「君の名は。inクロマティ高校」 (高尾のり子)
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1話
「君の名は。inクロマティ高校」
前略、お母さん、朝起きて突然に男の子の身体だったのも、驚きだったけど、それなりにイケメンで神山高志くんというそうです、私はなんとか制服を着て彼の高校に登校してみたのですが…。
「…ぅぅ…」
見慣れない人たちに囲まれて、いささか戸惑っています、と宮水三葉は心の中で亡き母親に相談してみたけれど、何も解決しない。都立クロマティ高校の教室にいるのは、ほぼ全員が不良だった。金髪のリーゼントは、まだおとなしい方で、モヒカンもいれば、スキンヘッドの生徒もいて、みな一様に目つきが恐ろしい。眉毛が無いなど当たり前で、顔に大きな傷跡のある男子さえいて、不良やヤンキーの領域を超えて三葉にはヤクザにしか見えない人もいる。教室なのに堂々とタバコを吸っているし、糸守高校だと不良は学年に一人いるか、いないかくらいで、いても、ここまで怖い生徒は見たことがない。大都市東京で洗練された不良たちは山奥の町とはレベルが違った。
「……ぐすっ…」
悪そうな人だらけだよ…、緊張して鉛筆を持つ手も震えるし…、と三葉が泣きそうになって震えていると、うっかり鉛筆を机から落としてしまった。
「あ…」
カコン…
教室の床に転がった鉛筆を急いで拾おうとしたけれど、近くにいたパーマ髪をリーゼントにした不良が拾い上げてくれた。
「え…あ、ありがとう」
なんだァ、中には親切な人もいるんだなァ、と三葉は一瞬だけホッとしたけれど、その不良は鉛筆を渡してくれない。
バキン!
いきなり不良は鉛筆を噛み折っている。
「なっ?! ……………」
驚く三葉を前にして不良は平然と、鉛筆を噛み砕いていく。
ぼりぼりぼり…ごっくん
丸一本の鉛筆を不良は飲み下してしまった。
「…………え……鉛筆を食べた……」
なんて不良なの、もう普通のワルとか、そんなレベルじゃないよ、それとも、もしかして私が持ってる神山くんの鉛筆は、もともと食べられる物なのかな、東京だし、いろんな新商品があるのかも、と三葉は興味を抱いて筆箱にある鉛筆を食べてみた。
「……うえっ…ゲーぇ…」
食べられずに、吐き出した三葉は口噛み酒を造るときの要領で口元を隠した。休み時間になって三葉は恐る恐る校舎内を探ってみた。
「………なんでゴリラとかいるの……っていうか、不良校なのに、すごい高性能なロボットまでいるんだ……」
「おい、神山」
「は、はい!」
教室に戻った三葉は不良の一人に声をかけられた。
「な…何ですか?」
「オメーも中学ん時、アダ名があっただろ! ヘタレとかタコスケとかよ」
「え……」
私には、吐き巫女とか、人間サーバーとか、ゴックンしない子とか、思い出したくない陰口があるけど、神山くんが、どうなのかは知らないし、そんなこと言われても困るよ。
「オレらには武勇伝にふさわしい二中の火の玉、とか、三中の病院送り、ってのがあるがよ。お前にはなんかねぇのか?」
「……」
ううっ…テッシーとか、サヤチンにはあるけど、私って定着したアダ名は無いんだよ。
「お前、悪いことなんかしたことねーだろ」
「え…うん……ずっとマジメに生きてるから……たぶん……あ、でも」
ちょっとは話を合わせておかないと怒られるかもしれないし、と三葉は女子らしく空気を読み、自分の悪事を語ることにした。
「そんな私でも、一つだけ悪いことをしてるんですよ」
「オメーの悪さなんてたいしたことねーだろ?」
他の不良も言ってくる。
「ピンポンダッシュか賽銭泥棒くらいじゃねぇか、せいぜい」
「え、ええ、まあ、ホントにたいしたことないんですけど」
三葉が自慢にならないように気をつけながら勅使河原克彦のことを語る。
「私のことを好きでいてくれる異性がいるんですけど、こっちとしては付き合うほど好きじゃないっていうか。まあ、嫌いじゃないけど、どうしよう、くらいの人なんですよ」
「オメー、まさか、好きじゃねぇけど、とりあえずヤったって自慢話か?」
「いえ、まさか! そんな大それたことできませんよ」
「ちっ、びっくりさせやがって。んで?」
「で、その人のことを好きな人もいて、それが私の友達だったりするんです」
三葉が名取早耶香のことを言った。不良たちの脳内では、性別が逆転した克彦と早耶香が浮かぶ。
「ほォ~、いわゆる三角関係だな」
「けど、私は今すぐ誰かに決めようって気持ちはなくて、とりあえずキープというか、ちょうど、その友達がフォローに入ってくれる分、つかず離れず中学から、その異性の気持ちには気づかないフリして、ずっとキープできてるし、このまま、いよいよ結婚相手を決めるって時期の25歳くらいまで、キープできたら、いいなって。あえて、恋人はつくれないんじゃなくて、つくらないってポジションが最高かなって。母がね、言ってたんですよ、なにか大きな頼み事をするときとか、恋人になってるより片想いのままでいさせる方が、より頑張ってくれるからって。だからですね、悪いなぁ、と思いつつもキープしておこうかって。理想の人を探したりして、いよいよ結婚適齢期を過ぎそうになったら、そのキープを使えばいいし、キープ解除しても、友達が拾ってくれるかなって」
「「「「「……………」」」」」
「まあ、皆さんに比べたら、私の悪さなんて全然たいしたコトないんですけど。テヘっ」
「「「「「お前とんでもねぇワルだよ!!!」」」」」
三葉は不良たちの中で深慮遠謀の策士として一目を置かれるようになった。
副題「君の名は。inクロマティ高校、略して、君クロ。意外と黒い三葉さん」
さてさて、三葉さんと神山くんは、いずれくる隕石に、どう対処するのか。次回は神山くんin三葉ボディで、お送りします。
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2話
前略、オフクロ様、おっぱいがボクにもできたようで、母親になれるかもしれません。
「………………」
朝、神山高志は鏡に映る三葉のおっぱいを黙って見つめていた。
「……不可解な事態だ……。ボクが女性に………けど、朝起きてゴリラやロボットになっていることに比べたら、ささいな出来事かもしれないな」
気を取り直して、そばにあった制服を着てみる。
「………やはり女性なのか……」
高志が再び鏡を見つめていると、宮水四葉が戸を開けた。
「お姉ちゃん、早くしいや」
「……………」
「お姉ちゃん、聞いてる?!」
「…………………」
「何を真顔で鏡、見つめてるん?! ナルシストか?!」
「なかなかに、美人だと思いまして」
「……ァ…アホになってる…………。ま、いつものことやけど。朝ご飯できてるから、おりて来てよ!」
「わかりました」
高志は一階へおりてみる。
「おはようございます」
「おはよう、三葉」
宮水一葉が座っていたし、四葉も座っているので、空きスペースに座ってみた。
「ご飯をいただいてもよろしいでしょうか?」
「「……どうぞ」」
「では、いただきます」
行儀良く食べ始める姉を見て、四葉が問う。
「今朝のお姉ちゃん、変やね」
「やはり、そう思いますか」
「………。うん。かなり」
「ところで、三葉というのは私の名前ですか?」
「「…………」」
一葉と四葉が顔を見合わせている。それで、なんとなく察した。
「そのようですね。ところで、ここは、どこですか?」
「三葉、もういいから、早う食べて学校に行きなさい!」
「……わかりました、そういたします」
カバンを持って高志は外に出た。すぐに勅使河原克彦と名取早耶香が挨拶してくる。
「おはよう、三葉」
「おはよう、三葉ちゃん。……なにを、自分の家の表札なんか、見つめてるん?」
「この家は宮水という家ですか?」
「「……………」」
「わかりました」
高志は三葉の瞳で風景を眺めた。
「ずいぶんと山の中ですね」
「「…………」」
「空気がすがすがしい」
「三葉、今日は髪の毛、73にしてるんや」
克彦に言われて頷いた。
「ええ」
「それも、……かわいいな」
「ありがとうございます」
「テッシー! 三葉ちゃん、そろそろ学校に行こう!」
早耶香に促されて歩き出すうちに、高志はカバンを漁って三葉の生徒手帳を見つけた。
「……岐阜県……糸守町…………糸守高校………宮水三葉……2年3組……2013年………なぜ、こんな古い生徒手帳を……けれど、写真は現在の……」
「何をぶつぶつ言うてるんや、三葉」
「この生徒手帳は、私の物ですか?」
「……当たり前やん」
「私は2年生なのですか? 今は20…何年?」
「そうや。三葉、お前よく日付とか忘れて冬服と夏服を間違えて登校したり、ひどいと年が変わってるのに気づかず一学期に下級生の教室へ行ったりするから、ちゃんと日付と年くらい認識しろよ。今は2013年や。そして、お前は2年生や」
「そうですか。ありがとうございます。………女性化だけでなくタイムスリップも……これはゴリラ以上だ」
「「は?」」
「ともかく落ち着いて行動しよう」
「「…………」」
克彦と早耶香は、すっと前を向いて歩いていく三葉を心配しながらついていく。道ばたでは宮水俊樹が選挙演説をしていた。
「どうか、この宮水俊樹に清き一票をお願いします! ん? ……どうした、三葉」
俊樹はまっすぐ見つめてくる長女に気づいて問うた。
「同じ宮水………あなたと私は、どういう関係ですか?」
「…………朝から、くだらんことを言うな!」
「失礼しました。では」
一礼して登校を再開すると、早耶香が言ってくる。
「どうして、お父さんに、あんなこと言ったの?」
「お父さん……だったのですか……なるほど。では、私のお母さんは?」
「「…………」」
二人が悲痛な顔をして下を向いたので、わかった。
「お母さんは亡くなっているのですね」
「……三葉ちゃん……」
「三葉……」
「………ともかく、学校へ行きましょう」
高志が学校に着くと、三葉の瞳を輝かせた。
「……なんて、すこやかな学校なんだ……不良が一人もいないなんて……みんな、髪の毛があって、黒いじゃないか……」
「「…………」」
「私の下駄箱を知っていますか?」
「……あそこよ」
「ありがとうございます」
教室で授業が始まると、静かな授業風景に深く感動している。
「すばらしい……これこそが真の高校生活……」
休み時間になり校舎内を歩き回って、つぶやく。
「本当に、何もいない」
「三葉ちゃん、誰かを探してるん?」
「ゴリラなどはいないのですか?」
「………おらんよ。……猪と鹿なら、たまに入ってくるけど。あと熊も」
「熊……やはり、どこの学校でも、そういった苦労はあるのですね」
「…………何を言ってるのよ? 三葉ちゃん、今朝からおかしいよ?」
「おかしいですか?」
「……うん……すごく」
「あなたは生まれ変わりや、タイムスリップを信じますか?」
「…………ムーでも読んだの?」
「たまに立ち読みはします」
「…………」
早耶香が答えに困っていると、高志は考え事をしながらつぶやく。
「……生まれ変わりなのか……このまま、私は宮水三葉として生きていくのか………それとも、元に戻るのか……生まれ変わりにしたって、こんな途中からでは……いやいや、そういうこともあるのかもしれない」
また授業を受け、昼休みになって克彦と早耶香の三人で校庭に出て、昼食をとる。
「三葉、今朝から、どうしたんだ?」
「いえ、お気になさらず。ちょっとした思春期の気まぐれですよ。あははっは!」
「なんか誤魔化す感じやな」
「私は平穏な学校生活を望んでいるのですよ。そっとしておいてください」
「そう言われると……」
昼休みが終わりかけになり三人で教室へ戻る途中、克彦が男子トイレへ、早耶香が女子トイレへと入っていった。
「………どちらに入るべきか……。こういう場合………やはり女子トイレ……いや、しかし、自分が女性だと思い込んでいるだけで、実は男なのかも………それとも、女子トイレへ入った途端、元に戻ってしまうとか。うむ、ありそうな展開だ。それに、やっぱり、この身体は宮水三葉さんのもので、私とは別人ということも……そうなると、おっぱいはともかく、さすがにパンツをおろすのは問題では……」
悩んでいると克彦が用を済ませて出てきた。
「三葉、何を悩んでるんや?」
「テッシー、あなたに究極の質問があります」
「…お、おう……何や?」
「女子トイレへ入った男子という烙印を押されるリスクと、おしっこを漏らした女子という烙印を押されるリスク、どちらを取りますか? とくに平穏な学校生活のためには、どちらがリスクが大きいと思いますか?」
「な……難問やな……。けど、やっぱり男子が女子トイレに入ったら変態あつかいで永遠に村八分やろ。女子なら、誰か優しくフォローしてくれるんちゃうか」
「なるほど………あ、サヤチン」
早耶香も女子トイレから出てきた。
「三葉ちゃん、トイレいいの?」
「サヤチンに究極の質問があります」
「う、うん…、何?」
「自分で自分の身体を動かせない状態で、おしっこをしたくなったとき、見知らぬ男にパンツをおろしてもらうか、それとも我慢し続けるか、どちらを選びますか? 女子として、どちらがダメージが大きいでしょう?」
「それは………見知らぬ男だよ。私なら意地でも我慢する」
「漏らしたとしても?」
「うん……パンツおろされるのに比べたらマシ。漏らしても乾くけど、パンツおろされるのは死んでもイヤ」
「そうですか。もうチャイムが鳴りますね、教室へ戻りましょう」
「み…三葉ちゃん、トイレいいの? 今朝から行ってないよね?」
「………たぶん、帰宅するまで我慢できるでしょう」
「「……………」」
すごく二人は心配しながら五時間目を迎えたけれど、三葉の顔は平然とした表情をして黒板を見つめている。そろそろ授業が終わる頃、ユキちゃん先生が三葉をあてた。
「宮水さん、この問題をやってみてください」
「はい。このような機会、中学以来です。必ずや正答いたしましょう」
「…い…意気込みは、立派ですね。どうぞ」
ユキちゃん先生がチョークを渡して、三葉の足が教壇を登った瞬間だった。
ジョーぉぉ…
三葉のスカートから黄色い滝が流れ落ちて、足元に水たまりができた。
「…………くっ、………一物がない分……我慢がきかないのか……女性は……これは、困った」
「…み……宮水さん、大丈夫?」
「はい」
「……………」
ユキちゃん先生は対応に困った。授業中に教壇でおもらししたのに、まるで恥ずかしがらない女生徒に、どうフォローしていいか、わからない。まだ、教室の生徒たちは騒いでいないけれど、すぐにも騒ぎ出しそうで教師としてイジメや不登校に発展しないよう、正しい対応が必要だったけれど、動けずにいる。
「……み……宮水さん……気にしないで……みなさん、このことは誰にも言わずに……無かったことに…」
「先生」
三葉の手がユキちゃん先生の肩に触れた。
「は、はい、何ですか?」
「お茶を零してしまいました。すいません。すぐに拭き取ります」
「…そ……、そ、…そうですね! お茶ですね! これは、お茶ですよ、みなさん! いいですね!!」
ユキちゃん先生が言い含めているうちにバケツと雑巾を持ってきて、水たまりを自己処理している。それが終わる頃に五時間目が終わり、休み時間は微妙な空気が漂う。誰も三葉のことは話題にしないけれど、誰もが三葉のことをチラチラと見ている。早耶香が心配して、それらの視線を遮るように近づいた。
「………三葉ちゃん、大丈夫? ……早退する? いっしょに帰ろうか?」
「いえ、もう大丈夫です。ただのお茶ですから」
「……そうだね……そうだったね……」
六時間目が始まり、さらにHRと掃除が終わる頃になると、さすがにクラスメートの一部がからかってくる。
「お茶臭いよね、宮水」
「もう、お茶こぼすなよ。お茶もらし巫女」
「きゃははは! 人前で、よくやるよね」
とくに宮水神社の祭りのさいにも野次を飛ばす女生徒が中心になって、からかっている。三葉の腕が考え込むように腕組みされ、しばらくして早耶香に問う。
「サヤチン、手鏡とカミソリを持っていますか?」
「え、うん。あるよ」
早耶香から手鏡とカミソリを借りると、さっと三葉の眉毛を剃り落として、73に分けていた髪をオールバックにした。
「………うむ、髪も北斗くんみたいになった。眉も剃ったし、これで迫力もでる……高校デビューのすすめを読んでいてよかった。このままクラスの最下層に落ちるよりは、いいだろう。元に戻って彼女本人になっても、眉なら生えてくるし、元に戻らないとしても、平穏な学校生活のためだ。心を鬼にして」
つぶやいた後、三葉の眉間に深いシワがより、手で胸のボタンを2つほど外してから、からかっている女生徒に向かって歩き出した。
フゥォオオ…フゥォオオ…
大きく身体を左右に揺らし、ダラダラとした歩き方をして女生徒に近づくと、三葉の瞳がガンを飛ばしながら、唾液も飛ばして一喝する。
「シャスゾダラっ!!!」
言葉に意味など無い、迫力だけのドスのきいた声を発しつつ、女生徒が座っていた机を蹴った。
「きゃっ?!」
からかっていた女生徒は机ごと転び、怯える。
「ひっ…」
「茶つってんだろ死なすぞアマっ!!」
「きゃひぃ…」
怯えきった女生徒が、おしっこを漏らす。
じわっ…
パンツが黄色く濡れて教室の床に水たまりができた。
「てめぇの茶も拭いとけよ、ユルマン」
「…ひっ…はい…ひぃぃ…」
三葉の身体が踵を返すと、カバンをもって帰宅する。
「…うむ……料理学校に入れば、料理……農業高校なら農業……やはり、見て学ぶだけでも身についているものだな……あの日々も、無駄ではなかった……」
後を追ってくる克彦と早耶香たちと帰宅して夕食をとってから、一葉に風呂を言われる。
「三葉、そろそろ、お風呂に入り」
「………裸になるのか……それは、悪いな……戻るかもしれないし……一週間くらい様子を見てからにしよう」
「お姉ちゃん、一週間も、お風呂やめる気? 臭くなるよ」
四葉が心配してくれるけれど、その頭を撫でてから考える。
「そうだね。そうなる前に決断しよう。女性として生きていくか………元に戻るのか。うむ……時間を超えて……」
考え込みつつ、三葉の瞳が壁にあるカレンダーを見つめる。そして、ハッと気づいた。
「今のボクは中学生!」
「……高校生だよ、お姉ちゃんは」
「そうだ! この奇跡は神さまがボクにくれたチャンスなんだ! ボクを救うために! 今なら間に合う! ボクに知らせるんだ! 迫り来る危機を! 未来を! 電話一本で未来が変わる! どうせ、山本くんは受験で落ちる! そう伝えて断念させるんだ! それで高校でのボクの表情は一変するんだ!」
「……表情………眉毛は、なくなってるね……かなり変だよ」
「だが待てよ! それではタイムパラドックスが生じないか……ボクが、ボクの行く高校を知っているからこそ回避しろと知らせ、知らされたボクがクロ高に行かなければ、今度は誰が知らせ……いやいや、そもそもタイムスリップが起きている時点で、それが可能になっているから、なんとか成立するのか……それとも、とんでもないリスクが……う~ん……どうする? どうするべき何だ?! 神山高志! 家へ電話をかけて知らせるか、知らせないか、もう時間が残されていないかもしれないぞ! この瞬間にも、元に戻るかも! そうなったらチャンスは永遠にこない! 神の奇跡を無駄にしていいのか……ぐうぅぅ……どうするべきなんだぁぁ…」
「先にお風呂、入ってくるよ。臭くなる前には入ってね。……あと、お姉ちゃん、おしっこ臭いよ、微妙に」
興奮した様子の姉の一人言へ付き合う気がなくなった四葉は、ゆっくりと入浴して揚がってきた。そして、固定電話の前で震えている姉を見た。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「自宅番号を忘れていた!!!」
「……そう……おやすみ」
四葉は変な姉を相手にせず、二階へあがった。
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3話
三葉は朝起きて、ぼんやりと顔を洗った後に鏡を見て叫んだ。
「眉毛がぁぁ!?!」
「おはよう、お姉ちゃん。朝から元気だね」
「私の眉毛がぁあ!! ないィィ?!」
「なんで剃ったの。バカみたいだよ」
「ぅううぅ……そんな覚えはないのに……。なんとか、誤魔化さないと。……男の子になる変な夢はみるし……それにしても変な夢だったなぁ……ゴリラとかロボットまでいて。あんなヤンキー校、あるわけないよね。うん、やっぱり夢だよ」
三葉は前髪をおろして眉のあたりを隠す髪型にすると登校した。通学路で克彦と早耶香に出会って言われる。
「おはよう、三葉。……今日も髪型を変えたのか…」
「おはよう、三葉ちゃん……思いっきり前髪、おろしたんや」
「うん…まあ…」
眉毛がないことを知られたくない三葉は前髪をできる限りおろしていたし、パッツン前髪にもしたくないので、かなり髪の毛で顔が隠れている。ギリギリ前が見えるくらいに髪をおろしていた。
「昨日は73で今日は……おとなしい感じというか……。……」
「三葉ちゃん、それ貞子みたいだよ」
「うぅぅ……今日は、そういう気分なの!」
「そうか。まあ、恥ずかしくなって顔を隠したい気持ちはわかるけどな」
「そうかもね。三葉ちゃん、昨日のことは、そんなに気にしないでいいよ。クラスのみんなも、からかわない感じだから」
おもらしを授業中にしたことを三葉が気にして顔を隠しているのだと思った二人が慰めるように言うと、三葉は首を傾げる。
「昨日のこと? 私、なにかした?」
「「…………何も。何もなかった。ごめん」」
「う~ん……?」
違和感を覚えつつも登校して教室に入ると、やはりクラスメートから微妙な視線を感じるけれど、それは髪型のせいだと考えて、いつも通りに着席する。すぐに朝のHRで点呼が始まった。
「勅使河原くん!」
「はい」
ごく普通に出欠確認されていき、三葉の番になる。
「宮水さん!」
「はい」
「…………」
点呼したユキちゃん先生は迷った。明らかに三葉の前髪は、それほど厳しくない校則の運用基準からしても問題があり、ほとんど顔が見えない。まるで宮水三葉ではなく宮水貞子が着席しているように見えた。それを注意するべきか迷い、おもらしのことを思い出した。昨日は平然としていたけれど、今日になって恥ずかしくなって顔を見せられないのだと配慮して、注意せず職員室に戻ると他の教師にも事の次第を伝えた。もともと三葉は問題児ではないけれど、家庭的な問題は多い。両親不在で、なおかつ父親は町長という取り扱いを誤ると教師たちの立場も苦しくなる生徒で、万が一、おもらしのことをクラスメートからバカにされて、思春期の多感な時期なので衝動的に自殺でもされると担任や校長が吊し上げを受けることは明白で、しばらく三葉のことは最大限の注意と配慮をもって取り扱うことが教職員の共通認識になった。
「今日の国語の時間は道徳に替えます」
ユキちゃん先生は時間割を緊急に変更して一時間目を開始する。
「テーマはイジメは犯罪、無くそう自殺、イジメた人は犯罪者です」
「「「「「……………」」」」」
それを聴いたクラスメートたちは、すぐに察した。おもらしのことと、その後に三葉が豹変して糸守では見たことがないようなメンチを切って、からかった生徒を震え上がらせたことを。そして、教師たちの自己保身への意気込みも察したので、もう三葉のことは誰も言わなくなる。明らかに貞子だったけれど、それも言わないし、言うと教師も怒りそうだし、キレた三葉が貞子というより本場のヤンキーだったので、誰もが教室にいる貞子さんのことは居ながらにして、居ないことにする。
「……よし、眉毛が無いのバレてない」
三葉の方も、動くと前髪も動いてバレるかもしれないので、着席してジッとしているので、ますます貞子だった。授業中も可能な限り、動かないようにしていたので三葉の周りだけ空気感が違ったし、どの授業の教師も注意しなかった。お昼休みになると、いつも通りに克彦と早耶香の3人で校庭の木陰で昼食をとった。
「ぅ~……食べにくい」
うっかりすると髪の毛が口に入ってしまいそうになるけれど、髪をあげると眉毛がないのがバレると思い、そのまま食べている。昼休みが終わりかけになり、早耶香が誘った。
「三葉ちゃん、おトイレ行こう。ちゃんと行っておこう」
「え? ……うん…、でも中休みに行ったから今は、そんなに…」
「まあ、そう言わずに行っておこうよ」
「そうだね。じゃ」
いつもより強く誘われたので何かトイレ内で内緒話でもあるのかと思ったけれど、普通に用を済ませただけで終わった。放課後になり3人とも帰宅部なので自宅へ向かうけれど、三葉は途中でコンビニへ寄った。
「ちょっと買い物してくる」
「あ、トイレ? それなら私が何か買ってもいいけど」
「買い物だよ?」
「……そっか。買い物か…」
「ん~? ………二人は、そこで待ってて。あんまり見られたくないし」
「「………わかったよ」」
見られたくない何を買うのだろうと思いつつ、早耶香と克彦はコンビニへ入っていく三葉の背中を見送った。外から店内を見ると、貞子がコンビニに居るように見える。早耶香は克彦に問う。
「ねぇ、テッシー。三葉ちゃんは、おもらしのこと気にしてると思う?」
「ど…どうだろうな……一日中、顔は隠してたけど、……気にしてるような、ぜんぜん忘れてるような」
「クラスのみんなも、黙ってるし。……まあ、昨日、あれだけ豹変して脅せば、からかう気にもならないだろうし。今日は今日で、貞子だから、なんか怖いし……」
「そういえば、三葉をからかった女子、今日は休んでたな」
「脅されて、あの子も漏らしたから。普通、高校生にもなって教室で漏らしたら、休むよ。三葉ちゃん、えらいなぁ」
「……けど、わざと我慢して漏らさなかったか?」
「うん………そういう遊び小学校の頃、女子の間で流行ったけど何人か漏らして、いじめにつながって先生に怒られて終わったよ」
「そんなことしてたのか……あ、出てきた」
三葉は買った物をカバンに入れてコンビニを出てきた。
「お待たせ」
「おう。じゃ、帰るか」
「うん」
おもらしと貞子のことには触れず克彦と早耶香は三葉と帰り、帰宅した三葉は鏡の前でコンビニで買った化粧品のアイライナーを出した。
「明日の朝、ちゃんと眉毛を描けるよう練習しておこう」
髪をあげて、アイライナーで眉毛を描く練習をして一日を終えた。
朝、高志は残念そうにクロマティ高校へ登校してきた。
「普通の高校に通えると思ったのに……儚い一夜の夢だったか………けど、クロ高にも、もう仲間がいる。そうだな、現実を受け入れて積極的に生きよう」
「おっ」
林田慎二郎が声をかけてくる。
「オメー、今日は、いつも通りだな」
「え? そういえば、こちらの時間でも一日経っていた。林田くん、昨日のボクは、どうしていました?」
「はぁ? 自分のことだろうが? 今日も、やっぱり変か?」
「昨日は、どのように変でした?」
「昨日はよぉ、なんかナヨナヨして女みてぇだったぞ。まあ、もともとオメーは、うちの校風には馴染めてねぇけどな」
「女性のように……ナヨナヨ……」
高志は気になることがあったので図書室へ行ったけれど、顔を伏せた。
「この学校の図書室は、使えたものじゃない」
荒廃した図書室は冬場に暖を取るために本が燃やされたりしていて、ろくな資料が残っていなかったので早退して都立図書館へ向かおうとすると、林田が興味をもってついてくる。
「オメーが早退とは珍しいな。槍でも降るんじゃねぇか」
「ちょっと調べたいことがあるのです」
しばらく図書館で糸守町のことを調べていた高志は悲しそうに言った。
「そうか、彼女は死んでいたんだ。そして、ボクに乗り移って……替わりにボクの魂が彼女へ……」
「オメー、何を言ってるんだ?」
「実はですね。昨日、ボクは不思議な体験をしまして、この女性と魂が入れ替わっていたのです」
高志は当時の新聞記事に載っている犠牲者一覧にある三葉の写真を指した。
「入れ替わってたァ? けど、こいつ死んでるじゃねぇか。隕石? 運の無い女だな。でも、けっこうかわいいな。もったいない」
林田も見た三葉の写真は修学旅行で撮影されたもので、女子高生らしく写りを気にして顔の角度を工夫して最大限に可愛く見えるよう撮られていた。
「かわいいなぁ。生きてたら、もう20歳か、いい女になったろうに」
「彼女は、すでに亡くなっていた。……よほど、この世に未練があったのでしょう」
「そりゃ17歳で死んだら、未練たっぷりだよなァ」
「かわいそうに。どうか、安らかな眠りを」
「そうだな。ザーメン」
高志と林田は三葉の冥福を祈って涙ぐんだ。そして、林田が問う。
「昼飯、どうする?」
「駅前のラーメン屋さんに行きましょう」
「おう、そうだな」
もう三葉のことは忘れて、二人は昼食のことを思った。
前略、お母さん、悪夢は一晩で終わらなかったみたいです、また私は高志くんの身体で起きていて、仕方なく東京一番の不良高校に向かっています、と三葉はクロマティ高校の校門前でタメ息をついていた。
「はぁぁ……あ、林田くん。もう早退なのかな?」
校門から林田と、他に5人ほど不良が出てきている。
「すごいなぁ、朝一番から何人も早退して。さすが、東京一の不良校。けど、そんな早くに早退するくらいなら、いっそ休めば……いやいや、そこが不良の不良たるカッコ良さなのかも。糸守とは感覚が違うんだよ、きっと」
「おっ、神山。お前も間違えてきたのか!」
「え? 林田くん、間違えたって何が?」
「今日は日曜日だぜ。うっかり登校しちまったよ。オレらバカはカレンダーなんか見ねぇからな」
「おう。休みたい日に休み、登校したい日に登校するんだ。家族が止めてくれねぇと、つい日曜日に来ちまったりな。ははははは!」
他の不良も笑い、林田が高志の肩を叩いてくる。
「わはははは! けどよ、賢い神山が間違えて登校とは珍しいな。槍でも降るんじゃねぇか」
「いえいえ、私もけっこうカレンダーとか気にしない方ですよ」
「そうか、そうか。あんな数字ばっかり並んでるもん。どうでもいいよなァ!」
「そうそう! 基本、私もカレンダーなんて見ませんよ。今が何年かなんてこと、お正月に確認すれば、もう後は一年間、見ないですから! 曜日の感覚も超テキトーですし! きゃはっははっは!」
「だよな! クロ高に通うアホたる者そうでなくっちゃ! わははははは! ん? オメー、また女っぽいな。もしかして宮水三葉か?」
「っ?! …………わ、……わかるんですか? どうして…」
「さすがにオレみたいなアホでも、女っぽいか、普通の神山かくらいはわかるぞ。そうか、宮水さんか……また、神山に取り憑いて……」
「取り憑く?」
「ぃ、いや、なんでもない。せっかく、こっちに来たんだ。オメー、かなり田舎から来てるんだってな? せっかくだ、東京を楽しんで行け! 思い残すことのねぇように! そうだ、カラオケでも行くか?」
「え?! カラオケ?! カラオケってアプリとかで歌うアレじゃなくて、ちゃんとお店でマイクで歌うアレですか?! 個室とかある! ネットカフェといっしょの?!」
「そうそう。オメー、ネットカフェも行ったことねぇのか?」
「ないの! ぜんぜん無い!」
「よし。たっぷり遊んで行け! 付き合うぜ! 思う存分、思い残すことのないほどにな! クロ高のオレらが付き合ってやれば、東京じゃ無敵よォ。さァ行くぜ!」
「キャー♪ ヤッター!」
お母さん、とても楽しい日曜日でした、しかも日曜日じゃなかった気がして起きたのに日曜日だったので、とてもお得な気分でした、草々。
前略、オフクロ様、何の因果か、また私は三葉さんの身体で目が覚めました、と高志は鏡を見つめて考え込む。
「ということは今頃は私の身体に三葉さんがいる……今頃? いや、三年先の私の身体に三葉さんが……」
考えながら、おっぱいを見ないようにして高志は女子の制服を着ると、髪型を整えるために再び鏡を見る。
「うむ、慣れた73か、オールバック、どちらがいいか。………やはり、おもらしの件もあるから迫力優先でオールバックで行こう。三葉さんも死ぬ前に、おもらし少女として、からかわれたのでは死んでも死にきれまい。ガンつけてくる奴には容赦なくメンチを切っていこう。ん? 眉が少し生えてきているな、きっちり剃っておこう」
カミソリを探して眉を剃ると、四葉たちと朝食を摂りながら、固定電話とカレンダーを見つめて考えた。
「自宅番号は確認し直した。今なら、中学生のボクに連絡して運命を変えることもできる……いやいや、ダメだ。よく考えたら宇宙の因果を乱すことになるじゃないか。運命は変えてはいけない。どんな悲惨な運命だったとしても、受け入れていくべきなんだ」
「お姉ちゃん、また変になってる」
「四葉ちゃん」
「……何?」
「一日一日を大切に生きてください。人間、必ずしも思っているより長生きでないこともあるのですから。光陰矢のごとし。男子たるもの三日あらば刮目せよと言います」
「女子だし」
「女子ならば、恋など良いでしょう」
「小学4年だし」
「美しい初恋の想い出には、ちょうど良い時期です」
「………オールバックで眉毛剃った人に言われてもなぁ」
「三葉、四葉、早う食べて学校に行き」
「「はい」」
通学路に出ると、克彦と早耶香に出会った。早耶香が驚いて問う。
「み…三葉ちゃん、その髪型……っていうか、眉毛が…」
「………」
少し考え、異論を唱えてくる者に対してメンチを切ることにした。
「あん? 何か文句あんのか、アマ」
「ぃ、いえ! 何もありません! すいませんでした!」
あまりに怖かったので、早耶香は反射的に謝った。見慣れた友人の顔なのに、眉毛が無くてオールバックだと印象が変わりすぎて同一人物と思えないほどだった。その後も三葉の顔を見てくる人物には容赦なくメンチを切っていったので、昼休みになる頃には廊下で道を譲られるようになった。
「うむ、宮水三葉さんとしての生活を守れているな。さて、昼食はテッシーとサヤチンと食べるのが、習慣のようだった。声をかけよう」
克彦と早耶香に近づいた。
「お昼にしましょう」
「「は、はい!」」
二人とも素直に校庭の木陰に出て、克彦がイスを用意してくれる。
「どうぞ」
「ありがとう」
イスに座って校庭を眺めると、気づいた。
「よく考えれば、この木陰、校内で一番いい場所だ。お昼休みに、ここを占拠できている、この三人は糸守高校のウラ番なのかもしれないな。三葉さんは町長の娘で、テッシーは土建屋を牛耳る家系、まさにウラ番」
弁当を食べ終えて、さらに考え込む。
「さて、ここからが勝負ですね」
「「………」」
「サヤチンに、究極の質問があります」
「な、何でしょう?」
「私こと宮水三葉は、あなたの知る限り処女でしょうか?」
「っ…」
「ぶっ! ごほっ、ごほっ!」
克彦がお茶を噴いているけれど、三葉の顔が生真面目に早耶香を見つめているので同じ女子として真剣に返答してみる。
「私の知ってる限りは、そうやと思うよ。っていうか、ほぼ絶対バージンじゃないかな。彼氏できたことないし」
「そうですか。では二つめの問いです。女性にとって身体の中で一番見られたくないであろう場所を同意なく、たまたまクジ引きで選ばれたような好きでも何でもない男性に見られ触れられることは、どのくらいの苦痛ですか? しかも、自分が処女である場合で」
「そんなん死ぬほどイヤに決まってるよ!」
「なるほど、やはり。では最期の質問です。いずれ近いうちに処女の自分が死んでしまうとして、ある日とてもオシッコをしたくなったのに両手をケガしたりしていてパンツをおろしたり拭いたりできないとき、クジ引きで選ばれた男性に脱がされたり拭かれたりするのと、処女として大切なものを守り通して死ぬの、どちらを選びますか?」
「…………それって……オシッコを我慢し続けると漏らす状況で?」
「その可能性もあります」
「………………どうして近いうちに死ぬの?」
「それには答えられません。病気かも交通事故かもしれません」
「…………」
「ファイナルアンサー!」
「……守り通して死にたいです」
「ありがとう。覚悟が決まりました」
すくっと立ち上がった三葉の脚が教室へ向かうので早耶香は心配になる。
「み、三葉ちゃん、朝からトイレに行ってないよね? いっしょに行こう」
「いえ、人として、それはできません」
「「……………」」
とてもとても心配しながら早耶香と克彦は5時間目の間、三葉の姿を見守っていたけれど、ごく無表情に授業を受けてチャイムを迎えた。恐る恐る早耶香が声をかける。
「三葉ちゃん……トイレに、いっしょに行こう?」
「今、話しかけないでいただけますか。集中が乱れますから」
「…………」
三葉の顔は無表情だけれど、両肘を机につき、手で額を支え、何かに集中しているし、両膝はピッタリと閉じられている。そして瞳が真剣そのものだった。
「三葉ちゃん………」
チャイムが鳴り授業が始まる。
「…………」
もう三葉の手はノートをとっていない、昨日の宮水貞子が動かなかったように今も微動だにせず、時間の流れに耐えている。けれど、授業開始15分で静かな教室に水音が響いた。
ピチャピチャピチャピチャ…
三葉が座っているイスの前後から、おしっこが滴っている。
「くっ……限界だったか……だが、前回より長時間……」
時計を見た三葉の瞳が、講義中の老教師を見て言う。
「先生、お茶を零してしまいました。拭いてよろしいですか?」
「拭いておきなさい」
年老いた教師は細かいことに気づかず授業を続ける。静かに三葉のお尻が立ち上がると、座ったままの失禁だったので、お尻が大きく濡れていた。
「「「「「……………」」」」」
どうしてもクラスメートたちが見てしまうけれど、その視線を感じて睨み返すと、誰もが顔を伏せて、何も言わなかった。静かに雑巾で拭き終えると、そのまま何事もなかったように授業を受け、帰りのHRを終え3人で帰宅する。
「なぁ……三葉…」
「はい、何ですか?」
「………いや……何でもない…」
あまりに平然と言われたので克彦は何も言えなかった。しばらく歩き、今度は早耶香が意を決して告げる。
「ぉ……おもらしするまで我慢する遊び、やめた方がいいよ。膀胱炎になったりするし」
「あれは、お茶です」
「っ…………はい、そうでした。ごめんなさい」
メンチを切られて早耶香も怖くて漏らしそうだったので、もう黙った。
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4話
朝起きて、三葉は鏡を見て悩む。
「う~ん……眉毛、なかなか生えてこないなぁ……昨日、もうちょっとあった気もするのに……育毛剤とか買った方がいいのかなぁ……育毛剤といえば、夢の中にいた林田くん、すごい髪型……カラオケ楽しかった……フレディさんの歌すごいし……リアルな夢だったなぁ……リアル感あるのに登場人物は、ぜんぜんリアルじゃないし。まあ、どうでもいいや。それより私の眉毛、どうか、早く生えてください!」
眉を見て悩み、それからスカートが干してあるのに気づいた。
「スカートなんか干したっけ……」
干してあったスカートを身につけ、なんだか着ている下着は24時間以上、一度も脱がなかったように蒸れて汚れている感じがするので着替えて、また鏡を見つめてアイライナーを持った。
「うまく眉を描くって難しい」
アイライナーで失った眉毛を描き始めた。
「う~ん……薄いかな……もう少し濃く……こんなもんかなぁ……今度は、濃すぎるかな……けど、もう時間ないし。髪型は、いつも通りにしよ。貞子がアダ名で定着したらイヤだし」
身支度をして、朝ご飯を食べる。四葉と一葉が長女の眉毛を見て黙る。
「「……………」」
「何よ?」
「「別に………」」
思春期なので、色々試したいのだろうと思い、何も言わなかった。けれど、通学路に出ると、克彦に言われた。
「その眉、オレみたいだな……オレに妹ができたみたいだ」
「プッ!」
早耶香が笑い出す。
「きゃはっははは! ホント、並んだら兄、妹みたい! きゃははっははは!」
「ぅ~……そこまで笑わなくても……」
「きゃはっはははははは! ごめん、ごめん! でも、プっ! プフ! フフフ! きゃははっは!」
爆笑したらメンチ切られてボコボコにされるかもと思っても、笑わずにはいられなかったし、三葉は拗ねるだけでメンチは切らず、また貞子になった。
高志は登校してから林田など他の仲間たちと話し合っていた。
「カラオケで楽しませたと……なるほど、それで成仏してくださればよいですが……二度あることは三度あると言いますし。もしまた彼女がボクに取り憑いてきたら、なんとか供養してあげてください」
「もう三年も現世を彷徨ってるのか、あわれな女よ」
しみじみとメカ沢が言い、神山に問う。
「その女は、自分がお死んじまったことは、わかってねぇのか?」
「それはそうでしょう。それゆえ憧れの東京に来ているのかもしれません」
「いっそ、お前は生きてる人間じゃねぇ! と教えてやるのは、どうよ?」
「「「「「……………」」」」」
「メカ沢くん、誰にだって言われたくないことはあるでしょう。むしろ、彼女も心底ではわかっていて、あえて気づかないフリをしているのかも。だから、彼女に自分が死んでいることを教えるのは、なしにしましょう」
林田が頷いた。
「そうだな。気に障ることを言ったら怨霊になって暴れだすかもしれねぇしな」
「そういう意味では腕力のないボクでよかった。ゴリラあたりに取り憑かれていたら、大変なことになるところでした」
「そりゃ怖いなぁ」
「おっかねぇな」
不良たちが怨霊に操られて暴れるゴリラを想像して身震いした。
「ところで話は変わるけどよ。彼女が取り憑いてる間、神山は逆に彼女が生きていた頃の身体に入ってるんだろう?」
「ええ」
「ってことは、おっぱい揉み放題。それどころかパンツ脱がせて、うれし恥ずかし、いろいろできるんじゃねぇのか。いっそ写真でも撮って残しておけば最高だぜ」
パシィ!
林田の頬を神山が平手打ちした。
「テ、テメー、何しやがる?!」
「林田くん、ボクが人生において人を殴るのは三度目だ。それだけボクは怒っているっていう事だよ。彼女は青春のまっただなかで非業の死を遂げた。そんな彼女を辱めて君は男として恥ずかしくないのかい?」
「っ……す、すまねぇ。オレが間違っていた」
「わかってくれればいい。ボクも彼女の身体になっているときは最大限の注意を払って彼女の名誉を守っているつもりだから」
「そうか。神山と入れ替われて彼女は幸せだな。いや、そんな神山だからこそ、彼女が選んだのかもな」
「ともかく、三葉さんには死んでいることを教えず、供養していく方針であたりましょう」
「「「おう、まかしとけ!」」」
かわいそうな三葉を供養することでクロ高のメンバーたちは一致した。
前略、お母さん、やっぱり不良校は不良校です、日曜日に楽しく遊んでくれた人たちなのに、今朝からイジメが始まりました、と三葉は登校して着席しながら、机に置かれた花瓶を見つめている。
「……………」
明らかに死んだ生徒の机に置く感じに、花を生けた花瓶が置かれていてイジメられている気がしてくる。
「……私がイジメられてるのかな………それとも神山くんがイジメの対象……う~ん……このクラスの中だと、私が不良でもイジメるのは神山くんしかいないかも。外見的に」
三葉が対応を悩んでいると、北斗の子分が線香をもってきた。
「これを、あなたに」
「…………」
花瓶の隣に、線香立てが置かれ、北斗の子分がライターで着火した。線香の煙が漂う。他の不良たちも次々と線香を立て、線香が無くなると代わりにタバコへ着火してから立てていく。そして、みんな手を合わせて祈ってくれた。
「……う~……モヒカンとかリーゼントみたいな派手な外見のわりに、意外と陰湿なイジメをするんだなぁ……男子なら、もっと殴る蹴るかと…」
「バカ野郎!!」
メカ沢が祈っていた前田を殴った。
「な、なにすんだよ、メカ沢!」
「こんなに露骨にやるんじゃねぇ! これじゃ、どんなアホでも気づくってもんよ! もっと秘かにやらねぇか!」
「そ…そうだな…すまん…」
花瓶と線香が片付けられると、不良たちが距離をとって祈り始めた。
「なむあみだぶつ」
「ザーメン、ソーメン」
「かわいそうにな、つらかろうな。これからって時によぉ。ひでぇな」
メカ沢まで涙ながらに祈っている。他にも壁際や廊下から、こそこそと半分隠れて祈られている。
「もう帰ろうかな……」
三葉が神山の身体で立ち上がると、みんなが道を譲ってくれる。
「学校にいるなってことなのかなぁ……どうせ、授業もたいしたことしないし……とりあえず校舎から出よう」
校庭に出ると、様子を見るように不良たちもついてくる。
「……ううっ………ついてくるよ……やっぱり殴る蹴るもされるのかな……職員室とかに逃げ込んだら、なんとかなるかな……でも、先生とか、ぜんぜん見かけないし……」
三葉が肉体的な苦痛を恐れていると林田がつぶやいている。
「オレたちで、きっちりあの世に送ってやらねぇとな」
「おうよ。ちゃんと三途の川を渡らせてやるぜ」
前田も小声で語っている。
「ひっ……やっぱり、ヤる気だよ……どうしよう、神山くんの身体、ボコボコにされるわけにもいかないけど、走って逃げても……とにかく、人目につかないところをさけて目立つところにいよう」
三葉はグラウンドの真ん中に移動した。
「ぅうっ……包囲されちゃったよ」
不良たちが円陣となって三葉を取り囲んでいる。
「こ、ここは一つ、なんとかコミュニケーションをとって暴力は避けてもらおう。でも、話題が…、あ、そうだ。メカ沢くん」
「おう、何だい? 何でも言ってくれ」
「じゃ、じゃあ、メカ沢くんって下の名前とかもあるんですか?」
「そりゃ人間だから当然あるさ。聴きたいか?」
「はい、お願いします」
「オレは新一、メカ沢新一ってんだ」
「へ、へぇ、意外と普通なんですね。じゃあ、前田くんは?」
「フ、オレは前田彰だ。冥土のみやげに覚えておいてくれ」
「ぅぅ……かっこいい名前ですね」
「そ、そうか?! かっこいいか?! アダ名なんて無くてもイケてるよな、オレ!」
「はい、すごくイケてます!」
三葉が頑張ってお世辞を言っていると、北斗が問いかけて欲しそうに長髪を揺らしているので、三葉は女子らしく空気を読んで声をかける。
「北斗くんの名前は?」
「我が名は北斗武士! 北斗七星の北斗にブシと書いてタケシだ。ちなみに剣道、空手、柔道、書道など合わせて10段だ!」
「うわぁ、すごい、すごいですね!」
こうなると、北斗の子分が名を訊いてほしそうに三葉の前にきた。けれど、三葉は彼の名字さえ知らないことに気づいた。
「えっと……、…えっと、…き…君の名は?」
「オレか? フフ、オレの名か?」
「は、はい。君の名は?」
「フフ、いいかぁ! よ~~く聞けぇっ! オレの名前は…」
その瞬間だった。
ドコーォン!!!
校舎の屋上に隕石が落ちてきた。直径10メートルくらいの隕石が屋上に直撃して最上階が半壊している。前田が北斗の子分の声を遮って叫ぶ。
「た…大変だ! 学校に隕石が落ちてきたぞォ!!」
「ぐぅぅ…」
北斗の子分が呻いているけれど、メカ沢が気づいた。
「危ないところだったぜ。あのまま校舎にいたらオレらの命はなかった。あんたのおかげだ。そうか、あんたはオレらを助けにきてくれたのかもしれねぇな。もう隕石なんぞで人が死なねぇようにさ」
メカ沢の冷たい手で温かく撫でられながら三葉は思う、お母さん、クロマティ高校は、すごいところです、普通に隕石が落ちてきます、誰も死ななくて本当に良かったけど、東京がすごいのか、クロ高がすごいのか、もう私にはわかりません、草々。
前略、オフクロ様、ボクは女性の尊厳を守りつつ三葉さんとして学校生活をうまく過ごしています、と昼休みに食後のコーヒー牛乳を飲みながら思っていた。克彦が心配そうに言ってくる。
「三葉、あんまり飲まない方がいいんじゃないか?」
「なるほど……たしかに……お弁当とセットになっていたので、つい……朝一番から我慢して、朝食のお味噌汁とお茶……昼にも水分を……これでは限界も……」
「なんなら、オレがもらってやろうか?」
「……テッシーと私は間接キスをする間柄ですか?」
「「っ…」」
克彦と早耶香に妙な緊張が走り、高志は察した。
「違うようですね。やはり、これは飲みきりましょう。もう暑い季節です。脱水症状などを起こしては大変ですから」
「「…………」」
三葉の唇がコーヒー牛乳を飲みきると、質問してくる。
「さきほど言っていた夏祭りは、いつですか?」
「いつって、三葉の家がやるのに忘れたのか?」
「三葉ちゃん、巫女の仕事を嫌がってるもんね」
「巫女か……夏祭りの次、秋祭りの日には彗星が来て……。ともかく、そろそろ教室にもどりましょう」
「ねぇ……三葉ちゃん、おトイレ、行かないの?」
「ご心配なく」
「「………………」」
二人が心配した通り5時間目が終わるチャイムと同時に、おもらしした三葉のお尻が濡れて足元に水たまりができた。
「残念……今日は6時間目まで保たなかったようですね……ちょうど休み時間で片付けるのには都合がいい……」
拭き取るためにバケツと雑巾を取りに行こうとしたところを、からかわれる。
「クスクス、また漏らしてる。これで三度目らしいね。よく人前で漏らせるね?」
「………あなたは、たしか、一回目に登場した……名前は……」
高志は一度目の入れ替わり時にメンチを切った女子を少しは覚えていたけれど、名前は知らなかった。
「えっと……名は……いや、別に、君の名など、どうでもいい事か」
「なっ?! 私の名前を知らないっていうの?!」
「ええ」
「くぅぅ! いつもお祭りを見に行ってあげてるでしょ?!」
「……テッシー、サヤチン、彼女の名を知っていますか?」
「「…………」」
克彦と早耶香も顔を伏せた。人口の少ない山奥の町なので、住民は皆顔見知りだったし、とくに同学年の生徒とは小中高といっしょになるので普通は知っているはずだったけれど、記憶にない。
「…た、たしか、いつも三葉ちゃんのお祭りを見に来て、口噛み酒のことを、いつも何か言うよね」
「ああ、そうだ。いつも三葉をバカにして、よく人前でできるね、とか、それだけを言うために祭りにきてる女だよな」
「ぐぅぅ! 私にも、ちゃんと名前があるのよ! 私の名は…」
「ところで話は変わりますが、君、ずいぶん学校を休んでいませんでしたか?」
「ぅぅ……」
その女子はメンチを切られて、おしっこを漏らして以来、今日が久しぶりの登校だった。そのことでクラス内での優位を失いつつあるので、三葉へ対抗心を燃やしている。
「あんたこそ、三回も漏らして、よく人前に出られるね!」
「これはお茶です」
高志がメンチを切ると、女子は怯んだけれど、頑張る。
「っ…ぅぅ…負けないんだから! おもらし巫女なんかに!」
「お茶です」
「っ…ぅぅっ…」
「お茶を零して、喉が渇きました。君、イチゴミルクを買ってきなさい」
「はァ?! 私をパシリに使おうっての?!」
「買ってきなさい」
「ぅぅ…」
「買ってこい」
立ち上がった三葉の眉毛が無い眉間にシワがより、美人といっていい顔で凄まれると、つい後退ってしまう。後退った分だけ三葉の顔が迫る、キスしそうでキスしない、ヤンキー独特の絶妙な間合いで、気合い負けした。もともと町長の娘かつ巫女で美人の三葉をやっかんで野次っていたけれど、おとなしく野次られていてくれるなら強気に出られるものの、対抗されると父親は町の政治的な頂点にいるし、仲のいい克彦は町の経済的な頂点にいる建設会社で、さらに仲のいい早耶香は町役場に代々勤務していて町の官僚的な頂点にいる。そして宮水は町の宗教的な頂点にいた。この町で宮水、勅使河原、名取の御三家に逆らって生きていくのは難しい。そして何より、メンチの切り方がベテランっぽくて怖い。
「……ぅぅ…」
「買ってくる前に床を拭いておいてください」
「……おもらしの…後始末まで私に…させるの…」
「返事は?」
「………はい……三葉様」
もう逆らうより、従うことで自分の地位をあげよう、と打算してバケツと雑巾をとりに行った。
「うむ、今日も、ちゃんと三葉さんのウラ番としての権威を保てたようだ。よかった」
頷いた高志は従えた女子のことは、三葉の子分、と呼ぶことにした。
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5話
朝起きて、ようやく眉毛を上手に描けるようになった三葉は以前の髪型で通学路へ出た。
「おはよう、テッシー、サヤチン」
「おう、おはよう、三葉」
「おはよう、三葉ちゃん」
「おはようございます、三葉様」
「「「………」」」
いつも神社の祭りで口噛み酒を造っているときに野次ってくる女子が頭を下げて挨拶してきたので三葉は困惑する。
「えっと……うん……おはよう。……」
この人、なんて名前だっけ……と、三葉は長年、顔は知っていても名前を知らない女子についての記憶を振り返ってみたけれど、やっぱり名前は知らなかった。今さら名前を訊くのも、なんだか悪いし、野次ってくるわけではなく礼儀正しく挨拶してくれたので、とりあえず愛想笑いで対応した。
「三葉様、おカバンを持ちます!」
「え……、ううん。いいよ、自分でもつから」
「そうですか。何でも私に言ってください。舎弟だと思って」
「「「…………」」」
どう対応していいのか、わからないまま三葉と克彦、早耶香が登校を再開すると、三葉の子分もついてくるので、いつもと違う四人での登校になった。さらに、学校に着いて三葉が下駄箱を開けると、ラブレターが入っていた。
「……」
「あ、三葉ちゃん、モテるね」
「さすがは三葉様」
女子らしく二人が囃し立ててくるけれど、三葉は困惑しているし、克彦は黙って見ていないフリをしつつ見ている。三葉は差出人を見てみた。
「……この人……クラスの男子で……」
クラスメートの一人だったし、早耶香も知っていた。
「たしか、糸守観光の一人息子だったよ。あの大きい会社」
「サヤチン、大きい会社って言っても、糸守町にある会社らしい会社ってテッシーの家と、ここくらいだよ」
もともと観光と建設くらいしか産業がないので、しっかりと従業員のいる会社は2社くらいしかなかった。いずれは、どこかに嫁へ行くという意識をもっている女子から見れば、わずか2つしかない玉の輿のチケットと言える。
「三葉様にかかれば、ここも勅使河原も落ちたも同然ですね。早くもキープ二つですか」
「「……」」
三葉と早耶香が一瞬だけ、黙って、という女子らしいメンチの切り方をした。克彦が三葉に好意をもっていて、早耶香が克彦に好意をもっている問題は三人にとって、意識しないようにしているけれど、実に微妙な問題なので言葉にされたくない。その気持ちを込めたメンチを受けて、もともと頭が良くない三葉の子分も女子として空気を読んで黙る。三葉はラブレターをカバンに入れると、教室に自然な立ち振る舞いを意識して入り、差出人だった男子の方は見ないようにして着席した。すぐに朝のHRとなり、さらに一時間目の授業が始まると、三葉は机の下でラブレターを読んだ。
「……………」
読み終わって返答が決まったので、休み時間になって差出人の前に歩いていくと、その男子の目前でラブレターを破って捨てた。
「こういう気持ちは迷惑だから」
「……み…宮水さん……」
うなだれる男子に目もくれず三葉は席に戻った。戻ると、様子を見ていた早耶香と三葉の子分、さらに克彦まで待っていた。
「三葉ちゃん、あんなキツい断り方しなくても」
「三葉様、カッコいいです」
「三葉、あれは、かわいそうだろ」
「………中学の時から決めてるの。変態からの告白には容赦しないって」
三葉が気持ち悪そうにラブレターに触れていた手を振った。
「なんて書いてあったんだよ?」
「…………全体的には普通のラブレターだったけど、君の聖水が飲みたい、って一言が致命的。私、変態の相手はしたくないの」
「…そうか……三葉、前から、そうだもんな…」
長い付き合いなので克彦も三葉が口噛み酒を造るのを嫌がっているのは知っているし、これまでに何度か、三葉へ口噛み酒や三葉の唾液を飲みたい、舐めたいと言ってくる男子がいて、彼らに対して三葉が強烈な嫌悪感をもっているのは知っているので、実は克彦も飲んでみたいと想っていることは言わないようにしている。
「気持ち悪い……そろそろ、お祭りシーズンだからかな……あれを飲みたいって神経がわからないよ」
「そ、そうだな。……けど、今回は口噛み酒って意味じゃなくて、おもらしの方じゃないか?」
「へ? おもらしって何?」
「だからさ、君の聖水って、口噛み酒のことじゃなくて、おもらしのことなのかもよ」
「おもらしって、おしっこを漏らすアレ?」
「ああ」
「なんで、おもらしと私が関係あるの?」
「………い、…いや……だって、三葉が最近ときどき、おもらしするだろ?」
「は? 私、おもらしなんかしないよ? 変なこと言わないでよ、気持ち悪いなァ。テッシーのことも嫌いになるよ」
「す…すまん。オレの勘違いだった」
「……変な勘違い……」
三葉は首を傾げつつも、少し不安になったので一人で女子トイレに入った。スカートをめくって下着が濡れていたり汚れていたりしないか、自己チェックしてみる。
「やっぱり漏らしてないし。……でも、今朝は白いショーツだったからかな、思いっきり黄色く染みができて乾いてた。自分でも気づかないうちに漏らしてるのかなぁぁ……クシャミしたり笑ったときとか……ぅぅ……ユルくなってたらヤダなぁ」
朝起きて着替えるとき、くっきりとショーツに乾いた染みが残っていて、どう見ても漏らしたような痕跡だったし、まるで24時間以上も下着を替えなかったような蒸れた感じもあったので不安に思っている。三葉はポケットから薄手のナプキンを出すと、念のためにショーツのクロッチに貼りつけて、うっかり漏らしても少量なら大丈夫なようにした。
「これでよし。………でも、夕べ、お風呂も入って無かったっけ?」
今度は汗の匂いが気になる。まるで昨夜は入浴せずに就寝したかのように身体がベタついてもいる。
「ぅぅ……シャワー浴びたい……体育もあるのに……サヤチン、汗拭きシートもってないかな」
トイレの個室から出ると、ちょうど早耶香がいたので訊いてみる。
「私って臭い?」
「う~ん……ちょっとね」
早耶香が否定しなかった。むしろ親友だからこそ、はっきりと教えてくれたのに感謝しつつ、頼んでみる。
「汗拭きシートとか、もってる?」
「はい、どうぞ」
すでに予想されていたようで、手渡してくれた。再び三葉は個室へ入ると、制服のブラウスを脱いで上半身を拭き始める。さらにシートを裏返して下半身も拭くと、シートを汚物入れに捨てた。
「ありがとう、サヤチン。すっきりしたよ」
「おしっこもした?」
「え、ううん。してないけど」
「しておいたら?」
「……じゃあ、そうするよ」
なぜ、幼稚園児のように促されるのか疑問の思いつつも、三葉は膀胱もすっきりさせてから授業を受けた。昼休みになり、いつもの校庭の木陰へ行くと、三葉の子分までついてきた。
「ごいっしょしてもいいですか?」
「「………どうぞ」」
三葉と早耶香は断る理由を見つけられなかったし、克彦は女子同士が合意しているので口を挟まず、ムーを読みながら弁当を食べる。三葉が弁当を開くと、三葉の子分が訊いてくる。
「何か飲み物でも買ってきましょうか?」
「え? ううん、いいよ。コーヒー牛乳あるし」
「…そうですか…」
「そんな気を遣ってくれなくてもいいよ。私たちの仲間に入りたいの?」
「はい!」
「………。わ…私はいいけど…」
三葉が拒絶する理由を思いつけずに早耶香へ視線を送ると、早耶香も追い返す気になれない。それでも気になるので訊いてみる。
「今までのグループはいいの?」
糸守町では人口が少ないために小中高と、人間関係が固定化しやすい。よっぽどの理由がない限り、所属グループや友人を変更することは稀だった。
「あいつら、心の底で私がビビって、おしっこ漏らしたのバカにしてるから」
もともと三葉の子分がいたグループは、そこそこに顔はいいけれど、頭が悪くて家が貧乏という属性のグループだったし、その中で地位が低下している上に昨日はパシリにされたので、もうグループに戻っても最底辺の笑いものにしかなれない。ならば、いっそパシリ役を引き受けるとしても、舎弟として学校内でも町内でも頂点グループである顔が良くて、成績も東京の大学へ進学できるほど良くて、さらに家柄も町の頂点クラスで親が町長だったり社長だったり公務員だったりする実質的なトップ三人組にまぜてもらう方が、何かいいことあるかもしれない、という子分らしい考え方でなついてきている。
「なるほどね」
そんな思惑を早耶香は感じたので三人組の中では今まで最底辺だったけれど、これから四人になるとナンバー3になることもあり、受け入れることにした。四人での昼食を進めるうちに、早耶香は気になったので小声で三葉の子分に訊いてみる。
「もしかして、あなた、おしっこ我慢してるの?」
「……あ……はい…」
あまり行儀のいい女子ではなかったのに今は正座して、ぴったりと膝を閉じている。背筋からも緊張が感じられて、早耶香が問うと恥ずかしそうに頷いた。
「いつから我慢してるの?」
「朝から」
「………そのうち、漏らすよ?」
「三葉様を見習ってリスペクトしてますから」
「……………」
そうか、この子は、やっぱりアホなんだ、と早耶香は理解した。糸守町には高校が一つしかないので、成績上位の生徒は東京へ進学することもあるけれど、成績底辺の生徒は引き算ができるか、できないかのレベルでも、とりあえず入学して卒業できるようになっていて、一つの高校で進学校と底辺校の機能をもっているので、いろいろな生徒がいた。三葉が卵焼きを食べながら、自分の名が出たので訊いてくる。
「モグモグ…コクっ…。私がどうしたって?」
「三葉様は素晴らしいです。あえてご自分を窮地に追い込むことで精神力を高めていらっしゃる。耐え難い恥ずかしさに耐える、その胆力、平然と立ち振る舞うお姿、本当に憧れます」
「…そ……そう……ありがとう……」
ストレートに誉められて三葉は赤面して目をそらした。ときどき、巫女の舞いと神事を心から賞賛してくれて、さらには同性なのに告白までされることも、たまにある。誉められて悪い気はしないので三葉は黙々と弁当を食べ続け、コーヒー牛乳を飲み干した。早耶香も昼食を終えた。
「三葉ちゃん、チャイムの前に、おしっこしておこうよ」
「そうだね」
三葉が立ち上がった。
「え……三葉様は、トイレに行かれるのですか?」
「うん。行くよ。君も来る?」
「………いえ。今日は私が! 私が気合いの入ったところをお見せします」
「「「………」」」
やっぱり頭が悪い子が考えることは、よくわからない、会話が成立しないなぁ、と三葉と早耶香、克彦も思った。五時間目が始まり、ちょうど早耶香の斜め前に三葉の子分が着席していたので、無意味に尿意と戦っている姿がよく見えた。
「……ぅ……くぅ……」
「…………」
このままだと、そろそろ漏らすよね、バカにつける薬って、やっぱり無いのかなァ、と早耶香は持って生まれた頭の悪さを気の毒に思いつつ、プルプルと震えている女子の背中を見ていた。
「ぁあぁぁ…」
三葉の子分が身震いした。
シュゥゥゥ…ピチャピチャピチャ…
くぐもった水音がスカートの奥から聞こえて、すぐに膝の裏を幾筋も、おしっこが流れていき、ふくらはぎと靴下も濡らして、上靴の中に貯まり、さらに溢れて教室の床に水たまりができた。周りの生徒も気づいてチラリと見て、驚きつつも授業中なので黙っている。
「…ぐすっ…」
恥ずかしくて泣きそうになるのを耐えていると、ユキちゃん先生が異変に気づいて声をかけてきた。
「あなた、どうしたんですか?」
ユキちゃん先生も、この生徒の名前を覚えていないので、便利な二人称を使って問うと、涙を零さないようにして答えてきた。
「ぉ、お茶を…零して…しまいました」
「…………。そうですか……」
ユキちゃん先生は三葉の方を見た。三葉は、こちらを見ていない。教科書に隠した手鏡で眉毛が汗で流れていないか、チェックしている様子だった。おもらしした生徒へ三葉が強制したりトイレを使わせなかったわけではない様子なので、いじめではないと判断したけれど、やっぱり恥ずかしくて泣き出しそうになっている。
「誰か、彼女を保健室に」
「「「…………」」」
もともと三葉の子分が所属していたグループの生徒は裏切り者に冷たかった。仕方なく早耶香が手をあげる。
「私が行きます。おいで。……あなた」
「はい…ぐすっ…」
このまま授業を受けるのは恥ずかしくてできそうにないので三葉の子分は濡らしたお尻をあげて保健室に向かった。
「…ぐすっ…ひっく…恥ずかしくて死にそう……とても三葉様みたいに平然とできない…ぅぅ…」
「それが普通だと思うよ」
「……人前で、あんなに堂々と……おもらしも口噛み酒も……」
「…………。どっちも、あんまり真似しない方がいいよ」
「いずれ、あの境地に達すれば、新たな世界が見えるはず」
「………お嫁に行けなくなると思うよ。お酒は巫女の仕事だけど、おもらしは、ただの変な遊びだから」
「…ぐすっ…」
「ほら、着替えを貸してもらおう」
保健室で着替えたけれど、やはり恥ずかしくて教室に戻る気になれないでいる。なんとなく、かわいそうで早耶香は付き合うことにした。
「放課後まで、ここにいればいいよ。いっしょにいてあげる」
「ぐすっ……ありがとう…」
しばらく二人で会話していると、早耶香は三葉の子分と親しくなったけれど、やっぱり頭のレベルが違うので会話しているだけで疲れることにも気づいた。
「そろそろ帰ろうか。もう他の生徒も少なくなってるはずだから」
「遅くまで、ごめんね」
二人でカバンを持って昇降口に向かうと、三葉の子分は下駄箱にラブレターが入っているのを見つけた。
「あ………私に……」
気になるので、すぐに開封している。早耶香も気になって覗き込んだ。差出人は今朝、三葉へラブレターを送った男子だった。
「「………君の聖水が飲みたい………」」
文面は全体的には平凡だったけれど、特殊な一文もあった。
「今朝、三葉ちゃんに送っておいて……また、すぐって……」
「これって私も三葉様の境地に近づけてるってことですよね?」
三葉の子分が嬉しそうな顔をしたので、げんなりと早耶香は強い疲労感を覚えた。
「…そう思うなら……そうかもね……」
「でも、三葉様はキープもしないでカッコよく捨てて……私は……この人……糸守観光の一人息子……」
顔に金持ちの息子と付き合ってみたいと描いてある。
「……付き合ってみれば?」
変な要求されるかもしれないけど、それに応じられるなら、案外、お似合いかもしれないし、男女交際を始めれば、疎遠になってくれて疲れなくて済むから、と早耶香はアホな女子と変態紳士がくっつくことを勧めた。
高志は登校してメカ沢と話していた。
「そうですか。我が校にも隕石が」
「おうよ。あのお嬢ちゃんがオレたちを連れ出してくれなけりゃ、危ういところだったぜ。おっと、お嬢ちゃんってのは変かな。三つ年上らしいな。お姉様としておこうか」
「それで、その隕石は?」
「中に宇宙人がいて、どこかに行っちまったぜ」
「それでヒビの入った校舎だけが残ったのですね。大規模なクレーターもできてないあたり、中に宇宙人がいたので、さほどスピードは出ていなかったのかもしれませんね。どっちにしても、私たちは三葉さんに助けられた。ただ取り憑いていただけではなかったのですか。本当に、ありがとうございます。三葉さん」
高志は手を合わせて三葉の冥福を祈った。
「オメーの方は、どうよ? 女子として、ちゃんとやってるのか?」
林田が訊いてくる。
「ええ。昨日も舎弟を一人、増やしました」
「おいおい、女子に舎弟ってのは変だろう。舎妹じゃないか?」
「そうですね。それでもいいかも。ともかく、糸守高のウラ番としての三葉さんの権威は守っていますよ」
「さすがだな。女子になりきり舎妹までつくるとは」
「ところで話は少し変わりますが、我々の修学旅行の行き先ですが、京都のついでに岐阜県へも寄れるよう教師に頼んでみようと思います」
「岐阜県? んな、聞いたこともないような県に行って、どうするんだ?」
「お忘れですか、三葉さんがお住まいだったのは岐阜県の糸守町、そこへ行ってみたいのです」
「なるほど、聖地巡礼ってヤツだな」
「三葉さんの霊が現世を彷徨っている原因もわかるかもしれませんし。現地へお線香の一つもあげたいですから」
「おお! それはいいな! オレも賛成だ!」
クロマティ高校の修学旅行目的地へ糸守町が加わりそうだった。
前略、お母さん、今日はイタリアンをごちそうしてもらえるそうです。ほんの偶然だったけど、みんなを隕石から救ったことになったみたいで、林田くんに連れられて都内のオシャレなイタリアンレストランに来ています。
「お、ちょうど待ち合わせしてる。デストラーデ高の二人も来たな」
「え、他校生も、いっしょなんですか?」
「おう。古い友達なんだ。あの二人が、うまくやってくれる。あいつにはアダ名があってな、ケツ切り爪楊枝って言うんだ」
「ケツ切り……爪楊枝……そんなお笑いのペアみたいな。どっちが、ケツ切りさんで、どっちが爪楊枝さんですか?」
レストランの玄関付近に柄の悪い二人組が立っていたけれど、クロ高水準の柄の悪さからいうと、せいぜい中の下くらいで、もう三葉もいい加減見慣れてきたので、驚きもしないし、恐れもしない。その二人を林田が紹介する。
「いやいや、こっちの一人が、一人で、ケツ切り爪楊枝だ」
「じゃあ、そっちの人は?」
三葉が高志の指で、もう一人を指した。
「コイツはケツ切り爪楊枝の子分だ」
「ああ、なるほど」
もう三葉もいい加減慣れてきたので、そういう名前なのだと受け入れた。合流して四人でレストランに入った。
「ぃ、…いらっしゃいませ」
アルバイト中の立花瀧が緊張した顔で出迎えてくれた。
「……」
あ、可愛い男の子、と三葉は好みのイケメンだったので見つめたけれど、今はクロ高の制服を着ているので、視線を送られた瀧は目をそらしてビビりながら、席へ案内してくれる。
「こちらへ、どうぞ。申し訳ありませんが、店内、禁煙となっております」
「ちっ…」
ケツ切り爪楊枝が舌打ちして咥えていたタバコをフロアで踏み潰した。
「ご、ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」
瀧が去っていくと、林田はメニューを三葉に渡してくれる。
「まあ、何でも頼んでくれ」
「うん、ありがとう」
四人で食事をして、そろそろ満腹になってきた頃、ケツ切り爪楊枝がピザの一切れに爪楊枝を差し込むと、瀧を呼びつけて文句を言った。
「おい、こんなん喰わせる気か?!」
「え……でも……イタリアンで爪楊枝って…」
「ああん?!」
熟練したワルの威勢で瀧がたじろいでいると、年長の奥寺ミキが間に入ってくる。
「申し訳ありません。すぐに作り直して参ります。本日のお代はけっこうですから、どうかご容赦ください」
「ちっ……まあいい。許してやろう」
ミキが去り、瀧が運んできたデザートを食べながら、三葉が問う。
「おごってくれるって、こういうこと?」
「まあな」
「兄貴の技は、ここからが真骨頂だから。まあ、見てなって」
ケツ切り爪楊枝の子分が楽しそうにワインを飲みつつ言った。
チキチキ…
ケツ切り爪楊枝が手元でカッターナイフを出すと、通りがかって別のテーブルへ皿を提供しているミキのお尻に触れるか触れないか、目にもとまらぬ速さで、刃を一閃した。
ピラっ…
ミキのスカートが切れているけれど、肉は切っていないので血は出ない。そして切られたミキ本人は気づいていない。
「…すごい……」
技としても、すごいけど、すごいかわいそう、と三葉は同じ女子として、これからスカートが切られたことに気づかず働くミキに同情しつつ、技としてのすごさには感心した。
「よく肌を切らずに、そんな巧く切れますね」
「おうよ。都内でも、この技ができるのは、オレくらいのもんよ」
「それで、ついたアダ名がケツ切り爪楊枝なんだぜ」
林田が言ってくれるけど、三葉は首を傾げた。
「あれ? でも、正確にはケツ切らず爪楊枝じゃないですか?」
「それじゃ語呂が悪いだろ」
「たしかに」
「まあ、デザートを楽しむついでに、ケツも拝んで楽しもうぜ。ククク」
「………」
三葉には同性のお尻を楽しむ趣味がないので、あまり楽しくないけれど、デザートは美味しくいただいた。
「ごちそうさまでした」
「おう。また、機会があったらな。クロ高のお前らと組む方が店にも脅しが効いていいからよ」
「クロ高って、そんなに……」
「オレらのクロ高は都内一のワルの吹きだまりだからな。デス高もそこそこだが、やっぱ何の世界でも一番は、有名になるだろ」
林田が誇らしげに頷いている。
「そうですね、一番は有名になりますね。とにかく今日は、ありがとう。ごちそうさま。林田くん」
「おう」
「私、ちょっと用事があるので、これで失礼しますね」
「ん? もしかして、また人助けか? 親切な霊だな、お前は」
「レイ?」
「あ、いや、何でもない。忘れてくれ。じゃあな!」
林田が焦って去っていくので、三葉は手を振って見送ると、一人になったことを確かめてから再びレストランへ向かい、今度は裏口から訪ねる。
「すいません、奥寺さんを呼んでもらえますか?」
「は…はい…しょ、少々、お待ちください」
男性店員がクロ高の制服にビビりながら、ミキを呼びに行った。すぐにミキがフロアからバックヤードに来る。
「…はい……奥寺は私ですが……何でしょうか……」
ちゃんと無料にするようレジ係にも言ったのに、この上、どんな因縁をつける気なの、この男子、顔はイケメンだし、どう見てもクロ高に行くようなワルには見えないけど、さっきもワルたちと対等に話していたから、実は相当な実力者なのかも、どうしよう、私の何が気に入らなかったの、無料にする以上の要求には答えないマニュアルになってるから毅然と断らないと、もしかして店への要求じゃなくて私個人への何かなの、それなら余計に警戒しなきゃ、とミキはビビっていることを気づかれないように取り繕いつつも、やはり怖いので顔と声が緊張している。
「奥寺さん、ちょっと、こっちに来て」
三葉はバックヤードの中でも二人きりになれそうな更衣室にミキの手首を引いて連れ込むと、遠慮無く言う。
「スカートを脱いで」
「っ……」
目的は私の身体、しかも、こんな露骨に、脱いで当たり前みたいな、なんてワルなの、やっぱりクロ高は違う、一言の脅しも無しに脱いで当たり前って顔で言ってくるなんて、とミキは都内最悪のクロマティ高校の生徒に狙われた自分の不幸を感じた。
「早く」
「………はい…」
ここで抵抗したって、どうせ犯される、あとで警察に言ったって、復讐されるかもしれない、この男が捕まっても、他のクロ高生が私や私の家族に復讐するかも、もう逃げ場なんてない、どうせもうバージンじゃないし、バージンは高2の頃、なんとなく付き合ってた彼氏となんとなく卒業したから、あの彼氏との付き合いで残ったのってタバコを吸うようになったことくらいかな、とミキは走馬燈のように想い出を振り返りながら、スカートを脱いで、せめて言っておく。
「痛くしないで……」
いっそ、ここで犯されて倒れてシクシク泣いてたら立花くんあたりが発見してくれたら慰めてくれるかも、それに、この男子だって、けっこうイケメンなんだから、もっとちゃんと口説いてくれたら付き合ってもよかったかもしれないのに、とミキは一発もらう覚悟を決めていく。
「うん、安心して。痛くしないし。っていうか、脱いでもらったから、刺さるわけないし」
三葉は脱がれたスカートを手に取ると、切られたところへ刺繍を始めた。
「あなたのスカートが切れてたから。このまま仕事するのは、恥ずかしいでしょう」
「え……………」
「はい、できたよ。とりあえずの応急処置」
「…………………」
ミキは受け取ったスカートに可愛らしい刺繍がされているのを見て茫然とする。
「じゃあね。お料理、とっても美味しかったよ。仲間がクレームつけて、ごめんね。今度は、お金を払って食べに来るよ」
気になっていた用件を済ませた三葉は出て行く。
「……それだけ……なの……」
てっきり犯されると覚悟していたミキは腰が抜けてスカートをもったまま座り込んだ。
「………あんなクロ高生……いるんだ……」
「ミキさん! 大丈夫?!」
瀧がフロアから心配して入ってきた。
「え……ええ……平気……こっち見ないで!!」
「ご、ごめん! っていうか、あいつに何かされたの?! なんでスカートを脱いで…」
瀧は目をそらしつつ訊き、ミキはスカートを履いた。それから、可愛らしい刺繍がされた部分を撫でた。
「……たしか……名前は……神山くん……」
四人の会話をときどき聴いていたのでミキは名を覚えていた。
「すごい男………」
「そ…そうかな? ……あの四人の中では、一番普通っぽかったけど……」
「そうね、たとえば、ライオンの群れの中に一匹だけ元気に暮らすウサギがいたとして。そのウサギは、すごいウサギだって思わない?」
「な…、なるほど…それは…、すごいウサギですけど…」
「つまりね……私は彼のことをもっと知りたいの」
「ミキさん……それって……」
「彼と付き合ってみたいわ」
「………そうっすか…」
瀧は淋しそうにバックヤードを出て行った。
前略、オフクロ様、今日もボクは宮水三葉として糸守高校のウラ番をつとめるため、登校しています。
「おはよう、三葉ちゃん」
「おはよう、三葉」
「おはようございます、三葉様」
「おはようございます、宮水様」
「うむ、おはよう」
すでに軍団も増え、もともと従えていたテッシーとサヤチンに加え、三葉の子分と、その彼氏もなついています、と高志は三葉の胸を張り、まっすぐ前を見て登校する。
「……三葉ちゃん、また眉毛を剃ったの?」
「ええ」
「カッコいいですよ、三葉様。私も真似して剃ってもいいですか?」
「どうぞ」
「ヤッター♪」
「「………」」
克彦と早耶香は、なんとなく不安になり三葉の下腹部を見る。起床して、ちゃんとトイレに行ったのかな、と心配になるけれど、やはり男子である克彦は問いにくいので早耶香が言う。
「み…三葉ちゃん、おしっこ我慢する遊び、もうやめたら?」
「あれはお茶です」
「…………」
メンチを切られて早耶香は困ったけれど、やっぱり友人が膀胱炎にならないか心配なので真剣に言う。
「やめようよ。みんな黙ってるけど変に思ってるよ」
「………。私に逆らう気ですか?」
いかんな、軍団にほころびが、ここは心を鬼にして忠誠を誓わせよう、と高志は三葉の顔でキスしそうなほど、早耶香に迫ると、最強のメンチを切る。
「お前もお茶を零せ」
「え……?」
「今日はトイレ行くな。わかったな?」
「そんな……私は……」
「わかったな?」
「………はい」
すごく怖かったので早耶香は返事した。よく考えると父親と姉は町役場に勤めているので町長の差配次第で配置転換されることもありえるし、なによりメンチが怖かったので言われたとおりにトイレを我慢して昼休みを迎えた。
「……ぅ……くっ……三葉ちゃん、ごめん。お願い、ホントに漏らしそうだから、トイレに行く許可をちょうだい」
「三葉様、私も気合い入れてます」
早耶香は苦しそうに、三葉の子分は嬉しそうに、おしっこを我慢している。
「ところで話はかわりますが、テッシー」
「え? 何だよ?」
「タイムパラドックスを、どう思いますか?」
「いきなりだな」
克彦が腕組みして考える。もともとムーを読むこともあり、いきなりでも話題としては好きな方だった。
「一口に言っても、いろいろあるだろ。どういう状況でのタイムパラドックスだよ?」
「そうですね、たとえば、ある人が事故で死んでしまうと、数年先から来た人が知っている。これを助けたいとして、助けた場合、どうなるでしょう?」
「そりゃ、助ける動機が消えるから、その行為そのものが起こらなくなるだろ? それか、歴史は変えられないから助けようとしても結局は助けられないんじゃないか?」
「やっぱり、そうですよね」
「………今のたとえ話、この二人が五時間目には漏らすんじゃないか、それを助けようって話につながるのか?」
「いえ、ぜんぜん。貯まっているのは、お茶ですよ」
「聖水っすよね!」
三葉の子分の彼氏が熱く語ったけれど、それは無視する。
「そろそろ教室に向かいましょう」
「………三葉……三葉も、今朝からトイレ、行ってないよな?」
「そういうことを女性に問うのは失礼だと思いませんか、テッシー」
「…………ごめん……」
五人が教室に戻ると、授業が始まり、おしっこを我慢するのに慣れていない早耶香が一番に限界を迎えた。
「…ぅっ……ぅぅっ……やぁぁ…」
座ったままガクガクっと震えると、おもらしを始めた。
プシャァァァァ……
せめて足元に水たまりをつくらないよう早耶香は体操着を入れた袋を膝に挟んでいた。おかげで足元に水たまりはできなかったけれど、それでも恥ずかしくて泣けてくる。
「…うっ…うぐっ……ひぅぅっ…ぐすっ…」
授業中に女生徒が泣き出したのでユキちゃん先生は心配して近づく。
「どうしたのですか? 名取さん。……………」
問いかけながら、早耶香が膝で挟んでいる体操着入れが、ぐっしょり濡れているので、おしっこを漏らしたのだと気づいた。
「……名取さんまで…………これは……イジメ……」
なんとなく真犯人は宮水三葉ではないかと疑いたくないけれど、イジメ予防のために疑い、三葉の顔を見る。
「…………」
「…………」
三葉の顔は平然と黒板を見つめていて、イジメをしている生徒のようなニヤついた気配もないし、逆に、いっしょにイジメられている生徒のような悲壮感もない。けれど、三葉の膝もピッタリ閉じられていて、我慢していそうな気はした。
「みなさんに言っておきます。授業中にトイレへ行きたいときは遠慮無く言ってください。許可をえるのが恥ずかしい人は、静かに席を立ってもかまいません」
「……ぐすっ……ひぐっ……」
「名取さんを保健室へ……宮水さん、連れて行ってくれますか?」
「いえ、ちょっと私も今は立てないので。他の人をあててください」
「…………立てないって……」
「オレが行きます」
克彦が手をあげた。
「勅使河原くんは男子だから………名取さん、着替えたりするから……女子の保健委員は?」
女子の保健委員は欠席していたし、早耶香は泣きながらも克彦を選んだ。
「ぐすっ……勅使河原くんなら安心できるから…」
「そうですか、では、お願いします」
とユキちゃん先生が授業を再開しようとした瞬間、三葉の子分が限界に達した。
「くっ……お茶が…」
それでも平然とした表情を保とうと、頑張りながら漏らす。
ジョワァァァァ…ピチャピチャピチャ!
おしっこが床に落ちる音が響いて、ユキちゃん先生が音のした方を見る。
「……また、あなたまで……」
やっぱり名前は覚えていないので、便利な二人称を使って女生徒を心配するけれど、三葉の子分は泣かずにユキちゃん先生を見据えた。
「先生、お茶を零してしまいました」
「………」
「オレが拭きます!」
三葉の子分の彼氏が、すぐに大切そうにハンカチで拭き始めた。ユキちゃん先生は頭痛を覚えてフラついた。
「………どうして、こんなことに……」
次々と女生徒が、おもらしするので教師として、どうしていいか、わからない。保育園の保育士なら、単に忙しく着替えさせていけば、それで終了という気もするけれど、漏らしているのが17才の女子高生たちなので、どういう現象なのか、イジメなのか、強制されているのか、遊んでいるのか、わからない。漏らした子を叱るべきか、真犯人を捜すべきか、対応に苦慮する。
「と、とにかく! トイレに行きたいときは、ちゃんと行っておいてください!」
ユキちゃん先生は授業を再開しつつ、次は三葉が漏らすような気がして心配しながら、ときどき見ていたけれど、五時間目はそのまま終わった。休み時間になり、早退する早耶香のためにカバンを取りに来た克彦が問う。
「三葉………今日も、お茶、零すのか? これから」
「零さないよう努力します」
もう三葉の身体は微動だにしない。全神経を集中して我慢している様子だった。
「……そうか。……オレはサヤチンと早退するけど、……一人で大丈夫か?」
「ご心配なく」
「……わかった」
克彦が去り、六時間目が始まり、静かに世界史の授業が終わり、とうとう帰りのHRの時間になった。
「やっと、ここまで………あと少し……」
「三葉様、すごいです」
「糸守高のウラ番たるもの、この程度は当然です」
帰りのHRが始まり、連絡事項が終わり、当番が告げる。
「起立!」
「……くっ…」
呻きつつも三葉の脚は起立した。
「礼! ありがとうございました!」
すべて終わり、放課後になった。
「よしっ、終わった!」
ジャアアアアアア…
起立していた三葉の脚がずぶ濡れになっていく。大きな水たまりが足元にできた。
「とうとう放課後まで耐えきったぞ!」
三葉の両腕が拳を掲げてガッツポーズしている。
「さすが三葉様です!」
「宮水様、最高です! 拭かせてください!」
おかしな三人組が教室に出現するようになったことにクラスメートたちは慣れつつあった。
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6話
起床した三葉は深刻な顔で悩んでいた。
「……くすんっ……眉毛が、ぜんぜん生えてこない……ハゲになったのかなぁ……眉毛ってハゲるの……」
自室の鏡を見ている。そして、伸びてくれるのを待っているのに、まったく眉毛が伸びていない事実に直面していた。まるで、きっちり剃られたようにツルツルだった。
「……なんとなく私、汗臭いし……夕べもお風呂を忘れたのかなぁ……」
また身体にベタつきも感じる。
「眉毛は剃られたみたいにツルツルなのに、腋は伸びてきてるし。この時期、毎日手入れしたいのに、なんで忘れるかな、私……」
腋は入浴していないような匂いがするし、毛も剃っていないような様子で毛先がゴマ塩をふったように目立っている。女子として夏服を着る時期は整えておきたいのに、洗ってさえいないようで三葉は多めに制汗スプレーをかけて誤魔化した。
「パンツも、また黄色く染みができてるし……ぅぅ……やっぱり、気づかないうちに漏らしてるのかな……オネショなんて、してないよね……あいかわらずクロ高の夢ばっかり見るし……でも、デザート美味しかったなぁ……夢の中で、あんなに美味しい物を味わって食べたの初めてだよ。……でも、パンツは、おもらししたみたいに黄色いし……蒸れてるし」
着けていたショーツも匂い、かなり蒸れているので、すぐに履き替えた。股間に痒みを覚え、掻きたくなるけれど、それは女子として我慢する。汚れているような気がして今すぐにでも洗いたいほどだった。
「ぐすっ……お風呂に入りたい……このまま登校なんてヤダなぁ……」
つぶやきながら制服を着て一階におりると、四葉にあきれられた。
「お姉ちゃん、また曜日を忘れてるね」
「え?」
「今日は学校お休みだよ」
「ラッキー♪ じゃ、お風呂を沸かそう」
「本当に、何もかも忘れるんだね。今日は、夏祭りだよ。早くご飯たべて準備しなよ」
「うっ………夏祭り………って! それなら絶対に腋は剃らないと!」
「なんで?」
「巫女服って和服だから、腋が開いてるでしょ。舞いの動作によってはチラ見えするから!」
「腋のチラ見えくらい、いいじゃない別に」
「思春期きてないお子様にはわからないの! 女の子は腋が伸びてるのなんか、見られたら死ぬほど恥ずかしいの! まして町中の人が見に来るんだよ!」
「じゃあ、夕べ、ちゃんと剃ればいいのに。また、お風呂に入らなかったし。人として入るべきではないとか、わけわかんないこと言って。お風呂とトイレは人として入ろうよ」
「私そんなこと言ってないし! お風呂、お風呂!」
急いで三葉は水を貯めて風呂を沸かす。時計を見ると、すでに時間に余裕がない。多くの町民が見る神事は夕方の舞いと口噛み酒の製造が中心だったけれど、祭りの当事者である三葉と四葉には午前中から細かい行事がつまっている。お湯が沸くのを待つのも、もどかしく、三葉は制服を脱ぎ捨て、着けたばかりの下着も脱ぐと全裸になった。
「カミソリとソープ……あとは、……ぅう! おしっこしたい」
裸になって尿意を覚えたけれど、トイレは母屋とは別棟になっている屋外の厠なので道路から見えないとはいえ全裸で出て行くのは避けたい。起床してから最初のトイレだったので尿意が強いし、昨夜は寝る前にもトイレに入らず寝たような感じがするほど、貯まっている。
「うぅうっ……出る出る!」
思わず三葉は両手で裸の股間を押さえた。いつもより我慢が効かないほど、おしっこをしたくなっている。外の厠に行くなら、ノーブラノーパンでもいいから、せめてスカートとブラウスは身につけたいのに、その余裕も無さそうなほど、膀胱が疼いている。
「あぁ……くぅぅ……漏れるぅぅ…もう、いいや! ここで!」
シャァァァァ…
「お姉ちゃん、行儀悪っ」
四葉が風呂場で、おしっこをしている姉を見て、げんなりした。慌てて放尿した三葉は足を飛び散る小水で汚さないように大きく開いているし、しゃがむ時間もなかったので立ったまま全裸でおしっこを出している。とても肉親とは思いたくない姿で10才の妹は深いタメ息をつく。
「それが17才の女子がすることなの……はぁぁ…」
「見ないでよ、バカ! 仕方ないでしょ、急に限界が来たんだから! お風呂場だから、すぐ流れるしいいの!」
「人として、それは、どうかなぁ……それが許されるのは小学校に入るまでだと思うよ」
「ぅぅ……」
ショワ…ポタ…ポタ…
おしっこを出し切った三葉は、まだ冷たい水を湯船から汲んで洗い場を流した。
「お姉ちゃん、もう時間が無いから急いでね。ほら、オニギリにしてあげたから、お湯が沸くまでに食べて」
「うん、ありがとう」
三葉は全裸のままオニギリを食べつつ、お湯が沸くのを待つ。オニギリを食べきっても、まだお湯は温かくならない。
「四葉、ごめん、お味噌汁もある?」
「はいはい」
妹が盆に載せて味噌汁と漬け物、目玉焼きを持ってきてくれた。
「ありがとう。いただきます」
「…………」
「何よ?」
「…………いえ……何も…」
四葉は全裸のまま風呂場で朝食を摂る姉を悲しく思ったけれど、何も言わないことにした。
「私たち、祭りの日はお昼ご飯、あたらないからね。しっかり食べて」
「うん……ご飯、おかわり欲しい」
「はいはい」
四葉がオニギリでなく御飯茶碗によそった白米をもってきてくれる。
「お昼ご飯抜きとか、巫女って損ばっかりだよ」
「口噛み酒を造るとき、いっぱい唾液を出させるためらしいね」
「屋台が出ても、何も食べちゃいけないし」
「たこ焼きの青のりとか、イカ焼きの匂いが口噛み酒に入ったら、それはそれで神事として問題だから」
「巫女服も重いし苦しいし」
「夏服は、まだ薄いから」
「冬は冬で寒くて死にそうだし」
「………。ぶつぶつ言ってないで、さっさと腋を剃って準備して」
四葉は姉が食べ終えた食器を片付けて巫女服に着替え始めた。三葉も湯船に浸かって身体と毛を温めると、洗い場で腋を剃ってから、全身を入念に洗った。
「頭も痒い……」
時間がおしているけれど、髪も洗って入浴を終えると、バスタオルを巻いただけの全裸のまま二階へあがって押し入れから巫女服を出して着る。
「パンツもブラジャーも無しとか、これってセクハラだよ」
「昔の和服に西洋の下着があるわけないから」
すでに着付けを終えた四葉が姉の部屋に置いてある祭り用の化粧道具を取りに来た。
「お化粧、下に持っていくよ」
「うん」
返事しつつ三葉も諦めて下着無しの身体に巫女服を着る。着終えて一階へおりると、妹と化粧をし合って、難関にさしかかった。
「眉毛……」
「いっそ、平安時代風の眉毛を描いてあげようか?」
「やめて」
「いつも通りの眉毛を描くから、動かないで」
「お願いだから、ちゃんと描いてね。眉毛で印象、すごく変わるから」
「はいはい…………うん、できた」
四葉が頷き、心配だった三葉が鏡を見た。
「……ありがとう……四葉、うまいね」
「まあ、毎日、見てる顔だから。この頃、オールバックだったりする日もあるけど」
「オールバック?」
「次は装飾品か。これは重いよね、確かに」
四葉が桐箱から髪飾りや冠を出してくる。どれも見た目の華やかさと美しさを重視しているだけに、重さや実用性は考えられていない。すべてフル装備すると、二人とも重さと暑さで、まだ一つも神事を行っていないのに疲労感を覚えた。
「四葉、エアコン、最強にして」
「うん」
居間のエアコンを強風かつ最低温にセットして、戸を閉めて二人で時刻まで待つ。すぐに一葉が神社で太鼓を叩いている音が聞こえてきた。
「「……」」
すっと二人とも黙って立ち上がると、エアコンはつけたまま、きっちり戸を閉めて自宅から神社へ向かう。夏の昼間の暑さに加えて巫女服と装飾品のおかげで体温がこもって、すぐにでも汗が噴き出そうになるのを化粧が崩れるので精神力で押さえつつ、しずしずと歩いて境内へ向かう。すでに境内には氏子の役員や、今年の当番が数十人ほど集まっていた。まだ屋台の準備もされていないし、観客も少ないけれど、神事としては本番が始まっている。
「三葉ちゃん、四葉ちゃん、頑張ってな!」
「暑いのに、ご苦労やね!」
役員や当番たちが声援を送ってくれるけれど、姿を現した時から神事が始まっているので挨拶したり手を振ったりもせず、まっすぐ前を向いて無表情に回廊を進むと、舞台にあがった。
「「かしこみて糸守の地に豊穣の…」」
三葉と四葉は決まっている祝詞をあげ、一葉は太鼓を打ち、婦人会のメンバーが雅楽を奏でてくれる。祝詞が終わると、舞いを始める。
「「………」」
二人とも真剣に、やや額に汗を浮かべつつ、舞い終わると神前に拝礼して、すぐに回廊を戻って自宅の居間へ入った。
「暑っ!」
「はぁぁぁ…」
三葉も四葉も装飾品を丁寧に身体から外して卓袱台へ置くと、巫女服は乱雑に着乱して胸を出して、袴をバサバサと両手であおぎ、エアコンの冷気を送り込む。
「「ふぅぅぅ……倒れるかと思った」」
やや熱中症になりかけているほど暑かったのでゴクゴクと麦茶を飲み、皺にならないよう巫女服を脱いでしまうと、裸で畳に寝転がる。
「次は3時に、また舞いをやって、あとは夜の舞いと口噛み酒かぁぁ……ダルい」
「3時が、また暑そう。せめて夜は涼しくなってくれるといいなぁ」
三葉も四葉も押さえていた汗が浮いてきて、それがエアコンで心地よく冷えてくれる。
「お風呂に入りたいけど、また化粧しなきゃいけないし」
「なかなかにつらいね。3時の後、水浴びしようよ」
「そうだね。化粧直しするより、完全に落としてやりなおす方がいいし」
休憩して時間を過ごしているうちに2時過ぎとなり、また巫女服を美しく着付け、装飾品を身につけ、しずしずと神社へ参内して舞いを披露して戻ってくると、すぐにエアコンの前で裸になる。
「暑い……お腹空いた」
「お昼抜きは、つらいね」
エアコンで身体を冷やすと、二人とも風呂場で水浴びして身体を洗い、裸のまま休憩する。下着くらい着けたいけれど、なるべく下着の痕も残っていない方が良いという風習なので仕方なく従っている。それでも祭りの日は二人が何度も着替えることがわかっているので、誰も宮水家を訪ねてはいけないことになっているおかげで安心して裸でいられた。
「あぁ……いい匂い…」
「美味しそうだね」
そろそろ屋台が出てきたのか、たこ焼きや綿飴のソースや甘い香りが、どこからともなく入ってきた。二人とも軽い朝食以後、何も食べていないのでお腹が鳴って、ヨダレが湧いてくる。
「ううっ……食べたい……何か食べたい…」
「一食抜くだけで、このつらさだから、昔の人は飢饉のとき大変だったんだろうね」
「たこ焼き………チョコバナナもいいなぁ……」
「そんなに欲しいなら、誰かに買って置いてもらえば?」
「現場で食べるから、美味しいんだよ」
「たしかに……実質、チョコバナナって、たいして美味しい物じゃないし」
「四葉は小学生のくせに夢がないね」
「夢と現実の区別はつけた方がいいよ」
「う~……お腹空いた……」
「そろそろ歯磨きしようか」
「うん」
二人とも洗面所で歯磨きをして、口噛み酒を造る準備を整える。再び巫女服を着て化粧をし、装飾品を身につけると、時刻までエアコンの前で待機する。
「巫女に憧れるとか言う人いるけど、実際はつらいのにね」
「まあ、見せてる面は華麗なところだけだから」
「華麗でもないよ………ヨダレ垂らして……舞いはいいけど、口噛み酒だけはヤダなぁ……これって、うちの神社だけなんでしょ。他の神社の巫女はやってないらしいよ」
「愚痴っても始まらないから。そろそろ時間だよ、お互いの化粧、チェックしよ」
「うん。あ…」
「どこか変?」
「……おしっこしたいかも」
「はァ? このタイミングで?」
四葉が高速道路のサービスエリアから出発した瞬間にトイレへ行きたいと言い出す幼女を見る母親のような目で姉を見ている。
「もう始まるよ」
ちょうど一葉が太鼓を鳴らし始め、二人が参内する時刻になったことを知らせている。
「まあ、我慢できるよ。ちょっと、したいかな、ってくらいだから」
「それなら言わないでよ。行くよ」
「はい。……」
もう黙って二人は自宅を出ると神社に向かう。昼間と違い、境内は観客で埋まっている。見た目には町民のすべてが集まっているような気がするほどだったけれど、実数としては500人ほどで全町民の三分の一ほどだった。カメラやスマフォで撮っている者も少なくない。
「「………」」
二人とも、いつも通りに静かに回廊を進むし、声援をもらっても答えたりせず、目線も固定している。いつも通りでなかったのは三葉の膀胱だった。
「……ぅっ…」
さっきまで、おしっこしたいかな、くらいの尿意だったのに、どんどん尿意が強くなってきていて、今すぐにでもトイレに駆け込みたいほどになっている。舞いが始まって身体を動かすと脂汗が出るほど、おしっこをしたくなり汗で化粧が流れて眉が薄くなってくる。それでも神事を中断してトイレに行くわけにはいかないので三葉は歯を食いしばって我慢して舞った。
「…ハァ……ハァ……あと少しだから…」
やっと舞いが終わり、口噛み酒を造る段階になった。なぜか膀胱が訴える尿意は強烈で中身が沸騰しているのではと感じるほど、おしっこを出したくてたまらないけれど、三葉は頑張って白米を口に含むと、噛みしめた。口の中にヨダレが大量に湧いてくる。空腹のおかげで極度の緊張状態なのに唾液は出てくれた。
「「……」」
隣にいる四葉とタイミングを合わせて酒枡へ咀嚼した白濁液を口から垂らしたときだった。
「っ?!」
じわっ…
本当なら歯を食いしばって我慢したいところを上の口を開いたせいで下までユルんでしまい、少し漏らしてしまった。
「っ…っ…」
少し漏らすと、もう膀胱が一気に収縮してくる。
ビシャァアァァア!
今までに無いような勢いで、おもらしした三葉は下着を着けていないので赤い袴の中で、おしっこが乱れ飛ぶのを内腿で感じた。
「…っ…っ…」
「………」
四葉は姉が漏らしたことに気づいたけれど、どうしてやることもできないので落ち着いて神事を続ける。口の中にある白米を飲み込むことなく一粒残らず吐き出さねばならないので、それに集中する。
「…ぅっ…ぅっ…」
沸騰していた膀胱は解放されて楽になったけれど、今度は三葉の羞恥心が沸騰して泣けてくる。両目からボロボロと涙を零してしまい、今回の口噛み酒には三葉の唾液に加えて涙で味付けがされた。それでも神事なので中断すること無く、とにかく口の中にある咀嚼物を吐き出していく。もう観客たちも三葉の袴が変色したので、おもらしに気づいていく。
「ママ、あの巫女さん、おもらしているよ」
「四葉ちゃんが、おもらし?」
「いや、大きい姉ちゃんの方みたい」
「かわいそうに」
「最近、学校でも漏らすって」
「わざと我慢して遊んでるらしいよ」
「それ変態じゃない」
「人前でよくやるよな」
「三葉様の気合い! 素晴らしいです!」
「ダブル聖水最高っすよ! 宮水様!」
「三葉ちゃん……こんなとこでまで……」
「三葉………お前って……何を考えてるんだ……」
いろいろな声がざわめきとなって境内に響いているけれど、もう三葉は聴いていない。ただ、一秒でも早く、この場を逃げ出したくて、口噛み酒を造り終えると、決まり切った動作で拝礼して、回廊から立ち去ろうとする。
ズッ…
それなのに濡らした袴が足にまとわりついて、前のめりに思いっきり転んでしまう。
ベシっ!
鈍い音がして顔を回廊の床にぶつけてしまった。
「…うっ……くっ…くぅぅ…」
「お姉ちゃん、泣くのは、あと少し我慢だよ」
四葉が泣き出しそうな姉の肩を持ち上げて立たせてくれる。もう顔を出したくないので巫女服の袖で顔全体を隠すと、四葉に手を引かれて自宅に戻った。
「…っ…っ…」
「お姉ちゃん………よく頑張ったね。もう泣いてもいいよ」
「…っ…っ…」
妹に慰められて三葉は涙を零しながらも歯を食いしばって泣き声は耐える。そっと四葉が装飾品を外してくれ、さらに袴の帯を解いてくれると、三葉は巫女服の上着を着たまま階段を駆け上がり、自室に入ると布団に潜り込んだ。
「うわああああああ! うわあああああああああ! うわああああああん!」
「……お姉ちゃん……」
四葉は号泣する姉をかわいそうに思ったけれど、とりあえず袴がシミにならないうちに洗う準備に入る。
「うわあああああん! おおうううう! うおおおうううう!」
その間も三葉の号泣は続いたし、人間がオイオイと声をあげて泣くのを四葉は初めて聴いた。
「……私が慰めても逆に傷つくかな……」
普段の言動は幼稚だけれど、それでも姉としてのプライドはある様子なので四葉は巫女服の始末を終えると、仕出し屋から取り寄せてある夕食の祝い膳を一人で食べ始めた。一葉には、まだ酒宴での氏子たちとの応接があるので、味わって一人で食べ終えると、さすがに泣き声が小さくなってきた姉の部屋へ、祝い膳をもってあがる。
「お姉ちゃん、夕ご飯だよ」
「……くすん……」
「ここに置いておくね。お風呂も沸かすから、沸いたら呼ぶね」
「…ぐすっ…」
まだ三葉は巫女服の上着だけで丸くなって泣いている。
「寝間着に着替えなよ。巫女服の上着は、そのへんに置いておいたら片付けるから」
「……うぐっ…ぅううっ……うっ、うわああん!」
思い出し泣きを始めたので、あまり見ないようにして風呂を沸かして姉に入ってもらう。かなり深く傷ついた様子で、泣きやんでからも、スマフォを見て、ぼんやりしていた。
「………ぐすっ……ひっく……」
「お姉ちゃん………」
だんだん四葉は心配になってきた。三葉がスマフォで、家から出ないで生きる方法、不登校の暮らし、素晴らしきニート生活のすすめ、等の調べ物をしているうちは、そのうち立ち直るかと思っていたけれど、さらに、楽な死に方、本当は気持ちいい自殺、痛くない怖くない最期、といったサイトまで見ているので四葉は固定電話で克彦と早耶香を玄関前に呼び出した。
「夜遅くに、すいません。お姉ちゃん、さっきのことで、かなり傷ついてるみたいで二人から慰めてもらえませんか? 妹の私が言うと、余計に嫌みたいで」
「ああ、わかった。……やっぱり、三葉も恥ずかしいんだな」
「お姉ちゃんは、前から、かなりの恥ずかしがり屋ですよ。だから、学校でのウワサは信じられないんですけど、本当なんですか? わざと、おもらししてるの」
「小学校でもウワサになってるのか?」
「はい。……昨日はサヤチンさんまで、おもらしして遊んだって本当に?」
「っ…勝手なウワサを信じないでよ! 私は三葉ちゃんに強制されて漏らしたんだから!」
いきなり怒鳴られて四葉はビクリとしたし、それで早耶香も年下に大人げない態度だったと反省する。
「怒鳴って、ごめんなさい。四葉ちゃん」
「いえ……でも、……お姉ちゃん、そんなこと強制するような人だとは……バカな姉ですけど、……そういう方向にはバカじゃないと……」
「オレもそう想いたいんだけど……サヤチンに強制したのは本当なんだ」
克彦が思い出し泣きしそうな早耶香の肩を撫でた。撫でてもらって早耶香は甘えるように克彦の胸に頭をつける。
「とにかく三葉に会ってみる。あいつ、最近、かなり変だから」
「はい、変な日がありますよね」
三人で三葉の部屋へ入ると、ぼんやりとしていた三葉は恥ずかしそうに布団へ潜り込んだ。
「……ぐすっ……何よ? ………四葉が呼んだの?」
「お姉ちゃん、あんまり思い詰めないで」
「思春期きてないお子様に、私のつらさはわからないよ! あんな大勢の前で…ぅっ…うぐっ…町のみんなに見られた……ううっ、うえええん!」
また泣き出したので、四葉は心配し、克彦と早耶香は顔を見合わせる。
「なあ、三葉、お前は本当におもらしして恥ずかしいのか?」
「っ…ぐすっ? 当たり前じゃない! 高校生にもなって、おもらしして恥ずかしくないわけないよ! もう生きていけない! この町から出るか、死ぬか! 二つに一つだよ!」
「………そんなに恥ずかしいなら……どうして……」
「私にまで強制して……私だって、もう学校に行きたくないって思うくらい嫌だったんだよ…ぐすっ…」
「え? サヤチンも、おもらししたの?」
「っ!」
早耶香が怒って三葉の頬を平手打ちしようとするのを克彦が止めた。今の様子を見ていると三葉は叩かれると、わけがわからず大泣きして心を閉ざしそうだったので止めたのだったけれど、叩かれそうになっただけでも怯えていた。
「…ぅぅ……サヤチン…怖い……なんで、怒ってるの?」
「なんでって……私は、あなたに……ハァ……ハァ…」
怒りで爆発しそうな早耶香の肩を押さえて克彦が代弁する。
「三葉が昨日、サヤチンにトイレに行くなって強制したろ? それで、サヤチンは五時間目に教室で漏らして早退したじゃないか。覚えてないのか?」
「わ、私そんな意地悪しないよ!」
「「…………」」
「ほ、ホントだよ! なんで、そんな目で見るの?! お願い信じて! 私、そんな意地悪した覚えないから!」
早耶香が恨みのこもった目で見続けてくるので、三葉は信じて欲しくて克彦にすがって訴える。
「絶対にしてないから! お願いだから信じて! 何かの間違いだよ!」
「三葉………」
克彦は涙を零しながら訴える三葉の瞳を見ていると、ふざけているわけでも、とぼけているわけでもないと信じたくなる。
「じゃ……じゃあ、サヤチンのことは置いて。お前自身、なんで何度も教室で、おもらしするんだよ? ちゃんとトイレに行けばいいだろ?」
「わ……私が、…おもらしって………さっき、お祭りでしたこと?」
「いや、そうじゃなくて、学校の教室でも何度も漏らしたろ?」
「………小学校のとき?」
「昨日も! その前の前の日も! だいたい週に2、3回の割合で、お前は漏らしてるじゃないか」
「……うそ……」
「そうやって指摘されても、ウソだとか、お茶だとか言って否定するけどさ。どう見ても、おもらしだし。変な女にしか見えないぞ。………こんなこと……言いたくないけど…」
「…………」
三葉は克彦の瞳を見て、以前は感じた好意が半減し、半分は軽蔑されていることに気づいた。
「……お願い……わ……わけがわからない………テッシー……サヤチン……あ! もしかして、これは夢! そうだ! そうだよ! お祭りでおもらししたあたりから、きっと夢なんだ! お昼寝でもしてるのかも!」
「「「……………」」」
「この頃、変な夢ばっかり見るし! 現実感あっても、きっと夢なんだよ! ああ、よかった。夢か、夢なら変なこと、いっぱいあるよね。ゴリラもいるし隕石も降ってくるし、爪楊枝つっこんだだけで、ご飯もタダになるし! お尻も切れずにスカートだけ切れるし! お祭り中におもらしなんて、ありえるわけないことも起こるし!」
「……お姉ちゃん……少なくとも今は夢じゃないよ。お祭りで漏らしたのも現実」
「またまた。四葉って、いっつもそう。夢の中でも、いちいちうるさいよねぇ。もう、いいから何か美味しい物でも食べに行こうよ。どっかのカフェとかがいい。どうせ夢なんだから楽しく過ごそう!」
「はぁぁぁ……」
「いっそ夢なら、私と四葉が入れ替わって、私が妹で、四葉がお姉ちゃんなら、バランス取れたのにね。しっかりしてるんだから、四葉がお姉ちゃんやってよ」
「自分の情けなさを夢の中だからって開けっぴろげに認めてないで、そろそろ受け止めて。これは現実で夢じゃないの。私とお姉ちゃんが入れ替わり………入れ替わり……近頃のお姉ちゃんって、まるで人格が入れ替わったみたいに、様子がおかしくないですか? テッシーくん、サヤチンさん」
「え……ああ、……そういえば…」
「そういえば……髪型がオールバックのとき……眉毛も剃って描かないで……」
「私の眉毛……ずっと生えない……ぅっ、また、おしっこしたい。うくっ…出る…」
三葉が急激な尿意に身震いしてトイレに向かおうとして、間に合いそうにないので投げ出した。
「どうせ、夢だしいいや。ここでしちゃおう。だいたい、こんな急に漏らしそうなほど、おしっこしたくなるのが夢っぽいし」
プシャ…シャワ…ショワァァ…
強い尿意のわりに少量のおしっこを漏らした三葉は、やっぱり現実感があるので恥ずかしそうにティッシュで拭く。
「ぐすっ……これって起きたらオネショしてるパターンかな……」
「「「…………」」」
「テッシー、あんまりこっち見ないで。夢とはいえ恥ずかしいよ」
「お、おお。…す、すまん」
「テッシー、夢の中でも紳士だね」
「………ま……まあな……いや……夢じゃないぞ、これ」
「そういえば、夢の中にいる神山くんは、どんな人なんだろう? 顔は知ってるけど、会ったことないし。あんな不良たちの中で生き残ってるなんて、すごいなぁ」
「「「…………」」」
「お腹空いた……夢なのに……」
「お姉ちゃん、祝い膳があるよ」
「あ、ありがとう。やっぱり、夢の中は都合がいいね。いただきます」
もう祭りの最中に失禁したのは夢だと思っているので三葉は美味しそうに祝い膳を食べ始める。
「あ、テッシーとサヤチン、夕ご飯は?」
「オレは、もう祭りの屋台で食べたから」
「同じく」
「そっか、夢のわりに状況設定が細かいね」
食べ終えて、お茶も飲んで寛いでいる三葉は、また尿意に震えた。
「ぅぅ……また漏れそう…」
ショワ…
ほんの少しだけショーツを濡らして、またティッシュで拭いている。
「サヤチンさん、これって膀胱炎じゃないかな?」
「うん、私もそう思う」
早耶香が自分のスマフォで膀胱炎について検索している。
「急な尿意で切迫して漏らすこともあるって」
「ふーん……気持ち悪いからパンツ着替えるし、テッシー、あっち向いてて。ま、どうせ夢だから見たいなら見せてあげようか?」
「お姉ちゃん、夢じゃないよ、夢じゃないから」
四葉が悲しくなって目尻に涙を浮かべつつ、せめて克彦と姉の間に立った。克彦も目をそらしている。同じ部屋に男子がいるのに三葉は恥ずかしげもなくパンツを替えると、布団に寝転がった。
「どうせ、そのうちオチがつくよ。テキトーに隕石でも落ちてきて目が覚めるって。これがホントの夢オチみたいな」
「「「…………」」」
「あ……眠くなってきた……これで寝たら目が覚めそう……じゃ、おやすみ」
すべてに対して投げやりに三葉は眠ってしまった。
「……三葉ちゃんは、こんな人じゃなかったはず……」
「ああ……明らかに様子がおかしいよな……」
「たぶん、お姉ちゃんは半分は今が現実だって、わかりつつも、わかりたくなかったんだと思います。お祭りで、あんな失敗をしたから。けれど、それはおいても、人格が入れ替わったみたいに変貌するのは、どう思いますか?」
「そうだな……オールバックのとき、紳士なのかヤンキーなのか、わからない感じになるな。一応、女子として振る舞ってるけど、男っぽい感じだし」
「あの三葉ちゃんは三葉ちゃんじゃないのかも……私に意地悪するような子じゃないし、もしも意地悪しても、あそこまでトボけることはないよ」
「ああ、ちょっと、じっくり観察した方がいいかもな。とくに神山って名は糸守にはいないのに三葉は口にしてるし」
「よろしくお願いします」
すやすやと眠る三葉の寝顔を見つめてから三人は解散した。
いつも通りにクロマティ高校へ登校した高志が、いつも通りに着席しているけれど、その隣にセーラー服を着たミキがいるので林田は気になって訊いた。
「おい、神山、その女は何だ?」
「さあ?」
高志もミキを見てみる。ミキは茶髪だった髪を、さらに明るい色に染めて、パーマをあて、眉毛を剃って、タバコを咥えて着席している。セーラー服は、よく似合っていた。
「「…………」」
「…………」
ここにいて当然という顔で座っているミキは知り合い等に訊いて、クロマティ高校は引き算さえできれば入学できるし、そもそも学籍があるのか、無いのか怪しいゴリラでも何でも、ここにいて当然という顔でいれば、クロ高生になると聞いていたので、その通りにして高志の隣にいた。
「なあ、神山。うちって男子校じゃなかったのか?」
「どうでしょう。ですが、メスのゴリラもいますから」
「なるほど、たしかに。ゴリラのメスがいるんだから人間の女子がいても当然だよな」
「ええ、当然です」
もうクラスメートが増えたことを受け入れる気になっている度量の大きさにミキは、ときめいた。
「神山くんには彼女はいますか?」
「いえ、いません」
「付き合ってください」
「わかりました」
「お! おい! そんな、あっさりOKするのかよ?!」
「ものは試しというでしょう」
「あ、わかった! この女が前に言ってたキープちゃんだな?!」
「は? そんな話をしましたか?」
「おう。してたぜ」
「では、そうなのでしょう。君とボクは、どこかで会ったことがありますか?」
「はい。…………」
女子大生ルックから、郷に入っては郷に従えで、ヤンギャルルックに変えてきたミキは思い出してほしそうにするけれど、かなり風貌が変わっている上、高志にとっては初対面なのでわからない。
「すいません。思い出せません。君の名は?」
「奥寺ミキです」
「わかりました。ミキさん、よろしくお願いします」
「はい」
高志にヤンギャル風の彼女ができた。
前略、お母さん、私に彼女ができました、といっても正確には神山くんの彼女ですし、どのみち夢の中だと思うのですが、とにかく彼女ができました。
「あ、あのときレストランにいた奥寺さん?!」
「思い出してくれたの? うれしい」
クロ高の校風に合わせて、真顔で斜め上ばかりに視線を送っていたミキが笑顔になった。三葉が高志の指でミキのカバンを指す。
「あのときの刺繍があったから」
じゃなきゃ、わからないよ、眉毛も無いしパーマも染髪もキツイし、と三葉は変貌したミキのファッションには引きつつも、刺繍を大事にしてくれているのは嬉しかった。
「けど、この刺繍、あのレストランの制服にしたのに……」
「辞めるついでにパクってカバンに仕立てたの」
「ああ、なるほど」
ワルの世界では、ごく初歩的な略奪行為なので気にもせず二人で楽しく会話して過ごした。
前略、オフクロ様、とうとうボクが宮水三葉でないことを看破されたようです、と高志は克彦の視線を受けて覚悟を決めていた。
「今、オレが神山って呼んだのに返事したよな?」
「………くっ、不覚……」
「お前は誰だ?!」
「こうなっては語りましょう。まずは人のいないところへ」
高志と克彦は教室から体育館裏へ移動した。
「ボクは神山高志、なぜだか、ときどき宮水三葉として行動しています」
「高志って……男なのか?」
「はい」
「…………三葉として行動って……じゃあ、三葉は、どうなってるんだ?」
「おそらくボクの身体に三葉さんの魂が入っていて、ボクとして行動しているでしょう」
「心と身体が入れ替わっているのか……」
「そのようです」
「それで、ずっと様子がおかしかったのか」
「完璧に成りすましたつもりでしたが、とうとうバレてしまいましたか。で、どうします?」
「……どうって?」
「これを公表したところで意味はないでしょう。みなが信じる信じないはおいて、このまま、そっとしておいてもらえませんか? 私は三葉さんの生活を守ってあげたいのです」
「守るって……、お前! 三葉の生活をメチャクチャにしてるじゃないか!」
「そうですか……努力はしているのですが……まだ、足りませんか。ウラ番としての迫力が……」
「何言ってるんだ?! んなことじゃなくて、おもらしてやるなよ!!」
「あれはお茶です」
「お茶じゃねぇだろ?!」
「お茶です」
高志が三葉の顔でメンチを切る。キスしそうなほど三葉の顔に迫られると、克彦は怖いというより照れて、目をそらした。
「と、とにかくだ。どう見ても、おもらしだし。何の恨みがあって三葉の学校生活を破壊するんだ? おもらしなんかされたら、恥ずかしくて学校これなくなるだろ」
「…………。では、テッシー、君なら、どうします? このパンツを脱がせますか? そして拭きますか? そんなことを見知らぬ男子にされて、三葉さんが傷つくと思いませんか?」
「な…………た……たしかに………そうか。あのときの質問は……」
「三葉さんのパンツの奥を見ていいのは、三葉さんが選んだ男子だけです」
「そ……そうか……お前は、いつでも三葉の身体を自由にできるのに……ずっとパンツを脱がないために限界まで我慢して……漏らしてからも着替えなかったのか……」
「人として女性への当然の配慮です」
「………お前、……なんて紳士なんだ……」
「わかってくれましたか」
「ああ、尊敬するぜ」
高志と克彦は気脈を通じ合った。
前略、神山くん、あなたと私が入れ替わっていることをテッシーから聞きました。ずっと夢だと思っていましたが、現実だったんですね。ちょっとショックです。いえ、かなりショックです。
まだ動揺しているので、一つだけ今はお願いします。
おもらししないでください。お願いします。
前略、三葉さん、わかりました。最大限の努力をして我慢します。
最高記録では帰りのHRまで我慢できています。あと少しで帰宅まで我慢できるでしょう。ご期待ください。
前略、ちゃんとトイレに行って!!!
前略、お言葉を返すようですが、トイレに入るということは密室になりますし、三葉さんの下着をおろし、大切なところをボクの視線に晒してしまうことになります。
それでも、よろしいですか。
また、用を足した後には拭き取ることになるかと思いますが、触ってもよいものですか。
前略、私の身体に配慮してくれたことは嬉しいです。ある面で神山くんは、とても紳士なのかもしれません。でも、私は神山くんの身体で、なるべく見ないように、あんまり触らないように、ちゃんとトイレで済ませています。
私の身体のときも、目を閉じて済ませてください。
あと眉毛は剃らないで!!
前略、ボクも紳士として振る舞いたいと常々心がけて生きているのですが、女性経験は無く、最近彼女はできましたが、いまだ童貞です。
そんなボクが三葉さんのパンツをおろしてしまったら、必ず理性的でいられるという保証は無いのです。男は野獣と言うじゃないですか、目を閉じていても拭くときに触ったら本能が爆発するかもしれません。
ちょっと自信がないのでパンツをおろすのは遠慮させてください。
眉毛の件は了解しました。ですが、三葉さんのお顔は大変に可愛らしいので、迫力に欠けるかもしれませんよ。いっそ、剃り込みを入れるのは、どうでしょうか。
三葉は高志からの書き置きを読んで、朝から絶叫する。
「ああああああああ!! もうイヤ!! お母さん、助けて!!」
「お姉ちゃん、大変そうだね」
「週に2、3回も、おもらしする女子高生って、どうよ?!」
「……かなしいね……オムツでも着けて登校する?」
「それもイヤ!!」
「だよね。でも、まあ、男の子からすると、女の子のパンツをおろすのは覚悟がいるのかもよ?」
四葉も書き置きを読みつつ、姉に同情している。
「私だって好きこのんで男子トイレに入って立って済ませてるわけじゃないのに!」
「まあ、男だと見られるダメージは少ないよね。見たお姉ちゃんも、それで、どうこうするわけじゃないし。男の子の方は興奮しちゃうかもっていうのは、あるのかもね。膀胱炎は大丈夫?」
「うん、薬をもらったから。くっ……あいつのせいで、私が私のときまで何度も、おもらしして死ぬほど恥ずかしかったんだから。今度、あいつになったら、竹ノ内くんに頼んでボコボコに殴ってもらおうかな」
「やめときなよ。一蓮托生なんだし。一番に痛い思いをするのはお姉ちゃんだよ」
「そうだけど……」
「朝ご飯できてるよ」
「はぁぁ……やっと眉毛だけは生えてくれるかな……この入れ替わり現象、いつまで続くのかな……一生だったらゾッとする……」
仕方なく朝食をとった三葉は通学路に出た。
「おはよう、三葉ちゃん」
「おはよう、三葉」
「おはようございます、三葉様」
「おはようございます、宮水様」
「………うん、おはよう」
もう変な友人がいることも諦めつつ、三葉は切なげに空を見上げた。
「あ……彗星……もう肉眼でも見えるんだ」
克彦も陽光を手で遮りつつ、空を見る。
「明日、最接近らしいな。昼間でも見えるようになってきた」
「いっそ、糸守高にも隕石が落ちて、私のおもらしのことも、みんな忘れちゃうような事態にならないかなぁ」
「おいおい、それは危ないだろ」
「大丈夫だって、タイミングよく学校に誰もいないときに、学校だけ無くなる感じにさ。クロ高だと、よくあるよ。そういうこと」
三葉は再び彗星を見上げると、ほどほどに落ちてきて欲しいと祈った。
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7話
高志は岐阜へ向かう新幹線の中で、乗り物酔いと戦う竹ノ内の隣に座り、考え事をしていた。
「もう2週間ほど、ボクはボクだ。一度も入れ替わりは起こっていない。もう終わったということか。とうとう一度は帰宅するまで我慢しきって四葉ちゃんにも見てもらったからな。あの一回は充実感があった、テッシーも協力してチャリで運んでくれたおかげだな。いい友達だった。それもあって三葉さんも、ようやく満足して成仏してくれたのかもしれない。それとも次の取り憑き先へ行ったのか……」
「おう、神山。難しい顔をしているな。乗り物酔いか?」
「いえ。林田くん、これから行く三葉さんの故郷で何を成すべきか、すべきでないか考えていたのです」
「いい感じに先公らも修学旅行先の変更を受け入れてくれたな」
「ええ。おそらく京都に行って他校生とトラブルになるより田舎の方が安全と考えられたのでしょう。一応、旧糸守町は隕石が落下してクレーターもでき、宇宙についての学習や災害についての学習、慰霊の旅という名目も立ちやすいですから」
新幹線が目的駅に到着し、ぞろぞろとクロ高生たちが在来線に乗り換えると、やはり他の乗客は圧倒されて、別の車両へ行ってしまう。再び高志は考え込む。
「先生たちに提案したときは三葉さんの故郷を訪ねることが解決のヒントになるかと考えたけれど、こうやって入れ替わり現象が終わってしまうと、もう無意味では。いや、無意味どころか、余計なことをしない方が良いのでは……」
「あいかわらず、細かいことを考えるよな。オメーは。さっと行って線香あげて、温泉でも入って帰れば、それでサッパリよ」
「そうですね、考えすぎかもしれません。行きましょう」
予定通りに旧糸守町に到着したクロ高のメンバーは、かなり怖じ気づいた。すでに誰も住んでいないので残った家々は空き家となって雑草が茂り荒廃しているし、隕石の直撃を受けた宮水神社を中心とした半径500メートルは無残な姿を残している。ここで500人を超える人間が亡くなったのかと思うと、普段からケンカしては相手を殺す殺すと言いつつも、実際には殺人したりすることのない不良たちは、写真で見た三葉たちが悲惨な死に方をしたのだと実感した。
「お…おい……なんか寒気がするな…神山」
「え…ええ…独特の雰囲気がありますね。まったく復興していない……おそらく山奥なので国と県は放置することにしたのでしょう……」
高志も戸惑っていると、前田が駅の売店で万引きした雑誌を見せてくる。
「この記事を見てくれ。ここが岐阜県の心霊スポットランキング1位に選ばれてるぞ。危険度マックス、絶対に近づいてはいけない場所とか書かれてる。肝試しで行ったカップルが車ごと湖に落ちてるしよ。他にも霊を見たって証言が多数あるってよ」
「う…う~ん…」
迷う高志に林田も迷っているので声をかける。
「神山、どうするよ? ヤバそうだぞ。最近、オメーに取り憑くことが無くなったのに、こんな霊の本拠地みたいなところに近づいたら、オメーは完全に乗っ取られたりするんじゃねぇのか」
「た…たしかに……週に2、3回が、次は週に5、6回になって四葉ちゃんとでも入れ替わり始めたら、もうボクが四葉ちゃんで、四葉ちゃんがボクになるし。そ、そうですね、ここで手を合わせて帰ることにしましょう」
「おう、そうだな」
引き返すことにしたクロ高のメンバーたちは、その場で手を合わせて三葉たちの冥福を祈り、下呂温泉に向かおうとしたけれど、道に迷った。
「迷った……」
「迷ったな……神山、方位磁石は?」
「ダメだよ、林田くん。隕石の影響なのか、まったく方位が定まらない。それに道路も寸断されていて山林を歩いたから、もう、ここが、どこだか……」
「腹減ったなぁ……さっき見かけたラーメン屋に入ればよかった」
「って! 林田くん! どうして、それを言ってくれないんだ!」
「す、すまん。つい、宿に着いてからの夕食が不味くなるかと思って」
「いや、そういうことじゃなくて! そのラーメン屋に道を聞けばよかったんだよ!」
「はっ! そうか! しまった!」
「まったく、次に何かお店があったら言ってくれよ」
「おう、すまねぇ」
「とにかく歩こう。ジッとしていても仕方ない」
歩き続けた高志たちは、宮水神社跡に辿り着いた。神社は跡形もなくなり、隕石落下痕が残っている。
「………ここが三葉さんの家だったところ……」
「着いちまったな。……まるで呪いみたいだ。もうオレたちは、ここから出られねぇのかも」
「と……とりあえず、線香を」
高志たちは線香をあげて心から祈ると、また歩き出した。しばらく歩き、別のクレーターのような地形に入った。中心には石室が見える。
「ここは、たしか……三葉さんと四葉ちゃんが口噛み酒を奉納した場所……」
「やはり呪いか。どんどん中心部に誘い込まれてるな」
「ここまで来たら、いっそ石室の中で冥福を祈りましょう。それで満足してくれるかもしれない」
「そ…そうだな…」
ぞろぞろと全員で石室に入った。中央には3年前に奉納された口噛み酒が置かれていた。
「とくに荒らされた形跡はないな」
「荒らすヤツがいるのか?」
「たまに不良校の生徒なんかが肝試しに来て、こういうところを荒らしたりして眠っていた霊が怒り狂い、人々に取り憑くっていう話があるじゃないですか?」
「おう。たしかに。けど、ここは荒らされた感じはないな」
「ええ、ボクは、ひょっとしたら荒らされたことで、なにがしかの封印が解け、三葉さんの霊が現世を彷徨うようになったのかと思い、その封印でも元に戻せば解決するかと思ったのですが、それも外れのようです」
「この置いてある瓶みたいなのは、何か意味があるんじゃねぇのか?」
「ええ、それは神事で三葉さんと四葉ちゃんが造ったものです」
「これを、どうにかすると、どうにかならねぇかな?」
「逆に、どうにかすると、どうにかなると思いますよ」
「たしかに」
「それに、どうにかするって、どうするんですか?」
「……う~ん……たとえば、飲んでみるとか。すげぇ、パワーが得られるかもよ」
「格闘マンガじゃないんですよ」
「じゃあ、すげぇ美味いとか」
「グルメマンガでもないですから。だいたいこれ、もう3年も前に造られた物ですから、飲んだら普通にお腹を壊すでしょう」
「そ、そうだな。これは、そっとしておいた方がいいかもな。これこそ、封印かもしれねぇし」
「いっそ、どこかの神社かお寺に持っていて供養してもらいましょう」
「お、おう! それいいな! そうしよう!」
「そっと、落とさないように」
高志は三葉が造った口噛み酒を持ち、林田は四葉が造った口噛み酒を持ち上げた。
「ちゃんと供養してあげますからね」
「安らかに眠れよ」
二人が口噛み酒を抱いて、石室から出ようとしたときだった。
バッ!
二人の前にフレディーが立ち塞がった。両手を拡げ、ここから出るなとばかりに立ち塞がっている。
「フレディー……」
「おい、フレディー、どうしたんだ?」
「お願いします。どうか、三葉たちを助けてください」
「「「「「うおお?! フレディーが喋った?!」」」」」
「今は、この方のお身体を借りております」
「「「「「フレディーが喋ってるぞ?! 歌以外で声が出せたのか?!」」」」」
「私は宮水二葉と申します」
「「「「「いや! お前はフレディーだ! 今さら変えられない!!」」」」」
「…………どうか、話を聴いてください」
辛抱強く語りかける宮水二葉の言葉を、だんだん高志たちは聴くようになり、高志が話をまとめる。
「つまり、この口噛み酒を飲めば、隕石落下の当日に行ける。そこで町民たちを避難させてくれと、そういうわけですね。オフクロ様」
「はい、そうです」
「それは少し話がおかしくないですか?」
「どのように?」
「それではタイムパラドックスが起こってしまう」
「その点については、ご心配いりません。私たち宮水の巫女は時間を跳躍できる、その前提として因果律の糸を編み変える力も持っています。あなた方には世界は一つ、時間軸は数直線のように見えているかもしれませんが、世界は三葉が持っていた髪紐のように複層的で、いくつもの糸が組み合わさり、補完し合っているのです。ゆえに焼き切れてしまった一本の糸を、他の糸ですくいあげれば、全体として世界の紐は保たれるのです」
「………すいません。数直線とか、ボクもクロ高での生活が長いので、もう数学の授業なんかも、まともに受けていなくて、あんまり難しい話は、ちょっと。……せいぜい、成績のいい中卒くらいに思って話してくれませんか?」
「おうよ、オレらにもわかるように簡単に言ってくれよ、母ちゃん」
林田に続いて前田も言う。
「三葉とか、四葉とかよ、簡単な名前をつけてんだから、さくっと簡単に言ってくれや。だいたいタバコみたいで吸いたくなるような名前だな、母ちゃんも二葉で、ホント葉っぱの一族だな」
「………では、つまりテキトーにタイムパラドックスを無視することができるのが、宮水の巫女の力です」
「なるほど!」
「おお! いわゆるご都合主義ってヤツだな! わかったぜ!」
「おわかりいただけましたか。では、どうか、娘たちを助けてください」
「ちょっと待ってください」
「……はい、何でしょう?」
「ずいぶん勝手な頼み事だと思いませんか。子を思うオフクロ様の気持ちはわかります。どうにかして助けたいでしょう。けれど、そのパシリに使われるボクたちは使い捨てですか?」
「…………どうか、お願いします……」
「せめて報酬なりないのですか?」
「おお、神山、いいこと言うぜ!」
「だって、そうでしょう。この半年、ボクはかなりの苦労をしてきました。さらに500人もの命がかかった重大ミッションを任される。もちろんボクだって人の子ですから、助けられるものなら彼女たちを助けてあげたい気持ちはありますが、はい、そうですか、とパシリのように使われるのは釈然としませんよ」
「おうよ! クロ高生をナメんじゃねぇぞ!」
「……。報酬ですか………では、娘の三葉を差し上げましょう。お二人は生活を入れ替わりつつともにされ、縁も深いでしょうから。あしからず想ってくださるのではないでしょうか」
「そんな昔話みたいな。本人の気持ちも確かめず。実際のところ三葉さんとは入れ替わっていたので会ったことはないのですよ。まだテッシーあたりの方が友情を感じますよ」
「タイムパラドックスが生じないかわりに多少の記憶の揺らぎが生じます。その揺らぎに乗じて、お互いに想い合う気持ちを植え付ければ、再会したとき二人とも涙を流して喜ぶほど好き合えますよ」
「いえ、ですから、自然な三葉さんの気持ちを考えてあげてくださいよ、オフクロ様」
「あの子は、けっこう男性への好みがうるさくて、東京のイケメン限定なのです。そうなると、いくら人口の多い東京とはいえ、年齢も考えると一千万都民のうち、対象は一万人に満たないですから」
「その一万にボクが含まれるのですか?」
「合格ラインです」
「………」
「でないと、あの子は結婚適齢期を逃すほど選り好みしますから。どうか、娘をもらってください」
「……そう言われても……」
「おいおい、母ちゃん、だいぶ話が違ってきてるじゃねぇか。命を助けるのか、婿探しするのか、どっちなんだよ?」
「一石二鳥を狙っています」
「………オフクロ様にとって、たしかに娘さんの命も結婚も大事でしょうが、ボクには、もうちゃんとした彼女がいます。」
高志がミキの肩を抱いた。
「高志くん……」
ミキは嬉しそうに赤面しているけれど、あいかわらず眉毛は無かった。
「ということで、今回の件は無かったことに」
「そんな…」
「いや待て! オレが三葉ちゃんと付き合う!」
林田が手をあげた。
「オレもそろそろ彼女がほしい! 母ちゃん、オレなら、どうだ?」
「…………その頭、ズラですよね?」
「お、おう」
「ちょっと取ってみてください」
「……わかった……」
林田がズラを取って、普通の頭髪を見せた。
「……ギリギリ合格ラインです」
「よし」
言うが早いか、林田は持っていた四葉の口噛み酒をグイっと飲んだ。
「林田くん……、林田くんだけでは難しいでしょう。ボクも手伝います」
一応は助ける気のあった高志も口噛み酒の封を開ける。お祭り中に500人以上に見られながら、撮影もされている中で、おもらししてしまい泣きながら三葉が造った涙混じりの口噛み酒を、お腹を壊さないか不安ながらも飲んだ。
前略、オフクロ様、あと三葉さんのオフクロ様、ボクは再び宮水三葉として目覚めたようです、と高志は起き上がって鏡を見ると実感した。日付を見ると隕石落下の日で、与えられた使命も覚えている。
「さて……どうしたものか……そうだ、林田くんは……」
「うおおお?! オレが女になってるぞ! しかも子供に!」
隣室で四葉の声が叫びをあげているので行ってみる。
「林田くんですか?」
「お? おお? その顔は宮水三葉! ってことは、神山か?!」
「はい」
「そうか。じゃあ、オレは四葉ちゃんになってるのか」
「そうです」
「よし、町民を助けよう!」
四葉の身体が急いで階段をおりていくので高志も追いかける。一階には一葉がいた。
「おい、ババァ! 夕方には、この家は吹っ飛ぶ! 今から大事な物をまとめて避難しやがれ!」
「四葉………なんね!! その口の利きようは!!」
一葉が怒り出し、四葉のお尻を叩いた。
「痛てぇ! そ、そんな場合じゃねぇんだ! とにかくヤバいんだって!! 逃げようぜ!!」
「………四葉。………さては、三葉!」
一葉が今度は三葉の顔を睨む。
「あんた、今日の祭りを中止にしたいからって四葉に変なことを吹き込んだね?!」
「いえ、めっそうもない」
「夏祭りで粗相したのを、恥じるのはわかるけんど! あかんよ! ちゃんと祭りには出なさい!」
「ババァ! 祭りなんか、やってる場合じゃねぇんだって! 話を聴いてくれよ!」
「林田くん、ここはいったん引こう!」
「け…けどよ…」
「いいから」
「三葉! 四葉! どこに行く気ね?!」
「お婆さん、できれば大切な物をまとめておいてください! 大きな災害があるかもしれませんから!」
高志は四葉の手を引いて宮水家を出ると、とりあえず人気のないところで林田と話し合う。
「ストレートに危険を告げても、さっきのお婆さんのように信じてくれないだろう。ここは一つ、作戦を考えなければ」
「そ、そうだな。ちっ、素直に信じればいいものを。頭のいいヤツはひねくれてていけねぇぜ」
「うむ、なにか行動を起こすにしても、ボクの身体は女子高生、林田くんの身体は小学生だからね。思いっきり騒いでも誰も本気にしてくれないだろう」
「せめてフレディーかゴリラでもいれば、危ないから逃げろって言やぁ、みんな逃げそうなもんだが。あとは爆弾をつけたメカ沢でもいいな」
「ここは三年前の世界だからね。探し出すのも大変だし、東京じゃなくて岐阜だから時間的にも無理だよ。現地での協力者を………そうだ、テッシーに話してみよう。彼なら信じてくれるかもしれない」
高志は三葉のスマフォで克彦を呼び出すと、ティアマト彗星の一部が落下してきて500人以上の町民が犠牲になる未来を話した。
「信じて協力してくれないか、テッシー」
「…………、………わかった、信じよう」
「ありがとう」
「おお! コイツ、話がわかるじゃねぇか!」
「……明らかに、君は四葉ちゃんじゃないしな。何より、三葉のパンツを最期まで律儀に脱がなかった神山くんの言うことだ。信じるよ、君は信頼にたる男だ」
克彦が全面的に協力することになり、三人で作戦を話し合う。しばらく考えて克彦が提案した。
「オレんちの会社から爆弾なら盗み出せる。その爆弾で変電所を爆破すれば、停電を起こすことができる。停電が起これば、学校の放送室から町営放送を乗っ取れるんだ。それで町全体に避難を呼びかけることができる」
「なるほど………」
「おお! それいいな!」
「けれど、停電で暗くなった中を、お年寄りも含めて避難してもらうとなると……う~ん……あえて変電所でなくてもいいような。放送もボクが三葉さんの声でするか、テッシーの声でとなるし……四葉ちゃんの声なら、なおのこと誰も信じないかもしれない」
「じゃあ、他に、どこを爆破する? そして放送は?」
「爆破そのものは実害のないデモンストレーションでもいいかもしれない。それに三葉さんの父親は町長だったよね?」
「ああ」
「テッシーが信じてくれたように娘の口から言うことなら信じてくれるかもしれない。まして、娘二人ともが言うんだから」
「けど、さっきのババァは信じなかったぞ! あいつ肉親だよな?!」
「言い方の問題もあるさ。ボクが話すから林田くんは、あまり話さないようにして。そして、信じてもらえなかった場合の策も考えるよ」
新しい作戦を考え、それを克彦と共有した高志と林田は町役場に向かい、町長室で俊樹と会った。
「お父さん、大切な話があります」
「……何だ?」
「簡単には信じてもらえないとは思います、ですが、どうか信じて欲しい話があるのです」
「………言ってみなさい」
「今日の夕方、宮水神社を中心として半径500メートルに大きな災いが起こります。だから、その範囲から誰もいなくなるよう町長の権限で避難させてほしいのです」
「……………何をバカな」
「信じてください」
「信じてくれ!」
「……四葉まで……いったい、どんな災いが起こるというのだ?」
「信じられないかもしれませんが、ティアマト彗星の一部が隕石となって落下してきます」
「………よくも、そんな話を……いったい何を根拠に言っているんだ?」
「根拠は未来を知っているからです」
「……………」
「信じてください」
「信じてくれ! でないと、みんな死んじまうぞ!」
「………四葉、しばらく会わないうちに、そんな口の利き方になって……」
「んなことは、どうでもいいんだ!! 信じてくれ! おっさん!!」
「……………」
「信じろよ!! 頼むぜ!! くっ…」
四葉の喉が呻いた後に、おしっこを漏らして四葉の衣服と足が濡れていく。
シャァァッァァアァァ…
四葉の口が生温かい吐息を吐いた。
「はぁぁ……朝から我慢してたから、もう限界だぜ」
「四葉…………お前たちに苦労をかけているのは自覚しているつもりだ。母親が早くに亡くなり、私まで家を出た。甘えたい年頃に、ひどいことをしているとは思う。かまってほしい心理もわかる。だからといって、ウソを言ったり、おもらしをするのはやめなさい。とくに三葉、教育長と校長の方からも相談されているぞ。お前、学校で何度も故意に、おしっこを漏らしているそうだな?」
「あれはお茶です」
「…………。そう言い張るとも聴いている。母親がいなくて淋しいのはわかるが、そんな訴え方をして、17才の女子として恥ずかしくはないのか?」
「あれはお茶です」
三葉の顔が思いっきりメンチを切ってくるので、俊樹は反抗期なのだと感じだ。
「三葉……そんな顔をするようになったのか……」
我が子ながら可愛らしくて美人だと思っている三葉の顔がヤンキーのように眉間にシワをよせて目力を最大限に込め、アホのように口を開けて迫ってくると、俊樹は悲しくて涙が出そうになった。その可愛らしい唇がキスをしてくれたのは、もう10年以上前のことで、とても懐かしいのに、今は東京の国会や霞ヶ関に陳情のために出張で行ったときに見かける都会のヤンキーのようで、それもヤンキーの中でもトップレベルと言われるクロマティ高校レベルのメンチの切り方なので、胸と頭が痛い。
「おっさんよぉ! 信じろや!」
さらに四葉の顔までメンチを切ってくる。とても10才とは思えない熟練されたメンチの切り方で、同じく可愛らしくて美人になりそうな幼い顔が、眉間にシワをよせ、麗しい瞳が白目を強調するような睨み方をして、何の意味があるのか大きく口を開けて舌をはみ出しそうにしている。ツインテールが可愛く揺れているのに、表情は殺伐として不良そのものだった。
「……くっ……四葉まで、こんな顔を………やはり、ワシが間違っていたのか……子供を放り出して……グレて当然だ。……だが、まだ10才で、ここまで……うぐっ…」
後悔の涙を耐えきれなくなり、俊樹は泣いた。ウソをつく、おしっこを漏らす、メンチを切る、さらに学校ではウラ番を自称しているとも聴いている。父親が町長という立場なので誰も逆らえず、おかしなグループを形成しているとも報告されていた。
「三葉……四葉……ワシが悪かった。だから、せめて、もう少し、まともに育ってくれ。どうすればいい? 一葉お義母さんと話し合って、近くに住むようにしようか。それとも何か望みはあるか?」
「今は隕石の話を信じてください」
「おうよ! それを信じろ!」
「…………」
「信じてください」
「信じろ!」
「……………あくまでウソを通すのか……それで町を混乱させ、どうしたいのだ? 今日は祭りの日じゃないか。祭りがイヤなのか? それなら他にも手段はあるだろう。いっしょに一葉お義母さんと話し合ってもいい」
「「………………」」
三葉と四葉の顔がお互いを見て、もう説得を諦めた。
「すいませんでした、お父さん。ちょっと、かまってほしかったんです」
「三葉………」
「あと少しだけ、四葉が新しい舞いを編み出したのです。見てやってくれませんか?」
「あ、ああ、それなら見せてもらおう」
俊樹の前で四葉の身体が怪しげな舞いを踊り出した。
「闘魂こめて♪ やれんのか♪」
ボクシングのようなムエタイのようなポーズで変なダンスをしている。
「いま何処♪ ああ~♪ 糸守ぃぃ、我らが母校♪」
「……………」
見るに値しないダンスだったけれど、素直に俊樹は視線を送る。その隙に三葉の身体は父親の背後へ回ると、飾ってあった花瓶を両手で振り上げた。
ゴツッ!
「うっ?!」
俊樹は後頭部を鈍器で殴打され、気絶した。
「よし」
「これは、うまくいったな。素直に信じれば痛い思いをしなかったものを。娘の言うことは聞くもんだぜ、おっさん」
四葉の手が背負っていたリュックサックからロープを出して三葉の手と協力して、父親を縛り上げる。それが終わると町長室の鍵をかけ、さらに釘を斜めに打ち付けて扉を開かないようにした。
「これでよしと」
「館内放送のボタンは、どれだ?」
「テキトーに押していきましょう。そのうち騒ぎになるでしょう」
「おう」
四葉の指が町長室の執務机にあるマイクのスイッチを入れ、ボタンを次々と押していく。
「あ~! テステス!」
いろいろと試しているうちに町役場全体へ放送するボタンを見つけ、その間に異変に気づいた職員も町長室のドアをノックしてくる。
「宮水町長! どうしました?!」
「町長! 開けてください!」
小規模な自治体なので警備員などはおらず、テロ対策など実施していない職員たちが困惑しながらドアを叩いている。急に娘2人が首長へ面会に来たことはわかっていたけれど、親子であり女子高生と小学生である2人に何の警戒もしていなかったけれど、町長室の扉はマスターキーで開けても開かず、打ち付けられたように動かない。そして無断使用されている放送が響いてきた。
「おう! よく聴きやがれ!!」
可愛らしい四葉の声がドスのきいた口調で話している。
「オメーらの町長は人質にした!」
「「「「「なっ?!」」」」」
「無事に返してほしければ、余計なことはするんじゃねぇぞ!」
さらに三葉の声も放送される。
「まず、私たちが本気だということをお見せしましょう。湖の上にゴムボートがあります。それを、これから爆破しますから、よく見ていなさい」
そう言った高志は三葉のスマフォで克彦に連絡を取る。
「爆破、お願いします」
「了解」
開き直って嬉しそうにしている克彦が返事をし、ゴムボートに載せて沖へ流しておいた爆弾を起動させた。
ズンンっ!
打ち上げ花火とは違う、本格的な爆発音と振動が町役場まで響いてきた。それで職員たちは青ざめる。それまでは親子ゲンカの延長か、タチの悪い反抗期くらいに思っていたけれど、もう犯罪だし、テロだと認識して町長室に立て籠もっている二人が本気であり、もはや何をするかわからないと感じた。
「ご覧いただけましたか」
「まだまだ、オレたちの計画は、ここからだぜ!」
女子高生と女子小学生の声が震えてもいなければ、躊躇ってもおらず、まるでワルに慣れたヤンキーのように語ってくる。
「今のは、ほんのデモンストレーションです。さらに大きな爆破を予定しています」
「「「「「っ……………」」」」」
扉越しでも、職員たちが緊張するのが伝わってきた。
「夕刻に宮水神社を中心として半径500メートルを吹っ飛ばす爆弾を仕掛けています」
「死にたくないヤツは逃げた方がいいぜ。な~に、まだ時間はある。貴重品くらい持ち出した方がいいだろうな」
「私たちの目的は宮水神社を跡形もなく吹っ飛ばすこと。それについて犠牲者が出るのは本意ではありません。どうか、逃げてください」
「おう! 逃げろ逃げろ!」
「余計なことをしなければ、人質にした町長も無事に済みます」
「警察の応援を呼ぶんじゃねぇぞ! おっさんの指をへし折るからな!」
「爆弾を探そうとしても同様です。また近づくと協力者がスイッチを入れます」
「わかったら、素直に避難しやがれ! オレたちを殺人者にするなよ!!」
それだけ言って放送を終えた。当然、扉の向こうから説得しようと職員たちが声をかけてくるけれど、それも怒鳴り返して諦めさせると、しばらくして町営放送が避難を求め始めた。
「こちらは糸守町役場です。落ち着いて聴いてください。ただいま、町内に爆弾を仕掛けたとする犯行声明がなされました。念のため避難していただきたい地区を申し上げます」
「うまくいきそうですね」
「おう」
「お嬢さんたち! どうか、ここを開けて!」
ときおり二人への説得が試みられるけれど、別に反抗期や自棄で父親を人質にして自宅付近を爆破しようとしているわけではないので、どんな説得も無意味だった。職員たちも、湖上での爆発を見ていたので二人が本気であることは感じている。町民を避難させるリスクと、避難させないリスクを考え、ともかくも彼女たちの言う半径500メートルからは避難させていった。
「そろそろ日が暮れますね」
「ああ」
町長室に黄昏時の夕日が入ってくる。オレンジ色から紫色の宵闇へ変わっていく時刻に、もう行動計画は現状維持しか残っていない高志と林田の前に、自分たちの姿が現れた。
「……ボクが…」
「オレが…」
「私……」
「私も…」
町長室に高志と林田、三葉と四葉の姿が現れ、そして、お互い自分の身体に入った。
「あなたが神山くん……」
「君が三葉さん……」
「お、やっと身長がもどった。やっぱ小さいと視点が低いよな」
「ゴリラがいない……ロボットも消えた……あ! お父さん!」
四葉が縛り上げられている俊樹に駆け寄った。
「お父さん! どうしたの?!」
「どうなってるの?! ここは……お父さんの仕事場…」
「三葉さん、落ち着いて聴いてください」
「おっと、四葉ちゃん! まだ縄を解かないでくれよ! 大事な話をお兄ちゃんがするからな」
「ここを占拠し、お父さんを人質にしている理由を話します。どうか、落ち着いて聴いてください」
「う、うん。……で、……でも、その前にトイレ……」
三葉が股間を押さえながらヨロヨロと扉に近づくけれど、釘で打ち付けられていて開けることができない。
「ううっ……も…漏れそう……こんなに我慢して……」
「ご安心ください。ボクも林田も、お二人の下着を脱がせたりはしていません。四葉ちゃんは10才なのでギリギリ黙って済ませようかとも思ったのですが、やはり小さなレディーにも配慮しました」
「うっ…だから、私のパンツ、湿ってるんだ」
四葉が、まだ生乾きの下着を気持ち悪そうに引っ張っている。おもらしされた後だと衣服の湿り具合でもわかる。
「う~ん……どっちがマシかなぁ……勝手にパンツおろされるのと、おもらしされるの……」
やはり四葉も女子なので、自分の身体を勝手に操られ、下着の奥まで見られることと、おもらしという不名誉を背負うこと、どちらがマシか迷っている。
「まあ、私は10才だから、どっちでもダメージ軽いけど、お姉ちゃんは……」
「…ト…トイレ……お願い……トイレ、どこ…」
「すみません。ここから出ることは、まだできません」
「そ、そんな……」
三葉が股間を押さえてプルプルと震える。
「や……やだ……もう限界……出ちゃう……」
「「「………」」」
「あっ、あっ! ああぁあっぁ!」
黄昏時に、おもらしを始めた三葉は涙も流した。
シャッシュウゥゥウウゥ…
内腿に生温かい感触が拡がる。その感触で夏祭りのことを思い出すと余計に涙も溢れる。
「ひぐっ…ううっ…あうぅぅ…」
「お姉ちゃん………」
「ふぇぇえぇ…ふぇえぇぇ…」
水たまりの中に立って、顔を両手で隠して泣き出した。初めて出会った高志や、何度も出会った林田の前で漏らしたのも恥ずかしいし、また妹の前で漏らしてしまったのも情けなくて泣けてくる。長女の泣き声と、飛び散った小水の飛沫が少し顔にかかっていたことで、縛り上げられ転がされていた俊樹が目を覚ました。
「ぅうっ…痛っ……なっ? ……どうなって……三葉……四葉……そっちの二人は……くっ…、なぜ、ワシは縛られて……」
「三葉さん、三葉さんのお父さん、これから話すことは信じられないかもしれませんが、事実です。確実に起こる事実ですから聴いてください」
「ひぐっ…うぐぅぅ…私、あなたのせいで膀胱炎が慢性化して……私が私のときだって……学校でも……ぐすっ……間に合わなくて、何度も……死にたいくらい恥ずかしかったんだから…」
「三葉さん、死にたい死にたいとは言っても本当に死ぬことについて、まじめな話なのです。聴いてください。大丈夫、学校での立場は三葉さんのウラ番としての権威があれば誰も何も言いませんよ」
「ウラ番じゃないから!!」
「それは、さておき。もう時間が無いかもしれません。ずばり隕石が落ちてきます」
「え? またクロ高に?」
「いえ、今回は糸守です。しかも、宮水神社に」
高志はティアマト彗星のことと、その避難をさせるために爆破予告をして俊樹を人質にしていることを話した。
「…というわけです。なので、しばらく、ここに立て籠もってください」
と言い終えた瞬間、高志は消えた。
「お? 神山?!」
と驚いた瞬間、林田も消えた。
「「「消えた……」」」
残された三葉と四葉、俊樹は、しばらく茫然としていたけれど、三葉は濡れた下半身が気持ち悪く、俊樹は縛られたままの身体が痛い。
「…ぐすっ…」
「三葉、これを解いてくれないか」
「う…うん……でも、……さっきの話、信じてる? 解いたら、避難を中止したりしない?」
「…………半信半疑だ。だが、ここまで事が進んでいるのだから、今さら中止するよりは彼らが言った時刻まで、待ってみよう。ワシを信じてくれ」
「はい、お父さん」
「私も手伝うよ」
姉妹が父親を自由にした。
「ふぅぅ……」
「ぐすっ……お父さん……着替えとか……ここに無いよね?」
「すまない。ワシのトランクスなら、そっちの戸棚にあるが……それはイヤだろう?」
「………ぐすっ…」
三葉は悲しそうに濡れたままでいることを選んだ。しばらく三人での時間があるので三葉は高志との入れ替わり現象について父親に語った。
「なるほどな……教育長や校長が相談してきた三葉の素行は、そういうことがあったからか」
「うん………私、おもらし遊びなんてしてないから。お祭りだって膀胱炎だったから急に切迫したし……ぐすっ…」
「かわいそうに」
「…ひっく…ぅぅう…」
同情されると、また悲しくなって三葉は啜り泣いた。
「しかし、神山くんといったか……彼も紳士なのかバカなのか、わからん男だ……精一杯、彼なりにやったのかもしれんが……三葉が傷ついて……」
「お父さんだったら、どうするの? 女の人の身体になってたら?」
一度だけ林田と入れ替わった四葉が父に問うと、俊樹は二葉のおしっこが脳裏に浮かんだ。もちろん、二人の娘を授かるためにも、二葉の股間を男として正面から見据えたこともある。
「う、…うむ……ど、どうだろうな。……た、たしかに悩むな。勝手にパンツをおろすのは、とても悪いことのような気もするし。かといって、我慢し続けると、破綻するのは明らかだし………そんな処を見たら責任を取らなくては……とか……そ、そうだ! 三葉、お前は神山くんのことを、どう想っている?」
俊樹は政治家らしく質問を質問で返して切り抜けた。
「……ぐすっ……わかんない……」
そう答えた瞬間だった。
ズドドオオオオン!!!!!!!
クロ高に落ちてきた隕石よりも何倍もの破壊力と轟音をもってティアマト彗星の一部が落ちてきて、町役場も地震のように揺れた。
「「「本当だったんだ……」」」
やっぱり半信半疑だった三人は、窓から宮水神社の方を見て、ともかく高志と林田に感謝した。
お母さん、私は大学生になりました。隕石落下の後、私たちの記憶は曖昧になり、お父さんを人質にしたことや爆破予告をしたことは、私と四葉が未来を予知して行ったこと、という風に解釈してもらえ、逮捕されたりしませんでした。
「……ぐすっ……」
でも、慢性化した膀胱炎は続き、体育館での被災生活中はトイレの数が足りなくて、何度も漏らして泣きました。すぐに町の人たちは私がトイレに並ぶと、お年寄りから子供まで、みんな譲ってくれるようになりましたけど、それでも間に合わなくて漏らすことがあって、せっかく助かった命なのに、やっぱり死のうかと思ったりもしました。
「……ぅぅ…」
けれど、学校でも町でも、からかわれたりせず、それが神山くんが築いたウラ番としての権威と、さらに隕石落下の半年前から私が漏らし始めたことで、災い避けや魔除け、何らかの予感があったから漏らし始めたとウワサになり、からかわれるどころか、神聖な聖水として拝まれるようになってしまいました。
「……だからって……売らなくても……」
私のおしっこが有り難がられるようになると、前々から口噛み酒を商品化して儲けようと考えていた四葉が、酒税法も関係ないし宮水神社再建の費用をまかなうためと言い出して、私のおしっこを売るようになり、偶然なのか必然なのか、私のミツハという名が古事記にあるおしっこから産まれた神さま、ミズハノメカミと重なることもあって、おもらしの化身なんて言われながらも、これが大ヒットしてしまい、今ではトイレでおしっこすることが無くなりました。
「三葉様、お出しになりますか?」
「……うん……そろそろ出そう…」
「宮水様、ご聖水、お願いします」
高校の頃から私につきまとう変な友人が専用の係として宮水神社再建委員会に雇用されて、ガラス瓶を持って私の世話をしてくれます。おかげで、おもらしすることは無くなりましたが、やっぱり悲しいです。いくら神社の再建と私の東京での生活費と学費になるといっても、まるで乳牛扱いです。パンツを脱ぐ途中で、おもらししないために巫女服を着ているときみたいに常にノーパンで、だから万が一にもチラ見えしないためにヤンギャルみたいな足首まであるロングのスカートを着ています。
「……彼の名前……」
そして、曖昧になった記憶のまま、私は東京へ進学したのですが、大学1年生のうちに彼と再会し、街ですれ違ったとき、忘れていた名前を叩きつけられるように思い出しました。
「………フレディーさん……」
あまりにも濃い人だったので、忘れようがなかったみたいです。フレディーさんのことを思い出すと、すぐに次々と思い出し、高校も探し当てるまでもなく超有名校だったので東京で生活していれば、おのずと知ることになりました。
「…そろそろ神山くんも私との記憶があるはず……」
かといって大学1年生のうちに会いに行くと、彼らにとっては未体験の時期になるので大学2年生の秋まで待って、そして今日、私はクロマティ高校に来ました。
「あ、いた」
呼び出してもらうまでもなく校門から見えるところでゴリラを囲んで何かしています。みんな懐かしい顔ぶればかり、いろいろ困ったこともしてくれたけど、それでも私は胸が熱くなって、声をかけました。
「み…、みなさん、こんにちは! ありがとう!」
一言お礼を言いたくて私が声をあげると、こっちを見てくれました。
「「「「「っ?! 出た!!」」」」」
「おかげで、助かりました」
「「「「「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」」」」」
みんなが手を合わせて私を祈っています。
「っ、違っ…生きてるから! 私、生きてるからね!!」
「あ、そうでした。昨日、あの後、助かったんですね?」
神山くんにとっては昨日のことみたいです。だったら、死んでる扱いしないでほしい。
「はい、おかげさまで」
私が神山くんと握手しようと近づくと、ミキちゃんがメンチを切ってきました。
「んだ、このババァ」
「……」
あなたとは同い年な気がします。
「助かっていてよかったぜ、三葉ちゃん」
「は…林田くん…」
あ、あれ? 林田くんの顔を見た途端、目から涙が……止まらなくなって、この人だって気に強制的にされていくような………まあ、でも……ズラを取ったら、そこそこイケメンだし、いろいろいっしょに遊んだし、キープしておいたはずのテッシーは、いつのまにかサヤチンに確保されてたから、ここで手を打つことにします。
お母さん、ありがとう。
副題「彼の名は林田慎二郎」
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