そして、残る二人の兵士が前に出て、後ろ手に執務室のドアを閉めた。

 行政官の体は、その二人の兵士に押さえられる。

「何をする。放せ!」

 行政官が二人を押しのけようともがくが、兵士達はそれを許さない。

「……アスハの犬め!」

 ややあって、一言唸るように吐き捨ててから、行政官はカガリを追うのを諦めて兵士から離れた。

 そして、電話に向かって歩き出す。部下に命じて、オーブ軍の暴走を抑制しようと考えていた。が……

 行政官の後ろで、兵士達は懐から拳銃を引き抜いた。

「オーブの理念を汚す者! 天誅!」

「天誅!」

 兵士二人の声が重なり、同時に銃声が響く……

 

 

 

 同じ頃。集結したオーブ軍の一部は、残余の宇宙兵器を集めて港湾部にて待機。

 アークエンジェル出港後、即座に陣地を構築し、ZAFTを迎え撃つ第一の壁となる。

 もっとも、ミサイルコンテナで急造の砲座を作るぐらいが限度だが。

 一部は放送局を占拠。

 ヘリオポリス市民に向けた放送を準備中。

 残りは地上用兵器の全てを持って行政府前に集合していた。

 

 

 

「行政官はああ言っていたが……負けるのか?」

 行政府の廊下を歩くカガリは、不安を見せながら傍らの一尉に聞いた。

 一尉はそれに澱み無く答える。

「敗北主義者は負けるとしか言わないものです。それに、これは理念を守る戦い。勝敗は重要ではありません。

 誇りを持って戦い、オーブの理念の気高さを世界に示す事が重要なのです」

「そうか……そうだな。オーブの理念の為だからな」

 カガリは納得した。オーブの理念を守る。その気高い戦いに赴くのだから、勝敗など関係がない。

 自信を取り戻したカガリに、一尉は僅かに喜色を滲ませて言う。

「カガリ様がおられますから、共にオーブを守る為に立ち上がる市民も少なくはないでしょう」

「そうだな。オーブの理念を守る為、オーブの国民ならば理解してくれるはずだ。

 ならば私は、オーブの理念の為、全ての国民と共に戦おう」

 オーブの国に燦然と輝くオーブの理念。その為なら、国民は犠牲を厭わず戦うだろう。正義の為に戦うのは、当然の事。そして崇高な事。

 露程も疑わず、カガリはその美しい戦いに思いを馳せる。

 少女の潔癖性じみた正義感の中で、理念への殉死は美しい理想だった。現実を差し挟む間も無いほどに。

「さすが、若くともオーブの獅子の血を引くお方。まさに救国の姫獅子」

 一尉は、心酔した様子でカガリに言葉と忠誠を捧ぐ。

 歩みを進めていたカガリと兵士は、行政府の玄関から外へと歩み出る。

 待っていたのは、整列したオーブ軍兵士。さらに中継車が回されて放送の用意もされていた。

 玄関前の一段高くなった場所にはマイクが用意されている。

 カガリは緊張に表情を引き締めると、兵士達が注視するマイクの前へと歩み出た。

 

 

 

「戦闘中に受信した映像です」

 アークエンジェルとの戦闘後、ガモフの艦橋。メインモニターに、マイクの前で拙い言葉を必死で並べるカガリの姿が映っていた。

 カガリは、オーブの理念を守るべく徹底抗戦を叫んでいる。

『みんな、本当に大事なものが何かを考えて欲しい!

 オーブの理念が失われようとしてる今、私達は何をすべきなのか。

 このまま、オーブの崇高な理念が失われるのを見ていて良いのか!

 心あるオーブ国民のみんな、私達と共に戦おう! オーブの理念を守る為に!』

 カガリの演説を流しながら、映像は次々に集まってくる民衆を映していた。

 オーブの理念を守るという呼びかけに答えた者は驚くほどに多く、銃を配っている兵士の前で長蛇の列を作っている。

 ゼルマンは、その映像を眺めて苦笑した。

「心意気は賞賛するが、勝てぬ戦いだとわかっているのか」

 万に一つでも勝てるならやってみる価値はある。

 身を捨てても果たさねばならない責務というのも理解できる。

 しかし、この暴動に勝ち目はない。

「所詮はナチュラルのやる事か。まあ良い。立ちはだかるならば、打倒しよう」

 ゼルマンは愚行はナチュラルの故なのだと切り捨て、そしてこの反抗を打ち砕く事を決める。

 敵だから叩くという単純な話ではなく、艦の修理が出来るドックを手に入れなければならないという理由もあった。

 ヴェサリウスはもちろん、ガモフも傷を受けており、修理を必要としている。

 宇宙空間で修理するのは限界がある。ちゃんとした設備や道具のあるドックでの修理が望ましい。

 そして、ドックを使用するには、ヘリオポリスのドックを使用するのが一番早い。

 それには、コロニー内の敵戦力は邪魔で、叩く必要がある。

「……ところで、行政官との交信は?」

「個人宛の通信は不通です。行政府に連絡しましたが、行政官は戦死とか何とか……」

 問われた通信士の返答は要領を得ない。

 戦死? 戦闘の起こっていないコロニー内で、どう戦死すると言うのか。

 通信士も疑問に思い聞き返そうとしたが、混乱した通信は切れてしまった。以降の通信は拒絶されている。

「消されたな。有用な人物だったが……」

 ゼルマンは察した。

 行政官は、現状のヘリオポリスには降伏より他に道がない事を悟っていた。そんな行政官が、今の状況を許すはずがない。

 そんな彼が、不可解な死を遂げたのだ。邪魔者扱いされて殺されたに決まっている。

 行政官からの情報提供は有り難かったし、その労には報いるつもりでもあったが、殺されてしまえば何をしてやる事も出来ない。

 ともかく今は、ヘリオポリスの制圧が先だ。

「まあいい、ヴェサリウスの兵は残っている。ガモフの兵も合わせて、陸戦隊を組織する」

 戦闘能力を失ったナスカ級ヴェサリウスだが、乗員に被害は少なく、兵力はほぼ残っている。ガモフも同じ。

 陸戦隊を組織するに不都合はない。

「両艦の各部署に通達し、1時間以内に陸戦隊をシャトルに搭乗させろ。それから、ジンの出撃準備を。コロニー内の敵はMSで叩き潰す」

 ゼルマンの指示に、艦内はあわただしく動き出した。

 

 

 

 最後の記憶は、眼前に迫る魔獣……

「……!」

「よぉ、おはよう」

 悪夢に跳ね起きたミゲル・アイマンを迎えたのは、同僚のオロール・クーデンブルグの声だった。

 見れば、いつものガモフ艦内の二人部屋。ベッドに腰掛けて、こっちを覗き込むオロールの姿もいつもと同じ。

 まるで、全てが悪夢だったかのようだ。だが、幾ら何でもそれは無いだろう。

「どうなった?」

「お前は跳ね飛ばされ、俺が必死で追いかけて回収した。身体に異常なし。俺に感謝しろよ」

 だからガモフの中。ミゲルはそれを知って、自分が生き残ったことを深く実感した。

 それと同時に、オロールの行動へ疑問を抱く。あの時の任務は、ザクレロを引き付ける事だったはずだ。

「戦闘を放り出して、俺の救助を?」

「ジンで、あのMAに追いつけるかよ。追いついたところで、効く武器がないだろうが」

 オロールは憮然として言った。

 確かにその通りで、オロールが追撃しても何の意味もなかったろう。

 逆に、ミゲルの回収を急いだことで、ミゲルの行方不明は避けられた。

 だが、それでも任務放棄をとがめられて叱責を受けたわけで、オロールとしては面白くない。面白くないから、意地悪をと言うわけでもないが……

「悪いニュースと、最悪のニュースがある。どっちを先に聞きたい?」

 オロールは口端を笑みに曲げて言った。

 それに対してミゲルは迷い、そしてどっちでも良いという気になって答える。

「悪いニュースからで頼む」

 本当に悪いニュースなら、こんな冗談交じりの伝え方をする筈がないのだ。だから、どちらから聞いても同じだろうと。

 その予想の通りオロールは、かなり気楽な口調で言った。

「任務を外れて、お前を救出したせいで、俺のボーナスはパァだ」

 もっとも、正式にそう言う罰が下されたわけではないので、冗談の意味の方が多い。

「そりゃ悪かった。で、最悪のニュースは?

 ミゲルは少し笑って、次のニュースを促す。

 それに答え、オロールはニヤリと笑みを見せる。

「出撃だよ。お前が後1時間寝ていたら、俺が出撃だったんだがな」

 今、艦に残っているのはオロールのジンなのだが、艦長のゼルマンはより優秀なパイロットであるミゲルの出撃を望んだ。

 ミゲルが出撃前に目が覚めたらという条件付きだったのだが、目が覚めたので役はミゲルに回ったというわけだ。

「出撃って……アークエンジェルの追撃か?」

 状況を把握できていないミゲルに、オロールは肩をすくめて答える。

「コロニー内のオーブ軍残存戦力と、レジスタンスを殲滅するんだ。MSの敵になりそうな物はない。鴨を撃ちに行くみたいなもんさ」

 

 

 

「……あれで良かったか?」

 兵士達が戦闘準備を進める市街地。

 歩きながらカガリは、歩みを共にする一尉に聞いた。

 演説は、用意された原稿を読んだだけ。父の姿を思い起こしながら、精一杯やった。

 一尉は満足そうに頷き返す。

「もちろんですカガリ様。多くのレジスタンス志願者が現れてくれたではありませんか。

 カガリ様の演説に、オーブ国民は皆、奮い立った事でしょう」

「そう……か」

 褒められて嬉しいのか、カガリは緊張していた表情を少しほころばせた。

「行政官も、あの演説で心を変えてくれただろうか?」

 意見を違えた行政官だが、心を入れ替え、正義に目覚めてくれないかと夢想する。

 しかし、カガリの知るところではなかったが、行政官は既にその命を奪われていた。

「いえ、彼は逃げたようです」

 一尉がまるで真実のように答える。行政官への侮蔑の感情を込めて。

「戦いが始まると知って怯えたのでしょう。情けない男です。セイランの派閥の者ですから、当然とも言えますが」

「……こんな大事な時に逃げ出しただと! 責任感のない!」

 カガリは一尉の言葉を簡単に信じ、怒りを行政官に向けて発した。そして、

「駐屯地司令も逃げたのだったな。ヘリオポリスは上に立つ者に恵まれてはいないようだ」

 カガリは、ヘリオポリス駐屯地の司令も降伏論者であった事を思い出した。

 もっとも、カガリとの接見の後、司令もまた逃亡したと一尉に教えられたのだが。

「こうなれば、私達がよりいっそう頑張らないとな!」

「流石ですカガリ様。反抗の準備は着々と整っております」

 一尉はそう言うと、カガリに現況を説明する。

「無重力下での戦闘を行える兵士と、無重力下活動を日常的に行っていた市民には、宇宙港に行ってもらいました。港で、ZAFTの進入を食い止めます」

 自信満々に言う一尉だが、その論に全く勝てる根拠はなかった。

 少数のプロに、アマチュアを混ぜ込んだ戦力で何が出来るというのか。

 むしろ、混乱を引き起こして戦力を低下させるのでは?

 しかし、一尉はそのような事は考えていない。オーブの理念を守る為、ウズミへの忠誠を尽くして戦う事が大事で、勝ち負けなど考えの外である。

 だから一尉は、勝てる見込みなどは話さなかった。ただ、話を続ける。

「残りの兵士と市民は、オーブ軍が最も得意とする市街戦でZAFTを迎え撃つべく、市街地に展開中です」

 オーブ軍の防衛戦術の基本は、都市部に布陣して戦う事となっている。

 また、市民の避難などは、ほとんど考慮に入れない。避難は、市民がそれぞれの責任の範疇で行う。

 だから、軍としては兵士の展開をして準備は終わりだ。

 既に兵士達は戦闘準備を終えて、建物に隠れている。

 外にいるのは、伝令などの例外を除けば、武器を持った市民達だけ。

 彼らは、戦場を歩くカガリを遠巻きに見ては、黙礼したり、バンザイを叫んだりと、熱狂を素直に現わしている。

 カガリは、軽く手を振るなどして無邪気に応えていた。

 と……そこに、サイレンの音が響き渡る。それは、宇宙港の方で鳴っている様だった。

 カガリはその音を知っている。敵襲を知らせる警報に他ならない。

「敵襲……いよいよだな!」

「はい。それでは、カガリ様。司令部に戻りましょう」

 一尉は、カガリに戻るよう示す。

 司令部は、主戦場として設定された市街地より遠く離れたシェルターの中にある。

 つまり、もっとも安全な場所に。

「何を言う! 私も皆と一緒に戦うぞ!」

 戸惑い気味に声を上げたカガリに、一尉は穏やかに言い聞かせる。

「カガリ様。人にはいるべき場所がございます。カガリ様のいるべき場所は、前線ではありません。

 全ての兵士が安心して戦えるよう、カガリ様は全ての兵士を見渡せる場所においでください」

「ん……そうなのか? それが、戦ってくれる者達の為になるんだな?」

 カガリは納得しなかったが、一尉に諭されて従う事にした。

「だが! もし、前線が危なくなったら、私も戦いに出るぞ!」

「ご随意に。その時は、私もお供しましょう」

 カガリは素直だった……一尉の言う言葉に素直に従ってしまったのだから。

 

 

 

 今朝、家族一緒に朝食を食べたテーブルの上に、重い音を鳴らして自動小銃が置かれる。

 銃の向こう、テーブルに並んで座る両親は、にこやかに微笑みながら言った。

「父さんと母さん、話し合って決めたんだ」

 トール・ケーニヒは、その話を妙に冷静な気持ちで聞く。

 トールの両親は英雄志向なところがあった。それはトールにも引き継がれている。何か戦う理由があって、戦う事が出来るなら、戦う事に躊躇はしない。

 性格は親譲りだとトールにも自覚がある。なら、戦うという選択も有りだろう。トールも、あのカガリ・ユラ・アスハの演説を聴いて、考えてはいたのだから。

 しかし、トールは決断に踏み切る事は出来なかった。フレイとの別れの時、連合兵に聞いた話が引っかかっていたのだ。

 連合兵は、“へリオポリスは降伏する”と言い、“武器を持たず隠れていれば安全”と言った。そして、カガリは“オーブの理念を守る為に武器を取って戦おう”と言った。

 それは、オーブの理念を守る為に、本来なら安全な筈の市民の命を危険にさらそうとしているのでは……と、そんな疑念が湧いたのだ。

 トールは、オーブの理念を守る事は正しいと教えられてきた。ウズミ・ナラ・アスハの政権下、オーブの国民なら誰しもがそうだろう。だから、オーブの理念を守る事は、疑いの余地がないほどに正しい事の筈。

 しかし……トールは、そんな常識的な正義に対し、疑問を持ってしまっていたのだ。

 オーブの姫様であるカガリと、一連合兵の言葉を比べれば、カガリの言葉の方が絶対に信頼がおける筈だというのに。

「危ないよ! 殺されるかもしれない! それに……」

「だからこそ、今こそ、オーブの理念の為に戦う時なんだ」

 トールは、話の組み方を間違えた。本当に言いたい事を言う前に、父親に反論をされてしまったのだ。

 本当は……もっと言いたい事があった。疑問をぶつけたかった。しかし、トール自身も何を言って良いのかわからない。

「でも……!」

「もう、覚悟は決めたんだよ。わかりなさい、トール」

 もっと言葉を尽くそうとしたトールを、父親は穏便な言葉で制する。

 母親は、トールを安心させるように言った。

「私達は大丈夫だから、トールは避難しなさいね」

「本当は、お前も戦うと言い出すのじゃないかと心配していたんだ。でも、そうじゃなくてかえって安心したよ。お前は、避難するんだ」

 父親はそう言って、自動小銃を手に取ると立ち上がった。母親も同じように銃をとって立ち上がる。

 テーブルの上に、一丁の拳銃が残されていた。父親は、トールに真顔で言う。

「危なくなったら使いなさい」

 

 

 

 ミゲル・アイマンは、ジンに搭乗して宇宙に居た。

 今回の装備は、MA-M3 重斬刀とMMI-M8A3 76mm重突撃機銃だけだが、予備弾倉は多めに持ってきている。重機銃の弾は榴弾が選ばれていた。敵が艦船やMAではないのと、コロニーの外壁まで破壊しては困るという事情から、貫通力が不要と判断された事がその理由。

 ミゲルと共にガモフを発した、陸戦隊を詰め込んだシャトルは、ヘリオポリスの港湾部へと迂回しつつ接近する。まっすぐ行かないのは、港口の真正面に行けば、内部に設置されたミサイル砲台に攻撃されかねないからだ。

 ガモフからの観測により、外壁には武装の設置がされていない事がわかっている。

 おそらく、露出した場所に設置しても、攻撃されて破壊されるだけだと考えたのだろう。実際、そうなるだろうから、その判断は正解だ。

 邪魔をする者がいないので、ジンとシャトルは容易く港湾部近くの外壁にまでたどり着く。

 そこで、シャトルは停止。中から、パーソナルジェットを装備した陸戦隊が飛び出し、次々にコロニー外壁へと取り付く。

 通常の出入り口は、敵の待ち伏せか罠がある確率が高い。そして、わざわざ、そんなところに飛び込む必要はない。

 ミゲルのジンは重斬刀を構え、外壁に突き立てた。そして、捻るようにしながら抜き取る。

 直後、開いた破口から、猛烈な勢いで空気が噴出する。その空気の流れに巻き込まれて、民間用宇宙服を着た人間が宇宙へと吐き出された。

 しばらく、宙でもがいているのが見えていたが、見る間に遠く離れ宇宙の闇に消えていく……そして、宇宙服が小さく見えなくなった頃、破口からの空気の噴出が弱まった。

 陸戦隊は、破口よりコロニー内へと突入する。これで、有る程度はオーブ軍の不意を突けるだろう。

 ミゲルは、陸戦隊がコロニー内に突入するのを確認した後、ジンを動かした。陸戦隊の突入を支援した後は、コロニー内へと入り、内部の敵を殲滅する。

 目指したのは、先の戦闘でザクレロがコロニーのガラス面に開けた穴だった。

 それほど時間をかけず、ミゲルのジンは目指した場所に到着する。ザクレロが開けたガラス面の穴は既に応急修理がされており、穴を塞ぐようにゴム状の膜が張られていた。

 ミゲルは、その膜をジンで破る。途端にコロニー内から空気が漏れて、突風となってジンを押すが、かまわず強引に機体をコロニー内に入れる。

「……あまり、空気が薄くなるのも悪いしな」

 通り抜けた後、ミゲルはジンに積んできたコロニー補修用のトリモチを用意した。

 ジンの掌に乗るくらいの金属筒。側面についたスイッチを押し込むと、筒の先端から風船ガムのような物が膨らみ始める。

 それが通り抜けた穴よりも大きくなったところで、さらにスイッチを押し込む。

 巨大な風船ガムは金属筒から切り離され、吸い出される空気の流れに乗って穴を目指して漂う。そして、穴に触れた所で破裂して、穴をべったりと覆って塞いだ。

 これで少し経てば、さきほど穴を覆っていたのと同じゴム状の膜となる。膜はかなり丈夫で、空気漏れはほぼ防ぐ事が可能だ。

「さて……後は」

 ミゲルは、眼下に広がる都市部を目指し、ジンを降下させていく。

 下りるにつれて、ジンは重力に引かれて速度を増していった。

 

 

 

 トールは、住宅地を縫う路地を走っていた。

 辺りに鳴り響く警報がトールを急き立てる。それは他の市民も同様で、逃げまどう人々が当てもなく駆け回っていた。

 ヘリオポリスの中は混乱の極みにあった。先の襲撃の時よりも酷い。

 混乱の原因となったのは、都市部に布陣した軍隊。そして、オーブの理念を守る為に武装した市民達。彼らはそこかしこで道路を封鎖して陣地をもうけており、避難経路をズタズタに引き裂いている。

 完全に道が塞がれた訳では決してないのだが、敵襲という混乱状況の中で道を探すのは困難きわまりなく、パニックが広まりつつあった。

 そんな中、トールはようやく目的の場所へとたどり着く。

 住宅地の公園の片隅、地下への口を開けた、シェルターへの入り口。それが、この辺りの住人が避難するシェルター。

 シェルターの周りには、避難してきたのだろう住人達が、困惑の面持ちで人垣を作っていた。

 そして、その人垣の中心では、何人もが怒鳴りあう怒号が聞こえる。

「どうしてみんなシェルターに入らないんだ?」

 トールは疑問をつぶやきながら、ここまで来た目的の相手を探して頭を回らせた。

 ややあってトールは、住人達の中にミリアリア・ハウの姿を見つける。

「ミリィ!」

「トール!?」

 駆け寄って肩をつかんだトールに、ミリアリアは振り返って驚きの声を上げる。

「どうして? トールの家は、ここのシェルターじゃないでしょ?」

「ミリィが心配で見に来たんだ」

 トールが真顔で言った答えに、ミリアリアは少しだけ嬉しそうにはにかんだが、すぐに表情を半ば無理矢理に怒りへと変えた。

「ば……馬鹿! 危ないじゃないの! 早く避難しなきゃ……」

「それなんだけど、どうしてみんなシェルターに入らないんだ?」

 シェルターの周りの住人達は、諦めたように他へと向かう者を除けば、減って行く様子が見えない。つまり、シェルターへの収容がされてないのだ。

 シェルターが満員になった可能性もあるが、住宅地のシェルターはかなり大きく、周辺住民を収容してまだ余りある容量があった筈。

 その疑問に、ミリアリアは困った様子で顔をしかめ、騒ぎの中心となっているシェルター入り口を振り返った。トールもそれに倣って、同じ方を見る。

 その時、注視の先から、男の声が上がるのが聞こえた。

「ここは、オーブの理念の為、戦う者が集う場所だ! 戦わない者は他のシェルターに行け!」

 シェルターの入り口には、自動小銃を持って声を張り上げる中年男の姿。彼に従う若い男と中年女も手には銃を持っている。

 3人は、周りを囲う住人達に銃を向け、威嚇していた。

「オーブの理念の為に武器を取る同志は、シェルターに入れ! 一緒に戦おう!」

 中年男は上機嫌で声を上げているが、周りを囲む住人達はその声に対して不満をあらわにしていた。

 当たり前だろう。シェルターはあくまでも避難する場所。確かに強固な防御力を持つが、それは避難民を守る為のものだ。

 それを勝手に占拠して、避難民を閉め出すような事をして良い筈がない。

「ここは俺たちのシェルターだ! 勝手に占拠してどういうつもりだ!」

「他へって……何処へ行けばいいのよ!」

 口々に非難しながら、詰め寄る住人達。彼らも命がかかっている。押しのけてでも、シェルターに入ろうとしていた。

 しかし、空に向けて撃ち放たれた銃の音が住人の足を止める。

「オーブの理念が破られようとしている時に、勝手な事を言うな! お前達は、オーブの理念が破られても良いのか!?」

「オーブの理念を脅かす人は、誰であろうとオーブの敵よ!」

 銃を撃った若い男と、中年女が殺気だった声を上げる。銃は、住民達に向けられていた。

 トールはその騒ぎを遠巻きに眺めながら小さく呟く。

「……おかしいだろこんなの」

 オーブの理念が大事だとは、トールも思ってはいた。オーブの理念があるからオーブは平和なのだと、日常的に言い聞かせられてきたのだから。

 しかし、今の状況は常軌を逸して見えた。

 オーブの理念を守るのだと叫ぶ人々の声は何処かおかしい。だが、何がおかしいのか、どうしても思い浮かばない。

 オーブの理念を守る事は、とても正しい事の筈なのだ。そう教えられてきた。

 正しい筈の事が行われている。正しい筈なのに。

 トールが答えを出せないままでいる内に、その思考を止める声がかけられた。

「ミリアリア、それにトール君」

 トールとミリアリアに歩み寄り、声をかけたのはミリアリアの父親。彼は、ミリアリアの母親と共に、この人垣の中を出ようとしていた。

「別のシェルターへ行こう。さあ、急いで」

「え、でも……町の中は何処に逃げたらいいかわからない人であふれてるんですよ? 今から、他のシェルターを探すなんて……」

 混乱した住宅地の中を抜けてきたトールにはわかっていた。他のシェルターを探す事が、非常に危険な試みであるという事が。

 もし、途中で敵襲があれば、確実に巻き込まれる。

 しかし、ミリアリアの父親は、諦めた様子で言った。

「オーブの理念を守る為に戦ってくれるんだ。仕方ない」

「そうね、仕方ないわ。オーブの理念の為ですもの」

 母親もまた、父親に同調して頷く。オーブの理念を守る為だから仕方がない。オーブの理念の為なのだから。

 トールは納得しかけたが、胸の奥で何かに引っかかった。それが何かわからないまま、逃げ出すミリアリアの両親とミリアリアに合わせて足を動かす。

 と……その時、頭上が陰り、人々の悲鳴が聞こえた。

 とっさに頭上を見上げる。トールはそこに、空から落ちてくる巨人……市街地に降下しつつあるMSジンの姿を見つけた。

 ジンは、あろう事かトールの頭上に降りてくる。ジンの足の裏が、どんどんその大きさを増しながら迫ってくる……恐怖に体を強張らせたトールは、それを見守るより他なかった。

「……っ!!」

 誰かが何か叫んだように思えた。直後、トールを突然に襲う衝撃。何か重くて柔らかい物が体に当たって、トールを押し倒す。

 ジンを注視していたトールの視線がそれ、路上で両腕を突き出した姿のミリアリアの父親をとらえる。

 母親は、父親の傍らで、顔を恐怖にゆがめて空を見上げている。先ほどまでのトールと同じように。

 ミリアリアの姿はない。いや、トールの体にぶつかってきた物が……

 激しい振動。トールの視界がまた揺らぐ。

 トールは、この場から少し離れた道路上にジンが落着したのを見た。ジンは、落ちた勢いを殺さないまま、路面を削りながら道の上を滑ってくる。

 その進路上にいた人々が、ジンの足に触れるや砕け散って赤い破片をまき散らした。

 そして、ミリアリアの両親の姿は……

 気づいた時、トールが視界はコロニーの空だった。道路上に倒れて、空を見ている。凍ったように動かない世界の中で、胸の上に暖かい重さを感じていた。

 

 

 

 地上から散発的な銃撃が行われている中、ミゲルのジンは降下していた。

 とりあえず、大半を占める小火器類は無視して良いが、対空機関砲の類が少数混じっており、機体に結構な衝撃がある。

 ミゲルは、銃撃の方向から敵の姿を探してジンのカメラアイを動かす。

 ややあって、平屋の民家の中から天井に開けた穴を通して撃ってきているのを確認した。

 すかさず、その民家に重機銃を撃ち込む。榴弾が天井を突き破ってから民家の中で炸裂し、風船のように民家を中から破裂させる。

「一つ!」

 ミゲルは次の対空機関砲を探す。

 公園の木々の合間。そこから火線は伸びていた。姿を確認したわけではないが、ミゲルはそこに重機銃を撃ち込む。

「二つ!」

 まだ、機関砲は残っているが、もう地上が間近になっており、空で迎撃できる時間は無かった。その事を警報で知ったミゲルは、何の気なしに着地点を地上をカメラで確認する。

「……な? 避難が終わってないのか!?」

 ミゲルは言葉を失った。

 着地点となる道路上に、たくさんの人がいる。まさかこの全てがレジスタンスだという事もないだろう。

 しかし、もはや他の場所に着地する余裕はない。

「恨むなよ!」

 ミゲルが声を上げた直後に、ジンは道路の上に足をおろした。

 警報。ジンの足下が滑り、バランスを崩している。何で足を滑らせたのかは、ミゲルは考えない事にした。

 ミゲルはただ、バランスをとる為にバーニアを噴かす。ジンは路上を滑るように進んでからバランスを回復し、そこからは普通に歩き始めた。

 そうなってからミゲルが改めて周りを見てみると、少なくない数の人が逃げまどっているのに気づく。そして、ジンに向けて銃を撃ってくる者も。

「……おいおい、冗談かよ」

 見た目、完全に民間人である。手に銃を持っているだけだ。老若男女関係なく、無駄な銃撃を続けている。

 MSにとっては何の脅威でもないが、今後のへリオポリス占領に当たっては、いろいろと障害となる。故に、任務にはレジスタンスの掃討も含まれていた。

 しかし……だ。

「くそ! 民間人とレジスタンスの区別がつかない!」

 違いといえば銃を持ってるかそうでないかで、見分けなどつくはずもない。

 しかも、レジスタンスは、避難民の群れの中に紛れて攻撃を行っている。

「そんな手を通用させてたまるかよ!」

 ミゲルにわいたのは怒りだった。レジスタンスが、民間人を盾にして戦いを有利にしようとしているかのように思われて。

 だから、ミゲルは容赦なく重機銃を撃った。榴弾の爆発の中に、次々に人影が飲まれては砕かれていく。

 

 

 

 トールは身を起こす。

 辺りには血の臭いが満ちていた。

 ジンはもう居ない。辺りを見回すと、ここから少し離れた場所で銃を撃っている後ろ姿が見えた。ここはただの通り道だったらしい。

 その通り道の上にいたミリアリアの両親の姿はなかった。ただ、さっきまで二人がいた場所……というよりも辺り一面がそうなのだが、路面に磨り潰されたような赤い物がこびりついているだけだった。

 ミリアリアはと……ぼんやりと考えた後、胸の上にいるのがミリアリアだと気づく。

「ミリィ!?」

 胸の上から抱え起こしたミリアリアは、小さく呻いた後に目を開いた。

「……何……が、あったの?」

「近くにMSが降りたんだ。でも、もう大丈夫」

 トールはミリアリアを助けながら、一緒に立ち上がる。

「……パパとママは?」

 ミリアリアの続けての問いに、トールは答えを迷った。

 血と肉で舗装されなおした道路。そこに、ミリアリアの両親は居たはずである。いや、今も居るのか……

 トールは、現実を忘れる為にわざと明るい声で言った。

「べ……別のシェルターを探してくるって、先に行ったよ! ほら、ミリィは少し気絶してたから。だから……そうだ、僕らも逃げよう。あ、あのシェルターが開いたみたいだし」

 言いながら、助けを求めるように辺りを見回していたトールは、先ほどまでオーブの理念を守ると言っていた連中が居なくなっているのに気づいた。

 きっと、MSが来たので戦いに行ったのだろうと……なら、シェルターに入れる筈だ。

 そう考えて、トールはミリアリアの手を引いて、シェルターに向かって歩こうとした。

 他にも、同じ考えなのか、シェルターに向かう人がいる。MSの落着で何か巻き込まれたのか、足を引きずった男の人。その人の方がシェルターにかなり近く、先に到着した。

 が……銃声が響く。

 男の人はシェルターの入り口から弾けるように飛び、仰向けになって倒れた。

 トールは目を見開いて足を止める。

「中から……撃たれた?」

 トールは気づく。シェルターの前に、かなりの数の人が倒れている事を。

 MSが蹴り散らしたのではなく、シェルターの中からの銃撃で倒れている。

 シェルターの中、オーブの理念の為に戦うと言っていた者達がいた。彼らは、恐怖におびえながら、手に持った銃をシェルターの外へと向けている。

 恐怖でパニック陥った彼らは、オーブの理念の為に戦っていた。弾は全て、敵ではなく無力な同胞に撃ち込まれるだけだったが。

「……あそこは駄目だミリィ。逃げよう」

「う……うん。そうね。それに、パパとママに追いつかないと」

 ミリアリアの言葉にトールは奥歯を噛みしめる。

 それでも今、本当の事を言うわけにもいかない。

 トールは無言で、ミリアリアの手を引いて走り出した。まずは、MSから遠く離れる為に、MSに背を向けて、道を選んで……

 

 

 

「く……これは正規軍の攻撃か」

 ビルが立ち並ぶ一角を見つけ、そこに向かったミゲルのジンは、ビルの内外に布陣したオーブ軍による真正面からの攻撃を受けていた。

 機関砲、ミサイルやロケット弾などが、ジンに対して撃ち放たれている。

 ビルの中や、ビルの陰に機関砲が据え置かれ、あるいはロケットランチャーや携行ミサイルランチャーを装備した兵士、装甲車などが隠れ、撃ってきているのだ。

 MSに対して威力不足は否めないが、相応に威力のある兵器が多く、至近距離でまともに浴び続ければ危険だったろう。

 MSの接近を十分に待ち、半包囲するようにして火線を集中させ、一斉に攻撃を開始すれば戦況は違ったものになったかもしれない。

 しかしオーブ軍は、MSが射程内に入るか入らないかの内に攻撃を開始してしまっていた。

 誇りあるオーブ軍は正面から敵と戦う。包囲とか、挟撃とか、迂回とか、そういった戦術とすら呼べないような事すら、しないのである。

 戦力を並べて撃ってくるだけのオーブ軍に対し、ミゲルは少し距離をとって真正面から撃ち返した。

 連射される榴弾が建ち並ぶビルに当たっては次々に炸裂し、ビルの壁面を砕き、ガラスを粉砕し、破片を路面へとばらまく。

 カメラでとらえた映像では、ここにも民間人が居るように見えた。

 レジスタンスか、それとも民間人かはわからない。何にせよ、榴弾の炸裂と、降り注ぐ破片、舞い散る土煙に紛れてそれらはすぐに見えなくなる。

 ミゲルは、重機銃の弾倉交換を交えて撃ち続けた。

 しかし、思ったよりもオーブ軍からの攻撃は弱まらない。曲がりなりにも軍隊だけあって、しっかりと防御を固めている為だろう。

 それに、どうもやられる度に別の場所に温存していた戦力を投入しているようだった。

 潰した筈の場所から、新たに弱々しい火線が引かれるのを度々見ている。

 こういった戦力の逐次投入は、オーブ軍の用兵の基本だった。もてる全戦力で一斉にかかるのではなく、少しずつ小出しに敵に当てていくのだ。

「うっとうしいな」

 ミゲルは、この単調な戦闘にうんざりしていた。

 ビルをの壁面が無くなるぐらいに榴弾を撃ち込んでも、支柱が破壊されない限りはビルはそのまま立ち続けている。そして、ビルにこもるオーブ軍は、前の兵が倒れるたびに後から後から兵が湧いて出て、攻撃をかけてくる。

「ビルがあるから、いつまでも戦闘が続くんだろう!」

 ミゲルは、重機銃をラッチに戻し、代わりに重斬刀を抜くと、ジンを走らせた。

 装甲表面で、次々に砲弾やミサイルが弾ける。それをものともせずに、ジンはバーニアをも併用しながら高速で街を走り抜け、一番近いビルに肉薄する。

 ちょうど目の前のフロアに数人のオーブ兵がいるのが、モニター越しにミゲルに見えた。

 すでに崩壊した壁の向こう。オーブ兵は恐怖に取り乱す事もなく、冷静にロケットランチャーを構えている。彼らが何かを叫んだのをミゲルは見たが、声は聞こえなかった。

 直後、発射されたロケット弾がジンの顔面で炸裂する。同時に、ジンは重斬刀を振った。

 支柱を断たれ、ビルが崩壊する。断線の上がまず崩れ、それに巻き込まれて下側が一気に崩壊していく。

 ミゲルは、その崩壊に巻き込まれないようジンを動かし、新たなビルへと向かう。

 前面のメインモニターが砂嵐へと変わっていた。オーブ兵の最後の一撃は、メインカメラを割ったのだ。

 ミゲルは、ジンを操縦しながら、OSを呼び出してカメラ設定の変更を行った。サブカメラの映像がメインモニターに映され、若干画像が荒いものの映像がほぼ回復する。

 次のビルを断ち割るには、何の支障も無かった。

 

 

 

 戦場より遙か後方、シェルター内に設営された司令部。

 カガリ・ユラ・アスハとオーブ軍へリオポリス駐屯地の部隊指揮官であった一尉、一尉の部下である数名の兵士、通信機にとりついている通信兵、それ以外に人はいない。

 部屋に置かれた通信機からは最初、ひっきりなしに通信が来ていたが、今はだいぶ沈黙の時間が多くなってきていた。

「二中隊から通信。『我、最後の突撃をせり。オーブの悠久たるを願う』」

「一中隊返信有りません。繰り返し呼び出します」

「三中隊移動中。ZAFTのMSの前に回り込み、攻撃をかけます」

 通信機間近に用意されたテーブルにつき、通信士達の報告を何一つ動じずに聞いては、テーブル上に広げられた地図の上の駒を動かしている一尉。

 カガリは通信機から遠く離れた椅子に座して、一尉の背中を眺めている。他に役目は与えられなかったのだ。

「なあ、戦況はどうなっている?」

 何度繰り返されたかもわからないカガリの質問に、一尉は全く同じ答えを返す。

「オーブ軍、市民、一丸となってオーブの理念を守る為に奮闘中です」

「さっきから、同じ事しか言わないじゃないか! 敵は倒したのか!? 味方の被害は無いのか!? もっと詳しく教えろ!」

 さすがに痺れを切らして怒鳴りつけるカガリに、一尉は戦いが始まってから初めて振り返った。

「カガリ様、ご安心を。皆、オーブの理念を守る為、勇敢に命を賭して戦っております」

「それはわかっている!」

 苛立ちを見せるカガリ。それに対して、一尉は丁重に敬礼して見せた。

「ご聡明なるカガリ様ならば、必ずやご理解いただけるものと考えておりました。では、自分は指揮に戻らせていただきます」

「待て! 話は終わっていない!」

 カガリは、席を降りて一尉に詰め寄る。その時、通信兵が新たな報告を聞かせた。

「一中隊、二中隊、通信途絶。三中隊、交戦開始」

 戦いは終局に入っている。そう……もう終わりだ。

 一尉は、カガリに改めて体を向け、口を開いた。

「カガリ様。カガリ様には証人となって頂きます。へリオポリスの将兵と民衆が、オーブの理念を守る為、如何に戦ったのかを……」

「私も戦うと言った筈だ! お前も戦わせると約束しただろ!」

 身を拘束する兵士に抗いながら、一尉に怒りにまかせた抗議をするカガリ。そんな彼女の前、一尉は微笑んでいた。

「オーブ将兵は、オーブの理念を守る為、最後の一兵まで戦い、玉砕いたします。そのオーブの理念への献身と忠誠を、オーブ本国へとお届けください」

 玉砕……いわば全滅。だが、犬死にではない。オーブに今日の戦いが伝えられれば。

「オーブの理念を守る為に戦った者の事を知れば、オーブ国民はオーブの理念の尊さを改めて知るでしょう。オーブの理念を守る為に散った命の記憶と共にオーブの理念は永遠に語り継がれ、永遠にオーブを守り続けるのです。それは、カガリ様にしかできない事なのです」

「それが……オーブの理念を守る為になるのか? でも、お前達が犠牲になるなんて!」

 カガリは、自分に与えられた使命の大きさに惑う。

「まさか、最初からこの犠牲を出す為に戦ったのか!?」

 一尉は、カガリに諭すように言った。

「カガリ様。本当に正しい事の為の戦いで、犠牲を恐れてはなりません。ここで最後まで戦う事がオーブ軍、そしてオーブ国民の戦い。そして、その戦いをオーブ本国に伝える事こそが、カガリ様の戦いなのです。オーブの理念を守る為に」

 カガリは、理想に殉じる姿を見せる一尉に素直に感銘して、自信もそうなろうと気負って身を震わせた。

「……わかった。その戦い、私も全うしてみせるぞ。オーブの理念は、必ず守ろう」

 理想に殉じた者達の事を、オーブの全ての民に語り、オーブの理念を守る事の大切さを知らせる。

 MSを作るなどというオーブの理念への裏切りをしていた父ウズミも、きっと心を入れ替えるだろう。

 そしてオーブは、オーブの理念に守られた理想的な平和の国となるのだ。

「さすがはカガリ様です。オーブの理念を守る為、カガリ様も戦いに勝利を」

 使命に燃えて陶然とするカガリに満足げに頷き、一尉は部下に命じる。

「カガリ様を脱出シャトルへとご案内してくれ。道中の警護は頼んだ」

「了解です! ではカガリ様、こちらへ」

 案内を命じられた兵士は、カガリを導いてシェルターの奥へと歩き出す。カガリは、素直にその導きに従って歩き出した。

 その背を見送って一尉は表情を引き締めると、その場に残った者に予言者のように告げる。

「出撃だ。我々の名は、オーブの理念と共に永遠に輝く」

 

 

 

 戦火の中を避難する人々は、いつしか幾つかの流れとなって街の外を目指していた。

 戦いの最中にある街の中でシェルターを探すより、街の外へ逃れる方が安全と思われたからだろう。傷つき疲れ果てた人々が列をなして、街路を無言のまま歩き続ける。そんな中に、トールとミリアリアの姿もあった。

「大丈夫か?」

 顔を青ざめさせるミリアリアを気遣い、トールは聞いた。繋いだ手から、ミリアリアが震えているのが感じ取れる。ミリアリアは、努力して微笑んでみせた。

「大丈夫……まだ、歩けるから」

 ミリアリアの足は、震えに時折もつれ、転びかける時もある。疲れからではなく、恐怖からくる震えだった。

 無理もない。ここに来るまでに多くの死と狂気を見たのだ。

 トールも、恐怖に叫びながら全てを投げ出してしまいたいという衝動に駆られてはいた。それでも、ミリアリアを……誰よりも大事な人を守りたいという純粋な意志が、恐怖と狂気をかろうじて抑え込んでいた。

 しかし……それでも少しずつ、蝕まれていたのかもしれない。へリオポリスに蔓延した死と、全てを滅ぼしていく狂気に。

 そして、トールはそれを見る。

 人々が足を止めていた。もう少しで街の外へと出られる筈なのだから、足を止める理由など無いはずだ。それなのに、人々はある線を越えて前に出ようとはせず、そこに溜まっている。

 怪訝に思いつつトールが、その人溜まりに歩み寄った時、その声が聞こえた。

「戻れ! 戻って戦え!」

 叫ぶ男の声。人々の向こうから聞こえる声。それを聞いた瞬間、トールは耳を塞ぎ、しゃがみ込んだ。吐き気がしていた。

「トール!?」

 ミリアリアが、突然しゃがみ込んだトールに声をかける。

 その声すら、トールには遠く聞こえた。今は、男の叫び声だけが耳に響く。

「オーブの理念を守れ! 守って戦え!」

 その狂気に満ちた声は、トールの良く知る声だった。

 トールは跳ね上がるようにして立ち上がると、声を目指して走り出した。立ち止まる人々の間に強引に割り込み、押しのけ、声の上がる方向を目指す。

 そして、トールは人々の間を抜けた。

 見えたのは街路に立ち塞がる一人の男。何処で拾ったのか軍用エレカを道を塞ぐように置き、車体に装備された軽機関銃の引き金に手を置いて、人々に銃口を向けている。

 男は、人垣から飛び出してきたトールを見ると、うっすらと微笑んだ。

「トール……無事だったか」

「……父さん」

 トールの目の前にいたのは、トールの父親だった。

「何……やってるんだよ」

 軍用エレカに歩み寄りつつ、トールは泣き出しそうな顔で父親に聞く。

 父親は、笑顔を浮かべた。トールが恐怖を感じるほどに、場違いな明るい笑顔を。

「死んだ……皆、死んだ! 母さんも死んだ!」

 それを楽しそうに語る。

「オーブの理念を守らなければならない! でも、皆死んだ! 死んだんだ。でも、オーブの理念を守るんだ。だから、戦う。戦うんだ! どうして戦わない! 戦え! オーブの理念を守ろう! 戦おう! どうした! どうして戦わない!」

 父親の叫びは、いつしかトールに向けたものではなく、周囲の人々に向けられたものとなっていた。

 見開いた目を血走らせ、口だけは笑みに歪めながら、楽しげに声を弾ませ、それでも怒りを溢れさせる父親の姿は、トールの知る父親の姿ではない。

 父親は、狂気に駆られた見知らぬ男の姿で、人々に銃を向ける。

「オーブの理念を守ろうと思わないのか!? 何故だ!? 何故、オーブの理念を守ろうとしないんだ! 皆が死んでまで守ろうとしたんだぞ! 皆、死んだ! なのに何故、お前達は生きている……オーブの理念を守らずに何故生きている!? 何故死なない!?」

 狂気の叫び。そして、引き金が引かれた。

 父親は、軽機関銃を人々に撃ち込む。撃ち出される銃弾が、人々を次々に物言わぬ骸へと変えていく。人々の悲鳴さえ掻き消して、銃声が高らかに鳴り響く。

「オーブの理念を守って戦った者は死んだ! オーブの理念を守らない者は生きている! 死んだ者だけが、オーブの理念を守って戦う! 死ね! 死んでオーブの理念を守れ!」

 父親は哄笑しながら機関銃を撃ち続ける。逃げまどう人々の背中に向けて。

 銃撃を止めようと駆け寄ろうとした若い男の胸を貫き、弾から守ろうと子をかばうように抱きしめている母の頭を砕き、逃げ出す人々に押し倒され踏み砕かれた老爺の身体を弾けさせ、泣いて逃げ惑う少女の身体に幾発も撃ち込んで朱に染める。

 人が倒れる。次々に倒れる。瞬く間に、そこにあった命が消えていく。軽機関銃から排莢された薬莢が地面で跳ねる度、幾人もの人が死んでいく。死ねば死ぬほどに、父親は嬉しそうに声を上げる。

「死ね! 死んだ者だけがオーブを守って戦った者だ! 死ね! 皆死ね! 死んでオーブの理念を守れ! オーブの理念を守れ! オーブの理念を守れ!」

「…………父さん!」

 トールは、その男をそう呼ぶのは最後だと悟っていた。

 その手には、父親から渡された拳銃。それを父親に向け、トールは引き金を引く。

 あっけないほどの軽い音と同時に、機関銃は止まった。

 

 

 

 一尉は、部下を伴ってシェルターの外に出た。

 シェルターがあるのは、オーブ軍の訓練場として使われていた小高い丘。ここから遠く、燃える街とZAFTのMSジンが見える。

 シェルターの出入り口からそう遠くない場所に、対MS用ホバークラフトが用意されていた。これが、このへリオポリスに残された最後の戦力である。

 ツインローターを回しながら離陸を待つそれに、一尉は歩み寄る。途中、整備の兵からヘルメットを受け取った。

「我々も必ずや後を追います」

「先に行かせてもらうぞ」

 整備兵の敬礼に笑顔で答え、一尉は対MS用ホバークラフトのパイロットシートに座る。ガンナーシートに座るパイロットは、少し笑って言った。

「一尉。オーブの理念を守る為の戦いに同道できて光栄です」

「うむ……一緒に、ZAFTにオーブ軍の意地を見せてやろう」

 一尉は表情を引き締め、操縦桿を握りしめる。

 すでに命は捨てていた。オーブの理念の為に、ウズミ・ナラ・アスハへの忠誠の為に……

 

 

 

 へリオポリスの外。宇宙空間。

 戦闘が始まって以降、メインの港湾部以外の場所にあるドックから、何隻かシャトルや宇宙船が脱出をしていた。

 港湾部の外で待つZAFTのローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフでは、それを確認してはいたが、一応の警戒をするにとどめ手を出さずに放置している。

 いちいち臨検して回るには手が足りないという単純な理由からだ。

 しかし、それが姿を現した時、ガモフの艦橋は騒然となった。

「大型艦がへリオポリスから脱出しています」

 新たにへリオポリスから出航した輸送船がモニターに映る。そして……

「艦に随伴する物有り! MSです!」

 モニターには、輸送船に随伴するMSが見えた。奪取した連合製MSに似た機体が3機、輸送船を守るように飛行している。

「……手を出すな! 行かせろ!」

 ゼルマンは素早く命令を下す。

「艦長、行かせて良いのですか?」

「今戦える戦力はないからな。見逃すしか無いだろう」

 ゼルマンは、部下からの問いに、わずかに迷いながらもそう答えた。

 本来なら、戦いたいところだ。しかし、稼働するMSは1機だけで、しかも出撃中。これ以上の作戦行動はとれるものではない。

 一応、奪取した連合MSを出撃させる手はある。しかし、せっかく奪取した連合MSを破壊される危険を考えれば、それは最後の手段として以外は使えない。

 謎のMSを擁する輸送船が攻めてこないのは、へリオポリスを奪還するよりも輸送船の脱出を優先させた結果だろう。

 MSは、いわば見せ札だ。MSの存在がなければ、あの規模の輸送船なら必ずや中を怪しみ、砲を使って足を止めて戦闘終了後にでも臨検して、中身を確認しただろう。だから輸送船側は、戦力がある事を見せて、こちらの動きを封じに来た。

「今は、オーブがMSを所有するという情報だけで十分だ。出来る限り、観測しておけ。貴重な情報となる」

 ゼルマンのその命令で、艦橋要員達はある限りの観測機器を輸送船に向ける。

 その観測下、輸送船はMSと共に悠々と地球方面へ消えていった。

 

 

 

 死体の折り重なる街路。

 トールは、自らの手で殺した相手を見下ろしていた。不思議と、何も感じない。

「……トール」

 ミリアリアが沈黙を破って声をかける。その声に、トールは何事もなかったかのように振り返った。

「ああ……行こうかミリィ」

「あ……あの、お父さんの事……」

 ミリアリアは軽機関銃にもたれるように死んでいる男の顔を見て口をつぐんだ。男は、死の後も狂気に歪んだ笑顔で居る。

 トールは、それら全てを背に歩き出していた。

「行こう」

「……うん」

 先に立つトールの後を追って、ミリアリアは歩き始める。

 無言で歩く二人の前に、ようやく街を抜けた先の平原が広がった。二人の他にも、生き残った避難民達が、同じように平原へと歩み出していく。

 この先は開発地域とやらで、何もない平原や森が続き、外壁に当たるまでは何の施設もない。もちろん、シェルターも無い。今は誰もが当てもなく、歩いているだけだ。

「オーブは平和な国だと思ってた」

 ふと……ミリアリアが独り言のように言う。

「連合とプラントが戦争になっても、自分には関係ないって思ってた。毎日、いつも通りに平和があるって思ってた」

「でも、違った。それに、もう一つ間違ってた事がある」

 トールは自嘲気味に笑う。

「オーブの理念は何も守ってくれない。大人は、オーブの理念があるからオーブは平和なんだって教えてたけど……全部、嘘だ」

「な……何もそこまで。オーブの理念は素晴らしい事よ?」

 ミリアリアは、トールの達観を認められなかった。

 オーブの理念の素晴らしさは、オーブの国民にとって常識だった筈だ。トールが、それを否定するなど、ミリアリアには信じる事すら出来なかった。

 だが、トールは既に悟っていた。自分の中にあった疑問と、その答えを。

「その素晴らしい理念が何を起こした!? みんなを殺しただけじゃないか!」

「それは……みんなが死んだのは戦争だから! オーブの理念は間違ってない! また平和に暮らせる日が来るわよ!」

 トールの言葉を必死で打ち消し、そしてミリアリアは悲しげに声を落とす。

「……トール。落ち着いてよ。トールまでおかしくなっちゃったら、私……」

「落ち着いてるよ……父さんを殺しても何も感じないくらい」

 トールは苦しげに言葉を吐き出し、そして黙り込む。

 ミリアリアは、そんなトールに涙を落とした。

「トール……」

 ミリアリアは、歩くトールの前に回り込み、抱きつくようにして彼を止める。そして、背伸びするとトールと唇を重ねた。

「…………」

「……トール」

 唇を離し、ミリアリアはトールの顔をまっすぐに見つめて言う。

「好きよ、トール。こんな時だけど……こんな時だから言わせて。好き……トールがどんな時でも、私がずっと一緒にいてあげるから」

 ミリアリアは、トールの冷たく凍った表情を暖めようとでもするかのように、トールの頬にそっと手を添える。

 トールは、ミリアリアのその手に、自分の手を重ねた。

「いきなり、何だよ」

 そう言った後、トールは少しだけ笑う。ミリアリアは、その笑みを見て安心したように微笑み、トールの顔から手を離した。

「今、言わないとならない気がしたの」

「後でも良いじゃないか。安全になった後でも」

 トールは少し呆れたように言って再び歩き出す。その背に、ミリアリアは呟く。

「ううん……今なのよ」

 

 

 

 その後、二人は黙ったまま当てもなく平原を歩いた。

 他の避難民達も同様、当てもなく歩いている。おそらく、このまま戦闘が終わるまで逃げまどうのだろう。

 と……トールは、道から外れた場所にある森の側に何かがあるのに気づいた。目をこらすと、どうもそれはエレカらしい。そのエレカの側で、何かが動いていた。

「……何だろう」

「どうしたの?」

 トールは道を外れ、そのエレカを目指す。ミリアリアも、トールの後をついてきた。

 近づくにつれて、動いていたのは幼い女の子だとわかる。女の子は、エレカの運転席の側で、中に向かって必死で呼びかけていた。

「ママ! ママぁ!」

 その声を聞いてトールは、エレカに向かって走りだす。

 エレカの中には女性が一人、ハンドルにもたれて倒れていた。おそらく、女の子の母親だろう。彼女は、まだ息があったが、右肩から下が鮮血に赤く染まっている。

 車の事故ではない。見れば、エレカの表面にかなりの数の弾痕が穿たれている。

「大丈夫ですか!?」

 トールは運転席に駆け寄って女性に声をかけた。

「私、お医者さんを探してくる!」

 ミリアリアは、トールにそう言うと避難民の達の方へと走って戻る。

 一瞬、トールはミリアリアを呼び戻そうとした。しかし、そうする理由はない。何かを言わなければならない気がした。だが、それが何かわからない。

 この女性を助けた後で考えようと……トールはそう考えてしまった。

「今、医者を呼びに行きましたから!」

 女性に声をかけながら、トールはエレカのドアを開けようとする。その時、女性が掠れがちな声でトールに言った。

「お願い……娘を……この子を……シェルターへ…………」

「ママ!」

 母親の声に、少女は涙声で叫ぶ。その声を聞いてか、女性は少しだけ顔を上げ、少女に向けて微笑んだ。そして、トールの瞳を見据える。

「大事な物は……この子に……地図も…………」

「大事なって……この鞄ですか?」

 少女はが背負った小さなリュック。それをトールは指さす。女性は微かに頷いた。

「そう……お願い。この子だけでも……助けてください」

「しっかりしてください! 貴方も今、助けますから!」

 トールは言うが、何かできるというわけでもない。止血くらいは出来るかと、ドアを開けようとするが、銃撃を受けた時に歪んだのか運転席側のドアは開かなかった。

 女性は、泣いてドアにすがる少女に語りかける。

「エル……ママは、パパのところに行くのよ……パパと一緒に……見守ってるから……ずっと一緒だから……泣かないで、元気に…………」

 そして、女性は糸を切られた操り人形のようにパタリと倒れ伏した。

「ママぁ! いやぁあああああっ! 起きてぇ!」

 少女の悲鳴のような声。そして同時に、トールは空に爆音を聞いた。

 

 

 

 街が燃え始めていた。砲火により始まった火災は消し止める者もなく……燃え広がり、手をつなぎ合うように一つの巨大な炎となり、天を焦がす勢いで燃え盛る。

 街路に倒れた骸の上に火の粉が降り落ちていき、弔いの灯の様に燃えていた。

 オーブ軍、そしてレジスタンスも、さすがにもうミゲルのジンに攻撃を仕掛けてはこない。もう、戦う意志のある者は、ほとんど全滅したのだろう。

 それでも掃討戦の意味も込めて、残敵を探して地上を探るミゲル。

 今までの敵は全て地上から。だから地上を警戒する……しかし、敵は空から攻撃を仕掛けてきていた。

 敵の接近を知らせる警報が鳴った直後、ジンは背中に撃ち込まれたミサイルに吹っ飛ばされる。

「……何ぃ!?」

 ミゲルは、衝撃に揺れるコックピットの中、素早くジンを操作して転倒を防いだ。だが、肩の付け根にミサイルの直撃を受けた右腕が重機銃を握ったまま外れ落ちる。

「ちぃ……ラッキーだ! 背中からコックピット直撃なら死んでいた!」

 ミゲルは恨み節を語る事はせず、今の不意の一撃で死ななかった事を喜んだ。

 振り仰いだ空に見えるのは対MS用ホバークラフト。ジンにまっすぐ突っ込んできたそれは、再びミサイルを放つ。

 ミサイルは、地面に落ちていた重機銃に突き刺さり、炸裂して、装填されていた榴弾の誘爆を誘った。

 至近で起きた爆発に、ミゲルのジンは再びその姿勢を崩す。そこに、20mmガトリングガンが撃ち込まれ、ジンの装甲表面で無数の火花を散らせた。

 装甲で弾いた分はダメージにならないが、関節などの装甲の薄い部分に食らうと障害が出る。

 たちまち、異常を知らせる警報が幾つも鳴り始めた。

「うるさい、拙いのはわかってる!」

 機体が壊れたわけではない。ミゲルは、バーニアを噴かしてジンを飛び上がらせた。

 ほぼ同時に、ジンが先ほどいた場所にミサイルが着弾する。

 それを確認してすぐに着地。そしてミゲルは、左手で重斬刀を抜いた。

 対MS用ホバークラフトは、ジンが射撃武器を失ったのを見て取ったか、高度を上げて距離をとろうとしている。上空から、ミサイル攻撃を一方的にしかけるつもりだろう。

 格闘武器では、上空を攻撃できない。常識的な判断だ。だが、

「あんた、腕は良いけどMSって物をわかっていないな」

 ミゲルは余裕を見せて笑い……ジンに重斬刀を構えさせる。

「MSってのは、汎用性。使い方次第なんだよ!」

 そしてジンは、おもむろに重斬刀を投げた。

 投げるに向いた形をしてるわけではないので、ただの棒を投げたのと大差はなかったが、堅くて質量のある物をぶつければ、十分にダメージにはなる。

 遠距離攻撃はないと高をくくっていた対MS用ホバークラフトの反応は一瞬だけ遅れた。すぐに回避に移ったが時遅く、重斬刀の剣先が横殴りに対MS用ホバークラフトを襲う。

 この一撃を受け、対MS用ホバークラフトは機体側面の一部を爆発させて黒煙を上げ、空中でバランスを崩し、その機首を地上に向けて落下を始める……

 そんな対MS用ホバークラフトの中、一尉はまだ意志を保っていた。

 操縦桿を握りなおし、落ちていく対MS用ホバークラフトの姿勢を立て直す。

「まだだ……オーブの理念を……」

 もう、MSを倒す事は無理だろう。では、どうするか?

 一尉は地表に目をやる。そして、平原に人が集まっている場所を見つけた。間違いなく、オーブの理念の為に戦わず逃げた者達だ。

 最後に倒すべき敵を見つけた一尉は微笑んだ。

「オーブの理念を汚す者……」

 一尉は、操縦桿を握って進路を敵に向けた。

 

 

 

 空に響く爆音に、トールはとっさに空を見上げた。

 見えたのは、黒煙を上げながら落ちてくる対MS用ホバークラフト。

 それは、落下途中でコントロールを回復して機首を上げる。これで落下は免れたとトールは思った。

 だが……対MS用ホバークラフトは、再び地上に機首を向ける。明確な意志の元に。

 落ち行く先にあるのは避難民の群れ。そして、トールはそこにミリアリアの姿を見た。

「やめろおおおおおおおおおっ!」

 絶叫。そして、トールは走る。

 遠く見えるミリアリアも、トールに向かって走っていた。

 祈る。一刻も早く逃げてくれと。しかし、遅い。

 トールは、ミリアリアに向けて手を伸ばした。遠い。届かない。

「ミリィ……!」

 トールの思考が凍る。世界の全てが止まる。無限の長さに伸ばされた一瞬の中で、トールの思考は叫ぶ。

 言いたい言葉があったはずだ……何故、言わなかった? 後で良いと……

 手を伸ばす。届かない。

 ミリアリアの顔に恐怖はなかった。不思議と笑顔に見えた……

 ……ミリアリアの背後に対MS用ホバークラフトが落ちる。爆発。

 爆風に煽られてミリアリアが飛ぶ。破片が彼女の身体を斬り裂き、貫いていく。彼女の形が崩れる前に、追いついてきた炎が彼女の身体を包み込んだ。

 言いたい言葉はもう届かない。ただ一言で良かったのに。

「……僕も君の事が……」

 言葉が形になる前に、爆風の残滓がトールを押し倒し、轟く爆音が残りの言葉を掻き消した。

 

 

 

 ミゲルは、対MS用ホバークラフトの墜落を確認した。

 それから、ミゲルは再び残る敵を探す。

 1台の軍用トラックが突っ込んでくるのが見えた。荷台の上にまで人を乗せ、こちらに銃を撃ってきている。

 見た目、つなぎの作業服を着る彼らは整備兵のようだった。なのに何故、戦場に出てきたのかは、ミゲルには理解も出来なかったが。

 とりあえず、ミゲルも警戒しながらジンを近寄らせていく。軍用トラックから、ロケット弾やミサイルの攻撃はない。銃も景気付けに撃ってるだけの様に見える。

 瞬間、ミゲルは敵の意図を察した。

「またか!」

 今日の戦いで、何度かやられている。今までは重機銃で離れている内に破壊できたが、今は武器がない。

 ミゲルは、バーニアを噴かせて軍用トラックに急接近した。そして、思い切りそれを蹴り飛ばす。

 上空高く蹴り上げられた軍用トラック。それは空で大爆発し、炎と破片を地上に降らした。

 爆薬を満載して、ジンに近づいて爆発させるつもりだったのだ。もちろん、乗っていた連中が死ぬ事など、最初から織り込み済みだろう。

「……オーブ軍は正気じゃない」

 舌打ちしながらミゲルは言う。

 と……その時、通信機が鳴った。

「はい、こちらミゲル」

『こちらガモフ。状況はどうか?』

 連絡してきたガモフの通信兵に、ミゲルは冷静に報告を返した。

「へリオポリス内の主戦力の掃討を完了。当方の被害ですが、ジンは中破。武装も失いました」

『自力での帰還は可能ですか?』

 問われたので、ミゲルは機体をチェックする。色々と故障が出ているが、足とバーニアは無事だ。

「歩行に支障なし」

『了解。陸戦隊が、港湾部の敵の掃討を完了。奪取に成功した。港湾部からヘリオポリスを脱出せよ。ガモフが回収する』

「了解。これより帰還します」

 返答し、通信を切ってから、ミゲルは深く溜息をついた。

 何か、酷く疲れた気がする。

「これで……ヘリオポリスの制圧は完了か。何か、酷く無駄な戦いをした気分だ」

 そもそも、どうしてヘリオポリスのオーブ軍やレジスタンスが戦いを選んだのか? 今日、戦場に出てきた兵器を見れば、戦う前から結果がわかりそうなものだ。

 それに、オーブ軍やレジスタンスは、躊躇無く市民を巻き込んでいた。

 ミゲルはそれを苦々しく思う。

 一応、軍人として市民を守るという心得は教えられてきた。ZAFTの軍人は、英雄志向が強い。英雄は弱い者を守るのだという単純な教えである。

 当然の様に個人差は大きく、弱者の保護よりも戦果をとる者も少なくはない。

 ミゲルはというと、どちらかというと中道。個人的に戦果を上げて給料を稼がねばならない事情があるが、かといって心が痛まぬほど非道でもない。

 今日、何人、武器を持たない市民を殺したのだろうか?

 ナチュラルを殺しただけならまだ良いが、ここがオーブ領である事を考えると、少なくない数のコーディネーターも殺した事だろう。敵国人とは言え、同胞殺しはさすがに気がとがめる。

「こんな狂った戦いはもうたくさんだ……帰ったら、オロールの奴にたかり尽くしてやる! 本来ならあいつの任務だったんだからな!」

 無理に気合いを入れながら帰還の途につくミゲル。

 彼が去った後には、砲火に砕かれ炎に焼き尽くされた廃墟と、無数の屍のみが残されていた。

 

 

 

 トールは、這う様に歩いて、黒い欠片を拾う。指がないが、たぶん手。

 その部品を大事そうに手に取り、トールは既に並べられている部品の所に付け足す。

「手だよミリィ。指がないけど……ごめん、まだ右足が見つからないんだ。見つけないと、歩けないよね。……うん、君のお父さんとお母さんも待ってるよ。僕の父さんも、母さんもね。ちょっと待ってて……」

 トールは、黒こげの部品を集めていた。また這い回り、今度は足を見つけてくる。遠くに飛ばされていたので、ちょっと時間がかかった。

「お待たせ……足だよ。これで、行けるだろう?」

 部品は、かろうじて人とわかるくらいにはそろっていた。

 でも、ミリアリアの顔が見つからない。

 もう一度、ミリアリアの笑顔が見たかった。見る事が出来たら、言いたい言葉がある様な気がしていた。

「……お兄ちゃん」

 少女が、怯えながらトールに話しかける。人の物とも思えない死体に優しく話しているトールの姿は怖かったが、少女には他に頼る人はいなかった。

 少女の名前はエルと言った。トールは、エルを見ると虚ろな笑顔を見せる。

「ああ、そこにいたんだ。探したよ……ミリィ」

 トールは怯えるエルに歩み寄って、優しく彼女を抱きしめた。

「探したんだ……居なくなったかと思った。でも、そんな事無いよねミリィ」

「ち……違うよ、私、ミリィじゃ……」

 エルは言いかけたが、トールの焦点を結ばない目が怖くて黙り込んだ。

 トールは、エルの声が聞こえていなかった様子で、何の反応も見せないままエルの背負うリュックに手をやる。

 中を探ると、数枚のディスクと地図が出てきた。地図には、この先の森の中にある森の管理小屋の位置と、何やらパスワードらしき英数字の羅列が書かれている。

「ここがシェルター?」

「うん……ママが、パパが作った秘密の場所なんだって」

 エルの記憶に、今日の出かけがけにママの言っていた言葉がよみがえる。そして、移動中にあった出来事……怖い人達に追いかけられ、ママが怪我をし、死んでしまった事が……

「ママと……逃げる筈だったの」

 涙を溢れさせるエルを、トールはまた優しく抱きしめる。

「泣かないでよミリィ。僕が守るから。必ず……必ず守るから。ずっと一緒にいるから。だから、笑ってよ」

「……私、エルだもん」

 守ると言ってくれる事、ずっと一緒にいてくれる事、優しく抱きしめてくれる事は嬉しい。でも、やっぱりトールは怖い。

 エルは、涙を拭ったが、笑顔を見せる事は出来なかった。

「笑って……駄目かな? じゃあ」

 トールは少し困った様子で考え込んだ後……少し照れた様に微笑む。

「恥ずかしいけど、さっきミリィもしてくれたから」

「え?」

 トールは、驚き戸惑うエルの唇に唇を重ねた。

 

 

 

 シャトルの窓の向こう、ヘリオポリスはどんどん小さくなっていく。

 カガリは、あふれ出す涙が水滴となってシャトル内に漂うのもかまわず、ヘリオポリスを見つめながら涙を流していた。

「……お前達の死は無駄にしないぞ。約束する」

 決意の言葉を、繰り返し、繰り返し、カガリは呟く。

 ヘリオポリスで流された尊い血は、オーブの理念を守る為に必ずや貢献するだろう。カガリは、その事に確信を持っていた。

 シャトルは緩やかに地球を目指す。数日後には、カガリはオーブ本国に着くだろう。

 そして、国民はヘリオポリスの悲劇を知り、涙し、英雄達をたたえ、そして改めて理解するのだ。オーブの理念の大切さを。

 オーブは、今以上にオーブの理念を大切にするだろう。そして、オーブの理念に背く者は、改心の涙を流す事となるだろう。

 カガリは、オーブの理念が絶対となる理想的国家を思い、その礎となったヘリオポリスの英雄達を思って涙する。

「オーブの理念の為に……私も、私の戦いを全うし、お前達に報いる。約束だ」

 ヘリオポリスは遠く見えなくなりつつある。

 そして地球は、きわめてゆっくりとだが、その姿を大きくしていた。

 

 

 

 二人が歩いた時間は、そう長くはなかった。

 なおキスの事は、エルがあまり良くわかってなかったので、特に問題とはなってない。エルにしてみれば、それでトールが少し怖くなくなったので、それで良かったのだ。

 二人は仲良く歩いて、地図にあった管理小屋に入り、そこに置き捨てられていた様な古いコンピューターを起動させた。

 コンピューターが管理者のパスワードを要求してくるので、地図にあったパスワードを入力する。と、管理小屋の床の一部が開き、中へ降りていく階段が現れた。

 二人は素直にそこを降りていく。かなりの深さまで続く階段を下りきり、頑丈な気密扉をくぐって中に入る。中には、シェルターらしからぬ豪邸の様な空間が広がっていた。

「これは……凄いな」

 トールはさすがに驚きながら、つややかに磨かれた廊下の上を歩いていく。エルの方は、こういった場所に慣れている様で、驚いては居なかった。

 二人は、手を繋いで歩きながら、シェルターの中を見て回る。

 家族用の寝室や居間。保存食を満載した食料庫。何やら金目の物がたくさん積まれた部屋。ちょっとした会議室やコンピューター室。超長距離通信の設備まである。

 トールには知るよしも無かったが、ここはヘリオポリス行政官が密かに作り上げた、彼と彼の家族の為のシェルターだった。

 不正に蓄財した財産の隠し場所と言っても良い。

 ただ、入り口が遠いという理由だけとってみても、緊急避難には全く役に立たない事がわかる。実際、先の連合MS奪取の為のZAFT襲撃の時、エルと母親は別のシェルターを利用していた。

 ともあれ行政官は、彼自身とその家族を守る事を夢想しながらここを作り上げ、それを果たすことなく散ったわけだ。

 そして、ここはセイラン派の極秘の拠点としての意味も持っていた。行政官の私財のみならず、セイラン派にとって重要な物も隠し置かれている。

 トールとエルの二人は、シェルターの中を回った後、最後に格納庫を開けた。

 そこでトールは、それに出会う。連合のブルーコスモス派閥に親しいセイラン派が、そのつてを使って手に入れた物と。

 格納庫にあったのは、緊急脱出用のシャトルと……それ。

 それを見た時、エルは怯えてトールの背に隠れた。

 一方トールは、魅せられた様に、それに向かって歩みを進めた。

 それ……シャトル並みの大きさの機体。単眼が幾つかついた蜘蛛の様な姿。後方に長く伸びる2本の大型スラスター。巨大な鎌になっているマニピュレーター。正面に向けて搭載された2門のビーム砲と左右に4連ずつで計8連のミサイル発射口。

 明らかに兵器であり、無機的な威圧感を冷ややかに放っている。

 トールはふらりとそれの前に立った。

 機体に、ネームプレートが貼り付けてある。

 その名はこう読めた。

 

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「ミステール1……」

 その名を呟くトールは、滲む様な狂気をまとっていた。



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ヘリオポリスに弔鐘は鳴る

 ヘリオポリスの悲劇を拡大した原因は、戦った市民が理想主義者だった事にある。

 あの日、多くの者が栄光ある戦いを夢見た。その中で、自分は英雄であり殉教者だった。死しても、そこには未来へと繋ぐ大切な物がある筈だった。

 現実では、誰もが糞の中をのたうつ蛆虫でしかなく、死ねばそこにゴミが残るだけだった。

 理想主義者は、戦場にも理想を持ち込む。戦場はこうあるべきと。しかし、現実の戦場は、ただ陰鬱で血生臭く死に満ちただけの場所だ。

 理想を砕かれた理想主義者は、現実に対応できず、たやすく狂気に陥る。

 自分以外全てを敵と見なし、構わずに撃ちまくるような素直な連中もいた。

 もっと厄介だったのは狂気に陥ってなお勤勉だった者だ。彼らは、何を成すべきなのかもわからないまま、正しいと思える事に縋ってそれをやり遂げた。

 それは、勝てない敵への特攻であり、敗北主義者に見えた同胞の処刑であり、オーブの理念を守るという理由付けの下に行われた数多の愚行である。

 結局、戦い生き延びて残った物は……狂気と絶望だけ。

 戦渦に巻き込まれたヘリオポリスにも新しい一日が来ていた。

 

 

 

 シェルターの中、戦火を免れた人々が居た。地下から上がってくる広い階段に、彼らは家族ごとに固まり、外がどうなっているのか不安を囁きあっている。

 とりあえず、ZAFTの攻撃が終わっており、大規模な空気漏れなど生活に支障を来す事態にもなっていない事は、カメラやセンサーを使って知る事が出来ていた。

 シェルターを閉ざしていたシャッターが開いていく。

 差し込む昼の光に、目を細める人々。彼らは、その光の中に立つ人影を認めた。

 逆行の中に浮かぶ、ボロボロのスーツを着ていなければ何処にでも良そうな普通の中年男。銃を手にしていなければ……狂気に表情を歪めていなければ、何処にでも居そうな市民。

「オーブの理念を汚す者!」

 叫びと同時にアサルトライフルが撃ち放たれる。

 人々の前列に居た十人あまりがバタバタと倒れ、階段の下へと倒れ込む。死体に押し倒された人々が、あるいは銃撃に驚いて逃げようとした人々が、後列の人々を押し倒し、転げ落とし、押し潰し、連鎖は悲鳴を響かせながら続いていく。

 銃を撃った男は狂気に瞳を輝かせながら、アサルトライフルの弾倉を交換した。

 そして、階段でうめき声を上げる怪我人、倒れた人々の上を逃げようとする者、そしてそんな人々の下に埋もれて動かぬ人々にアサルトライフルを向け、再び銃弾を浴びせる。

 狂気の残り香。

 オーブの理念などは関係ない。歪んだ復讐心……戦わず生き残った者への嫉妬が、各所でアスハ派残存過激分子による殺戮を起こさせていた。

 戦ったアスハ派の無為な死。その責任を、戦わなかった者にかぶせたのだ。

「オーブの理念を……」

 男は、悲鳴と絶叫と血の臭いの満ちるシェルターに足を踏み入れる。

 しかし……その時、男の背後から無数の銃弾が飛来し、男の身体を貫いていった。

 直後、シェルターの外から、銃で武装した市民達が駆け寄ってくる。彼らは、戦火の中をさまよっていた避難民であり……最初に、アスハ派市民の襲撃を受けた者達。

 避難民達も戦場に放棄されていた銃を回収し、武装して自衛に乗り出していた。

 彼らは、死者と負傷者の坩堝となったシェルターの中に向かって叫ぶ。

「このシェルターの中のアスハ派は前に出ろ!」

 ……自衛と言うべきではなかった。彼らは、アスハ派を狩り出していた。それは復讐であり、狂気であった。

「アスハ派が市民を虐殺している! 殺さなければ、殺されるぞ!」

「こいつ、アスハ派だ!」

 男達の一人が、顔を知る者でも居たのか、階段で倒れ伏す負傷者の中の一人を捕まえた。

「止めろ! 助けてくれ!」

 傷の痛みに呻くそのアスハ派の男を、男達は3人がかりで引きずり、シェルターの外へと連れ出していく。アスハ派の男の悲鳴と哀願の声は、彼らがシェルターの外に姿を消してすぐに響いた銃声一つの後、聞こえなくなった。

 この状況に、元々シェルターに隠れていた人々は恐怖に震える。かろうじて、男達の側にいた一人の中年女性が、震えながら男達に言った。

「こ……ここに、そんな人はいないわ」

 市民にとっては、氏族ごとの派閥など有って無きものである。氏族との血縁でもなければ、あるいは特定の氏族に対する支援団体などに所属しなければ、もしくは氏族の下で働くなどしていなければ、明確に何処に所属するという分類があるわけではないのだ。

 となれば、一般の市民を分別するには、アスハの政治姿勢に賛同していたか否かくらいしかないわけで、それを問われれば圧倒的多くの市民がアスハ派という事になる。

 男達の言う、アスハ派を出せという言葉は理不尽だった。

「アスハ派とか、そうじゃないとか、そんな事は……」

 言いかける女に、銃が向けられる。女が何か言う前に銃弾は放たれ、女は血と脳を背後の壁一面にぶちまけて永遠に黙った。それをした、男達の一人がシェルター内に向けて怒鳴る。

「アスハ派を庇う者は、アスハ派と見なす! アスハ派を出せ!」

 アスハ派という魔女を狩る、魔女狩りが始まっていた。

 

 

 

 ――他の結末もある。

 男は、それを見て狂気から醒めた。

 シェルターの前、倒れ伏す無数の死体。その中に転がる、女と子供。かつて妻であり、そして息子であった物。

「うそだ……」

 抱き上げた息子の小さな死体。記憶の中では輝く笑顔を浮かべている顔は、額の右側に開いた大穴から溢れる血で塗り固められた右半分と、恐怖に歪んだ左半分とに分けられている。

「うそだ! うそだ! うそだぁ!」

 戦いから逃がしたはずだった。自分が死んでも、二人は無事なはずだった。

 戦場の恐怖と狂気から逃れ、最後に辿り着く安息の場であるはずだった。帰れば、自分は元の自分に戻れるはずだった。

「うそだ……」

 呟く。腕から息子の死体がこぼれ落ちる。

 何が、こんな結末をもたらしたのか。考えた男は、周囲の死体を眺めた。

 死体は、シェルターに向かって死んでいる。シェルターに逃げ込もうとして、シェルターの中から撃たれて死んだらしい。

 ならば……そこに家族の仇がいる。

 男は、ゆっくりと立ち上がると、シェルターに向かった。前に誰が立ち塞がろうと、殺す覚悟で。しかし、男を邪魔する者は居ない。

 男は易々と、妻子が辿り着けなかったシェルターの入り口をくぐり、中へと足を踏み入れる。

 シェルターの中は空虚だった。音一つ無い中を、男が階段を下りる足音だけが響く。

 もう、妻子を殺した者は居ないのか? その疑いは、男にとっては絶望ではなかった。居ないなら、追えばいい。その罪をわからせるまで、追えばいい。

 男は階段を下りきって、行き止まりにある扉を開けた。ここから先に避難スペースが有る。

 そこに踏み込んだ男は足を止めた。

 人。腕をだらりと垂らし、立ちつくす人々。その首に絡み付く縄は天井へと伸び、むき出しの天井配管に縛り付けられている。

 彼を出迎えたのは、首を吊った死体の群れだった。

 入り口を入ってすぐの所に、一枚、紙切れが落ちている。

 男は拾って目を通した。

 遺書……中には悔恨が刻みつけられている。初めての戦場に怯え、冷静さを失い、狂気の中でたくさんの人を殺してしまった……と。

「あ……う……うわあああああああああっ!」

 男は叫んだ。その遺書で糾弾されている罪……それを男も犯していた。

 戦場の恐怖から人を殺したこのシェルターの人々。戦場の狂気の中で、歪んだ大義名分と生存者への憎悪から人を殺してきた男。

「あっ……あ……」

 男の記憶の中に、自分が殺した避難民が思い出される。女が居た。その子が居た。二人は、自分の妻と息子ではなかったか?

「ああ……」

 同じだ。その認識は男から最後の狂気を取り払う。残されたのは、心砕けた、弱き罪人でしかなかった。

 男は、妻と息子を殺した者へ向ける為に持ってきた銃を自分に向ける。

 銃声が響く。それは男が、ここで全てに終わりをもたらした音であった。

 

 

 

 無法状態にあるヘリオポリスの状況を、占領したZAFTは掴んでいた。

 ドックに入って修理中のローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフの中で、艦長のゼルマンは通信士からの報告を聞く。

「行政府からの返答はありません」

 戦闘終了後から、定期的に連絡を取ろうとしてきたが、行政府からの返答はない。警察や消防も通信途絶。公的機関は、軒並み休業してるようだった。

「行政府に治安維持を代行させるのは無理か。まあ……本来、治安維持は占領した我々の仕事なのだがな」

 ゼルマンが呟く。

 何せ、艦2隻分の人員しか居ないのだ。コロニー一つの管理など、出来るはずもない。

 コロニー内に政府が残っていれば、本格的な占領のその時まで施政と治安維持を任せる事も出来るのだが、今回の件ではそうする事も出来なかった。

 無論、港湾部の防衛さえ厳重ならば、ZAFTにとってそれで問題はない。コロニー内で、オーブ人が殺し合いをしていようと、何の損もないのだから。

 それに、ここのレジスタンスには補給がないので、最初に渡された弾薬を使い切れば活動は出来なくなる。また、指導者も居ない為、組織的な行動は起こらない。

 状況的には、長引く事はないと考えられ、それなりに被害は大きくなりはするだろうが、放置してもその内に終息すると予想が立てられていた。

 プラントから本格的な占領部隊が来る頃には終わっている筈だ。

 しかし、打てる手も打たずに放置するという訳にもいかないだろう。

「仕方ない。MSを出そう。片腕のジンでも、かかしの代わりにはなる」

 ゼルマンは、昨日の戦闘で損傷し、一応の応急処置だけされたジンを再び出す事に決めた。

 MSは攻撃力が大きすぎ、治安維持には全く向いていない。事件があった場所を、被害者や無関係の一般人ごと吹っ飛ばす事しかできないからだ。

 それでも、MSが見張っているという威圧だけで、多少は抑止の効果があるかもしれない。

 どうせ、他に打てる手はないのだ。

「了解しました。パイロットはミゲル・アイマンに?」

 パイロットに連絡を取ろうとした通信士に、ゼルマンは言う。

「いや、オロール・クーデンブルグに。二人には当面、交代で治安維持活動に出て貰う。ミゲル・アイマンには休息を取るよう伝えてくれ」

 

 

 

 港湾部からヘリオポリス市内に入った片腕のジンは、まず市内全域に向けてスピーカーで話しかける事からその仕事を始めた。

『直ちに武器を捨て、暴動を止めよ! 抵抗する者は、実力を持って排除する!』

 言ってからオロールは早くも嫌そうな顔をし、マイクを切って呟いた。

「ミゲルの話だと、レジスタンスがいるんだよな。まったく、面倒は止して欲しいぜ」

 武装として持ってきた重機銃には榴弾が入っている。

 とは言え、まずはランチャーの催涙ガス弾を使用するように言われていた。手の甲の部分に無理矢理外付けしたのだが、装甲車の汎用ランチャーを引っぺがした物なのでMSのサイズに比して小さく、あまり目立たない。

 格闘武器は持ってきていない。何故か、大きめのコンテナを一つ持ってきている。

「俺のジンなのに、ミゲルに壊されるし、変な追加装備は付くし」

 暴動鎮圧用MSなどという名前を想像して溜息をつきながら、オロールは再びマイクのスイッチを入れた。

『市内の安全は確保されていない。安全確保されるまで、一般市民の外出は禁止する』

 こう言っておけば、外をうろついている怪しい奴を問答無用で吹っ飛ばしても言い訳位は出来る。ついでに言うと、無駄に暴動に巻き込まれる市民を減らせるだろう。

『行政府職員、警察官、消防士、公共放送局職員は各自の職場へと集合せよ』

 外出禁止には反するが、これはどうしてもやらなければならない事だった。

 事態の収拾をしないと、ヘリオポリスに生き残っている市民が危うい。それには、ZAFTだけでは無理な話であり、占領地域の市民の協力が不可欠となる。とは言え、占領した側のZAFTの言う事を聞いてくれるかどうかは怪しい限りだった。

 それを改めて実感させる為と言わんばかりにコックピット内に警告音が鳴る。

「!? ……銃撃?」

 装甲に微弱な衝撃があるとモニターにメッセージ。脅威ではないので警告音はすぐ止んだ。見ると、街路に立つ男が何やらわめきながら拳銃を撃っている。

 うざったいので、オロールは早速催涙ガス弾を撃ち込む。男の側に落ちた弾は猛烈な勢いで白煙を噴射し、辺りを白く包み込む。その白煙の中から転がるようにして出てきた男は、顔を押さえて泣き叫んでいる。

『あー……と、便衣兵行為の現行犯だ』

 言いながらオロールは、ジンを操作して男をつまみ上げた。そして、虫籠に入れるみたいに、男を持ってきたコンテナに入れる。

『市民の姿を装って戦闘行動を取る事は、オーブも批准する陸戦条約において禁止されている! オーブでも犯罪者として扱われる行為だ! 犯罪者になりたくなければ、今持っている武器を捨てろ!』

 一応、マイクを通して警告しておくのも忘れない。まあ、これでレジスタンスが皆、武器を捨ててくれるというのなら、全くもって苦労は無いのだが。

 そう思った直後に、また警報が鳴った。何処かからか撃たれている。

「くそ」

 オロールはうんざりしてきた。そして、さらにうんざりな事が通信で送られてくる。

『オロール機。市内の安全は確保できそうですか?』

「正気で言ってるのか?」

 通信士に言われ、オロールは思わずそう返した。この出撃、誰だって効果など期待していなかったはずだ。

『赤服のお坊ちゃんが、ここに住んでた友達を捜しに行くって五月蠅いんですよ』

「あ? 状況考えろよ。軍はミゲルが殲滅したけど、レジスタンスがまだ残ってるんだぞ」

『本人に言ってくださいよ』

 通信士も、心底嫌そうだった。おそらく、無茶苦茶にごねられたのだろう。

 放置しても良いのだが、勝手に出られて、レジスタンスの捕虜になったり殺されたのでは目も当てられない。オロールは舌打ちしつつ言った。

「しょうがねぇな。呼び出してやるよ。生きていれば、出てくるだろ」

『そうだと良いですけどね。キラ・ヤマトだそうですよ。友達は』

 助かったと言わんばかりの通信士。オロールはマイクを取り、スピーカーでまた怒鳴り立てた。

『これから名を呼ぶ者に命令する! キラ・ヤマト! キラ・ヤマトは、港湾部ZAFT陣地に出頭せよ。出頭無き場合、こちらから出向くからそう思え!』

 気を利かせ、友達というネタは伏せて、何か良くない呼び出しであるかのようにしておいた。もし、ZAFTの友達のキラくんなんて呼んでいたら、生きていても出頭する事はないだろう。その前に、レジスタンスに血祭りに上げられる。

 なんて気が利くんだろうとオロールは自分を褒めつつ、さっきから増え続けているレジスタンスからの銃撃に対応する事にした。

「お前らには、催涙ガスの大サービスだ!」

 ランチャーの連続発射。周囲は白い煙でいっぱいになった。

 

 

 

 数時間後、同姓同名のキラ・ヤマトさん数名に混じり、キラ・ヤマトは親を同伴して港湾部へと出頭した。

「キラ……」

「アスラン……」

 宇宙港に付設された地上施設の中、用意された一室で、アスラン・ザラとキラ・ヤマトは再会する。

「どうして君がZAFTに……!」

「待ってくれ」

 部屋のドアを開け、中にいたアスランを見るや声を上げて問いつめようとするキラに、アスランは手を突き出してそれを制した。

「キラ……まずは、再会を喜ばせてくれないか?」

 アスランは、部屋の中に用意したテーブルと椅子を指し示す。そして、アスラン自らが椅子の背を引き、キラをそこに座るよう誘った。

「アスラン……」

 キラは、アスランの心遣いに感動した様子を見せながら、素直に椅子へと座る。

 テーブルの上には、軍艦にしてはそこそこに豪華な軽食や菓子類、そしてティーポットにお茶も用意してある。

 アスランは、キラを説得するつもりで居た。こんな危険なヘリオポリスではなく、安全なプラントへ来るようにと。

 そもそもキラはコーディネーターなのだから、プラントに居るべきなのだ。

 この部屋にはベッドも用意してある。何日かかろうとキラを必ず説得する……アスランはそう決意を固めていた。

 

 

 

 ヘリオポリス地下の秘密のシェルターにそれはあった。

 ザクレロ試験型“ミステール1”。

 センサーは単眼式。正式採用型ザクレロの複眼センサーは使用されていない。

 武器は、拡散ビーム砲ではなく、ビームライフルなどと同じ集束ビーム砲を2門。ミサイル発射口8門。ザクレロのヒートナタの代わりに、手鎌に似たヒートサイズ。

 ザクレロの魔獣の如き姿とは変わって、かなり無機的な姿であり、種として別の恐怖を感じさせる。

 それを発見して以来、トール・ケーニヒはミステール1にかかり切りになった。

 まずはマニュアルを見つけ出し、別室に高G環境型シミュレーターも見つける。

 高G環境型シミュレーターは、回転するアームの先にコックピットが取り付けられた物だ。回転で遠心力を発生させ、それで高G環境を再現する。もちろん、その環境でMAの操縦を行う事が訓練の主目的となる。

 訓練された兵士が乗っても気絶することなど当たり前という危険きわまりない物だが、トールは全く躊躇する事はなかった。

 トールと共にこのシェルターに逃げ込んだ少女エルは、トールがシミュレーターの中に消えるのを見送った後、寝室で一人寂しさを抱えて眠りにつく……

 翌朝、目覚めたエルは、まず一番にシミュレーターを見に行った。

 シミュレーターは稼働中で、トールが出てくる様子はない。エルは食料庫から保存食を適当に持ってきて、トールが出てきたら必ず側を通るだろうシミュレーターのコンソールの上に置いた。

 そして、自分も朝食を済ませ、子供部屋らしき場所に置かれていた人形やぬいぐるみで一人遊んだ。やがて、再びお腹がすいたので、エルはまた食料庫に行き、保存食をとってシミュレーターに向かう。

 コンソールの上には、朝に置いた保存食がそのまま置いてあった。シミュレーターは、何も変わらず稼働を続けている。エルは、朝置いた保存食の横に、新しく持ってきた保存食も置いた。きっと、お腹が減ってるだろうから、二つくらい食べるかもしれないと……

 それからエルは、動き続けるシミュレーターを眺めながら食事を済ませ、トールが出てこないので子供部屋に戻った。孤独な時間が過ぎ、また空腹がやってくる。

 エルは、もう一度、保存食を手にシミュレーターへ向かい……やっと異常に気付いた。

 朝、昼と置いた保存食が、そのままに放置されている。シミュレーターは、稼働を続けていた。何も変わらず。

「……お兄ちゃん?」

 エルは、慌ててコンソールに駆け寄り、その盤上を見回した。

 キーボード、よくわからないスイッチやボタン、その中に赤色の大きなボタンを見つける。そこに書かれた名を、幸いにもエルは読む事が出来た。

 “緊急停止”

 エルは背伸びしてコンソールに身体を乗せ、拳を叩きつけるようにしてそれを押す。

 直後、警報が鳴り響き、シミュレーターはその動きを次第に鈍くしていって、やがて止まる。その後、シミュレーターはコックピットのハッチを開放した。

 エルはそこに急いで駆け寄り……中の凄惨な様子に足を止める。

 トールは生きては居た。

 ぶつぶつと何かを呟きながら、操縦桿を握りしめて放さず、目は暗転したスクリーンを睨み据えて動かない。瞳は虚ろに開き、光を宿しては居なかった。

 口から胸にかけてを吐瀉物で汚し、下半身は漏らした糞尿に汚れている。何度も気絶し、覚醒してはシミュレーターを続けたのだろう。

 肉体は既に極限の状況にあったが、それでもトールはシミュレーターを続けようとしていた。

「お……お兄ちゃん!?」

 エルは、そのトールの有様と酷い臭気に怯んだが、それでも逃げることなくコックピットに入り込み、トールの身体を揺さぶった。しかし、トールは反応しない。

 エルは迷い……そして、一つ思い出した。トールを“呼び戻す”手段を。

 エルは少し躊躇してから、ポケットからハンカチを出してトールの顔を拭う。乾いた吐瀉物は、擦れてポロポロと剥がれ落ちる。

 そうしてからエルは、自分の口をトールの口に押しつけた。エルのキス。と……トールの瞳に、意思の光が戻ってくる。

「ああ、ミリィどうしたの?」

 キスを解き、トールはエルに微笑んだ。エルは安堵して言う。

「あの、ご飯」

「あまり食べたくないんだ」

「食べなきゃダメだよ、お兄ちゃん。一緒に食べよう?」

 エルの言葉に、トールはゆっくりと人間らしさを取り戻していく。

「そうだね……って、うわ! 何だ!? これ酷いな……」

 トールはここで、自分の格好のあまりの酷さに気付いた。吐瀉物と、排泄物でどろどろに汚れた身体。それはトールだけでなく、エルも汚してしまっている。

「ゴメン、先に身体を洗ってからだね」

 言いながらトールは、この汚れた身体をどうやってシャワールームまで持って行くかを考えていた。

 一方、エルは、トールが反応を取り戻した事を喜びながら、一つの不安を胸に抱え込む。

 トールは……エルが守らないと、きっと生きていけない。きっと、全てをあの鋼鉄の魔獣ザクレロに捧げ尽くして、死んでしまうのだと……

 エルは、今はただ一人の知人であるトールを死なせたくはなかった。

 

 

 

 ヘリオポリスの混乱は、戦闘から二日を過ぎた辺りから治まっていった。

 行政府と公共放送が機能を取り戻し、市民に情報が与えられ、デマや煽動が効果を失った事。

 特に、市民に大被害を与えた混乱の直接原因がカガリ・ユラ・アスハの煽動と武器の配布により訓練を受けていない市民が戦場に出てしまった事だと冷静に指摘し、その違法性について繰り返し放送されて、レジスタンスへの市民の支持が無くなっていった事が大きい。

 また、ZAFT支援下での警察の復活により、治安が回復していった事。

 ZAFTのMSに無駄な攻撃をかけたレジスタンスが相当数逮捕され、隔離された事。

 当初の見込み通り、ヘリオポリスにばらまかれた銃器の類が弾切れなどで使用できなくなり、暴徒やレジスタンスの武装度が急激に落ち込んだ事。

 そして、戦場への慣れから、レジスタンスや暴徒が冷静になっていった事が上げられる。戦場の狂気に煽られていただけの者が、これで多数脱落した。

 この脱落は、自殺者の増加という形で現れる。自らの行為に恐怖しない者は少なかったのだ。

 最後まで残ったのが、復讐者達によるアスハ派狩りである。銃器弾薬が尽きた後も、無為なリンチ殺人が繰り返し起こされていた。

 オーブの理念に代表されるウズミ・ナラ・アスハの思想に賛同する者達が戦闘に参加して多数戦死した事、放送でレジスタンス行為の違法性が暴露された事に加え、このアスハ派狩りにより戦闘に参加していないアスハの信望者までも殺された事。

 これにより、ヘリオポリスはオーブでは主流のアスハ信望者が激減する結果となった。

 冗談でも“オーブの理念は守るべき”などと言えない空気になったとも言う。

 無論、声に出さず密かにアスハを信望し続ける者もいただろう。だが、声に出して行動に移す者が居ない状況では、それが何かの意味を持つ事はなかった。

 この時期をもって、ヘリオポリスでのオーブの理念は死んだ。そこに至るまでに、ヘリオポリスでは数多の命が失われていたわけだが……

 ヘリオポリスに溢れた死体の山は、遺族が自ら探し出して回収した一部を除き、一応の身元確認の後、全てが「ZAFT攻撃時の犠牲者」として処理され、埋葬された。

 これら死体が一斉に腐敗し始めれば、生き残った人々の健康に悪影響がある為、処理は急がなければならなかったという事情もある。

 だが、明らかにZAFTの攻撃と関係ない、小銃などで殺された遺体も多数見受けられた事について触れられる事はなかった。市民から、アスハ派が起こした暴行や殺人、そして逆にアスハ派に対して行われた私刑について通報もあったが、それも調査は行われなかった。

 行政府も警察も多大なダメージを受け、調査などしきれないという事情があったのだ。

 ヘリオポリスは当たり前の事が出来ないほどに疲弊していたと言って良い。

 それでも、ヘリオポリスの市民のほとんどは、この苦境も乗り越えられると信じていた。

 ZAFT占領下にあっても、オーブ本国は自分達を見捨てはしないだろうと信じていたのだ。まだ、この時までは……

 

 

 

 ヘリオポリスでの戦いから5日後、オーブ連合首長国。カガリ・ユラ・アスハは帰国した。

「ヘリオポリス国民は、オーブの理念を守って玉砕した! この悲しみと、彼らの意思を伝える為、私はここに帰還した!」

 テレビの中で、礼装姿のカガリが、国民に向かって涙ながらに訴える。

 ヘリオポリスの国民が、如何にオーブの理念の為に勇壮に戦ったか、オーブの理念を守る事を本国の国民に如何なる思いで託したのか。

 それは、現実の姿ではない。ただこうであるべきと言う理想が生んだ物語であった。

 あの日、現実を見る事がなかったカガリが願った理想そのままの、美しくも悲しい物語。

 そしてその物語の中では、心ある忠勇なオーブ国民は全て華々しく散った事にされてしまっていた。

「私は約束した! オーブ軍、そしてへリオポリスの勇敢な市民が命を賭して守ろうとしたオーブの理念。彼らが教えてくれた、オーブの理念の尊さを忘れないと。これから未来永劫、オーブの理念を輝かせていくと!」

 カガリの演説は、ウズミ・ナラ・アスハすらに感涙の涙を落とさせ、その姿が放送される。

 偉大なる国父ウズミとカガリが共に涙を流しながら手を取り合い、オーブの理念の崇高さを讃え、それを守り継ぐ事を改めて決意して放送は終わる。

 オーブ国民は、ヘリオポリスの貴い犠牲に熱狂した。

 そして、その意思をカガリと一つにした。

 すなわち、オーブの理念を命に代えて守り抜こうと……

「気違い共め」

 ウナト・エマ・セイランは一人、演説会場の片隅で呟いた。

 

 

 

 カガリの演説のあった日、ウナトは夜遅くになってから帰宅した。

 そこで、今日聞いた、それなりに長い人生で聞いてきた中でも最悪だった演説を再び耳にして、顔をしかめる。

 その演説は、居間の方から溢れてきていた。

「カガリは可愛いねぇ、父さん」

 ユウナ・ロマ・セイランは、居間のソファに身体を投げ出し、テレビの大画面に映し出されているカガリを見つめながら、一人でグラスを傾けている。

 そして、ウナトが入ってきた事に気付くと、先の一言を言ってのけた。

 ウナトは顔をしかめたまま、テレビに目をやる。

「ビデオか?」

「いや? テレビもラジオも、繰り返し同じ放送を流してるよ。演説、カガリが持ってきた記録映像、そしてアスハを讃える識者と芸能人、そしてまた演説。この繰り返しさ」

 オーブは今や、ヘリオポリス玉砕の報で一色となっていた。

 誰もが、オーブの理念を守る為、最後の一人まで戦ったという勇敢なオーブ軍とヘリオポリスの住人達について涙している。

 そして、オーブの理念を捨てようとした、卑劣な者達……例えば、オーブ行政官やヘリオポリス駐屯地司令、そして今になって少しずつオーブに到着している自力でヘリオポリスを脱出してきた人々に、怒りをぶつけていた。

 番組は、そんな今のオーブを忠実に表し、さらに煽り立てている。

 アナウンサーが、カガリが断腸の思いでヘリオポリスから持ち帰った記録映像をテレビで今から公開する事を告げ、映像が切り替わった。

『必ずや、オーブの理念を守って見せますよ』

 市街を背景に装輪装甲車の前で銃を手にする若い兵士の笑顔。

『オーブの理念を守るのは、オーブ国民の義務ですから』

 住宅地の街路に立ち、銃を手に緊張した面持ちで答える中年男。

『僕達にはまだこんな事しかできないけど、オーブの理念を守ってください!』

 陣地構築中の市街で、リヤカーに積んだ弾薬箱を運ぶ少年。

 戦いの前に撮られた映像。兵士、市民を問わず、誰もがオーブの理念を守ろうと主張する。

 そのインタビューが終わった後に続くのは、ZAFTとの戦闘シーン。

 一機のジンが、街を蹂躙する。

 ミサイルや機関砲などの数少ない兵器で果敢に挑む兵士。勇敢にも小火器だけでジンに抵抗し、榴弾に薙ぎ倒される市民。

 ジンは、逃げまどう“無抵抗の”市民にまで銃を向け、市民は榴弾で粉微塵に粉砕される。

 描き出されたのは、ZAFTによる一方的な虐殺と、それを阻止すべく勇敢に戦う兵士と市民の姿。そして、

『放してくれ! アスハのオーブの理念なんて俺には関係ない!』

 怯えて逃げようとする市民。頭を抱えて地面に這いつくばり、カメラから少しでも離れようとするかのようにもがく。

『死にたくない! 俺は戦いたくなんか無い!』

 無様で、惨めで、不道徳な存在として描き出される、オーブの理念に命をかけない市民。

 そして戦闘シーンは、オーブ軍兵士と有志市民による華々しい自己犠牲攻撃の決行と、悲壮たる無惨な敗北を描ききり終了する。

 カガリ・ユラ・アスハが脱出する直前まで記録されてきたその映像に、狂気に陥った市民の姿は無いし、市民を巻き込む無為な戦闘行為も無い。

 勇壮な軍と忠勇な市民達による、美しい理想的な悲劇がそこにあった。

 その映像が、テレビから流される。国民に向け、これが真実なのだと。

「楽しい番組だよ。もう、死ななかったら非国民って感じだね」

 カガリが持ち込んだ記録映像を流し終えたテレビに宇宙港が映った。

 映されたのは、着陸したシャトルから降りてきた人々……裕福そうな家族連れだが、その表情は硬く暗い。

 そんな彼らに、離れた場所に集結した民衆が罵声を浴びせていた。『裏切り者』と。

 レポーターが、その家族にマイクを向け、責める口調で問う。『何故、オーブの理念を捨てて逃げたのですか? 何故、戦わなかったのですか?』と。

 ウナトは質問責めにあっている者が古い友人の一家だった事に気付いて呻いた。

「狂っている。この国は狂っている」

「あはは、今更気付いた訳じゃないよね?」

 そう言って笑いながらユウナは、ウナトにこれ以上のショックを与えないように、チャンネルを変えた。

 幾つかのチャンネルでは、さっきの家族を映している。民衆からの投石が始まったと、レポーターが興奮して嬉しそうに叫んでいた。

 やがて、チャンネルはカガリの演説を映している局にセットされる。

 輝くような強い眼差しで演説するカガリと、感涙しながらも演説を静かに聞くウズミ。

 ウナトは、憎しみを込めて呪いの言葉を吐く。

「この恐ろしい親子が、これ以上、国を荒廃させる前に、死んでくれればと思うがね」

「じゃあ、カガリの死体を漬けておく水槽を用意しておくよ。いや、冷凍保存の方が良いかな? いっそ樹脂で固めて……うん、良いぞ。毎日、眺めて暮らすんだ」

 ユウナが明るく答え、流石にウナトの表情が引きつった。

 そんなウナトの顔を見て、ユウナは芝居っぽく肩をすくめて見せる。

「嫌だなぁ、冗談だよ」

 酷く信憑性の薄いその言葉の後、ユウナは視線をテレビに戻した。

「可愛いなぁカガリは。この理想に燃える目が良いね。抉り出しても綺麗なままかな?」

「お前の趣味の事など知らんよ」

 ウナトは、自分の息子の趣味はどうにもならないと諦めの溜息をつく。そんなウナトの心労など知らず、ユウナはまたカガリを見て、恍惚としながら言葉を漏らした。

「ああ、この目が絶望に染まる所を見てみたいよ。悔しくて、悔しくて、それでも屈服するしかないカガリが、這いつくばりながら憐憫を請うその時の目。見たいねぇ父さん」

「知らんと言っているだろう。まあ……それをしなければならない時かもしらんが」

 もう、オーブは保たない所まで来ているのかも知れない。ウナトはそう考えていた。

 このヘリオポリスでの異変こそが、その前触れではないかと。それを確かめる為として今日、セイランに連なる氏族とセイラン派の政治家達の会合で、一つの決定があった。

「ユウナ。パナマ経由の民間宇宙船を用意してある。今から出立して、ヘリオポリスに行ってくれ。正確な状況を知りたい」

 他氏族に注目されていない重要度の低いメンバーを集め、密かにヘリオポリスへと送り込み、真実を確認する。

「お前に……出来るな?」

 やらせる事は決めていたのだが、ウナトはここになって不安になった。

 ユウナは、普段の言動がアレだけに、ほとんど注目されていない。それでいて実はアレな言動は世を忍ぶ仮の姿で、他氏族の油断を誘う芝居……と言うならウナトも安心なのだが、実際の所は本気でアレなのであった。

 何をしでかすかわからないが、肉親だけに報告に嘘は付かないだろうと信用は出来る。調査だけならきっと大丈夫だろうとウナトは自分を納得させていた。

「調査と言っても、ヘリオポリスは全滅したって泣いてるけど?」

 ユウナは、テレビをさして苦笑して見せる。

 信じては居ないのだ。ヘリオポリスの住人が、一人残らず死ぬまで戦ったなどとは。

 ウナトも信じては居ない。だが、一応の事として言っておく。

「全滅しようが、してまいが、一つだけ成し遂げてくれ。ヘリオポリスには、行政官の遺産があるはずだ。それを手に入れるのだ」

 ウナトは、行政官が手に入れた物の事を知っていた。

「あの力は、セイランにとって必要な物となるはずだ」

 

 

 

 ヘリオポリスでの戦闘から五日を過ぎ、ヘリオポリスの中は一応の平穏を取り戻しつつあった。

 戦火に焼かれ、建物が幾つも崩壊し、見通しの良くなった市街も、遺体回収の終わった所から瓦礫の撤去作業が行われ、少なくとも緊急車両が市街を走り回るに困らない程度には復旧している。

 とは言え、崩壊した建物が放置されていたり、路面に弾痕が刻まれたままだったりと、戦火の爪痕はまだしっかりと残っていた。

 無論、人々の心に残った傷は、ヘリオポリスが復旧しつつあっても決して消えはしない。

 ヘリオポリス厚生病院。今残っている、設備の充実した唯一の病院。

 入院患者に穏やかに過ごしてもらう為、街の中央から外れた緑豊かな場所に建てられていたことが幸いし、戦火での焼失を免れた。

 現在、この病院にヘリオポリスに残った医師や看護師、有志のボランティアスタッフ、医薬品類の全てが集められ、負傷者の治療に当てられていた。

 しかし、病院の許容量はオーバーしており、外に仮設されたプレハブ倉庫同然の建物の中にまで負傷者が並べられている。

 負傷者の呻き声と悲鳴、怒号に近い医者と看護師達の指示の声、治療の甲斐無く死んだ者にすがる残された家族の泣き声、そんな音で満たされたプレハブ病棟の中をカズイ・バスカークは歩いていた。

 やがて彼は、目指していたベッドに辿り着く。

 そこには、包帯で全体を覆うように包まれた1m弱くらいの長さの芋虫のような塊があった。

 その塊からは無数にチューブが伸び、点滴や酸素ボンベにつながっている。

 カズイはそのベッド脇に置いてあるパイプ椅子に座り、無表情のまま塊に話しかけた。

「お母さん、またお見舞いに来たよ。あまり来られなくてゴメン」

 塊は動かない。返事もしない。

 それでも、聞こえてはいるのだと医者は言っていた。

 視覚と聴覚に問題はない。今は治療の為に喉にチューブを通しているから無理だが、話す事も出来るだろうと。

 しかし、四肢は失われており、一生、動く事は出来ないのだという。

 あの日、カズイと父母は別の場所にいた。そして、カズイの父母はシェルターに入れず、逃げ回って街を出た所で、墜落してきた戦闘機の巻き添えをくったらしい。

 母を庇った父は、ズタズタに切り刻まれた黒こげの肉片となった。

 カズイがようやく病院で母を発見した時には、父は既に共同墓地の中に他の無数の死者と共に葬られた後。申請すれば骨は返してもらえるらしいが、母の方にかかりきりで、どうするかは決めかねていた。

 それに、今のカズイに、父の為の墓を用意する金はない。

 母の治療費さえも無い。今は危急の時だけに治療費など請求されていないが、ずっとそうというわけではないだろう。母はこれからも病院にかかり続ける必要があるだろうから、いずれは金が必要になる。

 それに、母を治す方法は一つあった。カレッジにいた頃、聞いた事がある。

 機械の義手義足、いわゆる医療型サイボーグだ。これを取り付ければ、普通の人間とほぼ変わらない生活が送れる。

 しかし同時に、それを手に入れるには、見た事もないような額の金が必要な事も知っていた。

 金がいる。どうしても金がいる。金、金、金……

 だが、今のヘリオポリスで、どうやって金を稼ぐのか? 考えはいつも袋小路にはまる。

 何にせよ、この混乱した中で就職も何もあったものではない。アルバイトは幾らでもあったが、それは何時までも続く筈はないものだった。

「……ご飯食べてから、アルバイトに行くよ。じゃあ、また」

 反応しない母に声をかけ、カズイは病棟の外へと出ていく。

 病棟の外では、ボランティアが給食を配っていた。その前には、長い長い列ができあがっていた。その列の後ろに並んで、カズイは一時間あまりを待つ。

 途中、割り込みをしようとした男が、先に並んでいた連中に袋だたきにされるのを見た。いつもの光景なので、カズイは動揺などしない。

 カズイの前に並ぶ人数が数える程に少なくなった頃、食器類を乗せたテーブルがある場所にさしかかる。お盆をとり、プラスチックのボウルとスプーンを乗せた。

 そして、もう少し待ち、カズイはようやく食事をもらえる段になる。

 岩で出来ているんじゃなかろうかという様な武骨で無愛想なオバハンが、寸胴鍋からお玉で一杯、カズイの持つ盆の上のボウルに注ぎ込む。

 もう一人の、カマキリの様な骨張った長身の無愛想なオバハンが、小型のパンが詰まった箱からトングで二つ挟んで盆の上に置く。

 それでお終い。カズイは、さっさと列を離れて座る場所を探す。

 ……無い。病院の庭は、どこも人で一杯だ。

 それでも幸運に、カズイは病院の壁に空きを見つけ、壁に背を預けて立ったまま食べ始めた。

 具のほとんど無いスープに、パンを浸して食べる。美味くはないが、不味いと騒ぐほどでもない。ただ、もっと量が欲しい。

 一回食べた後に、再び並ぶ者も居ないわけではないだろうが、カズイはそんな風に時間を無駄にしている暇はなかった。

 小さいパン二つを食べ終え、残ったスープをボウルを掴んで口を付けて飲み干す。スプーンは結局、使わなかった。

 ごちそうさまとか、お世辞にも言う気にはならないので、カズイは無言で後始末にかかる。

 使い終わったお盆とボウルを、食器返却場所として用意されたテーブルの、うずたかく積まれたお盆とボウルとスプーンの中に乱雑に突っ込んだ。カズイの後に入れた奴が、うっかり山を崩して、お盆の雪崩にあって悲鳴を上げていたが、カズイは気にしなかった。

 そして、病院を離れるべく正門を目指す。門の所には、バスが待っているのだ。

 バスの横には長机が置かれ、そこに病院のスタッフであろう男が座って、仕事をしてくれる人を待っている。そこへ一声かければ、仕事を紹介してくれるというわけだ。

「あの……」

 声をかけるカズイに、スタッフは無表情で問い返した。

「どうも。遺体回収の仕事をご希望ですか? 遺体の回収は初めてですか? 日にちも経ってますから、かなり酷い状態の物も有ると思いますが、遺体にはお強い方ですか?」

「昨日もやりましたから」

 そう答えて、カズイは慣れた様子で、スタッフの前に置いてある申込者リストの名前の列の最後に、自分の名前を加えた。

 と、スタッフは手元のメモと、カズイの名前を見比べた。そして、得心がいった様子で頷き、カズイに言う。

「ああ……カズイ・バスカークさんですね。昨日来たので、今日も来るかと思い、待っていました。放送で流すと、他の方への印象が悪いと思ったものですから。実は、ZAFTから出頭命令が出ています。今日は、このまま港湾部の方へ向かってください」

「え? 身に覚えがありませんけど」

 ZAFTに呼び出される覚えなど無い。カズイはそう言うが、スタッフは気の毒そうな顔をして肩をすくめた。

「呼び出された理由は知りませんね。でも、無実なら無実と言うしかないのでは?」

「はぁ……」

 レジスタンスの疑惑でもかけられたのか? そう考えると、怖くなってくる。

 全くの無実だが、拷問でもされたら、やってない事までやった事にしてしまうに違いない。

 カズイが顔色を青くしている前で、スタッフはメモを眺めた。他にも連絡事項がある。

「呼び出したのは……キラ・ヤマト。ZAFTの将校か何かでしょうか」

「キラ? どうして、あいつが?」

 カズイは、どうしてそこで友人の名が出るのかわからなかった。

 

 

 

 カズイは、キラ・ヤマトに呼ばれ、ZAFT占領中の港湾部に出頭していた。

 港に用意された応接室で、カズイは何日かぶりに友人と出会う。

「ZAFTに呼ばれた時は、青くなったよ。キラが何で、ZAFTを動かせるんだ?」

「ゴメン、アスランに……ZAFTの軍人になった友達に、力を借りたんだ。友達を見つけて、呼んで欲しいって」

 カズイを笑顔で出迎えたキラは、応接セットのソファにカズイを座らせた後、対面に自分も座り、そしておもむろに悲しそうな顔をした。

「でも、君以外は、見つからなかったんだ」

 フレイ・アルスターは連合の戦艦と一緒に行ってしまい、サイ・アーガイルはその前後から連絡が取れなくなり、トール・ケーニヒとミリアリア・ハウはコロニー内で起こった最後の戦闘の後は行方不明。

 キラが探し出せたのはカズイだけだ。

「もう、僕達だけなんだな……たくさん死んだからね」

 カズイは、人ごとのように呟く。正直、今のカズイには大した事ではなかった。

 居なくなった友人より、もっと重い現実がある。

 キラは、申し訳なさそうに目を伏せた。

「ああ、その……ご両親の事、聞いたよ」

 捜査の中でカズイが見つかったのは、彼の母親が入院していたからだ。

 カズイは薄く笑って答える。

「……参ったよね」

 キラに同情して貰っても何もならない。いつものキラの様に、中途半端にわかった様な口をきかれるのは耐えられそうにない。

 だから、カズイは無理矢理話題を切り替えた。

「そんな事よりキラ、お前の方はどうだったんだ?」

「僕の方は両親とも無事だったよ。それに、アスランとも仲直り出来たんだ」

 嬉しそうにキラの顔がほころぶ。

 カズイは冷めた目でそれを見ていた。今更、このキラの反応に腹を立てても仕方ない。

 敵の侵攻で不幸になった人間の目の前で、敵と仲直りした話をするような奴なのだ。

 だからキラは、カズイの前で単純に喜んでいた。

「アスランとプラントに行く事にしたよ。その方が良いって、言ってくれたんだ」

 そう言った後、キラはカズイをまっすぐ見つめて言う。

「カズイも一緒に行かない? 僕の友達だって言えば、アスランもきっと一緒に連れてってくれるよ」

 その申し出を、カズイは少しの間だけ考えた。しかし、答えは決まっている。

「僕はコーディネーターじゃないから。プラントで生きていくのは無理だよ」

 カズイは首を横に振った。

 プラントで働き口があるとは思えない。能力差も有るし、ナチュラル差別も有ると聞く。

 まさか、そのアスランとやらが、一生養ってくれるわけでもあるまい。

 今のカズイには働き口が必要だった。

「でも、キラが行くのは良いんじゃないの?」

 元の鞘に帰るだけだとカズイは判断する。

 コーディネーターのキラなら、プラントで立派にやっていけるだろう。

 それに、敵であるZAFTと仲の良い事を隠さないキラは、もうこのヘリオポリスでは生きて行けまい。

「応援するよ」

「でも、みんなを見捨てていくようで辛いんだ」

 キラは、辛そうな表情を浮かべる。このヘリオポリスが大変な時に、まだ比較的には安全なプラントに行くのは後ろめたいのだろう。

 そういえばキラの美点は仲間を大事にする事だったなと、カズイは笑って言ってやった。

「キラがプラントに行っても、皆は友達のままだよ」

 お人好しばかりだったからと付け加えるのは止めておく。

 カズイだって、プラントに行ったからといって、それだけでキラを敵だとは思えないのだ。

「平和になってから、会えたら会って、それで謝れば良いんじゃない? 今は混乱してるけど、きっとみんな無事で見つかるよ」

「そう……だね。うん、必ず、皆に会いに来るよ」

 キラは、安心した様だった。そして、平和になって皆に会えたらと、とりとめのない話をし始める。

 その話を聞いて少しだけ笑いながら、気休めだなとカズイは心の中で自嘲した。

 今のヘリオポリスで行方不明だという事が示す事実は、大方一つでしかない。

 キラは、そんな事実に気付いていない様子で、無邪気に話をしていた。

 そんな彼を見るカズイの表情から、いつしか笑みが消える。

「なあ、キラ……」

 カズイは、キラの話を遮った。

「何?」

 怒るでもなく聞き返すキラに、カズイはまた少しだけ笑みを見せる。

「キラは……キラだけは変わるなよ。きっと、みんな変わっていくんだ。この戦争は、全部をぶち壊した。でも、キラだけは変わるな。お前だけはさ……お前だけは、変わっちゃいけないんだ。勝手な願いだけどさ」

 キラは、カズイの言葉の意味を計りかねたようで、少しの間だけ考え込んでいたが、ややあってから笑顔で答えた。

「わかったよ。僕は、いつまでも、皆の知っているキラ・ヤマトでいる。皆がどんなに変わっても、僕はずっと皆の友達だったキラ・ヤマトで、変わらずに友達でいるよ」

「それを聞いて安心したよ」

 カズイは言って、寂しげに目を伏せた。

 次に会う時……その時、どんなに堕ちた自分であっても、キラが変わらずに接してくれるなら、その時だけは以前の自分で居られそうな気がしていた。

 

 

 

 ヘリオポリスでの戦闘から一週間。

 今のところはヘリオポリスの責任者である、ZAFTのガモフ艦長ゼルマンによって、ヘリオポリスからオーブ本国への超長距離通信が許可された。無論、ZAFT側の監視下においてであるが。

 送られる通信内容は、ヘリオポリスの現状報告と、事件経過の報告。それらは、多分にZAFT側の視点が盛り込まれていたので、先に戦ったオーブ軍やレジスタンスを悪と断じた論調の物となっていた。

 しかしそれは、現在のヘリオポリスの住人達の見解とほぼ一致するものである。ZAFTを必要以上に讃えるプロパガンダは含まれていない。

 そしてもう一つ、オーブ本国への救難要請。医療関係者や救援物資といったものはすぐにも必要としていたし、レジスタンス残党を追いつめる為に警察の増援も欲しいと。

 通信が送られてから数時間後、オーブからの返答が届いた。

 この超長距離通信は、アメノミハシラを経由するので、口こそ挟まなかったがサハク家も同じ通信を聞いた事だろう。

 また、ガモフの艦橋でも、同じ通信を確認していた。

 期待して通信を待っていたヘリオポリス市庁通信室の通信技師達が通信モニターの中に見たのは、怒りに燃える金色の髪の少女、カガリ・ユラ・アスハの姿。

 後にヘリオポリスを震撼させるこの通信は、オーブ本国でテレビ中継されていた。

 ヘリオポリスで玉砕した真の愛国者達を裏切り、オーブの理念を捨て、ZAFTにヘリオポリスを明け渡した悪しき者達に対して、気高い怒りを燃やす高貴な姫獅子の姿としてカガリはオーブ国民の前にその姿を見せつける。

 彼女は、大いなる怒りのままに叫んだ。

「何故、お前達は生きている!? オーブの理念を捨て、戦わず逃げた裏切り者が!」



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アークエンジェル逃走中

 ラウ・ル・クルーゼは、狭い空間に閉じこめられていた。

 そこは、非常灯を残して明かりの消えたコックピットの中。

 MSシグーは全機能を停止しており、残されたエネルギーは全て生命維持に回されていた。とは言え、そのエネルギーすら尽きて久しい。無敵の巨人であるMSも、こうなっては棺桶と何ら変わりなかった。

 ノーマルスーツが供給する酸素は既につきており、クルーゼは息苦しさからヘルメットと仮面を脱ぎ捨てている。出撃時に、わずかにコックピット内に残った空気が最後の綱……しかし、それも最早、失われようとしていた。

「死なない……私が死ねば……私の存在は何だったというのだ……」

 失われていく意識をつなぎ止めていたのは、クルーゼの中にある憎悪。クルーゼの人生で最も大きい部分を占めてきた憎悪。その為に全てをなげうってさえ来た。その憎悪を、熾火の様に燃やして生命と意思を繋ぐ。

 しかし、それとて燃え尽きて、命と共に消えようとしていた。

「嫌だ! 死なないぞ! まだ何も成していない……何も成さず、ゴミの様に、ここで死んでいくなど……」

 最後の力を振り絞った叫びも、最後には掠れる様に消えていく。

 荒ぐ息でクルーゼは、闇の中を見据えた。わずかに灯る非常灯が、クルーゼの素顔を、灯の落ちたモニターへ鏡の様に映し込ませている。

 その素顔は、憎悪の根本にいる男の顔に重なった。モニターに映るあの男は、死んでいくクルーゼを嘲笑う。失敗作が無為に朽ちていく事を笑う。

「……ゃめろぉ! ……笑うなぁ……」

 クルーゼは思わず、モニターの上を掻きむしった。嘲笑う男の幻影は消えはしない。

「消えろ……消えろぉ……」

 酸欠に喉を鳴らしてあえぎながら、クルーゼは泣きむせぶ。そこに、ZAFT英雄、世界の破滅を望む陰謀者の姿はない。狂気に陥った、死にゆく男がいるだけだ。

 クルーゼは、モニターを掻いても叩いても男が消えない事を悟ると、せめて見ないようにと顔を手で覆った。

 と……モニターに映る男の顔が消える。手で隠した為、映っていた顔が消えただけだが、クルーゼには別の意味を持って理解出来た。

「これだ……これがあるから」

 クルーゼは、顔を掻きむしった。モニターに映るあの男の顔に、傷が刻まれる。あの男の顔が消える。

 肉を掴み、皮膚に爪を突き立て、肉を引き裂き、皮を剥ぎ取り、クルーゼは自分の顔を引き裂き続けた。コックピット内に、血の飛沫が玉になって舞う。

「くぁ……はは……はははははははははははっ」

 顔を鮮血で赤く塗らして、クルーゼは笑い始める。

 心を壊し、顔を失った男は、酸欠に息を切らせながら、意識を失うその時まで笑い続ける。

 

 

 

 プラント船籍の民間船シルバーウィンドは、暗礁宙域に眠るユニウスセブンでの追悼式典に参加する要人を移送中、微弱な救難信号を受信した。

 シルバーウィンドは、ただちに船を止め、周辺の探索を開始する。

「ラクス様。申し訳ありません。遭難者の救助の為、若干のお時間をいただきます」

 宇宙船の中にしては広く、豪華な調度に飾られたVIP用の船室に、船長が直接やってきて詫びた。

 部屋に一人いたプラントの歌姫にして議長シーゲル・クラインの娘、ラクス・クラインは穏やかに微笑んで答える。

「わかりました……一刻も早く、その人を助けてあげてください。式典まではまだ時間がありますから、私の事は気にしなくても大丈夫ですよ?」

「はい、わかりました。かえってお気遣い頂き、ありがとうございます。では、失礼させて頂きます」

 一礼して退室した船長を見送り、ラクスは足下を転がっていたピンクのボールの様な物を拾い上げた。

「ピンクちゃん。遭難した方が見つかったようですよ? ご無事だとよろしいのですが」

「ハロ! ソーナンダ!?」

 ピンク色のボール……ハロ。ロボットであるそれは、相手に合わせて非常に適切な返答をする会話機能を備えている。

 人間を感知してその側に付き従ったり、鍵を開けてしまったりと、無駄に高性能。

 ラクスにとっては、大切な友人であった。

「そうなんですの、遭難です……ピンクちゃんも心配なんですのね」

 ラクスは、ハロを抱きしめながら遭難者の無事を願う。

 

 

 

 シルバーウィンドは、慣性で飛行中のシグーを発見、即座に搭載していた作業用MAを使って救助活動を行った。

 まず作業用MAが、シグーの飛行予定コース上に捕獲ネットを設置。シグーが突っ込んだところを、作業用MAとシルバーウィンドがネットを引いて停止させる。

 その後、シグーはシルバーウィンドの貨物スペースに収容された。

 足の無いシグーが床に寝かされ、船の整備員がコックピットの開放作業に当たる。定められた緊急解放の手順を踏んで作業をすると、コックピットは大きくその口を開いた。

 コックピットからは澱んだ空気が溢れだし、その臭気が人々を遠ざける。

 すぐさま、コックピットに換気用のチューブが差し込まれた。送風機からチューブを通して送り込まれる風が中の空気を追い出し、まともな空気と入れ替える。

 その作業はすぐに終わり、それからこの船の船医がコックピットの中に飛び込んでいった。

 そして船医は、コックピットの中に一人の男を発見する。

 薄く開かれた目は虚ろで何も見てはいない。半開きになった口からは糸を引いて涎が垂れ落ちていた。

 船医を驚かせたのはその男の顔。顔はボロボロで、原形をとどめていない。顔は自分で傷つけたのだろう……手が、血や皮膚や肉片で汚れている。

 船医は、男のノーマルスーツの首の部分を開き、血管を探った。脈有り。

「……生きてるぞ! だが、酸素欠乏症と二酸化炭素中毒の可能性が高い、すぐに医務室へ運んでくれ!」

 船医がそう言いながらコックピットを出る。入れ替わりに、何人かの整備員がコックピットに入り、中から男を引っ張り出す作業を始めた。

 その作業を見守る船医に、状況をうかがっていた船長が聞く。

「助かりそうかね?」

 船医は、正直に答えた。

「……命だけは。ですが、酸素欠乏症は脳がやられます。回復は難しいでしょう」

 

 

 

 ヘリオポリスを脱出したアークエンジェルは、地球方面を目指して飛行していた。

 戦闘終了後の今は、整備兵達が最も忙しい時間となる。損傷を受けた艦の各箇所を、移動中に出来る範囲で修理していた。また、出撃したMAも急ぎ修理が行われている。

 人手が足りないので、整備以外の部署……陸戦隊や事務員までが手伝いにかり出された。重要度の低いところは民間委託と称して避難民の技術者の手まで借りている始末だ。

 一方、MAパイロット達はそんな状況とは無縁だった。敵の追撃がない事が確認されると待機命令を解かれ、各自休養をとるように命令されている。次の襲撃の時に、万全の体調で出撃する為に。

 マリュー・ラミアスは休養をとる前に、栄養ドリンクのボトルを片手に艦橋へと立ち寄る。

「バジルール艦長、月と連絡は付いたぁ?」

 艦橋に入ってすぐ、マリューは艦長席のナタル・バジルールに質問を投げた。

 ナタルは、オペレーター席で何やらマニュアルを片手に苦労している通信士を見てから、マリューに振り返って首を横に振る。

「まだです」

「へー」

 マリューはいい加減な返事をすると、オペレーター席まで行って、後ろから覗き込んだ。

「どうしたのぉ? 通信士なんでしょ?」

 聞きながらマリューは、ドリンクのボトルから伸びるストローをくわえ、中身を喉に流し込んだ。疲労した身体に、冷たいドリンクが行き渡っていくようで、ほっと息をつく。

 そんなマリューに、通信士は相手をしたくもないとでも言いたげな様子で、マニュアルをにらみながら苛立たしげに答える。

「自分は、陸戦隊の通信兵です。艦の通信機は専門外だし、こんな超長距離通信なんて!」

 本来、背中に通信機を背負って戦場を走り回るのが役目の通信兵が困った様子で振り返り、ナタルを睨む様に見据えた。

 こういう、欠けてしまった人員を補うための本来は有り得ない人員配置は、アークエンジェルの各所で行われている。

「出来なくてもやってもらわないと困る。艦の生死がかかってるんだ。続けてくれ」

「そうよぉ、愚痴をいわなぁい! 私だってパイロットじゃないのにパイロットやってるし、バジルール艦長だって艦長じゃないのに立派に艦長してるのよ?」

 冷徹に言って聞かせるナタルと、通信士の肩を揉んでやりながら笑い飛ばす様に言うマリュー。二人に言われて、通信士はとりあえず愚痴を言う事は止めた。

「了解です。奮闘努力します」

 言って、またマニュアル片手の作業に戻る通信士。それを見てから、マリューはナタルの側へと戻り、改めて別の話題を持ち出す。

「ねぇ、聞いたんだけど……サイ・アーガイルはどうするの?」

「ああ……彼は元々民間人だったそうですね」

 ナタルは、マリューの問いに心当たりがあった。

 ヘリオポリス脱出戦でMAミストラルに乗って出撃したサイ・アーガイル。

 てっきりMAパイロットだと思いこんでいたが、戦闘終了後に入隊願書がナタルの手元に届いた事で、彼がただの民間人だった事が判明した。

 しかし、だからどうしたと言うわけでもない。

「MAパイロットは続けてもらいます。貴重な実戦経験者ですから」

 書類には、所属をMA部隊として、立場をMAパイロットと記載して受理している。

 サイは、名実共にパイロットになったのだ。

「本気? 子供でしかも初心者なのよ?」

 マリューは少し嫌悪を感じた様子で、眉をひそめながらナタルに聞く。

 ナタルは、マリューがそういった情を大事にするばかりか、時に仕事にまで持ち込む事を知っていたので、その反応は見越していた。

「わかってます。ですが、戦力になるなら何でも使わないと艦が落ちます。そうなれば、MAに乗っていなくても彼も死ぬ事になります。この艦に乗っている以上、仮に事務方に回したとしても危険の度合いに大差ありません」

「……それはぁ……そうだけど」

 マリューも、ナタルの言い分を聞いて理解はする。納得がいかないだけで。

 まあ、マリューが納得いって無くとも、艦長のナタルと、MA隊の実質的隊長であるムゥ・ラ・フラガが納得していれば何一つ問題は無いのだが。

 まだ若干、不服そうなマリューにナタルは、サイをパイロットにする結論を下した最大の理由を話した。

「それに、本人の意思でもあるんです」

「本人が? まあ、MAパイロットは花形だから、あこがれるのはわかるけど……」

「いえ、そうではなく」

 子供のあこがれを素直に聞いてやるのかと非難がましく言おうとしたマリューを、ナタルは手を挙げて制止した。

「婚約者が避難民として、この艦に乗って居るそうで。彼女を守りたいとの強い要望があったんです」

 

 

 

「馬鹿!」

 少女の涙声混じりの声と、頬を叩く音が、パイロットにあてがわれた部屋の中に響いた。

 サイ・アーガイルは、ベッドに腰掛けたまま俯いている。

 彼女……フレイ・アルスターは、先ほどからずっとサイを叱り続けていた。

「どうしてよ! どうして軍になんて……それに、MAで出撃しただなんて!」

 戦闘終了後、サイとフレイは面会を許され、そして事の顛末をフレイは聞く事となり……現在に至る。

 安全なヘリオポリスで自分を待ってくれていると信じ、だからこそ安心していたフレイにとって、サイの行動は裏切りだった。

 どうして、わざわざ危険な事をするのかと。

「だから、僕はフレイを守りたかったんだ。どんなに危険だったとしても」

 サイは俯き、異様に静かな声で答える。それは、少年の理屈。

「そんな事して欲しくなかった! サイが危ない事をするくらいなら、私は守って欲しくなんか無い!」

 フレイは涙をこぼしながら叫ぶ。それは、少女の激情。

 平行線を辿り、決して交わらない。互いを大事に思う故に、妥協する事も出来ない。

「どうするの!? 死んじゃうかもしれないのに!」

 フレイは叫ぶ。サイの翻意を願って。しかし……

「……もう大丈夫だよ」

 サイは震える声でフレイに言った。そして、訥々と話していた言葉は、次第に激しくなっていく。

「もう、敵を一人殺した。あっけなかったさ! さっきまで勝手な事言ってたのに、気付いたらもう死んでた! 僕は、敵を殺せる! 大丈夫だ!」

「サイ……」

 俯いたまま床に向かって怒鳴るサイ。フレイは戸惑いながらサイの名を呟く。まるで、目の前にいるのが、見知らぬ誰かの様に思えて。

 その名を呼ぶ時にこもった疑問の響きに反応し、サイは顔を上げて立ち上がると、フレイの間近まで歩み寄って浴びせかける様に言葉を並べだした。

「疑うのかい? そうかもね。ああそうだ! 僕が殺したジンが格納庫にあるから、見に行ってくると良いよ。コックピットの中に、あいつのミンチが詰まってる! あいつ、砲弾でグチャグチャになったって整備の人が……」

「サイ!」

 サイの頬が、再び高く音を立てて叩かれる。

 その一撃で、サイは冷静さを取り戻した。目の前にいるのは、怯えて、涙を流して……それでもサイを心配するフレイ。

「やめてよ……そんなの、サイらしくない」

 フレイの声は、恐怖に震えていた。

 サイは、フレイの前で晒してしまった自らの狂態を自覚する。そして、暗澹たる思いに打ち拉がれながら、再びベッドの上に腰を下ろした。

「僕は……何をやっているんだ」

 錯乱していたのだろう。

 敵とはいえ、人を殺したという現実が怖くて仕方なかったのだ。

 自分は人殺し。この事実が怖い。わき上がる罪の意識に、押し潰されそうになる。

 それは、慣れれば消えてしまう、感傷に過ぎないのかもしれない。しかし、敵を殺す事に躊躇しない兵士となるには、時間と経験が必要なのが事実だった。

 サイは、この人を殺したという重圧も、いつかは慣れて感じなくなるのだろうと考え……それはそれで、人としての大事な物が壊れている様な気がして、嫌悪の思いが湧く。

 それでも、サイは決めていた。

「フレイは僕が守るから。絶対に地球まで届けるよ」

 決意は曲がらない。例えこの事でフレイに嫌われてもかまわないと、サイは自信を持って言えた。フレイさえ生きていて、幸せになれるのなら、自分はどうなろうとかまわないと。

 フレイは、そんなサイを理解できなかった。

 もし仮に、戦争で自分が死ぬ事になっても、サイには安全なところで生き延びていて欲しかった。決して、危険な戦いになど出て欲しくはなかった。

「サイの馬鹿……馬鹿……」

 フレイは、言いながらベッドに座るサイに歩み寄り、その身体を抱きしめようとする。少しでもサイの存在を感じたかったのと、抱きしめて何処にも行かない事を確認したかったから。

 だが、サイは手を突き出す様にしてそれを拒んだ。

「フレイ。少し、一人にしておいて欲しい。今の僕は……君に触れる資格なんて無いんだ」

 

 

 

『こちらプトレマイオス基地通信管制。所属不明艦アークエンジェル、どうぞ』

「通信、つながりました」

 アークエンジェル艦橋、先ほどから超長距離通信を試みて苦労していた通信士が、安堵の混じった声でナタルに報告してきた。

 なお、所属不明艦と呼ばれたのは、アークエンジェルが秘匿されて開発されていた為、未だに連合軍に登録されていない事情による。とはいえ、民間船どころか、ZAFT艦からでも通信は出来るわけで、未登録である事はさほど障害にはならない。

「用意しておいた通信データを送ります」

 通信士は、事前に用意してあった、報告書、戦闘記録、救援要請などを一纏めにした物を送りつける。緊急かつ特秘指定。

『通信データを受け取りました』

 通信管制からの返答。送ったデータはこの後、幾つかの厳重なチェックを受けた後、正式な報告として扱われる事だろう。

「やっぱり、第8艦隊のハルバートン准将個人宛にした方が良かったんじゃない?」

 マリューが、今更ながらにナタルに聞いた。

 この報告がハルバートンにとって不利な事を知っているからこその配慮である。

 ナタルもその辺りは考えてはいたが、理由があって連合軍宛としていた。

「ですが、ザクレロは第8艦隊所属ではありません。他の部隊の兵器を勝手に使った上に、その事実を隠匿していたと疑われては、大問題になります」

 これが一つの理由。もう一つの理由は、保身の為。

 それは、さすがにクルーに教えるわけに行かないので、ナタルは黙っていた。

 すなわち……ハルバートンに情報を握りつぶされた場合、アークエンジェルは孤立無援となると言う事である。

 ハルバートンは、そのような事をする人間ではない。とは言え、MS全機が強奪されたという事件は、彼を持ってしても御しがたいほどに大きいだろう。

 ナタルの危惧は、それほど外れていなかった事が後で明らかとなる。

 一方、そんなナタルの深慮など知らずにマリューは。

「そっか~、ザクレロのせいじゃ仕方ないわよね。ハルバートン准将閣下も、ザクレロの為ならきっとわかってくれるわん」

 マリューは何故か親バカ全開で幸せそうだった。

 

 

 

「馬鹿な……一機残らずか!?」

 アークエンジェルよりもたらされた、連合製MSが全機奪取されたとの報告は、ハルバートン准将を凍り付かせた。プトレマイオス基地、第8艦隊司令部の奥。執務室の机についたまま、ハルバートンは氷水を浴びたかの様に身体を震わせる。

 その姿を見て僅かばかり気の毒に思いながら、連絡を持ってきた部下は、送られてきたデータの全てを執務机の上に置いた。

「報告では全機です。また、同時に届けられた戦闘記録に、ZAFTのMSと行動を共にする連合製MSの姿がありました。今のところ、報告を否定する材料はありません」

 幾枚かプリントアウトされた写真の中、一枚を資料の一番上に置く。そこには、ZAFTのジンと共に飛行する連合製MS5機の姿があった。ザクレロのカメラで捉えられたものだ。

 その写真をみて、ハルバートンは絶望に呻いた。

「これでは……MSを失っては、連合は負ける」

「……しかし、戦闘記録によりますと、新型MAはかなりの高性能を発揮したそうですが? アークエンジェルの脱出にも、大きな貢献を……」

「時代はMSに移ったのだ! 時代遅れのMAでは、この戦争には勝てない!」

 MAの話を持ち出した部下の言葉を遮り、ハルバートンは声を荒げた。

 連合がMSで武装する事が勝利の鍵となると信じていたハルバートンにとって、MSが失われた事は敗戦の予兆と捉えられたのである。それはハルバートンにとって確信であり、別の見方をすれば妄執と言えただろう。

「……新型MAの戦闘記録がありますが、御覧にはなりませんか?」

「軍産複合体ロゴスの御用聞き共が持ち込んだ、ガラクタに興味はないよ」

 部下に勧められたが、ハルバートンは戦闘記録を見ようともしなかった。

 そんなハルバートンを見て、部下は心中で「思い込みの激しい男だ」と、密かに見下す。

 英雄を欲した軍の広報には知将ハルバートンと呼ばれてはいるが、実際の評価はさほど高くない。特に、ハルバートンと対立する派閥の中では。

 戦術戦略ともに見る所無し。いや、昔は確かに知将だったのだが。

 酷くなったのはMSとの戦いを経験してからだ。MSを無敵の万能兵器と思い込んでいる節があり、MSを敵にすると攻撃が及び腰となる弱点が出来てしまっている。

 また、麾下の艦隊を私物と考える傾向が有った。思い込みの激しさと合わされば、艦隊特攻などでも喜んでしかねない。ハルバートンが死ぬ時は、艦隊全部を道連れにする事だろう。

 何にせよハルバートンは想定通りの男と言える。このままなら、想定を大きく外れた結果にはならないだろう。そんな事を考えている部下の前で、ハルバートンは結論を下した。

「ZAFTから、MSを取り返すしかない」

 もう、新しくMSの開発は出来ない。

 連合軍では、ハルバートン主導のMS開発と、ブルーコスモス派閥主導の新型MA開発の二つの方向から、次世代兵器の開発を行っていた。ここでハルバートンのMSが無くなれば、ブルーコスモスの新型MAが次世代兵器と決まるだろう。MSの開発は停止させられる。

 MSを復権させるには、奪われたMSを奪還して、当初の予定通り新型MAとの評価試験に持ち込むしかない。評価試験まで行けば、連合の技術の粋を集めたMSが、新型とはいえMAに負けるはずがない。少なくとも、ハルバートンはそう思っていた。

「第8艦隊に出撃命令だ。ヘリオポリスへ向かうぞ! ここで取り返さねば、連合の勝利は無くなる! MSをプラントに持ち帰られては手が出せなくなる。状況は一刻を争う!」

「……了解。直ちに、第8艦隊全部隊に出撃命令を通達します」

 部下は一礼して下がった。そして、ハルバートンの執務室を後にする。

 各艦に出撃準備をさせ、艦長や参謀を集めてハルバートンとの作戦会議を設定し……と、やる事はたくさんある。しかしその前に、部下は途中の通信端末に寄った。

 幾つかの特殊な操作をしてから、つながった通信の向こうに囁く。

「第8監視員。シナリオA-3。状況想定内」

 

 

 

 部屋の壁一面を占めるモニターに、ローラシア級モビルスーツ搭載艦に肉薄して、その手につけられたヒートナタで艦底を切り裂くザクレロの姿が映される。

 その映像を見た、部屋の中の連合兵士達は歓喜にどよめいた。

 部屋は会議室で、大型モニターの前に椅子が隙間無く並べられている。そこに座るのは、普通の兵士はむしろ少なく、技術者や科学者、MAパイロット、士官などが多い。

 彼らは、アークエンジェルがもたらした戦闘記録を何度も見返していた。

「我々の作ったザクレロの初陣の姿だ。感動するな」

 技術者らしき男が、喜色満面で言う。

「ザクレロは凄いが、パイロットがな……俺なら百倍は上手く動かせる」

「機体に振り回されてるよな、これ」

 MAパイロット達が、ザクレロの動きを批評しだす。

 ここに集まっていたのは、新型MAの開発に携わっている者達だった。

 やがて、戦闘記録をだいたい見終わった頃、映像に見入る者よりも、そこかしこで始まった議論に花を咲かせる者が増えてくる。

 と……そこへ、一人の士官が駆け込んできて、映像を切った。

「ここまでだ。さっさと退出して仕事へ戻れ! 続きを見たい者は各自申告しろ! それから士官は残れ。今後の対応を協議する!」

 声を上げる士官の顔には、口元以外を隠す仮面が付けられている。どうも、この部隊にとって、彼がそれをつけているのは異常では無いらしい。

 彼は、士官以外の全員が退出するのを確認すると、改めてその口を開いた。

「アークエンジェルからの連絡以降、幾つかの状況を想定してきたが、最も可能性が高い状況となる事が確実となった。ハルバートンは第8艦隊の出撃を選んだ」

 その言葉に、士官達は薄く嘲笑を浮かべて目配せしあう。

 想定された状況では今後、ハルバートンと第8艦隊は酷い目に遭う事だろう。こちらから手を出すわけではない。ハルバートンの自滅の様なものだ。

「第8艦隊はやり遂げますでしょうか?」

 手を挙げて聞いた士官に、仮面の男はどうでも良い事のように答える。

「可能性は極めて低い。我々ならやり遂げただろう。何年か前のハルバートンでも出来たかもだ。だが、今の奴はMS教でも開いて祈祷のダンスでもしてた方がましな男だ」

 その答えに、士官達は笑った。その笑いが静まってから、仮面の男は話を続ける。

「さて、我々の次の行動は、第8艦隊が忘れていった連中を回収する事だ。死にに行く艦隊に、新造艦と新型MAは不要だろうからな。では、今後の行動と作業分担について話し合おう」

 話が本題に入ったと悟って、士官達は姿勢を正す。

 とるべき行動は、多くが事務手続きについて。そして一部部隊の出撃を含んでいた。

 

 

 

 先の通信より一日経ったアークエンジェル。

 その艦橋で、ナタルは苛立ちを抑え込もうと努力していた。

 緊急で救援要請をしたにも関わらず、プトレマイオス基地からは何の音沙汰もないのである。

 通信士の報告は、ここしばらく何も変わらない。

「連絡は無し。こちらから連絡しましたが、指示無しです」

「同じ事しか言わないのね」

 訓練前に艦橋に寄ったマリューが、少し残念そうに言う。

 アークエンジェルは、状況的には“すっかり忘れ去られた”状態にあった。

 まず元より関係がなかった他の艦隊は関わる必要は無い。

 関係がある第8艦隊は出撃準備に忙しかった為、アークエンジェルは二の次としていた。

 第8艦隊も職務怠慢でいるわけではないので、出撃が終わり次第、留守を守る事務方から、アークエンジェルにも何らかの指示が出されただろう。

 だが、その前に、ある事情によって第8艦隊はアークエンジェルの管轄から離れていた。

 それは、突然鳴り響いた通信により明らかとなる。

『こちら、連合軍第81独立機動群。アークエンジェル、聞こえるか?』

「は……はい! こちらアークエンジェル、どうぞ!」

 いきなり艦橋に鳴り響いた声に、通信士が慌てて返答をする。それを半ば無視するように、通信は続いた。

『まずは脱出おめでとう。以降、アークエンジェルへの指示は、第81独立機動群が担当する』

 

 

 

 アークエンジェル艦橋。

 通信相手を映す大型モニターには、黒地を赤い線で彩った仮面で口元以外を隠した男が映っている。黒っぽく色が変えられているが連合の制服を着てるからには連合兵なのだろう。

 彼は、連合軍第81独立機動群を名乗っていた。

「第81独立機動群?」

 通信を聞いたナタルは、眉を寄せて首をかしげる。あまり聞かない名前だ。

 連合軍の派閥について通じていれば、それがブルーコスモス派閥の私設部隊に等しい存在だと知っていたのだろうが、そうでないならばその部隊は目立たない一部署に過ぎなかった。

 しかし、マリューはその名を知っていた。

「新型MAの開発と実用試験をしてる部隊よ。ヘリオポリスに、あのザクレロを持ってきたのもこの部隊」

 ザクレロの受領の時に聞いた部隊の名。それ以上の知識はない。

「それがどうして、この艦に……」

「多分だけど……アークエンジェルそのものよりも、ザクレロの方が重要性が大きいって見なされたんじゃないかしら? だから、ザクレロを十分に支援できる部隊が出てきた」

 疑問を口にするナタルに、推測に過ぎないがマリューが答える。

 ただ、その推測は外れてはいなかった。

 強襲機動特装艦アークエンジェルは新造艦ではあるが、その真価はMSを搭載して運用する事にあったと言っても過言ではない。だが、その価値はMSが強奪された事で失われている。

 今では、極めて強力な砲を積んでいるものの、ただの戦艦でしかない。

 一方、ザクレロの方の価値は失われていないばかりか重要度を増している。何せ、実戦運用されているわけで、得られるデータは後続の新型MAの運用や開発に役立つだろう。

 しかし、そのデータは、新型MAを開発している者の手に渡らない事には意味がない。

「なるほど有り得ますね……ともかく直接聞いてみます。通信をこちらに回して」

 ナタルは通信士に命ずると、艦長席のコンソールを操作して通信を行う手筈を整えた。そして、姿勢を正して毅然とした態度で通信に臨む。

「初めまして。艦長を代行しておりますナタル・バジルール少尉です」

『ああ、申し遅れたな。第81独立機動群ネオ・ロアノーク大佐だ。もっとも、あまり階級は気にしなくて良いがね。階級に似合わず、前線巡りばかりさせられている哀れな男だ』

 ネオ・ロアノークは、通信の向こうで苦笑して見せた。

 なお、このネオ・ロアノークという名は、第81独立機動群が彼に与えた偽名である。

 名前も顔もない人間。それが、ネオ・ロアノーク。

 もっとも、そんな事はアークエンジェルのクルーの知る由もない事であり、ネオ・ロアノークだと自己紹介されればそれを素直に受け取る以外にない。

 ナタルは、ネオに聞いた。

「ロアノーク大佐。許されますなら、詳しく事情を聞かせてもらいたいのですが? 何故、第81独立機動群が私達の担当に?」

『どうという事でも無い。我々はザクレロの開発部隊であり、君達に最も適切な支援を行える。そう判断したので、君達を第81独立機動群に引き込んだ。つまり、我々は君達を最大限支援する意思と能力を保有していると思ってくれて良い。安心したかね?』

 ネオの答えは、マリューの想像とほぼ一致する。そのことに、ナタルは安心した。

 ザクレロの運用データ取りが目的だとしても、それで手厚い支援を受けられるなら願ってもない事だ。放置されるよりは、ずっと良い。

「ありがとうございました。百万の援軍を得た思いです」

 礼を言うナタルに、ネオは満足そうに返した。

『その期待に応えよう。まず、暗礁宙域に移動してくれ。哨戒任務中のドレイク級宇宙護衛艦“ブラックビアード”がいる。まずはこれと合流しろ。補給と修理の用意をさせておく。次の指示は、合流する“ブラックビアード”から受け取ってくれ。以上だ』

 

 

 

 アークエンジェルとの通信を終えたネオだったが、通信室を出る事はかなわなかった。

「大佐、アズラエル氏から通信です。お待ちになってますよ」

 通信士がネオに告げたのは、今回の任務の大本となった男の名である。

 昨日、ムルタ・アズラエルは、ヘリオポリスで起こった驚くべき事件、連合MS強奪のニュースを聞いた後、第81独立機動群へ指示を出した。つまり、アークエンジェルを第81独立機動群傘下に入れる事と、可能な限りの支援を与える事を。

 本来、アークエンジェルに価値を見いだしているのは第8艦隊だけであり、第8艦隊が支援できない状況になればアークエンジェルは連合軍から見捨てられていた事だろう。

 しかし、アークエンジェルがザクレロを実戦運用していた事が状況を変えた。利用価値が出てきたのである。他ならぬ、軍産複合体ロゴスにとって。自社製品で戦果を上げているのだから、それを支援してもっと戦果を上げてもらおうとするのは当然の事だった。

 今日のこの通信は、任務の進展具合を確認する為の物だろう。

「ちょうど良いと言うべきか、せっかちだと言うべきかだな。まわしてくれ」

 ネオは通信士に答え、通信を回してもらう。

 直後に、ネオの前の通信モニターに、ムルタ・アズラエルの姿が映し出された。

 幸い、待たされた割には機嫌は悪くない様子で、とりあえずネオは安堵する。

「お待たせいたしました」

『いえ、良いんですよ。アークエンジェルと通信中だったそうですね……で、どうですか? アークエンジェルは手に入りそうですか?』

「順調です。そもそも障害となる要素もありませんからね。第8艦隊の奴ら、アークエンジェルの事などまるで忘れた様でしたよ」

 アズラエルは、現在の進展具合をネオに聞く。ネオは、どうと言う事もなく素直に答え……それから、気になっていた事を逆に聞き返してみた。

「しかし、よろしいのですか? アークエンジェルを新型MAの実戦試験部隊にするだなどと。彼らは、素人の寄せ集めですが」

 アズラエルからの指示を信じるなら、アークエンジェルを第81独立機動群に入れるのは、新型MAの実戦試験をさせる為だ。

 アークエンジェルという艦は良い。最新鋭の艦であるので、実戦試験のベースにするには十分だ。

 問題は乗っている人員。MAパイロットは、一人を除いて素人。艦長も素人。整備の人員が比較的揃ってるのが救いと思える程度だ。

 普通に考えれば、搭乗人員はそっくり入れ替えると思うのだが、アズラエルの指示を見るに、人員補充はあっても、今の人員を下ろすという事はない様だ。

 何故、素人を使うのか? それは当然の疑問である。

『素人だから良かったと言うべきですかね』

 アズラエルは、ネオの質問に苦笑しつつ答えた。

『その……マリュー・ラミアスですか? ザクレロのパイロット。昨日まで実戦を経験した事もないナチュラルが、ZAFTの英雄ラウ・ル・クルーゼ含むMS2機を撃破し、戦艦を中破させた。おかげさまで、この上なく新型MAの価値を高めてくれましたよ』

「ビギナーズラックだというのがこっちの評価ですけどね」

 戦闘記録を見たMAパイロット全員が、自分ならもっと上手く動かせると言っていた事を思い出しながらネオは言う。

 とは言え、あの無様な動きでも敵を倒せるのだから、逆にザクレロは凄いという評価にもなるのだが。

 アズラエルも、その辺りはふまえている様だった。

『運も実力の内です。それに戦果だけあれば、実力が無くとも、コマーシャルには十分ですしね。ついでに言ってしまえば、見栄えのする女性だというのも好都合でした』

「戦闘機にプレイメイトを添えるのは、今も昔も変わらないという事ですか」

 おっぱいのでかい美女が水着か何か気の利いた格好でメカに張り付いていれば、一部趣味の異なる連中を除いた大方の男達は喜ぶ。ネオだって、雑誌か何かのピンナップで見たなら、ちょっとトイレの個室にこもろうかと考えるくらいの元気はあるつもりだ。

 アズラエルの意図は、さすがにそこまで下卑たものではないだろうが、男の感性を突こうという点では根本は同じだろう。

 アズラエルは、平然とした風で言った。

『まあそんな所です。実戦試験と言うよりも、コマーシャル用のお祭り部隊のつもりで。商品を売る為にも、私は彼らをバックアップしますよ』



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シルバーウィンド襲撃

 シルバーウィンドは、途中、漂流中のMSシグーとパイロットを回収するというトラブルこそあったが、順調に暗礁宙域へと向かっている。

 そんな、シルバーウィンドのパーティホールの中、航海の安全を祈るという名目で、ラクス・クラインのコンサートが行われていた。

 船の外縁に位置するこの部屋は、船の外殻をスライドさせて開く事で、壁の一面を窓とすることが出来る。

 ラクスは星々の輝きと地球光の差すホールの中央に浮かび、スポットライトに照らし出されながら、歌声を紡ぎ出していた。

 一方聴衆は光に浮かび上がるラクスを取り囲む闇の中にいて、ホールのあちこちに浮かんで漂いながら、音一つたてず、身動き一つせず、ラクスの歌に聴き入っている。

 ラクスは歌いながら僅かに眉を顰めた。ホールの暗がりの中、シルエットでしか見えない漂う聴衆が、まるで生きていない物のように感じられて。

 いつからだろう。ラクスが、歌う事に違和感を感じ始めたのは。

 歌う事は好きだった。人々が、ラクスを歌姫と褒めそやすのも最初は気分が良かった。

 しかし……何かが違う。

 他の歌手の歌を聴いた時、人は感動を見せるものだ。激しい曲に熱狂し、悲しい調べに涙を流し、滑稽な詩に笑う。

 しかし、ラクスの歌は、死んだような無反応を呼ぶ。

 人々は他にあり得ない安らぎを感じているのだという。忘我の彼方に送られるような強い安らぎを。それ故の無反応なのだと。

 実際、歌が終われば人々はラクスを褒め称えて止まない。人々に強い安らぎを与える歌い手、ラクスこそ平和の歌姫だと。

 だが、その評価にラクス自身が疑問を持ち始めていた。

 自分の歌を録音して聞いた事がある。しかし、その歌は……ラクスからするとそんな安らぎを感じるものではなかった。下手ではないにせよ心を打つ所のない空虚な歌だとしか思えなかったのだ。

 それでも、人が喜ぶならと請われるままにラクスは歌う。歌姫の役割を果たす為に。

 只一人、光の中で歌うラクス。それを聞く者達は闇の中にいて、まるで人形の様に、まるで死者のように、意思無く漂っていた。

 

 

 

 同じ頃、シルバーウィンドの船内、灯が落とされて薄暗い倉庫ブロック。そこに、つなぎの作業服を着た少年が忍び込んでいた。

 手に工具箱と機械部品を持った少年は、周りに注意を払いながら倉庫の中を荷物伝いに飛び、奥を目指す。そこには、回収されたシグーが、ワイヤーで床に固定されていた。

 少年は迷わずにシグーにとりつき、慣れた様子で工具箱を開いて、メンテナンスハッチを開ける。シグーの修理を始める為に。

 本来、軍用機であるMSに、民間船の雇われメカニック見習いの少年が手を付けて良いはずがない。

 しかし、少年は、何時か軍に入ってメカニックになり、MSに触れる事を夢見ていた。

 壊れたMSを、動かせるようにしたい。自分の手で。

 その夢に触れるチャンスが目の前にある。少年の好奇心と、MSを修理してみたいという夢は、少年には抑える事が出来ない物であった。

 少年はメンテナンスハッチに上半身を突っ込んで、懐中電灯の小さな明かりを頼りに修理を続ける。

 シグーは、腰から下を全損しているが、上半身……つまり、今残っている部分はほぼ無傷。動作不調の原因は、下半身が失われた事に起因する。

 下半身を付け直す事など出来ないので、少年の施している修理は、破損している下半身を完全に切り離し、上半身だけでも正常に稼働させるというものだった。

「よし、これで……」

 最後の部品交換を終えて、少年は機械油に黒く汚れた顔に笑みを浮かべた。

 これで直ったはずだ。自分が、このMSを直したのだ。そんな、満足感が一気に湧き出してくる……

 と、その次の瞬間、少年の身体はメンテナンスハッチから乱暴に引きずり出されていた。

「こいつ!」

 怒声と同時に、少年の頬を熱い衝撃が襲う。殴られたと気付いた時には、少年の身体はシグーを離れ、倉庫の宙を漂っていた。

 少年は眼下に、厳つい作業着姿の壮年の男……メカニック主任の姿を見る。彼は、顔を怒りに赤くして宙を漂う少年を見上げていた。

「何を勝手に弄ってやがる!」

「ご……ごめんなさい!」

 反射的に謝る少年は、そのままどうする事も出来ないままに倉庫の中を飛んでいき、反対側の壁に背を打ち付けて呻く。

 そんな少年に、主任は側を漂っていた工具箱を拾って投げつけた。工具箱は少年の後を追うように飛び、思わず身体を縮ませて身をかばう少年から僅かに離れた壁に当たり、大きな音を上げてその中身を吐き出す。

「馬鹿野郎が! ガキが玩具にしていいもんじゃないってぐらい、わからねぇのか! そいつを片づけて、とっとと部屋に戻りやがれ!」

「は、はい!」

 少年は慌てて、宙に舞う工具を集めて工具箱に放り込み、壁を蹴って倉庫の外へと向かった。

 主任はその背を見送り、少年が倉庫の外へと出て行ったのを見届けてから溜息をつく。

「わからないわけじゃねぇがなぁ……厄介な事をしでかしてくれるぜ」

 このシグーは、軍に返さなければならない。その時、勝手に修理した跡があれば、問題になるに決まっている。

 どうしたものかと考えながら、主任はメンテナンスハッチを覗き込む。

「こいつは……へぇ、上手くやってやがる」

 修理跡を見て、主任の顔に笑顔が浮かんだ。

 修理は完璧に近い。まだまだ技は未熟であるが、やるべき事は全てやってある。

「将来が楽しみな奴なんだが……」

 主任の見立てが正しければ、少年はメカニックとして大成するだろう。

 だからこそ、今回のこの悪戯をどうしようかと、主任は頭を悩ませていた。

 

 

 

 暗礁宙域。地球周辺を漂う宇宙のゴミが、最終的に集まる場所である。

 宇宙の塵と言うべき大小の岩塊、コロニーや宇宙船から不法投棄された廃棄物、宇宙開発時代やコロニー建設期に出た膨大な廃材、かつての戦争で破壊された兵器の残骸、様々なデブリが重力の関係でここに集まって澱む。

 それは危険な障害物が多いという事であり、宇宙船の航行には不向きだった。しかし、隠れ潜むには絶好の場所とも言える。

 アークエンジェルは、無数に浮かぶ岩塊を避けながら、暗礁宙域深く進入した。

 そのアークエンジェルの艦橋の中は、緊張が支配している。

 操舵手のアーノルド・ノイマンは、アークエンジェルの巨体を操り、障害物に当てないように細心の注意を払っていた。

 また、索敵手のジャッキー・トノムラは、アークエンジェルの進路上に無数にあるデブリをレーダーで把握し、致命的な衝突が無いようにチェックする作業にかかっている。

 それを見守るナタル・バジルールも、緊張を隠せなかった。

 ナタルは連合軍第81独立機動群から命令を受け、アークエンジェルをここまで運んだ。そして、指示された邂逅の時間は迫っている。

 しかし、ここで迎えに会えなかったら? そんな不安が、ナタルの心中に渦巻いていた。

 このデブリの多い暗礁宙域で、自分達は見つけてもらえるのか? 敵の方が先に見つけたらどうするのか? そんな不安。

 だが、幸いにもその不安は、杞憂のままに終わった。

「通信、来ました。ドレイク級宇宙護衛艦“ブラックビアード”です」

 通信士がナタルに報告し、通信をそのままナタルに回す。

『時間通りだな』

 通信モニターに映ったのは、顔の下半分を髭で覆った野卑な印象の男。黒い士官服を胸元を大きく開けて着ており、軍紀など気にしてない様子がうかがえる。ついでとばかりに制帽に髑髏のバッジが付けられているのをナタルは確認した。

 少佐の階級章を付けていると言う事は、彼が艦長なのだろう。

「こちらは、アークエンジェル艦長、ナタル・バジルール……」

『挨拶はいい。話は聞いている。俺は艦長の……まあ、黒髭とでも名乗っておこうか。本名はそうだな、後でベッドの中で教えてやるよ』

 男……黒髭はそう言ってナタルの挨拶を遮る。そして、髭を手で弄びながら、大儀そうに話を続けた。

『さっそく、ねぐらに案内して……と言いたい所だが、そうもいかねぇ。獲物が見つかったんでな。まずは一仕事。後は、それからだ』

「そんな……話が違います!」

 合流すれば補給と修理が受けられると思っていたナタルは、思わず身を乗り出して抗議した。しかし、黒髭は小指で耳をほじりながらその抗議を聞き流す。

『わかるが、こちらも見逃せない獲物でね。安心しな、チョロいヤマだ。あんたらにも手伝って貰えば完璧だ』

「アークエンジェルは小破している上に、避難した民間人が乗って居るんですよ?」

 手伝えと言われて、ナタルは難色を示す。とは言え、この意見は聞いてももらえないだろうという予感はあった。

 その予感は、黒髭の次の言葉で現実となる。

『任務は、この暗礁宙域に入ったプラント船の臨検。アークエンジェルは周辺警戒。船には俺達が踏み込む。楽な仕事だろう? 嫌なら、ここで待っていてくれても良いが?』

「ここで……ですか?」

 ナタルは考えた。

 とりあえず、抗弁してどうにかなる状況では無さそうだ。

 戦闘には参加したくない。では、ここで待つのか? しかし、この不慣れな場所で、敵に怯えながら時間を過ごすのは避けたかった。

 少なくとも、任務に同行すればブラックビアードの支援下で活動は出来る。この暗礁宙域での活動に慣れているだろう艦の支援下で。

「……わかりました。任務に協力します」

 選択の余地無しと諦め、ナタルは任務への協力を了承した。

 それを聞き、黒髭の口髭が僅かに動いたのは、笑ったからなのかも知れない。

『助かる。こっちは海兵どもこそ売るほど居るが、MAは在庫切れなんでね』

 彼がそう言った次の瞬間、ジャッキー・トノムラが報告の声を上げた。

「左舷、小惑星群の陰から戦闘艦出現! ドレイク級宇宙護衛艦です! こんな近くにいたのに、発見できなかったなんて……」

 アークエンジェルのかなり近くに、ドレイク級宇宙護衛艦が姿を現していた。

 それまで発見出来なかったのは、暗礁宙域での隠密活動に長けているからで、特殊な装備がついているわけではない。

 黒色に塗られたその艦は、ついて来いとでも言うかのようにアークエンジェルの先に立って走り始める。

 ナタルは、その艦をメインモニターの中に見ながらアーノルド・ノイマンに命じた。

「あの艦に続け。これより、アークエンジェルはドレイク級宇宙護衛艦“ブラックビアード”を支援する」

 

 

 

『砲撃!』

「っ!」

 シミュレーターのシートの中、サイ・アーガイルはムゥ・ラ・フラガの声に従って引き金を引いた。

 モニターの中、照準の中にいたジンが身を捩る。破壊された様子が無いという事は、砲撃は外れたのだろう。

 しかし、その動きはまだモニター上に捉えている。サイは照準を再びジンに合わせ、もう一発撃とうとした。

『撃ったら移動しろ! もう一機、来てるぞ!』

 ムゥの声がコックピット内に響いく。その声の直後、レーダーに目をやったサイは、接近してくる別のジンに気付いた。

 接近されては、ミストラルでは太刀打ちできない。サイは慌てて、ジンから離れる用にミストラルを動かす。

『戦闘中は移動、砲撃、移動を繰り返せ! 動かずに撃つ奴は落とされるぞ!』

 ムゥの怒声を聞きながら、サイは移動をして接近中のジンに砲の照準を合わせていく。何度かの移動の後、サイはようやくジンを照準の中に捉えた。

「よし、落ちろ!」

 命中を確信する。だが、そこに警告音が響いた。

 モニターは動きを止め、ジンの攻撃によってサイのミストラルが撃破された事をメッセージで表示される。

 サイを撃ったのは、最初に砲撃を加えた後に逃したジンだった。もう一機に気をとられてるうちに、接近を許してしまったらしい。

『また死んだぞ! 戦場を広く見ろ。敵は一機じゃないんだ!』

 通信機越し、ムゥにまた叱られる。

 サイは、コックピットの中で肩を落とした。

 砲戦型改造機とは言え、ミストラルでジン複数機を相手にしろと言うこのミッションに、サイはずっと失敗し続けていた。

 撃墜をする必要はなく、一定時間、後方にある艦への接近を阻み続ければ良いというものなのだが、それでも難易度が高すぎる。

 ただ、それを指摘して言い訳をすると殴られる事は経験済み。『敵が、こちらの実力を考えて手加減してくれる筈はない』などと言われれば、もっともだと認めるしかなかった。

『もう一度だ。勝てるまで、休ませたりは……』

 スパルタな事を言うムゥの台詞が途中で止まった。

 そしてそのままムゥは黙り込む。おそらくは何かがあったのだろう。シミュレーターの中のサイには知る事は出来ないが。

『サイ、予定変更だ。シミュレーターを出ろ。パイロットはブリーフィングルームに集合だ』

「了解です」

 サイは言われるままにシミュレーターのハッチを開けた。

 外の光に一瞬、目を細めながら、サイはシミュレーターを出る。

 そこに待っていたムゥが、サイにタオルとドリンクのボトルを投げた。

 無重力の中、宙を漂って飛んできたそれをサイは受け取り、タオルは手に握り込んでまずはドリンクボトルから伸びたストローに口を付ける。

 渇いていた喉に、冷たいスポーツドリンクが流れ込んでくると、シミュレーター訓練の疲れが退いていく気がした。

「まだまだだな。マリューよりはマシだが」

「あー……そうなんですか?」

 ムゥの評価に一瞬落ち込みかけたが、マリューよりマシと言われてサイは顔を上げる。

 ムゥはすっかり苦り切った顔で言った。

「あのデカ顔をつかまえて、甘いマスクがどうとか言いやがるんだぞ? 聞いて、耳があった事を後悔したね、俺は」

「シミュレーターの評価じゃないんですか?」

 半ば呆れたような口調でサイは聞く。

 ムゥは、軽く肩をすくめると、さっさとブリーフィングルーム目指して移動を開始した。気付けば、ムゥは何かのファイルを手に持っている。訓練中断の理由はこれだろう。

 サイは、ドリンクのボトルを手に、タオルで汗を拭きながらムゥの後を追った。

 艦内の通路に入り、ガイドレールに掴まって飛ぶ二人。と、居住区への分かれ道にさしかかった所で、壁に背を預けて通路にたたずむフレイ・アルスターの姿が見えた。

 フレイは、両の手を背に隠した姿勢でサイに一瞬だけ目をやり、すぐにその視線を下へと落とす。

 サイは、フレイに話しかけようとしたが、フレイの動作を拒絶だととり黙り込んだ。

 ムゥとサイは、フレイの目の前を通り過ぎていく。

 やがて、フレイが見えなくなった後に、ムゥはサイに聞いた。

「彼女とは上手くないのか?」

「え? ええ、まあ……何もかも僕が勝手に決めた事ですから」

 サイは諦めすら感じられる笑みで答える。

 いっそフレイがサイから離れて行ってもかまわない。ただ、フレイを守る事が出来れば。サイはそんな思いさえ抱いていた。

 いつ死ぬかわからない兵士の自分が、いつまでもフレイの気持ちを縛るべきではないとさえも。

 そんな思いこそがフレイを傷つけていると、気付く事はない。

 フレイは、そんな思いを抱いてまで、戦って欲しくなど無いのだ。

 ムゥはその辺りを察していたが、口を挟むべきではないと判断していた。

 言うべき言葉がない。フレイに、サイを戦場には出さないなどと約束する事は出来ないし、婚約者を諦めろとフレイに言う事も出来ないのだから。

「まあ……婚約者がいきなり戦場に出て、それで驚かない奴も居ないさ。きっと、その内わかってくれるよ」

 当たり障りのない事をムゥは言っておく。二人がわかりあった結果、二人がどうなるのかは想像出来ない……無責任な話だ。

 ただ、今の二人の関係が硬直するのは良くないと思った。

 何か、少なくとも話し合う切っ掛け位は必要だろう。

「そうだ、サイ・アーガイル。お前に特別任務を与える!」

「はい!」

 ムゥがいきなり声を上げたのに、サイは思わず声を大きくして返事する。

 そんなサイに、ムゥは大真面目に言い放った。

「彼女から、お守りを貰ってこい」

「え? お守り……ですか?」

 理解してないらしく、サイは首をかしげる。

 まあ確かに、一般人の知る事ではないし、ましてや相手はまだまだ子供だ。

「ん? ああ、知らないのか。彼女のな、その……あそこの……毛をだな。乙女だと効果が高いぞ。タマに当たらないなんつってな」

 ムゥはサイに良からぬ事を囁いた。サイの顔が、みるみるうちに紅潮していく。

「な……何を!? そんな事、出来るわけ無いじゃないですか!」

「命令だ、命令。やらなかったら、命令不服従で独房に入れる!」

「横暴ですよ!」

 上官命令だと言い切るムゥに、サイは必死で抗弁する。

 二人はそのまま、ブリーフィングルームに入っていった。

「……っ!」

 通路の向こうに消えていくサイを見送った後、フレイは後ろ手に持って隠していたドリンクボトルとタオルを、床に向けて乱暴に投げつける。

 ドリンクボトルは床に当たって跳ね上がり、タオルの方は床に着く前に勢いを無くしてゆっくりと漂った。

「……何やってるのよ、私」

 投げた反動で天井近くまで浮かび上がりながら、フレイは悔しげに呟く。

 本当は話がしたかった。ドリンクとタオルを差し入れて、少し話をして……

 それだけの事だったのに、フレイは何もする事が出来なかった。

「サイが……悪いのよ。勝手に、軍隊なんかに入っちゃうから!」

 苛立ちをサイにぶつけてみる。

 だが、それが間違っている事はフレイ自身ですら理解していた。

 

 

 

 ブリーフィングルームには、先に来ていたマリュー・ラミアスが会議机についていた。

 彼女は、眠そうに目をショボショボさせながら、手にしたドリンクパックを揉んで中の黒い液体を掻き混ぜている。

 その泥水さながらの液体……スペシャルブレンドと揶揄される、超濃い口のコーヒーを毒でも煽るみたいに一息で飲み干し、マリューは死にそうな表情を浮かべた。

 そんなマリューを見ながら、サイとムゥは会議机に座る。

「……サイくん、調子はどぉ?」

 スペシャルブレンドを胃の中に納めきったマリューは、会議机の向こうから微笑みかけた。

「大丈夫です」

「そう。良かった。私の方はダメかも。眠ってから、一時間で起こされたのよ?」

 緊張しながらも答えたサイに、マリューは安堵して見せた後、不満を並べ始める。

 軽口で緊張をほぐそうとしてくれているのだとサイは好意的に受け取っておくことにしたが、本当に愚痴をこぼしたかっただけの可能性は否定出来なかった。

「寝不足で肌が荒れるわ、コーヒーで胃が荒れるわ、もう大変な勢いで……」

「マリュー大尉。無駄話はそこまでにしておこう」

 ムゥが、滔々と流れ始めたマリューの愚痴を止める。

「任務を通達する。これよりアークエンジェルは、別任務にあたる僚艦ブラックビアードの支援を行う。資料を渡すから軽く見ておけ」

 言いながらムゥは、ファイルから紙を一枚取り出してマリューとサイに渡した。

「ブラックビアードの任務は、ユニウスセブンでの追悼式典に参加する政府要人を乗せていると思われる、このシルバーウィンドの臨検。となってるが、実際は拿捕するつもりだろう」

 政府要人なんて獲物を、臨検してそのまま素通しなどするはずもない。

「船足を止め、まずはランチに乗った海兵隊が移乗する。海兵隊が抵抗を排除したら、ブラックビアードはシルバーウィンドに接舷し、本格的に内部の臨検を始める」

 ムゥは話を一度切り、マリューとサイにこれからが重要だと無言で示してから、再び話し始めた。

「俺は海兵隊の乗るランチを護衛する。ラミアス大尉はシルバーウィンドに接近して待機。敵の抵抗があったら排除して貰う。サイは、アークエンジェルの直掩と、俺達への後方支援だ。何か質問はあるか?」

「ねぇ、この攻撃目標のシルバーウィンドって船、船種が客船になってるけど? まさか、軍艦じゃなくて民間船? 民間船への攻撃なんて……」

 マリューはシルバーウィンドの資料を指し示しつつ、非難がましく聞いた。

 そんなマリューに、ムゥは何言ってるんだとでも言わんばかりに呆れた口調で返す。

「通商破壊工作とかじゃ民間船でも容赦なく……いや、今回は要人誘拐か? 何にせよ、軍事作戦としては珍しくはない。主に特殊部隊の管轄だが、一般部隊でもやる事だ」

 要人を捕獲して、敵の政治活動を阻害したり、交渉材料として利用したりといった事は、軍事作戦の一種として普通に有り得る。

 ただ、そういった事があまり行われないのは、要人は大概の場合、敵に厚く守られた本国にいて手の届く所に出てこないからだ。

 逆に、敵の要人が手の届く所にいる場合には、積極的に行われた事ですらある。

「卑怯だわそんなの」

 マリューは嫌そうに眉を顰めて言葉を漏らす。マリューは、搦め手を嫌い、真正面から戦闘を挑みたがる性分であり、悪く言うと正義の味方ごっこがしたい軍人であった。

 しかし、嫌だからと言って命令を拒否出来るはずもない。

「命令だ。納得いかなくても飛んでもらう。面倒はかけさせるなよ。パイロットを抗命なんぞで営倉に放り込んで遊ばせてる暇なんて無いんだ」

 すかさず、ムゥが釘を刺した。それを受け、マリューは少しだけムゥから視線を外し、それからムゥを見返すと吐き出すように言った。

「わかっております、フラガ隊長」

「結構だ。サイも良いな?」

 ムゥは頷き、そしてサイを一瞥する。それに答えて、サイははっきりと言った。

「はい。僕も軍人です、命令はこなして見せます」

「よく言った、サイ・アーガイル准尉」

 サイの返事を受けてムゥは口端に笑みを乗せ、サイを階級付けきで呼んだ。

「え? 准尉って僕がですか?」

 階級がついた事に嬉しさを感じ、笑顔を浮かべようとするサイに、ムゥは意地悪げな笑みに顔を歪めて、冷たい声で言う。

「ああ、戦時任官だ。これからお前にぶら下がる、責任の重さって奴さ。階級は飾りじゃない……常に、階級と相応の結果を求められる」

 学ばなければならない。階級とは、つきまとう責任の表れであり、見栄を張る為の装飾ではないのだという事を。

 しかし、ここまで言ってからムゥは表情を緩めた。

「と、脅かしすぎるのもなんだな。お前はまだ准尉、パイロットとしては下の下だ。まだ、周りに頼る位のつもりでいろ」

「は……はい」

 サイが複雑な表情で頷く。ムゥの言葉に気圧されているのが見て取れた。

 そんなサイをそのままに、ムゥはサイとマリューに言う。

「話がそれたな。任務について他に質問は無いか? 無いなら、格納庫へ移動しよう。各自、機体に搭乗して作戦開始まで待機する」

 

 

 

『これより、アークエンジェルは戦闘行動に入ります。危険ですので、避難民の皆さんは部屋からでないようにしてください』

 アークエンジェル内に放送が行われる。

 フレイはそれを、避難民に与えられている居住区の一室で聞いた。

 一般兵士用の大部屋だったそこは、天井まで届く大きさの無機質な三段ベッドがぎっしりと並べられているだけの場所で、生活するには窮屈な場所である。元々、兵士達が寝る為だけに利用する部屋なので、居住性は切り捨てられているのだ。

 そこに暮らす避難民達は、非難生活の今、こんな生活であっても仕方がないとは思っていても、ストレスが溜まる事はどうしようもなかった。

 今、避難民達は不安そうに顔を見合わせ、どうして早く地球を目指さないのかと不満を口にしている。

 不満の原因は一つとして、誰も現状がどうなっているのかを知る術がない事があった。

 時々状況説明はあるが、連合軍との合流の為に鋭意努力中といった説明にもならない事ばかりである。しかし、軍事行動である艦の動向を、民間人に教えるはずもない。

 正しい情報が与えられない事は人を不安にし、不安は人を苦しめる。

 フレイもまた、ベッドに横たわりながら、その苦しみに耐えていた。

 毛布と身体をベッドに固定するバンドに締め付けられるよりつよく、胸の中が押し潰されるような感覚に、フレイは身を赤ん坊のように縮こまらせて震える。

 戦闘が始まるという。そして、おそらくはサイも出撃するのだろう。

 今この瞬間、そして次の瞬間、サイは敵に殺されてしまうかもしれない。いや、フレイが知らないだけで、既に死んでいるのかもしれない。

 自分の知らない所で大事な人が死んでしまう。それを恐れる心が、フレイを狂わさんばかりに責め苛んでいた。

「サイ……死なないで」

 呟く祈りは、サイに届く事はない。

 

 

 

 パイロット控え室でヘルメットを手に入れてから格納庫に入り、サイは与えられた自機に向かって飛んだ。

 ミストラルなのは変わりない。しかし、その頭頂部に一門の砲が取り付けられている。

 M69 バルルス改特火重粒子砲。先の戦いで撃墜したジンが使っていた銃を、メカニック達がミストラルの武装強化の為に取り付けたのだ。

 他、有線誘導対艦ミサイルが四基、機関砲二門が武装の全て。先の出撃の時と違い、それなりの時間をかけて改造されているが、MSと真正面から戦える物ではない。

 砲戦型ミストラル改。不格好だが、これだけがサイの武器だった。

 サイはハッチを開け、コックピットに身を沈める。そして、ヘルメットを装着した。

 これで二度目の出撃となる。でも慣れはしない。戦場へ出る事は恐ろしくてたまらなかった。

 湧き出してくる恐怖を鎮めようと、サイは出来る限り別な事を考えようとする。

 シミュレーションの事を思い返し……敵にやられた事ばかりを思い出して不安がふくれあがり、慌てて頭を切り換えて次はムゥの指導を一つ一つ思い返していく。

 と、サイは関係のない事を思い出した。

「……お守りかぁ」

 効くのだろうか? 効くのなら、一つ位欲しいなぁと。

 しかし、その入手方法を思い返して、サイは顔を朱に染めて両手で頭を抱え込んだ。

「いや、そんなのどうしようもないじゃないか! どうやってもらうんだよ!」

『あら、お守りが欲しいの?』

 不意に、通信機から声が聞こえる。

 顔を上げたサイの前、通信モニターにマリューが映り、手を振っていた。

『お守りってアレでしょ? フラガ大尉ね、そんなの吹き込んだの』

「な……いっや、その!」

 変な発言を聞かれて狼狽するサイに、マリューは朗らかに笑ってみせる。

『こんなんで慌てちゃって可愛いじゃなぁい。お姉さんので良かったらあげよっか?』

「ええっ!? いえ、その、結構です!」

 慌てて断ったサイに、マリューの笑みは悪戯っぽく歪んだ。

『あ、やっぱり恋人の方がいっかぁ。そうよねぇ』

「からかわないでください!」

 サイが声を上げた直後、マリューの表情は優しいものへと変わる。

『元気良いじゃない。それだけ元気なら、お守りなんて無くても平気よ。それに、そのミストラルは、メカニックみんなと私が腕によりをかけたんだから……信じて頑張るの。いいわね?』

 言うだけ言って、マリューは一方的に通信を切った。

 サイは何も映さないモニターを見つめ、マリューは自分を激励しようとしていたのだと悟る。

 お礼でも言おうかと、サイは通信を送ろうとした。しかし、それよりも一瞬早く、艦橋からの通信がつながる。

『目標発見。待機中のパイロットは出撃準備に入ってください』

「……了解」

 サイは操縦桿を固く握りしめ、再びせり上がってきた恐怖と不安を、湧き出してきた唾と一緒に飲み込んだ。

 

 

 

 暗礁宙域外縁。ローラシア級モビルスーツ搭載艦が、ゆっくりとその船首を暗礁宙域に向け、その中へと進んでいった。

 目的は通常の哨戒任務であるが、今回はシルバーウィンドの安否確認も含まれている。

 動かしているのがコーディネーターであろうと、暗礁宙域の危険さは変わりない。その為、航行は慎重な物となる。

 その為、艦のMSカタパルトでは、ジン二機とジン長距離強行偵察複座型が一機が出撃準備に取りかかっていた。

 偵察型ジンの任務は、艦に先行して障害や敵の存在を探る事。他のジンは、偵察型ジンの護衛とサポートである。

「隊長、シルバーウィンドにはラクス・クラインが乗ってるそうですよ」

 偵察型ジンのコックピットで、偵察小隊の隊長は、背後の席に座る情報収集要員の部下の言葉を聞いていた。

「そうか、サインもらえると良いな」

「ははっ、そうですね」

 隊長の言葉に、部下は笑う。降りてどうこうするわけではないので、ラクスのサインなんてもらえるわけもないという事はわかりきっていた。

『良いな。俺も欲しいですよ』

『ラクス様は俺の嫁だ。お前、恋人居るから良いだろうが』

「いや、もらえるわけ無いし、そもそもお前の嫁って無いから」

 仲間のジンから通信が入る。それに対して、部下が混ぜっ返しているのを聞いて、隊長は大いに笑った。

「はははっ! おいおい、そんな事より、お前ら周辺警戒を怠るなよ。デブリにぶち当たったり、敵の奇襲を受けたんじゃあ、サインどころじゃなくなる」

 今はまだ暗礁宙域とはいえ、浅い場所なのでデブリはそう多くない。しかし、もっと深部へ進むと、デブリはその量を増してくる。危険になるのはそれからだ。

 隊長もそう考えていた。そしてそれは油断だったと、すぐに思い知らされる事になる。

 その時、艦が、コロニーの外壁だったとおぼしき大型のデブリの横を通過した。

 直後、そのデブリに仕掛けられた爆薬が炸裂し、デブリを巨大な散弾に変えて、艦に叩きつける。

 同時に、デブリの背後に隠れて設置されていたミサイル衛星が、対艦ミサイルを射出した。

 デブリの破片が突き刺さり、あるいは衝突の衝撃に装甲が打ち砕かれ、歪められ、軋み出す艦に、追い打ちの対艦ミサイルが幾本も突き刺さり、爆発する。

 艦は一瞬のうちに炎に包まれていった……

 

 

 

 ブラックビアードの艦橋に、小さく音が鳴った。

 艦長である黒髭の手元のコンソールに、仕掛けたトラップが発動した事が記されている。

 戦果の確認は出来ないが、あれだけのトラップなら、相応の被害は受けただろう。最悪、シルバーウィンド襲撃の間だけでも、時間が稼げればいい。

 艦橋のモニターには、獲物のシルバーウィンドが映し出されていた。

 黒髭は、顔の半ばを覆う髭の中で確かに笑み、通信機を手に取る。そして、艦内の全員に向けて指示を下した。

「良いか野郎共、聞け。抵抗する奴は殺せ。降伏する奴は、全員引っ張ってこい。金目の物はもちろん、役に立ちそうな物は全部奪え。書類、写真、記録媒体は全部回収だ。鼻紙に見えても、字が書いてあったら拾ってこい。良いな。いつも通りだ!」

 艦内各所から、了解した旨の返答が返る。

 黒髭は満足げに頷いてから、大きく息を吸い込み、今まで異常の大声で言いはなった。

「かかれ野郎共!!」

 

 

 

『直ちに停船し、臨検を受け入れよ。従わない場合は撃沈する』

 シルバーウィンドの船橋は、突然送られてきた通信に動揺していた。

「連合艦に見つかったか……」

 船長は悔しげに船橋の大型モニターを見やる。

 そこには、デブリの陰から進出してくるブラックビアードとアークエンジェルの姿が映し出されていた。その砲は全て、シルバーウィンドに向けられている。

「ZAFTの救援は呼べないか?」

「通信妨害です。救難信号を打てません!」

 まだ若い女性の通信員が、絶望を露わにしながら船長の問いに答えた。

 ニュートロンジャマーの影響で通信が不確かな事に加え、連合艦からの通信妨害もある。民間用の通信機では限界があった。

「連合艦より再度通信! 停船を命じています!」

 通信員の泣きそうな声に、船長は苛立たしげに答える。

「出来るか! この船には、プラントのVIPが乗って居るんだぞ!」

 臨検などという言葉を正直に信じる事など出来るはずもない。乗客の安全を守るという立場に立った時、臨検を受け入れる事は出来なかった。

 しかし、抵抗のしようがない事も事実。

 悩む船長の思考を、レーダー手の声が止めた。

「連合のMAが接近! 正面に回り込まれます!」

「まさか攻撃する気か!? 映像を出せ!」

 船長はとっさに命じる。

 直後、船橋のメインモニターには、ザクレロの顔が大写しに映し出された。

 獰猛な魔獣を思わせる顔。牙に縁取られた口が威嚇し、鋭い目が睨み据える。船橋は恐怖に凍り付く。

 船長は視界の端で、通信員が声もなく気絶したのを見た。

 操舵士も、レーダー手も、他のクルーも、誰もが恐怖に凍り付いて声が出ない。

 船長は、遙か昔の大海原で海の魔獣と出会った船の話を思い出し、自分が同じ話の主人公になった事を悟った。

 ……主人公? いや、船は魔獣に呑み込まれるものだ。為す術もなく。主人公は、魔獣そのものに他ならない。

「て……停船だ。船を止めろ」

 船長は震える声で、やっとそれだけを言った。

 

 

 

 暗礁宙域。

 民間船シルバーウィンドは、連合艦の臨検を受けていた。

 臨検を行っているのはアークエンジェル。そして、ドレイク級宇宙護衛艦“ブラックビアード”。その意は“黒髭”であり、海賊の名を冠した船である。当然、その任務の内容も推して知れた。

 ムゥ・ラ・フラガの駆るメビウスゼロの援護の下、ブラックビアードから発進したスペースランチがシルバーウィンドに接近していく。

 接すれば、シルバーウィンドの大きさに比して、ランチはあまりにも小さい。シルバーウィンドの外殻に一滴の影を落としながら、ランチは滑る様にシルバーウィンドの表面を移動していく。

 そして、宇宙港で乗員乗客の乗り降りに使われる搭乗口に寄せると、そこでランチは動きを止めた。と……搭乗口のハッチよりも一回り以上大きい移乗チューブがランチから伸び、ハッチを覆う様にしてシルバーウィンドの外殻に貼り付く。

 まず、移乗チューブの中で機械のアームが動き、ハッチに指向性爆薬の箱を貼り付けた。箱は搭乗口とほぼ同じ大きさがあり、ハッチをほとんど覆ってしまっている。

 そしてアームが離れた後に爆破。一瞬、箱とハッチの隙間が光り、ハッチの周りから黒煙が溢れる。

 アームが再び伸びて、ハッチを掴んで引く。ハッチは簡単にもげ落ちて、その中をさらけ出した。

 ハッチの向こうはエアロックなのだが、ハッチを貫通してきた燃焼ガスによる爆風が荒れ狂った為に滅茶苦茶に破壊されており、奥にもう一つあるハッチも奥にめり込む様にして壊れている。

 奥のハッチからは船内の空気が流入し、エアロック内に溜まっていた黒煙を移乗チューブ内に猛烈な勢いで流し込んでいた。

 ややあって、移乗チューブ内に空気が満たされると、アームが再び動き出す。今度は、アームが奥のハッチを乱暴に突いた。

 ハッチは船内側に倒れ、船内への道が通じる。

 そして、アームは内蔵されたカメラで、船内の様子を確認した。敵の待ち伏せがあったなら、アームに機銃なり爆薬なりを使わせて排除するのだが、その場に敵はいない。

 敵の抵抗無し。その情報は、ランチの中で待つ海兵達に伝えられる。

 ランチの中では、移乗チューブへ繋がるエアロックの前に海兵達が集まっていた。

 身じろぎも出来ないほどに密集してはいるが、時が来れば一斉に動けるよう全員が整然と並んでおり、素早く敵船の内部に突入できるように移乗チューブへ繋がるガイドレールを各々しっかり握っている。

 中の安全が確認された段階で、ランチのエアロックが解放された。

『GO! GO! GO! GO! GO!!』

 ランチの司令部より、突入を促す号令。直後、雄叫びを上げ、ガイドレールにすっ飛ばされる様にしながら、海兵達が次々にシルバーウィンド船内に突入していく。

 エアロックの向こうはロビーになっており、若干広い空間が広がっている。

 奥の壁際には無人の案内カウンターがあった。迎撃があるならば、カウンターは絶好の遮蔽物となる為、突入した海兵達はまずそこに飛び込んでいく。

「クリアー!」

 敵兵の姿無し。一番最初にカウンターの向こうへ飛び込んだ海兵が声を上げた。残る海兵達もまずはそこに飛び込んで、カウンターを盾にしながら周囲に銃と視線を向ける。

 そして一人の海兵が、このロビー全体を見渡せる位置の壁に設置されている、半球状をした黒く透けたプラスチックの小さなドームを見つけた。

 海兵は躊躇せずにそれにアサルトライフルを向け、引き金を引く。同時に三発の銃声が響き、ドームが砕け、中に隠れていた監視カメラもまた砕けた。

 他に撃つべき物は見当たらない。案内カウンターに橋頭堡の確保に成功。

 案内カウンターに入った海兵達は、そこを拠点に定めてとどまる。

 残りの海兵達は、ロビーから伸びる幾つもの通路の中から自分が進むべき道を選び、ガイドレールと背中に背負ったパーソナルジェットを使って進んでいった。

『アルファは艦橋を制圧! ブラボーは船室! チャーリーは機関室を制圧しろ! エコーは待機しランチを守れ!』

 海兵達に命令が再び出されて確認される。その命令に従い、海兵達は一隊三十二人ずつに別れ、船内各所に向けて移動を開始した。

 

 

 

 ランチから船内突入成功との報告を受け、ブラックビアードはシルバーウィンドに接近を始めた。

 船内の制圧が終わった後に、ブラックビアード自体がシルバーウィンドに接舷するのだ。そうして直接行き来が出来る様にして、中の物を洗いざらい奪う。

 ランチでちまちまやりとりするするよりも効率が良いが、敵船に接舷する事は危険を伴うし、接舷中はブラックビアードも移動できなくなるため外から来る敵に対しても対応が難しくなる。

 アークエンジェルは、ブラックビアードを守る為に周囲へ監視の目を光らせていた。

 アークエンジェルの直掩は砲戦型に改造されたミストラルだけというお粗末さだが、それでも与えられた仕事はしなければならない。

 そんな警戒態勢のアークエンジェルの中、避難民達を収容した大部屋で自分にあてがわれたベッドの中にいたフレイ・アルスターは、内心に押し寄せる不安と戦っていた。

 今、アークエンジェルを守っているミストラルには、フィアンセのサイ・アーガイルが乗っているのだ。

 前の戦いの時には知らなかった。しかし、今は知ってしまっている。

 サイが戦いに出ている……しかも、自分を守る為にと。

 戦うという事は、死ぬ事も有り得るという事。それに気付かないまま騎士に守られるお姫様の気分に浸れるほどフレイは幼くはなかった。

 今、恐れる事は、サイが死んでしまう事。それも、フレイが何も出来ずにベッドの上で転がっている間に、フレイの知らない場所で死んでいく事。

 フレイだって、このアークエンジェルが落とされれば終わりなのだから、死ぬ時は一緒となる可能性は高い。あくまでも今のところは。

 しかし、サイは志願して入隊してしまったのだ。フレイ達避難民とは違う。

 フレイがこのアークエンジェルを離れても、サイは戦いを続けなければならないだろう。そして、フレイが地球で暮らし始めた後、ある日届く一通の手紙でサイの死を知るのだ。

 フレイは、サイが何時何処で誰と戦って死んだのかも知らないまま生きる事だろう。

「嫌よ……そんなの!」

 フレイは身体を固定するバンドを乱暴に外すと、ベッドを蹴って飛び立った。

 そのまま部屋の出口に向かい、自動ドアが開くと同時に外へ飛び出す。

「ちょ……戦闘中は危険なので、部屋に戻って!」

 部屋の外で歩哨に立っていた兵士が、フレイを押し止めた。フレイはその兵士に向けて、苛立った声を上げる。

「入隊志願書を持ってきて!」

「え? 何を……」

 フレイは、戸惑っている兵士に向けてはっきりと言いなおす。

「連合軍への入隊志願書を持ってきてください。私、志願します!」

 何も知る事が出来ない立場にいるのが嫌なら、知る事が出来る立場になればいい。

 フレイの下した判断は論理的に正しくはあったが、フレイ自身にもわかるくらいに愚かな行動だった。自分から、危険な戦いの中に身を投げ出すなど……

 それでも、ベッドの中で恐怖に耐えながら待つ事など出来るはずもない。

 フレイは、自分に言い聞かせるように呟く。

「何も出来ないままなんて嫌なの」

 

 

 

 船橋の窓には、それを完全に塞ぐ様にザクレロの顔があった。

 最初はその凶相に取り乱した船橋のクルー達も、今では落ち着きを取り戻しつつある。

 とは言え、顔に慣れたとしても、敵の兵器が目の前を塞いでいる状況には慣れる事など出来ず、クルー達は不安の色を隠せないで居る。

 船長もまた、重苦しく迫ってくる恐怖感に耐えながら、船橋に立ち続けていた。

 と……船橋に満ちる沈黙を破り、船長の手元でインターホンが鳴る。

「私だ」

『警備室です。船内に連合兵が侵入したのを確認しました』

 警備室では、艦内の各所を監視している。海兵の突入は、既に知る所となっていた。

 船長は緊張した表情を少し苦悩に歪め、それから答える。

「わかった。乗客の安全を第一に、気を付けて対応してくれ。抵抗は……するな」

『……わかりました』

 抵抗をしても無意味だと判断し、船長は警備員達に抵抗を禁じた。

 警備員の声に無念さが滲む。彼らはナチュラルの無法を許す事が許せず、警備員達は船長に抗戦を訴えていたのだ。だが、それは受け入れられなかった。

 警備員は、拳銃程度の武装ならしている。しかし、それで海兵達と戦えるかどうかは疑問だ。コーディネーターが身体能力で勝っていようとも、それは武装や訓練の質、数の差を覆せる物ではない。

 それに、仮に船内での戦いに勝って海兵達を殲滅出来たとしても、外には敵のMAや戦艦がいるのだ。船ごと沈められる事が目に見えている。

 つまり、出来るだけ音便に事をすませ、早急に帰って貰う以外にとれる手はない。

 船長は意を決し、船橋のクルー達に行った。

「……さて、私は彼らを出迎えに行く。君らは自分の仕事を全うするんだ。もし連合兵から何か指示があったら従うように。無駄な抵抗はするな」

 その指示に返ったのは、無念さや不安、あるいはナチュラルに屈した船長への侮蔑。

 何でも構わない。今は、この状況を乗り越える時だ。

 船長はそう自分を納得させながら、船長席を蹴って宙を飛び、船橋の外へと通じるドアへと向かった。

 

 

 

 海兵達は進む。通路を飛び抜けて。

 ブラボーと呼ばれた小隊が向かったのは、乗客達がいる区画だった。

 しかし、彼らが先に訪れたのは、イベントなどで使われるパーティホール。以前、ラクス・クラインのコンサートが開かれた場所だった。

 そこは十分な広さを持っている。乗客やスタッフを一時的に入れておく檻として。

 海兵達は無人だったそこを確保した後、一分隊十名を残してホールを出て行く。

 残された海兵達は、持ってきた道具の中からバーナーをとりだし、一つを残し全てのドアを溶接し始めた。檻に、扉は一つで十分だ。

 残りの海兵達は、ホールへと通じる通路上の要所に二人ずつを残していって更に一分隊を消費し、最終的に一分隊十人が客室の並ぶ場所に入る。

 先頭の海兵に、通路に溜まる乗客達の姿が見えた。彼らは、その制服からして警備員であろう若い男に詰め寄っている。

「連合兵が入ってきたと言うじゃないか! 早く、脱出ポッドに連れて行け!」

「このまま殺されるのを待てと言うの!?」

 乗客達は男も女も関係なく、早く自分達を逃がせと、焦りと恐怖、苛立ちと怒り、様々な感情をむき出しにして警備員に詰め寄る。

 しかし、臨検の最中に乗客を脱出させた等という事になれば、確実に連合軍の怒りを買う事になるだろう。返って危険な事になるかも知れない。

 故に、警備員は乗客達をなだめようとしていた。

「落ち着いてください! 外にはMAも居るんです。脱出ポッドを使っても逃げられるかどうか……」

 警備員は言いかけて気付く。接近してくる連合の戦闘宇宙服の集団に。

 そして、警備員の言葉が途切れた事を切っ掛けに、他の乗客達も次々に同じものに気付いていった。

「う……うわ!? きた! きたぁ!」

「きゃああああああああっ! 連合よ! ナチュラルよ!」

 高価なスーツを着た中年男が、だらしない悲鳴を上げる。豪華なドレスに太めの身体を押し込んだ婦人が金切り声を上げて、自分の身体を抱きしめる。

「落ち着いてください! 安全になるまで、部屋で待機してください!」

 声を上げたのは、まだ若い警備員だった。彼は乗客達を押しのけて海兵達の前に出た後、抵抗の意思がない事を示す為に手を挙げる。

 警備員の背後、乗客達は思い思いに逃げ出し、各々の部屋の中に飛び込むようにして姿を消していった。

 海兵隊はそれら一部始終を銃の照準の中に捉えており、可能だったにもかかわらず撃つ事はせず、そのまま距離を詰めていく。

 ややあって、警備員の側まで銃を向けつつ通路を飛んできた海兵達の中、分隊長たる曹長が前に出て警備員に声をかけた。

「乗客は全員、客室の中か?」

「……はい。その、抵抗はしませんから、お客様に危害は加えないで……ぐぁ!?」

 返事の後、乗客達の安全を約束して欲しいと言いかけた警備員を、曹長はすかさずアサルトライフルの台尻で殴りつける。

 身体を回すようにして振り下ろされた銃の台尻に頬の辺りを打たれ、警備員は通路の壁に身体を打ち付けた。苦痛の声を上げる口からは、血の滴が吐き出される。

「余計な事は言うな。抵抗したら殺すだけだ。わかったか? わかったら、『はい、ナチュラル様』とでも言ってみろ」

 苦痛に呻きながら怒りと憎悪の目で海兵達を睨む警備員を、曹長は嘲り、そして後ろの部下達に向かって言った。

「予定通り始める。五人は、勝手に逃げ出す奴がいないか見張れ。殺してもかまわん。残りは俺と……この勇敢な警備員君と一緒に一部屋ずつ回って、クソ虫どもを檻に送り込む。で、警備員君、返事はまだだったな?」

 曹長は手にしたアサルトライフルを、警備員の顔の前に突きつける。その後ろで、海兵が五人、この場を離脱していった。

 曹長は、無言の警備員に、もう少しだけ言葉を続ける。

「これは悪い話じゃない。俺達が命令したんじゃ、ナチュラルを甘く見て反抗し、そして死ぬ奴が出る。今までにもよくあった悲劇だ。だが、お前が説得して歩けばどうだ? 素直に乗客が従えば、俺達も弾を無駄にしないですむ。どうだ? 良い話だろ?」

 曹長の言う事は事実だった。

 ナチュラルに対して従いたがるコーディネーターなどはほぼ居ないし、戦争で連勝を重ねている事もあって無意味な程にナチュラルを過小評価する者もいる。

 前線で戦う軍人には流石にいないが、銃を持っているか持っていないかという事は、コーディネーターであるか否かよりずっと大きな意味を持つのだという事を、理解していない者も少なくはないのだ。

 故に、無謀な抵抗をして死ぬ者は確実にいると言える。

 しかし、コーディネーターが説得して回るなら、ナチュラルに言われるよりは多少は言う事も聞きやすいはずであり、無謀な抵抗も減るはずだった。

 ついでに、これは海兵達の都合でしかないが、ドアを開ける者はドア向こうにいる者からの奇襲を受けやすいので、その肩代わりをさせるという意味もある。警備員が殺されてる間に、海兵は手榴弾を部屋に放り込めばいいと言うわけだ。

「返事の仕方はさっき教えただろう? 俺達はどっちでも良いんだぜ?」

 曹長はニヤつきながら再度問う。これで返答がなければ警備員はそのままホールに行かせるつもりだった。

 だが、警備員は一度強く奥歯をかみしめ、何かを吹っ切るようにして口を開く。

「はい、ナチュラル様。協力させて頂きます」

 出来る限り乗客に被害を出さない。その為に警備員が出来る唯一の事。

 その為に、警備員はプライドを捨てる決心をした。

 

 

 

 機関室周辺、メカニック達が常駐する整備室にも海兵達はやってきていた。

「ぐぁっ!?」

 鈍い悲鳴と同時に、銃床で顔を横殴りにされたメカニック主任の身体が宙を泳ぐ。

 高圧的な海兵に、主任が部下を守ろうとくってかかった為だったが、海兵達にしてはずいぶんと紳士的に応対したと言えるだろう。まだ、引き金に指はかけていないのだから。

「主任さん!」

 メカニック見習いの少年が、悲鳴のように叫びながら飛び上がり、主任の身体にを縋り付くようにして抱き留めた。

「大丈夫ですか!?」

「あ……ぐ……」

 少年の腕の中で、主任は顔を苦痛に歪めながらも目を開く。

「ああ……殴られて耳が良く聞こえん。もっと近くで話せ」

 言われて少年は、主任の耳元に口をやって話す。

「あ、はい……大丈夫ですか?」

 主任は苦しげながらもニヤと笑って見せて答えた。

「頭が割れそうだが、それ以外は大丈夫だ」

 そんな二人に、海兵は他のメカニック連中を追い立てる片手間に命令を投げつける。

「早くホールへと移動しろ! 小僧! 大事なお前の主任を連れて行ってやれ!」

「……主任、行きましょう」

 少年は、主任の身体に抱きつくようにしながらその身体を押して、ホールへと向かうべく廊下へと向かった。

 そして、廊下に出た後は、二人寄り添ったまま廊下をホール目指して飛ぶ。

 主任はふと、少年の身体が震えている事に気付いた。見れば、少年の表情は恐怖に強張り、目尻には涙が浮かんでいる。

 余程、怖いのだろう。それでも、主任を助けようと必死になっている。

「なあ、お前の夢って何だ?」

「え?」

「聞かせろよ」

 突然の問いに戸惑う少年に、主任は静かに笑いかけながら少年の答えを促した。

 夢見た未来を思い出そうとする少年の顔から恐怖が薄れていく。

「えと……軍のメカニックになってMSに触りたいんです」

「だから、あの悪戯か」

 得心がいったとばかりに主任は頷く。もっとも、少年がMSを弄り回していた事から、そんな所だろうとは思っていたのだが。

「ごめんなさい!」

 あの日、酷く怒られた事を思い出したのか、少年は慌てて謝った。

 主任はそれに笑いながら返す。

「良いって。気にするな。良く直してあったぜ、あれならきっと良いメカニックになれる。俺がお墨付きをくれてやらぁ」

「主任……」

 いきなりな褒め言葉に、少年は驚きを見せた後、少しだけ微笑んだ。

 恐怖を少しでも和らげてやれた事に安堵しながら、主任は表情を引き締め、少年に語りかけた。

「その為にも、ここは生き延びないとな。お前は絶対に無茶はするなよ? ここは戦うべき場所じゃない。メカニックになるお前には、もっと別の戦う場所がある筈なんだ。今は逃げて、隠れて、生き残れ。もちろん、俺もそうする。お前もそうしろ」

「はい、必ずそうして、生き残ります」

 少年はしっかりと頷き、主任と約束を交わした。生き残ると……

 

 

 

 医務室に海兵が二人入り込んで来た時、船医は救急箱に薬を詰め込んでいた。

「動くな!」

 突きつけられる銃。それに動じず、船医は救急箱を海兵達の方へと流す。

「……ああ、来たか。では、見て欲しい。応急手当の道具と乗客の常備薬しか入れていないのだが、これは持っていて構わないかね?」

 無重力の中を漂った救急箱は、海兵達の手元に届く前に銃で撃たれて弾かれた。

 銃声を聞きながら船医は落胆の声を漏らす。

「もったいない事を」

「応急キットなら、我々も携帯している。衛生兵もいるから、お前の出番はない」

 海兵の一人がそう言いながら、腰のポーチを叩いてみせた。

 それを見て船医は皮肉げに薄く笑う。

「その衛生兵は、コーディネーターも診てくれるのだろうね?」

「必要ならばな。無駄話は止めて、そろそろ移動して貰おう」

 海兵はもう船医に付き合う気はないようで、銃で船医を突くようにしながら言った。

「待ってくれ。病人が居る」

 と、船医は、医務室の片隅を指で差す。そこには、ベッドに横たえられ、バンドで動かないように固定された男の姿があった。

 顔は幾重にも巻かれた包帯で見えはしない。着ている物は何の変哲もない病院着。口には酸素マスクが付けられている。呼吸はしている様で、胸は僅かに上下していたが、それ以外の動きは一切していなかった。

「漂流者を回収してね。酸素欠乏症で、自分では動けない。酸素マスクは外さず、できるならベッドごと運んでもらえるかな」

「コーディネーターか?」

 海兵が問う。もちろん、コーディネーターなら死んでも構わないのだから、幾らでも乱暴な扱いが出来た。しかし、それを察している船医は、すまして答える。

「いや、確認していない。治療が先だったからな」

 確認していないのは事実だ。MSに乗っていた以上、ZAFTの兵士なのだから、コーディネーターだろうと誰も疑ってはいない訳で、確認などする筈もない。

 ともかく、海兵達にナチュラルである可能性もあると思わせておけば、そう酷い扱いをされる事もないだろうと船医は考え、そしてその考えは当たっていた。

「わかった。ともかく、お前が先に移動だ。出ろ」

 海兵はそう言って、船医を銃で追いやるようにして医務室から外に出す。

 医務室に残されたのは、海兵達とベッドに横たわる男。

 海兵は少し迷い、それから互いに顔を見合わせた。

「どうする?」

 問われた方が、少し考えてから答える。

「……面倒だ。後で回収しよう」

 

 

 

 船長と海兵達は、船橋からさほど離れていない通路にて邂逅した。

 海兵は十人に数を減らしている。他の場所の制圧に向かったのだろう。

 海兵達の前で手を挙げ、抵抗しない事を示しながら船長は、緊張を呑み込んでゆっくりと話し出した。

「私が、この船の責任者です。この船はプラント船籍の民間船ですが、軍とは……」

 緊張の面持ちで、民間の船である事を説明しようとする船長に、海兵達は改めて銃を向けた。そして、その内の一人……小隊長たる少尉が口を開く。

「お前達が民間人だろうと関係はない。抵抗する者は殺す。俺達は、無謀な抵抗者を、他の従順な者達の前で見せしめにする事を躊躇しない。だが、抵抗しない者の命の保証はしよう」

「……その言葉を信用します」

 船長も馬鹿ではないので、それを額面通り信じる事はなかった。しかし、だからとて抵抗をする事も出来るはずがない。

 少尉の言葉が嘘であっても、無駄に戦って今すぐに死ぬか、捕まって後で死ぬかの二択しかないのだから。

「船内放送をしろ。クルーと乗客を全員、ホールへと集める。抵抗せず、連合兵の誘導に従うようにとな」

「さ……最低限のクルーは、船橋や機関部に必要です」

 クルーが船橋や機関部から居なくなれば、船は本当に身動き出来なくなる。それを恐れて抗弁した船長に、少尉は冷たく拒絶の言葉を投げた。

「ダメだ。臨検が終わるまで、この船には行動を一切許さない。よって、クルーは不要だ。放っておいて船が沈むというわけでもあるまい」

「それは……」

 返す言葉を失う船長に、少尉は再度命じる。

「さあ、船内放送をしろ。拒否するなら、別の手を打つ」

 言葉の終わりに、音を立てて銃が構えられる。その筒先の真円を覗きながら、船長は恐怖を抑えつつ頷いた。

 自分が拒否しても、誰か別の者がやらされるだけだ。もしかすると、乗員乗客を従わせる為、もっと凄惨な手を使うかも知れない。

 ここで抵抗する事は意味がない。何度も繰り返し出た結論ではあったが、ナチュラルに従う事はコーディネーターとしての船長のプライドを傷つけた。

 おそらくは他の者も、同じく屈辱に耐えているのだろう。だからこそ、船長が率先してこれに耐えなければならない。

 乗員乗客の暴発を防ぎ、無事にこの臨検をやり過ごす事が自分の勝利となるのだ。

「わかりました。指示に従います」

 船長は素直にそう言って、船橋の方へと向き直った。そして、海兵達に促されて、進み始める。船橋で放送を行う為、そして残るクルー達に移動を命じる為。

 船長は、何としても今を平穏無事に終わらせようと決意していた。

 

 

 

 ランチから船内制圧成功の報告を受け、ブラックビアードはシルバーウィンドへの接舷作業を開始していた。

 その作業を見守りつつ、周辺宙域の監視を続けるアークエンジェル。緊張に咳き一つ起こらない艦橋。その沈黙は、突然の闖入者によって開かれた。

「入隊志願書です! 戦わせてください!」

 書類一式を振りかざしつつフレイが艦橋に飛び込んで叫んだ時、艦橋要員達はその突然の申し出に訝しがりつつも単純に驚く。

 普通、任務中の艦橋に怒鳴り込む奴など居ない。怒鳴り込む必要があるなら、まずは通信で怒鳴るはずだ。

 しかも、艦橋に乱入したのは民間人の少女なのだから、驚かないはずもない。だからこそ、艦橋要員達は惚けたようにフレイを見返すしかなかった。

 そして、ややあってから、我に返った艦長のナタル・バジルールが声を荒げる。

「今は作戦遂行中だ! 後にしろ!」

「MAに乗せてください! でなければ、艦橋でも、砲座でも何処でもかまいません、戦場が見える所に置いてください!」

 フレイは、ここで引き下がれば後がないとでも言うかのように、ナタルに向かって怒鳴り返した。そして、ナタルの元まで一息に飛ぶと、書類の束をナタルの膝の上に叩きつけるようにして置く。

「志願書です! お受け取りください!」

 フレイのその勢いに押され、ナタルは書類を手にとって流し見た。書類は揃っているし、必要事項も埋まっているようだ。

「まて、こんな物は事務に回せ! 私の所に持ってこられても……」

「仕事をくれと言ってるんです!」

 フレイは、勢いに任せてナタルに迫る。ナタルは、この突然の事態にどう対処した物か軍学校での士官教育を思い出し、ほぼ役に立たない事に気付いて困り果てた。

 基本的には、とりあえず誰かに命じて、この闖入者を艦橋から摘み出すくらいしかない。そうしようとナタルが考えた時、艦橋の中で声が上がった。

「あの、良いですか?」

 声をかけたのは通信士。元は陸戦隊の通信兵で、専門外の通信任務に苦労をしている人だ。

 彼は、ナタルに提案した。

「通信オペレーターを増員して欲しいと頼んでましたが、人員不足で却下されてましたよね? いっそ、彼女はどうでしょう?」

「何も出来ない新人が使えるのか?」

 ついさっきまで民間人だった上に、いきなり艦橋に怒鳴り込むような者が使い物になるのか? ナタルでなくとも気にする所だろう。

 だが、通信士は肩をすくめて言った。

「自分だって専門外なんですから、何も出来ない新人と一緒でしたよ。専門家が居ないんじゃ、一から仕込む以外に無いじゃないですか」

 背中に背負うタイプの通信機が使えるからと言って、戦艦に積んである通信機を使わされる羽目になった彼なりの皮肉も混じってはいる。

 ともあれ、門外漢の通信士が一人で仕事を回しているのは辛い。

 それに、通信は時に理不尽な命令や悲惨な報告も飛び交う事から、ストレス緩和の為、通信オペレーターは若い女性がつくのが好ましいと慣習的にはされている。通信士は残念ながら男であり、別に見目麗しくもないので、ストレス緩和の役には立たない。

「難しい通信は自分がするしか無いでしょうが、通信オペレーターとして言われたとおり通信するだけならやれるのでは?」

「やります! やらせてください!」

 通信士のナタルへの申し出に、フレイは飛びついた。

 通信オペレーターなら、通信のほとんどを仲介するわけだから、サイに何かあればきっと知る事が出来る。知った後に何かが出来るのか……いや、何も出来ないかもしれないが、それでもそれは後で考えればいいと割り切った。

「……考えておこう」

 ナタルの方も、考えてみたが一応は異論はない。

 フレイが志願兵として扱われる以上、何処かに配属しなければならないわけで、とりあえず人手不足だと言われてる場所に配置するのは悪い事ではなかった。

 それに、これ以上、フレイにかまけていたくはない。今は任務中なのだから。

 それに、どうせ書類審査がある。身元が怪しくないかどうか調べないと、危なくて使えたものではないからだ。

 それにはかなりの時間がかかるので、しばらくは時間の猶予が得られるだろう。今すぐに戻ってくる事はあり得ない。

 そう考えると、ナタルはフレイに向けて言った。

「わかった。とにかく、正式な着任は、この書類を事務に届け、制服を受領してからだ」

「了解しました! すぐに行ってきます!」

 フレイは、ナタルから返された書類を受け取ると、素早く身を翻して艦橋の外へと向かう。

 

 

 

 フレイが、「大西洋連邦事務次官のご息女であり、身元はこれ以上なく確か。採用に問題なし」との報告と共に艦橋に帰ってきたのは、ほんの数十分後の事だった。

 

 

 

 デブリの漂う暗礁宙域。ジン長距離強行偵察複座型とそれに従うジンが宇宙を駆けていた。

「隊長、基地に報告はしないんですか?」

 ジン長距離強行偵察複座型のコックピットの中、後部座席の情報収集要員の部下がパイロットシートの隊長に聞く。

 彼らの母艦は、連合軍が仕掛けたトラップによって撃沈されていた。

 助かったのは、爆発を繰り返しながら崩壊していく母艦より、とっさに宇宙に飛び出す事の出来た彼らMS偵察小隊だけ。後は脱出する間もなく、暗礁宙域を漂うデブリの仲間入りをしてしまった。

 これを基地に報告しないわけにはいかない。部下はそう考えたのだろう。

 しかし、現在彼らは、母艦撃沈前に予定されていた偵察任務そのままのコースを辿り、民間船シルバーウィンドへ向かっている。

「なあ……あの攻撃は周到に用意された罠だった。なら、敵の狙いは何だ? 俺達を殺す事だけじゃない筈だ」

「そうか、シルバーウィンド!」

 隊長に言われ、部下は声を上げた。

 民間船シルバーウィンドと合流する筈の母艦が狙われた。ならば、シルバーウィンドこそが真の狙いだろうと、容易く推測する事が出来る。

「でも、それならなおさら報告して援軍を……」

「長距離通信が出来ない以上、基地まで帰って直接報告する事になる。だが、それまでに何時間かかる? もし、今襲撃を受けていたとしたら、援軍を呼んで戻った所で、残っているのはシルバーウィンドの残骸だけだ」

 隊長は、おそらくは既に襲撃が行われているだろうと推測していた。

 母艦への攻撃は、待ち伏せではなくトラップによるものだ。ならば、トラップを仕掛けた者は、必ず別の場所で行動を起こしている。

「報告はシルバーウィンドの無事を確認してからでも出来る。今は急ぐぞ……おい、そいつはもう捨てていけ!」

 隊長の言葉の後半は、通信機を通して後続のジンに向けられたもの。

 後続のジンは、もう一機のジンの腕を掴んで曳航している。

『な……何言ってるんですか隊長! 仲間を見捨てるんですか!?』

 後続のジンから、もう一人の部下の非難めいた声が返った。

『こいつ、艦が沈む時に俺を押して……ラクス様は俺の嫁だなんて、馬鹿な事しか言わない奴だったけど、俺の事を助けて……』

「死んでるんだ。反応が無いだろう」

 隊長は苦い物を噛むような顔で、重苦しく言葉を吐き出す。

『死んでなんかないですよ! きっと……きっと、機械の故障か何かで……出られないで、通信も出来ないで……きっと、あいつの事だからコックピットの中で文句言いながら、またくだらない事を……』

 通信から聞こえる部下の声は、狂騒的な物となっている。

 隊長の後ろの席から、いつの間にか啜り泣きが聞こえていた。

「畜生……畜生……」

 情報収集要員の部下が何度も繰り返し呟く。

 隊長は、通信機から溢れてくる部下の声には耳を貸さず、静かに問いかける。

「気付いているんだろう? コックピットなんて、もう無いんだ」

 曳航されているジンは、胸から下を食いちぎられたかの様にして失っていた。

 通信機から聞こえていた部下の声が途切れる。

 知っていたのだ。そんな事は皆が知っていた。ただ……認めたくはなかったのだ。

 しばらくの沈黙の後、部下の乗るジンはその手を放した。曳航されていたジンは、ゆっくりと隊列を離れ、デブリの中へと紛れていく。

『あいつ、良い奴でした』

「連合のクソナチュラル共に、それを良く教えてやれ」

 隊長はゆっくり息を吐くように言葉を並べる。彼も、母艦と部下を失った事に怒りを持たないわけではない。

「もうすぐシルバーウィンドとの合流予定地点だ」

 

 

 

 シルバーウィンドの中は、海兵達に完全に制圧され、乗員および乗客をホールへと集める作業が行われていた。とは言え、それなりの大人数である事もあり、作業はまだ終わっては居ない。

「止まらないで! 速やかに移動してください!」

「臨検に伴う一時的な処置です! 危険はありません!」

 警備員や客室乗務員といった者達が、乗客達の誘導を行っている。無論、海兵達がそれを監視しており、下手な動きを見せれば乗客ごと殺されるのは確実だった。

 コーディネーターである客達は、海兵とナチュラルの軍門に下った乗員達に侮蔑や憎悪の視線を浴びせながら、自らも為す術無く羊の群れのように追い立てられていく。

 抵抗した者がどうなるのかは、何人かがそれを身をもって教えてくれていた。廊下の所々に浮かぶ死体というオブジェクトとなって。

 その数は決して多くはない。多くの者達は、抵抗が得策ではない事を悟り、おとなしく指示に従っていた。抵抗したのは、ナチュラルへの憎悪を抑えられなかったか、ナチュラルを甘く見すぎた、極少数の例外に過ぎなかったのだ。

 海兵達も、必要以上の暴行は起こさなかった。これは、私掠は禁じられている事。そして何よりも、素早く事を終わらせる事が作戦で求められている為、無駄な遊びはしている暇がないからだ。

 状況は極めて静かに進んでいた。乗客も乗員もまだ残っているが、後僅かでホールへの収容を完了する。その後は、ある程度の選別を行いつつブラックビアードへと移送する手筈だ。

 イベントホールには、既に多くの乗客乗員が集められてきていた。広いホールは、その全員を難なく収用している。

 ホールの中は低く唸るようなざわめきに満ちていた。大きな声を出す事は許されていなかったが、人が多く集まればそれなりに音も出るし、聞こえぬほどの囁きも数が合わされば大きな音となる。

 人々が漂うように浮かび、不明瞭なざわめきに満ちたホール。扉は一つだけ開放されており、そこから次々に乗員乗客が送り込まれてくる。海兵達はホールの中には入らず、唯一の扉の外からホールの中に銃を向けている。

 船長も、船医も、メカニック達も、既にホールの中にいた。そして、ラクス・クラインもまた、ホールの中へと送られてきていた。

「ピンクちゃん、怖いですわ……」

 ラクスは、数日前に自分が歌ったこのホールの中に浮かびながら、ピンク色のハロを強く抱きしめて震える。

 婚約者のアスラン・ザラからもらったこのハロだけではなく、アスラン本人が居てくれたら、この状況から助け出してくれるだろうか? そんな事を考えて、その考えを振り払うように頭を振った。

 アスランは、プラントの為に戦いに出ているのだ。それを、自分の勝手な都合で居て欲しいと考えるなんて、アスランに悪い事だと。

 しかし、怖いと思う心と、誰かに助けて欲しいと願う心は消す事が出来なかった。誰でも良い。ここから助け出して欲しい……と。

 震えながらハロを抱く腕に力が入る。

「ハロォ……クルシーイ」

「あ、ごめんなさいピンクちゃん」

 ハロが潰されそうな声を上げたのに気付き、ラクスは腕を緩めた。そして、いつも通りに愛らしいハロを見て、少しだけ落ち着きを取り戻す。

 その時、子供の泣き声がラクスの耳に届いた。

 見れば、そう遠くない場所で、小さな女の子が声を上げて泣いている。女の子の目から溢れ出す涙が水滴となって、ホールの中に散っていた。

 そんな女の子を母親が必死でなだめようとしているが、女の子が泣きやむ様子はない。

 怖いのは誰だって同じ、まして子供ならなおさら。ホールの中には、泣いている子供も幾人か居た。泣かないまでも、恐怖に震えてじっと我慢している事だろう。

 何かしてあげられないかとラクスは思い、せめて少しでも心を安らげてやりたいと願い……ラクスは、自分にただ一つだけ出来る事をと。

 ラクスはホール内に配された手摺りを使い、女の子の所まで静かに移動した。そして、頑張って恐怖を押し殺しながら、泣いている女の子に笑顔を向ける。

「泣かないでください。大丈夫ですから」

 ラクスの笑顔に、女の子は泣き声を止める。涙は止まらなかったが。

 ラクスは笑顔を崩さぬように注意しながら、言葉を続ける。

「ほら……お歌を歌いましょう。きっと怖くなくなりますわ」

 そして……

 

 ラクスは……歌ってしまった。

 

 歌声がホールに満ちていく。歌声と共に、唸るようにざわついていたホールの中に静寂が広がっていく。

 静寂の中、歌だけが流れる。

 ……歌姫の歌が響き渡る。



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シルバーウィンドの歌姫

 歌が聞こえる。

 

 そして、貴方は思い出す。

 

 行うべき、本当に正しい事を。

 

 

 異変は、見張りに付いていた海兵達に察せられた。

 ざわめきに変わり、静寂が広がっていくホール。死体のように動かなくなっていくコーディネーター達。そして、耳に届く歌声。

「何だ? 何が起こっている?」

 ホールを覗き込んだ海兵の一人が、不安混じりの声を漏らす。

 騒ぎ、抵抗の動きがあるなら理解できる。恐怖に錯乱する者が出るのも予想の範疇だ。しかし……これは何だ?

 集められた乗員乗客達はその全ての動きを止めている。歌に聴き惚れていると言うのとはまた違う。明らかに何かがおかしい。

「歌を止めろ!」

 海兵は、群衆の中に銃を向けて叫んだ。

「!?」

 ラクス・クラインは海兵の声に驚き、歌を止めた。歌が止まり、ホールは瞬時に無音となる。

 この異常事態の原因は一つしか考えられない。ならばそれを止めればいい。その考えは正しかったのかも知れない。しかし、その行動は間違いであった。

 海兵は、ラクスに銃を向けてしまっていたのだ。

 自身に銃が向けられている事に気付き、ラクスはその顔に恐怖の色を浮かべた。

 だが……ラクスと銃の間を遮るように誰かが立つ。

「え……?」

 ラクスから戸惑いの声が漏れた。

 そこに立つのは、先ほどまで泣いていた筈の小さな女の子。

 女の子は両手を広げて、銃からラクスを隠していた。その表情に、先ほどまであった恐怖の感情はなく、僅かに笑みさえも浮かべている。

 そしてそれは、その女の子だけではなかった。

 女の子の前に新たな人が立つ。次々に、ラクスをかばう為に、ホール中のコーディネーターが集まってくる。

「ラクス様を守れ!」

 最初に叫んだのが誰かはわからない。だが、その叫びは次々に広がっていき、唸るような怒号となってホールに満ちた。

 

 誰もが叫んでいる。

 

 本当に正しい、唯一成すべき事を。

 

 貴方もまた叫んでいる。本当に正しい、唯一成すべき事を。

 

 

 

 歌を歌っていた少女に銃を向けた瞬間、状況は変化した。おそらくは最悪の方向へ。

 ホール内のコーディネーター達が一斉に動き、海兵の銃の前に立った。

「ラクス様を守れ!」「守れ!」「守れぇ!」

 一斉に沸き起こる怒号。そして、コーディネーターは動き出す、海兵の居るホール唯一の出入り口へ。

「止まれ! 撃つぞ!」

 海兵の制止の声は無視された。コーディネーター達は動きを止めようとしない。

 もっとも、無重力の中に身を投げ出した後は、慣性で動き続けるしかないのだが。それでも、撃たれまいとする様子が見えても良いはずだった。しかし、それすらない。

「来るぞ撃て!」

 海兵の一人が叫び、自らが持つ銃の引き金を引いた。それにつられて、同僚の海兵もまた同じく引き金を引く。

 アサルトライフルは、弾倉に納められた弾丸を瞬く間に吐き出す。コーディネーター達の先頭にいた十数人が銃弾を受け、身体の一部から血飛沫を弾け出させた。

 しかし……

 血の飛沫をまき散らすコーディネーターの身体に後ろから手がかけられた。その身体は後ろに引き戻され群衆の中に紛れ、代わりに新たなコーディネーターが前に出てくる。

 代わりに先頭に立った者達は、同胞の死をもってしても止まらず、海兵達に……銃に向かって突き進んでくる。

「くそ! こいつら、何故止まらない!?」

「メイデー! メイデー! ホールで暴動発生! 応援を……くそっ!」

 ヘルメット内蔵の通信機に叫びながら、海兵達は新たな弾倉を銃に取り付ける。

 第二射。一塊となって迫り来るコーディネーター達の前面で、血飛沫と悲鳴が上がる。それでも、コーディネーター達は止まらない。

 更なる弾倉交換の暇もなく、コーディネーター達は海兵に襲いかかった。

「畜生!」

 海兵が振り回したアサルトライフルのストックが、先頭に立っていたコーディネーターの男の首を横薙ぎに襲い、首の骨を叩き折る。

 もう一人の海兵は腰から拳銃を抜き、迫る群衆の壁めがけて立て続けに引き金を引いた。

 だが、彼らの抵抗はそこまでで、二人は直後にコーディネーターの群れに呑まれる。

 装甲宇宙服は素手で破れる物ではない。それでも、幾人もにしがみつかれれば身動きは出来なくなる。

「た……助け……」

 海兵達の救助を求める声は、コーディネーターの怒号の中に掻き消された。

 手にしたアサルトライフルがもぎ取られる。一人の海兵の腰のホルスターから拳銃が抜き取られ、そして元の持ち主である海兵に向けられた。

 銃声もまた、怒号に紛れ大きく響く事はなかった。

 

 正しい事をしましょう。この世にただ一つ正しい事を。

 

 だから全てを投げ捨てて

 だから恐れもなく前へと進む

 過ちは一つもない

 

 

 

 ラクスは目を見開き、余す所無く全てを見ていた。

 目の前にはホールの出口めがけて殺到する人々。

 銃声が響くと、ややあって群れの中から血にまみれた人が幾人も放り出される。前列で傷ついた人が、新たに前に出た後列の人々によって放り出されたのだ。

 血飛沫をまき散らしながらゆっくりとホールを漂う幾つもの人体。その一つが、ラクスの前に漂って来ようとしていた。

 それはまだ、微かにだが動いている。ラクスはそれを見るや、その場から飛び立ち、その人の元へと向かった。

「あの……嫌……そんな」

 声をかけようとして、その人の身体から溢れ出す血滴の量にラクスは声を失う。

「……離れて。ラクス様が汚れます」

 苦しい息の中で言ったその人は、この船の船長だった。

 被害を出さない事を第一に考えていた男が、自ら最前に立って倒れている。

 船長は、死を前にしながらも晴れやかな気持ちで居た。

 自分は誤っていた……本当にすべき事をしていなかった。

 無事に臨検を乗り越える? 乗客乗員の身の安全? そんな事にばかり目がいって、本当にすべき、この世にただ一つ正しい事が見えていなかった。

 しかし、ラクス様のお陰で……その歌声に導かれ、自分は正しい事を行う事が出来た。ラクス様を、この船から脱出させる事が、本当に正しい事だ。

「さあ……お行きください、ラクス様……道は……皆が……」

 自らの行動に心から満足し、微笑みすら浮かべて船長は、ラクスに逃げるよう促す。

 ラクスは船長の言葉が耳に届かぬ程に狼狽しながら、船長の身体から溢れ出す血を止めようと、無為に傷口を押さえようとしていた。

「ぁ……どうしましょう。血が止まりませんわ」

 両の手を鮮血に濡らして船長の身体を押さえても、押さえきれない他の傷から血は流れていく。

 船長の傷を塞げたとしても、ホールに漂う負傷者の数は増えるばかりで、その傷を塞ぎに行く事は出来ない。

「血が止まらない! ごめんなさい! 血が止まらないの!」

 ラクスの手は小さく、塞がなければならない傷はあまりにも多く、流れ出す血はあまりにも多くて、どうする事も出来ない。誰も救う事は出来ない。

「ラクス様、手を放してください」

 背後からラクスの手をとり、船長から手を放させたのは、船医だった。

「でも、血が止まらないんです!」

「彼は死にました。それより、早く逃げましょう」

 船医はラクスに逃げるよう促す。

 しかし、彼は知っていた。船長はまだ生きている事に。

 限りなく死に近くはあるが、医務室に運び込めば……いや、ほとんど助かる見込みはない。見込みはないがそれでも、以前の船医ならばどんな小さな可能性であっても、助ける為にそれに賭けただろう。

 また、船長はどうにもならないかも知れないが、他の負傷者にはまだ軽い怪我の者もいる。彼らならば、確実に救えるかも知れない。

 しかし、船医はそんな事よりも、正しい事を選択した。

 惑わされてはならない。正しい事は一つ。ラクスを救う事なのだ。

 この先、ラクスが負傷しないとも限らない。その時には、船医の治療が必要になるかもしれない。船医は、ラクスについていくべきであり、そうである以上、他の負傷者を救う事は出来なかった。

「行きますよ。他の皆が道を開いてくれました」

 船医はそう言って、ホールの出入り口を指差す。

「ひっ……!?」

 示されるままにそこを見たラクスは、息を呑んで凍り付いた。

 出入り口の周りは漂う血滴に汚れ、その合間を血滴をまき散らしながら人々が漂い、あるいは苦悶に蠢いている。

「さあ、行きましょうラクス様」

 いつの間にか、船医以外にもたくさんの人がラクスの周りに集まってきていた。

 彼らは迷い無き瞳で、血に溢れる道を指し示す。

「さあ、行きましょうラクス様」

 

 

 

 ホール近くの通路は戦場と化していた。

「撃て! 宇宙人共を止めろ!」

 通路の一端、T字路の突き当たり部分に陣取り、海兵隊はそこで阻止を試みている。

 海兵隊の手の中、アサルトライフルは吼え猛り、無数の銃弾を吐き出した。

 対するコーディネーター達は、仲間の死体を盾に押し出して通路を突き進み、海兵に肉薄しようとしている。無論、犠牲は凄まじいが、誰一人、恐れて逃げ出す者は居ない。

 全身を銃弾に穿たれ、生前の姿を完全に失った、赤く濡れた肉塊が海兵達に迫ってくる。

 幾多の戦場で戦ってきた海兵達にとっても、こんな戦いは初めての経験だった。

 この様な戦闘が、ホールを中心とした船内数カ所で発生している。海兵達は、急遽、船内各所に散っていた戦力を集結させ、その対処に当たっていた。

「くそ! グレネードだ! 吹っ飛ばせ!」

 分隊長の言葉に、海兵達は一斉に通路の角に身を隠し、グレネードランチャー付きのアサルトライフルを持った海兵だけが銃を通路の中に向けた。

 ライフル下部のランチャーから、グレネードが射出される。

 直後、迫ってきていたコーディネーターの群れの中にグレネードは突き刺さり、直後に轟音を立てて炎と破片をまき散らした。

 爆風に押され、コーディネーター達の動きは止まる。

 最前列にあって盾となっていた死体はもちろん、その後ろにいたコーディネーター達も、グレネードの破片に切り刻まれてズタズタにされていく。

 しかし、更にその後ろのコーディネーターは無傷か僅かな負傷ですんでいた。人が盾となり、爆風も破片も届かないのだ。

 彼らは、新たな死体を盾として、再び前進を始める。その動きを見て分隊長は舌打ちをした。

「こういうの、昔、映画で見たな」

 歩き回る死者という奴だ。もし本当にそうだとしたら、自分達は奴らの餌になる運命だろう。部下は、どいつもこいつも主人公面じゃないし、悲鳴を上げる以外に能のないヒロインもここにはいやしない。

 幸い、敵はただのコーディネーターで、撃てば死ぬ。ただ、その勢いが尋常ではないだけだ。

 海兵達が再びアサルトライフルを撃ち始めたが、やはり死体を盾にされていてはあまり効果が無い。当たった人体を確実に破壊するよう作られた銃弾は、貫通して後方にまで損害を与えるようには出来ていないのだ。

 コーディネーター達は、じわじわとその距離を詰めてくる。接近されて乱戦になれば、完全装備の海兵といえども、人数の差で圧倒されかねない。

 分隊長は通信兵を呼んだ。

「小隊長に繋げ!」

 通信兵はすぐに通信を繋ぎ、通話機を分隊長に渡す。分隊長はそれを受け取ると、すぐさま通話機に向けて怒鳴った。

「敵の進出を抑え切れません。後退の許可を!」

『お客様には五分お待ち頂いてくれ。後方で歓迎パーティの準備中だ』

「了解、五分後に後退、合流します」

 通信を切り、分隊長は自らも銃撃戦に参加する。

「野郎共、五分だ! あと五分、撃ちまくれ!」

 

 

 

 メカニックの少年と主任は、二人で船の整備用通路を進んでいた。

 太いケーブルや配管が走る、薄暗く一人通るのもやっとな程に狭い通路には、海兵の姿は見えない。

「おい、何処に行くんだ!?」

 主任は、先に立って走る少年に問いただした。

 とは言え、だいたいの想像はつく。この通路の先には、倉庫ブロックがある。そしてそこには、漂流中に回収され、少年が修理したMSがある……

 嫌な予感がしていた。そしてその予感が正しかった事を、振り返った少年の口から告げられる事になる。

「ラクス様を助けるんです! 僕が修理したあれなら、ラクス様をお守り出来ます!」

 少年は瞳を輝かせて、本当に正しい事を叫んだ。

 主任はそれを聞き、声を荒げる。

「いったい、どうしちまったんだ!? あのホールでの騒ぎから、お前は……いや、みんながおかしいぞ!?」

 主任には理解出来なかった。

 あの血みどろの一斉蜂起。

 船長は人命第一に、抵抗しないよう命令していたのではなかったのか?

 ホールの人々は恐怖に震え、抵抗の意思など持てずにいたのではなかったか?

 そして、何があっても生き残る事を約束し合った少年までもが、今、危険極まりない考えを実行に移そうとしている。

「止めろ! ここで、騒動が収まるのを待とう。何があっても生き残ろうと、俺と約束しただろう!」

「何を言ってるんですか!」

 少年は、主任の言葉を受けて怒りの表情を表した。

「ラクス様を助けないでここで隠れているなんて! そんな事、許される筈が無いじゃないですか!?」

「ラクス? だから、何故だ!? 歌姫を守る事がそんなに大事なのか!? メカニックになりたいって言う、お前の夢よりも大事なのか!?」

「当たり前ですよ! 僕なんかの夢と、ラクス様を助ける事を、比べて良い筈がない!」

 少年の返答に、主任は即座に少年を殴り飛ばした。

 硬い拳は少年の頬を捉え、少年は壁に身を打ち付けながら飛ばされ、やや離れた所で止まる。

「……お前が、そんな事を言うなよ」

 主任は耳を疑っていた。確かに、海兵に殴られたショックで、今は耳が聞こえづらい。ホールで歌姫とやらの歌も聞こえなかった位だ。だが、この距離で少年の言葉を聞き逃すはずがない。

 しかしそれでも、主任は今の少年の言葉が間違いであって欲しいと願っていた。

「お前の夢だろう!? 俺は、お前がその為に努力していたのを知って居るんだぞ! それなのに、どうしてだ!」

 もう数発殴ってでも、その考えを改めさせてやろうと、少年に近寄っていく主任。

 その時、少年が立ち上がって叫んだ。

「どうして、わかってくれないんですか!? 僕が正しくて、主任が間違っているのに!」

 それはただ一つ正しい事。他の全ては誤りで、間違っている。

「邪魔なんてさせない……」

 邪魔をする者は敵でしかない。

 少年は、正義の怒りに燃える瞳で主任を睨み付け、そして踵を返すと倉庫ブロックのある方向へと壁を蹴って飛んでいった。

「……何が」

 主任は惑う。少年を変えた物が何なのかがわからなくて。

 その一瞬の惑いの時間は、少年と主任を大きく引き離してしまった。二度と手が届かない程に……

 

 

 

「……来ました」

「前列は死体が半分だ。その後ろの生きた奴らが来るまでスイッチは待て」

 ホールから溢れ出たコーディネーター達に未来は無かった。

 一時は海兵達を圧倒し、進撃を続けた彼らにも終わりの時が来る。

 海兵達は、コーディネーター達の進行方向にある十字路にてキルゾーンを作り、待ちかまえていた。

 コーディネーターの一群が十字路に足を踏み入れ、隊列の半ばがそこを通り過ぎようとしたその時、四方の角に巧妙に仕掛け置かれていた爆薬が炸裂する。

 船体を破壊しない為、爆薬の量は抑えられていたが、それでも爆風で彼らを吹っ飛ばすぐらいの威力はあった。

 四方からの爆発により、十字路の中にいた者は中心に向けて圧縮されるように吹っ飛ばされる。

 爆風が身体を押し潰し、砕いていく。盾としていた死体、共に進んできた仲間、それらが鈍器となって、潰れ砕けた身体を更に叩き潰す。

 くしゃくしゃに潰されて人の形を成さぬ絞りかすのような姿になった男。叩きつけられた身体の部品が刺さり込み、まるで一つの生き物だったかのように身体から余分な手足をはやす女。千切れ砕けた肉片となり、その姿を無くした者も数多いだろう。

 十字路を通り過ぎていた者。あるいは足を踏み入れる前だった者。彼らもまた、十字路に近い位置にいた者は似たような状況にあった。爆風で壁に叩きつけられ、その上に死体や生きた人が重なるように叩きつけられ、潰れていく。

 凄惨な状況。それでも、離れた場所にいた者には生存者が居た。無傷の者はほとんど居ないが、それでも再び動き出そうと身を捩る。

 直後、コーディネーター達から見て前方と左方の通路、その奥の角を曲がって海兵達が姿を現し、容赦のない銃撃を浴びせかけた。

 十字砲火の中で、まだ生きていた不運なコーディネーター達と宙に漂う不格好な肉の塊は銃弾を浴びて踊る。

 それでも何人かは、射撃を逃れて今来た道を……あるいは、海兵の居ない右方の道に逃れる事は出来た。

 しかし、今までは数の多さで押して進んできた道だ。今や、その数を減らしたコーディネーター達に、何が出来る筈もない。

 逃げ出した先には、既に海兵達が回り込んでいた。

 宙を漂うように通路を逃げてきたコーディネーターの前に、海兵達の銃が並ぶ。

 それでもコーディネーターは最後の抵抗をしようとした……いや、もしかすると降伏しようとしたのかも知れない。何にせよ、僅かな動きを見せたその瞬間に、海兵達の射撃が容赦なくその身体に穴を穿っていた。

 

 

 

 ラクスと船医、そのほか数人の女性……そして、子供達。女性は全て母親で、子供達の手を引いている。

 彼らは、最低限の人数で脱出ポッドを目指していた。

 他の多くのコーディネーター達が、無謀な進撃で時間を稼いでいる。彼らが全滅する前に、脱出ポッドに辿り着かなければならない。

 それは難しい試みだった。

 脱出ポッドは船内の各所にある。しかし、海兵達も馬鹿ではないので、そこへ行くルートには全て見張りを付けていた。

 コーディネーター達の蜂起で、海兵達の注意はそちらに向けられている。しかし、完全に見張りが居なくなったわけではない。

 危険を避ける為、見張りの居ないルートを探して進まなければならなかった彼らは、既に多大な時間を費やしてしまっている。

 それでも彼らは、何とか脱出ポッドのある避難スペースへと辿り着いていた。

 そこは小さなホールになっており、船の外殻に向けて幾つも扉がついている。これが、脱出ポッドの入り口だ。

 船医はその内の一つに取り付き、扉脇のコンソールの操作を行った。空気の抜けるような音と共に扉は解放される。

 開いた脱出ポッドの入り口。ラクスはその前で震えていた。

「ぁ……ぁの……他の皆さんは……」

「後から行きます」

 船医はそれだけ答えて、ラクスに中に入るよう促す。

「どうぞ、中へ」

「……他の皆さんを待ちます。私より先に、子供達を」

 ラクスはそう言って、子供達の方を見た。しかし、子供達はラクスをじっと見返すだけで、脱出ポッドに乗り込もうとはしない。

 子供達は、恐怖の表情を浮かべてはいたが良く耐えていた。ホールでは多くの子供達が恐怖を堪えきれず泣いていたというのに。

 泣き叫べば、ラクスの命をも危険にさらす可能性がある。それがわかっているかのように子供達は恐怖に耐えている。

「ラクス様が乗らなければ、この子達も乗れませんから……」

 母親の一人が、困ったような笑みを浮かべる。

 母親達は、自分の子供よりもラクスを気にかけていた。無論、そうしなければならない。それが正しい事なのだから。

「……わかりました」

 全員に無言で促され、ラクスは当惑しながらも脱出ポッドの中に足を踏み入れた。

 次に入ったのは、ラクスにずっとついてきていたピンクのハロ。

 そして、ラクスが入った事に安堵して、子供達と母親達が後に続こうとする。その時だった。

 突然に鳴り響く銃声。

 母親達の内、数人の身体が踊るように回り、辺りに血飛沫をまき散らす。

 ラクスは銃声がした方を見た。この避難スペースへ繋がる通路の奥から、海兵達がアサルトライフルを構えてやってくる。

「は……早く、皆さん乗ってください!」

 ラクスは危険を感じて叫んだ。そして、子供達を何人かでも引き込もうと脱出ポッドから身を乗り出そうとする。しかし……

「らくすさまをまもれぇ!」「まもるのぉ!」

 歓喜の色さえ感じさせる子供達の声。

 そして、子供達は床や壁を蹴って飛んだ。海兵達のいる方向へ。

 海兵達は、襲い来る子供達を前に一瞬の戸惑いを見せたが、すぐに銃を構えた。

「やめてえええええええええぇっ!!」

 ラクスは叫ぶ。同時に、新たな銃声が高らかに響く。

 子供達の身体の各所が爆ぜて血飛沫が舞う。穴を穿たれ、砕かれた子供達の身体が、糸が切れた操り人形のように宙を漂う。

 それでも、子供達は笑みを浮かべていた。最後の瞬間に浮かべた表情そのままに。

 生き残りの母親達は、子供の死にも取り乱さなかった。ただ、怒りを海兵達にそのままぶつける。

「どうして、正しい事なのに邪魔をするのよ!?」

 子供を殺された母の叫ぶ言葉。子供を殺された怒りよりも強い、正しい事を妨げようとする悪に対する強い怒り。

 そして母親達は、通路を塞ぐように立ちはだかった。

「ラクス様、逃げてください!」

 海兵達の撃ち放つ銃弾が、母親達の身体を穿つ。彼女らが盾になったお陰で、ラクスの元へ銃弾は届かない。

 ラクスは全てを呆然と見ていた。

 どうして母親達が。どうして子供達が。それ以外にも多くの人々が、自分を守ると叫びながら死んでいくのか。どうして? 疑問に答えは返らない。

 しかし、心の何処かに、こうなった事を安堵する自分がいた。

 願いは……叶えられる。

 願い? ささやかな願いだ。

 あのホールの中、ラクスは怯えていた。そして救いを求めて願った。誰かが自分を救い出してくれる事を。

 それは、人間である以上、誰もが持っていたもの。あのホールの中、恐怖を感じぬ者はいなかった。そして、同じように救いを求めてもいただろう。

 ただ一つの不幸は、彼女がラクス・クラインであった事。彼女が歌ってしまった事。

 願いは成就する。

 無数の命を糧にして。

「ラクス様!」

 最後に残っていた船医が、ラクスの身体を突き飛ばすように押して、ラクスを脱出ポッドの中に押し込んだ。

 そして船医は、素早くコンソールを操作する。

 脱出ポッドの扉は素早く閉まり、ラクスを船内から隔てた。

 直後に、脱出ポッドの扉を無数の銃弾が叩く。

 子供達と母親達の亡骸を排除し、海兵達がこの避難スペースに突入してきていた。

 海兵達の放つ銃弾は、船医の身体も貫いていく。

「ぉああああああっ! ガッ!?」

 船医は、最後の力を振り絞って、コンソールの脱出ポッド射出ボタンを叩いた。同時に、一発の銃弾が船医の後頭部から額を貫き、頭を爆ぜさせる。

 吹き付けられた鮮血に濡れたコンソール。その赤い血の下で、射出完了を示す青いランプが点灯した。

 

 

 

 主任を振り切った少年は、整備用通路から倉庫スペースの点検口へと至った。

 少年は、音を立てないようにゆっくりと点検口を開ける。

 一応の床部分にポッカリと丸い口を開けた点検口。そこから、少年は顔を出して周囲を伺った。

 倉庫スペースの入り口に、海兵二人の背中が見える。しかし、他に海兵は居ない。

 少年は、海兵に気取られないように点検口から這い出て、ここに置き捨てられているシグーを目指す。

 下半身が破壊されている為、ジャンクのようにしか見えない事が幸いしたのか、シグーは監視がつく事もトラップを仕掛けられる事もなく放置されていた。

 少年はシグーのコックピットハッチに辿り着くと、ハッチを開くべく操作した。

「ん? 何だ?」

 海兵の一人が、ハッチが開く音に気付いてシグーを見る。そして、海兵はシグーに乗り込もうとしている少年を見た。

「敵!?」

 アサルトライフルを撃ちはなった海兵の判断は速かったが、位置が悪かった。少年は、海兵から見てシグーの影に身体のほとんどを隠している。

 少年が動くよりも早く銃弾が放たれたが、そのほとんどがシグーの装甲表面で弾け、残りは倉庫スペースに置かれた資材に当たった。

 少年は、銃撃の後に自分が生きている事に気がつくと、慌ててコックピットの中へと飛び込んみ、すぐにハッチを閉じる。

 ハッチを閉じてしまえば安全だ。少年は恐怖による震えと早くなった鼓動を抑える為に息をつき、MSを起動させる操作を始めた。

 一方、海兵達は、少年がシグーに乗った事に気付くと、射撃を止めて倉庫スペースの外へと走り出た。

「緊急事態! 倉庫スペースの廃棄MSが奪われた!」

 一人が通信機に怒鳴る傍ら、もう一人は倉庫スペースの扉を閉鎖する。

 海兵二人でMSは止められない。外に出た後に、MAに片を付けて貰うしかないだろう。

 そう判断して海兵達は、シグーに乗った少年が船内を破壊し始めるような暴挙を起こした時に巻き込まれないように、通路の各所に設けられた緊急用の隔壁を下ろしながら、大急ぎで倉庫スペースの前を離れていった。

 取り残された倉庫スペース内、シグーは起動する。少年の修理によって、シグーは良好とは言えないもののそれなりに動く状態にはなっていた。

 少年は操縦桿に手をやり、シグーを動かす。身じろぎすると、シグーを固定していたワイヤーが次々に弾け切れ、シグーは自由を取り戻す。

 その後、シグーと共に回収され、これも床にワイヤーで固定されていたMMI-M7S 76mm重突撃機銃を手に取る。ぐっと引っ張るとワイヤーが千切れ、重突撃機銃はシグーの手の中に収まった。

 次は、外に出る……少年がそう考えて、倉庫への物資搬入口でもある大型エアロックの扉の方に目をやった時、少年は重厚なその扉がゆっくりと開いていくのを目撃した。

 エアロック脇の操作コンソールに立つのは、後を追ってきていた主任。

「どうして……」

 どうして協力してくれるのか? 先ほどまでは止めようとしていたのに。そんな疑問が口をつこうとした。だが、この疑問の答えは簡単だと少年は思い直す。

「わかってくれたんですね? 本当に正しい事を」

 ああ、本当に正しい事は、必ず理解されるのだ。主任は、正しい事を邪魔しようとする悪人などではなかった。そんな考えに少年は喜んだ。

 もっとも、少年が主任をもっとよく観察していたら、そんな感想は抱かなかったかも知れない。いや、観察していたとしても、同じ感想に至っていただろうか。

 ともあれ、主任の顔に浮かんでいたのは、苦い諦めの表情だった。

 主任は、遅れてこの倉庫スペースに辿り着き、少年がシグーに乗ってしまった事を知った所で諦めた。もう止める事は出来ない。ならば……

 エアロックの扉が開く。シグーはゆっくりと前進し、エアロックに入っていく。

「……生きて帰って来いよ。お前はまだまだメカニックの修行が足りてないんだ」

 主任は、すぐ横を行き過ぎていくシグーに向けて言った。その言葉は、少年には届かない。

「主任、行ってきます! 必ず、命に代えてもラクス様を守ります!」

 少年は外部スピーカーを通して主任にそんな言葉を残した。そのままシグーはエアロックに入っていく。

 主任は、無言でエアロックを閉鎖する。こちらの扉が閉まれば、続いて宇宙側の扉が開き、シグーは宇宙に放たれる。

「馬鹿野郎。そうじゃないだろうが。お前は……そんなじゃないだろうが」

 主任は、いつからか涙を落としていた。無数の水滴が、球となって主任の顔の周りを舞い飛ぶ。

 主任は、少年を止められなかった無力さに泣いた。行かせてしまった後悔に泣いた。

 それでも……少年が生きて帰ってくる事を祈った。

 

 

 

 シルバーウィンドの船体から脱出ポッドが射出される。

 ドレイク級宇宙護衛艦ブラックビアードの艦橋、モニターに映し出されるそれを見ていた艦長の黒髭は、すかさずオペレーターに指示を出した。

「ザクレロに追わせろ! 捕獲最優先だ!」

 その指示を、オペレーターは通信でザクレロに伝える。

 黒髭は、今の状況について考えていた。

 ホールで起こった暴動。そして、脱出するわけではなく、逆に攻撃を仕掛けてきた暴徒。たった一機だけ撃ち出された脱出ポッド。

 有り得るとしたら、暴動は陽動で、本命は脱出ポッド。

 だがそれにしても解せない。暴徒達は、軍人などの命令に命を賭ける事も辞さない人種ではなく、いわゆる一般市民だ。彼らが無為に命を捨ててまで逃がそうとしたのは誰か?

 仮に、ここに現議長のシーゲル・クラインが居ても、こんな異様な暴動にはならないはずだ。

 船内の戦況は、既に山場を超えた。今は、抵抗を続ける暴徒を鎮圧して捕らえ、降伏した者はそのまま捕虜にするといった、後始末の段階にある。

 なお、ホールでの暴動に加わらず、逃げ隠れした後に降伏した者は多くはなかった。本当なら、もっと居ても良いはずなのだが……

 そして、当時ホールにいなかったコーディネーターは、暴動に同調する気配すらない。

 暴動の事を聞かせた後も、そんな暴動が起こった事が信じられない様子だったと報告が来ている。

 また、一般市民であるコーディネーターが、命を捨ててまで逃がそうとするようなVIPにも心当たりは無いとの事だった。

 だが、誰かが逃げ出している。誰かが。何にせよ、それは脱出ポッドを捕獲すればわかるだろう。

 黒髭がそう思考をまとめたその時、艦橋に緊急通信が入った。

「艦長、船内で中破していたMSが起動したとの連絡です!」

「ちっ!」

 オペレーターの報告に、黒髭は舌打ちしながら顔を歪めた。

 今、ブラックビアードはシルバーウィンドに接舷しており、身動きが出来ない。外に出てきたMSが攻撃を仕掛けてくれば一溜まりもないだろう。

「メビウス・ゼロに連絡! 出てきた所を叩かせろ!」

「艦長!」

 黒髭が指示を出した直後、今度はオペレーターではなく索敵手が声を上げた。

「直上方向、MS二機接近中! ばらまいておいたセンサーに引っかかりました! 望遠映像出ます!」

 報告と同時に、モニターにジン長距離強行偵察複座型と通常型ジンの姿が映し出される。

 その二機は、まっすぐにこの宙域を目指してきていた。

 

 

 

「大型熱源感知! 三つです!」

 ジン長距離強行偵察複座型の中、後部座席の情報収集要員の部下が声を上げる。それを聞いて、パイロットシートに座る偵察小隊隊長は、読みが当たっていた事に苦々しい思いを感じていた。

「やはり、連合の目的はシルバーウィンドか! 民間船を狙うとは、卑怯な奴等め!」

 だが、既に襲われていたとは。来るのが遅かったか……と、隊長は悔恨に奥歯を噛みしめる。部下の報告は続いた。

「望遠で捕らえました。敵、ドレイク級一、艦種不明一! ドレイク級は、シルバーウィンドに接舷中!」

「接舷中なら、まだ船内に生存者が居るかもしれん! 救出するぞ!」

 接舷中と言う事は、敵はまだ船内で活動中と言う事だ。中で殺戮が行われていたとしても、まだ生き残りが居るかも知れない。

「ドレイク級には捕虜が乗せられている可能性がある! 迂闊な攻撃は出来ない。まずは艦種不明の奴を撃沈するぞ!」

『了解です! あいつの仇を討ってやる!』

 隊長に答えて、通常型ジンのパイロットが殺された仲間の復讐を叫ぶ。

 隊長はその叫びを受けて、自らもまた叫んだ。

「そうだ、復讐だ! 俺達には奴等が殺した仲間達がついている! 敵に後悔の二文字を教えてやれ! 全員、突撃!」

 ジン長距離強行偵察複座型と通常型ジンは速度を上げ、艦種不明……すなわち、アークエンジェルへと突っ込んでいった。

 

 

 

 客船シルバーウィンドの船体、中央の客室が集中するブロックの外殻、その一部分が爆ぜて、中から一基の脱出ポッドが射出された。

 脱出ポッドは射出の勢いを維持して、船体から高速で離脱していく。

 船が爆発しても安全と言える距離までは、自動操縦で移動する様に設定されているのだ。

『ザクレロ、聞こえますか? ザクレロ』

「はい、こちらザクレロです」

 脱出ポッドの射出をモニターに捉え、その行く先を自動計算させていたマリュー・ラミアスは、通信機からの呼びかけに答えた。

『脱出ポッドの追跡と捕獲を。必ず、中身を生かしたままでお願いします』

「了解!」

 手短に答え、マリューはフットペダルを踏みこんだ。今日までの訓練の成果もあり、ザクレロは緩やかに加速を開始する。

『よぉ。いつもみたいに突っ込んで、目標をぶっ壊すなよ』

 ザクレロが動き始めたのを見たのか、ムゥ・ラ・フラガから通信が入った。

「了解、隊長殿。うるさいわね。黙って見ていてよ」

 律儀な返事を返してからマリューは、砕けた口調で付け足して言い返す。通信で返ったのはムゥの苦笑混じりの声だった。

『ああ、俺の愛機じゃ、脱出ポッドを捕まえるなんて出来ないからな。高みの見物と行かせてもらうさ』

 メビウス・ゼロではアームが無いので捕獲が出来ない。ついでに言うと、ミストラルでは脱出ポッドに追いつく為の速度が無さ過ぎる。つまり、今ここではザクレロ以外に出来る事ではない。

「そうしてちょうだい。ザクレロの活躍を見せてあげるんだから」

 マリューは通信機にそう告げて、ザクレロの速度を更に上げた。瞬く間に、シルバーウィンドが遠くなり、代わりに脱出ポッドが近寄ってくる。

 ザクレロの速度に比すれば、脱出ポッドの速度も、はっきり遅いと言えるわけで、追いつくだけの事ならばそう難しい事もない。

「まあ、有る程度逃げれば、脱出ポッドも速度を落とすはずよね……それから、仕掛けようかしら」

 船の爆発などから逃れる為に、最初はそれなりの速度で移動する脱出ポッドだが、安全圏まで逃げた後は速度を落とす。

 理由は、事故現場からあまり遠くに離れると救助が来た際に発見が困難になると言うのが一つ。高速で移動を続けた場合にデブリにぶつかったり地球の引力圏に捕まったりと言った二次災害に見舞われる可能性がある事が一つ。

 脱出ポッドはそう遠く行かないうちに止まるだろう。確実な確保こそが大事なら、急ぐ事はないはずだ。

 そう考えて、マリューは脱出ポッドを確実に追尾する事を考える。

 しかし、その時、ザクレロのコックピット内に警報が響いた。

 マリューはモニターに書き込まれた警告メッセージ、そして後方の視界を映し出したモニター内のウィンドウを見て、驚きの声を上げる。

「後方から敵機!?」

 そこには、猛烈な勢いで追い上げてくる一機のシグーの姿があった。

 

 

 

 マリューを見送った後、ムゥにはシルバーウィンド内から出てくるMSの撃墜が命じられた。

 しかし、出てくる場所はわかっている。待ちかまえて撃つだけ。楽な仕事の筈だった。

 ムゥはメビウス・ゼロを操り、敵の出てくるハッチに照準を合わせ、トリガーに指を乗せる。

 だが、ハッチが開いた瞬間に目に飛び込んできた敵機に、ムゥは思わず声を上げていた。

「あいつか!?」

 見覚えのあるシグー……ヘリオポリスで戦ったのはそう遠い昔ではない。

 その記憶が、ムゥを焦らせた。

 とっさに操縦桿を倒し、フットペダルを踏み込んで、ほぼ停止状態に置いてあったメビウス・ゼロにまるで蹴り飛ばされたかの様な急発進をさせる。

 ムゥが想像した通り、ラウ・ル・クルーゼがパイロットなら、単純な攻撃では逆に撃墜されてしまう。ムゥのとった行動は、敵がラウであったならば正解だった事だろう。

 しかし、シグーはムゥの予想とは全く違った行動をとった。

 シグーはハッチから出るや、メビウス・ゼロはもちろん、近くに転がる好目標の筈のシャトルやドレイク級宇宙護衛艦ブラックビアードも無視して、まっすぐに宇宙へと飛び出していく。飛び去った脱出ポッドを追って。

「しまった、別の奴か!」

 ムゥが悔やんで声を上げる。

 メビウス・ゼロとシグーの軌道は交差した。すなわち、シグーを追うには大きな方向転換を伴い、時間を浪費せざるを得ないと言う事。

「くそ、何かあいつが居る様な気もしてたせいで、見誤った!」

 ムゥは、何故かは知らないがラウが居る事をいつも察知出来ていた。

 今は、いつも感じる様な感覚ではなく、何となく気配があるか無いかの様な曖昧な感覚がある。気のせいと言われれば、それで納得してしまうような曖昧な感覚だ。

「未熟な部下がついて、俺も神経質になっちまったかねぇ」

 軽口を叩きながらムゥは、メビウス・ゼロを方向転換させようとする。

 と……突然、通信機からブラックビアードのオペレーターの声が響いた。

『メビウス・ゼロ! 聞こえますか!?』

「了解、聞こえてる。一発目を外して逃がしたが、なーにこの失点は次のターンで……」

 MSを逃がした事に対する何かの連絡だと考えたムゥの言葉は、最後まで言う前にオペレーターの声に打ち切られた。

『命令を変更します! 新手の敵MS二機が接近中! ブラックビアードの直掩に戻ってください!』

「了解! だが……直掩? 迎撃に向かわせてくれ!」

 守るより、叩きに出た方が良い。ザクレロが抜けている今、MSと戦える戦力は自分しかないはずなのだから。

 しかし、その申請はややあってから拒否された。

『アークエンジェルが迎撃を試みます。メビウス・ゼロは直掩で』

 ムゥは瞬間的に、アークエンジェルとその直掩についているサイ・アーガイルの事を思い浮かべる。

 アークエンジェルは損傷を受けている上に人員不足だし、サイに至っては半人前以下だ。迎撃などと簡単に出来るはずもない。

 だが、ブラックビアードの考えも理解出来ないではない。

 メビウス・ゼロを迎撃に出し、もし敵がそれをすり抜けてきたら……あるいは更に別方向から敵が出現したら、シルバーウィンドと接舷中で満足に動けないブラックビアードが無防備で襲われる事になる。

 防衛戦力を完全に無くしてしまう訳にはいかないのだ。

 メビウス・ゼロを残せば、最悪の場合でも、アークエンジェルとミストラルとの戦闘で消耗した敵を迎撃する事が出来る。ブラックビアードが生き残れる確率は高くなるだろう。

 ムゥはそれでも迎撃に参加したかったが、命令を無視して突っ込むわけにも行かない。苦渋の選択の末、ムゥはブラックビアードに怒鳴り声を送りつけた。

「……了解! だが、アークエンジェルが拙くなったら、俺も迎撃に向かうぞ! そう何度も、母艦を落とされてたまるか!」

 

 

 

「敵は二機……シミュレーションでやったぞ」

 MAミストラルのコックピット。サイは、遠くから迫ってくる二機のジンを映し出すモニターを睨み付けながら、自分に言い聞かせる様に呟いていた。

 しかし、シミュレーションでは全敗だったのだ。気を重くする要素とは成り得ても、安堵が湧いてくるわけもない。

 搭乗している砲戦型ミストラル改は、アークエンジェルのメカニック達が改造した機体で、先の戦いでジンから奪い取ったM69 バルルス改特火重粒子砲とメビウス用装備だった有線誘導対艦ミサイル四基が追加で取り付けられている。

 通常のミストラルよりはよっぽどましではあるが、所詮はましな程度だとも言える。

『アーガイル准尉、聞こえているか?』

「は、はい!」

 通信機からコックピットに流れた、ナタル・バジルール艦長の声に、サイは我に返った様に返事をした。

 緊張を悟られたか……と、サイは失敗した気分になって顔をしかめる。

 だが、緊張している事を知られたからといってどうなる物ではない。サイの代わりとなる者は居ないのだから、少なくとも出撃が取り止めになるという様な事はない。

 だからか、ナタルの声には特に変調はなかった。

『落ち着いていけ。アークエンジェルの攻撃に合わせろ。良いな? 攻撃開始のカウントは、こちらで取る。待機しろ』

「了解です」

 返事をして、サイはモニターに目を戻す。ジンは極めて順調に距離を詰めてきており、モニターの中でその大きさを増してきていた。

 

 

 

 アークエンジェルは、接近してくる敵MSに対して正対し、船体をやや下向きにする事で艦正面上方を敵に向ける。武装を最も生かせる体勢だ。

「バリアント、ゴットフリート! 用意!」

 艦長席から、ナタルが指示を下す。

 それを受け、艦に装備された110cm単装リニアカノン「バリアントMk.8」二門と、225cm2連装高エネルギー収束火線砲「ゴットフリートMk.71」二門が動き出す。

 当たればMSを一撃で破壊しうる砲撃ではあるが、元来、対艦用である為、MSやMAの様な小型の目標に確実に当てられる様な精度は持っていない。敵が遠ければなおの事。

 また、MSはその進路を僅かずつランダムに変える回避機動を行い、砲の照準をあわせる事を許さない。手足を振る事で、それを容易く出来る事が、MSが戦場で優位に立つ理由の一つである。

「撃てぇ!」

 ナタルの声を受け、砲は各々砲撃を開始した。

 ビームが光の線となって宇宙を貫き、ジンのやや近くといった所を貫く。当たらない。

 リニアカノンの砲弾は流石に見えないが、敵が健在という事は外れているのだろう。

 やはり、砲撃が当たる事はそうそうない。

 二機のMSは、砲撃に気付くや素早く艦に対して横方向に大きく移動した。回避機動の幅を大きくして、まぐれの直撃や至近弾を避ける為だ。前進速度は鈍ったが、それでも地道に接近してきてはいる。

「ヘルダート、コリントス発射!」

 砲撃が外れた事を確認後、ナタルの指示が飛んだ。

 艦橋後方の十六連艦対空ミサイル発射管から対空防御ミサイル「ヘルダート」十六発。

 艦尾の大型ミサイル発射管の内、前方に向けられた物十二基から、対空防御ミサイル「コリントスM114」十二発が放たれる。

 直後、ナタルはミストラルのサイに指示を下した。

「アーガイル准尉! 敵へのミサイル攻撃後、狙って撃て!」

『りょ、了解!』

 サイからの返答。やはり、緊張の色は消えていない。しかし、既に戦いは始まってしまっている。

 ナタルは冷静であるよう努めながら状況の推移を伺った。

 放たれたミサイルの群れは、MSを追って殺到する。敵目標を自律的に追尾するミサイルは、砲の類よりは当たりやすい。

 とは言え、これら対空ミサイルの類は、目標至近で爆発し飛散する破片によって目標に損傷を与えるという物であり、装甲貫徹力は低い。つまり、対艦ミサイルや軽装甲の旧型MAには効果的な兵器であるが、比較的重装甲のMSには効果が薄いのだ。

 ミサイルの直撃が有れば別だが、そうそう有る物ではない。

「敵にミサイル到達!」

 索敵手のジャッキー・トノムラが報告の声を上げる。艦橋のモニターには、MSの周辺で次々に爆発が起こり、閃光がMSの影を呑み込んでいく様が映し出されていた。

 閃光が視界を妨げ、飛び散るミサイルの破片がレーダーを攪乱し、MSの存在を感知する事は不可能となる。しかし、それも僅かな時間の事だ。索敵手はすぐに敵の存在を再確認した。

「敵、健在です」

 急速に消えていく爆発の残光から、MSの影が二つ姿を現す。

『撃ちます!』

 通信越しにサイの声が聞こえた。

 アークエンジェルの傍らに在るミストラル。その頭頂部に設置された重粒子砲から、一条の光が放たれてMSに向けて突き進む。

 それは、ミサイルの爆発に翻弄され、その動きを鈍らせたMSを貫くかに思われた。

 

 

 

 機体の至近にて、次々に炸裂するミサイル。閃光に白く染まるモニター。無数の破片が衝突し、機体を揺らす。

 ジン長距離強行偵察複座型の中、後部座席の偵察要員の悲鳴を聞きながらも、偵察小隊隊長にはまだ余裕があった。

「こんな物は目眩ましだ! それより、すぐに次が来る!」

 声を上げ、隊長はフットペダルを一気に踏み込む。同時に、レバーを動かして自機に手足を振らせ、進路をねじ曲げた。

 ランダム機動による緊急回避。直後に、ビームの光条が、数瞬前まで自機が居たその場所を通過していった。

「今のは……雑魚がビーム砲を持っているだと?」

 隊長は、閃光の影響から回復したモニターに、今の攻撃を行った敵の姿を見る。ミストラル……連合の旧型MA。改造はされているが、所詮はMSの敵にはならない、雑魚に過ぎないだろう。

 隊長は、前方にある艦種不明の連合艦……アークエンジェルの直掩が、その一機だけで在る事を見て取り、馬鹿にされたような気分になった。

「時代遅れのMAが一機、敵になるものか! 一気にかかるぞ!」

 通信機を通し、ジンに乗る部下へ向けて気勢を上げる。

「支援する! 接近して叩け!」

 指示を下しながら隊長は、再開されたアークエンジェルからの砲撃を避けつつ、自機に狙撃ライフルを構えさせた。ジン長距離強行偵察複座型の専用装備であるこの銃は、長射程、高命中精度を誇っている。敵との現在の距離ならば、まず外す事はないだろう。

 隊長は、後部座席の偵察要員に命じた。

「目標、正面のMA。射撃修正を出せ」

「了解!」

 偵察要員は、すぐさま自分の仕事に取りかかる。

 機体に装備された観測システムを使い、自機と敵機の相対的な位置関係、そしてその未来位置の予測を行うのだ。偵察型であるが故の充実した観測システムだから出来る事であり、その観測を十分に生かす為の狙撃ライフルである。

 程なくして、モニターの中央に浮かぶミストラルに、LOCK ONを示すマークが表示された。

「射撃修正出ました。引き続き観測中。あんな遅いMA、訓練の時のダミーよりも簡単ですよ」

 軽口を叩く偵察要員の声を聞き流しながら、隊長はトリガーに指を添える。

「まずはお前からだ……」

 

 

 

 サイが発射したビームは、敵MSの、宙に放り投げられた人形の様な出鱈目な機動で回避された。

「あいつ、宇宙で跳ねた!?」

 サイは驚愕に声を漏らしながら、逃げた敵MSを追って照準を合わせようとする。が、

「あ、いや違う……まずは移動だ」

 砲撃を終えたら、すぐに移動。それは何度も注意された事だ。サイはフットペダルを踏み込み、ミストラルを移動させる。

「それに、戦場を広く見る……もう一機居たよな」

 思い直し、モニターの中にもう一機のMSを探す。

「何処だ? 何処だ!?」

 ミストラルが移動している為、モニターに映る映像も動く。その上で、カメラを動かして宙域を探るので、なかなか敵のMSを捕まえる事が出来ない。

「シミュレーションじゃ、もっと上手くやれてたのに!」

 シミュレーションで学んだ事が、身体に染みついていない。焦りが、判断を鈍らせている。自分が惨めな様を晒していると自覚があるからこそ、焦りは更に増していく。

「み……見つけた!」

 サイはようやくモニターの中に、敵MSを捉えた。

 アークエンジェルの砲撃を避けながら、接近してくる通常型ジン。モニター上、僅かずつ大きくなりながら画面を斜めによぎっていくそれに、サイは重粒子砲の照準を合わせる。

「今度こそ!」

 操縦桿のトリガーに指をかける。

 だが、そのトリガーが引かれる前に、ミストラルを激しい衝撃が襲った。

 

 

 

 アークエンジェルの艦橋。

 モニターの片隅に映っていたサイのミストラルが、突然、機体の一部を爆発させた。

『うわああああああっ!?』

 通信機から、着弾を示す爆発音とサイの悲鳴、ミストラルのOSが機体の損傷を知らせる金切り声の様な警告音がどっと溢れ出す。

「サイ!?」

 通信席の側で、通信オペレーターの見学をしていたフレイ・アルスターが、思わずその名を呼んで身を乗り出した。

 モニターの中、ミストラルは装甲の欠片を宇宙に撒きながら漂う。

「ミストラル被弾! 敵の内、後方の一機は狙撃戦仕様機の様です!」

 索敵手のジャッキーが、声を上げて状況を説明する。その声にフレイは素早く反応した。

「ちょ……狙撃って、サイは大丈夫なの!? サイはどうなったのよ!?」

「黙れ! 戦闘の邪魔になるなら、艦橋から追い出すぞ!」

 ともすれば、ジャッキーに詰め寄っていきそうな勢いのフレイを、ナタルの怒声が打った。

 そしてナタルは、素早く新たな命令を下す。

「支援砲撃! 後方の機体に火力集中! 敵に狙撃をさせるな!」

「しかし、接近中のジンに対してが疎かになりますよ!?」

 火器管制をしていたクルーが、ナタルに抗弁した。

 アークエンジェルにとって、どちらが脅威かと言えば、圧倒的に接近してくるジンの方が脅威だ。ミストラルの支援の為に、その接近を許してしまえば、今度はアークエンジェルが危機に陥りかねない。

「く……」

 ナタルは判断に迷った。

 ミストラルは、今は重要な戦力である。元民間人の若者を乗せたという負い目もあった。切り捨てるという判断は有り得ない。

 しかし、接近してくるジンの対応が重要だという意見は正しいものだった。

「……ゴットフリート、後方の機体に砲撃開始! 他武装は、接近中のジンへ。敵との距離がある内に叩け! 近寄らせるな!」」

 結局、ナタルはミストラルの為に、牽制に使う兵器をゴットフリートのみとする。

 射線が目立つ上に高威力なビーム兵器なら、回避に専念して狙撃を諦めるかも知れない。そんな事を期待して。

 しかし、敵が戦闘に慣れたベテラン兵ならば、その期待はかなう事はないだろう。

 そして、ナタルの見立てでは敵は恐らく……いや確実にベテラン兵だった。

「アーガイル准尉! 支援砲撃の隙に体勢を立て直せ!」

『りょ……りょうか、うわぁ!?』

 ナタルの指示に返答するサイの声が、またも爆発音と悲鳴にとってかわられる。

 ゴットフリートの砲撃をかわしつつ、更なる狙撃を行うだけの余裕が敵にはあったのだ。

 モニターの中、二発目の直撃を受けたミストラルは、新たな傷口から破片を撒き散らし、着弾の衝撃で転がるように回転していた。

 

 

 

 足の無いシグーが、宇宙を一筋に駆けていく。

 乗っているのは、シルバーウィンドの整備員の少年。

 自分で直し、整備したMSに自分が乗って、宇宙を飛んでいる。以前の少年ならば、何度も夢想した事が現実となった喜びに震えた事だろう。

 しかし、今の少年はただ一つの正しい事の方が重要だった。

 喜んでいる場合ではない。今は、ラクス・クラインを救わなければならない。

 シグーのモニターの中、脱出ポッドと、それを追う巨大なMAの背中を少年は見る。

 ラクス様は、脱出ポッドで脱出をする手筈になっていた。なら、あの脱出ポッドこそがラクス様なのだろう。そう、少年は見当を付ける。

 間違っており、ラクス様がまだ船内に居たなら? あるいはもう既に敵に捕まっていたら……と、考えもしたが、MSではどうせ船内に手出しは出来ない。

 なら、敵を全て倒して、ラクス様の安全を確保する。

 脱出ポッドを追っている黄色い巨大なMA……少年は名を知らぬがザクレロはかなり強そうに見える。先に倒してしまうのが正解だろう。他のMAや戦艦は後回しだ。

 ZAFTのMSは、連合の戦艦やMAを物ともしない最強の兵器なのだと聞いていた。一機が、MAを何機も落とし、戦艦を何隻も沈めたと。なら、自分にも出来るかも知れない……いや、やってみせる。

 少年は強い決意でもって、シグーにMMI-M7S 76mm重突撃機銃を構えさせた。

「僕は、ラクス様を守るんだ!」

 トリガーを引く。重機銃から吐き出された銃弾がザクレロを背後から襲い、背中の装甲で弾けて火花を散らした。

 と……

『ちょっと、脱出ポッドに当てる気!?』

「え!? 声?」

 通信機から、共用回線でマリューの怒声が届く。

 脱出ポッドとザクレロ、そしてシグーは一列に連なっている。つまり、ザクレロを外れた銃弾は、脱出ポッドに当たりかねない。

「誰だかわからないけど、教えてくれた?」

 少年は、マリューの声が敵の声だとは気付かなかった。共用回線とはいえ、戦闘中に敵と通信が繋がるなど想像もしてないのだから仕方ない。

 故に少年は、マリューの声を忠告と受け取り、素直に武器を変えた。

「じゃ……じゃあ、別の武器で!」

 重機銃をラッチに戻し、代わりに重斬刀を抜く。そして、斬りかかる為にシグーを更に加速した。

 

 

 

「へぇ……脱出ポッドごとってつもりじゃなかったのね」

 武器を変えたのがその証拠。重斬刀を抜いて背後から距離を詰めてくるシグーを、ザクレロのモニターに見ながら、マリューは感心した様な声を漏らした。

 だが、その表情には僅かに緊張が見える。流石にマリューも、余裕を持って敵と対せる程に慣れては居ない。それでも、サイよりは余裕があった。サイとマリュー、戦闘経験にそう大差のない二人の違い。それは……

「行くわよザクレロ! 貴方ならやれるわ!」

 ザクレロへの絶対的な信頼……あるいは無根拠な過信。それが、マリューにはあった。

 マリューはザクレロを加速させる。脱出ポッドに速度を合わせていたザクレロは、あっという間に速度を増して脱出ポッドを追い越し、シグーを後方に引き離した。

 高速度に達したザクレロの装甲表面、暗礁宙域に漂う無数の小さなデブリが衝突して幾多の火花を散らす。その火花が、ザクレロの凶悪な面相を宙に浮かび上がらせる。

 マリューは操縦桿を引き、ザクレロの機首を上に向けた。そのまま機首を上に向け続けながら前進を続け、ループ機動に入る。

 遠心力が足下方向にかかり、血の下がる感覚がマリューを襲った。だが、ノーマルスーツの耐G効果もあり、ブラックアウトには至らない。

 ザクレロは、宙に巨大な円を描く軌道を辿った。そして円は、再び始点へと戻ってくる。

 その頃には、置き去った脱出ポッドとシグーが始点となった所を通過しており、ザクレロは両者の後方位置につける事が出来る……筈だった。

「あれ?」

 マリューが気付いた時、ザクレロは脱出ポッドのすぐ前を飛んでいた。

「速過ぎた?」

 速度が速すぎたのか、脱出ポッドが追いつく前に回ってきてしまったのだ。

 マリューは即座に、二周目のループに突入した。

 

 

 

 ザクレロが急加速して、自分のシグーを置き去りにし、更に脱出ポッドまで追い越して行くのを、少年は呆然と見守った。

「……逃げた?」

 他に、ザクレロが離脱した理由を読めなくて、少年は疑問には思いながらもそう呟く。

 しかし、逃げたならば好都合。この間に、脱出ポッドに接近出来る。少年は、シグーの速度を上げて、脱出ポッドに追いついた。

「えと……」

 追いついたは良いが、中を確認する手段がない事に少年は気づき、脱出ポッドとシグーの速度を合わせながら、迷いの声を漏らす。

 窓はあるのだが、小さくて中のほんの一部しか見られない。まさか、割って中を確かめるわけにもいかないだろう。ならば……

「あ、そうだ。通信機!」

 少年は、急いで通信機を操作し、救難用回線につなぐと脱出ポッドに話しかけた。

「ラクス様! 中にいるのは、ラクス様ですか!?」

 何度か声をかけてみる。ややあって、返信が返ってきた。

『はい……あの、どちら様ですか?』

 その声を聞き、少年は心の底から沸き上がってくる歓喜に震える。

 ラクス・クラインの声。真実を告げる歌声。

「ラクス様! お守りに来ました!」

 少年の歓喜に満ちた声は、ラクスを守ると告げる。それに対し、ラクスは一瞬、沈黙した。そして、

『……い……いやぁあああああっ!』

 悲鳴。叫び。

『止めてください! 止めてください! もうそんな事しないで! みんな……みんな死んでしまうのに! 貴方も! もう止めて!』

 少年は、ラクスの叫びの意味がわからなくて小首をかしげた。

 ラクス様を助ける事が唯一正しい事なのに、ラクス様は何を言っているのだろう……と。

「え? でも……ラクス様を守る為です」

『お願いです! もう守らなくて良いのです! だから、誰も死なないで……』

 ラクスは守らなくて良いと言っている。それは、自分を死なせたくないかららしい。

 ならば簡単な事だと、少年は思った。

「大丈夫、死にませんから! 敵は逃げましたし、後はここから離脱するだけ……」

 言いかけた少年の言葉を、シグーのOSが発する警告音が遮った。

 直後、脱出ポッドとシグーの前に、再びザクレロがその背中を見せる。

「!? あいつ、戻ってきて!?」

 逃げたのではない。敵はまだ脱出ポッドを狙っている。

 一瞬でそれを察した少年は、再び離脱していくザクレロを追って、シグーを走らせた。

「ラクス様、必ずお守りします!」

 通信機からはラクスの声がまだ聞こえていたが、敵を見つけた少年の耳にはもう届いては居なかった。

 

 

 

 ああ……私は悪い子だ。

 脱出ポッドの中、通信機に向けて叫びながら、ラクスは自分の中に、何処か冷めた感覚で自分を見つめる部分を感じていた。

 通信があった時、少年の声を聞いた時、ラクスは安堵したのだ。死んで欲しくない、もう守らなくて良いと……口ではそう言いながら、少年が来てくれた事を喜んでいる。

 時に人は矛盾する感情を抱く。人に死んで欲しくないと願う心も真実であるし、同時に自分が助かりたいと願う心もまた真実である。両方を同時に抱いた所で、片方が嘘になるわけではない。

 しかし、ラクスには許せなかった。純粋であるよう育てられた少女に、矛盾を抱いた心をそのまま受け入れる事は出来なかった。

 死んで欲しくない。自分を守る為にと死んで欲しくはない。しかし、心の中で、守って欲しいと願う自分が居る……人の死を願う自分が居る。短絡ではあるが、ラクスにそれを否定したり、気づかぬふりをしたりする事はできなかった。

「私……悪い子ですわね」

 くすりと笑う。自嘲と……そして、僅かに喜悦をまじえて。

“そんな事はありませんよ、ラクス様”

 小さく声が聞こえた。

“ラクス様の為ですから”

 誰もいない脱出ポッドの中。

 ひそひそ、ぷつぷつと、ざわめく。ラクス様。ラクス様と。

「止めてぇっ!!」

 ラクスは無数の声に向けて叫ぶ。

「私の為に……私が……そのせいで死んでしまったのに……」

“泣かないでください”

“行きましょうラクス様”

“歌ってくだされば良いのですラクス様”

 声は、ラクスにまとわりついて囁く。

“歌って……歌ってください”

“歌を……ラクス様の歌を”

「歌を……」

「ハロ! ラクス、ゲンキナイ?」

 誰もいない静まりかえった脱出ポッドの中、一人で話し続けるラクスに、ピンクのハロが話しかけた。その声に、ラクスは我に返った様子で、宙を漂うハロに目をやる。

「ピンクちゃん……」

 ラクスはハロを手に取り、ぎゅっと抱きしめる。

「私は……怖いのです」

「ハロ、イッショ! コワクナーイ!」

 ハロの無邪気な台詞に、ラクスは少しだけ微笑む事が出来た。それは、以前までのラクスと変わらぬ無邪気な笑みであった。

 

 

 

 サイ・アーガイルが乗るミストラルに二発目の着弾があった。穿たれた装甲の破片を撒き散らしながら、ミストラルは回転しつつ宙を漂う。

 戦場の後方に位置するジン長距離強行偵察複座型が、ミストラルを狙撃しているのだ。

「サイ……!」

 アークエンジェルの艦橋。サイの窮地を見守るしかないフレイ・アルスターは叫びかけ、無理にその声を呑み込んだ。

 ダメだ……取り乱せば、サイに何もしてあげられなくなる。騒げば艦橋から出すとナタルが言ったのは脅しではないだろう。そうなれば、フレイは本当に何も出来なくなる。

 それに、ここでフレイが取り乱して泣きわめいても、サイにとっては何のプラスにもならない。何かするんだ。何が……出来る?

 フレイは、胸の奥から沸き上がる恐怖と焦りを抑え込み、必死で頭を働かせた。

「考えなさい、フレイ。小細工や卑怯勝負は得意でしょう?」

 小さく……自分に命じる様に呟く。

 フレイは陰謀家の質であった。目的を達する為に必要な手段と、その手段を実行する為に必要な犠牲を計る能力に長けている。無論、それを普段の生活で露見させない狡知にも。

 しかし、卑怯な振る舞いを恥じる心は、フレイも持ち合わせていた。

 だからその能力は、多少、フレイの社会的地位を向上させる為と、それに伴って降りかかった火の粉を払う為に使われた以外では、役に立った事はない。カレッジのアイドル的地位を獲得し維持するには色々と有ったのだ。

 それでも、折に触れて直感的に思いつく、とても効率的で卑劣な手段を今までは疎ましくさえ思っていた。特に、サイに対しては、自分の醜い卑劣な姿を絶対に見せられないとまで思っていた。

 しかし今、フレイはその能力を活かそうと頭を働かせている。今は、仮にサイに嫌われたとしても、やらなければならない事があるからだ。

「ちょっと、貸して!」

 悩ましげに眉を寄せて顰め面をしていたフレイは、いきなりその顔に意を決した表情を浮かべると、通信席の通信機に飛びついた。

 通信は、サイに繋がっている。それはフレイも知っていたので、そのままマイクに向かって声を上げた。

「サイ! 移動してアークエンジェルの陰に隠れて!」

『え? フレイ!? どうして君が……』

 サイから返ったのは驚きに満ちた台詞。だが、そんなものはフレイは望んでいない。

 フレイはすかさず、苛立ちを隠さずにサイを怒鳴りつけた。

「いいから早く! アークエンジェルの影へ! そこなら狙撃はされない!」

「勝手な指示を出すな!」

 ナタル・バジルール艦長が、艦長席からフレイを怒鳴りつける。

「アークエンジェルを盾にするだなどと……」

「一発でMAを撃破出来ない攻撃なんて、受けても戦艦は落ちないでしょ!」

 フレイはすかさず怒鳴り返す。その怒声を受け、ナタルは言葉に詰まった。

 確かに……ミストラルは、装甲や機体の耐久性に優れたMAではなく、むしろ脆弱な方に入る。なのに、敵の攻撃はミストラルに直撃しても撃破出来ていない。

 そして、装甲や耐久性では、アークエンジェルの方が遙かに頑強だ。

「……アークエンジェル、前進! サイのミストラルに接近しろ」

 ナタルは、操舵士のアーノルド・ノイマンに命を下してから、通信席のフレイを見た。

 フレイは通信機に取り付いて、サイに言葉を送り続けている。

「サイ、気を付けるのはもう一機のジンよ。接近を許したら終わり。狙撃してる方のジンは攻撃の威力が小さいから、アークエンジェルにとっては危険じゃないわ」

『待ってくれ。だから、どうして君が……っ!? うあっ!』

 通信機の向こう、サイの言葉が悲鳴と爆発音に遮られる。

 三発目の着弾。敵は、ミストラルへ着実にダメージを与え続けていた。

「今は戦闘中よ! 戦う事だけ考えて!」

 戦闘中でありながらもサイはフレイが艦橋にいる事を気にしているが、フレイはそれを許さずに戦闘に集中させようとする。

 その傍ら、通信機の一角を奪われた通信兵が、ナタルに視線を送っていた。フレイを止めるかどうかの判断を、無言で伺っている。

 無論、フレイの行為は許される事ではない。ナタルは、通信兵には何も指示は出さず、自分の席のコンソールから艦内に待機している陸戦隊に通信をつなげた。

「艦橋に二名よこしてくれ」

『了解です』

 返答を聞いた後に通信を切る。そして、陸戦隊の兵士が来るまでの間、フレイは放置するしかないと、ナタルは考えた。が……無論、これは間違いである。

 この時、ナタルは通信兵に命じて、フレイが行っている通信を切る事が出来た筈だった。後になってその事に気付き、何故、フレイを放置したのかについてナタルは悩む事になる。

 ともあれ、兵士達が来るまでの間、放置されたフレイは自由にサイへ指示を出し続けていた。

「良い? ミストラルが居なくなったら、敵は必ずアークエンジェルに接近してくるわ」

『ど……どうして、フレイがそんな事……』

 深窓の令嬢だと思っていたフレイが、敵の動きの予想をまくし立ててくる。そのギャップに、サイは混乱していた。

 一方でフレイは、そんなサイの混乱など気にせず話すべき事を並べ立てる。

 兵士が呼ばれたのは知っていた。通信を強制的に止められなかったのは理由はわからないものの幸運だったと判断し、とにかく兵士が来るまでの間に伝えるべき事を伝えきろうと、フレイは思いつく端から指示を出す。

「戦艦なんて、MSに近寄られると何も出来ないに決まってるじゃない! それで何隻もやられてるのが今の戦争でしょ!? だったら、それを狙ってくるでしょ!?」

 フレイは、ニュースなどで漏れ聞いた連合軍の戦況を元に言ったのだが、サイの方はこれを実体験で知っていた。先の戦いで、アークエンジェルに肉薄してきたジンを倒したのは、サイなのだから。

『それは……わかるよ』

 サイの声が落ち着いてきていた。とりあえずフレイが通信を行っている事への混乱は収め、戦う事に集中する事が出来る様になって来たのだろう。フレイは、その事を悟って安堵する。まずは、サイが戦いに専念してくれない事にはどうにもならないのだから。

「敵が近寄ったら不意をついて。タイミングは艦橋に聞くと良いわ」

 艦橋の扉が開いて、陸戦隊の兵士達が入ってきたのをフレイは横目で確認した。ナタルが、フレイを連れて行くように命じている。これで、始まったばかりの連合兵ライフも、多分お終いだ。もしかすると、サイに言葉をかける事が出来るのも……

「良い? サイが一機落とせば、この戦いは勝ちよ。それだけ……出来るわよね?」

『わかった。やってみせる』

 しっかりと答えるサイに、フレイは微笑む。きっと、サイはやってくれるだろう。

 なら、もう終わりにするか? しかし、兵士達はまだこちらに向けて動き出した所だ。終わりにはもう少しだけ余裕がある。フレイは静かに言葉を紡いだ。

「サイは私が守るから。絶対に地球まで……いえ、ずっとその先もよ」

 兵士達がフレイの傍らに立つ。二人がフレイを拘束する前に、フレイは通信機に向けてサイへの言葉を言い終えていた。

 その言葉は、かつてサイがフレイにいった台詞を言い換えた物だ。

「もう言い残す事はないわ。何処にでも連れて行って」

 少しは意趣返しが出来たかと満足そうに笑みつつ、フレイは二人の兵士達に両脇から挟まれる形で両の腕を掴まれ、艦橋から連れ出されていった。

 フレイの背をチラとだけ見送り、それからナタルはサイに通信をつなげる。

「アーガイル准尉。彼女の事は後で説明する。今は、戦闘に集中して欲しい」

『……了解です』

 サイは、ナタルがフレイに替わって通信をしてきた事で、フレイに何かがあったのだと察しをつけていた。

 そもそも、民間人の筈のフレイが戦闘中に通信を送りつけてくる事自体、十分に異常な出来事だ。

 フレイに何があったのか……今は、それを知る術はない。サイは努力して、尽きせぬ疑問を頭の片隅に追いやった。今は、フレイに言われた通り、戦わなければならない時なのだ。

「ミストラル、アークエンジェルの陰に入りました」

 索敵手のジャッキー・トノムラが報告の声を上げる。

 これで、これ以上の狙撃を受ける事はない。ごく僅かにではあるが、艦橋の中にもホッとした空気が流れた。

「アーガイル准尉、被害報告を。戦闘継続は可能か?」

 ナタルが通信で問いただす。サイは、僅かな時間をおいてから答えた。

『被弾3。コンピューターは中破判定出してます。装甲に破口多数。ミサイル3番4番の発射筒に認識エラー。左スラスター損傷推力低下してます。ですが……まだ行けます!』

 ミストラルは生き残ったとは言え、惨憺たる有様だった。

 全体を覆う装甲に大穴が開き、内部を露出させている。もし、これらの装甲が無い場所に当たっていたら……あるいは、これから当てられたら、ミストラルは容易く破壊されてしまうだろう。

 また、武装の対艦ミサイルの発射筒が二基、機体左に装備された物が反応しなくなっている。これは、急造で取り付けた配線が、何処かで切れたのだろう。

 それと、スラスターもおかしい。機動性が、かなり落ちている様だ。

 それでも、サイはやれると言い切った。そして、そんなサイに、ナタルは命令を出そうとしている……その事でナタルの胸が痛む。口元に自嘲の笑みが浮かんだ。

「改めて命令を伝える。ミストラルは、艦橋からの指示に従って移動の後に待機。敵の接近を待って、強襲しろ」

 それは、フレイの出した指示そのままだった。

 越権行為故に、それに耳を貸さないという判断を下したくはある。無法の行いが認められてはいけないという、強い忌避感があった。しかし、他に策が見えない以上、ナタルにはフレイの策を無為に否定する事が出来ない。

 反対するだけではなく、何か実際に動く策を考えなければならないのだ。

 が……ミストラルを浮き砲台として利用し、連携を取りつつ砲撃戦で戦う等と、比較的に硬い戦術しか思いつかない辺りに、ナタルは自身の柔軟性の無さを痛感していた。

 そして、その戦術は、狙撃で一方的に攻撃されるという事実によって、無効と証明されてしまっている。今のナタルに他の策は思いつかない。

「……私は卑劣な事をしているな」

 ナタルは、誰にも気付かれる事無く、小さな呟きを発した。

 軍法違反である事を知りながらフレイを放置し、言うだけ言わせてから、それを違反であるとして逮捕拘束させた。

 ナタルには、フレイを止める事が出来たはずなのだ。あの時は、それに気付かなかったのだと言い訳は出来る。しかし……現実は、ナタルを惨めにさせた。

 結局、全てをフレイに丸投げしたに等しい。艦長としての資質について悩みたい所であったが、今は戦闘中であり、そんな時間はなかった。

 

 

 

 狙っていたミストラルは、艦種不明の戦艦……アークエンジェルの影に消えた。

 ジン長距離強行偵察複座型に乗る偵察小隊隊長は、思わず舌打ちをする。

「ちっ……しとめ損なった。思った以上に威力が無いな」

 何を考えてこの威力なのかと、隊長は忌々しく思いつつ、兵器廠の連中を呪った。

 狙撃ライフルの威力の無さには定評がある。つまり、役立たずという意味で。

 無論、狙撃ライフルが失敗作かと言えばそうでもない。命中精度は、他の射撃兵器とは比較出来ない程に高められているのだ。

 高い命中精度を活かして、敵機の脆い部分を正確に撃ち抜けば、威力が無くても良い……実際、そうすれば戦艦などを除く大概の敵は撃破出来る。

 パイロットへ着弾の衝撃によるダメージを与えられるコックピット、スラスターや武装などの破壊しやすい場所等を狙撃し、敵MAを撃破する事は可能だ。

 また、強行偵察時に邪魔となる敵の監視衛星やレーダー施設を破壊して一時的に使用不能に陥れるのには必要にして十分な装備ではある。

 しかしそれは、敵から身を隠して、慎重に狙いを定める余裕があっての話。今の様に、艦砲射撃を回避しながらでは、そこまで正確な射撃を行うのは難しかった。

 所詮は、真正面から撃ち合う機体ではないと言う事か。

 それでも、あと一発か二発撃ち込めばミストラルを落とせただろうが……何にせよ、獲物に逃げられたとあってはどうする事も出来ない。

「隊長。目標を見失いましたが?」

 後部座席の部下……この機体の目とも言うべき偵察要員が聞いてきた。彼が出す位置観測データが無ければ狙撃は出来ない。

 今まではミストラルを追っていたが、今は既にその姿を見失っている。

 ならば、新たな敵に狙いを絞るべき。隊長はそう判断し、後部席へ指示を送った。

「観測目標を艦種不明の戦艦に変更。砲の詳細データと対空火器の位置を割り出せ。突入する僚機への支援を継続する」

 

 

 

 アークエンジェルの艦橋に、被弾を知らせる警報が鳴った。続いて、火器管制についていた兵が状況報告の声を上げる。

「バリアントに被弾! 損傷軽微ですが、砲身に歪みがでています!」

 ジン長距離強行偵察複座型からの狙撃により、アークエンジェルは地味な損傷を重ねていた。艦を揺るがすほどの物ではないので、警報がないと気付かないだろう。それでも、薄紙を剥ぐ様にして、少しずつアークエンジェルの戦闘力は削られている。

 アークエンジェルの装甲は狙撃ライフルによる攻撃を十分に防げるが、砲の砲身などの十分に装甲化出来ない部分はあるわけだ。砲を破壊するほどの威力が無くとも、砲身に当たれば歪みが出るし、そうなれば弾もビームもまともに飛ばなくなる。

「支援戦闘に長けているな」

 ナタルは、敵の戦いの巧みさに呻いた。ミストラルが隠れれば、戦艦の装甲を抜けない狙撃ライフルでは戦いようが無くなるという予想は、甘い物だったと言う事だ。

 しかし、砲への直撃があっても、それを破壊出来る程の威力はない。命中精度に影響は出るだろうが、そこまでだ。その辺りはまだ安心が出来た。

 また、敵に対し正対している為、艦後方に位置するミサイルポッドが狙われる事はない。ここを狙われて、ミサイルの誘爆を起こされると損害が大きくなる。もっとも、ミサイル発射の瞬間を狙う様な攻撃をされない限りは、ここも低威力の攻撃で破壊される事はない。

 だが、敵に攻撃出来る箇所が他に無いかというとそうではなかった。

「イーゲルシュテルンに被弾! 動作停止!」

 対空火器であるイーゲルシュテルン等の小型火砲類は、艦外に露出しているにも関わらず、装甲は比較的薄い。敵を捕捉する為に素早く動かさなければならない為、動きが鈍重になってしまう重い装甲を施す事は出来ないのだ。

 壊れやすい前提で置かれている為、破壊されても艦自体へのダメージには繋がらない様になっているが、敵に振り向けられる火線が一つ減る事は、艦の防空能力を大きく損なう事を意味していた。

 防空能力を喪失していくアークエンジェルに、通常型ジンが接近してきている。最初は慎重だった動きは、今や大胆にと言って良いものとなっていた。当然、その接近する速度は速まっている。

「ミストラルを、予想される最適な迎撃地点へと誘導しろ」

 索敵手のジャッキー・トノムラに、ナタルは命じた。敵の最接近の時は近い。それまでに、ミストラルを迎撃地点まで誘導しておかなければならない。

 だが、可能ならば、その前に……

「弾幕薄いぞ! ミストラルでの迎撃になど頼ろうと思うな! 接近前に落とせ!」

 ナタルの叱咤の声が、艦橋に響いた。

 

 

 

「……行けるぞ!」

 ジンのパイロットは、乗機を疾駆させながら、沸き上がる興奮に叫んでいた。

 アークエンジェルは、ミサイルと対空機銃で弾幕を張りながら、強力な火砲で攻撃をくわえてくる。

 乗機の周囲で炸裂するミサイル。漆黒の宙に光の線を描きながら、かすめる様に飛び去っていく対空機銃の曳光弾。見た目ではわからないが、レーダーは高速で擦過する砲弾を捉えており、警報を発して知らせてくれる。

 しかし、その全てをもってしても、乗機を止める事は出来ない。

 隊長は、かわしにくい攻撃を的確に潰していってくれている。その支援を受けている彼は、まるで遮る物のない宙を進んでいるかの様だった。

「もうすぐだ! もうすぐ!」

 敵を蹂躙する事を欲する野性。勝利を求める欲望、復讐を叫ぶ怒り、それらが綯い交ぜとなった彼には、アークエンジェルはそこに横たわる獲物でしかなかった。

 後は、獲物の無防備な横腹に牙を埋め込むだけだ。

 コックピットのモニター。照準は、アークエンジェルの艦橋を捉えている。

 まだ……もう少し。重機銃を撃ち込むのは、もう少し近づいてからだ。

 大した距離ではない。彼の乗機は、この間も宙を駆けている。遮る物は何もない。

「行ける……」

 呟く彼の脳裏に、仲間の姿がよぎった。まだ日付も変わっていない……何時間か前に、連合軍の攻撃を受けて死んだ仲間。

 馬鹿な奴だった……最後に彼をかばって死んだ位に馬鹿な奴だった。

 それだけではない。連合軍の卑劣な罠で沈められた艦にも仲間は大勢いた。

 これは復讐なのだ。仲間の弔いなのだ。

 それを止められる者は居ない。

「畜生! みんな殺してやる! ナチュラル共、みんな殺してやるぞ!」

 ジンはついにアークエンジェルを有効射程内に捉えた。

 ジンは重機銃をかまえる。そして、パイロットはトリガーに指を当てる。

 その時……艦橋の向こうから、MAが一機姿を現した。

 

 

 

『行け!』

「了解!」

 艦橋から届いたナタルの声に、サイは隠れていた艦橋の影からミストラルを発進させた。

 ミストラルのメインカメラが、宙で動きを止め重機銃を構えるジンの姿を捉える。

 撃つタイミングは今しかない。

「落ちろ!」

 ミストラルに装備された重粒子砲がビームを放つ。撃ち放たれた光条は、まっすぐに伸びてジンの左脇をかすめた。

 その結果を確認もせず、サイは続けて対艦ミサイル……発射可能な1番2番を射出。メインカメラ中央に捉えられたジンに向かい、ミサイルはリモートコントロール用のコードを引きながら、自動的にその進路を調整しつつ突き進んだ。

 が……ジンの左腕の辺りで発生した爆発が、ジンの体勢を右に大きく崩した。

 メインカメラの可動範囲内からも逃れ、ジンの姿がモニターから消える。

「やばい!」

 サイはすぐさまミストラルを右に向けてその動きを追おうとした。だが、左スラスターの出力が落ちていたミストラルは、右を向くのに時間がかかる。

 その間、目標を見失った対艦ミサイルはそのまま突き進んでいき……ミサイルは外れた。既に、ジンを再び追う事は出来ない位置まで、ミサイルは飛んでいってしまう。

 その頃になって、ミストラルはようやくジンを再びメインカメラに捉えた。

 ジンは、左腕を付け根から失い、背後のバックパックから煙を盛大に吹き出している。

 重粒子砲が左腕と背部バックパックの一部に当たり、恐らくはスラスターが誘爆を起こしたのだろう。爆発は、ジンを押しのけ、ミサイルの直撃から救ったわけだ。

 ミストラルの貴重な武装が無駄になった。しかし、重粒子砲がまだある。

 ジンは、まだ爆発の衝撃から立ち直っておらず、無為に宙を漂っている。まだ、攻撃のチャンスは続いていた。

「今度は直撃させる!」

 サイが照準にジンを捉える。そして、トリガーを……

 が、一瞬早く、コックピットを揺るがす衝撃と同時に警報が叫んだ。

「重粒子砲に被弾!? さっきの狙撃の奴!」

 モニターに表示される警告メッセージは、重粒子砲が使用不能になった事を教えていた。

 状況は明らかだ。ついさっき、ミストラルを撃墜寸前まで追い込んだ敵が、仲間の支援の為に重粒子砲を狙い撃ったのだ。

 最後にして最大の武器を失ったサイは、慌ててコンソールを操作した。

 モニターに機体の状況などと一緒に、使用可能な武器のデータが並ぶ。

「武器! 無いのか!?」

 有るのは機関砲。他には、故障して射出出来ない対艦ミサイルが二基。

 モニターの中、ジンは最初の攻撃による動揺から立ち直りつつ有る様に見えた。また、この瞬間にも新たな狙撃が行われ、ミストラルを貫くかも知れない。

 サイは焦り、武器を求めた。

 武器は無いのか? ……本当に無いのか?

「く、くそぉ!」

 サイは無我夢中で、使えない武器を無理矢理使おうとした。シミュレーションでは有り得ない、最も原始的な方法で。

 コンソールを叩いて、対艦ミサイルの安全装置を解除。元来、ミサイル発射と同時に自動で解除される物だが、今は発射出来ないので手動解除した。

 直後、ミストラルの作業アームで、発射筒を機体からむしり取る。

「どうせ使えないんだ!」

 サイは声を上げながら、ミストラルの作業アームを使い、発射筒に納められたままのミサイルをジンに向けて投げつけた。

 体勢を立て直そうとしていたジンは、投げられたミサイルに対し、とっさに銃を向ける。また、ミストラルも同じく、ミサイルに機関砲を向けていた。

 同時に射撃が行われる。どちらが当てたのかはわからない。直後に爆発したミサイルが、ジンとミストラルの間で爆発し、両者の視界を遮った。

 セオリーなら、ここでミストラルは位置を変える為に進路を変える。

 しかし、サイはミストラルをそのまま前進させた。どうせ、スラスターの不調により、小回りの利いた動きなど出来はしないのだから。

「もう一発!」

 前進しながら、残る最後のミサイルの安全装置を解除。どうせ、他の武器は無いのだ。

 再び発射筒ごと機体から引きちぎったそれを、ミストラルに手槍のごとく構えさせて、サイは先の爆発の向こうにいたジンへと突っ込む。

 爆発でミストラルを見失ったジンは、セオリー通りならば逃げているだろうミストラルを、前進して追おうとしたのだろう。ミストラルの視界が爆発の影響から回復した時、ジンは目前に迫っていた。

 ジンは、ミストラルの急接近に、慌てて重斬刀を抜こうとしていた。しかし、その動作が終わるより早く、サイの攻撃が行われる。

「これで!」

 ミストラルの速度を乗せて、ミサイル発射筒がジンに叩きつけられた。

 発射筒の中で信管を激発されたミサイルは、与えられた性能そのままに爆発する。

 瞬時に、ジンとミストラルはミサイルの爆発の中に呑み込まれた。

 

 

 

 隊長は、目の前で起こった出来事を、信じられない気持ちで見守っていた。

 手負いのミストラルが、相打ちとは言え、格闘戦でジンを撃破したのだ。

 偵察型ジンの高性能なカメラが、コックピットの有った場所に大穴を穿たれて宙を漂う、ジンの残骸を捉える。

「……馬鹿な。そんな事が」

 MS。ZAFTの新兵器。連合のMAを凌駕する、最強の兵器……それが、旧式も良い所のMAに撃破された。

 しかも、そのMAは、事前に自分が撃破寸前まで追いやっていた機体。

「俺は……俺は! 帰るべき艦を失い、部下を二人も失ったと言うのか!? 連合のゴミのようなナチュラルを相手に!」

 怒りに駆られて叫ぶ。その怒りは、半ばは自分に向けられていた。

 自らの無能への怒り。隠れられる前にもう一撃……いや、ミストラルの重粒子砲への狙撃の時、攻撃力を削ぐ事より、仕留める事を選択していたら。

 それは、本来ならばミスとも言えない物であるはずだった。

 ミストラルの様な雑魚が少々生き延びても戦局に関わる事はない。誰もがそう考えるであろうし、隊長もそう判断していた。本来なら、ミストラルがあがいてもMSは倒せないはずだった。

 しかし結果は、部下の戦死という形で現れている。敵を侮った……このミスを、どう償えばいい?

「隊長!」

 後部座席からの声に、隊長は我に返る。

 部下の声は、やはり怒りに満ちていた。しかしそれは、純粋に敵に向けての怒りだ。

「行きましょう隊長! まだこの機体は戦えますよ!」

 乗機はまだ戦える。まだ、戦闘は続いている。

「そうだ……行くぞ! お前の命、預かる!」

「預けます隊長!」

 隊長は、アークエンジェルめがけて偵察型ジンを飛ばせた。部下のジンの為につけた道を辿る様に、アークエンジェルからの攻撃をかいくぐって。

 隊長は、回避機動と狙撃を交互に繰り替えし、砲火を避け、潰せる武装は潰して防空力を削り、アークエンジェルの懐へと切り込んでいく。

「まずは武器を!」

 目指したのは、先に撃墜された部下のジン。ジンが装備していた武器があれば、偵察型ジンでも艦を落とせる。直掩の居ない戦艦など、敵ではない。

「銃は有りませんよ!?」

 後部座席から、偵察要員が報告する。

 部下のジンは、最後の瞬間に武器の持ち替えをしようとしていた。爆発に巻き込まれて、重機銃は何処かに飛ばされたらしい。

「重斬刀があれば十分だ! だが、一応、周辺の空間を探しておいてくれ。武器があるに越した事はない」

 指示を受けて、部下がセンサーを働かせ始める。重機銃は小さいから探し難いが、偵察型ジンのセンサーならば見つける事が出来るかも知れない。

 それに、部下のジンは重斬刀は持っている。それが有れば、戦艦の装甲を穿つ事は可能だ。

 近づいてくる、腹に大穴を開けて漂う部下のジン。

 ジンを撃破した対艦ミサイルは、対空ミサイルとは違い直撃しなければ意味がない、だが強力な装甲貫徹力を有している。直撃さえすれば、威力はこの通りだ。

 ジンの傍らには、ミサイルの爆発に巻き込まれたミストラルが力無く漂っていた。無力なその残骸を、隊長は無視する。

「武器を借りるぞ!」

 伸ばした偵察型ジンの手に、部下のジンが持っていた重斬刀が握られる。

 その時、凄まじい衝撃がコックピットを揺るがした。

 死んだと思われていたミストラルの機関砲が火を噴く。装甲表面を焼かれ、砕かれた装甲の穴から中を露出させ、武装のほとんどに作業アームさえもが引きちぎれ、残骸にしか見えないミストラルが放つ無数の弾丸が、正面から偵察型ジンを襲う。

 通常のMSには力不足なこの機関砲も、軽装の偵察型ジンには十分な効果を及ぼした。

 偵察型ジンのコックピット。モニターが警告の赤文字で埋まっていく。響き渡る警報は、機体の断末魔だった。

「こんな……こんなMAに」

 再び敵を侮った。隊長は自分のミスに気付いて叫ぶ。

「すまない! 俺が……」

 その言葉が形になる前に、コックピットハッチを貫いた弾丸が、全てを打ち砕いた。

 

 

 

「待て!」

 整備員の少年が、上半身だけのシグーを駆ってザクレロを追う。

 少年は知らなかったのだ。相手が狩りの獲物ではなく、魔獣である事を。自分が狩人ではなく、無力な獲物である事を。

 速度は、圧倒的にザクレロが上だった。故に、シグーはどんどん置いて行かれる。

 MSの小回りが利く点を活かして、敵が通過するだろう予測地点へ最短コースで移動し、先回りをする……といった小技を使う事も知らない少年は、単純にザクレロを追って飛行を続けていた。

「卑怯だな……逃げるのか!」

 相手を侮る台詞も出る。しかし、そんな余裕があったのは、ザクレロに十分な距離を開けられるまでの事だった。

 

 

 

「そろそろ、良いわね」

 マリュー・ラミアスは、ザクレロのコックピットで呟いた。

 敵のシグーはかなり後方に位置しており、その距離は十分に開いている。余裕を持ってターンし、攻撃を仕掛けられるくらいに。

「行くわよザクレロ! 反撃開始!」

 声を上げて操縦桿を引く。ザクレロは機首を上げてロールを開始する。

 そうしてターンを行ったザクレロは、その進路をシグーに向けて突き進んだ。

 モニターの中、シグーがどんどん近寄ってくる。ザクレロには気付いているのだろう、銃を撃ってきているが遠過ぎてかすりもしない。

「……ひょっとして、素人? まさかねー」

 思わず出た疑問の呟き。サイがシミュレーションでパニくった時の動きに似ていたからなのだが……

「ちょっと! そこのシグー! 乗ってるのは民間人って落ちじゃないでしょうね!?」

 不安になったマリューは、共用回線で問いかけてみた。しかし、返答はない。

「無視されちった……まあ何にしても、素人だからどうって事もないのよね」

 現に敵は目の前にいるのだから。動きが素人っぽいからといって、行動を変える必要はない。民間人なら、まず降伏勧告くらいしたかなという程度の話か。

 何にせよ、もう全ては遅すぎる。シグーは有効射程内に入った。

「悪く思わないでね」

 マリューは、ザクレロの拡散ビーム砲の引き金を引く。

 

 

 

『ちょっと! そこのシグー! 乗ってるのは民間人って落ちじゃないでしょうね!?』

「え? 敵の声!?」

 通信機から溢れたマリューの声に、少年は戸惑った。敵から声をかけられるなんて思いも寄らなかったわけで……どうしたらいいのか迷ってしまう。

 しかし、僅かに考えて、結論を下した。何にせよ、敵は敵なのだから答える必要はない。ラクス様に害を与える者の言葉なんて、聞く必要はない

 少年は、高速で接近してくるザクレロに向け、銃を撃ち続けた。

 銃弾はなかなか当たらない。彼が見たビデオなどでは、MSが銃を撃つ度に、MAや戦艦が必ず落ちていたのに……ザクレロは、まるで撃たれていないかの様に突っ込んでくる。

「落ちろ! 落ちろよぉ!」

 少年の叫びに耳を貸さず、ザクレロはその凶悪な牙を剥き出しにして襲いかかってくる。

 まるで、哀れな生け贄を呑む魔獣のごとく。

 少年の胸から高揚感は消えていた。ラクス様を守る為の正しい戦い……そんなものは、この魔獣の前では何の意味も持たない。

 ザクレロは……魔獣は貪りに来たのだ。

 少年の肉も魂も全て。

「あ……うわあああああああっ!」

 モニターの中、接近するに連れてその大きさを増してくるザクレロに恐怖し、少年は悲鳴を上げていた。

 恐怖が全てを覆い尽くしていく。貪られる。

 心の中から何もかもを剥ぎ取り、何もない少年へと戻してしまう。

『……大丈夫ですか!? あの・・・!?』

 通信機から少女の声が溢れていたが、少年はそれを聞く事さえ出来なかった。

 震える指で引いた引き金。発射された弾丸は、ザクレロの顔に当たって跳ねる。

 そして……ザクレロの口腔が光り輝くのを見た。

「!? ぐあっ!? ぎ……」

 機体を襲う激しい衝撃。コックピット内に満ちる警告音。モニターに止めどなく流れるエラーメッセージ。

 ザクレロの拡散ビームの一撃は、シグーを完全に捉えていた。

 有効射程内でも比較的遠距離から撃たれたビームは、シグーに当たる頃には拡散しきって大きく威力を落としていたが、それでもシグーを焼くには十分な効果がある。

 激しく揺れる機体の中で、少年は全身を打った痛みに呻きながら、呆然とコックピットの中を見回した。

「……ここは……MSの中?」

『しっかりしてください! 大丈夫ですか!?』

 呟く少年の耳に、ラクス・クラインの嗚咽混じりの声が聞こえる。

 答えず、少年は思い出していた。自分が、ラクスを守る為に、このシグーに乗っている事。そして、本物の戦争に参加してしまった事を……

「あ……嫌……だ。何で!? 何でこんなのに乗ってるんだよ!?」

 

 

 

『あ……嫌……だ。何で!? 何でこんなのに乗ってるんだよ!?』

 脱出ポッドの中、通信回戦を繋ぎっぱなしだった為、ラクス・クラインはシグーの中の少年の叫びを全て聞かされていた。

 恐怖の悲鳴。苦痛の叫び。そうまでして自分を守ってくれる少年に、ラクスは泣きながら声をかけていた。

 そして……ラクスは、少年の疑問を聞く。

「え?」

 ラクスは、少年の疑問の意味を一瞬理解出来なかった。

 ラクスを守る為……そう言っていた少年が、今はその事を忘れたかの様に疑問を叫んでいる。

『嫌だ……死にたくないよ! 動けよ!』

 少年は、シグーを動かそうとしているらしい。しかし、動かないのだろう。声は焦りをましていく。

『動けよ! どうしよう……直せるかな。ダメだ。外に出ないと。道具もない……どうしてコックピットに居るんだ!? 直せない……ここに居たんじゃ直せないよ!』

 少年の声が泣き声に変わる。

『出して……ここから出してよ! 主任さん、助けて……! 嫌だ、ここには居たくない! ここじゃメカニックになれない! 出して! うわあああああっ! また! また来る!?』

 泣き声から変わって悲鳴。ガタガタと暴れる様な音。狭いコックピットの中で、逃げようとしているのか。

 一撃離脱をしていったザクレロが、戻ってきて再び攻撃をかけようとしているのだろう。少年は為す術もなく、棺桶と化したシグーの中で泣き叫ぶ。

 ややあって、先ほども聞いた衝撃音が響いた。少年の悲鳴が大きくなる。コックピット内の警報も音量を増した。

『死にたくない! 嫌だ! 僕はメカニックになるんだ! なるんだぁ! 主任さんと約束したんだ……直せるのに! ここにいなければ、僕は何度でもこのMSを直せるのに! メカニックになって直せるのに……どうして!?』

「やめ……て……」

 ラクスは、止めどなく溢れ続ける少年の悲鳴に、抗う様に呟いた。

 ラクスの全身が震え出す。その震えを押さえる為、ラクスは自分の身体を強く抱きしめる。

 今、少年の叫びを聞いて一つの考えに至る事を、ラクスは本能的に避けようとしていた。しかし、考えてしまう。どうしてもそこへと至ってしまう。

 ラクスを守ると言っていた少年。

 ラクスを守ると言っていた、シルバーウィンドの人達。

 死に際して、ああも泣き叫ぶ少年。

 死んだシルバーウィンドの人達。

 確かに……シルバーウィンドの人達は、死に際しても何も言わなかった。でも、実際はどうなのか? 喜んで死んでいった様にも見えた。でも、本当は?

 本当は……誰もが少年と同じだったのではないだろうか? ラクスは理解する。自分が死に際せば、少年と同じように恐れ泣き叫んだだろうから。それが普通だと思うから。

 誰もが、死にたくないと……生きたいと……夢があるのだと……言葉にはせずとも、そう叫んで死んで言ったのでは無いか?

 自分を助ける為に……ラクス・クラインを助ける為に。

 幾百幾千もの人々が、無言の内に叫びながら死んでいった。ラクス・クラインの為に。

「私……」

 声が震える。

 自分の命の為に。ラクスの為に。ラクス・クラインの為に。

“歌って……歌ってください”

 声が聞こえる。

「何故、私なのですか?」

 何故、人は命を捨てて自分を生かしたのか?

“歌を……ラクス様の歌を”

 聞こえぬはずの声が囁く。

「どうすれば……」

 どうすれば、失われた命に報いる事が出来るのか?

『ああっ! 助けて! 母さん! 助けてよ母さん! かあ……』

 通信が途切れる。

 脱出ポッドの窓の向こう、小さな光が瞬いて消えた。

 その光を見て……ラクスは口元を笑みに曲げる。

「あは……あはははははっ! 私を守るですって!? てんでダメじゃない!」

 声を上げ、身を捩ってラクスは笑う。笑い続ける。

「死なない人じゃないと……もっと強くて、死なない人じゃないとダメですわ。私を守ってくれる方は……」

“ラクス様”

“ラクス様”

 声なき声がざわめき、その名を崇める様に唱える。

 その中でラクスは笑う。涙を溢れさせながら笑う。

「もう……こんな事は起こさせない様な、強い人じゃないと」

 少女の心は歪み、砕けかけていた。

 少女が至ったのはただの逃避である。目の前の人の死から逃れる為、そんな状況が起きない事を願っていた。

 正義でも悪でもない、ただラクスを守る為に人が死なない世界を願う。それは、ラクスの敵となる者全てを徹底的に殺し、破壊し尽くした世界。それを行いながらも、ラクスの周りでは人の死なない世界。

 ラクスの笑い声が、歌声へと変わる。人々に平穏を与える歌姫の歌……ラクスを脅かす者の居ない平和を願い、その願いの為に魂を炉にくべる事を誘う歌声。

 願えば、それはかなったかもしれない。今日のシルバーウィンドの様に。

 しかし、少女の心が歪みに耐えかねて砕ける前に、その魔獣は姿を現した。

 脱出ポッドを衝撃が襲う。

 揺れる脱出ポッドの中、窓の外にラクスはそれを見た。空を睨み、全てを食らわんと顎を開く魔獣……ザクレロの姿。

「……ひっ!?」

 それを見た瞬間、ラクスの心に衝撃が走った。

 恐怖……眼前に現れたのは、恐怖そのもの。暗闇から現れて、全てを貪り食らう魔獣。原初の世界から迷い込んだ、根元的恐怖。

 それは、ラクスの心を圧倒的な恐怖のみで塗り潰した。歪んだ願いは魔獣の牙に裂かれ、声なき声は魔獣の叫びに掻き消される。死者の嘆きも又、魔獣の眼光に射抜かれては、その口を閉ざすより他はない。

 全ては些細な事。思い悩む必要はない。魔獣にかかれば、ラクス一人……いや、ラクスを守ろうとする数千、数万、数億の戦士とて、ただ貪られる時を待つ肉塊に過ぎない。

 恐怖が、ラクスの心に強くそう刻みつける。

 しかし、その恐怖はラクスにとって心地よいものですらあった。魔獣の牙に身を委ねれば、思い悩む事は無い。恐怖に震えながら、噛み砕かれる時を待てば良いのだ。

 ラクスは狂気を忘れ、ただ恐怖のみに震え……意識を失った。



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シルバーウィンド襲撃の後

 アークエンジェルがジンの襲撃を乗り切った後になっても、ドレイク級宇宙護衛艦ブラックビアードはプラントの客船シルバーウィンドと連結したままだった。

 まだ、必要な物の回収が終わっていないのだ。船の備品や物資、貨物、客の荷物、果ては客室のゴミ箱の中身に到るまでを回収しようと、海兵達は忙しく働いている。

 軍として必要なのは情報なので、客の荷物が最も重要となる。書類や手紙などがあれば、貴重な情報源となるのは言うまでもない。また、意外にもゴミ箱の中身の価値が高かったりする。書き損じのメモなどに、時に金にも変えられない価値がある事もあるのだ。

 それ以外の物……大方全部が、ブラックビアードの海兵達のアルバイト代だった。

 貴金属類は言うまでもない。物資も、手に入れれば幾らでも横流し出来る。放っておいても、ジャンク屋が禿鷹の様にあさり尽くしていくのが落ちなのだから、ありがたくもらっておくのが当然……そんな所だ。

 一方、乗客乗員のほとんどは死んだので、捕虜の移送は早々に終わっていた。

 捕虜がVIPなら相当の利用価値があるし、そうでなくとも射撃の的くらいにはなる。どうなるかはその時々だが、今回の場合は船内で起きた不可解な暴動の件があるので、その調査の為に温存する事が指示されていた。それを幸運だとは誰も思わないだろうが。

 それら楽しい略奪行為と平行して、船内では暴動参加者の掃討戦が行われていた。

「……全く、ゴミ箱あさりよりはマシかと思ったら。犬のゲロみたいな奴等をあさる羽目になるなんてな」

 一個分隊を更に分けた五人のチームで行動中の海兵一行の中、一人が愚痴りだす。

 通路……血に赤く染まったそこには、暴動に参加して死んだコーディネーター達の死体が無数に浮かんでいた。

 戦いの壮絶さを示す様に、多くが人の形を成していない。

「そう言うなよ。役得もあるってもんだぜ?」

 そう言った海兵は、漂っていた肘から先だけの死体を手に取り、薬指にはめられた指輪を抜き取っている。結婚指輪だろうそれは、血に濡れて輝きを失っていた。

「見ろよ。多分、ハネムーンだ。近くにペアのが無いか? こいつは男物だから、女がいる筈だ」

 女という単語を聞き、愚痴を言っていた海兵が僅かに喜色を混ぜて言う。

「女か……客室乗務員を何匹か捕まえたんだろ? そっちの相手が良かったな」

「やりたいのか? ちょうど良いのがあるぜ」

 更に別の海兵がそれに答えて、手近にあった物を投げた。

 上半身を失った、下半身だけの死体。足に破れかけたストッキングが絡んでいる所を見ると、恐らくは女性の物なのだろう。

「麗しの君は、スパム缶の中身よりも酷い有様だぜ」

 愚痴を言っていた海兵はその下半身だけの死体を受け止め、腰の辺りを掴むと自分の股間の前で前後に振ってみせた。

「OH! さいこー! もっとファックしてぇ!」

 気持ちの悪い裏声に、海兵達は皆、笑い声を上げる。

 と……一緒に笑っていた分隊長に当たる海兵が、軽く手を挙げて言った。

「おい、ちょっと静かにしろや」

 すぐに声が止む。海兵達は、全員が銃を改めて握り直し、分隊長に注目した。

 静寂の中、微かに声がする。

「……らく……す……さま……」

 その声は、通路の片隅にうつぶせで転がる中年男から聞こえていた。

 見れば、この男は一応、手足が全部ついている。身にまとう礼服を赤黒く染めていたが、仲間の血かもしれず、傷の程度は判別出来ない。

 男が苦悶の中から助けを求める様に伸ばした左腕が僅かに震えていた。

「ひっくり返せ」

 分隊長が、傍らにいた海兵に命じる。それは偶然にも、先ほどから愚痴をこぼしていた海兵だった。

 彼は不服を言う事もなく、慎重にその男に近寄っていく。そして有る程度近寄った所で、銃を向けながら、足を伸ばして蹴る事で男を裏返した。

「ぎっ!? あ……」

 蹴られた男が悲鳴を上げる。武器は持っていない。右手は腹に当てられており、その手の下は血に赤黒く濡れていた。男の顔は蒼白で、息は乱れていて早い。

 素早く簡単に観察して、海兵は報告する。

「腹に食らってますね。時間の問題では」

「情報源になりそうなら拾えって言われてるんだがな。難しいもんだ……抵抗しない奴は死んでるか死にかけかだし、そうでなければ死ぬまで抵抗しやがる」

 分隊長は、困ったもんだとばかりに溜息をついた。

 例外は、MSがあった倉庫にいたメカニック主任や、暴動に参加せずにホールに残っていた何人かが、大人しく捕まったくらいか。後は、愚痴った通り。

 コーディネーターの事など理解したくもないが、こんな異常な行動は本当に理解出来ない。

 分隊長は考えてもウンザリするだけだと考えるのを止め、そして部下に短く命令した。

「殺せ」

 その一言で、辺りの空気は先ほどまでと同様、多少、だらけたものに戻る。

「よーし、傷、見せてみろ。宇宙人の腹の中が、俺達と同じかどうか確かめてやるよ」

 男を検分していた海兵が笑い声混じりにそう言って、男の元へと接近した。

「が!? ぐぁあああああああっ!」

 男の悲鳴が上がる。海兵は、男の傷に指を突き刺して掻き回していた。

 溢れ出す血が、辺りに飛沫となって飛び散っていく。

「おい、こいつバージンだぜ」

 男の腹の傷を押し破り、拳を埋め込みながら言った冗談に、海兵達がドッと笑う。その笑い声も掻き消す程に激しく、男の断末魔の悲鳴は続いていた。

 

 

 

 ヒートナタで脱出ポッドを抱え込んだザクレロは、アークエンジェルではなくブラックビアードのMA格納庫へと帰還していた。

 捕獲した脱出ポッドを、ブラックビアードに下ろす為である。

 しっかり抱え込んできた脱出ポッドを格納庫内で放す。ゆっくり漂っていくそれを待ちかまえていたミストラルが捕まえ、格納庫の更に奥へと押していった。空気のある場所に持ち込んで、中を確認するのだろう。

 中に誰が入っているのか、それを捕まえたザクレロのパイロットであるマリュー・ラミアスは知る由もなかったし、特に興味も無かった。

 それよりは、母艦のアークエンジェルの方が気に掛かる。早く戻って、状況を確認したい……そんな事を考えるマリューに、通信機を通してブラックビアードの通信オペレーターが指示を下してきた。

『ザクレロ、任務完了、お疲れ様です。そのまま着艦してください。ザクレロの補給を行います。ザクレロのパイロットは、降りて休憩を取ってください』

「え? 自分の艦はアークエンジェルですが?」

 アークエンジェル所属のザクレロが、ブラックビアードに着艦するのはおかしい。そう思って聞き返したマリューに、通信オペレーターはその問いを想定していたのかすぐに答えを返した。

『アークエンジェルは、先の戦闘において大破したミストラルの回収作業を行っています。補給などを行える状況ではありませんので』

「大破!? パイロットは!?」

 マリューは思わず、意味もなく通信機に身を乗り出して聞く。それに答える通信オペレーターは冷静だった。

『通信途絶。状況不明。救出作業中です。ただ、大破した後に、意識的に敵を攻撃して撃破してますから、パイロットは無事でいる可能性が高いと思われます』

 パイロットは無事。少なくとも、アークエンジェルではそう判断して救助活動を行っている。

 実際、死んでいると見るよりは、どんな状態であっても生きている可能性が高いと考えられてはいた。どんな状態で居るのか……その事については想像に任せるより他無いとしても。

「そう……無事なのね」

 少なくとも、そう思って事実確認を待つしかない。そう悟って、マリューは深く息をついた。

 

 

 

 ミストラルに搭乗していたサイ・アーガイルは、ジン長距離強行偵察複座型を撃破した後、通信途絶。以降、ミストラルは能動的な動きを一切見せていない。

 アークエンジェルでは回収作業班を編成し、スペースランチを出して、大破したミストラルの回収を行った。

 そして、回収して来た結果が、アークエンジェルの格納庫内に置かれている。

 がらんとした格納庫。メカニック達がミストラルを前に居並び、緊張とも恐怖ともつかぬ表情でそれを見つめていた。

 対艦ミサイルの爆発に零距離で巻き込まれた為、機体正面の装甲は全て歪み、ミサイルの破片が無数に刺さり込んでいる。また、作業アームは二本とも欠落。武装は、機関砲を除いて全て失われていた。

 そして、狙撃ライフルによる攻撃で機体各所に開いた破口からは、中の機械部分までもが覗き見える。

 誰もが思うだろう。こんな機体で、よくMS二機を撃破したものだと。それを成し遂げたパイロットは今、この機体の中から出られないで居る。

 サイを外に出す為、メカニックのコジロー・マードック曹長が、ひしゃげたコックピットハッチの隙間に油圧式ジャッキを差し込み、こじ開けようとしていた。

 強大な機械の力が、分厚いハッチを少しずつ曲げていく。やがて、ハッチは悲鳴の様な金属音を立てて、弾ける様にしてコックピットから外れた。

「開いたぞ!」

 コジローは叫ぶと、ハッチを手で押して退ける。そして、コックピットの中を覗き込み……そこに、座席に埋もれる様にして力無く操縦桿を握るサイの姿を見た。

 死んだのか? 最初にそんな嫌な疑問が浮かんだが、コジローはそれを舌打ち一つして打ち消して、サイに向かって声をぶつける。

「大丈夫か!? しっかりしねぇか!」

 サイに触れはしない。頭を打っていたり、骨を折っていたりした時に、状況を悪化させる恐れがある。だから、もどかしく思いながらも声をかける。

「おい! 起きろ坊主!」

「ぅ……ぁぁ……」

 サイが呻く。そして顔を上げて、大儀そうに目を開けた。

 サイは焦点の合わぬ目をコックピット内にさまよわせた後、目の前にいるコジローに気付いて口を僅かに開く。

「死ぬ……かと、思い……ました」

 あのミサイルで敵のジンを殴りつけた時、サイは缶に入れられてバットで殴られている様な……無論、そんな実体験は無いから想像に過ぎないが、多分そんな感じなのだろうという目に遭った。

 耳が聞こえなくなるほどの轟音、自分がどんな状態で居るのかもわからない程の揺れ、身体が振り回されて頭の中と内臓がグチャグチャにされる様な感覚、操縦桿やフットペダルからもぎ放された手足が振り回されてコックピットのあちこちに叩きつけられる激痛。

 それは一瞬だったのかもしれないし、もっと長く続いていたのかも知れない。

 何にせよ、次にサイが意識をとり戻した時には、モニターにはサブカメラの一つからの映像だけが映されていた。他のカメラは、爆発に巻き込まれて死んだのだ。

 不明瞭な画像の中で、巨大な人影が動いているのをサイは見る。

 敵……ぼんやりとそう認識すると、サイは朦朧とした意識の中、腕を上げて操縦桿を掴み、トリガーを引いた。

 後の事は憶えていない。意識を再び失ったのだろう。

 その時には脳内麻薬でも出ていたのか、サイは痛みを感じていなかったが、自分がアークエンジェルにいると悟った今、サイの体中が激痛に悲鳴を上げていた。

「体中……痛い」

「機体が受けた衝撃でぶんまわされたな? あんな無茶したら当然だ! シートベルトに感謝しろよ。無ければ、お前はノーマルスーツの中で挽肉になってた」

 そう言いながらコジローは、慎重にシートベルトを外してやる。

 座席に縛り付けていたシートベルトから解放されたサイの身体は、ゆっくりと座席を離れて浮かび上がった。それでも、サイは動かずに、身体をダラリと弛緩させたままでいる。

「だが、よく生きて帰ってきたぜ。自分で出られるか? いや待て動くな。担架持ってくるから、ちょっと待ってろ。俺達に、英雄を運ぶ栄誉に預からせてくれ」

 コジローは口早にそう言うと、後に控えていた部下に手を振って合図した。部下達は合図に従い、用意していた担架をコックピットのすぐ横へと運んだ。

 それを待ってからコジローは、手を伸ばしてサイの脇の下を掴み、サイをコックピットから引きずり出す。そのままサイは担架に横たえられ、担架脇で控えていたメカニックの手により、拘束帯で軽く固定された。

「待った! モルヒネを打ってやろう」

 メカニック達と一緒に待機していた陸戦隊の衛生兵がそう言って、救急キットからピストル型の注射器を取り出す。負傷して苦しむ兵士の為の応急手当として、痛み止めのモルヒネを打つ為の物だ。これを使えば、苦痛を軽減してやる事が出来る。

「これで楽になるぞ」

 衛生兵はそう言いながら、ノーマルスーツの上からサイの身体に注射器を当て、引き金を引いた。一瞬で薬液はサイの身体の中へと撃ち込まれる。

 衛生兵の処置の後、サイはメカニック達の手によって医務室へと運ばれていった。

 コジローはその場に残り、サイとメカニック達、そして衛生兵が離れていくのを見送る。そして、全てがドアの向こうに見えなくなった後、改めてミストラルに目を戻した。

 本当に酷い状態だ。これでサイの怪我があの程度というのは、幸運だったと断言しても良いだろう。

 もっとも、ここまで酷い状態でなければ、最後に倒した偵察型ジンの油断を誘う事は出来なかっただろうが……全ては、ギリギリの勝利だった。

「だが、こいつじゃあ、ダメだな。次はねぇぞ」

 このミストラルは、廃棄処分にするしかない。部品取りに回せるかどうかさえ怪しいだろう。それはそれで悩むまでもない事であった。

 問題は、サイを乗せる次のMAだ。

 ミストラルの予備はまだ何機かある。それにサイを乗せるという事は可能だろう。しかし、今日の勝利が明日も続くと言う事はない。ミストラルに乗せ続けたなら、サイは死ぬ……遠くない未来、確実に。

「ザクレロ並のMAが有ればな……」

 重火力、重装甲、高機動を併せ持つ新型MAにサイを乗せれば、生存性は向上する筈。恐らくは戦果も今以上に。

 それは望み過ぎかも知れないが、何にせよもっと良いMAに乗せてやりたい。

「何か機会を見つけて、艦長に頼んでおくか。あの坊主に、もっと良いMAを用意してやってくれってな」

 コジローは、大破したミストラルに背を向けながらそう一人呟いた。

 

 

 

 営倉。洗面台とベッド、部屋の隅のトイレ。それしかない部屋。フレイ・アルスターは、ベッドの上で膝を抱えていた。

 後悔に泣いているのではない。その証拠に、フレイの口元には笑みさえもが浮かんでいた。

 サイが生き延びたニュースを聞いた今では、軍務違反として営倉入りとされ、独房に入れられた事に後悔はない。サイが勝った……それだけで、行った暴挙の対価としては十分だ。

 問題は、今後はどうやってサイを助けるべきか。

 今回の事で軍を首になってしまっては、サイを助ける事は出来なくなる。下手な部署に回されてもそれは同じ……

 フレイは、サイを助けたいのだ。何があっても。

「考えなさい、フレイ。貴方は悪い子なんだから、また何か悪い事を思いつくでしょ?」

 呟く様にして自分に命ずる。

 今後、サイを助ける為に何をするか。どうすれば良いのか……

 幸い、考える時間だけは幾らでもある独房の中だ。フレイはじっと考えていた。自分に何が出来、どんな結果を呼ぶ事が出来るのかを。

 

 

 

 ブラックビアードのMA格納庫の中でザクレロを降りたマリューは、とりあえずエアロックを通って、空気のある倉庫区画へと移動した。

 まだ作戦継続中なので、補給中といえども機体から遠くへ離れる訳にはいかない。何より良く知らない艦内を無闇にうろつく気にはならなかった。

 となれば、パイロット待機室辺りで休憩するのが無難だろうと……思うのだが、ドレイク級でのそれの場所を知らない。

 ではと言う事で、少しの間でもヘルメットをとって休める場所でと思い、先ほど脱出ポッドが運ばれて行ったのを見た関係から場所が推測出来たここへと移動したのだ。

 そこには、シルバーウィンドから押収……あるいは略奪されてきた物が雑多に置かれ、ワイヤーで床や壁に固定されていた。

 さっきの脱出ポッドはどうなったのかと思い、マリューは雑然とした倉庫の中を見渡してみる。脱出ポッドはすぐに見つかった。ドアが開け放たれた状態で、壁に固定されている所を見るに、中にいた人物は既に海兵達が確保した様だ。

 ザクレロの着陸と固定作業に時間を取ったから、マリューが脱出ポッドの中身の回収に立ち会えなかったのは当然と言っても良い。

 今、海兵達は、時々荷物を運び込んでくる以外にはその姿を見ない。

 広い空間に雑然と荷物が詰め込まれた、くつろげない環境だが、他人に気兼ねなく休憩は出来そうだとマリューが思った時、マリューの視界にそれがかすめた。

 荷物の影に見えた白い物。シーツ? 動いた様な気がする。マリューは何故だか興味を引かれて、壁を蹴り荷物を蹴りしながらそれに近寄って行った。

 

 

 

 自分が誰なのか、そんな事すらもわからなかった。ただ、震えるより他になかった。

 酷く寒い……次の瞬間には灼ける様に暑い、自分を苦しめるだけの空気。何か人影の様な物が絶えず揺らぐ闇の中。寄る辺もなく、無限に落ちていく。

 聞こえるのは男の笑い声。惨めな自分を嘲笑う声。

 聞こえるのは男の怒声。自分を失敗作だとなじり、無駄だったと切り捨てる声。

 その男の声が、自分を切り裂いていく。

 悲鳴を上げ、助けを求めても、その声は音にはならず虚空に掻き消えていく。

 無力だった。絶望的なまでに無力だった。抗っても、抗っても、何をどうする事も出来ない。

「みんな嫌いだ!」

 叫んだ。みんなが自分を嫌いだから、みんな嫌いだ。

「みんな壊れてしまえ!」

 みんなが自分を傷つけるから、みんな壊れてしまえばいい。

 壊してしまおう……壊してしまわないと、自分が壊れてしまう。

 虚空に向けて腕を振り回し、足を蹴り上げて、全てを壊してしまおうとする。

 でも、その腕も足も闇の中でボロボロと崩れ去り、そして身体全てが崩れ去って闇に溶け落ちていく……何一つ成せないままに。

 繰り返される悪夢。しかし……何か様子が変わった。

 全て崩れ去ったはずなのに、何かを感じる。気付けば、頭を何か柔らかい感触が包んでいた。

 温かい。トクン……トクン……と小さく響くリズムが心地良い。

 声が聞こえる。

「もう大丈夫よ。安心して」

 優しい声。女の人だ。自分を抱きしめてくれている。

 そう察した時、闇が晴れて眩い光が目を刺した。閉じていた目を開いたのだという事にすら気付く事は出来ず、夢の続きを見る様に現実を覗き見る。

 自分の上半身を抱え起こす様にして抱きしめてくれている女性が居た。自分の頭は、柔らかな胸に埋もれる様になって支えられている。

「起きた? うなされてたのよ。怖い夢でも見たの?」

 優しく聞いてくるその女性に見覚えはなかった。

 誰だろうか? でも、凄く安心出来る。初めて会ったのに、そうではない様な……いや、求め続けていた者に今ようやく会えた様な、そんな気がする。

 自分にそんな者は居ないとわかっていた。ただ、言葉だけは知っていた。

「かぁさん?」

 女性は少し戸惑った後、にっこり微笑んで答える。

「……そうよ。もう大丈夫。母さんが一緒だからね」

 ああ、母さんが居た。自分にも母さんが居てくれたのだ。自分を苦しみの中から救う為に、母さんが来てくれた。

 今は無邪気にそう信じる事が出来た。

 あふれ出る涙が、顔に巻かれた包帯に染みこむ。そして、目元の傷に染みた。

「かぁさん……かぁさん!」

「はいはい。もう大丈夫よ。何も怖い事はないわ。ゆっくり、おやすみなさい。母さんは、ずっと貴方の側にいるから」

 母さんが優しく言ってくれる。ベッドにちゃんと頭を戻して、毛布をきちんとかけ直してくれた。

「そうね、歌を歌ってあげましょうか?」

「ぅん……おねがい」

 母さんが少し悪戯っぽく微笑みながら言う。返事は子供っぽすぎたかもしれない。でも、母さんの歌を聴いて眠りたかった。

 母さんは、ちょっと恥ずかしそうに笑った後、歌ってくれた。子守歌を。

 緩やかに流れる歌を聞いていると、まぶたが重くなってきて、母さんの顔が見えなくなってくる。少し堪えてみたが、抗えなくてまぶたは閉じられていく……

 もう闇の中に自分は居なかった。

 自分は小さな少年だった。夕焼けの赤い空の下、迫る夜闇に怯える子供。

 夜が怖いから、夜を壊そうと棒きれを振り回す子供。そして、何時かは夜に呑まれ、帰り道も見失う子供。

 でも、今は違う。夕日の下に母さんが居た。母さんが迎えに来てくれる。母さんと一緒に帰る。母さんの家へと……もう何も怖くない。

 

 

 

 倉庫の中に置き捨てられたベッドに寝かされた、顔に包帯を巻いた負傷者は、マリューの歌を聴きながら眠りに落ちた。

 彼を見つけたのは、何となく興味を引かれて見に行った物が彼が眠るベッドだったという事で、単に偶然である。

 こんな倉庫に置かれていた事を疑問に思ったのと、彼が酷くうなされていた事から、声をかけてみただけなのだが……思いもよらず、恥ずかしい事になってしまった。

 母さんと呼ばれて、それで安心してくれるならとそれらしく返事をした……子守歌の方は冗談だったのだが、それも頼まれてしまって、ついつい歌ってしまって。

 マリューは苦笑しながら、子守歌を止める。

「私はまだ、母親になる歳じゃないわよ。大きな、私の息子さん」

 同級生には何人かゴールインして子供が出来た人も居るが……一応、まだ早いと言える歳か。何にせよ、ベッドで寝てる彼ぐらいの子供を持つ歳ではない事は確かだ。

「それにしても、どうしてこの人ここにいるのかしら? 医務室に居るならわかるけど」

 マリューの知らない事だったが、彼はシルバーウィンドの医務室から回収された、宇宙で回収された酸素欠乏症のMSパイロット……ラウ・ル・クルーゼだった。

 シルバーウィンドの船医が彼の身分を隠し、ナチュラルかもしれないと海兵達に思わせておいた為、殺されたり放置されたりする事無く、他の略奪品と同じく海兵達の手で回収された。

 しかし、コーディネーターの暴動で海兵達にも少なからず負傷者が出ておりブラックビアードの医務室がふさがっていた事、また彼に行える治療は既に施されていたので放置しても問題ない事から、医務室へは送られなかった。

 とりあえずと搬入された所で、置き忘れられたのだ。酷い話もあったものだが、酸素欠乏症でほとんど意識がない状態だと思われていたのだから仕方がないだろう。

 それでも、彼にとっては幸運だったのかも知れない。この出会いがあったのだから。

「考えてもわからないわよね。事実を知りたいわけでもないし……ともかく」

 マリューは、負傷者に平穏を与える事が出来た事に満足して、他に行く当てもないので彼の横で休憩を取る事にした。

「まあ、大きな子供が出来たってのも、考えによっちゃあ楽しいわよね」

 マリューは、先ほどまでとはうってかわって安らかな寝息を立てている彼を見て微笑んだ。そして時折、傷に触れない様に彼の身体を撫でてやりながら、マリューはザクレロの補給が終わってアークエンジェルへ帰還する時が来るまでの間、ずっと彼を見守っていた。

 

 

 

 数時間後、略奪を完了した海兵達は、シルバーウィンドに幾つか仕掛けを施した。

 通信記録や監視映像など、艦内で起こった出来事を記録していたメモリーをバックアップ含めて全て破壊する。万一の場合でも、残ってしまわない様に。なお余談だが、これらの貴重なデータはコピーがとられ、それは海兵達が回収していた。

 次に、シルバーウィンドの通信機からSOS信号を打たせる。ニュートロンジャマーの電波妨害がある以上、誰も聞いていないかも知れないが念の為に。SOSの内容は敵襲ではなく、エンジントラブルとしておく。

 最後に、エンジンや推進器に最大限、細工を施す。船全体を木っ端微塵にするほどの大事故が発生する様に。

 要するに、事故に見せかける為の隠蔽工作だ。これらは時間があったからこそ出来た事。アークエンジェルが居なければ、先のジン襲撃の時に、証拠隠滅もしないまま逃げ出さなければならなかったかもしれない。

 何にせよ、プラントの客船シルバーウィンドは、エンジントラブルを理由としたSOS信号を辺りにばらまいてから数十分後、エンジンの暴走と推進器の誘爆によって爆発し、暗礁宙域の無数のデブリの中に散っていった。

 この事は、後にプラントへ、シルバーウィンド遭難事故として伝わる事になる。

 

 

 

 シルバーウィンドが爆散していた頃、ブラックビアードとアークエンジェルは、既にその宙域を離れていた。とは言え、いまだに暗礁宙域を移動中である。

 無数に漂うデブリの間を抜けて行くと、両艦の前にひときわ巨大なデブリが見えてきた。

『古い時代の宇宙基地だ。解体せずに放り出してあったのを利用させて貰っている』

 アークエンジェルの艦橋。モニターに映るブラックビアード艦長の黒髭が、目の前に迫りつつある巨大なデブリを指して言う。

 それは、一見、宇宙ステーションの残骸と見える物。それが連合の秘密基地として利用されているのだ。

 基礎となっているのは、宇宙開発の初期に作られた古い物だろう。巨大な箱をつなぎ合わせたような武骨な外見は、実用性以外の一切が考慮されていない。

 それに、新旧のコロニーの残骸が食い込む様にくっついている。ぶつかり合って自然に固まった様に見えるが、実際には基地の機能を上げる為に、残骸を拾ってきて付け足した物だ。

『外見は古いが、中は弄ってある。なかなか快適だぜ? しばらく住む事になるからまあ、ゆっくりくつろいでくれ』

 黒髭は、まるで我が家を紹介するかの様に言う。そんな事を突然言われて、アークエンジェル艦長のナタル・バジルールは困惑気味に問い返した。

「しばらく……ですか?」

『基地内のドックでアークエンジェルの修理を行う。まあ、その間はどうしたって動く事は出来ないからな』

 黒髭はそう答えた後、ニヤリと笑って続ける。

『その間、乗員に休みを与えてやれ。基地内への上陸は自由。施設も自由に使ってかまわん。もっとも、荒くれ共の住処だ……お上品なお客様には向かねぇ場所だがな』

「……ご厚意に感謝します」

 ナタルは一応そう答えたが、上陸許可はあまり嬉しい事では無さそうだと思っていた。

 規律正しい軍隊とはとても言えそうにないブラックビアードの拠点だ。きっと彼らにとって相応の場所なのだろう。あまり良い環境では無さそうだ。

「一つ、お聞きしたいのですが、避難民の方達はどうしたらよろしいでしょう? 慣れない艦内生活で疲れが出ています。この基地に長く留め置かれるなら、もっと安らげる場所が欲しいのですが」

 長く留め置かれそうな気配に、ナタルが気になったのは避難民の事だった。

 軍艦の中での生活。二度の戦闘。限界とまでは行っていないが、彼らが避難生活に疲れ始めているのは明らかだ。アークエンジェルと共に足止めをくらうなら、彼らにももっと安心して暮らせる環境が欲しい。

 だが幸い、そのナタルの心配はしなくて良いものであったらしく、黒髭は僅かに考える様子を見せてから答えた。

『俺達は、今回の分捕り品を本隊に届けに行く。ついでに、アークエンジェルの避難民も送っていこう。標準時間で翌○六○○時までに、民間人の移動準備を終えておいてくれ』

 軍事基地を民間人にうろつかれるのは問題がある。それに、品行方正とは言い難い場所だ。あまり見られたくない物も多い。

 それに、隠密行動ではブラックビアードの方がアークエンジェルに勝る。安全に避難民を送る任務にはブラックビアードの方がふさわしい。

 そう考えた黒髭は、親切にも避難民を預かる事を決めた。

「……了解です」

 黒髭の様々な言動から、避難民達の安全に不安を抱かないではなかったが、ナタルは一言そう言って命令を受諾した。

 しかしナタルの不安は、黒髭の事を色々な意味で信用しなさ過ぎていると言えるだろう。

 黒髭も海賊まがいであるとは言え軍人である。自陣営の民間人に手を出すつもりはない。それに、ZAFTによるヘリオポリス襲撃の生存者と言うのは、少々看板が大きすぎる。手を出せば後々面倒になるのは目に見えていた。

 心情的にも損得的にも避難民に何かをする理由はないのだ。ならば、せいぜい丁重に扱って、地球にお帰り願うのが最良だろう。

 そういった細々とした事を考える能力がナタルには備わっていなかった。そんな“青さ”を察し、黒髭はナタルを前に失笑気味に笑う。

『安心しろ。俺達は、税金納めてる奴等の味方だ』

「!? いえ、あの……申し訳ございません」

 ナタルは、内心の不安を見透かされていた事に気付き、慌てて謝罪した。

 そんなナタルの姿に、黒髭は嗜虐心を少々満足させる。美女が弱みを見せている所を眺めるのは楽しい。

 そんな満足感をご褒美に受け取って、黒髭は上機嫌で別の話をし始めた。

『そうだ。本隊に補給も申請するから、アークエンジェルが必要としている物を全部リストアップしろ。この際、多めに頼んでおけよ。それから、所属兵士のリストも提出しろ。補充要員が必要なら、リストに付記しておけ。提出期限は、同じく翌○六○○時』

「了解です」

 ナタルは、先の事もあって今度は素直にそう答える。

 素直になってきたな。後は、俺のベッドの横に入ってくれれば完璧だ。黒髭はそんな事を考えたりもしたが、流石に口に出す事はなかった。

 かわりに、艦橋の窓から見える風景に目をやり、大仰に腕を開いて歓迎の仕草をしてみせる。

 窓の外には、基地の入り口……壁が壊れて大穴が開いているようにしか見えないが、この基地のドックが口を開いて、両艦を呑み込もうとしていた。

『さあ到着だ。俺達のアジト“アイランド・オブ・スカル”へようこそ。兵士達諸君を歓迎する』

 この日、アークエンジェルはヘリオポリス襲撃の時以来ようやく、戦いで疲れ傷ついた体を休める事の出来る場所へと辿りついた。

 



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ヘリオポリスZAFT駐留中

 ヘリオポリス。ZAFTの押さえる宇宙港。ここに、本来ならばクルーゼ隊の所属艦である、後続のローラシア級モビルスーツ搭載艦ツィーグラーが合流していた。

 その格納庫内。

「やっと俺専用が戻ってきたか」

 ミゲル・アイマンが嬉しそうに言う。彼の目の前には、オレンジ色の塗装のジン……ミゲル・アイマン専用ジンがあった。これは以前の戦闘で破損し、修理していた物だ。

「正確にはジン・アサルトシュラウドになります」

 整備兵は、ジンにアサルトシュラウドという追加装備を付けた事を説明した。

 このアサルトシュラウドは追加装甲として働き、また高出力スラスターを追加する事で機動力の向上も果たしている。そして、右肩に115mmレールガン「シヴァ」、左肩に220mm径5連装ミサイルポッドが装備され、火力を大幅に強化してもいた。

「ミサイルはともかく、レールガンはあの化け物にも効きそうだな」

 ミゲルは、強力な武器を手に入れた事に安堵する。攻撃が効かない敵と戦いたい訳がない。

 如何にも強力そうな砲を見て喜んでるミゲルの横で、オロール・クーデンブルグは整備兵に聞いていた。

「俺のは? どっかの蜜柑色が壊した片腕のジンじゃ、どうにもならないぞ」

 オロールのジンは中破しており、しかもそのまま動かしていたのでかなりガタが来ていた。可能ならば、工場に戻して修理した方が良いほどに。

 その点は整備兵も話を聞かされており、代替機は既に考えられていた。

「……あれはどうですかね?」

 整備兵が指をさして見せたのは、格納庫の奥に固定された白のジン・ハイマニューバだった。

「これって……」

 心当たりのある機体を見て、オロールは言葉に詰まる。

 整備兵は、何でもない事のように言った。

「ラウ・ル・クルーゼ氏の予備機ですよ。シグーの前に乗っていた。でも、パイロットが居ないのに余らせていても仕方ないですし」

 クルーゼは既にほぼ死亡扱いとなっている。つまり、彼の為の機体は余っていた。だから、使える人間に渡そうという算段なのだ。

「やったぜ! あ、でも、色はノーマル・ジンに戻してくれよな。どっかの蜜柑色みたいに、エースを主張して狙われたくないんでね」

「蜜柑色、蜜柑色、うるさいんだよオロール!」

 調子に乗っているオロールを、ミゲルは後ろからチョークスリーパーに固めた。

「うわ! ギブ! ギブだ!」

 バタバタと二人して楽しそうなミゲルとオロールに、整備兵は溜息をつく。

「遊ぶ暇があるなら、自分の機体の調整してくださいよ。で、自分の艦に持って行って」

「あ……そうだな」

 ミゲルがそう言われればと腕を放し、解放されたオロールが苦々しい表情を作る。

「確かにそうだけど、めんどくせぇ」

 二人はそのまま、各々の機体へと向かった。

 

 

 

 ガモフの艦橋。

 ガモフ艦長のゼルマンは、ツィーグラーの艦長からもたらされた情報に眉を寄せていた。

「月から?」

『ああ、第8艦隊が出撃した。コースを見るに、確実にこちらへ来る』

 ツィーグラーの艦長が通信越しに言って、持ってきたデータをゼルマンに送る。

 ゼルマンが手元のモニターにそのデータを表示すると、簡易的な宇宙地図と、月から出た第8艦隊とその航跡が表示された。

 月から出撃した連合軍第8艦隊が、ヘリオポリスに向かってきている。確実に、奪われた連合MSの再奪取が目的だろう。

「いやはや、動けなかったとは言え、長居しすぎたか」

 溜息をつくも、それでどうにかなる筈もない。

「嘆いてもしかたない。合流で戦力は揃ったが、一艦隊相手はきついな」

『いや、本国から迎撃艦隊が出された。敵は大艦隊な分、足が遅い。迎撃艦隊は高速艦で編成すると言っていたから、ここに辿り着く前に一戦ある筈』

 ツィーグラーの艦長が、さらにデータを付け加えた。

 宇宙地図の上に、プラントから出た艦隊と、その航跡が記される。

 ゼルマンが予定コースを表示させた所、第8艦隊とプラントの艦隊は、ヘリオポリスの手前の宙域で激突する事になるのがわかる。

 連合側が大艦隊の派遣ではなく、少数精鋭による速戦を選んでいたなら、ゼルマン達はヘリオポリス内で身動きとれないままやられていたかも知れない。敵の判断ミスに助けられたか。

 もっとも、MSを擁するZAFTに、数しか取り柄のない連合が少数精鋭で挑む選択をする事は難しいだろうが。

「なるほど、これならば最悪でも、抜けてきた残存戦力や別働隊を迎え撃つだけですむか」

 どれだけ残して戦場を抜けるか、どれだけ別働隊としてくるか、それが問題だ。今までの連合なら、たいした事は無いだろうが……

『ついでというわけではないのだろうが、連合MS回収用の艦隊と、占領統治の為のスタッフもヘリオポリスに派遣されてくるそうだ。警戒は必要だが、焦る事はないのじゃないか?』

 余裕を見せているツィーグラーの艦長に、ゼルマンは少し考えてから言った。

「敵に新型MAが含まれていなければな」

『MAごとき、何を心配している? MSの敵ではないだろう』

 ツィーグラーの艦長は通信の向こうで笑った。

 だが……ゼルマンは決して笑わなかった。

 

 

 

「この腰抜けがぁ! もう一度言ってみろ!」

 今やZAFTの占領下にあるヘリオポリスの港湾部の一室、いわゆる赤服のお坊ちゃん達にあてがわれた待機室で、イザーク・ジュールの怒声が盛大に上がっていた。

 その怒声を叩きつけられているのは、イザークに胸ぐらを掴まれているアスラン・ザラ。

 アスランは、イザークの怒りに少しも動じる事無く、決意を胸に言葉を返した。

「軍を辞める。もう決めたんだ」

 事の始まりは、キラ・ヤマトだ。

 かつての親友とは、ほとんどわだかまりが無かったので、すぐにかつての仲を取り戻した。

 キラは昔と変わっていなかった……だが、アスランは変わっていた。彼は兵士となり、憎しみで戦い、ナチュラルを殺す事に心動かされる事も無くなっている。キラはそれを悲しみ、昔の優しかったアスランに戻って欲しいと願った。

 争いだの愁嘆場だの和解だの色々あって、アスランは決意したわけだ。軍を辞める事を。

「このまま戦えば、俺はまた大事な人を失ってしまう……そう気付いたんだ」

「……くっ! 貴様、本気で……」

「……おい」

 激昂しかかるイザークを、二人の争いを見ていたディアッカ・エルスマンが肩を叩いて止めた。そして、イザークの耳元に囁く。

「あのな……」

「っ!? な、男同士だぞ!?」

 何を囁かれたのか、イザークはまるで何か汚い物に触れていた事に今気付いたのだと言わんばかりにアスランの胸ぐらを掴んでいた手を放し、何か振り払う様に手を振った。

 それから、アスランを嫌悪と不安の混じる表情で見てから、何かの間違いである事を祈るかの様にディアッカを見る。

 ディアッカは、沈鬱な表情で首を横に振った。

 イザークは続けて、アスランと仲の良いニコル・アマルフィを見る。待機室の真ん中に置かれたテーブルにつき、事を見守っていたニコルは、イザークの視線を受けて困った様な表情で僅かに首を縦に振った。

 イザークは、深い深い溜息をつき、それから哀れむ様な目でアスランを見て言う。

「……もう良い。俺には理解出来んが、好きにしろ」

「いや、待て。何か勘違いしてないか?」

 イザークの不穏な反応に、アスランは困惑を露わに詰め寄ろうとした。が、イザークは後ずさってアスランから距離を取る。

「触るな。俺にそんな趣味はない」

「安心しろイザーク。お前はアスランの好みのタイプじゃない。むしろ危険なのは……」

「え? 僕ですか!? 困りますよそんなの」

 嫌悪丸出しで言うイザークに、ディアッカが言いながらニコルの方を見る。ニコルは、困った表情を浮かべてアスランの方を見て答えた。

 それで、だいたいの状況を悟り、アスランはその顔に怒りの表情を浮かべる。

「お前達……俺とキラの関係を、そんな不純な物だと思っていたのか!? ふざけるな、キラはそんな奴じゃない! キラは……そんな奴じゃないんだ」

 言い立てるとアスランは、一同に背を向けて待機室を出て行った。

 その背を見送り、ディアッカが苦い表情で呟く。

「……自分がそう言う奴だって思われた事は否定すらしないのかよ」

 アスランにしてみれば、キラを侮辱された事に怒るあまり、自分の事をすっかり忘れただけではあるのだが……この場の誰もが、それを察するどころか、ディアッカと同意見であったのは言うまでもない。

 アスランの性癖について疑惑が深まった所で、待機室の空気は重くなった。

 特に、アスランを密かにライバル視すらしていたイザークはショックが大きかった様で、苛立ちを隠せずにいる。ライバル……つまりは、その実力を認めていた男が、ノーマルな同性として微妙な性癖を持っていたというのだ。ショックを受けない筈がない。

「くそ、あんな男を俺は……」

 後悔たっぷりにイザークは声を吐き出す。

 蔑めば内心でアスランを認めていた自分が惨めだし、かといってアスランをライバルとして評価し続ける事はもう出来そうにもない。

 もう少し理解力ついてくれば、それもまた人の個性であり非難すべきではないと、事実を受け止める事が出来るのだろうが、まだ十代の若者にそれを求めるのは難しい物があった。ましてや、癇癪の激しいイザークの事である。

 まあ、全てが悪い事ばかりではない。アスランが軍を辞める決意を固めた事について、イザークは納得に到っていた。つまり、人に理解出来ない性癖を持つのだから、人に理解出来ない決意を固めても仕方ないと。

 それが無ければ、イザークはアスランの決意を決して認めようとはしなかっただろう。認めなかったからどうだと言うものでもないのではあるが、当面の間はつきまとって怒鳴り散らす位はしただろうし、最悪、キラを原因と見て怒りをぶつける可能性もあった。

 アスランにとっては不本意かも知れないが、実際には良い結果だったのかもしれない。

「ま、まあ、アスランの事はともかく……」

 空気の重さに辟易としたニコルが、とりあえず話題を変えようとした。

「みんなは、これからの身の振りって考えてますか?」

「とりあえず、連合MSを持って凱旋だろ?」

 他に何があるんだと言わんばかりにディアッカが返す。

 議員の子息である自分達がこの作戦に就いたのは、政治的な理由が多分に含まれている。それぐらいの事がわからないディアッカではない。

 母艦のヴェサリウスが航行不能状態にある等の不測の事態で動けないで居るわけだが、議会としてはさっさと呼び戻して宣伝に利用したい筈だ。英雄となった議員の子息という、戦争を遂行する議員達の正当性を象徴するものを。

 それを考えると、アスランの様に軍を辞めるというのも悪くはない。軍を退いたとしたら、今度は政界で生きる事になるのだろう。英雄という肩書きは強力な武器となる筈だ。

 何にせよ、プラント国民に連合MSを奪取した英雄達を大々的に宣伝する所までは、確実に起こる事だった。そして、それを拒否する理由は誰にもない。

 だからこそ、ディアッカはニコルの質問に返したのだ。他に選択がないのに聞く意味は何なのかという問いを含めた答えを。

「ラスティは残るって言ってるんですよ。この艦隊に。それで、他のみんなはどうなのかなって思ったんです」

 ニコルは、肩をすくめてそう答えた。

 残って何をするか……考えるまでもなく、普通の兵士として前線で戦闘を続ける事になるだろう。それだけだ。そこに何も利は見いだせない。

「あいつ、何を考えてるんだ? 残ると言ったのが、イザークならわかるけど」

「俺ならわかるとは、どういう事だ!?」

 ディアッカが首をかしげて言った台詞に、イザークが噛みつく。ディアッカは、釣り針に魚がかかったのを見た釣り人みたいにニヤリと笑い、すぐに言い返した。

「お前なら、政治の道具になるより、ナチュラルと戦ってプラントに貢献する事を選びそうだと思ってよ。それに、クルーゼ隊長の仇をとるって息巻いてたろ?」

「ぐ……それは確かにそうだが……」

 イザークは言葉に詰まる。確かにその通りで、その選択が許されたなら喜々としてそうした事だろう。そう、許されれば。

「ママには逆らえないもんな」

 ディアッカは、イザークの弱みを突いた。

 イザークの母親もまたプラントの議員だ。彼女は、イザークが危険な任務に赴く事を望んではいないが、英雄になる事は望んでいた。

 その辺り、出世をさせたいという様な息子を思っての部分もあるだろうが、政治的にそれが求められていたと言う意味合いの方が強い。過保護極まりない部類に入る彼女は、愛息子を戦場に送り出す事に、さぞかし悩んだ事だろう。

 それが今や、イザークは英雄となって堂々と凱旋出来る様になった。となれば、イザークに、これ以上の危険な行軍を望むわけもない。つまり、戦い続ける事を選択するなら、イザークは母親の意思に逆らう事になる。

「母上は関係ない!」

 母親離れ出来ていない事を揶揄され、イザークは怒りに声を荒げた。

「れ……連合MSを、本国まで持ち帰るのが任務だ! それを放棄して、ここに残る事など出来るものか!」

「おっ、上手く逃げたな。俺もその言い訳を使わせてもらうぜ」

 怒るイザークの前で、ディアッカは感心した様に言う。それから、改めて首をかしげた。

「ま、でも、そうなるよな。俺達の任務は、連合MSを奪って持ち帰る事だ。ここに残って戦うなんて、大儀も無ければ、政治的意味もないし、出世とも関係ない。アスランみたいに恋人に言われたとかでもなければ、理解出来ないよな」

「恋人ですか? そう言えば……何か冗談で、恋をしたとか何とか言ってたましたよ。本当に誰か好きな人が居るのかも知れませんね」

 ニコルが、何日か前の事を思い出しながら口を開く。

 ラスティが、浮かれた様子で何やら口走っているのを聞いた。もっとも、その内容はどう考えても冗談以外の何物でもなかったのだが。

「あれに恋人ねぇ?」

 ディアッカは、疑問に出しながらも、それは無いだろうと確信していた。

 

 

 

 ヘリオポリスにあった連合のMS開発基地は、MS奪取時のZAFTによる戦闘行動と、その後のアークエンジェル脱出の際に連合軍の手で行われた破壊工作により、かなり徹底的に破壊し尽くされていた。

 しかし、MSの部品や、コンピューターなどの情報源となりそうな物が破壊を免れ、瓦礫に埋もれて残っている事から、ZAFTによってその発掘作業が行われている。

 作業はまず、瓦礫の山となった地上の建物を取り除く所から始まっていた。

 乱暴に行ってはならない。瓦礫の下に埋もれた物を傷つけない様、慎重に慎重を重ねて瓦礫を除去する。そういった作業にも適しているのが、MSと言う物であった。

『なあ、ミゲル』

 ミゲル・アイマンは、通信機から聞こえるオロール・クーデンブルグの声を聞き流しつつ、MSを使った瓦礫除去作業に集中する。

『……おい、黄昏の屑拾い』

「うるさいな! 何だよ、さっきから!」

 ミゲルは思わず通信機に怒鳴り返した。

 その間も、ミゲルの乗るオレンジ色の機体、ミゲル専用ジンは掴み上げた瓦礫を集積場所に放り投げる作業を続けている。

『いや、ZAFTのエースが高性能専用機で穴掘り作業ってのは、どんな気分かと思って。

 楽しいか?』

「お前だって、ジン・ハイマニューバで穴掘りだろうが! 高機動性を活かして、ちゃっちゃと作業を進めろよ!」

 ミゲルが睨むモニターの中、オロールが乗るジン・ハイマニューバが、やる気なさげに瓦礫を持ち上げ、適当極まりなく放り投げるのが映っていた。

 ミゲル専用ジンもジン・ハイマニューバも高性能機なのだが、こんな作業ではその性能を生かせるはずもない。と言うか、作業用の低性能機で十分だ。

『せっかく新型が手に入ったのに、最初の任務がこれかよ……機体が泣くぞ』

 ミゲルにも、オロールの嘆きは理解出来た。

 新型MSに乗り、連合との一戦で華々しいデビューをと逸っていた所が、与えられた任務は穴掘りである。ミゲルも、連合の新型MAとの雪辱戦を望んでいたのに、完全に思惑とは違ってしまった。

 連合MS奪取の達成を補完する重要な任務だという事はわかるのだが……

「しょうがないだろう。ワークス・ジンなんて無いし、ツィーグラーのMS隊は哨戒任務に要る。俺達しか浮いてないんだよ」

 免許があれば誰でも使える、ワークス・ジンの様な作業用MSは無い。ローラシア級モビルスーツ搭載艦ツィーグラー所属のMS隊は、母艦と共に周辺宙域の哨戒任務に出動している。

 一方、ローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフは、先の戦いで受けた損傷を修理中。また、所属するMS隊がミゲルとオロールの二機分しか無い事から、率先して動ける態勢にはなっていない。つまり、暇なMSはガモフ所属のミゲルとオロールしか居ないわけだ。

『半端はつらいねぇ』

 オロールもその辺りは理解しているので、溜息混じりにそう言ってくれた。

「ああ……こんなんじゃ、給料も上がらないしな」

 ミゲルも溜息をつく。弟の治療費に金が要るのだ。いつまでも、こんな所でしけた任務をしていたくはない。

「新しくMSでも見つかれば別かも知れないけど」

 ZAFTが全く情報を掴んでいなかった未知のMSがヘリオポリスから持ち出されたと聞いていた。ひょっとすると、他にもまだあるかも知れない。

 ミゲルは独り言を呟きながら、そんな事を考えていた。と……

『おい、ミゲル!』

「何だよ。愚痴ならもう聞かないぞ」

 オロールからの再度の呼びかけに、ミゲルはウンザリしながら答える。

 だが、オロールが伝えたかった事は、愚痴などでは無かった。

『瓦礫の下に空間がある! 格納庫っぽいぞ!』

「本当か!?」

 ミゲルは、今自分が担当している場所を放棄して、オロールの元へと向かう。

 オロールは、さっきまでの態度とは打って変わって、せっせとジン・ハイマニューバを動かして瓦礫を除去していた。

 確かに、ジン・ハイマニューバの足下には、四角く切り抜いた様な大きな穴が開いている。恐らく、元からあった搬入口か何かで、上の建物が崩れて塞がってしまったのだろう。

 幸い、穴は埋まっておらず瓦礫が乗っているだけの様で、瓦礫を除ければ中に入れそうだった。

「よし、手伝うぞ」

 ミゲルは、その穴を埋める瓦礫を取り除く作業に参加した。しばらくの間、二人はMSを使って黙々と作業を続ける。

 瓦礫を取り除き、後は建物の骨組みだった鉄骨だけとなって穴の底が覗ける様になると、どうやら穴の底は巨大なエレベーターになっている様だとわかった。つまり、何か大きな物を地下に搬入する為の入り口と言うわけだ。

「……本当にMSとかがあるかもな」

『良いなそれ! 本当なら、ボーナスもんだ』

 オロールが喜びの声を上げて、鉄骨の片づけを急ぎだした。MSのパワーを持ってしても折り重なって絡み合う鉄骨はなかなか動かないが、それでも本数が少なくなってくると作業は楽になり作業進行も早くなる。

 しばらくすると鉄骨は全て取り除かれ、そこには穴だけが残った。

『よし行こうぜ』

「ああ」

 二人は、MSを軽く跳ばせて、穴の中へと入らせる。

 スラスターを軽く噴かせて、緩やかに下に降りると、そこには壁一面の巨大シャッターが待ち構えていた。

「基地の電源は死んでるんだったか?」

『ああ。こじ開けるしかないな。俺は右。お前、左な』

 シャッターと言っても、鋼鉄の一枚扉だ。なかなか破る事は出来そうにない。シャッターを動かすには電気が要るが、そんな物の復旧はしていない。

 オロールが言って、シャッターの右側に取り付いた。ミゲルは左につき、シャッターに専用ジンの指を添える。

『せーの』

 オロールの声が聞こえると同時に、ジン・ハイマニューバがシャッターを持ち上げ始め、シャッターが軋みを上げた。

 ミゲルも、専用ジンでシャッターを押し上げる。二機のMSのパワーで、重たいシャッターはゆっくりと持ち上がっていった。

 ややあって、シャッターは完全に持ち上がる。

 その奥に広がっていたのは、かなり広い空間。しかし、そこにミゲルとオロールが夢見た様な物は無かった。

『MAだな』

 オロールの声は落胆に近い。そこにあったのはMA。

 ここは開発部門ではなく、整備工場だったのだろう。半ば分解された状態のMAが、整備台の上に置かれたまま放置されている。

「連合の新型は無いか?」

 ミゲルはモノアイを動かして中を眺め回す。

 思い出すのはザクレロ。あの新型MAなら、連合製MS並に価値がある。

 MAはナチュラルが使う時代遅れの兵器というのがZAFTでの共通認識になっているので、認めない者も多いだろう。しかし、戦った自分達は、あれが事によってはMSよりも厄介な敵になるだろう事を知っていた。

 もし、実物が手に入るなら、解析して対策を練る事が出来るわけだ。

 しかし、ここには新型MAも無かった。オロールが舌打ち混じりに言う。

『全部、メビウスとか言う奴だ。おっ、こっちのこいつだけメビウス・ゼロだぜ』

「宝の山かと思ったら、ゴミの山か」

 流石に、普通のMAなど必要ない。

『つまらねぇな。全部、ぶっ壊すか?』

 オロールがそう言って、整備工場の奥へと入っていこうとする。ミゲルが、参加しようとは思わないまでも、「好きにしろ」とでも言おうと考えた所で……何者かが通信に割り込んだ。

『壊すですって!? 何、馬鹿な事言ってるのよ! これだから、MS乗りは……』

 若い女の声。それは、すっかり怒りの色に染まっている。

『あんた達の足下。踏まないでよね』

 言われてモノアイを向けると、いつ降りて来たものやらか、つなぎの作業服を着て安全ヘルメットを被った人がいた。見た目、少年の様でもあるのだが、さっきの声の主という事は少女なのだろう。

 作業服と言うことは、メカニックか何かなのだろうか?

 彼女は携帯通信機を使い、ミゲルとオロールに向かって声を荒げていた。

『ほら、ぼさっとしてないで全部運び出しなさい! 壊さない様に慎重にね』

『待てよ、こんなガラクタ、どうするんだ?』

 オロールの疑問は、ミゲルも同感だ。MAなんかを大事に扱う意味は全くわからない。

 しかし、少女にとってガラクタという表現は好ましくはない物の様だった。

『ガラクタですって!? MSなんて機械人形の玩具みたいな物に乗ってるくせに!』

『玩具だって!? 聞き捨てならないぞ、この……』

 オロールの言葉に少女が噛みつき、それを受けてオロールが怒鳴り返す。

 後は、低俗な悪口の応酬……馬鹿アホ間抜けなどという基本はもちろん、お前の母ちゃんでべそ等という様な高度な語句まで飛び出す始末。ちなみに後者を言ったのは少女だった。

 ともあれ、話を聞いてるとどうも、少女はMSとMSパイロットがたいそう嫌いらしい。

『MS乗りなんて最低ね! 女の子に、よくもそんな事が言えたもんだわ! まあ、MS乗りなんて臭くて風呂にも入らない、外を出歩く服もない、女の子にもてない連中なんだもの。女の子の扱い方がわからなくて当然よね!』

『も……もてないだと!? お前に何がわかる!』

「オロール、お前の負けだ」

 いい加減、口喧嘩を聞くのにウンザリして、ミゲルは口を挟む。それから、わざと慇懃に少女に疑問をぶつけた。

「で、お嬢様はMAをどうなさるおつもりで? 運び上げるのは構いませんが、それだけ教えてはいただけませんか?」

『MAでマフィンを焼くとでも思う?』

 少女は冷たく一言で返す。それから、ミゲルの方は話が通じるとでも思ったのか、少しだけトゲを引っ込めて話を進めた。

『ともかく、基地で見つかった物は全部回収する様に命令が出てるでしょ? 横着してないで、MAも全部回収しなさい』

「わかった。確かに、命令は全部回収だ。全部回収しよう」

 口は悪いが、少女の言い分が正しい。とりあえず回収するのが自分達の任務であって、捨てるかどうかの判断は誰か他の人間がやってくれる。

「オロール。ここから、運び出せる物は全部出すぞ」

『面倒くせぇ。俺、瓦礫除去に戻るわ。ここは任す』

 オロールは、手伝うのはまっぴらだとばかりに、外へ向かってジン・ハイマニューバを歩かせていった。

 残されたミゲルは、どうした物かと考えながら、少女に目を落とす。

 少女は奥へと駆け込んで、整備中のMAが並ぶ中を走り回っていた。凄い楽しそうである事はわかるが、何が楽しいのかは全くわからない。

「何だかな……」

 ミゲルは、とりあえず手近な物から運んで、さっさと終わらせようと、専用ジンの操縦桿を握り直した。

 

 

 

 ヘリオポリスは、月に対して地球を挟んだ反対の位置にある。よって、ヘリオポリスからでは、地球の影にある月を見る事は出来ない。無論、月周辺で起こっている事象も同じ。

 月基地より発進した連合軍第8艦隊はついに地球を回り、ヘリオポリスから光学観測によってその姿を確認できる様になっていた。

 アガメムノン級宇宙母艦一隻と、ネルソン級宇宙戦艦三隻、ドレイク級宇宙護衛艦五隻で構成される艦隊は地球上空にて足を止め、地上からマスドライバーで打ち上げられる物資を直接受け取る形で補給を受けている。

 恐らくは、この補給を終え次第、ヘリオポリスに進軍を開始するのだろう。

 また、連合軍基地アルテミスの駐留艦隊に第8艦隊と同調した動きが見られた。陽動……あるいは実際に出撃して共同作戦をとるのか、はたまた独自にMS奪還に向けた動きを取るのか、それは現段階ではわからない。

 これらの事態に対しZAFTは、ナスカ級高速戦闘艦二隻、ローラシア級モビルスーツ搭載艦四隻からなる艦隊を、ヘリオポリス沖の宙域に派遣。第8艦隊との決戦に臨む構えを見せる。

 ヘリオポリス沖が不穏な空気を漂わせる2月9日。接近を続ける連合軍第8艦隊に先んじて、連合MS回収任務を帯びたナスカ級高速戦闘艦“ハーシェル”と輸送艦一隻がヘリオポリスに到着した。

 

 

 

 ローラシア級モビルスーツ搭載艦“ガモフ”の艦長、ゼルマンは、ガモフの艦長室でコンピューター端末を動かし、ハーシェル到着の報告と共に届けられた補給品のリストを確認していた。

 今回、到着した輸送艦は、ヘリオポリスに駐留している部隊への補給任務も兼ねている。

 弾薬や食料といった通常の補給物資の他、ZGMF-1017ジン十機とパイロットの補充もあり、これでガモフとナスカ級高速戦闘艦“ヴェサリウス”の戦力も定数を満たしたと言えるようになった。

 また、先の戦いで大破しているヴェサリウスの修理の為、ナスカ級の艦橋部と推進器、砲塔の部品も運ばれてきている。もっとも、修理には時間がかかる為、第8艦隊との戦いには間に合わないだろう。

 更にZGMF-515シグーが五機も送られてきているが、これは政治家の御曹司である所の赤服パイロット達に用意された物らしい。つまり、全て連合MSと一緒にご帰還という事になる筈だ。

「ん? ハーシェルに搭載されるシグーは四機?」

 ゼルマンは、自分の想像を確認する為に新しい部隊編成表を確認して、数が合わない事に気付いた。

 搭載されるのはシグー四機とジン一機。つまり、ジン一機は来てそのまま帰るという事だ。

 その疑いは、直後に部隊編成表の中から答えが見つけ出される。

「ラスティ・マッケンジー……残ったのか」

 赤服パイロットの一人であるラスティ・マッケンジーの名が、自分の艦のMS部隊の中に移っていた。旧クルーゼ隊は全員がハーシェルに移り、そのままプラントに帰還するものと思っていたのだが、そうではなかったらしい。

 ラスティがガモフに残る事になったので、補充パイロットの一人が入れ替わりになり、ジン共々ハーシェルに残る事になったのだろう。

「赤服か……まあ、ミゲルに任せよう。さぞ嫌がるだろうがな」

 色々と政治的なバックもあって面倒な赤服の事。ゼルマンは、早々にそれをMS隊のエースであるミゲル・アイマンに押しつける事に決めた。

 ガモフのMS戦力は、ミゲル専用ジン・アサルトシュラウドのミゲル・アイマン、ジン・ハイマニューバのオロール・クーデンブルグ、シグー?のラスティ・マッケンジー、今回やってきた通常型ジンの他3名という所。なかなか充実していると言えよう。

 事によると、運用出来るMSの内四機を赤服新兵が占めるハーシェルより上かも知れない。まあ、少なくとも面倒事は少なかろう。

 これで連合の新型MAザクレロに対抗出来るか……その一点は判断に迷う所だが。

 ゼルマンは椅子の背に深く身を預けて、目を閉じる。そして、いつか見たザクレロの姿を思い浮かべた。

 炎の尾を引きながら迫り来る魔獣の姿。口腔より雷を放ち、爪で引き裂くモノ。宇宙の深淵から来るモノ。鋼と肉と魂を貪るモノ……

 

 ――不意に、室内に艦内通信の呼び出し音が鳴り響く。

「うぉっ!?」

 ゼルマンはその音に驚き、身を震わせて目を開けた。

 そして椅子の上で身を起こそうとして、背中が汗で重く濡れている事に気付く。

 ザクレロの事を思い返していたのは僅かな時間だったと思っていたが、端末のモニターの片隅に表示されている時計は、かなりの時間が経っている事を示していた。少なくとも、背を汗で濡らし尽くす程度の時間が経ったのは確かだろう。

 回想に耽り、時を忘れたとでも言うのか? しかし、楽しい回想では無かったはずだ。あれはむしろ、悪夢に……

「……疲れている様だな」

 ゼルマンはそう言って首を横に振って、大きく溜息をついた。

 居眠りでもして、考えていたザクレロの事をそのまま悪夢に見たのだろう。ヘリオポリス襲撃以来、多忙な日々を送っているのだから、そろそろ疲れが出てもしかたがない。

 そう自分を納得させて、ゼルマンは先ほどから呼び出しを続けている通信端末の受話器を取った。

「ゼルマンだ」

『艦長。ヘリオポリスの政務官の方が、先ほどからお待ちです』

 ゼルマンは言われて思い出す。

 ハーシェルには、今後ヘリオポリスを管理するコロニー運営スタッフが乗り込んでいた。まあ、コロニーは軍人だけで動かせる物ではないので、それは当然の事だ。

 そして、その中には政務を担当する者も居り、彼は現在までヘリオポリスの占領統治に当たっていたゼルマンとの面会を望んでいた。

 悪夢にうなされている間に、その面会時間が来てしまったらしい。

「わかった。もう少し、待って貰ってくれ」

 ゼルマンは言ってすぐに通信を切る。

 この汗にまみれた格好では、誰に会う事も出来まい。ゼルマンは、新しい服とタオルを探して、部屋に作りつけのクローゼットへ向かった。

 

 

 

 ヘリオポリス港湾部の一角。応接室に赴いたゼルマンを出迎えたのは、黒い長髪の美丈夫だった。

「ギルバート・デュランダルです」

 立ち上がって手を差し出すデュランダルの手を握り返し、ゼルマンは名乗る。

「ZAFT所属ガモフ艦長のゼルマンです。議会の若き天才と噂はかねがね……」

「いえ、ただの学者崩れの三流議員ですよ」

 軽い社交辞令混じりの挨拶を、デュランダルは笑顔で遮った。

 ギルバート・デュランダル。穏健派……つまり、今行われている戦争について、ナチュラル側との講和も一つの解決であると考える派閥の議員の実力者……だった。

 プラント全国民が一丸となり、ナチュラルを屈服させる為の戦争に熱狂している現在、穏健派は国民から支持を受けていない。勝利以外の結末を望む穏健派は異端なのだ。

 よって、デュランダルがどれほど優れた人物であっても実際の政治権力はなく、三流議員という自己評価は正しいとも言えた。そうでなければ、厄介事以外の何物でもないヘリオポリスの政務担当などに飛ばされる筈がない。

 だからと言って「その通りですね」などと言っていては社交は成り立たないのだが。

「ご謙遜を」

 ゼルマンは、政治家の相手を早くも面倒に思いながら、当たり障りの無さそうな事を言っておいた。

 それを受けてデュランダルは、自嘲気味に微笑んでみせる。

「謙遜ならば、クライン派へと鞍替えなどしないでしょう」

 デュランダルは、あまりに不利な状況を脱する為、比較的穏健な政治方針をとっていた現議長であるシーゲル・クラインと彼に従う議員達のクライン派閥に参入する事を選んだ。

 もっともクライン派も、現在では戦争推進に熱心なパトリック・ザラ国防委員長のザラ派に人気を奪われており、国民の支持を失いつつある。デュランダルは、沈む船から乗り換えた船が沈み始めたと言う様な状況に立たされたわけだ。

 それに、シーゲル・クライン等が開戦前後にとった政策にはナチュラルとの戦争をむしろ望んでいたのではないかと思われる様な物が多く、再びその様な政策は掲げないという保証は無い為、デュランダルとしてはいつまで同調していられるのか不安が残る。

 そして、もしシーゲル・クラインが、開戦前後の時期から戦争を望んでいなかったのならば、彼のとった政策は明らかに愚策ばかり。そんな人物についていくというのは、やはり不安で仕方がない。

 結局、自分の先行きは真っ暗だと……そこまでの政治的な裏事情を含めての自嘲だったのだが、ゼルマンにしてみればそこまで政治に詳しいわけではないので、ただ曖昧に頷くのがやっとだった。

「……本題に入りませんか? こういったやりとりは苦手です」

 ゼルマンは内心を吐露しつつ頼み込む。そして、強引に話を進めようと、用意してきたファイルをデュランダルに差し出した。

「ヘリオポリスの現状は、こちらに用意しました資料にまとめてあります」

 デュランダルは、少々ばつが悪い様子の笑みを浮かべ、ファイルを受け取る。

「失礼しました。軍の友人は、こういった話が好きだったのでつい」

「軍に?」

 デュランダルが漏らした台詞に、つい興味を引かれて聞き返すゼルマン。彼にデュランダルは、態度を少しも変えずに返した。

「ラウ・ル・クルーゼ。彼の散った地に赴任してきたのも、私の運命なのでしょう」

「それは……」

 彼の事を忘れる筈もない。このヘリオポリスでの最初の戦闘で戦死した英雄だ。

 正確には行方不明と言うべきなのかも知れないが、MSに積んであった空気が既に尽きているだろう事と、救助がされた……あるいは捕虜となったという報告が何処からも上がって来ない事から、戦死という事で処理されている。

「……彼の最後を聞かせてはくれませんか? もちろん、機密に触れない範囲でかまいません」

 デュランダルの顔から笑みが消え、真摯な表情でゼルマンに頭を下げた。

 ゼルマンは僅かな時間だけ迷い、そして口を開く。

「隠すべき事はほとんど無いのですが……あれは内部に突入した部隊が、連合MS奪取に成功したとの報告を送ってきた後の事でした。ヘリオポリスから、あの魔獣。いえ、連合の新型MAが姿を現したのは……」

 あの戦いを思い出しつつ、ゼルマンは知りうる限りの事を語り始めた。

 とは言え、クルーゼが倒されたのはザクレロが姿を現した直後の事。あまり語れる事は多くない。むしろ、クルーゼの敗北の理由を伝える為、ザクレロについて多くが語られる。

 デュランダルはそれを無言で聞いていたが、ゼルマンが話し終えると問う様にポツリと漏らした。

「彼の命を奪った魔獣……ですか」

「正式にはザクレロという様ですが、兵の一部は魔獣と呼んでおります。私も、艦長席でモニター越しに見ただけですが、確かに同じ印象を感じましたね。何と説明したら良いのか言葉が見つかりませんが」

 ザクレロと対峙した時の感覚を表すのは難しい。一言で言えば「恐ろしかった」ですむのだが、それではチープ過ぎて真実の欠片も伝わるまい。

 実際、報告書で言葉を尽くしてみたが、それは大方の予想通り無視された。考えてみれば、むしろ戦争神経症を疑われなかっただけましだったのかもしれない。

 それに、ZAFTとしてはその報告を受け入れがたい下地がある。

「このMAについて、報告を上げましたが、誰も重要視はしてませんね。MAはナチュラルの使う時代遅れの兵器だと言う意識が強いようで」

「でしょうね。私も、ラウが倒されたと言う事実がなければ、信じる事はなかった。そのMAはプラントにとって脅威となる……」

 ゼルマンの落胆を、デュランダルは理解出来た。

 ラウ・ル・クルーゼは世界樹攻防戦でMAを三十七機に戦艦六隻を撃破したエースなのだ。それを連合のMAが一蹴したという事実は大きく取り上げられるべきだ。

 しかし、ZAFTは……いや、プラントの全てのコーディネーターに言える事だろうが、MSによる戦果に大きな自信を持っている。つまり、連合のMAでは、ZAFTのMSに対抗出来ないのだと。

 それが妄信に過ぎないと知る時が来るとしたら……だが、その警鐘には誰も耳を貸さない。落胆して然るべきだ。

「いえ、それも早急な判断でしょう。戦ったのは、まだ自分達だけ、しかも一度きりなのです。過大評価の可能性の方がずっと高い」

 ゼルマンが少し会話のトーンを落とし、デュランダルがザクレロの脅威について結論を下そうとするのをとどめた。

 ゼルマンの言うとおり、過大評価の可能性は高い。クルーゼとて、ちょっとした不運で討ち取られる事があってもおかしくはない。また、ゼルマンや他の兵士達の抱いた恐怖の感情も、戦場で命を賭けているのだから恐れはあって然るべきだ。

 公式記録に残る戦闘は、ヘリオポリスでのたった二回。ザクレロを完全に理解したとはとても言えまい。

 たとえ、ゼルマンの心の奥底から、“あのMAは違う”と囁くモノがあっても……

「だからこそ、次の機会があれば、必ず討ち取って見せますよ。あのMAも他のMAと同じ、ナチュラルの時代遅れの兵器だと証明してみせれば良いんです」

 その言葉は軍人としての矜持が言わせた言葉だったが、内心ではそれを行う事によってザクレロへの恐怖を消し去りたいという思いもあった。

 心の奥底に小さな棘が刺さっているかの様に、恐怖が疼く。それは酷く不快な事だ。

 それに、内心では不安にも思う。このまま抱え込んだ恐怖が更に大きくなっていったら……自分はどうなってしまうのだろうかと。

 故に、恐怖に打ち勝つ為にも、魔獣に挑まなければならない。神話の時代の勇者達がそうしてきたように。人類を超えた存在の筈のコーディネーターが、遙か古代のナチュラルをなぞるというのは皮肉ではあったが。

「……まあ、ザクレロの件は、ZAFTにお任せください。それよりも、今はヘリオポリスでの仕事が優先でしょう? すっかり、話し込んでしまいましたが……」

 苦笑を浮かべて言うゼルマンに、デュランダルも表情を緩めた。

「そうですね。それぞれが、それぞれの役割を果たすという事で……貴方は魔獣を追う。私は、このヘリオポリスの諸問題に頭を悩ませる」

 言いながらデュランダルは、先ほどゼルマンから渡されたファイルを開く。そして、流し読みながらページを繰った。

「住民の抵抗運動は終結したのですか? 地球の占領地では、ゲリラが発生してその対応に追われているそうですが……」

「抵抗分子は居ましたが、組織化されたゲリラが発生する前に、無策なまま個別に抵抗運動を起こしましたので、そこで多くを逮捕する事に成功しました。いわゆる初期消火が成功したというところでしょう」

 デュランダルの質問に答えてから、ゼルマンは更に付け加える。

「それに、ある事情から、占領軍である我々よりもオーブ本国の一派閥が住民の憎しみを買っている為、多くの住民は我々に対して従順です」

「そうですか……ならば、住民のヘリオポリスからの退去も順調に行えるかもしれませんね」

 デュランダルはファイルから目を上げ、事務的な冷たさをもって言った。ヘリオポリスの住民の望む所ではないのは承知しても、そこに同情は無いという事を示す様に。

 一方、プラントの政治家がどんな交渉をしているのか知る由もなかったゼルマンは、その話を聞いて少し驚いた。

「退去ですか?」

「ええ、プラントは、この占領によってオーブと敵対的にはなりたくないんですよ。そうなるとオーブの国民を支配し続けるわけにもいかないでしょう。それに……ナチュラルが多い事を厭う声もありましてね。そこで、住民には出て行ってもらおうと。

 それに、オーブ政府も他の交渉事に優先してこの件に回答をしてきましてね。住民回収の為の部隊を早急に送ると……」

 そして、デュランダルは静かな声に嘲る様な響きを滲ませて続ける。

「もっともオーブは、占領軍に退去させられた国民の保護と言わず、外患援助……つまり『敵内通者の逮捕』であると主張していますが」

「逮捕? しかも内通者として?」

 その言葉に、ゼルマンは退去という言葉を聞いた時以上に驚いた。

「内通者が居なかったとは言いませんが、このヘリオポリスの住民全てがそうだったと? 馬鹿げています」

 ヘリオポリス行政官などは、このヘリオポリスを守る為とは言え、ZAFTにかなりの便宜を図っていたし情報も流していた。彼を内通者であると言うのならば理解も出来る。

 しかし、全住民にその嫌疑をかけるというのは、常識では有り得ない。そんな事はデュランダルも十分に理解していた。

「私にも理解は出来ません。が……現に、このヘリオポリスから脱出してオーブ本国へと帰った市民全てが逮捕され、糾弾されていますよ。内通者としてね。どうも、“抵抗せずに、降伏した”事が罪との事ですが」

 オーブで今何が起きているか。デュランダルも、それくらいの情報は仕入れている。

 オーブはその事を隠してもいないので、調べようと思えば簡単に知る事が出来た。

 しかし、このことが世界に知れ渡っているのかと言えばそうではない。諸外国ではニュースにもなっていないと言うのが実情だった。

 もっと平和な時代なら人権がどうこうで諸外国でもニュースになったかもしれないが、今の世界情勢では外国の内情になど興味を持つ者は少ない。それに、プロパガンダに利用出来そうな、ニュースにしがいのある、もっと悲惨な話が他に幾らでも転がっている。

 とは言え、知ってしまえば嫌悪の一つも抱いておかしくない話ではある。

「オーブ軍は、市民を煽って抵抗運動をさせた。結果、市民が対MS戦闘に参加し、死ななくても良い市民が大勢死んだ……次は戦わなかった市民を逮捕だと? ヘリオポリスの市民を根絶やしにするつもりか! 狂人どもめ!」

 ゼルマンはあからさまに不快感を表した。

「ナチュラルは自業自得だ……愚かさの罪に、罰を受けると良い。しかし、コーディネーターが巻き込まれて良いはずがない。コーディネーターだけでも、プラントの手で救済出来ませんか?」

 ナチュラルはどうなってもかまわない。ナチュラル同士であるのなら、罪を着せようが、虐殺をしようが、勝手にしててくれればいい。

 しかし、コーディネーターは一応、他国の者であっても同胞だ。ナチュラルの愚行の犠牲となる境遇から救ってやりたいと思う。

 ZAFTの戦力を使えば、市民を捕らえに来るオーブの先兵を蹴散らす事など容易い。守りきる事は幾らでも可能だろう。

 だが、デュランダルは静かに首を横に振った。

「プラントとしては、オーブには中立国でいて欲しいですから……オーブにとっての犯罪者をかくまう様な事は出来ません。残念ですが、こちらからは手出し出来そうにありませんね」

「そう……ですか。残念です」

 ゼルマンは無念の思いに奥歯を強く噛みしめる。

 今のところ、プラントとしてはオーブと事を構えるつもりはない。弱みをたっぷりと握り、政治的に優位な立場を得ている為、それを戦争で御破産にしたくはないのだ。

 アスラン・ザラに見出されたキラ・ヤマトの様に、数人を密かに亡命させるという事なら可能だが、ヘリオポリスのコーディネーター全員を救い出すと言った事は不可能だ。

「ヘリオポリスの市民に対し私達が出来るのは、彼らの退去の際に混乱が起こらない様、準備と覚悟をさせておく事くらいです。犯罪者扱いと言う事は、少しでも抵抗した市民に対してオーブ側がどうするか、容易に想像が出来ますからね」

 無駄な抵抗による犠牲者を出さない事。それが最初の仕事となるであろうデュランダルは、物憂げに溜息をついた。

「ヘリオポリス市民の滅亡もまた運命。誰もがそれに従うしか……」

「運命をも喰い破るモノ……」

 ゼルマンの呟きが、デュランダルの台詞を遮る。

 そして、ゼルマンは自分の口から漏れた言葉に驚いた様子で目を見開き、口を右掌で覆った。

「……いえ、何でもありません」

 何故そんな事を言ってしまったのかはわからない。だが、ゼルマンは悪い予感がして、考える事を止めた。

「仕事の話をしましょう」

「……そうですね」

 無理矢理に話を変えるゼルマンに合わせて、デュランダルは頷く。

 その後、二人の話は逸れる事無く、事務的な話に終始した。

 

 

 

 ミゲル・アイマンとオロール・クーデンブルグの二人は、ZAFTが使用している港湾部の中、保養施設として特別に営業されているレストランに向かっていた。

「めんどくせーなぁ。酒くらい、好きに飲ませろよ」

「補充兵との親睦を深めておかないと、いざって時に後ろから撃たれるぞ」

 オロールの方は仮眠の途中で叩き起こされたせいか、先程から通路を進みながら文句を並べ続けている。一方のミゲルは、そんなオロールを適当に宥めていた。

 レストランに向かうのは、そこで補充兵としてやってきたMSパイロット達を歓迎し、親睦を深める為である。

 一緒に戦う仲間なのだから、友好的な関係を構築しておくに越した事はない。特にミゲルは、ガモフでMS隊をまとめる立場となるので、人心掌握の為にもコミュニケーションをとっておく事は重要だ。

 だが、オロールにとってはそうではない。

「俺は関係ないだろ。お前の僚機だもんよ」

 オロールの立場は何も変わっていなかった。ミゲルと一緒に出撃して、戦う……それだけだ。補充兵は別に小隊を組むので、関わる事すらないかもしれない。

「だいたいね。昼に、あいつらと就任の挨拶しただろう? 男ばかりだったじゃないか。しかも前線組じゃなくて、本土で哨戒機の座席を磨いていたような連中だぜ? 学校の成績は良かったんだろうが、新卒にポジション奪われたんだろ。そんなのが役に立つのかよ」

「今時、他の戦線から引き抜きなんて出来るわけ無いだろ。それに、男だからどうしたんだよ」

 いい加減、宥めるのにも疲れてきたミゲルに、オロールは大げさに嘆いてみせる。

「わかってねーなぁ。俺がグラスを傾ける横には、綺麗なお嬢さんに居て欲しいのよ。これは、切実な願いですよ?」

「はいはい、わかったからしばらく黙ってろ。席に座って大人しくしてれば文句言わないから」

 ミゲルはそう言いながら、レストランの入り口に当たるガラスの自動ドアの手前で足を止めた。

 そこにあるのは、典型的なファミリーレストランといった様な店。軍服とはあまり相性が良くない。もともと港を利用する客の為の店で軍事施設ではないので当然ではあるが。

 オロールはミゲルに言われた事には答えず、入り口脇のサンプルが並ぶショーウィンドウを、子供の様にガラスにべったり手をついて覗き込んだ。

「わぁい、お子様ランチ頼んで良い?」

「何でも良いから、お前の口の中にねじ込んで、黙らせてやりたいよ!」

 ニヤニヤしながら棒読みで言うオロールに言い捨てて、ミゲルは自動ドアをくぐって店内に入った。

 待ち客用のベンチと精算カウンターが待ち受ける店内入り口。店の中の方は仕切で細かく区切られ、そこにテーブルが一つずつ収められている。

 案内に来るウェイトレスが来るのを待って……と思ったミゲルだが、その耳に思いもかけぬ怒声が飛び込んできた。

「もういっぺん、言ってみやがれ!」

「何度でも言ってやるわよ! MSなんて玩具みたいで格好悪い! 本当の格好良い兵器ってのは、MAみたいな兵器の事を言うのよ!」

 両方、聞いた覚えがある声だが、誰だったかはすぐには思い出せない。

 首を伸ばして店の奥を覗き込んだミゲルは、テーブルの一つに陣取った男三人と、通路に立つ女の子が激しくやり合っているのを見る。

 男三人はすぐに誰だかわかった。ミゲルがここで親睦を深める予定だった補充兵のパイロットだ。先に一杯やっていたのか、もう酔っている。

 女の子の方も見覚えはあるのだが、どうにも思い出せない。肩辺りで切り揃えられた髪をヘアバンドで飾った、勝ち気な性格がそのまま顔に表れたような気の強そうな女の子。背は小さい。……着ている服が、つなぎの作業服なのが妙に引っかかる。

 女の子の知り合いなど多くもないのだから、何処かで引っかかりそうなものなのだが、記憶の底を浚ってみても出てこない。

 悩むミゲルに、背後からオロールが声をかけた。

「おいおい、あそこで喧嘩している子、こないだの女の子じゃないか? ほら、連合の格納庫で。MA拾いさせられた」

「ああ、あの子か……させられたって、お前はあの時、逃げたろうが」

 言われた瞬間、記憶と目の前の女の子が結びつく。以前、連合基地の発掘作業をしていた時、MAの整備工場で自分達に怒鳴り散らしたメカニックの子だ。

 その時、ゴミ同然の連合MAの回収作業をさせられたわけだが、オロールは逃げている。

「気にするなよ。それよりどうする? あの子は好きじゃないが、男三人がかりで女の子とやりあってる所で、男に加勢になんぞ入りたくもない。放っておくか?」

「放っておくわけにも行かないだろ」

 オロールに言われ、ミゲルは答えながらレストランの中を見渡す。

 他にもZAFT兵はいるが、敢えて火中の栗を拾うような気はない様で、無視するか見物するかしていた。

 来て間もない補充兵にはまだ知り合いもいない。だから、敢えて味方しようとする者が居ないのもわかる。

 女の子の方は元々いるクルーの筈。しかし、彼女と同じメカニック連中もいるが、助けようという者はいないらしい。その点はミゲルも奇妙に思ったが、同じメカニックでも艦が違うなどの理由があるのかも知れないと自分を納得させた。

 普通の店なら止めに入る筈の店員は、厨房の入り口辺りに溜まって当惑した様子を見せている。ZAFTに占領された側であるオーブ人が、ZAFT兵の喧嘩に割り込むのは難しいだろうから、これは仕方ない。

 結論、誰も止めそうにない。では、他の誰が止めるかだ。

「しょうがないよな」

 どうしてこんな厄介事にと舌打ち一つしてから、ミゲルは喧噪の場に歩み寄って行った。

 その喧噪の場は、険悪さを加速度的に増している。

「何だと!? 女だと思って下手に出てりゃあ……」

「触らないでよ! MS乗りは臭うんだから」

 男の一人が立ち上がり、女の子の襟首を捕まえる。

 そんな状況で男を挑発する様な事を言う女の子に、ミゲルは頭が痛くなった。それでも、止めないわけにも行かない。

「おいおい、止せよ」

 言いながらミゲルは、女の子の襟首を掴む男の手を横合いから掴み、間に割り込む様にして二人を引き離そうとした。が……

「この、MA女め!」

 男が吼える。直後、ミゲルの頬に男の拳が叩き込まれた。

「ぶっ!?」

 拳を頬で受け止め、首を斜めに傾げたミゲル。

 男は、殴った相手が女の子ではなくミゲルだった事に気付くと、驚きの表情を浮かべた。そしてその表情は、犯してしまった過ちに戸惑う表情へと変わる。

 殴った相手が戦場を共にする仲間で、しかも先任で、部隊をまとめる役にある。いわば、会社の上司を殴ってしまったというのに近い。普通に考えても、失態という言葉ではすまされない状況だ。

 しかし、余程腹に据えかねていたのか、ミゲルに対する敬意よりも女の子をかばった事への怒りが勝ったらしい男は、すぐに表情を侮蔑と怒りに変えた。

「お前もMS乗りだろうに、何でこのMA女をかばうんだ!」

 ミゲルの頬に当てられていた拳が引かれ、直後にミゲルの胸をもう一撃が襲う。

 今度は拳ではなく、突き飛ばしただけだった。とは言え、かなりの強さで押されたミゲルは、後ろに姿勢を崩す。

「おっと大丈夫か、ミゲル?」

 ミゲルの身体を支えたのは、後ろまでやってきていたオロールだった。

「なんだミゲル。殴られちゃってまあ」

「そんな女をかばうからだぞ!」

 オロールの軽口に、ミゲルよりも早く男が怒鳴る。この反応の早さは、ミゲルを殴った事への負い目が自己正当化をさせたというのもあるのだろう。

 もっとも、ミゲルは仲裁に来たのであって、どちらか片方だけを擁護する気はなかったのだから、男の怒りは的外れではあった。ただ、残念な事に男はそれに気付かない。

「ちょっと! この人は関係ないでしょ!」

 女の子が強く怒りを表して声を張り上げた。今まであった挑発する様な響きがないという事は、関係ないミゲルが殴られた事で今度は本気で怒ったのか。

「……なんだっていうんだ」

 ミゲルは、殴られた頬の熱さを感じながら、オロールに支えられていた身体をしっかりと立たせた。

「俺は、喧嘩を止めに来ただけだ」

「関係ないなら引っ込んでいろ! こいつは、俺達MSパイロットを侮辱したんだぞ!」

 男が、女の子を憎々しげに睨んで言い放つ。テーブルに残っている二人の男も、その言葉に賛同の声を上げた。

「お前もMSパイロットなら、その女を黙らせたらどうだ!」

「それとも、ここのMS乗りは、その女の言うとおりMAに負ける奴ばかりか!?」

 ミゲルは、男達の罵声を浴びた後、顔の向きを変えて恨みがましい目で女の子を見た。

「……何よ?」

「MS乗りに喧嘩を売る趣味でもあるのか?」

「こっちが喧嘩を売ったんじゃないわよ。こいつらが声をかけてきたの。だから言ってやったのよ? 『MS乗りなんかとお酒を飲む暇があったら、格納庫でメビウスでも磨いてるわ』って」

 女の子の釈明に、ミゲルは天を仰いだ。

 それで喧嘩を売っていないつもりというのは無いだろう。MAと比べられて、MAの方がましと言われたMSパイロットが怒らないわけがない。

「どうしろって言うんだ」

「ミゲル……俺に任せろって」

 苦笑しながらオロールが、ミゲルの肩を叩いた。それから歩み出て、ミゲルを殴った男の前に立つ。

 何か凄い嫌な予感がして、ミゲルはオロールを止めようと手を伸ばした。

「おいおいおい、止せよオロール」

「こう言う時はなぁ、何より先手必勝!」

 雷光のごとき速さで繰り出されたオロールの拳が、ミゲルを殴った男の顔に叩き込まれた。男は、残る補充パイロット二人のいるテーブルの上に盛大に突っ込み、料理と皿の破片を撒き散らす。

「友達を殴られて、黙って見てる男じゃないぜ?」

 男を殴った拳を掲げ、オロールは得意げに笑みを浮かべた。

 そんなオロールを、テーブルに残っていた二人の男達は呆然とした様子で眺め……すぐに怒りの表情を浮かべて席を立とうとする。

 しかし、レストランのテーブル席は、素早く立ち上がるには向いていない。まごつくその隙に、蹴りが叩き込まれる。男達二人同時に。

「オロール! ぶち壊しにしてくれたな!」

 オロールと同時に男を蹴り飛ばしたミゲルが、オロールを睨み据えて声を上げる。

「穏便に終わらせようと思ってたのに、全部パーだ!」

「殴り合ったら、友情が生まれるかもよ?」

 悪びれずに言うオロール。その言葉に反応したわけではないだろうが、次の瞬間、テーブルの上に転がっていたミゲルを殴った男が跳ね起き、オロールに飛びかかった。

 反応が一瞬遅れ、オロールは男に組み伏せられる。

 助けに入ろうと思ったミゲルだったが、残り二人の男がテーブルから立ち上がろうとしているのを見てそれを断念した。

 二人を迎え撃つ体勢を整えながら、ミゲルは苦々しく呟く。

「とんだ歓迎会だ」

 

「……どうしようかな」

 三対二で激しく殴り合う男達を少し離れて眺めながら、女の子は考えた。

 ともかく、降りかかった災難はミゲルとオロールが被ってくれたので、女の子にとってしなければならない事はあまり無い。

 かといって、殴り合いに参加するのは馬鹿らしいし、レストランの一角を着実に破壊しつつあるこの騒動を放っておくのも問題がある。

「MPでも呼んでおこっか」

 MP。ミリタリーポリス。軍警察の事で、基地内での犯罪取り締まりを行う。

 呼んで来れば、喧嘩に参加してる全員をしょっ引いて、鍵のかかる快適とは言い難い部屋に放り込んでくれるだろう。もちろん、全員であるからしてミゲルとオロールも同罪になるだろうが、女の子は気にしない。

 別に、女の子が『喧嘩をしてくれ』と頼んだわけではないのだから。

「ごめんなさい。電話貸してね」

 女の子は、厨房に歩いていくと、そこにいた店員達に頼んだ。

 

 通報から十分もしない内に屈強なMP達がやってきて、レストランの中の騒動を暴力的に鎮圧した。

 ミゲル、オロールとMSパイロットの男達は全員、薄暗い部屋の中で一夜を過ごす事となった……



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ヘリオポリス蠢動

 オーブ。ウナト・エマ・セイランの私邸。

 応接室に通したウナトの友人は、元より老境にあったのではあるが、その表情には年齢以上の疲れを滲み出させていた。病的にやつれたその身体をソファに沈ませているその姿は、死人のそれと言っても過言ではない。

 彼は、その顔に皮肉げな笑みを浮かべ、手にした水割り入りのグラスを掲げて、嘲笑混じりに言った。

「ヘリオポリスの住民は、外患援助の罪で起訴されたよ。君と話が出来るのも、ここに警察が踏み込んで来るまでだ」

 彼はヘリオポリスの住人。襲撃があった後、命からがら逃げ出してきた普通の市民……その筈だ。

 しかし今、彼と彼の家族は、政府と国民によって罪人にされようとしていた。

「それを笑わせてはくれないのだろうな」

 ウナトは苦い物を噛んだ様な表情を浮かべる。

 外患援助……国に対して外国から武力の行使があったときに、これに加担して、その軍務に服し、その他これに軍事上の利益を与えた者は、死刑又は無期若しくは二年以上の懲役に処する。そういう法律だ。

 本来は敵との内通者を裁く法であり、敵の侵攻を受けて降伏した国民を裁く為の法ではない事は言うまでもない。しかし、降伏して無抵抗である事が、敵に軍事上の利益を与えたという理屈が通っていた。

「つまり、ヘリオポリスの住民は全員、最低でも二年は牢に入れられ、最悪では殺されると言う事か? 馬鹿げている!」

 ウナトは怒りと苛立ちを露わに、手に持ったグラスを強く握りしめる。友人は肩をすくめながら答えた。

「裁判所がそれを認めたならな。何にせよ、全員が拘置所送りなのは間違いない」

 もっとも、代表首長が罪人だと言えば、捜査も逮捕令状も無しに対象を逮捕出来るような国なのだ。裁判所に司法の独立と法の平等を期待出来るかは疑問だった。

「これは政治的粛正だ……ジェノサイドだ! まともな国のすべき事じゃない!」

 ウナトの怒声に、友人の返す視線は冷め切っている。『ここはまともな国なのか?』と問いかける様に。その答えを知る一人がウナトではなかったかと。

 ウナトは怒りが冷めていくのを感じた。かわりに深い失望感が取って代わる。

「知っているかね? 陸戦協定違反の便衣兵については、オーブ政府はその罪を認めない……アスハ派はプラントに対し、オーブ国民は皆兵であり、全国民を正規兵と見なして構わないと啖呵を切るつもりだ。狂っている」

 議会でアスハ派閥の議員がそのように働きかけていた。現状、それを止めようとする声は小さく、無力も良い所だった。

 国民皆兵自体は忌むべき事でもない。国家を守る為ならば、その選択は十分に有り得る。

 だが、今の流れは違う。オーブ政府が国民全てに守らせようとしているのは、オーブの理念というお題目だ。国家と国民を危機に追いやってでも、オーブの理念を守ろうとしている。そこに今のオーブの異常性があった。

「既に国民の軍事訓練の義務化と、軍事予算の大幅増が提案されている」

 アスハ派議員が、軍拡路線を強力に推し進めようとしている。国民皆兵は名ばかりではなく、実際に全ての国民を兵士として扱うつもりらしい。

 理論的には、そんな急拵えの兵士に意味がない事は分かり切っていたが、議員も世論も「大事なのは理論ではなく、理念なのだ」と盛り上がっている。

「くくっ……あっはっはっはっは! はーっはっはっは! 牢獄の中で死ねる私は幸福かも知れないな」

 友人は笑い出す。以前、ウナトが最上のジョークを聞かせた時も、これほどには笑わなかった。

 もしこれが、舞台の上で行われているのならば、ウナトも大いに笑っただろう。しかし、この愚劇が行われているのはオーブという国の中であり、ウナト自身もまた演者の一人ときている。

 このままでは、権力を握り、危なげなく国を守りながら小狡く金を貯めて、引退して孫でも見ながら悠々老後を過ごすという、ささやかな夢すらも叶えられそうにない。

 何とかしなければならないのだが、ヘリオポリス襲撃事件以降の状況の流れは速すぎ、ウナト等セイラン派閥は後手に回っていた。

 まあ、それでも希望が全くないわけではない。

「もっとも、ウズミはそのどちらにも反対している。これは通るまいな。残された希望がウズミだと言うのが皮肉なものだが」

 アスハ派の首長であるウズミ・ナラ・アスハは、現在の急進的とも言える動きに慎重な対応を求めていた。

 ウズミは軍縮論者だ。非現実的な非武装中立論者ではないが、軍事力には常に縮小を求めてきた。

 MS開発を許可したのも、軍事産業方面での旨味の他に、既存の兵器よりも高性能なMSならば、より小規模な軍隊が実現出来るといった思惑がある。もっとも、ウズミにとってMS開発の重要さは、土壇場で無かった事にしたがった程度でしかないのだが。

 ともあれ、乗り気だった頃のウズミは、究極の超高性能機を作り、その一機のみでオーブを守るといった夢想を漏らしていた。実際には一機のみという事はないだろうが、これから先は少数精鋭の小規模な軍隊を目指したいのだろう。軍拡の流れはこれに反している。

「どうかな? “姫獅子”は、軍拡の必要性を煽っている様だが?」

 友人が、部屋の片隅にあるテレビにチラと視線を向けた。今はスイッチが入れられていないが、言いたい事はわかる。

 ウズミの娘、カガリ・ユラ・アスハはこの所、テレビに出ない日はないというくらいの人気ぶりだった。彼女はヘリオポリスの悲劇を語り、その悲劇を防ぐ為として国民の軍事訓練の重要さや軍拡の必要性などについて語っている。

 当初は、オーブの理念の重要さを語る娘に好意的だったウズミも、カガリが自分の政治に反し始めた事で、対応に苦慮しているようだった。

「ウズミには頭の痛い問題だろうが……いや、大きな問題はあるまい。所詮、もてはやされて増長した子供だ」

 カガリは、実際には背後にいる何者かの傀儡に過ぎないとウナトは考えていた。恐らくは、軍拡路線をとなえる急進的なアスハ派が背後にいるのだろう。敵がわかっている以上、背後のアスハ派にのみ気を付ければ良い。

 しかし、友人は意見が違う様だった。

「どうかな? 怖いのは、むしろ国民だ。今の熱狂ぶりを見たかね? あの姫獅子が命じれば、殺人とて喜んで行われるだろう。彼女はオーブの理念という神に仕える異端審問官で、国民は邪悪な魔女を捜し求めている」

 実際にカガリによって断罪されたヘリオポリス市民……彼自身と家族は、政府と国民によって罪人として殺されようとしている。だからこそ言えるのかもしれない。

「オーブは国民の声が政治に及ぼす影響は小さい。氏族の力の方が大きいからな。しかし、氏族とて国民だ。この熱狂は氏族にも影響を及ぼすだろう」

「なるほど……忠告として受け取っておく」

 ウナトは友人の言葉を真摯に受け止めた。友人は、ウナトの言葉に初めて穏やかな笑みを浮かべる。

「そうか、これで君に一つ、餞別を残せたという物だ」

 友人のその台詞に、ウナトは言い返そうとした。しかしその時、応接室のドアがノックされる音が響く。

「旦那様、警察の方がお見えです」

 ドアの外から、使用人が言う。

 時が来た……だが、友人は取り乱す事はなかった。

「ウナト。最後に乾杯をしようじゃないか」

 言いながら、空になっていた自分の手のグラスに酒を注ぐ。それから、ウナトが急いでグラスを空けるのを待ってから、ウナトのグラスにも酒を注ぎ入れた。

 ウナトは、友人が注いでくれたグラスを持ち、乾杯の口上の為に口を開く。

「君と君の家族の安全を祈って……」

「いや」

 乾杯を言いかけるウナトを、友人は止めた。そして、彼が替わって乾杯の口上を述べる。

「オーブの未来に」

「……オーブの未来に」

 二人はグラスを掲げ、一息に中身を飲み干した。別れの杯を……

 その数日後、ウナトは友人の死を知った。

 警察での取り調べ中の心臓発作と発表された彼の死体が遺族の元に返ってくる事はなかった。

 

 

 

 ヘリオポリス襲撃から十二日が経った二月六日。ユウナ・ロマ・セイランは、民間商船に乗ってヘリオポリスを来訪した。

 民間商船は、港外で駐留ZAFTによる臨検を受け、武器類の持ち込みが無い事が確認された後はすんなりと通される。

 ここに駐留するのが実戦部隊であり、こうした臨検などに慣れていないのが幸いだった。乗客の身分の照会などされていれば、ユウナの場合は多少面倒になったかも知れない。もっとも、ZAFTからの情報提供の求めにオーブ本国が応じるとも思えないのだが。

 ともあれ船は港へと着き、乗客の下船が許可された。

 このヘリオポリスで降りるのは、ユウナの他、セイラン派が用意した調査員と支援スタッフ。短時間で良くも集めたものだと感心する位には居るが、その数は決して多くはない。

 そして船は、乗客の他に積荷を下ろし始めている。

 積荷は食料や医薬品などの支援物資で、全てセイラン家が私財で購入した物だった。今のオーブに、ヘリオポリスの支援をしようと言う声はほとんど存在しない。戦って死ねば困窮はしなかったろうと言う、乱暴な声はよく聞かれたが。

 何にせよ、ヘリオポリスは完全に見捨てられた土地となっていた。いや、むしろ堕落と腐敗の象徴として、誅罰の対象となっている。

 ユウナが地球を立った時に既にそうだったのだから、今はどうなっているのか知るのが楽しみだ……と、ユウナは思っていた。知る為には、まずは長距離通信設備が要るだろう。

「カガリは、頑張っているかなぁ」

 今日も演壇の上で糾弾の声を上げているだろう少女の事を思い、ユウナは薄い笑みを浮かべる。

「いっぱい頑張って、凄い輝いて欲しいな。その輝きを消す瞬間が……スッとお腹を開いて、ピンク色の……おっと。うふふ」

 幸せな妄想に浸っていたユウナは不意に前屈みになり、微妙な足取りで船を下りていった。

 

 

 

 敵がいない。敵を探せ。

 思考はただそれだけを繰り返す。

 先ほどまでモニターを埋め尽くしていた敵の姿を求め、トール・ケーニヒは灰色のモニターを見つめていた。その瞳は散大し、意思の光を宿しては居ない。ただ、敵の存在を求める一つの部品であるかの様に。

 ハッチが開かれて、暗いコクピットの中に光が差し込む。トールはその光にも反応しない。操縦桿を握る手は、敵の出現を警戒して、硬く握られたままだ。

「お兄ちゃん」

 コックピットの中に入ってきた何かが、軽く背伸びをしながらトールの唇にキスをした。

 柔らかな感触……誰かの声がトールの頭の中で響いた。

『好…………ール。……な時……ど……こん……だ…………せて。好き……ト………………時で……私……っと一緒……………………』

 みつからないからだのぶひんくろこげでばらばらになったほのおのなかできりさかれるわらっていたはしっておちてくるせんとうきが…………み……り……ぃ。

 声は苦痛の記憶を呼び覚ます。その記憶は、苦しみ無き忘却の彼方に消えたトールの自我を強制的に引き戻した。無から狂気の中へ。

 トールの無機質なその瞳に、僅かに意思の光が灯る。

 そしてトールは、キスをしてくれた少女に微笑みを向けた。

「ああ、ミリィ。どうしたの?」

 ミリィと呼ばれた少女、エルは寂しそうに微笑む。

「……お兄ちゃん、朝ご飯の時間だよ? 一緒に食べよう?」

 ヘリオポリス地下の秘密のシェルター。そこでトールは少しずつ壊れていく。

 壊れたトールは、新型試作MAミステール1のシミュレーターを動かし続けた。食事も、睡眠もとらなくなり、ただただモニターの中の敵機を破壊する事に集中する。それも肉体的消耗が激しい高G環境型シミュレーターでだ。

 おそらく、そのままであったならトールはすぐに死んだ事だろう。

 その命を繋いだのは、エルという少女だった。

 エルは、起きている間はずっと、トールがシミュレーターに入らない様に気を付け、食事と睡眠を取らせる様にした。

 しかし、エルが眠っている間に、トールはシミュレーターに入ってしまう。その度に、エルはシミュレーターを止め、今の様にしてトールをシミュレーターの外へと連れ出した。

 エルと一緒にいる間、トールは普通の暮らしが出来る。少なくともそう出来ているように見える。エルの事を、死んだ恋人のミリアリアだと思い込んでいる事以外は。

 エルがどんなに話しかけても、トールはエルではなくミリィを見て、ミリィに話している。自分がトールの前に居ない様で、エルは少し寂しかった。

 それでも、エルはトールと一緒にいようとする。そうしないとトールが死んでしまうから。そうなれば、本当に一人になってしまうから。

 このいつまで続くかもわからない、シェルターでの二人だけの生活を、出来るだけ長く送れる様に……エルは頑張っている。

 シミュレータールームから居間へと移り、二人は朝食に保存食を食べていた。

 と……エルが不意に箸を止め、トールに話しかける。

「……ねえ、お兄ちゃん」

「何、ミリィ?」

 食事を止めて、そう返したトールの前、エルはまた寂しそうな笑みを浮かべた。そして僅かに黙り込み、それから意を決した様に言葉を続ける。

「エルって呼んでくれないかな?」

「どうして? あだ名か何か? でも、俺にとってミリアリアはミリィだし」

 理解出来ない様子でトールは首をかしげた。ミリアリアのあだ名はミリィで良い。

「ああ、さては何かに影響されたんだろ? しょうがないな、ミリィがどうしてもって言うなら……」

「ううん、いいよ。やっぱり、呼んでくれなくて良い」

 エルは顔を伏せて、トールにそう返す。伏せられた顔の下、膝の上にポタポタと涙の滴が落ちた。

 ミリィをエルと呼ぶのではなく、エルをエルと呼んで欲しい。その思いはトールへは伝わらない。

「え? ミリィ、泣いて……」

 涙を見てトールは慌てふためいた。何故、エルが泣くのか、トールにはわからない。狂った心では、わかるはずもない。

「どうしたんだ、ミリィ? えと……ごめん、俺、何か言ったか? 泣いてちゃわかんないからさ」

 それでも、何とかしてあげたくて、トールは必死でエルに話しかける。しかし、その言葉はミリィに向けられた物だ。エルを傷つけている事に、トールは気付けない。

 救われない少女と、救えない少年。そんな二人だけの世界に、いきなり土足で踏み込む者が現れた。

「おや、女の子を泣かすなんて良い趣味をしてるじゃないか。良いよね、女の子が震えながら涙を落として命乞いする所とか。その後は、少し希望を見せてあげて、それから絶望に落っことすとまた……」

 エルの泣き声に割り込んだ喜悦混じりの声。居間のドアを開け放って、いきなり現れたユウナ・ロマ・セイランは、初対面の二人に遠慮無く話しかける。

「良いなぁ。僕も混ぜてくれないか? ああ、もちろん食事の方にね」

「……あんた誰だよ?」

 驚きに泣きやんだエルを背にかばいながらトールが言った言葉は、されて当たり前の質問であった。

 

 

 

 オーブ宇宙港。宇宙から降りてきたそのシャトルは、無事に滑走路に着陸した。

 ヘリオポリスから降りてきたシャトルにはマスコミがすかさず食いつき、何処で聞いて集まってきたのか民衆が取り囲んで罵詈雑言を浴びせるという様な展開が当たり前だったのだが、このシャトルにはそういった事は起きていない。

 かわりに黒塗りの高級車が一台止まっており、その横に一人、軍服姿の男が居る。

 シャトルのドアが開けられ、タラップが下ろされた。軍服姿の男……レドニル・キサカ一等陸佐は、すかさずタラップの下へ行き、直立不動の姿勢で待機する。

 すぐに一人の痩身の中年男がシャトルの中から姿を現した。彼は、眼鏡の奥の目を日差しの眩しさに細め、それからタラップを降りてくる。

「やあ、キサカ君。オーブの潮の匂いが混じった空気も、久しぶりに嗅ぐと良い物だね」

「プロフェッサー・カトー。ご無事で何よりです」

 タラップを降りきって親しげに声をかけてきたカトーに、キサカは敬礼で返す。それを受けてカトーは、苦笑いで答えた。

「無事だけど苦労したよぉー。宇宙はサハクの目があるからね。まくのに随分と遠回りをしてさ。シャトルの居心地は上々だったけど、何せ狭くてねぇ。風景も代わり映えしないだろう? 飽きちゃった。しばらくは宇宙はこりごりだね」

 そんな事を言いながらカトーは勝手に車を目指して歩いていく。キサカはそんなカトーを追い抜き、先に車につくと後部座席のドアを開けて中へ誘導した。

「ああ、ありがとう。悪いねキサカ君」

 カトーは導かれるまま車に乗り込み、座席に腰を下ろす。

 キサカはドアを閉めかけ、ふと気付いた様にその手を止め、カトーに聞いた。

「プロフェッサー、手荷物などはございませんか?」

「ああまあ、着の身着のままで逃げたからね。そうそう、荷物と言えば、アストレイはサハクの手に落ちた様だよ。とは言え、彼らに出来るのはそこまでだろうね」

 キサカに聞かれた事から話がそれて、カトーは何やら話を続ける。キサカは慌ててそれを遮った。

「プロフェッサー。ここでその様な話は……」

 人払いはしてあるが、防諜が万全の場所というわけでもない。あまり、不用意に発言をされては困る。

「あー、そうか。ごめんごめん。内緒だったね、アレ」

 カトーはペコペコ謝った後、自らの頭を指で突いて見せ、ニヤと笑った。

「重要な物は全てここにあるから大丈夫だよ」

「了解です」

 キサカはドアを閉め、それから自ら運転席に回りハンドルを握る。

「では、まいります」

 車は走り出した。宇宙港を抜け、何処かへ向けて……

 

 

 

「僕はユウナ・ロマ・セイラン。職業は自宅警備員だ」

 トール・ケーニヒとエルが住む秘密のシェルターに突然現れた男は、自分の事をそう紹介した。

 その自宅警備員様が何をしているかというと、居間のビデオデッキを駆使してビデオのコピーを大量生産している。何のビデオなのかはわからない。

「本当は、大学通ってたんだけど……“美味しそう”な娘がいてさ。僕は婚約者一筋なんだけど、ちょっと“浮気”しちゃってね。まあ、僕は浮気性みたいで、ちょいちょい“浮気”をしちゃうんだけど。いや、ともかく」

 ユウナは、訝しげな表情を浮かべているトールとエルを前に、作業の手の傍らペラペラと恋愛体験談を話していた。元は、自分の正体と何故ここにやってきたのかを話すはずだったのだが、すっかり話が変わってしまっている。

「夏期休講の一ヶ月を二人きりで過ごしたんだけど、楽しかったなぁ。特に彼女の“手”料理は最高だったよ。ピアニスト志望だっただけあって、なかなかに繊細でね。いつも二人で食事をしたな。美味しく料理を食べる僕を見る彼女の目は今も忘れられない」

 思い出しつつユウナは思わず舌なめずりをする。

 食事で大事なのは、料理の味ばかりではない。やはり食卓を共に囲む相手というのも重要だ。ただ、ずっと一緒にいたいという願いが叶わないのが少々問題だった。カガリとはずっと一緒に居る事に決めているので、同じ楽しみ方は出来ないだろう。

「彼女が無くなった時には、寂しくて涙が出たな。思い出と“彼女の欠片”を海に撒いて、それで僕の一夏の恋は終わったわけだけど……でも、その彼女の事でちょっと周りが騒がしくなってね。煩わしさを避けて、休学する事にしたんだ」

 その話を聞いたトールとエルの、ユウナと“恋人”は死別したんだなという理解は正しい。状況を正確に把握している訳ではないが、結論としては。

 ともあれ、ユウナはそれを良い思い出であるかの様に語った。それからユウナは、最後に肝心な所を全部飛ばして締めにする。

「次の恋と婚約者への愛を思いながら実家を守っていたら、今回のヘリオポリスの事件があってね。で、暇をしているならって事で、父に命じられて、僕はここに来たと」

「……あんた、本当に誰で、何しに来たんですか?」

 トールが訝しげな表情を崩さずに聞く。何せ、ユウナはまだ名前以外に何も言っていないに等しい。

 そんなトールの問いにユウナは作業の手を止め、苦笑を浮かべて答えた。

「セイランの名を出した時に気付いて欲しかったなぁ。ほら、氏族のセイランだよ。僕はそこの不肖の息子」

 エルが、セイランと繰り返されたのを聞いて思い出す。

「あ……パパの偉い人?」

「パパ?」

「あの……」

 問い返したユウナに、エルは自分の父親がヘリオポリスの行政官だった事を説明した。

 エルの父親であるヘリオポリス行政官が所属した政治派閥はセイラン派であり、つまりセイランは父親が仕えた人物だと言う事となる。

「そうか、行政官殿の……そう言えば、エルちゃんには昔、会った事があるね。ずっと小さい頃だから憶えてないかもしれないけど……セイラン派閥の集会にご両親と一緒に来ていた君は、妖精の様に可愛らしかったよ。僕は憶えている……」

 クスクスと笑いを混ぜながら記憶の中から過去を掘り出したユウナは、エルを嘗め回す様に見つめる。あの時は、ちょっと手を出そうか迷ったものだ……

 何となくその視線に嫌な物を感じて、エルはトールの背後に隠れた。それを見てユウナは、表情を変えて朗らかに笑って見せる。

「恥ずかしがり屋さんだなぁ。大丈夫だよ。僕は婚約者一筋だからね」

 先ほど、ちょいちょい浮気をすると言った人物の台詞ではない。

「まあともかく僕がセイランである以上、このシェルターの間借り人としての資格はあるってわけさ。ここなら、ホテル代が浮くしね。それより、君達の事を教えてくれないか? なぜ、君達は二人きりでここにいるんだい? 特に……君」

 ユウナはトールを指差す。エルは、行政官の娘という事で、ここにいる理由は理解出来た。しかし、トールの事はまだ何も聞いていない。

「ああ、俺はトール・ケーニヒ。カレッジの学生で……」

 トールは自分の事と、何故ここにいるかの説明を始めた。それには、あの惨劇の日の事を語らなければならなくなる。

 アスハの演説。市街で始まった戦闘。そして戦闘の中に渦巻いた人々の狂気……

「……そうして、俺は父を殺した」

 呟く様に言ってから、トールは黙り込んだ。

 狂気に囚われた父親を殺した事……やはり、その事を口に出すのは辛い。もっとも、まだ口に出せる程には軽い出来事であったのだとも言えるのだが。

「……続けて」

 ユウナは内心ではこの生々しい証言を喜んでいたが、それを隠して先を促した。

 トールは頭を振って、父の死に様を頭の中から追い出し、話を続ける。

「街を脱出した俺とミリィは、壊れた車を見つけて……中にミリィと彼女のお母さんが居て……」

 それでどうなった?

 ミリィは車の中にいて、でもミリィは一緒にいて医者を呼びに、車の中のミリィのお母さんを救う為に、でもミリィのお母さんはMSに轢かれて磨り潰されて……ミリィは……ミリィが……

 記憶が錯綜する。

「あれ? 思い出せないな」

 トールは表情の全く消えた顔で呟く。

「でも、気がついたら、このシェルターに向かっていたんだ。ミリィと二人で」

「へぇ……ミリィねぇ?」

 ユウナは、トールの説明がおかしい事に気付いていた。ミリィという少女とエルが、トールの中で混じり合っている。

 問いつめてみても良かったのだが、トールの様子から狂気の匂いを感じたユウナは、敢えてその事に触れるのは避けた。

「エルちゃんの話も聞いてみようかな。いや、ミリィちゃんだっけ?」

「ミリアリア・ハウです」

 トールは、ユウナが親しげにミリィと言った事が気に障って、少し強い口調で彼女の名を訂正する。

「うんうん、良い名前だ。でも……」

 本当の名前じゃあない。

 ユウナは、トールの軽い嫉妬混じりの言葉を聞き流しながら言いかけた台詞を途中で切った。エルが、名前の事が話題になった途端に、辛そうな表情を浮かべたからだ。

 話題を続けて、その表情をたっぷり楽しみたいという欲求はあったが、それで話が進むとも思えなかったので諦める。

 そして、情報を整理すべく少し考えた。

 何があったのかは知らないが、トールにとってエルは、ミリアリア・ハウという少女の代わりになってしまっているのだろう。

 そして、こんな状況だ。エルの方は、ただ一人の同行者であるトールに頼らざるを得なかった。例え、自分に他の人間を重ねて見られていたとしても。

 その辺りの細かい事情は、エルの話を聞けばわかるだろう。

 ただ、エルとしての話を聞くには、エルをミリィだと思っているトールの存在は邪魔になりそうだった。

 エルの話は、エルがミリィではない事実に基づくだろう。トールはそれを理解する事を拒むだろうから、恐らくはトールの中だけの真実に基づいて口を挟んでくる。事によっては話を止める為に実力行使をするかもしれない。

 エルに話を聞くなら、トールが居ない時が良いだろう。きっとその内、チャンスはあるはずだ。そう判断してユウナは、話の流れを変える為に冗談めかして言った。

「トール君には焼き餅を焼かれてしまったみたいだね。こりゃあ、お邪魔虫はあまり余計な事はしない方が良いかな」

「え? いや、そんなつもりじゃ!」

 トールは慌てふためきつつ照れている。この反応だけなら、思春期の少年そのままの微笑ましさだ。背後には、狂気に犯された本質があるにしても。

 ユウナはそんなトールに笑う。これは随分と面白い物を見つけたものだと、内心で喜びつつ。

 ユウナのその笑みを見て、エルは強い不安が沸き起こるのを感じていた。

 それは、少女の勘だったのかも知れない。エルにはユウナが、自分とトールを再びあの地獄の様な戦場に連れて行く存在のように思えたのだ。

 

 

 

 次の朝、エルは一人、ベッドの中で目覚めた。隣のベッドに寝ていた筈のトールの姿は無い。これはいつもの事だ。

 エルは起き出してすぐ、身支度も調えずパジャマのままスリッパをつっかけて部屋を出た。着替えなどは、トールを“起こして”からでも出来る。

 ただ、途中で洗面所によって歯を磨く事は忘れなかった。トールが気にするとも思えないのだが、やっぱりエル自身が恥ずかしいかなと思うので。

 エルはその後にシミュレータールームへと向かう。トールはそこでシミュレーターを動かしているはずだった。それをエルが止めて、それから二人の一日が始まる。

 それがいつもの事。しかし、今日は違った。

 シミュレータールームの扉が開いた直後、エルの耳に大きな音が飛び込んでくる。

 砲声と爆発音の入り交じる暴力的な音。そして、その音の中から、一つの声が届く。

「おはよう、エルちゃん」

 シミュレータールームの中、コントロール卓に座るユウナ。彼の前にある大型モニターが映像を映し出しており、エルが聞いた音はその映像に合わせて発生していた。

「これを見た事はあるかな?」

 ユウナは、入り口で足を止めて不安げな表情を浮かべるエルにモニターを指し示す。

 コントロール卓を弄った事はないので、モニターが映っているのを見るのは初めてだ。

 モニターに映し出されていたのは宇宙だった。そして、星の海を飛ぶ、鋼の蜘蛛の如き試作型ザクレロ・ミステール1。その姿は、格納庫で見た物と同じ。

「トール君だよ」

 ユウナはモニターを見つめて薄く笑う。

 モニターの中でミステール1は戦いを続けていた。

 MSジンの放つ銃弾を装甲ではじきながら高速で宙を突き進み、擦れ違いざまにヒートサイズでジンの胴を薙ぐ。直後に放ったビームが、ミステール1を狙撃しようとしていたもう一機のジンを貫き、火球に変えた。そしてミステール1は、加速してその場を離れていく。

 目標は、眼前に浮かぶZAFTのナスカ級。ミステール1は、対空砲火を受けて装甲表面に火花を上げながら高速接近し、艦の直前で対艦ミサイル四発を放った。迎撃しようも無い距離で放たれたミサイルは、次々に艦に突き刺さって爆発する。

「おっと、ナスカ級じゃあトール君に失礼だったか」

 ユウナは言いながら、手元のコンソールを弄くる。

「じゃあ、これはどうかな? オーブの最新鋭艦だ」

 オーブ軍イズモ級宇宙戦艦が、撃沈されたナスカ級の向こうに現れた。直後、猛烈な砲撃と迎撃のMAメビウスの群れがミステール1に襲いかかる。

「お兄ちゃん!?」

 エルは思わず悲鳴の様な声を上げた。そんなエルに、ユウナの笑み混じりの声がかけられる。

「大丈夫だよ。これは現実じゃない」

「お兄ちゃんに意地悪しないで!」

 ユウナを睨み付け、エルは言った。ユウナはエルのその怒りを、笑顔で受け流す。

「意地悪じゃないさ。それより……ちょうど良いや。君からも話を聞こうと思っていたんだ。トール君の居ない所でね」

「え?」

 トールの居ない所でと言われ、エルは戸惑い、怯えて後ずさった。ユウナは、悪意のない事を示す為に両腕を大きく開いてみせる。

「何もしないよ。今はね。ともかく……トール君から事情を聞いたけど、エルちゃんに遇った辺りから彼の記憶が歪んでいるね? 君をミリィと呼んでいるのもおかしい。違うかい?」

 ユウナに問われ、エルは少しの沈黙の後に頷いく、そのまま口をつぐんだ。

「事情を聞かせてくれないかな? トール君は普通の状態じゃない。このままにしてはおけないだろう?」

 利用するにせよ排除するにせよ。そう続く所をユウナは敢えて言わなかった。

 助けるとか治療するとかいった考えはない。しかし、ユウナの台詞に、エルはそれを期待したのだろう。

 だから、エルは重い口を開いた。

「お兄ちゃんは……ミリィって言う人を殺されちゃったの」

 そしてエルは、トールを襲った悲劇と、エルとエルの母親に起こった出来事を語り出す。

「……あの日、家でママが私を呼んだの。パパの所に行くって」

 

 

 

 あの日……エルは自宅の居間のソファに身体を預け、テレビのリモコンを片手にチャンネルを回していた。楽しみにしていたアニメが入らないかと思ったのだが、どの局も同じ映像しか流していない。

『みんな、本当に大事なものが何かを考えて欲しい!

 オーブの理念が失われようとしてる今、私達は何をすべきなのか。

 このまま、オーブの崇高な理念が失われるのを見ていて良いのか!

 心あるオーブ国民のみんな、私達と共に戦おう! オーブの理念を守る為に!』

 テレビの中、カガリ・ユラ・アスハが強い言葉で訴えかける。エルはそれに興味を持てず、退屈さに溜息をついていた。

 そんなエルとは裏腹に、家の中は騒がしい。母親や使用人達が、かなり慌ただしい様子で家の中を歩き回っており、時折、電話をしては声を荒げている。

 そんな状況ではあったが、最初のMS襲撃があった後の事であり、一時とはいえシェルターに逃げ込むなどの騒ぎがあった後なので、騒がしいのも仕方がないとエルは思っていた。むしろ、それを理由に仕事から帰って来られない父親の方を心配していた。

「エル……」

 身体を揺すられ、エルは目を覚ます。ソファの上で、少し眠っていたらしい。

 目の前に母親が居た。泣いた様に目を赤くした彼女は、エルをソファから立たせながら言った。

「あのね……今から一緒に出かけるの」

「? 何処に?」

 問い返すエルに、母親はエルのお気に入りのリュックを背負わせながら答える。

「パパが作った秘密の場所よ。ほら、地図もあるわ。エルのリュックに入れておくからね? もし私に……ううん、一緒に行きましょうね」

 そう言って、母親は最後に首を横に振って自分の言葉を打ち消した。そして、一枚の紙をエルのリュックに入れる。

 リュックは何が入っているのか、かなり重い。エルは後で知った事だが、リュックにはディスクがたくさん入っていた。

「ねえ、秘密の場所にはパパも来る?」

「!」

 エルの無邪気な問いに、母親の表情が強張る。そして、その両目に涙の滴が浮かんだ。

「……ええ、そうね。パパも待っているわ」

 言いながら、母親はエルを抱きしめる。エルは……何となく、父親に何かあったのだと悟った。

「ママ? パパに……」

「奥様! お嬢様! お急ぎください!」

 問いを重ねようとしたエルだったが、それは部屋に踏み込んできた老執事の声によって妨げられる。

「来ました。連中は、奥様やお嬢様までも手にかけるつもりです。お嬢様、失礼」

 老執事は、そう言いながらエルの身体を抱き上げ、足早に歩き始める。母親はその後について歩き出し、流れた涙を指で拭き取った。

 三人は家のガレージへと向かう。普段、外出の時は家の入り口まで車を回してもらうのだが、今日はそうではないらしい。それに、ガレージには車があったが、運転手の姿が無かった。

 老執事はそこでエルを下ろし、先に立って車のドアをあける。

「どうぞ」

「……貴方は?」

 車を前に、母親が聞いた。それに答え、老執事は笑う。

「別に逃げさせていただきます。ご安心を」

「……」

 老執事の言葉に、母親は何かを悟ったのか沈黙し、ゆっくりと首を横に振った。

 そんな母親に、老執事は笑顔で別れを告げる。

「奥様には、御本家の頃からお仕えさせて頂きました。今思い返してみれば、こんな老爺にはもったいない、本当に充実した日々でした。残念ですが……これにて、お暇を頂きます。さあ、奥様、お急ぎください」

「……ごめんなさい。ありがとう」

 母親は俯きながらそう言って、逃げる様に車の運転席へと乗り込んだ。

 エルはそんな母親と老執事のやりとりを黙って見ていたが、母親が車に乗ったのを見て、自分も助手席へ乗り込む。

 老執事は、運転席と助手席のドアを閉めて回り、それから深々と頭を下げた。

「行ってらっしゃいませ」

「いってきまーす!」

 いつもの様に、エルは出立の挨拶をする。

 走り出す車を、老執事はいつになく晴れやかな笑顔で見送っていた。

 車はガレージから出て庭を駆け抜け、正門ではなく裏門へと向かう。そして、車が門をくぐって屋敷の外へと出た時……タタタタンと言う弾ける様な連続した音が、屋敷の方で鳴ったのをエルは聞いた。

 母親が身を強張らせ、アクセルを踏み込む。車は加速し、街の郊外へと向かって走り始めた。だが……その背後に一台の車が迫ってきたのは、まだ走り出してからそう時間の経たぬ内の事だった。

 それは、軍用エレカ。高機動車というオフロード車に似たタイプの物で、屋根の上に軽機関銃が設置されており、屋根に空いた穴から身を乗り出した男がそれを構えている。軽機関銃は、エルと母親の乗る車に向けられていた。

 母親は、それに気付いてすぐに車を加速させる。しかし、軍用エレカは全く遅れずについてくる。

 その時のエルは、母親の強張った表情と、背後にぴったりと付けてくる軍用エレカの関係はわからなかったが、何か怖い事になっているのだとは悟り、助手席で震えていた。

 やがて、車は街を出る。この先は開発地域とやらで、何もない平原や森が続き、外壁に当たるまでは何の施設もない。

 車は、郊外の森の側を抜けていく。と、そこに来た時、エルはふと窓の外を見上げた。

 空から下りてくる人……MSジンの姿が見える。

 直後、背後から、先ほど屋敷を出る時に聞いたのと同じ連続音が響き、車がいきなりスピンを始めた。エルは助手席にシートベルトで留められたまま振り回される。

 ――僅かな時間、エルは気を失っていた。

 目覚めたエルは、まっさきに母親がいる運転席を見る。母親は……右肩を鮮血に染め、ハンドルにもたれる様に身体を倒していた――

 

 

 

 過去を話すエルは、堪えきれぬ涙を滴にして落としていた。

 トールとミリアリアとの出会い。母親の死。そして、対MS用ホバークラフトの墜落とそれによるミリアリアの死。それ以降、エルの事をミリィと呼ぶ様になったトール。

 シェルターに逃げ込み、そしてそこで出会ったMA。シミュレーターの虜になり、エルが呼び戻さなければずっと戦い続けるトールとの生活。

 それが、エルの体験した全てだ。

「……辛い話をさせたね」

 内心、最高のジョークを聞いた様な浮き立つ気分が湧いていたが、ユウナはそれをおくびにも出さず、エルに優しく言ってやる事に成功した。そっと指先で涙を拭いてあげる仕草など、実に絵になった事だろう。

「そうだ、君のママが持たせてくれたディスク……後で見せてくれないかな? きっと、大事な物が入っていると思うんだ」

 言われて、エルは素直に頷いた。

 ユウナが思うに、セイラン派にとって隠蔽したいが消す事は出来ない何かしらの資料か、今回の事件の裏事情の記録か何かだろう。何にせよ、回収しておく必要がある。

「ありがとう。じゃあ、トール君のシミュレーションも終わった様だし、みんなでご飯にしようか。トール君を呼んできて欲しいな」

 それからユウナはそう言って、シミュレーターのコックピットを開放する操作を行う。

 シミュレーションは既に終了していた。連戦であったが為、さすがにイズモ級とその麾下のMA隊を撃破する事は出来なかったか、ミステール1はモニターの中で撃破された瞬間のまま停止している。

 どうも、メビウスの編隊から対艦ミサイルの飽和射撃を受けたらしく、全身を爆炎に包まれていた。さしもの怪物も、数十倍という数の差の前には苦戦するらしい。それとも、トールがまだミステール1の真価を発揮出来ていないだけか……?

 ともあれ、トールの方はまだシミュレーターを続けるつもりの様で、先ほどからコンティニューを選択し続けている。

 だが、それはユウナが止めていた。

 幾ら何でも身体に負担がかかるシミュレーターをやりすぎだと感じたし、ユウナもそろそろ朝ご飯を食べたかったのだ。

 シミュレーターのアームに振り回されていたコックピットが停止して、ハッチが開く。それを見て、エルは小走りにトールの元へと向かった。

 コックピットに身体を入れて何事かをしているエルを見ながら、ユウナは僅かに口元に笑みを乗せる。

 ユウナは、トールとエルの話を聞いて理解していた。地獄と化したコロニーを逃げまどい、幾多の死に関わった果て、恋人の死によって心を壊したトール。そして、エルの事を。

 エルの母親は、暴徒に襲われたのではなく、軍に襲われたのだろう。

 恐らくは父親である行政官も、同じく粛正の対象となっている筈だ。カガリの“公式発表”では、戦いを前にして逃げた事になっているが、何処にも逃げ場のないコロニーから何処に逃げるというのか? また、逃げるとしても妻子を置いて逃げるものか?

 彼らが消された理由は、恐らく「オーブの理念に反する」という理由。ただ、それは現場の人間に与えられた大義名分であり、本当の理由はカガリの演説とその後の武装蜂起を阻止される事を事前に防ぐ為だろう。

「しかし、酷いなぁ」

 ユウナの口から呟きが漏れる。

 最後の対MS用ホバークラフトの墜落の下りがエルの証言通りだとするなら、彼らは意図して避難民の真上に墜落したという事になる。

 その理由もまた、恐らくは「オーブの理念に反する」というものだろう。今のオーブで叫ばれているオーブの理念に対する観点に立てば有り得るし、逆にそれ以外で避難民を殺す理由は思いつかない。

 なるほど、彼らはオーブの理念に殉じた英雄というわけだ。ユウナ自身。自分がサイコパスである自覚はあるが、それでもそこまで狂っていない自信がある。

 ユウナが、見つからない様に色々と気配りして、やっと一人ずつ殺してると言うのに、彼らは堂々と数十人数百人を殺してみせた。しかも、ユウナは見つかれば縛り首だが、彼らは英雄としてもてはやされている。

「本当、酷い不公平だ。あやかりたいねぇ」

 ユウナは喉の奥で笑い、そうなった時に自分が楽しめるかどうかに思いをはせた。

 国民の前で、ユウナは賞賛を一身に浴びながら、全てを失って絶望に沈むカガリに緩慢な死を与える。そして、その死体を保存し、ユウナという一人の英雄を讃えた永遠のオブジェとするのだ。全国民がカガリの死体を侮蔑する中、ユウナだけがそれを愛し続ける。

「……おっと」

 その想像に熱い物がムクムクと頭をもたげてきた感触を感じ、ユウナは少し前屈みになりながら想像する事を止めた。

 トイレで発散出来る程度ならまだ良いが、ここで堪えきれなくなると少々困る。ここにいる二人は、ユウナにとって重要な存在となりそうなのだから。

 シミュレーターの中から出てくるトール、彼を気遣うエル。ユウナは、このシェルターには寝床と作業場を求めて来ただけだったのだが、思いもかけない拾い物をしたらしい。

「狂気に囚われた少年と、正義の名の下に父母を奪われた少女……か」

 ああ、随分と楽しめそうじゃないか。ユウナは内心に沸き立つ物を感じていた。

 

 

 

 ヘリオポリス市街。ZAFTの襲撃から二週間が経った今でも、戦場となった市街には戦いの傷跡が深く残されていた。

 弾痕の刻まれた建物や焼け焦げた建物が未だ残り、崩壊していくままに放置されている。

 死体などは、人々の回収作業により見える範囲では全て回収されていた。だが、未だに見つけられず、埋もれている死体も多いと推測される。

 建物から出た瓦礫や戦闘に巻き込まれて破壊された車などのゴミは車道からどけられ、かつて歩道だった部分に積み上げられていた。

 道は狭くなったが、何一つ問題はない。今のヘリオポリスを歩く人はほとんど居ないし、走る車も緊急車両以外は見かける事もないからだ。

 ZAFTが出した治安維持の為の外出禁止令は解かれていたが、外へ出ても商店も職場も開いていないので何もする事がない。ゆえに誰も家の外に出ようとはしない。

 数日前までは復興に向けた動きがあり、アルバイトやボランティアとして参加した人も多く、破壊された市街にもそれなりに活気があった。

 また、商店などは営業再開に向けて働き始めていたし、企業でも瓦礫の中から書類を掘り起こしてでも仕事を再開しようと努力していた。

 失われた物への悲しみを振り切り、破壊されたヘリオポリスを元に戻そうという熱意がそこには見られた。

 しかし今、人々は重苦しい諦観に沈んでいる。

 『オーブ本国が、ヘリオポリス市民を断罪しようとしている』この事実が伝わってしまったのだ。自分達にオーブ国民としての未来がない事を知った人々からは復興の熱意は完全に消えてしまった。

 それは、ヘリオポリス市庁がオーブ本国との超長距離通信を復旧させた頃から、通信技術者とその上司、さらにその通信によって得た情報を渡された議員達、そういった人々から少しずつ漏れ出ていた情報ではあった。

 しかし、それはまだ一部の人々以外には噂の段階でしかなかったのだ。

 状況を決定的にしたのは、オーブ本国での放送を収めたビデオ。

 今のヘリオポリスでは視聴出来ない本国の放送である以上、外部から持ち込まれた物である事は確実である。極僅かな人数であるがオーブ本国から自主的にやってきた、復興支援スタッフの誰かが持ち込んだのだろう。それも意図的に。

 ビデオはヘリオポリスにある民放テレビ局へと送りつけられた。また、市街のあちこちで、何者かがビデオを置いて回ってもいる。

 全ての情報を隠す事が出来なくなり、ヘリオポリス市庁は本国との通信によって得られた情報を含めて全てを公開した。

 すなわち……ヘリオポリス市民には最早未来を生きる事は許されていないのだという事を。

 

 

 

 オーブ本国。その日、プラントより、ヘリオポリス襲撃事件とオーブの中立違反に対する交渉が持ちかけられた。

 オーブに突きつけられた条件は以下の通り。

 

・中立違反に関わる連合加盟国と取り交わした約定や協力内容等の情報開示

・連合加盟国との協力関係の即時停止

・上二件の遂行を確認する為の査察団の受け入れ

・中立違反に対する賠償金の支払い

・ヘリオポリスの領土割譲

・ヘリオポリスに現住する全オーブ国民の移住

 

 以上を受け入れれば、オーブの中立の維持を認める。ぬるい条件だった。

 これは、この機にオーブが連合軍として参戦してしまう事を恐れた為だろう。

 オーブは、ZAFTにとって重要な地上拠点であるカーペンタリア基地への格好の橋頭堡となりえるし、宇宙に軍を上げる為に必要なマスドライバーを有してもいるからだ。

 幾ばくかの賠償金を取り立て、何人かのスタッフを送り込んで中立を維持させれば、プラントとしては十分に利益が出る。オーブにはコーディネーターも多いので、同族殺しを嫌った事もあるかも知れない。

 オーブとしては、中立維持の為に連合を売る事に躊躇はない。情報開示と協力関係の停止は喜んでやるだろう。査察団の受け入れも大した問題ではあるまい。

 問題は別にあった。それは、ヘリオポリス自体だ。その事で、オーブ国会は紛糾した。

「『他国の侵略を許さず』オーブの理念をお忘れか? ヘリオポリスはオーブ領だ。プラントによる占領を許してはならない!」

 議員の多数を占めるアスハ派議員が声を上げる。それに対して噛みついたのは、別のアスハ派議員だった。

「占領!? ヘリオポリスは未だ継戦中だ。オーブは、他国の侵略を許さない」

「では、オーブとプラントは戦争中か? ならば、中立違反の賠償を支払う意味は何処にある?」

 アスハ派議員及びそれに従う氏族の派閥の議員達が声を上げ合っている。他の派閥の議員には、発言の機会すら与えられない。発言を行おうとする議員の挙手に、議長は無視を決め込んでいる。

「プラントに、ヘリオポリスの無償での即時返還を求めよう。それが、オーブの理念的に正しい対応というものだ!」

「それを聞き入れる理由がプラントにあるのか!」

 痺れを切らした他派閥の議員が、席を立って声を荒げた。議長がその議員を咎めるが、その議員は言葉を並べ続ける。

「プラントに賠償金なりを払ってヘリオポリスの返還交渉を行うべきだ!」

「賠償金を支払うという事は、プラントの侵略行為とその結果によりヘリオポリスが奪われ、プラントの物となったと認める事だ。侵略を許した事になる!」

 そうだそうだと、議場を割れんばかりの賛同の声が埋め尽くす。

 その勢いに黙り込み、発言していた他派閥の議員は、憮然とした表情でそのまま議場から出て行った。その後に、何人もの議員が続いて出て行く。正直、馬鹿らしくて議論を続ける気にもならなかったのだろう……どうせ、何を言っても無駄なのだ。

 他派閥の議員の多くが消え、アスハ派を中心とする主流派と呼ぶべき議員だけが残り、邪魔は居なくなったとばかりに議論は弾んだ。主に、オーブの理念を守る為にはどうするかという方向で。

 許されるなら、尻尾を振って見せてでも、中立国としての座に戻りたいのがオーブの隠す事なき本心だ。しかし、ヘリオポリスの存在が、プラントとの対立を自国の戦争としてしまう。

 オーブの理念『他国の侵略を許さず』により、ヘリオポリスへの侵略を許すわけにはいかない。侵略を許す事になるプラントへの領土割譲などもってのほか、プラントと戦ってでも奪い返すより他に道はないのだ。

 しかし、オーブより遙かに強大な連合軍が苦戦するプラントを相手に、オーブ軍の勝算は無いに等しい。

 連合軍に参加して助力を得るという手段も、『他国の争いに介入しない』というオーブの理念によって使えない。

 今となっては、ヘリオポリスはオーブにとって厄介物だった。

 もし、ヘリオポリス襲撃時に、ヘリオポリス自体が破壊されていればこの様な事はなかっただろう。

 失われた地を取り戻す事は出来ない。対応は賠償問題とならざるを得ないのだ。それならば、中立違反との相殺を計る事も出来ただろう。賠償をプラントが拒否しても、『他国の侵略を許さず』と拳を上げつつ地道に賠償を求めていくというパフォーマンスが出来た。

 しかし、ヘリオポリスは存在している。

「ヘリオポリスさえ無くなれば問題は無くなるのですよ!」

 誰かがそう叫んだ事に、議場は大いに喝采した。

 とはいえ、それで何か決まるわけではない。結局、プラントに対する返答に猶予はまだある事から、この議論は持ち越しとなった。

「……くだらないな」

 議場を去ることなく、一人の観客として眺めていたウナト・エマ・セイランは呟く。

 どうして、現実に即した対応が出来ないのか? むしろ、現実をオーブの理念にあわせて曲げようとするのは何故なのか? 問いたいが、問うても答えは返らないだろう。答えではなく、オーブの理念のお題目が飛んでくるだけだ。

 ウナトは呆れながら、酷い議論の飛び交う議場を見渡した。その中、ウズミ・ナラ・アスハの渋面を見つけて、ウナトは意図せず眉を寄せる。

 どうやら、この議論はアスハ派が中心となってはいるが、ウズミが中心という訳ではないらしい。アスハ派の中で派閥の分裂でも起こっているのだろうか? では、ウズミに対立する、もう一派は何なのか……カガリを担ぎ上げている者達なのは確実だが。

 ウナトが考え込んでいる間に議題は次に移っていた。

 次に議題にかけられたのは、現在ヘリオポリスに住む市民への対応。プラントからの要請にもあった「ヘリオポリスに現住する全オーブ国民の移住」の件だ。

 しかしこれは、プラントからの要請とは関係なく議論される事になる。

「次に……ヘリオポリスの反逆者の件です」

 議場がざわついた。

 平然としている議員が多い様だが、驚いたり不快げにしたりしている議員も少数だが居る。ざわめきは、後者が起こしたものだ。

 それら後者の議員はウズミを中心に座っている。彼らは生粋のウズミ派という事だろう。

 しかし、その数は少ない。恐らくは、個人的にもウズミと親しい者……つまり、ウズミの思想を直接知る者だけなのだろう。

 それ以外の者達は、オーブの理念を守る事こそを重要と考えているという事だ。

「ヘリオポリスでは、軍民問わず決死の抵抗運動が行われた事は周知の通りです。しかし一方で、恥ずべき事ながらオーブの理念を守るという国是に従わず、ヘリオポリスを明け渡した者達が居る事もまた事実です」

 議題を述べた議員が、議場のざわめきを無視して言葉を並べる。

「彼らオーブの理念への反逆者は、未だヘリオポリスで罪に問われる事無く、生き延びています。これは、命を賭して戦ったヘリオポリスの真の国民達への裏切りでもあり、決して許されない事です」

 その議員は言葉を止め、改めてはっきりと言い放つ。

「全ヘリオポリス市民を逮捕拘束し、オーブ本国へ移送。厳正なる司法の場で裁きを行う事を提案します」

 言い終えるや、あらかじめ決められていたかの様に拍手喝采が巻き起こる。誰もが賛同している様だ。

「……なるほど、生け贄が欲しいか」

 唸る様にウナトは言った。

 ヘリオポリス市民の抹殺に等しい行為を行う意図は、恐らくは単純な事だ。

 見せしめと、自らの正当性の宣伝。

 つまり、オーブの理念にさほど熱心ではない者には、オーブの理念を守らなければヘリオポリス市民同様に扱われるのだという恫喝となる。

 一方、オーブの理念を守らない事を犯罪として裁く事によって、自分達、オーブの理念を第一に掲げる者達を法に認められた正義と印象づける効果もある。

 なるほど、素晴らしく効果的だ。しかも、今の流れならば、それは正義の行いとして讃えられる事だろう。

 ウナトは吐き気を覚え、席を立つ。これ以上、愚劇を見続けるのは苦痛以外の何物でもない。

 去り際にウナトは、ウズミの席に目をやった。

 ウズミは苦悩しているかの様に両手で頭を抱え込み、じっと何かを考えている。

 やはり、この流れはウズミが作った物ではないのだろう。ウズミが糸を引いていたのなら、彼はもっと堂々とし、さらには事態の前面に立っているはずだ。彼の娘のカガリが、今まさにそうしているように。

 ウズミとは一度会って、腹を割った話をしてみるべきかもしれない。今の流れを何処かで変えないと、自分にとってもウズミにとっても望まぬ結果に導かれるだろう。

 ウナトは、ウズミと会見の機会を得る事に決めた。

 そうしてウナトが去った後、その日の議会は「残留するヘリオポリス市民の即時回収」「その為のオーブ宇宙軍の派遣」を決定して終了する。

 それは、戦地にある国民を保護するという名目ではなく、外患援助の罪を犯した犯罪者の逮捕という側面に重きが置かれていた。

 

 

 

 ウナトは自らの屋敷の隠し部屋に入り、そこに置かれた超長距離通信機の前に座って、へリオポリスにいるユウナに連絡を取っていた。

 通信は連合の衛星を介して厳重に秘匿しており、オーブの他氏族に漏れる心配はない。情報をやりとりする以上、それだけの用心をする必要があるとウナトは判断していた。

「……と言うわけだ。そちらに、市民を逮捕すべくオーブ軍が派遣される」

『へぇ~? なりふり構わないものだねぇ』

 へリオポリスのシェルターの中に用意された通信室にいるユウナが、ウナトの連絡にニヤつきながら答える。そんなユウナに、ウナトは任務を任せた事への若干の不安を感じながらも、質問を返した。

「お前の方の首尾はどうだ?」

『MAとシェルターは確保したよ。色々と情報も仕入れた。やっぱり、行政官殿は降伏の準備をしていて……オーブ軍に抹殺されたらしいね』

「ほう? それが明らかになれば……」

 ユウナの返事に、ウナトは興味を持って身を乗り出す。しかし、ユウナは肩をすくめて首を横に振って見せた。

『残念、この情報は、オーブ本国では意味がないよ。オーブの理念という大義名分の前じゃあね。売国奴は皆殺しって雰囲気でしょ?』

「むぅ……」

 ユウナの言うとおりなので、ウナトは呻いて黙り込む。

 行政官が謀殺されたと発表しても、その理由がヘリオポリスの降伏工作を進めていた事だと言われれば、行政官が一方的に悪にされかねない。

 へリオポリスでの情報収集にはウナトも期待していたのだが、そう簡単には都合の良い展開にはならないようだ。

「まあ良い。MAを回収出来ただけでも成功だ。お前は、MAをシャトルに積んで脱出しろ。オーブ軍が来る前にな」

『ああ……その事だけどね』

 ユウナは、まるで今思いついたのだとばかりに軽く言い放つ。

『連合軍とのコネを紹介してくれないかな? 政治にも関われるような、出来るだけ偉い人が良いや』

「な!? 何を言ってるんだ?」

 突然の申し出に戸惑うウナトに、ユウナはまるで何でもない事の様に言う。

『んー、へリオポリスの住人が反逆者だって言うなら、もっと本格的に反逆者にしてやろうかと思ってね。父さんもほら、無実の市民が麦みたいに首を刈り取られる所なんて見たくないでしょう? だったら協力してよ』

「それは……だが、お前は何を望んでいるんだ?」

 ウナトが、確実に賜れるだろう市民の死を避けたいのは事実だ。

 しかし、それを避ける為に何をしようと言うのか? 背筋に寒い物を感じつつ、ウナトはユウナに聞く。今は、息子である筈のユウナが全く理解出来ない。

 ユウナは、実に晴れやかに笑う。

「僕が望むのは、カガリだけだよ」

 ユウナは笑っていたが、その目だけは暗い光を宿していた。

 

 

 

 ユウナ・ロマ・セイランは、ヘリオポリスのシェルターの通信室で、オーブ本国の父ウナト・エマ・セイランと超長距離通信を交わしていた。

 話は、ヘリオポリス市民収容の為の部隊がアメノミハシラから発進したという事。

 聞き終えてユウナは、苦笑混じりに言った。

「急いだんだね。もっとぐずぐずすると思ったけど」

『連合軍第8艦隊が、ヘリオポリスに向けて進軍中だ。ヘリオポリスが主戦場になる可能性もある。それに巻き込まれる事を恐れたのだろう』

 ウナトは、彼なりに掴んだ情報からの推測を述べる。

 第8艦隊の動きは、地上からも観測出来る。オーブ軍がその動きを知らない筈がない。

 そして、連合製MSがヘリオポリスでZAFTに奪われている事を知る者ならば、第8艦隊の目的が連合製MSの奪還だと想像する事は容易い。となれば、第8艦隊がヘリオポリスに攻撃をかける可能性は予測出来る。

 連合ZAFT両軍が戦う中、市民の逮捕などという作業が出来るはずもない。ヘリオポリス自体が戦闘に巻き込まれて破壊されてしまう事も有り得る。

 そんな状況である事を考慮すれば、戦闘が始まる前に全て終わらせてしまおうとするのは当然の結論だ。

「なるほど……で、急遽用意したのがネルソン級一隻分の戦力に、コロニー建設の時の大型輸送船と」

 呟く様に言ってからユウナは、ウナトに別の問いを向ける。

「わからないな。どうしてそんな大型輸送船を使うんだろうね?」

『ヘリオポリス市民を収容する為だろう。確かに、あれならば一隻で全員を収容出来る』

 ウナトの返答は、オーブ軍が公式に説明した物と同じである。

 一隻でヘリオポリス市民を収容するには大型船の方が都合が良く、色々な兼ね合いから古い大型輸送船を使う事に決定したと。

 しかし、ユウナはそれを否定するかの様に言った。

「普通の輸送船を数隻使っても同じ事が出来るよ。あんな骨董品を使うより安全で仕事が早く安上がりだ」

 単純な話、貨物船数隻で十分な仕事に、巨大なタンカーを持ってきたような物だ。

 確かにそれでも仕事は出来るが、過剰な輸送力を得た代償に、大質量を動かす為の莫大な燃料消費、巡航速度の低さからくる移動時間の増加、大型船故の操作性の悪さから来る作業効率の低下など問題が多く発生する。

 そして最も不可解なのは、オーブ軍がわざわざこの大型輸送船を整備までして持ち出した事だ。事情があって急ぐと言うのなら、通常の輸送船を掻き集めた方が早かっただろう。

 何故、整備という手間と時間をかけてまで、大型輸送船なのか……

「僕なら、船倉に棚でも作って、捕らえたヘリオポリス市民をそこに並べて寝させるね。それなら普通の輸送船一隻でも十分だろうし」

 そもそもの目的が犯罪者の収監なのだから、輸送中に自由に動き回らせる必要はない。

 ならば、奴隷貿易船か絶滅収容所のように、船倉の容量を有効に活用してギチギチに詰め込んでおけばいいのだ。閉塞された環境はさぞかし心身に悪いだろうが、輸送中に死ぬ人間が出ても、今のオーブならば誰も気に留めまい。

『提案するなら、私ではなく、オーブ軍の方に直接言ってくれ……いや、冗談だ。本気にして、連絡を取るなよ。お前ならやりかねんからな』

 ウナトは悪態をついた後、少し慌ててユウナに釘を刺した。

「信用がないなぁ」

 ユウナは苦笑してみせる。

 無論、今のユウナにとってヘリオポリス市民を手にかける事に意味はない為、発案を実行に移す事はない。

 無数の人間が苦悶する姿を観察するというのも面白そうだが、やはり愛した相手と楽しむのとは比較にならないと思えたし、そもそもそういった事は敵を使ってやれば良いのだ。利用価値のある駒を遊びで無駄にするわけにはいかない。

 と、そんな事をとりとめなく考えたユウナは、もう一つ、無駄に出来ない者の事を思い出した。

「そうだ、父さん。信用のない息子からの忠告だけど……そろそろオーブから逃げないと、一族郎党皆尽く死ぬ事になるよ」

 ユウナの忠告を聞いた途端、通信モニターの向こうでウナトが目を剥きだして叫んだ。

『何をする気だ!?』

「いや、僕が……ってだけじゃなくてね」

『だけじゃないって事は、やっぱりお前も何かしでかす気か!?』

 自らの信用の無さを改めて知ってユウナは苦笑が大きくなり、乾いた笑い声を漏らす。

「ははは、しばらく僕は表舞台には立たないから、安心して良いよ」

 ひとしきり笑ってからユウナは、声音を真面目な物へと変えた。

「それより……このままだと父さんは、オーブと対立する事になる。そうなった時、敵が何であれ手段は選んでくれないよ? コロニー一つ、葬り去る事に躊躇のない連中だからね。脱出の準備は進めた方が良い」

『ヘリオポリスの様に……か』

 ユウナの言う事に間違いない事は、ウナトにもわかる。

 ヘリオポリスというコロニー一つが、オーブの敵として葬り去られようとしているのだ。元々国民に人気のないセイラン家など、葬り去るのは容易かろう。

『そうだな。最悪に備え、一族の者だけでも逃がす準備はしておく。だが、私が逃げる事は難しかろうな』

「父さんは仕方ないか……でも、セイランは小悪党の家系なんだから、父さんも生き足掻いてみてよ。死んだら、小銭を数えるどころじゃないよ?」

 ウナトの返答に、ユウナも諦めを露わに淡々とした口調で言った。

 ウナト自身が逃げ出す事は難しい。政治を司る氏族としての義務があるし、そう簡単にオーブでの既得権益を放り出すわけにもいかない。いよいよダメだとなれば逃げる努力はするが、その時には包囲の輪が狭まってきている事だろう。

 ぐだぐだやった上で、逃げ切れなくて捕まるか殺されるのが落ちか……

 だが、一族の子女やセイラン系統の氏族を逃がす準備をしておくのは悪くない。彼らが生き残れば、最悪でもセイラン家が全滅するといった事は防げる。

『ユウナ。お前も今回の一件が終息するまでは、オーブに帰らぬ方が良いな』

「そうだね。しばらくは帰れないかな。でも、何時か必ず帰るよ。オーブにはカガリが居るからね」

『お前はまたそれか』

 ユウナの浮かれた様な答えに、ウナトは呆れた様に溜息をついた。そんなウナトを見ながら、ユウナは一瞬だけ口端を歪んだ笑みに曲げる。

 ウナトは戯言と思ったのだろうが、ユウナは本気で帰るつもりだった。何時になるかはわからないが……遠くない未来に。

 その為にも、今は幾つか成功を積み上げていかなければならない。

「そうそう。逃げるタイミングだけど……ウズミ・ナラ・アスハが権力の座から落とされる事があれば、それが最後の警鐘だと思う」

『まさか、それはあるまい。ウズミは、今のオーブでは絶対だ』

 ユウナの言葉に、ウナトは首を横に振って答えた。

 今の状況は、オーブの理念を神の啓示のごとく掲げる事で動いている節がある。では、そのオーブの理念を作ったのは誰か? ウズミなのだ。ならば、ウズミを排斥する筈がない。教典を守って神を排するようなものだ。

 現状、ウズミにとっては暴走気味な情勢を制御しかねているようだが、それも初期の混乱だろうとウナトは考えていた。

「でもさ、それなのにウズミが排される……なんて事になったら、それこそ天下の一大事って奴じゃない? そりゃあもう、逃げ時ってものでしょ」

『確かにそうだが、有り得ない事を想定してどうする。やれやれ、そんなではお前に私の後を次がせる事など出来んぞ』

 軽い口調で言うユウナに、ウナトは渋面を作る。そして、思い出した様に言葉を続けた。

『そうだ、ユウナ……お前に頼まれていた連合とのコネだがな。かなりの大物と連絡をとる事が出来た。お前が何をするのか知らんが、この際だ、思い切りやってみるがいい。ただ、通信には立ち会わせて貰うぞ』

 ウナトの答えに、ユウナは有りがたいと思いつつも、父の甘さに内心で苦笑した。

「……何も聞かないで、そんな大物と引き合わせてくれるのかい?」

『今の情勢では、何時、私に何かあるかもわからん。お前には早く一人前になって貰わねば困る。これも、獅子のごとく、子を千尋の谷に突き落とすくらいのつもりだ。しっかりやり遂げて、私を安心させてくれ』

 やはり、甘い。千尋の谷とやらを全部お膳立てして、子が滑り落ちぬ様に手を差し伸べる用意までして、獅子のつもりとは。

 ユウナは、そんな父に心の底から感謝している。ウナトは知る由もないが、この甘さがあればこそ今まで“恋愛”を幾つも重ねて来られた。そして、これから始めるカガリへの言わば“プロポーズ”にしてもこの甘さは十分に利用させてもらえるだろう。

「ありがとう、父さん。必ず、やり遂げてみせるよ。それで……誰と話をさせてもらえるのかな?」

 ウナトと繋がりがある中で、かなりの大物と言うのだから、恐らくはロード・ジブリール辺りだろうとユウナは推測していた。ブルーコスモスのナンバー2であり、かなりの影響力を持つ人物だ。

 繋がりがあると言っても、それほど強い結びつきがあったわけではない。きっと、相当の苦労をしてくれたのだろう……ユウナはそう考えたのだが、父ウナトはユウナのそんな推測を覆す努力を見せてくれた。

 通信機の向こうで、ウナトは自らの仕事を誇る様に小さく笑い、その人物の名を告げる。

『ロード・ジブリール殿に話を付け、口を利いていただけてな。ブルーコスモス盟主ムルタ・アズラエル殿と繋ぎがとれた。政財界は元より、連合軍にも強い影響力を持つ盟主殿ならば、お前の目的にもかなうだろう』

「なっ……!?」

 ユウナも流石に声が出ない程驚いた。その顔を見て、ウナトは嬉しげにニヤリと笑う

『さしものお前も驚いたか。お前のそんな顔を見るのは久しぶりだな。苦労した甲斐があったというものだよ』

 

 

 

 ヘリオポリス厚生病院、その敷地内に建てられたプレハブ病棟。戦闘直後は喧噪が満ちていたこの場所も、かなり落ち着いてきていた。回復出来た者が去り、重篤者が病院内に改めて収容され、死にゆく者が死んだ事によって……

 プレハブ病棟に残された者達は、回復に長い時間を必要とする者か、永遠に癒えぬ傷を負った者達。そして、帰るべき家や迎えてくれる家族をを失った者だ。

 カズイ・バスカークは、母のベッドの脇に腰を下ろしていた。

『オーブ政府により、ヘリオポリスに残された市民の皆さんの保護と、本国への帰還事業が実施されます。市民の皆さんは、オーブ本国への移住の準備を行ってください』

 遠く、声が聞こえる。

 病院に設置されたスピーカーを通して、ZAFTが放送を行っているのだ。

 有線放送や街宣車などを使って連日の様に同じ放送を繰り返しているので、話の内容は既にヘリオポリス市民全てが知っていた。

 そして……オーブ政府が行おうとしている事が、保護や帰還事業などと言う様なものでは無い事も、ヘリオポリス市民のほとんどが察していた。それは、本国へ帰れば、犯罪者として扱われる事が確定しているからだ。

 オーブ政府はヘリオポリス市民に対し、罪を認め抵抗せず逮捕される事を求めている。抵抗する者へは、武力鎮圧を持って対処するとの恫喝もあわせて告げられた。

 これらのオーブ政府の決定に対してヘリオポリス市民は何が出来たのか……

 命を賭して抵抗するべく抵抗組織が結成されたとの噂は幾つも流れていたし、決起を促す檄文が街角に貼られた事も何度かある。

 しかし、雑多な小火器を持った程度の市民達にとって、オーブ軍は遙かに強大だ。また、ZAFTが治安維持の名目でオーブ軍に協力するだろう事も確実。コロニーという環境では逃げ場も隠れ場所もない。外からの補給も援軍もない。

 そんな勝利の有り得ない抵抗の先に何があるのか? 未来を見いだせない事に、多くの市民は抵抗を諦めていた。

「カズイ……」

 ベッドの上、四肢が失われた身体を包帯に覆われた母がカズイの名を呼んだ。

「私、お父さんと一緒に残りたいわ」

 カズイは、今までに何度か繰り返された話に、全く同じ答えを返す。

「……置いては行かないよ」

 牢獄で生かされるくらいならば、夫と息子との思い出が満ち、そして夫の死した地であるこのヘリオポリスに残していって欲しいと母は願っていた。もちろん、残して欲しいという願いは、母が自ら死を選ぶ事を意味している。

 だからカズイは決めていた。その時には、母を背負ってでも連れて行くと。犯罪者としての日々の果てに死刑が待つとしても、母を自分の意思で見殺しにする事は出来なかった。

「そうだ……父さんは共同墓所から返して貰ってきたから、一緒に行けそうだよ。あと荷物だけど、現金とか通帳とか保険証とかアルバムとかは持って行くよね」

 カズイは、話題を変え、そして一緒に逃げるのだと言う考えを母に強調する為に、逃げる準備の事を話し始める。

「それから日用品とか必要そうな物をまとめておくよ。宇宙をしばらく旅して、それからシャトルで降下だって話だから、何日分か着替えとかもいるだろうし……そうそう、僕のゲームと漫画は諦めたよ。荷造りしたけど、あれじゃ重くて持てなくってさ」

 荷造りは進んでいない。

 思い出の染みついた家。思い出の品々。全てを捨てて、未来無き旅に出なければならないのだ。気付けば、荷造り中の荷物に囲まれながら、幸福だった頃の記憶を思い返している自分が居る。

 ゲームや漫画などには何の価値もない。母への台詞は、変わらない自分を見せたいが為の冗談だ。

 本当は……出来るならば、家の全てを持って行きたい。母と、父との思い出があふれる家を。いや、それよりも出来るならばいっそ、あの頃の幸せをそのままに。

 荷造りの作業の最中に囚われる、やるせない思い。それを思い返していたカズイの胸に、重苦しい悲しみが迫り上がってくる。

 それを感じてすぐにカズイはその場所から立ち上がり、母に背を向けた。

 母を心配させるわけにはいかない。涙を見せるわけにはいかない……

 悲しみが胸につかえて、声を出せばそのまま嗚咽になってしまいそうだったが、それを無理に抑えてカズイは母に言う。

「さ……さあ、荷造りしに帰らないと。ハハハ、忙しいから困るよ。見舞いには、またすぐに来るから」

 カズイはそう言い残して歩み出す。声の震えは、母に気取られてはいないと信じた。

 

 

 

 ユウナに、シェルターの居間に呼び出されたトール・ケーニヒとエル。不安そうなエルの肩を抱きながら、トールは半ば警戒した様な目でユウナを見つつ聞いた。

「ユウナさん、話って何ですか?」

 ユウナが奇妙な人物である事は、出会ってからの数日でトールもエルも理解している。

 何か直接的な危害を加えてくる事はないのだが、いきなり猟奇的な事を言い放ってエルを酷く怯えさせる事があった。トールだって正直な話、そういった話は遠慮願いたい。

 だから、ユウナの話の内容によっては、トールはエルを連れて逃げる気でいた。

 しかし、ユウナはいつもの軽薄な態度はそのままだが、口調だけは真面目に話を始める。

「ここに来た理由をはぐらかしてきたけど……そろそろ説明した方が良いと思ってね。良いかい? ここに来たのは、このヘリオポリスで何が起こっているかを確認する為。そして、セイラン派にとっての力を確保する為だ。君達も見ただろう?」

「ミステール1……ですか?」

 力と言われ、トールは直感的にそれが何なのかを悟った。ユウナは、トールの答えに満足そうに頷く。

「そう。連合軍最新鋭の大型MA。ザクレロ試験型ミステール1。あれはセイラン派……僕の父の派閥の持ち物なんでね。取り返しに来たんだよ」

 このシェルターの格納庫に置かれている一機のMA。セイラン派が連合軍から譲り受けた、ザクレロのテストタイプ。ユウナは、それを手に入れに来た。

「あれは……俺のMAだ! オーブには渡さない!」

 ミステール1がユウナに奪われる……そう悟ったトールは、ユウナに向けて声を荒げる。だが、ユウナはそんなトールの反応を見越していた様で、面白がる様子で口端を笑みに曲げて言葉を返した。

「へぇ? 君に所有権は無い筈だけど……まあ良いか。それより、理由を聞かせて貰っても良いかな? どうして、あのミステール1が欲しいの?

 格好良いからかな? そうだよねー、男の子ならMAとか憧れちゃうもんな。でも、あれは玩具じゃなくて、本物の兵器なんだ。軍隊ごっこは、プラモデルか超合金でやって欲しいな」

「俺がやりたいのは軍隊ごっこなんかじゃない!」

 トールの怒りの声が部屋の空気を震わせる。

「俺は……あのミステール1で!」

「ダメ、お兄ちゃん! あんなのに乗っちゃダメ!」

 トールの身体に縋り付く様にしてエルが叫んだ。

「ねぇ……ダメだよ。お兄ちゃん。あんなのに乗らないで!」

 涙をこぼし、縋り付いたまま見上げる様にしてトールの顔を覗くエル。そんな二人を眺めるユウナの表情に愉悦の笑みが混じる。

 ああ、やはりこれは最高だ。実に楽しませてくれる。

 トールはエルを扱いかねている様だった。意思は変わらないのだろうが、エルを無碍に突き放す事も出来ないのだろう。

 ユウナは、そんなトールに助け船を出す事にした。

「トール君が望むのは復讐……そうなんだね?」

 その囁きにも似た問いにトールはハッとして顔を上げ、ユウナを見た。

 それから、トールはぎゅっと歯を食いしばり、意を決した様子で改めてエルに視線を落とす。

「ミリィ……でも、俺は! 俺は許せないんだ! オーブの理念は……いや、それを掲げた奴等が皆を殺した! 父さんを! 母さんを! それに、ミ……」

 激情のままに続けようとした言葉が途切れた。

 トールの頭の中に、閃光が瞬く様に記憶の断片が浮かんでは消える。炎の中の影。走る少女。黒焦げの破片。キス。顔がない死体……

「お兄ちゃん?」

 ループした思考は、エルの声で再び動き出した。

「あ? ああ、ミリィ……」

 そうだ、ミリィはここにいる。ミリィはここにいる。ミリィはここにいる……

 断片的に蘇った記憶が、再び心の闇の中に消えていく。そして後には重苦しい怒りと身を焦がす様な憎悪だけが残る。

「ともかく、俺は許せない。全てを奪った連中を……オーブを! オーブの理念を! オーブの理念を掲げて正義を嘯く全ての奴等を! 殺してやる! 殺してやるんだ! その為には力が……ミステール1が必要なんだ!」

「……お兄ちゃん」

 トールの怒りと憎悪に彩られた叫びを聞き、エルは恐怖に身を震わせながらトールに預けていた身体を退いた。何かとても冷たい物に感じられて。

 一方、同じくトールの叫びを聞いたユウナは、素晴らしい演奏か何かを鑑賞した後の様な満足げな笑みを浮かべていた。

「わかった。トール君にミステール1を託そう」

「……え?」

 ユウナの発言に、エルは小さく悲鳴にも聞こえる声を上げて、途方に暮れた様な表情でユウナを見た。

 そんなエルに嗜虐心をそそられながら、ユウナは精一杯、申し訳なさそうな顔を作ってエルに話しかける。

「トール君から、戦う事を奪えるか? 答えは否だね。君がシミュレーターに乗るトール君を止められなかった様に、僕も彼を止める事は出来ない」

 エルは努力してきた。トールが戦わない様に……シミュレーターにも乗らない様に。しかし、その努力は全て失敗に終わっている。エルに出来なかった事を、ユウナが出来るわけが無いと言われれば、エルには返す言葉はない。

 だが、エルは考えていた。シミュレーターに乗せる事は防げなくても、あのミステール1に乗せない事は出来るのではないかと。

「ユ……ユウナさんが、あのMAを持って行ってくれたら」

 あのミステール1が無ければ……武器がなければ、トールも戦う事を諦めるのではないか? そんなエルの願いにも似た考えを、ユウナはゆっくり首を横に振って否定する。

「武器がなければ、トール君は素手でもかまわず戦おうとするんじゃないかな? なら、強力な武器を持たせてあげた方が、生き残る可能性は大きくなる」

 ユウナはその視線をトールに向けた。エルも、つられるようにトールを見上げる。

 トールは二人の視線に気付くと、迷いもなく首を縦に振った。

 そんなトールに満足げな表情を浮かべてユウナは、トールがMAが無くとも戦う事を肯定した事にショックを受けて泣き出しそうなエルに向けて、更に切り口を変えて話を続ける。

「それにね。僕がMAを持って行って、トール君が戦わずに残ったとしても……ここでの生活も何時かは終わってしまうんだ。ヘリオポリスは遠からずプラント領になるし、オーブはヘリオポリス市民全員の強制収容を決定したからね」

「強制収容?」

 シェルターに隠れていたトールとエルは、今何が起こっているかをほとんど知らない。酷く物騒な言葉に、トールが思わず反応して聞き返す。

 ユウナは呆れを表す為に、軽く肩をすくめて見せた。

「字の通りだよ。ヘリオポリス市民全員を捕らえ、“オーブの理念を守らなかった裏切り者”として裁くつもりだ」

 その答えに、トールは内心の怒りを沸き立たせて顔をしかめる。エルは不安そうにトールに寄り添い、彼の服の裾を指先で摘んだ。

 そんな二人を見ながら、ユウナは二人を更に追いつめるかのように言葉を並べ立てる。

「プラントはオーブの中立維持と占領地からの旧住民退去の為、この強制収容に協力している。つまり、このヘリオポリスでは、君達は見つかり次第、捕まってしまう。そして、オーブに罪人として送り届けられる。

 ここは隠しシェルターだから、そう簡単には見つからないだろうけど……それでも、最長で一年少々かな? 備蓄食糧や燃料が尽きるから、隠れて生きていく事は出来なくなる。

 その時にどうする? 大人しく捕まるかい? そうなれば結局、君達は離ればなれだ。

 共に居たいなら、戦って、生きる場所を自分で確保するしかない。わかってくれるかな?」

「……わからない。そんなのわからないよ」

 エルは、駄々を捏ねるように言い返しながら、首を横に振った。それを見て、ユウナは少し困ったように微笑みながら、静かに語りかける。

「そう……でも僕は、君にはトール君を支えていて欲しいと思うのだけどね。トール君一人では戦い続ける事は出来ないのだから」

「一人でも、ミステール1があれば……!」

 ユウナのその言葉に、トールは反論する素振りを見せた。ユウナは、仕掛けた釣り針に獲物がかかったとばかりに一瞬笑みを浮かべ、畳み掛ける様に話し出す。

「ミステール1で出撃する。戦う。問題はそれ以外だよ。

 戦闘後には整備補修が必要だけど、トール君にはそれが出来るかな? 戦えば弾や推進剤を消費する。補給しなきゃならないけど、トール君はそれを手に入れられるかな?

 オーブと戦うならオーブ本国へ行かないとならないけど、移動するには船が必要だね。船を手に入れて、そして操縦するのは誰かな?

 敵の情報を知れば効果的に戦える。戦闘前にそれを調べる事をトール君は出来るかな? 戦闘中は僅かな時間で状況が激変する。そんな戦闘中の情報収集は誰がする? 情報を元にして、効率的な戦い方を考えてくれる人はいるのかな?

 君を支え、戦場に送り込む者が必要だ。共に戦い、サポートしてくれる仲間。戦いを継続する為の資金や補給物資。的確な戦略、戦術、戦闘指揮。生きて戦い続けるには不可欠な物だけど、全てトール君には無い物だ。

 ここまで聞いても、君は一人でも戦えると思うかい?」

「…………」

 トールは愕然とした様子で俯き、ユウナから目をそらした。戦う力だけでは、戦う事は出来ない。それは、トールが想像もしなかった現実だった。

 アマチュアは兵器を語り、プロは兵站を語る。ほんの少し前まではただの学生だったのだから、こういった錯誤は仕方のない事だと、ユウナは理解していた。

 だからこそ、トールを自分の下に取り込む余地がある。

「僕が全て用意しようじゃないか」

 ユウナは、魂の契約を迫る悪魔の様に、親しげな笑みで申し出た。

「僕はこれからオーブを打倒する。ヘリオポリス市民を守り、ヘリオポリス市民を組織する。ヘリオポリス市民の手でオーブの理念の虚構を暴き立て、その信者達を完膚無きまでに叩き潰す。復讐を望むトール君にも意味のある戦いになるだろう」

 ユウナは笑みを少しだけ人悪げなものにして、右手を握手の為に差し出す。

「どうだろう。一緒に戦わないかい?」

 

 

 

 夜半。トールは一人、寝室のベッドに身を横たえていた。

 いつもならばシミュレーターに向かっている時間。しかし今日のトールは、ベッドの中で、じっと考え事に耽っている。

 考える事は一つ。ユウナの差し出した手を取るか否か。とは言え、思考のほとんどはそれをどう断るかに費やされていた。

 あれこれ考えた挙げ句、断る理由が無い事に気付く……そんな事をずっと繰り返している。

 別に、ユウナが悪い訳ではない。断る理由の最有力候補として「ユウナは得体が知れないから」という理由は厳然として存在していたが……他の誰に誘われても、同じように迷った事だろう。

 断りたい本当の理由は、単に復讐を自分の物としたいだけだと言う事に、トールは気付いていた。

 理性を持って考えれば、ユウナの言う通り一人で復讐を行う事は不可能とわかる。

 迷いと呼べる物ではなかった。答えは出ているのだ。ユウナの手を取るより他にない。

 トールの中で、復讐の達成に重きが置かれていたなら違ったのだろう。あらゆる手段を用い、最後に復讐が果たされている事だけを目標に出来ていたら。そうだったなら、成功の可能性が大きい方を選ぶ事が出来たはずだ。

 しかし、感情と狂気は復讐を他人に委ねる事を拒絶する。

 自分の手で、自分の力だけで全てを成し遂げたい。全てを滅ぼしたいと。

 あらゆる物を失った今、復讐だけはトールだけの物だった。

 トールの復讐は、怒りも、憎悪も、狂気も、全てを呑み込んで煮えたぎる坩堝の様な物。単純に狂気の産物なのだとも言える。

 怨嗟と狂気の叫びを上げながら、自らの肉体と魂が滅びるまで戦い続ける……トールの中の復讐とはそういった物だ。

 それは目標の無い空虚な物でもある。オーブの理念を復讐の標的に置いているが、何処まで戦い、殺し、破壊すれば復讐が果たされた事になるのか、トールは考えた事すらない。きっと、トールの復讐心……いや、狂気が導く全ての標的を破壊するのだろう。

 ユウナの手を取るという事は、その復讐の一部……ひょっとすると大部分を、ユウナなど他の人間に委ねる事になる。

 狂気が導きのままに戦う事など出来るはずもない。望みである所の、肉体と魂が滅びるまで戦い続けるという事さえも叶わなくなるだろう。そうなってしまっては、トールの復讐は本来の姿を失ってしまう。

 では、復讐の達成が彼方に遠のこうとも、復讐を自ら遂行する事を選ぶか? トールの中に考えが渦巻く。

 ミステール1で飛び立ち、オーブ国防宇宙軍の本拠地であるアメノミハシラを目指す。宇宙空間である以上、最初の加速に成功すれば、推進剤を使わずに移動は出来るはずだ。

 単機で攻撃を仕掛けてアメノミハシラを落とす。その後、可能なら奪った物資で補給して、大気圏突入を行い、オーブ本国を……

 そこまで考えて、その荒唐無稽さにトールは苦笑した。それで上手く行くなどありえない。

 しかし、それでも良いのかも知れないとトールは思う。復讐を自分だけのものとし、その復讐に身を捧げる事が出来る。万に一つの可能性でも成功すれば良し、死んでもトールに後悔する暇など無い。肉体も魂も砕けて燃え尽きるだけ……

 トールは、試験型ザクレロ・ミステール1という一匹の魔獣になりたいのだ。闘争に明け暮れ、全てを滅ぼしていく魔獣に。

 そうならなかったのは、トールを人として繋ぎ止めたものがあったから……

「……お兄ちゃん?」

 不意に声をかけられ、トールは寝室のドアが開いている事に気付いた。

 暗闇の満ちた寝室、壁を四角く切り抜いたように、廊下の光が中へ差し込んでくる。そこにトールは、エルの姿を見た。

「ミリィ? どうしたんだ?」

「お兄ちゃん……」

 俯き、強張った表情で居たエルは、トールの声に泣き出しそうな声で応える。そして、ベッドに歩み寄ると、少し逡巡してから聞いた。

「今日は一緒に寝ても良い?」

 トールの答えを待たず、エルはベッドに上がりトールの横に身を横たえる。エルの背後で寝室のドアが僅かな隙間を残して閉まり、寝室を再び闇で満たす。

 暗闇のベッドの上、ふわりと少女の甘い匂いがした。

「ミ……ミリィ? えと……」

 トールは、同じベッドの中のエルの存在に戸惑う。

 トールと“ミリアリア・ハウ”の年齢ならば、一線を越える事もありかもしれない。

 だからトールが、エルがベッドに入ってきた事を、そう言う事なのかと思ってしまったのは仕方のない事ではあった。

 とは言え、即座に手を出せる程、欲望に素直なわけもなく、心理的に追いつめられてるわけでもなければ、根性が座っているわけでもない。

 しかし、この行為は誘っているのだろうなぁと勘違いしたままトールは、とりあえずエルの小さな身体を抱き寄せた。

 壊れてしまいそうな程に柔らかで華奢な身体がトールの腕の中に収まる。

 そして……トールは、はたと困り果てた。ここからどうしたものか、経験がないばかりに判断がつかない。手を出したいかと言えば出したいのだが、変な事をやって嫌われるのは怖く、判断に困るのだ。

 困ってはいるのだが、腕の中の柔らかな感触はしっかりと感じられているし、少女の香りも存分に吸えているわけで、幸福感は怒濤のごとく押し寄せてくる。

 しばらくはこれで良いかと、ぼんやりと考え込んでいたトールに、腕の中のエルが不意に囁いた。

「お兄ちゃん、一人で戦いに行かないでね?」

 エルは、その身体をトールの胸に預け、潤む瞳でトールを見つめながら続ける。

「ずっと考えてたら、怖くなったの。お兄ちゃんが……お兄ちゃんが一人で居なくなっちゃうんじゃないかって。そして、戦って死んじゃうんじゃないかって」

 エルのその言葉に、トールの中から浮ついた気持ちが消え去る。そして、エルが来る前の迷いの時と同じ重苦しさが戻ってきた。

 つい先ほどまで考えていた妄想の通りじゃないかと、トールは自嘲しながら苦々しい思いで奥歯を噛みしめる。

 一人出撃し、無為に戦い、死ぬ。トールが考えた通りの事を、エルは心配していた。

 トールは復讐の中で戦い、死ぬ時には後悔と怨嗟を叫びながら砕け散る事が出来るのかも知れない。だが、残されたエル……トールにとってのミリィはどうなるか?

 このシェルターに残れば、ユウナの言う通りの最後が待っているだろう。何時かは捕まり、オーブの理念を理由に裁かれる。

 それは許せなかった。これ以上、オーブの理念の下に人が傷つけられる事を看過する事は出来ない。それをさせない事は、トールの復讐にもかなう。

「守るよ。ミリィを。もう二度と、ミリィを殺させはしない」

 膨れあがった憎悪と怒りに押し出されるかのように、意思はそのまま言葉となって漏れ出た。

 しかし、その言葉では、エルにとっては話の意味が繋がらない。だから、エルはもう一度、トールに訴えかける。

「でも、それでお兄ちゃんが一人で戦って、死んじゃったら……嫌だよ。何処にも行かないで? 一人になんてならないで」

 エルは、トールの冷たく凍った表情を暖めようとでもするかのように、トールの頬にそっと手を添えた。

「どんな時でも、私がずっと一緒にいるから」

「!?」

 偶然にか、聞き覚えのある言葉……

 それを聞いた時トールは、エルに重なって、走り去っていく少女の後ろ姿が一瞬だけ見えたような気がした。

 行かせてはならない――

 何故かそう思えて、トールはエルの身体を強く抱きしめる。

「お……お兄ちゃん? 苦しいよぉ」

「……ごめん。ミリィが消えていくみたいに思えて……ごめん。俺は……もうミリィを一人にはさせない」

 トールは今、喪失感を思い出していた。何を失ったのか、それはトールにはわからなかったが、何かを失ってしまった事による、激しい喪失感の記憶だけが蘇ってくる。

 ほんの少しの間、触れ合えない距離に居ただけなのに、もう会う事は出来ない。

「……どうしたんだ? 手が……身体が震えるんだ。ミリィが居なくなるって思っただけなのに」

 喪失への恐怖で震えだしたトールの腕の中で、エルは静かに目を閉じる。

 エルには想像がついていた。トールが震えているのは、きっとあの日に死んだ本物のミリィの為だろうと。

 なら……ミリィとして、トールにしてあげられる事はある。

「お兄ちゃんが守ってくれるって言ってくれるなら、それを信じるよ。お兄ちゃんが、私を一人にしないって言うなら、それも信じる。だから……お兄ちゃんが守ってくれて、一緒にいてくれるから、私は何処にも行かないよ」

 エルは瞳を開き、それからトールの唇に自らのそれを押し当てた。

 温かいキス。

 トールの中に一瞬、誰かの笑顔が蘇る。誰なのか……今のトールにはわからない。

 ただ、キスを切っ掛けに、トールの心の中に渦巻いていた物が静かに退いていった。

 落ち着いてからトールは、顔を退いてエルとのキスを解く。

「ありがとう……ミリィ」

 感謝の言葉を囁きながら、今度はトールからエルにキスをした。ミリィの名を呼びながら……

 トールとキスを交わすエルの目から、一筋の涙が流れ落ちる。

 暗闇に満ちた寝室の中、それに気付いたのはエル自身だけだった。

 

 

 

「……残念。今日はハズレだったか」

 トールとエルの寝息が聞こえ始めたのを確認し、ユウナは手に持っていたビデオカメラのスイッチを切り、トールの寝室のドアを閉めた。

 そして、大あくびを一つしてから自分の寝室へと、いそいそと帰っていく。

 色々と期待していた様な展開にはならなかったが、それでも別の意味で収穫は大きかったので、ユウナとしては満足していた。

 確信が持てたのだ。トールとエルを、自分の手駒とする事が出来ると。

「怒りと憎悪……そして無自覚な後悔か」

 ユウナはニヤと笑いながら小さく呟く。

 怒りと憎悪は見て簡単にわかる。トールはそれを隠す事もなくさらけ出すからだ。

 そして、無自覚な後悔。トールは気付いていないのだろうが……“もう二度と、ミリィを殺させはしない”と言った意味。つまり、一度は守る事が出来なかった事実があると言う事……それは確実に、トールを縛るトラウマとなっている。

 その辺りを弄くるのが、トールを上手く動かすコツだろう。

 ユウナにとってミステール1は持ちうる最大の戦力だ。それをトールに渡す理由は、九割方「その方が面白そうだから」という理由で占められているが、もう一つトールのコントロールが容易だと想像出来たからという事がある。

 シミュレーションを見た所、トールの腕前は申し分ない。とは言え、父ウナトの部下や、傭兵ならばもっとMAを上手く使える者が居るだろう。

 しかし、トールならばその生死を含めて、ユウナがコントロール出来る。これは、他の誰かを駒にした時には得られない利点だ。

 トールには、自身の命以上に優先される狂気がある。狂気の発現とそれが向かう方向を誘導してやれば、トールは死を厭わずに力を振るうだろう。

 それでいてトールは他の狂気の者と違い、なかなか暴走しない。エルが……いや、ミリィという少女の幻影が、トールが復讐の獣と化す事を防いでいるのだ。

 トールの狂気と、エル。この二つを握れば、トールはユウナにとって絶対の信頼を置ける駒となる。狂気を孕むトールを単純に信用する事が出来ない今は、そんな無情な関係の方が信頼が置ける様に思えた。

 ただ、その状態のままであって良いというものでもない。別の形で信頼関係を築く事も必要だろう。だから、ユウナは今のところ嘘偽り無くトールやエルと接しているし、トールを戦力として搾取するのではなく与えられる物は全て与えようとも考えている。

 他にも、もっとフレンドリーな関係を目指してみるのも良いのかも知れないと少し考えた。

「それにしても、トール君は意気地がないな。あの場面は、一気に押し倒して良い場面の筈だ。もっと積極的じゃないと女の子を逃してしまう……これは、少し教授してあげた方が良いかな?」

 ユウナは自分の考えを口に出し、深く納得した様子で何度も頷く。

 こう言った人生の先達としてのアドバイスは、トールとの関係を良くしてくれるだろう。トールとエルが急接近し、その影にユウナが居ると知れば、エルの心も変わるはずだ。

「まずは手錠を使えって所からかな。縄の方が見栄えはするけど、やっぱり手錠の方が初心者向きだし」

 ユウナはアドバイスの内容を考えながら、自らの寝室へと消えていった……

 

 

 

 軍事宇宙ステーション“アメノミハシラ”。オーブが宇宙に所有する最大の軍事拠点。

 そこから、ヘリオポリス市民の逮捕とオーブ本国への送還という任務を負った、オーブ国防宇宙軍所属のネルソン級宇宙戦艦が出航していく。

 そして、ネルソン級の後には、一隻の大型輸送船が続いていた。

 大型輸送船はコロニーの部品すら運べる様な超巨大な物で、輸送力は極めて大きい。確かに、この大きさならば、一隻でヘリオポリス市民全員を収容して余りある。

 だが、当然の事ながら人を乗せる様には出来ていない。ヘリオポリス市民は、船倉の中に放り込まれ、まさしく貨物の様に輸送される事が決まっている。

 また、この大型輸送船はヘリオポリス建造時に活躍した船なのだが、その後は大き過ぎるという事もあって使用される事がなくなり、宇宙に放置されていた。

 今回の任務に就くに当たって、オーブ軍の手によって整備されているが、故障の心配がないとは言えないと、オーブ軍の整備員がわざわざ公式に記録を残している。

 総じて人を人とも思わぬ酷い扱いだが、ヘリオポリス市民は犯罪者扱いされているので、それでかまわないという判断なのだろう。

 なお、この大型輸送船は民間船である事から、乗組員は全て民間人だった。

 あの日にヘリオポリスから脱出した民間宇宙船のオーブ人乗組員が、強制的に集められてその任務に就かされているのだ。

 任務が終われば、彼らもオーブ本国の牢へと送られる運命にある。しかも、ネルソン級の砲の一つは常に大型輸送船を狙っており、逃げる事は出来ない。

 この無惨極まりない囚人船は誰にも見送られる事無く、宇宙の漆黒の中へと消えていく。ヘリオポリスへと向かって。無論、その行く先には絶望の他はない。



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ヘリオポリス沖会戦

 連合軍第8機動艦隊は、地球上空での最終補給を終え、アガメムノン級宇宙母艦“メネラオス”を中心とした方陣をとり、整然と侵攻を開始した。

 『連合軍第8機動艦隊、動く』

 この一報にヘリオポリスのZAFTは、かねてより進められていた連合MSをプラントへと輸送する為の出航準備を急ぎだした。

 出航するのはナスカ級高速戦闘艦“ハーシェル”。ローラシア級モビルスーツ搭載艦“ガモフ”“ツィーグラー”。連合MSを積み込む輸送艦。この四隻である。

 キラ・ヤマトとアスラン・ザラは、出航準備に追われる輸送艦の前で別れを惜しんでいた。

 レールを走るアームに把持されたコンテナが、次々に艦内に運び込まれていく。その規則正しい動きを見せる風景の中、キラとアスランは互いを見つめ合って動かない。

 このヘリオポリスで二度の再会を交わした後、二人は毎日時間の許す限り共にいた。今回の出航が、二人を分かつ事になるまでは。

 アスランは輸送艦の護衛任務がある為、ナスカ級“ハーシェル”に搭乗する。一方、キラとその家族は、輸送艦に乗る事になっていた。

「アスラン……」

「キラ……」

 二人、互いの名を呼び合い、視線を交わしてお互いの気持ちを伝え合う。

 遠くそれを見ていたイザーク・ジュールは、眉を顰めて呟いた。

「……あいつら、気持ち悪いぞ」

 ディアッカ・エルスマン、苦笑混じりに答えて曰く。

「カップルだよなどう見ても」

 ニコル・アマルフィ、嘆息混じりに。

「ショックです。つい何日か前までは、ノーマルな友人だと思っていたのに……」

 キラとアスランの関係が“そう言う関係”だと言うのは、本人達の意識とは全く関係無しに、二人を知るZAFT兵の間では固まってしまっていた。

 アスランが軍務に就く時以外は、常に二人で居る。それだけならまだ良い……ニコルとディアッカとイザークだって、アスランとは多くの時間を共にしている。だが、キラとアスランは妙にベタベタしていて、何か普通の友人関係ではない。

 そこで、「あいつらは特殊なんだな」と考えると納得が出来るわけだ。

 本人達は言われれば否定しただろうが、面と向かって「君達はそう言う関係か?」と聞く輩も居なかったので――イザーク等、聞いて否定されて、それでも二人の関係に確信を抱く者もいるにはいるが――何時しか二人はそう言う関係という事で確定していた。

 幸い、カップルが成立しているので他の男達の尻が狙われる事はない。実害がないだろうからと、皆は申し合わせたわけでもないのに、二人の事には出来るだけ触れないという方針を取った。

 アスランは、この任務が終われば除隊する事を公言していたので、我慢するにせよ短い時間の事だ。

 政治権力を握るパトリック・ザラ国防委員長の息子であり、恐らくはこれから父の権力を背景にどんどん高い地位を得ていくだろうアスランと、無駄に関係を悪くしたい者など居はしない。

 ともあれそんな事情もあって、扱いに困る噂が流れてもアスランとキラの生活は平穏だったし、キラとその家族の扱いも非常に丁重なものであった。

 その状況故にキラは、凄惨な状況にあるヘリオポリスとは無縁でおり、残されるヘリオポリス市民にオーブ本国がどんな末路を用意しているのかを知らない。

 知っていたなら、彼はヘリオポリス市民を救うべく“アスランに頼んだ”だろう。他に出来る事は何も無いし、他の誰もキラがすべき事を教えていないのだから。

 そして、それがアスランにどうする事も出来ない事であっても、人を救うという単純な正義を説き続けたに違いない。そうなれば、キラに影響されたアスランがプラントに正義が無いと思い込んで叛意を持つ位の事になったかもしれないが、幸いそれは避けられた。

 キラは幸福だったと言えよう。他の全てのヘリオポリス市民よりずっと。

「アスランの事が心配なんだ。アスランはその……戦うかも知れないんだよね?」

 キラが、表情を曇らせて心配そうにアスランに言う。アスランは少しだけ顔を喜びに緩めた後、表情を引き締めて答えた。

「……まだ、作戦は終わってないからな。でも、これが終われば俺は……」

「アスランには戦って欲しくない。もし、アスランに何かあったら……」

「俺は負けない。俺が必ず、お前を守ってやる。キラ……」

 キラとアスランは無意識に互いに手を取り合い、熱い視線を交わし合う。

 キラは幸福だった。

 自分の事ではなく、他人の事だけを心配する事が出来たのだから――

 

 

 

 ガモフの乗組員搭乗口へと続くキャットウォークの前。

「作戦任務開始につき、営倉入りを解除。釈放する」

 筋力強化コーディネートを重点的に行ったらしき筋肉の塊と言った様相のMPが、顔面これまた筋肉と言った厳つい顔を緩めもせずに言うのを、ミゲル・アイマンとオロール・クーデンブルグは苦虫を噛み潰したような顔で聞いている。

 二人が自分の言葉に感動して涙を流す筈も無い事は百も承知のMPは、そんな二人の様子など全く気にせず、「任務が始まったから出してやるが、次はお前のお袋でもわからなくなる位に拳骨で顔を撫で回してやる」くらいの事を言って、さっさと帰っていった。

 ミゲルもオロールも両親が作ってくれた自分の顔は気に入っているので、本気であろうMPの台詞に震え上がった後、去っていくMPの背中に中指をしっかり立ててからキャットウォークを渡る。

 人一人が通過するのがやっとの大きさのエアロックを通れば、後は勝手知ったる艦内だ。

「あーあ、営倉から直接乗艦かよ」

「誰のせいだ。誰の」

 廊下の手摺りを伝いながらの艦内移動を始めてすぐに、ぼやき始めたオロールに、ミゲルが舌打ちをしつつ問う。オロールは、手を顎に添えて考える素振りをしながら、悪びれることなく言い返した。

「あの新入りどもとMA女のせいだな。俺が悪くないのは確実だ。ミゲル、お前もちょっとは責任があると思うが、まあ許してやるよ」

「ありがたい事だなぁ、ちくしょう」

 艦に配属されたMSパイロット三人と、MA好きの整備兵らしき女の子が喧嘩していたという所まではオロールの責任では無いだろう。迂闊に介入したせいでミゲルがパイロット達に殴られたのも、事故みたいなものでオロールに責任はない。

 しかし、その後にパイロット達へ反撃し、騒動を一気に乱闘にまでレベルアップさせ、穏便に済ませるという選択肢を粉砕したのはオロールだったろうに。

 オロールの寛大な言葉にミゲルは感謝する筈もなく、深く溜息をつきながら、片手で頭を抱えた。

「結局、新しい仲間とは、親睦を深める事も、一緒に訓練をする事も無しだ。どうするんだよ、この状況」

 ZAFTの兵は個人主義で英雄志向が強く、連合兵のように組織だって動いたり連携を取ったりという事はしない傾向にあるが、最低限これくらいはというものがある。

 同じ艦で戦うのに互いの能力を知らない。それどころか、互いの間に争いの火種を残したままというのでは、流石に「コーディネーター兵士は優秀だから常に最良の行動を取るのだ」と言うプロパガンダもその御威光を失うというものだ。

 もっとも、本当にコーディネーターが優秀で最良の行動しかしないなら、ミゲルとオロールが営倉にぶち込まれる事も無かったろう。あれがあの場での最良の行動だったと言うのなら、むなしくて泣けてくる。

 プロパガンダとは違い、コーディネーターだってろくでもない事をやらかすものなのだ。

「あんな連中、当てにするなって。むしろ、背中撃たれないように気をつけな」

 ろくでもない事をやらかす代表選手の如きオロールの言葉だったが、そこに僅かに真剣な色味が混じる。その意味に気付いて、ミゲルは表情を暗くした。

「味方殺しか? 洒落にならんよなぁ」

 戦場で、味方の背中を故意に撃つという行為は、昔から行われている。

 無論、ZAFTでも禁じられてはいるのだが、上官の命令は絶対と教え込み規律でガチガチに縛るナチュラルの軍隊ですら味方殺しは発生するのだ。個人主義であり自己の判断を重視するZAFTでそれが発生しない筈がない。

 まあ、日常的に心配しなければならないほど発生している事かと言うと、決してそうではないのだが……直接的間接的を問わなかった場合、戦死者の何人が味方に殺された事になるのか、正確な数字は出ないだろうが、想像するのは怖い。

「関係を修復出来ると良いんだが」

 言いながらミゲルは、廊下の手摺りを掴んで移動を止めた。

 そこにあるのは、ブリーフィングルーム。ここで、今回の作戦の説明が行われるのだ。

 ドアを開けた二人の前に、既に人でいっぱいの室内が見えた。MS格納庫に近い位置にある為、ここにはMSパイロットや整備兵などが集まっている。

 人の集まりは三つに分けられた。

 一つは、つなぎの作業服を着た整備兵達。もう一つは軍服姿のMSパイロットが三人。そして、その両方から離れて、つなぎの作業服を着たMS嫌いの女の子……ミゲルとオロールが、MSパイロット達と喧嘩するはめになった原因だ。

 MSパイロット三人は、いっそ殺気と言っていい位に不穏な空気を発しながら女の子を睨んでいる。そして、その殺気は、入室したミゲルとオロールにも向けられた。

「関係修復はダメっぽいな」

 オロールは慰めるようにミゲルの肩を叩いて言い置き、それから床を蹴って女の子の方へと迷わずに移動していく。

 ミゲルは、何処に座るべきか一瞬迷ったが、すぐにオロールの後に続いた。

 殺気じみたMSパイロット達の所に行っても事態が好転するとは思えない。今は関係修復の話し合いよりも、今回の作戦について聞く方が優先だろう。下手に絡まれたりしては、それが果たせなくなってしまう。

 となると、整備兵達の集まっている所は満席に近い状態であるので、最終的に女の子の側に席を探す事になる。オロールも同じ結論に達したのだろう。

 女の子と席が近いとMSパイロット達の怒りを煽る事になりそうだが、彼らはミゲルとオロールを女の子の仲間だと思い込んでいるわけで、ならば今更と言う物だ。

 それでも少し離れて座るつもりだったが、うっかり近寄った所でミゲルとオロールは、女の子から声をかけられた。

「遅かったわね。艦長の話、始まってるわよ? 肝心な所はこれからだけど」

 そう言って女の子は、早く座りなさいとばかりに隣の席を指差す。

 勧められたのを、わざわざ断って遠くの席を探す程の理由は見つからない。ミゲルとオロールは互いに視線を合わせ、同時に苦笑してから勧められた席に座り、身体が宙に浮かないようにベルトで留めた。

 そして二人は、先ほどからブリーフィングルームに流れていた艦内放送に耳を傾ける。

 艦内放送では、艦長のゼルマンが作戦内容について説明している所だった。

『――連合MSは輸送艦に積み、ナスカ級“ハーシェル”が護衛しながらプラントへ帰還する。その際、ローラシア級“ガモフ”と“ツィーグラー”も同行。途中まで護衛の任につく。これを輸送艦隊とする。

 一方、ナスカ級“ヘルダーリン”“ホイジンガー”を中核とした艦隊が、ヘリオポリス沖に展開。第8艦隊を迎え撃つ。これを迎撃艦隊とする。

 この迎撃艦隊で第8艦隊を撃滅する予定だが、万が一、抜かれてしまった場合、“ガモフ”“ツィーグラー”が輸送艦隊を離れて第8艦隊を迎撃する。

 残る“ハーシェル”と輸送艦は巡航速度を上げ、一気に第8艦隊を引き離す。“ハーシェル”は、輸送艦を最後まで守って航行する。

 これが、連合MS護送作戦の概略だ』

 説明の途中、女の子が作戦資料をミゲルとオロールに渡す。

 十数枚の紙がまとめられたそれには、作戦に関わる細かな情報が印刷されており、ゼルマン艦長の説明を十分に補足していた。

「……ミゲル、ガモフのMS戦力を見たか? 新入りどものノーマル三機はともかく、後はお前の専用ジン・アサルトシュラウドに、俺のジン・ハイマニューバ、そしてシグーだってよ。案外、楽な戦闘になりそうじゃないか?」

 資料をペラペラとめくり適当に流し見ていたオロールが、ミゲルに小声で言う。それを受けて、ミゲルも資料をめくり、そして呆れたように言い返した。

「良く読めよ。シグーは赤服新兵だぞ? かえって足手まといにも成りかねない」

 言いながらミゲルはブリーフィングルームの中に視線を走らせる。

 エリート様である事を示す赤服は、このブリーフィングルームには無い。パイロットならばここで説明を聞いている筈なのにだ。

 他の部屋で聞いているのかも知れないが、それは戦闘中に密接な関係となる他パイロットや整備兵との交流を軽視しているという事であり、そんな人物と一緒に戦わなければならないミゲルの苦労を想像すると、楽な戦闘になるとは冗談でも言えそうにない。

 と、暗澹たる思いを抱いたミゲルの腕が、隣から肘で突かれた。

「これ、確認した方が良いわよ? データがちょっと古いみたい」

 資料のMS戦力のページを開いた女の子が、ミゲルに悪戯っぽい笑みを見せながら言う。

 ミゲルには、傍目には可愛らしく見えそうなその笑みが、酷く不吉な物に見えた。

「どういう事だ?」

「足手まといの赤服新兵を捜して、自分で確認してみたら? 艦長の話が聞こえないから、おしゃべりはもう止してよね。古参兵さん」

 そう返して、女の子は“艦長の話を聞いている”というポーズに戻る。そのすました横顔に、カウンターを狙って攻撃を待ち受けている様子を見て取り、ミゲルはこの場でこれ以上の追求は得策ではないと察した。

「確かにその通りだな」

 席に座り直して、艦長の話を聞く事に集中する素振りを見せるミゲルに、女の子はチラとだけ不満を混ぜた視線を送る。やはり、追求してくる事を期待していたらしい。

 女の子の思惑から外れた事にささやかな勝利感を得て、それを心地よく思いながらミゲルは、今度は本当に艦内通信に集中した。

 ゼルマン艦長の話はまだ続いている。

『なお、連合軍の宇宙要塞“アルテミス”にユーラシアの艦艇が集結しつつある。陽動、あるいは第8艦隊とは別にMSの奪還を狙っている可能性があると言えるだろう。

 もしこれがMSの奪還を狙ってくるなら、“ガモフ”と“ツィーグラー”あるいは“ハーシェル”で迎撃を行う事になる。

 状況にもよるが、一度、戦闘が発生した場合には、激しい戦闘となる事が予測される。各員、いっそうの奮闘努力を望む。以上だ』

 

 

 

 ヘリオポリスの港口。ナスカ級“ハーシェル”を先頭に、連合MSを積んだ輸送艦を中心として、ローラシア級“ガモフ”“ツィーグラー”が後ろに続く形で、輸送艦隊が出航していった。

 ヘリオポリスには、防衛戦力としてジン六機が残されている。ナスカ級“ヴェサリウス”も残されては居たが、これは修理中で戦力としては使えない。

 しかし、ジン六機があれば、旧来のMAと戦艦主体の戦力が相手ならば、その数倍の戦力を差し向けられても撃退出来る。防衛戦力としては十分だし、この戦力を撃退出来る程の戦力をヘリオポリスに送る意味は連合にはない。

 オーブにはヘリオポリス奪還の動機はあるが、今後の中立態勢の維持を考えれば、直接的な武力侵攻をかけてくるとは考えがたい。実際、ヘリオポリス市民収容の為の大型輸送船と戦艦一隻を出して以来、オーブの宇宙基地であるアメノミハシラは沈黙を保っている。

 よって、ヘリオポリスのZAFTは、防衛に何ら危機感を抱いては居なかった。

 だからこそ、彼らは困惑する。出撃していった輸送艦隊の忘れ物に。

 輸送艦隊の出撃後に格納庫で発見された物。それは、輸送艦隊が全て持って行く筈だった最新型MSシグーだった。

 

 

 

「なん……だ、こりゃ?」

 ローラシア級“ガモフ”。そのMS格納庫。

 戦闘待機命令を受け、そこへ赴いたミゲル・アイマンとオロール・クーデンブルグが見たのは、そこにある筈のMSシグーの姿ではなかった。

 格納庫に鎮座するのは、黄色い塗装のメビウス・ゼロ。機首にシャークマウスが描かれているが、その目は前方を睨む涙滴状の複眼を意匠している。

 そのデザインには、心の底から嫌な思い出しかない。

「ザク……レロ? 連合の新型!?」

「おいおい、洒落にならない塗装だな」

 ミゲルが驚きに声を漏らすと、オロールが横で唖然とした様子で返した。

 そのメビウス・ゼロは、明らかにあのMA……ヘリオポリスで交戦した、ザクレロの姿を模倣しようとしている。

「そうよ! これが、私のザクレロ!」

 と、勝ち気な少女の声が響く。

 振り向けばそこには、赤いパイロットスーツを着た少女が立っていた。

 無重力ではヘアバンドの押さえも効かないか、肩辺りで切り揃えられた髪が浮き上がり乱れている。その髪を鬱陶しげに手で払い、少女はミゲルを気の強そうな瞳で見据えた。

「ラスティ・マッケンジーよ。よろしくね、隊長さん?」

「ラ……!? 赤服パイロット!? お前が!?」

 今まで何度もミゲルに不幸を運んできた少女……MA大好きな変人。その正体が、赤服パイロットのラスティ・マッケンジー。

 思っても見なかった事実に、思わず声がうわずるミゲル。それをすっかり無視して、ラスティはちょっとだけ不満そうな目でメビウス・ゼロを見やる。

「メビウスも格好良いけど、本物のザクレロにはちょっと及ばないわよねー。でも、この鋭いフォルムこそ兵器って感じで、メビウスも嫌いじゃないのよ?」

 聞いてもいないのにMAを語り出すラスティ。そんな彼女に、オロールが問う。

「待て、お前の搭乗機はシグーだろ? シグーはどうしたよ?」

 他の議員子息の赤服同様、ラスティにもシグーが配備されたはずだ。書類上でも、ラスティの搭乗機はシグーになっている。

 が、ラスティはあっさりと答えた。

「置いてきたわ」

 ヘリオポリス。一機残されたシグーは、ラスティの搭乗機だった物である。

「置いてきた!? 何故!? それにMAに乗る気なのか……」

 せっかくの最新MSを置いてきて、代わりにするのがナチュラルの旧式兵器であるMA。

 理解が出来ないとばかりに声を上げるミゲル。

 いや、これがザクレロの様な新型の大型MAならば、ミゲルもその戦力を知っているだけに理解はしたのだろうが……メビウス・ゼロは旧式MAの範疇にある機体だ。

 が、ラスティはミゲルの言葉に小さく鼻で笑い、それから薄めの胸をはって得意げに口を開く。

「メビウス・ゼロは、MSなんかよりよっぽど強い機体よ? グリマルディ戦線で、こっちが何機やられたと思ってるの?」

「いや、それは……確かに、そうだけどなぁ……」

 月を戦場にしたグリマルディ戦線。連合のメビウス・ゼロ部隊は、ZAFTに対して相当の出血を強いている。

 エンデュミオンの鷹と呼ばれる連合のエースが生まれたのもその戦場だし、彼の機体はメビウス・ゼロだった。

「あれは、連合のエース部隊が乗っていたからであって……」

 事実は事実。それ故に言葉から力の失せるミゲルに、ラスティは勝ち誇る様に言った。

「ナチュラルのエースが乗ってZAFTのMSより強いんだから、コーディネイターの私が乗ったらもっと強いでしょ? 強い機体に乗るのはパイロットとして当然の事じゃない」

 理屈ではあるが……ZAFTが行ってる宣伝に真っ向から逆らう話だ。

 コーディネーターのMSは、ナチュラルのMAを過去の遺物とした、最新万能兵器。

 正直な所、そのプロパガンダは連合の大型MAには通じないとミゲルは考えているが、かと言って今までずっと押し通してきたものはそう易々と覆せはしない。

 だが、ラスティはそんな事は一切気にしていない様だ。

「ZAFTの機械人形なんて、MAに比べれば玩具みたいなものなのよ!」

 ラスティははっきりと言い切る。

 変わったメカニックだと思っていた頃より、よほどインパクトが強い。これはもう絶対に“ZAFTの赤服のMSパイロット”が言う台詞じゃない。

「こやつ正気か」

 オロールが冗談めかして呟いた。

 珍しく、ミゲルもオロールに同意する。が、調子に乗ってきそうなので賛同は示さない。

 一瞬の沈黙があって、オロールはミゲルに聞いた。

「で、どうするよ?」

「どうするって言われてもなぁ。こんなの常識外だから、MSに乗り換えて……」

「シグーは置いて来ちまったんだぜ? 予備のMSなんて無いしよ。それに、アレがMSに乗ると思うか?」

 言ってオロールは、誰も聞いていないにも関わらずMS下げMA上げを喋り続けているラスティを指差す。

 それを見て、ミゲルは諦めるしかない事を悟った。

「あー……それじゃ、予備戦力って事で待機に……」

 MAでの出撃は有り得ないと、出さずにすむ方向で考えるミゲル。

 だが、その決定が下される前に、その場に罵声が響いた。

「おいおい、ナチュラルのガラクタが見えるぜ?」

「いつからここは連合の艦になったんだろうな!?」

「俺達が捨てて来てやるよ。親切だろう? なあ。MA女とその腰巾着さん達よぉ」

 振り返らずともわかる。新人のMSパイロット達だ。

 やって来た初日にラスティと揉め事を起こし、それに巻き込まれたミゲルとオロールが彼らと喧嘩を繰り広げる事になった。

 ラスティと彼らMSパイロット達の関係は破綻してるが、それでも全員一緒に戦う事になるのだから、それを放置する事も出来ないミゲルの悩みの種でもある。

 ミゲルの視界の端で、オロールが嘲る様に口元を曲げ、そしてMA女ことラスティは怒りの色を露わに口を開く。

「三匹でつるまないと女の子に口もきけない雑魚が粋がってるんじゃないわよ!」

「どうしてお前はそんなに喧嘩大安売りなんだよ!」

 ラスティの台詞に、ミゲルは頭を抱え込む。

 その背後では、新人パイロット達のチンピラめいた怒声が上がっていたが、聞く価値もないので、まるっと無視した。

 が、ヒートアップしてくると流石に無視も出来ない。

「痛い目にあわないとわからねぇようだな!」

「……よしてくれよ。痛い目にあってもわかってないのはお前達じゃないか。営倉入りは、バカンスか何かだったのか?」

 一人の発した台詞に、オロールが呆れて口を挟む。

 殴り合いを演じて、営倉入りになったのは彼等も同じだ。それをまた繰り返そうというのか?

 どう止めたものかと、ミゲルが頭を悩ませたその時……

「良いわ。痛い目にあわせてみなさいよ」

 MSパイロットからの挑発をラスティは受けてたった。

 そして、ミゲルとオロールを挑発的な目で見て続ける。

「貴方達もよ。

 何か、私の出撃を有り得ないみたいに言ってたじゃない? メビウス・ゼロの性能を信じられない? それとも私の腕?

 OK、強さを証明すれば良いんでしょ? シミュする時間はたっぷりあるわ。丁度良いから見せてあげる」

 それからラスティは、その挑発的な目をそのままMSパイロット達に向けた。

「聞いたでしょ? 一戦、相手してあげるってのよ」

 いきなり叩きつけられた挑戦状に、MSパイロット達はたじろぐ。が、すぐにその中の一人が名乗りを上げようとした。

「わ、わかった。じゃあ、俺が……」

「何言ってるの、一機で勝ち目なんて有ると思ってんの? 全員で来なさい」

 名乗りを遮り、MSパイロット達を掌を上にして指だけ動かして招く。挑発たっぷりに。

 そのラスティの侮辱的な挑発は、MSパイロット達の怒りに火を付けた。

「野郎! ふざけやがって!」

「吠え面かくな!」

「妄想で歪んだ頭を叩き直してやる!」

 口々に吠えたてるMSパイロット達に、聞こえない様にオロールは呟く。

「もっと、個性的な煽りは言えないのかよ。コーディネーターらしくさ」

「どんなだよ」

 確かに、MSパイロット達からはコーディネーターらしい高等さは感じないが、そもそもこんな所で発揮する物でもないだろう。

 そんな思いを溜息に込めて言ったミゲルに、オロールは真顔で言って見せた。

「人糞でも召し上がり遊ばせ。下等生物の君」

「完敗だ。コーディネーターの鑑だ。ああ、もう、クソ喰らえだよ畜生!」

 苛立ち紛れに叫んでミゲルは空を殴る。

 真面目に相手をするのが馬鹿らしい。

 それよりも、この済し崩しに始まった対決をどうとるかだ。

「シミュレーションで実力を見るってのは、正直、有難いがなぁ……」

 今まで一緒に訓練した事もない面子と一緒に戦うのは不安だ。戦力の確認はしておきたい。しかし……

「こいつら、こんな所で意趣返しのつもりだぜ?」

 どうする? と、オロールは目で問いかける。

 私怨の為にそんな事をやらせて良いのかという点だ。拙い様な気はする。気はするが……

「……ま、やらせてみよう。ラスティが負ければ少しは大人しくなるかもだし、少なくとも待機命令を出す理由にはなる」

「負ければなー」

「無理だろ? さすがに3対1で、しかもラスティはMAだ。勝てるはずがない」

 当たり前の事だと、ミゲルは思う。ラスティに勝ち目はないはずだ。

 一度負ければ、ラスティの鼻っ柱も折れるだろうし、それでジンのパイロット達の溜飲が下がって少しはまともに部隊運用出来るならそれも良い。

「うん、負ければな」

 だが、オロールは繰り返しそこを強調する。ミゲルもそれに気付いた。

「勝つとでも思っているのか?」

「いや、普通に考えれば負けると思うぜ? こういう場じゃなきゃ、次の給料を全額賭けても良い所さ。でもなー」

 何やらもったいぶった態度で言ってから、オロールはミゲルに苦笑を見せて告げる。

「お前、こういう局面で勝ちを拾った事ないだろ? 何だかんだで、お前が苦労するよーに苦労するよーに流れてんじゃね?」

「…………」

 言い返せなくて、ミゲルは黙り込んだ。

 そして、少し後。

 MSパイロット3人とラスティはそれぞれのシミュレーターの中へと入り、残されたミゲルとオロールは傍らの外部モニターに仮想空間の戦場を映し出していた。

 戦場に障害物無し。両者、近距離射撃戦の位置からスタート。“決闘”としては普通の戦場であり、余計な物が無い分、数と機体性能の差が出やすい。

 機体は、MSパイロット達が重機銃装備のジン、ラスティがメビウス・ゼロ。

 これでラスティに軍配を上げるZAFTの軍人は居ない。それが普通だ。

 そして、戦闘開始。

 直後に、メビウス・ゼロが全速力でジン三機めがけて突っ込んだ。

「お、いきなり死ぬか?」

「いや。ジン共が逃げる」

 そのままジンの放つ弾幕に絡められて早々終わりかとオロールが声に出したが、実際はそれよりも早く、メビウス・ゼロが対装甲リニアガンを撃ち放っていた。

 メビウス・ゼロが放つやたらに派手な火線が三機のジンの中央を走る。ジンは、それを余裕でかわして、3機がバラバラに散った。

「なんだ? あの距離からの射撃なんて当たらないだろ?」

 銃弾は全て同じ弾道を描いて飛ぶわけではなく、散布界といってある程度の広さにばらまかれてしまう。

 敵との距離が遠くなれば、それだけ散布界は広がる事になり、正確に狙っても命中は望めず、運不運の問題となってしまうのだ。

 だから、気にせず留まってメビウス・ゼロを迎撃すべきだったとオロールは言う。だが、ミゲルは首を横に振った。

「言うのは簡単だが、実際、撃たれてみろよ。曳光弾の光のシャワーを真っ正面から浴びるんだ。肝が冷えるどころじゃない」

「あー……そうか。やけにビカビカ光ると思ったら、最初から脅しに使うつもりで曳光弾を山盛りに入れたのか?」

 オロールは、気付いたぞとばかりに頷く。

 曳光弾は、弾丸の内に数発に一発の割合で混ぜられており、撃たれると発光しながら飛んで、弾道を射手に教えてくれる。

 メビウス・ゼロの放つ火線が派手だったのは、その曳光弾を多く入れてあるからだ。

 曳光弾は実弾よりも威力が落ちるので、本当に脅し程度の意味しかない。しかし、弾道が見えていれば、やはりそれに対処はしてしまうものだ。

「学校じゃ、回避できるなら、回避する様に教わるしな。どんな威力のない弾でも、当たれば万一って事があるんだし。奴等は、忠実にそれをやったわけだ」

 言いながらミゲルは、戦況がいきなり崩されつつある事に気付いて眉を寄せる。

「でも、バラバラになったのは悪手だったな」

 ジンは各個バラバラに動き、メビウス・ゼロに銃撃を浴びせている。

 全機が固まって、それぞれの隙をカバーしあったり、銃先を揃えて3機分の濃密な弾幕を張ったりといった事をやれていない。

 乱戦ならそれでも良いが、敵が一機であるならば、それは非効率だ。

 一方、メビウス・ゼロは、MSの内一機に狙いを定めて進んでいた。

 速度を出していないのは、射撃を警戒してか? 確かに良く射線から逃れている。

「それでMA女は、MSを散らして各個撃破の狙いか? 完全に連合兵の戦い方だぜ?」

「連合のMAを使いたがるくらいだし、訓練したんだろ? でも、こいつは、洒落にならないんじゃないか?

 ――っと、やっちまったぞあいつ!」

 ミゲルが思わず声を上げる。

 メビウス・ゼロと戦っていたジンがいきなり、背面のブースターと手にした重機銃、そして頭部のモノアイを爆発させた。

 いつの間にか周囲に展開されていたガンバレルが、三方からそれを狙い撃ったのだ。

 視界、武器、機動力を失ったジンは、撃墜判定こそ出ないものの、戦力をほぼ失って宙でもがく。

 それでも、サブカメラで視界を取り戻し、動けないまでも抵抗しようと重斬刀を抜いた。

 だが、その動作には何の意味も無い。

 身動きできない、反撃も出来ない、的に等しいジンを、メビウス・ゼロの対装甲リニアガンがあっさりと撃ち貫いた。

 ――同時に。

 近傍に居た次のジンの重機銃を、残り一つのガンバレルが破壊する。

「おい、ミゲル! 今のいつの間にガンバレルを展開してた!?」

 オロールが焦りを見せて問う。

 決め手になったガンバレル。それがいつ放たれたのか?

「……見落とした。多分、最初の連射だ。曳光弾多めの弾幕で目を引いて、その隙に切り離したんだろ」

 メビウス・ゼロの速度の遅さはこのせいか?

 通常、移動の時には機体にガンバレルを戻し、そのスラスターを利用して大きな推力を得る。しかし、メビウス・ゼロはそれをしていない。

 結果として加速度が落ち、その分だけ速度も落ちた。

 そえでもMSからの攻撃を綺麗にかわし、的確に配置したガンバレルで急所を突く。

「じゃあ何か? MSを散らすのも、ガンバレルの展開を隠すのも、ど派手な威嚇一つで済ませちまったって事か? 何だそれ、気持ち悪!」

 驚きを顕わに言うオロール。言葉は酷いが、そこに嫌悪は見られない。あるのはむしろ驚嘆の色。その気持ちはミゲルにもわかる。

「敵にあわせて装備を調整して出るとか、推力が落ちているメビウス・ゼロで攻撃をきっちりよけて見せるとか、細かい所で実力を見せてるが……

 過剰に派手だよなぁ? 絶対、あいつの趣味だぞコレ」

 二人とも、ラスティのその実力は認めざるを得ない。しかし、そのやり方ゆえに、実力を認めたくない。

 そんな葛藤を抱いている間に、メビウス・ゼロはガンバレルを戻し、その推力を十全に使って宙を駆けていた。

 重機銃を失ったジンは、重斬刀でメビウス・ゼロを追うしか無い。

 その背を追わせながらメビウス・ゼロは、残る一機の健全なジンめがけて進む。

 挟み撃ちの好機とばかりに、ジンの重機銃が向けられた。

「狙い読めるけどなー」

「多分、一機やられて、二人とも頭に来てる。引っかかるだろな」

 オロールが、そしてミゲルが呆れた声を出す。

 引き金が引かれ、ジンの重機銃が火を噴く。その直前、メビウス・ゼロはワイヤーを伸ばす事無くガンバレルを射出していた。

 ガンバレルに引きずられて、真横に跳ぶ様な異常な動きでメビウス・ゼロがコースを変える。

 直後に、重機銃から撃ち出された銃弾は、メビウス・ゼロが辿る筈だったコースを走り、その延長線上にいたジンに襲いかかる。

 予期せぬ方向から銃弾を浴びたジンは、全身を味方の攻撃に穿たれて爆散した。

「必要有るのか? この同士討ち狙い?」

「序盤の曳光弾のばらまきで浪費した分の節約と、後は……」

 オロールの問いにミゲルが答えている間に勝負は決まる。

 同士討ちを演じた事に動揺し、戦場で動きを止めたジン。その周りからガンバレルの砲弾が降り注ぎ、機体各所を破壊する。

 そうして動けなくなったジンを、対装甲リニアガンの一撃が貫いた。

 シミュレーション終了。

「これも目眩ましだ。同士討ちをすれば、どうしたって味方機に目が行く。そこでガンバレルを展開。好位置を取って、一気に叩き潰す。と言うか、潰した」

「説明どうも」

 ともかく説明を全てし終えるミゲル。その前で、シミュレーション結果がモニターに表示される。

 言うまでもなく、ラスティの完勝だった。

「何で、勝っちゃうかなぁ?」

「強いからだろ?」

 ミゲルは思わず愚痴る。そこにオロールは、当たり前の事じゃ無いかとばかりに返した。

 それから、ふとした疑問とばかりに問いを投げる。

「今の、お前なら勝てたか?」

「当たり前だろ? って、言えたら格好良いんだがなぁ。あいつ、本気でエース級だぞ」

 ミゲルはそれを認めた。確かにラスティは強い。

 正々堂々ではなく、奇策に頼って……る様に見えて、その実、機体操作には実力がはっきり現れている。特に、ガンバレルの配置の正確さが半端ではない。

 もっとも、その奇策に頼っているように見えるのが問題だ。

「でもこれでMSパイロット達の恨みを買って面倒な事になるぞ。負けを潔く認める奴らなら良いけどな」

 MSパイロット達は、とてもそんな清々しい奴らには見えない。コーディネーターにありがちな、プライドが肥大したタイプだ。

 実力差ではなく、ハメで撃墜されたと思い込めば、憎悪が燃え上がるばかりだろう。

「負けを潔く? 奴らに限ってねーよ。でもそんなの、あのMA女が気にするか? しないだろ?」

 オロールは肩をすくめる。

 ラスティが、MSパイロット達との関係悪化を気にする筈が無い。

 確かにその通りだと、ミゲルは深々と溜息を吐いた。

「少しは気にしろよ。何処をどうコーディネートしたら、あんな迷惑の塊みたいな奴になるんだ」

「人格まではコーディネートできないだろ。育てた奴に苦情言え」

「育てた……って、親はプラントの偉いさんじゃねーか」

 苦情を言う事も出来ない。

 進化した人類の筈なのに、旧弊な社会身分の差に縛られるのはコーディネーターとしてどうなのだろう?

 社会は間違っているのかも知れない……が、それよりも目先の問題だ。

 そしてその問題児は、清々しい笑顔を浮かべてシミュレーターから出てきた。

「見た? 私の実力」

 スリムコンパクトな胸を張って偉そうに聞くラスティ。そんな彼女に、ミゲルは思いの丈をぶつける。

「MAでこんだけ強いのに、どうしてMSに乗らないんだよ!?」

「MSは性に合わないのよ。同期仲良し5人中で成績最下位だったわ」

 MSならもっと強いだろうというミゲルの想像を、ラスティは簡単に否定した。

 まあ、それでも赤服のラインに収まるほどの成績は取っていたという事でもあるのだが。

 それはともかく、ラスティは得意げに話を続ける。

「シミュレーター訓練の時、一回だけメビウス・ゼロ使って一人ずつ全員叩きのめしたけど、成績には反映されなかったのよね。

 ZAFTってくだらないわ。本当に強くても、MAだからって、それを認めないんだもの。ZAFTだってMAを使ってるのに。

 あーあ、でも、あの時のイザークの顔ったら。うふふ、吠え面ってああいうのなのねって、天啓のように理解したわー」

 不機嫌さ、そして思い出し笑い一つ。表情をくるくる変えて楽しげに話す。

 そんなラスティの背後、怒声が上がった。

「てめぇ! 卑怯な手を使いやがって!」

 ラスティが振り返り、つられてミゲルもオロールもそこを見る。

 たいして見たくも無かったものだが、そこに居たMSパイロット達の赤黒く染まり歪みきった憤怒の顔が目に飛び込んできた。

「卑怯? 何が?」

 全然わからないとばかりに、ラスティはとぼけ口調で問い返す。

 それに怒りを煽られて、先の声を上げたであろうパイロットが再び怒声で返した。

「影からこそこそ撃つのは卑怯じゃ無いってのかよ!」

 どうやら、ガンバレルで撃たれたジンのパイロットらしい。最初に墜とされた機か、最後の機かは知らないが。

 彼は真正面から撃ってこなかった事に酷くお冠だ。だが、それにはミゲルも同意は出来なかった。戦場では何処から撃たれようと文句は言えない。

 真正面からぶつかって力押しで圧倒できる連合の旧式MAとばかり戦ってると……いや、彼らに実戦経験は無い。

 そういう誰でも勝てるような設定のシミュレーションで戦ってばかり居ると、敵はプログラムで決められた動きしかしないと思い込む。

 現実では、想定外の動きを見せる敵も居るのだという事に気付けない。

 敵10と戦って、9までがルーチンワークな戦い方しかせず容易く倒せても、残り1の突飛な行動に撃墜される事だってあるのだ。

「馬っ鹿じゃない? ガンバレルはそういう武器なのよ? それに、付いてる武器をどう使おうと自由じゃない。

 何? 私をただの的だとでも思ってたの? お生憎様ね。私は狩人で、貴方達は獲物よ。随分と小さな獲物だったけど!」

 とはいえ、こんなラスティの様に喧嘩大安売りで返して良いとも思わない。

「間違って無くても、言い方ってもんがあるだろ!」

 思わずラスティの発発言を遮ろうとしたミゲル。

 そこを、ミゲルの肩を掴んでオロールが止めた。

「そーそー、こんな“シューティングゲーム”しかやった事の無い奴にはわからないんだから。ママみたいに優しく言ってやらないと」

 対MA戦シミュレーションのレベルが低いシナリオを、シューティングゲームと揶揄してオロールは笑う。

 実際そういうのは、何も考えずクレー射撃みたいに撃ち落とすだけなので、簡単で爽快感はあるが、そればかりやってる奴は総じて成績が悪い。

 が、ここで言う事では無いだろう。

「オロール!」

 咎めようとしたミゲル。しかしその時、オロールはMSパイロット達の方を一瞥して、ミゲルに素早く囁いた。

「黙ってる連中の目を見ろ」

「あ?」

 オロールの暴言に怒り、何やら言葉にならぬ声で怒鳴っているパイロット。ミゲルはその背後に目をやる。

 そこには憎悪を滾らせる男達が居た。そのどんよりと暗い目はラスティに向けられ、微動だにしない。

 それをミゲルが確認したとみるや、オロールは再び囁いた。

「……怒れる奴はまだ健全だ。黙ってる奴に気をつけろ。ああいうのは、復讐の機会を狙ってるクチだぜ?」

「復讐って……」

 たかが口喧嘩に、シミュレーションで負けただけだ。

 何を大げさなと否定したかったが、黙り込んでいるパイロット達の視線は確かに不気味で、不安を募らせるものだった。

 ミゲルが視線を向けている事に気付いたのか、パイロット達の一人がミゲルと視線を交わし、小さく舌打ちする。

 そして、一人で声を荒げていたパイロットの肩を掴んで言った。

「おい、行くぞ」

「あ? 待て、言わせっぱなしで良いのかよ!」

「いいから、行くぞ!!」

 怒鳴り返され、それに更なる声量で怒鳴り返す。

「お? おう……」

 たじろいだ一人を残る二人が引きずるようにして、ラスティやミゲル達から離れていく。

 最後にこちらにチラと見せたその目に、そこに宿る殺意めいたものに、ミゲルは背筋に刺さる冷たいものを感じていた。

「煽ってみてわかる事も有るだろ?」

 言いながらオロールは、ミゲルの背に軽くトントンと拳を当てる。

「いやー、街で喧嘩してると、恨みに思って復讐してくる奴が珍しくなかったんだよ。

 『パパは僕のコーディネートに幾ら掛けた』みたいなプライドを大事にして、それで“安物”に負けた事に耐えられず、もうどんな手でも使って殺してでも……てな。

 負けても売られた喧嘩を買う奴ってのは、本当の意味じゃまだ負けてないから、正面からぶつかってくる。また負けるのが怖くて喧嘩も買えない奴ってのがやばいわけだ」

「あー……それを探る為にわざと喧嘩売ったとかいう、お為ごかしには付き合う気は無いが、まあ拙い状況なのはわかった」

 ミゲルも平静を取り戻して頷く。自分にも思い当たる事は有った。

「シミュレーション訓練で負けた恨みを、宿舎裏のリンチで果たそうとする奴は軍にも居たしなぁ。貧乏人に負けるのがそんなに悔しいかね?」

「当たり前よ? 家の資金力が子供のコーディネート費用に関わってくるんで、『金を掛ければ掛ける程、能力も高い』って考えになっちゃうのよね。

 で、作った段階である程度の能力を与えちゃうから、成長してからの能力が予想よりも低いと『作り損なった』って思っちゃう。

 つまりは、欠陥品を無駄に育てたみたいな見方になって、結論としてはお金の無駄遣い、こんな子供なんて育てるんじゃなかったーと。

 そういう評価の目に晒されて育ってきた僕ちゃん達は、ナチュラルとか、自分よりも安いコーディネートで生まれた人に負けると、アイデンティティが全部否定されちゃうのよ。

 以上、『好きな人の子供を産みたい』なんて万一くらいの夢見るコーディネーター少女達が、同時に裏で抱えてる夢の無い子作り論からでした」

「…………」「…………」

 いきなりラスティに、やたらと現実味のある嫌な話を吹き込まれて、ミゲルとオロールは閉口する。

 子供は愛の結晶だ……なんて、何処か別の世界の話と言わんばかりだ。

「凄いわよー。憧れの人の話と一緒に、何に幾ら使ってどうコーディネートするかみたいな話も同時進行してるの聞いたら、男の子は泣いちゃうかもしれない。怖くて」

「おい、事の元凶。何を、しれっと会話に参加してるんだ。そして、そんだけわかってるなら、もっと穏便に事を運べよ」

 まだまだ続きそうなラスティの話を、ミゲルがうんざり顔で止める。

 そして、それだけプライドを叩き潰された奴がどうなるのかを知っているなら、それに配慮しろと文句を添えた。

 が、ラスティは勝ち気に笑んで言い返す。

「嫌よ。私はMAを馬鹿にする奴が嫌いなの。屑でも無能でも許すけど、MAを認めない奴は絶対に認めてあげないの。絶対」

「コーディネーターとして生き難い奴だなぁ」

 オロールが笑いを含んで言うと、ラスティは笑みを少し崩して楽しげに返した。

「まったくよね。で、シミュレーションだけど、次は貴方達もやる?」

「んー。実力は分かったし認めるから、俺はどっちでも良い」

 オロールは答えてからミゲルに視線を送った。ミゲルの判断に任せると言う事だろう。

 ミゲルは少し考えて頷く。

「よし、やろう」

「じゃあ、今度は2対1? 黄昏の魔弾の実力を……」

「いや、そうじゃない」

 答えを挑戦と受け取り、不敵な笑みを見せるラスティに、ミゲルはそれを否定した。

「やるのは対戦じゃなくて共同戦だ。どうせ、俺達が3人でチームなんだしな」

「ふーん……一緒に戦おうって言ってるわけ?」

 ラスティはミゲルの顔を覗き込み、そしてにんまりと笑みを崩す。

「MAの戦力を認めたわね? じゃ、さっきまでメビウス・ゼロを出さないつもりだった事を許してあげるわ。

 何なら、あなたもミストラルで出撃しても良いのよ? みかん色に塗ってあげるわ」

「おいミゲル。『勘違いしないでよね! あ、貴方の事を認めたわけじゃ無いんだから!』って言っておかないと、デレたって思われちまうぞ」

「俺の機体は、蜜柑色じゃ無いし、そもそもMAになんか乗らねぇ!

 あと、オロール! どうして俺がツンデレなんだよ!」

 ミゲルの怒声が響き、続いてラスティとオロールの笑い声が辺りに響いた……

 

 

 

 地球上空を立ちヘリオポリスに迫り来る連合軍第8艦隊に対抗する為、ナスカ級高速戦闘艦“ヘルダーリン”“ホイジンガー”と四隻のローラシア級モビルスーツ搭載艦が、ヘリオポリス沖に展開していた。

 連合軍第八機動艦隊は、アガメムノン級宇宙母艦“メネラオス”と、ネルソン級宇宙戦艦三隻、ドレイク級宇宙護衛艦五隻で構成される。

 更に、ZAFTのMSジン二十四機に対し、連合には百五十余機のMAメビウスがある。MS一機でMA五機分と言われているので、戦力比は120対150。

 ZAFT艦隊は、第8艦隊の進路を遮る様に、単横陣を組んで待ちかまえている。ナスカ級二隻を中央に、ローラシア級が両脇に二隻ずつという形で、横一列に並ぶ陣形だ。

 第8艦隊の動きは、ZAFT艦隊に完全に捕捉されており、進路を変えてもそれに合わせてZAFT艦隊は移動して、第8艦隊に道は譲らない。

 両艦隊は次第に距離を詰めており、交戦は避けられぬ状況である事は明らかだった。

 第8艦隊提督デュエイン・ハルバートンは、旗艦メネラオスの指揮所より指示を下す。

「紡錘陣を組め。各艦、戦闘準備。これより敵艦隊中央を突破する」

 その指示に、指揮所に詰めていた参謀達がざわめく。そして、参謀の一人が、恐る恐るハルバートンに聞いた。

「提督。接近戦はMSの有利となる所。なのに、自ら接近戦を挑むのですか?」

 敵艦隊中央突破。つまりは、敵に最接近する事を意味していた。

 基本的に艦艇は、長距離で撃ち合う事を前提に作られている。一方、MSやMAは近距離での戦いが前提。MSやMAの接近を許してしまえば、艦艇の有利さは失われる。

 現在の彼我の戦力は、艦艇数で第8艦隊が勝っているが、MSとMAの戦力はほぼ互角と見るべき所。ならば、距離を置いて長距離砲撃戦を挑むのが、第8艦隊にとって有利な戦術である筈である。

 しかし、ハルバートンはそうしなかった。

「我々の目的は、敵に勝つ事ではない。MSを取り戻す事だ」

 ハルバートンは落ち着いた風を装いながら参謀の問いにそう言ってみせる。答えにはなっていなかったが、参謀はそれで黙り込んだ。納得したのか……ハルバートンに問う意味がないと思ったのかはわからないが。

 答えはしなかったが、ハルバートンに決断をさせたのは焦りであった。

 連合MSがいつまでもヘリオポリスにあるという保証はない。そして、持ち去られてしまっては、取り返す事は出来なくなる。故に、第8艦隊側は一刻も早くヘリオポリスに向かわねばならず、退く事はもちろん迂回するといった事も出来なくなっていた。

 長距離砲撃戦は有利かもしれない。しかし、決着を付けるまでには時間がかかる。ZAFT艦隊が、時間稼ぎを目的としていたならば、かかる時間は相当に長い物になるだろう。ハルバートンはその時間を惜しんだ。

 それに、ハルバートンには自軍に有利な長距離砲撃戦を挑んだ所で、MSを有するZAFT艦隊には勝てないだろうという妄執的確信があった。

 ZAFT艦隊に勝てる時が来るならば、それはMSを奪い返した時だ。ならば、その時まで戦力を温存しなければならない……犠牲を覚悟しても。

 連合製MSのみが連合に勝利をもたらすと信じる男は、進んで行かざるを得なかった。部下の兵士、数万を道連れにして。

 C.E.71年2月13日。ヘリオポリス沖会戦が始まる。

 

 

 

 第8艦隊は、前面にドレイク級を押し立て、中央に旗艦メネラオス、そして旗艦を囲む様にネルソン級が展開し、紡錘陣を組んでいる。

 砲撃戦。第8艦隊からの砲火は、戦場に光の奔流となってをZAFT艦隊を襲った。

 ZAFT艦隊は防御に重きを置いており、アンチビーム爆雷や機銃を用いた徹底的な防御でその攻撃に耐えつつ、報復の砲撃を仕掛ける。

 互いに防衛手段を活用している為、お互いの攻撃はなかなか決定打とならない。しかし、艦数……すなわちは砲の数で勝る第8艦隊側が、次第にZAFT艦隊を押し始めたのは必然だった。

 横隊は中央から左右両翼に別れ、第8艦隊に道を開こうとしている。このまま艦隊戦のみが続くならば、ZAFT艦隊は陣形を乱されて千々に散った事だろう。しかし、戦争はその形態を変えて久しい。

 スラスターの光を蛍の様に曳きながら、MAメビウスが宇宙を突き進む。敵は、接近中のMS。単機では敵対し得ない圧倒的な性能差のある敵……これに、数の利でもって挑む。それは、犠牲を約束された戦いだという事でもあった。

 艦隊の距離が詰まった事で、ついにMAとMSが激突する。

 直線的な動きのメビウスは、高速でMSに接近し、対装甲リニアガンや有線誘導式対艦ミサイルの一撃を撃ち込もうとする。それに対しMSは、出鱈目にも見える複雑な動きで射線上から逃れながら、手にした重機銃でメビウスに対して弾幕を張る。

 一撃で千々に砕けるメビウス。数発を受けて尚、当たり所によっては戦闘を継続出来るMS。

 五対一の戦力比などという数字上の話など、全く当てにならない悲壮な戦闘が始まった。

 戦場で開く無数の閃光の華は、多くがメビウスの物だ。

 ZAFTのMSジンが、手にしたMMI-M8A3 76mm重突撃機銃を盛大に撃ち放つ。混ぜられた曳光弾が宙に線を描き、その線に絡め取られたメビウスがあっけなく爆発する。

 一機、二機、次々に落ちていくメビウス。しかし、撃墜されるばかりではない。

 ジンが張る弾幕を抜けたメビウスが、ジンに向けて対装甲リニアガンを放つ。胸部に直撃を受け、ジンはその巨体をのけぞらせた。

 メビウスはその脇をすり抜け……直後、胸に開けた穴から破片とオイルを吐き出すジンが、振り返りざまに放った重機銃に撃墜される。そしてそのジンは、次の瞬間に有線誘導式対艦ミサイルが身体に突き刺さり、巨大な爆炎へと姿を変えた。

 そんな戦いが繰り広げられる中、艦隊戦も続く。

「アンティゴノスに被弾」

 メネラオスの艦橋。オペレーターの冷静な声が上がる。

 モニターには、前方を行くドレイク級宇宙護衛艦アンティゴノスが、艦全体から黒煙を放出しているのが見えた。そして、コントロールを失ったのか、それとも僚艦を巻き込むまいとしたのか、陣形から外れて行く。

 アンティゴノスは致命傷を受けていたのか、それほど移動する事も無く、突然爆発して炎の塊になった。

 ZAFT艦隊は着実に戦力を減らしていくつもりなのだろう。一つの艦に集中砲撃をして来ており、アンティゴノスは第一の犠牲だった。

 艦隊が距離を詰め、砲撃の命中率が上がり、距離によるビームの減衰率が低下した事によりビームの威力が上がって、双方の艦隊は損傷が大きくなってきている。

 無論、第8艦隊も何もしていないわけではない。ZAFT艦隊はまだ撃沈はされていないものの全艦が小破以上の損傷を受け、またその猛射に耐えかねて完全に陣形を崩そうとしていた。

「敵左翼、ナスカ級高速戦闘艦が後方に退いています」

 オペレーターが報告した。砲撃を受けて大きな損傷を受けたのか、ナスカ級高速戦闘艦ヘルダーリンがゆっくりと後退を始めている。

「ベルグラーノ、敵MS部隊に取り付かれました」

「セレウコス、敵艦隊の集中砲火を受けています」

 オペレーターの続けざまの報告。MA部隊の防御を突破したMSが現れ始めている。また、ZAFT艦隊は、新たな目標を定めた様だ。

 双方共にドレイク級宇宙護衛艦。このままでは長くは保たないだろう。

「……左翼を突破する。艦隊を前進させろ」

 ハルバートンは前進を命じた。

 攻撃を受けて思う様に動けないセレウコスとベルグラーノは艦隊から遅れ始める。このままでは脱落してしまうだろう。脱落すれば、後は敵に討たれるのみだ。

 そうと知っていながら、ハルバートンは更に命じる。

「全艦、最大戦速。脱落する艦は最後まで抗戦し、友軍を支援せよ。一艦でも多く戦域を脱し、ヘリオポリスへと向かうのだ!」

 MS奪還のみを考えるハルバートンの命令。それは、脱落する艦を囮として残して行くというものだった。

 

 

 

 左翼。ナスカ級高速戦闘艦ヘルダーリンは大破し、戦場を離脱した。ヘルダーリンと共に戦線を形成していたローラシア級二隻は、猛進する第8艦隊の前に撃沈されている。

 一方、戦場右翼。ナスカ級高速戦闘艦ホイジンガー及びローラシア級二隻は、第8艦隊右後方から追撃する形で戦闘を継続している。

 第8艦隊の被害も大きかった。ドレイク級宇宙護衛艦セレウコスとベルグラーノは既に沈み、その姿はない。陣形右後方位置で、追撃してくるZAFT艦隊の攻撃に晒されているネルソン級宇宙戦艦プトレマイオスは、損傷で既に船足を鈍くさせている。

「プトレマイオスより入電。『作戦の成功を祈る』以上です」

 メネラオスの艦橋でオペレーターがそう告げた。

 モニターは、ZAFT艦隊を目指して回頭を始めたプトレマイオスを映す。そしてさらにもう一隻、旗艦メネラオスを挟んでプトレマイオスの反対側にいたネルソン級宇宙戦艦カサンドロスが回頭を始めるのが映った。

「カサンドロスより『我、プトレマイオスに続く』。『我、プトレマイオスに続く』です」

「……MSを奪還すれば、このような戦況は変わる。この犠牲は無駄ではないぞ」

 ハルバートンは、二隻の戦艦が戦列を離れた事に対し、そんな一言を述べた。

 

 

 

 この後、プトレマイオスとカサンドロスの艦特攻と言っても良い程の苛烈な攻撃により、ホイジンガーは大破し航行不能となる。ローラシア級の一隻も撃沈された。

 これによりZAFT艦隊は追撃が不可能となり、第8艦隊を逃す結果となる。

 なお、プトレマイオスとカサンドロスは、MS隊の攻撃によりそれぞれ撃沈された。

 この戦いで第8艦隊は、ドレイク級宇宙護衛艦三隻、ネルソン級宇宙戦艦二隻、八十機あまりのMAを失い、戦力はほぼ半減している。

 一方で、ZAFT艦隊はローラシア級三隻撃沈、ナスカ級二隻大破、MS十機余りが戦闘不能となり、全滅と言って良いほどの損害を出した。

 では、第8艦隊の勝利なのか? それは違った。両艦隊には決定的な差がある。

 ZAFT艦隊は、この戦場に全力を注ぎ込めば良かった。連合MS輸送中の友軍がおり、自分達の全滅もまだ敗北へは繋がらない。

 しかし第8艦隊は、この戦闘の後にMS奪還、月への帰還と、さらに戦いを続けなければならない。つまり、この戦闘で戦力を使い切ってしまう事が出来なかったのだ。

 この一戦のみであったならば、第8艦隊は勝利を収めたと言えたかも知れない。しかし、MSを奪還出来なかったのであれば、その勝利には何の意味も無い。

 現戦力、アガメムノン級宇宙母艦“メネラオス”、ネルソン級宇宙戦艦“モントゴメリィ”、ドレイク級宇宙護衛艦“バーナード”“ロー”、艦載MA七十余機。

 ヘリオポリス沖会戦はまだ始まったばかりだった。



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ヘリオポリス蜂起

 崩れた建物が放置されたままのヘリオポリス市街。夜闇が支配するそこに人の姿はない。

 ヘリオポリス沖での連合艦隊とZAFTの戦闘とは関わりなく、ヘリオポリスは諦観に沈み込んでいた。

 オーブ軍による市民の強制収容がすぐそこまで迫ってきている。オーブ軍が派遣した戦艦と大型輸送艦の接近は、既にヘリオポリス市民の知る所になっていた。

 猶予は、もう一日もないだろう。人々は為す術がないまま、息を潜めるようにして最後の夜を過ごしていた。

 だが、そんなヘリオポリスの中にも、活動をしている者達はいる。

 市民の収容の際、混乱を抑える為の放送を行う様にZAFTに命じられている放送局は、放送の準備で忙しい。

 しかし、行き交う人の数は、その準備に必要な人員よりもずっと多かった。

「中継の準備出来ました」

「おう、ごくろーさん」

 放送局の廊下。ソファと自販機の置かれた休憩ブース。放送局の外から帰ってきた青年に、中で働いていた中年男が缶コーヒーを差し出しながら聞いた。

「どうだった? ZAFTに見つからなかったか?」

「ばっちりですよ。ZAFTの監視があるのは港湾部だけですし……でも、何だって宇宙なんか撮るんでしょうね?」

 外……青年がしてきたのは、ヘリオポリスの外の撮影準備だ。外壁の外に撮影班を配置出来る様に準備をして、そこから映像をケーブルで放送局に届ける準備をした。

 それは、突然決まった事らしく、何の意味があるのかは作業をした者達も全くわかっていない。

「オーブの氏族の誰だかが、突然、ねじ込んできたって聞くがなぁ」

「オーブの氏族? ……まさかアスハの犬が、俺達を捕まえに来る艦隊を記録に残すとか言ってるんじゃないでしょうね」

 青年が嫌悪と言うよりも憎悪と言うべき表情を浮かべる。

 あの日、ヘリオポリス内での戦闘の前には、アスハを讃える番組を流す事に何の躊躇もなかったというのに、随分な変わりようだ。

 ヘリオポリス市民を襲った戦災は誰に対しても平等だった。放送局も沢山の職員を失っている。残った人の心も変わらざるを得ない。

 それに放送局は、アスハの演説を行って、ヘリオポリス市民の煽動に荷担してしまったという汚点もある。結果としてそれが誤りだったという事を痛感した今では、再びアスハのプロパガンダに利用される事は我慢ならなかった。

 もっとも、ZAFTからの命令で「オーブ軍に大人しく逮捕されましょう」と言うような放送を行っている現状が、怒りがあっても抵抗は出来ない現実を表している。

 だからこそなおさらなのだろう。放送局に勤める青年のアスハへの憎悪は行き所を無くし、ただその濃度を上げている。

 中年男の方もその辺りの感情は大差なかったが、それでも激情に任せる若さを失って久しい為か、感情を押し殺して冷静に考える事が出来ていた。

「違うだろ。アスハが、こんな所まで来るかよ」

 答えて、中年男は苦い笑みを浮かべる。

「何でも、その御仁はこのヘリオポリスを救いに来たらしい」

「救う? どうやって? 敵は軍隊だ。前の戦いの時みたいに、蹴散らされて終わるさ」

 中年男の笑みからして、ヘリオポリスを救うなどと言う事に期待していないのは明らかだったが、青年は考える事もなく反論した。

「どうせ、また勝手な事を言うだけだろ。今度は、俺達をオーブ軍と戦わせるつもりか? 二度も口車に乗せられる程、俺達は馬鹿じゃない」

「……力を見せよう」

 声が青年にかけられた。

 青年と中年男が声をかけてきた男を見る。休憩ブース脇の廊下を通りすがったらしき彼は、少女を一人つれていた。

 何となく、少女の困惑した様子が印象に残る。それは、同行者の突飛な行動に困り果てているという感じの……

「その時を楽しみにするんだ。君は……いや、放送を見る全てのヘリオポリス市民は知る事になる。自分達を守る力が存在する事を」

 ニヤリと笑みを浮かべつつ、予言者か何かを気取ったように含みいっぱいに語る男に、青年と中年男は当然の問いをぶつける。

「「お前、誰だよ」」

 男は、堂々と胸を張って答えた。

「僕はユウナ・ロマ・セイラン。職業は自宅警備員。君達を救いに来た男だ」

 

 

 

 ヘリオポリス市民の収容任務に就いたオーブ国防宇宙軍所属のネルソン級宇宙戦艦と大型輸送船は、ヘリオポリスに近づいていた。

 まだ目視できる様な距離ではないが、望遠カメラはしっかりとヘリオポリスを捉えており、モニターにその姿を映し出していた。

 目的地が見えたにも関わらず、大型輸送船の船橋は沈み込んでいる。

 誰もが自分達の任務の内容を知っており、そして任務終了後に自分達がどうなるかまで知っているのだ。喜びようなどある筈がない。

 船内にオーブ兵は乗っておらず、乗組員達には船内での自由な行動が許されているので窮屈さはなかった。しかし、状況としてはくつろげる筈もなく、精神的な問題から来る不調を訴える者も少なくない。

 反乱の可能性については誰もが一度ならず考えたが、同行している宇宙戦艦の砲が自分達に向けられている以上、大型輸送船を盗んで逃げるという事も出来ない。結局、従うしかないのだ。

 諦めが支配した船内では誰もが無気力で、自分達に与えられた最低限の仕事をするだけの存在となっていた。

「そろそろ、減速しよう」

 船橋の中、不運にも船長の役職を振られた男が口を開く。

 大型輸送船はその質量故に機動性は皆無で、加減速及び方向転換に時間を要する。ヘリオポリスの側で止まるには、かなり離れた位置から減速して行かなければならない。

 それでもタイミングとしては若干早かったが、ヘリオポリスに早く着いた所で、自分が牢に放り込まれる時が早くなるだけの事。到着時間を少しでも遅らせたいとの思いが、無意識に早めの減速を命じていた。

「了解、逆噴射開始」

 言われるがままに速力通信機員が、船速を減ずるよう速力通信機のレバーをセットする。

 と……ややあって、船橋の通信機が鳴った。

『こちら機関室。逆噴射がされません。原因は調査中。放置されていた船ですから、何処かにトラブルが出ると思っていましたが……』

 通信機を通し、機関長から投げやりな報告が上げられてくる。本来ならば叱責しても良い態度だが、こんな任務であっては仕方がないと、船長はもうそんな事は気にしない事に決めていた。

「オーブ軍の連中が直したと言っていたが、手を抜かれたものだな」

 船長自らがオーブ軍への皮肉を言う。船橋のクルー達から僅かに笑みが漏れた。

「もう一度、試してみろ。ダメなら、ターンして止める」

 逆噴射が利かなくても、船体を百八十度ターンさせ、それから主推進器で減速をかける事が出来る。到着まではまだ時間があり、対処をする余裕があった。それに、到着の遅れはむしろ嬉しい事。

 が……そう考える余裕は、機関長の上げた困惑の声に破られる。

『……何だ? ちょっと待ってください、今……』

 機関長の声は突然、悲鳴に近い響きを持った。

『推進器が勝手に……推進器最大出力! 加速する!』

「何だと!?」

 巨大船だけあって、推進器が全力を出しても、それとわかる程の加速は得られない。しかし、速度は確実に増しているだろう。

『調査して報告します! では!』

 機関長は通信を切った。

「暴走している……のか? どういう事だ!?」

 船長は、とりあえず状況を推進器の暴走と定めて、船が止まる事の出来ないまま遠い宙域まで行ってしまい自力帰還や救助活動が困難になる危険を考えた。暴走している推進器の調査と修理は機関員に任せるより他はないので、まずはこれに対処する。

 その危険を避けるには、進路を変えて地球圏を巡る円環の軌道を取ればよい。そうすれば、仮に推進剤を使い切るまで暴走しても、救助の手の届きやすい場所に居る事が出来る。

 問題は、今の自分達が、急な進路変更が許される立場にない事だろう。逃亡だと思われて、戦艦から攻撃を受けては困る。

「オーブ軍に連絡を取れ! 連絡を終え次第、進路を変える!」

 船長の指示を受け、通信士と操舵士が自らの仕事に取りかかる。

 しかし、ややあってから彼らはほぼ同時に声を上げた。

「通信機に不調! 一切の通信が行えません!」

「操舵不能! 操作を受け付けません!」

 船橋の中が凍り付く。

 幾ら何でも、同時にこれほど多数の故障が起こるとは考えられない。

 状況を理解出来ず、船橋にいる誰もが呆然とした様子で船長に目をやった。

「…………落ち着け。各員、自分の担当する船の機能を確認しろ」

 船長は、自らの責任感だけを頼りに平静を保とうと努力する。

 何が起こっているのか……原因を探るように、船橋の中を見回す船長の視線が、船外を映すモニターで止まった。

 船橋のモニターに映し出されるヘリオポリス。それは僅かずつ、モニターの中での大きさを増してきている。輸送船は、ヘリオポリスへまっすぐに進んでいる――

「まさか!」

 船長は最悪の想像をひらめいて声を上げた。

「ヘリオポリスの位置と、この船の予想進路を確認しろ! 急げ!」

 船長のその指示に、クルーの一人がコンソールを叩く。結果はすぐにモニター上に映し出された。

 予想進路として表示された線は、ヘリオポリスを貫いている。

 それを見た全員が愕然とする中、計算を行ったクルーが自らの職務上の責任感からか震える声で報告を行う。

「船が現在の進路を進み続けた場合……ヘリオポリスに……衝突します」

 巨大な質量をもつ大型輸送船が高速でコロニーへ衝突する。それは、コロニーを崩壊させるに足る一撃となる事は明らかだった。

 

 

 

 オーブ国防宇宙軍所属のネルソン級宇宙戦艦。その艦橋で、艦長席に座る壮年の男が、使命感に燃える眼をしながら厳しい表情でモニターを見つめていた。

 モニターに映るのは、ヘリオポリスへと突き進む大型輸送船。

「停船せよ! 予定の行動から外れている! 直ちに停船せよ!」

 通信士が繰り返し、停船するように指示を出し続けている。全ての者が作戦の全容を知るわけではない。

 国家反逆分子によって運行されていた大型輸送船が逃走、しかし操作を誤ってヘリオポリスに衝突、ヘリオポリスを破壊する大事故となる――そういった状況を演出し、ヘリオポリスを破壊する事が今回の作戦の真実だった。

 オーブの理念に「他国の侵略を許さず」という項目がある。ヘリオポリスがZAFTに占領されたままの状態は、この理念に反している。しかし、敵の占領で奪われたのではなく、事故で失われたのならば、オーブの理念に反する事はない。

 また、オーブの理念に反する者達の愚行として記録に残れば、国民はオーブの理念に反する者への怒りをより強くするだろう。そうなれば、オーブの理念は国民の中でより強固なものとなる。

 艦長は、この作戦が終わった後に相応の責任を取らされる事は覚悟していた。

 管理下に置かなければならない大型輸送船の反乱を許したという失態。これはどうしても残ってしまう。

 艦長は、その罪を全て背負う覚悟だ。彼はオーブの理念に殉じ、オーブの礎となる事を心底喜んでいた。

「……国土紛争の原因となるだろうヘリオポリスを砕き、蔓延る国賊を根絶やし、オーブの平和を守る」

 誰の耳にも届かぬよう小さく呟く。艦長の顔が歓喜に歪んだ。

 ヘリオポリスはオーブの癌だ。それを自らが、この手で切り取るのだ。自分はオーブを救う英雄だ。オーブの歴史の一幕に自らが立つのだ。

 使命へ身を捧ぐ事への陶酔感。自らが正義を成している絶対の自信。それらは、世界の全てが自らの背を押してくれているかのような、得難い歓喜を与えてくれる。

 そう……その歓喜は得難い。今までの人生で一度として味わえなかった程に。しかし、得てしまえば満たされぬ今までの人生での飢えを満たして余りある歓喜を味わえる。

「……行け。進め……正義の道を……」

 大型輸送船は、ヘリオポリスへと突き進んでいく。障害は何も無い。艦長にはそれが、正義を成す者の前に、全てが道を空けたかのように思われた。

 それが、姿を現すまでは――

 

 

 

 ヘリオポリスの外壁の一部が、重々しくも音もなく開いていく。

 その後ろ、四角く切り取られたように開く空間。そこに潜んでいたモノは、闇の中で単眼を赤く光らせる。

 直後、それは背に爆発的なスラスター光をほとばしらせ、その姿を照らし出すと同時に宇宙へと飛び出した。

 虫の様な無機的な存在感をまとう者。無慈悲なる死神の鎌を振るい、光線の糸を吐き飛ばす魔獣。終末に破滅をもたらす黙示録の蝗として生を受けた機械。

 TS-MA-04X ZAKRELLO testtype code:mystere1

 トール・ケーニヒは、そのコックピットにいた。

 機体を実際に動かすのは初めてではあるが、シミュレーションを繰り返した甲斐あって操縦に惑いはない。

 もっとも、シェルターの秘密のエアロックを通って出撃した後は、一直線に敵に向かって飛んでいくだけなのだから、難しい操縦を強いられてはいないのだが。

 本当に難しくなるのは戦闘が始まってからだろう。しかし、トールは不安を抱いては居なかった。ミステール1を御する自信がある……だが、それだけではない。

 シミュレーターでの訓練で手にした……いや、わからないがきっと、それよりも前に手に入れていた力がある。

 使う事は簡単だ。操縦席に座ったその瞬間から、トールの身の内でその力は呼び覚まされようとしている。むしろ、意識して抑える事の方が難しい。

 そう望んではいないつもりでも、心の奥底では力を解き放ちたくて仕方がないからだろう。実際、シミュレーターで力を使わずに戦おうと試みても、戦闘に没頭し始めるといつの間にか力を使ってしまっているのが常だった。

 最近は力を積極的に使うようにしている。副作用があり、その度にエル……すなわちトールにとってのミリィに心配させるのが問題だったが。

 だが、その副作用は、トールにとってはむしろ心地よさすら感じさせてくれるものだ。それに耽溺する事に本能的に恐れを抱いてはいたが、その恐れをもってしても退けがたい程に、トールを惹きつけて止まない。

 トールは操縦桿を握り直し、軽く目を閉じて自らを誘う力に意識を委ねる。

 

 種子――

 

 腐敗しきり朽ち果てた種子。黒く変色し、湿り気を帯びた、一つまみの土塊にも等しい汚物が、自らの存在に耐えきれなくなったかのように崩れ、塵となって拡散していくイメージが脳裏に浮かぶ。

 そして、そのイメージは別のイメージへ重なる。

 炎の中に踊る少女……炎の中で焼け爛れ、引き裂かれ、崩れ落ちながら塵となって消えていく少女のイメージ。少女が炎の中で微笑んで囁く言葉……トールにはそれが聞こえない。

 これが何の意味を持つのか、トールにはわからない。

 ただ一つだけわかる事がある。それは、この儀式を通して、トール・ケーニヒは存在しなくなるという事。

 人間性が完全に欠如し、残るのは……ただ一匹の魔獣。

“圧倒的な力を見せて欲しい”

 ユウナからはそう言われている。ならば、その望みに応えよう。

 焦点を失った瞳が、モニター越しに宇宙を見渡す。

 獲物が居る。牙を持ち、爪を持った獲物。全てたいらげよう。

 トールと同一化したミステール1の傍らで少女が微笑む。焼き砕かれた顔で。

 

 

 

「艦長。ヘリオポリスから、何かが射出されました」

 索敵手が突然の報告を行う。歓喜の時を邪魔され、艦長は少し苛つきを感じながらも、平静を装って聞き返す。

「ZAFTか?」

 ZAFTの防衛戦力が邪魔をしてくる事は当然のように考えられていた。

 しかし、今現在、プラントとオーブは交渉中にある。その交渉を決裂させてしまわない為に、ZAFTも強硬な対応はしてこないだろうと読まれていた。

 つまり、大型輸送船を撃沈するという判断には慎重に成らざるを得ない。判断に迷っている間に、大型輸送船の衝突を阻止出来る限界点を突破してしまえば、作戦の成功は確定する。対応を間違えなければ、戦闘にすら成らないはずだ。

 艦長は、事前に考えられていたZAFTへの対応の事を思い出しながら、索敵手がZAFTの動きを報告するのを待つ。

 しかし、索敵手が返した答えは、艦長の予想とは違っていた。

「いえ、港口からではありませんから、ZAFTでは無いと思われます。それに、大きさから言ってシャトルではないかと」

 ZAFTなら、占領している港湾部から出撃してくる筈だ。

「逮捕直前にして逃げ出そうという輩か」

 艦長はシャトルと聞いて簡単に判断する。惰弱な敗北主義者であり、国家を売る事も辞さない卑怯者であるヘリオポリス市民ならば有り得る事だ。

「MA隊第一小隊を出撃させろ。停止命令を出し、従わない場合には撃墜しても構わん」

 出撃命令を出させ、艦長は余裕を持って少し微笑んだ。

 問題が起きる事は歓迎すべきだ。多数の問題が起こっていれば、大型輸送船への注意も薄れるだろう。それは作戦の成功率のアップに繋がる。

 だが、そんな余裕は、索敵手の更なる報告に掻き消えた。

「ヘリオポリスから出現した不明機、高速でこちらへ飛行してきます! これは、シャトルの機動性能では有り得ません!」

「モニターに映せ!」

 艦長のその声に、モニターに映し出されていたヘリオポリスの映像の一角がクローズアップされる。

 そこには、スラスター光を背負いながら一直線に向かってくる機影があった。

「何だ? MSではないな。ヘリオポリス駐留のZAFTに照会しろ!」

 相手が何であれ、ZAFTならば対応を変える必要はない。しかし、もしそうでないならば……

 通信士に指示を下しながらそんな事を考え、艦長は頭を振ってその考えを否定する。

 有り得ない。ヘリオポリスにZAFT以外に何が居ると言うのか? 売国奴共? 売国奴共が謎の機体を持っている……そんな事は馬鹿げている。

 だが、否定したその考え自体が、通信士によって否定される。

「艦長! ZAFTでは、あの機体について関知していないとの返答です!」

「な……何だと!? では、あの機体は何だと言うんだ!」

 艦長は激昂しながらモニターを指し示す。そこに映し出される機影は、確実に大きくなってきていた。

「共用回線で不明機に所属と飛行目的を問いただせ!」

「了解!」

 艦長の指示に、通信士が応える。しかし、返答が得られる前に、索敵手の報告が来た。

「先に出撃したMA小隊が交戦距離に達します」

 艦を発った四機のMAメビウスが、不明機に接近しようとしている。彼らは、不明機に対して停止するように求めているはずだ。そして、それに従わない場合は撃墜せよと命じてある。

 不明機はどう出てくるのか? その挙動の一切を見逃さないとでも言うかのように、艦長は緊張の面持ちでモニターの中の不明機を見つめていた。

 

 

 

 隊長機を先頭にしてダイヤ型を形作るように編隊を組んで飛ぶメビウス小隊。不明機はその編隊に正面から突っ込んでくる。

 編隊各機は、対装甲リニアガンの照準を不明機に合わせ、必要となれば一撃を撃ち込める態勢をとっていた。

 とは言え、現状ではまだ先制攻撃は許されていない。攻撃は、まず通信で停止命令を出してから、敵がそれでも動きを止めなかった場合にだ。

 メビウス小隊隊長は、接触前に通信機を使って呼びかけた。

「飛行中の機体は即座に停止せよ。貴機は、オーブ国防宇宙軍所属艦艇の防空圏に進入しようとしている。警告に従わない場合、発砲する。ただちに停止せよ」

 同じ事を数度通信して、不明機の反応を待つ。しかし、不明機は停止する素振りなど見せず、進路も変えずに突き進んでくる。

 隊長は、通信を僚機に送った。

「アルファ2は曳光弾装填。威嚇射撃用意。ベータ1、2は引き続き不明機を警戒せよ」

 了解と返る通信を聞きつつ、隊長もまた曳光弾を対装甲リニアガンに装填する。

 まずは威嚇射撃。その効果がなければ、撃墜しても構わないだろうと。明確な戦闘状態ではない為、確認作業に手を取られるのは面倒だった。

「飛行中の機体は即座に停止せよ。貴機は、オーブ国防宇宙軍所属艦艇の防空圏に進入しようとしている。これより威嚇射撃を行う。警告後、即座に停止しない場合は撃墜する」

 再度の警告をしたが、不明機は止まる様子も無い。

 これは、ZAFTではないなと隊長は察した。ZAFTならば警告を無視するという事はないだろう。となれば、ヘリオポリスの住民なのか?

 不明機はかなりの大きさがあり、メビウスの様なMAでは無い。改造したシャトルの様な物で戦うつもりなのかも知れないと想像した時、隊長は冷笑を漏らした。

 そんなもので戦えるなら、ZAFTと戦って死ねば良かったのだ。売国奴が……と。

 不明機は、もうすぐ対装甲リニアガンの有効射程に入る。威嚇射撃の必要など無かったかと思いながら、隊長は操縦桿のトリガーに指を添えた。そしてそれが……隊長の最後の意識となった。

 

 

 

 互いに向かい合い、突き進むミステール1とオーブ軍のMA小隊。両者は、多くの目に見守られていた。

 先手を打ったのはミステール1。

 メビウスの有効射程に入る一瞬前にミステール1が放った二条のビームが、隊長機とその右後方を飛んでいたメビウスを貫いた。

 残りの二機は、宙に突如生まれた爆発を避けて散開する。が、次の瞬間、その内の一機をビームが捉えた。重なり合う大きな爆光の側に、もう一つ新たに爆光の花が咲く。

 残る一機は爆発を避けて生き延びたが、その進路はミステール1のいた方向から大きく外れてしまっていた。

 メビウスなどの旧型MAの特性上、一度変えてしまった進路を元に戻すにはかなりの移動距離を必要とする。

 弧を描くような軌道をとりながら、ミステール1のいた方向へと機首を戻そうとするメビウス。しかし、その動きを完遂する前に、メビウスは再度放たれたビームに貫かれて爆光に変わる。

 ミステール1は、四機のメビウスが散った宙を何事もなかったかのように飛び抜け、更にその奥を目指した。オーブ軍のネルソン級宇宙戦艦を襲う為に。

「戦闘が……戦闘が始まったぞ!」

 ヘリオポリスの外壁から撮影を行っているテレビクルー達は、カメラマンが捉えていた今の映像に騒然となった。

 遠見では宇宙の漆黒の闇の中に、一瞬の閃光が瞬いただけだ。しかし、モニターの中にはビームに貫かれるメビウスが映し出されていた。

「しっかり撮れ! こいつは凄いぞ!」

 ディレクターが興奮して叫ぶ。

 自らの運命に絶望をもたらしに来た者達に一矢報いる存在……誰もが願わずにはいられなかった存在が、カメラの中で戦いを演じて見せていた。

 その戦闘映像を受け取っているテレビ局の中は、今や興奮のまっただ中にある。

 最初は、自分たちを逮捕する為に来た軍艦が堂々進撃して来るという、見れば気落ちするだけのニュース映像とばかり思われていたそれが、全ヘリオポリス市民に伝えるべき物へと変貌したのだ。

 オーブ本国に敵対する者の出現。それが朗報なのか、それとも凶報なのかの判別はつかないが、その答はミステール1の戦い如何にかかっている。ならばそれは、ヘリオポリス市民全てが見守るべきだろう。

 テレビ局の中を、スタッフ達が慌ただしく駆け回る。

 今や、全ての放送が中止されていた。どうせ、「オーブ軍が来たら大人しく逮捕されましょう」というような案内放送や、過去の番組の再放送くらいしか流せていなかったのだ。そんな物よりも重要なニュースがそこにある。

「予定を変更して、緊急特別番組を放送します。ヘリオポリスの外で、戦闘が始まった模様です」

 ローカルニュース番組を撮るのに使われていたスタジオで、局のアナウンサーが緊張した様子でカメラに向けて話しかけていた。

「戦闘を行っているのは、オーブ国防宇宙軍。そして……え?」

 下読みをする時間など与えられていなかったアナウンサーが、ニュース原稿のその部分を見て困惑を露わにする。

 だが、困惑した所で原稿の内容が変わるわけもない。

 アナウンサーは、ぐっと唾を飲み込んで、自らを落ち着けながら原稿の先を読んだ。

「失礼いたしました。戦闘を行っているのは、オーブ国防宇宙軍。そして、ヘリオポリス所属のモビルアーマー、ミステール1です。

 ミステール1は、ヘリオポリス行政官が密かに用意していたモビルアーマーであり、彼の市民を守ろうとする遺志……これは遺す方の遺志です。遺志により、オーブ国防宇宙軍しいてはオーブ政府に対する戦闘行動を開始した。との事です」

 原稿を読み上げたアナウンサーにも、疑問の色は隠せない。

 ヘリオポリス行政官が用意したMA? オーブ政府への戦闘行動? かろうじてわかるのは、今まで隠れていた何かが動き出したという事くらいだ。

 しかし、アナウンサーに惑っている時間など与えられない。早く先に進めろと指示を出され、アナウンサーは原稿の末尾の部分を読み上げた。

「ともかく、実際の映像を御覧ください。今現在、ヘリオポリスのすぐ側で行われている、実際の戦闘の映像です」

 

 

 

 ネルソン級宇宙戦艦が、アンチビーム爆雷を射出し炸裂させながら、同時に艦載機を出撃させている。

 当然の事ながら艦内は、戦闘態勢への移行に伴い騒然としていた。

「ZAFTから通信! 領空内に出現した不明機に対し、ヘリオポリスの防衛部隊を出撃させたとの事です!」

「領空だと!? 違う! ヘリオポリスはオーブの物だ! オーブの理念を守る為、そうでなければならんのだ!」

 艦橋で通信士からの報告に艦長は叫び返し、それからヒートアップした頭をさまそうとでもするかのように首を振る。

 ZAFTが領空を主張するのは当然の事だ。忌々しい事ではあるが。

 しかしそれも、この作戦が完了するまでの事。今は言わせておけばいい。問題はZAFTが部隊を出してしまったという事だろう。

 そう簡単に今回の作戦が阻止出来る筈はないが、対応出来る部隊が居るのと居ないのとでは、状況的に大きな違いがある。居ない方が好ましいのは言うまでもない。

 今は不明機を早急に始末して、ZAFTの部隊にはお帰り願うのが良い。

「MA隊、第二・第三小隊を出撃させろ!」

 艦長は指示を下す。艦内には他にまだ二個小隊を残していたが、これは教本通りに予備戦力を残したというもの。優秀な艦長は、教本に忠実であった。

 もとより、MS相手でも戦力比は五対一なのだ。大型であってもMA相手に八機を投入して負ける筈がない。そんな考えが艦長の中にはあった。

 彼は知らなかったのだ。そこに魔獣がいると言う事を。

 ネルソン級宇宙戦艦を発ったメビウスは各小隊毎に横隊を組み、四機横一列に並んで宙を進む。両小隊が歩調を合わせ、数の優位を活かせるよう同時攻撃を仕掛けるべく。

 これならば、不明機から先制攻撃を受け数機が撃墜されたとしても、残る機体で攻撃をかける事が出来る。

 そして、各メビウスのコックピット内、モニターに映し出される不明機に照準が合わせられた。

 不明機は、進路を変える事もなくネルソン級宇宙戦艦を目指している。

「敵の有効射程は長い! 両小隊の隊長機が牽制射撃を敢行。有効射程に入った後に残る機で仕留める! 各員は隊長機の射撃を待って行動せよ!」

『了解』『了解』『了解』

 第二小隊隊長が指示を出した。すぐに部下から返答が送られてくる。第三小隊でも、同じ命令が出されている事だろう。

 先の戦いで不明機は、メビウスの有効射程に入った直後に、メビウスを撃墜して見せた。それは、不明機のビーム砲の射程距離が、メビウスの対装甲リニアガンと同じかそれ以上である事を示している。

 正面からぶつかり合ったのでは味方に再び犠牲が出るだろう。それを防ぐ為、命中精度に難が出るのを覚悟で、有効射程外から攻撃を仕掛けて不明機を牽制する。

「……牽制射撃、開始!」

 小隊長は、操縦桿のトリガーを引いた。

 直後に、対装甲リニアガンから撃ち放たれた砲弾が不明機に向かう。無論、それは目に見える物ではない。しかし、不明機のコックピット内では、砲弾の接近をレーダーで感知したコンピューターが警報を上げているはずだ。

 それに、有効射程外とはいえ狙って撃っているのだから、当たる可能性は有る。

 通常ならば攻撃されているという事実から、何らかの動きを見せる筈。MSだとしても、それは同じ……だが、

「……なに?」

 変わらずその距離を詰めてくる不明機に、小隊長の表情が曇った。

「絶対に当たらないとでも思っているのか? いや……」

 モニターに映る不明機の無機質な単眼を見て、有り得ない想像が沸き上がる。

「こいつには恐怖がない……」

 呟いた直後、不明機のビーム砲の砲口が光を発した。小隊長は燃え上がり砕け散るコクピットの中で断末魔の叫びを上げる。

 牽制射撃を無視して進んできた不明機の射撃は、第二小隊の隊長機ともう一機を瞬時に爆炎へと変えていた。

「有効射程内だ! 撃て!」

 第三小隊隊長は、味方の撃墜に部下が動揺する前に命令を下す。

 その命令は第二小隊の機にも伝えたので、計五機が一斉射撃を行える筈だった。しかし、射撃が行われるより一瞬早く、不明機は各機の照準の中から消える。

「な!?」

 驚きに声が漏れる。

 カメラが自動的に不明機を追尾しその動きを追っていた。軌道をねじ曲げるようなその動きはMSという兵器が得意とするものであり、MAでは有り得ない動きだ。

 そして不明機は、その有り得ない動きで第三小隊の方を向き、ビーム砲のある正面射界に捉えようとしていた。

「各機散か……」

 命令を下し終える前に、第三小隊隊長は自機を貫いたビームの中でその身を灼き消される。

 第三小隊のもう一機も同じ運命を辿り、宙に二つの爆光が咲いた。

 

 

 

 敵が命を失った証の光がモニターに映し出され、ミステール1のコックピット内を明るく照らし出す。焦点を失った瞳でそれを見るトールには、別の物が見えていた。

 爆炎の中に浮かぶ少女。炎の中で焼き尽くされ、爆発に切り刻まれる少女。彼女が微笑んでいるのはわかるが、それが誰なのかはわからない。

『…………』

 聞こえる。少女は何かを囁いている。しかし、その声はどうしても聞き取れない。

 トールは、第三小隊の残る二機にビームの照準を合わせた。

 隊長機を失った二機は、コースを変える事無く進み続けている。隊長機が命令を下していたならば、散開して逃げ、自らの命をほんの数分でも延ばせていただろうに。

 ミステール1からビームが放たれ、メビウス二機が爆発して宇宙の塵となる。そして、トールは再び少女と刹那の邂逅の時を得る。

 その姿は見えない。その声は聞こえない。

 宙に爆発が起こる度、少女の幻影は一瞬だけ姿を現し、消える。そう、わかってきた……ならば。

 トールは残る第二小隊の二機を探した。二機は別れて飛びながら、それぞれがミステール1に向かって来ようとしている。

 同時に射界に入れる事は出来ないので、とりあえず一機を射界に入れて撃つ。ビームは、簡単にメビウスを貫き、炎の塊へと変えた。

 続いて最後の一機を狙い撃つ。ミステール1の……と言うよりもザクレロシリーズのビームは連射が利くので多数を相手にするには向く。

 最後の一機も逃げる事など出来ず、ビームに貫かれて散った。

 少女は二度共に現れ、そして刹那で消える。その顔は見えない。その声は聞こえない。

 しかし、わかる。少女は――笑っているのだ。

 ミステール1は、更なる敵を求めてネルソン級宇宙戦艦を目指す。

 トールは、敵を殺す度に少女の幻影が鮮明になっているような気がした。ならば、幾百、幾千と敵を殺せば、少女はもっと自分の所に居てくれるかもしれない。もし少女が、幾千幾万の戦いの果てにトールの元へと来てくれたなら……その時には……

 その時に何をしたいのかはわからないが、トールの中に狂おしいまでの欲求があった。少女に会いたい。そして……そして……

「……敵を。もっと敵を」

 貪るべき熱い血肉を求め、トールの口から無機的な声が漏れた。

 

 

 

「MA八機が五分で全滅だと!?」

 ネルソン級宇宙戦艦の艦橋。信じがたい状況に、艦長は悲鳴のような声を上げた。

「対空戦闘用意! 残りのMA隊も出撃させろ!

 直後に指示を出すが、状況が絶望的なのは誰の目にも明らかだ。残るMA二個小隊八機を注ぎ込んでも、同数のMAを容易く蹴散らした不明機を止められる筈がない。

 後は艦による対空攻撃を加えて、どれだけ戦況を変えられるのかに全てはかかっている。

「砲撃! 砲撃を行え! 当てて見せろ!」

「は、はい! 砲撃を行います」

 誰もが無茶とわかる命令に、火器管制担当が応えた。無茶でも、やらなければ死ぬだけだと言う事位は、やはり誰もがわかっている。

 二連装大型ビーム砲三門が、不明機に向けて六本の光条を伸ばした。

 しかし、当たらない。艦砲は同じ艦船や要塞、あるいは敵集団に撃ち込む位しか想定されていなく、戦闘機動を行うMAに直撃させられるようなものではない。

 それでも、接近する不明機に対して更なる砲撃が行われる。二回目の砲撃は、一回目よりも大きく目標を外していた。クルーの焦りが、只でさえ低い艦砲の命中精度を更に落とし込んでいる。

「何をやっている!」

「VLSに対空ミサイルの装填完了いたしました!」

 艦長の怒声に被るように、クルーの報告が上がった。艦長は考える事もなく叫ぶ。

「撃て! 何でも良い、奴を止めろ!」

 その声を受け、十六基の多目的VLSが次々にミサイルを吐き出した。

 ミサイルはスラスター光を後に曳きながら、不明機めがけて殺到する。

「ミサイル十六発、不明機に向け飛行中……」

 索敵担当がミサイルの行方を報告しはじめたその時、モニターの中で不明機がビームを放ちながら薙ぐように身を捩った。

「ミサイル六発消滅! 十発が敵を依然捕捉中!」

 不明機による迎撃で六発減ったものの、残りは健在。この報告に、艦橋要員の間に期待感が芽生えた。

 が……この時、誰も気付く事はなかった。不明機が、回避運動さえ取らずにミサイルに正面から突っ込むような軌道を取った事に。

 直後、ミサイルは不明機の居る空間に次々に突入。近接信管を作動させて爆発し、周囲に爆光と破片を満たす。

 モニターの中、不明機はミサイルの爆発に包まれて姿を消した。

 艦橋に誰が漏らしたのか感嘆の呻きが響く。艦長は不明機の撃墜に確信を持って、笑みを浮かべると同時に口を開いた。

「十発のミサイルの同時着弾だ。MSだって無事では……い……」

 言葉が途中で止まる。ミサイルの爆発の残光が消えつつあるモニターを見る目が、驚愕に見開かれていく。

 そこには、変わらぬ不明機の姿があった。

 メビウスの装甲を容易く切り裂く破片の雨を受けてなお健在。まっすぐにネルソン級宇宙戦艦……すなわち獲物を目指して突き進んでくる

「何だ……あれはいったい何だ?」

 艦長は、艦長席に深く身を沈めて、敵の正体を誰に問うでもなく問うた。

「第四・第五小隊、交戦に入りました!」

 艦長の問いに答は返らず、クルーの報告のみが上がってくる。その報告も、交戦を報せた所で途絶える。

 もはや、報告の必要など無かった。モニターの中、次々に宙に咲く爆光。それが、現在起こっている現実を伝えてくる。

「う……うわぁああああああっ!」

 クルーの一人が恐怖の叫びを上げながら、モニターに背を向け頭を抱え込んだ。

「何をしてる!? 戦闘中だぞ!」

 艦長は叱咤の声を上げ、そのクルーが予想外の人物だった事を知り、怪訝げに眉を顰める。そのクルーはコーディネーターであり、常に冷静沈着で知られていた筈だ。状況的に誰かが錯乱してもおかしくはないが、いつも冷静だった者が真っ先にこうなるとは……

「――全滅! MA部隊全滅です!」

 クルーの悲鳴混じりの報告が、艦長を思考の中から引きずり出す。絶望的な現実の中へと。

 守りの兵を全て喰らい散らし、魔獣はついに王城へと駆け上ってきた。

「た……対空防御!」

 ネルソン級宇宙戦艦の各所から、二連装対空砲五門と75mmガトリング機関砲による細い火線が伸びる。これとて、当たればMAを砕き、MSでも損傷させるに足る威力はあるのだ。

 だが、魔獣に対しては?

 答えはすぐに出た。不明機が、装甲表面に着弾の火花を散らせながら突き進んできた時に。そして、反撃とばかりに撃たれたビームが、対空砲を次々に貫いていった時に。

 艦長の胸の中に絶望が広がっていく。その目は血走り、身体は震え、戦いが始まる前までの歓喜の表情は全く無くなっていた。

 作戦は全て順調だったのだ。オーブの正義を邪魔する者など、何も無かった筈なのだ。

 だが……それは来た。

「何なんだお前は!?」

 叫ぶ艦長の目の前、モニターに不明機の赤い単眼が輝く。無機質な、ただの機械でしかないそれを見て……艦長は何故かこう思った。

「笑っているのか?」

 その呟きの直後、至近距離まで来ていた不明機が対艦ミサイル八基を撃ち放つ。

 ミサイルは次々にネルソン級宇宙戦艦に当たって爆発し、最後の一発は艦橋に突き刺さった。艦橋に居た全てのクルーは一瞬で灼き滅ぼされ……僅かに遅れて艦自体も誘爆を起こし、残る乗組員をも千々に灼き砕く。

 その一際大きな爆光に照らされながら、不明機……ミステール1は初めてその機動速度を緩めた。

 しかしそれは、戦闘の終わり故ではなく、新たな戦いに備えての事。

 回頭し進路を変えるミステール1が新たに向き合う先……ヘリオポリスから出撃してきた六機のMSジンの機影があった。

 

 

 

 テレビ局。放送は山場を迎えたらしく、かなり騒然としている。

 そんな中、ユウナ・ロマ・セイランとエルは、局内の一室に待機していた。

 芸能人の控え室……ではあるのだが、ここしばらくの間は芸能人を呼んで撮影を行う事など無かった為、倉庫代わりに使われて雑多な荷物を詰め込まれていて狭い。

 そんな狭くなった控え室をパーティションで更に二つに区切り、一方でユウナはスーツ姿で暇そうにしていた。

 と……エルが、パーティションの向こうから顔を出して聞く。

「……ユウナさん、着替えましたけど……これ何ですか?」

「ああ、ステージ衣装だよ。さ、見せてくれないか?」

 ユウナはエルには特別な衣装を渡し、その着方もメモにちゃんと用意して渡し、ここで着替えをさせていた。

 ユウナに促されて、エルはおずおずとその姿を現す。

 エルが身にまとっていたのは黒のドレス。精緻な細工に飾られた古風なそのドレスは、エルに気品と可憐さを与えていた。

 そして更に、エルの首と両手首、両足首に太い革ベルトが巻き付いている。革ベルトからは短い鎖が垂れており、エルの動きに合わせて小さく鳴った。

 その武骨なベルトが、高貴なる令嬢といった印象のエルが浮かべる不安と怯えの色を帯びた表情に合わさり、ある種の淫靡さを漂わせている。

「良いね。パーフェクトだ。君を見ていると……たぎってならない」

 ユウナは手放しでエルを褒めるが、さすがにエルは素直に喜ぶなどと言う事はなく、首や手足にはまった枷に不安げに触れながら聞いた。

「この首のとか……」

「君はヘリオポリスの象徴だ。首輪、手枷足枷は、ヘリオポリス市民に科せられている不当な罪を象徴しているんだよ。千切れた鎖は、そこからの脱出を意味しているんだ」

 口から出任せも良い所ではあったが、言ってからユウナはこの出任せが意外にも良い感じにまとまっている事に満足して頷いた。象徴的な意味を持たせるというのは、口実としても、実際の効果としても申し分ない。

 実際の所はと言うと、エルに着せた服はユウナの趣味以外の何物でもなかった。後は鎖を壁か天井にでも固定してやれば完璧なのだが、流石にそれではテレビに出演させる事が出来ないので諦めている。

「もうしばらくしたら、戦闘が終わる。そうなってからが、僕らの出番だ。トール君の戦果を無駄にしない為に頑張ろうじゃないか」

 言いながらユウナが指差した先には、小さなテレビが置かれていた。その画面の中、宇宙に浮かぶミステール1の姿がある。

 それを見てエルは、安堵とも怯えともつかぬ表情を浮かべた。

 トールの生存が確認されている事はやはり嬉しいのだろうが、エルにとってミステール1はトールを連れ去る物でしかない。それが、エル表情の揺らぎの意味か……

 そんな分析をしていたユウナに、エルはふと気付いたという様子で聞いた。

「ユウナさんは、そのままで良いんですか?」

「え? ああ……すっかり忘れていた。正体は隠したいな。でも、時間も無いし……」

 エルに言われて初めてそれに気付いたとばかりに手を叩き合わせ、それからユウナは控え室の中を勝手に漁り始めた。

 ややあってユウナは、控え室に置かれていた誰かの荷物の中から、芝居の衣装の一部だと思われるマスクを見つけ出してくる。

「そんなので顔を隠して、大丈夫なんですか?」

 怪しまれるんじゃないかと思って聞いたエルに、ユウナは何でもない事のように答えた。

「軍のトップエースが仮面つけて平気なんだから大丈夫じゃないかなぁ」

 ZAFT連合問わず軍では何故か珍しくは無い事。だからとユウナは、これまた勝手に拝借してきた手拭いを手慣れた様子で頭に巻き付け、それからマスクを被る。

 ゴムで出来た、人の頭部をそのまま象っただけの白いマスク……目と口の部分だけぽっかりと穴が開けられており、そこからユウナの目と口が覗く。

 マスクによって表情といったものを完全に失ったユウナ。それはつまり、普段の道化じみた虚飾を全て失ったと言って良い。

 マスクから覗くユウナの目……それを見てエルは恐怖を覚えた。まるで同じ人物とは思えない、暗く冷たいその目を見て。

「……スケキヨだよ」

「え?」

 ユウナの目に射竦められた様に動けないでいたエルを我に返らせたのは、ユウナの冗談混じりの声だった。

「マスクさ。古典演劇の小道具なんだけど……良い物が見つかった。これなら、誰も僕だとはわからないだろうからね」

 声はいつもの通り、仕草もいつもと変わらない。エルは、ユウナの目に感じた異様さが気のせいだったかと安心した。

 しかし、ユウナが口を閉ざせば、あの暗い情念をはらんだ眼差しが際立ち、エルを不安にさせる。そんなエルの不安げな表情を愉悦の目で見つめながら、ユウナは思いついた言葉をそのまま口に乗せた。

「これは野心家であり、陰謀者のマスクだ。そして……全てを果たせずに殺される男のマスクでもある。この事が何かの象徴にはならないと良いね」

 そう嘯くユウナの口元には不敵な笑みが浮かぶ。まるで、自らの事を語っているかのように……

 

 

 

 戦闘の灯は、大型輸送船の船橋からも見えていた。

 オーブ国防宇宙軍所属のネルソン級宇宙戦艦が爆散するのを、船長は信じられない物を見る思いで見守る。今まで自分達が感じさせられていた威圧感の大きさと、あっけなく宇宙に散っていく宇宙戦艦の姿のギャップを認めかねて。

 しかし、如何に信じがたい状況であっても、これは現実である。惜しむべきは、これが自分達の危機脱出の一助にはなりそうにないという事か。

「……各員、自分の仕事に戻れ! 問題は解決していないが、オーブ軍の糞共が死んだ分、状況は好転しつつあるぞ!」

 船長は、自分と同じく今の戦闘に見入っていた艦橋要員達に向かって声を上げ、彼らの成さなければならない困難に再び立ち向かわせた。

 大型輸送船の状況は何も変わっていない。

 主推進器及び姿勢制御スラスター、操作不能。大型輸送船は、狙い澄ましたかのように……いや、明らかに狙って、ヘリオポリスとの衝突コースを突き進んでいる。

 そして、通信不能。救助を求める事はもちろん、衝突の危険を報せる事も出来ない。

 船員達は何とか状況を打開しようと、不調の原因とその打開策を探して必死に自らの出来る事をやり続けている。

 船長は、自らの立場故に状況を見守るしか出来ない事に歯がみした。しかし、それこそが他の誰にも出来ない、船長だけに出来る事でもある。

 せめてとばかりに、船長は頭を働かせる。何が起こっているのか……いや、今、何を成すべきなのか。思考に没頭しようとしたその時、船長の傍らでコンソールが鳴った。

「何だ?」

 機関部からの通信。コンソールを操作して回線を開くと、重く苦々しい空気をまとわりつかせた機関長の声が応える。

『船長……原因を突き止めました。推進器制御系のOSが主原因です。こいつが、こっちの命令を拒絶してる。それから、予備制御系も緊急停止装置もやられています』

 バグなのか……あるいは何か仕込まれたか? 船長の中に疑念が渦巻く。だが、それを問い質すよりも先に聞くべき事があった。

「修理は可能なのか?」

 原因がわかっても、それを解決出来ないのでは意味がない。

 その事は機関長も理解していた。用意してきていた答を返す。

『今、機関士および整備士全員で、推進器をコンピューターの制御から切り離し、手動で操作を行う準備をしています。安全の保証は出来ませんが、上手く行けば進路を変える事が出来る筈……船長のご許可を頂きたい』

 推進器は、コンピューターが極めて厳密に制御している。それを手動操作で行う等、正気の沙汰ではない。

 制御不能に陥って推進器自体が暴走……過剰出力に耐えかねて最終的に爆発などという事も十分に考えられる。

 そこまで行かずとも、推力の微妙な調整など望めない状態だ。船が何処へ針路を変えて飛んでいくか予想もつかないし、最悪の場合には急な動きの変化に耐えかねて船体が崩壊してもおかしくはない。

 通常ならば、そんな試みに許可を出せるわけがない。しかし、今この船には、そんな手しか残されては居ないのだ。

「許可する。何をしてでも、この船の針路を変えてくれ」

『ありがとうございます。ただ、残念な事に時間がありません……間に合わせるべく、各員全力で奮闘中です。しかし……万が一、間に合わない場合……それに備えるよう、ヘリオポリスに連絡をとってください』

 時間……今、この船に最も足りない物だ。機関長の言葉は重く、抑え込んでも抑えきれない不安がにじみ出ている。

 その不安が現実になった時に備え、危機はヘリオポリスに報せねばならない。危険に備えてヘリオポリスを脱出するなど、対策を取る事もできるだろう。

 それに、この船へ救援の手を差し伸べてくれるかもしれない。救援を得られれば、この船が起こそうとしている惨事を防ぐ大きな助力となる。ならずとも、乗員だけでも救い出してくれれば……

「……わかった。何としてでも、ヘリオポリスに連絡を取ろう。そちらは、作業を続けてくれ」

『了解です。船長』

 機関長との通信は切れた。船長は息もつかず、すぐに通信員に向けて問いを投げた。

「通信機は回復しないか?」

「……ダメです。通信機は完全にいかれています」

 通信員は暗い顔で首を横に振る。そして、救いを求めるかの様に船長に言った。

「これは単純な不調などでは説明出来ませんよ。まるで、通信関連のシステムを根こそぎ壊されたみたいだ。もう……どうしたら……」

「泣き言を言ってる場合じゃないんだ! 何としてでも、外と連絡を取る。通信機が使えないなら何でも良い……何か通信手段を考えろ!」

 通信員を怒鳴りつけ、船長は自分が無理言っており、それを承知の上で無理を通さなければならない状況に歯がみする。

「何か……何か方法があるはずだ」

 悩み顔を上げる船長を、白く皎々と光る照明が見下ろしていた。

 

 

 

 ギルバート・デュランダルは、ヘリオポリス港湾部の管制室に設けられた指揮所のドアをくぐった。

 ZAFTヘリオポリス守備隊指令である男が、指令席からデュランダルの姿を見咎めて眉を顰める。

「こんな所まで、何の御用ですか?」

「オーブ艦が、たった一機のMAに襲撃を受け、全滅したと聞きまして……興味を抑えられなかったものですから」

 悪びれることなく笑顔で言うデュランダルに、守備隊司令は見せつける様に溜息をついてみせた。それから、宇宙空間を映し出す正面モニターに目を戻して言う。

「これより戦闘指揮を行います。邪魔はしないで下さい」

「戦闘ですか……戦艦一隻を一蹴した敵です。プラントに対して敵意を見せていないなら、今は手を引いた方がよろしいのでは?」

 デュランダルもモニターに目をやる。そこには、オーブ艦の残骸を背景に一機のMAが映し出されていた。昆虫の様に無機的なその姿に心の奥底を揺すられる様な感覚を覚えながら、デュランダルはその名を呟く。

「……ミステール1。ヘリオポリス所属のMA。噂に聞く、ザクレロと関係があるのかもしれません。危険な相手ですよ?」

 ゼルマンの言うザクレロならば相当に危険な相手だ。そして、ザクレロとは関係なくとも、ミステール1の戦力の大きさは変わりない。

 MA五機でMS一機分という乱暴な計算をすれば、MA二十機を擁していたオーブ国防宇宙軍所属の戦力はMS四機分に加えてネルソン級宇宙戦艦一隻となる。ミステール1はそれを一蹴して見せた。

 そして、自軍の戦力はMS六機。この違いは決して大きいものではない。

 しかし、守備隊司令は冷笑を浮かべて言った。

「ザクレロ……ああ、ゼルマン艦長の報告にあったMAですか? あれは大げさに過ぎます。たかがMAですよ」

「…………」

 デュランダルは守備隊司令の反応に、隠して苦笑を浮かべる。実に……ゼルマン艦長の言った通りの反応ではないかと。

 ただ、守備隊司令の答は、コーディネーターの矜持がだけが言わせた物ではなかった。

 プラント領の防空圏内で、“中立国”の軍艦が沈められたのだ。それを無視しては、オーブへの態度はもちろん、プラントによるヘリオポリスの実効支配すら疑われよう。

 仮に勝てないとしても、戦闘をしないわけにいかないのだ。こんな事で死ぬ軍人達には哀れを感じるが……

「見逃すという選択は、政治的にも無い……か」

 デュランダルは誰にも聞こえぬ様、口の中で呟く。

「全て杞憂に終わり、“たかがMA”が事実であれば良いのですが」

 正面のモニターの中、ミステール1を包囲しつつ接近する守備隊のMS六機のスラスター光が瞬くのが見えた。戦闘は、もうすぐにも始まろうとしている。

 

 

 

 MMI-M8A3 76mm重突撃機銃を装備したジンが四機、M68 キャットゥス500mm無反動砲を装備したジンが二機、背にスラスターの炎を長くなびかせて宙を突き進む。

 その先頭を行くジンのコックピットの中で、MS隊隊長は僚機に指示を下した。

「敵MAの射程は長い! 十分に距離のある内から回避機動を行え!」

 指示を受けたジン各機は、姿勢制御バーニアを噴かす事に加えて、手足を振って重心移動を行い、針路を複雑に曲げながら前進していく。回避機動開始のタイミングは早いが、それ以外はいつもと変わらない。

 先のオーブ軍との戦闘で、ミステール1の武器はわかっている。警戒すべきは長射程のビーム砲。それだけ……それだけだ。敵は、大型ではあるもののMAに変わりない。

 MS隊隊長は、言い聞かせる様に言葉を紡ぐ。

「敵はMAだ……新型であろうと所詮は時代遅れの兵器だ。何も恐れる事はないぞ」

 何も恐れる事はない……いつも通りの戦場。だが、それならばこの、身の内から湧き出してくる様な不安感は何なのか? MS隊隊長は、全身にじっとりと浮き上がってくる汗に身を冷やされながら自問する。

 異変は、先のオーブ軍とミステール1の戦闘を見てからだ。

 一方的にオーブ軍を粉砕するミステール1。確かにその戦果は凄い。ZAFTでも、同じ戦果を上げられる者はそう居ないだろう。しかし、それだけの筈だ。

 如何に強力な敵だとしても、自分にそれを恐れる気持ちは無い。今まで幾度も戦場に立ち、艦砲と対空砲をかいくぐり、MAの群れを相手にしてきたのだ。

 それがどうだ? 今、自分は新兵の様に震えている。意識してそれを止めようにも、どうしても止まらない。

「何だ……何なんだいったい」

 震える手で操縦がぶれない様、操縦桿を強く握りしめる。

「あの敵は何だと言うんだ」

 MS隊隊長は、モニターの中のミステール1を睨み付けた。

 ミステール1は、宇宙の虚空の中より、自分達に迫ってくる。スラスター光を鬼火の様に後に曳きながら。赤い単眼を皎々と光らせて。

 氷の様な冷たさが、MS隊隊長の背を這い上がる。直後、ミステール1から放たれたビームが、一条の光となって何も無い宙を貫いた。

 外れ……やはり、回避機動を取るMSに対し長距離から命中させる事は難しい。

 しかし、この攻撃が呼び水となり、ジン各機もまた長距離での射撃戦を開始した。重機銃が猛り狂った様に銃弾を吐き出し、曳光弾が宙に線を描く。無反動砲からは炎の尾を曳きながら成形炸薬弾が走る。

 だが、早い。攻撃を仕掛けるタイミングとしては、ミステール1を半包囲してからでもかまわない……いや、数の有利をより生かす為、そうすべきだった。

 攻撃が早い事を注意しようとして、MS隊隊長は自らもトリガーを押していた事に気付く。

 何かが判断を狂わせている。そうと気付いたのは、MS隊隊長の経験故だろう。しかし、彼をもってしても、何が判断を狂わせたのかはわからなかった。

 いや……プライドの為に、無意識に認める事を避けたのか? 自らを狂わせているものが、紛れもない恐怖であるという事を。

 それは、ミステール1を侮ったが故でもあったろう。

 ミステール1は、隊長機と僚機のジンが張る重機銃による火線の直中に突っ込んできている。火線の隙を縫う様な機敏な回避の出来ない旧式MAならば有り得る動きだ。

 このままならば、遠からず火線に捉えられて落ちる。そう判断して然るべき。だからこそ、MS隊隊長は自分が感じている感情を無視してしまった。ミステール1を倒せる敵と判断して。

「所詮、ナチュラルが作った旧式兵器だ!」

 部下を叱咤しながら、MS隊隊長はトリガーを更に押し込んだ。

 隊長機のジンは重機銃を振り、ミステール1を絡め取る様に火線を寄せていく。僚機の重機銃の火線も同じくミステール1に迫る。無反動砲装備のジンは、ミステール1が火線に囚われて身動きが取れなくなる瞬間を狙っているだろう、射撃を止めていた。

 ミステール1の射撃が戦闘の始まりの号砲となってから僅かに十数秒。重機銃の弾倉から弾が尽きるより僅かに早く、その火線がミステール1を捉える。僅かに着弾のタイミングは前後したが、ジン四機がその火力を全てミステール1に叩きつけた。

 ミステール1の全身で壮絶に火花が散る。

 撃破を確信して、MS隊隊長の口元に笑みが乗った。だが、その笑みは直後に凍り付く。重機銃の弾丸を受け止めながら、何ら影響を受けず前進してくるミステール1の姿を目の当たりにして。

 そして、ミステール1が放ったビームが、無反動砲を撃つタイミングを計っていた二機を続けざまに撃ち抜いたのを見て。

「ば……馬鹿な! 直撃だった筈だ!」

 傷らしい傷を受けた様子のないミステール1と、背後で爆光と化した僚機をモニターに映し、MS隊隊長は驚愕の声を上げた。

 信じたくはない。だが、現実だ。

 ミステール1は、最初から重機銃からはダメージを受けない物として無視していた。事実、ミステール1はあの弾幕の中で傷一つ受けていない。

 ならば、損傷を与える可能性が在るのは無反動砲のみ。しかし、重機銃の弾幕がミステール1の動きを阻害すると信じ、必中を期して動きを止めていた無反動砲装備のジンは、格好の的だったはずだ。

 ミステール1は的確に攻撃を行い、結果、MS隊は瞬時に二機を失った。それは同時に、ミステール1への攻撃手段が失われた事をも意味していた。

『た、隊長! 銃が……銃が効きません!』

『二機を……二機を一瞬で! あいつ、仲間を二人もぉ!?』

 混乱と……明らかな恐怖を見せながら、僚機から通信が入る。その声が、MS隊隊長の意識を現実へと引き戻した。

「うろたえるな! 回避機動を継続。狙い撃ちにされるぞ!」

 とっさに怒鳴りつける。その警告は間に合った様で、ミステール1の続けての射撃は、回避機動を取った僚機の傍らを通り過ぎるだけに終わった。

 MS隊隊長はモニターの中に僚機の無事を確認しつつ、無意識のうちに弾倉交換していた重機銃をミステール1に向け、撃つ。ジンの手の中で再び重機銃が暴れ、ミステール1の表面で弾丸が爆ぜる。

 無数の弾着に晒されながら、赤く光る単眼は無機質に見続ける。モニター越しに、今や無力な獲物となった哀れなコーディネーターを。

 ナチュラルに勝る知性と肉体。無敵の新兵器だったMS。そんな物は全て、この魔獣の前には意味がない。何もかも、全てをその顎で食い千切るだけだ。

 身体の奥底から、ドッと感情が溢れ出す。震えが止まらない。逃げたい……逃げたい。

 それは恐怖だと、MS隊隊長は今やはっきりと理解していた。もはや、恐怖している事を認めないプライドも慢心も消えている。

 だが、理解しているからこそ、かろうじてそれに呑まれる事は免れた。

「……各機、抜刀!」

 号令を下し、MS隊隊長は自機に重機銃を捨てさせ、MA-M3 重斬刀を抜かせた。

『じゅ……重斬刀で、あのMAを!?』

『無茶です隊長!』

 僚機から返るのは困惑の声。そして、そこにも恐怖の色が混じっている。それを察して、MS隊隊長は恐怖を払うべく声を荒げた。

「他に奴を倒す方法があるか!? 俺達の敗北はヘリオポリス失陥を意味するんだぞ!」

 MSは出撃したジン六機が全ての筈。これが失われれば、ヘリオポリスにMAに対抗できる戦力は無いという事になる。

『……了解!』

 一人が、意を決した様子で答を返した。

 背後には仲間がいる。その事実の認識が、恐怖を僅かでも晴らしたか。

 それは他のパイロット達にも伝播した。

『了解!』

『了解です!』

『抜刀! 突貫準備良し!』

 声を上げながら、僚機が次々に重斬刀を抜く。それを受け、MS隊隊長はフットペダルを踏み込み、自機を加速させた。

「これより、敵MAに格闘戦を仕掛ける! 俺に続け!」

 ジンが宙を駆ける。剣を掲げ、四機のジンはミステール1に立ち向かう。それは、まるで神話の時代の戦士の様に。

 しかし、英雄譚は伝えている。魔獣は、英雄ならざる者に死を賜うと。

 ミステール1はジンに向かって突き進みながら次々にビームを放った。回避機動を取るジンは、まるで舞う様に、あるいは跳ねる様に軌道を複雑に変え、ビームから逃れ続ける。

 しかし、全てをかわし続けられるわけはない。

 一機が左足に直撃をくらい、姿勢を崩した。

『うわぁ!? 止めろ! 止めてくれぇ!』

 通信機から溢れる悲鳴。左膝から先を失い宙を流れるジンを、続けざまに撃たれたビームが貫き、宙に散らせた。

『隊長、無理だ! 隊長ぉ!』

 仲間がまた討たれた事に動揺したジンが足を止め、逃れようとしたのかミステール1に背を向ける。そこを背から腹にかけてビームで撃ち抜かれ、そのジンも宇宙を飾る閃光となって散った。

「怯むな! 進め!」

 MS隊隊長は、声を上げて恐怖に抗う。

 僚機が打ち倒されていく様は悪夢に等しい。そして彼は、悪夢の中からやってきたとしか思えないMAに接近戦を挑もうとしている。

 だが、その試みは達成されようとしていた。ミステール1との距離は、十分に縮まってきている。

 初撃を与えるべく先陣を切る隊長機に、その距離はもう僅かだ。

 が、その距離を詰めるより早く、ミステール1のビームが隊長機を襲った。MS隊隊長は、自機を大きく跳ねる様に移動させ、ビームを回避する。

 その分、隊長機の前進は遅れた。その間に、最後の僚機がミステール1へ肉薄する。

『死ね、化け物ぉ!』

 僚機の叫びが通信機越しに届いた。同時に、大上段に重斬刀を振り上げ、ミステール1に斬りかかる僚機の姿を見る。

 そして直後――僚機は胴を横一文字に両断されていた。

「――っ!?」

 MS隊隊長は、死した仲間の名を叫ぶ。

 ミステール1のマニピュレーターの先端。魔獣の鋭い爪の如きヒートサイズが、ジンを容易く切り裂いた。綺麗に分かたれたジンは、爆発する事もなく二つに分かれて宙を漂おうとしている。

 ミステール1は、一度振り抜いたヒートサイズを戻しがてら、もう一度ジンに斬りつける。その一撃を受け、ジンは胴より上の部分を肩口から斜めに両断された。

 意味などは無い。確実に死んでいた機体とパイロットへ、力を見せつけるかの様に、なぶるかの様にもう一撃を加えたのだ。

 三つに分かたれたジンは推進剤に引火したとおぼしき爆発を起こし、炎と煙とでミステール1を包み込む。

 MS一機分の推進剤の爆発だ。相応の威力があっただろう。それは、死んだ仲間からの最後の一撃となった筈。

 だが、MS隊隊長は確信していた。その炎の向こうから、ミステール1が変わらぬ姿を現すだろう事を。

「……」

 最早、勝ち目はない。そう直感する。

 しかし、それでも……逃げる事は許されない。生きている仲間の為……そして、死んでいった仲間の為。自分は戦わなければならない。

 だが、そんな決意も、炎の向こうから姿を現すミステール1の姿が目に入るや、たちまち萎え果てていく。

 炎を身にまとい、赤く単眼を光らせる虚空の蜘蛛。その鋭い爪、光る吐息。それは、自らに確実な死をもたらす魔獣なのだと……

 恐怖よ静まれと何かに願う。古い時代ならば、それを祈りと言い換えたかも知れない。しかし、神を持たない者の祈りに応える者はなく、願いは無為に霧散して消え、安息は永久に訪れない。

 恐怖に身を冒され、ともすれば震えに止まりそうになる身体を、ただ兵士としての冷徹な思考……止まれば死ぬだけだという現実的判断だけを頼りに必死で動かしながら、MS隊隊長はミステール1の間合いに踏み込んで行く。

「せめて……せめて一太刀与えねば、死ねん!」

 一太刀で良い。多くは望まない。ただ、この魔獣に一太刀を。

 ジンは重斬刀を高く掲げた。それに対し、ミステール1はヒートサイズを振るう。

「俺と仲間達の一太刀を受けろぉぉぉぉっ!」

 MS隊隊長のジンが全霊を込めて振り下ろす重斬刀と、ミステール1が振り抜いたヒートサイズの軌跡が交差する。

 ヒートサイズを受け止めた――そう思った直後、重斬刀はあっさりと折れ飛んだ。そしてヒートサイズはそのまま、ジンのコックピットハッチを浅く切り裂く。

 MS隊隊長の眼前を白熱する刃が通過し、開いた破口から宙にたたずむミステール1が姿を見せた。

 赤い単眼が、MS隊隊長に無機的な視線を投げかける。死にかけの獲物をただ観察する無慈悲な目……

「……ばけ……もの……め」

 恐怖がついに心を押し潰す。全身が恐怖に震える中、やっとそれだけを言葉にしたMS隊隊長に、ミステール1は興味を失ったかの様にヒートサイズを再び振るう。

 ヒートサイズの灼熱の刃は、何の躊躇も無しにコックピットの中に突き込まれ、MS隊隊長の身体を貫くと同時に瞬時に焼失させた……

 

 

 

「MS隊、全機被撃墜。潰滅です」

 オペレーターの半ば呆然とした声が指揮所の中に虚しく響いた。

 誰もが信じられないという様な面持ちで、戦闘を映していたメインモニターを見つめている。それは、守備隊司令やデュランダルも同じ事。

 直接、戦ったわけではない彼らに、ミステール1と対峙する事での恐怖は伝わっていなかった。故に、MSの敗北は有り得ない事と映る。MAに対し、圧倒的優位である筈のMSが何故……と。

「不甲斐ない連中だ! 自滅じゃないか!」

 守備隊司令が、苦々しく吐き捨てる様に言う。

 パイロット達の悲鳴混じりの通信は、こちらでも捉えていた。敵を過度に恐れたあまり、自滅したと思われても仕方なくはある。

 ただ、そんな答が出されたとしても、敗北した事への混乱は残っていた。誰も、MS隊が潰滅するとは思っていなかったのだ。しかしそれでも、最初から危惧を抱いていたデュランダルは立ち直りが早かった。

「……降伏の準備をします」

「な、何だと!?」

 いきなり言い放ったデュランダルに、守備隊司令及び指揮所スタッフ達の視線が集まる。

 デュランダルは、僅かばかり皮肉げに微笑んで答を返した。

「……MS隊を駆逐された今、このヘリオポリスには敵MAに対抗出来る戦力は無い。つまり、一時的にせよ、ヘリオポリスは彼らに占領された。違いますか?」

「必要ならば兵に銃を持たせ、白兵戦をもってしても戦ってみせる!」

 守備隊司令が怒声で返す。それを聞き、他のスタッフ達はざわついた。

 指揮所のスタッフ達は、デュランダルと守備隊司令を見比べながら、不安げな表情を浮かべている。戦うのは嫌だが、降伏も嫌という所か。

 守備隊司令の言う事は、ZAFT軍人としては間違っていない。命を捨てて最後まで敵に抵抗するというのは実に英雄的だ。

 しかし、それが明らかに無駄な抵抗だとわかっており、さらには事態を悪化させるだけとわかっている状態で、英雄的行為に耽溺する気はデュランダルにはなかった。

「落ち着いて下さい。敵は、港湾部の外からミサイルを撃ち込むだけで、この指揮所を永久に葬り去る事が出来るのですよ?」

 艦船の事故に備え、宇宙港が比較的事故に強い作りをしているのが災いする。港湾部の中を少々破壊しても、ヘリオポリスにはダメージはいかない。

 白兵戦などに乗る必要など欠片もなく、外部から港湾部に攻撃を仕掛ければ、そこに潜んでいる守備隊に大打撃を与える事が出来るのだ。

 そうなれば、ヘリオポリスの基地機能が完全に失われる事となる。

「そして、仮に白兵戦になるにしても、このヘリオポリスで戦闘に耐えるZAFT兵はどれくらい居るのです?」

 白兵戦を主とするいわゆる歩兵は、ZAFTでは元々少ない。少ない人口で強力な軍を維持する為に、兵種がMS関連に偏っているからだ。

 このヘリオポリスに歩兵は一個分隊。十名弱だろうか。

 後は、少数のMPなどを除けば事務員や整備兵ばかりで、戦えそうな兵種はいない。戦闘訓練も一応は受けているので全く役立たずとは言えないが、戦闘員として頼りに出来る物ではないだろう。

 その上、それらの人員の数も決して多くはない。元より、暫定的に占領地に置かれた守備隊でしかない上、多くの人員を連合MS護送作戦に割かれ、必要最低限の人員しか居ないのだ。

 基地機能が失われた港湾部で、後方担当がほとんどの少ない兵を動員して白兵戦など狂気の沙汰に違いない。

「それでもだ! 軍人として、全滅したとしても降伏は無い!」

 デュランダルの言う事など最初からわかっていたのだろう。守備隊司令は、強硬に降伏を拒絶する。

 デュランダルは内心、うんざりする気分を抑えながら、溜息をついた。

 まあそうだろう。降伏となれば守備隊司令の責任が追及される事は避けられない。今後の出世も何も無くなってしまう大失態だ。ここから逆転を狙うなら、白兵戦でも何でもやって徹底抗戦し、敵を撃退するより他無い。

 それに、軍事組織として未熟であるZAFTでは、降伏についてまともな教育が行われていない。降伏した敵兵士を虐殺する様な真似が横行するという事は、逆に自分達が降伏した時にそう言う扱いをされる危惧を抱くという事でもある。

 軍人として、守備隊司令が徹底抗戦をとなえるのはわからないでもない。

 しかし、政治家としてはここで守備隊に全滅されては困る。

「降伏したとしても一時の事ですよ。彼らはそう長く、ここに踏みとどまる事は出来ません。恐らく、すぐにここを去るでしょう」

 デュランダルは、安心を引き出そうと殊更気楽そうに言って見せた。

 遅かれ早かれ、ヘリオポリスにはZAFTの艦隊が戻ってくる。また、オーブがここぞとばかりにヘリオポリス奪還をはかり、戦力を向けてくる可能性もあるだろう。

 ヘリオポリスに残る限り、戦闘が繰り返される事が確実と言える。そうなれば、恐らくは補給が続くまい。

 彼らが玉砕するまで戦うかと言う所だが、それも無いだろう。脱出に必要な船は、オーブ軍が持って来てくれた。籠城して敗北を待つより、旅立って生き残る道を探す筈だ。

 そうなれば、後には空のヘリオポリスが残される。

「ヘリオポリスの領有を続ける為、守備隊の全滅は避けなければなりません」

 この辺境へ連合が手を出してくる事は現在の戦況では考えがたいので、ヘリオポリスを巡る仮想敵は必然的にオーブとなる。

 守備隊が全滅していれば、オーブはヘリオポリス奪還の為に喜々として救助に来るだろう。守備隊の生存者を手厚くZAFTに送り返し、ヘリオポリスの守備を固め、自分達がテロリストからヘリオポリスを取り返したのだと高らかに宣言する筈だ。

 しかし、守備隊が残っていれば、オーブは手を出す事は出来ない。守備隊を排除しようとすれば、それはプラントへの敵対行為となるからだ。

 つまり、プラントがヘリオポリスの支配者でいられるかは、守備隊の存亡にかかっている。

「何故、そんな事が言える? 敵の動向を今の段階で決めつけるのは早計に過ぎる。今は、敵の動きを窺う為にも、戦闘態勢を維持すべきだ」

 守備隊司令は、デュランダルの読みに沿った意見に対し、嘲笑を浮かべて言い返した。楽観主義で臆病者の政治家と、デュランダルを嘲っているのは確実だろう。

 これを説得するのは難しい。そう判断するやデュランダルは強権を用いる事に決め、少し語気を強めて言った。

「ヘリオポリスの政務官として、これ以上の戦闘継続を認めるわけにはいきません。降伏しますので、司令は守備隊に降伏の準備をさせてください。良いですね?」

 戦時下と言えど、発言力は軍よりも政の方が大きい。だが、権力を笠に着たやり方は、反発を招く。

 デュランダルは、守備隊司令の顔が怒りに歪むのを見た。が、守備隊司令はすぐにその怒りを噛み殺し、デュランダルから視線を外して言う。

「了解しました」

 そう返事はしたが、具体的に何かの指示を下すという事はない。服従した様子を見せているが、本心ではそうでない事は明らかだ。

 余計な厄介事を抱え込んだらしいと察しながら、デュランダルはその場に背を向けて指揮所の外に出る。自動ドアをくぐってから、デュランダルは大きく溜息をついた。

 どうも、相手が抵抗出来ないと踏んだ時に強硬手段に頼ってしまうのは欠点らしい。

 多少の反省をしてからデュランダルはこの事を考えるのを止めた。今は、プラント本国への連絡など、やらなければならない事がある。

 それに、これだけの事をしでかした相手と、早い内に話をしてみたかった。恐らく、何らかのコンタクトは取ってくるだろう。

 それを不謹慎だとわきまえつつも、僅かばかり楽しみに思いながら、デュランダルは自らの執務室へと向かった。

 

 

 

 ヘリオポリス。TV局のスタジオでは、一人の少女がカメラの前に立っていた。

 黒のドレスに首輪、手枷足枷をつけた姿……エルである。彼女の脇には、スーツ姿で、顔を無貌のゴムマスクで隠したユウナ・ロマ・セイランが立つ。

 今、エルはカメラを通して、ヘリオポリスの市民達に呼びかけていた。

「ヘリオポリス行政官だった私の父は、戦闘が始まる前に降伏し、市民の皆さんの安全を守る事を考えておりました。しかし父は、アスハ派の手によって抹殺されました。

 殺された理由は、今日、皆さんが逮捕される筈だった理由と同じです。

 オーブの理念に反するから……確かに、降伏する事は『侵略を許さず』という理念に反します。しかし父は、降伏しなければ……そしてZAFTに戦いを挑めば、どうなってしまうかを知っていました。

 父がその時に存命していたのなら、あのカガリ・ユラ・アスハの煽動から始まった陰惨な戦いに、ヘリオポリス市民の皆さんが巻き込まれる事は許さなかったでしょう」

 エルは、カメラのレンズ前に設置されているプロンプターに映し出される文を読んでいるだけであったが、真実であるだけにエルの心を痛め、それが言葉に重みを持たせている。

 あの日、返ってこなかった父。逃亡の途中に倒れた母。二人とも、オーブ軍が殺した。二人だけではなく、エルに関係のあった人、無かった人、数多くの人が殺された。トールの恋人、本物のミリアリアも……

 怒りと、それよりも強い悲しみがエルの声を震わせる。しゃがみ込んで泣き出せたら、どれほど楽だろう。それでも、エルは言葉を紡ぐ事は止めない。ユウナに、これをする事がトールの為になると言われているから。

「私は、父の意志を継ぎ、ヘリオポリス市民の皆さんを守る事を誓いました。

 その為、父が残した力を使います。今、宇宙で戦ったMAミステール1。あれこそが父がヘリオポリス市民の皆さんの為に残した力です。皆さんを守る力です」

 ミステール1の存在は、ヘリオポリス市民の心を掴んでいる。

 ZAFT襲撃の時より、ヘリオポリス市民を守ってくれる存在はなかった。実際にはオーブ軍の中にもヘリオポリス市民の為に命を散らせた者もいるが、それ以外の者の為、オーブ軍はヘリオポリス市民の敵という印象を持たれている。

 ともあれ、自身を守る存在を持たなかったヘリオポリス市民にとって、守護者として現れたミステール1は、縋るべき神にも見えた事だろう。

 そして、ヘリオポリス市民達の置かれた境遇と同じく、父母をオーブの理念に殺された少女が、その神を与えてくれるという物語性。

 ならば、少女は巫女か? 巫女は神託を下す。遙かな昔、神の預言を受け取り、箱船を建造した男の様に。迫害される民を率いて逃亡に旅し、海を割る奇跡を見せた聖者の様に。

「オーブで、私達がどんな扱いを受けるかは、皆さん知っていると思います。

 その不当な暴力の手が今日、私達に迫り、それをミステール1が打ち砕きました。でも、守り続けるだけでは、何も解決はしません。諸悪の根元は、遙か遠い地で安穏としながら、私達を滅ぼそうとしているのですから。

 私達は旅立たなければなりません。生きる為に。戦う為に。そして、再びこのヘリオポリスへと還る為に……」

 エルは、最後の台詞を言い淀んだ。

 言いたくはない。これを言ってしまえばトールは……いや、全ての人々が戦火の中に生きていく事となる。

 誰にも戦って欲しくはない。穏やかに日々を過ごして欲しい。しかし……

「……もう他に道はないんだよ。望む、望まないにかかわらず、オーブはヘリオポリス市民を殺しに来る。自らの理念の正義を掲げる為に」

 エルの迷いを悟ったユウナが、エルの背を突いて先を促しつつ、そっと囁いた。

 エルをこの舞台に上げる為、ユウナは今までに何度も同じような台詞を投げかけている。そして、エルを動かす為の魔法の言葉も見つけていた。

「それに、戦火がなければ、トール君は生きられないよ?」

 エルの顔が悲しげに歪んだ。その隣で、ユウナは蛇の様な狡猾な笑みを浮かべる。

 トールの為……その為に。エルを最後に動かすのは、トールへの思いだった。

 愛おしいものだとユウナは心の疼きを抑えるのに難渋する。首輪に隠された細いうなじに目がいってしまうのを止められない。ああ、今すぐにでもその細い首を握りしめる事が出来たなら!

 だが、エルはまだ利用価値があるし、何より衝動に駆られてしまうにはもったいなさすぎる。もっと……もっと、エルは魅力的になる筈だ。いつか、ユウナが耐えられなくなる程に。

 ユウナがそんな熱い妄執に身を焦がしている間にエルは、意を決してカメラを見据えた。

 そして、ただ一人の為に、全てのヘリオポリス市民を戦火に誘う言葉を口にする。

「私達は、ヘリオポリスの名の下に、オーブを討つのです」

 

 

 

 星空の中、トール・ケーニヒは一人だった。

 ミステール1のコックピットの中、モニターには周辺に敵性の反応はない事が記されている。

 “敵”も“少女”もいない。

 敵を倒した炎の中に現れる少女は、シミュレーションではその姿を垣間見るだけだったのに、今日は戦いの最中にずっとトールの側にいてくれた。姿が無くとも、その存在を感じられる所まで来ていたのに……もう、何処にも居ない。

「感じない。君を感じなくなった」

 トールは虚ろな視線を巡らして少女の痕跡を探す。

 ああ、ずっと一緒にいなければならないのに。ずっとずっと一緒に居なければならないのに。またその姿を見失ってしまった。

「敵……敵はいないかなぁ」

 呟いてモニターの中に敵を探す。敵がいれば、敵を炎に変えれば、また少女に会う事が出来るのに。

 敵はいない。誰もいない。

「寂しいな」

 焦点を結ばぬ瞳でトールは宙を見上げ、そのまま動きを止めた。まるで、繰り糸を放された人形の様に。

 トールの心は冷えていく。戦いの最中にあった熱を失って。

 爆炎の中に見る幻の少女が与えてくれる、狂気という名の熱を。

 では、戦いの中で与えられた熱が失われてなお、トールの中に残るものは何なのか。

 呟きは、コックピットの中に寂しく響く。

「ミリィ……今日は起こしに来てくれるかなぁ」



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ヘリオポリスに迫る悪意

 ヘリオポリス外壁の一角。

 それに気付いたのは、ミステール1の戦闘を撮影していたテレビクルー達だった。

 オーブ国防宇宙軍所属のネルソン級宇宙戦艦とその艦載戦力であるMAメビウス五個小隊。そして、ZAFTのMSジン六機を相手にした戦闘を終え、ミステール1が停止したのを確認し、他にカメラを回す余裕が出来て初めて大型輸送船もカメラに捉えられる。

「……なあ、これ点滅してないか?」

 ディレクターがそう言いながら、手元のモニターに映る接近中の大型輸送船を指差した。

 画面の中の大型輸送船はまだ遠く映像は明瞭ではないが、確かに何かチラチラと明滅してるような感じがする。

 大型輸送船を撮影していたカメラマンがさっそくカメラを超望遠に切り替えた。

 モニターの中の大型輸送船は、どんどんその姿を大きくしていく。すると、船橋の窓の光が明滅している事が、はっきりと確認された。

 間隔を置いて、光り、消え、光り、消え……

「……何かの信号?」

 カメラマンの呟きを受け、ディレクターはモニターを睨む。

 短・短・短・長・長・長・短・短・短

 他の幾つかのパターンに挟まり、一定の間隔で繰り返されるこの信号について、ディレクターは知識があった。

「おい、こいつは救難信号だ!」

 すかさずディレクターは、宇宙服に内蔵された通信機を動かし、有線中継器を介して局に通信を飛ばす。

「戦闘シーンに続いてのスペクタクルだ! 局の中でモールスわかる奴を探してくれ! また大ニュースなのかも知らん。急いでくれよ!?」

 

 

 

 テレビ局。スタジオの中、エルからの市民への呼びかけはまだ続いている。

 それをエルの背後で見守っていたユウナ・ロマ・セイランであったが、不意にフロアの一角が音もなく騒然とし始めたのを見て、静かにエルの背後を離れた。

 カメラマンが、ユウナの動きに反射的に反応するが、今の主役はエルであるため、カメラを動かす事はしない。

 エルは、ユウナが離れた事に気づいた様だが、ユウナが突然に変な行動をする事は当たり前と認識していたので動じる事もなく、与えられた役割を演じ続けていた。

 カメラの前を離れたユウナは、フロアの一角へと進む。

 そこに何人か人が集まって慌ただしくしていたが、撮影中だけあって、誰もが音を殺していた。話し声も小さい。撮影に影響はないだろう。しかし無視出来ないほどに、何かが起きている事を如実に示していた。

「どうしたんです?」

 ユウナは囁く様に問う。聞かれてスタッフの一人が、フロアの天井近くに開いた窓……副調整室のある所を見上げて、小声で答えた。

「……撮影スタッフが何かとんでもない映像を撮ったって話で、モールス信号に詳しい奴が居ないかって。ああ、場合によってはこの放送を中断する事になるかも……」

 緊急事態なら番組の変更の可能性はある。その事を断ろうとしたスタッフを、ユウナは手を挙げて止め、そして答えた。

「モールスならわかるよ。役に立てるはずだ」

 ユウナにとってもかなり大事なこの放送を、本来ならばその終わりまで不測の事態など無き様に見守るべきなのだが、今は好奇心が勝った。なにやら、酷く面白くなりそうな匂いがする。

「案内を頼めないかな?」

 ユウナにそう頼まれ、スタッフは頷くと先に立って歩き出した。

 ユウナはその後について歩きながら、カメラの前にいるエルを見やる。

「アスハが正義を掲げ、私達を誅殺しようとするならば、私達は私達の正義をもって抵抗しなければなりません。

 私達の掲げる正義。それは、本来ならば誰もが持っているもの……生存権です。

 私達は、生きて、未来を掴む権利を持っています。その権利を奪おうとする者に、私達は抵抗します。

 アスハは、理念を正義として、私達の権利を奪おうとしている。ならば私達は奪われようとしている権利を正義として、アスハの理念を打ち砕く。

 その為の力はあります。今、宇宙に在るミステール1に。そして、他でもない皆さんの手に!」

 つたないながらも、懸命さに溢れる演説が続いていた。

 とはいえ、この演説を聴いて、エルにカリスマを感じる者は居ないだろう。そう思わせるにはエルは幼いし、言葉が如何にも借り物に過ぎる。

 しかし、エルの背後に力を感じてくれさえすればいいのだ。エルを動かし、あのミステール1を動かし、そして今、ヘリオポリスの住民を動かそうとしている力在る存在を。そうなれば、住民は間違いなく動く。

 その力在る存在というのがまやかしであり、実際の背後には徒手空拳と言って良いくらいのユウナただ一人が居るだけだとしても。偽りであっても、人が動けばそこに力は生まれるものだ。

 それに、カガリ・ユラ・アスハの扇動に乗って起こった悲劇の記憶は、一人のカリスマに従う事を拒絶するだろう。エルをお飾りとしてトップに置けば、それがユウナとヘリオポリス市民達との間で緩衝材になるとの期待も出来た。

 エルは想像以上に上手くやってくれており、任せても大丈夫。そう考えて、ユウナは無貌のマスクの下で笑った。

 本当にエルは良くやってくれている。ただ一人の……自分を見もしない少年の為に。

 

 

 

 副調整室。無数のモニターと、機械機器とそれを操作するコンソールの集合体。そして、壁一面を占めるがごとき窓からは、撮影中のスタジオを見下ろせる。

 ここは番組制作用機器を操作し、音声、映像等を調整するための部屋。つまりここには、撮られた映像の全てが集まってくる。

 そこのモニターの一つに、ヘリオポリス沖の大型輸送船の映像が映し出されていた。

 その大型輸送船が発する発光信号を見て、ユウナは淡々とその意味を語る。

「SOS信号。そして、大型輸送船が今、通信不能、操縦不能状態でヘリオポリスに向かっている事を伝えてるね。つまり、このままなら衝突するって事を警告している」

 伝えられたニュースに、副調整室に集まっていたスタッフ達がざわついた。

「オーブ軍を退けたのに、こんな事故が起きるなんて……」

 誰かが漏らした言葉に、ユウナはスタッフ達を振り返り見て言う。

「事故じゃない。これは攻撃だよ」

 スタッフ達は、ユウナのいきなりの発言に怪訝な表情を浮かべていた。そんな彼等を前にし、ユウナは芝居の役者の様に大仰に、手を天に向かって差し上げながら肩をすくめる。

「市民移送に大型輸送船が選ばれた。本当に輸送だけが目的なら、通常サイズの輸送船を何隻か使った方が効率が良いにもかかわらず。

 その理由がわからなかったけど、今わかった。大型輸送船の欠点は、効率だけじゃない。例えば……そう、“衝突事故が発生した場合に確実にヘリオポリスを粉砕出来る”。

 いわば大型輸送船を弾頭に見立てたヘリオポリスへの攻撃。攻撃をしたのが誰かは……言うまでも無いだろうね」

 たっぷりと含みを持たせて言い終えたユウナの前、誰もが沈黙していた。彼等は言葉を探して視線を彷徨わせた後、一人がおずおずと口を開く。

「ま、まさかそんな……ヘリオポリスはオーブのコロニーだぞ」

 その台詞を待っていたとばかりにユウナは饒舌だった。

「今、オーブにとってヘリオポリスは存在自体が理念に反する物なんだよ。

 ヘリオポリスは他国に占領されているオーブ領だ。つまり、この占領状態を放置すれば、オーブへの侵略を許さないという理念に反する事になる。かといって、オーブはプラントとの戦争を起こしてヘリオポリスを取り返す事も出来ない。

 どうせ、ここにいるのはZAFTと、オーブの理念に反した罪人のみ。なら、“事故でも起こって、綺麗さっぱり無くなった方が良い”と言うわけさ」

 もし仮に、ZAFT襲撃の後にヘリオポリスが崩壊していれば、オーブはずっと心穏やかでいられただろう。領土の奪回などという難題を抱え込まず、被害者として振る舞う事が出来る。“遺憾の意”でも示しておけばいいのだから簡単なものだ。

 現実にはヘリオポリスは占領されており、オーブの理念に従えば失地回復の為に動く事が必要となる。だが、それは容易ではない。ならば簡単な解決方法は?

 ヘリオポリスを壊せば、領土を取り戻す必要はなくなる。無論、正面から攻撃は出来ないから、事故を装って……

 ユウナはそこまで読みを組み立てた。

「どうやら、宣戦布告は先を越されたようだね」

 なるほど、予想以上だ。そこまではしないと思ったが、見損なっていた。いやはや素晴らしい。オーブという国家に宿る狂気がこれ程とは。

 全く、これ程の狂気に、ユウナ個人の狂気でもって挑むなど、まさに狂気の沙汰だ。

 スケキヨのマスクの下、ユウナの口端がぐっと吊り上がり、凄惨な笑みとなる。そしてユウナは、自らの内奥を睨み付けるかのように胸の辺りに視線を落としたまま言葉を紡ぐ。

「良いだろう。戦争開始だ」

 ゲームを始めるとでも言うかのように軽くそう言うと、ユウナは鋭く“命令”を発した。

「より詳しい情報が知りたい。輸送船と連絡をとろう。ただ、向こうは、通信不能の状態にあるようだから、こちらも発光信号を使う。

 撮影スタッフの内、何人かをコロニー外壁の管理スペースへ。そこからなら外壁の赤色灯をコントロール出来るから、手動で明滅させて発光信号で通信を。モールス信号は、誰か別にわかる者を探して。

 得た情報は全てこの局へ。頼むよ?」

「え……? あ、はいっ!」

 ユウナに指さされたスタッフが、我に返った様に返事をして、通信端末へと駆け寄る。コロニー外壁にいる撮影スタッフに連絡を取るのだ。

 そう動いて当然とばかりに、ユウナは動き出したスタッフに全く興味を示さず、次のスタッフを指差して言葉を続けた。

「ヘリオポリス市庁と警察消防に通報を。

 とはいえ、現在の市庁は人手不足で実行力が無いから、即応は期待出来ない。市民への説明や避難誘導は、このTV局で担うくらいのつもりで居ようか」

 通報を指示した後も、ユウナは自分の考えを続ける。そうする事で、行うべき事をスタッフ達に確認するように。

「そして至急、放送作家を集めてニュース原稿を作って貰おう。基本の筋は、現在入っている情報に忠実に、ただしオーブによる攻撃という事を織り込んで欲しい」

 素早く命令を並べたてながら、ユウナは手元の適当な紙に凄い勢いで文章を書いていく。そして、その紙を放るようにコンソールの上に投げ置いた。

「ざっとまとめるとこんな感じでね」

 紙には、大型輸送船がオーブ軍による攻撃であるという前提に立った上で、ヘリオポリス市民でも知りうる情報からそれが真実であると考える事が出来るように理屈を組み立てた文章が記されている。

 ユウナが書いたのは味も素っ気もない文章だが、放送作家がそれを飾り立ててくれる事だろう。劇的なニュースになるはずだ。

 このニュースが真実であるとする証拠や証明など何もない。だが、それは何の問題にもなるまい。ヘリオポリス市民は、オーブの悪意を知っている。故に、受け入れがたさと戸惑いはあるだろうが、オーブによる攻撃なのだと言われればそれを疑いはしない。

「それから、このニュースを市民に伝える時には、エル様にもお言葉を頂く事。エル様に市民を慰撫してもらう。良いね?」

 既にスタッフ達のほとんどは、ユウナの命令に従って動き出していた。残っているのは、番組制作に重要な役割を果たす者達ばかりだ。彼等はユウナの命令に傾注し、部下に指示を出す者としてその意志を実現しようとしている。

 これは、別にユウナの能力やカリスマに従っているわけではない。

 自信満々に指示するユウナに、現状への対策を持たないスタッフ達が思わず従ってしまったというだけの事に近いのではあるが……加えて、ミステール1という力の存在が大きな影響を及ぼしている。

 ミステール1の圧倒的な力を見たが故に、この危機的状況下で無意識にその力が解決してくれる事を期待してしまい、ミステール1に関わりのあるユウナの声に従っているのだ。

 発言者がユウナではなく、エルであったとしても彼等は従った事だろう。年端もいかない少女に従うという事の異常性に気づきもせずに。

 とはいえ、彼等が従ってしまう状態になるよう用意して演出したのはユウナである為、ユウナの能力が全く無いという訳ではない。

 ここでは、大型輸送船という危機が現れた事で急速に効果を現したが、そう長い時を経ずに全ヘリオポリス市民に同じ様な影響が出たはずだ。

 ユウナはそうなるように仕向け、そして今も行動を続けている。ヘリオポリス市民の心を掌握する為に。それにはここで、もう一度の活躍をしておく必要があった。

 今、ヘリオポリスを砕かれては、全てがお終いになる。

「さて、エル様に関してだけど……」

 衝突を防ぐ為、有効な手段となりうるのはミステール1を動かす事。だが問題はそこにある。

 この危機がなければ、ミステール1は放送終了後にでもゆっくりと呼び戻せば良かった。だが……今はミステール1に、新たな命令を伝えなければならないわけだ。

 先の戦闘での獣じみた動きを見るに、ミステール1パイロットのトール・ケーニヒは、シミュレーションでも見せていた戦闘に没入した状態になっているのは間違いない。

 この状態、肉体の限界がくるまでずっとシミュレーションを繰り返したように、戦闘なら放っておいても続けてくれるので、新たな敵の出現は問題ない。一度出せば、自分が死ぬまで敵を探して殺し続ける、狂戦士か自動殺戮機械といった所だ。

 しかし、戦闘ではない作業的なミッションを与えるなら、トールにはこの状態で居て貰っては困る。命令を理解して貰わなければならないし、戦闘最優先の状態で居られると作業を行わせる事が難しいからだ。トールには覚醒して貰う必要がある。

 そして、この状態のトールを覚醒させられるのは、エルの声だけ。つまり、トールに対してエルから呼びかけをさせなければ命令変更は出来ない。

 だが、ニュートロンジャマーの電波障害を振り切って無理矢理通信を行うような設備は民間にはない。つまり、ミステール1に新たな指示を与えるには、エルをミステール1との通信が行える場所に連れて行かなければならない。つまり隠れ家のシェルターへと。

 いや、テレビ局とシェルターは回線で繋がっているので、エルを残してユウナだけが戻り、テレビ局からシェルターを中継してミステール1へと通信をつなぐ事も出来る。

 出来るが……それでは、ユウナがエルを動かす事が出来ない。まだエルに自ら動く事を期待するのは酷だろう。やはり、エルはユウナの手元に置くしかない。

 今行っているエルの放送は中断してしまう事になるが……どうせ、すぐに緊急速報が始まって、放送は中断せざるを得なくなる。

 問題の解決に際して、迷うような事はなかった。

「エル様は一時本拠にご帰還願う。この未曾有の驚異に、対処して頂く為にね。

 さっき言ったエル様からの慰撫は、本拠から通信で送るよ。今やっている番組は即中断。一刻も惜しいから、僕はエル様とすぐにこの局を出る。その辺りの仕切は任せた。

 さあ、行動を開始しよう」

 そう言いきり、ユウナは自らも動き出す。立ち上がると、副調整室の窓から下のスタジオで語りかけ続けているエルの姿が見えた……

 

 

 

「え?」

 カメラの前、エルが読み上げているプロンプターに映されていたメッセージが急に変わった。

 エルは戸惑いを見せつつ、そのままメッセージを読み上げる。

「……市民の皆さん、新たな脅威が迫りつつあります!」

 戸惑いの表情と声の震えが、意図せずその脅威を一層恐ろしげな物に強調した。エルはその事に気づく事もなく、言葉を並べ続ける。

「その脅威が何かについては、時をおかず皆さんに報される事でしょう。それは数刻を待たずしてやってくる死であり、破滅です。

 ですが、安心してください。あのミステール1が、必ずやその脅威を取り除くでしょう。皆さんに見せたあの力を信じて、心安らかに居られますよう。

 私は行きます。ミステール1と共に有る為に」

 エルはプロンプターの横に立つユウナに気づいた。スケキヨのマスクを被りっぱなしなので表情はわからないが、何やら楽しそうだと感じる。

 そして、そんなユウナの横でプロンプターは最後のメッセージを表示した。

「私は、ヘリオポリス行政官の娘としてお約束します。私とミステール1は、ただ皆さんを守る為に力をふるう事を」

 プロンプターに一礼するよう指示が出ていたので、事前にユウナに指導された通り、昔話の姫君の様にスカートをつまんで優雅に一礼する。

「OK、終了でーす!」

 撮影スタッフ達の中で声が上がり、スタッフ達は一斉に安堵の息を吐いた。そしてそのまま、次の撮影の準備の為、忙しく動き始める。

 そんな中、礼をした顔を上げて取り残されたように立ちつくしていたエルの元へと、ユウナが歩み寄った。

「エルちゃん。今、君が話した通り、このヘリオポリスに脅威が迫っている」

「はい……あの、何が?」

 聞き返すエルを、ユウナはそっと肩を抱くようにして歩かせる。

「詳しい話は移動しながらするよ。今は急がないと」

「急ぐって……何処へ?」

 戸惑いながらも、足を速めていくユウナについて行くエルは、スタジオから外に出るタイミングで聞いた。

「一度、隠れ家に帰るんだ」

 テレビ局の廊下を急ぎ進みながらユウナは答える。詳しい説明はしなかったが、エルはそれ以上を求める事はしなかった。

「あの、着替えとかは」

 エルは、体にまとわりつくドレスや手足で重い音を立てる鎖を不安げに見て聞く。

 テレビ局の衣装なので返さなければと純粋に思ったのが半分、そして急ぐユウナについて行くのに邪魔となるので脱ぎたかったのが半分。

 だが、ユウナは足を止めずに首を横に振る。

「いや、その暇はないよ。僕も衣装を脱げないくらいだからね」

「…………」

 エルは言い返す事はしなかったが、ユウナの衣装というのはマスクだけと言ってしまって良いわけで、そんなのは一分とかからずに脱げるだろうに、それを脱がないのは単に脱ぎたいと思ってないだけじゃないのかと思わないでもなかった。

 ともあれ、ユウナには脱ぐ気も、エルが衣装を脱ぐのを許す気も無いらしい。そう察してエルは、衣装を邪魔に思いながらもユウナの後を必死に走って追いかける。

 二人はテレビ局の廊下や階段を駆け抜け、正面玄関へと向かっていた。

 

 

 

「気付いてくれ……頼む……」

 大型輸送船の船橋の中、船長は手を合わせて遠いヘリオポリスを見つめていた。

 船橋の中は明かりが明滅を繰り返している。無論、故障ではない。

 船橋の片隅。照明の配電盤のケースがこじ開けられ、そこに電気技師が取り付いている。

 また、作業用の投光器から懐中電灯や卓上ライトに到るまで、持ってこられる灯りは全て掻き集められ、各々に人が付いてスイッチに手をやっていた。

「点けて! ……消して!」

 彼らに指示を出すのは通信員の仕事。

 操縦及び通信の復旧が不可能……少なくとも衝突前までにはと察した彼らは、何とかしてヘリオポリスにそれを伝えようとした。

 最終的に衝突するとしても、ヘリオポリス市民が避難するだけの時間……あるいは最後にハウメアへと祈りを捧げる時間位は稼ぎたい。

「いや……ハウメアはオーブの神か」

 船長席で全ての作業を見守っていた船長は、そう呟くと皮肉げに笑みを浮かべた。

「船長、何か?」

 船長席の傍らにしゃがみ込んで、卓上スタンドを五つばかり並べて器用にそのスイッチをオンオフさせていた若いクルーが、船長の独り言に気付いて卓上スタンドから目を離さないままに船長に問う。

 船長は、自分の言葉が漏れていた事に苦笑を深めながら答えた。

「何でもない。ただ……我々は何に祈るべきかと思ってね」

 オーブから捨てられた者は何に祈るべきか? いや……この世界に神は既に居ないのだったか。今、オーブにあるのは、“オーブの理念”という“神”であり、その残酷な神は神罰を下そうとしている。

 意味のない思考だった。答を本当に求めているわけでもない。だが、若いクルーは作業を止めぬままに船長に答えて言った。

「あのMAに祈ったらどうですか? あいつ、凄かったじゃないですか。俺達が逆らえないと思っていた物を全部ぶっ壊しましたよ」

「この困難も打ち砕いてくれるか?」

 そう言って船長は、船橋の窓に目をやる。距離がある為、肉眼で見る事は出来ないが、そこにミステール1が居る筈だ……そう知って見ていると、他と何も変わらぬ筈の宇宙が、そこだけが何やら闇の深淵に繋がっているように感じられた。

 神でなくても良い。救いをもたらしてくれるならば。

 船長は苦笑を浮かべようとしたが、何故か上手く出来なかった。

 漆黒の宇宙。深淵に住まうモノが自分を見ている。不意に、そんな幻視にも似た感覚に襲われ、船長は窓から目をそらす。

 妄想の産物である事は理解しているのだが……

「……へ、返信来た! ヘリオポリスで発光信号!」

 船長の思考は、コンソールのモニターに取り付いていた観測員の上げた声に中断させられた。

 船橋内のスタッフが期待にざわめく。船長自身も、思わず身を乗り出して観測員の手元のモニターを遠くから覗き見る。

 ヘリオポリスの外壁に付けられた赤色灯の内、大型輸送船に最も近い位置の一つ……宇宙船の接触事故を防ぐ為の物で、コロニーの位置を知らせる為にかなり遠距離からでも視認出来るそれが、本来ならば有り得ない定期的な明滅を繰り返していた。

 と、通信員がモニターに取り付き、船長の視界を遮る。

 モニターをじっと見ていた通信員は、ややあってから船橋内に響く声で伝えた。

「ヘリオポリスより、『信号受信。状況を詳しく伝えられたし』です!」

 

 

 

「――ギルぅ!」

 執務室のドアを開けたギルバート・デュランダルを出迎えたのは、甘えと歓喜をたっぷりと含んだ可愛らしい声と、白とピンクで彩られたフリル過剰なドレスをまとった小柄な人影によるタックルであった。

「おっ……おっと、レイ。お転婆さんだね」

 軽い驚きを見せながらも優しく受け止めたデュランダルに、レイは表情を曇らせて言う。

「ご、ごめんなさい……ギルが来てくれて、嬉しくて」

「良いんだよ。私を好きでやったのなら、私にレイを責める理由なんて無いさ」

 デュランダルはそう言って、腕の中のレイを優しく抱きしめた。

「ギル……」

 デュランダルの腕の中で、レイは頬を上気させながら幸せそうに瞳を閉じる。そんなレイを見るデュランダルは、全ての厭い事がかすんでいくような気分になり、その安らぎを一時であっても確かに受け止めようとレイを抱きしめる腕に力を入れる。

「ギル……」

 レイの声に、デュランダルは微かな苦痛の色を聞き取り、力を入れすぎていた事に気づいてその腕の力を抜いた。

「すまない。レイがあまりに可愛すぎるものだから、つい。許してくれるかい?」

「うん……もっと、ぎゅっとして良いよ」

 拘束から解き放たれて微かに息をつくも、今度は力が緩んだ事に不満の色を見せて、レイはデュランダルの胸にぎゅっと体を押しつける。

 その愛らしく愛おしい姿に、デュランダルは己の幸福を感じ取り……同時に、この子の兄とも言える男の事を少しだけ思い出していた。

 このレイは、デュランダルが親友であるラウ・ル・クルーゼから預かった子供であり、色々とその出生に不幸な所がある。

 デュランダルは、その不幸を埋めるに足るだけ幸せを注ぎ込もうと、愛情を注げる限り注ぎ込み、出来る限りの教育を施してレイを育て上げた。今日のレイの姿は全て、デュランダルの努力と愛情の賜物である。

 アカデミーに入れてやりたいので、もう少ししたら人前での立ち居振る舞いを教えなければならないが……いや、このレイを人に見せることなく、完全に自分の前だけのレイに出来ると考えればそれも喜びか。

 ともあれ、デュランダルは心血を注いでレイという原石を磨き上げた。そして今、レイはデュランダルの懐で他の何にも負けぬ輝きを放っている。

 だがそれなのに、レイを預けていってしばらく経ってから再会したクルーゼは、あの男にしては珍しく泣きながらデュランダルを殴りつけた。

 ……いったい、何が理由だったのかは、デュランダルにとっては定かではない。

 「よくもレイをこうも育ててくれた!」とか言っていたが、あれは賞賛の言葉だろう。レイは何処に出しても恥ずかしくないレディとして立派に育てた。だが、人を賞賛しつつ泣くほど怒るというのはどういう事か。

 まあ、彼は変わり者だったし。

 クルーゼとデュランダルとの関係は、その後に何とか修復されたものの、あの事件については二度と触れられる事はなかった。今はクルーゼが世を去り、あの大激怒の真相を知る事は永遠に出来ないと思うと、それも寂しいものだ。

「ギル、どうしたの? 悲しいの?」

 胸の奥に差した陰りを感じ取られたか、デュランダルはレイに問われた。

 クルーゼは、レイが兄と慕った相手。隠すべきでも無いだろうと、デュランダルは素直に心中を語る。

「……ラウの事を思い出してね」

「おにいちゃんの事?」

 レイは少しだけ寂しげに……そしてそれ以上に気遣わしげな表情を見せた。

「ギル……慰めてあげる」

 レイはギルの腕の中で身をよじり、少しだけ身を離すと、デュランダルの首を掻き抱くようにして抱き寄せる。

 前屈みのような姿勢でレイに抱きしめられたデュランダルは、少しの間……有り体に言えば不自然な体勢に腰が悲鳴をあげるギリギリまで、レイの柔らかな抱擁に心を癒された。

「……不思議だね? レイの方が悲しんでいたと思ったのに。私の方が慰められてしまった」

「え? うん……」

 デュランダルは、惜しみつつもレイの抱擁をほどいて身を起こす。そして、ふと感じた疑問をそのまま口にした。

 クルーゼの死の報告があった時、誰よりも悲しんだのはレイだった。しかしそれが……ヘリオポリスに来てからは、そんな素振りを見せなくなっている。立ち直ったのかと思わないでもないが、レイはそれほど強くないと言う事をデュランダルは誰よりも知っていた。

 レイはデュランダルの問いに、少し迷いを見せてから返す。

「おにいちゃんが……死んだって思えないの。死んだって聞いた時は、そりゃあ驚いたけど……でも感じなかった。ここに来たら、おにいちゃんが死んだって納得出来るかもって思ったけど、むしろ逆で……」

 レイはそっと目を閉じ、祈るように手を握り合わせた。

「おにいちゃんが生きてるって、そんな気がするの」

 直感的な物らしい。そういえば、二人は何かしら通じ合ってるような所があった。

「……レイが感じるなら、そうなのかもしれないね」

 デュランダルはそう答える。

 レイが悲しんでいないのに、デュランダルが悲しむわけにはいかない。レイがそう信じるのならば、レイと同じようにクルーゼの生存を信じようとそう決めた。

「なら、悲しむのは止めよう。それより、レイとの一時を楽しむ事にするよ」

「え……もう、ギルったらぁ」

 気分を切り替えて執務室の中へと足を踏み入れるデュランダルの笑顔の台詞に、レイは恥ずかしげに顔をそらしながら、デュランダルのその後を追う。

 デュランダルは、現状の仕事からくる疲れをレイに癒してもらう気満々でいた。

 とりあえず、執務机に制服の上着を投げ置いて、レイが甲斐甲斐しくそれを拾って背広掛けに掛けながら「だらしないよ?」なんて叱ってくれるのを楽しもう。

 それから、応接セットのソファに腰をかけ、レイにお茶を頼もう。そしてお茶の支度が出来たら、レイを膝の上に乗せて二人でお茶を楽しむのだ。

 そこまで素早く計画を組み上げ、デュランダルは制服を脱ごうと襟元に指をかけた……が、その時、机の上の通信端末が内線通信を受信したと、遠慮無しの呼び出し音を鳴らす。

 全ての計画が延期……いや中止にすらなりかねないその呼び出し音に、デュランダルは秀麗な眉目をしかめた。が、まさか無視するわけにも行かない。デュランダルは通信端末に指を走らせ、通信回線を開く。

『こちら守備隊指揮所! あ、あの……大変です! オ、オーブの船が……』

 回線を開いてすぐ、向こうから慌てた声が叩きつけられてきた。オペレーターだろうまだ若い女の声がうわずって話そうとするのを止め、デュランダルは慎重に話す事を促す。

「落ち着いて。ゆっくり話してかまわないよ?」

『は、はい……』

 通信端末の向こうでオペレーターが深く息をつく音が聞こえる。それから、オペレーターはさっきよりも落ち着いた口調で話し始めた。

『先のオーブ軍とMAの戦闘終了後、ヘリオポリスの赤色灯が定期的な点滅を開始した事を確認。調べてみると、オーブの大型輸送艦と発光信号で通信を行っている様でしたので、内容を傍受した所……』

 そこまで言って、オペレーターは緊張の為に唾を飲み込む。それから、緊張を抑えて話を再開した。

『オーブの大型輸送艦が操縦不能状態にあり、ヘリオポリスとの衝突コースを現在も進み続けている事がわかりました。こちらで行ったシミュレーションも、大型輸送船が大幅な進路変更を行わない限り、衝突は免れないとの結果を出しています。

 衝突まで、時間はまだ少しあるんですが……』

「っ!?」

 その報告に、デュランダルもさすがに表情を険しくする。

「至急、対策を練らなければ……守備隊司令は何と?」

 状況が状況だけに、ZAFTの協力は必要になるだろう。そう当たり前のように判断したデュランダルは、当然情報は行っているものと考えて守備隊司令の見解を聞こうとした。

『は、はい……それが……』

 オペレーターは言い淀む。その反応を聞いた瞬間、デュランダルの中に嫌な想像が膨れあがった。

「まさか!?」

『し……司令は、戦闘可能な兵を集め、装甲車で出撃しました! 作戦行動中は、通信封鎖して一切の連絡を絶っています。それで……』

 オペレーターは泣きそうな声を上げる。

「……やってくれたな」

 ZAFTお得意の抜け駆け。手柄を立ててしまえば何でも許されるという風潮を放置し、それに無能が加わればこんなものだ。

 デュランダルに呼び戻されないよう通信封鎖までしているという念の入った愚かさに、デュランダルは沸き上がる怒りを止める事が出来なかった。

『あ、あの! どうしたら良いんでしょう!? 指揮所にも、新兵しか残されて無くて……誰も判断出来ないんです』

 オペレーターが、悲鳴のような声でデュランダルに問う。

 なるほど新兵ばかり。どうりで通信が覚束ないわけだと納得したが、そんな事で納得出来てもしょうがない。

「そうだね。まずは、保有するタグボートや作業用MAを確認。出港準備を……いや、その前に、ヘリオポリスのMAはどうしているかな?」

 タグボートや作業用MAを出して牽引して大型輸送船の進路を変更するという、ごく普通の対応を指示しようとして、デュランダルは突然、ザクレロの事を気にした。

『え? えと……戦闘終了後に動きを止めてそのままです』

「まだ、宇宙にいるか……ならば、ダメだな」

 オペレーターの答えに、デュランダルは与えようとした指示を取り止める。

「守備隊が交戦中である以上、タグボートや作業用MAであっても、戦場に送り込めば敵と見なされかねない」

 普通に考えれば、基本的に非武装であるタグボートや作業用MAであっても、今現在において戦闘中である敵が送り込んできた物であれば警戒をするだろう。撃墜される可能性もあるし、そこまで行かなくとも作業を拒絶される事は十分に考えられる。

 ヘリオポリスの勢力と協力して対策を行う事が出来れば最良だったろうが、無論、それが許される状況にはない。一方で戦闘しながら、一方で協力を呼びかけるなど通じる筈もないからだ。

「……全て、守備隊司令殿がぶち壊しにしてくれた訳だ。ここは彼を呼び戻す事も含めて、対策を検討しなければならないな」

 怒りを吐露する自分をまだ若いと思いながらも、デュランダルはそう言わずにはいられなかった。

 いっそ、守備隊司令が“戦果”を上げる前に、首根っこを掴まえて引きずり戻す事が出来れば、対策の執り様もあるのだが……前提として、通信封鎖している装甲車を呼び戻す手段なんて物があればの話だ。

 付け加えれば、向こうはこちらから呼び戻される事を当然の様に想定していて、それを完全に無視する気でいる。装甲車は動く密室だ。通信封鎖さえしてしまえば、見たくない物を見ず、聞きたくない事を聞かない事は容易かろう。

 呼び戻すなどという悠長な事ではなく、力尽くで引きずり戻せれば楽なのだが。

「ともかく、これから指揮所へと戻る。情報収集の継続と、動かせる人員と設備装備のリストアップをしていてくれたまえ」

『了解しました!』

 オペレーターの返事を聞きながら、デュランダルは通信を切った。

 それから、傍らにいるレイに向き合い、心の底から申し訳なさげに笑いかける。

「すまないレイ。君との一時を楽しむ事は出来なかった」

 軽く詫びてから、執務室を出ようとするデュランダル。そんな彼の背に、レイは静かに問う。輝く様な笑顔で。

「その、装甲車で出た守備隊司令さんをどうにかすれば良いの? そうすれば、ギルの仕事がしやすくなるんだね?」

「ああ、そうだとも。頭痛の種という所さ」

 笑いを含みながら言い返して、デュランダルは振り返る事もなく執務室を出て行く。

 残されたレイは、笑顔のままでデュランダルを見送り、それから少しの時間を見計らってから自らも執務室のドアに駆け寄った。

 そっとドアを開ける。隙間から頭だけを出してキョロキョロと見回し、誰もいないのを確認してからレイは執務室を出た。

「ギルのお手伝い~」

 スカートを翻し、レイは廊下を駆け出していく。その向かう方向には、ZAFTの駐留する港があった。

 

 

 

 ユウナとエルが辿り着いたテレビ局の玄関ホール。そこには、一人の若いスタッフが待っており、二人の姿を見るや声を上げる。

「出てすぐの所に車用意しておきました! キー刺さってます!」

「ありがとう!」

「あ、ありがとう……」

 ユウナとエルは、お礼を言いながらそのスタッフの前を走り抜け、玄関ドアをくぐって外へ出た。そこにはエレカが一台止まっており、更にご丁寧な事にドアまで開けられて乗客を待っている。

 迷うことなくユウナが運転席へ、エルが助手席へと飛び込み、音を鳴らしてドアを閉めた。

「さ、行こうか。シートベルトを……」

 言いながらユウナはルームミラーの向きを調整し……その手を止める。

「これは参ったな。読みが外れた」

 ルームミラーの中、テレビ局前の道路が映り込んでいた。

 路肩に壊れた車やビルの破片が点々と転がり、路面にも瓦礫や小穴が散見される、廃墟同然にも見える路上には、他の車どころか歩行者の姿もない。

 しかし、遙か遠く、こちらに向かって走ってくるZAFTの装甲車があった。

 その数、3両。兵員輸送タイプ。砲塔に機関砲付き。何の為に出てきたかは、想像に難くない。

 理性的な者なら、ミステール1との戦力差を思い知れば降伏の一択しかないと考えていたのだが……どうもコーディネーターは、彼等が宣伝する程に理性的な存在ではないようだ。

 それでも、たいした問題ではない……ユウナとエルが、ZAFTに見つからなければ。

 ZAFTのテレビ局襲撃は有り得ると事前に考えて、テレビ局内からの脱出路は有る程度考えていた。見つかっていない内に逃げ出して、市街に紛れれば逃げ道は幾らでもある。テレビ局が破壊されても、それはユウナの失点にはならない。反撃は悠々出来たろう。

 しかし今、ユウナとエルのいる場所はテレビ局の外で、しかも装甲車は明らかにその速度を上げてきていた。

「見つかったかな」

 ユウナは呟く。とりあえず周囲に目を走らせるが、自分達の存在以外に装甲車が加速する原因となりそうな物はない。

 着替えもさせずにエルを連れ出したのが悪かったか……拙い所を見られた。

 ZAFTの敵となったミステール1の背後にいる組織の首領と見なされる少女が逃げようとしている。どうするか? まず、追いつめて捕らえるなり殺すなり。

「……エルちゃん」

 ユウナは、助手席で衣装と鎖に邪魔されてシートベルトを付けるのに手こずっているエルに優しげに声をかけた。

「ジェットコースターとか好きかい?」

「え? ジェ、ジェットコースターですか?」

 訳もわからぬ様子で聞き返すエルの腰の辺りで、シートベルトの金具がはまるカチリという小さな音が鳴る。

「うん、好きなら良いんだけど」

 ユウナは言って、いきなりアクセルを踏み抜く。急発進の反動で座席に沈み込むエル。その喉から漏れる小さな苦痛の呻きをご褒美に、ユウナはエレカをトップスピードに叩き込む。

 エレカは弾かれるようにテレビ局前から走り出し、荒れた路面の上にその車体を滑らせた――

 

 

 

 路上。急旋回から走り出し、一気に加速するエレカの助手席で反動に揺さぶられるエルは、太鼓の音を聞いたと思った。ドドドッと腹に響く連続音。

 しかし、直後にエレカの隣にあったビルの壁が砕け、破片を降らせるにあたり、自分達が銃撃されているという事に思い当たる。

「っ!」

「大丈夫、威嚇射撃だ! 外してくれてる!」

 エルが悲鳴を上げようとした気配を察して、ハンドルを握るユウナ・ロマ・セイランは言葉を短く切りながら叫んだ。

 本当に威嚇射撃なのか、それとも単に狙いを外しただけなのか、ユウナにわかる筈もなかったが、エルを落ち着かせる為の方便だ。エルが怯える様は美味しいが、それはもっと落ち着いた環境で楽しみたい。

 それに、威嚇射撃だろうと、単に外しただけだろうと大差ない。自分たちがまだ粉々になっていないという事実があるなら、それで十分だ。

 装甲車の砲塔につけられた機関砲……口径12.7mmか20mmか。何にせよ、エレカとその中の乗員を粉砕してお釣りが来る威力がある。苦しまずにミンチになると思えば、随分と味気ない。

 軍人さんは無粋だから、楽しむ事を知らない――そんな事を考えながらユウナは、ハンドルを切ると最も近い曲がり角にエレカを突っ込ませる。

 エレカが角を曲がってタイヤを滑らせた直後、角にあったビルの壁が砲弾に砕けて爆ぜた。

 当てに来たか? 瞬間、そんな疑念を抱きつつ、ユウナは次に曲がる道を探して道路に目を走らす。

 一見、通れそうな曲がり角は幾つもある。しかし、ここはかつて戦場になった場所だ。復旧作業はされていたが、それでも大穴や瓦礫で通行不能になった道は幾らでもある。

 普段、使っている道を使えれば楽なのだが、その道はほぼ直線で道幅も広い。敵に追ってきてくださいと言っているようなものだろう。

 そんな事を考えている間に、バックミラーには装甲車が先程の角を曲がってくるのが映っていた。

「ずるいな。性能が段違いだ。せめて、スポーツエレカなら勝負になるんだけど」

 ユウナは、舌打ち混じりに呟く。

 趣味人用のスポーツタイプならともかく、一般用のエレカなど、それほどスピードの出る物ではない。狭いコロニーの中では、さほどスピードは必要とされないのだ。そこそこのパワー、そこそこのスピード、燃費最優先でバッテリー長持ちというのが基本。

 一方、相手は軍用車。装甲と武装で重いが、動力のパワーは桁違い。それはスピードにも反映される。

「でも、重い分……小回りはどうだい?」

 ユウナは急ハンドルを切り、エレカを直角に近い角度で右折させた。タイヤが悲鳴のように軋み、路上に黒く四本の弧を描く。そしてエレカは、そこにあった細い脇道へと車体をねじ込んでいく。

 ビルとビルの狭間でしかないその道は掃除などされているはずもなく、小さな瓦礫を踏みつける度にエレカはガタガタと車体を揺らした。

「これでも、安全運転主義なんだけどなぁ。金免許狙ってたのに」

 揺れるエレカの中、ユウナは苦笑を浮かべる。

 ユウナは常に安全運転を心がけていた。何せ、法定速度を守っている車のトランクを開けようとする警官はいない。

 まあ、そんな安全運転主義も今日は返上だ。ユウナは、脇道から本道に走り出ると同時に、エレカをスピン気味に滑らせて方向を変え、速度を落とさずに本道を走り出す。

 と、直後に、出てきたばかりの脇道からコンクリートの破片を撒き散らしながら装甲車が飛び出して来るのが、バックミラーに映った。

「壁を削りながら抜けてくるなんて、ガッツが有るじゃないか」

 そんな台詞を言える程の余裕など無かったのだが、それでもユウナは肝が冷えていく感覚から無理にでも気を紛らわせようと無駄口を叩く。

 それから、ハンドルをねじ切らんばかりに回して、一番近くにある角を曲がった。

 その道は、隠れ家へは通じていないが、今はとにかく逃げなければならない。

「いやぁ、スリル満点だ。楽しんでるかい、エルちゃん……エルちゃん?」

 隣に座るエルに声をかけ、ユウナは彼女の異変に気付く。

 エルは、顔を蒼白にして、恐怖に震えるというよりも痙攣でも起こしているかのように身を震わせていた。

「あ……ママが……ママが……あの時も……こ、こんな……」

 エルは、説明にならぬ言葉を短く繰り返す。

 それでも何とかユウナが察する所、エルにはこの状況はトラウマ直撃だったらしい。

 そう言えば、エルは母親と共に逃走中、オーブ軍に追い立てられて最後には母親を殺されたのだったか。

 ユウナはそう思い返しつつも、エルを哀れむではなく、沸き立つ衝動を楽しんでいた。

 実に良い。そそり立つ。これで「命だけは助けて」とか言われたら、パンツの中にぶちまけてしまうかも知れない。

 だが、今はお楽しみタイムとは行かないのが難点だった。

「大丈夫だよ、エルちゃん。大丈夫……」

 宥めようと声をかけ、それで言葉に詰まる。今、事態を好転させる材料はない。

 背後に迫り来る装甲車の気配に、背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、ユウナは明るい声を出して言った。

「きっと、御加護があるさ」

 何の加護なのかは、そう口走ったユウナにもさっぱりわからなかったが、その言葉を聞いてエルは顔を上げる。

 彼女のその視線の先には、宇宙空間に漂うザクレロ。トールのミステール1が居るはずだった。

 

 

 

 ヘリオポリス厚生病院。混み合った待合室の一角に座っていたカズイ・バスカークは、他の患者や見舞客、看護婦など待合室に居合わせた他の者達と共にテレビを見ていた。

 オーブ軍による強制収容を受ける支度をして、母親を見舞いに来て偶然に見たもの……それは、オーブ軍を蹴散らすMAの姿。

 更に続けて、ZAFTのMS部隊をも一蹴したそのMAは、続く放送でその姿を現した少女の配下なのだという。少女は、そのMAがヘリオポリス市民の為の力なのだと言った。

 人々は喝采した……となれば良いのだろうが、実際はそうはならず、カズイも含め、人々はあまり大きな反応は見せず、ただテレビを食い入るように見つめてる。

 熱狂しやすい人間は大概がアスハ派として骸になっていたし、残されたのは国家に裏切られて何かを信じると言う事に疲れている者がほとんど……故に、反応は今ひとつ盛り上がらないのだ。

 自分達を救う為にオーブ軍と戦ったMAがあったという事には、絶望しかなかった未来に道が拓けたかのような思いでいる。その事に対する感謝の思いもある。だが、それでも心が動かぬ程、人々の心は疲弊していた。

 それに、オーブ軍が撃退されたのは良いが、状況が大きく変わりすぎていて、次に何をしたら良いのかなどがサッパリわからない。強制収容を受ける為の準備が無駄になったとわかるくらいだ。

 だからこそ、今は熱狂するよりもテレビに集中して、情報を得ようとしているのだ。

 何をしたら良いのか、それを探る為にも。

 そこへ、次のニュースが飛び込んできた。

 画面には、廃墟に近い位に壊れたヘリオポリス市街を疾走する一台のエレカと、それを執拗に追うZAFTの装甲車が映し出される。市街カメラの映像だろうそれは少し掠れていたが、逃走劇の緊迫感を伝えるには十分な迫力があった。

 アナウンサーは、先程の少女がZAFTに追われているのだと緊迫感を持って実況する。

 それを聞いて、流石に人々に動揺が走る。

 せっかく、助けとなる人物が現れたのに、それが奪われようとしていた。喪失しようとして初めて、人々は危機感を感じたのだ。

 待合室内にざわめきが起こる。囁きあい、呻き、嘆き、そしてそのままテレビに視線を戻す。だが、幾人かは立ち上がって待合室を出て行った。

 提示された希望は夢だったと割り切って、日常の作業に戻るのかも知れない。

 だが、そうでない者もいるのだろう。

 カズイは、待合室を出て行く者達の背を見送って、そんな事を思った。

 怖いと思う。

 ただただ、そう思う。

 あの日の戦争を忘れてはいない。いや、忘れられない。

 死ぬのだ。戦場では誰彼の一切の区別無く死ぬ。

 そんな戦場に向かうであろう人が居る。理解は全く出来ない。

 カズイの父の様に凄惨な死を遂げるのか、あるいは生きても母の様に手足をもがれ全てを失う事になるのか。カズイはそれが怖くてならない。

 戦争とは、空を飛ぶ鳥の様な物だ。人は、地べたを這いずる虫けらに過ぎない。空から降りてきてついばまれればそこで全てが終わる。

 頭を隠し、地に潜り、戦争が何処かへ去るまで隠れていればいい。なのに、どうしてわざわざ、空の下へと這い出ていくのか? 全くわからない。

 だが一方で、戦いに向かった人を笑う事など出来ない……いや、そんな資格はないのだという事も、カズイにはわかっていた。

 彼らを非難出来るのは、何か戦う以外の他の手を打つ事が出来た者だけだ。戦う勇気もなく、かといって他に何も出来ず、テレビの前で不安に苛まれているだけカズイにはそんな資格はない。それくらいの事はわかる。

「情けないな」

 呟きが漏れた。

 今のカズイには、重傷の母を支えるだけで精一杯だ。他の事にはとても手が回らない。

 そんなカズイの周りで、様々な事件が起こっている。その一つ一つがカズイのこれからに大きな影響を及ぼすもので、座視してて良いものでは決してない。

 今日のこれも、きっとそうなんだろう。

 でも、それでも、立ち上がる事は出来なかった。

 カズイはいっそ逃げ出したかったのだ。何もかも……全てを捨てて。逃げ場所がないので逃げ出せないだけで、カズイは逃げ出したかった。全てから。

 

 

 

「可愛い子だったねぇ」

 テレビ前に置かれたソファに座り、太めの中年女性が一人、テレビに向かって呟く。

 緊張した面持ちで、歳に合わないドレスを着た少女……エルが、熱心に台詞を語るのを見て、彼女は僅かに微笑んだ。その微笑みは酷く久しぶりのものであったが。

「昔の、あの子みたい」

 娘が子供だった頃を思い出す。学芸会で舞台に立つ、幼い少女だった頃の娘。

 中年女性は視線を僅かに動かし、部屋の片隅に付いたドアに目を向けた。

 娘はそのドアの向こうにいる。ドアの向こうの子供部屋が、娘の宝箱へと変わっていく時を共に過ごした。

 あの日、流れ弾を受け、そのドアの向こう側は、娘もろともこの世から消えてしまったけれど。

 中年女性は目を閉じ、視線をテレビに戻した。

 いつの間に時間が経っていたのか、テレビは先程の少女の演説とは違う映像を映している。

 どうやら、何かがあって少女は外へと出たらしい。そして、ZAFTに追われている様だ。

「……あらあら。あれは何処へやったかしら」

 中年女性は苦笑めいた笑みを浮かべると、ソファの前のテーブルに乱雑に積まれたチラシの山に手をやった。

「あの子がいないと、片づかないから……本当、ダメね。あ、これよこれ」

 チラシの山から一枚の紙を引っ張り出して、中年女性は満足そうに頷く。

 その紙には『携行対戦車誘導弾取扱説明書』とあった。

 

 

 

 装甲車による追撃は順調だった。

 敗北主義者の政務官ギルバート・デュランダルを出し抜いた甲斐があったと、車列先頭を走る装甲車の兵員収容スペースのベンチに兵達と共に腰掛けて、守備隊司令はほくそ笑む。

「殺すなよ? 生け捕りにして、たっぷり締め上げねばならんからな」

 通信機のマイクを取って、余裕たっぷりに指示を下す事も出来た。

 通信は、短距離通信のみを許可している。港湾部にある指揮所からの通信は排除した。

 誰も邪魔をする者は居ない。いや、誰にも邪魔できるものか。獲物は最早手の中にあると言っても良いのだから。

 反乱勢力の首魁は必死に逃げようとしているが、ちゃちなエレカで逃げ切れるものではない。生け捕りの目論見がなければ自ら砲手か運転手を代わりたいと思う位に基地司令は高揚していた。

 が……その高揚を冷ます音が突然に響く。

 カーンと高い、装甲を叩く音。

 最初はそれが何かわからなかった。しかし、続けて一度、二度と鳴るその音に、守備隊司令は問う。

「何だ、この音は!?」

「銃撃されてるんです。ご安心を。装甲車は安全ですよ」

 問われた兵士は、何でもない事の様に答える。その兵士は、装甲車を使ったパトロールで何度か銃撃を受けた経験を持っており、そしてそれに効果がない事を知っていた。

 先のZAFT襲撃時、オーブ軍は市民にまで武器をばらまいた。また、戦闘終了後には、かなりの量の遺棄武器がヘリオポリス中に落ちていた。

 それらは、アスハ派によるZAFTへの抵抗活動や、反アスハ派によるアスハ派狩りなどに使用されてきたのだが、使用される事もなく秘匿されていた物が今日になって引っ張り出されてきたのだろう。

 装甲車の真正面に躍り出る様な者はおらず、建物の角や窓から散発的に銃撃が行われる。

 しかし、拳銃や自動小銃程度では、装甲車をどうにか出来るはずもない。装甲車の表面で火花が散って終わりだ。

「愚かなナチュラル共が、無駄な攻撃を」

 守備隊司令は、その抵抗を蔑み笑う。そしてわざわざベンチから身を起こし、後部ハッチにつけられている銃眼から外を覗き見た。

 すぐ後ろを走行する装甲車二両。その表面で時折、火花が散るのが見える。それが弾着の証なのだと察して、守備隊司令は満足げに頷きつつも、侮蔑の笑みを更に深くした。

 自分達に刃向かう者は全てナチュラルだ。ナチュラルなのだから、愚かで脆弱で当たり前なのだ。

 無力すぎるナチュラルを意にも介さず、反抗の首魁を討つ。思い描くそんな姿に、守備隊司令は自身のヒロイズムを満足させた。

「たわいのない。こんな連中を恐れる、政務官殿の気が知れないな」

 

 

 

 彼女は、車列の最後尾を行く装甲車の中にいた。

 ZAFTには長く勤めている。だが、兵士と言えば格好は付くだろうが、所属は会計課であり、軍務にまつわる書類仕事が任務だ。

 歩兵としての訓練も受けた事はある。しかし、それは戦えるという事を意味しない。それなのに、守備隊司令の命令で動員され、歩兵として装甲車に乗せられてしまった。

 そんな自分が纏うヘルメットと、握りしめる小銃が重い。

 装甲車に同乗しているのは、ほぼ全員が彼女と同様の立場の人間であり、つい先程までは戦いに赴く事など考えても居なかった者ばかりだ。誰もがその顔に不安を露わにしつつ、小銃を持て余し気味に抱え込んでいる。

 基地にいたほんの僅かな本当に戦える兵士達は全員、守備隊司令の装甲車に乗っていた。

 戦えない兵士ばかりを詰め込んだ装甲車……出撃前に、敵はナチュラルだから戦闘になっても鎧袖一触蹴散らせると勇ましい言葉を嘯かれてはいたが、それを信じていても怖いものは怖い。

 戦いの不安から逃れようと、別の事を考えようとする。

 今日、ついさっきまで手がけていた書類……補給に関する申請書で、今日中にまとめてデータ化してプラントに送らなければならないが、間に合いそうにないなと。

 残業かな? ああ、手当が出るわけでもないのに。

 休みが欲しい。次の休みは何時だっけ? プラントに帰りたい。

 お母さんが、子供を作れる相手を調べて結婚しなさいって言ってたっけ。こんな事やらされるなら、言う通りにしておけば良かった。

 いや、これが終わったらZAFTを辞めて、お母さんの言う通りに……

 

 

 

 街路の角で、廃ビルの窓で、残骸の影で。誰と言える程、人々は統一されてはいない。老若男女関係なく、ただ銃を持ち、恐怖に怯える事無く、されど狂気に陥る者無く、ただひたすらに銃撃を行う。

 戦いが日常の中に忍び込み、恐怖は慣れが麻痺させていた。

 未だ失うモノを持つ人はまだ正気で居られたのだ。全てを失った人には何も残らなかった。狂気に到る心さえ残っては居なかった。

 何でも良かったのだ。ただ、理由があれば良かった。それは、アスハ派狩りと言われた殺戮も同様だったのかも知れない。

 戦う事にだけ意味を見出す事が出来た。死ねば解放されるし、殺せば自身の失われたモノへの手向けとなる。

 襲撃に加わる全ての人の中に、歓喜の情があった。戦いは「祭り」に等しかった。

 拳銃、自動小銃、機関銃。雑多な火器が用いられ、装甲車の表面で弾ける。

 車列二番目の装甲車に、長く尾を曳く炎が突っ込んでいった直後、その装甲車は突然横腹に爆発を起こし、その衝撃で路上を横に滑った。

 更にそこへ後続の装甲車が突っ込んで互いを弾き飛ばし合う。

 体勢を完全に崩した状態で追突される形になった前の車両は、跳ねる様に宙に浮き上がり、横転して地面に叩きつけられる。

 後続車は衝突の衝撃で進路を曲げ、街路脇に積まれた瓦礫の山に突っ込んで、その身を埋める様にして動きを止めた。

 何が起こったのか?

「テレビで見てたんだよ!? 何だい、相手は子供じゃないか! あんたら、子供を虐めようってのかい。みっともない!」

 街路の端、太めの中年女性が道の脇に仁王立ちになり、空になったミサイルランチャーを片手に怒鳴っている。そして、気持ち良く怒鳴り終えると、ランチャーを持ったまま、集合住宅らしきビルへと入っていった。

 中年女性が去って僅かな間を置き、街路には方々のビルから人々が出てくる。大方は、その手に銃を持っており、彼らが今まで装甲車に攻撃をかけていた市民だというのは明らかだった。

 街路には、動きを止めた二両の装甲車。

 周囲を囲う市民達の中、誰かが装甲車に向かって一歩、足を進める。他の誰かも追随する。誰かが走り出す。誰かが雄叫びを上げる。

 皆が走り出す。雄叫びが怒号に代わる。

 

 

 

 目の前の出来事だった。

 一発のミサイルを浴びた装甲車が破壊され、もう一両もそれに巻き込まれて大破する。

 その光景が、どんどん遠くなる。と……その光景が遠くなる速さが鈍った。

「な、何をしている!? どうして止める!」

 破壊された後続の装甲車を為す術もなく見ていた守備隊司令は、自分の乗る装甲車が止まろうとしているのだと気付いて声を上げた。

「停車して、仲間の救出を」

「こ……ここで止まっては、敵を逃がすだろう!」

 守備隊司令は、兵士からの進言にヒステリックに叫び返す。

「そ……装甲車なら、中にいれば安全だ。敵を倒した後でも、十分に救出出来る」

 横腹に大穴を開けて横転している装甲車があるというのに、安全も何も有りはしなかった。

 ちらりと銃眼に目をやる。今まで隠れて戦っていた市民達が街路に溢れ出て、動かない二両の装甲車を取り囲もうとしているのが見えた。

 装甲車の中、兵達がどんな状態であるかは知れない。無傷とはいかないだろう。

 それに、攻撃を受けた車両には、戦闘員とは言い難い兵……守備隊司令が出撃時に掻き集めた後方要員達が多数を占めていた。

 救出に行かなければ、彼らは非常に危険な状況に陥る事となる。

 装甲車の機関砲を撃ちながら飛び込んでいってあの領域を占拠。兵を出して、二両の装甲車から負傷者を救出する。それは十分に可能な筈だ。

 だが、ミサイル攻撃があるかも知れない……つまり、敵が自分を殺す手段を持っており、自分が無敵ではないのだという事を知らされた今、敵の群れの中に飛び込む事は恐ろしかった。

 ……恐ろしい? コーディネーターの自分がナチュラルを怖がっているのか?

 守備隊司令が自分の考えに愕然とした時、脳裏にチラと宇宙の映像がかすめた様に感じた。虚空に殺戮を為すモノ……

「ひっ……」

 何故か、それ以上に思考をする事は出来なかった。

 だが、心の奥底から沸き上がってくる恐怖感は変わらない。

 戻って兵を救出するという指示は出せなかった。

 それを、敵の首魁を抑える事こそが至上なのだと理屈をつけて合理化する。

「は……早く追跡を再開しろ! 遅れれば、その分だけ味方を救出する時間が遅れるぞ! 早くしないか!」

「……了解しました」

 兵士は一瞬、抗弁する気配を見せたが、怒りを溜息と共に吐き出して命令に従った。

 仲間を見捨てろと言う命令を、安全な所から喚くしか能がない男に言われれば、そんな反応を見せもするだろう。

 それでも、従って見せたのはその兵士の矜持からだけなのかもしれない。他の兵士達も反抗の兆しを見せていたが、その兵士が従って見せる事で各々感情を抑えた。

 装甲車は再び速度を上げ、ユウナとエルの追跡を開始する。

 

 

 

「あっはっはっはっは! やるじゃないか、ヘリオポリス市民も!」

 装甲車に対する攻撃があった事は、爆発音とバックミラーで知る事が出来た。

「このコロニーに澱の様にへばりついた狂気! それに蝕まれた最高に素敵な人達だ。こうなったら、彼らを絶対に手に入れるぞ!」

 ユウナは高揚して声を上げつつ、装甲車の追跡を振り切る為に折り返しを繰り返していた進路を改め、進路をまっすぐに隠れ家としているシェルターへと向ける。

 エレカは修復が進んだ大型道路に出て、スムーズに街を走り抜けていく。

 巻き込まれなかった装甲車が止まろうとしている所までは見ていた。

 普通ならそうする。当たり前の判断なら、止まって味方を救出するだろう。そして救出した味方の治療の為に帰還する。そうユウナは考えた。

 だが、その考えは覆される。

 エレカが街を出ようとしたその時、装甲車はエレカの後方に姿を現した。

「な……見捨てた!?」

 時間的に考えて、それしか有り得ない。ユウナは、ZAFTが味方の兵を見捨てて追撃してきた事を悟り、白面のマスクの下の顔を青ざめさせた。

「しまった。あいつ等、馬鹿か、そうでなけりゃ英雄だ」

 エルとユウナを捕まえて、それで味方を見殺しにした罪に問われれば馬鹿。捕まえた功績で上手い事やれれば英雄。何にせよ、普通じゃ無いらしい。

 だが、それが解った所でどうしようもなかった。

 エレカは今、街を抜けて開発地域とされている平原に飛び出してしまっている。ここでは、身を隠す場所もありはしない。

「あ……ああ……ここで……ここでママが……ママが……」

 助手席のエルは、恐怖に目を虚ろにさせて譫言の様に呟いている。

 どうやら、過去のトラウマと、自分達の境遇が見事に重なっているらしい。

「冗談じゃないぞ」

 ユウナは、ハンドルを握る手に力を込めた。

 エルが壊れかけている。さすがに母を殺した状況の再現は、精神に過度の負担となったらしい。

 しかし、現状ではその再現を止めるわけにはいかなかった。

 遮る物のない開発地域。追ってくるのは、性能的にも戦力的にも段違いの装甲車。捕まればそこでお終い。

 とりあえずユウナはアクセルを目一杯踏んでエレカを走らせるが、装甲車との距離は縮まるばかりだった。

「お……にいちゃん……トールおにいちゃん……」

 助手席から、祈りの声が聞こえる。

 その声を聞きユウナは、恐怖に縮こまっていた竿がぐんといきり立ったのを感じた。

「ふ……ふふぅ」

 エルは、宝石の様に輝き、蜜の様に甘い、とても素晴らしい少女だ。“浮気”しないように我慢しなければならない辛ささえもが甘美なのだ。

 それを、こんな所で、あんな連中に壊されてたまるものか。

 ユウナは、そんな思いからエルを守ろうと頭を働かせる。恐怖に鈍っていた頭が、素早い回転を取り戻した。そして……

 その明晰な頭脳が弾き出した答は、『これは詰んでるんじゃないか?』だった。

 直後に、装甲車が放った機関銃弾がエレカの周囲を耕し、数発の弾丸がついでとばかりに運転席側の後ろ半分をもぎ取った。

「きゃあああああああっ!」

「ぐっ…………!?」

 振動。そして、回転する車体にユウナとエルは翻弄される。

 そしてエレカは、道から外れて止まった。かつて……エルの母が死した時と同じ様に。

 

 

 

 エルはずっと震えていた。その間はまるで、夢を見ていた様にも感じる……

 やがて、車は街を出る。この先は開発地域とやらで、何もない平原や森が続き、外壁に当たるまでは何の施設もない。

 車は、郊外の森の側を抜けていく。と、そこに来た時、エルはふと窓の外を見上げた。

 空から下りてくる人……MSの姿が見える。

 直後、背後から、先ほど屋敷を出る時に聞いたのと同じ連続音が響き、車がいきなりスピンを始めた。エルは助手席にシートベルトで留められたまま振り回される。

 ――僅かな時間、エルは気を失っていた。

 目覚めたエルは、まっさきに“母親”がいる運転席を見る。“母親”は……ハンドルにもたれる様に身体を倒していた――

 逃げないと……

 そう考えてエルは、エレカのドアを開けて外へと出る。

 それから、ふらつく身体を必死で動かして、運転席の方へとまわった。

「ママ! ママぁ!」

 運転席を開こうとするが、開かない。呼びかけても、中の“母親”は動かない。

 エルは必死で呼びかけながらも、その光景を何処かで見た様に感じていた。

 一度見た光景。一度繰り返した行動。そう、そして……確かこの後に……

「トー……ル……?」

 誰かが来てくれる。そんな気がした。

 

 

 

「ははっ……やったぞ!」

 守備隊司令は装甲車の中で一人喝采を上げた。

 装甲車はついにエレカを追いつめ、機関砲を浴びせて停止させるに至ったのだ。

「つ、続けて撃て! 殺せ!」

「今なら逮捕が容易に出来ますが?」

 守備隊司令の命令に、兵士が言葉を返す。

 相手には恐らく武器もない。容易く取り押さえる事が出来る。

 その進言に守備隊司令は少しだけ頭を働かせる。

 逮捕するのは良い。そっちの方が手柄が大きくなる。何か情報でも引き出せれば、さらに手柄となるだろうが、それには生かして捕らえる必要がある。

 捕らえる為には何をしなければならないか。兵士達を向かわせる。それは良い。兵士達が戦ってくる分には、何も恐れる事はない。

 兵士達を向かわせるにはどうしたらいいか? 装甲車のハッチを開けて……

 そこまで考えた所で、守備隊司令の中に恐怖が沸き上がった。

 ハッチを開けるという事は、守備隊司令自らが外敵に姿をさらす事になるではないか。それに逮捕なんて悠長な事をしている間に、またミサイル攻撃を受けたらどうなるか……

「ダ! ダメだ! 危険だ! さっさと殺してしまえ! 終わらせて、基地に帰るぞ!」

 敵が狙っているのだ。自分を。

 心の奥底から、何かが這い出てくる気配がする。

 恐怖の魔獣は、その無機質な目で虚空から獲物を見つめている。

「あ……安全な場所へ。早く……見つかる前に……」

「守備隊司令殿?」

 兵士は怪訝な表情を浮かべて首を傾げた。

 幾ら何でもおかしい。常に冷静であるコーディネーター……プロパガンダに過ぎないのだとしても、これ程に取り乱す事があるのか?

 無能が服を着て歩いている様な人物が自分達のトップだという事を認めたくない気持ちはあるが、それにしてもこれはあまりにも常軌を逸しておかしいのではないだろうか?

「何かあったのですか?」

 兵士は以前に一度だけ見た、ナチュラルの新兵が戦闘の恐怖で恐慌状態になっている様を思い出した。あの時は笑ったものだったが、守備隊司令の様はあの時の新兵の様だ。

「う……うるさい! 早くしろ! いや……私が。私がやる。退けろ!」

 守備隊司令はわめきたて、兵士を押しのけると操縦席に隣接するガンナーシートに歩み寄る。そして、そこに座していた砲手を押しのけて、自分が座った。

 目前のモニターには、サイトと大破したエレカが映っている。手元には、機関銃の操縦桿。それを強く握り、トリガーに指をかける。

 守備隊司令の身体の震えが移って、モニターの中の映像が細かく揺れた。だが、この距離で動かない目標が相手ならば、多少の震えなど大した影響でもない。

「ははは……私を煩わせるからだ。死ね!」

 守備隊司令は、操縦桿のトリガーを引こうと……

 

 ――それはやってきた。

 

 直後、装甲を貫いて届く轟音と振動。そしてモニターには、冷徹な光を宿す単眼と鎌状の腕を持つ鋼鉄の魔獣が映り込む。

「は!? ひっ……ひぃいいいいいいっ!?」

 それが何なのか脳が理解するよりも早く、守備隊司令は悲鳴を上げていた。

 ――それはやってきた。

 喰らう為に。滅ぼす為に。屠る為に。

 心の底が理解する。魔獣が来たのだ……

「ふ……ふわっ! くひゃあああああああああああっ」

 意図してではなく、反射的に握り込んだ手が操縦桿のトリガーを引く。

 機関銃弾は眼前の魔獣の身体の上で弾け、全身を炎の粉で彩る。

「止めろ! 止めてくれ! 何だ? 何なんだお前は!? 何故……何故、私の所に」

 守備隊司令はトリガーを引き続けながら叫ぶ。だが、魔獣は答えない。

「何故……」

 直後、魔獣は装甲車に飛びかかった。モニターの中の魔獣の姿が一瞬で大写しになり、そして装甲車の中は激震に呑まれる――



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ヘリオポリスに恐怖を撒いて

 時間を少し戻し――

 レイ・ザ・バレルは、ギルバート・デュランダルと別れた後に格納庫へと向かった。そこにMSシグーが一機だけ残されている事を、レイは密かに探り出していたのだ。

 連合MS護送作戦に参加した艦のどれかが置いていったか忘れていったかした、本来ならば存在しない筈の物である。

 守備隊指令がもう少し情報に気を配っていたならば、員数外であるこのMSの事を戦力として扱う事が出来ただろう。しかし、結局は知られる事もないままに放置されてしまっていた。

 床を蹴って格納庫に飛び出したレイは、スカートの裾を翻しながら宙に漂う。

 格納庫にはまばらに人が居たが、オーブ軍および自軍の守備隊の壊滅という状況故か、あるいは大型輸送船との衝突の危機が迫っている為か、誰もが慌ただしくしており、レイを見咎める者はそこに一人とて居はしなかった。

 そしてレイは、格納庫の一角、壁にもたれる様に立つシグーを見て微笑みながら、漂う勢いのままに格納庫の天井に一旦足をついて、さらにそこを蹴りシグーの元へと一直線に飛んだ。

 レイの体はコックピットに辿り着き、すぐさまハッチを開放するとその中へと身を滑り込ませる。そしてシートに腰を下ろすと、浮き上がるように宙に漂おうとするスカートの裾を掴んでお尻と脚の下へと押し込んだ。

 そして、ポケットから口紅を取り出すと通信用カメラのレンズに塗り、それから自分の唇にもそっと紅を引いた。

「ふふっ」

 楽しげに笑い声を漏らし、ハッチを閉じる操作をすると操縦桿を握る。

「レイ・ザ・バレル! お手伝い、いっきまーす!!」

 突然動き出したシグーに、格納庫に居た者達は混乱を来した。

 ほとんどは単に慌ててシグーから離れ、まだ冷静な何人かが緊急事態を報せようと出入り口横の壁に設置された通信端末に飛びつき、勇気があるのか無謀なのか一人がシグーを止めようとコックピットに突進してきて逆にシグーの手で押し止められる。

 シグーは武器は取らず、格納庫の壁に置かれていたMSの作業用ツールボックスだけを無造作に手に取った。

 そして格納庫の搬入口へと向かい、そこの扉に手をかける。

 MSとの力比べになど対応していない扉は、シグーの手に押されて悲鳴のような軋みを上げながらシグーの前に道を開いた。

 外に出るまでに扉はまだ何枚もあるが、シグーを止める事は不可能だ。おそらく、誰かがそう判断して、施設の被害を減らそうと考えたのだろう、シグーが前に進むと残る扉は勝手に開いていく。

 そして、シグーのコックピットには強制割り込みの通信が送られて来た。

『こちら、ZAFヘリオポリス守備隊! シグーのパイロット、応答してください!』

 通信オペレーターの泣き出しそうな声にレイは、人差し指をそっと唇に添えて考え込む仕草を見せ、それから綻ぶように笑んで見せて通信に答える。

「ヘリオポリスの名において」

 これで良い。

 正直に「ギルバート・デュランダルの身内です」と言う訳にもいかないのだから、オーブ市民の抵抗勢力がMSを奪取したとでも思わせておけば──

 

 

 

 守備隊司令室。通信機から返った声にクルー達が騒然となる中、デュランダルはその動揺を押さえ込むのに何とか成功した事を安堵していた。

 オーブ人の少女にMSが奪取されたと騒いでいるクルー達と違い、デュランダルにはわかる。当たり前だ。あんな愛らしいレイの声を聞き間違えるなんて事があろう筈がない。

 あの天上の楽の音もかくやという愛らしく美しい声。

 もうちょっとしたら、声変わりしてしまうのだろうなと思いつつも、老化抑制剤の効果がいつまでも続く事を願わずには居られない。

 いや、刹那の輝きだからこそ美しいのかもしれないな。

 短い時間なのは彼が背負った宿命として受け入れ、それでもなお最後の一瞬まで、レイは美しくあって欲しい。可憐な時期が過ぎても、次にはまた別の美しさをまとう事が出来るはずだ。

 どうしようか、そろそろZAFTに入隊させるためにも普通の少年らしい言動を身につけさせようと思っていたが、計画を路線変更するのもやぶさかでは……

「シグーが宇宙に出ました! 敵MAの方向に向かいます!」

「な、何だと!?」

 オペレーターの声が、デュランダルを現実に引きずり戻す。

 そうだ、レイは何のためにMSに乗ったのか? それはデュランダルの為だろうと予測はつく。ならば何を? まさか、あのミステール1を?

 虚空に浮かぶ間中の姿が脳裏に浮かび、心身を凍えさせる。馬鹿な、アレには勝てない。

 思考が最悪の展開を予想するが、それをオペレーターの報告が覆した。

「敵MA、動きません!」

 

 

 

「凄い。宇宙に敵意が満ちている……」

 宇宙を飛びながら、レイは何かを感じ取っていた。

「これは怒り? 恨み? 絶望?」

 宇宙。星の光満ちる空間。

 だが、そこに佇む一機のMAから放たれるソレが宇宙を染め上げていく。世界全てを焼き払っても拭えそうにないそれは……

「まるで、お兄ちゃんみたい」

 レイは愛おしげにそう言うと、空を抱きしめる様に胸の前で腕を重ねる。

 兄、ラウ・ル・クルーゼもまたこんな感覚をまとった男だった。世界への憎悪に身を染めた男。しかし、その内にあるのが生まれ故に背負った孤独なのだともレイは察していた。

 故に、レイは兄と同じ感覚を放つMAを愛おしく思う。

 モニターの中央に浮かぶMA……ミステール1に腕をさしのべる。

「抱きしめてあげたいなぁ」

 

 

 

 トールは戸惑っていた。

 ヘリオポリスの港口から飛び出したシグー。敵を探していたミステール1は、その存在をとらえた。

 それは敵の形をしている。だが、“これは敵ではない”そう感じてしまう。

 敵意も、恐怖もない。貪るべき物が何もない。これは餌ではない。まして敵であろう筈がない。敵とは……

 おかしな思考が巡る。

 ZAFTのMSは敵じゃないのか? トールの知識はそう訴えるのだが、まるで別の誰かが遠く声を上げているかのようで、思考には影響を及ぼさない。

 思考は、接近してくるシグーを意識の片隅においたまま、再び希薄となってモニターの向こうに広がる宇宙に注意を戻させる。

 敵は何処だろう? 餌は何処だろう? 爪で引き裂きたい。牙で焼き滅ぼしたい。

 そんな思考に沈んでいくトールの目の前、モニターに何かの映像が割り込んできた。

 荒廃したヘリオポリス市街。疾走する一台のエレカと、それを追う三両の装甲車。

 それを見た瞬間、トールの口元に笑みが乗った。

 ──ああ、そこに居たのか。

 認識するが早いか、トールはミステール1を駆って走り出す。敵のいる、ヘリオポリスへと……

 

 

 

 ミステール1は、レイが乗るシグーを完全に無視して、ヘリオポリスの外壁へとまっすぐに突っ込んでいくと、採光部のガラスを体当たりで砕いて中へと飛び込んでいった。

 レイは、ヘリオポリスの側で漂う様に宙に浮かぶシグーの中で、安堵の息をつく。

「味方を助けに行ってくれた?」

 敵と思われないよう武器は持ってこなかったが、当然のように攻撃される事も覚悟の上だった。しかし、攻撃はなかった。その事への安堵である。

 ミステール1に送りつけたヘリオポリス内の追走劇の映像を見て、仲間の危機を優先してくれたのだと、レイは思い込んだ。

「間に合うかな?」

 レイは、ちらりと大型輸送船の方を見る。ミステール1と比較できる程ではないとはいえ、それも着実に接近しつつある。

 しかし、ミステール1が居なくなり、ZAFTがタグボートや作業用MAを派遣できる様になったので、状況は少しはよくなるだろう。実際、港口の方で既にタグボートが動き出している。

 後は……と、レイはシグーを動かして、ミステール1の後を追う。

 ややあって、盛大に空気を吐き出す採光部の真新しい破口に辿り着くと、レイはシグーにそこをくぐらせた。

「邪魔な人たちは何処かな?」

 レイは、ヘリオポリス内で放送されているニュースをモニターの片隅に映し、それを手がかりにヘリオポリスの中を見渡しながら高度を下げていく。

 ヘリオポリス側との協力。それは降伏の後になるのかもしれないが、邪魔となるだろう守備隊司令はその前に排除しなければならない。

 とりあえずミステール1を焚きつけてはいたが、レイ自身が手を下すのが早ければ、それをするのに躊躇はなかった。

「ん……あらら、二輛はあそこね」

 市街で黒煙が上がっている。

 街路に無数の人々が集まり、その中に装甲車が二輛、取り残されているのが見て取れた。装甲車の一輛からは黒煙が噴き出している。戦闘が行われている様子はないが、そこで何が行われているのか詳しくはわからなかった。

 それは重要ではないし知らなくても良い事だと思い直し、レイは再度辺りを見渡す。

 モニターのニュースでは、まだカーチェイスは続いているとの事だった。

 ならば、それは何処で……

 と、その時、モニターの中を巨大な影が掠めた。

 モニターは自動的にその影を追う。大写しになったそれはミステール1。

 ミステール1も、レイと同じく空中から敵を探していたのだろう。その急降下する先には、道を外れて止まるエレカと、それに迫ろうとする装甲車が見えた──

 

 

 

 上空から地上に墜落する様な勢いで振ってきたミステール1は、装甲車とエレカの間の地面にその身を叩きつける様に着陸した。

 エルは、突然現れたミステール1に驚き、その瞬間に過去の恐怖の中から解き放たれる。

 靄が風で払われる様に鮮明になった思考が、今の状況を正確に把握させた。

「あ……トールお兄ちゃん? ユウナさん!?」

 エルは、運転席にいるユウナ・ロマ・セイランに改めて気付き、そのドアに手をかける。ドアはあっさりと開いた。そして、タイミングを合わせたかの様にユウナは目を覚ます。

「つぅ……酷い目にあった」

 言いながらユウナはシートベルトを外し、よろめきながら運転席の外に出て、それからミステール1の姿に気付く。

「……エルちゃんが呼んだのかい?」

「え? そんな事……してない」

 ユウナの問いに、エルは戸惑いながら答えた。もちろん、そんな事がエルに出来る訳がない。通信機も持っていないのだから。

「そりゃあそうだ。ともかく、ここを離れよう」

 エルの手を取り、ユウナはそう言ってミステール1から離れるべく走り出す。

「え? トールお兄ちゃんは……」

「装甲越しに話は出来ないし、何より近寄れば戦いに巻き込まれる。通信機を手に入れるしかないよ」

 ユウナがそう言うのを待っていたかのように、ミステール1はスラスターを一瞬だけ噴かし、装甲車に突っ込む様に躍りかかった。そして、ヒートサイズで装甲車を抱え込むと、空へと再び飛び上がる。

 直後そこに吹き荒れた噴射炎の爆風は、離れたところにいたユウナとエルを吹き飛ばして地面の上を転がさせた。

 ユウナはまだ倒れる程度で済んだが、体の軽いエルは文字通りに転がされて、なすすべもなく二転三転する。

 と、そのすぐ側にMSシグーが静かに降り立った。

 エルはシグーの足に体をぶつけ、転がるのを止められる。

「助けに来ましたー!」

 シグーから振り降りたのは、その威容からは程遠い快活な声だった。

 その声にエルが頭上を仰ぎ見れば、コックピットハッチから身を乗り出して微笑むドレスの少女。

「君はZAFTかい?」

 問いながら、いつの間にか側に歩み寄ってきていたユウナが、腕を引いてエルを立ち上がらせる。

 無貌のマスクで顔を隠しているが、その声はいつも通りに飄々として、値踏みするかのような色すら感じられた。

 ユウナは、目の前のMSとパイロットを敵だと見ていない。少なくとも、今のこの段階では。

 殺すつもりなら、遠慮なく踏みつぶせば良い。そうせずにパイロットが姿すら見せたという事は、こちらに何かを期待しているという事なのだろう。

「違いますよー。私、ヘリオポリスの協力者で、名前はレイです」

 パイロットのレイはそう言うと、一瞬だけ空を見て、それから地上のユウナに話しかけた。

「あの……ZAFTの戦力は、この盗み出したシグーで最後です。抵抗勢力も、あのMAがやっちゃってくれると思います。今はそれよりも、外で起きている……」

「衝突コースにある大型輸送船の話だね。わかってる──手伝ってもらえるって事で良いのかな? ヘリオポリスの協力者君」

 問いを返されてレイは笑顔で頷いた。

「はい、もちろんです」

「よし、じゃあ取りかかろう」

 指をパチリと鳴らし、ユウナは傍らに立たせていたエルを体の前に持ってきてシグーの方へと身を押す。

「まず、僕らを乗せて欲しい」

「はい?」

 思いもしない提案だったのだろう。上擦った声で聞き返すレイに、ユウナは続けた。

「トール君と……ミステール1と通信したい。その為にエレカを走らせていたけど、この有様でね。かといって、通信機のある場所までマラソンしてたんじゃあ、手遅れになるかもしれない」

「あ、そういう事ですか。わかりました。今、リフトを下ろします」

 そう言ってレイがコックピットの中に手を伸ばして操作すると、コックピットの脇から一本のワイヤーが下ろされる。

 これはMS乗降用の簡易リフトで、ワイヤーの先には足場となるフックがついており、そこに足をかけてワイヤーの握り手をつかめば、スイッチ一つでコックピットの位置まで引き上げてもらえるという代物だ。

「失礼、エルちゃん」

「きゃ!?」

 ユウナはワイヤーを片手でつかんで引き寄せると、残る腕にエルの体を抱え上げた。

 そして、フックに足をかけ、握り手についているスイッチを握り込む。ワイヤーはすぐに巻き上げられ、ユウナとエルの体は遙か上にあるコックピットを目指した。

 コックピットまで上がってすぐ、ユウナはエルの体をレイに預ける。

「いらっしゃーい」

 レイはエルを受け取り、膝の上にのせるようにしてパイロットシートに座る。

 ユウナはそれを見守ってから、コックピットの隙間に無理に体をねじ込む様に入った。

 MSのコックピットは一人用の空間であり、三人もが入る事は想定していない。エルはもちろんレイがまだ小柄であったとしても、十分に狭かった。

「おや、君は男か」

 ユウナは、収まりの悪い隙間に体を上手く填め込もうと身を揺すりながら、レイに向かって僅かに驚きを見せて言う。

「すごーい。よくわかるね」

 デュランダルによるレイへの“仕込み”は完璧で、事情を知らない者から見破られた事は今までになかったのだけど……と、レイも少し驚いたように言葉を返した。

「え? 男の人? 女の子みたいなのに……」

 エルが一番大きく素直な驚きを見せる。そんなエルにチラリと視線を向けてから、ユウナは薄く笑ってレイに答えた。

「“中身”には詳しいんでね」

「? あ、もててたんだ」

 レイは、ユウナの答を、“服の中身”つまり女性の体をよく知っているからという意味でとる。それでレイは、ユウナとの雑談を軽く流した。

 それが言葉だけなら正しく、意味には大きな隔たりがある事に気づかないまま。

「通信機はすぐに使えるけど、少し近寄ってからの方が良いかな……って、あ、レンズを口紅で潰しちゃったんだ」

 レイはそう言いながらポケットからハンカチを取り出し、通信用カメラのレンズを擦った。厚く塗られた口紅はハンカチに削り落とされるようにしてレンズから離れるが、残る赤い色を完全に拭い去る事は出来ない。

「ああもう、洗剤とかじゃないとダメ。ねえ、映像は使えないけど良い?」

「……元より、声だけで何とかなると期待してるんだけどねぇ」

 問われて初めて、ユウナは苦々しい笑みをマスクの下に浮かべた。

 エルがトールを呼び起こす時、エルは声かけと接触……手や唇での接触と言っておこう。それを行っている。最初の内は、接触が不可欠だった。

 最近は、声だけでも応じるようになったので、通信でも時間をかければいけると踏んだ。

 しかし、状況は最初の想定よりも悪くなっている。

 最初の想定では、オーブとZAFTが出してくる兵器全てを蹴散らした後には、降伏勧告やその受理などの政治的な時間が訪れ、トールを呼び起こすのにエルが働く時間があると思っていたのだ。

 まさか大型輸送船が突っ込んでくるとは、ユウナですら読んでは居なかった。

 だが、今後のヘリオポリス市民の人心掌握の為にも、何もしなかったという結末は許されない。ミステール1にはもう一働きしてもらう必要があるだろう。

 トールがキレている間は、戦闘以外はままならないので、大型輸送船の対応をさせるには何としても覚醒してもらわなければ困る。

「……そうだ、話は変わるけど。君のMSは、ミステール1と同じ空に居たのに攻撃された様子がないね。隠れるのが得意かい?」

「え? ううん、そんな事はないけど……あれ? どうして攻撃されなかったのかな?」

 レイは、ユウナの突然の問いに困惑しながら首をかしげた。

 宇宙に居た時は距離をとっていたからと判断していたが、ヘリオポリスに入ってからはそうではない。

 空から装甲車を探している間、シグーとミステール1は同じ空域にいた筈なのだ。

「特に何もしていないのに攻撃はされてない……非武装だからかな? 何にしても、それなら一つ、手を打てるかもしれないぞ」

 何故はわからないが、トールがこのシグーを敵と認識してない事は間違いない。そう察したユウナは、まるでそれがトイレの後で手を洗うくらいの簡単な事であるかのように言った。

「ミステール1のコックピット側まで行って張り付き、手動でハッチを開放して、中にエルちゃんを放り込もう。大丈夫、戦闘状態にならないならいけるさ」

 

 

 

「ひっ……あっ……ぅあああああああっ!?」

 激震に揺れる装甲車内。ガンナーシートに座った守備隊司令は、モニターに映し出されるミステール1の単眼センサーを魅入られたかのように見つめ返しながら、裂けんばかりに開かれた口から悲鳴をあふれ出させ、機関砲のトリガーを引き続けていた。

 ガンナー用のサブモニタには既に、弾切れを示す警告が、鳴り響く警告音と共に示されている。それでも、守備隊司令はトリガーにかけた指から手を放す事は出来なかった。

 ──死ね。死ね。どうして死なない?

 凍り付いた頭の中に、そんな言葉だけがぐるぐると回り続ける。

 ほんの少し前まで、彼は狩人だったはずだ。哀れな獲物を追い詰め、銃を構え、引き金に指をかける側だった。

 だが、今は違う。彼はそれを認めまいと、狂気にすがった。

「あー──っ! ぉああああああああああああああああああっ!」

 死ね。死ね──

 指がへし折れるほどに力を込めてトリガーを引く。そうする事で悪夢を殺す事が出来るのだとばかりに。それが全く無意味な事だと気づかぬまま。

 ガンナーシートの背に車内を転がってきた兵士の体がぶつかり、重く鈍い音を立てる。

 それは守備隊司令に席を譲った砲手。車内に立っていた彼は、先ほどからずっと車内を転がっている。その体のあちこちをあり得ない方向に曲げ、戦闘服を点々と赤く濡らした砲手は、恨めしげにガンナーシートの背を抱いた。

 しかしそれも僅かな瞬間の事。止まる事のない振動に砲手の体は引きはがされ、後部の兵員収容スペースに転がり落ちていく。その後に、他も兵士達の悲鳴が僅かに上がった。

 兵員ベンチに体を固定した兵士達に、勢いをつけて転がってくる重たい死体を避ける事など出来ない。肉の塊をたたきつけられ、苦痛に悲鳴を上げる。

 まだ兵士のほとんどが死んではいない。だが、それは幸福ではなかった。先に死んだ砲手こそが、最も幸運だったと言えるのかもしれない。

 モニターに映っていたミステール1が不意に消えた。

「やった! 殺した! 殺したあ!」

 守備隊司令が狂喜の声を上げる。

 彼は気づいていなかった。モニターはゆっくりと、遠い位置にある地面を映し出そうとしている事に……

 

 

 

 ミステール1は、装甲車をヒートサイズで抱え込んだまま一気に空へと上がっていた。

 そこでトールは、地上に何もない事を精査したあとに装甲車を手放す。

 コロニーの特性上、上空は重力が小さい。だがそれでも、装甲車はゆっくりとその前面を地へと向けながら、高度を落とし加速していく。

 ヒートサイズで引き裂く事も、ビームで焼き貫く事も出来た。だが、トールはそれをせずに、装甲車を地面に投げ落とすという選択をする。

「ダメか。戦いが長引けば、君を感じられると思ったのに」

 モニターの中の装甲車はゆっくり落ちていく。それを見守りながら、トールはうつろに呟いた。

 戦いの中で“あの娘”の存在を感じられるなら、少しでも長く戦いを続けたい。そう思って試してみたのだが、どうやらこんなつまらない事をしても無駄らしい。

 装甲車はくるくると錐揉みしながら落ちていく。

 トールは既にそれへの興味を失い、空にミステール1を止めた。

 

 

 

「ころひた……ころしゅた……」

 激しく回転する装甲車の中で吐瀉物をまき散らしながら守備隊司令は呟く。振動で舌を噛み砕かんばかりに何度も噛んでいたが、言葉にならずとも呟きを止めない。

 彼の背後、兵員収容スペースではもう音は聞こえない。

 跳ね回って兵士達を叩き潰した砲手の死体は、最後にパイロットシートの背もたれを運転手の首ごとへし折ってから、メインモニターに突き刺さって燃え燻っていた。

 一人生き残った守備隊司令は呟く。

「私の手柄だ……」

 最後に何を思い浮かべたのか。

 守備隊司令が僅かに笑みを浮かべた瞬間、地面に叩き付けられた装甲車は中に詰まった肉と共に粉々に砕け、自ら発した爆炎の中に消えた──

 

 

 

 シグーが飛び上がった時には既に装甲車は地面で燃え上がり、ミステール1は空で沈黙を保っていた。

「ああっ! やっぱり凄いよ。あのMA!」

 レイが嬌声を上げて身をよじる。

「?」

 エルは、お尻の下で何か堅い物が持ち上がり、座り心地が急激に悪化したのを感じた。

 お尻を動かして持ち上がりつつある突起をどうにか出来ないか試してみるが、堅く大きくなる一方なので、あきらめて押さえ込むようにその上に腰を据える。

 レイはそんなエルを気にする事も出来ない様子で、顔に喜悦をにじみ出させながら言葉を紡ぐ。

「憎悪が……満ちてる」

「……なるほど、これは変わってるな」

 ユウナは興味深げにレイを観察して頷いた。

 “恋愛”は有り得ないにしても、このレイを身内に引っ張り込めば楽しくはなりそうだ。

 そんな事を考えつつも、今はそれにかまっている時間がないと判じて、ユウナはレイの肩を叩いて注意を引きつつ言った。

「背面前方。だいたい頭頂部の辺りにコックピットがハッチがある。まず、取り付けるか試してみてくれ」

「あ、はいっ」

 色々と没頭していたらしいレイは身を跳ねさせるようにしながら返事をし、そして上気した頬を自らの手で軽く叩いた。

「降伏信号を発してるんだから、問答無用とかやめてね」

 言いながらレイは慎重にシグーをミステール1へと向かわせる。何か動きがあれば、すぐに回避運動をとれるように操縦桿を握って。

 だが、空に止まるミステール1は、ゆっくりと向きを変えてシグーを見たもののそれ以上の反応を示す事はなかった。

「受け入れてくれてる?」

 何となく、そんな気がする。レイは嬉しくなってシグーの速度を上げた。

「あぁっ! 大好きになっちゃいそう!」

 シグーはまるで恋人に抱きつく少女のようにミステール1の鼻先に飛びつく。そして直後に、レイはシグーのコックピットハッチを開放し、膝の上のエルをしっかり抱えるとミステール1の装甲の上に飛び移った。

「ひゃっ。ひやあああああああああっ!?」

 エルが悲鳴を上げる。

 ミステール1の背中は広いとはいえ、空中に支えもなく止まっているMAの上である。決して安定しているとは言えず、僅かに揺動してさえいた。

 その上をレイはエルを抱えたまま危なげなく走り、ミステール1のコックピットハッチに駆け寄る。そしてレイは、エルを抱えたままその脇に寝そべると、そこにつけられたパネルを開き、中のコンソールを素早く操作してから解放レバーを引き下ろした。

 その操作でコックピットハッチは強制解放され、幾枚もの装甲板が動いてコックピットへの道……位置的には穴にしか見えないそれを開く。

「がんばってね?」

「え? あ、あの? きゃあああっ」

 そう言ってレイは、エルをその穴の中に滑り込ませた。

 悲鳴を上げてエルが落ちていったが、どうせたいした深さはない。レイは、笑顔でエルを見送ってから、再び立ってシグーへと駆け戻って行った。

 

 

 

 遠く地上に踊る炎。墜ちた装甲車が発する炎。トールは、ただそれだけを見ていた。そこにあの娘が居るような気がして。

 モニターには警告メッセージが踊り、コックピット内には警告音が鳴り響いている。接近してくるMSの事を報せているのだが、何故かまるで気にならない。

 一応、向きを変えて相対してはみたものの、それ以上の事をする必要を感じなかった。

 敵ではない。何故かそう思う。

 敵意も恐怖も感じられないのだから……

 感じられない? そもそも、どうやったら、そんな事を感じられる? そんな疑問をふと抱いたが、その疑問に答えを見いだす事のないままに、疑問を抱いた事さえもが意識の中から消え去っていく。

 感じない。恐怖を感じない。

 餌が居ない。敵が居ない。贄が居ない。

 トールは飢餓感と言っていいほどの現状への物足りなさを感じた。

 探すべきか? どうやって? 巣穴を焼き払えば、土虫だって飛び出して来る。

 あの娘に会えるかな? 破壊し尽くし、焼き尽くし、殺し尽くせばきっと、あの娘はずっとずっと側に居てくれる。そうかな? そうしたら言いたい事が……

「きゃあああっ!?」

 そんな思考を、トールの頭上から落ちてきたものがいきなり中断させた。

「痛ぁ……あ、お兄ちゃん」

 それは、トールの膝の上で身を起こすと、トールの両頬に手を添え、引き寄せるようにして唇を重ねる。

 柔らかな感触。そして……知っているようで知らない少女の姿が脳裏をよぎり、トールの意識を狂気の淵から引き上げた。

 ぼぅっとしていたトールの目に光が戻り、そして目の前に居る者の事を思い出す。

「あれ、ミリィ?」

「お兄ちゃん!」

 エルはトールの体にすがるように抱きつく。その体を抱き返してやりながら、トールは通信が送られてきている事に初めて気づいた。

「うわ、いけない」

 すぐにトールは通信機のスイッチを入れる。通信モニターには赤く滲んだ映像が映り、そしてユウナの声が飛び込んできた。

『上手くいったみたいだね』

「あれ、ユウナさん? どうしてミリィが……そうだ、作戦は終わったんですか?」

 まだ混乱しているトールに、ユウナは静かに話した。

『いや、もう一仕事して欲しいんだ。まずは、コックピットハッチを閉じてから聞いて欲しい。何せ、これからまた宇宙に出てもらわないとならないからね』

「宇宙へ?」

 言われるまま素直にコックピットハッチを閉じ、トールは聞き返す。

「あの……ミリィは? 下ろさないと」

『もう戦闘は無い筈だから、今はそのままで。それにすぐに理解すると思うけど、今はヘリオポリスに残るよりも、君と一緒にミステール1の中にいた方が安全だ。

 この通信が終わり次第、通信チャンネルをヘリオポリスの公共放送に合わせて。事情は、繰り返し放送されてるからそれで察してもらうとして……目の前に居るシグーは敵じゃない。今から先導するから、ついてきて欲しい』

「了解しました」

 トールは、言われたとおりに目の前に居るシグーの後を追う様に操縦を始める。

 降伏信号を出しているとはいえ、敵機にこんな近くまで寄られて気づかないなんてと不思議に思いながら。

 そしてトールは、ユウナに言われた通りに通信のチャンネルをヘリオポリスのテレビ番組に合わせる。するとそこには、宙を進む一隻の大型輸送船が映し出された──

 

 

 

 今は、ZAFTで会計などやっていて、任地を飛び回る日々だが、子供の頃は、工場の側に住んでいた時がある。プラントでは珍しくもない事だけど。

 朝、工場が動き始めると、金属のぶつかり合う音が響いてうるさかった。

 その音が聞こえると、布団の中に頭を突っ込んで騒音に無駄な抵抗をした後、ついには負けてベッドから這い出て、それから食卓のある居間へと向かう。そこに、一足早く出勤した母の用意した朝食があるのだ。

 ああ、音が聞こえる。もう起きないと……起きないと……

 頬に感じた固い感触に彼女は違和感を覚える。ここはベッドではない。でも、工場の音は聞こえる……いや、ここは?

 夢の中から急速に現実へと引き戻された彼女の意識は、すぐに現状を把握した。

 ここは装甲車の中。装甲車は……そうだ、外で凄い音がしたすぐ後に、ガタガタと揺れて……記憶はそこまで。彼女自身は兵員ベンチに座したまま、頭を垂れさせていた。

「う……」

 小さく呻き、頭を上げる。途端に、身体に軋む様な痛みが襲う。シートベルトで締め上げられた所が特に酷い。擦り傷になってないと良いのだけど……と、場違いな事を思いながら装甲車の中を見やった。

 装甲車の中、兵士達の多くは兵員ベンチにシートベルトで固定されたままでいる。身じろぎしたり、呻きをあげている者が多く、動かない者もいたが気絶しているのか……それとも、死んでいるのか? 見ただけでは判別はつかなかった。

 そして、既に何人か動き出している者も居て、彼等は一様に強ばった表情で銃を固く握りしめ、一方を見据えている。操縦席の方を。

「……どうなったんですか?」

「事故を起こしたんだ……見ない方が良い」

 シートベルトを外し、彼女は聞く。聞かれた兵士は苦々しくそう言って立ち上がり、その身で視線を遮って操縦席を隠そうとした。

 それでも彼女は、何も知らない事での不安から、兵士の肩越しに操縦席を覗く。

 操縦席は、ビルに突っ込んだ後にその崩落に巻き込まれ、前後と上下に潰れていた。

 ひしゃげて中の機械類を吐き出した操縦席と、天井を破って落ちたビルの破片と、そこにいた筈のパイロットとガンナーが混じり合い、赤黒い奇妙なオブジェと化して、血混じりのオイルの池を広げている。

「!? ……ぅぐっ」

 その悪夢の様な光景と、血とオイルの混じる匂いに、彼女の胃の中の物が全て喉に迫り上がり、溢れだそうとした。

「大丈夫か!? 見ない方が良いと言っただろう!」

 気付いた時、先程の兵士が彼女の目線に割り込み、車内備え付けのエチケット袋を彼女の口に押し当てていた。

 彼女はその袋を奪う様に受け取り、何も出なくなるまでその中に吐き出す。いや、何もなくなってもなお、吐き気が止む事はなかった。

「座るんだ。今は、救助を待つしかない」

「外は……外はどうなってるんです?」

 彼女は兵士の指示には従わず、銃眼の一つに取り付く。

「よせ! 見るんじゃない!」

 兵士は制止の声を上げる。だが、彼女は外の光景を見てしまった。

 立ち上る黒煙。そして、まるで祭りの日の群衆の様に楽しそうに街路にひしめく人々……いや、暴徒。その暴徒達の中に取り残されたもう一輌の装甲車。

 横腹に大穴を開けられて燻っているその装甲車には暴徒達が取り付き、何やら蠢いていた。何をしているのか……?

 暴徒達は、装甲車の穴から中に入り、何かを運び出している。その度に暴徒達は沸き立ち、歓声や怒声、銃声を響かせた。夢の中で聞いた工場の音は、暴徒達が掻き鳴らすその音か。

 そして装甲車側の街灯。暴徒達はそこに縄をかけた何かを吊り上げていき、先に吊ってあった物の仲間入りをさせる。一端に縄を掛けられた、細長くて途中から四本に枝分かれした形の、赤黒く汚れた……

「っ!?」

 それが、首に縄をかけられたZAFT兵の成れの果てだと気付いた時、彼女は恐怖に銃眼の前から後ずさった。

 吊られたのが誰なのかなどわかりはしない。人の形をしてるから人だとわかるだけで、殴られ、蹴られ、撃たれ、刺され、切られ、焼かれたそれは男女の区別すらつかなかった。

 そして、吊り上げられた後もなお、それは棒で打たれ、銃で撃たれ、石をぶつけられ、力無くゆらゆらと揺れている。

「そ……外のアレ……みんなを……つ、吊るして……」

「わかってる。黙ってくれ。どうする事も出来ないんだ」

 兵士は、彼自身も吐き気をこらえる様な苦痛の表情で言う。

 暴徒を攻撃して止めさせる程の戦力はない。ほとんどの兵士が怪我を負って動けないし、砲塔を動かすガンナーシートは潰れている。

「わ……私達も……あんな……吊ら……吊られて……」

「だ、大丈夫だ! この装甲車はまだ装甲が保たれている! 中なら、外の暴徒の攻撃も効きはしない」

 兵士のその言葉は、自身に言い聞かせている様なものだった。

 確かに、暴徒達がこれ見よがしに持っている銃器による攻撃は効かない。破壊された車輌前部は瓦礫に埋まっていて、そこが弱点となることもないだろう。

 しかし、ロケットランチャーやミサイルの様な対戦車火器が無いという保証はない。現に、一発はあったのだから。

 それに、ハッチは全て外部から開く事が出来る。戦闘時の即応性や、緊急時の脱出などの必要から、ロックなどはされていないのだ。そもそも装甲車には、停車した状態での籠城戦など求められてはいないのだから。

 つまり、相手が小銃しか持っていないとしても、接近されてしまえばそこまでだ。

「奴らが来るぞ!」

 別の銃眼から監視をしていた兵士が叫んだ。

 もう一輌の装甲車の“中身”の処理を終えた暴徒達は、次の仕事に取りかかろうとしていた。

 最初は数人、吊り上げられた死体に集っていた群れの中から外れ、こちらにふらりと足を向ける。それに従う様に更に何人かが動く。その動きがより多くの暴徒を動かし……群れが動き出す。

 一人が走り出せば、後は全員が走り出す。群集心理に突き動かされ、ただ獲物を求めて、暴徒達は走り出す。

「動ける奴は銃眼から撃て! ハッチを開けられたら終わりだぞ!」

 装甲車の中、兵士が叫んで銃眼から銃を撃った。

 迫ってくる暴徒が数人倒れる。暴徒達は攻撃を受けた事で、恐慌を来して逃げ惑う者と、狂気に駆られて応射する者とに別れた。装甲車の表面で幾つもの銃弾が跳ねる。

 装甲車の中、頭を抱えて震えていた会計の彼女は、雨音の如く響く着弾音に大きく身を震わせた。

「応戦しろ! おうせ……がぁっ!?」

 後部ハッチ。運悪く銃眼から飛び込んだ銃弾に貫かれ、兵士が装甲車内に倒れ込み、床を転がった。その兵士は胸の辺りから血を溢れさせながら体を大きく震わせる。その溢れさせた血は、彼女の前へと飛び散り、流れた。

「ひっ……ああ……」

 赤い血。流れる血の赤さだけが彼女の目に残る。

 赤……赤い血。世界から、それ以外の色が失われた様に感じた。

 目線を上げると、灰色の世界。空虚で、現実感の無い……現実。

 ――ああ、ここは私の居る場所じゃ無い。

「帰る……」

 彼女はふらりと立ち上がり、後部ハッチへと歩いた。

「何してるんだ!?」

 別の銃眼で外に応射していた兵士が声を掛けてくる。彼女は、ハッチの開閉バーに手を掛けた。

「帰ります」

「何を言ってる!? ダメだ! 外に出たら殺されるぞ!」

 兵士が制止の声を上げる。だが、それは彼女の耳には届いても、本当の意味では伝わらなかった。

「私、会計ですよ? お仕事が残ってるんです。こんな……こんな所に居たくないの! お仕事をさせて……」

 恐怖に心を乱された彼女は、妄言を吐きながらハッチの開閉バーをひねり、ハッチを押し開ける。

「だってこんなの! こんなの私の仕事じゃない!」

 悲鳴の様に声を上げ、彼女は全てに目も耳も閉ざして走り出した。銃撃を行う暴徒達の前へと。

 が……その時、取り囲んでいた暴徒達が一斉に空を見上げ、彼女への攻撃はなされなかった。

 彼女は仲間が居る装甲車から一人離れ、そして気配を感じて振り返り、空を仰ぎ見る――

 

 空を覆うモノが居た。天空より睥睨する鋼鉄の蜘蛛。その姿を目に留めた一瞬の時が、意識の中で永遠に引き延ばされる。

 逃げる事は出来ない。彼女は察した。

 何処に逃げ場があると思ったのか? 何処に行けると思ったのか? そこにはもう絶望しか無いというのに。

 それを魔獣が教えてくれる。狂気が――喰われる。

 

 直後、魔獣から放たれた閃光が装甲車を貫き、彼女は襲い来た爆風に煽られて意識を失った……

 

 

 

「何故、攻撃を?」

 シグーのコックピットの中、ユウナ・ロマ・セイランは通信機に向けかって聞いた。

 通信機の向こう、ミステール1からはトール・ケーニヒの平坦な声が返る。

『敵ですよ?』

「……敵ねぇ」

 少し、影響が残っているか? シミュレーターでは散々見た異常な戦闘能力を発揮する状態のトールだが、それを実戦に使ったのは初めてだ。エルを使って戻したと思ったが、戻しきれなかったのかもしれない。

 しかし、“敵”とは……

 ユウナは無貌のマスクの下で微かに笑みを浮かべた。

 今の状況を見るに、装甲車は暴徒の襲撃を受けていただけだ。戦闘能力などなかっただろうから、装甲車の中の彼らが素敵なショーに招かれるのは時間の問題だった。

 いささか風情が無くて参加したいとは思わないが、こういう祭りを眺めるのも心が沸き立って楽しいもの……と、思考が脇道にそれた事を悟ってユウナは頭を切り換える。

 さて、その実態を知っても、果たしてトールは彼らを敵と呼べただろうか? それとも、敵と定められたもの全てを無慈悲に敵と呼ぶだろうか? 本来はもっと単純に、戦う必要のある相手のみを敵と定めて欲しい所なのだが……

「感情で敵を定めると苦労するぞ、トール君。それとも、君は“敵として存在する全て”を敵と見るのかな?」

 誰にも届かぬ様に口の中で呟いたその言葉が終わるや、それを待っていたかの様に通信機がコール音を鳴らした。通信を繋げっぱなしにしていたトールのミステール1が相手ではない。

 パイロットのレイ・ザ・バレルがそのコールサインを確認して、ユウナに告げる。

「ZAFTヘリオポリス守備隊指揮所からだね。たぶん、降伏の申し出かな」

「そうか……ま、受けようか。エル様も無駄な戦いは好かない。返信できるかい?」

 ユウナはそう返しつつ、返信をレイに促す。

「通信機はMAに繋いで置いた方が良いんでしょ? じゃ、発光信号が良いかな? モニターしてると思うし」

 レイはユウナの指示に従って、シグーに装備されたライトを点滅させるべく操作する。その動作を見ながらユウナは、思い出した様に皮肉げに呟いた。

「それにしても……通信がもう少し早かったら、あの装甲車の諸君は生き延びたかもしれないのに。惜しいねぇ」

 

 

 

 全身に感じる熱さと痛み。遠ざかっていくざわめきを耳が拾う。

 ZAFTの会計の彼女は、ミステール1のビームの一撃を受けた装甲車が起こした爆発に煽られて倒れ、今は瓦礫と破片の転がる路面に空を見ながら倒れている。怪我はしているが、生きていた。

 これで暴徒達の手にかかれば、彼女の運命は先に死した者達を羨む様な悲惨なものとなっていただろう。だが、ミステール1は、暴徒達にも大きな影響を与えていた。

 ビーム一発とは言え、圧倒的な破壊を至近で見せつけられた暴徒達は、まるで魂を抜かれかのた様に呆然とし、その後は一人二人と櫛の歯が抜ける様に散り散りになっていく。倒れる彼女が動かない事もあってか、注意を向ける者は一人として居なかった。

 しかし彼女は、生き延びたその喜びを感じず、死した仲間達を思って悲しむ事も無い。ただ、彼女は恐怖に震えていた。

 頭上を擦過し、装甲車にビームを打ち込んだほんの一瞬。その一瞬に見たミステール1。その姿に彼女は震える。今の彼女の中には、恐怖しか残ってはいなかった――

 

 

 

「タグボートとMAを全て出動させろ! パイロットが足りないなら、オーブ人に渡してもかまわん!」

 ZAFTヘリオポリス守備隊指揮所。ギルバート・デュランダルは指示を下す。

「しかし、非武装の作業用MAでも戦力になります」

「とっくに負けた戦闘だ! それより手の確保を優先しろ!」

 通信オペレーターが心配そうに声を返すのに、デュランダルは敢えて厳しい言葉を発する。

 オーブ人に渡した物が戦力となって自分達に向けられる事を恐れているのだろうが、そんなものは敗北した今となってはどうでもいい話だ。ザクレロの圧倒的な戦力が背後にある以上、オーブ人が棍棒を振りかざして襲ってきても大した違いは無いのだから。

「降伏の信号は確実に打ったのだろうな!?」

「は、はい! 通信の他に、発光信号でも降伏を申し出ました!」

 デュランダルは守備隊司令戦死の報告の直後に降伏を指示していた。確認しなければ、敗北を認めたくない兵に勝手に握りつぶされかねない……何処まで信用できない軍隊なのだと、デュランダルはZAFTの歪さに苛立つ。

 幸い、この通信オペレーターは仕事をした様だ。

「返答は?」

「まだ……いえ、たった今、鹵獲されたシグーから発光信号を確認しました。『降伏を受諾する』以上です」

「シグーから?」

 あの子……レイ・ザ・バレルはどうやら当たりを引き当てたらしい。抵抗勢力の中枢に接触が出来たか。

 デュランダルは、レイの無事と勝利への安堵と、手塩にかけたスペシャルな子のレイならばそれくらいはして当然と誇る気持ちで頷く。

「いや、状況は把握した。降伏が受諾されたなら問題無い。後は全力で、接近しつつある大型輸送船に対処しよう」

「あの、装甲車で出撃した仲間は……」

 今、このヘリオポリスに突っ込んでくる大型輸送船よりも気になるのか? いや、気になるのだろう。通信オペレーターが不安をはっきりと顕わにしながらデュランダルに聞いた。

「きゅ、救出や支援は……」

「そんな余裕は無いよ。今は無事を祈ろう」

 装甲車三両が全て撃破された事は、港湾ブロックから市街を眺める望遠映像からでも察する事が出来た。ただ、撃破されたそこで何が起こったかはわかっていない。

 デュランダルは、彼らが悲惨な末路を辿っただろうと確信を持って言えたが、それを言えば降伏に反対する人間を増やすだけだと考え、確信があるとは言え予想に過ぎない事を語る事は止めた。

 予想? 予想に過ぎないだと? 先のZAFT襲撃の前後に何が行われたのかを知っていれば……

 いや、今はそれを考えるべき時では無い。デュランダルは、不快な確信を頭の中から追い払う。

 それよりも今は、目の前に迫った現実的な脅威の対策に当たらなければならなかった。

 

 

 

 宇宙。ヘリオポリスへと突き進む大型輸送船。その船内。

 開け放たれた整備ハッチから伸びたケーブルが通路を長々とのたくり、別の整備ハッチへと飛び込む。それが無数になされている光景は、通る者を捕らえんとする地蜘蛛の巣を思わせた。

 仕組まれたバグによりコンピューターでの制御が行えないスラスター。それを強引にでも動かす為に、ケーブルで無理矢理つないでいるのだ。

 ケーブルによって船内の既存の回線は複雑に繋げ合わせられ、その末端にある全スラスターのon/offを、機関室に置かれた、丁字の棒が生えた箱形の押し込みスイッチ一つに集約させていた。

 スイッチとその前に待機した機関員を見ながら、機関長は通信機を使って船橋にいる船長に最終報告を行う。

「船長! 準備完了です。いつでも行けます!」

『……転進開始!』

 返事には僅かに躊躇の間があった。それもそうだろう……これは賭けなのだから。

 失敗しても、座して見送っても死を免れない賭け。成功のみが生へと繋がる賭け。それでも、躊躇しないわけが無い。自分のみならず、全乗組員、そしてヘリオポリスに住まう全ての人々の運命のサイコロを振る事に。

 だが、船長は指示を下した。

「了解、転進開始! コンター――クっ!!」

 機関長は船長の意を汲み、決めておいた声を無心で上げる。船長の意思は、迅速に遂行されなければならない。彼の数瞬の迷いと、それを断って下した決断に応える為にも。

「コンタクっ!」

 機関員が応え、全身の力を込めてスイッチを押し込む。一抱えほどの大きさがあろうと、船全体に比べればあまりにも小さなスイッチを動かすだけ……しかしその直後、大型輸送船左舷前方と右舷後方のスラスターが爆発した様に火を噴いた。

 圧倒的な力が船体を激しく軋ませ、その音は船内に大きく響き渡る。

 船体も激しく振動し、乗員のほとんどが揺れに姿勢を崩して宙に足掻いた

 これで、船体がへし折れれば、船に乗る者達はもちろん、大質量の破片を浴びる事になるだろうヘリオポリスも終わる。

 地震に見舞われたかの様な船内で、船員達は祈っていた。

 ――神がいないこの世界で、何に?

 その答は誰も知らない。

 船内には重苦しい沈黙が満ちる。誰も話す言葉を持たないかの様に。

 いつ船体が崩壊するかわからない。それを免れたとしても、回頭が間に合わずヘリオポリスに衝突する事になるかもしれない。押し潰される様な不安の中、船内に居る者達には無限とも思える時間が流れる。

 実際にも、相当の時間が経った。大質量の大型輸送船が回頭を開始するのには時間を必要としたのだ。

「回頭開始!」

 船橋。激震に揺れる中に響くオペレーターの報告に、船長は僅かに頷いた。

 大型輸送船は前進を続けつつも、その向く先を変えつつある。しかし、慣性は前進を続ける事を強いる為、その進路はなかなか変わらない。まして、大型輸送船の質量ならなおさらだ。

 そう、進路は変わりつつある。だが、それでもなお……

「本船は依然、衝突コースに有り」

 進路をシミュレートしていたオペレーターが、落胆と憔悴の色に染まった報告をあげる。

「機関室! 出力はどうか!?」

『最初から全力だ!』

 即座に船長が送った問いに、機関長が悔しげに答える。もともと機動性など有って無い様な船だ。仕方が無いでは済まされないとはいえ、限界はどうしてもある。

 早くも手が尽きたか……歯噛みする船長の耳に、オペレーターの声が飛び込んだ。

「ヘリオポリスから、タグボートやMAが本船に向けて集結中です!」

「今から押して動かすつもりか!?」

 宇宙を映すモニターに数多の光点が表示されている。その全てが、接近しつつあるタグボートやMAのスラスター光だった。それらは大型輸送船に衝突する様な勢いで突っ込んできて、船体左舷前方を中心に取り付き、その持てる推力の全てを大型輸送船の回頭の為に費やす。

 大型輸送船が持つスラスターに比して極小と言わざるを得ないそれらタグボートや作業用MAのスラスターだが、それでも数がそろえば効果が無いわけではない。

「回頭速度が先程の予想値を上回りました!」

 オペレーターが、手元に表示される数値の変動を報告した。

「再計算中。後続のMAやタグボートが全部手伝ってくれれば、予想が変わって衝突コースから外れるかも……」

 僅かな期待を逃すまいとする様に、オペレーターの手がコンソールの上を素早く動き回る。

 船長、そして全ての船橋要員はオペレーターの再計算を固唾を呑んで見守っていた。

 ――が。

「ダメだ……まだ、足りない」

 手を止めたオペレーターの声が、死刑宣告の様に船橋に冷たく響く。

 船橋が絶望に沈む。そんな船橋の沈鬱な空気を大きな警告音が引き裂いた。

「何だ!?」

「これは……大型MA、高速接近! さっき軍を蹴散らした奴です!」

 そしてオペレーターは、先程から響いている警告音の意味を告げる。

「しょ、衝突します! いえ、今……衝突!」

 オペレーターは報告を上げるが、MAの衝突といえど船橋までは何の影響も及ぼさない。だが、オペレーターの手元のモニターには、船体が受けたダメージについて、ある程度の報告が上げられてくる。

「外壁が歪んで空気の漏出が始まりました! 通路を三カ所で封鎖、気密は守られてます! あ……それと……」

 オペレーターの声に、僅かな期待の色が点る。

「回頭速度が更にアップしました。再計算を開始します」

 

 

 

 ヘリオポリスから、つい先だって自らが採光部のガラスに開けた穴を通過して改めて宇宙に出たミステール1。そして、それに随行するシグーは、そのまま大型輸送船へ直行した。

「大型輸送船がヘリオポリスに突っ込んでくる!? ちょ、大事じゃ無いですか!」

『だから出てきたんだよ。座標データを送るから、対象をモニターで確認してみてくれ』

 ユウナの通信に添付されてきたデータを使って、トールはモニターに大型輸送船の姿を映す。未だ遙か遠くにあれど、宇宙空間では至近距離と言っていい位置にあるその大型輸送船にトールは背筋を寒くした。

「こ……この距離で衝突コース?」

 最初にこの大型輸送船の随伴艦を撃破した時に比べ、大型輸送船はかなりの距離を詰めてきている。まだまだヘリオポリスまでは距離があるとは言え、衝突を回避するというのならもうギリギリの距離の筈だ。

「と……止めないと」

 焦るトール。そんなトールを見て、そしてモニターの中の大型輸送船を見、エルは聞いた。

「後ろで火を噴いてるのは止められないの?」

「メインスラスターを止めても、慣性で直進するんだよ。船の方は回頭しようとしてるみたいだけど、回頭してもメインスラスターが無いと進路は変わらないから、避ける為には止められないんだ。学校で習っただろ?」

 スラスターを止めたら大型輸送船も止まるのではと言う単純なエルの発想にトールは軽く説明して返す。それから、トールはユウナに聞いた。

「それで、どうしたら良いんです? あんな大きい船、壊しても……」

『どうって、押すのさ』

 ユウナは事も無げに返した。

「押すって……あんな大きい船を!?」

 いかにミステール1が強大な推進力を持つ戦闘用大型MAだからといって、大型船を押し退ける事が出来るとは思えない。

『なーに、僕らだけで動かそうってわけじゃ無い。タグボートやらMAやらを総動員して押させてもいるみたいだしね。僕らは更にもう一押ししてやるだけさ』

 通信機の向こう、ユウナは気楽そうに言ってのける。

 これが賭だという事は言わない。成功する方にユウナは賭けるしかなく、エルやトールやこのヘリオポリスにいるほとんど全ての人間にとってもそうであり、賭けをしないという選択は存在しないのだから意味が無い。

 幸い、関わった誰もが事態を何とかしようとしている様で、当の大型輸送船はもちろん、意外な事にZAFTの動きも良い。タグボートやMAを差し向けたのは良い判断だ。無駄に戦いたがる馬鹿ばかりでは無かったらしい。

 後は、ユウナやトールも出来る事をするだけだ。

「わかりました。やってみます」

 ユウナの気楽な様子に釣られた訳では無く、トールは自分の成すべき事を成せば良いと理解した事で肝が据わった。

「ミリィ。ちょっと荒っぽい運転をするから、補助席に移って。足下の床を開けたら、そこに隙間があるから」

「え? う、うん……」

 トールに言われてエルは、トールの体に掴まりながら体の上下を入れ替え、トールの脚の間に上半身を突っ込む様に移動させる。

「うわ、ミリィ! ちょ、前が見えない!」

 エルのスカートがふわりと広がり、トールの視界を遮っていた。

 視界の全てがエルのスカートの中身、健康そうな細い足の間に垣間見える小さな布きれの事で一杯になって、トールは慌ててスカートの布地を押さえて視界を取り戻す。

「ご、ごめんなさい。でも、お兄ちゃん、補助席あったよ」

 エルは、自分が見せていた姿の意味には気付かないまま、純粋にトールの視界を遮った事だけを詫びる。そして、操縦席足下の床板を開けて、そこに開いた穴を覗き込んだ。

 中は非常に狭い空間で、一応はモニターやコンソールがついているものの、操縦桿の様な物はついていない。これは、機体の試験中にエンジニアが機体の状態をチェックをする時などに使われていた名残であり、ミステール1の運用には本来不要な席だった。

 エルはトールの体の上を這う様にして再び体の向きを変え、トールの足下の補助席へとその身を滑り込ませる。下に降りた反動で捲れ上がったスカートを脚の間に挟む様に押さえつけてから、エルは補助席のシートベルトを締めて体を固定した。

「い、いいよ。お兄ちゃん」

「しゃべったり動いたりしないで、じっとしていろよ」

 頭上を見上げると、フットペダルに置かれたトールの脚の間から、エルの方を伺うトールの顔が見える。トールはエルに頷き、それから目線を上げて、操縦桿を握り込む。

 そしてトールは、チラとヘリオポリスに目をやった。

 そうだ……あそこは。

 一瞬、脳裏にヘリオポリスでの思い出がよぎる。子供の頃、家族と――カレッジに進学して友人達と――そして、ミリアリア……

 美しい思い出が、赤黒く爛れた記憶に浸食される。忌まわしい記憶が、美しい思い出を塗り潰していく。

 そうだ……あそこは……あそこは……

 断片的な記憶の中、少女の破片が微笑むのが見えた気がした。

 そうだ、あそこには、きみがいた……

「ミステール1。行きます」

 トールが抑揚の無い声で呟く。そして、フットペダルを強く踏み込んだ――

 

 

 

 ミステール1が行く。大型輸送船へ向かって。そしてそのまま、ほぼ減速もせずに船体へと突っ込んだ。

「僕らが利用するんだから、あまり傷はつけないで欲しかったなぁ」

 ミステール1が突っ込んだ辺りの外殻が大きく歪んだのが、後続のシグーのモニターを見てもわかる。ユウナは苦笑いをしながらそんな事を呟いた。それを聞いて、レイが悪戯っぽく笑いの色を含めて問う。

「私達もやります?」

「やめてくれ。こっちには補助シートなんて無いんだ。僕が血達磨になっちゃうよ」

 軽く返すユウナ……と、その眉間に皺が寄った。

「逃げる?」

 ユウナが見たのは、小魚の群れに大魚が飛び込んだかの様に、ミステール1が突っ込んだ周辺のタグボートやMAが動揺を見せ、その場から逃げようとする様子さえ見せた所だ。

 ミステール1が加わっても、他の連中が抜けたのでは意味が無い。それは誰にだってわかるはず……いささか過激な出現だったのは認めるが、果たして逃げなければならない事なのか?

 ユウナがそんな疑問を抱いたその時、通信機からトールの声が溢れた。

『――逃げるな! 押せ!』

 逃げ出す者が表れたのを見て、共用回線でとっさに叫んだのだろう。とは言え、そんな事で、一度逃げようとした者が戻るはずも……

 そんなユウナの考えは、その予測が外れた事によって中断させられた。逃げようとしていたタグボートやMAの内の何機かが、まるでぶつける様な勢いで再び船体へと取り付き、そのスラスターを今まで以上に噴かし始めたのだ。

 

 

 

 彼はZAFTの港湾要員だった。

 このヘリオポリスの危機にMAでの出動を命じられ、ミストラルを駆って大型輸送船を押しに来ている。

 中途半端な気持ち出来たわけでは無い。ヘリオポリスには、ZAFTの同僚はもちろん、、同胞であるコーディネーターも多数居るのだ。彼らを救おうという気持ちはあった。

 しかし……それが現れた瞬間、そんな気持ちは崩壊する。

 大型輸送船の船体を通して伝わった衝撃、その衝撃を起こした存在を見ようとモニターを切り替え、そして彼はそれを見てしまった――ミステール1の姿を。

「ひっ!?」

 その存在自体に心が締め上げられる。果たさねばならない任務も、守るべき同僚達の事も一切が彼の中から消え去った。

 残ったのは恐怖のみ。彼はとっさにその存在から逃れようと、無意識にMAを操作する。が……それは果たせなかった。

『――逃げるな! 押せ!』

 MAが船体から離れた直後、通信機から声が届く。その声は、恐怖心に縛られた彼の心を捕らえた。

「あ……ああ……」

 脚は踏み抜かんばかりにフットペダルを踏み込む。操縦桿に掛けた手は強ばって動かず、その行く先を大型輸送船へと向け続けていた。

 恐怖で真っ白になった心に、魔獣からの命令だけが響く。

 押さなければ…………押さなければ……押さなければ!

 機体内に警告音が響いている。スラスターのオーバーロードを知らせる音だ。止めなければ大変な事になると心の中の冷静な部分が囁く。

 ああ……でも……押さなければ……………

 彼はフットペダルを更に強く踏み込み――直後に起こった爆発の中で千々に砕かれた。

 

 

 

「何だ? 連中の反応がおかしい?」

 考えられない反応だ。ユウナは思考を巡らせ、モニターの中に映るタグボートやMAを見る。そんなユウナとは違い、レイは喜悦の情を顕わに叫んだ。

「怯えているんだよ! アレは、とても怖いモノだから!」

「怯え?」

 確かに、最初の動揺も、そして今見せている船を押している必死な動きも、恐怖から来るものだと言われれば納得できない事も無い。だが、それほどの恐怖をミステール1から感じるのか?

 ユウナが考え始めたその時、大型輸送船の表面でMAが一機、閃光に変わった。残された機体の残骸と煤が、そのMAが今その瞬間まで押していた船体にべたりと張り付き、そこで何があったのかを教える。

「爆発した……まさか、オーバーロードで自爆したってのかい?」

 スラスターの限界以上に船を押し、オーバーロードを起こして自爆。だが、その理由が、自己犠牲の精神からだとはユウナには思えなかった。何せ、ついさっきは逃げようとした機体なのだ。

 理解が出来なくて困惑するユウナに、レイは艶言めいた口調で声を投げる。

「わからないの? 宇宙に恐怖を撒いているのが!」

 シグーも大型輸送船へと辿り着き、こちらは緩やかな速度で接して船体を押し始める。

「恐怖だって? 君は何を言って……いや、君には何が見えているんだい?」

「宇宙を塗り潰すほどの憎悪と狂気……それが……んっ……」

 レイは操縦桿から片手を放し、その手を自分のスカートの中に入れた。レイの荒いだ息づかいの合間に甘い声が混じる。

「ぁっ……ダメ……凄く感じる……のぉ……」

「……トール君の事か!?」

 ユウナには、レイの言う事は理解できなかったが、何を指しているのかは察する事が出来た。

 この場で狂気を放つものなど、ユウナは彼の他に知らない。

 とは言え、トールの狂気とて、自身や周囲の者を破滅に引きずり込んでいく程の“ありふれた”狂気でしかないと考えていた……実際、戦渦に巻き込まれたヘリオポリスにも同程度の狂人は居るだろう。

 では、彼らとトールは何かが違うのか? それともその程度の狂気でも宇宙は塗り潰されてしまうのか?

 と、ここまで考えた所で、ユウナは思考を改めた。全ては単にレイの妄言であり、タグボートやMAの異常な行動には何か別の妥当な答があるのかもしれない。実際、そう考える方がまともだろう。

 だが……ユウナはそんな“まとも”な考えを一笑に付し、喉の奥で笑う。その押し殺した笑いは、すぐに哄笑となってコックピットの中に響いた。

「いや、何だかわからないけど、そういうのも面白いぞ! 宇宙に恐怖を撒くもの。宇宙を憎悪と狂気で塗り潰すものか! 良いじゃないか! 僕にお似合いのメルヘンだ!」

 トールが宇宙に恐怖を撒くというのなら、自分が導いて恐怖を色濃く撒かせたらどうだろう。

 トールの憎悪と狂気が宇宙を塗り潰すというのなら、自分が手を貸して更にそれを塗り広げてやればどうなるだろう。

 そんな考えでユウナは、モニターに映る星空を見渡す。この全てが恐怖で満ち、憎悪と狂気に彩られるのだ。

 星を眺めて夢を見るなんて、まるで子供じゃないか。ああ、でも、それも悪くない気分だ。

 ユウナは、宇宙の漆黒に見た夢想に心を躍らせながら、大型輸送船を押すミステール1を見遣る。

「これじゃ、もったいなさ過ぎて、なおさらこれで終わらせるわけにはいかないな。頑張ってくれよ、トール君。ヘリオポリスが守られないと、お話は始まらないんだから」

 逆に言えば、全てはここから始まるのだ。

 

 

 

「い……行ける。もう少しだ……良いぞ……あと少し!」

 大型輸送船の船橋。オペレーターが一人、うわごとの様に言葉を紡いでいる。

 他の者は誰一人口を開かない。ただ声なき祈りのみが船内を支配する。

「い……行け! 行け!」

 オペレーターの言葉が興奮の色を帯びていき、そしてそれを最高潮に達させて彼は叫んだ。

「越えたぁ!!」

 ――――っ!!

 船橋に――いや、船内全ての場所で人々が歓声を上げ、それ船体を通じて船を押す者達にも通じるのではと想う程に響く。

 階級も役職も何も無く、ただ人々はその事実に喜び、感謝し、それを言葉にならぬ声で現して叫んだ。

 大型輸送船はついに、ヘリオポリスへの衝突コースから外れた。ヘリオポリス市民と、なによりこの大型輸送船の乗組員達の命は守られたのだ。

「後は停船させるだけだ。それで、全て終わりだ!」

 船長は、喜びの中で叫ぶ。

 何も知らずに。何も理解せずに。

 まだ何も終わってはいない……むしろ、ここから始まるのだという事を。



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暗礁宙域の囚姫

 宇宙。

 ああ……

 青白いスラスター光を鬼火の様に牽きながらMSジンが迫る。眼前にモノアイが輝く。

 ああああああ……

 手にした重斬刀を振りかざし、そして自分を一太刀に切り伏せようと……

「ああああああっ! くる! て、てきが……」

「落ち着け! 戦闘は終わった! ここは安全なんだ!」

「!? いっ……! ……つぅ……」

 かけられる声と、身体に走る鈍痛が、サイ・アーガイルの意識を急速に覚醒させた。

 ぼやけた視界がゆっくり明瞭になってくると、医務室の無機質な天井と、自分を覗き込む、衛生兵のワッペンをつけた陸戦兵が見える。

 次に顔を動かすと、自分の身体が固定されているベッドと、自分の身体に繋がっている無重力対応の点滴、今も熱く焼けるように痛む腕や脚に包帯が巻かれているのが見えた。

「落ち着け。落ち着いたか? 戦闘はもう終わったんだ」

 衛生兵は、サイを宥め落ち着かせる為に話しかける。サイは少しの間、苦痛に呻いていたが、ややあってから衛生兵に問いを投げた。

「敵は……どうなりました? アークエンジェルは? フレイ……は?」

「お前が全滅させたよ。船も乗組員も全員無事だ」

 衛生兵が宥めるように言うと、サイは安堵の息をついた。そんなサイをもっと落ち着かせる為に、衛生兵は言葉を続ける。

「最後の戦闘から、もう三日が経った。今、アークエンジェルは連合の宇宙基地『アイランドオブスカル』に停泊中だ。安全だから、安心して休んでいろ。

 ああそうだ、ちょっと待ってろ。鎮痛剤を使ってやるからな」

 そう言って衛生兵は、医療キットを取り出すと中を探り、小袋に封された一本の注射器を取り出す。

「全身をコックピットの中で打ち付けたんだよ。骨はやっちゃいないが、打撲と擦り傷だらけだ。治りが悪くなるから、安静にしてろよ。これを打てば、眠れる筈だ」

 全身打撲。それほど重い怪我ではなかったが、それでもしばらくはサイを動かせない。

 衛生兵は、袋から出した注射器を、点滴のチューブから枝分かれした接続部に繋ぎ、中の薬液を注入する。

 その動作をサイは見守っていた。

 聞きたい事はあったが、苦痛が酷く、身体が軋むようで、話をするのも辛い。

 沈黙のままに少しの時間が経つと、鎮痛剤が効果を及ぼしだしたか痛みが和らいでくる。だが、それと一緒に、サイは強い眠気を覚えた。これも鎮痛剤の効果なのだろう。

 サイは身体の痛みから逃れる為にもこのまま睡魔に身を任せたかったが、眠ってしまう前に聞かなければと思い直し、衛生兵に再度重要な問いを投げる。

「あの……フレイは? あの時、艦橋にいたフレイ・アルスターはどうなりました?」

「なーに、大丈夫だよ。元気なもんさ。今はゆっくり休め」

 衛生兵は殊更明るく言い放ち、何も心配する事はないとばかりに笑って見せた。

 その笑顔が、急速に襲い来た睡魔に掠れ、サイの周囲は眠りの闇の中へと落ちていく。

「フ……レイ……」

 最後の呟きを残し、サイはまた眠りに就いた。

 サイの眠りを確認し、衛生兵は笑顔を解いて溜息をつく。

「嘘を許せよ。本当の所を知っても、ベッドの中で気を揉むしかできないからな」

 サイに必ず聞かれるだろうと、全ての事情と、それをサイには伝えない事を衛生兵は言いつかっていた。

 今、フレイ・アルスターは営倉入りを命じられ、艦内の懲罰房に入っている。

 営倉入りから更に何かの処分が下されるのかどうか、まだ決まってはいなかった。

 

 

 

 アークエンジェルは今、連合軍の秘密基地『アイランドオブスカル』に停泊していた。

 暗礁宙域の中に位置するこの基地には、第81独立機動軍指揮下の海兵隊が駐留しており、主に偵察や通商破壊工作任務に従事している。

 基地自体は、大昔の宇宙ステーションやコロニーの残骸などを組み合わせて作られたもので、デブリに擬装されてはいるが、中には最新と言っていい機材が揃っていた。

 アークエンジェルはそのドッグで、破損した装甲や兵装の修理を受けている。

 また、併せてMSカタパルトの改造も行われていた。ザクレロの様な大型MAでもカタパルト発進が出来るようにする為の改造で、設計上で許容されている範囲内での縦横幅の拡張と、より重量のある物が撃ち出せるよう出力の向上が行われている。

 その作業は基地内のスタッフにより行われており、アークエンジェルの乗組員達には、その修理と改造が終わるまでの間、休息の意味も含めた待機命令が下されていた。

 アークエンジェルは現在、第81独立機動軍の指揮下に入っており、命令もそこから出されたものである。

 なお、アークエンジェル内にいたヘリオポリスからの連合国籍避難民達は、その全てが第81独立機動軍の保護下に移された。アークエンジェル内には今は軍人しか残っていない。

 未だ人員の補充は行われていないので酷い定員割れは全く解消されていないが、待機中の現在はそれほど問題にはなっていなかった。

 それに、準備が整い次第、人員補充と物資補給が併せて行われる事が約束されてもいる。

 その時、現在の暫定的な人員配置がどう変わるのかわからないが、少なくともそれまではナタル・バジルールが艦長である事に変わりはない。

 そのナタルは、シルバーウィンド襲撃戦以降、鬱ぎこみ気味であった。

 一人、艦長室に閉じこもっている事が多く、外に出るのは任務の為の最低限の時のみ。士官食堂などに出てくる事もない。

 艦橋で勤務している時も何か懊悩している様子で、じっと重苦しい沈黙を纏っている。

 そんなナタルに干渉しようとする者はいなかったが、ナタルのその姿はクルーに僅かばかりの不安を与えていた。

 

 

 

「で……我等が艦長はどうしたんだ?」

 シミュレータールーム。訓練が一息ついたのを機として、ムゥ・ラ・フラガは、シミュレーターの座席でバテているマリュー・ラミアスに聞いた。

「んー」

 突っ伏すように身を折っていた座席の上、半身を起こしてマリューは答える。

「艦長としての采配が上手く出来ないって、気に病んでるのよ。経験ゼロでいきなり艦長じゃ、出来なくって当然なんだけど……」

 階級が上で同性という事もあり、マリューはナタルに踏み込んだ事を聞けていた。もとい、無遠慮に聞き出したとも言えるが。

「……当然であっても、失敗は許されないって所か? 上手くやってる様に思うんだがな」

 堅い事だと深く溜息をつきながら、ムゥは偽り無く思う所を言う。

 あの壊滅的な状態のヘリオポリスを脱出して、ZAFTの追撃を振り切って無事に逃げられた。ナタルは、それだけの成果を上げたのだ。

 だがマリューは、そうじゃないのだと首を横に振る。

「戦闘の指揮がちょっとね……脱出してからまだ戦死者は出てないけど、サイ君はかなりやばかったでしょ? それを、何も出来なかったって……」

「生還が奇跡みたいなもんだからな。それに関しては、俺達もかなり不甲斐ないんだが」

 ムゥは苦々しい表情を浮かべた。何もしてやれなかったという点ではムゥも同じだ。

 巡り合わせが悪く戦場では離れてしまっていただけの話ではあるが、サイには単独で厳しい戦いばかりをさせてしまっている。

「サイ君は大活躍なんだから、ナタルが気に病まなくて良いのにねー」

 一方、マリューは全くそういった事は気にしていない様子だった。方法はどうあれ、上手く行っているのだからと、楽観的に考えている。

 どんな形であれ成果が伴えば楽観的になる所は、色々と危うい面もあるのだが、マリューの美点ではあった。

「……そうだな。気に病んでも仕方ないって事には賛成だ。ラミアス大尉は、お気楽が過ぎるが、艦長はそれを少し見習うくらいで良いのかもな」

「ちょ!? それ、私にも艦長にも失礼じゃない!?」

 軽く肩をすくめながら冗談めかして言ったムゥに、マリューが抗議の声を上げる。

 それを無視して、ムゥは言葉を続けた。

「ま、気分転換でも出来れば良いんだろうがな。艦の中に閉じこもりきりじゃなー」

 と、その台詞を聞いて、マリューはちょっとした天啓を受け、今感じた怒りを忘れて、ムゥに向かって身を乗り出した。

「それよ。基地への上陸許可が出たんでしょ? 気分転換にならないかしら?」

 アークエンジェルのクルーには、基地への上陸許可が出ている。

 しかし、所詮は宇宙の孤島のような基地である為、上陸する理由はほとんど無く、上陸するクルーは多くなかった。

 とはいえ、ナタルの気分転換の為に環境を変えさせてみるというのは方法の一つではある。

 が、ムゥは少しばかり苦い笑みを浮かべて首を横に振った。

「あー、海兵隊は、ちょっとノリがな……乱暴な奴が多いし。バジルール艦長向きじゃないな。意外に、ラミアス大尉向きかもしれんが」

 この基地は海兵隊の基地だ。宙軍とはその空気からして違う。

 紳士であれと教育される海軍とエリートである空軍の血を引いている宙軍は、紳士でもあるしエリートでもある。気障で高慢で頭でっかちという評価もいただいているが……

 ともかくナタルは、重症っぽくもあるがそういう宙軍の典型的なタイプだ。

 一方で、海兵隊はその出自から違い、元になったのは同じく地上での海兵隊である。

 敵地に真っ先に乗り込む事を主任務とする海兵隊は、その任務の性質の通り、兵達の気性も荒々しい。

 ムゥは元よりお上品な方ではないし、マリューの楽観は海兵達にも心地よいだろうが、ナタルとの相性はどう考えても最悪だった。

 真面目なナタルでは、かえってストレスを溜め込む事になるのがオチだろう。

「ま、今日はこれから、俺も上陸してみるつもりだ。偵察は任せろよ」

「え!? じゃあ、私も……」

「お前は、シミュレーター訓練で人並みの点数をとれるようになってからだ。これからも、MAパイロットを続けるんだろ? 愛しのザクレロの為にさ」

 ムゥが基地に上陸すると聞いて同行の名乗りを上げようとしたマリューを、ムゥは軽くいなした。

 補充兵が来るとなれば、MAパイロットも正規の兵が来るかもしれない。

 そうなれば、マリューはザクレロから下ろされる……という危惧がある。あると言うより、マリューに特訓させる方便として、ムゥが吹き込んだ。

 実際の所、どうなるかはわからない。

 ただ、これでもマリューは実戦で戦果を上げているのだ。パイロットとしてそのまま搭乗を続ける可能性の方が大きい様な気はする。もっとも、わざわざそれを言うムゥではないが。

「残念だったな。噂じゃ、でかい酒保があるらしいぜ」

 酒保。兵員用の売店の事だが、この基地には兵員用の酒場があると、この基地の港湾要員に聞いた。

 そうでなければ、ムゥもわざわざ降りようとは思わなかっただろう。

「く……お酒!?」

 マリューの声がうわずる。

 酒類は、戦艦内ではなかなか楽しめない。特に戦闘行動中となればなおさら。つまり、ヘリオポリスからずっと逃走の中にあったアークエンジェルでは禁酒状態だった。

 基地に着いた今では解禁されており、船内に積んである酒類が解放されているが、それでも飲む量に制限が付いている。

 酔うとまではいかない……むろん、艦内で酒に酔うような醜態をさらさせない為の飲酒制限なのだから、それが当然なのだが。

 マリューは、アル中が心配されるほど飲むというわけではないが、大人なりに酒を楽しみたい気持ちくらいはある。

 なにより、ハメを外して遊びたい。でも残念、マリューにそれは許されない。

 そんなマリューの気持ちを酌み取り、ムゥは清々しいまでに軍人らしい表情で敬礼をして見せる。

「自分が、ラミアス大尉の分まで飲んで来るであります!」

「無重力酔いしてゲロ吐いてゲロ玉の中で溺れちゃいなさい」

 マリューの心の底からドロドロと湧き出た恨み言を、ムゥは笑顔でスルーした。

 

 

 

「あのままだったら、サイは死んでました!」

 懲罰房。奥の壁に背を預けて漂いながらフレイ・アルスターは言い放った。

 対面にいるナタル・バジルールへと。

 先の戦いで拘束されたフレイへの事情聴取。如何に人手不足だとはいえ、艦長のする仕事ではない。

 しかしそれを、ナタルは自ら一人で行っていた。まるで、他者を介入させたくないかのように。

 そして、「何故、勝手な行動をしたのか?」それを問う。その問いにフレイが返したのが先の言葉だ。

 それは単に感情のままに零れたものでしかなかった。

 抗弁するにしてももっと他に言いようがある。フレイもそれは悟っていたが、サイを死地へ送り込み、無策に死なせようとしたと、ナタルへの感情が先走ったのだ。

 言った後でフレイは、言葉を誤った事に気付いて、失態を演じた事の後悔と共に奥歯を噛みしめた。

 サイを守りたい。その為には、軍を辞めさせられるわけにはいかない。それなのに、艦長に逆らうなんて……と。

 フレイは身構えてナタルからの叱責を待つ。

 だが、ナタルはただ一言だけ呟いた。

「そうか」

 その時、ナタルの顔に浮かんだ表情は、咎を責める者ではなく、責められる者のそれだった。

 あの局面でサイに有効な指示を下せなかった事をナタルは認めてしまっていたし、かといって「上官の失策に従って死ぬのも兵の責務だ」と正しい建前を言うほどの傲慢さもない。

 非を認めてしまう真面目さと、正しい事であっても人の命を道具のように扱う事に傲慢さを感じてしまう健全な精神。

 そのどちらも、軍人として生きれば、いずれは摩耗して消えてしまうものなのかもしれない。そして、そうならなければ、生きていけないのかもしれない。

 しかし、未だ若輩者であるナタルは、そういういわゆる娑婆っ気を残していた。

「だが……それでも、兵の任を逸脱する事は許されない事だ。兵は……与えられた任を全うしなければならない」

 言い訳じみたナタルの反論。そしてそれは同時にナタル自身を責める言葉でもあった。

 艦長ならば敵を排除する為に的確な指示を下さなければならない。その任を全うできなかったのはナタル自身なのだから。

 だから……

 フレイはその心の傷を突いた。

「艦長は艦を守れなかったじゃないですか」

 最初の言葉と違い、今度の台詞は冷たい計算から放たれる。

 わかったのだ。

 ナタルが何を求めてここに来たのか。

 フレイの事情聴取は建前。かといって、叱責しに来たわけでもない。

 ナタルは、自らの不甲斐なさを責められに来たのだ。

 自分で自分を責めている時には、優しくされるよりも、責められた方が心が落ち着く時がある。今のナタルのように。

 だが、アークエンジェルにはそれなりにしっかりした軍人が多い。つまり、上官が無能だろうと、今更、暴言を吐くような真似はしない。

 それに、彼等からのナタルの評価は、こんな不利な状況で良くやってくれているというもの。なおさら、ナタルを責める言葉など出てこない。

 ただ一人、命令違反を犯したフレイを除いて。

 浮かびそうになる笑みをフレイは冷たい表情の裏に隠す。

 ナタルは怒りと傷心と……僅かな安堵が混じった表情で唇を噛んだ。

 そんなナタルに、フレイは背中を這い上るようなゾクゾクした震えを覚える。

 ――これだ。

 フレイの中の“悪い子”が囁く。

 欲しいモノを上げよう。それは、とびきり甘いだろうから。

 その代わり、私は貴方の全てをもらう。貴方は、私の欲しいモノ全てを差し出すの。

 ナタルが欲しいのは叱責。そして許し。

 でも今はまだ許すべき時じゃない。

 焦らして焦らして、そして最高のタイミングで許してあげる。プレゼントは、待たされた方が楽しみでしょう?

 だから、今はこう言うの。

「もう、貴方と話す事なんて無いわ。出て行って!」

「…………っ」

 強めの口調で言い放ち、フレイは出口の扉を指差す。

 無論、本来ならばナタルがこんな言葉に従うなど有り得ない。本当に、本当に事情聴取に来たのだというなら。

 だがナタルは、反論もせずにフレイの前を離れた。

 そして、ドアの前に立ち、振り返りもせずに一言だけ残す。

「君の感情が落ち着かなければ、事情聴取は出来そうにないな。また来る」

 ナタルはドアの向こうへと姿を消した。

「また来る……ね」

 言葉の前半はナタルの自分への言い訳。大事なのは後の言葉。

 また来てくれるらしい。

 それは良い事。利用できる相手を利用するだけだ。やがて相手は、フレイの張った甘い罠に落ちるだろう。

 クスクスと笑みを漏らし、そして呟く。

「いつでも、いらっしゃい。優しくしてあげる。溺れさせてあげる……」

 フレイの顔に妖艶な笑みが浮かぶ。

 その笑みは何処か熱に浮かされたかのように、そしてとても楽しげにも見えた。

 愛おしい人を失う事を考えたなら、フレイは何でも出来てしまう。何でもやれてしまう。

 失われた人には、その復讐を捧げる為。失われそうな人には、それを防ぎ守る為。

 きっとそれが、その人から蔑まれ厭われる、そして嘆かせてしまうような事でも。

 それが自分であり、自らをも焼き尽くす情念の炎を消す事は決して出来ない。その情念故に自分は、最後には全て失うのだろう。フレイには、そんな漠然とした予感さえあった。

 

 

 

 ムゥ・ラ・フラガは一人、連合軍海兵隊基地アイランドオブスカルに上陸していた。

 カモフラージュの為に無作為を装って宇宙ステーションやコロニーの残骸を連結した基地である為、内部は非常に入り組んでいる。

 慣れないムゥでは案内図があっても正しい道を辿るのが難しい。その辺りが、ムゥがこれまで勤務してきた基地との違いか。

 内部の構造に目をつぶれば、あとは普通の宇宙基地と変わる物ではない。

 訓練中の装甲宇宙服を着た一団が、凄い勢いで通路を飛んでいくのとすれ違ったくらいで、目につくものはなかった。

 しかし、居住スペースに入ると、通路は一気に混沌の色を増す。

 部屋の中だけではなくそこかしこで、非番らしき兵士達がゴロゴロと転がり……というか無重力の中で漂い、勝手気ままに休んでいる。

 銃を持ち装甲宇宙服を着たままの兵士まで居る始末だ。部屋の中に鮨詰めで設置された、誰かと使い回しているベッドに寝るより、その方が快適なのだろうか?

 通路の中には、よくわからない細かなゴミが無数に浮かんでおり、それらは空気の流れに乗ってゆっくり対流している。

 そして、最後にはそこに辿り着くのだろう通風口の所で穴を塞がんばかりに溜まっていた。

 通路の壁は薄汚れ、奇妙で卑猥な落書きが色を添えている。

 こういうのは、宙軍の基地では見ない。海兵隊の基地でも、ここまで酷いのにはそうそうお目にかかれないだろう。

「キルロイ参上ねぇ。何処に居やがるんだな」

 壁の向こうから長鼻を垂らす男の落書きに苦笑し、ムゥは先を急ごうとする。

 居住区に入ったなら、目的の酒保まではもう少しの筈だ。壁に書かれていた落書き、「HEAVEN→」の矢印が最後の道順を教えてくれた。

 やがて辿り着く居住区の深奥。そこに、元は宇宙に直置きするタイプの倉庫かドックか何かだと思われる部品が、継ぎ接ぎまるわかりの不細工さで通路の脇に溶接されていた。

 開け放たれた入り口から漏れる喧噪と騒々しい音楽。

 入り口の周囲に申し訳程度に飾られたモールやカラー電球などの安っぽい飾り。

 そして、入り口の脇に乱暴に書き殴られた「BAR」の文字。

 同じように落書きされた後で何かで削られて消えかかっている「No Minors Allowed(未成年お断り)」の文字が、そこが目的地と教えてくれた。

 ムゥは、本来の酒保とのあまりの違いに苦笑しつつ、また一方でこの猥雑さを好ましいと感じながら、その入り口をくぐる。

 中は薄暗く、だが無駄に飛び交う色とりどりのサーチライトが眩しい。

 目を差したサーチライトの焼き付きになれると、ダンスホール程の広さの内部がよく見えてきた。

 床や壁や天井……いや、無重力なのでその区別はないのだが、ともかく部屋の外周に手すりが張り巡らせてある。

  客達は皆その手すりに止まって、ドリンクパックの中身を飲み、トレーに塗られたジャムみたいに粘りがある料理を食べ、各々勝手に浮かれ騒いでいる。

 奇妙な光景ではあったが、重力ブロックがない以上、酒場はこんな形になるのだろう。ムゥはその事には驚きはしなかった。

 ムゥが注目したのは、部屋の内側。何も無い空間を飛ぶように行き来する女達の姿。

 ムゥは、適当に近くの手すりに空席を見つけると、移動用の手すりを伝ってそこに行き、他の客と同じように手すりに止まってから、改めて女達を観察してから呟いた。

「驚いたな。コーディネーターじゃないか」

 連合軍の制服を改造したらしい衣装……袖を切り落としてベストにしたらしい上着と、足の始まり間際まで切り詰められたスカート。

 扇情的なその姿は、彼女達がホステスである事をこれ以上無くアピールしている。

 そのスカートから伸びる脚や、大きく開かれた胸元から覗く谷間にも注目せざるを得なかったが、ムゥを驚かせたのは彼女たちの髪だ。

 最初はサーチライトの光の加減かと思った。だが、すぐにその髪の色が地色だと悟る。

 自然には有り得ない、色とりどりの髪の色。すなわちそれは、コーディネーターである事を示している。

 注文を取りに来たホステスにビールと食事を頼んでから、ムゥがその姿を目で追っていると、同じ手すりで横並びになってドリンクパックを舐める様に飲んでいた男が話しかけてきた。

「コーディネーターが珍しいのかい? と……大尉殿でしたか」

 少尉の階級章をつけた彼は、ムゥの階級章に気付くと少しだけ姿勢を正す。ムゥはそれを見て、気にせずかまわないと手を上げて示した。

「酒場で堅苦しいのは止そう。それより、あれはやっぱりコーディネーターなのか?」

「そりゃどうも大尉殿。大尉殿の言う通り、コーディ共さ」

 少尉は、ムゥの配慮に感謝して、砕けた口調で話す。

 ムゥは、一人酒よりは面白そうだと、少尉の側に寄って問いを投げた。

「コーディネーターは敵じゃないのか?」

「人間は、紀元前から敵国の女を奪って抱いて来たんだ。コーディネーターぐらいは余裕ってわけさ。あそこに牙があるわけじゃなしってね」

 少尉は股間の前で、手を鰐口みたいに動かしてアピールする。ムゥはその仕草に笑いながら重ねて聞いた。

「でも、どうしてここにコーディネーターが居る?」

 コーディネーター=プラントのイメージが強いが、地球にもコーディネーターは居る。中には、連合軍で働いている者も。

 だが、少尉の話しぶりからしても、きっとここのは違うだろう。そのムゥの考え通り、少尉は軽い口調で答えた。

「生粋のプラントっ娘ですぜ。戦場で獲れたピチピチの捕虜だ」

 通常、ナチュラル同士の戦争では、戦争のルールが決められているので、捕虜への虐待や民間人を狙った攻撃を行う事は出来ない。すくなくとも、おおっぴらには。

 しかし、この戦争では、それら取り決めの一切がなされなかった。

 故に、捕虜を取らずに皆殺しにする事や、民間人を巻き込む攻撃が公然と行われている。

 そして当然の事ながら、こういう事も起こりえるという事なのだろう。

 これを野蛮と言うか……なら、並べて撃ち殺すコーディネーター共のやり口はどうか?

 嫌な話だと思いつつも、ムゥは気の向くままに問う。

「捕虜と言ったが、これは徴労かい?」

 捕虜に労働をさせる事は、普通の戦争でも認められているが、酒場で働かせるのは有り得ない。だが、少尉の答えは、ムゥの予想以上に有り得なかった。

「志願だよ」

「志願だって!? コーディネーターが、ナチュラル相手のホステスにか? 捕虜ってからには、プラントのコーディネーターなんだろう?」

 ムゥは驚きに声を大きくする。

 プラントのコーディネーターはナチュラルを見下しているものだ。それが、ナチュラルの為に酒汲みをするような事は無いと思っていたのだ。

 それに対して少尉は、何でも無い事のように言った。

「敵の酒場で愛想笑いするだけで、兵士と同じ飯が食えて、酒が飲めて、清潔な服と化粧品が貰える。男と寝れば、金だって稼ぐ事も出来る。金があれば、嗜好品も手に入る。

 やる奴はやるのさ。生き物なんだから、それが普通の事なんだと思うぜ? 生きたい、辛いのは嫌、楽がしたい、美味い物を食って、綺麗な服を着て……

 俺達兵隊だって、戦うのは飯を食う為だ。お偉いさんは違うのかも知れないがね。

 だから……“ああいいうの”は違うんだよ。生きる事以外の為に動くなら、そいつは生きちゃいない。ゾンビだ」

 少尉の最後の言葉には、重く苦いものが感じられた。

 戦場でのトラウマか? それを洗い流すように、少尉はドリンクパックの酒を胃に流し込む。

 それから、嫌な事は振り払った様に明るく続けた。

「ま、難しい事はさておき、ここの女共はまだわかりやすいって事さ。腹の中で舌を出しながら俺達に媚びる、可愛い奴らだよ。

 ああ、忠告するが、この酒場の女には暴力を振るわんことだ。紳士協定に基づいて、俺達みんなから袋叩きにされるから。

 そして、ここの女共を抱きたいなら、女に頼んで、金を払う。それがルールだ」

「へぇ。扱いが随分と優しいな」

 一応、女を保護するルールがある。その事もムゥには意外に感じられた。

 海兵隊に対する色眼鏡かもしれないが、そこまで紳士的な連中とは思えなかったのだ。

 だが、少尉が言うには、そこにもちゃんと理由があるらしい。

「女を殴りながら酒を飲みたいって奴は、そんなに多くないって事だよ。楽しく飲むには、笑顔を向けてくれる女が必要だ。

 金を取るのは、女の数が足りないからさ。奪い合いになっちまうだろ? 金も出せない甲斐性無しは女を抱けないってのは、なかなか良いルールなんだぜ?

 女に選択権を認めるのも同じ理由だな。なに、そうそう断られたりはしない。断られる奴は、女に嫌われる何かがある奴だ」

 そこまで説明した後、少尉は下衆な笑みを浮かべる。

「ただ、あんたが女を殴りながら酒を飲みたいとかいう趣味なら、ちょっと別を当たってもらう事になるな」

「やっぱり、そういう所もあるのか」

 やはりか……と、ムゥは暗澹たる気分になる。

 単純だ。この酒場での勤務を志願しなかった女、志願する事も許されなかった女はどうなるか? 平穏無事に檻の中って事はあるまい。

 少尉は、ムゥのその反応を見て、ムゥの趣味とは違うと悟ったが、それでも与太話として話は続けた。

「あるにはあるが、コーディが嫌いだからとか、レイプに興味があるからなんて理由ならお薦めしないね。

 大概、ここに来たばかりの奴はやりたがるんだが、一回か多くて数回で嫌になる。悪けりゃ、二度と起たなくなるなんて奴も……な。

 悲鳴と罵声が耳を突く中、殴られ蹴られで外見からして悲惨な女に、サービスなんて期待できないからただただ突っ込んで腰を振るんだ。

 酒か薬か戦闘で頭がいっちまってないと楽しめないね。もちろん、それが病み付きになる奴もいるけどな」

 少尉の話では、そういうのは人気が無いらしい。彼らの中でも、そこに行くのはド変態だと相場が決まっているようだ。

 まあ、普通の感性だと、泣き叫ぶ女を殴りながら抱くなど出来はしない。

 異常だからこそ、それが出来る。とは言え、人が異常性を帯びる事は、ちょっとしたきっかけで起こってしまう事でもあるのだが……

 少なくとも、悔いたり恥じたりする様子も無く、酒の肴にそんな話をしている時点で、この少尉も異常の中に足先くらいは突っ込んでいると言えよう。

 この場では異邦人であるムゥは、どう言葉を返したものかと苦々しく思い惑う。止めるも無粋だが、あまり続けたい話題でも無く、かといって自分から振る話題も無い。

 そんなムゥには構わず、調子が出てきたか少尉は話を続けた。

「女を抱きたいだけなら、もっと気軽に楽しめる所もあるぜ。敵に媚びを売ってもって気概は無いが、抵抗は諦めた奴らが相手で……まあ、金がない連中が行く所さ。

 士官なら遊ぶ金はあるだろ? なら、ここの女共には他はかなわないよ。普通に楽しみたいなら、ここで十分だしな。

 よければ、俺が用立ててやろうか? 俺の紹介なら、どの娘も断ったりは……」

 と、少尉の名調子の狭間、ムゥの横の席にピンク色がスッと滑り込んだ。

 ホステスかと、ムゥは何の気なしにそちらを見る。

 そこに居たのは、ホステスにしては幼い容貌の、あどけない笑みを浮かべた少女だった。

「こちら、よろしいですか? 他に席が空いていませんの」

「え? あ、ああ、良いんじゃないか?」

 少女は、ピンク色の長い髪を無重力の中にたなびかせながら席に着く。

「驚かせてしまったのならすいません。私、喉が渇いて……それに笑わないでくださいね。大分お腹も空いてしまいましたの。

 こちらは食堂ですか? 何かいただけると嬉しいのですけど……」

 少女は、面食らった様子のムゥを見て丁寧に頭を下げる。

 その髪色から見て、コーディネーターである事は間違いないだろう。

 だとすると、やはり彼女もまたホステスなのか? 立ち居振る舞いの柔らかさは、人を持て成すには適しているような気がする。

 しかし、服装は普通のドレスだ。ホステスのような露出度の高い物では無い。

 その幼い外見にはホステスは似合わないが……ここに居るホステス達の素性を考えると有り得なくも無いのか? 彼女たちに選択の余地は無いのだろうし。

 だが、ホステスが客席について飯を食うのだろうか?

 浮かんでくる疑問の答を求めようと、ムゥは先程まで話していた少尉の方に向き直る。

 と、彼はちょうど手摺りを蹴ってその場を離れていく所だった。

 彼の酒や料理は置き去りになっている。急用が出来たのか? 何にしても、ムゥが覚えた疑問の答えは得られそうにもない。

 ムゥは少しの落胆を覚えつつ、また少女の方へと注意を戻す。

 とりあえず、少女をホステスだと考えても良いだろう。客席での食事は……まあ、客へのおねだりだとでも思えば納得できる。

 ならばどうするか?

 まあ、優しくしてやっても良いんじゃないだろうか? 一人で酒を飲むより、女の子が隣に居る方が楽しいのだから。

 先の少尉の話によれば、そうやって自分を売り込む事で、一緒に酒を飲むだけじゃなく、他の事も色々と楽しめる様にもなるのだろうが……ムゥにそのつもりは無い。

 特に、少女の胸の辺りを見て、その思いを更に固くする。

 ともかくそう結論づけたムゥは、メニュー表を手にとって少女に聞いた。

「腹が減ったのかい? じゃ、好きな物を選んで頼みな。ここには宇宙食しかないけどな」

「まあ。ご親切に、ありがとうございます」

 少女はムゥの手の中のメニューを覗き込み、しばし迷った後に笑顔で告げる。

「では、紅茶とハニートーストをお願いします」

「了解だ。お嬢さん」

 答えてからムゥは、先程まで少尉が居た席を掃除しに来たホステスに声を掛ける。

「すまない、注文良いかい?」

「はい、よろこんで……!?」

 ムゥの方を振り返り見たホステスは、ムゥの横の少女を見て驚いた様子で息を呑んだ。しかし、すぐに諦めの色を目に宿し、自嘲めいた笑みを浮かべてムゥに聞く。

「何になさいますか?」

「紅茶とハニートーストを彼女に」

 そう注文してから、ムゥはホステスに聞いた。

「彼女が何かしたかい?」

「あ、いえ……何でもありません。ご注文の品、確認させてもらいます。紅茶が一つ。ハニートーストが一つ。以上ですね?」

 ムゥの問いには答えず、早口でそう言って、まるで逃げる様にその場を離れるホステス。彼女の目は、そこに居てはならない者を見たかの様な惑いを見せていた。

 それは少なくとも同僚に向ける目では無い。

 では、少女はいったい何なのか……わき上がって尽きない疑問に、ムゥは面白さを感じる。

 酒の席の遊びに、謎の少女の正体を探るというのは楽しそうだ。

 かといって、いきなり根掘り葉掘り聞き出そうとするのも無粋だろう。楽しみながら、じっくりと聞き出すとするか。

 そんな考えをしてる間に、ホステスは頼んだ料理を持って来た。

「お待たせしました。紅茶一つ、ハニートースト一つ、以上で注文はおそろいですか?」

「ああ」

「では失礼いたします」

 ホステスは、少女を気にした様子をありありと見せながらも務めて無視して、料理を置くと去って行った。

 料理はムゥの前に置かれたので、それをそのまま少女へと渡す。

「さあどうぞ召し上がれ」

「はい、御馳走になります」

 ドリンクパック入りの紅茶は、粉末紅茶をお湯で戻した物。

 ハニートーストは一口サイズのクラッカーの様な物で、トーストと名が付いているが工場で出荷されてからは、焼かれた事など一度たりとも有りはしない。

 それが一食に必要なカロリー分だけ袋に詰められている。

 ご丁寧にも、ハニートーストには、フリーズドライアイスクリームが付いていた。

 これも一口サイズの四角い固形物。アイスと名は付くが冷たくない。凍結乾燥させられている為、常温でも溶けないのだ。

 少女は、出てきたそれらが想像していた物と違ったようで、面食らった様子でそれらを受け取ったまま手を止める。

 ややあってそれに挑戦する勇気が出たのか、まず紅茶パックを手に取った。

 恐る恐るという感じで一口含み、苦かったのか渋かったのかちょっと顔を歪める。

 それから、無言のままハニートーストの袋を破り、一つ取り出して口に含む。カリリと固い物が砕ける音。

 そして、フリーズドライアイスクリームを訝しげにしながら取り出し、それも口に入れ……甘すぎたのだろう、慌てて紅茶パックを吸って、口の中の物を流し込んだ。

「変わった味ですのね」

 困った様な笑顔で控えめな感想を言う少女に、ムゥはニヤリと笑いかける。

「たいへん評判の、連合軍のレーションだからな」

「そうなんですの?」

 たいへん評判という所が信じられなかったのだろう。聞き返してきた少女に、ムゥは釣れたとばかりに返す。

「ああ、大変な評判だから、連合軍以外では、こんなレーションは食べられないのさ」

「まあ、つまり……大変なお味なのですね」

 ムゥの言った事が冗談だと分かった様で少女は追従めいて微笑む。それから、空腹には勝てないのか、もう一つハニートーストを食べ、紅茶を飲み、溜息を吐きながら言った。

「皆さん、もっと美味しい物を食べればよろしいのに」

「そうもいかないもんさ」

 諦めきった口振りでムゥは肩をすくめる。

 予算、保存、輸送、栄養、そして最後に味という順番で軍の食事は採用されるというのは戦場の兵士が常にぼやく話の一つだ。

 予算内で十分な量を仕入れられなければダメだし、すぐに腐る様では何日も何週間も続く軍務に使えない。

 戦地へ運ぶ都合上輸送が困難であっては困るし、食べて十分な栄養がとれなければ兵士が働けなくなる。

 実際の所、味をないがしろにしてる訳では無いのだが、他の要素も大事なので、結果として味は“食えない事もない”といった程度に止まる事になる。

 それでも常に改善の努力は続けられているのだが、轟く悪評は消えそうにも無い。

 地上のレーションですらその有様なのだから、更に条件が厳しい宇宙用レーションなど推して知れようという物だ。

 話のネタとして、その辺りをムゥ自身の経験とあわせて面白おかしく語る。

 少女は、軍のハニートーストはお気に召さなかった様だが、至極楽しげにその話を聞いて、鈴を転がす音の様にころころと笑った。

 それを見ていると、少女はやはり普通に幸福な少女にしか見えず、こんな基地に居る身とは思えない。やはり気になる。

 ムゥは一計を案じ、少々の演技力を発揮して、失態を取り繕う為の慌てた声を上げた。

「そうだ、せっかく知り合えたのに自己紹介もまだだったな。失礼、お嬢さん。

 自分はムゥ・ラ・フラガ。連合軍大尉であります」

「ご丁寧にどうも。こちらこそ、名乗りもせずに失礼いたしました。

 私、ラクス・クラインと申します。よろしくお願いしますね」

 少女……ラクスは、ムゥの計った通り、素直に自らの名を名乗る。

 一計と自称するとか、おこがましい様な手だったが、上手くいった。

 しかし……ラクス・クラインだと?

「ははは、まさか歌手のラクスかい?」

「あら、私をご存じでらしたのですね? 私、プラントでは歌姫と呼ばれておりました」

 酒場に歌手なら合いそうだと、あくまでも冗談のつもりでムゥは聞いた。が、あっけらかんとそれを認めてしまうラクスに、ムゥの表情が強ばる。

「おいおいおい……待て待て待て……」

 ラクス・クライン。

 プラントで大人気だが地球では見向きもされない事が嘲笑の種として方々で有名な歌手。曰く「コーディネートすると耳が腐る。ラクスは、その証明」。

 しかし、彼女はそれだけではない。プラントの議長、シーゲル・クラインの娘でもある。

 それも、親の七光りで売れた気になっている歌手として、また一つの嘲笑の種ではあるのだが……ともかく。

 重要なのは、プラントの議長の娘と言う事だ。その重要さは言うまでも無い。

 そしてそれ故に、こんな所に居るはずの無い人物でもある。

 それほど社会的地位のある人物なら、軍は何かしらに利用しようとするはずだ。間違っても、ホステスとして使い潰そうとなんかしない。絶対に。

 先程のホステスの反応も理解できる。彼女は、ここにラクスが居ると考え、自らそれを否定したのだろう。そんな事があるはずが無いと。

 ムゥだってそれを信じようとは思いたくない。「不幸な境遇で、自分をラクスだと思い込んだ可哀想な少女」なんて存在である方がよっぽど現実味がありそうだ。

 もっとも、それは都合の良い想像というものでしか無いが。

「どうして歌姫のラクス嬢が、この基地に?」

 思わず聞いてしまってから、ムゥは酷な質問だったと気付く。プラントの歌姫が、連合軍の秘密基地で興行と言う事もありえまい。

 考えるまでも無い。彼女は捕まったのだ

「ええ……と、良くは覚えていないのです。

 私、ユニウス7の追悼慰霊の為に来ておりましたの。そうしましたら、地球軍の船と、私どもの船が出会ってしまいまして……」

 ラクスの表情が曇る。

「それで……どうなったのでしょう? 気付いたら、脱出ポッドで地球軍の船の中に居ましたの。あの時は……何か……」

 答える途中、不意にラクスから表情が消えた。そして、何事かを口の中で呟く。言葉にもならない言葉だが、断片には「獣」という単語が混じっていた。

 そんな反応を、ムゥは見逃してしまう。

 ラクスの話に思い当たる所があり、それについて思考していた為だ。

「……君の船の名は?」

 ムゥの問いに、ラクスは普通に答える。垣間見せた空虚な姿は既に掻き消えていた。

「シルバーウィンドですわ」

 ああ、やはりあの船かと……ムゥは、先日襲撃した船こそがラクスの船だったと知る。

 そして、ラクスの今の境遇に自分が関わった事を悟り、そはムゥの胸を痛めた。

 正義の味方を気取るつもりも無いのだが……いや、それでも冷酷になりきれない事は認めざるを得ないのか? 少なくとも、「任務だから」の一言で済ます事は出来ない。

 ましてや、ラクスの様な少女を戦利品として貪る気にはならなかった。

 だが、ラクスがここに居るという事は、そういう運命に落とされたという事なのか? そうだとしたら、随分と彼女の運命を歪めてしまったものだ……

 考え込み、黙り込んだムゥにラクスが、心配そうに声を掛けた。

「あの、大丈夫ですか? 辛そうなお顔をされてます」

「あ? あ、いや……なんでもない」

 ラクスの声に、ムゥは巡る思考を切り上げた。

 ラクスの運命を歪めた責任の所在や、自らが行うべき償いなどを考えても答など出ない。

 自分の責任だと全てを被るのは気負いすぎというものだし、かといって軍事の建前通りに命令を下した上官に丸投げするのも無責任だと感じてしまう。

 ラクスに対して何か償えるかといっても、彼女をこの状況から救い出すなど出来る筈も無いし、かといって気にせずおくといった事も心が咎める。

 せめて、この場だけでも良い客であろうか……

 ムゥは物憂げな表情を笑顔に変えてみせると、ラクスに言った。

「それより、何か他に欲しい物はあるかい? ここは俺が何でも奢ってやるぜ?」

「ありがとうございます。でも、お腹はもういっぱいですし……」

 ラクスは、まだ中身が半分以上残っているハニートーストの袋に目を落とす。

 軍人用の一袋は、少女の胃には多すぎた様だ。それ以前に、味の問題でこれ以上はという可能性もあるが。

 ともあれラクスは、追加注文をする事は無く、小首を傾げて考える。

「…………そうですわ」

 ややあってラクスは一つ素敵なアイディア考えついた様子で、ポンと手を打ち鳴らした。

「一つ、約束をしていただいてよろしいでしょうか?」

「約束?」

 思わぬ提案だったが、興味を引かれてムゥは問いを返す。

「はい、約束です」

 ラクスは笑顔で答えた。

「またあ私とお食事をご一緒してください。一人ぼっちだと、つまらないですから」

「ああ、いいとも」

 まだしばらく、アークエンジェルはこの基地に留まるだろう。機会はまたある筈だ。

 ムゥは軽い気持ちでラクスと約束を結ぶ。

 そして……その時だった。

 酒場の入り口の方で、大きなどよめきが起こる。

 ムゥはとっさにそちらを見て、今、入り口から内部に突入してきた連合軍海兵隊の装甲宇宙服の一団を見た。

 ざっと数えて、規模は一個小隊くらい。

 訓練か? 一瞬、そう思う。

 だが、兵にとっての憩いの場である酒場を巻き込んで訓練をするか……いや、しかねないのが軍隊ではあるが。

 「まさか?」との思いが、ムゥの反応を遅らせた。

 その間に、突入してきた海兵達は、まさにムゥをめがけて殺到する。

「動くな!」

 警告の声。そして海兵達は、ムゥの方に向けて銃を構える。

「動けば撃つ! 口を開いても撃つ!」

 その声から、ムゥは兵達の本気を感じた。同時に、彼等の意識が、ムゥから僅かにずれた場所へと集中している事にも気付く。

 海兵達が銃を向けているのは、ムゥの隣にいるラクスだった。

「…………」

 戸惑いと驚きから呆然と海兵達を見ていたラクスの口元が僅かに動く。

 とっさにムゥは腕を伸ばしラクスの体を抱え込むと、掌で彼女の口を塞いだ。

「言う通りにするんだ」

 ムゥに理由は分からないが、海兵達の警告は本気だ。ラクスが何か一言でも喋れば、そのまま撃たれてしまうだろう。

 ムゥに制されてそれを察したか、ラクスはムゥに口を押さえられたまま小さく頷く。

 その動作を感じ、ラクスが素直に従ってくれた事に安堵してから、ムゥは海兵達に向き直った。

「事情を聞いても良いかな?」

「脱走であります。大尉」

 軍務の事であり、ムゥには直接関係のない事でもある。答えを得られるとはムゥも期待していなかったが、少尉の階級章がついた装甲宇宙服が銃を構えたまま答えた。

 その声にムゥは聞き覚えがある。ついさっきまで一緒にいた、あの少尉だ。

 任務中だからか、少尉の言葉使いは堅い。

「その女は、拘禁してあった牢から逃亡したんです」

「拘禁……やはり、議長の娘だからか?」

「はい、それもありますが……」

 政治的な利用価値は計り知れないのだから、そういう処置は当たり前か。そう納得しつつ聞いたムゥに、少尉の返答には何か含むものがあった。

「ともかく、その女は至急、隔離しなければなりません。身柄を確保します」

 少尉は答えなかったと言うより、事を急いたが故に答えを先延ばしにした様子で言って、ラクスに手を伸ばす。

 ムゥの腕の中で、ラクスの体が強ばった。恐怖を感じているのか?

 一瞬だけ迷い、それからムゥはラクスの体をしっかり抱くように拘束し直して言った。

「乗りかかった船だ。協力させてくれ。とりあえず、お嬢さんのエスコート役は任せてくれないか? 少しの間だが、一緒に飯を食った仲なんだ」

「……了解です。お願いします」

 ムゥの腕の中で大人しくしているラクスを確認し、少尉は頷く。それから少尉は、かなり厳しい口調で言葉を繋げる。

「くれぐれも口を開かせないように。何もないとは思いますが……もし“何か”あった時には、味方を巻き込んでも撃てと命令されてます」

「……了解した」

 ムゥは頷き、ラクスの口を押さえる手に僅かに力を込めた。

 何故か、海兵達はラクスが言葉を発するのを恐れている。それはムゥにとって疑問であったが、その理由を聞ける場面ではないだろう。

「と、言うわけだ。ちょっと窮屈だろうが、部屋に戻ってもらうよ。良いね?」

 問いかけの形ではあるものの、有無を言わせぬ調子でラクスに言う。

 ラクスは小さく頷く事でそれを了承した事を示した。

 ムゥはラクスを抱えたまま、留まっていた手摺りを蹴って飛び上がり、酒場の出入り口を目指して飛んだ。

 周囲を、動きを止めて一連の騒動に注視する非番の海兵とホステス達の姿が流れる。

 ムゥに追従して周囲を固める武装した海兵達は、ムゥとラクスだけではなく、周囲にいる者達にまで警戒をしている様子だった。

 いつどんな反応があっても撃てるように。

 コーディネーターであるホステス達だけならまだしも、味方の海兵まで警戒しているのは何故か? ムゥの中で疑問が大きくなる。

 自分の腕の中にいるラクスという少女は、いったい何なのか……

 考えたところで答など出るはずのない疑問を頭の中で転がしながら、ムゥは酒場を後にし、海兵達の誘導を受けながら進んだ。

 長々とした入り組んだ通路を無言の一行は進み、やがて通路を遮断する無骨なドアで隔てられた区画へと入り込む。

 そこは監房の区画なのだろう。通路の脇にはやはり同じく無骨で頑丈そうなドアが、左右両方の壁に等間隔で並んでいる。

 驚く事に、中には非番らしい海兵達の姿があった。

 海兵達は監房の前にたむろし、時折中から出てくる者と入れ替わるように中に入る。

 ……これが、“志願しなかった女”の仕事場か。

 監房の中で何をしているのか想像はついたが、ムゥはそれを口に出す事はなかった。

 一行は、それら海兵達がいる方向とは別の、人気がない方向へと向かう。どうやら、目的の監房はずっと奥にある様だ。

 つまり、それだけ厳重に収監されていたと言う事なのだろうが……ならば何故、ラクスは出てこられたのか?

 そして、脱走したのなら逃げようとするのが普通だろうに、何故、酒保になど来たのか?

 色々とラクスには聞いてみたかったが、現状でそれは許されそうにもない。神経を尖らせた海兵達に囲まれた今の状況では。

 謎と言えば、海兵達の警戒ぶりも過剰に過ぎるのだが……

 ムゥが思考をめぐらせている内に、一行は目的の監房へとついた様だった。

 監房のドアは、ラクスが出てきた時のままなのか、開け放たれている。

 監房の中は非常に簡素ではあるもののベッドなどの一通りの調度は揃っているのが見えた。

 無為に過酷な扱いではなさそうだと、ムゥは少しだけ安堵する。

 と、その時に足を止めたムゥに、急かすように少尉がその背を押した。

 ムゥはラクスの体を押しやって、監房の中へと送り込む。

 押しやられて宙を漂いながら振り返ったラクスが仄かな笑みで手を振ったのをムゥは見た。

 だが、そんな光景もつかの間、無骨なドアがスライドし、ムゥとラクスを隔てる。

 ドアが完全にロックされたのを確認し、海兵達の緊張が解けた。

「一応、任務完了か」

 少尉がそう言いながらヘルメットを取る。それから少尉は、他の海兵達に命じた。

「非番だった者は解散。後は予めの指示の通りに。そうじゃない者は、正規の警備シフトが組まれるまで、ここで歩哨に立て」

 その命令を受けて、海兵達の7割程がそれぞれにくつろいだ様子を見せ、この場を去っていく。残りはその場で、ある程度の緊張と警戒を取り戻し、監房のドアの前に移動した。

 ムゥは、去っていく海兵達の群れに混ざり、少尉の横に並ぶ。

 と、少尉はムゥに向かって大いにぼやいて見せた。

「ああ、ああ、面倒臭え。せっかくの非番がパァだ。しかも、酒飲んだ状態で実戦なんて冗談じゃないな」

 任務が終わったからか、口調は砕けたものに戻っている。

 その方が話を聞きやすいと、ムゥは敢えて軽い口調で聞いた。

「姿を消したと思っていたら、ずいぶん派手に戻ってきたじゃないか」

「酒場であの女を見て驚いたったらねぇ。肝が冷えたぜ。

 で、あわくって通報したら、そのまんま武装して取り押さえろって命令だ。

 酒飲んでるって、言い訳も聞いてくれない。仕方なし、とっさにその辺の連中をかき集めて、突入班を編制したさ」

 そんな命令が出されるのは明らかにおかしい。

 待機中の部隊を招集し派遣する手間も惜しんだのか? 非番、待機、勤務の三態勢に分けられているなら、待機中の部隊が全体の三分の一ほど居るはずだが。

「非番じゃない奴等は別の仕事か? 割を食ったな」

「ああ、まあ、待機中の奴等も総動員されて酒保を囲んで警戒態勢だ。連中も肝を冷やしたと思うぜ? 渦中に飛び込んだ俺達ほどじゃないだろうが」

 少尉の答には驚くべき情報が含まれていた。だからこそ、ムゥの声は大きくなる。

「おいおい。じゃあ実は、他の部隊も動員されてたってのか? しかも総動員?

 何を警戒していたんだ? 女一人に有り得ないだろ」

 ラクスの確保に完全武装の一個小隊。さらに待機中の部隊を総動員……つまり、この基地内で動かせる兵力の三分の一ほどをもって周囲を固めていたと。

 基地内に相当数の敵戦力が発生した様な状況でもない限りは有り得ない。

 有り得ないのだが……今回はまさに、その様な状況が想定され対処していたのだった。

「……シルバーウィンドの中で異常な暴動が起こった。その原因として、あの女が疑われている。つまり、今回も暴動の可能性があったと言う事さ」

「同じ様に今回はホステス達が暴動を起こすと? まあ、有り得なくはないか。

 で、彼女が暴動の原因と思われてるのは、議長の娘だからか?」

 議長の娘というVIPを守る為に暴動を起こした。有り得なくもない。

 しかし、少尉はムゥに向かって首を横に振った。

「いや、そうじゃない。

 一つのホールに集められた船の乗員乗客のほとんどが一斉に蜂起し、そのほぼ全員が死ぬまで抵抗を続けた。わかるだろ? 異常だって」

「それは……」

 異常だ。

 暴動の規模はまだ有り得るとしても、“死ぬまで抵抗した”という点が有り得ない。

 人は誰でも自分の命こそを大事に思う。

 命を賭して忠誠を果たそうとする者も少数なら居るかもしれない。暴動の熱に浮かされて命を捨てて暴れる者もいるかもしれない。

 しかし、全員そうなる事は有り得ない。

「ゾンビ映画みたいだったぜ? 最後は、爆薬使って粉微塵にしたよ。それでようやく暴動が止まったんだ」

 その時の事を思い出したのが、少尉は苦虫を噛み潰したような顔をする。

「で……だ。その時ホール内を撮っていた監視カメラには、あいつが何か歌ったのをきっかけに暴動が起こったとしか見えない映像が残されていたらしいぜ」

「歌……それで彼女に口を利かせなかったんだな。

 ……なあ、海兵隊は本気か? 彼女が魔法でも使ったってのか?」

 たかが歌で何が起こせるというのか? 少尉は、そのムゥの抗弁に、軽口で答えた。

「ああ、俺の婆ちゃんなら、あいつを魔女って呼んだろうさ。そして俺は、婆ちゃんの言う事は信じる事にしてるんだ」

 そして少尉は、少しばかり真面目な顔をする。

「上も……そして俺達も、あの女一人をおっかながってるのさ。

 あの女がどんな手品を使ったのかは知らないが、暴動に加わった奴等は残らずラクス・クラインの名を唱えて、最後の一人が死ぬまで戦ったんだ。

 奴等の遺言を信じなくて、何を信じる?

 だから……今回の動員は、ホステスだけじゃなく、酒場にいた海兵達までもが暴動に加わる事を恐れての事さ。俺達には、いざという時には酒場にいた全員を殺す許可まで出ていた。

 つまり俺達は本気。これ以上ないほどに。狂ってるくらいに本気ってわけさ」

 なるほど、完全武装の海兵一個小隊は、ホール内の全てを殺し尽くす為の戦力だったわけだ。そして、それでも暴動を抑えきれない時にそなえて、厳重な警戒態勢を敷いた。

 やけに大規模な兵の動員には、それで説明がつく。

 理解はしたが、自分も抹殺の対象だったと悟り、またラクスが暴動の原因だという話にどうしても納得出来ない自分も居て、ムゥは嫌な気分で愚痴めいた言葉を紡ぐ。

「……そうなってりゃあ、俺も今頃は死体か? 怖い話だねぇ」

「ゾンビになってうろついてるよりかは、殺しちまった方が慈悲だと思うね。“あれ”を見たら、きっと大尉もそう思うさ。

 ま、だからさ、大尉。あんた、艦には帰れないぜ? あの女と一番長く話したのは大尉だ。何か影響が有ったのかどうか、身体検査がたっぷり待ってるからな」

 少尉は人の悪い笑みを浮かべて答え、顎で行く先をしゃくって示す。

 海兵達の向かう先、白衣を着た男達が待っていた。先に行った海兵達が彼等の元で問診を受けている。この後、身体検査とやらもあるのだろう。

「ま、あの女に関わったのが運の尽きだったな」

 少尉は、慰めにならない慰めを吐いた。

「これなら、艦内でのんびりしてるんだったよ」

 もはや、逃れようはないだろう。ムゥは諦めの情を露わに嘆息した。



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暗礁宙域に時を過ごして

 ムゥ・ラ・フラガは基地内に足止めとなった。

 その事は、アークエンジェルに伝えられたが、その理由は検疫の為とのみ説明されるに終わる。

 もっとも、地上から上がってきたばかりならともかく、人工的な環境である宇宙空間でいきなり検疫というのも疑わしい話。

 それが真実だと思う者は逆に少なかった。

「……酒飲みに行った所で、何やってんのよー」

 マリュー・ラミアスは今日もシミュレーターで練習中。操縦桿を握り、CGの宇宙に閃光の華を咲かせながら、不満を仮想の敵機にぶつけていた。

「あいつは帰ってこないし、ナタルは引き籠もり気味だし、サイ君は入院中だし!」

 要するに、気軽に話す相手が居なくてつまらないのだ。

 陸戦隊や艦橋要員他、艦には色々他にも乗っているが、パイロットのマリューはそこら辺との繋がりが無い。

 だいたい一緒に格納庫辺りで働いている整備班とは、どうしても技術的な話になってしまって、それはそれで有意義なのだが、仕事意識が抜けないので気軽にとはいかない。

 ムゥと軽く喧嘩したり、ナタルを弄くったり、サイをお姉さんの色気でからかったり、そんな潤いが失われてみると、どうにも寂しくてたまらない。

 ……迷惑な奴と思うなかれ。ムードメーカーとして少しは役に立っているのだ。

「良いわ! もうこうなったら、ザクレロ、貴方だけが心の拠り所よ! 一緒に強くなって、あいつやナタルやサイ君が戻ってきたら、格好良いところを見せてあげるのよ!」

 マリューは気合いを入れて操縦桿を握り直す。

 その直後、画面端に映っていたナスカ級の120cm単装高エネルギー収束火線砲が自機にヒットし、画面が停止した。

「あ゛」

 画面には続いて、コンピューターが分析した、敗因が表示される。

『注意力散漫 戦闘中は私語を控えましょう』

「…………」

 マリューはしばらくその画面を見つめてから、無言でシミュレーターを再起動する。

 そして起動プロセスの最中、一言だけ呟いた。

「みんな意地悪だわ……」

 

 

 

 青く輝く地球を海原のように下に広げながら、黒色のドレイク級宇宙護衛艦“ブラックビアード”が宇宙に漂う。

 その船内から一隻のシャトルが産み出され、それはそのまま地球への降下コースを進んだ。

 シャトルは北米大陸を目指して降りていき、しばらくは大気摩擦の火でチラチラと輝いていたが、やがて宇宙からは見えなくなる。

「避難民のシャトルは降下軌道に乗りました。着陸目標、北米ニューヤーク。状況オールグリーン」

 ブラックビアードの艦橋。オペレーターの報告に、艦長席に座していた黒髭は小さく頷く。

 これで、面倒な仕事が一つ片づいた。

 ヘリオポリスを脱出してきた連合国籍民間人は“何も知らないまま”地上へと送られたわけだ。

 暗礁宙域の秘密基地。そこで行われてる作戦やら、なかなか非人道的な何やらはもちろん、その存在ですら明らかになっては困る。無事済んで何よりだ。

「超長距離通信開け。月と“島”を繋げろ」

 黒髭の指示で、月のプトレマイオス基地と秘密基地への超長距離通信が行われる。

 位置が大きく変動しない基地同士では、直接通信すると傍受されたり秘密基地の位置を探られたりする恐れがあった。

 位置が常に変動する艦を挟むと、その危険性は減らす事が出来る。よって、秘密基地から行う緊急時以外の通信は、こうして艦を中継して行われる。

「回線繋がりました」

 オペレーターはそつなく仕事をこなした。

 この通信にて、民間人の地球降下成功に加え、秘密基地内で起こった先のラクス脱走の顛末が月に伝えられる。

 と、即座に月からも秘密基地当てに何か指示が返った様だった。

 その通信文を手元のコンソールで見て、黒髭は皮肉げな笑みを浮かべる。

「よーし、野郎共。“島”に戻るぞ」

 民間人というお荷物は降ろした。だが、次の仕事がある様だ。

 黒髭は秘密基地宛の通信内容を思い返しながら、冗談めかして言葉を繋げた。

「次は、とびっきり厄介な荷物が待っているからな」

 

 

 

 月面、プトレマイオス基地。第81独立機動群。司令室。

 第81独立機動群のネオ・ロアノーク大佐は、暗礁宙域の海兵隊秘密基地アイランドオブスカルから届いた報告書に目を通していた。

 その報告書は、最新の物ではなく、シルバーウィンド襲撃の後に送信されてきた物。やはり、大きな扱いになるのは、船内で起こった不可解な暴動についてだ。

 しかし、その事については今のネオには判断材料が少ない。

 気味が悪い不可解な事件だとは思うが、それが危険なのか、危険ならどんな対応が考えられるのか、それとも何か有益な事なのかなど、まだ判断ができないのだ。

 故に、その対応は別の者に任せている。

 そして今、ネオは、その者を呼び出していた。

「――失礼。何かご用でしょうか?」

 インターホンを鳴らす事もなくドアを開けた白衣の男が、敬礼もせずにいきなり言う。

 彼が兵士なら叱責ものだが、彼はザクレロの開発にくっついてきていた軍属の心理学者だ。

 普通なら、心理学者など兵器開発にはお呼びではないのだが、何故かザクレロの開発には心理学の権威が関わっているらしい。

 ともあれ、何故居るのかはネオにも定かではない人材だったが、今回の件について意見を聞き、とりあえずの対応を任せるには適任だったわけだ。

「シルバーウィンドの件について、そろそろ専門家の見解を聞かせてもらおうと思ってね」

「専門家というわけではないのですが。これはむしろ社会学や、行動主義心理学的な……いや、その辺はいいでしょう」

 ネオに問われて心理学者は迷惑そうな顔を見せた後、そのまま見解を口にする。

「通常の暴動ではない事は確実ですね。

 エイプリルフールクライシスからこっち、地球上では至る所で暴動が起こっています。しかし、この様な暴動は他に類を見ません」

 心理学者は、ネオを前に、まるで学生に講義するかの様に語った。

「人間ならば死を恐れます。なのに彼等は、自らの死以外に先のない暴動を起こした。

 死が確実な暴動なんて、まず発生しません。通常は、生きる為に暴動を起こすんです。例え、結果としてそこに死のみが残ったとしても。

 ですから、ホールを出る辺りまでなら、通常でも有り得ます。ホールを脱出すれば、彼等にも生への道が見えますから。

 しかし、彼等はその後、自分達の置かれた状況をじっくり考える時間があったにも関わらず、死以外には道の無い戦いを続けている。

 船には脱出ポッドがあり、そこから逃げ出す選択肢もあった。しかし、大多数はそれを選ぶ事さえなかった。

 脱出を選んだ少人数も、追っ手が迫ると、ただ一人の少女を逃がす為に全員が死んだ。

 大人だけならともかく、子供までもがね」

「有り得なく、不可解なのはわかっているさ」

 そこまでは最初の報告からでも読み取れる。

 ネオが肩をすくめて言うと、心理学者は何度か頷いて見せながら講義を続けた。

「そうです。有り得なく不可解だ。でも、解釈は、やって出来ない事もない。

 彼等が暴動を起こした理由。それが、たった一人の少女を、脱出させるためだったと考えると辻褄は合いますね。

 議長の娘でプラント一のアイドルだとはいえ、一人の少女。それを自分や家族友人の命よりも優先して救う。それも、極めて多数が意思統一されたかのように迷いもなく……」

「そっちの方が有り得ないだろう?」

 馬鹿馬鹿しいとネオは思う。

 例え、大西洋連邦大統領やハリウッドスターが同じ立場にあっても、それを守ろうと群衆全てが命を捨てる事など無い。

 極少数の英雄が現れる事は否定しないが、圧倒的多数が揃って自己犠牲的行動を取るのは異常だ。

「ええ、有り得ませんね」

 心理学者はあっさりと認め、これ以上話す事は無いとばかりに口を閉ざした。

 彼にとっても理解の外なのだろう。学者だからと言って何でもわかるというものではない。

「わかった。とりあえず、どう対処したら良い?」

 ネオは今全てを理解する事は諦め、取りうる対応について聞いた。

「確か、今は暴動に関わった奴等を個別に隔離して、兵はそれに接触しないように指示を出したのだったな」

「はい。ビデオの映像からは、彼等が集合して相互に接触し合う環境に居た事だけは確実に読み取れますからね」

「歌は関係していると思うか?」

 暴動の中心にいた少女、ラクス・クラインの歌。暴動開始のタイミングからみて、それがきっかけになったという疑いは濃厚だった。

 だが、心理学者は首を横に振る。

「可能性は高いですが、今、それについて先入観を持つのは止めましょう。調べれば確認できる事です。それに、隔離して接触を断てば、歌の影響も封じられます。

 何にせよ、早急に地上へ降ろして、然るべき研究施設で調査を行うべきです。その価値があると、保証は出来ませんが……」

 心理学者が最後に言ったそこも問題なのだと、ネオは考え込む。

 今はただ、奇妙な暴動が一件起こったという事でしかない。

 いちいちほじくり返して調べるより、関係者全員の口を封じて無かった事にする方が簡単だとも言えるのだ。

「いや……何にせよ、アークエンジェルを一度、地上に降ろすんだ。ついでに研究材料を研究機関に提供するのも悪くない」

 ネオは考え直した。それを聞いて、心理学者は頷く。

「そうおっしゃると思いましたので、移送の準備は指示してあります」

「手回しが良いな……さては君も興味があるな?」

 ネオは小さく笑った。

 ともかく、怠惰が勝利をもたらす事はない。それに、手間と言っても自分が払うのは僅かだ。

 また、ブルーコスモス盟主ムルタ・アズラエルは、この一件に興味を持つかもしれない。その判断を仰がずに、勝手に無かった事にも出来まい。

「今の所は、全ての情報を渡し、厳重な調査が必要と報告しておこうかね。それで指示待ちとしておこう」

「異論はありません」

 ネオの決定に心理学者は短く返す。

 それから心理学者は部屋を去ろうとしたか身を翻そうとしたが、何か思い出した様子でまたネオと向かい合った。

「ああ、そうだ。つい先程、私の方に報告が上がっていました。件の少女……ラクス・クラインが脱走したとの事です」

「何だと!?」

「報告は事後報告の形でした。一時、基地内は混乱したものの、現地の判断で事態は無事収拾。

 なお、その時、一人だけ接触者が出た模様です。“感染”の疑いがある事から、その接触者も隔離するよう、私の判断の下、返信にて指示を出しています」

 ネオは、自分の知らないところで大事件が起こっていたのかもしれないという事を悟り、肝を冷やした。

 秘密基地で暴動など、起こされてはたまらない。が、事態はそうなる前に収まったようだ。

 そして、その件で一人が貧乏くじを引いたと。

 普段から「階級の割には前線回りの多い不運な男」を自覚するネオにとって、その不幸な人物には同情を禁じ得なかった。

「不幸な奴だな……まるで他人とは思えんよ」

「不幸ついでです。その男に、少女の世話や監視や取り調べを任せるよう指示を出しますか? 感染の疑いがある人物は、少ない方が良いですからね」

「あー……まあ、仕方ないな」

 迂闊に誰かを接触させれば何かへの感染を起こす可能性がある以上、接触する人間を増やすわけにもいかない。

 普段の世話などは、機械に任せる方法もあるのだが、それは管理された研究所で設備が有ればの話であり、捕虜を収監するのが目的である前線基地の監房では無理な話だ。

 放置して衰弱などされても困るとなれば、使える人物を使うのが合理的だろう。

「その辺りは、その不幸な男にも命令として俺から出しておこう。当面は、それぐらいか?」

「そうですね。ただ、一日でも早く、研究材料の地上への送達を……」

「繰り返すが、アークエンジェルを下ろす時に一緒に下ろす。まあ、それほど時間はかからないさ。今、補給物資を揃えているところで……」

 心理学者に返した所で、ネオの傍らの電話がコール音を鳴らした。

 ネオはすかさずそれを取る。

 心理学者は、もう話す事はないと判断したのか、無言で礼をして後ずさった。ネオがそれに承諾の意を込めて頷いてみせると、心理学者はそのまま踵を返して部屋を出て行く。

 その間にも、電話からは、あるちょっとした仕事についていた者達からの報告は続いていた。

「……そうか第8艦隊の物資の確保は成功か」

 ネオはその報告に満足そうに声を返す。

 第8艦隊は全戦力をもってMS奪回の為に出撃した。とはいえ、全ての物資を持って行ったわけではない。

 そこで、基地に残ったそれら物資を、根回しして自分達の倉庫に入れてしまおうと手を打ったのだ。

 どうせ第8艦隊は帰ってこないと踏んでいるし、万が一もし帰ってきてもMSを奪われた上にその奪還にも失敗という不始末を重ねている状態では誰に苦情を言う事も出来まい。

 MS奪還に成功して帰ってくる事は億が一にもないだろう。

 浮いてしまって倉庫で埃を被るくらいなら、さっさと奪って有効活用すべきだ。

「ん? スカイグラスパー? どうしてそんな物が宇宙に……」

 部下の報告は、その補給物資の中にFX-550スカイグラスパーというMAが二機有ったという事に触れる。

 スカイグラスパーは、MSの支援用にデュエイン・ハルバートンが作らせた大気圏内専用MA。

 大型MAに比べれば戦力は見劣りするし、ストライカーパックとやらの無駄なシステムもついてはいるが、さすがに旧式のF-7Dスピアヘッドよりは性能が良い。

 大気圏内用の機体なので宇宙にあるのは妙だが、おそらくは完成した連合MSを積んだアークエンジェルに渡し、地球上に降下させるつもりだったのだろう。

「まあいい。

 戦闘機でおなじみのP・M・P社。ハルバートンの病気の産物でも、滅多な物は作ってないだろう。そのまま、アークエンジェルへの補給物資を入れた倉庫の方へ搬入を」

 アークエンジェルには、地球降下にそなえてスピアヘッドを配備する予定だった。

 MA二個小隊八機のスピアヘッド。そこに二機のスカイグラスパーを加えても良いだろう。

 アークエンジェルにはエンデュミオンの鷹が乗っていた筈だから、彼の搭乗機にするのも手だ。

 了解した旨を告げて、電話は切れた。

 ネオは着々と整いつつある準備に満足げに頷き、それから電話を置く。

 それから急に思い出して、まいったとばかりに頭に手をやった。

「あー……後は、大型MAだな」

 アークエンジェルからの補給要請の中にあった大型MAの要求。

 とはいえ、如何に第81独立機動群とはいえども、ほいほいと渡せる大型MAなど有る筈もない。

 ならば断ってスピアヘッドでも送っておけば良いかとなると、「ミストラルで艦を守りきった新兵」なんて実に大衆好みなキャラクターを無碍にする事になるので、アークエンジェルの宣伝部隊化に当たっては好ましくない。

 悩み所ではある。何か、丁度良いMAが有ればいいのだが……

 ネオは、アレコレ考えながら、窓際に歩み寄った。

 そこからは第81独立機動群の倉庫が見える。それでも眺めながら、どうにか浮かせられる大型MAが無いか考えようと思ったのだが……

 そこで、ネオの視界にそれが目に入った。

 ちょうど、テスト中だったらしい。

「……そうだ、あれを送ってやろうか。月面での運用テストは概ね終了していたな? 本来は陸戦機だし……むしろ丁度良いかもしれないぞ」

 窓の向こうに広がる、月面の荒涼たる大地。

 そこを、砂煙を立てながら走る大型MAの姿があった。

 

 

 

 暗礁宙域。連合軍秘密基地『アイランドオブスカル』。その最奥。

 手にかけられた重い手錠も気にせずニコニコと微笑むラクス・クラインを前に、ムゥ・ラ・フラガは面倒な事になったと小さく溜息をついた。

 ここは尋問室。ムゥの背後には、装甲宇宙服を着た海兵が二人並んでいる。

 もしもの時はムゥをカバーしてくれるという話だが、装備しているのが短機関銃であるところを見るに、最悪のケースでは部屋の中の全員を瞬時に殺せるという事だろう。

 その中にムゥ自身が含まれている事は、想像に難くない。

 その背後にあるだろう事情をムゥは知らないが、海兵達はラクスとの接触を厳重に避けているのはわかった。

 ここにいる海兵達も、部屋の内部の音を拾うマイクを作動させていない。

 室内の声はマイクで外部に伝えられているのだが、その音声はコンピューターを通されて無害な別の声に置き換えるという手間のかけようだ。

 だから、話しかけても反応に多少のタイムラグがあると、ムゥは注意されている。

 そしてどうも……ムゥは、彼等がそこまでして避けているラクスの声に、汚染されたと見られている様だった。

 検査の結果、“消毒”される程の変調はなくて助かったが、一度接触しているのだからとラクスと直接交渉する任務を与えられている。

 おそらくは、繰り返し接触させて、ムゥの変化の様子を見るという意味もあるのだろう。実験動物の様な扱いに呆れ、もはや憤慨する気にもならない。

『尋問を開始せよ』

 ムゥの耳にはまった小さなイヤホンから、本当の尋問官の声が聞こえる。

「俺はパイロットなんだがなー」

 愚痴めかして呟いてみるが、それで状況が変わるわけもない。

 仕方なしにムゥは、それでもただ思い通りに動いてやるものかと、努めて親しげにラクスへ話しかけた。

「久しぶり。また会えたな」

 挨拶のつもり……だが、ラクスは笑顔のまま口を開かない。

 ムゥは、その反応を少し不審に思う。ラクスなら、普通に挨拶を返してきそうなものだったが……

 黙秘を貫くつもりか?

 しかし、ラクスの笑顔に抵抗の意思は見受けられない。

 軽く反応を窺いながら、ムゥは気楽なポーズを装って話を続ける。

「少し、お話ししようぜ。聞かせてもらいたい事が幾つかあるんだ」

 と、ラクスはここで初めて口を開いた。

「もうお話ししてよろしいんですのね? 良かったですわ。フラガさんに喋るなと言われてから、ずっと黙っていましたの」

「あれから、ずっと黙ってたのか!?」

 ムゥは驚きに声を漏らす。

 確かに、黙るように指示は出した。しかし、あの日からもう幾日か過ぎている。

 その間、ずっと黙り通しだったのか? ムゥの言う事に従って?

「はい」

 ラクスは笑顔で答えた。

 そこに何一つ疑いの様なものはない。ただ無心にムゥを信じて従ってたのだと言う様な。

「そ……そうか」

 ムゥは少し気圧されると同時に、このような少女を必要ならば追いつめなければならない自分の立場にやるせない思いを抱いた。

 が、そこに無粋な命令が水をさす。

『尋問を開始しろ。まず、監房を脱走した理由と方法を聞き出せ』

「…………」

 ムゥは苛立ちを覚えるが、すぐにそれを噛み殺す。

 何せ、自分は彼等と同じ側の人間なのだ。腹を立てたところで何の意味もない。

 いかんな……と、思う。

 どうやら、自分はラクスに感情移入しすぎているらしい。

 惚れたか? そんな事を冗談混じりに考え、それからラクスの胸元を見て、それはないなと確信を新たにした。

 それよりも仕事だ。

「……出会った時、どうして勝手に部屋から出ていたんだい?」

「あら、勝手にではありません。私、ちゃんとお部屋で聞きましたのよ。出かけても良いですかー? って。それも三度も」

 手始めにと聞いた事に、ラクスは罪悪感の欠片も無しに答える。

 海兵隊が接触を恐れていた事を考えると、おそらく収監後は完全に放置されていたのだろう。監房の鍵の確認も疎かだったか?

 出てきた後に酒場へ来た事からして、監房を出た理由は空腹が原因というのも確かか。

 ひょっとしたら、海兵隊がちゃんと食事を出していれば、防げた事件だったのかもしれない。

「なるほどなぁ。じゃあ、仕方ないな。

 でも、危ない事だから、もう勝手に出歩いちゃいけないぜ?」

 ラクスを責めるつもりはないが、釘は刺しておく。

 まあ、喋るなと一言いっただけなのに、ずっと口を閉ざすほどなのだ。逆らう事もないだろう。

 ムゥはそう思ったのだが、ラクスは困ったように笑みを浮かべた。

「このピンクちゃんは……」

 言いながら、ラクスは傍らに浮かんでいたピンク色の球体を手に取る。

「ハロー」

 驚いた事に、そいつは電子音で喋った。

 ラクスは愛おしげにその玉を撫でつつ、困った様子を見せながら言葉を続ける。

「お散歩が好きで……というか、鍵がかかってると、必ず開けて出てしまいますの」

「な!? この玉っころが、鍵を開けたってのか!?」

「ミトメタクナイ!」

 思わず声を上げたムゥの台詞に、玉の台詞が被さる。

 それが何故か、ムゥの内心を代弁したかのようで、ラクスは華やかに微笑んだ。

「まあ、ピンクちゃんたら……」

 楽しそうに玉に話しかけるラクス。

 それを前に、ムゥは笑えない気持ちでいた。

「おいおい、電子ロックだとはいえ、監房のドアだぞ……」

 スリッパで殴れば開くような安ホテルのドアじゃない。敵を放り込んでおく檻なのだ。本職が専用の道具を持ち込んでも、そう易々とは開けられない。

 それを、こんなちっぽけな玩具が開けたと言うのか?

 それこそ確かに「認めたくない」。

『それを没収しろ』

「っ!? それは……」

 与えられた指示が、ムゥを思考の内から引きずり戻す。

 ムゥは苦々しい表情を浮かべ、ラクスに聞こえないよう囁くように、見られる事もないようそれとなく手で口元を隠し、自らに付けられた隠しマイクに話しかけた。

「あの子の心の支えかもしれないんだぞ」

 敵地で収監されているという状態で、あれだけ親しげに扱う玩具が、どれほど心の支えとなるだろうか? だが……

『解錠ツールと一緒に収監など出来るわけがない。違うか?』

 言い返されれば確かにその通りで反論の余地がない。

「そうだな……」

 重々しくそう呟き返してムゥは、体の一部を欠いて広げた耳をばたつかせながら宙を泳ぐ玉を捕まえる。

 そして、ラクスが何か問う前に、ムゥは言い訳をするように言葉を並べた。

「あー……この悪戯ボールに、勝手に出てこられると困るんだ。しばらく、預からせてもらえないかな?」

「……はい」

 ラクスは僅かな沈黙の後、笑みを浮かべて答える。

「良い子なんです。可愛がってあげてくださいましね」

「あ、ああ。……大事にするよ」

 後ろめたい思いを感じながら、ムゥは捕まえた玉を後ろ手に回し、背後の兵士達へと渡した。

 玉は無造作に掴み取られ、それをした兵士は部屋を出て行く。

『……異常なほど、大人しいな』

「逆らえる状況かよ」

 イヤホンから聞こえた尋問官の独り言に、ムゥは呟き返す。

 が、尋問官は何処か解せない風で言葉を続けた。

『君とあの少女は親しい。少女も君が攻撃してくるとは夢にも思っていないはずだ。ならば、もう少し抗っても良いんじゃないかな』

 なるほど、それは道理だ。道理だが……と、ムゥは敢えて尋問官の言葉に反論してみる。

「信頼して預けたってのもあるぜ?」

『……君はどうだ? 無条件に彼女を信頼するのかね? 疑念は欠片も無いか?』

 尋問官の声が、ムゥに対する詰問調に変わった。返事によっては、何か拙い事になりそうな予感……これは、ムゥへの疑いが強まってしまったか?

「……いや、それ程の事じゃない。だが、ママに女の子は大事にしろと教わったクチでね」

 ムゥは惚ける様にそう返した。そして、あまり下手な事は言うまいと心の中で決める。

『……そうか、何か気になったら……いや、何も気にする事が出来なくなっても報告しろ』

 尋問官は、ムゥの反応から「まだ大丈夫」と判断した。

 もし、ムゥがラクスに対して完全な信服を示したなら、それはムゥの汚染と、ラクスが暴動の源であるという事の証拠となっただろう。

 同じ連合軍兵士に犠牲が出る事は望まないが、事態がはっきりするのはありがたい。

 だが、まだだ。まだ確信は持てない。

『では、次にあのシルバーウィンドの中で何があったかを聞け』

「わかったよ」

 そこで起こった惨劇の事を考えれば、少女にぶつけるには酷な質問……

 いや、これから先に用意されてる質問のどれもが少女には酷なものに違いない。

 逆らう事は無意味だ。

 それに、先の尋問官の口ぶりからして、ムゥがラクスに感情移入しすぎる事は警戒されているようだ。逆らうべきでもないのだろう。

 ムゥは投げやりに返事を返してから、ラクスへと問いを投げた。

「君が乗っていた船……シルバーウィンドだったか」

「ええ、とても良いお船でしたわ。乗組員の方も親切でしたし……」

 問いの途中で何処か懐かしそうに話し出すラクスをそのままに、ムゥは台詞を続ける。

「最後は覚えていない。そう言ったよな? あれは、本当かい? 何か、覚えている事は無いか? どんな些細な事でも良い」

「……覚えておりませんわ」

 ラクスは僅かに沈黙を見せた後に答えた。そして、不可解な言葉を付け足す。

「私は食べられてしまいましたから」

「あん?」

 “食べられた”その奇妙な言葉の意味が分からなくて、ムゥは変な声を漏らす。

 暴行を受けた事の隠語かとも思ったが、そもそもがここまで厳重に隔離をしている海兵達が、ラクスに手を出すはずがない。

 なら、その言葉の意味は何だ?

 困惑するムゥを前に、ラクスは夢見るように、恋に恋するように、情熱さえ感じさせられる様な口調で言葉を吐いた。

「でも、ちょっとだけなんですよ? 味見なんです、きっと。だから私は、いつか全部食べていただくのですわ。その時までに、より美味しくなっておかないと……」

 気が触れた。そう表現すべきなのかもしれない。

 それほどにラクスの言葉は唐突で、そして常軌を逸していた。

 ラクスの瞳は何処までも澄んでいて……無に通ずるかのように虚ろで、その奥には存在してはならないものが潜んでいる様に思えて――

 ――見るな。

 ムゥの中の何かが囁く。

 ラクスの瞳の奥。ムゥの意識が宇宙に放り出されたかの様に広がっていく。

 しかし、その宇宙に共感も敵意もありはしない。

 なにもない――あってはならない。

 まるで自分に言い聞かせる様に強く思う。

 いや、これは願いか?

 何もない。そうあって欲しいと?

 何がない? 何を恐れている?

 恐れるな。呼ぶぞ。

 しかし。しかし――

 ああ、宇宙が光り輝いて……

「……フラガさん?」

「――っ!?」

 ラクスの声に、ムゥは尋問室に居る自分を再発見した。

 そんなムゥの前、ラクスは何事もなかった様に穏やかな笑顔で言う。

「いきなり黙り込んでしまわれたので、少し心配になってしまいました」

「あ? ああ……いや、君の瞳に見惚れただけだよ」

 努力して、軽口と笑顔をひねり出す。

 普段なら意識もせずにやってのけるそんな事で、ムゥは自分の消耗を感じた。

 背中が水を浴びた様に冷や汗で濡れている。動悸も激しく落ち着かない。

 今のは何だったのか?

 もう一度、ラクスの瞳を見てみるが、そこにはぎこちない奇妙な笑顔を貼り付けた自分の顔が写り込むだけだ。

 今のは……戦場でラウ・ル・クルーゼを察知する時の感覚の様だった。

 だが、クルーゼの存在は不快なだけだ。

 今の様な幻覚を伴ったりはしない。

 ――幻覚?

 そうなのか?

「…………っ!?」

 ムゥは知らず身震いした。

 何故かはわからない。しかしそれは、自分にとって酷く恐ろしく感じた……

 

 その後もラクスへの尋問は続けられたが、現段階ではこれ以上の収穫はなく、終わる。

 結局、シルバーウィンドで起こった暴動について、得られた情報は無かったわけだ。

 尋問は継続的に行う事とされ、ムゥはその役目を降りられぬままとなった。

 しばらくは、アークエンジェルにも帰れない。ひょっとすると、これから先もずっと。

 ――そしてムゥは、ラクスの瞳の奥に見たものを誰かに話す事は決してなかった。

 

 

 

「でも、それは上手くいきましたか?」

 営倉。腕を軽く組んで軽い不機嫌さと小さな反抗心を表現するフレイ・アルスターは、ナタル・バジルールに責める様な口調で話の先を促す。

「いや……しかし、フラガ機、ラミアス機の両機は艦を離れていた。アーガイル機に防衛を任せるより他無い」

 言い訳じみた言葉を並べるナタル。だが、そこにはむしろ自身を責める色が混じる。

 だから、フレイに突かれると簡単にその言葉の防壁は崩れ去る。

「ジン二機相手に、ミストラル一機では無茶でしょう? 出撃させた後、少しでもマシな迎撃のプランは出なかったんですか?」

「……そうだ」

 そう呟く様に答えて苦しげに歪むナタルの表情を、フレイは冷静に観察していた。

 ああ、これは助け船を出さないと。

 他人に責任を投げて自分を守る事は見苦しいが、全部背負い込んで潰れるよりはマシ。

「迎撃にあたって、戦闘指揮を執る人は誰なんですか?」

「え? それはフラガ大尉だ。でも、あの場に居なかった以上、私がやらなければならない」

 フレイは問いを投げて、責任を取るべき人物がナタルの他にもいる事を思い出させる。

 それでも、責任を被ろうとするナタルに、フレイは更に問いを投げる。

「どうしてフラガ大尉は居なかったんです? 居てくれれば、サイは一人で戦わずにすんだし、指揮も専門家が執れたんじゃないですか?」

 まあ、ムゥ・ラ・フラガの指揮なら、ナタルよりも上策だったとは、ムゥの実力を知らないフレイには言えないが。

 そこは伏せて、ムゥの不在にナタルの責任の一部をすりつける。

 が、ナタルはそれを許さない。

「あの時、フラガ大尉は、ブラックビアードの直掩についていた。彼を動かす事は出来なかった」

「人員不足が原因……でも、それじゃ許せませんよ。

 艦長の事もそうですが、フラガ大尉もです。人員不足は全体の問題なんですよ? フラガ大尉も指揮官なら、その責任は負うべきです」

 こんな新兵が上官の非を問うなど通用しないだろうなと、冷めた気持ちで思いながらフレイは言い切った。

「上官の批判は許されないぞ!」

 自分への批判は甘受していたナタルが、叱責の声を上げる。

 そんな反応を読んでいたフレイは素直に頭を下げる。

「すいません。言い過ぎました」

 だが、これで良い。

 自分が悪いと沈み込む一方のナタルに、別の見方がある事を指摘する事が出来た。それは、ナタルの内罰的な思考に多少は影響を及ぼすだろう。

 そもそもの原因は、人員不足なのである。それに気付いてくれればいい。

 人手不足の穴を埋める為には、誰かが過剰に働かなければならない。そしてその役をナタルは自らに任せている。

 しかし、ナタルは経験の無い新米少尉に過ぎない。背負いきれるものではないのだ。

 それでもナタルは成果を出してみせた。多少の危機はあったにせよ。

 だからといって、背負いきれずにサイを危険に晒した事をフレイは許せない。が……過ぎた事でもある。責めるべきは責めつつも、次に繋げなければならない。

 では、どうしたらいいのか?

 開いている穴は埋めればいい。

 連合軍と合流した今、人員の不足は補われるだろう。

 その時、ナタルが艦長を続けるかはわからない。階級からして、その席を別の艦長に譲るだろうと何となく予想はする。

 艦長を続けるにせよ、不足したクルーは補充され、戦力は拡充し、艦を動かし易くなる事は間違いない。

 そうなれば、ナタルの負う部分はずっと軽くなる。

 つまり、現状最大の問題は、時間が経てば解決すると見て良い。

 本来なら、ナタルは放置してもきっと自分で心を回復させただろう。

 フレイがこうして相手をし、苦悩から解き放ってやる意味は、それほど大きくはない。ナタルにとっては。

 フレイにとってこれは大きな意味が有る。

 艦長であるナタルの懐に忍び入る事。

 仮にナタルが艦長の席から外れたとしても、それでも何らかの責任ある地位にはつくだろう。フレイが利用するには十分な筈だ。

 となると、ナタルが放置しても立ち直るという事は、フレイにとっては不利に働く。タイムリミットというものが生まれる故に。

 フレイには足踏みしている時間はない。

「艦長……やはり、お話になりません」

「そうか? いや、理解して貰おうとは思わないが……」

 フレイに言われ、自分を理解する事を諦められたととったナタルが、僅かに落胆を見せながら答えを返そうとする。

 フレイはその答えを遮って続けた。

「私には軍事の知識がありません。ですから、何が正しくて、何が間違っているのか、判断は難しいんです。

 あの時、状況からの判断で、サイに指示を出しました。何度も言いますが、それは間違っているとは思えない。

 でも、艦長の言葉から、私はその立場ではなかったという事はわかります。

 なら、どうすれば良かったのか? そして、もっと良い判断を下す事は出来なかったのか? そんな事もわからないんです」

「新兵だから仕方がない……仕方がないと言う事が、罪を逃れる理由にはならないぞ?」

 ナタルは言いかけて言い淀み、そして言い換える。

 仕方がないからといって許される事ではない。そう自らを罰する故に。

 フレイは答える。

「罰は受けます。でも、納得して受けたい。

 学ぼうと思います。軍の事を。

 教えてください。艦長の事を」

 ナタルの目をまっすぐ見ながら言った台詞に、ナタルは驚いた様子で少し目を見開き、それから僅かに赤面して照れた様に顔を背けた。

「な、何を……」

「何が正しくて、何が間違っているのか。

 何をすべきで、何をしたら良かったのか。

 そして、艦長の事もきっと、学べば理解できると思うんです」

 おや? と、僅かに違和感を感じながらもフレイは続ける。

 ナタルは罰を求めているので、敢えて責めてはいるが、それだけではいずれナタルは諦めてしまう。許される事を。

 だから、学ぶ意欲を持った事を見せる。実際、それは必要だから、学ぶ意欲は本物なのだが、ともかくそれはナタルを受け入れるきっかけともなるように見えるだろう。

 軍事を学んで、正しい知識を身につければ、ナタルの行動の意味を知り……そしていずれは許す事が出来るかもしれない。

 そんな事を匂わせるつもりだったのに、ナタルの何やら別の所に釣り針を引っかけた様な?

 ナタルの急な反応の変化に失敗を疑いつつも、台詞を止めようもなくてフレイは最後まで用意した言葉を言い尽くした。

「だから、教えて頂けませんか? 艦長に。もっと、色々な事を」

「い……いろ、いろ? わた……わた……しの……?」

 顔を真っ赤にしてゴニョゴニョと何やら呟くナタル。その言葉の内容は聞き取れず、またさほど気にする事もなく、フレイは更に次の台詞を言った。

「正しい軍事知識。実践的なものが良いです。艦長の言葉が正しいか、それとも正しい知識ですら認められないものか、判断をする為に」

「え? あ、そうだな……そう言う事だな。うん」

 フレイの言葉に、次にナタルが見せた表情は、納得と安堵と……落胆? 残念?

 いきなり折れて見せた訳ではないから、残念に思うのは当然か。そう判断しながらも、フレイは何か何処かでボタンを掛け違えたみたいな不安感を覚えていた。

 想定していた反応のままに思えるが、ちょっと違う気もする。

 何だろうなぁと。内心で首を傾げながら、フレイは続けた。

「艦長の事も教えてください。知りたいんです、艦長の事」

 利用するにもナタルの事を知っておいて損はないし、相手を知る事は親睦を深める事にも繋がる。

 フレイにとっては打算含みだが、ナタルにとっても悪い事ではないだろう。

 私は悪い子だから、心に反して仲良くするぐらい出来てしまう。自嘲にフレイの胸が僅かに痛んだ。

 が、フレイが胸中の疼痛に呻いている時、ナタルの方は声には出さないが明らかに取り乱した様子を見せていた。

 頬を染めて、あえぐ様に口をパクつかせ、目を泳がし、身を震わせて……

「か、からかうな! 今日の事情聴取は終わりとする!」

 不意に怒声を上げたナタルは、くるりと背を向け、営倉のドアに取り付き開けるとその向こうへと姿を消した。

 反応が遅れ、その後ろ姿を見送ってしまったフレイは、僅かに険しい表情を浮かべる。

「勉強を教えて欲しいなんて、図々しいと思われた……? ちょっと焦っちゃったかも」

 いきなり要求をぶつけるべきではなかったか? もっと、ナタルが自分に依存してからでも……

 色々と反省すべき事を頭の中で並べるフレイは、やがて意を決して表情を引き締めると結論を呟く。

「次からは、もっとしっかり心を捕らえていくべきね」

 ナタルの心を掴もうとしていたが、まだまだ効果が薄いと判断。

 それを挽回する為にも、もっと強く攻め込もうというフレイの結論であった。

 ナタルを籠絡する事は、とても大きな価値がある。

 その地位の事もあるが、話をしっかり聞いていればナタルの正当な評価は下せるのだ。

 「真面目な良い人なのだな」と、フレイは、ナタルの事を内心でそう評価していた。

 ただ、少し頭が固く、柔軟な判断は出来ない。いや、真面目な分、狡知に欠けると言うべきか。

 あの時、フレイが的確な策を下せたのは、たまたまそれが当たっただけという事も自戒としてもたなければならないが、あくまでも自身の内にある狐の様な悪賢さによるものだ。

 言ってしまえば、その場限りのイカサマの様なもの。

 ナタルの様に、敗地からの逃走という極限の状態で艦を切り盛りする事……実力を必要とする行動はフレイにはとても出来ないだろう。

「うん、有能な人。本当なら勝てないなぁ」

 営倉の中、フレイは宙に身を投げ出し、漂って天井と床の間を往復しながら携帯端末をポケットから引っ張り出す。

 そして、携帯端末を通してアークエンジェルと連合宙軍海兵隊秘密基地“アイランドオブスカル”のデータベースにアクセスした。

 自分に無いものを補充する為に。

 機密に属するデータや軍務に関係のないデータはフレイに見る事は出来ないが、そんな物には用はない。

 必要なのは軍の教本。基礎訓練用、そして昇進試験用に、それらの教本はデータ化されていて読む事が出来る。

 フレイにとって、今後の為に必要なのが軍事知識。それはナタルに言った通り。

 となれば、暇な時間を無駄にする事はない。

 自習に励むのも、営倉生活の中では罰の一つ。何ら咎められる事はない。

 そして、学べば学ぶ程、ナタルの指揮が大きく間違ってはいない事にも気付くのだ。

 ナタルの事情聴取という名の懺悔の内容も概ね理解できる。ナタルがフレイにもわかるように噛み砕いて話しているからだろうが……

 ともかくナタルは、教本にある通りに最善を尽くそうとしていた。それがわかる。

 ナタルの様に教本通りに出来る事は大事だ。ただ、それでは勝てない事もある。

 常道と奇策、どっちが優れるかではないだろう。フレイとしては、どちらも出来る様になりたい。

「……お勉強。しかないわね」

 何を出来る様になるにも、まずは基礎がしっかりしていないと。

 幸い、ナタルとの関係は“良好”だ。今はダメだったが、機会を探ればまた教えを請う事が出来るかも知れない。

 しかし猶予もない。まだアークエンジェルが港に居て、ナタルに時間がある内が良いだろう。

 とりあえず、自習で出来る範囲はきっちり詰め込んで、その上で不足分を頼る様に……

「!?」

 そんな事を考えながら、ダウンロード可能なデータリストを携帯端末の画面上に呼び出していたフレイは、新しくアップされたばかりのそのデータに目を止めた。

 新しく配備される予定の大型MAに関するマニュアル類。

「これ、もしかして……」

 アークエンジェルに配備予定。実機よりも先にマニュアルとシミュレーター用ソフトが先に届いている。

 シミュレーターを、今のアークエンジェルのクルーに使わせる必要があると言う事は、補充人員用ではない?

 なら、ムゥ・ラ・フラガの機体か? マリュー・ラミアスの?

 いや、この機体はムゥの搭乗機とは性格を異にするし、マリューにはザクレロがある。

 補充人員やムゥやマリューの機体という可能性は捨てきれない……だが、フレイは期待する。と同時に、その機体に関する全てのマニュアルをダウンロードした。

 そして、貪る様にマニュアルを読みふける。

 読んでいく内に、フレイの顔には笑みが浮かび上がっていった。

 やがて一通りマニュアルに目を通し終え、フレイは呟く。

「決めた。じゃあ、必要な事は……」

 それからフレイは、必要だと思える知識を得る為、休む事無く携帯端末を操っていった……

 

 

 

 アークエンジェルの格納庫には、海兵達の手で一つのコンテナが運び込まれていた。

 コンテナと言っても二階建ての家くらい大きく、人が住めそうな大きさだ。

 その出入り口は装甲宇宙服を着た海兵達が警備しており、アークエンジェルのクルーが近寄る事すら許さない。些か奇妙な事だった。

 しかし、何かの機密があるのだと思えば、不思議だと思う程でもない。

 荷物の中身は“研究試料”とだけアークエンジェルに伝えられている。そして、その中にムゥ・ラ・フラガが常駐すると言う事も伝えられてはいた。

 そんな格納庫の隅、いつものザクレロのシミュレーターに座るマリュー・ラミアス。

 画面上にはザクレロの被撃墜判定が表示されていた。

「……実戦より、シミュレーターの方が難しくないかしら?」

 レベルを結構落としているのだけどなぁと溜息をつきながらシミュレーターを降り、適当に側に浮かせてあったドリンクパックを取り、ぬるくなったスポーツドリンクを喉に流し込む。

 訓練は芳しくない。

 何せ、教官役が出来る男が居ないのだから。

「ああもう、何やらかしたのよ、あいつ」

 視線を向ける先は格納庫に置かれたコンテナ。そこにムゥは居る筈だが、面会も出来ない。

 検疫の為だなんて説明はされているが、これは冗談の類だと考えられている。それくらい、この説明は馬鹿馬鹿しい。

 何かの機密に触れて帰れなくなったのではないか? そんな噂がまことしやかに語られていたが、そんな出所もわからない噂の方がよっぽど信頼性が高い。

 一応、戦闘時にはコンテナから出てきて出撃するという事になってるらしいのだが、それ以外では一切出られない様だ。

 無骨なコンテナは、換気用の開口部と、海兵が守る出入り口以外には隙間一つすらなく、たいがい中は暗くて覗き込む事も出来ない。

 近寄れば海兵に寄らないよう注意されるし、お手上げだ。

 それでも何だか気になるので、マリューは時々、コンテナに目を向けていた。

「あんな奴でも、居ないとつまんないわー。ナタルは、ナタルで……」

 言って、マリューはニヘラと崩れた笑みを浮かべる。

「ナタルがねー。っぽいとは思ってたけどー」

 うぷぷっと笑いを漏らし、最近のナタルの様子を思い返す。

「ま、元気が出たっぽいのは良い傾向だわ」

 一時期の落ち込み様から、ナタルは浮上してきた様に見える。浮きすぎなければ良いのだけれど。

「でもま、今度はこっちが落ち込みそうだわ。コミュニケーションが足りないのよね」

 惜しむべきは、ゴシップを共有する相手が居ない事だ。

 ザクレロが居るから寂しくはないが、彼は鋼鉄の魔獣なので、コミュニケーション向きではない。

「ボイス機能とか付けちゃおうかしらん」

 そんな馬鹿な事もちょっと考える。が、幸いにもそれが実行されるよりも早く。コミュニケーションを取る相手が現れてくれた。

「あ、サイくぅーん!」

 格納庫の中をこっちに来るその姿を見つけてマリューは手を大きく振る。

 それは、病室で寝ていた筈のサイ・アーガイルだった。

「サイ君。体はもう良いの?」

 サイが側まで来るのを待ってからマリューは問う。

 見たところ、サイの服の下にはまだ包帯が巻いてある様だったが、サイ自身の動きには支障を来している様子はない。

「あ、はい。まだ少し痛みますけど、動かないでいるのも体に悪いって」

 サイは、少し軍服の胸をはだけて、その下に巻かれた包帯を見せながら答える。

 傷は完治したとは言えないが、動いても支障の無い程には回復していた。

「よかったー。サイ君が居なくて、寂しかったの」

「えっ? ちょ!? ラミアス大尉!?」

 マリューはサイの回復を素直に喜び、じゃれる様にサイに抱きつく。

 その豊満な胸の中に抱え込まれ、サイはその柔らかさから慌てて脱出した。

「退院祝いだと思って良いのよ?」

「冗談はやめてくださいよ」

 満面の笑みを浮かべるマリューに、サイはまだ朱色にそまった顔で苦情を述べる。

 そして、このままではマリューにからかわれ続けると判断して、急ぎ別の話題を口にした。

「あ、あの、それより新しく配備されるMAのシミュレーターが届いたって聞いたんですが」

「ああー、あれねー。実機のコックピットにあわせた、シミュレーターが用意済みよー」

 マリューは答え、ザクレロのシミュレーターから少し離れた所に置かれた真新しいシミュレーターを指差す。

 それは、少し角張ってはいたが、黒い卵形をしていた。大きさは、ザクレロやミストラルのシミュレーターよりもかなり大きい。無論、ドアは閉ざされ、その中は見えない。

 つい先日、海兵隊の整備員達が部品を運び込み、組み立てていった物だ。

 連合の規格部品の塊とはいえ、レイアウトなどがミストラルやザクレロとは違うのでアークエンジェル内にその設備はなく、わざわざ作る必要があったわけだ。

「触ってみたんですか?」

 サイは興味深げにそのシミュレーターを眺める。同じくマリューもそれを眺めながら、こちらは苦笑を浮かべて答えた。

「ちょっちね。試してみたら、ジン一機にもうボロ負けよ。

 宇宙じゃ機動性が無いって言ってくれないと……それをザクレロと同じ感覚で動かそうとしたから、もうしっちゃかめっちゃかだったわ」

 肩を落として嘆息するマリューに、サイは不安を感じて問う。

「難しい機体なんですか?」

「あ、不安にさせちゃった? いきなり悪い評価聞かせちゃったかしら。ごめんねー?」

 サイの反応に気付き、マリューは慌てて言い繕った。

「でもね。ずいぶん、おっそろしい機体が来るのねーってのが、偽らざる感想よ。

 ま、百聞は一見にしかず。実際に見てみましょうか」

 マリューはサイを誘って新型機のシミュレーターへと向かう。サイは素直にその後に従った。

「でも良いんですか? 僕みたいな新兵が大型MAを。フラガ大尉の方が乗りこなせるんじゃ?」

「フラガ大尉は、どっちかというと戦闘機乗り。これは戦車に近いから、彼向きじゃ無いわねー。

 それに、なーに遠慮なんてしちゃってるの? 艦を守りきった功績があるんだから、新型をもらってもバチなんて当たらないわよ?」

 少し不安げなサイにマリューは言い切り、そしてシミュレーターにつくと、そのドアを開いてみせる。

「さあ、これが貴方のモビルアーマー。のコックピットよ!」

 サイは誘われるままに期待しつつそこを覗き込み……中の様子に面食らって声を漏らす。

「あの、シートが三つありますけど」

 シミュレーターのコックピットには、シートが縦一列で三つ並んでいた。

 なるほど、シミュレーターが大きくなるわけだ。

 マリューはサイより先にコックピット内に入り、一番奥のシートに座る。それから、シミュレーターを起動させつつ説明した。

「パイロットシートの他に、ガンナーシートと、コマンダーシートがあるのよ。

 コマンダーが全体統括。

 パイロットが戦闘機動と近接射撃戦。

 ガンナーが観測と通信と砲操作を行う事で、情報収集と長距離通信、長距離射撃戦が出来るーってコンセプトなのね。

 でも大丈夫。長距離射撃戦は出来ないけど、近接射撃戦なら一人でも動かせるわ」

 つまりこのMAは、単機で戦車と自走砲の役を果たすが、パイロット一人では戦車の役しか果たせないのである。

「パイロットはサイ君一人だから、近接射撃戦用として扱うって事ね。それでも、十分すぎる戦力にはなるみたい。

 見て。この機体の姿を見せてあげるわ」

 言ってマリューがコマンダーシートの端末を操作すると、メインモニターにこの機体の姿とデータが表示される。

「これが……僕のモビルアーマー」

 サイは映し出されたその偉容に唾を飲む。

 全体的には陸戦艇の様に見える。

 しかし、陸戦艇ならその艦橋があるべき場所には、ZAFTのMSを超える巨大な人型の上半身があった。

 その頭部は無く、大型砲一門が設置されている。

 それを挟むように、両肩には多連装ミサイルランチャー。両腕は、前腕部がマシンガンになっている。また上半身の基部の両側面には、機関砲の砲台が設置されていた。

 そして、その前面。胸部とも見える辺りに、機体に埋め込まれたかの様にMSの上半身が配されている。そのMSの姿は、ZAFTのMSの印象を残しながらも、そのどれとも違う。

 大型砲の砲身はそのMSの頭上を越えて前に伸びていた。まるで、一本の角のように。

「連合陸軍砲撃戦用大型陸戦モビルアーマー。RHINOCEROS“ライノサラス”よ」

 マリューの告げるその名は、厳かな響きをもってサイの耳に届いた。

 しばらくあって、サイはやっと感想を絞り出す。

「一部、MSっぽいですね」

「元は、ZAFTのMSをナチュラルでも使える陸戦兵器にしようって計画で、複雑なバランス制御を必要とする脚部を無限軌道やホバーに換装する試みから始まった様ね。

 でも、その頃始まった大型MA開発計画の影響で、機体の大型化と重武装化が要求されて、その完成形がこのライノサラスってわけ。

 その後、月面での運用実験に提供されて、宙陸両用に改造されたのがサイ君の機体よ」

 マニュアルに同梱されていたとはいえ、開発史なんてマニアックな物まで読んだのは、マリューが元々技術者だからだ。

 ちなみにマリューは整備マニュアルまでちゃんと読んでいる。

 さておき、鹵獲MSの上半身を戦車の車体に載せた初期の物から、紆余曲折を経て巨大化した果てに創り出されたのがライノサラスである。

 その存在は既にMSを凌駕している。

 小学生並の感想の後は言葉もなくその姿を見つめるサイ。

 彼をそのままに、マリューは画面上に重ねて次々にデータを表示させる。

「主砲は、対艦用大型ビーム砲“バストライナー”。実体弾系の大口径キャノン砲にも換装できるわ。直接照準で撃つ場合、これもパイロットの担当。

 宇宙なら両方……地上なら大口径キャノン砲で長距離射撃が可能よ。だけど、ガンナーが居ないとダメだから、ちょっち持ち腐れかな?

 他に、ミサイルポッド、アームマシンガン、機関砲、それぞれ二基ずつ装備。

 ミサイルポッドは主砲と同じくガンナーと共用ね。直接照準の時はパイロットが、長距離射撃の時はガンナーが担当。

 アームマシンガンと機関砲はパイロットの担当。

 コマンダーシートからは、必要な時には他のシートの機能を全て使えるわ。ただ、やらなきゃならない事が多くなりすぎるから、パイロットとガンナーの兼任は無理ね」

「無理なんですか?」

 両方やれればパイロットは一人で良いのにと思うサイにマリューは説明する。

「長距離射撃って面倒なのよ。直接照準出来る近接戦とは違うの。色んな情報収集手段で情報を掻き集めて撃ってるから。まあ、情報管理に手間が取られるって考えて。

 パイロットは戦場の周辺を知っていれば戦えるけど、ガンナーとコマンダーは戦場全体を知らないとダメって話。

 逆に、目の前の戦場に集中しなければならないパイロットが、戦場全体の事まで気に掛けていては満足に戦えないとも言えるわね」

「ああ……確かに、そうですね」

 なるほどと納得するサイに、マリューはとりとめもなく機体の説明を続けた。

「そうそう、注意して欲しいのは……

 一応、宇宙でも使えるとは言っても、月面みたいな陸上と言える様な場所ならともかく、宇宙空間では最低限の機動性しか無いわ。

 ミストラルより、ちょっちマシかなーってくらい? 推力はあるみたいだから最高速度は出るけど、重い分だけ反応はミストラルより鈍いの。

 言ってしまえば、ほとんど姿勢制御のみって感じだから、後方支援以外には使えないと思う」

 とはいえ……

 口に出しては言わなかったが、マリューは思う。

 ミストラルでMSと戦えるなら、ライノサラスでMSと戦う方がずっと楽な筈だと。

 わざわざ不利を承知で戦って欲しくないので、口には出さなかったが。

「パイロットシートは最前列のシートよ。サイ君は、そこが指定席ね」

 促されて、サイはパイロットシートに座る。そして、慎重に操縦桿を握った。

 シートのレイアウトは、ミストラルと大きく違っている。

 と、マリューがシートの背後から、サイの肩越しに……つまり、胸をサイの肩に乗っける様にして、パイロットシートに身を乗り出した。

「んな!?」

「ミストラルは宙軍仕様だったけど、ライノサラスは陸軍仕様。共通規格じゃないから、操縦方法とかが細かい所で違っていて、まずはそれに慣れる必要があるわ。

 大型MA開発計画のついでに操縦法をあるていど規格化するって話も聞いたけど、汎用機より専用機の方が多いMAじゃどうなるかしらねー?

 ま、ともかく、いきなり実機に乗って大活躍って訳にいかないのがドラマ的に辛いところよ」

 マリューは言って、慰めるみたいにサイの頭をクシャクシャと撫でる。

 いきなり乗って出撃というのは近い事をサイが実際にやっているが、あれは搭乗機のミストラルが民間にも用いられている機体で、動かす事が出来たからだ。

 マリューもザクレロでいきなりの出撃を経験してるが、こっちはなお酷い。

 操縦の方はマニュアルを読んでいた事もあって出来たものの、結果は操縦感覚が掴めずにメチャメチャで、何故勝てたのかさっぱりわからない酷い有様だった。

 はいどうぞと渡された機体にいきなり乗って、大活躍など出来る方が異常。

 その点、サイはもちろん、マリューも凡人である。何だかんだで戦果を上げて生き残った分、何かが優秀なのかもしれないが……

 ともかく、操縦できる様になるには、学習と練習あるのみだ。

 マリューは更にサイにのしかかって手を伸ばし、パイロットシートのコンソールを操作して、パイロット用のサブモニタにウィンドウを開く。

「マニュアル呼び出しはこう。携帯端末にも落とせる様にしてあるから、ダウンロードして繰り返し読んでねん。

 ヘルプはこっちで呼び出し。シミュレーターが想定してない反応をしたら、こまめに確認を取る事。

 とりあえず、各種データをしっかり読み込んで、理解する所から。操縦桿を握るのはその後でも良い……と、思うのよねぇ。

 ま、フラガ大尉みたいにパイロットの目からの意見は言えないから、技術者としてのお願い。マニュアル読んで、隅から隅まで理解して、それから文句は言いなさい。いいこと?

 返事がないわねー。どうしたの?」

「あの……あ、あの……」

 どうしたもこうしたもない。サイは今、顔の横からマリューの胸に圧迫され、座席から押しのけられそうにさえなっているのだから。

 悪戯が過ぎた……?

 マリューは、あたふたするサイの反応を面白がりながらも、やり過ぎを悟って、何事もなかったかの様に身を退いた。

 ここで「エッチな事考えてたでしょ?」みたいになじりを入れて追撃するのも良いが、調子には乗らず、思春期の少年にエロスな思い出を刻みつけるだけにしておこうと。

 安堵と落胆と自省と表情をくるくる変えつつも、どうにか平静を保ったふりをしようとするサイ。

 その若さをスイーツ気分で味わい、まあこれでコミュニケーションに飢えていた分は取り返したかなとマリューは考える。

「ま、後は一人でシコシコとお勉強ね。シミュレーターのドアは閉めといてあげる」

 とりあえず説明すべき事はもう無いしと、親切心から余計な事を言ってマリューはシミュレーターから出て行こうとした。

 しかし、マリューが外に出てシミュレーターのドアを閉めようとしたその時、混乱状態から再起動を果たしたサイが彼女を呼び止める。

「あ、あああ、あの、待ってください!」

「何? 個人授業して欲しいの? それは、ちょっち早いんじゃなーい?」

 にんまり笑って冗談で返すマリューを無視して、サイは真剣な表情で聞いた。

「あの、最後の戦いの時のオペレーター。彼女がその後どうなったのか、知りませんか?」

「え? えー……っと、戦闘の途中で命令違反したって言う娘?」

 突然の問いだったので、思い出すのに少しの間があったが、マリューでも流石にその事は知っていた。

 が……もし、フレイが起こした一件についてマリューが後少しでも深く探りを入れていれば、また違った答を返せたかもしれない。

 ナタルとコミュニケーションが取れていなかった事が災いしたとも言えよう。

 マリューは、サイに婚約者が居る事を知っていた。最初の戦い以降、その関係がギクシャクしていたのも知っている。

 しかし、避難民の中から志願してオペレーターになり命令違反を犯した娘が、その婚約者であった事は知らなかった。

 だから、マリューの答えはサイに何の遠慮もなく叩きつけられる。

「命令違反で営倉入り。でも、ナタルの……艦長と仲良くしてるから大丈夫よ。

 それがさー、聞いてよー。ナタルってば、私にはツンツンして仕事以外には話もしてくれないのに、あのオペレーターの娘の所に行く時は、すっごい楽しそうなのよ?

 しかも、艦長自ら取り調べなんて普通しないってのに、何かと時間を作っては足繁く通っちゃってさー

 うぷぷ、取り調べとか言っちゃって、二人で何してるのかしらねー」

「え?」

 何か聞いた話の内容を理解できないといった感のサイに、マリューはちょっと勘違いして話を続けた。

「あ、女同士でーとか、思っちゃってる? まあねぇ~、わかるわよ。うんうん、健全健全。

 でもナタルはねぇ。私、もてそうだなって思ってたのよ。綺麗で、凛々しくて、あれはもう学校で後輩をムシャムシャしちゃってた感じね。わかるもの。

 きっと、営倉の中で、愛が育まれたに違いないわー。爛れた日々を送ってるに違いないわー。うん、オカズに一品足せちゃう?

 あ、私はナタルと友達だけど、そういう趣味はないから。私には愛しのザクレロが居るしー。うふふ。あー、ザクレロの赤ちゃん産みたいわー。なんちゃって、冗談よ?」

「あ、あの……冗談? 何処まで冗談ですか?」

 何か一縷の望みに縋る様なサイに、マリューはキッパリと答える。

「ザクレロの赤ちゃん産みたいって所だけよん」

「……わかりました。ありがとうございます。もういいです」

「え? ちょ……」

 魂まで吐く様な深い溜息をつきながら、サイはマリューの体をシミュレーターの外へと押し出す。そして、中からドアを閉めた。

 それから、力尽きた様にそこで体から力を抜く。

「……きついなぁ」

 フレイの事が心配だった。ただそれだけだった。それなのに、何やらおかしな方向に状況は流れている……

 勝手に軍に志願した事で、フレイを怒らせたままだった。嫌われても仕方ない。

 自分へのアドバイスが命令違反となってフレイが処罰された事も負い目だ。

 艦長のナタルは有能で魅力的な人で、同性って事はさておき好感を持つのもわかる。

 わかっている。自分は嫌われても仕方のない男だと。

「わかっているんだけどなぁ」

 それでも、信じられないし、諦められない。

 あの時、フレイは言っていた。「サイは私が守るから。絶対に地球まで……いえ、ずっとその先もよ」と、確かに。

 その言葉を信じたい。それでいて、確認するのは怖い。

 マリューの話が信用できるとは思わない……どう考えても、ゴシップの類であるし。

 しかし、それが事実だったら? そう考えてしまうと、身動きが出来なくなってしまう。

 結果がどうあろうと受け入れられる程に潔くはなく、信じ続けられる程に心が強くはない。まったくもって度し難い。

 何をする事も出来ない自分に、サイは頭を抱え込んだ。

 そして、シミュレーターの真新しい操縦桿を見つめる。

 訓練しなければ。生きる為にもそうしなければならない。

 しかし、今はとてもそんな気にはなれなかった。

 

 

 

「励めよー、少年!」

 マリューは何だか良い事をしたみたいに満足そうにシミュレーターに向けて声を掛け、そしてザクレロのシミュレーターへと帰っていく。

 格納庫に置かれたコンテナの中、換気の為に僅かに開いた開口部の隙間から外を見ていたムゥ・ラ・フラガは、そんなマリューの姿に嫌な予感を覚えていた。

「何か余計な事をしていないだろうなぁ?」

 その予感は概ね当たりではあるが、それを知る術はムゥには無いし、知った所でフォローを入れる手立てもない。

 ムゥはこのコンテナの中に軟禁されていた。

 コンテナ内は自由に動けるが、外に出る許可は出されていない。

 現在の所、ムゥの仕事は、コンテナ内に収監されているコーディネーター達の管理である。アークエンジェル所属のパイロットとしては動ける状況にはなかった。

 それでも、緊急事態には出撃もあると説明は受けているが……

 今は、コンテナの中から外を窺う他に、アークエンジェルとの接点はない。

 代わりに接触が取れるのは、装甲宇宙服を脱ぐ事のない海兵達と、囚われのお姫様よろしく孤独に監禁されているラクス・クライン。

 そして、ラクスと同じく客船シルバーウィンドで虜囚に落ちたコーディネーター達。

 シルバーウィンドの中で暴動が発生したが、それに参加しなかった者が少数居た。それが、ここに収容されている者達だ。

 ラクスが何らかの汚染源だと仮定した上で、「彼等は何故、暴動に参加しなかったのか?」に興味が向けられている。

 それを探る為にも、極力、健康や精神面への悪影響は除こうと考えられたのだろう。

 彼等には過酷な扱いはされず、自由がないのと男女別とはいえまとめて大部屋住みだという以外については、それなりに優遇と言っていい扱いを受けていた。

 まあ、基地内での捕虜の扱いに比べればという一言は外せないが。

 ムゥは彼等への応対も何度かしたが、コーディネーター特有の高慢は垣間見えたが、かなり大人しくしていた。装甲宇宙服に小銃装備の海兵に睨まれながらでは普通そうもなるだろう。

 ともかく、とても暴動を起こす様には見えない。

 しかし、海兵達は警戒を続けている。確信するものがあるのかもしれない。

 やはり、ラクスに何かあるのだろうか? 例えば、あの時、彼女の中に見た……

「……っ」

 思い出しかけて、何故かとっさにそれを止める。

 忘れろ……忘れろ。意味もわからないままに自身に言い聞かせる。

 しかし……あれは…………

「おはよう」

 不意に声がかかる。

 その声に深淵に沈み込んでいこうとする思考を止められ、ムゥが顔を上げると、そこには顔を包帯でくるまれた男が立っていた。

 その男の服装は入院患者用の薄青い色のパジャマで、海兵でも、囚われたコーディネーターでも無い事を示している。

「ああ、君か。おはよう。傷は痛くないかい?」

 ムゥは、その男が来た事に何故か安堵しつつ、挨拶を交わす。

「大丈夫だよ。母さんが迎えに来てくれたんだ」

 その男は、まるで子供の様にはしゃぎ笑った。

 その男が語るのは、ただ母に迎えに来て貰った思い出だけ。酸素欠乏症で全てを失ったその男は、暖かな母の思い出の中で生きている。

 酸素欠乏症は、宇宙で戦う兵士にとっては他人事ではない。誰だって、真空中に投げ出され、空気を失って苦しむ悪夢を一度は想像する。

 その為か、海兵達ですらその男には優しかった。ただし、遺伝子検査の結果、その男がナチュラルだと判明したのも海兵達の態度の理由の一つではあろう。

 何にせよ、シルバーウィンドに乗っていたという事で、その男も調査対象として地上に送られる事が決まっている。

 その男は、基本は医務室住まいで、コンテナ内に限り外出も許されていた。

 その為、ムゥはその男の担当ではないものの、こうして顔をあわす機会がある。

 色々と鬱屈した状態にあるムゥにとって、この男と話すのは、それなりに気が休まる事であった。

 また、何故かは知らないが、ムゥにとって、この男には妙な既視感がつきまとう。何処かで会っていた様な感覚。何かで知っていた様な感覚。それが興味を掻き立てる。

「そうかい。良いお母さんだな。羨ましいよ」

 ムゥは半ば本気で男に言う。正直、ムゥは家庭に良い思い出など無い。父親と呼ぶべきクソ野郎のせいだ。

「うん、僕の母さんだからね。僕を迎えに来てくれたんだ」

「……うん、そうだったな」

 はしゃぐ男の声に、ムゥは少し悲しみを覚える。

 この男はコンテナ内を彷徨い歩き、そして眠くなれば何処であろうと眠ってしまう。無論、迎えに来る者など誰も居はしない。

 ……ずっと母を待っているのだ。迎えに来ない母を。

 それでも、男は毎日、母が迎えに来てくれる話をする。まるでつい昨日の事の様に。

 幻想の中にいるその男は、幸福そうに見える。しかし、それは本当に幸福なのだろうか?

 男は確かに幸福を感じてはいるのだろうが……

 そこまで考えて、ムゥは答えの出ない自問自答を止める。よしんば答えが出ても、それで何かがしてやれるわけでもないのだから。

「んー……まあ、じゃあ、一緒に飯でも食おうか。お母さんが迎えに来る前にちゃんと、御飯は食べておかないとな」

 放っておけば飯も食わずに彷徨っているが、それで飢えないのは、海兵達が彼に何かしら飯を与えているからである。

 今日はその役をムゥが担う事にしよう。

「そうだね。母さんが迎えに来てくれるしね」

 ムゥの誘いに男は素直に従う。この男は従順だ。

 ムゥは飯を食いに休憩所へ行く事にして、最後に開口部の隙間からアークエンジェル内を窺った。

 ザクレロのシミュレーターの横。マリューがこちらを見ている。

 視線が合った様に感じてドキリとしたが、偶然だと解釈してムゥは開口部に背を向けた。

 そして男は、ムゥが動いたその後に、開口部を覗く。

 一瞬の時間で良い。それで、男は満足した。

 男は無邪気に、ただ母を慕って呟く。

「うん、母さんは迎えに来てくれたからね。御飯を食べよう」

 

 

 

 先のフレイへの取調の翌日。

 アークエンジェルの通路を飛び抜けて、ナタルはフレイの居る営倉へと向かう。

 その表情は僅かに明るい。何日か前までの沈鬱な表情に比べれば、大きな変化だ。

 フレイがナタルを強い言葉でなじったのは最初だけで、それから後はナタルの言葉に少しずつ理解を示す様になっていた。

 自分を批判する所はし、認める所は認めてくれる。それがナタルには嬉しい。

 自分の誠意ある説得が通じたと。自分の判断の正しさと誤りを、説得の為の思考の中で自ら再発見できたと。

 そういった事がナタルの自信へと繋がり、鬱状態だった心を軽くしている。

 つまり、フレイによるナタルの“餌付け”は着実に実を結んでいた。

 ナタルは責められる事を望んでいたが、それだけでは人の心は挫けてしまう。

 フレイは段階を踏んで少しずつナタルに理解を示し、ナタルに達成感を与えた。

 また、フレイは論を操ってナタルに反論させ、その反論を考えさせる事によってナタルの行動の正しさを再確認させていった。

 フレイの掌で転がされて、ナタルは自信を取り戻したのだ。無論、ナタルはそれに気付いてはいないが。

 だが、理屈では気付いていなくとも、心ではフレイに合う事でストレスが解消されていく事を察している。

 知らぬ内にナタルの心には、フレイと会う事が楽しいという認識が生じていた。

 そして、そんな相手にナタル自身の事を知りたいと言われた……

 今のナタルを見れば、穿った見方をする少々お節介焼きな者ならば、“恋人に会いに行くのか?”くらいには思ったかもしれない。実際、思い込んで暴走した者も既に居る。

 営倉の前、ナタルはそこで止まり、まずは持ってきた本の束を確認した。

 昔、軍学校の学生だった頃に使っていた擦り切れかけた教本。

 ヘリオポリス襲撃以前には、暇な時間を探しては読み返し、全てを余す所無く修めて立派な軍人になろうと誓いを捧げていた。

 今は、すっかりそんな事はしなくなってしまった。

 ……この中に書かれている事だけでは、成せない事が多いと知ってしまった今では。

 ナタル自身には不要となってしまったが、それでもフレイに教える役には立つ。

 なお、わざわざ教本を持ってきたのはフレイに頼まれたからではない。“知識が足りない新兵を矯正する為に必要だから”持ってきたのだ。と、ナタルは内心で再確認する。

 うん、フレイの為などでは決してない。

 そんな風に自分に言い聞かせる様にしながら、ナタルは緩みかけていた表情を引き締めた。

 それから、営倉のドアを開く。

「フレイ・アルスター。今日の事情聴取を始め……」

 言いかけて、言葉に詰まった。

 フレイは起きている。時間が時間だけに当然と言えば当然だ。

 彼女は携帯端末を握りしめ、一心にその画面を覗いていた。

 だが、その姿は昨日に比べるとくたびれて見える。

 幸い……でも何でもないが、そういった状態の人間には思い当たる事があった。

「フレイ・アルスター? まさか、寝ていないのか?」

 試験前後、あるいはサバイバル訓練の中で見たものと重なる。今のフレイの姿は、徹夜した人間の姿であった。

「……艦長?」

 ナタルの声に、フレイが鈍い動作で顔を上げる。それから、どんな反応をしたものかと迷った様子を見せ、それからゆっくりと敬礼の動作をとった。

「し、失礼しました」

「いや、それはいい……楽にしろ。楽にしつつ、シャンとしろ。で、何をしていた?」

 これが軍学校教官なら、弛んだ態度を物理的に叩き直す所だが、さすがにそこを真似する気にはなれなかったナタルは、とりあえずフレイを許して事情を問う。

「あっ、はい。勉強をしていました」

「勉強?」

 フレイの答えに、ナタルは彼女の側へと寄って、その手の中の携帯端末を奪う様に取った。

 画面には、戦術の教本が映し出されている。

「士官用だぞ? いずれ、昇格試験を受けるにしても、まだ早すぎる」

「必要なんです! それに、兵用の教本なら全部読みました!」

 声を上げ、訝しげなナタルの手から携帯端末を奪い返し、そしてフレイは画面上で幾つかの操作をしてから、突きつける様にして改めてナタルに画面を見せた。

「あの、このモビルアーマー!」

 そこには、昨日見つけたMA“ライノサラス”のマニュアルが映し出されている。

「アーガイル准尉の搭乗機だな」

「私を乗せてください!」

「え? あ、いや……確かに席はある。ガンナーかコマンダーを目指すのか? しかし、どちらも相当に難しいぞ?」

 猛烈な勢いで押し込んでくるフレイにナタルは戸惑いつつも聞き返した。

 答えてフレイは言い切る。

「その両方です! 両方やります!」

「両方!?」

「戦況判断が出来て、戦術指揮が出来て、支援攻撃できる軍人を目指します!」

 これは、徹夜で脳が煮えているなと、ナタルは判断して、フレイの前でゆっくりと溜息をついて見せた。

 それから、宥める様にフレイに言う。

「あー、まず落ち着け。コマンダーはすぐには無理だ」

「そんな! どんな厳しい勉強でも頑張ります!」

 否定された事に条件反射的に反発するフレイ。ナタルはそれを宥める様に説明する。

「いや、勉強も必要だが、何より兵の身分では無理だ。昇格試験を受ける必要がある。士官にならないと話にならない」

 戦時任官で准尉辺りにしてガンナーには出来るが、正規の訓練を受けて居らず、必要な試験を受けていない者に指揮官を任せるわけにはいかない。

 そんな訳で断ったが、そこに注意を向けてしまったが為に、もう一方は疎かになっていた。

「じゃあ、ガンナーにはしてくれるんですか!?」

「あ……そう……だな。志願は受け付ける」

 元々、フレイの配属先は浮いていた。そのままなら再びオペレーターをやらせる事になったかもしれないが、志願されたのならそれは考慮しなければならない。

 あくまで考慮しなければならないという所でしかないのだが、志願の一方のコマンダーをバッサリと切り捨てた後だけに、断る事は何となく気後れしてしまう。

「うん、その為の学習をする事。営倉入りが解かれた後、シミュレーター訓練を受ける事。それで成績が良い様なら……」

「良いんですね!? やったぁ!」

 フレイが喝采を上げる。そして、バンザイをした所でその体を宙に泳がせた。

「フレイ・アルスター!?」

 慌ててナタルがその体を抱き留めると、腕の中でフレイは意識を取り戻す。

「あ、すいません。喜んだら、ちょっと意識が飛びかけて……」

「徹夜などするからだ。軍人は、コンディションの維持もその仕事なのだぞ」

 精神的な意味で自らのコンディション維持が出来ていなかった負い目もあるが、それには目を伏せて、ナタルはフレイに説教する。

「事情聴取は止めだ。フレイ・アルスターに命令する。睡眠を取れ。

 勉強は明日から教えてやる。しっかり睡眠をとったら、この教本を読んで予習しておく様に。

 なお、明日もそんな寝不足の様を晒しているようなら、今の話は全て無しだ」

 そうしてナタルは、持ってきた教本をフレイの胸に押しつけた。

「いいな?」

「はい。了解しました」

 苦笑めいた照れ笑いを浮かべ、フレイは再び敬礼をする。

 そんなフレイに、ナタルは素で微笑みを向けた。

「では、おやすみ。また、明日」

「はい……明日…………」

 ナタルは部屋を出て行く。その背を見送る事もなく、フレイは既に宙に身を任せて寝息を立て始めていた。

 

 

 

 ―― C.E.71年2月13日。

 連合宙軍海兵隊秘密基地“アイランドオブスカル”にて出来る限りの改修と補給を受けたアークエンジェルへ、ついに出撃命令が下された。

 アークエンジェルは、ドレイク級宇宙護衛艦“ブラックビアード”と共に基地より出港。

 地球近傍にて第81独立機動群派遣の艦隊と合流。

 補給物資と補充人員の受領後、命令書を受け取り、新たな任務に就く事になる。

 先行して港を立ったブラックビアードが、黒色の船体を、周囲に無数に浮かぶデブリの影へと紛れさせていった。

 アークエンジェルはそれを追い、秘密基地の港内からゆっくりと動き出し、狭い港口を潜り抜けて外へと進み出る。

 デブリの海を行く事に慣れていないアークエンジェルは、戸惑う様にギクシャクとデブリの中を進んでいく。

 ルートは常にブラックビアードからアークエンジェルへと送られてきている。

 しかし、先行してその情報を送ってきている筈のブラックビアードは、デブリの影に潜んでその姿を見せはしない。

 神経を削る航行が何時間も続いた後、アークエンジェルはついに暗礁地帯を脱した。

 アークエンジェルの周囲を遠く光る星々だけが囲う。

『こっからは、大天使のが強い。先行は任せるぜ。

 俺達はこっそりついていく。まあ尻ぐらいは守ってやるよ』

 アークエンジェルの艦橋に、ブラックビアードからの通信が入る。

 先行していた筈のブラックビアードは、宇宙の何処かに姿を紛れさせていた。

「ブラックビアードを完全にロスト。光学探査しますか?」

 オペレーター席の通信兵に問われ、ナタルは首を横に振った。

「進路はわかっている。指示通り、こちらが先行する」

 迷いのなく言い、そして自ら通信回線を開く。

 行うのはブラックビアードへの返信。そしてナタルは、怖じる事なく堂々と言った。

『了解。ならば、アークエンジェルは貴艦の盾になる』

 その通信を受けたブラックビアードの艦橋。艦長席の黒髭がニヤリと笑う。

「おーおー、可愛い事を言う様になったじゃねぇか。こう……あれだ。いきり立ってくるな」

 何があったか知らないが、ちょっと見ない間に随分と余裕が出てきたらしい。

 アッパー系の薬でもきめてる可能性も考慮に入れて、それでもこっちの方がよほど好ましい。堅いのは、男のナニだけで十分だ。

「付き合いが、後何日も無いってのが残念だ。やっぱり、基地に居る間に、一発お願いしておくべきだったな」

 いやいや残念と、さほど残念でも無さそうに黒髭は豪快に笑う。

 第81独立機動群との合流まで、あと数日。

 そして、戦いは次の局面へと移る――



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ヘリオポリス沖に狂風は凪いで

 ―― C.E.71年2月13日。ヘリオポリス沖会戦。

 連合MS奪還を目指すデュエイン・ハルバートン率いる第8艦隊は、ZAFTのナスカ級高速戦闘艦“ヘルダーリン”“ホイジンガー”とローラシア級モビルスーツ搭載艦4隻で編成された迎撃艦隊と交戦。

 これを退け突破するも、第8艦隊は半数以上の艦艇を失った。

 現戦力、アガメムノン級宇宙母艦“メネラオス”、ネルソン級宇宙戦艦“モントゴメリィ”、ドレイク級宇宙護衛艦“バーナード”“ロー”、艦載MA七十余機。

 一方、連合MSは、ナスカ級“ハーシェル”、ローラシア級“ガモフ”“ツィーグラー”に守られた輸送艦に積まれ、ヘリオポリスを立ってプラントへ向かっている。

 ヘリオポリス沖会戦の序章が終わり、第8艦隊がこの輸送艦隊に追いつき、続く戦いの幕が開くまでにはまだしばしの時間があった。

 

 

 

 ZAFTの連合MS輸送艦隊は宙を進んでいた。

 その追跡者である第8艦隊は加速を続け、一両日中には輸送艦隊を捕捉する位置に到達するものと思われる。

 ここに至り、ローラシア級“ガモフ”“ツィーグラー”の両艦は予定通り輸送艦隊の艦列を離れ、第8艦隊の遅滞戦闘へと移った。

 両艦は加速しつつ大きく弧を描くような軌道を取り、進撃してくる第8艦隊の斜め後方から追いつくような形で攻撃を仕掛ける予定でいる。

 これは、今回のように敵の足を止めての艦隊戦が期待できない状況では、正面から進軍を阻止しようとしても、速度に乗った敵側の戦線突破に分がある為である。

 後方から追いかけ、併走する形になれば、長時間攻撃を続ける事が出来る。

 今回は、横から圧力を掛けるように攻撃し、敵艦隊の進路を輸送艦隊の追尾コースから逸らす事が目的とされた。

 敵の足を止める必要は無い。少しコースを逸らすだけでも、敵は大きな時間のロスを強いられるだろう。

 そして、その作戦を開始しようとしたその時、ヘリオポリス沖会戦開幕より僅か半日後、ヘリオポリス陥落のニュースが艦隊を震撼させた。

 ヘリオポリスを占領したのは現地オーブ人ゲリラだという。戦力は大型MA1機。それに防衛戦力のMS6機が蹴散らされたのだという。

 事の推移は、オーブ軍とそれに反抗する現地オーブ人ゲリラが発端となり、大型輸送船の事故などが絡んだ些か焦臭いものであるらしい。

 基地駐留のZAFTはそれらの報告の後、現地オーブ人ゲリラへの降伏も報告し、それを最後に連絡を絶った。

 しかし、任務の途中である輸送艦隊は、戻ってそれに対応する事は出来ない。

 ローラシア級“ガモフ”艦橋。

 作戦の開始に伴う幾つかの指示を出しながら、ゼルマンはそれでもヘリオポリスの事を考えずには居られなかった。

 そこに残されたZAFTの将兵やプラントの政務官の安否も気になる。

 しかし、心の底にあるのは、報告の中にあった大型MAの話であった。

 大型MAを、現地オーブ人ゲリラは“ザクレロ”と呼んだのだという。

 連合の兵器に同型機がある事……そしてそれが現地のオーブ人の手に渡っている事。それを不思議には思わない。現実として受け止められる範疇だ。

 だが、ゼルマンは感じていた。

 そこに現れたザクレロは、かつて見たそれと似ている。

 そのMAについて詳細な報告があったわけではない。映像のデータを見れば、ゼルマンが見たザクレロと外見は全く違う事もわかる。

 そんなものを、どうして“似ている”などと思ったのか? それはゼルマンにもわからない事だった。

 しかし、似ている。どことなく印象が……いや臭いがする。同じ臭い。獣の臭い。違う……死の臭いだ。

 それはヘリオポリスを蹂躙した。それより僅かに早くヘリオポリスより出撃していたのは、幸運だった……

 ? 何を考えている?

 味方が討たれ、自身がその場に居合わせなかった事を幸運だと?

 死の臭い? 妄想に怯えるのも大概にしろ。自分はそんな臆病者だったか?

 冷静な思考が、ゼルマンの心に満ちた怯えを否定する。

 大丈夫だ。まだ、理性はちゃんと生きている。まだ……まだ……

「艦長、どうかされましたか?」

 声が掛けられる。気付けば、ゼルマンの顔を覗き込むようにしてオペレーターが居た。

 年若い少女なのは学徒兵か?

 艦長に直接声を掛けるのは少々不躾にも思えるが、相手の若さ故か不快感は無かった。

「あ、ああ、すまない。考え事をしていたんだ」

「すいません。邪魔してしまいましたか? 呼びかけても返事をいただけなかったものですから……」

 恐縮するオペレーターに、ゼルマンは宥めるように手を振る。

「いや、考え事にかまけてる場合ではないんだ。声を掛けてくれて助かったよ」

「あ、いいえ、そんな……その、お疲れのようですね」

 オペレーターは、平然を装うゼルマンに何かを感じたのか気遣わしげに言葉を紡ぐ。

「最近、艦内に多いそうですよ? 精神的な疲れで体調を崩す人が。

 ただ、皆は交代で休めますが、艦長はお一人ですから……」

「疲れか……そうかもしれないな」

 言われてみれば、疲れているような気もする。

 副艦長など交代要員と言える者もいるのだが、艦長にしか出来ない仕事もあるので、やはり過剰な労働状態にあるのかも知れない。

 それに……

「最近は少し眠れないしな」

 ポツリと呟く。そして、ゼルマンはふと思いついたようにオペレーターに聞いた。

「艦内の何処かに生き物がいないか?」

「え? おりませんが」

 質問自体に驚いた様子で、オペレーターは答える。

 まあ確かに、公式にはそんな動物など乗せてはいない。それはゼルマンも理解している。

「ああいや、出航前に野良犬か何かが紛れ込んだりしていないかと思ってね」

「無重力状態の艦内は動物が生きるには過酷な環境です。重力下での生活が前提の動物では、満足に移動も出来ませんからね。

 誰かが飼ってでもいない限り、餌をとれずに死んでしまいます」

 オペレーターは言葉を選びながら答えているようだった。

 それはゼルマンも承知の事ばかりだ。知っていた筈の事。だが、それでもなお、それを忘れてさえ、聞いてしまいたかった。

 何か“生き物”がいるのではと。いるのは“生き物”なのではないかと。

「気になるのでしたら、艦内の点検を……」

「いや、いい。気のせいだろう。うん、疲れているのだろうな」

 提案するオペレーターに、ゼルマンは苦笑を作り見せながら頭を振る。

 そうだ。気のせいだ。ある筈の無い事だ。

「そう……だな。この戦いが終わったら、休暇でも申請してみるよ。静かな所で休みたいしな……静かな所で」

 何も聞こえない場所が良い。

 ああ、遠く獣の声が聞こえる。

 

 

 

「4時方向よりZAFT艦接近中。ローラシア級モビルスーツ搭載艦、2。交戦距離まであと1時間!」

 アガメムノン級宇宙母艦“メネラオス”の艦橋にその報告は届く。

 それを聞いたデュエイン・ハルバートンは、何処か満足げに頷いた。

「執拗に邪魔が入るな。やはり、モビルスーツの重要性は、何より敵が理解する所か」

 味方よりも、敵の方が自分の正しさを認めている。そんな結論に、皮肉さと怒り……そして何処か歪んだ喜悦を感じる事を禁じ得ない。

 連合軍は、ハルバートンのMS開発計画に非協力的だった。代わりに選択したのが、MAの強化大型化である。

 結果として、ハルバートンが真っ当にMSを開発する手は断たれた。

 そこを、連合とプラントに対して中立を宣言していたオーブに頭を下げ、融資や技術提供などの各面で大幅な譲歩を余儀なくされながら、ようやく開発した5機の連合製MS。

 それが実力を発揮したなら、連合軍の勝利は固い。

 だが、完成間際で全てが奪われてしまうとは……

 敵に奪われるという事は、そのMSの力がそのまま連合にふるわれるという事。なれば、敗北は確実にして揺るがない。

 それなのに連合軍は動く事無く、結局、ハルバートン自らが出撃せざるを得なくなった。

 ……何故、理解しない?

 MAなどは、新しい時代に立つ事は出来ない、滅びる定めの恐竜なのだと。

 今こそ、かつて人類が火を手に入れて万物の霊長となったように、人類がMSという新たな力を手にする時なのだと。

 そして時代の訪れを看破した自分自身を。

 何故認めない?

 古いものにしがみつく醜悪な人間達には理解できないのだろう。認めたくもないのだろう。いつだって、正しい者は不当な非難に晒されるのだ。

 そうだ、何が正しいのかは歴史が証明してくれる。このハルバートンが正しかったのだと、後世の歴史家はそう判定を下すだろう。

 だから今は、未来の為に、MSを取り戻さなければならない。

 その為には、命をも捨てなければならない。

 命を失っても、英雄となる。

 世界を救った英雄に――

 ――自身が、戦場でのトラウマと歪んだ功名心とに彩られし狂気に取り憑かれた、哀れな道化に過ぎないという事を、ハルバートンは理解してはいない。

 開戦当初から続く連合軍の劣勢は、ハルバートンをMAに失望させ、MSに期待させるのに十分だった。

 しかしそれがMS信仰と揶揄される程に肥大化していったのは、この男の歪んだ英雄志望故である。

 かつても持っていた筈のそれは、健全な正義感と義務感から生まれたものだった。今は違う。

 彼の中で強大な力のシンボルと化したMSを手に入れ、その力で世界を救う。神の啓示を受けた預言者のように、伝説の剣を抜いた勇者のようにだ。

 そんな妄念に囚われたハルバートンは、否定される度、犠牲を払う度に、自らの正しさを再確認しては歓喜さえ覚えるようになっていた。

 それはまさに神格化したMSへの殉教である。

 失われる命はその生贄。

「今から更に加速して、奴らを振り切れそうな艦は?」

 ハルバートンは問う。それに側仕えの参謀が答えた。

「当艦であるアガメムノン級宇宙母艦“メネラオス”、そしてネルソン級宇宙戦艦“モントゴメリィ”のみです。

 ドレイク級宇宙護衛艦“バーナード”及び“ロー”では、推進剤が保たないかと」

「そうか……ならば“バーナード”と“ロー”及び“モントゴメリィ”は艦列を離れ、側面の敵に当たる様に指示を出せ」

 同じ2隻といえど、ローラシア級モビルスーツ搭載艦とドレイク級宇宙護衛艦では、艦の規模でドレイク級が負けるため、砲火力でも機動兵器の搭載量でも勝ち目は無い。

 これでは、追撃を続けるメネラオスの為に時間を稼げないので、ネルソン級宇宙戦艦もつける。

 それでも、勝てはしないだろう。

 だからこれは、必要な犠牲だ。

「メネラオスは更に加速前進! 以後の追撃は“メネラオス”のみで行う」

 ハルバートンはまるで勝利に向かうように表情を輝かせ、祭壇の神にかしずくように敬虔な仕草で、まるで信託を下すように命令を下す。

 

 

 

 連合第8艦隊に併走する位置を取り、対艦砲撃戦の体勢を整えていたガモフ及びツィーグラーは、第8艦隊の動きを察知している。

 しかし、これは想定の範囲内である上に、むしろありがたくさえあった。

 ここで戦艦と護衛艦を引きつけておけたなら、敵に残る戦力は宇宙母艦のみである。

 その程度の戦力なら、直掩のナスカ級のみでもしのぐ事が可能。

 残存戦力全てが輸送艦に追いついてしまう状況さえ避けられれば良かったのだ。

 ZAFTと連合、両艦隊は示し合わせた様に距離を詰めていく。

 距離が縮まる間の沈黙。その間に両艦隊は回頭をすませ、互いに正面を向き合う。

 慣性の働きにより、艦が横を向いたとしても、両艦隊の進行方向は変わっていない。ただ、進行方向への加速を失った為、再加速して単艦先へ進むメネラオスには残されていく。

 既に戦場は設定されている。

 そして、口火を切ったのは連合艦の方だった。

「モビルアーマー、発進急がせ! ミサイル及びアンチビーム爆雷、全門装填!」

 艦長コープマン大佐の指揮下、モントゴメリィは戦闘準備を整える。

「推進停止、逆噴射開始! 艦は敵艦との相対距離を維持!

 モビルスーツがこちらに届く前に敵艦を沈める! 出し惜しみは無しだ!」

 2連装大型ビーム砲2門、3連装対宙魚雷発射管2門、そして多数のミサイルがモントゴメリィより射出された。

 更にドレイク級バーナードとローも、僅かに遅れて対宙魚雷を発射。各艦16発ずつの魚雷が、敵艦ガモフとツィーグラーへと向かう。

 ガモフとツィーグラーはそれぞれにアンチビーム爆雷を投下、ビームに耐えつつ、船体各所から機銃弾を宙に振りまき、また対空ミサイルを放って、魚雷とミサイルの迎撃にとりかかった。

 艦から放たれる機銃弾の網に引っかかり、魚雷とミサイルが宙で炸裂する。

 まだ距離がある為、迎撃の機会をたっぷりと得ていたガモフとツィーグラーは、それぞれに向かってきた魚雷とミサイルを全て落としきった。

 しかし、それでも際どい所まで迫られた物もある。

「敵艦Aに魚雷1ミサイル1が至近弾。Bにミサイル3至近弾。ビームは命中しましたが効果未確認です」

 モントゴメリィの艦橋で、オペレーターが報告を上げる。

 撃墜に成功しても、ミサイルや魚雷に至近で爆発されれば、その破片を浴びる事になる。微々たる物かもしれないが、損傷を与えた事は間違いない。

 また、ビームはアンチビーム爆雷で減衰されている為、直撃してもいるがこれもダメージの程はわからない。

「次は敵のターンが来る。対空防御! アンチビーム爆雷更に落とせ!」

 コープマン大佐は敵の反撃を見越して声を上げた。

 その警告通り、ローラシア級の937ミリ連装高エネルギー収束火線砲が4条の光を描いて戦場を貫く。

「狙いはモントゴメリィ! 2発被弾! 損傷するも軽微です!」

 オペレーターが報告した。

 敵のビームも、敵味方両軍が撒いたアンチビーム爆雷で減衰されており、2発の直撃を受けたモントゴメリィに軽微な損傷を与えるにとどまっている。

 軽微損傷ですんだのは行幸ではあるものの、それは連合側のビームも効果が薄いという事でもあった。

「魚雷とミサイルにアンチビーム爆雷、次弾装填! 終わり次第に撃て! 数で押す!」

 艦の武装なら、モントゴメリィ単艦でもローラシア級2隻を上回る。まして、ドレイク級のバーナードとロー加えればなおさら。

 艦対艦の戦いなら、連合の方が優勢。押し込んでいけば勝てる。

 しかし、ZAFTにはMSがある……

「モビルアーマーが敵モビルスーツと交戦状態に入りました!」

 先に発進したMAが、ついに敵MSと接触。そのまま交戦を開始している。

 それを告げるオペレーターの声には不安が混じり込んでいた。

「ここからが正念場だ……」

 コープマン大佐は呟いて奥歯を噛みしめる。

 MAが稼ぎ出してくれる時間。その間に敵艦を落とせるか否かで勝負が決まるだろう。

 しかし、早くも戦場に爆炎が閃きだしている。

 無論、その全てはMAが撃墜されたものであった。

 

 

 

 オレンジカラーのジン・アサルトシュラウドが手にした重機銃を撃ち放つ。

 4機編隊を組んで接近してきていたメビウスの先を押さえる様に銃弾が走り、メビウスの足を止めた。

 そこにジン・アサルトシュラウドの左肩装甲内から220mm径5連装ミサイルポッドが放たれ、緊急回避し損ねた2機を打ち砕く。

 ミサイル攻撃を逃れたメビウスは、ジン・アサルトシュラウドの射界から逃れようと、最短コースを一直線に飛び抜け様とする。

 しかし、その分かり易い機動が仇となった、

 ジン・ハイマニューバがその正面に高速で突っ込み、重機銃をばらまく。火線をまともに浴びて、更にメビウス1機が破壊された。

 そしてジン・ハイマニューバは、残る1機に銃口を向ける――

「よし、ミゲルと同スコあぁっ!?」

 コクピットの中でオロール・クーデンブルグが上げた快哉が、途中から非難と落胆混じりの悲鳴へと変わった。

 その前で、対装甲リニアガンに貫かれた最後のメビウスが、内部からの爆発によって砕けていく。

 自分の獲物と定めたものを横取りされて、オロールは通信機に怒鳴った。

「何すんだお前は!?」

『何って、支援射撃よ?』

 通信機の向こう、ザクレロ塗装のメビウス・ゼロに乗るMA女ことラスティ・マッケンジーは、しれっと答える。

『危なかったわ。私が撃たなかったら、きっと貴方、やられてた』

「んな訳あるか!」

 最後のメビウスは、オロール機に反応など出来ていなかった。つまりはまあ、ラスティの言う事はデタラメだ。

 オロールが言い返そうとした所で、専用ジン・アサルトシュラウドのミゲル・アイマンから、通信が割り込む。

『喧嘩してる場合か! 敵はまだたっぷり居るんだぞ!』

「先生~。ラスティちゃんが僕を虐めるんです」

 オロールは通信機に、泣きべそを書いてる様な声音で返してやった。

 と、大きな溜息が通信機から漏れた後、うんざりした様子でミゲルの声が返る。

『あ゛ぁ? ラスティちゃんは、お前の事、好きなんだよ。だから、意地悪しちゃうんだ』

『冗談じゃないわ! やめてよね!

 もういいわ。そんなに言うなら、あんた達のバックアップは止めね!』

 ラスティの怒声が割り込む。照れとか一切無しの、本気の怒声が。

 そんなやりとりの間にも、彼等3機の小隊は、迫り来るメビウスの編隊との戦闘を続けていた。

 続けざまに華々しく……とは行かないが、地道に敵を落としていく。

 そんなペースでも、彼等の小隊は、他の小隊よりもスコアを稼いでいた。特に、同じガモフに乗っているMSパイロット達の小隊と比べれば、その差は格段とさえ言える。

『あー、思った通りの腕だな』

 オロールからの通信が、ミゲルのコックピットに届いた。

 ミゲルは、モニターの一つ、件のMSパイロット達が映るモニターに目をやる。

 そこには、3機のジンが居て、やたらに重機銃の火線を振り回していた。個々が勝手に敵を狙っているのだろう、連携どころか時々互いの邪魔をしあっている。

『……MA女じゃないけど、あいつらにモビルスーツは、確かに過ぎた玩具だよ』

「そう言うなよ。ラスティに言われるのは仕方ないけどな」

 MAであれだけの腕を見せてくれている以上、そこは認めざるを得ないのだがと、ミゲルは暗澹たる思いで言う。

 ラスティとは、シミュレーター訓練で、名前を呼ぶ事が許される程度には関係は縮まったものの、オロールにとって彼女はMA女のままだし、ミゲルにしてみても苦手でしかたない。

 MAを悪く言わなければ逆鱗に触れるという事はないのだが、元々の性格から攻撃的すぎて扱いにくいのだ。

 なお、シミュレーターで共同戦を試したところ、ラスティにバックアップを任せると、細かい配慮をしてくれてミゲル達も実に戦いやすい事がわかった。

 ただし、ラスティをオフェンスに回すと、彼女を追いかけ回す事になるミゲル達は死ぬ目を見る。とんでもない機動で、戦場中を駆け回ってくれるのだラスティは。

 「ドッグファイトはMAの華!」との事で、リードを放された犬の様にすっ飛んでいく。それこそ、ちょうど今の様に。

 黄色く塗られ、ザクレロ似のシャークマウスが描かれたメビウスが、連合のメビウス部隊を追い、また同じく追われる。

 前を逃げるメビウスの一瞬の隙を突いて対装甲リニアガンを撃ち込み、逆に背後から浴びせられる攻撃を極めた機動で無理矢理引き剥がす。

 ラスティは、ミゲルとオロールから離れ、単機で敵編隊を掻き回していた。

 敵味方識別信号を過剰なくらいに発してあるので、ZAFTでは有り得ない連合製MAという搭乗機でも、連合のパイロット達はちゃんと敵だと認識してくれている。

 それで良い。勘違いさせて落とすなんて、MA乗りとして相応しくない戦い方だ。そんなのは、MS乗りがコソコソとやっていれば良い。

「真っ向勝負よ、連合の古強者達!」

 常識的ではない機動に伴う強烈なGに抗い、息を整え、その合間にラスティは通信機に叫んで敵を挑発する。

 まるで、映画か何かの主人公の様に。

 

 

 

 ……ああ、懐かしいな。

 黄色のメビウス・ゼロを追う連合パイロットの一人は、戦闘中にそんな事を思った。

 プラントとの戦争以前から軍にいる古参兵。自分達の時代は、敵は機械人形などではなく、同じMAだった。

 MSという新しい兵器。ニュートロンジャマー影響下のレーダーが利かない新しい戦場。その中で、古いままの自分達は淘汰されていった。

 この戦いは、連合にもMSという新しい兵器をもたらす為の戦いなのだという。

 ならば、自分達の様な新しい兵器に順応できない古いものは、きっとそのまま滅びていくのだろう。それについては諦めながらも、何処かで寂しい思いを抱いていた。

 その思いを語れば、同僚達は病院行きを勧めてくれる事だろう。

 いよいよ戦えなくなったなら、退役すれば良いと。

 しかし、自分は戦える自分でありたかった。宙の猛禽でいたかった。しかしそれも、時代に取り残されたロートルの戯言だ。なんと無様であろう事か。

 だが、この敵は……胸に抱いたそんな虚無を埋めてくれる様だ。

「これが俺達に残された最後の宙かもな」

 呟き、そして思い残す事はないとばかりに加速をかける。

 体にかかるGが肺を潰し、息を継ぐ事も出来ない、無論、感傷を漏らす事も。

 後は戦いの宙のみだ。

 ――黄色のメビウス・ゼロを追う。

 小刻みに進路を変え、対装甲リニアガンのサイトの中に入ろうとはしない敵を、ただひたすらに追う。

 こちらの追尾を外し、逆にこちらの尾に食いつく為、敵は強引に軌道を捩曲げる。

 それについていく。それが出来ない者は、次の瞬間に敵の前に尾を晒し、宙に散る事となる。

 最初は編隊で飛んでいた自分達だが、今となっては誰か他に残っているかも定かではない。

 いや、居るのは、自分と敵だけだ。

「!」

 一瞬、黄色のメビウスがサイトの中央で動きを止めた。

 トリガーの指に力を入れ――だが、トリガーを引くことなく、操縦桿を傾ける。

 直後に、いつの間にか切り離されていたガンバレルからの射撃が、一瞬前まで自機が居た宙を貫いた。

 同時に、モニターの端に爆炎が入り込む。誰かが、今のでやられたか。

 体がズンと冷えた様な恐怖感。パイロットスーツの中に、ドッと冷や汗が噴き出す。

 ああ怖い……でもまだ生きている。

 戦いは続いている。まだ戦えている。

 操縦桿を握りしめ、モニターの中に黄色のメビウス・ゼルを探す。宙の中、その色は映えた。

 遠い陽光を浴びて金に輝く様に、それはまだ宙に健在である事を誇っている。

 まだだ。まだ戦える!

 あの獲物は、自分が仕留める!

 沸き上がる、欲望にも似た歓喜。

 敵はガンバレルを放している。機動性は落ちている。ならば、今が機会。

 引き金を引く。

 撃ち放たれる対装甲リニアガンの火線が、黄色のメビウス・ゼロを掠める。

 外した……いや、外された?

 見えていた場所より、敵は動いている。

 ああ、ガンバレルか。ガンバレルで自機を引きずったか。随分と使いこなす。

 ならば接近して落とす。

 スロットルを踏み抜く程に踏んだ。

 ほぼ同時に、ガンバレルを戻した黄色いメビウス・ゼロも、跳ねる様な動作で急加速をかける。

 良いだろう。逃げろ。

 こっちはお前の尻尾を追いかける。

 持てる全ての技量を使って。肉体も魂も全て使って。

 MA乗りとして――

 黄色いメビウス・ゼロ。その尾を、ついにサイトの中央に捉える。

 落ちろ……俺の最後の獲物。

 トリガーにかけた指に力が加わり――

 ――だがそれは、突然襲い来た銃撃によって遮られた。

「!?」

 混乱に陥る。

 自分が撃たれたならわかる。味方が先んじたのでもわかる。

 黄色いメビウス・ゼロは、横合いから撃ち込まれた無数の銃弾を機体後部に受け、破片と炎を撒き散らしていた。

 モニターに映るのは……黄色いメビウス・ゼロに銃撃を加える3機編成のジン。

 驚きと、夢から急に覚まさせられた様な喪失感に、トリガーにかけた指は動かす事も出来ないまま、自機の進路を変えた……

「同士討ち……だと?」

 状況は、味方を背後から撃ったとしか思えない。

 敵の失態として、喝采しても良い状況。

 だが、何か大切なものを、薄汚い何かで汚された様な気がして、MAパイロットは沸き上がる怒りに奥歯を噛みしめた。

 MAパイロットとして戦い、もしかしたらMAパイロットとして満足して死ねたかもしれない戦場は、彼から奪われてしまったのだ。

『ザッ……』

 通信機が掠れた音を立てる。

『私を落としたの……貴方?』

 少女の声が届いた。

 味方の裏切りには気付いていないのか? MAパイロットに落とされたと思っている様だ。

『凄いね。振り切れなかった……貴方と戦えて、楽しかったよ』

 素直な賞賛の声。そして通信は切れた。

「俺じゃないよ」

 一人、呟く。

 声の様子から言って、少女の末期の言葉ではないと思った。思いたくもあった。

「また戦おうな」

 誰にも届かぬ言葉を漏らし、かなわないかもしれない願いを残し、MAパイロットは再びMSとの戦いへと戻っていく……

 

 

 

 混迷に落ちていく戦場を遠く眺めつつ、第8艦隊とは別の連合艦隊が戦場外縁を行き過ぎる。

 艦は、アガメムノン級宇宙母艦1隻とネルソン級2隻。護衛艦は居ない。だが、アガメムノン級は巨大な紫玉葱の様な形の物を曳航していた。

 アガメムノン級の作戦指揮室。モニターに映し出される戦場を見て、一人の男が至極残念そうに言葉を漏らす。

「戦闘開始に間に合わなかったようだな。第8艦隊に助力せんと急いだのだが……」

「我々は“少し遅れてきた”のでは?」

 参謀の笑みを含んだ言葉に、ジェラード・ガルシア少将はニヤリと笑んで答える。

「正直なのは美徳とは限らないぞ?

 まあ良い、予定通りだとも。第8艦隊は、自らの滅びを代償として、我々の介入の隙を作りだしてくれた。

 当初のスケジュール通り、第8艦隊の壊滅を待って、連合製モビルスーツの破壊を行う」

 ガルシアは、第8艦隊の作戦目的とは真逆の事を言った。助力だなどと、最初から冗談でしかなかったと明かす様に。

 しかし何故、同じ連合軍なのに目的を違えるのか? それは、彼がユーラシア連邦閥に属する為である。

 連合軍を構成する国家の一つである、大西洋連邦とユーラシア連邦。母体となった国々の歴史を鑑みても、その対立の歴史は長い。

 そして、ハルバートンは大西洋連邦閥であり、ガルシアはユーラシア連邦閥。

 MS開発計画は大西洋連邦閥の進めた計画であり、ユーラシア連邦閥としてはその計画はむしろ目障りであった。

 そして連合製MSが敵の手に渡った今ならば、大西洋連邦閥の失敗を強く非難すると同時に、目障りなMSを片付け、さらに後始末をしてやったと恩まで着せる事が出来る。

 その為にユーラシア連邦閥は、自分達が擁する有力な手駒であるガルシアに、その重要な役を任せたわけだ。

 つまり、本来、こんな前線まで出てくる必要のないガルシアが出張ってきたのは、作戦の功労者となって自分の後援者に良い顔をする為。

 そして言うまでもなく、危険な前線に危機感もなく出てきて、成功を確信しているかの様な言動をとるのには、ちゃんとした理由がある。

 ユーラシア連邦が、この戦いの為に用意した切り札が。

「ブルーコスモスのモビルアーマーにばかり活躍されたのでは、我等のスポンサーの商売が立ち行かないからな。

 我々のモビルアーマーには、ここで華々しく戦果を上げて貰おう」

 ガルシアは満足そうにモニターの片隅に映る紫玉葱を眺める。しかし、その紫玉葱に似た形状の物こそが、ユーラシア連邦が開発した大型MAなのだ。

「了解です。我が艦隊は、このままZAFT輸送艦隊の正面に回り込みます」

 参謀が告げる。全ては作戦通りに。

 今、命を賭して戦っている第8艦隊の将兵には関わらず、ユーラシア艦隊は自らの目的を果たす為に前進する。

 

 

 

 黄色い塗装のメビウス・ゼロ……ラスティ・マッケンジーの搭乗機が、他でもない味方の筈のジンの攻撃によって落とされた。

 ラスティを追って戦場を駆けずり回っていたミゲル・アイマンとオロール・クーデンブルグの前で全ては起きる。

 戦場を駆けるラスティのメビウス・ゼロが、たまたま彼女と不仲極まりないMSパイロット達の側へと飛んだ瞬間の事だ。

 奴等の内の2機が、いきなりラスティ機に銃撃を浴びせた。

 止める間も、遮る隙もありはしない。元より、ラスティ機を追いかけていた位置からでは何をするにも遠い。ミゲルとオロールに手は出せなかった。

 予期しない方向からの攻撃だったのだろう。ラスティ機はかわす事も出来ずにそれを浴び、機体後部を爆ぜさせている。

 危険を薄々予想していたのにこれだ。何もしなかったし、出来なかった。

 「まさか」「やるわけがない」

 常識に足を引っ張られた……いや、それも言い訳に過ぎない。確証に至らなかったとは言え、予想は出来ていたのだから。

 結果として、引き金は引かれ、ラスティは後ろ弾を受けた。

『ミゲル、撃つぞ!』

 オロールからの通信。そして、オロールのジン・ハイマニューバが、ジンの小隊めがけて重機銃を撃つ。

 その回避の為に、彼等は銃撃を止めた。

『何をする!?』

 通信機からかえるMSパイロットの声。その声は笑いを押し殺した様で、そこに悪意が隠れ見えた。

 今までの展開に唖然としていたミゲルは、その悪意に沸いた怒りで我に返る。

「何をだと? お前らこそ、何故味方を撃った!?」

 即座にミゲルは通信機に怒鳴った。が、聞いても意味は無い。その理由については予想が付いたが、その真実を語りはしないだろう。そして、案の定。

『味方? ああ、モビルアーマーなんかに乗ってるから、判断出来なかったんだよ』

『モビルアーマーなんて、敵の兵器に乗ってるのが悪いんだぜ? うっかり、間違っちまった』

 まるで最初から用意していた様な答が二つ返る。

『お……俺は撃ってない! 二人が勝手に……』

 残る声の一つは戸惑いを見せていた。こいつをしでかしたのは、どうやら二人か。

『ミゲル! こいつ等、殺して良いか!? 良いよな? やるんじゃねーかと思っちゃいたが、本当に後ろ弾をやらかす屑だもんな!』

 オロールが通信機の向こうで喚いた。その如何にもやらかしそうな声に、ミゲルは僅かに冷静さを取り戻す。

「オロール! ラスティを確保! 後退するぞ!」

 ラスティ機は爆散したわけではない。

 偶然か……それとも、とどめは連合機に任せようと姑息な事でも考えたか? 何にせよ、ラスティは無事である可能性が高い。

 すぐ後ろに追いすがっていたメビウスは、衝突を恐れでもしたのか、とどめをさせる好機であるにも関わらずコースを変えていた。

 しかし、他の機はそうではないだろう。撃墜された機体に興味を抱く者は少なかろうが、念入りにか戯れにでも撃たれれば確実にラスティは散る。

『了解……でも、あいつら、どうすんのよ?』

 機動性が高いジン・ハイマニューバが、連合のメビウス部隊に牽制射撃を浴びせつつ、ラスティのメビウス・ゼロの元へと急いだ。

「ラスティの安全確保が先だ! 今は勝手にやらせておけ」

 指示を返しながら、ミゲルもミサイルと重機銃をばらまき、敵のメビウスが舞う戦場に穴を開けて退路を確保する。

 敵はまだ多い。だが、空間に濃密ではない。

 MSの足止め、あわよくば撃破といった所だろう。積極的な攻勢には出てこない。

 それに、まだラスティが掻き回した分の混乱が残っている。

 ミゲルは、オロール機が先に進んだ後を進む。

『へへへ、すまなかったな。ま、代わりと言っちゃなんだが、戦功は代わりに俺が上げておいてやるよ』

『もともと、モビルアーマーの出番なんか無かったから、代わりってのは無いだろ』

 調子に乗った笑い声が二つ通信機から漏れてきた。それに嫌悪と憎悪を抱きながら、ミゲルはそれを努めて無視する。

 こうまでされるともう、ラスティの自業自得だなどとは言ってられない。

 例え火を付けたのがラスティであろうとも、味方を撃つ事が許されるはずもない。

 だが、戦闘中である以上、ここで再びの同士討ちを演じるわけにもいかなかった。

「後で譴責してやる!」

『おいおい、俺達は間違えただけだぜ? そう言ってるのに、MA女の肩を持つ気か?』

「言ってろ! その戯言を最後まで貫き通せると思うな!」

 聞こえる通信に罵声で返しながら、その苛立ちをぶつけるように接近してくるメビウスの編隊に115mmレールガン“シヴァ”を撃ち放つ。

 ろくに狙いもつけずに撃ったそれが当たる筈も無い。しかし、巨砲の一撃を察したようで、メビウスは回避運動の為、編隊を崩して散った。

 敵はMAの性質上、一度通過した空間に再び戻ってくるまでは時間がかかる。

 時間は稼げた。その間に、ミゲルはラスティ機とオロール機の元を目指す。

 僅かな時間とはいえ慣性のままに進み続けていたラスティ機との距離は遠く、そう易々とは追いつく事は出来なかった。

『MA女にも穴はあるんだ。どうせ、よろしくやらせてもらってるんだろ? 頭がおかしくても、具合は変わらないってか』

『止めろよ。戦闘中だぞ……』

 嫌な笑い声。それを諫める声も混じるが、どうにも力がない。

 ミゲルが怒りを殺して砕けんばかりに奥歯を噛みしめていると、オロールからの通信が入った。

『ラスティ機確保! コックピット部分は無事だ。

 こいつ、しっかりエンジン停止して、壊れたガンバレルを切り離してやがる。まったく、性格には難だが、腕だけは良いな』

 オロールの声からは、安堵と賞賛が聞き取れる。

 その報告にミゲルも安堵すると、さらにオロールの声が続いた。

『な、わけだ。そこの屑共の相手してないで行こうぜミゲル。

 俺達がラスティと楽しく訓練してる間に、寂しく互いのケツを融通し合ってた様な奴等さ。

 その顔の真ん中に開いたケツの穴から漏れ出す糞に一々構うなよ』

 いつもの軽口……ではあるものの、その中には怒りが混ざり込んでいる。だが、オロールの言っている事は正しい。

 ミゲルは、プールサイドでシャチの風船を小脇に抱えるみたいな格好でメビウス・ゼロにしがみついて戻ってくるオロールのジン・ハイマニューバに、自らのジン・アサルトシュラウドを急ぎ向かわせる。

 つい先程までラスティ機は撃墜された残骸でしかなく敵の優先度は低かった。だが、オロール機が回収した事で、実質は重荷を背負ったオロール機とその重荷という形に変わる。

 重荷を背負って性能低下したジン・ハイマニューバ。敵からは格好の餌食だろう。そして今、攻撃を受けたなら、ラスティ機も巻き添えとなる。

「コックピットぶち割って、ラスティだけ取り出せないか!?」

『半分の確率でラスティごと潰していいならやってみる!』

 機体はともかく、ラスティだけ回収出来れば及第点。そう考えてミゲルは聞いたが、オロールからの答は芳しくない。

「わかった。そのままで脱出だ」

 諦め、そしてミゲルは一番近くにいるメビウスの編隊にミサイルを放った。

 ミサイルはメビウスのスラスターの熱を追って走る。が、近くとはいえ相当の距離はあり、対応する時間が有る。メビウスの編隊は、その場にフレアを撒き散らして退避した。

 フレアが放つ欺瞞の熱に惑わされ、ミサイルは何もない宙を行き過ぎる。

 撃ちっ放しのミサイルなど、そうそう当たるものではない。それでも、また僅かに時間を稼ぐ事は出来た。

 撃墜できれば本当は良いのだが、じっくり狙って、タイミングを計って……などやっていたら、守るべき仲間が落とされてしまう。

 今は適当に攻撃をばらまき、敵の牽制と、あわよくばとラッキーヒットを願うしかない。

「退路は確保する! 必要なら盾にもなってやる! 脱出するぞ!」

 ミゲルは周りにメビウス部隊が居ないのを確認して、味方撃ちのMSパイロット共とオロール機を結ぶ直線上にジン・アサルトシュラウドを置いた。

 流れ弾とでも何とでも言い訳して、また撃ってくる事を警戒してだ。

 メビウス・ゼロとジン・ハイマニューバの装甲には期待できないが、アサルトシュラウドの追加装甲なら壁にはなれる。

『おう、任せた!

 ところで、ヒロインを助けるのはヒーローの仕事じゃねぇかなぁ? いつ眠れるヒロインとまとめて火の玉になるか、ドキドキしながらベッドを運ぶのはモブには辛いぜ?

 なあ、ZAFTのエース。その名も黄昏の魔弾?』

 敵の攻撃を警戒しながらラスティの乗るメビウス・ゼロを押し運ぶのも大変なのだろう。オロールの愚痴混じりの戯言が返る。

「都合の良い時だけ黄昏の魔弾か? 俺はもう蜜柑色で良いよ。こんな面倒臭い思いをしなくて良いならな。

 ヒーローは譲ってやるから、ヒロインへの目覚のキスでも何でも好きにやってくれ」

 ミゲルの回答にも、本音と冗談が入り交じる。

 エースだ何だともてはやされる事もあるが、面倒ばかりが肩にのしかかるだけで、良い事など何もない。緑服のエースなど、そんなものだ。

『ヒーロー譲ってくれるかぁ……いや、やっぱ俺もお前も柄じゃねーわ。

 ヒーローだったらラスティが撃たれる前に割り込んででも防ぐだろうし、そもそもラスティと奴等を喧嘩させたまんまでいさせないだろ?

 いや本当、そういうんじゃねーわ。安月給で兵隊やってんのがせいぜいだ』

「まーな」

 オロールのその投げやりな言葉に、ミゲルは大いに賛同する所だった。

 本当、自分らはただの兵士だし、それ以上のものにはなりたくもない。

 MSに乗って、鉄砲を担いで出て行って、それで片付く仕事だけが能の筈なのに、どうしてこうも厄介事ばかりに見舞われるのか。

「それでも、真似事くらいはしないとな。ヒロインのエスコートくらいなら、兵士1と2のモブでも出来るだろ」

 面倒だがやり遂げないとならない。

 今のミゲルとオロールにとって、ラスティはヒロインなんてものでは当然ないが、それでも見殺しにして良い筈などないのだから。

 

 

 

 戦況は変動する。

 両艦隊は砲撃戦を継続中。互いに幾発ずつか被弾していたが、致命的な一撃はまだ両軍共に受けていない。

 両艦隊の狭間、MSとメビウス部隊の戦場では、一時、メビウス部隊が攪乱され、MSの攻撃の前に出血を強いられていた。だが、今はそれも終わっている。

 現在、3機編成3部隊のジンと、ラスティを回収して戦場から離脱しようとしているミゲルとオロールが、メビウス部隊と戦っていた

 だが、ガモフ側の部隊の動きが悪く、またミゲルとオロールもその状態でまともに戦えるはずもなく、効果的な防衛ラインを引けていない。

 ガモフ側の2部隊が動けない状況は、ツィーグラー側の2部隊への負担となって表れる。

 結局、ZAFTのMS部隊は、連合のメビウス部隊の壁を抜ける事が出来ず、戦いは膠着状態となり、メビウス部隊は貴重な時間を稼ぎ出す事に成功した。

 その事は結局、両艦隊の砲撃戦にも影響を及ぼす。時間は連合軍を有利にした。

「ツィーグラーに直撃!」

 ミサイルの迎撃に失敗し、直撃を受けたツィーグラーの艦後方下部の装甲が砕ける。

 モニターに映るその光景にガモフの艦橋はどよめいた。

「ツィーグラーが後退を打診してきています!」

「後退だと!? ガモフ一隻では支えきれんぞ!」

 オペレーターからの報告にそう言い返し、ゼルマンは苦々しい表情を浮かべる。

「ええい、MS隊はどうした! 敵MAを突破して、敵艦に攻撃をかける事は出来ないのか!?」

 本来なら、とっくの昔にされているべき事が、為されていない。苛立つゼルマンに、オペレーターは告げる。

「ミゲル機とオロール機は、ラスティ機を回収して後退中。他MSは完全に守勢に回っています。攻勢には出られません」

「くっ……ラスティは“誤射”だったな……」

 全てはあの“誤射”から天秤が傾いた。

 ゼルマンも、あれは誤射だと、撃った本人達から報告は受けている。だから今はそれを信じていた。

 艦から撮れた映像では、ドッグファイトをしていたラスティに、ジン2機が射撃したという事が確認されたのみ。検証している間は無いので、それ以上の事は今はわからない。

 実際に何があったのかを検証するのは、戦闘後の話になるだろう。しかしそれも戦闘後があればの話だ。

 現状が続けば、自艦ガモフも致命の一撃を受ける可能性がある。

 どうする? 単艦で支えきってみせるか……いっそ撤退するか?

 敵に与えた損害も決して少なくはなく、それなりの時間は足止めしたと考えたい。しかし、それで十分だったかと考えると自信がない。

 敵はここで叩いておきたかった。仕留められないにしても、敵にこそ撤退を余儀なくさせ、より多くの時間を稼ぎたかった。

 今逃がせば、敵は連合MS輸送艦隊を再び追うだろうか? もし、敵がまだ推進剤に余裕を持っていたらならば追うだろう。追いつく追いつかないに関わらず、それは輸送艦の逃走に影響を及ぼす。

 ダメか。やはり、退く事は出来ないか。

 しかし、ツィーグラーにこれ以上の戦闘継続は可能なのだろうか? 後退を打診してきたと言うことは、相応の損傷を受けているのだろう。

 ツィーグラーが後退するならば、後はこのガモフ単艦でこの戦場を受け持たなければならない。それは無謀だろうと察しはついた。しかし、この任務を請け負った軍人としては……

 ゼルマンの思考は迷いの深みに落ちていく。答は出ない。

 その間も、戦場に止まる事無く時は流れていた。

 

 

 

 ――わからない。

 ガモフ所属の部隊……ラスティを撃った部隊。そのジンのコックピットの中、彼は混乱の波に翻弄されていた。

 “何故、僚機は味方を撃った?”

 彼と部隊を組む他2機によって行われた凶行。彼はそれを知っていた。直前に誘われたからだ。

 MS同士の接触回線によって行われた密談。

 彼は拒絶し、止めようとした。が、全ては実行された。

 ――わからない。

 口喧嘩で女の子に言い負かされる。腹が立つ。

 自分が命を預けるMSを侮辱される。腹が立つ。

 レストランで売られた喧嘩で営倉入りになる。腹が立つ。

 シミュレーターで負ける。しかもMAに。腹が立つ。

 それらは理解できる。彼も同じ気持ちだ。彼等と自分は同じ気持ちだった筈だ。

 だが、どうして?

 口喧嘩なら口喧嘩で。侮辱は侮辱で。殴られたら、殴り返せばいい。

 営倉入りは、対戦相手のミゲルとオロールも同じだ。ラスティことMA女は処分を受けていないが、そもそも彼女は殴り合いには参加してなかった。

 シミュレーターで負けた事に至っては、単純に腕の差と受け止めるしかないだろう。

 腹は立つ……当然だ。

 でも、だから殺すだって?

 同胞だぞ? 同じ艦の仲間だぞ?

 世の中に嫌な奴、反りが合わない奴なんて幾らでもいる。

 殺して良いとでも? そして全員殺していくのか? 狂っている!

 湧いた怒りと背筋を這う恐怖に、闇雲な射撃を行う。

 ジンの放った銃弾を示す火線は、メビウスを掠める事もなく宙の向こうへと消えた。

 恐怖……そうだ、恐ろしい。

 味方を殺そうと考え、そして実行に移せる人間と共に戦場にいる事が。

 未だ、彼等は“誤射”で味方を殺そうと狙っているのだろう。

 ひょっとすると、その銃口は自分に向けられているのかもしれない。彼等を怒らせた心当たりなどないが、どんな些細事でも彼等はそれを理由にするかもしれないのだから。

 そんな想像に、彼は慌てて機体を操作し、視界正面に僚機を捉える。僚機は、彼の事など気にせずに戦っていた。

 一瞬の安堵、そしてその安堵を塗りつぶす様に再び拡がってくる不安。今はそうかもしれない、しかし目を離した瞬間に僚機は自分を撃つかもしれない。

 視界を僚機から外し、再び敵を警戒するまでには、若干の時間を要した。その隙を逃すはずもなく、敵機は彼に殺到する。

「うわああああああっ! 来るなあああああっ!」

 敵機に気付いた瞬間にその数に恐慌を来し、銃弾をばらまいて壁としようとするが、敵機は臆する事無く抜けてくる。

 助けてくれ。

 誰に助けを?

 仲間はお前を撃とうとしているぞ?

 そんな事はない。味方を撃つなんて間違ってる。

 でも、奴等は撃った。

 そう言えば、自分は奴等が故意で撃った事を知っている。口封じ……

 考えるな、戦闘中だぞ!

 戦闘中だからこそ可能な謀殺だろう。

 止めろ、今は敵を!

「モビルアーマー如きが俺を殺そうとしやがって!」

 ジンを駆って彼は必死で銃弾を放ち、それに引っかかったメビウス一機が爆散する。だが、倒す以上に敵はおり、そして今の彼には満足な迎撃は出来なかった。

 ああ、敵が! 敵が……!

 助けを求めて宙を見渡す。僚機が、自分に銃を向けているのが見える――

「止めろ!?」

 とっさに機体を動かして逃げた。

 自分を狙ったのか? 本当の援護射撃のつもりだったのか?

 実際にはそれは本当に援護射撃だった。彼の仲間に彼を殺すつもりはない。全て彼の疑心暗鬼である。しかしそれは彼にわからない事だ。

 わからない。どうしたら良い?

 敵が迫る。敵が包囲する。

 背後には味方の銃がある。

 敵が。敵が……

 敵は…………誰が敵だ?

『敵の仇だが取らせてもらおう!!』

 困惑を裂く、敵機の接近を知らせる警告音。それに紛れる様に共用回線から飛び込んだ敵機からの声。

 モニターには、肉薄したメビウスが対装甲リニアガンを放つ所がはっきりと見えた。

 一つだけ理解する。

 ラスティの言っていた事の一つは間違いではなかった。モビルアーマーだって、こんなにも強い。

「もっと話を聞いても良かったな……」

 台詞は脳内で組み上がるも口で発する間などなく、コックピットを貫いた砲弾に彼の思いも言葉も全てが粉微塵に砕かれた。

 

 

 

 ガモフ側のMS小隊の一機が撃墜された。それとほぼ同じくして、ツィーグラーの船体に再び爆光が灯る。

「不甲斐ない!」

 ツィーグラーの艦橋。艦長席に着く男が思わず口から漏らす。

 ガモフのMS部隊。誤射で一騒動起こし、前線の負担増を招いた挙げ句がこの有様だ。

 誤射というのは言葉通り信じるとして、その後のこの状況は許し難かった。

 今すぐにでも叩きつけたい怒りと苛立ち。しかし、それは出来ない事ゆえ、押し殺して仕事を続ける。

「……艦の被害は? 修復は出来そうか?」

 艦長はオペレーターに聞いた。

 ツィーグラーは被弾している。その被害は実は深刻だった。

「……ダメです。未だに延焼中。やはり何処かで推進剤が漏れてるそうです」

「そう……か」

 オペレーターからの返答に明るい要素はなかった。

 艦内で火災が発生している。隔壁を閉じ、空気を遮断してなお火災が続くという事は、推進剤……燃焼剤が含まれ、真空中でも炎を上げるそれが漏れ出ているに違いない。

 問題は、何処でどの規模で漏出が起きているかだ。

 供給バルブを閉めるなどの対策は当然行われただろう。

 なのに消えないという事は、最初に大量に流出して供給を止めてなお残った物が燃えているか、はたまたタンク本体などの致命的な部分からの漏出が起こっているのか。

 こうなっては、対処のしようなど限られてくる。

「左舷推進剤タンク、緊急切り離し。投棄しろ」

「と、投棄ですか!?」

「何時、火が回って誘爆するかわからんだろ! 爆弾を抱えてる様な物だ。投棄しろ!」

 オペレーターの戸惑った様な返事を、艦長は怒声でねじ伏せる。

 問い返されなくとも、わかっているのだ。推進剤の投棄が、どんな意味を持つのかくらいは。

 推進剤の量は、そのまま速度と航続距離に影響する。

 つまり、味方に追いつけるか否か直結するわけで、この決定によりツィーグラーがこれ以降の作戦には参加出来なくなる事を意味していた。

 また、敵から逃げられるか否かにも結びつく為、戦場からの撤退も難しくなる。

 そう、撤退だ。

 ツィーグラーは、この損傷を負ったまま、これ以上は前で戦うべきではない。

 撤退。その前段階としてツィーグラーを後ろに下げ、ガモフにカバーして貰いながら損傷と戦況を見つつ、その機会を窺う腹づもりであった。

 なのに、後退を打診したガモフからの返答は未だ無い。

 勝手に下がるわけにも行かないと判断したのが悪く出て、ツィーグラーはズルズルと戦闘を長引かせていた。

「ガモフの動きはまだか! いつまで待たせる!」

 催促をして、それでもグズグズするようなら勝手に下がってしまおうと心半ばに決め、ツィーグラーの艦長は怒声を張り上げた。

 と――

 激震。船体を通して響く爆音。

 つい先程にも感じたのと同じ、着弾の衝撃だ。

 揺れを艦長席にしがみついて耐え、オペレーターの悲鳴の様な報告を耳にする。

「後方右舷に着弾! 装甲貫通しました!」

「くたばれ、連合の豚が!」

 艦長は罵声を上げて敵と運命を呪った。そして呟く。

「くそっ……怖い。死にたくない」

 幸い、その言葉は誰の耳にも届かなかった様だ。

 ややあって、オペレーターが報告を上げてくる。

「砲弾は右舷後方の施設を破壊。エンジンブロックにも被害が及び、推力が32%程低下しています」

「推進器が半分ダメになった。そういう事だな。そして遠からず右舷の推進剤タンクも捨てる必要が出てくる可能性が高い」

 嫌な笑いがこみ上げてくる。笑い出せば、止まることなく笑い続けるだろう。それこそ死ぬまででも。

 いっそ、何もかも忘れてベッドに逃げ込みたい。家に帰りたい。出来るはずもないのに。

 死にたくない。

 どうしてだ。どうしてこうなった。

「ゼルマン……臆病者が、連合のモビルアーマーを恐れて頭が鈍った等とは言わせんぞ」

 恨み言が口をつく。

 不意に、連合のモビルアーマーに怯えたゼルマンの様子が思い出されて、不愉快さは段を超えて上がった。

 奴がもっと早くにツィーグラーの後退を許していれば……いや、ガモフを置き去りにしてでも後ろに下がらなかった自分の甘さが招いた判断ミスか。

 くそっ! くそっ! くそっ!

 今すぐにゼルマンを連れてきて、ツィーグラーの艦長席に座らせてやりたい。

 しかし、現実には座ってるのは自分であり、誰であろうとその席を譲る事は出来ないときてる。

 死にたくない。死にたくない。

 死にたくないな……

 逃げ場を探す様に、艦長の目は艦橋の中を彷徨った。無論、何処にもそんなものはない。

 今なお必死で働く艦橋要員達の背中が見られただけだ。

 ……ああ、彼等もきっと死にたくはないのだろうな。

 艦長は深く深く長く長く溜息をついた。

 そして、思いの外静かな声でオペレーターに命じる。

「ガモフに通信を繋げ」

 

 

 

「ツィーグラー更に被弾!」

 ガモフ艦橋にオペレーターの報告が上がる。

 撤退か継戦かで悩んでいたゼルマンは、その報告に顔色を変えた。

 判断に時間をかけすぎた……その結果が、ゼルマンの判断を待って戦っていたのだろうツィーグラーへの被弾である。

「後退もやむなしか……」

 そう呟かざるを得ない。既に遅きに失してはいたが。

 それでも出来る限りの事はしよう。

 戦況がここまで一気に崩れるのかと、ゼルマンは歯噛みする思いをしながら、艦橋要員達に向けて声を上げる。

「ガモフは砲撃を続けながら移動。敵艦隊とツィーグラーの射線上に割り込ませろ」

 せめて盾となって両艦の活路を開こうと判断したゼルマンだったが、それを遮る様にオペレーターが通信を受け取った。

「艦長。ツィーグラーより直接連絡です。艦長に通信回線を繋げます」

 オペレーターの報告の後、艦長席のコンソールが通信が繋がった事を示すランプを灯し着信音を発するや、ゼルマンは即座に通信をオンにして、マイクに向けて話しかける。

「ガモフのゼルマンだ。大丈夫か?」

『こちらツィーグラー。やられた。推進器に異常が発生している』

 ツィーグラーの艦長は苦々しげに答えた。

 その怒りは連合に向かってはいるのだが、撤退の判断が遅れた原因であり、そもそもの戦線崩壊の原因となったMS部隊を抱えるガモフに対し、非難めいた気持ちもある。

 それを感じ取りつつも、ゼルマンは自らに為せる事を探る為に問う。

「支援する。戦場を離脱できるか?」

『……無理だろう。追撃されれば逃げ切れない』

 ツィーグラーの艦長は、僅かな時間を置いて答える。

 それが、ツィーグラーに残された推力から計算して出た結論なのだろう。

「では、戦いを続けよう。何とか撃退を……」

『ダメだ。一緒にいれば、両艦共にやられてしまう』

 逃げられないツィーグラーを庇って、戦いを続ける。ゼルマンがしようとした提案は、ツィーグラーの艦長に断られた。

『それより、二手に分かれるんだ。敵がどちらかを追うかはわからないが、片方は生き残る目が出る。敵が艦隊を更に裂いたなら、それで逆転の可能性が出てくるというものだ』

「しかし、それだと……!?」

 ガモフが追われる。あるいは敵が艦隊を分ける様なら良い。しかし、ツィーグラーに敵が集中すれば、ツィーグラーは艦を守る事は出来まい。

 そしてそれはツィーグラーの艦長こそが良く理解している事であった。

『そんなわけだ。後は任せる』

「何を言っている!? 死ぬ気なのか!?」

『ナチュラルでも、これぐらいはやってのける!

 ましてや私はコーディネイターだ。今日の無様な戦いの恥を濯がんとする意地がある!』

 ツィーグラー艦長の死を決意した叫びだった。

 その決意をゼルマンは羨ましいとさえ思う。軍人として潔く散る事への憧れは、ゼルマンの中にいつも秘められていた。

 いずれ、軍人として華を咲かせて死にたい。その瞬間にはどんな事を思うのだろう。

 死にたい?

 ……ふと自分の思考に小さな疑問を抱いたが、為すべき事を前にして、深くは考えずその疑問を頭の隅に追いやる。

「わかった。ガモフは何をすればいい?」

『言わせるな。

 MS輸送部隊を追え。何としても追いつき、その責任を果たせ。作戦を成功させろ!

 ではな。武運を祈る』

 そう言い残し、あっさりと通信は切れた。

 

 

 

 『くたばれ』そう言ってやりたいのは抑えられた。

 ツィーグラーの艦長は叩き切る様に通信を切り、納まらない気持ちにとりあえず一区切りを付ける。付けようとする。

 戦況なんて一時の運だと覚めた風に思ってみても、ガモフのMS部隊の誤射や被撃墜がなければと思えてしまって納まらない。納まらない所を無理に区切る。引きずってしまう思いを断ち切る。

 僅かな時間、気持ちの整理に苦労した後、それでもなお尻尾を引きずりながらも、艦長は仕事を始めた。

「オペレーター。MS部隊を呼び戻せ。一部隊はツィーグラーの直掩、そしてもう一部隊は撤退するガモフの為、敵の牽制に当たらせろ」

 この糞の様な戦場の後始末はツィーグラーでつけてやる。だから、ガモフは栄光ある次の戦場へと飛んでいくが良い。いずれ、死神に捕まるまで飛び続けろ。

 自分はここでリタイアだ。

「ツィーグラーは今すぐ転進。ガモフより先に済ませろ。敵の注意を引くつもりもある。全力で逃げるぞ。

 それから、全乗員に脱出の準備をさせろ。最終的にこの艦は放棄する。

 グズグズするなよ? 艦長が最後に降りる決まりなんだ。俺に『艦長の責任』を果たさせないでくれ。死にたくないんだ」

 最後のは冗談のつもりだったが、艦橋要員達はニコリともしなかった。ただ、真面目に頷く。ギャグのセンスの無い奴等だ。

 小さく溜息をつく。

「……とりかかれ」

「はい、艦長を死なせるわけにいきませんものね」

 仕事に取りかかる前、オペレーターが艦長に返した。

 やはり死にたくはない。しかしそれ以上に死なせたくはないと……

 

 

 

 ZAFT側より撤退信号が出される。

 偶然ではあるが、そのすぐ後にミゲルとオロール、そして回収されたラスティがガモフへ帰艦。

 その後、ラスティを置いて再出撃したミゲルとオロール、ツィーグラーのMS部隊の支援を受けて、ガモフのMS部隊2機がようようやっとのていで帰艦した

 その帰艦劇の最中にもジリジリと後退していたツィーグラーは、このMS部隊帰艦の段階で全力の逃げに転ずる。

 それを支援するかに見せたガモフは、ツィーグラーが有る程度の距離を取った段階で、そちらとは逆方向に転進、逃走を図った。

 ネルソン級宇宙戦艦“モントゴメリィ”の艦橋、艦長のコープマン大佐はその状況を見て、拾った勝利に安堵の息をつく。

 実際問題、艦隊を守りきったとはいえMA部隊の損耗は激しく、またモントゴメリィ及びドレイク級宇宙護衛艦“バーナード”及び“ロー”にも多少の着弾はあり、致命的ではないものの損傷している。

 ZAFTのMS部隊が十全の動きをしていたのなら、破れたのは連合艦隊の方だったかもしれない。そんな勝利だ。

 だが、勝ちは勝ち。とは言え……

「ほぼ健在のローラシア級はやはり輸送艦隊との合流を目指すようです」

 進路を計算した結果をオペレーターが伝えてくる。

 片方の艦は撃沈寸前まで叩けたが、もう片方は仕留めていない。奪取した連合MSを輸送する艦隊に合流されると厄介だろう。

 しかし、モントゴメリィはともかく、バーナードとローは推進剤が足りなく、おそらくは追撃しても追いつけない。

 ならば、モントゴメリィだけでも追うか? 単艦で追ったところで、返り討ちにあうのが関の山だろう。

 それに今から追った所で、単艦で輸送艦隊を追ったアガメムノン級宇宙母艦“メネラオス”が、合流するその時まで無事でいるとは……

 ここは、この勝利をもって、自らの役目を全うしたと思うより他無い。

「……艦隊前進。死に損ないを叩く。

 モビルアーマー隊は継続して防空。敵艦の始末は、引き続き艦砲で行う」

 自分達の役目を終わらせたとはいえ、それでも目の前に落ちてる手負いの獣を始末しない理由は無いだろう。

 窮鼠猫を噛むという教訓を十分に意識しながらも、コープランド大佐は戦闘の継続を命じた。

 敵艦の足は砕けたらしい。ならば距離を取って砲撃戦を継続する事で、MA部隊の損耗も少なく、堅実に勝ちを拾えるだろう。

 これはもはや終わった戦だった。

 

 

 

 しばらくの後、ツィーグラーはモントゴメリィからの容赦ない砲撃の前に轟沈。

 燃え上がる艦からMS部隊と脱出艇が逃げた所に、連合のMA部隊が襲いかかり、脱出艇とそれを守って自由な動きのとれないMS部隊を鴨撃ちの如くに散々に叩き落とした。

 無事に逃げ延びる事が出来たツィーグラーのZAFT将兵は僅かだったと言う。

 こうしてヘリオポリス沖会戦の第二幕は、連合軍第8艦隊の勝利に終わる。

 だが会戦は幕間へと入る暇もなく、ここより離れた宙域にて既に第三幕は始まっていた――

 

 

 

 連合MSを積んだ輸送艦。それを守るのはナスカ級“ハーシェル”。追うのはアガメムノン級宇宙母艦“メネラオス”。

 戦いはハーシェルとメネラオスの一騎打ちの様相を呈していた。

 とはいえこの戦いに語るべき事は少ない。

 一人の狂人が己が信じた神に殉教した。ただそれだけである。

 メネラオスの艦橋。デュエイン・ハルバートンは、奪われた連合MSが積まれた輸送艦だけを見つめ続けていた。

 彼が下した命令はただ一つ。「全兵器、全兵力をもって前進せよ」と。

 メネラオスから発進したメビウスが前進する。彼等は整然と編隊を組むと、まっすぐに死地へと飛び込んでいった。

 迎え撃つ為にハーシェルより出撃したのは、ZAFTの赤服が乗った4機のシグー。今期最優のパイロット達と、その搭乗機として選ばれた最新鋭のMS。

 メビウス部隊は居並ぶシグーの壁へと押し寄せ、岸壁の波の様に砕かれる。たちまち、無数の光芒が宙に煌めきだした。

 だが、その光もハルバートンの目には入らない。

 ただ、ただ見つめる。輸送艦の憤進炎の光を。そこに“神”はあるのだと。

 天頂に座す神は死んだ。だが、我等を守り、我等に勝利をもたらす物がそこにある。ならばそれを神と呼んで何の間違いがあろうか。

 それは我々に勝利をもたらす。

 それは我に勝利をもたらす。

 祝詞はないが祈りは捧げよう。

 生贄の山羊は火にくべられている。

 払われる犠牲が神に届いた時、神は降りてくる。神は我が手に降りてくる。勝利をもたらす為に降りてくる。

 ああ、ああ、聖なるかな。どれほどの祈りを捧げただろう。

 最初に生贄となったのは無辜の民。ただ地球に住んでいたというだけの人々。万愚節の破滅によりもたらされた死は世界を覆った。

 自分の知る者も、知らぬ者も、関係なく全てが祭火に投じられた。そして未だに多くがくべられている。

 ――祈りは届きましたか?

 次に失われたのは部下同僚上官の魂。

 敵の作った悪鬼が、数多の部下を同僚を上官を殺した。

 ああ、ああ、彼等の断末魔。最後に残す言葉が聞こえましたか?

 絶望と後悔を込めて愛する者を呼ぶ声。敵への恨み怒りを叫ぶ声。あっけなく散る者の語り残した何気ない言葉。言葉無く去る者の秘められた心の声。

 聞こえますか? 聞こえますか? 私はたくさんたくさん聞きました。

 今も聞こえています。

 今も死んでいます。

 お喜びください、もっと死にます。

 そうしたら、神は降りてくる。私の元に降りてくる。

 そして勝利をくれる。

 何度も何度も怒り、何度も何度も悲しみ、何度も何度も絶望して、それでなお手に入れる事の出来なかった勝利を。

 ああ、ああ、勝利を。

 神様、勝利をください。

 永劫に敵を打ち負かす勝利をください。

 僕が愛した人に、好んだ人に、嫌った人に、憎んだ人に、何も思いはしなかった人、見も知らない人にも平穏と安らぎを与えられる勝利をください。

 もう僕に怒りと悲しみと絶望を見せないでください。

 これが最後だと思うから今は耐えます。

 だから僕に勝利をください。

「……前進せよ」

 戦場をじっと見つめていたとおぼしきハルバートンが突如命じる。

 同じ艦橋で指揮を執っていたホフマン大佐は、その命令を聞くやギョッとした顔でハルバートンを見返した。

「前進ですか? まだ敵モビルスーツの排除が出来ていません。いえ、現状でははっきりと我々が不利です。

 今、前線に突入しても、敵のモビルスーツの攻撃を受けるだけですが……」

「わからないのかね。これは必要な事だと」

 ハルバートンは強い意思を感じさせる言葉を吐き出す。

 そうだ。必要な事だ。

 神は未だ現れない。生贄が足りないのだ。

「メネラオスより、各艦コントロール。ハルバートンだ!

 本艦隊はこれより、敵輸送艦に対して突撃。移乗白兵戦を強行する。

 厳しい戦闘となるとは思うが、かのモビルスーツは、明日の戦局の為に決して失ってならぬものである。

 陣形を立て直せ! 第8艦隊の意地に懸けて、モビルスーツを奪還する! 地球軍の底力を見せてやれ!」

 命令は下された。メネラオスは前進を開始する。

 もう少しだ。もう少しで……モビルスーツに手が届く。“神”に手が届く。そうなれば、あの……あの…………

 恍惚。その内にハルバートンは浸る。

 だが、それは時を経て破られた。

「閣下! これ以上は……これでは本艦も持ちません!」

 メネラオスが揺れている。軋み響く金属的な不快音は、損傷を受けた船体の上げる悲鳴。

 怒声を上げたホフマンが、不安げにハルバートンの顔を覗き込む。

 メネラオスは今、戦いの直中にいた。

 メネラオスが対空砲の火線をハリネズミの様に生やし、メビウス部隊もまたメネラオスを守ろうと勇戦している。

 しかし、自らの間合いに踏み込んだこの巨艦に対し、MSはその猛威を振るっていた。

 止む事もなく銃火を浴びせ、時に急所を狙い、時に火砲を潰し、的確にメネラオスを仕留めんと攻め込んでくる。

「まだだ!」

 ハルバートンは叫んだ。

 目標の輸送艦はさっきよりも近づいている。もう少し。もう少しだ。

 もう少しで神は我が手に降りてくる。

「しかし……」

 ホフマンは抗命しかけた。このままではメネラオスは落ちる。確実に。

 だがそれでも、ホフマンは口をつぐんでしまう。

 今ここで、指揮をめぐって混乱を見せるわけにはいかない。全ては遅きに失していた。

 知将ハルバートン……彼の正気を疑うのは、もっと早くにするべきだったのだ。

 ホフマンが不安と焦りをにじませながら指揮に戻る傍ら、ハルバートンは、周囲の戦場で散る命の火も、刻々と迫る敵MSも見る事はなく、ただモニターに点の様に映る輸送艦の光を見据えている。

 デュエイン・ハルバートン。彼は狂人だった。

 その狂気は、誰にも止められる事のないまま、深く静かに悪化の一途を辿っている。

 周囲の者の多くは気付かなかった。しかし、一部は気付いていた。ただ、此度の戦争での人手不足が、その症状を軽く判断させ、彼に仕事を続けさせる結果となった。

 彼は見事に働いたと言えよう。結果はどうあれ、その過程においては万難を排して進め、連合製MSと呼べる物を完成まで持って行ったのだから。

 それは全てが彼の狂気故だ。MSに向ける妄想と執着が、失敗を寄せ付けなかった。彼の狂気の原因となったMSへの妄想と執着が、彼をここにまで至らせた……

 戦争が……彼にとって全てが新しいものとなった“MSを相手とした戦争”、そして戦禍に失われたあまりにも多くのもの。

 彼は真面目な軍人であり、悲劇に心痛める優しさもあった。

 真面目だったが故に自身では適応し難い新たな戦場に苦悩し、適応し難かったが故に防げなかった多くの悲劇に絶望した。

 彼は優しい人間であったが故に狂気を孕み、その狂気故に機械人形に神を見出し、そして虚構の神に自らの大切なもの全てを捧げてしまった。

 そんな狂人たる彼故に……彼は見たのかもしれない。

「?」

 つっーと、ハルバートンの口元から涎が溢れた。水球になって漂い出す直前のそれを、ハルバートンは無意識のうちに袖で捉えて拭う。

 何だ? 何かの記憶が……

 それは突然、白昼夢の様にハルバートンの脳内に蘇る。

 連合軍基地。地下実験場。最新兵器起動テスト。

 その地下の穴蔵。学校の体育館一つ分くらいだろうか。兵器の実験場としては狭い。

 周囲を囲う、仄暗く白い奇妙に歪み捩れたコンクリート壁が、何か酷く心をかき乱す。

 即席で作られた為に歪みが生じたと説明されたが、あれは文字や文様に見えて、まるでそう作られたかの様だった。

 その中央には、金色の装甲を持つMAが座している。さながら骸の様に。しかし、そこに確かで強烈な違和感と存在感を放って。

 技術者が得意げに言っていた。あれが、連合の新たな兵器の一つであり、MSにも勝てる、戦局を打開する兵器だと。

 ああ、偶像を拝む愚かな者達はいつもそう言う。神は一つなのに。だが……あれは…………

 そうだ……あれを見たから自分は。

 ……それは笑っていた。笑っていたのだ。

 戦局を打開する? あれが? 違う。あれであって良い筈がない。あれは“神”ではない。“神”であってはならない。

 あれは……あれは…………

 体の震えが止まらない。冷たい汗がじわりと肌を湿らせる。

 そうだ、あれは笑っていた。“神”を求める私を。

 敗北の理由を求め。失われた私の愛した人々を取り戻す術を求め。求めるがあまり、ただの兵器に神を見た私を――

 だから――だから……?

 記憶の中、視界が急に下に落ちる。膝の力が消え、姿勢を崩したのだ。跪き伏し拝む様に。

 あの時は、こうはならなかった。ならばこれは追憶ではないのか? ただの夢や妄想なのか。それとも――?

 跪くハルバートンの頭上で何かを噛み砕く音が聞こえた。

「閣下!」

 突然くずおれたハルバートンに、その体を支えようとしながらホフマンが叫ぶ。

 艦橋に満ちる煙。響き渡る警告音と、艦内を赤く照らす警報ランプ。艦橋要員達は退避を始めている様で、ホフマンの他に数名が残るのみだ。

「本艦は沈みます! 閣下も退避を……」

「何故だ?」

 ハルバートンは呟く。呆然としながら。

 何故か彼の頭は霧が晴れた様に冴え渡っていた。狂気が消えていた。

 抱いた疑問に答えるかの如く、頭の中には今までに為した事の全てが克明に蘇る。

 勝利の為、犠牲を無くす為、その為に積み上げた敗北と犠牲。ハルバートンを信じた人々の思いと、それらに背を向け狂気の中の偽りの神に全てを託していた自分。

「あ……ああ……わ……わたしは…………なにを……なんてことを……」

 それは正気では耐えられない、狂気の記憶の洪水。

 自らの為した狂気を、理性ある心で見つめなければならない地獄。

 だが、ハルバートンは再び狂う事さえ許されなかった。

 そう……“許されなかった”。

「あ……あああああああああああああっ!」

「閣下! お気を確かに! 誰か手伝え! 閣下を運ぶんだ!」

 叫び出すハルバートンに、ホフマンと艦橋要員達が群がる。

 彼等の背後、未だ戦いの光芒煌めく宇宙を映すモニター。

 艦橋に満ちる煙の加減か、ハルバートンに宇宙は白く染まって見えた。

 

 

 

 ヘリオポリス沖会戦の中盤に行われたメネラオスとハーシェルの戦い。この戦いをZAFTは“ありふれたZAFT「の勝利”として片付け、後に語る事は少なかった。

 メネラオスの艦特攻に対して、ハーシェルと麾下のMS部隊が迎撃に成功する。たったそれだけの事であり、それ以上の内容を持たないからだ。

 それでも、連合側は“奪われたMSを追った知将ハルバートン最後の勇猛果敢な戦い”と虚飾を施して戦史には残した。そこに、ハルバートンの狂気について書かれてはいない。

 ただ一つ、デュエイン・ハルバートンの死だけは、両軍共に確かなものとして記録に残した。

 

 

 

「ぐぅれぃとぉ!!」

 ディアッカ・エルスマンのシグーが持つM68キャットゥス500mm無反動砲が、船体の各所の破口から白煙や雑多な破片を吐き出すメネラオスの艦橋に直撃を浴びせた。

 これにより、か細く続いていたメネラオスの抵抗の対空砲火も途絶える。

 ディアッカは続けて、残弾処理とばかりにアガメムノン級の急所とされる場所に無反動砲を叩き込んだ。狙われた弾薬庫や推進剤タンクなどが一気に爆発し、メネラオスは連鎖的に起こる爆発の中で砕けていく。

「大金星だぜ! 譲ってくれてありがとうな!」

 ディアッカが喝采上げる。

 それに答えて、通信機からイザーク・ジュールの呆れ声が届いた。

『お前以外は対艦兵装で出なかっただけだ。モビルアーマーの撃墜数なら、お前が最下位だろうが』

「ま、そう言うなよ。と……少し生き残った様だな」

 イザークに答えながらディアッカは、轟沈したメネラオスから離れていく脱出艇を見つける。乗っていた連合兵が逃げ出したのだろう。

『逃げ出した腰抜け兵か』

 イザークも同じものを見つけたのか、興味もなさげにそれだけ言った。

「撃たないのか? ちょっとだけ得点になるかもしれないぜ?」

『何か邪魔されたわけでもないからな。それに、そんな所で点を稼いでも無様なだけだ』

 別に……逃亡兵だからと殺すわけではないのだ。虫の居所が悪ければ違っていたかもしれないが。

『モビルアーマー部隊の方も戦闘は止めたようです。生き残りは撤退して行きますよ』

 ディアッカとイザークに、ニコル・アマルフィが告げる。

 どうやら、この場での戦いは終了したらしい。

 MA部隊は、メネラオスの脱出艇を中心に結集しながら戦場を離れていく。

 後は燃料が尽きるまで逃げて、そして漂流が待っている。母艦を失った搭載機の運命であり、MS乗りもそれは変わらない。

 今更、少々の撃墜数稼ぎの為に、彼等を追い回す理由は無かった。

「ニコル。点は稼いだか?」

 誰もが結構な数の敵を落とした事くらいはわかっている。冷やかし混じりのディアッカの問いに、ニコルは苦笑めいて答えた。

『ええ、まあ。ラスティのおかげですね』

 そう言われて皆、“彼女”を思い出す。同期の中でとびきりの変人だった少女を。

『ああ……あいつほど強いモビルアーマー乗りは居ないからな』

 嫌な記憶もついでに思い出したイザークの声は苦い。

「イザークは、こてんぱんにのされたからな」

『お前も! いや、全員そうだろうが!』

 笑うディアッカに、想定通りにイザークの怒声が返る。

 訓練生時代、シミュレーション訓練でパッとしない成績のラスティがMAのデータを使った時の鬼の様な強さに、シミュレーション訓練に参加した訓練生全員が敗北した。

 シミュレーターのMAには通じた、MSとMAの機体特性の違いと性能差に物を言わせる戦法が、全く通じなかったのが敗因である。

 その戦いは一度だけで、ラスティは教官全員を騒然とさせた挙げ句に、お叱りを受けてシミュレーションでのMAの使用を禁じられた。

 要するに「MSがMAに負けるのは拙い」という理由で。

 ラスティ本人のやたらに喧嘩を売る性格の事もあり、その後、訓練生は誰もラスティに関わろうとしなくなった。

 しかし、負けず嫌いのイザークに付き合わされて、ディアッカやニコル、アスラン・ザラは、自習時間に教官には内緒でシミュレーション訓練をラスティとやったのだ。

 無論、彼等が対MA戦闘で好成績を収めて卒業したのは言うまでもない。

 逆に、ラスティも彼等から色々と教わり、彼等と同じく赤服として卒業した。

『ラスティですか……元気でやってるでしょうか』

「あいつが元気じゃない所なんて、逆に見てみたいけどな」

 ニコルが少し懐かしそうに、ディアッカが混ぜっ返す様に言う。そして、後に続けてイザークが少し懐かしげに言った。

『はた迷惑な女だったからな。どうしてあんなに攻撃的なんだ』

「あのなイザーク。お前もたいして違わないぞ?」

『なにを!?』

 ディアッカが言うと、案の定、イザークの猛抗議が始まる。

 それを聞き流しつつディアッカはニコルに話を振った。

「ところで、アスランの奴は?」

『え? あの……』

 ニコルは困った様子で言い淀んでから、一言に感情を込めずに答える。

『“恋人”に連絡中です』

「ああ……」

 何も言う事はなく、ディアッカもまた黙り込んだ。通信機からは、変わらずイザークの抗議の声が続いていた。

 

 

 

 仲間とは僅かに離れたシグーの中、アスラン・ザラは通信機を使い、輸送艦の艦橋にいるのだろうキラ・ヤマトと直接話をしている。

 無論、本来ならキラがそこにいるはずがない。これも、輸送艦の艦長から赤服エリートへのサービスだろう。

 そして、二人の話の内容というのが……

『どうして戦ったの? そんな事はアスランには……』

 通信機の向こうからは非難の声。

 これは仕方がない。アスランはキラと約束したのだ。昔の優しかったアスランに戻ると。無論、その優しかったアスランは、戦場で戦ったりはしないのだ。

 これは親密な仲を結ぶ契約というわけではなく、アスランに復讐は似合わないとキラに説得されたことで、アスラン自らが決めた事。

 考えてみれば、連合の攻撃で死んだ母も優しい人だった。キラと同じ事を言ったかもしれない。

 父のパトリック・ザラに逆らう事になるのかもしれないが、軍で戦果は上げており、もう十分に箔は付けた筈だ。父を助けるすべは、軍以外にも有ると思いたい。

 だが、それもこれも後での事。今すぐに約束を履行できるという訳ではなかった。

「だから、軍を辞めるまでは俺は兵士なんだ。義務を果たさなければならない」

『でも……』

「わかってくれ。今のこの任務だけ……これを終わらせる時までなんだ」

 何だか恋人に「仕事も大事なのだ」と言い訳する男みたいな事を言い、それから本気の思いで台詞を続ける。

「それに……キラ、お前を守りたかった」

『アスラン……』

 何というか、背景に花が咲き乱れそうな会話が繰り広げられていた。

 文字に起こして見せたなら、恋人同士の会話だと皆が思うことだろう。文字には、声と外見と性別は、書かれていなければ関係ないのだから。

 これが今この場所だけでという事ではなく、一緒にいる時はだいたいこんな感じなのだから、周囲の目がどうなるかもわかろうというものである。本人達以外は。

『わかったよ。無事で帰ってきてよね』

 説得だか、愛の言葉だかが効果を現してか、キラの態度は軟化した。それに安堵しつつ、アスランは緊張の解けた様子で言う。

「ああ、もう戦いは終わった。すぐに帰るさ」

 戦いは終わった……アスランは。いや、他の誰もがそう考えていた。

 しかし、それは違う。

 今ここに……とある強大な兵器が投入されようとしていた。

 

 

 

「ハルバートンめ、無様な死に様を見せたな」

 戦域を遠く離れたアガメムノン級宇宙母艦の艦橋。

 モニターに映し出されるメネラオスの残骸を眺めながら、ジェラード・ガルシア少将は嘲る様な哀れむ様な複雑な表情でそう呟いた。

「閣下?」

「ああ、いや」

 怪訝げな参謀に、ガルシアは何でもないと手を振って見せる。

「さて、観戦は終いだ。我等の戦いの時は来たぞ」

 ガルシアの率いる艦隊は、第8艦隊が滅び行く様を見守っていた。もし加勢すれば、第8艦隊の目的は果たせたかもしれない。

 だが、それは有り得ないのだ。ガルシアが受けた命令には、それを成せとは書いていなかったのだから。

「一戦して少々くたびれた敵が相手なのが不満だが、どうやら新型機のエース部隊だ。せいぜい頑張って抵抗してくれるのではないかな」

 皮肉混じりに言ったガルシアの言葉に、周囲の者達がドッと笑う。

 敵への侮りとも見られるが、今はこれを良い自信だとガルシアは解釈した。ここにあるのが旧式のMAだけだとしたら、追従だとしてもこの様に笑う事は出来まい。

「第一の目標は敵戦艦及び護衛のモビルスーツとする」

 告げたガルシアに参謀が問う。

「輸送艦はいかがしましょう?」

 なるほど、側に無力に浮かぶだけの輸送艦は、すぐにでもかぶりつきたい獲物に見える。

「後回しだ。護衛を滅ぼした後に、どうとでも料理できる」

 ガルシアは、すぐに輸送艦に手を出す事はしなくて良いと判断した。

 MAは敵艦と敵MSにぶつける事が決まっているのだ。輸送艦を襲うなら、この艦隊が行かなければならない。

 戦場に突っ込んで行くのは、ハルバートンの末路を見た後では躊躇させられた。

 臆病風に吹かれたと言っても良いが、それを隠して言った台詞は参謀達を納得させるのに十分だったらしい。疑問を持たれる事もなく、すんなり納得される。

 何も問題はない。順調だ。

 後は告げるだけで良い。ユーラシアが誇る新型MAの出撃を。

「アッザムを発進させろ。ユーラシアのモビルアーマーの力、見せつけてやると良い!」

 満を持したとガルシアは声を張り上げた。直後、モニターに、母艦から切り離される大型MAの姿が映し出される。

 CAT03-X1/2 ADZAM。

 紫玉葱の様な涙滴状の機体に、4脚の接地用ダンパーが生えた姿は奇妙に生物的である。

 武装として機体の側面に上下2列4基ずつで計8基搭載されたビーム砲は、このMAの大火力ぶりを如実に表していた。

 大西洋連邦の、火力、格闘戦能力、高機動性の融合を求めた大型MAとは設計思想から違う。大火力で敵多数を葬り去る、それがユーラシアの目指す次世代のMA。アッザムはその系譜に連なる第1の機体だ。

「おお……」

 その出撃を見守るガルシアは、思わず感嘆の声を漏らす。

 ああ、これだ。これこそが次世代の兵器だ。ハルバートンよ見ているか?

 ガルシアは心中、散ったハルバートンに呼びかける。

 お前は間違った。MSなど、お前が全てを賭す程の価値のある物ではなかったのだ。

 良いか、見ていろ。必ず……必ず、連合はZAFTに勝利する。

 その立役者となるのは、お前が作ったMSでも、大西洋連邦のMAでもない。このユーラシアが作り出したMAがそれを成すのだ!

「行けアッザム! 全てを焼き払え!」

 思わず、声が出ていた。ガルシアはそれに気付かない。

 今はただ、ゆっくりと回転しながら敵に向かって進んでいくアッザムの姿を見送るのみだった。

 

 

 

 撤退戦。それが兵隊にとって一番にキツイ。

 ミゲル・アイマンのジン・アサルトシュラウドと、オロール・クーデンブルグのジン・ハイマニューバは母艦ガモフの前に並び、重機銃をばらまく。

 メビウスの編隊が我が物顔に飛ぶ宙域に一本の道を作る。ただその為に。

『寄り道しようとすんなよ屑が!』

 オロールの苛立った怒声が、ミゲル機のコックピットに届いた。

 撤退は速やかにしなければならない。なのに、ジン2機は付近を飛び交うMA相手に欲目を出し、あわよくば撃墜と思ってか銃撃などしつつチンタラ帰ってくる。

『放っておいて帰ろうぜ』

「出来ない事くらいわかってるだろ。黙って敵を撃てよ!」

 苛立っているのはミゲルも同じだった。

 同じ気持ちを抱く者同士、オロールと仲良くしても良いものだが、延々とオロールの苛立った声を聞いていればそれに対して腹も立ってくる。

「横からグチグチと言われたら、ついうっかり“誤射”しちまうだろが!」

『あー……悪い。黙って仕事するよ』

 その台詞に、ミゲルもすっかり苛ついている事に気付いて、オロールも無駄口を止めた。

 苛つかないわけがないのだ。

 あの連中の汚い手で味方が傷つき、そこから戦況は崩れた。

 一度ならず対立した相手だったが、実は良い奴だったかもしれないパイロットも死んだ。

 味方艦のツィーグラーが被弾している。致命傷かもだ。

 その大事な時に、ツィーグラーのMS隊までもがガモフの撤退を支援してくれている。その前で連中は無様にも小物を追いかけて命令を忘れてくれるのだ。

「いい加減にしろ!」

 ミゲルは、腹立ち紛れに115mmレールガンをジン二機の間際に撃ち込む。

 敵機を追い回すのに夢中になっていた連中は、撃たれた事で驚いたのだろう、ミゲル達が居るガモフ側に目を戻した。

 そして、ガモフを見た事で帰還命令を思い出したのか、連中はそれでやっと帰還行を再開する。それでも時折、チラチラとジンのモノアイを動かし、敵機に対する未練を見せていた。

 だが、今は帰還中の筈だ。命令も出ている。なのに何故、そこまで敵に執着する?

「何だって、ああも敵機を気にするんだ」

『……思い当たる事はあるぜ?』

 ミゲルの疑問の独り言に、通信機越しに聞いていたのだろうオロールが言った。

「どういう事だ?」

 問い返したミゲルに、オロールは苦笑めいた響きで返す。

『胸糞の悪くなる話さ。思わず“誤射”しちまうかもしれないから後で話そうぜ。

 俺の考え通りなら、あいつらは手柄一つ立てずに帰りたくはない筈だ。

 もし、足を止める様なら、さっきの「帰ってこないなら誤射るぞ」ってメッセージを遠慮無くやってやれよ』

「そういうつもりでもなかったんだがな。まあわかった。帰ってくるまでケツを蹴り続ければ良いんだろう?」

 言ってミゲルは、見本を見せるかの様に、再び足を止めそうになっていたジンの側に115mmレールガンを撃ち込む。

 それを繰り返される事で、ジン二機は誘導されてガモフに帰還した。

 ミゲルとオロールは、それを確認した後にガモフへと帰る。

 帰り際、ツィーグラーのMS隊が手を振って別れの挨拶をした事に気付き、ミゲルは自機の手を振り返させた。

 互いの武運を祈って。その時はまだ、その後の事はわからないが故に。

 

 

 

 ミゲルとオロールが着艦し、MS格納庫で各自の乗機から降りたその時、兵士に拘束されて連行されていくジンのパイロット達を見た。

 何やら暴れながら騒いでいたが、どうせ聞く価値も無い事だろう。

 ミゲルとオロールはキャットウォークの手摺りを伝って移動し、合流すると、申し合わせていた様に一緒に移動を始めた。

 そして、格納庫を出る辺りで、オロールが独り言の様に言う。

「順当なら、ZAFTから懲戒解雇で、プラントで刑事裁判って所かね。謀殺の罪は……何年だ?」

「どうかな。そもそも連中が罪になるかどうか」

 ミゲルは答えて溜息をつく。それに対し、オロールはそれを読んでいたかの様に言った。

「お前もそう思うか?」

「ああ。刑事告訴されて殺人未遂で裁かれる。そこまではいくだろうさ。だが、裁判でそのまま刑が決まるとは限らない。

 ラスティが連合のモビルアーマーに乗っていたってのが心証最悪だ。そもそもあの性格じゃ、心証もなにもないかもしれないがな。

 何にせよ、『敵兵器に乗っていなければ“事故”は無かった』って、むしろラスティに問題があったみたいに裁定されてもおかしくない」

 ZAFTの戦果と宣伝のおかげで、プラントではモビルスーツが大人気だ。それなのにラスティは連合のMAを使った。

 裁かれるパイロット共が「誤射の責任は連合MAに乗ったラスティにある」と主張するのは必須。となれば、パイロット共に同情が集まる展開が見えてくる。

 そこでラスティがあの難儀な性格を爆発させれば、ラスティが悪役になる展開にリーチだ。

「ま、ラスティのご両親が裁判にどれだけ金を注ぎ込むかにもよるんだろうけどな。お偉いさんなんだろう? 確か?」

 最後に軽口で紛らせたミゲルだったが、オロールはそれに同調せずに興味深げに頷いて、顎に手を添えて考え込む仕草を見せる。

「なるほどなー。お前はそう考えるか。俺が考えてた理由とは違うな」

「そう言えば、胸糞の悪くなる話とか言ってたな?」

 撤退戦の最中に、オロールが言っていた事だ。

「もしあいつらが戦功を上げれば、罪は不問になる可能性がある。そう言ったら、どう思う?」

「はぁ? 人殺しだぞ?」

 驚きすぎて変な声を漏らしたミゲルに、オロールは皮肉げに言った。

「ZAFTの体質。戦果を上げる奴には甘い。だろ?」

「……ああ」

 思い当たる所もなくはなくて、ミゲルは頷かざるを得なかった。

 ZAFTは個人主義英雄志向が横行する軍隊だ。

 利敵行為そのまんまの事をしでかしていても、場合によっては罪を裁かないような、そんな危うさがZAFTにはある。

 殺人や利敵行為の様な大罪はともかく、些細な事なら許されてしまう。考えてみれば、ラスティの連合MAへの搭乗も、そういったお目こぼしではなかったか。

「でもなー。俺は、そんな特典がついた事はないぞ」

 エースなのに。一応、ミゲルは愚痴ってみる。

「真面目に働く奴が馬鹿を見るってのは、神って奴が書いた、この世界の運転マニュアルの一章に書いてあるそうだぜ?」

 茶化す様に返してから、オロールは不愉快そうに表情を変えた。

「それはともかく、糞みてぇな話だろ?

 あいつらはあの最悪な行動を起こす時に考えた訳だ。『手柄を立てればこっちのもの』ってな。さぞかし手柄を立てる自信もあったんだろうよ。

 だが、お生憎様。あの戦いじゃ、どう見ても無様を晒しただけだった」

「罪を全部無かった事にするつもりが、あのあからさまな態度か。あてが外れて、ざまあみろと……待てよ? まだ終わっていないのか」

 ざまあみろと笑いながら言いかけてミゲルは、ある事に気付いて顔をしかめる。

「どういう事だ?」

「いや、この艦は作戦展開中だ。だから、あいつらを営倉入りさせて、戦闘中にモビルスーツを二機も遊ばせておく余裕はない。あいつらの出撃は、この後も十分に有り得る」

 オロールに聞かれたままに言葉を並べ、ミゲルは苛立ちに通路の壁に拳を打ち付けた。

「くそっ! ……連中は、手柄を立てなけりゃあ刑務所行きの目もある。少なくとも、そう思ってるってわけだろう?

 窮地に立った連中は、次の出撃が有れば、手柄の為に何でもするぞ。それだけじゃない」

「そうだな。

 あいつらはもう、味方の足を引っ張る事に何の躊躇もない。何でもするだろうな。

 それで何ともならないなら、自棄になって、ラスティにダブルチャンスはもちろん、俺等までついでに始末しようなんて考えるかもしれないって所か?」

 オロールは頷き、そして剣呑な光を目に宿す。

「“修正”でもしておくか?」

 “修正”、鉄拳制裁の事である。

 階級的上下の無いZAFTではそういった上官からの制裁というのはない。建前上は。

 しかし、先任であるミゲルならば、その程度の事をやっても問題にはならない。

 だが、ミゲルは面倒臭そうに首を横に振った。

「そんなの、殴って直る見込みがある奴にする事だろ。

 殴ってどうなる? 俺達がちょっと気分良くなって、それで? 連中は反省するどころか、こっちを恨むだけだ」

 ミゲルのそんな反応はわかっていたようで、オロールは怯む事無く悪い笑みを浮かべて返す。

「いや、二度と出撃できないくらいにやっちまおう。あんな連中、居ない方がよっぽど戦いやすいぜ?」

 出撃できないよう手足をへし折ってしまえば、連中は医務室のベッドに拘束されたまま裁判所へ直行というわけだ。

 連中は厄介者だ。それをゼルマン艦長も理解してくれるだろう。排除する事は誰もの利に適う。咎められる事はあるまい。

 オロールは通路の分岐で止まった。

 一方の分岐を進めば、あの後ろ弾野郎共が叩き込まれただろう営倉へと至る。さあどうすると言わんばかりに。

「提案が魅力的すぎるな」

 ミゲルは分岐の一方を選んで進んだ。

 連中の居ない方向へと。

「だろうな」

 オロールも軽く肩をすくめてそれに従う。

 そんな素敵な選択が出来るなら、ミゲルはもっと楽に人生を歩んでる事だろう。

 そんなミゲルが向かう先は医務室だった。オロールのした素敵な提案を呑めるなら、そんな所には行くまい。

 ミゲルは実に苦労性な男だが、オロールは彼についていくのは嫌いではなかった。

 

 

 

 螺旋を描くように奇妙に拗くれた砂時計の底。

 やけに白く強い光が降り注ぎ、全てを白く染め上げ、陰影は黒々と焼き付き、全ては白と黒の強弱のみで表される。

 足下は石畳の街路。周囲には、形こそ普通の市街を模してあるものの明らかに異質な石造りの建物。それらの表面には何か文字の様な絵の様な模様が刻み込まれ、逃げ出したくなる不安と、跪きたくなる荘厳さを感じさせた。

「怖がっていると食べられてしまいますよ?」

 受話器の向こうの誰かにそう告げる。告げなければならないと感じるままに。

 街路の片隅の建物。ガラスの入っていない窓縁に置かれた小さな電話機。プラントの自宅にあった物と同じ、薄桃色の柔らかに丸みを帯びた電話機が、世界との違和感を感じさせる。

『……ェtcyvbンmp!ia!ゥキユtdyrgs!……』

 返事は返るが言葉の意味は何もわからず、ただ不快で、呪詛の声にも聞こえ、耐え難くて受話器を置いた。

 振り返れば街路を、下顎だけを残してそこから上を失った男が歩いていく。

 哀れなぐらいに取り乱して、苦悩して、悲しんで。存在しない頭を、胸を掻きむしり。転がる様に地に伏して、拳を石畳に打ち付け。

 彼に瞳があったならばそこから涙を流した事だろう。口があったなら悲哀の叫びを発した事だろう。しかし今は、下顎に残った舌をへろへろと音無く蠢かし、首の上にかろうじて残る頭の残滓から止め処なく血を溢れさせるのみ。

 彼はゆっくりと歩いていく。その場でただ悲しみに狂う事すら許されぬのか、見えざる力に引きずられるように、少しずつ、少しずつ。

 向かうは砂時計の中心。天へ向かう一本のシャフト。見上げればその先は白い――

 

 

 

「おはよう」

 自分にかけられる声。気付けばミゲルとオロールの二人が覗き込んでいた。

 医務室のベッドの上。体をベッドに固定するベルトが肉の薄いお腹に食い込んで痛む。

 ああ、自分は撃墜されたのだった……そう思い出した所で、ラスティ・マッケンジーの意識は一気に覚醒した。

「夢を見てたわ」

「のんきな奴だな!」

 ラスティの第一声に、オロールが非難めいた声を上げる。それを聞き流し、ラスティは自分の中から急速に失われていく夢の記憶を止めようと口に出した。

「んーと、螺旋に捻れたコロニーで……白くて……

 ……電話かけてた……?」

 が、ダメだ。夢の記憶は、目覚めと共に消えていく。今はもう既に何も思い出せない。

 それでも何か欠片でも思い出そうと首を傾げるラスティに、ミゲルが小さく溜息をつきながら問う。

「いや、お前の夢の話なんかどうでもいいよ。それより、体は大丈夫か?」

 少しは心配して来たと言うのに、本人は寝て見た夢の話と来ては、溜息も出るという物だ。

「え? 体? ああ、体ね。体は大丈夫」

 問われたラスティは、自分の体をペタペタと触ってチェックし、一通りやった後で頷く。

 ミゲルとオロールの間にも、安堵の空気が流れた。

 そこでオロールが笑顔で言い放つ。

「良かった。胸が抉れただけですんだか」

 体にかかるシーツを僅かにも盛り上げていない胸部を腕で隠し、ラスティもまた笑顔で……顔は笑っていたが、怒りを隠しすらせずに返す。

「貴方を叩きのめすくらいの元気はあるわ。というか、モリモリ湧いてきた」

 言いながら身体に巻かれたベルトを外すラスティ。そんな彼女にミゲルもまた言った。

「最初から無い物の事で喧嘩するなよ」

「あんたも殴るわ」

 ギッとミゲルを睨み付けるラスティ。僅かな間、彼女はそうしていたが、ややあって顔を伏せると小さく溜息をつく。

「はぁ……」

 それから顔を上げて、真剣な面持ちで聞いた。

「生きてるのね?」

「生きてるな」

「ああ、生きてる」

 何言ってるんだとミゲルとオロールは答える。当たり前じゃないかと。

 それを聞いてラスティは、口端を笑みの形に歪めた。

「そっかあ。あ……あはは……はは……」

 乾いた笑いを一つ。そして、ラスティはミゲルとオロールを手招く。

「ちょっと来なさい」

「あ? いや、胸の事をからかったのがそんなに気に障ったなら謝る」

「いいから来なさい。二人とも」

 復讐を危惧したか誠意の感じられない謝罪をするオロールに、ラスティは構わず来いとだけ命ずる。

 何なのかとミゲルとオロールは互いに顔を見合わせ、それからラスティの側へと寄った。

 と、ふわりと腕が回され、二人の体を束ねるようにラスティが抱きつく。細身ながら柔らかな腕の中、少しだけ汗の匂いが香り、男の性か心臓がドキリと跳ねる。

「何……を?」

 とっさに逃げようとして、ミゲルはそれに気付いた。

 ラスティの華奢な体。それが小さく震えている事に。

 それが、ふりほどく事を躊躇させて、ミゲルはしばらく動かずにラスティのしたい様に任せた。

 オロールもまた同じ判断を下したのだろう。何が何やらと戸惑った様子を見せているが、ラスティの好きにさせている。

 と、震えがやや治まってきたなと感じた辺りで、ラスティは二人に抱きついたまま声を上げた。

「恐かった! あの戦いで死んでも後悔無い良い戦いだったけど、死ぬのは恐かったよ!」

 ラスティの感情の吐露。

 恐い恐いと言っておきながら、それは恐怖からの叫びではなく、むしろ喜びの発露だった。

 身を震わせる程の恐怖を、その虎口より逃れた喜びでもって洗い流そうとするかの様に、ラスティは叫び続ける。

「最後があんな凄いパイロットとの一騎打ちだったなんて、夢みたいな浪漫だったわ! でも、やっぱり死ぬのって恐い。あー、もう、凄く恐かったー! 恐かったのよー!」

「よかったなー。生きて帰れて」

 よしよしと、小さい子にする様にオロールがラスティの頭を撫でる。普段なら、そんな事をしたら怒りそうなものなのだが、ラスティはそれを受け入れて答えた。

「うん、良かった! 恐いって思うのも、生きて帰れたからなのよねー! 良い戦いは出来たし、生きて帰れたし、私は幸せだわー! 運が良い!

 対装甲リニアガンなら、一発で粉微塵でもおかしくないし……

 ねぇねぇ、後ろに居た機、凄かったよ。引き離せなかった……引き付けて、どうにか反撃を決めようと狙ってたんだけど。アレにやられちゃったなら、仕方ないかなぁ。

 でもね。すっごい、楽しかったのよ?」

「馬鹿だろお前」

 素でミゲルはそう確信する。うん、こいつはやっぱり馬鹿だ。

 ミゲルがしみじみそう思っていると、ラスティはようやく二人を開放して、楽しそうに抗議の声を上げる。

「馬鹿って言うなぁ!

 ……真剣勝負だったのよ? 私を落とした機も、私が落とした機も、一所懸命に戦ったんだから。全部出して、それで負けたなら仕方ないじゃない?」

「あ、いや……」

 ラスティは本当に楽しそうだった。

 だから、「お前を撃ったのは味方だ」と言いかけてミゲルは口を閉ざす。

 どうやらラスティは、味方に撃たれたとは気付いていないらしい。

 戦争にスポーツマンシップみたいなものを持ち込む事は何か理解しがたいし、危ぶむ気もあるが……とにかく、真剣勝負だった事にこだわっているラスティに、味方に背後から撃たれたと教えるのは、酷な様な気がしたのだ。

「そうだなー。名勝負だったぜ。見てなかったけどよ」

「目が節穴なの?」

 茶化す様に言ったオロールに、ラスティは憮然とした様子で言い返した。

 その間。

 ……どうする?

 オロールが、営倉がある方向をそれとなく指差しつつ、そんな事を言いたげな目でミゲルを見る。

 ……ダメだろう。

 ミゲルは首を横に振った。

 今の状態のラスティに事の真相を伝えれば、ラスティは怒るか、悲しむか、何にせよ動揺はする。作戦行動中の今、それで戦力低下するのは拙い。

 真剣勝負を邪魔したMSパイロット共を恨むくらいなら良いが、性格的に考えて物理的に潰しに走る可能性も無視出来ない。

 後々真相に触れる事になるだろうが、作戦が終わった後なら時間をかけてフォローも出来る。そう考えて、ミゲルは背中撃ちの事については伏せる事にした。後で、ゼルマン艦長にもそれを伝えておかなければならない。

 色々と面倒臭いなと思った所で、ラスティが自分に活を入れるべく声を上げたのを聞いた。

「よし! 怪我が治ったら、メビウス・ゼロ直す!」

「あ? お前、無傷だってよ」

「え? 撃墜されたのに!?」

 活入れと同時に決意表明した所でオロールに横から言われ、ラスティは驚きの声を上げる。

 まあ、幸運な事ではあったと思われるが、コックピットに被弾はなかったのだ、パイロットの無傷も有り得ない事ではない。それにどれほどの幸運が必要かは知らないが。

「やられた時は、結構、痛かったんだけどなー」

 納得がいかない様子でラスティは首を傾げる。が、無傷だったのは事実。納得するより他ない。思い直して、今度はガッツポーズ付きで再び決意表明する。

「ま、幸運だったって事よね。じゃあ早速、メビウス・ゼロ直すわ!」

「直すのは良いが、直るのか? あれ。……後ろの半分が、砕けてたぞ」

 最後に見たラスティ機の惨状。それを思い出しながらミゲルは聞く。と、ラスティは得意げに答えた。

「修理用の部品は、もう一機組めるくらい有るから、直るわよ。でも、一人で修理だから時間かかっちゃうわね」

「ん? 一人? メカニックは……ああ、そういう事か」

 ラスティの言葉に疑問を覚えたオロールが聞きかけるが、途中で何やら思い至った様子で止めた。そして、可哀想な子を見る目でラスティを見る。

「な、何よ」

「いや、『MSなんて玩具を整備してるなんて頭がおかしい』とか言ったんだろ?」

「言ってないわよ! 『パイロットはメカニックを神と思え』。基本でしょ? ただ、私のMAだから、全部私がやってただけで……」

 オロールの勝手な想像に怒声を上げ、それから少しトーンを落としてラスティは言う。

 ミゲルは、そっちでも納得だと頷いて口を開いた。

「修理も整備も一人で喜々として弄ってたんで、メカニックとは交流しなかったって事か」

「……そうよ。悪い?」

 事実を当てられた事が悔しかったか、少しふてた様にラスティは返す。

 だがまあ、あの、いかれたザクレロ塗装を見れば、ラスティが大はしゃぎで弄り回していただろう事が良くわかる。

 それに、妙な所で硬派なラスティだから、自分の剣を自分で研ぐ様に、自分の手だけで丹念にメビウス・ゼロを整備していてもおかしくない。

 メカニックを信用しないとかではなく、自分でやりたいのだ。その辺りの心境は、共感は出来ずとも、有り得るものとして理解出来た。

 イメージの中のラスティが、魔女か妖怪みたいな笑い声を上げながら薄暗い部屋の中でメビウス・ゼロの周りを奇妙な呪文と奇怪な踊り付きで飛び跳ねていようともだ。

 それはともかくとして。

「悪くはないさ。でも、それじゃ困る。次の戦いに間に合わないかもしれないんだろ?」

「それはそうだけど……仕方ないじゃない。

 機体を見ないとわからないけど、聞いた感じじゃエンジンやスラスターは全損に近いんでしょ? 私一人じゃ、どうしたって何日もかかるわよ」

 作戦参加出来ない事にはラスティも思う事はあるのだろう。言い辛そうにミゲルに返すラスティに、ミゲルは苦笑しながら言う。

「よし、今から行くぞ。病院着を着替えたら出てこい。急げよ」

「え? ちょっと、行くって……?」

 ミゲルが言った事の意味を飲み込めずに戸惑うラスティを置いて、ミゲルはベッドから離れ……る前に、我関せずとばかりに残っていたオロールを捕まえてから医務室の外へと向かう。

「おいおい、これから生着替えのシーンじゃないのか?」

「オロール……」

「冗談だよ。二次元胸を愛でる趣味はないって」

「ちょっと聞こえてるんだから……!!

 くだらない事を言いながら医務室を出かかった辺りでラスティの怒声が飛んできたが、直撃を受ける前に廊下に出てドアを閉める。

「で、どうするんだ?」

 そして聞いてきたオロールに、ミゲルは少しだけ疲れた様子で答えた。

「頼むしかないだろ。まあ、まだ喧嘩を売っていないなら、可能性があるさ」



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ヘリオポリス沖は悪夢に沈みて

文字数の都合上、前話「ヘリオポリス沖に狂風は凪いで」の末尾にも追加しています。
続きを読まれる方は前話の「撤退戦。それが兵隊にとって一番にキツイ。」で始まる段落からお読み下さい。


「すいません。ラスティのメビウス・ゼロを大至急で修理してください!」

「はぁ?」

 格納庫側の整備員待機室。帰ってきたMSの整備の為に、メカニック達が忙しく出入りしている中、ミゲルは整備主任を捕まえるといきなり頭を下げた。

 整備主任は面食らった様子だったが、ややあってからミゲルの突然の行動に呆然としているラスティを指差して口を開く。

「メビウス・ゼロって言やぁ、そのお嬢さんの機体か? 随分、派手にやられたみたいだな。

 だがよ、直しても使い物になるのか? 目立った傷はないが、お前らのモビルスーツだってメンテナンスしなきゃならん。あの半壊したモビルアーマーの修理を大至急となれば、そっちに手が割けないかもしれねぇ。

 そこまで手をかけても、今日みたいにまた落とされたんじゃ、たまったもんじゃねぇやな。そうだろう?」

「…………」

 整備主任からの猜疑的な目に、ラスティは何も返さない。

 彼女はまだ自分が連合機に落とされたと思っている。正々堂々の勝負だっただけに、その敗北に言葉を弄するのはラスティの気持ちが許さない。

 その沈黙を都合良く思いながらミゲルは整備主任に請け負った。

「彼女は大きな戦力です。次の戦闘でも必要です」

「え?」

 今度はラスティが驚きの声を発する。

「ちょ、ちょっと、何言ってるの?」

「何って……冷静に戦力を評価したんだよ。お前は強いし頼りになる」

 何を、意外だとばかりに戸惑いを見せているのか? ミゲルには良くわからなかったが、どうもラスティにはそう思われてるという事が心底意外だった様だ。

「えー……と。言葉通りにとって良いのよね?」

 何か身構えた感じのラスティに、ミゲルは怪訝気な目を向ける。

「当たり前だろう?」

「んー……ん゛ー――っ」

 どう反応したらいいのかわからない様子で戸惑うラスティ。

 彼女の困り顔など初めて見る。普段、迷惑をかけられてるだけに、何か勝った様で面白い。

 当初の話をすっかり忘れてラスティを観察しているミゲルはさておいて、その時、オロールは整備主任と話をしていた。

「まあ、あいつらの青春コメディっぽいやりとりはさておいて、仲間ですから同じ戦場で戦いたいじゃないすか」

「な、仲間とか! あんたも何言ってるのよ!?」

 ラスティの困惑は、あっさりとオロールの方にも飛び火する。

 それを受けてオロールは、溜息一つついて見せながら言い返した。

「お前ね。あんだけ迷惑かけておいて、今更、何の関係もない他人ですだなんて通じないからな?」

「で……でも、だって!」

 何か言いたげで、もどかしそうなラスティの肩を、オロールは宥める様に軽く叩く。

「いやね? お前はさ。自重しない奴で。迷惑の塊で。正直、俺もミゲルも困りもんだと思ったよ。

 でもなー。こうして一緒に戦う事になったんだ。そりゃあ何て言うんだ? 仲間以外に言い様があるってのか?

 いや、俺としては友達くらいに言っても良いけどな。どうせ、面倒はミゲルが背負うんだし」

「おい」

「あ、恋人ってのは勘弁な。お前には女の色気ってもんが無いから」

「ちょっと」

 ミゲルとラスティからツッコミが入るが、オロールは気にせず得意げに親指を立てて見せて続けた。

「まあ、だからな。お前がどう思っていようが、俺とミゲルはお前の事を仲間だと思ってる。ぼっちのお前に、いきなり仲間だ何だと言っても馴染めないかもしれないけどよ」

「ぼっちじゃない! 私にだって……えと…………4人は仲間? が、いたもん」

 仲間だったかどうかの自信すらないのか、ラスティの抗議は尻窄みに終わる。まあどうやら、ミゲルやオロールと同じく面倒を背負い込んだ奴が、4人くらいは居たらしい。

 でも4人。片手で数えて余る。本当に友達が居ないんだな。あんな性格じゃなぁ……と。

 何だかミゲルがしみじみとしてしまっていると、話に関わりを持たない整備主任の声がその場に割り込んだ。

「おいおい、俺は忙しいんだ。あんたらの仲が良いのはわかったから、用件をまとめよう。

 そのお嬢さんのモビルアーマーを直せば良いんだな?」

「はい、お願いします!」

「よろしく頼みます!」

 言われて、ミゲルとオロールはすぐに頭を下げる。

 本来、ここまで平身低頭でいる必要など無いのだが、やはり忙しい所に無理を言っているのだし、何よりラスティがどれだけ敵を作っているかわからないので、ここは一つ慎重に。

「……お、お願いします!」

 二人を見て、僅かに逡巡した後ラスティも頭を下げた。

「私のモビルアーマー……今まで触らせない様にしててごめんなさい! 大好きだったし、楽しかったし、独り占めしたかったんです!

 でも、あんなに壊れてしまったら、私一人じゃ直すのに時間が必要で、そしたら戦いに間に合わないかもしれなくて……だから、お願いします。直すの、手伝ってください」

 ラスティの真剣な声。と、頭を下げたままオロールが感心した様に言う。

「頭を下げるなんて珍しいな」

「私のモビルアーマーなの。だから、私が一番に真剣じゃないといけないの。貴方達に頭を下げさせて、私がふんぞり返っていられるわけないじゃない」

 ラスティは反発した様子は見せず、やはり真剣に言葉を返した。

 頭を下げたままそんな会話をしているので、その表情は整備主任からは窺えない。

 人にものを頼んでる時に雑談を混じらせるのはどうかとも思うが、それを注意する様な場面ではないし、何よりラスティの真剣さを酌んだ。

 整備主任は殊更に軽く明るく言ってみせる。

「わかった、わかった。頭を上げてくれ。ぺこぺこする必要なんてないだろう?

 元々、そのお嬢さんが貼り付いてて、必要がないそうだから手を出さなかっただけだからな。必要とあらば、腕前の程を見せてやるさ」

 プラントでも、作業機械や支援兵器としてのMAはまだ現役である。

 それが壊れれば修理するのはメカニックとしての当たり前の仕事であり、MAだからどうという気持ちもない。そこがパイロットとの心意気の違いだ。

 ただ、MAの戦力的な価値に疑問はある。戦力にならない物より、戦力として重要な物を先に直すのが道理だからだ。しかしそれも、ミゲルが戦力にお墨付きを出したことで解消されていた。

「ありがとうございます」

「あざーす!」

「ありがとうございました!」

 ミゲル、オロール、ラスティが一度頭を上げた後、再び綺麗に一礼する。整備主任はその若者らしい生真面目さを好ましく思う。

「あんたらがお嬢さんを必要と言うなら、こっちは何も言う事は無ぇよ。後は任しておきな。連合のモビルアーマーだろうと、ピカピカに直して見せらぁ」

 言い残して整備主任は整備員待機室を去ろうとする。

「あ、私も手伝います!」

 その後を追おうとするラスティ。それを、整備主任の怒声が止めた。

「パイロットは休むのも仕事だ! 撃墜されたんだから、なおさら安静にしてな!」

「はい……」

 ラスティが消沈した様子を見せるのは、パイロットの心得を説教されたためか、大好きなMAを触れなくなったからか。

「何にせよ良かったな。これでまた乗れるじゃないか」

「え、あ……うん……」

 慰める様な事を言うミゲルに、ラスティは生返事を返す。それから、彼女はミゲルとオロールに向き直り、少しだけ顔を赤らめて言った。

「あ、あんた達にも。ありがとう」

「? ああ、たいした事じゃない。気にするなよ」

「いやいや、ここは感謝を受け取っておけよ。機微のわからん奴め」

 この程度の事は何とも思っていないミゲルがラスティの感謝を流した所で、オロールが呆れて口にする。

 が、ミゲルにその忠告は通じなかった。

「あ? 何の話だよ。それより、ここでする事も終わったんだし次に行くぞ」

 言って、ミゲルは次の場所へと向かう為、整備員待機室の外へ出る。その後にオロール、ラスティが続き……

「ああ、すまない。ラスティは来ないでくれ」

 ミゲルはラスティだけを止めた。

 ラスティは少し驚いてから、眉をひそめて苛立ちを声に纏わせて問う。

「何よ。さっそく仲間外れ?」

「そういう訳じゃないんだが……」

 ミゲルは返答に困った。

 次に行くのはゼルマン艦長の所だ。ラスティへの後ろ弾の件の対応を話しに行くのだが、ラスティにその話を伏せると決めた以上、彼女を連れて行くわけにはいかない。

 では何と言って同行を諦めさせるか? 考えていると、脇からオロールが割り込んだ。

「あ、いや……ついてきても良いんだ。むしろ、ついてきて欲しいくらいだ。ただ、お前にとって少し辛い事になるんじゃないかなと思ってな。

 その覚悟があるなら……ついてきてくれるか?」

「おいっ!」

 まさか、場合によっては話すつもりなのか? そう考えたミゲルが声を上げかけると、オロールは任せておけとばかりに目配せする。

 一方、ラスティはと言うと、オロールの台詞を挑発と取ってか、不適な顔で言い返した。

「良いわよ。仲間なんだもの、何処へでもついていってあげようじゃないの」

 それを聞き、オロールは笑顔でラスティの手を握る。

「そうか、ありがとう」

「どういたしまして。で、何処へ行くの?」

 ラスティは聞き、そしてオロールが答える。

 堂々と、臆する所など欠片もなく、自信に溢れた有様で、はっきりと。

「連れション」

 ――もちろんラスティはついて来なかった。

 

 

 

「ミゲル・アイマンです。お話があって参りました」「オロール・クーデンブルグです」

『……入れ』

 二人は入り口のインカムに名を告げ、返答の後に部屋のドアを開く。そして、中の様子に眉をひそめる。

 艦長室の中は闇に満ちていた。

 単に灯りをつけていないだけ……そうはわかっているが、どうしてそんな事をしているのかがわからない。

 まさか寝ているのか?

 と思ったその時、部屋の闇の中で何かが動いたのが微かに見えた。

「ああ、待ってくれ。今、灯りを付ける」

 ゼルマンの声の後、部屋の灯りがともる。

 部屋の中央、椅子に座した姿勢でゼルマンはそこにいた。

「どうしたんですか艦長。灯りも付けないで」

「ああ、何。たいした事じゃない。ちょっと照明の白い光が目に刺さる様な、不快な気がしてな……疲れてるのかもしれない。だが、問題はない」

 ミゲルの問いに、ゼルマンはそう言って光から目をそらし、目頭を押さえる。

 暗闇の中からいきなり光の下に出たのだから、眩しさにして当然の動作とも言えたが、その動作は何処か光を恐れている様にも見えた。

 艦の便宜上の天井に取り付けられた、白い光を放つ平たく四角い電灯を。

「そんな事より、用件を……いや、言うまでもないな。“誤射”の事だな?」

 ゼルマンが表情を改める。それに答えてミゲルは言った。

「はい、“後ろ弾”の事です」

「お前も、そう思うか」

 返す台詞と同時にゼルマンが吐き出した溜息は重い。

「ガンカメラやボイスレコーダー、コンピューターに記録されていた戦闘データ。それらが故意の味方殺しだと強く示しているそうだ。詳細に調べれば、確実な証拠も出てきそうではあるがね」

 戦闘中の機体で何が行われていたのかは記録されている。それを調べれば、コックピットという密室で何が起きていたのかがわかるのだ。

 とは言え、流石に犯人もまるっきりの馬鹿ではない。明確な証拠は残してはいなかった。それでも、そこに殺意があった事を想像するには十分の内容ではあったのだが。

 単純に記録を見てそうなのだから、事件捜査を専門とする者に任せれば、より確実な証拠も見つかる事だろう。だが……

「罪に問えますか?」

 ミゲルの問いに期待感はなかった。

「……マッケンジー家が裁くだろう」

 答えてゼルマンは陰鬱な笑みを見せる。

 比喩でも何でもなく“そういう事”だ。裁判も何も必要がない。

 プラントの権力者は、その力で何でも出来る。「権力者の誰かが、国家予算を私的流用して謎の組織を飼っている」なんて荒唐無稽な噂が、かなりの真実味を持って流れるくらいだ。

「しかし、艦の上ではどうにもならない。この任務が終わりプラントへ帰還するまでは、彼等も戦力と見なさざるを得ないわけだ」

「その事ですが。今回の件、ラスティには秘密にしたいと思います」

 味方撃ちの卑怯者を戦闘に引っ張り出さなければならない事は想定の内なので、ミゲルはその対処について進言する。

「ラスティは戦闘を高潔なものと考えています。味方の卑怯な行為でそれが汚されたと知れば、心理的に悪影響があるでしょう」

「で、どうするのかね?」

「知ってる者に箝口令を。赤服の機嫌を損ねる覚悟で御注進に及ぶ奴も居ないでしょうから。

 危ないのは、実行犯から直接漏れる事。馬鹿は、得意げに話しかねませんからね。

 営倉からコックピットまで直送すれば連中とラスティの接触は防げます。後は通信を制限して、連中とラスティの間に回線が繋がらない様にしてください」

 連中が自棄にでもなれば、ラスティに直接何を言うかもわからない。「死ね」くらいならラスティはビクともしなさそうだが、連中の悪行を得々と語られでもしたら事だ。

「その上で、前衛後衛でも、右翼左翼でも良い。戦場を分けます。ラスティと自分とオロール、そして連中の二つに。おそらくは、連中を前衛に。こちらを後衛とする事になります。

 連中は自分やオロールも敵視してますから、実際、そうするしかないでしょう」

「背中撃ち共に、後衛を任せる事は出来ない……か。そうなると……」

 頷き、そしてゼルマンは思い至る事があったのか僅かに黙る。だが、彼の中で生まれた可能性は彼自身が否定した様で、静かに首を横に振ると言った。

「いや、君達は彼等がプラントに帰って裁かれる事を望むのだったな」

「それはそうですが……」

 ゼルマンの言葉に含んだ意味に、返すべき言葉を言い淀むミゲル。そこで、彼に代わってオロールが口を開いた。

「ミゲルと自分の腕なら、誤射はありません。しかし、部隊を二つに分断して戦う以上、危機に救援が間に合わなかった……そういう事も有り得るとお考えください」

 つまり、こう言った訳だ。「助けない」と。

 助けないという、消極的だが確かな殺意のある行為に、ミゲルも嫌悪を抱かないわけではない。

 しかし、連中が窮地に陥っている時こそが最も危険な瞬間の筈だ。連中が自棄を起こすなら、まさにその瞬間の筈だからだ。そこに飛び込んでいくのは、他の全ての対処の意味を失わせるに等しい。

 これは仕方のない事だとミゲルは納得した。オロールは言いにくい事を代わりに言ってくれたのだ。ならば、彼一人をその役として舞台に立たせ続ける事は出来ない。

「そうですね。間に合わない事も十分に考えられます」

「……仕方がない事だな。彼等は、そう扱われても仕方のない行為を行ったのだから」

 ミゲルも、そしてゼルマンもがその対応を認めた。

 少なくともこの場に「疑わしきは罰せず」とか「彼等は罪を犯したが許そう」と言い出す者はいないという事だ。

「了解しました。では、これで失礼させていただきます」

「失礼いたしました」

「ああ、御苦労」

 話は終わったとミゲルは退室を決めた。オロールも後に続き、それをゼルマンが了承する。

 ミゲルとオロールは敬礼の後にゼルマンの前を離れて艦長室を出る。

 そして、ドア脇のコンソールを操作してドアを閉めた。

 最後、ドアが閉まるより僅かに早く、艦長室は闇に閉ざされる。闇の中でゼルマンが何をしているのか、ミゲルとオロールに窺い知る事は出来なかった。

 

 

 

 船体に無数の穴を穿たれたナスカ級高速戦闘艦“ハーシェル”が宙に浮かぶ。爆沈はしなかったものの、既にこの艦は死んでいた。

 その船体に開いた大穴の一つ。その入り口には1機のシグーと、他数機分の残骸が漂っている。そして穴の中、ビームの熱に溶けかけた跡の残る通路。

『う゛ぅ……』

 ノーマルスーツの中でイザーク・ジュールが呻く。ノーマルスーツ内蔵の通信機を通して漏れるその声。そして、苦痛に身を捩ろうとするのを、ディアッカ・エルスマンが抑えた。

「動くなよ。傷に障るぞ」

 イザークは全身に火傷を負っている。それはうっすらと焦げたノーマルスーツが示していた。

 その火傷がどの程度のものかはわからないが、火傷一つ一つは軽くても、全身にとなれば地獄の苦しみだろうとは想像が出来た。

『アズ……ランは……』

「……回収した。生きてるよ」

 イザークが苦しい息の下から絞り出した問いに、ディアッカは答える。“まだ”とは敢えて付けなかった。

 側に浮いているアスラン・ザラの体は、右腕と右足が本来は有り得ない方向にねじ曲がり、そのノーマルスーツの右半身はイザークのそれ以上に焼け爛れていた

 教科書通りに処置はしている。モルヒネの痛み止めと、絆創膏を貼ってのノーマルスーツの補修、そんな程度しか出来ないという意味で手は尽くした。

 後は、コーディネーターの生命力に賭けるしかない。

『お゛れが……あんな、わなにがかったばかりに……』

「責めるなよ。初見の敵だ。まさか、あんな隠し球を持ってるとは思わないさ」

 気休めにもならないが、ディアッカはイザークを宥める。

 ――酷い戦いだった。

 もともと、連合軍第8艦隊旗艦“メネラオス”との戦闘で、損傷はないものの消耗はしていた。

 そこに襲い来た敵の大型MA……戦艦以上の重火力と、MSの攻撃などものともしない重装甲。まさに化け物だった。

 先程までは敵を狩る側だった自分達が、今度は狩られる側に回る。

 それでもZAFTの栄えある赤服たる4人は、何とか戦えていた。しかしそれも、イザークが敵の攻撃に捕らえられるまで。

 その後は、イザークを助けだしたアスランが離脱中にコックピット間際に被弾、大破。ニコル・アマルフィがカバーに入るも、仲間を庇って動けないMSでは的にしかならず、足と頭部を消し飛ばされた。

 そこに至って、MS部隊の壊滅という惨状の中でも最後まで輸送艦を守ろうとしたのだろう、ハーシェルがMAへの砲撃を開始。時間は稼いでくれたものの、MAの反撃により艦は轟沈。

 その間、ディアッカはと言うと……隠れていた。

 アスラン達の機体の残骸が集まっていたのを良い事に自分もそこにくっつき、動力を止めて死んだふりをしたのだ。

 卑怯と言うなかれ、おかげで仲間を救出する事も出来た。

 もっとも、二人は重症で、今の所は手の出しようも無いのだが。

 と、通路の奥から、もう一人の生き残り、ニコルが姿を現す。

 体の痛みに耐えてのぎこちない動きながら通路の壁を伝って帰ってきた彼は、ディアッカに告げた。

『医務室に何とか行けそうですよ。そっちはまだ空気も残っています』

「そうか……ところで、生存者は居たか?」

『はい。何人かは……他にも生存者はいると思いますが、艦内が寸断されてて探しには行けないそうです』

 戦いは極めて短時間で一方的に終わり、乗組員に脱出の暇も無かった為に取り残された者が各所に残されている。

 艦内は酷い有様で、自動で降りた隔壁の働きで一部に空気は残されてはいるが、それとて何日も保つというものではないだろう。

 しかし、仲間が助けに来る見込みはない。惨憺たる状況だが、ディアッカは落胆を見せない様に敢えて気楽に言った。

「よし、イザークとアスランを運んでやろうぜ。この忌々しいノーマルスーツを脱がさないと、怪我の治療も出来ないからな」

 

 

 

「アスラン、遅いな……」

 遠く、輸送艦の中。キラ・ヤマトは、自らとアスランの為の船室を漂いながら呟く。

 客人に戦況など報されはしない。だからキラは何も知らなかった。彼の親友の現状も、彼自身の置かれている窮地も……

 

 

 

『いやだああああああああっ!』

 戦場に若い男の悲鳴が響く。鼻を啜る音、嗚咽、それらが混じった騒音が、通信機から止め処なく溢れてくる。

 ジンのコックピットの中、操縦桿を握る妙齢の女は、苛立ちを露わに怒鳴り返した。

「うるさいね! 黙って戦いな!」

『先輩。そんな事言っても……勝てるわけがないじゃないですか!』

「勝てなきゃ死ぬだけさ!」

 今、ジン2機は連合MSを腹に収めた輸送艦にしがみつき、追撃してくる敵に対して抗戦を試みていた。

 ナスカ級“ハーシェル”所属の2機。彼等に与えられた任務は、輸送艦に同行して、友軍との合流までそれを守る事。だから、彼等は死を免れた。

 連合の大型MA……驚異的な火力と装甲を持つ、宇宙の重戦車とでも呼ぶべきそれが撒く死から。

『いやだああああっ! 勝てるわけがないんだあああっ! 新型機のザフトレッドが4人がかりでダメだったんですよ!?』

 彼等は知っている。シグーに乗った赤服4人が、如何にして敵に敗れたのかを。そして、輸送艦を逃がす為に、母艦のハーシェルがどの様な末路を辿ったのかを。

「うるさい! だったら、どうするのさ!? そこでメソメソ泣いていたらどうにかなるのかい!?」

 怒鳴りながら、彼女はジンの手の重機銃を撃ち放つ。

 しかし、有効射程の外からの射撃ではほぼ当たらない。

 当たったとしても紫色の曲面状の装甲は、その銃弾を弾いて何の傷も受けはしない。そしてそのまま、ジリジリと輸送艦との距離を詰めてくる。

 敵が、ばらまくつもりででもビームを撃ってくれば輸送艦は瞬く間に窮地に陥るだろう。それをしてこないのは、嬲るつもりか、有効射程に入って確実に当てる事にこだわる為か……

「輸送艦に速度なんて期待出来ないってのはわかるけど、このままじゃ……」

 無意味な攻撃を続けながら彼女は歯噛みする。

 このままでは追いつかれるだろう。一度距離を離しながらも、こうして追いすがられた事実が示す通り、敵の方が足は速い。

 輸送艦が一度はその牙を逃れる事が出来たのは、赤服4人とハーシェルが輸送艦を逃がす時間を稼いだから。それで、ほぼ半日分という時間を輸送艦は得たのだ。

 とはいえ、単に戦闘時間でそれを稼いだわけではない。

 大型とはいえMA。短時間の機動力は艦船と比べるべくもないが、その代わり稼働時間はその優劣が逆転する。

 一度、距離を離してしまった目標を追うには向かず、故に母艦に収容する手間がそのまま追撃に負担となった。大型だけに、収容と言うよりも曳航と言うべき運用形態を取っている事も悪く出たのだろう。

 戦闘時間と収容時間のロス。連合艦隊がそれを取り返す為に半日。だが、追いつかれてしまえば、輸送艦の悲しさ。再び逃れる手段はない。

 もう一度、大型MAの動きを止めればあるいは? しかし、ジンを使って輸送艦から狙い撃つだけでは、それは出来そうにもない。

 ならば、どうしたら良いか……

 ああ! ああ! ああ! そんな答しか出せない自分の頭の悪さに彼女はうんざりする。

 でも、他に出来る事など無い。

「いいかい、最後まで輸送艦を守るんだよ!? きっと、もう少しで増援が来てくれる。それまで頑張れば、生き残れるから!」

『先輩?』

 彼にそう言い放ち、困惑の声が返るのを聞きながら、彼女はジンに輸送艦の甲板を放させる。

 ゆっくりとジンは輸送艦から離れた。それをスラスターに火を灯して更に加速する。

『先輩!?』

 後輩の悲鳴を吐き出す通信機を切って、自分の中に沸き上がりそうになる思いと決別する。

 後悔はしている。自分は馬鹿だ。でも、他に出来る事が思い付かない。

 だから、全てを振り切る為、ただ敵だけを睨み据える。

「ここは通させないよ」

 向かうは敵大型MA。遠い宇宙に浮かぶ様は紫玉葱の様なそれ。

「時間を稼ぐだけ……それで良い。倒すなんて考えるんじゃないよ。長生きするんだ。少しでも長く」

 勝てるなどとは思っていない。

 いや、輸送艦が逃げる時間が稼げれば勝ちだ。勝ってみせる。

 とりあえず、敵の足を鈍らせる為に進路上を正面から突っ込む。

 大型MAがゆっくりと回転し、その側面に並べられた主砲が自機に向く。

「くっ!」

 機体を跳ねる様に動かし、今までの進路上から強引にどかせる。直後、今まで自機が居た場所を四条のビームが薙ぎ払った。

 しかし、それで終わりではない。大型MAの回転する機体は、次の砲台を彼女に向けようとしていた。

「近寄らせてもくれないってのかい!」

 叫び、再び跳ねる。ビームは間際の宙を灼き、そして彼女は体にかかるGに呻く。同時に、恐怖に肌を泡立てた。

 さっきよりもビームが近い。

 かわしてはいる。しかしそれは誘導された回避だ。

 一発一発。罠に追い込まれていく様に、必死の位置へと追いやられている。

 その証拠に、次の砲火が早い。既に回り込んできていた第三の砲塔が自機を狙おうとしていた。

 回避の為に操縦桿を傾ける。フットペダルを改めて踏み込む。そうしてから、その操作が誤りだと気付く――次はかわせない。

 第三の砲塔から放たれたビームが自機の間近を貫く。

「この程度かい! あたしなんてさ!」

 まだ必要な時間を稼いではいない。

 悔しさに叫びながら、出来る限りの回避運動を取らせようとする。それが無駄なあがきと覚悟の上で。

 第四の砲塔が自機を向いた。完全に捕捉されている。

 砲口が真円となって見える様。そこから撃ち出されるビームはきっと、彼女の機体を貫く事だろう。それを理解しながらも、彼女は何ら対応する事は出来なかった。

 が、その時、砲塔の上に被弾を示す火花が散る。

 同時に、放たれたビームが、彼女の機体を僅かに外して宙を撃った。

「な!?」

 驚きを短い声にして漏らし、そして戦場周辺を観測する。真っ先に、逃げたはずの輸送艦の方向を。

 そこに、小さな反応が有った。

「…………馬鹿が!」

 感情に身を振るわせ、叩きつける様にコンソールに手をやって通信機をオンにする。

「馬鹿! どうしてついてきた!?」

『だって、先輩……死んじゃうじゃないですかぁ!』

 叫ぶと、男の涙声が溢れた。

 彼女の機体の後方より、重機銃を撃ちながら接近してくるジン。逃げろと命じた筈の後輩の機体。

『嫌です! 先輩が死ぬのは……それだけは嫌なんだぁ!』

「馬鹿だな……だからって、二人で死んじゃったらしょうがないじゃないか」

 命令違反を怒る気持ちより、死地に飛び込んできた愚かさを責める気持ちより……どうしてか、嬉しさを感じてしまう。

『その時は、一緒に逝きます』

 男の声を聞いて、女は僅かに微笑んだ。

 ああ、これで良いのかも知れない。幸せな女だ、私は。

 こういう時、男には生きて欲しいと思うべきなのかも知れない。でも、ダメだ。一緒に死んでくれる馬鹿な男が愛おしくてたまらない。

 「逃げろ」とか「生きろ」とか、そんな言葉が出てこない。

「二人、生き残ったらさ」

 敵大型MAは、新手からのちょっとした妨害など気にもしなかった様に、体勢を立て直している。

 牽制射撃を行う。装甲表面で跳ねる銃弾。効果はない。

 それを確認しながら、自機を動かして男の機体との距離を縮める。砲塔と砲塔の間は90度角。大型MAからみてそれ以下の角度となる位置を取れば、二機を同時に撃つ事は出来なくなる。つまり、常に一機は牽制を行えるだろう。

 時間は稼ぎやすくなった。だが、おそらく待っている結末は変わらない。そんな事はわかっている。

「生き残ったらさ。遺伝子の生殖適性、調べに行こうか」

『え?』

 頬を染めながら言った言葉に、男の戸惑った声が返る。

 思いを伝えたのに、何というつまらない反応。

 もっとも、告白やプロポーズとしてはあまりにも色気が無さ過ぎたか。

 艶めいた言葉の一つも出ない自分に女は笑う。今までずっとこんなだ。

 だが、最後で男に愛された。ああ、女冥利に尽きる。

「これ以上は言わせるんじゃないよ! さあ、私に会いたくて、のこのこ地獄にやって来たんだ。せいぜい頑張って生き延びな! 私より先に死んだら、あんたを許さないからね!」

『は、はい!』

「返事は良い! 攻撃、来るぞ!」

 敵大型MAが回る。新しい砲塔を向けてくる。

 二人いれば……的が二つなら、さっきの様な追いつめ方は出来ないだろう。とはいえ、出来ないからといって、それで自分達が優位に立ったとは言えないのだが。

 僅かでも時間が稼げるなら、それで。

「……本当、もっと時間があったら、子を産んでやっても良かったさ。男なら私似に、女ならあんた似に。髪の色は、あんたと私とどっちの色が良いだろうね」

 口の中で呟いた言葉は、小さく吐き出した未練は、通信機の向こうに届く事無く消える。

 敵大型MAの砲撃が宙にまたラインを引いた。

 ――結論を言う。二人は僅かな時間、二人で共に生きた。

 

 

 

 宇宙に閃光が散る。

 そこにどんな心があったのか、誰も知ろうとはしない。

「ははは! 良いぞ!」

 アガメムノン級宇宙母艦の艦橋。ジェラード・ガルシア少将は笑い声を上げた。

「モビルアーマーだ! この戦争を終わらせるのは、やはりモビルアーマーの力だ!」

 ここまでにナスカ級高速戦闘艦一隻、MS四機を落としている。ここで更に二機追加だ。笑いを抑えられる筈がない。

 だが、続くオペレーターの報告が、ガルシアの気分に少し影を落とす。

「敵輸送艦。アッザムの戦闘圏より離脱しました」

「む、遊びが過ぎたかな」

 離脱されれば、アッザム収容の為の一手間が必要になる。そうなると、輸送艦の再捕捉と攻撃にまた時間を必要とするだろう。

 そこで参謀の一人が進み出て提案した。

「本艦はアッザムを収容。ネルソン級を差し向けて輸送艦を落とす事が可能ですが?」

 もはや丸裸の輸送艦一隻。ネルソン級とその艦載機が有れば十分な獲物だ。

 だが……ガルシアは欲を出す。

「戦艦で虐めるのも悪くはなさそうだが、アッザムの戦果に輸送艦を追加してやりたくはないかね?」

 これはアッザムのデビュー戦。戦果は派手な方が良い。たかが輸送艦一隻でもだ。

「少将閣下のおっしゃる通りです」

 参謀は追従する。それに気を良くして、ガルシアは指示を下した。

「では、アッザムの収容を急がせろ。終了次第、再度、追撃に入る」

 

 

 

 輸送艦の艦橋。艦長は艦長席から身を乗り出し、モニターに映る何もない宇宙を睨む。

「味方との連絡は?」

 焦りに満ちた声に、オペレーターの声が返る。

「現在、光学観測中。近隣の宙域に味方艦影無し。先に別れた艦も先の交戦地域から離れたようです」

 味方艦の姿を探して広い宇宙を眺め回しているが、なかなか見つからない。そんな報告に、輸送艦艦長は指示を下す。

「信号弾放て。『ワレ、窮地ニ有リ』だ」

「は? 敵に観測されます」

「既に背中に食いつかれている! さっさとやれ!」

 オペレーターが驚いて振り返った所に怒声を浴びせた。驚くのはわかる。輸送艦など、隠密行動が主なのだ。わざわざ信号弾で自分の位置を知らせる事に利はない。

 しかし、今は一刻も早く味方に見つけて貰わなくては困る。

「わ、わかりました。信号弾撃ちます!」

 オペレーターの操作後、モニターに映る宇宙に、輸送艦から撃ち出された信号弾が煌々と輝くのが映った。

 そのまましばらく。信号弾は瞬いて消える……

「……発光信号確認! 友軍のローラシア級“ガモフ”です!」

 モニターの一角、小さく光がちらついていた。しかし、その程度でも信号としては十分だ。

「“ガモフ”、こちらに向けて急行中。ですが、間に合うかどうかは……」

 最後の頼みの綱がローラシア級一隻とは。

 これまでに失った全てを思い返し、輸送艦艦長は苦い表情を浮かべる。

「勇士が命を賭けて稼いだ時間だ。間に合って貰わなければ困る」

 

 

 

 ローラシア級“ガモフ”は今、出せる速度の全てを出して、輸送艦との合流点へと急いでいる。

 その格納庫の中では、まさに今が戦争の最中だった。

『作業完了!』

『よし、チェック入るぞ! リストの上から下までだ。一つも手を抜くな!』

 整備員達の手で組み上げられたメビウス・ゼロが完成しようとしている。

 機首の黄色い塗装とザクレロに似せたノーズアートは健在だが、ほぼ再建という形になった後部は塗装もされて無く、鈍色の装甲が剥き出しになっていた。

『エラー発生! 電気系です!』

『馬鹿野郎! ナチュラルのメカニックに笑われるぞ!』

 整備主任の怒声を浴びながらエラーが示す箇所を修理。それを繰り返して、完成に近づけていく。

『味方輸送艦、及び敵艦隊に接近中。会敵予想時刻まで2時間』

 格納庫内への放送……正確には、格納庫内で働く者全ての宇宙服のヘルメットに内蔵された通信機から声が発される。

『リストの17から48まで省略! 56と72もだ! 再チェック開始!』

『再チェック入ります!』

 繰り返されるトライ&エラー。しかし、整備は着実に進んでいく。

 そんな格納庫内、ミゲル・アイマンとオロール・クーデンブルグは自らの搭乗機の整備を行っていた。

『敵は何だって?』

「大型MAらしいな」

 オロールからの通信を、自機の中で受け取って、ミゲルは与えられていた情報を答えた。

『まさか、ザクレロか!?』

「わからん。他にあのクラスの大型MAがいてほしくはないけどな。ただな……“ハーシェル”の赤服が全滅だそうだ」

『まじか……』

 オロールが黙り込む。が、間を置くといつも通りに話し始めた。

『……大型モビルアーマー相手に重機銃じゃ豆鉄砲だな。となると重粒子砲?』

「ハイマニューバの特性を自殺させる様な選択だな」

 M69 バルルス改特火重粒子砲。ジンでも使えるビーム兵器なのだが、取り回しが悪く機動力を落とす事になる。

『だな。あれ取り回しが悪すぎんだろ。それほど効果も無かったしよ』

 重粒子砲を上げたのは冗談だったようで、オロールは残された選択肢を選ぶ。

『無反動砲にするわ。当たれば装甲抜けるだろ』

 作業アームに掴まれたM68キャットゥス500mm無反動砲が差し出され、ジン・ハイマニューバはそれを掴む。ついで予備弾のコンテナが、作業アームによって機体のラッチに取り付けられていく。

 その作業を見ながらミゲルは言った。

「抜けるかもな。弾が当たれば」

 少なくともザクレロは速かった。あれに無反動砲を当てるのはなかなか厳しい。

『そこは腕の見せ所……となると当たらないかもな。ミゲルに任せて、俺は艦の直掩でもしてるかね』

「お前も働けよ」

『へいへい……と、それよりお前の装備はどうするんだ?』

「レールガンをメインで行く。威力は折紙付きだ。手持ちはサブアームだから、重機銃で良いな。無反動砲だと取り回しが悪くなる」

 ミゲル専用ジンに着けられたアサルトシュラウドには、115mmレールガン“シヴァ”と220mm径5連装ミサイルポッドが追加装備されている。

 特にレールガンの威力は高く、大型MAでもダメージを与えられそうではあった。

『レールガンね。そういうの一般兵にも回せよな。上は、わかっちゃいないぜ。連合が主力を大型で揃えてきたら、今のジンの火力じゃ追いつかなくなるぞ』

「モビルアーマーって奴が重機銃が当たれば大破する的だと思っている内はどうにもならんだろ。敵もモビルスーツを作ったって辺りで意識も変わるといいけどな」

 MSがMAよりも上というプライドが足を引っ張って、大型MA対策は遅れるだろうと、ミゲルは諦めの気持ちで考えた。

 きっと、前線の損害……多くの兵の死が必要となるだろう。その死者の中に自分や自分の仲間が含まれない様に努力するのみだ。

 ただ、連合MSがZAFTに届けば、状況が好転する可能性はある。連合MSが満足に動きもしない木偶そのものではなく、多少なりとZAFTに危機感を抱かせる物であればの話だが。

 何にせよ、今回の任務が無事に終わらないと話にならない。

「と……来たか」

『ああ、突撃隊長殿がお見えだぜ』

 二人は同時に気付いた。キャットウォークの上を、MPに拘束された二人のパイロットが、それぞれの機体に運ばれていく。

『敵の情報は与えてあるのか?』

「ああ。危険を警告したら、俺達を臆病者と呼んでくれたよ」

 敵が大型MAである事は伝えてある。型どおりの過小評価をしてくれたが。

「それでも、重装備が良いとだけは納得させた」

『ごくろうさん。で……と。奴等、何を装備するかね? おっ、おー……ああ、一人は重機銃と無反動砲の両手持ち。やった! もう一人、粒子砲だぜ!?』

「はしゃぐなよ。意味がわからん」

 ミゲルの呆れた声に返したオロールの声は、どことなく感情を押し殺した様な感があった。

『いや……あいつら、生きて帰るかなってさ』

「……オロール」

 感傷か。ミゲルはそう判断して、その必要はないと言いかける。が。

『上手い事、死んでくれねーかなって思っても、言っちゃいけないわけだ』

「全部、ぶっちゃけてんな! わかってるなら、黙ってろよ!」

 思わず怒鳴り返したが、オロールは悪びれない。

『そー言うなよ。後ろ弾野郎に気を使うひつようなんてないさ』

「通信記録が残るんだぞ」

『俺達は奴の背中なんて撃たない。だから残っても良いだろう? 誰だって、死ねぐらいは言ってるさ。殺すとは言わないし、まして手を下したりはしないがよ』

「そういう問題じゃ……ああ、まあ良いよ。好きにしろ」

 何を言っても意味がないと、ミゲルはオロールに言い返す事は止めた。

 そして視線を、組み立て中だったメビウス・ゼロに向ける。

 整備は終わったのだろう。整備兵達は既にその場から撤収しつつあった。何人かは残って、銀色の装甲が剥き出しの機体後部に、スプレーで黄色の塗料を吹き付けている。

 メビウス・ゼロは黄色一色に染まっていく。

 と、そこでミゲルは、メビウス・ゼロの側に小柄なパイロットスーツを見つけた。

 味方殺しのMSパイロット共との接触を避けさせる為、ラスティ・マッケンジーの機体搭乗は戦闘開始直前の予定だったが、整備完了と聞いて飛びだしてきたか。

「おい、ラスティが来てる」

『そうか……奴等に動き無しだ。艦内でぶっぱなすほどキチってはいなかった様だな』

 MSパイロット達の様子を警戒していたオロールはそう答えた。

 ラスティを殺す事だけが目的なら、ここで無反動砲の一発でも撃てば良い。殺すだけならそれで良いが、後は奴等も死ぬ目に遭うだろう。つまり、奴等はまだ生きたいらしい。

『どれ……と。俺達がこんなに気を回してるってのに、当事者様はお気楽な様子だねぇ』

 オロールもラスティを見たのだろう。やれやれとばかりに通信機から声が漏れる。

「死にかけたってのに、プレッシャーを感じてないのは良い事だよ」

『怯えてベッドから出てこないよりは確かにな』

 PTSDになりもせず戦いを続けられるのは、戦士として重要な条件だ。

 人間だもの、一時引き籠もりたくなる事もあるだろう。しかし、戦場はそんな事情を考慮してはくれない。

 では、ラスティが戦士向きだとして……兵士に向いているかと問われれば首を傾げるだろうが。

 その一端を見せつけるかの様に、ラスティはMSメビウス・ゼロの周りではしゃぎ、そしてコックピットに飛び込んでいった。

『私のザクレロが甦ったわよ!』

 いきなり通信。ラスティがそう来る事はだいたい読めていたので、ミゲルもオロールも適当に返事を返す。

「よかったな」

『おめでとさんー』

『何よ、もっと心を込めて祝いなさいよ』

 口調は怒声の様だが、クリスマスプレゼントを抱えた子供みたいな喜色が全然隠せていない。そんなラスティに、オロールがからかう様に言った。

『直ったのは、俺達がメカニックに頭下げたからだぞ。改めて感謝しろよ?』

「おいおい、そういうのは止せよ」

『……そ、そうね。あ……あり……あ……』

 恩に着せる様な事じゃないと呆れつつ言ったミゲルの耳に、ラスティからの通信が届く。

『…………』

 だが、その言葉は途切れ途切れで形を成さず、すぐに沈黙に取って代わられる。そうして、ラスティが次に口を開いた時、その言葉はすっかり無かった事にされた。

『そういえば、あっちのパイロット連中と回線が繋がってないみたいなんだけど。私の通信機の問題?』

「いや、あっちの機体のトラブルだ。共用通信が出来なくなっている。艦橋と、俺の機とは、回線が通じているから、問題はないだろう」

 無論、実際は違う。背中撃ち共とラスティ機との間にだけ通信が繋がらない様にされているのだ。背中撃ち共が憎悪を吐き散らさない様に。

「味方機への通信が必要になったら、信号弾やハンドサインでカバー出来る。俺が注意してるから、ラスティは気にせず戦ってくれ」

『ま、今日は俺達は後衛だけどな。気にし無さ過ぎて、勝手に突っ込んでいくなよ?』

『えー、メビウス・ゼロで後方支援なんて宝の持ち腐れじゃない』

『そう言うなって。あいつらにも手柄を分けてやらなきゃな』

 オロールが話題を変え、ラスティがそれに気を取られて不満の声を上げ始めたのを、ミゲルは安堵して聞いていた。

 ラスティは連中の事には関わるべきじゃない。何も知らないまま全部が終わってくれれば、それが最良だ。と――

『各機に通達。間もなく敵との交戦距離に入ります。各機、発艦に備えてください』

 ラスティとオロールの会話を垂れ流す通信機に、オペレーターの声が割り込む。

「……よし、出撃だ。敵大型モビルアーマーを叩く。この面子じゃ言うまでも無いと思うが、既存のモビルアーマーとは桁が違う相手だと考えて、戦う時は十分に注意してくれ」

『あい、さー』

『言われなくてもわかってるわよ』

 オロールとラスティの声が返った。ミゲルはその通信に頷き、そして気乗りしない表情を浮かべて通信機を別のチャンネルにあわせる。

「……出撃前に、もう一度注意しておく。敵は、お前達の知っているモビルアーマーじゃないぞ。焦って突っ込むような事はするな。じっくり落ち着いて戦え」

『……手柄を立てられるのが恐いかよ』

 背中撃ちのパイロットの声が返った。

『手柄を……立ててやるからな! お前らが何も言えなくなる様な手柄をだ! ははっ! そうなってから吠え面かくと良い!』

「…………」

 ミゲルは無言で通信を切る。

「無駄な事だったな」

 出撃の時は迫っていた。

 

 

 

 宙を二機のジンが突き進んでいく。

 ミゲル・アイマンは、軸を変えて斜め後方よりその姿を見守っていた。

「こんな距離から回避機動か」

 ジン達はフラフラと常に位置を変えながら飛んでいる。

 敵の攻撃を警戒してかもしれないが、おそらくは違う。味方の……ミゲル達からの攻撃を警戒しているのだ。

「背後を気にして戦えるかよ。だから、背中撃ちは特に忌まれるんだ」

 責める言葉を口にしてから、通信機のスイッチを入れ直す。今の言葉をラスティに聞かれるわけにはいかない。

 それに今は戦闘中だ。背中撃ちの味方殺し二機が向かう先にあるのは、宙に浮かぶ紫玉葱。連合の大型MAである。

 その大型MAを見て、ミゲルは思った。

「ザクレロとは違うな。何て言うか……プレッシャーを感じない」

『ザクレロは、前に立つと身がすくんだよな』

『ザクレロは恐いのよ』

 ミゲルの呟きに答える様に、オロール・クーデンブルグとラスティ・マッケンジーが返信して来る。

 恐い……恐怖か。わからないでもない。あの凶相が真正面から突っ込んでくるのは、正直、今思い返しても肝が冷える。

 まるで、体の底から沸いてくる様な耐え難い恐怖感。

「ザクレロに比べて、こっちは何て言うか……強力な兵器だってのはわかるし、それはそれで恐いが、それだけだな」

 感じるのは、強力な兵器を前にした時の、重苦しい緊張感を伴う恐怖。これはまだ堪える事が出来る。

 “奴は、ただの兵器だ”

『アレでも、ラスティは格好いいって言うのかね?』

『ん? 丸くて可愛いじゃない』

 オロールとラスティの会話は続いていた。が――

「敵発砲! 思ったより遠い!」

 敵大型MAの側面が光る。それは、敵の砲火の閃光。台詞を言い切る前に、放たれたビームが四本の光条を描いていた。

 狙われたのは先行の二機。早い内から回避機動を取っていた二機は、何とかそれをかわしていた。

「各機、攻撃開始!」

『早すぎないか!? この距離じゃ当たらないぞ!』

 攻撃の指示にオロールから声がかかる。ミゲルは、レールガンの照準を敵大型MAにあわせながら怒鳴る様に返した。

「敵を引き付けないと、先行した連中がやられる! あいつらが敵に取り付くまでは支援してやらないとな!」

『そうだな。了解! だが、俺は弾を温存するぞ? この距離じゃ当たらん!』

 オロールは応えたが、攻撃は控える事を告げた。

 無反動砲は弾速が遅いので、距離があると命中率は一気に下がる。そして、弾が大きい分、装弾数も多くない。

『そうね、お休みしてなさい! 砲撃開始!』

 割り込んだ通信と同時に、ラスティのメビウス・ゼロが対装甲リニアガンを撃ち放った。

 僅かに遅れてミゲルもレールガンを放つ。

 敵大型MAの装甲表面で、微かに閃光が散った。

『今の私のよね?』

「わからん! どっちでも良いが、効いたか!?」

 見た感じでは、敵の様子は変わらない。が――応射が来る。

 敵大型MAから放たれたビームが、ミゲルに向けて放たれた。

「俺のが当たりか!」

『命中おめ! いやー、羨ましいわー』

「代わりたいなら代わってやるぞ!」

 ビームが自機を外れて行った事に安堵しながら、オロールからの通信に言葉を返す。

『何それ、外した私への当てつけ?』

「面倒臭いな、お前は!」

 くだらない言い合いの間に次のビームが飛んでくる。それは、先程よりもずっとミゲルの機体に近寄っていた。

「……着実に修正してくるな」

 すぐにランダムで進路を切換て飛行し、照準外しを試みる。

 ほぼ同時に、ラスティのメビウス・ゼロも砲撃を行い、敵の狙いを散らせる手を打った。

「よし、これで少しは時間が稼げるか」

 複数方向から攻撃すれば、攻撃を向けていない方向は手薄になる。その筈だ……

 だがそれは、死して輸送艦を守った二人のパイロットによって、既に試みられた戦法だった。

 一度見られた戦法への対応は早い。砲撃のパターンが変わる。

 ビームが空間を薙ぐ。宙に一筋の線を描く様に。そして、描かれたその線は、そのまま死を賜う光となって飛来する。

「っ!?」

 ミゲルはフットペダルを踏み、その操縦を受けて、ミゲルのジンはまるで縄跳びの様にビームの線をかわす。

 機体を回転させながら撃っている為、長く照射すれば長大なビームの剣を振っているかの様な攻撃ともなるのだ。当然、回避は困難となる。

 拡散する分、距離がある以上、威力は減衰している筈だが、当たってその威力を試す気にはならない。

『今の……私まで狙った!?』

 通信機から溢れる、ラスティの驚きと喜びを含む声。

 点の砲撃なら複数の目標のどちらかしか狙えない。しかし、線であるならば、複数の目標を含む線を引く事も可能だ。

 それはともかく、そんな事で喜ぶなラスティ。そう口をついて出そうになった文句を飲み込む。今は仲良しをやってる場合じゃない。

「砲撃戦特化型のモビルアーマーだってのか!?」

『突っ込んでくるザクレロとは違うが、こっちも厄介だなミゲル』

「奴が砲撃戦型なら、懐に飛び込めばあるいは……先行の二機の活躍が頼りになったな」

 オロールに返す言葉に少し苦いものが含まれた事を否定は出来ない。

 奴等がそのまま手柄を立てる事は気持ちの良い事じゃあない。だが、敵を倒せずにここで死ぬよりはましだ。

『そうだな。連中は……』

 攻撃を掛けていないが為に狙われておらず、比較的余裕のあるオロールが戦場にその姿を探す。

『居た。真面目に前進してるみたいだぜ? 俺達を囮にして肉薄して勝負をかけるくらいの知恵はあったらしいな』

 言葉と共にオロール機から位置情報が送られてくる。その情報を元にカメラを動かすと、ジン二機が静かに先行しているのが映った。

 向こうはこっちを利用しているくらいのつもりでいるのだろうが、一応、連携の形としては悪くない。中途半端な位置で奴等に攻撃を仕掛けられると、こっちの努力が水の泡になる。

『この調子なら、真下に潜り込めそうじゃないか? あの砲塔の配置じゃ、下は死角だろ』

 言われて、ミゲルはスクリーンに敵大型MAの拡大映像を呼び出した。

 機体の上部……上下が玉葱と同じだと仮定して、上部についている砲塔はほぼ固定されていて左右には動かない。替わりに、上下には余裕を持って動かせる様だ。

 下部の砲塔は、左右に向きを変える事が出来るよう、ターレット化されている。が、上下の動きに、それほど自由は無さそうだ。

 つまり、真下は死角となっている。

「あの脚から見て、本来は何か地盤の上に機体を固定して戦うのかもな。真下からの攻撃は想定してないとか……」

 機体の四方に突き出た、穴の様に推進器が並ぶ脚の先端、今は砲撃の為に折り畳まれている着地用ダンパー。それは多分、地面かそれになりかわる物に足を止める為のものだろう。

 だとしたら、攻撃の有り得ない下側からの攻撃に手薄になるのもわかる。

 わかるが……

 現に敵は宙で戦闘をしている。回転しながらの砲撃も、しっかり戦法として確立されたものだ。なのに、そんな弱点をそのままにしておくものか?

 だが、死角自体は珍しくもない。砲を全周囲に向けるより、一方に向けておいて、それを敵に向けた方が火力の集中という意味で効率的だからだ。MSだって、後ろを撃つようには出来ていない。

「…………」

 通信機に手を伸ばしかけ、止める。

 先行する連中に警告をしてやるか。否か。

 危惧は想像の域を出ない。ちょっと嫌な予感がするだけだ。どうせ奴等はこちらの言う事など素直に聞きはしない。それに……

 奴等は味方殺しだ。

 通信機に延ばした手を引っ込めた。そうと判断して。意識をして。

 悪意のみでも人は殺せる。その事にまだ実感はなかった。

 先行する背中撃ちの恥知らず達は、攻撃の標的となる事もないまま、敵大型MAに接近しようとしている。

 

 

 

 怒り。そして憎しみ。それが殺意へと変わったのはいつからだろう?

 最初の出会いの頃はそうでも無かった。

 良い出会い方はしていない。ナンパを酷く断られた……ナンパと言うにはあまりに低俗で相手を馬鹿にした物言いではあったのだが、それは都合良く忘れ、ともかく断られた事は恨みに思う程ではない。

 ZAFTの新兵器のMSを否定し、連合の旧式兵器のMAを擁護するイカレ女。そんなのに声を掛けた自分達のミスと思えば、ささやかな失敗談として終わらせる事も出来た。

 あの女の仲間との喧嘩で営倉入りした。腹が立つが、殺そうとは思わなかった。それは相手側も同じ罰を受けたと思えば、溜飲を下げる事も出来た。仲良くなる気など完全に失せたが、それでも、そこではまだ殺意はなかった。

 その後は接触を断っていたので、何か思う事などあるわけもない。

 やはりあの時だろう。シミュレーターで負けた時。

 あの時、確定した。“最新最強兵器である筈のMSに乗った自分が、旧式の貧弱な兵器のMAに乗った女一人に勝てない”と言う事が。

 つまり、あの女が言っていた事は全て事実だった。MSなど、少なくともあの女にとっては単なる人形でしかない。

 努力して、努力して、MSパイロットになった。

 MSは最強の兵器の筈だった。それを駆る自分は英雄にもなれる筈だった。筈だったんだ。

 …………。

 子供の頃、立派な家に住んでいた。

 今になって考えても、同じくらいの収入の家庭の水準以上だったと言える。

 そんな家が自慢だったし、そんな家を建てた両親を尊敬していた。

『だから、もう一つ上のコーディネートプランを買っておけば良かったのよ!』『何度も話し合っただろう!? 家を買う予算が余計にかかって仕方なかったんだ!』

 子供の時代の終わり。夜に両親の怒鳴り合いを聞いた。自分の学校の成績についての話だった。

 ああ……そうだ。あの時、知った。

 自分は、家の為に、お値段で妥協して、ちょっと安物で、だから少々出来の悪い不良品で。

 それを否定したかった。だから、不良品と呼ばせない為に必死で努力した。

 でも、コーディネートの差があって、努力をしていない他の連中に追いつけない。

 それでも努力の果てに自分はMSパイロットになれた。

 最強の兵器だ。英雄にだってなれる。

 自分はもう不良品じゃない。

『あんな不良品をつかまされて!』『だったら、家を安物にすれば良かったってのか? 君も満足していただろう!』

 きっとママもパパも褒めてくれる。二人とも、家が火事になった時に死んでしまったけれど。

 でもそうじゃない。あの女が全て否定した。

 MSは最強の兵器ではなく。自分は英雄になどなれない、ただの雑兵だと。

 お高いコーディネートをされた議員の娘が乗れば旧式兵器のMAでも強く、そしてそんな女こそが戦場での英雄となるのだろう。

 ……だから、殺したかった。殺そうと思った。

 あの女は、その存在全てが自分を否定してくる。自分の存在を殺しに来る。だから殺さなければならないし、それはとても正しい事だ。

 こんな殺意を抱いたのは生涯で二度目だった。

 

 

 

『あの女、腹が立つから消しちまおうぜ』

 不愉快だ。殺そう。仲間に向かって言った台詞。

 まさか、誘った奴が本気になるとは思わなかった。何か暗い顔してたから、人に言えない何かでもあるのかもしれない。

 その場のノリで口にしただけの言葉だが、冗談でしたと取り消すのも格好悪い。びびったとか思われたら嫌だし。

 でも、やってみたら興奮して楽しかったし、良かったんじゃないかと思う。

 何にも知らないで飛んでるあの女に狙いを付けた時が大興奮。「俺、悪い事してる!」ってさ。スリルって言うのかな? 違うか? とにかく、ドキドキもの。

 でも、しくじったのはちょっと残念だった。しっかり当てたのに死なないし、後ろについてた連合機が落とすかと思ったら撃たないし。

 オマケに仲間が死ぬし。良い奴だったな。ノリは悪かったけど。

 で、面倒な事になった。

 結局、殺していないのに、扱いは殺人犯だ。酷い話だと思わないか? ちょっとした冗談だったのにさ。死んでないんだから、殺してないんだ。無実の罪って奴だろ?

 だけど、俺達は反省という名目で営倉入り。

 不公平だ。俺達にああさせた、あの女にも責任があると思わないか? あの女が居なかったら、俺達も誰かを背中から撃とうなんてしなかったし。これ、もうこっちが被害者じゃね?

 あの女、きっと俺達を陥れようとしてるんだ。

 冗談だったのに、死ななかったのに、殺されそうになったとか艦長に吹き込んだんだろう。

 失敗したのも、きっとあの女のせい。

 なんだ悪いのは全部あの女じゃないか。

 そんな悪人、殺されても当然だよな。じゃあ、俺は何も間違った事していないじゃないか。いや、むしろこれは正しい事だろ? 正義の為に、悪を抹殺しようとした。これは英雄だ。

 でも、結果は御覧の有様。こっちが犯罪人扱いだ。

 いやいや、正しい人間が認められない事もあるさ。

 でも、そんなものは全部挽回すればいい。英雄になればいい。

 こんなのは、ちょっと服のボタンを掛け違えたみたいなもので、すぐに修正できる。

 ……彼の考えは、そんな程度であった。

 遊び感覚で事を起こし、全ての責任を他者に求める。そして、それを誰も正当とは思わない理屈で、自分の中では正当化してしまう。

 別に、不幸な生い立ちやトラウマ……“情状酌量出来る理由”が有るわけではない。

 それでも人は凶行を為す事が出来た。

 

 

 

 二機のジンは、静かに進んでいく。

 大型MAからの攻撃は全て後衛のミゲル達が引き受けている。ジンを駆る二人には、それを嘲る余裕すら有った。

 勝手に敵を引き付けてくれるなど御苦労な事だ。奴等を囮にして、自分達が手柄を総取りしてやる。そんな考えの下、必殺の位置まで機体を進めていく。

 ビームなどはどうしても拡散する為、近い方が威力が大きくはなるが、実体弾だと宇宙空間では威力の減衰が無い。だから、威力と距離を詰める事には関係が薄い。

 実際に問題になるのは当たるかどうかだ。レーダーを使わず光学観測に頼って射撃している為、攻撃は意外な程に当たらない。

 その事に幾つか解決策はあるが、接近戦……殴り合うような距離での撃ち合いを行う事で解決したのがMSであると言える。

 そのコンセプト通り、接近して持てる火力の全てを叩き込む。それがMSで出来る必殺の攻撃だった。

 故に接近する。強大な力を持つ大型MAへと。

 そこに勝利を確信して――愚かにも。

 

 

 

 アッザムのコックピット。

 MAのコックピットと言うよりも艦橋に近い、人が立って歩ける程に余裕のある空間。そこに配置された操縦席には、数人のパイロットがついて機体を操縦している。

 機体は回転しているが、逆回転してその回転を消しているコックピット内は不動。

 そのコックピットが揺れる。

「……衝撃を吸収しきれないか。損害はどうか?」

『はっ。装甲を削られていますが、機体内に損傷は無し。集中して浴びなければ、問題ありません』

 中央に座る機長の問いに、機体の状態を監視している機関士が答えた。

 先程から砲撃戦を行っているMS小隊の中に、やけに火力が大きい機体がいる。それに比べれば、もう一機のジン・ハイマニューバや、鹵獲機と思われるメビウス・ゼロは問題にならない。

 アッザムの装甲はその砲撃を良く受け止めているが、同じ箇所に複数被弾するなどすれば危ういだろう。

「ならば、奴等とはこのまま砲撃戦を維持する。砲火力で圧倒しろ!」

 機長は判断を下して指示を出す。

 距離を開けての撃ち合いなら、そうそう同じ箇所に被弾するという事はない。ならば、このまま戦い続けるのが正しいだろう。

 それで、こちらの小隊は良い。では、もう一つのMS小隊は?

『接近中のMS二機。後僅かで“籠”に入ります』

「ふん……誘導されているとも気付かずに愚かな奴等だ。蝿のように飛びついてくる」

 測的手からの報告に機長は侮蔑の笑みを浮かべ、そして命じた。

「アッザムリーダー投下用意!」

 アッザムの機体下方から迫るジン。もう頃合いと見たか、ビームを、そして重機銃と無反動砲を撃ち始める。

 しかし、アッザムの重厚な装甲は重機銃弾を弾き、無反動砲とビームは機体を横滑りするように動かしてその射線上から逃れてしまう。

「ふふん。撃ち方が早いぞ臆病者。そらそら、もっと近寄ってこい」

 機長は二機のジンに嘲りの声を投げ、そして待った。

 攻撃を外したジン二機は、更に攻撃を続けながら一気に距離を詰めてくる。

 必殺と思った一撃が空振りした事、敵に潜んで接近していた自分達を認識させてしまった事、それらが彼等を焦らせているのだ。

 焦った二機はあまりに無防備に接近する。アッザムの機体下部に目に見える武装が無い事も、彼等の無謀な接近を誘っているのだろう。だが、それは全て罠だ。

『敵、アッザムリーダーに捕捉! 投下!』『投下よし!』『相対速度合わせ!』

 測的手が声を上げ、直後に砲手がトリガーを引き、合わせて操縦手も動く。

 アッザムは接近する二機との相対速度を合わせるように動き――宙に投網をかけた。

 アッザムの下部から射出されたブイの様な物。更にそこから伸びる無数のワイヤーが網のように拡がり、二機のジンを包囲する。

 直後、ワイヤーが光を纏った。

 ギシリと一度だけ体を震わせ、ジンの動きが止まる――

 

 

 

「――なんだ?」

 砲撃戦の最中、目にした光景にミゲルは呟く。

 機がやや早過ぎた感はあるも下方から強襲をかけ、外された後は焦り気味ではあったが追撃を行った二機のジン。背中撃ち共……

 だがその二機は、敵の大型MAが展開した“檻”に捕らえられ、動きを止めた。

 そのまま無視して大型MAを攻撃するか、檻が邪魔ならそれを破壊するか……そのどちらの行動も取らず、二機はただ動きを止めている。

 ミゲルは、その異常を悟り、すぐさま通信回線を開いた。

「っ……おい、大丈夫か!」

『ぎゃあがああああああうぁ!? あづい! やげっやげる! ぎぃっ! がは! いぎが!? ぐるじ……ぐっ。がああああああっ! だずげ……』

「っ!?」

 溢れだしたのは悲鳴。人間の断末魔。

 ミゲルはすぐに通信を切った。聞いていられるものではない。ミゲルは振り払うように頭を振り、耳にこびりつくその残滓から逃れようとした。

 と、そこに外部から通信が入り、それはラスティの声で告げる。

『カメラを赤外線に切り替えて!』

「赤外線?」

 言われた通り、カメラの画像を赤外線に切り替えた。

 と……見える。檻に捕らえられている二機の機体が白く輝いて。

「表面温度が上昇している!?」

 機体表面の推定温度は4000度。

 装甲は保つだろう。しかし、熱は内部にも伝播する。そんな温度に晒されれば、機体の内部が無事では済まない。

 二機が動きを止めたのは、おそらく熱の影響でコンピューターが動かなくなり……あるいは破壊され、操縦が出来なくなったからだ。

 では、パイロットは? さっきの悲鳴が答だ。

「あれはモビルスーツごとパイロットを焼くってのか!?」

 何の効果かはわからないが、あの攻撃はMSの中にまで効果を及ぼしているらしい。

 さすがにMSという装甲と機械の塊の内奥に居るパイロットには効果は弱まるのだろう。だが、それは苦しみを長引かせる結果でしかなかったわけだ。数千度の熱で炙られたなら、一瞬で死ねていただろうに。

『どうするミゲル!?』

 オロールから通信が入る。

「どうするだって?」

 ……狙い通りじゃないか。流石にそうは言えなかった。

 助けないという選択。それを軽く考えすぎていた様だ。

 一瞬で奴等は宇宙の藻屑となり、自分達はそれに気付きもしなかった……そんな都合の良い状況を勝手に想定していなかったか?

 現実はこうだ。彼等は、オーブンと化したMSの中で、じっくりとローストされている。自分達の目の前で。

 それでも助けないのか? 地獄の苦しみの中で為す術もなく悲鳴を上げている者を見捨てると?

 「助けに行くべきだ」そう思い、すぐにも機体を動かそうとする一方。「仲間を殺そうと奴等を助けるのか?」そんな心の声が体にブレーキを掛ける。

 どうする?

 オロールからの問いかけが頭の中をぐるぐる回る。その間も、彼等は光の檻の中で悲鳴を上げている事だろう。

 どうする?

 自業自得だ。あいつらは、やっちゃいけない事をした。仲間を撃つ者が、仲間に救われる事があってはならない。

 どうする?

 助けないと彼等は死ぬ。背中撃ちとか関係無しに、“人間が死ぬ”。自分の中にある道徳観が叫ぶ。「人を助けろ」と。

 どうする?

 だが、奴等は人殺しだ。人殺しは、人と扱ってはならない。倫理観が叫ぶ。応報だと。人を殺そうとした者が、今ここで見殺しという形で殺されようとしているだけだと……

 それはつまり、殺すのは見殺しにする自分だという事か?

 人殺しになるのは嫌か?

 違う。そうじゃない。今、考える事はそうじゃなくて……

『ミゲル! ラスティが行った!』

「な!?」

 どれだけ思考に浸ってしまっていたのかはわからない。

 しかし、それはラスティにとって、痺れを切らすには十分な時間だったようだ。

「よりにもよって!」

 ラスティのメビウス・ゼロは、敵大型MAに向かって突き進んでいく。その一際眩く輝くテールノズルは、ミゲル達からどんどん遠くなっていった。

 ラスティと背中撃ち共を接触させないよう、細心の注意を払ったつもりがこれか。

「……追うぞ! 敵大型に突貫する!」

『了解! 悪いが、先行するぞ! 加速はこっちが上だ!』

 オロールのジン・ハイマニューバが、その軽快な機動性を活かして急加速していく。

 一方、追加装甲に武装で重くなった機体を大推力で動かしているミゲルのジン・アサルトシュラウドでは、機動性では及ぶべくもない。

「重いな。だが、速度が乗ってしまえば!」

 前進する機体。そこへ、ミゲルを警戒している敵大型MAは変わらず砲撃をかけてきた。

 今までは横に大きく動く事で回避に多少の余裕があったが、今度は敵に向かって行っている都合上、動ける範囲は狭くなる。

 自機ごと自分を焼き払うに十分だろうビームが、突き進むその先から飛来する。

 薙ぎ払うように放たれるビームが、まるで空間に描かれた線の様に見え、むろんそれらは点として飛んでくるよりも回避を困難とさせた。

 そして、回避運動を取れば取っただけ推力を余計に消費し、自機の加速は遅れる。だが、回避を行わなければ、直後には自機はビームの直撃を受けている事だろう。

「く……すまん、オロール任せた!」

 仕方なく、撃ち返して牽制をしつつ進む方針へと切り替えた。そして、ラスティの事は、オロールへと託す。

『わかった! どうあろうと、ラスティを殺さなけりゃ良いな!?』

「……そうだ!」

 “どうあろうと”の部分は、今は窮地にある背中撃ちのパイロット共の事を指すのだろう。

 わざわざ言ってくる辺り、オロールも思う所はあったらしい。それにGOサインを出す事で、ミゲルは改めてその責任を自らに科した。

 奴等を見殺しにする事は、最初から織り込み済みなのだ。

 

 

 

「あれほどの敵が……」

 ローラシア級“ガモフ”の艦橋。その艦長席に座したまま、ゼルマンはモニターに映る戦場に息を飲んだ。

 二機のMSを“檻”で虜にした大型MA。それはその状態のまま砲撃戦をも継続しており、ミゲルを近寄らせもしない。

 ああ、なんだろう。なんて、おそろしいのだろう。

 耳に付けたインカムからは、二人のパイロットの断末魔の悲鳴が、まるで何かバックミュージックのように流れている。

 問題行動を監視しつつも隠匿する為、彼等とはオペレーターを介さずに直通回線をつないだのが裏目に出たか。

 しかし、ゼルマンはその魂を凍らせるような絶叫に心を動かされた様子はない。

 …………

「ああ、そうだ。あれでは勝てないかもしれないな」

 敵のMAは強力だ。複数のMSを敵に回しても勝てる兵器であるのだろう。

 ザクレロの様に?

 ……違う。

 違うが勝てない。

 …………

「輸送艦は……どうかな。ここで敵を止められなければ、追いつかれて任務は失敗だろう」

 敵はMS部隊を撃破しつつある。そうなれば次はガモフ。その次には護衛対象である、連合MSを輸送する輸送艦だ。

 それは任務失敗を意味している。

 …………

「任務は果たさなければ。多くの味方がその犠牲を払った。自分の手でそれを無にする事は出来ない」

 何かに答え返すようにゼルマンは呟き、自分の考えを紡いでいた。

 そうだ。任務を果たすのだ。共に戦った艦“ツィーグラー”の様に。

 ZAFTの軍人として。誇らしい。誇らしい軍人として。

 ここまで守り抜いた……

 ここで我等が敗れ……

 カシャカシャとリノリウムの床を擦る音を立てて……

 全てを失う事は……

 きっとそれは幸せな事で……

 任務の為に……

 それは誰も知り得ない回廊を、這いずるように……

 そうだ、ZAFTの軍人として……

 帰りたい。帰りたい。

 怯懦な心こそ、軍人として忌むべき……

 今も私を見ている……

 本当は生きていたかった筈だ。

 ああ、背後に獣が立っているのがわかるだろう?

「そうだ。任務は果たさなければならない」

 考えるな。見るな。感じるな。

 白い……白い……

 自分は軍人なんだ。任務を果たせ……

 ゼルマンの頭の中を無数の声が満たしていく。まるで毒を注ぎ込むように。

 だが、その全てはゼルマン自身の声だ。

 まるで千々に引き裂かれたかのようにゼルマンは思考し、その形にならない思考は一つの方向へと彼を運んでいく。破滅へと。

「敵大型MAは無理でも、敵の旗艦を叩けば、追撃は不能となる」

 耳朶を打つ生臭い呼気の音が……

 男の断末魔の悲鳴がまるで天上の楽の様に……

 嬉しく、楽しい。笑みが浮かびそうになる。何故? どうして?

 ああ、軍人として為すべき事があるからだ。

「各員へ通達。これより我が艦は、敵艦隊へ進路を取る」

 ゼルマンは独り言を止め、いきなり命令を発する。艦橋要員達の中にざわめきが拡がった。

 それはそうだろう。MSの無い艦、しかも単艦で艦隊に攻撃を仕掛けるなど、自殺行為でしかない。

『艦長! それは自殺行為です!』

『戦況はまだ、そこまで傾いてはいません! モビルスーツ隊も、ミゲル・アイマンの隊が健在です!』

 艦橋要員達は、口々にその判断について反論をしてきた。

 それはそうだろう。一つの艦を特攻に使うなど……その損失は、もともと人的資源に乏しいZAFTにとって大きすぎる。

 また、戦略戦術の視点に関係なく、誰だって死にたくはないという単純な話もあるだろう。

 だが、それを為す事こそが軍人としての……

 助けて。助けて。

 ああ、獣はあぎとを開いて……

 このガモフを一個の弾頭としてでも、敵の旗艦をここで仕留めなければ……

「我々はこの“ガモフ”を敵艦にぶつけてでも、輸送艦の脱出を支援しなければならない……」

 そうだ。そうだ。そうだ。

 命を捨てて任務を達成しなければならない。

 ならない。ならない。

 ああそうだ――獣が今、

 

 

 

 ――コール音。

 通信機が鳴っている。

 大事な命令を出している時なのに。

 ゼルマンは、その呼び出しを無視しようとした。だが、気になって仕方がない。

 コール音は鳴り続けている。口を開こうとするのを、そのコール音が邪魔をする。何故だ? 何故かはわからない。だが、その通信を受けなければならない……そんな気がする。

 命令を発している途中だったが、ゼルマンは不思議とそれを中途で途切れさせ、その通信を受けた。

 誰からの通信か、何処からの通信か、そんな事も確認しないままに――

 それは何処か聞き覚えのある少女の声で囁いた。

『怖がっていると食べられてしまいますよ?』

「――!?」

 次の瞬間、ゼルマンは我に返る。

 同時に何かしら叫んだ様な気もしたが、記憶には残らなかった。ただ言えるのは、通信は切れたという事だけだ。

「今の通信は……」

『通信? 何の話ですか?』

 そう答えたのは、通信オペレーターだった。

 その怪訝そうな顔を見て悟る。“通信など無かった”。

 ゼルマンが命令を発し始めてから今に至るまで、外部からの新たな通信は一切無かった。通信は何処とも繋がっておらず、通信機はコール音を発してさえいない。

 通信オペレーターは不思議そうに返した後、心配げな問いに話を切り替える。

『あの、それより、命令の続きをお願いします。敵艦隊へ向かうのですか?』

「は? あ……いや……」

 敵艦隊へ向かう? 特攻か?

 ……何を考えていた? ゼルマンは自分に問う。

 つい先程まで正しいと確信していた行動に、今は全く同意出来ない。軍人として、最終的にその選択も覚悟はしよう。だが、今は全くその時ではない筈だ。

 英雄志向からの暴走か? 死んで英雄になりたいと夢想する類の……

 いや、そんなものではなかったように思う。

 ただそんな思考しかできなかった様な……

 まるで、何かに追われる様に。追いつめられる様に。獣に追われる哀れな獲物の様に、思考は逃げ場を無くしていった様な。

 そうだ、追いつめられていた。あの時、首筋にかかる獣の吐息を……

 そこまで考えてゼルマンは身震いした。

 考えてはならない。後ろの気配を探ってはならない。直感的にそう思う。

 “怖がっていると食べられてしまう”ならば、怖がらなければいいのだ。

 何も知らぬのだと。何も気付かぬのだと。全ては恐怖の幻想に過ぎないのだと。

 だが……ああ! ああ!

 それは脳の片隅に押しやったとしても、その暗がりから再び出るその時を待っているのだ。

 その姿を闇に感じるのは、影に見出すのは、とても抗いがたい誘いなのだから。そこに恐怖を覗き、その先に破滅しかないとしても。

 だから恐怖を恐怖と感じてはならない。その事のみが、暗がりを覗き込む人を守る盾となる。その守りは薄絹よりも弱く儚いとしても、人にはそれしかないのだから。

「…………」

 ゼルマンは、自分が発狂しているのではないかと疑った。

 どんな思考だ。妄想も良い所だ。支離滅裂ではないか。

 全て、艦長職の重責からくるストレスか何かでの精神的失調で片付く問題に違いない。自分に必要なのは精神科医の処方する薬とカウンセリングだ。

 そうだ……全ては現実ではないのだ。それよりも、今は出しかけていた愚策の撤回をしなければならない。

「……先の命令は撤回する。艦は現在の位置で待機。輸送艦の盾として有り続けるぞ」

 艦橋の中に、目に見えて安堵が拡がった。

 自分が妄想になどかまけたおかげで、艦橋要員達にいらぬ不安を抱かせてしまった……これは、自分が艦長としての責務を果たせていないという事なのではないだろうか。

 この任務を終えたら病院へ行こう。ひょっとしたらそれで退役をせざるを得なくなるかもしれないが、大きな失敗を犯してしまう前に自らを軍から排除するのも軍人の責務だろう。

 そうだ。それでいい。

 だから……今も自分に向けられている見えざる何かの視線を、その実感を伴う妄想を、ゼルマンは努めて無視しようとしていた。

 

 

 

 ――間に合え。

 味方機が光る檻に閉じ込められてから僅か。ラスティ・マッケンジーは自らの乗るメビウス・ゼロを敵めがけて突っ込ませていた。

 連中には正直、良い思い出はない。MSパイロットらしいロクデナシだとはっきり思っている。ああいう手合いは、士官学校の頃から幾らでもいた。だから、今更どうとかは思わない。

 嫌な奴等だった。

 でも、見殺しにして良いわけがない。

 その思考は単純で、無知から来る愚かさだった。ラスティとて、彼等が自分を殺そうとした事実を知っていれば、助けようとはしなかったろう。

 盲目的な博愛主義や理想主義は持ち合わせていないのだ。

 しかし、知らないが故に虎口に飛び込む。

 敵大型MAの放つビームが飛来する。甘く見られているのか、攻撃の手は緩い。

 しかし、それでも加速を最優先にしているメビウス・ゼロに回避をする事は困難で、その進路を塞ぐように撃たれるビームに追い込まれていく。

「そろそろ狙ってくる!?」

 とっさにガンバレルを撃ち出し、そのスラスターに自機を引っ張らせて強引に進路を変えた。そのすぐ後、先程までの進行ルート上をビームが薙いでいく。

「やる……モビルアーマーにもまだこんな進化の道があるのね。やっぱり、モビルアーマーって凄い」

 思わず感心の声を漏らしたが、考えるまでもなくそんな場合じゃない。

 ラスティは操縦桿を改めて強く握りしめ、戦闘に意識を集中した。

 敵大型MAにはどんどん接近している。モニターの中に大きくなる紫玉葱に照準を合わせ、対装甲リニアガンのトリガーに指を乗せた。

 が、思い直して止める。

 きっと、この程度の砲では装甲を抜けない。だから、甘く見られているのだ。無駄な攻撃を仕掛けるくらいなら、今は急ぐ。

 それに、狙うべきはMAの本体ではない。

 さすがに接近しすぎた事が注意を引いたか、敵大型MAがメビウス・ゼロに向ける攻撃が濃密になってきていた。

 繰り返し撃たれるビームが宙に線を引き、その度にメビウス・ゼロの進行ルート上を薙いでいく。

 敵が外しているわけではない。ラスティが操縦を誤れば、直ちにそのビームの中に突っ込み、メビウス・ゼロは焼き尽くされていた事だろう。

 ガンバレルを使い、本来のMAに無い動きをしてビームをかわす。なまじ同じ連合の兵器である為か、無茶な動かし方をするラスティの操縦は捕捉しづらいのかもしれない。

 降り注ぐ光の弾幕。その間隙を抜け、メビウス・ゼロはついに敵大型MAの直前へ至る。

「いっけえええええっ!!」

 対装甲リニアガンを放った。

 狙いは敵大型MA本体ではない。

 その一撃は、敵大型MAの下部、宙に檻を形成するワイヤーの基部を貫いた。

 小さな爆発の後、ワイヤーからは光が消え、檻はあっけなく崩れる。

 支える基部を失って宙に散り始めるワイヤー。その中に、動かないジンが二機、ゆらりと漂う。それはまるで骸のようだった。

「間に合った!?」

 ラスティは小さく声を上げつつ、ガンバレルをまるで腕のように広げてから、動かないジンの合間に突っ込む。

 そして、メビウス・ゼロとジンがすれ違う瞬間。広げられたガンバレルのワイヤーがジンの体に引っかかり、その機体を一気に引きずる。

 無論、メビウス・ゼロとジン双方の機体にとって危険であるし、中のパイロットが急な衝撃で負傷する可能性も高い。

 しかし、一刻も早く運び出さなければ、動かないジンに構っている間に、敵大型MAの攻撃を浴びてしまう。そう考えての強引な手。

 だが、それはやはり無謀だった。

 無反動砲と重機銃を装備したジンが、いきなり爆発に包まれる。

 爆発の位置から見て、無反動砲と重機銃の弾倉が誘爆したのだろう。今までの攻撃で熱を帯びていたそれら弾薬が、今の衝撃を受けて発火したのだ。

 ジンは両手に武器を持っていたが故に両腕を失い、予備弾倉を付けていたが故に腰が砕かれて脚がもげた。

 少し遅れて、推進剤に火が回ったのか、ジンは背中から爆発を起こし、宙で燃え始める。

 彼は、最後まで火炙りの運命から逃れる事は出来なかったのだ。

「あ……ああ……」

 思わず呆然とするラスティが目線をずらしながら見ているサブカメラの映像の中、バラバラになったジンが、ガンバレルのワイヤーの束縛から零れていく。

 離脱の為に全速を出すメビウス・ゼロは、そのジンを残して先に進む。進まざるを得ない。足を止めれば、敵大型MAの攻撃に晒されてしまう。それでも……

「コックピットは!? コックピットが無事ならまだ救助の可能性も……」

 コックピットに近い腰で弾薬の誘爆が起こったのだ。その上、コックピットがある上半身は、今や炎の中にある。無事である筈がない。

 しかしそれでも、一縷の望みをかけて、ラスティは置き去って来た無数の破片の中に目を走らせる。

 その時だった。

 ガンバレルのワイヤーに絡められたもう一機のジンが、身震いするようにその機体を動かしたのは。

 

 

 

 霞む視界。見えるのは半ばがノイズに覆われたモニター。そして、かろうじて映る部分には焼け崩れていく僚機の姿。

 そして、黄色く塗装されたメビウス・ゼロの凄惨な笑みを浮かべるノーズアート。

“ああ、お前だ”

 焼かれ乾き苦鳴の声を上げ続けた事で潰れた喉は言葉を形作る事はなかった。それでも、無意識の内に彼は口の中に言葉を作る。

“お前のせいだ”

 憎悪がたぎっていた。

 そうだ……この女が居なければ、こうはなっていなかった。いなかった筈だ。

 勝手な思い込みに過ぎない。しかしそれでもそれは彼の中で真実であった。

“お前のせいだ。お前のせいだ。お前のせいだ。お前のせいだ。お前のせいだ。お前の……”

 憎悪が溢れる。と、その手が動いた。

 僅かに動かすだけでも、焼かれた体は激しい苦痛を伴う。それすらも燃えさかる憎悪にくべて、彼は操縦桿に手を伸ばす。

 そして操縦桿を握りしめると、機体は軋むように動いた。

 パイロットスーツの内蔵スピーカーからは、動作不良や危険な状態を教える警告音が発せられる。それを無視して彼は、操縦桿のトリガーを引いた。

 トリガーが動かす物は、装備した重粒子砲。しかし、重機銃などよりもずっと精密な機械の塊であるそれは、既に内部を焼かれて使い物にならなくなっており、彼の憎悪に応える事はない。

 彼は落胆とも怒りともとれる呻きを漏らした。

 それでもなお諦めない彼は、苦痛の中に途切れそうになる意識を憎悪で繋げて、続いてフットペダルを深く踏み込む。

 機体の背後、スラスターが火を噴いた。

 熱されていた推進剤が、過剰な程の燃焼を起こす。つまり、バックパックを、推進剤タンクをも燃やして。機体をも炎に包み込んで。

 それでも、その炎は機体をメビウス・ゼロへ向かって押しやるに十分な推力となった。

 

 

 

 爆発を背負ったジンが、突っ込んでくる。

 ――事故?

 メビウス・ゼロに乗るラスティは、気付くと当然、そう考えた。

 自分に憎悪を向けられている事に鈍感だったが故に、ラスティにはそのジンの行動が理解出来ない。

 だからこそ気付かなかった。そのジンがメビウス・ゼロに向けて振り上げた拳に。

 その拳に、意思はあったが、意味はなかったかもしれない。ジンは既に機能停止寸前であり、旧式MAの装甲と言えども破壊出来る保証など無かった。

 しかしその事は試されもせずに終わる。

 ジンを擦過していくジン・ハイマニューバ。それが憎悪に終わりを告げた。

 敵大型MAを迂回しながら追いついてきたオロール・クーデンブルグの機体によって振られた重斬刀の一撃に、ジンは両断されてメビウス・ゼロから離れる。

 そして二つに分かれたジンはそのまま寄り添うように宙を漂い……少しあってから二つの火球となって砕ける。

 その様は無論、メビウス・ゼロからも全て見えていた。

「――どうして!?」

 味方殺し。

 それを目の当たりにしてラスティは悲鳴のような問いの声を上げる。

 だが、通信を通じて届いている筈のその声にオロールは沈黙し、ラスティに答えが返る事はなかった。

 

 

 

『アッザムリーダー、破壊されました!』

 アッザムの中で、機長は測的手からの報告を聞く。

 たかが旧式と侮ったか。まさかアッザムリーダーの方を狙うとは。

「先の戦いでは、高速で突っ込んで無理矢理引きずり出したのだったな。アッザムリーダー破りにも色々あるものだ」

 つい先だってのシグー四機との戦闘では、一機を捕らえたものの、僚機による強行突破で脱出されている。

 もっとも、僅かな時間だったとは言えアッザムリーダーの中に入った影響は免れなかったか、その後に仲間を抱えて鈍くなった隙を突かせてもらう事になった。

 今度のはなかなか上手くやったが、結局、仲間を担いで逃げ出そうとすれば動きがとれなくなるのは一緒だ。

 “一人の負傷兵は、二人の兵の手を奪う”

 相手を嬲り殺す様なアッザムリーダーの特性は、相手を消耗させるには効率的であった。

 ついでに言ってしまえば、アッザムリーダーの発生器は一つだけではないので、破壊されても戦力の低下と言うほどのことはない。

 こちらに被害は少なく、仲間を救おうとした敵に出血を強いた。損得の勝負なら、アッザムの勝利だ。

 と、モニターの中、救出されたジンの一機が、誘爆を起こしてバラバラになったのが映った。どうやら、救出は少々遅かったらしい。

 その無様に嘲笑を浮かべ、機長は命じる。

「仲間を救出し、我等に背中を見せた敵に、たっぷりビームをお見舞いしてやれ!」

『了解。砲撃します』

 砲手は応えた。

 メビウス・ゼロは、残る一機を引きずって逃げようとしている。その重い動きに照準を合わせるのは容易い。

 と、残る一機のジンが、スラスターを爆発させた。

 誘爆かもしれないが、メビウス・ゼロに取り付く様な動きは何なのか。

 溺れる者が救助者にしがみつくような動作。心情的には助けに縋る事を理解出来なくもないが、それは救助者もろともに溺れるだけの悪手だ。

 メビウス・ゼロの機動性はより落ちる事になるだろう。ならば、抱き合ったままビームの炎に焼かれると良い。

 機長は構わず、砲撃が行われるのを待つ。ほんの僅かな時間。しかし、その間に事態は急転した。

「今度は同士討ちか?」

 理解しがたい事に、メビウス・ゼロに取り付いたジンが、さらにもう一機……ジン・ハイマニューバによって破壊される。

 直後、アッザムから撃ち放たれたビームが、それら機体が固まる宙を薙いだ。

 ――が、メビウス・ゼロはそれを回避する。救出したジンから解放された事で、直前に機動性を取り戻していた様だ。

「……そういう事か! 味方を救う為に、負傷兵を切ったな!?」

 ジン・ハイマニューバの行動の理由を想像して機長は声を上げる。

 その想像は、それほど大きくは外れていない。味方を救おうとしたと言う点は正しく、だがアッザムからの攻撃を想定しての事ではなかったが。

「だが、終わったわけではないぞ。続けて攻撃を行え」

 指示を下す。戦いは終わったわけではない。そう……戦いは続いている。

 そしてその事を逆に教えるかのように、その時、アッザムを激震が揺らした。

「な!? 何だ!」

『もう一機のジンからの攻撃です!』

 

 

 

 ――オロールはやってくれた。だが、自分は身動きが取れない。

 敵大型MAと砲撃戦を行うミゲルは、ほぼ釘付けにされている状況に歯噛みする。

 相手の注意を引いているという点で戦果は出しているが、それは単にラスティやオロールが敵の注意を引いていないからとも言える。

 今、ラスティとオロールの両機は確実に敵の注意を引いた。

 どうする? 砲撃をし、それが命中したからと言って、相手の強引に振り向かせる事は出来ない。今までの攻撃の結果を考えれば無理だとわかる。

 115mmレールガン“シヴァ”の一撃をもってしても、敵大型MAの装甲を削る程度に過ぎないのだ。

 ならばどうする? 手をこまねいて見ている以外の行動だ。

 意味のない無駄な足掻き以外の行動だ。

 どうする?

 敵は、仲間達を狙い撃とうとしている――

「良いさ、俺を殺して見せろ!」

 決断は早かった。

 ミゲルは機体の足を止める。敵大型MAが可能とする猛攻を前にしては自殺行為だ。だが、次の攻撃には必要だった。

 そして冷静に敵に照準を合わせ、トリガーを引く。

 それはレールガンではなく、ミゲルのジン・アサルトシュラウドのもう一つの追加武装、220mm径5連装ミサイルポッドがだった。

 撃ち放たれたミサイルが敵大型MAへと直進する。

 それが命中するまで足を止めて待つ。この時に反撃が来ればミゲルの賭けは負けだ。ミゲルの機は容易く撃破され、おそらくはその後にラスティとオロールも撃たれる。

 だが、ミゲルの中の何処か冷静な部分が、その賭けは自分に分があると言っていた。

 敵はラスティとオロールを狙っている。

 ならば、自分への攻撃はきっと遅れるだろう。

 ……もう一撃を放つまでの僅かな時間くらいは。

 ミサイルは敵大型MAに届いた。着弾したミサイルが装甲の表面で弾け、閃光を撒き散らす。

 直後――ミゲルはレールガンを放った。

 

 

 

「アッザムの装甲は、奴の一撃程度では……」

 アッザムの中に響き渡る警告音と、測的手の報告に、機長は焦りの声を上げる。

 レールガンの一撃には耐えられた筈だ。それが何故?

 答が返る。

『違います。ミサイルです! その上に、奴は砲撃を重ねて――』

 ミサイルの着弾には、アッザムの装甲は耐えた。しかし、直後に撃たれたレールガンが、損傷した装甲を突き破って内部にダメージを与えたのだ。

『反撃します!』

 砲手が叫び、機長の返事を待たずに反撃を行った。

 モニターの中、宙に留まっていた砲撃戦型のジンの上半身がビームの直撃を受ける。

 爆発を映すモニターを見ながら、砲手は報告に叫んだ。

『命中! 敵機撃破です!』

 

 

 

「……ミゲル。お前ってば、俺に見せ場を譲ってくれるんだものなぁ!」

 ミゲルの機体がビームの直撃を受けたのを見ながら、オロールは自機に無反動砲を構えさせた。

 その筒先を向けるのは宙に浮かぶ敵大型MA。

 これはチャンスだった。

 ミゲルが作ってくれたチャンスだ。

「落ちろ、糞玉葱!」

 罵声と共に撃つ。放たれたロケット弾は、真っ直ぐに敵大型MAへと突き進む。

 狙いは、ミゲルが穿った装甲の穴。

 無論、そこに狙い当てるのは難しい。だが、それならば。

「全弾、持って行け!」

 当て難いなら数を撃てばいい。どれかが当たるだろう。

 その鉄則に従い、景気よく持ってきた全ての弾を撃ち尽くす。狙いなど、それなりにしか定めていない。文字通りの、「数撃ちゃ当たる」だった。

 敵大型MAに突き進んだロケット弾は多くが外れ、また健在な装甲に弾かれる。

 だが、その内の一発が、ミゲルの穿った穴から進入。その奥で炸裂した――

 

 

 

 敵一機撃墜の戦果に機内が沸いたのは僅かな間で、更なる激震の後にアッザム内の警告音は一段と高まり、全乗員に非常事態を伝えていた。

 装甲の中で炸裂したロケット弾に、機体は大きなダメージを受けている。自機を映したモニターでは、装甲の穴から炎と破片が吹き出しているのさえ見えた。

 だが、機長は怒りにまかせて吠える。

「まだ……まだだ! たかが後二機、このアッザムならば!」

 それは事実だ。

 確かに大きな損傷を受けたが、アッザムの戦闘力はまだ残っており、戦闘の継続は可能。

 残す敵は二機。アッザムからすれば大した敵ではない。

 戦いはこれからだと気炎を吐く事も出来た。

 しかし……

『機長。撤退命令です』

「何故だ! まだアッザムは戦える!」

 通信手が伝えた艦隊からの命令に機長は思わず怒鳴り返した。

『貴重なアッザムを失うわけにはいかないとの事で……』

「少々不利になって臆病風に吹かれたか!? これだから、安全な後ろで椅子をケツで磨くだけの奴等は……」

 文句を吐き散らしながらも、機長は落胆した様子で最後には命ずる。

「砲撃を行いつつ後退せよ。戦いは此処までだ」

『了解です』

 命令は直ちに実行された。

 ユルユルと距離を取りながら、残る敵に砲撃を行う。しかし、そんな身の入らない攻撃で落ちてくれるのは相当の間抜けだけだ。

 そして、敵の追撃はない。

「ここで追撃でもしてくれれば落とせたものを。退き際は知っているようだな」

 追撃の為に追ってくる所を、退き撃ちで討ち取る。そんな戦い方もある。こちらが戦闘態勢を維持している時、戦果に焦る敵には効果が高い。

 残念ながら、敵は間抜けではないらしい。

 機長は無念の気を抑えつつ、離れていく敵機の姿をモニターの向こうに見送った。

 

 

 

 アガメムノン級宇宙母艦の艦橋。ジェラード・ガルシア少将は焦りを安堵に変えていた。

「アッザムの撤退は順調なのだな!? よし、ならば問題ない。早く下がらせろ」

 アッザムは性能評価の為に貸し与えられた特別な機体だ。それを失っては、自分の面目が丸潰れになる。

「しかし、たかだかモビルスーツにやられるとは。機長は何をやっているんだ」

 不愉快そうに、責任をなするかのようにガルシアが言う。

 今まで積んだ勝利故か、MSの事をすっかり見下していた。“アッザムならばこの程度の敵”と、無意識に考えてしまっていたらしい。

「この程度……か」

 その事に自分で気がつき、ガルシアは渋面を浮かべ、調子に乗っていた自分を恥じた。弱いと思い込んだ相手に調子づいて足下をすくわれる、そんな傾向がガルシアにはある。それを省みて。

 しかし、その表情を機長への怒り故と見たのだろう。参謀達の方で機長を責める声が上がり始める。

 が……ガルシアにとってそれは困るのだ。何せ、機長を推薦したのはガルシア自身なのだから。

 どう話題を変えようかと考えていた所、その空気を読んでくれたのか、参謀の一人が声を掛けてくれた。

「ですが閣下。最後に撃墜したあのオレンジの機体は、ZAFTのエースである可能性があります。アッザムの性能の証明になるかと」

 エース。今までに連合軍に流血を強いた怨敵。その撃破は、アッザムの性能を大いに保証する事になるだろう。

 当然、その戦果を出した機長の功績も認めねばならない。「別の機長ならもっと戦果をあげられた」と言うのは容易いが、自分の馬鹿をひけらかす以外の結果を得るのは難しいだろう。

 ガルシアは、エースという言葉にすぐさま飛びついた。

「ほう、エースとはどんな奴だね?」

「ハイネ・ヴェステンフルス。オレンジの機体カラーがトレードマークです」

 参謀は資料の中から、何とも惜しい人名を上げる。確かにオレンジ色でエースではあるが……

 ともあれ、それにガルシアは上機嫌で応えた。

「素晴らしい。アッザムの撃墜記録に記載しておくように。最後は無様と思ったが、エース相手に白星か。機長の事も評価すべきだな」

 これで、アッザムの華々しい戦果の中にエース撃墜が加わる事となる。

 ガルシアは機嫌を直して満足げに頷いてさえ見せた。

 その上機嫌が消えない内にと、別の参謀が問いかける。

「閣下。奪われた連合モビルスーツはいかが致しますか?」

「…………」

 ガルシアは一転して困った様子で眉根を寄せた。

 これ以上の戦闘を行うなら、艦隊はアッザムに頼らずに戦う他無い。

 敵の戦力は圧倒的に少数ではあるものの、万が一の被害を被る危険は犯したくなかった。

 いや、敵が如何に少数でも、戦力の質で劣る以上、被害は絶対に発生するのだ。兵の命が大事という訳ではないが、失われる中に自分が含まれる未来は極力避けたい。

 それに、既に十分な戦果はあげている……と、言い訳が出来るくらいには戦果はあがっていた。ならばもう、いいのじゃないだろうか。

 ガルシアは、わざとらしく咳払いをし、言い繕う様に言葉を紡いだ。

「強攻はしない方針だ。此処は見逃してやるしかないな。実に残念だが、敵には幸運だったようだ」

「全くです。敵は命拾いしましたな」

「閣下の温情に感謝すべきです」

 参謀達が口々に賛同してガルシアを褒めそやした。要するに、ここにいる誰もが、危ない橋を渡りたくなどないのだ。

 どうせこの連合MSの一件は大西洋連邦の失点でしかない。多少、着せる恩が少なくなるが、ここで欲をかく必要がある事でもないだろう。

 考えても見ろ。連合MSの件で大出血した大西洋連邦と違い、ユーラシア連邦は一人の兵も失わずに大戦果をあげ、自国製新型MAの性能を証明してみせたのだ。既に大勝利ではないか。

 しかしまあ、つまらない所をほじくり返す連中も多い事だ。建前に近いものだったとは言え、作戦目標未達成は痛い。

 しばらくは基地から根回しの日々だな……

 自分の功績を最大限に活かす為、そして更なる地位を得る為、基地に帰ってからがガルシアの戦いとなる。こんな所で戦っている暇はない。

 結論に至るとガルシアは改めて命令を下した。

「各艦、各モビルアーマー隊には、アッザム収容中の対空警戒を厳に行わせろ。アッザムの収容が完了次第、“アルテミス”へ帰還する」

 

 

 

 敵大型MAの後退。その後、連合艦隊は見事と言って良いくらいに整然と撤退していった。

 もっとも、そんな事は鉄の棺桶と化した自機の中にいるミゲルにはわからない。

 火が落ちて自分の指先も見えないような完全な暗闇となったコックピットの中、ミゲルは身じろぎ一つせずに操縦席に座り続けていた。

 と……機体が揺れる。何かが機体に触れたようだ。そしてそれは、ミゲルが期待した通りの相手だった。

『ミゲル、無事か?』

 接触回線を通して通信が届く。相手はオロールだった。

「……何とかな」

 ミゲルは安堵の息を吐きつつ、身動きはしないままに答える。

「敵は?」

『撤退してくれた。肝が冷えたよ。こっちは弾切れで、敵のもう一押しがあったら死んでたぜ。って……見えてないのか?』

 オロールに戦闘結果を聞き、危機は去ったと知ってミゲルは安堵した。

「そうか、まあ勝ちだな……で、こっちはカメラ全損、通信不能だ。何も見えないし聞けない」

『だろうな。胸から上がごっそり無くなってるわ。よく生きてたな』

 胸から上……ああ、そこに当たったのか。

 ならば、メインカメラのある頭部、そしてアサルトシュラウドで追加された武装は全て失われた事だろう。肩辺りのサブカメラも死んだだろうし、肩から腕の駆動装置も全損か?

 修理は……いや、ここまでやられれば、廃棄処分だろうな。

 そんな事を考えながら、ミゲルは応答する。

「撃たれる事はわかってたからな。砲撃後に下に機体を移動させたんだ……」

 反撃は絶対にあると考えていた。だから、砲撃後はすぐ機体を動かした。結果、それが命を救ったらしい。

 まあ、命は救われた。それは良いとして……だ。

「あー、いや、痛い。体が死ぬ程痛い。酷く揺さぶられたからな。ラスティはよくあれで無事元気だったよ」

 全身を痛みが覆う。着弾直後の激震の事は記憶に薄い。だが、これだけ全身が痛むのだ。おそらくはシェイカーの中のカクテルみたいに振り回されたのだろう。

 打撲で済んでいれば良いのだが、骨だの筋だの壊していたら、回復に時間がかかる。

 同じ様な撃墜のされ方をしておいて、よくもまあラスティは無事だったものだ。あれは、まるでその時にコックピットにいなかったみたいな無傷っぷりだった。

『帰ったら、予備機体も無いし、しばらく医務室生活出来るぜ? 羨ましいよ』

「羨ましいか? 代わってやるよ」

 オロールに言われたが、そいつこそは御免だ。ベットに安全ベルトで拘束された状態で何日も過ごすなど、退屈で殺す拷問かと思う程に苦痛だ。

『くくっ……』「はは……」

 二人の間に小さな笑いが起き、それが静まるとただ沈黙が残った。

 ……気分的に話し難い。しかし、放っておける事でもない。

 憂鬱な気分でミゲルは切り出す。

「ラスティはどうした?」

『お前の生存確認までは居たよ。今は、帰っちまったな』

 オロールの返答は何の気無しの言葉の様に聞こえた。

 が、味方パイロット……実質は仲間の背中を狙う敵だったわけだが、ともかく味方を助ける為に敵に突っ込んでいくあのラスティが、ミゲルの生存が確認されたからと言って、さっさと帰ってしまうはずがない。

 あのやたら攻撃的で情熱的な性格からしても無い事だろう。

 ならどうしてなのか。答えは一つだ。

「不味い所を見られたしな」

『言い訳は出来ないしなー……口利いてくれなくなっちゃったよ』

 あの時。仕方なかったとは言え、オロールは“味方殺し”を行った。

 ミゲルは重々承知であるし、ゼルマンにもそれがラスティを救う為だったとは理解してもらえるだろう。罪にはなるまい。

 しかし、何も知らない……何も教えられていないラスティにとってはどう見えたか? それは言うまでもあるまい。

「お前は悪くない。命令したのは俺だ」

 それは自身で背負う事に決めた。ミゲルが言うと、オロールも言葉を返す。

『だよなー。お前、責任とって何とかしろよ?』

「……ここは互いにかばい合う所じゃないのか? ああ良いよ。お前にそんなの期待した俺が馬鹿だった。帰還したらラスティに……っ!」

 話を続けようとして、ミゲルは体を襲う痛みに呻く。苦痛は今も全身を苛んでいた。

『……全部、治療を終えてからだな』

 オロールは苦痛に呻くミゲルへ気楽に言う。まるで気にしていないと言う様に。

『なーに。この任務が終われば、多分、ラスティともお別れだ。ラスティの中で俺が背中撃ちのままだったとしても、何も問題ないさ』

「そうだな……」

 それはそれで良いのかも知れない。少なくともラスティが、自分自身が命を狙われ、彼女の愛する戦いを汚されていたと知る事はないのだから。

「お前一人、糞の様に嫌われればそれですむもんな。俺も楽が出来て良かったよ」

『おいおーい。ちょっと気を楽にしてやろうとしたら、本気にしちゃったのかい? 仕事しろよ? 任務終了まで、部隊の統率はお前の仕事だぞ? 隊員間の揉め事とか放置すんなー?』

 冗談混じりに嫌みたらしい言葉を吐く。お互いに。その後、ミゲルとオロールは笑いあった。

 もっともミゲルは、笑った事で呼び覚まされた体中の痛みに、しばらく声も無くもがく事となるのだが。

 

 

 

 かくして、連合宙軍アルテミス所属ユーラシア連邦艦隊の戦場離脱により、ヘリオポリス沖会戦と呼ばれる一連の戦闘は終了した。

 結果は、連合宙軍第8艦隊が壊滅。一部の艦は残ったが、第8艦隊が再編される事は当面無いだろう。

 彼等は、連合製MSの奪還にも失敗しており、幾隻かのZAFT艦を撃沈させるも、自らも大きな被害を出し、目標は果たせずに終わった。

 一方、ユーラシア艦隊は、その新兵器アッザムの実戦投入を行い、自らは被害を受けることなく大きな戦果を上げた。この事は、後にユーラシア製大型MAの存在を強くアピールする事となる。

 ZAFTは、今会戦に参加した艦艇に全滅と言って良い被害を出した。とは言え、参加艦艇数が少なかった事もあり、それほど大きな被害ではないとも言える。

 肝心の連合製MSは守りきっており、作戦目標を一応は達成していた。

 この後、輸送艦と合流したローラシア級モビルスーツ搭載艦“ガモフ”はプラントへの帰途を辿る事となる。

 ZAFTによる連合MS奪取から始まり、荒れに荒れたヘリオポリス周辺宙域は今、仮初めのものかもしれないが一時の凪ぎを迎えた。

 



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