春のおとずれ 【完結】 (バルボロッサ)
しおりを挟む

第1章
彼女の息子は魔法先生!


「どう呼ばれるかはこれからの貴様達次第。これより先の明日は白紙。貴様達がつくる未来だ。進め、ガキども。明日へと」

 

 

 あの日々から時は流れた。

 

 

 第1話 彼女の息子は魔法先生!

 

 

 イギリスはロンドン。町の一角にあるカフェテラスで一人の男がイギリスらしく紅茶を飲んでいる。

 やや赤みがかった金髪のかなり整った容姿。切れ長の目は真面目にしていれば凛とした雰囲気になるのだろうが、今のやる気なく頬杖をつく様子からは怠惰な雰囲気を受ける。

 

「なんつーか……魔法世界よか、魔法使いの町だな」

 

 男は頬杖をついたままカップ片手に道行く人を観察し、ポツリと感想を漏らした。

 

 目の前を通り過ぎる光景の中に逸脱しておかしいところはない。

 獣耳をはやした獣人も、これ見よがしに浮いているクジラのような飛行物体も、ふよふよと漂うように移動する妖精もいない。

 ただ、目の前を通り過ぎる人の大部分は大体にしてとある共通点があった。

 ほとんどの人間が古式ゆかしい魔法使いのローブを着用しているのだ。

 

 果たして獣人が闊歩しつつも普通の恰好をしている人も住まう魔法世界と、目に映る人物の大多数が「魔法使いです」と主張しているような目の前の光景と、どちらが非一般的かと問われれば、きっと大多数の一般人は「獣人がいる方がファンタジーだ」、と訴えるだろう。

 だが、当の本人にとって獣耳や尻尾など見慣れたものの一つでしかない。

 むしろいかにもなステレオタイプをもって、町中ですら没個性的な個性感を主張している光景の方が呆れたものに映るのだ。

 

「大体なんで本場のカフェなのにこんなに紅茶の種類少ないんだ」

 

 男は手に持ったカップにちらりと視線を落として愚痴をこぼした。

 イギリスという国は、彼自身にとってはあまり馴染みのある国ではない。しかし知り合いの影響もあって男は紅茶にも興味があった。今回の渡英にあたって数少ない楽しみの一つであっただけに、ここダイアゴン横丁のカフェのメニューの品ぞろえの悪さに文句の一つも言いたくなってしかるべきだろう。

 

 不満はあっても決まってしまったものは仕方ない。

 そう割り切って、しかし不貞腐れたようにテーブルに畳んであった新聞を手にとり広げた。

 

 

 ・・・・・

 

 ことの発端は1週間ほど前にさかのぼる。

 

「久しぶりじゃのぅ、リオン」

「なんだ。そろそろ老いぼれらしく隠居でもしているかと思ったら、元気そうだな、ジジイ」

 

 親の教育方針により数年前から世界各地を転々としていた男は、知り合いの伝手によって送り付けられてきた召喚状によって日本の京都、関西呪術協会の本山へとやって来ていた。

 リオンと呼ばれた若い男は、ぞんざいな口のきき方で呼びつけてきた協会の長に答えた。

 

「ふぉっふぉ。相変わらずじゃの。まぁ今、茶をだすからゆっくりしたらどうじゃ?」

「ふん」

 

 年齢が倍どころか4倍近く離れているというのに、敬意のかけらも感じられないかのようなやりとり。だが協会の長である老人はさして気を害した風もなく顎鬚を撫でている。あまりに年が離れすぎていて、しかもよく知る間柄だけにもう一人の孫のように感じているのかもしれない。

 

 出された茶菓子が存外気に入ったのか、一口食べると静かになってお茶にも口をつけた。気難しく見えるリオンだが、母親ゆずりの性格をしているだけに、彼の母親とも親しい老人は手綱の握り方を心得ているのだろう。

 なにはともあれ、これでお茶と茶菓子があるうちは礼儀正しく座ってある程度は話にも耳を傾けてくれる。

 

「それで何の用件で、俺を呼んだんだよ、ジジイ」

 

 出された茶と菓子をひとしきり堪能して気分がよくなったのか、大人しく要件を聞く気になってくれたようだ。

 

「ふむ。リオン、お主今幾つになったかの?」

「あ? なんだ藪から棒に」

 

 リオンの満足そうな表情から、ひとまず時間を作れたことを見て取った長は話題のとっかかりとして、雑談らしく会話を始めた。

 

「しばらく見んうちにますます彼によう似てきたのぅ。口の悪さは母親似かも知れんが」

 

 リオンとは、彼が赤ん坊のころからの付き合いだ。彼の母親ともかなり付き合いが長く、色々と借りもある。彼の父親と思われる(・・・・)人物についてもよく知っている。幾度も世話になったり、あるいは助力をすることになったりした仲だ。

 リオンの容姿は彼の父親と思われる人物によく似ている。ただ血筋とも思える赤い髪は母親の遺伝を受けたのか金の色が出ており、性格は再会の挨拶に表れているようにどちらかというと母親によく似てしまったようだ。

 

「なるほど、喧嘩を売りに呼んだんだな?」

「待て待て。ほれ、八つ橋もある。茶菓子を食い終わるくらいまで年寄りの話につき合ってもよかろうに」

「むっ……」

 

 なるほど、長の友人たちはよく彼の母親を弄って遊んでいたが、その気持ちが今ならば分かる。当時は到底彼女を弄って遊ぶなどということはできなかったが、母によく似たリオンの反応を見ると、ついつい弄りたくなってしまう。

 凍気を爪に纏わせて凄んでくるリオンの姿は、彼女の姿を思わせる。

 

「ふん」

「それでお主幾つになったのじゃ?」

 

 久方ぶりに日本の、伝統ある街に来たからだろう。机から出てきた京都銘菓にあっさりと魔力を霧散させて腰を落ち着けた。

 

「あー。たしか次で……19、だな」

 

 彼の母親は非常に長命だ。それゆえ年齢の概念が希薄だったが、リオンはなんとか自身の年齢を覚えていたようで、少し確認するように指を折って答えた。

 

「なるほど19か……咲耶はのぅ、この間で13になったんじゃ」

 

 関西呪術協会の長となってすでに長い時がたった。

 昔は娘に対する義父の溺愛ぶりとお見合い好きに呆れたものだが、同じ年ごろに孫が育つと似たような感慨がわかないでもない。

 

 愛する娘が生んだ孫娘。

 それこそ目の中に入れても痛くないほどの可愛らしさだと長は確信していた。

 

「……それで?」

「小さかったあの子ももう小学校を卒業する年になった。可愛くなったぞい。見るか?」

 

 リオンも長の孫娘、近衛咲耶とは面識がないわけではない。最近は会っていないが、自惚れではなく、かなり慕われていた気がしないでもない。

 咲耶にしてみれば、時折尋ねてくるお兄さんという認識だったのか、まだリオンが活動拠点を本格的に国外に移す前、会うたびに背中にまとわりついてじゃれていた覚えがある。

 

 なんだか孫への愛情があふれ始めたジジイに冷めた眼差しを向けるが、長は気にした風もなく机から写真を取り出している。

 

「いらん」

「そんなこと言わんと見てみ」

 

 見るか? と疑問で尋ねてきが、単に孫自慢をしたいだけなのか、長は目元を緩めながら写真を寄せてきている。

 このまま断りつづけても話が進まない上、要件も終わりそうにないと判断したリオンは手をふりながらおざなりに答えた。

 

「はいはい、でかくなったな」

「可愛くなったじゃろ?」

 

 ちらりと写真を見やればそこには日本人形のように黒く長い髪の少女が映っていた。記憶にあるよりも大きくなっているその少女は、たしかに彼女の母親の面影をよく受けているようで、和風のお姫様のように愛らしい容姿をしており、写真では大輪の華のような満面の笑みをこぼしていた。

 

「…………」

「可愛くなったじゃろ?」

 

 沈黙と共に半目で長を見据えるが、じじバカが炸裂し始めた老人にはなんの効果ももたらさなかったようで、どうやらこれに答えないと話は先に進まないらしい。リオンは大きなため息をついた。

 

「はいはい、じじバカ御馳走様」

「そうか、お主にも可愛く見えるか」

 

 眼だけでなく耳にもフィルターがかかっているのか、リオンの返答に長はなぜか機嫌をよくしていた。

 

「会いたいじゃろ?」

「はいは……あん? そう言えば見ないな」

 

 もうなんだかいろいろ面倒になってきたリオンは適当に相槌をうってやり過ごそうと思い始めていたのだが、長の言葉に、ふと件の少女の姿が見えないことを訝しく思った。

 いつもなら真っ先にリオンの背中に突撃をかけてくるあの少女を、今日は本山に入って一度も見ていない。

 

「実はのぅ。咲耶は今こっちにおらんのじゃ」

「あ? 麻帆良にでも行ったのか?」

 

 疑問をそのまま尋ねると長はなにやら寂しそうな表情となり、咲耶の不在を告げた。

 それに対してリオンはとりあえず思いついた候補を口にした。

 

 関東魔法協会本部、麻帆良学園。関西呪術協会と対をなすように存在する組織だが、その来歴は全く異なる。

 日本古来の、そして土着の呪術協会に対して、魔法協会は西洋、ひいては魔法世界にゆかりの深い組織だ。

 

 昔むかしは、対立していたこともあるようだが、今の呪術協会の長の義父が魔法協会の長だったころから対立が沈静化したらしい。

 聞いた話によると咲耶の母親も初等部のころに京都から麻帆良へと編入したという話だ。

 それゆえの思いつきだったのだが、長の様子からすると少し違うようにも見える。

 

「気になるか?」

「…………帰っていいか?」

 

 ただ会話が面倒なことになってきている匂いがし始めてきて、リオンは腰を浮かせて立ち去ろうとした。幸いにも出された八つ橋はすでに食べ終えている。

 

「こらこら。あの子はの、今イギリスに居るんじゃ」

「イギリス?」

 

 腰を浮かしてその場を立ち去ろうとするリオンの袖を引っ張りながら、勿体つけていた長は咲耶の居場所を告げた。

 

「うむ。イギリスの魔法学校にこの夏から編入するんじゃ」

「そうか、大変だな……それじゃあな」

 

 知り合いにイギリスの魔法学校卒業と同時に日本の中等部で教師をとった奇特なやつがいるが、それに比べればまだ常識的な方だろう。魔法学校への進学が常識的かどうかは意見の分かれるところだが、魔法の世界を日常とするリオンはそう結論づけて再び足を進めようとした。

 

「待て待て」

「離せ! 要は孫離れできないジジイの暇つぶしに呼ばれたんじゃねえのか、これ!? んなもん他を当たれ!」

 

 歩き去ろうとするリオンに対して長は身を乗り出して止めようとしている。

 ここまでの流れで得た感想によると、どうやら初等部卒業と共に孫が、祖父離れよろしく海外に旅立ってしまったことの寂しさを紛らわせたいのだろう。

 無理やりそう結論付けたリオンは纏わりついている長を引きはがそうと袖を振っている。

 

「違うわい。実はお主に頼みたいことがあるんじゃよ」

「頼みぃ?」

 

 それに対して長はあきらめ悪く、ようやく本題に踏み込むことにしたようだ。

 すでに面倒事の予感が漂ってはいるものの、馴染みの少女に関わることのようだと認識したリオンは嫌そうな顔をしつつも一応、振り払おうとした腕を止めた。

 

「うむ。まあ座って、みたらしでも食わんか」

「……ちっ」

 

 どうやら自分を菓子で釣ることにしたようだとは分かったものの、出てきたみたらし団子を見て(それがそこらの量産品ではなく、京都御手洗発祥の由緒正しいみたらし団子であることを見て)リオンは再び腰を下ろした。

 

「お主、今のイギリスの状況を知っとるか?」

「あー……たしかあっちは、国内でドンパチやってたのが収まってとりあえず平和じゃなかったか?」

 

 ようやくの本題らしく、先ほどよりも真面目な顔となって長は尋ねてきた。それに対してリオンは今の世界情勢を思い出しながら答えた。

 

 魔法世界を揺るがす大きな出来事から30年ほど。その間に魔法世界、旧世界、そのどちらにおいても魔法界は大きな変革があった。

 イギリス国内においては、昔からいざこざはあったのだが、リオンが生まれるちょっと前、だいたい20年くらい前からいわゆる闇の勢力という一派が台頭したことにより、裏表を問わずかなりの混乱が広がっていた。

 

 世界の安定のために動いていた白き翼の一派や、立派な魔法使いという一団も動いてはいた。

 しかし、イギリス国内の件では、国内の政権と密着に絡んでいた土着の魔法使いたちとの関係が疎だったこともあり、積極的な干渉がとれず、結局10年ほど前のとある事件を機に闇の勢力は縮小。混乱も収束へと向かい現在は平穏なものだったはずだ。

 

「そうなんじゃが、実は今年からちょっと困った事態になりそうなんじゃよ」

「ん? なんかあったか?」

 

 むしろ麻帆良や魔法世界を拠点に動いている面々、国際宇宙機構の委員長に就任した知り合いの方がよほど大変で困った事態に直面してはいるだろうが、それは彼ら自身が望んで飛び込んでいることだ。

 

「今年からイギリスの“生き残った少年”が入学するんじゃよ」

「生き残った少年? なんだそりゃ?」

 

 ただ、どうもこちらの方はイギリス留学を決めた咲耶にも問題があるが、向こうの国内情勢にも関わることらしい。

 長の口から出てきた言葉にリオンは首を傾げた。

 

「んむ? お主最近は魔法世界の方か?」

「いや、最近はこっちだが……ああ、なんとかポッターとか言うやつのことか?」

 

 首を傾げたリオンの様子に長は情報の齟齬を感じて尋ねた。イギリスの情勢に精通しているとは言わないが、国内情勢にも影響を及ぼす人物の動向なら耳にはさんでいてもおかしくはない。そう思って記憶をさらっているとふと該当した人物が思い出された。

 

「なんじゃ、知っとるではないか」

「それってあっちのやつじゃねえか。メルディアナの方とは繋がりねえだろ」

 

 すぐには思い浮かばなかった理由。それはその“生き残った少年”が魔法世界の魔法使いとはほとんど関係のない少年であるためだ。たしかにイギリスにおいては有名ではあるのだが、魔法世界にまで名が轟くほどではない。

 魔法世界に名の知られた白き翼、その中でも随一の魔力を持つ東洋の姫君。その娘であれば、当然編入するのはメルディアナだと思っていたため、すぐには連想できなかったのだ。

 

「それがのぅ。咲耶が行くのは違う方なんじゃよ」

「は?」

 

 だが、少しだけ困ったように言う長の言葉にリオンは団子を食べている手を止めて視線を向けた。

 

「あの子はのぅ。お主や母親の影響もあってか魔法世界側には随分と慣れておる。むろんわしらや麻帆良についてもの。ただ国外の旧世界側の魔法使いについてはあまり知らん。それでなにを思ったのか留学したいと言い出してのぅ」

「それでイギリスか?」

 

 お淑やかそうに見えて -実際今の日本でも珍しいほどの大和撫子然とした少女なのだが― 時折思い切った行動を見せる。

 今回のことも、彼女の周りにいる大人が魔法世界と旧世界を奔走したり、宇宙開発にいそしんでいたりとする連中ばかりというのを見て育ったがゆえに、自身の見識の狭さを自覚し、奮起していたのかもしれない。

 蝶よ花よとばかりに育てられた咲耶は、国外自体あまり馴染みがないが、イギリスはまだ少し縁がある。もっとも縁といっても彼女の母親の恩師の出身という薄いものではあるのだが。

 それでもその恩師ともちょくちょく顔を合わせている咲耶からするとまだ馴染みのある国と言えるだろう。

 

「うむ。行動力有るじゃろ?」

「…………」

 

 思ってはいても、じじバカを炸裂させた直後に真面目っぽく語られてはあまりしまらない。どこか白けた眼差しを向けてしまったとしても仕方ないことだろう。

 

「こほん。本来ならばあちらの入学は11歳からなのじゃが、今の校長殿が随分と進捗的な方での。異文化交流として受けてくれたのじゃよ。」

「異文化交流って、魔法世界を旅する旧世界の姫様の娘のとる行動じゃねえだろ」

 

 異文化交流と言うなら魔法世界のお姫様のとこに行くこともできるし、留学がしたいだけなら魔法世界の学術都市に行くことだってできるだろう。イギリスに行くよりも、本山に時折訪れてくる人たちと話す方がよほど異文化と触れあう機会となるだろう。 

 

「いやいや、必要なことじゃぞ? ネギ君たちの行動だけではどうしても限界がある。実際イギリス国内のごたごたに関しては手出しできんかった」

「旧世界の土着の魔法使いと魔法世界側のやつとの軋轢は昔からのお家芸みたいなもんだろ。特にイギリスみたいな伝統重視のとこじゃ」

 

 旧世界出身の魔法使いの一族と魔法世界の魔法使いとの軋轢は大体どこの国でも見られる。日本においても、今でこそ落ち着いているものの、咲耶の親の世代くらいまでは割と険悪だった。

 

「うむ。だがいつまでもそういうわけにはいかん。ネギ君たちの目的のためにもこちらの世界で魔法使いによって一般人にまで被害がでるのは好ましくない」

「それでとりあえず、軋轢の少ない国外の、魔法世界側とも関係の深い関西呪術協会が同じく旧世界土着の魔法学校と関係を深めよう、というとこか」

 

 得てしてこの世界で暮らしてきたという自負があるためか、土着の魔法使いは一般人に被害の出る影響を及ぼすこともままある。

 まあ、魔法世界の出身の者も紛争などに介入したりすることがあるので、一概に魔法をもって影響を及ぼすことが悪いとは言えないだろうし、土着の魔法使いも彼らは彼らで一般人に被害を及ぼした際の対処と処罰を規定しているのだから、どちらも大差ないというのが正直なところだろう。

 

 ただ、それでもイギリス国内に関しては、非魔法族出身の魔法使いの排斥をはじめ、魔法を使って一般人にまで危害を加えるレベルの混乱がでていた。

 体質ゆえに外部からの干渉を嫌がりはしたものの、碌に対処もできずずるずると10年以上も混乱を長引かせていた。

 

 お偉方というのは面子を重んじる。有効な手が打てないと分かってはいても、国内に存在する魔法世界側の魔法族と連携するのは、自身たちの無能を証明するようで受け入れられなかったのだろう。

 その点、国外の旧世界固有の魔法族の名門という肩書があれば、その後ろに魔法世界が潜んでいても、まだ受け入れやすく、間接的に魔法世界との伝手ができる。

 

 他者排斥型の奴らは騒ぐだろうが、魔法世界側との伝手ができれば、一方で広い見分が入ることでそういった動きも鈍くなり、なにより抑止力が増えることで対処もしやすくなるだろう。

 

「うむ。微力ではあるが、あの子も木乃香たちのためになにかしたいと考えたんじゃろぅ。優しい子じゃ……」

 

 単に今までの箱庭暮らしから飛び出したかったのも多少はあるかも知れないが、母親たちが奔走している目標のための小さな一手になることはたしかだ。

 

 育ってきた環境ゆえにだろうか、まだ政治のことなどわかる年頃でもないはずなのに、融和への架け橋になりたいという思いを行動に移したのかもしれない。

 

「……なるほど。いい話だ……が、その話のオチはどこにあるんだ?」

 

 うまく孫を持ち上げて美談でまとめようとしているジジイに冷や水をかけるようにリオンは話の核心を聞きに踏み込んだ。

 

「むぅ、そういう言い方はないと思うが……まあよい。実はの、その異文化交流の一環として、あちらで魔法世界側の魔法を教える機会を作るということなんじゃよ」

 

 孫の成長を褒めてやってほしい長からすると、リオンの反応はさみしいものがあるのだが、向けてくる瞳が「とっとと要件を終わらせろ」と雄弁に語っているため、話を続けることにしたようだ。

 

 旧世界で育まれてきた魔法と魔法世界の魔法は毛色が少し違う。日本におけるそれを例にしてみると、気や呪術、呪符を用いる日本の魔法に対して魔法世界のそれは力ある言葉と魔力で精霊やその眷属と感応して行使するものだ。

 

「ほー、頭の固い伝統地域にしては思い切った決断だな」

「うむ」

 

 得てして伝統のあるところは変化を嫌う。その変化を、次代を担う子供たちを育成する場から始めようというのだから、先々での影響も大きくなるかもしれない。

 魔法世界側の干渉を嫌っている割には思い切った決断だ。

 

 ただ

 

「色々と裏もありそうだがな」

「う、うむ……そこでじゃ、お主に向こうに行ってもらいたいのじゃよ」

 

 人の営みとは極論に至ればすべて悪である、とは母の教えだ。

 その教えにのっとり、じろりと睨みをいれるとどこか隠し事があるのか、少しどぎまぎしたように要件を告げた。

 

「寝言は寝てからほざけ、じじい」

「いやいや本気じゃぞい」

 

 話の流れ的に想定していなかったわけではないが、これはない。

 

「魔法学校の経験なんぞ俺にもない。他をあたれ」

「いやいや、魔法学校にこそ行ってはおらんがお主はあの人からしっかりと魔法を教わっておるではないか。それに実践も経験しておる」

 

 リオンは麻帆良に通っていたことがあるとはいえ、一応あそこは表向き一般人の学校だ。半ば公然の秘密のように魔法使いが闊歩しているとはいえ、そこで教わる授業の内容に魔法は含まれない。

 それを理由に拒否を口にするが、長の言うとおり魔法自体はみっちりと母から教わっている。加えて世界を(文字通り両世界を)渡り歩いてきた中で、魔法を用いた戦いというのも当然経験している。

 

「教えられたとおりにやってもいいんだな」

「そこは臨機応変にしてくれんか。流石に授業で死人を出すわけにもいかん」

 

 だが、彼が母から教えられたとおりに、それを向こうの子供たちに教えるのは無理がある。確実に死人が出る。いやむしろ終了することができれば、それは奇跡的な生還者と言われる者になるだろう。

 

 つまりは、これは建前なのだ。

 

「…………それでホントのとこは?」

「……今でこそ混乱は収束してはいるが、どうも混乱の火種自体はまだ残っておるようなんじゃ。そこに魔法界から離れておった件の“生き残った少年”が戻ってきたら、なにかの引き金にならんとも限らん」

 

 じろりと睥睨してそれを追及するとようやく観念したかのように溜息をついて本音を語り始めた。

 

「ふん。どうせ身内問題として甘い裁定ばかりをして、きっちり火種を消してなかったんだろ」

「むぅ、向こうには向こうで色々と事情があったようじゃし、そこまで処断して居ったら国内で立ち行かなくなっておったというのもあるんじゃろ」

 

 一般人に死傷者がでるレベルの被害が国中ででていたのだ。

 当然一人の魔法使いの所業によるものだけではなく、その責任も一人が死んだからと言って片付くものではない。後顧の憂いを断つのなら、事件を引き起こしていた者すべてを冷徹にきっちり処断しておくべきだ。

 ただ、それも理想論ではある。魔法が絡んでいたのならば、たとえば意識を失わせて傀儡にされていた者もいるだろうし、脅されて仕方なかった者もいる。被害によって人材不足にも陥っていただろう。すべてを処断して、責任を追及し尽くせば、まず間違いなく以後が立ち行かないし、それは不可能だ。

 

「まあとにかく、留学の件は承服されたのじゃが、そういったところに魔法世界に縁のある者が入り込めば、闇の勢力の残党の標的にされんとも限らん、という懸念があちらから出されておるのじゃよ」

 

 つまりは平穏になった、といってもそれは向こうのお偉方がそう宣伝しているだけのようなものだ。

 時代の潮流を読むのなら、国外や魔法世界のことも取り入れていく必要があるのは明らか。だが、素直にそれを受け入れるのは面子がたたないし、角がたたない学生間の交流と言う形にしても、学生であるがゆえの非力さで問題が発生しかねない。

 

「留学を認める代わりをよこせ、ということか。咲耶を餌にしての交渉とはなかなかだが、闇の勢力に対抗するのに俺を行かしたりしたら本末転倒だろうが」

 

 関西呪術協会の長の孫娘という縁の強いものの受け入れを許す代わりに、その身柄を守るための戦力をよこせ、と暗に示しているともとれる取引だ。守護する対象がいつの間にやら咲耶から“生き残った少年”とやらにすり替えられる可能性もありそうだ。

 

 もっとも、闇の勢力の復活、もしくは残党の襲撃から守護するために“闇の眷属”であるリオンを向かわせるというのはなかなかに意地の悪い話だ。

 

「だからこそ、というのもあるじゃろ? どうもあちらの魔法使いは闇を嫌悪しすぎるきらいがある。少なくとも校長自体はどちらにも通じた者じゃ」

 

 イギリス側の国内の混乱は闇の勢力が非魔法族出身の魔法使いの廃絶、純血主義を訴え、それを行動に移したことが原因とも言われているが、他方に関しても闇に属する者を嫌悪していたという感情的なものも多少ながら含まれているのだ。

 

「アルバス・ダンブルドア、か」

「なんじゃ知っておるではないか」

「一応向こうの有名人だからな」

 

 その名は土着の魔法使いには珍しく魔法世界でも知られている。魔法薬学の分野などにおいても極めて有益な功績を残し、魔法使いの戦士としても相当に優秀だと言われている。

 ヨーロッパにおける旧世界の魔法使いたちの間では、闇の魔法使いとして名高い人物を打ち破ったことで英雄視されている人物だ。

 

「それで、受けてくれんか? 初めの数年、向こうの情勢が落ち着くか、咲耶が卒業するまででいいんじゃ」

 

 身びいきともとれる条件。だが、それもリオンの状況と魔法世界の情勢からすると仕方のないことではある。

 魔法世界では、今、英雄たちが主導するとある計画が大々的に進行中であり(干渉を嫌う旧世界固有の魔法界は知らないだろうが)、リオンも立場上、魔法世界の問題を解決するために駆り出されたりすることがあるので、あまり長くは一か所に張り付いていられない。もっとも、彼の場合その出自からメガロメセンブリア上層部などからはかなり毛嫌いされているのだが。

 ともあれ計画進行中のために、常に人材不足のため、実力のある魔法使いの都合をつけるのも難しい。

 だが、数年。その時間があれば、人材の都合をつけることもできるし、なにより状況が劇的に変わる。その確信が彼らにはあるのだ。

 

 ただ

 

「信用していいのか? 俺は木乃香さんとは違う。闇に属する魔法使いだぞ?」

 

 リオンは、分類上闇の魔法使いに分類される。それも極め付けに厄介な部類として。実力的にも、来歴的にも……

 

「闇だからといって嫌悪するものではない。ネギ君やエヴァのように闇に属していても信頼できる者はおる。わしはお主だからこそ信頼しておる」

 

 日本の土着の魔法使いはどちらかというと魔や闇に寛容だ、というのも彼らが使役する呪符や使い魔はそういった闇に属する存在であることがままある。毒をもって毒を制す、闇をもって闇を制す。あるいは光や闇によって善悪が分かれるものでないことを歴史柄知っているからだろう。

 一昔前では魔法世界でも純粋な闇の眷属は嫌われていたが、ある英雄が闇の技法に精通していることもあり、かなり寛容になってきている。

 

 そしてそれ以上に、長はリオンの人柄をよく知るがゆえに、波紋を生み出す一石として、送りたいのだろう。

 

「ふん」

「それに咲耶もお主に会いたがっておったし。なんなら向こうで仮契約なり本契約なりして一緒になってくれてもよいぞ?」

 

 だが、シリアスな雰囲気が一変、指をたててなにやら妙な提案をしてきたジジイに、リオンは威圧するような眼差しを向けた。

 

「八つ裂きにされたいのか?」

「わしもひ孫の顔が早く見たいんじゃよ」

 

 なにやらとっても、昔語りに聞き覚えのあるやり取りの気がして、リオンは半目で長を睥睨した。

 

「いいかげん似合わない義父の真似はやめろ、詠春」

「おや? 大分、板についてきたと思ったのですが」

 

 関西呪術協会の長、かつての大戦の英雄、赤き翼の一人、近衛詠春。母の古い知り合いでもあり日本の魔法界における重鎮にリオンは溜息を投げかけた。

 かつては堅物と評された詠春も、様々な経験を経て、孫までできたことでかなり柔らかくなった。

 自身ではだいぶ似てきたと思っていた義父そっくりの行動を呆れ混じりに返された詠春は、少し残念そうに微笑んで腰を上げたリオンを見送った。

 

 去りゆく背中に詠春は淡い笑みを浮かべて、

 

「あなたの後任に関してはなるべく早く準備します。必要な事務もこちらで済ませておきます。リオン……咲耶を、頼みます」

「ふん。まったく、面倒をかけさせるな」

 

 別れの言葉をかけた。

 

 




ネギま原作から約30年後
原作との相違点
原作ではネギま物語終了後の2013年に魔法の存在が公表されていますが、本作では未公表です。
ハリーポッター(1991年~)とネギま(2003年~)の時系列がずれています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

英雄とのお買いもの

「ああ! なんていい日だ!」

「ハリー・ポッター……お目にかかれて光栄です」

「お帰りなさい。ポッターさん。本当にようこそお帰りで」

 

 初めて訪れた魔法界の入り口。パブ漏れ鍋でハリーを待ち受けていたのは熱烈な歓迎だった。

 だれもが自分のことを英雄や有名人のようにもてはやす。

 歓待の言葉をかける中にはこれからハリーが通う事になる予定のホグワーツの教師までいた。

 

 これまでの生活の中でこれほど人に笑顔を向けられ感謝されたことのないハリーは困惑を感じ、また自身の覚えていない功績を讃えられて戸惑っていた。

 両親の顔すら知らず、非日常を嫌う一般人の親戚の家で育てられたハリーは11歳の誕生日を境に自身の出自を知った。

 魔法使いの両親をもつ魔法使いの卵。かつてイギリスを闇と混沌へと沈ませていた闇の帝王を打ち砕いた英雄。“生き残った少年”。それがハリーだった。

 

 出自について教えてくれたハグリッドという、魔法学校の森番をしている大男によって魔法の世界へと誘われていた。

 

 

 第2話 英雄とのお買いもの

 

「おぉい。ハリーはこれから学用品を買いに行かにゃならん。すまんがそろそろ行かせてくれんか」

 

 

 漏れ鍋にいた人たちに代わる代わる握手などを求められていたハリーに、毛むくじゃらの大男 ――ハグリッドが人ごみを掻き分けるようにして近づいた。

 店に入る前はハリーとハグリッドの二人でここまで来たのだがハリーが店で人に囲まれている間に連れてきたのか、ハグリッドは一人の少女を連れていた。

 

「ハグリッド、この子は?」

 

 黒く長い髪は艶やかで腰に届くほどの長さ。顔立ちが東洋風であることもあって見た感じはハリーと同じか少し年下くらいに見えた。

 店内の人のほとんどは見るからに魔法使い然としたローブかマント姿だったのだが、その少女はハリーと同じくマグルの、非魔法族の一般人と同じ装いだった。

 

「おう、そう言えば言い忘れちょったな。今日一緒に案内することになっちょる留学生だ」

「初めまして、近衛咲耶……あ、ちごた。咲耶・近衛です」

 

 まるで日本の人形のような黒髪黒目の少女はぺこりと頭を下げて自己紹介をしたが、英国風の名前の順序に慣れていないのか言い直した。

 なんだかほんわかとした雰囲気の少女で、にこにことした笑みは先程まで周りを取り囲んでいた人たちとは少し雰囲気が違うように感じられた。

 

「あ、どうも」

「…………? えっと、ハリー君、でええんやったっけ?」

 

 意地の悪いガキ大将の親戚、ダドリーのせいで同年代の友人がおらず、店に入ってからは誰もが自分のことを知っていたがゆえに、無意識にこの少女も知っていると思ったのだろうか。戸惑い気味に短い言葉のみを返したハリーに、咲耶はちょっと戸惑ったように問いかけた。

 

「あ、うん。ハリー・ポッターです」

「よろしゅうな」

「よし、それじゃあ行くとするか」

 

 咲耶の言葉に自分の名前を言っていないことを思いだしたハリーがドギマギしながら自己紹介をして、咲耶はにこにことした笑みを向けた。その笑顔にハリーは鼓動が増したように感じた。

 二人の対面の挨拶が済んだと判断したハグリッドが声をかけ、先導するように歩きだし、二人もその後に続いた。

 

「お前さんはハリーのこと知らんかったみたいだな?」

「あ、有名なん? ごめんな~、うち英語とか覚えるのに必死で、こっちの魔法界のことまだよう分からんくって」

「コノエはどこから来たの?」

 

 パブを通り抜け、壁に囲まれた小さな中庭につくとハグリッドは咲耶に声をかけた。1歳にしてイギリスの魔法界において知らぬ者のない人物となったハリーを知らないことが少し意外に思ったのだろう。

 咲耶は咲耶で母国語が違うためだろう、まだ慣れていないのかどこかイントネーションがずれているようにも感じられる。加えて明らかに東洋風の顔立ちが気にはなっていたのだろう、ハリーが尋ねた。

 

「咲耶でええよ~。うちは日本から来たんよ。小学校が終わって、編入することになって」

「編入? 入学じゃなくて?」

 

 不慣れゆえの言い間違いかと思い尋ね返したハリーだが、それは自分よりも幼く見える咲耶の容姿のせいもあったのだろう。

 

「ちゃうえ~。うち今年で13やから、えーっと……」

「サクヤは3年生に編入だな」

 

 小首を傾げている咲耶に、ハグリッドが助け船をだすように言葉を加えた。だが、その言葉はハリーを驚かせた。

 

「えっ! 僕より二つ年上!?」

「じゃあハリー君は11歳なん?」

 

 うちの方がお姉さんや~。とにこにことした顔で言う咲耶だが、ハリーにしてみればどう見ても年上には見えなかった。

 驚いているハリーをよそにハグリッドはなにやら壁の煉瓦を数えて、「三つ上がって……二つ横……」とぶつぶつつぶやきながら何かを数えている。

 

「よしと。ハリー、サクヤ。少し下がっとれよ」

 

 何かを確認し終えたのかハグリッドは二人に声をかけ、二人が少し下がったのを見て、トントントンと持っていたピンクの傘で煉瓦を叩いた。 

 

「ほえ~」

「わぉ」

 

 咲耶とハリーが見ている前で煉瓦はぐらぐらと動き、壁を崩してアーチを形作った。二人の数倍はありそうな大柄のハグリッドですら通れるほどのアーチの先には石畳で舗装された道が続いていた。

 

「ダイアゴン横丁にようこそ」

 

 感嘆の声を上げた二人をにこりと見やり、ハグリッドはイギリス古来の魔法界への歓迎を示した。

 

 

 アーチをくぐった先、ダイアゴンという名の横丁は、少し雑多な感じがするものの、魔法使いの店々が立ち並んでいた。

 鍋屋、ふくろう店、マントを売る店、箒屋、銀道具の店、杖の店。通りにも何かの魔法関連具を売っている露天のようなものも見られた。

 

「なあなあ、ハグリッドさん。うち、こっちのお金持ってへんから、換金したいんやけど」

「おお。ハリーも金をおろさにゃならんからな。まずは銀行だ」

 

 魔法とは無縁の世界で育ったハリーは興味深そうにあちこちを見ており、咲耶も初めて訪れたダイアゴン横丁の姿にきょろきょろと顔を向けていたが、ふと自分の財布の中身を思い出してハグリッドに声をかけた。

 

 ハグリッドの先導で3人はひとまずイギリス魔法界の銀行へと赴いた。

 

「ここが、グリンゴッツだ」

 

 小さな店が並ぶなか、真っ白な建物が目を引くようにそびえている。

 

「ハグリッド、あれ……」

「ああ。あれが子鬼だ」

 

 人ならざるものが珍しいのだろう、ハリーはグリンゴッツで働いている子鬼をまじまじと見ている。

 

「そしたらうち、お金換えてくるな」

「ああ。こっちはちぃーっと時間かかるかもしれん」

 

 貸金庫へと案内するカウンターへと向かうハリーとハグリッドに一声かけて、咲耶は換金のカウンターへと向かった。

 

 

 ・・・・

 

 

 イギリス魔法界の通貨への換金が終わり、待っているとしばらくして顔を真っ青にしたハグリッドと眩しそうに目を瞬かせているハリーとが戻ってきた。

 

「ハグリッドさん、なんか顔色悪いなぁ」

「う、うむ。すまんが、ちょっと漏れ鍋で元気薬をひっかけてきてもいいか? グリンゴッツのトロッコにはまいった」

 

 グリンゴッツ貸金庫への通路はかなりの速度を出すトロッコだったらしく、乗り物酔いしたのかハグリッドは具合悪そうにしている。

 

「大丈夫、ハグリッド?」「ええで~」

「ああ。二人とも制服は必要だろ。そこの服屋で仕立ててもらっちょってくれ」

 

 ハグリッドはマダムマルキンの洋装店という店を顎で示して、大きな体を少しふらつかせながら漏れ鍋の方へと向かった。

 

「ほな、いこか、ハリー君」

「うん」

 

 ハグリッドを見送ってから二人は店へと入った。店内では恰幅の良い魔女、マダム・マルキンが出迎えた。

 

「あら。お二人? ホグワーツかしら?」

「はいな」「はい」

 

 声をかける前にマダムは声をかけてきた。

 

「全部ここで揃いますよ。お嬢ちゃんはあちらの方で採寸しましょう。」

「はーい」

 

 マダムの他にもう一人店員がおり、そちらもハリーと同い年くらいの男子の採寸をしている。マダムは咲耶を店の奥にいる店員に案内させ、ハリーの採寸にうつった。

 

「お嬢ちゃんは新入生かしら?」

「いいえ~。あっちの子はそうですけど、うちは3年生です。編入ですけど」

「あら? 編入? 珍しいわね。生まれはアジアの方かしら?」

「はいな。日本から来ました」

 

 店員と話しながら奥へと来た咲耶は店員に言われて採寸台へと立って、長いローブを頭からかけられた。

 

「そう、日本から。でも編入なんて大変ね」

「やっぱ魔法学校って大変なんですか? うちそういう学校始めてやからよう知らんくって」

「ふふふ。私もホグワーツだったのよ。勉強は大変かもしれないけど、寮での生活とか友達と過ごした学校生活は大切な思い出よ」

 

 店員は手馴れた様子で採寸し、丈に合わせてピンでローブをとめたり、袖を合わしたりと手を動かしながらも、異国から来た少女との会話を楽しんでいるようだ。

 

「寮か~。楽しみや」

「初めのうちは学校が広くて大変よ? なかなか授業の時間までにつけなかったり、廊下を走ってるところを管理人に見つかったりして」

「へ~、ほなちゃんと覚えなあかんなぁ」

 

 学校での生活のことなどを話しながら作業をこなしていき、咲耶も退屈しない時間を過ごした。

 

 

「はい、できあがり。向こうのお坊ちゃんもちょうどいいころみたいね」

「ありがとうございます。お話楽しかったです」

 

 仕立てが終わり、店員から出来上がったローブを受け取って咲耶はハリーの方へと戻った。

 店の外にはハグリッドが待っており、元気薬のおかげか顔色がよくなっており、3人分のアイスクリームを持って待っていた。ハリーも一足早く店を出てハグリッドとともに咲耶を待っていた。

 

「おまたせさんハリー君、ハグリッドさん」

「おお。ほれ、サクヤも」

 

 咲耶が小走りで駆け寄るとハグリッドは持っていたアイスクリームを咲耶に渡した。

 

「わぁ、おおきに。ん、ハリー君どないしたん?」

「……なんでもないよ」

 

 渡されたアイスクリームを咲耶は嬉しそうに受け取り、一口食べて顔をほころばせるが、ふと同じようにアイスを食べているハリーの表情がどこか暗いのを見て声をかけた。

 だがハリーはなんでもなくない感じの声で応えた。

 

 少し気にはなったが、本人がなんでもないというため咲耶とハグリッドは少し気になりつつも他の必要品をそろえるための買い物を再開した。

 

「ねえ、ハグリッド。クィディッチってなに?」

「なんと、ハリー! おまえさんがなんにも知らんということを忘れとった。クィディッチを知らんとは!?」

 

 羊皮紙と羽根ペンを買った後、ハリーは少し元気を取り戻したのかハグリッドに尋ねた。

 

「これ以上落ち込ませないでよ」

「うちも知らんえ?」

「クィディッチちゅうのは、魔法族のスポーツだ。マグルの世界の、なんちゅうたか……そう、サッカーだ。箒に乗って空中でやるゲームなんだが、ルールを口で説明するのはちと難しいな」

 

 ヨーロッパの魔法界に詳しくない咲耶もハリーの言った単語が分からなかったようだ。

 そしてハリーは魔法界から離れていたため、魔法界では常識とも言える知識が欠如している。そのことを改めて再認識して驚いているハグリッドはそれでも、分かりやすく答えた。

 

「どうしたんだ、ハリー?」

「さっき、マダム・マルキンの店でホグワーツに入学するっていう子に聞いたんだ。それで、その子が言うんだ。マグルの家の子は一切入学させるべきじゃないって……」

 

 どうやら先ほど店にいた少年と話していたことが、ハリーを沈み込ませていた原因だったようで、ハリーはそのことを口にした。

 

「おまえさんはマグルの家の子じゃない。ハリーが何者なのかその子が分かっていたらなぁ……その子も親が魔法使いならおまえさんの名前を聞きながら育ったはずだ」

「……サクヤの家はマグルの家なの?」

 

 ハグリッドは心底残念そうに言うが、ハリーはもう一人の同行者、クィディッチについて知らないと自己申告した咲耶に尋ねた。

 

「マグルって、なんなん?」

「マグルっちゅうのは、俺たちみたいな魔法使いじゃない連中のことだ。サクヤは日本の魔法使いの子って聞いとるが?」

 

 先程から出ているマグルという単語は咲耶にとって未知の単語だったのだろう、首を傾げ、ハグリッドが説明した。

 

「うん。うちのお母様が魔法使いやって。でもうちこの前まで普通の学校通っとったし、お母様が使う魔法とこっちの魔法は違うて聞いたえ?」

「? 魔法が違う?」

 

 咲耶の言葉にハリーは首を傾げた。

 

「あー、そこらへんは俺もよう分からんのだが、魔法界にはホグワーツで教えちょるような魔法とは違うタイプの魔法もあるっちゅう話だ。サクヤはその魔法は教わったんか?」

「うん。お母様とかお兄ちゃんとかに教わったんよ。あんまり強い魔法はあかんけど、魔力の制御を覚えとかなあかんって」

 

 旧世界、現実世界に昔から存在する魔法使いの魔法と主に魔法世界で隆盛している魔法とは少しタイプが異なる。それを知ってはいてもなにが違うかという答えは、ハグリッドはおろか閉鎖的なこちらの魔法界ではあまり知られていないことだ。

 

「サクヤは使えるんだ、魔法……僕、なにも知らないのに……」

「気にすることねぇぞ、ハリー。それが普通だ。これから覚えてきゃええ」

「うちもこっちの魔法は全然やし、向こうの魔法も治癒系と制御の練習のための基本的なやつしか習ってへんよ」

 

 基本的にホグワーツに入学する子供たちは年齢的なものもあって入学前にはあまり魔法を習わない。そのため特にマグル生まれの魔法使いは感情が高ぶることにより魔力が暴発してしまうことがままある。

 咲耶の魔力は膨大であるため、最低限の安全のための制御をあらかじめ教えていたのだ。

 そのことをハリーに伝えると完全には納得できないまでも、幾分心配は緩和されたようだ。

 

「……スリザリンとハッフルパフって?」

「学校の寮の名前だ。四つあってな。ハッフルパフには劣等生が多いとみんなは言うが、しかし……」

 

 ハリーは先程店内で聞いたことで分からないことを解消させておきたいのだろう、もう一つの疑問を尋ねた。それに対してハグリッドが答えるが、途中で言いよどんでしまう。

 

「僕、きっとハッフルパフだ」 

「スリザリンよりはハッフルパフの方がましだ」

「寮分けて、学力検査みたいなんあるん?」

 

 言いよどんだ間にハリーの気分は再び沈下してしまったようで、肩を落すが、ハグリッドは少し顔を暗くして言葉を続けた。

 劣等生が多い、という言葉を聞いて咲耶は意外そうに尋ねた。

 

「いんや。そういう訳じゃねえが……まあ組み分けは本番の楽しみにしちょれ。ただ、スリザリンに限って言えば、ちょいとあってな……」

 

 咲耶の疑問に対してハグリッドは首を横に振って答えた。

 

「悪の道に走った闇の魔法使いや魔女は、圧倒的にスリザリン出身が多い。例のあの人もそうだ」

「ヴォル……あ、ごめん……あの人も、ホグワーツだったの?」

「…………」

 

 イギリスの魔法についてはそう多くはまだ知らないが、それでもイギリス留学にあたり教えられた知識の中に、“名前を言ってはいけない例のあの人”という人物が大変恐れられているということは聞いていた。

 ただ、闇が悪だというようにも、スリザリンに入ることが悪への第1歩だともとれるハグリッドの言葉に咲耶は少しだけ表情を暗くした。

 

「昔々のことさ」

 

 

 その後、3人は本屋で必要な本をそろえたり、鍋や秤、望遠鏡などを買いそろえた。

 

「うむ。後は、杖だな。杖ならここだ。オリバンダーの杖に限る」

 

 狭くみすぼらしい外装の店には紀元前382年創業という歴史ある看板が掲げられていた。

 

「サクヤも杖を持ってないの?」

「うん。向こうの発動媒体はあるんやけど、こっちの魔法とはあえへんみたいやから、新しく選ばなあかんみたいや」

 

 扉を開けて入ると奥の方でチリンチリンと来客を知らせるベルがなった。たくさんの細長い箱が山のように積み重ねられており、雑多ながらどこか図書館の静謐さを思わせる店内だった。

 

「いらっしゃいませ」

 

 店の奥から柔らかな声と共に老人が出てきた。

 

「こ、こんにちは」「こんにちは」

「おお。まもなくお目にかかれると思ってましたよ。ハリー・ポッターさん、そして……」

「咲耶・近衛です」

 

 老人、オリバンダーもやはりハリーのことは知っているようで、目を細めてハリーを見た後、咲耶にも視線を向けた。

 

「おお、おお。まずはハリーさんの杖を見させていただきますので、少しお待ちください」

「はいな」

 

 咲耶に一声かけてからオリバンダーはハリーに向き直りなにやらまじまじとハリーを見つめている。

 

「なんや変わったお人やなぁ」

「イギリス一の杖職人だ。ハリーの両親の杖も、俺の杖もここで買ったもんだ」

 

 咲耶はハグリッドの横に腰掛けて話ており、オリバンダーは昔を懐かしむようにハリーの母の、そして父の杖のことを口にしている。

 そしてその目がハリーの額に、稲妻型の傷跡へと向くと、今度は別の杖のことを話し始めている。

 

 オリバンダーはハグリッドにも声をかけた後、早速ハリーの杖選びを始めた。

 どうも一口に杖、といっても素材や芯に使われているものによってさまざまな種類があるようで、次から次へと杖をだしてはハリーに振らせている。

 だが、その度に山のように積まれた杖が雪崩を起こしており、中々思うようにマッチした1品は見つからないようだ。

 

「ひゃっ」

「おお、大丈夫か、サクヤ?」

 

 ハリーが杖を振った瞬間、また小さな爆発を起こしたように咲耶たちが座っていた近くの山が崩れてばらばらと杖が落ちてきて咲耶は悲鳴を上げた。

 

「ご、ごめん、サクヤ、ハグリッド」

「いかんいかん。難しいお客じゃ。心配なさるな。必ずピッタリ合うのをお探ししますでな。さて、次は……おお、そうじゃ。滅多にない組み合わせじゃが、柊と不死鳥の羽、28cm、良質でしなやか」

 

 短い悲鳴を上げた咲耶にハリーは慌てて謝るが、オリバンダーは杖選びに没頭しているのかそちらには見向きもしていない。

 新たに持ってきた杖をハリーに手渡し、ハリーはまた咲耶たちの方に被害がでないか気にかけてるのか少し戸惑ったように咲耶たちを見て、にこにことした顔を崩していない咲耶に後押しされたのか杖を振った。

 

「おーっ」

「ほわぁ、きれーやな~」

 

 今度は雪崩は起きず、杖先から小さい花火のように鮮やかな光の玉が流れ出した。幻想的な光景に咲耶も感嘆の声をあげた。

 

「すばらしい。いや、よかった。さてさてさて……不思議なこともあるものよ。まったくもって不思議な」

「何がそんなに不思議なんですか?」

 

 呟きながら杖を箱に戻し包装しているオリバンダーにハリーは問いかけた。

 

「ポッターさん。わしは自分の打った杖は全て覚えておる。あなたの杖に入っている不死鳥の尾羽はな、同じ不死鳥が尾羽をもう一枚だけ提供した。たった一枚だけじゃが、あなたがこの杖を持つ運命にあったとは、不思議なことじゃ。兄弟羽が、なんと兄弟杖がその傷を負わせたというのに……」

 

 オリバンダーの言葉に、ハリーははっと気づき、息をのんだ。

 咲耶は特に注視していなかったが、ハリーの前髪に隠された額には稲妻型の傷跡がある。わずか1歳にして英雄として名をはせた証。邪悪なる闇の悪意によって刻み付けられた痕。

 

「……さて、コノエさん。お待たせしました、こちらへ」

「あっ、はい」

 

 少し悲しそうな顔をしていたオリバンダーは気を取り直してもう一人の客、咲耶を呼んだ。咲耶は先程雪崩で崩れて膝の上に落ちてきた杖の箱の一つを持ってオリバンダーの前へと進んだ。

 

「杖腕はどちらですかな?」

「右です。あと、これさっき落ちてきたんですけど」

 

 先程のハリーの時同様、採寸を行なおうとするオリバンダーに持ってきた箱を差し出した。

 

「ああ、それは……ふむ。まずその杖を振ってみなさい。梛の木に吸血鬼の髪、23cm、柔らかく折れにくい」

 

 差し出されたそれをオリバンダーは一瞥すると受け取らずに、最初に試すように指示した。杖に使われている素材、吸血鬼の髪というワードに咲耶はピクリと反応し、まじまじと手元の箱に視線を向ける。

 どこかためらうような手つきで咲耶は箱を開き、杖を手に取った。

 

「あったかい……」

 

 触れている指先からなにかほんのりと温かい感触が広がり、吸い付くような感覚があった。

 杖に誘われるように咲耶は手に取った杖を軽く振ると、薄桃色の花弁の様な光がはらはらと舞った。

 

「素晴らしい。どうやらその杖があなたを選んだようですな」 

 

 淡々と杖を箱に戻して包装しているオリバンダーだが、一発で杖を決めた咲耶はどこか浮かない表情をしている。

 

「あの、一つ聞きたいんですけど。髪の毛もろた吸血鬼って……」

「この杖に使われているのは数代前の職人が大変力の強い吸血鬼からもらった髪だそうです」

「その吸血鬼って、どないなったんですか?」

 

 どこか必死な感すらあるほど真剣に尋ねる咲耶に、傍で見ているハグリッドとハリーは訝しげな視線を向けた。

 

「それは分かりません。ですが、その吸血鬼は不死の存在であったと聞いています」

「不死の、吸血鬼……」

「単なる言い伝えですが、ね……」

 

 ハリーと咲耶の二人はそれぞれ杖の代金7ガリオンを払って、お辞儀をして見送るオリバンダーの店を後にした。

 

 一行は来た道を戻り、漏れ鍋へと向かった。

 

「ふむ、必要なもんは大体そろったな。ハリーは電車で帰るが、咲耶はどうするんだ?」

「うちは今日はホテルに泊まって、ガッコが始まるまではウェールズの知り合いの家にホームステイする予定です」

「家には戻らないの?」

 

 リストを確認したハグリッドが予定の買い物が終了したことを告げ、咲耶に今後の予定を尋ねた。咲耶の返答にできれば家に帰りたくないハリーが興味をもって尋ねた。

 

「うん。ウェールズまでは迎えの人が来てくれるゆー話なんやけど……」

 

 咲耶たちが今居るロンドンからウェールズまでは同じイギリス国内でもそこそこに距離がある。大量の学用品を抱えた異国の少女が一人で移動するにはかなりキツイ距離であり、ハグリッドとは別の案内人が事前に準備しているようだ。

 

「おかげでマズイ紅茶を何杯も飲んで待つ羽目になったんだが」

 

「ほぇ?」

 

 話しながら通りのカフェを通り過ぎようとした一行に声がかけられ、咲耶は懐かしい声に振り向いた。声をかけてきた男の姿を見た咲耶は呆気にとられたように呆然とし、ついで

 

「リオン? リオンや!」

「いきなり抱きつくな」

 

 リオンに飛び込むように抱きつこうとしてリオンの伸ばした腕に阻まれていた。

 ダイブするのは阻まれた咲耶だが、それでも諦めずにリオンの背中に纏わりついて嬉しそうにしている。

 

「リオン? サクヤ、そいつがお前さんの言う迎えか?」

 

 嬉しそうな咲耶を見て、知り合いだということは察したが、一応案内人としてハグリッドは確認した。

 

「うん。ほんま久しぶりさんや、リオン。来てくれて嬉しいわぁ」

「分かったから離れろ。それで、お前の荷物はどこだ?」

 

 呆気に取られているハリーを他所に咲耶はリオンに華のような微笑を向けており、リオンはなんとか咲耶を引き剥がそうと奮闘している。

 

「これだが……お前さん、リオン・スプリングフィールド先生か?」

「あ? まだ先生になってないが、なんだあんた?」

 

 荷物がかなりの重さだったこともあり、咲耶とハリーの荷物を持っていたハグリッドが咲耶の保護者らしき男に荷物を手渡しながら問いかけた。ハグリッドの問いにリオンは訝しげに返した。

 

「おお。俺はホグワーツで森番やっちょるルビウス・ハグリッド。ハリー、クィレル先生についで今日二人目だな。スプリングフィールド先生は今年からホグワーツに来るっちゅう新設の科目の先生だ」

「えっ?」

 

 リオンが肯定の意を返したことで、ハグリッドは自分の予想が当たっていたことが嬉しかったのか、破顔してハリーにリオンのことを伝えた。

 

「えっ! リオン、ホグワーツに来るん!?」

「お前のジジイの差し金で行くことになったんだよ。買い物は終わったのか?」

 

 驚いた声を上げたのはハリーもだが、咲耶は嬉しそうに目を輝かせている。一方のリオンは不服そうに気だるげな視線を向けている。

 

「うん。終わったえ」

「そうか。あんたらもこいつが世話になったな」

 

 リオンは受け取った荷物を自分の影の上に手放した。地面に落ちた筈の荷物はしかし、予想していた衝撃音を響かせず、ずぶずぶと地面にめり込むように影に沈みこんでいった。

 ハグリッドが持っているのと同じ大きな荷物があっという間に地面に溶けて消えてしまうという魔法を見て、ハリーは目を丸くしている。

 

「行くぞ、咲耶」

「えっ? あーん、ちょい待ってよリオン。こちらハリー君や。うちの二つ下で今年ホグワーツに入るんやって」

 

 荷物が完全に姿を消すとリオンは咲耶に一声かけて歩き出そうとし、咲耶はそんな無愛想なリオンを引き留めて、今日出会った友人を紹介した。

 

「ハリー……?」

「あ、はい。ハリー・ポッターです。えっと、スプリングフィールド、先生?」

 

 咲耶の言葉にピクリと反応したリオンは、なにかを見透かそうとするかのように目を細めてハリーを見下ろした。ハリーは、これから通う学校の先生であることに加え、迫力ある眼差しを受けて、かなりおどおどとしながら名前を名乗った。

 

「…………」

「えっと、あの……?」

 

 リオンは“生き残った少年”をじっと見据え、ハリーが耐えきれなくなりそうになり、リオンは何かを口に出そうとして

 

「まぁいい。お前が授業を受ける気があるなら、また会うこともあるだろう」

「え、あ、はい」

 

 結局、来月に就任する教師としての言葉だけをかけた。

 

「そろそろ行くぞ咲耶」

「はーい。ほなハリー君、ハグリッドさん。今度は学校でな~」

 

 リオンが二人に背を向けて歩き始めると、咲耶は二人に別れを告げて置いて行かれないように小走りで駆けて行った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

交差する魔法の世界

「それじゃあ、元気でね、咲耶ちゃん」

「はい。ネカネさん、おおきにありがとうございました」

 

 まだ緑の色濃く残るウェールズのとある村で、咲耶はこの夏休みの間お世話になった知り合い、ネカネ・スプリングフィールドと別れの挨拶を交わしていた。

 

「リオンもしっかり先生、務めるのよ」

「あーはいはい」

「あなたは少し愛想が悪いところがあるから、生徒さんとか同僚の先生と問題を起こさないようにね。あとニンニクとネギは体にもいいんだから、あんまり食べず嫌いせずに食べるのよ。それから……」

「色々うるさいな! あんたは俺の母親か!? なんでガキの咲耶より俺に対する注意の方が多いんだよ!」

 

 今日でこの村と別れを告げるのは咲耶一人ではなく、彼女と共に滞在していたネカネの親戚もまた今日で村をでることになっていた。もっとも、彼がこの村に住んだことは以前にはまったくないのだが。

 照れたようなリオンと心配そうなネカネのやりとりに、咲耶は微笑ましげな笑みを浮かべて見ている。

 

「それから、咲耶ちゃんをあまり困らせないようにね。あなたもあの人たちに似て無茶をすることがあるから」

「ガキどもの学び場でそんな事態になるとは思えんが……だいたい、こいつのお守りを頼まれたのが俺なのになんで逆転してんだよ」

「リオン」

「……ちっ。分かったよ、無茶はしない。これでいいか」

 

 真実、リオンをどうこうできるほどの存在がそうそう居るとは思えないが、それでもネカネにとっては大切な親戚の子供なのだろう。ネカネの言葉にリオンはしぶしぶといった風に言葉を返した。

 

「うん、よろしい。咲耶ちゃんも、リオンをよろしくね。あなたも気を付けて」

「はい! リオンのことはうちに任せてください」

「おい」

 

 ネカネの言葉に咲耶は輝くほどの笑みで、尊敬するこの女性に頼まれたという嬉しさをもって応え、その後ろではリオンがつっこみを入れていた。

 

 いつまでも二人を見送るように立っているネカネに咲耶は大きな手を振りながら、もう一つの魔法界へと向かう、交差する駅へと向かった。

 

 

 第3話 交差する魔法の世界

 

 

 ロンドン、キングスクロス駅。ホグワーツ行きの魔法列車が出発するという一般の駅へと二人は到着した。

 

 移動途中はリオンの魔法で荷物を運んでいたが、流石に列車に乗れば教師と生徒という関係も気にしなければならず、駅ではカートで荷物を押していた。

 

「やっぱあらへんよなぁ。9と3/4番線……」

 

 咲耶はホグワーツから入学案内とともに送られてきた切符を見ながら、キョロキョロと9番線と10番線のプラットフォームに視線を彷徨わせていた。

 

「……あれだな」

「ほぇ?」

 

 隣でカートを押していたリオンは9番線と10番線の間の柵に視線を向けたまま顎で示した。リオンの見ている箇所に視線を向けた咲耶だが、咲耶の眼には普通の柵が並ぶ光景しか映らなかった。

 

「なんもあらへんえ?」

「異空間の入り口がある。魔力を認識していない一般人は通れないように人避けも兼ねてるんだろ。そのまま柵に向かって行けば通り抜けられる」

 

 二人は同じものを見ているようで視えているものが異なっているのだろう。

 

「へ~」

「あの、すいません」

 

 リオンの言葉を疑うことなく、咲耶はそのまま柵に向かって歩こうとしたが、不意に横から声をかけられて振り向いた。

 

「はい?」

「あなたも、その、ホグワーツに行くんでしょうか……?」

 

 声をかけたのは咲耶たちと同じようにローブを身に纏ったハリーと同じ年くらいの少女を連れた一般人の夫婦だった。

 

「だとしたらなんだ?」

「あ、その……」

 

 碌に魔力も感じずそれほど毒のない顔で声をかけてきた夫婦の夫に対して、特に意図したわけではないが、リオンは苛立っているようにも聞こえる素っ気ない返答を返した。

 年齢こそまだ年若いものの飛び抜けて整った容姿と迫力をもったリオンに睨み付けられるような視線を受けて、声をかけてきた男性が少したじろいだ。

 

「リオン、もっと愛想ようせなあかんえ~。ネカネさんにも言われたやろ。うちらもホグワーツに行くんですけど、そちらもですか?」

「はい。この子が今年入学なんです。でも、お恥ずかしながら私も妻も魔法と聞いて、どうすればいいのか全く分からなくて、この切符に書かれたプラットホームも分からないんです」

 

 愛想の悪いリオンを嗜めて人当たりのよい咲耶がにこにことした笑みを浮かべて応対したことで、男性もプレッシャーから解放されたのだろう、リオンを意識してかやや硬い口調ながら咲耶に話しかけた。

 

「それなら、あの柵に向かって行けばええみたいですよ。そやね、リオン?」

「ああ。だが、そっちの二人は行けないぞ。魔力を発現してないからな」

「そう、ですか。ありがとうございます……あの、すいませんが、この子も連れていっていただけないでしょうか?」

 

 咲耶は先程リオンに言われた入口を説明し、確認するようにリオンに振り向いた。リオンはそれに頷くが、夫妻に視線を向けて魔法使いと一般人の違いを告げた。男性はそれならと娘の肩に手をおいてせめてもの頼みを告げた。

 

「ハーマイオニー・グレンジャーです」

「ハーマヨニーちゃん?」

「ハー・マイ・オニーよ、難しかったらハーミーでいいわ」 

「ハーミーちゃんやね。うちは咲耶・近衛です。うちもホグワーツは初めてなんやけど3年です」

 

 少しクセのある豊かな栗色の少女が名前を告げ、咲耶もにこやかに自己紹介した。3年であることを告げると両親ともども驚いた顔になっているのはご愛嬌といったところか。

 

「別に一緒にホームに行くぐらいかまわんが、そろそろ列車に行かないと席がなくなるぞ。生徒全員が乗るんだ、ホグワーツまでどれくらいかかるか知らんが、立ち乗りは疲れる」

 

 一方でリオンは自己紹介するつもりはないのか、ただ咲耶と自分の予定だけを告げた。

 

「あっ。そうですね……ハーマイオニー、それじゃあ元気でな」

「はい」

 

 リオンの言葉に男性が頷き、妻とともに娘との別れをかわした。急かしはしたものの、発車までまだ時間的なゆとりがあるため、別れに口を出すほどの野暮はしないようだ。

 

 

 いくつかの注意や手紙についてなどを話したりして、しばしの別れを惜しむ家族を咲耶は見つめており、

 

 

「……羨ましいのか?」

「ほぇ?」

 

 そんな咲耶を見て、リオンは尋ねた。

 咲耶の親は今の、そして未来の魔法世界のために二つの世界の各地を転々としており、そのせいで咲耶を祖父のもとに預けっぱなしにしてしまっているという経緯がある。

 リオン自身、あまり母や父と会っているわけではないが、自身の感覚が普通の人間のそれとずれていることを自覚しているリオンは、幼いころから見てきた少女を気にかけた。

 

「大丈夫やよ。お母様からは入学のお祝いの連絡もろたし、それに今年からはリオンと一緒なんやから」

 

 問いかけたリオンの言葉が予想外だったのか、咲耶は少し間をあけて、それでも嬉しそうに答えた。

 

「……ふん。教師と生徒じゃ一緒じゃないだろ」

「リオン……」

 

 無邪気な微笑を向けられたリオンはそっぽを向いてやり過ごそうとし、

 

「もしかして、うちと一緒に学生やりたかったん?」

「なっ!? んなわけあるか! おい! とっとと行くぞ!」

 

 小首を傾げた咲耶からの天然爆弾にガバッと振り返ることになった。

 咲耶の言葉に顔を赤くしたリオンは、少し大きな声でグレンジャー夫妻にも聞こえるように言うと、さっさとカートを押して柵へと向かった。

 

「あーん、ちょお待ってよ、リオン」

 

 リオンの声に気づいたグレンジャー夫妻が最後にハーマイオニーとハグをするのを待って、咲耶はリオンに続いて9と3/4番線へと向かった。

 

 

 

「ほぇぇ。ごっつい列車やなぁ」

「これが魔法……」

 

 咲耶は異空間魔法ともいえるプラットホーム自体にはあまり驚かなかったようだが、趣きあるホグワーツ特急の姿に感心しており、ハーマイオニーは学生生活第一歩目の魔法に感動しているようだ。

 

「とっとと空いてるコンパートメントを探すぞ」

「はいな……リオンなんだかちょっとご機嫌斜めやなぁ」

 

 ぶっきらぼうに列車の脇を歩くリオンの後を追いながら咲耶はいつもより口調がきついリオンに首を傾げた。

 

「こんな朝っぱらから人ごみにいるのが鬱陶しいだけだ」

「リオン朝苦手やったもんなぁ」

 

 まだ治ってへんの? と問いかける咲耶に、治ってたまるか。と答えてリオンは適当なコンパートメントに荷物を乗り上げた。

 続いて同行していたハーマイオニーも荷物を乗り入れようとするが、リオンとは異なり思うように荷物が上がらず悪戦苦闘しており、

 

「……」

「あっ、ありがとうございます」

 

 咲耶が苦戦しているハーマイオニーに手を貸そうとするのを遮るように、リオンは列車の中から荷物を引き上げた。

 お礼を言うハーマイオニーに気にした風もなくリオンは空いているコンパートメントに入り、席へと沈んだ。席に座ったリオンが早々に寝る体勢に入っているのに対し、咲耶はちょこんとリオンの横に腰掛けた。

 だが、保護者だと思っていた男が当然のように列車に乗っているのにハーマイオニーは驚いたような顔をしている。

 

「あの、コノエさん」

「咲耶でええよ、ハーミーちゃん」

「じゃあサクヤ。えっと、そちらの人はご家族? この人もホグワーツに行くの?」

 

 にこりと答える咲耶に少し緊張がほどけたのかハーマイオニーは質問を口にした。

 

「リオンは今年からガッコのセンセになるんやって。ちょう、リオン。ハーミーちゃんに挨拶してへんやろ。寝る前に挨拶し」

「あ?」

 

 ハーマイオニーは咲耶の向かいに腰掛けて二人の様子を観察するが、あまり似ていない兄妹(?)だった。

 

 しっかり者らしい妹は純アジア人といった風貌で英語には慣れていないのか、変なクセがついている。それに対して、不機嫌そうにしている兄は流暢に英語を話し、外見もどう見てもヨーロッパ系の白人にしか見えない。

 

「なんで教師が生徒に自己紹介しなくちゃいけないんだよ」

「センセやったら自己紹介くらいするもんや」

 

 リオンの腕を掴んで揺らしている咲耶だが、当のリオンは半分くらい夢の世界に旅立とうとしているようにも見える。

 11時の発車時刻を迎えた列車はベルの音をホームに響かせて、振動と共にその扉を閉め、徐々に動き始めた。

 

「まだ着任してない」

「そしたらうちの友達に名前くらい名乗りぃ」

 

 先程から言っていることが矛盾しているというか、とにかくそっと寝かせて欲しいという雰囲気を全身で表している。

 

「よろしく言われたのはプラットホームまでだろ。列車に乗ったら知るか」

「旅は道連れゆーやんか。もうハーミーちゃんも座っとるし、一緒に道連れやー」

 

 人嫌いの人という印象こそあるが、咲耶の主張を聞き入れないまでもしっかりとそれに応答しているところを見ると、完全にずぼらな人というわけでもないのだろう。

 

 がくがくと腕を揺する咲耶だが、奮闘むなしくリオンからはZzzとこれ見よがしに寝ていますという主張が返ってきたところで揺するのをやめた。

 

「むぅ」

「その、リオン先生、はサクヤのお兄さん?」

 

 これ以上やっても返答も返さないと判断した咲耶は頬を膨らませてリオンを睨む。二人のやりとりが一段落ついたのを見たハーマイオニーは、とりあえず疑問をぶつけることにしたようだ。

 

「んーん、ちゃうよ。リオンはうちのお母様とおじいちゃんの知り合い。でもうちがちっこい頃から面倒みてくれとるから、お兄ちゃんみたいなもん」

「へー」

「ハーミーちゃんは姉妹おれへんの?」

「ええ。私は一人っ子……あっ! あなた3年の先輩なんですよね?」

 

 ハーマイオニーが話しかけると咲耶はぱっと表情を明るくしてリオンとの関係を答えた。話している途中で、駅での会話から咲耶が(そうとは見えないが)年上であることを思い出したハーマイオニーが言葉を改めようかと気にかけるが、咲耶は特に気にした風もなくにこにことしている。

 

「うん。うち日本の小学校をこないだ卒業したんやけど、その関係で編入になってしもたんよ」

「先生と知り合いってことはあなたの家族って魔法族? 私の家族には誰もいないからホグワーツから手紙をもらってびっくりしちゃった」

 

 睡眠モードに入ったリオンをよそに、少女二人は愉しげに会話を楽しんでいる。

 咲耶にしてみれば、知り合いがリオンしかいない異国の学校に向かうということもあるが、特殊な環境で育ったがゆえに友達ができたことが嬉しいのだろう。

 

「お母様とリオンも魔法使いなんやけど、こっちの魔法はあんま知らんのよ。だから編入やけど1年生とおんなじや」

「こっち? 日本の魔法ってこと? あっ、そういえば魔法にはホグワーツで教えているもののほかにも、違う世界で使われている精霊魔法があるって教科書で見たわ。なんでも今年から精霊魔法の授業も開かれるって書いてあったんだけど、もしかしてリオン先生って精霊魔法の先生?」

 

 知識と推理力が長けているのだろう。咲耶の語ったちょっとした言葉から色々なことを類推して、ハーマイオニーは怒涛の如くに話している。

 

「精霊魔法、なんかな? 多分そうやと思う」

「違う世界ってほんとにあるのかしら。ホグワーツみたいに魔法使いだらけの学校っていうのも驚きなんだけど、こことは違う、魔法使いが作った国があるって書いてあったんだけど」

「あるえ~。魔法世界ってゆうて、猫耳の人とかもおるとこや」

「ネコみ……もしかしてサクヤって魔法世界に行ったことあるの!?」

 

 イギリス古来の魔法族の間ではあまり魔法世界側のことは教科書には詳しく書かれていない上、ハーマイオニーのように魔法自体慣れていない人からするともう一つの世界と言われてもピンと来ないのだろう。

 

「うん。お母様と一緒にお母様の親友のアスナって人のとこに行ったりしたし。リオンもあっちを旅しとったことあるて聞いたえ」

「わぁ。私、教科書は全部一通り読んできて、簡単な呪文の練習もしてきたんだけど、精霊魔法だけはどうしてもできなかったの。こっちの魔法とは必要な才能が違うのかしら?」

 

 魔法世界を旅行した。その言葉にハーマイオニーは目を輝かせ、自らの不安を口にした。

 

「全部読んだん!? ひゃー、すごいなハーミーちゃん。うちらが使うてる魔法って始めがすごい出にくいんよ。すぐにはなかなかでえへんし、うちも苦労したわ~」

「そうなの?」

「うん。せやから心配いらんえ。むしろうちこそ、いきなり3年の勉強についていけるか不安やし……」

「あの……」

 

 列車は順調に走っており、流れ行く景色はのどかな木々を映していた。そんな中、ガラリとコンパートメントの扉が開き、なんだか丸っこい、今にも泣き出しそうな男の子が入ってきた。

 

「ごめんね。僕のヒキガエルを見かけなかった? 僕から逃げてばっかでいなくなっちゃったんだ」

 

 少し涙声の少年の言葉に、咲耶とハーマイオニーは話しを中断して顔を見合わせた。

 

「見てないわ」

「うん。うちも見てへんなぁ」

 

 二人の返答に少年はがっくりとしょげ、ごめんね。とコンパートメントを後にしようとした。

 

「待って。そのヒキガエル、いつから居なくなったの?」

 

 それに対してハーマイオニーが席を立って問いかけた。

 

「えっ、列車に乗る前に一度捕まえたんだけど、さっき気づいたらいなくなっちゃってたんだ」

「じゃあ、列車には乗っているの?」

 

 咲耶と会った当初こそ、リオンの雰囲気もあって控え気味だったが、どうやら本来は強気な性格らしく、ハーマイオニーは見知らぬ少年に物おじせずに話しかけている。

 

「たぶん……」

「そう。じゃあ、まずはあなたの乗ったコンパートメントあたりから探しましょう」

 

 そして優しい性格でもあるようで率先して手伝いを口にした。

 

「えっ? 手伝ってくれるの?」

「あなたも新入生なんでしょ? これから同級生になるんだから、協力しないと。サクヤ、ごめんなさい。そういうことだから」

「ほいな。じゃあ、うちも行くわ」

 

 驚く少年に、ハーマイオニーはあっさりと言い、話が途中で終わってしまうことを謝ろうとした。だが、咲耶はそれを遮るように自らも席を立っている。

 

「え? いいわよ。荷物を見ててもらいたいし」

「リオンおるし、大丈夫やて」

 

 持ってうろつくにはかなりの荷物なのでハーマイオニーは断ろうとしたが、咲耶は寝ているリオンをちらりと見て答えた。

 

「キミも荷物ここに持って来といたほうがええんちゃう?」

「で、でも……」

 

 突然の成り行きに驚いているのか、寝ている先生らしき人に慄いているのか、少年はちらちらとリオンを見ながら躊躇っている。

 

「リオン、そういうことやから荷物見といてな」

「…………」

 

 寝ているようにしか見えないリオンに対して咲耶は頼んだ。だが、当然リオンからの反応はなく、それでも咲耶にはなんの心配もないかのようだ。

 

「ほな、行こか。うちは咲耶・近衛。今年から編入の3年です」

「ハーマイオニー、今年入学の1年生よ」

「あ……ネビル・ロングボトムです」

 

 寮を示すネクタイカラーなどがないことから、ハーマイオニーはネビルという少年が新入生であることを見抜いていたようだが、同じようにカラーのない咲耶は少し事情が異なる。

 同い年か年下のように見えた少女が年上だと知ったためか、リオンのことが気になるのか少しおたおたとしながらネビルは自己紹介を済ませた。

 

 

 ・・・

 

 

「トレバーくーん、どこおるん~?」

 

 あの後、ネビルの荷物をリオンのコンパートメントに移し、ネビルから話を聞くと、どうやらネビルのペット、ヒキガエルはトレバ―という名らしいということが分かった。

 3人はトレバ―捜索のため、ネビルのコンパートメントを境に前後に分かれて捜索し始めた。

 ハーマイオニーはおどおどとしているネビルを一人にしては作業が進まないと判断したのか、とっとと手を引いて後部車両へと向かい、咲耶に前方車両を任せた。

 

「ハーミーの方で見つかったかなぁ?」

 

 いくつかのコンパートで居合わせた生徒に尋ねてみた、思うように見つからず、一旦戻ってハーマイオニーたちと合流しようかと考え始めていると、

 

「なにをしてるんだい? ここは監督生用のコンパートメントだよ」

 

 赤毛の男子から声をかけられた。咲耶が振り向いて声の主を確かめると、赤毛の男子生徒が訝しげな眼差しを向けてこちらを見ていた。その胸元には、これまで出会った生徒にはないPの字の入ったバッチがつけられている。

 

「あれ? そうなんですか、すいません」

「監督生になにか用ではないのかい? どこかの双子がカエルチョコに本物を混ぜて騒ぎを起こしたとか、呪文をかけて巨大化させたタランチュラを逃がしたとか」

 

 単純に知らずに前の方まで来過ぎてしまっただけなのだが、男子生徒は妙に張り切った様子で、なにやら具体的な騒動の有無を確かめてきた。

 

「えーっと、そういうのやのうて、新入生の子がペットのカエルを逃がしてもうたんです。見てませんか?」

「カエル? いや、見ていないが」

 

 具体例の内容は随分と奇抜な感じがしたものの、魔法学校の生徒だし、ということでスルーして懸案事項を尋ねるが、得られた情報はなかった。

 

「そうですか……ありがとうございました」

「ああ……あ、君」

「はい?」

 

 これより先は一般生徒は入れないとのことなので、一度戻ることに決めた咲耶だが、立ち去ろうとする咲耶に男子生徒から声がかけられた。

 

「もうじき駅につくから新入生の子たちは制服とローブに着替えるように。廊下に出ている新入生がいたら伝えておいてくれ」

「分かりました~」

 

 出発してからかなりの時間が経っており、そろそろお腹も空いてきた頃合いだ。ぺこりとお辞儀をして咲耶は監督生用のコンパートメントを後にした。

 

「礼儀正しい新入生だったな。ああいう子がグリフィンドールの寮に入ってくれれば、マクゴナガル先生の気苦労も少しは軽くなるだろうに……いや、あの双子に影響されてしまいかねないか……」

 

 少しの勘違いを残したまま。

 

 

 ・・・

 

「あっ、サクヤ。見つかった?」

「ううん。あかんかったわ~」

 

 一度元のコンパートメントまで戻るとちょうどハーマイオニーとネビルも戻ってきたようで、互いに成果の不首尾を確認した。

 

「どこいったのかしら」

「トレバー……」

 

 よほど大切なペットなのだろう、ネビルは泣き出しそうな顔になっている。

 

「あんな、さっきうち、監督生の車両の方まで行ってもうたんやけど、もうすぐ駅に着いてまうらしいんよ」

「列車から離れちゃうと、ちょっとまずいわね……」

 

 先ほど赤毛の男子から言われたことをとりあえず成果として伝えることにしたのだが、ハーマイオニーは捜索にあてられる時間が残りわずかであることに少し焦りを感じているようだ。

 

「そんでな、仕方ないから最後の手段を使うわ」

「最後の手段? どうするの?」

 

 焦りを感じているハーマイオニーとネビルとは違って、のんびりとしているようにも見えるが咲耶も少しまずいとは感じているのだろう。最後の手段を提案して、ハーマイオニーが首を傾げた。

 

「それで見つかるはずやから、ひとまず先に着替えへん? トレバー君は最悪駅に着いてからでもなんとかなるから」

「……そう、ね」「……うん」

 

 咲耶はちらりと寝ているリオンの方を見て、ハーマイオニーもそれに気づいてちらりと視線を向けた。

 リオンは着任前とはいえ、一応先生。すぐに見つかるというのであれば、着いてからリオンに事情を説明して少しだけ、時間の猶予をとりなしてくれるように頼むこともできるからだ。

 

「ほな、着替えよか」

「ええ」

「あ、じゃあ僕、外で……」

 

 寝ているリオンはともかく、ネビルが同じ部屋で着替えるのはまずい。そのためひと声かけてコンパートメントから出ようとしたのだが、

 

「あっ! ちょっとごめんなさい。多分気づいてない新入生の連中がいるから、伝えてくるわ」

「ほぇ?」

 

 出て行こうとするネビルを押しのけてハーマイオニーが急いで出て行ってしまった。取り残された咲耶とネビルは少し顔を見合わせて、

 

「そしたら、先にうちが外でとるわ」

「う、うん。ごめんね」

 

 着替えの順序を入れ替えることにした。

 ネビルが着替えるのを待っている間にハーマイオニーは戻ってきた。どうも喧嘩の現場にでも遭遇したのか、「みんな子供っぽすぎる」とか「列車の中で喧嘩なんて非常識」とかぶつぶつと文句を言っていた。

 

 ネビルが着替え終わり、咲耶たちも上着を脱いでローブに着替えた。

 

「よし、そしたらやろか」

「どうするの、サクヤ?」

 

 着替え終えると車内アナウンスが「あと5分でホグワーツに到着します。」というアナウンスを流した。咲耶はとりあえず外に出ていたネビルをコンパートメントに入れて気合いを入れ直すようにむん、と拳を握った。

 ハーマイオニーに最後の手段について問いかけられた咲耶は気合いを入れて、

 

「まずは……リオン、起きて~」

「ちょっ、サクヤ!?」

 

 ぴょん、とリオンの膝の上に跨って寝っぱなしのリオンを揺すった。いきなりのボディコンタクトに、見ているハーマイオニーが驚きの声をあげ、ネビルも唖然としている。

 

「リオン、もうすぐ着くえ~。お願いがあるんや、起きて~!」

「……あん? 着いたのか?」

 

 しっかり睡眠したためか、咲耶の祈りが通じたのか、眠そうに眼を瞬かせてはいるもののうっすら瞼を開けて、前髪をくしゃりと上げたりしている。

 

「リオン、お願いがあるんや」

「ん? なんだ?」

 

 寝ぼけ眼のリオンは、しかし目の前の少女がなにやら真剣そうに自分を見ているのに気づいたようだ。

 

「あんな、ネビル君の大切なペットのトレバー君がおらんくなってもうて、見つからへんのよ」

「ネビル? トレバーって、なんだ?」

 

 ただ、まだ頭は働いていないようで、というよりも咲耶の説明がいきなり人物名から入ったために理解できずに首を傾げている。

 

「ネビルくん、とペットのカエルくんや」

 

 リオンの疑問に答えるように咲耶はネビルを手で示し補足した。

 

「ふ~~ん……」

「お願いやリオン。はよせな駅に着いてまうし、降りたら見つからんようになってまうかもしれへん」

 

 眠そうな半眼の状態で不機嫌そうにネビルの方を流し見たため、ネビルは「ひっ」と短い悲鳴を上げた。

 

「…………はぁ」

 

 値踏みするようにネビルを見た後、リオンは咲耶に視線を戻して溜息をついた。

 

「学校の中では甘やかさないからな」

「リオン!」

 

 仕方なさそうに言うリオンに咲耶はぱぁっと顔を明るくした。

 

「おい、ガキ、ちょっとこっちに来い」

「えっ、あの……」

 

 膝の上に座っている咲耶の脇を持って、ひょいっと脇に退け、ネビルを指で呼び寄せた。リオンの鋭い眼差しと口調にネビルはかなり戦々恐々としており、中々近づきがたいようだ。

 

「大丈夫やで、ネビル君。こー見えてリオン優しいもん」

「うるさい。とっとと来い」

「は、はい……」

 

 そんなネビルに咲耶がにこやかな笑みで声をかけ、恐る恐る近づいた。リオンは手の届く距離まで近づいてきたネビルの頭にぽんと手を置いた。

 

「あ、あの」

「黙ってそのカエルのイメージをできるだけ鮮明に思い浮かべろ」

「は、はいっ」

 

 いきなりの接触にネビルは戸惑った声を上げる。だがリオンの苛立ったような声にビクリとして黙った。

 

「ふん……」

 

 しばし黙ったままネビルの頭に手を乗せていたリオンは、すっと手を離すと今度はおもむろに座席に映る自分の影に手を置いた。

 

「えっ? 手が……イスの中に?」

「先生?」

 

 座席の上に置かれるだけのはずの手はその手首だけでなく、腕の半ばくらいまで影に飲み込まれるように沈んでおり、ハーマイオニーとネビルが眼をぱちくりとさせた。

 

「こいつか」

 

 しばらく影の中で手を動かしていたリオンが影から手を引きぬくとそこにはカエルの姿があり、

 

「トレバー!!」

「これも、魔法?」

 

 ネビルが嬉しそうに声を上げて差し出されたカエルに手を伸ばした。

 

「丁度ついたようだな」

「リオン。おおきにな」

 

 折しも、ホグワーツ特急はその速度を緩め、小さな暗いプラットホームへと到着していた。我がことのように嬉しそうな笑顔を向ける咲耶を一瞥して、リオンは席を立った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔法生徒始めます!

新入生たちよりも少し早く聳え立つ城、ホグワーツ魔法学校へと足を踏み入れたリオンと咲耶は、一人の魔法使いと対面していた。

 

「ようこそホグワーツへ、セブルス・スネイプだ」

 

 少しツヤが多い黒髪、やや土気色の肌を持つ魔法使い。言葉では歓迎の意を示しているが、その眼差しは猜疑的であり、どこか侮蔑的な色を帯びているようでもあった。

 

「リオン・スプリンフィールドだ」

「咲耶・近衛です。よろしゅう、お願いします」

 

 それに対して、いつもどおりそっけないリオンとぺこりと頭を下げて礼儀正しく人好きのする声をもつ咲耶、どちらも別の意味でマイペースな二人はそれぞれ挨拶を返した。

 

「早速だが、直に新入生の組み分けが始まる。他の職員と顔を合わすのに、広間の方まで来ていただこう」

「分かった」

 

 どちらの対応もこの魔法使いにとってはあまり好意的には受け取られなかった、というよりも何をしても好意的には受け取らないような態度で案内役のスネイプは不機嫌そうに予定を告げた。

 

「あの~、うちはどうすればいいんでしょう?」

「編入生は新入生の組み分け後に校長から紹介がある。それまではこちらに来ていたまえ」

 

 ふん。と機嫌悪そうに咲耶に応対するスネイプに咲耶は、は~いと返事を返した。

 無愛想二人と共に歩く咲耶は少し居心地が悪いのか、無意味に困ったような笑みを浮かべているが、前を行くスネイプはあまり二人に気をつかう様子がみられない。

 そんな沈黙に耐えかねたわけではないだろうが、

 

「少し意外だな」

「……なにがでしょう?」

 

 先導するスネイプをじっと見ていたリオンがぽつりと意外な思いを零した。呟きのようなその言葉は、スネイプに聞こえていたようで、スネイプは爬虫類を思わせる、ねめつける様な視線をリオンに向けた。

 

「こちらの魔法使いは闇が嫌いだと聞いていたが、出迎えの魔法使いが濃い闇の匂いを漂わせているのだからな」

「…………」

 

 にやりとした笑みを浮かべて答えるリオンに先導していたスネイプの足が止まった。

 

 沈黙もつらかったが、いきなり険悪な雰囲気になられる方がもっと困る。

二人の魔法使いをおろおろと見比べる咲耶は内心、リオンの頭に母直伝のトンカチつっこみを入れたくなるのをなんとか堪えていた。

 

「どうした? あまり時間はないのではないか?」

「……かく言うあなたも噂に聞く、“立派な魔法使い”とは思えないが?」

 

 にやにやとしたリオンの促す言葉にスネイプはふいっと視線を逸らし、歩みを再開するとともに、返礼の皮肉を返した。

 

「あいにくこいつと違って、俺は立派な魔法使いとやらを目指したことも、名乗ったこともないな。なるほど、噂と言うのは当てにならんものだ」

「そのようだ」

 

 リオンはこつこつと咲耶の頭を小突いて示しながら鼻で笑うように返し、スネイプはただ感情のこもっていない声のみを返した。

 なにごともなく終わったことにほっと一息ついた咲耶は、小突いていた手をがぶりと噛んで、しばらくリオンを恨みがましく睨んでいた。

 

 

第4話 魔法生徒始めます!

 

 

 スネイプの案内によって案内された先で二人はほかの教師陣と顔通しした。

ホグワーツの校長であるアルバス・ダンブルドア。グリフィンドール寮監の厳格そうな女教師マクゴナガル。ハッフルパフ寮監の少しぽっちゃりとした温和そうなポモーナ・スプラウト。レイブンクロー寮監の小っちゃい先生フィリウス・フリットウィック。その他、クィレル先生、フーチ先生、ケトルバーン先生などなど。

ちなみに案内をしてきたスネイプ先生はスリザリンの寮監であるらしい。

 

一通り紹介された二人はそのまま新入生歓迎の式典が行われる大広間へと連れて行かれた。

 本来であれば、学生の咲耶は在校生の座っている自身の寮の机、もしくは組み分けを待つ新入生のところにいるべきなのだが、編入というイレギュラーであるため、新入生の組み分け後に紹介がなされ、その後新入生と同様に組み分けが行われるということになった。

 

 

 

勇猛果敢な者が集う寮、グリフィンドール

心優しく勤勉で忍耐と真実とを抱く者たちの寮、ハッフルパフ

機智を持つ者、学びの友が集う寮、レイブンクロー

古き血とあらゆる手段をもって目的を成し遂げる覚悟を抱く者たちの寮、スリザリン

 

 

「ほぁ~、なんや緊張するわ~」

 

 新入生が順々に名前を呼ばれて組み分けされている際に聞いた組み分けの判定基準をもう一度思いだして咲耶は、のんびりとした口調の呟きを漏らしながら緊張感を高めていた。

 

 ホグワーツの寮は学年ごとに組み換えなどはなく、入学時の一度だけ組み分けがなされ、以降卒業まで基本的にその寮で暮らすことになるそうで、咲耶は楽しみとともに緊張していた。

 組み分けはハグリッドがちらりと漏らしていたように、学力検査などではなかった。新入生を次々に振り分けているのは古い三角帽子だ。

 新入生を歓迎する広間の前、椅子の上に置かれた三角帽子が4つの寮の特徴を挙げて、その帽子をかぶった新入生の気質を判断して振り分けている。

 

 ちなみに後程組み分けがなされる咲耶は、今は生徒たちの机から離れた教職用の机の一角にリオンと共に座って新入生の組み分けを眺めている。

各寮に分かれて座っている在校生たちも同様に組み分けを見守っているが、中には先生たちの座っているテーブルをちらちらと盗み見て、なにかを囁き合っている人たちもいる。

おそらく教師席に明らかに生徒である自分が座っていることやその横に見慣れない教師、しかも知り合いの贔屓目なしに見ても整った容姿を持つリオンが居るからだろう。

囁いている生徒も心なしか女生徒が多い気がしないでもない。

 

 などと思考がよそ道に逸れている間にも組み分けは進んでおり、列車の中で知り合ったハーマイオニーは比較的早くに名前を呼ばれてグリフィンドールに振り分けられていた。その後、カエルを探していた少年、ネビルもまた時間はかかったがグリフィンドールへと振り分けられていた。

 

「ハーミーちゃんとネビル君はグリフィンドールか~」

 

 学年は違うがせっかく友人となれたのだから同じ寮に入りたい。次々に新入生が振り分けられていく中、一人の少年の名が呼ばれたことで、広間の雰囲気が変わった。

 

「あっ。ハリー君や」

 

 広間に入る前に順番について軽く説明してくれたマクゴナガルに名を呼ばれ、緊張した様子で前へ進み出ているのはダイアゴン横丁で一緒だったハリー・ポッターだった。

 緊張で同じ側の手足を出しそうになっているハリーだが、見守る上級生たちの顔つきも心なしか緊張しているように見える。

 

 帽子をかぶったハリーだが、ネビルの時に負けず劣らず随分と帽子が宣告するまでに時間がかかっている。帽子が振り分けると言っても判断が下されるまでにはばらつきがあり、先ほどスリザリンに選ばれた“これぞ白人”といった容姿の少年は帽子をかぶるか否かのタイミングでスリザリンを宣告されていた。

 そして

 

「グリフィンドール!」

 

 帽子の宣告とともに、グリフィンドール席と思われる獅子のシンボルを持つ、赤と金で彩られた寮の生徒が爆発したかのように騒いだ。

 

「ハリー君、人気者なんやなぁ」

「流石は生き残った少年、といったところなんだろ」

 

 新入生のハリーの人気っぷりに咲耶が感心したように言うと、あまり興味をもって見ていなかったリオンがまったく感心した風には聞こえない声で答えていた。

 

 帽子を席に戻したハリーは嬉しそうにしている上級生のところに行き、もみくちゃにされながら席へと誘われた。ハリーは先ほど列車の中で咲耶が遭遇したPのバッチをつけた赤毛の少年の横に座り、ちらりと咲耶の方に視線を向けた。

 視線が合った咲耶がハリーに向けて小さく手を振ると、ハリーは照れたように笑みを浮かべて手を振りかえした。

 

 一度騒ぎを鎮めるために、マクゴナガルが咳払いをした後は、再び組み分けが進み、最後の二人、赤毛の少年、ロナルド・ウィーズリーがグリフィンドール、ブレーズ・ザビニがスリザリンに振り分けられたことで新入生の組み分けは終わった。

 

 最後の一人がスリザリンの席につくと、一度場を区切るように校長であるダンブルドアが生徒たちのほうに進み出た。

 

「おっほん。新入生のみな、おめでとう! 今年もまた多くの新入生を迎えることができた」

 

 きらきらと光の玉を弾くような瞳で校長は生徒を見回し、歓迎の言葉を告げた。ダンブルドアの言葉に、それぞれの寮での騒ぎが収まり、視線が校長の方へと集まる。

 

「だが今年は新入生だけではなく、新たに二人の友人を我々は得ることができた。3年生に編入するサクヤ・コノエと今年から新設する科目精霊魔法の担当を務めていただくリオン・M・スプリングフィールド先生」

 

 ダンブルドアが二人を紹介し、生徒や一部を除いた教師からは拍手で迎えられた。咲耶はぴょんっと跳ねるように立って、ペコッと頭を下げる。だが隣に座っていたリオンがそっぽを向いているのに気付いて腕を引っ張り立たせた。

 

「サクヤ・コノエは遠く日本から来た留学生で、みなが知りたいと思っているであろう寮についてはこれから決めることとなる。スプリングフィールド先生は世界中を渡り歩き、もう一つの世界においても活躍されている優秀な先生である。担当される科目については学期前に配布された資料にもあったが、詳しくは後ほど知らせる。まずは君たちの友人の寮を決めよう」

 

 深みのある落ち着いた声で二人の略歴を簡単に説明したダンブルドアは、咲耶を帽子の前へと促した。

 

 どきどきとわくわくを3:7くらいの比率で感じながら咲耶は帽子の置いてある椅子の前に進み出てその帽子を手に取った。

 間近で見るとなんだか伝説の一つでもありそうな古い帽子で、咲耶は先ほどまで新入生がやっていたように、ちょこんと椅子に座って帽子を被った。

 

「ふ~む。これはまた。なかなか迷う生徒だ」

 

 この帽子がしゃべることは先ほど何度も見ていたが、こうして被った状態で脳裏に直接話しかけられるように聞こえてくると、なんだか時たまリオンがしてくるような念話のようにも感じられた。

 

「迷うん?」

「ん、んーむ。頭は悪くない。勇気もある。身に秘めた偉大な素質もある。だが、最も強いのは……」

 

 どうやら帽子は被ることで、生徒の気質を探り分けているらしく、帽子が感じた咲耶の気質を上げている。ただ、どうやらそれほど悩むものではないようで、それほど間をおかずに

 

「ハッフルパフ!」

 

 と宣言した。

 帽子が宣言した瞬間、黒とカナリア・イエローで彩られたアナグマのマークのところのテーブルから大きな拍手が鳴り響いた。

 

「ハッフルパフか~」

「ん? 不満かね?」

 

 自分の決まった寮の名を改めて口にしつつ、帽子を頭から外そうと手をかけると、帽子からの問いかけがあった。帽子の決定に不服か、という質問に咲耶は微笑みを返した。

 

「んーん。友達と同じやなかったんは残念やけど、友達は友達やもんな。おおきに、帽子さん」

 

 咲耶は頭から外した帽子を胸の前に持ってきて礼を述べた。どうやら被っていないと帽子の声は聞こえないようだが、それでも咲耶には帽子が微笑んだように感じられた。

 

 帽子を置いて、先ほどハッフルパフに振り分けられた生徒が行っていたテーブル、大きな拍手で出迎えてくれているテーブルのところへ咲耶は向かった。

 

「ようこそ、ハッフルパフへ!」

 

 ハッフルパフのテーブルでは新たに加えられた編入生を暖かな雰囲気で出迎えており、列車で出会った赤毛の少年とは異なるPのバッジをつけた男子が空いている席に咲耶を誘った。

 

「初めまして、コノエ! 私、リーシャ! リーシャ・グレイス、あなたと同じ3年生」

「サクヤ・コノエです。よろしゅうお願いします」

 

 早速とばかりに近くに座っていた金髪の女生徒が声をかけてきた。少し長めの髪を後ろでまとめ上げている、明るく咲耶とは違うタイプのはきはきとした感じの少女だ。

 リーシャが声をかけてきたのを皮切りに周りの生徒も次々に留学生に声をかけてきた。

 

 

「さて、諸君の新たな友人の寮も決まり、お待ちかねの食事といきたい。だがその前に、二言三言、言わせていただきたい。……んむ、わっしょい! こらしょい! どっこらしょい! 以上!」

 

 賑やかなハッフルパフの席の様子を微笑ましげに見守っていたダンブルドアは場を鎮める声で話し始め、歓迎の言葉をユーモラスある感じで述べた。

 

「あはは、おもろい、校長センセやなぁ」

「すごい先生だよ、ちょっとユーモアのセンスずれてるけど」

 

 教師陣の机の方ではリオンが呆れたような表情をしているが、咲耶はダンブルドアの堅苦しさのない校長のお言葉に朗らかに笑った。咲耶の笑いに先程真っ先に挨拶してきたリーシャが笑みを浮かべて話しかけてきた。

 校長先生のお話が合図だったのかテーブルの上に用意されていた大皿にはたくさんの料理が盛り付けられていた。

 

「ねえねえ、あなたスプリングフィールド先生と知り合いなの?」

 

 大皿から料理をとりわけ、咲耶に手渡したリーシャが、先程から気になっていたのか、リオンについて尋ねてきた。

 同時期に学校に現れたというのもあるが、主に先ほどそっぽを向いていたリオンを咲耶が強引に立たせようとしていたのを見ていたのだろう。

 

「あ、おおきにな。小っちゃいころからの知り合いで、お兄ちゃんみたいなもんや」

「ニホンから来たんだよな。向こうの魔法学校に通ってたの?」

 

 好奇心の強い性格でもあるのだろう。いただきまーすと手を合わせている咲耶に次々に話しかけてきており、咲耶もそれに笑顔を向けた。

 

「んーん。日本の普通のガッコに通っとったんよ。リオンはうちのおじいちゃんとお母様の知り合いさんで、昔はよう遊びに来てくれとったんよ」

「へー、じゃあ、魔法は先生から習ったの?」

「リオン、センセにもちょっと教えてもろたよ。でもほとんどは知り合いの人らやなぁ」

 

 完全に一般人の生活であれば、いきなり知り合いのお兄さんが魔法使いです。といっても混乱するのが普通だろう。

咲耶は慣れ親しんだ呼び方が抜けきらず、リオンの名前を口にして、とってつけたように先生と言い直した。

 

「スプリングフィールド先生が教える精霊魔法、ってやつ? 編入の場合、こっちの魔法ってどうしたの?」

「勉強したんやけど、正直自信ないわぁ。でも魔力の使い方とかは似たとこあるから、まぁなんとかなる……かなぁ?」

 

 あちら側の魔法にしてもこちらの魔法にしても、基本的には杖を介して魔力を操作するという流れがある以上、魔力の制御がある程度できており、知識があれば互換も可能だ。

 

 実際、ウェールズ滞在中に教科書を見ながらいくつかの呪文を唱えたところ、咲耶の魔法は不安定さはあるもののしっかりと発動していた。そしてこちらの魔法はダイアゴン横丁で購入したタイプの杖でしか発動しなかったが、発動媒体が自由なむこうの魔法はこちらの杖でも使用することができていた。

 

「あはは。じゃあ協力しよ。こっちの魔法教えるから、精霊魔法のアドバイスもらえると嬉しいな」

 

 列車の中でハーマイオニーとも話したことだが、2年間ホグワーツで学んだ経験がある分、リーシャも違う種類の魔法にはかなりの興味があるようだ。

実際、留学の目的はこのようにホグワーツの魔法使いと積極的に交流するのが目的だし、こちらの魔法になるべく早く馴染みたいということもあって、この提案は咲耶にとっても魅力的だった。しかし、

 

「リーシャ。あなた人に教えられるような成績?」

「う゛っ」

 

 にこやかに話していたリーシャの対面の席から茶色い髪のボブカットの女の子が呆れたように話しかけてきてリーシャがぎくりと身を強張らせた。

 

「フィー……そりゃあ、魔法薬学はそんなによくないけどさ、薬草学とか、飛行とか」

 

 どうやらリーシャあまり勉学優秀というわけではないらしく、しかしなんとか自信のある科目名をあげて反論しようとする。

 

「スプラウト先生の薬草学の授業を落とした生徒はいない。飛行訓練は1年しか受講しない」

 

 ただその反論はリーシャの奥の席に座っていた小柄で見た目は寡黙そうな少女の淡々とした反論によってさらに自身の劣等ぶりを印象付けられてしまった。

 

「クラリス……いいもん。私にはクィディッチがあるもん」

「くでぃっちってこっちの魔法使いのスポーツやんなぁ。リーシャはそれやるん? うち見たことないから楽しみやわぁ」

 

しょぼん、と落ち込んでテーブルにのの字を書き始めたリーシャに咲耶は1月前の話題にでてきたスポーツ名を思い出して話題をふった。

クィディッチというスポーツは、どうもこちらでは誰もが知っているスポーツらしく、咲耶も興味はあった。

 

「見たことない!? 日本の魔法使いは何を楽しみに生きてるの!?」

「リーシャは飛ぶのだけは上手い。リーシャ、コノエは普通の学校に通っていたと言ってたのもう忘れたの?」

 

咲耶のクィディッチを見たことがない発言にどうやら大のクィディッチ好きらしいリーシャの心に灯がともり、驚愕の表情で詰め寄った。あまりの詰め寄りぶりに引き笑いを返すことしかできない咲耶に先ほどクラリスと呼ばれた少女が助け船を出した。

 クラリスの言葉に、「そっか」と納得して少し沈静化したようだ。

 

「サクヤ、よろしくね、私フィリス。フィーって呼んで。それであっちのショートヘアの子がクラリス。リーシャとルームメイトなんだ」

「よろしゅうな~、フィー、クラリス」

 

興奮していたリーシャが少し落ち着いたところで、リーシャの対面の席から先ほど声をかけてきた茶色の髪の女の子、フィリスが手を振って自己紹介をしてきた。

 

「ウチの女子寮だと空きがあるのは私たちの部屋だけだから、多分あなたもルームメイトよ」

「へー、そうなんか……えへへ、うち寮暮らしとか、るーむめーとって初めてやから楽しみや。不束者ですが、よろしゅうお願いします」

 

リーシャはなにやら先ほどのクラリスの「飛ぶのだけ」発言について言及しており、その間にフィリスと咲耶は親交を深めていた。

 

「早速にぎやかだね」

 

留学生と話してみたい、という思いはその他周囲の人たちも思っていたのだろう。一心地着いたタイミングで話しかけてきた男子に咲耶は顔を向けた。

 その男子はなかなかに整った容姿をしていて、実直な感じのする男子だ。

 

「セドリック! 今年はいよいよ寮の代表選手入りをかけて勝負だ!」

 

話しかけてきた男子とは仲がいいのか悪いのか。リーシャが指を突きつけて、堂々の宣戦布告をかました。留学生に話しかけるつもりが、宣戦布告をもらった男子は少したじろいでおり、咲耶は首を傾げた。

 

「代表選手?」

「学校でクィディッチの寮対抗試合があるのよ。うちはあんまり強くなくてね。でも今年はセドリックとリーシャがいるから、ちょっと期待かな」

 

ホグワーツは11歳の1年生から18歳の7年生まである。その中で3年目の生徒が期待されているというのは中々にすごいことなのだろう、と感心の眼差しをリーシャに向けた。

 

「セドリックは去年からチーム入りしてる。おまけに学年で1,2を争う秀才。こっちは鳥から生まれたようなトリ頭のリーシャ」

「トリ!? 私トリって言われた!? ならコンドルにしてよ! その方がかっこいいじゃん!」

「ほら」

 

クラリスの皮肉はリーシャには通じなかったようで、むしろ鳥のように自在に空を飛ぶという風にでも好意的に解釈し誇らしげだ。

 

「あはは。うち箒で飛ぶんもそんな得意ちゃうから、ご指導おねがいします」

「うん、うん。打倒スリザリン! 一緒に寮の代表選手になって、寮杯を目指そう!」

 

非常にポジティブなリーシャに咲耶も楽しさを感じ、リーシャは意気揚々と咲耶と星を指さしそうな勢いになっている。

 

「サクヤ、勉強習うならそっちはダメ。セドリックの方がいい」

「もしくはクラリスね。この子、結構本の虫だから。そういえば、今年から選択科目が増えるけど……咲耶はなにをとったの?」

 

 だが、元気いっぱいなリーシャについていきかねない咲耶にクラリスとフィリスが待ったをかけ、勉学の話へと軌道修正を図った。

 

「うちは占い学と魔法生物飼育学」

「あっ、両方とも私とフィーと一緒だ」

 

 ホグワーツでは1,2年の間は全員が同じ授業を受けるのだそうだが、3年からは選択科目が入る。

 占い、数占い、マグル学、魔法生物飼育学、古代ルーン文字。

 いくつとってもいいが、時間的な配分と必要単位数を考えると2つが基本だ。

 その中から咲耶が選んだのは占いと魔法生物飼育学。

 

「ほんま!? ええよな、占い! 水晶覗いたりするんかな?」

「そういうのもあるらしいわよ。担当の先生は……トレローニー先生なんだけど、今まで見たことないのよね」

 

 すべての女子、というわけではないだろうが、それでも咲耶とフィリスは占い好きなのだろう。加えて親しくなったうちの2人が同じ授業だということで、咲耶は嬉しそうな笑顔となり、占い学への期待感を一層高まらせている。

 

「占いは不確定分野。当てにならない」

「ふふふ。クラリスだけどっちも履修登録してないから拗ねてるのよ、この子」

 

 それに対して履修しなかったクラリスはどうやら不確実な確率な世界の占いより、理論によって占う数占いを履修したらしい。フィリスの堂々とした告げ口にクラリスは少し頬を膨らませて睨んでいる。

 

「数占いってあれだろ。なんかたくさん数字でてくるやつ。私計算とか苦手なんだよね」

「リーシャは計算だけじゃなくて覚えるのも苦手。指先の作業も苦手」

「いいの! その分の根気とやる気をクィディッチにぶつけるから! セドリックはなにとったんだっけ?」

 

 そしてどうやらリーシャもまた占いが好きで選んだというわけではなさそうだ。クラリスの言葉に今度はリーシャが拗ねたような顔になり、セドリックに話をふった。

 

「僕はマグル学と古代ルーン語だね」

「えーっ!! じゃあ私は誰に試験対策教えてもらえばいいの!?」

「まったくこの子は。サクヤは占いに興味があるの?」

 

 どうやらリーシャは先の2年間をクラリスやセドリックなど同寮の優等生の助力を得ることで切り抜けてきたようで、その二人がいないことに悲鳴を上げている。

 そんな友人を呆れたように苦笑するフィリスは先ほど占いという言葉に目を輝かせた咲耶に尋ねた。

 

「うん! こう三角帽子かぶって水晶覗き込むのって、こう……魔女っこって感じせえへん?」

「いやいや、あなた魔女でしょ」

 

 魔法についての知識はあるはずなのに、妙にステレオタイプかつマグルからの偏見のような希望を抱いている少女にフィリスからのツッコミが入った。

 

「クラリスはなんで魔法生物とらんかったん?」

「古代ルーン語のあの形を見るのが楽しい。あなたはなぜそっちをとったの?」

 

 クラリスが本の虫、というのは事実なのだろう。外見で見てもクラリスはアウトドアで動物と戯れるより、インドアで文学に耽っている姿の方が映えそうだ。

 

「だって、魔法生物やろ。妖精さんとか、ペガサスとか、ユニコーンとかおったりするんやろ?」

「うん、サクヤがすごい期待してるのは分かったけど、教科書に載ってるのって結構グロイの多いよ?」

 

 眼をきらきらと輝かせる咲耶。おそらくその頭の中では、お花畑でペガサスと戯れ、キラキラと妖精が宙を舞っている光景でも想像しているのだろう。

早めに現実を教えておくためフィリスが教科書の内容について触れると、咲耶は「えー!!」 と不満そうな声を上げた。叫ぶ咲耶にフィリスたちはおかしそうに笑った。

 

 

 ひとしきり話が弾んだころには、あらかたの料理は食べ終え、満腹そうな顔の生徒もちらほらと出始めた。

 

 式の締めくくりの前に校長からいくつかの注意事項。立ち入り禁止の区域があること。精霊魔法受講に関して後程連絡があること。休憩時間中の廊下での魔法の使用が禁止されていること。クィディッチに関してなどの連絡があり、校歌散唱(?)とでも言うべきバラバラの斉唱の後に、監督生の誘導のもと、それぞれの寮へと別れた。

 

 誘導は新入生からの順で行われ、1年生、2年生が広間を出るまでの間に、寮監であるスプラウトが、フィリスの予想通り、彼女たちと同室であること、荷物はすでに運ばれていることを告げた。

 

 

・・・

 

 

「寮って、全然違うとこにあるんやなぁ」

「ええ。詳しくは知らないんだけど、グリフィンドールとレイブンクローは結構上の方にあるみたいよ」

「逆に私たちとスリザリンは地下。厨房に近いのがハッフルパフの特典だよ!」

 

 広間をでた学生は、広間を出た時点からそれぞれの寮の方向に向かった。咲耶たちは複雑な階段を、なぜか動いたり、途中の段が急になくなったりする階段を降りていった。そのことを尋ねるとフィリスとリーシャから答えが返ってきた。

 

「厨房の近くなん?」

「あー、いや、そうじゃないかって言われてるだけで、場所はあんまわかんないんだけどね」

「先輩の何人かは知っているらしいけど、私たちはよく知らない。ホグワーツには隠し部屋とか細工部屋が多すぎる」

 

 食事は魔法で運ばれ、魔法で片づけられているようで、出てくるときも消えるときも唐突だった。そのため厨房があるのかと感心して尋ねると、特典だと言ったリーシャが自信なさげになり、クラリスが補足した。

 

「これこれ。ここがハッフルパフの寮の入り口だよ」 

「へー、絵が扉なってるんやね」

 

 先頭が開けたため、扉は開いているが、よく見るとそれは見事な静物画になっており、誇らしげなリーシャの言葉に咲耶も感嘆の声を上げている。

 

「入るときはあっちにある樽の底を2回叩くんだけど間違えるとビネガーかけられちゃうから気をつけてね」

「び、びねがー?」

 

 基本的に他寮には入ることができないらしく、その理由としてそれぞれの寮独自のセキュリティがあるのだそうだ。

 フィリスがセキュリティ解除方法を説明するが、間違えた際の反撃に咲耶はぎょっとした顔をして扉を見直した。

 

「あー、結構熱いんだよね、あれ」

「去年リーシャは寝ぼけて外に出て、間違えたの」

「ちょっ、言わないでよ!」

 

 しみじみと述懐するリーシャだが、それは彼女自身にその経験があったようで、フィリスに暴露されて赤い顔で追い回している。

 仲の良い二人の様子を見て微笑みながら寮へと入った咲耶は目の前の部屋の姿に足を止めた。

 

「ほわぁ……素敵なとこやなぁ」

「ハッフルパフのシンボルはアナグマ。寝室への通路も巣のようになってる」

 

 寮のイメージカラーである黄色と黒を基調としており、温かみのある配色のカーテンやふかふかの肘掛け椅子がたくさんある。クラリスが言うようにアナグマの巣穴のように見えるその室内は、訪れた者を歓迎しているようにも見える。

 

「私たちの部屋はあっち」

 

 いくつかある小道の一つをクラリスが指さし、咲耶を案内した。進んだ先にある戸の前にはリーシャとフィリスも待っており、

 

「「「ようこそ、ハッフルパフへ」」」

 

 新たなるルームメイトを歓迎した。

 

 




基本的に1巻分くらいまでは週一更新を目指しています。

よろしければ、ご感想やご指摘などよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

授業初日

「ん~……? ん、はれ? さくや?」

 

 新入生を迎えた入学式から1日。いよいよ咲耶のホグワーツでの授業が始まるその朝、ルームメイトのリーシャはいつもより少しだけ早い時間、ごそごそとした音に眼を覚ました。

 

「あ、ごめん。起こしてもうた?」

「ひんや? もうそろそろ起きる時間だけど……ふわ。早いねサクヤ。なにやってんの?」

 

 なるべく物音を立てないように気を遣ったのであろうが、窓から差し込む光はそろそろ朝を示しており、リーシャは欠伸と伸びをして体を起こした。

 

「呪文学の教科書見とったんよ」

「朝の一つ目だよね」

「マジメだねー、サクヤ。朝から予習なんて」

 

 周りを気遣って控えめな声量で話していたのだが、他のルームメイト、フィリスも起きて話しかけてきた。

 

「やー、なんか楽しみで目覚めてもうてん。こっちの呪文学って妖精さんの呪文なんやろ?」

「あはは。まあ、呪文学のフリットウィック先生はたしかに妖精みたいかもねー」

 

 気合十分で授業を楽しみにしている咲耶にフィリスは微笑んでレイブンクロー寮監の小さな魔法使いの先生を引き合いにだした。

 

「呪文学はまだ得意分野だから、分かんない事があったら聞いて!」

「よろしゅう頼むわ~、リーシャ」

「ちょっ、声大きい。クラリスが」

「もう起きてる」

 

 授業の中では魔法薬学や魔法史ほど暗記の量が少ない呪文学は記憶力に自信のないリーシャにとって数少ないできる科目なのだろう。からっと笑うリーシャに咲耶はほわほわとした笑みを返した。

 しかし話している内に目が覚めてきたリーシャが元気いっぱいに話してしまい、慌ててフィリスが声のボリュームを落すように言うが、その脇からひょっこりと憮然とした声がかけられた。

 

「わっ! 起きたの、クラリス!?」

「リーシャの声で」

「珍しいわね、起こす前にクラリスが起きるなんて」

「おはようさんや、クラリス」

 

 クラリスにとってはまだ早い時間なのだろう、若干機嫌悪そうに大声を出したリーシャを睨んでおり、しかし咲耶はのほほんと朝の挨拶を述べた。

 

「……おはよう、サクヤ」

「クラリス寝癖ついとるえ?」

 

 まだ半覚醒の状態のクラリスは挨拶への反応が少し遅れ、咲耶は起きてきたクラリスの髪を見てちょいちょいと手招きをした。

 ちょっとふらふらとした足取りで近づいてきたクラリスをくるりと半回転させて自分の前に座らせると、櫛を取り出してその髪を梳いた。

 

「おお。なんか羨ましい」 

「あんたはいつも通りの髪型でしょ」

 

 夢見心地の状態で優しく髪を梳かれているのが気持ちいいのか、うっとりと目を瞑っているクラリスの様子に、リーシャが羨ましがる。だが、即座にフィリスからのツッコミが入ったように、クィディッチで髪が乱れるのを考慮してかリーシャの髪はシンプルに後ろでまとめ上げているだけ、寝癖はつきそうにない髪だ。

 

「リーシャも後でやったげよか?」

「おお、いいの!?」

「ダメ、リーシャには渡さない」

「むしろサクヤの方が大変でしょうに」

 

 クラリスの髪を丁寧に梳きながらの咲耶の提案にリーシャが嬉しそうな声を上げるが、そろそろ目が覚めたクラリスがいつものローテンションな声で咲耶の占有を主張した。

 

 困ったように微笑む咲耶

 騒がしくも明るいリーシャ

 ツッコミの厳しいクラリス

 やれやれと困ったように笑っているフィリス

 

 ホグワーツはハッフルパフでの咲耶の学校生活が始まった。

 

 

 第5話 授業初日

 

 

 朝の準備を整えて4人は食堂へとやってきた。朝食の厳密な時間は決められていないが、朝一の授業の時間を考えて、少し早いくらいの時間だ。

 

「よかったあ。イギリスのごはん、おいしないて聞いてたけど、おいしいわ」

「にしては少な目だね」

「朝だからこそしっかり食べないと、咲耶とクラリスは特に小さいんだから」

 

 形式は入学式の時と同じく、大皿に盛りつけられた各料理を各々が取り分けて食べる形式だが、フィリスやリーシャに比べて咲耶とクラリスの取り分けた量は少なく見えた。

 

「え~、うちこれでも結構たくさんとったえ?」

「リーシャは食べ過ぎ。無駄なところが育ちすぎて飛ぶのが遅くなればいいのに」

 

 たしかに咲耶の取り分けた量は、日本の朝の風景では平均か、女子としては適量くらいだろう。しかし特にリーシャは咲耶の3倍以上は取り分けており、体の小さいクラリスがリーシャのとある部分を見つめながら呪詛のように呟いた。

 

「ちょっ! しっかり食べないと頭回んないだろ! 成長期なんだし」

「食べても回ってない。むしろ満腹で眠たそうにしてる」

 

 朝から元気な二人のやりとりに咲耶とフィリスは笑いながら食事をすすめた。無駄と言いつついつもよりも辛辣な毒を吐いているのはすとんとした体格をクラリス自身気にしているのかもしれない。

 

「あっ、サクヤ。おはよう!」

 

 そろそろ二人の言い合いを止めるべくフィリスが動き始めた時、近くを通りかかった下級生の女生徒から声をかけられた。

 

「ハーミーちゃん。おはよ~さんです」

「ん? 知り合いなの、この新入生?」

 

 振り返った咲耶は声をかけてきたのが列車で知り合ったハーマイオニーであることに気づいて挨拶を返した。留学1日目にも関わらず、ネクタイカラーの異なる他寮の新入生と知り合っていることにリーシャが尋ねた。

 

「うん。ここに来る前の列車の中で知りおーてん。ハーミーちゃん、今からごはんなん?」

「ええ。サクヤは……そっか、もう終わりそうね」

 

 リーシャの問いに頷きを返してハーマイオニーと話すが、ハーマイオニーは咲耶の前のお皿がすでに終了間際であることを示しており、少し残念そうにしている。

 

「ごめんな~。おんなじ寮なれへんくて」

 

 基本的にホグワーツの食事は寮ごとに決められたテーブルで座ってとるものらしく、もしこれから咲耶が食事をとるにしても結局は離れて食べざるを得ない。今の環境に不満はないが、知り合った友達と一緒の寮になれなかったことを少し残念がった。

 

「ううん。仕方ないわ」

「今度時間あったら、お茶でもしよな~」

 

 咲耶の誘いにハーマイオニーは苦笑して、「ええ」と返すとグリフィンドールのテーブルへと向かった。

 

「サクヤ、お茶ってどこでするつもりなんだよ?」

「へ? ティータイムとかあらへんの? イギリスやのに」

「ないわよ普通。同じ寮ならともかく、他の寮とはね」

「3年からはホグズミードに行けばできるけど、1年生は行けない」 

 

 てっきりアフタヌーンティーで有名なイギリスならあって当然と思っていたのか、はたまた何も考えていなかったのか、咲耶の叶いそうにない提案に全員からツッコミが入った。

 クラリスが言うように3年以降は週末に何度かホグズミード村という近くの魔法使いの村に行けるため、そこでなら他寮の友人とティータイムができるが、基本的には無理。

 

 2年間ここで過ごしてきたリーシャたちの言葉に、咲耶は指を口元にあててしばし考え込み。

 

「ん~……そや! リオンのとことか」

 

 いいこと思いついたとばかりに提案した。ほかの寮や広間でダメなら中立地帯の先生の部屋ならば問題ないだろうということなのだろう。

 

「いやいや、先生のとこでとか無理でしょ」

「常識はずれ」

 

 だが、先生と生徒が一緒にお茶会をする。なんてことは2年間過ごした中でも、イースターなどの特別な日にしかなかった。

 そのためリーシャとクラリスからばっさりと切り捨てられることとなった。

 

「そういえば、スプリングフィールド先生、朝食にでてきてないわね」

 

 しゅんとして「そっか~」と落ち込む咲耶に苦笑しつつ、フィリスは話題に上ったリオンを探すが、その姿は職員用のテーブルにはなかった。

 他の教師、スネイプはかなり早い段階で食事をとり終えて退出していたし、マクゴナガルやスプラウトの姿もある。

 

「リオン朝弱いからな~。まだ起きられてへんのと違うかな」

「このままだと朝食抜きだね、スプリングフィールド先生」

 

 リオンの弱点ともいうべき、朝の弱さを思い出して咲耶が苦笑し、リーシャは笑い気味に返した。

 

 

 

 朝食の後、咲耶にとって初めての授業に向かった。

 途中、踏むと消える段差のある階段に足をとられるということがあったが、3人の助力もあって無事に授業開始前に教室にたどりついた。

 

 教室は呪文を唱えて色々なことをするためか、少し大きな教室となっており、体の小さなフリットウィックは教壇の上に、さらに数冊の分厚い本を重ねてその上に立って授業をしていた。

 

 最初の呪文学の授業では、まず昨年習った復習として武装解除呪文を行った。

 

「へー、これ便利やなぁ」

 

 教わった呪文を周りのみんなが、二人一組になって試しており、フィリスと組みになった咲耶は自身の知っている武装解除呪文との違いに感心していた。

 

「精霊魔法にもあるの、武装解除呪文? エクスペリアームス」

 

 話しながら唱えたフィリスの呪文が咲耶に命中し、咲耶の手元からきれいに杖だけが離れ、フィリスの手元に収まった。

 

「あるけど、恐ろしいわざやで」

「武装解除が恐ろしいってどんなのなの……」

 

 杖を返しながら、影を帯びたような顔の咲耶にフィリスはたらりと汗を流している。

 

「いくつか種類はあるんやけど、基本的に相手を丸腰にする呪文なんよ」

「なんだ、あんまり変わんないじゃん」

 

 恐ろしいと言った割に平和的な内容の説明に隣でクラリスと組んで練習していたリーシャが返す、だが、

 

「いやいや、おそろし技やであれは。なにせ完全に丸腰にするんやから」

「? どゆこと?」

「えーっと、それってもしかして……」

 

 重ねて恐ろしさを強調したように言う咲耶にリーシャは首を傾げ、何かに気づいたのかフィリスが恐る恐る尋ねる。

 

「当たると着とるもんもみんな脱がされてまうんよ。人前でくらうとちょっと恥ずかしいよ」

「なんだそれ!?」

「……リーシャに試したい、サクヤ、教えて」

 

 フィリスの予想は当たったようで、咲耶の言葉にリーシャは驚きを返し、対面しているクラリスはそっと恐ろしいことをお願いしている。

 

「やめろ!」

「あはは、基本的な攻撃呪文やけど結構むずかしから、まだ無理や思うで」

 

 リーシャは胸元を隠すようにクラリスをにらみ、咲耶は笑いながら答えた。

 咲耶のエクスペリアームスは、魔法制御自体はできているからか、命中するとわずかにフィリスの手元でぐらついたが、残念ながら弾くことはできなかった。

 

「おしい! でもいきなりできるなんてすごいじゃない、サクヤ」

「うーん、もうちょい力込めなあかんのかなぁ?」

「あんま強くかけると相手吹っ飛ぶから気をつけなよ」

 

 とはいえ、呪文自体は発動しており、いきなりの出来にフィリスは咲耶を褒め、リーシャは注意点を述べた。

 

「ところで、精霊魔法の授業で武装解除呪文は習うのかしら……?」

 

 笑みを浮かべていたフィリスだが、ふと先ほどの恐るべき武装解除を思い出して尋ねた。その質問にリーシャがぎょっとした顔になり、クラリスの瞳が怪しくリーシャを捉えた。

 

「んー、どうやろ? めるでぃあなってガッコだと習うみたいやからそのうち習うかもしれへんなぁ」

「げっ!」

 

 近い未来に起こりうる惨事を想像してリーシャがうめき声をあげた。ホグワーツの生徒はだいたい男女均等な人数だ。そして基本的に男女別枠の授業はない。

 流石に13になって男子の前で丸裸になるのは勘弁願いたいところだろう。

 

「聞いたところによると、魔法世界のとあるガッコやと武装解除呪文の打ち合いをする箒のレースがあるらしえ」

「えーっと、それは、男子用?」

 

 想像するにぞっとするレースを告げる咲耶にフィリスがおそるおそる尋ねた。

 

「んーん。女子専用」

「なんだそれっ!?」

 

 箒のレースということで興味はあるのだろう。だが、その内容を鑑みるに到底参加したくないというのがリーシャの気持ちだろう。

 

「たしかなんかの試験を兼ねとって、街中を飛びながらやるらしえ。しかも映像放送のおまけつき」

「……つまり壮絶な羞恥プレイ?」

 

 呪文の詠唱と物音が激しい呪文学の授業はおしゃべりにはうってつけという共通認識がこの日咲耶にも知ることができた。

 授業はその後、新たに清めの呪文を習い終了した。

 

 

 

 ・・・

 

 

 一つ目の授業が終わり、休憩の時間に入った生徒たちだが、咲耶とリーシャ、フィリスは慌ただしく校内を移動していた。

 

「楽しみやなぁ」

「サクヤ楽しそうね」

「いや、これ絶対しんどいって。北塔のてっぺんって地下から反対じゃん」

 

 キラキラと輝く瞳で授業を夢想している咲耶だが、次の授業は最も遠い北塔のてっぺん。長く続く階段を移動するフィリスとリーシャはすでに疲れ気味だ。

 

 ホグワーツの教室移動は、単なる移動距離だけでなく、複雑怪奇な内部構造、クセのある階段、悪戯好きなゴーストなどなど、様々な障害物との戦いでもある。

 

 ちなみに数占いをとったクラリスは途中で別れて、その直前まで咲耶に引っ付いていた。

 

「ほなって、占いやで占い。女の子やったら誰でも好きやろ」

「いや~、そうとは限んない気がするんだけど……」

 

 テンションあがっている咲耶とは対照的にリーシャはあまり乗り気ではないのか、眩いばかりの咲耶の煌めきに目をそらしている。

 

「水晶占いとか、手相占いとか、星占いとか、タロット占いとか、恋愛運とか健康運とか金運とか恋人できるかとか――――――」

「噂じゃ、あんまりよくないって聞くけど……って聞いてないわね」

 

 授業の履修にあたって先輩からいろいろ情報を集めたりしたのだろう。フィリスがこれから赴く占い学の教師トレローニーの噂を思い出して困った顔をしているが、咲耶はいろいろな占いに夢を馳せてトリップしている。

 

 授業に対するテンションにかなりの差があるが、初回の授業から遅刻するわけにもいかず、3人は長い階段を上り、

 

「ヤーヤー! 小娘ども! そのように駆けてどこへ往かんとする!!」

 

「イギリスの魔法界にそういう占い雑誌とかあれへんのかな?日本やったら結構当たるって雑誌あってな。実際に待ち人来るって書いてある月にはだいたいリオンと会えたんよ。それやのにリオンは占い信じてへんのよ。うち的には水晶占いとかものすごい興味あるんやけど、できるようなったらリーシャの運勢見させてな。リーシャの恋愛運とか見てみたいわ~。うちの見たところ意外とリーシャって身近におる人と縁がありそうな気がするんよな。それとな――――」

 

「今なんか居たか?」

「さぁ? とりあえずこの子は教室に着くまでに帰ってくるのかしら」

 

 途中なにかが騒ぎ立てた気がしたが、てっぺんの教室に着くまで咲耶は延々と占いに対する熱い思いをぶちまけていた。 

 

 

「それで。着いたはいいけど……どうやってあそこまで行くんだ?」

「ねぇ……」

 

 なんとか授業開始前に辿り着いた3人は、同じように授業を待っている生徒とともに天井を眺めていた。

 天井には“シビル・トレローニー占い学教授”という表札がつけられており、撥ね扉が据え付けられている。

 占い学は3年からの選択授業であるため、どの生徒もここには来たことがない。これまでどの教室でもこのように風変わりな入口を設置しているところはなく、どの生徒も戸惑っているようだ。

 ただ一人、普通のホグワーツを知らない咲耶のみ、わくわくと目を輝かせて扉を見上げていた。

 

「何が起こるんかなぁ」

「とりあえず、落ち着きましょうかサクヤ……あれ? なんか降りてきたわ?」

 

 咲耶の暴走状態が収まらなかったことに溜息をついたフィリスだが、突然撥ね扉が開き、銀色のはしごが垂らされた。

 

「登れ、ってことかな?」

「みたいね……って、あの子は! まったく」

 

 警戒心を抱くリーシャとフィリス。周りの生徒もどうするべきか戸惑っているが、一人咲耶は興味津々で、周りを見回して誰も登ろうとしないのを確認するとするすると登りはじめてしまった。

 

「ちょっとサクヤ……なにここ?」

「ほわぁ……」

 

 はしごを登り辿り着いた教室は呪文学の教室とはまるで装いを異にしていた。小さな丸テーブルが所狭しと並べられており、その周りにはふかふかのクッションを敷いた肘掛け椅子が置かれていた。

 雰囲気づくりのためか、なんらかの意図があるのか窓とカーテンは閉め切りにされており、光を灯すランプは暗褐色のスカーフを纏っている。

 

「おーい、かえってこーい、サクヤー」

 

 フィリスやリーシャたちにとって異様としか映らなかったこの教室は、しかし咲耶にとって琴線に触れたのか、先程まで以上にトリップした感じになってしまっており、大量に並べられた銀色の水晶玉ふらふらと吸い寄せられている。

 

「すごい紅茶の香りね」

「先生はどこだろ?」

 

 室内には濃厚すぎる紅茶の香りが漂っており、フィリスは顔をしかめ、リーシャは咲耶のローブの首元を掴んで確保した状態であたりを見回した。

 

「ようこそみなさま」

 

 周りの生徒も困惑する中、夢の奥から現れたようにか細い声が教室に響き、きらきらと着飾った先生が姿を現した。

 

「この現世であなたがたとお会いできるのを、あたくし楽しみにしておりました。さぁ、子供たち、おかけなさい」

 

 無理やり細い声をだしているかのような先生の言葉に、多くの生徒は困惑を深めており、フィリスとリーシャも顔を引きつらせている。

 

「いや、なんだかなー……ってサクヤ!?」

 

 気づくとサクヤは、リーシャの手を逃れ、瞳を輝かせてトレローニーの目の前の席を確保していた。顔を見合わせたフィリスとリーシャは軽く溜息をつくと咲耶と同じテーブル席についた。

 

 

 占い学という学問の説明から入った授業は、時折先生の予言を交えながら進み、今学期は水晶玉占いを行うこととなった。

 熱烈な咲耶の要望によりリーシャが咲耶と組むこととなり、フィリスは苦笑しつつほかのクラスメイトと組むこととなった。

 その際に咲耶のきらきらした瞳にドン引きしているリーシャは救いを求めたが、その手が取られることはなかった。

 

「子供たち。俗世で曇った眼ではなく、心の眼で先を見通すのです」

 

「うへぇ……」

 

 スルスルと滑るように教室を移動するトレローニーは時折誰に向けたのか分からないアドバイスをし、透き通った水晶玉の奥にある、テーブルの紅茶染みしか見えないリーシャはうめき声を漏らしていた。

 

「なにか見える、サクヤ?」

「んーっと、リーシャはなぁ……」

 

 すでに戦線離脱気味のリーシャは愉しげに水晶玉を覗き込んでいる咲耶を感心するように見た。どうやら咲耶はなにか見えているようで、少し興味を取り戻した。

 

「今年一年、基本的には運に恵まれますが、最後の最後でどんでん返しの一年になるでしょう」

「なんだそれ? って教科書見てないじゃないか!」

 

 だが、即座にいつもののほほんとした調子で言われ、しかもまったく教科書を参照していないのを見てツッコミを入れた。

 

「や~、こういうのて感覚のもんやと思て」

「よーし。だいたいあんたの性格分かってきたよ」

 

 ボケとマジメが混在した通常運転。その性格がだいたい分かってきてリーシャはほんわか笑っている咲耶ににやりとした眼差しを向けた。

 

「こほん。あなたたち、なにか見えまして?」

 

 リーシャの声が少し大きかったのか、トレローニーが咳払いと共にリーシャの背後に立っていた。

 

「えーっと……」

「はいな。とれろにセンセ見てくれはります?」

 

 この部屋の雰囲気と合わせて、異様にも感じるトレローニーにリーシャは冷や汗を流しており、一方の咲耶は相変わらずにこにこ顔で先生に応えている。

 

「いいでしょう。あたくしが占いましょう」

 

 にこにこの眼差しを向けてくる咲耶をちらりと見たトレローニーは咲耶の水晶ではなく、リーシャの水晶を覗き込んだ。

 すっと体を寄せてきたトレローニーを避けるようにリーシャは席を譲り、咲耶は期待の眼差しを向けた。

 

「あなたは……なにかに憑かれていますわ」

 

 半分閉じたような眼で水晶を覗き込んでいるトレローニーをクラスメイトが見つめた。

 

「これは……吸血鬼!? まぁ! あなた、よくないものに魅入られていますわよ!」

 

 トレローニーの言葉にリーシャがギョッとした顔になり、咲耶を見ると、咲耶も驚いた表情となっている。

 

「いやー、先生、吸血鬼はちょっと、見えなかったような、気が……します?」

 

 ざわめきが教室に広がり、リーシャは先程見た水晶玉を思い出して口を挟む。だがその言葉はトレローニーの流し目を受けてふらふらと揺れ、疑問形の形に落ち着いた。

 

「かわいそうな子……福音に気を付けなさい。福音はあなたにとって吉兆とはならないわ。死をもたらす音信となるでしょう」

 

 言葉通り可哀想な子を見るような眼差しを咲耶に向けてトレローニーは席を立った。教室中がざわついた感じが残り、授業は続いたものの、あまり集中した授業とはならなかった。

 

 

 

「大丈夫、サクヤ?」

 

 授業が終わり、長い階段を下りてお昼を食べに戻ってる道中、フィリスは先程の授業を思い出して咲耶に問いかけた。

 

「ほぇ? どないしたん?」

「どないしたって、さっきの授業……」

 

 特に普段と変わったようには見えない咲耶のほんわかさに問いかけたリーシャが逆に驚いた。

 

「ああ。とれろにセンセすごいなぁ。うち、心当たりあることばっかでびっくりしたわ」

「心当たりある、ってサクヤ!?」

「大丈夫なの!?」

 

 しかもさらなる爆弾を投下する咲耶にフィリスもぎょっとした顔になった。

 

「吸血鬼やろ? 大丈夫やて、うちの杖にも吸血鬼の髪の毛もろてるらしいし。吸血鬼はうちにとって吉兆やって」

「いやいや、それ、変なのに魅入られてるから!」

「目を覚ましてサクヤ!」

 

 平然としている咲耶に逆にリーシャとフィリスは慌てたように肩をつかんで揺すっている。

 

「ほんま大丈夫やって。今はリオンがおるもん」

「いや、まあ……スプリングフィールド先生、ねぇ」

 

 昨日聞いた話では目の前ののほほんと微笑んでいるこの少女は、新任の先生と親しく、随分と信頼しているようだが、まだ授業を受けたことも話したこともない相手のことなど二人に分かるべくもなかった。

 

「はよクラリスのとこ行って、ごはん食べに行こ? うちおなかぺこぺこやわ」

「……そうね。行きましょ。ほらリーシャも」

「あ、うん。そうだな」

 

 なんの疑いもなく、リオンという教師を信頼している咲耶にフィリスもリーシャも毒気を抜かれ、苦笑するように薄く笑ってもう一人の友人を迎えに行った。

 

 

 

 ・・・

 

 

「――――ということがあったんよ」

「ほー。それはまた……どーでもいいからとっとと手を動かせ」

 

 お昼を食べた後は咲耶たちハッフルパフは薬草学の授業を受けて一日が終わった。

 だが、編入生の咲耶の一日は終わらなかった。

 

 多少は準備もしていたし、呪文学に関しては魔力制御を流用することでなんとかなるが、それでもすでに習い終わった呪文を詰め込む必要があるし、他の授業、特に明日ある魔法薬学と魔法史に関してはかなりの量の知識を覚えておく必要があり、どう考えても時間が足りない。

 足りない分の時間を補うために、咲耶はリオンの部屋を訪れて、“一日を二日にして”勉強していた。

 

 今日あったことを嬉しそうに報告する咲耶だが、肝心のリオンは素っ気なく授業の資料と思しきものを作成している。

 そもそも、時間が足りないことを承知での編入であるため、この時間を歪める部屋の使用を許可しているのであって、一応学校内においては教師と生徒の区切りはつけておく必要があるとの考えだ。

 もっとも二人のいるここは学校ではないのだが……

 

「リオンの授業はいつからなん?」

「明日だ。お前のとこは……金曜日だな」

 

 口では素っ気なくしていても、楽しそうにしている咲耶を見るのは悪い気はしないのだろう。作業しながらではあるが律儀に答えている。

 

「ほうか~。あれ? 金曜って、大丈夫なん?」

「……別に。気付く奴がいるようなら幻術で誤魔化すから大丈夫だ」

 

 リオンの教えてくれた授業日程を思い返して咲耶は少し不安げな眼差しを向けた。視線の先に映るリオンの髪はほんのわずか、昨日よりも赤が増している。

 

 この程度の変化なら気付ける者はいないだろう。だが、週末に向けてどんどん変化が増して行けば、目に見えて変化に気づくことになるだろう。

 それが意味するところに気づく者は……いないはず。もっとも、気付かれたところで、リオン自身はきっと何も変えようとはしないだろうが

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔法の世界と闇の魔法

 ホグワーツ授業二日目。いずれはここでの日常が当たり前のものとなるだろうが、咲耶にとってまだまだ目新しいものの連続の一日が今日もまた始まる。

 たった一日にもかかわらずルームメイトと居室にはお互いすっかり慣れたらしく、朝起きて半覚醒のクラリスの髪の毛を梳くのが、早くも咲耶の日課となりつつあった。

 

 クラリスと自分の髪を梳いて制服に着替え、4人そろって寮の談話室に行くと、すでに起きていた数人の寮生が掲示板の前に集まっていた。

 

「ん? なんだろ?」

「何かの掲示みたいだけど……」 

 

 しばらくするとクィディッチの代表選手選抜のための選抜試験の掲示が行われるのが例年のことだが、流石に2日目は早すぎる。昨年、一昨年には見られなかった光景にリーシャとフィリスが首を傾げた。

 

「なんやろなぁ?」

 

 

 第6話 魔法の世界と闇の魔法

 

 

「例の新科目の受講の詳細が知らされているんだよ」

 

 後に続く咲耶とクラリスも小首をかしげており、リーシャは掲示板を見た手近な生徒を捕まえて尋ねようとして、その前に見覚えのある男子生徒が事情を説明した。

 

「セドリック君、おはよ~」

「おはようサクヤ」

「よっす、セドリック。新科目って?」

 

 箒に乗るのがうまいセドリック・ディゴリー。部屋でリーシャから何度も聞かされたその名前はクラスメイトの中でも比較的早い段階で覚えた名前だ。

 ぺこりとお辞儀をしてあいさつすると、セドリックも挨拶を返した。問いかける手間が少し省けたリーシャが、あいさつついでに質問を投げかけた。

 

「精霊魔法。新任のスプリングフィールド先生の授業の日程が掲示されているんだ」

「あ~。そういやリオンそんなこと言っとったなぁ」

 

 前列を陣取っていた一団が掲示板の前から捌け、リーシャたちが掲示板を見た。

 

 

 ――――――――――――――

  【精霊魔法(入門編)開講の知らせ】

 

 内容:魔法世界にて用いられる精霊を介した魔法に関して(その他、詳しくは学期前のシラバス参照)。なお期末試験は実技のみによって考査される。

 対象:新設のため4年間以上継続して学ぶことができる4年生以下が望ましい。(ただしリタイア自由)

 開講日:・・・・・・・・

 

 ――――――――――――――

 

 

「おっ、ようやく来たか! 実技重視とはいいじゃん!」

「うちのクラスは……金曜日ね。グリフィンドールとの合同授業だわ」

 

 掲示板の内容を読み進め、リーシャは楽しそうに声を上げた。あまり座学の得意ではないリーシャにとって内容の末尾に書かれた一文は期待のもてるものだったのだろう。

 授業は昨日リオンが、そして今しがたフィリスが確認した通り、金曜日から。

 

「これ。サクヤも受ける?」

「うん。受けるえ~。リオンのセンセー姿見れる機会やもん」

 

 すっかり咲耶に懐いたクラリスは、咲耶がある程度の精霊魔法を習っていることを心配してだろう。受講するかについて問いかけ、咲耶の答えにほっとしたような表情を見せた。

 

「いやー。少なくともサクヤが居てくれるから、試験については心配なさそうだな」

「あはは、どやろな~。リオン結構そーゆーとこ厳しいから」

 

 毎度期末試験に悩まされているらしいリーシャは、心強い味方に期待の眼差しを送っている。一方、期待されている咲耶は彼の容赦のなさを知っているだけに苦笑い気味だ。

 

「僕も是非お願いしたいな」

「なんだよ、セドリック。ゆーとーせーのあんたなら楽勝だろー」

 

 一緒に確認していたセドリックが微笑みながら咲耶に言うと、リーシャは悪ふざけのノリで、ただし多少の僻みが入っているような口調で咲耶を引き寄せながら言った。

 

「この授業の目的は、異文化交流でもあるらしいからね。僕も留学生と仲よくなりたいしね」

 

 リーシャに肩を抱き寄せられている咲耶はちょっと驚きつつも微笑んでおり、それに対してセドリックも微笑みを咲耶に向けて答えた。

 相変わらずにこにこ顔の咲耶に対して、フィリスは瞳を煌めかせ、クラリスはなにやら敵対心を立ち上らせ、リーシャはうげっとうめき声をあげた。

 

「やめろよー。せっかくの点差をつめるチャンスなんだから、セドリックは自分でがんばれよー」

「サクヤは渡さない」

「えーいいじゃない。異文化コミュニケーション。サクヤもセドリックと近くにいれば寮に馴染むのも早いだろうしさ」

 

 三者三様の答えを返し、空笑いをそちらに返したセドリックは確認するように咲耶に視線を向けた。

 

「ええよ~。うちの方もよろしゅうお願いします」

「よろしく、サクヤ」

 

 咲耶の答えに3人の友人はそれぞれの思いをこめた顔を表していた。

 

 

 

 リーシャの強い希望によりセドリックと離れた一行は朝食のために食堂へと向かった。

 

「リーシャ、セドリック君に対して敵対心いっぱいやなぁ」

「あ~、もうちょいしたら寮の代表選抜があるからなー」

「リーシャは去年、セドリックと一緒に選抜を受けて、彼だけ通っちゃったから悔しがってるのよ」

 

 なんだか遠ざけるようなことを言ってはいたが、リーシャの口調はそれほど陰湿なものでないことは雰囲気やリーシャの明るい性格から分かっていた。それでもなんだかリーシャはセドリックにライバル心をいだいているように見えた。

 

「いいとこまでいったんだけどなー。あの時外さなきゃ」

 

 セドリックだけが選ばれたと言っても、その勝負は僅差のものだったようで、それを思い出してリーシャは瞳を燃え上がらせている。

 ライバル心の方向性も決して陰険なものではなく、スポーツマンらしい向上心あるものに感じるのはリーシャだからこそだろう。

 

「胸が重い分、バランスが崩れた」「ひゃわぁっ!!」

 

 次回の選抜に意気を上げるリーシャだが、クラリスのとある部位へのつつき攻撃によって、奇声を上げて跳び退った。

 

「なにすんだよ!」

「クラリス、女の子の胸弄んだいかんえ~」

 

 よほどうまい具合に突き刺さったのか、リーシャは胸を隠して涙目になっており、咲耶がのほほんとした口調ながらも注意を入れた。

 

 昨日から見ているとクラリスはスキンシップが多めだ。他のクラスメイトにはそれほどではないが、リーシャやフィリス、そして咲耶にはなんだか多く触れている気がする。

 

 微笑ましい戯れに笑っていた咲耶だが、

 

「リーシャの胸はマシュマロみたいで気持ちいい」

「……そうなん?」

「こっち見んなぁ!」

 

 クラリスの一言で咲耶はくるりと立ち位置を変えてリーシャ(の胸)を見た。二つの腕に隠されているそれは、咲耶やクラリスのものや年相応に発展中のフィリスのものとは異なり、隠しようのないレベルにすでに達していた。

 

「あはは、冗談やって冗談」

「まったく」

 

 警戒心をあらわにして睨むリーシャに、咲耶は笑みを浮かべて雰囲気を和まし、

 

「ところでリーシャ。今日一緒にシャワー入れへん?」

「入らない!」

 

 本命の策略を告げて拒絶された。

 

 

 寸劇をしながら食堂へと着いた4人は広間の扉を開けようとして、2人組の男子とかちあった。

 

「あっ!」

「ん?」

 

 お互いに相手に振り向き、認識するとフィリスと相手の男子たちが驚きの声を上げ、リーシャは首を傾げた。

 

 そして

 

「あっ、ハリー君や」「ハリー・ポッターよ」

「サクヤ!」

 

 いろいろと言葉を被らせて驚きの声を上げた。

 相手の名前を声にだした咲耶とフィリスはお互いに顔を見合わせ、ハリーはもう一人の赤毛の男子に袖を引かれて何かを話している。

 

「サクヤ、ハリー・ポッターのこと知ってるの?」

「うん。入学前の買い物で一緒やったんよ」

「ハリー・ポッターって例のあの?」

「…………」

 

 フィリスはイギリス魔法界に詳しくない咲耶がハリーと知り合いである風なことに驚いており、リーシャは有名人とばったり出くわしたことに驚いているようだった。そしてクラリスは珍しく眼を大きく開いて驚愕を示していた。

 それぞれに驚くところが違うようだが、ひとまず咲耶は久々にハリーと話す機会ができたことに嬉しそうだ。

 

「ハリー君、おとつい以来やね。ゆーてもおとついは話せんかったけど」

「あっ、うん……えーっと、サクヤはこれから朝食?」

 

 ほわほわとした雰囲気そのままに手を振る咲耶にハリーは少し戸惑ったような反応をしており、その横の男子は少し顔を赤くしてぽーっとしたように咲耶を見ている。

 

「そやで。あっ、せや。こちらハリー君」

「いや知ってるから」

「わたし、時々あんたの行動がおそろしい」

「天然系」

 

 友達に知り合いを紹介し忘れていた、という感じで有名人を紹介する咲耶だが、その行動にリーシャもフィリスもクラリスも呆れ気味になっている。

 

「? ああ、せやったせやった。ハリー君、こちらうちのルームメイト。フィーと、リーシャと、クラリス」

「あ、どうも。サクヤ、こっちがロン・ウィーズリー。僕のルームメイトなんだ」

 

 3人からのツッコミを受けて、そういえばハリーが有名人であることを思いだした咲耶は、ぽんっと手を打つと今度はハリーに3人を紹介した。咲耶の行動にフィリスは手を額に当てて溜息をついており、リーシャは苦笑い気味だ。

 咲耶から友人を紹介されたハリーはぺこりと頭を下げると、お返しに自分の友人を紹介した。

 

「ウィーズリー? あの双子のウィーズリーの弟?」

「えーっと、フレッドとジョージのことなら、いちおう」

 

 ハリーから紹介された赤毛の少年の名前に聞き覚えがあるらしいリーシャが咲耶にとって初耳の名前を上げて尋ねた。なんだか因縁がありそうな口調のリーシャの様子に、咲耶は小首を傾げ、フィリスとクラリスがそっと咲耶に耳打ちした。

 

「ウィーズリーの双子は私たちと同学年なんだけど、グリフィンドールクィディッチチームの代表選手なの」

「厄介なビーターコンビ」

 

 クィディッチに関する説明はリーシャから一応聞いているため、基本的な得点、終了ルールとポジションがあることは咲耶も覚えていた。

 

「今年は私も選手に選ばれるつもりだから、アニキたちによろしく言っといて!」

「え、あ、はい……」

 

 リーシャは意気揚々と選手入り宣言しているが、後輩に言っても意味がないことを誰かツッコむべきだろう。

 

「しかもホグワーツきっての悪戯好きだから、サクヤも気をつけなよ」

「巻き添え危険」

 

 昨日までに受けた注意によると、ホグワーツでは悪戯や校則違反に対して管理人・フィルチの注意が厳しいらしく、ことによっては寮監から罰則が言い渡されることもあるそうだ。

 また双子の悪戯は基本的には周囲を楽しませるものが多いが、中には(大半の標的はスリザリンだが)周囲になんらかの害を及ぼして笑いをとる場合があるらしい。

 

「へ~、そうなんか~。じゃあリオン怒らさんように注意したらなあかんなぁ」

「基本的に先生方にしかけることはほとんどないみたいだけど……」

「サクヤ、スプリングフィールド先生って怒ると怖いの?」

 

 フィリスとクラリスの注意喚起に対しての咲耶の懸念に、フィリスとハリーが問いかけた。

 まだ入学式でちらりと見ただけのフィリスやクラリスにはリオンの性格までは分からないし、一度会っただけのハリーにとっても、わずかに会話しただけなので、素っ気ない人という印象しか持っていなかった。

 

「リオン、怒ると雷落すからな~」

「雷を、落す?」

「日本の言い回し。大声で怒鳴ること」

「へ~、スプリングフィールド先生は怒鳴るタイプなんだ」

 

 咲耶の独特の言い回しにハリーが首を傾げ、クラリスがどこで知ったのか出所不明の知識で補足した。

 フィリスの見たところでは、なんとなくリオンはマクゴナガルと同タイプの、風格で威圧するタイプに見えたため、フィルチのように怒鳴ってくるタイプには思えなかったのだろう。意外そうな声を上げるフィリスだが、

 

「違うえ~。リオンほんまに雷落してくるで」

「えっ!?」

 

 ほわほわの笑顔でさらりと言ってくる咲耶に表情を凍りつかせた。クラリスやハリーもぎょっとした表情をしている。

 

「精霊魔法ってそういうこともできるの?」

「リオンやからなぁ」

 

 

 ハリーたちとの会話の後、朝食をとった咲耶たちは魔法薬学の授業へと出席した。授業ではレイブンクローとの合同授業で、地下牢のような教室で受けることとなった。

 魔法薬学の担当教師スネイプは非常に厳しい態度で授業に臨む先生だが、その内容は非常に高度で、準備をしていた咲耶も2年分の遅れが響いて知識面での不利は否めなかった。

 

 しかしクラリスやセドリックの補助、手際の良さによってなんとか事なきをえて、授業を終えた。

 

 

「ふわぁ……大変やなぁ、まほー薬学って」

 

 授業が終わり、移動している咲耶は先程の授業の内容ですでに疲労困憊となっていた。

 

 事なきをえたといってもクラリスの手をかなり借りた部分があったのだが、作業自体においては教科書から逸脱したものはなく、スネイプも咲耶の提出した課題をふんっ、と一瞥しただけで特に講評することもなかった。 

 

「いや、でも初めての授業であそこまでできたらたいしたものよ。スネイプ先生のあれは、基本状態だからスリザリン生以外は減点されないのが優秀の証明よ」

「他の寮生が加点されることはまずない。2年受けてるリーシャに比べれば優秀」

 

 少し落ち込み気味の咲耶にフィリスとクラリスはフォローの言葉をかけており、他方リーシャは魂が抜けたように放心している。

 授業内においてもリーシャは鍋を過熱させすぎて失敗してしまい減点を宣告されていた。

 

「サクヤ、随分手際はよかったけど、魔法薬作りはやったことあったの?」

「んーん。うち料理作るの好きやから、材料切ったりお鍋みたりするのは得意なんよ」

「いや、材料って……ヒルとか蝙蝠は使わないだろ、普通!」

 

 知識面はともかく、フィリスが言うように作業自体はとても初めての魔法薬学とは思えない手際だった。だが、咲耶の返答に放心していたリーシャが復活して言った。

 

「あはは。そやなー。蜥蜴を鍋に入れたんは初めてやわ」

「意外と図太いわね、この子……」

「フィーなんて最初の授業で悲鳴を上げて、大減点されたのにな」

 

 魔法薬学特有のゲテモノ材料にまったくひるまなかった咲耶にフィリスは頬を引きつらせており、リーシャはフィリスの過去の失敗を例にあげた。

 

「あれはっ! あんたが段差に躓いて私の顔に蜘蛛を投げつけたからでしょ!」

「あはは」「あははじゃない!」

「二人とも魔法薬学ではだいたい散々」

「そう言うクラリスも2年の時、授業中思いついたって暴走して、縮み薬を萎び薬に変えたじゃんか!」

「……魔法の発展研究」

「うそつけ!」

 

 なんだか過去の失敗暴露大会が始まってしまい、咲耶もあははと笑った。

 

「と、まああの科目に関してはよくできる方が珍しいから、ちょっとの失敗は気にしない方がいいわよ」

「でも闇祓いの試験には必須」

 

 ひとしきり暴露したフィリスたちは咲耶に振り返ってアドバイスを告げた。実際、5年時の試験終了後には魔法薬学が選択制になり、履修するのは全寮合わせても20人にも満たなくなるのだ。

 それほど難しい魔法薬学だが、とある役職には必要な技能らしくクラリスがいつもの無表情に戻って告げた。

 

「闇祓い?」 

「そっちにはねーの? 闇祓い?」

「闇の魔法使いを逮捕したりする魔法省の職業よ。優秀な人しかなれないの」

 

 クラリスの言ったワードが分からずに首を傾げた咲耶にリーシャとフィリスが闇祓いについて説明する。

 

「んー……闇って祓わなあかんもんなん?」 

 

 その説明に対して、咲耶が不思議そうに首を傾げると、リーシャとフィリスはぎょっとしたように咲耶を見返し、クラリスも驚きに目を見開いた。

 

「いや! そりゃ!」

「サクヤ、知らないから仕方ないけど、そういう考え方はここだと危ないわよ」

 

 驚きのままリーシャは口をぱくぱくとさせており、あまり騒ぎ立てるのはよくないと考えたフィリスはリーシャの口に手を当て、そっと咲耶の耳元で小声で話しかけた。

 

「そうなん?」

「ハリー・ポッターが倒したっていう例のあの人とか、その配下だった死喰い人とか、闇の魔法使いっていうといろいろ問題のある魔法使いのことなのよ」

 

 クラリスはなにか暗い瞳で言いたいことを堪えるような顔をしており、フィリスが闇の魔法使いに関する注意を手短に伝えた。

 

「サクヤは……サクヤたちの使う魔法にも闇の魔法があるの?」

 

 リーシャがちらりとクラリスを気遣うようなそぶりを見せ、クラリスはなにか聞きづらいことを問いかけるように、心細げに問いかけた。

 

「ん~、うちは使われへんのやけど、そういう属性もあるよ。闇とか影とか」

「属性?」

「うん。こっちの魔法にはそーゆー区別あんまないみたいやなぁ」

 

 いつもと変わらぬ咲耶の様子に、クラリスの様子も少し落ち着いたようで会話が続いた。咲耶にとって闇の属性とは、身近に使い手のいる属性の一つに過ぎず、まだ強大な魔法を教わっていないがゆえに、そのリスクなども知らないのだろう。

 

「……知らない」

「リオンが教えてくれる思うけど、うちらの使うまほーやと、色んな精霊さんに来てもらうから、そうゆう属性があるんよ」

「じゃあ、その……悪さする魔法使い、とかそれを取り締まる人とかどう言うの?」

 

 イギリス魔法族の共通認識として闇の魔法使い=悪の魔法使いだ。咲耶の認識が魔法世界側においても稀な立ち位置から形成されたものではなるが、それでも闇系統に属する魔法、闇と火の魔法、影の魔法、魔獣使役などを好んで使用する魔法使いもおり、そのような人物が賞金稼ぎや人助けをしていることもある。

 

「ん~。まぎすとろまぎ、かなぁ?」

「まぎすとろまぎ?」

「立派な魔法使いて言うて、困っとる人を助けたり、悪い魔法使いを倒したりする魔法使いのこと言うんよ」

「へー、それ職業なのか?」

 

 咲耶の説明(しかし少し間違っている)に、クラリスは真剣な表情で、フィリスとリーシャも興味深そうに耳を傾けた。

 

「んーと、一応魔法の国から免許みたいなんでてるらしわ。うちのお母様がそれなんやって」

「へー」

 

 魔法世界の国、メガロメセンブリア連合国。その議会が認定する資格として立派な魔法使いがあり、たしかに咲耶の母はその認定を受けて、世界中で活躍している。

 話しているうちに次の授業の教室、魔法史の教室についた一向は、それぞれ荷物を下ろし、授業の準備を始めた。

 

 ただ

 

「闇の魔法は……許されない魔法……」

「えっ?」

 

 ぽつりと呟かれたクラリスの言葉は授業の始まりとともに壁をすり抜けて入ってきたゴーストのビンズ先生への驚きによって掻き消えた。 

 

 

 ・・・

 

「ふわぁ……眠たーい、お腹すいたー」

「というよりあんたは寝てたでしょ」

 

 魔法史の授業は、咲耶にとって初めて受けるゴーストからの授業であり、その壁をすり抜けてくるという来室姿こそ驚いたものの、多くの生徒にとってそれは非常に眠気を誘うものだった。

 リーシャは片手で瞼をこすりながらもう片方の手でお腹をさすっており、その歩みはどこかふらついているようにも見える。リーシャの横ではフィリスが呆れ顔でツッコんでいた。

 

「リーシャ涎たれてるで~」

「えっ、うそっ!」

 

 うそや~と笑う咲耶にリーシャは怒り笑いを返している。にぎやかな一行。その中で一人沈んだ顔の友人がいることを咲耶は見つけた。

 

「クラリス、どしたん?」

「……なんでもない」

 

 咲耶はクラリスに顔を近づけ、心配そうに問いかけるが、クラリスはふいっと顔をそらして、そっけなく答えた。フィリスとリーシャもどことなく気まずそうにクラリスを見ている。

 

「クラリス。うち、なんかあかんこと言うてもた……?」

「……」

 

 そっけなくしたにも関わらず、咲耶は自分にこそ非があると心底心配したような目でクラリスをじっと見つめており、少し黙り込んだクラリスはじっと咲耶を見つめ返した。

 黒く純粋な瞳。吸い込まれそうになるほどに純粋なその黒は、なにか悪いことをしてしまったのではないかという不安の色でいっぱいだった。

 

 別に彼女が悪いわけではない。ただの考え方の違いだ。そういった違いを学ぶことが彼女にとって、そして彼女と関わる者たちにとって大切なことなのだ。

 

「ううん。サクヤはなにも悪くない」

 

 ふるふると首を振ったクラリスは、ぽすんと咲耶の胸元に顔を埋めた。

 

 

 ・・・

 

 

「おい。手が止まってるぞ」

 

 放課後。今日もまた不足分の補習を行うためにリオンの元を訪れた咲耶は、テンションの高かった昨日とは逆にどこか上の空の感じだった。

 

「うち、あかんこと言ってもたんかなぁ……」

「あ?」

 

 午後の授業は咲耶の楽しみにしていた魔法生物飼育学だったが、期待していた楽しみは咲耶の胸に湧き上がってこなかった。

 昼食時にはいつもどおりに戻っていたクラリスだが、その後の授業で彼女は古代ルーン文字学の授業へと行ってしまい、クラリスの沈んだ理由はうやむやのまま放課後になってしまったのだ。

 

 リオンも暇ではなく、わざわざ自分のために時間をつくってこの空間に入れてくれているのは分かっており、そう割り切り、ルームメイトにも補習に行くことを告げて出てきた。

 だが、小さい頃からの知り合いのお兄ちゃんがいるという状況がゆえに、ふとした拍子に気になることが口をついて出てきてしまう。

 

 沈んだ咲耶の様子がリオンにも分かるのだろう。苛立たしそうに頭を掻くと読んでいた本を閉じて咲耶に視線を向けた。

 

「口に出してすっきりするならとっとと話せ。時間の無駄だ」

 

 ぶっきらぼうな口調で促すリオンだが、わざわざ自分の作業を中断してまで自分に時間を割いてくれたこと、それは自分を気にしてくれてのことだが分かり咲耶は少し驚いた表情となった。

 

「リオンやさしーな~」

「その口縫い付けるぞ。とっとと話せ」

 

 リオンの気遣いに咲耶は少し気分が浮上して微笑を向け、リオンは傍目にはイラッとした返答を返した。

 

「うん。あんな――――――」

 

 昼にあったこと

 闇の魔法に関わること

 闇は祓わなければならないものなのか

 闇とは悪いことなのか

 

 咲耶の喋るそれを、リオンは頬づえをつきながらもじっと聞いた。全部喋り終えると、咲耶はまた少ししょんぼりとした様子で俯いてしまった。

 

「うち、自分の使うとった魔法のことも、こっちの魔法のこともよう知らんから、それで知らんとクラリス傷つけてしもたんかな……」

 

 咲耶が住んでいたのは山奥の大きな神社の一角だった。小学校にこそ通っており、学校には友達も居るにはいたが、実家の特殊性ゆえに家に呼んで遊ぶようなことも、同い年の友達の家に遊びに行くこともできなかった。

 普通の学校に通っていたがために、周りには隠し事をした。隠し事をしているという罪悪感を無意識に抱いていたのか気の置けない間柄になれるほどの友人は作れなかった。

 

 魔法学校に来て、実家から離れて寮に入って、四六時中一緒にいる友人、自分のことを隠すことなくつき合える友人ができた。

 だから、そんな自分が、友人を傷つけてしまったかもしれないことがショックだったのだ。

 

 黙って話に耳を傾けていたリオンは、沈み込んだ咲耶を見て、ふぅ、とため息を一つはいた。

 

「お前は俺とか、あの人たちのことを昔からよく知ってるから分からんだろうが、闇の魔法使いってのは基本的に魔法世界でも嫌われもんだ」

 

 リオンの言葉に咲耶は俯かせていた顔をバッと上げた。

 

「でも、リオンもエヴァさんも、ネギさんも……うちの知っとる人はみんな、大好きなええ人やもん……」

 

「俺がいい人かどうかはともかく。ネギのことがあるから今はだいぶ認識も変わってるが、一昔前あの人がなんて呼ばれていたか知っているだろ?」

 

  英雄ネギ・スプリングフィールドが闇の技法を会得していることは知る人ぞ知るものとなっており、闇の魔法といってもそれを扱う者次第だという考えはかなり広まって入る。

 だが、それでも本当の闇の魔法は危険度の高いものであることには違いはない。

 

 闇の福音、悪しき音信、禍音の使徒、童姿の闇の魔王。あの人の異名は幾つもある。そしてそれと同様に、魔法界においてリオンが立派な魔法使いに認定されることは決してない。

 それを聞いているはずの咲耶は頬を膨らませ不満そうな顔でそっぽを向き、

 

「……キティちゃん」

「縊り殺されるぞ」

 

 誰に聞いたか知らない呼び方を口にしてささやかな反抗を示した。

 

「でもでも!」

「むこうよりこっちの魔法使いの好き嫌いは激しい。そこらへんを変えるのがネギ達の仕事だ」

 

 必死に反論しようとする咲耶の言葉をリオンは遮った。

 向こうの魔法使いも、昔は闇を嫌っていた。一般人とは壁を作っていた。だがそれはかなり変わりつつある。いや変える必要があるのだ。

 だが、こちらの魔法使いにとってそれは、あちらよりも難しい。

 

 魔法の使えない一般人を見下す。一般人から生まれた魔法族を蔑む。

 純血の一族同士で嫌いあう。一般人と慣れ合う者を侮蔑する。

 

 嫌いあう立場がいくつもあり、魔法使い同士がまとまらない。それはネギたちが為すべき事のためには重大な障害となってしまう。その障害に躓けば多くの命が夢のように消えてしまう。

 

 ネギや魔法世界にいる王女様、咲耶の母、母の友人の人たち、その他大勢の人が関わる夢の計画。魔法世界と地球世界を結ぶ夢。事の大きさは聞いてはいても、実感として分かるにはまだ咲耶は幼すぎて、知らないことも多過ぎる。

 

「闇の属性に関しては、授業でもそのうちやるから、とりあえずお前はこれ以上気にするな」

「……」

 

 そのことを突きつけられたようでしゅんとした咲耶にリオンはもう一つ溜息をついた。

 

「考え込むお前より、少しくらい頭にお花畑咲いてるくらいがお前らしい」

「……それって褒めてへんよなぁ」

 

 ふいっと顔をそらして付け加えた言葉に咲耶は先程までとは違う意味で頬を膨らませてリオンを見上げた。

 

「そろそろ時間だ。出るぞ」

「はーい」

 

 席から立ち上がり、出口へと向かうリオンに、咲耶も勉強道具を片付けてその後を追った。

 1日一度開く出入り口を通ると、そこは補習のために訪れてから1時間後のリオンの部屋だった。

 

「リオン……」

「ん?」

「ありがとうな」

 

 咲耶の顔には部屋に戻る前よりも明るさがわずかに戻っており、多少無理はしているものの笑みが戻っていた。

 

「ふん。それは俺じゃなくて、部屋の扉をこじ開けようとしてるバカどもに言ったらどうだ」

「え?」

 

 咲耶の顔を一瞥したリオンはつかつかと部屋の出入り口へと近づき、扉に手をかけた。

 悪戯好きの生徒やゴーストがいることは知っていたから、異空間に行く前に部屋全体に結界を施しておいたのだ。ダンブルドアクラスならばともかく、一介のゴーストやまして生徒には到底破れるものではなく、開けられた形跡のない扉をガラリと開ける。

 

「なにをしてるガキども」

 

 開いた扉の外には3人の女生徒が逃走寸前の体勢をとっており、気まずそうにリオンを見上げた。

 

「えっと、その……」

「授業も始まってないのに質問か?」

 

 金髪の髪を後ろで纏め上げた少女、茶髪のボブカットに赤いリボンをつけた少女、ショートカットの小柄な少女。

 

「サクヤを迎えに来た」

 

 金髪の少女がなんとか言いつくろおうと口ごもっている間に、ショートカットの少女が切り出した。それに対してリオンは特に表情を変えず、相変わらず不機嫌そうに見える顔で室内へと体を向けた。

 

「お迎えだそうだ、補習生」

「クラリス……リーシャとフィーも……」

 

 リオンが体をずらした扉の隙間からひょっこりと顔を出した咲耶はそこにルームメイトの3人の姿を見つけた。

 

「へへへ」

「1時間、ぴったしだったわね」

「…………」

 

 リーシャとフィリスはいつものように笑いかけ、クラリスは少し戸惑うように顔を俯かせた後、

 

「おつかれさま、サクヤ」

 

 微笑を向けて手を差し伸ばした。

 




オリキャラ多数となっているので1章が終わったくらいで人物のまとめをしようかと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1回精霊魔法講座

 魔法世界で広く用いられている系譜の魔法、以降精霊魔法は旧世界土着の魔法とは多少系統が異なる。

 

 魔法の発動のために、魔法生物の肉体の一部を芯とした杖を必要とするこちらの魔法に対して、精霊魔法では魔法発動体は比較的自由度が高い。ただ、基本的には発動体を介して魔力を魔法にアクセスするという点では似ている。

 

 しかし一口に魔力といっても魔法世界側の視方では大きく分けて2種類に分かれる。

 

 自然のエネルギーを精神の力と術法で人に従える“魔力”

 人に宿る生命のエネルギーを体内で燃焼させる“気”

 

 どちらも万物に宿るエネルギーを用いるという点では同じだが、魔力では精神力を、気では体力を消耗することになる。

 その観点からこちらの魔法を見ると両者の間に存在しているモノであると言えるだろう。

 

 精神的な術法によって体内に宿る魔力を用いている。

 

 ちなみに、術者自身の生命エネルギーを燃焼させる気の使用は非魔法使いであっても習得している者が稀に存在し、魔法発動体を必要としないというメリットがあるが、一般的に精霊魔法ほど大規模な現象は引き起こせない。

 一方、発動体を必要とする精霊魔法は、様々な術法を介し、精霊を従わせて魔法を発動するため気よりも時間がかかり、発動体が必要となる。だが、万物に宿るエネルギーを用いることができるため術式によっては戦略クラスの大規模な魔法も可能となる。

 

 

 第7話 第1回精霊魔法講座

 

 

「―――というところから、貴様らが使っている杖を媒介に精霊魔法を用いることはできるが、基本的な材質が違う魔法発動媒体を使ってこちらの魔法を使う事はできん。ここまでで質問は?」

 

 金曜日。咲耶やリーシャたちが楽しみしていたリオンの精霊魔法入門講座ではこちらの魔法と精霊魔法の大まかな違いを説明されていた。

 

 非常に簡素なリオンの自己紹介から始まり、ひとまずの違いを述べ終えたリオンは一度区切って教室を見渡した。多くの生徒は困惑したように隣の生徒と顔を見合わせたりしている。

 

「先生。具体的に精霊、というのはどういうものなんでしょうか?」

 

 ハッフルパフ、セドリックが挙手と共に質問をして、リオンはそちらを一瞥した。

 

「いろいろだ。四大属性と呼ばれる火の精霊や水の精霊、土、大気の精霊から光の精霊のような基本属性の精霊もいるし、小物を動かす精霊や占いの精霊なんてものもいる。魔法世界ではこちらの魔法族の暮らしのように、そういった基本魔法を使って生活している。戦闘用や大規模魔法になれば難易度は上がるが、基本的にはそういった精霊を集めて使役することは変わらん」

 

 ホグワーツで教わる魔法は呪文が、杖を介して魔力を魔法に変換するため呪文が短く、直接的な言葉となるが、起こせる現象は気よりも大きいが、精霊魔法ほど大きくはない。一方精霊を介する精霊魔法は大規模な魔法も起こせるが、長い詠唱を基本とする。

 

 続けられた説明にセドリックは頷きながらノートをとった。

 

「生活に関連した魔法に差異は、まああるが、魔法自体はこちらも魔法世界も大差ない。まず最初は属性魔法を中心に行う。……と、まあ色々と説明から入ったが、やってみるのが一番てっとり早い」

 

 もちろんホグワーツで教わるタイプの魔法でも火や水に関わる魔法もある。だがそれは属性として系統立てられているわけではない。

 

「最初に教えるのは火を灯す魔法だ。個々人によって得意な属性、系統があって差があるが、ひとまず火の魔法から入るのが一般的だ……なんだ?」

「なんで火からなんですか?」

 

 座学中心の説明からいよいよ実技へと移ろうとしたリオンだが、挙手した生徒、グリフィンドールの生徒によって遮られた。

 

「導入魔法自体はいろいろな属性ごとにある。だが、神話的に火は知的技術の発生に密接で重要な役割を持つとされる。精霊魔法においては火の習得から始めること自体に意味があるんだよ。あとは単純な話、いくつかの基本属性中、火は比較的容易な魔法だからだ」

 

 一応、初等魔法から教わっているはずの咲耶は、リオンの説明になんだかほえほえとした表情で聞いており、傍で見ているリーシャやフィリスは不安感を覚えたという。

 

「他に質問がないならいくぞ……精霊魔法の呪文は基本的に二つの要素から成り立つ―――」

 

 魔法使い個々に設定する始動キーと呪文の本体

 

 始動キーの設定には長い儀式が必要となるし、魔力通路の扉の鍵となるためにその設定は極めて重要な意味を持つ。しかし個人のインスピレーションに基づいて設定するので、設定は当分先になる。

 

「サクヤも始動キーっていうのあるの?」

「うん。けど設定できるようなるまで結構かかったわぁ」

 

 リオンの話を聞きつつ、フィリスは一緒に座っている咲耶にもちょこちょこ質問をしていた。

 

「今回は初心者用共通の始動キーを使う。キーはプラクテ・ビギ・ナル、だ。火を灯す呪文は『火よ灯れ(アールデスカット)』」

 

「あれ? リオンも杖買うたんや」

 

 実践するために自分の杖を取り出したリオンだが、その杖を見た咲耶は首を傾げた。

 

「ん? 普段はあの杖じゃねーの?」

「うん。普段は指輪か、杖やったら身長くらいのでっかい杖使うてたし」

 

 咲耶の呟きにリーシャが視線を向けて問いかけた。リオンが持っている杖は、ホグワーツではごく一般的な25㎝前後のワンドだ。

 

「へー、そういう杖もあるんだ……おっ、ホントについた」

 

 実演の手本のため、リオンも初心者用始動キーと小杖を使い、軽く杖を振るいながら火を灯す呪文を唱えた。指揮棒のように流れる杖の先に加減された小さな灯りが灯った。

 

「慣れれば火力を調節することもできるが……まあとりあえずやってみろ。次回までの課題とするから、できたやつから今日の授業は終了だ」

 

「まじ!? よっしゃ、いくぞ!」

「次回までの課題……サクヤ、結構難しいの?」

 

 授業時間はまだ半分も到達していない時間。にもかかわらず終了の区切りをつけたリオンに幾人かの生徒が驚きの声を上げ、リーシャもまた張り切って杖を振るいだした。だが、その難易度の高さを推測したクラリスは咲耶に確認をとるように問いかけた。

 

「ふつうやったらここが一番大変なんよ。魔力のつかみ方とかわからんし」

「杖を介して、自分と世界とを一つにする感じ、だったわよね」

 

 習うよりも慣れろを推進しているリーシャはともかく、クラリスとフィリスは経験者の言葉とリオンの講義を思い出しながら進めようとしていた。

 

 まったく魔法を発動させたことがない者がまず最初に躓くのがここである。それは誰でもが容易に魔法を習得できないようにするためのボーダーラインのようなものであるからなのだが、少なくともここに集う子供たちは、系統こそ違えど、精神力をもって魔力を操る術を2年間学んできた魔法使いの卵たちだ。一般人が0から覚えるよりは早いだろう。

 

 だが……

 

「でねー」「でない」「灯らないわね」

 

 しばらく自由にさせておくつもりなのか、教室のあちこちで呪文が唱えられてこそいるが、まだ発動に成功した者は0だった。

 

「サクヤ~。なんかコツねーの?」

「コツ、コツなぁ……んー」

 

 ホグワーツで教わる魔法は呪文さえ正しく唱えられれば効果が不明であっても大概は発動するし、よしんば多少間違えた場合でも、間違った現象として発動することが多い。

 しかし今回のこの呪文ではまったく、誰一人として魔法的な現象を引き起こせていなかった。

 

「なかなかうまくいかないのね」

「サクヤ、やってみて?」

 

 とっかかりを求めたリーシャのみならず、フィリスやクラリスも咲耶に頼んだ。彼女たちの周囲に座っている生徒たちも、何かヒントが得られるかもと期待の目で留学生に視線を向けた。

 

「ええで~。ほな……アステ」「おい、バカ」

 

 クラリスのお願いに、それまでアドバイスのみしかしていなかった咲耶が頷き、懐から扇子を取り出した。そしてやる気満々で呪文を唱えようとして、その扇子の動きを先生に遮られた。

 

「えっ? なにすんのん? リオン……センセ」

 

 遮られた咲耶は少し不満そうにリオンに振り向き、睨み返されたことでいつもの呼び方から敬称を付け直した。

 

「お前だけ自分のキーを使うな。こっちの杖と初等用のキーでやれ」

「ほぇ? あ、ほうか、ほうか」

 

 わざわざリオンが小杖を使ったのも、問題なく発動できることを実演するためだったのだろう。そのことを思い出した咲耶はてへっと頭をかきながら小杖をとりだした。

 

 こちらの杖で精霊魔法を使うのはこれが初めて。

 それでも失敗するわけにはいかない。

 ここで失敗すれば、リオンの授業に対して不信感を招いてしまう。

 

 咲耶はいつも以上に神経を集中させ、軽く息を吸い

 

「プラクテ・ビギ・ナル、『火よ灯れ』!」

 

 呪文の詠唱と共に、軽やかに杖を振るい、見事その杖の先に火を灯した。

 

「おぉー」

「……なるほど」

「分かったの、クラリス?」

「……」

 

 ただ火を灯しただけの、ルーモスという光の呪文と大差ないものながら、それでも異なる魔法の発現に、これまで苦労していた生徒たちは感嘆の声をあげた。

 ただ、それでヒントを得たかと言うと、呪文は間違っていないということを再確認できた程度ではあるのだが。

 

 上手くできた咲耶はほっとした様子からリオンに振り向き、嬉しそうな顔を向けるが、

 

「普通ならここまでくるのに早くて一月、といったところだが、魔力の知覚と制御はそこそこできてるんだ。他の連中も早ければ来週までに発現できるやつはいるだろ」

 

 リオンは素っ気なく、視線を逸らした。

 教師と生徒。立場の違いがあることは既に何度も言われていたし、もともとこの程度のことで褒めてくれるとは思ってはいなかったが、それでもあからさまに素っ気なくされると寂しさを覚えずにいられない。

 しょんぼりしている咲耶だが、

 

「よーし。サクヤ! ちょっと私の見てよ!」

「はぇ?」

 

 ぴょんっと背後から抱きつきながらリーシャが笑いかけてきて、気の抜けた返答を返した。

 

「なーに? リーシャ妙にやる気満々じゃない?」

「まーね。なんとなくこれだったらクラリスよりも早くできそうな気がするんだ、私」

「む……」

 

 普段の授業はお世辞にもマジメとは言えないリーシャだが、この授業にはなにやら理由不明のやる気と自信があるらしく、大抵の科目で負けているクラリスを挑発するような言葉を言いながら朗らかに笑っている。

 

「そしたらクラリスより先にサクヤとおそろいだしねー」

「負けない」

 

 ウィンクを向けるリーシャに、クラリスは静かな闘気を燃え立たせており、フィリスは乾いた笑みを浮かべている。

 

「ってことで、なんかコツ教えてー、サクヤ!」

「あはは。そやね~――――」

 

 微笑みかけてくれる友人がいるから

 咲耶は淋しさが押し流されてほんのりと胸が暖かくなるのを感じた。

 

 

 ちなみに。

 結局、授業中に火を灯すことができた者はおらず、全員に要練習の課題が出された。

 

 

 ・・・

 

 

「はー。なんか疲れたなー」

「謎の疲労」

「ほんとね」

 

 授業が終わり、火を灯すことができなかった残念感を感じているリーシャたちだが、クラリスもフィリスも授業によるしんどさとは別の疲労を覚えていた。

 

「多分発動はせんかったけど魔力はつこたんやと思うえ」

「それって魔力が足りないってこと?」

 

 疲れといっても肉体的な疲労というよりも精神的な疲労のようで、咲耶の見立てにフィリスはややげんなりとした顔で尋ねた。

 

「ううん。多分精霊さんとの感応の仕方が慣れてへんからやと思うわ。……!」

「今日のが入門魔法……難しい」

「そういやサクヤはさ。どのくらいの魔法まで……サクヤ?」

 

 1年生の最初の授業でも1人くらいは魔法を成功させる者はいるが、精霊魔法において発動成功者0というのは、2年間魔法学校で学んできたという自負がある分、なかなかにショックのようで、クラリスも少し悔しそうだ。

 

 今の所、咲耶の魔法の腕前は入門用魔法は失敗なくこなせるということしか分かっていない。どのくらいの魔法を扱えるのか問いかけようとしたリーシャだが、先程まで真後ろを歩いていた咲耶が離れていることに気づいて振り返った。

 

「なにしてるの、サクヤ?」

 

 見ると咲耶は通路の端の方にしゃがみこみ手を伸ばして何かをやっている。フィリスたちが近寄ってその手元を見てみると、

 

「えへへ~。ネコちゃんや~」

 

 灰色の毛並、黄色の瞳をもつやせた猫を咲耶は撫でており、なにやらすっかり手懐けているのか、猫は気持ちよさそうに仰向けに寝転がって、咲耶の手の感触を楽しんでいた。

 

「ネコっ…、サクヤこいつ!」

「ミセス・ノリス」

 

 撫でているものが、管理人フィルチの飼いネコであるミセス・ノリスであることに気づいたリーシャが鋭い声を上げ、クラリスの眼も無表情のものからさらに冷たさを増したようになった。

 気持ちよさそうにしていたミセス・ノリスはリーシャの大声に気分を害したようで、ぶすっとした顔になると咲耶の手から逃れて去って行った。

 

「あ~ん、行ってもた」

「行ってもた、じゃない!」

「サクヤ、誰かにあの猫のこと聞いてないの?」

 

 去って行った猫を見送りながら咲耶は物寂しそうにしており、生徒の天敵とも言うコンビの片割れとじゃれていた咲耶にリーシャとフィリスは呆れを滲ませた。

 

「誰かの飼いネコなん? 野良ちゃうよな?」

 

 小首を傾げている咲耶の様子に、フィリスは額に手を当てて頭痛を堪えており、リーシャもがっくしと肩を落した。

 

「なわけないでしょう……」

「ミセス・ノリスはフィルチの猫」

「ノリスちゃん?」

「ちゃんはいらないって!」

 

 事情を知らなそうな咲耶にクラリスが平坦な口調で説明をしているが、あまり好きではないらしいということは分った。リーシャに至ってはあからさまに嫌っている。

 

「随分懐いてたみたいだけど、いつの間に手懐けたの、サクヤ?」

「リオンのとこから帰る途中で会うたんよ」

 

 咲耶がホグワーツに編入してから数日。1,2年分の知識量に乏しい咲耶はほかの生徒とは異なり、各教科から大量の追加課題を出されていた。

 そのため放課後になると咲耶は、監督官であるリオンの部屋を訪れて学習をこなしていた。先日は迎えに行ったが、だいたいは咲耶が一人で往復している。どうやらその途中で知らずに手懐けたらしい。 

 

「だからってなんで、ノリスとなんか……」

「ネコ見るとリオンみたいでほっとけへんのよ」

 

 自由を愛する生徒にとって忌々しい限りのネコと、知らなかったとはいえ友人が親しくしていたことに顔を顰めるリーシャだが、咲耶はのほほんとした調子のままだ。

 

「スプリングフィールド先生?」

 

 咲耶の言った言葉にクラリスが首を傾げる。彼女たちがリオンと直接会ったのは今日が初めてと言えるだけに、到底その性格を把握することはできない。しかし、(ノリスを除いた)ネコとリオンの関連性が分からずフィリスたちも疑問顔だ。

 

「リオン、昔っからふらーっとうちに来た思たらすぐ居らんくなってなぁ。つーんとしとるけど、すっごい寂しがりのとことか、ネコみたいで」

「……」

 

 たしかに普通のネコならばそうだろう。思わず先ほどノリスにしていたように、仰向けに寝転がっているスプリングフィールド先生のお腹を嬉しそうに撫でる咲耶の姿を想像して、3人の友人は固まる。

 

「まぁ、こんなん本人に言うたらめっちゃ怒るんやけどな~」

「あ~、なんかそっちは想像できるな、うん」

 

 もっともリオン本人はネコに例えられていることなど知らないようで、今日の授業態度を見るに、魔法薬学の担当であるスネイプ先生と同系統の、怒らせると怖いタイプであることはよく分かった。

 

「あのね、サクヤ。ミセス・ノリスが校内をうろついてるのは校則に違反した生徒がいないか見張るためなの」

「ミセス・ノリスの前で少しでも校則を破ればすぐにフィルチがとんでくる」

「そーそー、まぁ、だいたいいつもグリフィンドールのウィーズリーの双子を追い掛け回してるけどな」

 

 校則、といってもそれは夜間に寮を抜け出すことや、休み時間中の廊下での魔法の使用、生徒間の私的な決闘のように明確に意思をもっての違反もあれば、たとえば段差の消える階段に捕まって授業時間が遅れそうになり、廊下を走ったということまでフィルチにとっては処罰の対象になる。

 基本的にあの猫はフィルチの言うことしか聞かず、また多くの生徒に飼い主ともども嫌われているため、可愛がっている姿をほかの生徒に見られると咲耶まで嫌な目で見られかねない、ということを友人たちは注意した。

 

「そっか~……」

「ネコと遊びたいなら、寮で誰か飼ってた気がするから、そっちと遊びなさい」

 

 友人たちが自分を思って注意してくれていることだけに無視はしがたい。だが、基本的に可愛いもの、動物が好きな咲耶は、せっかく見つけた癒しの対象から引き離されてしょんぼりとしてしまった。

 フィリスたちも咲耶をしょんぼりとさせることは本意ではないのだろう。代替案を提示した。

 

「寮にも居るん!?」

「一応、校則では、ネコ、フクロウ、カエル、ネズミなんかはペットとして認められてたから」

「まあ、大体のやつはフクロウってのが多いよな」

 

 フィリスの提案に咲耶の顔がぱっと明るくなり、フィリスとリーシャは苦笑を咲耶に向けた。

 

「ネコを飼ってるのは、ハッフルパフの3年ならルーク」

「るーく君?」

 

 クラリスも友人の癒しの提供のために、寮内に生息するネコの飼い主の名前をあげた。覚えることが多すぎて、全員の顔と名前が一致するまで時間がかかっているのだろう、咲耶が首を傾げた。

 

「セドリックのルームメイトよ」

「あー、あいつなー」

 

 フィリスは記憶のとっかかりになりそうな情報を伝え、リーシャはライバルの名前がでてきたことで思い出したようだ。

 

「へー、そっかぁー」

「ネコもいいけど、こっちも撫でてほしそうにしてるわよ、サクヤ」

「……」

 

 放課後の楽しみが増えたからだろう、嬉しそうな顔でクラスメイトを思い浮かべようとしている咲耶に、フィリスはクラリスをちらりと見ながら言った。

 

「おおきにな~、クラリス」

「……うん」

 

 咲耶はにこにことした顔でクラリスの頭を撫で、フィリスに余計なことをという視線を向けていたクラリスは一転、嬉しそうな表情で頷いた。

 

「サクヤはなんか動物飼ったこととかねーの?」

 

 にやにやとした視線をクラリスに向けていたリーシャは、クラリスからの上目遣いの睨みを受けて肩を竦め、話をふった。

 

「うん。動物は好きなんやけどないんよ。でも知り合いにカモくんっていう、かわええオコジョがおってな。うちも飼いたいんよ」

「オコジョ?」

 

 咲耶は手のひらで20㎝くらいの幅をつくって、こんくらいの。とサイズを示しながら、知り合いのおじちゃんが飼っているマスコットキャラを思い出して微笑んだ。

 

「オコジョ妖精言うてな。真っ白いオコジョでしゃべるんよ」

「……喋るの?」

 

 ♡マークでも飛んでいそうな感じで嬉しそうに語る咲耶だが、なんだかいろいろスルーできないワードが混じっており、フィリスは尋ねた。

 

「うん。頭もようてな、近くの人の恋愛感情が分かるらしいんよ。それでな――――」

 

 

 異文化交流というのは面白い。

 この日、フィリスたちは、魔法世界には恋愛感情を読み取るしゃべるオコジョがおり、そのオコジョはなにやらキスを勧めてくるという謎の生態を知ることができた。

 

 

 ・・・

 

 

「……終わったぁ~」

「……よし」

 

 放課後。いつものようにリオンの部屋を訪れていた咲耶は出されていた課題を片づけて声を上げた。

 課題が終わってぐーっと伸びをする咲耶の手元を一瞥し、リオンもとりあえずの終了許可をだした。リオンの合図を受けてだろう、この空間、別荘の管理を任されているドールがすっと咲耶に紅茶を差し出した。

 

「えへへ」

「なんだ、にやけた顔して」

 

 差し出してきたドールにお礼を言って受け取った咲耶は、出されたお茶を見てから嬉しそうな顔をリオンに向けた。

 

「リオンが珍しく、お茶出してくれた思うて。今日の授業のご褒美?」

「……出したのは俺じゃない。あの程度で褒美なんぞだすか」

 

 水分補給のために水やオレンジジュースをドールが出してくることはあるが、リオンの所蔵している紅茶をだしてくることはあまりない。

 笑顔を向けられたリオンはふいっとそっぽを向いて否定するが、ここのドールは完全にリオンの支配下にあるため、主の許可の下りたこと以外の行動はとらない。

 

 褒美ではない。ということは嘘ではないのだろう。つまり課題に追われた平日がようやく終わり、週末に入ることへのねぎらいのようなものだろう。そう納得した咲耶は、それでも嬉しそうにカップに口をつけた。

 

「うん。おいしーわ」

 

 リオン自身はこちらの魔法界の魔法書を読んでおり、そっけない態度だが、ねぎらってくれていることにほっこりとした思いを感じ、素直にお茶を楽しんだ。

 

「なぁなぁ、リオン」

「なんだ」

 

 自分は休憩に入っているが、リオンは勉強中かもしれない。確認のために問いかけるとちゃんと返事が返ってきて、本から視線を上げた。本に集中していたら話は聞いてくれても顔を上げることはない。リオンのその癖をちゃんと覚えていた咲耶は、おしゃべりの許可が下りたと判断した。

 

「リオン、なんか動物飼えへんの?」

「動物? なんだいきなり?」

 

 学校生活を報告する義務はないが、咲耶は楽しそうに昼間あったことを咲耶に伝えた。

 

「使い魔なんぞ別に必要だと思ったことはない」

「使い魔ちゃうって、ペットやって。カモ君みたいなんおったら、かわええやん」

「あんなエロオコジョ、ペットでもほしいとは思わんが……」

「ええやんカモ君。ペット居ったらリオンも和むえ?」

 

 根本的に両者の動物を飼うことに対する認識のズレがあるようだが、咲耶はペットを飼うことによる癒し効果を熱弁を振るって説明した。

 

 特に和みを求めているわけではない闇の魔法使いは、ペットブームに入ったらしい咲耶をそっと放置しようとして、

 

「イージャネーカペット。暇潰シノ相手ガデキルゼ」

 

 ペットを飼えない理由でもある、物騒なお下がり品に視線を向けた。

 

「チャチャゼロもそう思うよな!」

「貴様は単に狩る獲物がほしいだけだろう」

 

 話しかけてきたのは、リオンが持つには不似合いな見た目だけは可愛らしい、小さな人形、チャチャゼロだ。

 

「オマエラガ居ナイ間、結構暇ナンダゼ?」

「なら今度古本でも置いておいてやろう」

 

 チャチャゼロは本来彼の所有物ではない。

 独り立ちする際に厄介払い、もとい独立祝いとして母から送られた魔法使いの従者だ。もっとも独り立ちしてから、これを必要とするほどの相手に出会ったことはおらず、リオン自身の戦闘スタイルも従者を必要としないため、実質ただの動く生意気人形となっている。

 

「ペットガ欲シイナラ、代ワリニオレヲ連レテケヨ」

「えっ! ええの!?」

「ふざけるな。貴様なんぞを持たせられるか。だいたいお前なんぞで誰が和むか」

 

 そんなわけで取扱いに苦労する相手ではあるのだが、仮にも大魔法使いである母からの贈り物。処分することもできずに世界中を連れて歩いているのであった。

 チャチャゼロも、大昔のマスターとは異なる、今のマスターが嫌いではないが退屈を感じているのだろう。咲耶に提案すると、思いのほか食いつきがよく、しかし即座にマスターからの反論が飛んだ。

 

「えー、そんなことあれへんよ。ほら、こーして抱くと……」

「ケケケ。イイマスコットダロ?」

「……言っとくが、寮には酒はないぞ、チャチャゼロ」

 

 見た目的に、和風の咲耶と洋風のチャチャゼロ。和洋の違いはあるが、たしかにリオンが持っているよりもよほど映えるのは間違いない。だが、チャチャゼロは何も咲耶の護衛のためにとかではなく、純粋に暇つぶしの意味合いしかもっていないのだ。

 

「ナンダ、ネーノカヨ」

「大人しくしてろ」

 

 好物の酒がないことを告げるとチャチャゼロは、咲耶の腕の中からぴょんと抜け出すとつまらなそうに去って行った。

 チャチャゼロを連れて行くことは本気ではなかったとはいえ、とことこと去っていくチャチャゼロを見送る咲耶の顔は少ししゅんとして見え、リオンは溜息をついた。

 

「そんなにペットが欲しいなら、夏休みにでも買えばいいだろ」

「ええの!?」

 

 規定上問題はないし、その程度のことならばいちいちジジイに確認をとるまでもない。そう判断して軽く言ったつもりなのだが、予想外に咲耶の食いつきはよかった。

 

「俺が飼う訳じゃないし、好きにすればいい」

「うん!」

 

 嬉しそうな咲耶の顔を見ながら、今日もまたホグワーツでの一日が終わりを迎えた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

飛行訓練

「えっ! サクヤ、箒で飛んだこと無いの!?」

「うん。昔リオンの杖に乗せてもろたことはあるんやけど、自分では飛んだことないんよ」

 

 初めの1週間が終わり、2週目も半ばを過ぎたあくる朝、寮の掲示板に貼られた1年生の飛行訓練のお知らせを見て言った言葉にリーシャが驚愕の表情となった。

 

「そういえば得意じゃないって言ってたわね」

「サクヤ。スプリングフィールド先生は箒じゃなくて、杖で飛ぶの?」

 

 あらあらといった風に顎に手をあてるフィリスは歓迎式の時のことを思いだし、クラリスは咲耶の言ったちょっとした言葉の違いに反応した。

 

「うん。リオン普段はおっきい杖もっとるから、箒やのうて杖に乗るらしいえ」

「なるほど」

「しかしどうしたもんかな……」

「スプラウト先生とフーチ先生に言ったら、練習場の許可下りるんじゃないかな?」

 

 飛行訓練は基本的に1年生のみの授業だ。自由時間に練習することはできるが、クィディッチのシーズンが始まってしまえばそうもいかない。幸いにもまだシーズンは始まっておらず、本格的に練習を開始しているチームもない。

 飛ぶことの楽しさを教えることが吝かではないリーシャはどうしようかと首をひねっていると、4人の背後からセドリックが提案してきた。

 

「よし! それじゃあ週末。サクヤの飛行訓練やろうぜ!」

「うん! ありがとうな、セドリック君。リーシャもよろしゅうおねがいします」

 

 セドリックの提案にリーシャが嬉しそうに練習をもちかけ、咲耶はぺこりと頭を下げた。

 

「なになに、飛行練習すんの? セド。俺も混ぜてくんね?」

「僕が決めてるわけじゃないよ、ルーク」

 

 予定を立てて楽しそうにしている4人組を微笑ましげに見ていたセドリックに別の男子が声をかけてきた。

 

「あ、ルーク君」

「おいおい、なんでセドリックが来ることになってんだよ」

 

 セドリックの飛行技術は認めているが、それでもライバルの参加が規定事項のことのように言う男子、セドリックのルームメイトの、ルークの言葉にリーシャが口をとがらせた。

 

「いいじゃん。一番箒に乗るの上手いのセドだし。それにほら。俺とサクヤはネコ好き同盟だし、な?」

「えへへ~、いつもお世話になってます」

 

 寮の3年でネコを連れてきている者は実はそう多くない。ルークの飼い猫リアは咲耶にとって貴重なオアシスの一つだ。ミセス・ノリスとの件を気を付けるように言われた咲耶は、早速翌日からリアと戯れていた縁でルークと知り合ったのだった。

 

「くっ、ネコをダシにつかうなんて……」

「姑息」

 

 すっかり懐柔されている咲耶の様子にリーシャとクラリスは悔しげな表情となっており、フィリスやセドリックは苦笑いを浮かべている。

 

「あはは。まぁ、僕でよければ手伝わせてほしいけど、どうかな?」

「まあ、セドリックが居た方がいろいろ指摘できるでしょうし、いいんじゃない?」

「くっ! 今年こそは必ずチーム入りして……」

「どのみちリーシャの教え方で覚えるのは無理」

 

 以前留学生と関わりたい、と言っていたようにセドリックもどうやら飛行訓練の参加には乗り気らしく、控えめに提案し、フィリスは肯定的な返事を返した。

 リーシャは少なくとも地位的には、クィディッチチームを落ちた自分よりも、選手であるセドリックの方が上であることを悔しそうに認め、クラリスは追い打ちをかけている。

 

「そしたら、みなさん。土曜日、よろしゅうおねがいします」

 

 

 第8話 飛行訓練

 

 

 土曜日

 

 

「あれ? ハリー君や、やっほー」

「サクヤ?」

 

 咲耶の飛行訓練のため、フーチの監督のもとクィディッチ競技場の使用許可が下りた咲耶たちは練習に訪れていた。そこで出会ったのはハリーとグリフィンドールの男子生徒だった。

 

「なっ!? なぜここにいるんだ! 練習場の申請は僕たちが出している! チームの秘密兵器の練習のために!!」

「ウッド。使用許可は出しましたが、申請は彼女たちの方が先で、そのことはあなたが申請を出しに来た時にも伝えたでしょう」

 

 がっしりとした感じの体躯の男子は、他寮の生徒と出くわしたのが嬉しくないのか怒鳴るように食いかかろうとしてフーチの制止を受けた。

 

「あかんかったんですか?」

「申請出した時は、誰も使用申請出してなかったから大丈夫よ、サクヤ」

「ええ。別にウッドたちも、まさか、競技場の全部を二人で使おうとは考えていないでしょう」

 

 先輩と思しき生徒の反発に咲耶は少し不安そうにフィリスたちに振り返り、フーチもウッドを嗜めるように言った。

 

「いえ、それは、しかし……はい」

 

 ちらちらとセドリックの方に視線を彷徨わしたウッドはがっくりと肩を落して頷いた。

 

「よろしゅうな、ハリー君」

「あ、うん。サクヤもクィディッチの練習?」

 

 なんとか同意が得られた咲耶は嬉しそうにハリーに手を振り、ハリーも少し嬉しそうに問いかけた。

 

「ううん。うち箒で飛んだことあらへんからその練習」

「えっ? そうなの?」

 

 教科書を見ながらなんとかなる部分やある程度の監督ならリオンにもできるのだが、せっかく友達が教えてくれるというのならそれを拒否する気は咲耶には無かった。

 

「うん」

「サクヤ。彼らはクィディッチの練習で来てるみたいだから、あまり邪魔はしないように……」

「あれ? そういや1年は箒の持ち込み禁止じゃなかったっけ?」

 

 ハリーと話し込み始めた咲耶にウッドがいらいらとした視線を向け始めたのを感じたフィリスは二人から離れようと言いかけて、リーシャによって阻まれた。

 咲耶も持って来ていないが、本来1年生の箒の持参は禁止されている。しかしハリーの持っている箒はどう見ても咲耶が手にしているような学校所有のボロい箒ではない。

 

「彼は特別です。マクゴナガル先生から許可が下りていますから」

「フーチ先生。その、あまりこのことは……」

 

 どうやら先ほど言っていた秘密兵器というのはハリーのことらしく、事情を話してしまいかねないフーチにウッドが顔をしかめながら進言した。

 

「そうですね。それではコノエたちはあちらの方で練習しましょう。さあ!」

 

「ほななー、ハリー君」

「うん。またね」

 

 せめてもの抵抗なのか、ウッドはハリーを連れて咲耶たちから最も遠い位置まで移動して練習を再開した。

 リーシャたちも他寮のチームの練習の邪魔をする気はないので、素直に離れた位置で準備を始めた。

 

「しかし、流石はハリー・ポッターってことか? 1年でクィディッチチームに入るなんて、前代未聞じゃね?」

「いや、たしかかなり昔にあったらしいけど……マクゴナガル先生が許可したってことは、相当やり手なんだろうね」

 

 ただ、やはり規則を逸脱してまで参加を許可された有名人には、ルークとセドリックも興味を抑えられないようで、準備をしつつも話題はハリーのことだった。

 

「持ってた箒、あれニンバスだったしな~」

「にんばす?」

 

 リーシャは先ほどハリーが持っていた、本来は持ち込み不可のはずの1年生のマイ箒に興味があるようだ。

 

「箒の種類よ。ちなみにリーシャの持ってるのはクリーンスイープで咲耶の持ってる学校のはシューティングスターよ」

「ニンバス2000だったら、最新式だね」

 

 フィリスから箒の種類の説明を受ける咲耶だが、あまりよく分かっていないようでポカンとした表情で首を傾げて飛び交う謎の単語を聞いていた。

 

「ほらほら、そろそろ練習しましょ。サクヤがついてけなくなってるわよ」

「あっ! サクヤ、ごめんごめん」

 

 フィリスの声で肝心の咲耶を置いてけぼりにしていることに気づいたリーシャたちが慌てて視線を戻して、ようやく練習へと入った。

 

「それじゃあ、まずは箒を地面において」

「は~い」

 

 教え役筆頭に任じられたセドリックの指示に従って咲耶は箒を地面において準備を整えた。

 

「右手を前に出して―――」

 

 

 セドリックの指導を中心に、箒の上げ方、握り方、落ちにくい跨り方を教わりひとまず実践してみようという段階となった。

 

 

「飛ぶんに術式とかいらへんの?」

「基本的に箒に魔法がかかってるから乗り手はコントロールをするのが中心だよ」

「箒によっちゃ落下防止の魔法がかかってたり、飛び方にクセがあったりするんだよ」

 

 精霊魔法における飛行では飛行のための術式に落下防止の術式、認識阻害の術式と飛行においても複数の術式を同時展開するのが基本だが、こちらの魔法では基本的にそれがない。

 セドリックとリーシャの説明にこくこくと頷きながら飛ぶための準備に入った。

 

「サクヤの持ってるシューティングスターは結構古いから変なくせとかあると思うわ。あんまり高く飛ばないで低めでコントロールするようね」

「はいな」

 

 フィリスの言う通り、咲耶が借りている箒は尾の部分がばらばらで整っておらず、古いものであることが一目瞭然だった。

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 ちょうど金と赤とが半々ほどに混じった色合いの髪のリオンが塔の高台から外を見下ろしていた。

 視線の先は遠く、目視ではただ虚空が広がるのみだ。

 

「……聞きたいことがあるなら、いい加減陰から眺めてるだけじゃなく喋ったらどうだ?」

 

 ただ一人しかいなかった蒼天の下、不意に口を開いたリオンの言葉に反応するように、物陰から影のような男が姿を現した。

 

「……聞けば答えるのか、リオン・スプリングフィールド?」

「さて、な。気が向けば答えてやらんでもないぞ? セブルス・スネイプ」

 

 土気色の顔色の中、警戒と猜疑心とを秘めた瞳がリオンを見つめ、リオンはそれに対して鼻で笑うような笑みを浮かべて返した。

 

「貴様は……何者だ」

 

 スネイプの言葉にゆっくりと振り向いたリオンはスネイプと視線を合わした。

 覚悟のある瞳。闇にありながら、暗闇を進むのではなく、決意した何かに向かおうとする瞳がそこにはあった。

 

「貴様からは、闇の気配がする。ここには何をしに来た?」

 

 リオンがここに、ホグワーツに来てから幾人かの教師が彼を警戒しているのは知っていた。中でも最初に出会ったこの男の警戒心は他よりも圧倒的に強く、警戒していた。

 

「ふん。忙しいことだな、貴様は。闇に光にばたばたと。こちらは平穏と聞いたが飼い鳥のようにのんびりと過ごすのは性に合わないのか、蝙蝠には?」

「……貴様!」

 

 スネイプの問いに答えず、揶揄するようなリオンの言葉にスネイプの瞳が危険な色に染まる。

 

 リオンや生徒には知られていないことがホグワーツにはある。特に今年は彼以外の教師によって編まれた防衛陣がホグワーツには秘されているのだ。

 

 あるモノを狙う闇の勢力から、内外に潜む敵からそれを守るために。

 

 それのために動いているスネイプはリオンの言葉に、その身から漂う闇の気配に、臨戦態勢で構えた。

 

 しばし、スネイプの苛烈な睨みとリオンの愉しむような視線が交わり、二人の魔法使いが対峙した。

 

「……平穏など、一時の仮初に過ぎん。闇はまだ消えてなどいない。消えることなどありえん」

 

 再び口を開いたのはスネイプだった。

 

 イギリス魔法界においてこの10年は平穏な安定期と言えた。台頭していた闇の勢力が解体し、生活を脅かしていた死喰い人の多くは逮捕され、“操られていた”魔法使いも正気を取り戻した。

 国内が治まり、ようやく国外の、世界外の魔法勢力とも交流を持ち始めようとしていた。

 

 だが、彼はそれが仮初であることを知っていた。闇の印をその腕に刻むその男には、まだ闇が消え去っていないことを誰よりも確信していた。

 そしてそれは、この学校の長であるあの人も同じだった。

 

「貴様がいくら見つめようと、光は闇を求めはしない。貴様が見ているあの娘は、貴様とは違う」

 

 だからこそ、なぜそこにこのような男を招き入れたのか理解できなかった。

 

 あの少女はいい。

 ただ光しか知らないように笑う少女。個人的にその思考は唾棄すべき思いを抱かないでもないが、あの少女は間違いなく闇ではなく光に属する者だ。

 

 極東における古来からの魔法組織の長の孫娘。魔法世界とも関わりをもつ留学生。

 イギリス魔法界の発展のためにも必要であることは、政治家でないスネイプにも分っている。

 

 だが、目の前のこの男は違う。

 この男は闇に属する者。

 自分と同じくらいに、いや、もしかすると自分よりもなお深く、かの闇の帝王に匹敵するほどに深い、闇の気配を身に秘めている。

 

「それは経験則か? 闇の魔法使い」

「…………」

 

 この男があの少女を気にかけているのは見ていれば分かる。先ほど虚空を見つめていたように見えて大方、遠見の魔法などを使って気にかけていたのだろう。

 

 揶揄するようなリオンの口調にスネイプの視線の強さが増す。

 

「闇の中で、泥にまみれ、それでもなお光を求めたいのか?」

 

 だが、その頑なな戦意は、リオンの一言で揺るがされた。

 

 闇がいくら光に焦がれても、光は闇を求めない。

 闇が光のまねごとをしても、それは何も生みはしない。10年前にそれは身に染みて分かっている。

 

 あの瞳が欲しかった。あの瞳が自分を見てくれることを願っていた。

 

 だが、この身に流れる血は、彼女に流れる血は、それを許さなかった。

 

 いや、もっと早くに気づいていれば、気づけていれば、あるいは違っていたのかもしれない。

 しかしもはやそれは還らない。

 せめてと願った思いは砕かれて、残ったのはたった一つの光。

 

 憎むべき光だけが、その愛すべき色を残しているのだ。

 

「若造が。何を知ったような口を! ……!?」

 

 ぎしりと奥歯を噛み締め眼前の闇の魔法使いを睨みつけた。スネイプのその視線は揺らぐものではなかった。しかし、

 

 

 一瞬のうちに目の前の男は消え失せた。

 

 

「あいにくと、ただ光しか認められぬくだらんヤツに興味はない。だから、まあ貴様の大事に“憎んでいるもの”には手は出さんさ」

 

 次に近くしたのは肩に手を置かれ、すれ違うような立ち位置から声をかけられた時だった。

 

「キサッ……!!!」

 

 肩に置かれた手を振り払うように腕を振り、激高したように振り返るスネイプだが、そこには既に何者もいはしなかった。

 

 

 

 ・・・

 

 

「おお! 大分できてきたじゃんサクヤ!」

「えへへ。空浮かぶん楽しーなぁ」

 

 しばらくの練習の後、咲耶は見事箒を使った飛行魔法を成功させ、宙に浮いていた。その横を並走するリーシャは、特に危なげなく飛んでいる咲耶に笑みを向けた。

 

「うん。サクヤのみ込みいいよ。結局ほとんど僕が教えることもなかったしね」

「いやいや。ご指導、おおきにありがとうございます」

 

 反対側を並走する教師役、セドリックの言葉に咲耶はぺこりとお辞儀してお礼を述べた。

 

「よっし! サクヤ、最後はあそこの柱まで競争しよう!」

「はぇ?」

「はは。よし僕が受けよう!」

 

 楽しげな顔のリーシャが練習のシメを呼びかけ、セドリックもまた乗り気となった。

 真ん中にいる咲耶は左右に顔をふり、

 

「あーん、待ってよ~」

 

 左右の二人が微笑んだ瞬間、二人は猛烈な加速によって咲耶を置いてけぼりとした。慌てて咲耶も加速するが、出だしが遅れたことに加えて箒捌きや箒の性能が違うこともあって、どんどんと距離は離された。

 リーシャが指示した柱のとこまで到着したのは二人に暫く遅れてのことだった。

 

「二人とも早すぎやぁ」

「はは。ごめんごめん」

 

 到着順位はセドリック、リーシャ、だいぶ遅れて咲耶だった。悔しがるリーシャを宥めつつ、三人は地上で待っていたクラリスたちの下に戻った。

 

「うん。これだけ乗れればばっちりじゃない、サクヤ」

「ええ、基本的なことはちゃんとできています。あとはどれだけ箒に馴染めるかですが、今日はもう十分すぎるほどでしょう」

「ありがとうございます、フーチセンセ。みんなもおおきにな」

 

 地上に戻ってくると、フィリスやフーチもまた咲耶の飛行魔法に合格点を出した。

 

「さて、それでは片づけをして、終わりにしましょう! さあ!」

 

 頃合いとなったことでフーチは練習の終了を告げ、ハキハキとした調子で手を打ち慣らして片づけを促した。

 

 箒を片付け、最後にちらりとハリーの方を見ると、そちらではゴルフボールを使ってキャッチングの練習をしており、咲耶よりも何倍も素晴らしい箒捌きで空を駆け、次々にボールをキャッチしていた。

 

 

 寮へと戻ってきた一同は談話室へと集まり、

 

「さてと、サクヤの練習も終わったことだし……遊ぶか!」「精霊魔法の練習をしましょうか」

 

 腕を伸ばしたリーシャと、杖を取り出したフィリス、二人が同時に次の予定を口にした。

 言葉がかぶり、しかし方向性が真逆な二人は、互いに顔を見合わせて主導権争いをしている。

 

「どないしよか?」

「サクヤ、疲れてない?」

 

 咲耶としては、友人と過ごせればどちらでも構わないと思っていたため、ほわほわと微笑んだままクラリスに問いかけた。クラリスは先程まで飛行練習を頑張っていた咲耶を気遣った。

 

「うん。うちは大丈夫やえ。これでもリオンに鍛えられたこともあるもん」

「僕としてはできれば、せっかくの機会だから精霊魔法の練習をしたいな」

「あっ、俺もサンセー。この間の授業の終わり、スプリングフィールド先生の終わり方からすると、今度の授業までに成功率高めとかないと、すっげえ怖ぇえし」

 

 魔力的にも体力的にもまだまだ余裕があることを咲耶が告げると、セドリックとルークはフィリスの勉強案に一票を投じた。

 

「と、言うことで、今度はうちがセンセー役やらしてもらうことになりました」

「よろしく、サクヤ~」

 

 結局、勉強4、遊び1、中立1で咲耶の精霊魔法講座となった。リーシャも座学ならともかく、咲耶の実技講座ということで素直に参加している。

 

「言うてもお手本見せるくらいしかできへんのやけどね」

「それでもありがたいわ。全然勝手が違うから、手ごたえがまるで分からないもの」

 

 今週で精霊魔法講座は2度目。初回の授業では咲耶を除いて誰一人発動することはできなかった火を灯す魔法だが、2度目の授業では数人の生徒がかろうじて火花らしきものを微かに散らすことに成功していた。

 

 本来ならばそれほど早くに、微かとは言え発動するものではない。だが、魔法学校で魔力制御を習っているが故に一般人が0から習得するよりも早かったのだろう。

 またばらつきがあるのも、精霊魔法に興味のある生徒の自己努力によるところもあるのだろうが、魔力制御の得手不得手が生徒によって分かれていることや、発動した生徒の得意属性が火属性よりなのだろうということだった。

 

 咲耶のクラスでは、グリフィンドールのウィーズリー兄弟や他数人。ハッフルパフではなんとリーシャがいの一番に微かながら発動させたことで寮に動揺が走ったりしていた。

 

 

 幾度か手本に火を灯す呪文を見せながら、時折アドバイスをしながら5人の精霊魔法を見た。

 

 

「灯れ!」

「うーん。もうちょい力抜いて軽く振ったほうがええよ~」

 

 リーシャのやや力のこもった呪文は、一応成功したらしく、杖の軌道に合わせて赤い光が微かに走った。

 

「ちょい休憩しよか~」

「やっぱり難しいね」「サクヤは簡単そうに出してるのになー」

 

 流石のセドリックも不慣れな魔法の連続使用には精神的にくるようで、疲れを色濃くした顔で休憩に入った。ルークもまた大の字で椅子の背もたれに腰掛けるようにして伸びをした。この二人は前回の授業中にこそ発動できなかったものの、その翌日には小さな火花を散らすことに成功しており、今も成功率は低いながら、幾度か明確な火を灯すことができていた。

 

 咲耶は休憩に入り、しかし悔しそうにじっと自分の杖を睨んでいるクラリスの姿に気づいた。

 

「そんな気にしたあかんえ、クラリス」

「……リーシャはできてるのに……私だけ火が灯らない……」

 

 5人の中では比較的優等生のクラリスが最も苦戦しており、リーシャの火は目視できるレベルであるのに対し、ようやく微かな煌きがでるかでないかというところだった。

 

「うちかて最初はものすご時間かかったし、数日でできるようなった方がびっくりやわ」

「まあそう言われればそうなのかもしれないけどね……」

 

 しょんぼりとした様子のクラリスの頭を撫でながら慰める咲耶を見て、リーシャよりも成功率の低いフィリスもまた複雑な表情を向けた。

 

「多分リーシャ、火の精霊さんと相性ええんとちゃうかな?」

「……」

 

 優しい声をかけられたクラリスは、悔しげな視線をリーシャに向けつつも、少しは納得したようだ。 

 

「へー、私は火か~。あ、そだ。サクヤはなに得意なの?」

「あっ。たしかにそれ気になるわね」

 

 自分の得意属性が早々に判明したっぽいリーシャは嬉しそうな顔で、咲耶に問いかけた。フィリスも気になるらしく、セドリックやルークも身を乗り出して戻ってきた。

 

「うち? んー、うちは一応、光と風かなあ。あと花精も得意やと思う」

「花精? って、どんなのができるんだ?」

 

 咲耶の返答にリーシャはなんだか一風変わった属性に興味が惹かれたのか目がキラキラとし出した。見ればクラリスも聞きたそうに咲耶を見上げており、咲耶は苦笑して、どう答えるべきか考えた。

 

「んーっと……そや! ちょいじっとしとってな」

「?」

 

 なにか思いついたのか、咲耶は自分の本来の魔法発動体である扇を取り出した。不思議そうに見るリーシャたちの前で咲耶は扇を少し開いて風を送るように呪文を唱えた。

 

「アステル・アマテル・アマテラス。花の香りよ。仲間に元気を、活力を、健やかな風を」

 

 ―レフエクテイオー(活力全快)

 

「うん?」「なに?」

 

 送られてきた風がクラリスたちを包むと、なんだか疲れていた体がほんの少し軽くなったような気がして、だるかった頭がすっとしたように感じられた。

 

「なんの呪文だったの?」

「えへへ。気分がすっとする魔法」

 

 魔法の効果はなんとなく察しがついたが、興味を持ってフィリスが尋ねると咲耶は微笑みながら答えた。

 

「うち、こういう回復系の魔法が得意なんよ」

「へー、すごいな」

「おお! なんか頭良くなった気がする!」

 

 特に疲れていたからだろうが、効果のほどは身をもって感じられるほどだったため、セドリックやリーシャが感心と驚きの声を上げた。

 

「あはは。頭ようなる呪文はちょっと知らんなぁ」

「……サクヤの魔法。どのくらいのものなら治せる?」

 

 いつもであればリーシャの言葉に微笑むサクヤと呆れるフィリス。そしてクラリスのツッコミが入るところだが、なぜだか今日のクラリスはどことなく期待するような、真剣な眼差しで咲耶に問いかけた。

 

「んー。うちまだまだ修行中やから、簡単な切り傷とか、できてもひび治すくらいまでしかできひんのよ」

「そう……」

 

 どこか残念そうなクラリスに咲耶は小首をかしげるが、いつにもまして無表情なクラリスからは残念ながらその意図を読み取ることはできなかった。

 

「うちのお母様がすごい治癒術士らしくてな、そんで世界中でいろんな人を救っとるらしいんよ」

「へー、この前言ってた立派な魔法使いって人?」

 

 らしい、という言葉が気にはなったが、フィリスは嬉しそうに母のことを語る咲耶に言葉を返した。

 

「うん。せやから、うちもお母様みたいに、自分の力をいろんな人の役に立つために使いたいんよ」

 

 明るい笑顔で夢を語る咲耶にクラリスはハッとしたような表情で振り向いた。優しそうな笑顔。苦しんでいる誰かのために、手を差し伸べることを当然のように夢として語る異国の少女にクラリスは驚いたような視線を向けた。

 

 その意味がなんなのかを、大体知っているフィリスは、少し顔を暗くし、リーシャは少し頬を描いてから明るい声で話しだした。

 

「でもまあこれならセドリックがブラッジャーに骨叩き折られても平気だな!」

「ははは。まあその時はよろしくお願いするよ、サクヤ」

 

 空気を変えるようなリーシャの明るい声で雰囲気は変わった。ダシにされたセドリックはそれに対して半笑いで答えた。

 

「そういえばさー。スプリングフィールド先生はそういうのどうなの?」

 

 明るい笑いが零れる中、ルークが思いついたように問いかけた。

 今の所、リオンの腕前を知るほどの魔法はまだ見ていない。

 例えばマクゴナガル先生であれば動物もどきという、世界的に見ても希少な、ハーフによるものや幻術ではない、動物への純粋な自己変化魔法が使えるということがその腕前の高さを証明しているし、スネイプ先生にしても、授業の内容から、彼が魔法薬学において非常に優れた魔法使いであることは分かる。

 

「リオンは雷と氷が得意らしいけど、だいたいどんな魔法も使えるて聞いたわ。あっ、でも治癒魔法は苦手らしいんよ」

 

 ルークの問いに、咲耶はいつか本人が言っていたことを思いだしながら答えた。

 

 雷と氷。

 間違いではない。だが、それは両立を意味している訳ではない

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

許可証を巡る攻防

 毎日の大量の課題。見る物すべてが目新しい魔法学校での生活。楽しい友人たちとの笑いあえる日々。あっという間に時間は過ぎて、咲耶がホグワーツに留学して1月半ほどたっていた。

 

 当初は精霊魔法の導入魔法にも苦戦していた生徒たちも、幾人かのリタイアを出しつつではあったが、大体の者が習得に成功していた。(リタイアした大部分がもともと異文化交流に興味などない閉鎖的な思考の生徒、もしくは新しい魔法系統習得に対して上手く行かないことに耐えきれなくなった生徒だった)

 

「受講開始から一月半。だいたいのやつが導入魔法は習得できたようだが……ここから先は基礎魔法、初等魔法を中心に授業を行う」

 

 火の発現に苦戦していたクラリスも、咲耶の個人レッスンなどによりリーシャに遅れること2週間ほどでなんとか火を灯し始め、今ではしっかり小さな火柱を立たせるまでに至っていた。ちなみにリーシャは続く風を吹かせる導入魔法でも比較的早く習得することができたが、その後の水を集める魔法では大いに苦戦し、最終的にはクラリスと同じくらいの速度で落ち着いた。

 

 いよいよ授業はホグワーツでの魔法とは異なる精霊魔法特有の部分へと入り始めようとしていた。

 

「授業ではまず属性魔法について習得していく。そのため貴様らがはじめに決めておくことは、どの系統を集中的に鍛えるかだ」

 

 この一月半。あまりぱっとしない導入魔法しかしていなかったのは、やる気のある生徒のみに選抜する意味もあったのか、教室に残っているのは基本的に精霊魔法、異文化交流などに興味のある生徒ばかりだ。

 もっとも、中にはウィーズリー兄弟のように、新たな悪戯の発想を得るためという、少しずれたモチベーションの生徒も紛れ込んではいるのだが。

 

「導入魔法の時に分かったと思うが、個人個人で得意な属性、苦手な属性がある。これは純粋に魔力と精神力、そして呪文によって発動するホグワーツの魔法と違うところで、術者それぞれに感応しやすいタイプの精霊がいるためだ」

 

 ホグワーツの魔法にも、火を起こす魔法や水を現す魔法はある。だが、属性魔法とは違い、それは単純にできるかできないか。込める魔力の量や制御能力によって魔法の威力が規定される。

 

「大雑把に言うと火を灯す魔法の習得が早かった者は火属性。水を集める魔法が早かった者は水や氷。風を起こす魔法が早かった者は風や雷など、導入魔法を基準にしてある程度感応しやすい属性を判断してもいいし、単純に好きな属性を練習してもいい。基本的にはインスピレーションや直感が大きく左右するものだ」

 

 教室にいる生徒はまだ全ての系統を十分には発現させることができないが、だからこそ、得意な属性、苦手な属性の違いに心当たりもあるのだろう。頷くようにしている生徒がちらほらとみられる。

 

「ある程度全ての属性をミスなく発現できるようになった奴は、今度は得意な属性を集中的に練習しろ。とりあえず最初に習得するのは魔法障壁と魔法の矢だ」 

 

 

第9話 許可証を巡る攻防

 

 

「得意な属性か~。なんか、すっげえアバウトだな」

「まぁ、なんとなくだけど、得意なのと苦手なのとは分かるわね……サクヤは光と風がメインだったわよね?」

「そやで~。」

 

 先生の話を聞きながら、リーシャとフィリスはこっそりと咲耶に話しかけた。

 アバウトと言いつつもリーシャにとって得意属性は火であることはすでに十分に分かっている。フィリスもなんとなく土系統の属性が相性がよさそうだとは分かっていた。

 周りの生徒もようやく本格的な精霊魔法の授業が始まるということに期待の色を浮かべていた。

 

 

「授業では攻撃の初等魔法である魔法の矢(サギタマギカ)と防御魔法である魔法障壁をまずは習得してもらう」

 

 こっそりとおしゃべりをしている生徒が居る中、リオンが最初の魔法について説明を始めるとおしゃべりしていた生徒たちも居ずまいを正した。

 魔法を習う者としてふざけてもいい時とふざけてはいけない時があるということを2年でちゃんと学んでいるのだろう。初等とは言え系統の違う攻撃魔法を教わるというのだから今が気を付ける時だというのはこの場に居る者ならば分かることだ。

 

「魔法の矢は属性によっては付加効果が異なる。障壁の方は色々と種類があるが、まずは基本となる魔法を弾く障壁からだ」

 

 基本攻撃魔法・魔法の矢

 たとえば破壊属性の火や追尾性能を持つ氷、捕縛系の風や麻痺の付加属性を持つ雷など魔法の矢にはそれぞれの属性に応じた付加能力がつくことがある。

 

 悪戯好きのウィーズリー兄弟はまだ見ぬ魔法の悪戯への応用を考えてか、互いに視線を合わせてにやりと笑みを浮かべたりしている。

 

「先に行っておくが、期末の試験では障壁を特に重要視した課題を出す。受ける受けないは自由だが、受ける場合はそれ相応の覚悟をしてこい。どういった障壁が必要かは近くなったらまた通知する」

 

 それに気づいたのか、リオンは防御魔法を優先するような説明を行った。

 だが、その発言内容。試験内容は先に教えるという言葉に、生徒たちは少しざわめいた。

 

 

「あらかじめ試験にだす課題教えてくれるなんて、スプリングフィールド先生優しいな!」

 

 特に毎回試験に頭を悩ませるリーシャのような生徒は嬉しそうに笑みを浮かべて、中には口笛を吹いている生徒まで居る。

 

 だが、楽天的な発言が聞こえる一方、セドリックのようなタイプやクラリスなどは眉根を寄せている。

 

「いやー、そうやないと思うえ」

「えっ?」

「たしかにね……」

 

 リオンのことを知る咲耶もまた、苦笑いをしながらリーシャの楽天的な発言を否定し、フィリスもそれに同意した。

 意外な反論にリーシャが友人たちを見やると、クラリスが二人と同じ懸念を口にした。

 

「精霊魔法の授業では基本的に攻撃魔法と防御魔法が中心。なのにテストで必要なのが防御魔法だけだということは、生徒以外の誰かが攻撃を仕掛けるということ」

「げっ。誰かって、もしかして……」

 

 クラリスの言わんとしていることを察して、リーシャは頬を引き攣らせた。

 

「スプリングフィールド先生しかいない」

「しかも“それ相応の覚悟”ってことは結構情け容赦なく仕掛けてきそうだしね」

 

 ホグワーツでは身を守る呪文よりも他者にかける呪文を優先する。

 そのため防御のしっかりとした魔法使いは少ない。

 戦闘でも用いられる防御呪文では盾の呪文があり、限定的には強い呪いですら弾くこともできる。だが、その習得は難しく、魔法省に務めるほどの魔法使いでも使いこなすのは難しいとされる。

 

 

 授業は、初回の今回、障壁の中でも最も基本的な対物障壁の練習となった。

 二人一組で組み。リオンが用意したボール(マグル育ちの者にはテニスボールと呼ばれている物)を投げ合ってそれを弾く練習を行った。

 だが、今までの導入魔法と同じく、咲耶を除くほぼ全員が障壁を授業時間に発動させることはできず、ただひたすらボールをぶつけ合うという授業内容となった。

 

 

 ・・・・

 

 

 

「はぁ。スプリングフィールド先生の授業、段々と容赦がなくなってきたな」

「ちょっとリーシャ。あんたのバケツから飛び跳ね毒キノコが跳び散ってるわよ!」

 

 互いにボールのぶつかった痣をつくった精霊魔法の授業が終わり、次の薬草学の授業。溜まった疲労から集中力が低下しているのは無理からぬことだ。ボーとしていたリーシャのバケツから今日の授業内容である飛び跳ね毒キノコが元気よく飛び跳ねてフィリスが注意をした。

 

「でも障壁魔法は役に立ちそう」

「そうね。もう少し上級生になったら盾の呪文も習うみたいだけど、かなり難しいって聞くし」

 

 クラリスとフィリスも打撲痕をつけ、疲労こそしていたが、寮監でもあるスプラウト先生の授業のため、手慣れた様子で作業をしていた。

 

「あー、今度の休みが待ち遠しーよー」

「あんたねえ……そう言えば、時期的にそろそろかしら?」

「時期? なんなん、フィリス?」

 

 飛び散ったキノコをバケツに戻しながらリーシャは次の休みに思いを馳せた。先ほどの授業の疲労もあって休みが欲しくなっているのだろう。そんなリーシャにフィリスは呆れ眼を向けつつ、ふと思い出したように呟いた。

 

「ホグズミードよ。学期前の手紙に今年から行けるって……あっ、ホグズミードって分かる?」

 

 フィリスの口から出てきた覚えのない単語に咲耶は首を傾げ、その様子に気づいたフィリスの問いに首を横に振った。

 

「ホグワーツ近くにある魔法族だけの村。ホグワーツ特急が到着していた駅があるところ」

「そうそう、ホグズミードがあるんだよな! 毎年先輩たちが色々お菓子とか持って帰って来てくれてさ! すっごい楽しいとこなんだって!」

 

 よく分かっていない咲耶にクラリスが言葉短かに説明し、とっておきのお楽しみを思い出したリーシャが元気を取り戻して活き活きとした顔を見せた。

 

「許可証が入ってたハズなんだけど……もしかしてサクヤ、保護者さんのサイン、貰ってないの?」

「? うん」

「げっ!!? それじゃ、サクヤ行けないじゃん!? やっば……」

 

 咲耶の反応から、もしかしてというようにフィリスが問いかけると、咲耶は頭をこてんと横に倒してよく分かっていなさそうに頷いた。サインが無いと行けない規則に、リーシャがうめき声を上げた。咲耶と一緒に行けないかもしれないということにクラリスも眉根を寄せている。

 

「まあ、サクヤはホグズミード行きの許可証のこと、知らなかったみたいだし。一度スプラウト先生に相談してみましょう?」

 

 フィリスの提案にクラリスとリーシャはこくこくと頷き、咲耶は「はーい」と同意の声を返した。

 

 飛び跳ね毒キノコを原木に移し換え終わるころ、薬草学の授業時間も終わりごろとなった。

 

「みなさん、ご苦労様です。さて、そろそろ授業は終わりですが、その前にお伝えすることがあります」

 

 生徒たちが終わり支度をして、温室から出て行こうとするのをスプラウト先生は呼び止めた。

 

「通知と前後してしまいますが、今月末の日曜日に3年生以上の許可証のある子はホグズミードへ行けます。許可証にサインをもらった子はホグズミード行きの日までに私に許可証を提出してください。許可証がなければ、ホグズミードには行けませんよ!」

 

 月末の日曜日まで2週間弱。スプラウト先生からの通達は折よく、咲耶たちが話していたホグズミードのことについてだった。

 授業中におしゃべりしていた内容のことだったので、咲耶たちは思わず顔を見合わせた。

 ちょうど許可証を持って来ていた生徒たちが先生に提出し終えるのを待って咲耶はリーシャたちに言われたようにスプラウト先生のもとへと近寄った。

 

「スプラウトセンセ。うち、それ知らんかったんですけど?」

「コノエ。あなたの件については呪術協会の協会長からうかがっています」

 

 許可証のことやホグズミードの件についてよく知らなかったという事情を話した咲耶に対して応えたスプラウトの言葉に、咲耶を始め近くで聞いていたルームメイトたちはぱっと顔を明るくした。

 日本の魔法の権威から直々の言伝ならば、そうそう悪いことにはならないだろうという期待を抱いているのだろう。

 しかし続けられた言葉に呆気に取られることとなった。

 

「『イギリス滞在中における保護者であるリオン・スプリングフィールドの同行のもと、ホグズミード行きを許可する』という連絡をいただいています」

「えっ!? リオンと?」

 

 続けられたスプラウトの言葉に咲耶は驚きの声を上げた。喜びから一転、条件を付けられた友人たちも唖然とした表情となっている。

 

「本来であれば教師の同行の必要はありませんが、あなたの場合、事情が事情です。当日までにスプリングフィールド先生の許可を得て下さい」

 

 

 薬草学の温室から寮へと戻る道すがら、咲耶たちはスプラウト先生から言われた条件について話していた。

 咲耶は留学生という立場であるのに加え、日本における魔法社会の重鎮の孫娘にして異なる魔法社会の融和の役目もあるのだ。先方がそのように条件をつけたのなら、それは仕方のないことであった。

 

「よかったじゃん、サクヤ。なんとかなりそうで」

「でも先生と同行か~」

 

 とはいえ、リオンは咲耶の兄代わりとも聞いているだけに、なんとかホグズミードに行けそうな流れとなったことでフィリスは嬉しそうだ。

 ただ、せっかくの羽を伸ばす機会に教師同伴ということになるためリーシャはやや不満そうだ。

 

「う~ん……」

「どうしたの、サクヤ?」

 

 すでに楽観的なムード漂う二人に対して咲耶は眉根を寄せており、それに気づいたクラリスが問いかけた。

 

「リオン行ってくれるかなぁ……」

 

 フィリスの問いかけに対して、なにか心配事でもあるのか、自信なさ気に懸念を口にした。

 

「スプリングフィールド先生ってサクヤのお兄さんみたいなもんなんだろ? 大丈夫だって」

「う~ん、けどなぁ……」

 

 不安げな咲耶に対してリーシャは楽観的に構えており、励ますように明るい笑顔を向けた。

 周りから心配ないと言われながら、咲耶は懸念のある顔で窓の外を見た。夜になれば昇るはずの月はしかし、つい先日朔となって、ようやく細長い弓を描き始めていた。

 

 

 ・・・・

 

 

「は? なんで俺がそんなとこ行かなきゃなんねーんだよ?」

 

 翌日、当日まではまだ時間があるが、咲耶たちは休み時間にリオンを訪れていた。

 咲耶のホグズミード同行のお願いに対して返ってきた答えは、咲耶の予想通りのものであった。

 

「先生、お願いします。せっかくの留学なんですから、サクヤにもイギリスの魔法族の町を見せてあげたいんです」

「ゾンコとか三本の箒とか、先生も一回行ってみると気に入りますって」

 

 ルームメイトの危機とばかりにフィリスとリーシャはリオンへと詰めかけているが、肝心のリオンはそちらを一瞥もせず、読んでいる本に視線を落したままだ。

 

「あいにくと忙しいんでな。ガキにつき合っている暇はねーよ」

「そんなぁ」

 

 赤い髪のリオンはどこか不機嫌そうにしており、その対応も素っ気ない。あっさりとした拒絶にリーシャが絶望的な声をあげた。

 

「リオンセンセ、お願い?」

 

 友人たちの奮闘に、咲耶も上目づかいにリオンを見上げてお願いした。妹のような咲耶のこれには弱いのか、リオンは本から目を外して咲耶に視線を向けた。

 後ろのお友達たちはともかく、目の前のこの少女は、一応教師である自分が同行することに対して特に思うところはないようだ。

 保護者の同伴などというもっともらしい訳を使って、自分と咲耶を一緒に行動させたがっているどこかの狸ジジイの思惑など、きっとこの少女はまったく感づいてはいないのだろう。

 リオンは、遠く離れた日本に居る狸ジジイの、戯れの冗談と聞き流した言葉が意外に本気っぽいことを感じ取って、呆れる思いを抱いた。

 

「…………咲耶。お前魔法薬学から課題が山のように出されてるだろ。あと魔法史」

「うっ……」

 

 とりあえず、これ以上狸ジジイの思惑に乗っかるのは癪なので、リオンは溜息をつきながら大忙しのはずの咲耶の足元を指摘した。

 咲耶も課題の多さにグロッキーとなっていることは覚えており言葉に詰まった。

 

「大人しく課題でもやってろ」

「リオン~~」

 

 すげなく言い切るリオンは再び本に視線を戻した。

 

 

 

 

「どうだった!?」

 

 寮へと戻った咲耶たちに、事の次第を聞いていたセドリックとルークが近寄って尋ねてきた。

 自分のことよりも、期待してくれていた友人がガッカリしていることに咲耶はしょんぼりとして、首を横に振った。

 

「ダメか……」

「ちぇー」

「まあ、先生も忙しそうだったからね」

 

 残念そうなルーク、舌打ちをして不満を表すリーシャに、フィリスは仕方ないというように宥めた。

 

「でもさー、せっかくサクヤ、留学で来てるんだから。ホグズミードこそ行った方がいいと思うんだけどなー」

 

 不満そうにもらすリーシャに同意するようにクラリスもこくこくと頷いており、二人でなんとか咲耶を連れ出せないかという話し合いまで始まってしまい、咲耶は苦笑いを浮かべた。

 

「そう言えば……」

 

 二人の陰謀にルークまで混じり、咲耶の横で同じく苦笑を浮かべていたセドリックは、ふと思い出したように口元に手を当てて呟いた。

 

「どうした、セドリック?」

「いや……たしかグリフィンドールのフレッドとジョージが抜け道を知ってるんじゃないかって話があるんだけど」

「それだ!」

 

 何か思い出したようなセドリックの様子に、ルークが期待の眼差しを向け、セドリックの言葉にリーシャは嬉しそうにセドリックを指さした。

 グリフィンドールの双子のウィーズリー兄弟。

 その名は咲耶も幾度か聞いたことがあった。記憶違いでなければリオンの精霊魔法の授業でまだ受講を継続している赤毛の兄弟だ。

 悪戯好きとして有名で、彼ら双子は学校の管理人であるフィルチよりも学校の通路に詳しく、監視の目を掻い潜ってホグズミードに行く手段も知っている

 悪戯好きの彼らなら、留学生をホグズミードに連れて行くというミッションに面白みを感じて賛同してくれるだろう。

 セドリックの言葉をきっかけに、ルークとリーシャが計画を練り始め、咲耶はそれを止めようと口を挟んだ。

 

「でも勝手に行ったらあかんやろ?」

「そうやって規則をすり抜けるのだってここの醍醐味だって」

「それにサクヤの場合、行っちゃだめとは言われてないじゃん」

 

 それに対し、ルークとリーシャは悪戯の面白みを口にした。いつもであれば制止役のクラリスやフィリスも、咲耶と一緒にホグズミードに行けるという期待があるためか、考え込んでいる。

 

「とりあえず、ホグズミードまでにあの二人に話しておかないとな」

「行けるといいな、サクヤ!」

 

 なにやらすっかり前向き意見でまとまりそうな場の流れを締めくくるようにルークとリーシャがにこやかな笑顔を向けた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ホグズミードと赤毛の彼

 

 

 ハロウィン数日前の日曜日。

 ホグズミード行きの許可、リオンの同行は結局得られなかった。その代り、セドリックの紹介でグリフィンドールの双子のウィーズリーと会い、抜け道を案内されていた。

 

 授業で見た覚えはあっても、面識のなかった二人は、噂に聞く以上にハイテンションで明るく、ホグズミードに行きたいという留学生の希望を快く(面白がって)了承してくれた。

 どうやら双子も、噂の留学生と話してみたいと前々から思ってはいたらしい。

 リーシャも言っていたが、双子にとっても「規則とは破るためにある!」という信条らしく、とても楽しそうに連れ出してくれた。

 ただ、抜け道は秘密の通路ということらしく、あまり目立たせないために、行動は双子とセドリック、咲耶の4人だけで、クラリスたちとは後から合流するということになった。

 

 四階の廊下の中ほど呪文によって動く隻眼の魔女の石像に隠された入口を通って学校を出た4人は、双子を先頭にして長い廊下を歩いた。

 その間に、双子ともいろいろと話をしていた。

 

「サクヤはニホンのマグルの学校に行ってたのか!?」

「うん。普通の学校やよ」

「へー。それじゃ、マグルの中で暮らしてたのか?」

 

 話の内容は、精霊魔法に関することであったり、日本での学校のことに関してなどだった。

 

「んー。うちの実家には魔法使いの人、よーけ居ったみたいやけど、普段の生活は普通の人……えーと、マグルと変われへんかったよ?」

「マグルの生活様式で生活してたってことかい?」

 

 普段の生活。生粋の魔法族であるフレッドとジョージ、そしてセドリックも、マグルの生活というのはあまり馴染みがないのだろう。魔法使いの家系でありながら、マグルの生活をしていたと言う咲耶に少し驚いた表情となった。

 

「へー。そうだ! うちの親父がさ。すっごいマグル好きで、車とか、ペラグ? とか、なんかよく分かんないもの集めててさ。よかったら、その内見に来てよ」

「うん。ええよ~。フレッドとジョージのおとうさん、ってどんな人なん?」

「うちの親父かい? 聞いての通りマグル好きの魔法使いさ」

「たしか、ウィーズリーさんは、僕の父さんと同じで魔法省の人だよね」 

「そうそう。マグルが好きすぎて、マグルの道具に関われる部署に入ってるんだよ」

「あれはもはやマグル狂いだね」

 

 ところどころ凸凹のある道を1時間ほど歩くと緩やかな坂道のなり、なれない道に咲耶の息が少し乱れ始めた頃。

 

「よし、着いた」

 先頭を歩いていたジョージが行き止まりの天井に手を当てた。

 

「さあさ、留学生のお嬢さん、ご覧あれ」

「ここを開ければ、なんとそこは別世界」

 

 もったいつけたような二人の言葉だが、当の咲耶はこのイベントに瞳をキラキラとさせている。その顔を見てジョージとフレッドは嬉しそうに頷き合うと

 

「ようこそ、ホグズミードへ」

 

 イギリス土着の魔法族のみが存在する唯一の町、ホグズミードへの扉を開けた。

 

長い長い暗闇の通路から光の下へと出たことで眼を瞬かせた咲耶はそこがどこかの倉庫のようなところであることに気づいた。

 

「ここがホグズミードなん?」

「ああ。こここそ、かの有名なお菓子の宝庫」

「ハニーデュークスさ」

 

 咲耶の後からフレッドとジョージが続き、最後にでたセドリックが撥ね戸式の扉を音のしないようゆっくりと閉じていた。

 

 フレッドが咲耶に向けて静かにするようにジェスチャーして、警戒するように先の様子を見ながら階段を上ると、どうやらそこは店のカウンター裏のようで、隙を見て生徒でごった返す店内に紛れ込んだ。

 

「人が多すぎる、一度外に出よう」

「ついてきてくれ」

 

 人の多さは紛れ込むには優位に働くが、店内をゆっくり見て回るには制限となる。そのためフレッドとジョージの提案により4人は一度外へと出ようとした。

 そして

 

「なるほど、こんなところから出てくるのもありなのか」

「ほぇ……?」

 

 横から声をかけられて顔を向けた。そこにはカウンター脇の壁にもたれかかっている同い年くらいの赤髪の少年の姿があった。フレッドとジョージよりも若干明るく、光の加減んで金が混じっているようにも見える。

 

「えっ?」

「げっ!」「しまった」

 

 次いで出てきたセドリックとジョージ、フレッドも赤毛の少年に秘密の通路から出てくるところを見られて顔をしかめた。

 

「なかなか面白いところから出てくるな」

 

 セドリックは呆気にとられ、咲耶は赤毛の少年に指を向けてぱくぱくと声にならないリアクションをとっている。

 

「いやー、これは参った。まさかの失態だ」

「悪戯仕掛人が秘密のひとつを知られてしまうなんて」

 

 自信満々の秘密の通路が、お目見えしていきなり計画破綻してしまい、双子はそれぞれ天を仰ぐように額に手を当てた。

 赤毛の少年は、にやにやと咲耶を見つめていたが、双子のオーバーなアクションに視線を移した。

 

「君たちはたしか……」

「フレッドだ」「ジョージさ。それと後ろの彼はセドリック・ディゴリー。そして、こちらの少女は」

「留学生の近衛咲耶、だろ」

 

 フレッドとジョージが自己紹介し、あわせてセドリックも手振りで紹介した。もう一人の留学生のことも紹介しようとするが、それを遮るように名前を言い当てた。

 始業式の際に生徒の前で紹介されたのだから、知っていてても不思議ではない。

 

「リオ……むぐ」

 

 少年の言葉に我を取り戻した咲耶が驚きのままに声を上げようとしたが、その声はなぜか途中で止まってしまった。

 

「リオ……? サクヤは彼を知っているのかい?」

 

 中途半端に叫びをあげ、なぜか、むぐむぐと言っている咲耶にセドリックは視線を向けて首を傾げている。

 

「彼女とは図書館で偶然会ったんだよ」

 

 なにやら答えようとしない咲耶に代わって赤毛の少年が平然とした様子で答えた。

 

「君は……3年、ではないよな。見た記憶がないんだが……」

「ああ、4年だ」

 

 違う寮で生活しているとはいえ、授業では他クラスとの合同も多い。学校生活も3年目ともなれば、大体の人間の顔は見覚えも出てくるだろう。だが、目の前の赤毛の少年の顔にはセドリックもフレッド、ジョージも見覚えが無かった。

 

「名前は?」

「リオ……リオールだ」

 

 ジョージの問いに赤毛の少年は、一拍おいて名前を告げた。

 とりあえず互いの名前が分かったところで、なにやら咲耶が「ぷはっ」と塞がれていた口を開くような素振りを見せ、リオールをジト目で見つめた。ただ、その顔は少し嬉しそうに緩んでいた。

 ともあれ、通路のことを知られてしまったことは取り返しようはない。

 

「ちょっと訳ありでね。できれば彼女がここに来ていることを知られたくないんだ」

「秘密を守ってくれるのなら、君には僕たち悪戯仕掛人がとびっきり素敵なハロウィンをプレゼントすることを約束するよ」

 

 ジョージとフレッドは建設的に前向きな提案をした。

 

「へぇ、それは面白そうだな……よし、交換条件、ということでどうだ?」

「条件?」

「実は僕は去年、ここに来れなくてな。友人ともはぐれてしまって一人ではどこが楽しいのか分からないんだ。君たちなら詳しそうじゃないか?」

 

 二人の提案に対して、リオールは交換条件を提示した。

 リオールの言う通り、フレッドとジョージなら、3年生と言えども他の生徒よりもホグズミードについてよく知っているし、秘密にしてくれるというのならこちらの提案にもかなっている。

 

「なるほど」

「一緒に共犯になる。でいいのかい?」

「話が早くていいな」

 

 リオールの示唆したことを巡りの早い理解で解釈した二人に、リオールは笑みを浮かべた。

 

「これは俺たちとも気が合いそうじゃないか、ジョージ?」

「と、いうことでよろしく頼むよ、セドリック君」

「ああ。いいかい、サクヤさん?」

 

 三人だけで予定の変更をしてしまったため、遅まきながらリオールがセドリックに挨拶をして、フレッドが咲耶に確認をとった。

 

「えっ、あ、うん。よろしゅう、お願いします」

「よろしく、咲耶」

 

 咲耶は呆気にとられたように頷き、爽やかな笑みを浮かべて手を差し伸べてくるリオールと握手を交わした。

 

 ジョージたちにとってはいきなりのハプニングだったが、とりあえず予定通り、ごった返すハニーデュークスから一度外に出て、他のメンバーと合流する運びとなった。

 押し合い圧し合い。あまりにもたくさんの人がいるため、咲耶がとがめられることはなく、何とか無事に店外へと脱出した。

 先生なんかがいて、見つかると厄介なことになる。あたりを伺いながら、同時に友人たちを探していると、比較的すぐに友人たちを発見することができた。 

 

「あっ! いたいた、サク、むがっ!」

 

 同じく向こうも気付いたようで、咲耶とセドリックの姿を見つけたリーシャが嬉しそうに咲耶に大きな声で呼びかけようとするが、それに気づいたクラリスが素早くその口を塞いだ。

 一応咲耶は、内緒でここに来ているのであり、あまりおおっぴらに名前を呼ぶのはマズイためだ。

 

「うまく行ったみたいだな、セド……ん? そっらは?」

 

 乱暴に口を塞がれたリーシャは、クラリスに文句を言おうとして、クラリスはリーシャの迂闊に文句を言おうとして睨みあった。その間に女子三人と行動を共にしていたルークがセドリックへと声をかけた。

 予定通りウィーズリー兄弟と姿を現し合流できたのは計画通りなのだが、それにしては1名見知らぬ顔がくっついていることに首を傾げた。

 

「実はちょっとミスがあってね。こちら4年のリオール君」

「リオール・マクダウェルだ。よろしく。お邪魔させてもらうよ」

 

 セドリックの代わりにフレッドがリオールを紹介した。

 いきなり帯同人数が増えていることにフィリスがモノ問いた気にセドリックと咲耶を見たが、セドリックは軽く肩を竦めた。

 

「ちょっとした交換条件でね。秘密の通路のことを内緒にしてもらう代わりに、ホグズミードを案内してほしいってことなんだ」

「……サクヤ?」

 

 ジョージの説明にクラリスが咲耶に確認をとるように視線を向けた。「いいの?」という問いに咲耶はほわほわと笑いながら小首を傾げた。

 

「みんなで回った方が楽しいし、ええかな?」

「…………」

「サクヤがいいならいいけど……」

 

 心配したクラリスたちだったが、むしろ咲耶の方が問い返して来てクラリスは沈黙し、顔を見合わせてフィリスは同意を返した。

 

「まとまったみたいだし、それじゃあホグズミードを愉しもうぜ!」

「まず最初に行くとこは決まってる! ゾンコの店さ!」

 

 フレッドとジョージ主導の案内のもと、7人はホグズミードを楽しんだ。

 悪戯用具専門店のゾンコの店では二人の勧める面白魔法用具に対してリーシャが大いに関心を示し、ティーカップに鼻を噛みつかれたりしていた。そんな様子に咲耶やルーク、リオールも楽しみながら見て回った。

 

 次に見て回ったのは、ホグズミード屈指の観光スポットであり恐怖の屋敷としても知られる叫びの屋敷だった。

 どうやら怖いものが苦手らしいクラリスはいつもの無表情な状態で顔を青ざめさせ、ゾンコでのおかえしとばかりに驚かしてきたリーシャとじゃれあったりしていた。ちなみに見た目によらず、というよりも見た目通り、咲耶は別に怖いものは平気なのか、いつものほわほわとした笑みを浮かべてリオールの横で屋敷を見学していた。

 グラドラグスの魔法ファッション店では女の子全開で興味を示したフィリスが、咲耶と一緒になってクラリスとリーシャを着せ替え人形にして楽しみ、セドリックに恥ずかしい洋服姿を見られたリーシャが杖を抜きかけるというハプニングがあった。

 

 他にも魔法の機械を取り扱う魔法用具店ではリオールが大いに関心を示したりと、一行は大いにホグズミードを愉しんだ。

 そして時間的に最後の店としてフレッドが選んだのは三本の箒。マダム・ロスメルタが店主を務めるパブだった。店の中はホグワーツ生でにぎわっており、一行は咲耶を知っている人に出くわさないように気を付けつつ、席を確保した。

 

「おまちどおさま」

「えっと、これってビール?」

「バタービールさ」

「ここに来たらこれを飲まなきゃ嘘だぜ」

 

 ジョージとルークが持ってきた飲み物を見て咲耶は眼を丸くして不思議そうに見た。物珍しそうな咲耶にフレッドが誇らしげに言い、ジョージも名物だからと笑みを浮かべながら言った。

 

「大丈夫だよ、ノンアルコールのよりも低いのくらいだから」

「たしかに、おっ、いけるな」

 

 アルコールであると心配する咲耶にセドリックはほとんど入っていないことを微笑を向けながら伝え、リオールも直接飲んでそれを確認した。

 思いのほか気に入ったのかリオールの顔が少しほころんだ。

 

「ぷっはぁ! やっぱこれだねぇ!!」

「リーシャ、髭生えてるみたいになってるわよ。まったく」

 

 豪快に飲むリーシャに両手でもったグラスを傾けてこくこくと飲むクラリス。そんな光景を見て微笑みながら口をつけたフィリス。

 咲耶も友人たちだけでなく、見回すと周りの生徒たちもおいしそうに飲んでおり、リオールの表情も安心できるものでありそうなので

 

「あ、ほんまや。これおいしーわ~」

 

 バタービールに口をつけた。本来のビールとは苦いものだというのは聞いたことがあるが、口にしたそれはまろやかな甘みがあり、ジュースとは違うおいしさがあった。

 嬉しそうな顔でバタービールを飲む咲耶に、リオールやセドリックも微笑ましげな眼差しを向け、フレッド、ジョージも楽しげに話題を提供した。

 

 

 数10分後

 

 

 三本の箒は様式としてはパブだが、未成年だらけの学校に近いこともあって、その店内には街中で見られるように酔いつぶれた客というのはほぼいない。

 しかし

 

「えへへ~。リオンや~。わ~い」

「酔ったな、こいつ」

 

 咲耶は真っ赤な顔でリオールに後ろから抱きついており、抱きつかれているリオールは淡々とした様子でバタービールを飲んでいる。

 

「嘘だろ!?」「こんなの入学前の子供でも飲むぜ!?」

「幼く見えるとは思ってたけど、まさかこんなに弱いなんて」

 

 まさかとは思うが、信じがたい様子で咲耶とバタービールを見比べるジョージとフレッドは驚きの表情となっている。

ノンアルコールは厳密にはアルコールがまったく入っていないわけではなく、バタービールもまた同様なのだが……これで酔うのは屋敷しもべ妖精か、よほどアルコールに弱い幼子くらいであり、セドリックもまじまじと上気した咲耶の顔を見ている。

 

「見た目通りの体質のようね……」

「クラリスは大丈夫だよな?」

「サクヤ……」

 

 痛恨の事態に、フィリスは顔を引きつらせ、リーシャはからかい交じりにもう一人の幼児体型を見た。無礼な視線を受けたクラリスは、いつもであれば、即座に毒舌のツッコミを返すところだが、咲耶が初めて会った男子にべったりくっついてしまって頬を膨らましている。

 

「リオン~」

「…………」

 

 一方の咲耶は、隣に座るリオールに抱き着いてその肩に頬ずりしている。

 

「ダメだ、人の見分けがついてない」

「なんてこったい」

 

 一応お忍びの悪戯でもあるため、まさかの事態にフレッドとジョージは天を仰いだ。

 

「おーい、サクヤ。これいくつだ?」

「ん~。りーさ!」

「おい」

 

 酔いの状態の確認に、リーシャが3本指を立てて目の前で振って反応を確かめるが、咲耶は愉しそうに両手を上げてけらけらと声を上げた。

 頭痛を堪えるような表情のリオールに、咲耶はべったりと背中から張り付いた。

 

「大好きや~、リオン……」

「寝たみたい、だね」

 

 リオールの肩に頬をのせたまま眼を瞑った咲耶は、そのまま声が聞こえなくなり、代わりに寝息を立て始めた。

 幸せそうな表情の咲耶を見て、セドリックは苦笑している。

 

「完全に酔っ払いの行動だな」

「きっと留学っていうのは大変なんだろうね……」

「ん? どゆこと?」

 

 リオールが呆れたように背中の少女の行動を評した。一方でセドリックは咲耶の行動が不安ゆえだろうと思っているようだ。話の急な変化にリーシャは首をかしげてセドリックを見返した。

 

 いきなり寮生活、というのでもなかなかに大変だ。しかもそれが母国語の通じない異国なのだから。

 

「そうか? よく見てたけど楽しそうにしてたぜ?」

「僕らが出されている課題に加えて空白分の1,2年の間の補習課題も出されてるんだ。別系統の魔法っていう下地はあっても、レポート課題とかよく提出期限に間に合うって、寮のみんなで言ってるくらいだよ」

「たしかに、のほほんとしてるけど、いつもスプリングフィールド先生のとこでしごかれてるみたいだしね」

 

 寮が異なるため、教室や食堂でみる楽しそうな咲耶の様子しか知らないジョージたちに対して、同じ寮でいつもくたくたになるほどに課題に取り組んでいる咲耶を見ているセドリックとフィリスは優しそうな視線を咲耶に向けた

 

「ここにいなくても、これだけ彼女に想われてるなんて、スプリングフィールド先生が、羨ましいね」

「…………」

「その割には間違えてるけどな」

 

 セドリックの言葉にリオールは無言でビールを飲みほし、クラリスはすっと目を閉じ、リーシャは呆れ交じりに咲耶の頬をつついた。

 

「おっ、もしかしてディゴリー君は、留学生に恋かね?」

「マジかよ、セド!?」

 

フレッドとジョージは茶化すように声をかけると、ルークが驚きの声を上げた。

 

「どうだろうね、でも可愛い子だと思うよ」

「えっ!?」「むっ!」

 

 二人の茶化しにセドリックはさらりと笑みを浮かべて返し、それを聞いたジョージはヒューと口笛を吹いた。一方、フィリスは「きゃー」と花をとばすような黄色い声を上げ、リーシャとクラリスはそれぞれうめき声をあげた。

 

「……そろそろ、出ないか?」

 

 恋話に発展しそうな会話は、しかし当の咲耶に抱き着かれているリオールの言葉によって打ち切られた。

 

 

「大丈夫かい?」

「ああ。軽いもんだ」

 

リオールのローブを握って離さない咲耶は、リオールにおんぶされる形で移動しており、セドリックが気をつかって声をかけた。

 

「仕方ないから、セドリックたちに任せるけど、絶対に変なマネするなよ!」

「サクヤになにかあったら、鼻呪いをかける」

 

 人数の関係上、秘密の通路をあまり大人数で移動するのはリスクがあるため、咲耶に掴まれて仕方ないリオールを除いて、行きと同じように4人は別行動となった。

 酔った状態の友人を、男たちに預けるのは非常に心苦しいのだが、通路に関しては、セドリックと咲耶だけという当初の約束があるためリーシャとクラリスは呪い殺すような眼差しで念を押した。

 

「セドだったら、心配ねーって」

「分かってるよ」

 

その鬼気迫る様子にセドリックはルークと同じく苦笑いを浮かべつつも頷きを返した。一方、クラリスの眼差しを受けるリオールは、その眼差しが面白いのか意地悪く笑みを返し、クラリスを挑発した。

挑発されたことは分ったが、それでも咲耶をおぶっているためリオールに手出しできず、視線の棘が増したまま見送った。

 

 ハニーデュークスの店まで戻ってきた一行は、周囲を警戒しながら地下へと降り、倉庫へと忍び込んだ。

咲耶をおぶっているリオールが高さに注意しながら秘密の通路に降り、セドリック、ジョージと続いて、最後にフレッドがホグズミードの扉をゆっくりと閉めた。

 暗い廊下を、今度は咲耶を背負ったリオールを連れて歩き、セドリックたちは行きと同様の隻眼の魔女の所へと出てきた。

 

「とっておきだぜ」

「我ら悪戯仕掛人の秘密のタネをご覧あれ!」

 

「ディセンディウム、降下」

 

 双子の呪文により、壁と思われたところが開き、学校内への通路が開かれた。

 今度こそ見ている者が居ないことを慎重に確認した後、一行は素早く廊下へと出て動いていた像を呪文で元の位置に戻した。

 

「よし、これで悪戯完了」

「問題はサクヤだね」

 

 一行は秘密の通路からホグワーツの4階へと戻った。隠し通路の細身の出口から抜け出し、出入り口を閉じるとフレッドは満足そうに笑い、セドリックはもう一つの懸念材料を見やった。

 

「流石にこれでフィルチなんかに出くわしたらマズイな」

「そっと寮に帰って……」

 

 その場を離れるように歩きながら、方針を相談していたが、不意に前を向いていたジョージの声が途切れた。訝しんでフレッドやセドリックも視線を前方に向けると

 

「ウィーズリー、ディゴリー。もう戻ってきていたのですね」

 

 グリフィンドール寮、寮監マクゴナガル先生がタイミング悪く廊下を曲がってきて、こちらの気づいた。不幸中の幸いと言っていいのか、マクゴナガル先生は廊下を曲がってきたところのため、秘密の通路のことは見てはいないようだ。

それでもリオールの背中にいる存在に、思わず天を仰ぎたくなるフレッドとジョージだが、状況を思い出して

 

「はい、マクゴナガル先生」

「なにせ今週は我らが弟のホグワーツで初めてのハロウィンですから、色々準備を仕込んでおかないといけなくて」

 

 にこやかに笑いながら悪戯計画があることをばらすような発言をした。

その発言にマクゴナガル先生の厳格そうな眉がピクリと動き、しかし今週にあるハロウィンという一種のお祭りの日であることを考えたのだろう。

 

「まったく、なにをやるつもりかは知りませんが、くれぐれも、私がグリフィンドールを減点しなければならないようなことはしないように」

 

 二人の悪戯は、時としてはた迷惑(主にスリザリンやフィルチにとって)だが、それでもこういったイベントごとに関しては盛り上げ役として非常に優秀であり、マクゴナガルも多少は黙認するつもりのようだ。

 二人の思惑通り、マクゴナガル先生の注意は二人に向いたようで、その間にジョージが後ろ手で咲耶を隠すように、リオールとセドリックに手で合図を送った。

 

「お任せください、マクゴナガル先生」

「我らウィーズリー兄弟、特別な日には最高に楽しいハロウィンにしてご覧入れましょう」

 

 オーバーにマクゴナガル先生に近づき、一層注意を引こうとしたフレッドとジョージだが、

 

「まったく、あなたたちは……えっ? ちょっと待ちなさいそこの二人!」

「げっ!」「マズイ」

 

 健闘むなしく、セドリックたちが行動を起こす前にマクゴナガル先生の目に留まってしまった。

 

「あなたの、あなたが後ろに背負っているのは……コノエではありませんか!?」

 

 見つかってほしくない人物の惨状をばっちり見られたフレッドとジョージはそろって「あちゃー」と天を仰いだ。

 

「マクゴナガル先生、これは……」

「あなたたちは一体、彼女になにをしたのです!?」

 

 未だ咲耶の顔は赤く、リオールの背中でむにゃむにゃと夢の中にいる。そんな状態の少女を男子4人が運んでいるなどと嫌な想像しか掻き立てない状況にマクゴナガル先生は悲鳴じみた声を上げた。

 

 授業においては贔屓しないが、咲耶は他国からの留学生であることに加え、日本呪術協会の協会長の孫なのだ。そんなVIPの留学生に我が校の男子たちがしでかしたのではないかと想像してしまったのだろう。

 

「先生、彼女はちょっと勉強のしすぎで熱を出してしまわれたんですよ」

「そこで彼女と同じハッフルパフの優等生、セドリック・ディゴリーとリオール君が医務室へと運ぶ途中でして」

「バカをおっしゃい! 彼女のこれは熱ではなく、酔いなのではないですか!?」

 

 なんとか取り繕おうとするフレッドとジョージだが、気づいてほしくないところをマクゴナガルは次々に看破していっている。

 

「まさか、あなたたち、無断で彼女をホグズミードに連れ出したのではないでしょうね!?」

 

 ホグワーツの台所事情は魔法使いに従順な屋敷しもべ妖精がしきっているが、従順とは言っても主である学校の教師と生徒、どちらの命令に重きを置くかというと、当然教師だ。そのため学校において生徒が酔っぱらうような飲み物を手に入れるのは不可能だ。

 

 ゆえに、今日という日に酔う可能性のある飲み物を手に入れられるのは咲耶が行くことができないホグズミードだけだ。

 

 フレッドとジョージはなんとかこの場を逃れるための方便をひねり出そうとし、ちらりとリオールにおぶわれている咲耶に視線を向けたセドリックは

 

「……すいません。僕が彼女を無理に誘いだしました」

「ディゴリー!?」「おいっ!」

 

 二人が止める間もなく自身の違反を口にした。

 

「セドリック・ディゴリー……あなたという人は……」

 

 セドリック・ディゴリーという少年は、劣等生の多いと陰口を叩かれるハッフルパフではあるが、学年でも優秀な部類で、寮の特徴である忍耐と優しさを持つと教師陣にも評価されている生徒だ。

 ゆえに留学生を気遣ってのことだということは分からなくもないが、それでもよもや無許可で彼女を連れ出して、酔っぱらわせてきたなどということは許せるものではない。

 

「いやいやマクゴナガル先生。ちょっとフィルチの眼を掻い潜るなんて彼にはできませんよ」

「ちょっと留学生にホグズミードの楽しみ方を教えようという、我々の悪戯でして」

「あなたたち! なんということを! 彼女はスプリングフィールド先生の同行なしでホグズミード行きを許可されていません! それを連れ出した挙句、酔わせたなどと!!」

 

 一人泥を被りそうな態度のセドリックに対し、悪戯仕掛人の後継者を自認する二人は自らの悪戯であることを強調した。

 たしかに発端はセドリックたちかもしれないが、実際にそれを行動に移した以上、この悪戯は自分たちのものだという矜持が彼らにはあるのだろう。

 

 マクゴナガルは顔を真っ赤にして彼らを怒鳴った。

 

「ひとまず、コノエはマダム・ポンフリーの所に連れて行きます。あなたたちへの罰はその後です。スプリングフィールド先生にもこの件を伝えなければ……」

「まぁ、少し待て、ミネルバ・マクゴナガル」

 

 マクゴナガル先生がこの事態の対処と彼女の保護者への連絡の必要性に頭痛の覚えたような表情となっている中、少し驚いた表情で3人を眺めていたリオールが口を開いた。

 

「なんですか、あー……」

 

 言葉をかけられてマクゴナガル先生がもう一人の怒りの対象に厳しい視線を向けた。科目ごとに全生徒を担当している教師は、生徒自身よりも多くの生徒の顔を覚えている。しかしそのマクゴナガル先生においても、この少年には見覚えが無く、名前がでてこずに少し固まっている。ただ、どことなく見覚えがありそうな顔立ちに怪訝な色を滲ませていると

 

「ん。時間か」

 

 リオールの言葉とともに、

 

ボンっ

 

という音ともにリオールの姿が消えた。

次の瞬間そこに居たのは

 

「これで、問題ないだろ」

「……なにをしているのですか、スプリングフィールド先生?」

 

 咲耶を背負ったまま、先程よりも明らかに身長が二回りくらい大きくなっているリオンの姿があり、フレッドたちはもとよりマクゴナガル先生も呆気に取られている。

 一泊遅れて、まだ驚きから帰ってこないセドリックたちよりも早く、マクゴナガルが、気持ちを静めるように大きく深呼吸してから問いかけた。

 

「流石に同行するのに教師が一緒では、周りの生徒に気の毒と思いましてね」

 

 リオンの表情は、どちらかというとバレた時の周囲の表情が楽しそうだから、という副音声が聞こえてきそうなほどに面白そうな笑みを浮かべていた。

 その返答に、マクゴナガル先生は大きく鼻を膨らませて、もう一度深呼吸をした。

 真面目そうだと思っていた新しい同僚が、実は悪戯好きなのだとこの時になって確信したようで、気持ちの整理をつけているのだろう。

 

「コノエが酔っているのは?」

「これはちょっと予定外でしたが、別に彼らが意図したことじゃありませんよ。まあ、彼らも咲耶を楽しませようとして思ってくれたことなので、心配するようなことはありません」

 

 あっさりと答えるリオンに、マクゴナガル先生はパクパクとなにかを言いたそうにして、しかし言葉がでてこずに唇をキュッと結んだ。

 

「……分かりました。あなたがそうおっしゃるのなら問題はなかったのでしょう。ウィーズリー、ディゴリー、罰則は私の早合点でした。これからも留学生の彼女を気遣ってあげてください」

 

 流石は副校長というべきか。鉄のような自制心で平静を装ったマクゴナガル先生は、先に挙げた違反が覆されたことを潔く認めて、踵を返した。

 セドリックや双子の反応から、許可の前後や彼らの思惑は彼女にも察しがついたのだろうが、その保護者であるリオンが問題なしと言っている以上、証拠はなく、深く追求するのは止めにしたようだ。

色々と思うところはあるのだろうが、去り際に口にした言葉は、優しさに満ちているようにも感じられ、3人ははーっと息を吐いた。

 

「助かったー」

「スプリングフィールド先生、人が悪いぜ」

 

 マクゴナガル先生の姿が見えなくなると、フレッドとジョージはリオンに駆け寄って、先程まで同じくらいの身長だった先生を見上げた。

 

「先生。元々ついて行く気だったのに、ダメだししたんですか?」

「いや。勝手に連れ出しているのが分かったんで、先回りしたんだよ。方法は秘密だ」

 

 セドリックはどこか納得いかなそうな表情でリオンに問いかけるが、リオンはにやにやとした笑みを浮かべたまま答えた。

 

「マジかよ!」

「フィルチなんて目じゃないぜ、この人!」

 

 リオンの返答が気に入ったのか、フレッドとジョージは嬉しそうにリオンを指さしている。

 

「勝手に彼女を連れ出したのに怒らないんですか?」

「……まっ、友達が気にかけてくれるのは悪いことじゃないだろ」

 

 お咎めなしだったものの、生真面目なセドリックにとって違反しようとして、実際に行動に移してしまった罪悪感があるのだろう。しかしリオンは背中の咲耶を軽く揺すって示し、苦笑した。

 

「それより、今日のことは内緒にしておけよ。これからホグズミードに行きづらくなるんでな」

「許可して下さるんですか!?」

「いつも気付けるとは限らん。毎回抜け出される方がよほど面倒だ」

 

 やれやれといった様子のリオンだが、それでもなんだかんだで咲耶のことを気にかけているのだろう。

 

「このことを黙ってるなら、代わりに俺も今日の通路のことは秘密にしといてやるよ」

「先生、話が分かるぜ」「交換条件、だな」

 

 リオンの提案にフレッドとジョージが口笛を吹いた。今日一日、リオンと過ごしてだが、授業中の厳しそうな様子とは裏腹に、子供っぽい悪戯心を持ちあわせていることが分かったのだろう。フレッドたちはかなり親近感が湧いたようだ。

 

「ああ……さて、と。じゃあとりあえず、この酔っ払いをなんとかするか」

「先生、サクヤは……」

 

 話題を今現在、リオンの背中で寝ている人物へと変えるとセドリックは心配そうに声をかけた。

 

「あとで寮に送り届ける。心配しなくてもそんなに説教はせんよ。こいつのお友達には見つかったけど大丈夫だったとでも言っとけ」

 

セドリックに対してリオンは、心配するなと声をかけて、彼の研究室へと足を向けた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ハロウィーン騒動

 その日は朝からいい匂いが学校中に漂っていた。

 パンプキンパイを焼く、甘く香ばしい匂い。甘いものが苦手な者を除けば、漂う香りに多くの生徒が今日のイベントに期待感を持っていた。

 

「リーシャ。ちょっとリーシャ」

「はぁ~~」

 

 午後の授業も終わりに近づくころには気の早い学生がすでに、心をハロウィーンの御馳走の用意された大広間に飛ばしてトリップしているなんてこともあった。

 占い学の授業を受けている咲耶も初めての本場の(?)ハロウィーンにワクワクと期待しており、リーシャに至っては退屈な授業と相俟って完全に集中力がすっ飛んでいた。

 いつもであれば、少なくとも近くにトレローニー先生がいれば、真面目な振りくらいはするのだが、今日はもう完全に明後日の、というよりも大広間の方に心が向いていた。

 トレローニーは、神聖な教室が侮辱されたかのような眼でリーシャを見下ろした。

 

「……なにか、見えまして? ミス・グレイス?」

「パイがみえま~す。ぱんぷき~ん」

「…………」

「バカリーシャ……」

 

 トレローニー先生の質問に対しての、トリップ中のリーシャの返答にクラスメイトが笑を堪えきれず、フィリスは頭痛を堪えるかのように額を押さえた。

 失笑の起こるクラスで、トレローニー先生はひくひくと頬を引き攣らせて、この俗物生徒をどうしてくれようかという眼で見おろした。

 

 

第11話 ハロウィーン騒動

 

 

「はぁ、トレローニー先生、話が長いしよく分かんないんだよなぁ」

「あれは完全に怒ってたのよ! バカリーシャ!!」

「あはは、それでも優雅っぽくできるのはすごいな、とれろにセンセ」

 

 完全にやらかしたリーシャに対して、トレローニー先生は、

「わたくし、あなたのような俗物の、心の眼の曇った生徒が、わたくしの授業を理解できるとは、あなたを一目見た最初の時から思ってはおりませんでしたよ。ええ、もちろん微塵たりとも。しかし、たとえ眼力の備わっていない子といえども――――」

 うんぬんかんぬん。という非常に長ったらしく、婉曲的なように見えて、皮肉たっぷりに直接的な批評を延々とくだした後、ハッフルパフから10点減点を下した。

 

「でも仕方ないだろ。朝からこんなにいい匂いしてるんだから」

「そやなぁ。うちもおなかペコペコや。パーティがあるんよな? 楽しみで楽しみで」

「少しは反省しなさいよ。はぁ……早いとこクラリスと合流して大広間に行きましょうか」

 

 盛大に腹の虫をならすリーシャと、ほわほわとリーシャの味方らしき立ち位置になってしまった咲耶にフィリスは、早くもう一人のストッパー役と合流したくなった。

 

 数占いの授業を受けていたクラリスと合流した一行は、ハロウィーン色で彩られた大広間へとやってきた。

 

「だいたいリーシャ。授業を少しはマジメに受けなさいよ。そんなんだから、ハッフルパフは他の寮に比べて劣ってるとか」

「はいはい。おっ! 今年もすっげえ!」

「ほわぁ! アレ! アレなんなん!? でっかいカボチャ! あんなでかいん見たことないえ!?」

 

 フィリスの説教をものともせずに大広間の光景を見たリーシャが嬉しそうに声を上げた。

 千に近いのではないかと思われるほどのコウモリが壁や天井で羽ばたき、生きた黒雲のように流線を描いており、魔法によって大きく育てられたカボチャは中をくりぬかれてランタンのようになっていた。

 初めての本格的なハロウィーン、しかも魔法界使用の光景に咲耶は瞳をキラキラと輝かせて魅入っており、リーシャと一緒に声を上げた。

 

「太らせ呪文? 先生の誰がやったか分からないけど、巧い」

「今年で3回目だけど、相変わらずすごいわね」

 

 フィリスもパーティの装いが整えられた広間に入ってまでお説教を続ける気にはなれないようで、溜息を一つついてから笑顔で宴会場の内装を褒めた。

 

 

 パーティの始まりは新学期の時と同じように唐突に料理皿に数々の料理が現れて始まった。

 それぞれの寮に分かれつつも、各々御馳走に顔を綻ばせ、参加者たちは愉しげにパーティを楽しんだ。

 教師席の方では、スネイプ先生の横で、なんだか愉しそうな笑みを浮かべたリオンも参加していた。

 

「スプリングフィールド先生も楽しんでるみたいだな」

「ハロウィーンはリオンがご機嫌になる日やからなぁ」

「……隣のスネイプ先生はすっごい嫌そうな顔してるわよ」 

 

 確かに、普段よりも機嫌がよさそうにゴブレットを傾けているリオンだが、その横のスネイプは不機嫌通り越して忌々しいといった表情となっており、それを知ってか知らずか、反対側に座るダンブルドアが笑顔でスネイプの皿にケーキを切り分けている。

 

 

 ・・・

 

 

 一部除いて楽しげな雰囲気に包まれる大広間。

 

 その楽しさは、突然大きな音を立てて開いた扉と、入ってきた者によって破られた。

 バンッ!! と大きな音とともに入室してきたのはいつもおどおどのクィレル先生。だが、その顔はいつも以上に恐怖で彩られていた。

 

「ダンブルドア校長……トロール数匹が……地下室から……お伝えしなくてはと思い……」

 

 息も絶え絶えの様子で言葉を告げたクィレルはその場で気を失うようにしてパタリと倒れた。

 クィレルの慌ただしい登場に静まり返り、注視していた生徒たちは、クィレルが倒れてから一拍おいて大混乱に陥った。

 

「トロールって、なんでんなもん!?」

「すぐにはここまで来ないと思うけど……」

「大混乱」

 

 リーシャやフィリス、クラリスもかなり焦った様子を見せており、あまり状況を分かっていない咲耶は混乱している周囲をうかがうように右に左に視線を彷徨わせている。

 そんな混乱の場を収めるように、教師席から爆竹を数度炸裂させたような破裂音が響き、広間に静寂が戻った。

 

「監督性よ! すぐさま自分の寮の生徒を引率して寮に帰るように」

 

 魔法で破裂音を鳴らしたダンブルドアは、静かになった広間に音響魔法を使って、重々しい声を響かせた。

 

 監督生の統率のもと、階上のグリフィンドールとレイブンクロー、地下方向のスリザリンとハッフルパフとに分かれて避難を開始した。

 

「と、とろるって。授業でやったでっかいやつやんな? そんなあっさり入ってくるもんなん?」

「んなわきゃないだろ!?」

「この学校は許可なしに敷地を超えられないはず。中から誰かが招いた?」

「悪戯、ってレベルじゃないわよ、これ!」

 

 トロールというものがどんなものかは咲耶も教科書ですでに知っていた。だからこそ、それがこうも容易く、敷地内どころか学校内に侵入していることに驚くが、それはリーシャたちも同じようで、特にクラリスは学校を守る守護が破られたことに驚いているようだった。

 

「大丈夫かい、サクヤ? どっちにしてもただ事じゃないのはたしかだね」

「まっ、先生たちが鎮圧に向かったらしいし、心配いらねーって」

 

 早歩きで階段を下り、移動しながらもセドリックは気を遣うように言葉をかけた。その横ではルークが、内心を隠して、飄々としたように問題ないと言った。

 

「それより、地下からトロール出てきたのに地下に向かって、大丈夫なのかしら」

「それこそ心配ねーって。こういう時のスリザリンの連中はあてになるからな」

 

 階上に逃げるグリフィンドール生たちと違って、地下方向のハッフルパフ生たちはトロールが出現した方向とも近いため、安全なルートを迂回しながらの避難となり、いつもの倍以上の時間がかかっていた。

 避難ルートを心配するフィリスにルークは、スリザリンの目標を達成するための能力を信じていると言った。

 ルートを先導するのはスリザリンの生徒だが、セドリックたちにとって見覚えのあるその生徒はたしか上級生の監督生や教師たちも信頼している同学年の主席候補だったはずだ。

 

 駆けて行く二つの寮の生徒たち。

 駆け足とは言え、動く階段やだまし段差のあるホグワーツの廊下だ。もうじき長い下り階段を終え、ハッフルパフとスリザリンとの分岐点である四つ辻に辿り着く、というところで下級生が一人、足をとられてこけた。

 

「あっ!」

 

 こけた生徒を眼の端で捉えた咲耶は、短い声を上げた。瞬時、リーシャが身を翻した。

 

「先に行ってな!」

「リーシャ!」

 

 出足素早くリーシャは転んだ生徒の元へと駆け寄った。

 

「大丈夫か?」

「う、うるさいっ!」

 

 どうやらスリザリンの1年生らしく、プラチナブロンドの髪の少年。元々は青白い肌なのだろうが、転んだところを他寮の、しかもおちこぼれと揶揄するハッフルパフの生徒に駆け寄られたことで顔を赤くして怒鳴り返した。

 怒鳴られたリーシャは一瞬呆気にとられたが、悪態をつけるほど元気なら心配いらないとにやりと笑みを浮かべ、言葉をかけようとした。

 

 だが

 

 ――ズン!

 

 という音が四つ辻の一方向、二つの寮とは別方向の通路から異音が響き、リーシャがバッと振り向いた。

 先行している咲耶やフィリスからは見えないが、リーシャの顔が引きつり、下級生の顔がザッと蒼ざめたのは見えた。

 

「フィー、セドリック! 急げっ! トロールだっ!!」

 

 怒鳴るリーシャの声に、先を行く生徒たちの顔色が変わった。

 

「なっ! 急いで! っ、まだ生徒が多すぎる!」

 

 顔色を変えたフィリスがざっと振り返って通路を見るが、リーシャの声に気づいて悲鳴を上げて走りだろうと押し合いをする生徒たちで溢れている。

 

「サクヤ!?」 

 

 先に進むことはできない。

 トロールがすぐそこまで来ており、先生たちの姿もない以上、追いつかれる公算が高い。

 そう判断した咲耶は杖を取り出しながら、リーシャのもとへと駆けた。追うようにクラリスの声が聞こえるが、咲耶は振り返らずにリーシャの横まで走った。

 

「バカ! なんで来た!」

「リーシャ、はようその子連れてったげて! うちが足止めする!」

「なっ。バッ!」

 

 右手には杖を携え、その目は普段の咲耶とは違い、キッと敵を見据えていた。視線の先のトロールは、生徒たちの喧騒に興奮しているのか、そちらを目指すように咲耶たちの方へとドスドスとその重厚な足音を近づけてきていた。

 

 怖くないと言えば嘘になる。

 それでも、「抜くべき時に杖を抜け」と教わってきたから。

 

「アステル・アマテル・アマテラス。光の精霊3柱。集い来たりて、敵を射て! 『魔法の射手・連弾・光の3矢!』」

 

 咲耶の詠唱と共に3つの光の玉が集い、咲耶の振るう杖に従うようにトロールへと襲いかかった。

 

「サクヤ!」

 

 叫ぶリーシャの声に振り向くことはせず、咲耶はただ前を見据えた。

 あの人が自分に見せてくれたように、守る者の前に立って。 

 

「あ、あ……」

「大丈夫や」

 

 間近でトロールに接敵したためだろう、駆け寄った1年生はがたがたと震えており、身を縮こまらせている。

 先程光の矢を打ち込んだトロールは、しかし大したダメージにはならなかったようで、むしろ邪魔されたことに腹を立てているようだ。

 少なくとも二人が退避する時間は稼ぎたい。咲耶は呪文を詠唱するために杖に魔力を込めた。

 

「アステル・アマテル・アマテラス。風精召喚。剣を執る戦友! 迎えうって!」

 

 腕を振るって接近してくるトロールに、咲耶は杖を振るって迎撃行動に移った。呪文とともに風で編まれた5柱の精霊がトロールへと駆けた。

 

「リーシャ!」

「っ! 一年、こっちだ!」

 

 攻撃呪文は正直得意ではない。咲耶は自身の魔法を過信せず、逃げるのを急がせるようにリーシャの名前を呼んだ。

 その声は、援護をすべきか迷っていたリーシャの決意を固めさせて、立ち上がったリーシャは一年生のローブの襟首を引っ張って立たせた。

 

「サクヤも早く!」

「っっ!」

 

 風精の強さはさほどではないのか、トロールが腕を振るうたびに1体、また1体と消えてしまうが、十分な時間稼ぎにはなったようで、その間に駆け寄ってきたセドリックとリーシャが1年生を抱え下がった。

 

 得意ではないとはいえ、咲耶にも攻性の呪文はある。

 二人が退避したことで場が開けた。四つ辻に立っている咲耶から見て、トロールは廊下の一直線上にいる。この状況ならば外すことはない。

 

 傷つけるためではなく、昏倒させるための魔法。

 自分の持つ膨大な魔力のひとかけらを長大な呪文に乗せる。

 だが、そんな咲耶の左手側

 

「!!」

 

 ズドンっ!! という音とともに床が陥没した。咲耶の立つフロアを震わせて、階上から飛び降りてきたトロールが、今また新たな脅威として姿を現したのだ。

 

「なっ、もう一匹!?」

「サクヤ!」

 

 風精を向かわしていた一体のトロールに注意を向け、呪文を唱えようとしていた咲耶も、もう一体、自身の背後に現れたトロールの着地の轟音に気がついた。

 着地したトロールの動きが決して素早くはない。鈍重といってもいいその動き。咲耶は振り返りながら、杖に魔力を込めた。

 

「くっ! アステル・アマテル・アマテラス ――『風花・風障壁!』」

 

 攻撃のためではなく、防御。

 新たに現れた2体目のトロール。その巨腕が振るわれようとする直前、咲耶の声が響き、かろうじてその剛腕を阻んだ。

 今までに授業で教えられた障壁・風盾や氷盾など(デグレクシオー)よりも遥かに強力な対物障壁 風花・風障壁。10tトラックの衝突すら防ぎきると言われるほどの障壁は、咲耶の膨大な魔力もあって、咄嗟のこととはいえトロールの剛腕を阻んだ。

 

 だが、咲耶の注意が2匹目に向き、障壁の維持に集中したとき、1匹目の進行を阻もうとなんとか抵抗していた精霊が、ついにすべて消し去られた。

 

 ブァーと不快な喚き声を上げながら接近してくるトロール。

 

 フィリスやクラリスが絶望的な思いで駆け寄ろうとするその目の前で、トロールの腕が振り上げられ、技後硬直で動くことのできない咲耶に振り下ろされた。

 ただ目を見開き、自らを肉塊へと変えようとする暴力を見つめることしかできない咲耶。

 

 

 その前に

 

 ドウっ!!

 

 という音とともに僅かに赤と金の混ざった髪を靡かせて彼女の守護者たる魔法使いが立ち塞がった。

 

 

 ・・・

 

 

 衝撃音とともにその棍棒が咲耶の目前でせき止められていた。魔法で止めたわけではない。

 破壊をもたらすその一撃を止めたのは

 

「リ、オン……」

 

 明らかに体格差、腕力差があるにも関わらず、トロールの巨腕を受け止めたその体はまったく後退することはなく、しかし衝撃の大きさを表すようにその足元は陥没している。

 巨腕と細腕。到底釣り合うはずのないその二つは拮抗するどころか、ビクリとも動かない細腕を前に、大木を薙ぎ払うトロールの巨腕は渾身の力を込めていることがうかがえるように細かく震えている。

 

 なにが起こっているのか、認識が追いつかず、呆然とするフィリスたちの見ている前で、

 ――バチィッ!

 という音とともに紫電がリオンから放たれた。

 

 そして

 

「アス・ラック・アレイスト・クルセイド。来たれ虚空の雷。薙ぎ払え!」

 

 聞きなれぬ言葉。そこに乗せられた言霊が、咲耶の呪文よりも圧倒的に膨大な精霊を呼び集める。

 

 ――雷の斧(ディオス・テュコス)――

 

 同時に振るわれた腕から大きな雷斧がトロールに落ち、その巨体が傾いた。

 圧倒的な雷の一撃に遠巻くから見ていた生徒たちも唖然とその姿を見つめた。

 

「すげぇ……」「雷の魔法……」

 

 雷の斧を受けたトロールは傾いた体躯を持ち直す事無く崩れ落ちた。

 

「スプリングフィールド先生! もう一体が!!」

 

 雷鳴に興奮したのか、先ほど咲耶の風障壁に動きを止められたもう一体のトロールがうなり声を上げてリオンの方へと突き進んでおり、セドリックが大声で叫んだ。

 

「下がってろ、咲耶」

「うん!」

 

 魔法使いである以上、特にトロールのように直接攻撃力のみしか攻撃をもたない相手と戦うのであれば、距離をとるのが普通のはずだ。しかしリオンは咲耶を自身の背後におき、トロールとの距離を自ら詰めた。

 

「先生っ!? ……えっ!?」

 

 見る間に距離がつまり、トロールの剛腕がリオンへと振るわれた。再びの体格差に今度こそ潰されるかに見えたその瞬間、トロールはまるで重力など関係ないかのように宙を舞い、次の瞬間には体重を思い出したかのように轟音を響かせて倒れ伏していた。

 

「なに、やったの?」

「魔法……?」

 

 倒れたトロールは自重を乗せて叩きつけられたのか、うめくように声を漏らしている。

 

 魔法を振るったようには見えなかった。フィリスたちの眼には、先生を肉塊に変えようと振り下ろされたトロールの棍棒とリオンの腕が交差しただけにしか見えなかった。

 まさに魔法のような光景。だが、先程の雷撃とは異なり、目に見える魔法の発動は無かった。それはつまり魔法使いが巨体のトロールを素手で投げ飛ばしたことになる。

 

 そんなことはありえない。しかしそれを証明するかのようにリオンの手は、トロールの腕に触れており、

 

「なっ!! トロールが、凍って!」

 

 触れているその部分から見る間にトロールが凍り始め、まばたき程のわずか間に完全に凍り付いてしまった。

 

 ――凍てつく氷柩(ゲリドゥスカプルス)――

 

 トロールの巨体を覆い尽くすほどの氷の柩。

 リオンは他に害敵が居ないかを確かめるように視線をわずかに流した。

 

 一体は雷の斧で焼かれ、もう一体は氷の柩にその巨体を眠らせた。

 

 

 とりあえず、この場所で襲い掛かってくる者はいないことを確認したリオンは咲耶に声をかけた。

 

「これでしまいか。とりあえずとっとと立て、咲耶」

「ほぇ? あ、うん」

「サクヤ! 先生、これは……」

 

 数瞬ぼうっとしていた咲耶だが、リオンの声で我に返り立ち上がった。友人の無事を確認したいフィリスがほっとしたように駆け寄ってきた。

 

「何匹入りこんだか知らんが、2匹とはついてなかったな、ガキども。とっととこいつ連れて寮に戻れ」

「えっ、あっ、はい」

 

 ひとまず近場に脅威はないと判断したのだろう。寮までは同行する気がないようない方をされて、フィリスが戸惑い気味に咲耶の手を引いた。

 

「ありがとうな、リオン」

「とっとと行け」

 

 フィリスとともに生徒たちの方に戻りながら咲耶は先程の恐怖などないかのように微笑んでお礼を言った。返ってきた言葉は素っ気なく、しっしと手振りまで付け加えられていたが。

 いつもと変わらないリオンの様子に、笑みを向けてから咲耶はクラリスたちの方に向き直った。

 

 その背中を見送るリオンは、その先にいる生徒たちに視線を向けた。

 心配そうに咲耶に駆け寄るクラリスとセドリック。一年生を救出したリーシャを心配しているルーク。救出された一年生はすでに自寮であるスリザリンの方に合流したのかその場には居なかった。

 多くの生徒は、ハッフルパフ生を中心としたリーシャや咲耶の身を心配する者と、生徒から見れば大立ち回りを演じたリオンを驚いたように見ている者とに分かれており、リオンの視線を受けたと勘違いしてか、慌てたように踵を返して寮へと向かった。

 

 ただ、廊下の端からこちらの方を睨むように見ている一人の生徒の姿があったことに、リオンだけが気づいていた。

 

 

 

 ・・・・

 

 

 

 寮では屋敷しもべ妖精によって運び込まれた食べ物で先程のパーティの続きが催されていた。危機的状況もあったが、全員が無事に辿りつけたことで、過ぎ去った危機は冒険のように見習い魔法使いたちを興奮させていた。

 

「すごかったな、スプリングフィールド先生の魔法!」

「トロールに雷撃一閃って、精霊魔法ってあんなこともできるんだな!」

「それに一瞬であの巨体を凍りつかせてたぞ」

「トロールを投げ飛ばしたのも魔法なのかな?」

 

 冒険話の中でも話題は先程のリオンの活躍が中心になっていた。

 

「すげーな、これ」

「サクヤ、大丈夫?」

「うん。平気やよ」

 

 興奮したように話している寮生を見回してリーシャは感心したように呟き、フィリスは改めて咲耶の無事を確認した。

 

 最も怖い思いをしたのは咲耶だろうが、本人を見る限り特に怪我をした様子もないし、恐怖を押し殺しているようにも見えない。

 咲耶はかぼちゃパイが気に入ったのか、もこもことリスのように頬張っていた。

 普段と変わらない小動物的な様子に頭を撫でながら王子様に守ってもらったからかな。とフィリスは乙女の考えを働かせて微笑ましげな視線を咲耶に向けた。

 

「しかし、驚いたな、先生には」

「そうなのか? トロールの氷漬けには驚いたけど、トロールを倒すくらいなら他の先生にもできるだろ?」

 

 女の子同士のやりとりを温かく見守っていたセドリックが思い出したように先程の魔法をリオンを思い出し、ルークがジュースを傾けながら問い返した。

 

「たしかに。けど真っ向から魔法もなしにトロールの攻撃を受け止めるなんて普通じゃないよ」

 

 ルークの言葉にセドリックは魔法よりもその戦闘方法を思い出していた。

 魔法使いは基本的に杖をもって魔法を操るものだ。未熟な子供の魔法使い見習いならば、魔法が使えないから殴り合いをする、といったことがないでもないが、それは子供のケンカレベル。大人の魔法使いでもトロール相手に肉弾戦はしないだろう。 

 

「あれもなんかの魔法なのか、サクヤ?」

 

 リーシャは魔法使いとしての視点から、なんらかの魔法が働いたのだろうと特に深く考えることなく咲耶に尋ねた。

 もこもこと食べていたパイを飲み込んで咲耶はリーシャの質問に答えた。

 

「んー。障壁でほとんど止めたんやと思うよ。投げ飛ばしたんは合気道、かなぁ」

「アイキドウ?」

 

 返ってきた答えは、聞きなれない単語でリーシャを始めクラリスも首を傾げた。

 彼の母が得意としたマグルの体術を、彼もまた叩き込まれていたことを咲耶は思い出していた。

 

「魔法を使わん武術なんよ」

「へぇ。そういう戦いかたもあるんだ」

 

 科学技術をはじめ、イギリス土着の魔法使いはマグルの産物を軽視、というか蔑視しがちだ。とりわけ純血の魔法使いにその傾向が強い。

 それだけに、魔法使いが魔法を使わない格闘術を身に付けているということにセドリックは感心したように言った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

吸血鬼の真祖とは怪物である

大変お待たせしました。第12話の投稿です。


 トロールが学校に侵入するという事件の起こったハロウィン後。結局トロールたちの侵入経路などは分からなかったとのことだが、学校はとりあえず平穏を取り戻した。

 ハロウィン直後は事件に関して様々なうわさが飛び交っている、というのを咲耶たちは人づてに(主にフィリスから)聞いた。

 

 曰く、

 “あの”ハリー・ポッターが迷い込んだトロールを退治した。

 新任のスプリングフィールド先生が雷を落して退治した、いや氷漬けにして砕いた。

 トロールはホグワーツに隠された秘密を暴くために送り込まれた。

 ハグリッドが森で飼っていたトロールが酔って入り込んだのだ。いや、スリザリンが招き入れたのだ。   …………などなど。

 

 色々と噂が流れたが、ハロウィンの浮かれた雰囲気があっという間に消えたように、日々の授業の大変さに噂もすぐに鎮火していった。

 噂の一端である生き残った少年も、クィディッチの練習や授業の課題によって慌ただしそうに日々を過ごしていた。

 

 

 

第12話 吸血鬼の真祖とは怪物である

 

 

 

 慌ただしい授業の一つ。

 

 多くの新入生が心待ちにしていたであろう闇の魔術に対する防衛術。闇の勢力の恐怖が色濃く残るこの地だからこそ、それに対する備えであるこの科目に対しては入学当初、期待をもって臨む学生が多い。だが流石に3年生ともなれば、多くの者はそこに過剰な期待を寄せることはなくなっていた。

 

「きき、今日の授業は、きゅ、吸血鬼についてです」

 

 とりわけ今年の防衛術の教師、クィリナス・クィレルの評判はあまり良くない。

 

 この教師、友人たちに聞いた話によると、一昨年くらいまではマグル学を教えていたのだが、修行のため他国を巡り、なぜだかおどおど教師となって帰ってきてから防衛術の教師になったとのことだ。

 ちなみに前年の防衛術の教師も、その前の教師も任期は1年しかもたず、それはここ数10年間ずっとだということらしい。

 そんな中で、海外に修行にでていたクィレル先生の授業だが、その内容は非常に残念なモノだった。

 

 おどおど、きょどきょどとした授業態度はもはや仕方ないが、教室内は常ににんにくの臭いが立ち込めており、防衛術というお題目はあるものの授業内容はほぼ座学のみで3年生においても実技は全くなかった。

 

「クィレル先生、今日はいつにもましてきょどってるな」

「まぁ、内容が吸血鬼だしね」

 

 生徒の大半もこの授業に関しては(占い学や魔法史と並んで)不真面目な者が多かった。

 実技系を好むリーシャもあまりこの授業は好きではないらしく、いつにもましてカミカミなクィレル先生の授業に小さな声でフィリスとおしゃべりしていた。 

 

「吸血鬼がどないしたん?」

「あぁ、あっ! えっと……」

 

 フィリスの隣に座っていた咲耶が聞こえてきた単語に興味をひかれて問いかけるが、フィリスはすんでのところで咲耶と吸血鬼の関係、占い学で予言された不吉の象徴を思い出して言い淀む。

 

 ちなみに死の予言に関しては、スプラウト先生曰く、トレローニー先生の毎年の恒例らしく、着任以来ずっと続けている儀式だが、未だに誰も死んではいないらしい。

 ただそれでも、占いを信じやすい性質らしい咲耶を気遣ってフィリスは言葉を探した。だが、そんなフィリスを裏切るようにあっさりと占い学をとっていないクラリスが告げた。

 

「クィレル先生はルーマニアで吸血鬼に会ったらしい」

「ルーマニア?」

「そこで恐ろしい目にあって、以来頭のターバンにニンニクを仕込むようになった……らしい」

 

 クラリスの言葉に咲耶は、クィレル先生のターバンに視線を向け、

 

「ホンマ?」

「さぁ? でもまあかなり怖い目にあったのは事実らしいよ。マグル学教えてた時はあんな感じじゃなかったし」

 

 意外そうな顔で友人たちの方に振り向いた咲耶にリーシャは肩を竦めて返した。

 

 

「・・・また、きゅ、吸血鬼は、一般的に、じゅ、十字架とにんにく、そして太陽の光と、流水が、じゃ、弱点と言われていますが、れ、例外があります」

 

 生徒たちは眠たそうにしている者、にんにくが苦手と聞いてくすくす笑いをしている者などいるが、クィレル先生は相変わらずおどおどしながら板書をとっている。

 

「ま、魔法界に古くから伝わる伝説上の怪物、し、真祖の吸血鬼には、弱点がない、不死の化け物だと、い、言われています」

「せんせー、不死ならなんで今、その真祖の噂を聞かないんでしょうか?」

「ひっ! あ、あくまでも魔法界に伝わる、伝説ですから……ま、魔女狩りの最中に生み出された、ま、マグルの妄想の、さ、産物と言われて、い、います」

 

 あまりにおびえた様子で授業するクィレル先生の様子に、生徒の一人が茶化したように質問をした。

 マグルの妄想の産物、あるいは見間違い、というのは旧世界においては比較的よくあることだ。

 中にはマグルをからかうために、魔法族の者が魔法を使って騙したなどということもよくあり、マグルとの共存派の魔法族にとっては頭の痛いこととなっている。

 

「うさんくさい話だよなー」

「魔法界の話なら、サクヤ知ってる?」

 

 不死の怪物

 その言い草に、リーシャとフィリスが異なる魔法世界ではどのようなものか聞こうと尋ねた。だが、その返答が得られることはなかった。

 

「残された伝承によると、し、真祖は、悪逆の限りをつくした残酷な、や、闇の魔王だとも、い、言われています」

 

「むぅ……」

「サクヤ?」

 

 咲耶は、クィレル先生の真祖に関する説明に眉根を寄せてどこか不満そうに頬を膨らませていた。

 

 

 ・・・

 

 

 闇の魔術に対する防衛術の授業が終わり、寮へと戻ってきた咲耶たちだが、

 

「なんか機嫌悪いな、サクヤ」

「やっぱ占いのこと気にしてるのかしら……」

 

 授業中から頬をふくらませて不機嫌そうにしている咲耶に、リーシャとフィリスは小声でひそひそと話をしていた。

 八つ当たりじみたイライラだということは本人も理解しているのだろう。心配そうに様子をうかがうクラリスに、咲耶はため息を一つついて立ち上がった。

 

「そろそろ、いつもの補習の時間やからリオンのとこ行ってくるな」

「あれ? 今日もあんの?」

「今日は遅くならないようにね」

 

 リーシャとフィリスから意外そうな声が返ってきて咲耶は首を傾げた。補習はだいたいいつもやっていることだから、今日に限ってそのように言ってくるのが少しおかしかったからだ。

 

「今日て、なんかあるん?」 

 

 とりあえず分からなかったので、咲耶は首を傾げて友人たちに問いかけた。だが、リーシャたちはぽけっと呆気にとられたように顔を見合わせた。

 

「何って、サクヤ。明日はいよいよクィディッチのシーズン開幕じゃんか!」

「はえ?」

「明日はグリフィンドールとスリザリンの開幕戦よ」

 

 何を言ってるんだとばかりの二人に、今度は咲耶がぽかんとした表情となった。たしかにクィディッチのシーズンが始まるということで、学校では徐々に盛り上がりを見せてはいるのだが、

 

「え、ハッフルパフとかリーシャはでえへんよ、な?」

 

 自寮であるハッフルパフは第2戦。

 先だってのクィディッチチーム選抜試験で見事メンバー入りを果たしたリーシャだが、当然、他チームの試合には参加するはずもない。

 咲耶にとってクィディッチはまだ見たこともないスポーツであり、多少の興味はある、といった程度のものだった。だが、その反応は正しくはなかったようだ。

 

「何言ってんだよ! 総当たり戦なんだから、どこのチームの試合でも大切に決まってるだろ!!」

「あのハリー・ポッターがでるのよ! 1年ながら、クィディッチ好きの“あの”マクゴナガル先生を認めさせたほどの選手なのよ!!」

 

 きょとんとした咲耶に対して、二人は各々、クィディッチ熱とミーハー熱、それぞれの立場からの見どころを熱く語った。

 

「特に第2節じゃ、うちがグリフィンドールと当たるんだ! キャプテンのウッドはうまいキーパーだし、ビーターのウィーズリーコンビはチェイサーの私にとっちゃ天敵みたいなもんだし! それにポッターの腕前しだいじゃ、セドリックも危ないかもしんないし!!」

 

「グリフィンドールの子に聞いたんだけど、ハリー・ポッターのあの箒、やっぱりニンバス2000で、用意したのもマクゴナガル先生なんだそうなのよ! あの厳格な先生にそこまでさせるんだから、きっとすごい腕前なのよ! 上級生の中にはもうサインをもらっておくべきじゃないかって、人たちもいるくらいなのよ!!」

 

 戸惑う咲耶に左右から詰め寄り、

 

「だからサク、あだっ!!」

「サクヤ、もぺっ!!」

 

 捕捉しきる前に、背後から無表情なクラリスのチョップを喰らって頭を押さえた。

 

「サクヤ、今のうち」

「はぇ、えーと……ほな、よろしくな、クラリス」

 

 非常に強い魔法族のクィディッチ熱(とミーハー熱)。

 そんなこんなで、翌日はクィディッチ開幕。対戦カードは伝統の第1戦。

 

 グリフィンドール 対 スリザリン

 

 

 

 ・・・・

 

 

 

 翔け抜ける箒に跨る魔法使い。

 赤字のユニフォームと緑字のユニフォームが目まぐるしく中空を飛んでいた。

 

「ひゃー。早いなぁ」

 

 右から左へ、あっという間に過ぎ去った選手の姿に咲耶は好奇心にわくわくとした顔をしていた。

 リーシャやセドリックの練習を見学して、クィディッチの選手の箒捌きがすごいのは知っていた。

 だが、それにもまして試合での選手の動き、グリフィンドールとスリザリンの選手たちの動きは速かった。三次元的に動く選手たちの動きに、咲耶の顔が右に左に揺れる。

 

「な! 迫力あるだろ、サクヤ! ほら! そこ! ぐわっ!!」

「説明になってないわよ、リーシャ」

 

 スリザリン、グリフィンドール、スリザリン。めまぐるしくボールが行き来し、リーシャのテンションも上がる。試合前には咲耶をクィディッチフリークにしてみせると意気込んでいたリーシャだが、テンション上がりすぎてすでに解説の様相を呈しておらず、フィリスが呆れ混じりにツッコミを入れた。

 

 スリザリンの選手が過激なタックルでボールを奪い取れば、グリフィンドールのビーターがブラッジャーをかっ飛ばして奪い返した。

 

 クアッフルが右に左に飛び交うのに合わせて身を乗り出して顔を左右に動かす咲耶の体も揺れた。

 目を回しそうなほどに顔を行き来させる咲耶の頭に、目覚まし時計を止めるように手が載せられた。

 

「みぎゃ」

「鬱陶しいわ」

 

 リオンの掌が目の前を揺れるように体を動かしている咲耶の頭を固定し、咲耶は着地に失敗した猫のような声を上げて動きを止めた。

 昨日、咲耶からクィディッチ観戦の話を聞き、ほぼ無理やりに引っ張ってこられたリオンは不機嫌そうな顔をしながらも、律儀にも咲耶の隣で試合を観戦していた。

 三次元で高速に飛び回る選手の動きを捉えられない咲耶と異なり、しっかりと箒の動きを見つめられているようなリオンの様子にフィリスがふと気になったように尋ねた。

 

「スプリングフィールド先生は、以前にもクィディッチ見たことあるんですか?」

「いや、ない。どういうルールなんだ?」

「えっ?」

 

 フィリスの問いにあっさりと否定して答えたリオン。この先生だったら、そういうこともあるかと思いきや、意外にも興味を傾けてきたことに意外感をもって振り向いた。

 

「なんだ?」

「いやー、スプリングフィールド先生って、てっきりこういうのに興味もたないかと思ったもんで」

 

 同じように驚いた顔をしていたリーシャが言うと、その隣ではクラリスがこくこくと頷いていた。

 

「こういうのも風情だからな。それで。点が入っているみたいだが、これはどうすれば勝ちなんだ?」

 

 微笑みながら、食いつきよく尋ねるリオンの様子に咲耶は相変わらずにこにこ顔でその様子を眺めており、リーシャたちはわずかに顔を見合わせてからルールを説明した。

 

 1ゴール10点のボール、クアッフルがあること。クアッフルを運ぶチェイサーが3人いること。選手を妨害するブラッジャーがあること。ブラッジャーの攻撃を防ぐビーターが2人いること。クアッフルを入れるゴールが3つあり、それを守るキーパーが一人いること。

 そして

 

「―――それでシーカーがスニッチを捕まえたら150点入って、同時に試合終了になるんです!」

「スニッチ?」

「小さい、金色のボールです。スゴイ速くて、見つけるのがまず難しいんですよ」

 

 リーシャが主となり、フィリスが補足を入れるように説明し、試合の終了条件まで説明した時、リオンが選手が飛びまわる周囲から少し離れた地点に目をやった。

 

「小さい、金の……あれか?」

「え?」

「あっ!! スニッチだ!」

 

 リオンの言葉に、咲耶たちが視線を向けた。

 そこにある金に輝く小さなゴルフボールぐらいの輝きにリーシャが驚いたような声を上げた。それとほぼ同時に、観客の幾人かや実況役のリー・ジョーダンもスニッチに気づいて声を上げており、グリフィンドールのシーカーであるハリーも気づき、箒をそちらに向けて加速させた。

 

「ポッターが速い!」

「ここで獲れば、グリフィンドールの、あっ!!」

 

 150点の加点は重い。

 ここでハリーがスニッチを獲れば、圧倒的大差でグリフィンドールがスリザリンに勝つ。その期待に、リーシャやフィリスが声を弾ませ、その光景を目にする前に別の驚きに声を上げた。

 

 ハリーがスリザリンのキャプテンの体当たりを受けてリング外までふっとばされた。あわやの事態に観客が息をのみ、マダムフーチが怒りながらスリザリンのファウルを取った。

 

「ひゃー、危なかったな、ハリー君」

「っぶねーなー。やっぱスリザリンはラフプレーが多いから、セドリックも気を付けねーと」

 

 絶妙な箒捌きでなんとか墜落を免れたハリーの姿に咲耶やリーシャ、観客たちがほっと胸を撫で下ろした。

 ファウルからシュートチャンスを得たグリフィンドールだが、怒りに集中を途切れさせたのか、シュートを外し、逆にスリザリンは危機を乗り越えたことで勢いづいたのか得点を重ねた。

 

 

 スリザリンのファウルにより、動きの速いスニッチは再び姿を消し、クアッフルによる点取り試合が再開された。

 勢いづくスリザリンに対して、なんとかウッドたちが盛り返そうとして試合は盛り上がりを見せ始める中、ふと咲耶が試合の中心であるチェイサーたちから離れた位置にいるハリーの動きがおかしいことに気がついた。

 

「なあ、リーシャ。ハリー君、あれ何しとるんかな?」

「ん? ……なんだ?」

「どうしたのかしら?」

 

 言われてリーシャとフィリスたちも視線を向けると、たしかにシーカーであり、チームで最も箒捌きが巧い筈のハリーが奇妙な行動をとっていた。

 急に後退したかと思うと、今度はいきなり前進し、細かく左右に揺れたかと思うと捻るように傾いた。その動きはまるで、ハリー自身が振り落とされているかのようであり、

 

「箒のコントロールを失ってる!」

「えっ!?」

 

 気づいたリーシャが驚きの声を上げ、その事実に咲耶たちがギョッとした顔となった。

 試合の展開から離れた位置にいたために気づくのが遅れたようだが、他の観客たちも次第次第にハリーの動きがおかしいことに気づき始めたのか、心配するような声が大きくなり始めた。

 

「ヤバい!!」

 

 次第次第に、振り落とそうと揺れる動きが強くなり、遂に堪えきれなくなったハリーの体が箒から放り出された。

 

「きゃぁっ!!」

「り、リオン! どないしよ!?」

 

 まさかの事態に悲鳴が上がる。

 地面に叩きつけられる姿を想像した観客だが、ハリーは体こそ箒から放り出されたものの、なんとか両手で箒にしがみつき振り落とされないように耐えていた。

 咲耶は取り乱したようにリオンの袖を引っ張ってハリーを指さした。

 

「どうもしなくても大丈夫だろ」

 

 あぶぶと慌てる咲耶にガクガクと揺らされながらハリーの方を眺めるリオンは、素っ気なく答えた。

 

「大丈夫じゃあらへんよ! このままやったらハリー君がトマト的な感じになってまうやん!」

「ちょっ! トマっ!?」

 

 あっさりと見離された友人の安否に、咲耶が少し焦りながら詰め寄った。ただ、咲耶の物言いにリーシャが呆気に取られている。

 リオンもあまりと言えばあまりの例えに呆れたように咲耶をちらりと見て、やる気なさ気な視線を落ちそうになっているハリーに向けた。

 

「こんだけ魔法使いがいるんだ。落ちたら落ちたでミネルバ・マクゴナガルあたりがなんとかするだろ」

「ほぇ?」

「いや、それ! ん? それも、そう、か?」

 

 リオンのあっさりとした言葉に咲耶が呆気にとられ、反論しようとしたリーシャも、思い出したように言葉を止めた。

 クィディッチの試合はたしかに危険なものだ。

 世界大会では行方不明者が出て、しばらく後に別のところで発見されたといったことや、学校の試合でも骨を砕かれたなどということがあったりする。

 だが、それでもクィディッチ好きのリーシャの記憶にも、死者がでたような事故が起きた記憶はなかった。それはつまり、しっかりと安全対策が施されているからに他ならない。

 

 墜落しそうになっていたハリーは、なんとか落ちる前に箒のコントロールを取り戻し、試合へと戻った。

 

 試合はその後、ハリーがスニッチを口でキャッチするという珍事で終了を迎え、スリザリンが抗議の声を上げるが、結局グリフィンドールの勝利で幕を閉じた。

 

「くぁー。やっぱグリフィンドールかー」

「試合内容はともかく、少しきつくなったわね」

 

 昨年までのクィディッチ対抗試合は、スリザリンの1強だった。だが、そのスリザリンが負けたという事は、それだけグリフィンドールが強いという事だ。

 強敵との試合を想像してか、リーシャはからっとした笑みを浮かべており、フィリスはそんなリーシャを微笑ましげに見ていた。

 咲耶もそんなリーシャを愉しげに見ていたが、ふと隣に座るリオンを見ると、競技場とは別の方向を見ていることに気づいて問いかけた。

 

「どないしたん、リオン?」

「……別に」

 

 咲耶の問いに、リオンは少し間をあけて、とぼけるようにそっぽを向いて答えた。

 視線の先、ボヤ騒ぎが起きて慌てふためく同僚と、どこかで見たような気のする女生徒がこそこそと逃げ出している光景など、敢えて伝えようとは思わないリオンであった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

冬期休暇と和風の文化

 マグルの立ち入らぬ奥深き森の中。荘厳に聳えるホグワーツ城の周りは今、深い雪に覆われつつあった。

 クリスマスが間近まで迫り厳しくなる寒さの中、心を逸らせていた待ち遠しい休暇がついに到来した。

 

 休暇に入り、一時帰宅する者、寮に残る者。

 当然とまあその通りだろうが、咲耶は帰国はせずに寮に残ることを早々に決めており、それを受けてかリーシャとフィリスも寮に残ることを選んだ。

 咲耶のルームメイトの中ではただ一人クラリスのみが帰ることを選んだようで咲耶たちは見送りのために玄関近くまでやってきていた。

 帰宅する生徒たちがそれぞれに荷物を運びながら、ハグリッドの先導でホグワーツ特急へと向かっている中、クラリスはむずがる子供のように咲耶にぽすんと抱き付いていた。

 

「どうしたん、クラリス?」

 

 クラリスが咲耶に抱き付くのはよくあることだが、なんだかクラリスが帰りたくはないけど帰らなきゃいけないと言っているように見えて宥めるように優しく声をかけた。

 声をかけられたクラリスは咲耶のぬくもりを確かめるようにぎゅっと抱きしめてから顔を離した。

 

「……なんでもない。サクヤ……」

「うん?」

「……行って来ます」

「うん。行ってらっしゃい」

 

 顔を離したクラリスの様子はいつもの無表情なクラリスに戻ってはいるが、咲耶にはそれがなんだかとても寂しそうに見えた。

 

 

 第13話 冬期休暇と和風の文化

 

 

 クラリスの居なくなった寮だが、居なくなったのは彼女だけでなく、大半の生徒は帰宅したらしい。

 いつもよりがらんとした談話室で咲耶たちは休暇を楽しんだ。

 休日前のホグズミードで買い込んだ大量のお菓子や魔法ゲームは初めての寮生活におけるクリスマスイブというイベントは咲耶を大いに楽しませ、24日の夜は夜更けまで笑い声が聞こえていた。

 

 

 そして12月25日。

 

 平日よりも少し遅くに起床した咲耶がベッドから降りるとベッドの脇にはルームメイトたちのプレゼントがデンと積まれていた。

 

「ほわぁ……プレゼントが山なっとる」

 

 日本に居た頃も一応クリスマスというイベントはやっていたりしたが、やはり本場は違うということなのだろう。プレゼントの多さにぽかんと口を開けているとルームメイトたちもカーテンを開いて起きてきた。

 

「メリークリスマス、サクヤ」

「メリークリスマス。リーシャ、フィー! 見て見て! プレゼントが山なっとるよ!」

 

 ふわわと欠伸をしながらのリーシャとすでに平常状態にまで起きているフィリスとクリスマスの挨拶をかわして改めてプレゼントに視線を向けた。

 

「ご飯の前にちらっと見てみる?」

 

 きらきらとした眼差しをプレゼントに向けている咲耶の様子にフィリスが微笑を浮かべながら尋ねた。案の定、咲耶は尻尾があればぶんぶんと振っていただろうぐらいに嬉しそうに頷いてプレゼントを見始めた。

 積み上げられていたプレゼントの多くは親戚の多いリーシャと校内で男子の人気の高いフィリスのものだったが咲耶の物もきっちりとあった。

 母からのプレゼント、祖父からのプレゼント、ネカネからの物まで有って咲耶は「ほわー!」と奇声を上げて喜びを表した。

 

「あれ、これ……?」

「どうしたの?」

「愛しのスプリングフィールド先生からのプレゼントでもあったか?」

 

 プレゼントの一つを手にした咲耶がその宛名に目を丸くしてその様子に二人が声をかけた。リーシャは咲耶が慕う保護者のプレゼントがあったのだろうとあたりをつけてにやにやしながら茶化すように言ってみた。

 

「うん。じゃなくて、ううん。リオンからのは無かったんやけど、これ。リオール君から」

 

 見つけたのはリオ……リオール・マクダウェルからのプレゼントだった。

 

「へー。そういえばサクヤ、ホグズミードの度に随分とリオール君と仲良さそうにしてたし、やっぱり彼。サクヤに気があるのかしらね」

「ひゅー。中身は? なになに? 開けてみよーぜサクヤ!」

 

 あれから何度かホグズミードへ行く機会があったのだが、普段どれだけ探してもリオールという少年は姿を見せないのだが、“なぜか”ホグズミードに行くときだけタイミングよく咲耶の前に現れてリーシャたちと買い物を楽しんでいたのだ。

 クラリスなどはせっかくスプリングフィールド先生からのお墨付きを得たのに余計なのが……と不満そうに睨んでいたりするのだが、当の咲耶は非常に親しげに腕を組んだりしているのだ。

 口笛を吹いてプレゼントに興味を抱いたリーシャの勧めに咲耶は頷きを返し、包装を丁寧に剥がした。

 

「うわっ! なにこれ!?」

「キレー……」

 

 出てきたのはおそらく魔法で創られた置物なのだろう。氷のような結晶の中にパチパチと電気が弾けては消えるイミテーションだった。

 

「…………」

 

 息をのんで氷に触れた。それにも何かしらの魔法がかかっているのか冷たくはなかった。そもそも寒くなってきたとはいえ暖をとっている室内に置かれていたにもかかわらず未だに欠片も溶けていないということは特別な魔法なのだろう。

 

「リオール君って4年生って言ってたわよね。一体どういう魔法を使ったらこんなの造れるのかしら」

 

 氷と雷の二重属性。

 これがどれくらいの持続効果があるかは分からないが、プレゼントで贈るくらいだ。少なくともそんなに短時間で消えるものではないのだろう。

 イミテーションの美しさもさることながら、先輩の底知れない魔法の技量にフィリスは感嘆した。

 

「何か手紙とかねーの?」

「……うん」

 

 これだけ手の込んだプレゼントをしておきながら一言もないことを訝しむリーシャだが、続けようとした言葉は咲耶の顔を見てやめた。

 

 言葉を告げる手紙はない。だがそれでも十分だった。

 教師と生徒じゃ一緒じゃない。そう言っていた口の悪い彼だが、きちんとプレゼントを贈ってくれたのだ。

 教師ではなく生徒として。

 これが彼の習得しようとしている魔法の練習の産物であることは付き合いのある咲耶には分かってはいたが、それでもプレゼントを渡してくれた。距離が縮まったように感じて、それがほんのりと嬉しいと感じていた。

 

 

 

 ・・・

 

 

 休暇は進み一週間後。

 

 その日の咲耶の衣装は普段とはまるで違っていた。

 いつもであればハッフルパフの寮の色である黄色と黒のセーター、膝丈くらいのスカートに防寒用のレギンスを着用し、魔法使いらしい黒のローブを羽織っているのだが、その日の咲耶はルームメイトですら目を丸くする衣装となっていた。

 

「うわっ!! サクヤどうしたの、それ!?」

 

 着替えるのに時間がかかるからと先に談話室に出てきていたリーシャたちは、遅れてやってきた咲耶の姿に驚きの声を上げた。

 

「えへへ~。どかな、お正月らしい服にしたんやけど……」

「すっげー似あってる、サクヤ!」

 

 全体的に薄桃色の衣装。帯は若草色で締められており、披露するように両手を広げるふわりと桜があしらわれた振袖が揺れている。

 髪型もいつものストレートではなく、アップにしており、髪飾りとして花の細工の施された簪で止められていた。

 まるで日本のお姫様とでも題した絵から飛び出してきたような姿にリーシャが興奮しながら褒めた。

 

「ありがとうな、リーシャ」

「着替えるの遅くなるって言ってたのはそれのせい? すごいじゃない、それ。どうしたの?」

「クリスマスの時にお母様から送られてきとったんよ。せっかくやしお正月に着よう思うて。久々やったから着付けに時間かかってもうたけど」

 

 4人の中ではおしゃれに気を遣うフィリスは咲耶の艶姿に感心しつつ、なぜ急に日本らしい衣装を着ているのか問いかけた。

 その答えはこの日の日付にあった。

 

「そやそや。明けましておめでとうございます。今年もよろしゅうお願いします」

「お、おお!」

「ハッピーニューイヤー、サクヤ」

 

 本日、1月1日。

 異国の魔法学校で初めてのお正月を迎えていた。

 

「おはよー……ってうわっ! なにそれサクヤ!?」

「おは……スゴイね、サクヤ!」

 

 昨夜は夜更かしでもしていたのか寝ぼけまなこを擦りながら遅れて談話室にやってきたルークとセドリックも、咲耶の振袖姿を一目見て唖然として声を上げた。

 

「あ、ルーク君、セドリック君。明けましておめでとうございます」

 

 普段はほわほわとした感じの咲耶だが、こういう時は育ちの良さがでているのか、年始の挨拶を述べるときは両手を軽く伸ばして揃え、きっちりと頭を下げて礼をしていた。

 

「ハッピーニューイヤー、サクヤ。良く似合ってるよ、ニホンの服かい?」

 

 セドリックは咲耶の和服姿に目を瞠っていたがはっとして挨拶を返し、咲耶の姿を褒めた。

 

「うん。今から3人でリオン、センセのとこに挨拶に行くんやけど、よかったらセドリック君とルーク君もどかな?」

「それじゃあ……せっかくだし、ご一緒させてもらうよ」

 

 咲耶の提案にセドリックとルークは顔を見合わせ、せっかくなので同行することとなった。

 

 

 ・・・

 

 

 寮を出た時は5人だった一行は、目的地であるリオン・スプリングフィールドの部屋に着いた時には7人に増えていた。

 

「なんだこれ?」「サクヤ、これ日本の魔法使いのドア飾り?」

 

 ウィーズリーの双子、フレッドとジョージが道の途中で咲耶の和服姿を目にとめて、面白そうだと踏んだのか同道してきたのだ。

 二人はリオンの部屋の前に置かれている謎の物体をまじまじと見て咲耶に尋ねた。

 扉の両脇に左右で対になるように置かれた用途不明の松竹の飾り。中心に三本の竹が切り口を斜めにして突き立っており、その下に紅白の葉牡丹と長めの若松が添えられている。

 

「これは……門松やね」

「カドマツ?」

 

 さしもの咲耶も洋風のこの城内にある異物に呆気にとられているようで、咲耶の様子と謎の物体の名称にフレッドとジョージのみならずセドリックたちも首を傾げた。

 

「リオンもしかして……」

 

 風情を愛でるリオンの性格とそれをできるであろう魔法力に、とある予感をひしひしと感じながら咲耶は部屋の扉をノックした。

 少し待つと部屋の中からドアノブが回され、扉が開いた。

 

「――近衛様。おはようございます。マスターに何か御用でしょうか」

 

「…………は?」

 

 てっきりスプリングフィールド先生が出てくると思っていた咲耶以外の一同は呆気に取られて間の抜けた声を上げた。

 出てきたのは謎の女性。今日という日に合わせたのか和服を着用してはいるが、緑の髪をした無表情な女性が淡々と咲耶に要件を尋ねたのだ。

 

「明けましておめでとうございます。リオン居るかな?」

「おめでとうございます。マスターは御在室ですが、本日は元旦につき休日モードとのことです」

「そかそか、年始の挨拶したいんやけど、上がってもええかな?」

 

 突如教師の部屋から見知らぬ女性が出てきたことに一拍遅れてぎょっとしたフィリスたちだが、咲耶は気にせずににこにこと笑顔のままでぺこりと礼をして何事もなく部屋への入室許可を求めた。

 咲耶には入室の許可が出されていたのか、女性は扉を大きく開けて咲耶たちを招き入れた。

 

「なあ、サクヤ。あれ誰?」

 

 こちらです。と先導する女性の後ろ姿を見ながらリーシャが小声で尋ねた。

 もうお昼頃だとはいえ、部屋に見知らぬ女性(明らかに学生ではない)を連れ込んでおり、来客の応対までさせているのだ。その素性が気にならないハズもないだろう。

 

「ロボットのメイドさん。リオン、家事苦手やからそこらへんやってもろとるんよ」

 

 みんなの疑問を代表したリーシャの質問に咲耶はあっさりと答えた。

 

「ロボットって……」

「この学校って、たしかマグルの機械は使えなくなるはずじゃ?」

 

 答え方はあっさりしていたが、その内容はあっさりとしてはいなかった。

 生粋の魔法族であるウィーズリーやセドリックたちとはいえどもマグルが作っているというロボットなる機械については多少は聞いたことがある。だが、マグルの作るものが、こんなにも人とそっくりな行動をとることに驚きは隠せない。

 特に父親が熱心なマグル好きなフレッドとジョージにはいささかばかり関心をひかれるものだ。

 だが、セドリックはこの学校に仕掛けられたいくつかの魔法処置を思い出して首を傾げた。

 

 後ろの客人たちの会話が聞こえたのか、先導するロボットは後ろを振り向くことなく咲耶の言葉に訂正を入れた。

 

「正確には私どもはロボットではなくガイノイド、電気と魔力で動くオートマタに近い存在です。電力の補給は途絶えているため、現在はマスターの魔力で動いております」

「…………」

 

 正直、出てきた単語の違いは魔法族である彼らには理解できなかった。

 とりあえずあの教師は魔力でこんな人のようなものを自在に動かすことができるのかと納得した。主に尽くすしもべのような存在であれば、例えばホグワーツにいる屋敷しもべ妖精のようなものもいることだし、そうそう突飛ということはなかったからだ。

 ただ、部屋の中にはさらに驚きが待っていた。

 メイドロボット。もといガイノイドの説明を聞きながら先生の部屋へと足を踏み入れた一同は、目に入った光景に絶句した。

 

 教師の部屋らしく棚にはたくさんの書籍や巻物が置いてあり、研究室らしさを残しているが、内装はなんだかよく分からないことになっていた。

 部屋の一角には10枚ほどの干し草を編んだような床敷があり、その上には脚の短い机が置かれている。ただその机はテーブルのすぐ下にもっこりとした布団が挟まれており中の構造を見ることはできない。

 他にもおそらく暖をとるための器具なのだろう、抱えるほどの大きさの陶器の中に赤い光を灯す炭の入った物が置かれていたり、四角い器の上に生花が置かれていたり、壁には筆で書かれたと思しき書画が飾られていたりする。 

 ちなみにたくさんの本や巻物が置いてある棚には、なぜかそれに並んでやけに存在感を主張する洋風の人形が一体置かれていた。

 

 極めつけは先ほどのガイノイドと同じような女性が二人。

 一人は木製の大きなハンマーのようなものを振りかぶっては、同じく木製の置物に振り下ろしていた。ペタン! ペタン! と妙に気の抜ける衝撃音が鳴っており、振り下ろされる合間合間に潰されないよう絶妙なタイミングでもう一人が置物の上に手を差し入れていた。

 

 この室内では一体なにが起こっているのか。

 理解不能の事態に絶句している一同をよそに咲耶はお目当ての人物を見つけると顔をほころばせてトコトコと近づいていった。

 

「リオン! 明けましておめでとうございます。今年もよろしゅうお願いします」

「ああ。よろしくなー」

 

 赤い髪のリオンの近くにちょこんと正座して三つ指ついて丁寧に挨拶を述べた咲耶に、リオンは炬燵に足をつっこんで頬杖ついた状態で間延びした声で挨拶を返した。

 

「えっと、これは……?」

 

 朝から驚きの連続で、いい加減リアクションに困ってきた一同。

 咲耶はそんな友人たちをよそに裾を整えながらリオンの横に居座って炬燵に足を入れて振り返った。

 

「あれ? どないしたんみんな、そんなとこで? ぬくぬくやでー」

「…………」

 

 どうやら見慣れない形状のあの床机は暖かいらしい。

 もこもこの布団が足掛けになっており、中の様子はうかがい知ることはできないが、いつもはきりっとしているスプリングフィールド先生が、妙にへにゃっとして見えるくらいだから、外の寒さとは隔絶したものなのかもしれない。

 

 とりあえずすでにお邪魔している咲耶が呼んでいることだし、それを聞いても部屋の主は特に咎めようとしていないところを見ると別に出て行けと暗に言われているわけではないらしい。

 そういう訳で一同は少し詰めて炬燵の中に足を入れた。

 

「スプリングフィールド先生。えっと。これは一体……」

「んー。日本の正月風景だ。日本だとこんな感じの室内でだらだらと三が日を過ごすのが風情だ」

「…………」

 

 奇天烈なほどの部屋の光景に思い切ってセドリックが尋ねたが、返ってきた答えは果たして真偽不明の内容だった。

 普段から授業以外では見かけることの少ないスプリングフィールド先生だが、よもやこの三日間は完全に自室に引き籠るつもりだろうか。というよりも、この明らかに白人の教師が抱いている日本人の謎の生活習慣にフィリスたちはなんとも言いようのない顔をした。

 

「嘘教えたいかんえ、リオン」

 

 そんな友人を見かねてか、咲耶が少し呆れたような顔で注意するように口をはさんだ。注意を受けたリオンは「んー?」と気の抜けた感じで反応した。

 そうだよな。いくらバカンス期間でもそんなことはないよな。となぜだかホッとしそうになったフィリスたちだが

 

「ちゃんと初詣とか、凧揚げとか、カルタとかもあるやろ!」

「初詣に行くとこがないだろうが。凧ならそこらにあるが、もうすぐ餅がつき終わるぞ」

 

 まったくそんなことはなかった。

 

 

 とりあえず部屋でくつろがせてもらうことにした一同。咲耶の「炬燵には蜜柑や」という謎の勧めでハッフルパフの4人はそれぞれ蜜柑の皮を剥いていた。だが、好奇心旺盛なフレッドとジョージはこの奇妙な部屋に一体どんな面白いものが秘められているのか落ち着いてすぐに、興味津々とばかりに周囲を捜索し始めた。

 

「あの、スプリングフィールド先生、あれはいいんでしょうか……?」

 

 教師の部屋をあんなにも堂々と家探ししてもいいのかと不安になったフィリスが双子を指さしながら尋ねた。

 以前、咲耶から怒った時のスプリングフィールド先生は雷を落すということを聞いており、そして実際に雷を落したところを見てしまったため怒りに触れないかと心配したのだ。

 だが、心配をよそにリオンはやる気なさ気に蜜柑に手を伸ばしていた。

 

「別にいいぜ……っと。おい、双子のウィーズリー。そこらのものは適当に弄ってもいいけど棚の巻物にだけは触んなよ」

 

 蜜柑の皮を剥きながらの注意に二人は「はーい」と返事を返したモノの、ちょうどその巻物が目に留まってしまった。

 双子が思い出すのはとある巻物。城の管理人であるフィルチから失敬した宝物。その巻物から得られた情報は彼らに大いなる愉快と利便をもたらしてくれたのだ。

 悪いとは思うが注意されただけで引き下がっては悪戯仕掛人の名が泣くというもの、まして同じ巻物と来れば2匹目のドジョウを意識したくもなるだろう。

 

 二人はリオンが見ていないことを確かめながらほんの少しだけ巻物を覗き込もうとして、人形の横に立派な置台の上に設置された巻物に手を伸ばそうとして

 

「ケケケ。ヤメトケ、ガキノ遊ビジャ済マネーゼ?」

「……うわぁ!!」

 

 その横に置かれていた人形に止められて手を引っ込めた。

 ただの人形だと思っていたモノがいきなり喋りかけてきたことに、しかも自分の悪戯を嗜められたことに驚きの声を上げた。

 

 二人の驚きの声に咲耶やフィリスたちが連鎖して驚き、振り返った。

 仰天している二人の方を見るとその傍では、なんだか部屋の持ち主には似合わない人形はピョンと棚から飛び降りてとことこと歩き始めたではないか。

 

「あれ? チャチャゼロ、出てきとったんや」

 

 顔なじみなのかあまり驚いたようではない咲耶は、ただ人形・チャチャゼロが魔法儀の中ではなく、外に出ていることが意外だったようだ。

 チャチャゼロは咲耶に「ヨウ」と返事を返して、双子の脇を抜けてとことこと炬燵の方に歩いてきた。

 メイドの女性と異なりその外装は関節が明らかに人工物だと分かるし、顔には奇妙な笑顔が貼り付いている。その背中にはコウモリを模したような黒い翼があり、頭部には可愛らしいカチューシャがある。ちなみにその手には本人の胴体ほどの大きさの一升瓶が握られている。

 覇気のない状態で反応することすらしないリオンの横まできたチャチャゼロはパタパタと背中の羽を申し訳程度に羽ばたかせて炬燵の上に飛び乗った。

 

 到底動くとは思えない人形の動きにリーシャたちは呆然とそれを見つめた。

 謎の人形は持ってきた一升瓶を器用にガラスコップに傾けている。とくとくとくと透明な液体が注がれている。 

 

「おいこら、一応学び舎だぞ」

「イイジャネエカ」

「横にノンアルコールで酔っぱらうお子ちゃまがいるんだよ」

「ちょおリオン、お子ちゃまって誰のことや」

「ケケケ。ガキノオ守リハ大変ダナ」

 

 どうやら人形はお酒を飲もうとしているらしい。

 それを見て流石にリオンが顔を顰めて注意を入れるが人形は茶化したように言って手酌で入れた酒を飲み始めた。

 

「……サクヤ。なに、それ?」

 

 ポカンとしていた一同だが、チャチャゼロを指さしながらフィリスが問いかけた

 

「リオンの……従者?」 

「ガラクタゴミだ」

 

 首を傾げながらの咲耶の言葉にリオンは忌々しげに言った。

 母親のことがあるだけに、魔法使いの従者の観念は咲耶も知っている。だが、チャチャゼロとリオンがその関係にあるかと問われれば甚だ首を傾げざるを得ないだろう。

 

「オイオイ。母親ガ泣クゼ、ボーズ」

「黙れ、チャチャゼロ。あれが泣くようなやつか」

 

 リオンの言葉にガラクタゴミ呼ばわりされたチャチャゼロが呆れたように言い、リオンはイラッとしたように言い返した。

 小さな人形がボーズ呼ばわりするほどリオンは幼くはないのだが、不思議とリオンはそちらにはツッコむ気はないようだ。

 

「従者、ですか?」

 

 リオンとチャチャゼロのやりとりはともかく、咲耶から気になるワードが出てきたことに首を傾げてセドリックが尋ねた。

 

魔法使いの従者(ミニステル・マギ)なんよな?」

「こっちの魔法使いには従者の考え方はねーよ。それにそれが従者なんて殊勝なもんか。魔力供給のための契約かわしてるだけみてーなもんだ」

「ミニステル・マギ?」

 

 咲耶はリオンに確認するように尋ねながら説明するが、リオンからは素っ気ない感じの説明が返ってきて、聞きなれないワードが増えたことに一同は首を傾げた。

 分かっていなさそうな生徒たちの様子にリオンは億劫そうな顔をしつつも説明のために口を開いた。

 

「魔法使いは基本的に詠唱中、無防備だ。その詠唱時間を稼ぐための盾や剣になって守護するのが従者だ」

 

 リオンの説明にルークたちから「へー」という声が上がった。いつの間にかフレッドとジョージも戻ってきておりまじまじとチャチャゼロを見ている。

 

「なんでこっちの魔法使いにはないんでしょう?」

 

 また新たに魔法使いの作法の違いに疑問を感じてフィリスが問いかけた。

 

「こっちの魔法の詠唱はそれほど長くないからな。精霊魔法の詠唱は上位になると数秒から数十秒かかる。その差だ」

 

 こちらとあちらの魔法の違いは分かっては来ていたが、今のところそれほど長大な呪文詠唱を必要とする魔法は習っていない。加えて接近して行う肉弾戦など、“魔法使い同士”の決闘では論外な行為だ。そのため詠唱中を守るという考えに馴染みがないのだろう。いわんや接近戦をしてくる非魔法使い、“マグル”との戦闘などはなから考慮に入っていない。

 

「先生にそういう従者はいないんですか?」

「いない。必要ねーし」

「オーオー、アノガキガ大キクナッタモンダ」

 

 ならばリオンにもいるのだろうが、先ほど咲耶の問いかけにノーと答えたからにはこの小さな人形は従者ではないのだろう。従者なのに人形とはこれいかに? と思わなくもない。

 ちょっと興味の湧いたリーシャの質問にリオンはぶっきらぼうそうに答えた。

 

 そこでセドリックはふと思い出した。 

 たしかに魔法使い同士の戦いにおいて接近しての肉弾戦を行うことはないが、つい最近その実例を見たことがあった。

 

「そう言えばトロール投げ飛ばしていましたけど、あれって魔法じゃないんですか?」

 

 今は話題に上ることもなくなったハロウィーントロール事件の際、咲耶や生徒の危機に駆け付けたリオンは剛腕をもつトロールと真っ向から格闘をやらかしていたのだ。

 雷や氷の魔法のインパクトが強かったが、あの時トロールの腕を真正面から受け止めたり、まさに魔法のように投げ飛ばしていたりするのは、たしか魔法ではなかったと咲耶が言っていたのを思い出したのだ。

 

「あれは体術だ。多少魔力で補強するが、基本的には魔法は使ってない」

 

 休暇モードであるためかそれほど詳しく説明する気はないらしく、端的な言葉でしか告げなかったリオン。

 質問を続けようとしたセドリックだが、リオンは視線を隣に座る咲耶に強引に外した。

 

「……ところでその振袖はどうしたんだ咲耶?」

 

 リオンも咲耶の装いは気になっていたのだろう。

 もっともそれはリーシャたちの驚きとは微妙に異なり、振袖をどうして持っているのかということだ。

 寮生活にあたり、荷物は必要なものだけにしたはずだ。いくら実家では頻繁に和服を着ていたとはいえ、留学先の寮に和服をもっていくことは流石にしないだろう。まとめた荷物の中に利用頻度が少ないだろう和服が入っていた可能性は低いはず。

 そう思って尋ねたリオンに咲耶ははにかみながら問い返した。

 

「えへへ~、どかな、似合うとる?」

「……ああ、そうだな。よく似合ってるよ」

 

 久しぶりの振り袖姿の披露に、答えを期待しながら尋ねてきた咲耶。珍しく素直に、リオンは咲耶の頭を撫でながら咲耶の振袖姿を褒めた。癖のない濡れたような黒髪を梳くように優しい手つき。リオンの言葉に咲耶は嬉しそうに頬を染めた。

 兄と妹のようにも、あるいは些か年の離れた恋人のようにも見える関係。

 

 リオンに褒められてご満悦の咲耶。タイミングを見計らったかのようにメイドさんが湯気の立つお椀を人数分、お盆に載せて運んできた。

 

「しかし、よくそんな振袖もって来てたなお前」

 

 お椀を受け取り、箸を片手にお雑煮を食べ始めたリオンや咲耶たち。

 彼らに見習ってフィリスたちもこの見慣れない和食をいただくことにして、恐る恐るといった感じに白くもちっとした物体に手を付けたりしていた。

 リオンは気になっていたことを尋ねながらずずっとお椀を傾けた。

 

 そして

 

「クリスマスの時にお母様が贈ってくれたんよ。“姫初め”に使いなさいって」

 

「ごふっっ!!!」

「?」

 

 爆弾が投げつけられた。

 意味の分かっていなさそうな顔でにこにこと発言した咲耶。リオンはげほげほと盛大に咽こみ、意味の分からない一同は教師の謎の行動に首を傾げた。

 

「お母様が、『リオンがきっと喜ぶえ♪』 ってプレゼントしてくれたんやけど」

「あの天然百合姫!!!」

 

 咲耶の言葉に、ほわほわ顔で爆弾を投げつける極東の姫君に届かぬ怒鳴り声を上げた。

 

「“姫初め”ってよう分からんから聞いたら、リオンに聞きって」

「知るかぁ!! 詠春にでも聞け!!」

 

 いつもは冷たい印象のあるスプリングフィールド先生。だが今は、普段の冷たい印象の顔を赤くして涙目で怒鳴っていた。

 

「ケケケ。ナンダ知ラネーノカヨ。姫初メッテノハ、ヨウハエ」

「出て! 来るな!! ガラクタゴミ!!!」

 

 言葉の意味を知らずに訪ねている咲耶とマスターであるリオンの様子に、からかいどころと見たのかチャチャゼロが口をはさんだ。

 だがその言葉が言い切られる前に、ガシッとその頭をつかんだリオンは全力で振りかぶって小さなチャチャゼロを地平の彼方まで飛んで行けとばかりにぶん投げた。

 主の意図を察したメイドがタイミングよく窓を開け、チャチャゼロは「ケケケ」というエコーを響かせながら飛んでいった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔法先生は甘いものが好き!?

「――――鍋がしっかり冷めたら、硬くなるまで泡立てるっと……」

 

 足元で小さく大きな瞳の屋敷しもべ妖精が興味深げに、あるいは手伝いたそうに屯している中、咲耶は鍋の様子を見ながらかき混ぜていた。

 

「よっと……うん、ええ感じや」

 

 鍋の中身が泡立ち、軽く角が立つほどの固さになったのを確認した咲耶は嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。

 そして、すでに焼き上がり十分に冷ましてある茶色い物体を小分けしたカップを用意した。

 慎重な手つきでさらにいくつかの行程を経て、最後に丸口金の付いた絞り袋から先程の泡立てたものをカップに絞り出した。

 

 そして

 

「できた! かんせーや!」

 

 渾身の出来のチョコケーキが完成した。

 

 本日は2/14。バレンタインと世の中では呼ばれている日である。咲耶は親しくなったグリフィンドールのフレッドとウィーズリーからキッチンの場所を聞き、やって来ていた。

 

「みんなも使わせてくれておおきにな」

 

 本来ならば自分たちの働き場である台所を使用されていたホグワーツ台所係の屋敷しもべ妖精たちは、一仕事終えた咲耶からかけられた言葉に、キーキーと鳴くような声で礼に答えた。

 

 そして片づけを始めようとした咲耶から汚れたキッチン用具を奪い取るようにして自分たちの仕事に戻った。

 

 

 第14話 魔法先生は甘いものが好き!?

 

 

「朝から見ないと思ったら、これ作ってたの?」

「えへへ。いつもお世話になってます」

 

 今日は週末で授業はない。

 だが、朝食後に忽然と姿を消していた咲耶が戻ってきた時、その手には箱に入ったカップケーキがあり、フィリスは感心したような顔で咲耶を見た。

 

「くれんの!? すっげー、おいしそー! でもなんでチョコケーキ?」

「今日はバレンタイン。ニホンだと女子がチョコを上げるらしい。でも普通は好きな男子に上げるはず?」

 

 カップケーキは丁寧な細工で彩られたチョコモンブラン。美味しそうなそれにリーシャは嬉しそうな声をあげ、ただなんでお菓子を作ってきたのか分からず首を傾げた。それに対してクラリスは、趣味の読書で得た知識から該当するだろう理由を上げた。

 

「友チョコ言うて、日本でも結構、女の子にも上げたりするんよ。みんなにはようお世話になっとるから」

「凝ってるわね~。お店で売ってるって言われても信じるわよ、これ」

「おお! すっごいウマい!」

 

 フィリスは同性の女子として咲耶の料理の、お菓子作りのスキルの高さに感心してカップをしげしげと眺め、リーシャは口にしたそのケーキの美味しさに感激している。

 

「どかな、クラリス?」

「美味しい。サクヤは良いお嫁さんになる」

 

 もそもそと小さな口でケーキを食べているクラリスにも感想を尋ね、笑顔をむけると、クラリスは少しだけ微笑を浮かべて率直な感想を口にした。

 

「おおきにな、クラリス」

「それで、肝心の本命は用意してるの、サクヤ?」 

 

 クラリスの賛辞に咲耶は嬉しそうな表情となり、軽くスルーされそうなワードを拾うためにフィリスは用意されているだろう別物について問いかけた。

 

「うん。こっちがリオン用。この後届けに行くんよ」

「あぁ~、そう……」

 

 フィリスの問いに、咲耶は丁寧にラッピングされた別物を取り出して笑顔で答えた。問うてもいない個人名までご丁寧に出して。

 嬉しそうに言う咲耶から視線を外し、ちらりと聞き耳をたてている男子に眼をやれば、なんだかがっくりきている優等生と慰めているルームメイトが見えた気がした。

 

「スプリングフィールド先生って、こういうの食べるのか?」

 

 カップケーキを食べ終えたリーシャはペロリと指先に付いたチョコを舐めとり、話題に出ている無愛想な先生を思い浮かべた。

 正直、あの先生が甘いものを喜んで食べている姿は、スリザリンの寮監が食べているのと同じくらい想像ができない。

 

「リオン、結構甘いもん好きなんよ。紅茶と一緒に出すとなおよし」

「へぇ。意外ね……ちなみにサクヤ。他の男子にあげる予定はないの?」

 

 フィリスにとっても予想外だったが、リオンは意外と菓子を好む。

 特に歴史ある銘菓や情緒ある物を好む傾向にあり、咲耶は知らぬことだが、ホグワーツに来るきっかけとなった対談においても菓子は絶大な役目を果たしていたりする。

 

 意外に思ったフィリスだが、それではあまりに直球すぎて面白みがない。少しの好奇心で問いかけた脳裏には数人の候補が思い浮かんではいた。

 

「セドリック君とかルーク君とか、お世話になった人らにも配る予定やで?」

「ふーん。マメだねぇ、サクヤ。フツーはカードとかなのに」

「サクヤらしいけどね。それじゃあまずは本命チョコから渡しに行く?」

 

 小首を傾げて無邪気に言い返した咲耶にリーシャは感心したように言った。

 

「うん!」

 

 フィリスの呆れたような、少しからかい混じりの問いかけに咲耶は無邪気に嬉しそうに頷いた。

 

 時間的なお手軽さを優先するならば、同じ寮内にいたセドリックたちに先に義理チョコを渡すべきだったろうが、やはり本命チョコを先に渡したいと思ってのことだろう。咲耶はリオンの部屋を訪れた。ついでにリーシャやクラリス、フィリスまでついて来たのはご愛嬌と言ったところか。

 

 

 ・・・

 

 

 部屋を訪れ、ノックをした咲耶。扉が開くと、そこにはまだ午前中だからか、やや眠そうな金髪のリオンが出迎えた。

 

「なんだ?」

「えへへ。チョコです」

 

 睥睨して見下ろすリオンとにこにこ顔で見上げる咲耶。

 傍で見ているリーシャたちにはどう見ても良好な関係には見えず、また歓迎しているようには見えないのだが……

 

「……はぁ。分かった。入れ、茶くらい淹れてやる。貴様らも。授業に関する質問あるなら聞いてやる」

 

 甘いモノと共にやってきたせいか、素っ気ない授業時の態度とは異なり正月の時同様に咲耶の友人も招き入れるように声をかけられた。そのことにリーシャとフィリスは顔を近づけてひそひそと話をした。

 

「おぉ、たしかになんかいつもと対応が違う?」

「いや、でもここは邪魔しちゃ悪いんじゃ……」

 

 咲耶が慕っているらしい魔法先生の私室。二人の関係と進展があるかもしれないというイベントに興味がないと言えば、嘘になるが、せっかくのバレンタインなのだ。咲耶の邪魔になるのも気が引けてごにょごにょと話す二人。

 

「なにやってる」

「なにしとるん?」

「失礼します」

 

 だが、そんな二人の様子にリオンは呆れたように、咲耶は不思議そうに、そしてクラリスはまったく気にせずに扉をくぐった。

 

「って、クラリス!」「へへ、それじゃあ失礼しますっと」

 

 マイペース、というよりも咲耶の居る所なら関係ない、と言わんばかりのクラリスの行動にフィリスは唖然とし、リーシャは遠慮気味な笑みを浮かべてそれに続いた。

 

「うわぁ……なんか、この前来た時より、本が増えてますね」

 

 すでに2月の半ばほどまできているだけあって流石に室内の内装は正月の異界から普通の研究室へと戻っていた。ただ、研究中だったのか少々乱雑になり気味で、棚だけでなく、読み調べていたのだろう本が机の上にまで散らばっていた。

 本好きのクラリスが好奇心にひかれて机に出しっぱなしにしてある本の一つを覗き込んだ。

 

「……? サクヤ、これニホン語?」

 

 だがすぐに首を傾げることとなった。覗きこんだ開きっぱなしになっていた本の文字は慣れ親しんだアルファベッドではなかったのだ。

 指さしながら尋ねてきたクラリスに、咲耶が開いているページを見失わないようにしてから背表紙を見て、リーシャたちも横からのぞき込んだ。

 

「? なんやれろこれ。多分。漢、字?」

 

 だが、タイトルを見ようとした咲耶も首を傾げることとなり、いわんやリーシャたちはぽかんとした顔になった。

 咲耶にとってはなんとなくタイトルに見覚えのあるような感じの輪郭の文字が描かれているのだが、いかんせん文字が崩れすぎていて判別できない。

 

「リオン。なんなんこれ?」

「あん? ……ああ。“キキ”の写し本だ」

「“キキ”?」

「手慰みに読んでただけだ。ほら準備できたからそこらに適当に座ってろ」

 

 咲耶が見せてきた本を見て、あっさりとそう答えたリオンは本を没収すると畳んで適当そうに机の本の山の上に置いた。

 問いかけられた時。ほんの一瞬だけ眉を顰めるような顔色になったことに、リオンを睨んでいたクラリスだけが気づいた。ただそれがなんなのかを問う前にリオンの命を受けたメイドがお茶の用意をするために机の上にカップなどのティーセットを置き始めた。

 並べられた茶器はぶつければ容易く割れてしまいそうな、そして割ってしまうとどれほどの損失なのか気になる程の白磁の陶器。意匠の美しいそのカップに目を惹かれ意識はそちらにシフトしていった。

 

 

 茶会の用意が完了したテーブルを囲んで椅子に座る教師と4人の女生徒。

 その中で自らの想いを込めたチョコを手渡した少女はじっとそのチョコが口元に運ばれるのを見つめていた。

 

「……うまい」

 

 呟くように一言。リオンの口から聞こえた瞬間、咲耶の顔がぱぁ! と明るく華やぎ、それを見ていたリーシャたちも嬉しそうに微笑んだ。

 事前に自分たちが食べていたものでさえ十分に美味しかったのだ。本人曰く“本命”が美味しくないはずはないのだが性格が掴みにくいこの教師がどのような反応を示すかは正直リーシャたちにもドキドキだったのだ。

 リオンは嬉しそうに友人と笑顔を向け合っている咲耶を少し懐かしむような眼差しで見て、そっと頭に手を伸ばした。

 

「料理の腕前。ちょっと見ない間にえらく達者になったな」

「えへへ」

 

 小さな子供にするように頭を撫でると咲耶もまた昔の感触を思い出してか嬉しそうに微笑んだ。

 まるで仲の良い兄妹のようにも見える二人のやりとりに以前ちらりと咲耶に聞いたことを思い出してフィリスが尋ねた。

 

「スプリングフィールド先生って、サクヤと小さい頃から一緒なんですよね?」

 

 スプリングフィールド先生が咲耶の祖父や母と知り合いでその縁で咲耶とも親しかったとうのは本人に聞いたところであり、彼女の方は彼をどう思っているのかよく分かるのだが、彼の方はどうなのだろうか。フィリスだけでなくクラリスとリーシャも興味深そうにリオンの返事に耳を傾けた。

 

「時々呪術協会、こいつの実家に用事があったんでな」

「そのころのサクヤってどんなだったんですか?」

 

 リオンが答え、追加の質問にピクリとカップに伸ばそうとしたリオンの腕が止まった。

 リオンがじっと咲耶を見つめ、咲耶は小首を傾げてリオンを見返した。

 何と答えるのか期待のこもった眼差しを向ける中、

 

「……今と変わらんな」

 

 やや間を置いて出てきた答えにリーシャたちはがくりとなった。

 

「今と同じで頭の上にお花畑を咲かせたようなまんまだ」

「むぅ~」

 

 余裕ある感じで告げられた言葉に咲耶はぷくぅと頬を膨らませて面白くなさそうにリオンを見た。

 

 未だ幼さの残るその姿にリオンはふっと笑みを漏らした。

 この少女はずっと変わらない。

 あの頃と同じように自分を見上げてくる。

 

 その存在自体が許されないと呪われ続けたリオン(福音の子)を疑うことなく。

 

 

 むくれた咲耶だが、それでも自分の作ったチョコを美味しいと言ってもらえ、そして菓子作りの腕前が上達したと褒められたことは嬉しかったのか、不機嫌さは持続することなく室内ではほのぼのとしたお茶会が開かれた。

 

 メイドが淹れてきた紅茶をゆったりと楽しみながら、せっかくなのでクラリスたちはリオンに質問をぶつけていた。

 

 

「先生って、ちょくちょく髪の色変わってますよね。七変化なんですか?」

「七変化?」

「自分の外見を自在に変えられる能力。特に髪の色なんかが変化しやすいらしい」

 

 リーシャの質問に、分からない単語がでてきて咲耶が首を傾げると、クラリスが補足するように説明を入れた。

 これまでに見たところでは、明るい赤毛であったり赤と金が交じりあったようなジンジャー、かと思えば見事な金髪の時もあり、その時々で印象がひどく変わる人物であるのだ。

 

「能力、というよりも体質だ。魔力が変質しやすくてな。それに引きずられて髪の色も変わるんだよ」

「魔力が変質する?」

 

 紅茶を口元に運びながら答えるリオン。その答えにクラリスをはじめリーシャとフィリスも首を傾げ、視ていないところで咲耶がどきりとした感じになっていたりする。

 

「授業で属性の話はしたな。俺の場合、雷と氷をメインに扱うが、この二つはイコールじゃない。日によって得意な方が変わるんだよ」

「へー。それって精霊魔法を使う人にはよくあるんですか?」

 

 咲耶にしろリオンにしろ、特異な属性が複数あるのだが、咲耶からは“得意”な属性が変わるなどという話は聞いていない。

 

「いいや。ほとんど俺の特異体質みたいなものだ」

「日によって性質が変わったりしたら、大変じゃないですか?」

「慣れだな。それに変化するといっても大本は変わらん。土台の上にある属性が少し変わるくらいなもんだ」

 

 精霊魔法の使い手特有のモノなのかと尋ねたリーシャにリオンはそれを否定して答えた。

 あっさりとした口調で答えたが、日によって得意なものが変わるというのはあまり安定したものとは言えまい。続くフィリスの質問に答えるリオン。その答えは言外に昔は苦労したということでもあるのだが、今は特に不満がないということでもあるのだろう。

 

 その“土台”の属性に関して少し困った思い出があるだけに咲耶は少しドキッとしてリオンの様子を伺ったが、今はそれ以上言うつもりがないようだ。そしてリオンの答えにとりあえず満足したのかリーシャたちもそれ以上、リオンの属性には質問を続けなかった。

 

「そう言えばもうじきクィディッチとやらの2試合目があったな」

「! 先生も興味湧いて来たんですか!!」

 

 話題を転換させたリオン。

 その話題の矛先が自らのテリトリーであり、チームでもあるクィディッチのこととあってリーシャが身を乗り出して反応した。

 

「自分でやる気にはならんがな」

「先生スニッチ見つけるの早かったし、結構上手そうなんだけどな~」

 

 魔法世界にクィディッチがないことを残念に思っていただけに、リーシャとしては魔法世界にクィディッチ熱を巻き起こしたいのかもしれない。勿体なさそうに言うリーシャに咲耶やフィリスたちはくすくすと笑った。

 

「ふん。次は“英雄”との対戦だったな?」

「あ、はい。一勝同士、グリフィンドールとの対戦です」

 

 リオンは見るのはやぶさかではないがやはりクィディッチをやる気はないのだろう。どちらかというと対戦相手の方に若干の興味があるようで、リオンの問いかけにフィリスが答えた。

 

 クィディッチ寮対抗杯。現在の戦績は期待のルーキー、ハリー・ポッターの活躍で勝利したグリフィンドールとチーム一丸のプレーにより僅差の接戦を制したハッフルパフが一勝ずつ。前年度の優勝チームであるスリザリンがレイブンクローとともにまさかの一敗。

 勝てば優勝はほぼ目前だろう。

 

「前の試合を見る限りじゃ、ハリー・ポッターが上手いか下手か分かんないんで、楽しみです!!」

 

 心底心待ちにしているリーシャ。

 前回のグリフィンドール対スリザリンの試合。全校生徒が注目したハリー・ポッターの箒捌きは、残念ながら途中で箒が制御を離れるという謎の事件が発生し、よくわからないままに終わった。

 だからこそ、今度の試合こそ、“あの”クィディッチ狂いのマクゴナガル先生を認めさせたというハリー・ポッターのシーカーとしての腕前を見られることが楽しみなのだろう。

 

「でもこの前みたいなことにならないか心配ね。結局、箒のことは理由が分からなかったみたいだし。落ちたりしないでよ、リーシャ」

 

 やる気満々なリーシャだが、その友人の様子がフィリスは若干心配なのだろう。

 結局件の箒の暴走事件の理由は定かでなかったことも大きい。

 

「大丈夫だって。ですよね?」

 

 フィリスの心配にリーシャはカラッとした笑顔を浮かべて答え、確認するようにリオンの方を向いた。

 たしかに競技中の箒の暴走は恐ろしいが、前回の試合の際に、安全措置はあるんだろうというスプリングフィールド先生の予想を覚えていたのだろう。

 

 

「まっ、死ぬことはないんだろ。それに今度は事故は起きない(・・・・・・・・・・)だろうさ」

 

 それに対してリオンは安心させるようにも不安を煽るようにも聞こえる言葉を返した。

 

 

 

 少なくともハッフルパフの選手に“偶然ではない”事故が起きることはないだろう。

 加えて“相手”も馬鹿ではないだろうから、同じような嫌がらせは仕掛けてこないだろうし、“英雄”の監視者も何かしら対策を講じるだろうことは予想がつく。

 

 どこぞの蝙蝠に告げた手前、“英雄”には手を出すつもりはなかった。

 それが“どちら”にしても。

 リオンが関心のあるものに手を出さない限りは。

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 ほぼすべての生徒を熱狂させる魔法界の人気スポーツ、クィディッチ。その第2節。

 

「頑張れ~! リーシャ! セドリック君!」

「噂の一年生シーカーとの初対戦ね。頑張ってよ、セドリック」

 

 グリフィンドール対ハッフルパフの試合が今、始まろうとしている。

 赤を基調としたユニフォームのグリフィンドールと黄色と黒のハッフルパフの選手がそれぞれの愛箒に跨って空を翔け、咲耶たちは友人に声援を送っていた。

 いつもであれば適度にパフォーマンスをした後、審判のマダム・フーチの合図で開始位置へとつくのだが、今日の試合場ではわずかに様相を異にしていた。

 

「……審判がスネイプ先生」

「珍しいわね、マダム・フーチ以外の人が審判なんて。ダンブルドア校長も見に来てるようだし」

 

 クラリスの言葉にフィリスが意外そうに呟いた。

 いつもとの決定的な違い。

 今日はなぜか審判として競技場に浮かんでいるのがスリザリンの寮監にして魔法薬学の教授であるセブルス・スネイプであったのだ。しかも観客席には前回は姿を見せなかったダンブルドア校長の姿まであった。

 スネイプ先生が苦手なリーシャを始め、セドリックを含めたハッフルパフの選手みんなもいつもよりやりにくそうな面持ちをしているが、どちらかというとグリフィンドールの方が眉根を寄せた顔をしていた。

 伝統的に ――それこそ創始者にまつわる頃から―― スリザリンとグリフィンドールは仲が悪い。特にスリザリンは排他的な性質が強く、大らかな性格を寮の特徴とするハッフルパフと異なり、一本気な資質を特徴とするグリフィンドールとは相性の時点でよくないのだ。

 

「ほぅ。なるほど……」

「? なにがなるほどなん?」

 

 前回と同様、咲耶に引っ張ってこられたリオンは、審判として競技場に立つスネイプを面白そうに眺めた。

 なんだか楽しそうに見えるリオンの様子に咲耶は首を傾げて見上げた。

 

「随分面白そうなことをしていると思ってな。始まるようだぞ」

 

 開始の合図を聞いて咲耶はリオンへの質問を脇にのけて試合に注意を向け、声援を飛ばした。

 

 面白そうな手を選んだ。リオンはセブルス・スネイプの打った手をそう評した。

 試合開始前、セブルス・スネイプは観客席のダンブルドアの方を睨んでいたが、おそらく両者の間であまり意思の疎通が図れていなかったのだろう。

 率直に言ってセブルス・スネイプの打った手に意味はない。

 ダンブルドアが見ている前では、“偶然ではない”事故など起こしようハズがないのだ。

 だが、彼にとっては意味のある手と思っていたのだろう。

 大切に憎んでいる者と同じ空を飛んでまで守ろうとするのは、リオンから見てなかなかに興味深かった。

 

 

 

 試合は咲耶たちにとっては残念なことに、初戦の少々不格好だったキャッチを挽回するように、ハリー・ポッターが見事シーカーとしての役割を果たし、グリフィンドールの大勝で終わった。

 

 

 

「あ゛あ゛あ゛。悔しーーっ!!」

「リーシャどうどう」

 

 試合後、シャワーで汗を流し、談話室に戻ってきたリーシャたちハッフルパフの代表選手たちは一様にショックを隠せない様子で、リーシャは奇声を上げて大敗の悔しさを表し、咲耶はそれを宥めていた。

 

「やっぱ1年で選ばれただけあって流石って感じよね。セドリックが戻ってきてないけど大丈夫かしら?」

「ああ。セドリックならさっきルークが見に行くって言って出てったけど……ああああ!!!」

 

 試合はスネイプ先生の甘めの判定もあって、最初こそハッフルパフ有利に進んでいたのだが、それは最初だけだった。

 正確には中盤というものがなかったのだ。

 試合開始後、さほど経たない短時間でスニッチを見つけたハリーが見事な箒捌きでセドリックをものともせずにスニッチを確保。

 文句のつけようもないほど見事な大敗を喫したのだ。

 あっさりと負けてしまったことに頭を抱えるリーシャもだが、特に直接敗因となってしまったセドリックの落ち込み様は並大抵ではないだろう。

 談話室に戻ってきていないセドリックを心配したフィリスにリーシャは大丈夫だと返し、むしろ自分が大丈夫じゃなさそうに再び頭を抱えた。

 雄たけびを上げるリーシャの横ではうるさそうにクラリスが耳をふさいでいる。

 

「まあまあ、負けたんは悔しけど、怪我がなくてなによりやわ」

「そうよ。まだあと一試合あるんだし、怪我がなかったのがなによりよ」

 

 ぽんぽんとリーシャの肩を叩きながら咲耶は友人たちが無事に戻ってきたことをほっとしたように言い、フィリスもまだ終わっていない寮対抗杯の次を思い出させるように言った。

 

「うぅ~…………うん。そうだよな。よし! 次はスリザリンだっ!」

 

 涙目で二人を睨んでいたリーシャだが、確かに負けてしまった試合を引きずっていてもしょうがない。

 切り替えが早くさばさばとしたリーシャのそんなところが好ましい。割り切って立ち直ったリーシャの様子に咲耶とフィリスはほっとしたように微笑んだ。

 立ち直ったリーシャを見て、咲耶はふと思った。

 その次の対戦相手であるスリザリンの強さをそういえばよく知らないと。

 ハッフルパフもスリザリンも、グリフィンドールに負けたチーム同士。前回の試合は一応見ていたが、正直箒から落ちそうだったハリーの姿しか覚えておらず、その前の戦績はよく分からない。

 

「ところでスリザリンて、もが」

「ん? どした咲耶?」

「なんでもない。リーシャは次、頑張って」

 

 問いかけようとした咲耶は、クラリスに口を塞がれた。拳を握りしめて明日を向いているリーシャが訝しそうに咲耶に振り返るが、クラリスはなんでもないかのように返した。

 

「おうっ!! よしっ! いつまでもくよくよするなってセドリックに言ってくる!」

「うんうん。いってらっしゃい」

 

 もがもがとしている咲耶をよそに談話室を出ていくリーシャをフィリスが見送った。

 リーシャの姿が見えなくなってから、クラリスは咲耶の口から手を離した。

 

「ぷは。どないしたん?」

 

 いきなりの行動。ちょっと息苦しかった咲耶はクラリスにちょっと涙目になって尋ねた。

 

「今は言っちゃダメ」

「?」

 

 それに対してクラリスは言葉短く答えた。あまりにも短い説明に咲耶は首を傾げ、そんな様子を見かねてフィリスが口を開いた。

 

「この間は負けたけど、スリザリンって去年までは断トツで強かったのよ。リーシャが入学してから、どころか7年ほど勝ってないのよ」

 

 基本的にスリザリンは優秀で、勝負ごとに関しては勝利に貪欲だ。目的を成し遂げることに関しては四寮中、最も秀でている。

 咲耶はそれを聞いてあちゃ~という感じに頬をかいている。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

勉強と隠し事と友達

「んなぁあーーーっ!!」

 

 イースターの休暇。始まる直前まではこの休暇をどう楽しく過ごすかと話していたリーシャだが、いざ休暇が始まると、あまりの課題の多さに絶叫を上げていた。

 

「リーシャ煩い」

 

 長々とした魔法史の課題を仕上げていたクラリスは音を上げているリーシャに淡々と言い放った。一見いつもの無表情のようでいて、彼女も課題の量の多さに辟易しているのかもしれない。

 

「ふにゃぁ~」

「ちょっとサクヤも。リーシャのが感染してるわよ」

 

 魔法薬学のこれまた長ったらしいだけでなく、出題者の性格が滲み出ているような課題をこなしていた咲耶も頭から湯気を出して机の上に崩れ伏せ、フィリスがこらこらと注意を入れた。

 いつもであればリオンの部屋で ―別荘で― 大量の課題をこなしていた咲耶だが、今回は他の生徒と条件を同じにするためにリオンから部屋の使用許可がでなかったのだ。

 咲耶自身も友達と一緒にテスト勉強をするということに憧れを抱いていたので始めた当初は楽しそうにしていたのだが、それにも限度があった。

 魔法史に魔法薬学、変身学に薬草学、呪文学と闇の魔術に対する防衛術と、それぞれの教師が「休暇なんだからこなせるよね」とばかりに大量の課題を出してきた結果、生徒は休暇とは名ばかりの勉強漬けの時間を過ごす羽目になっていた。

 

 

 第15話 勉強と隠し事と友達

 

 

 

「くあー。やっと終わったー」

「はー、くたくたやー」

 

 ひととおり課題を終わらせる目処をつけて図書室からの帰路につく咲耶たち。リーシャがぐぐーっと伸びをして、同じように咲耶もぐぐーっと両手を上げて背筋を伸ばした。

 大柄なリーシャの横で小柄な咲耶が同じことをすると妙な微笑ましさがあり、それを後ろで眺めるフィリスとクラリスも大量の課題に疲労がやや溜まっていた。

 

「後は夜に天文学の課題を終わらせれば一通りは終わりね」

「あとは実技の試験勉強にあてられる」

「げっ! まだやんの!?」

 

 慣れない英語での課題をこなす咲耶と元々座学は低空飛行のリーシャと違い、平均以上はできているフィリスと学年でも優等生の部類のクラリスは疲労困憊の二人よりももう一段高いところを想定しているらしい。

 友人たちの会話にリーシャはがばっと後ろを振り向いてカエルが潰れたような声を上げた。

 学期末試験は6月。時期的には少々気が早いと言えるだろうが、あいにくと先の2年でも同じような感想を抱いて同じような苦労を味わったのだ。理性では二人の言うことを聞いていた方がいいのは分かるが、やはり勉強づくしでは気が滅入るというものだ。

 

「わざわざ試験のテーマまで教えてくれた先生がいるのだからやっておくべき」

「あぁ゛~~」

 

 もっともなクラリスの言葉にリーシャの悲鳴が上がり、その“親切”な教師のことをよく知る咲耶は苦笑いを浮かべた。

 

「でも精霊魔法の、『魔力の効率的運用と精神力の強化』って具体的に何すればいいのかしら? 課題内容は障壁の魔法だったわよね」

 

 その早々にテーマを決定させた教師、リオン・スプリングフィールドの出したテーマにフィリスたちは頭を悩ませていた。

 彼女たちにとって魔法とは杖を持って呪文を唱えることで発動させるものなのだ。魔法の中には、例えば盾の呪文や“許されざる魔法”のようにそれだけでは発動できないモノもあるし、姿あらわしや動物もどきのように下手に発動させることが危険なために公的な許可が必要な魔法もある。だがそこに“魔力の運用”などというものはあまりなじみのないことだ。

 

「うーん。多分、長時間障壁を展開するとか、一定以上の出力の障壁をつくるとかやと思うわ」

 

 フィリスの質問に咲耶は顎に指を当てて昔教わった内容を思い出すようにして言った。

 昔、幼く魔力の制御が今よりもさらに未熟でしょっちゅう暴発して熱を出したりしたこともあり、咲耶は母だけでなくリオンからも多少魔法の手ほどきを受けたことがある。その時に制御の一環として持続して安定的に魔法を発動させることなどもやっていたのだ。

 

 

 わいわいと試験のことやそれぞれの魔法のことを話しながら歩いていた一行は、見知った顔を発見して足を止めた。

 

「あっ! ハーミーちゃん! とハリー君!」

「サクヤ!」

 

 困惑した感じで話し合っていたハーマイオニーとハリー、そしてリオンよりも濃い赤毛の少年 ――たしかロン―― と出逢って、咲耶は声をかけた。

 なんだか眉根を寄せていたハーマイオニーだが、咲耶とハッフルパフの上級生たちが向かってきていることを見るとハッとした表情をしてからすぐにとりつくろった笑顔に切り替えた。

 

「何やってるの、サクヤ?」

「んー、うちらは試験勉強の準備。ハーミーちゃんは?」

「えっ。あっ、えーっと……」

 

 試験勉強をしているという言葉をハーマイオニーの後ろで聞いたハリーとロンは「正気かよ!?」とでも言いたげな顔で咲耶たちを見て、ハーマイオニーが「ほらごらんなさい」とでも言いたそうな視線を返した。だが、次いで自分たちの行動について尋ねられると、困ったように視線を彷徨わせた。

 口ごもるハーマイオニーの様子に咲耶が首を傾げているとハリーが「そうだ!」とばかりに顔を明るくして口を開いた。

 

「サクヤ! サクヤはドラ、あいたっ!!」

 

 何を聞こうとしたのか。ハリーの言葉は途中で痛そうな悲鳴に遮られ、ハリーはこっそりと自分の太腿を捻ってきた手の持ち主、ハーマイオニーを睨み付けた。

 

「どしたん?」

「ううん。なんでもないの! そうだ、サクヤ! あのね、私たちも精霊魔法を受けているんだけど、ちょっとコツとか聞きたいの! 時間のあるときないかしら?」

 

 二人のやりとりに小首を傾げた咲耶だが、その追及をハーマイオニーは慌てた口調で掻き消すように精霊魔法についてのアポをとってきた。

 

「うん。ええよ~。でも今はちょっと休ませて。勉強詰めで頭がパンクしそうや」

「ええ。うん。いつでもいいの! それじゃあ、私たちもちょっと用事があるから」

 

 勉強のし通しでふらふら気味なため、約束だけ承諾した咲耶。ハーマイオニーはその約束を聞くやハリーとロンを引き連れて立ち去ってしまった。

 慌ただしく去っていく3人に咲耶たちは小首を傾げてそれを見送った。

 

 

 

 ハーマイオニーに太腿を抓られたあげく、せっかく会えた咲耶からあっという間に引き離されてしまったハリーは不機嫌そうにハーマイオニーを睨んでいた。

 それに対してハーマイオニーも憤慨したような感じでハリーとロンを先導している。

 

「ちょっとハリー! サクヤに何言うつもりだったのよ!?」

 

 十分に距離が離れたところで、先ほどの会話でハリーが口を滑らしそうになり、危ういところで止めたことをハーマイオニーが怒りながら尋ねた。

 

「何ってハグリッドのドラゴンのことだよ。ドラゴンの孵化って珍しいんでしょ? サクヤにも見せてあげたいし」

 

 ハーマイオニーが困惑していたのは、咲耶たちと出会う前に知ってしまったとある違法行為についてのせいだった。

 ハリーたちの友人、森の番人であるルビウス・ハグリッドが違法であるドラゴンの飼育をしている。それを図らずも知ってしまった3人は、ことの次第をどうしたものかと考えていたのだった。

 

「あのねハリー。さっきも言ってたけどドラゴンの飼育は違法なのよ」

 

 イギリス魔法界においてドラゴンの無許可飼育は違法だ。

 強力な魔法生物であるドラゴンは、多くの場合人には懐かず、制御することもできない。そんなモノを人の住む近くで飼おうなどということは恐ろしいことなのだが、彼らの友人にして凶暴な生物を愛するハグリッドはずっと昔からの念願だったドラゴンの卵を手に入れてこっそりと飼育してしまっているのだ。

 

「それは聞いたよ。でも孵化するときにこっそりサクヤと一緒に見に行くくらいなら」

「サクヤの立場も考えて!」

 

 ハリーとしては、魔法界に来て初めて知り合った異国の可愛らしい少女にちょっぴり自慢するような感じだったのだが、同じく彼女の友人であるハーマイオニーの考えはまったく別のものだったらしい。

 

「サクヤは留学で来てるのよ。万が一にもそんな危ないことに関わらしちゃいけないわ!」 

「あー。僕らは“そんな危ないこと”とか“あんな危ないこと”に関わろうとしているわけだけど……」

 

 咲耶は日本の魔法協会のトップに座る人物を祖父に持つ留学生だ。留学先の異国で問題行動に関わらせては、個人の問題としても大事になるし、悪くすれば組織対立にも繋がりかねない。

 友人ではあるが、いや、友人だからこそ、そんなことに関わらせることはできないと怒るハーマイオニーに、ロンはひっそりと声を上げ、睨みつけられてしゅんと黙った。

 

「だからこっそり見せてあげて、黙っていてくれって言えばいいじゃないか。サクヤはきっと黙っていてくれるよ」

「そうでしょうとも。ただ、お忘れでしょうけど、彼女は保護者のスプリングフィールド先生にべったりなのよ? 彼女、隠し事とか苦手そうだし、スプリングフィールド先生が怪しんだりしたらアウトよ」

 

 ハーマイオニーの指摘に流石のハリーもぐぅと押し黙った。

 ロンの兄であるフレッドとジョージは、なぜかあの教師のことを「クールな人だ!」とか「愉快な人だ!」と評して持て囃しているのだが、ハリーたちにとって見れば、マクゴナガル先生と並んで怖い先生の一人だ。

 生徒から怖がられるという点においてはスネイプも同様だが、彼の場合はスリザリンを露骨に贔屓し、ハリーを逆贔屓することからどちらかというと怖いというより嫌いな教師だ。

 スプリングフィールド先生の場合は多くの生徒に苦手意識をもたれている。その苦手意識はハリーたちよりもスリザリンに顕著だろう。

 彼らは当初、英国魔法族における歴史ある名家として、他国の魔法協会トップの肝いりでやってきたスプリングフィールド先生と“お近づき”にでもなろうと考えていたようだ。

 だが、その代表格ともいえるドラコ・マルフォイがけんもほろろに一蹴される様を見て、そしておそらく自寮にてその惨状を聞いてしまったためにそれ以降、あの精霊魔法の教師を遠巻きにしているのだ。

 そんな先生だからこそ、つながりの深い咲耶にもなるべく秘密にしたい。

 ハーマイオニーが知っている魔法薬の中にも相手の秘密を暴く魔法などがあるくらいだ。異なる系統の魔法の使い手であるスプリングフィールド先生が似たような魔法を使えないとは限らないだろう。

 それでなくとも、年上のくせにやたらと幼く見える少女は隠し事には向かなさそうだ。

 

 なんとかハリーを説得することに成功したハーマイオニーだが、この時彼女は知らなかった。

 この説得によりたしかに咲耶が巻き添えをくうことはなかったのだが、結局、彼女たち自身は大きな罰を受けることになってしまうことを。

 

 

 

 ・・・・

 

 

 

 イースターの短い休暇が終わったころ、事件が起きた。

 

「なにやったらあんなことになるんだ!?」

「どうしたんリーシャ?」

 

 外から談話室に戻ってきたリーシャがクラリスと一緒に帰ってきた。扉をくぐった時の様子に咲耶が尋ねた。

 

「グリフィンドールの点数が大暴落してんだよ」

「えっ!?」

「それにスリザリンもかなり点数を落としている」

 

 咲耶の質問にリーシャは少し怒ったように答えた。驚く咲耶にクラリスが補足するように得点の変動がグリフィンドールのものだけでなかったことを付け加えた。

 

 大広間に設置してある各寮の得点を示す砂時計。

 先日まではクィディッチでの活躍もありグリフィンドールがトップを走っていたその砂時計が、今日には大きく目減りし、一気にごぼう抜きにされていたのだそうだ。

 2位だったスリザリンもかなり減点されていたが、グリフィンドールほどではなくなんとかレイブンクローとの僅差の勝負になっていたそうだ。

 元々成績の良い優等生の多いレイブンクローや成績良好に加えて魔法薬学で露骨に贔屓されているスリザリン。そして今期はクィディッチでの大量得点があるグリフィンドールに対して、あまり成績が振るわない者の多いハッフルパフは寮の得点もそれほど高くはない。

 勿論中にはセドリック・ディゴリーのように学年でもトップクラスの優等生がいないでもないが、全体の数で比べれば四寮中、学力・実技の平均はハッフルパフが最も低いのだ。

 それはハッフルパフという寮の求める性質が「心優しく勤勉で真っ直ぐな者」という者であり、そのために勇猛さや狡猾さ、知性などを求める他寮に選ばれなかった者を受け入れるという性質も持っているためであろう。

 はからずも最下位を脱することができたハッフルパフだが、どうも自分たちで逆転したわけではなく、上が落ちてきたこと、しかもその理由がよく分からないことが気に入らないらしくリーシャなどは顔を顰めている。

 

 

 咲耶たちが気づいたのと同様、グリフィンドールの謎の失墜はその日のうちに全校生徒が知るところとなった。

 そして他寮の女子とも交流関係の広いフィリスが仕入れた情報によるとなんでもグリフィンドールの1年生3人と、スリザリンの1年生が消灯時間を過ぎて以降に校内を徘徊して、マクゴナガル先生に見つかったらしい、という噂が最も信憑性が高く、その噂はその日の内に校内を駆け巡った。

 それというのもその中に、クィディッチのニューヒーロー。生き残った英雄、ハリー・ポッターが混ざっているというのだから、噂への関心はほかの生徒たちの比ではなかった。

 そしてそれを裏付けるように彼の態度はひどく周りの視線を気にしたものへと変わっていた。

 まるで全ての視線が自分を非難するように突き刺さっているというかのように、極力目立たないよう目立たないように行動していた。

 

「あーあ。せっかく今年こそスリザリンの首位が阻止できるかと思ったのになー」

 

 がっかりといった様子でリーシャが愚痴をこぼした。言葉にはしないが、この間までハリー・ポッターを褒めていたフィリスなども失望を隠せいない。

 たしかに点数にして150点ほどの大暴落をするほどの違反を犯したのはいけないことだろうが、下手なバレかたをすると危険だった違反は咲耶だって経験がある。その時、リーシャたちはむしろけしかける側だったのだ。

 それが不思議で咲耶は首を傾げた。

 

「なあなあ。なんでみんなハリー君たちに怒っとるん?」

 

 同じ寮のグリフィンドール生ならばまだ分かる。だが、咲耶の感覚からするとなぜグリフィンドールが大きく減点したことで他の寮の生徒までハリーのことを冷めた目で見るようになったことが不思議に感じたのだ。

 

「ここ数年間、ずっとスリザリンが寮杯を獲ってるのよ。スリザリンはほら。色々あるから、どこでもいいからスリザリンの寮杯獲得を阻止してもらいたいのよ」

 

 咲耶の疑問にフィリスが答えた。

 4寮中、最もスリザリンと敵対意識が強いのはグリフィンドールだ。

 だが、スリザリンの狡猾かつ過度な純血主義はレイブンクローとハッフルパフとも折り合いが悪いのだ。

 だからこそ、数年間トップをひた走り続けたスリザリンの首位陥落に、グリフィンドール生ならずとも多くの生徒が期待を寄せた。

 

「それがあのハリー・ポッターの活躍で、っていうんならみんな納得してたけど、当の本人が大ポカやらかしちゃな~」

 

 それはミーハーな感のあるフィリスだけでなく、リーシャにとっても同じらしく、ハリーの失態にやや失望めいた色を顔に浮かべている。

 

 フィリスとリーシャ。二人の友人の言い分からおおまかに学校に漂う、友人を責める雰囲気の理由を理解した咲耶は、それでもどこか納得いかなそうに唇を尖らせていた。

 

「むぅ~…………よし」

 

 そして、なにか思いついたのか咲耶は勢いきって立ち上がった。

 この人のいい留学生の次の行動がなんとなく分かったフィリスはそれを止めるべく、咲耶の腕を引いて寮から出て行こうとするのを引き留めた。

 

「ちょっと待ちなさい、サクヤ。ハリー・ポッターとかあのグリフィンドールの子に今あんたが会いに行くのはやめときなさい」

「なんで!?」

 

 やはり予想通り彼らに会いに行くつもりだったのか、フィリスの言葉に咲耶はショックを受けたように振り向いた。

 励ましにいくつもりだったのか、それとも単に会いに行くだけのつもりだったのか。

 いずれにしても、今、咲耶が会いに行くのは、あまり具合が良くはなかった。

 

「あのねぇ。今あの子たちなるべく目立たないようにしてるでしょ? 自覚ないみたいだけど、あんたも結構目立っているのよ? 学校で一人しかいない留学生なんだから」

「うぅ~~。でもハーミーちゃんに精霊魔法のこと教えるて約束したもん」

 

 針のむしろのような状況に晒されているハリーたちにとって、極力目立つ行動は避けたいところだろう。そこにホグワーツ唯一の留学生などが一緒にいれば、ただでさえ英雄という看板に色をつけるようなものだ。

 フィリスの言い分に、しかし咲耶は不満そうに訴えた。

 

「……ハリー・ポッターへの期待が凄すぎて今はその落差にみんな過敏になってるのよ。もうしばらくしたらみんな気にしなくなるだろうし」

 

 頬を膨らませて抗議の視線を向けてくる咲耶だが、フィリスはぐっと堪えて待つように諭した。

 別に咲耶を彼女やハリー・ポッターに取られるなんてことを考えたわけではない。だが、この少女は人の気持ちを読んでも、周りの空気を読まずに気持ちを大切にするだろう。そんなイメージがあるだけに、彼女まで立場を悪くさせたくないのだ。

 

 ――あの有名なハリー・ポッターが、今度はニホンの魔法協会の留学生となにかやるつもりらしい――

 

 そんな噂がたってしまうと、咲耶にとってもハリーにとっても嫌な思いをするだろう。

 お姉さん役のフィリスが制止を求め、リーシャはどうしたもんかと眉根をよせて二人を見ている。

 

 

 だが、リーシャの横で咲耶の様子を、友人のところに行きたそうにしている彼女の様子をじっと見ていたクラリスはくいくいと咲耶のマントを引いた。

 

「……サクヤ。図書室に行こう」

「?」

 

 いきなりの誘いに咲耶は呆気にとられ、フィリスは訝しそうにクラリスを見た。

 咲耶の視線を受けたクラリスはいつもの無表情な顔で咲耶を見上げた。

 

「図書館は静か。人目を避けたい(・・・・・・・)ときとかにゆっくりと勉強ができる場所」

「!」「クラリス!」

 

 咲耶がクラリスの言葉の意味に気づきぱぁっと顔を明るくし、同じくフィリスが咎める声を上げた。

 頻繁に図書室を利用するクラリスだ。おそらくそこでハーマイオニーとよく遭遇したことがあるのだろう。

 

「うん! ありがとうな、クラリス!」

 

 クラリスの助け舟に咲耶はがばっとクラリスに抱き着いた。

 

「サクヤ!」

「つーん。うち図書室にクラリスと勉強しにいくだけやもん」

 

 少し強めの口調で言うと咲耶はクラリスを抱いたまま拗ねたようにそっぽを向いた。

 

「図書室はみんなの場所やからそこで誰と会っても問題あれへんやろ」

「…………」

 

 すでにそこに会いたい友人が居るのは確定しているような口ぶりだ。

 咲耶の反応にフィリスは頭を痛めたように額を抑えた。

 フィリスにも、このお姫様チックな少女が見かけによらず我儘だということをすでに痛感していた。

 自分一人のことならばそうでもないが、他の人のことに関わる時、咲耶はかなり自分の思ったままに行動する。きっとそんなところをクラリスは分かって、だからこそ彼女に非常に懐いているのだろう。

 フィリスもそれは分かっている。だが、だからこそと、口を開こうとしたフィリスの肩に、ポンと手が置かれた。

 振り向くと仕方なさそうにリーシャが苦笑していた。

 

「サクヤ。ポッターが居たら、次は負けねーって、伝えといて」

「うん!」

「……はぁ」

 

 結局、リーシャもクラリスも、やはりハッフルパフの寮生なのだ。

 心優しくまっすぐで、苦難を苦難としない心の広さ。

 フィリスは、溜息をつきつつも、図書館へと向かうクラリスと咲耶を見送った。

 

 

 

 ・・・

 

 

 

「ナニ見テンダ?」

 

 月のない夜のホグワーツ。

 窓辺から外を眺めていたリオンに、不気味な笑い顔を貼りつけたチャチャゼロが問いかけた。

 

「……花火だな」

 

 リオンの中の闇の力が最も薄れる新月の夜。赤髪のリオンは暗闇の先に写る広大な森、禁じられた森の空に赤い火花が咲くのを見て呟いた。

 

「ふん。随分と趣味の悪い何かを招き入れたものだな」

 

 同じ森の中、不気味な魔力の蠢きを感じて機嫌悪そうに鼻を鳴らした。

 

「ナニカ? オイオイ、チャント仕事シロヨ、ボーズ」

 

 リオンの様子から、外に居るモノはよくないモノなのだろうと察したチャチャゼロは、何かを察知していながら様子を見に行こうとはしないリオンに呆れたように指摘した。

 

 チャチャゼロ本人にとって、ここの生徒など正直どうでもいい。おそらくマスター代理であるリオンもまた同じだろう。だがおそらく彼は仕事はするだろうと思っていた。他に手渡したくないモノがここにはあるから。

 

こっち(赤髪)の時は感知苦手なんだよ。それにこれは外からの侵入者じゃない。招き入れられたモノか、もともと中に居た奴だ」

 

 動かない理由。それはこれがこちらの魔法界に関わりの強いモノであるから。そしてそれが今のところは手渡したくないモノ、咲耶に近づく気配が見られないからだ。

 リオンの仕事はホグワーツの教師。そしてここの生徒である咲耶の警護だ。そのついでに(・・・・)この学校の守護の任も一部受け持ってはいる。

 

 だがいろいろとやりづらいのだ。

 日本の協会と英国の魔法省との関係とか、新世界と旧世界の魔法族のあれこれとか。いろいろと…… 

 仮に森に居るのが、こちらの魔法族にとって良くないモノだとしても、“由緒正しい”魔法学校の敷地内に招き入れられたモノを無闇とぶちのめすことはできない。

 咲耶に関わる事案に発展するか、無断で侵入したと分かる者、あるいはここと関わりがないということがはっきりすれば手の出しようもあるのだが。

 もっとも、この学校は招き入れられない限り、外からの侵入に対しては結界が作用して並大抵の術者では侵入できないし、手の出しようがあるといっても、あくまでもやる気になれば、の話だが。

 

 禁じられた森で蠢いているらしいそれが近づこうとしているのは……

 

「どうやら、生き残ったガキに興味はあるようだな」

「ナライイジャネエカ。別ニヤッテモ。血マミレ希望ダ」

 

 咲耶ではなく、“生き残った少年”。

 先ほど校舎から禁じられた森の方に歩いていく生徒の姿があったこともあるが、放課後にやってきた咲耶が言っていたのだ。

 ハリー・ポッターをはじめとした何人かの生徒が規則破りで罰則を受けることになったと。

 

 生徒に調査させるには少々 ――どころかなかなかに危険の高い案件な気もするが、それがホグワーツの教師の決定なのならば、罰則にリオンがどうこう言う筋はない。

 ダンブルドアあたりは森にいるモノについて知っていそうなものだが、口出ししていないところを見ると、何らかの思惑でもあるのだろう。

 一応、彼らに何かあったときは、英国魔法界の英雄殿を守るという名目で手をだすことはできなくもない。果たしてそれを ――魔法世界側の魔法使いが旧世界の英雄を助けるという行為を望んでいる者がいるかどうかは分からないが。

 

 ただ、どうやら相当に退屈しているらしい殺戮人形(チャチャゼロ)はなにやら物騒なことをほざいており、リオンは不機嫌そうに窓から顔をそむけた。

 

「あれには手を出さんと言ったものでな」

「ケッ。律儀ナモンダナ」

 

 

 “生き残った少年”には手を出さない。

 それは軽い口約束でもあり、一種のけじめのようなものでもあった。

 

 こちらの魔法学校に来るにあたり、闇の勢力の動きがキナ臭いから、という理由で咲耶の護衛についたわけだが……

 うっかりすると彼女を守っているつもりで、いつのまにか、英雄殿の守護に使われていたなんていうことにもなりかねない。

 どこぞの誰かにその思惑があるかどうかはともかく、お偉方はそれを希望していないわけではないだろう。

 日本古来の呪術協会の長が、その孫娘の護衛につけた魔法使い。

 もしかすると英国魔法界のエリート魔法使いである闇払いくらいの実力はあるだろうくらいは期待していてもおかしくはないだろう。

 

 むろんリオンとしてはわざわざそれに乗ってやる義理はない。

 純血だの穢れた血だのという英国魔法使いにとって長年の問題は、リオンにとって心底どうでもいいことなのだから。そんな御旗を掲げて猛威を振るっていた“名前を言ってはいけない”お方など、どうでもいい輩の筆頭だ。

 もっとも、その通り名の一つである“闇の帝王”とやらには些かばかり興味はあるが。

 

 リオンは机の方に戻り、休憩前に手を付けていた古書の解読に戻った。

 

「目論見ノ目処ハツキソウナノカヨ?」

 

 日本の旧家である近衛家で育った咲耶ですら首を傾げていた漢字で書かれた書物に目を通すリオンにチャチャゼロはいつも通り、哂うような顔で問いかけた。

 

「ああ。なにせサンプル(・・・・)が近くにあるからな」

 

 従者もどきの問いにリオンは些かばかり進展した状況を思って頷いた。

 

「ハッ! マァセイゼイ頑張レヤ」

 

 リオンが今の仕事(ホグワーツの教師)を受けたのは咲耶の護衛のため。

 それは間違いがない。

 

 だがそれでは、なぜ“咲耶を護衛すること”を引き受けたのか。

 

「ほう? いいのかチャチャゼロ?」

 

 “それ”を知っているはずのチャチャゼロの言葉にリオンは口元に笑みを浮かべながら、しかしその瞳に凍えるようなモノを宿しながらチャチャゼロを見つめた。

 

「別ニ。ヤリタキャ勝手ニヤレバイイダロ。一応今ノ御主人ハボーズデモアルカラナ」

 

 試すようなリオンの問いに、“母親の長年の従者である”チャチャゼロは一見興味なさそうに投げやり気味に答えた。

 そこに、ほんの僅か、瞬く間に消えてしまいそうな粉雪のような思いをにじませながら。

 

 

 

 闇から生まれた子供が光の子供を欲しがる理由。

 それがなぜかを知っている。

 

 願うことがあるのだ。

 

 絶対に叶えられないはずのそれ。

 

 でも、その鍵は手元にある。

 

 

 詠春は闇の子を信じていると言った。

 

 でも所詮闇の子(バケモノ)は――

 

 

 ――闇の住人(バケモノ)でしかないのだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ホグワーツの教師はどこかしらおかしくないといけないのか?

 轟々と吹き荒れる風。

 視界には一面に広がる白銀の世界。どころか視界を奪うホワイトアウト。

 

「くそっ! クラリス、フィー! 咲耶! セドリック!! ……くっ。誰か、いないのかっ!?」

 

 準備を万全に整えた登山者ですら命の危ぶまれそうな猛吹雪の雪山。夏用の制服にローブを羽織った程度の学生がうろつくような場所では断じてない。

 一秒ごとに命を削らんばかりの極寒の世界。 

 身に纏った洋服や普通のローブ程度では、到底防寒の役目を果たすことなどない世界。

 

「なんで――――」

 

 そこにリーシャは居た。手には杖を握りしめ、見失った友を探してもう何時間も歩き彷徨っていた。

 突然に投げ出された命の危機的な状況。

 だが、この山のどこかにいるはずなのだ。クラリス、フィリス、咲耶、セドリックたち友が、そしてともに難敵へと挑んでいた級友が。

 

 そう

 

「これがテストなんだっ!!!」

 

 学年末の試験という難敵へと挑む戦友が。

 

 

 

 第16話 ホグワーツの教師はどこかしらおかしくないといけないのか?

 

 

 

 試験を“なんとか”無事に終えたリーシャたちは夏の談話室で毛布にくるまって凍えた体を暖めていた。

 

「いやー、リオンの性格知っとったけど、あれは容赦なかったなー」

「いや、容赦ないどころかあれマジで死ぬかと思ったよ!」

 

 比較的、どころかおそらく精霊魔法に関しては学校で一番の成績をとったであろう咲耶はすでに夏のイギリスへと帰還を果たしているが、リーシャやフィリス、そして同学年で優等生クラスであるクラリスやセドリックですら、学年最後の科目、精霊魔法の試験の余波を受けてガタガタと震えていた。

 のほほんとしている咲耶に、まさに死ぬ思いをしたリーシャは涙目で訴え、クラリスもこくこくと頷いて同意を示している。フィリスもかじかんだ掌をココアを入れたマグカップで温めながら呟いた。

 

「前々から思ってたけど。スプリングフィールド先生が出鱈目な人だというのがよく分かったわ」

 

 今年から始められた新設の科目。異世界である魔法世界で主に使われている精霊魔法。その最後の試験は事前通達通り、障壁魔法が課題となった。

 授業が本格的になった当初に伝えられたから10か月以上も準備期間があり、しかも1週間前にはどの障壁が課題になるかまで通達されていたにもかかわらず、今回の試験は、その担当教員を“悪魔のようだ”と称するに十分だっただろう。

 

 精霊魔法において、防御の魔法、障壁にはいくつも種類がある。一般的な対魔障壁、対物障壁からはじまり、耐熱障壁、耐電障壁などなど。

 今回の試験に出された障壁は耐寒障壁。

 そして評価項目は『魔力の効率的運用と精神力の強化』。

 

 そこまで詳細に明かされていたにもかかわらず、実際の試験場において、その試験内容を知らされた生徒からは幾人かの開始前リタイアが出ていた。

 

 次年度の受講要件は試験を受けてA:可、以上をとること。

 不可要件は、自分の実力を見極められず、試験を受けてリタイアした者。

 試験内容は、『半日雪山で耐えること』であった。

 

「たしかに。まさか試験時間一時間が半日になるなんて……アレは精霊魔法を使う人なら誰でも作れる道具ではないんだろ?」

「うん。ダイオラマ魔法球はもともとリオンのお母様が持っとった物を譲り受けたものなんやって。今回は1時間を半日にしとったけど、いつもは1日くらいにはできるみたいやわ」

 

 セドリックは試験の内容の出鱈目さもさることながら、その試験を可能にした魔法道具にもかなりの興味を抱いていた。

 

 試験会場となった教室に持ち込まれた一つの魔法球。ダイオラマ魔法球。

 

 試験に参加した生徒は一瞬でその球の中に転移させられ、気づけば雪山、各々試験内容である耐寒障壁を展開していたものの、ほぼ全員が猛烈な吹雪に面食らったことだろう。

 

「いきなしサクヤは、てか全員バラバラに飛ばされるし。あれ障壁切れてたらどうなってたんだ?」

「一応、あのメイドのロボットたちが回収してくれるとは言ってたけど……」

「運が良ければとも言っていた」

 

 遠い過去のような雪山での回想にリーシャを始め、フィリスとクラリスも遠い目をした。

 

 一応、自分の力量を判断できずにリタイアした者は、うまく探知に引っかかれば先生が救助を向かわせるとのことだったが、幸いにも、全員が試験を“なんとか”無事にクリアしたらしいということは終了直後の凍えた耳に入ってきてはいた。

 

「まぁ何はともあれ、来年も受講する資格はできたわけだけど、来年はどうする? 正直俺は今から来年の試験内容が怖いとこがあんだけど」

 

 精霊魔法の授業は、魔法薬学などと違って現時点では履修したからといって英国魔法省などの就職に必須であったり、有利になるわけではない。そして途中受講放棄自由であり(再受講はできないが)、興味の薄い者は早々にリタイアしているのだ。

 だからこそ脱落者なしという結果になることができたが、正直、受講を継続している者は全学年でも稀だろう。

 まして今年の期末試験のことを思い返すと、2年目となった時の授業内容と試験内容は恐怖を誘うものがある。

 ルークの言葉に咲耶ですら苦笑いを浮かべた。だが、来年の話が出たことでふと咲耶は懸念ができてしまい、口元に指をあてた。

 

「んー、でも来年もリオン居るんかな?」

「え? スプリングフィールド先生、来年は居なくなるの?」

 

 咲耶の言葉にリーシャが意外そうに声を上げた。

 ホグワーツにおいて教師の退職は珍しい事ではない。というよりも毎年のことではあるが、流石に新設の科目の教師が辞めることはないだろうと考えもしなかった。

 

「リオン実はああ見えて結構忙しいらしいんよ。できれば居ってほしいんやけどなー」

 

 一体どれほどの人数が咲耶の意見に賛同してくれるかは、おそらく本人には言えないだろうことは、引きつった顔のルークやフィリスから推して知ることができるだろう。

 

「やー、実技中心だったのは良かったけど、正直もう少し、なんつーかこう」

「魔法世界の話とか聞きたかったわね」

「そう、それ!」

 

 今年1年間を思い返してリーシャとフィリスが新科目の不満点を述べた。

 実技が好きで座学が苦手なリーシャといえど、異世界・魔法世界というものには興味があった。

 だが、今年の授業内容はほとんど魔法世界ではどのような魔法が使われているかと、その実技が主体となっていたのだ。

 もう少し話が聞きたいと思うことも無理からぬことだろう。

 

「うーん。魔法世界ていろいろと複雑でなぁ。今年はとりあえず紹介みたいなもんやったと思うんやけど」

「紹介、ね……」

 

 難しい顔をしている咲耶の言葉に、フィリスなどは顔を引き攣らせていた。

 あれだけ実技重視の内容で紹介もあったものではない。あれで紹介ならば一体本番はなにをさせられることやら。

 

 ちなみに講義内容の偏りはたしかに咲耶も気にかかっていた。

 今年はあまりに魔法の実技内容に特化しすぎている。それは一つにはリオンがあまり魔法世界の国、メガロメセンブリアと仲が良くないということもどこかにあるだろうと思っていた。

 

 

 咲耶が知っていながらも思い至っていない事だが、本当に大きな理由として今の世情が難しいということがある。

 

 “ある計画のために”なるべく早く魔法世界と旧世界の魔法族との友誼を深めておきたい。

 だが、旧世界の魔法族の騒乱をそのままひろげられては困るのだ。

 かつて、日本においては魔法世界側の東の魔法協会と旧来の西の呪術協会が反目し合ったことがある。

 今まで英国魔法界が新旧の魔法族の衝突がなかったのは、互いに領分を別っていたからだ。

 しかも旧世界の魔法族は、その中で激しい内乱を起こしてもいた。

 新世界の中でも争いはあったが、それは新世界という仕組み上、避けられないことだったのだ。

 だが、それでも英雄という御旗のもとに和解し一応の安定を保っている。

 旧世界の魔法族も一応の安定は保っているが、それでも魔法族と非魔法族の差別意識は根深い。

 英国魔法省が新世界側の魔法族の干渉を面子から嫌っているというのもあるが、それがなくとも今の状況で急激に融和したとしても、おそらく差別意識が増えて混乱が広がるだけだろう。 

 それゆえに今年はあくまでも実技を中心に新世界の魔法を紹介するのに留め、本当に新世界に興味のある人材に魔法世界についてを教えていくという方針をとっているのだ。

 

「みんなは精霊魔法の授業、来年どないするん?」

 

 今年はかなり楽しそうに受けてくれてはいたが、果たして来年もこの友人たちは受けてくれるのだろうか。

 気遣うような咲耶の問いに一同は顔を見合わせてからくすりと笑った。そして代表するようにリーシャが口を開く。

 

「もちろんとるって! 試験はきつかったけどさ。なんか今まで受けた中で一番実戦魔法って感じがしたし」

「まぁなー。呪文学とか変身術とかも実技はあるけど、一番実戦で使いそうな防衛術があれだし。試験は怖いけど、身を守るための術って感じじゃスプリングフィールド先生の授業が今までで一番やりがいあったしな」

 

 リーシャの言葉を継いでルークも明るい調子で言った。

 ここ10年ほど、英国魔法界は比較的安定しているとはいえ、それでも闇の勢力による恐怖は色濃く残っている。

 そのために自身の身を守る術はきっちり学んでおきたいというのが大半の生徒の総意ではあるのだが、あいにくとホグワーツにおいてそれは中々に難しい。

 実技を主体とする科目にはルークが上げた呪文学や変身術。そして中心的な役割を果たすはずの闇の魔術に対する防衛術があるのだが、毎年教師が変わり、しかも近年ではなり手不足のためかまともに実践できていないのが現状だ。

 ゆえに多少強引な感が強すぎる(・・・・)ものの、しっかりと防衛方法を指導したスプリングフィールド先生の授業は、最後まで残った生徒には好評だ。

 

「そうだね。精霊魔法を受けた感じだと、こっちの魔法はあまり防御魔法がしっかりしてないみたいに感じたし、それを抜きにしてもやっぱり英国以外の魔法に目を向けるのは悪い事じゃないと思う」

「さっすがセドリック! いい事言う。よくわかんねーけど!」

「あのねぇ、リーシャ……」

 

 セドリックの言葉にリーシャがばしばしと肩を叩きながら褒めた。

 ホグワーツでの魔法では相手にかける魔法こそ豊富にあるが、守るための防御魔法が限られている。セドリックがそう感じたのはやはり未だに盾の呪文を習っていないこともあるだろうが、スプリングフィールド先生が守りを重視した教えを行ったことも理由だろう。

 

 セドリックの感じたこと、そして外に目を向けるというのは、英国魔法省のような土着の魔法族ではなかなかに難しい考え方で、だがそれこそが、咲耶やリオンがここに来た意義でもあるのだ。

 言葉では分かっていなさそうで、それでもしっかりと解っているリーシャの様子に、フィリスはなんともいいがたい表情で額を抑えている。

 

「えへへ」

「ん? どうしたサクヤ?」

 

 そんな友人たちの様子に、咲耶は嬉しそうに頬を緩ませた。

 その様子にリーシャが肩をたたく手を止めて振り向いた。

 

「ウチ、ハッフルパフに入れて良かったな~、思って」

 

 何人もの友達ができた。

 

 忙しく世界を駆け巡り続ける母やその親友たち。呪術協会の長としてこの変換期の激務をこなす祖父。みんなのために、自分も何かがしたかった。

 これから変わっていく世界のために。砂上に築き上げられたほどに脆く危うい魔法世界と、そこに生きる大勢の人のために。

 まだ出来ることなんてほとんどなくて、それでも何かしたくて選んだホグワーツへの留学。

 そこで、ちゃんと魔法世界に関心を向けてくる友と出会えたことはがうれしい。

 

 寮が異なるために、あまり話すことができなかった友人や、まだ親しく慣れていない寮生もいるが、それでもリーシャたちと一緒の寮になれたことが、咲耶は本当によかったと思えたのだ。 

 

 一瞬、サクヤ笑顔に見惚れて呆気にとられたリーシャたちだが、思いついたように手をうった。

 

「そうだ! サクヤ、夏休みはどうするんだ?」

「? 夏休みは実家に帰るんやけど……」

 

 問いかけは学期が終わり、いよいよ楽しみが間近となった夏休みのこと。

 冬期休暇は日程の関係もあり、ホグワーツに残った咲耶だが、寮が閉まる夏季休暇では流石に帰国する。 

 

「よかったらさ。夏休みの最後、私の家に来ねえ?」

「リーシャの家?」

 

 ちょっと照れたように言葉を続けるリーシャに、咲耶は小首を傾げた。

 

「ほらサクヤも来年の準備とかで新学期はじまるより早くに来るんだろ? そのときにさ!」

「! リーシャのとこ行ってええの!?」

 

 友達とのお泊り会。

 今では寮で生活しているとはいえ、それは咲耶にとってわくわくと嬉しさとを湧き立たせるものだったようで、瞳をきらきらと輝かせて期待に満ちた瞳を向けた。

 尻尾があればぶんぶんと振っていそうな様子の咲耶にリーシャは嬉しそうに笑い返し、フィリスは微笑ましげな視線を向けた。

 

「去年はどうしてたのサクヤ?」

「去年はお母様の知り合いでリオンの親戚の人のとこにホームステイさせてもらったんよ。今年もお願いしよか思ってたんやけど……」

 

 ホグワーツの学用品は基本的にロンドン、ダイアゴン横丁で揃えることとなる。

 学用品をそろえることができない都合があれば、学校側が援助することもあるが、咲耶の場合は、日本からロンドンまでやってくる必要がある。

 これからの生活にどきどきしながらネカネ・スプリングフィールドの家にホームステイしていた昨年と同様、今年もお願いしようと思っていたところだ。

 ネカネは寂しがるかもしれないが、それでも人生初めてとなる友人宅へのお泊りの誘いとなれば、胸躍らずにはいられないだろう。

 

「んじゃ。買い物とか一緒に行こうぜ! サクヤとクラリス、フィーの日程で合わせてさ!」

「そうね。サクヤ、手紙とか送りたいんだけど、ふくろう便は大丈夫? もしなんだったらこっちから送ったふくろうに送り返してくれれば……っと、その前にニホンまで届くのかしら?」

 

 比較的時間の都合がつけやすいリーシャとフィリスが都合を合わせる旨を告げた。

 だが、一つならず問題があった。

 連絡方法。

 編入のやりとりをしたのだろうから、何らかの連絡手段はあるのだろうが果たしてそれが自分たちにも使える方法なのか分からない。

 特に、こちらの流儀に疎い咲耶が生粋の魔法族であるリーシャへの連絡方法、“ふくろう便”を持ち合わせているかは正直微妙だ。

 しかも、リーシャの、正確にはリーシャの家のふくろうが、遠く日本まで手紙を運んでくれるのかも、かなり疑問だ。

 

「それやったら、多分なんとかなると思うわ」

 

 それに対して、咲耶は連絡の心当たりがあった。たしかにふくろうはないがその代りはなんとかなりそう。

 それはクリスマスの時に、実家やネカネからプレゼントが運ばれてきたことからもそう思っている。

 

「あ。なんだったら電話あるけど、サクヤのとこ通じるのかしら?」

「うん。大丈夫」

「ん? デンワ?」

 

 ただ、やはり長距離すぎて心配なのかフィリスはふくろう便ではない連絡手段の可否を尋ねた。

 フィリスと咲耶のやりとりが分からないのかリーシャが首を傾げた。

 

「マグルの機械よ。私のとこはお母さんがマグルだから。まあ、ホグワーツにはかけられないんだけどね。クラリスにはいつも通りふくろう便で送るわね」

 

 クラリスがこくんと頷き了承の意を示した。

 そしてそんな4人のやりとりを微笑ましげに見ているセドリック。そんな友人を傍で見ていたルークは、他のメンバーに聞こえないように軽くため息をつくと明るい声で割って入った。

 

「なぁなぁ! それ、俺とセドも一緒でいい?」

「うぇっ!? セドリックたちもうちに来るの!?」

 

 ルークの言葉にリーシャが目を丸くして反応し、セドリックはぎょっとしたようにルームメイトを見た。

 

「そっちじゃなくて買い物。なんか楽しそうだし。なっ、セド? サクヤはどう?」

「うん。ウチはええよ~。みんなで一緒の方が楽しいし」

 

 一番切り崩しやすいと読んだのか、ルークは咲耶に確認をとった。咲耶は咲耶で特に不満はないのだろう、ほわほわとした調子で同意した。

 最も切り崩しやすく、そして影響力の大きい咲耶の同意を得たルークは確認するようにフィリスたちにも視線を巡らした。

 

「いいんじゃない? クラリスはどう?」

「……いい」

 

 いろんな方向に思惑が向かってるなーと思いつつも、フィリスも特に否定することなくクラリスに確認をとった。

 咲耶を除けば、一番都合がつけにくそうなのが彼女であるが、だからこそ咲耶と一緒に居られるのなら、多少のおまけがついても構わないといったところだろう。

 

「うっ。まあみんながいいならいいか」

「だってよ、セド!」

「ルーク……それじゃあ僕らもよろしくお願いするよ」

 

 もともと拒否する理由があったわけではないのだが、なんとなく反抗の声をあげたかっただけなのかもしれない。3人が同意したことでリーシャも頷いた。

 女子陣から許可をもらったルークはどんとセドリックの背中を叩き、セドリックは苦笑した。

 

「そしたら、ウチ。リオン、センセに来年どうするんか聞いてくるな!」

「はいはい。気をつけて行ってくるのよ」

 

 気分は最早お姉さんといったところなのか、嬉しそうに駆けだした咲耶を見送ってフィリスが声をかけた。

 

 一応、咲耶は留学生であると同時に日本の呪術協会の長の孫娘、VIPでもあるのだ。異国にあって保護者の裁可はたしかに必要だろう。

 

 ただそこで少し心配なことがあった。

 

「……なぁ。もしかして、スプリングフィールド先生も来るのか?」

「……さぁ?」

 

 ルークの問いに、リーシャを始め、まだまだ先のことを予想できるものなどいはしなかった。

 

 

 

 

 咲耶は今、とても気分がよかった。

 試験が無事に終わったという事もあるが、夏休みにとても楽しみなことができたからだ。

 友達とみんなでお買いもの。そればかりか、大切な友達の家にお泊りの約束までできたのだ。

 家の許可が下りるかは心配事ではあるが、それはなんとかなりそうな気がした。

 あとは、もう一つの心配事。希望と言ってもいいかもしれない。

 まだ来年もリオンと一緒にいることができるのか。それを確かめに行くのだ。

 

 足取り軽く廊下を進む、その背に

 

「コノエ君!」

 

 声がかけられた。

 

 彼女は気付かないだろう。そこに悪意が満ちていることなどには。

 

 

 

 ・・・・

 

 

 

 

 “彼”には幾つかの懸念材料があった。

 

 まず第一にして最大の懸念は、このホグワーツ魔法魔術学校の学校長にして、英国においては偉大なる魔法使いと称されている魔法使い。アルバス・ダンブルドア。

 あの男が学校内に居ては不用意な真似はそうそうできない。今までに何度か行動を起こしはしたものの、だからこそ、最早これ以上やつの目に留まるような動きはできないだろう。

 だが、それに関してはすでに手は打った。

 今頃届いているだろう手紙によって、すでにやつはここから居なくなっている。ことが起こった後で気付き舞い戻ったとしても、最早その時には用をなし終えた後だろう。

 

 二つ目はセブルス・スネイプ。

 忌々しい蝙蝠のような男は主に忠節を誓った身でありながら、ダンブルドアの軍門に降り、飼われている。

 今までに打った手の幾つかは、あの男のせいで防がれたと言ってもいい。

 だが、やつも今に知ることだろう。

 如何にやつが粋がろうと、“主と共にある”私に本当に抗うことができようはずもないのだ。

 庇護者であるダンブルドアが去ったあとでは、奴にできるのはせいぜい蝙蝠のように足場を変え、本来の主であるあの御方に無様に許しを請うくらいだ。

 

 三つ目はハリー・ポッター。

 先の二つ比べれば、天秤にかけるまでもなく矮小でとるに足らない障害だ。無知で浅慮。魔法力などあって無いに等しい子供。

 だが、奴には何かがある。

 卿の力を打ち砕いた何かが……卿ですら知らぬ、おそるべき何かが。

 

 そして、もう一つ。

 懸念……となるかどうかは判別がつかない男。リオン・M・スプリングフィールド。

 魔法世界の魔法使い。主曰く、“闇の匂いのする”魔法使い。そう、奴はダンブルドア側の魔法使いでは決してないはずなのだ。

 なにより、主の推測が正しければ……M……マクダウェル(魔法世界の禁忌)だというのならば、奴は…………

 

 だが、そんな懸念を解消する術はある。

 日本呪術協会の孫娘、サクヤ・コノエ。

 あの男はどうもこの愚かな少女に肩入れしているらしい。だとすれば、コノエを上手く手駒(・・)にすればマクダウェルの牽制になる、どころか英国を遠く離れたニホンの呪術協会に対しても大きなアドバンテージを得ることができる。

 

 

「コノエ君!」

「はい?」

 

 いつもであれば同じ寮の生徒と行動を共にしているのだが、都合よく今日という日に一人で行動しているとうのは望外の幸運と言うほかないだろう。

 

 どこかへ行こうとしていたのか、だが、声をかけると疑うことなど知らないかのような愚かそうな顔を振り向かせた。

 足を止めた彼女に近づきつつ、周囲に人が居ないことを再度確かめた。

 

 杖を握り手が知らず力を強める。

 これが上手く行けば、主の復活の障害を取り除くと同時に、大きな飛躍のための一歩になる。

 

 ――服従せよ(インぺリオ)――

 

 そう唱えれば

 

「咲耶」

 

 いいはずだった。

 だが、後ろから発せられた声に体の血が凍えたようにざっと熱を失った。

 

「あ! リオン! センセ」

 

 果たして共にある主は“これ”に気づいていたのだろうか。

 

 目の前の少女は、死神のような男が現れたことで浮かれたような笑顔を浮かべているが、後ろの男は一体どのような顔を浮かべているのか。

 振り向くことができない。

 

「なにをやっている」

「夏休みどうするんかなーって。あと、リオンセンセが来年も居るか聞きに行こうと思って」

 

 質問の向かった先は少女の筈だ。

 だが、詰問するようなそれはまるで私へと向かっているように思えた。

 

 いや、その前に。

 いつからこの男はここに居た?

 

 この学校内では“姿現し”はできないはず。

 だとすれば少女が偶然ここを一人で通りかかったのと同じように、この男もここに居たとでもいうのか。

 そんなはずはない。

 先程、確認した時には間違いなく居なかった。なぜなら

 

「ふん。それで。クィリナス・クィレルはそいつにどういった要件だ?」

 

 リオン・スプリングフィールドが現れたその場所は、先程まで自分(・・)が居たところなのだから。

 この男は影から出てきた(・・・・・・・)とでもいうのだろうか

 

 ぞくりとするほどに冷たい視線を向けられて防衛術教師であるクィリナス・クィレルはびくりと身を震わせた。

 

「あ、い、いえ。コ、コノエさん。い、一年が終わりましたが、りゅ、留学生活は、ど、どうでしたか?」

「はい! 友達とかに気使ってもろて、ホントに助かりました!」

 

 これでもかつては研究者として魔法には詳しいつもりだ。

 勿論それはこちらの世界の魔法についてだが……“これ”が異世界の魔法使いの力の一端だとでもいうことか。

 

 未知の魔法に対する畏怖もさることながら、底の知れない闇のようなものを感じ取った。

 まるで、あの“闇の帝王”と初めて相対したときのように……いや、もしかすると…………

 

「そ、そうですか。留学生は、あ、あまりいませんから。よよ、よく過ごせたのなら、そ、それでいいのです」

 

 

 

 

 にこやかに笑う近衛咲耶と不敵に微笑むリオン・M・スプリングフィールド。

 二人の魔法使いを避けるようにクィレルは足早に去って行った。妙にそそくさとしたその後ろ姿を咲耶は首を傾げて見送り、リオンは冷めた目で見ていた。

 

「咲耶」

「?」 

 

 呼びかけに咲耶は振り向き、目の前に指が大写しとなっている光景を見た。

 

「へぶっ! !!??」

 

 不思議がる間もなく、本人にとっては軽~く力を込められた親指と中指が解き放たれて中指が咲耶の額を打った。

 リオンにとっては軽くでも咲耶にとってそうとも限らない。いきなりの衝撃に咲耶は頭を仰け反らせ、赤くなった額を抑えながら涙目をリオンに向けた。

 

「いらん心配するな。ジジイの方からも何も言われてないからまだやることになる。辞める時はお前に伝わらんわけがないだろう」

 

 告げている言葉が、先程の自分の懸念。

 リオンが来年には教師を辞めるのではないかという事に対する否定の意を含めた答えだということに気づいた。

 

「そっか……そやね!」 

 

 もしかしたら、それは迷惑をかけているのかもしれない。

 

 魔法界でも指折りの使い手である彼を、魔法学校に興味などない彼をここに縛り付けているのは、自分だろう。

 それは分かっている。

 

 例え魔法世界で彼を嫌う者がたくさんいたとしても、それでもネギやアスナ、多くの人たちの目的のためには彼の力は大きな役に立つ。

 

 分かって、だから、申し訳ないと思いつつも、嬉しいなどと思ってしまうのだ。

 

 “何が理由であろうとも”彼が自分を選んでくれるという事なのだから。

 

 

「ところでなんでウチデコピンされたん?」

「さあな」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

そういや今年の運勢はどんでん返しだとか誰かが占っていたような……

 ――自分の欲望のために、他人の犠牲を厭わない者。それが悪であり、究極的には人というものの根幹だ――

 

 

 ――そして誇りある悪なら、いつの日か自らも同じ悪に滅ぼされることを覚悟するもの。貴様も悪だと自らを謳うのならば、やがては滅ぼされることを覚えておけ……――

 

 

 

 白く濁り淀んだ悪意の塊が空を滑るように飛んでいた。

 

「おのれっ!! この、闇の帝王がっ!! あのような小僧にっ!!」

 

 ユニコーンを犠牲にしてなんとか蓄えた力は憑代を失ったと同時に失われた。

 立ち塞がったのはダンブルドアどころか、まともな魔法使いですらない子供の魔法使い見習い。

 かつて赤子にして偉大なる闇の帝王を打ち砕いた“生き残った少年”。

 ハリー・ポッター

 

 心の隙間を巧みに擽り、意志ある傀儡とした忠実なる下僕、クィリナス・クィレルは奴の持つ正体不明の力によって無残にも灰塵となった。

 唯触れただけ。

 なんの魔法を使う素振りもなく、ただ触れる。それだけでクィレルの肌は焼けただれ、灰となって崩れ落ちた。

 

 およそ11年前。赤子のハリーによって自らの放った死の呪文を受けた“闇の帝王”は自らの体を失った。

 死を回避する術を講じていたがために、その魂は死出の旅へと羽ばたくことなく、現世に留まった。

 だが、それはまだ留まれた程度でしかない。

 自身の力は大きく削がれ、自分を主と定めていた者どもは、忠実なる配下は闇払いによって捉えられ、忠無き者どもは夢から覚めたと言わんばかりに彼を見捨てた。

 

 クィレルという器は、自らを呪われようとも厭うことなくユニコーンを弑するほどに都合のよい体ではあったが、如何せん愚か過ぎた。

 せっかくの“賢者の石”を目の前にしながら、それを手に入れることもできずに、あまつさえあのような小僧に敗れるとは。

 

 せっかくの憑代を失い、再びただの影と霞の如き紛い物のゴーストのような状態に戻ってしまった彼は、何かに憑りつき、力を補充しなければ数日のうちに形を保つこともできなくなってしまうだろう。

 

 自身をこのような惨めな姿にした憎い小僧。自身の復活を阻んだあの小僧への憎悪は尽きることはない。

 だが、悲観はしていない。誰かの体を借りて、憑りつかねばならないが、誰かの心の隙間に入り込むなど造作でもない。愚かな魔法使いを忠実な下僕に仕立てあげることなど容易いのだから。

 自身をこのような目に合わせたあの小僧には、ハリー・ポッターにはいずれ必ず報いを受けさせる。死よりもおぞましく辛い、殺してくれと懇願するようになるほどの報いを……

 

 憎悪、怒気、呪怨、殺意、負の感情は尽きることはない。

 悲観することはない。やつらはまだ気づいていないのだから。

 この闇の帝王が仕掛けた分霊の術に。

 

 自身が死ぬことなどありえない。

 全ての人間は、魔法使いは、すべからく自分の前にひれ伏す存在にすぎないのだから。

 

 

「まったく残念だ」

 

 だが、死を撒き散らす飛翔に、影が語りかけた。

 

「! なんだっ!?」

 

 気づけば、赤と金とが混ざった髪の男が行く手を遮るように立ち塞がっていた。

 闇に浮かぶ蝙蝠のように漆黒のマントが靡く。向けられる瞳には欠片も熱が込められておらずその表情は言葉通り残念極まりないと物語っていた。

 

「“闇の帝王”、などと大層な名で呼ばれているからには、少しは期待していたんだが」

 

 いかに霞に近い状態とはいえ、“闇の帝王”を、ヴォルデモートを前にしてまるで脅えた様子はない。

 どころかまるで虫けらを見るかの如き眼差し。

 

「どうやら単なる小悪党に過ぎなかったようだな」

 

「なん、だと。貴様っ!」

 

 向けられる眼差しに自尊心が傷つけられたのか、ぎしりと歯を噛んだように睨みつけた。

 

 身体さえあれば、すぐにでもこの愚か者を屠ってやるものを。

 そう思考した瞬間、気がついた。

 

 なぜ自分は止まった?

 

 今の自分はいわばゴーストも同然の状態。

 どのような魔法使いであっても、それがたとえダンブルドアであったとしても、今の自分を傷つけることなどできはしない。 

 そんなことよりも一刻も早く、憑りつく人間に依らなければならない。

 

「他人の犠牲は厭わぬくせに、自らが死ぬことは恐れる腰抜けの小悪党。闇の帝王を名乗るなら、もう少し誇りをもっておいてもらいたいものだ」

 

 依らなければならない?

 なぜ自分はこの魔法使いに憑こうとは考えなかった?

 

 ゴーストも同然? 闇の帝王が、霞の如きゴーストと?

 そんなはずはない。 

 闇の帝王の力をもってすれば、このような……

 

「正直。俺としては貴様があの小僧をどうしようと別に構いはしなかったのだがな」

 

 なんだ、こいつは?

 魔法使い、いや、人なのか?

 

「だが、“アレ”に手を出されそうになって大人しくしているほど、俺は人がよくない。見逃した挙句、また繰り返されるのも面倒だ」

 

 この気配。この存在感……

 これは……こいつは……

 

「招き手を失った以上、貴様に手を出してはいかん道理はないんでな」

 

 せめて万全であれば、せめて体があれば…………!!

 

 翳された手に宿る規格外の魔力。

 今まで感じたどんなものよりも強大で、未知の術法。

 

 

 この日、上位古代の詩がホグワーツに、葬送の謳のように奏でられた…………

 

 

 

 第17話 そういや今年の運勢はどんでん返しだとか誰かが占っていたような……

 

 

 

 緑と銀のカラーで彩られた大広間。スリザリンのトップを表すはずの飾りつけがなされているはずの大広間で爆発したかのようなグリフィンドール生たちの歓声が響いた、

 

「それでは、飾りつけをちょっと変えねばならんの」

 

 ちょっとした悪戯が成功したことを喜ぶように言ったダンブルドア校長が杖を振るった。

 杖から風が吹いたかに見えた。風に吹かれて天井からつりさげられたスリザリンの寮旗が靡いたかと思うと、旗はその色を変えて緑は赤に、銀は金へと変わり、スリザリンを表す蛇は雄々しいグリフィンドールの獅子へと変わっていった。

 

 

 

「あーあ。結局最下位か」

「まあ仕方ないさ。3位だったのだって、もともと僕らが点数を稼いだおかげというよりも、グリフィンドールが下がっていただけだったんだし」

 

 まるで、というか実際にお祭り騒ぎのグリフィンドール。数年間、寮対抗杯を保持し続けたスリザリンが首位陥落したことでレイブンクローやハッフルパフの寮生たちも嬉しそうに騒いでいる中、リーシャが少しだけ残念そうに言い、セドリックは仕方ないと肩をすくめた。

 

 寮対抗杯は、残念ながらハッフルパフは4つの寮で最下位の得点だった。

 当初、最下位は150点もの大減点をやらかしたグリフィンドールだったのだが、ロン、ハーマイオニー、ハリー、そしてネビルというグリフィンドールの1年生4人が急遽滑り込みギリギリで加点されたことにより、一躍グリフィンドールはトップへと躍り出た。

 

「それに、例のあの人を退けてホグワーツに隠された秘宝を守り抜いた、なんてお手柄を挙げられたんだから、当然よ」

 

 ハリー・ポッターたちがどのような功績でダンブルドアに加点されたのか、具体的な内容は公表されていない。

 結果発表時も、曖昧な表現とどのような点を評価したかしか述べていなかった。だが、フィリスが言っているように、ハリー・ポッターが例のあの人から何かを守った、という情報はみんなが知っている公の秘密として学校中に知れ渡っていた。

 

「でもさー。あと20点でレイブンクローには勝ったのに」

「リーシャが授業中に起きていれば稼げたくらいの点数」

「う゛っ」

「来年はもうちょっと成績の低空飛行から脱しなさいよ、リーシャ」

「サクヤぁ~。クラリスとフィーがいじわるだぁ~」

「はいはい。よしよし」

 

 3位のレイブンクローとは20点差。その程度の成績ならばひょっとすれば逆転できたかと思うと残念だ。というリーシャの心情はクラリスとフィリスの言葉で圧殺され、咲耶に泣きついた。

 

 実際のところ。グリフィンドールの大逆転劇を除けば、運のめぐり次第で可能性はあったのだ。

 寮の得点は普段の生活態度や授業態度、成績などで細かく加減点されるが、大きな罰則を除くと、クィディッチのトーナメントの成績が点数を左右する大きなファクターとなっているからだ。

 今年のクィディッチトーナメント、優勝はスリザリン。ただし、前年度までと異なり圧倒的一強というわけではなく、本当に僅差だったのだ。

 戦績はスリザリンがグリフィンドールに敗れて2勝1敗。ハッフルパフが1勝2敗。レイブンクローが同じく1勝2敗。グリフィンドールが2勝1敗。

 1位と2位、3位と4位が同率だったのだが、その内容が大きく異なる。シーカーとして極めて優秀なハリーを擁したグリフィンドールの1敗は最終節におけるレイブンクローとの戦いによるものだ。

 最終節。学年末の試験が終わり、全力を傾けられるはずの最後の試合。しかしそこにハリー・ポッターの姿はなかった。

 

 あの試験の日の夜。

 ハリー・ポッター、そしてハーマイオニーとロンの3人は、ホグワーツに秘された何かを守るために“名前を言ってはいけないあの人”と戦ったらしい。

 ただの学生に過ぎない者たちが、イギリス魔法界の誰もが恐れる闇の魔法使いの企図を阻んだ。それがどれほどまでに勇敢な事か。

 だが、そのためにハリーは数日間昏睡状態に陥ってしまい、クィディッチ最終戦に出場できなくなってしまったのだ。

 咲耶もハリーの見舞いに行こうとしたのだが、タイミングが悪かったのか、残念ながら校医であるマダム・ポンフリーから面会の許可が下りず、今日の終業式で数日ぶりにハリーの元気な姿を目にした次第だ。

 

 事の重大さゆえ、比べるべくもないことながら、そのためにグリフィンドールは正シーカー不在でレイブンクローと対戦。結果、ものの見事に大敗を喫してしまい、得失点においてスリザリンが優勝。同時にグリフィンドールにレイブンクローが大勝したために、これまたハッフルパフは内容負け。

 

 結果、クィディッチの戦績が大きく影響する寮対抗杯においても、外部評価から言えばまあ順当にハッフルパフは最下位へと落ち着いたわけだ。

 ハッフルパフ生も、残念には感じてはいるものの、セドリックが言っていたように元々がタナボタでの3位だったのだ。ふがいなさは感じてもそれほど落胆しているような生徒は全体から見れば少なかった。

 

 ちなみに

 

 個人の学業成績ではセドリックがハッフルパフでトップ、学年では次席。

 第3学年の主席となったのはセドリックを上回る得点を上げたスリザリンのディズという少年だったそうだ。

 咲耶のルームメイトではクラリスが寮内でセドリックに次いで2位。フィリスと咲耶はまずまずの成績を残し、リーシャは魔法史を始めとした座学が壊滅状態だったが、呪文学など実技系がなかなかの成績だったことで補っていた。

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

 一年を過ごした寮室はあっという間にがらんとした空き部屋へと姿を変えた。

 

「これでまたしばらくここともお別れだな」

 

 荷物を纏め終えた室内を見てリーシャが感慨深く呟いた。

 

「サクヤと次に会うのは8月のダイアゴン横丁ね」

「うん! リーシャの家、楽しみにしとるな!」

 

 夏季休暇の間、ホグワーツの寮は閉鎖され、全ての生徒は自宅へと帰る。今、生徒たちは順々に帰郷のためのホグワーツ特急へと向かっているところだ。

 次の再会を望むフィリスの言葉に咲耶は満面の笑みで頷いた。

 この夏休みにできた大切な約束。

 

 夏休みの最後をみんなと一緒に買い物をして、それからリーシャの家にホームステイする。

 

 それはどちらも、今までになかった、けれども憧れていた咲耶の大切な楽しみだ。

 

「へへへ。任しとけって! この後はサクヤ、スプリングフィールド先生とニホンに帰るのか?」

 

 嬉しそうな咲耶の様子にリーシャもお日様のような笑顔で答えてから直近の予定を尋ねた。

 咲耶自身が日本に帰ることはもうすでに聞いているが、ホグワーツ特急の終着駅であるキングスクロス駅からどのようにして日本に帰るかは聞いていなかった。

 

「リオンは用事があってそのまま魔法世界行くんやって。なんか調べたいことがあるらしいんよ」

 

 咲耶にとって残念なことに、リオンは日本には戻らず、そのまま魔法世界へと向かうらしい。

 

「あら? それじゃあサクヤ、帰りは大丈夫なの?」

「うん。ネカネさん……来る時にお世話になったリオンの親戚のお姉さんが迎えに来てくれるて言うてくれたんよ」

 

 休暇前に実家にそのことを告げると、祖父から連絡がいったのかネカネがわざわざ迎えに来てくれるという連絡を送ってきてくれたのだ。

 ちょうど来期のことも伝えたいこともあり、せっかくの好意に甘えることとなった。

 

 徐々に生徒の流れは帰宅の途につきはじめ、咲耶たちも帰りの列車が出るホグズミード駅へと向かった。

 

 

 

 来た時よりもたくさんの友人たちとともにホグワーツ特急はキングスクロス駅へと出発した。

 のどやかな風景が続く特急に揺られながら、咲耶たちはホグワーツを後にした。

 リーシャにクラリス、フィリス、ルークにセドリック。

 車内販売でたくさんのお菓子を買い込んで小さな宴会のようにして友人たちと今期の最後を楽しんだ。

 

 

 そしてキングスクロス駅。

 

「サクヤ!」

「ハーミーちゃん! よかった。ハリー君もやけどなかなか話す機会なかったから」

 

 他寮の友人であるハーマイオニーとも別れの挨拶を交わしていた。

 昏睡していたハリー同様、ハーマイオニーとロンという赤毛の少年もあの学期末の大冒険をやったらしい、とは噂に聞いていた。

 そしてその中の一人であるハリーが面会を制限されるほどの怪我をおったのだから、友人のハーマイオニーの安否が気にならないはずはない。

 だが、おり悪くというか、ハーマイオニーはハーマイオニーで昏睡しているハリーのことが気にかかり、また、前とは異なる噂が学校を駆け巡っていたために咲耶と話す時間がなかったのだ。

 

「うん。心配かけてごめんなさい」

「ハリー君は……人気者やな」

 

 素直に謝ったハーマイオニーに微笑を向け、もう一人の友人の方に視線を向けるが、どうやらそちらは何人かの生徒と話をしているらしく、囲まれていてこちらには来れそうにない。

 苦笑して咲耶はハーマイオニーの方に向き直った。

 

「せやけど、隠れて危ないことしたあかんよ」

 

 指を立てて怒っていますというようにして言った。

 思えば、グリフィンドールの大減点の時に兆候はあったのかもしれない。

 彼女が規則に関してはキッチリしていて真面目な子だというのは咲耶も分っていた。

 そして同時に優しい子であることも。

 初めて会った男の子の探し物を言われるまでもなく当然のように手伝ってあげられるほどに。

 だからこそ

 

「でも、ニホンからの留学生のサクヤを危ない目には……」

「てやっ」

 

 自分に黙って危ないことをした友達に咲耶は頬を膨らませてチョップを入れた。

 頭部に軽い衝撃を受けたハーマイオニーは目をぱちくりさせて咲耶を見た。

 

「ウチこれでも鍛えとるんやから、ちょっとは力になれるもん。友達が困っとったら助けるもんや」

 

 膨大な魔力と多少の治癒、そしてほんの少し魔法が操れる程度の技量しか今の咲耶にはない。

 それでも友達が困っていたらなんとかしたい。きっとハーマイオニーがそうだったように、咲耶とてそれは同じなのだ。

 イギリス魔法界にきて、最初にできた同性の友達。同世代の初めての魔法使いの友達。それがハーマイオニーなのだ。だからこそ大事にしたいし、困ったことがあれば力を貸したかった。

 留学生だから。日本呪術協会のお偉いさんの孫だからと、そんな理由で友達から切り離されたくはなかった。

 

 黙って危険なことをしでかしてしまった自分を怒っているらしい咲耶の様子を見つめていたハーマイオニーは、ほんのりと温かい思いを感じて微笑んだ。

 

「サクヤ……なんだか、初めてサクヤが年上っぽく見えたわ」

「むー、ぽくじゃなくて、ハーミーちゃんよりウチの方がお姉さんやもん!」

 

 東洋人らしい顔立ちに加え、純粋であどけなく見える仕草から、同い年にも、あるいは年下にも見える友人。

 ぷんぷんと怒る幼いその姿に、たしかな友情を感じた気がしてハーマイオニーは微笑む。

 

「ふふふ。そうね……サクヤ、また来年もよろしくね」

「うん!」

 

 今年はなかなか話す機会がもてなかったけれど、学校に慣れた来年にはきっともっとたくさん話せる。もっと仲良くなれる。

 二人はそんな思いと約束とを込めて、互いの世界へと戻っていった。

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

「うむ。うむ。そうか……ご苦労じゃったのリオン」

 

 関西呪術協会総本山。その長である近衛詠春は執務室で連絡をとっていた。連絡の相手は孫娘の護衛と仕事を任せたリオン。

 

<今回、咲耶の方は完全におまけだったが、寮の中に入られるとこっちから対処しづらい。式神でもつけろ>

 

 ホグワーツに襲撃があった。

 その報告は先だって危惧していたものではあったが、幸いにも咲耶が行ったからというものではなく、やはり件の“生き残った少年”がらみであったらしい。

 もっとも、咲耶が完全に蚊帳の外だったわけではないのは、侵入者を“消滅”させたということからも分かる。

 リオンの見解では、“生き残った少年”がらみで成果を上げるついでに、今まであまり目を向けなかった海外の魔法協会のVIPに手を出そう、くらいの意図だったのではないかということだ。

 襲撃の主旨でなかったのは幸いではあるが、やはり外からの風をいれたことにより、不要な火種がこちらに飛びそうになるのは避けられないようだ。

 まあこちらとしても、火種どころか台風を送り込む予定があるのだから、あまりぎゃいぎゃいとは出られない。

 とはいえ、そう易々と咲耶をどうこうされるつもりはない。そのためのリオン(護衛)なのだから。

 

「む~う。あまり仰々しい守りはあの娘が嫌がるからのぅ。なんとかそれとなくつけられるものはのぅ……」

 

 だが、たしかにリオンの言うように先生と生徒では、行動できる範囲が違いすぎて完全に守ることは難しい。

 今回は咲耶が狙いの主軸ではなかったために、咲耶が普段の行動範囲外にでたのを幸いと襲ったようだが、彼女が狙いの主軸になれば、咲耶の行動範囲に踏み込んでくる恐れがある。

 だが、咲耶としてはあくまでも友好の懸け橋としての役割と、彼女本人には存分に学生生活を楽しんでもらいたいという思いがある。

 そこに仰々しい護衛を張り付かせては、彼女にも彼女の友人にも変な威圧になってしまい、学生生活が楽しめなくなってしまうという懸念があった。

 

<……アレのお好みはもふもふな動物、だそうだぞ?>

「むむ……分かった。手だては考えておこう」

<ジジバカ>

 

 咲耶に甘い、というのに無自覚な男と自覚している老人は、それとなくつけられそうな護衛の選定をこっそりと進めた。

 無自覚な方は、学期中に咲耶が語っていたペットブームを思い出して告げてみたが、想定以上に真剣に考えだした老人の声に呆れたようだ。

 

「なにか言ったかの?」

<いいや。ああ、それと貴様。ホグズミードとかいうやつのこと。あの面倒なのは何の差し金だ>

 

 どうやら聞こえたらしい呟きに反応した詠春に、リオンは学期中ねだられた遊びのことを思い出して問い詰めた。

 

「うん。楽しめたじゃろ? せっかくの機会だというのに、そうでもせんとお主のことじゃからデートの一つもせんと思ってな」

<ジジイ……次また同じことやったら本山ごと氷漬けにするぞ>

 

 問い詰めたものの、やはり予想していた通りの理由にリオンはドスの利いた声で脅しかけた。

 今頃、通話の向こうでは青筋を浮かべて周囲にダイヤモンドダストを撒き散らせていそうだ。

 

「ほっほ。分かった分かった。次はちゃんと許可を出しとく。それでお主の方は夏休みどうするんじゃ?」

 

 予想通りの反応に気を良くしたのか、長は好々と笑いながら、次はどんな手にしようかと考えつつ確認の質問をした。

 一応魔法世界に行くらしいというのは孫から連絡を受けているが、今度の目的とどれくらいかかるかは気に留めておきたいところだ。

 

 からかわれていることは分かっているのだろう、だが迂闊に突けば泥沼に入りそうなことを察知してかリオンはどうしてくれようかと返答に間を空けた。

 

<……ちょっと筋肉バカに借りがあるんでな。魔法世界でその借りを返しに行くついでに、“白薔薇”の確認に行く>

 

 結局、素直に目的を話してくれた。

 どうやら長の旧友に用があるらしい。そして同時に“白薔薇”を見に行くということは、魔法の研究か懸念事項の確認か。

 

「む? そうか、ヨーロッパ方面の動向で少し気になることがあったんで調べて欲しかったんじゃが……」

 

 だが、こちらにもリオンに調査してもらいたい懸念事項があったのだ。

 

 ヨーロッパの旧世界魔法族がらみの件で。

 

<知るか。そういうのはタカユキにでも言え>

 

 だが、残念ながらそちらに動く気はないらしい。

 リオンは数少ない友人の名を出してそちらに押し付ける気満々だ。

 

「あまりタカユキ君に仕事を頼むのも関東魔法協会の手前控えたいんじゃよ」

 

 リオンがかつて共に修行した友人でもあるタカユキ・G・高畑(・・)

 だが、彼はリオンと同じく関西呪術協会の所属ではなく、しかもフリーのリオンとは異なり関東魔法協会に所属しているエージェントだ。

 今ではもう関東との対立はなく、というかそんなものをしているどころではないのだが、流石に多忙な彼に負担を押し付けるのも気が引ける。

 

<おいジジイ。俺はお前の使いっぱしりになった覚えはないぞ>

 

 だがどうやら詠春の返答は、聞きようによってはリオンなら使い勝手よく仕事を頼めるともとれてしまい、冷え込んだような声音で念を押された。

 

「分かっとる分かっとる。じゃが……咲耶と一緒に居たことで随分研究は進んだのではありませんか、リオン?」

 

<…………>

 

 好々爺の長から紅き翼の詠春へ

 問いかけに対する答えはない。だがその沈黙が半ば答えのようなものだ。

 

「やはり、やるつもりなのですか……?」

<当たり前だ。貴様らにとっても懸念材料が一つ消えるだろう? 心配せずとも貴様の孫に危害は加えん>

 

 リオンがやろうとしていること。

 それは人の道においては最大級の禁忌。

 だが、“正義の”魔法使いとしては悲願とも言うべき願い。

 いずれの思いとも異なるものの、それを為そうとするはまぎれもなくリオン(福音の子)の願い。

 

 詠春の問いにリオンは感情の見えない声音で返答した。

 

<調べものはタカユキにやらせろ。ちょうどイギリス魔法省に用事があるみたいだからな>

 

 拒絶するような威圧。

 リオンもただ友人に厄介事を押し付ける心づもりなわけではないらしく、当のタカユキもヨーロッパ方面に用があることを告げた。

 関西と関東。旧世界と新世界の組織の違いはあるものの、どちらも世界の安定のために動いているのだ。

 そして長が頼もうとしたのは、まさにその世界の安定のためのこと。

 イギリス魔法省に用事があるということは、リオンが調査に乗り出すよりもたしかにやり易いかもしれない。

 次の言葉を述べる前にリオンは一方的に通話を切った。

 

 通話が切られて話す声がなくなった室内で詠春は顔に切なさを浮かべて俯いた。

 

「そういう意味ではないんですよ、リオン……」

 

 たしかに詠春にとって咲耶は大事だ。

 だが、咲耶の思い人であり、スプリングフィールドの名を冠する彼もまた詠春にとって大切な子供のようなものなのだ。

 

 彼がやろうとしていることの切なさを知っているがゆえに、その心中を思い、詠春は瞳を閉じた。

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

【始まりの想い】

 

 

 見下ろす視線の先に小さな少女が寝息を立てていた。

 

 真円を描く月は、もう幾ばくもなく頂点へと到達し、同時に少女は10歳の誕生日を迎える。

 細やかな金紗の髪。

 白く絹のような肌。

 あどけない寝顔。

 無垢で純粋。

 何十年も続く戦乱の中にあって、城に住まう少女はまるで人の業など知らぬかのごとくに眠っている。

 

 目が覚めたとき、自分がすでに人ではないと知ったとき、この少女はどんな反応を示すのだろう。

 私を憎悪するか、呪うか。自らを受け入れて共に歩んでくれるか。

 

 この少女が私の為すことを理解してくれるかどうかは分からない。

 

 

 

 きっかけは、居場所を与えたかったからだったと思う。

 他者にはない異能を持ち、阻害され、疎まれ、崇められることに倦み、迫害される。そんな同朋たちに居場所をあげたかった。

 同朋たちが、新たなる世界で暮らし、人を愛し、命を育み、人を憎み、死んでいくその営みをずっと見守っているつもりだった。

 

 だが、千年が経ち、二千年が経ち、一人でいることに疲れてしまった。

 愛すべき人が生きているのを遠くから見守るだけの生に疲れてしまった。

 

 眠りについて、起きたときに一緒にいてくれる存在を求めてしまった。

 不滅と対になる不死。

 その存在になってほしかった。

 私とともに永遠を生きる者。

 

 愛しき娘。永遠の子猫。

 

 永久に私の傍にいてほしい。

 

 

 

 エヴァンジェリン・アタナシア・キティ・マクダウェル……

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

外伝 闇の生まれる兆し (+人物まとめ)

1章の最終話となります。
ちょこちょこと登場していたオリキャラの物語です。
リオンと咲耶がネギまサイドの主人公なら、彼がハリポタサイドの主人公に相当していく予定です。
今話のあとがきに1章で登場したメインキャラの人物まとめを記載しました。


「君が、――――――かの?」

 

 その老人と出逢ったのは、11歳の何でもない夏前の時期だった。

 

「そうですが……貴方は?」

 

 

 その頃の僕は、孤児院で過ごす子供の一人に過ぎなかった。

 多少頭が回り、他の子よりも賢しく立ち回ることが出来る程度の非力な子供。

 

 親のことは知らない。

 今はもういない母親がこの孤児院の前で生まれてすぐの僕を抱えたまま倒れていたらしい。

 発見した孤児院の人が介抱したが、母と思しきその人は、その日の晩を越えることはできずに亡くなったらしい。

 その人が残していたのは幾つかの不思議な品物。

 使い道の分からない貨幣らしきもの。どうやら材質は金や銀、銅のようだが、市場に流通しているものとは全く異なり、その材質の価値くらいしかなさそうなものがいくつか。

 その人が着ていた服。持っていた細い木の棒。

 赤ん坊の僕を包んでいた黒いマント。

 そのマントには正三角形と内接した円、そして真ん中を貫く直線という何かのマークが描かれていた。

 

 

 ある日、孤児院を訪れてきた老人は、自分の名を“アルバス・ダンブルドア”と名乗った。

 ホグワーツ魔法魔術学校の校長だと。

 

 魔法に魔術

 

 そんなものは……ない。そう、否定することはなぜかできなかった。

 

 

「それではダンブルドア、先生、は僕をその学校に入学させる、ということですか?」

「入学してほしい、とは思うが、選ぶのは君じゃよ」

 

 自分が魔法使いである、と説明されて戸惑いはあったが、それよりも不思議と、そうか、という納得が大きかった。

 きらきらと瞬くような瞳で、すべてを見透かすようなダンブルドア校長の視線を真っ向から受けて、そこから何かを読み取ろうと見返す。

 孤児院ではこうすると周囲の子や大人の考えていることがなんとなく分かる気がしたのだ。それが魔法だというのなら、たしかに自分は魔法使いであるのかもしれない。

 

 視線を受けたダンブルドア校長は孫でも見るような穏やかな笑みを崩さず、その内面に隠されている思いは隠れたままだった。

 読み取ることができない。

 孤児院で、賢しく立ち回ることができたのは、この力によることが大きいのだが、それが通用しないとなるとどうするべきか。素早く考えを巡らせようとしていると、不意に部屋の扉がギィと音を立てた。

 

 振り向くと扉の陰に隠れながらこちらを見つめる小さな子供、孤児院の子の一人であるマリエルがいた。

 びくびく、おどおどと気遣うようにこちらを見ている。

 

「マリエル。ダメだろ。今、僕はお客さんとお話ししているんだから。さ、あっちでみんなと院長先生のお手伝いをしてきなさい」

 

 できるだけ優し目に声をかけた。

 マリエルは孤児院の中でも大人しい子で、他人の言うことをよく聞く、言ってみれば扱いやすい子だから、強く言わなくてもそれで十分だと思ったからだ。

 子供多い孤児院でうまく立ち回るやり方として、他の子どもの統率の仕方を工夫することだと思っていたからだ。

 いつもなら素直に言うことを聞くマリエルは、しかし言うとおりに出ていこうとはせずに、泣きそうな顔でこちらをじっと見ている。

 

「おにいちゃん……どっかいっちゃうの?」

 

 舌を打ちたくなった。 

 周りの子供よりも上に位置するという立ち位置のために、どうやら下手に依存心を抱かせてしまっているのだろう。

 頼りになる年上の子が居なくなるかもしれないと知ってか、泣きそうになっている。

 

「おじいちゃん。おにいちゃんをつれてっちゃうの?」

 

 顔を顰めて黙ったことをどうにか判断したのか、今度はダンブルドア校長の方に問いかけた。

 

「連れていってはダメかの?」

 

 ダンブルドア校長は、質問には答えずに尋ね返した。

 自らの思いは伝えずに暗に示すことで相手の、“おにいちゃん”に抱いている思いを探る気だ。そう察知したものの、それを止めるのも不自然であり、マリエルの口を閉ざすことはできない。

 黙っていてくれ、と思いを込めて少女を見つめてみるが、果たして少女は彼の思いを裏切って口を開いた

 

「…………ここにくる大人の人は、おにいちゃんたちをつれていっちゃう人ばっかりだからキライ。

 けど、いんちょう先生は、おにいちゃんたちが元気にすごせるようにって、おいのりしなさいって言うの」

 

 ダンブルドア校長はマリエルの言葉に少しばかり目を見開き、そして優しさを深めた眼差しをマリエルに向けた。

 

「つれてっちゃやだけど。おにいちゃんが元気になれるなら、おいのりするの」

「マリエル。お客さんを困らせちゃダメだよ。ほら、後で遊んであげるから、もうお行き」

 

 少年の思惑とは裏腹に、率直に自らの思いを告げてしまう少女。その声を遮るように少年が優しげに聞こえる声で再度、立ち去るようにつげた。

 優しそうな声の中に含まれる明確な命令。それが分かったのか少女は潤んだ瞳を少年に向けた。

 

「……みんなも?」

「ああ。みんなで遊ぼう」

 

 やれやれと言葉をかけるとようやく納得したのか、少女はそれでも心配そうに振り返りつつ、扉を閉めて立ち去った。

 

「随分と、慕われておるのじゃな」

「……人の上に立つというか。そういう役回りが、向いているのでしょうね」

 

 不要な情報を相手に与えてしまったことに、ほんのわずか、悟られないように顔を顰めつつ言葉を返した。

 平坦なその言葉に、ダンブルドアは緩めそうになっていた表情をすっと冷たいものに戻した。

 なにか告げたいことがあるのか。ダングルドアは口を開こうとして、しかし思い悩むようにその口を閉じた。

 長く、深い悔恨に塗れた生き方を思い返すように視線を落としたダンブルドア。

 拍をおいて、再び口を開いた時には先ほどの憂いのある色は消えていた。 

 

「さて。それではどうするかの? もちろんワシは君の意志を尊重しよう」

 

 そして、再度、少年の意思を確かめるように問いかけた。

 魔法とはかかわりのない世界で、この孤児院で過ごしていくか。

 足場を築いたこの孤児院を出て、魔法の世界へと身を投じるか。

 

 逡巡は、なかった。

 ただ飛びつくには相手の得体が知れなさすぎるし、あまりにも行く先が不明すぎる。

 少年は慎重に言葉を選んでから口を開いた。

 

「ホグワーツに行きます。行きたい、です……」

 

 もとより行くか行かぬかの2択であるのならば、そこに選択の余地はない。

 孤児院などという小さな世界でお山の大将を飾っていた所でなんの意味もないのは明らか。

 今の自分には力がない。だからこそ、より大きな力を求めるのだ。

 今よりも大きな世界へその身を投じることで。

 

「ですが、見ての通り僕にはほとんどお金がありません。魔法使いのお金、というのがあればですが。学用品を揃えたり、卒業までの学費を払うことは難しいと思います」

 

 だが、いくらなんでもなにも知らぬ世界に何も持たないままで飛び込むのは、勇気ではない。

 今の世界を放り投げて魔法の世界に飛び込んだ結果。学ぶ権利をなくして半端に放り出されてはたまらない。

 学費のことを懸念するとダンブルドアはそれを手で制した。 

 

「心配は無用じゃ。そのあたりはワシが協力しよう」

 

 言葉に、妙な違和感を覚えた。

 

 “ワシが”……?

 今のが“ワシらが”ならなんの違和感も覚えなかっただろう。普通の学校や社会にもそういった制度 ――概して優秀な子供の学業を支援する制度―― は存在するのだから。

 だが先ほど、ダンブルドア校長は“ワシが”と言ったのだ。いくら魔法学校の校長とはいえ、いくら僕が魔法使いの卵だとはいえ、一人の生徒のために個人が協力を申し出るだろうか。

 

 だからか、なんとなく直感で思ったのだ。

 

「貴方が……? あの、もしかして貴方は僕の母、いえ両親をご存じなのですか?」

 

 眉根を寄せつつ尋ねた瞬間、老人の顔がわずかに強張った。

 恐らく失言だったのだろう。

 

 もしくは、そこに気づくかどうかを試したのかもしれない。

 

「……いや。残念ながらワシは君のご両親のことは知らん。協力する、といっても学用品を揃える手伝いくらいじゃがな」

 

 少し黙した後、老人は答えた。

 

 “両親のこと”は分からない。

 そう答えた老人は、しかしどこか懐かしい思い出を振り返っているようにも、寂しげにも見えた。

 

「そう、ですか……」

 

 重ねて尋ねることもできた。おそらくだが、この人は何かを知っている気がした。

 でも質問を続けても困らせるだけだろう。

 きっと嘘はつかないけれど、答えてはくれない、そんな気がしたのもあるし、なによりも死に瀕した母を救おうともせず、生まれたばかりの自分を見離した家族とやらに特に興味がなかったのもある。

 

 

 結局、ホグワーツへの入学と入寮することを決めた。

 教科書は卒業生か上級生の不要になったものを譲り受けた。幸いにも文字は魔法使いたちといえども差はなく読むのに苦労はしなかった。くたびれた感のある教科書だが別に問題はないだろう。

 そして残りの学用品を揃えるために訪れたダイアゴン横丁。

 魔法界のお金をもたない僕にダンブルドア校長は援助としてその代金を払ってくれたが、それが彼のポケットマネーによるものなのか、学校の制度によるものなのかは分からなかった。

 

 

 めまぐるしく変わっていく世界。

 

 

 

「それでは、また新学期が始まってから会おう」

「はい。ありがとうございます、ダンブルドア校長」

 

 準備は整った。

 孤児院の先生たちにも入学と入寮のことは伝えた。小さな子供たちの面倒見役が居なくなることを冗談めかして残念がっていたが、進路が決まったことを一応は祝福してくれた。

 

 1日で多くの事が変わり過ぎて疲れた。

 くたびれた大量の教科書と魔法の杖。

 鍋や秤などは学校に到着してから譲るという事でここにはない。

 昨日までとは異なる魔法世界との繋がりとでもいうべき品々を抱えて誰もいない部屋に戻った。

 異なる世界へと足を踏み入れたこと。その事実は疲労した体にあって、胸を躍らせた。

 荷物の中から一本の棒きれを抜き出して見つめた。

 母が持っていた物の中で、ただの棒だと思われていたものこそが魔法の杖であることをダンブルドア校長から聞き、それが自分の杖となった。

 ぬくもりもない、会話した記憶すらない母の遺品。その杖を手にして眺め、

 

「誰だっ!!?」

 

 突然室内に生じた人の気配に反応して杖を突きつけた。

 自分が入ってくるまで部屋の中には誰もいなかったはずだ。なによりもその人影は孤児院の子供や先生とはまるで違うもの。

 その動きは単なる反射的なものだった。まだなんの魔法も収めてはいないが、手にしていた杖を不気味な相手に向ける。そのことに戸惑いはなかった。

 

「ほう。まだ学校にも通っていないのにいっぱしの魔法使い気取りか……ふん。悪くない」

 

 部屋の片隅には黒い影のような男が腕を組んでこちらを見つめていた。

 今日訪れたダイアゴン横丁でもよく見かけた黒いローブに身を包んだ姿。

 

 ――魔法使いだ。

 

 いつの間に、という疑問は抱くだけ無駄だ。今自分が居るのはもはや昨日までの世界ではなく、魔法の世界なのだ。

 そしてその世界において、自分はまだ何の力も有していない。

 なんらかの魔法の力、自分がまだ知らない力を用いたのだろうと推測するのはさして難しくはない。

 

 ――だが、なぜここに

 

 男の言葉は、まるで以前から自分のことを知っていたようにも聞こえるし、そして知っているのだとしたら、なぜ見知らぬひよっこに声をかけてきたのか。

 睨み付ける視線を受けて、男は不敵な笑みを口元に浮かべていた。

 

「もう一度聞く。誰だ?」

 

 嫌な気配を漂わせる黒衣の男に再度誰何の声をかけた。

 声に険が宿り、杖を持つ手に力が入る。

 男は口元に浮かべていた笑みをスッと消した。

 

「碌に魔法も使えんひよっこが。杖を下ろせ」

 

 使えないと分かってはいても杖を向けられ続けるのは嫌なのか、男は自身の杖を見せつけるように突きつけて命令した。

 互いに向けある杖と杖。しかし、片方はただの見せかけに過ぎない。

 できることはなく杖を下ろし、抵抗の証とばかりに睨み付けた。

 

「そうだ。それでいい。なに、今日はお前にいいことを教えてやりに来ただけだ」

 

 誰何の問いには応えるつもりはないのだろう。男は一方的に告げた。

 

「いいこと?」

「ああそうだ。お前の、血筋について教えてやろう」

「血、筋?」

 

 そしてゆっくりと毒を垂らし込むように告げた。

 なぜ初めて会った男がそのようなことを知っているのか。

 疑問には思ったが好奇の心が芽生えたのも事実だ。

 ダンブルドアが語らなかったことを、この男は知っており、そして語る気がある。

 

 興味が傾いていることを見て取ったのか、男は笑みを深くした。

 

「ああ。偉大なる闇の魔法使いの血筋だ。闇の帝王だなどとほざきながら、赤子に敗れた出来損ないとは違う。大いなる支配者の血だ」

 

 誇るように告げる男の言葉。

 その出来損ないというのが何を指すのかは分からない。そして

 

「お前の祖父の名は――――――」

 

 告げられた言葉はやはり聞き覚えのない名だ。

 

「誰だ、それは?」

 

 だが、なぜか悪寒をもたらす響きに聞こえた。

 まるで体に流れる魔法使いの血が、その名を恐怖たらしめているかのように。

 

「ふん。嘆かわしいな。あのお方の孫が、あのお方の名すら知らぬとは。アイツもとんだところに貴様を残してくれたものだ。マグルの孤児院などと」

 

 知らぬことを告げると男は落胆したように侮蔑の視線を向けた。

 どうやら先の名は魔法界において広く知れ渡った名らしい。

 無言で睨み付けると男は溜息を吐いた。

 

「まあいい。そのおかげで奴の眼を欺けるのだから。貴様が奴から貰ったその古臭い本の中に、あのお方の名もあるだろう。読めば分かる。お前の敵が、本当は誰なのかということが、な」

 

「お前は、なぜそんなことを知っている。僕の母を知っているのか?」

 

 声が震えた気がした。

 男はにやりと笑みを浮かべて黒衣を翻した。

 去り際、あたかも置き土産の呪いのように言葉を残した。

 

 ――俺は、お前の父親だよ――

 

 

 

 言うだけ言って、男は忽然と姿を消した。

 まるで、というよりもまさに魔法を使ったのだろう。瞬きほどの時間で男は痕も残さず消えた。

 

 父親。

 それは顔も覚えていない母親以上に縁遠い存在だ。

 幾つかの物を自分に残して死んだ母親。それとは異なり、父親などというものが自分にも居たのかと思うほどだ。

 

 父親などというものが居たとしたなら、なぜ母は孤児院の前などで野垂れ死ななければならなかったのか。なぜ、自分は今まで孤児院で過ごさなければならなかったのか。

 

 なぜ、魔法の世界に足を踏み入れたその日に、都合よく自分の前に現れたのか。

 それではまるで――――その時を待っていたようではないか

 

 そこまで思考が辿りついた瞬間、父親だと名乗った男の意図が分かった気がした。

 あの男の口ぶりからすると、おそらく奴はホグワーツの校長であるダンブルドアとは相いれないものなのだろう。

 そして恐らく、あの男は自分がホグワーツという学校に招かれる時を待っていたのだろう。

 

 何かをさせるために。

 

 

 

 その晩。男に言われた名前を頼りにダンブルドア先生から貰った教科書を開き、そして見つけた。

 

「闇の魔法使い―――――か……」

 

 魔法の教科書に名を刻むほどだ。その名はたしかに、ある意味では偉大なのかも知れない。

 だが……

 

 ――悔しくはないか?――

 

 頭の中で、何かが囁いた気がした。

 

 ――書物に記されていなくとも、奴もあのお方と同じだったのだ。だが、奴は生き残り、世間の称賛を一身に浴び、最も偉大な魔法使いだなどと呼ばれている。本来ならば、あのお方こそ、その称賛に相応しかったにもかかわらず――

 

 囁く言葉はまるで呪詛のように、心の隙間へと潜り込もうとしてきた。

 

 なぜ自分はこんな貧しい孤児院で暮らしているのだ?

 なぜ自分の母は、自分を残して死んだのだ?

 なぜ見も知らぬ祖父とやらと共に暮らしてはいけなかったのだ?

 愚鈍な者ばかりのこの世界の中で、なぜ自分はこのようなところで燻っているのだ?

 

 ――すべてはあの男の傲慢のせい。あのお方の才に嫉妬し、あのお方の持っていた秘宝すら奪って行った。いずれお前が引き継ぐはずだったあの秘宝を、富を、名声を――

 

 ――憎い筈だ。やつが。善人ぶったあの男が。お前ならばできる。奴の懐へと潜り込み、知識を得るのだ。秘密を暴くのだ。いずれ奴は知ることになる。自身の行いの愚かさを。最も偉大な闇の魔法使いを、自身が誘い、育てたのだと――

 

 言葉は魔法によって囁かれたものなのか。

 それとも自らの内より出でたモノなのか。

 

 

 

 ・・・・

 

 

 

 魔法学校への出発の日。

 孤児院のみんなに送り出され、ホグワーツ特急が発着する駅へと着いた。交差するプラットホームへと通じる9と3/4番線。その前にあの男は居た。

 

「どうだ? お前が居るべき立場が分かっただろう?」

「……それで。お前は、俺に何をさせたいんだ」

 

 別に今さら父親と名乗ったこの男に従う気になったわけではない。

 だが、話を聞くくらいならば損はないだろう。父親としてではなく、魔法使いの先達として、魔法の世界で力を手に入れる方法でも教えてくれれば儲けものといったところだ。

 

 返答に男はにやりと笑みを浮かべた。闇の世界に住む者の、粘つくような笑み。内心を見透かしたかのような態度。

 ダンブルドアもそうだが、魔法使いには人の心を読む術があるのかもしれない。

 もしかすると孤児院で上手く立ち回れたのは自分にもその力の一端が発現していたからかもしれないとふと思った。

 

「まずは城を探れ。ホグワーツは古の魔法がかけられた城だ。特にサラザール・スリザリン。やつの残したものを探せ」

「サラザール・スリザリン……」

 

 魔法学校の創設者。

 ゴドリック・グリフィンドール

 ロウェナ・レイブンクロー

 ヘルガ・ハッフルパフ

 

 そしてサラザール・スリザリン

 

 目を通した教科書に出てきた名だ。

 大昔の魔法使い。

 男がその名だけを出したのは、やはりこの男が“そういう”側の魔法使いだからだろう。

 

「やつもまた偉大な闇の魔法使いだ。必ずや城に何かを残しているはずだ。それはきっとお前の力になる」

 

 それが果たしてこの男のどのような役に立つのか。

 心が読めるのならば、父親のためなどという殊勝な心がけをもっていないことくらい分かるだろう。

 

「うまくやれ。ディズ」

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 自分が配属されたのは、あの男が言った創設者・スリザリンの寮だった。

 スリザリンでは血統が重要視されるらしく、マグルの孤児院出身の俺は当初、蔑まれた。だが、それも1年が経つ頃には変わった。いや変えたのだ。自分の力で。

 どうやら魔法使いの世界においても自分は優秀らしい。魔法の世界、といっても所詮は卵の学生たちの集団。教師の魔法使いすら感心するほどの力を示した。

 

 目的のものと思われるモノのあたりがついたのはホグワーツに入り、1年が過ぎ、2年目の半ばが過ぎようとしているころだった。

 だが、どうやらそれには何らかの条件が必要なのか、どうしてもそこまでは辿りつけなかった。

 

 2年目が終わり、3年目を迎えた。

 魔法の世界に足を踏み入れたという昂揚はとうに色褪せ、今までと変わらぬ世界が続いていた。

 だが、3年目の今年は少し期待していた。

 闇の世界を終わらせた赤子。ハリー・ポッター。彼がやってくる。

 

 当世においてイギリス魔法界で最も恐れられた魔法使い、ヴォルデモートを打倒した少年。

 一体どのような魔法の使い手なのか。

 

 だが

 

 実際見た彼には大いに失望させられた。

 確かに箒の扱いは上手く、勇気もあるのだろう。

 しかし彼は決してクィディッチや箒のスピードレースでヴォルデモートを倒したわけではない。

 それ以外ではとりわけ着目すべき力は見られなかった。

 

 知りたいのは、どうやって彼が闇の世界を閉じる一因を作ったのかだ。

 彼の何がそれを為したのか。

 それが知りたかった。世界を変える力とはなんなのか。

 

 だから、もう一つの来訪者。魔法世界という、もう一つの世界の魔法使いには大いに期待した。

 なぜなら、その内の一人は、明らかに自分やあの男と同じ、いやそれ以上に、その何倍も、深く、濃い、闇の匂いを纏わりつかせていたのだから。

 

 もしも闇の力が、世界を変える、世界を超える力となりうるのなら。

 それが欲しい。

 

 ハリー・ポッターもきっと何らかの力を持っているのだろう。隠しているのか、本人もまだ気づいていないのかは分からないが。

 だが、それはきっと自分にはないだろう。自分はどうあがいても彼と同じ側には立てないだろうから。

 

 リオン・スプリングフィールド

 彼もまた、当初は力を隠していた。いや見せる必要が無かっただけだろう。

 だが、あのハロウィンの日。

 

「アステル・アマテル・アマテラス。風精召喚。剣を執る戦友! 迎えうって!」

 

 異国からの留学生サクヤ・コノエ。

 見た目は非力な少女。

 戦いなど無縁に見えるお淑やかそうな少女。

 

 見知らぬ魔法を使ってトロール相手に敢然と立ち向かおうとする姿は、立派な心がけといったところだ。

 だが、心がけだけで所詮は学生に過ぎない。

 異世界の魔法といえどもたやすくトロールを倒すことはできないのか、徐々に押し込まれ、そして新たに出現したもう一体によって一気に窮地に立たされた。

 

 そして

 

「κενοτητοζ αστραπσατω δε τεμετω!」

 

 少女の窮地に現れたのは“本物”の魔法使い。 

 聞き覚えのない言語。見たことのない術式。

 

「ΔΙΟΣ ΤΥΚΟΣ!!」

 

 知らぬ力。圧倒的な力。

 振り下ろされた雷の斧は一撃でトロールを打ち倒した。

 

 どれほどの力をまだ隠しているかは分からないが、直感が告げている。

 あの力こそ、自分が求めている領域の力だと。

 

 全てを打ち砕き、凌駕する力。

 

 あの力が、欲しい。

 

 

 視線が交わる。

 早々と自寮へと向かう生徒たちの流れから外れて見つめていた自分の視線に気づいたのか、リオン・スプリングフィールドは険のある眼差しをこちらに向けていた。

 

 気づいたのかもしれない。

 だが、それでいい。

 ただの授業ではアレの本当の力に触れることはできないだろう。

 

 だから、今はまだ楔でいい。

 

 何かある。

 そう思わせただけでいいのだ。

 

 

 

 




人物まとめ

近衛咲耶
本作主人公兼ヒロイン。日本の関西呪術協会の長、近衛詠春の孫にして近衛木乃香の娘。ハッフルパフ所属で学年はハリーより2学年上。魔力量の多い“ほんわかしろまじゅつし”。

リオン・M・スプリングフィールド
もう一人の主人公。詠春によって派遣された咲耶の護衛 兼 精霊魔法講座の教師。氷と雷の魔法を得意とする“つんでれやみのまほうせんせー”。

ハリー・ポッター
原作主人公。グリフィンドール所属。“くしゃがみめがねのおとこのこ”

ハーマイオニー・グレンジャー
グリフィンドール所属。“ぼっちかしこいまじょみならい”

リーシャ・グレイス
咲耶と同学年でルームメイト。ハッフルパフ所属クィディッチチームのチェイサー。座学と魔法薬学は苦手だが実技系魔法は割と得意。“きんぱつきょにゅうのとりあたま”

フィリス・レメイン
ハッフルパフ所属、咲耶と同学年でルームメイト。社交性に富んでおり、寮の内外に知り合いが多い。母親はマグル。学力は平均的なレベル。“らぶせんさーをもつこいのまじゅつし”

クラリス・オーウェン
ハッフルパフ所属、咲耶と同学年でルームメイト。読書好きで寮ではセドリックに次いで優等生の少女。基本無口だが親しい相手には毒舌。“さびしがりやのちびっこまじょ”

セドリック・ディゴリー
ハッフルパフ所属、咲耶と同学年。クィディッチチームのシーカー。学年次席の成績をほこる優等生。“はんさむゆーとーせー”

ルーク・アグリアーノ
ハッフルパフ所属、セドリックのルームメイト。リアという飼い猫がいる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2章
夏休みと3年目の思い出


<お手紙と写真、ありがとうございます、リーシャ。元気いっぱいのリーシャたちの姿が見れて嬉しかったわぁ。写真の中の人が動くとか、やっぱりまほー使いの写真は違うんやね。面白かったんで、ウチもこっちのまほー使いのお手紙にしてみました。上手く撮れとるとええんやけど……日本はもう随分暑い日が続いとるけど、イギリスの方はどかな?>

 

 手紙から浮かび上がる黒髪の少女。

 魔法使いの写真はその中の人物が動くものであり、生粋の魔法族であるリーシャにとってそれは当たり前のものなのだが、どうやら今、浮かび上がっている手紙の主にとってそれは物珍しいものだったらしい。

 前回の手紙のやりとりの際に送った写真に対抗意識をもったのか、動く写真ならぬ動く手紙を送ってきた。

 

<フィーにも電話で伝えたんやけどお泊りの件、おじいちゃんのお許しもらえました。会えるんが楽しみやわ~>

 

「おっ! やった!」

 

 懸案事項兼お楽しみの一つ。

 咲耶のお泊り会企画はめでたく咲耶の祖父の許可が下りたらしい。

 手紙の上でちっさい咲耶が顔をほころばせているのを見てリーシャも思わず声を上げた。

 

<魔法学校に通いだしたことで、こちらの魔法の勉強も本格的に始めていい頃合いだろういうことで、最近は治癒魔法の勉強が増えたんよ。ガッコの宿題もあるから大変やけど、なんとなくやりたいことに近づけとるみたいで嬉しいです。ところでリーシャは宿題終わりましたか?>

 

「うげっ。よくやるなーサクヤ」

 

 たしかに一足早く家を出なければならない咲耶は夏休み最後に宿題を残して追い込む、といったことはできないだろう。

 追い込み型のリーシャは顔を引き攣らせて手紙の咲耶を見た。

 

 昨年、精霊魔法は治癒魔法の基本と制御のための練習しかしていなかったと言っていた咲耶が本格的に勉強し始めたと言っているのだ。

 学校から出された大量の宿題に加えての勉強ともなれば大変だろうに、手紙の咲耶からは治癒魔法を覚えられることが嬉しくて仕方ないと言う風に見えた。

 

「でもそっか。治癒術士になりたいとか言ってたもんな」

 

 人の役に立てたいと明るい笑顔で語っていた咲耶。

 苦しんでいる誰かのために手を差し伸べることを当然のように夢として語る彼女と出逢ってからもうすぐ一年が経つ。

 

 

 

 第18話 夏休みと3年目の思い出

 

 

 

 飛ぶことだけしか考えていない箒バカ。

 

 そんな風に寮で、というか学年で評価されている私だが、当然悩みだってある。

 

 性格に女らしさがない。

 

 性別的にはきちんと女なのだが、友達のフィーにはしょっちゅう身だしなみのことを言われるし、男子から男女とか言われることもしょっちゅうだし……

 フィーのような女の子って感じに憧れがないわけじゃないし、クラリスみたいに小動物系の子を見ると可愛らしいと思うし、好きなようにやってるからいいんだけど……お姫様、というのには憧れていたりする。

 

 

 

 彼女を初めて見たのは遠くの席からで、興味深げにキョロキョロとあたりを見回す姿が、幼げだったのが印象的だった。

 

「ねえ、リーシャ。あの人が新任の先生かしら。かっこよさそうじゃない?」

「えっ。あ、ああ。そうだな」

 

 フィリスの言葉に、一瞬反応が遅れた。

 

 かっこいい。それは自分が内心抱いていた思いとは違ったからだ。

 

 

 1年の時からのルームメイトであり友人であるフィリスは、どうやらあのやたらと整った顔立ちの男性教師に興味津々のようだ。

 だが、リーシャはその横、男性に比べれば存在感が薄いが、それでも特徴的な姿をしている可愛らしい女の子に意識を奪われていた。

 

 

 ――まるで異国のお嬢様みたいだ――

 

 

 それが彼女に、サクヤ・コノエに抱いたファーストインプレッションだった。

 魔法省に友人の多い母の伝手で今年、ニホンの魔法協会の孫娘が留学してくるという情報は聞いていたし、恐らく魔法省とパイプのある純血の家の魔法使いだったら大抵知っていたことだろう。

 

 夜空を溶かしたように真っ黒で、クセのない長い髪。やや小柄な身体つきは柔らかそうで、ニホンの魔法協会の孫娘、というよりもニホンのお姫様と紹介された方がしっくりきそうな気がした。

 

 周囲の女生徒はどうやらフィリスと同様にカッコいい男性教師に注目しているらしく、校長先生が“精霊魔法”の講座の新任教師だと紹介したら、途端に色めきだって授業日程を確認していたりする。

 

「まずは君たちの友人の寮を決めよう、ミネルバ」

「コノエ・サクヤ! こちらに」

「はい!」

 

 校長先生が編入生の、コノエの寮を決めるために寮分けを司っていたマクゴナガル先生を呼んだ。

 マクゴナガル先生はこくりと頷くとビシリとした声で彼女の名前を呼んだ。

 コノエがぴょんと椅子から跳ね降り、校長先生が組み分け帽子の方へと進み出るように手振りで促した。

 

 

 彼女と話をしてみたい。

 

 それは留学生、という物珍しさもあったが、それ以上に彼女個人と親しくなってみたいという思いがあった。

 お姫様みたいなあの可愛らしい子と。

 

 ただ、同じ寮にはなれないんじゃないかとも思っていた。

 

 わざわざ異国の魔法学校に留学するくらいだから、頭が良く、探究心があるのだろう。勇気がある、かどうかは分からないが、ニホンの代々続く魔法協会のトップの孫娘ということは血筋も立派だ。

 

 レイブンクローやスリザリンの素質は十分。いや、ニホンから言葉の通じにくいイギリスに来たくらいなのだから、きっと勇気もあるのだろう。グリフィンドールの素質だって十分じゃないか。

 

 四寮中、落ちこぼれが集まるハッフルパフ。

 そう揶揄されているのは当然知っている。

 まあ毎度寮対抗杯では最下位だし、クィディッチでも最下位だしで反論できないことではあるし、リーシャは別にそれをムキになって否定する気もなかった。

 

 フィリスなどはその評価を嫌がっているみたいだが、どんな人でも受け入れるというハッフルパフの個性がリーシャは好きだったし、寮に誇り、とまではいかなくても愛着は湧いていた。

 バカにされればムカつくけど、みんなで笑って学校生活を楽しめればそれが一番だから。

 自身純血の家の生まれではあるが、そんなのはたまたま親が魔法使い同士で恋愛して結婚したからで、両親とも、特にこだわりはないらしい。

 そもそも父親からして、自分以上のクィディッチバカなのだから、自分に勉学の優秀さを期待されても困るというのがリーシャの正直に思うところだ。

 

 期待……と諦めが混ざった思いで帽子が彼女の寮を選んでいるのを見た。

 そして

 

「ハッフルパフ!」

 

 帽子がそう宣言したとき、一番驚いていたのはスリザリンだった。そして同じくらいリーシャやハッフルパフの生徒も驚いていた。

 目立つことが無いハッフルパフに、注目度抜群の ――流石にハリー・ポッターほどではないが―― 編入生が入ったのだから。

 聞いた話ではニホンの二つある魔法協会の内、血統の古い方の協会の孫娘で、その実家はずっと昔から続く名家。

 そんなの血筋大好きなスリザリンの連中にとってぜひともお友達になりたいやつのはずだから。

 

 ハッフルパフに決まって、がっかりするんじゃないか。

 歓迎の拍手を打ちながらそう思っていたが、帽子を椅子に戻したコノエは嬉しそうに微笑んでいた。

 

 なんで帽子が彼女をハッフルパフに組み分けたのかは分からない。

 けど、その笑顔を見た瞬間、この後やることは決まった。

 

「初めまして、コノエ! 私、リーシャ! リーシャ・グレイス」

 

 ま、とりあえず挨拶からだよな。

 

 

 

 

 一緒の部屋で過ごして、たくさん話をして、一緒に魔法の練習をした。

 そうして分かったことだが、彼女は思っていた以上に楽しいお姫様だった。

 

 そして……

 

「あれ? フィーとクラリスは?」

「ん~。クラリスは図書室で本借りてくるって。フィーはいつもの告白の呼び出し。次のホグズミードでも誘われてんじゃね?」

「そっか~……ほえっ!? 告白!?」 

 

 談話室のソファーでごろりとだらけていたリーシャに自習を終えた咲耶が声をかけた。

 

「そっ。2年くらいの時から結構あったよ。あれ、サクヤ知らなかったっけ?」

「ほわぁ~、フィーモテるんやなぁ」

 

 四六時中一緒にいるわけではないが、それでもよくともに行動するフィリスやクラリスがいないと落ち着かないという感じがある。

 

「まあなぁ。私が男でも、フィーみたいなのは好きになるだろうしな」

 

 まだ出会ったばかりだった1年目はともかく、同じ学び舎で過ごしていくうちに色々な面が見えてくる。

 2年生の冬ごろからだったか、フィリスはよく男子から告白されるようになっていた。

 

 特にホグズミードという格好のデートスポットへと行くことのできるようになった3年生からは同級生や上級生からの告白が増えたように思う。

 

「リーシャは?」

「んあ?」

「リーシャは告白されたことないん?」

 

 恋愛話になったからだろう。

 サクヤは近くのソファに腰掛けて興味津々とばかりに尋ねてきた。

 

「はっ。あるわけないじゃん、男だったら私みたいなのよりああいう女の子って感じのがいいだろ」

 

 前からこの少女は私の恋愛ごとに好奇心をかけたてられているようだが、実の所、私が誰かに好意を抱かれているなんてあるわけないと思っている。

 

 おしゃれに気をつかい、優しく面倒見と気立てのよいフィリス。

 本の虫になりかけているクラリスだって、小動物的な庇護欲をかきたてる可愛らしさがあるし、咲耶だって実はかなり人気がある。

 

 対して自分は箒で飛ぶくらいしか取り柄という取り柄がないし、それにしてもチームのシーカーであるセドリックほどではない。

 勉強に至ってはほぼ壊滅的で、実技だって優等生というほどではない。

 

 自分が抱く女の子らしさとやらから、自分は最も遠いんじゃないかと思っているし、それを直せる気もしない。

 

 でも

 

「そかなぁ。ウチリーシャのこと好きやで?」

「ぶっ、なっ!!?」

「箒で飛んどるリーシャ、すっごいカッコよくて、キラキラしとって、すっごい綺麗やもん!」

 

 ほわほわとした顔で告げる友。

 向けてくるその視線に籠っているのが、友愛であることは分かる。

 それでも

 

「…………へへへ。嬉しいこと言ってくれるじゃん、サクヤ」

「えへへ」

 

 今はまあこれでいいやと思える笑顔だった。

 

 異国から来た可愛らしいお姫様。

 

 愉快で大切な友達の、親友の一人だ。

 

 

 

「今出てって、私たちはどうかって聞いたら、サクヤどんな返答するかしら?」

 

 楽しそうにじゃれているサクヤとリーシャの様子を談話室の影からこっそり見ていたフィリスは、先程寮の前で一緒になったクラリスに苦笑しながら尋ねてみた。

 

 サクヤが友達を大切にしてくれているのは分かっている。順番をつけるなんて無粋なことだろう。

 彼女の中で一番“好きな”相手は誰かなんて分かってる。

 彼女とあの先生の間に昔どんなことがあって、あれほど慕うようになったのかは知らない。けれど、サクヤが本当にあの先生に恋しているのは分かる。

 

 だから、友達として一番は……

 

「さあ。でもきっと同じ」

「同じ? ……そっか。そうね」

 

 きっと比べることはサクヤを困らせるだろう。そう思っていた。でもたぶんそれは違うのかもしれない。

 彼女にとっては大切な友達はみんな、大好きな友達。

 見上げてくるクラリスはそう言っているように見えた。

 

 

 ・・・・

 

 

 

 

<お手紙は“烈風”がフィーとクラリスとハーミーちゃんのとこに行った後、また戻ってくるんで、前と同じように渡してください>

 

 たくさんのことを伝えていた手紙ももう間もなく終わりに近づいているのだろう。

 手紙の咲耶はいつも通り手紙のやりとりの方法を伝えてきた。

 

「あ。やっぱり、あのでかいのまた来るんだ」

 

 日本とイギリスは遠い。

 マグルの輸送手段や公的な方法を使えばその限りではないが、生粋の魔法族であるリーシャはマグルの手紙の出し方に馴染んでいないし、公的なやりとりのように仰々しいモノを送るつもりはない。なによりもそれらの方法では時間がかかり過ぎる。ということで咲耶が選んだのは、実家で使役している“式神”という鳥の形をした魔法生物(?)に手紙を運んでもらうという方法だった。

 “烈風”という黒くて大きな鳥はイギリスと日本という超長距離をものともせずに全員分の手紙を水で濡らしたりすることなく運んでくる優秀な鳥(?)だ。

 まずリーシャの所に手紙を運んできた烈風はフィーやクラリス、咲耶の他寮の友人であるハーマイオニーの所に順々に手紙を配り、そしてまたリーシャから回って返事の手紙を回収しに来るらしい。

 よくそれほど体力が持つモノだと感心するが、咲耶曰く「まほーの一種やから大丈夫なんやって」とのことだ。

 

「よし。んじゃま、いっちょ気合い入れて手紙を書くか」

 

 リーシャは気合いを入れて手紙に書く話題を考え始めた。

 

 

 ――この前は魔法族の手紙でクラリスやリーシャとの写真を送った。

 今度は何がいいだろう。

 もうすぐホームステイに来るし、家族の写真がいいだろうか。

 そういえば咲耶たちの魔法族にはクィディッチがなかったな。

 サクヤはクィディッチ好きになったっけ?

 まだだった気がする。

 うん。

 それはダメだな。

 よし、それじゃあ今年は頑張ってクィディッチでいいとこ見せよう――

 

 

 そうして宿題からはどんどんとズレていくリーシャであった。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・

 

 ・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 魔法世界。

 夜が明け、微睡から覚める明け方時。

 ウェスペルタティア王都オスティアから西方に位置するとある渓谷に二人の男が対峙していた。

 

「ついに追いつめましたよ、“福音の御子”。今日こそ貴方を打ち倒し、貴方達が隠す秘密を暴かせていただきます」

 

 一人は眼鏡をかけた理知的な男。

 顔の両端に一房ずつ垂れた黒髪。スーツの上から白衣を纏うその姿は、未開ともいえるようなこの渓谷とは合わず、どちらかというとどこかの研究所にでも居そうな男だ。

 

「また貴様か……アルフレヒト・ゲーデル。一体何度ちょっかいをかけてくれば気が済む」

 

 福音の御子。

 そう呼ばれた男、リオンはもう幾度杖を交えたか分からない旧知の相手と対面していた。

 

 メガロメセンブリア元老院議員クルト・ゲーデルの息子。

 科学魔法統合理論の応用研究の第一人者として知られる魔法博士。

 アルフレヒト・ゲーデル

 

「無論。貴方の秘密を暴くまで」

 

 この男がいるからこそ、リオンは魔法世界の中でもとりわけメガロメセンブリーナには近寄らなかったというのに、どうやら今回は目的地であるオスティア近郊に網を張られていたらしく、まんまと出くわしてしまった。

 

「他人の趣味の暴き立てとは随分と悪趣味だな」

「クク。悪趣味? いえ! その秘密こそ、世界に住まう魔法使いの全てが知りたいと望む秘密です! リオン・マクダウェル・スプリングフィールド!!」

 

 詠うように自らの行いの正当性を主張するアルフレヒト。

 自分が暴き立てようとしている秘密は、ただ自分一人のものではない。世界の全ての者に知る権利のあるものだとでも言うかのように。

 そう

 

魔法界の英雄(スプリングフィールド)の名を持ちながら魔法界の禁忌(マクダウェル)の名をも冠する貴方の出生の秘密! 誰もが知ることを望み、そして秘され続けるその秘密を暴くのはこの私だ!」

 

 リオン出生の秘密。

 最凶の不死の魔法使い。人形使い。闇の福音。エヴァンジェリン・AK・マクダウェルを母に持つと言われている(・・・・・・)最悪の眷属。

 その父が誰であるか、誰も知らない。

 

 いや、二人ほどそうではないかと言われている者はいる。 

 一人は彼女が追い求め続け、一度は封印したと言われている大戦の英雄。千の呪文の男。ナギ・スプリングフィールド。

 もう一人は彼女の弟子。英雄の息子にして、今を生きる英雄。偉大なる魔法使い。ネギ・スプリングフィールド。

 

 いずれにしても、魔法界最悪の存在と魔法界の英雄の息子であると噂されているのが彼なのだ。

 誰もがその本当の真実を知りたいと望んでいる。

 だが、誰もそれを語ろうとはしない。

 その当人たちも、それに近しい者たちも。

 

 聞きだすことも不可能。

 なぜならば彼らはあまりに強大な存在であるのだから。

 そしてまた、英雄と魔王の息子たる彼もまた強大すぎる存在だ。

 

 ゆえにこそ、アルフレヒトは主張する。 

 この行いは正しいのだと。

 例えそこに当人のプライバシーなど微塵も考慮されていなくとも

 

「このマッド野郎め」

「なんとでも。真理の探究のためには少々の犠牲などむしろやむなしです。聞いていますよリオン。先日、J・ラカンとやりあったらしいですね」

 

 ()譲りの知的探究心に対する傲慢なまでの一途さ。()譲りの計算だかさ。アルフレヒトは紛れもなく両親の才と性質を受けた研究者だ。

 そして通常ならばアルフレヒトがリオンに勝つことはない。

 だが、この日はタイミングが悪い。いや、悪い日を狙い澄ましたのだ。

 

「さしもの貴方でもかの千の刃と戦って数日では魔力も体力も万全ではないでしょう。そして今日、地球は半月(・・)。たしかこの日でしたよね? 貴方が深手を負ったのは。そう! 今日は貴方が最も弱体化する日だ」

 

 J・ラカンとの戦い。そして月齢の変化。

 かの英雄を相手にしてはいかにリオンであろうと、いやどのような使い手であろうとも無事には済むまい。殺し合いではなかったとはいえ、大きく削られているのは間違いない。

 

 そして半月。それは吸血鬼の力と人の力が競合し合い、どちらにも傾かないもっとも半端な刻。

 修行と称して一人で放り出されて間もないころに、不覚をとったのもたしかに半月の日だった。

 

「そんな昔の事までよく調べたものだ。ストーカーか、貴様」

「当世最強にして最凶の一人を一介の研究者が相手しようというのです。いくら弱点を調べても足りませんよ」

 

 呆れたように見やるリオン。

 たしかに度重なる襲撃に不覚をとり、どこぞの姫君の世話になったのも半月の日だった。

 だが、あれから何年もの月日が流れ、そしてその克服の目処もたっている。

 

 そんなリオンに対して、眼鏡に片手をあてながら不敵に笑うアルフレヒト。

 

 こうして面と向かっているのは、自信のあらわれ。

 かの吸血鬼の真祖(ハイデイライトウォーカー)の直系の眷属を前にしても今、この状況ならば勝てるという。

 

「一介の研究者、ね……それで、この周りのデカブツは貴様の玩具か?」

 

 この場に居る人間は二人だけだが、二人の周りには巨体の鬼神が5体、見下ろすように立っている。

 

「いえいえちょっとした実験ですよ。私が改良した鬼神兵が福音の御子にどこまで通用するか。計算上では単騎で大戦期の鬼神兵の5倍の戦闘力を有しています」

 

 およそ半世紀ほど前、魔法世界における大戦においてメセンブリーナ連合の主戦力であった鬼神兵。半世紀ほどまえで活躍していたモノでも並みの魔法使いに対してはあまりにも脅威。

 しかもこの場に召喚されているのは魔法研究の天才とも呼び声高いアルフレヒトの自信作。改良型鬼神兵が5体。

 

 弱点である時を狙い。 

 疲弊した隙を狙い。

 万全の体勢を敷いた。

 

 如何にリオン・スプリングフィールドが強大な魔法使いであろうとも、アルフレヒトの計算上、これから逃れる術はない……ハズ。

 

「記録によれば大戦中、千の刃は9体の鬼神兵相手に素手で戦いを挑んだとか。ここにいる新型の鬼神兵は5体。戦闘力の単純換算では大戦中の旧型鬼神兵25体に相当します!! 加えて科学魔法統合理論に基づく武装を各種配備し、ヒューマノイドロボットの対魔法戦士におけるデータの蓄積から個々の適応に応じて如何なる状況においても最適な戦闘パターンを構築!! そして――――」

 

「やかましいわ!」 

 

 悦に浸って語るアルフレヒトの解説を遮って響くリオンの怒号。

 飛び上がったリオンの一撃を受けて吹っ飛ぶ一体の鬼神兵。その巨体は谷間を削り拡げ、轟音を響かせて倒れ伏した。

 

「毎回やり合う度に長台詞吐きやがって!! ご自慢の玩具。粉々に砕いてやるからとっととかかってこい!」

「……ふ。ふふふ。流石は我が友リオン!! 容赦ない攻撃(ツッコミ)です。ですが……」

「誰が友だ!! 誰が!!」

 

 鬼神兵たちが手に持つ武器を勇ましくリオンに向け、ここに大戦期さながらの戦闘(ケンカ)が勃発した……

 

 

 

 

 ……数日後

 

 

 

 自国の近くで渓谷が氷河と化したという報告を受けた某国の女王が怒っていた。

 

「谷一つまるごと氷漬けにしたぁ!? 何考えてんのよあのバカ!!」

「どうやらメガロのゲーデル博士と喧嘩したらしいです」

「ゲーデル!? 博士ってことはハカセの息子の方よね。喧嘩だからってそこまでやる!?」

「向こうは鬼神兵を5体ほど持ち出したらしいです」

「どっちも大バカ!!!」

 

 長いオレンジ色の髪に緑と青のオッドアイの女性と黒髪サイドテールの女性。

 丁寧な口調で話す黒髪の女性に対して、肩をいからせてズンズンと進むオッドアイの女性は青筋浮かべている。

 

「それで刹那さん。そのバカどもは?」

「ゲーデル博士の方はメガロに帰ったようです。リオン君の方は客間で……」

 

 この国の女王とその親友は問題児の片割れの待つ客室の扉を開けた。

 はたしてそこでは

 

「そっかー。せっかくの艶姿やったのにリオン君、押し倒せへんかったんや」

「するか! アイツ何歳だと思ってんだ!? 勝手に人をロリコンにするなっ!!」

「えー、親公認の許嫁やのになー?」

「ちがうっ!! ジジイといいアンタといい、どいつもこいつも」

 

 件の渓谷近くの村やメガロとのやりとりに頭を悩ませていた女王をよそに、客間では親友と問題児が悠々とお茶をしながら楽しそうにしていた。

 

 そして

 

「こんの、バカ助!!」

「もぱらっ!!!」

 

 怒髪天を衝いた女王の拳が、バカ一名に炸裂して吹っ飛ばした。

 

「あっ。アスナ久しぶり~」

「久しぶりこのか。ちょっと今はこのバカに話があるからあとでね!」

 

 いきなり目の前で親友が娘の思い人を吹っ飛ばすと言う光景を目の当たりにしながら、ほわほわと挨拶をしているのは世界屈指の治癒術士と名高い女性。

 

「リオン!!」

「あ、アスナ・ウェスペリーナ……!! 真祖直伝の魔法障壁をテキトーに無視するなっ!」

「うるさい!! こっちはあんたのせいであの変態議員にぐちぐちと嫌味言われて頭に来てんのよ!」

「あっ! 待てコラ! 話じゃないのか!? 今回被害者はこっちだろ!? 咸卦法を使うな!!」

「うるさーい!!! 谷一つ氷漬けにしたやつがただの被害者で済むか!!」 

 

 ごうっ!!! と咸卦の力を纏った拳がリオンの重厚な魔法障壁を貫通して突き刺さる。

 魔法使いの中でも屈指の実力を誇るリオン。

 吸血鬼の真祖直伝のその魔法障壁は本来であれば何物をも寄せ付けない……のだが、この女王にはそれが通用しない。

 

「うーん。なんや久々に見る光景やなぁ」

「確かに。懐かしい光景ですね」

 

 かつてとある少女が、とある吸血鬼の少女を殴ったことがあった。

 以来時折じゃれつくようになったあの二人。

 口では嫌がっていた吸血鬼だが、久しく感じていなかったその温もりは、きっと彼女の尖った心を丸くしたはずだ。

 

「おいこら! この暴走女王止、めろんっ!!!」

「待ちなさい、リオン!! 谷の前に変態と一緒になって砂漠も吹っ飛ばしたでしょ!! 風香ちゃんと史伽ちゃんのとこからやたらと砂が飛んでくるようになったって! 聞きなさい!!」

 

「楽しそうやなぁ」

「……そうですね」

 

 リオンの夏休み、完。

 




活動報告にも書いているのですが4月は少し色々とありまして更新速度が鈍ると思います。ただひと月以内には更新を続けていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

姫と護衛と友達と

 第19話 姫と護衛と友達と

 

「ん~む。できればお主が行ってくれるとありがたいんじゃが……」

 

 関西呪術協会。

 その長、近衛詠春が一人の青年と対面していた。

 灰色の髪の青年。鍛え抜かれた体躯でスーツを着用していた男性。

 

「今の状況は比較的穏やかだと伺いましたが……やはり学校の方でなにか動きがあったのですか?」

 

 昨年の今ごろやってきた誰かさんとは違って穏やかで理知的。

 ただ、日本における呪術・魔法の二大協会の長と臆す事無く話せるだけの経験を積んでいることが伺えた。

 話の内容は長の孫娘が留学している魔法学校について。といっても長の私的な話し合いというわけではない。

 青年 ――タカユキ・G・高畑―― の言ったように比較的平穏な状態になっているはずのイギリス魔法界に動きが見られそうなためだ。

 

「リオンの話では学校の方でも少し襲撃があったようじゃ。だがそれ以上に、周辺の状況がどうもキナ臭くてのぅ」

「周辺、というと?」

 

 一つにはイギリス魔法界内部の問題。闇の勢力の蠢きと活性化の兆しがみられることだ。

 孫娘も危機に曝されかけはしたが、そちらはリオンの方で対処できていた。

 問題はもう一つ。

 

「どうも“組織”の残党が向こうの魔法使いに接触している節があるんじゃよ」

「! リオンの方は?」

 

 タカユキたち、そして彼らの父たちが追い続けた“組織”の残敵の影が見られることだ。

 すでに主もなく、主が求めた理想は末端まで伝わらずに歪み、最早何を求めたのかも分からなくなっている組織。

 

「リオンは魔法世界の方に行っておるんじゃが、ちょっと帰りが遅れそうなんじゃよ」

「何かあったのですか!?」

 

 残党とはいえ、かつては魔法世界最強クラスの幹部が幾人も居り、そして魔法世界全土を影から操っていた強大な組織だったものだ。

 侮り難く、だからこそ狩り続けている連中だが、リオンならば対処は十分に可能なはずだ。

 魔法世界で単独行動しているところを襲撃されたとしても、幹部たち亡き今、最強クラスの一角であるリオンをどうこうできるとは思えない。

 

「ん、んむ……実はの」

 

 タカユキの質問に詠春は目を泳がし、歯切れ悪く口ごもり、

 

「どうもゲーデル博士とやりあったらしくて、ウェスペルタティア近郊の渓谷が氷土に覆われたという報告が……」

「…………」

 

 非常に言いづらそうに事の顛末。事態収拾に一役買った、というか事後処理をするはめになってご立腹の女王からの報告を口にした。

 旧知の人物、魔法世界に赴いた際に色々とつるむことの多い腐れ馴染みの名前が出てきたことでタカユキは呆れたように沈黙した。

 

「幸いというか、手を出してきたのはゲーデル博士の方らしく、博士個人が私兵を動かしただけだったというから、問題は大きくなっていないんじゃが。今リオンはアスナ女王にお説教されておってな」

「……アスナ女王はたしか、リオンの姉弟子でもありましたよね」

 

 旧知の人物。アルフレヒト・ゲーデルは立場的には魔法世界のメガロメセンビリアの元老院議員の息子にして自身極めて有能かつ有名な魔法博士だ。

 そんな人物に手を出してはただでさえ魔法世界で敬遠されているリオンの心証はさらに悪くなる。場合によってはリオンに比較的寛大なオスティア女王や詠春でも庇いきれなくなる。

 ただ今回の場合、どちらかというと攻めてきたのはアルフレヒトの方であり、それを理由にアスナ女王がメガロの要求を突っぱねたらしい。

 

 リオンの母の弟子にもあたるアスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア ――神楽坂明日菜―― は系譜的にリオンの姉弟子にあたる。また彼女はリオンの出生の秘密を知る一人と目されており、彼が魔法世界で名を知られ始めたときから、英雄ネギ・スプリングフィールドとともに彼を庇護していた人物だ。

 

「うむ。それを抜きにしてもアスナ女王にはリオンも頭が上がらんようだしのう」

 

 姉弟弟子という関係を抜きにしても、いろいろと援助を受けているだけにリオンが頭の上がらない数少ない人物にして、“戦闘力”の観点から見ても、――立場上、実際に戦闘できるかどうかはともかく―― リオンを抑え込めることのできる数少ない人物だ。

 

「ははは。それにしても……はぁ。アルフレヒトのやつ、まだリオンのこと暴くの諦めてなかったのか」

 

 母親譲りの好奇心と知的探求心を持つあの発明の天才は、昔からリオンの父と母のことを知るのに非常な熱意を持っていた。

 本人は、「英雄と真祖の名を同時に冠するリオンの存在は全世界の人間が興味を抱き、知りたがるものだから」と言っていたが、タカユキはどちらかというとアルフレヒト自身が“友達”のことを知りたがっているだけではないかと見ていた。 ――本人たちの口から出てくる言葉は絶対にそれを認めないし、彼ら自身そう考えていないだろうが。

 

「まあ、リオンの両親に関しては、エヴァもナギもネギ君までもが口を閉ざしておるからの。気になる気持ちが分からんでもない」

「それで。大丈夫なんですか?」

 

 ツンデレとヤンデレ。友人二人の歪極まりない友情はともかく、差し迫ってリオンの予定は切迫していたはずだ。

 地球の時間ではもうじき夏休みが終わるころ合いに差し掛かっており、始まるまでには学校勤務のリオンはイギリスに戻らなければならないし、それよりも早くに“彼にとって重要な”近衛咲耶がイギリスに準備のために赴かなければならなくなる時期だ。

 

「うむ。アスナ女王のおかげで学校が始まるまでにはなんとか戻れるだろうということじゃ。ただ、そのせいで咲耶の方がのぅ……」

 

 過保護かもしれないが、咲耶は日本古来の呪術協会の長の孫娘という立場的にも、そして本人の資質的にも極めてVIPな存在なのだ。色々ときな臭くなってきているイギリスに一人で送り出すなど、年齢的にも怖いし、万一なにかあったことを思うと護衛は必須だ。

 関西呪術協会に人が居ないわけではないが、基本的に万年人手不足で手練れは出払っている。

 そして、なによりもあのリオンが代理とは言え咲耶の護衛に勧めたのがタカユキなのだ。

 あのリオンの代わりを任されるということにタカユキは苦笑した。

 

 タカユキは自分が並みの魔法使いと比べて弱いとは思っていないが、それでもリオンと比べればその差は歴然だと思っている。

 幼いころは共に修行したこともある仲だ。

 自分よりも年下の彼は、しかし自分など相手にもならないようにあっという間に遥か高みへと昇って行った。

 

 その才能に嫉妬したこともある。

 それが悔しくなかったというわけではない。

 

 ただ……違うという事を認めた。それだけだ。

 

「いいですよ。ちょうど僕も英国の魔法省の方と話し合いがあったので」

「おお! すまんのぅ。よろしく頼む。こちらでも念のために護鬼をつけておくつもりじゃが、一般人の前では難しいからの」

 

 友達が守りたがっている者を任されたのだ。ちょうど仕事の都合でイギリス魔法界に赴くこともあって、否やは無かった。

 首肯したタカユキに詠春は嬉しそうな表情となった。

 だがタカユキは詠春が言った言葉の一つに驚いたように眼を瞠った。

 

「護鬼を? そんなに向こうの方は情勢が切迫しているのですか?」

 

 日本古来の魔法使い。陰陽師がその護衛として使役する式神。守護の鬼。

 それも呪符による式紙ではなさそうな言い方をしているところからすると本格的な“鬼”をつけそうだ。

 

「んーむ。それはなんとも。ただネギ君やアスナ姫、いやアスナ女王によって“彼”は討滅されたが、末端から中層の者だった連中が生きており、最近になってあちらの方で接触を試みているという報告もある」

 

 驚くタカユキに詠春はリオンも感じていた懸念を告げた。

 前年度のあの襲撃があの“組織”と関わりがあるとは思っていない。それでも動きがあるだけに用心しておくに越したことはない。

 

「例の発表も間近に迫っておるし、あまり混乱を起こしたくはないんじゃよ」

「分かりました。では護衛と交渉が終わり次第、そちらの方も少し調べてみます」

 

 まして今は時期が時期だ。

 例の発表を終えれば否応なく混乱は生じるだろうから、せめてそれを最小限にしようとは思う。

 

「よろしく頼む」

 

 しばらくは欧州での行動にかかりきりになってしまうことは申し訳ないとは思うが、リオンが魔法世界に行き、上の世代の者たちが計画にかかりきりになってしまっている以上、動ける若い戦力で単独行動が出来るほどなのはそうそう数がいないのだ。

 

「それで、具体的にどのあたりで動いているという情報があるんですか?」

「うむ。欧州の魔法使いの間では悪名高い監獄……――――――」

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 強い日差しが容赦なく降り注ぐ8月の中頃。

 イギリスはロンドン。ダイアゴン横丁は多くの魔法使いの子供で賑わいを見せていた。

 

 例年通り、夏休みが終わりに近づきそれぞれの子供が通う魔法学校、ホグワーツから次年度のカリキュラムに関わる諸々の教科書の通達があったことで、親子連れでその準備のために奔走しているのだ。

 

 魔法族の子供で今年からホグワーツに通うことになる子は笑顔で親の手に繋がれて。

 マグルの子供で魔法界について知らない子供は教師の引率のもとで恐々と。

 上級生となる子供たちは親を引き攣れるようにやや自信を持ったように。あるいは久方ぶりに会う友人と楽しげに。

 

「だからさぁ。やっぱもっかいだけ! もう一回だけ、箒用具店の方に行こ!」

「だーめ。もうそろそろ待ち合わせの時間なんだから、サクヤ来ちゃうでしょ」

 

 フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリームパーラーのテラス席で姦しくしゃべっている少女たち。

 

「ほら。ルークも箒見てみたいとか言ってたし! なっ?」

「ルークもクィディッチのチーム入りする気なの?」

「ん? あー、まあそうとも言うというか……サクヤもそんな時間ぴったしには来ないんじゃね? なぁ、セド」

「どうだろう。でもサクヤはそういうところしっかりとしてきそうだけど」

 

 そして話をふられてあいまいに答える男の子たち。

 彼ら、彼女たちはとある少女を待っていた。遠い異国から今日、ここで集合する予定だが、イギリスに来ているのはすでに連絡を受けていた。

 そろそろ約束の時間が近づいているが、まだ少女はやって来ていない。

 

 クィディッチ好きの少女、リーシャが新しい箒が出ていたとかでそちらに興味を惹かれているようだが、まとめ役のフィリスが口を尖らせて宥めすかしていた。

 そんな少女たちのやりとりを楽しげに見つめるルークとセドリック。

 そして会話に参加せずモクモクと小動物のようにアイスクリームをつっついているクラリス。

 流石に4年目ともなると彼女たちも新年度の開始イベントには慣れているのか保護者の姿は近くにはない。だが今年は昨年までと違って、異国の友人との待ち合わせがあるためそれぞれにテンションが上がっているのか落ち着きがなく、それが顕著なのがリーシャだ。

 そして一見して普段と様子が変わらないながらも、実は一番友人の来訪を心待ちにしているのが無口な少女であり

 

「!」

「どうしたクラリス?」

 

 いの一番にそれに気づいたのもクラリスだった。

 アイスクリームを完食し終えたクラリスは、兎が何かの接近に気がついたかのようにピクンと反応し、その反応にリーシャが声をかけた。

 

「来た」

「ん? おっ!」

 

 言葉短く、がたんと席を立ったクラリス。そちらを見たリーシャもそれに気づいて嬉しそうに席を立った。

 とっとっとっとと、小走りに駆けて行くクラリス。その行く先にはきょろきょろと人探しするようにあたりを見回す少女。

 足元には子犬。隣には見知らぬ男性が居るが、それらには構わず駆け寄るクラリス。少女はそれに気づいたのかぱあっと顔を明るくして、持っていた荷物を置いてクラリスに駆け寄った。

 

「サクヤ!」

「クラリス! おひさやクラリス!」

 

 抱きついてきたクラリスを「わーいわーい」と嬉しそうに頬ずりしている咲耶。

 おいてけぼりをくらった子犬が慌てたように咲耶の足元に駆け寄り、同行している男性は苦笑しながら放り出された荷物を確保した。

 

「よっ!」

「あっ、リーシャも!」

 

 ひとしきりクラリスの感触を堪能したころ、片手を上げて朗らかにリーシャが声をかけた。クラリスから腕を放し、嬉しそうに駆け寄ってくる咲耶。

 

 久々の友人との再会。

 熱烈な再会を期待したリーシャは腕を広げ、咲耶はその胸元にダイブして抱擁を交わし

 

「うーん。この感触。また育っとるなぁ~」

 

 むにむにむにむにと、大きな胸に頬を押し付けて至福の感触を味わっていた。

 

「…………お、ま、えはぁ~~!!!」

 

 感動の対面から一転、まったく変わっていない友人の様子にリーシャは怒りつつも笑みを浮かべて咲耶の頬をギリギリとつねりあげた。

 ぷにぷにのほっぺたが、むぎゅーっと引っ張られて伸びる。

 足元の子犬が主人への暴行にナイトよろしく「ぐるる」と小さく威圧の声を上げているが、小さすぎてまったく影響を及ぼしていない。

 

「ふぃふぁふぃふり。フィーふぉ!」

「はいはい。相変わらず元気そうでなによりよ、サクヤ」

 

 ほっぺたを引っ張られつつ、フィリスにも満面の笑みで再会の喜びを告げる咲耶。

 せっかくの可愛らしい顔をびみょーんと伸ばしながらも満面の笑みを浮かべている咲耶にフィリスは苦笑しながら挨拶を返した。

 ぱたぱたと手を振っている咲耶にリーシャもぱちんと手を離した。頬が赤くなった咲耶はそれでも「えへへ」とにこにこ顔で頬に手を当てた。 

 

「セドリック君とルーク君も!」

 

 いつもの三人に加えて、同じ寮の男子二人も来ており、咲耶の挨拶に「やぁ」と軽く挨拶を返した。

 

 久方ぶりに終結したハッフルパフの友人たち。

 ホグワーツ魔法学校第3学年における咲耶の最も親しい友人たちの変わらぬ笑顔に咲耶は満面の笑顔を浮かべた。

 

 しばらくわいわいと咲耶をもみくちゃにした後

 

「ねえサクヤ。あちらの人は?」

 

 咲耶の付添だろう、遠巻きに友人たちとのやりとりを微笑ましそうに眺めていた男性に視線を向けてフィリスが尋ねた。

 

「あっ! こちらタカユキさん。こっちに来るのに付き添ってくださった、リオンの友達です」

「どうも。タカユキ・G・タカハタだよ。咲耶ちゃんがいつもお世話になってるみたいだね」

 

 フィリスの質問に、今更ながらに放置していたことに気がついて咲耶が付き添いの男性、タカユキを紹介した。

 咲耶の父親かと思いきや、全く別の名前、学校の教師の名前が出てきてぎょっとした顔になるフィリスたち。

 

「スプリングフィールド先生の!? よ、よろしくお願いします」

 

 イギリス魔法界の魔法族ではあまり見られない、マグルのきっちりとした服装の青年の男性。年の頃はリオンよりもやや上といったところだろう。

 リオンの友人、という割には、と言えば失礼かもしれないが、あまり彼とは雰囲気の似ていない、穏やかで優しそうな男性だ。

 

「なんかスプリングフィールド先生とは感じが違うよな」

 

 セドリックたちに友好的な笑顔を向けて挨拶を交わしているタカユキを見てリーシャは咲耶に問いかけた。

 同じ日本の魔法協会から派遣されたものだからよく似ているものとは思わないが、近寄ると凍えるようにピリピリとした威圧感を感じるリオンとは異なり、タカユキからはそれほど威圧的なものを感じなかった。

 身なりも魔法族らしくなく、フィリスなどから見るとどこかの学校の教職員といった風にも見える青年だ。

 咲耶はうーんと口元に指をあてて小首を傾げた。

 

「そやなぁ。そう言えば、二人は所属しとるとこも違うし、実はあんま一緒に居るとこみたことないんやけど……」

「所属?」

「うん。リオンはフリーの魔法使いで、タカユキさんは日本の関東魔法協会の魔法使いなんやって」

 

 思い返してみれば、リオンとタカユキ。どちらも祖父や母の知り合いの縁者ということから咲耶とも知り合うようになったが、二人が仲良く友達をやっている姿は実は記憶には無い。

 ただタカユキはリオンのことを“友達”と呼び、リオンもさして否定せずに名前で呼んでいたからそう思ったのだ。

 

「正確には、僕は魔法使いじゃないんだけどね」

 

 咲耶の説明が耳に届いたのかタカユキは苦笑いを浮かべて口を挟んだ。

 タカユキの言葉にフィリスたちは驚きの顔となった。付き添いとはいえ、彼はおそらくニホンの魔法協会の長が孫娘につけた護衛だ。

 

「えっ!? じゃあ、もしかしてマグルなんですか?」

 

 護衛役の人物が魔法使いではないというのは意外を通り越して奇妙さすら感じる。

 驚いた様子でルークが尋ねた。

 

「うーん。ちょっと違うけど、魔法使いというよりも魔法戦士、といったところかな」

 

 まじまじと見てくる子供たちの視線に、タカユキは困ったように頬を掻いた。

 イギリス魔法界は関東魔法協会の総本山である麻帆良とは異なり一般人と魔法使いの区分けが厳しい。

 非魔法族生まれの魔法使いがいないではないが、麻帆良のように互助的に働きあったりはしない、ということはタカユキも事前に情報として入れていた。

 

 立派な魔法使い(マギステルマギ)

 その在り方は、世のため人のために陰ながらその力を振るう者に与えられるというものだ。すでに認定資格による名誉称号のようなものになってしまってはいるが、基本的にその在り様は変わっていない。

 魔法族、非魔法族問わず、人のために魔法の力を振るう者に与えられる名誉だ。

 

 タカユキは体質的に呪文詠唱が唱えられなかった父と比べれば魔法を使うことができるが、一般的な魔法はそれほど上手くない。ほぼ戦闘タイプに特化した戦士といえるものだ。

 無論、それだけがタカユキの在り方でないのは、今回イギリス魔法省と交渉役を任されていることからも分かるのだが、魔法使いとしての領分では一般的なものからはやはりズレる。

 

「まっ。戦闘にしてもリオンには敵わないんだけどね」

 

 そしてその戦闘にしても、最強クラスの一角に数えられるリオン・スプリングフィールドなどと比べると数段は見劣りしてしまうものだ。

 あははと笑って告げるタカユキにフィリスたちは「はぁ」とよくわからない返事を返した。

 

「ふーん。ところでさサクヤ。さっきから足元でうろついてるこの子犬。サクヤのペットか?」

 

 そしてリーシャは先程から気になってはいたのだろう。咲耶の足元でうろちょろしている白毛の子犬らしき動物を指さして尋ねた。

 

「この子? この子はおじいちゃんが誕生日祝いにって、うちにつけてくれた式神。新しい友達の……シロ君、自己紹介しよか」

 

 尋ねられて咲耶は白い子犬を抱きかかえて胸元まで持ち上げた。

 うろちょろとしていた割に咲耶が手を伸ばすと大人しく抱き上げられ……胸元まで持ち上げられるとぴょんと飛び降りた。

 木の葉が舞うようにくるりと空中で回った子犬は、次の瞬間「ポン」と音を立てて煙に包まれた。

 

 いきなり子犬が消えたかと思うと、そこに居たのは先程の子犬と同じ白い髪の毛をした9歳くらいの咲耶よりも小柄の少年。

 子犬が少年へと姿を変える。

 アニメーガスという前例があるのだからそこまで驚くことではないだろうが、そこに居たのはアニメーガスのとけた魔法使いではなかった。

 

 日本の民族衣装だろうか、どことなく去年の年始に咲耶が着ていたものの面影がある和服を着ている。あれよりも非常に淡泊な色合いで、仕立てを簡素化した男物の衣裳を着た少年。

 特徴的なのはその頭部に生えるイヌ科のものらしき白くてもふもふな犬耳と後ろで揺れているふさっふさの白い尻尾だろう。

 

「…………」

 

 緊張した面持ちで上目づかいに咲耶を見上げた少年は、そこに促すような瞳を見つけて思い切ったように口を開いた

 

「わ、我こそは祖神猿田彦命の御末裔! 四十八天狗が一、富士山陀羅尼坊太郎が眷族! 山宮配子。藤原朝臣近衛咲耶様が式神、白狼天狗!! 今世において顕現を果たし、旧主の勅命に依りて今ひとたび浅間の姫君の――」

 

「式神のシロ君や」

 

 のだが、少年は非常に長ったらしく、小難しい言い回しの自己紹介をしようとして途中で咲耶に遮られた。

 

「はぅぁっ! また(・・)遮られた!」

 

 ガンッと衝撃を受けたように振り返った少年 ――咲耶曰くシロ君はどうやら前にも自己紹介を遮られたことがあるのか、瞳を潤ませて涙目で咲耶を見ている。

 

「スマンスマン。でもシロ君のじこしょーかいは長いから、ほらリーシャたちが呆気にとられとるやろ」

 

 うるうると見上げてくるシロに咲耶はぽむぽむと頭に手を置いて苦笑した。

 咲耶の耳には、シロの言葉が堅苦しい言い回しの“日本語”に聞こえたが、どうやら周りには一応彼女たちに“聞き取れる”言語には変換される魔法がかけられているらしい。とはいえそれは聞き取れるというものであり、堅苦しく要点を得ない仰々しい名乗りはリーシャたちをぽかんとさせた。

 そしてなによりも、その容姿。

 フィリスやセドリックたちは唖然としてそのピンと張りつめた犬耳やピコピコと揺れている尻尾を注視していた。

 

「尻尾……」

「えーっと、サクヤ。人、狼……じゃない、よね?」

 

 ぽかんと口をついてでたクラリスの言葉と恐る恐るといった風のフィリスの質問。

 イギリス魔法族の間で恐れられている狼人間。それは満月とともに狼の姿に変化する“ヒトとたる存在”と位置付けられており、噛んだ相手を同胞 ――つまりは狼人間に替えてしまう呪いを持った種族であり、元々種族として亜人に分類される狗族とは異なる魔法生物(・・・・)だ。

 

 そして今、フィリスたちの目の前にいる少年。

 満月による変身ではなくどうやら自分の意志で変身できるように見えるし、狼人間としての獣形態ではなく、半獣の形態ではあるが、それでもイヌ科のような特徴的な耳と尻尾は紛れもなく本物。

 

 狼人間の呪いを知っているからこそ、その恐ろしさに反射的にたじろいでしまったが、どうやらフィリスの質問はシロにとって矜持に引っかかるものがあったのか、カチンときたように膨れた顔になった。

 

「むっ。じ、人狼とは失敬な! 我こそは由緒正しき天狗(あまつきつね)に連なる者ぞ! それに貴様ら! 先程から聞いておれば姫様に対し、なんと不遜な!!」

「はいはい、シロ君お座り」

「はぅあっ!」

 

 フィリスの質問にぷんすかと怒って腰に帯びた剣を鞘から引き抜こうとしたシロ。だが、どうやら怒っているのはそれだけではなく先程からの友人たちの態度が気に入らなかったのか、余計なコメントを付け加えてしまい、咲耶からゴチンとトンカチツッコミを受けて轟沈した。

 

「ごめんな~。ちょっと気難しとこがあって。一度覚えたら基本的にはええ子やから」

「ぅうぅぅ~~、ひめさまぁ~~」

 

 暴走しそうだった式神を強引に大人しくさせた咲耶。トンカチツッコミを受けたシロはきゅ~と子犬のように鳴きながら涙目で主を見やった。

 どうにも気難しそうではあるが、基本的に主には忠実らしい。

 ただ予想外に咲耶のツッコミが実は厳しいことを目撃したフィリスたちは半笑いとなっていた。

 

 一方でシロをマジマジト見ていたクラリスは、自分の記憶にある天狗の知識との相違に首を傾げていた。

 

天狗(テング)? …………教科書に載ってた絵と違う」

 

 天狗と言えば、ニホンで見られる赤ら顔で高く突き出た鼻を持ち、ニホン独特な衣装を纏って黒い羽を羽ばたかせる魔法生物。

 たしかに目の前のシロにはニホンのものらしい衣装に身を包んでいるが、翼はなく、代わりに教科書の挿絵にはなかった犬のような耳と尻尾があるではないか。

 

「多分それは烏天狗だね。シロ君は白狼天狗。年経た狼が天狗化した妖狼、仙狼の類だよ」

 

 クラリスの疑問にタカユキが短く注釈を入れた。

 

 流石に西洋の魔法生物の教科書には記載されていなかったことなのだろうが、実は天狗には種類がある。

 

 山の神ともみなされるほどに強大な力を有した大天狗。一般的な烏天狗。ほかにも川天狗や尼天狗。

 その中でも最も位が低いとされるのが年経て神通力を得た白狼天狗とされている。

 ただ、位が低いとはいえ、神仙妖魔の一角に名を連ねる天狗の一種。神にも通じるとされる天狗―――なのだが……

 しょぼんと犬耳を萎れさせ、涙目となっている少年。その姿はどう見ても年経た存在には見えない。

 

「年経たって。こいつ一体何歳なんだ?」

 

 年齢不詳な自称天狗にリーシャが訝しげな視線を向けて年齢を尋ねた。フィリスたちも興味が惹かれたのか、咲耶にナデナデと頭を撫でられているシロを見下ろした。

 視線を向けられたシロは、伺うように主を見上げるが、そこにもきょとんと首を傾げている姿を認めて、言葉を詰まらせた。

 

「そ、某は……はて?」

 

 始めは戸惑ったように、そして段々と唸るように首を傾げ始めたシロ。

 うーん、うーんと唸る声が漏れ、必死に思い出そうとしているように見えるが、一向に年齢が出てきそうな様子はない。

 

「ずーーっと眠っていたような気がするのですが……たしか、以前は…………」

「咲耶ちゃん。今日は新学期の準備なんだろう。シロ君も昔のことは思い出せないみたいだし。早くしないと遅くなってしまうよ」

 

 なんとか口を開いたシロだが、再び言葉が尻すぼみになっていく様子に、タカユキがやり取りを一旦遮るように口を挟んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

優等生ディズ・クロス

 フローリシュ・アンド・ブロッツ書店。その店内に雑多に積まれる数多の本。その多くは、一般の市場に流通する物ではない。

 

 “毒キノコ物語”。“マグルは見た”。“吸血鬼たちとの日々”。“君はトロールをガードマンとして訓練する能力を持っているか?” などなど

 

「へー、魔法世界とは違う、変わった本が並んでるな……ん? 動くのを嫌がる写真……?」

 

 護衛対象である近衛咲耶が友人と楽しく本を見て回っている間に、タカユキは書店の棚に平積みされた書籍やバーンと貼られたチラシに目を向けていた。

 

 店内では最近有名人でも来店したのか自慢するように何かのチラシが威容を放っていた。ただ、それがよく見る一般的なチラシと違うところは、その中の人物が動いていることだろう。

 得意満面の営業スマイルをキラリと浮かべる男性。チラシの枠に隠れるようにして顔を見せることを嫌がる少年。男性は少年を無理やり引きずり出そうと奮闘しており、嫌がる少年はなんとか抵抗して縁に顔を隠すという行動をとっている動くチラシ。

 写真の中の映ることを嫌がっている少年は、そんなに嫌ならなぜこんな広告に載ったのだろうと思わなくもない。

 

「ギルデロイ・ロックハート氏。ホグワーツ魔法魔術学校。闇の魔術に対する防衛術の教授に就任。同氏推薦の教科書を買い求めに来た数多の生徒の中には、かの有名なハリー・ポッターの姿もあり、か……」

 

 紙面には英雄と稀代の有名人の奇跡の会合という文字がまさに踊っており、その中に友人と咲耶が通う学校の名前が含まれていることを見て、タカユキは苦笑した。

 

 

 

 第20話 優等生ディズ・クロス

 

 

「あの人どう思う、セド?」

「どうってなにがだい?」

 

 店内では友人たちとの行動を優先させるつもりなのか、付き添いだというあの男性は咲耶とは別行動をとっており、店の窓際に貼られている広告を眺めている。

 そんな様子を横目で見ながらのルークの質問にセドリックは本棚に手を伸ばして必要な書籍を手に取って確認しながら尋ね返した。

 

「んー。気になんねえの?」

「サクヤはあれでも魔法協会のトップの孫娘らしいから、付き添いくらい不思議じゃないんじゃないかい?」

「いやまあ、そうっちゃそうなんだけど。こうさー……」

 

 奥歯に物の詰まったようなルークの言葉にセドリックは怪訝な視線を向けた。

 たしかに、タカユキというあの男性のことが少し気にならないではない。

 魔法世界への付き添い、というのならそれこそ咲耶の両親であったり、スプリングフィールド先生であっても良さそうなものなのに、自称“魔法使いではない”人を付き添いに選んだというのは少々おかしな感じはする。

 ただ、ルークが言いたいのは、おそらくそういうことではなく……

 

「あれ? おい、セド」

 

 ルークはまた何かに気付いたのか、ちょいちょいとセドリックの腕をつついて呼びかけてきた。

 質問されたことによって、抑えていたもやもやとしたものがわき始めていたところにまたも話しかけられたことで、セドリックはため息をついた。

 女性の買い物が長いというのは相場の決まったことだが、だからといって、自分たちの買い物をだらだらとしていていいというのではない。むしろ、彼女たちよりも長くかかってしまう方がエチケットに反するというものだろう。

 先ほどから色々なことに気をとられて教科書探しを怠けている友人を叱ろうとして

 

「ルーク。そろそろちゃんと」

「あれあれ。クロスが来てるぜ」

 

 そのルークの口から出てきた人物名に反射的に振り向いた。

 

「あ」

「やあ、奇遇……でもないか。セドリック・ディゴリー。新学期の買い物かい?」

 

 思わず、といった感じで漏れた声に気づいたのか、ルークが指さした人物、ホグワーツ同学年のスリザリン生であるディズ・クロスが振り向いて声をかけてきた。

 

「うん。そういうクロスは……買い物にしては手ぶらだね?」

 

 新学期に向けての準備の買い物、というのであれば、ディズも教科書をもっているはずだが、セドリックが見たところディズはほぼ手ぶらだ。

 

「まあね。僕はホグワーツの図書館に入れてもらいたい本の品定めに来たのさ」

「うぇっ! 図書館に入れる本とか。やっぱ学年主席はやることが俺の想像の埒外だな」

 

 ディズの言葉にルークが嫌そうに顔を顰めた。

 4年目ともなれば、すでに学年トップをひた走る優等生のことなど大抵の同級生は知っている。どうやら向こうも、自分の順位の一つ下に居る生徒のことはちゃんと覚えているらしい。

 

 教科書を購入するのではなく、学校で借りることを前提としたディズの言葉は、彼の家系事情の苦しさを表すと共に、すでに彼の知識の源が教科書レベルではないことを暗に示していた。

 

「できれば精霊魔法か、魔法世界の本があればよかったんだけどね。流石にここにはないようだ」

「ああ、それなら。今日サクヤが来てるよ。ほら」

 

 どうやら期待していた書籍は、魔法の本の中でも昨年まであまりかかわりのなかった魔法世界や精霊魔法に関するものなようで、ディズは残念そうに肩を竦めた。

 そんなディズにセドリックは一緒に来ている留学生の友人を紹介するつもりで、近くに見えた咲耶を指さした。

 

 

 

 ・・・・

 

 

「オモテのチラシ見た!? 今年の闇の魔術に対する防衛術の教授!!」

「んあ? なんかお知らせあったっけ?」

 

 男性陣と分かれて必要な教科書を探しているフィリスたち女子陣。

 興奮したように喋るフィリスにリーシャがあんまり興味なさそうに尋ね返した。

 彼女にしてみれば、先の3年が3年だけに防衛術の教師などもはや誰だろうとどうでもいい情報でしかない。

 だがその言葉にフィリスは信じられないとばかりに目を見開いた。

 その様子に咲耶はもの問いたげにきょとんと首を傾げて隣を歩くクラリスを見た。

 

「入口のところにチラシが貼ってあった。来季の防衛術の教授はギルデロイ・ロックハート」

 

 咲耶の視線を受けてクラリスは特にテンション変わらず淡々と答えた。

 

「ギルデロイ・ロックハートさん?」

「ロックハート……おお! あの小説家の?」

「ちっがーう!!」

 

 誰だかよく分かってない咲耶とどっかで聞いた覚えのある程度のリーシャ。二人の反応(特に後者のコメント)にフィリスはばんっと手に持っていた教科書のリストをつきつけた。

 

「次の防衛術の指定教科書!! ロックハート先生の冒険を記した著書ばかりなのよ!!」

「だから小説家……」

「あんたは、ちょっとはクィディッチ以外の情報も詰め込みなさい!!」

 

 近年において稀に見る有名人がホグワーツの教授に就任し、数多の魔女の憧れの的である彼が教壇に立つというのに全く関心を示さない“クィディッチバカ”にフィリスは怒髪天をついたように捲し立てた。

 咲耶の魔法の教科書知識には覚えがないが、どうにもロックハートという人物は有名人なようだ。そんな有名人が学校の教師になるということですっかり興奮しているフィリスの説明ではよく分からない。

 咲耶は轟々と言い募っているハイテンションなフィリスからクラリスへともう一度視線を向けた。

 クラリスは、彼女も少し興奮しているのか、いつもの感情の乏しそうな表情の中でやや瞳を輝かせていた。

 

「闇の魔術に対する防衛術、特に闇の生物に対するスペシャリスト。教科書はその自伝書を指定してる」

「ほぁ~。なになに……」

 

 クラリスの言葉に、咲耶は手に持っていた教科書リストをもう一度見直した。

 

 

 ――“ヴィーラと優雅な週末”

 “レプラコーンとじゃらじゃら土迷宮” 

 “鬼婆とのオツな休暇”

 “トロールとのとろい旅”……――

 

「――“狼男との大いなる山歩き”。“バンパイアとバッチリ船旅”……?」

 

 来る前にも一応目を通していたが、たしかに同じ名前の著者の教科書がよく使われてるなー、くらいの感想しか思っていなかったが、リーシャが言うように確かに教科書というよりも“小説”のようなタイトルが並んでいた。

 特に最後の二つのタイトルは、咲耶にとって馴染のある人物のからんだタイトルでありきょとんと首を傾げた。

 その様子をロックハートの偉業に驚いていると解釈したのかクラリスは近くの棚にあった一冊を手に取って言った。

 

「多くの闇の生物を退けた功績でマーリン勲章を授与されたりしてる人」

「ちょっとクラリス!! それだけですませないで!!」

 

 勲章を授与されるということだけでも大したものだと思うが、どうやら彼のファンらしいフィリスにとってはそんなあっさりとした説明では十分とは言い難かったらしい。リーシャの胸元に詰め寄った状態からガバッと顔を振り向かせた。

 

「最近の週刊魔女じゃ、5回も連続でチャーミングスマイル賞を授与したのよ! ロックハート様は!! ファンクラブだってあるのよ! ほら見て見なさい!」

「…………」「へー」

 

 ギルデロイ・ロックハート公式ファンクラブ会員ナンバー108番。

 刻印された文字が躍るケバケバしいほどに煌びやかなクラブのメンバーカードを鼻息荒く見せつけるフィリス。いつの間にか先生から様づけに呼び方が変わっているがそこにツッコむ勇気はない。

 

「でもなぁ。この人、クィディッチの本は出してないし……うぉっと」

 

 ぼそりと、反論するように呟いたリーシャの言葉にフィリスは射殺さんばかりの眼差しを向けて封殺した。

 

 普段控えめでストッパー役になることが多いフィリスだが、以前のハリーのことしかり、意外と暴走することがある。そのことに咲耶はほのかに笑いながらフィリスの熱弁を聞いていた。

 ミーハー熱をぶちまけるフィリスと珍しく押されているリーシャ。それを見守る咲耶。そして

 

「あれクラリス?」

 

 いつの間にか隣に居た筈のクラリスが傍を離れており、本棚から何冊かの本を取り出して持ってきた。

 

「リストの分は揃った」

「あっ、ごめんなークラリス。おおきに……。フィー、リーシャ」

 

 埒が明かないと見たのか、立ち回り上手くクラリスは教科書を全員分揃えて戻ってきた。

 小さな体でたくさんの本を持って来てくれたクラリスのお礼を言って受け取り、二人にも声をかけた。

 声をかけられてやることをやっていないことを思い出したのかフィリスが「あ」の口をして気まずそうになった。

 

「ごめん、クラリス。ありがと」

「っと、これで全部か。わりー、クラリス」

 

 一人で仕事をさせてしまったことに慌ててフィリスはクラリスに謝り、リーシャは持って来てくれた本のタイトルをリストと照合して言った。

 

「いい。それよりあっちで二人を見かけた」

「そう。それじゃあ、そろそろ合流しましょうか」

 

 冷静さを取り戻したのか、クラリスの言葉にフィリスはこほんと一つ咳払いしてから提案した。

 

 クラリスの持って来てくれた本をそれぞれの(持ちかご)に入れて、別行動をとっていた男子二人と合流すべく歩みを再開させた4人。

 ほどなくして、クラリスの言っていた方向でセドリックとルークの二人を見つけた。

 

「セドリック君、ルーク君。きょーかしょ見つか、った……?」

 

 そしてそこには一緒に買い物をしていた二人以外にももう一人、咲耶にとっては覚えのない男子が追加されていた。

 

 

 

 ・・・・

 

 

 別のところで教科書を探していた咲耶、そしてその後ろに続くリーシャやクラリス、フィリス。

 咲耶はセドリックたちに話しかけるつもりで近づいて来て、あまり覚えのない男子が一緒にいることにきょとんとした顔になった。

 それに対してディズは興味深そうに咲耶に視線を向けた。

 

「へぇ、君がサクヤ・コノエか……」

 

 すぅっと目を細めて咲耶を見つめるディズ。

 咲耶の足元で子犬の状態のシロがピンと尻尾を立たせて見知らぬ男子を睨み付けている。

 

「あれ? クロスじゃん。なんでセドリックと一緒?」

 

 放っておけばそのまま吠えかねない様子のシロだが、その前に咲耶の後ろからディズの姿を認めたリーシャが問いかけるように声をかけた。

 

「えーと、初めまして、やよな?」

「そうだね。一応初めまして、かな。ディズ・クロス。スリザリンだ」

「去年の、っていうか3年連続で学年主席の男子よ」

 

 同学年の生徒全員を覚えているわけではない咲耶が首を傾げている様子に、ディズは自己紹介し、補足するようにフィリスが咲耶に耳打ちした。

 

 夏休み前。発表された成績によるとハッフルパフでトップだったセドリックを抑えて堂々のトップ成績を収めたスリザリンのディズ。それが今目の前に居る男子だということで咲耶は「おぉ」と感心したように声を上げた。

 落ちこぼれと揶揄されることの多いハッフルパフだが、セドリックが学年でも優秀な魔法使いであることは知っている。そんな彼よりもさらに優秀なのが彼なのだ。 

 

「ハッフルパフのサクヤ・コノエです。よろしゅうおねがいします」

 

 3年連続、ということにやや驚きながらも咲耶はぴょこんと頭を下げて自己紹介した。

 

「そちらは?」

 

 咲耶の名前を聞いたディズは次いで、彼女たちの後ろに視線を向けて問いかけた。

 咲耶の後ろにはリーシャとフィリスとクラリス。彼女の友人たちがいるはずなのだが

 

「わっ! びっくりした」

「そろそろ荷物が嵩張るころかと思ってね。その子もホグワーツの子かい?」

 

 タカユキが考えの見えない笑顔を浮かべて立っていた。いつの間にか音もなく立っているタカユキは、ディズに視線を向けて尋ねた。

 視線を向けられたディズがハッとしたように眼を瞠り、そして睨み付けるように視線を細めた。

 

 そんな二人の表情とは裏腹の視線に気づくことなく、咲耶は掌を上に向けてタカユキを紹介するように言った。

 

「こちら、今回うちの保護者をしてくださってる、リオン先生の友達の」

「タカハタ・G・タカユキだよ。よろしく」

 

 咲耶の紹介に合わせてタカユキはにこりと微笑を浮かべた。リオンの友人、という言葉にディズの瞳に一瞬だけ光が宿り、その光は気の所為かと見紛う間もなく消え去った。

 穏やかそう(・・)な眼差しのディズとタカユキの視線が交わる。

 

「……魔法世界の魔法使い、という方ですか?」

「いや。僕は旧世界、こちらの世界の生まれだよ。それに魔法使い、と呼べるほどのものでもないしね」

「そう、ですか」

 

 ディズが向けてくる視線、その中に見定める様な色が混ざっていることを見つけながらも言葉を返した。

 タカユキの言葉にディズは残念そうにすっと瞳を伏せ、そして先程の優等生らしい顔を咲耶に向けた。

 

「去年はあまり話せなかったけど、コノエさんには是非いろいろ話を聞いてみたいと思っていたんだ。魔法世界のこととか、ね」

「ええよ~。あ。でもうち、今からお買いものやから……」

 

 にこやかな笑みを向けて咲耶と友誼を結びたいと申し出るディズに咲耶は嬉しそうに答えた。

 今は他の友人たちと一緒に買い物中だからあまり時間は割けないが、魔法世界のことに興味を持ってくれる友達が一人でも増えるのは咲耶にとって好ましかった。

 ディズも流石に今、時間をかけさせる気はないのか、咲耶の困ったような返答にも特に動じた様子はない。

 

「ああ。もちろん。だからよければ学校が始まってからお話できないかな。

 魔法世界とはどんなところなのか。どんな魔法使いがいるのか。どんな国があり、どんな風にそこを統治しているのか」

 

 だんだんと、熱を帯びていくようにも聞こえるディズの言葉にかぶせるようにタカユキが割り込んだ。

 

「咲耶ちゃんはそれほど魔法世界に詳しくはないよ。そういう話ならむしろリオン。スプリングフィールド先生に尋ねた方が有益だと思うよ」

「……そう、ですね。スプリングフィールド先生にも是非、色々伺いたいと思っていましたから」

 

 学校の生徒のことは“先生”に任せることにしよう。タカユキは思い切って友人に色々と厄介事を押し付けるように告げた。

 それは彼にとってはむしろ好都合だったのか、ディズは不敵に微笑んだ。

 

「っと、あまり邪魔をしても悪いので、今日はこれで。新学期を楽しみにしているよ、サクヤ」

「うん。よろしゅうな~」

 

 スプリングフィールド先生(異世界の魔法先生)に話を伺う口実をつくれたことに満足したのか、話のタイミング的にもキリが良かったからか、ディズは最後に咲耶に別れの挨拶を告げた。

 咲耶はピコピコと手を振ってディズを見送り、足元のシロは、まだ警戒状態のままではあるものの、どこかほっとしたように尻尾を下ろした。

 

 

 ディズが去り、それぞれ新学期に向けた本を買い揃えた咲耶たちも書店を後にした。

 

「クロスかー。頭いいよな~、あいつ」

「そうよね。それにスゴイ紳士的。スリザリンなのにマグル生まれの子に対してもあんまり嫌な態度とらないし、他の寮の人からも人気よ」

 

 女子陣の話題は先程別れたスリザリンのハンサム優等生。ディズ・クロスについてだった。

 ややクセのある巻き毛の金髪。整った容姿は“一学年上のリオール”とも張り合うほどの美形。

 学業成績はクィディッチチームにこそ入っていないが、どの分野の科目でも優秀で、学年2位のセドリックを寄せ付けない飛び抜けた成績を誇り、すでに50年に一人の天才とも一部教師の間で評価されている。

 加えて他寮と敵対することの多いスリザリン生にしては珍しく紳士的な振る舞いで他寮の、特に女子から人気のある生徒だ。

 

 だが

 

「でもスリザリンの中では微妙な立場」

「? どしてなん?」

 

 好評価のリーシャとフィリスからは変わって、やや深刻そうなクラリスの言葉に咲耶は首を傾げた。

 いつもよりもなお、感情を隠しているように見えるクラリスに、咲耶は反対方向に首を傾けた。

 むっつりと口を閉ざしたクラリス。咲耶はうかがうようにリーシャとフィリスの方に視線を向けた。するとフィリスとリーシャも少し言いにくそうに眉を寄せて、結局リーシャがガシガシと後頭部を掻きながら言いにくそうに口を開いた。

 

「あー……あんま話題にしていいことじゃないんだけど……あいつマグルの孤児院育ちらしくてさ。スリザリンに入れたからどっかの純血の子供だろうって言われてるけど、よく分かんなくて。それであのスリザリンだから、ちょっと立場微妙らしくてさ」

 

 陰口、というわけではないが、込み入った他人の家の事情だけに言い辛かったのだろう。

 特にスリザリンに代表されるように、イギリス魔法界は魔法族と非魔法族の差別意識が強い。

 ハッフルパフの生徒では比較的影響が少ないが、それはマグル生まれの魔法使い(・・・・)には寛容なグリフィンドールであっても根強く、ましてスリザリンではマグルの孤児院出身の彼の立場は非常に肩身の狭いものだろう。

 

「特に去年はスリザリンに純血主義の名家の子が入ったしね」

「?」

「こっちの魔法使いの中にはマグルとの混血を嫌う純血主義の思想がある。特に純血の名家ほどその傾向が強い」

 

 リーシャの説明を補足するフィリスの説明に、咲耶は首を傾げて疑問符を浮かべた。純血主義という言葉についてクラリスは無表情な顔を凍てつかせたようにして淡々と話した。

 

 一方リーシャはフィリスの言った名家の子のことを思い出そうとしているのか、眉根を寄せて額を小突いていた。

 

「なんだっけ。えーと……マル、マル……」

「マルフォイよ。ハロウィンの時、あんたが助け起こした子」

 

 思い出そうとして思い出せなかったリーシャの代わりにフィリスがその子の名前を口にした。

 

「おおっ! あれ? あいつだったんだ!」

「へ~。マルホイ君か~」

 

 昨年のハロウィン。トロール襲撃事件のあったあの日、避難の途中でリーシャが助けたスリザリンの生徒。

 すでに忘却の彼方にすっ飛んでいたあの少年がその純血の名家だと分かってとりあえずリーシャはぽんと手を打った。ついでに感心したように言う咲耶。

 

「ちなみにリーシャも一応純血」

「へー」

 

 クラリスはおまけのように、彼女たちの友人も一応出自は立派だということを告げた。

 

「あ~。ま、一応、遡れば5代くらいはそうなんだけど。ウチの場合はそんなに気にしてなくて、単に学生の時に恋愛してってパターンが多いだけだよ」

 

 肩を竦めて言い淀むリーシャの様子からは、純血ということにさして重きを置いているわけではなさそうなことが見て取れた。

 血筋などにとらわれない自由な翼。

 それはリーシャにとてもよくあっているように思えた。

 

 微笑んでリーシャを見た咲耶は次いで、こそこそとフィリスとクラリスと顔を寄せ合ってこれ見よがしにコソコソ話をしだした。

 

「なるほど。つまりリーシャもそのうち学生結婚てパタンやね」

「同じ寮だと誰かしらねー。リーシャ、スタイルいいし、もう少しおしゃれさせれば可愛いし」

「黙らせておけばバカなのもバレない。とりあえずあの胸を武器にすればいい」

 

 咲耶はワクワクと、

 フィリスは少し離れたところを歩く少年にちらちらとわざとらしい視線を向けて、

 クラリスは相変わらず辛辣に、ただ普段と変わらないように。

 

「おいっ!! 聞こえてるから!!」

 

 青筋を浮かべたリーシャが咲耶たちを追いかけまわし。咲耶やフィリスたちはキャーと騒ぎながら逃げ回った。

 

 

「相っ変わらず仲良いよな、あいつら」

「そうだね」

 

 きゃいきゃいと鬼ごっこしている4人を感心したようにルークは眺め。4人の会話の聞こえなかったもののその仲が良さそうなのはセドリックも見ていて微笑ましかった。

 それは幼いころからの咲耶を見てきたタカユキも同じらしく、見守るように微笑ましそうな眼差しを咲耶に向けていた。

 

「良い寮に選ばれたみたいだね、咲耶ちゃんは」

 

 思わず、といった風に漏れ出たタカユキの言葉にセドリックはピクンと反応した。

 聞き取られるつもりはなかったのだろう、タカユキは苦笑をセドリックに向けてから照れくさそうに視線を外して咲耶に向けた。

 

「さて。咲耶ちゃん!」

 

 少し大きめの声で呼びかけられた咲耶は、ちょうど逃げ回っていたところをリーシャに捕えられており、リーシャも一緒になって「ん?」というように振り向いた。

 ちょいちょいと手招きしているタカユキを見て、リーシャは咲耶を放した。

 

「僕はそろそろ魔法省の方に行かなきゃならないから、後はシロ君に任せさせてもらうよ」

「うん。おおきにありがとうございました、高畑さん。お仕事頑張ってな」

 

 とことこと近くまでやってきた咲耶にそろそろ辞去することを申し出ると咲耶はそっかという顔をしてからぺこりと頭を下げた。

 中途半端な時に護衛役を辞するのが気にならないと言えば嘘になるが、タカユキとしても魔法協会の任務である魔法省との会談も疎かにはできない。

 買い物はおおよそ終わっているし、後は友人宅に泊まりに行くだけのようなものだ。そして、護衛役には長自らが選任した白狼天狗がいる。

 

「咲耶ちゃんだったら大丈夫だと思うけど、シロ君から離れて無茶はしないようにね」

「はーい」

 

 ないとは思うが、一応注意を述べておくと咲耶は素直に返事を返し、シロはトットッと重さを感じさせない足取りで咲耶の体を昇って肩の上にとまった。

 

「それじゃあ、グレイスちゃん。親御さんに挨拶できなくて申し訳ないけど。みんなも、咲耶ちゃんのことよろしくね」

「あ、はい」

 

 咲耶と別れを済まし、彼女の友人たちにももう一度挨拶を済ませたタカユキ。

 どうやら咲耶たちはイギリス魔法族の伝統的な交通手段を使って家へと戻るとのことだ。

 

 別れ際、大きく手を振る咲耶に最後にもう一度小さく手を振ったタカユキはくるりと背を向けて表情を引き締めた。

 

 これからの交渉の相手は、先程までの純粋な子供魔法使いではなく、イギリスという伝統ある魔法の国で伏魔渦巻く権力の中枢に居る老獪たちだ。

 そちらの交渉に関して、今のところ特に目立った問題があるとは聞いていないが、これから話に行く内容が内容だ。かなり荒れることが予想されるし、その後には荒事の予感漂う事案も残されているのだ。

 

「さてと。まずはイギリスの魔法省か。それと……

 

 ……欧州魔法族の監獄“ヌルメンガード”か」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

さて柱の影にはなにが居たのでしょうか?

 9月1日

 

 夏休みが終わりを迎え、新しい学年が始まるこの日。

 多くの魔法使いとその卵たちでここ、キングスクロス駅は賑わいを見せており、夏休みの最後を同寮の友人、リーシャの家で過ごした咲耶もたくさんの荷物と新しい相棒・シロ君、そしてリーシャとその両親とともにやってきていた。

 

 昨年も通った9と3/4番線へと通じる不可視のゲート。前回と同じようにカートを押しながらそこを通ろうとした咲耶は

 

「どしたんシロくん?」

 

 足元を歩いていたシロがジッと柱の横を見つめていることに気づいて、柱にぶつかる直前で止まった。

 咲耶の式神であるこの子犬(白狼天狗)は主の問いかけを受けても、じーっと柱を睨み付けている。まるでそこに隠れ潜むなにかが居るかのようにじーーっと睨んでいる。

 尻尾が左へ、右へ。今にも飛びかかるタイミングをはかっているかのようにじーーぃっと柱を睨み付け、

 

「よいしょ」

「!」

 

 咲耶にその体をいきなり持ち上げられてビクッと体を震わした。

 

「大丈夫。魔力を持たへん人の人避けも兼ねとるだけで、去年も通ったから怖ないよ」

 

 壁にめり込みに行こうとすることを怖がっていると思われたのか、すっかり定位置となった咲耶の肩の上に置かれてシロは頭を撫でられた。

 何か言いたげに咲耶の顔を見つめ、柱の隅っこと視線を行ったり来たりさせるシロ。

 

「?」

「おーい、サクヤ。前、前」

 

 困ったようなシロの様子に、主がきょとんと首を傾げたところで後ろから順番を待っていたリーシャから声がかかった。

 

「あっ、ごめんリーシャ。ほな行こか、シロくん」

 

 短く一謝り。

 リーシャに言葉を返した咲耶はカートに力を込めて止めていた足を動かし

 

「………………」

 

 何事もなく柱を通過して9と3/4番線のプラットホームへと足を踏み入れた。

 

 

 

 第21話 さて柱の影にはなにが居たのでしょうか?

 

 

 

 生徒と学生でごった返すプラットホーム。咲耶はリーシャとともにその見送りに来たリーシャの家族と向かい合っていた。

 

「この夏はありがとうございました。グレイスさん!」

 

 この夏の最後を彩った友人宅へのお泊り会。そこでお世話になったリーシャの母親と父親に咲耶はぺこりと頭を下げた。

 

「来年も是非来てね、サクヤちゃん」

「おお。来年でも今年の休暇でもいつでも来なさい!」

 

 リーシャと同じく金髪の母親。そしてスポーツマンのように鍛えられてがっちりした体躯の父親。明るく娘とよく似た雰囲気を持つ両親と咲耶はこの夏休み最後の短い期間ですっかり馴染むことができて次が待ち遠しいかのように言葉を送られていた。

 

「あなたの作ってくれたお料理、とっても美味しかったわ! リーシャは不器用で魔法を使った料理をしたらすぐに焦がしちゃうから。魔法薬学の成績も悪いでしょう」

「それはもういいから! こないだから私もサクヤも散々聞いたから!!」

 

 咲耶がお礼にと振舞ってくれた料理はどうやら好評だったらしく嬉しそうに語る母親。そして脱線して成績の話になりそうになったところでリーシャがツッコミをいれた。

 

「はっはっは!! リーシャは俺に似て細かい作業は苦手だからな。色々と迷惑をかけるだろうが、よろしく頼むな、サクヤちゃん」

 

 顔を真っ赤にしているリーシャをよそに父親は朗らかに笑って娘のことを友人に頼んだ。

 

「はい!」

「それと…………」

「サクヤ! そろそろ行こう!! 席なくなっちゃう!」

 

 元気よく返事した咲耶に、何か言いたそうに言葉を探し、言葉になる前にいつもより声を張り上げたリーシャの声がかかった。「あっ」と躓きの言葉が漏れ、声をかけたリーシャもそれに気づいた。

 だが

 

「……リーシャも、気をつけろよ!」

 

 結局、言葉をギリギリで選び変えたように間が空き、それでも笑って送り出す言葉がかけられた。

 

 

 

 ・・・

 

 

 

「最後まで煩くてごめんな、サクヤ」

「ううん。リーシャの家族。すっごい楽しいお父さんとお母さんでウチも楽しかったわ!」

 

 空いているコンパートメントと残りの友人たちを探しながら話す二人。

 賑やかな家族たちとの別れにリーシャは少し照れたように笑い、咲耶は満面の笑みで応えた。

 

「へへへ。…………っと、いたいた。フィー、クラリス!」

 

 そして折よく、探していた友人二人、フィリスとクラリスがあちらも共に居るのを見つけてリーシャは腕を振りながら呼びかけた。

 二人は呼びかけに気づいて歩み寄ってきた。

 

「一週間ぶり。リーシャ、サクヤ。あっちの方に空いてるコンパートメントがあったわよ」

 

 近づいてきたフィリスとクラリスもまた荷物を運んでおり、咲耶が嬉しそうな顔をして話をしたそうにしていることを察知したのか、咲耶が喋る前に特急の前の方を指さして言った。

 

「あっ。そやね。うん。あんな話したいことがいっぱいあるんよ!」

「ふふ。時間も時間だし先に席をとってからゆっくり話しましょ」

 

 

 フィリスが先導し、お互いに協力して一行は列車内に荷物を運び入れた。

 先程フィリスたちが見つけていたコンパートメントは運よくそのまま空いており、4人はそのままそこに入った。

 荷物を押し込み、それぞれに席につき一息つくと頃合いだったのか汽笛の合図とともに扉が閉まる音が聞こえ、車内が振動した。

 

「ん。もう出発の時間か」

「それじゃ、今年もまたよろしくね」

「うん! よろしゅうお願いします!」

 

 動き始めた景色を見送るリーシャ。再び始まる寮生活に意気込みを新たにするフィリスと咲耶。クラリスもこくんと頷きを返した。

 咲耶の膝の上にはそこが定位置かのようにシロがちょこんと体を丸めた。

 そして

 

 ガラリとコンパートメントの扉が開いた。

 

「あっ、サクヤ!」

 

 入ってきたのはクセのある豊かな栗色の少女。2学年下の友人。

 

「! ハーミーちゃん! おひさ!!」

 

 ハーマイオニーが見覚えのない赤毛の少女と共に入ってきて、室内にいる咲耶の姿に顔を綻ばせた。咲耶もまた久々の友人との再会に嬉しそうに声を上げた。咲耶はぶんぶんと手を振って室内へと入るように勧めた。

 ハーマイオニーはちらりと他の先輩達の様子をうかがい、確認するように後ろに控えていた少女に振り向いてから席についた。

 

「休み中は手紙、ありがとう。ニホンの写真、すごくキレイだったわ!」

「えへへ。どういたしまして」

 

 夏休み中、リーシャたちと手紙のやりとりをしていたのと同様、ハーマイオニーとも手紙のやりとりをしており、その中で送ったニホンの景色の写真は彼女の好評を得たようで咲耶は嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

「そうだ、サクヤ。ハリーとロンを見なかったかしら。駅までは一緒だったんだけどホームのところではぐれてしまって……」

「ハリー君? ううん。見てへんよ」

 

 ハーマイオニーの問いに咲耶は確認するようにフィリスたちを見てから首を横に振った。

 咲耶の答えにハーマイオニーはむぅっと眉根を寄せ、溜息を一つ。

 咲耶にとってハーマイオニーやハリーが友人であるように彼女もまたハリーとは同学年で同寮の友人。とりわけ前学年中は、いくつもの冒険を共に乗り越えた中だけに、当然の如く意識せず行動を共にするつもりだったのだろう。

 ただ、見つからないものはしょうがない。というよりも勝手にはぐれたのが悪いと諦めたのか、仕方なさそうに肩を竦めるジェスチャーを赤毛の少女に向けた。そのやり取りを見て、先程から気になっていたことを咲耶は問いかけた。

 

「ところでそちらの子って、ハーミーちゃんの友達?」

 

 髪の色はリオンよりも少し濃い、燃える様な赤色。顔にはそばかすがあるが、それが彼女の個性としてチャーミングに映る少女だ。

 髪の色や顔立ちが違う事や、去年妹が居ないと言っていたことからの質問。

 

「ええ。こちら、ジニー。ロン……フレッドとジョージの妹で今年の新入生よ」

 

 ハーマイオニーは紹介するように赤毛の少女、ジニーに手を向けた。

 

「初めまして、ジニー・ウィズリーです」

「わぁ! 初めまして。サクヤ・コノエです。よろしゅうお願いします」

 

 ハーマイオニーの紹介に咲耶はぱぁっと顔を明るくしてジニーに挨拶した。

 フレッドとジョージ・ウィーズリーは咲耶たちと同学年のグリフィンドールの男子生徒。

 明るく悪戯好きで、昨年のハロウィン前にちょっとしたことから咲耶と知り合い、以来親しくなっている友人たちだ。

 ちなみに彼らは悪戯の着想を得るためにリオンの精霊魔法講座を受講して、結果中々に優秀な成績を修めたらしい。

 そしてジニーは彼らと同じ髪の色で今は緊張しているのか少し固いように見えるが彼らと同じように快活さを秘めているようにも見える。

 

「あっ、フレッドとジョージから聞いてるわ。サクヤは、えっと……ニホンから来たんでしたよね?」

「うん! 4年生やけど、ホグワーツは今年で二年目!」

 

 紹介されたジニーは目の前の少女、異国のお姫様のような顔立ちながら、くりくりと大きな瞳を動かして嬉しそうに自分を見つめる先輩を少し照れたように頬を赤くして見ていた。

 

 

 それから咲耶たちは新入生のジニーを含めて色々と話を楽しんだ。

 

 

「そっか。ハーミーちゃんは夏休み、フレッド君とジョージ君のとこに行っとったんや」

「ええ。ハリーも一緒よ。魔法使いの家って初めてだったんだけど、料理から洗濯から、魔法尽くしでびっくりしたわ」

「そうよね。私はお母さんがマグルなんだけど、未だにお母さんとお父さんで価値観というか生活感があってないことがあるもの」

 

 ハーマイオニーは友人のロンの誘いでハリーと共に宿泊したウィーズリー家、マグルの世界から初めて訪れた魔法族のホームの感想を興味深かった思い出のように喋っていた。

 魔法とは関わりの無い一般人の生まれであるハーマイオニーはまるで違う家事の仕方や家の様式に驚いたことを楽しそうに。

 フィリスは先輩として、そして混血としてマグルの母の苦労を思い出して頷いていた。

 

「そやなあ。うちもリーシャのとこでお世話になったんやけど、おうちがおとぎ話の森の妖精さんの家みたいでびっくりしたわ」

「へー。そうなのリーシャ?」

「あー、いや、まあ、うちの辺りの家はだいたいそうなのかもな。結構森の中にあるし」

 

 咲耶はつい昨日までお世話になっていたグレイス家、ヘルガの森というところにある魔法族らしい家の外観を思い出していた。

 まるで群れからはぐれたエルフでも住んでいそうな樹木と親和のとれた木々の温かみのある家屋。

 

「あれ? フィーとクラリスはリーシャのおうち行ったことないん?」

「ええ。誘われてはいたんだけど、私の方は夏休みに家族でバカンスに行く予定があったから。クラリスもちょっと予定が合わなくて、ないわよね?」

 

 意外にも咲耶よりもリーシャとの付き合いの長いフィリスとクラリスは彼女の家に行ったことが無いらしい。フィリスが再確認するようにクラリスに尋ねると、クラリスはこくんと頷きを返した。

 

「リーシャの家、どうだったの?」

「うん! お母さんもお父さんもめっちゃ優しい人たちで、お母さんの料理美味しいし、すっごい楽しかった!」

 

 思い出を尋ねるフィリスの質問に咲耶は楽しかった夏休み最後の思い出を満面の笑みで、答えた。

 ハーマイオニーも驚いたことだが、魔法族の料理は魔法をふんだんに使う。日本古来の魔法族の近衛家だが、咲耶の習った料理は魔法の使わない料理方法だっただけに、異国の料理という以上に魔法の料理というものは新鮮な驚きだった。

 

 ただ

 

「でもなぁ、量がすっごいから、あれ以上長く居ったら、うち太ってまいそうやわ」

「うちの母さん。サクヤが来るってんで、すっげー張り切ってたからな。サクヤもニホンの料理ごちそうしてくれたし」

 

 一つ困ったのは出てくる料理と次から次に勧められる美味しい料理の量が咲耶のカロリー許容量をあまりにも超えていた事。

 律儀な咲耶は困ったような笑顔でその皿を受けつつ毎日お腹いっぱいになっていた。

 

 あまりにもお腹いっぱいで、それをどうにかしようと思った……わけではないのだが、お世話になったお返しにと最後の日にはサクヤが手料理を振舞い、それはグレイス家のみんなにもなかなかに好評を得ていた。

 

 困ったように笑う咲耶とにひひと笑うリーシャにフィリスはちょっと羨ましい思いを抱きながらくすりと微笑んだ。

 リーシャとの付き合いは咲耶よりもフィリスの方が長い。

 咲耶との仲の良さはリーシャにだって負けてない。

 けど……

 

「ふふ。サクヤはもう少し、必要なとこが大きくなった方がいいんじゃないかしら? それとも、先生はそういう方が好み?」

 

 フィリスは咲耶の慎ましやかなとある部分をツンと指でつついて悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「むー。うちかてこの夏休みで背も胸も大きいなったもん!」

「えっ!? 先生って!?」

 

 咲耶はその悪ふざけにぷぅっと頬を膨らませてむくれて見せ、ハーマイオニーはちょっとワクワクとした表情で身を乗り出した。

 

「リーシャから胸の脂肪をどんどん吸い取ればいい」

「ふにゃっ!!」

 

 そんなやりとりの横でクラリスはいつも以上のぶっちょう顔で毒を吐きながら隣に聳える巨峰をむんずと掴み取り悲鳴が上がった。

 

「えっ、あの…………」

 

 なんだかイケない内容に踏み込んでしまった気がしてジニーは顔を赤くして先輩たちを見回した。

 

 漠然と把握してしまったような気がするイケない関係性。

 

 異国の留学生は、誰とは言われなかったが学校の先生の誰かと恋仲で、ここのみんなはそのことを知っていて、なんだかここの皆は彼女のことが好きみたいで、それは多分同性同士としてなんだろうけど、兄のロンに聞いた話だとそんな彼女のことがハリーは多分気になっていて、自分はそのハリーを向かい合うと顔も合わせられないほどに気になっていて、なんだかんだ言っていたロンも実は留学生のことが気になっているんじゃないかなーと睨んでいて、それだけじゃなくてその上の兄である双子の内のジョージも彼女のことが気になっているような気がしているみたいで……

 

「きゅうぅ…………」

 

「おわっ! ジニーがなんか茹ってるぞっ!!?」

「ジニー!!?」

 

 頭から湯気を立ち上らせたジニーに、リーシャがぎょっとなり、ハーマイオニーが驚きの声を上げた。

 あぶぶ、あぶぶと賑やかな声を上がるコンパートメント。

 

 

 

 ひとまず落ち着きを取り戻したコンパートメント。

 

「ねえサクヤ。この子犬はサクヤのペット?」

「えとな。うちの式神のシロくん」

 

 とりあえず話題を変えることとなった。

 選ばれたのは咲耶の膝の上で丸くなっている白毬藻、もとい白毛の子犬。ハーマイオニーが興味を示した子犬を見せるように咲耶はポンポンと合図を送った。

 合図に応じて子犬はポンと軽い音を立てて姿を変えた。

 以前も見た日本古来の衣裳を身に纏った犬耳と尻尾を生やした幼い少年。少年はおどおどとした様子で恥ずかしそうに咲耶の横にちょこんと腰掛けていた。

 

「お、おお、お初にお目にかかりまする! 某! 祖神に猿田彦命を頂く末裔! 四十八天狗が一、富士山陀羅尼坊太郎が眷属! 藤原朝臣近衛咲耶様が式神、白狼天狗――」

「狼の天狗君なんよ」

「はぅぁっ!! また遮られた!」

 

 相変わらずの長口上を遮られたシロはガンッ! と衝撃を受けていた。

 

 ひとまず挨拶を済ませた(?)ところでシロはヒト型の形態から先ほどまでの子犬の姿へと戻った。小さな童姿とはいえ、コンパートメントの中にはすでに6人の女子が入っていることからスペースを考慮してのことだろう。

 

「か、変わってるわね」

 

 言いたいことは色々あるが、先輩方の苦笑した様子にひとまずとりあえずそれは胸の内にしまっておいた。

 咲耶は子犬姿に戻ったシロを抱き上げて膝の上に置きなおし、ふさふさの毛並をもふもふした。

 

「そう言えばサクヤ。その子ずっと抱いてて重くはないの?」

 

 嬉しそうにもふもふを楽しんでいる咲耶の様子。その姿にふと気になったことをフィリスは尋ねてみた。

 ずっと膝の上に抱いていたり、時には肩の上によじ登ったりしているのだ。子犬とは言え少女の体ではなかなかに重みを感じることだろうに、咲耶にそれを負担に思っている様子はない。

 

「ううん? むしろ全然重さ感じんけど……そういえばなんでやろ?」

 

 フィリスの質問に咲耶は今更ながらに首を傾げた。

 そう言えば重いどころか、重さ自体を感じていなかったのだ。なんでだろうと不思議に思って膝の上のシロに視線を向けると、それを感じたのかシロは

 

「じゅ、術の一種で重さを軽減させていますゆえ」

「………………」

 

 子犬姿のままでみんなで理由を説明した。

 人間にもなれる子犬が今度は犬の姿のままで喋った。そのことに

 

「喋れるの!!?」

 

 びっくりと、一斉に声を上げた。

 コンパートメントに響く驚きの声にシロはビクゥッと毛を逆立たせた。

 

「は、はは、はい! こ、これも術なので。魔力を消費すれば、じ、人化の形態をとらずとも喋ることは、で、できます!」

 

 魔法族の使うアニメ―ガスや満月の夜のみに狼形態になる狼人間とは異なり、白狼天狗のシロにとって狼の形態も人の形態のどちらも本態。人の言葉をしゃべること自体が言語魔法の一種だ。

 狼の姿のままでも人の言葉を喋ることはさして難しい事ではない。

 

「なんでサクヤも驚いてるのよ」

「いやぁ、うちもこの状態の時のシロくん喋れるん知らんかったから。どして喋らへんかったん?」

「い、一般人に対する術の秘匿は一族の義務ですので。街中では、もしもということを考えまして……も、もも、申し訳ありません!!」

 

 ただ、そのことを主である咲耶自身も知らなかったらしく、フィリスが呆れたように見やり、咲耶は照れたように苦笑いした。

 

「へー。それにしても重さを調整できるのね」

「は、はい! ひ、必要とあれば、見た目通りの、お、重さにもなれますが。姫様のご負担になるわけには参りませんので!」

 

 感心したように言うハーマイオニー。

 咲耶よりも小さな子供姿とはいえ、本来の重さであれば咲耶が胸元に抱えたり、子犬状態とはいえずっと膝の上や肩の上に乗せたりし続けるのはつらいだろう。

 へーっと感心したように見つめてくる視線に照れたのかシロは顔を真っ赤にした。

 

「ひ、必要ならば、う、浮いていることもできます!!」

 

 そしてぴょんと咲耶の膝の上から跳躍し、胸元くらいの高さまで跳び上がるとまるで空中に足場があるかのようにその場に滞空した。

 

「おおっ!!」

「杖も箒もなしで飛ぶなんて……」

 

 ぴたりと浮いているシロの姿にリーシャや無表情だったクラリスも驚嘆していた。

 自分たちの知識によれば、落下を制御することや物質を浮かすことはできても箒なしに空を飛ぶこと、まして杖もなしにそれをこなすことなどできるはずもなかった。

 

「これは天狗だからできることなの?」

 

 ハーマイオニーは自らの知識に合わせて人ではない天狗だからこそできるものかと尋ねた。

 

「い、いいえ! あ、ある程度高位の魔法使いであれば、ふ、浮遊術を使うことはできるはずです!」

「え? そうなの!?」

「は、はい! この程度ならば、あ、あの男も、出来ると思いますが……」

 

 だが返ってきた答えは天狗どころか、魔法使いでもできるというなんとも拍子抜け……ではなく、よくよく考えれば驚くべき答えだった。

 尋ね返すフィリスにシロはどもりながら言った。

 

「あの男?」

「り、りりり、リオン・スプリングフィールドです」

 

 彼女たちの先生が、その高位の魔法使いであると。

 

「……え?」

 

 ぽかん、と、反応することを忘れたようにマジマジと少年を見つめ返した。

 

「そ、そそ、それに姫様の、ごごご、ご学友の方々も、見れば、飛ぶのに不自由していないように見受けられますが」

「?」

 

 続けてもう一つ。今度は呆気にとられてではなく明らかに間違っていそうな指摘に首を傾げた。

 

「ああ。うちの父さん? あれは箒使ってだから。フツー箒なしじゃ飛べないって」

 

 ただつい先日までクィディッチ選手である父が家で飛行姿を見せていたことを思い出して言った。

 だが、それは彼の意図していたことではないらしく

 

「い、いえ! い、今しがた、窓の外を、童が操る、く、車が飛んでおりましたが!」

 

「…………え?」

 

 扉側に座っていたシロは自分の方に向いていた視線の奥、つまりは窓の外を指さして恐縮しながら言った。

 

「へー、ホグワーツって、車でも行けるんや~」

「いやサクヤ。ないからそんなの」

「へ?」

 

 咲耶は魔法世界で目にしたような魔法道具がこの世界にもあったことに素直に感心して、フィリスからツッコミを受けた。

 空飛ぶ絨毯や馬車を天馬に曳かせるのならばともかく、マグルの使う車などをわざわざ空飛ぶ道具に仕立て上げるなんて滅多にあることではない。少なくともリーシャやフィリスの記憶にはなく、

 

「あ、あのシロくん。その車ってどういうの?」

 

 ただそのことに覚えのあるハーマイオニーとジニーは顔を引き攣らせた。

 

 普通イギリス魔法族は、特に純血に顕著だが、マグルの使う機械を蔑視している。

 わざわざおかしなものを使わなければなにもできないと。

 それは純血主義か否かによるものではなく、閉鎖的な魔法の世界にべっとり漬かっているからで、英国魔法族の科学力は魔法を抜きにすれば軽く100年は遅れている。

 マグル生まれの魔法族ではそういったこともないのだが、逆にそういった魔法使いは魔法の便利さを知ってしまったがゆえに、科学の利点を軽視しがちだ。

 

 だからわざわざそんな不便なものに目を向けるのは頭のおかしい奴か、物好きで奇特な魔法使いと相場が決まっていた。

 だが、二人にはそんな奇特な人物に心当たりがあり、そして空飛ぶ車にもまた心あたりがあった。

 

「そ、某は車のことはよく……すいません!! で、ですが、なんだか丸っこくて水色っぽい感じのものだったように思えます!」

「…………」

「たしか、一人は真っ赤な髪の童と、もう一人は眼鏡をかけておりました」

 

 恐る恐る、といった風に尋ねられた質問にシロは見た記憶を思い出してなんとか答えた。

 

 人間の作る機械を知ってはいても、その詳細に関する知識などないシロには曖昧にしか答えられなかったが、もしも彼に知識があればこう答えていただろう。

 

 トルコ石色のフォード・アングリアが空を飛んでいたと。

 

「それってハリー君たち?」

「もも、申し訳ありません。某、そのはれーなる者の顔が分かりませぬので……」

 

 重ねて尋ねた咲耶の質問だが、いくら敬愛する主の問いだとしても答えられないものは答えられない。

 

「そ、それよりサクヤ! 今年の防衛術のこと知ってるかしら!」

 

 すっかり縮こまってしまったシロに助け船を出すかのようなタイミングでハーマイオニーは話題の転換をはかった。

 

 彼女にとっても勿論、咲耶にとっても実はそんなことで流してしまっては可愛そうな目に友人があっていたりするのだが、ひとまずこの場でこの話題の提供は正しかった。

 

「防衛術!! ロックハート先生が担当なさるのよね!!!」

 

 話題に食いつく同胞がこの場には居たからだ。

 

「そうなの!! しかもハリーったらフローリシュ・アンド・ブロッツ書店で彼とツーショットの写真を撮ってもらってたの!!」

「それって書店の窓に貼ってあった広告よね! 日刊預言者新聞でも見たわ!!」

 

 いきなりの話題転換にもかかわらずあっという間にヒートアップする二人の会話。

 

「おおぅ……フィーが同士を得たぞ」

「ハーミーちゃんとフィー。すっかり仲良しさんやな」 

 

 リーシャが少したじろぐ向かい側では友人同士が親しくなったことを咲耶が微笑ましそうに見ていた。

 喧々諤々とファン同士の会話が繰り広げられていた。

 

「やっぱり先生の書じゃ『狼男との大いなる山歩き』だと思うの!」

「そうかしら。私は『ヴィーラと優雅な週末』! 想像してみて。あの方と素敵な週末をおくるなんて……」

「たしかに彼との一日なんて素敵よ。でも――――」

 

 話の内容はロックハート本人のことから今年の指定教科書の内容にもなり、なんだかお花でも飛んでいそうな勢いになっていた。

 

「なんか議論が始まったぞ」

「実は私のお母さんも彼のファンなの」

「加わりたいならお好きにどうぞ」

 

 控えめにカミングアウトしたジニーに対してクラリスが興味なさそうに返した。

 その間にもどんどんとファンの二人の会話は進んでいく。

 

 どの本のどの場面がよかった。

 あの場面でのあの魔法の使い方に痺れた。

 いや魔法だけがロックハート先生の凄さではない。本当にスゴイのはその機転だ。

 

 などなど

 

「すごいわ! 彼のことをこんなに詳しく知ってるなんて!!」

「フィリスこそ、カードナンバー100台の始めなんて! 私、去年から魔法界に来たから彼のことを知った時にはもう300を超えてたの」

 

 

 

 盛り上がる特急がその執着地点へつくまでにはまだしばらくの時間がかかりそうなことを、窓の外ののどやかな森林風景が物語っていた……

 

 

 




今回はホグワーツ特急での話ですが、思っていたよりも長くなったので、次回に少し持ち越しています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

純血主義

 女3人寄れば姦しいとは言うが、6人集まったコンパートメントでは話題が尽きることなく続いていた。

 

 憧れの有名人について

 どこのクィディッチチームのファンか

 学校の授業について

 などなど

 

 愉しいおしゃべりは車内販売の魔女がお菓子やカボチャのパイを売りに来て、みんなで分けながら食べてなお続いていた。

 

 

 第22話 純血主義

 

 

 カボチャのジュースを飲んでひとごこちついたころ、ふと思い出したようにハーマイオニーが切り出した。

 

「そうだわ。サクヤ。ちょっと聞いておいてほしいことがあるの」

 

 その顔は先ほどまで楽しげに話していたのとは違って、深刻そうな、困ったような表情。咲耶はストローから口を離して視線を向けた。

 咲耶の注意がしっかりと自分に向いたことを確認したハーマイオニーは少し声を落としてしゃべりだした。

 

「スリザリンのマルフォイって分かるかしら?」

「マルホイって……え~とたしか。純血の魔法使いの人やな?」

 

 ハーマイオニーの質問に咲耶は口元に人差し指をあてて、思い出しながら確認した。

 

 スリザリンのマルホイ。

 その名前はたしか1週間ほど前、ダイアゴン横丁だったかで話していた時に出てきた名前のような……そんなのをぼんやりと思い出した。

 

「ええ。私たちの学年のそのマルフォイが、どうもあなたに、正確には日本の魔法協会の孫である貴女に近づこうとしているみたいなのよ」

「?」

 

 知っていそうだということを確認して、ハーマイオニーは顔を少し顰めて言った。おそらくその内容、というか自分で話題にした名前を嫌っているかのような感じだ。

 咲耶は友人のしかめ顔と、言われた話の内容に小首を傾げた。

 

「簡単に言うと、純血思想の魔法使いが日本の魔法族を取り込もうとしているかもしれないってこと」

「??」

 

 分かっていなさそうな友人の様子にハーマイオニーが改めて説明しなおすが、咲耶はこてんと反対側に首を倒した。

 簡単に、という枕詞がついたものの全く理解はできなかったらしい。その分かっていなさそうな様子にフィリスがはぁと溜息をついた。

 

「サクヤ。純血主義のことは覚えてる?」

「えーっと、リーシャみたいな魔法使いの家族の人を大切にする人たちのことやな?」

 

 フィリスの確認の言葉に、咲耶は以前聞いた説明を思い出して自分なりの解釈で尋ねてみた。

 咲耶の自己解釈にコンパートメント内の友人はなんとも言いようのない表情となった。

 

「……もしかしてニホンとか魔法世界には純血主義とか魔法族の差別ってないの?」

 

 もしかしたらこのぽやぽや少女は差別などとはまるで無縁の存在なのかもしれない。

 そんな風な考えがよぎったフィリスがまさかと思って質問した。

 

「んーっと、純血主義とはちょっとちゃうと思うけど、種族とかの差別とかは魔法世界にもあるらしいえ?」

「そうなのか? 魔法世界っていうくらいだから全員が魔法使いなのかと思ったんだけど」

 

 フィリスの問いに口元に指をあてて思い出しながら言う咲耶。咲耶の答えに、むしろリーシャが意外そうな表情となった。

 

 現実世界(地球)では魔法の使える者と使えない者が棲み分けしながら共存している。

 だが、“魔法”世界というくらいなのだから、そういった英国魔法族が抱えているような問題はないのかと思っていたところがあるのだろう。

 

 ただ、それはいくらなんでも幻想の抱き過ぎだった。

 むしろ現実世界における差別思想よりも、“根本的な問題”を抱えているだけに、魔法世界における種族の違い ――現実世界出身か、魔法世界出身か、は非常に重大な問題だった。

 

 ただ、それは今のところこのコンパートメントの話題の中心ではない。

 

 咲耶に近づいていそうな不穏な動きに、クラリスが乏しい表情の中に険を宿して話題の提供者に視線を向けた。

 

「どこで聞いたの?」

 

 咲耶を心配してだろう。目元を細めてやや剣呑な雰囲気でクラリスはハーマイオニーに尋ねた。

 

「夏休みにハリーが聞いたのよ」

 

 クラリスの質問にハーマイオニーは今ここにはいない友人の名前を出して答えた。

 

 ハーマイオニーの ――正確にはハリーが言ったことによると話は咲耶がイギリスに戻ってくる数日前のことになるらしい。

 

 

 ――――――――――――

 ウィーズリー家に逗留していたハリーとハーマイオニーは、その日学校から次年度の教科書や必要品のリストを受け取り、ロンやジニーたちを含めたウィーズリー家の人たちと総出でダイアゴン横丁を訪れた。

 だがその際にハリーが移動手段である煙突飛行でミスをしてしまい、ダイアゴン横丁から少しずれたノクターン横丁へと飛んでしまったらしい。

 

 そこは魔法使いが営んでいる店の中で、不気味な魔法道具の数々が並んでいる店だったらしい。

 出る機会を見計らっていたハリーはそこで件のマルフォイ ――ドラコとその父であるルシウスを目撃したそうだ。

 ルシウスはその店で物を買うことはせず、何かの品のリストを店主に手渡して、その何かを売ろうとしていたらしい。

 その際、親子と店主の会話がハリーの耳に入ってきたということらしい。

 

「近頃はどこも同じようなものです。魔法使いの血筋などといっても、軽んじられてしまいまして」

 

 嘆くような店主の言葉に、マルフォイの父親らしき人物はピクリと苛立ったように顔を顰めた。

 

「私は違う。それにドラコ。お前には去年、言っておいたはずだ」

 

 店主の言葉を明確に否定し、彼は厳しい視線を息子、ドラコ・マルフォイに向けた。

 

「ニホンの魔法協会の孫娘が留学してくる。その娘と仲良くしておけと」

 

 出てきた言葉に、ハリーはぎょっとして物陰から盗み見ていた身を強張らせた。

 幸いにも物音は立たず、店の3人は気付かずにそのまま話が続いた。

 

「覚えています。ですが父上。そいつはこともあろうに落ちこぼれ寮のハッフルパフにしか選ばれませんでした」

 

 父親の言葉に、ドラコは常の周囲を見下すような表情を微かに漂わせた。

 その言葉からするに、彼らにとって、咲耶が四寮中最も落ちこぼれと評判のハッフルパフに組み分けされたことは、本人の資質や状況を見ることなく、咲耶に落ちこぼれのレッテルを貼り付けるものらしい。

 

「本人がおちこぼれだろうと血は血だ。先にも言ったが、お前の成績が振るわないのも同じだろう」

 

 ドラコの反論に、父親は先ほどまでしていた会話 —―学年トップの座をマグル生まれのハーマイオニーに奪われたこと―― を引き合いに出して厳しい視線を向けた。

 ドラコにとっては学校の成績云々よりも、血筋が“正しい”ことこそが重要であるようだが、父にとっては血筋の“正しさ”は無論のこと、それに見合った実力を有してこそという考えの違いがあるらしい。

 父親からの厳しい言葉と視線にドラコは屈辱を覚えたのか青白い顔を赤くして俯いた。

 

「ニホンの魔法協会、いや魔法世界側の魔法使いとは親しくしておけ。いいな。お前が追い出されたという授業にも今度こそ出ろ」

 

 そんな息子に、父親は命令口調で言葉を続けた。

 どうやら父親の不満は、息子の成績不良や言いつけを守れなかったことだけでなく、昨年新設された講座をドラコが追い出されたことにもあるらしい。

 

 昨年から新たに開かれた講座、精霊魔法は、指導する先生の意向もあってリタイア自由が明言されていた。

 その一年目、明言通り精霊魔法講座は多くの不参加者、リタイアを出した。

 その中には、お父上の命令を曲解して“魔法世界の魔法先生”と名家の威光をもって親しくしようとし、一蹴されて恥をかかされたドラコ・マルフォイも含まれていた。

 

 

 

 ちなみに余談ながらリタイア自由というのは先生、つまりはリオンがそれほど熱心な魔法先生ではないということもあるが、実をいえば、リオンに先生の話を持って行った者たちの意向も絡んでのことだ。

 元々、旧世界土着の魔法族と魔法世界由来の魔法族は折り合いが悪く、特に伝統的な旧世界魔法族であるイギリス魔法族は、排他的な風潮が色濃く残っている。

 それだけにいきなりこれを覚えろと押し付けるよりは、興味を抱いた子供や排他的な思想が薄い子供から教えていってほしいという考えがあってのことだが…………ひとまずそれは生徒たち自身にとっては無関係で知る由もないことだ。

 

 

 

 息子に命令を告げた父親は、眉間にしわを寄せて睨みつけた。

 

「魔法世界からの圧力が日増しに強くなってきていて、魔法省は最近、融和策に切り替えようとしている。その時にその小娘を引き込んでおけば有利に働く。そのくらいの計算はお前でもできるだろう」

 

 ――――――――

 

 

「――ということらしいの」

 

 ハーマイオニーの語った内容に咲耶と親しい友人であるルームメイトの3人は顔を顰めた。

 

 彼女たちも咲耶とは親しくしたいと思って、そして実際に仲良くしているがそれは決して咲耶が日本の魔法協会の孫娘だからではない。

 日本や魔法世界の話もするが、友達になったのはただ、咲耶自身と仲良くなりたかったから。

 マルフォイの咲耶自身を見ていない言いようは、若い彼女たちの癇に障るのには十分だった。

 

 そして落ちこぼれ呼ばわりされた上に、そんな企みがあることを聞かされた当人は難しい顔をして唸っていた。

 やはり気分のいい話ではないからだろう。

 嫌いなスリザリンの典型のようなやつなんか絶対に咲耶には近づけたくないと、ハーマイオニーは言おうと口にしかけ

 

「うーん。一度リタイアしたら多分、再受講はリオンの性格的に難しいんちゃうかなぁ……」

 

 咲耶から出てきた言葉に止まった。

 

 何を言うのかと思えばこのほわほわ娘は。

 難しい顔をしていた咲耶から出てきた悩ましそうな言葉にリーシャたちは呆気にとられ、

 

「サクヤ。そこじゃない」

 

 クラリスが冷静にツッコミを入れた。

 

「え? マルホイ君がうちとかリオンと仲良うなりたくて、去年やめた授業受け直したいって話じゃないん?」

 

 意外そうな顔を向けてくる咲耶と、何言ってんのこの子は? という視線を向ける5つの視線。

 ハーマイオニーが伝えたくて、リーシャたちが憤りを感じていたのは、そこではない。

 

 マグル生まれを“穢れた血”などと蔑む純血思想の魔法使いが、その血筋だけを目的に咲耶を無理やり仲間に引き込もうとしていることを懸念したのだ。

 彼ら、特にマルフォイ家はあの“名前を言ってはいけない人”の手下である死喰い人としても名を馳せており、相当にたちの悪い魔法使いというのがリーシャたち“闇に属さない”魔法使いの認識だ。

 

 死喰い人たち“闇の魔法使い”は、“服従の呪文”、“磔の呪文”など許されざる呪文を平然と使い、脅しや暴力によってイギリス魔法族を恐怖に陥れた。

 その牙が純粋そうな友人に向かおうとしていることを彼女たちは懸念したのだ。

 だが……

 

「あのねぇ…………」

「あっはっは!! 流石サクヤ!」

 

 この少女は、まったくそんな心配などしていない。彼女が信頼と恋慕を寄せる魔法使いが必ず護ってくれるから。

 そんな友人と魔法先生の信頼関係を思い出して、フィリスは頭痛を抑えるように眉間に手を当て、クラリスはため息を、そしてリーシャはお腹を抱えて爆笑していた。

 

 一方、咲耶にとってのリオン・スプリングフィールドという存在を知らないハーマイオニーとジニーは、上級生たちのやりとりに困惑したように見回した。

 もしかしたら咲耶はマルフォイ家の、死喰い人の恐怖を知らないのかもしれない。そんな風に考えるハーマイオニーの考えは正しく、そして間違っていた。

 

 リオン・スプリングフィールドがいる限り、咲耶が自分を害そうとするものを恐れることはないのだから。

 

 

 

 ひとまず深刻な話が終わり、また別の明るい話題に変えようとリーシャが口を開きかけたとき

 

「ん?」

 

 ガラリと扉が開き、そこからハリーと同い年くらいのプラチナブロンドの髪の少年が確認するようにぐるりと室内を見渡した。扉の影にはいかつい体格をした少年二人が従者のように控えている。

 いきなり入室してきた少年に室内の少女たちの顔が少しむっとしたようなものになる。

 そして

 

「ああ。ようやく見つけたよ」

 

 見回す中で、黒髪で異国風の顔立ちを持つ咲耶に目を止めると満足そうに笑みを浮かべて室内に足を踏み入れた。

 

「んあ? 誰だ?」

 

 やや見下すような形でどこか気取ったように入ってきた見知らぬ少年にリーシャが不思議そうに尋ねた。

 少年の不遜さがにじみ出た態度にクラリスはムッとしたように、フィリスはわずかに身を強張らせており、咲耶の膝の上にいるシロが警戒心をあらわにしたように睨みつけている。

 

「マルフォイ……」

「ちっ。お前に用はないぞ。グレンジャー」

 

 嫌悪感を滲ませたように呟くハーマイオニーに少年は彼女以上の嫌悪感を露わにして侮蔑するような表情になって吐き捨てた。

 いきなりの険悪な雰囲気とハーマイオニーの様子に咲耶はびっくりしたように二人を交互に見た。

 

「さっき言ってたマルフォイ家の子よ」

 

 そんな分かっていなさそうな友人にフィリスがそっと咲耶の耳元に顔を寄せて言った。どこか声が震えているようなフィリスの言葉に咲耶はちょっと驚いてフィリスの顔を見た。その顔はどことなく恐怖を映しているようにも見える。

 

 スリザリンとグリフィンドールは仲が悪い。

 そういう情報を聴いてはいたものの、以前会ったスリザリンの同級生、ディズとセドリックの様子から仲が悪いと言っても、対抗心が強いといった程度にしか思っていなかった。

 だが、咲耶の目の前で嫌悪の感情をむき出しにする二人の下級生の様子からは、対抗心などと生易しいものではないように見えた。

 

 咲耶は知らないことながら、昨年の学期途中でのグリフィンドールの大量失点。

 その原因はたしかにハリーやハーマイオニーにも有ったのだがそれを失点にまで繋げた直接の原因は彼 —―ドラコ・マルフォイにもあり、それ以外にも思想やハリーとの関係から彼とハーマイオニーは互いに敵対していたりする。

 そして、スリザリンと仲が悪いのは何もグリフィンドールだけではないらしい。

 

「サクヤ・コノエ。ニホンの魔法協会の首長の孫らしいね。僕はドラコ・マルフォイだ」

 

 よろしくと気取ったような口調で見下ろしながら言ってくるマルフォイに咲耶は「よろしゅうな~」とひとまず挨拶を返した。

 

 膝の上のシロは身体を丸めたまま、不機嫌そうに尻尾をぱたぱたと左右に振った。

 車内の雰囲気がピリピリとなる中、

 

「ハッフルパフ、か……まったく、ニホンの魔法協会は伝統ある名家の魔法使いだと聞いたけど、そんな友人しかいない上に、本人も落ちこぼれ寮になってしまうとはね。ご両親はさぞ悲しまれたんじゃないかい?」

 

 蔑みの口調そのままで口を開いた。よろしくと言った割にはどう見てもそれは仲良くなろうと言う態度ではなかった。

 

「あ? 初対面のクセにいきなり舐めた後輩だな」

 

 喧嘩を売っているような言葉にリーシャが目つきを鋭くしてマルフォイを睨み付けた。

 

「リーシャは初対面じゃない」

 

 呆れ口調でツッコミを入れるクラリスだが、その眼差しは鋭く無礼な後輩を睨み付けている。珍しくはっきりと嫌悪の感情を露わにするクラリスに咲耶は軽く目をみはった。

 右を見て、左を見て、どう見ても険悪という言葉しか思い浮かばない車内に、咲耶は困ったように息をついた。

 喧嘩に突入しそうな雰囲気だが、新学期が始まる直前に喧嘩などどう考えてもよくないだろう。

 

「えとな。おじいちゃんもお母様も、いい友達ができたって喜んでくれたえ」

 

 ひとまず咲耶は、人差し指を立ててえへら、と明るく微笑みかけてみた。ただやはり車内の雰囲気もあってその微笑は若干引き攣ってしまったのは無理からぬことだろう。

 

 できることなら穏便に済ませたい。そんな咲耶の願いむなしく、咲耶の返答にマルフォイは鬱陶しそうな表情となった。

 

「ふん。君も仮にも名家の魔法族の一員なら付き合うべき友人を選んだほうがいい。来たまえ、どういった魔法使いと付き合って行けばいいか教えてあげよう」

 

 蔑みの視線を咲耶に向けるマルフォイ。その視線に咲耶よりもリーシャやハーマイオニーたちがカチンと頭に来て

 

「そこまでだ痴れ者めっ!!!」

 

 それよりも早く、咲耶の膝上から跳び下りたシロが一瞬で人化の形態となり、怒声を上げた。

 

「姫様は優しき心の御方ゆえ黙って見ておれば、姫様とそのご学友に対しなんたる無礼!! 手討ちにしてやる故、そこになおれ!!」

「なっ!! あ、ひっ!!!」

 

 いつの間にかシロの手にはきらりと光る白刃が握られ、魔法使いの間合いのはるかに内側に入り込んでその刀を不届きモノの首筋へと突きつけていた。

 

 呆気にとられるコンパートメント。

 数拍遅れてひたりと自らの首筋に寄り添う凶器に気付いたマルフォイはただでさえ青白い顔を蒼白にさせて戦いた。

 そばに脇に控えるガタイのいい二人の友人もあまりにも一瞬のできごとに反応することもできない状態だ。

 

 異形の少年の出現。そしてその少年から感じられる紛れもない殺意にマルフォイが包み込まれ、

 

「わぁっ!! シロくん! たんまたんま!!!」

 

 慌てて咲耶がシロの襟元を引っ張って距離を離した。

 咲耶に抱きかかえられるようにして距離をとらされたシロ。

 咄嗟の咲耶の指示に従ったのか、マルフォイの首筋には1mmたりとも刃筋は食い込んでおらず、血は微塵も流れていない。 

 だが、間違いなく切られていたという状況と殺意にマルフォイは首筋を抑えてへたり込んだ。荒く息をつくマルフォイ。

 

 次第次第に状況を再認識したマルフォイは、命の危機を脱したことで、恐怖の表情から屈辱に顔を赤くして咲耶を睨みつけた。

 

「こ、こんな。僕を……」

 

 唇をわなわなとさせて何かを言いそうになる少年に、咲耶は普段のニコニコ顔を一転、名家の魔法使いの肩書に相応しい凛と引き締めた顔で向かい合った。

 

「マルフォイ君。うちは、純血だとかどの寮の生徒だとか、そういうのにはこだわってないんよ。

 仲良くしてくれようとするんは嬉しいから、よかったら魔法協会とか、そういうんじゃなく、友達になってほしいな」

 

 凛とした表情から淡く微笑みへと表情を変えながらの咲耶の言葉。

 しかし声をかけられた当人は、侮辱されたととったのか、ただ命の危機は去ったことで腰を抜かしたような自らの姿を認識したのか、咲耶をねめつけながら立ち上がった。

 

「ふん。純血だとかにこだわってない? 信じられないね。ニホンの魔法使いはそこまで低俗なのかい? こんなことをしたと父上が知れば……」

 

 高貴な純血が蔑ろにされたことを、ローブについた埃を払いながら言いつのろうとしたマルフォイ。だが

 

「下郎」

 

 その口は再び解き放たれた怒気を含んだ言葉に縫いとめられた。

 

「今すぐその顔、姫様の視界から消さねば。首を胴から切り離すぞ」

 

 ゆらゆらと揺れ動く狼の尻尾。爛々と輝く獣の瞳。それは今まさに獲物に食いつかんとする狩人の姿にも似て見えた。

 

 相手は小さい子供だとか、純血の一族の誇りだとか、魔法使いに対してマグルの道具で向かおうとする愚かさとか。普段であれば自己の拠り所になるはずのそれら一切を打ち砕くように、立場の違い(獲物と狩人)を見せつけていた。

 捨て台詞も吐けないほどに顔を青ざめさせたマルフォイは「ひっ」と短く悲鳴を上げると、友人二人を押しのけて足をもつれさせるようにしながらコンパートメントから去って行った。

 

 小さな子供とは思えない気を放って純血の名家を追い払った光景に、コンパートメントはしんっとなった。

 

「シロくん」

「はぅあっ!!」 

 

 沈黙を破ったのは少し怒ったような語調の混じった咲耶の呼び声。

 その声を聞いたシロはビクンッと耳と尻尾を逆立たせると先程までとは打って変わって体を縮こまらせて振り向いた。

 

「も、もも、申し訳ありません!! ささ、差し出がましい真似を!!!」

「まあまあ、サクヤ。今のは明らかに向こうが失礼だったんだし、シロ君はちゃんとやることをやっただけなんだから」

 

 ぶるぶると体を震わせて謝るシロの様子に、好ましくないスリザリン生を追い払ってくれてほっとした様子のフィリスがフォローを入れた。

 シュンとしているシロに咲耶は手を伸ばした。

 目をつぶってびくっと震えるシロ。だが、咲耶の手はそっとシロの頭の上に置かれてナデナデと優しく撫でた。

 

「うん。シロくん、ウチのことだけじゃなくて、みんなのこともちゃんと叱ってくれたもんな。おおきにな」

 

 咲耶とて、自分の友人や家族のことを悪し様に言われて腹立たしい思いはある。

 だが、ああいった魔法使いでないものを差別する者たちが多いことを知っていた(・・・・・)からこそ、ここに来たのだ。

 それを目の当たりにして自分が怒っては本末転倒。自身やるべきことは、そういった魔法使いにも理解してもらうことなのだから。

 

 魔法世界と現実世界

 魔法使いと非魔法使い

 魔法と科学

 それが手を携えなければならないときがもうそこまでやってきているのだから。

 

 だから……

 

「でもいきなり刀なんか振り回したらアカンよ」

「はぅぅ。申し訳ありません……」

 

 自分たちのことを思ってくれている小さなナイトに微笑みかけながらもきっちりとくぎを刺しておいた。

 一瞬嬉しそうな表情になったシロだが、指を立てて注意する咲耶に再びシュンとなった。

 

 ころころと変わる犬耳の少年の様子にコンパートメントは微笑ましい笑いに包まれた。

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 特急を降り、牽き馬の居ない馬車に揺られて到着したホグワーツ城。

 昨年とは違い、咲耶は同級生とともに大広間の在校生テーブルについていた。

 

 真紅と金色のグリフィンドール

 青と銅のレイブンクロー

 緑と銀のスリザリン

 

 そして咲耶の居るカナリア・イエローと黒のハッフルパフ。

 

 目の前にはたくさんの皿が並んでおり、校長の挨拶が終わり次第魔法で料理が運ばれてくるが、今はまだ空っぽ。

 特急での長旅による疲れや空腹感、そして久々に戻ってきた学校の雰囲気にざわざわとしながら新入生の入室を待っている。

 

「見て見てサクヤ。本物のロックハート様よ」

「サクヤはそれよかスプリングフィールド先生だよな。まあ、あの二人が並ぶと絵にはなる、か……?」

 

 思考にお花を咲かせているフィリスの横で、リーシャが茶化すように笑いかけた。

 二人の言葉に咲耶は、なははと軽く笑いながら視線を教職員席の方に向けた。

 

 生徒席から離れ、正面に並ぶ教職員のテーブルには数人分の空席を残しつつも大方埋まっている。

 教職員のテーブルの一席には夏休み前に会って以来のリオンの姿があり、その横にはにこやかな顔で何か話しかけている新顔の先生の姿があった。

 ブロンドヘアーで淡い水色のローブを纏い、隣のリオンに話しかけながらも頻繁に生徒の方にきらりと歯を見せて笑いかけている。

 

 話しかけられているリオンは、相槌を打つでもなく、話返すでもなく、いらいらするでもなく、言葉が単に右から左にスルーしているような感じで別の事を考えているような様子だ。

 

 久方ぶりに見るリオンの姿に咲耶は頬を緩めて少し彼を見つめた。

 

 今日のリオンの髪は、半月を過ぎてそろそろ月が満ちようとするころなので赤がなくなりほとんど白金の髪の色をしている。

 咲耶がじーっと見ていると、リオンはその視線に気づいたのか、あるいは気づいていて逸らしていたのを観念してか、咲耶の方へと視線を向けた。

 

 視線があって咲耶はえへへーと笑いかけると、リオンはふんっと鼻でも鳴らしそうな感じで顔をそむけた。ただよく見ると口元が少しだけ微笑んでいるように見えた気がして咲耶は嬉しくなり、

 

「見てサクヤ。ロックハート様がこっち見てるわよ」

 

 隣のロックハートがリオンの視線に気づいたのか身を乗り出して咲耶の視線に入ってきた。そしてきらりと輝く歯をこちらに向け、それを見てフィリスが「きゃー」と黄色い声をあげた。式の途中なので小声ではあるが、周囲に花でも飛んでいそうな勢いだ。

 

 ざわつく広間を鎮めたのは扉が開く音だった。

 

「おっ。来たな」

 

 厳格さが歩く姿や顔にも滲んでいるかのようなマクゴナガルが新入生を引き連れて入場してきた。

 緊張している様子の新入生たち、中には特徴的な燃える様な赤毛のジニーの姿もあり、席につくまでに目が合った咲耶は微笑みかけて軽く手を振った。

 

 組み分け帽子が各寮の性質を告げる歌を、去年とは少し変わった詞で歌うと、マクゴナガルが新入生の名前を順に呼んで組み分けが始まった。

 

 組み分けは何事もなく進行した。

 昨年のようにとりわけ有名人がいるわけでも留学生のようなイレギュラーがいるわけでもないので儀式自体は平穏無事なものだった。

 ちなみに列車の中で一緒だったジニーはウィーズリー家の伝統なのか、兄たちと同じくグリフィンドールへと選ばれている。

 ジニーが選ばれ残り数人となった組み分け。咲耶は真紅と金のシンボルカラーで彩られたテーブルへと歩いて行くジニーを眼で追い、

 

「あ」

 

 気づいたことがあって思わず声をもらした。

 

「どしたサクヤ?」

 

 咲耶の声が聞こえたリーシャが小声で尋ねた。

 

「あ、うん。グリフィンドールの席にハリー君やっぱ居らんなーって思て」

「ホントね。やっぱり、シロが言ってた赤い車で飛んでたってことかしら?」

 

 咲耶は注意深く、友人の姿を探してみたが、やはりあのくしゃくしゃと癖のある髪の毛の眼鏡の少年の姿は見当たらず、フィリスも少し心配そうに呟いた。

 

「まっさかー。見間違いだろ? 駅まで来てたらしいし車で来る理由ないじゃん」

「まあそうなんだけど……」

 

 深刻そうなフィリスに対して、楽天的なリーシャ。

 たしかにリーシャの言うように、わざわざ駅のプラットフォーム前まで来ていて、一緒に来ていた友人兄弟は列車に乗っているのに、二人だけ乗らずに別手段を用いるというのもおかしな話だ。

 もしも乗り遅れたとしても、組み分けのある新入生でもないのだから、今日の始業式に参加できないからといってとりわけ困った事態になるわけでもなし。

 乗り遅れていても周囲には大人の魔法使いも大勢いるし、保護者のウィーズリーさんたちもいたのだろうから、学校に連絡をとる手段も、来る方法もあっただろう。

 

 シロが言っていたように子供二人で空飛ぶ車を運転して特急を追いかけるなんて、目立つ真似をせずとも対処の仕様はいくらでもあろう。

 

 

 ただ残念なことに、のんびりと始業式に参加することができた彼女たちは、学期初めの重大イベントを原因不明の理由で逃してしまったという、まだ幼い子供にとってパニックを起こすに値する状況を想像することができていなかった。

 そしてパニックを起こした行動力ある少年たちがどのような手段にでるかもまた…………

 

 

 その後

 

 ハリーが同寮の友人と共に空飛ぶ車で学校にやってきて校庭の暴れ柳に突っ込んだという噂が衝撃とともに学校を駆け巡った。 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

喧嘩するほど仲が良い

 仄明るい朝日が照らす寮の一室。

 ごそごそむくりと起きた一人の少女が「んーー」と伸びをした。

 枕元では白い毛達磨、もとい体を丸めた白い毛並みの子犬のような狼が首をかかげて黒の瞳で見返した。

 

「おはようさん。シロくん」

 

 咲耶はそのもふもふとした毛並みに手を沈めるように頭を撫でて微笑みかけた。

 

「よっ! と。んーーっっ! ……っし。はよ! サクヤ!」

「おはよう、リーシャ」

 

 隣のベッドではしなやかな体をバネのように弾ませて跳ね起きた友人が咲耶と同じように伸びをしてから元気に挨拶してきた。

 互いに顔を見合わせると、なんとなく嬉しくなってえへへと笑い、リーシャも朗らかな笑みを浮かべた。

 

 ホグワーツ2年目。そして4年生の生活が今日から始まる。

 

 

 

 第23話 喧嘩するほど仲が良い

 

 

 

 朝の大広間

 

 常ならばガヤガヤと楽しげな会話があちこちから聞こえる朝の憩いの時間は、大音量の怒声に掻き消されていた。

 

「車を盗み出すなんて、退校処分になって当たり前です!!! 覚悟してなさい!!! ――――」

 

 何倍にも音量を拡声された女性の怒鳴り声はテーブルの上の皿やスプーンもガチャガチャと震わせており、大広間に居た生徒たちはこぞってその音源を探していた。

 キンキンと鳴り響く喋る真っ赤な手紙 ――吼えメールを受け取ったグリフィンドールの2年生、ロンは椅子の上に身を縮こまらせていた。

 その様は嵐が過ぎ去るのをジッと耐える小舟のようで、隣に同乗しているのは同じく先日“やらかしてしまった”ハリーだ。

 

「――――今度ちょっとでも規則を破ってごらん!! わたしたちが! おまえをすぐに! 家に引っ張って帰りますからね!!!!!」

 

 耳が痛くなるほどの余韻を残して、仕事を終えた手紙は小さな炎を上げて燃え上がり、ぶすぶすと灰になった。

 呆然としているロンとハリーの様子に広間のところどころでくすくすと笑い声が上がり、おしゃべりが戻った。

 

 

「まあ、あなたたちが何を期待していたかは知らないけど、ロン。あなたは……」

「自業自得だって言いたいんだろ」

 

 溜息をついたハーマイオニーが、読んでいたロックハート著の本を閉じて言おうとした言葉を遮って、ロンはぶすっと不貞腐れたように噛みついた。

 

 昨日、校内に流れた噂はデマではなく真実だったらしい、というのはこの一件で証明された。

 

 特急に乗らなかったハリー・ポッターが友人と共に空飛ぶ車で登校し、校庭の暴れ柳にダイブをかましたという噂だ。

 ちなみにその情報は、学校内のみに留まらず、キングス・クロス駅周囲などで一般人にも目撃されており、イギリス魔法界の購読新聞、日刊預言者新聞に堂々と記事にされていた。

 その結果、車の持ち主であるアーサー・ウィーズリー ――ロンやジニーたちの父親で魔法省、マグル製品不正使用取締局、つまりはこういった事案を取り締まる役人―― が、魔法省から取り調べを受けるという事態にまでなっていた。

 

 その結果が、ロンの母親であるモリー・ウィーズリーから届いた先の吼えメールだ。

 

 彼らにとって幸いと言っていいのか、罰則こそ受けるらしいが、まだ学期が始まる前のことであったことにより寮の減点は行われず、また学校への登校途上の出来事ということで“未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令”は学校監督ということにより免れたらしい。

 

 彼らにとって仕方ない理由があったためか、はたまた前夜はその派手な登校の仕方に賑やか好きなグリフィンドール生がお祭り騒ぎでもてはやしたためか、注意を受けたロンには今一つ反省の色が薄いようにも見える。

 

 一方でとばっちりを受けたのは、先輩であるハーマイオニーの近くに座っていたジニーだ。兄の恥ずかしい姿を間近で目撃してしまったために恥ずかしそうに顔を伏せている。

 

「ぅおぅ。マジで車で飛んで来たんだな」

「あっ。リーシャ。おはようございます……」

 

 感心したような声で話しかけてきたのはジニーにとって先日初めて会った他寮の先輩、リーシャだ。

 落ち込んでいるハリーと顔を顰めているハーマイオニー、そして拗ねている兄に囲まれたジニーは、朗らかなリーシャの言葉に場の空気を変えられたのを感じてほっとしたように顔を上げた。

 

「おはようさん、ジニーちゃん。ハーミーちゃんとハリー君もおはよう」

「おはよう、サクヤ」

「あっ、おはよう。久しぶりだね、サクヤ」

 

 リーシャの隣には咲耶の姿もあり、ハーマイオニーだけでなく、友人との再会にハリーも少し気分が上向きになったようだ。

 

「しかし、すげーことすんな。マグルの乗り物であの暴れ柳に突っ込んだんだって?」

「そんなつもりじゃなかったんだ……」

 

 リーシャのそれは呆れているというよりも関心の割合が強いように見えたが、ハリーは後ろめたさが強いのか、言い訳めいたような顔で咲耶たちに視線を向けた。

 一方、咆えメールを受け取ったロンは、バカにされているように受け取ったのか不機嫌そうに睨んできていた。

 

「なんでか9と3/4番線の入り口がしまっちゃって。通れなかったんだ」

「通れなかった……?」

 

 ハリーが唇を尖らせて言った言葉にフィリスが眉をひそめた。

 今年で4年目。すでに4度、往復を別にしてカウントすれば8度。あの入口を通過しているが、未だに通れなかったことは一度もないし、そんな話を聞いたこともなかった。

 本当に通り抜けられるか不安だった1年目の時でも問題なく通過できたのだ。2年目の、まして家族が先に通過した直後にいきなり通れなくなるなんてどう考えても違和感しか覚えなかった。

 

 訝しげな表情になったフィリスに、ハリーとロンは信じられていないと思ったのか、ムッとした表情になった。

 

「本当だって! しかも最後の最後で打ち返してくる木に突っ込むし。俺たち信じられないくらいついてなかったんだよ!」

「あ、信じてないわけじゃないの」

 

 イラついているのかやや強い口調のロンに、フィリスは反射的に自分の表情がどう受け取られたのかを察したのか咄嗟に否定の言葉を口にして、気になることがあることを告げようとした。だが

 

「フィー。一限目は魔法薬学。そろそろ行った方がいい」

「あっ、そや!」

「げっ! たしかに。一発目からスネイプ先生って、遅れるといきなり減点だぜ、フィー」

 

 クラリスが淡々と時間がないことを告げ、咲耶とリーシャもあまり時間がないことを思い出して声を上げた。

 

「そうね。気を悪くしたらごめんなさい。それじゃあ」

 

 まだ文句あるのかと威嚇するように睨んでいるロンに、フィリスは困ったように謝ってクラリスとフィーに連れられるようにその場を後にした。

 咲耶もハーマイオニーやジニーに別れを告げて広間を後にした。

 

 

 ・・・・・

 

 

 

 口うるさい管理人に見つかってもギリギリ早歩きですと言い訳が通じるくらいの速さで急いで地下の教室へと向かっている一行。

 

「フィー。あのロン君のこと嫌いなん?」

「えっ!? どうして?」

 

 咲耶は先程の大広間での別れ際の友人の態度を思い返してフィリスに尋ねた。

 思わぬ咲耶の質問にフィリスはびっくりしたように聞き返した。その様子は動揺が顔に出ており、言外に質問に肯定しているようなものだ。

 

「んー。なんとなく嫌い……というか怖がっとるみたいに見えた気がしたから」

「そういうわけじゃないの……」

 

 意外と見抜いていた咲耶の見る目に、フィリスは困ったように言葉をどもらせた。

 たしかに嫌っている、というほどに先程の赤毛の少年と話したことはないのだろうし、嫌いならば彼の妹であるジニーや、兄たちであるフレッドとジョージの時もなんらかの反応があっただろうが、そんなものは記憶にはなかった。

 

「ウィーズリー家は有名な純血の一族だからな。フィーはああいう強気に言ってくる純血が苦手なんだよ、な?」

「えっ!?」

 

 返答につまっているフィリスの代わりにリーシャが答えた。

 あっけらかんと言うリーシャの言葉に咲耶はいくつかの意味で驚いた。

 

 感情表現のはっきりしたリーシャや逆に知らない人には分かりにくくて気難し目のクラリスとは違い、社交性の高いフィリスにかなり広い苦手なタイプがあったことに対する驚き。

 先ほどのロンが純血。つまり彼の兄妹であるフレッドやジョージ、ジニーたちも純血であること。

 そして同じ純血でも彼らや、そしてリーシャに対しては特に苦手意識をもっているようには見えないこと。

 

 簡単に言ってくれたリーシャにフィリスは苦笑しながら咲耶の驚きの眼差しに応えた。

 

「フレッドとジョージみたいにあんまり気にならない人もいるし、大分マシになってきたんだけど。さっきのはちょっとね……」

 

 マジマジと見つめてくる咲耶にフィリスは微笑した顔をつくった。ただその顔は心配をかけないように無理に笑っているように見える。

 

 思い返せば、たしかにフレッドやジョージのように明るく悪戯好きなタイプやリーシャのように明るく強気なタイプは別として、 ――先ほどの場合は間の悪さもあっただろうが―― 刺々しい感じの純血の人と仲良く話している姿はあまり見ない。

 特急の中でも、あのマルフォイが来た時、フィリスはどこか怯えたような様子が見られたが……

 

 彼女の無理したような微笑みに咲耶がなんと声をかけようかと言葉を探していると、リーシャがいつものとおりの明るい声で話を続けた。

 

「最初は私のこともすっげー怖がってたんだぜ」

「うるさいわね」

 

 にししと笑いながら言うリーシャにフィリスは少し顔を赤くして言い返した。

 先程までの怯えを上書きする感情。切り換えさせる手並みは意図してのものか無意識のものか。リーシャの持つ明るい雰囲気と咲耶よりも長い付き合いがあればこそだろう。

 

「そうなん!?」

 

 咲耶も変わった雰囲気に無意識に当てられてか、先程までの心配したような気持ちは、純粋にリーシャの言葉によってもたらされた驚きに押し流された。

 今の二人の関係を見るに、どう見てもそこに恐怖の感情は見られない。

 

「いつから仲良うなったん?」

 

 興味津々に尋ねてくる咲耶に、フィリスはくすりと笑った。

 

「覚えてないかしら? ほら、魔法薬学の授業でリーシャが私に蜘蛛を投げつけたことがあるって」

「いや投げたわけじゃなくて、躓いたんだって!」

 

 すっかりいつもの調子に戻った様子のフィリスにリーシャが慌てたようにツッコんだ。

 

 思い出は初めての魔法薬学の授業の日のことだ。

 二人の失敗談。

 

「あの後、大ゲンカしてね…………」

 

 懐かしそうに言うフィリス。

 

 

 

 ――昔からたくさんのコンプレックスがあった。

 混血であること。

 たいして魔法力が強くないこと。

 さして頭がよくなかったこと。

 ハッフルパフにしか(・・)入れなかったこと――

 

 たくさんのコンプレックスがあり、自分にはないものを持っている他者が羨ましかった。

 

 純血であること。

 箒の扱いという誇れる特技があること。

 明るく自分に自信があること。

 ハッフルパフに入ったことに頓着しない強い心があること。

 

 フィリスから見て、リーシャ・グレイスという女の子は、妬ましいほどに眩かった。

 

 今でもきっと、そうなのかもしれない……

 

 自分には持っていないモノをたくさん持っているリーシャ。

 強い魔法力と家柄を持つサクヤ。

 レイブンクロー生もかくやというほどの知識欲と努力を怠らないクラリス。

 

 彼女たちに比べて、自分は色々と持っていない。

 

 けれど……

 

「その時からかな。この子に対しては苦手意識をもつだけ馬鹿らしいって思うようになったのよ」

「うわっ。なんかヒデー言い方されてね!?」

 

 諦観したわけじゃない。

 ただ、そんな彼女たちが、自分のことをちゃんと友達として見てくれるのだ。

 コンプレックスを抱いていることが馬鹿らしくなるくらいに楽しい日々をくれるのだ。

 

「へー、そうなんや。じゃあ、クラリスとは?」

「この子ともだいたいその時からよ。この子、私がリーシャと喧嘩してる時も我関せずで本を読んでてね。それでイラついちゃって八つ当たりしたのがまともに口をきいた最初かしら」

 

 興味津々と聞いてくる咲耶に物静かな方の親友との馴れ初めを思い出して答えた。

 視線を向けても特に何か補足しようとするでもなく、ただ照れ隠しにぷいと視線をそむけた。

 

 当時はこういう彼女の小動物的な可愛さが分からなかった。

 自分の事で精一杯だったように、彼女もまた自分の殻に閉じこもりがちだったから。

 

 そして、フィリスがコンプレックスを未だに持ち続けているのと同様に、クラリスの殻もまた、まだ彼女を包んでいることを知っている……

 ただ…………

 

「どやって仲直りしたん?」

 

 咲耶の問いに3人は顔を見合わせて、そして示し合わせたかのようにくすりと笑った。

 

「さぁ? 忘れちゃった。その後もリーシャとはしょっちゅう喧嘩してるし」

「あれ、そやっけ?」

「そーそー。咲耶が来るまでのフィーは口煩いのなんのって」

 

 咲耶が来て、3人の関係も何かが変わったのかもしれない、そんな気がするようなしないような。

 多分、そんなのが気にならなくなるくらい、今が楽しくなっているのだ。

 

「おかげでちっとも読書が捗らなくなった」

「嘘つけ!」「はい、嘘!」

 

 それはクラリスも同様なのか、溜息交じりにとでもいうかのように言うクラリス。

 その言葉にリーシャとフィリスは揃ってツッコミが入った。

 

 4人の笑いが零れる。

 

 

 喧嘩してもその度ごとに仲良くなっていく友達。

 そんな姿に咲耶も、ほんの少し羨ましさを胸に隠して嬉しくなって笑った。

 

 

 ちなみにその後、

 魔法薬学の授業では、去年通り仏頂面のスネイプ先生の授業が、去年以上に難しいレベルで行われ、あまりの難易度にリーシャが煙を噴き出した。

 そして学期早々に減点をくらい、授業後にフィリスに怒られていた。

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

 午前の授業が終わり、お昼休み。

 常であればそれぞれの寮ごとに分かれたテーブルにつく昼食だが、今日のハッフルパフには一人他寮の人物が紛れ込んでいた。

 

「やあ、サクヤ。ダイアゴン横丁以来だね」

 

 ややクセのある金髪の巻き毛をした少年。

 スリザリンの優等生ディズ・クロスがにこりとした笑顔を向けて話しかけてきた。

 

「こんにちはディズ君」

「ここいいかい?」

 

 笑顔で挨拶を返した咲耶。ディズは咲耶と、セドリックやルークを含めた彼女の友人たちに確認するように近くの空席の一つを指して同席を求めた。

 

「おいおい。別の寮のとこに来て大丈夫なのか?」

 

 咲耶としてはなんの問題もなかったので頷こうとするが、ちょっとびっくりしたようにリーシャが尋ね返した。

 一応、テーブルは各寮で別れているのだ。他の寮のところを訪れたからといって、それだけで先生から怒られたりするわけではないが、諍いの種になることは否めない。

 そして騒動になれば当然、先生はじめ周囲から注意が飛ぶのだ。

 

「別にスリザリンのことを言っているのなら今さらだよ。そんなのを気にするよりもサクヤと話をする方が大切だと思うな」

「おおぅ……」

 

 だがリーシャたちの懸念に対し、ディズはいっそ清々しいほどににこやかな笑みを浮かべて言ってのけた。その返答は思わずリーシャが圧倒されるほどで、フィリスは感心したように、クラリスはムッとしている。

 

「ふーん。でもな、クロスが良くても、お前のお友達はそうは思ってないみたいだぞ? アイツら。すっげえ睨んできてんぞ」

 

 一方、近くに座っていた男子陣、ルークは少し離れたところから睨んできているディズのスリザリンでの取り巻きをおっかなびっくり眺めて言った。

 

「彼女たちは頭が固いからね。留学生と話したいのに、寮の違いなんて小さなことに拘っているのさ」

「あの目は、そーじゃなさそーだけどなー」

 

 遠巻きの視線などまるで意に介さず、咲耶の近くの席に座ったディズは、テーブルの上のパンに手を伸ばしてさらりと言ってのけた。

 向けられてくる視線の大半が女子ということをちゃんと理解していて、さらりと言ってのけるハンサム君に、ルークは半眼を向け、セドリックは苦笑している。

 

 孤児院育ちということでスリザリンでは過小評価されることもあるディズだが、飛びぬけて成績優秀で容姿端麗。はっきりしない来歴に目をつぶれば、恋する乙女が視線を向けてきてもおかしくはあるまい。

 

「寮の違いって大きいんやな。ウチ、あの子らとも話してみたいんやけど……」

「あっはっは。話に聞いていたとおり、面白い子だな、サクヤは」

 

 向けられてくる嫉妬という名の感情が込められた視線に気づいているのかいないのか、遠巻きにされていることに残念感を漂わせて言う咲耶にディズは楽しそうに笑った。

 

「ところでサクヤ。たしかこの子犬、この前も連れていたけどキミのペットなのかい? 魔法生物のように見えるけど、精霊魔法かニホンの魔法で制約しているのかな?」

「よく分かるね。それ、普通の犬じゃないことに」

 

 愉快そうな笑顔を浮かべたまま、ディズは咲耶の足元で自分をジッと見上げているシロを見つめて尋ねた。

 一見して普通の白い子犬。フィリスたちやハーマイオニーも気付かなかったことをディズは見抜いており、セドリックが驚きに目を瞠った。

 見るのは二度目とはいえ、たしかディズにはシロのことを言っていなかったはずだ。

 

「うん。白狼天狗のシロくん。おじいちゃんからつけてもらった式神なんやけど……なんか今日は機嫌悪そやな……?」

 

 ぐるると威嚇するような声をあげることはない。だが、シロは尻尾を振ることもなく、ジッとディズを睨み付けている。

 彼が不機嫌そうに見えるのは、正確には“今日”だからではなく、“ディズと居るから”、なのだが咲耶は不思議そうな顔で白の頭を撫でた。

 

「天狗……知能の高い魔法生物を使い魔にできるのか…………。本当に興味深いな、サクヤたちの魔法は」

 

 咲耶とシロの様子を観察して、ディズはぽつりと呟いた。

 

 たしかにイギリス魔法族でも屋敷しもべ妖精のように魔法族に従順な魔法生物を従えたり、吸魂鬼のように利害の一致する限りにおいて利用したりはする。

 だが、教科書知識になるが、天狗といえばニホンの山に生息する高位の魔法生物だ。自ら独自の魔法を操ることもでき、人間に牙剥くこともある“闇の”魔法生物の一種。

 

 それを従えている咲耶や、結びつけているだろう魔法の存在には興味を掻き立てられるのだろう。

 

「そうだ、サクヤ。前にも少し話したと思うんだけど、魔法世界のことには凄く興味があるんだ。よければ魔法世界の本とかないかな? ここの図書室にも書店にもなくて困っているんだ」

 

 ディズの言葉に、本好きのクラリスがぴくりと反応して視線を向けた。

 魔法世界のことに関しては、クラリスも自学しようと本を探したのだが、結局見つからず、それならばサクヤに聞いたほうがいいやという結論に達したことがあるのだ。

 だが本があるのなら是非とも自分も読んでみたいのだろう。

 

「んーとな。魔法世界の本て実はこっちに持ってきたいかんのよ」

「えっ! そうなの?」

 

 だが、咲耶から返ってきたのは残念な返答。申し訳なさそうに言う咲耶にフィリスが驚いたように尋ねた。

 

「うん。ウチも昔、魔法世界に行ったとき、記念に持って帰りたかったんやけど、ダメって言われたことがあるんよ」

 

 異界である魔法世界の物は、みだりに現実世界に持ち込んではいけない。

 ここ最近では徐々に、例えば“人”などの行き来が活発化しているが、それでも制限はなかなかに大きい。

 

「そう、か……それじゃあ、その魔法世界に行った時のこと聞かせてもらえないかな?」

「うん! ええよ。えーっと、どんな話がええんかな……」

 

 残念そうに顔を曇らせたディズだが、切り替えたのか微笑みを向けて咲耶に話を尋ねた。

 咲耶は咲耶で、ディズの質問に嬉しそうな笑顔になった。そして話すのならどれがいいのかと、思案するように口元に指をあてた。

 

「そうだね。それじゃあ……―――――」

 

 ディズの質問に答える形で会話が進行した。 

 

 

 ディズが興味を持った話は主に、咲耶から見ての魔法世界とこちらの世界の違いについてなどだった。

 

 

 最も大きな違いは人種。

 一般的な(?)魔法使いが多く住んでいる国があれば、逆に亜人と呼ばれる種族が多く住んでいる地域もある。

 なんでも咲耶の知り合いのお姉さんには、小さな角や猫耳の生えたハーフの女の子が居たりもするらしい。

 他にも空に浮かぶ島々からなる国があったりと、咲耶らしいメルヘンチックな視点の話が多かった。

 

 

 

「へー。その国って、たしか前に言ってた、サクヤのお母さんのお友達が女王様やってる国だったかしら?」

「うん! ウェスペルタティア王国。お空に浮かんどるメルヒェンな国なんやで!」

 

 話が空飛ぶ島の国になったとき、ふと以前おしゃべりしていた時に出たのを思いだしてフィリスが尋ねた。

 咲耶が母に連れられて訪れたことのある魔法世界で最も古い王国、ウェスペルタティア。

 

 話の内容は、とってもハイクラスな内容にも関わらず、なぜか事の大きさが染み込まないのは、咲耶の話すほわほわとした雰囲気からだろうか。

 

 だが、さらりと流されそうになったその部分にこそ、関心を抱いた人物がいた。

 

「王国? 王政の国があるのかい?」

「うん。いくつかそういう国もあるんやって。強くってすっごい綺麗な人が女王様!」

 

 魔法世界の支配階級。

 それは彼にとって何か琴線に触れる情報だったのか、瞳を輝かせて尋ねるディズ。

 

 ディズにとって待ち望んだ話の本題(・・・・)

 もっとも知りたいと思っていたその情報を詳しく問いかけようとしたディズに

 

「ディズさん! いつまでもそんなところに居ないで、こっちで話しましょう!」

 

 ついに堪えきれなくなったのか、スリザリンの席の方から気の強そうな女性が苛立たしげに声をかけた。

 明らかにイライラしているその声に、視線を向けて見ればその周囲あたりからは棘のある視線がいくつも飛んできていた。

 

「うわぁお。なんかそのうち、呪いが飛んできそうになってきたぜ」

「やれやれ。せっかくの時間だったんだけどな。仕方ない。…………。それじゃあまたね。サクヤ」

 

 あまりの眼差しのきつさにリーシャが冗談めかして慄くが、それはあながち的外れという事もなさそうなほどの視線が向けられている。

 流石にこれ以上ここに居ると寮の敵対関係を煽り過ぎると諦めたのか、ディズは仕方なさそうに肩を竦めて席を立った。

 

「うん。またな~」

 

 咲耶も特に引き留めるでもなく、手を振ってディズを見送った。

 

 

 

 

「ディズ君て人気者なんやなぁ」

「あっ。一応気づいてたのね……」

 

 席に戻るなり、あっという間に女生徒を中心としたスリザリン生に囲まれたディズを見て咲耶は感心したように言った。

 てっきり嫉妬の視線など気にも留めていないかに見えた咲耶の言葉にフィリスが苦笑した。

 

「さーて、そろそろ昼休み終わりだけど午後の授業なんだっけ?」

「薬草学」

 

 昼食を終えてディズが去り、休憩時間もそろそろ終わりに近くなっている。

 リーシャが午後の予定を確認するように尋ねるとクラリスが授業日程を確認しながら答えた。

 

「えーっと……ふーん。精霊魔法は明日からで、闇の魔術に対する防衛術の後か」

 

 クラリスが広げた授業の日程表を横から見ながらリーシャはひとまず興味のある科目を確認した。

 一つは昨年たっぷりと実技ができた精霊魔法。

 去年は導入魔法にかなりの時間がとられたが、今年はすでにそこは超えているために何が待ち受けているのかと楽しみな様子だ。

 一方で不安が伴うのは新任の先生が担当する闇の魔術に対する防衛術。

 

「新任のロックハート先生の出番は明日だね」

「あー、もう! 夢みたい! ロックハート先生の授業が受けられるなんて!! 今日、眠れるかしら!!」

 

 数々の闇の力に対する功績のある先生。

 昨年、“二”身上の都合により退職することとなったクィリナス・クィレル教授に代わる新たな魔法先生。

 セドリックは期待しているようににこりとし、フィリスは憧れの君が教壇に立つとあって、それを想像するだけでテンションが上がっている模様だ。

 

「とりあえず去年みたいにニンニク臭がしなきゃ、マシなんじゃね?」

 

 一方で期待よりも不安が大きいのは、本来は実技系科目が好きなリーシャ。

 なぜか ――おそらく彼女自身判然としかねるだろうが―― リーシャはあの新任の先生が授業前からあまり好きではないらしい。

 多くの魔女が憧れているという有名人なのだが、なにかリーシャの気に障るところがあるのだろうか。

 

 とはいえ去年のおどおど教師。教室内にニンニクの臭いを充満させて、ほとんど実技練習をしなかった、あれよりも酷い授業などないだろうという考えからだったのだが…………その考えがむなしい期待でしかなかったことに、彼女たちは翌日になって知ることになるのであった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

驚愕と混沌と迷走と

 教室の前列には女性陣が多く、追いやられるように男性陣が多い教室。

 熱意溢れるフィリスによって、望んでもいないのに最前列に座らされたリーシャ。そしてクラリスと咲耶。

 

「なんで最前列……」

「何ぶつくさ言ってるのよ。最高の席でしょ! ちょっと、教科書を肘置きにしないでよ!」

 

 自分の教科書を肘置きにして、拗ねたように頬杖ついているリーシャに対してテンション高めのフィリス。

 バイブルにも等しい“今年の防衛術の”教科書をぞんざいに扱っているリーシャにフィリスは噛みついている。

 

「はぁぁ……ようやく、この時間が来たんだわ。サクヤ、先生の本は読んだ?」

「うん。“ヴァンパイアとばっちり船旅”読んだけど、面白かった」

 

 夢見心地、といった表情のフィリスは、友人に自分の憧れの魔法使いの著書の感想を求めるように尋ねた。

 友人から返ってきた答えに、ファンとしての議論をしたくなったのか、身を乗り出しかけたフィリス。

 しかし、それを遮るように教室の扉が開かれた。

 

 出入り口のある階段の上を今か今かと待ち望むたくさんの視線が集まる中、開かれた扉から颯爽と登場する一人の魔法使い。

 波打つブロンドの髪を小奇麗に整え、真っ白な歯を存分に見せる様な笑顔を生徒たちに向けた。

 

「みなさん!!」

 

 一声、声を張り上げて生徒たちに静粛を促すと、教室はシンとなった。

 

「今さら名を告げるまでもないと思いますが、ここには留学生の方がいますからね」

 

 きょとんとしている咲耶に向けてウィンクをすると、その周囲に居たフィリスを含めた女生徒がうっとりとしたように溜息を漏らした。

 

「ギルデロイ・ロックハート!!

 闇の力に対する防衛術連盟名誉会員、勲三等マーリン勲章、そして週刊魔女チャーミングスマイル賞五回連続受賞のギルデロイ・ロックハート、現在は――君たちの先生ですね」

 

 教室の後ろの方では冷めた眼差しが、前の方からは大部分、熱い眼差しが向けられ、ロックハートは当然のごとく教室全てを前側のみと同じように認識した。

 フィリスや女生徒がくすくすと笑い、咲耶はいつも通りのほわほわ笑顔でぱちぱちと拍手を送った。

 ロックハートは満足そうにクラスをぐるりと見回し、全ての生徒が教科書を机の上に出していることを見て笑みを深くした。

 

「ふむ。みなさん私の本をきちんと揃えたようだね。たいへんよろしい。

 さあ、今日は最初にちょっとミニテストを行います。心配は要りませんよ。君たちがきっちりと本を読んでいれば答えられる程度のものですからね」

 

 誰が思うだろう。新着1年目の新人教師が初回の授業でミニテストを実施するなどということを。

 リーシャは「うげっ」と小さく呻き、同じような声は教室のあちこちで上がった。

 

 そして、クラスメイト全員を驚愕させる前代未聞のテスト用紙が全員に配られた。

 

 

 

 第24話 驚愕と混沌と迷走と 

 

 

 

 驚愕と諦観が過ぎ去った闇の魔術に対する防衛術の授業。

 その恐るべき授業内容は突飛な授業の多いホグワーツにおいてなお、生徒を唖然とさせるに足るものだった。

 

 初回の授業からのミニテスト。

 それだけならば予習をしっかりと行っていたかどうかという確認の意味合いにとれなくもない。

 

 だが教師の個人的な趣味や好みを延々と解き続けるミニテストなど、誰が答えられるというのだろう。

 いや、まあ、フィリスを始めとしたロックハートのファンの女生徒たち数人は、かろうじて奮闘して得点を上げていたが、興味のない男子生徒たち、そして咲耶やリーシャなどは壊滅的な点数を叩きだしていた。

 なによりも驚愕なのは、そんな壊滅的なテスト結果だったにもかかわらず、教師以外、誰一人として成績の悪さを嘆くことが無かったことだろう。

 テストが終わった後も、ただただ小説紛いの教科書を音読、再現するだけという授業。

 

 今年の防衛術の教師も駄目だったか。

 むしろ悪化してないか? いや、過去最悪の教師だろう。

 

 そういう結論に達するのに今日の授業時間は長すぎた。

 それはファンであるフィリスたちにとってもフォローのしようがないのではと思えるほどだが、ハッフルパフ生たちは困惑の表情と共に教室を後にし、文句の一つも言うことができなかった。

 

 なぜならば

 

「あのー、先生。なんでついてきてるんですか?」

 

 どうやらあまりいい感情を抱いていないらしいリーシャが引きつった顔で尋ねた。

 防衛術の授業が終わり、次の精霊魔法の授業に向かう道すがら、満面の笑みを顔に貼りつけたまま、ロックハート先生が咲耶たちの後ろについてきているからだ。

 ロックハート先生はまるで先の授業は会心の出来だったと言わんばかりの表情だ。

 

「はっは! 君たちはこれから精霊魔法の授業なのでしょう?」

「はい! あの……ロックハート先生も精霊魔法にご興味があるんですか?」

 

 対照的に彼のファンであるフィリスは弾んだ声で嬉しそうに問いかけた。

 向けられる感情がはっきり分かれているのは一目瞭然だろうに、ロックハートにとっては片一方の感情しか入ってこないらしく ――それは当然フィリスの向けてくる方だが―― よくぞ聞いてくれましたとばかりに仰々しくリアクションした。

 

「いえいえ、実は私も精霊魔法の心得がありましてね! スプリングフィールド先生に少し教授しておきたいことがあるんですよ」

 

 自信満々といった様子のロックハートの言葉に、リーシャは胡散臭そうに、フィリスは熱に浮かされたような眼差しを向けた。

 そんなフィリス“の”視線に気づいたわけではないだろうが

 

「ああ、いえ! 勘違いしないでほしいのは、決して私の方がスプリングフィールド先生よりも精霊魔法の使い手として優れていると言いたいわけではありませんよ! ただほんの少し。ほんの少しだけ。私の方が魔法の経験が豊富なだけなんですから」

 

 謙遜なのかなんなのかよく分からないことを注意するように言った。

 自信満々、得意満面にウィンクまでつけて言われた言葉にリーシャはもはや二の句が継げなくなっている様子で咲耶に振り返り、咲耶は苦笑いを返した。

 

 正直、リーシャの見立てでは、この教師があのスプリングフィールド先生よりも強い魔法先生だとは到底思えない。

 本を読むのが基本苦手なリーシャは、彼の“小説”の内容もほとんど覚えていないし、予知能力なんてないから、判断材料は自分で見たことのある魔法力からだけだ。

 そして無論、咲耶にとっては、あのリオンが誰かに魔法で、殊魔法戦闘において後れをとっているというのは意識にも無意識にも欠片たりと入ってくることのないものだ。

 

 とはいえ先生を無下に扱うわけにはいかないし、最早帰れと言っても大人しく引くようには到底見えない。

 

 まるでロックハートがファン集団を引き連れているような感覚で ――おそらく本人だけにとってはだが―― 精霊魔法の教室に到着した。

 

 教室に入り、しばらくはスプリングフィールド先生が来るまで、賑やか教師と待つことになる……かと案じていたが、そうはならなかった。

 

「あれ? スプリングフィールド先生がもう来てるわ」

「まだ、授業まで時間あるよな。つか、なんか教室変わってね?」

 

 教室にはすでに精霊魔法の教師、スプリングフィールド先生が入室していた。しかも昨年までとは教室の黒板が変わっているように見えてリーシャは首を傾げた。

 

 椅子に腰かけて周囲に幾つかの仮想ウィンドウを出していたリオンは、ちらりと生徒たちが入ってきたのに目を向けた。

 暇潰し以上の意味合いはなかったのか、リオンはひゅっと指を一振りして幾つも浮いていたウィンドウを消した。

 リオンの姿に咲耶がぱぁっと顔を明るくして近くに行こうとして、だがそれよりも早くに歩み寄る人物がいた。

 

「ああ、スプリングフィールド先生!」

 

 誰あろうロックハートが大げさに腕を広げて歩み寄った。

 組み分け式の時には馬耳東風で流していたが、流石にこの場で放置するのは逆に鬱陶しい時間が長引くと判断したのか、リオンは舌でも打ちそうな顔で振り向いた。

 顔を向けられたロックハートは、「なにか?」と問われる間もなく、ぺらぺらと喋り出した。

 

「実はですね。私、精霊魔法に関してほんの少し、含蓄がありましてね。先生は実技を主体に授業されるとか。よろしければほんの些細なものですが、ご協力できることもあるかと思いまして……」

 

 ロックハートの後ろでは胡散臭そうなリーシャと熱を帯びたフィリス。そして感心したような咲耶と無表情なクラリス。そのほかにも幾人もの生徒がスプリングフィールド先生の返答がどうなるのかと見守っていた。

 

 自信満々、にこやかな笑顔で自己アピールしてくるロックハートに対して、リオンは

 

「今日は魔法世界に関しての座学をやるつもりですが。それほどお詳しいなら、手伝いなどと言わず、喜んで教壇の場をお譲りしましょう」

 

 絶対零度。彼の得意魔法でも使っているのかと思うほどの眼差しが微笑とともに向けた。

 スプリングフィールド先生の凍てつくような眼差しと、どう考えても分が悪い言葉にロックハートは笑顔を浮かべたままぴしりと凍り付いた。

 

 魔法の実技、であれば何らかの手段があるとでも思っていたのか、想定していた問答集から外れてしまったためか、ロックハートは困ったように視線を泳がせた。

 

「……魔法、世界、ですか…………ああ! そうですね。懐かしい思い出がたくさんある地ですが、語るべきことがあまりにもたくさんありすぎて、私がお手伝いしては、先生の出番を奪ってしまいますね。それではあまりに失礼でしたね」

 

 

 そしてさっきの間はなんだったのかと思うような滑らかな滑舌でペラペラと謙遜の言葉を述べた。

 ロックハートは「座学では先生はお一人で大丈夫ですね」と告げてローブを翻し、そそくさと教室を後にした。 

 ロックハート先生が去ってしまうということで、女子生徒たちは残念そうに彼を見送り、男子生徒たちは冷めた視線で見送った。

 

 

 

 開始前にひと悶着あった授業だが、受講生徒全員が教室につくころにはすっかり騒ぎは収まっていた。

 受講生徒全員と言っても、昨年とは異なり、精霊魔法に興味がなくてただの冷やかしや一応とっておくかという者はこの場にはいなかった。

 2年目の今年の受講要件は、昨年の試験を受けてリタイアしなかった者。

 試験を受けた者は全員パスしたので要件を得ているが、それまでに多くの生徒がリタイアしており、人数は比較的人数の多いレイブンクローとハッフルパフでも、一年生を除く各学年10人にも満たず、最も人数の少ないスリザリンでは、唯一この学年で1人だけであった。

 そんな少人数クラスであるがゆえに、授業は4寮まとめて行われている。

 

「さて、先ほど聞いたやつもいただろうが、実技のみだった昨年とは違って、今年は魔法世界に関しての座学を入れていく。ただし最終的な評価は魔法の実技で行うし、授業でも実技は継続して行っていくから心得ておけ」

 

 

「へー。今年から座学もか~…………」

「寝ないでよ、リーシャ」

 

 昨年末の試験の恐怖。ひよっこ魔法生徒に対して容赦ない試験を課したスプリングフィールド先生の恐ろしさは身をもって知っており、座学の苦手なリーシャはやや不安そうに、そんなリーシャにフィリスは念を押していた。

 

 座学、と聞いてか、スプリングフィールド先生の説明進行を遮るようにスッと一人の生徒が挙手した。

 

「座学のための教科書が指定されていないのですが?」

 

 目で促され、その生徒はおそらくほとんどの生徒が思っていた質問を口にした。

 

「本来魔法世界に関する書物などをこちらの世界に持ち出すことは原則禁止となっている。今回はこの講義のために特別に許可を得て行うこととなっている。だから専門の教科書はないし、まぁガイダンスのようなものだ」

 

 質問に対し、スプリングフィールド先生は、以前咲耶が言っていたのと同じ理由を口にした。

 近年になって、魔法世界は鎖国から融和政策に方針を変換してはいるが、それでもそのつながりを一足飛びに進めることはできず、魔法世界からの物の持ち出しは基本禁止されている。

 現在いくつかの条件を経て、こちらの世界に“純”魔法世界人なども来ることが出来るようになってはいるが、それでもまだまだその制限は厳しい。

 

 その代わりのように、スプリングフィールド先生がヒュッと指を振ると、ヴォン、と言う音とともに黒板に電子映像のような画像データが浮かび上がった。

 

「これが魔法世界図だ。魔法世界の広さはこちらの世界、地球のおよそ1/3程度で、総人口は12億人。そのほぼすべてが何らかの形で魔法を使役、関与している――」

 

 

 魔法世界とこちらの世界が分かたれたのは数千年前のことと言われている。

 その発祥はもはや神話の世界にしか根拠を探すことができない。

 たしかな事としては、文明が発生する以前に二つの世界は分かたれ、鏡のようにお互いに影響を及ぼしつつも、どちらの世界においても人々の間では伝説やお伽噺の存在と思われていた。

 

 

「こちらの世界において数多の国が存在するように、魔法世界においても多くの国が存在している。だが、大きな視点から魔法世界を見るとそれらの国々は二つに分かれる――――」

 

 ひゅっ、と何か合図するように再びスプリングフィールド先生が指を上げた瞬間、目に映る世界が切り替わった。

 黒板に写っていた魔法世界図の画像データは黒板ごと消え、教室風景だった周囲は宇宙から俯瞰するように一つの惑星を見せていた。

 

 

「うおっ! 落ちっっ!!?」

「なにこれ!?」

「これは……惑星……?」

 

 いきなり世界が変わり足場が消失。今にも落下してしまいそうな空間に放り出され生徒たちから驚きと動揺の声が上がっている。

 

「――ざっくり言うと、北の新しき民と南の古き民だ。新しき民というのはこちらの世界の魔法使いと同じようなヒューマンタイプの者のことで、こちらの世界から大昔に魔法世界に渡った者だからと言われている。対して古き民には亜人種のような元々魔法世界に住んでいた純粋な魔法世界人が多いと言われている。もちろん完全に棲み分けているわけではなく――」

 

「ちょっと待って先生!! なにこれ! どうなってんの今ここ!!?」

 

 生徒たちの動揺の声をスルーして、教科書を読み上げるように講義を続けるスプリングフィールド先生に、たまらずリーシャが声を上げた。

 その声に、ようやく生徒たちの動揺に気づいたように……いや、生徒たちの驚いている姿を楽しんでいるように薄く笑っていた。

 

「騒ぐな授業中だ。それにこれはただの映像だ。こっちの魔法にも似たようなのがあるだろ」

 

 あっさりといってのける先生に、生徒たちは互いに顔を見合わせつつも、見えない足場を確認したり、まじまじと周囲の光景を観察し始めたりしだした。

 

「たしかに“憂いの篩”でもこんな感じだけど……こんな感じかな?」

「いや、あれたしか記憶を見る道具だろ。まさか先生がこの景色見たわけじゃ……ない、よな?」

 

 たしかに、彼らの魔法にも記憶を保存し、観察、追体験することが出来る“憂いの篩”という道具がなくはないが、周囲の景色は圧倒的な迫力をもっており、セドリックやルークのように魔法の世界に慣れた者でも戸惑いはかなり大きいようだ。

 

 ざわついている間に、景色の中の惑星はどんどんと大きく ――惑星に近づいていき、あっという間に空の上に立っていた。

 景色はどんどんと移り変わり、ロンドンのような高層建築物が聳え、巨大な飛行機 ――マグルの空飛ぶ機械―― のような何かが空を覆っている景色が映し出された。

 

「さて。まず新しき民が多く住む北の国だが、これが代表的なメセンブリーナ連合の首都、メガロメセンブリアだ。今見えているのは、この巨大魔法都市国家が有している空挺魔導艦隊だな…………あの変態マッドめ、なんつーとこの映像を用意してんだ」

 

 湾岸に聳える街並み。覆い尽くす艦隊の威容に生徒の間から「おおっ」と感嘆の声が上がる。

 街中にはあまりこちらの魔法使いとは変わらないようなローブ姿の人から、一見するとマグルと見分けがつかないほど“きっちりした”魔法使いの姿があった。

 

 ちなみに後半、ポツリと毒づく言葉は幸いにも迫力満点の風景に驚嘆している生徒の声に掻き消えた。

 

 そして景色が切り替わった。

 ジャングルのような景色。砂漠のような景色。“氷河に覆われていない”渓谷。

 

 そして再び街並みの姿が映し出された。

 

「これが南のヘラス帝国の首都ヘラスだ」

 

 ヘラスの景色は先程のメガロのように圧巻の空挺艦隊などはなかったが、その代りその街にはたくさんの獣人の姿があり、別の意味で生徒をぎょっとさせた。

 

 イギリス魔法族の間で忌み嫌われる狼男のような獣人。

 その他にも猫耳の生えた獣人。小さくふわふわと漂っている妖精。クマのような、というよりもクマそのもののような獣人。大きな角の生えた竜人などなど

 

 マグルと魔法族のような服装でしか分からない違いや、純血と混血のように見た目からでは全く分からない違いなどではない。

 

 明らかに“種族”が違うと分かるような衝撃的な映像が流れ、

 

「このように南の国には亜人種が多く住んでおり……ん?」

 

 突然、映像がぶれて、街中の映像からどこかの室内のような映像に切り替わった。

 

 生徒たちが「おやっ?」とした顔になるが、リオンもまた想定していなかった事態なのか訝しげな表情になった。

 

 

 そして

 

 

<ここからはリオポンに代わって、ボクらがヘラスてーこくの魅力を説明するよ!>

 

 驚愕と恐怖と迷走の時間が始まる。

 珊瑚色の髪の活発な少女のような人物が満面の笑みではっちゃけていた。

 

<あわわダメです、おねーちゃん! リオポンに怒られるです!! 事前検閲で気づかれちゃいますよ!>

<大丈夫! サクちゃんのちょっと変わったあの魔力を条件指定にして発動させればいいのだよん!>

<そ、そうですか?>

<それにパルルンに頼めば喜んで編集してくれるよ!>

<そうですね! パルルン頼もしいです!>

 

 今度は双子かと見紛うばかりのそっくりの顔の女の子が現れて騒ぎ始めた。

 どちらの少女も年の頃は生徒たちよりも年下のように見えるが……

 そっくりな顔の二人だが、よく見ると一人には頭部から生える一本の角。もう一人には猫耳が存在している。

 

 先までの驚嘆とはまったく別のベクトルで唖然とする教室。

 踊るように跳ねながら何かを始めようとする女の子。

 

<と、いうわけで、いつもしかめっ面でカッコつけてるリオポンに代わって、ボクたちがヘラスてーこくの大人な魅力をしょ――――>

 

 その映像が、今度は何の前触れもなく消えた。

 二人の少女の姿だけではなく、街並みも先程までの見知らぬ室内の映像も消えており、見知ったホグワーツの教室の光景へと戻っていた。

 

「あり? 今度は教室に戻った?」

「なにが……ひっ!!」

 

 きょろきょろと消えた映像を探すように周囲を見回すリーシャ。

 ほかにも多くの生徒が訝しそうな顔をしており、不意に教室の前の方から冷気が漂ってきて、振り向いたフィリスが戦慄の声を上げた。

 

 ツンとした雰囲気のリオンに慣れている咲耶も「あわわ、あわわ」と慄いており、ましてどちらかというと冷たい雰囲気が漂うスプリングフィールド先生に畏れを抱いている生徒たちは、先程の笑える光景が、まったく笑えるものではないことに気がついた。 

 

 

 そして

 

「このように南のヘラス帝国には亜人種が多く住んでおり」

 

 

 ――スルーした!

  やり直した。

  リオポン…………

  リオポンって……――――

 

 

 何事もなく授業は再開した。

 ただし、その声には有無を言わさぬ圧倒的な威圧感が込められていた。

 

「さ、サクヤ。さっきの……」

「しっ! やめなさいバカ!」

「あわわ、あわわ……」 

 

 夏のイギリスのはずなのに、見れば窓のガラスはピキピキと音を立てて霜を発生させているし、漂ってくる冷気はまるでドライアイスでもあるかのように白い霧を出している。

 

 慄きながら咲耶に先程の光景を尋ねようとしたリーシャだが、その口は咄嗟にフィリスによって塞がれた。

 

「亜人についてもおいおい講義は行うが、簡単に言うと獣人や魔人、妖精種などだ。彼らは一般的にヒューマンタイプの魔法使いよりも魔法力に優れており、身体能力の面においても優れているとされる」

 

 悪戯好きと評判のグリフィンドール生。

 気ままでマイペースなハッフルパフ生。

 好奇心旺盛なレイブンクロー生。

 成績優秀なスリザリン生。

 

 個性豊かな生徒たちもいる教室はこの時、一つの意識を共有させていた。

 それは魔導艦隊という圧巻の軍事力を見せつけたメガロの時よりもなお深い恐怖。

 

 ――ヘラス帝国、なんて恐ろしい…………――

 

 悪戯を仕掛けるのならその責任もちゃんととって欲しいと心底思う生徒たちであった。

 

 

 

 

 奇妙なほどに淡々と話されたヘラス帝国の内容が終わり、再び教室はどことも知れぬ街中へと景色を変えていた。

 

「魔法世界には他にも連合と帝国どちらにも属さない中立国家が幾つか存在する。代表的な国としては世界最大の独立学術都市国家アリアドネー」

 

 街並みとしてはヘラス帝国に似ているが、ここには亜人だけでなく、人の割合が増えており、どことなく通りの人は落ち着いた雰囲気があるように見られる。

 

「学ぼうとする意志と意欲を持つ者なら、例え死神でも受け入れるという都市国家で、魔法世界がこちらと融和政策に転換してからは日本の麻帆良と姉妹都市提携を結び相互留学生などの制度を持っていることが特徴だ」

 

 幸いにも今度は映像が途切れる“不幸”は起きず、終始落ち着いた街並み。そして説明にある学術を重んじる気風を表すようにどこかの学校の授業風景などが流れていった。

 その中で気になる説明があったのだろう、セドリックがスッと挙手し、スプリングフィールド先生が促すように視線を向けた。

 

「先生。どんな人でも、っていうことは例えば私たちが行くことはできるんですか?」

「できなくはない。ただそのためにはまず魔法世界に行く必要がある。そして現状、貴様らが魔法世界に自由に行く方法はないな」

 

 たしかにアリアドネーでは、学ぶ意欲さえあれば、賞金首相当の犯罪者であっても受け入れられた“前例”が確かに存在する。

 しかし、そもそも魔法世界に入れなければ、アリアドネーに行くことそのものができないのだから、現状、行くことのできない彼らが留学したいと言っても通ることはないだろう。

 

「最後に魔法世界の文化発祥の地と言われるウェスペルタティア王国、王都オスティアだ」

 

 再び周囲の景色が変わる。

 風が強いのか白い雲海を進むように景色が流れる。

 そして

 

「おおっ!!!」

「島が浮いてる!」

「…………」

 

 見えてきた景色に生徒が感嘆の声を上げた。

 表情の変化が見えにくいクラリスですら、驚きに目を瞠っており、景色の壮大さに圧倒されている。

 

「これは……スゴイ景色だね……」

「ああ……」

 

 セドリックも思わず、といった様子となり、ルークも一大スペクタクルのような景色に吐息を漏らした。

 

 空に浮かぶ島々。

 大小いくつかの島々が雲の狭間からその姿を覗かせており、その中でも一際大きな島には街並みが形成されており、都市としての態を為している。

 

 この仮想旅行の最終目的地であるそこに、見える景色がぐんぐんと飛ぶように近づいていく。

 

 ギリシャの古い街並みのように威厳ある建築物。

 賑わいを見せる大通り。

 空を見上げれば、小さな岩塊が浮かんでいたり、今学期の始めに噂になったもののように空飛ぶ車やバイクなどが走っていたりする。

 

「この国は、半世紀ほど前に勃発した魔法世界全土を巻き込んだ大戦末期に、未曾有の巨大魔法災害に見舞われて、王都が崩壊。国として一度は滅亡したが、その後メガロの管轄下を経て、15年ほど前に再び独立。魔法世界最古の王族の末裔を女王として復興を果たした国だ」

 

 浮遊している島は、よく見ると高く雲がかかる程の高さやさらに上にある島もあるが、逆に地面からわずかにしか浮き上がっていない島などもたくさんあった。

 

 

「これがウェスペルタティア王国…………」

「なんか……すっげえ国なんだな」

 

 絶景の眺めを見ながら呟くフィリスとリーシャ。

 それは眺めの美しさもあるが、この景色が一度は大災害に見舞われて復興したという力強さも兼ね備えたものだからかもしれない。

 

 景色は街から一つの大きな建物へと進んでいく。

 一人の女性の魔法使いとそれに付き従うように盾と大剣を持った男性の騎士の像がある建物。

 

 そしてその建物の中、ドレスを纏った女性が居た。

 

「これがその女王。アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアだ」

 

 オレンジ色の長い髪を腰ほどまで伸ばす美しい女性。

 強い意志を秘めたような瞳は緑と青という左右で異なる色を鮮やかに輝かせている。

 

「名前長っ!! でも、キレーな人だな」

「オッドアイって、初めて見たわ」

 

 彼女らの友人、サクヤを初めて見た時もお姫様のような可愛らしさを感じたが、映像の景色の中に立つ女性は、また異なる美しさを全身で顕しているようだった。

 

「かつてアスナ・ウェスペリーナはこちらの世界で生活していた経験もあり、魔法世界とこちらの世界の友好関係に非常に協力的だ。この授業の映像資料も女王直々に監督と認可を出している」

 

 

 

 魔法世界の仮想旅行を終え、周囲の景色は教室のものへと戻った。

 実際には教室に居たままだったとはいえ、視覚ではほとんどずっと宙に浮かんだような状態だったため、たしかに地面を知覚できたことに生徒たちは不思議な感触を感じてもいるようだ。

 まして先程まで圧巻の景色の連続は、覚めた今でも残る夢のような心地を与えていた。

 

「さて。以上で魔法世界の座学のガイダンスを終わるが、ここまでで質問は?」

 

 教室の前壁に設置されている黒板らしきものになぜかエンドロールのようなものが流れているが、完全にスルーしながらのスプリングフィールド先生の質問。

 生徒たちは夢か現かすぐには判然としかねる様子で顔を見合わせており、思い切ったのか唯一のスリザリン生 ――ディズがスッと手を挙げた。

 

「魔法世界とはどこにあるんですか?」

「魔法世界は異界にある。その往来はゲートと呼ばれる特殊な転移魔法によってのみ行われる」

 

 ディズの質問に応えるように黒板には、普通の世界地図が映し出された。

 注目して黒板を見ると地図の中には幾つかの光点が明滅している。

 

「ゲートは魔法世界とこちらを1対1の関係で結び、イギリス、日本、トルコなど世界でも数か所の都市でしか設置されていない」

 

 光点はイギリスにもあるが、その位置はかなり漠然としていて明確な位置は分かりそうにない。

 

「幾つもの申請を経た上、特殊な手順をもってしか辿りつけないため、許可なく往来することはまず不可能とされている」

 

 

 

「サクヤは行った事あるって言ってなかったっけ?」

「うん。ウチの場合、日本にあるゲートからお母様に連れていってもらったことがあったんよ」

 

 行くことはかなり難しいというように言う先生の説明だが、行った事があるという咲耶にリーシャが尋ねた。

 

 日本は麻帆良の地下にあるゲート。

 そのゲートこそが、ウェスペルタティア王国の王都オスティアへと通じるゲートであり、ウェスペルタティアが復興した際にそのゲートも修復されていた。

 

 ちなみに、イギリスにあるゲートを諸事情により使えないリオンが専ら使用するのもそのゲートである。

 

 魔法世界に行ったことのある咲耶ではあるが、そうは言っても自由気軽に行けるわけではなく、数回だけ母であり、“マギステル・マギ”である近衛木乃香の帯同と女王であるアスナのきっちりとした許可があってこそ認められたものだ。

 

 

 

「かつて魔法世界は種族の違いや幾つもの理由から対立、戦争にまで発展していたが、現在は大戦争を経て安定期となっている。特に今はウェスペルタティア王国の女王を橋渡しにして現実世界と魔法世界の融和方針をとっている」

 

 授業ももう終わりに近づいているのか、リオンは黒板のウィンドウも落した。

 

「本来であれば魔法世界の成り立ちから生活なんぞも説明するところだが、今期の授業の座学では主にメガロとヘラス、そしてウェスペルタティアを中心にした魔法世界の代表的な国の説明が中心だ」

 

 最後の締めの説明として、今期の予定を告げたところで、驚きの連続だった今期最初の精霊魔法講座は終わりを迎えた。

 

 

 

 

 




おまけ

授業資料 ”魔法の世界から”

エンドロールより一部抜粋

映像提供・認可
ウェスペルタティア王国女王 アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア

メガロ映像提供
ゆーな☆キッド(検閲削除)
→元老院議員 クルト・ゲーデル

ヘラス映像提供
ナルタキニンジャ クノイチ
ナルタキニンジャ クノニ

アリアドネー映像提供
コレット・ファランドール(検閲削除)
→魔法探偵 バカブラック、総長 ベアトリクス・モンロー

ウェスペルタティア映像提供
女王様の親友その2
女王様の親友その3

音響、映像編集
ロボ子、ちうちう

総監督
パルさま(検閲削除)
→神楽坂明日菜(削除)
→バカレッド

制作
永久に輝け3-A! ドキッ☆女だらけのネギ君を玩具にし隊制作委員会

スポンサー
雪広コンツェルン、那波重工、謎の火星征服軍団“超包子”



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

這い出でる闇

 校内でも人が近寄らないことで知られるとある場所で、一人の魔法使いが険しい表情である物を睨み付けていた。

 

「これは…………仕掛けが動いている?」

 

 彼がそれを見つけたのはすでに1年以上前。

 数多の魔法使いが探したそれを見つけることができたのは、長いホグワーツの歴史でも、彼を含めて2人しかいなかったはずだ。

 

 だがその聡明な頭脳をもつ彼をもってしても、未だにその仕掛けを解除することができていない。

 なんらかの特殊な魔法がかけられているのか、それとも伝承通り、資格が必要なのか。

 

「これに気づいた奴、いや、部屋を開けた奴がいる……」 

 

 驚くべきことに、彼が丸々1年を費やしてなお破れなかったそれが、開かれた形跡がそこにはあった。

 捜索と開錠には細心の注意を払っていたのだ。少なくとも彼がこの学校に来てから昨年まで、この部屋は開かれたことはおろか、捜索すらされていなかった。

 つまりこれを開けた者は、元々その存在を疑っていた彼が1年半かけて見つけたモノを、たったの1月で探し当て、開錠までしたことになる。

 

 それが意味することは

 

「継承者が居るのか…………」

 

 継承者。

 真にホグワーツで魔法を学ぶにふさわしき者を選定するスリザリンの継承者。

 

 その存在は、彼にとって極めて厄介なモノだ。

 なぜならば、彼と継承者の目指すモノはまるで異なるのだから。

 

 スリザリンなど、千年以上昔の魔法使いの継承者が出てきて今さら何をしようというのか。

 時代は変わっている。世界も変わっている。

 魔法を学ぶにふさわしい者の選定?

 そんなのは時代に逆行するようなものでしかない。

 

 彼にとってそれは許しがたい暴挙だ。

 しかし

 

「扉が開いたのは都合がいい。問題は……」

 

 開くことに資格がいるのならば、どの道彼には開くことのできないものだったのだ。

 それが勝手に開いてくれたのならば、それだけは良しとしておくしかない。

 問題はこの後。

 この中身はなんなのか。そしてそれを継承者がどう使うのか。

 

「秘密の部屋の恐怖。継承者を見つける方が先か…………」

 

 闇が蠢き始めていた。

 

 狩る者。狙う者。傍観する者。

 

 ホグワーツで今、闇の陰謀が進行しようとしていた。

 

 

 

 第25話 這い出でる闇

 

 

 

 10月に入り、空気が冷たくなった影響か、学校では風邪が流行していた。

 ホグワーツの校医、マダム・ポンフリーは先生や生徒の風邪の対処に大忙しとなっていた。

 治癒術士を目指す咲耶は、猛威を振るった風邪の特効薬に大活躍した校医特性の“元気爆発薬”に心惹かれ、保健室を訪れるも風邪を貰ってダウンするというなんとも本末転倒なことをやったりしていた。

 

 風邪の治療に、自分自身で“元気爆発薬”を飲む羽目になり、数時間耳から煙を出し続けるということをしでかして数日、元気になった咲耶は元気溌剌なハーマイオニーからとあるお誘いを受けていた。

 

「絶命日パーティ?」

「そう。ハリーがニック……グリフィンドールつきのゴーストから誘われたの。生きている内に招かれる人ってそうはいないから面白そうじゃない?」

 

 誕生日パーティならぬ絶命日パーティ。

 各寮にはそれぞれ代表的なゴーストがついており、ハッフルパフであれば“太った修道士”、スリザリンであれば“血みどろ男爵”、レイブンクローでは“灰色のレディ”が該当し、グリフィンドールでは皮一枚で首が物理的(?)にくっついている“ほとんど首なしニック”という愛称のゴーストがいるのだ。

 

 どうも先日ハリーは、その“ほとんど首なしニック”から彼の死んだ日を祝う(?)パーティに誘われたらしい。

 

「へー、面白そうやけど……それってお祝いなん?」

「え? あ、えーっと、どう、かしら……」

 

 パーティというからにはお祝いなのだろうが、どうにも祝福して良いものかどうか悩みどころの宴会名だ。

 咲耶の質問にハーマイオニーも困ったように首を傾げた。

 

「よかったらサクヤたちも来ない? ニックは何人でもいいって言ってたから、喜ぶと思うんだけど」

 

 ホグワーツには寮付きのゴーストの他にもたくさんのゴーストがいる。悪戯好きのポルターガイストなんかもいるので、1年以上もホグワーツに居れば幽霊などは見慣れたものだ。

 せっかくの友人からのお誘い、受けたいのはやまやまなのだが……

 

「んー。ごめんやけど、一応公式イベントにはちゃんと出とかなあかんことになっとるから」

「あ、そうよね」

 

 他の友人たちがハロウィーンを心待ちにしているのに加え、一応留学生として公式イベントに出ることは無言の義務になっているところがある。

 ハーマイオニーも全部言われずともそれを察したのか、少し残念そうにしながらも強引には誘いをかけなかった。

 

「ごめんなー」

 

 申し訳なさそうに謝る咲耶。

 それっきり一応心に残りつつも、初めて“リオール”の帯同なしに行くことができたホグズミードイベントや、段々と飾られていく広間の様子に絶命日パーティのことは頭の隅へと追いやられていった。

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

 ハロウィーンパーティ当日。

 

 大広間は昨年と同じように、しかし何度見ても感嘆の思いを抱く光景となっていた。

 たくさんの生きた蝙蝠、中に大人数人が入れるほどに大きなカボチャのランタン。

 

 朝からわくわくが止まらない咲耶や気もそぞろなリーシャのような生徒が楽しみにしていた以上にパーティは素晴らしいものとなっていた。

 

「サクヤ! あっちに美味しそうなタルトがあったんだ! 行こーぜ!」

「はわはわ! リーシャ、リーシャ! あれなんなん?」

 

 金の皿に盛りつけられた豪華なハロウィーン料理にリーシャは咲耶を引っ張りまわして食べ歩いており、咲耶は咲耶で興味の向くままに瞳を輝かせていた。

 

「ん? あれか。あれはたしか……うん。なんかのダンサー!」

「骸骨舞踏団よ。校長先生が余興で予約してたって噂があったけど……素敵ね」

 

 英国魔法界で著名なエンターテイナー、骸骨舞踏団がその華麗な踊りと音楽を披露して広間のあちこちではフィリスのようにうっとり眺める者や興奮している者などが多発していた。

 

 もっとも、リーシャは美よりも食に走っているのか、先程から甘味を取り寄せてはクラリスと一緒になって舌包みをうっている。

 

「ちょっと。リーシャも食べてばっかいないで、ああいうの見なさいよ」

「んぐ? ……ん。いいじゃん。こんだけ御馳走があるんだから、そっちも楽しめってことだろ? あ、ちょっ、クラリスそれは私んだ!」

「名前は書いてない」

 

 ようやく席に落ち着いたかと思えばタルトにかぶりついているリーシャに、フィリスが顔を顰めて注意を入れた。リーシャは頬をハムスターのように膨らませたまま振り返り、飲みこんでからからりと笑った。

 その隙にクラリスがリーシャの確保した甘味に手を伸ばしていたりと、今日も今日とて賑やかに過ごしていた。

 

 クラリスにプロフィトロールを奪い取られたリーシャだが、

 

「ほい。リーシャ」

「んあ? おっ! サンキュー、ルーク!!」

 

 反対側からことりとお皿を置かれて振り向いた。

 お皿の上にはわざわざ彼女たちのために取り分けてくれたのか、甘味がたくさん盛られており、リーシャは満面の笑みを向けた。

 ルークはリーシャのお礼に軽く手を振って応えると自分もその隣の席に腰掛けて、グラスのジュースに口をつけた。

 

「あれ? ルーク君、一人? セドリック君は?」

 

 ただ、そのルークの横にはよく行動を共にしているセドリックが居らず、咲耶が首を傾げて尋ねた。

 

「気になるサクヤ? セドはあっち」

 

 親友のことを尋ねられたルークはにやりとすると少し離れたところで集団になっている箇所を指さした。

 なんだか女性の比率が非常に偏っている集団で、その中にたしかにセドリックが埋もれて見えた。

 

「骸骨舞踏団のショーをぜひ一緒に見てくれって囲まれてんの」

「おーおー。セドのやつ大人気じゃん!」

 

 どうやらパーティのこの機会にハンサムで優等生なセドリックとお近づきになろうと考えている女生徒が多いらしく、囲まれてしまったらしい。

 その光景にセドリックと仲の良い友人であり、クィディッチチームの戦友であるリーシャが口笛を吹いた。

 

「そっ。それでアイツと一緒にいると俺はただのオマケな感じが遣る瀬無いからこっちに避難してきたってとこ」

 

 発言こそネガティブだが、別にルークはそれを嫌なことだとは思っておらず、むしろせっかくのパーティを自由に謳歌できないことを憐れんでいるようにも見えた。

 

「まーまー落ち込むなルーク。お菓子持って来てくれたお前はいい奴だ。うん!」

「そりゃどーも」

 

 ただルークの発言をそのままに捉えたのか、リーシャがバシバシと肩を叩きながら一応のフォローを入れた。

 リーシャのフォローにルークはなんとも微妙そうな顔をしている。

 

 会場のあちこちではダンブルドア校長が用意した粋な計らいにあやかって、多くのカップルが仲睦まじくパーティを楽しんでいる。

 ちなみにフィリスも何人かからお誘いをもらったらしいが、今回は友人たちのお守りをすることに決めていたらしい。

 

「サクヤの方は、去年よく一緒にいたアイツ。えーっと、リオールだっけ? 居ねえの?」

「そういえば見かけてないのよね。この前のホグズミードの時にも来なかったし」

 

 ルークは帰ってくる見込みの立たない友人を見捨ててこちらに居座るつもりらしく、友人が気にかけている少女と親しい謎の先輩について探りを入れてみた。

 フィリスもその先輩のことは、咲耶の友人として、気になっていたらしく、今年に入ってから一度も会えていないことを訝しんでいるようだ。

 

「え、えーっと。うん。ほら! 5年生って、忙しんやろ! 多分それちゃうかな」

「O.W.L試験?」

「そ、そんな感じの!」

 

 リオールの話題が出た瞬間、咲耶はびくっ! と肩を震わせてしどろもどろに言い訳をした。

 たしかに5年生はそれまでの学年とは異なり、進路選択に重要となる最初の試験、O.W.L (普通魔法レベル) 試験が待ち構えており、気の早い5年生ならば準備を始めていなくもない。

 だが、その試験はまだまだ先、学期末の試験シーズンに行われるものだ。いくらなんでも今からパーティにも出られないほど追い込みをかけているということはないだろう。

 

 なんか隠しているんだろーなーとは簡単に予想がつくものの、しどろもどろで焦っている咲耶を眺めていると、フィリスとルークはくすりとした笑いがこみあげてきて、

 

「まっ。忙しいならしゃーねーか」

「そうね。サクヤにはスプリングフィールド先生がいるものね」

「ふぁ、へ? う、うん!」

 

 二人そろって咲耶のお惚けに合わせることとなった。

 

 

 

 昨年はたけなわとなった頃合いに、クィレル元教授が飛び込んできてトロール騒動が起こったが、今年のパーティではその後も歓談のひとときが続き、咲耶たちは何事もなく存分にパーティを楽しんだ。

 

 

 

 ハロウィーンに出席した咲耶たち“は”…………

 

 

 

 ・・・・・・・

 

 

 

 一方……

 

 存分にハロウィーンパーティを楽しみ、満腹となった咲耶たちが寮へと戻っていたころ、逆に腹ペコで非常に困った事態に巻き込まれている生徒たちがいた。

 

 

「猫を殺したのは呪いに違いありません。多分“異形変身拷問”の呪いでしょう。私がその場に居合わせなかったのは、まことに残念です――――」

 

 ナルチシズムを感じさせるたくさんの本人(ロックハート)の壁掛け写真。

 机の上には剥製のような猫 ――ホグワーツの管理人アーガス・フィルチの飼い猫であるミセス・ノリスが死んだように横たわっており、その周囲をダンブルドア校長とマクゴナガル先生が深刻そうな面持ちで取り囲んでいる。少し後ろではスネイプが奇妙な表情で影の中に紛れるように立っていた。

 そしてこの部屋の主であるギルデロイ・ロックハートは深刻そうな先生方の周りをうろつきながら、動かぬノリスの姿を見て悲しそうにしゃくりあげているフィルチにぺらぺらと自分の意見を述べていた。

 

 

 ハリーとロン、そしてハーマイオニーがこの(一人除いて)深刻な空間にいるのは、何も彼らの意思ではない。

 

 とても生者では楽しめそうにない首なしニックの絶命日パーティ(食べ物は須らく腐っており、生の温かみとは対極の冷え冷えとしたパーティ)を抜け出した彼らは、寒さと空腹を何とかするために、ハロウィーンパーティの余り物でもと期待して広間へと向かおうとしていた。

 だがその矢先に、ハリーは謎の言葉を聞きとってハーマイオニーとロンを連れてとある廊下へと向かった。

 

 そこにあったのは、警告を発する謎の殴り書きと石像のように動かなくなったミセス・ノリスだった。

 

 タイミング悪くハロウィーンパーティから帰る生徒の集団と遭遇してしまい、生徒たちからの呆然とした眼差しを向けられた挙句、何かよく分からない警告じみた騒ぎ声を叫んだマルフォイ。

 マルフォイの大声に駆けつけたフィルチ、そしてダンブルドア校長によって彼らはここに連れられてきたのだ。

 

 状況としては極めて悪いのではとハリーは自分で思っていた。

 

 謎の声に導かれて訪れた先で発見したノリスの死体。

 現行犯のように見えただろう先程の状況。

 そして深刻そうな様子でノリスを調べ、何かの魔法をかけるも変化の見られない今の状況。

 

 自身を憎んでいるスネイプの顔が、どことなく笑いをかみ殺しているように見えるのは気の所為ではあるまいとハリーは睨んでいた。

 ハーマイオニーはともかく、ハリーとロンは今学期が始まる前に重大な問題行動を起こしてしまっており、次に何か問題行動を犯した時は、退学になるとダンブルドア校長直々に注意を受けていたのだ。

 それでなくとも、第1発見者だったというだけで、ノリスをこんな目に合わせたのはハリーたちに違いない、などというフィルチの諫言をダンブルドア校長が信じれば、それだけで重大な問題になりかねないだろう。

 それこそスネイプがハリーの退学を切りだすのには十分なほどに。

 

 

「私の自伝に事件解決の顛末が書いてありますが。私が街の住人に様々な魔除けを授けましてね。あっという間に……おや、スプリングフィールド先生?」

 

 ぺらぺらと真偽の怪しい自慢話を繰り広げているロックハート。

 その雑音に忌々しく視線を向けると、ちょうど扉が開き、先生が一人入ってきた。

 

 ロンよりも色の薄い赤髪。整った容姿が女生徒の間で評判の精霊魔法講座の先生。リオン・スプリングフィールド先生だ。

 スプリングフィールド先生の横には小さなフリットウィック先生がついてきており、歩幅が違うために駆け足だったのだろうフリットウィック先生はわずかに息を切らしている。

 

 ロックハートに話しかけられたスプリングフィールド先生はちらりと部屋の中を見回し、机から少し離れたところに立つスネイプ、机に向かってマクゴナガル先生とともにカチコチになった猫を調べているダンブルドア校長を見て、その全員から適度に距離をとって壁にもたれかかった。

 

 

 

 ハリーにとって、スプリングフィールド先生は馴染みがあるようでない先生だ。

 

 昨年、初めて魔法界に足を踏み入れたとき、それを案内してくれた森番のハグリッド。“ハリーにとって”不幸な出来事によって居なくなったクィレル(元先生)。その二人を除けば、現在のホグワーツで最初に遭遇した魔法先生があの先生なのだ。

 

 彼の精霊魔法講座は昨年からハリーも受講してはいる。

 ただ、正直今年の受講は、継続するか否か、非常に悩ましいものだった。

 

 昨年から開講したというこの精霊魔法講座。

 それゆえにマグルの世界で過ごしてきたハリーにとって、他の魔法族の子息たちや先輩と違って、他の授業と特にスタートに差のない授業だったのだ。

 使い慣れない羽ペンを動かす必要のない実技中心の授業。自分同様、周りのみんなもあまりうまく魔法が進捗しないという安堵感。

 なにより、ハリーが初めて魔法界で親しくなった近しい年の女の子。サクヤの使っている魔法ということで、昨年度中は嫌がるロンに対して、むしろハリーはあの授業に乗り気だった。

 

 マクゴナガル先生と同じように逆らってはいけないと思わせられるような厳しい先生だが、同じようなスネイプと比べると非常に公平に思えた。

 スネイプは自分の監督するスリザリンばかりを贔屓して、他寮の生徒、とりわけグリフィンドール生には事あるごとに減点してくる先生で、中でも出来の悪いと評判のネビル・ロングボトムと憎まれているハリーはしょっちゅう減点をされている。

 

 それに比べれば、どこの寮に対しても加点も減点もしてこないスプリングフィールド先生は怖くはあっても納得のできる先生だった。(学年トップのハーマイオニーでさえ、魔法の困難さと座学ほぼなしという先生の授業では加点する機会がない)

 

 むしろ、純血を鼻にかけた嫌味なマルフォイ ――決闘もどきでハリーを陥れようとしたり、ドラゴン事件の際に密告したりしたヤツ―― をクラスから追い出した先生は、ハリーのみならずグリフィンドールでは好評価されていたりするくらいだ。

 

 

 あの“惨劇の期末試験”に巡り合うまでは…………

 

 

 昨年の期末試験。

 事前に課題内容、評価項目まできっちりと通達してくれたスプリングフィールド先生は、見た目に反して実は優しい先生なのではないかと思われていた。

 

 だが、そんなものは全くの勘違いでしかなかった。

 

 試験のあった教室に入って知らされた試験方法は、“半日雪山で耐えること”という、どんな先輩に聞いても、初耳でしかない狂った試験方法だった。

 

 冗談かと思う生徒。雪山といってもちょっと寒いくらいだろうと思っていた生徒。ハーマイオニーのようにこれでもかというほどに準備を整えて試験に臨んだ生徒。

 そんな生徒たちの様々な考えを一瞬で凍てつかせたのだ。

 

 極寒の上に猛吹雪の雪山で半日遭難しながらも、辛くも命の危機を脱したロンたち生徒が、寮に戻ってからあの先生をどれほど口汚く罵ったかは、想像に難くないだろう…………

 

 ハリーもハーマイオニーや、一緒にいられる時間は短いがサクヤがあの授業を受講していなければ、間違っても今年は精霊魔法を受講していなかっただろう。

 学期前の騒動で杖を半壊させてしまったロンが、「こんな杖じゃ、できるだけ授業を受けないほうがいいだろ?」ともっともらしく受講を辞退したのに引きずられないようにするのには、ハリーにとってなかなかに精神力の必要なことだった。

 

 

 

 そんな先生ではあるが、今この空間をなんとか打破してくれるならなんでもいいと、ハリーはすがるような眼差しを向けてみた。

 

 結果は、すがすがしいほどに無関心という返答だったが。

 

 結局、ロックハートだけが一人陽気にぺらぺらと喋っているこの重苦しい間を破ったのは、ダンブルドア校長の言葉だった。

 

「アーガス、猫は死んでおらんよ」

 

 その言葉に、ハリーはもちろん、ハーマイオニーとロンも俯かせていた顔を上げた。

 ペラペラと喋っていたロックハートが急に口を噤んだ。

 

「それでは。それではどうしてこんな……こんな固まって、冷たくなっているのです?」

 

 めそめそとしていたフィルチが、信じられないとばかりに震える声で尋ねた。

 ミセス・ノリスが死んでない?

 それはハリーたちにとっては好転をもたらす可能性となるかもしれないが、机の上で硬直している猫の姿からは到底そうは思えなかった。

 

 尋ねられたダンブルドア校長は、壁にもたれ掛っているスプリングフィールド先生へと視線を向けた。

 

「……リオン先生の見立てを伺ってもよろしいかの?」

 

 明るいブルーの、全てを見通すような瞳を向けるダンブルドア校長。

 

 意見を求められたスプリングフィールド先生は仕方なさそうに組んでいた腕を解いて壁から離れ、ノリスへと歩み寄った。

 マクゴナガル先生が場所を譲るようにスッと身を引き、スプリングフィールド先生がノリスへと手を伸ばした。

 

 何らかの魔法をかけるつもりなのか、光の玉のようなものが現れふわふわノリスの周りを漂った。

 

 ダンブルドア校長が治せなかったあの状態も、もしかしたら、校長が知らない精霊魔法で治せるかもしれない。 

 念を送るように、じっとその光の動きをハリーは追った。

 

 光の玉は、しばらく漂った後、スーッと特に何も状態を変えることなく先生の手元に戻った。

 残念ながらノリスがいきなり起き上がるという奇跡は起きそうにない。

 ならせめて、状況を良くする言葉を述べてくれ。そう祈っているのは、ハリーだけでなく、隣に座るロンの同様なのだろう。

 

 だが

 

「……さて。私の目には死んでいるように見えますが、ダンブルドア校長がおっしゃられるのなら仮死状態なのかもしれませんね」

 

 ロンが顔を顰めたのが分かった。

 あるいは、彼の中ではスプリングフィールド先生に対する評価はロックハートと同列になった瞬間かもしれない。

 

 ハリーもがっくりと消沈したが、それでも誰かさんたち(スネイプやフィルチ)のように状況を悪化させる要因とならなさそうなだけ、マシと言えるだろう。

 

「……わしの見立てでは――石になっておると見ておる」

 

 ダンブルドア校長とスプリングフィールド先生が少しの間睨みあうように視線を交わして、それから校長先生がゆっくりと見立てを告げた。

 

「やっぱり! 私の見立てもまさにその通りです!」

 

 その瞬間、ロックハートがぱちんと指を鳴らして名推理を披露したかのように言い放った。

 

「ただし、どうしてそうなったのか、わしには答えられん……」

 

 ロックハートの言葉は、誰も聞き留めていないかのようにダンブルドア校長が重々しく告げた。

 フィルチは牙を剥くようにハリーの方を振り返って指さした。

 

「あいつに聞いてくれ!」

「二年生がこんなことをできるはずがない……最も高度な闇の魔術をもってして初めて……」

「あいつがやったんだ。あいつだ!」

 

 怒鳴り騒ぐフィルチ。

 幸いなことに、ダンブルドア校長はこの事態が決してハリーたちによって引き起こされたものではないと確信しているようで、滔々と告げている。

 だが、そんな態度など知ったことかとばかりにフィルチはハリーを指さし

 

「あいつが壁に書いた文字を見たでしょう! あいつは見たんだ。わたしの事務室で……あいつは知ってるんだ。わたしが……わたしが出来損ないのスクイブだってことを!!」

 

 自らの恥とも言えることを告げてハリーを弾劾しにかかった。

 

 

 ・・・・

 

 

 騒ぎ立てる管理人のアーガス・フィルチ。

 リオンは、何を言われているのかよく分かっていない様子の、それでも明確に自分の無実を主張するハリーをちらりと見た。

 

 ダンブルドアは『石化』と言ったが、それはここの魔法から見た場合で、おそらくリオンの知る “石化の魔法”とは違うことが分かっていた。

 

 どのような術式なのか詳細は分からないが、猫は極めて死に近い仮死状態になっている、というのが現状に近いようにリオンは見ている。

 術式が分からない、というよりも、完成していないから特定できない、といったもどかしさがある。

 

 先ほどのよくわからない、といったニュアンスの返答はダンブルドアにとって猜疑心を招くものだったのだろう。猜疑心といっても、本当のことを語っていないという程度のものだろうが。

 

 

 騒ぎ立てるフィルチから、ハリー・ポッターを庇うためではないだろうが、セブルス・スネイプが口を挟み、ハロウィーンパーティの大広間に居なかったことや絶命日パーティに出席していたことを言い合っていた。

 嘘をついてまで何かを隠しているハリーの様子に、スネイプとマクゴナガル、ダンブルドア。3人がそれぞれに意見を述べて、結局ダンブルドアの推定無罪が軍配を上げた。

 

 だがその決定に憤りを隠せないのは、ノリスを屍状態にされたフィルチだ。

 

「わたしの猫が石にされたんだ! 報いを受けさせなければ収まらん!!」

 

 血走った眼で金切り声をあげるフィルチ。

 その様子に心動かされたわけではないだろう。マクゴナガルが不意にリオンの方に向いた。

 

「スプリングフィールド先生。精霊魔法でならあの猫を治せませんか? もしくはサクヤ・コノエにはできませんか? 彼女は高名な治癒術士の娘で、自身も治癒の魔法を修めていると聞いています。一介の生徒とはいえ、彼女ならミセス・ノリスの石化を解けるのではありませんか?」

 

 部屋の注意がリオンに集まった。

 リオンの表情はスゥッと冷え切ったようになり、マクゴナガルを見据えた。

 

「俺は治癒系呪文が苦手だし、アイツの母親でもあのレベルの術式の解呪をできるようになったのは20代に入ってからだ。今の時点のサクヤじゃそのレベルの足元程度だ」

 

 普段他の魔法先生の前ではまだ丁寧で慇懃な口調と態度をとっているリオンだが、今の質問は触れてはいけないところだったのか、口調が厳しい。

 明確な拒絶の意図を受け取ってか、マクゴナガルの口元がきゅっと真一文字になった。

 

 

 

 

 頼みの綱が現れたかと思いきや一瞬で断ち切られてハリーたちもスプリングフィールド先生を睨み付けた。

 フィルチはそれ見ろとばかりにハリーたちを血走った眼で睨み付けようとし、

 

「アーガス、君の猫は治してあげられますぞ」

 

 ダンブルドア校長の穏やかな言葉に、「え?」と虚をつかれて振り向いた。

 

「スプラウト先生が、最近やっとマンドレイクを手にいれられてな。十分に成長したら、すぐにもミセス・ノリスを蘇生させる薬を作っていただけるじゃろう」

 

 ぎすぎすとした空気が支配する室内を解きほぐすかのように、安心感をもたらせるダンブルドア校長の言葉。それに対して、

 

「私がそれをお作りしましょう」

 

 先程から蚊帳の外に放り出されていたロックハートが突然口を挟んだ。

 

「マンドレイク回復薬なんて、何百回作ったか分からないぐらいですよ。眠っていたって作れます」

 

 いちいちカメラが向けられているかのように大仰な身振りをしながらのロックハートの言葉だが、向けられる視線はこの上なく冷たい。

 

「おうかがいしますが」

 

 中でもとりわけ冷たいのは、ホグワーツ魔法魔術学校で長年魔法薬学の授業を受け持つスネイプ教授だろう。

 

「この学校では、私が、魔法薬の先生のはずだが」

 

 スネイプの言葉にとても気まずい沈黙が流れた。

 スネイプの不機嫌そうな様子と泡を食ったようなロックハートの顔に、スプリングフィールド先生はくっく、と笑いを噛み殺している。

 マクゴナガル先生があなたも場を弁えろとばかりに厳しい視線をスプリングフィールド先生に向けた。

 

 

 その後、詮議は終わったとばかりにダンブルドア校長がハリーたちを寮へと返し、事件はその一幕目を終えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

闇の会合

 ハロウィーンの華やかなパーティの直後に起こった痛ましい事件はスリザリンをはじめとした多数の生徒に目撃されていたこともあり、あっという間に校内を駆け巡った。

 3階の廊下に書かれた文章は、フィルチが躍起になって消そうとしたにもかかわらず、消えることなくその異様な雰囲気を放ち続けているのも、噂がもちきりになった理由の一つだろう。

 

 

 第26話 闇の会合

 

 

 事件から一日たち、その事件の起こった現場にリオン・スプリングフィールドは居た。

 

 ロックハートの研究室にて行われた猫の検証とハリーたちの詮議。

 あの時、ハリーたちはスプリングフィールド先生があるいは猫の解呪を行ってくれるのではないかと期待していたりしていたわけだが、彼にそんな意思はなく、探査の魔法によって、仕掛けられた魔法を精査しただけだった。

 

 結局、その探査によっても猫を仮死状態に追いやった魔法の全貌は分からなかったわけだが……

 それでも猫に残っていた残留魔力からすると、使われた魔法は“石化”の魔法ではないとあたりをつけてはいた。

 おそらく何らかの、もっとたちの悪いものが発動し損なったものであるというのがリオンの推測。

 

 そして現在、リオンが事件現場に来たのは興味半分、といったところだった。

 

 所々に焼け焦げた跡。事件当時はあたり一帯が水浸しだったらしいが、すでにその水は跡形もない。

 

 ――こちらの残留魔力は……ほぼなし、か……――

 

 それの意味するところは、少なくともあの魔法をかけたモノは魔界の生物ではないということだ。

 魔獣の中でも魔界の生物であれば、その体自体に強力な魔力を帯びている。

 例えば体毛、鱗、体液。

 隠密行動をとっていたり、数日経っているというのならともかく、何らかの強力な魔法を発動させた翌日であれば、魔力の残痕が残っていてもおかしくはない。

 だが、ここにその気配はなく、強いていえば窓辺の数匹の蜘蛛がガサゴソと窓枠に張り付いているのが違和感と言えば違和感だろう。

 

 ただ幾ばくか細身の月を描き始めているとはいえ、今はまだ“赤髪”の状態。

 探知系の術式が苦手な時期だ。

 

 用事はすんだとばかりにリオンは踵を返そうとして、しかし近づいてくる生徒に気づき足を止めた。

 

「おや? スプリングフィールド先生」

 

 今気づきましたというようににこやかな笑みをハンサムな顔にはりつけている金髪巻き毛の生徒。

 

「こんなところでどうされたんですか? あっ。僕のこと分かりますか? 一応、今年も精霊魔法の授業を受けさせていただいているのですけど……」

「知っている。スリザリンのディズ・クロスだったな」

 

 強者に対して下手に出るようなへりくだった態度。

 リオンは冷ややかな眼差しを向けながら、ディズの名前を呼んだ。名前を憶えられていたことにディズ嬉しそうに顔を歪ませた。

 

「はい。サクヤと、先生のご友人のタカユキさんから先生のことを少し伺ったんです。魔法世界のことや精霊魔法のことで、できれば色々とお話ししたいことがあったので、直接お話しする機会ができてうれしいです」 

 

 咲耶とタカユキの名前にリオンの眉がぴくりと動いた。

 片方は無自覚に、そしてもう片方は分かっていて厄介ごとを押し付けてくる可能性が高く、実際に今、“厄介そうな”生徒と対面しているからだ。

 もっとも、リオンはリオンでタカユキに厄介ごとを押し付けているのだからお相子ではあるのだが……

 

「先生はどうしてここに?」

 

 にこやかな顔のままの質問。

 その質問に、リオンは不快げに眼を細めた。

 

 一瞬。その質問の意図を理解しかねた。

 いや、深読みしてしまったというべきか。

 

 どうしてここ(ホグワーツ)に? そう問われた気がしたのだ。

 

 

 ディズ・クロス

 昨年から継続して精霊魔法を受講している全学年通して唯一のスリザリン生だ。

 そしてリオンにとっては、こちらを探る眼差しを隠そうと“していない”挑発的な生徒でもある。

 

 にこにことした顔の裏には、やはり今もこちらを見定めようとしている気配が感じ取れ、リオンは不愉快そうに鼻を鳴らした。

 

「犯人は現場に戻るともいうからな。昨日の今日だ。意外とひょっこり獲物がかかるかも知れんと思っただけだ」

 

 答えたのは、ディズの質問に対する額面通りの答え。

 

 今回の騒動の主、秘密の部屋の継承者のことが気にかかるのは事実だ。

 なにせ昨日は、“余計な”ことまで話題になってしまい、サクヤのことが今回の件に絡む可能性がわずかながらも出てしまったからだ。

 

 

 彼は治癒系統の魔法を得意としていない。

 それは事実だ。

 体質的に治癒魔法の重要度が低いというのもあるし、基本単独行動を主体にしているから治癒する相手があまりいないというのもある。

 そして今の咲耶が、“永久石化”の解呪をしたころの、つまりは世界屈指の治癒術師として確たる証をたてたころの近衛木乃香(癒しなす姫君)の足元レベル程度というのも事実だ。

 

 だが、リオンが告げた評価を咲耶が聞けば、母と同じ道を目指す彼女は必ず解呪を試みるだろうということが、容易に予想がついた。

 

 出来るかどうかはこの際ともかくとして、できる可能性があると、継承者とやらに知られた場合、無駄に咲耶が狙われる可能性が高まることが予想される。

 

 とっととケリがつけられるのならば、それにこしたことはないと出て来たものの、ホグワーツの歴史に精通しているわけでもないのに、スリザリンの継承者などという話が出てきても、とっかかりにもなりはしない。

 

「獲物、ですか……先生は秘密の部屋のことをご存じですか?」

 

 そんなリオンの思考を察してか、ディズは少し考えるようなそぶりを見せてから尋ねた。

 

 秘密の部屋

 それは今回の襲撃者が書き残した文章に刻まれたワードだ。

 “秘密の部屋は開かれたり”

 

「知っていると思うか?」

 

 顔を顰めてリオンは聞き返した。

 そのリオンの言葉にディズは、「そうですよね」と軽く微笑みとともに返してから貼り付けていた笑みを一度消した。

 

「この学校を創設した4人の魔法使いの一人。サラザール・スリザリンが残したという伝説です。

 それによれば、この学校に彼の真の後継者が現れたとき、部屋の封印が解かれ、その中の“恐怖”が解き放たれてこの学校から魔法を学ぶにふさわしからざる者を追放すると言われています」

 

 具体的に内容を尋ねる言葉ではなかったはずなのに、ディズは“秘密の部屋”にまつわる伝承を述べた。

 

 ホグワーツ四強の伝説。

 かつては朋友として、そして決裂した魔法使いたち。

 

「先生。秘密の部屋の“恐怖”はおそらく人間ではありませんよ。先生はそんな得体の知れないものに勝てますか?」

 

 ディズはまるでリオンの奥底を見透かすような視線を向けて問いかけた。

 人間ではない。

 ノリスに探査の魔法をかけて暴いたことを、なぜこの生徒が知っているのかということにリオンは視線を厳しくした。

 

 それだけではなく、相手のプライドを刺激するように過去の偉大なる魔法使いを引き合いに出した。

 沈黙が流れ、軽く睨むリオン。

 不意にその顔が硬い雰囲気を誤魔化し流すように、薄く冷たい笑みを浮かべた。

 

「さて? まぁ、その話のとおりなら、学校に封印された伝説級の“宝物”を魔法世界から来た俺が始末するわけにはいかんな」

 

 今の校長がどう判断しようと、ディズの言う通りなら秘密の部屋とその中のモノは、数世紀前の魔法使いの偉人が後世へと遺したものだ。

 善意でやったとしても、要請なく勝手に破壊しては余計な口実を与えるようなものだろう。

 人に対する被害もでていない今のところは、まだ様子を見るに留めておくのが無難ではある。

 

「……そうですか」

 

 勝てるとも勝てないとも口にしなかったリオンの言葉に、ディズは薄く笑った。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

「秘密の部屋、か……ホントにそんなのあんのかねぇ?」

 

 昨今話題になっている秘密の部屋。

 一般の生徒の中にはリーシャのように、その存在に懐疑的な者もいた。

 

 たしかにミセス・ノリスが石化したこと、名校医であるマダム・ポンフリーとダンブルドア校長がいながらも、ノリスが現場復帰していないことから、何かが暗躍しているのではないかという思いはあった。

 ただ、人的被害はなく、また被害が猫のノリス一匹ということもリーシャのような楽天的な者に事の重大さを浸透させなかった理由だろう。

 ノリスは主人であるフィルチとともに大部分の生徒にとって、自由を邪魔する目の上のたんこぶのようなものだ。居なくなったからと言って、真剣味にかけるのも無理からぬことだ。

 

「どうかしら。ここにはかなりたくさんの隠し部屋があるから、スリザリンが大昔に部屋を作っていたとしても不思議はないのだけど……それにあの噂は本当なのかしら……」

 

 しかし一方で、部屋の存在には懐疑的でも、マグル生まれや混血たち ――スリザリンにとってふさわしからざる者たち―― にとっては十分な恐怖となっていた。

 母がマグルであるフィリスのような生徒は以前に比べて沈鬱気味であったり、少々疑心暗鬼になっていたりする。

 

「噂……?」

 

 咲耶はフィリスの口にした噂というワードに首を傾げた。

 はてな顔の咲耶の隣で、クラリスが顔を下に向けていた。

 

「スリザリンの継承者。もし居るのなら闇の魔法の使い手。スリザリンに居る可能性が高い」

 

 特にハッフルパフなどの間で徐々に広がっているのが、“ハリー・ポッター継承者説”だ。

 だがそれをクラリスは否定するようにぼそりと言った。

 

 闇の魔法使いを数多輩出したスリザリン寮。

 クラリスは無表情な中に、憎悪とも言える様な色を微かに瞳に宿していた。

 咲耶は、いつもとどことなく違う様子のクラリスにきょとんとした眼差しを向けて、呼びかけようとして

 

「クラ……」

「サクヤ。ちょっと今いいかしら?」

 

 他寮の友人であるハーマイオニーに呼び止められて振り向いた。

 

「あ、ハーミーちゃん。えっと……」

 

 ハーマイオニーはちょいちょいと咲耶を呼んでおり、友人たちとは別行動をとることになってしまいそうだ。

 だが今、隣に立つ友人の不審な表情が少し気になって、咲耶は様子をうかがうようにクラリスにちらりと視線を向けた。

 

 クラリスと視線がかち合う。クラリスの瞳には先程のが見間違いだったかのようにいつもの湖のような穏やかなものとなっており、咲耶はしばし戸惑いを見せた。

 

「道にももう慣れたろ? 席とっとくぜ」

「……。気をつけてね。サクヤ」

 

 なぜか逡巡を見せる咲耶に、リーシャが後押しするように言った。

 そしてなぜかフィリスは何かを考えるように咲耶の足元にいるシロに視線を向け、心配そうな顔で怯えの混じった声で言った。

 

「うん。そしたら先行っとってな」

 

 ハーマイオニーに関しても、少々どころではない噂を聞いてしまったため、気にはなっているのだ。

 咲耶はフィリスたちに先に行くように告げて、ハーマイオニーの誘いを受けた。

 

 

 

 ハーマイオニーに連れられて少し離れたところへと行くと、少し物陰になっており、他の生徒からは見えにくくなっているところに、噂の渦中の人物ハリーと、その友人であるロンがいた。

 ノリスを石にした怪物とニアミスしたという噂のあった人物たち。咲耶は怪我なく無事な様子の友人にほっとした顔になった。

 

「あっ。ハリー君。あんな聞きたいことがあるんやけど」

「継承者なら僕じゃない!」

 

 ほっとして、安否とは別に気になることがあったため尋ねようとした咲耶だが、本題に入る前にハリーは顔を顰めて否定の声を上げた。

 拒絶反応じみたそれは、咲耶(気になる女の子)にだけは疑われたくないという心理によるものか、それともこの数日散々にこそこそと噂の的にされているのが相当に鬱憤を溜めているからか……

 

 いきなりの否定にきょとんとした顔になった咲耶だが、どう解釈したのかひとまず柔らかな微笑みをハリーに向けた。

 

「うん。分かっとるって。そうやなくて、ノリスちゃんのこと聞きたいんよ」

「ノリスのこと?」

 

 安心感をもたらす咲耶の微笑みに、ハリーは拒絶反応のような声をあげたことを少し後悔した。

 

 噂では第1発見者のハリーこそがスリザリンの継承者ではないかという噂が流れているのだ。

 咲耶にとってみれば、友人がそんなことをしたハズもなく、聞きたいことは別にあった。

 

「うん。ハリー君たち、ノリスちゃんのこと見たんやろ? 噂だと石化したって聞いたから、どういう風に石化しとったんか教えて欲しいんよ」

 

 “石化”の魔法。

 それは母のような治癒術士を目指す咲耶にとって、因縁のある呪いだ。

 

 加えてノリスは前年、もふもふをさせてもらった子だ。生徒の多くには嫌われているらしいが、それでもペットの可愛らしさは飼い主にとって代えがたいもののはずだ。困っている人がいるのなら何とかしてみたい、なんとかできないかと思ってしまうのだろう。

 

 どこかの魔法先生が危惧しているとおりに。

 

「どんなって。石、というより剥製みたいにカチコチになってたけど。それがどうしたの?」

 

 ハリーはあの時のノリスの様子を思い出しながら答えた。

 ノリスの姿を思い出すのと同時に、あの時の先の見えない暗闇に取り残されたような恐怖感を思い出して身を震わせ、眉根を寄せて尋ねた。

 

 ハリーの答えに、自分の思っていた石化とは少し違いそうな様子に咲耶も眉根を寄せて考え込むように口元に指を添えた。

 

「んー。剥製みたいか……実はな。ウチ石化の魔法だったら心当たりがあったんよ」

「えっ!?」

 

 ダンブルドアですら、ノリス石化の魔法を解き明かすことができなかったのだ。それを知ってい“た”かもしれないと言う咲耶にハリーだけでなくハーマイオニーも驚きを見せた。

 

「マジかよ!? じゃあ、なんであの時……!」

 

 そして同時に、あの何かの拷問じみた空間にあって、知っていながら何も言わなかった教師、――困っていた自分たちを放置したリオンに、ロンはあからさまな不信感を抱いた。

 身を乗り出して咲耶に詰め寄ろうとするロン。

 

「待ってロン。サクヤ、あったってことは違う魔法だったってこと?」

 

 ハーマイオニーはいきり立つロンを抑えて、咲耶に少し踏み込んで尋ねた。

 咲耶があの魔法を知っていたとしたら、スプリングフィールド先生があの魔法を知らないのには違和感がある。

 だが、咲耶の様子からは知っている魔法とは違いそうというニュアンスを受けた。

 

「う、ん、多分……。実は昔、ウチのお母様が石化した人たちを治したことがあったんよ。だからもしかしたら……」

 

 ロンの身長は咲耶よりも高く、やや気の短い性格でもあるのか睨み付けるように自分を見る彼に、咲耶は少し身を引いた。

 

「分かった! その時と同じ犯人ってことだ!」

 

 一方、女子の扱いに慣れていないのか、怖がらせていることを何とも思っていない様子のロンは、咲耶の言葉に答えを見つけたような顔をした。

 

「違うわよ。違う魔法って言ったでしょ。でしょ?」

 

 だがロンの推理はハーマイオニーによって一刀に伏された。

 

「うん。その時の石化は、本当に石像みたいになる魔法やったらしから、多分違う魔法なんやと思う」

 

 確認するように咲耶を見るハーマイオニーに頷きを返した。

 ハリーの言葉によるとノリスの石化した姿は剥製状態のような感じらしい。対して咲耶が聞いたことのある石化系魔法は完全に石にする魔法だ。

 

 ただ、石化の魔法は石化の魔法。

 魔法の世界に疎いハリーにとってそれは光明を得たように思えたのだろう。

 

「じゃあさ。サクヤのお母さんなら、ノリスを治すことが……」

「ハリー。ひとまずそれは置いておきましょう。ノリスはマンドレイク薬で治るわ」

 

 今すぐにでもノリスが治癒されれば少なくともフィルチの八つ当たりじみた取り締まり ――ノリスが石化してから、“音をたてて息をした”や“嬉しそうだった”という理由で処罰しようとしている―― が緩和するのではないかという期待から咲耶に提案するように言おうとした。

 だがその提案は最後まで言い切る前にハーマイオニーに遮られた。

 

 ハリーと同じく魔法の世界に浅いハーマイオニーだが、色々と調べていく中で、英国旧来の魔法族と魔法世界の魔法族とは確執があることを知っている。

 

 悪い言い方をすれば、旧来の魔法族の領域に進出したい魔法世界と、縄張り意識や利権主義によってそれを阻みたい旧来の魔法族。

 そんな政治の関係もあることをハーマイオニーは察することができるほどには聡い少女だ。

 確かに咲耶に頼めば、もしかしたら母親に頼んでくれるくらいはしてくれるかもしれないが、縁故頼みで猫一匹のためにニホンの魔法協会の長の娘を呼び寄せるのは非常識に過ぎるだろう。

 それは両魔法族の関係性 ――今まで融和してこなかった歴史を鑑みれば困らせることになるだろう。

 

「それよりもサクヤにお願いがあるの」

 

 ゆえにハーマイオニーは、それを頼むのではなく、元より別のことを頼むつもりだったのだ。

 

「これにスプリングフィールド先生のサインをいただいてほしいの」

「なにこれ?」

 

 ハーマイオニーが差し出してきた紙を反射的に受け取り眺めた。見覚えのないそれに咲耶は首を傾げた。

 

「禁書の持ち出し許可証よ」

「えっ!?」

「しーっ!!」

 

 きょとんとした顔の咲耶に、さらっと言い渡したハーマイオニー。だが口調とは逆に重たい意味を持つそれに、咲耶はぎょっとした声を上げようとして3人から注意を受けた。

 大きな声を上げそうになって、注意を受けた咲耶は慌てて口を両手で押さえ、きょろきょろと周囲を確認してから声を潜めた。

 

「禁書って、何に使うん?」

 

 ひそひそとした声で禁書の、つまりは学生が読むべきではない書籍を求める理由を尋ねた。

 

「サクヤもスリザリンの継承者の話は聞いてるだろ? それの犯人を暴きたいんだ!」

「どうやって……?」

 

 ハリーは強い意志を感じさせる声で咲耶に言った。

 それは自身への疑いを晴らしたいという思いもあるのだろうが、それと同時に継承者の敵 ――つまりはマグル生まれへの襲撃を防ぎたいという思いがあるようにも見える。

 

「スリザリン寮に潜り込むのよ。勿論普通に潜り込んだらすぐにバレるから、変身薬でスリザリン生に化ける必要があるの。その本は、変身薬について書かれている本なの」

 

 咲耶の方法を問う疑問にハーマイオニーがゆっくりと説明した。

 二人の言っていることは分からなくもない。 

 咲耶の思考ではどちらかというと襲われたノリスをどうにかしてあげたいという守性の方向に向いてしまうが、彼らはどちらかというと襲撃自体をどうにかしたいという攻性の思考に向くらしい。

 

「んー。スリザリンの人やったらウチ、一人知っとる人が居るから聞くことできるえ?」

 

 咲耶としては、他寮に忍び込むという不誠実で違反の手段に訴えるよりも、知り合いの友人を頼る方法をとった方が好ましいからの提案なのだが、

 

「できれば直接聞きだしたいんだ。犯人のおおよその目星もついてるし」

「それに下手に探りを入れるとかえって危ないわ。できるだけスリザリンの生徒にはバレないように事を運びたいの」

 

 ハリーとハーマイオニーは、自らの手で解き明かすことに前向きらしい。

 ただスリザリンと親しくしているという咲耶に、二人ほどサクヤと親しくないロンは顔を顰めて疑わしげに視線を向けている。

 咲耶は友人たちの意気込み溢れる視線と手元の許可証を見比べて決断を下した。

 

「分かった。これにリオンのサインを貰ったらええんやな?」

 

 下した決断は協力するというもの。

 

「ええ。ありがとうサクヤ。でも気を付けて。これだけでも校則違反スレスレのことだから。特に目的は完全に違反行為。先生に気付かれないようにしてほしいの」

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 ハリーとハーマイオニーが咲耶に許可証のサインを入手するように頼んだのには理由がある。

 一つは彼女との関係からだ。

 昨年、彼女に黙って色々と危険をやらかした結果、彼女にはひどく心配をかけたらしく、学期後にハーマイオニーは咲耶にもっと頼れと言われたのだ。

 仲の良い優しい友人を巻き込みたくない、という思いはまだあるが、それでものけ者にしているわけではないということも伝えたかったのだ。

 そしてもう一つは入手経路を複雑にするためだ。

 

 この作戦で最も危険なのはやはり変身薬“ポリジュース”を飲み、スリザリンに潜り込む役の人物だ。その潜入役と実際にポリジュースを作成する役がもっとも校則に違反する。

 その役を留学生に押し付ける気には二人はなれなかった。

 その結果、始まりの一手。ギリギリ校則違反にならない、禁書の許可証へのサイン入手の任務を咲耶に依頼することにしたのだ。

 

 許可証へのサインは違反にはならないとはいえ、難易度の高い任務には違いない。なにせ他の役では先生たちから隠れることが求められるのに対し、サインの入手だけは先生に直に対面して要求しなければならないのだから。

 アシがつくとしたらここが最も可能性が高い。

 

 そして許可があれば読めるとはいえ、O.W.L試験にも挑めない下級生が禁書の棚の本を読もうとするのはどう考えても不信感を招く。

 

 それゆえに、他の先生方とはあまり話すタイプではなく、個人的に親しい先生が望ましい。そしてそんな先生はハリーたち3人には心当りがなく、該当する先生がいれば一人だろうというのが咲耶に依頼した理由だったのだが…………

 

 

「リオンセンセ! サイン下さい!」

 

 満面の笑みを貼り付けて研究室を訪れてきた生徒にリオンは冷たい視線をプレゼントした。

 

「…………何の遊びだ、咲耶?」

「え? ……えへへ」

 

 自信満々で突撃した咲耶。それを影から見ていた3人は「げっ!」とばかりに顔を顰めていた。

 

 他の先生と交流が少なく(少なくとも彼らが見た限りにおいて、誰かほかの先生と親しくしているのを見たことがない)、生徒と個人的に親しい関係にある先生(彼女の友人曰く、ただならぬ関係らしい)、それがリオン・スプリングフィールド先生だったわけだ。

 

 差し出されていた紙を引っ込められる前に奪い取り、しげしげと眺めたリオン。

 そこに書かれていた書籍のタイトルに顔を顰めた。

 

「“最も強力な魔法薬”。何の本だ? 何に使う?」

 

 今の咲耶は治癒術師としてまだまだ修行中。

 治癒系統の魔法の中には魔法薬を用いるものも多いから、治癒魔法の勉強のため、というのなら分からなくもない。

 まあ、今の時点でそれほど強力な魔法薬、しかも本来の魔法系統とは異なる系統の魔法薬の勉強が必要とは思えないが……

 

「えーっと……ホグワーツと精霊魔法の違いをコーサツするためにユーヨーな本です」

「………………」

 

 案の定、なにか一物抱えているのか、「えへへー」と誤魔化すような笑いで通そうとする咲耶。対比するようにリオンの視線にブリザードが混ざりはじめた。

 リオンの右手の指がすっと上がり…………

 

 

 ・・・・・

 

 

「うーん。あかんかったなぁ」

 

 派手な音をたてて炸裂したデコピンを受けて赤くなった額をさすりながら咲耶は残念そうに告げた。

 

「まあ、普通は通らないわよね……」

「ごめんなー」

 

 しょんぼりと頭を掻いている咲耶。

 ハーマイオニーは苦笑いしており、ハリーもフォローの言葉が思い浮かばないのだろう。ロンに至っては呆れたような馬鹿にしたような眼差しを向けている。

 

「仕方ないわ。でもそうなると……」

 

 できればここでどうにかしたかったが、マクゴナガル先生やほかの大部分の先生でもうまく行く可能性はなかった。スプリングフィールド先生の厳しい性格からして通るかどうかは微妙な所だったのだ。むしろ校則違反の計画にまで追及されなかっただけでもよしとするべきだろう。

 先生の感じからすると、咲耶の不利になるようなことはしないだろうし、ここは切り替えて別の先生を見繕う方が賢明だろう。

 

「正攻法でだめなら騙すしかないな」

「先生だってそんな簡単に騙されるほど甘くないだろ」

 

 ハリーとロンは早々に次の標的の選定をこそこそと話していた。

 

「……いや、でも……よっぽど鈍いやつなら…………」

 

 ロンが思案しながらぼそりと呟いた。

 

 

 

 結局…………

 作戦は第2案。最も騙くらかしやすそうな、無能な教師を標的にするということとなった。

 標的となったのは、スプリングフィールド先生と同じく、古株ではない先生。そして、ハリーとロンから見て、どう見ても無能の代名詞であるロックハート先生だった。

 

 当初、これを咲耶に依頼しようとしたのだが、なぜかロックハートにサインを貰う、ということに特別な意義を見出したのかハーマイオニーがそれを熱烈に志願。

 ロンも先の咲耶の嘘の下手さぶりにこれを支持。

 

 ハーマイオニーたちは授業後のもっともロックハートが機嫌の良くなる頃合いを見計らってアタック。

 

 結果的にロックハートは、許可証に記載された書籍のタイトルを見ることもなく、得意満面でハーマイオニーにサインをプレゼントした。

 無事に最初の難関を、“まったく”怪しまれることなく通過することに成功した。

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

「キゲンワリーナ、ボーズ」

「…………別に」

 

 私室で一人黙々と作業しているリオンにチャチャゼロがいつものように薄笑いを向けていた。リオンはムスッとした顔でちらりとチャチャゼロを見ると不機嫌そうに言った。

 

「アレカ。今年ニナッテカラ アノガキガ来ル機会 減ッテルカラナ」

「……黙れ。ガラクタ人形」

 

 ケケケと笑いながら理由になりそうなことを指摘するとリオンの不機嫌指数が上昇した。

 

 昨年、咲耶はダイオラマ魔法球を使ってみっちりと魔法の勉強を詰め込んだ結果、留学以前の不足分は完全とまではいなずともあらかた補完できた。

 ゆえに今年はなるべく教師と先生の区別をつけるために放課後の補習はなしになったのだ。

 もっとも、そんなのは咲耶にはあまり関係がないのか気楽に私室を訪れてきたが…………

 

「ソンナニ オ気二入リナラ トットト襲ッチマエバ イイノニナ」

「壊されたいか。チャチャゼロ」

「オー、コエーコエー。不機嫌ノ原因ハソレダケジャ ナサソーダガナ」

 

 茶化してくるチャチャゼロは、リオンが不機嫌そうにしている理由に心当たりがあるらしい。

 

「……あのバカが余計なことに首をつっこみ始めたからな」

 

 不機嫌の理由は今日咲耶が持ち込んできて、追い返した案件についてだ。

 予想していたとはいえ、やはりどこからか石化魔法のことを聞きつけて首を突っ込むつもりらしい。

 しかも今回は前回とは違い、件の生き残った少年たちと仲良く何やらしでかすつもりらしい。

 

「一応アノ犬ガ ツイテルンダロ?」

「あれは咲耶の言う事に従う事しかしないからな」

 

 リオンが面倒を見れない時のために詠春が就けた式神・白狼天狗だが、あれは咲耶の命令に従うことを喜びにしている奴だ。

 危ない事だろうと咲耶が望んでいれば喜んで付き従うだろう。

 

 リオンのその言葉に、チャチャゼロは違和感を覚えた。

 

 天狗の中では下級の白狼天狗とはいえ、天狗自体が本来、高位の魔法生物だ。

 上級位の天狗は神にも通じるとされる存在。命令に喜んで従うような従順な者ではない。

 咲耶の魔力資質からすれば、たしかに式神に下せなくはない。だが、咲耶はそういった術式を“会得していない”はずだ。

 

「フーン。アノ犬、ナンナンダ? タダノ式神ジャネーナ」

 

 あの白狼天狗は、式神として以前になにかの目的があるのかも知れない。

 

「あれは――――――」

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

闇の襲撃

 曇天の空から零れ落ちる大粒の雨が容赦なく体を打つ中行われたクィディッチ第1節。グリフィンドール対スリザリンの伝統の一戦。

 

 試合は最新式の箒と新しい2年生シーカーを投入したスリザリンが序盤から優勢に得点を重ねていたが、試合終盤、ブラッジャーに右腕を砕かれながらも決死のダイビングキャッチでスニッチを確保したハリーがグリフィンドールの勝利を決めた。

 

 

 ブラッジャーに利き腕を折られた上に、泥だらけのグラウンドに転がったハリーは…………

 

「やめてくれ。よりによって……」

 

 激痛と雨粒によって曇る視界の先に、輝くような真っ白な歯を見せる笑顔を見て、哀れを誘うように懇願した。

 

「ハリー、心配するな。私が君の腕を治してやろう」

「やめて! 僕、腕をこのままにしておきたい。かまわないで!」

 

 周りを囲むハリーのチームメイトに向かって高らかに告げたロックハート。ハリーは悲鳴のような声を上げて起き上がろうとして、右腕から走った激痛に悶えた。

 

「心配ないよ、ハリー。この私が、数え切れないほど使ったことのある簡単な魔法だ」

「僕、医務室に……」

「さあ! みんな下がって!」

 

 苦痛に呻きながらの決死の懇願にもかかわらず、笑顔で腕まくりしたロックハートを止めることはできなかった。

 

 そして…………

 

 

 第27話 闇の襲撃

 

 

 

「まっすぐに私のところに来るべきでした!」

 

 骨折以上の重体となったハリーは、ロックハートの指示により、友人二人に連れられて保健室へといくこととなった。

 

 憤慨してぷりぷりと怒りながら治療の準備をしている校医のマダム・ポンフリー。英国においては優秀な部類に属する名治癒術士の彼女は、治療の邪魔をする者を許さない。

 

「骨折ならあっという間に治せますが……骨を元通りに生やすとなると……」

「先生、できますよね?」

「もちろんですとも。しかし、骨を生やすのは荒療治です。今夜は眠れないほどに痛みますよ」

 

 ましてや骨の折れたという事実どころか、骨そのものを消し去ったロックハートの“治療”など目にした時には、その怒りはいかばかりか。

 

 ハリーは先程までの勇姿など彼方に吹き飛んだように情けない声で不安そうにポンフリーに尋ね、ポンフリーは顔を顰めて気の毒そうに告げていた。

 

「ハーマイオニー、これでもロックハートの肩を持つっていうのかい? えっ? 頼みもしないのにハリーの腕を骨抜きにしてくれるなんて」

「……誰にだって、間違いはあるわ。それにもう、痛みはないんでしょう、ハリー?」

「ああ。痛みはないし……なんにも感じないよ」

 

 ロンは、元より無能教師と陰口していたロックハートの引き起こした惨事に、彼の盲目的ファンであるハーマイオニーにいらいらと声をかけ、ハーマイオニーは盲目さを十分に発揮し、それでも間違いを否定することはできずに答えていた。

 

 ぽよんぽよんとゴム風船のように弾むハリーの腕。

 

 今ごろハリーのチームメイトは、試合後の後処理や軽いミーティング、着替えなんかを行っているだろう。

 特にこの試合、どう考えても細工されたとしか思えない“暴走”ブラッジャーは、試合が終わってもなお、執拗にハリーを狙って襲い掛かろうとしていたくらいだ。その片づけは一筋縄ではいかなかっただろう。

 

 頼りなく弾む腕への不安感。先の試合に対する不信感。なんとか勝てた試合の安堵感。無能教師に対する怒り。

 いろんなものがない交ぜになって、思考がぐちゃぐちゃになっていると、コンコン、という音が扉から聞こえてきた。

 ベッドの上にいるハリーや近くにいるロンとハーマイオニーが扉の方に視線を向けた。

 ポンフリーが準備の手を一旦止めてノックのあった扉を開けたらしく、ガラガラという音が聞こえてきた。

 

「おや、コノエ。どうされたのですか?」

「ハリー君がケガしとったんで、お見舞いに来たんです。少しだけええでしょうか?」

 

 ポンフリーが呼んだ声と聞こえてきた声に、ハリーはどきりとして自分の姿 ――今しがたロンに手伝ってもらって着替えたパジャマ姿―― を見直した。

 

 ポンフリーが招き入れたのか、ベッドを囲むカーテンの隙間からひょっこりと黒髪の女の子が顔を覗かせた。

 

「やっほハリー君、大丈夫?」

「サクヤ。えっと、まあ……痛みはないよ」

 

 先程ハーマイオニーにも返した答えだが、たしかに痛みはない。

 

「上から見とったら、ロックハートセンセになんかしてもろてたけど……」

 

 どないしたん? というような視線がハリーの顔からぶよぶよとした右腕に注がれる。

 ベッドの周囲では沈黙が流れ、室内ではポンフリーがなにやらぶつくさと「あんな危険なスポーツ」だとか、「能なし教師」だとかいう文句が聞こえてきた。

 

 そしてカシャリとカーテンを引いて現れたポンフリーは片手にゴブレットを携えてきており、それをハリーに手渡した。

 それを無事な左手で受け取ったハリー。咲耶も興味を惹かれてそのゴブレットを覗き込んでみると、なにやらおかしな湯気が立っており、ぽこりぽこりと粘度の高そうな泡が浮かんでは消えていた。

 

 ハリーは受け取ったそのゴブレットを傾けてぐいっと一口飲み

 

「うわっ!!」

「なにしているの!! カボチャジュースだとでも思ったの!?」

 

 勢いよく吹き出した。

 吐き出されたものを避けるようにロンたちが跳び退き、せっかくの薬を吹き出されたポンフリーが柳眉を逆立てた。

 骨を生やすスケレ・グロ。それを口に含んだ瞬間、気管に潜り込んできたむわっっとしたものが、喉を焼くような不快感をもたらしたのだ。

 

「ゴホッ、ゲホッ! すいません。でもこれ…………サクヤ。君の魔法でなんとかならないかな?」

 

 あまりにあんまりな良薬の味に、ハリーはむせこみながらもう一度ゴブレットを見て、それから咲耶にすがるように尋ねた。

 

 咲耶が治癒魔法を練習しているというのはハーマイオニーから(小言と一緒に)聞いていた。

 ポンフリーの腕を信じないわけではないが、できればこれにチャレンジするのではなく、別の方法がないかという期待からだったのだが……

 

「う~ん。骨折の治癒魔法なら覚えたんやけど……骨なしを治すんは……」

 

 咲耶は困ったようにぽりぽりと頬をかいている。

 

 

 

 その後、ハリーは改めてスケレ・グロを飲むことになった。そして一段落しているころ、後始末の終わったグリフィンドールのクィディッチチームメンバーがお見舞いにやってきて賑やかとなり、ポンフリーの怒りをかって追い出されることとなった。

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

 ハッフルパフ、談話室。

 

「どうだった?」

「えーとな、骨が無うなってた」

 

 病室からまとめて追い出された咲耶は、シロを連れて自寮へと戻ってきた。

 あまり大勢で行っては、保健室に入る前にマダム・ポンフリーに追い返されるというクラリスの助言によってリーシャたちは、寮で待っていたのだ。

 ハリーの様子を尋ねてきたリーシャに咲耶はちょっと答えづらそうに言った。

 

「骨が、なんだって!?」

 

 折れるくらいは行っているのかと予想していたのだろう。だが、予想を斜め上に外れた咲耶の返答にリーシャは思わず聞き返した。

 

「えとな。はじめは腕の骨が折れてただけらしいんやけど、ロックハートセンセの魔法で腕の骨が無くなってもうたらしわ」

 

 咲耶はハリーたちから聞いたことの顛末をフィリスたちに伝えた。

 その中にフィリス憧れの防衛術の先生の名前があり、3人は思わず沈黙した。

 

「…………なぁ、フィー」

「言わないで」

 

 沈黙したリーシャが前々から思っていて、言うことを控えてきたことを言おうとしている。

 それを察したのだろう、フィリスがぷいと顔を背けた。

 

「いや、フィーが先生のファンなのは知ってるけど。ちょっとあの先生さ」

「ちょっとした間違いは誰にだってあるでしょ!」

 

 授業の崩壊でも中々だが、今回はそれにもまして生徒に被害が出ているのだ。思わず顔を顰めて言いたくなったリーシャだが、フィリスはそっぽを向けていた顔を振り向かせて反論した。 

 

 たしかにちょっとした間違いならば、誰にでもあるだろう。

 だが、ちょっとしたミスで骨抜きにされてはたまったものではなかろう。

 

 フィリスとリーシャが睨みあうようにお互い視線で火花を飛ばし合う。クラリスはそんな二人の様子に、どちらの味方もする気はなさそうだ。

 

「まあまあ。フィー、ウチあのセンセの本好きやで、面白くてわくわくするもん」

「そうよね! ロックハート先生の本領は闇の生物退治ですもの!」

 

 険悪な空気を察した咲耶が、とりなすように間に入ると、フィリスは途端に嬉しそうに食いついた。

 

 たしかに、あのロックハート著の書籍はヒットになるのもなるほどと頷ける面白さなのだ。

 恐ろしい闇の生物たち相手の爽快にしてコミカルな冒険譚。

 クラリスほどの読書好きではない咲耶にとっても読み込めるほどに面白い物語たちだ。

 

 ちょっと辛そうに顔を歪めていたフィリスが笑顔になったのを見て、リーシャはため息をついた。

 

「分かった分かった。疑って悪かったってフィー」

 

 咲耶とは楽しく話していたものの、リーシャが口を開いた途端ツンと拗ねてしまったフィリス。そんなフィリスにリーシャは「ごめんごめん」と謝っている。

 謝ってくるリーシャをちらりと見たフィリスは、このチャンスにリーシャを“ロックハートファンクラブ”にでも入れるつもりなのか、ロックハートの著書を鞄から引っ張り出してリーシャに解説し始めている。

 

 教科書が目の前に並んで開かれていく様子にリーシャは「ぎゃぁ」とばかりに悲痛な表情となっているが、いつの間にかちょこんと隣に座っていたクラリスによって逃げ場を封鎖されて、“ロックハート先生の冒険に見る闇の魔術に対する防衛術講座”が開かれてしまっている。

 険悪の雰囲気が流れた様子に咲耶はほっと息をついてから、仲良く(?)勉強を始めた3人の姿に思わずほっこりと笑った。

 

 今日だけでなく、少し前からフィリスの様子がどこかおかしいことは疑問に思っていた。

 あのノリスの痛ましい石化事件と秘密の部屋の継承者の噂が広まったあたりから、怯えたような色が表情に混ざることが多くなったのだ。

 先ほどのやりとりにしても、ロックハート先生のことになるとムキになるのは以前からだが、リーシャの言葉に対する拒絶反応じみた否定はちょっと違和感を覚えた。

 

 改めて3人の、特にフィリスの様子を見て、引っかかっていた違和感が気のせいなのかと思い直そうとして、

 

「多分怖いんじゃないかな。フィーは」

 

 咲耶の隣で様子を見ていたセドリックが少し心配そうな表情で言った。

 

「怖い?」

「ロックハート先生のことは僕も少しおかしいとは思うけど。それを認めると秘密の部屋の怪物に対する強力な抑止力を否定することになっちゃうからね」

 

 咲耶が漠然とフィーに感じていた違和感を言い当てられて咲耶はセドリックに振り向いた。

 3年以降はフィーたちと一緒に居ることが多い咲耶だが、付き合いの長さだけならリーシャたちはおろか、セドリックよりも短いのだ。

 

「ノリスのことでマグル生まれとか混血の生徒は内心、恐がっているんだよ。しかもその継承者の疑惑が立っているのがハリー・ポッターだからね」

 

 まして、純血と混血という咲耶にとって馴染みのあまりない分野から来ている恐怖心を理解するというのが難しいことだろう。

 

 闇の生物退治のスペシャリストであるロックハート先生なら、万一の時にもきっと颯爽と駆けつけて怪物を退治してくれる。そういった期待と憧れがあるから、なんとか恐怖を軽減できているところがあるのだ。

 だから、フィリスが拗ねたのは単純にファンである先生を貶されたということだけではない。リーシャも分かっていたから強く言わずに謝ったのだろう。

 

 特に怪物を解き放った首謀者が、“生き残った少年”。あの“名前を言ってはいけない人”を打倒し、昨年は学校の秘宝を護った英雄かもしれないとあれば、拠り所が一つ揺らぐようなものだ。

 

「でも……」

「もちろん僕も彼がそうだとは思わないけど。ダンブルドアがミセス・ノリスを治せなかったってことは結構重大なことなんだよ。もし自分が襲われたら、って」

 

 ダンブルドアは英国において、最も偉大な魔法使いだ。

 半世紀ほど前、欧州を恐怖に陥れた邪悪なる闇の魔法使い“ゲラート・グリンデルバルト”を倒した英雄。あの“名前を言ってはいけない人”が恐れ、彼が全盛期の時ですら、ダンブルドアには挑もうとしなかったと言われているほどの魔法使いだ。

 そして魔法薬学の分野においても秀でた功績を残しているあのダンブルドアが、石化したミセス・ノリスを治せなかった。

 それはもしも襲われたら、自分も助からないかもしれないという恐怖を忍び寄らせるには十分だ。

 

「セドリック君も?」

「正直ね。両親が魔法族の僕でもそうなんだ。お母さんがマグルだっていうフィーは普通にしているように見えても、かなり怖いと思うよ」

 

 セドリックは恐怖の理由が、秘密の部屋の怪物。もっと言えば、フィリスが抱えている混血というコンプレックスに根差していると思っていた。

 純血の魔法使い —―特にマルフォイ家やウィーズリー家のように立場は違ってもどちらも(・・・・)―― マグルを低く見るような魔法使いは多い。

 

 寮を超えて社交性のあるフィリスだが、逆にハッフルパフに対する帰属意識は実はリーシャやセドリックたちよりも弱い。純血の魔法使いと、混血の自分は違うのだと無意識に卑下してしまい、高圧的な態度に出られるとそれが特に顕在化してしまうのだ。

 

 魔法族の両親を持つ、スリザリンにとって選別対象にならないセドリックですら恐怖を感じずにはいられないのだ。選別対象になっているフィリスの恐怖は、相当だろう。

 

 セドリックの言葉に咲耶は思い悩むように少し表情を暗くし、笑っているフィリスたちを見た。

 

 たしかに自分は噂される秘密の部屋の怪物を物騒だとは思うが、恐怖までは感じていないかもしれない。もちろん仮死状態になったミセス・ノリスのことが痛ましいし可哀想だが、それも先生たちが直に治すことを明言しているのだ。

 恐怖を感じないのは、なにも自分が関西呪術協会の長の孫娘だからではない。とびっきりの守護者が近くに居てくれるのを知っているからだ。

 ただ、同時にあの守護者は、誰に対しても無条件に優しいわけではないことも知っている。

 少し申し訳なくて、少し嬉しい。

 自分が彼にとって特別だという感覚。

 もしかしたらフィリスにとって、それはロックハート先生に向けているものと近いのかもしれない。

 あの先生がフィリスを特別視しているなんてことはないのは本人も分かっているが、それでもロックハート先生は闇の生物たちから数多くの人たちを守ってきた先生だと言われているのだ。特別な一人ではなくとも、守ってもらえるという安堵感は恐怖を感じているフィリスには大切な拠り所だろう。

 

 咲耶やリーシャよりも冷静に周りを見ることができるのがフィリスだ。本当は彼女だって、何かおかしいとは思っているのだろう。

 ただそれを自分で否定しては怖さで動けなくなるかもしれない。

 そんな恐怖が今、学校を覆うとしているのだ。

 

 自分にとってのリオンのように……とまではいかなくとも、何かできることはないのか。

 治癒の腕前はまだまだ全然大したことないのは自分で自覚しているし、魔法での戦いだってリオンやシロに守ってもらわなければならないほどだ。

 できることなんてないに等しいのかもしれない。

 

 そう悩んでいるのがセドリックにも分かったのだろう。

 

「一緒に居てあげれば、それで十分だと思うよ」

「え……」

 

 優しくかけられた声に咲耶は自分よりも背の高いセドリックの顔を見つめた。

 

「サクヤは古くから続く魔法協会の長さんの孫だろ? こういう言い方は嫌かもしれないけど、スリザリンの継承者が排除する理由には乏しいからね。それにクラリスも両親は魔法族だし、リーシャは特に純血の魔法使いだ。3人が一緒に居てあげたら、それだけでかなり恐怖は薄れると思うよ」

 

 気をつかいながら選んだ言葉はとても優しげだ。

 

 たしかにフィリスはスリザリンにとっては不要な生徒かもしれない。

 けれど咲耶やフィリス、クラリスたちにとっては紛れもなく大切な友達で、要らない生徒などでは決してない。

 だから一緒に居れば、スリザリンの怪物だってフィリスを要らない子だなんて思わない。

 

 セドリックの気づかいに咲耶は暗くなっていた顔を明るくした。

 

「ありがとうな、セドリック君!」

 

 セドリックにお礼を言って、咲耶は頭から煙を吐き出しそうになっているリーシャや、楽しそうにしているフィリス、クラリスたち、友人の輪に入りに行った。

 

 

 

 ・・・・・・・

 

 

 

 ほとんどの生徒、教師、そして絵画の中の住人ですら寝静まる夜半。

 

 ズルズル、ズルズルと壁の中を這いずる音が、小さく城の中を移動していた。

 蠢くソレに対して赤い髪の人物は歯茎の隙間から漏れ出るような音を聞かせていた。

 決して大きな音ではない。

 シュー、シューという空気のような音。

 

 向かう先は一つの部屋。

 この人物が最も興味を持っている者が現在休んでいる部屋。

 

 彼は今日、利き腕の骨を失うという致命的なミスを犯したらしい。

 別にあのような小僧の実力ならば、万全の体勢であったとしてもさして問題にはならないだろう。

 だが、利き手が使えず、そして圧倒的な怪物を前にした時、あの英雄気取りの小僧がいかに無様な姿を晒すか。憧れの男が、無様な姿を晒し、屍となったとき、この体の持ち主はどれほど絶望的な顔をするのか。それを想像するだけで何とも言えない高揚感を引き起こす。

 

 赤い髪の人物はソレを引き連れるように目的地へと足を進めようとし、

 

「!!」

 

 突如飛来した赤い閃光を無言呪文で弾き飛ばした。

 

 攻撃魔法。

 明かな目的をもって自分に襲い掛かってきた攻撃を咄嗟に防御した赤髪の人物は、ざっと顔を巡らせつつ、再び空気の漏れ出るような音を発した。

 音に反応してソレは周囲の匂いを感知し、即座に襲撃者の位置を大まかに割り出した。ぬるりと動き出したソレは鎌首を掲げて敵へと視線を向けた。

 

 気づかれたことを察知したのだろう。隠れていた気配が浮き上がる。

 

 

 気配の人物は、自らの奇襲が防がれたのを見て、狼狽、とまではいかなくとも微かに焦っていた。

 襲撃をかけたからには確実に仕留めなければならない。

 すでに赤髪の人物 ――継承者―― に自らの存在がばれているのだから、このままでは目的が果たせなくなる。

 

 対して継承者にとっても、ここで相手を逃すわけにはいかなかった。

 今はまだ自分の素性を露見させるわけにはいかないのだ。格好の隠れ蓑。スケープゴートを仕立ててまで隠したそれに、今気付かれるわけにはいかないのだ。

 まだ自分の“この”器は完全に掌握したとは言い難く、魔力も十分ではない。先の攻撃は相手も奇襲のために無言呪文であったがために防ぐことができたが、本格的に詠唱されると1対1での不利は否めない。

 だが、今ここには忠実なる下僕がいる。

 最凶の下僕たる毒蛇の王。その力を操れば、今この場にいる襲撃者を殺すことくらい容易い。

 

 ――今ここで仕留める――

 

 それは未だ顔を合わせてもいない両者にとって共通の思考となっていた。

 

 だが……

 

 ――カシャリ―― という機械音が廊下に響き、二人と1匹はバッと視線を向けた。

 両者とも互いのことだけしか見えなくなっていたために、あまりにも弱い存在の接近に気づくのが遅れてしまったのだ。

 薄茶色の髪をした少年。手にはマグルのカメラという機械と一房の葡萄。恐怖で彩られた表情が段々と固まっていく。

 

 その光景を見た襲撃者の思考が加速する。

 

 今、間違いなく“継承者”に魔法発動の兆候はなかった。意識がこちらに向いており、咄嗟に反応こそしてはいたが、あちらの少年に何も仕掛けてはいなかった。

 そう、ただ蛇が視線を向けただけであの少年は魂を抜き取られた石像のようになってしまったのだ。

 

 ――魂を抜き取る巨大な蛇の視線――

 

 繋がりかけていた線が完全に繋がる。

 

 ――石のようになったミセス・ノリス。

 ――シューシューという声。

 ――そしてあの姿。

 

 ――“スリザリンの継承者”。

 ――ならばあの怪物の正体は…………

 

 少なくとも今の状況は不利。対処できなくはないが、時間がかかり過ぎるし、騒ぎを引き起こしてしまうだろう。

 相手もそうだが、自分もまた、今はまだ本性を知られるわけにはいかないのだ。

 

 哀れな少年を石像にした継承者と怪物が、今度こそ刃向かってきた愚か者へと牙を剥ける。

 シューシューという音は、おそらく音に聞くパーセルタング ――サラザール・スリザリンの異能にしてその継承者の証とも言える力だろう。

 理解はできないが、大方「逃すな! 殺せ!」とでも命じているのだろう。

 切り抜けるための方策を素早く巡らせ――――

 

「!!」

「ちっ!」

 

 カツン、と階段から足音が聞こえてきた。

 

 互いの判断は早かった。

 金の髪を翻して駆ける襲撃者。

 怪物へと命を下してその場を後にする継承者。

 

 

 

 階段から降りてきたダンブルドアが戦いのあった場に到着したとき、その場にはすでに()は居なかった。

 

 

 

「…………これは……」

 

 あったのは、ただ石像と化した生徒だったものが一つ。

 ダンブルドアは手を震わせながら倒れた石像に触れた。

 

 ついに生徒に犠牲者が出てしまった。

 半世紀もの時を経て、再び開かれた秘密の部屋。その中に封じられていた恐怖が、再び生徒に牙をむいてしまった。

 

 あたりにはすでに誰もいない。少年を石に変えた化け物も、それを従えている継承者も。そしてその者とここで戦闘をしていたと思しき(・・・・・・・・・・・・・・)者も。

 

 ダンブルドアは細めた瞳をすっと巡らし、一瞬だけ揺れ動いた一つの影を睨みつけた。

 

「そこには居らんのじゃろう? だがせめてミネルバを呼んではいただけんかの。“リオン先生”」

 

 影が声に反応したように波打った。

 ここで起こった出来事も気にかかるが、今は哀れにも石像となってしまったこの少年をマダム・ポンフリーのもとへと連れていくことが優先事項だ。

 できるのならば、大切な生徒を物のように魔法で運ぶことはしたくない。

 この少年、コリン・クリービーの属するグリフィンドールの寮監に手を貸してもらうのが一番だろう。

 

 

 あの影が現れたのはダンブルドアがここに来てからだ。

 彼は決してダンブルドアの側の人間ではないが、それでも一応はこの学校の守護に力を貸してはくれるらしい。

 戦闘の気配があったことで、一人の少女と外に向けていた注意を内に向けたのだろう。おそらく彼も戦闘の現場は見てはいまい。

 

 

 おそらくでしかないが、ここで継承者と戦ったのは“あの子”だろう。

 ダンブルドア自身がこの学校に迎え入れたあの子。

 ダンブルドアの懐古と悔恨を想起させる金髪のあの子。自分たちと同じ過ちを繰り返さないようにと自らの庇護下に迎えた少年。

 

 

 

 悩み揺れる想いの天秤。

 過酷なる運命を予言された少年と、ダンブルドア自身(・・・・・・・・)が家族を奪ってしまった少年。

 

 予言という不確かな未来のために過酷な試練を与えるべきか

 思いのままに手を差し伸べるか

 

 幾度悩んでも揺れ続ける想い。

 

 光の道へ正すことができなかった少年。

 袂を分かってしまったかつての盟友。

 偉大な魔法使いだの賢者だのと賞されても、何度も間違え続けた過去が、過ちという過去がその悩みを重くする。

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 互いに決着をつけるべき戦いは物別れに終わった。

 幸いなるは、お互いにこの夜の出来事を他言する意思などなかったことだろう。

 

 

 継承者は分かっていた。とるべき行動が増えたことが。

 すでに自分の正体に気づいた者がおり、それは敵対行動をとっていること。

 愚かなその獲物の正体を暴き、狩らなければならないということ。

 今はまだ完全ではない器の掌握を急がなければならないということ。

 

 

 立ち去った襲撃者もまた分かっていた。

 自分の力がまだ足りていないということ。

 いずれ継承者は自分のところへと牙を伸ばしてくること。

 そして……まだ揃えるべきピースが足りていないということ。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

決闘の流儀は大切です

 ハリーが腕の骨を再建してから1週間が経った。

 

 あの日、夜中にコリン・クリービーというグリフィンドールの1年生が継承者に襲われて石化したという情報は、すぐに学校中に広がった。

 恐怖と疑心暗鬼が暗雲のように立ちこめ、直後はフィリスの動揺具合が深刻かしたが、咲耶はセドリックのアドバイス通り、なるべくフィリスと行動を共にするようにしていたことで、多少は軽減したように見えた。

 

 もっとも、フィリスたちと常に行動しているということは、ハリーのお見舞いやハーマイオニーたちの所に行く機会の減少を意味していたが、どうにも彼らの所に行くと、妙に彼らの友人であるロンがよそよそしく疑わしい視線を向けてくるため、例の薬品づくりはなるべく彼らだけで行うということにしたらしい。

 

 ノリスのみならず、実際に生徒に被害が出て以降、校内では効果が定かでない魔除け(タリズマン)お守り(アミュレット)などの護身用魔法アイテムが大流行して陰で取引されることとなった。

 悪臭のする大きな青玉ねぎ(リーシャからはなぜかクィレル先生を思いだすと不評だった)、尖った紫の水晶(これならまだおしゃれで通じるとフィリスの談)、腐ったイモリの尻尾(流石に女子4人組はこれには手を出さなかった)などなど。

 

 

 

 第28話 決闘の流儀は大切です

 

 

 

 スリザリンの継承者による最初の襲撃からもうすぐ2か月が経とうかというとある日、玄関ホールの掲示板にはちょっとしたお知らせの羊皮紙が張り出され注目を集めていた。

 

「決闘クラブかぁ。なんか面白そうじゃね?」

「……そうかしら」

 

 決闘クラブのお知らせ。 

 授業が終わった放課後、大広間にて護身のための戦い方を学ぶ目的で決闘クラブが執り行われるというものだ。

 実技が得意なリーシャはにやりと笑いながら掲示を指さし、反対にフィリスは少し浮かない表情で眉をひそめた。

 

 かのスリザリンの継承者が、今更多少魔法力を鍛えたところで、マグル生まれなどを学ぶ資格を持つ者とみなすとは思えないし、そもそもスリザリンが遺した恐怖とまで言われるモノが、数日決闘の練習をした程度の学生でなんとかなるような相手ではあるまい。

 リーシャとて怪物退治のために決闘クラブに出たいというよりも、単純に魔法の練習がしたいといったところなのだろう。

 

 咲耶も何とはなしに掲示を見ていたのだが、ふと隣に視線を落とすといつもは静かな湖面のような瞳のクラリスが、じっと何かの感情を秘めたように掲示を見ていた。

 

「どしたんクラリス?」

「…………これ出たい」

 

 咲耶が尋ねるとクラリスはついっと羊皮紙を指さして希望を述べた。

 

「えっ?」

「意外……なこともないか」

 

 本を読む以外では珍しい自己主張にフィリスがちょっと驚いた顔になり、リーシャは驚きつつも納得したように掲示を見直した。

 

「えーっと、日付は今月の第3金曜か……よし、行くかクラリス!」

 

 日程を確認して参加希望を述べたリーシャ。誘い掛けるリーシャにクラリスはこくりと頷き、咲耶に視線を向けた。

 上目遣いのその瞳がなんだかお願いしているように思えて咲耶はほかほかと微笑んだ。

 

「うん。じゃあウチも参加! フィーは?」

 

 それほど決闘に興味があるわけではないが、クラリスの上目遣いのお願いを見られただけでも価値がある、とばかりに咲耶も参加を宣言。

 

「わかったわ。それじゃあ私も参加。セドリックとルークも誘いましょ」

 

 友人3人が参加を決めたことでフィリスもやれやれといった風に参加を決定。せめてとばかりに親しい友人二人を巻き込むこととなり、一同は決闘クラブへの参加を決めた。

 

 

 ・・・・・・

 

 

 12月第3週の金曜日。

 その晩の8時、大広間はいつもと装いを変えていた。寮ごとに分けられた食事用の長いテーブルは取り払われ、一方の壁に沿って、派手な配色の金色の舞台がでんと現れている。

 これからミュージカルでも始まるかのように、何千本もの蝋燭が宙を漂い舞台を照らしている。

 

 ほとんど学校中の生徒が集まっているかのように、決闘クラブの開催場所として整えられた広間に、魔法生徒たちがそれぞれの杖を持ち、興奮した面持ちで始まりを待っている。

 

 咲耶も周りの興奮にあてられたようにわくわくとした面持ちでキョロキョロとしながらクラブの始まりを待っている。もっともわくわくと楽しそうにしている主とは違って、彼女の足元では落着きなく周囲を警戒している子犬姿のシロがいる。

 周囲には一緒に来たフィリスやリーシャ、クラリスの他、誘われてやってきたセドリックとルークがいる。離れたところにはハリーやハーマイオニー、そしてロンたちの姿があったり、別のところではマルフォイの姿もある。

 

「やあサクヤ。君も来てたんだね」

「ディズ君」

 

 そして咲耶を見かけて声をかけてきたディズの姿もあった。

 

「思ったより……いや、思ったとおりかな。かなり集まったね。サクヤも魔法使いの決闘に興味があったのかい?」

「えーっと、そこそこ、かな?」

 

 友達が乗り気で楽しそうだから着いてきたのだが、それを率直に言うのもアレな気がして咲耶は曖昧に返した。

 

「それにセドリック・ディゴリーも来ているとはちょっと驚いたな。君ならこういう場にでるよりもよっぽどやり方を知っていそうだけどな」

「はは。ちょっと誘われてね。それにそれを言うならクロスの方こそだろ」

 

 優等生と優等生。

 どちらも昨年までの闇の魔術に対する防衛術をはじめ、呪文学や変身術など、優秀な成績を修めている魔法生徒だ。だからこそ、お互いにこんな場に相手がいることが意外な様子だ。

 セドリックとて今の学校に漂う不穏な空気は察している。

 だがだからこそ、この決闘クラブにはかなりの人が集まると思っていたし、大人数が集まるクラブなどでは、ディズほどの生徒が得るモノなどほとんどないと思えたからだ。

 

「そうかな? 僕は決闘クラブの先生に興味があってね」

「先生に? 誰か知っているのかい?」

 

 ディズはちらりと咲耶を流し見て意味ありげに微笑んだ。

 決闘クラブの先生については明かされていないので、何かを知っているのかと尋ねるセドリック。

 

「いいや。ただ、彼だといいなという先生がいるだけだよ」

 

 ディズはセドリックの質問に首を横に振り、ただの希望だよと答えた。

 

 

 ざわざわ、ざわざわと賑やかな広間。

 沈黙を保っていた扉がバンと開かれて、そこから3人の魔法先生が姿を現した。ディズたちもそちらに顔を向けてやって来た先生に注目した。

 

 その先頭に立つ先生を見た瞬間、リーシャやルークは「げ」の形で口を固めた。

 

「ロックハート先生よ! 彼が決闘を教えてくださるんだわ!」

 

 深紫のローブを纏う先生の姿に、フィリスは「きゃー」と嬉しそうな声を上げた。先日のロックハート無能疑惑でフィリスと喧嘩しかけたためにリーシャとルークは間一髪で嫌そうな声をあげることだけは自重したのだろうが、がっかりとした表情は仕方あるまい。

 

 決闘の練習に乗り気だったクラリスも一瞬、がっかりしたようにテンションを落としたが、ロックハート先生の後ろを歩く先生の姿にやや驚いたように目を瞠った。

 手を振って愛想を振りまく一人の後ろにいる人物たちにセドリックや咲耶も驚き、ディズは嬉しそうに口元を歪めた。

 

 いつもの黒装束で仏頂面を貼り付けているスネイプ先生とくすんだ白のローブを着て皮肉気な顔をしているほとんど赤い髪の“リオン・スプリングフィールド”先生。

 

「ちょ、ちょおリオン。何してんの!?」

 

 思わず咲耶は、近くを通りすぎようとしたリオンに声をかけた。

 

 たしかに咲耶の知る限り、(多分)決闘に一番強いのは彼だろう。

 ただ、こんな人のたくさんいる“狭い”大広間、というか学校の中なんかでリオンが決闘した日には、死屍累々どころか、瓦礫の山ができあがるだろう。

 

 ローブを引っ張られて足を止められたリオンは、にやりと口角を上げた。

 

「なーに。ちょっとこっちの魔法使いの“決闘”に興味があってな」

「興味って……あ……」

 

 学校の心配をする咲耶をよそに、遊びにでも行くような気軽さで赤髪のリオンは、決闘クラブの主催者の近くに歩いていった。

 

 

「みなさん、集まって。さあ、集まって。みなさん、私がよく見えますか? 私の声が聞こえますか? 結構、結構!」

 

 まあ、よく考えれば思いつきそうなものだが、主催はやはりこの男だったらしい。

 

「ダンブルドア校長先生から、私がこの小さな決闘クラブを始めるお許しをいただきました。私自身が数え切れないほど経験してきたように、自らを守る必要が生じた万一の場合に備えて、みなさんをしっかり鍛えあげるためにです。詳しくは、私の著書をよんでください」

 

 闇の魔術に対する防衛術の教師。

 闇の魔法生物に対するスペシャリスト。

 みんなの“アイドル”。ギルデロイ・ロックハート。

 

 

 フィリスのような、未だに根強く残るロックハート先生のファンたちは壇上に立つ先生の姿にうっとりとした視線を送り、内心で小躍りしていることだろうがほぼ全ての男子生徒たちは、ロックハートに注目している者はがっかりと、他2名に注目している生徒は驚いていた。

 

「では、まずはご紹介しましょう。助手のスネイプ先生です」

 

 こんな場所に来そうにもない人物その一。

 魔法薬学の教師にして、長年“闇の魔術に対する防衛術”の教授席を狙っていると噂されているセブルス・スネイプ先生だ。

 

「スネイプ先生がおっしゃるには、決闘についてごくわずかご存じらしい。訓練を始めるに当たり、短い模範演技をするのに、勇敢にも、手伝ってくださるというご了承をいただきました。

 おっと、生徒の皆さんにご心配をおかけしたくはありませんから言っておきますが、私が彼と手合せした後でも、みなさんの魔法薬の先生はちゃんと存在しているでしょう。ご心配いりませんよ!」

 

 スネイプ先生の眉間の皺が2,3本どころではなく増えて、深く刻まれたように見えるのは気のせいではあるまい。

 むしろよくあの先生をこの場に引っ張り出して、そしてその身に纏う黒いオーラを気にせずにマイクパフォーマンスを続けられると感心するほどだろう。

 

 そしてそんな仏頂面のスネイプ先生を愉しげに見ているもう一人。

 

「そしてスプリングフィールド先生です。先生は残念ながら魔法使い同士の決闘についてはご存じないようですが、私の決闘姿に興味がおありだということです。

 みなさん。仲間外れにせずに温かく迎えて差し上げて下さいね」

 

 主に女生徒やスリザリンの方からくすくすとした笑いが聞こえてきた。

 

 お茶目感漂うロックハートの紹介に、精霊魔法の講座を受講している生徒たちは頬を引き攣らせたことだろう。

 

 咲耶もロックハート先生の言葉に、「うわぁ」と言いそうに頬を引き攣らせた。

 

「決闘について知らないって本当?」

「イヤイヤ。去年思いっきりトロールぶちのめしてたじゃん」

 

 流石に疑わしげにクラリスが咲耶を見上げた。

 咲耶はなんと返したものかと苦笑しており、リーシャが昨年の光景を思い出せと呆れた口調で言った。

 

 

 壇上のみんなが見れる位置に立ったロックハートとスネイプは互いに一礼を交わした。スネイプは不機嫌そうな顔のままぐいっと頭を下げたのに対し、ロックハートは優雅に大仰に手振りを加えながら礼をした。

 

「決闘の前に礼をするのがマナーです。そして作法に則って杖を構えます」

 

 二人は騎士が剣を掲げるように体の前で杖を突き出し構えた。

 (特にスネイプの)決闘を前にした緊張の面持ちに生徒たちはシンと静まり、二人に注目している。

 

「そして三つ数えて、最初の術をかけます。もちろん、どちらも相手を殺す気はありませんよ!」

 

 ロックハートが1からスタートして3のカウントを宣言し、二人は同時に杖を高く振り上げた。

 

「エクスペリアームス!」

「かぺろっっ!!!!」

 

 スネイプの放った紅の閃光がロックハートの腹部ど真ん中に命中して舞台から後ろ飛びに吹っ飛び、壁に激突してズルズルと落ちた。

 

 

「ほわぁ。あれって武装解除術やんなぁ。ホンマに吹っ飛ぶんや……」

「あっちゃあ。今のスネイプ先生、結構マジだったんじゃね」

「だ、大丈夫かしら、ロックハート先生」

 

 スリザリン生の集まっているあたりからは寮監の活躍に歓声があがっており、ロックハートファンの女生徒たちは悲痛な声を上げていた。

 

「み、みなさん。お解りになりましたか? 今のが“武装解除術”です。ご覧の通り、私は杖を、失いましたね」

 

 床の上に伸びていたロックハートはよろよろと立ちあがると、さも今のは演技でしたと言わんばかりに余裕ぶった態度を見せた。

 近くにいた生徒の一人がロックハートの飛んできた杖を拾って手渡した。

 

「さてスネイプ先生。生徒にあの術を見せようとしたのは、なるほど素晴らしいお考え、流石はベテランの教師でいらっしゃる。ただ、あえて言わせていただけば、決闘の場というのを鑑みるに、先生が何をなさろうしてかは、あまりにも見え透いていましたね。――――そう、止めようと思えば、容易く止めれるほどに。まあ、あえて生徒に見せた方が術の教育に良いと思いましてね」

 

 にかっと歯を見せて笑いかけるロックハートだが、スネイプの視線はもはや、それ自体が魔法となって人を殺しそうなほどの眼光を放っていた。

 流石にそれには気づいたのかロックハートは慌てて向きを変えて、空気を誤魔化すようにパンと手を打った。

 

「はい! それでは……おや。そうだ! スプリングフィールド先生、どうでしょう? 是非貴方も決闘というものの一端に触れてみては」

 

 そして向いた先に偶々スプリングフィールド先生が居たからなのか、それとも気を回したのか、はたまたノックアウトの無様さを道連れにするためか、腕組みして見ていたリオンに壇上に上がるように仕草した。

 

「よろしいので?」

 

 反応したリオンの声に、咲耶 ――よりもその足元のシロが顔を青くしたかは定かではない。

 

「ええもちろん。そうですね、私が――」

「それでは、セブルス・スネイプ先生。一手ご教授願えますか?」

 

 リオンの反応に気をよくしたように腕まくりしようとしたロックハートだが、リオンはその前をあっさりと過ぎ去ってスネイプの前に立った。

 スネイプの形相が憎々しげなものとなった。

 

 ロックハートはロックハートで、自分(主役)がまるで脇役のような扱いを受けたとでも思ったのか、数秒目をぱちくりとさせた。

 

「ああ! そうですね。うん。むしろ、私がお相手してあげるよりも、その方が先生にとっていいかもしれませんね。あまりに力が違っては先生も決闘について学べないでしょうし」

 

 そして眼中にないとばかりに視線を交わらせる二人の間に入るように体を動かしながら、あくまでも自分が進行しているように二人の決闘の采配を取り決めた。

 

 

 

 生徒たちは驚いたように、精霊魔法を受けている生徒もいない生徒たちも、あまり見たことのないスプリングフィールド先生の実技に興味深そうな眼差しを向けていた。 

 

「スプリングフィールド先生とスネイプ先生!?」

「へぇ…………」

 

 ルークも驚いており、ディズは嬉しそうに二人の先生を見つめいてた。

 

「それではスプリングフィールド先生。まずは決闘前に礼をして、私がやったように杖を構えてください。カウント3で始めてくださいね!」

 

 リオンとスネイプは互いに一礼すると、スネイプは不機嫌そうに、リオンは面白そうなにやにやとした笑みを浮かべたまま、それぞれ杖を構えた。 

 

「あっ!」

「どしたサクヤ?」

 

 何かに気づいた咲耶に、リーシャが尋ねた。

 

「リオン。こっちの杖使ってる」

「あっ、ホント。たしかトロールの時は使ってなかったわよね」

 

 フィリスがおぼろげに覚えているかぎりでは、トロールの時は杖自体使っていなかった(指輪をはめてはいたが)、というよりもそもそも精霊魔法で戦うつもりならば、小杖を使う必要がないはずなのだが、今リオンはスネイプ先生などと同じくこちらの魔法用の小さな杖を構えている。

 

「もしかしてスプリングフィールド先生、こっちの魔法で戦うつもりなのかな?」

「…………」

 

 セドリックもフィリスと同じ予想をしたのか、少し驚いている。

 彼らが見た限りにおいて、スプリングフィールド先生がこちらの魔法を使っているのは見たことがない。日常的に使っている魔法はそれほど差がないと言ってはいたが、果たしてスネイプ先生に通用するような攻撃用魔法を使えるのかどうか。

 ディズは先程までの笑みから不満そうに鋭く睨み付ける様な表情となっていた。

 

「一 ――――」

 

 半身をスネイプに晒すように斜めに構え、左手を首元あたりまで上げつつ、右手に持った小杖を突きつけるリオン。

 

「二 ――――」

 

 騎士が剣を掲げてから構えるように手慣れた動作で杖を突きつけるスネイプ。

 

「―――― 三!!!」

 

「ステューピファイ!」

「エクスペリアームス!」

 

 赤い閃光と紅の閃光が走り、空中で激突した。

 リオンは先程スネイプが見せた“武装解除術”を出し、スネイプは先程とは違う“失神呪文”を繰り出した。

 

「真っ向勝負!」

「互角よ!」

 

 空中でぶつかった二つの閃光はどちらも道を譲らず弾けた。

 リーシャとフィリスが互いの力量が五分であると見た。

 

「コンファンド!」

「ステューピファイ!」

 

 続いてスネイプは“錯乱呪文”を、リオンは“失神呪文”を繰り出した。

 武装解除から失神呪文。その呪文構成の意図に気づいたスネイプがキッと相手を睨み付けた。

 

「おおっ! スプリングフィールド先生、こっちの魔法も結構イケるじゃん!」

「ああ。でも……出してる呪文はスネイプ先生の後追いだ」

 

 二つ目の呪文もほぼ互角で宙で弾けた。

 ルークは精霊魔法の先生の、こちら側の魔法技能に感心したように声を上げた。一方で、セドリックは、さらに3つ目の呪文でスプリングフィールド先生が“錯乱呪文”を出したことで、彼の呪文構成に気がついた。

 

 流石に今見て覚えたということはないだろうが、あの先生はスネイプ先生の決闘の仕方を勉強するつもりで来ているのだ。

 

 スネイプもそれに気づいたのだろう。

 4つ目、5つ目の呪文を出しても後追いしてくるリオンに顔を険しくした。

 ただ状況は僅かに傾きつつあった。

 

「少しスプリングフィールド先生が押されてる」

 

 僅かに互いの魔法がぶつかる場所がスプリングフィールド先生側に寄り始めていることを分析してクラリスが呟いた。

 

 そして

 

「! ちっ!!」

 

 リオンが先ほどスネイプが繰り出した“くすぐりの術(リクタスセンプラ)”を返した時、その呪文は無言で繰り出されたスネイプの魔法に掻き消されて舌を打った。

 

「スネイプ先生の無言呪文だ!」

 

 呪文の詠唱なしに魔法を放つ熟練の魔法使いの技法。

 その技に生徒たちが驚きの声を上げた。

 

 後追いで呪文を返してくるのなら、その詠唱を悟らせなければいい。

 本来のホグワーツの教師レベルなら無言呪文であろうとも何の魔法か読み取ることができただろうが、リオンはそれほどにはこちらの魔法に精通していない。

 無言で放たれた呪文を相殺できたが、次の呪文の選定に一瞬、間が空く。

 無言呪文で威力が弱まる分、その前の呪文で威力が弱く、比較的詠唱の長い魔法を使うことで罠にはめたのだろう。

 

「あっ! 杖が飛ばされた!!」

 

 連続の無言呪文。二つ目の紅の閃光、“武装解除術”がリオンの手元から杖を吹きとばした。

 そして

 

「!!!」

 

 次の瞬間。

 スネイプは背後にぞわりとした特大の悪寒を察知して呪文を紡ぎながら振り返ろうとした。

 肩越しに碧眼と視線が交差する。

 背後に回ったリオン(・・・)がニヤリと笑みを浮かべたことに気付く。

 振りかぶられた腕の先、魔力を纏った爪が呪文の詠唱もなく薙ぎ払われた。

 

「なっ!!」

「きゃぁ!!!」

 

 破壊音が舞台から響き、いきなりの轟音に近くの生徒たちが悲鳴を上げた。

 三爪一閃。咄嗟の防御を易々と貫き、スネイプ“を”紙一重で避けて、舞台に文字通りの爪跡を刻み付けた。

 

 生徒たちが気づくと、先程までの魔法の応酬が消え、睨み付けるスネイプ先生と杖がないはずなのに余裕の表情を浮かべているスプリングフィールド先生の二人がいた。

 いつの間にかスネイプ先生の背後をとっていたスプリングフィールド先生は手ぶらで爪を突きつけるようにスネイプ先生の首元に腕を向けており、半端に振り返った体勢のスネイプ先生は杖をスプリングフィールド先生に向けていた。

 

 舞台には亀裂、というには大きな裂け目ができており、進行役のロックハートは何が何だかといった様子でぽかんとしている。

 

 そして

 

「おっと。そういえば、杖を無くしたら負けだったな」

「……そのようだ」

 

 杖を向けられたままのスプリングフィールド先生が、そんなものなどまるで気にしていないかのように向けていた腕をおろし、無抵抗をアピールするように両腕を広げた。

 

 

「おいおい、何やったんだスプリングフィールド先生!?」

「杖なしで姿現し……じゃ、ないな。精霊魔法を使ったのか?」

 

 決闘の勝敗はスネイプ先生の勝利となり、スリザリン生たちは「わあっ!」と歓声を上げたが、ルークやセドリック、その他の生徒たちも興奮したようにざわついていた。

 

 

「素晴らしい模範演技でしたよ、お二人とも! まあ実際の決闘では、今ほど上手く立ち回れないでしょうが、私から見てもギリギリ及第点を差し上げてもよろしいかと思いますよ。ええ!」

「それはどうも」

 

 ロックハートはぱちぱちと手を打ちながら近づきながら鷹揚に上から二人を褒めた。

 リオンは小さく「メア・ウィルガ」と一言呟き、舞台を降りた。

 

 吹き飛ばされていた小杖がひとりでに飛んできてリオンの掌に収まり、リオンはそれを胸元にしまい込んだ。

 舞台から降りたリオンは、自分に微笑みかけている見知った顔に「なんだ」とばかりに視線を向けた。

 

「あーあ。リオン負けてもたな」

「ふん。こっちの魔法覚えて1年ばっかし程度の奴に負けたら、あの男も教師としてやってはいけまい」

 

 えへへー、と笑って言う咲耶に、リオンは余裕っぽく敗者の捨て台詞を返した。

 負けたことを別に気にはしていないらしいと二人のやりとりを見てフィリスたちは思った――というよりも

 

「えっ! スプリングフィールド先生、1年ってどういうことですか!?」

 

 スプリングフィールド先生の言った言葉に驚いて尋ねた。

 

「リオンもこっちの魔法勉強しとったんや」

「やることの片手間にな」

 

 咲耶は(隠れてだが)実は一緒に魔法を覚えていたことが嬉しいのかにこにことリオンに話しかけており、リオンは素っ気なく応じている。

 

 

 偉大なる大魔法使いである母曰く

 ――何があるから分からんから、何事にも手をだしておくものだ――

 

 という有難いお言葉から、一応こちらの魔法についても勉強はしていたらしい。

 

 もっとも、他にも色々とやることをやりながら、こちらの魔法使い対策のために勉強していた程度では、あの決闘の条件 ――真っ向からの呪文の応酬合戦――では限度があったようだ。

 

「むしろ片手間に1年であんだけ使えるって……」

 

 ただ、それでもあのスネイプ先生が、あれほどの使い手であったことと、その先生と途中までは互角に渡り合ったスプリングフィールド先生の技量にリーシャたちは呆れたように感心していた。

 

 

 

 スネイプ先生とスプリングフィールド先生の決闘の興奮冷めやらぬ広間で、ロックハートは注目を自分に集めるよう声を張り上げた。

 

「模範演技は以上です! これから皆さんも二人一組になって実際にやってみましょうか!」

 

 スネイプとロックハートは壇上から降りて、生徒たちに指示を出してペア決めを告げて行った。

 

「んじゃ、私たちもやろーぜ!」

 

 リーシャは組まされるよりも知っている人と組みたいのだろう、咲耶たちへと振り向いた。

 セドリックとルークも顔を見合わせ、セドリックは組を申し出ようとして、

 

「なあ! せっかくだし、サクヤはセドリックとやってみたら?」

「ほへ?」

 

 ルークはセドリックから咲耶へと視線を向けて楽しそうに提案した。

 

「そうね。ハッフルパフで一番魔法が上手いのはセドリックだし」

「おいおい。サクヤがセドと組んだら私たちが奇数になるじゃん」

 

 何かがピンと来たのかフィリスは楽しそうにルークの提案に賛同し、しかしリーシャは唇を尖らせて反対した。

 

「それじゃあ、リーシャはルークと組んだら? 私はクラリスと組むから」

「はっ!? え、ちょ!」

「よろしく、リーシャ」

 

 テンポよく組み分けていく二人にリーシャはワンテンポ遅れて事態が決定していることに気がついた。

 リーシャは慌ててクラリスの方に視線を向けるも、そこにはすでに誰も居らず、フィリスの方を見てみるとクラリスと既に組を作っていた。

 

「あ、でもディズ君はどないするん?」

 

 ハッフルパフの6人は偶数だったので、それぞれに組を作れたが、近くで見ていたディズまではカウントに入っていなかった。

 咲耶が気づいてディズを見ると、彼はじっと咲耶の隣、リオンへと視線を向けていた。

 

 きょろきょろとリオンとディズの間で視線を行き来させる咲耶。

 ディズは何かを期待するようにじっと見つめ―――― そしてふっと微笑んだ。

 

「気にしなくていいよ。僕は向こうで誰か見つけてくるから」

 

 そう言ってディズは踵を返して、別のグループの方に向かって行った。

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 咲耶たちから少し離れたところで

 

「マルフォイ君、来たまえ。かの有名なポッターを君がどのように捌くのかお手並みを拝見しよう」

 

 スネイプによって指示された組み分けにハリーは不満を覚えながらも従った。組むのならロンかハーマイオニー。できるのならば咲耶とでも組みたかった。

 

 だが、スネイプに呼ばれてマルフォイがやってきて、ハリーはマルフォイを睨み付けた。

 マルフォイの顔はまるで嘲笑うようにハリーを見下している。

 

 ハリーがマルフォイと対戦カードを組まされたように、ハーマイオニーはスリザリンの大柄の女子生徒と、そして最近杖がイカレかけて魔法が暴走しがちのロンは同寮のフィネガンと組まされていた。

 

 ほとんどすべての生徒がペアを組み終えたのを確認したロックハートは壇上に戻って号令をかけた。

 

「相手と向き合って! ――――そして礼!」

 

 癪に障る薄ら笑いを浮かべるマルフォイと敵意をむき出しにするハリー。

 ハリーは“敵”であるマルフォイを前にして、彼から目をそらさずに軽く頭を傾げた。

 

 相手は目的のためならどんな手段でも ――ハリーを追い落とすためなら誇りを穢すような嘘の決闘をでっちあげることすらする――スリザリンのマルフォイだ。油断すれば不意打ちでもしてくることは十分に考えられる。

 だが、驚くことにマルフォイは、それこそが決闘の流儀であるかのように優雅にお辞儀をしたではないか。

 

「杖を構えて!」

 

 小さな驚きとともに違和感を覚えたハリーだが、それが何かを考える前にロックハートが声を張り上げた。

 

「私が三つカウントしたら、相手の武器を取り上げる解除術をかけなさい。武器を取り上げるだけですよ。先生方のようにやりすぎてはいけませんからね」

 

 ロックハートが決闘の条件を指定して、カウントを始めた。

 嘲り笑うマルフォイの顔が妙に気にかかるも、ロックハートのカウントは進む。

 

 カウントが3となり、決闘の火蓋が落された瞬間、あちこちで呪文が唱えられた。

 

「エクスペリアームス!!」

 

 ハリーもまた先程スネイプが見せた武装解除呪文“エクスペリアームス”を唱えた。

 発動は明らかにハリーの方が早かった。

 杖から放たれた紅い閃光が真っ直ぐにマルフォイへと向かい、その体に吸い込まれる――そう確信した瞬間、

 

「えっ!!?」

 

 マルフォイが何かを呟くと共に杖を振り上げた。その動きに弾かれたかのように閃光が掻き消えた。

 驚きの声を上げたハリーの見ている前で、いっそ優雅なほどにマルフォイの杖がハリーに突きつけられた。

 

「エクスペリアームス」

 

 余裕すら感じさせるその詠唱とともに放たれた紅い閃光がハリーに直撃した。

 ただ武器を取り上げるだけの呪文だったはずだ。

 唱えられた呪文は、まぎれもなくハリーと同じ武装解除の呪文。

 だがその衝撃はすさまじく、ハリーの体は宙を舞って5mほど吹き飛ばされた。

 衝撃に息がつまり体中が痛み、ハリーはガハゴホと咽こんだ。

 

 ――武装解除と見せて違う呪文を唱えていた?

 何かインチキを仕掛けて来た?

 自分の杖に何か細工をされた?――

 

 痛みの中、混乱する頭には取り留めもないことが浮かんでは消えた。

 

「決闘の仕方を聞いていなかったのか、ポッター? きっちりとお辞儀はするものだ」

 

 頭上から声が聞こえて、呼吸を荒げながら見上げるとそこにはマルフォイがにやにやと見下していた。

 格の違いでも見せつけるかのようなその余裕の表情にハリーはカッと頭に血を上らせた。反射的に杖を掲げて呪文を放とうとし、

 

「やめなさい! ストップ!」

「フィニート・インカンターテム!!」

 

 ロックハートの制止を求める声と、スネイプの強制的に呪文を終わらせる呪文が響き、ハリーはハッとなって周囲を見渡した。

 

 あたりには緑がかった煙が霧のように覆っており、友人をはじめ多くの生徒がゼーハーと息を乱していた。

 

 

「まったく、なんてことを……これは、非友好的な術の防ぎ方を教えたほうがいいようですね、まったく」

 

 あちこちで起こった惨事にロックハートは面食らったように言った。ちらりとスネイプ先生に視線を向けると、ギラリと睨み返され、ならばとスプリンフィールド先生に視線を向けるとどこ吹く風とばかりにそっぽを向いていた。

 

「ふむふむ。これはどなたかに見本になっていただいた方がよさそうですね……誰かいませんかね?」

「マルフォイとポッターはどうですかな?」

 

 無秩序にやらせると惨事を引き起こすということくらいは分かったのか、ロックハートはモデルペアに決闘をやらせようと思ったらしい。くるりと広間を見回し、誰も手を挙げていないため、指名しようかとした矢先、スネイプが口元を歪めながら提案した。

 

「それは名案ですね!」

 

 お気に入りのハリーを提案されたからか、ロックハートは嬉しそうにそれに乗っかり、ハリーとマルフォイを大広間の真ん中に来るように手招きした。

 

 

 

 指名されたハリーが壇上に上がるとロックハートが近づいて来て何やらアドバイスらしきものを口にし出したが、ハリーは先程の一幕を思いかえしながらマルフォイの方を睨み付けた。

 マルフォイは何やらスネイプ先生に耳打ちされているが、視線はハリーの方に向けたままだ。

 そのにやけた顔が苛立たしくて、カッとなりかけるが、先程、完膚なきまでにやられた一幕を思い出して頭を振った。

 

 冷静になって思いかえすと、さっきは明らかにマルフォイの技量が自分を上回っていたことに気づいた。

 

 先に発動した自分の魔法を弾き飛ばし、圧倒的な威力の魔法を洗練された動きで放ち、自分を吹きとばした。

 悔しいながらそれは歴然とした事実だった。

 発動で先手をとっても防がれた後でカウンターを喰らう。

 

「さあ。二人とも互いに向き合って礼をして!」

 

 ロックハートが決闘前の作法を指示し、ハリーは考えながら軽く頭を傾げた。

 先程マルフォイが嘲ったような顔でお辞儀について言っていたが、あんな奴のいう事なんて聞いてたまるかと逆らった。

 

 反発しつつも、先の経験から、先手をとることは悪手でしかないことを認めたハリーは、様子をうかがうように杖を構えたままマルフォイを見据えた。

 

 どんな魔法がこようとも避けるか弾き飛ばすか。なんとかしてその一撃を防御すれば、そうすれば今度は自分の番だ。

 

 先にやられたことをやり返そうと狙っていたハリーだが、マルフォイは変わらずにやにやとした笑みを浮かべて余裕を見せていた。

 

 そして

 

「言ったはずだぞ、ポッター。お辞儀はしっかりとしろと」

「!!」

 

 今度はいきなりだった。

 ロックハートのカウントが三になった途端、背骨がぐいと押し曲げられたような重みを受けた。

 その重みに、耐えきれずハリーの体がお辞儀をするように腰を曲げ、そのまま圧迫感は増していきハリーは膝をついた。

 

「っ! ぁっ!!」

 

 胸がズンと重苦しくなり、喘ぐように声が漏れた。その苦しげな様子にマルフォイは満足したのか、杖を軽く振るった。

 その瞬間背中を抑えていた圧迫感が解除された。

 呼吸が楽になりハリーは2,3度呼吸をしっかりと行い、

 

「サーペンソーティア!」

「くっ!」

 

 何かしら反撃をしようとするも、その前に再びマルフォイが杖を地面に向けて呪文を唱えた。杖の先が炸裂し、ハリーの足元から数mのところに長く黒い蛇が飛びだした。

 

 シャーシャーと威嚇するように鎌首をもたげさせる蛇。

 周囲からは生徒の悲鳴が上がり、サーッと後ずさりして空間が開けた。

 ざわめく周りとは対照的に、蛇の瞳を見たハリーの思考は、冷徹に冷えていっていた。

 

 なぜだか分からない。

 ただ、そうすべきだと直感したかのように、ハリーは片膝をついたまま言葉を発していた。

 

「―――――」

「!」

 

 人語にならなかったただの音。そのはずなのに、蛇はハリーの言葉を理解したかのようにハリーへと近寄る動きをピタリと止めた。

 動きを止めて鎌首をもたげさせた蛇の姿に、術者であるマルフォイが驚いて目を瞠った。

 

「――!」

 

 去れ! そのつもりで言った言葉は、やはり言葉にはならず、しかし蛇は進路を変えた。

 

 どよめく広間。

 あたかもマルフォイによって召喚された蛇が、術者の意に反して、正当な支配者に従うように聞き取れない言葉に従ったのだ。

 

「ひっ!!」

 

 哀れにも進路を変えた蛇の行く先に偶々いた少年が、近づいてくる蛇の姿に悲鳴をあげた。

 

「ヴィペラ・イヴァネスカ!!」

 

 少年が恐慌状態に陥るその寸前。スネイプの怒鳴るような声が響き、術が蛇に命中した。蛇は燃えるようにぶすぶすとその身を焦がして消えた。

 

 

 ・・・・・・・

 

 

「なんかよう分からん終わり方してもたな」

「そうね。いきなり蛇が向きを変えたと思ったらスネイプ先生が消してしまわれたから。近くの子たちの様子もちょっとおかしいみたいだけど……リーシャ?」

 

 ハリーの近くあたりではざわざわと不安げなひそひそ話がされており、咲耶は首を傾げた。フィリスもどうやらよく分かっていないらしく、舞台周りの生徒たちの様子を困惑したように見ていた。

 そして隣に立っているリーシャが険しい顔をしているのに気づいて訝しげな顔になった。

 

「えっ! あ、いや。そうだな!」

「?」

 

 話しかけられたリーシャはハッとして、慌てて頷いた。

 その様子に咲耶とフィリスはそろって首を傾げ、クラリスは無言を貫いた。

 

 

 舞台の上で困惑していたハリーは、ロンに腕を引っ張られて無理やり舞台をおし、ホールを抜けて外へと消えて行った。

 

 そして、舞台の上からパーセルタング ――スリザリンの力の証を見せつけた英雄の姿を見つめるマルフォイの口元は、まるで三日月のように歪んでいた。

 

 

 ざわつきが収まらない広間に、パンパンと大きく手を打つ音が響いた。

 

「みなさん! 本日の決闘クラブは以上とします。今日一日だけでも非常に有意義で、皆さんの身を守る技能は、格段に、向上したことでしょう。ですが、油断しないように! 闇との戦いは常に命がけです。詳しくは私の著書を読み、今後も魔法技術の向上に努めて下さい!」

 

 一応、開催者としての責務からか、それとも単に事態の深刻さを分かっていないだけか、ロックハートは茶目っ気を見せるようにウィンクしながら締めの言葉を述べた。

 

 

「なんだったのかしら?」

「なんやろな?」

 

 不思議な空気で終わったクラブに、咲耶とフィリスは訝しげな表情で広間を出ようとした。クラリスとリーシャ、そしてセドリックとルークも続いて出て行こうとし

 

「サクヤ、ちょっといいかな?」

 

 ディズに声をかけられて足を止めた。

 声をかけられた咲耶だけでなく、一緒に帰るためかフィリスやセドリックたちも足を止めて振り向いた。

 

 ディズは自分を見上げる咲耶ににっこりと笑みを向け、

 

「明日はホグズミードだっただろ。よかったら一緒にデートしないかい?」

「……はぇ?」

 

 爆弾を投げつけた。

 

 フィリスがあらまあという形で口元を抑え、リーシャはあんぐりと口を開け、クラリスは髪の毛が逆立たんばかりに驚いて目を見開いた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リオール君は一体いつこのデートの情報を入手したんでしょうかね

 ―― 一緒にデートしないかい? ――

 

 投げかけられた爆弾に方々色々と反応してから一日。

 

「なんでこうなるかなぁ……」

 

 ホグズミードへ行くために校門前に集まったリーシャたち。

 みんなで遠足気分の咲耶。フィリスはなんだかワクワクしたようにその咲耶と話しており、クラリスは相変わらずの無表情。

 セドリックとルークは、今日に限って再び姿を現したリオールと何やら話している。

 リーシャはなんだかよく分からない事態になっていることに「はぁ」とため息をついた。

 

「やあ! ごめん、待たせたかな」

「ううん。大丈夫」

 

 そしてリーシャを困惑させている当人、ディズ・クロスがハンサムな笑顔でやって来て咲耶に声をかけた。

 セドリックたちも会話をやめてディズに近づいた。

 

「今日はよろしく、セドリック・ディゴリー……それと……」

「ああ。彼はリオール・マクダウェル君。えーっと、咲耶と仲が良くて、よく一緒にホグズミードに行くんだ」

「へぇ……よろしく、リオール・マクダウェル(・・・・・・)

 

 リオールとは“初顔合わせ”となるディズに紹介した。ディズはリオールに興味を持ったのか、握手を求めて左手を出した。

 

 

 握手を返すリオールを見て、そして自分の隣でワクワク顔をしているフィリスを見て、リーシャは溜息をついた。

 

「はぁ……フィー。なんでそんな楽しそうなんだ?」

「え!? だって気にならない? あそこ」

 

 なんだか睨みあっているようにも見えるリオールとディズ。そして二人を困ったように見ているセドリックと、リーシャと同じく溜息をついているルーク。

 咲耶は二人の間でニコニコしており、足元のシロは不機嫌そうに尻尾を揺らしている。

 

「わたしゃ、見てて胃が痛くなりそうなんだけど……」

 

 咲耶の想い人が某魔法先生なのは承知済み。

 その上で、ホグズミードデートを繰り返したり、クリスマスにはプレゼントを贈ってきたりとしているリオールは、咲耶に気があると思っていた。

 そして昨日突如として咲耶をホグズミードデートに誘ったディズ。

 紹介したセドリックが困ったような顔をしているのも頷ける。

 

「バカね。だから見てて面白いんじゃない。あの4人と…………」

「ん?」

 

 他にも気になることがあって気分が下がっているリーシャだが、対してフィリスはここ最近の落ち込みがなんだったのかと言わんばかりのテンションの高さだ。

 ワクワクが止まらない、といった様子のフィリスは、ふと言葉を切ってリーシャを見上げた。

 

「うん。まだ分かってなさそうね」

「なんだよ」

「いいからいいから」

 

 本日、ホグズミード集団デート開催。

 

 リーシャの溜息が漏れた。

 

 

 

 第29話 リオール君は一体いつこのデートの情報を入手したんでしょうかね

 

 

 

 事は昨日、決闘クラブが終了した直後に遡る。

 咲耶をデートに誘ったディズだが、あぶぶと混乱している咲耶。そして目の色を変えた彼女の友人たちを見て、にっこりとなった。

 

「あ、よければ君たちも一緒でどうかな?」

「は?」

「セドリック・ディゴリーや、ルーク・アグリアーノも」

「???」

 

 続いた言葉は、咲耶だけでなく、リーシャやフィリス、クラリス。そしてセドリックとルークまでも誘うというものだった。

 流石に混乱するリーシャたち。

 

「ああ。ごめんごめん。デート、って言っても、ちょっと君たちと一緒に回ってみたくなったんだよ。君たちはいつも楽しそうに回ってるからね。……それに、サクヤとももっと話してみたいし」

 

 胡散臭そうに見てくるリーシャにディズは説明を補足した。

 前々から咲耶と話をしてみたいと言っているディズだが、どうやら今回のデートの申し込みは、個人的に咲耶につきあって欲しいというものではなく、少しでも距離を近づけたい、といったものらしい。

 そうならそうと紛らわしい言い方をせずに言ってほしいものだが、顔を近づけてウィンクしている様子からは、外堀を埋めていくために敢えて、そういう言い方をしたようにも見えた。

 

 

 ・・・・・・

 

 

 ホグズミードにやってきた一行は、ひとまず買い物を済ませてから三本の箒へと入った。

 そしてディズから今回のこの集団デート(?)の目的を聞かされることとなった。

 

「クラブ?」

「ああ。最近物騒だろう? 昨日の決闘クラブのように僕たちで戦い方を練習しないかい?」

 

 それぞれに三本の箒名物のバタービール(咲耶のみオレンジジュース)を注文してから切りだされた話は、クラブ活動の誘いだった。

 ホグワーツにおいて、クラブ活動は認められているものの決して数は多くない。

 

 たしかに今年に入ってからだけでもスリザリンの継承者による襲撃騒ぎが続いており、昨年度に至っては、トロールの侵入や“例のあの人”が手先を潜り込ませるといった事件が起きていたのだ。

 特に今年は(今年も)その実技を本来教えるはずの闇の魔術に対する防衛術の教師が“アレ”なのだ。実践的な魔法について自発的に学ぼうとする者がいてもおかしくはないだろう。

 

 だが、リーシャは引き合いに出された昨日の決闘クラブを思い出して顔を顰めた。

 そしてそんなリーシャを見てセドリックも少し難色を示した。

 

「それは面白い考えだけど、僕とリーシャはクィディッチがあるからなかなか時間をとるのは難しいと思うんだけど」

 

 この中でセドリックとリーシャの二人はクィディッチチームの代表選手に選ばれているのだ。

 年がら年中練習をしているわけではないが、それでも二人はかなりの時間をクィディッチの練習に費やしており、課題の時間なども考えるとそれほど余裕はない。

 

「そこは上手く調整するさ。勿論ハッフルパフのクィディッチチームの戦力低下を目的としたものなんかじゃないから、出来る範囲でかまわないよ」

 

 セドリックの懸念に対し、ディズは冗談めかして言った。

 

「でも戦い方を練習するなんて先生の許可か、見てもらう必要があるわ」

 

 それに対してフィリスは実際にやることを想定しての懸念を告げた。

 魔法戦闘を意識した練習などということになれば、危険を伴うだけに先生に許可を申請しておく必要はあるだろう。

 フィリスの指摘にディズは口元に笑みを浮かべた。

 

「そう! それなんだけど。スプリングフィールド先生に頼もうと思うんだけどどうだろう?」

 

 ディズの言葉に、リオールと咲耶がぴくんと反応した。セドリックもひくっと顔を引き攣らせてリオールにちらり視線を送った。

 

 一体何を思ってディズがスプリングフィールド先生を監督にしようなどと考えたかはセドリックは知らないが、タイミング的にはよりによって、というタイミングだ。

 

「どう思うかな、サクヤ?」

「はぇっ!?」

 

 しかもディズはわざわざ咲耶に意見を求めたではないか。

 動揺しているところに質問を向けられて咲耶が椅子の上で小さく跳ねた。

 

「スプリングフィールド先生とサクヤは親しそうだから、お願いできないかな?」

「え。えーっと……」

 

 まあよく考えれば、わざわざ咲耶に話があるといった上でスプリングフィールド先生の名前を出したのだから、取り持ってくれという頼みであることは分かるのだが……

 

 咲耶は明らかに動揺したようにちらちらと隣に座ってバタービールを傾けているリオールに助けを求めていた。

 困ってますと目が語っている咲耶の様子に、リオールはジョッキをおいて溜息を一つ。 

 

「たしか、第1回目を開催された防衛術の教授がいらっしゃったと思うが?」

「残念ながら前回のロックハート先生の決闘クラブを見る限りにおいて、秘密の部屋の怪物に役立つ戦い方を学べるとは思えないんだ」

 

 大反響をもって行われた決闘クラブ。

 その第1回目の主催者にお願いすれば、あの先生はきっと喜んで大々的にクラブを開催して下さるだろう。

 それは分かる。それは分かるのだが、リオールのそれはどう聞いてもリーシャたちには皮肉にしか聞こえなかった。

 そしてリオールの問いにディズはすらすらと、残念そうな顔をして反論した。

 

 フィリスがむっとして反論したそうにしたが、流石にこの場ではロックハート先生擁護派が少数であることは察しているのだろう。不満そうにしたまま意見は差し控えた。

 

 フィリスの不満。咲耶の動揺。そしてリオールの(おそらく)苛立っていそうな感じにセドリックは口を挟んだ。

 

「それならフリットウィック先生はどうだろう? 先生は若いころに決闘チャンプだったというのを聞いたことがあるし」

 

 妥協案として、別の方面に巻き添えを増やすという方法。

 決闘チャンプという肩書があるのだから理由としてはたつし、少なくとも“本人”の目の前で素知らぬ顔で相談事をするという気まずい状態は避けられる。

 

「フリットウィック先生はレイブンクローの寮監だから、今居るメンバーとは関わりが薄いだろ。それにこの前の決闘、ルールで負けはしたけどスプリングフィールド先生の戦い方は凄かったと思わないかい?」

 

 だが残念ながらディズの考えは固いらしく彼の返答にリーシャは「まあなぁ」と腕組みしながらうんうんと頷いた。

 

 たしかに、昨日の模範演技。

 無言呪文を連続発動させたスネイプ先生の手並みも中々だったが、杖を吹きとばされた状態で、まるで姿現しでもしたかのように一瞬でスネイプ先生の背後をとったスプリングフィールド先生の技は、セドリックも関心の深いものだった。

 

 しかも、結局それを除けば精霊魔法も障壁魔法も使わなかったことを考えると、あれは本気ではないのだろうという予想は容易くついた。

 

 思わず揺らいでしまうセドリック。

 

「それなら勝ったセブルス・スネイプ先生の方が適任では? たしか貴様の居るスリザリンの寮監だろう?」

 

 劣勢気味のセドリックを援護するため、というか面倒事を回避するためか、リオールが決闘クラブのもう一人の助手殿を差し出した。

 

 その意見の筋はたしかに真っ当。

 元々スネイプ先生は、闇の魔術にすごく詳しいという評判のある先生で、長年防衛術の教授職を狙っているというもっぱらの噂のある先生なのだ。

 スリザリン生を贔屓して、他寮の生徒に意地が悪いという欠点こそあるが、そのスリザリン寮生で極めて優秀と評判なのがディズなのだ。

 そのほかの参加(予定)者のことと本人の性格を考慮しなければ選択肢としてはありかも知れない。

 

 リオールの反論にディズはじっと見つめ返し――ふっと微笑んだ。

 

「そうだね。ただ……本音を言うと、先生にもっと精霊魔法について聞きたいと思ったんだ。

 この前の決闘。杖を失ったら負けというルールで負けていたけど、先生は杖を失ってもなんの問題もないように戦っていた。それこそ本当の戦いに必要な技能だと思わないかい?」

 

 明るい表情に切り替えて“演説”するディズに、リーシャなどは腕組みしてうんうんと頷いている。

 

 咲耶がみんなの様子をちらりと伺ってみると、ほとんど全員、申し訳なさそうなセドリックも含めてディズの意見に傾きかけているように見えた。

 どうするつもりだろうと咲耶は隣に座る“リオール”に視線を向けた。

 

 

 

「たしか精霊魔法にも発動媒体は必要だと習ったと思うが?」

「うん。だから、それも含めて戦い方だろ?」

 

 ――コイツ…………――

 

 リオールは話しながら、ニコニコとした顔を作っているディズを観察していた。

 

 ディズの魔法力は、流石に自分や、まして咲耶ほどの魔力容量はないものの、授業で見る限りにおいて中々に優秀な部類に入るとは思っていた。

 そして前回話した時に感じた感触や、向けてくる見透かそうとするかのような視線。

 

 この子供は自分の偽装 ――年齢詐称薬による年齢変化を見破っている。

 

 そんな感覚を“リオン”は覚えた。

 

 前学年時の、あのトロール事件の時から向けてきていたこの少年の眼差し。

 タカユキが自分に押し付けたということからも、どんな意図をもって咲耶に近づいてきているのかと警戒して、今回同行することを決めたのだが、どちらかというと狙いは最初から自分であったかのようにすら思える。

 

「一応頼むだけ頼んでおいてくれないかな、サクヤ」

「えっ!? あ、えー、うん……」 

 

 リオールを説き伏せたと判断したのか、ディズは改めて咲耶にお願いをした。

 咲耶も、リオールが反論を止めて、テーブルに置いていたジョッキを手に取ったことで、首を縦に振るしか選択肢がなくなってしまっていた。

 

 咲耶に首を縦に振らせたことでひとまず満足したのか、ディズはにこりと微笑んだ。

 

「良かったよ。継承者の動きが一層悪質なモノになってるみたいだから気になってたし」

「悪質?」

 

 ほっとしたように言うディズ。その言葉にフィリスは首を傾げた。

 

「そう言えば、サクヤはハリー・ポッターと仲が良いのかい?」

「ハリー君と? うん。こっちに来て一番最初にお話ししたんがハリー君なんよ」

 

 口に出して気づいたような顔をして尋ねてきたディズに、咲耶は笑顔で答えた。

 

「へぇ……最初? どこで会ったんだい?」

 

 ディズはその顔をじっと見つめた。普段の学校生活を垣間見るに、最も親しそうにしている友人は同じ寮でルームメイトの彼女たちだろう。それよりも早く、別寮の年下の子と知り合う機会など、留学生にはそうはないだろう。

 

「えとな。去年、学用品買うためにダイアゴン横丁に行ったとき、ハグリッドさんに案内してもろたんやけど、その時。な?」

「知るか。なんで俺に聞く」

 

 なぜだか嬉しそうで振り返ってきた咲耶に、リオールはいらっとした返答を返した。

 

「でもそうか……なら彼は今、大変そうだね」

「そうなの? 例の噂のことならそろそろ下火になってきたころじゃないの?」

 

 先程の話の流れとハロウィーン以降に噂された件、ハリー・ポッターが継承者説についてのことだと察したのだろう。フィリスがディズの言葉に意外そうに尋ねた。

 

 もともと第一発見者で、フィルチが騒いでいたくらいしか噂の根拠はなかったのだ。ほとんど信憑性のないはずだった噂だったのだからそろそろ鎮火する頃合いだと思っていたのだ。

 

 だがそう思っているのは少数派のようで、興味のなさそうなリオールの他は、よく分かっていなさそうな咲耶とフィリスのみ。リーシャやセドリック、ルークたちは眉根を寄せて険しい顔をしている。 

 

「昨日まではね。でも今日は再燃してるはずだよ。なにせハリー・ポッターがパーセルタングだと昨日暴露したからね」

「パーセルタング?」

「蛇の言語、もしくは蛇と話せる技能のことだよ」

 

 ディズが言った聞きなれない単語に二人は首を傾げ、セドリックが険しい顔のまま注釈した。

 

 パーセルタング。蛇と話せる技能。

 昨日の決闘クラブで、マルフォイが呼び出した蛇が、術者の意に反したように進路を変えた。それは思い返してみればハリーが何か声にならないなにかを喋った直後だったようにも思えなくない。

 

「それがなんでハリー君が継承者って話になるん?」

 

 きょとんとした様子の咲耶。

 

「そうか……サクヤは知らないか」

「えっ? 私も分からないんだけど……」

 

 ディズは少し考え込み、彼だけでなくリーシャやクラリスたちも顔を顰めている様子にフィリスが怯んだように周囲を見回した。

 

「パーセルタングはスリザリンの持っていた異能なんだよ」

「えっ!?」

 

 純血ではないフィリスが知らず、そしてリーシャが気づいて言わなかった理由。

 それは昨日のあの場面は、ハリー・ポッターが継承者だと思わせるのに決定的に近い理由があったからなのだ。

 ハリーに対して疑心暗鬼になりかけていたフィリスにあの場で告げれば、恐慌状態になる恐れがあった。そのためにリーシャは口をつぐんだのだった。

 

 咲耶は思わず反射的に頼りとしているリオールへと振り向いた。

 

「なんで俺を見てんだよ」

「あ、いや…………」

 

 ただの反射的なものだったから深い理由はない。ただリオールだったら蛇とくらい話せるのではないかと淡く期待したからなのだが、反応を見る限りそういうものでもなさそうらしい。

 

「少なくともイギリス魔法族の間では、蛇と話せる魔法使いはそうは居ない。恐らく今、学校の方だとハリー・ポッターがスリザリンの子孫だという噂でもちきりじゃないかな」

 

 そしてさらに、ディズは現状の推測を交えながら話を進めた。

 リーシャがちらりとフィリスの顔を伺うと、やはりそこには顔を蒼ざめさせている脅えた友の姿があった。

 

「そんな……それじゃあ、やっぱりハリー・ポッターが継承者なのかしら……?」

「……可能性は50%ってところだと思う」

「そんなっ!!」

 

 あの英雄がまさか自分たちに牙剥く“悪魔”かもしれない。それはフィリスの恐怖を呼び起こすには十分だったらしい。

 顔を青ざめるフィリスにディズは慎重に言葉を選ぶように言った。白黒半分ほどの可能性というのが高いのか低いのかはともかく、全くの白ではないというのは、やはりショックなのだろう。友人にかけられた疑いに咲耶が高い声を上げて身を乗り出した。

 

「根拠はあるのかい?」

 

 ショックを受けている咲耶の様子を見て、セドリックがその根拠を尋ねた。

 

 セドリックとハリーは、互いにクィディッチチームのシーカー同士という間柄でしかない。それに昨年の試合ではハリーがセドリックを寄せ付けない圧倒的な能力を見せつけたこともあって、おそらく彼の印象には残っていないだろう。

 言ってみれば敵という間柄ではあるが、それでも彼が今学校を騒がせているスリザリンの継承者であるとは思えないのだろう。

 

「継承者はスリザリンの怪物を操っている。そのことから純血、特に名家の可能性が極めて高い」

「だったらたしかスリザリンに居るだろ。もっと怪しいのが?」

 

 ディズの答えはどちらかというとあまりハリーを犯人にする根拠とは思えないものだった。セドリック同様、リーシャも彼とは友人と呼べるほどに親しい間柄ではないが、咲耶の友人であり、クィディッチのライバルであるハリーを犯人にしたくはないのだろう。

 

 思い浮かべたのはホグワーツ特急で図々しくも咲耶に近づいてきた生意気な後輩。

 純血主義で純血の名家の出である少年。

 

「ドラコ・マルフォイかい? 彼は違うと思うよ」

 

 それは同じ寮のディズの方が詳しい。その反論がくるのが分かっていたかのようにディズは微かに微笑んで否定した。

 

「彼のことは同じ寮だから知ってるけど、あんな風に挑発的に立ち回るよりも、こそこそと影で何かするか、強者の威を借りる程度だと思うな。まあ可能性的にはせいぜい10%ってところだろうね」

「うーん。それもそう、か…………」

 

 ディズの推測と評価にリーシャは思わず納得した。

 1年前のこととはいえ、スリザリンの継承者としての力を有しているほどの魔法使いがトロール相手に無様を晒すようなことはしないだろう。それよりもうまく立ち回ってなにかをするか、それとも立ち向かうかするだろう。

 そう考えるとたしかに、彼と同じ1年生でトロールを倒したと言われるハリーの方が怪しく見える。

 列車の中でも上から目線で咲耶を引き込もうとして、それが出来なかった途端に親の威を借りて偉そうにしようとした挙句、シロに一蹴されていた。

 仮にも伝説の魔法使いの継承者を名乗るのならば、それこそ相応しくないとみなさざるを得ないだろう。

 

「でもハリーってマグルの家で育てられているのよね。それに例のあの人を倒した人よ?」

 

 納得しようとしているリーシャに対して、ハリー英雄説を信じているフィリスは信じないとばかりに反論を続けた。

 

 “名前を言ってはいけない例のあの人”。闇の帝王。ヴォルデモート卿。

 今現在の英国魔法界が平穏を保っているのは、ひとえにハリー・ポッターが彼を滅ぼしたからだ。

 闇を払い世界を安定へと導いた英雄。その彼が、よりによって“例のあの人”が掲げた純血思想を引っ提げてホグワーツを粛清しようなどと悪夢以外の何物でもあるまい。

 

「確かにね。……でもどうやって倒したかは分かっていない」

 

 それはディズも分かっている。

 フィリスの言葉に首肯しながら、疑念を口にした。

 

 フィリスもそれに気づいたのかはっとしたように口を噤んだ。

 

「彼があの人を倒した時、彼はまだ1歳かそこらだろう? それこそ生まれながらに何らかの力を持っていたと考えた方が自然だ」

 

 闇の帝王と称される“例のあの人”は、英国魔法界ではただ一人ダンブルドアのみが彼の恐れる人物であったと言われており、実際に数多の闇払いや魔法使いが屠られ、恐怖の世界へと陥れられたのだ。

 子供が、まして赤ん坊と言っても差し支えない幼児が倒すことができる人物でなかったはずなのだ。

 

 だが、ハリー・ポッターは帝王を倒した。

 そして…………

 

「それにポッター家は元々純血の名家だ」

「えっ!!?」

 

 もう一つ口にした言葉にフィリスだけでなく、セドリックやルークもぎょっと驚いている。

 ハリーがあの人を倒した時に両親を失い、マグルの親戚の家に預けられて育てられているというのは、1年前にすでに全校生徒が知るほどに知られた事実だ。

 だからこそ、違うと思っていたのに、ディズはそれを崩すことを口にした。

 

「ああ。聞いたことあんな。うちのとーさんが昔、クィディッチであいつの父さんと戦ったことがあるとかで、結構仲良かったらしい」

 

 誰もが驚くディズの言葉に、リーシャは記憶の底をさらうような顔をして思い出しながら言った。

 

 ハリーの父。ジェームズ・ポッター。

 クィディッチのトロフィールームにその名を刻まれるほどに卓越した乗り手だったのは事実だ。

 

 リーシャの両親も魔法族の純血であり、当然その学生時代は彼女たちと同じホグワーツで青春を過ごしたのだ。

 ほかのことならばいざ知らず、クィディッチに関する知識だけはたしかなリーシャがそういうからには、そうなのかもしれない。

 

「確かに、そう考えていけばすごく怪しいわね……でもそれだけあって何で50%なの?」

 

 揺らぎ始めたのかフィリスが不安そうに尋ねた。

 これまでのディズの言葉を信じるとすれば、純血の家系で、何らかの強力な能力を有しており、スリザリンの異能であるパーセルタングを持ち、行動力もある。

 

「彼がグリフィンドールだからだ」

 

 フィリスの問いに対するディズの答えはあっさりとしたものだった。

 短いその答えに思わずフィリスたちはきょとんとしてディズを見た。

 

「それと、ポッター家は純血でも、おそらく彼は純血じゃない」

「どうしてそんなことが分かるんだい?」

 

 付け加えたディズにセドリックが首を傾げた。

 

「少なくとも母親はマグルとかかわりが深いからさ」

「彼のお母さんを知ってるの?」

 

 たしかにリーシャも父親に関しては知っていたが、母親に関しては何も聞いていない。

 

 だが魔法族の純血、というのならば図書館で調べることも可能だったかも知れないが、あまり有名な純血でない可能性も十分にありうるはずだ。少なくとも、マグルの孤児院出身のディズが純血魔法族の情報網に詳しいというのは奇妙な話だろう。

 

 もちろん、ディズはそれを知っているわけではない。

 

「いいや。だけど彼は親族であるマグルの家で暮らしているのだろう? だったら、少なくとも母親はマグルか、もしくはマグルに極めて近い親等だったはずだ」

 

 だが、ディズの推測は十分に一考に値するものではある。

 疑いかけていたフィリスやクラリスが気付いてあっと声を上げた。

 

「もちろん、彼が“ポッター家”の魔法使いとして血の半分のみを誇っているのなら疑わしさは極めて高い。けど、彼は見た限りにおいては純血思想とは距離をおいている」

 

 普段のハリーを見た限り、本当に魔法族のことには疎く、マグル生まれのはハーマイオニーと親しことなどからも、どちらかというと純血思想を嫌っているように見える。

 

「このために初めから隠しているというのは?」

 

 クラリスが尋ねた。

 

「たしかに歴代校長の誰もが見つけられなかった秘密の部屋を開けた継承者はかなり頭がいいのだろう。彼がそうなら意図的に自分の能力や思想を隠していた可能性はある。

 けどそれならいきなり犯人候補になるような間抜けな真似はしないよ」

 

 スリザリンの継承者は極めて頭のいい人物だろうというのがディズの予想だ。

 歴代校長が、なによりもダンブルドアが未だに見つけられていない秘密の部屋を開いた人物なのだから。 

 だからクラリスの推理を全否定はできない。

 だがもしもそうならば、わざわざ衆人環視の中でスリザリンの異能であるパーセルタングを見せつけはしないだろう。

 

「わざと疑われることで、敢えて疑惑から外れるっていうのはどうかしら。ほら、よくマグルの推理物であるみたいに」

 

 フィリスがマグルの世界でよくあるフィクションを思い出しながら言った。

 

 第1発見者を装って疑惑を外れようとするというのはたしかによくいるものだ。

 あるいは、事件を解決する探偵役を装った犯人などなど……

 

「それはいくつかの候補が予め想定できる場合だよ。今回みたいにそもそも候補が浮かび上がらないというのに敢えて疑惑の目を向けさせるなんてナンセンスだ」

 

「でもそういう風に考えさせることが……」

 

 マグル世界に慣れているディズもそれは分かっているのだろう。だが、それでもフィリスの推理には否定的らしい。

 

「うーん。だからさ。そういう風に考える余地がある時点ですでにらしくないんだよ」

「?」

「例えばさ、この話をした時点で、継承者が僕だという風に疑っている人がどれだけいる?」

「えっ!!?」

 

 よくわかっていなさそうな咲耶やリーシャたち。

 ディズは思い切ったように自分を例にし、思わずフィリスたちはぎょっと身を引いた。

 

「ほら。そういうことさ。こんな風に言い出すってことは継承者じゃない証拠だ、って言うこともできるけど。そもそも今みたいに怪しまれる可能性を出さなければ候補にすら上がらないんだから」

 

 そんな女子たちの反応に、ディズは微笑みながらおどけたように言った。

 

「あ、そっか」

「えっ? えっ? ど、どういうこと?」

 

 ディズの言葉で、その意図が分かった咲耶やフィリスたちだが、リーシャはよくわかっていないらしく混乱している。

 

「つまり疑いを外すって目的でも、自分に目を向けている時点ですでに目的がおかしくなっちゃてるってことね」

 

 フィリスが確認するように言うとディズは、答えを導き出した教え子に向けるようににっこりとほほ笑んだ。

 

「そう。元々怪しまれる可能性が高いドラコ・マルフォイが第1発見者だったとか、パーセルタングだった、って明かしていたとしたら、今みたいな余地はあったけどハリー・ポッターはそうじゃない。

 もしもミセス・ノリスの時に近くを通らず、パーセルタングであることを明かさなければ、候補になることすらなかったんだ。

 秘密の部屋を開けるほどの才覚の持ち主なら間違いなく後者を選ぶ」

 

 ハリーが継承者であるか、そうでないのか。話の流れからするとディズはどちらかというと否定派のような印象を受けるものの、怪しさであらばたしかによくわからない状態ではあった。

 

 セドリックやルークもディズが言っていた意味を理解してなるほどと頷いていた。

 ただ

 

「まるで秘密の部屋を開けることの難しさを知っているみたいな言い方だな」

 

 意地悪く、にやりとした挑発的な笑みを浮かべながら落ち着いた場をかき乱すようなことを言う赤毛が一人。

 

 ニヤニヤとしているリオールに、その言葉の意図を理解したセドリックやクラリスがぎょっとして振り返った。

 ディズは虚をつかれたように一瞬きょとんとした顔でリオールを見た。

 

 そしてふっと微笑みを返した。

 

「それはそうさ。歴代校長が影すら見つけられなかったホグワーツの謎なんだから」

 

 返したのは特に当たり障りのない返答。

 目を引く美少年二人が向けある笑み。

 ただし、その間に漂っているひんやりとした雰囲気は、困惑している咲耶やリーシャたちの気のせいではあるまい。

 

「えーっと、じゃあ継承者は誰なのかしら……」

 

 継承者に対する恐怖よりも今この場における空気の悪さをどうにかしようとフィリスが戸惑いがちに疑問を提示した。

 

 見つめ合うディズとリオール。

 フィリスから質問を提示されたことで、視線がついっと逸らされた。

 

「それは分からない。けどおそらく今の時点で候補になっていなくて、過去に闇の魔法使いと何らかの関わりがあった人物だろうね」

「ほう。つまり貴様は今、候補にのぼったから除外されるわけだ」

 

 まあ妥当な推測を口にするディズに対して、まぜっかえすリオール。

 隣に座っている咲耶があぶぶあぶぶと慌てている。

 

「はは。そうだね。リオールはどう思う?」

 

 揚げ足を取るリオールの性格がだいたい分かってきたのか、ディズが咲耶に気にしてないよと笑いかけながら相槌を打って、切り替えして尋ねた。

 

「さあな。こそこそ隠れながら猫やら子供にしか手を出せないなら、よっぽどの腰抜けなんだろ」

 

 興味なさそうなリオールの言葉に、フィリスたちは目を丸くし、ディズは口元に笑みを浮かべた。

 

 

 

 咲耶たちがホグズミードを訪れていたこの日。

 

 

 ホグワーツ場内では継承者による第3、第4の襲撃事件が起きていた。

 

 ハッフルパフの生徒、そしてゴーストまでもが継承者によって石にされるという事態に、学校は恐怖に覆われていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

恋とジュースともふもふと

「いいかい? いち……にの……さん」

 

 人通りのほとんどない三階女子トイレにてハリーとロン、ハーマイオニーの三人が悪巧みを実現させていた。

 

 校則違反をして手に入れた材料とお間抜けなスリザリン生二人(+1)をだまくらかして頂戴した髪の毛を原材料にして、およそ一月かけて作り出したポリジュース薬を飲んだのだ。

 

 残念ながらそのジュースはカボチャジュースのようとはいかず、見た目からしてむかむかするような黄色や鼻くそのようなカーキ色、濁った暗褐色という飲む意欲を減退させる代物だった。

 

 

 

 第30話 恋とジュースともふもふと

 

 

 

 クリスマス休暇に入り、生徒の多くは昨年以上に一時帰宅を選んだ。

 ミセス・ノリス、グリフィンドールのコリン・クリービーに続いてハッフルパフのジャスティン・フィンチー・フレッチリーとゴーストの首なしニックまでもが継承者の餌食となり石化してしまった。

 またも起きてしまった事件。しかも今回は一度死んでいるはずのゴーストまでもが対象となったことで、未だ姿を見せない怪物に生徒たちの恐怖は煽り立てられていた。

 そんなところで休暇を過ごせるかとばかりに多くの生徒が帰宅を選択。

 

 咲耶たちはリーシャとクラリスはそれぞれ昨年同様、残留と帰宅を選択したが、フィリスはやはり帰宅を選択した。

 出発の直前まで逃げ出すことを申し訳なさそうにしていたフィリスだが、ただちょっぴり淋しいとだけ言って見送った咲耶とリーシャに見送られてクラリスとともにホグワーツ特急に乗った。

 

 決闘クラブを立ち上げることを決めたものの、8人しかいないメンバーのうちクラリス、フィリス、“リオール”の3人が居なくなったことで、ひとまず開催はクリスマス休暇明けとなった。

 

 なお、リオンへの顧問就任依頼は、無理じゃないかなーというリーシャたちの予想に反してすんなりと了承された。もっともその際に咲耶とリオンの間にどのようなやりとりが行われたかは黙秘となったが…………

 

 

 そして本日12月24日、クリスマス。

 

 学校に残った数少ない生徒たちと(すべてではないが)和気藹々としたクリスマスパーティが行われた。

 大広間は幾本ものクリスマス・ツリーが立ち並び、柊とヤドリギの枝が天井を縫うように飾り付けられていた。

 普段は別のテーブルについているハリーたちも、この日ばかりは人数が少ないことで一緒のテーブルにつくことができ、先生たちを含めて楽しんだ。

 

「サクヤ、メリークリスマス!!」

「メリークリスマス、ハリー君! ハーミーちゃん! あれ? ハリー君のセーターて手編み?」

 

 真新しいお手製のセーターを着込んでいるハリーも、クリスマスの華やかな雰囲気で気分が高揚しているのかやや顔が赤い。

 

「あ、うん」

「もしかして……ハリー君の彼女から!?」

「ち、違うから!! ロンの小母さんからだよ!」

 

 似合っとるえーとほわほわ笑う咲耶。

 ハリーは咲耶の言葉に慌てて手を振って否定した。

 

「なーんや。ウチてっきり…………」

「その目は何かしらサクヤ? ちょっと来なさい?」

 

 口元に手を当ててちらちらとハリーの隣に居るハーマイオニーに視線を向けてむふふと笑みを浮かべている。

 あらぬ想像をしていそうな咲耶にハーマイオニーはぴくりと米神を震わせて、腕を引っ張って連行していった。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 ハーマイオニーに広間の扉の方に引っ張っていかれた咲耶。咲耶の友達だというハッフルパフの金髪の女の人 ――リーシャも一緒について行ったが、ハリーとロンはなぜだか取り残されていた。

 

 なにやら話しているらしく、流石に距離が離れたためにハリーにも何を話しているのかは分からないが、咲耶がびっくりしたような顔で振り向いたような気がした。

 驚いたような顔をして――それからとってもイイ笑顔になった。

 まるで彼女の愛犬のような犬耳とぶんぶんと嬉しそうに揺れる尻尾が幻視できそうなほどにイイ笑顔だ。

 

 ぞくりと感じた嫌な予感さえなければ、思わず顔が赤くなっていたかもしれないほどにイイ笑顔だった…………

 咲耶は慎ましやかな胸をドンと張って何かを言っているようだが、今度はハーマイオニーが驚いたような表情となり、隣のリーシャはげっそりと呆れたような顔になっている。

 

「ハーマイオニーは何を話してるんだ?」

「さあ……?」

「もしかしてまだハーマイオニーはアイツのこと信用してるのか? マルフォイみたいな純血主義じゃないだけいいけどさ。頭にお花畑が咲いてるようなやつだぜ?」

 

 テーブルについて小声で話しかけてきたロン。彼の言いようにハリーはムッと唇を尖らせた。

 

「この前も危うくアイツのせいでバレるところだったし。結局なーんの役にも立ってない。そうだろ?」

 

 ロンの言っているのは1月ほど前から始めたハリーたちの悪巧み。校則をぶっちぎりで犯しまくっている作戦についてだ。

 

 結局ハーマイオニーがロックハート(無能教師)を騙して要になる禁書の借りだし許可証へのサインを手に入れたが、はじめ咲耶に依頼したそれは危うくスプリングフィールド先生にバレるところだったのだ。

 今の所バレた兆候はなく、スプリングフィールド先生が咲耶に追究したりした様子はないが、リスクを一つ背負ったことは確かだ。

 

 元々ロンは、ニホンの魔法協会の長の孫娘という肩書を引っ提げてやってきて、ハッフルパフに入ったサクヤのことをあまり良く思っていなかった。

 嫌い、ではないが、咲耶に仕事を任せるのは、一日数回はドジをやらかすネビルに大任を任せるのと同じくらいに思っている節がある。

 

 そんなことはない……と否定したいが、たしかに否定できない。

 頭が悪いとは言わないが、ハリーから見ても咲耶はお花畑を背負っていそうなほどにのほほんとした牧歌的な少女だ。

 ヴォルデモートとか純血主義だとか、スリザリンの継承者だとか、そんな闇にまつわることなんかとは無縁で平和なところで育ってきたお姫様のような存在にも見える。

 だとしたら、いくら彼女が協力を申し出てきても、巻き込むのは危険かもしれない。

 

 ハリーは顔を顰めて口をつぐんだ。

 

 

 そうこうしている内にハーマイオニーは咲耶を連れて戻ってきた。

 妙に機嫌良さそうにニコニコしている咲耶にハーマイオニーは少し不安げだ。

 前回の失敗のこともあるから、咲耶にポリジュース薬のことを言ったとは思わないが、心配になる不安顔だ。

 

 

「ハリー君、ウチもこっちで食べてもええかな?」

 

 広間に戻ってきた咲耶は自寮であるハッフルパフのテーブルではなくハリーの近くにやってきてにこにことお願いした。

 

「え。あ、うん! いいよ! うん! どうぞ」

 

 ロンが微妙そうな顔をしており、嫌なことを言わない内にハリーは少し慌て気味に首肯して自分の隣の席を引いた。

 

 同意を得た咲耶は嬉しそうな顔をして

 

「ジニーちゃんともお話したかったんよ!」

「あれ? サクヤはジニーを知ってたのかい?」

「うん。来る時の列車で少しな」

 

 グリフィンドールのテーブルにて、咲耶はハリーの隣に座る――――かと思いきや、だきっとハリーの近くに居たジニーの腕をとり、ハリーとの間にジニーを挟むように座った。

 せっかく咲耶と座れる機会かと思いきや、まさかの不意打ちにハリーは笑顔を少し引き攣らせた。

 

 咲耶がやって来ているのを見つけてか、彼女と同学年で何気に親しいらしいフレッドとジョージも近くにやってきた。

 

「サクヤ。今日はスプリングフィールド先生と一緒じゃねーの?」

「うん。クリスマスの日はリオン、センセが嫌いな日の一つやから」

「クリスマスが嫌い!? ホント、スプリングフィールド先生変わってんな!」

「ホントホント。おっ! ウマイウマイ!」

 

 咲耶の反対隣りにはリーシャが座り、二人のハッフルパフ生を囲むようにフレッドとジョージが腰かけ、リーシャは嬉しそうに手を伸ばして食事を堪能し始めた。

 

 ハリーの反対側にはロン、ハーマイオニーの順に腰かけており

 

「おおっと! そや!! ウチちょっとハーミーちゃんとジョージ君とフレッド君によーじがあってん!!」

「え?」

 

 席に落ち着いたかと思いきや、咲耶はがばっと立ち上がった。

 

「ほらほらリーシャも」

「は? いや、もうちょっとチキンを」

「ええからええから♪」

 

 なぜだかルンルン顔でリーシャを立たせる咲耶。唖然としているハリーとロンの横でハーマイオニーは額に手を当てており、

 

「ロン。私もちょっと用事があるの、いいかしら?」

「えっ!?」

 

 ため息をついて、腹をくくったかのような顔になったハーマイオニーがロンの腕をぐいと引っ張った。クリスマス、ヤドリキの下でのまさかのお誘いにロンが目をぱちくりとさせている。

 

「え。サクヤ、僕は……」「さ、サクヤ」

「ハリー君はジニーちゃんとちょっっと待っとってな! 二人で楽しくはじめとってええからな! 時間かかるから待たんでええからな!!」

 

 友人、知り合いを根こそぎもっていかれ、残っているのはハリーと二人きりでは碌に話ができないジニー一人。

 二人が戸惑ったように立ち上がろうとしたのを遮って咲耶は妙に迫力ある声で押しとどめた。

 

 ハーマイオニーから誘われたロンだが、状況が呑み込めていないのかハリーと咲耶とハーマイオニーの間をきょろきょろと視線を彷徨わせており、

 

「まあまあ、ローニーぼうやはちょっとこっちでお話しようぜ」

「そうそう。我らがハーマイオニー嬢のご指名だぜ」

 

 楽しそうな状況をいち早く察した二人はにやりと互いに笑い合うと、混乱しているロンの肩に腕を回して強制連行し始めた。

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

「どかなどかな?」

「アナタ演技力に難があるわ。ちょっと強引すぎよ、サクヤ」

 

 室内ではハリーとの近さに耐えきれなくなったジニーが一席分の間をあけて、顔を真っ赤にして俯いている。

 広間の扉から隠れて様子を窺っている咲耶とハーマイオニー。

 

「何やってんだ?」

「まーまー。我らが末妹の喜ぶべき好機にサクヤが協力してくれているのだよ」

 

 二人の後ろでは引っ張ってこられた挙句に放置プレイをくらっているロンが首を傾げており、フレッドが肩に手をおいて頷いている。

 

「?」

「おっと、坊やには2年早かったかな」「いや3年」「5年かも」「いやいやずっと早かったかも」

 

 意味が分からず疑問符を飛ばしている鈍い弟にジョージとフレッドは代わる代わるに言葉をかけた。

 

「おっ! いけいけジニーちゃん!」

 

 咲耶が歓声をあげて、拳を握った。室内では顔を俯かせていたジニーが意を決したのか、ばっとハリーの方に振り向いていた。

 咲耶の言葉と遠目に見えた状況に、ロンが遅まきながら今の状況に気がついた。

 

「もしかしてジニーをハリーと二人っきりにさせるのが目的だったのか!?」

「おっと坊やがサクヤの壮大な計画に気付いたぜ」

「おっとっと、止めようなんてするなよロン」

 

 ジョージは皮肉交じりの笑みを弟に向け、フレッドは今にもとんぼ返りしそうなロンを押しとどめた。

 

「何言ってんだ! ジニーはハリーと二人っきりじゃ話せないだろ! ジニーをゆでだこにするつもりか!?」

 

 フレッドに腕を掴まれて広間に戻れなかったロンが悲鳴のような声で言った。

 それは妹を心配する兄の心ではあるのだが、たとえ親友のハリーであろうとも妹に着く虫を許さないというシスコンも多々混ざっていた。

 広間に入り、二人のところに戻ろうとするロン。そんな弟をジョージとフレッドは「まあまあ」と抑え込んでおり、

 

「あ~~!! なんやのあの人! なんでわざわざ二人の間に入るん!?」

 

 しかし様子を伺っていた咲耶が、(咲耶視点で)仲睦まじい二人の間に入ってきた不届き者の存在に叫び声を上げた。

 

「パーシーを忘れてたわ!!」

 

 グリフィンドールに居るもう一人の赤毛。

 Pのバッジを輝かしく胸につけている監督生。パーフェクト・パーシーが、意を決して距離を詰めようとしていたジニーとハリーの間の席に収まっていた。

 

「そんなところまで監督するなよ!!」

「そっち方面は劣等生だよ、パース!!」

 

 結び付けようとしていた策略を分解した劣等生(優等生)。思わぬ事態に、乱入者の弟たち二人も声を上げ、拘束が緩んだすきにロンは広間へと飛び込んでいった。

 

「…………クリスマス休暇中は、これを私が止めるのか?」

 

 ツッコミ役(フィリスとクラリスたち)不在の彼女を止めることの難しさを思い、リーシャは物悲しく呟いた。

 

 

 

 ・・・・・・・

 

 

 

 などという微笑ましくもドキドキなイベントのあった昼が終わった後は、スリリングでドキドキの時間がハリーたちを待っていた。

 クリスマステンションでどう考えても使い物にならない咲耶をハッフルパフに送り返し、ハリーとロンとハーマイオニーの3人は、この一月の成果をいま結実させようとしていた。

 

 スリザリン寮に潜り込み、継承者であるマルフォイの秘密を暴く。

 それこそが、この一月、こっそりと校則を破りながら、人の来ない3階女子トイレにて実行していた計画だ。

 

 いくつもの難関(ロックハートやスネイプたち)を乗り越え、今日すべての材料を手に入れて完成させたポリジュース薬。

 昼に起こったちょっとしたイベントのせいで機嫌が下降気味だったロンは、作成中ぶつくさと文句を垂れていたものの、事の重大さにあたっては、しっかりとポリジュースを飲んだ。

 スリザリンの生徒。あのにっくきドラコ・マルフォイの取り巻きであるクラップとゴイルに変身することに成功したハリーとロンはスリザリン寮を探してしばしホグワーツを彷徨った。

 ミリセント・ブルストロードというバグ犬のようなスリザリン女生徒に変身したはずのハーマイオニーはなぜだかトイレから出てこず、擦り減っていく変身時間を無駄にしないように二人に言って、トイレに篭っている。

 

 計画をたてたハーマイオニーが居ないため、いささかの時間の浪費と、少しの疑惑を撒き散らした後、二人は無事に目的の人物であるマルフォイと出くわすことに成功して、一緒に歩いていた。

 

「まったく。せっかくホグワーツが浄化されようとしているのに、何をこぞって帰る必要があるんだい? 不思議でならないね」

 

 ガランとした校内を我が物顔で歩くマルフォイは、クリスマス休暇に入って慌てたように帰宅した生徒を小馬鹿にしたようにフンと鼻を鳴らした。

 

 ぺらぺらと得意げに告げる言葉はスリザリンの継承者にふさわしいほどに純血思想に塗れたものばかり。

 マルフォイはまるで自分が選別者にでもなったかのように周囲全てを蔑むように見ており、ハリーとロンは自分たちの推測に確信を強めていた。

 

 ハリーもロンも、ハーマイオニーというマグル生まれの魔法使いの友がおり、継承者のやろうとしている選別など断固阻止すべきものでしかない。

 

「お前たちも純血のはしくれなら分かるだろう。スリザリンが望むのは真に学ぶ価値ある者だけの学び舎だ。まさに継承者が為すべき偉大にして不可欠な事業だ」

「誰がスリザリンの継承者か、知っているのかい?」

 

 調子よくしゃべるマルフォイが継承者の話に近づいたのを見計らって、ゴイルに変化したハリーが素早く質問した。

 ゴイルの質問にマルフォイはにやりと笑みを浮かべた。

 

「ああ。それかい? どうやら噂ではハリー・ポッターがそうだと言われているらしいね。まあたしかに、彼にはパーセルタングがある。それは認めざるを得ないな」

 

 意外にもマルフォイはハリーたちが想定していた以上にハリーのことを評価しているらしく、ロンは顎をカクンと開いた。

 ハリーとマルフォイは(ロンもそうだが)、互いに嫌悪し合っている間柄だけに、わずかでもハリーを評価するような言葉を吐いたのが意外過ぎたのだ。

 マルフォイがハリーのことを一部でも褒めるなんて、まるでスネイプがハリーに加点するくらいありえないことなのだ。

 だが、ハリーはいくらマルフォイに認められようとも継承者としてなんて認められたくないし、そもそもマルフォイに上から目線で認めざるを得ないなんて言われて喜ぶ気にはなれない。

 

 唖然としているロンと顔を顰めたハリー。二人の表情の変化に気づいているのかいないのか。

 

「だが奴じゃない。さて、オイ。開けろ」

 

 マルフォイは一言、ハリーが継承者であることを明確に否定した。

 同時にマルフォイは立ち止まった。

 おそらくそこがスリザリン寮の入り口なのだろう、湿ったむき出しの石が並ぶ壁の前でマルフォイが顎でしゃくって開けるように指示した。

 

「え?」

 

 もともと二人はスリザリン寮に入ることを企んでいたとはいえ、適当なスリザリン生の後を尾けて入るつもりだったのだ。

 開けることすら取り巻きにさせているとはハリーとロンも予想外。二人の心臓がどきりと跳ねた。

 二人はスリザリン寮の合言葉などまったく知らないのだ。

 

「どうした? 早く開けろ」

「えーと…………」

 

 だらだらと嫌な汗が流れる。

 ハリーはロンと顔を見合わせるが、そこに写るのは互いに困惑したゴイルとクラップの間抜け面だけだ。

 

「貴様ら、まさか……」

 

 マルフォイの瞳に剣呑な光が宿り始めた。

 

 ――マズイ……!!――

 

 いつも手下のように従えているから違いを察したのか、それとも二人の演技があまりにもバレバレだったからか。まだ変身の時間が残されているはずなのに、訝しむような視線が向けられる。

 

「腹が痛い」

「胃薬だ」

 

 咄嗟に、ハリーとロンは腹を押さえて、だらだらと流れる汗が痛みを堪える脂汗のように見せて、マルフォイから背を向けた。

 

 限界だ。

 これ以上、マルフォイに探りを入れようとすれば、タイムリミットよりも先に確実に二人の正体がばれる。

 スリザリン寮の前だろうと中だろうと、二人の正体がスリザリン生ではなく、グリフィンドール生だと分かれば、マルフォイは嬉々として二人を退学にするためにスネイプあたりに告げ口するだろう。

 

 

 

 いつもののろまな二人とはうって変わって走っていくゴイル(ハリー)クラップ(ロン)の姿をマルフォイは厳しい視線で見送った。

 

 だが

 

 ――なるほど。アイツか…………――

 

 その口元は愉悦に歪んでいた。

 

 見つけたのだ。自身に比肩する存在を。

 スリザリンの異能を持ち、並外れた行動力を持ち――――

 

 なによりもこの“スリザリンの継承者”に刃向かおうとする愚かなほどの勇気を持つ者を。

 

 

 

 

 そして…………

 

 去って行った二人とすれ違い、そして様子をうかがうように隠れたスリザリンの4年生が一人いたことを、慌てて逃げたハリーとロンが気づくことはなかった。

 ポリジュースの効力が段々と切れ、ゴイルの髪の毛はくしゃくしゃのくせ毛に、クラップの髪は赤毛に戻っていっていた姿を、見ていた人物がいたことなど……

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 あくる日――――咲耶に激震が走った。

 

 彼女の大切な友人の一人であるハーマイオニーが諸事情により保健室に入院することとなったという噂が流れたのだ。

 常であれば体調を少し崩したと心配する程度だが、今は時期が時期だ。

 骨なしのハリーですら一晩で治癒させた優秀な校医であるマダム・ポンフリーがすぐには治すことができない状態。そしてマグル生まれであるという共通点を鑑みれば、彼女がスリザリンの継承者の新たな犠牲者になったと勘ぐる者が居てもそれは自然な流れだった。

 

 そんな噂を聞いた咲耶が驚き慌てて保健室に行くことも――自然な流れだったのかもしれない。

 

「ハーミーちゃん!!!」

 

 いつもであれば、病人が居る保健室に騒々しく踏み入るような真似はしなかっただろう。

 だが、居ても立っても居られない心境の咲耶は、ガラリと保健室の扉を開けて踏み込んだ。

 

「まあっ!! コノエ! 騒々しくするなんて。病人が居るのですよ!」

 

 当然のごとく、その騒々しさはマダム・ポンフリーの怒りを買ってぎろりとした睨みを向けられた。

 

「すいません! でも、ウチ。ハーミーちゃんが…………」

 

 怒鳴られてびくっと身を震わせてから肩を落とした咲耶。

 その様子にポンフリーは荒々しくため息をついた。

 ポンフリーはカーテンで仕切られたベッドの奥へと引っ込んだ。ぼそぼそ、ぼそぼそと話し声が聞こえるのはそこに居る誰かと話しているのだろう。

 

「こちらです。コノエ」

 

 カーテンから顔を出したポンフリーは渋々、といった表情で咲耶を招いた。

 果たしてそこに居たのは

 

「サクヤ……?」

 

 いつもの勝気な顔をおどおどと不安そうにさせている、猫の顔のハーマイオニーが居た。

 

「し、心配かけてごめんなさい。そ、その。これは…………サクヤ?」

 

 頬からは猫髭。ふわふわの髪の毛の間からは三角形の猫耳。

 

 沈黙している咲耶にハーマイオニーが訝しげに顔を上げた。

 そこには輝くほどに満面の笑みを浮かべている友人がいた。花咲くように嬉しそうな笑顔。

 

 その顔を見てハーマイオニーは直感した。

 

 ――あ。マズイ…………――

 

 

 

 

 

「結局、継承者のことは分からずじまいか……」

「絶対マルフォイだって。見ただろ、あの自慢げな態度」

 

 幾つもの校則を破ってまで決行したスリザリン潜入作戦は、結局目標とのコンタクトは果たせたものの成果なしに終わった。

 しかも上手くゴイルとクラップに変化し、元に戻れたハリーとロンとは違い、ミリセント・ブルストロードに変化したはずのハーマイオニーは、ポリジュース作成のミスから半端に猫に変身してしまった。

 出発地点に戻ってきたハリーとロンの前に泣く泣く姿を見せた彼女は顔中毛だらけ、猫耳、尻尾付きという惨状。なんとか宥めすかして保健室に連れていったのだった。

 

 二人も夕方にお見舞いに保健室を訪れたのだが

 

「? ……しっ!」

「どうしたんだハリー?」

 

 ドアノブに手を伸ばしたハリーが何かに気づいたように手を止め、ロンに静止を促した。

 

「何か聞こえないか?」

「何かって?」

 

 ハリーは怪訝な表情になり、ドアに耳を押し当てた。ロンも首を傾げて訝しげにしながらも、同じようにドアに耳を押し当てた。

 

 聞き耳を立てた二人は、病人がいるだけのはずの室内から

 

「…………っ!? ……んっ!」

 

 なんだか艶めいた声が ――喘ぎ声と言っていいハーマイオニーのくぐもった声が聞こえてきて、二人は顎をかくんと落した。

 

「なっ!!?」

「…………くっ! ……っア!!」

 

 ばっとドアから耳を離してお互いに顔を見合わせた。

 そしてバンッ! とドアを蹴破る勢いで中へと雪崩込んだ。

 

「何やって!! ……何やってるのハーマイオニー、サクヤ?」

 

 先頭切って転がり込んだハリー。続いてロンも後に続き、

 

「えへへ~、もふもふ……」

「んくっ! んっ!! ちょっ、サク、やぁっ!!」

 

 なんだかイケナイ光景を見た。

 

 おっきな猫になったハーマイオニーに後ろから抱きつき、へにゃらと顔を緩ませながら頬ずりし、尻尾を弄っている咲耶。

 猫耳と尻尾は普段はないはずの鋭敏な器官であるためか、弄られるたびにハーマイオニーはびくっびくっと体を震わせていた。

 顔は赤く上気し、涙目になって、息も絶え絶えなハーマイオニー。

 ハリーは友人のあられもない姿に唖然とし、ロンは髪の毛にも負けないくらいに顔を真っ赤にした。

 

「ゴメン。ハーマイオニー……」

「ちょっ! 待って! たす、んんっ!!」

 

 ハリーはくるりと反転し、固まって凝視しているロンを押しやりながら保健室を後にした。

 その後ろから悲鳴のような――いや、やっぱり喘ぎ声が聞こえてきた。

 

 

 

 とりあえず助けを求めたハーマイオニーのもとへと戻ったハリーとロンは、正気を失っている咲耶をひっぺがして落ち着けた後、作戦の成果について話していた。

 

「そう……それじゃあ、結局マルフォイがそうかも確証はとれなかったのね」

「いーや。あれは絶対マルフォイだって」

 

 ぺちんという音 ――そろそろとハーマイオニーの猫耳に伸ばした咲耶の手が叩き落とされた音だ。

 残念そうに成果を振り返るハーマイオニーにロンが再度自説を説いた。ハリーは呆れたような顔で咲耶を見ている。

 

「でも結局、証拠も自白も出なかったのよね」

「ちょっと考えれば分かることだろ」

 

 幾度かの撃墜を経て咲耶はようやくハーマイオニーの猫耳をもふもふするのを諦めたのか、ぷぅと口を尖らせて足元のシロくんを膝に乗せた。

 主思いの式神は、気を利かせて人化の形態をとってこれみよがしにふかふかの猫耳と尻尾を披露した。 ――決して嫉妬にかられての行動ではない。

 

 ふかふか尻尾と触り心地の良い犬耳に、拗ねたような咲耶の顔がぱぁっと明るくなった。ハリーがため息をついた。

 

 なんだかおかしな空間になっているのは気のせいだろうか。

 

 

「問題はどうやってマルフォイが継承者っていうのをはっきりさせるかだよな」

 

 とりあえずハリーはポリジュース作戦が失敗したことを素直に諦めて次の方策へと移ることを提案した。

 ロンが押し黙り、ハーマイオニーもうーんと唸った。

 一応話を聞いていたのか、シロはほんわか顔の主を振り返り、話題になっていることをひとまず整理。

 

「マルホイ……たしか姫様とご学友に無礼を働いた狼藉者でしたな……切りますか?」

 

 咲耶は膝の上のシロの犬耳をほにほにと弄って幸せそうにしており、代わりにシロが行動方針を提案。ニコニコ顔の咲耶から「あかんえー」とトンカチツッコミが入った。

 ハーマイオニーも、証拠もなしにマルフォイだと決めかかるのは危険と判断したのか、ため息をついた。

 

「継承者探しは一旦、膠着ね。サクヤの方で何か分かったこととかないかしら?」

 

 自分たちとは別行動となっていた咲耶に尋ねた。猫耳にトリップしていた咲耶だが、シロのもふもふを存分に堪能したからか幾分落ち着いているように見える。

 

「んーと。継承者は分からんけど、実はウチら休み明けから決闘クラブを続けようって決めたんよ」

 

 咲耶は尻尾を弄る手を止めて人差し指を口元にあてて、とりあえず自分たちの進展状況を報告した。

 

 ディズ提案による決闘クラブ。

 

 クラブの名前に嫌な人物のことを思い出したのかロンとハリーがあからさまに嫌そうな顔になった。

 

「あら。素敵じゃない。ロックハート先生にはもうお願いしたの?」

「ううん。その話、スリザリンのディズ君っていうウチらの学年で一番頭いい男の子が提案したもんなんやけど、リオンに顧問してもらおうって話になったんよ」

 

 一方で、ハーマイオニーは自然な流れとしてロックハート先生が顧問を務めるものと思っていたらしい。スプリングフィールド先生にということを聞いていささかがっくりしている。

 

「スリザリン主導か。それは面白そうなクラブになりそうじゃないか」

「はぁロン。ちょっと黙ってて」

 

 ロンはスリザリンの生徒発案だというクラブに胡散臭さを感じたのか、鼻で笑うようにして口を挟み、ため息をついたハーマイオニーに黙らされた。

 

 流石にスリザリンが色々と嫌われていることを分かってきた咲耶はその反応に曖昧な苦笑いを浮かべた。

 

「ディズ君は大丈夫やって。すっごく頭がよくて、一般人の中で生活しとったから他の寮の人にも優しいってフィーが言っとったよ」

「聞いてるわ。三年間ずっと主席で50年に一人の天才って言われてるほどだって」

「それはすごい! さぞやパース以上に優等生の石頭に違いない!」

 

 スリザリンのいい方面での話題になってしまったからか、ロンの機嫌が悪くなっているらしい。まぜっかえす言葉に棘があり、ハーマイオニーが眉をしかめた。

 

「ロン。あなたが優等生をどうお考えかは知りませんが、偏見はダメよ。――マグルの孤児院出身の苦労人なんだから」

 

 ハーマイオニーはスリザリン嫌いのロンに苦言を呈した。たしかに彼女もスリザリンにはいい印象を抱いていないし、マルフォイなどの純血思想などどう考えても時代遅れの論外な思想だと思っているが、それはそれとして、個人として優秀で立派な人が居るのも事実として認めなければならない。

 

「なんでそんな詳しいんだい、ハーマイオニー?」

「調べたのよ。スリザリンの寮に入るのにスリザリン寮のことを調べるのは当然でしょ?」

 

 ハーマイオニーの言い分にふんと顔をそむけたロン。ハリーはそれも気になったものの、それよりもほとんど初耳のはずの上級生のことを彼女が知っていそうなことに首を傾げた。

 ハリーの問いにハーマイオニーはさも当たり前のように答えた。

 ハリーとロンは今回のスリザリン潜入にあたり、ほとんど全ての作戦をハーマイオニーに任せきりだったから、調べるなんてこと頭の片隅にもよぎりはしなかった。おかげで、マルフォイに出くわすまでにもかなり時間がかかって、レイブンクロー生やパーシーに出くわすなんて回り道を通ったのだ。

 

 男子二人のその傾向はハーマイオニーもとっくに承知済みなのか、ハーマイオニーの事前準備がポリジュース関連だけでなかったことに驚いている二人にため息をついた。

 

「そうしたら彼の噂だらけ。スリザリンだけじゃなくて、他の寮にも――グリフィンドールにも彼の信奉者じみた人がいるんだから」

「そんなに?」

「ええ。彼の話を持ち掛けたら、寮の話以外にもいろんな人がぺらぺら教えてくれたわ。マグルの世界のクロス孤児院出身だとか、4年生だと主席の彼と次席のセドリック・ディゴリーが常に1,2位で他を寄せ付けないとか、7年生よりもいろんな魔法に詳しいって話もあったわよ」

 

 マグルの孤児院出身、という言葉に、自分と近い境遇を感じたのかハリーは目をぱちくりした。

 マグルの世界から右も左も分からずに魔法の世界に飛び込んできたのは自分も同じだ。そして同じ学年で1番の魔女であるハーマイオニーもまたマグル出身だ。

 彼女の場合はちゃんとした両親がいるが、孤児院にいるというディズには居ないのだろう。1歳で両親を亡くし、魔法嫌いのダーズリー家に預けられたハリーと近いとは言える。

 だが、ハリーには今の学年はおろか、あと1年後でも主席をとれるなんて到底思えはしなかった。

 

「それでスプリングフィールド先生は許可してくださったの?」

「うん。ちょっと色々あったけど、フィーとクラリスたち、あとセドリック君とルーク君っていうウチの寮の人らが帰ってきたら日にち決めてやろってなったんよ。そや! よかったらハーミーちゃんたちもどかな?」

 

 咲耶のお誘いの言葉にハリーはロンたちと顔を見合わせた。

 

 三人の中でスプリングフィールド先生とまだ関わりがあるのは精霊魔法を受講しているハリーとハーマイオニーだ。

 ロンは違う世界のことなど胡散臭く思っているのは明白な上、昨年の試験のことやノリスの件で庇ってくれなかったことを根に持っている。

 ハーマイオニーは……おそらく知識欲旺盛な彼女のことだ、機会があるのなら是非にも参加したがるだろうが、今は顔に猫髭、頭に猫耳、お尻に尻尾という有様だ。ポンフリーもしばらくは入院が必要だということだから参加は難しい。

 ハリー自身はせっかくの咲耶の誘いなのだから参加したいのはやまやまだが……

 

「えっと、気持ちは嬉しいけど、ごめんサクヤ。今はちょっと時期が悪いから……」

 

 断りの言葉を告げたハリー。途端に咲耶はシュンとした顔になって、心苦しさを覚えた。

 

 猫になったハーマイオニーとやる気のないロンはともかく、ハリーが断ったのには彼自身にとっては理由がある。

 一人で決闘クラブに参加することに引け目を感じたというのが一番だろう。スリザリン生発案ということにやはり疑心がぬぐいきれないのもそうだし、今、周りからすればハリーが継承者として疑われているのだ。

 咲耶はともかく、他のみんなが自分を温かく迎えてくれるとは到底思えない。

 特にハッフルパフではハリーと同学年のアーニー・マクミランが、友人のジャスティン・フィンチー・フレッチリーが石化されたことで、ハリーこそが継承者だと吹聴しまくっているのだ。

 

「そっかー。うん。じゃあなんかできることあったら言ってな、ハーミーちゃん」

 

 シュンとした咲耶だが、ハーマイオニーが申し訳なさそうにしていたことで、笑顔を浮かべた。

 

 

 この後、ハーマイオニーが保健室を髭なし、猫耳なし、尻尾なしで退院するまで一月以上の時間を要するのであった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

氷る世界

 そこは学校の一研究室のはずだった。

 

 少なくとも、ほんの1分ほど前にはたしかに室内にいた。友人である留学生、サクヤと親しいリオン・スプリングフィールド先生の研究室。

 

 だったのだが…………

 

「…………なんじゃこりゃ!!!?」

 

 気づけば孤高の塔の頂に刻まれた魔方陣の上に立っており、吹き抜ける生ぬるい風に体を煽られていた。

 

「去年の雪山と違うのはよかったけど、今度はジャングルって……」

 

 眼下に広がるのは熱帯のジャングルと滝。足場となっている塔の頂から渡る橋の先にはホグワーツとは異なる様式の城が聳え立っていた。

 

「サクヤ。何か魔方陣がいくつもあるんだけど?」

 

 リーシャやフィリス、セドリック、クラリス、ルーク、そしてディズ。先日決闘クラブを発足しようと話をまとめたメンバーによる記念すべき初活動の日だ。

 

「えとな。手前の魔方陣があっちのお城に行くやつで、そっちのに乗るとまた別のとこに行くえ」

 

 痛い目に合うことを恐れてかこわごわと転移魔方陣を覗き込むセドリックたちに、どこかに飛ばされる前に咲耶が説明をしていた。

 

 

 

 第31話 氷る世界

 

 

 

 ディズから咲耶への依頼は、ホグズミードから帰ってわりとすぐにスプリングフィールド先生へと伝わり、意外なほどに早く許可が下りた。

 

 それが咲耶への個人的な贔屓からきていたのか、それとも別の思惑があったのかはともかく、咲耶を含めて7人は決闘クラブを開けることとなった。

 しかも開催するための、適当な場所を選定するにあたり、先生から場所の提供までも受けるという厚遇ぶりだった。

 クリスマス休暇で実家に帰ることとなったクラリスとフィリス、セドリックとルークが無事に戻ってきて数日後。

 スプリングフィールド先生の研究室を訪れたディズたちを出迎えたのは、昨年の“あの”試験の時に見たのと似たような魔法球。

 トリ頭のリーシャをもってしても忘れようにも忘れられないあの雪山遭難事件を思い出して顔を引き攣らせたが、どうにも中身は全く違う場所だった。

 

 ホグワーツとは異なる白亜の城。

 かつて闇の大魔王の住んでいた居城へと、決闘クラブのメンバーが足を踏み入れた。

 

 

 顧問を引き受けた、と言ってもリオン自身、魔法や決闘方法を教えるつもりはまるでないらしく、ただ魔法実技を気兼ねなく行える場所と時間の提供のみというのがこの決闘クラブの条件だった。

 そのためクラブは基本、ディズとセドリックの実技指導を中心に行われた。

 

 

「うーん。懐に潜り込めばもう少し精霊魔法のことが詳しく聞けると思ったんだけど……手強いな」

 

 なかなかにツンの状態のスプリングフィールド先生を崩せないことにディズは悔しそうに苦笑した。

 視線の先のリオン・スプリングフィールドは仕事中なのか研究中なのか周りに仮想ウィンドウとキーボードらしきものを浮かべてカタカタとやっている。

 

「まあ、こんな場所を提供してくれただけでもすごく助かるけどね。もしかしてサクヤは去年、ここで補習してたのかい?」

 

 セドリックもまた精霊魔法についてを期待していたが、先生が顧問を引き受けてくれた理由に“心当り”があったため、ディズよりも少しだけ前向きだ。

 一時間が一日になる部屋。

 それはクィディッチの練習や遊び、そして日々の大量の宿題を課せられている生徒たちにとってはそれだけでも非常にありがたいものだ。

 

「えへへ。実は……。でもあんまし使いすぎると実年齢と体の年齢が狂うからほどほどにせなあかんのやって」

「へー。別に年の1つや2つくらいどうってことないけどな」

 

 内緒にしていた秘密をバラして照れる咲耶。

 リーシャは若いからこそ言えるお気楽さで快活に言ってのけた。

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 段々と陽の光が長くなるにつれて学校の雰囲気もほんのりと明るい方向へと向かっていっていた。

 ジャスティン・フィンチー・フレッチリーとほとんど首なしニックの石化以来、継承者が目立った行動を起こしておらず、またマンドレイクを育成中のスプラウト先生が順調に育っていることを報告したのもそれに輪をかけていた。

 

 もっとも、一部生徒やポルターガイストの間では未だにハリーが継承者であると信じている者もおり、状況は膠着状態に入っていただけではあるのだが。

 

 段々と平和と平穏を取り戻しつつあったホグワーツ。

 

 だが、平穏よりも賑やかを好む者はどこの世界にもいるらしい。

 少し明るさを取り戻しつつあっても、まだまだ沈んだ雰囲気が強い学校の現状を憂いた勇士が一人、2月14日という聖なる日に行動を起こしたのだった。

 

 

 

「………………」

「ほわぁ……」

「なんだこれ……?」

 

 凍えるような冷めた表情のクラリスとぽかんと口を開けている咲耶。リーシャも呆気にとられており、フィリスはけばけばしいピンクで彩られた大広間の中央でハートの紙吹雪を撒き散らしている“アイドル”を見てくすくすと笑っていた。

 

 そうピンクなのだ。

 いつも荘厳なホグワーツ城に相応しいシックな内装の大広間が、ハロウィーンやクリスマスとも全く異なる、目に痛いほどの桃色空間へと変貌していた。

 

 昨年は咲耶だけがお菓子作りをしていたが、今年は4人でやろうということを話し合っており、前日にフィリスたちと一緒にお菓子作りをしてハロウィーンの準備をしていた咲耶たち。

 どうやって作ったお菓子を配るか、誰に渡すかなどを楽しくおしゃべりしながら朝の大広間に到着した彼女たちを迎えたのが、この狂ったような内装だった。

 

 唖然とする生徒、くすくす笑う女生徒たちの視線。それを集めて発起人であるあの男が静粛にと合図を出した。

 

「バレンタインおめでとう!」

 

 そう、誰あろう、ギルデロイ・ロックハートの愉快な催しの時間だったようだ。

 数多の魔女の憧れの的であるロックハートにとって、やはりバレンタインという日は、最も輝かしい日であり、まるでギルデロイ・ロックハート記念日と改正されたかのようなうかれっぷりだ。

 

「今までのところ46人の皆さんが私にカードをくださいました。ありがとう! そうです。皆さんをちょっと驚かせようと、私がこのようにさせていただきました」

 

 カードを送った46人、という言葉に咲耶たち3人が、残る一人に視線を向けた。

 視線を向けられた一人はさっと視線を逸らした。

 

「しかもこれがすべてではありませんよ!」

 

 ロックハートがパンと手を叩くと、無愛想な顔をした12人の小人がわらわらと広間へと姿を見せた。その背には飾り物らしき金色の翼をつけ、それぞれの手にはハーブを持っている。

 

「私の愛すべき配達キューピッドです! 今日は学校中を巡回して、皆さんのバレンタイン・カードを配達します」

 

 

「……今年ほどカードを準備しなくてよかったと思った年はねーな」

「あはは。やっぱロックハートセンセおもろいな!」

 

 例年特にバレンタインカードを準備するようなマメな性格ではないリーシャだが、今年は咲耶に誘われて女の子らしくお菓子作りに挑戦。不格好な義理チョコクッキーを配る予定を手に入れたわけだが、流石にあれにカードと一緒に配ってもらう気にはならない。

 咲耶は咲耶で、何かがツボにはいったのか、ウケている。

 

「そしてお楽しみはまだまだこれからですよ! 先生方もこのお祝いのムードにはまりたいと思っていらっしゃるはずです! さあ、スネイプ先生に愛の妙薬の作り方を見せてもらってはどうです! ついでに、フリットウィック先生ですが、魅惑の呪文について、私が知っているどの魔法使いよりもよくご存知です。素知らぬ顔して憎いですね!」

 

 くすくす笑いのフィリスと口元を抑えて大笑いを隠している咲耶。

 解脱の境地にでも達したかのように生暖かい目を向けているリーシャとクラリス。

 

 広間の反応はまあおおむね、このように笑うか呆れるかのどちからだった。

 

 ちなみに名前を出されたフリットウィック先生は恥ずかしさに耐えきれないといったように顔を手で覆って小さな体を縮こまらせており、スネイプ先生は苦虫を10匹くらいかみつぶしたような表情をしている。

 

「なあなあリーシャ。義理チョコあれで配ってもらえへん?」

「絶対ヤダ」

 

 当然だが、咲耶にとって本命チョコをあれで配る気は欠片もない。

 ただ、せっかくのお祭りなのだからと提案した笑いの要素はリーシャによって却下された。

 

 

 

 

 ロックハートの用意した愛すべき配達キュービッドだが、一部の生徒には笑いという意味で受けていたものの、先生がたには軒並み最悪の評価をいただいていた。

 一日中学校内を駆けずり回り、授業中であろうとなんだろうと教室に乱入。

 目的の人物を発見するや、周囲に誰が居ようと、受け取り人が嫌がろうが、託された愛のメッセージを朗々と唄って回っていた。

 

 そして……

 

 精霊魔法の教室にて。

 

「なんだこれ?」

 

 教室前に到着したリーシャたちはそこに、腰くらいの大きさの氷の塊が置かれているのを発見した。

 少なくとも昨日まではこんなオブジェはなかったはずだが。

 

「これ……小人よ!? まさかまた継承者が!」

 

 マジマジと観察していたフィリスが、氷の中にロックハート先生が用意したキューピッドが居るのを見つけて声を上げた。

 2か月ほど沈黙を保っていた継承者が再び動いたのかと、恐怖に顔を引き攣らせたフィリス。

 だが、悲鳴を上げる直前、ガラリと教室の扉が開き、一目で機嫌が最悪だと見てわかるスプリングフィールド先生が現れた。

 

「とっとと入って席につけ」

 

 射竦めるほどに鋭い眼差し。

 有無を言わさぬ眼光に、ざわつきかけていた生徒たちが静まり、おずおずと教室内へと足を踏み入れた。

 戸惑いながらもそれぞれ席についた生徒たち

 

「あ、あのスプリングフィールド先生……あれ……」

 

 咲耶に合わせて前の方に席をとったフィリスが戸惑いがちに、扉の前にあった奇妙なオブジェについて質問をしようと口を開いた。

 ぎろりと睨まれて口を噤むフィリス。その時、閉めたはずの教室の扉がガラリと開いた。

 入ってきたのは、本日のお騒がせ人。愛すべき配達キューピッドの一人だ。

 

「りおん・すぷりんぐいーるど! 貴方に……」

 

 他の授業で何度も目にしたように、そのキュービッドも先生の意向など気にも留めずに恋の朗読を ――しかもあろうことか先生本人に――しようとした瞬間、ビシビシと音を立てて、氷像が一柱、新たに誕生した。

 

「………………」

 

 氷り付くキューピッド。

 凍り付く教室。

 

「授業を続けるぞ」

 

 継承者ではなかったわけだ。

 ただし、その日の精霊魔法の授業は、過去一度だけ経験した謎の猫耳少女&角少女事件以来の冷え冷えとした授業となった。

 

 

 

 

「いやー、まさかこんな形でスプリングフィールド先生の魔法が見られるとは思わなかったな」

 

 授業後、なぜか嬉しそうに話しているのは、精霊魔法に興味があるというディズだ。

 どうも彼は、普段を出し惜しみしているように見えるスプリングフィールド先生の魔法が見られたことが嬉しいらしい。

 

「真正面から行くよりもああいったやり方の方が、いろいろと見せてくれるのかな?」

「いや。やめといた方がいいだろ。去年のトロールみたいに雷落とされるか、小人みたいに氷漬けだって」

 

 本気か冗談か、今日のあれを見てはなかなかに出てこないだろうことを言うディズにルークはツッコミを入れた。

 

 たしかに魔法を見せてもらえるという点ではディズの方法は大当たりだろうが、どんな目にあうか、いい実例が2ケースもあったのだから。

 咲耶もリーシャの横でうんうんと頷いている。

 

「痛みなくして得るもの無しって言うだろ」

「小人を見た感じだと痛みを感じる間もなさそうだよ」

 

 どこかずれた執念を見せようとしているディズにセドリックを始めとしたみんなで自重を呼びかけることとなった。

 

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

 二月が過ぎ、イースターの休暇へと入ると二年生たちが次年度の選択科目を決める恒例の課題を与えられ、先輩達にいかにすれば楽に単位が取れるかや将来に有用かなどを聞いて回る光景が見られるようになった。

 

「ねえサクヤはどうやって選択科目選んだの? 編入の時に決めたのよね」

 

 ハッフルパフ寮でも同じような光景は見られていたが、咲耶たちは別寮の友人、ハーマイオニーからも相談を受けていた。

 1年時に主席をとった優秀な魔女であるハーマイオニーは、全ての科目をとりたいけれど、「授業時間を考えると物理的に無理」という教師からすれば極めて嬉しい悩みを抱えているそうだ。

 

 マグルの両親をもつハーマイオニーにとって将来の進路に重要な意味を持つ科目選択を親に相談するということはできないのだ。

 

「ウチは元々占いに興味があったんよ。恋占いとか恋愛占いとか、赤い糸探しとか。あとはかわえー魔法生物をもふもふしたかったからかなぁ」

 

 3年次編入の咲耶はさらに誰かに科目を相談することなどできなかったはずだが、どうにもその選択理由は、将来を見越してとかいうことは一切斟酌されていなかったらしい。

 ハーマイオニーは遠い眼をして咲耶を見て、それからしっかりとしてそうな彼女の友人にも質問をぶつけた。

 

「…………みなさんはどうしたんですか?」

 

 以前も聞いた咲耶の選択理由を改めて聞いて失笑しているフィリスは、真面目な後輩の質問に微笑を返した。

 

「私の場合は少しでも興味の惹かれた科目を選んだのよ。将来の選択、ってそんなに重く捉えずに、今は興味のあることを学んだ方がいいと思ったの。リーシャは聞くだけ無駄よ。どうすれば楽に科目を獲れるか考えた結果だから」

 

 マジメととるべきか、気楽すぎるととるべきか微妙なアドバイス。

 だが、それはそれで一考に値すると考えたのかハーマイオニーはふむふむと頷きながら、無駄と評されたリーシャへと視線を向けた。

 

「あー。占い学は結構楽勝科目だって言われてんだよ。先生が先生だからな。あとは座学嫌いだからできるだけ実技にしたって感じ」

 

 占い学教授であるシビル・トレローニーは居城である北塔からまったく出てこないことでそこそこ知られる先生だ。謎に包まれたその先生だが、どうにもあまり教師としての評価はマジメとは言い難いのか、フィリス以上にお気楽な意見だった。

 それはそれで参考になる意見を貰い、今度は一見眠たそうな顔で本を読んでいるクラリスに同様の質問を投げてみた。

 クラリスはぱたんと本を閉じると、半分寝ていそうなぽんやりとした眼をハーマイオニーに向けた。

 

「占い学は理論派には向かない。資質が大きく左右するから。理論立てた思考が好みなら数占いを勧める」

 

 三人それぞれ、選んだ理由は違うらしい。

 ふむふむと頷きながら科目選択表とにらめっこしているハーマイオニー。

 

「あーもう! できるのなら全部の科目をとりたいのに!!」

「真面目ねぇ。でもあなたご両親がマグルなんでしょ? マグル学はとる必要ないんじゃない?」

 

 できることなら全ての科目を受講したいと言わんばかりのハーマイオニーに、フィリスは感心しつつも呆れたように言った。

 マグルを親に持つフィリスや、マグルと同じ生活を送っていた咲耶と同様か、それ以上にハーマイオニーはマグルの生活に親しんでいるはずだ。

 旧世界、特にイギリスの魔法族はマグルの生活様式に擬態することを苦手としているが、ハーマイオニーであれば、そんなこともないはずなのだ。

 

「魔法使いの視点からマグルのことを見つめるのって面白いと思いませんか?」

 

 だが、それでも満足しないというのはハーマイオニーの極めて旺盛な好奇心ゆえだろう。

 マグルの生まれとしての魔法使いとしてだけでなく、魔法族としてのマグルの見方も学ぼうという意志。

 異なる立場に立ったモノの見方があることを考えられる少女。

 

「ハーミーちゃん凄いなぁ」

 

 咲耶はハーマイオニーにしみじみと言った。

 

 新世界と旧世界。

 来歴の異なる二つの世界の行く末を案じて奔走してくる人たちをずっと見てきたからこそ抱いている咲耶の思いに、ハーマイオニーは自ら至ったのだ。

 そこにはマグルの生活に興味があるというウィーズリー家の人と親しくしていることも理由にはあるかも知れないが。

 

「あら。サクヤの方が凄いわよ。外国の魔法学校に留学してきたくらいなんだから。私もできるならニホンの魔法学校も見てみたいわ」

 

 そんな咲耶の言葉に、ハーマイオニーはなにを今更とばかりに言った。

 

 知識から様々な見聞に思いを至らせることのできるハーマイオニーとその立場に立てている咲耶。

 自分が凄いと思っていた少女の、自分に向けている凄いという思い。

 

 一人ではないのだ。

 二つの世界。異なる世界のことを考えている人は、他にもきっともっと沢山、沢山いる。

 

「えへへ~、えいや!」

「わっぷ。サクヤ!?」

 

 はにかむように微笑んだ咲耶はぽふんとハーマイオニーの頭を胸に埋めるように抱きついた。

 

 ふわふわの髪の毛をもふもふとして、温もりを感じた。

 

「きっとハーミーちゃんはええ魔法使いになると思うわ」

「なーにそれ?」

 

 しみじみと、呟くような言葉。

 

 それは母譲りの直感の為す業か。それとも切なる思いか。

 優しさに満ちたようなその言葉に、ハーマイオニーは咲耶の胸元から顔を上げて、苦笑して見上げた。

 

 とっても賢い、魔女の見習いの少女の不思議そうな顔を見て、咲耶はくすりと微笑んだ。

 

「ウチのお告げ!」

 

 

 いつかきっと……

 

 決して見ることもできないほどに遠い未来ではない将来。

 二つの世界は繋がる。

 新世界(魔法世界)旧世界(非魔法世界)

 

 そこにどれほどの困難と混乱とが待ち受けているかは分からない。

 けれどもきっと、彼女のような魔法使いが居てくれるなら、きっと大丈夫。

 

 

 

 

 

 ちなみに

 

 どの授業を選ぶかで悩んでいたハーマイオニーは、自分でもよく考えつつ、結局タイプの近いクラリスと同じように数占いと古代ルーン文字を選択することとなった。

 

 そしてさらに余談ながら、リーシャと同じ思考でなるべく簡単なものを選んだのかロンは占い学と魔法生物飼育学を選択し、パーシーに相談しても特に参考にはならなかったハリーはせめて友人と一緒の科目をとろうと考えたらしくロンと同じ科目を選択した。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

立ち込める暗雲

 ――――――――

 グリフィンドールのジニー・ウィーズリー

 スリザリンのドラコ・マルフォイ

 

 確認しているだけで、あの二人はすでに継承者の手に落ちている。

 幸いなのは、継承者とは思考の方向が違うらしい。

 まあそれも当然だろう。

 

 過去と血筋を後生大事に自慢して自ら未来を殺し、古い世界に閉じこもろうとするようなヤツだ。

 違う世界、新たな世界を求める自分とは見るべき先が違う。

 

 継承者の注意は闇の帝王を倒した英雄へと向いている。

 自分の注意は新世界の魔法使いへと向いている。 

 

「リオーン。なんかアドバイスないん?」

 

 そう――――今現在、修練のために訪れているこの魔法球の主、リオン・スプリングフィールドへと。

 彼は魔法戦闘の訓練をしている自分たちをよそに本を読んでいる。

 

「相手の攻撃に当たらないようにして、自分の攻撃を当てろ」

 

 本に向けている視線を上げることなく、ぺらりとページをめくって素っ気なく答えた。

 あまりにもあんまりなアドバイスにセドリックやフィリスは苦笑し、リーシャやクラリスがむっと顔を顰めた。

 

 この場所(レーベンスシュルト城)を決闘クラブの活動場所として使わせてもらうようになって、たしかに魔法戦闘の基礎は幾分磨くことができた。

 だがそれはほとんどセドリックやディズが他のみんなに教えるという形式であり、二人も模擬戦などをして多少の経験にはなっているが、それは十分な訓練を積んだとは言い難いだろう。

 

「むー、教えてくれねーな。スプリングフィールド先生」

「サクヤのお願いでもダメじゃねぇ……」

 

 咲耶をけしかけてお願いさせたリーシャが唇を尖らせ、フィリスも残念そうに頬に手を当てた。

 

 できるのならば“英雄君”が目立ってくれている間にあの怪物と継承者をどうにかする目処をつけたいというのが正直なところなのだが……

 

 ふむ、と一つ思考を巡らせ、ディズは相変わらず本を読んでいる先生に近づいた。

 

「先生。よろしければ一度お手合わせ願えませんか?」

 

 ぴくり、と反応して先生は顔を上げ、ディズを観察するように見た。後ろの方でリーシャたちがおおっと驚いている声が上がった。

 

 

 今の所彼には教える気というものがないのだろう。

 だが、ディズの見立てではこの魔法先生は自分には多少興味を抱いていると見ていた。

 それが“彼女”を基点にした警戒心に基づくものか、それとも散々にとってきた挑発の結果かは残念ながら判然としないが。

 

 そして興味のあることならば、この前の決闘クラブのように杖をとることもある。

 あの時に興味があったのはおそらくスネイプ先生。

 今の自分が、この魔法先生の中でどの程度の評価になっているのか。これはその判定の質問だ。

 

 

「ガキはガキ同士仲良くやってろ」

 

 僅かに目を眇めて観察したスプリングフィールド先生はふんと鼻を鳴らしてから素っ気なく言って視線を本に戻した。

 

 残念ながら、まだまだこの魔法先生の中では杖をとらせるほどの評価は得ていないらしい。

 だが

 

「ヤッテヤレヤ、ボーズ。スプラッタ希望ダ」

 

 先生の隣の椅子に座っていた動く人形 ――“チャチャゼロ”というらしい――が援護するようににやにやとしながら言った(この人形は常に不気味な笑顔を貼りつけているが)。

 

 スプリングフィールド先生は人形の言葉に、機嫌悪そうに顔を顰めた。苦々しく人形を見下ろす先生とふてぶてしく笑っている人形。

 スプリングフィールド先生が合図するように指を鳴らした。

 

「お呼びですか、マスター?」

 

 シュタッと、まるで姿現ししたかのように一瞬で現れたメイド姿のガイノイド。

 合図がなってほとんどラグのない程のタイミングで現れたことに些かの驚きをもって彼女を見た。

 もっとも呼びつけた当人は再び視線を本に戻して顔も上げていないが。

 

茶々丸´(チャチャマルダッシュ)。適当に相手してやれ」

「どの程度で?」

 

 先生の言葉に少しの驚きをもってガイノイドを注視した。

 見た目的にはそれほど人間の少女と変わらない――魔法戦闘用には見えないロボットだが、先生の口ぶりはそれを如実に否定している。

 なによりも、今の姿現しもどきには見覚えがあった。

 

 あの決闘クラブの時に、この魔法先生が見せていた移動術だ。

 

 本来ホグワーツ内部では姿現しも姿くらましもできない。いくつも抜け道こそある縛りだが、だからこそ、あの移動方法は普通の姿現しではない。

 

「多少痛めつけてやれ」

「かしこまりました」

 

 優雅に一礼してきたガイノイド。

 

 例え魔法使いでなくとも、いや、人ですらなくとも魔法使いを打ち倒すことはできる。

 古きに囚われていては決してしることのできないそれを、彼はこの後痛みとともに身をもって知ることとなった。

 

 ――――――――

 

 

 第32話 立ち込める暗雲

 

 

 

 4月第1週目の土曜日。

 カラッとした天候が続くようになった春晴れの日に、ほとんど全部の生徒がクィディッチの試合場へと赴いていた。

 グリフィンドール対ハッフルパフ。

 

 昨年の大敗の雪辱に燃えるハッフルパフと寮対抗クィディッチ杯獲得に燃えるグリフィンドール両チームのテンションは最高潮に高まっていると言えた。

 

 この日ばかりはスリザリンの継承者に対する恐怖を忘れて楽しもうという日。

 

 そんな中、ハーマイオニーは図書館にて本を開いていた。

 

「あった! “毒蛇の王”。これだわ!」

 

 危険な魔法生物についてが記載された古い本を棚から引っ張り出し、目を皿のようにして調べていた彼女は目的の一文を見つけて声を上げた。

 

 つい先ほど、彼女の友人であるハリーが姿なき声を聞いたと言って気がついたのだ。

 

 以前からそれを示唆するピースは見つけていた。

 

 逃げ出す蜘蛛。

 突如殺された雄鶏。

 “パーセルタング”のハリーにしか聞こえない声。

 

「でも、その眼からの光線に捕われた者は即死する。……目を合わせると……合わせてないんだわ! ノリスの時は水たまり。コリンの時はカメラ越し。ジャスティンはニック越しで、ニックはゴーストだから2度は死なない! ハリーにだけ声が聞こえるのもこれなら説明がつく! 後は…………」

 

 記された特徴を指でなぞりながら確認し、一つ一つ矛盾を解くように自分の中で答えを整理していっていた。

 

 パズルを解くように。

 昨年、“賢者の石”のために敷かれた守護の一つ。スネイプの論理を解いた時のように、その抜群の頭脳をフル回転させていた。

 

「……パイプ。そうパイプの中を移動すれば人目にもつかない。致命的な雄鶏の鳴き声の弱点は雄鶏が殺されていたとハグリッドが言っていた。全部つじつまが合うわ!」

 

 彼女は気づいたのだ。

 ホグワーツの優秀な魔法先生ですら気づいていない、この事件の実行犯――秘密の部屋の怪物の正体に。

 

 

 毒蛇の王。

 とある闇の魔法使いによって飼育されたという記録を持つ怪物。

 小さき王。八つ足の蜥蜴。邪眼の主 

 ――バジリスク――

 

 その眼を見た者を死に至らしめるという蛇。

 

 それこそが今、ホグワーツを徘徊し、石化の事件 ――殺人未遂事件を引き起こしている存在だ。

 

 

 だが彼女は気づいていなかった。

 ずるり、ずるりと、彼女にもまたその毒蛇が迫りつつあったことを…………

 

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

「がんばれーリーシャ!!」

 

 眼下にのぞむクィディッチフィールドでは今、対グリフィンドールにあたって最後の作戦会議を行っていた。

 固い結束を示すようにスクラムを組み、意気を高めるハッフルパフチーム。

 

 応援の声を上げる咲耶やハッフルパフの生徒たち。

 グリフィンドールチームも今か今かと飛び立つ時を待っている様子だ。

 

 ハッフルパフチーム、キャプテンに今期から任命されたシーカーのセドリックは、同じくシーカーのハリーに挑むような視線を向けていた。

 

「リーシャたち勝てるかな?」

「どうかしらね。でも、今日のセドリックは気合十分よ。リーシャも居るし、絶対去年みたいにはならないわ」

 

 顔を興奮に赤くしながらも少し心配するように尋ねる咲耶と控えめながらも力強く今年は違うと言い切ったフィリス。

 

 昨年の大敗。

 

 マクゴナガル先生が規則を捻じ曲げてまでチームに入れた勝利配達人とでも言うべきハリーが居たとはいえ、優等生として自分の魔法力に自信を持っていたセドリックにとって、開始から数分という短時間で何をすることもできずにスニッチをかっさらわれたのは屈辱以外何物でもなかった。

 

 セドリックとグリフィンドールチームのキャプテン、オリバー・ウッドががっちりと握手を交わし、フーチ先生が選手それぞれに箒に跨るように指示を出した。

 

 カナリアイエローのハッフルパフと真紅のグリフィンドール。14人の選手が箒に跨り、今、大空へと―――

 

「お待ちなさい!! この試合は中止です!!」

 

 

 飛び立てなかった。

 巨大な紫色のメガロンを手にもって、グラウンドに腕を大きく振りながら、半ば走るようにやってきたマクゴナガルが、開始の笛が鳴る直前に拡声魔法を使って競技場全体に広がる声で中止を命じたのだ。

 

 唖然とする生徒たち。

 選手たちも愕然とした表情でマクゴナガルになにか言い募っている。

 だがマクゴナガル先生は選手たちの不満には耳を貸さずに、混乱している競技場にメガホンで叫んだ。

 

「全生徒はそれぞれ寮の談話室に戻って待機しなさい! そこで寮監から詳しい話があります! みなさん、できるだけ急いで!」

 

 

「どうしたのかしら?」

「なんやろ? ハリー君だけ連れてかれとる……?」

 

 ざわつく観客席からでも困惑した選手たちの様子が見て取れ、それと同じくらいに観客たちもざわついている。

 客席から見ていた咲耶は選手たちの中から、マクゴナガルがハリーを連れ出してどこかに向かっているのを見つけて首を傾げた。

 

 混乱してはいるが、マクゴナガル先生の指示もあり、生徒たちは不平不満をぶーぶーと垂れながらも城へと戻り、それぞれの寮へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 たくさんの生徒でごった返す寮の談話室は、楽しみにしていたクィディッチが中止になったことでかなり剣呑な雰囲気となっていた。

 

 咲耶やフィリス、クラリスたちも空気の悪さに不安げな表情を浮かべていた。

 観客だった咲耶たちと違って、クィディッチチームの選手として競技場にいたリーシャとセドリックがまだ戻って来ていないのだ。

 

 興奮で忘れていた不穏な空気が段々と鎌首をもたげ、顔を覗かせようとしていた。

 

 そして、ガチャリと談話室の扉が開き、キャプテンのセドリックを中心に選手たちが戻ってきた。

 

「リーシャ、セドリック君! どうなったん?」

 

 わらわらと駆け寄る寮生たちから外れて、リーシャとセドリックが咲耶たちに近づいてきて、咲耶が心配そうな顔で出迎えた。

 

「……サクヤ」

 

 友人のお出迎えに、しかしいつも快活なリーシャは顔を曇らせた。

 いつもと違うリーシャの様子に、咲耶は首を傾げ、フィリスは何かを察したのか、隣に居たルークと顔を見合わせた。

 リーシャの様子とフィリスとのアイコンタクトで何かを察したのか、ルークはセドリックに視線を向けた。

 

「何か情報聞けたのか、セド?」

「……ああ。どうもスリザリンの継承者がまた出たらしい。今度は三人も一気に被害者が出た」

 

 ルークに尋ねられたセドリックは、少し言いよどんだ後、顔を険しくして言った。

 競技場で中止を宣告された後、収まりのつかない選手たちに優先的に情報を流したのだろう。

 セドリックの言葉にフィリスが「ひっ」と短く悲鳴を上げた。

 

「三人……」

 

 クラリスも顔を険しくした。

 前回の襲撃から時間が経ち、もう現れないかと思われた時期での襲撃。咲耶も痛みを堪えるように顔を曇らせた。

 少女たちにそんな顔をさせることは決して本意ではないのだろう。

 リーシャが言い辛そうに沈痛な面持ちをしているのをちらりと見たセドリックは、気持ちを静めるように息を深く吐いてから言葉を続けた。

 

「襲われたのはレイブンクローの監督生が一人。それから…………グリフィンドール2年のハーマイオニー・グレンジャーと1年のジニー・ウィーズリーだ」

 

「え…………?」

 

 続けられた言葉に、咲耶の瞳が凍りついたように見開かれた。

 

 ――誰が、襲われた……?――

 ゆっくりと氷が融けるように思考が巡りだした途端、咲耶はバッと身を翻して談話室の出口へと向かった。

 

「待てサクヤ!」

 

 慌ててリーシャが止める声が上がるが、咲耶は突撃するようにして扉を開き、丁度入って来ようとしていた女性とかち合った。

 

 急ブレーキをかけて対面した人物を見上げると、そこにはずんぶりとした体型のスプラウト先生が顔を険しくして立っており、飛びだそうとしていた咲耶を見て驚いていた。

 

「どこに行くのですかコノエ? 生徒は寮に待機と伝えているでしょう」

 

 咎める様な声。それは生徒の身を案じているからこそでもあるのだろう。 

 

「スプラウトセンセ! ハーミーちゃんとジニーちゃんが。ウチの友達が襲われたって!」

 

 泣きそうなほどに恐慌している咲耶の様子に、スプラウト先生は憐れむように顔を崩した。だが、それはすぐさま教師という責務で覆われ隠れた。

 

「…………行っても無駄です。保健室には入れません」

「なんで!?」

「マダム・ポンフリーが保健室を面会謝絶にしました」

「そんな…………」

 

 淡々と事実を告げるスプラウト先生に咲耶はいきり立ち、そして絶句した。

 前回、ハーマイオニーが入院した時も、結果的にその時は勘違いだったが、身を案じてお見舞いに駆けつけたのだ。

 なのに今、その姿を見ることもできずにただ待てという命令のみが下された。

 

 スプラウト先生も、友人を大切にする咲耶の――いや、ハッフルパフ生としての思いを理解しているのか、表情がいつになく沈鬱だ。

 

「不幸中の幸い、とまでは到底言えませんが、今回の襲撃では1年生の少女が石化を免れています」

 

 だからこそだろう、口にすべきか少し悩むようにしてから、悲報の中に微かに紛れた朗報を口にした。

 

「ジニーちゃんが!?」

「ええ。気を失っているそうですが、ポンフリーが治療に当たっています。遠からず目を覚ますでしょう。そうすれば事件解決の糸口を掴むことになります。ですから犯人が被害者たちの息の根を止めに襲う危険性が非常に高くなっているのです――――分かってください、コノエ」

 

 それは説得のためでもあったのだろう。

 たしかに、治癒の魔法を習得しているとはいえ、まだまだ修行中の咲耶を危険承知で保健室に近づけるわけにはいかないだろう。

 事件の被害者にとっても、そして関西呪術協会のVIPということを考慮しても。

 

 咲耶もスプラウト先生の気の毒そうな顔と感情の滲む声に頭を少し冷やしたのか、それを察することができるほどには冷静さを取り戻していた。

 

 シュンと項垂れる咲耶の肩に、リーシャが手を置いて扉から引き離すように談話室の奥へと連れていった。

 

 友を案じた咲耶の落ち込みようを見送ったスプラウト先生はため息を堪えるように顔を顰めてから、パンパンと手を叩いて注目を集めた。

 

「みなさん。今後は夕方6時までに、各寮の談話室に戻るようにという決まりがつくられました。それ以後は決して寮を出てはなりません。

 授業に行くときは、必ず先生が一人引率します。トイレに行くときは、必ず先生に付き添ってもらうこと。クィディッチの練習も試合も、すべて延期です。夕方は一切、クラブ活動をしてはなりません」

 

 

 

 通知を終えたスプラウト先生が談話室を去ってから、生徒たちはざわざわと不安を吐露するようにしゃべりはじめた。

 落ち込む咲耶を取り囲むように座るリーシャたちはなんといっていいか言葉を探しているようであり、結局かける言葉はなく、無言となった。

 

 

 そして同日。

 悪いことは続くとばかりに……いや。事件を起こすのは人であるという例の最たるものであるかのように、ダンブルドア校長の停職が決められた。

 ホグワーツ学校長の任命権を持つ12人の理事全員の満場一致による停職決定。

 その知らせが、今の学校にどれほどの恐慌をもたらすか知らぬはずもないにもかかわらず、“度重なる事件を止めることができず、現場を掌握できない”という理由による決定。

 魔法省のせめてもの成果とでも主張するように、森番のルビウス・ハグリッドが、一連の事件の容疑者として連行。英国魔法界が誇る脱獄不可能の悪夢の監獄“アズカバン”への収容が即日決定された。

 

 

 

 翌日

 

「――――――それによって大分烈戦争期には、強力な軍事力をもった南北の大国に挟まれたウェスペルタティア王国は政治的に極めて弱体化し、戦争の混乱に巻き込まれていくこととなる。その後、大戦末期に巨大な魔法災害によって王都が崩落するとともに、国として一度滅亡することとなる」

 

 恐々としているのは生徒のみならず、多くの先生たちにとっても同じはずなのだが、そんなもの関係ないとばかりにいつも通り淡々とした授業が精霊魔法の教室では行われていた。

 

「――――そろそろ時間だな。以上で旧ウェスペルタティアの栄枯盛衰の話が終わり、次回からは戦争終結とその後の安定期、そして王国の再興についての話となる」

 

 すでに馴染みの光景となりつつあった映像魔法が終了し、映し出されていた壮観な空中王国が消えていつもの教室へと戻った。

 授業が終わると生徒の安全のために次の教室移動は教師が付き添うこととなっており、そこは流石にこの異端教師も倣うつもりらしく、生徒の後片付けを待って生徒たちを先導し始めた。

 

 そしてそのタイミングを待っていたかのように、先生の近くに駆け寄る数人の生徒。

 

「リオン!!」

「……先生だ」

「リオンセンセ! お願いがあります!」

 

 いつものほわほわ顔ではなく、歩きながらではあるが挑むように見上げてきた咲耶。リオンの睥睨をものともせず、ただ受けた注意には素直に従って、決意は固いとばかりにお願いしてきた。

 

「……なんだ」

「後ででええから保健室への付き添いと入室許可をください!」

 

 言ってくることの想像がついていたのか、実に嫌そうに馴染みの少女を見下ろすリオン。促す言葉はどう聞いても不機嫌でリーシャたちには回れ右したくなるような声音だったにも関わらず、咲耶は丁寧なのか微妙な言葉づかいで言ってきた。

 

「ダメだ」

「入室許可をください!」

 

 足を止めることもなく短く返ってきた拒否の言葉に、しかし咲耶は怯むことなく声音を強めた。

 見上げる咲耶の視線は凛としており、リオンはフイッと視線を逸らせて前へと足を進めた。

 

 リーシャたちにとって、スプリングフィールド先生のしかめっ面は見慣れたものだが、咲耶の顔を見ずに視線を合わせないようにしているのは、それだけ苛立っているのかいつにもまして刺々しい空気を纏っていた。

 そしてそれ以上に、咲耶が甘えたようにではなく、語気を強めてこの先生につっかかるのはなかなか見ない光景だった。

 

「石になったお友達に会ってどうする。どうせ向こうは何も分かりはしないだろ」

「治せるかもしれんやろ!」

 

 冷たく突き放すリオンに、咲耶はカチンときたのか掴みかからんばかりの剣幕になった。同行していた生徒たちが咲耶の大声を聞いて、遠巻きにではあるがギョッとして見た。リオンも足を止めて咲耶に振り向いた。

 

 それまで視線を逸らせて前を見ていたために見えなかったスプリングフィールド先生の顔を見て、リーシャたちは思わず後ずさりしたくなった。

 

 授業中の冗談交じりの冷気とは違う。

 正真正銘、異世界を渡り歩いてきた魔法使いとしての威圧感を放っていた。

 

「夏休みから、ウチいっぱい治癒魔法勉強してきたもん! こっちの魔法では治せんでも、なにかできることがあるかもしれんやん!」

 

 それと向き合う咲耶は、普段のほんわかとしたお姫様ではなく、凛とした意志を持つ姫君だった。

 ジッと確かめるように咲耶を見つめたリオンは、

 

「…………あの石化状態は俺も視た」

 

 奇妙に平静な声で話した。

 

「あれはお前の母親が解呪した“永久石化”に比べればランクは落ちるが、石化は石化だ。お前は世界屈指の治癒術師が20代半ばになってようやく解呪できたレベルに自分が達していると思っているのか?」

「…………」

 

 母と同じレベルを引き合いに出されて咲耶は少し傷ついたように顔を歪め、そして顔を伏せた。

 

 最強の魔法使いと言われた“千の呪文の男(サウザンドマスター)”。その魔力をも上回る魔力を有し、世界屈指の治癒術士と謳われる立派な魔法使い(マグステル・マギ)

 “癒しなす姫君”

 母の偉大さと凄さはその娘である咲耶自身が最も強大に感じている。

 

 それを誇りに思う事こそすれ、プレッシャーに感じたことなど、疎ましく感じたことなどありはしないが、それでもこんな時には自分の未熟さを思わずにはいられない。

 

「どのみちあと数週間もすれば解呪の魔法薬ができると言ってるんだ。余計なことをするな」

 

 厳しく言い聞かせる言葉に咲耶はシュンとして顔を俯かせた。

 実際、優秀な治癒術士である校医のマダム・ポンフリーを差し置いて治療をするのはかなり踏み込んだ行為であるし、“色々と”目立つ行為でもある。

 

 例えば

 

 余計な敵に目をつけられるといった風に…………

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

スリザリンの継承者

 日も暮れたグリフィンドール男子寮

 

「なにが蜘蛛の跡を追えだよ!! ハグリッドめ!! 絶対許さない! 生きてたのは運が良かっただけだよ!!」

「アラコグが自分の友達を襲うとは思わなかったんだよ」

 

 一人の少年が憤りを露わにしており、もう一人の少年はそんな相方をなだめすかしていた。

 “蜘蛛の跡を追え”

 冤罪と言われつつも魔法省の体面のためにアズカバンへと連行されたハグリッドが残した言葉に従って蜘蛛の跡を追い、禁じられた森に入ったハリーとロンは、一夜にして壮絶な冒険を経験した。

 

「ほんとやってくれるよ! ハグリッドはモンスターは悪いヤツじゃなくて、モンスターに仕立て上げられているだけだとでも思ってるんだ! その結果どうだい! アズカバンさ!」 

 

 50年前に学生時代のハグリッドがホグワーツを退学するきっかけとなった怪物“アラコグ”。アクロマンチュラという凶暴巨大な毒蜘蛛の群れ(・・)に突っ込んだ二人は、命からがら逃げだすことに成功したのだ。

 

「今日の成果は一体なんだい!? 僕らが死にそうな目にあって一体なにが分かったんだい!?」

 

 もっとも、冤罪とは言ったが、どうやら怪物好きのハグリッドが学生時代に凶暴な蜘蛛の怪物を飼育していたことは歴然たる事実であり、蜘蛛嫌いのロンとっては無実とは言い難かったようだ(ついでに言えば、昨年ドラゴンを“違法”飼育していた経験もある)。

 

「ハグリッドは秘密の部屋を開いてはいなかった――――冤罪だったんだ」

 

 新たな真実にひとまず納得することにして、寮の自室へと戻った二人はベッドへと沈み込み、睡魔に身を委ねようとした。

 

 昨日今日だけでも事件は大きく進展していた。

 ハーマイオニーが石化させられたこと。

 ジニーが襲われた事、そして再襲撃の危険があること。

 ダンブルドアが校長を停職させられたこと。

 ハグリッドが冤罪でアズカバンに連れていかれた事…………

 

 そして

 

 眠りに落ちかかっていたハリーは、記憶の片隅に残っていた欠片へと触れ、途端ひらめいたその推測に跳び起きた。

 

「ロン! 50年前死んだ女の子だけど。アラコグは女子トイレで見つかったって言ってた!」

 

 他のルームメイトを起こさないように、しかし眠りそうになっているロンを揺さぶり起こして忘れないうちにこの推測を伝えようとした。

 

「もしその女の子がまだ女子トイレに残っていたとしたら?」

 

 初めは寝ぼけかかっていたロンも、鬼気迫る様子のハリーに、そして告げられている言葉の意味を理解して徐々に目を見開いた。

 

「まさか……嘆きのマートル?」

 

 

 

 第33話 スリザリンの継承者

 

 

 

 校則違反の追加という危険を冒して、得られたモノは命の危険を伴った大冒険だった、という何とも報われない結果に思えた今回の一件。

 しかし、アラコグが告げた言葉から50年前に起きた事件――秘密の部屋が開かれて一人の女生徒が殺されたという事件のこと、そしてその犠牲者のゴーストについてハリーが思い至ることができたのは大きな収穫だっただろう。

 

 ハリーが一時、手に入れていた“トム・マールヴォロ・リドル”の日記。

 白紙の日記に文章を書き込めば、返が浮き上がるという不思議な魔法書に見せられた50年前の記憶。

 それによれば50年前、トム・マールヴォロ・リドルという孤児院出身の優秀な魔法生徒が、秘密の部屋を開いた継承者を捕まえ、ホグワーツから追放したということだったのだ。

 そしてその犯人こそがハグリッドと言われており、そのために今回彼が連行されることとなったのだが…………

 

 トム・マールヴォロ・リドルは無実の人間を捕まえたのだ。

 

 二つの情報から、殺された少女が三階女子トイレの ――ハリーたちがポリジュース薬作成のために隠れて使用していた女子トイレの地縛霊である嘆きのマートルであることまでつきとめたハリーたちは、さらなる情報を手に入れるために彼女に直接尋ねに行くチャンスを狙っていた。

 そして折よく無能教師(ロックハート)の授業後にそのチャンスに二人は恵まれた。

 

 ロックハートはこれまで何度も「危険はもうない」と宣言し、それを覆され続けていたが、今回ハグリッドが連行されたことで自信満々になっており、生徒を次の授業に安全に引率するのを無駄と思っているらしい。

 見回り疲れで手入れ不十分な身なりを整えるために、引率をすっぽかさせることに成功した二人はマートルに会いに行こうとして、しかしマクゴナガル先生に出くわしたことで、方針を転換せざるを得なくなった。

 ハリーは咄嗟に保健室にジニーとハーマイオニーのお見舞いに行くことを主張してごまかし、間に受けたマクゴナガルが潤んだことで本当にお見舞いに行くことになったのだ。

 

 ポンフリーの治療にも関わらず、なぜか気力の戻らないジニーは未だに目覚める兆候を見せていなかった。

 その姿にロンは顔をしかめ、ハリーも痛ましい視線を向けた。

 手を握り、「起きろ」と告げれば何かが変わるかもしれないと思ってやってみても、結局、ジニーはピクリとも動くことはなかった。

 

 それ以上にハーマイオニーのお見舞いには、二人は来る意味を見いだせなかった。

 マクゴナガルには咄嗟に、彼女たち二人のと言ったが、石になった彼女のお見舞いに来ても何の意味もない。

 マクゴナガルはそうは思っていなかったようだが、マダム・ポンフリーも、そしてハリーとロンもそう思わずにはいられなかった。

 心配するなと告げてもハーマイオニーが全く気付いていないことは明らかで…………しかし、二人にとって予想外の収穫をそこで得ることとなった。

 

 

 

「パイプだ! パイプだよ、ロン。バジリスクはパイプの中を移動したんだ。だから誰にも見られずに城の中を移動できたし、僕には壁の中からあの声が聞こえたんだ」

 

 ハーマイオニーが握りしめていた紙切れをなんとか取り出して見て見ると、そこに記されていたのは、彼女が突き止めたと思しき怪物の正体とヒントがあったのだ。

 

「じゃあ、秘密の部屋への入り口が……もしトイレの中だったら? もしあの――」

「嘆きのマートルのトイレだったら!」

「じゃあ……この学校でパーセルタングを使えるのは僕だけじゃないはずだ。スリザリンの継承者も使える。そうやってバジリスクを操ってきたんだ」

 

 ハーマイオニーが至った真実に、遅れること数日。二人もいたることができたのだ。

 ロンとハリーは、未だ起きる兆候を見せないジニーとハーマイオニーをちらりと見遣った。

 

「これからどうする? すぐにマクゴナガルのところへ行こうか?」

「ああ。職員室へ行こう」

 

 何もジニーに恐怖を思い出させることはない。

 起きた時に事件はもう解決したんだと、告げてあげることがなによりの優しさの筈だ。

 

 キッと顔を引き締めた二人は弾けるように立ち上がり保健室を後にした。向かう先は職員室。多くの魔法先生が居るであろうそこに行って、この事実を伝えるのだ。

 

 そうすればきっと上手く行く。

 きっと事件は全て解決するはずなのだ。

 

 

 

 ハリーとロンの二人が立ち去り、事件解決の糸口どころか入口を伝えに職員室へと向かった後、保健室では一人の少女が目を覚ましていた。

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 当惑した顔。怯えきった顔。苦渋に唇をかむ顔。

 咄嗟に洋服掛けに隠れたハリーとロンは、扉の隙間から職員室に戻ってきた先生たちの様子を見ていた。

 

 現在職員室内にて隠れ潜んでいる二人だが、もとよりこんなことをするつもりはなかったのだ。

 職員室にいるだろうと期待していたマクゴナガル先生がおらず、しばらく待っているつもりだったのがかれこれ数10分前。

 

 秘密の部屋に関する重要な情報を手に入れ、それを知らせるべくやってきて、待っている間に鳴り響いた校内放送。

 

 ――生徒は全員、それぞれの寮に戻るように。教師は全員、職員室に大至急集まるように――

 

 その報せに驚きつつも、このままここでボ~っとしていては、先生たちが来て即座に追い出される。そう思った二人は、何が起こったかを確かめるために盗み聞きの真似をすることになったのだ。

 状況を理解してから、タイミングを見計らってここから出て、先生たちに秘密の部屋の情報を――部屋の入り口が3階女子トイレに隠されていることを告げるつもりだった。

 

 数人の不在者を残しつつも、大方の先生が揃うと、職員室はシンと静まり、マクゴナガル先生が切りだした。

 

「やられました……」

 

 震える声で告げる先生の声には怯えにも、苦々しいものが込められていた。

 

「先程、保健室が襲撃されました。マダム・ポンフリーが気絶させられ――――ジニー・ウィーズリーが行方不明となりました」

 

 ハリーの隣でロンがへなへなと崩れ落ちるのが感じられた。もしもここに鏡があれば、愕然とした表情となっている自分の顔も見られただろう。

 

 保健室――少し前まで自分たちが居たところだ。自分たちがそこを離れた数10分の間に、先ほどまでお見舞いに行っていたロンの妹が襲われたのだ。

 

「彼女は事件について何か知っていた可能性があります。おそらく口封じのために…………」

 

 体の中の血がどこかに流れ出てしまったかのように指先が冷たくなり、細かな震えが止まらない。

 

 ようやくだった。

 秘密の部屋の情報を、怪物の情報を手に入れて、ようやくこれから反撃に移れる矢先だったのだ。

 

 なのに――――

 

「全校生徒を明日にでも帰宅させなければなりません…………ホグワーツはこれでおしまいです。ダンブルドアはいつもおっしゃっていた……」

 

 頼みのダンブルドアはいない。

 

 そして何かを知っていたはずのジニーはおそらくもう……

 

 その時、職員室のドアがバタンと開いて、みんなの視線がそちらに集まった。

 ハリーを含め、全員の瞳に希望のようなものが宿ったのは、おそらくそこにダンブルドアが立っている姿を期待したからだろう。

 

 だが、立っていたのはロックハートだった。しかも白い歯を見せてニッコリとした微笑を浮かべているではないか。

 

「大変失礼しました。ついウトウトと。あー……何か聞き逃してしまいましたか?」

 

 満面の笑みで見回すロックハートに、先生たちが見間違いなく憎々しい視線を向けており、マクゴナガル先生がわなわなと震える唇で怒鳴ろうとしていた。

 しかしそれを遮るようにスネイプが一歩進み出た。

 

「なんと適任者が! ロックハート、秘密の部屋の情報を知る女子学生が継承者に攫われた。おそらく秘密の部屋そのものに連れていかれたのだろう。あなたの出番だ!」

「はい?」

 

 スネイプの大仰なセリフにロックハートが間の抜けた声を返した。

 

「その通りだわ、ギルデロイ。昨夜でしたね、たしか秘密の部屋への入り口がどこにあるか、とっくに知っているとおっしゃってたのは?」

「え、あの……私は、えっと……」

 

 状況を理解したのか、みるみる血の気を失っていくロックハートに追い打ちをかけるようにスプラウト先生が口を挟んだ。

 もはやロックハートの口からは意味をなさない言葉しか出てきていない。 

 

「そうですとも。部屋の中に何が居るか知っていると、自信たっぷりにわたしに話しませんでしたか?」

「い、言いましたか? その私の記憶にはないのですが……」

 

 フリットウィック先生の追撃がやってきて、ロックハートの顔色はもはや蒼褪めるを通り越して土気色へと転じていた。

 

「たしかに覚えておりますな。ハグリッドが捕まる前に、自分が怪物と対決するチャンスがなかったのは残念だったともおっしゃっていましたな。何もかも不手際で、最初から、自分の好きなように任せるべきだったと?」

 

 再びスネイプが言った。瞳は凍えるように冷たく、突き放すような眼差し。

 

「私は……何もそんな……あなた方の誤解では……」

 

 ロックハートは絶望的な目で助けを求めるように周囲を見回した。

 マクゴナガルが、きゅっと唇を真一文字に結んで、気持ちの整理をつけたようだ。

 

「それではギルデロイ。あなたにお任せしましょう。今夜こそ絶好のチャンスでしょう。誰にもあなたの邪魔をさせはしませんとも。お一人で怪物と取り組むことができますよ。お望み通り、お好きなように」

 

 

 どこからも助けが来ないことをようやく理解したのか、ロックハートはニッコリとした笑顔がどこかへと消え去り、決闘の準備をすると言って部屋へと戻って行った。

 

 ロックハートが去ったのを確認してから、マクゴナガル先生は深々と息を吐いた。

 

「これで、厄介払いができました。寮監の先生方は寮に戻り、生徒に何が起こったかを知らせて下さい。明日一番のホグワーツ特急で生徒を帰宅させる、とおっしゃってください。フーチ先生はウィーズリーの両親に連絡を。ケトルバーン先生は保健室でポンフリーの介護をお願いします」

 

 他の先生方に指示をだし、先生たちは一人、また一人と職員室を後にした。

 

「このようなときに、スプリングフィールド先生は一体どこに行かれたのでしょう……」

 

 マクゴナガル先生がぽつりと、ここには来なかった先生のことを呟いた。

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

 長く暗い急勾配の傾斜の果て、ホグワーツ城の地下牢よりもなお深い地底に、一人の赤髪の少女が歩いていた。

 

 数日前、何者かの襲撃によって気を失っていた少女だ。

 その中に潜む“彼”にとって、あの出来事は恥辱のできごとに他ならなかった。

 

 スリザリンの継承者のことをこそこそと嗅ぎまわる愚か者。その仲間である穢れた血の少女にバジリスクをけしかけ、石にした直後の出来事だった。

 

 最強の魔法使いを自負する本体でなかった。この愚かな小娘の体があまりにも脆弱だった。完全にこの小娘の魂を掌握できていなかった。

 理由はいくつもあるが、重ねるほどに自らの屈辱感が増していき、不毛なその思考を打ち切った。

 今為すべきはあの屈辱を晴らすこと。

 スリザリンの継承者の力をもって、“今度こそ”愚か者を屠ることだ。

 

 腹立たしいことに、魂の一部を削り取っていたためか、気を失ったこの体が目覚めたのは襲われてから数日も経ってしまっていたのだ。

 小娘の力を自分で奪い取っていたがためとはいえ、襲われて数日も意識を失うなど屈辱に変わりはない。

 

 そして苛立たしいのは、あの襲撃者のせいだけではない。

 間が悪かったというのもあるのかもしれないが、50年前とは異なり、今回の事件では未だに誰一人として死んでいない。

 猫に幽霊、小僧どもまで。一睨みで致死を与えるバジリスクの魔眼が、悉く不発に終わっているのだ。

 石化などという不十分な結末ではなく、本当の死を与えること。

 それこそが継承者の力のはずだ。

 

 今度こそあの正義ぶった襲撃者に――ハリー・ポッターに死の報いを。

 バジリスクの力に恐怖し、すくみ上った小僧から闇の帝王を打ち破った力の秘密を聞きだし、その後で恐怖に歪む顔を永久に凍てつかせるのだ。

 

 

 そのための手駒は十分。

 数日の期間でこの体の支配権はほぼ“彼”に移ったといっていい。

 魂の欠片を与えて、根本から服従させたあの純血の小僧も呼び寄せた。

 間もなくバジリスクのもとへとたどり着く。

 

 そう。ハリー・ポッターは間に合わない。

 万全の態勢であの小僧に悪夢を見せてやる――――はずだった。

 

「エーミッタム!!」

「!!?」

 

 暗い通路の闇の中から響く声。

 

 忠実なる傀儡であるはずのドラコ・マルフォイ。待っていたのは彼だったはずだったのに、暗闇の中轟いたのは別の声。

 

「なっ!!?」

 

 こちらの世界の魔法ではない。唾棄すべき異世界とやらの、選ばれた者以外が扱う魔法の一つ。それによって解放された雷の矢がスリザリンの継承者に襲い掛かった。

 視認できる数は20を余裕で超えている。

 一つ一つの光弾は、元の体であれば、苦も無く対応できる程度の威力だが、今は脆弱な小娘の体でしかなく、しかも数も多い。

 

 突然の奇襲攻撃を喰らう事こそなかったが、意識の全てをそちらに奪われた。

 闇の中、突如として輝く光弾に視力を持っていかれたことも大きい。

 

 光弾を防ぎ切り、煙幕が吹き荒れる中、体勢を整えようとした“彼”は――――トン、と自らの体に杖が突きつけられたのに気づいた。

 

 そして―――

 

「――――」

「ステュービファイ!」

 

 咄嗟の盾を張ることもできずに、いや張ったとしても接触した状態からでは十全にその役目を果たすことも叶わなかっただろう。

 意識の全てが闇へと沈んだ。

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

 ホグワーツ域内の空

 広大な禁じられた森の外れの遥か上空を翔ける男がいた。

 

 白いスーツに外套を纏った優雅な装いの男。背中で括られた白銀の髪が靡き流れる。

 杖もなく、まして魔法使いが使うような箒もなく空を翔けている。

 

 ここに来るまでの途中、その侵攻を阻む見えない膜にぶつかるも、まるで薄い水の壁を通過するように速度を落さずに結界を通過した。

 

 域内への許可なきものを阻む魔法の結界。

 だが、男の持つあまりにも強大な力を前に、その結界はまるで役目を果たす事無く通過を許した。

 

 空にはまだ太陽が沈まずにいるが、もう2,3時間もしたら半弦の月が煌々とした姿を見せるだろう。

 目指すは遠くに見える白亜の城、ホグワーツ城。

 

 行く手を遮る者無きその空の道の途上に一つの黒き人影が浮かび上がり、白銀の男は脚を止めた。

 

「おや。これはこれは。話には聞いておりましたが、まさか本当に居られるとは…………福音の御子」

 

 黒いマントに風をはためかせて空に立つリオン。脚を止めさせられた男はにやりと顔を歪めた。

 

「ふん。どんな話を聞いていたかは知らんが、ここは通行止めだ」

 

 この侵入者を止めることができなかった結界だが、それでもそこに探知の網を仕掛けていたのだろう。

 内からの正式な招きなく侵入してきた男に冷たく言葉を突きつけた。

 

「それは困りましたね。実はわたくし、あの城に用が御座いまして…………決して貴方の悪いようには致しませんので、お目こぼしいただけないでしょうか?」

 

 おもねるように遜った言葉。白銀の男の秀麗な顔には言葉通り少しだけ困ったような笑みが浮かんでいた。

 

 男は知っているからだ。

 今目の前に立つ男をが、洋の東西、表裏、世界の新旧全てを含めて、次代の使い手の中では追従を許さない最強の存在であることを。

 そして全ての使い手を含めても、最強クラスである化け物であることを。

 

「あいにくと一応ここの教師なんぞをやっているものでな」

 

 一瞥しただけで分かる。

 並みの魔法使いでは見抜けないかもしれないが、この貴族風の白銀の男は、ただの人間ではない。

 

「ふむ。できれば貴方には大人しくしていてほしいのですがね。あなたが守護している姫君にも手を出したりはしませんよ。……おそらく」

 

 白銀の男の言葉に、ぴくりとリオンの眉が動いて反応を示した。

 この侵入者はどこまでこちらの情報を掴んでいるのか……

 

「そいつは結構。だが、一応、こっちもあんたに聞きたいことがあるんでね」

「ほう? それは何でしょうか? 私如きがお答えできることかは分かりませんが……」

 

「貴様の依頼主は何が目的で旧世界の魔法族に介入する? 依頼主はどこのどいつだ」

 

 そして、どこから情報を得たのか。

 

 吸血鬼の息子(リオン)のことを多少知っている程度の者ならば、人間の少女(咲耶)を護るためにムキになったりすることなどないことは容易に考え付くはずだ。

 

 だが、リオンには咲耶を守護する理由がある。

 それを知っていて、守護していることを知っていてなお、揺さぶりに使ってきたのだ。

 

「……残念ながらそれはお答えできかねますね。むしろそれは貴方に必要な情報ですか? 失礼ながら、人間如きのやることを気にかけるとは、かの御方の御子息とは思えませんね」

 

 気紛れに人に助力することはあっても、怪物は怪物。

 マクダウェルの名は魔法世界の多くで忌み嫌われているものの象徴だ。

 人から疎まれ、人の世界からはじき出される。

 

 種族として人とは違うのだ。

 最強種としての母を持つ最強の眷属。

 人の為すことに左右されるような存在ではない。

 

 だが

 

「なにちょっとした事情があるもんでな。人の為すことを見るのも、風情があるものさ」

「それはそれは……困りものですね」

 

 リオンの返答に、白銀の男は残念そうに溜息をつきながら顔に手を当てた。

 指の隙間からうかがうようにリオンを見る目は、既に交渉が決別に終わっていることを悟っていた。

 

「答える気は、ないようだな」

「……本当に、困りましたね!」

 

 高まる魔力。

 

 禁じられた森の上空にて、人外同士の戦いの幕が、人知れず開かれた。

 

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 顔面蒼白でびくびくとしながら歩くロックハート、杖に明かりを灯して先頭を歩くハリー、ロックハートに杖をつきつけているロン。

 三人は今、ホグワーツの地下牢よりもずっと深い地下トンネルへとやって来ていた。

 

「いいかい。何かが動く気配を感じたら、すぐ目をつぶるんだ……」

 

 ハリーの、そしてハーマイオニーの推理した通り、秘密の部屋への入り口は、3階女子トイレに隠されており、スリザリンの継承者の証であるパーセルタングを鍵として開くことができた。

 それを教えてジニー救出を任せようとしたロックハートは、物の見事に役立たずであり、現在彼は二人に脅されて泣く泣くこの救出隊の一員をやらされていた。

 

 

 ジニー行方不明の報を受けて一時は消沈していたロンとハリーだったが、わずかでもまだジニーが生きている可能性に賭けて秘密の部屋への突入を決意したのだ。

 職員室でのやり取りで、アテもない秘密の部屋への突入を任されたロックハートが――どれだけ教師として無能なように見える教師であっても、あれだけたくさんの活躍を本で出版している彼が―― 何とかしようともがいていると期待して彼の許を訪れた二人だったが、実はロックハート本人は、他人の手柄を横取りしてそれを本に書いているだけのペテン師であったことが発覚したのだ。

 しかもあろうことかロックハートは二人の記憶を奪って学校から逃げ出そうとまでしたのだ。

 だが、忘却の術をかけられる直前でハリーの武装解除呪文が炸裂し、ロックハートは杖を失った。

 

 結果、囮役くらいにはなるだろうという思いで、ロックハートは二人に連れて来られて、先頭きって秘密の部屋の入口に突き飛ばされることとなったのだ。

 

 ぬめぬめ、じとじととした通路。そこら中に小動物の骨が散らばるトンネルの中で、ハリーとロンは、ジニーが同じような姿になっているのではないかという思いを必死で振り払っていた。

 

「ハリー、あそこに何か……いや、誰か倒れてる!?」

 

 暗い通路の先に大きく曲線の輪郭を描く物が行くてを遮ぎっており、その近くに人影のようなものが横たわっていた。

 

 考えられる最悪の状況。

 バジリスクとジニーが一緒に居るという状況を想像し、ハリーは逸る気持ちを抑え、すぐに目をつぶれるように目を細めながら人影と物体に近づいて行った。

 

「! これは、バジリスクじゃない。それに……マルフォイだ!」

 

 目にしたのは6mを超すほどに巨大な蛇の抜け殻。毒々しく鮮やかな緑色の皮膚だけが、とぐろを巻いて横たわっており、ジニーかと思われた人影は、気を失ったドラコ・マルフォイだった。

 

「し、死んでるのか?」

「……いや。気を失っているだけみたいだ」

 

 バジリスクの一睨みは本来致死の邪眼。

 鏡を通して邪眼を見ただろうハーマイオニーのように間接的に眼を見た場合は石化で済むが、まともに見れば命はない。

 ハリーは早鐘のように打つ心臓を鎮めながらマルフォイの口元に手をかざし、呼吸があることを確認した。

 

「なんで、こいつが……」

「分からない」

 

 ごくりと唾を飲んで震える声で尋ねたロンにハリーは首を横に振って答えた。

 

 ――ドラコ・マルフォイが継承者だった――

 そう結論付けるには状況があまりにも不自然だ。

 

 攫われたはずのジニーはどこにも居ないし、通路はまだ先に続いている。

 もしも仮にジニーが抵抗してマルフォイを倒したとしたら、通路の先に進むのではなく、引き返してきて途中でハリーたちと出会っている筈だ。

 

 考えられるのは、マルフォイも何らかのルートでこの場所のことを探り当て、なんとか入り込むことに成功したが、継承者にやられてしまったという可能性だが、それも状況からすると奇妙だ。

 

 まず、ここに入るにはパーセルタングである必要がある。マルフォイがパーセルタングであったとしたら、嬉々として普段から自慢していたはずだ。

 もしかしたら継承者が入るところを目撃して、パーセルタングを真似て入ることができたという可能性もあるが、それにしても、ここで気絶しているということは継承者にやられた可能性が高い。

 純血だから殺されはしなかったと言えなくもないが、果たしてそれだけで済むだろうか。

 

 

 ジトリと嫌な汗が流れる。

 マルフォイも気にかかるが、それよりも今は行方の知れないジニーの方が心配だ。

 立ち上がって先を見ようとしたハリーは、不意に後ろの方で「ひぃ」という声と誰かが座り込む音が聞こえて振り向いた。

 

 ロックハートが腰を抜かして座り込んでいた。

 あまりにも巨大すぎる蛇の抜け殻と、そして横たわる生徒の姿に恐怖が限界を超えたのだろう。

 

「立て」

 

 ロンがロックハートに杖を向け、きつい口調で言った。子供の自分たちよりもあまりにも情けない魔法先生の姿。だが、法螺ばかり吹いた挙句、記憶と記録を捻じ曲げてきたこの男に同情をかけるつもりはないのだろう。

 

 だが、迂闊にも二人は追い詰めるということの難しさを甘く見ていたと言えるだろう。やぶれかぶれの咆哮とともにロックハートがロンへと跳びかかって殴りつけた。

 

「ロックハート!!」

 

 相手は杖を持ってはいなかったとは言え、ほぼ魔法使いとしてしか鍛えていないロンやハリーにその咄嗟の反撃に対処することはできず、ロンは床に殴り倒され、ハリーは杖を向けようとするも、それよりも早くロックハートはロンの杖を奪い取っていた。

 

「は、はは、はは!! さあ!! 坊やたち、お遊びはこれでおしまいだ!

 私はこの抜け殻とそこで倒れている彼を連れて帰り英雄となるとしよう。少女を救うのには残念ながら遅すぎたのだよ!」 

 

 満面の笑みを復活させたロックハートが肩で息をしながら杖を突きつけていた。

 殴り倒されたロンは唇を切ったのか口元を乱暴に拭いながら、じりじりと後退している。

 

「君たち二人は、そうだね。持ち帰るには無残すぎる少女の遺体を見て哀れにも気が狂ったといったところかな!」 

 

 形勢逆転とばかりにこれからを告げるロックハート。

 先ほどは彼の油断と2対1という状況をついて杖を奪いっとったが、今度は向こうの方が早打ちの体勢を整えてしまっているし、なによりも杖を失ったロンが無防備だ。

 

「さあ、記憶に別れを告げたまえ!」

 

 ロックハートは半ばほどにスベロテープを巻き付けたロンの杖を振り上げた。

 

 

 

 そして…………

 …………一つの魔法が炸裂した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔から訪れた者たち

 ハッフルパフ談話室はかつてない程に重苦しい空気に包まれていた。

 ホグワーツの安全を保障する何よりの存在であるダンブルドアが居なくなり、恐々としていたところに、純血の魔法使いとして名高いウィーズリーの少女が攫われたとの報せが入ったのだ。

 しかもその少女はスリザリンの継承者に関して何かの情報を持っていた可能性があった。

 再襲撃を予想して警戒していたにもかかわらず、事件解決まで秒読み、というところで襲い掛かった更なる事件。

 

 もはや多くの生徒が一刻も早く、この安全ではなくなった城から逃げ出したいという思いを抱いていた。

 

 どこかへ出ていくこともできず談話室では多くの生徒が沈鬱な表情で時間を過ごしていた。

 

 そんな中、気持ちを落ち着けるように白い子犬を抱いていた咲耶。

 不意に、抱きしめられていたシロは爆発したように昂ぶった魔力の余波を感じ取って首をめぐらした。

 

「どしたん、シロくん?」

「…………戦闘の気配です」

 

 大人しくしてくれていたシロが急に腕の中から飛び降りたことにびっくりした咲耶が尋ねると、シロはポンと少年の姿へと変化して答えた。

 

「城内ではなくかなり離れていますが、ここまで届くほどの魔力の気配。おそらくあの男、リオン・スプリングフィールドが交戦状態に入っているようです」

 

 その顔はいつか見せた戦士の顔であり、主へと迫る脅威を排除する騎士としての顔であった。

 

 この城から遠く離れた、しかし確実のこの学校の結界圏内の上空で、規格外の魔力が激突しているのをシロは感知していた。

 

「交戦状態って!? まさか秘密の部屋の怪物!?」

 

 シロの言葉にリーシャがギョッとしたように尋ねた。

 今この時において先生が戦っているだろう相手といえば真っ先に思いつくのは今の元凶である秘密の部屋の“恐怖”と言われる怪物だ。

 

「か、どうかは分かりませんが……少なくともそれと同等以上には厄介な相手なのでしょう。いつから交戦していたかは分かりませんが……」

 

 だが、シロの見立てでは、あの男(リオン)が学校で騒ぎを起こしている程度のモノ相手に出張って、戦闘の余波を感じさせる戦いをするとは思えなかった。

 

 あの男の強大さはよく知っている。

 

 当世、最強の魔法使いの一人

 最強種の眷属

 最凶の闇の魔法使い

 

 一体何を相手にしているかはしらないが、遊んでいるのか思ったよりも相手が強いのか。あるいはその両方か、随分と長く戦っているらしい。

 

 だが、問題は今、学校が閉鎖されようとしていることだろう。

 あの男は別にこの学校に縛り付けられているわけではないのだから、閉鎖されようと日英・新旧魔法世界の繋がりがどうなろうとどうでもいいだろうが、いい加減この事態をなんとかしてほしいものだ。

 

 そうでなければ、大切な姫の悲しむ顔を見続けなければならなくなる。

 

「リオンが………………ウチに、ウチにも、なにかできることはないんかな……?」

 

 意を決したように自らに出来ることを探そうとする咲耶の顔を見て、シロは困ったように眉尻を下げた。

 

 きっとあの男は姫が動くことを良しとはしないだろう。

 何か動いていたっぽい“生き残った少年”から咲耶を遠ざけ、何かを企んで咲耶に近づいていた“優等生”を警戒し、そして余計な動きをしないように監視し行動をそれとなく制限するためにあの珍妙な決闘クラブなるものを許可したのだ。

 

 なるべく自分の意志で動いているように見せて、それとなく庇護下に置いていたあの男の行動。

 

 そんな風に動いていたあの男が唯一顔を険しくして止めたことが一つだけあった。

 

「お、畏れながら申させていただきます」

 

 シロは居ずまいを正して手を床につき、奏上するかのように言った。

 

「姫さまは、なぜ、ご自分のなさりたいことをなさらないのですか?」

「えっ?」

 

 おそらくあの男が危惧しており、そして姫が一番やりたいであろうことを。

 

「ご友人をお救いしたいと、姫さまはおっしゃっておられましたよね。なぜ姫さまのお力で癒して差し上げないのですか」

 

 癒しの力を鍛えていたのは、大切な人を、困っている人たちを救うため。

 そのための力であったはずなのだ。

 

「だって。リオンがウチには無理やって……」

 

 シロの言葉に、咲耶は自信なさ気にしょぼんとしたように言い訳しようとして

 

「言ってはおりません」

「え」

 

 それを明確に否定されて、まじまじと自らの式神を見つめた。

 

「あの男は一言も、姫さまには無理だとは言ってはおりません。無理だと決めつけているのは、母君と同じことができないと思っておられるのは、姫さまご自身です」

 

 

 あの時。

 咲耶が友人を治したいと申し出た時、リオンはそれを止めさせようとした。

 幾つか理由はあっただろうが、一番大きいのはおそらくリスクを考えてだろう。

 

 ここの魔法で容易に治せないものを治したと知れば、それを利用とする考えがあったもおかしくはない。

 逆にその力を不都合なものと見なして排除しにかかってくる可能性もある。

 

 事実、その昔咲耶の母親も、まだ力が覚醒していないときですら、極東最大と噂されるその膨大な魔力を悪人に利用されかけたことがあったのだ。

 同じようなことが咲耶の身に降りかかることを、リオンは警戒したのだろう。

 

 

 彼は咲耶ができないとは、一言も言わなかった。

 “母親と同じレベルに自分が達しているのか”と尋ねただけだ。

 

 できないと結論したのはリオンではなく、咲耶自身。

 むしろあの言い方は、遠まわしに、咲耶なら出来る可能性があったことを示唆していたのではないか。

 いや、そうでなくとも、式神ならばこそ、信じているのだ。

 

「でも」

「姫さまのお力は、秘めたる素質は、かの“癒しの姫君”にも劣らぬ、いえむしろ上回るものだと、某は信じております」

 

 姫の力を。

 これまで励んできたその努力を。

 

「ウチにできる、かな……?」

「“わずかな勇気が、本当の魔法”。姫さまが望むのならば、某はどこまでも従います」

 

 危険が降りかかるのならそれを排するのが式神の役目。

 ただ姫の心のままに、為したいと思うことをこそ、なさせることが、白狼天狗である彼の望みなのだ。

 

「…………ゴメン、みんな。ウチ――」

「保健室に行くんだろ? 友達を石にしたまま帰るってわけにはいかねーからな」

 

 意を決したように立つ咲耶。

 その肩にポンとリーシャが手を置いた。そちらに視線を向けると、ニッと笑顔を見せているリーシャとこくこくと頷くクラリス。

 友人たちの無茶な行動に、フィリスは深々と溜息をついた。

 

 できるのならば、談話室から出たくはないが、友達を見捨てることもまたしたくはない。

 

「先に職員室よ。保健室は閉鎖されてるんだから」

「フィー……うん!」

 

 少し青い顔で、それでも一緒に来てくれようとしているフィリスに咲耶は少し瞳を潤ませて嬉しそうに頷いた。

 

「僕も行くよ。こんな時のために鍛えていたんだからね」

「……ま。少しでも多い方が安全っちゃ安全か」

 

 決闘クラブでともに魔法を鍛えたセドリックとルークも顔を見合わせて同行を申し出た。

 

 

 ハリー・ポッター

 “スリザリンの継承者”

 近衛咲耶

 アルバス・ダンブルドア

 

 そして――――――

 

 様々な思惑渦巻く闘争が、今、大きなうねりを迎えようとしていた。

 

 

 

 第34話 魔から訪れた者たち

 

 

 

 蛇の抜け殻の所に友人と役立たずを残し、ハリーは一人先へと進んでいた。

 

 あの後、恐怖の限界を振り切ったロックハートは逆上してロンに襲い掛かり、杖を奪って気勢を取り戻した。

 ロックハートは蛇の抜け殻を少し持ち帰って証拠とし、ジニーを救うには遅すぎたと告げることで事件を終わらせようとしたのだった。

 ハリーとロンの二人には得意の忘却術をかけて記憶を消し去り、正気を失ったことにして処理する。

 

 だが、そんな思惑は、手にしたロンの“ほとんど壊れた”杖によって失敗に終わった。

 発動させようとした魔法は、杖が小型爆弾のように爆発したことで失敗。衝撃で通路は天井から崩れ、ハリーはロンたちと分断され孤立してしまったのだった。

 

 結局、至近距離で爆発を喰らったロックハートは気を失い、通路を塞がれ入り口側に残されたロンは何とか通路を開通させることとなり、一人ハリーだけが、先へと進むこととなったのだ。

 

 幾つかの曲がり角を越えた先に、ハリーは大きな扉を見つけた。蛇の彫刻の刻まれた扉。恐らく秘密の部屋の、最奥部への入り口だろう。

 

 その扉に近づこうとしたハリーは、その近くに再び人影のようなものを見つけて身構えた。

 今度は先程のように巨大な蛇を想像させるものはない。

 ただ人が一人、横たわっているだけだ。そう――ハリーよりも年下の少女くらいの人が……

 

「ジニー!!」

 

 明かりをかざし、横たわっている人物を認識したハリーは小声で叫んで傍に駆け寄った。

 

「ジニー!! 死んじゃダメだ! お願いだから生きていて!! 目を覚まして!!」

 

 傍らに膝を着き、肩を揺さぶるも青白い顔を石のように冷たく、その目が開くことはなかった。だが、ハーマイオニーとは異なりやはり石にはされてはいない。

 

 頬を叩き、懸命に身体を揺さぶるも、ジニーが起きる気配はない。

 

 あまり長い時間はかけることはできない。

 最奥部への扉は閉まっているが、どこからバジリスクが姿を見せるかは分からないのだ。

 

 ハリーは周囲に人影や、何か動く気配がないかと視線を巡らせた。

 周囲には何も、誰も居ない。

 ジニーをここに連れてきた継承者も。こちらを睨む大きな蛇も。

 

 ハリーにハーマイオニー程の魔法の腕があれば、この場で何かの魔法を行使してジニーの気つけを試みるところだが、技量を考えれば下手は打てない。

 できることは、とにかく一刻も早く、この危険区域からジニーを連れて撤退することだ。

 

 ハリーはジニーを両腕で抱え上げようとして、しかしそれだけの腕力が伴っていないことに苛立ちながら、ジニーをおぶるようにして担ぎ上げた。

 それでも少女とはいえ、気を失った人を運ぶのはこの足元や緊張を強いられる状況では重労働で、なんとか苦心しつつもハリーはロンの所まで引き返した。

 

 継承者と対面することも、バジリスクと対面することもなかったのは幸いだが、まるで状況が分からない。

 

 一体誰がジニーを、そしてマルフォイをここに連れてきたのか。誰が本当の継承者なのか。

 どうやってこの場から脱出すればいいのか ――入口は急勾配の長く長く続く滑り台だったのだ。その前に塞がれた通路をどうすればいいのか。

 

 

 一体この事件はどのように解決するのか、先の見えない暗闇に迷い込んだような薄気味悪さが広がっていた。

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

 暗雲垂れこめる空の中

 

 雷の槍が乱舞し、炎の大剣がそれを切り裂いた。

 紫電が瞬き、白炎が爆ぜる。

 

 膨大な魔力によって高められた身体能力によって振るわれた拳が襲い掛かる。一撃で大地を砕くほどの威力の拳が連撃として放たれるも、それは流し、いなされて決定打とはならず、逆に腕をとられて投げ飛ばされた。

 体勢を整える間もなく、入りも抜きも見せない縮地によって詰められた距離から放たれた重い一撃が白銀の男の胴を捉えて吹きとばされた。

 

 吹き飛ばされた白銀の男は宙を掴んで滑る体を止めて素早く体勢を整えた。

 

 追撃が来るかとも思えたが、相手は余裕を見せて遊んでいるのか酷薄な笑みを浮かべてこちらを見ているだけだった。

 

 圧倒的すぎる力の差。

 

 これでも、“人”と比較すれば怪物、化け物と言われるランクに相当する男だが、かの“福音の御子”を前にしては、ただ玩ばれる雑魚に過ぎないといったところなのだろう。

 

 先の一撃で口の端から血が流れた。滴る痕を残す血を拭い、白銀の男は余裕の態度で浮かぶ男を見据えた。

 

「流石は、あの御方の子だ。噂に違わぬ力。このようなところで無聊を囲っておられるとは実に惜しい」

「ふん。小難しい言葉をよく使う」

 

 情報によれば、この日は吸血鬼のハーフである彼が最も弱体化する日であったはずだ。

 事実、男から感じる気配は人と吸血鬼とが半端に混ざった状態で、どちらの力も中途半端だと言えた。

 

 だが、そのレベルが桁違い。

 傾ききらない半端なところにあってなお、圧倒的な魔力。

 卓越というのも生ぬるいほどの体術と魔法技能。

 

 たしかに、かの英雄と魔王の力を受けていると納得せざるを得ないほどの理不尽なまでの力だ。

 

 こんなところで、何の制約もなく、教師をやっているなどと言われても到底信じられないし、誰も納得しはしないだろう。

 

 どうあっても勝てる見込みはない。

 

 

 だが

 

「!!? これは……!」

 

 突如、何かに気づいたようにリオンは城の方に振り向いた。

 

「余所見は、いけませんね!!」

「ちっ」

 

 その隙を見逃さず、白銀の男は炎の蜂を詠唱無しに召喚し、襲撃した。

 囲むように襲い掛かる炎の蜂。

 着弾と共に爆発する凶悪な魔法呪文に、リオンは反応早く避けて誘爆を誘い、それでも抜けてくる蜂に対しては腕を振るって氷の爆発を巻き起こして炸裂させた。

 

 氷の霧が生じて視界が奪われ、その霧中の中を突っ切って白銀の男が接近した。

 2撃、5撃、7撃…………

 放たれる拳を流し、反撃の蹴撃をしかけて吹きとばした。

 

 距離を離し、その隙に離脱を選ぼうとしたリオン。

 先程まであの敵はどちらかというと距離をとろうと苦心し、なんとか逃げ出す隙を窺うような戦い方をしていたのだ。

 隙だらけならばともかく、この状況でこちらから離脱すれば追撃はないはず。

 

 だが、身を翻して城へと向かおうとするも、行く手を阻むように焔の壁が遮った。

 

「貴様……」

「行かせませんよ。せっかく楽しまれていたのですから、もうしばしおつきあい願いましょうか」

 

 久々に暴れられる機会だったために、なるべくゆっくりと遊ぶつもりだった。

 だが、そんな思惑を想定していたのか、この敵の狙いは城への突破などではなかったのだ。

 

 狙いは初めから厄介な守護者を誘い出し、足止めすること。

 

 城の内部から感じられた気配が目の前の敵の思惑と、自分の失策とを告げていた。

 

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

 ところ変わって職員室では、各寮への通達を終えた寮監の先生たちが重苦しい表情で集まっていた。

 そこには行方不明の娘を案じて涙を流すウィーズリー夫人、モリーと彼女の肩を抱きしめるアーサー・ウィーズリーの姿もあった。

 報せを受けて急遽ホグズミードに姿現しして、駆けつけたのだ。

 

「一体どうすれば……」

「ジニー……」

 

 夫妻の悲壮な様子に沈鬱な空気が職員室を覆っていた。

 

 頼むべきダンブルドアは居らず、秘密の部屋に関する手がかりも、継承者に関する手がかりもない。

 

 

 そこに

 

 

「おや。ちょうどお集まりいただいているようで好都合」

 

 

 

 突如として、場違いなほど明るい声が発せられた。

 聞き覚えのない声。

 スネイプがいち早く振り返り、一拍遅れてマクゴナガルたちも振り向いた。

 

 白い外套に白いスーツを着こなした男。その髪は緑色。

 

 振り向き様に杖を抜き放とうとしていたスネイプは、しかし男の両サイドに転がっている者たちを見て僅かに硬直した。

 

「ジニー!」

 

 アーサーが驚きの声を上げた。

 男の両サイドには事態の推移についていけていないかのように目をぱちくりさせているハリーとロン、気絶したままのジニーとマルフォイ、そしてぽけっとした表情のロックハートが座り込んでいた。

 アーサーの横では涙を流しそうな表情で口元に手を当てたモリーが瞳を潤ませ、そして駆けだして正体不明の男にも目もくれずジニーに縋りついた。

 

「ジニー! ああ、ジニー!! そんな、なんで、こんな冷たく……ジニー!! 目を覚まして頂戴!」

 

 抱きついたジニーの体温がまるで石のように冷たくなっていることにモリーは狂乱したように涙を流した。

 

「ポッター、ウィーズリー! それにマルフォイ!? 一体、貴方達は一体……」

 

 混乱しているのはマクゴナガルも同じなようで、唖然としているハリーとロンに唇をわななかせた。

 

 そして彼らを連れてきたと思しき男は、感動の御対面を嘲笑するような目で見ながらコツコツと数歩移動した。

 

「さて。学校の関係者ではないようですが、あなたはどちら様でしょうか? 当校の生徒を連れてきていただいたようですが」

 

 行方不明だったジニーに加え、泥だらけの4人が突然見知らぬ男に連れられてきたことに、驚いていたマクゴナガルたちだったが、スネイプは生徒たちの姿をちらりと見てからすぐさま男に最大級の警戒を向けて注視していた。

 

「いえいえ、ちょーっと、用事を命じられて来たんですよ。えーと、なんだっけ、秘密の部屋? に居たこの子たちなら知ってるかと思ったんだけど、知らなくてさぁ」

「秘密の部屋!?」

「ポッター、ウィーズリー! あなたたちはなぜそんなところに!?」

 

 スネイプの問いに、男はニコリした笑みを返した。

 彼の言葉にアーサーやマクゴナガルがぎょっとした声を上げた。

 

「とりあえず連れてきたんだけど、貴方たちだったら知らないかなぁ」

 

 ニコニコとした笑み。

 笑顔とは通常、人に敵意を持たないことを伝えるためのもののはずだが、この男の浮かべる笑みは、スネイプの警戒心を解くどころか、これ以上ない程に警鐘を鳴らさせていた。

 

「その子たちを危険な場所から連れてきて下さったことには感謝します。もっとも貴方が今、当校で起きている事件の犯人でなければ、ですが…………あなたは一体何を求めているのですか?」

 

 マクゴナガルも、驚愕から回帰して警戒状態へと戻ったのかキッとした視線を向けて謎の男に詰問した。

 

「だから、部屋の“鍵”さ。それを持って来るように命じられてるんだよねぇ」

「……なんのことを言っているのか分かりかねます。私どもは秘密の部屋の場所さえ、知らないのですから」

 

 ふざけたような口調。

 胡散臭い微笑。

 

 そもそも、秘密の部屋の場所ですら把握していないのに、その鍵についてなどマクゴナガルが把握していようはずもないのだ。

 だが、男には知っているのが当然とでもいう態度だ。

 

「え~。でもさぁ、この子たちは入ってたわけだし。やっぱりこの子たちにちゃんと聞いた方がいいのかな? ねぇ、そこの眼鏡をかけた君」

 

 なぜならば、彼自身も部屋に入ったから。

 入口の封印の解けたことでその部屋に入ることができていたから。だからこそ、そこで脱出に困っていた子供たちを連れてくることができたのだ。

 

 ただ残念ながら、出るのにすら困っている有様の彼らが、部屋の“鍵”を手にしているとは到底思えなかった。

 

 だからこそ、わざわざ好印象を与えるために、知っていそうな魔法使いたちのところまで手土産を持って来て上げたのだ。

 

「あ、あの、僕、部屋は……」

「ポッター!!」

 

 話しを振られ、どもりながら視線を左右に彷徨わせたハリー。その口が何かを喋る前にスネイプ先生の怒号が響いた。

 

 緊張感が高められていく室内。

 そこに、ガラリと扉が開く音が聞こえて、スネイプを除く魔法使いたちはビクリと反応して振り向いた。

 

「失礼します、セン……え?」

「コノエ!?」

 

 入ってきたのはハッフルパフの寮に居るはずの近衛咲耶。そしてその友人たちだった。自寮の生徒たちの入室にスプラウトがギョッとして声を上げた。

 入ってきた咲耶も、心構えしていたのとあまりに違い過ぎる職員室内の光景に唖然としている。

 

「ん? おやおや。これはこれは。“花の姫君”か。困ったなぁ」

 

 割り込んできたのが子供であったことで興味なさそうにちらりと一瞥した男は、しかしその先頭に居た少女を見て顔を顰めた。

 

 聞きなれない呼び方をされた咲耶が首を傾げた。

 状況を尋ねようとしてか、咲耶が口を開こうとして

 

「姫さま、お下がりください」

「シロ君?」

 

 それを遮って人化形態のシロが抜刀した状態で前に出た。

 

「この者。人では御座いません」

「えっ!!?」

 

 臨戦態勢に入ったシロの言葉に、咲耶だけでなく、マクゴナガルや咲耶の後ろのリーシャたちも呆気にとられた。

 

 見た目で言えば、犬耳尻尾の生えたシロの方がよほど人ではないように見える。それに対して男は奇抜な髪の色に加えて雰囲気こそ怪しいものの、外見上は人間にしか見えないのだ。

 

 だが、男は主を護ろうと剣を構える小さな白狼天狗をニヤリと見下ろした。

 

「ああ。そう言えば僕としたことが、名乗っておりませんでしたね、姫君。お初にお目にかかります。ダーフィト・ヘーゲル・フォン・シュトラウス。これでも伯爵の地位をいただいております」

 

 それまでだらけたような口調だった男、ダーフィトはなぜか咲耶に対して口調を改め、仰々しい手振りをして名前を告げた。

 

「シロ君。人じゃないって、どういう……」

「失礼、姫君。貴女との遭遇はこっちとしても想定外でねぇ。ちょっと時間がなくなっちゃったんですよねぇ。そこで――――」

 

 困惑している咲耶。だがその質問を遮るようにしてダーフィトは口を挟み、自らの都合を優先させて、パチンと指を鳴らした。

 

「なっ!!?」

 

 それを合図にしたかのように、ダーフィトの足元近くに1つ、2つと魔方陣が光輝き、そこからさらに二人の黒ずくめの男が姿を現した。

 

「僕の配下の者たちです。……さて、できれば平和的に鍵をこちらにお渡しいただきましょうか」

「貴方は、一体…………」

 

 数で言えば4人(+1)の魔法先生に加えて、アーサーとモリー、そして魔法生徒たちの居るホグワーツ側の方が多い。

 だが、その中でロックハートはどう見ても役に立ちそうにないし、マルフォイとジニーは気を失って目覚める様子がない。

 ジニーに縋りつくモリーやアーサーも戦力にはならないだろう。

 

 ハリーたちを庇うように前に出ながら尋ねるマクゴナガル。スプラウトとフリットウィックも咲耶たちを庇うように身を移した。

 

「貴族位を持つ、悪魔ですよ。メイガス」

「悪魔! 何をバカな」

 

 マクゴナガルがダーフィトの言葉に侮辱されたように顔を歪めた。

 

 悪魔。

 英国魔法界においても、たしかにそのような存在がいることは想像されている。

 だが、今目の前に居る男はどう見ても人なのだ。

 

 まるで一般人のような反応を示したマクゴナガルにダーフィトは悲しそうに溜息をついた。

 

「悲しいねぇ。ただの一般人ならいざ知らず、生粋の魔法使いにそんな態度をとられるのは。なんなら……」

 

 顔に手を当てて隠した。同時に呼び出された二人の男たちの体に靄のようなものが纏わりついて姿を隠した。

 

 そして、ダーフィトが顔を露わにした時、そこに居たのは人ではなかった。

 

 ――これで信じてもらえるかな?――

 

 禍々しい角を生やし、その肌は黒。瞳は毒々しい緑の光を放っていた。

 

「なっ!!」

「悪、魔……」

 

 絶句するモリーや生徒たち。

 

 主格と思われるダーフィトの他の二人もまた正体を現すかのようにその姿を異形に変じていた。

 

「貴方が、今回の事件を引き起こしたのですか!?」

 

 ギシリと歯を噛み締めて動揺を堪えたマクゴナガルが、杖を突きつけた。

 

「失礼だなぁ。僕は今さっきここに来たところで、だから、その部屋の鍵を貰いに来たんだよ?」

 

 失敬なと肩を竦めて言うダーフィト。彼の姿だけは、先程までの人のものに戻っているが、二人の男だった者は全身を異形の形態に転じており、先の告白が見間違いではないことを告げていた。

 

「できれば早くしてほしいんだよね。あの御方が厄介なのを引きつけてくれている内に終わらせたいんだから」

 

 物わかりの悪い者に手を焼いているとばかりの態度のダーフィトに、スネイプたちの敵意のこもった眼差しが鋭さを増す。

 

 そして

 

「なんなら一人くらい見せしめにでもすれば、大人しくしてくれるかな? そうだなぁ。せっかく姫君がおられるし――!」

 

 害意を示す言葉が口に出された瞬間、スネイプの腕が杖を振るおうと動き、それよりも早くその横を瞬動でかけた白狼天狗。

 振るった一刀を躱されたシロは、距離をとったダーフィトをギンと睨み付けた。

 

「姫さまには指一本触れさせはせん!」

「へえ…………人に飼われた狗風情が。――――やれ」

 

 

 牙を剥く忠義の剣士。

 今や完全に悪魔の姿を隠そうともしない二人の男は、ダーフィトの命令が下りるやスネイプ、そしてマクゴナガルたちへと襲い掛かろうとしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

高殿の王

 ――魁丸(さきがけまる)――

 

 導きの刀。主から託され、護ることを忠節とした古き刀が、今、姫を護るために振るわれていた。

 煌く白刃が宙を切り裂き、退けるべき敵へと迫る。

 

 気を内包して鋼鉄をも斬り裂くはずのそれは、人の皮を被った悪魔の腕によって阻まれた。

 気と魔力の衝突によって衝撃が弾け、意図せずして周囲を薙ぎ払った。

 

 高位魔法使いの魔法にも匹敵するほどの斬撃は、しかしただの一つも敵へとダメージを与えていなかった。

 

 剣を止められ、一瞬体が固定されるシロ。

 ダーフィトの受け止めた右腕はそのままに、左の拳が握られ暴力的な魔力を伴って繰り出される。

 

「ははっ!」

 

 戦うことを愉しむダーフィトの笑い声が響き、紙一重で躱したシロの体が余波で吹き飛ばされる。

 

「くっ……剣風華 ――爆焔壁!!」

 

 吹き飛ばされながらも体勢を変えたシロが気を焔に変えて振るった。刀身から放たれた爆焔がダーフィトを包み込む。

 着地したシロが滑りながらも足場を壊して再び気を高めて刀を振るった。

 

 ――斬魔剣 !!――

 

 魔を切り裂き、退ける剣技が炎の中に飛び込み、悪魔を狙い撃つ。

 

 だが、手応えはなく、その瞬間、自らの横に瞬動で距離を詰めたダーフィトの拳がシロの体を捉えた。

 

 

 

 第35話 高殿の王

 

 

 

「が!! かはっ……う゛、く……」

「シロくん!!」

 

 ――デーモニッシェア・シュラーク――悪魔の一撃をまともに受けたシロのダメージは大きく、入り口近くにいた咲耶の近くにまで吹きとばされて壁を破壊した。

 式神の体とはいえ、口の端からは血が流れ、苦悶の声が漏れる。

 

 

「“その状態”で姫君を護ろうと向かってくるとは大した忠誠心だねぇ。けど、気の密度も威力もてんでダメだ」

 

 まともに攻撃を受けたのはシロだけでなく、その前にはシロの炎の剣技を受けていたはずなのに、ダーフィトにはそのダメージはまるでみられない。

 

「あっちの男のメイガスはなかなかのようだけど、魔女の方は力不足かな」

 

 シロと同じく、2体の悪魔をそれぞれ迎え撃っているスネイプとフリットウィック、マクゴナガルとスプラウト。

 ダーフィトがちらりと視線を向けると、スネイプが応戦している方はともかく、マクゴナガルとスプラウトは魔法の威力不足が露骨に出ており、完全に押し込まれている。

 スネイプとフリットウィックも、悪魔相手では余裕のある状態とは言えない状況だ。加えて、主格のダーフィトを抑えていた天狗が吹き飛ばされて均衡が崩されたことを目の端で捉えて焦りを見せている。

 

「マクゴナガル先生!」

「くっ。ミスター・ウィーズリー! 生徒を連れてここから逃げて! 早く!」

 

 一目で劣勢と判る状況にハリーが杖を手に取り加勢しようとし、同じくアーサー・ウィーズリーも杖を手にダーフィトの前に立とうとするが、マクゴナガルは叫ぶように指示を出した。

 

「やめた方がいい。君たちの移動速度よりも僕の方が上だ。なんならこの建物ごと壊して見せてもいいんだよ」

 

 マクゴナガルの決死の指示に、逃げ出す体勢をとろうとしていたロンやフィリス、セドリックたちは、突きつけられる殺意にも似た気迫に足を止められた。

 

 ――考えが甘かった――

 

 決闘クラブでいくらか魔法を鍛え、そして昨年の精霊魔法の試験で命の危機と言える様なものを体験したこと。

 今年の事件においても、魔法先生には被害がでておらず、奇襲のような形でしか生徒を襲っていなかったために、甘く見ていた節がなかったとは言えない。

 

 だが、先生たちをも圧倒する悪魔という存在に脚が震えていた。

 

 そんな彼らを庇うように、ダメージを負ったシロが痛めた体を起こして立ち上がった。

 そして負傷してなお、戦闘継続しようとしている式神の前に、咲耶が立ちふさがった。

 

「姫さま!!」

「ウチが居ると困るって言うとったよな」

 

 護鬼の前に立つ魔法使い。シロが痛みに顔を顰めつつも悲鳴のように姫の名を叫んだ。

 自らの式神を手で制して咲耶は友人たちに殺気を向けるダーフィトを睨み付けた。

 

「……勘違いしないことだ姫君。別に貴女程度、ここで始末することに何の問題もない。ただあの御方が貴女に接触することを避けるように言っただけのこと。遭遇してしまっては別に仕方ないことだ」

 

 ダーフィトは咲耶の凛とした眼差しを受けて、少し考えてから無謀な試みをしようとしている少女を睨み返した。

 

「大人しく“鍵”さえ渡していただければそれでいい。そちらで起こっている事件についても終わらせることができるし、なんの問題もないだろう?」

 

 どうやら、ダーフィトにとって咲耶はできれば会いたくないし、関わりたくない存在らしく、出来るだけ早くこの場を去りたいと言っているようにも聞こえた。

 ダーフィトの右手に魔力が集中し、炎が具現化している。

 

 ダーフィトの冷たい視線に、咲耶は震える脚にぐっと力を入れて気圧されるのを堪えた。

 

 魔力量だけならば咲耶はリオンよりも多いとはいえ、その素質は圧倒的に攻撃には向いていない。

 

 ジリ、ジリとにじるように後退している咲耶を見て、ハリーが立ち上がった。

 

「鍵は僕だ! 僕のパーセルタングが、秘密の部屋を開く鍵だ!」

 

 アーサーが止める間もなく、咲耶の隣に並び杖を向けて叫んだ。

 

「ハリー!!」

「ほう……。そうは見えないが?」

 

 ぎょっとしてアーサーが引き戻すようにハリーの体を抑えるが、すでにダーフィトの注意はハリーに向けられており、その悪魔の瞳がハリーを捉えていた。

 

「っ……僕の他にもパーセルタングを持つ継承者が居るけど、そいつは誰か知らない。だから僕が鍵だ!」

 

 実の所、ハリーにもこの悪魔の言う“鍵”というのが本当にハリーの思う扉を開く鍵――パーセルタングと一致するからは分かっていない。

 だが、このままでは、先生たちも、そして注意を集めてしまった咲耶も危険だ。

 ダーフィトの眼光は鋭く、ハリーを観察している。

 

「分かっていないようだな、少年。だが納得したよ。どうやら君たちは本当に“鍵”については知らないらしい」

 

 ダーフィトの出した結論は、ハリーにとっては救いとはなったが、しかし現状を変える手だてが失われたことも意味していた。

 ガッカリとため息をついたダーフィト。

 

 先程から悪魔に押され続けていたスプラウトが吹き飛ばされて壁へとめり込まされて動きを止めた。

 マクゴナガルとスネイプ、フリットウィックは対峙していた悪魔から距離を取り、ハリーたちのところにまで後退した。

 

 三人もまだ戦闘を継続できていたとはいえ、その消耗はひどく、どちらも肩で息をし、体のあちこちが悲鳴を上げているかのように顔を苦悶に染めていた。

 

 圧倒的な戦力差を見せつけたダーフィトは、すでに最初に見せていたような遊びの笑みは浮かべてはいない。

 

「仕方ない。あまり時間をかけたくはないので、手っ取り早く全員消し炭にしてから他を当たらせてもらうとするよ」

 

 ただ、制限時間が尽きる前に用事を終わらせようとする、自分の都合だけを考慮して掌の炎の魔力を高めた。

 炎が赤から白を経て蒼くなり、遂には黒い獄炎にまで変じている。

 

 向けられようとしているモノ()の強大さは、離れていても肌を焦がす熱波によって分かる。

 アレが放たれれば、言葉通り全員消し炭、いや、跡が残るかどうかも怪しい代物だ。

 

 すでに興味は失せたと色を失くした瞳がもの語っており、獄炎がこの場の全てを燃やし尽くそうと解き放たれる。

 

 その瞬間、

 

「!!? なっ、がっ!!」

「!!!」

 

 空間から突如現出した大きな雷の槍がダーフィトの胴を貫いた。

 

 白く輝く雷の槍。

 

 ――雷の、投擲 !!!―――

 ――しかも、直前まで兆候のない空間跳躍攻撃――

 

「これ、は!!」

 

 スネイプやマクゴナガル、シロの攻撃ですら突破することができなかった悪魔の防御を易々と貫通する攻撃。

 そんな攻撃ができる使い手が、今まさにここに一人だけいることを知っているダーフィトは警戒心を一気に跳ね上げてその場を緊急離脱しようとして

 

 ――パチリと静電気のようなものが走った。

 

「!!?」

 

 次の瞬間、ダーフィトの四肢はその半ばから宙を舞った。 

 

 ――断罪の剣(エンシス・エクセクエンス)――

 

 物質を固体、液体から気体へと強制相転移させる高位攻撃魔法。

 上級の悪魔であるダーフィトだからこそ、その一撃に付随する効果によって消し飛ぶことこそなかったが、悪魔の知覚力をもっても認識できないほどの雷速で目の前(・・・)に現れた魔法使いは一瞬でダーフィトの左右の腕、そして両の腿を断ち切った。

 

「がっ!!」

 

 浮遊術を使って整える間もなく崩れる体勢。前のめりに傾いていくその体は、凶悪といえるほどの腕力で無理やり首元を押さえつけられて止まった。

 

「キ、サマ……!!!」

 

 驚愕に眼を見開き、眼前に現れた魔法使いを睨み付けた。

 

 体は雷精の如く白く瞬き、飽和した雷子がバチバチと周囲で弾ける。

 圧倒的、という言葉ですら生ぬるい程に隔絶した戦闘力と魔力。そこから感じられる威圧感。

 

 

 新たなる魔法使いの登場に、支配される場。

 

 主格のダーフィトが一瞬で危地に立たされたと見るや、配下の悪魔2体はそれまで相手にしていたスネイプ達を捨て、雷の化け物へと襲い掛かった。

 

 迫る2体の悪魔。

 貴族を締め上げる不敬な魔法使いを挽肉にすべく1体が剛腕を振るった。

 

 マクゴナガルたちが防ぐことができずにダメージを受けた“悪魔パンチ”。その最大級の威力の攻撃が――――

 雷精の怪物の掌で受け流され、威力そのままに体を引き連れるようにして宙を舞った。

 その体は悪魔の魔法抵抗力など意に介さないとばかりに氷の浸食を受けて氷塊となり、地に落ちる前に蹴り上げられて砕け散った。

 

 中身の悪魔ともども砕けた氷が舞い落ち、もう一体の悪魔が目を瞠る。その一瞬で、雷精は腕を振るった。

 振るった、ということを悪魔たちは認識できなかった。ただ、放たれた雷の槍が悪魔の胴を貫き、体ごと吹き飛んで壁にその体を縫い付けた。

 

 

 まさに秒殺。

 4人の魔法先生を苦しめ、生徒たちを危機へと落し入れていた状況が、たったの2,3秒足らずで一人の魔法使いによって鎮圧されていた。

 

 

 

「リオン!!」

 

 様相こそいつもとは違っていても、見間違えることはないその姿に咲耶は嬉しそうに声を上げた。

 

 その声で初めてハリーたちは現れたその雷の怪物が、精霊魔法の教師であるリオン・スプリングフィールドであることを認識した。

 だが、認識しても普段の姿とあまりに違う姿。

 睨み付けるような眼差しは敵の存在を許容しないかのような威圧を無言のうちに放っており、周囲には体を構成している雷の因子が弾けている。

 

 声を呼ばれたリオンはちらりと睨むように視線を咲耶へと流した。

 まるで視線に魔力が込められているかのような眼差しに、向けられた咲耶よりもむしろ周りの魔法使いたちが本能的な恐怖感を感じた。

 そんな怯えを察したわけではないだろうが、活発にはじけていた雷の因子が不意に消え、体は輝いていた姿から普段のローブ姿に、いつもの見たことのある精霊魔法の教師の姿へと戻っていた。

 

 だが、その顔に浮かんでいるのは見間違いなく不機嫌そうな表情。

 

「おい。なんで貴様が出てきている咲耶」

「えっと……」

 

 ギンと睨み付けるリオンの眼差しと詰問に、咲耶が口をもごもごとさせて言い淀んだ。

 

 そんないつもの光景に、はっとしたようにマクゴナガルが口を開いた。

 

「今までどこに居たのですか、スプリングフィールド先生!!?」

 

 咎めるような声。

 リオンは視線を咲耶から外さず、険を深くした。もっともそれはマクゴナガルの怒鳴り声が原因ではなく、あからさまに視線を逸らせてこんなところにやって来ている咲耶が原因だ。知らずに荷物(・・)を持ち上げている手にギリギリと力が込められて苦悶の声が漏れた。

 

「ぐ、ぎ、貴様! あの御方、侯爵様は!」

 

 戸惑った様子の咲耶と恐怖感を覚えながらも憤りを発露させたマクゴナガル。どちらかに口を利くその前に、片手で首を押さえつけられるようにして四肢を失った体を持ち上げられていたダーフィトが呻くように声を上げた。

 リオンはそこで意識をダーフィトに戻した。

 

「なるほど侯爵だったわけか。そいつならさっき氷漬けにしてきたとこだ」

「なっ!!?」

 

 その言葉に、ダーフィトは再び驚愕の色を露わにし、魔法使いたちも驚きに息をのんだ。

 

 4人がかりで爵位級悪魔の配下2体にすら圧されていたのだ。

 その2体は瞬殺され、今宙づりにされている悪魔よりも上位の悪魔を片付けてここにいるというのだ。

 

「さて。さっきの奴にも聞いたことを繰り返そう……誰の差し金だ?」

 

 ピキリとリオンが掴んでいる箇所から氷が広がり、体からは冷気が漏れ出た。

 

「あの、方が、貴様などに、がぁあっっ!!」

「消える前にとっとと吐け」

 

 この問答もリオンにとっては2度目。

 だが、先程と同様に望む答えが返ってこないことに苛立ちを増加させられたのか、締め上げる力が容赦なく増した。

 規格外の魔力が感情の昂ぶりとともに、術式を介さずに現象を生み出しているのだろう。足元にはパキパキと霜が広がり、空気中の静電気は火花を散らしている。

 

 容赦のない締め上げと暴力的な威圧感。

 たしかに普段から恐い先生ではあった。

 だが、今目の前に居るのは、今まで見てきた魔法使いとは違う。ハリーたちにとって初めて見る、最強クラスの魔法使い、リオン・スプリングフィールドの姿がそこにはあった。

 

 

 ダーフィトはギリギリと締め上げてくるリオンを苦しげに睨み付けていた。

 切り飛ばされた四肢は、所詮こちらの世界に居る時の仮初の肉体に過ぎない。魔界に戻り、再召喚されればどうということのない欠損だ。

 だが、それも今この場をどうにかできればの話だ。

 

 

「…………くっ……」

 

 氷と雷を司る魔法使い。真祖の眷属。

 悪魔の魂を囚えて封じるくらい、この男にとってなんてことのない魔法だろう。あるいは魂のみを消滅させる上位古代語魔法を行使してくる可能性もある。

 

 爵位級の中でも伯爵という上級魔族の自分をまるで寄せ付けない圧倒的な力。

 

 ダーフィトはニィと口元を歪めて一言を絞り出した。

 

「くたばれ」

「!」

 

 次の瞬間、リオンはその腕を放して飛び退った。

 間髪入れず、一瞬前までリオンが居たところを赤いビームが貫通した。

 

 ホグワーツ城の守護がかかった城壁を貫通しての灼熱の魔法攻撃。

 一撃目を回避したリオンだが、幾筋のものビームが追撃するように迫り、飛び退りつつリオンは右の指先を迎撃するように差し向けた。

 

氷瀑(ニウィス・カースス)

 

 詠唱を省略した魔法。リオンが放った氷の爆発が炸裂し、追撃を阻んだ。

 突如発生した氷の爆発と、熱せられて生じた霧。

 ハリーたちは咄嗟に顔の前に腕をもちあげて庇った。

 

 白い霧が景色を覆い、咲耶たちの前に立ったリオンがその奥を睨み付けた。

 

「何が……!?」

 

 次々変わっていく事態。マクゴナガルたちが徐々に晴れていく霧を見つめる。

 

 そして

 

「もう、一体…………?」

 

 そこに居たのはまた新たな悪魔の姿。敵の増援に息をのむハリーたち。 

 

 だが、その悪魔の姿はすでに戦闘を経てきたものだった。

 左の腕は肘よりも上で砕けたかのように途切れ、砕けており、切断面は白い氷で覆われている。

 

「侯爵様!」

「いやー、まいったまいった。聞いてた以上だったよ。まったくどっちが化け物か分からないね」

 

 四肢を切り飛ばされたダーフィトだが、その隻腕の悪魔の登場に歓喜の声を上げた。

 伯爵である彼よりもさらに上位の魔族。

 だが、その侯爵の表情はどう見ても彼にとっては心強い援軍の表情ではなかった。

 

「ほぉ。上級魔族でも10年単位で封じるレベルだったんだが」

「おかげで、腕一本犠牲にしちゃったよ。しかもレジストしきれなかったしね」

 

 付け根近くで捻じ切られたような左肩に目を向けると、そこは凍てついていた。

 いや、微かにその凍てつきは肩を這い上っている。

 

「どうせ送還されれば元に戻るんだろ」

「そうだね。まあそれまでに僕が氷漬けにならなければだけどねぇ」

 

 強力な氷結の封印術式なのだろう。

 左腕を犠牲に間一髪で逃れたとはいえ、その効力からは逃れられていない。辛うじて悪魔特有の強力な抗魔力によって進行を押し留めているが、それだけで多くの魔力を消耗し、そして未来というほどにも長くない時間の後に全身を凍てつかせるだろう。

 

 

「悪魔が二体。こんな、どうすれば……」

 

 新たなる上級悪魔の出現にマクゴナガルは嫌な汗が流れるのを感じており、スネイプも眉間のしわを険しくした。 

 

 一体あの悪魔がどれほどの使い手かは分からないが、絶体絶命のダーフィトが歓喜の声を上げたくらいだ。位からしても彼を含めた3体の悪魔よりも強敵である可能性は非常に高い。

 ダンブルドアの居ない今、そんな存在が次々に迫り、果たして生徒と学校を護りきれるのか…………

 

 だが

 

「それで。今さら手負いの雑魚が加勢に来てどうにかなると思ってるのか?」

 

 リオンは他の魔法使いとは状況の認識を異にしているかのように余裕の態度を見せている。

 

「スプリングフィールド先生!?」 

 

 悪魔という、極めつけに厄介な闇の魔法生物を相手にあくまでも不遜な態度を貫くリオンに英国魔法使いはぎょっと眼を剥いた。

 

 雑魚呼ばわりされたダーフィトはギリッと悔しげに歯を噛み睨み付けてきたが、侯爵はそれに答えず、ちらりとリオンの後ろに視線を向けた。

 そしてそこに居る一人の少女の姿に顔を顰めた。

 

「まったく、運がない。まさか“花の姫君”と遭遇しているとは」

 

「?」

 

 ――まただ……――

 

 ダーフィトという悪魔も、そしてこの侯爵という悪魔も、自分の方を見てそう呼ぶ。

 それが何を意味するのか……考えようとする前に、ゾワリと悪寒が走った。

 

 強烈なプレッシャーを放っているのは護り手であるはずのリオン。

 パキリパキリと溢れる魔力が周囲を氷結させていく。

 

「おっと失礼。失言でしたね。

 こちらとしてはこれ以上交戦する意思はないのですが……貴方に加えてそちらの老魔法使い相手ではどうあがいても勝ち目はありませんから」

 

 侯爵は自らの失言を謝し、ちらりと離れた位置に目を向けた。

 釣られてハリーたちはそちらに視線を向けた。

 

 そこに居たのは、ハリーたちが誰よりも頼もしいと思える魔法使い。

 白髪の豊かな髭と髪。巨大な老樹のように安堵を与えるホグワーツの拠り所。

 

「ダンブルドア!!!」

 

 英国魔法界最強の魔法使い、アルバス・ダンブルドアの帰還に、安堵の声があがる。

 マクゴナガルも極限の緊張をわずかに緩め、子供たちはほぅっと安心したかのように息を吐いた。

 

「随分と、客人が来られておったようじゃの」

 

 ハリーたちを落ち着けるような深みのあるゆったりとした声だ。だがその目は油断なくリオンと対峙する悪魔に向けられている。

 

「お初にお目にかかりますアルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア。旧世界は英国、いや欧州最強の魔法使いと目される方にお目にかかれて光栄の至り。わたくし、侯爵の位をいただく、……そうですね、この場ではロキと名乗らせていただきましょうか」

 

「ロキ侯爵ですかな」

「はっは。いや、実はわたくし、人にいただいた名をいくつかありましてね。どれも気に入っているのですが、この場ではそれが一番名乗るに相応しいかと思案したのですよ」

 

 明らかに偽名と判る名乗りに訝しげな視線がぶすぶすと突き刺さるも、ロキは愉快気に胡散臭そうな笑い声を上げた。

 

「名前を適当に変える奴に碌なのは居ないな」

「おやおや、どなたか心当りでも?」

 

 胡散臭い偽名を堂々と名乗る胡散臭い奴を思い出してかリオンは嫌そうな顔になり、最強の魔法使いをぶすりとした表情にさせたことに満足したロキはニヤニヤとした笑みを浮かべた。

 

「さて。先ほども申し上げた通り、こちらとしてはこれ以上をここで戦う意志はございません。――――ので、見逃していただくことはできませんか?」

「見逃すと思うか?」

「ですよね」

 

 ニコッとした笑顔で尋ねたロキだが、リオンに冷え冷えとした返答を返された。

 

「では、こちらも手土産を差し出しましょう」

 

 あははと誤魔化すように笑った侯爵は、それではと右の手のひらを上にして掲げた。

 

 一つの魔方陣が宙に描かれ、まるでそこに繋がる穴でもあったかのように一つの本が落ちて手の中に納まった。

 古ぼけた黒い装丁の小さな本。

 

「それは!!」

 

 その本を見た瞬間、ハリーはハッとして声を上げた。

 見覚えがあったのだ。

 

 50年前の“冤罪”をハリーに教えた、魔法の本。

 

「そう。秘密の部屋の継承者、そちらで起こっていた事件の首謀者です――――実は別口でちょうど今しがた手に入れていたのですよ」

「なっ!!?」

 

 ニコッとした笑みで、ホグワーツを大混乱に陥れた事件の主犯について軽やかに明かしたロキに、ハリーのみならずマクゴナガルやアーサーも驚愕を露わにした。

 

 リオンとダンブルドア、そしてスネイプも、同じように驚きを覚えてはいた。だが、それ以上に気になる情報を言葉の中に見つけていた。

 

 気づいた者がいたことを目の端で捉えてニンマリとしつつ、ロキは日記を見せつけるようにしながら今度は未だに目を覚まさないジニーとマルフォイへと顔を向けた。

 

「そちらのお嬢さんと少年。見たところ命を吸われており、このままでは目覚めることはありませんよ」

「そんなっ!!?」

「どういうことですか!!?」

 

 モリーは取り乱したようにロキへと駆け寄ろうとしてアーサーに抱き留められ、マクゴナガルが厳しい口調で詰問した。

 

「どうやら、この日記の主には魂を吸い取る力があるようでしてね。命を吸われた者はそのまま緩やかに弱っていき、死を迎える。そこで……」

 

 魔法使いたちの悲哀の表情にロキは微笑を崩す事無く言葉を区切った。

 何かの力を作用させたのか、日記から何かの光の玉が浮かび上がった。ほのかに輝くその玉から、二つの光がふよふよと分かれた。

 そして

 

「ん……」

「ジニー!!」

 

 光が消えると同時に、それまでぐったりとしていたジニーが身じろぎし、ゆっくりと眼を開けた。目を覚ました娘の姿にモリー・ウィーズリーは声を上げてジニーを抱き寄せた。

 マルフォイも身もだえして目を開いた。しかし彼は何かの魔法もかけられているのかぼうっとしている。

 

 

「吸い取られていた命を戻したのですよ。これで私たちが貴方がたと敵対する意思がないことがお解りいただけたでしょうか?」

 

 安堵するウィーズリー一家の様子に職員室の空気が弛緩した。その空気を望んでいたのだろう、ロキが友好非戦を訴えた。

 

「それとこの本。これがそちらのお嬢さんたちから魂を吸い取り事件を起こしていたそうですが……それに関してはそちらの子が調べていたようですよ?」

 

 ダメ押しとばかりにロキは日記を掲げて見せつけた。

 

「ポッター?」

「あの日記! あれは、トム・リドルの日記なんです!」

 

 ロキの視線はハリーへと向いており、視線を追ったマクゴナガルたちがハリーに振り向いた。

 ハリーは勢い切って日記の事を口にした。

 

 今がどうなっているのかは分からない。

 ただ、全てはあの日記から始まったというのは、直感に訴えかけるものがあった。

 

 あの日記、正確にはあの日記の持ち主の時に一度秘密の部屋が開かれ、持ち主が継承者としてハグリッドを冤罪の主犯として引き渡した。

 

 その真偽は分からない。犯人が本当にあの日記だというのもよく分かりはしない。

 だが、それでも自分の知り得る限りのことを話せばきっと何とかなる。

 

 ここにはダンブルドアが、そして多くの魔法先生が居るのだから。

 

「トム……リドル……」

 

 ハリーの訴えにダンブルドアがハッと目を開き、深い哀愁を漂わせるように目を細めた。

 

「ダンブルドア校長……?」

「おや、その名前に心当たりがおありですか?」

 

 何かを察した様子のダンブルドアにホグワーツの魔法使いは問うような視線を向け、欧州きっての魔法使いがその深い見識と頭脳で結論を確信したのを見て取ったロキは、ニンマリと口元を歪めた。

 

「かつて50年前、ホグワーツに一人の優秀な生徒がおった。極めて優秀で、当時の校長からの信頼も厚かったその生徒の名がトム・マールヴォロ・リドル……後のヴォルデモート卿じゃ」

 

「それじゃあ、スリザリンの継承者は、例の、あ、あの方と!?」

 

 ダンブルドアの言葉に驚きと動揺が広がった。

 英国魔法界、最大の闇が今年の騒動の原因だったのだから、その驚きももっともだろう。

 

「どうやら大筋はご理解いただけたようですね。どういう経緯でお嬢さんがこの本を手に入れたかは存じませんが、そこは調べればすぐに分かることでしょう?」

 

「その日記にはリドルの記憶と魂が込められておるのじゃな?」

 

 ダンブルドアがロキに鋭い視線を向けた。

 

 彼にとって、トム・リドルという生徒は、ただの卒業生でなく、そして後に巨悪となった魔法使いということもあって、思い入れのある生徒なのだろう。

 

「素晴らしい。

 ご入り用でしたらこの本。こちらもお渡ししましょう。もっとも、そちらのお嬢さんがたをお救いするのに中身をとりだしてしまいましたから、すでにただの本ですが、そこはそのお嬢さんたちの命と引き換えということで目をつぶっていただきたいですね」

 

 隻腕となっていなければ手を打って拍手でもしていそうなほどのリアクションをとるロキは、持っていた日記をハリーの方に投げてよこした。

 

「これで貴校を騒がす怪事件はめでたく解決です。いかがでしょう。お見逃しいただけますか?」

 

 事件解決、という言葉と状況に、主に生徒たちの間ではあからさまに緊張が弛緩しており、流石に魔法先生たちはそこまで油断はしていないが、それでも悪魔の意図が理解できずに困惑の空気が流れている。

 リオンは本を一瞥し、そしてロキに視線を定めた。

 

「その本の中身。そこのガキどもの魂のどさくさに紛れて貴様、それを回収したな」

 

 リオンの言葉に、ロキがピクリと反応した。

 できれば見逃して欲しい、といったところだったのだろう。

 

 “この日記の主には魂を吸い取る力がある”。そう言ったにもかかわらず、ジニーとマルフォイの吸い取られていた魂を取り出しただけでただの本に戻るはずがない。

 

「何の目的でそれを回収した?」

「…………」

 

 ニコニコとしていたロキの表情が固まった。

 

「あとこの質問も繰り返すのがいい加減鬱陶しいが、貴様らの召喚主は誰だ。それを吐け」

 

「…………残念ながら。私どもとしても超えてはならない線がありまして、そこはご容赦願えないかと。

 ちょっとした行き違いから多少の被害を出してしまいましたが。本来であればこうしてここに来る前に逃げ出していても構わなかったのを、そちらのお嬢さんと少年の治療のためだけに姿を見せたのを誠意として汲んではいただけませんか?」

 

 どうあっても召喚者の名と目的を口にするつもりはない。

 それは悪魔としての矜持からなのか、それとも貴族としての、あるいはロキとしての矜持なのか。

 いずれにしても、交渉の決裂は明白だった。

 

 リオンの右の掌に膨大な魔力が集い、3本の刃が形作られる。

 

 一刃一刃が必殺の威力を誇る強制相転移の魔力刃。

 そこに込められた膨大な魔力と攻撃の意志に、ダーフィトはギリッと歯を噛んだ。

 

「残念ですね。仕方ありませんか…………」

 

 どうあっても逃がす気はない。

 そう無言で突きつけられたロキは溜め息をつき、

 

「先に戻っていなさい、ダーフィト」

「はい。お待ちしております」

 

 にっこりと笑みを形作って、右手をダーフィトの頭に置いた。

 ハリーたちはその動作に注意を奪われた。そして――――その次の動作には咄嗟に反応できなかった。

 

 ダーフィトの体から漏れ出る光と、高まる魔力。

 

「! ちっ!!」

 

 ダーフィトの体から出る光は瞬く間に目を焼くほどの眩い閃光となった。

 まるで暴発寸前の爆弾のように。

 

 右手の魔法は斬撃主体の攻撃魔法。すでに爆発直前のあれを防ぐことはできない。

 

 一瞬で判断したリオンは右手の魔法をキャンセルし、同時に左手を前に突き出した。

 

 ――左腕解放(シニストラー・エーミッタム)!!――

 

 ほぼ同時にダンブルドアも危機に気づいて杖を振るった。

 

 カッッ!!! っと閃光の嵐が部屋の中を焼きつくし、次の瞬間、爆発の大轟音が響き、室内を揺らした。

 

「きゃぁああ!!!」

「くっ!!」

 

 二つの魔法が発動し、爆発の直接被害を抑え込むが、それでもなお、空気を震わせた衝撃が咲耶を、ハリーたちを吹きとばす余波として吹き荒れた。

 スネイプたちも爆発の余波で体を吹き飛ばされそうになりながらも懸命に生徒たちの前に立って少しでも余波を軽減させようとした。

 

 閃光と轟音が収まり、煙立ち込める室内に外から風が流れ込んで視界が徐々に開けるにつれ、ハリーたちは先ほどまではなかったオブジェを目にした。

 

「これは……氷の花と、障壁……?」

「! 悪魔は……いない!!?」

 

 氷の花が爆心地を花弁で包み込むようにして咲いており、そのさらに外側ではハリーたちを守るように魔法の障壁が揺らめいていた。

 爆心地は見る影もなく、というよりもまるで巨大な竜に食いちぎられたように何も残っていなかった。

 

「自爆した……?」

 

 リオンが険しい表情で見つめる先を見て、ハリーが呆然と呟いた。

 二つの守りがなければハリーたちも消飛ばしていた大爆発を起こした悪魔たちは忽然と姿を消しており、リオンが壁に縫い付けた一体も跡形もなく消えていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黴臭い骨董品の古本から出てくる魔法使いは邪悪に決まってるだろ

 悪魔が消え去り、その傷跡が重々しく残る職員室で、悪魔相手に無双の強さを見せた魔法先生と留学生の少女が向かい合っていた。

 

「それで?」

「御免なさい」

 

 魔法先生は不機嫌さを露わに見下ろしており、少女はぺこりと頭を下げた。

 

 自分の意志で、自分にできることをしたいという思いで出てきた咲耶だったが、余計なことをするなというリオンの指示と、寮にて待機という寮監の指示を無視して出てきたのは流石にマズかった。

 

「えーっと、スプリングフィールド先生。サクヤは、そのー……」

「石化した子たちを治せる見込みがあるから来た」

「そう! それなんです!」

 

 先ほどの先生の剣幕を見るに、普段以上に怖さを感じずにはいられないが、なんとか擁護しようと口を挟んだリーシャ。クラリスからの援護を受けて、なんとかとりなそうとしている。

 治せるかも、という言葉にマクゴナガルが驚きの表情を見せた。

 

「それは本当ですか、コノエ?」

「えっと。やってみんことには分かりません……けど、ずっと治癒魔法を鍛えてきたんは、こういう時のためで、できることはしたいと思って……」

 

 マクゴナガルの驚きを押さえつけた質問に、控えめに、それでもはっきりとした意思を見せて答えた咲耶。

 リオンの表情が険しさを増して、ちらりと咲耶の横で睨み上げてきている白い子犬を忌々しげに見下ろした。

 

「……おい狗。余計な入れ知恵をしたな」

 

 お互いにぐるると唸り声が聞こえてきそうな睨みあい。なんだかバチバチと火花が散っているようにも見えるのは気のせいだろうか。

 

 式神と守護者を交互に見比べた咲耶は、おずおずとリオンに問いかけた。

 

「リオン。リオンは……ウチがお母様みたいな治癒術師になれると思う?」

 

 上目遣いで尋ねてくる咲耶に、リオンはため息をついて睨みあいを止めた。

 

「……無理だと言ったら諦めるのか? 意味のない質問は止めろ」

 

 どうせ諦めろといってもすでに意思を定めている以上、引きはしないだろう。まして憧れている理想を諦めることなど決してない。

 

 ツン状態のリオンの返答に咲耶はなぜか嬉しそうに「うん!」と返事した。

 

 

 

 第36話 黴臭い骨董品の古本から出てくる魔法使いは邪悪に決まってるだろ

 

 

 

 温かく、優しい光のようなものが水底に沈んでいた彼女の意識に触れて、包み込むように感じた。

 それはゆっくりと彼女の意識を浮上させていき、温もりの中で彼女はゆっくりと目を開いた。

 

 随分と長く暗闇の中に居たような気がして、入り込んできた光に開きかけた瞳を眩しそうに細めた。

 

「ハーミーちゃん!!!」

「ハーマイオニー!!」

 

 身じろぎする彼女の耳に、友人たちの声が飛びこんできた。

 

「ん……サク、ヤ? ハリー?」

「ハーミーちゃんハーミーちゃん!! ヨカッター!!」

「わぷっ。なに? ちょっ。サクヤ!?」

 

 目を擦りながらゆっくりと体を起こすと、その体を押し倒すようにして咲耶が抱き着いて来てハーマイオニーはベッドに押し戻された。

 うりんうりんと頬ずりしており、いきなりの抱きつきにハーマイオニーは一気に覚醒させられた。

 

「これが……サクヤ・コノエの治癒術。なんという……」

 

 少し離れたところからマクゴナガル先生の驚いたような声が聞こえてきて、そこで初めて室内を見回すと驚いた顔をしているマダム・ポンフリーとマクゴナガル先生がおり、それだけではなくダンブルドア校長やフィルチ、スプリングフィールド先生まで顔をそろえていた。

 ベッドを挟んで咲耶とは反対側にハリーとロンがおり、ぐりぐりしてきている咲耶を見てか控えめに笑っている。

 

 寝起きの倦怠感が頭の回転を鈍らせており状況の理解に数秒を要したが、次第に頭が明瞭になるにつれて、思い出してきた。

 

 図書館でバジリスクについて調べていた事。

 秘密の部屋の怪物の正体が分かり、それを先生に告げようとしたこと。

 先生の所に行く前に、レイブンクローの上級生と会って、バジリスクについての注意を教えたこと。

 曲がり角を曲がる前に鏡を使って直死を防ごうとしたこと。

 そして――――鏡の中に映った細長い蛇の瞳。

 

「! 私……」

 

 自分もまた石化させられたということに気づいた。

 そして、今、目が覚めたということはマンドレイク薬が完成したのだろうか。

 

 ハーマイオニーは誰かに尋ねようと先生たちに視線を向けた。

 

「わ、私の猫も! 私の猫も早く治してくれ!!」

「アーガス! 生徒が先です!! できますか、コノエ?」

 

 だが、質問するよりも早く、フィルチが取り乱したように叫び、マクゴナガル先生が一喝した。

 

 

 

 フィルチを制したマクゴナガル先生の問いかけに、咲耶はようやくハーマイオニーへの頬ずりを止めて体を離した。

 まだ起きたばかりの混乱しているハーマイオニーに微笑を向けてから咲耶はマクゴナガル先生へと振り向いた。

 

「はい!」

 

 膨大な魔力を前提にした治癒術の行使。

 それにより負傷していたポンフリーを回復させ、次いで石化していたハーマイオニーの解呪を行った。

 魔法の系統が違うとはいえ、それは咲耶の才能とこれまでの努力のたまものだろう。

 

 マクゴナガル先生だけでなく、ダンブルドア校長も少し驚いた表情をしているが、期待と優しさに満ちた視線を向けてくれており、咲耶は元気よく頷きを返し、立ち上がって隣のベッドへと、石化したままの子のところへ行こうと一歩踏みだした。

 

「あれ……?」

 

 しかし踏み出そうとした一歩は前に出ることなくガクリと、体勢を崩してハーマイオニーのベッドに手をついた。

 

「サクヤ?」

「あ、ゴメンゴメン。てへへ、ちょっと躓いてもた」

 

 ふらついて手をついた咲耶にハーマイオニーが声をかけ、咲耶は失敗失敗とばかりに照れ笑いを返した。

 

「コノエ? もし疲れているようならば、無理をする必要はないのですよ? 数日すればマンドレイク薬が完成するのですから」

「大丈夫です。できるだけ早く治った方が、みんなも安心すると思いますし。やらせてください」

 

 膨大な魔力の行使が行なわれたことは見ていたからだろう。マクゴナガル先生が無理をしないように言うが、咲耶はベッドについた手にぐっと力を入れて、今度こそ一歩を踏み出そうとした。

 

 だが

 

「ぁ…………」

 

 ――ぷつり、と糸の切れたような気がした。

 

 

 

「サクヤ!」

 

 ふらりと傾き、倒れていく咲耶。ハリーが慌てて手を差し伸べようとするが、ベッドを挟んでおり届くことはない。

 ハーマイオニーたちが見ている前で、崩れ落ちていく咲耶。

 

 その体が床へと投げ出される直前―――― 一瞬でベッド横まで瞬動したリオンによってぽすり、と抱き留められた。

 

「スプリングフィールド先生! コノエは!?」

「怪我の治癒1人と仮死蘇生1人。今のコイツならこんなところか」

 

 驚き慌てて咲耶の容態を尋ねたマクゴナガル。それに答えてか、リオンは気を失った咲耶を抱きかかえ直しながら言った。

 

 ポンフリーの怪我の治癒はともかく、ハーマイオニーの石化――仮死蘇生は専門ではないとはいえダンブルドアでも容易にはいかない呪いだったのだ。

 それをなんのバックアップもない咲耶が行なうのはかなりの負担だったはずだ。

 

「スプリングフィールド先生。コノエをこちらのベッドに運んでください」

「要らん。ただの魔力切れだ。しばらく休ませれば目を覚ます」

 

 それこそありったけの魔力を一気に放出するくらいの魔法行使。

 先に治癒されたポンフリーがてきぱきとベッドの準備をして寝かすように指示するが、リオンはそれを拒否した。

 

 一応、学校を騒がせていたスリザリンの継承者は居なくなったとはいえ、魔力をほとんど吐き出した咲耶を保健室に寝かさせる気にはならないのだろう。

 

「もっとも、魔力が完全に戻るまでには数日かかるだろうがな」

「先生はこうなることを分かっていて、サクヤにさせなかったんですか?」

 

 魔力切れを起こしての気絶。それを予期していたからこそ彼女の保護者であるこの教師は彼女に治療行為をさせなかったのか。それを問いかけたハリー。

 リオンはスッと表情を消してハリーを一瞥した。

 

「貴様に言う義理はないな」

 

 その答えにムッとしたハリーだが、問いかけを続ける前にリオンは保健室を後にした。

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 今年のホグワーツを賑わせた継承者騒動はこうして一応の終結を見た。

 

 ハーマイオニーの治療直後に気絶した咲耶は、その後スプリングフィールド先生の自室に運ばれ、翌日には目を覚ました。

 だが、魔力が充分には回復しておらず、結局咲耶が完全復活する前にマンドレイク薬が完成したことで他の石化した人たちは回復した。

 

 ジニーとマルフォイの二人は、あの悪魔が奪われた魂を返したと言っていたのは偽りではなかったらしく、あれからすぐに目を覚ました。

 ただし、マルフォイに関してはさらに服従の呪いと思われる魔法もかけられていたためにそれから数日入院と検査を要した。

 

 スリザリンの継承者を突き止めるために色々な規則破りを行ったハリーとロンは、結局、秘密の部屋の場所と怪物の正体を突き止めたことと、攫われていたジニーとマルフォイの救出に一役買ったということで罰則を免れ、継承者を恐れずに友を救いに動いた勇気を称賛されてそれぞれ60点の加点を受けた。

 付け加えると咲耶も治癒魔法の技能を評価されて50点の加点を受けた。

 

 なお、継承者の正体については、あの悪魔の言っていたこと、ハリーの体験したこと、そして回復したジニーの証言を元に、あの日記に封じ込められていた昔のヴォルデモート卿――トム・リドルが引き起こした事件という事をダンブルドアが認めて処理された。

 実行犯にされたジニーとマルフォイだが、幾人もの聡明な魔法使いが騙されたヴォルデモート相手ではそれも仕方ないということで一切の処罰を受けなかった。

 

 またスリザリンの継承者事件解決のお祝いとして期末試験は免除となり、生徒たちは夏休みまでの残り短い学校生活を堪能していた。

 

 ただ、全てが平穏無事に終わったかというと、事後処理に関してひと騒動、いや三つほど騒動がその後も起きていた。

 

 一つは日記について。

 ジニーがどこからその日記を手に入れたかについては結局、定かではなかった。

 いつのまにかジニーの荷物の中に紛れ込んでいたらしく、彼女本人も親が用意してくれたものと思っていたらしい。

 これに関してハリーは一つの仮説を立てており、ダンブルドアもまた同意見だったらしい。

 というのも、事件終結後すぐに学校に一人の来客があったのだ。

 

 ルシウス・マルフォイ。

 元死喰い人の一人で、“あの”ドラコ・マルフォイの親で、ホグワーツの理事の一人だが、自らが停職に追い込んだダンブルドアが自分の知らない間に勝手に復職していたことに腹を立てて乗り込んできたのだ。

 もっともダンブルドアの停職は、元々マルフォイ以外の理事は反対で、彼に脅されて仕方なく同意していたということらしく、ジニーの行方不明の報を受けてすぐに停職解除をダンブルドア直々にふくろう便で訴えたらしい。

 

 そしてその際にマルフォイ家の屋敷しもべ妖精であるドビーが無言のジェスチャーで訴えかけてきたおかげで、ハリーは日記の出処が“例のあの人”の忠実だった下僕のマルフォイが、敵対関係にあるウィーズリーを貶めるために仕掛けた罠であることに気づくことができた。

 おそらく夏休みの際に――実は書店でひと騒動あったのだが――ジニーの買い物鍋に潜り込ませたのではないかということだ。

 

 ただ残念ながらそれに関しては確たる証拠はなく、結局真相は闇の中なため明らかとはならなかった。ただ、他の理事を脅したことでルシウス・マルフォイは理事を解任。ヴォルデモートの昔の学用品をばら撒くことを止めるようにダンブルドアに釘を刺され、さらにはハリーのちょっとした意趣返しにより屋敷しもべ妖精を失うことになるなどの(起こしたと思わしき事件に比べると非常に軽い)制裁を受けることとなった。

 

 

 二つ目は秘密の部屋に残されたバジリスクだ。

 スリザリンの遺した宝とはいえ、そんなもの、悪用を考える者しか存続を望みはせず、ダンブルドア校長の決定により対処することとなった。

 どのように対処したかは、部屋を開けることだけ協力したハリーには知らされなかったが、なんでもダンブルドアとスプリングフィールド先生が秘密の部屋に乗り込んで何かをやったらしい。

 もう二度とバジリスクが校内をうろつくことはないという宣言が出されたから……たぶんそういうことなのだろう。

 

 

 そして三つ目。

 

 

「どうぞ。お茶代わりです」

 

 今現在、ハリーの目の前に差し出された不気味な色をした謎の液体の入った怪しげなフラスコをどうすべきかということ……

 

 ではなく、あの悪魔襲撃の事情聴取が行われていることだ。

 

「えっと……」

「いただきます……あっ。おいし。これなんなんですか?」

「自家調合のエーテルです。多少ですがMP回復効果もありますよ」

 

 先程までコポコポボフンッと怪しげな調合をしていたのと合わせても、それを手に取って飲もうとはどうしても思えないのだが。

 手を伸ばすのを悩んでいると同じく事情聴取を受けている一人である咲耶が手を伸ばしてフラスコに口をつけて顔を綻ばせていた。

 

 

 MP回復ってなんだという疑問はさておき、エーテルなる謎の飲み物を差し出したこの女性。

 あの事件から数日して、悪魔襲撃がホグワーツや英国魔法省だけの問題ではないと判断されたらしく、この機会に魔法世界と縁のある魔法使いの参入を決定したそうだ。

 

 

「さて、あらためまして。今回の悪魔襲撃事件の調査を依頼されたISSDA所属、“白き翼”。宇宙探偵あらため魔法探偵のユエ・セタです。以後お見知りおきを」

 

 紺色の長い髪の女性で、魔法使いらしい帽子こそかぶっているが、服装はマグルのものらしきYシャツを着た人だ。

 彼女は、なんでもニホンの魔法協会と縁の深い国際組織における魔獣・魔物退治の専門家なのだそうで、ハリーや咲耶を始め、あの時に悪魔と遭遇した人たちが事情聴取を受けることとなったのだ。

 

 現在事情聴取を受けているのはハリーとロン、咲耶たち学生で、スプリングフィールド先生の研究室を間借りしていた。

 

 

 そしてこの部屋の主である先生は……

 

「まったく、敵を追い詰めておきながらみすみす逃がすなんて、詰めが甘いのは彼とそっくりだ。まるで彼がお子様先生だった時の姿のようだよ、リオン・スプリングフィールド。もっとも、彼は今もお子様と変わりないようだけどね」

 

「あ? あんな甘ちゃんの女タラシと一緒にするな。だいたいああいうのの動きを抑えておけなかったのはお前らの怠慢だろう」

 

 なんかやたらと美形の男性とメンチのきりあいをしていた。

 ハリーから見て、ロックハートよりもずっと美形の、スプリングフィールド先生と並ぶ優男風の白髪の男性だ。

 

「それを調べるために一体でも捕縛しておく必要があったんだよ。その程度のことも分からないのかい?」

「ぶっ壊れてるのは舌の味覚だけじゃなくて、そのよく回る口らしいな、陰険白髪野郎。そこまで知るか」

 

 顔は凄く整っているのだが、目つきはスプリングフィールド先生に負けず劣らず鋭くて、冷たい印象のある人。

 

「あのミス・セタ……あちらの人は……」

「彼はフェイト・アーウェルンクス。今回の事件に関する調査員とでも思っておいてください。…………喧嘩なら迷惑なのでどっかの荒野でやるです。そしてさりげに二人して師匠をディスるのはやめるです」

 

 なんだかメンチのきりあいだけでなく、漏れ出たバカげた魔力が奔流みたいになって激突しており、恐る恐るセドリックが尋ねた。

 探偵の女性はどこか妙なところに触れたのか青筋浮かべて二人に注意をいれた。

 

 先生とフェイトさんはしばし無言でバチバチと睨みあうとお互いにふんと顔を逸らした。

 

 

 

 スプリングフィールド先生とフェイトさんはお互いに距離をおいて椅子に腰かけて探偵の女性の事情聴取を見守っていた。

 

 ハリーはユエさんにダンブルドアにも語った今年の事件の概要を話した。ただ、そのほとんどはこの学校での問題であり、彼女たちの調査に関わる悪魔については、ハリーたちもほとんど分かってはいなかった。

 

 あの悪魔は、ジニーを連れて通路の崩れた所で待っていたロンと今後を話している時に突如として姿を現したのだ。

 声は届いてかろうじて互いの姿が見える程度にしか開通していなかった通路を一撃で開通し、混乱しているハリーたちを全員連れてマクゴナガル先生たちのもとに転移したのだ。

 

 ハリーたちを連れていったのも

 

「君たちが知ってる様子はなさそうだし……まあお土産くらいにはなるか」

 

 ということだったらしい。

 

 その後の顛末はハリーたちはもとより、セドリックや咲耶たちも見たままだ。

 

 咲耶の式神やスネイプ、マクゴナガル先生たちを追いつめ、その後スプリングフィールド先生に蹴散らされた後、ジニーたちを蘇生させて逃げた。

 

 

「――――なるほど。おおよその事件のあらましは分かりました。つまり彼らの目的は、その日記に込められていたトム・リドルという魔法使いの魂だか記憶だった可能性が高いという事ですね」

 

 数10分ほど話して終えたころだろうか、ユエさんは確認してきて、ハリーたちは自信なさ気に頷いた。

 

 結局、あの悪魔たちは――彼らが言っていたことを信じるのならば――日記の現物は返却してきたし、吸い取られていたジニーとマルフォイの魂は返してきたし、秘密の部屋の怪物にも手を付けずに退却したことになる。

 

 

「ただ話を聞く限りでは、悪魔侯爵が言った“別口”というのが彼らの別動隊かどうかは分かりませんね。内部協力者がいた可能性も無視はできないです。それに危険を承知でリオン君の前に姿を現したということは、人に対する殺害規制がかかっていた? 魂の収集という類似性からしてもあの件と繋がりがある可能性はあるですね。ただ、こちらの魔法界に手を出してきたということはむしろタカユキ君の方の調査と関係があると考えた方が……」

 

 ユエさんは考えを纏めるようにぶつぶつと早口で呟いていたが、ハリーたちにはそれの意味するところはほとんど理解できなかった。

 それは咲耶も同じなのか、そろって呆気にとられてみていると、

 

「ああすいません。ひとまずこの件は、もう少し学校での調査も必要ですね。……リオン君」

 

 ユエさんはハリーたちをそっちのけで思考に埋没していたことに気づいてか、顔を上げてスプリングフィールド先生に振り向いた。

 

「貴方はフェイト君と魔法世界の方に向かってください」

 

 そして告げられた言葉に、ぞわりと殺気がと呼べるものがスプリングフィールド先生から沸き立ったようにハリーには見えた。

 

「あ? なんで俺がこいつと一緒なんだよ」

「フェイト君は別件で魔法世界に行ってもらう予定だったのです。リオン君はアスナさんとコンタクトをとってください」

 

 別件、というのがなんなのかはハリーたちには分からないが、誰がどう見ても混ぜるな危険としか思えないコンビを指定したユエさんに対して、先生は冷気を漂わせてドスのきいた声を発して睨み付けている。

 

「私は夏休みまでここで調査をして、追って詳細を師匠に報告に行きますので」

 

 ただ、それはユエさん自身はまだすべきことがあったがためにらしく、さらっとホグワーツにしばらく駐屯するようなことを告げた。

 スプリングフィールド先生はちらりと咲耶を見て、それから顔を顰めた。

 

「一応俺はここの教師なんだが?」

 

 期末テストが免除となり、夏休みまで残り短いとはいえ、それでも授業はしっかりとある。

 しかもあの先生は、ニホンの魔法協会のお偉方から派遣されてきたはずなのだが、それを勝手に決めてもいいものだろうか。

 

 セドリックたちが不思議に思っていると、ユエさんは一枚の紙を取り出して先生に手渡した。

 

「西の長さんからは許可をもらってます。夏休みまでは――――――――」

 

 

 

 

 後日。

 日に日に夏の暑さがこたえ始めてくるこの季節。

 

「――――ということで、今学期の残りの授業は私、ユエ・セタが代行させていただくことになったので、よろしくです」

 

 あの悪魔襲撃、というのが魔法世界とどう絡んでいたかはハリーには分からなかったが、どうにも複雑な事案らしく、魔法探偵を名乗るユエ・セタさんはしばらくホグワーツに滞在することとなった。

 

 代わりかどうかわからないが、なんでも魔法世界で調べることができたらしく、スプリングフィールド先生が学期半ばで一度学校を離れる必要ができたのだそうだ。

 

 そのため、精霊魔法の授業はスプリングフィールド先生の代わりにセタ先生が教鞭をとることとなった。

 

 

 ちなみに授業は、スプリングフィールド先生のものよりも分かりやすいと好評だった。

 

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 

 大方の授業が終わりを迎えた夏休み二日前。

 咲耶は無事に日常復帰したジニーやハーマイオニー、そしていつものメンバー(ルームメイト)たちとちょっとした女子会を開いていた。

 

 怪物の徘徊に関しては終結宣言がだされたとはいえ、あまりにも恐ろしい眼にあった友人たちを明るく励まし、楽しい夏休みを迎えようという思いで開かれたこの会。

 

 話題の内容は、うやむやに終わった継承者の件――

 

「だからジニーはまず、他の男子とつきあって、ハリーにもっと自分らしいところを見せられるように鍛えた方がいいんじゃないかしら」

「……そうよね。今のままじゃ、彼とも、全然――」

「ちゃうよジニーちゃん!!」

 

 ではなく、恋する乙女の悩みだった。憧れのハリーに対して面と向かうと話すこともできずに茹蛸になってしまうジニー。その症状は、彼女が攫われたと聞いて継承者を恐れることなく救出に奔走してくれたというハリー(と兄であるロン)の顛末を聞いて進行していた。

 

 昨年ハリーはハーマイオニーとともにウィーズリー家に滞在していたのだが、今年もその予定らしく、来たる夏休みにどんな顔をしてハリーと一つ屋根の下で暮らせばいいのかという悩み相談に乗っていたのだった。

 

「そこは退いたらいかんって!!! 恋愛は戦いや! ガンガン行かな!!」

 

 兄弟が多いジニーは、男子に耐性がないわけではないらしいのだが、まずは恋人の前でありのままの自分を出せるようにする特訓をするべきだとアドバイスしたハーマイオニーに対して、咲耶はバンッと地面を叩いて力説していた。

 

「えっ。でも……」

「例えばハリー君がくぃでぃっちの練習終わった後に檸檬の蜂蜜漬けをこっそりと渡すとか!」

 

 ハーマイオニーの意見に同意しかかっていたところに、全く逆の意見を言われて戸惑うジニー。

 咲耶はずずいとジニーに近づいて、どこから仕入れたのか定かではない具体例を突きつけた。

 

「なんでレモンのハチミツ漬け?」

「マグルのスポーツマンガとかだとちょくちょくあるのよ。疲労回復にいいって。というかマネージャー?」

 

 マグルの習慣や栄養学などという観点のないリーシャが首をかしげており、マグルの生活にも詳しいフィリスが咲耶を野放しにして話していた。

 

「夏休みはハリー君、おうちに来るんやろ! それやったら胃袋を攻めるとか!!」

「え、でも私料理はできない……」

「それやったらウチが教えたる!! あとあとあの手編みのセーターは来年から小母さんじゃなくてジニーちゃんが編むべきや!!!」

 

 なんだか目の色がいつもと違い、頭の上のお花畑が炎のようにも見える今日の咲耶。

 

「おーい明日で学期終わりだぞー」

「なんかスイッチ入ったみたいね。あれかしら、恋する乙女の共感?」

 

 言っても無駄だろうなぁと思いつつもひとまず学校ではそんな時間はないことを告げて見たリーシャだが、咲耶はガンガンとジニーを押し込んでいた。

 

 

 すっかりいつも通り(?)の景色が戻ったホグワーツ。

 

 楽しげな女子たちのささやかなおしゃべりが続く中、後ろから「ふふふ」という笑い声が聞こえてフィリスたちは振り向いた。

 

「あっ、セタ先生。調査の方はもう終わったんですか?」

「ええ、ご協力ありがとうございましたレメインさん。それと皆さんも。おかげさまでだいたい仕上がりました」

 

 魔法探偵 兼 精霊魔法教師代理の瀬田夕映先生が微笑ましげな眼差しを向けていた。

 

「盛り上がってるとこ失礼するですが、咲耶さん。少しいいですか?」

「はいな、瀬田センセ」

 

 咲耶は乗りかからんばかりに顔を近づけていたジニーから体を離して先生に振り向き、圧倒されていたジニーはほっと息を吐いた。

 

「少し渡したいものがあるので、部屋の方に来ていただけますか」

「ええですよ」

「ああ。お友達も一緒でも構いませんよ」

 

 にこりとした笑みを浮かべてのお誘いに咲耶は友人たちを見回して確認してから頷いた。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 瀬田先生に連れられて精霊魔法の教師の――元スプリングフィールド先生、現瀬田先生の私室を訪れた咲耶たち。

 

 その内装は夏休みまで短い期間の滞在とはいえ、スプリングフィールド先生の時とはまるで違う様相を見せていた。

 やはり魔法がらみではそれぞれに危ないものがあるのか、咲耶たちが決闘クラブで使っていた魔法儀やチャチャゼロなどはいなくなっており、先生のときよりも新しい本が多く本棚に並んでいた。

 

 部屋に入った咲耶は、少しだけ違和感を覚えたようにきょろきょろしながら席を進められてソファに腰掛けた。

 

「咲耶さんには少しこの部屋は違和感があるようですが、我慢してください。流石にリオン君の私物は危険物だらけなので置いて行かれると次の日には死ぬ恐れがあるので」

「ああいえ! そないなことは……ありそですね」

「あんのかよ!!?」

 

 咲耶の思いを見透かした瀬田先生は肩を竦めて言った。それに対する咲耶の返答にリーシャがガビンと驚いた顔で部屋を見回した。

 

 咲耶に同行する形で何度も訪れた部屋がそんな明日の命を脅かすような危険地帯だったとしれば無理ないリアクションだろう。

 

「大丈夫ですよ。禁呪やら危険物やらは全部持って行ってもらいましたから、ここにある危険物は私のものだけです」

「あ、それなら……良くない!!?」

「冗談ですよ」

 

 どこからが冗談なのかは定かではないが、とりあえずからかわれているということに気づいたリーシャを咲耶たちはくすくすと笑って、ひとまずこの部屋への違和感を忘れ去った。

 

「さて咲耶さん。ここに呼んだ理由ですが……今回の事件でも治癒術を行ったそうですが、貴女は治癒術士を目指しているのでしたね?」

「はい」

 

 若人でひと遊びして満足したのか、瀬田先生は優しげな表情で尋ね、咲耶がはっきりとした肯定を返したのを見て、フッと微笑んだ。

 

「では、これをどうぞ」

「?」

 

 机の端に置かれていた分厚い本を押し渡されて、受け取った咲耶は小首を傾げた。

 

「このかさん――貴女のお母さんが、自身が修めた治癒魔法を纏めたものです」

「えっ!!?」

 

 驚いて分厚い本を見直す咲耶。フィリスたちも興味があるのか横から本を覗き見た。

 

「このかさんは15歳で魔法の世界に入り、それから優れた師について魔法を学び、自身かなりの努力をして、本人の才能も大きかったですが、世界屈指の治癒術師と呼ばれるまでになりました。

 その本は彼女が治癒術士を目指した友人に参考にしてほしいと譲り渡したのですが。今回私がこちらに来ることを知ったその友人が貴女に返してあげて欲しいと渡されたです」

 

 だから貴女のものですと手渡されたそれ。

 実家にも多くの魔法の本があり、それを使って母も魔法の勉強をしたんだよと教えられてはいたが、母が作った教科書ともなればその重みは別格だ。

 

「あ、あの……瀬田センセは、ウチのお母様をご存じなんですか?」

「おや? ……ああ。そうですね。前に会ったのは貴方がまだ小さいころでしたから覚えていないのも無理はないですね」

 

 先程の瀬田先生の言葉からちょっとした疑問を覚えたのだろう。

 目の前の少し青みがかった長髪の女性をまじまじと見て咲耶は尋ね、問われた瀬田先生は少し訝しそうな顔をしてから思い出して納得した顔となった。

 

「このかさんとは友人で学生時代のクラスメイトだったですよ。同じ師の元で魔法の研鑽を積んだこともありました」

「そうなんですか!!」

「ホントに聞いてなかったですね。彼女とは同じ図書館探検部の一員で、日夜本を求めて図書館を探索していた仲です」

 

 図書館探検部、というのが一体なにをする部なのかは定かではないが、ひとまず友人だったというのは本当の話らしい。

 咲耶は目をキラキラさせて瀬田先生を見つめた。

 

「そういう顔はこのかさんそっくりですね。性格は彼女よりもアクティブなようですが」

 

 瀬田先生は子犬のように嬉しそうな顔を見せる咲耶に目元を緩めて懐かしそうに言った。

 

 

 それからしばらく、瀬田先生は咲耶に学校生活についてなどを聞いていた。

 

 それは先生代理として、というよりも友人の娘を見守るような優しげな顔をしていた。

 

 

 

「図書館探検部てどんな部活やったんですか?」

 

「私たちが居た麻帆良学園では図書館が一つの小さな島に建てられていてとても巨大だったのです。内部構造も入り組んでいて迷路のようになっていたので、隠された本や未開のエリアがたくさんあったので、新たな発見を求めて本を探し求めるという……まあ、本好きの集まりですね」

 

 母から麻帆良学園時代の話を聞いたことももちろんある咲耶だが、それでも母をよく知る人物から語られるそれは、非常に興味深く、わくわくとして話を聞いていた。

 

「先生も本好きなんですね!」

「ええまあ。ただ私の場合は興味ある分野が偏っていたので、学校の成績はいまいちでしたが……」

 

 同じ本好きとして琴線に触れたのか、ハーマイオニーが瞳を輝かせて嬉しそうに話しかけた。

 

「先生。あの! 本を見させていただいてもいいですか? 私もすごく、本が好きで」

「いいですよ、グレンジャーさん。ただ、あまり魔法書関連は持って来ていませんよ」

 

 沢山の本に囲まれている状況で耐えきれなくなったのか、ハーマイオニーが意を決して口を開いた。

 瀬田先生から許可が出るとハーマイオニーは喜んで跳ねるように本棚に近づき、クラリスも後に続いて本棚を眺め出した。

 

「宇宙関係の本がたくさんありますね」

 

 瀬田先生の言葉通り、本棚には主に航空宇宙力学や宇宙環境についての本。テラフォーミングに関する書籍が大量にあり、期待したような魔法世界がらみのものはほとんど見られなかった。

 

「ええ。私の本来の専門は宇宙開発なので。魔法探偵は昔とった杵柄というやつですよ」

「宇宙!?」

「魔法使いなのに宇宙開発なんですか!?」

 

 あまりにも魔法使いのイメージと違う専門分野が飛びだしてきたことにリーシャやフィリスも驚いて瀬田先生に振り返った。

 ハーマイオニーやクラリスもびっくりして見つめてきており、そのリアクションにむしろ瀬田先生は軽く驚いたように目を瞠っていた。

 

「おや? そのあたりの話はまだリオン君から聞いていませんか?」

 

 そして不思議そうにして「ふむ」と顎に手を当てて少し考え込むような素振りを見せた。

 

「ではその話は後のお楽しみにしておきましょう」

「えっ!? なんなんですか?」

 

 そしてにこりと微笑んでもったいつけた返答をした先生に、フィリスが少し身を乗り出して尋ねようとした。

 先生はそんな生徒たちをまあまあと軽く宥めて微笑みを深くした。

 

「魔法の世界というのは今は、ただ裏に埋もれているだけではなく貴方たちが思っている以上に世界に貢献しているのですよ」

 

 優しく告げた言葉は、まだハーマイオニーたちが――いや、旧世界に籠る魔法使いたちが見つめていない未来を見つめているがゆえの言葉だった。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

【積み重なった想い】

 

 

 

 丸く区切られた視界の先に、赤毛の少年が笑っていた。

 

「主……なにもそんなモノを使わずとも」

「風情だよ」

 

 背後から話しかけてきた“息子”のよくわからない、といったような、呆れたような雰囲気が感じられた。

 どうやら彼には、この望遠鏡なる道具――人の手によって生み出された物の愛おしさというものが分からないらしい。自分で生み出した存在だが、それは少し残念だ。

 

 視界の先の少年は、実に生きた笑顔を浮かべている。

 彼らはもう間もなく、ここへとやってくる。

 戦争を終わらせるために。

 私たちを屠るために。

 

 戦いは激しいものとなるだろう。“息子”の実力は間違いなく、人においては最強クラス。それをあの少年も知っているだろうに、激戦を前に、あの笑みが浮かべられることに興味がわいた。

 どのような者なのかと問うと、息子はやや小ばかにしたような返答を返してきた。

 

「旧世界英国にある隠れ里の家の出です。とりたてて名家ということもない。七世代遡っても何の系統、因果も見出せません」

 

 なんの因果もない。

 

 それは…………

 

「ほぉ。それは良い」

 

 面白いと思った。

 

「失礼ながらマスター。奴は力だけのただのバカ。考えなしに立ち向かうものを殴り倒し、ただ前へと進むことしか知らぬ愚か者です」

 

 愚か者。

 たしかにそうなのかもしれない。人とは、生きることとは。

 ならば結局は前へと進むしかない。

 

「それが人間だ。結局、前へと進むしかない。ならばああいうバカの方がやってて気持ち良い」

 

 きっと自分はアレが羨ましいのだ。

 なにものからも束縛されえない自由な翼。

 自由に、思うが儘に

 

 きっとそれが道を開くことにつながるのだろう。

 

 だからこそ、今は自分の思うがままの道を選ぶ。

 

 もはや全てを満たす解はない。いずれは全てに絶望の帳が下りる。

 その前に、全てを幸福な世界へと導くのだ。

 それこそが、この世界を創った者としての責務。

 

 全ての救われえぬ者たちを救うために。

 次の世界へと、完全なる世界へと旅立たせるのだ。

 

 

 たから、もしも、次があるのならば……

 

「いくぞ。後は頼む」

「ハ……ハッ!」

 

 今度は何者からも自由な存在になりたいと、そう希う。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 初めてのはなし (+人物まとめ追加)

注意:ネギま原作キャラの死を示唆する描写があります。


 一人の少年が力なく座り込んでいた。

 全身傷だらけの上、腹部からは止めどなく血を溢れさせ、口からも吐血のあとが見られる。

 

「ちっ……」

 

 どこでドジをしたのか。

 

 男たるもの旅をしろ、という偉大なる母上殿の教育方針によって放り出されて2年ほど。

 とある目的のためもあって旅をしてきたが、どうやら母上殿のことを気に食わない連中はその道中、何度も襲撃を仕掛けてきた。

 

 闇の魔王の子供というのはどうにもその存在だけで、とある連中にとっては気に食わないらしい。

 今までは上手く迎撃してきたのだが、今回の襲撃は規模が大きく、魔族召喚までして襲い掛かってきたバカどもを返り討ちにしたまではよかったが、自分も少なくないダメージを負ってしまった。

 タイミング悪く、今日は半月。

 朔か満月ならば、こんなへまも打たなかったろうが、半月では人としての力と吸血鬼としての力が競合して、上手く力が発揮できないことがあるのだ。

 

 傷の回復が遅い。

 吸血鬼の力があるせいか、もともと治癒系統の魔法は苦手なのも痛手だ。おまけにその吸血鬼の力が弱っているために再生が上手く働かない。しかもご丁寧に銀の銃弾まで打ち込まれたものだから、かろうじてある吸血鬼の力もこそぎ落とされている。

 

 時間経過とともに吸血鬼の力は強まるが、銀の弾丸を摘出しないと再生が上手く働かない。

 中々に参った状況だ。

 今回の襲撃が先ほど返り討ちにした分で終わりかどうか分からない、というよりも、深手を与えた情報を知れば、無理にでも追撃を仕掛けてくるだろう。

 流石に、今の状況でそれはきつい。

 

 この世は平等ではない。

 人の思惑など悪意と欺瞞に満ちている。そんなことを母上殿は言っていたが、まったくその通りだろう。

 

 ただ世に生を受けたこと。

 それが自分の初めの罪だ。

 

 向けられる敵意と悪意を打ち払ってきた。打ち払えるだけの力を得た。それも罪。

 

 罪、罪、罪

 

 いい加減鬱陶しい。

 自分が生まれながらに悪の存在だなどというのはとうに理解している。

 だから、ここで死ぬのは、その流れの一つなのだろう。

 

 

 

 ただ、心残りは…………目的を果たすことができなくなることだ――――

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

 体が鉛のように重い。思考は頭に靄がかかったようにまとまらない。

 

 不意に、

 

 ぺたり

 

 と、額になにか温かいモノが触れたように感じた。

 

「……ん」

「…………」

 

 重たい瞼を持ち上げると、小さな子供 ――ようやく二桁に達したばかりの自分と比べても小さい3,4歳程度の子供が四つん這いになって手を伸ばしていた。

 

 濡れるように黒い髪はクセがなく、肩口あたりまで伸びており、その瞳は綺麗な黒だった。

 目を開いたことに気づいたのか、向こうは大きな瞳を向けてきて、視線があった。

 

 覚えのない幼子。

 一拍遅れて、俺が起きたことに気づいたのか、にぱっと笑って邪気のない笑顔を向けてきた。

 

 ――笑顔……?――

 

 子供から笑顔を向けられたなんて記憶はなかった。

 

「かぁさま~」

 

 幼子はうんしょと身を起こすと、和服の裾を翻してとてとてと駆けて行った。

 お行儀よく障子を開け閉めして、とてとてと廊下を駆けていく音が遠ざかっていく。

 

 

 一人になって、ここがどこだか確認しようとぎこちなく首をめぐらすと、どうもベッドではなく布団の上に寝かされているらしく、周囲には緑色の畳が見えた。

 室内の作りは、畳に映える日本風の作りで、静謐な中に温かみを感じさせるような部屋だった。

 

 起き上がろうと腹に力を込めるが、なぜか力が入らず――――そういえば腹に風穴が空いていたはずだが痛みがないことに気が付いた。

 布団の中でごそごそと腕を動かして腹を確認してみると、やはりそこには痛みはなく、一応手当のあとらしく包帯が巻かれている感触があった。

 ついでにその時、自分が来ている服がいつもの旅装ではなく、部屋の内装にあった和風の簡素な室内着であることにも気が付いた。

 

 どうやら自分は助けられたらしいが……それ以上の状況を探ろうと思っていると再び廊下の方で足音がして、今度はそれが近づいてきた。

 

「おっ! 起きとる起きとる。傷の具合はどかな、リオン君?」

 

 そして障子を開いて入ってきたのは先ほどの幼女、ではなく、面差しこそ似ているが20歳くらい年齢を足したような黒髪の女性だった。

 

 淡い色合いで花地模様の和服を着て、腰ほどに伸びた真っ直ぐな黒髪。

 女性には見覚えがあった。

 

「貴様は……近衛木乃香か」

「うん。久しぶり~。前に会うたんはおじいちゃんのお葬式の時やから3年くらい前やったな」

 

 近衛木乃香

 世界屈指の治癒術師として名高い、白き翼の魔法使い。そして関西呪術協会の長の娘。だとするとここは……

 

「…………ここは」

「ウチの実家。関西呪術協会のお屋敷やよ」

 

 幾つかの予想が脳裏をよぎるが、どうやらまっとうな線をついて実家へと野垂れ死に寸前の怪我人を運び込んだらしい。

 近衛木乃香の後ろには、護衛役でありパートナーである神鳴流剣士もいた。

 

「……なぜ助けた?」

「人を助けるんがウチのお仕事やからな。それにリオン君はエヴァちゃんの大切な息子やもん。助けるよ」

 

 精神的にささくれ立っているのもあって、顔を顰めて尋ねるも、近衛木乃香は特に気を害した様子もなく柔らかな笑みを向けて答えた。

 

 しかも理由の一つに死にかけた理由である母上の名前が出てきて、リオンの眉間の皺がさらに増えた。

 

 だが、どうにもこのほわほわ笑顔を見ていると、喰いつく気力が失せてしまいそうで、リオンは視線をそらせた。

 

「…………さっきのは?」

「えっ? ああ。さっきの子? ウチの子なんよ。名前は咲耶。3年前も一応会うてるんやけど……覚えてへん?」

 

 ついでに話題も変えて、先ほど起きたときに見かけた幼女について尋ねると、思わぬ返答が返ってきた。

 

 3年ほど前……魔法使いとしての目的を定め、世界へと飛び出そうとしていたころの記憶。

 たしかに、ちらりと垣間見た木乃香は、その腕に1歳にも満たない赤ん坊を抱いていたが…………

 

「覚えてないな」

 

 つっけんどんに返すと、彼女はきょとんとした表情になり、それから何が嬉しいのか目元を緩ませて微笑を向けてきた。

 

「ほかほか。でもまあ、その具合だとしばらくここに居ることになるやろし、仲良うしたってな」

 

 何が嬉しいのか、いらいらするほどに眩しい微笑みをリオンは睨み付けるようにして見た。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 傷はほどなくして塞がった。

 流石は世界屈指の治癒術士といったところなのだろう。目覚めた時点で見える傷はほとんど塞がっていたようなものだ。

 だが、銀の銃弾で受けた傷だ。吸血鬼としての力そのものに入れられた瑕は、治癒術では回復しない。

 布団の上で身を起こしたリオンは、

 

「…………なにしてる?」

 

 障子の隙間から顔を覗かせている黒髪の少女の姿に呆れたような眼差しを向けた。少女はお気に入りなのだろう、ぬいぐるみを持って、リオンの方に興味津々な感じで視線を向けていた。

 

 刹那(木乃香の護衛役)あたりに何か言われたのか、部屋に入ってくる様子はないが、立ち去る様子もない。

 もじもじとおっかなびっくりという感じでこちらの方に来たそうに見つかりやすく隠れている。

 

 

 

 ちょっとした悪戯心のようなものだった。

 魔法を使えば、たちどころに刹那か誰かが気づくだろうが、魔法を使わなければ、気づくことはない。ちょっとした悪戯で脅かせば、もう自分には近寄ってこないだろうと、リオンは魔力の糸を飛ばして、少しだけ嗜んでいる人形遣いのスキルで少女の持っているぬいぐるみを操った。

 

「ぴゃっ!?」

 

 ぬいぐるみは少女の腕の中から飛び出し、部屋の中に着地するとがおーっと食いつくように両手を挙げた。“お友達”のいきなりの行動に、短い悲鳴を上げた少女は、大きな瞳をぱちくりと開いて、動くぬいぐるみを凝視した。

 右に左に、両手を動かしているぬいぐるみ。

 

 人形遣い(ドールマスター)と同じ繰糸術。その昔、数多の魔法使いを震え上がらせたという悪の権化の代名詞ともいえる技の一つだ。

 幼いといえども、いや、幼いからこそ、なまはげのような扱いを受ける彼女を連想させるその技が怖くないはずはない。

 

 

 だが、動く人形をじーっと見ていた少女は、ぱあっと顔を明るくして、部屋に入ってきた。

 

 しばらくして、様子を見に来た木乃香と刹那が見たのは、「なぜか分からない」といった憮然とした表情でぬいぐるみを動かしているリオンと、嬉しそうにきゃっきゃと手を打つ咲耶の姿だった。

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 脅かすつもりでしかけた悪戯で、逆に気に入られてから数日。

 小さなお姫さまは、保護者の目を盗んだつもりになって、悪い魔法使いのところに遊びに来ていた。

 

 自分の半身に受けたダメージは、月が満ちるのとともに戻ってきた吸血鬼の力で回復してきていた。

 やや血が足りずにふらつくものの、日常的には身を起こして動き回る程度は何とかなっていた。

 ただし無闇とこの屋敷を動き回ると、現状では厄介極まりない連中――退魔師と出くわすため、ほとんど部屋に閉じこもっていたが。

 

 ただ、ちょくちょくやってくるお姫さまが、今日はなんとも恐ろしいことに保護者づれで(木乃香と刹那とともに)やって来て、母娘そろって楽しそうにリオンの滞在している部屋前の庭で遊んでいる。

 

 厄介な退魔師の巣窟とはいえ、歴史ある和風建築の庭園は見ているだけで落ち着きをもたらす。

 身を起こして庇に座り、綺麗に整えられた和風庭園を眺めていたリオン。

 無邪気なお姫さまは、お気に入りになったおにいちゃんが起きていることに目を輝かせて一緒に遊ぼうと誘いかけてきたが、とりあえずリオンはそれをしっしと追い払って拒絶しておいた。

 口元に指をあてて不満そうにしていたお姫さまだが、大好きなお母様に遊びに誘われた後は、機嫌よく鞠遊びに興じている。

 

 遊びに参加するつもりは毛頭ないが、のんびり庭園観賞していたのを止めて部屋に入るのも、後から来た連中に追い払われて逃げたようで癪なので、そのまま庇に腰掛けて“庭を”眺めていた。

 一緒にやってきた神鳴流剣士が遊びには参加せずに、自分から一定の距離を保って座り込んでいるのも、精神衛生上とりあえず意識の外においやった。

 

 時折、視界の中に鞠をつきあう母娘の姿が映るが、見ているのはあくまでも景色だ。

 

 

 心和む景色の中に、ぽーんぽーんと鮮やかな色の鞠が――往って――戻って――往って――――地面に落ちた。

 

「咲耶!」

「お嬢様!」

 

 木乃香と刹那の悲鳴じみた声が響き、リオンは視線を地面に倒れている童女へと向けた。

 地面に倒れている咲耶は苦しげに胸元を押さえており、赤い顔でぜぇぜぇとおかしな呼吸音をしていた。

 

 

 

 ここに居るのは世界屈指の治癒術士と名高い“立派な魔法使い(マギステルマギ)”近衛木乃香だ。

 

 多少体調を崩した程度では、どうということもなくたちどころに快癒する……はずだった。

 

 

「随分と手慣れたものだな」

 

 倒れた咲耶を手早く布団に寝かすその様子からは、この光景が日常的に行われているように思える。

 けほけほと咳をつく姿は、赤くなった顔と相俟って風邪を引いたかのようにも見える。だが、通常の風邪でないことは症状の唐突さからも分かるし、なによりも咲耶を見つめる二人の表情からはこれが単なる風邪ではないことが分かる。

 布団に入った咲耶の枕元に座り、看病している木乃香の姿は、まるで無力な自分を嘆くかのように暗い表情で、壁にもたれかかって座るリオンの近くに位置どった刹那も険しい表情をしていた。

 

「……お嬢様は生まれつき魔力量が大きい。だが、それに対して器が充分に備わっていないのだ。だから時々、このように溢れた魔力が体内で荒れ狂って倒れられるのだ」

 

 苦々しく言う刹那。

 

「魔力の使い方とか教えとるんやけどな。まだ上手に制御できんで、体にかかる負担が逆に多なってしまうんよ」

 

 木乃香は咲耶の汗に濡れて額にへばりついた髪の毛をのけてやり、優しい手つきでその顔を撫でている。

 

「…………」

 

 上手く制御できずに自らの魔力に翻弄される。咲耶のその姿をリオンはじっと見つめた。

 

 魔法の行使にはある程度、身体に負担がかかる。膨大な魔力を溜め込んでしまい、しかしそれに耐えきれない少女は、時折こうして倒れているのだろう。

 

 病や怪我、呪いであれば治すこともできる。

 だが、魔力を溜め込むというのは正常な働きであり、対策としては器を鍛えるしかない。

 そして、その器を鍛えるためには咲耶はまだまだ幼すぎるのだ。

 

 だが、恐らく理由はそれだけでは…………

 

 

 不意に、リオンは寝ている咲耶の体に近寄り、その体を抱き上げた。

 

「!? なにをしている!?」

 

 突然のリオンの行動に、刹那が驚きの声を上げて、飛びかかろうとした。だが、その行動を木乃香は制止し、様子をうかがうように無言で訴えかけた。

 

 リオンは抱き上げた咲耶の髪を上げ、首元に口を寄せた。

 

「ん……」

 

 長い黒髪に隠れて目立ちにくいところ、白い首筋にリオンは月の影響で伸び始めた吸血鬼の牙を当て、その柔らかな肌に食い込ませた。

 出来うる限り気をつかったのか、それでも咲耶はわずかに声をもらした。

 

 こくり……こくりと、命の滴をゆっくりと飲みこむようにリオンの喉が上下する。

 

 そして首筋から離れ、咲耶の体を再び布団に寝かせると、先程まで苦しそうに顔を赤くしていた咲耶の顔色が幾分落ち着きを取り戻していた。

 

「……りおん?」

「…………」

 

 涙で潤んだ瞳が直前まで自分を抱きかかえていたリオンを見つめる。

 

「なにをした?」

 

 敬愛する木乃香の愛娘に対する暴挙。咲耶の容態が落ち着いているように見えるからこそ大人しくしているが、返答次第では一刀に伏すことも辞さないとプレッシャーをかけながら刹那は問いかけた。

 

 少し紅くなった口元を拭って、振り返ったリオンは微かに嘲るような笑みを浮かべた。

 

「魔力が余っているようだからな、少し貰っただけだ」

「…………」

 

 刹那の眉がぴくりと動き、纏う気がピンと張りつめ、視線は冷え込んでいた。

 歴戦の剣士として、まるで一振りの刀のように鋭い気。

 

 微かに笑みを浮かべるリオンの魔力は、ゆらゆらと不安定さを覗かせてはいるものの、その身に秘める闇の魔力は月の影響と吸血の影響によってか今まで以上に増加している。

 

 

 彼の母親のことはよく知っている。

 刹那自身、直々に薫陶を受けたこともある魔法使いであり、その直系の眷属であれば、例え幼くとも侮る理由などありはしない。

 いや、すでに彼の年齢はあの“ネギ・スプリングフィールド”が英雄の兆しを見せていたのとほぼ同じ年になっているのだ。

 

 

「リオン君。ちょっといいですか?」 

 

 あと一揺らぎ。

 それで戦端が開かれるかに思えたその直前、いつの間にそこにいたのか、障子の向こう側で様子をうかがっていた詠春から声がかけられた。

 

「長!!」

「お父様」

 

 武器はなく、呪術協会の長としての狩衣姿。

 神鳴流は得物を選ばずとはいえ、真祖の眷属相手に無手で対面するというのは危険極まりない行為だ。

 だが、詠春の顔には特に戦意は感じられず、場の緊張を見ない和やかさが感じられた。

 

 鋭い目つきで闖入者を窺っていたリオンは、ジリと刹那から体を背け、詠春の方へ、部屋の外へと出ようとし、

 

「りおん、どこ行くん?」

 

 布団の中からかけらえた声にぴくっと反応して足を止めた。

 まだ顔は赤く、息は乱れているものの、それでもその小さな声の主はにぱっと笑っていた。

 

「また、あそんでな」

 

 その声から逃げるように、リオンは部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 詠春に呼び出されたリオン。

 連れて来られたのは彼の私室だろう、落ち着いた雰囲気のある和室だった。

 

「大丈夫ですか?」

 

 腰を下ろした詠春は不意に、リオンに問いかけた。それに対してリオンは、平然としたそぶりを取り繕おうとして、

 

「…………気持ち悪い」

 

 失敗して口元に手を当てて顔を青くした。

 

「あの娘の体内で荒れ狂っていた魔力量はあなたをしても膨大でしたから……」

「それだけじゃ、ない、だろ……」

 

 一度に大量の魔力を取り込んだことによる魔力酔い。それが気分の悪さに現れたのだ。

 だが、気分が悪い理由はそれだけではない。

 彼女の持つ本来の魔力特性。それが不死の吸血鬼としての強靭な生命力を持つリオンをして、苦しめているのだ。

 

「それもありますが…………リオン君。血を吸ったのは、初めてですか?」

「………………」

 

 そしてもう一つ。詠春が口にしたのは、別の理由、リオン側にあるだろう理由だった。

 

 長い沈黙。

 それが詠春の問いかけに対する答えだった。

 

 荒れ狂う大量の魔力。

 体の内側から蝕む異能。

 口の中に残る鉄の味。

 

 どれも今まで経験したことのないもので、覚えてはいけない禁忌を感じさせるものだ。

 特に血の味は、まるで少女の熱がうつったかのような酩酊感をリオンにもたらした。

 

 今のリオンは、光と闇、どちらの色も持っている。

 人にも、吸血鬼にもなり得る。

 

 闇の怪物として定着しているネギやエヴァンジェリンとの違いは、不安定だということだ。

 容易にどちらにもなる。

 

 リオンにとって吸血行為は、人としての ――“リオン・スプリングフィールド”としての命を削る行為にも相当する。

 血の味を覚えれば、エヴァのように確立した吸血鬼でないリオンは、怪物に成り下がる危険性があるのだ。

 “リオン・マクダウェル”になるのならばまだいい。だが、それすらも通り越して、ただの吸血鬼・リオンとなる可能性すらあるのだ。

 

 

「俺を、誰だと思っている」

「…………」

「吸血鬼の真祖の! 誇りある最強種の血を引いた! ただ一つの存在だ! こんな、もの……っ」

 

 覚えてはいけない。この感覚を覚えてしまえば、もう元には戻れない。正真正銘、ただの化け物へとなってしまう。

 吐き出すように怒声を上げたリオンだが、言い切る前に、再び口元に手をあて、嘔吐を堪えるように耐えた。

 

 生まれた時から化け物として、長じるにしたがって英雄に似た容貌を持ち、望まれざる子どもとしてその存在を知られていく苦悩。

 人と吸血鬼。英雄と悪人。正義と悪。光と闇。

 二つの相反するものを身の内に抱え続け、これからも抱き続ける苦悩は詠春には分からない。分かっていると言ってはいけないし、そんなもの、彼は望まないだろう。

 

 ただ、人と怪物との境界線上で、苦しげに耐える少年を、詠春は黙って見続けた。

 

 廊下の外では、容体の安定した咲耶を寝かしつけた木乃香と刹那が、ただ静かに、苦しむ少年の心を慮った。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 一日もすると、苦しんでいたのが嘘のように咲耶は元気いっぱいになっていた。

 逆にリオンはその分、元気を吸い取られたみたいにまた床へと逆戻りしていたが……

 

 

「めー。りおん、横ならなあかんえ~」

 

 布団の上で身を起こしている横に、ちょこんと座って看病の真似事をやっている咲耶。

 

「…………おい」

 

 ニコニコ顔で叱りつけてきた童女と、それを見て笑いを堪えている刹那、そして微笑ましげな顔をしている木乃香。

 リオンはぶすっとした顔で、ドスのきいた声をだした。

 

「まあ、大分魔力も安定してきとるみたいやし、ちょっと魔力に酔っただけみたいやから今日一日ゆっくりすれば明日には」

「どういうつもりだ、近衛木乃香」

 

 なにか横からペタペタ触ってくる咲耶を片手で押しやり、ニコニコ笑顔で症状の説明をしてきた木乃香を睨み付けた。

 

 その声に不穏な気配が混ざっているのを敏感に感じ取って、刹那の表情がすっと引き締められた。

 

 昨日のあの暴挙が、単なる吸血行為ではなく、暴れ狂っていた余剰魔力を吸い出すための応急的な治療行為だったというのは納得したものの、それはそれ。

 すっかり気を許してしまっている感じのお姫さまたち(木乃香と咲耶)の代わりに警戒するのは刹那の役目だった。

 

 リオンの怒気交じりの視線は、木乃香のほわほわとした雰囲気を寄せ付けないようにことさらに冷たく、人との交わりをなんとしても拒絶しようとしているみたいにも見えた。

 

「今の俺は人よりも吸血鬼としての能力が強く出てる。貴様の大事な娘を奪うこともできるんだぞ?」

「…………」

 

 リオンの言っていることはその通りだ。

 リオンは魔に属する存在。光の子として生まれ、成長していくであろう咲耶とは対照的な存在なのだ。

 今はともかく、今後、咲耶の身を害さないとは限らない。

 いずれ敵対する可能性もある。退魔の人間として刹那はそう感じていた。

 昔、世話になったことのある者の子だとしても、だからこそ、彼が怪物となるであろうことは簡単に予想がつく。

 刹那は無言で気を高め、対するリオンも戦意を高めるように木乃香たちを睨み付けた。

 

 

 

 体調も魔力も、万全に近くはなっている。だが、今のリオンにとってこの状況を切り抜けられるかと言えば、可能性は低いだろう。

 最高クラスの魔力を持つ木乃香。最強クラスに匹敵するほどの力を有する剣士・刹那。他にも多くの術者が居るし、老いたりとは言えかつての大戦の英雄たる詠春も居る。

 月がほぼ満ちて吸血鬼の力が限りなく全開に近くなった今とて、退魔の人間がこれほど集った状況を打破するのは難しい。

 

 気と魔力を高める二人を、木乃香は困った様子で見て、

 

「? かぁさま、どういう意味ですか?」

 

 小首を傾げて見上げてきた愛娘を見た。

 幼い少女は、高まる戦機を意に介さず、ただ大好きな人たちがにらみ合っている状況に首を傾げているようだ。

 

 次代の申し子。

 魔法世界と旧世界を繋ぐ役割を持った自分たちの次は、きっと新たなるつなぎ手を必要とするだろう。

 

 魔法族と非魔法族。

 それは言いかえれば、亜人のように、純粋な人以外の存在を、人が受け入れていくことも必要となってくる。

 

 狗族の少年を受け入れた旧友のように

 白い羽を持つ少女を受け入れた自分や親友のように

 

 木乃香は咲耶の頭を優しく撫で、そしていつものようにほわほわと微笑んだ。

 

「んーとな。リオン君が咲耶のお婿さんになってくれるんやって」

「は!!?」「このちゃん!!?」

 

 飛び出た爆弾発言に、リオンと刹那は眼を剥いて木乃香に振り向いた。

 

「おむこさん?」

 

 驚愕している真面目二人をよそに、咲耶は意味が分からなかったらしく、きょとんと小首をかしげている。

 

「結婚して、ずーと一緒におってくれるんやって♡ 咲耶は、リオンと居れたら嬉しい?」

「ほんとですか!?」

「オイ! そんなこと言ってないだろうが!!」

 

 人差し指を立てて分かりやすく説明してあげると、ちっこい咲耶は目をキラキラと輝かせて期待に満ちた瞳で母を見上げた。

 驚愕を引きずってリオンが懸命のツッコミを入れた。

 

「えー、でも男の子が女の子の親に大事な娘さんをもらっていきますって、そういうことやろ?」

「ちがう!」

「わーい。りおん、りおん!」

 

 茶目っ気たっぷりに笑顔で同意を求めると、リオンは吸血鬼の牙を剥きだしにして否定した。ただ、なぜかその牙が今は、チャームポイントの八重歯のようにも見えたが……

 咲耶はテンション上がったのか、一応病床についているはずのリオンにぴょこんと飛び跳ねて抱きついた。

 

「それに、女の子に口をつけて、傷までつけたんやから、責任とってもらわなな♡」

「ふざけるなぁ!」

 

 その姿は最早、最強種の眷属とか、どっか彼方に消え去っていた。

 

 

 かの少年が暁の道を選ぶか、それとも黄昏の道を選ぶかは分からない。

 それでも…………

 

 たとえその道がどちらに向いていたとしても、この娘が、闇と光の狭間で揺れて迷子になっている少年の、歩む道を照らす光となってくれることを、木乃香は願った。

 

 

 

 かくして、リオンにとって関西呪術協会最強の天敵は認識されることとなった。

 

 

 

 

 




2章人物まとめ

ディズ・クロス
スリザリン所属、咲耶と同学年。ダントツで学年トップの成績を誇る優等生。マグルの運営するクロス孤児院出身で純血主義というわけではないが…………“あんやくするやみのむすこ”

ジニー・ウィーズリー
グリフィンドール所属、咲耶の3学年下。“こいするまほうしょうじょ”

シロ
近衛咲耶の忠実なわんこ。愛刀・魁丸と退魔の技で戦う白狼天狗。本人の名乗りはとても長い。“あるじのためならひのなかみずのなか”

高畑・G・タカユキ
関東魔法協会ならびに悠久の風所属。昔リオンと一緒に修行したことのある魔法戦士。“静かなる破砕者”

アルフレヒト・ゲーデル
魔法世界、メガロの魔法博士。科学魔法統合理論応用研究の第一人者。 “気の狂った博士”


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3章
魔法使いとは古典的な生き物のはずです


 日本に麻帆良学園という巨大な学園がある。

 麻帆良市という都市に明治ごろから設立され、幼等部から大学までのあらゆる学術機関を内包した一大学園都市だ。

 

 この麻帆良学園。

 基本的には魔法使いではない一般人 —―英国魔法界の言うところのマグル――が生活している学園なのだが、少々毛色が異なる特徴を有している。

 まずその来歴。この学園は、元々魔法使いたちにより建設されたと言われているのだ。

 世界樹と言われる他に類を見ないほどに巨大で、22年に一度発光するというマグルにとっては謎な現象を起こす大樹があったり、世界中から様々な貴重書を集めた図書館島という謎ダンジョンを有していたり。

 極めつけは、この都市で暮らしていてピンチに陥るとどこからともなく魔法少女や魔法先生、魔法生徒といったとってもマジカルな人たちが助けてくれるという…………

 

 つまりは、この麻帆良学園都市。

 非魔法族と魔法族が共存している都市なのだ。

 

 魔法世界(ムンドゥス・マギクス)とかかわりの深い、関東魔法協会の魔法使いたちが、立派な魔法使いたることを心掛けて、修行や治安維持を行っており、中には世界の紛争地域に赴いて、秘密裏に魔法の力を行使して悲劇のいくらかを回避しようとする魔法使いも在籍している。

 

 同じく日本に存在する関西呪術協会では、関東に比べれば魔法世界との関わりは薄いものの、それでも闇にまぎれる魑魅魍魎を討伐したり、悪霊・怨霊に悩まされている人々を救うために活躍したりと、非魔法族と共生しながら存在している。

 

 その生活様式は、関西ではその総本山が古式ゆかしい神社ということで古めかしい感が遺されているが、一般的には非魔法族のそれと同じで、日本ならではの最新の家電機器も使えば、魔法なしでの家事炊事もこなして当たり前に生活している。

 

 

 一方、イギリス魔法界では、日本の関西がそうであるように、いや、より顕著に旧世界の魔法族とマグルの生活は分かれている。

 国土面積の問題から、多くの都市ではどちらも暮らしているものの、魔法族はマグルから隠れて生活している。

 基本的に魔法族のことは仲間内だけで処理をして、非魔法族の生活には関わらない。

 稀に科学力の恩恵をあずかることもあるが、基本的にマグルの産物を軽視しており、科学力、という点ではマグルよりも1世紀は遅れを取っている。もっとも、魔法を日常生活に使っているため、(彼らにとって)不便はなく、そえゆえに発展していないともいえるが。

 

 彼らの言い分では、「マグルが魔法のことを知れば、なんでも魔法で解決したがるようになるから」、ということでマグルを魔法から切り離しているわけだが、逆に魔法族は一般の非魔法族の生活からは切り離されている部分がある。

 

 例えば、イギリス旧世界の魔法使いは、往々にして一般社会生活においては、マグルの基準に照らすと奇抜な服装や突飛な行動をしている人ばかり。

 

 マグル好きで知られるアーサー・ウィーズリーでさえ、プラグ集めという奇妙すぎる趣味のレベルでしかマグルを理解していないし、手紙の連絡手段はふくろうを飛ばすというなんともアナクロの手法がメイン。電話なんてものはない、というよりもそもそも電気のインフラがない。

 魔法族の中には、マグルの生活にも造詣が深い人物がいるが、それはマグルを助けるためというよりもより上手くマグルの生活に偽装するためという意味合いが強い。

 

 

 何が言いたいかと言うと――――

 イギリス古来の魔法族にとって、最先端科学という言葉は、まったく結びつかないものだということだ。

 

 

 

 第37話 魔法使いとは古典的な生き物のはずです

 

 

 

 “生き残った少年”ハリー・ポッターが13歳の誕生日を迎えた7月最後の日。

 

 ハリーが朝食をとりに2階の自室から1階へと降りていくと、ダーズリー家の3人はすでにキッチンのテーブルに座っていた。

 1歳のころに両親を失い、以来育てられている親戚のダーズリー家。

 母の姉妹であったペチュニアおばさん。がっちり、でっぷりした体格で首が肉で埋もれて、大きな口髭をたくわえているバーノンおじさん。

 そして豚のような5重顎をだぼつかせて、山ほどの朝食をかっくらっているいとこのダドリー。

 

 ハリーを普通ではないと毛嫌いするマグルの一家だ。

 もっとも、彼らが普通の一般的なマグルかというと、バーノンおじさんが穴あけドリルの製造会社の社長であることや、ダドリーが名門“スメルティングズ男子校”の不良生徒で一ケタの計算ができないくらい成績が悪いとか、あまり一般的とはいいがたいものではあるが。

 

 

 今日がハリーの誕生日ということも覚えていないだろうダドリーとバーノンおじさんの間に座り、ちらりとテレビに視線を向けた。

 

 テレビの中では、空へと延びる……というよりも先頭が見えない建物が映し出されており、“軌道エレベーター、来春民間開放!?”というテロップがでかでかと映っていた。

 

<――――ISSDAを中心に世界各国の協力のもと建築された軌道エレベーターが、来年春、民間開放されるという発表がありました。技術的困難さから理論のみが先行し、夢の技術と持て囃されていたこの軌道エレベーターの建築により、各国に多大な経済的利益と宇宙開発の飛躍的推進という大きな影響をもたらしました。ISSDA設立以前の予想を遥かに上回った建築速度には、まさしく魔法の技術が使われていたと言われるほどで――>

 

「何が魔法だっ!! 連中にそんな脳みそがあるものか!」

 

 アナウンサーの言葉の中にこの家での禁止ワード――魔法――というのが含まれていたため、バーノンおじさんが不愉快そうにテレビに文句を言った。

 

 あいかわらず“普通ではない”ことに対してアレルギーのように癇癪を起すバーノンおじさんだが、実は基本的に最近は機嫌がいいことが多い。

 なんでも、この“なんとかエレベーター”と宇宙開発がらみで工業が発展してドリルの大口受注が増えているのだ。

 最近は業績上がりで、よくわかっていなさそうなのに「宇宙特需さまさまだ!」とかいうのを昨晩、ペチュニアおばさんに機嫌良さそうに話していた。

 

<――――民間開放には各国とも慎重な姿勢を示していましたが、建築に中心的役割を果たした同機構のネギ・スプリングフィールド氏の強い意向も反映されての決断となったようです。同氏の発表時の会見の様子をお送りします――――――>

 

 テレビをちらりと見ると、丁度場所が切り替わり、その“何とかさん”の会見の場面になったところのようで――――ちらりと見た瞬間ハリーの心臓がどきりと跳ねた。

 

<この軌道エレベーターは多くの人の協力なしには到底為し得なかった大きな成果です。その上で、今後ブルーマーズ計画、テラフォーミング事業を推進していくためにも、これまで以上に民間との協力が必要と判断し、民間開放を推進してもらいました。まだ早いという声も勿論多くありますが――――>

 

 危うく「スプリングフィールド先生!!?」と叫びだしそうになるほどに、テレビに映っている赤毛の男性は、学校の ――バーノンおじさんの言うところの普通ではない―― 魔法先生とそっくりだったのだ。

 

 親友のロンよりも落ち着いた赤毛。10人女性が居れば9人は視線が釘づけになりそうなほどに整った容姿。(もっとも、豚のようなダドリーを溺愛するバーノンおじさんやペチュニアおばさんに言わせれば、やせっぽっちの不出来なマッチ棒とでも言われそうだ)

 

「まともな人間のまっとうな発展というのはこういうものを言うのではあるのだろうな」

 

 ハリーがまじまじとテレビを凝視していることにも気付かず、おじさんは自分の会社の売り上げに大きな貢献をもたらした赤毛の男性を満足そうに頷きながら見ている。

 

<ネギ・スプリングフィールド氏は、ISSDAを通じて各国の首脳にも強く働きかけており、今年の夏前にはスプリングフィールド氏とともにISSDA設立に携わったフェイト・アーウェルンクス氏が、宇宙開発推進に関わる調整のためにイギリスを訪問するなどの活動が見られています>

 

「ぶっ!!!」

 

 今度こそハリーは噴き出してしまった。

 バーノンおじさんがぎろりと睨んできていたが、ハリーの視線はテレビの方に釘づけだった。

 再び切り替わった映像には、学校の先生に似過ぎな男性が、本人は絶対にしなさそうな笑顔を浮かべており、ほんの夏休み前に見た覚えのある冷たい印象の白髪の男性と映っていた。

 

 もはや何が何だか分からない。

 

 夏休みに入って、魔法を毛嫌いするこのダーズリー家に戻ってきてからというもの、ハリーにとって魔法世界との関わりといえば、こっそり行っている夏休みの宿題と時折ペットのフクロウ、ヘドウィッグが届けてくれる友人たちからの手紙くらいだ。

 ここでは写真の中の人が動き回る新聞も、話しかけてくる絵も、通り抜けると凍えるような冷たさを感じるゴーストも、魔法の破裂音もしない。

 だから、こんなちょっとしたニュースに魔法の世界との、ありもしない繋がりを想像してしまうのだろうか。

 

 どうせ想像するなら、ロンやハーマイオニー、サクヤのような友人たちとの繋がりを意識できるものにしてもらいたい。

 

 悪魔も逃げ出すほどにおっかない雰囲気の、“あの”スプリングフィールド先生が人好きのしそうな笑みを振りまいてテレビで会見していたり、魔法使いが魔法嫌いのバーノンおじさんの仕事に利益をもたらすような普通の仕事をしていたり、まして最先端科学を駆使して宇宙開発に勤しんでいるなんて、どう考えても質の悪い冗談だ。

 

 ハリーの友人のウィーズリー家の人なんかは電話の使い方も知らないくらいだし、おそらく大部分の魔法使いは魔法もなしに鉄の箱が空に昇るなんて信じちゃいないだろう。

 ダンブルドアがあの老魔法使い然とした格好でロンドンの地下鉄を使っていたり、八グリッドが自動車に身をかがめて乗り込んで運転していたりするのを想像する以上に違和感だらけだ。

 

 あるわけないあるわけないと、ハリーは頭を振って先ほどのニュースを忘れて、朝食へととりかかった。

 

<続いてはイギリス国内のニュースです。凶悪な死刑囚、シリウス・ブラックが脱獄して――――>

 

 

 本日もプリベッド通り四番地のダーズリー家は、ほんのちょっぴり普通ではない一日を過ごしていました。

 

 

 

 ちなみにこの後、13歳最初の1週間、大嫌いな伯母がダーズリー家に滞在し、その最終日にハリーは伯母さんを風船みたいに膨らませた挙句、家出するという、とっても普通ではない行動をとることになる。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 長い夏の一日を、ハリーはダイアゴン横丁のフローリアン・フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーのテラスで優雅に過ごしていた。

 

 二週間ほど前に、ダーズリー家を家出したハリーはナイトバスという魔法使い用のバスを利用してダイアゴン横丁へとやって来ていた。

 両親を侮辱されたからという理由ではあるが、未成年の魔法使いがマグルに対して魔法を不正に使用してしまった事から(しかも昨年、冤罪ではあるが一度警告文を受けている)、ホグワーツ退学の処分の危機に陥ったと考えたハリー。

 当初は単にグリンゴッツ銀行でまずはこれからの資金を引き出そうと考えていたのだが、入口である漏れ鍋に到着したハリーは、意外なことにイギリス魔法省魔法大臣であるコーネリウス・ファッジと出会うこととなった。

 

 なぜファッジが一学生の魔法不正使用のために出張ってきたのかはハリーには分からなかったが、どうやらファッジはハリーを探していたらしく、ハリーにとっては幸いなことに彼にお咎めなしの免罪を告げに来てくれたのだ。

 しかも漏れ鍋の一室をハリーにあてがい、夏休みの残りをダーズリー家の虐待の生活から解放してくれたのだ。

 活動範囲をダイアゴン横丁と活動時間を夕方までに限定されはしたが、今まで魔法無しの軟禁生活にも等しい生活を送っていたハリーにとって、ダイアゴン横丁での生活は快適自由そのもので、学期が始まるまでここから出て行こうなどという気は到底起きなかった。

 

 ダイアゴン横丁をぶらぶらしていて店を覗いて回っても楽しいし、カフェではいろんな魔法使いが魔法世界の話をしているし、パーラーの店主は時々宿題を手伝ってくれたり、サンデーを振舞ってくれたりとサービス尽くしだった。

 

 今日もハリーはテラスでのんびりと通りを行き交う人たちを見ていると、聞いたことのある声で話しかけられた。

 

「あれ? ポッターじゃん」

 

 自分の名前を呼ばれて、そちらに振り向くとそこにはハリーと同じ学校の、つまりはホグワーツの見知った生徒がいた。

 しかもそれは幾度かクィディッチで対戦したこともあるハッフルパフの金髪の女生徒、サクヤの友人のリーシャ・グレイス。

 そしてその周りには咲耶の近くでよく見た女生徒や男子生徒がいた。

 

「やぁ、ハリー」

「リーシャ、セドリック。どうしたのみんなそろって? 買い物?」

 

 その中の一人、セドリック・ディゴリーは中でもハリーのポジションと同じシーカーで、背が高くハンサムで、おまけにとっても優秀な生徒だというのを聞いた気がする。

 他寮の上級生とはそれほど親しいわけではないが、クディッチの試合で何度も会っているし、明るいリーシャや穏やかなセドリックはハリーにも比較的話しやすい相手だ。

 

「ああ。今日サクヤが来るから、ここで待ち合わせてんの」

「サクヤが? え、でもまだ学校まで1週間もあるのに?」

 

 リーシャが待ち合わせ場所らしいパーラーのテラスを親指で指して言ったことに、ハリーは意外そうに尋ねた。

 ハリーやリーシャなどならともかく、サクヤはニホンからの留学生だ。

 滞在費用などを考えると、前日か数日前くらいに来るものと思っていたのだ。学期1週間前はどう考えても早すぎる。

 

「ホームステイするんだよ。去年はウチで今年は」

「私の家」

 

 それに対してリーシャは去年、そして今年の、ハリーの知らなかった咲耶の夏休みの過ごし方を告げた。リーシャの影から聞こえてきた声に視線を向けると、半眼の状態の小さな女の子、クラリス・オーウェンがひっそりと自己主張していた。

 クラリスはハリーよりも2歳年上にもかかわらず、幼く見える咲耶(出会った当初もそうだし、夏前の時点でも幼く見えた)よりもさらに小柄で今年からの新入生と言われても通じそうな子だ。

 

「そ、しかも今年に限って急にみんなもご招待って、このやろー」

「…………」

 

 なんだか友人同士、いろいろとあるのかリーシャはぐりぐりとクラリスのほっぺたを弄っており、クラリスは鬱陶しそうに眉根を寄せている。

 もっともどちらもその程度のじゃれあいは日常茶飯事っぽいやりとりで他のみんなも微笑んでいるが。

 

「ハリー君は今日買い物?」

「あー……まあね」

 

 二人がじゃれ合いをしている横から、別の女の子が尋ねてきた。こちらはスタイルの良すぎるリーシャや、小柄すぎるクラリスとは異なり極めて平均っぽい子で、フィリス・レメイン。この3人と咲耶とが、ハッフルパフの同じルームメイトなのだそうだ。

 フィリスの質問にハリーは曖昧に答えざるを得なかった。

 伯母さんを風船にして家出してきた、なんてことはできれば吹聴したくはない。

 

 ただ、彼女たちの待ち合わせ場所がここである以上、ハリーがここに居れば話は続けられ、いずれはその話はしなければならなくなりそうだ。

 どうするべきかと思案していると不意にクラリスが顔を背けて通りを見た。

 

「やっほー、みんな! おまたせ~……あや? ハリー君もおる?」

「サクヤ!」

 

 クラリスが真っ先に駆け寄り、サクヤの手を握った。

 咲耶も両手でぎゅっと握り返してなにやらぶんぶんと両腕を振ってじゃれあい、リーシャやフィリスも順々に咲耶もみくちゃにして挨拶を交わしている。

 

 

 ハリーもサクヤの手を握りたい衝動に駆られたが、彼女の同寮の友人たちが囲んでいるし、隣に立っている男の人は、サクヤの保護者か護衛といった風に見えて、近寄るのを躊躇わせた。

 

「高畑さんはハリー君初めてやったよな」

「ああ。彼がハリー君かい?」

 

 セドリックたちからも一歩離れた位置に立っているハリーに気づいたサクヤが保護者風の男性を振り返ってハリーを紹介した。

 

「あ、あの。初めまして」

「よろしく。タカユキ・G・タカハタだ」

 

 いきなり注意がこちらに向いて、ハリーは少しどもったがぺこっと頭を下げた。

 男性――タカユキはにこっとハリーに微笑みかけた。

 

「ハリー君はこれから買い物?」

「あ――、ううん。僕、もう買い物は済ませちゃったんだ」

「ありゃ、そうなんか」

 

 初顔合わせを終わらせたとみて、咲耶はぴょこんとハリーに近づき尋ねた。

 

 この流れならまた一緒に買い物できる――と思ったハリーだが、よく考えなくても自分の分の買い物はもうすでに終わらせてしまっていることに気がついて、少し眉を曇らせながら答えた。

 咲耶はハリーの反応に残念に思っているのかどうか微妙な気楽さで応えている。

 

「サクヤも来たし、後はリオールか」

「どこに居るのかしら」

 

 待ち合わせの中で、おそらく一番遠くから来たであろう咲耶が来て、今回のメンバーの中ではあと一人。リーシャがきょろきょろとすると、フィリスも通りを探すように視線を向けた。

 

「リオールって誰だい、サクヤ?」

「え? あ、えーっと」

 

 ハリーが聞き覚えのない人の名前を咲耶に尋ねると、咲耶は途端にびくっと挙動不審となり言いよどんだ。

 

「同じ決闘クラブの上級生だよ」

「一回も参加してないけどな」

 

 嘘とごまかしができそうになり咲耶の様子に、セドリックが素早く説明を加えたが、その横からはルークが皮肉っぽい笑い顔で付け足した。

 

 率直なルークの意見にセドリックが咄嗟に言葉を返せず、サクヤも目を泳がせた。

 

 

 今回の咲耶のホームステイ。

 色々騒動の多かった前学期の最後にその話し合いをしたのだが、去年と同じく自分の家に誘うつもりだったリーシャの予想に反して「今年は私のとこ」と言葉少なにクラリスが全員を招待したのだ。

 クラリスの家の事情を知るフィリスやリーシャたちはぎょっと驚いたが、咲耶は喜んでホームステイに応じた。

 ただその際、話を聞いていたルークが「俺らも行っていい?」とにこにこ顔で尋ねてきたことからさらに人数が増えることになった。

 

 夏休み開始前の時点でフィリスとリーシャとルークとセドリック。さらには夏休み中に連絡をとっていると、咲耶から「リオール君もいい?」というお願いがきたことでさらに一名追加。

 例年ならば家族でのバカンスに行く予定だったフィリスも今年は留学生のホームステイにつきあいたいと言ったところ、バカンスの日程を早目にずらして日程調整してくれたのだ。

 こんなにたくさん大丈夫かという疑問もあったが、クラリス曰く「大丈夫」とのこと。

 

 

 

 ということで現在、一体どこから来るのか分からないリオールを待っている状況なのだが……

 

 

「こんにちはミスター・タカハタ」

 

 どこから買い物を始めようかと話していた咲耶たち。そこに厳格そうな男性の声がかけられた。

 

「おや? ミスター・クラウチ。このようなところでどうされたのですか? たしか会議の日程は午後からだったと思うのですが」

 

 振り返って男性を見たタカユキがちょっと意外そうな顔になって尋ねた。

 

 咲耶も同じく男性を見た。

 短い銀髪をきっちりと整え、口髭も定規で揃えたようにきちっと刈り込まれている男性。非魔法使いの服装のタカユキと比べても、それよりもきちっと着込んでいるスーツ姿。

 その後ろには黒いローブを纏った魔法使い然とした男性が二人。

 一人は長身の黒人で、片耳には金のイヤリングをしており、もう一人は白髪混じりの短髪の魔法使い。

 咲耶は誰と問うように小首を傾げた。

 

「バーテミウス・クラウチさん。魔法省の国際魔法協力部部長だよ」

 

 疑問符を浮かべている咲耶に驚きつつもセドリックが答えた。

 

「まほーしょう、ってこっちの魔法使いのお偉いさんやな?」

「ええ。でもなんでこんなとこに……?」

 

 咲耶の確認にフィリスが頷きを返したが、彼女も役人のいきなりの登場に面食らっているような顔だ。

 

 そんな子供たちの疑問はおいておいて、タカユキは表面上にこやかにクラウチと話している。

 

「会議の時間に変更はありません。しかし――」

 

 クラウチはちらり、と咲耶を、そしてハリーを見た。

 厳格そうに寄せられた眉根がさらに1,2本皺を刻んだように見えた。

 

「現在、イギリス国内は警戒態勢を敷いているということは、カンサイ呪術協会にもお伝えしたかと思います」

「ええ。それは長から聞いております」

 

 少しせかせかとしたように話すクラウチに、タカユキは穏やかそうな顔で受け答えしている。

 現在、イギリス魔法界はマグルにまで情報拡大して、とある脱獄囚の捜索を行っているのだ。

 

 過去脱獄を許したことのないイギリス魔法界最悪の監獄“アズカバン”。

 そこから脱獄した、死喰い人、“シリウス・ブラック”が現在、イギリス魔法界を揺らしているのだ。

 ハリーが未成年魔法使いの制限に関する法令を破ったことをスルーされたのも実はここが関係していたりするのだが……

 

「我々は会議に先立ち、貴方と、そして留学生の彼女の安全確保のための護衛の派遣を手配しました」

 

 どうやらハリーを探していたファッジとは異なり、今回は、クラウチが探していたのはタカユキと咲耶らしい。

 護衛、という言葉に咲耶は驚き、タカユキはぴくりと反応して目を細めた。

 

「彼女が行くのは友人の家ですよ」

 

 タカユキの声は先程までよりも幾分声が固くなっていた。

 

 たしかに、“闇の魔法使い”シリウス・ブラックの脱走とそれによる厳戒態勢の現状は関西呪術協会を通してタカユキにも知らされている。

 だが、咲耶に関しては友人のところに泊まりに行くというほぼ私的な理由なのだ。

 そこに魔法省から護衛がつくというのはおかしな話であり、咲耶にしてみれば変に圧迫感を感じるものだろう。

 

 タカユキの言葉にクラウチはちらりと咲耶の、その横にいるクラリスを見た。

 

 クラウチからの視線を受けたクラリスは顔を険しくし、ぎゅっと咲耶の腕を握った。

 

「……オーウェン家の子か。彼女の家に行かれるのですかな?」

「はい」

 

 クラウチは厳格そうな顔でじとりとクラリスを見てから咲耶に尋ねた。

 自分の腕を掴むクラリスの手が微かに震えているように感じて、それを握り返しながら咲耶は頷いた。

 クラリスは握り返された咲耶から力を貰ったかのようにキッとクラウチを真っ直ぐに見上げ、クラウチは僅かの間クラリスと睨みあうかのように視線を交わし、一瞬、目を伏せた。

 

「たしかに、オーウェン家は優秀な闇払いを輩出したこともある家ではある、が現在の彼女のご両親の状態を鑑みるに、警護体制が充分であるとは、思えておりません」

 

 クラウチの言葉に、クラリスはぐっと何かを堪えるように口元を固く結び、リーシャが何か言いたそうに一歩前に出ようとしてフィリスに腕を引かれた。

 

「それに時間的にももうミスター・タカユキは我々とともに来る頃合いでしょう。彼らは優秀な闇払いです。ご心配はありません」

 

 

 タカユキはちらりと咲耶に視線を向けた。

 

 たしかに、時間的にはそろそろ咲耶と分かれて会議に向かわなければならない頃合いだ。だが、はいそうですかと、大人しく彼女を渡すのには躊躇いがあった。

 

 元々、咲耶の留学に関して、その護衛は関西呪術協会が護衛役を派遣するという条件だったのだ。

 最初とは情勢が変わったといえばそれまでだが、“例の件”が大詰めに近づいた今、このような動きがあったのは、何かの裏を感じずにはいられなかった。

 それが、少しでも関西呪術協会や魔法世界に恩を売るため、というのであれば、まだ可愛いものだが、彼女を盾に、という暴挙に出ないとも限らない。

 タカユキたちが調査を入れた限りにおいて、そう不安視しなければならないほどに、イギリス魔法界は裏の部分が深すぎるのだ。

 

 それに咲耶としても、友人宅に行くのに魔法省からの強面の“監視”つきというのはいい気がしないだろう。

 

 さてどうしたものかと、タカユキはイギリス魔法界の外交の責任者、そしてイギリス魔法界が誇る闇の魔法使いに対するエキスパートたちに視線を戻した。

 

「固っくるしい会議、お疲れなことだなタカユキ」

「! リオ……ぉル君」

 

 返答しようとしたタカユキの、その言葉を遮って声がかけられた。

 タカユキは振り返ってその赤毛の人物を見つけて安堵した。咲耶は咲耶で嬉しそうにぱぁっと顔を華やかせ、リオールへと駆け寄った。

 

「遅かったじゃないか」

「小言ならこっちに来る前にたっぷり受けたからもういらん」

 

 一回りほども年齢が離れていそうなのに、軽口を叩きあうタカユキとリオール。

 外交のために来た日本の魔法協会のエージェントのそんな様子にクラウチは眉をひそめた。

 

「彼は?」

「あー……えっと、リオール……」

 

 クラウチは値踏みするような視線を赤毛の少年へと向け、タカユキはこの姿の時の友人の名前をどう誤魔化そうかとちらりとリオールへと視線を向け

 

「マクダウェルだ」

「リっ!? あ、ははは。彼の両親とはちょっとした友人なんです」

 

 あっさりと言い切ったリオールの“一番言ってはならない名前”にぎょっとしつつも慌てて取り繕った。

 

マクダウェル(・・・・・・)……?」

 

 どうやらそのファミリーネームに聞き覚えがあるのか、クラウチの眉が訝しげに寄せられる。

 

 ――なんでそっちの名前なんだよ。バレたら――

 ――面白そうなことになるだろ?――

 

「ミスター・タカハタ、なにか?」

「ああいえ! なんでも」

 

 こそこそと小声で話しているところに声をかけられて笑顔で誤魔化すタカユキと友人の焦りなどどこ吹く風とばかりのリオール。

 

 クラウチはぎろりとリオールを一睨みしてから話を戻そうとタカユキへと視線を戻した。

 

「そうですか。それで、護衛の件ですが」

「いらん」

 

 一睨みして言外に牽制したにもかかわらず、その話にずかずかと踏み込んできた少年にクラウチはいらいらとしたように睨みつけた。

 

「リオール君」

「鬱陶しいだけだ。断れタカユキ」

 

 この状態でも相変わらずの友人の様子にタカユキは口元をひくつかせて一応声をかけてみるが、返ってきたのはよく見る冷え冷えとした眼差しと言葉だった。

 

 事態の推移にクラウチの脇に控えていた二人の魔法使いが前に進み出ようとした。

 その動きをクラウチは片手を上げて止めて改めてリオールへと向いた。

 

「マクダウェル君と言ったかな。君にとって彼女は単なる学友かもしれんが、我々にとって彼女は賓客に値するのだ。ダンブルドアの庇護下に入る前に騒動に巻き込まれる可能性を考慮すれば――」

「タカユキ」

 

 苛立ちのはいったクラウチの説得を遮ったリオールの声も有無を言わさぬ圧力が込められていた。

 

 闇払いというイギリス魔法族の戦闘部門のエキスパート二人を引き連れた外交部長と、一緒に修行したこともある昔なじみの友人。

 

 どちらの苛立ちの方が怖いかと言えば

 

「ミスター・クラウチ。詠春さんも彼女にはちゃんとした護衛をつけていますし、あまり大事にしては彼女の友人も気をつかってしまいます。申し訳ありませんが護衛は必要ありません」

 

 タカユキにとって考えるまでもないことだった。

 

「しかし、今は時期が時期だ。我々は貴方方が持ち込もうとしている案件がシリウス・ブラックにとっては好ましからざるものと考えています」

 

 断りの言葉を述べてきたタカユキにクラウチは一瞬虚をつかれたようになり、次には柳眉を逆立ててタカユキを睨み付けた。

 

 一方でリオールはもう話は終わったとばかりにとっとと踵を返していた。

 

 タカユキは友人の相変わらずすぎる様子にやれやれと溜息をつきたくなるが、ひとまずやることは変わらなかった。

 

「心配ありませんよ。彼女についているのは、最強の護衛ですから」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幸福なるセカイ

 ずっとずっと、ここに居たいの……

 温かく、優しい揺りかごのようなこの世界に。

 

 外に出たいなんて思ったことはない。

 だって外は怖いから……

 

 外に出れば、待っているのはコワイモノばかりだもの。

 

 暗く闇い恐怖の世界。

 痛いばかりでいろんなものを失っていく世界。

 

 この世界にはなんでもあるの。

 失くした幸せ、永遠に続く幸福。

 

 後悔はなく、恐怖もなく、嫌なモノなんかなにもない…………

 

 

 ここからでたら、きっとどれほど望んでも、もう二度と手に入らない。

 

 

 だから…………

 

 ……そのコワイ手を伸ばさないで。

 

 

 ここにないものなんてなにも――――――

 

 

 

 第38話 幸福なるセカイ

 

 

 

 クラリスの家での生活は日本家屋での近衛家との生活とも、森の妖精の家のようなリーシャの家での生活とも違っていた。

 クラリスの家 ――オーウェン家の屋敷は外観はそれほど“魔法使い”という感じのものではなかった。

 ただしその中身は外観ほど“普通”ではなかった。

 飾られている絵はホグワーツと同じくぺちゃくちゃと会話しているし、居間にある大きな時計には咲耶がよく見かける長針と短針、そして数字盤はなく、代わりに“家”、“学校”、“仕事”、“迷子”、“病院”などがあり、うち一つには“命が危ない”が書いてあった。

 針の数も5本あるが、その内の三本は家、二本は“病院”を指していた。”

 

 クラリスのおじいちゃんとおばあさんが、沢山の孫の友人を温かくもてなしてくれて、咲耶も日本からの行程による疲れをゆっくりとほぐすことができた。

 

 

 そして滞在二日目。

 

 みんなでおばあさんの作ってくれた朝食をいただいた後、クラリスたちはロンドンへとやってきていた。

 ロンドンの駅からでて、眩しい日差しの中を歩き、パージ&ダウズ商会と書かれたみすぼらしい、しょぼくれた雰囲気のデパート前に来ていた。

 

「クラリス。ここ閉まっとるえ?」

 

 デパートのドアには錆びた大きな看板がかかっており、そこには“改装のため閉店中”と書かれていた。

 

「魔法の施設をマグルから隠して建てるのは難しいからね。魔法省とかもロンドンにあるけど、そういった施設はこんな感じで偽装されてるんだよ。ニホンだと違うのかい?」

 

 珍しくクラリスに先導されてやってきた一行。

 咲耶はその目的地と思しきしょんぼりとした建物の姿に首を傾げ、セドリックが説明した。

 

「アメリア・オーウェンとジャック・オーウェンの面会」 

 

 一際くたびれた感のあるマネキンにクラリスが話しかけた。

 するとマネキンはちょいちょいとぎこちない動きで手招きし、咲耶は「ほわ」と呟いた。

 

 

 一行がやってきたのは聖マンゴ魔法疾患障害病院 ――イギリス魔法界が誇る魔法病院だった。

 

 

 

 朝食の後、今日の予定はどうするかという話をした際のことだ。

 新学期に必要な買い物は昨日の内に済ませていたし、たんまりと出された宿題の残りをやっつけてしまおうかという話(主にフィリスからリーシャに向けての命令に近かった)にもなったのだが、意を決したようにクラリスがお願いしてきたのだ。

 

 ―― 一緒に来てほしいとこがある ――

 

 表情こそあまり変わらないように見えたものの、時折垣間見せる強い自己主張を見せていた。

 

 どこか行きたい目的地があるわけでもなし、咲耶はそれに頷きを返し、そろそろヤバいとは分かっていつつもできるだけ宿題を回避したいリーシャもそれに賛同した。

 ただ、その後に告げた行く先にリーシャも、フィリスたちもぎょっとして驚いた。

 

 そして、どうしてクラリスが今年に限って自宅へと咲耶を招いたかも察することができたから。

 

 

 

 

 マネキンに招かれてガラスを突き抜けると、そこは外観とは全く異なり多くの人が居た。

 混み合った受付のようなところで、幾つもの椅子が並んでおり、魔法使いや魔女が座っていた。

 

「ここが魔法の病院?」

「そう」

「さっきのって……クラリスのお母さんとお父さんがここに入院しとるってことなん?」

「…………そう」

 

 咲耶の問いに、クラリスはそちらを向くことなく肯定した。

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

 今から12年前。

 イギリス魔法界を恐怖のどん底に陥れた最悪の魔法使いが一人の赤子によって倒された。

 それによりおよそ15年にも及ぶその魔法使いによる恐怖からイギリス魔法界は解放されることとなった。

 だがそれまでに多くの人が命を落し、悲劇はどこにでもあるありふれたものとして散在した。

 

 かの魔法使いの目的は魔法族の浄化であり、魔法使いだけでなく、非魔法族、マグルにもその被害は広まっていた。

 

 邪悪な魔法使いにつくことを是とせず、逆らうことで殺された者。

 服従の呪いをかけられ意に染まぬ罪を犯し続けた者。

 壮絶なる苦痛の果てに正気を失った者。

 

「私のお母さんとお父さんは闇払いとして働いてた。けど、ある時から魔法省を裏切って、“例のあの人”に情報を流した罪で捕まってアズカバンに送られた」

 

 廊下に掲示された案内板が、“5階:呪文性損傷”を示している方向に歩いて行きながらクラリスは咲耶は、初めて両親についてを咲耶に話していた。

 

 いつもの無表情な顔を、一層人形のように凍てつかせて喋るクラリスに、咲耶は泣きだしたそうな感情が溢れているように見えていた。

 

 アズカバンについての説明は昨年、ハグリッドが連れていかれた時に少しだけ聞いていた。イギリス魔法界における最悪の監獄。

 そこの看守、ディメンターは、生ける者にとっての天敵とも言える存在で、ただそこにあるだけで人の感情、特に幸福を吸い取る闇の生物であり、地上を歩く生物の中で最も忌まわしいとされる生物だ。

 そこに送られるということは単なる死よりも恐ろしい刑罰であると。

 

「オーウェン夫妻はすごく優秀な闇払いで、誰からも尊敬された人たちだったんだ。だからそんな人たちが死喰い人と内通してたことが知られて…………」

 

 クラリスの言葉に息をのんだ咲耶に、セドリックが「父さんから聞いた話だけど」と前置きして補足するように告げた。

 

 イギリス魔法界が産み出した中で、もっとも邪悪とされる闇の魔法使い“名前を言ってはいけない例のあの人”。

 そんな者と戦う闇払いが内通していたとすれば、それは他の魔法使いにとってとてつもなく恐ろしい事態だろう。

 

「でも違ったんだよ。あの頃は、大勢の魔法使いが服従の呪いにかけられてて、オーウェンさんたちもそんな一人だったってことが後で分かったんだ」

 

 服従の呪い。

 許されざる三つの呪いの一つで、他者に強制的な隷属を強いる魔法。

 その呪いのために、暗黒期には疑心暗鬼が広がり、誰が敵で誰が味方かも分からない状態だったそうだ。

 昨日味方だった人が、明日には服従の呪いで敵になっているかもしれない。

 

「“例のあの人”が倒された後、捕まった死喰い人の一人が自供した。お母さんとお父さんを拷問して、弱らせた後、呪いをかけた」

 

 クラリスはぎゅっと拳を握りしめて怒りを吐き出すように言った。

 

 闇の帝王凋落の後、彼に組した魔法使いの中から、何人もの魔法使いが“夢から醒めた”のだそうだ。

 

 ある者は服従の呪いにかけられていたと言い張り、金銭やコネを存分につかって罪を回避した。

 ある者はかつての仲間を売り払ってアズカバン送りにし、見返りに自身がアズカバンに行くことから逃れようとした。

 

 ある意味ではクラリスの両親もその中の一人と言えるのかもしれない。

 捕まった死喰い人の一人による、“懺悔”の告発によって救いだされた。

 

 だが

 

「拷問されて、服従させられて、アズカバンに送られて、戻ってきた時には二人はもう二人じゃなかった」

 

 闇払いには高度な魔法力と優れた精神力が求められる。

 卓越した精神をもってすれば服従の呪いにも抗することができるのだ。だが、優れた精神力だったからこそ、より無残な末路を辿った魔法使いも多い。

 

 拷問により精神を摩耗させられ、その上で長きに渡る服従を強いられ、そして最後には人を廃人へと追いやる監獄へと送られた。

 

 

 

 クラリスに案内されて訪れた病室では、彼女の語った通り、親としてのオーウェン夫妻は存在しなかった。

 

 虚ろに宙を眺める瞳。

 口元はだらしなく緩んでおり、娘が入室したことにも何の反応も示さない

 ただ呼吸する人形のようなヒトが二人、ベッドの上に居るだけだった。

 

 ただ、二人のベッドの周りには、長くここに住んでいる証のようにたくさんの写真やこまめに手入れされていそうな綺麗な花が飾られていた。

 写真には今よりもずっとずっと小さいクラリスと元気なころの夫妻が笑っていたり、最近のクラリスの写真や中にはリーシャやフィリスが写っていたりするものまであった。

 室内は二人がここに入院する経緯に配慮してか、二人きりの部屋を宛がわれていて全員が入ってもゆとりがあるほどだった。

 

 咲耶もぺこりと頭を下げてから入室し、リオールは入って扉の脇に腕組みをしてもたれかかった。 

 

「おかあさん、おとうさん…………友達を、連れてきたよ」

 

 クラリスは、咲耶が見た中でも最も穏やかな笑顔を浮かべて優しい声をかけて、お見舞いに来てくれた友人たちを紹介していった。

 

 咲耶とリオール以外のみんなは、クラリスの両親のことを知っていた様子で、咲耶だけはショックを受けたような顔で二人を見ていた。

 ただ、フィリスとリーシャも知ってはいても、来たのは初めてらしくクラリスが紹介するのに合わせて反応のくることのない自己紹介をしていた。

 

 

 

「精神崩壊か…………それで、咲耶を連れてきた理由はお友達の紹介とやらだけじゃないんだろ」

 

 一通り咲耶たちの紹介が終わったのち、リオールは自分の名前を告げる代わりにベッドの上の二人をちらりと視てから皮肉気にクラリスに言った。

 

 リオールの指摘に、クラリスはビクッと身を震わせた。

 指摘されることを覚悟していたのだろう。だが、それがリオールからの指摘であったことにリーシャもフィリスも顔を顰めた。

 

 身を震わせたクラリスは、ぎゅっと瞳を閉じ、それから咲耶へと振り向いた。

 

 ここに連れてきたのは、たしかに両親に友達を合わせたかったからではある。

 だが、それを決断した最大の要因は、やはり咲耶なのだ。

 正確には――――彼女の力。

 

「サクヤ…………サクヤは仮死状態だった子を治せた。その魔法で、二人を治してほしい……」

 

 ダンブルドアですら易々とはいかなかった仮死の解呪。それを欲したのだ。

 だが、それは同時に頼むべきでないのではないことかとも思っていた。

 

 本来英国旧来の魔法族は魔法世界側の魔法使いの介入を是とは思っていないのだ。魔法学校の事例に限っては、ようやく一部その介入を認めつつあるものの、魔法界全体で受け入れるには至っていない。

 魔法世界の魔法が一概にこちらの世界の魔法よりも優れているわけではないが、系統が違うからこそ、こちらの魔法でできなかったことが、魔法世界の魔法では叶うこともあるだろう。

 そしてこの病院には、もしかしたらその恩恵によって救われる人がたくさんいるのかもしれないのだ。

 

 魔法界同士の関係やバランス、それらを無視してただ仲がよいからという理由だけで友達に頼むのは、友情を利用しているように感じたのだろう。

 

「大したもんだな。このごたついた情勢の中で、お友達を利用するためだけに引っ張り出すとは」

 

 揺れる様に願いを口にしたクラリスに対し、咲耶は頷きを返そうとしたが、それを遮ってリオールが鼻で笑うようにして言った。

 現在イギリスはシリウス・ブラックの脱獄で厳戒態勢を敷かれている。

 それは昨日のやりとりを見ても分かっていた事だろうに。そしてなるべく異なる系統の魔法を主張させたくないと思っている保護者が居ることも先学期のやりとりから知っていたはずなのに。

 

「そんな言い方ないだろ!! クラリスだって、できれば自分で」

「リーシャ。いい」

 

 それでも望んでしまったことを、口にしたクラリスに対して小馬鹿にした態度のリオールにリーシャがカッとなって睨み据えた。

 掴みかからんとばかりに詰め寄ろうとしたリーシャだが、その行動はクラリスによって止めさせられた。

 クラリスは、気持ちの整理をつけるように一拍、息を吐き、リオールを、そして咲耶に視線を向けた。

 

「サクヤを利用しようとしたことは否定しない。それでも……」

 

「ええよ、クラリス」

 

 毅然と告げようとして、段々と揺れてしまうクラリスの言葉に、咲耶は柔らかな笑みを浮かべて優しげに答えた。

 

「人を助けられる魔法使いにウチはなりたいんやから。それに大事な友達のお母さんとお父さんやもん」

 

 どれだけのことが今の自分にできるかは分からない。

 精神疾患の治癒なんて今までやったことはない。けれども悲しい思いをして、困っている人の、友達の頼みなのだ。

 そのために力を尽くすことこそが、咲耶にとっての魔法なのだ。

 

 

 

 壁にもたれ掛っていた“リオール”は咲耶の言葉に顔を顰めて「ちっ」と舌を打った。

 

 ――人を助けるんがウチのお仕事やからな。それにリオン君はエヴァちゃんの大切な息子やもん。助けるよ――

 

 血は争えないというものなのか、いつか見たあの人と同じように優しい顔で、困っている人を助けようとする少女。

 

 それに…………

 

 

 ベッドの上の生ける屍二人をちらりと見やったリオールは溜息をついて壁から背を話して歩を進め、ベッドの脇に行こうとしていた咲耶の肩を掴んで押し留めた。

 

「やめとけ。精神干渉は治癒魔法の中でも系統が違う。今のおまえには無理だ」

「リ、…………」

 

 まずは容体を確認するために近寄ろうとしていた咲耶と位置を入れ替えるように前に出たリオールに、咲耶が何かを言いそうになり、その顔を見て止めた。

 

「やってみなきゃわかんないだろ」

「あーそーだな。やってみなきゃ、分からん」

 

 咲耶のことを否定したリオールにリーシャが不満を露わにして睨み付けた。

 ベッドに近づいたリオールはすっと左手を伸ばしてオーウェン夫人の側頭部をぐいと掴み、親指で瞼が閉じないように押し開けた。

 

「リオール?」

 

 苛立つ理由は分かっている。

 

 咲耶の周りをちょろちょろとうろついていたから眼にはついていた。

 

 親を救うために、活かすために懸命に足掻く子。

 その姿が、彼を苛立たせるのだ。

 

 

 絶対に自分とは違う足掻き方。

 

 終わらすための(・・・・・・・)足掻きを続ける彼だからこそ、あの小さく無力な魔法使いが苛立たしいのだ。

 

「ギリギリか……」

 

 赤毛の少年はぽつりと小声を漏らした。

 

 未だ空には太陽が昇っている時間帯だ。

 月はまだその姿を見せていないが、昇はずの月は上弦を越え、完全に満ちるまでには数日の猶予が残っている。

 

 人ならざる身の、人ではない部分の力がぎりぎり勝る日。

 

 魔力の込められたリオールの碧眼が、オーウェン夫人の、クラリスと同じ青の瞳と交わり捉えた。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

 暖かな暖炉の温もりで満たされた、靄のかかったような世界に彼女はいた。

 ふかふかのソファに身をうずめ、甘えるように夫の腕の中に抱きすくめられていた。二人の間には小さく幼いいとし子が楽しそうに自分に話しかけてくれている。

 

 

 ふと――――どこかで誰かが泣き声が聞こえた気がした。

 ずっとずっと昔に、どこかで聞いた声の気がした。

 

 ――どうしたんだい?――

 

 永久に寄り添うことを誓った愛しい人が、愛しい笑みを浮かべていた。

 

「ううん。なんでもないわ」

 

 そう、ただの気の所為だ。

 愛すべき夫が隣に、愛する娘がこの腕の中にいる。

 

 何も怖いものなどない、満たされたこの世界で泣くことなどあるのだろうか。

 

「そう。気の所為さ」

 

 ナニカの――――声が聞こえた気がした。

 

「ナニカとは失礼だな。貴様の大っ嫌いなコワイものだよ」

 

 

 気にしてはいけないもののような気がする。

 

 その声は、この優しい世界に似合わない強く、恐い声だった。

 

 気にしてはいけない。気にして、振り返ってしまえば、もうここには戻れない。

 そんな気がするのだ…………

 

「その通り。その手に抱いてる人形だけを大事にして、他のことなど忘れて、この世界で楽しく過ごしていくのも悪くはないさ」

 

 忘れて?

 

 何を忘れているというのだろう。

 大切な娘がいて、大切な夫がいて…………

 

「誰も責めはしないさ。傷ついて壊れた哀れな貴様にはみんなが同情している」

 

 みんな?

 傷ついて、壊れて……そんなになるまで何をしたのだったか……

 

 ――おかあさん?――

 

「あっ。ごめんなさい、クラリス。なんの話だったかしら? えーっと……」

 

 ――学校の話――

 

「そうだったわね。本当にあなたは、本が好きだものね」

 

 そうだ、学校の話をしていたのだ。

 娘のクラリスの行く予定の学校。自分が彼と出会ったホグワーツ魔法魔術学校。

 

 今はまだ自分が手を引いて歩く幼い娘も、いずれは大きくなって、自分の手を離れて学び舎へと行くのだ。

 

 ――うん。いっぱいいっぱい勉強して、お母さんたちみたいな魔法使いになる――

 

「ふふふ。でも楽しいことは勉強だけじゃないのよ。たくさんの友達と仲良くなって、恋をして……ああ。あなたは少し人見知りだから、ちゃんと仲良くなれるか心配よ?」

 

 たくさんの人と出会った。

 たくさんの友と仲間と出会った。

 

 良い人もいたし、仲の悪い人もいたし…………

 

 ――大丈夫。ちゃんとできた――

 

「え……?」

 

 ――バカっぽいけどいつも明るさをくれるリーシャと、口うるさいけど世話焼きのフィー ――

 

 いつの間に、そんなに大きくなっていたのだろう。

 まだ手を引いて歩くくらいの子供だったのに、なのに……

 

 ――それからサクヤ。すごく……すごく優しい子――

 

 いつの間に、こんな顔をするようになったのだろう。

 いつの間に、こんな顔をさせてしまうようになっていたのだろう。

 誇らしげで、けれど伝えきれない思いが悲しみになって、今にも泣き出しそうな顔。

 

 ――まだ好きな人はいないけど、多くはないけど、他にも友達はできた――

 

「ん? よせよせ、そっちに戻ってもいいことはないぞ」

 

 いいことはない?

 そうなのかもしれない。多分、起きてしまえば、もうここには戻ってこれないだろう。

 戻ってくるときは、多分今以上に傷だらけになって、沢山の痛みと悲しみを“また”あの子に押し付けてしまうことになる。

 

 けれども……

 

 ――ちゃんと紹介したい。お母さんに、私の友達だって、見せたいよ――

 

 ずっとずっとここに居たい。その思いなんかよりも、あの子の所に行きたい。

 泣いてるあの子の所に行って、あの子の話をたくさん聞いてあげたい。

 

 大きくなったあの子の姿を、あの子が自慢する友達をこの目で見たい。

 

 ――なんだ。ちゃんと選べるじゃないか――

 

 全てが満たされた揺りかごの世界が薄れ、消え行こうとする中、最後にちらりとコワイことを教えてくれたモノを見ようとちらりと振り返ると、そこには金髪の見たこともない魔法使いがめんどくさそうにため息をついていた…………

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

「何やったんですか?」

 

 セドリックは見ている光景に唖然としながら赤毛の人物に問いかけた。

 

 病室の真ん中では、一人の少女が泣きじゃくっていた。

 何年も、もうずっと反応することも動くこともなかった母と父が、ぎこちないながらも動いて、自分に触ってくれた。

 触れられて、びっくりした顔をしているクラリスに、「どうしたの?」と掠れた声で尋ねてきた母に、クラリスは泣き崩れるようにして抱き付いている。

 

 息をする人形のようだったクラリスの両親が、まだ十分に元気とはいいがたいものの、ちゃんと娘を認識して、意識を取り戻したのだ。

 リーシャやフィリス、咲耶は、普段見たことのないクラリスの泣きじゃくる姿に驚き、そして家族の光景を微笑み見守っていた。

 

「さあな。寝てるよりも大事なものがあることにでも気がついたんだろ」

 

 10秒ずつくらい二人と視線を合わせた後、あとは知らんとばかりにベッドから離れたリオールは、親子の再会には興味がないかのように、くぁぁと大きな欠伸をしていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アズカバンより

 咲耶たちのオーウェン家滞在は、どたばたの内にあっという間に過ぎ去った。

 

 クラリスに連れられてお見舞いに訪れた病院で、長年植物人間状態だった両親が“奇跡的に”意識を取り戻してからは大騒ぎだった。

 

 クラリスは両親に寄り添って泣きじゃくり、そのうちやってきた様子を見に来た癒者が意識を取り戻しているオーウェン夫妻を発見。なんだか沢山の癒者がやってきたり、家に連絡がいってクラリスの祖父母が飛んできたり。

 

 結局、意識は取り戻してもまだ十分には動き回れるほどに意識も体も回復していないということでしばらくは入院継続となった。

 

 ただ、クラリスが両親から離れることができず、咲耶たちは招待者不在でオーウェン家に滞在することとなった。

 どたばた状態だったため、クラリスのことも考えてリーシャの家か、あるいはセドリックの家にお邪魔するという案もでたのだが、夫妻の回復に歓喜した祖父母の熱烈な歓迎を拒むことはできずにそのまま滞在することとなった。

 

 3日目のお昼頃には一度クラリスが病院から戻っては来たが、毎日のように病院をお見舞いに行くことになり、咲耶たちもその付き添いでロンドンまでやってきて、家族水入らずを邪魔するのも憚れるということで市内観光をすることとなった。

 

 4日目くらいには、魔法省の人たちが病院に来たらしく、そちらはそちらで色々と話があったらしい。

 ついでに市内に繰り出していた咲耶たちは“偶然”にもタカユキと出くわしたりもした。タカユキはなんだか疲れた笑顔を浮かべてリオールを連れ出して、咲耶たちには聞こえないところで何か熱心に話し込んでいたりもした。(もっともリオールはめんどくさそうに適当に聞き流しているそぶりだったが……)

 

 5日目には咲耶たちは再び夫妻のお見舞いに病院を訪れた。

 その時には二人の意識の混濁はもうかなり回復していたように見えたが、体力的にはまだ十分ではないらしく、ベッドの上に起き上がっての対面となり咲耶やリーシャ、フィリスたちは反応の返ってくる紹介をされた。

 

 どうやらクラリスが寡黙なのは父親似らしく、オーウェン夫人はどちらかというと咲耶のようなほわほわと柔らかな感じの笑みをたたえた人で、フィリスがそのことでクラリスをからかってじゃれ合いを見せたりしていた。

 

 そして、クラリス以外にはもっとも大変だったのはある意味6日目だったかもしれない。

 なんだかんだで全員の頭から吹っ飛んでいた宿題という言葉を、翌日の出発準備をしていた朝に思い出し、クラリスの祖父母まで巻き込んで全員でやっつける羽目になったのだ。

 

 

 怒涛のごとくに過ぎ去った8月最後の1週間があけて、いよいよ9月1日。

 咲耶たちはホグワーツ5年生としての学期を迎えた。

 

 

 

 第39話 アズカバンより

 

 

 

 見送りの家族、おどおどとした感じの新入生、慣れた感じの上級生。いろんな魔法使いで溢れかえるキングスクロス駅9と3/4番線のプラットホームにて、一同はカートを押していた。

 

「クラリス。ご両親とはたくさん話せたの?」

「いろいろ。来月には退院できるから、クリスマスはみんなを家でもてなしたいって言ってた」

 

 フィリスの質問に答えるクラリスは、少し恥ずかしそうに、それでも先学期よりもほんのりと表情を明るくしていた。

 

 さすがにオーウェン夫妻の退院はクラリスの新学期出発には間に合わず、駅には祖父母に送ってきてもらうこととなった。

 祖父母は見送りの後、夫妻のお見舞いに顔を出すらしく、すでにプラットホームからは去っているが、別れ際にクラリスの友人たちに深く感謝の言葉を述べていた。そして今回は十分なもてなしができなかったけど、是非また来てほしいとも。

 

「今度は宿題のないときにのんびりしたいな」

 

 はにかむクラリスの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でながらリーシャがにかっと笑って言った。

 いつもだったら不機嫌そうに見返してきたクラリスも、この日ばかりはなんだか恥ずかしそうに微笑んでこくりと頷いている。

 

「あんたが早めに片付けないから昨日はあんなことになったんでしょうが。まったくおじさんとおばあさんにまで迷惑をかけて」

「よし。それじゃ、コンパートメント探すか!」

 

 ツッコミ力が衰えているクラリスの代わりに、呆れ交じりに(それでもクラリスには微笑みを向けているが)リーシャにツッコミを入れたのはフィリスで、リーシャは誤魔化すように「レッツゴー」と元気よく前を向いた。

 咲耶やルークたちもあははと笑って、以前よりも明るくなって見えるやりとりを眺めた。

 セドリックもくすりと笑ってリーシャたちのやり取りを眺めていたが、ふと確認するように視線を巡らせてから、フィリスに向いた。

 

「フィリス。そろそろ僕らはあっちの方にいかないといけないんじゃないかい?」

 

 セドリックの言葉にリーシャに説教かまそうとしていたフィリスがあっ! とした表情になり、咲耶は小首を傾げた。

 

「セドリック君とフィー、なんかあるん?」

「あっ。ごめんなさい。私とセドリックは監督生車両の方に行かないといけないの」

 

 尋ねてきた咲耶や友人たちに告げた。

 

 ホグワーツでは5年生から各寮男女1名ずつ、監督生が任命されることになるのだ。

 選考基準はいろいろとあるらしいが、今年のハッフルパフの監督生にはセドリックとフィリスが選ばれ、今、服の胸元には監督生バッチと呼ばれるPの刻印の入ったバッチが光っている。

 

「ああ。そういやそんなのあったっけ」

「見回りでそっちにも顔を出すわ」

 

 監督生の仕事は、ほかの生徒の節度や規律を監督したり、新入生たちの案内などの仕事があり、列車内や学校内でも別枠扱いがあったりするのだ。

 リーシャがそれを思い出し、フィリスはちょっと慌て気味にセドリックとともに監督生専用車両の方へと向かっていった。

 

 

 フィリスとセドリックと分かれたリーシャたち5人は空いているコンパートメントを見つけてそれぞれ荷物を押し込んで席を確保した。

 リオールも申し訳程度に持って来た小さな旅行鞄を適当に押し込み同乗していた。

 

「しっかしフィーが監督生かぁ。成績からするとセドはともかく女子はクラリスが選ばれると思ってたんだけどな」

「そりゃあ、あれだよ。クラリスが監督生だと、1年生よりもちびっこが案内をすることに、あてっ!!」

 

 席について話し始めたルーク。リーシャがきししと笑いながら理由を言おうとして、横に腰掛けたクラリスから足を踏まれていた。

 

「フィーは面倒見がいい。普段からリーシャの面倒をみてるから」

「そやな~。フィーは保母さんってかんじやな」

「ちょっと待て! それじゃあ私が幼稚園児みたいじゃないか!?」

 

 クラリスのちょっぴり棘のある物言いに咲耶がほわほわと思い出しながら言った。ただ続けて聞くとあんまりな評価になってしまいリーシャが吼えた。3人のやりとりにルークはあははと笑った。

 

「まっ、ある意味一番ハッフルパフらしい二人だから選ばれたんだろうな」

 

 

 時間になり、ホグワーツ特急は煙を吐いてガタゴトと動き出し始めた。

 他のコンパートメントもかなり人が入っているのか何人かの生徒が通路を通り過ぎ―――― 一人の少女ががらりと扉を開いた。

 

 入ってきたのは燃える様な赤毛にそばかすがチャームポイントの2年生の後輩。

 

「こんにちは。私もご一緒していいですか?」

「ジニーちゃん! ええけど、ハリー君たちはええの?」

 

 昨年も同席していたウィーズリー兄弟の末妹、ジニー。見知った彼女が荷物を引いて入って来たことで咲耶は嬉しそうに頷き、ふと一緒に居ない友人のことが気にかかって尋ねた。

 昨年度末。

 ジニーから恋の相談を受けた咲耶たちは、というよりも咲耶は、ジニーに恋愛は<ガンガン行こうぜ>とエールを送っていたのだ。

 夏休みにはハリーがウィーズリー家を訪れて滞在するという予定があるということを聞いていたし、てっきり一緒に行動しているとばかり思っていたのだが……

 

「何か3人で話したいことがあるから私はお邪魔なんだそうなの」

「もー!! ハリー君、イギリス紳士やのに女の子の扱い方がダメダメやん!! それで、夏休みどやったん?」

 

 ジニーを隣の席に誘導して座らせると、ジニーは肩を竦めて一人で座席探しをしていた理由を明かした。

 咲耶はハリーの(正確にはロンのなのだが)、ジニーに対する扱いにぷんぷんと怒り、それから夏休みの成果をワクワク顔で尋ねた。

 

「あら? ……あっ! あのね、サクヤ。実は今年の夏、ハリーは家に来れなかったの」

 

 キラキラと瞳を輝かせて尋ねてくる咲耶との間に、重大な認識の齟齬を感じて首を傾げたジニーは、伝えていなかった事実を告げた。

 

「ええー!? なんでなん!!?」

 

 ガンッと衝撃を受けている咲耶に、ジニーは今年の夏に降ってわいたウィーズリー家の幸運 ――日刊預言者新聞のガリオンくじで七百ガリオンを当て、兄の一人が滞在しているエジプトへと家族旅行したという話をした。

 

 ウィーズリー家には現在ホグワーツに在籍している7年生のパーシー、5年生のフレッドとジョージ、3年生のロン、2年生のジニーの他にグリンゴッツの呪い破りとしてエジプトに居る長男のビル、そしてルーマニアでドラゴンの研究をしている次男のチャーリーがいるのだ。

 

「そっかー。あっ、それでハリー君、夏休みに一人でダイアゴン横丁に居ったんや」

「うん。サクヤたちもハリーに会ったのね」

 

 “第2回ジニーの恋を応援するぞ計画”が不発に終わったことにがっくりきている咲耶にジニーは苦笑した。

 

「むー。そしたら問題は、今年どうするかやな……むしろハリー君って女の子に興味あるんやろか?」

「おいおい。それ先に考えておくことじゃね?」

 

 顎に手をあて、顰め顔をして計画を練ろうとしている咲耶にリーシャは呆れた眼差しを向け、クラリスとルークは別の意味で何とも言えない微妙な表情で咲耶を見ていた。

 むぅー、と唸っていた咲耶は、ガバッとジニーに振り返り詰め寄った。いきなりの咲耶の行動に身を引いたジニーに、咲耶は人差し指を突きつけた。

 

「ずばり、ハリー君は今、好きな子居るんかな?」

「えっ!!? あ、えーっと……どう、なのかしら……」

「…………」

「今13歳だっけ? まぁ、居ても不思議はねーか」

 

 咲耶から疑問に、ジニーは頬を引き攣らせ、クラリスとルークは能面顔で沈黙した。よく分かっていなさそうなリーシャのみが分からない答えに首をひねっている。

 

 クラリスとルークはそれほどハリーと親しいわけではない。だが、咲耶との繋がりや昨年度の事件で何度も面識を持ったし、直情径行で分かりやすい男の子の、自覚してなさそうな恋心にはなんとなく察しがついていた。

 なにせ二人の身近には絶賛それで悩んでいそうな男女がいるわけだし……

 

 鈍感(リーシャ)恋愛一直線(サクヤ)の二人が、その答えに行きつくことはなさそうだし、それを楽しむフィリスも今ここにはいない。とりあえず温かい目で見守っておこうと放置を決め込もうとしたクラリスとルーク。

 

 だが、

 

「ちなみに」

 

 残念ながら、引っ掻き回す予想外の人物が一人いたことを彼女たちは分かっていなかった。

 

「そのハリー・ポッターに好きな女が居た場合はどうするんだ?」

 

 にやにやとした笑みを浮かべて咲耶に尋ねるリオール。

 ジニーの恋愛には興味なさそうな顔をしていたリオールの思わぬ参戦にルークは口元を引き攣らせた。

 

「そらもちろん! まずは相手を知ること! 敵を知り、己を知ればほにゃららって言うやんか!」

 

 リオールの質問に、咲耶はなんとも勇ましい戦乙女的に答え、リオールがくっくっと肩を震わせた。

 なおジニーの表情が引きつった笑いになっているのは言うまでもなく、ルークは呆れたような視線をリオールへと向けた。そして、もう一度勇ましい少女をみやって、少し考え込むように顎に指を当てた。

 そしてクラリスは、先程までとは違う、じっと観察するような視線をリオールへと向けていた。

 

 

 ともあれホグワーツ特急自体は今の所なんの問題もなく北へと向かい、ホグワーツへと近づいていた。

 途中、車内販売の魔女がお菓子や食べ物を乗せたカートを押してコンパートメントを訪れ、咲耶たちはペコペコのお腹を満たすためにお菓子などを買い込んだ。

 それらのお菓子を食べてある程度ひと心地ついたころ、

 

「そろそろ、ハリー達の話もいい頃だと思うし、向こうの方に戻ってみるわ」

「あっ。そっか。うん! そやね。頑張ってなジニーちゃん!!」

 

 ジニーが席を立って、元居たハリーたちの所へと戻ることを切りだし、咲耶はぐっと拳を握ってジニーを送り出した。

 ジニーは苦笑して手を振り、咲耶たちのコンパートメントを後にした。

 

「サクヤさぁ……」

「ん?」

「いやー、どこまで分かってやってんのかなーと思って」

「?」

 

 後輩の恋する少女が去り、ルークが咲耶に尋ねようとして、しかし小首を傾げてさっぱり分かっていなさそうな様子を見て、米神をコリコリと掻いた。

 

「いや、なんでもね」

 

 結局、ルークはそれ以上踏み込むことはしなかった。

 下手にこの藪をつっつくと、隠し事のできないこの少女から、蛇が出るどころか、悪魔も逃げ出す魔法使いが出てきそうだから。

 

 

 窓の外の雨はだんだんと強くなり、激しく窓を打ちつけていた。

 

「雨すごいな……ん? なんか速度落ちてね?」

 

 外の景色を見ていたリーシャが呟いた。ガタゴトを揺れる汽車は、徐々にその速度を落していた。

 

「おかしい」

「どしたん?」

 

 リーシャの言葉に、本を読んでいたクラリスが顔を上げて窓の外を確認して疑問を口にし、咲耶も視線を向けた。

 

「まだ駅までは距離がある」

 

 5年目ともなれば大体この汽車がどのくらいで学校までつくのかは分かっている。その経験によるとまだしばらく駅にはつかないハズなのだ。

 クラリスが訝しげに言うが、汽車の動きはますます速度を落し、遂には止まってしまった。

 さらには車内の明りが突如としてなくなり、他の車両からもざわめきが広がって来ていた。

 

「どうしたんだろうな?」

「んー。なんか外から誰か入って来てるみたいだな」

 

 車内の異常にルークはコンパートメントから顔を出してあたりを伺い、リーシャも何かおかしいことは感じたのか、外を見て、離れた所で何かがホグワーツ特急に乗り込んでいるのを見た。

 咲耶も外を確認しようと腰を浮かせた瞬間、もぞりと隣の席に動きがみられ、何かの呪文と共に室内にあかりが灯った。

 

「あ、リオール。なんか汽車が」

「分かってる」

 

 部屋に光源を灯したリオールは一言返して、自身も外へと視線を向けた。

 暗くなりつつある空と雨粒が流れ落ちていく窓ガラスは、なにかの影響を受けてかピシピシと微かに氷結現象が起こっていた。

 その現象を不機嫌そうに認めたリオールは、頬づえをついていた自分の右腕にも視線を落し、一層顔を顰めた。

 

「……腕。どうかした?」

 

 舌を打ちそうなほどに苦々しいリオールの表情に、咲耶が気づいたのと同様、クラリスが言葉短く尋ねた。

 

「貴様には関係ない」

 

 機嫌悪く言ったリオールは席を立ち、コンパートメントの奥から扉の方へと向かった。

 

「どないしたん?」

「大人しく待ってろ。呼んでない客人が来ただけだ」

「客?」

 

 先んじて通路に出たリオンが睨み付けるように車両の扉を睨み付けた。

 リーシャたちもコンパートメントの中からそちらを見ると、扉からは昏い冷気のようなものが段々と色濃くなっており、ゆっくりと扉が開かれた。

 そして、扉の向こうから現れた人影にコンパートメントの中の子供たちは短く悲鳴を上げた。

 

 顔はすっぽりと頭巾で覆われており、背丈は天井までも届きそうなほどのマントを羽織った黒い影。マントから突きでた腕は灰白色に冷たく光り、醜くぐずぐずの状態であたかも水中で腐敗した死骸のような手だった。

 

 人影は車両の通路を滑るように移動し、何かを確認するようにコンパートメントを覗きこみ、リオールが前に立つ扉のところにも近づいてきた。

 人影が近づくごとに体の中から熱が奪われ、幸福な気持ちがどこかへと消えてしまうような感覚を咲耶たちは感じていた。

 

 そして扉の前に立つリオールは、近づいてくる人影を睨み付けており

 

「!」

 

 そのリオールから、それまでとは違うゾクリ、とした悪寒をもたらすものが放たれた。

 リオールの両腕を黒い渦のような紋様が蝕むように広がっていき、人影も咲耶たちが感じた悪寒を感じているかのようにビクリと足を止めた。

 人影はリオールを観察するようにじっと見つめると、滑る速度を上げてリオールの前を通過して車両から出て行った。

 

 

「い、今のなんなん?」

「ディメンターだ。アズカバンの看守だよ」

 

 人影が車内から去ると、リオールの腕に現れていた紋様も消え去り、重圧感がふっと消えた。

 咲耶は人影が去った方を恐々と見ながら誰にともなく尋ね、ルークがやや声を震わせながら答えた。

 

「でぃめん、たー? アズカバンって、たしか……」

 

 先日意識を取り戻したクラリスの両親。その二人にもっとも致命的な障害を負わせたのが監獄アズカバンであり、その恐ろしさは聞いていた。

 先程のあの恐ろしげな人影がそれなのだと今更に分かり咲耶は気遣わしげにクラリスを見た。

 クラリスは顔を蒼くしており、唇をギュっと噛んで痛みを堪えるようにしていた。怯えているようにも見える少女に声をかけようとした咲耶だが、外に出ていたリオールがその前を通って席へと戻った。

 

「随分と悪趣味なのを連れてきたものだ」

「リオールは、大丈夫なん? なんかウチその……」

 

 咲耶は、先ほどから自分が、そしておそらく他の者たちが感じているような悪寒にも似た寒気をリオールが感じていないかを尋ねた。

 

「まあな。気力だか、活力とか言ったものが抜かれてるんだ。アレあったろ、活力回復の魔法。アレかけとけ」

「あ、うん」

 

 顔を青くしている生徒たちをよそに、リオールはけろりとしており、ただ、若干青ざめている咲耶を気遣ってか、回復魔法を使うように指示し、咲耶もそれに従って、活力回復の魔法をコンパートメントにいる仲間にかけて回復を行った。

 

 顔を青くしていたリーシャやルーク、そしてクラリスも咲耶の回復魔法を受けて、症状を緩和させた。

 先ほどまで失われていたように見える体温を取り戻したことで、強張っていた会話も戻ったのか話は先ほどのディメンターがなぜここに現れたのかの話になっていた。

 

「どう思う、ルーク」

「多分、シリウス・ブラックの捜査に来たんじゃね?」

「シリウス・ブラックて、たしか脱獄した人やったっけ?」

 

 いつもであれば、セドリックかフィリスの意見を聞くところだが、二人が居ないためにリーシャはルークへと尋ねて答えを得ていた。

 

「ああ。たしか“例のあの人”が居なくなった時に、自棄を起こしたかなんかで、マグルを巻き添えにして大量殺人したって魔法使いだ」

「脱獄不能のアズカバンから脱獄した唯一の魔法使い」

 

 ルークの大量殺人者という言葉に咲耶は眉を顰め、クラリスも険しい表情で補足した。

 

「その、ブラックって人は、呪いで操られて、とかではなかったん?」

 

 咲耶が、アズカバン、と聞いて思い出したのはやはり、そこに送られ生ける屍のようになった無実の魔法使いの姿だ。

 それを思い出し、控えめに尋ねてみると、ルークとリーシャはむぅっと考えるように顔を見合わせた。

 

「さあな。あのころって、それこそ誰が呪いをかけられてもおかしくない時代だったらしいから、完全に黒とは言えないかもな。けど噂じゃ死喰い人の中でもかなり高い地位に居たんじゃないかって言われてたはずだよ」

 

 率直に言えば、咲耶の指摘したことを疑ったことなど全くない、というのが本音だが、やはり似たような状況で実際に無実だったクラリスの両親のことを考えれば、安易に肯定も否定もするのは難しかった。

 

「ブラック家はイギリス魔法界でも指折りの純血の名家。リーシャとかウィーズリー家よりも」

 

 ただ、クラリス自身は特に感情を害した様子もなく、すでにいつもの状態に戻って淡々と答えているように見えた。

 だが、言葉を切ったクラリスはついっと視線をリオールに向けた。

 

「おそらく魔法省はブラックがハリー・ポッターに危害を加えることを警戒したんだと思う。ニホンの魔法協会が貴方(・・)をサクヤにつけたように」

「ほぅ」

「へ? なに言ってんだクラリス?」

 

 続けられたクラリスの考察を聞いて、リオールは薄く笑い、リーシャたちはきょとんとした顔をした。

 リーシャの大丈夫か? と言わんばかりの態度にクラリスはすっと指を赤毛の少年へと向けて言った。

 

「スプリングフィールド先生が化けた姿」

「…………へ?」

 

 クラリスの指さす先を追って、赤毛の時の精霊魔法の先生と似た顔立ちをした少年に視線を向けた。

 

「聞きたいことがある、スプリングフィールド先生」

「な、ななな。くく、クラリス!? えーっと、リオンは、じゃなくてリオール君は――」

 

 クラリスの質問に対して窓枠に肘をついて頬杖ついているリオール。その横ではあわあわと咲耶がなにか誤魔化そうとしており、

 

「えっ!! あの。マジでスプリングフィールド先生?」

 

 残念ながら咲耶のフォローが決定打となって、ギョッとしていたリーシャとルークもまじまじとリオールを凝視した。

 

「りり、りおーん……」

「流石に接触時間が長かったからな」

 

 完全にばれてしまっていることに咲耶は涙目になって“リオン”の腕にすがりついた。

 もっとも当人のリオンは、バレたらバレたでどうでもよかったのか、あっさりとしたものだ。

 

「えーっと、それも精霊魔法でやってるんですか?」

「まあな。自前の幻術の応用、精神干渉の一つだな」

 

 そのあっさりとした態度に、まだ状況の認識に頭が追い付いていないのか、リーシャがとりあえず思ったままの質問をしてみた。

 

 返ってきた答えにリーシャは「へぇー」と感心したようにリオール状態のスプリングフィールド先生を見ており、その様子に咲耶は「バレてもよかったん?」ときょとんとしていた。

 

 元々、バレたら相手が気をつかうだろうという程度の隠し事だったのだから、別にリオンとしては困ることではない。

 いかに母直伝の年齢詐称薬、認識阻害とはいえ一週間もの連続接触、しかも知っている人物に対する接触があってはバレるのも無理からぬことだ。

 

 リーシャとルークはびっくりしているものの、意外とすとんと納得できているのか、やや頬を引き攣らせつつも咲耶にこのトンデモ先生がついているのは理解できているらしい。

 むしろ咲耶が来た時に、あの護衛役の人と親しげに会話していたり意見を押し通したりしていたことの理由が分かったようだ。

 

「えっと。なんでスプリングフィールド先生がここにいらっしゃるんですか?」

 

 ただ一方で、状況を整理したルークは困惑露わに恐る恐る尋ねた。 クラリスの言う通り、今回のリオンの護衛はイギリス魔法省から通達された、警戒宣言の影響が多少ある。そしてそれに加えて、“計画のひとつ”が大詰めに迫ったことで余計な手出しが増えないようにという配慮もあってのものであったりする。

 そのためリオンはめんどくさそうに顔を顰め、リオンが言わない代わりに咲耶がにこやかに告げた。 

 

「えっとな。デート!」

「ちょっと黙ってろバカ」

 

 咲耶の返答には、青筋を浮かべたリオール、もといリオンからノータイムでのツッコミが入ることとなった。

 

「ジジバカなコイツのジジイに依頼されただけだ」

 

 護衛をつけられている当の本人は、その複雑な状態を分かっているのか分かっていないのか。分かっていつつも、同じくらいの年恰好になったリオンが傍についていてくれてるのが嬉しいだけかもしれない。

 

「やったじゃん、サクヤ」

「えへへー」

 

 忌々しそうなリオンの横では咲耶とリーシャがなにやらわいわいと楽しそうに小突き合いをしているが、もはやツッコむことを諦めたのか、リオンは溜息をついて、未だにじっとこちらを見ているクラリスへと視線を戻した。

 

「聞きたいことがあります」

「……話すことは特にない」

 

 抑揚がないながらも、予想外に真剣なクラリスの声に、リーシャと咲耶は小突き合いをやめて二人に視線を向けた。

 クラリスの表情は挑むようにリオンを見ており、対してリオンはほとんど興味がないかのように返している。

 

「先生の精神干渉の魔法で、二人を助けてくれた?」

 

 少し興味が湧いたのかリオンは薄く睨み付けるようにクラリスを見た。

 

 ルークとリーシャもはっとしたように少年に化けた赤毛の先生を見た。本人は“治癒魔法は苦手”だとは言っていたが、だが同時にあの時は“治癒魔法とは系統が違う”とも言っていた。 

 わずかの間、少女と睨みあいをしたリオンはふんと不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「どんな期待をしてるのか知らんが、勘違いしないことだ。俺は善い魔法使いじゃない」

 

 ぷいっとそっぽを向いたリオン。彼の言葉に咲耶がぽりぽりと頬を掻いてからニコッと人差し指を立てた。

 

「リオンはツンデレ君の優しいまほーつかいやから」

「当分黙ってろバカ」

「ふぃふぁいふぃふぁい」

 

 シリアスをにこやかに台無しにするのほほん娘に、リオンは青筋を浮かべてぎりぎりと頬を抓りあげて黙らせた。

 咲耶はぱたぱたと悶えており、膝の上にいたシロはガリガリと懸命にリオンに爪を立てようとして見えない壁に阻まれていた。

 

 はたして咲耶が言うところの凄腕のツンデレ魔法使いがどういった思惑で何をしたのかは分からない。

 

 それでも…………

 

「何をしたのかはいい。でも、お礼は言わせてほしい。貴方のおかげで二人はよくなった……ありがとうございます」

 

 クラリスがぺこりと頭を下げると、リオンはふんとそっぽを向いて、不機嫌そうに座席に身を沈めた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

地雷ワード

 例年とは異なる騒動が道中あったものの、例年通りホグズミードに到着した生徒たちは馬の見えない馬車に乗せられていた。

 フィリスとセドリックは車内で一度、見回りの途中で会いに来たが、降りてからは新入生たちを案内役のハグリッドの方へと先導しに行っていた。

 咲耶たちも馬車に搭乗する列に並んでいた。

 

「あれ? スプリングフィールド先生は?」

 

 順番を待って、次に乗る順番が回ってきた時、リーシャはコンパートメントに居たメンバーから一人欠けていることにあたりを見回して気づいた。

 

 きょろきょろとあたりを見回すが、居るのは咲耶とクラリス、ルーク。途中で同僚の友人たちのところに戻ったジニーはともかく、列車から降りるときには一緒だったはずのリオール、あらためリオン・スプリングフィールド先生も今になって姿が見えなくなっていたのだ。

 

「さっき影の中に入って行った」

 

 きょろきょろと探すリーシャに、クラリスは近くの木陰を指さして言った。もっとも、すでに日も暮れて辺り一面影だらけになっているのだが。

 

「影!?」

「影を使った移動はリオンの得意まほーなんよ」 

 

 ぎょっとして指さした木立の方を見るリーシャ。咲耶はいきなり保護者がばっくれたにもかかわらず平和そうな顔をしていた。

 

「なんでもありだな、あの先生」

 

 ルークは呆れたように引き攣った笑みを浮かべていた。

 

 

 

 第40話 地雷ワード

 

 

 入学式、組み分けの準備が整ったホグワーツ城、大広間に生徒たちよりも一足早くに帰還したリオンも他の教員たちとともに出迎えの教員席へと座っていた。

 空を映した天井には、居待月が魔法によって映し出されており、月の影響が強いことを受けてか髪の色は鮮やかな金髪となっていた。

 

 リオンの隣には鳶色の髪の男性が座っていた。あちこち継ぎはぎのある ――戦闘の痕でぼろぼろになっているリオンのマントとはまた別の意味でボロボロのローブを着た新顔の魔法使い。

 

「初めまして。スプリングフィールド先生」

「どうも」

 

 かなり疲れているのか、病気を患っているようにも見えるその面差しは、実際の年齢よりも彼を年上に見せていそうだが、それでもリオンよりも1回り程度は上だろう。

 

 先程広間に入った時に、生徒たちへの紹介に先だって教員たちに紹介された名前はリーマス・J・ルーピン。

 ルーピンはやや影のある笑みを浮かべながらも、初顔合わせで隣同士に座った先生へと挨拶をしてきた。

 

「魔法世界の魔法を教えられているのですよね」

「ええ」

 

 尋ねたルーピンは、リオンの短い返答にどこか痛みを堪えるように憂いのある顔をした。

 

「時代は変わりましたね。私が昔ここに居た頃は、魔法省はあれほど魔法世界との関わりを嫌がっていたのに」

 

 思い返すのは過去に過ぎ去った遠い日々か、あるいはあの暗黒の時代に、異世界との交わりを選んでいれば失わずに済んだかもしれないという、どうしようもないifを思ってか。

 

 それとも……

 

「魔法世界でなら、犬でも差別されない、と?」

「! ……ダンブルドアから、聞いたのですか」

 

 ルーピンは問われた言葉に一瞬驚いたように目を瞠り、苦笑した。

 

 “ソレ”を思っていたわけではないが、どこかで期待していなかったとはいえない。

 イギリス魔法界はとある“事情”を抱える彼には優しい社会ではない。

 

 純血と非純血が争い合うこともそうだが、事情ゆえルーピンはとりわけ魔法界において差別され、忌避され、爪弾きの扱いを受けているのだ。

 だが、もしかしたら魔法使いだけの世界ならばあるいは……。そう思っていた心を見抜かれたように感じたのだ。

 

「いいや。どうにも俺は校長殿には信用されていないらしくてね。ただ、匂いで分かるさ。卑屈な犬の匂いくらいな。それに…………」

 

 リオンは薄く笑うとちらりと別の魔法先生へと向けた。

 やや血色の悪い顔を歪めて睨み付けるようにして二人を見ている魔法薬学の教師。

 

「すでに随分と楽しげな同僚をお持ちのようだ」

「ははは。まあ、彼とは学生時代の同期でしてね」

 

 にやにやとして言ったリオンの言葉にルーピンは乾いた笑みを浮かべてかつての同級生をちらりとみやった。

 

 セブルス・スネイプ。

 

 この度ルーピンが教鞭を振るうこととなった“闇の魔術に対する防衛術”の席を何年も狙い続けていると専らの評判の先生だ。

 ただ、スネイプの忌々しそうな猜疑の眼差しとルーピンの負い目をもったような瞳、二人の視線を見るに、楽しげな思い出を分かち合う同級生とはいかないようだが。

 

 

 

 初顔合わせ同士の“心温まる楽しそうな”会話は生徒たち、そして組み分けが行なわれる新入生たちが入ってきて終わった。

 

 

 

 例年通りに緊張の面持ちで入って来た新入生たちが4つの寮へと各々組み分けられてから、ダンブルドア校長の祝いと訓示の話となった。

 すでにかなりの高齢にもかかわらず、背筋はピンと伸びており、長い白髪と顎髭が賢者の風格を感じさせるイギリス魔法界で最も偉大とされる老魔法使いだ。

 

「新学期おめでとう! また新たな一年を皆と迎えられること嬉しく思う。さて、皆にいくつかお知らせがある。一つはとても深刻な問題じゃから、皆がご馳走でボーっとなってしまう前に片付けてしまうが方がよかろう」

 

 ホグワーツ特急にて身も凍える恐怖を味わった生徒に安心感をあたえるような穏やかで包み込むような声で話を始めた。

 告げる内容は深刻なものであると知らせるためか、コホンと一つ咳払いをして生徒たちを見回すと重々しく言葉を続けた。

 

「ホグワーツ特急での捜査があったので、皆も知っておると思うが、我が校は現在アズカバンのディメンターを受け入れておる。彼らは魔法省の仕事でここに来ておるのじゃ」

 

 咲耶たちもあの時の“捜査”を思い出して僅かに身を震わせた。

 幸福感を根こそぎ奪い去り、その人に宿る根源に刻まれた恐怖を呼び起こす闇の化け物。

 

「ディメンターは学校への入り口という入り口を固めて居る。今のうちにはっきりと言うておくが、あの者たちがここに居るかぎり何者も許可なく学校を離れてはいかんぞ。ディメンターはいたずらや変装に引っかかるようなマネはせん――透明マントですら無駄じゃ」

 

 ダンブルドアはぐるりと生徒たちを見回しながら念を押し、特に有名な悪戯好きがいる寮のことを懸念して、ちらりと視線をグリフィンドールテーブルに向けて重々しく言った。

 

「言い訳やお願いを聞いてもらおうとしても、ディメンターには生来できん相談じゃ。よって、一人一人に注意しておく。あの者たちが皆に危害を加える様な口実を与えるではないぞ。監督生よ、男子、女子それぞれの新任の主席よ、頼んだぞ。誰一人としてディメンターといざこざを起こすことのないように気を付けるのじゃぞ」

 

 ダンブルドアが言葉を切り、重々しく大広間を見回した。

 監督生に対しての言葉にフィリスが顔を蒼ざめさせて息をのみ、セドリックも顔を強張らせた。

 

 広間の生徒、のみならず教職員達も神妙な面持ちになったことを確認したダンブルドアは、一転して顔をほころばせて、おどけたような笑みを浮かべた。

 

「楽しい話に移ろうかの。今学期から嬉しいことに新任の先生を二人、お迎えすることとなった」

 

 一歩身を引いて、教職員テーブルを示すようにそぶりした。リオンの隣のルーピン、そしてテーブル席に座っていたハグリッドが席を立ち、生徒たちに姿を示した。

 そしてそれぞれ空席の“闇の魔術に対する防衛術”と高齢のケトルバーン先生が担当していた“魔法生物飼育学”の後任の先生であることをお知らせした。

 

 ぼろぼろのマントを羽織っているルーピン先生にはぱらぱらとあまりやる気のない拍手が起こり、ハグリッドに対しては、彼が親しくしている人が多いためかグリフィンドールの方からのみ大きな拍手が起こった。

 

 

「そっかー、けとるばんセンセ、居らんくなってもうたんや」

「いい先生だったけど、かなりお年だったしね。ハグリッド先生は身体も大きいし、森の生き物に好かれているらしいから適任かもしれないわね」

 

 ぱちぱちと拍手をしながら咲耶が2年授業を受けた先生が居なくなってしまったことを少し残念そうに呟き、フィリスも希望的観測を告げた。

 

 魔法生物飼育学は咲耶のお気に入りの授業の一つで、主に禁じられた森に生息している魔法生物を観察・飼育・対応する授業だった。

 受講当初に予想していたユニコーンやケンタウロスはまだ見ていないし、4年の頃のヒッポグリフのように危険度も相応にある生物なども勿論居たが、それでも寒い日の授業のサラマンダーやふわふわの小動物ニフラーなどは心和む楽しい授業だった。

 

 ただ、やはりヒッポグリフや噂ではトロールや狼男も禁じられた森に棲んでおり、それらに対応しなければならない魔法生物飼育学は高齢で普通の人のサイズであるケトルバーン先生には年々負担の辛い授業になっていたらしい。

 

 その点、森番であったハグリッドは、一目でそれとわかる巨体で、普通の人の2倍くらいのサイズはあるし、禁じられた森の生物たちに非常に慣れている。

 教師としての適性は不明だが、魔法生物たちとの仲の良さや知識においては、フィリスの言うように適任であると期待できるだろう。

 

「さて、これで大切な話は終わりじゃ――――宴を楽しもうかの」

 

 ダンブルドアの締めの言葉とともに、テーブルの上のお皿には様々な料理がぱっと現れ、生徒たちの腹ペコのおなか具合を刺激した。

 

「校長先生の話にもあったけど、ディメンターには気を付けねーとな。進んでお知り合いになりたい連中じゃねーし」

「頼むぜ。フィー、セド」

 

 食べ物を取り分けて手を付けながら、ルークは先程の話と恐怖の象徴を思い出し、リーシャはにっと明るくおどけた笑みをフィリスに向けた。

 フィリスは軽く肩を竦めて微笑見返した。

 

「ええそうね。せっかく監督生になったんだから成績が低空飛行を続ける友人をしごくくらいはしないといけないわね」

「げ」

「今年はOWL。リーシャが来年授業を受けられるようにみんなで調教すべき」

「ちょっ! クラリス!?」

 

 フィリスとクラリスの息のあった連携に、リーシャはあわあわとして交互に二人に振り向き、咲耶やセドリックはそれを見て笑みをこぼしていた。

 

 ちなみに今年、第5学年では普通魔法レベル試験(Ordinary Wizarding Levels Test)、通称O.W.L試験(ふくろうテスト)があり、毎年生徒を試験ノイローゼに追い込んでいるらしい。

 このO.W.L試験。6年生以降の授業、NEWTレベルを受講するための試験であり、これまでの期末試験とは一線を画す英国魔法省公式の試験になっているのだ。

 NEWT試験は将来の就職にも関わるため、必然、その授業を受講できるかどうかに関わるO.W.L試験も重要になってくるのだ。

 

 留学生である咲耶はともかく、英国魔法界の住人であるフィリスやリーシャたちも今年はかなり大変な一年になることだろう。

 

 

 

 みんながおなか一杯になるころ、最後のデザートが載せられた金のお皿からカボチャタルトが消えてなくなり、ダンブルドアは全員の解散を告げた。

 おなかが膨れてみんなが眠くなり、瞼をこする生徒たちが緩慢な動きでそれぞれの寮へと向かい始めた。

 

 その流れが本格的になる前に、金髪の少年、マントに監督生のバッジをつけたスリザリンの生徒が咲耶たちのもとへと顔を見せた。

 

「やあ、サクヤ。元気だったかい?」

「うん。ディズ君も……監督生なったんや。おめでと~な」

 

 昨年、決闘クラブの継続を提起したスリザリンの優等生、ディズ・クロスだ。

 予想通りというべきか、セドリック同様に、成績と品行に優れていると評判の彼が監督生に選ばれていることを、胸のバッジが知らせており、咲耶はほわほわとした顔になった。

 

「ありがとう。おかげで今年は少し忙しくなりそうだよ」

 

 肩を竦めてみせるディズだが、その顔をみるに監督生に任命されたことをそれほど重みに思っている風にも、光栄に思っているようにも特にはみえない。

 ただし、特に今年はダンブルドア校長直々に言ったように例年よりも気を付けなければいけないことが多いだろう。

 

「それでも今年も決闘クラブを続けたいね。少し聞きたい話もできたんだけど、近々日程とか話せないかな?」

「ええよ~。クラブはウチも続けたいし。リオンセンセが今年も別荘使わせてくれるかは分からんけど」

 

 決闘クラブの当初の設立目的は昨年の騒動が発端でそれはすでに終結している。だが魔法技能を鍛えるという趣旨を継続することに否を唱えることにはなりはしないだろう。

 ただし、今年も継続してリオンが場所を提供してくれるかと安易に期待するのは彼の性格上難しいだろう。

 

「ああ。あまり時間の流れが違うあそこを使うのはマズイんだったね。……うん。場所なら僕に心当たりがあるから大丈夫だよ」

 

 ディズもあの便利な不思議空間を継続して利用することのリスクは覚えていたのか少し考えるそぶりをし、にこりと微笑んだ。

 対人魔法の実技を行なえる場所に心当たりがあるというディズに咲耶たちが感心していた。

 

「へー。あ、そだ! ディズ君。今年、OWLいう試験あるやろ。よかったらそっちの方の勉強も一緒にできんかな?」

 

 感心していた咲耶はふと、今年の試験のことを思い出して思いついたとばかりに勉強会を申し込んだ。

 O.W.L試験の話を聞くに、学年一の優等生であるディズに勉強を見てもらうことはためになるだろう。

 

「ん? もちろんだよ。ふむ……リオール君はたしか一学年上だったね。できれば彼の話も聞きたいな」

 

 ただ、咲耶の提案は藪蛇だったのか、咲耶にとって予想外の切り返しが飛んできて、咲耶はほわほわ笑顔をビクリとひきつらせた。

 

「ぇ、えぇ、ぇーっと。そ、そやね! うん!!」

「あー、クロス。そろそろ新入生の案内に行かないといけないんじゃないか?」

 

 途端におたおたとしてしまうアドリブと隠し事に弱い咲耶。

 同じくリーシャたちも頬を引き攣らせたが、やや表情を硬くしつつもセドリックがフォローを入れた。

 促されてディズが自分の寮の方を振り向くと、セドリックの言うようにスリザリン席の方では新入生たちが困ったようにおろおろとしており、女子の監督生らしき生徒が助けを求めるようにディズの方を見ていた。

 

「そうだね。うん。それじゃあまたね、サクヤ」

 

 ディズも今、長々と話し込むつもりではなかったのか、フッと微笑んで監督生としての役割へと戻って行った。

 セドリックとフィリスも、リーシャたちに一声告げると新入生の引率の役目を果たしに行った。

 

 そして残されたリーシャたちは

 

「なあ、サクヤ。さっきの話ってどうすんの?」

「……どないしよっか?」

 

 えへらとひきつったごまかし笑いを浮かべている咲耶にクラリスたちは呆れた視線を向けた。

 

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 

 とりあえず翌日。

 慣れたものとはいえ、ほぼ1日がかりの列車旅行を終えた後、久々の寮の自室でぐっすりと休んだ咲耶たちは、朝食をとるために大広間に来ていた。

 

「あーら、ポッター! ディメンターが来るわよ。ほら、ポッター! うぅぅぅぅっ!!」

 

 広間に入ると、スリザリン寮のテーブルの方で女生徒が一人、何やら甲高い声で奇声を発していた。

 

「何やってんだあれ?」

 

 今のどこにウケる要素があったのかは分からないが、スリザリン席の方からどっと笑い声が上がり、リーシャが首を傾げてそちらを見た。朝からハイテンションなばか笑いにさしものリーシャも呆れた眼差しを向けている。

 今も、何かのコントでもやっているのか、どこかで見たような金髪の男子生徒が気絶の真似事をしたりして周囲を沸かせていた。

 

「ああ。あれ。なんかディメンターが……っと」

 

 リーシャの疑問に、フィリスが昨日仕入れた情報を説明しようとし、その当の本人がわりと近くに見えたことで慌てて口をつぐんだ。

 

「おはようサクヤ」

「おはよーさん、ハーミーちゃん、ハリー君!」

 

 ちょうどグリフィンドールテーブルの近くを通りがかっており、久方ぶりの友人、ハーマイオニーとハリーが咲耶を見つけて声をかけてきたのだ。

 

 先程のスリザリン生の騒ぎ ――ドラコ・マルフォイによる気絶の真似は、昨日のホグワーツ特急内での騒動にまつわる一つのことを揶揄したものだったらしい。

 

 身内だけで固まっていた咲耶やリーシャたちにはまだ伝わっていなかったが、監督生として巡回や情報交換をしていたフィリスには、昨日あったディメンターの視察の際に、ハリー・ポッターが列車内でただ一人気を失ったという情報を得ていた。

 どうやらハリーはそのことを恥ずかしく思っており、マルフォイたちはそれを分かっていて揶揄しているらしい。

 それを言おうとしたフィリスだが、話が聞こえていたのかハリーにぎろりと睨みつけられて言うのをやめたのだ。

 

 それらを知らない咲耶は単純に久方ぶりの友人との再会を喜んでおり、ハーマイオニーにじゃれている。

 

「あれ? ハーミーちゃん、その猫どないしたん?」

 

 白い子犬を連れている咲耶に対して、ハーマイオニーは夏前には連れていなかった大きな猫を従えていた。

 赤みがかったオレンジ色の毛並でぶすーっとした顔で警戒するように咲耶たちをぐるりと見回していた。

 

「クルックシャンクスよ。サクヤのシロくんとかハリーのヘドウィッグを見てたら私もペットが欲しくなったの。可愛らしいでしょ?」

「へー……」

「かわ、いい……?」

 

 咲耶はしゃがみこんで仏頂面の猫をジッと見つめた。

 ぶすーっとして咲耶を見つめ返す猫 ――クルックシャンクスをリーシャは物言いたげに見つめた。

 余計なことを言いたそうなリーシャの口を封じるためにクラリスがドスリと肘を入れた。

 

 咲耶はじーっとクルックシャンクスを見つめてから手を伸ばし、優しくその毛を撫でた。

 

 ふわっふわで撫で心地のよいシロの毛並とは違い、ややごわごわとしているが首元に置いた掌がふさりと沈み込んだ。

 

 もふもふ、もふもふ、もふもふ………………

 

「サクヤ?」

「えへへ~……」

「こらこら」

 

 だんだんと咲耶の顔がにへらとゆるみ、クルックシャンクスもごしごしと咲耶の手元に体を寄せて甘える素振りをみせている。

 なんだかいつまでも撫でていそうな咲耶の様子にリーシャが呆れた顔でツッコミをいれた。

 

 ちなみにその後ろでは、いつも撫でてもらっている白い毛並の尻尾を不機嫌そうに揺らしている子犬がいたりする。

 

 

 

 思わず撫で癖が出て忘我していた咲耶だが、友人たちのツッコミと式神の不機嫌そうな視線に我に返った。

 解放されたクルックシャンクスは相変わらずの仏頂面に戻っており、その前ではシロが「ふんっ」とツンとすまし顔をしていた。

 

 

「サクヤ。少し聞きたいことがあるんだけど、ネギ・スプリングフィールドって知ってるかしら?」

 

 相変わらずの様子の咲耶に苦笑していたハーマイオニーだが、どうやら彼女は彼女で咲耶に尋ねたいことがあったらしく、いつもの好奇心旺盛な顔を覗かせて質問した。

 猫をもふもふしてご機嫌だった咲耶も、ハーマイオニーから出てきた名前にきょとんとした顔になった。

 

「ネギさん? うん。知っとるよ」

「誰だよ、そいつ」

 

 知っている人物の名前だが、それがこの学校で出てきたことが意外でハテナ顔をしている咲耶。

 ハーマイオニーの横ではロンも疑問顔となっており尋ねた。

 

「ISSDAの設立者の一人よ。夏休みにニュースでやってたでしょ」

「それがどうしたんだよ?」

「あっ! そのニュースは僕も見たよ。たしか、スプリングフィールド先生にそっくりの赤毛の人だよね」

 

 話についてこられないのならば口を挟まなければいいのにわざわざ話の腰を折ってハーマイオニーの顔を顰めさせるロン。物言いたげに人差し指を差し向けたハーマイオニーだったが、その口から小言が飛び出る前にハリーがぽんっと思い出して咲耶の方を向いた。

 

「あれ? スプリングフィールドって……」

 

 “ネギ”という名には心当たりがなかったものの、覚えのある苗字がでてきたことでリーシャは首を傾げた。

 

「あの人ってスプリングフィールド先生のご兄弟なの?」

「えーっと……」

 

 なんとも困る質問に咲耶は目を泳がせた。

 

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 目の前で真っ白なふわっふわが揺れていた。

 右に、左に。ふわふわと揺れる触り心地の良さそうな白い尻尾。

 

 主は先程まで自分を撫でていたほんわかとした少女とお話ししており、こちらは見ていない。

 そして目の前の尻尾――その持ち主は自身の主の会話する姿をジッと眺めている。

 

 ほわほわの毛並を持った白い子犬。シロと言うらしいもふもふな――もとい怪しげな狼。

 その目にはただの獣には宿らない知性と理性を灯しており、彼女の直感に触れるだけの十分な魔力をその小さな身体から感じさせていた。

 

 彼女の聡明な頭脳は、この狼に対して警鐘を鳴らしているのだ。

 こやつはただの獣ではない。闇に属する魔法生物に相違ないと。

 

 そんな怪しげな魔法生物が、自分の主の身近をうろついていることの危うさ。

 

 ふわり、ふわり、ふわりと、もふもふな尻尾が揺れている。

 

 すっと、彼女の小さな手が振り上げられ。――――振り下ろされた。

 

 

 

「ぎにゃっ!!!」

「ぎにゃ?」

 

 足元から潰された猫のような悲鳴があがり、その声がどうにもイヌ科の狼であるはずの式神から聞こえてきた気がして咲耶は思わず視線を下に向けた。

 

「―――っ!!! ―――!!」

 

 いつもは咲耶に撫でられているふわふわの尻尾が赤毛の猫によってネズミのように捕まえられており、シロは涙目になってバンバンとタップ(ギブアップ)していた。

 なんとも筆舌に尽くしがたい悲鳴があがっており、

 

「わぁ! シロくん!!」

「あ、クルックシャンクス! 放しなさい!!」

 

 慌てたそれぞれの主が止めに入った。

 ハーマイオニーはクルックシャンクスを引き剥がして抱き留め、シロはポンと人化の形態をとって涙目になって咲耶の後ろに隠れた。

 いつもは触り心地の良さそうなシロの犬耳と尻尾は毛並を逆立てて警戒を示しており、涙目で「ふーっ! ふーっっ!!」と威嚇している。

 

「ごめんなさいシロくん。サクヤ。ちょっとクルックシャンクス!」

 

 獲物か遊び道具を取り上げられたと思っているのか、猫はぶすっと潰れたような顔を不機嫌そうにしていて、どうやらまだシロの尻尾を狙っているのが見てとれた。

 

「だ、だいじょぶシロくん?」

「そ、それがしの尻尾が、尻尾が」

 

 うるうると涙目で尻尾を体の前に持って来て抱きしめており、どうやら相当に痛かったらしい。

 

「ほら見ろ、ハーマイオニー。やっぱりその猫、どこかおかしいんだよ」

 

 クルックシャンクスの凶行に、同じくペットを痛めつけられているロンがそれ見たことかと指摘した。

 実はこの猫。夏休みの終わりにダイアゴン横丁でハーマイオニーに飼われてから、というよりもそのちょっと前にペットショップでロンの持ちネズミ、スキャバーズを一目見た時からなにかと狙いつけているのだ。

 ウィーズリー家のエジプト旅行以来、体調を崩しているスキャバーズは猫に狙われるという苦難もあってかみるみる痩せ細っており、今現在は安全な男子寮のロンの自室に引っ込んでいる。

 

「猫ですもの。ちょっと犬のシロくんとは相性が悪かったのよ」

 

 そんなロンに対して、ハーマイオニーは初めてのペット可愛さを発揮して、ロンの苦情を退けているのだ。

 ただ流石に言葉も話すシロに悲鳴を上げさせるほどの不意打ちを食らわせたのには罪悪感があるのか、申し訳なさそうになっている。

 咲耶は涙目のシロの頭をなでなでして慰めている。

 

 悪魔にすら切り込み、吹き飛ばされたとはいえ、まともに切り結ぶほどの式神である白狼天狗が、一介の猫に後れをとるはずはないのだが…………ちなみに犬ではなく狼であるという訂正はどこからも上がらない。

 

 

「もしかしてシロくんって、猫が苦手なの?」

「なっ! ばっ! ぶ、無礼な!! そ、某に苦手なものなど、ひにゃぁ!!」

 

 フィリスの指摘に、顔を真っ赤にしたシロ。とんでもないことをぬかしたフィリスをわなわなと指さし、口をぱくぱくと開いて何か言おうとし、しかしクルックシャンクスがぴょんとハーマイオニーの腕の中から飛び降りると、ポンと子犬の形態に戻って咲耶の肩に飛び乗ってがたがたと体を丸めた。

 

「オイ」

 

 リーシャやクラリスから、冷めた眼差しが、神にも通じると言われる天狗の眷属へと注がれた。

 

 

 

 ひとまず騒動はハーマイオニーがクルックシャンクスをしっかりと抱き寄せて、シロが咲耶の首の裏に隠れることでなんとか決着した。

 

 果たしてそれで護りの式神がつとまるのかと問いたくなる姿ではあるが、まあ、主の友人の飼い猫相手に大人げなく(一応、白狼天狗は齢を重ねた狼であるはず……)刀を振り回すわけにはいかないという判断ゆえだろう……たぶん。

 

「あ、そや。さっきの話やけど、リオンにはネギさんのこと聞かんようにな」

 

 なんだかんだですっかり時間がかかってしまい、話を切り上げるためにも咲耶は先程尋ねられた質問で、もっとも重要なことを伝えることとした。

 

「スプリングフィールド先生に?」

 

 授業中、ハリーたちの学年でもっとも挙手を行うのがハーマイオニーだ。

 それは彼女の知的好奇心からの質問であったり、知識量からの回答であったりする。そんな友人の知識への旺盛さを気にかけてのことだろう。

 ハーマイオニーが理由を問うように首を傾げた。

 

「リオン。それ聞くと、すっごい、怒るから」

「怒るって、その質問で?」

 

 いつものほわほわ顔ではなく、真面目な顔での注意にハーマイオニーの顔が引きつった。

 念押しする咲耶がこくりと頷くのを見て、悪戯しようとしていたわけではないが、ロンとハリーもごくりと注意を覚えておくことにした。

 

 怒ると相当に恐いということは先学期までにもう十分に分かっているのだから。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

今年が忙しくなるのはもう分かりました

 五年生になった生徒たちは先輩から聞いてある程度は覚悟していた。だが授業開始初日からリーシャたちの活力はガリガリと削り続けられる一方となっていた。

 

 五年目の授業の最初はフリットウィック先生の呪文学。

 

「みなさんが覚えておかなければならないのは――――」

 

 積み上げた本の上に小さな体を乗せてキーキーと甲高い声でO.W.L試験についての重要性を演説していた。

 

「このO.W.L試験がこれから何年にもわたって、みなさんの将来に影響するという事です。まだみなさんが将来の仕事を考えたことがないなら、今こそその時です。そして、それまでに自分の力を十分に発揮できるように、大変ですがこれまで以上にしっかり勉強しましょう!!」

 

 初回の授業は間違いなくO.W.L試験にでるとフリットウィック先生が言い切った“呼び寄せ呪文(アクシオ)”を行った。

 呪文の難易度は試験にでると豪語するだけあってかなりの集中力を要し、しかも授業の終わりにはこれまでにない大量の宿題を出した。

 

 そして、大変だったのは呪文学だけではなかった。

 ただでさえ難しいマクゴナガル先生の変身術も、スネイプ先生の魔法薬学も、O.W.L試験について生徒を散々に脅かし、発破をかけた後、昨年までよりも複雑で難易度の高い授業を行っていた。

 

「おい、もしかして今年一年ずっとこんなのが続くのかよ…………」

 

 勿論それぞれたんまりと宿題もだされてしまい、リーシャはあっという間にぐったりとしていた。

 

「まあそうだろうね。来年以降の授業にも関わるし。先生も言ってたけど将来の進路にも関係するし」

 

 監督生に加えてクィディッチチームのキャプテンになっているセドリックも流石に疲労の蓄積は著しく見える。

 

「今年はルークもクィディッチチームに挑戦するんだっけ?」

「まーな。たしかチームのビーターが去年卒業してただろ」

 

 ぐたぁとだれていたリーシャが顔を上げてルークを見た。

 ルークの言うように、キャプテンのセドリックやチェイサーのリーシャなどは残留しているものの、昨年までのハッフルパフチームの何人かは卒業してしまっている。

 

「ルーク君はビーター希望なん?」

「ああ。俺って結構力あるし。スピードよりも小回りの方がよく利くし」

「へぇ……まあ、ルークには合ってるかもね」

 

 リーシャやセドリックと同じクィディッチチームの代表に挑もうというルークに、咲耶は嬉しそうな眼差しを向け、フィリスは何やら思わせぶりな目をルークに向けた。

 その目配せの意味するところを察することのできたルークは目を細めて見返した。

 

「そりゃどーも」

「しっかりと守りなさいよ、ルーク」

「まずは選抜通ってからだけどな」

「ちゃんとセドのこと守れよルーク! 親友なんだから!」

 

 にやにやとした含み笑いを向けてくるフィリスをあしらうルーク。その肩をばしばしと叩きながら励ますリーシャ。クラリスとフィリスは呆れたような眼差しをリーシャへと向けた。

 

 たしかにクィディッチのルール上、スニッチを掴むことで150点を稼ぎ、試合を終わらせることのできるシーカーは重要で、もっとも狙われる可能性が高い。そのポジションであるセドリックを守ることは戦術上たしかに正しいのだが……

 

「…………ああ」

 

 ルークは間近に見えるリーシャの笑顔に、苦笑しつつ選抜への意気込みを新たにした。

 

 

 

 第41話 今年が忙しくなるのはもう分かりました

 

 

 

 クィディッチの練習に厳しい授業、沢山の宿題。だが、全ての授業がO.W.L試験に焦点を当てて苛烈さを増していたかというとそうではなかった。

 ゴーストのピンズ先生が授業している魔法史などは、おそらく何があっても変わらないだろうと言うほどに一本調子のままだったし、逆に昨年よりも明らかに難易度が低下している授業もあった。

 

 

 咲耶の目の前で、緑色のレタスの葉の上を褐色の芋虫のような生物が非常にゆっくりと這っていた。

 

 もそり…………もそり………………もそり………………

 

「なんなんだろな、この授業」

「なんやろなぁ」

 

 じーっと観察しているとほとんど分からないが、逆に時折目を向ける程度にしていると動いていたことが分かるほどにゆったりとした動きのフロバーワーム。

 それを飼育するというなんとも退屈な授業に、活動派のリーシャが呆れて眠たそうに眼をトロンとさせていた。

 さしもの咲耶もこの授業には集中力を維持できないのか、一応顔はフロバーワームに向けているが、膝の上に子犬状態のシロくんを置いて毛を梳いて手慰みしている。

 

 監督生に任じられているフィリスは、友人たちのだらけた様子を見て、そしてハッフルパフ生だけでなく、合同授業しているレイブンクロー生にも似たような空気が充満していることを見て、眉を潜めて担当の教師に視線を向けた。

 

 昨年までのケトルバーン先生は高齢と職務の厳しさから職を辞し、今は体が大きく毛むくじゃらの森番、ハグリッドが先生をやっている。

 

 そのハグリッド先生は、授業の始めにフロバーワームを持って来て、授業中飼育と観察をするようにとだけ告げて、後はぽけーっと放心状態のように虚空を眺めている。

 そんな先生の様子にフィリスはいい加減苛立ちが募っているのだろう。先生の巨体の足元まで歩み寄ると困惑と憤慨と義務感を混ぜたような顔で口を開いた。

 

「ハグリッド先生! 差し出がましいようですが、フロバーワームの飼育なんて3年の始めにやるような授業ですよ。今年の試験に関して他にやることがあるのではないでしょうか?」

 

 もともとあの森番は動物好きが高じて森番になったという話だが、色々と突飛な噂が流れている人物であり、今年の指定教科書に“怪物らしい怪物の本”などという暴れる教科書を指定するほどの先生なのだ。

 学生時代に狼人間の子供をベッドの下で育てようとした、禁じられた森で怪物を飼育している、ドラゴンの違法飼育を行ったことがある、などなどあまりいい噂も聞かない人物であるが、動物好きだけは本物であることは周囲の評の一致するところだ。

 5年生になり、O.W.L試験が控えた今年、一体どんな怪物がでてくるかと戦々恐々としていた生徒たちは、フロバーワームの飼育という放っておけば最高に調子のいい生物の飼育を任されたことで困惑していた。

 

 憤慨している様子のフィリスの声に、初めて生徒が近くに来ていることに気がついたのかハグリッドはゆっくりとした動きでフィリスを見て口を開いた。

 

「あー……うん。俺も、もすこし難しいもんがええと思っとったんだが……うん。初めての授業ならこんくらいでちょうどええ。だーれも怪我せんくらいがちょうどええんだ」

 

 なんとも覇気のない声で答える先生に、フィリスの眉間にしわが寄せられた。

 

 

 

 

「結局、時間いっぱい虫の観察で終わったな」

「うーん。ハグリッドセンセ、初めての授業言うても、もすこししゃんとして欲しかったなぁ」

 

 一日の授業が終わり、咲耶たちは談話室でたくさん出た宿題を片付けていた。

 怒涛の宿題ラッシュにも大概辟易させられているものの、逆に全く授業をしなかったハグリッドの授業は、それはそれで不満の残るものだ。

 流石にO.W.Lの試験でフロバーワームが出てくるなんて楽天的すぎる希望は到底抱きようもない。

 次回からの授業で段々と調子が上がっていけばいいが、今日の腑抜け具合を見るにそれも危うく思えるほどだったのだ。

 

 クラリスも交えて宿題をこなしていると談話室の扉が開き、溜息交じりにフィリスが入って来た。

 フィリスは咲耶たちを見つけると、近寄ってきて同じように椅子に腰かけた。

 

「分かったわよ」

「なにが?」

「魔法生物飼育学よ。いくらなんでも、あんなバカげた教科書を指定した先生が、あんな大人しすぎる授業するはずないと思ったわ」

「?」

 

 フィリスは少し苛立っているのか、きょとんと首を傾げたリーシャと咲耶に少しきつい口調で話し始めた。

 

「一番初めの3年生の授業で怪我人を出しちゃったらしいのよ」

「なんの授業やったん?」

 

「ヒッポグリフらしいわ」

「あ~、あれか。あれってケトルバーン先生だと4年の中頃じゃなかったか?」

 

 昨年の中頃にやったヒッポグリフ。

 頭と体の前側、そして羽は大鷲で体の後ろ半分が馬のような体を持つ半鳥半馬の生き物。魔法生物の危険度を表すM.O.M.分類では決して危険すぎる生物ではない。だが、誇り高く、侮辱されるとその大きく強力な鉤爪で攻撃してくるため、対応には注意が必要だと教えられたものだ。

 

「ええ。対処を間違えると攻撃してくる危険があるから扱いに注意が必要だって。

 注意をしてなかったのか、その生徒が聞いてなかったのかは知らないけど、ヒッポグリフの爪で腕を切りつけられたそうよ」

 

 広い交友関係を使って噂話などを仕入れてきたらしいのだが、どうやらその中にハグリッドのあの授業の奇妙さの原因についてを解く鍵もあったらしい。

 

「ふーん。それで怪我なんかするはずねー、フロバーワーム? 極端から極端に走るな、あの先生」

「ヒッポグリフはハグリッド先生が大切に飼育されていた子たちだってケトルバーン先生がおっしゃってたから、自信のある授業だったんでしょうね。人生最初の授業で怪我人を出しちゃったから落ち込んでたのよ」

 

 ヒッポグリフに限らず禁じられた森に居る生物の多くはハグリッドが育てたと自負するものも多い。ケトルバーン先生も授業教材に森の生き物を使うことはあったが、その際にはハグリッドの協力を得ていた。

 

 大切な授業だと意気込んでいたからこそ、とびっきりの生き物を用意したのだろう。授業難易度を無視していたのは褒められたことではないが、決して初めからあれほど無気力だったわけではないのだ。

 

「でも無責任よね。O.W.L試験のある学年であんな授業をするなんて!」

「うーん、そやなぁ……」

 

 同情を示しつつも、それでも教師としての職務とある意味、私事とを分けることができずに授業をほぼ放棄していることは許せないのだろう。フィリスは憤慨しており、咲耶もフォローのしようもなく苦笑いを返した。

 贔屓で有名なスリザリンの寮監、スネイプ先生でも授業自体は非常に高度できちんとしたものだし、クィディッチシーズンには宿題を出さなくなることで知られるマクゴナガル先生とてそれは同じだ。

 昨年末のスプリングフィールド先生も、事件の煽りで授業を続けられなかったが、きっちりとした(ある意味では彼よりもちゃんとした)代行教師をおいて授業を継続していたのだから。

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 さて、前年度最後、魔法世界へと急遽赴くことになり代行をたてたスプリングフィールド先生は

 

「何やら5年生は魔法省主導の試験があるらしいが、当然ながらこの授業にはそんなものはない。ので、継続したくなければ無理には受講は勧めない」

 

「相変わらず、つーか、なんつーか」

「受講者を募っているように聞こえない」

 

 忙しいことを考慮してと言うよりも、積極的に履修脱落を勧めているかのような物言いにリーシャもクラリスも呆れた顔を向けていた。

 

 たしかに魔法省の規定にはない精霊魔法は、O.W.L試験で忙しい5年生には真っ先に削り取られる候補筆頭だろう。

 今までも開講初年度はそれを考慮してか受講は4年生以下を求めていたし、2年である昨年も5年生の受講者は少なかった。(ただし、それは1年目の壮絶な試験内容のせいもあって、どの学年でも少なくなっていたのだが)

 

 留学生が居ることで他の学年よりもややモチベーションが高い生徒が多いこの学年でも、やはり想像以上の試験への圧力から受講を悩んでいる生徒は多いのだろう。友人と一緒に受講している生徒などは互いに顔を見合わせて、今すぐ教室を出るべきか、と目が語っている者もいた。

 

 だが、

 

「さて。それでも授業を継続受講したいという奇特な奴に面白いお知らせだ」

 

 続けられるお知らせに、生徒たちはおやっ、というように顔をスプリングフィールド先生へと向けた。

 

「以前にも言ったが、こちらの世界の人間が魔法世界に行くには非常に厳しい審査と手続きが必要になる。だが、今年度の学期末試験を通過した2年生以上の奴には“とあるところ”から魔法世界への招待状が送られることとなる」

 

 そして、まさかのお知らせ内容に、ほぼ全ての生徒が目を丸くした。

 スプリングフィールド先生自身が今しがた言っていたように、そして昨年も言ったように、魔法世界に行くのは非常に手続きが難しく、現在の彼らが行くのはほぼ無理だと言っていたのだ。

 それはおそらくホグワーツの生徒に限ったことではなく、イギリス旧来の魔法族全体をとっても同様のことだろう。

 純血の魔法族であるリーシャですら、魔法世界に行った事のある人というのは聞いたことがなかった(昨年の大法螺教師を数に入れれば別だが)。

 

 好奇心旺盛なウィーズリー兄弟は互いに顔を見合わせて何やら悪い顔でこそこそと話し始めているし、ディズですらびっくり、という表情で固まっているように見える。

 

「日程は次の夏休みに1週間ほどだ。向こうでの諸々の旅費は滞在費を含めて支給されることになる、まあ研修旅行だな」

 

「マジかよ!?」

 

 おまけのように告げられた内容に、教室内のざわめきは一層高まっていた。

 リーシャが思わずびっくりとした声をあげたが、それは教室のあちこちからも聞こえている。

 

「何かあった?」

「んー。こっち(・・・)はうちも聞いてないなぁ」

 

 クラリスは隣に座っている咲耶に振り返り尋ねるも、咲耶も小首を傾げていた。

 夏にリオンが魔法世界に行ったのは、主に事件の調査や、“例の件”に関するものだと聞いている。

 

 ただ、リオンが言っていた“とあるところ”というのには予想がついていた。

 新世界と旧世界の融和。そのために旧世界の魔法族を招待しようというつもりなのだろう。

 なにせ、新世界の純粋魔法族は、来ることができるようにはなっていても、まだ色々と制約がおおきいのだから。

 

「2年以上で試験に通った者は全員連れていくことになってるから今年は念入りにふるいをかける予定だ」

 

「げ? 気前がいいのか、きついのかよく分かんなくなってきたぞ」

「見事に飴と鞭ね」

 

 試験がなくとも、魔法世界旅行ができるのならば受講動機は高まる。だが、そのために授業がこれまで以上に苛烈化するというのでは、中々に判断に困るところだ。

 リーシャとフィリス同様、生徒たちは困惑を深めていた。

 

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 

 サプライズ発言のあった精霊魔法の授業後、そこかしこで、というには受講者が少なかったものの、それでも人の口の端に戸は立てられずに魔法世界旅行の話は話されていた

 

「魔法世界か~。空飛ぶ島の国とかも行くのかしら?」

「うーん。多分、援助してくれとるんてアスナさん、じゃなくてアスナ女王様たちやと思うから、行くんちゃうかな」

 

 咲耶たちもそれについて話をしていた。

 授業中一緒だったリーシャやフィリス、クラリス、セドリックにルークはもとより、他寮のディズの姿もそこにはあった。

 フィリスはいつか見た荘厳な空飛ぶ王国を思い出して陶然としていた。

 

「それよりさー。なんか精霊魔法も座学増えそうじゃねぇ?」

 

 ただやはり喜んでばかりいられないのはやはり、実技主体だった以前までと違って初っ端から座学色を濃厚にしているためだろう。

 特に座学の苦手なリーシャは、他の授業での試験推しもあってややげんなりとした顔をしている。

 

「魔法世界に行く前に現地の知識を覚えておきなさい、ってことなんでしょ」

「そやねぇ」

 

 セドリックやルークも苦笑してリーシャを見ており、リーシャはフィリスのヤレヤレとばかりの口調と咲耶のほんわか顔に、ぷぅと頬を膨らませた。

 

「授業でさー。杖なしで空飛ぶ魔法はやんねえのかなぁ」

「へぇ。そういうのもできるのかい?」

 

 あーあと天井を仰ぎながらのリーシャの言葉に、ディズが興味深そうに食いついた。

 

「サクヤのわんこの話だと、スプリングフィールド先生もできるって話だよな」

 

 精霊魔法の授業が始まって3年目になるが、空を飛ぶ魔法に関しては一言も触れられておらず、そういえばそんな魔法があることも咲耶の式神であるシロから話を来ていた数人しか知らなかったはずだ。そのことに気づいたのかリーシャが顔を天井から戻してディズへと振り向いた。

 

「それに去年さ。先生、バチバチーって光る変身技みたいなの使ってなかったか? アレなんて魔法なんだ?」

「変身技?」

 

 話していて思い出したのか、リーシャが咲耶に尋ねた。

 この中でその光景を見ていないディズは説明を求めるように咲耶へと視線を向けた。

 

「ああ。なんか雷みたいになった先生が、一瞬で姿現しのように現れて悪魔を切り刻んだんだ」

「んーっと、あれはうちも使ってるん初めて見たんやけど、リオンのとっておき……かな?」

 

 セドリックもあの時の圧倒的なスプリングフィールド先生の強さを思い返していた。

 白く光る体。バチ、バチと周囲に雷を溢れさせ、一瞬で出現した超高速の移動術。

 

 ただ尋ねられた咲耶も、実際にリオンの戦闘を間近で見たことはそうはなく、その時でもあんな技は使っていなかった。

 唯一思いあたるのは、彼の主幹を為す属性に準じた技法だが、それは……

 

「クラリスの時と言い、列車の時といいさ。なんかこうしてみると、精霊魔法教えてもらってるけど、まだ全然知らない魔法ってたくさんあるんだな」

 

 ふーんと感心するように言うリーシャ。

 

 未知なる魔法の存在に、ディズの瞳が鋭く細められているのを、咲耶は見てはいなかった。

 

 

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

 

 試験の準備のための発破を散々にかけられた咲耶たち5年生だけでなく、他の学年の生徒たちも今年の新しい変化に戸惑って、あるいは歓迎していた。

 

「今年の防衛術の先生は、いままでで一番いい先生だよな」

「ええ。ホントにいい先生だわ」

 

 新しい闇の魔術に対する防衛術の教師、リーマス・ルーピン先生の授業は概ね好評を得ていた。

 よれよれでぼろぼろのみすぼらしいなりや呪い一発でダウンしそうな外見とは裏腹に、その授業は学年のレベルに合わせて実践的で分かりやすく、生徒をその気にさせるのが上手く、最初の授業でロンもハーマイオニーも先の2年を忘れてお気に入りの授業認定していた。

 ハリーも二人やそのほかの多くの生徒と同じく教師としてルーピン先生がお気に入りとなっていた。

 

「ハーマイオニーの数占いと古代ルーン文字学はどうなんだい?」

「とっても素晴らしいわ。ルーン文字はそれぞれの文字に幾つもの意味が込められていて、使い方によってはそれ自体が魔法の代わりになることもあるの。数占いも、占いなんてって思ってたけど、理論的で私には合ってたみたい」

 

 とっても嬉しそうに答えるハーマイオニー。

 昨年、授業選択の岐路に立たされた際に、どうやらハーマイオニーは他寮の上級生で親しい咲耶やその友人の意見を参考にしたらしく、魔法生物飼育学を除けばハリーとロンとは異なる科目を選択していたのだ。

 

「貴方達は……あまりいい授業とは言えないご様子だったわね」

 

 彼女がとらなかった授業、占い学を選択したハリーとロンは、初回のばかばかしい授業を思い出して顔を顰めた。

 シビル・トレローニー先生の受け持つ占い学。

 ハリーとロンがその授業を受けたのは、噂では適当にやっていればいい科目とのことだったからだ。なにせ占いなんて不確かでほとんど胡散臭い科目なのだから。 ――ちなみに隠しきれていないがグリフィンドール寮監のマクゴナガル先生もそれには同意見のようだ。

 その適当も二人、のみならず多くの生徒には苦痛であった。なにせ教室内には異様なほどに紅茶の咽る様な匂いが充満しており、あからさまに胡散臭いほどに仰々しく飾った室内とキャラクター。

 極めつけは、マクゴナガル先生曰く、“トレローニー先生の毎年の挨拶”という死の予言だ。なんでも初回の授業で行った紅茶占いによると、ハリーには死神犬のグリムがとりついており、死の予兆が見えるとのことだ。ちなみに、いつまでに死ぬかは言われていない。

 

 付け加えると、2年前に予言を受けたのは、ハリーもよく知るサクヤ・コノエなのだそうだ。

 その彼女は、今の所、元気にペットの子犬や友人と楽しく、とっても健康的に過ごしている。

 

「まったく、あのインチキババア。いいかい、ハーマイオニー。君があの科目を履修しなかったおかげで僕たちは一つ試験を落とすだろうさ」

「私が、何を履修しようと、貴方たちの成績には影響を及ぼさないはずですけどね」

 

 ロンの言葉に、ハーマイオニーは冷え冷えとした極寒の眼差しをプレゼントした。

 先の2年間、ロンとハリーの二人が試験と日々の課題をなんとかこなすことができたのは、ひとえに優秀な彼女の助力があったればこそだ。

 

 ただ残念ながらその頼みの綱のハーマイオニーは占い学をとっていない。

 

「どうせならこの際、他の科目もご自分の力でなんとかしてみてはいかがかしら」

「おいおい! ハリー聞いたかよ。ハーマイオニーは僕らがジニーと同じ学年になっても平気だって言ってるぜ」

 

 ロンのあまりに情けない非難の仕方にハリーも情けない顔をするが、彼もまたハーマイオニーの助力なしには今年一年を無事に通過できるとは思えない。なにせロンはともかく、ハリーはクィディッチチームのシーカーとしてほとんどいつもぐったりとなるほどに練習に明け暮れることになるのだから。

 ハーマイオニーはロンの非難に溜息をついた。

 

「私、サクヤから誘われた決闘クラブに参加しようと思ってるのよ」

「はぁ!?」

「貴方はもうとってないから知らないでしょうけど、今年、精霊魔法をパスした生徒は魔法世界に研修旅行に行けるのよ」

「魔法世界!!?」

 

 ハッフルパフにいる留学生のサクヤ。彼女と仲の良いハーマイオニーは、知識旺盛さもあって精霊魔法の授業をかなり気に入っているようなのだが、それに対してロンは試験の厳しさと、異世界の魔法という事で精霊魔法の授業を嫌がってリタイアしてしまったのだ(一応理由としては昨年杖が半壊していたためということだが、杖自体は夏のウィーズリー家の幸運で新調したらしい)。

 

「そうよ。今年の試験をクリアした2年生以上の生徒全員、招待するそうよ。だから少しでも予習しておきたいし、せっかくサクヤから誘われたんですもの」

 

 昨年、ロンとハリーも聞いていたが、その時は色々と事情が重なっていたために断った決闘クラブ。

 その目的は一応、実践的な魔法の使用方法を自主的に学ぶということだが、その中に咲耶がいるのだから精霊魔法のことも多少は学ぶ機会があるだろう。

 

「でもまあ。どのみちうちはお金が厳しいし」

 

 精霊魔法にも決闘クラブにもあまりいい思い出のないロンは不貞腐れて口を尖らせた。

 

「魔法世界での旅費と滞在費はタダだそうよ」

「あ、ジニー」

 

 近くの通りがかりに3人の話を聞いていたのか、ジニーが声をかけてきた。

 ハリーが声をかけてきたジニーに振り返ると、ジニーは怯んだように赤くなって顔を俯かせた。だが、すぐに何かを思い直したようにぐっと堪えて真っ赤な顔をハリーに向けた。

 

 ロンはジニーの言った旅費タダと言う言葉にあんぐりと顎を落した。

 

「マジかよ……でもジニーは、あんな授業もうとってないだろ?」

「あら、失礼ね。ちゃんと受講は続けてます。フレッドとジョージもとってるそうよ」

 

 つい最近、幸運に恵まれてエジプト旅行に行けて、また同じような幸運に恵まれればいいのにと思っていたくらいなのだ。

 みすみすそのきっかけを手放しており、それを妹や二人の兄が掴んでいるかもしれないと思えば唖然ともするだろう。

 ロンは不満そうに口を尖らせて恨みがましい視線をしている。

 

 ハリーはロンを見てむずがるように顔を顰めた。親友の一人であるロン、そしてウィーズリー家にはよくお世話になっている。ダーズリー家で餓死させられそうになったところを救い出されてウィーズリー家で歓待を受けたこともあった。

 

 できればロンもなんとかしてやりたい、と思いはすれど、あの先生が一度リタイアした生徒を旅行に行きたいからと言う理由で再受講させるとは到底思えない。

 

 ぶつくさと恨み言を言うロンをハーマイオニーは呆れたように見やっていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

牙を隠す者たち

 じめじめとした日が続くようになった10月も終わりに近づいていた。

 みんながパンプキンパイのいい匂いにそわそわとしだすハロウィーンの日に、咲耶たちはホグワーツを離れ、ホグズミードへと向かっていた。

 

 本日のホグズミード行き。昨年まではほぼ必ず行動していた4人のメンバーは一人の欠員が生じていた。

 

「なぁなぁ。リーシャはフィーの彼氏さんのこと知っとった?」

「いんや。でもまあ、前からよく告白されてたし」

 

  “彼氏と行くから、ごめんねー”という軽い言葉で唖然とさせられ、そのまま颯爽とエスケープしたフィリス不在で、3人は玄関ホールから外に出ているのだ。

 

 ワクワク顔でフィリスの彼氏さんを想像して楽しんでいる咲耶に、リーシャは関心が薄いのか眠たげに答えている。

 

 いつもならこの手の会話にはノリノリで応えるのがフィリスなのだが、残念ながら今日のメンバーでは咲耶のテンションについてこられる乙女がいない……かと思いきや。

 

「知ってる。この前図書館で告白されてた」

「ホンマ!? どんな人やったん、クラリス!?」

「グリフィンドール生」

 

 言葉短いながらも返してきたクラリスに、リーシャも虚をつかれたように目を丸くした。

 ワクワク話に広がりが出てきたことで、咲耶の瞳はきらきらと輝いており、クラリスはほんの少しだけ口元を緩ませて話に応じている。

 

 意外さに驚いていたリーシャは、楽しそうに話している二人を見て、目元を緩めて温かな視線を向けた。

 少し急に変えようとし過ぎているようにも見えるが、前よりも明るくなろうとしているのはいい傾向のように見える。

 …………その方向性がリーシャ自身が苦手な恋話というのはなんとも話をつなげにくいのだが……

 ぽりぽりと首元を掻いたリーシャは苦笑しつつも話題に参加した。

 

「サクヤ。今日はスプリングフィールド先生はどうした?」

「リオンは最近忙しそうにしとってなぁ。な、な。クラリスは恋愛とかどうなん?」

 

 眩いばかりの咲耶の問いかけに、さしものクラリスも困ったように笑みを曇らせた。

 

「……まだ分からない」

「そかそか」

 

 しゅんとしたクラリスの頭にぽんと手をおいてにこにこと微笑みかけた。

 

「分からない、ね……」

「なに?」

「んー? 前だったら、要らない、とか言ってそうだったのに、変わったなーと思って、あいてっ!!」

 

 クラリスの物まねのつもりか、無表情っぽくして言ったリーシャが、にまりと笑った。

 クラリスはむっと唇を尖らせて顔を赤くすると、リーシャの足を踏んづけながら頬を膨らませた。

 

 

 

 第42話 牙を隠す者たち

 

 

 

 3年生以上のほとんどの生徒がホグズミードへとお出かけしていつもよりがらんとしたホグワーツ城内。ホグズミードへと行けなかったハリーは一人城内を歩いていた。

 

 3年生からは保護者の許可証を得た生徒は決められた週末に赴くことができるのだが、今年のハリーはその許可を得られなかったのだ。

 元々ハリーの保護者であるバーノンおじさんは魔法との関わりを極端に嫌っており、ハリーの学校生活なんかには極力関わりたくないと思っていたし、特に今年の夏休みの終わりには伯母さんを膨らませるという大失態を犯してしまって家出までやらかしたのだ。当然許可など下りるはずもない。

 ハーマイオニーとロンの二人は初めてのホグズミードということで喜んで行ってしまったし、寮内に留まったらハリーを英雄視する後輩に纏わりつかれて辟易されるだけだ。

 

 ホグズミードの楽しそうな話はここ最近、寮内でいろいろ聞いた。

 3本の箒のバタービールやゾンコの悪戯グッズ、ハニーデュークスのお菓子。聞くだけでわくわくさせられるそれは、行くことができないことが決まっていたハリーの気持ちを沈ませた。

 今ごろハーマイオニーとロンはホグズミードを楽しんでいるだろうし、サクヤたちもそうだろう。

 

 寮の談話室で纏わりついてきた後輩には図書館で勉強しなければならないと言って出てきたが、友人たちが楽しんでいる時に一人寂しく勉強する気にはなれない。

 あてどなく歩いていたハリーは、ふと上階の方へと足を向けていた。

 城内では今夜のハロウィーンパーティの準備のために美味しそうな匂いが充満しており、残っている下級生たちもパーティの楽しげな雰囲気の予兆を感じてかそわそわとしているように感じられた。

 

 その空気が、どことなく場違いに感じられるのはハリーの気持ちがそれだけ沈んでいるからだろう。ホグズミードに行けなかったことだけでなく、色々なことがハリーの気持ちを沈めていた。

 脱走したシリウス・ブラックはヴォルデモートの忠実な家来で、今もハリーを殺せば彼が復権できると信じ込んでいるし、その捜索に来たディメンターは存在自体が気持ちを陰鬱にさせる。

 ディメンターはなぜかハリーにのみより強い影響を及ぼしてしまい、列車内の立ち入り調査の時にはネビルやジニーですら震えているだけだったというのにハリーだけが気絶してしまった。

 他にもマルフォイのバカげた行動のせいで、友人で先生になれたハグリッドは危うい立場に立たされてしまっているのも一つだし、占い学のトレローニー先生の死の予言だってそうだ。

 なによりもその予言を出鱈目と割り切ることができないことに、ハリーは死の予兆であるグリム犬を目撃してしまったような気がするのだ。

 

 今もこの近くをシリウス・ブラックがハリーの命を狙って侵入を試みているかもしれない。そう思うとハリーは胃がきゅぅとねじれたように感じた。

 

 ぼぅっと歩いていたハリーは、不意にぐんと圧し掛かるような圧迫感を覚えて、前を見た。

 

 精霊魔法の教師、スプリングフィールド先生が、どこか遠くを見るように窓から外を眺めていた。

 常に相手を威圧し凍りつくような碧眼。日々変わるように見える髪の色は、今日は金に近い色合いを帯びている。

 

 ハーマイオニーたちが楽しげに赴いたホグズミードの方を見ているような気がしたのは、ハリーの気の所為だろうか。ハリーが近くにいることに気づいていないのか、先生はこちらに目を向ける様子はない。

 

 ふとハリーはこの前の咲耶との会話を思い出してまじまじとスプリングフィールド先生の顔を見た。

 今日の髪の色が金のため、印象が違うように見えるが、それでも顔立ちは夏休みに見たニュースの“なんとか・スプリングフィールドさん”と似ている。

 同性の自分ですらはっとするように整った容姿。昨年のロックハートも見た目のよさと吹聴していた経歴のために魔女から人気で、彼自身それを好んで触れ回っていたが、この先生は逆に拒絶するような冷たさを帯びていながらも密かに人気を集めていると聞く。

 なによりもあの咲耶がひどく執心しているという話をハーマイオニーから聞いて、ハリーの心に細波をたてていた。

 

「あの、スプリングフィールド先生」

 

 気づけば、ハリーは我知らず呼びかける言葉を、先生にかけていた。

 向けられた視線は、ハリーがそこにいたことに気づいていなかった風ではなく、居るのを知っていて、それでも気にかけるに足らない存在だったとばかりの冷たい眼差しだった。

 ダンブルドア校長に見られている時と同じように心を見透かしているように感じた。だがダンブルドア校長のきらきらとした安心感をもたらせる見守るような瞳とはまるで感じさせる熱が違った。

 凍えるように冷たく、冷たすぎて火傷のように痛みをもたらすかのように鋭い瞳。

 

 思わずハリーは、身を縮こませてしまい、次の言葉を失った。もとより声をかけたのだって、意識の隙間から抜け出たようなものだったのだ。

 

「ハリー・ポッターだったな。なんだ」

 

 声だけかけて二の句を失っているハリーに、スプリングフィールド先生は不機嫌そうな(通常運転の)声を返した。

 

 ふと、ハリーはスプリングフィールド先生の態度が、ハリーにとって他の誰とも違う態度を取っているように思えた。

 相手の存在を意に介さない態度。居ても居なくてもどうでもいい。

 

 学校でのハリーは、言ってみれば目立つ存在だ。ハリー自身は目立ちたいとは思っていなくとも、“生き残った少年”として周囲に知られているし、それだけでなくクィディッチチームのシーカーとしてや、色々な厄介事を起こした生徒として知られている。

 生徒だけでなく、先生たちにとってもそれは多少見られる。

 そして仲の悪いマルフォイやスネイプたちとは、逆に見れば嫌悪を飛ばし合うような間柄だ。

 一方でマグルの世界に戻れば、ダーズリー家の人たちはハリーを居ないものと扱おうとするが、それは居ることを知っているからこその態度だし、ホグワーツに来る前の学校生活でも周囲の子たちはガキ大将のダドリーがイジメの対象にしていたせいで、関わらないように意識していた。

 

 良くも悪くも、ハリーは今まで周囲から多少の意識を向けられていたのだ。

 だがスプリングフィールド先生のそれは、本当にどうでもいいものを見る様な目に見える。彼の注意を向けられる存在はたった一人だけ。無言のうちにそう告げているようにも感じられた。

 

 いろいろ考えていると、スプリングフィールド先生はすでに完全に意識からハリーのことを消し去ったのか、ハリーに背を向けて立ち去ろうとしていた。

 

「あの、スプリングフィールド先生! 話したいことがあるんです」

 

 慌てたハリーが再度声をかけると、先生は足を止めて顰め顔で振り向いた。

 

「ロンの、僕の友達のロン・ウィーズリーなんですけど、去年杖が壊れてしまっていて、精霊魔法の授業を受講できなかったんです。それで、その、できれば再受講できないかなって…………」

 

 ふと、思いついたのは先日話していた魔法世界旅行のことだ。

 ロンが精霊魔法の受講をもともとは嫌がっていたのは知っているが、一応受講を辞めた理由はある。

 スプリングフィールド先生は多くの再受講希望の生徒、例えば純血の名家であるマルフォイなどの受講も拒んだことで知られている。

 

 ハリーは半ば無駄だと思いつつもロンのことを頼んだ。

 

「知るか。そんな話は聞いてない。リタイアしたければ勝手にしろと言ったはずだ。リタイアした奴のことなんぞ知らん」

 

 案の定、返ってきた答えはにべもない拒否だった。

 

 ハリー自身、深く考えての発言ではなかったし、ほとんど無理だと思っていたのだからしょうがないが、反発の心が湧きあがるのは抑えられない。

 たしかにとても強い魔法使いなのだということは知っているし、サクヤはこの先生を深く慕っているのは知っているが、どうしてと思わずにはいられない。

 

 つい、その背中を見る目つきが厳しく、睨み付ける様な眼差しになり始めた時、

 

「ハリー?」

 

 近くの部屋から、落ち着いた穏やかな声がかけられた。

 

「おや。スプリングフィールド先生も。どうされたんですか?」

「ルーピン先生」

 

 スプリングフィールド先生が身に纏う威圧するような空気とは全然違う、優しげな雰囲気のルーピン先生だ。先生はどこか影を帯びたような顔をしているものの、スプリングフィールド先生が居るのを見て、ハリーを気遣わしげに見やった。

 

 スプリングフィールド先生はルーピン先生の声に振り向いた。

 ちらりと視線を向けたスプリングフィールド先生は、にやりと笑みを浮かべた気がした。そして、その口元に牙のようなものが見えたような気がしたのは、多分ハリーの気の所為だろう。

 

「ほぉ。まだ(・・)元気そうだな、リーマス・ルーピン」

「ええ。ハリー、スプリングフィールド先生になにか用かい? ロンやハーマイオニーの姿は見えないようだけど」

 

 一瞬、顔を強張らせたルーピン先生は、強引に顔をスプリングフィールド先生から逸らすとハリーの方へと視線を向けて話した。

 

「二人はホグズミードです。僕は……許可がなくて」

 

 ハリーとルーピンが話を始めると、スプリングフィールド先生は興味が失せたのか止めていた歩みを再開して遠ざかって行った。

 ルーピン先生は睨み付けるように去って行くスプリングフィールド先生を見ていた。その目が、何かをひどく警戒しているように見えてハリーは驚いた。

 

 どこかで、その警戒の仕方を見たことがある気がした。

 どこか最近……まるで、人の姿をした獣のような…………

 

「ルーピン先生?」

「ああ、ハリー。……ちょっとわたしの部屋に来ないかい? ちょうど次の3年生ようのグリンデローが届いたところなんだ」

 

 声をかけられたルーピン先生ははっとして、すぐに穏やかないつもの先生に戻ってハリーを自室へと招いた。

 

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

 ホグズミードから帰ってきた咲耶たちは待ちきれないとばかりに興奮している下級生たちと大広間へと向かい、例年通り豪華で楽しいハロウィーンパーティーを楽しんだ。

 

「デートどやった、フィー?」

「まあまあだったわよ」

 

 流石に咲耶も3年目ともなればこの豪華なパーティにも慣れつつあるが、特に今年は学校の周囲を取り囲むディメンターのせいもあって、どこか生徒の気勢も大人しめのように感じられる。

 それでも楽しみは楽しみ。この日ばかりは明るい顔が溢れていた。

 

「ホグズミードではよかったんだけどねー。城門のとこにいたディメンターが、ね……」

「あれいつまでいんだろな。ホグズミードの度にあれじゃ、楽しさ半減だっての」

 

 溜息交じりのフィリスの言葉にリーシャはジュースを飲む手を止めた。

 特急内では同行していたスプリングフィールド先生が追い払っていたが、流石に城門警備の任についているディメンターを追い払うわけにはいかないし、そもそも一介の生徒にそれを期待するのも酷というものだろう。

 なお今回はスプリングフィールド先生も同行しなかったので、代わりに咲耶の足元を歩いていたシロが目一杯に牙を剥いてディメンターを威嚇していた。

 

 昨年校長が手配した舞踏団のようなサプライズは流石に時節を考えてかなかったが、ホグワーツのゴーストによる演出やダイナミックな(?)空中滑走によって宴は盛り上げられて締めくくられた。

 

 

 みんなが心もおなかも満腹になり、後はベッドにもぐってぐっすり休んで明日への英気を養う。それでこの日も終わりを迎える…………はずだった。

 

 

 すでに眠そうに眼をこする生徒がそこかしこに見える大広間に咲耶たちは再び呼び戻されていた。

 咲耶たちハッフルパフ生のみならず、グリフィンドール生、レイブンクロー生、さらにはスリザリン生と学校の生徒全員が大広間へと集まっていた。

 

 ざわざわと困惑している生徒たちを、ダンブルドアがぐるりと見回した。

 

「隠しておっても、いずれ望ましからざる形で皆が知ることになるじゃろうから、先に言うておくが、先程グリフィンドール寮にて侵入者があったという痕跡が見つけられた。

 目撃者の話によると、侵入したのは現在指名手配されておるシリウス・ブラックということじゃ」

 

 ダンブルドア校長の話にざわつきが大きくなった。

 咲耶の周りでもフィリスがざっと顔を蒼ざめているし、クラリスは目を大きく開いて硬直している。

 

「おいおい、ディメンターはなにやってたんだ」

 

 リーシャは城壁に隔てられて見えない先に居るだろうディメンターを睨み付けるように外を睨んだ。

 

 

「よって今より、先生たち全員で城内を隈なく捜索せねばならん。皆には申し訳ないが、皆の安全のために、今夜はここに泊まることになろうの。監督生は交代で大広間の入り口の見張りに立ってもらい、主席の二人に、ここの指揮を任せる。何か不審なことがあれば、ただちにわしに報せるように」

 

 セドリックはマジメな顔を義務と緊張に強張らせ、フィリスはごくりと唾を飲んだ。

 ダンブルドア校長は現在の男子の主席が居るグリフィンドールの方を見て最後に付け加えた。

 

「おお、そうじゃ。必要なモノがあったのう……」

 

 未だ状況が整理できていない大部分の生徒を置いて、ひゅると杖を一振りすると、大広間の長いテーブルはすべて片付けられて、次の一振りでふかふかした紫色の寝袋が現れて床一杯に敷き詰められた。

 

 ぐっすりおやすみ、と声をかけながらダンブルドア校長は大広間を出て行った。

 

「さてと、それじゃ大変だけど、見張りに行ってくるわ」

「フィー」

 

 溜息をついて立ち上がったフィリスにリーシャが同行するような姿勢を見せた。

 殺人犯の侵入などという話を聞けば、到底安らかに眠れるとは思えないし、友人だけに負担を強いたくはないという思いからだろう。

 

「寝てなさい。これも監督生の仕事なんだから」

 

 だがフィリスはその気遣いに苦笑して、ひらひらと手を振ってリーシャたちを寝袋に戻した。

 フィリスの諌める言葉にリーシャは「むぅ」と顔を顰め、咲耶は口元に指を当てて少しだけ考え、足元にいる式神に呼びかけた。

 

「シロくん、フィーについたげて」

 

 命じられたシロは、主を見上げてその目を見ると、たったと駆けてフィリスの肩に駆け上った。

 子犬とは言え、肩に留まれば相応の負荷がかかるかに思えたが、やはりこの式神は見た目通りの質量を有していないのか、フィリスは特に肩にかかる重さは感じなかった。ただ、ふわふわの毛並が首筋を撫でて、温かなこそばゆさを感じさせていた。

 

「フィー。仮眠するときはシロくんの尻尾を枕にすると気持ちえーよ」

 

 たしかに、シロの毛並はふわふわのさらさらで、しょっちゅう咲耶が手慰みに撫でているのも納得できるほどに触り心地のよいものだ。

 ただ、尻尾を乱暴に扱われると相当嫌がっていたように思えるが、主の言葉に特に異論をはさむ気はないのか、シロは器用にフィリスの襟巻になっている。

 

「ありがと。よろしくね、シロくん」

 

 単に心構えさえしていれば、別に尻尾は弱点ではないのか、それともこの前のがただの振りだったのかは分からない。

 フィリスは咲耶の気遣いと、忠実なワンコの温かさに、少しこわばっていた頬を緩めた。

 

 

 寝袋を手に方々より集まって生徒たちはこの状況の原因である侵入者について話していた。

 そうやってシリウス・ブラックが侵入したのかと言う疑問。寮に生徒がいないハロウィーンでよかったという声。侵入方法についての予測を語る声。

 

 監督生であるハッフルパフのセドリックとフィリス、スリザリンのディズも扉の近くに集まってひそひそと話しをしていた。

 

「シリウス・ブラックの侵入方法、か……たしかスプリングフィールド先生は去年外からの侵入者を検知して迎撃していたはずだ。なのになぜ今回はあっさりと侵入されて、しかも逃亡まで許したんだろう」

 

 この状況でも、ディズには大きな動揺は無いように見えた。ただ、あのスプリングフィールド先生の目を掻い潜った方法、というのに関心があるのか、顎に手を当てて考え込んでいる。

 

 その言葉に、少しひっかかりを覚えたのかフィリスの首元にいるシロがぴくりと顔を上げてディズを見たが、そのまま伏せよろしく襟巻の体勢に戻った。

 

「まあ先生だって、ずっと監視してたわけではないだろうし。ディメンターの監視を掻い潜って来た方がむしろ問題かもしれないね」

 

 平静を保っているディズの姿にセドリックやフィリスも少し落ち着きを取り戻しているのか、セドリックは警戒態勢を敷いているはずのディメンターを掻い潜ったことの方を気にしている。

 

「もともとシリウス・ブラックはアズカバンを脱獄したんだ。何らかの方法で欺く術があると考えるべきだろう」

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 結局、先生たちのゴーストまでも動員しての捜索にも関わらず侵入者であるシリウス・ブラックを発見することはできなかった。

 もとよりダンブルドアも、ブラックが長々と校内に留まっているとは思っていなかったのか、一晩の捜索の後、朝には全生徒が寮へと戻された。

 

 そして、ディズたちが話していたことは咲耶たちも気にしていたことであり、翌日、幸いにも土曜の後の日曜日ということで咲耶たちは直接スプリングフィールド先生に尋ねていた。

 

「外への感知はこの学校に元々敷かれてる結界に便乗してるからだ」

 

 咲耶の「侵入者のこと分からんかったん?」という質問にリオンはそれほど気分を害した風もなくあっさりと答えた。

 あまりにもあっさりとしすぎていて、咲耶だけでなくリーシャたちも意味を把握しかねて首を傾げた。

 

「この学校には元々正規の手順で訪れた者以外を拒む結界が敷かれている。だからその結界が反応しない場合は外からの侵入者は俺にも分からん」

「出入りするのを見分ける結界とかにはしないんですか?」

 

 先生の説明にリーシャが思ったままを口にした。

 

 スプリングフィールド先生の話からすると、結界の条件はホグワーツの仕様らしい。この城はダンブルドアの庇護下にあることでイギリスで最も安全な場所と言われてはいる。だが、一昨年のクィレルや昨年の継承者、そして悪魔襲撃のことを考えると、防護体制は見直すべき余地が十分にあるように思える。

 

「出入りするのは人だけじゃない。一々そんな大量の識別ができるか」

 

 ホグワーツ城には城門が設置されているものの、その敷地は広大で、禁じられた森のように明確に野生の生物の往来のある領土も広い。

 他にも日々のふくろう便など大量の出入りがあるのだ。人にしても、認識してもそれが侵入者かどうかの判別は結局の所、リオンにはできないのだ。

 

「去年のあの雑魚どもは無理やり結界を破って来たから分かったわけだ。昨日の奴は正規の手順か、もしくは結界をすり抜けてきたようだから、結界の感知にかからなかったんだよ」

 

 昨年、先生方と圧倒したあの悪魔を平然と雑魚呼ばわりする精霊魔法の教師に一同は何とも言いようのない視線を向けた。

 

「じゃあ、先生はブラックがどうやって侵入して、逃亡したと考えていますか?」

 

 それならとセドリックが問題の方法について直接に尋ねてみた。

 セドリックはもちろん、イギリス魔法界のほとんどの魔法使いが、あのディメンターを出し抜く方法を思いつかないのだ。

 だが別の視点、異なる魔法体系の技をもってすればその謎を解けるかもしれないとおもってだったのだが。

 

「それを考えるのは校長殿だろう。俺が知るか」

 

 返ってきたのはあっさりとしたものだった。

 咲耶もリオンがこんな性格であることを分かっているので、困ったような愛想笑いを浮かべていた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

恐怖来襲

 シリウス・ブラックのグリフィンドール寮侵入事件の話はそれから数日間は続いていた。

 その話は被害にあったグリフィンドールだけでなく、校内の至る所で話されており、おしゃべりな生徒などは自らの推理を他人に聞かせるなどもしていた。

 

「私、ブラックは花の咲く灌木に変身できるんだと思うんです!」

 

 ハッフルパフの談話室でも3年のハンナ・アボットが聞き手がいるかぎりしゃべりまくっていた。

 

 

「木に化けてどうやって寮に入るんだか」

 

 あまりにハンナのおしゃべりがしつこくて、徒に恐怖を煽っていると判断したのか、監督生のセドリックとフィリスが注意をしているのをルークが呆れるように見ていた。

 

 殺人犯の侵入は恐怖ではあるが、実質的な被害はグリフィンドールの入り口の扉を担っていた肖像画だけだったらしく、人的被害はなかった。しかもそのことで警備体制はより強化され、屈辱に怒るディメンターたちも監視の目をさらに光らせることとなったのだ。

 

 入られたのも他寮であるし、もう再侵入は不可能だとでも思っているのか、まるで他人事のゴシップのような扱いだ。

 

「それじゃ、ルークはどうやったと思うんだ?」

「さあなあ。でも……木はともかく、なんかに変身したってのはありかもな。ほらマクゴナガル先生みたいに猫になるとか」

 

 リーシャに尋ねられて一考したルークは先程の推理をとっかかりに推測を一つ提示した。考えを言葉にしてみると、動けない木に化けて潜入を試みるよりは、よほどまっとうな線を衝いているように思える。

 

「それはない」

 

 だがルークの推理はクラリスによって一刀に伏された。

 

「自身を動物に変える“動物もどき(アニメ―ガス)”は公的な登録が必要な魔法。ブラックがアニメ―ガスなら魔法省が知らないはずがない」

 

 動物変化の魔法は難度の高い魔法だ。

 他人を動物に変えるのならともかく、自身の姿を意のままに変えるのは難しい。精霊魔法をつかっても、それは同じで純粋なヒューマンの魔法使いが自身の姿を動物に変化させるのは極めて難しいとされている。

 実際、昨年同年代ではトップクラスに優秀な魔女であるハーマイオニーは、自身の姿を誤って猫にしてしまい、戻れなくなりかけたのだ。

 

 難易度、危険性、そして悪用性の高い魔法であるがゆえに、イギリス魔法省ではその習得に制限をかけて管理しているのだ。

 そのため、ブラックがアニメ―ガスでないことは公の事実となっているのだ。

 

 

 

 第43話 恐怖来襲

 

 

 

 クィディッチのシーズンインが迫っていたが、天候は悪化の一途を辿っていた。

 開幕試合で伝統の一戦を行うグリフィンドールの選手は毎日泥だらけだったし、第1節でレイブンクローと戦う予定のハッフルパフの選手たちもびしょびしょの泥んこ状態の日々を過ごしていた。

 

 ブラック侵入事件の恐怖は、段々と近づいてくるクィディッチシーズンの到来の熱気に吹き飛んで行っていた。

 

 そして開幕の一戦、土曜日の試合を控えた数日前、談話室に入って来たセドリックは顔を顰めてリーシャたちにとある伝達事項を告げていた。

 

「はぁ!? 一戦目がハッフルパフとグリフィンドール!?」

「おいおい、毎年初戦のグリフィンドールとスリザリンの一戦は伝統だろ? なんでまた」

 

 告げられた決定に、リーシャもルークも思いっきり顔を顰めた。

 ハッフルパフチームは例年通りの予定としてレイブンクロー戦に焦点を当てた戦術を練っていたのだから、まるで戦術が違うグリフィンドールに相手が変わったと一方的に言われれば納得できるはずもないだろう。

 それはキャプテンとして伝えざるを得なかったセドリックも納得はしていないだろうことを、苦渋を飲んだその顔が伝えていた。

 

「スリザリンのシーカーが授業で怪我をしたらしくて、それが治ってないから試合日程が変更になったんだ」

「なったんだって、決定かよ!?」

「ああ」

 

 すでにクィディッチの審判を務めるフーチ先生から伝えられた決定だ。もはやこれ以上変わることはないだろう。

 リーシャは「はぁ」と溜息をつき、ルークはぐしゃぐしゃと髪を掻いた。

 

「怪我なんて、ぱぱーとサクヤが治しちまうとか」

 

 リーシャの咲耶を見ながらの苦し紛れの言葉はほとんど本気ではない冗談のようなものだ。それを聞いて、咲耶も前向きにそれを考えた。

 だがセドリックは顔を曇らせたまま首を横に振った。

 

「そのシーカー、3年のマルフォイだけど、本当は怪我が治ってるんじゃないかな」

「は?」

「怪我の話は9月の始めだ。いくらなんでもポンフリーがただの怪我を治せないはずない」

 

 セドリックの言葉にリーシャは間の抜けた声を漏らした。

 

 スリザリンのシーカーはドラコ・マルフォイという去年からのシーカーだが、どうやら今年の授業が始まってすぐのころに、魔法生物飼育学で腕を怪我をしてしまったらしい。

 すぐに校医のマダム・ポンフリーの治療を受けた筈だが、未だにその腕には痛々しそうに包帯を巻いている…………ということになっている。

 しかしいくらなんでも優秀な癒者の校医であるポンフリーがただの腕の怪我を一月以上も治せないはずはない。

 セドリックはマルフォイの、そしてスリザリンの言い分が、今、試合をしたくないのを誤魔化しているにすぎないと思っているらしい。

 

「なるほど。スリザリンらしいな」

「どういうこと?」

 

 ピンと来たのか額を抑えて眉をしかめたルークにリーシャが尋ねた。

 

「単にこの大荒れの天気でやりたくねーってことだろ。たしかマルフォイはスリザリンチームでは珍しく小柄だし、3年で経験も浅いしな」

 

 スリザリンチームの選手は基本的に大柄の選手が多い。基本戦術がラフプレーを多用したパワー主体のチームなのだ。

 だが、四寮のクィディッチチームのシーカーの内、セドリックを除く三人は体格的に小柄だ。それはシーカーが他の選手とは異なり素早く動くスニッチをとることだけを目的としたポジションであるために、パワーよりも圧倒的にスピードと小回りが求められるポジションだからだ。

 だが最近の天気の荒れようを見ると、当日も大荒れの天候の中での試合になる可能性は大いにあり得る。風の強い天候下では体重が軽いことで逆に箒捌きが邪魔されかねない。それでなくとも雨天でびしょ濡れになりながらの試合は望むものではないだろう。

 

「きったねー」

「真っ当とは言い難いけど、少しでも自分に有利になるようにするのは勝利に貪欲なスリザリンらしい手だよ」

 

 不満そうなリーシャにセドリックは苦笑して肩を竦めた。

 真っ向勝負を好むグリフィンドールやハッフルパフの選手は、スリザリンのプレースタイルが好みではない。

 だが、セドリックはそれも戦術の一つであることを理解しているのだろう。事実、スリザリンはクィディッチが中断された去年を除き、その戦術で優勝杯を手にし続けていたのだから。

 

「それにこっちにも悪いことばかりじゃない。グリフィンドールは一昨年からメンバーの交代がないから手の内はだいたい分かる。それに対してハッフルパフは新加入メンバーがいるし、フォーメーションもかなり変えているから手の内を見られる前に強敵に当たれるのはむしろラッキーだよ」

「はぁー。お人好し、つーか、セドらしいっつーか」

 

 慌ただしい試合変更を、それでも前向きにとらえるキャプテンにリーシャは呆れたような顔をしつつも、にやりと口元に笑みを浮かべた。

 

「未だ負けなしのハリー・ポッターがいるグリフィンドールを破ることができれば、うちは勢いに乗って一気に有利になれる。戦略的にも悪くないさ」

「だな。決まっちまったもんはしょーがねーし。それに悪天候なら、体の小さいポッターは不利だろうし。頼むぜセド!」

 

 セドリックの強気の言葉にルークもリーシャと同じように強気な笑みを浮かべた。

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 叩きつけるような豪雨が競技場に集まった生徒、先生たちの体を容赦なく打ち、びしょ濡れにしていた。傘をさそうにもうねりを上げる風は容赦なく手から傘をもぎ取り、雨合羽を着ていようとも関係なく体を濡らしていた。そして頻繁に轟く“自然の”雷がびりびりと耳を震わせていた。

 

「なあ! 今! どないなってんの!!?」

「50点!! こっちが負けてるわ!! セドリックもポッターも、まだ、スニッチを見つけられてないみたい!!」

 

 なぜこんな天気で屋外競技を行ったのか不思議なほどの豪雨が視界を悪くしており、試合の展開はいつも以上に見えていない。

 咲耶は雨音に遮られないように声を張り上げて隣に座っているフィリスと会話していた。

 

 箒で空を翔ける選手たちもこの状況では思うようにプレーできないのだろう、試合は長期戦の様相を見せようとしていたが、この天候ではそんな試合展開をだれも望みはしないだろう。

 体を濡らす水が体温を奪い、手はかじかんでいるだろうし、見えない視界の先から襲い掛かってくるブラッジャーが選手を容赦なく箒から叩き落とそうとしていた。

 

「ひゃっ!」

 

 ぴしゃんっ!!! とすぐ近くを稲光が走り、思わず咲耶は身を縮こまれせた。雷を操る魔法使いが身近に居るとはいえ、流石に自然の雷が平気とまではいかない。

 天候はどんどんと悪くなり、雷が断続的に鳴り響く空の下でこれ以上飛び続けるのは、落雷してくれと言っているようなモノだろう。

 選手たち、特に試合を終わらせるシーカーの役目を持つセドリックとハリーは、目を凝らして必死に金のスニッチを探し求めていた。

 

 そして

 

「動いた!!」

「セドリックが先に見つけたわ!」

 

 目的のものを見つけたのだろう。強風をものともしない箒捌きで加速したセドリックが上空へと昇っているのをクラリスが見つけ、フィリスを始め、ハッフルパフの応援席が沸き立った。

 

 ハリーの反応が一瞬遅れ、しかし味方の声に反応してハリーはスニッチへと迫るセドリックを見つけたのか、得意の猛加速を発揮してセドリックを追撃した。

 先行していたセドリックだが、ハリーの操るニンバス2000の加速力によってみるみるとその距離は縮められていた。

 

 咲耶もフィリスも拳を握りしめて、セドリックがスニッチを掴みとることを応援し、彼が前かがみになってスニッチへと突撃するのを祈るように見ていた。

 一方で10m以上あったハリーとの距離はすでに5mにまで縮められており、セドリックがスニッチを掴もうと手を伸ばす頃にはハリーの箒の先端はセドリックの後尾を捉えていた。

 行く手を遮る雨粒の壁をものともせず、ハリーの箒がぐんぐんと這い上り、ハリーの体がセドリックに迫り――その体が重なるように並び―――――

 

 次の瞬間、雨による体温の低下とは別の冷たさが競技場を覆っていた。

 

「えっ?」

「あっ!! 落ちる!」

 

 咲耶がその感覚を感じた時には、天へと昇っていたハリーの体が箒から投げ出され、真っ逆さまに落ちていた。

 フィリスを始め、観客たちの悲鳴が上がる。

 

 

 

 ハリーの体が隣から消えた瞬間、セドリックは伸ばした手の中にスニッチを収めていたが、同時に彼は違和感に気づいて旋回して競技場を見下ろした。

 

 乗り手を失ったニンバス2000が暴風に煽られて彼方へと飛ばされ、翼をもがれたハリーはなすすべなく地面へと墜落している。さらには落ちていくハリーに纏わりつくように黒い影のような者たち ―― ディメンターが競技場へと侵入していた。

 

「っっ!!!」

 

 セドリックもハリーがディメンターによって気絶させられたという話は聞いて、知っていた。だがそんなことを思い出すよりも先に、意識を失ったかのように身動きすらとることなく落ちていくハリーへと箒を向けて加速した。

 

 自由落下よりも速く地面へ向けて加速するセドリック。

 ハリーに近づくごとに、ディメンターによって気力を奪われているのか箒を持つ手が急速に凍えていく。

 

 早く早くと前のめりになる気持ちとは裏腹に、ディメンターによって表層化させられる負の思考が到底間に合うことはないと告げていた。

 事実、ハリーは意識がないのか ――あったとしても如何ほどの意味があったとも思えないが、落下する速度は重力に引かれてぐんぐんと加速しており、セドリックは完全に届いていない。

 魔法使いとはいえ、意識を失った状態で数10mの高さから地面に落下すれば到底無事には済まないだろう。

 客席からはディメンターの出現と、ハリーの落下という惨事の予感に悲鳴が上がっており――――

 

 

 ――『アレスト・モメンタム』――

 

 叫びを切り裂くようにダンブルドアの呪文が放たれた。

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 びしょびしょの体から水気をふき取り、着替えを済ませた咲耶たちは談話室で、勝利したハッフルパフのクィディッチチームを出迎えていた。

 だがその顔は勝利の凱旋と言うには凍り付いたように沈鬱で、中には震えている選手もいた。

 

「――――――仲間に元気を、活力を、健やかな風を。レフエクテイオー」

 

 咲耶が杖を一振りし、呪文を唱えると選手たちは暖かな風で包み込まれたような感覚を覚え、雨に打たれていたことによるものとは別の原因で低下していた温もりを取り戻した。

 

「サンキュー、サクヤ」

 

 ようやくほっと一息つけたリーシャが礼を言い、ルークや他の選手たちも代わる代わる咲耶にお礼を述べた。

 

「他はどこも怪我ない? 大丈夫なん、リーシャ?」

「大丈夫大丈夫。それよりサクヤ。後でセドのやつにもかけてやって。アイツ箒から降りた時、土みてーな顔してたから」

 

 クィディッチ開幕戦。

 伝統を破ってのグリフィンドール対ハッフルパフの一戦は、波乱の予兆を感じさせる開幕の経緯と同じように、いやそれ以上に波乱の終わり方を迎えた。

 

 多数のディメンターの乱入。

 それにより気を失ったハリーの落下。

 他の選手たちも、意識こそしっかりしていたものの、ディメンターの影響を受けて血の気を失ったように青ざめた顔をしていた。

 

 試合自体は、ディメンター乱入とほぼ同時にセドリックがスニッチを掴んだことによって、ハッフルパフが逆転勝利。一昨年の大敗の雪辱を果たした形になったものの、選手たちがそれを大っぴらに喜ぶことは今はまだできなかった。

 

「それで、そのセドリックは?」

「今、フーチ先生に抗議してるよ。再試合にしてくれって」

 

 姿の見えないセドリックの行方を尋ねたフィリスに、リーシャが答えた。

 

 あの時、落下したハリーを助けようとセドリックの他にも、グリフィンドールの選手たちも必死に箒を駆った。だが、それは到底間に合う距離ではなく、誰もがハリーが地面に叩き付けられる姿を予想した。

 だが寸でのところでダンブルドアの呪文が間に合い、ハリーは落下速度を緩め、地面に軟着陸した。

 そしてハリーの無事を確認するよりも早く、激怒したダンブルドアが競技場に飛び込んで、ディメンターたちに杖を向けた。なおも滞空を続けていたディメンターたちは、ダンブルドアの杖の先から現れた銀色の鳥のような姿をした何かに蹴散らされるように追い立てられ、競技場の外へと姿を消した。

 

「再試合? もう一度改めて試合するの?」

「いいや。多分ないだろ。抗議してるのはセドだけで、向こうのウッドだって納得してるんだから」

「勝つには勝ったけど、後味わりーな」

 

 再試合があるかを尋ねたフィリスにルークがそれを否定しているが、ルークも、そしてリーシャもその顔には苦々しい表情が浮かんでいた。

 

 ディメンター乱入という事件が起こったものの、試合自体はセドリックがスニッチを確保したことで終了。その決定は、審判のフーチはもとより、グリフィンドールチームのキャプテン・ウッドも認めており、ただ一人、僅かでもハリーの救出よりもスニッチを優先してしまったと思い込んで悔いているセドリックが再試合を願い出ていた。

 

「なあリーシャ。ハリー君はどないなったか分かる?」

「ああ。ポッターだったらダンブルドア校長に医務室に運ばれて、グリフィンドールのチームメイトが見てるよ。ディメンターのせいで気は失ってたけど、校長の魔法のおかげで目立った怪我はなかったみたいだ」

 

 友人の無事を告げる言葉に咲耶は「ほっ」と息を吐いた。

 ディメンターの乱入により、先生たちの多くも混乱し動揺していたのだ。ダンブルドアの救助が間に合っていなかったら、おそらくハリーは地面の染みになっていた可能性が大いにあった。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 開幕戦の後、すぐにでもハリーのお見舞いに行きたがった咲耶だが、流石に勝利チームの関係者がすぐに顔を出すのも気まずいだとうというフィリスの助言により、翌日以降に少しだけ顔を出すのにとどめることとなった。

 というのも医務室に顔を出した途端に、看病をしていたロンが牙を剥きだしにしてきて、威嚇したため、長居できなかったのだ。

 ハリーは見た目には怪我をしているようには見えないが、明らかに表情は暗く沈み込んでいた。

 

 ハリーにとって、初めての敗北。しかも追い打ちをかけたのは、あの試合で乗り手を失った箒が風に煽られ、競技場の外にまで吹き飛ばされてしまったことだ。箒は悪いことに暴れ柳に直撃し、修復不能の大打撃を受けて砕かれてしまったのだ。

 

 腕を怪我して試合に出られなかったはずのマルフォイは、グリフィンドールが敗北したと知るや翌日から全快したと公言して痛々しそうに巻いていた腕の包帯を取っ払い、なにやらハリーが気絶して箒から落ちる物真似を嬉々として演じて冷やかしていた。

 

 

 そして、落ち込んでいたのはハリーだけではなかった。

 波乱のあった初戦を勝利し、戦略通り駒を大きく進めたハッフルパフクィディッチチームにも暗雲が垂れ込めていた。

 

 スリザリンチームのシーカーの腕が“治った”のだから、平等にいくならスリザリンがレイブンクローと戦えばいいものを、なぜか公平な進行のもと、第2戦は例年通りハッフルパフがレイブンクローと戦うことになっていた。

 

「まったく。勝手やったのはスリザリンなのに、なんでウチが連戦なんだか。なぁ、セド……セド?」

 

 試合の時期はこれまた例年と同じく11月の下旬。つまり11月の頭にあった初戦からほとんど間がない短期間でまったく戦術の異なるチームとの対戦を余儀なくされ、ルークならずとも不満が口を衝いて出ていた。

 

 そして初戦の勝利を決定づけ、チームの士気を盛り上げるはずのセドリックは、翌週に入っても沈み込んだままだった。

 

「おーい、セド。セドリック・ディゴリー! いい加減しっかりしろよ。連戦なんだからもう時間ねえんだぞ」

「…………あ、ああ。えっと、そうだな」

 

 ぼぅっとしている親友に声をかけたルークは、それでも気持ちが入っていないキャプテンの様子に溜息をついた。

 

「おい。大丈夫かよ、セド? 練習中もなんかぼーっとしてるし、らしくないぞ?」

 

 練習中、らしくない動きのぎこちなさを連発していたセドリックの様子にリーシャも顔を顰めた。

 

「……やっぱりあの時、スニッチを掴むべきじゃなかったんだ」

「またそれか。あのなぁセド。あの時、セドはもうほとんどスニッチを掴むところだったんだ。先に反応してたのもセドだし、ディメンターが乱入してポッターが落ちてなくてもセドなら先にスニッチを掴んでたって」

 

 暗い顔をするセドリックに、リーシャがやれやれと溜息をついてその後悔を否定した。

 

 あの試合で、ハリーはスニッチを見つけて動いたセドリックの動きを見た味方の声に反応してようやくスニッチの存在に気づいていた。つまりそれだけハリーはセドリックに対して後れをとっていたのだ。

 たしかにハリーのニンバス2000はセドリックのクリーンスイープに比べて加速力に勝っているものの、あの状況ではセドリックの有利は間違いなかっただろう。

 

 セドリックは、人命よりもスニッチを優先させてしまったことを後悔しているが、一瞬を争うあの状況では咄嗟に箒から落ちたハリーに反応して彼を助けることはどんな箒乗りにもできなかっただろう。

 事実、セドリック以外にもグリフィンドールの選手たちですらハリーに追いつくことはできなかった。

 

「いや。ポッターはあの時、僕に追いついていた。箒の性能は向こうが上だったし、天候があんなのじゃなかったら技術だって……」

「おい。それ以上言ったらいい加減怒るぞ、セド」

 

 それでも悩みを抱えたままのセドリックを、リーシャは瞳に怒気を宿して睨み付けていた

 

 同じ寮で一緒に戦っていく仲間だから。

 同い年で、一番身近にいた一番上手い箒乗りなのだから。

 ぐちぐちと悩むそんな姿を見たくなくて、リーシャはセドリックへと怒りを向けていた。

 

 睨むリーシャと視線を逸らすセドリック。二人の姿にルークは重々しい溜息を吐いた。

 

 

 不協和音を修正しながら短すぎるインターバルはあっという間に過ぎ去った。

 

 

 

 そして11月最後の土曜日、対レイブンクロー戦。

 短い期間では再調整が間に合わず、勢いに乗るどころか士気がダダ下がりのハッフルパフにはもとより勝ち目の薄い試合だったのだろう。

 

 ビーターの一人であるルークは、注意の散漫なセドリックをブラッジャーから庇ってかかりきりになり、チェイサーを守ることができなくなっていた。

 

「わぁっ! リーシャ危ない!!」

「ああん! また外れた! もう、何やってんのよ!」

 

 咲耶やフィリスたちも懸命に応援の声を上げ、リーシャたちも必死にクアッフルを繋げてはいたが、点数は次第次第に開いていった。

 

 奇しくも戦いの女神が皮肉な気紛れを見せたのか、スニッチを先に見つけたのはセドリックだった。セドリックの数m上空を、挑発するように滞空していたスニッチにセドリックが箒を向けて翔けた。

 セドリックの動きを見たレイブンクローのシーカー、チョウ・チャンが、わずかに遅れて猛追した。

 

 スニッチへと先行するセドリックに追撃する相手シーカー。空へと翔け上るその姿は、あたかも先のグリフィンドール戦の焼き回しに見えたのかもしれない。追撃してきたチョウの姿を目の端で捉えたセドリックの動きは急激に鈍った。

 10m以上あったチョウとの距離はあっという間に5mにまで縮められており、セドリックがスニッチへと震える手を伸ばす頃にはチョウの箒の先端はセドリックの後尾を捉えていた。

 チョウの体がセドリックに迫り――その体が重なるように並び―――――チョウの手がスニッチを捉えた。

 

「あああ!!!」

 

 ハッフルパフの応援席から悲鳴じみた声が上がり、レイブンクロー席からは割れんばかりの歓声が轟いた。

 

 

 大敗を喫したハッフルパフ。

 それにより戦績はレイブンクローの1勝。ハッフルパフの1勝1敗。グリフィンドールの1敗となり、なんとかどのチームにも優勝の望みをつなぐ形となった。

 グリフィンドールチームのシーカーの箒と、ハッフルパフチームのキャプテンに大きな楔を打ち込んだ状態で。

 

 

 

「おいこら、ふっざけんなよ、セド!」

 

 怒鳴り声を上げてリーシャがセドリックの胸倉をつかみ上げていた。

 2戦目にして大敗を喫したハッフルパフ。

 リーシャが怒っているのは、ただ負けたことにではなかった。

 

「なんであの時、スニッチを掴まなかったんだよ! お前なら掴めただろ!!」

 

 レイブンクローチームのシーカー、チョウ・チャンとの一騎打ち。リードしていたセドリックは、1戦目を想起させるあの状況で、自ら速度を落してみすみすスニッチを敵に渡してしまったのだ。

 しかも、もともとリードはレイブンクロー。その結果、せっかく優勝候補のグリフィンドールを倒して1勝を上げたのに、再びあのチームに優勝の目を与えてしまったのだ。

 負けただけならまだいい。

 だが、セドリックは自分のせいではない事故の責任を感じて、グリフィンドールに勝ち目を与えたのだ。

 

「……あの時。レイブンクローの彼女が追ってきた時、この前の試合が頭をよぎったんだ。このままスニッチを掴んだら、きっと同じことの繰り返しになるんじゃないかて…………。僕は実力でポッターに勝ったんじゃない。だから、掴めなかったんだ」

 

「ざけんな! 実力だろ!! あの時、スニッチを先に見つけたのも、掴んだのもセドの実力だろ!!」

「…………」

「ずっとずっと、私が…………くそつ!!」

 

 

 

 

 怒鳴るリーシャと、それを黙然として受け入れるセドリック。二人のその様子を窺うように、それぞれの親友であるフィリスとルークが隠れて見ていた。

 

 

 セドリックの胸倉を突き放し顔を背けたリーシャ。

 怒鳴っていたリーシャの言葉に項垂れるように顔を背けたルークの様子に、隣のフィリスは呆れたような視線を向けた。

 

「あんたも分かんない男ね。親友のセドリックをサクヤとくっつけたいのか、リーシャをセドリックとくっつけたかったのか。それであの二人の様子を見てしょげてんだから、結局あんた何がしたかったわけ?」

 

 心底呆れたような質問を、萎れたルークへと容赦なく投げかけたフィリス。ルークは不貞腐れたようにフィリスを睨め上げると、溜息をついてそっぽをむいた。

 

「……さあ? なんだったんだろうな。よく、分かんなくなったんだよ」

 

 少し捨て鉢になっているように見えるのは、薄々感じていた恋愛対象(リーシャ)親友(セドリック)に対する感情がはっきりと見えたように感じたからだろう。

 

 咲耶を気にしているセドリックを応援するようになるべく一緒の時間をつくりつつも、そのセドリックを気にしているリーシャの応援もしていた。初めの想いも目的も、もはやぐちゃぐちゃになってルーク自身分からなくなっていたのだ。

 

 呆れたようにルークを見るフィリス。

 

あの子(リーシャ)のセドリックに対するあれは、単なるライバル心だけじゃないと思ってたけど、多分あの子、自分の気持ちに気づいてないわよ。セドリックの方は、別にサクヤに恋したって訳じゃないと思うけど」

 

 フィリスはちらりとリーシャとセドリックを見遣って、自身が感じ取った恋模様を分析していた。

 ずっと前から、リーシャはセドリックのこととなるとムキになっていた。

 それは同じクィディッチチームの選手だからというだけでなく、きっと……

 

「なるようになればいいやと思ったんだよ、多分………サクヤのスプリングフィールド先生に対する感情なんて、それこそ恋じゃないだろ? それならセドの方が、似合いなんじゃないかって思ったんだよ」

 

 咲耶がスプリングフィールド先生を好いているのは知っている。だが、それは幼いころに刷り込まれた幼心が、そのまま恋愛感情と錯覚してしまったものだと、ルークは見ていたのだ。

 きっと少女の恋とは別のモノ。だからと。

 

「それでリーシャの方には自分が、って? それじゃあ、なんでリーシャとセドリックをくっつけようとしたわけ?」

「色恋ごとにはとことん鋭いよな、お前。…………別にくっつけようとしたわけじゃねえよ。ただ、セドと一緒に居る分だけ、俺もリーシャと一緒にいて、それで少しでも俺の方を見てくれないかと足掻いてみただけだよ」

 

 応援はしていた。

 ただそれは、初めから負けを認めていたわけではなく、負け戦になることを覚悟しても戦いたかったのだ。親友であるセドリックと、せめて同じ土俵にくらいは立ちたかったのだ。

 

「ふーん。まぁ、無理やり押し売りしなかったところだけは、少しマシかもね。ただ、一つ勘違いしてるわよ、あんた」

 

 そんなルークに、フィリスはヤレヤレとしながらも、訂正せずにはいられないことをお節介と思いつつも口を挟んだ。

 

「サクヤの想いは立派な恋よ。幼心が変じた慕心なんか、とっくに過ぎてるわよ、きっと」

 

 たしかに、始まりの感情は恋ではなかっただろう。

 だが、そんなものはほとんどの人がそうなのだ。恋愛感情から始まり続いて行く恋なんてそうあるものじゃない。

 咲耶のそれも、“兄”として慕う心がないとは言わないが、それでもあの信頼と感情は紛れもなく恋だとフィリスは見ていた。

 

「スプリングフィールド先生の方は?」

「流石にそっちは分かんないわ。まあ憎くは想ってないんでしょうけど…………今一つよく分かんないのよね」

 

 堂々と自分の勘違いを指摘されたルークは顔を顰めて、抵抗とばかりに反対方向から向けられている感情についても尋ねてみた。

 だが、なんとも歯切れの悪い答えが返ってきた。

 これが「向こうも恋よ」と返ってきたなら、ただの恋愛バカの戯言で済んだのだが、予想外に冷静な判断が返ってきた。

 

「……なにが?」

「好きは好きなんでしょうけど、何か別のことも企んでそうなのよ、あの先生」

 

 咲耶とあの先生の恋模様は、ルークにとってはあまり関心のあることではない。

 だが、このままスルーするのもしこりを残す気がして尋ねると、フィリスは顎に手を当てて、何かを疑うように言った。

 

 

 好きという感情がないとは思わない。

 だが、それ以上にあの先生の咲耶への保護っぷりは、何か裏があるように思えるのだ。

 それが咲耶の家柄などというものであれば分かりやすいが、そんな権力欲とあの先生とは結びつかなかった。

 

 ただ咲耶の持っている何かを利用しようとしている。

 そんな気が、彼女の直感に小さな棘として刺さっているのだ。

 

 

「つくづく思うけど、なんで分かるんだ、そんなこと?」

「ラブ臭よ」

「………………」

 

 どんな直感力と推理力だと、ぞわりとした感覚を覚えて尋ねると、キリッとした真顔でへんてこな答えを返された。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

クリスマスの喧騒

「くっそー。セドのやつ! セドのヤツ!!」

「荒れてるわねぇ……」

「荒れとるなぁ……」

 

 ホグズミード、三本の箒にて子女らしからぬやけ食いをしているリーシャを横目に、フィリスとリーシャが頬杖をついて眺め、クラリスは黙々とカップを口に運んでいた。

 ちなみに咲耶の足元には式神のシロがぬくぬくと丸まっており、机の上には人形が置かれている。

 

「いつまでもぐじぐじと。だいたいポッターが落ちたのはセドのせいじゃねーのに」

「リーシャのそれも大概ぐじぐ、もがもが……」

 

 ぶちぶちと言いながらケーキを口に突っ込んでいるリーシャに、クラリスがツッコミを入れようとしたが、寸でのところで咲耶がその口を封じた。

 

「あ?」

「あはは~。いやー、セドリック君にも困ったもんやなぁ。あっ! そういえばフィーは今日、グリフィンドールの彼氏さんと一緒やのうてよかったん?」

 

 リーシャは機嫌悪くドスの利いた声でクラリスを睨み付け、咲耶はあからさまに誤魔化し笑いを浮かべ、目線を泳がせてからフィリスへと話をふった。

 

「いいわよ。別れたから」

「はぇ?」

「別れたのよ。先月」

 

 ただ、その話題は別の意味で地雷だった。

 

「な、ななな、なんでなん!!?」

「クィディッチの負けをぐだぐだ言ってきてめんどくさくなったのよ。セドリックのこととか、アンタの……なんでもないわ」

 

 あっさりと告げるフィリスに咲耶はわたわたあたふたと動揺している。

 フィリスはちらりとリーシャを見て、未練もなんにもないかのような顔で言った。

 

「それよりクリスマス休暇は大丈夫なの? クラリス、サクヤ?」

 

 ざっくりと話を変えるためにフィリスは今までのことではなくて前向きに今後の予定を相談することにした。

 

「大丈夫。お母さんもお父さんも、是非来てほしいって言ってた」

「うん。ウチも、リオンが行ってきてええって」

 

 夏休みに一大転機のあったオーウェン家への再訪問。長年入院していたクラリスの父母がつい2月ほど前にようやく退院できたのだ。

 前回の訪問時はあまりにもどたばたしていたので、今度はちゃんともてなしたいとその父母が是非にと招待したのだ。

 

 咲耶もイギリス国内では基本的に護衛とともに行動していることが多いので懸念していたのだが、どうやら無事に保護者の許可は得られたらしい。

 

「スプリングフィールド先生も来る?」

「ううん。聞いたら“忙しい”の一言やった」

 

 感情表現に乏しいながらも、以前よりもクラリスの先生への好感度が増したように見えるのは両親の治療に何かをやったらしいことが関係しているのだろう。

 

「大丈夫なの? ほら、ブラックが……」

「シロ君が居るし、念のためにチャチャゼロを連れてってええって」

「あー、その人形それでなんだ」

 

 目下神出鬼没の大量殺人犯のことを懸念して尋ねたフィリスに咲耶はニコニコ顔で隣の人形に視線を向けた。

 どこかで見たような ――具体的にはスプリングフィールド先生の部屋で見た覚えのある薄気味悪い人形にリーシャたちも視線を向けた。

 

「オイ、サクヤ。オレノ酒ハ?」

「ごめんなー。アルコールは注文できへんからこっちのバタービールで」

 

 一応、周囲に視線があることをはばかってか動きは自重していたが、酒のあるパブにいてお預けをくらっていることにそろそろ飽きてきたのかリクエストをするも、未成年である咲耶たちが代わりにお酒のオーダーを頼めるはずもなく、代わりに咲耶は自分の分の(という名目でオーダーしていた)バタービールをチャチャゼロに差し出した。

 

 

 

 第44話 クリスマスの喧騒

 

 

 

 咲耶たちがリーシャのやけ食いに付き合っていたのとは別の時間。同じく三本の箒ではホグワーツの一部教師たちと魔法大臣が寒さを逃れて暖をとっていた。

 

 ただ、ついつい話す内容が重苦ものになってしまったのは、今現在ホグワーツ周辺に潜伏していると思しきシリウス・ブラックとその捜索のためにホグズミードを徘徊しているディメンターのせいだろう。

 

 どこで誰が聞き耳をたてているか分からないパブでの話題にしては不穏当な会話は、かつてのブラックの悪行と彼らが懸念するイギリス魔法界の希望であるハリーとの関係についてだった。

 

 かつてのホグワーツの卒業生、シリウス・ブラックには兄弟かと見紛うばかりの親友がいた。

 友の名はジェームズ・ポッター。

 ハリーが1歳の時にイギリス魔法界の恐怖の代名詞である“名前を言ってはいけない例のあの人”に妻ともども殺された純血の魔法使いだ。

 “例のあの人”の選民に合致する純血の名家だったが、その思想は決して彼とは相容れず“闇の魔法使い”を嫌悪する魔法使いだったのだ。

 親友であるシリウス・ブラックもまた純血の名家出身でありながら、純血思想を嫌悪した魔法使いだった。

 誰が“例のあの人”に与しようとも決してシリウス・ブラックだけはジェームズ・ポッターを裏切ることはない、そう思われていた親友だった。

 だが、彼は裏切った。

 親友を裏切り、殺害に協力した挙句、大勢のマグルを殺したのだ。

 

「だけど、一体ブラックはなんのために脱獄したとお考えですか? まさか、大臣。ブラックは“例のあの人”とまた組むつもりでは?」

「それがブラックの、あー……最終的な企てだと言えるだろう」

 

 パブのマダム、ロスメルタの問いにファッジは言葉を濁した。

 たしかにブラックは恐ろしい。だがさらに恐ろしいのは、ブラックにより凋落した“例のあの人”が力を取り戻すことだ。彼を打ち倒したハリーを殺した上で。

 

「しかし、我々は程なくブラックを逮捕するだろう。でなければならんのだ。あの魔法世界の魔法使いたちにこれ以上、介入の口実を与えないために」

「これ以上の介入?」

 

 ふるふると怒りを堪えるようにファッジは呟き、聞きとめたマクゴナガルが訝しげに眉を顰めた。

 

 魔法世界からの介入を嫌がる、というのは昔から見られるイギリス魔法省の特徴だ。だが、その忌避感は近年になってわずかだが変わりつつある。

 精霊魔法の学校授業導入。外交交渉の活発化。

 今の所、マクゴナガルたちが知る魔法世界の魔法使いはそれほど目立ってこちらに介入してきてはいない。

 むしろ、よほどのことが無い限り、関わってきていないようにすら思えるのだが……

 

「ああ。連中の恐るべき企てを……あ、いや……ああ! そろそろ城へ向かわねばな。ダンブルドアとは念入りに話しておかねばならんからな」

 

 呟いて、言い過ぎたことに気がついたのかファッジはごほんと咳払いをすると話題を変えて席を立った。

 マクゴナガルたちは訝しげな表情を大臣に向けつつも、ただ校長との会合が待っていることは事実なので、止めることはなく一緒に席を立った。

 

 

 ファッジは英国一の魔法使いと名高きダンブルドアとの会合を前に、気を引き締めた。

 何としても阻止せねばならない事態を防ぐための協力をとりつけるために。

 

 そう、まだ一般の魔法使いたちには知らされていない恐るべき企てが今、イギリス魔法省、いや各国の魔法省、魔法協会にもたらされているのだ。

 

 マグルに対する“魔法バラシ”などという、ファッジのような魔法使いにとっては、極めて愚かで、断固として防がねばならない事態が。

 

 

 

 

 ただ、彼らは気付かなかった。

 この時、彼らが時間つぶしにと話していた内容 ――シリウス・ブラックが親友であったジェームズ・ポッターを落し入れて殺害幇助した―― という事実を、もっとも聞かせてはならない人物が聞き耳を立てて知ってしまったという事を。

 

 

 

 ・・・・・・・

 

 

 

 クリスマス休暇が始まり、多くの生徒たちがホグワーツから居なくなった。

 咲耶も、リーシャとフィリスとともにクラリス家へとお世話になるべくホグワーツ特急へと乗って去って行った。

 ちなみに足元に白い子犬、頭の上に奇妙な人形を乗せているという一見間の抜けた格好をしており、一部スリザリン生などが揶揄していたりするが、当の本人はお友達宅へのお泊り会ということでテンション上がって気にも止めていなかった。

 

 一方、あのホグズミード休暇の日にこっそりと城を抜け出して許可されていないホグズミードを訪れたハリーは、知りたくもない、いや知らねばならない事実を知ってぐるぐると思い悩んでいた。

 

 ジョージとフレッドは、初の敗戦と愛用の箒を失ったことにより消沈していたハリーを元気づけようとしてとっておきの“忍びの地図”という魔法の地図を譲り渡したのだ。結果、たしかにハリーの気落ちは一時的には改善し、思う存分ホグズミードを楽しむことができた。

 最後の最後、訪れた三本の箒で偶々ファッジやマクゴナガル先生たちの会話を聞くまでは……

 

 信じていた親友に裏切られて父と母は死んだ。

 

 そのことを知り、沈んだハリーだが、幸か不幸か、その沈鬱は長続きはせず、別のことにかかりきりになってしまった。

 

 一つはヒッポグリフとハグリッドの裁判に協力することになったことだ。

 

 昨年起こったスリザリンの後継者騒動で、昔のハグリッドの冤罪をはらすことができたのだ。その結果、ハリーの友人であるハグリッドが夢であった教職につくことができた。

 だが、その喜びは初回の授業で嫌がらせを企んでいたマルフォイのしでかしたバカな真似のせいで散々なモノになってしまった。

 

 ハグリッドが注意したにも関わらず、誇り高いヒッポグリフを侮辱して怪我をした。

 まさに自業自得としか言えないバカな行いだったのに、マルフォイの親の権力によって事態はハグリッドの責任問題とヒッポグリフの裁判沙汰にまでなってしまったのだ。

 あれが魔法薬学の授業で、やらかしたのがハリーだったとしたら、スネイプの責任問題になるどころかハリーが授業から退出されることとなっていただろう。

 

 なんとかハグリッドが教師を解雇されるという事態は避けられたものの、当該のヒッポグリフ ――バックピークは危険生物処理委員会というハグリッド曰く“カワイイ生物たちを目の敵にしている処刑人”によって裁判にかけられることとなった。

 ハリーたちは嘆き悲しむハグリッドの援護をするために、ヒッポグリフの安全を説明するための資料集めを自ら引き受けたのだ。

 

 

 

 そしてもう一つはクリスマスの日の朝におこった。

 

「マルフォイのヤツ! 君がこの箒に乗ったらどんな顔をするか! きっとナメクジに塩だ! なんたってこの箒は国際試合級なんだから!!」

「夢じゃないか……」

 

 憂鬱続きだった気分を吹きとばす最高のプレゼント。

 失われたニンバス2000を上回る最高級の箒、“ファイアボルト”が匿名でプレゼントされたのだ。

 クリスマスカードはなく、誰からの贈り物かは分からない。だが、ハリーはこの素晴らしい箒を、先の夏休みに飽きることなく眺めていたのだ。優秀なニンバス2000があるのだから必要ない。自分の一時の欲求に従って、両親の遺産を浪費しては後で、ダーズリー家に泣きつくというみじめな思いをすることになると必死に言い聞かせながら。 

 だが、今、ハリーのニンバス2000は失われ、両親の遺産を1クヌートも欠くことなくこの最高のプレゼントが自分の手の中にあるのだ。喜びが込み上げないはずがなかった。

 

 ハリーとロンは、この気前のよすぎるプレゼントが誰からのものなのかをわいわいと嬉しそうに予想し合った。

 間違いなくバーノンおじさんではない。流石に今回はマクゴナガル先生も違うだろう。ダンブルドアはどうか? いや、ハリーのことを気に入っているルーピン先生ではないのか。などなど。

 いずれにしても、魔法界のこんな高級品を買うことのできる人物自体が、ハリーには学校の先生の中の誰かしか思い浮かばなかった。カードがないのは、マルフォイのような下種が贔屓だと騒がないようにするためだ、などと予想して。

 

 二人して満面の笑みで話していると、ハーマイオニーが二人の部屋へとクリスマスの決まり文句とともに入ってきた。(男子が女子寮に行くことはできないようになっているのに、その逆はなぜか可能らしい)

 ハーマイオニーは二人の笑顔を見て首を傾げ、その原因である箒を見て、その箒が素人目にも素晴らしいものであることが分かってあんぐりと口を開けた。

 

「まあ、ハリー! 一体誰がこれを?」

「さっぱり分からない。カードもなんにもついてないんだ」

 

 喜色ではなく、むしろ困惑すら浮かべているハーマイオニーだが、喜びに浮かれるハリーはそれを気にも留めず、素晴らしい箒をうっとりと眺めた。

 

「でもなんかおかしくない? つまり……この箒は相当いい箒なんでしょう? 違う?」

 

 控えめに、ハーマイオニーは何かがおかしいことを訝って、顔を顰めながら尋ねた。

 

「ハーマイオニー! これは現存する最高峰の箒だ! 魔法世界にだってこれよりいいものなんてありっこない!!」

「そう……ならとっても高いはずよね……」

「多分、スリザリンの箒全部を束にしたってかなわないぐらい高い」

 

 まるで自分のことのように喜ぶロンもまた、ハリー同様、ハーマイオニーが何か自分たちとは違うことを訝っているのには気づいていないようだ。

 不倶戴天の敵であるマルフォイの持っている“1年も前の箒”よりも数段高級な箒をハリーが手にしたことが嬉しくて仕方ないらしい。

 

「そう……そんなに高価なものをハリーに送って、しかも自分が送ったって教えもしない人って誰なの?」

「誰だっていいじゃないか。ねえ、ハリー。僕、試しに乗ってみてもいいかい?」

 

 ハリーを取り巻く今の状況を鑑みれば当然浮かぶはずの疑問を興味本位だけではない懸念から尋ねたハーマイオニーだが、ロンはすでに誰からのものかは興味がなく、唯々この箒の素晴らしさを少しでも体感したいと心躍る状態になっているらしい。

 

「まだよ! まだ絶対誰もその箒に乗っちゃいけないわ!!」

 

 今にも箒を掴んで外に飛んでいきそうな二人に、ハーマイオニーが鋭い声で注意をした。

 

 彼女には、ハリーたちの考えていなかったある懸念があったのだ。

 だが、それを告げる前に、ハーマイオニーが連れてきたクルックシャンクスが、ロンの憐れなスキャバーズに襲い掛かって、疑問の追及どころではなくなってしまったのだった。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 咲耶たちのクリスマス休暇は、喧嘩をこじらせ始めた誰かさんたちとは違い、今までで最高のクリスマスだったと言っていいだろう。

 咲耶にとって、一番隣に居て欲しい人たちこそいなかったが、それでも今までで一番の笑顔を見せてくれたクラリスや、フィリスとリーシャとともに過ごしたクリスマスはとても素晴らしく、段々と迫りつつあるO.W.L試験を忘れて存分に休暇を楽しんだのだった。

 

 そして城に残ったハーマイオニーやハリーにとって、あの朝以降、クリスマス休暇はまったく楽しめるものではないまま、休暇明けを迎えた。

 ハリーに箒が届いたあの日。豪華なクリスマスの食事を楽しんだ昼食の後に、ハリーとロンは意気揚々と最高級箒の試乗を行おうとしていた。

 だがその楽しみは、ハーマイオニーとマクゴナガル先生の“善意”によって台無しとなった。

 

 ある懸念を抱いていたハーマイオニーは箒の件をマクゴナガル先生に相談し、その結果マクゴナガル先生はハリーから箒を取り上げたのだ。

 

 

「ふーん。そしたらそのプレゼント、マクゴナガルセンセに没収されてもうたんや」

「ええ。だって仕方ないでしょ。あんな、明らかに怪しいもの」

 

 クリスマス明け、決闘クラブのメンバーが揃う前に咲耶とクラリスは、とある“何でもある部屋”にてハーマイオニーとその件について話していた。

 

 去年使っていたリオンのダイオラマ魔法儀は“普通の”人間には負担が大きいだろうということで使用許可が降りなかったのだ。そのためディズの言っていた心当たり ――この“必要の部屋”と呼ばれる特殊な部屋でクラブを継続することになった。

 幸いにもこの部屋は広く ――さすがにリオンの別荘ほどの広さは勿論ないが、他の教室に比べれば十分な広さだ ――そして必要と思われるものは色々と揃っていた。

 衝撃吸収用のクッション、ちょっと勉強するための魔法書、魔法を当てる的、椅子やふかふかのソファ、箒、ほかのも色々なガラクタなんかもあった。

 

 ハーマイオニーも参加している決闘クラブだが、フィリスやディズはそれぞれ監督生の仕事が、セドリックとルーク、リーシャはクィディッチの練習があって、今現在は3人が集まって話をしているのだ。

 なんでもハリーの為を思っての行動をとったハーマイオニーだったが、喜びに沸いていたハリーたちにとってその行動は冷や水で済むものではなかったらしい。それ以来ハリーとロンは、スキャバーズのこともあって冷戦状態になっているのだそうだ。

 

 ハリーはハリーで大きなお世話だと思っているらしく、ハーマイオニーはハーマイオニーで不用心が過ぎるハリーを思って怒っているらしい。

 咲耶はむしろ、ハーマイオニーが何をそれほど懸念しているのか分かっていないらしく、うにゅぅと唸っている。

 

「貴女の方が正しい」

「そうなん?」

 

 だが、話を聞いていたクラリスは淡々とジャッジを下した。片一方の言い分のみを聞いての判断は流石にあっさりと受け入れられないのか咲耶が疑問顔で尋ね返した。

 

「ハリー・ポッターは今、命を狙われている。いきなり送り主不明で送られた物を手にする方がどうかしてる」

 

 シリウス・ブラックが“例のあの人”を倒した“生き残った少年”の命を狙っているのは魔法省ですら認めるところだ。

 だからこそ、学校にはディメンターなどという嫌なモノが張り付いているのだから。

 

「えっ!? ハリー君て命狙われとんの!?」

 

 だからなぜこの少女がそんなびっくり驚きの顔をしているのか。クラリスの感情に乏しい表情の中に、モノ問いたげなものが宿り、尋ねることなく視線をハーマイオニーに戻した。

 

「…………彼もそのことを知らない?」

「ううん。知っているわ。ロンのおじさんから聞いたみたい。ブラックがそのために脱獄したんだって」

 

 流石にまさかと思って確認をとると、やはり当の本人はそのことは知っているらしい。

 だが、知っているのなら、なおさらその不用心さは頭痛ものだろう。思わずクラリスの顔が顰められる。

 まさにハーマイオニーが懸念していたのと同じことを、クラリスは一度話を聞いただけで思い至ったようだが、それはむしろハリーの箒を失った時の悲しみと手に入れた時の喜びようを知らないからだろう。

 

 ハリーとて本当はハーマイオニーのとった行動の意味と重要さは理解しているのだろう。だが、理解と納得とは別のところにある。だからこそ、直接的にハーマイオニーとの喧嘩にはならずに控えめな冷戦状態になっているのだろう。

 

 そして、理解よりも感情を優先するのがここにも一人。

 

「う~ん……ウチとしては……許せんのはハリー君とウィーズリー君の態度や! ハーミーちゃんがこんなに心配してくれとるのに! 除け者にするやなんて!!」

 

 ダンと床を鳴らして怒っている咲耶。正解のようで、どこかズレている回答にハーマイオニーがガクッと傾いた。

 

「サクヤ。問題にする所が違う」

「いーや。ちがくあらへん! 女の子を困らせて泣かせるんは大罪や!!」

 

 理論的なハーマイオニーとクラリスに対して、感情的な咲耶の意見。

 ぷんぷん怒っている咲耶にハーマイオニーは苦笑し、クラリスはなんともツッコミづらそうに眼を細めた。

 

 クラリスも咲耶が何に怒っているかは分かるし、違うとは言いつつも、その怒りがある意味正しいと分かっていた。

 “誰が狙っているかはともかく”、ハリーがあまりにも危うい行動をとったことは明らかで、それをハーマイオニーが制止したのはどう考えても正しいから。その優しさを理解しないハリーに怒っているのだろう。

 

 おりしも、必要の部屋の扉が開き、残りのメンバーたちが入ってきた。

 タイミングがあったのか、フィリスとディズも一緒で、クィディッチ組の姿があった入室したディズたちは、何やら咲耶が妙にハイテンションなことに首を傾げた。

 

「なんか今日はいきなりヒートアップしてるね、サクヤ」

「あの状態の時のサクヤは、なかなかメンドーだぞ。あれきっと恋バナとかだな」

 

 ディズが興味深そうに咲耶を見るが、あの少女の燃えるポイントが分かっているリーシャはすでに及び腰だ。

 

 

 なお、咲耶やクラリスがハーマイオニーに味方したように、ハリーにはロンとグリフィンドールチームのキャプテン、ウッドが味方したのだが、彼のとった行動 —―試合でスニッチを取った後ならばハリーが箒から振り落とされようが構わないとマクゴナガル先生に直訴するという行動は、先生の猛烈な怒りを買ったことは言うまでもない。

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 決闘クラブでは、精霊魔法の他にも色々と魔法を練習していた。

 O.W.L試験も近く迫ってきているため、咲耶たちはホグワーツでの魔法もたくさん勉強する必要があるのだ。

 ハーマイオニーも、友人たちと仲違いしたことで談話室には居辛いのだろう、環境の整ったここで咲耶たちと一緒に大量の宿題をこなしていた。

 なにせこの部屋には“必要な”教科書や優秀な先輩がいるのだから。

 

 

「なあなあディズ君。聞きたいことがあるんやけど。ディメンターをなんとかする方法ってあるん?」

「ディメンターを? ……ああ、ハリー・ポッターのディメンター対策か」

 

 ハーマイオニーから咲耶へ、そしてディズへと伝言のように聞かれる質問。ディズは一瞬、意図を推し量るように咲耶を見て、すぐに思い至った。

 ハーマイオニーは冷戦中とはいえ、見るたびに気絶してしまうハリーのディメンター対策のことを気にかけているのだろう。そして、それをこの中で一番親しい咲耶に尋ねてみて、そこから一番博識なディズへと質問が回っていった。

 

「なんで分かったん!?」

「サクヤ……」

 

 がびんと驚いた顔をしている咲耶に、クラリスが静かにツッコミをいれようかどうかという眼差しを向けた。

 

 なんでもハーマイオニーの話では、前回のクィディッチの試合中に箒から落ちてしまったハリーは次の試合でも同じことが起こらないようにと対策を講じたのだそうだ。

 ハリーが目を付けたのは、ホグワーツ特急内でハリーたちと同じコンパートメントに居て、ディメンターを追い払ったルーピン先生の魔法。ハリーは先生にその方法を尋ねたのだそうだ。

 

 ただしその具体的方法はまだ教えられていないらしく、おり悪くルーピン先生は病気を患ってしまったりしてまだタイミングが合わないらしい。

 今は仲良く話すことが憚れるとは言え、やはりハーマイオニーもそのことは心配しているらしく、なんとかその方法を知ろうという事らしい。

 

 ディズはふむ、と顎に指を当てて言葉をまとめた。ディズはちらりとセドリックにも視線を向けた。この場に居る中で、下級生のハーマイオニーを除けば魔法技能に優れているのはディズ、そしてセドリックだからだ。

 セドリックが譲るように軽く肩を竦めたことでディズが口を開いた。

 

「こちらの魔法でディメンターに対抗できる魔法と言うのはそう多くはないね。失神呪文も妨害呪文も対して効かないし、そもそも対抗しようとする意志を保つこと自体が難しいと言われているからね」

 

 ディメンターが看守を務めるアズカバンが英国最悪と言われるのはディメンターの存在があるからこそだ。

 ディメンターは幸福感、生きようとする意志、活力、そういった陽の気を吸い取り糧とする。それは魔法使いにとって魔法力を奪い取ることにもつながる。だからこそ、ブラックが脱獄するまでアズカバンは脱獄不可能と言われていたのだ。

 

 ただ、リーマス・ルーピンが列車内で使ったという魔法やダンブルドアが使った魔法のように対抗手段が全くないわけではない。

 

「最も効果的なのは守護霊の呪文(パトローナス・チャーム)だろうね」

「パトローナス・チャーム?」

「パトローナスを創りだす呪文さ」

 

 ディズの説明に咲耶とハーマイオニーは首を傾げた。

 

「そんな呪文、見たことないわ」

「それはそうさ。パトローナス・チャームはO.W.LどころかNEWTクラス以上の高等な魔法だ。少なくとも13歳の魔法使いがどうこうするようなレベルの魔法じゃない。むしろ精霊魔法で、どういった対策ができるのか聞きたいくらいだけどね」

 

 自分の学年の予習どころか先の学年の予習すらしているハーマイオニーは、知識にない魔法に驚いた顔をするが、ディズはそれも仕方ないと慰めるように言った。

 

 守護霊の呪文、パトローナス・チャームは、呪文自体もさることながら、魔法の使用が困難になるディメンターとの対峙で使用するという局面を考えてみても、非情に難易度の高い魔法だ。

 大人の魔法使いでも手こずるレベルの魔法を、独学で学生の魔法使いが習得していることの方が驚きだろう。

 

 ディズはこの決闘クラブを開いている大きな理由である“精霊魔法でできること”に興味を示すように話しを傾け、咲耶に話をふり返した。

 

「サクヤは活力回復の魔法を使ってたよな?」

「うん。せやけどあれは元気をだすための呪文やから、直接どうこうするんはウチもよう知らへんのよ」

 

 そこで思い出したのは咲耶たちが居たコンパートメントでのできごとだ。

 リーシャが確認するように尋ねるが、ディメンターという生き物自体をよく知らない咲耶は曖昧な笑みを返すほかなかった。

 

 ただし思い出すのはもう一つあった。

 

「スプリングフィールド先生はなんか睨みつけて追っ払ってたぜ」

 

 ルークが付け足すように言った。わずかに、ディズの顔が嬉しそうに口元に笑みを浮かべた。

 

 あの時、ディズは見てはいなかったが、ディメンターの矢面に立ったスプリングフィールド先生は、一見なんの魔法も使ってはいなかった。だが、ディメンターはまるでそこには近づけないかのように、もしくは何かを恐れたかのように咲耶たちのコンパートメントを遠巻きに素通りしたのだ。

 

「まあ、あの彼は悪魔でも殺しそうな魔法使いだからね。その気になればディメンターでも殺せるんじゃないのかい?」

「どやろ?」

 

 軽く微笑んだディズは冗談なのか、本心からなのかは分からないが、ディズの顔は楽しそうに咲耶を見ていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

げきおこぷんぷん丸

 新学期が始まってすぐに、第2節であるスリザリンとレイブンクローのクィディッチの試合が行われた。

 試合は五分と五分。拮抗した試合だったものの、明暗を分けたのはシーカーの状態だった。

 

 学年の始めに“数か月も包帯を巻き続けた重症”から完治したマルフォイと、クリスマス休暇に怪我を負って本調子ではないチョウ・チャン。

 長時間にわたった試合を制したのはスリザリンだった。

 得意満面の笑みを浮かべたマルフォイだが、おかげでレイブンクローとハッフルパフが1勝1敗。スリザリンが1勝。グリフィンドールが1敗という、どのチームもまだ優勝の望みをつないだ展開となった。

 

 

 

 第45話 げきおこぷんぷん丸

 

 

 

 2月。半端ない宿題の量が各教科から出され、多くの生徒を苦しめていた。

 咲耶も難しくて多すぎる宿題に頭を悩ませてはいたが、そこは決闘クラブでの頼もしい優等生、セドリックやディズの協力もあって、なんとか日々を過ごせていた。

 咲耶よりも成績が大変なことになっているリーシャも、クィディッチの練習に精を出しながら周囲の助力のおかげでなんとか持ちこたえていた。

 

 だが、勉学の面で大変な咲耶たち5年生とは別のところで、大変な状況に陥っている友人の話を咲耶たちは聞いていた。

 

 話の内容は友人関係。

 最近、友人たちとケンカし、冷戦状態だったところから絶縁状態になってしまったハーマイオニーのことだ。

 

「あの猫ちゃんがなぁ…………」

「私、私、ロンにどうしたらいいのか、もう分からなくて……」

 

 先日、送り主不明のプレゼントとしてハリーに送られた怪しいプレゼントである“ファイアボルト”。その件は、マクゴナガル先生を始め、フィリットウィック先生やルーピン先生、何人もの先生の十分な検査を受けて、ハリーを害する魔法がかけられていないことが検証され、本人の元に無事に返却された。

 

 そのため、ハリーもハーマイオニーの“気遣い”を受け入れる余裕が生まれ、冷戦状態は解決するかに見えた。だが、その矢先にもう一つの重大事件が起きたのだ。

 

「ロ、ロンはクルックスシャンクスが気の狂った猫だって、ハリーも、じょ、状況証拠だと、クルックスシャンクスがやったんだろうって」

 

 親友たちに責められたのだがかなり堪えたのだろう。ハーマイオニーはしゃくりあげながら事情を説明しており、クィディッチの練習のないサクヤとフィリス、クラリスはそれを聞いていた。

 前々からロンのペットであるネズミの“スキャバーズ”に襲い掛かっていたハーマイオニーのクルックスシャンクス。どうやら彼女がついにスキャバーズを食べてしまったというのが事件らしく、事実スキャバーズが行方不明になったことでロンはクルックスシャンクス、ひいては彼女を放し飼いにしていた主のハーマイオニーを糾弾したのだ。

 

「そういえばシロくんもあの赤猫苦手だったわよね。流石にシロ君が食べられることはないでしょうけど」

「うーん。どう思う、シロくん?」

 

 話を聞きながら、もう一人(?)の被害者が居たことを思い出してフィリスが白犬へと視線を向けた。

 咲耶も隣で丸くなっている自分の式神に、思うところがないかを尋ねてみた。

 

 シロは自分のフワフワ尻尾に攻撃をしかけてくるあの赤猫を嫌って、近くに見かけるたびに咲耶の影に隠れていた。

 だが、本気でシロがクルックスシャンクスに反撃する気になれば、おそらくあの猫に勝ち目はないだろう。

 小さい子犬に見えても、その本性は神にも通じるとされる天狗の末席に連なる者なのだから。事実、関西呪術協会の長やリオンが、咲耶の護衛として一定の信頼を置いているほどなのだから。

 

 シロは主からの質問にぽんと人型の姿になってちょこんと正座した。

 

「食べたかどうかは分かりませぬが、あの赤猫は狂ってはいないと思われます。むしろ非常に頭のよい化け猫です」

 

 攻撃されていたシロから思いもよらぬ評価を告げられてハーマイオニーたちは驚いてシロを見た。

 

「姫さまのご友人の使い魔のことを悪し様に言うことはできませぬゆえ、某、かの猫の性格に関しては口にすること叶いませぬが――――」

「おーい、シロくん。言うてる言うてる」

 

 感情を殺して冷静に徹しようとしているのか、スラスラと出てくる言葉に咲耶は苦笑してツッコミをいれた。

 

「流石は姫さまのご学友のメイガスが選んだ猫です。恐らく某が魔法生物であることを見抜いておるのでしょう」

 

 あまりいい感情は抱いていないのは語調からも分るが、まるでそれも無理からぬことと理解しているような口ぶり。

 

「じゃあ、どうして他のペットを襲ったりしたのかしら?」

 

 フィリスが疑問を口にした。

 

「さて? 某、その“すかばーず”なる鼠を見たことがないので、なんとも言えませぬが、もしかしたら何かの怪しげな魔法生物だったのではありませぬか?」

「そういえば、うちも見たことないなぁ………どうなん、ハーミーちゃん?」

「そんなこと、ないと思うわ。ロンは、特にとりえのないネズミだって。パーシーから譲り受けたおじいさんネズミだって言っていたから」

 

 シロと咲耶の主従からの質問に、ハーマイオニーは目元の涙を拭いながら、まだ仲が良かったころのロンがこぼしていた愚痴を思い出しつつ答えた。

 

 ロンの兄、パーシーがずっと飼っていて、そしてロンがホグワーツ入学と同時に譲り受けた“長命な”だけのネズミ。

 

「譲り受けた、ですか…………」

「シロくん、なんか気になるん?」

 

 その点がひっかかったのだろう。ぴくりと耳を動かしたシロが厳しい眼差しになったのを見て、咲耶がシロに問いかけた。

 

「いえ。聞いていると“随分と”長命な鼠だったのだと思いまして」

「た、大切な、ペットだったのよ」

 

 何のとりえも魔力の発現もないネズミが何年も生きながらえる。そのことにシロは違和感を覚えたのだろう。

 ましてネズミを襲っていたのは、シロのことを見抜いていたと思しき賢猫だ。シロにとって警戒して怪しむ理由は十分にある。

 

「うーん……」

「どうかしたかサクヤ?」

「うーん。なんか……変やなぁと思って……」

「なんかって?」

「う~ん…………」

 

 咲耶もまた、どこかにおかしなところがあるような気がして首を傾げた。

 咲耶の、その直感に訴えかけるなにかがあったのだ。

 

 なにかがおかしい気がすると。

 

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 そして、第2節第2戦。グリフィンドールとレイブンクローの試合の朝。

 ハリーに新たな、そして最高の箒が手に入ったことは全校生徒が知るところとなった。

 

「機嫌悪そうね。あの箒がどうかしたの、サクヤ?」

 

 多くの生徒が興奮して最高級箒に目を輝かせている中、ぷくぅと頬を膨らませてハリーと箒を睨み付けていた。その様子にフィリスが尋ねた。

 

「んーん。なんでもなーい」

 

 ぷんとあからさまに顔を背ける咲耶の様子からは、到底なんにもなくないように見えるが、大方先日の彼女とハリーとの喧嘩のことだとあたりをつけてフィリスは苦笑した。

 

「なあ、サクヤはアレ知ってたのか?」

「あれ?」

「ポッターがファイアボルト持ってるってこと」

 

 グリフィンドールの生徒のみならず、ハッフルパフもレイブンクローも、なによりも敵対しているスリザリンまでもが、ハリーの持つ最高級箒に目を奪われ、興奮した声で囁きあっていた。

 リーシャは、箒のこと自体には特に驚いた様子のない咲耶やクラリスがそれを知っていたのかと尋ねた。

 

「ハリー君の新しい箒? うん、けどウチ箒のことはよう知らんから」

「まあ、そうだわな」

 

 ハーマイオニーからハリーの箒のことは相談されていたが、クィディッチチームのメンバーであるリーシャたちには流石に話すことはできなかったし、そもそもハーマイオニーからは新しい箒としか聞いていなかった。だからそれが、彼らにとってどれほど素晴らしい箒かは全く知りもしないのだ。

 

 一方で多くの魔法生徒にとって、ハリーの持つ箒は憧れの的であるらしく、代わる代わる箒を見に行っていた。

 ハッフルパフのクィディッチチームキャプテンであるセドリックも、理由は少し異なるがハリーのもとへと歩み寄っていた。

 

「まあ、あれでセドリックのスランプが抜けるならいいんじゃない? 彼のニンバスが折れたこと気にしてたんでしょ?」

 

 フィリスは肩を竦めて言った。

 第1戦以来、スランプに陥って練習でも今一つ身の入らないセドリックだが、その原因の一つであるハリーが、前以上の箒を手に入れたことは、スランプを脱するためのいいきっかけになるかもしれない。

 

 やがてハリーの所にはスリザリンチームのシーカーも顔を見せ、何か当てこすりの応酬でもしたのか、お互いに嘲笑をぶつけあってから分かれた。

 そして、ある程度人がはけると、ハリーは咲耶に気づいて嬉しそうに近寄ってきた。

 

「サクヤ! あの、今日の試合なんだけど、見ててね。あの箒でなら、その、負ける気がしないから」

 

 最高級箒をもっての登場にいろいろと沸き立っていたこともあって気分が向上しているのか、少し赤い顔でいつもよりも強気な発言をするハリー。

 不機嫌状態の咲耶が、その不機嫌を知らず知らずに作り出している当人に話しかけられてどうするのかと、フィリスたちがちらりと咲耶を見ると。

 

「ヘー、ヨカッタナー」

 

 めずらしく仏頂面で、棒読みで祝福を告げる咲耶にフィリスは苦笑いした。

 思わぬ冷たいリアクションに、ハリーは戸惑ったような顔になった。

 

「えっと、サクヤ? なんか、怒ってる?」

「ベツにー。エエ箒が手に入ってヨカッタねー、ハリー君」

 

 箒の事から始まり、最近のハリーはハーマイオニー(友達)を嘆かせてばかりいるのが大層お冠なのだろう。

 リーシャはファイアボルトに興味があるのか、そわそわとしていたが、クラリスに足を踏んづけられて痛いリアクションをとらされていた。

 

 喝采を浴びた直後、スリザリンならともかく、友人であるサクヤからそんな態度をとられるとは思ってもみなかったハリーはあたふたとして咲耶に話しかけようとしているが、 咲耶はぷいっと顔を背けてハリーと目を合わそうともしない。

 おまけに主の不機嫌を察知してか、白い子犬はぐるぐると唸りながら牙を剥いてハリーを睨み付けており、ハリーがこれ以上咲耶に近づこうとすれば容赦なく噛みついてきそうな勢いだ。

 

「ハリー、無駄だって。どうせあの箒の素晴らしさなんてニホンの魔法使いには分かんないんだから。それよりしっかり食べておかないと!」

 

 そんなハリーを見かねてか、ロンが口を挟んだ。

 だがそのあまりにもマズイフォローの仕方に、リーシャですら「うわぁ」と頬を引き攣らせた。

 リーシャたちがおそるおそる咲耶を見ると、案の定、咲耶は怒りマークを浮かべていそうなほどに不機嫌度を上げていた。

 

 結局ハリーは、ロンに引っ張っていかれる形でグリフィンドール席へと戻っていき、なぜ咲耶が不機嫌なのかを聞きそびれることとなった。

 

 ハリーたちが去った後のハッフルパフ席では、フィリスたちがご機嫌斜めの咲耶を宥めていた。

 

「グリフィンドールは始まる前からお祭り状態ね。まあ、無理もないでしょうけど」

 

 苦笑しつつ言ったフィリスだが、最後の言葉は今の咲耶には余計だったらしく、咲耶は不満そうにグリフィンドール席を睨み付けた。

 

「ウチのとこ来るよりも会いに行かなアカン人おると思わへん!?」

 

 咲耶は不機嫌そうにレタスをフォークで刺殺して苛立ちをぶつけていた。

 グリフィンドール席には、先日友人との不仲を嘆いていたハーマイオニーの姿はなく、それがハリーたちとの和解が上手くいっていないことを示していた。

 

 たしかに、他人のペット、それも長年連れ添った大切なペットを殺してしまったかもしれないというのは、ハーマイオニーの側に大いに問題がある。だが、だからといって、それとは直接の関わりがないハリーが、彼の身を案じたハーマイオニーを蔑ろにしたのは咲耶にとって怒るに値することのようだ。

 

「サクヤはどうするの? 今日の試合は見ない?」

 

 あまりのおかんむりぶりに、もしかしたら見て欲しいと言ってきたハリーの希望に当てつける形で見ない気かもと思ったフィリス。リーシャは「げっ!」とばかりにガビンと目を見開いていた。

 

「んー……行く。多分ハーミーちゃん居るやろし」

 

 

 結局、咲耶もクィディッチの試合を見に行き、グリフィンドール席では居辛いらしいハーマイオニーとともに試合を観戦した。

 

 

 

 

「1敗の影響は、ほとんどないみたいだな」

 

 試合は終始グリフィンドールが圧倒していた。

 解説役のリー・ジョーダンというグリフィンドール生は、存分にその立場を濫用してグリフィンドールびいきの解説――どころかファイアボルトの解説ばかりおこなってマクゴナガル先生に怒られていたが、その注目具合にも頷けるほどに時折見せるハリーとファイアボルトの加速力は圧倒的だった。

 

 そして他のメンバーも、ルークが言うように第1節での敗戦の影響などまるで感じさせない戦いぶりだった。

 キャプテン・ウッドの鉄壁のゴールキーパーぶりはますます磨きがかかっているし、ウィーズリー兄弟はさながらブラッジャーを追い駆ける猛犬のように棍棒を振るった。

 

 スコアはグリフィンドールが無失点のまま得点を重ねつづけ――――

 ――――怪我から完全に復調したレイブンクローのシーカーチョウ・チャンは、ほとんどハリーの操るファイアボルトについていくこともできずにスニッチを奪われた。

 

 圧倒的な箒の性能を存分に発揮したハリーの技量。そしてレイブンクローに大勝したことで歓声に沸くグリフィンドール。

 

 その中でセドリックは食い入るように復活したグリフィンドールのシーカーを見ていた。

 ハリーがスニッチを掴む前、競技場の一角に黒い頭巾を被った三人が現れて何かをしようとしていたのだ。

 一見するとディメンターのようにも見えるそれに対し、ハリーは箒のコントロールを失うことなく、逆に杖を取り出して何かの呪文を向けて放ったのだ。

 

「今のは……」

「なんやったんやろ? なんか銀色の雲みたいなんが出てたけど?」

 

 セドリックが驚愕したように呟き、咲耶も首を傾げていた。

 銀色の雲のようなものが直撃すると、黒頭巾の三人はもんどりうって倒れ、ハリーは成功を確信していたのか呪文の結果を一瞥すらしなかったのだ。

 

 その呪文の意味が分からなかった咲耶だが、驚きに目を瞠るセドリックにはそれが分かっていたのだろう。

 

「パトローナス・チャームだ」

 

 ハリーが唱えたあの呪文。ディメンターに対抗するための高等魔法。一介の魔法生徒では到底扱いきることなどできるはずもない魔法。

 

「えっ? でもそれってたしか、ディズ君が言うてた凄い難しい呪文のことやんな?」

「ああ。流石に完全ではなかったようだけど、箒で飛行しながらあれほどの呪文を放てるなんて…………」

 

 ギシリと、セドリックの拳が握られていた。

 周りから優等生だなどと評されてはいても、本質的には彼はハッフルパフ。今の自分を作っているのは、実直さとこれまでの努力の積み重ねによるものだという自負がある。

 そして、ハリーよりも2学年上の自分ですら、あの呪文は習得できてはいない。

 

 今までに対ディメンターを想定した呪文を取得する必要がなかったというのもある。

 だが相手の力を認められるからこそ、今の自分とハリーとの違いが悔しかった。

 

「あいつは、前に進んだみたいだぜ?」

「ルーク…………」

 

 進むことなく足踏みしている今の自分との差。

 セドリックのそんな心中を親友が見抜いているかのように言った。

 

「落ちた奴が前に進んで、落ちなかった奴が二の足踏んでちゃ、しまらねえよな、セド」

 

 ルークの言葉にセドリックは力強くハリーを見据えた。

 

 

 ハッフルパフ対レイブンクローの時以上の点差での決着。

 その結果、レイブンクローのみが全試合を終了して1勝2敗と優勝の望みを早々に断たれることとなった。

 残るは1勝のスリザリン、1勝1敗のハッフルパフとグリフィンドールの3チームが優勝の望みを残していた。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 それぞれに進展と自覚とを促したクィディッチの試合が終わり、優勝の望みをつないだグリフィンドールの寮では歓喜に沸いていた。

 

 そして、問題が起こったのはその日の晩だった。

 

 

 

「またブラックが侵入したぁ!? いったいマジにどうなってんだ?」

 

 夜中にたたき起こされて寝ぼけ気味だった頭が、スプラウト先生からの伝言によって一気に覚醒した生徒たち。彼らの心中をリーシャが口をあんぐりとあけて代弁していた。

 幸いと言うべきか、今回は全員を大広間へと集めるのではなく、各寮の談話室へと集合させるに留まったが、それでも寝ようとした矢先にたたき起こされたのはたまったものではないだろう。

 

 

 

 翌日、至る所の警戒が再び厳しくなり、城内の扉のあちこちにはシリウス・ブラックの手配書写真が貼りつけられ、フィルチは気忙しく廊下を駆けずりまわり、巡回を密にしていた。

 2度の侵入を許したグリフィンドール寮の扉周りには無愛想なトロールが警備として配備されていた。

 

 

 

 教師全員に警戒という仕事が追加された以上、リオンも一応校内に怪しい所がないかを捜索していた。

 2年前、咲耶がこっそりと通った四階の秘密の通路。どうやらまだフィルチも知らないその通路は公的な警戒対象にはなっていないらしく、知っていればだれでも出入りできる状態になっていた。

 

 あまりやる気のあるようには見えない気だるげな捜索の仕方ではあるが、その眼は魔法の痕跡、ここ最近での通過の形跡がないかをきちんと視ていた。

 

 結論として……

 

「なにもない、か」

 

 赤髪に近い状態のため、それほど探知系魔法が得意とは言えないためもあるだとうが、今のリオンにはここを何某かの侵入者が通過した形跡を認めることはできなかった。

 

 狩る気ならば、いっそのこと餌をぶら下げてそこに張り込むこともありだが、今の所護衛対象(咲耶)には危害を加える気がないようだし、生き残った少年(ハリー・ポッター)をあえて危険に曝すようなマネをするのは、彼の護衛があまりいい顔はしないだろう。

 ついでに言えば、今の所そこまでやる気もない。

 

 今の時点で、すでにかなりの厄介事が積み重なっているのだ。

 満悪く、今年は修学旅行なるものの企画を行うように仰せつかっている。それはいよいよ“計画”の時期が来たことも意味しているため、そちらの方でも面倒事なのだ。

 

 とりあえず見回りを済ませて授業準備をするために部屋へと戻ろうとして、

 

「こんにちは、スプリングフィールド先生」

 

 にっこり優等生然とした笑顔を浮かべたスリザリン生、ディズ・クロスと出くわし足を止めることとなった。心底鬱陶しそうな顔をしたリオンに対してディズはにこにことした笑顔だ。

 

「つくづく貴様とは妙なところで出くわすものだな、ディズ・クロス」

「そうですか? 必要ないかとも思ったのですが、一応監督生ですので見回りをしていたもので」

 

 ディズの言葉にリオンは「はん」と鼻で笑って応えた。

 リオンはちょろちょろと視界の隅っこで鬱陶しい動きを続けている小僧を冷たく睨み付けた。

 別に今回のこの騒動にこの小僧が関わっているとは思ってはいない。だが、先年も騒動の調査に気まぐれに乗り出した場所でこの小僧とは出くわしたのだ。

 そして、関わってはいなくとも、何もしていないわけではないことを、リオンには分かっていた。

 ――というよりも、“わざと”分かるように仕向けてきているのだ。

 

「ご苦労なことだ。悪企みは順調か?」

 

 返礼代わりに何気なく進捗状況を尋ねると、ディズは楽しくて口笛でも吹きそうなほどににぃと微笑んだ。

 

「そうですね。興味を持っていただけたようなら、ひとまずは順調ということでしょうか」

 

 そして、誤魔化すのではなく嬉しそうに進捗報告をした。

 

 意図が通じているのか、いないのか。間違いなく通じているうえでこの答えを返したのだろうことがなんとなく分かった。

 

 リオンは自身がどちらかというと腹芸が苦手であることは自覚している。

 なにせ今までにもずぅっとジジイ(詠春)だの近衛木乃香だのに、振り回されてきた実績があるのだから。

 

 特に赤髪の時は、いっそのこと“ぶっこわしてみりゃいいか”という思考にもなりがちだ。実際にそれをここでやると、さらにいろいろと面倒な事態になるのでやりはしないが……。そろそろめんどくさくなってきた感がなくもない。

 

 そんな変化を鋭敏に察知したのか、少年は気勢を制して「失礼します」と一礼して背を向けた。

 

「魔法世界への研修、楽しみにしています。マクダウェル先生」

 

 おまけを一言残して。

 

 

 

 ちなみにこの数日後、厳戒態勢のこの状況下で、この時異常なしと判断したここを使ってホグワーツ城を抜け出した生徒が居たことは、リオンはもとより、さしもの監督生も予想することはできなかった。

 ついでにその暴挙によって一悶着あったのだが、彼らにとっては特に関わりも関心もないことであった。

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 5年生にとっては、いよいよもってO.W.L試験を意識せざるを得なくなり、咲耶たちが勉強で忙しくなるころ、幸いなことにハリーとハーマイオニーたちは和解することに成功していた。

 ただし、その代償としてハリーたちはすっかり忘れていたことだが、ハグリッドのヒッポグリフの傷害事件の裁判が敗訴するという衝撃的なできごとがあった。

 ハーマイオニーのみが裁判の手助けをしていたのだが、第1審での敗訴の連絡を受けてハリーとロンはハーマイオニーと和解。3人で控訴審の手伝いをすることになったのだそうだ。

 

 

 そしてまったく休暇になっていないイースター休暇。

 談話室のテーブルには主に5年生向けに魔法界の職業を紹介するパンフレットやチラシなどがうず高く積みあげられるようになり、掲示板には新しいお知らせが貼り出されていた。

 

 

 ――――――――――――――

  【進路指導】

 夏学期の最初の週に、5年生は全員、寮監と短時間面接し、将来の職業について相談すること。

 個人面接の時間はリストのとおり、

 なお、魔法世界、魔法学校への留学を希望する生徒に関しては加えてスプリングフィールド先生の面接を受けることとなるので、事前に寮監に申請をしておくこと。

 ――――――――――――――

 

 

 

 生徒たちはそれぞれ、ずらぁと名前が列挙されているリストを見て自分の日程を確認していた。

 

「おお! 魔法世界への留学とかあるんだ!?」

 

 その中でもリーシャのような精霊魔法の講座を継続受講している何人かの生徒たちは、付け加えられている文章に「おおっ」と驚いていた。

 

 夏休みにおける魔法世界への研修旅行の予定。それに加えて今までは行くこともできなかった魔法世界の学校への留学の道が開けるというのだから驚きもするだろう。

 

「しっかし、面接がスプリングフィールド先生って、ちょっとあれだな」

 

 ただその斡旋をすると思しき先生が、あまりにもアレな気がしてルークは苦笑に頬を引き攣らせたりしていた。

 

 ホグワーツの先生の中で、精霊魔法の先生がとりわけ不真面目というわけではないのだが、あの先生が誰かの世話を焼くというのは咲耶に対するもののインパクトが強すぎて、中々想像しづらいものがある。

 

「サクヤはどうするの? 治癒術士っていうことは、ニホンか魔法世界の病院に行くのかしら?」

「うーん。ウチも面接は受けるよ。こっちの癒者のこととか聞きたいし。リーシャは?」

 

 フィリスは咲耶の目標を思い出して尋ね、咲耶はこちらの治癒術士についてのことにも関心を抱いているのだろう。

 

「ふーん。進路かぁ。どーすっかなー」

 

 一方でリーシャのような多くの生徒には進路といってもまだまだ考え始める時期、といったところでこれといったものを決めている方が少ないだろう。

 

「クラリスは闇祓いって言ってたわよね?」

 

 両親の件から死喰い人や闇の魔法使いを憎んでいるクラリスは、それに対抗するための闇祓いを目指していたはずだ。そしてそれ以上に大切な目的として治癒魔法を求めていた。そのために貪欲に知識を求め、精霊魔法にも手を出していた。

 

 だがクラリスはフィリスの問いに頷くのではなく、掲示板の一文をピタリと指さした。

 

「……留学。できるならやってみたい」

「! へぇ……」

「そうなん!? えへへー」

 

 クラリスの言葉にフィリスもリーシャも目を丸くして驚き、咲耶は嬉しくなり、ぱぁと顔を明るくしてクラリスに抱き着いた。

 

「そしたらスプラウトセンセとリオンに言っとかなな」

「うん……」

 

 咲耶にもふもふされているクラリスは、きゅぅと咲耶の服を掴んでほんの少しだけ笑顔を浮かべた。

 

 フィリスとリーシャは二人の様子を微笑ましい眼差しで見守った。

 クラリスとて、魔法世界に留学したからといって咲耶と一緒に居られるとは思っていないだろう。 

 それでも以前までの一つのことしか見えていなかった少女が、今は大きく別の世界のことにまで目を向けようとしている。それが二人には微笑ましく、そして嬉しい気持ちにさせていた。

 

「ところでサクヤ。貴女一番初めに名前が来てるわよ」

「はぇ!?」

 

 フィリスの一言に、咲耶ははっと目を覚まして慌ててリストの名前を再確認するのであった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

進路相談

 いよいよクィディッチの最終節が近づき、すでに全試合を終えたレイブンクロー以外の3チームは、その練習密度と頻度を限界ぎりぎりにまで調整して奮闘していた。

 試験の日程も近づいでおり、O.W.LとN.E.W.Tの対策に向けて5年生と7年生、そしてその他の学年でも学期末に向けて大量の課題をこなしていた。

 

 そんな中、5年生では掲示通り、進路指導のための個別面接が実施されていた。

 

 

 

 第46話 進路相談

 

 

 

 なぜかリストのトップバッターに名前を書かれていた咲耶は、イースターの休み明けすぐにスプラウト先生の部屋を訪れた。

 

「失礼しまー……あれ? なんでリオン、センセが居るの?」

 

 たくさんの植物が置かれたスプラウト先生の部屋。そこには面談をするハッフルパフの寮監であるスプラウト先生本人だけでなく、精霊魔法の教師であるリオンまで居て咲耶は首を傾げた。

 

 スプラウト先生からひとまず座るように促され、咲耶はスプラウト先生とリオン、二人の教師と向かい合うように席に着いた。

 

「コノエ。貴女の場合、進路が必ずしもイギリスや、こちらの世界とは限らないでしょう。ニホンや別の選択肢を考慮してスプリングフィールド先生にも話を聞いていただく方がいいと判断しました。

 貴女の面接時間が最初なのも、以降の生徒が留学を希望した場合の参考にさせていただきたいからです」

 

 仏頂面のリオンの分まで、というわけでは無論ないが、スプラウト先生は緊張感をほぐすように微笑みかけた。

 

「さて、コノエ。この面接は貴女の進路に関して話し合い、6年目、7年目でどの学科を継続するかを決める指導をするのが本来の意義です。――――ただしそれはイギリス魔法省の管轄、およびこちら側の魔法世界に関わる職業の場合です。率直に聞きますが、将来的にイギリスに残り、働いていく意思はありますか?」

 

 本来、ホグワーツを卒業した生徒はこちらの世界の魔法に関わる職に就く。多くは魔法省を始めとしたイギリス国内の職業。ほかにも他国で働く場合もあるが、それにしても古来からの魔法族に関わるものばかりだ。

 

 咲耶はイギリスの魔法族、というわけでもなければ魔法世界ともつながりが深い。真っ当にいけば日本の魔法協会につながる職業に就く可能性が高いし、そうでなくとも魔法世界に縁のある職となるだろう。

 

「えっと。イギリスとか日本でってくくりじゃなくて、治癒術師として世界で働きたいと思ってます」

「なるほど……」

 

 咲耶はやや緊張しつつも、はっきりと決めている目標を口にした。

 スプラウト先生はそれを否定するのではなく、受け入れるように頷いた。

 

「あ、でもこっちの治癒術の勉強はしたいんで、癒者のためのカリキュラムをお聞きしてもいいでしょうか?」

 

 それで進路面談が終わり、でも問題はないが、せっかくなのでいろいろと聞きたいことがあった咲耶は6,7年目のカリキュラムで最も関心がある治癒術に関してのものを尋ねた。

 スプラウト先生は頷きを返してから手元に置いてある書類の山から白を基調とした冊子を抜き出して開いた。

 

「ふむ、そうですね。……癒者の仕事というのは、――貴女には言うまでもないことかもしれませんが―― たいへん責任のともなう仕事です。そのため、どこで働くかにもよりますが、聖マンゴ――は知っていますね? その場合は、イギリス魔法省で最難関と言われる“闇祓い”と同じくらい優秀な成績が求められます」

 

 クラリスが目指していたという“闇祓い”。それは死喰い人のような“闇の魔法使い”と呼ばれる者たちを調査、捕縛することや、重要人物の護衛、対テロ行為を仕事とする、魔法省の中でもとびきり危険な戦闘部門のエリートだ。

 極めて優秀な人材しか採用しないと言われるその職業と、同等の成績が求められるということが、咲耶の進みたい道の大変さを物語っていた。

 

「N.E.W.Tで“魔法薬学”、“薬草学”、“変身術”、“呪文学”、“闇の魔術に対する防衛術”で少なくとも“E・期待以上”をとることが求められます」

 

 合計して最低でも5つの科目での“良”の成績。

 それはたしかに、相当の難易度だ。

 

「貴女の場合、3年時には多くの科目で“A・まあまあ”でしたが、現在は“E・期待以上”が増えてきているようですね。“薬草学”と“呪文学”に関しては“O・大変よろしい”です」

 

 スプラウト先生は手元に置いてある資料 ――おそらく咲耶の成績だろう―― を見ながら言った。

 

 咲耶にとっての1年目、ホグワーツ3年次は、まだ英語や羽ペンの使い方、そしてそれ以前の分に関する知識が不十分であり、多くの科目がすれすれの“可”だった。

 4年時、つまり昨年は継承者の事件の余波で試験自体がなくなったため、成績はそれ以前の参考値にしかならない。

 だがどうやら今年の成績は“決闘クラブ”で友人たちと勉強をしていることも影響しているのか、中々に好調のようだ。スプラウト先生は自身の担当科目である“薬草学”で優秀な成績を収めていることを確認してか、柔らかな微笑を浮かべた。

 

 だが次いで、その顔を引き締めた。

 

「ただし、“変身術”は現在“A:まあまあ”から“E・期待以上”の間です。マクゴナガル先生はN.E.W.Tのクラスでは“E・期待以上”より下の生徒はとりません。“魔法薬学”も“E:期待以上”ですが、スネイプ先生はO.W.Lで“優:大変よろしい”を取った生徒以外には教えません。この2科目に関しては十分に頑張る必要がありますよ」

 

 咲耶はリオン(保護者)に聞かれていることもあって、少し気恥ずかしそうに首を竦めた。

 “変身術”も“魔法薬学”も、先生の質が非常に高く、難解な授業だ。スネイプ先生はスリザリン贔屓で他寮の生徒には減点しかしない、とは言え、だからと言って魔法省の魔法試験官がそれより甘い点数をくれるという保証はない。

 治癒術につながる勉強を今後もホグワーツで続けていくためには、アドバイス通りにこの二つの科目は頑張る必要があるだろう。

 

 厳しい顔で咲耶を見ていたスプラウト先生は、十分に咲耶が理解したのを見て取ったのか、再び顔に柔和な笑みを浮かべた。

 

「ちなみに、ここからは私の個人的な興味もあるのですが、治癒術士と言っても、コノエはどのような職につきたいと考えているのですか?」

 

 魔法使いの先達、といってもそれはホグワーツに関わる古式の魔法族にまつわるものに限ってのことだ。最近活性化してきた魔法世界に関しては、ホグワーツの教師といえども、ほとんど知らないし、遠く離れた日本の魔法族のこともあまり詳しいとは言えない。

 スプラウト先生は単純に興味があるのと、この後面接に来た生徒の参考にするためか、興味を示して尋ねた。

 

 咲耶はその質問に、一度リオンを見て、えへっと笑みを浮かべ、スプラウト先生にはきはきとした声で言った。

 

「リオンを魔法使いの従者(ミニステル・マギ)にして立派な魔法使い(マギステル・マギ)になります!」

 

 考え、というよりも宣言。

 その宣言に、スプラウト先生は笑顔を浮かべたまま固まり、リオンは半眼で咲耶を見据えた。

 

「……だれを。何にするって?」

「リオンを! 魔法使いの従者(ミニステル・マギ)に! もしくは一緒に立派な魔法使い(マギステル・マギ)に!」

 

 ミニステル・マギ。

 それは確かな信頼関係で結ばれた絆の証でもあり、古くは魔法使いを守るための剣となり盾となる役目を背負った守護者のことでもあるが、近代においては異性間のミニステル・マギ契約は恋人契約とも同義になっている。

 ましてや、“共にマギステル・マギを目指そう”というのは、それ以上に深~い意味を持っていたりするのだが……

 果たして咲耶がそれを知っているのか、知らずに言ったのか。

 おそらく知っていそうな気がするのは、リオンの脳裏に天然百合姫のにぱっとした笑みが浮かんだからだろう。

 

「……スプリングフィールド先生?」

「とりあえず貴様は後で俺の部屋に来い、咲耶。説教が必要だ」

 

 ミニステル・マギ、というのが具体的にどういうものかはスプラウト先生には分からなかっただろう。ただ、隣に座って眉間にしわを寄せているこの教師を言葉通り“従者(ミニステル)”にしようという大それたことを考えていることは分かった。

 

 視線を向けてきたスプラウト先生をスルーして、リオンは頭痛を堪えるように額に指を当てて、呼び出しを通達した。

 

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

 とある留学生が保護者である精霊魔法の教師に色々と説教をくらうことや、成績が低空飛行のクィディッチバカがスプラウト先生を大いに悩ませたりということはあったが、個人面談は概ね順調に消化されていった。

 

「どうだった、クラリス?」

 

 そして、留学を希望する生徒、ということでクラリスがスプリングフィールド先生との個人面談をすることとなり、面談を終えて戻ってきたクラリスに興味津々とばかりにリーシャが尋ねた。

 フィリスも咲耶もそれは同様で、パンフレットと思しき冊子を手に持って帰ってきたクラリスを3人は取り囲んだ。

 

「今年の試験の突破と研修への参加が絶対条件になった」

 

 クラリスが淡々と先生から告げられた留学の最低条件を答えた。

 まあ当然と言えば当然の条件。そもそも研修旅行に行くのに今年の試験の突破が条件なのだから、それは“最低”条件だろうことは容易に想像がつく。

 

 

「それは?」

 

 クラリスが行きには持っていなかったパンフレットを持っているのを見つけたリーシャが指をさして尋ねた。

 クラリスは見せるようにそれをリーシャに手渡し、フィリスと咲耶もそれを覗き込んだ。

 

 パンフレットは咲耶が送ってくるのと同じように立体映像が飛び出す魔法世界式のもので、幾つかの説明やとある学校の様子などが浮かび上がった。

 

「えーっと……アリアドネー学術都市について? アリアドネーって授業で説明があった国よね?」

 

 フィリスが確認するように言うとクラリスはこくんと頷き返した。

 

 アリアドネー……魔法世界、いやこちらの世界を含めてみても、おそらく世界最大の独立学術都市国家であり、どのような権力にも屈せず、学ぼうとする意志と意欲のある者を受け入れると言う勉学と研究の都市国家だ。

 

「研修旅行ではそこも旅程に含まれているらしい。実際にそこを見て、それからよく考えるようにと言われた」

 

 現時点ではまだ研修旅行の旅程は公開されていなかったが、授業で魔法世界の主要都市としてスプリングフィールド先生が(正確には資料を作成した人たちが)チョイスしていた場所なのだ。そこが旅程に含まれていたとしても不思議ではあるまい。

 リーシャたちはパンフレットをめくりながら「へー」と言った。

 

「他には誰か留学希望している人がいるかとかは分かった?」

 

 現時点では魔法世界に留学して、果たしてその先にどのような就職先があるのかは不明だ。だからこそ、実際に見て、それからまたよく考えるようにという意見を貰ったのだろう。

 フィリスが尋ね、リーシャと咲耶もパンフレットから視線を上げてクラリスを見た。

 

「グリフィンドールのウィーズリー兄弟とスリザリンのクロスが希望を出している」

「えっ!? クロスが!?」

「競合になったりするの?」

 

 リーシャが目を丸くして驚きの声を上げ、フィリスもまさかの人物が留学希望を出していることに驚いて尋ねた。

 それに対してクラリスは首を横にふった。

 

「アリアドネーの中に全寮制の女子校がある。私が留学するのならばそこだから、彼らとは競合しない」

 

 話しながらクラリスはちらりと咲耶に視線を向けた。

 そこにいつもと同じ、いやいつもよりもにこにことした嬉しそうな笑顔があることを見て、クラリスはわずかに口元を緩めた。

 

 

 世界が変わっていく。

 新世界、旧世界、魔法使い、非魔法使い。様々な違いを乗り越えていく、これはその最初の小さな変化の些細な一つだ。

 

 そんな枠を超えることができるようになったきっかけをくれたのは、きっとほんの些細な、でも彼女たちにとっては大きな出会いからだ。

 

 

「へぇ。でもクロスが留学なんて。スネイプ先生は慌ててるんじゃないかしら?」

「まぁ、そうだろうなぁ」

 

 わいわいとひとしきりクラリスのことを話すと、話題は同じく留学を希望している男子の方にもなった。

 フィリスの言葉にリーシャはうんうんと頷いたが、咲耶は?と小首を傾げた。

 そんな咲耶の様子に、フィリスは肩を竦めた。

 

「だって学年の主席候補ですもの。魔法省のエリートにだってなれるでしょうに、それが国外どころか魔法世界に行っちゃったら色々あるんじゃない?」

「あ、そっか」

 

 現在、ディズは同学年でもとびっきりの優等生だ。

 教師の中には50年に一人の逸材だとも囃し立てる人が居るくらいの魔法生徒だ。当然そんな人材が国外流出、どころか世界から流出してはイギリス魔法省にとっては痛手だろう。

 

 魔法学校の数は少ないとはいえ、進路やO.W.L、N.E.W.Tの試験成績は学校の評価や校長、寮監の評価にも関わる。

 寮監のスネイプ先生にとっては魔法省のエリートにもなれるだろう逸材を魔法世界にとられるかもしれないというのは頭の痛い話だろう。

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・

 

 

 

 

 必要の部屋。咲耶たち決闘クラブのメンバーの集会場、練習場として機能しているその部屋で二人の男子生徒が魔法をぶつけ合っていた。

 

 赤い閃光が連続して放たれ、金髪の魔法使いに襲い掛かる。

 

 以前このクラブで教えられた“決闘”の仕方では、ほとんど一直線の舞台の上で、逃げることなくバカ正直に魔法の撃ち合いをするというものだったが、金髪の魔法使いはそんなマナーなどどこ吹く風と、体に精霊魔法式の身体強化の魔法を付与して一流アスリートばりの脚力で魔法を避けていた。

 回避行動をとりながらもその口は攻勢のための呪文も紡いでいる。

 

「雷の精霊23柱。集い来たりて敵を射て。魔法の射手(サギタマギカ)! 連弾(セリエス)雷の23矢(フルグラーリス)!!」

 

「っ! 氷盾(レフレクシオー)

 

 23本の雷の矢が襲い掛かり、セドリックは杖に魔力を叩き込み、氷の盾を発動させて魔法を弾き返そうとした。

 ただ守るだけではなく、あくまでも攻勢の防御。

 だが、矢を弾き返すはずの魔法の盾は、相手の魔法の威力に押されてか、カウンターにとることはできずに砕けた。

 

 それでも最低限の役目を果たしてあちこちへと弾き飛ばされた雷の矢は、たしかにセドリックを守った。

 攻撃を防ぐだけではなく、やり返そうとしていたことに金髪の魔法使い、ディズは軽く目を瞠った。

 

 

 彼の知るセドリック・ディゴリーという魔法使いは、たしかに優秀だがそれほど押しの強くない生徒であった。秘めたる向上心はあれども、それほど攻撃的な性格ではなく、堅実に戦う手法をとるタイプの筈だ。

 今までのセドリックならば、盾の呪文(プロテゴ)か、デフレクシオーで堅実に守っていただろう。

 特に最近、妙に気落ちしていたセドリックならば、力量的に負けている相手にカウンターをとろうとは間違ってもしなかったはずだ。

 だが、今のセドリックは明らかに自分に対して勝ちにこようとしている。今まで決して届かなかった自分を超えようと。

 

 セドリックが詠唱を使い、精霊へと命じようとしていた。

 今まで攻撃に使っていた伝統的な魔法スタイルから精霊魔法を組み込んだ、ディズのスタイルと同じ魔法戦術。

 だがセドリックの呪文が完成する前に、ディズは無言で脳裏に呪文を完成させていた。

 

 ――レビコーバス――

 

「――――集い来りて敵を、ッ!? なっ!!」

 

 セドリックの足首が見えない何かに掴まれたように宙へと持ち上がり、セドリックはその場で大きくバランスを崩した。

 集中が乱れ、発動しかかっていた魔法の矢がキャンセルされた。

 身体が浮上するのは止められない。だが、セドリックは体を捻り、相対しているディズを見た。

 

「――――闇夜切り裂く一条の光。我が手に宿りて敵を喰らえ」

 

 セドリックの魔法障壁を確実に抜くためだろう、ディズはあえて魔法使いとしての遠距離ではなく、接近しながら呪文の詠唱をしており、杖に雷精が集っている。

 それを阻止するために、セドリックは不安定な宙に逆さにつられた状態で杖を振るった。

 

「エクスパルソ!!」

「白き、くっ!!!」

 

 接近してきたディズの足元に爆破の呪文を放ち、強引に足を止めさせた。同時に吹き飛んだ床の破片がディズへとぶつかり呪文の完成を防いでいた。

 

 魔法障壁を張っていたディズだが、まだ攻撃時にまで展開していることはできないのだろう。攻撃魔法の発動直前だったこともあり、その障壁は解除されており、見事にその間隙を突いた形だ。

 

「フィニート・インカンターテム!! ――ぐっ!」

 

 その一瞬でセドリックは自身にかけられた身体浮上の呪いを強引に解呪した。だが、流石に強引な解呪だったために、地面に体を打ち付けてうめき声をあげてしまった。

 その隙はディズに再び接近を許すのに十分な時間だった。

 呪文を詠唱しながらではなく、身体強化によって増強された脚力で一気にセドリックへと接近したディズは、顔を上げた瞬間だったセドリックに杖を突きつけた。

 跳ね起きようとしていたセドリックの動きが止まった。

 

 セドリックは自分に突き付けられた杖を見て、状況の詰みを認めて跳ね起きるのを止めた。

 相手の継戦の意思が途絶えたのを見てとったディズは、すっと杖を下してセドリックが起き上がるのを助けるように手を差し伸べた。

 

「随分と荒っぽいやり方をするな。クィディッチの試合も近いのにいいのか?」

 

 手を取って立ち上がったセドリックにディズは問いかけた。

 必要の部屋の中にいるのはセドリックとディズの二人だ。いつもの決闘クラブのメンバーは面談中であったり、面談待ちをしていたりして来ていない――というよりも、セドリックがディズのみを誘ったのだ。

 

 今週の土曜日にはいよいよクィディッチの最終節が行われ、グリフィンドール、スリザリン、ハッフルパフの3チームが優勝を争おうとしているのだ。

 現在、各寮はそれに向けて大いに盛り上がっており、隙を見てはクィディッチチームの選手に呪いをかけたりしようとたくらんでいる生徒も多い。

 そんな中で、勝つためにはどんな手段でも用いるスリザリンの生徒に決闘の練習を、クィディッチチームのシーカーが依頼するというのはどう考えても危険な行為のはずだ。

 

「少し暴れたい気分だったんだよ」

「珍しいこともあるもんだな。 怪我は大丈夫か? クィディッチに差しさわりのあるような怪我はなかったと思うけど……」

 

 自嘲するような笑みを浮かべたセドリックに、ディズは時期のこともあって怪我の有無を尋ねた。

 スリザリン生がこの時期に、他寮のクィディッチ選手の心配をするということにセドリックは軽く笑みを浮かべた。

 

「ああ。大丈夫だよ。……でも、やっぱり勝てなかったか……」

 

 ただやはり悔しい思いが湧き上がるのは、成績だけでなく魔法演習でも明白に上をいかれたからだ。

 クィディッチの試合でハリーからスニッチを奪い取れた時や、チョウにスニッチを奪われた時とは違う。明らかな実力差をもっての負けだ。おそらく、まだ実力を隠したままで。

 

 決闘クラブで一番魔法の使い方が変化したのはやはりディズだろう。

 ホグワーツの伝統魔法に躊躇なく精霊魔法を組み込み、身体強化という魔法使いにしてみれば粗暴な技術にまで着目して実践しているのだ。

 

 だからだろう。そんな魔法の使い方は、単にこの世界で魔法使いとして在り続けるだけには思えなかった。

 

「クロスは魔法世界の留学を考えているのかい?」

 

 質問を受けて、ディズは少し驚いたように反応した。

 

「サクヤからでも聞いたのか?」

「いいや。ただ精霊魔法をすごく取り入れているみたいだったからもしかしたらと思って」

 

 咲耶には伝えていたのか、あるいはスプリングフィールド先生から咲耶経由で伝わったと考えたのか。どちらにしても、セドリックが留学のことを疑ったのは、ディズの魔法の使い方からピンと来ただけだ。

 

 ディズも時間的に咲耶から聞いたとは思っていなかったのだろう。口元に笑みを浮かべた。

 

「まあ、そうだな。スプリングフィールド先生にももう伝えたよ」

「理由を聞いてもいいかい?」

 

 スプリングフィールド先生に伝えた、ということは当然スリザリンの寮監であるスネイプ先生にも伝えたのだろう。

 留学のことが単なる思い付きではなく、その意思が明白だということだ。そして彼のことだから、単に興味半分でとか、冷やかしで、といったこともあるまい。

 

「そんなに大層な理由があるわけじゃないけどね。単に魔法世界が面白そうだと思ったから、じゃダメかい?」

 

 セドリックの追及にディズは何でもないことのようにあっさりと答えた。 

 だが、魔法世界への留学がそう単純な話であるはずがないのは、これまでのイギリス魔法界と魔法世界の疎遠関係を思い返せば容易に分かる。

 

「クロスなら何にだって、魔法省で闇祓いにだってなれるだろう? それなのにかい?」

「魔法省や闇祓いには興味がないな。それよりも違う世界や知らない魔法のことをもっと知りたいと思っただけさ」

 

 ディズのあまりにも魔法省を突き放したような言い方に、セドリックは驚いたようにディズを見た。

 魔法省や闇祓いが一番いい職業だとまで言う気はないが、それでもエリート思考の魔法使いならば、特に戦闘技能にも優れていれば少なからず考える選択肢のはずだ。

 死喰い人のように“闇の魔法使い”に属する者であれば、たしかに闇祓いは選択肢になりえないが、ディズはむしろ純血思想には与していなかったはずだ。

 

 ディズはわずかに驚きを見せているセドリックを見て笑みをこぼした。

 

「10年前でさえ強くは介入できなかった魔法世界の魔法使いがここに来て、こちらの世界への干渉を強めているんだ。きっと世界が大きく変わる。それなのに魔法省だのイギリスだのに拘って縛られているなんて、その方が我慢できないね」

 

 我慢できないとまで言い切ったディズに、セドリックは唖然とさせられた。

 

「クロスは……もっと堅実なヤツかと思ってたよ」

 

 セドリックが持っていたディズのイメージは、堅実で人当たりが良く、なんでもできる優等生だった。

 だが、今、初めて見る魔法使いのように、ディズはその野心の一端を覗かせていた。

 

「さて、そろそろ終わりにしようか。クィディッチの試合、楽しみにしているよ」

 

 イギリスやこちらの、旧世界だけでなく、異なる世界、新世界ですらその野心には含まれる。

 先は見えなくとも、それでもその野心の大きさの片鱗を、たしかにセドリックはディズから感じたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大事なことに気づくときほどすでに手遅れになっていることは多いものだ

 満員の観衆たちが競技場を見守っていた。競技場に立つのはカナリアイエローのハッフルパフチームと緑のユニフォームを纏うスリザリンチーム。

 両チームキャプテンのセドリックとマーカス・フリントが審判のフーチに促されて握手を交わしていた。

 

 後ろに並ぶハッフルパフチームのメンバーがやや不安そうに見えるのは、前の試合でのセドリックの不調が尾を引いているからだろう。一方でスリザリンチームは見下すようににやにやとした顔をしている。

 

 セドリックとフリントが握手を切ってそれぞれの陣営へと戻り、まだ声が聞こえる距離でスリザリンチームからげらげらと笑い声が聞こえてリーシャたちはそちらを見た。

 

「気をつけろよ、ドラコ。今日もタイミングよくディメンターが来るかもしれないからなぁ」

 

 何が面白いのかマルフォイは意気揚々と箒から落ちる誰かさんの物真似をしており、周囲のチームメイトはバカ受けしていた。

 

「心配いりませんよ。僕には頭をかち割られたバカみたいな傷はありませんから、気絶して箒から落ちるポッターなんかとは違いますよ」

「そりゃそうだ! ディゴリー!! 今日は相手が気絶するような間抜けじゃないからスニッチを掴むのは無理だぜ!」

 

 相手が落ちなければスニッチをとることもできない。

 肩越しに振り返るセドリックに向けてスリザリンチームのメンバーの一人がそう揶揄する声を飛ばし、それでまたチームのメンバーは腹を抱えて笑っている。

 

「ヤロー……」

「セド。なんか言い返さなくていいのかよ?」

 

 さしものハッフルパフチームも、自チームのキャプテンを貶され、哂い物にされてカチンと来たのか身を乗り出しており、リーシャは今にも杖を引き抜きそうな勢いになっている。

 何も言い返さない親友の様子に、ルークも顔を険しくして尋ねている。

 前のポッターの復活と活躍でセドリックのスランプも抜けたかと期待したが、もしかしたらまだ引きずっているのかもしれない。

 そんな不安が頭をよぎったルークだが、

 

「いいさ。終わった後で、同じことが言えるとは思えない」

「! へぇ」

 

 冷静に、しかし十分に戦意をみなぎらせたセドリックの表情と言葉にそんな不安を吹きとばした。

 リーシャたちもセドリックの、言葉少ないながらもキャプテンとしての風格に揶揄を忘れて笑みを浮かべた。

 

 

 

 第47話 大事なことに気づくときほどすでに手遅れになっていることは多いものだ

 

 

 

 選手たちが審判の合図を受けて一斉に宙へと舞い上がり、試合が開始された。

 カナリアイエローと緑、二つの色が空に踊った。

 

「どうやらセドリックはなんか吹っ切れたみたいね」

「みたいやね」

 

 開始前にどのような会話をしたのかは流石に観客席では聞こえなかったが ――スリザリンチームがなにやらヤジを飛ばしたらしいのだけはバカ笑いしていた様子から分かったが―― 試合前に不安そうにしていたチームメイトの顔が引き締まり、士気が上がった様子からキャプテンのスランプになにか改善が見られたのだろうということが、フィリスにも咲耶にも分かった。

 

 実際、試合ではセドリックの集中力と動きの精彩が戻ったことで、ルークがリーシャたちチェイサーの守りに回ることができるようになっている。

 その効果か、パスワークで撹乱してからリーシャがゴールにクアッフルを叩き込み得点を追加していた。

 

 今のところは強敵スリザリン相手に善戦しているように見えるハッフルパフだが、

 

「でも不利はそのまま」

「そうね。スリザリンは全員がニンバス2001ですものね」

 

 だが、それでも流石にそれだけではスリザリンを上回ることはできない。

 

 なにせ昨年、マルフォイが入ってからのスリザリンチームは、メンバー全員が昨年出たニンバスの最新モデル、ニンバス2001に乗っているのだから。

 セドリックやリーシャのクリーンスイープとは性能に大きな開きがあり、ハッフルパフの他のメンバーも2001よりも旧型のニンバス2000ですら持っている者はいないのだから。

 

 流石にハリーほどの乗り手はいないのが幸いしているものの、それでも箒の性能差は歴然。

 得点は30対60。

 スリザリンが各選手がパワーを巧みに発揮してハッフルパフの選手たちを蹴散らし、箒の性能差を存分に利用してリードを奪っていた。

 

「上手く運んでるけどこのままだと差が開くわ! セドリックが早くスニッチを掴んでくれれば…………」

 

 巧みにパスワークで躱そうとしているものの、じわりじわりと開いていく差。

 前回レイブンクローに大敗している以上、あまりスリザリンに得点を許しては例え勝てたとしても優勝の望みが下がってしまう。

 期待するようにセドリックを見るフィリスの祈りはハッフルパフ生には共通のものだった。

 

 

 段々と点差が離されていき、試合時間が長引き始めた頃、リーシャのアシストによってハッフルパフがなんとか得点を返した時には得点は70対120に開いていた。

 

 そして、試合は大きく動いた。

 

「見つけた!!!」

 

 シーカーの一人が“それ”に気づいたのだろう、狙い澄ました鷹のような動きで箒を駆ったことで、クラリスが声を上げた。

 

 試合を決着に導く金のスニッチの発見。

 

「マルフォイも気づいたわ!!」

 

 先にスニッチを見つけたのはセドリックだった。だが、相手シーカーのマルフォイもすぐにその動きを察知してニンバス2001を駆った。

 

 

 

  逃げるスニッチを追ってセドリックは競技場の地面へと急降下した。それを追ってマルフォイも地面へと迫る。

 いつかの天へと昇る勝負とは真逆、地へと落ちに行く戦い。

 高速で動く世界にいる二人の視界には金のスニッチが写っており、その奥にはぐんぐんと迫る大地がある。

 

 危険を回避しようとする本能が二人に激突の瞬間を幻視させた。

 数秒先には顔面から地面に激突して箒はおろか、乗り手の体すらバラバラに砕くほどの衝撃の予感。

 

 

「くっ!!」

「!!」

 

 激突までのほんの刹那。明暗を分けたそのわずかの差でマルフォイは激突回避を優先して箒の進路を上へと切り、セドリックは身を投げ出すようにしてスニッチへと手を伸ばした。

 

 決闘クラブでの日々、そして先日のディズとの戦いがなければセドリックも逃げていたかもしれない。

 危険の先に隠れるチャンスから目を背け、堅実という心地よい安全策を求めて逃げる。

 

 それまでの自身を変えるようにセドリックは危険へと身を乗り出し、手を伸ばした。

 

 欲しいものを手に入れるために。

 他者を失望させないという受け身の願いから、仲間と喜ぶという勝ち取る願いを叶えるために。

 

 

「――――ッッ!!!」

 

「きゃぁあ!!」

「セドリック君!!!」

 

 身を投げ出したセドリックの体が転がりながら地面を滑り、観客席からは悲鳴が上がった。

 

「セド!!」 

 

 上空を飛んでいたルークとリーシャ、ハッフルパフのメンバーも文字通り飛んできた。

 まさかの事態が頭をよぎり血の気が引くメンバー。

 

 審判のフーチもセドリックのもとへと箒を寄せ、

 

 がばり、とセドリックが起き上がり、観客席に向けるように右腕を掲げた

 その右手に握られているのは金のスニッチ。

 

 ハッフルパフ観客席から爆発したように歓声を上げた。

 

「ハッフルパフがスリザリンに勝った!!! セドリックがスニッチをとった!!」

 

 喜びに沸くハッフルパフ、対照的にスリザリンはまさかの敗北に唖然としており決まり悪そうに地面に降りて競技場を後にしようとしていた。

 

 

 

 

「おいセド!! 大丈夫なのか!?」

「ああ、ルーク。大丈、っっ!!?」

 

 血相を変えて駆け寄ってくるルークとリーシャ、そしてチームメイトたちにセドリックは立ち上がって笑顔を向けようとして左腕から伝わってきた激痛に顔を顰めた。

 

「動いてはいけません、ディゴリー! 腕が折れているのではないですか!? 他にも打ち付けているところがあるでしょう!!」

 

 フーチ先生はだらんと垂れ下がったセドリックの左腕を慌てて確認して叱り声を上げて、セドリックを地面に座らせ直した。

 がみがみと叱るフーチ先生に、セドリックは困ったように答えながら、それでも勝利の喜びは抑えきれないのか顔には笑顔が浮かんでいた。

 

 

 

「リーシャ! セドリック君、大丈夫なん!?」

「お! サクヤ丁度いいや! ちょっと来てくれ!!」

 

 勝利のパレードにしては中々競技場から動こうとしないセドリックたちの様子に、咲耶たちは不審に思って降りて駆け寄りながらリーシャに尋ねた。

 リーシャは手振りで咲耶を呼んでセドリックを指さした。

 

「セドが腕折ったっぽい! 治せねーかな?」

「骨折!!? セドリック君!! 大丈夫なん!!?」

 

 怪我しているかもとは思っていたが、思いのほか大きな怪我であることを知らされて咲耶は慌てて客席を降りた。

 

 

 咲耶が競技場のセドリックのところに着くと、セドリックの周りにはリーシャやルークといったチームメイトが囲んでおり、フーチ先生がセドリックのローブをめくって腕の具合を確認していた。

 

「やはり折れてますね」

 

 セドリックの左腕は上腕の部分で大きく腫れて薄く紫色に変色しており、フーチは怪我の具合を看立てた。

 

「セド! サクヤ、来てくれたぜ!」

 

 治療をお願いして呼んだ咲耶が来たことでリーシャがセドリックに呼びかけた。

 その声を聞いてセドリックは明るい顔を向け、フーチ先生は困ったように顔を顰めた。

 

「私としてはまっすぐに保健室に行くことを勧めますよ、ディゴリー」

「後で必ず行きます。サクヤ。お願いできるかな?」

「うん! まっかせてや~!」

 

 フーチ先生は昨年度の骨折患者の悲劇 ――とある教師の“治療行為”によって骨なしになった――を思い出していたのだろう。

 だが、咲耶の魔法をある程度は知っているセドリックの要望を聞いてか、フーチは溜息をつきつつも、後で必ずポンフリーの所に行くことを条件に咲耶の治癒魔法を許可した。

 

 咲耶はセドリックの骨折したと思われる左腕を気を付けて観察した。ふむふむと眺め、よしっと自分の扇を取り出した。

 小杖でもいいのだが、治癒魔法を使う時はこちらの方が気合いが入るような気がするのだ。

 骨折の程度は完全骨折まではいかないが、罅よりは少し大きい。

 咲耶は術式を編んで魔力を込めた。

 

「アステル・アマテル・アマテラス。汝、癒しの精霊。我が同胞に慈愛と仁恵の歌声を届けよ」 

 

 謡うように響く咲耶の声。

 手に持った扇子からふわりと風が巻き起こり、その風は温かく包み込むようにしてセドリックへと流れ、激痛を発している腕を取り巻いた。

 

 ――『快癒の調べ』――

 

 怪我による熱とは違う、優しい温もりのような魔力が傷へと流れ込み、見る見るうちにセドリックの腕の変色を元通りにしていく。

 時間が巻き戻っているかのように治っていく怪我。

 咲耶の治癒術を始めてみるクィディチメンバーやフーチ先生は感心したようにその光景を見ていた。

 

「よしょ。どかな、セドリック君?」

 

 変色していた上腕部がすっかり肌色になってどこが怪我していた場所か分からなくなった。咲耶が扇子を下ろして具合を尋ね、セドリックはグーパーと手を握ったり開いたりして、痛みがない事を確認してから腕を色々と動かしてみた。

 

「うん。全然平気。体の方も……うん。試合前より調子いい感じかも」

 

 腕の方の治り方が劇的だったから直前まで気付かなかったが、体を動かしてみると落ちた時にあちこち打ち付けて痛めた箇所も諸共治癒されており、セドリックは笑顔を浮かべた。

 その笑顔にルークたちはほっと安堵した様子を見せ、にやっと笑った。

 

「これで2勝1敗。あとは、グリフィンドールとスリザリンの最終戦の成績次第だな」

「ああ」

 

 ハッフルパフが2勝1敗。スリザリンとグリフィンドールが1勝1敗。レイブンクローが1勝2敗。

 クィディッチ優勝杯の行方は最終戦、グリフィンドール対スリザリンの戦いに委ねられることとなった。

 勝てば2勝で並び得点差での勝敗になり、グリフィンドールの200点差以上での勝利ならばグリフィンドールが、以下での勝利ならばハッフルパフが、90点差以上での敗北ならばスリザリンが、それぞれ優勝するという結末だ。

 

 

 咲耶の治癒呪文によってほぼ完治したセドリックだが、やはり念のために保健室でポンフリーに看てもらうという約束はそのまま履行することとなった。

 ポンフリーもやはり多少渋い顔をしたものの、先年、自身が咲耶の治療を受けたこともあってか、競技場で“治療行為”を行うというかつての悪夢を思い起こさせる行為に関しては溜息交じりで追認していた。

 

 ポンフリーの看立てでも、すでにセドリックの体に異常は見られなかったが、そこは生徒の身を案じることを仕事にしている校医として譲れないのか、セドリックは一日様子見で入院することとなり、翌日何事もなく退院した。

 

 

 

 

 

 

 そして同3月の終わり。

 “その”数日前からは互いの寮で小競り合いが勃発し、グリフィンドールの4年生とスリザリンの6年生が呪いのかけあいをして耳から葱を生やして入院するような事態にすらなっていた。

 開始前からそんな尋常ではない熱気を伴って最終戦が行われた。

 

 

 試合は予想通りと言うべきか、スリザリンの苛烈なファール。外野ではグリフィンドールびいきの解説と両チームのヤジの応酬となっていた。

 

 圧巻だったのはファイアボルトの注目度の高さとその性能。

 ハリーは魅せつけるようにファイアボルトを駆ってスリザリン陣営を撹乱し、スリザリンは形振り構わずハリーの動きを封じようとした。

 スリザリンの卑劣とも言えるラフプレーとパワーに苛立たされつつも、グリフィンドールはキーパーウッドの好セーブとチームプレーで対抗し、リードを奪った。

 

 そして得点が80対20となった時、試合はクライマックスを迎えた。

 

 先にスニッチを見つけたのはスリザリンのシーカーマルフォイだった。

 味方チームを援護するつもりでパフォーマンスプレーをしたハリーは、現れたスニッチへの反応が遅れに遅れ、マルフォイがスニッチを見つけて疾走するのを見てファイアボルトを全力疾走させた。

 

 勝敗を分けたのは箒の性能とそれを引き出した乗り手の実力だろう。

 スニッチを掴もうとしたマルフォイの手をはねのけてハリーはその眼前でスニッチを掴みとることに成功したのだ。

 実に7年ぶりの優勝旗奪取に沸くグリフィンドール。とりわけキャプテンのウッドと寮監でクィディッチ狂いとも評されているマクゴナガル先生の歓喜は凄まじく、号泣していた。

 

 

 

「あーあ、負けちまったか」

「……そうだな」

 

 ルークとセドリックはチームメイトにもみくちゃにされ、喜びあっているハリーとグリフィンドールチームを眺めていた。

 残念、といった声のルークにセドリックはいつもとあまり変わらないような声音で及ばなかったことを受け入れた。

 

 今回の試合では、ハリーの活躍もさることながら、優勝の為のリードをしっかりと作りきったチームメイトの功績も大きい、まさにチーム一丸となっての優勝旗奪取だ。

 

 シーズン途中のセドリックの不調がなければと思わなくもない。

 

「あんま悔しがってる風に聞こえねえな」

「…………気のせいだよ」

 

 ルークはあっさりと負けを受け入れた様子のセドリックをちらりと横目で見た。

 

 他寮に比べて目立つことが少なく、その地位を安穏と受け入れるハッフルパフ。

 他の寮からそう思われているのは知っている。

 その監督生であるセドリックは、言ってみればその代表格のような人物だと言えるだろう。

 

 だが、ちらりと見やったルークは視線を再び前へと戻した。

 

「……そうだな。次は勝とうぜ」

「…………うん」

 

 横に座る親友の、今まで見せて来なかったほどに激情を内に秘めたようなその顔を見て、それ以上の言葉は必要なかった。

 

 

 本年度クィディッチ寮対抗杯。優勝はグリフィンドールで幕を閉じた。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 クィディッチのシーズンが終わると5年生はいよいよO.W.L試験への取り組みを否応なくさせられた。

 5年生、そしてN.E.W.T試験を控えた7年生の中にはノイローゼになって保健室で鎮静水薬を飲む生徒が続々と現れていた。

 

 流石に咲耶たちも決闘クラブを続けるわけにはいかず、談話室、あるいは図書室で勉強に費やす時間が多くなっていた。

 

 

「なぁセドー。ハンブルドン・キンスが提唱した魔法使いに対する異論ってなんだ?」

「魔法使いは火星から生じた、っていう説だね。ほらルークここに載ってる。…………突拍子もない説の割になぜか広く知れ渡っていたみたいだけど、同じくマグルはキノコから生じたって言う説を提唱したことで一気に信憑性が損なわれた異説だね」

 

「なー、クラリス。数字で一番魔力が強いのって、なんなんだ?」

「7。数占い学者のブリジット・ウェンロックが証明した理論。月の満ち欠けを満月と上弦、下弦、朔の4区分に相当したときの日数がおよそ7日で、それが元になって――――――――」

 

 互いに勉強を教え合う、と言うよりはリーシャはクラリスにルークはセドリックに教えてもらうという方が正しかったが、学年でも優等生の部類に属する二人は、リーシャたちだけでなく寮の中でいろいろな人から質問を受けたりしていた。

 

「んじゃさ。なんで月なんだ? ほら日数だったら太陽じゃなかったっけ?」

「月は魔力、特に闇の魔法生物に強い影響を及ぼすことが知られている」

 

 勉強しているとついつい脱線していってしまうのはリーシャの悪いクセだが、クラリスは律儀にもそれに答えており、そんなところにも昨年までとの違いを見つけることができていた。

 

「人狼や吸血鬼なんかはその最たるもので…………」

 

 闇の魔術に対する防衛術の座学部分の知識をリーシャに叩き込んでいたクラリスは、ふと自分の言葉になにかひっかかることを感じたのか、言葉を止めた。

 

 ふと思い浮かんだこと。あまりにもバカバカしく――非常に恐ろしい推測。

 

 

 ――――月に区分された4つの時。

 月の影響を強く受ける魔力と体質。

 それはまるで…………――――

 

 

 クラリスは視線を咲耶へと向けた。

 

 咲耶はフィリスと共に正しく勉強の教え合いっこをしており、その横では童姿のシロが使った教科書を律儀にも整頓しており、整理した傍から咲耶に教科書を引っ張り出されて涙目になっていた。

 

「どした?」

 

 説明を途中で止めたクラリスにリーシャが尋ねた。

 

 

「……月の満ち欠けはマグルにとっても重要だったと言われている。農耕の季節を知るために月の周期、太陰暦を昔は用いていたから。他にも7が特別視された理由としては天文学でも重要とされる水星、金星、火星、木星、土星、それに太陽と月を加えた七つの天体から魔術的な意味を見出したのが起源ともされていて――――」

「うぇっ!? 待った待った! 早い! クラリス早い!!」

 

 どちらでも構わない。

 そう思い直してクラリスは誤魔化すように早口で説明を続けた。

 

 どうでもいいではなく、どちらであっても、構わない。

 あの人が、例え“そう”だとしても、あの人はクラリスの父と母を助けてくれた。そこにはおそらくクラリスたちに対しての同情も関心もなかったのだろうけれど、ただ彼女に向ける思いだけはたしかにあったから。

 そして咲耶がそんな彼を信じているから。

 眩しい程に一途で、途切れることのない恋慕と信頼。

 だから、例え“そう”であっても構わない。

 

「それぞれに対応した神話的意味を魔術特性として付与したことによって、魔術的な理論を強固なものへと昇華したとされる。これがマグルの世界にも伝わって――――」

「まってぇええ!!」

 

 とりあえずクラリスは、脱線してばかりのリーシャがもう“ここ”に戻ってこないように念入りに止めを刺して涙目にしておいたのであった。

 

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 深夜とよべる時間。イギリス国の首相は一人の大臣と面会をしていた。

 お互いにとって可能な限り顔を合わせたくはなかった会合。それは一般の人の ――魔法使いたちが言うところのマグルの――首相にとって、彼がこの権力の頂点に座ることができてから生じた悪夢のような出来事が初顔合わせだったからだ。

 

 信じがたいことに世界には魔法使いという者たちが隠れ住んでいる。このイギリスにも、世界に冠たる大都市ロンドンの街中にですら。

 初めて首相としてこの部屋で座っていた時、この“大臣”はやってきて言ったのだ。

 

 ――「我が方で本当に深刻な事態が起こらないかぎり、私が貴方を煩わせすることはありませんからな。マグル……非魔法族ですが、マグルに影響するような事態に立ち至らなければということですよ。それさえなければ、平和共存ですからな」――

 

 歴代首相のみが知らされると言う事実。

 ファッジと名乗ったこの一大臣は、権力の頂点にたつ首相に対し、まるで物の分からぬ子供に説くように話し、魔法の実演としてティーカップをスナネズミに変えて事実であることを強調したのだ。

 

 たしかに数年間、この大臣はなんの音沙汰もなく、彼の言うところの“平和共存”は保たれていた。首相に対して何の情報も与えず、イギリス国内に隠れ住むという魔法使いがなにをしているのかも知らせず。

 

 だが、今から10か月ほど前の夏。突如としてこの大臣は首相の執務室を訪れてきたのだ。

 そして聞いたこともない監獄から大量殺人鬼が脱獄したという話を持ち込んだのだ。シリウス・ブラック ――彼らが言う“名前を言ってはいけないあの人(ヴォルデモート)”の配下だという魔法使いの脱走。

 彼は「配下の者が居なければ“例のあの人物”は危険ではないので」などと言って、警告だけを伝えておきながら、その脱走した配下の魔法使いの捜査の進展状況はなんら説明しなかった。

 

 そして今夜、大臣は再びここを訪れた。

 危険な殺人鬼の捜査の報告などという殊勝なもののためではなく、国外の魔法使いから圧力がかかった場合の対処についての説明だ。

 

 なんでも国外、異世界の魔法使いたちが“何か危険な案件”を言葉巧みにイギリスに持ち込もうとしており、それを拒絶しなければならないから注意に来たのだということだ。

 

 

「――――と、まあ、彼らが何か魔法を使った詐術を用いる可能性は否定できませんが、心配は要りません。我々にはそのような方法に対抗する手段があります」

 

 曖昧な説明のあとに、妙に自信ありげにファッジ大臣は言い切った。

 

「どのような案件を持ち込もうとしているのですかな?」

「それについてはお話しすることはありません」

 

 曖昧な説明の中で、ついぞ話されることはなかった“異世界”からの案件。それを首相が尋ねると大臣はぴしゃりと言いきった。

 その言い様に首相はむっと顔を顰めた。

 

「私には首相として、外交に関する案件を知っておくべき義務と権利があると思うのですが?」

「これは我々魔法使いの案件です。マグルと魔法使いが関わって碌なことが起こったためしはありませんからな。お互いにとって、関わり合わない方がいいということです」

 

 大臣はまるで聞き分けのない子供に言い聞かせるようにゆとりある笑顔を浮かべ、道理でも説くかのように言った。

 不遜とも言える態度の源。それこそが魔法なのだろう。

 件の殺人鬼にしても、その罪状となった大量殺人の際には杖の一振りで非魔法使いの民間人を12人も粉々にしたそうだ。

 初めて会った時にも杖を振るっていたし、その気になればこの場でどんなことでもできるというのがこの大臣の余裕の正体なのだろう。

 

 ――無知なマグルは知る必要がない――

 

 暗に、いや明確にこのコーネリウス・ファッジ魔法省大臣は言っているのだ。

 

「なるほど。やはり彼らは正しかった」

「彼ら?」

 

 長く、不毛な会話の果てに、怒りと、些かばかりの残念さを持って首相はこの上下関係を終わらせる言葉を続けた。

 首相は毅然とした顔を見せ、この魔法省大臣を見据えた。

 

「我々は、イギリス政府として、ISSDAおよび魔法世界の魔法使いの魔法開示に協力することを決定しました」

「は!!?」

 

 すでに“表の”交渉ルートを通じて知らされ、決定していた内容を告げると、先程までの余裕綽々とした態度は一撃で崩れ去り、あんぐりと顎を落した。

 

 目玉を飛びださんばかりに凝視してくるファッジ大臣。

 その顔は、魔法使いとして“彼ら”が知らせてきていれば何か事前に手を打っていたはずだったことを裏付けているようなものだ。

 

「は、はは、ははははは! …………あー、何をおっしゃっているのですかな?」

 

 やがて、大臣は極めつけの冗談を聞いたとばかりに笑いだし、汗を浮かべてぎこちない笑いを貼りつけて尋ねた。

 

「韜晦する意味はありません、魔法“省”大臣。貴方たちのところにも彼らからその提案はなされたはずだ。幾度も。そして我らには何も知らせなかった」

 

 彼らは言っていた。

 事は既に魔法使いだけのことではなく、世界規模であたる案件になっているのだと。

 勿論、魔法使いも深く関わることなので、イギリスの魔法省にも話は通すので、十分に議論してほしいと。

 

「あー、いえ…………んん。たしかにそのような、あー、一考するに値しない馬鹿げた話を受けたようなことも、ありましたな」

「一考するに値しない? 失礼ながら、イギリスを代表してそれを決めるのは貴方たちではない!」

 

 だがファッジたちイギリス魔法省の者たちが、そのことで話をしに来たことはこれまで一度もなかった。

 世界の一部では魔法族と非魔法族とが関わりあって、“あれだけ”大きな偉業を成し遂げて、世界中に恩恵を配っているというのに。

 

「これはおかしなことを! 私は魔法省大臣ですぞ! マグルの首相にそれを逐一報告する義務はない。まして、そちらにこそそのようなことを決める権限はない!!」

 

 そしてこの期に及んで未だにファッジ大臣はその件について、首相たちと話すことはないと考えているようだった。

 無知な者たちの意見など参考にする価値もないとばかりに。

 

「貴方がたは、国益にかかわる重大な案件を我々になんの相談もせずに動かそうとしていた」

「馬鹿げている!! 魔法をばらすことがマグルの利益につながると!? 冗談ではない!! そんなことをすれば私のクビが飛ぶ!!」

 

 魔法の存在を全世界規模で公開する。

 それが“彼ら”が求めていることだった。だがそれは、それが目的ではなく、非魔法使いの人々にとっても十分に恩恵あるプロジェクトの一つとして必要なことだ。

 

「我々は、今! 貴方のメンツの話をしているのではない!! イギリス政府として、国益の話をしているのだ!!」

「私だけではない!! どれだけ多くの魔法使いの生活が狂わされると思っておられる!!」

「例えば、怪しげな術で不法に土地を占拠している輩のことですかな?」

「~~~~ッッ!!」

 

 癇癪を起したように喚くファッジに物の道理を説こうとするも、顔を真っ赤にしたファッジはますますいきり立つだけで、まるで対話をする様子はない。

 皮肉を一撃当てつけるとギリギリと歯軋りして首相を睨み付けた。

 

 “気付かぬうちに”ロンドン市内の一等地を謎のデパートが占拠している。それもなんの用途にも使われていないのに長年だれもそれを不思議に思わない。

 毎年怪しげな格好をした謎の集団がロンドン駅に大挙して押し寄せておきながら、何のニュースにもならず、一日後にはそんなことを覚えてもいない。

 

 ほかにも気付かないことが身近に行われ、そして秘匿されているのだ。

 

 立ちあがって睨み付けてくるファッジを静かに見上げる首相。

 その様は今まで首相を子ども扱いしていた大臣こそが、聞き分けのない駄々っ子のように見えた。

 

 だが、ファッジ大臣はここでは自分にこそアドバンテージがあることを、魔法と言う力があることを思い出したのか余裕ある態度を取り繕って腰かけた。

 

「ふう。どうしても、貴方がたは、あー、魔法をばらすなどという愚にもつかない案件を、分かりもしないのに検討したいとおっしゃるのですかな?」

「“我々”は彼らから十分な情報の提示を受け、検討に値する案件だと判じました。

 貴方がたが我らに与える情報は、やれ大量殺人鬼が脱獄しただの、外交を行うなだなどと、決まったことを気まぐれに知らせるだけだ。この国は貴方がたの箱庭ではない」

 

 ファッジたちは対話をしにくることはない。

 ただ違う存在として決まったことに従わせるためだけに、彼らの言うところのマグルに時たま言って聞かせてあげているだけなのだ。

 

 だが、“彼ら”は違った。

 非魔法族と魔法族、それぞれの持つ力を合わせあって大きな事を成し遂げる。その実績を明確に示し、首相たちにも“協力を求めて”きたのだ。

 

 完全に未知の技術による新たなる産業革命の可能性の提示

 宇宙エレベーターを始めとした魔法科学技術による優れた成果

 宇宙開発における利権の可能性

 

 

 魔法使いが「金のなる木を作ります」、「石を金に変えます」などと言ってきたのとはわけが違う。

 ファッジたちがマグルと蔑んでいる魔法使いではない者たちの分野の開発だ。

 

「我々は魔法使いで、貴方がたはマグルだ!!」

「貴方たちも、イギリス国民だ! 彼らの話は、国家に利するものであり、彼らはすでにニホンほか世界の多くの国でその利益恩恵をもたらしている!!」

 

 あくまでもイギリスという同じ国家に属する政治家として話をしようとしている首相と魔法使いとマグルという違う種族として話をしている大臣。

 話が噛み合うわけもなく、互いに睨みあっていた。

 

 ことここに至って、首相は既に気づいていた。

 彼らは自分たちマグルの事など考えてはいない。未来の可能性よりも、今の、過去の安定をこれからも継続させていきたいだけなのだと。

 

 果たしてより良いパートナーとしての関係性を続けていくことを諦めたのはどちらが先だったのか。

 

 しばらく続いた睨み合いは、大臣が重く長い溜息をついたことで終わった。

 

「仕方ありませんな」

 

 おもむろにファッジは懐に手を入れ、そこから古めかしい木の棒を取り出し、首相に突きつけた。

 

「何の真似ですかな?」

 

 向けられたそれが、かつてカップをネズミに変えたことを覚えている首相はぎくりと身を強張らせ、しかし弱みなど見せまいとしているかのように尋ねた。

 

「あー、非常に残念ながら、かつても魔法をマグルにばらそうなどという愚かな考えを抱いた者が居なかったわけではないのです。その度に、我らは、あー、このようにその対処に追われることになるのですが」

「魔法で、私を脅そうと?」

 

 声が震えていまいか。

 その心配は、ファッジの顔を見るにどうやら無駄な取り繕いだったらしい。

 今やファッジには無駄骨となった対話を続ける気はさらさらなくなったらしい。

 

「脅す? いやいや。貴方の、その愚かしい考えを捨てて、マグルのことだけを考えた仕事に打ち込んでいただこうというだけのことです」

 

「すでにこの案件は私だけが知るものではない。何人もの政治家、有識者によって十分に検討されたものだ」

 

「ははは。やはり貴方がたは、我々のことに関して無知なのだ。我々、魔法省には魔法事故惨事部というものが存在する。多数の忘却術士が今夜中にでも貴方がたの決定を変更するだろう。納得のいく筋書きはマグル対策口実委員会がこしらえましょう」

 

 ファッジの顔にはうんざりとしたような、ただこれ以上聞き分けのない子供に話していても仕方ないといったような諦めにも似た笑みが浮かんでいる。

 

 その顔を見て、そして“事故惨事部”などという部門によってこの件が処理されようとしていることを聞いて、首相も悟ることとなった。

 

 仮にも国内の一省の大臣なのだ。

 国益に利することならば、あるいは対話に応じるはず。

 その思いは見るも無残に1本の棒切れが産み出す力によって引き千切られているのだ。

 

「……やはり貴方は彼らとは違う」

「その通り。我らは愚か者の集まりではない。ご心配なく。今日のこの不幸な話の内容も記憶には残りませんよ。今までどおり、平和で円満な関係はこれからも続いていくのです」

 

 真に不幸なのはなんだったのか。

 

 ファッジは疲れた笑みを浮かべたまま杖を振りかぶり――――

 

 

 ――――振り下ろした杖の先から、マグルの首相に向かって閃光が放たれた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

O.W.L試験開始!!

 その時起こったことを理解するのにファッジは多大な時間と労力を要した。

 いや、理解できなかったと言った方がいいのかもしれない。

 

 マグルの首相に向けて放った呪文。

 相手はただのマグル。魔法の使えないマグル。魔法族の血が一滴たりとて入っていないマグル。

 

 魔法の優秀さで選ばれたわけではないとはいえ、魔法省大臣としてイギリスの魔法使いの権力の頂点に立っているファッジの魔法が、そのマグルの目の前で弾けて防がれたのだ。

 

「は? え、あ、な、なにが…………」

「……これが貴方がたの答えなのですな。ファッジ大臣」

 

 首相の顔に安堵が広がった。

 魔法の行使を辞さない魔法使いと“交渉”するつもりならば持っていた方が良いと“彼ら”に渡された紙片。

 その効果が確かに発揮されたことで首相は“彼ら”に対して抱いていた胡散臭さの幾割かを拭い去った。

 同時に同じイギリスの政治家として、無念極まりない答えを出したファッジに怒りの表情を見せた。

 

「身体検査も受けつけない輩と交渉をするのに何の処置もしないと思われておられたのですかな? しかし、貴方がたが我々と交渉をする気がないのがよくわかりました」

「な、なぜ……」

 

 信じがたい思いでわなわなと震えていたファッジは、なにかの間違いだと思い直すことにしたのか再び杖を首相に向けた。

 

「やめた方がいい。“彼ら”の協力をすると決めたとき、貴方の魔法を防ぐ術を借り受けたのだ。ここでこれ以上の狼藉を働くおつもりであれば、対処をしなければならなくなりますぞ」

「ッッ!! そ、ッッ!!」

 

 動揺と屈辱、ファッジの顔が赤黒く染まり、震えが一層強くなった。

 ぱくぱくと口を開け閉めするファッジ。首相は毅然とそんな魔法使いを睨み付けた。

 

 実の所、首相の言葉にははったりが幾割か込められていた。

 たしかにあと数回はこの魔法使いの魔法を防ぐことはできるだろう。だが、“彼ら”から渡されたこの防御手段 ――護符とやらは貴重で高価な代物らしく、それほどの数はない。

 ここでやめさせなければ、魔法省の大臣と“彼ら”が真っ向からぶつかるような事態に、――しかもこの首相の執務室で――なってしまうので、流石にそれは避けたいところだ。

 

 絶句していたファッジは、しばらくして言葉を取り戻したのか、唸るようにして喉から言葉を絞り出した。

 

「どうあっても貴方はあの愚か者たちの肩を持つというのですか!? 伝統ある、我が国の魔法使いを見捨てて!」

 

 視線から呪詛が放たれているとすれば、この瞬間にも護符はその役目を果たしてくれているのだろうか。そう思わずにはいられないほどファッジの顔にはくっきりと憎悪の色が浮かんでいた。

 

 しかも言うにことかいてこの期に及んで“我が国の”ときたものだ。

 

「貴方がたと歩む先に未来はない。あるのはただ繰り返される過去だ」

「マグルとの積極的融和などそんな未来はメチャクチャだ!」

 

 平静に告げる首相に喚き散らすファッジ。首相は怒りを通り越して遣る瀬無さすら抱き始めていた。

 だが、どう考えてもこの魔法使いたちを今後のパートナーにしようとは思えない。

 不都合があれば魔法を使って国の決定ですら思い通りに改変しようとするなど、彼らにとって大切なのは自分の身内(魔法使い)だけなのだと言っているようなものだ。

 

 首相は静かに語り始めた。

 

「この件があって、私は歴代の首相経験者に話を聞きました」

 

 何を話し始めたのかとファッジは眉を顰めた。

 ファッジにとって今の首相は初めての相手ではない。彼の前任者はファッジが現れた途端みっともなく喚き散らしファッジを窓から放り出そうとまでしたのだ。

 そして何かの悪い夢か冗談だと割り切ったらしい。

 誰にも、後任の彼にもその悪夢を語ることはなかった。

 

 

 首相にとっても、そんな前任者たちに話を聞くなど思ってもみなかったことだろう。

 だが“彼ら”の中に、世界的にも有名な日本の財閥の女性や、軌道エレベーター建設に大きな役割を果たしたISSDAの者が絡んでいたことが、決断を変えた。

 

 どちらの魔法使いをパートナーとするべきか決めるべきだと。

 

「20年ほど前ですかな。貴方がおっしゃったヴォルデモートが台頭していた時代は」

 

 ヴォルデモート。

 その言葉が出た瞬間、ファッジはぎくりと身を震わせた。

 マグルの首相にとっては非常にバカバカしいことながら、彼らイギリスの魔法使いにとってはその言葉は聞くだけで恐怖に値するものらしい。

 

「その頃の首相に言わせるとメチャクチャだったそうですな」

「な、なにがですかな……?」

 

 皮肉たっぷりに先のファッジの言葉を使って返すとファッジは目に見えてうろたえた声で尋ねてきた。

 

「毎日のように起きる殺人にマグル狩りと称して行われる人拐い。頻発するテロ行為。貴方がおっしゃっる過去に平穏な共存とやらはないように思われる」

 

 何事もなければ、二度と会うことはない。

 初めてファッジと出会ったとき、彼はたしかにそう言っていた。マグルに影響する事態には立ち入らず、お互いに平和共存することが最善だと。

 だが、20年ほど前に首相を務めていた人物に話を聞くと、到底その言葉を信じ続けることはできなかった。

 

「例のあの人が異常だったのだ!」

 

 ファッジはまたもやヒステリックに喚いた。

 

 当時の魔法大臣は幾度も幾度も暗く不吉な事件のあらましだけを伝えに来たというではないか。

 それはおそらく変わらない。実際、今年も大量殺人犯が脱走した、という頭痛の種だけをもってきておいて、それについての進捗報告は一切なかったのだ。

 

 “配下の者がいなければ危険ではない”

 そう言っていた20年前の危険人物のもとに、その配下の者が走った可能性があるのだ。少し考えればこれが20年前の事態と同じことを引き起こす引き金になりかねないことは容易に考え付く。

 

 このまま彼らに任せるままにしていては、20年前と同じく何度も何度もこの魔法使いから暗く不吉な事件のあらましだけを聞かされることになるだろう。

 

 興奮して鼻息を荒くするファッジと首相は再びしばし睨みあった。

 

「無論。魔法世界の過去にも問題があったのは聞きました。彼らにとっても思惑があるのでしょう」

「ほーれ!! ほれ!!」

 

 率直に彼らのことも伝えるとファッジはそれ見たことかと得意満面の笑みを浮かべた。

 問題があるのは自分たちだけではないのだということで喜んでいるようだ。

 

「ですが彼らは違う未来を求めている」

 

 だがそもそも、何の問題もない社会などないし、何もなければこれまでずっと秘匿してきた魔法の開示などということをしようとは思わないだろう。

 

「人類全体がよりよい未来へと進むようにと模索している。…………愚か者は貴方だ。魔法省大臣」

 

 

 

 

 第48話 O.W.L試験開始!!

 

 

 

 5月も半ばを過ぎたころ、咲耶たちは薬草学の授業後にスプラウト先生からO.W.Lの試験日程を説明された。

 試験はこれまでの期末試験とは異なり2週間にわたって行われる。

 午前中には主に理論に関する筆記試験、午後には実技の試験が行われ、天文学の実技試験のみ夜間に行われる。

 

 そして当然のことながら、魔法によるあらゆる不正行為を防止するための措置がなされていることを改めて注意し、スプラウト先生は忍耐強く、この大変な試験を乗り越えるようにと発破をかけた。

 

 そして同じ頃、精霊魔法の授業でもついでとばかりに試験の日程が伝えられた。

 

「ええ!! 先生、そんな試験の日がO.W.L試験と一緒だなんて、そんな!!」

 

 O.W.L試験が行われる2週間、その最後の方で他学年では学年末試験が行われるのだが、精霊魔法ではO.W.L試験だからといって別枠をとらずに、他の学年と同じく、というよりも一度に試験を行うことが通達されたのだ。

 

 リーシャが悲痛な声をあげて、他の生徒たちにも不満が見られる。

 他の試験もかなりいっぱいいっぱいなのだ。できることならO.W.Lにかかわりのない精霊魔法の試験くらい、日程をずらして欲しいと言うのが共通の思いだろう。

 

「試験最終日だ。一昨年と同じで、もうほとんど試験も終わってるだろう」

「でも、それじゃ一夜漬けが……」

「試験は実技だ。改めて詰め込まなきゃならんもんが実戦で使えるか」

 

 ぶーぶーと不満を垂れる一部生徒に、リオンはきっぱりと言い切った。

 やはり今年の試験も初年度同様実技のみの勝負になるらしい。

 

「不安なら精霊魔法の試験には教科書だろうと頼りになる友人だろうとカンニングペーパーだろうと好きに持ち込め」

「え?」

 

 何でも持ち込み可などという他の試験ではありえないゆるゆるの条件に、不満を垂れていた生徒たちがぽかんとして先生を見た。

 

 試験、というと今までのものは基本的にはどれだけ知識を詰め込んで、覚えているかの確認だったのだ。

 そこに教科書やカンペを持ち込んでいいなどと言えば、試験の意義自体があやふやにもなろう。

 

「戦争中、アンチョコ見ながら戦い抜いたバカが魔法世界には居るくらいだ。実践試験で本を見ていたとしても減点したりはしない」

 

「……マジ?」

 

 魔法学校を中退した鳥頭の英雄。

 そんな存在がいるのだから、マクダウェルとスプリングフィールドの名を持つ彼が試験に暗記など求めていないことはとある意味当然のこととも言えた。

 

 

 

 ある意味では、一つ試験が気楽になったと言える。

 だが、生徒たちは忘れたわけではない。

 このトンデモ教師は、決してやさしい先生ではないということを。

 

 初年度のあの“惨劇の期末試験”を。

 

 知識の詰め込みが必要ない、ということは、それだけ別のモノが評価されるということだ。 

 しかもとびっきり馬鹿げた難易度で。

 

 

 

 ・・・・・・・

 

 

 

 そしていよいよ試験の始まる朝。

  5年生は口数少なく、ピリピリとした空気を出しながらもそもそと朝食を食べていた。

 

「あ゛ぁ~~~」

 

 開始前からすでにぐだっているリーシャ。いつもであればフィリスかクラリスからツッコミが入るが、流石にこの日ばかりは二人も緊張しているのか黙々と朝食をとりながら頭では覚えた呪文や歴史を復習していた。

 来年からの授業、ひいては将来の進路に関わる重要な試験だ。緊張するなと言う方が無理だろう。

 

 朝食が終わって、それぞれの学年が教室へと向かっても試験を控えた5年生と7年生は緊張した面持ちで玄関ホールのあたりにたむろしていた。

 

 そして9時半。いよいよ試験開始となって、クラスごとに大広間へと入った。

 四つの寮のテーブルは片付けられ、代わりに小分けされた個人用の机が整然と並び、筆記試験の準備が整っていた。

 

 初日の試験は呪文学の理論と午後からは実技。

 咲耶は比較的得意分野に属するこの科目を理論、実技ともにまずまず好調の滑り出しで初日を終えた。

 途中、元気の出る呪文で間違えてレフレクテイオー(精霊魔法)の方を書いてしまったので、咲耶は苦心して答案に付け足すはめになっていたが、まあ概ね納得のいく出来だったと言えるだろう。

 

 4人の中ではやはりリーシャが筆記試験で大打撃を受けたらしく、昼食時には灰になっていたものの、午後からの実技で気を取り直して臨んだことでなんとか持ち直したようだった。ちなみにパイナップルに軽快なブレイクダンスをさせて沸かせていた。

 フィリスはややヒステリック気味になっていたものの、監督生に選ばれたことでの意地を見せたのか、後で自己採点してみるとクラリスにも引けをとらないほどの解答の出来をみせていた。

 

 翌日、咲耶にとって難関の一つである変身術はやはり大いに手こずらされていた。

 筆記試験は上手く解答できたといえるのだが、実技ではフラミンゴに変身させる魔法で、どうあってもフラミンゴがふわふわのもこもこの毛だらけになってしまい笑うしかなかった。

 水曜日、咲耶のもう一つの得意科目である薬草学は特に問題なく上手く進み、大いに手ごたえを感じていた。

 ただその後の闇の魔術に対する防衛術では、――咲耶のホグワーツ生活3年間中、2年間の授業内容を鑑みれば無理からぬことだが―― あまり納得のいく出来だとは言えなかった。

 実技の課題でボガート(まね妖怪)がリオンになってしまい、それを“面白く”変身させたことで次の課題に集中できなくなってしまったのだ。

 

「はぁー失敗失敗」

「ボガート見て悶えてどうすんのよサクヤ」

 

 談話室で試験の失敗談を話していた咲耶にフィリスが呆れて言った。

 

「だってリオンにウサミミやで! めっちゃかわえーやん!」

「私にゃそれが恐ろしい光景に思えるんだが、そこんとこどうよクラリス?」

「……ノーコメント」

 

 ウサミミリオンの可愛らしさを主張する咲耶。半眼になって尋ねたリーシャにクラリスは回答を拒否した。

 

 金曜日は古代ルーン語の試験だったため、クラリスのみが試験を受け、咲耶たち3人は来る関門、魔法薬学を勉強していた。

 ちなみにセドリックも古代ルーン語の試験を受けていたが、週末にはクラリスとルークも含めて5人で魔法薬学対策を十分にすることとなった。

 

 週が明けて月曜日。

 魔法薬学の試験は予想通り咲耶にとって難関となった。

 幸いなのは、試験で求められる基準がスネイプ先生ほどではなさそうなのが、咲耶のみならず多くの生徒のプレッシャーを幾分柔らかくしていた。

 また週末の勉強でセドリックや、決闘クラブの時にディズから教えられた部分が出てきたために難しくはあったが、なんとかなるかと思えるほどにはなっていた。

 

 火曜日の魔法生物飼育学では、咲耶自身はうまく行っていたのだが、試験と関係のないところでなぜかシロがサラマンダーの群れに追っかけまわされて試験を賑わせるという珍事を引き起こしていた。

 

 水曜日にはマグル学と数占い学の筆記試験が行われたが、どちらも受講していない咲耶は残る占い学と魔法史の勉強に注力していた。

 

「はぁ~……」

「なによリーシャ?」

 

 教科書を顔の前に立てて眺めていたリーシャだが、今一つ集中できていないらしく重い溜息をつくのを繰り返していた。フィリスは鬱陶しくなってきたのか咎めるようにキツイ視線で睨み付けた。

 

「いやさー。実践って言ってたから勉強のしようがないのは分かんだけど、精霊魔法の試験気になるなーって思ってさ」

「まあ、ね……クラリスは今、数占いの試験中だったわよね」

 

 精霊魔法の試験の恒例として、試験内容はすでに通達されていた。“総合的な判断力と決断力”というのが今回のお題目だそうだ。

 フィリスは魔法世界への留学を考えている友人のことが気にかかるのだろう。

 

 精霊魔法の授業では、実はあまり多くの攻撃魔法は習っていない。

 というのも、多くの魔法はホグワーツで教える伝統魔法とも重複していることが多いためだ。

 そのためではないが、試験では精霊魔法に限らず、どんな魔法を使ってもいいとのことらしい。しかも教科書の持ち込み可ともなれば、あとは実際にどんな試験内容になるか当たってみないと分からないということになる。

 それならば他の試験に注力した方が効率的と言えるだろう。

 残りの試験は翌日の魔法史と占い学。最終日は午前に天文学があり午後が精霊魔法、そして最後に天文学の夜間実技で締めくくられるのだ。

 

 

 翌日。

 魔法史では、やはりと言うべきか、咲耶はこれまでにないほど苦戦を強いられた。

 そもそもゴブリンの横文字の名前が覚えられない時点でお察しと言えた。

 

 ただ午後の占い学では咲耶の能力が存分に発揮されたと言っていいだろう。

 カード占いで試験官が三つ前の生徒の名前の取り違えをしていることを占い当てて唖然とさせてしまったものの、公平に見ればなかなかだっただろう。

 そして水晶玉占いでは、好きに未来を占うようにという漠然としたお題に対して

 

「炎の中で白い髪の男の人が嘆き悲しむ姿が見えます。過去と未来とが交錯して、もたらされない結末を運んできます」

 

 という予言を答えていた。

 

 

 そして試験最終日。午前の天文学の筆記試験を終えた咲耶たちは気分転換に友人たちと庭を散策していた。

 

「いやいやねーよ」

「うん。ない」

「えー、そーなん?」

 

 天文学の筆記試験ででた金星の問題。金星には魔界があって、カオナシみたいなお友達のいるお姫さまがいると答えた咲耶に全員が否定のリアクションを返していた。

 

 残る試験は通常期末試験の(と言っていいのかどうかは怪しいが)精霊魔法と夜の天文学実技だ。

 勉強をするよりも気力、魔力を充実させておいた方が良いと言う判断からだ。

 玄関近くまでぶらついていた咲耶たちは、そこで見知った友人たちと出くわした。

 

「ハーミーちゃん、ハリー君。やっほー、試験どお?」

 

 闇の魔術に対する防衛術の障害物競争試験を終えたハリーたちが、咲耶たちと同じように散策していたのだ。

 咲耶はふりふりと手を振ってハーマイオニーたちに近寄った。

 

「ええっと。うん、だ、大丈夫よ、ええ」

 

 なんだかちょっぴり動揺したハーマイオニーが顔を少し赤くし、その横ではすっかり仲直りしたハリーとロンがにやにやと笑っていた。

 

「サクヤは今、O.W.L試験だったわよね? どう?」

「うーん。まほー史と天文学が危ないかも。他はやれることはやれと思う」

 

 仲良さそうに話しているハーマイオニーと咲耶を見て、ハリーが話しかけたそうにしているが、二人の親密具合に中々割り込むタイミングを見いだせない様子だ。

 

 そんなことをやっていると、不意に隣にいたロンがハリーの脇腹をどんと肘でつついた。

 ハリーは迷惑そうに顔を顰めてロンに振り返ると、ロンはびっくりといった顔で階段の方を指さした。

 

「ハリー。ファッジだ」

「え!?」

 

 ハリーは驚いてそちらを見ると、たしかにそこには細嶋のマントを着て、汗をかきながら校庭を見つめているコーネリウス・ファッジ大臣の姿があった。

 ハーマイオニーと話していた咲耶がそのお偉いさんに気がつくのと、向こうがハリーに気づいたのはほぼ同時だった。

 

「おや? ハリー!」

 

 ファッジはどこか焦った様子ながら、お気に入りの“生き残った少年”を見つけたからか、少し顔を明るくして近寄ってきた。

 

 学校で見たことのない魔法使いが、いきなりハリーと親しげに話しだしたことで咲耶は小首を傾げた。

 そしてハリーのように大臣と親しく話す間柄ではないハーマイオニーとロンはハリーから数歩離れて様子を窺った。

 

「魔法省のファッジ大臣よ、サクヤ」

「えーっと、イギリス魔法省で一番えらい人?」

「まあ、そうね」

 

 フィリスがこっそりと耳打ちして教え、咲耶は改めてファッジ大臣を見た。

 ライム色の山高帽をかぶっている大臣は、いかにもこちらの魔法使いらしい奇天烈な格好をしているが、ダンブルドア校長と比べるといささか貫禄と迫力に欠けているように見えた。

 

 子供であるハリーに親しげに話しかけている姿は、庶民的というか親近感を感じさせるものではあるが、威厳がないとも言えた。

 また、咲耶の足元に居たシロが警戒心を露わにして、唸ることもなく大臣を睨んでいるのも咲耶は「おや?」という様子で気付いていた。

 

「大臣。どうされたんですか?」

「ああ……あ、いや……試験を受けてきたのかね? そろそろ試験も全部終わりかね?」

 

 魔法省の大臣は、ハグリッド曰く、“よくも大臣になれたと思えるほど間の抜けた人物”であるらしい。賢者として認めるダンブルドアにたびたび助言を求めていることをハリーは知っていたが、基本的に忙しいはずの人だから用もなく学校には来ないだろう。

 ハリーに尋ねられたファッジは、言いにくそうに視線を校庭に向けたりしていた。

 

「はい。あとは占い学と精霊魔法で最後です」

 

 ハリーの答えに、ファッジはぎくりと顔色を変えた。

 

「そ、そうか…………まさか、こんなことになるとは……」

「どうされたんですか? 大臣は控訴裁判に立ち合いに来られたのですか?」

 

 実はこの時、ハリーたちは試験とは別に一つの気がかりを持っていた。

 ヒッポグリフのバックピークの控訴裁判。ハグリッドの記念すべき初回の授業でマルフォイによって台無しにされて処刑の危機を迎えている哀れな人馬。

 

 最初の裁判ではハーマイオニーの懸命の援護にもかかわらず、ドラコ・マルフォイの父、ルシウス・マルフォイによって買収された裁判官の判断と、過度に緊張してしまって碌に弁護できなかったハグリッドの弁舌のために、処刑が決定していたのだ。

 今日はその控訴裁判が行われる日であることが、しばらく前にハグリッドから教えられていたのでハリーはもしやと思って尋ねてみた。

 

「裁判? ああ、いや。裁判は……なくなった」

 

 だがファッジは、全く覚えがないかのように眼を丸くして、そんな要件があったことをなんとか思い出したようだ。

 

「なくなった!?」

「どういうことですか!? ハグリッドには控訴をする権利があるはずです!」

 

 裁判がなくなる。

 そのあまりにあんまりな事態に、バックピークの援護を手伝っていたハリーとハーマイオニーは声を高くして大臣に詰め寄り、ロンですら驚きに顎を落していた。

 

 ハリーたちにとってこの裁判が、いかにマルフォイが起こした自業自得で間抜けな、そして親ばか全開にしたルシウスの愚かしい裁判だとしても、危険を注意していたハグリッドにも、ましてバックピークにも罪はないことを主張する大切なものだ。

 

 ハリーたちの奮戦を知らない咲耶たちはきょとんとしながらも、そのやりとりを聞いていた。

 そしてハリーのあまりの驚き様に、むしろファッジも驚いてしまい慌てて言葉を言い直した。

 

「いやいや。そういうことではないのだよ。ヒッポグリフの裁判は無期延期だ。もっと重要な、別の要件が入ってしまってね」

「別の要件とはなんですか?」

 

 不信感と訝しみを露わにするハリー。

 

 

 実はファッジもこの裁判が、いかにも愚かしく、どうでもいいものとは分かっているのだ。

 ただ、純血の名家として名高く、公的ではないものの絶大な権力を有するマルフォイ家の主張をそうそう蔑にすることもできずに付き合っていた茶番にすぎない。

 

 それだけに、“その純血という立場すら危うくする事態”を前にしてはそんなどうでもいいメンツと建前だけの裁判など、続けている暇は全くないのだ。

 

「ハリー。それは……おや? 彼女はたしか、留学生の子かい?」

 

 困ったように視線を泳がすファッジ。

 その視線が少し離れたところで成り行きを見守っていた女子生徒たち、その中の一人を捉えた。

 長く、腰まで届くほどの黒髪。イギリスという国にありながら、純東洋人としたその容姿。

 ファッジ自身が受け入れを了承したことのある、ニホンの魔法協会の長の孫娘だ。

 

「はい。友人のサクヤです。それで大臣――」

「ほっほー! あー、ごほん。すまないハリー」

 

 ハリーから思っていた通りの名前が返ってきたことで、ファッジは瞳を輝かせた。

 

 

 現在の情勢では、すでに外堀は囲まれたと言っていい。

 基盤となるイギリス国では、マグルの首相が連中に賛同の意を示しており、実力行動による撤回はむしろ連中の介入を招きかねない状況。

 国外でも、国連からのエージェントが派遣されて“あの愚かしい計画”を推進しているのだ。本来はこちら側の味方であるはずの伝統的な旧魔法族の多くも、国際的にはすでに日本の、そして“連中”と足並みを揃えようとしている。

 

 せめてなんとか時間を稼がなければならない。

 それがファッジの今の思惑だった。

 

 マグルの首相官邸では、先手を打たれ、なし崩し的に今回の会談をセッティングされてしまったが、ひとまず今回のこの急場さえしのげば、まだダンブルドアを説得するチャンスができる。

 国際魔法戦士連盟の議長の肩書を持ち、世界的にも名声を集めるダンブルドアが計画に反対の立場をとれば、まだ流れは変わると、ファッジはこのとき本気で考えていたのだ。

 

 ファッジの考えでは、そもそも“魔法をばらす”などということに欠片もメリットが見いだせないのだ。

 聞けば連中の使う精霊魔法は、魔法族の血が欠片も入らない者や、伝統魔法が使えないただのマグルですら扱える可能性があるというではないか。

 

 そんなことをすればますますマグルがつけあがり、純血はその立場を失う。

 魔法使いはマグルと違って魔法を使えるのだから、マグルが懸命に頭を捻ったカガクとやらが、いったい何の役に立つのかファッジには到底理解できなかった。

 

 マグルと組むメリットは、“伝統的魔法族”にはまったくないのに、デメリットばかりが積み重なる。

 もしも、そんなことになれば、純血の各魔法使いは、いや、国内の全ての魔法使いが一致団結して魔法省と魔法大臣を糾弾するだろう。

 

 

 だから、なんとしても今回の会談では時間を稼がなければならない。

 ダンブルドアを説得し、それから国際情勢に訴えかけ、魔法バラシの中止撤回を叫ぶ。

 

 そのためにディメンターとダンブルドアがいる“ここ”を会談の場所に指定したのだ。

 ディメンターの影響を受ければ、いかに魔法世界の魔法使いといえど、力を削がれるはず。流石に監獄を会談の場所に指定はできないし、看守を魔法省に連れてきて会談に臨むのも不自然だ。

 だが、ここならば、いくらでもいい分がつく。

 

 

 ファッジは爛々とした瞳で咲耶に歩み寄った。

 シロの警戒が一層強まるも、ファッジにはすでにそちらは見えていないらしい。

 

「ミス・コノエ、だったね。初めまして。私はコーネリウス・ファッジ。イギリスの魔法省の大臣をやっている者だ。あー、おじい様はお元気かな?」

「? えーと、はい。昨年の夏にこちらに来る前は元気いっぱいでした。お手紙でも特には」

 

 咲耶やリーシャたちは、事情が分からないが、とりあえずお偉いさんが留学生に話がしたいと気紛れを起こしたと平和的に考えた。

 

 

 ファッジはにこやかな笑顔を貼りつけたまま考えていた。

 まずは、会談の主導権を握るためにも、現在の主導的立場にいるニホンの魔法協会の長の孫娘を懐柔、

 

「あー、ごほん。実は今から魔法世界のエージェントとの会談があるんだがね。よければ――」

「彼女を連れていくのはやめた方がいい。コーネリウス・ファッジ大臣」

 

 しようとして、冷や水のような声をかけられた。

 咲耶も、そしてハリー達の誰もが声がするまでそこに居たとは分からなかった。だが、気づくとなぜ分からなかったのか、不思議なほどに迫力のある、見覚えのある男性。

 

「僕にとって彼女は何の交渉材料にもならないし、余計なちょっかいをかけると彼女のフィアンセが怒り狂うからね」

「み、ミスター・アーウェルンクス……」

 

 白く無機的な魔法使い。

 奇天烈な服装をしているファッジとは対照的に、白のスーツという目立ちながらも様になっている美男の男性。

 

 昨年末にも来訪した魔法使い、フェイト・アーウェルンクスが、再びホグワーツに足を踏み入れていた。

 

「あ、フェートさんや~」

「フィアンセ!?」

 

 唖然とし、そして戦慄している魔法省大臣の周りでは、ぴこぴこと知り合いに手を振っている咲耶、そして人物以上に聞き捨てならない単語に驚いているリーシャたちがいた。

 

「フィアンセって……スプリングフィールド先生よね?」

「サクヤ。先生とそんな関係だったの!?」

「えへへ~」

 

 フィリスは戸惑い気味にも、ただどこか納得したように確認をとり、ハーマイオニーがそちらの方で愕然として咲耶に問い詰めていた。

 当の本人は嬉しそうにお花を飛ばして悶えており、そんな幸せそうな顔を見て、ハリーやロンがショックであんぐりと顎を落していた。

 

 

 その登場により魔法を使う事すらなく石化空間とお花畑を召喚したのは、流石は地のアーウェルンクスといったところなのか……おそらく違うであろう。

 

 お花畑(咲耶たち)の対岸、石化空間の只中に囚われているファッジは、だらだらと冷たい汗を背中に感じていた。

 

「わ、わたしはそんな、なにも……あー、ディメンターが居たと思うのですが、御気分は大丈夫ですか?」

 

 わざわざ会談の場所をここにセットしたのは、エージェントがディメンターに慄いて気分と活力とを下げてくれることを見込んでのものだったのだ。

 だが、目の前のエージェントからは、鬱の様子どころか、感情そのものが見えてくる様子がない。

 

「問題ありませんよ、大臣。吸われて害するほどの感情は僕にはありませんから」

 

 石のように冷たい瞳の魔法使いの力が、自分がどうこうできるものでないことをファッジは認めざるを得なかった。

 

 

 

 

 フェイトは知人である咲耶には特に興味がないのか、ちらりと一瞥だけして去って行った。

 その際、連れられて行くファッジが(形式上はファッジが連れていく立場だが)がっくりと肩を落していたのを咲耶たちは不思議そうに見送った。

 

「ふわぁ、フェートさん緊張するわぁ」

「え? 緊張? してたの?」

 

 二人が去った後、咲耶はほっとして力を抜いた。ただ、あまりニコニコとした顔には出ていなかったため、思わずリーシャがツッコミを兼ねてたずねていた。

 

「サクヤはさっきの人、苦手?」

「うん。フェートさんはほら、表情変わらんとずーっとあの顔やから。なんや緊張するんよ」

 

 クラリスが尋ねると、咲耶はちょっと照れたようにバツ悪そうに答えた。

 だがそれを聞いたハリーは、スプリングフィールド先生とどこが違うのかと、問いたくなった。

 だが、それよりもハリーは深刻そうに悩んでいるハーマイオニーも気がかりだった。

 

「妙ね」

「何がだい、ハーマイオニー?」

 

 考え込んで呟いたハーマイオニー。一方でロンは苦労して手伝っていた裁判が無期延期と聞いて拍子抜けした様子だ。

 

「バックピークの控訴裁判よ。無期延期なんて事実上裁判の放棄でしょ。あのマルフォイがあれだけ声高に叫んでたのをあっさりとりやめるなんて……」

 

 多少ならばともかく、ファッジは無期延期と言ったのだ。バックピークは現在、魔法省の拘束を受けておらず、ハグリッドがその責任において監督することになっており、慣れ親しんだ禁じられた森で保護している。

 つまり裁判自体がないとなれば、事実上放免に近い扱いなのだ。

 

「そっか!! うん、いいじゃないか! これで気兼ねせずにハグリッドのところに行けるな、ハリー」

「え、あ、うん」

 

 それと分かってロンは目に見えて嬉しそうになり、ハリーの背をどんと叩いた。

 ハリーも友人の苦労が報われたようで嬉しいことは嬉しい。 

 ただ素直に喜べないのは、ファッジのあの態度に引っかかるものがあるのと、咲耶のフィアンセ発言を聞いてしまったせいだろう。

 

 

 なにはともあれ一行は次の試験、受講者が少ないために2年生以上が合同で受けることになった精霊魔法の試験に向かった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

攻略不可能な課題 / Mission impossible

 パァッと足元の床に光が輝き、それが消えると、咲耶たち4人は見たこともない遺跡の只中に居た。

 

「またあの魔法儀みたいなとこか?」

 

 不思議空間に足を踏み入れたリーシャもあたりをきょろきょろと伺いながら足を進めた。

 

「課題を解くことが試験って言ってたわね。まずは課題を探しましょう」

 

 以前の試験のときはいきなり全員がバラバラに飛ばされたため、フィリスは警戒してリーシャの傍を歩いていた。

 同様にクラリスも咲耶の傍を歩いており、二人一組で周囲を警戒していた。

 

「あっ。あれ、課題は見つかってねーけど次の部屋の扉じゃね?」

「あら、ホントね。課題はどこなのかしら?」

 

 探していたモノとは違うが、それでもゴールを見つけたリーシャ。

 試験は一応、課題を解くことなのでまずはそれを見つけなければならないのだが、ざっと目に付くところには見当たらない。

 

「ま、ひとまず扉を見てみよーぜ」 

「あ、ちょっと気をつけなさいよ、リーシャ。先生のことだからまたいきなりどっかに飛ばされないとも限らないんだから」

 

 ひとまずゴール周囲を確認しようと駆けて行くリーシャに、フィリスは不用心を注意して追い駆けた。

 開始前の説明によると今回“は”命の危険はないとのことだが、注意にこしたことはない。

 咲耶とクラリスも顔を見合わせて二人の後を追った。

 

 なにやら仰々しい柱が立ち並んだ奥に、樹木が絡み付いた大きな扉が見える。

 扉は相当に古いのか、所々亀裂が入っているように見えるが、それでもその大きさから脆そうだという印象は受けず、むしろ重厚な雰囲気が感じられた。

 

 その扉の近くに来たリーシャとフィリスは、扉に何か課題について描かれていないかを見つけようと見上げていき――――

 

 その上にべちょりと液体が降ってきた。

 

「んおぁっ?!」

「きゃぁ! なに!?」

 

 驚いて悲鳴を上げる二人。

 頭に直撃したそれを拭ってみると、ただの水、にしては妙に粘っこく、しかしそれは体の動きを絡め取るほどには粘弾性がない液体だった。

 よくわからない液体をぶっかけられた二人は、顔を顰めながら液体が降ってきた上の方を見上げ

 

「は?」

 

 間の抜けた声を上げた。

 

「はぇ!?」

「!!?」

 

 少し後からやってきた咲耶とクラリスもソイツを見つけた。

 

 控えめに表現して言うのなら、そこにいたのはトカゲの仲間だった。

 

 緑を基本にしたちょっと触りたくない感じの体表の色に、ところどころ光の加減で紫や黄色の輝きが見えるのは、鱗があるからだろう。

 後ろ足2本で立っており、蜥蜴であれば四足歩行に使われるはずの前脚は、歩行の用途には使われそうにない形状をしていた

 体を起こし、広げられた前脚の部分には“巨体”に似合う大きな翼がついていた。ご丁寧に関節部分には爪に相当するような鋭い角まである。

 

 そう、巨体なのだ。

 鍋に入れるような蜥蜴とは到底比べようもないほどに巨大。平均身長よりも大きい女子であるリーシャよりも、というかハグリッドを含むヒトや亜人全般よりも大きな姿。

 ごつごつとした顔についている瞳は、たしかにそこはトカゲだよなと、奇妙に納得できる形をしているが、その大きな口 ――リーシャたちを纏めて丸のみできるくらいに大きな口からは、「ぐるる」という普通の爬虫類からは決して聞こえてきそうにない、重低音が響いていた。

 

 思わぬ光景に眼が点になるリーシャとフィリス。少し遅れたところから、全体図を眺めることができていた咲耶とクラリスも「あわわ」と戦くほかない魔法生物。

 

 縦長の瞳がリーシャとフィリスとぶつかり、巨大な魔法生物は興味を持ったかのように首を傾げ

 

「ド――――ッッ!!」

 

 絶叫を上げようとして、喉が凍り付いた二人に、ソイツは後脚を伸ばした。気付いた咲耶とクラリスがハッとなった。

 

「危ないっ!!!」

「らぁっ!!?」

 

 巨大な足にあわや踏まれる、というところで、飛び込んできた咲耶のタックルを受けて、リーシャとフィリスは吹っ飛んで転がった。

 

 踏み損ねた地面を見て、“ソイツ”は首を傾げて「ぐるる?」と唸った。

 

「な、な、な――――」

「リーシャ! フィー! 動く!! サクヤ!!!」

 

 衝撃で呆気にとられて固まっていた状態を脱した二人は、ついで、極度の混乱に陥り、再び動けなくなる直前にクラリスの怒声が響いた。

 はっと我に返ったリーシャとフィリス。サクヤと顔を示し合わせて勢いよく立ち上がり、全速力で離脱のために足を動かした。

 

 背後から響く「ガオオオッ!!」という凶暴そうな鳴き声と破壊音。

 

「なんで――――ドラゴンッッ!!!?」

 

 本年度の障害物――それは人がドラゴンと呼ぶとっても大きな魔法生物でした。

 

「キャー!! なんか火ィ、吹いたわよ!!」

「にゃぁーー!!!!」

 

 

 

 

 第49話 攻略不可能な課題 / Mission impossible

 

 

 

 

 ――――話は少し遡る。

 

 精霊魔法の試験を受けるために、2年から6年生までの各学年、全寮の生徒が集まっていた。

 もっとも、全員といっても、もともと受講生は少なく、昨年は一番多かった5年生でも10人にも満たない人数だ。全部合わせても40人居るかいないかといったところだ。

 

「よーし試験を受ける奴はこれで全員だな」

 

 精霊魔法の担当教師は、人数や顔の確認はせずに集めた生徒たちに試験についての話を始めた。

 

 咲耶があたりを見てみると、一緒に来たクラリス、フィリス、リーシャやハーマイオニー、ハリーは勿論。セドリックとルーク、ディズも来ていた。

 他にもジニーやネビル、ジョージやフレッド、ハッフルパフの後輩やレイブンクロー、グリフィンドールの生徒の姿もあった。

 

「それでは試験課題について説明する。と言っても、今回のテーマは危機的状況下においける“総合的な判断力と決断力”がメインだ。詳しい内容は文字通り始まってみてのお楽しみだ」

 

 咲耶たち受講生は試験に関する説明と注意を先生から拝聴していた。

 以前は油断して、不意打ち的に散々な目にあった生徒たちは、気を付けて説明を聞いていた。

 

「試験は時間以内に答えを見つけて戻ってくることだ。一度の参加人数は問わんから、1人で受けてもいいし、何人で受けてもいい。必要なら教科書だろうとなんだろうと持ち込んでいいぞ」

 

 事前に通達されていた通り、試験には持ち込みが自由らしい。

 だが大量の教科書を詰め込んだ鞄を持参している生徒が少ないのは、いきなり雪山に放り込まれた経験を覚えているからだろう。

 

「ただし言っておくが人数が増えれば途中の障害も手強くなるから、一番力量を発揮できる人数とパーティで挑むことだ。そこらへんも判断力の必要なところだ。それじゃ、適当にパーティ組め」

 

 あまりやる気なさそうに告げた先生の言葉で、生徒たちはそれぞれに仲の良い、あるいは信用できる人とチームを組みに動いた。

 

 咲耶はハーマイオニーとハリーから一緒にどうかと誘われたものの、クラリスたちとすでに4人でチームを組んでいるために断った。

 咲耶はともかく、他の3人がハリーたちと力量の発揮できるパーティにはならないだろうからだ。

 

 結局、咲耶たちはクラリス、フィリス、リーシャの4人で、ハーマイオニーはハリーと組んで挑むこととなった。

 他にはセドリックはルークと組み、ハリーと組むかと(咲耶が)期待したジニーは実力が出せるようにするのを優先したためかレイブンクローの友人と組んでいた。

 

 ちなみに、優等生として知られるディズは幾人かから助っ人のような扱いでチームに誘われたが結局一人で受けることを選んだ。

 

 

「まあ、危機的状況とは言ったが、今回は命の危険はまずないから、そこは安心しておけ」

 

 数分して、パーティ編成が済んだと決めた先生が多少安心できる言葉を投げかけ、あからさまに安堵の息を吐いた生徒が幾人かいた。

 

「よーし、それじゃあ……っと、その前に、咲耶」

「はい?」

 

 そしていざ試験開始、と思いきやスプリングフィールド先生は咲耶のところへと歩み寄り、

 

「お前の狗は没収だ」

「のわっ!! な、何をするか!?」

 

 咲耶の足元でやる気満々の顔をしていた子犬の首根っこを抓み上げた。

 首根っこを掴まれて持ち上げられたシロがじたばたと手足を振り回していた。

 

「あー、シロくん!」

「何でもいいとは言ったが、この狗はお節介が過ぎるからな」

 

 没収されて連れていかれるシロ。

 

 そして、「それじゃ行って来い」という言葉と共に、全員の足元に魔方陣が光り輝いて、次の瞬間には生徒たちは見知らぬ場所に立っていることとなった。

 

「またこれか!!?」

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 一人で試験に挑むことを決め、魔方陣に呑みこまれたディズも見慣れない景色の中に立っていた。

 

 どこかの鉄橋の上。今の時刻はまだ昼を過ぎて夕方には早い時間だったにもかかわらず、あたりの景色はすでに真っ暗で、離れたところに見える景色の中には灯りが見えて、今の時間がまるで夜であるかのように思える。

 

 その前方、闇色の空からふわりと舞い降りたのは、周囲の景色に溶け込むような漆黒の外套を着た魔法使い。

 その姿に、ディズは一瞬驚いたように目を瞠った。

 

「試験には、障害があると聞いていた気がしたんですが…………スプリングフィールド先生?」

 

 金の色の髪に、一度みれば記憶に焼き付くほど整った容姿。

 ディズたちが持つような小杖もなく、まして箒すらないのに空から舞い降りてきたリオン・スプリングフィールド。

 

「ああ。だからちゃんと障害があるだろう?」

「…………」

 

 ニヤリと、皮肉気な笑みを浮かべた先生の、その身から感じられる圧迫感にディズは知らずに足を後退させた。

 

「随分と色々、陰でこそこそとやってたなディズ・クロス? ああ。とぼける必要はないぞ?」

 

 放たれる威圧感は氷のように冷たく、鋭い刃を首元に突き付けられたように感じられる

 

「俺の魔法戦闘が見たいんだったな?」

「…………」

 

 この魔法使いの本当の力はどれほどのものか。たしかにそれはディズが知りたいと願っていたものだ。

 だがよもや、こうも唐突に、そして直接的に来るとは期待以上。

 

 ディズは己の魔法力にいささかばかりの自信は持っている。だがそれは、あくまでも学生レベルであることを自覚していた。

 ホグワーツの教師の何人かには引けを取らない自信は無論ある。

 だが、欧州最強の魔法使いとも言われるダンブルドアには遠く及ばないことは明らかだし、いわんや悪魔を一蹴したこの魔法使いに対してはどれほどの高みに居るのかも定かではない。

 

「さて。それじゃあ――――」

 

 昨年の決闘クラブで付き人もどきのロボットの手合せを受けて、そして“悪魔との戦い方を見て”、この魔法使いの戦い方は伝統的な決闘方法とはまるで違うものだということは分かっている。

 卓越した魔法技能と、身体強化によって底上げされた接近戦の融合。

 

 ディズは決して見逃さないように魔法使いを注視し、

 

「存分に味わえ」

 

 気づいた時には、魔法使いはディズの懐深くにまで接近していた。

 

「!? プロ――」

 

 想像を遥かに超えた移動速度。

 思考するよりも早く、ディズは本能的に防御の術式を編もうとして、しかしそれはまったく間に合わずに、拳が突き刺さった。

 腹部に拳がめり込み、光の筋がその体を貫き通した。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

「どうだ?」

「……今の所動く様子はない。あの扉を守ってるように見える」

 

 近くの廃墟に身を隠したリーシャたち。クラリスが柱の影から扉の方を見ると、先程突然出現したドラゴンはご丁寧にも扉の真ん前に陣取って居座っている。

 

「ドラゴンって。命の危険がないって。どこがだよ!?」

「ほんっとに! もう! べちょべちょ!!」

「……スコージファイ」

 

 ドラゴンのブレスからからくも逃げ切り、ひとまず安全であることを確認したリーシャたちは、またしても“惨劇”になりそうなこの試験に対する憤りをあらわにした。

 特にドラゴンの涎を頭からかぶったリーシャとフィリスはべとべとの状態であり、見かねたクラリスは二人に清めの呪文をかけて洗い流した。

 二人はクラリスにお礼を言ってから、そっとドラゴンの方を覗き見た。

 

「やっぱドラゴンよね」

「ドラゴンだろ」

「ドラゴンやねぇ」

「見た覚えのない種。魔法世界のドラゴンの可能性がある」

 

 始まる前、たしかにあの先生は“命の危険はない”と言ったのだ。

 だが、どう考えてもあの扉の前に居座っているオオトカゲは命の危険のある代物にしか見えなかった。

 

「さてと、どうすっかな」

「どうもこうも、アレが課題ってことよね、きっと」

「う~ん。ドラゴン退治かぁ~…………」

 

 決闘クラブのメンバーとして魔法技能を磨いている咲耶たちだが、実際の戦闘経験はない。昨年の悪魔襲撃時にはその場に立ち会ってはいたものの戦ってはいない。

 

 ドラゴンはその全身に強力な魔法特性を有し、さらには自身も強大な魔力を有している存在だ。

 こちらの世界におけるドラゴンでも訓練されたドラゴン使いが数人がかりで対処に当たるものだ。

 クラリスが言うように、あれが魔法世界由来のドラゴンだとして、どちらの世界のドラゴンが上かの議論はともかくとしてもまだ学生の魔法使いが、命の危険なく、4人で打倒できるものではないだろう。

 

「退治が必要とは限らない」

 

 頭を悩ませていたリーシャたち3人に、クラリスが冷静そうな声で意見を述べた。

 

「先生は答えを見つけるのが課題だと言っていた」

「あのドラゴン退治が答えじゃねーの?」

「そうとは限らないわね。あのドラゴンを安全に出し抜くって言うのも答えとしてはありだと思うわ」

 

 扉の守護者らしく、いきなりドラゴンが現れたためにてっきりそれを倒すことが課題かと思い込んでいたが、確かにクラリスの言う通り、スプリングフィールド先生は“障害”と“課題の答え”を分けて説明していた。

 フィリスが納得したように ――というよりもそうとでも考えなければあまりにも無茶ぶりの試験だと考えた。

 

「どっちにしても、あのドラゴンを扉の前から引き剥がさねえとな」

 

 ただ、いずれにしてもこの謎遺跡からの脱出口と思われる扉があそこにある以上、ドラゴンへの対処は必須だといえた。

 リーシャは杖を取り出し、3人に視線を向けた。

 

 

 

 

 

 

 地面に体を丸めて休んでいたドラゴンは、何かが近づいてくる気配を感じてその首をめぐらせてあたりを見た。

 

 近くから幾つかの魔力と気配をぱらぱらと感じる。

 近くの3つはそれほど大きくはなく、多少の差はあるが大したものではない。だが遠くの一つはやたらと大きい。

 

「ぐるる――――」

「こっちだ! トカゲ野郎!!」

 

 大したことはなさそうだが、休んでいるところをうろちょろされるのも面倒だと、小さな3つの内の一つに視線を定めると、それとは別の方の1つが大声を上げて物陰から飛び出してきた。

 

 

 リーシャが飛び出し、ドラゴンの注意がリーシャに向けられた。

 巨体が一歩を踏み出そうと後肢を上げ、

 

「――――集い来りて敵を射て! 魔法の射手(サギタマギカ) 連弾(セリエス)光の7矢(ルーキス)!!」

「コンジャンクティバ!」

 

 瞬間、別の物陰から飛びだしたフィリスとクラリスが同時に魔法を放った。

 

 フィリスの放った破壊系の光の魔法の矢。

 ドラゴンに対して有効な攻撃手段だと言われる結膜炎の呪いをかけたクラリス。

 放たれた魔法は狙い違わず、ドラゴンの弱点である剥きだしの大きな瞳へと向かい、

 

「――――ッ!!?」

 

 バシンッ!! と当たる直前で弾けて消えた。

 

「そんな! 魔法を弾いた!? 対魔法障壁!?」

 

 驚愕するクラリス。フィリスもまさか攻撃が通じないだけならともかく、彼女たちが覚えたのと同じような魔法障壁が発動するなどとは思ってもみなかったのだ。

 驚きに足が止まるクラリスとフィリス。ドラゴンは攻撃を当ててきた二人に照準を合わせて睨み付けた。

 あまりにも近すぎる距離。

 

「――――集い来りて敵を射て! 連弾(セリエス)・火の11矢《イグニス》!!」

 

 一瞬の足止めをするため、リーシャは渾身の魔力を込めて得意の火属性の魔法の矢を叩き込んだ。

 当然のこと、リーシャの魔法の矢はドラゴンの障壁に遮られてドラゴンの鱗に微かな傷もつけることはできなかった。

 だが、幸いにも火属性の目立つ色彩がドラゴンの気を引いたのか、ドラゴンは注意をクラリスとフィリスから再度リーシャへと向け直した。

 注意が分散し、獲物をどれにするか悩んだドラゴンの足が止まり、緩慢な動きで首をめぐらしている。

 

「サクヤ!!!」

 

 瞬間、リーシャは決め手となる魔法を放つ咲耶へと大声で叫んだ。

 

 そして3人の陽動の影で、その身に宿る膨大な魔力を発動寸前の状態にしていた咲耶が、自身の持つ最大の攻撃魔法の呪文を紡いだ。

 

「――――来たれ地の精、花の精!! 夢誘う花纏いて、蒼空の下、駆け抜けよ、一陣の嵐!!」

 

 荒れ狂う風が咲耶の周囲へと収束。ドラゴンへと向けた扇の先端に六芒星を基点とした魔方陣が輝いた。

 

 ――『春の嵐(ウェーリス・テンペスタース・フローレンス)!!』――

 

 轟!! と春の香を纏う旋風が大嵐の渦を巻いてドラゴンへと向かい、リーシャたちの魔法を阻んだ障壁をものともせずに飲み込んだ。

 

「やったっ!!」「っし!!」

 

 あのスプリングフィールド先生ですら認める咲耶の膨大な魔力。それを使った大魔法は、現在持っている彼女たちの切り札とした攻撃だ。

 フィリスとリーシャは咲耶の戦術催眠魔法“春の嵐”の効果圏内から逃げながら、ぐっと拳を握って作戦の成功を噛み締めた。クラリスも距離を置きながら冷静に煙の先を睨み付けた。

 流石の咲耶もあまり慣れない攻撃魔法を放出したためか、荒い息を吐いており、

 

 ――「ガァアアアアッ!!!」――

 

「げっ」「うそ!?」「ありゃ?」

 

 雄叫びを上げて風塵を吹きとばし、ぴんぴんとした様子のドラゴンが姿を見せたことで4人揃って顔を引き攣らせた。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

「か、はっ……が……」

 

 右腕一本。

 足は地に着いておらず、喉を締め上げる一本の腕だけが、ディズの体を支え、宙に吊り上げていた。

 

「どうした? まだ簡単な身体強化の魔法程度しか使ってはいないぞ。もっと魔法を見たいんじゃなかったのか?」

 

 使ったように見えたのは、姿現しのような高速の移動術、魔力を込めた拳撃、そしてこちらの魔法使いにはあるまじきマグルの達人のような体術。

 高速の戦闘の中で、幾度か放ったディズの魔法は、その悉くが躱されるか、障壁に阻まれているのか、いずれにしても目の前の金と黒の魔法使いには一つたりとも直撃していなかった。

 

 にやりと笑った金髪の魔法使いは、ふっと腕の力を抜いてディズを落した。

 首から消える圧迫。にやりと笑った魔法使いは、ディズの体が地に着く前にその体を翻し、ディズの体に蹴りを叩き込んだ。

 

「―――――!!」

 

 ディズの体はまるでスニッチを見つけたハリーのように勢いよく飛んで行った。

 飛ばされながらも、身を守る身体強化の術式は確かにダメージのいくらかを軽減していた。

 かの魔法使いの戦い方を参考にして、できるだけ障壁を持続させてはいるものの、そんなものは紙切れのようにあっさりと抜かれている。

 

 ディズは、自身が吹き飛ばされることで相対的に遠ざかるはずの魔法使いが地を蹴って接敵してくるのを視界の端で捉えて、杖に魔力を宿した。

 

「ッ!! セクタムセンプラ!」

 

 一般的な教科書には載っていない、とっておきの攻撃魔法だ。

 無言呪文でいくらかの魔力を消耗させられるよりも、できるだけ威力優先で詠唱して術式を組んで放った。

 敵を切り裂くその“殺傷”魔法は、しかし金髪の魔法使いに当たる前に、まるで見えない壁に弾かれたかのように弾けて消えた。

 

 いくら体勢が不十分だとは言え、魔力は十分に籠っていたはずだ。なによりもこちらの魔法は発動の速さこそが強みなのだ。だが、ディズの魔法はかの魔法使いが何気なく張り巡らせている魔法障壁に罅の一つも入れることができなかったのだ。

 

 地を削り、勢いを殺して体勢を整える――よりも早く、振りかぶられた拳がディズの体へと撃ち下ろされた。

 

「――――!!!」

 

 声すら出なかった。

 ディズの体が地面へと叩きつけられ、その下の地面が大きく割れ、ディズの体にバラバラに砕けたかと思えるほど強烈な激痛が走った。

 

 周囲の景色は、暴れるこの魔法使い ――リオン・スプリングフィールドの魔力の余波を受けて、氷と破壊の痕を残す世界へと変わりつつあった。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 とっておきの魔法と戦術が通用せず、再び撤退して隠れることとなった咲耶たちは、ぜーぜーと呼吸を整えようとしていた。

 

 魔法が全く通用しない。

 相手は咲耶たちが攻撃の意志を見せると襲ってくるが、遠巻きに様子を見ているだけだと動かない。

 

「ドラゴンが魔法使うってなんだよ!?  あんなのどうやって倒せって!?」

「サクヤの魔法が通用しないとなると本格的に倒す方法ないわね。サクヤ。今のよりも強い魔法ってあるかしら?」

「ううん。うちの魔法の中では今のが一番威力のある魔法やから……」

 

 一般的なドラゴンの弱点とされる目を狙っても魔法障壁で跳ね返されてしまう。 

 その魔法障壁を抜くことを狙っても、一番威力のある咲耶ですら大してダメージが与えられない。

 ドラゴン打倒を考えるのならば、手持ちの攻撃手段ではすでに手詰まりと言えた。

 

「とるすと、一度あのドラゴンと課題とを分けて考えましょう」

 

 良く言えば切り換え早く、悪く言えば諦め早くドラゴンの打倒を脇に置いたフィリスの提案に、クラリスと咲耶はこくんと頷き地面の上に腰掛けた。

 

「分けて、つったって、どうすんだ?」

「この空間からの脱出が課題と考えるべき」

 

 リーシャの問いにクラリスが冷静そうな声で答えた。ただあまりにも簡潔なためにリーシャは分からなかったらしくこてんと首を傾げた。

 

「つまり、ここから出る方法を見つけることが課題で、あのドラゴンはそれから目をそらすためのフェイクじゃないかってことよ」

「おお! なるほろ」

 

 補足して状況を整理したフィリスの言葉に、実はよく分かっていなかった咲耶もポンと手を打った。

 

「そいつぁ、その方がいいけど……」

「そもそも、あんなのが出てきて、命の危険がないなんてあるはずないわ。あんなのが相手じゃ、生徒の誰も合格できないもの」

 

 ただやはりリーシャはあのインパクトのある大トカゲが気になるのか不安そうに声を漏らした。

 一方でフィリスはすでにあのドラゴンに関しては課題から除外することに割り切ったらしい。

 

 不意に、話しているリーシャとフィリスを他所にクラリスが何かに気づいたように顔をきょろきょろと動かして周囲を観察しだした。

 

「クラリス、どしたん?」

 

 突然きょろきょろと周囲を見回したクラリスに咲耶が不思議そうな顔を向け、リーシャとフィリスも話を止めてクラリスに視線を向けた。

 クラリスはそれには答えず、自分の杖を横に倒して右の掌の上に載せた。

 謎の行動をとるクラリスを3人が見つめる中、クラリスは呪文をかけた。

 

「ポイント・ミー」

「四方位呪文? クラリスなにを……。 !?」

「なんだそれ!?」

 

 クラリスのかけたのは方角を探るための呪文、“四方位呪文”だ。呪文が発動すれば、掌の上で杖が北を指すはずなのだが、クラリスの掌の上では杖がくるくると回り続けており、北を指す気配がない。

 

「やっぱり、現実空間じゃない」

「あの魔法儀の中ってこと?」

 

 何かを掴んだ様子のクラリスは、フィリスの問いかけに首を横に振って否定を示した。

 

「一昨年、魔法儀の中でも試した。あの時は方角を示していた」

「そっか。もしかしたら……」

 

 クラリスの言葉に、フィリスもハッと何かに気づき…………

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

「ここが現実空間じゃない? どういうことだセド?」

「例えばの話だけど、ホグワーツの食堂みたいに実際とは違う景色を見せる魔法が精霊魔法にあるとして、ここはこの空間そのものが実際とは違う世界なのかもしれないんだ」

 

 咲耶たちが居るのとは別の空間、巨大な木々に囲まれた森の中でセドリックとルークは、別の場所にいる受講者たちと同じ結論に達しつつあった。

 

「あの魔法儀は、少なくとも現実の空間だった」

 

 ドラゴンや、とんでも魔法使いなどに襲われている友人たちと同様、彼らも“なんかよく分からない巨大な蜘蛛の怪物”に襲われて今は身を隠しているのだ。

 

 魔法は通じないわ、障壁を張っても吐き出す糸が障壁ごと術者をからめとろうとするわ、この試験後に蜘蛛嫌いになる自信がルークにはあった。

 

「つまり?」

 

 

 

 

 

 

「先生は言ってたわ。『命の危険はない』。つまりここは夢の世界みたいなものよ」

「正気かハーマイオニー!? ここが夢!? どう見ても現実だよ!」

 

 離れたところをうろつく三頭犬。その尻尾は2匹の蛇でできており、以前見たフラッフィー(三頭犬)とは違うものだった。

 フラッフィーならば適当極まりない音楽ですやすやと眠ってくれるのに、あのオルトロス(三頭犬)は寝もしなければ魔法も効かないという代物なのだ。

 

「魔法でそう見せてるだけなのよ。答えっていうのは、この世界からの出口。つまり……」

 

 

 

 

 

 

「あの扉はただの目印なのよ。この世界から出るための」

「でも結局、あのトリトカゲなんとかしなきゃどうにもならないだろ?」

 

 フィリスの述べた推測にリーシャが眉を顰めて反論した。

 たしかに、ここがフィリスの考えた通りの空間だとしたら、あのとんでも教師らしい試験と言えるだろう。

 命の危険はないが、まさに実戦さながらの魔法実技。

 おまけに魔法世界の生物についても知ることができるというおまけつきだ。

 

「いいえ。もし本当にドラゴンを対処する試験なら、きっと『魔物を倒すこと』が試験の課題になるはずよ。でも先生は一言も敵の存在については言及しなかったわ。ここが幻の世界だと認識して、真っ直ぐあの扉に向かうことが、おそらくこの試験の答えなのよ」

「でも、それもし違ったら、あのトリトカゲの攻撃をまともに受けるぜ?」

 

 仮説としては十分に面白い説ではある。

 命の危険はないという先生の言葉を信じるのならば、攻撃をまともに受けても大丈夫だという可能性は大きい。

 だが、それでもあのドラゴン(暴力の象徴)に突っ込むのは躊躇われる。

 

「その場合は……うん。くしゃっといきそやな」

「おいおい……」

 

 咲耶がにこやかな顔で放つブラックジョークに、リーシャは半笑いで顔を引き攣らせた。

 フィリスとクラリスも半笑いを浮かべながら相変わらずの咲耶を見て、気を取り直して顔を引き締めた。

 

「……人数が多くなると難易度が上がると言っていた。おそらく全員がその答えを確信できないと扉は開かない」

「多分、ね」

 

 頭数がいれば答えに辿りつく可能性は高くなるが、人数が多くなれば意志の統一は難しくなる。

 クラリスの推測にフィリスは相槌をうち、リーシャは唾を呑みこんだ。

 

「なーるほど。サクヤはどー思う?」

 

 二人の意見は統一され、リーシャは残っている咲耶の意見を窺った。

 

「ウチは信じるよ。クラリスとフィーの考え」

 

 にぱっと微笑む咲耶の同意に、頷くクラリスとフィリス。そして

 

「よっしゃ! それじゃ、いっちょ行くか!」

 

 4人の答えは決まった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

試験終わった~!!

 世界が罅割れた。

 ガラスを思いっきり殴りつけたかのように世界に亀裂が入り、瞬く間に割れて砕けた。

 

 そして…………

 

 

「おおおおおおいっ!!! ……って、あれ? 教、室……?」

 

 眼前にドラゴンが迫り、踏みつぶそうとしてきた光景からいきなりドラゴン毎、世界が割れる光景を目の当たりにして絶叫していたリーシャは、いつの間にか周囲の光景が見慣れたホグワーツの教室に戻っていることを呆然として確認した。

 

「…………出て、これた」

「はわぁ。びびったわぁ」

「はぁぁ~~」

 

 リーシャ同様、冷静そうに見えたクラリスや咲耶も、そして方針を示したフィリスも大きく息を吐いて安堵した。

 ぐったりと腰が抜けたように床にへたり込み、4人はそろって脱力した。

 

 

 咲耶、リーシャ、クラリス、フィリス。

 4人は無事に現実空間へと帰還を果たしたのであった。

 

 

 

 第50話 試験終わった~!!

 

 

 

 咲耶がきょろきょろとあたりを確認すると、教室内には受講している生徒たちがあちこちで眠っており、教師のリオンと二人の生徒のみが起きて座っていた。

 

「あっ! ジニーちゃん! もう戻ってきとったんや!?」

「サクヤ。ええ。一緒に組んだルーナが、すぐに答えを見つけてくれたの」

 

 咲耶たちよりも早くに現実に戻ってきていたのは、一人は咲耶の友人であるグリフィンドールのジニー。彼女は友人だろう、レイブンクローの女生徒と組んで挑んだらしい。

 さらさらとした色の薄い金髪の女生徒は、机に腰掛けて足をぷらぷらさせ、どこか茫洋とした感じで虚空に視線を向けて彷徨わせている。

 通過した試験のことを聞こうとした咲耶だが、話を続ける前に、突然近くの空間から「パリンッ!!」とガラスの割れるような音が響いて、セドリックとルークの二人がガバリと起き上がった。

 

「おおぅっ!! てぇっ!!」

「っと! 出れ、た……?」

 

 どんな状態から脱出したのか、ルークは顔からダイブするように壁に顔を打ち付けて痛そうな声をあげ、セドリックは顔を巡らせて周囲を確認していた。

 

「おっ! セドとルークも起きた」

 

 リーシャは出てきた二人に手を振って話をしに行った。

 咲耶はもう一度あたりを確認して、それからリオンの方へと顔を向けた。

 

「リオン、センセ。今、えーっと……」

「今ので3組目だ。そこのやつらが一番のりだ」

 

 試験突破者の確認しようと尋ねた咲耶に、リオンは顎でジニーともう一人の少女を指して答えた。

 

「そしたらジニーちゃんたちが最初に戻って来たん?」

「ええ」

 

 感心したように笑顔を浮かべて尋ねる咲耶。ジニー自身も少し驚いている様子で咲耶の質問に頷いた。

 

 咲耶は少し意外な思いで茫洋とした少女、ルーナを見た。

 レイブンクローに所属しているということは、頭がいいのかもしれないが、おそらくそれだけではあの幻術空間は脱出できないだろう。

 事実、断トツで頭が良いはずのディズ・クロスが未だに脱出できていないのだ。

 

「なな。ウチ、サクヤ・コノエ! ルーナちゃん、って呼んでええかな?」

 

 ぴょんと跳ねるようにしてルーナに近づいて自己紹介とともに顔を覗き込むと、ルーナはようやく夢から帰還したように焦点をはっきりとさせて咲耶を見つめ返した。

 

「ルーナ・ラブグッド。いいよ。私あんたのこと知ってる。留学生でしょ。ジニーがよく話してくれた」

 

 ルーナはどこか夢見がちな世界から喋っているような声で頷きながら答えた。

 

「ルーナちゃんとジニーちゃんが一番乗りか~。ウチら結構苦労して出てきたんやけど、二人はどやって出れたん?」

 

 咲耶はちょこんとルーナの横に腰掛けた。ジニーも反対側に腰掛けておしゃべりに付き合うことにしたらしい。

 

「ラックスパートが飛んでたんだ」

「らっくすぱーと?」

「うん。頭に入るとボーっとするんだ」

 

 なんだか夢を見ているように、咲耶には見えないなにかを指さして宙をゆらゆらとさせるルーナに咲耶は小首を傾げてハテナを連発し、反対にジニーはくすくすと面白そうに笑っていた。

 

「すごいでしょ。でもルーナは、あの世界ですぐに本当の世界じゃないって気づいたのよ」

「ほわぁ。リオンの幻術が効かんのや」

 

 ジニーの言葉に咲耶は驚いてルーナを見た。

 当の少女はまた焦点の合わないような眼差しで宙からなにかを探し出そうとしているが、満月の日(金髪)のリオンの幻術をすぐさま見破ったというのは並大抵ではない。

 

「あの先生変わってるね。モリクウェンディなの?」

「も、もり?」

「モリクウェンディ。ラックスパートを傍に漂わせてるんだって」

 

 ただ残念ながら、あまり会話が噛み合うとは言い難い人物らしく、独特のテンポとイントネーションで話されるその言葉に咲耶は先程からハテナの乱舞が止まらなくなっていた。

 よく分かっていなさそうなことは察してくれたのか、ルーナはさして追及を続けることもなく足をぷらぷらとさせ、

 

「あっ! ハリーとハーマイオニーが起きたわ!」

 

 会話は二人が起きたのを見つけたジニーによって強制終了することとなった。

 咲耶もハーマイオニーがガバリと起き上がったのを見て嬉しそうに笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

「…………」

「おっ。クロスも起きたぜ」

 

 意識が戻り体を起こそうとして、最初に聞こえたのは知人であるリーシャ・グレイスの声だった。

 

 何回殺されたのか分からなくなるほどの繰り返しのはてに、なんとか戻ってきたディズは眉根を寄せて周囲を確認した。

 どこからが幻術だったのかは分からないが、おそらく、現実世界だろう教室。

 自分の他にはグループを組んでいた生徒が3組。その中の二つは同学年のサクヤたちとセドリックたち。そしてあろうことか残る一組は下級生の女子二人だ。

 

 知らず屈辱を覚えてディズは顔を険しくした。

 

「よっ! クロスは何が出てきたんだ?」

「何が? ……全員違う障害が出てきたのかい?」

 

 いつもは巧妙に隠している不機嫌さが隙間から漏れ出ていたが、幸いにも声をかけてきたルークやリーシャをはじめ、現実空間に戻ってきたばかりの生徒たちは、それに気づかなかったらしい。

 ディズはすぐにいつもの自分に戻してルークたちに問い返した。

 

「私たちのとこはドラゴンだったわ」

「俺らの方はでけえ蜘蛛。どっちも魔法世界のやつだったみたいで、魔法障壁使ってきやがったんだよ」

 

 フィリスたちの方ではドラゴン、ルークたちの方では正体不明の巨大蜘蛛。

 難易度が変わる、というように試験前に言っていたことから考えると、膨大な魔力を持つサクヤが居て、かつ人数が4人と多かった彼女たちの方によりトンデモないものが出てきたと思われる。

 

 ただ

 

「僕の方は……よく分からなかったけど、やたらと容赦のない怪物だったよ」

 

 ディズはちらりと、現実世界に居る、先ほどまで戦っていた幻の本体を見た。

 4人のところに出てきたドラゴンよりも、自分のところに出てきた“怪物”の方が、難易度高いように感じるのは気のせいだろうか。

 果たしてあの障害物は、意図して彼のところに現れたのか、本来の彼と比べて実力はどうなのか、気にかかることはいくつかあったが、その真意を推し量ることは今はまだ出来そうになかった。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 完全に日が暮れて、宙天に瞬く星々が美しい夜空を飾っていた。

 ただ星空を観察するのに惜しむらくは最善とまではいかなかった。空にはところどころに雲がかかっており、銀に光る月はその形を真円に満たしている。

 やや月の灯りが強すぎているが、そんな程度でO.W.Lの最後の試験、天文学の実技試験の予定が変わったりはもちろんしない。

 

 咲耶たち5年生の生徒は、それぞれ望遠鏡を星空に向け、恒星や惑星の位置を星座図に書き入れていた。

 生徒たちの間をマーチバンクス試験官とトフティ試験官が歩いて生徒の様子を見て回っている。

 高い位置にある天文塔には、先生の歩く音、羊皮紙が擦れる音、望遠鏡の位置と角度を調節する音だけが響いている。

 

 咲耶は望遠鏡を覗き込んで、赤い惑星 ――火星を観測してほっこりと笑みをこぼした。

 

 この試験が終わり、学期が終わるといよいよ夏休み。魔法世界(裏火星)への研修旅行が待っている。

 精霊魔法の試験では、咲耶と一緒に試験を突破したリーシャたち以外にも、ジニーやハーマイオニー。セドリックやルークやディズやハリー。フレッドとジョージの兄弟。ほかにも全員で30人弱くらいの生徒が研修旅行参加の権利を獲得したことを試験直後に通達された。

 

 人数は全校生徒からすれば少ないと言える人数だが、それでも大切な友達たちと一緒に、旅行できるのは心躍る夏休みになるはずだ。

 どこの国に行くのかは咲耶もまだ知らないが、おそらくウェスペルタティアには行くだろう。夏休みの頃と言えば、もしかしたら“あのお祭り”の時期にもあたるかもしれない。

 

「ウォホン、あと20分。みなさん最後まで気持ちを集中するんじゃよ」

 

 トフティ試験官が軽い咳払いと共に残りの時間を通知した。

 咲耶ははっとして、少し逸れていた集中を元に戻して全天の星々を見渡した。

 輝く星々が集う天の川がこの空からでも見ることができ、その両岸にまだ近づいてはいないがこと座のベガとわし座のアルタイルを見つけて咲耶はえへらと頬を緩めて星座図に星を書き込んで、

 

「ぇ……?」

 

 一瞬、視界がぼやけた気がした。

 ベガの輝きがアルタイルの瞬きを消してしまう、そんな幻視がよぎったような気がしたのだ。

 はっとした咲耶だが、次の瞬間にはしっかりと星座図に書き込まれた解答があり、咲耶は目をごしごしとこすった。

 

 天体観測をする時間帯だ。すでに十分に遅い時間になっており、最近の試験疲れが出たのだろう。

 咲耶は自身の解答用紙に間違いがあることに気づいた。

 黄道の上にあるのはへび座ではなくへびつかい座だ。へび座にけしけしと訂正を入れた。

 

 残り時間、咲耶は粘るように星を書き足しつつ、最後には解答用紙を見直してうんと満足そうに頷いた。

 

「うむ、うむ。みなさん。よく頑張ったかな? さあ、羽ペンを置いて、羊皮紙を集めますよ」

 

 時間だ。

 マーチバンクス試験官が生徒たちを労うように最後の試験の終わりを告げて、生徒たちは解放されたように羽ペンを置き、歓声を上げた。

 中には未練がましく羊皮紙にかじりつこうとしてる生徒もいたが、トフティ試験官に咎められてペンを置いた。

 

 リーシャはぐぐぅっと背伸びをして解放感を露わにし、フィリスはぐったりしたように息を吐いた。クラリスもほぅと溜息をついてから咲耶たちに視線を向けた。

 

「はぁ。よーやく終わったぁ」

「あ~……これで教科書見なくていいぞー」

「あのねぇ、リーシャ。あー……まあいいわ。流石に私も疲れたわ」

「結果は7月中にでる。魔法世界から帰った時には出てるはず」 

 

 結果はふくろう便で7月中に生徒のもとに送られるらしい。だが、丁度そのころには咲耶たちは魔法世界に研修旅行に行っているはずであり、他の生徒よりも結果を知るのが遅くなるだろうとのことだ。

 

 夜遅くの天文塔で、試験終了の安堵の声があがり、

 

 しかし

 

「あれはなんだ?」

「おい! 禁じられた森の様子が変だ!!」

 

 天文塔から降りようとしていた生徒の一部から不審な声があがり、咲耶たちもその声の方――禁じられた森を見た。

 森には灯はなく、だが満月の光によってある程度はその様子がうかがえた。

 

「!? ディメンターが!!?」

「何が起こってんだ!?」

 

 フィリスとリーシャも驚きに声を上げた。

 ホグワーツの城外でシリウス・ブラックの捜索、監視をしているはずのディメンター。その大群がなにを思ったのか、大挙して禁じられた森の上空へと集まり、目的があるかのように一点を目指しているのだ。

 以前、クィディッチの試合中に競技場に乱入したとき以上の数のディメンター。

 それはゾッとするほどに悍ましい光景だ。

 遠く離れた距離をおいてなお、その穢らわしい存在感は子供たちの肌に鳥肌を立たせた。

 

 咲耶の式神、シロが人化の姿をとり、主を守るようにその前へと立った。

 

「…………」

「なんとっ!!?」

 

 トフティ試験官も驚いて塔の際まで寄って光景を見ようとし、生徒たちはあまりの光景に悲鳴を上げていた。

 

 そして次の瞬間、

 

「なっ!! 何あれ!!?」

 

 白く輝く何かがディメンターたちが目指していた森の一点から立ち上がり、群がり寄ろうとするディメンターたちを次々に呑みこんでいた。

 

「氷!? 氷がディメンターたちを捕まえてる!」

 

 10、20……歴戦の魔法使いですらあれだけのディメンターを前にすればその力を失われるだろう。

 だが無慈悲な氷はあっという間に空に居たディメンターの全てを凍てつかせ、あたかも大輪の花を咲かせるように氷結させた。

 

「氷の、花……? まさか!?」

 

 その光景をセドリックたちは見た覚えがあった。

 悪しきものを封じる氷の華。その大きさは“去年”のものよりも圧倒的に大きい。

 

「あれは…………」

 

 知識にない魔法に試験官たちですら唖然としている中、ディズは目を細めてそのあまりにも強力な氷の魔法を目の当たりにした。

 

「サクヤ、あれって……」

「シロくん?」

 

 リーシャが頬を引き攣らせ、もしやというように指さし、咲耶は前に立ち厳しい顔を見せるシロに尋ねた。

 シロは主の問いかけにこくんと頷きを返した。

 

「あれはリオン・スプリングフィールドの魔法です」

 

 強大な魔力を前提にして初めて詠唱することができる古代の魔法。

 広大な範囲、数多の敵を一気に殲滅、封結する氷の魔法。

 

上位古代語魔法(ハイ・エイシェント)による広域氷結魔法 ――千年氷華」

 

「古代語魔法……?」

 

 今までにセドリックたちが習ったのはラテン語を元にした詠唱だ。

 シロの言う古代語魔法とどのような違いがあるかは定かではないが、目の前の光景を見る限りにおいては、桁違いの威力を有していることだけはたしか。

 

「リオンが戦うてるってこと?」

 

 そしてそんな魔法が行使されたということは、リオンがそれなりに本気で魔法を使ったということだろう。

 咲耶は疲れなど吹っ飛んだ顔で、キッと花の咲く地点を見据えてシロに尋ねた。

 シロは振り返り、守護する少女を見つめた。

 すぐにでもあの男のもとへと駆けて行きそうな顔だ。

 

 ゆえにシロは

 

いいえ(・・・)

 

 首を横に振った。

 

「戦いにはなっていません」

「あれ? そうなん?」

 

 シロの返答に咲耶はぽけっとしたように首を傾げた。リーシャとフィリスも「そうなの?」と言いたそうに首を傾げてシロを見た。

 シロは主を安堵させるように微笑みかけると、ぽんと狼の形態に戻って咲耶の方に登った。

 シロの言葉に咲耶はすっかり安心したのか、シロをなでなでと撫でながらリーシャたちとともに階下へと降りて行った。

 

 ――なぜディメンターを凍らせたのかという疑問はとりあえず忘却して。

 

 

 一方で、試験官の二人が生徒たちを追いやる声を遠くに聞きながらディズは氷の白薔薇を見つめていた。

 

 伝統魔法では追い払うことしかできないディメンターを封じ込める強力かつ広範囲の氷の魔法。

 あの魔法が、精霊魔法の使い手である彼の技であることは間違いないだろう。

 あの式神は“古代語魔法”と言っていた。

 古の魔法が現在の魔法よりも強力だというのはこちらで学ぶ魔法でもよくあることだ。このホグワーツ城や古代の遺跡にかけられた魔法などのように。

 

 だとするとこれが彼の本気の一端。

 古の魔法を操り、すべてを氷に閉ざす強大な力。

 いや、それだけではない。

 悪魔ですらも寄せ付けない雷の精霊への転身の術法。

 

 雷と氷を操り、体術すらもこなす魔法使い。

 

 ――戦いにはなっていません――

 

 つまり、あの魔法使いにとってあれだけの数のディメンターを倒すことは、戦いにすらならないものだということなのだろう。

 

 嬉しさ。ディズの顔に浮かんでいた笑みはその感情をまさに表していた。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

 少し時間が遡り、咲耶たちが天文学の試験を受ける前。

 

 全ての試験が終わって、ハリーとハーマイオニーはロンとともにこの後の計画を立てていた。

 

 この日は、彼らにとって試験最終日ということの他にも重要なイベントがある日だった。

 バックピークの裁判が何事もなければ今日の予定だったのだ。

 

 もしもハグリッドが裁判がなくなったことを知っていれば、きっとすぐにでも教えてくれていただろう。

 だが、ハグリッドからは何の連絡もなく、また昼にファッジと会った時の彼の様子からすると、ハグリッドにその知らせが行っているかは怪しい。

 

 外出を禁止される日没が迫るなか、ハリーたちはハグリッドのもとへと訪れた。

 そこには今か今かと、顔を青ざめさせ、体を小刻みに震わせているハグリッドが居た。

 

 ハグリッドは、ハリーたちから裁判がなくなったことを聞くと、はじめは「んなぁはずはねえ!!」と頑なに信じなかったものの、彼を落ち着かせている間に到着した魔法省からのふくろう便で、本当に裁判がなくなったことを知るとスコールのような涙を流してわんわんと泣いた。

 

 その後、なんとかハグリッドを宥めていると、小屋の中から驚くべきもの ――ロンの失われたペットであるネズミのスキャバーズが見つかったのだ。それも以前よりもやせ細り、あちこち禿てはいたものの、生きて、やや興奮した状態で。

 

 一時期は彼の出奔のおかげで仲違いまでした存在だ。

 ロンは大喜びになり、ハーマイオニーも心から安堵の表情を見せていた。

 

 一晩で二つ、失われたはずの命と失われるはずだった命が救われた。

 奇跡としか思えない夜となる……はずだった。

 

 物語はそこから大きく、彼らの予想しなかった方向へと転がって行った。

 小屋から城へとこっそりと戻ろうとしていたハリーたちだが、途中、興奮状態のスキャバーズが、クルックシャンクスと遭遇して逃げ出してしまったのだ。

 スキャバーズは禁じられた森へと入り込み、なんとか捕まえたものの、今度は以前からハリーに付きまとっていた黒い影のような大きな犬が飛び出してきて、スキャバーズを捕まえたロンへと襲い掛かったのだ。

 大きな犬によってロンはスキャバーズごと暴れ柳の方へと引っ張って行かれ、ハリーとロンにとっては嫌な意味で思い出深い暴れ柳の下を通って、ホグズミードへと向かって逃亡。

 ハリーとハーマイオニーも慌ててその後を追ったのだ。

 

 暴れ柳の下にあった通路は、ホグズミード、その中でもホラーハウスとして知られる叫びの屋敷へと通じていた。

 そこで起きたことはハリーにとって、一晩では整理しがたいほどに大きな出来事だった。

 

 ロンを捕らえたあの大きな黒犬は、彼こそがハリーを付け狙っていると言われていた脱走犯のシリウス・ブラック、その非合法・未登録の動物もどき(アニメ―ガス)だったのだ。

 そして彼らの危機に駆け付けたルーピン先生。その彼もまた、ただのヒトではなかった。彼はシリウス・ブラック、そしてハリーの父であるジェームズ・ポッターと親友だった、“人狼”の魔法使いだったのだ。

 

 生来からの妖である狗族とは異なり、人狼という“種族”は一種の呪いによってその個体を増やす。

 その呪いとは噛むこと。

 ルーピンのような“人狼”に噛まれたヒトは呪いを受けて変質し、人狼という種族へと強制的に転生してしまうのだ。

 

 そのことを知らされたハリーの動揺は大きかった。

 なにせ人狼と言えば、彼らイギリス伝統の魔法族とは敵対関係にある種族といっていいほどの闇の魔法生物なのだから。

 

 だが、事態はまだ安寧を許さなかった。

 脱走したシリウス・ブラックの狙いは、ハリー・ポッターではなかったのだ。

 いや、ある意味ではハリーだったと言えるだろう。だがその目的は真逆、シリウスは親友の息子であるハリーを助けるためにアズカバンを脱走したのだ。

 そう、その場にいたもう一人のアニメ―ガス、かつてシリウスに殺されたと言われていたピーター・ペティグリューこそが、親友を裏切った張本人であり、シリウスが殺すことを定めた人物だったのだ。

 そのことをハーマイオニーの猫であるクルックシャンクスは分かっていたのだ。スキャバーズが怪しい“人”であることを。

 

 途中、変事を察知したスネイプによって場がかき乱されることとなったが、ハリーとハーマイオニー、そしてロンの選択によってスネイプは気絶させられることとなった。

 

 そしてルーピンとシリウスの呪文によって本性を暴かれたペティグリューは、みすぼらしくハリーたちに命乞いをし、かつての友に殺される寸前で、ハリーによってその命を救われることとなった。

 ハリーは父母の仇の命を絶つことよりも、父の親友たちがこの愚かしい小男の命の罪を背負ってしまうことを厭う選択をしたのだ。

 

 そして…………

 

「ハリー、その……ピーターが、あの男が捕まるということがどういうことなのか、わかるかい?」

 

 叫びの屋敷からの帰り道で、ハリーはシリウスからとある話を受けていた。

 

「あなたが自由の身になる」

「そうだ……しかし、それだけではない。誰かに聞いたかも知れないが、わたしは君の名付け親でもあるんだ」

「ええ。知っています」

 

 ハリーの父、ジェームズの無二の親友であったシリウス。

 彼はジェームズの花婿付添い人をつとめたほどに信頼されていて、二人を知る誰もが、二人はまるで兄弟のようだと思っていたのだ。

 

「つまり、ジェームズとリリーが――君の両親が、わたしを君の後見人にと定めたんだ。もし自分たちの身に何かあればと……」

 

 シリウスの震える声が、ハリーの耳に痛いほどの緊張感を伝えていた。

 

「勿論、君がおじさんおばさんとこのまま一緒に暮らしたいと言うのなら、その気持ちはよく分かるつもりだ。だが……もしよければ、考えてくれないか。その、わたしの汚名が晴れて、もし、君が……別の家族が欲しいと思うのなら……」

 

 痛みは、ハリーの期待に踊る心臓の鼓動の跳ねる様な動きとも同じだったのかもしれない。

 シリウスの言わんとしている言葉の続きに、ハリーの心は大きく震えていた。

 

「えっ!? あなたと暮らすの?」

「むろん、君はそんなことを望まないだろうと思ったが……ただ、もしかしたらと、そう、思ってね……」

「とんでもない!! 勿論、ダーズリーのところなんか出たいです!! 住む家はありますか? 僕、いつ引っ越せますか?」

 

 数時間前まで、この人を本気で殺したいと願っていた。

 親友でありながら父を裏切り、殺した男だと思って。

 だが彼は、例えハリーに憎まれていると分かっていても、それでも親友の息子のために命を賭けて守りに来てくれたのだ。

 

「そうしたいのかい? 本気で?」

「ええ、本気です!」

 

 虐待と言って差し支えない扱いを受けているダーズリー家よりも、父が信頼した親友と暮らしたい。命をかけてくれた恩人とともにこれからを過ごせるのだという喜びをハリーは満面の笑みで応え、シリウスもまた逃亡生活でやつれ汚れた顔を輝かせて喜んだ。

 

 そして一行 ――クルックシャンクスを先頭にして、ペティグリューを逃がさないようにつながった状態のルーピンとロン、気絶したスネイプを魔法で運んでいるシリウス、そしてハリーとハーマイオニーが順番にホグワーツへと帰還した。

 

 あたりは漆黒の闇に包まれており、灯りといえば遠くに見えるホグワーツの光だけだった。

 空にかかる雲はまばらだが、“満月”の光を遮っていた。

 

 そう、

 

「ぅぐ、ぁああ、がぁああ!!」

「! マズイ!!」

 

 人狼の本性を暴き立てる無慈悲な銀月の光。

 城へと歩いていたルーピンが突如として、苦悶の声をあげて蹲り、事態を察知したシリウスがハリーたちを庇うように前に出た。

 

「ルーピン先生!!?」

 

 ハリーたちが悲鳴を上げるようにルーピンに声をかけるが、ルーピンの意識は瞬く間に獣の欲望に呑みこまれて掻き消え、姿は見る間に温和そうだった人の姿から獰猛な狼人間のそれへと変貌していた。 

 ハーマイオニーの顔が青ざめ、杖もなく拘束されたままのペティグリューは「ヒーヒー」と悲鳴じみた声を上げていた。

 なにせペティグリューは直前までルーピン自身と繋がるように拘束されていたのだから。突然、真横に人狼が出現した状態だ。

 その隣にロンという少年を引き連れたまま。

 

「ロン!!」

「ハリー下がるんだ!!」

 

 ハリーが慌てて前に飛びだそうとしてシリウスがその体を抱き留めるように両腕で抱き留めて背後にかばった。

 

 人狼は人間に敵対し、害する存在だ。

 今学期のルーピンはスネイプの調剤していた脱狼薬という薬を服用することによってなんとか意識と理性を保てるようにしていたのだが、あまりにも火急な事態だった今日はそれを服用していない。

 人に襲い掛かることを本能に刻み込まれ、噛むことによって自らの仲間を増やしていく本能。

 

 シリウスは意を決して、アニメ―ガスになり、人狼を抑え込もうと力を込め、

 

 

 ――「こんな月の綺麗な夜に。随分と面白そうなことをやっているじゃないか」――

 

 場違いにも愉しげな声が空からかけられた。

 

 その声が聞こえた瞬間、完全に人狼となっていたルーピンはビクンと反応して脅えたように頭をもたげ、隣に居るペティグリューにもロンにも噛みつこうとしなくなっていた。

 

 そして、漆黒の空から、闇のように黒いマントをはためかせた金色の髪の魔法使いが降り立った。

 

「スプリングフィールド先生っ!?」

「ほう。知らん顔が一つ二つあるな」

 

 見る限りにおいて、箒も杖もなく、空から緩やかに降りてきた魔法使い。

 ハーマイオニーが安堵と驚きがない交ぜになった声を上げた。

 

 あろうことか魔法使いは人狼の真横に立った。一見すると無防備な姿で。

 

「先生!? 危ない!! ルーピン先生が!!?」

 

 ハーマイオニーが悲鳴のように警告を発するが、薄く笑うスプリングフィールド先生は、まるで子犬でもあやすかのように人狼へと手をかざした。

 

 噛みつく!! かと思われた人狼は、しかし魔法使いに攻撃を加えることもなく頭を垂れた。

 

「ふん。身の内の獣を御することはできんが、野生の本能だけは残っている、か。無様なものだなリーマス・ルーピン」

 

 唖然とするハリーたちの前で、人狼は脅えるように金髪の魔法使いの足元に傅いた。

 人狼の獣としての本能が、目の前の存在に抗うことを脅えるように。

 

 人狼を大人しくさせた金の魔法使いは、気だるげに周囲を見渡した。

 

「さて、質問だ。知らん顔が二つあるが……どちらがシリウス・ブラックだ?」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

普段怠惰なやつが気紛れを起こすと碌なことにはならないようだ

 イギリス魔法界にとってここ数世紀で一番の大きな変事となるやもしれない会談が、ホグワーツ魔法魔術学校にて行われていた。

 今のイギリス魔法界を作ったといってもいい4人の偉大な魔法使いによって創られたこの魔法学校で魔法界を大きく変える決断を迫られることになるというのは皮肉にも、当然の帰結にも思えた。

 

 ホグワーツ内でも限られた者しか立ち入ることのできない聖域、校長室に3人の魔法使いが向かい合っていた。

 

 コーネリウス・ファッジ魔法省大臣

 アルバス・ダンブルドア学校長

 そして、ISSDAネゴシエーター、フェイト・アーウェルンクス

 

 

 すでに会談の主導権はフェイトに握られており、ファッジはただただ冷や汗を流していた。

 

 それというのも、ファッジの目論見がすでに大きく狂っているからだ。

 そもそもこの会談を開くことになってしまったことからして、ファッジには想定外だったのだ。

 

 近年になって魔法世界からの交渉の催促が来ていたのは、たしかにファッジにとって頭の痛い問題だった。

 保守的なファッジにとって、今まで交流の薄く、棲み分けが為されていた魔法世界の魔法使いとの交流の活性化は望むところではなかったからだ。

 魔法省の大臣に就任して13年。“例のあの人”がいなくなり、ダンブルドアの助力もあって、イギリス魔法界は極めて平和だった。

 だからなにも今、そんな頭の痛い問題を持って来るなというのがファッジの本音だったのだが、来てしまったモノはしょうがない。

 そこでファッジは考えを多少修正して、当初は魔法世界やマグルびいきのニホンの魔法協会を利用してイギリス魔法界の権威を世界的に高めていくつもりだったのだ。

 “例のあの人”が暴れまわり、そして倒れてからというもの、純血の魔法使いの立場は年々弱くなっているように誰もが感じていた。

 マグル生まれの魔法使いが幅を利かせるようになり、重んじられるべきものが軽んじられていく。

 ならばまだ“マグル”よりも“魔法世界”へと歩み寄る態度を見せる方が、まだしも魔法使いのあるべき態度に思えたのだ。

 

 だが、連中はファッジの想定をはるかに超えて厄介な案件と化していた。

 

 “全世界へ段階的に魔法の存在を公表する”

 

 ふざけるなと、言いたい気分だ。

 だが、すでに事は大きく出遅れていた。

 マグル側はもとより連中に取り込まれ、世界の情勢もすでに傾いている。

 なんでも連中の作った“なんとかかんとか”という塔が魔法族にもマグルにも大きな利益をもたらしているとかかんとか。

 

 世界を変える勇気も、変わることを受け入れる勇気もないファッジにとって、この会談はただただ苦痛でしかなかった。

 かといって、いつもマグルにしているように目の前の相手をどうこうすることはできないだろう。

 なにせ相手も魔法使いだ。しかもディメンターの影響をまるで受け付けないほどに規格外の。

 

 唯一希望を見出していたダンブルドアは、しかしこの件にはまるで自らの意見を述べようとはしなかったのもファッジにとって誤算だった。

 

 まるで彼は、この決断に関してはあえて自分の意志を殺しているようにも見えた。

 そう、ファッジが魔法省大臣の地位に就いた時、ファッジよりも先に推されていたにもかかわらず、その地位を拒んだときのように。

 

 権力という大きな力と関わらないようにするかのように

 マグルとの積極的な関係ということに二の足を踏むように

 

 

 

 

 第51話 普段怠惰なやつが気紛れを起こすと碌なことにはならないようだ

 

 

 

 

「さて、質問だ。知らん顔が二つあるが……どちらがシリウス・ブラックだ?」

 

 人狼を傅かせた魔法先生の言葉に、ハリーたちはハッとした。

 気絶させたスネイプ先生もそうだが、シリウスの無実を知っているのはハリーたちだけなのだ。

 今の時点では魔法省はおろか、ダンブルドアですら、シリウスがヴォルデモートの配下だと思っている。

 叫びの屋敷で飛び込んできたスネイプ先生は、シリウス自身に憎悪とも言える感情を抱いていたために狂気を孕んでいたが、それでなくとも公的にはシリウスを拘束しようとする正当な理由は十分にあるのだ。

 

 ハーマイオニーは論をもってなんとかこの状況を分かってもらおうと口を開こうとし、しかし叫びの屋敷でスネイプ先生を激昂させてしまったことを思い出して口をつぐんだ。

 スプリングフィールド先生の顔には、スネイプ先生にあった狂気は見られないが、それでもその右手に可視化されるほどに膨大な量の氷精が集い、攻撃準備を完全に整えている。

 

 

 人狼となったルーピンの横では、ペティグリューがひぃひぃと喚いていた。

 彼の両手を拘束していた内のルーピンと繋がっていた方の拘束錠は、彼が巨狼となったことで千切れ飛び、もう片方には片足を骨折した少年のみ。

 

 気忙しくあたりに視線を走らせていたペティグリューの目が、一本の杖を見つけた。人狼となった時に落したルーピンの杖だ。

 

「! …………」

 

 ペティグリューは、今度は視線を金髪の魔法使いに向けた。

 魔法使いは警戒心を露わにしているシリウスの方に注意の多くを向けており、無様に腰をぬかしている自分の方には注意が薄い。

 たしかに自分は命は救われた。だがこのままでは自分はシリウスの代わりにアズカバンへと送られる。ディメンターのキスを受け、命のない屍に、ディメンターと同じ存在へとなってしまう。

 そんなものは嫌だ。

 自らを救うためには、今この瞬間しかない。

 

「! 動くな、ピーター!!」

 

 ペティグリューはロンを引き倒すようにしながら杖へと飛びつき、制止を叫んだシリウスの声を無視して杖から魔法を炸裂させた。

 

 バンという音とともに、ロンが倒れたまま動かなくなり、

 

 ――こおる大地(クリュスタリザティオー・テルストリス)――

 

「――――ッッ!!」

「エクス、なっ!!」 

 

 ペティグリューが逃亡をはかる、その寸前で無詠唱で発動した魔法によって、大地から幾本もの氷柱が出現した。

 ペティグリューの足元は凍りつき、その足を逃れようもなく張りつけにし、身を貫かんとする氷の刃が喉元に突きつけられる。

 ハリーもペティグリューに向けて武装解除の術をかけようとするも、氷の壁に驚いて発動することなかった。

 

「ひ、ヒィ!!」

「……なるほど。つまり、そっちがシリウス・ブラックか」

 

 捕縛した方にはすでに興味は失せたのか、リオン・スプリングフィールドはその視線をシリウス・ブラックへと定めた。

 先程シリウス自身が、彼を別の名で呼んだことで、特定がついてしまったのだろう。

 

「待って下さい、スプリングフィールド先生!!」

 

 慌てたハーマイオニーが逡巡をかなぐり捨てて声をあげた。ハリーが抜いていた杖をそのまま先生へと突きつけそうな雰囲気を出していることも、彼女の戸惑いを吹きとばした。

 流石にハリーが軽々に攻撃しないとは思うが、ハーマイオニー自身も先刻、スネイプに魔法をぶつけたのだ。先生に動きが見えればハリーがまた同じことをしないとも限らない。

 

「この人は、その、ハリーを殺しに来たんじゃないんです!」

「捕まえられるべきは、あっちのピーター・ぺティグリューで、この人は無実なんだ!!」

 

 ハーマイオニーの声に、ハリーもあわせて真犯人を叫んだ。

 幸いにも先生の目は冷静だ。

 冷静に、“冷酷に”、シリウスを見定めている。

 

「知らんな。俺はいい加減鬱陶しいこの件を終わらせたいだけだ。今学期中に始末をつけておかないと気持ちが悪いんでな」

 

 狂気に呑まれ、過去の因縁からシリウスをディメンターに突きつけることを喜びにしていたスネイプとは真逆と言っていいだろう。

 シリウス自身に全く関心も興味もなく、単に作業の一手間であるかのようにシリウスを捕えようとしていた。

 

 そう、あの先生にはこの件は興味の外のはずだ。

 

 ハーマイオニーは打開の手を考えるべく、めまぐるしく状況を整理しようとしていた。

 シリウスは、そしてペティグリューもサクヤにはまったく手を出そうとしていなかった。だが、事件が起こったことで、それを口実にホグワーツの警備態勢が厳しくなっていた。

 ――今学期中に始末をつけておかないと……――

 つまり今学期の後のことで、騒動が続いたままだと不都合なことがあるのかもしれない。

 今学期の後 ――――魔法世界への研修旅行? それとも……今、魔法省大臣とISSDAのエージェントが来ていることと何か関係が……

 

 

「ん?」

 

 思考を巡らせていたハーマイオニーだが、不意にリオンが上空に気をとられたことで意識を戻した。

 ハーマイオニー、そしてハリーやシリウスも空を仰ぎ、喉を引き攣らせた。

 

「――ッッ!!」

「先生! 空に、ディメンターがっ!!」

「まったく、鬱陶しい……」

 

 四方八方から舞い降りようとしている絶望を齎す厄災、ディメンターが無数、大挙してここへと押し寄せようとしていた。

 

 近づくごとに体温が失われ、心から幸福な思いが消えていき嘆きと絶望、諦観、あらゆる負の感情が沸き起こってくる。

 

「ぅ、ぁ……」

 

 アズカバンから脱走したシリウスもそれは同じだ。

 彼がディメンター達から逃げることができたのは、その心に幸せ以外の妄執が宿っていたからだ。

 だが、ペティグリューを捕え、会いたいと願っていた親友の忘れ形見(ハリー)と和解することができた今、その心には幸福が満ちていた。

 

 そう、ディメンターの餌である幸福の感情。

 そして逃亡生活によって魔法力の弱り切ったシリウスにディメンターを防ぐ力は既に残っていない。

 

 ハリーは、近づいてくる絶望の思い出を振り払うように呪文(パトローナス・チャーム)を唱えようとし、

 

「アス・ラック・アレイスト・クルセイド――――」

 

 静かに、別の呪文がリオンから紡がれようとしていた。

 

「契約に従い、我に従え、氷の女王。疾く来れ、静謐なる千年氷原王国。咲き誇れ終焉の白薔薇――――」

 

 膨大な氷の精霊が使役され、甲高い音とともに周囲一帯の気温が急激に低下した。

 ディメンターよりも、さらに恐ろしい存在が近くに居る。

 振り返ると、氷精を集めて白く光る両手を振りかざし、知らぬ言葉を唱えて最後の一節を紡いだ。

 

 ――「アントス・パゲトゥー・キリオーン・エトーン」――

 

 紡がれた瞬間、氷結の吹雪が竜巻のように巻き起こり、氷の大樹が伸びた。

 大樹の先からは巨大な花を咲かせるように花弁が広がり、迫るディメンターを次々に呑みこみ広がっていく。

 

「うわぁっっ!!」

「きゃぁああ!!」

 

 突然生じた大氷によって押し出された気流が冷気を伴って、ハリーたちに押し寄せた。

 轟!! と生じた厳冬の風に悲鳴をあげ、自らを庇うように両手を顔の前で交差して耐えようとした。

 

 

 突風は生じたのと同様に一瞬で止み、森に静寂が戻った。

 しかし季節が夏から冬に変わったのではないかと思うほどに、一帯の気温は極度に低い。

 

 目を開けたハーマイオニーは、思わず声が漏れそうになり、口元を手で覆った。

 巨大な一輪の華だろうか。

 茎に相当する部分は大樹と見紛うばかりに巨大で、頭上に咲いた大輪の花びらの中には、まるで種子かなにかのようにところどころ黒いモノ(ディメンター)が内包されている。

 

 あのディメンターたちが、たった一つの魔法で氷の中に封じられた。

 その事実に、ハーマイオニーのみならず、ハリーもロンも、シリウスも驚愕せずにはいられなかった。

 

「さて――」

 

 リオンから声がかけられ、ハリーたちはびくりと身を震わせ、慌てて金の魔法使いに視線を向けた。

 暗闇の中でも鮮やかな金の髪。体の周りには魔力の漏れ出る余波なのか、輝くような光が溢れている。

 

「鬱陶しい邪魔は居なくなったんだ。抵抗くらいしてみないのか? シリウス・ブラック」

 

 挑発的な笑みを向けるリオンに、ハリーたちは噛みつく言葉を失っていた。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

「まったく君は何をやっているんだ」

 

 無表情で声は平坦だが、だからこそ、怒っている迫力が増すことがある。

 銀髪の魔法使い、フェイト・アーウェルンクスは静かな迫力をもって、今年起こった事件の解決に一役買った魔法使いを睨んでいた。

 

「ちゃんとご希望通り、シリウス・ブラックとやらを捕獲しただろう。……オマケもついたがな」

 

 咎められていることは分かっているのだろうに、リオンはまったく悪びれた様子も気にした様子もなく、飄々と言ってのけていた。

 

「あの屍人もどきを氷漬けにするようには言っていないはずだが?」

 

 脱獄犯シリウス・ブラックの捕獲。

 それは魔法省にとって是が非でも解決したい事件だった。

 だがそれはこのような形では断じてなかったとファッジは混乱した頭で考えていた。

 

 

 魔法世界側の魔法使いによるシリウス・ブラックの確保。

 それはファッジにしてみれば屈辱でしかなかった。

 この1年、国内の魔法使いだけでなく、マグルにすら反発の声を上げられて、総力を挙げて捜索していた“極悪死刑囚”が、他国の魔法使い、しかもよりによってこれ以上僅かでも弱みを見せたくない相手の一味によって捕まってしまったのだから。

 

 しかも

 

「あ、あの! スプリングフィールド先生は、私たちと、その……無実の人間を守って下さったんです」

「本当なんです、大臣! あのピーター・ペティグリューがネズミのアニメ―ガスで! 自分が死んだように見せていたんです!」

 

 口々に喚くようにシリウス・ブラックの無実を訴えるハリーと少年少女。

 信じがたいことに、12年もアズカバンに収容していたシリウスが実は無罪だったとこの少年たちは訴えているのだ。

 魔法省の面目を丸潰しにしかねない錯乱した法螺話……と言い切れればどれほどよかったことか。

 

「たしかに……紛れもなくピーター・ペティグリューじゃな」 

「そ、そんな、ば、ばかな……こ、こんなことは……」

 

 だが、氷漬けにされてはいるものの、12年前に指の一欠けらだけを残して粉々に吹き飛んだはずの当人が、一本の指だけを失った状態で目の前に突きだされていては、否定することにも限度がある。

 

 氷の中に居る小男を見聞したダンブルドアは、死んだはずのペティグリュー本人だと、小男を断じていた。

 一方で気絶したまま学校まで運ばれ、そしてつい先ほど目を覚ましたスネイプは憮然とした顔でそっぽを向いており、シリウスはまだ完全無罪かは分からないという事で、念のために城の一室に監禁されている。

 

「ディメンターも、私たちに襲い掛かろうとしていたのを止めてくれたんです!!」

「ふむ……」

 

 ハーマイオニーは、結果から見ると自分たちを救ってくれたスプリングフィールド先生を庇うように言い募り、ダンブルドアは思案するように顎髭を撫でた。

 

 

 結局、リオンがディメンターの大群を氷漬けにした後、挑発されたシリウスはペティグリューを確保したままダンブルドアのもとへ行くのなら大人しく投降するという選択をした。

 ハリーはまるで罪人が出頭を選択したかのようなシリウスの言い方に口を挟もうとしたが、それは当のシリウス本人に宥められていた。

 ちなみにシリウスの選択を聞いた時の先生の顔は、まるで暴れ損ねたことをガッカリしているようにも見えたが、溜息交じりにペティグリューを氷結封印した上で、条件通りシリウスをダンブルドアのもとへと連行した。

 

 

「ほぅ。君にそんな勤労精神があったとは驚きだよ、リオン・スプリングフィールド」

「ああ。最近は超過労働が過ぎるんでバカンスでも申請しようかと思っていたほどだ。人形もどきの貴様には分からんかもしれんがな」

 

 ファッジ大臣、そしてフェイト・アーウェルンクスとともに会談に臨席していたダンブルドアだが、禁じられた森にディメンターが大挙し、そして氷漬けにされたという報せを聞いてすぐに城の外まで様子を見に来ていた。

 

 そして現在、ダンブルドアとファッジは事の次第を改めて確認しており、リオンはフェイトと何やら言い合いをしていた。

 

「なるほど。知らない間に随分とひ弱になったということかい。嘆かわしいことだね」

「はっ。試してみるか? フェイト・アーウェルンクス」

 

 なぜまたこの混ぜるな危険をここに配したのか、シリウスの件で頭がいっぱいでなければハーマイオニーたちは思っていた事だろう。

 

 なんだかバカみたいに膨大な魔力の嵐がぶつかりあって周囲の床や壁がピシピシと亀裂を入れ始めている。

 

「ごほん。よろしいかの、リオン先生、フェイト殿?」

 

 流石に見兼ねたのか、ダンブルドアが咳払いを一つ入れて二人へと呼びかけた。

 二人は暴れさせていた魔力を綺麗に抑え込み、ふんとそっぽを向くようにお互いに視線をきった。

 

 気紛れだろうが、別の意図があったのかはともかく、生徒と無実の同胞を救ってくれたのだ。とはいえ、まだ明らかにしていない事情がある以上、話は聞いておくべきだろう。

 ダンブルドアはハリーたちの言い分を検証するためにもスプリングフィールド先生から事情を聞こうとして、

 

 

「ま、待ってくれ、ダンブルドア!」

 

 あたふたとしたファッジにすがるようにして止められた。

 

「彼は、これは……死んでいるのでは? ディメンターも……」

「あ? んなヘマするか。後で溶かしてやる」

 

 魔法省の司法を揺るがすかも知れないほどの重要な参考人と番人だ。

 それらから何の情報も聞きだす事無く殺してしまったとなれば、それは手柄を相殺してあまりある失態だろう。

 カッチコチの氷漬けではペティグリューはもとより、ディメンターだって生きているのが不思議なほどだが、どうやら生きているらしい。

 

 とびっきり消極的だとは感じつつも、なんとか失点を探そうとしてついた口は、リオンから大いに不興をかったらしく、凍りづける様な眼差しで睨み付けられてファッジは押し黙った。

 

「まあいい。これで目下の懸念はなくなったわけだね。コーネリウス・ファッジ魔法大臣?」

「それ、いや、それは……」

 

 フェイトの無感情な視線がファッジへと向けられ、ファッジは口をぱくぱくとしていた。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 試験終了の日、ハリーとハーマイオニー、そしてロンは保健室で過ごし、翌日の朝食後に退院することとなった。

 そのため、翌朝起こったホグワーツでの騒動を直接聞くことはできなかった。

 

 この1年、いや12年“例のあの人”の忠実な配下であるとされアズカバンに収容、脱獄したシリウス・ブラックが実は冤罪であり、ポッター夫妻殺害の件およびマグル大量殺人の真犯人であるピーター・ペティグリューが逮捕されたという情報は、“日刊預言者新聞”の朝刊にもばっちりと掲載されており、今やイギリス魔法界にこの大きな冤罪事件の真実を知っていた。

 

 朝食時にふくろう便が送り届けてきた新聞を購読している生徒の何人かからもその情報は拡散して、朝食時に姿を見せなかったハリー・ポッターがまた何か関わっているのではないかと専らの噂となっていた。

 

 ただ、その噂は別の報せに塗りつぶされてさらに混沌と化していた。

 

 一部生徒を除いて多くの生徒から人気を集めていた今年の“闇の魔術に対する防衛術”の教授であるリーマス・ルーピン先生が、今期を限りに辞職されるということなのだ。

 生徒の大部分にはその理由はつまびらかにはならなかったが、それだけに生徒たちのショックは大きかった。

 なにせここ数年、防衛術の教師にはまともな教授がいなかった。

 おまけになにやら真偽不明の呪いがかけられているらしく、この科目についた教師は必ず1年でホグワーツを去らなければならないという噂まであるのだ。

 人気のある先生だっただけに、今年の先生こそは長く続いてほしいと願ったのだが、残念ながら呪いは今年も見事に結実してしまったということだ。

 

 

「ルーピン先生!!」

 

 知らせを聞いたハリーは、他にも懸念のあることを忘れ、ハーマイオニーたちすら置いて一人、ルーピンの部屋を訪れた。

 

 昨日の晩、ハリーはルーピンのことを知った。

 人狼であること、かつて父の親友であったこと。

 知って、この一年、どれほどルーピン先生によくしてもらったのかを改めて思いしったのだ。

 多くを学び、助けられた。

 ハリーにとって、実感できる強さをくれた、“初めて”戦い方を教えてくれた魔法先生だ。

 

 ハリーの訪問をルーピンは微笑をもって迎えた。

 ハリーが先生の辞任を慰留するように声を上げるも、ルーピンは微笑のまま我が子を諭すように優しく辞任理由を告げた。

 

「元々長く勤める気はなかったんだよ。それに昨日のことであらためて思い直したよ。人狼はこんなとこにいてはいけないんだ」

「そんな! 先生は、誰も傷つけなかった!!」

 

 昨晩、ルーピンは大きな失態をした。

 ブラックがハリーへと接近したことを察知し、彼の窮地を救おうと慌てて駆けつけたがために、ルーピンは大切な薬を服用することを怠ったのだ。

 その結果、ハリーの窮地をもたらしたのは、結果的にブラックではなく、ペティグリューと“ルーピン自身”となってしまったのだ。

 

 服用していた薬は、魔法薬学の達人たるスネイプの調合していた“脱狼薬”。

 満月の光によって暴走してしまう人狼の本能を抑え、人格と理性とを保たせる薬だ。

 その魔法薬があったからこそ、人狼の獣化を制御できないルーピンはこの一年、学校という場に勤めることができたのだ。

 獣化を抑制できないまでも、なんとか自我を保ち、人を傷つけずに耐えることができる。

 

 だが、ルーピンは昨夜、その薬を飲むことを怠った。

 その結果が、あの時の暴走であり、あの状況で誰も、ハリーやハーマイオニー、ロンの誰をも噛まずに済んだことは奇跡のようなものだ。

 

「結果論だよ。昨日のはたまたまスプリングフィールド先生が抑え込んでくれたからだ。本来ならだれも自分の子供が人狼に教えを受けることなんて望まないんだよ。わたしも、そう、思う……誰か君たちを噛んでいたかもしれないんだ」

 

 あの時、なぜスプリングフィールド先生を噛まなかったのか、今となってはルーピン自身にも分からない。

 だが、同じようになったとき、もう一度あの奇跡が起きると楽観視するほどルーピンは楽天的にはなれなかった。

 

 

 ハリーは言葉を失った。

 本当ならば大丈夫だと言いたい。だが、ハリーは人狼であるルーピンのことをほとんど知らない。どのような苦難の人生を歩んできたのかも、ほとんど知らない。

 そして、それ以上に、“あの先生”に安全を委ねることが危険であると、なぜかハリーは思えたのだ。

 

「先生はいままでで最高の“闇の魔術に対する防衛術”の先生です! 行かないで下さい!!」

 

 だからせめて、今までで最高の先生であったルーピン先生に願うように声を上げた。

 だが、ルーピンは変わらず、その意思を翻意させることはできなかったのであった。

 

「ハリー……君の先生になれてうれしかったよ。大丈夫。きっとまた会えるさ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陰謀とは思わぬところで進行しているものだ

 とあるところでは壮絶だった試験の翌日。

 咲耶たちは“ディメンター氷の華事件”を引き起こした張本人と思われるリオンを訪れていた。

 

「そしたら、それであの“でめんたー”居らんようなったんや」

「ふわぁ……ああ。フェイト・アーウェルンクスも明け方前にはここを出てった」

 

 昨晩ディメンターを氷漬けにした氷の華は、試験のあった5年生だけでなく数人どころではない生徒にしっかりと目撃されていたらしく、朝食のときには大広間全体で噂となっていた。

 しかもそのディメンターたち自身は朝には全員がひとつ残らず学校から退去しており、生徒たちはさらに驚くこととなった。

 

 真夜中に騒動の渦中にあったリオンは結局ほとんど寝ていないのか、というよりも吸血鬼の方の本性が全開になっていたためか、眠そうに欠伸をしながら咲耶の相手をした。

 

 ただ、どちらかというとリオンはディメンターが去ったことよりもフェイトが去ったことの方でせいせいしているらしいが…………

 

「えーっと、ブラックが殺人犯じゃなくて、その誰かさんが真犯人で、捕まった?」

「らしいぞ。そっちの方も魔法省のお偉方とやらが引き取って行ったがな」

 

 スプリングフィールド先生のおおざっぱな説明に混乱していたリーシャが戸惑いがちに尋ねると、どうでいいといった調子で返された。

 

 結局シリウスは、氷漬けから解呪されたペティグリューとともにひとまず連行されていった。

 ペティグリューは往生際悪く「違う、違う」と喚いていたが、12年もネズミに身をやつしての逃亡生活の理由など、疑惑を抱くに十分すぎる過程がある以上、再調査は必至だろう。

 まして魔法世界の介入を先延ばしにしようと魔法大臣が苦心した矢先にその介入によって重大事件をひっくり返す物証が出てきたのだ。うやむやにすることはできないだろう。

 

 ただシリウスの被後見人であるハリーは、再調査のためとはいえシリウスが連行されることには最後まで納得していなかったが。

 

 

「なんか色々あったみたいですけど、夏休みの研修旅行ってどうなるんですか?」

 

 来年度の心配はあるが、それよりも差し迫った夏休み。このごたごたでなにか影響があるのかと懸念したルークが研修について尋ねた。

 

「そのごたごたがなんか関係あるのか? 事件解決したんだ、安心していけるだろうが」

 

 ルークの質問にリオンは、今年の様々な変化など関係がないかのようにそっけなく応えた。

 ただその言い方にセドリックは「おや」と気づいた。

 

 ――安心していけるだろうが――

 

 もしかして事件解決に乗り出したのは……

 

「もしかしてリオン……」

「先生、だ」

 

 咲耶への余計な干渉の口実を潰すために、事件解決に乗り出したのではないか。

 その推測を咲耶もまた思い浮かべ、口にしようとした瞬間、リオンは咲耶を思いっきり睨み付けて口を縫いとめた。

 

「……えへへ~。おつかれさま、リオンセンセ」

 

 えへらと笑みを向けた咲耶に、リオンはふんとそっぽを向いた。

 

 

 

 

 第52話 陰謀とは思わぬところで進行しているものだ

 

 

 

 

 学期の最終日、O.W.Lの科目を除いた試験の結果が発表された。

 ハリーたちは全科目をパスしていることが通知された。

 シリウスとの因縁でスネイプの憎悪をかった魔法薬学や、またも学期途中で教師を失った闇の魔術に対する防衛術、そして問題の精霊魔法でも合格の通知を受けていた。

 

 精霊魔法の試験をパスしたことにより得られた魔法世界への研修旅行の権利。

 残念ながらロンは行くことはできないが、ハーマイオニーやジニー、フレッドとジョージ。他にも幾人もの知った生徒や咲耶たちとともに行く新たな世界のことが楽しみではある。

 

「ねえ、ハリー、元気出して!」

 

 シリウスが連行されて以来、気落ちしたように見えるハリーをハーマイオニーは励ますように声をかけた。

 ホグワーツを離れる列車の中、コンパートメントの中にはハーマイオニーとロンの他にもジニーやフレッド、ジョージの姿もあり、ハリーたちはシリウスの事を教えると皆驚きつつも励ましの言葉をかけてくれていた。

 

「大丈夫だよ。シリウスだって、ほら、手紙が来たんだ!」

 

 ハリーは大丈夫さをアピールしようと微笑もうとし――だが、やはり幾割かの落胆は隠しきれずに、読んでいた手紙をハーマイオニーとロンに渡した。

 

 手紙は小さく元気なフクロウが運んできてくれた。

 

 手紙によるとシリウスの冤罪に関しては、ペティグリューが当初否認していたものの、本格的な取り調べが始まるや、あっさりと自供を翻して罪を認めたらしい。

 近くペティグリューはアズカバンに投獄されることとなり、それと同時にシリウスの無罪放免が確定するとのことだ。

 

 ちなみに今現在シリウスは、長年放置されていたブラック家の由緒正しい屋敷に押し込められている状態らしく、手紙の端々になにやら不満が見え隠れして見えたがそれがなぜかはハリーたちには分からなかった。

 

 ハリー待望のシリウスとの同居に関しては、きちんとした住居を定めてからということになるらしく、非情に残念ながら今年の夏には間に合わないとのことが、ものすごく残念そうに書かれていた(ちなみになぜブラック家の屋敷ではいけないのかは書かれていなかった)。

 

 だが、改めてハリーの名付け親として、そして後見人となる意思に迷いはなく、ダーズリー家で過ごす最後の夏休み中に不都合があれば、いつでも知らせてくれと書かれていた。

 

 ロンとハーマイオニーは、シリウスの無罪がほぼ確定的になったことで嬉しそうにしてくれて、ハリーは満面の笑みを浮かべた。

 

「なんだろ、この直ぐ会えるって?」

「まさかシリウス。ハリーの家に行く気かしら?」

 

 手紙の最後には、また直ぐに会えるから、元気な顔を見せてくれとの言葉と、フクロウはペットを失ったロンに贈るという言葉。そして最後に肉球のスタンプが添えられていた。

 

「それはいいや! ダーズリーたち驚くぞ!」

 

 ハーマイオニーがまさかの訝しみにハリーは喝采をあげた。

 ダーズリー家ではとことん普通でない事を嫌っているのだ。魔法使い、しかも大量殺人犯としてニュースを騒がせたこともあるシリウスがやってきたら、ハグリッドがやって来た時以上の驚愕がもたらされるだろう。

 

 なにせ昨年の夏休み、ハリーは伯母を風船のように膨らませてしまったのだ。

 向こうがハリーの両親を散々に侮辱したからという理由はあるが、事を収めてくれたファッジ大臣の話では、ダーズリーおじさんは相当に怒っていたらしい。

 

 だが、魔法を極度に恐れて嫌悪しているダーズリーたちのことだ。今はまだ、ハリーは未成年であるため学校外で許可なくマグルの前で魔法を使うことができないが、シリウスの名前を出してその存在を出すことができるのならば、それだけで大きな助けになるだろう。

 

 それに、今年はあの家に長く居なくて済む予定があった。

 

「それに今年はとっておきだぜ!」

「なにがだよフレッド?」

 

 フレッドがにやりととびっきりの悪戯に成功したときのような顔をして、ロンが尋ねた。

 

「あの惨劇の期末試験をくぐり抜けた勇者にのみ与えられる栄光。魔法世界への大冒険だ!」

「それじゃあ君たちも受かったんだね?」

 

 ジョージの言葉にハリーが尋ねると、二人に加えてジニーも首肯した。

 一方で受講していなかったロンがとびっきり顔を顰めた。 

 

「サクヤの話だと、なんか魔法世界の方じゃ、丁度でっかいお祭りをやる時期らしいぜ」

「出発は2週間後だ! お近づきの印を用意しとかなきゃな!」

「二人とも! 研修はホグワーツを代表していくのよ!」

 

 フレッドとジョージのはしゃいだ声につづいて、ハーマイオニーの怒声がコンパートメントを揺らした。

 

 諸々の事情から研修旅行は一度帰宅後、2週間の短い休暇を挟んで行われる。

 各国家の主要都市を見る、ほぼ、魔法世界一周の研修旅行。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 イギリスから離れたヨーロッパ大陸の某国。深い森の中に、死の瀬戸際にしがみつき生きる一人の魔法使いが居た。

 

 体を失い、ゴーストも同然の状態へとなってしまった“闇の帝王”だ。

 再起に臨んだ賢者の石は奪取に失敗し、しかもその際に不死の秘術である分霊を砕かれるという屈辱を味わった彼は、しかし別の分霊を核にして未だに生きながらえていた。

 

 ヴォルデモートにとって、分霊箱を破壊されるというのは想定の埒外の出来事だった。

 あの術に気づくほどの魔法使いなどいよう筈もないし、まして魂だけを砕く魔法が存在するということも想定していないことだった。

 

 砕かれた魂の代わりに、意識の本体となったのは、先祖の凋落した館 ――魔法族の古い名家“ゴーント家”の屋敷に隠した分霊箱だった。

 だが、魂こそ生きながらえているものの、それは以前よりもさらに不安定な状態へと堕ちていた。

 

 元々、分霊箱作成のために魂を複数個に引き裂いているのだ。

 しかもその状態で分けた魂の一部が砕かれているのだ。この世に魂を繋ぎ止める術にほころびが生じ、不安定になりかけていても不思議ではない。

 最早一刻も早く安定化のための依り代を用意しなければならない。

 魂のみという不安定な状態から、仮にでも体に定着させれば安定化するはず。

 

 だが杖も振れない状態ではどうしようもない。

 あの全てを恐怖で支配する“闇の帝王”の姿とも思えぬ有り様だった。

 

 だが…………

 

「よくやった、ソーフィン。我が忠実なる下僕よ」

 

 用意された仮初の肉体に入ることに成功したヴォルデモートは、主のもとへと参じ、頭を垂れている家来に労いの言葉をかけた。

 

「帝王。そのような仮初の器しかご用意できなかったことをお許し下さい。ですが……」

「ああ。俺様の真の復活には相応しい供物が必要だ」

 

 安定化のための肉体を得たことで、彼には真なる復活のための道筋を描くことができていた。

 まず必要なのは、本来の肉体を取り戻すための供物。

 

 相応しいのはやはり、かつて自身を打ち砕いた敵の血だ。

 そう、逃れることのできない“闇の帝王”の死の呪文から逃れただけでなく、帝王を死の際へと陥れた敵。

 

「手はずはお任せ下さい。すでに協力者も準備しております」

「ほう? だが貴様や、その協力者にホグワーツの結界やダンブルドアの忌々しい守りを掻い潜れるのか?」

 

 問題はそいつにはあの賢者の強力な守護が幾重にも巡らされていることだ。

 いかに“闇の帝王”といえど、あのダンブルドア相手に挑みかかるのは得策ではない。

 

「はい。すでに手の者が奴の懐に潜り込んでおります、帝王よ」

「なるほど」

 

 だが奴にも弱点はある。

 もっとも愚かで、致命的な弱点。

 

 人の善なる心とやらを信じる盲目さだ。

 

 どうやらこの魔法力に長けた下僕はそこを巧妙に弁えているらしい。

 

「あの城の守りも、落とす目処が立っております。あとは……」

「ならば、あとはあのハリー・ポッターの血さえ手に入れれば――――」

 

 闇の帝王

 ヴォルデモート卿の復活。その狼煙はイギリスから海を隔てた大陸の深い森の中、静かに上げられつつあった。

 

 密やかな企みの進行に、ソーフィンと呼ばれた魔法使いはにやりと笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

【心遺すもの】

 

 

 

 

 一つの大きな戦いが終わりを迎えようとしていた。 

 無数の戦いの果て、苦行とも思える戦いの果てにようやく訪れようとする終。

 

 かつての赤い髪の英雄の物語が今、ようやく終わろうとしていた。

 

「くく、くはは、はははははは! 私を倒すか、人間よ。私に、終わりをもたらすか! 人の道を外れた英雄よ!」

 

 召喚した数多の魔物は“彼”の仲間によって抑えられている

 かつての英雄のなれの果ては、自らを滅ぼそうと立つ“赤い髪”の魔法使いを見上げた。

 

 

 

 かつての幼く、小さかった少年が追い求めた背中。

 ずっとずっと遠く、ずっとずっと追っていたその英雄と、かつての少年は対峙していた。

 

 数多の人の願いと、消え去るはずの運命を背負い、世界を背負い、救う決意を抱いて。

 

 

 傍らにはかつての英雄が救い、ただただ普通の幸福を願った少女が、傷を作りながらも立っていた。

 

「はい。終わりです……父さん……」

「…………ナギ」

 

 最早ここにいないことを知っているだろうに、それでもかつての少年は彼の名を呼び、そして少女は彼の名を呼んだ。

 彼の顔はすでに悲しみも、憐憫も乗り越えていた。

 

 かつての少年の傍にはたくさんの仲間が立っている。

 

 かつての英雄の友の娘、翼持つ半妖の剣士、半魔の射手、心を宿した絡繰りの少女、他にも多くの仲間たち

 

 そして…………

 

 かつての娘、そして彼を愛した少女も…………

 

 

 新たなる英雄には、勝利の喜びも、かつて追い求めた背においついた感慨のなく、ただ“神”だったものへと問いかけた。

 

「造物主さん。あなたは、なぜ……なぜ人造世界を創ったのですか? 貴方ほどの方ならば、いずれ魔法世界がこうなることも分かっていたはずです」

 

 いかに神の御業といえど、永久に続くものなどどこにもありはしない。

 だからこそ悠久とも思える時の果てに下りた絶望の帳。

 

 おそらくそれは分かっていたはずなのだ。

 

「くっ。たしかに、な。だが、ならばどのような手段があったというのだ?」 

 

 英雄の問いに答えるにはあまりにも棘があった。

 胸を僅かにさすその痛みに、思わず苦笑してしまうほどに。

 

「全ての者を救うために。私はどのような方法を選べばよかったのだ? 私にできたのは、せめてそれを求めた者たちに安息の地を与えることくらいだった。たとえいつかは消え去る幻だとしても、それだけが唯一の救いだったのだ」

 

 始まりの希望はもはやいったいなんだったのか霞の彼方に逝ってしまった。

 

 いつか自分と同じ想いを抱いた者がより良い世界へと導いてくれる。

 そんな希望を抱いていた時もあった。

 

「だから、私は不滅の存在となった。せめて、自らの眼で、世界の行く末を見守るために」

 

 だが現れなかった。

 1000年が経ち、2000年が経ち、それでも現れなかった。

 愛すべき泡沫たちは、互いに夢と現の境界を争うように停滞を続けた。

 

 先を託せる者は現れなかった。

 

 自分は――――諦めたのだ。

 

 

 その果てに得た答えだったのだ。

 

 “すべてを等しく、無かったことにする”

 かつて愛したモノを。

 守りたい、慈しみたい、そう願ったそのすべてを、安らかな夢の世界へと誘うことで、絶望や嘆き、いや、彼ら自身を消し去ろうとした。

 

「なら、なぜ、マスターを。エヴァンジェリンさんを不死にしたのですか?」

「ボウヤ……」

 

 英雄となった少年が問いかけた。

 傍にあるうちの一人。

 白金の髪と碧眼を持つ愛しい娘を思いやって。

 

「……貴様には分からんだろうよ……いや、今の貴様ならばいずれ分かるときがくる。永遠の孤独の苦しみが。寝て起きた時には誰も自分を知る者が居ない。その悲しみが」

 

 良かれと思い望んだ結末が、より残酷な結果をもたらすことなど、ありふれ過ぎている。

 これもその内の一つ。

 

 守ることを願い続けた生が。

 全てを終わらす為のものへと転じてしまったのだから。

 

 愛し続けることを願い、共にあろうとした夢が。

 憎悪をもたらし、決別をもたらしてしまったのだから。

 

「だからと言って、同じ苦しみをエヴァンジェリンさんに与えるなんて!」

「ボウヤ、もういい……」

 

「……孤独を与えたかったわけではない。私はただ、共に生きる存在を欲しただけだ。私の愛した、私のアタナシア」

 

 愛しい我が娘よ。

 幾星霜の果てに見えようともその顔はただただ愛おしい。

 たとえその内に宿る思い、私に向けられた思いに憎しみしかなくとも。

 

「あなたは――」

「もういいと言っているだろう!!」

 

 愛しかった娘が、視線を向けていた。

 その瞳にはなんの感情があるかも読み取れなくなっていた。

 

 あの時までの愛情。

 あの時の憎悪。

 あの時からの絶望と嘆き。

 

 今そこにあるのは、なんなのか。もはやそれは分からない。

 たとえそこに憐憫が混ざっているとしても。

 

「ああ。もう、いい。もはや、世界は私を必要とはしていないのだろう。そなたたちの、人の力で世界は変わる」

 

 悠久の時を経てきたというのに、まだ心残りはあった。

 いや、心残りが出来てしまった。

 

 せめて、変わり行くこの世界を、

 

 始まりの魔法使い()ではなく、人として見てみたい。

 

 そして、ようやく終わるこの苦しみからの解放を、どうか、涙を流すあの愛しい子にも……

 

 

「造物主さん。僕は、貴方を――――――――」

 

 

 

 

 




今回登場した下僕さんは原作ハリポタにもちょこっと登場しますが、設定はほぼオリジナルとなっております。

次回は外伝です。ナンバリングから外れる番外編ではなく、リオンでも咲耶でもない別キャラが主役になるストーリーの予定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

外伝 燃ゆる花

今回は外伝です。
今までと毛色が違って、“ハリポタ”も“ネギま”も要素として関わりのほとんどない半オリジナルです。
とあるキャラに深く関わるストーリーです。
一応参考にした元ネタはあるのですが、張っていた伏線を解く大きなキーになるものなので伏せさせていただきます。
多分、だれもが一度は聞いたことのあるモノで、あまり多くの人は詳しく知らないモノだと思います。



 永い、永い眠りが続いていた。

 この国随一の霊峰にある一社に、それは眠り続けていた。

 

 何の声も聞こえず、何の光も見えない。

 

 いや。

 

 何の声も聴く意志はなく、何も見る意志もない。

 

 

 大切な者を護ること。

 如何なる辛苦をも斬り裂き、御身を守る盾となり、傍に仕える。

 御身だけでなく、その心までお守りすること、それだけが私の望みだった…………

 

 

 

 それはもはや数えることすらできないほどの時の彼方。

 

「この国の案内をさせていただくにあたって、貴方様の家来にしていただきたい者がおります――――」

 

 

 師であり、太祖でもある御方に呼ばれてその横へとはせ参じた。その時が、私があの方に、我が主に出会った最初の時だった。

 

「はっ!」

「ほう。案内だけでなく、こいつをくれるのか?」

「はい。貴方様にはこの先、多くの魔が群がり、その道を阻むでしょう。この者は我が眷族の一人で、まだ若輩で、位はそう高くはないのですが、目端がきき、剣と術に長けた忠義心の強い男です。必ずや貴方様の御役に立つことと存じ上げます」

 

 私は、片膝をつき、頭を垂れて主となるべき方の決断を待っていた。

 

 太祖の眷族の中で、私の位はそう高くはない。むしろ最下層に位置すると言ってもいい。

 だが、それでも鍛えた力は決して他の者たちに劣るとは思っていないし、事実眷族の中で最も外夷を打ち払った数が多いのは私だった。

 

「ふむ。お前、名は?」

「貴方様がお付けください」

「俺がか?」

「はい。さすればこの者は、式に降った神となり、貴方様を裏切ることのない忠実なる剣となるでしょう」

「ふむ…………」

 

 視線が突き刺さる。

 名を与えるということは、存在を縛る呪をかけるということだ。

 その名によって、我が剣の在り様は決まるし、主の剣としての生を得る。

 

「偽りなく汚れなき白い毛並み。豊穣なるこの地を表すかのような木の葉のような見事な尾。……よし、お前の名は●●だ。どうだ?」

「忠義の式を表す。良い名だと思います」

 

 主となる御方は後ろに従えていた家来の一人に振り返って出来栄えを確認し、肯定されると嬉しそうな顔をして、どうだと私にも尋ねてくださいました。

 

「ははっ!! その名に恥じぬよう、一命を賭して忠勤に励む所存に御座いまする!」

「おう! よろしく頼むな、●●」

 

 眩いばかりの希望に満ちたその尊顔を、護ることを誓った。

 

 旅立ちに際して渡された、道を切り開くための剣の名に懸けて。

 

 

 当時、国は大いに乱れていた。

 太古の神魔妖怪が溢れ、土地は荒れ、人心は荒み、怨嗟と悲嘆の声で溢れていた。

 

 ゆえにかの御方が遣わされ、この国を治めるための戦いに赴かれたのだ。

 

 

 行く先の暗きを示す黒雲を抜け、我らは降り立った。

 天から見晴るかす景色を眺めた。

 

「ほー!! 良い眺めだな。絶景っつうもんだな!!」

「はっ」

 

 主の太祖の一人が治める大海からは、太母の光が真っ直ぐに差し込み、全てを煌びやかに輝かせていた。

 

「ここからだ。ここから、俺たちの国治めが始まる」

 

 大きな鉾を突き立て、主はまるでこの国すべてに宣言するように告げた。

 

 

 

 それから、幾たびもの困難があの方の前に立ち塞がった。

 

 ある時は水害に見舞われ、ある時は火の獣と戦い、ある時は人とも戦った。

 幾度も幾度も、矛を交え、剣を砕き、矢を折り、盾を割り、それでも戦い続けた。

 

 血風を撒き散らし、時に自身の体を斑に染めて、それでも剣をとり振るった。

 この地に来るまでに付き従っていた供の幾人かも戦乱の中に失った。その中には我が師の名もあった。

 

 時には騙され、刃を交え、それでもこの地を平らにするためにあの方は戦った。

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 それはある日、戦乱の中の、ほんのささやかな狭間の刻だった。

 

「くあぁっ。あー……」

「大丈夫ですか、主? 些か、いえ、かなりお疲れのご様子ですが」

 

 長く続いていた戦いがようやく一段落する気配を見せていた頃だった。

 永の戦いには頑強な主をもってしても疲労を隠すことはできず、家臣一同が無理を通して主を休ませたある日だった。

 

「まあなぁ。こう戦が続いちゃ、辟易ともしてくるさ。どいつもこいつも隙を見せたら後ろから襲い掛かってきやがって」

「戦ですからね」

 

 荒れ果てたこの国の心を写すかのように、人々の心は荒み果てていた。

 この国に生きる者の一人としてそれは哀しいことであり、だからこそ主と共にそれを平らに治めたいと願っていた。

 

「戦、か……猿の爺さんが居なくなっちまったのは……痛いな」

「…………はい」

 

 我が太祖は、その強さだけでなく、先んじて主を迎えたことからも、この国で主に付き従う者の象徴たる御方であった。

 だからこそ、先の海戦において敵の罠により亡くなってしまわれたのは痛い。

 主にとっても、私にとっても…………

 

 願わくば水底に沈んだ我が太祖が心安くされていることを思うばかりだ。

 

 流れ行く川を眺めていると、ふと視線を感じ、主へと振り向いた。

 そこにはどこか怯えを孕んだようにも見える、願うような眼差しを向けている主の姿があった。

 

「お前は……俺を裏切らねえよな……」

 

 その言葉に、胸を衝かれた。

 あれほど眩いばかりの勇者だった主が、今やその光を大いに曇らせている。

 

 自分の役目は、主に迫る苦難を切り払うことだ。

 それは御身を守ることだけでなく、そのお心をも護ること。

 

 もしも主が家臣を、私を信じられぬほどに心を弱められているとすれば、それは他ならぬ私の責だ。

 

 だから、一層願う。

 

「主…………無論です。太祖より託されし我が導きの剣と貴方に頂きしこの名に懸けて、貴方に真なる忠節を誓います」

 

 汚れなき忠義と国の豊穣を齎す願いを込められた我が名に懸けて、主を支える、主を守る。

 この誓いは決して違えない。

 同族の中にあって、位階の低い自分を式としてくださった恩義に報いるために。

 

「ワリ! なんか、最近疑いっぽくなっちまって駄目だな」

 

 らしくない思いを抱いたことを自嘲しているのか、吹っ切るように笑顔を浮かべた主の顔は、先程の曇りが見間違いだったかのように、ただそれでも疲労の色は濃く残っていた。

 

「いえ。無理もございません……せめてどなたか、主の心休む宿り木となる御方が居られればいいのですが……」

「お前もそれか! たくっ……どいつもこいつも。次から次に嫁候補を持ってきやがって。やれ結婚しろだの、早く世継ぎをこしらえろだの、妃なんざ心底惚れた一人で十分だっつの」

 

 心底困ったように本音を告げると主は嫌そうに顔を顰めた。

 皆の頭を悩ませていること、主の後継者の問題だ。

 

「その御一人が未だ居られぬからこそ、皆苦言を呈しているのです。御身にもしものことがあれば」

「おいおい。そんな万が一なんてねえよ。お前が守ってくれてんだからな」

 

 主の切り返す言葉に、はっとして見つめ返してしまった。

 そこににやっとした笑顔が浮かんでいるのをみて、しまったと思ってしまった。

 多分自分の顔は喜びを隠しきれていないだろう。

 主が信頼してくれるという、何にも代えがたい喜びを。

 

「またそういうことを……」

「へへ。ほれ、ちょっとあっちの川上の方まで行ってみようぜ」

「はい」

 

 ことさら憮然とした顔を作って咎める様な眼差しを向けると、主は話をざっくりと切り替えるように川上を指さした。

 上流に大きな桜の木でもあるのか川面には鮮やかな薄紅が流れてきていた。

 

 

 

 

 結局、この時まで抱いていた家臣たちの悩みは、ある意味杞憂となった。

 一方で、懸念していたことは後に現実となった…………

 

 ほどなく、主は心惹かれる伴侶となられる姫と出逢うことができたからだ。

 桜の花の咲き誇るように美しく、生命力の溢れんばかりに眩い姫君。

 

 惹かれあったお二人は間もなく、義父君の許しをえて、万感の祝福の下で結ばれることとなった。

 

 数多の結納品とともに義父君は姫を主のもとへと送り出した。

 山ほどの宝物。屈強な兵。絢爛豪華な社。そして…………

 

「は? いや、なんで姉妹で?」

 

 姫君の“姉”。

 

 ぽかんとしている主の前には三つ指をついている姉妹姫の姿があった。

 お一人は主の愛した妹姫。

 もうお一人は姫、と呼ぶにはいささかばかり屈強にして強靭な姉君。

 

 この土地の風習だろうか、主はお傍に控えていた私に振り返り、困ったように尋ねる様なお顔をされていたが、これは私にとっても想定外。

 主従揃って困惑するほかなかった。

 

 花の姫君は、主の困惑に気付かれたのか顔を上げてその理由をお答えになられた。

 婚儀のために装われたかんばせは美しく、こんなときでなければ見惚れていたであろう。

 

「子孫を設け、守るためには姉妹で嫁ぐことが古来の習わしであるためです。父上からも、なにとぞよしなにと仰せつかっております」

「いやいやよしなにじゃねえって! 妃なんて一人いりゃいいんだから! あんたもそんな古来からの習わしだか何だかに従ってねえでさ!」

 

 姫の言葉に、主は慌てて姉君にもお声をかけられた。

 主は、後継者のために姫を迎えられたのではない。ただただ姫を愛しておられたからだ。だからそこに余人を添え、あたかも子孫のための政略のように思われたのが得心できなかったのだろう。

 そしてそれ以上に、お優しいその心が、一人の生を狂わせてしまうことを気に咎めたのだろう。

 

 まさか主に拒まれるとは思っていなかったのか、姉君の顔が衝撃を受けたかのように愕然となった。

 慌てて姫君は、主にお言葉を翻すように口を添えた。

 

「殿。私たち二人が共に嫁ぐのには意味があるのです」

「意味?」

 

 姫の言葉に主は、そして私も首を傾げた。

 

「はい。父上は強力な呪の使い手。父上は私には花の如くに咲き誇る子孫繁栄の呪という祝を、姉には頑強なる生命の永続の呪という祝を、その名に込めました。我ら二人を娶れば、不死はより強固なものとなり、末代までその繁栄は続きます」

 

 姫のもつ御力はその“花”の御名の通り、賑わう命を顕しておられる。

 一方で“岩”の御名を持たれる姉君の御力は、頑強にして不死の奇跡を齎す。

 

「ですが、もしも殿が姉を拒めば、我が名に込められた呪により、まるで花の散るがごとくに命は儚いものとなってしまうでしょう」

 

 姫のお言葉に、私ははっとした。

 姫の父君が真剣に主のことを気にかけて下さったのが分かったからだ。

 

 子孫繁栄と不死。それはこの戦乱の世にあって、それを治めんとする主にとってはなによりの宝だ。

 果たして義父殿はそれを予知して姫たちにその御名をつけられたのか、それともその御名があったればこそ、この運命が紡がれたのか。

 

「分かった……」

「殿。それでは」

 

 真剣な御顔でしばし熟慮された主は、答えを決められた。

 主の決断した様子に姫と姉君はほっと息を吐かれ、

 

「ワリィ。それでも俺は、お前と添い遂げたいし、絶対にお前を裏切りたくない。だから、例えどんな理由があろうとも、俺はお前以外を妻とはしたくねえんだ」

「殿!!」

 

 そして決断のお言葉に愕然となされた。

 

「例え命を捨てることになったとしても、俺はお前だけを愛することを誓いたい」

 

 この時の姫の御顔は、安堵したようにも――――どこか嘆いているようにも見えた。

 

 

 

 主の決断は、大きな変化をもたらした。

 

 送り出した姉を返された義父殿は、気遣いを無にされたことで怒り、呪が結実するだろうと吐いた。

 

 そしてその呪が現れたかのように、主と姫の共に過ごされた夜は、たったの一夜で終わりを迎えることとなった。

 

「行かれるのですか、殿」

「ああ。この国の争いを治める。それが俺の役目だからな」

 

 突然沸き起こった戦の気運。

 それは婚儀を迎えた主の出陣を無慈悲に、容赦なく促すこととなった。

 

 永久に続くはずの契りが、たった一夜限りで途絶えることとなったことに、主も姫も、大いに心を痛まれておられた。

 無論、私も…………

 

 だが、戦を行わないわけにはいかなかった。

 いまここで戦をやめれば、今まで散っていた者たちの、太祖や仲間たちの犠牲が無になってしまう。

 この戦乱を治め、平らな瑞穂の国を取り戻すという我らの悲願。

 

 

「…………ワリィけど、お前はここに残ってくれ」

「!!! なぜですか、主!!? 私は御身を!」

 

 だが、当然の如く参陣の決意を固めていた式に主は参陣不要の言葉を放った。

 激して問いかける式に、主は優しく微笑みかけた。

 

「守るってんだろ? だから、俺の大切な者を守って欲しいんだ」

「っっ!」

 

 今の主には、大切な者が出来た。

 戦場を駆けることでは守りきれない大切な者。

 

「俺は俺自身だけなら守る自信がある。けど、この手が届かねえことはある。俺はお前を信じてるから、だから俺の大切な者を守って欲しいんだ」

 

 その信に応えたいと思いつつも、共にあることを拒まれたことに対する思いも大きい。

 入り混じった感情が渦を巻き、どのように応えるのが真に主のためになるのかが分からない。

 

 ただ、その命が下された以上…………

 

「……分かりました」

「ワリィ」

 

 それを受けることこそが式の務め。

 

「いえ。必ずや、必ずやお守りします! ですからどうか……!!」

「ああ。必ずここに戻ってくるさ」

 

 主は強い。

 なればこそ、きっと大丈夫だ。

 だから主の手の届かないところにこそある大切な者を、守ることを自らの役目と決めたのだ。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 主の居ないままでも、季節は移ろって行った。

 姫を迎えられた春はとうに過ぎ去り、花は青々とした葉を盛りとなり、その葉も色を紅に染め、落ち始めていた。

 

「あれからもうすぐ十か月…………」

「姫! あまり外に出られてはお体に障ります!!」

 

 “身重の体”で外へと出歩かれていた姫君の姿をようやく見つけ、声を上げた。

 安静にしているはずの姫の姿が見えなかった時には、全身の血が下がる思いだったのだ。肝心の姫君は、屋敷の庭ではらはらと舞う木の葉を眺めておられた。

 

「大丈夫よ。あんまり閉じこもってばかりだと陰の気が籠り過ぎちゃうわ」

 

 季節はすで秋も盛りを過ぎ、徐々に雪の気配すら感じるころだ。

 大切な御体に障りがあるのではないかと懸念するほどに、空気は冷たくなりつつある。

 

 火の呪を些か強めて寒気を追いやると、姫は心配性なと言いたげに苦笑なされた。

 

 冷気が払われると、やはり多少は寒さが染みていたのか、ほぅと体のこわばりが少しとれたようにうかがえる。

 美しく生命力の溢れた花。

 

 主が戦場へと赴かれてから、多くの時を姫と過ごした。

 姫は、その嫋やかな見目通り慈悲深く、そして想像以上に芯の強い御方だった。

 

 日増しに大きくなっていくその腹部の中に宿る命()

 片翼なき今の状態を不安に思うことは当然あってしかるべきはずなのに、決して我ら下々の前では不安を惹起させるような御顔はなさらない。

 ただ時折こうして花を愛でることをなされているのは、もしかしたらどうしても堪えきれなくなったときに心慰めておられるのかもしれないが、それを見つけた時にはすでにこの御方は不安などないかのような御顔をされている。

 

 もう少し弱さをみせてくださってもよいのにと思う。

 姫君を大切に思っているのは、なにもここにはいない主だけではない。

 主の御子を宿しているということだけではなく、この方をこそ護りたいと思える御方なのだから。

 

「もうすぐ、帰ってくるのかしら」

 

 ぽつりと零されたお言葉に、はっとなって姫を見ると、その御顔は遠く、主が馬上にあるであろう方角を見つめていた。

 

「はい。そのような報せを受けておりますので。御子がお生まれになるまでにはおそらく……」

 

 主と姫とを引き裂いた永きにわたる戦いもようやく終局が見えてきたという報告が上がっていた。

 相手の最後の悪あがきや戦後の交渉のことを考えれば、希望的な観測も多分に混じって入るであろうが御子の誕生の御時には間に合われるはずだ。

 

「ふふ。戻ってきて、御子が出来ると知ったら殿はどんな顔をするかしらね」

 

 姫はくすりと微笑みながら、悪戯をしかけて反応を想像している時のようなお顔をされている。

 そのかんばせを見て――――躰を巡る熱が増したように思えた。

 火の気が強すぎたのかもしれない。姫のご様子を見つつ、気勢を整えた。

 

「喜んで、くれるかしら……?」

 

 つきりと、なにかの棘が刺さったように感じられた。

 

「無論です、姫! 主が愛した姫とその御子。主が喜ばぬはずがございません!!」

 

 痛みを無視して、声をかけた。

 愛さないはずがない。

 

 まだ見ぬ御子が、日に日に成長しているように感じることが喜ばしい。

 姫の御顔がだんだんと母のそれになっていく姿が嬉しい。

 自分の剣に圧し掛かる責が、姫のみならずその御子までなったことが誇らしい。

 

「ありがとう」

 

 姫の嬉しそうな笑顔。

 

 

 もうすぐ主が戻ってくる。

 それはきっと何よりも喜ばしい。

 

 戦が一つの境を迎え、世継ぎがお生まれになる。

 

 

 この時、まだ自分は知らなかった――いや、甘く見ていたのだ。

 この国に住まう者がどれほどに心乱していたのかを。

 主がどのような戦いを切り抜けていたのかを。

 

 この国を平らにする。そのためにこの国に住まう。 

 そう、私の心も、そして、主の心もまた、乱れずにはいられなかったという事に、

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 主は帰還した。戦勝の凱旋により今一つ平定の歩を進められた。

 

 だが……

 

「俺の、子、だと……」

「はい」

 

 吉報をもって出迎えた姫君に向けた主の顔は、喜びではなく驚愕だった。喜ばしきはずの報、姫の傍に控える式もまた主の喜びを期待していた。

 しかしそれに対しての主の言葉は激昂による怒声だった。

 

「ふざけるな!!」

「え……?」

「お前と夫婦の契りを結んだのはたったの1度だぞ! それで子ができたと、そう言うのか!」

 

 たったの一夜。

 だが、命育む大山の主の一族である、花の姫は生命の力に溢れている。

 山の神の眷属である私には、他でもない空の主の孫である主と山の主の娘であられるお二人がその一夜の契りで子を為したとてなんの不思議も、違和感も覚えなかったのだ。

 

「殿! 信じてください! 本当に……」

「信じられるか!! お前は、お前は、俺がどんな戦場に立っていたのか知らぬというのか!!  その腹の子も、そんな卑怯な男の子だろう!!」

 

 信じがたいことに、主は姫を詰問なされた。

 

 一体、自分が居なかった戦場はどのようなものだったのか。

 そこがどれほどに凄惨で、悲惨なものだったのか、終ぞ知り得ることはできなかった。

 

「主! お言葉ですが、紛れもなく殿の御子です!! それは、主の不在の間、姫をお守りした某が、誓って保証します!!」

 

 ただ、結果として主の怒りと不信は姫に、そして――――

 

「そうか……なら――――

 

 

 ――――その腹の子の親は貴様か」

 

 私に向けられた。

 

「あ、るじ……なにを……」

「忠義の剣だなどと、大層なことを言って、結局これか。お前も、俺を騙していたということか」

「主!!!」

 

 喉が渇きつく。

 姫の顔にも絶望と言える闇が覆っている。

 

 今までに主からは向けられたことのない見下す冷たい眼差しが自分を見ていた。

 遠くは賤しき狗の身であった自分を見つめる大烏たちのものにも似た侮蔑の眼差し。

 

 もはやそこに信はなかった。

 姫は口元を抑え、泣きそうな顔を浮かべていた。

 

「主に誓った忠節を疑われると言うのであれば。主よ! どうぞ私に死を賜りくださいませ! 私にとって……私の願いは、ただただ主の信頼に応えることのみなのです!!」

 

 決死の言葉。

 文字通り命を差し出すその言葉にも、主の頑なな狂想は凪ぐことはなかった。

 

「よかろう…………賤しい狗よ。貴様には報いをくれてやる」

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

「申し訳ありません、申し訳ありません姫……」

「いいのですよ。大丈夫です。私には二心など微塵もありません。これで証が立てられるというのなら、必ずや身の潔白が明かされましょう」

 

 出口なき洞の中、身を焦がす熱波が徐々に命を蝕む。

 絶望という昏い闇は、最早消えることはないだろう。

 だが、それでも姫君は最後まで傍に居ようとする式神へと優しく手を伸ばした。

 

 ――貴方の所為ではない――と

 

 だが分かっていた。

 姫に対する我が心の揺れ。

 主は確かにそれを見抜いていたのだ。

 

 姫に対する信を貫くことはなかったが、我が心に小さく芽吹いた背信という蟲は確かに蠢いていたのかもしれない。

 

 だから、この結果も、受け入れる。

 ただ、

 

 それでも姫にはなんの咎もない。

 

 永久への眠り誘う劫火が猛り、視界を覆った。

 

 

 最早次はないだろう。

 なによりもそれを私は望まない。

 

 忠節を尽くす主もなく、護るべきものがなにかも見失った以上、この剣を振るうことは最早ない。

 

 太祖より授かりし、世界を切り開く剣。

 

 世界は収まりつつある以上、切り開く魁となることはもはやない。

 平らになった世がこれから続いて行くだろう。

 

 千年、二千年、三千年…………

 永久に続いていくだろうこの世界に魁は必要ない。

 

 残った悔いはただ一つ。

 それは…………――――

 

 

 

 

 声が聞こえる。

 それはまだ小さく、幼い声。

 

 あの方と同じ、誰かを一途に慕う声が―――――

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4章前篇 魔法世界編
いざ行かん研修旅行!!


 日本、現在は麻帆良学園都市と呼ばれる都市の一角にある超巨大建築物内の会議室で会議が行われていた。

 

「――――以上が、公募により提案された民間エレベーターの新名称候補です」

 

 議場にいる人たちは、議事進行役の言葉を受けて視線を手元に向けた。

 各々が手元に現出させている電子ボード上に、幾つかの名称が浮かんでいる。

 

 バベルタワー、太陽系開発推進塔、天柱、ラ・トゥール、アメノミハシラ、大黒柱…………

 

 この春、民間開放した軌道エレベーターの新名称を決める会議だ。

 現在は率直に“軌道エレベーター”という名前で呼ばれているが、民間に開放していく中で、より親しみある名前を民間から公募して検討しているのだ。

 会議では合わせてこの軌道エレベーターが建築されている、麻帆良学園都市の名称も変えようという案も出されている。

 

 会議の中心的人物であるネギにとって、この街は思い出深い街だ。

 

 彼が初めてこの街を訪れたのは、まだ彼が数えて10になったころ。

 修行として中学校の先生をすることになったのだ。

 初めて訪れた日本のこの地で多くを学び、多くの仲間を得た。

 

 追いかけ続けた父の手掛かりを見つけたのもこの地だった。

 

 ――麻帆良学園――

 

 その名が入ったこの街の名前が変わることに思うところはある。だが感傷に浸って停滞している暇はない。

 

 名前以外にも幾つもの重要な案件が会議では上がっている。

 

 宇宙開発 ――ブルーマーズ計画の進捗具合。

 魔法開示計画の進捗と、それに伴って起きる混乱について。

 

 

 

 その日の会議が閉幕し、議場にいた人たちがそれぞれに解散していく中、ネギの周りに集まり、幾つかの追加の話を持ってきていた。

 

 今や宇宙開発のみならず、ISSDAは世界にとって大きな影響を及ぼす機構となっているのだ。

 農業、工業、情報に続く新たな産業革命を起こし得る事業となることが予想されている。その証のように、ネギの秘書の一人は魔法と科学の粋を集めたガイノイドのプロトタイプと言われており、生の人間など到底及ばないほどに優秀な秘書役となっている。

 

 ネギのもとに集まった人たちを秘書の茶々丸がてきぱきとさばき、要件をまとめてネギへと繋げていた。

 やがて人がはけるとネギは茶々丸と共に会議室を後にした。

 部屋をでたネギは、そこに旧知の女性がいるのを見て、ぱぁっと微笑んだ。

 

「ネギ先せ……ネギさん。少しお時間よろしいですか?」

「夕映さん! いいですよ」

 

 かつての教え子、そして…………ネギの教え子(ミニストラ・ネギ)と呼ばれる魔法使いの一人、“瀬田”夕映だ。

 ネギは今では共に働く仲間の一人としばし話し込むことをした。

 

「イギリスの方のことです。向こうの魔法族と交渉が難航していると聞いたですが」

 

 夕映は先年、急遽赴いた伝統魔法族との交渉進捗がかんばしくないことを尋ねた。

 

「ああ。そういえば夕映さんはあちらの学校で臨時講師をしたんですよね?」

 

 昨年の魔法学校悪魔襲撃事件の話はネギも聞いている。

 なにせあの学校には“リオン・スプリングフィールド”がいるのだから。

 

「ええ。次の夏も生徒の魔法世界行きの案内と護衛をする予定ですが……リオン君はやはり来れないですか?」

 

 ネギの確認の言葉に夕映は頷きを返した。

 今度の夏も、魔法生徒たちの研修旅行のための引率兼護衛としてその派遣が決まっているのだ。

 かつてはとある魔法騎士団の仕事も務めたことのある夕映だ。他にも人員がいるのだから大概のことでは問題はないと思えるが、やはり“本来の魔法先生が来れない”というのは少し不安を感じることだ。

 

「ええ。イギリスにあるゲートは、ウェールズ、メガロ行きですから……裕奈さんたちにも依頼していますが、よろしくお願いします」

 

 イギリスにあるゲートの行先はメガロメセンブリア。諸々の理由からリオンが行けない魔法の国だ。

 正確には行けないことはないし、むしろメガロの重役たちからすると是非にも来てもらいたいくらいだろうが、だからこそ、リオンが研修旅行に同行すれば、“ドキドキ☆楽しい研修旅行♡”が一転、暗殺者や賞金稼ぎ、軍隊を蹴散らす“殺伐ライフを満喫☆修行だらけの大冒険!!”になってしまうだろう。

 

 ということで、研修旅行には臨時講師の経験のある夕映とメガロから派遣される予定のエージェントたち数名がつく手はずになっているのだ。

 

「はい。任せてください。ああ、それと魔法開示の折衝ですが、そちらの方はどうですか?」

「そちらの方はフェイトに任せていますから、大丈夫だと思います」

 

 夕映の懸念はもう一つ。

 イギリスの伝統魔法族との交渉の進捗についてだ。夕映自身も、悪魔襲撃の調査と並行して、伝統魔法族の魔法世界に対する印象などを調べていたが、大きく見るとそれはあまり良好とは言えなさそうだった。

 

 魔法世界に対して、というよりも伝統魔法族の中には身内以外に対して排他的思想に凝り固まっている魔法使いが多く存在するからだ。

 

 懸念を口にした夕映に、ネギは安堵させるように笑顔を向けた。

 

「その通りだよ。イギリス魔法省の方との交渉の目処はたった」

「フェイト」「!?」

 

 その安堵を重みづけるように夕映の背後から魔法省との交渉を終えたエージェントが声をかけた。

 いきなりの声掛けに夕映がびくぅ! と反応して振り向いた。

 

「もっとも向こうの感じからするとまだ仕掛けてくることは十分に考えられる。気を付けておく必要はあるだろうね」

「やっぱり。そう簡単に進まないのは想定済みだよ。学校の方には今期の研修旅行と、来期には欧州の魔法学校の方からも――――」

 

 ネギはすっかりフェイトと話し込み始め、夕映は苦笑した。

 夏の予定から、“その後”の予定、派遣講師について。

 

「あ、すいません夕映さん」

「いえ」

 

 しばしフェイトと話しこんでから、ネギははたと夕映を放置していることを思い出して謝った。

 

「夕映さん。魔法世界の研修旅行。大丈夫だとは思いますけど、気を付けてくださいね」

「はい!!」

 

 

 

 第53話 いざ行かん研修旅行!!

 

 

 

 

 茹だる様な熱気の中、ロンドン西部にあるパディントン駅を歩いていたハリーはもう一度確認のために通知の紙面に目をおとした。

 

 

魔法世界(ムンドゥス・マギクス)研修旅行の案内

 

 集合時間:――月――日11時 

 集合場所:ロンドン・パディントン駅、くまの銅像前

 期間:出発日よりこちらの地球時間に換算して1週間

 

 本研修旅行はこちらの伝統的魔法族と魔法世界との交流、友好目的のための事業の一環として行われます。

 そのため、集合して以降の旅費(移動費、滞在費)に関しては、すべて協賛企業、団体に支援されています。

 期間は1週間、とありますがこちらの世界と魔法世界では時間の流れが異なります。また移動距離も多くなるため、荷物は最小限にとどめるように。

 

 持ち物として杖、宿題、お小遣いは許可されますが、金銭に関してはゲートにて換金の必要があります。ペットに関しては、学校へ持ち込むものと同様のものに関しては許可されます。

 研修中、希望者に関しては箒レース(クィディッチではない)への参加も認められるため、必要であれば箒を持っていくこと。

 

 ――――――――』

 

 

 それ以外にもいろいろな諸注意が書かれている中から、場所と時間を再確認し、そして駅のホームを確認した。

 

 ホグワーツへ行くときの9と3/4番線とは異なり、駅に入った程度では周囲に一見して魔法族と分かるような人は見当たらない。 

 なにせ人数が格段に少ないのだ。

 研修旅行では3年生(昨年度の2年生)以上の精霊魔法試験合格者のみが参加の権利を得るのだが、その試験が惨劇とまで評されているものなのだから、全員を合わせても30人程度でしかない。

 その上、手紙には“非魔法族(マグル)の旅装にて集合すること”と念押ししているのだ。行事参加もあるため制服も持ち物リストには入っているが、今はトランクの中だ。

 もっとも、残念ながらハリーは、見た目を変えずにトランクの容量を拡大するような呪文を習得していないため、どれだけ荷物を少なくしたところで、箒を入れることはできずに、マグルの姿には成りきれていないが。

 ただ、箒に関しては譲れなかった。

 昨年シリウスから贈られた(その時は知らなかったが後で手紙で知らされた)最高級の競技用箒――ファイアボルトだ。

 魔法世界でどんな箒と乗り手が居るかは分からないが、少なくともこのファイアボルトに勝る箒はないものだと考えていた。

 

 いつもの魔法界行きとは異なる駅の中を駅構内の地図を見ながら目的地を目指した。

 3年前、初めてキングスクロス駅を訪れたときは9と3/4番線への行き方が分からず、運よく一緒になれたウィーズリー家の人たちに教えてもらったが、今回は純粋にマグルにも分かる待ち合わせ場所だ。

 

 集合場所にはすでに何人かの見知った顔があった。

 

「ハーマイオニー! ジニーも、元気かい!」

「こんにちはハリー!」

「ハリー! 私すごく楽しみで……まあ! ハリー!! あなたなんで箒をむき出しにしてるの!? 手紙にはちゃんとマグルの旅装でって書いてあったでしょ!」

 

 二人に挨拶をすると、ジニーは少し気恥ずかしそうに顔を赤くして、それでも去年一昨年ほど茹蛸にはならずに可愛らしく挨拶を返し、ハーマイオニーはワクワクと興奮した様子から一転、ハリーの旅姿に別の意味でテンションを上げた。

 

「仕方ないだろ。ファイアボルトを折ることなんてできないんだから」

 

 ハリー自身はマグル育ち、つまりマグルの視点から見て、今の自分がどれほど不格好で奇妙なのかは分かっているが、譲れないものは譲れない。

 ハーマイオニーはハリーから箒をひったくると、自分の持っていた小さなバックの中にぽんと放り込んでしまった。

 どう見ても体積が一致しないにもかかわらず、ハーマイオニーのバックからは箒の柄どころか枝すら出ていない。

 

「どうやったんだい、それ?」

「検知不可能拡大呪文よ。あらかじめかけておいたの」

 

 目を丸くして尋ねるとハーマイオニーがあっさりと答えてくれたが、きっとその呪文は答え程あっさりしていないと断言できる。

 少なくともハリーには、そんな呪文を習った覚えはない。――もっとも、ハリーが聞き逃している多くの授業の中で登場した可能性は否定できない。

 見ればジニーの鞄もハリーほどは大きくはなく、おそらく彼女の荷物にも同様の呪文がかけられているのだろう。

 

 周囲を見て、ハリーは他にも友人がいないかを確かめようとした。

 やはり精霊魔法を受講していなかったロンの姿はなく、少し胸がうずくような感覚を覚えたが、仕方ないことだろう。

 

「ハリー!!」

 

 不意に、ハリーは聞き覚えのある男の人に名前を呼ばれた。

 その声は耳に馴染むほどには聞きなれていない、しかしこの数週間ずっと聞きたいと思っていた声。

 

「シリウス!!?」

 

 呼ばれた声に振り返って見た先に居たのは、シリウス・ブラック。

 ハリーの後見人にして、父の親友である人だ。

 シリウスは嬉しそうにハリーに近寄ると、ぎゅうと抱きしめて親愛を示した。ハリーは目をぱちくりと瞬かせ、しかし感じる温もりが確かなものであることを知るとぐっと力をこめて抱き返した。

 

「シリウス。どうしてここに? 裁判は?」

 

 体を離したシリウスを見ると、この前会った時にあった伸び放題の髭や髪が切られており、骸骨のような姿はかなり改善されて見えた。

 嬉しそうな笑顔はハリーが持っている父と母の結婚時の写真に写る、ハンサムな花婿付添人の姿に近くなっていた。

 

「裁判は順調さ。今回はダンブルドアと魔法省が今回の引率役に私たちを指名したんだ。牢獄暮らしのお詫びのバカンスってところだ」

 

 ハリーの質問に、シリウスはにやりと笑って答えた。

 12年続いた冤罪。その対価として、普通の魔法使いではどれだけ家柄やお金があっても――それこそ今回嬉しいことに参加していないマルフォイ家であっても、行くことができない魔法世界への旅行券は少しでも慰めになるものなのだろうか。

 それよりもハリーは、シリウスとの思いがけない早くの再会が跳び上がるほどに嬉しく、胸に迫る思いだった。

 

「元気だったか、ハリー? かなり背が伸びたじゃないか。けどどうした? 前よりも随分と痩せているように見えるぞ」

「あー、うん。いとこがダイエット中でそれで最近は僕もダイエットに巻き込まれてたんだ」

 

 まだ十分に牢獄生活で細くなった体つきが戻っているとはいいがたいシリウスの言葉に、ハリーは少し苦笑しながら答えた。

 

 この夏休み、いとこのダドリーは、ついに ――あまりにも遅きに失したように思えるが、学校の校医からその豚のような体格が目に留まりすぎてダイエットを行うように勧告されたのだ。

 ダドリーを溺愛するおじさんとおばさんは、学校に対して散々に不平不満を喚き散らしていたが、ダドリーが着られる制服の規格がないという歴然たる事実の前にはいかなるクレームも抗することができず、ダドリーのダイエットを行うこととなってしまったのだ。

 災難なのは、ダドリーの喚く不満を少しでも弱めるために一家総出でダイエットに狩り出される巻き添えを喰らったうえ、ヒエラルキーを示すためにとりわけ少ない食事しか与えられなかったハリーだろう。

 

 だがそんなダイエット生活とも、一足先にお別れだ。

 そしてハリーはシリウスの言葉と、後ろで微笑むもう一人の見知った顔に驚きを覚えていた。

 

「私たちって、もしかしてルーピン先生もなんですか?」

 

 もう一人の魔法使い。

 こちらはこの前に別れたときよりも一層みすぼらしい格好に見えるリーマス・ルーピン先生だ。

 正確には“元”先生であり、ルーピンも苦笑しているのだが、それでもハリーにとってルーピンは紛れもなく最高の先生なのだ。

 

「ああ。私はスプリングフィールド先生からの推薦だ」

 

 ルーピン先生は少し居心地悪そうに答えた。

 その顔には、その推薦を彼自身が納得して受けいれているわけでないのがうかがえた。

 

 ルーピン先生は人狼の魔法使いだ。

 昔人狼に噛まれてしまい、その呪いから満月の夜には理性を失った狼として人に害をなす存在となってしまう。

 昨年は脱狼薬という魔法薬を服用することによって教職を果たしていたが、一度大きな失敗からハリーやハーマイオニーたちを危険に晒してしまったため、自ら職を辞したのだ。

 ゆえに、あのスプリングフィールド先生の推薦には、彼が何を思って推薦したのかも分からないこともあって、ひどく悩ましい思いがあるらしい。

 

 だがルーピンにとって悩ましくも、父の親友の一人であり、好ましい先生に引率してもらえるというのはハリーにとって喜ばしいことだった。

 

 

 

 ハリーたちが話をしていると段々と人が集まってきた。

 ハリーの友人のネビルやジニーの友人のレイブンクロー生。グリフィンドールの後輩はカメラを構えてわくわくを抑えていなかった。

 

 そして

 

「ハーミーちゃん!!」

「わぷ。元気そうねサクヤ。それに……お久しぶりです、セタ先生」

 

 ハッフルパフの咲耶がハーマイオニーを見つけて嬉しそうにハグしに突撃してきた。

 一緒に来ているハッフルパフ生たちも咲耶の洗礼はすでに受けたのか、生暖かい顔で咲耶の抱き付きを見ており、その横では一昨年臨時講師をしていた瀬田夕映先生が苦笑していた。

 ハーマイオニーは友人との抱擁を交わしてからひっぺがすと、元先生へも挨拶を述べ、瀬田先生は軽く挨拶を返した。

 

「スプリングフィールド先生と一緒ではないの、サクヤ?」

「うん。今回はリオンは来うへんのよ」

「えっ!?」

 

 ハーマイオニーは周囲に咲耶の保護者役である魔法先生が居ないことを訝って尋ねるが、返ってきた答えにハリーたちともども驚きの声を上げた。

 

 たしかに無愛想で恐い先生ではあるが、一番ホグワーツと接点のある魔法世界の魔法使いがあの先生なのだ。それが引率しないというのはハリーたちにとって想定外の出来事であろう。

 

「諸事情があって、リオン君は今回の研修旅行に帯同できないのです。そのため今回は私と、数人のエージェントが引率として派遣される手はずになっているのですよ。――――貴方がたがホグワーツと、魔法省から派遣された引率者の方ですね?」

 

 ハーマイオニーたちの疑問に答えるように夕映先生が答えた。後半はシリウスとルーピンに確認するように問いかけた。

 夕映の問いにシリウスとルーピンは一瞬お互いに顔を見合わせ、その一瞬でルーピンが対応することを決めたらしく肯定の言葉を返した。

 

「リーマス・ルーピンです」

「シリウス・ブラックだ」

「ISSDA所属、“白き翼”の夕映・瀬田です。どうぞよろしく。残りのメンバーは最後の手続きを……ああ、来たようです」

 

 互いに自己紹介をかわした後、夕映先生は近づいてくる仲間を見つけた。

 ハリーたちも夕映先生の視線の先を見ると3人の女性が近づいて来ていた。

 

 咲耶よりも短い黒髪を肩ほどに伸ばしたサイドテールの元気そうな女性。

 さらさらの金髪をおろした気の強そうな女性。

 そして赤い髪を二つに分けて結んでいる女性。

 三人ともキッチリとしたスーツ姿で、マグルの会社に勤めていると言われてもおかしくない格好だが、たしかに一般的な魔法族よりも、そしてボロボロの服装のルーピンと比べてもマグルらしい服装だ。

 その中の一人が、ホグワーツ側の引率者と挨拶をするつもりなのかルーピンとシリウスへと歩み寄った。

 

「初めまして。イギリス魔法族の方々ですね」

 

 三人の中で一番性格がキッチリとしてそうな金髪の女性だ。

 赤髪の女性は一歩引いたところでぺこりと頭を下げ、黒髪の女性はにかっと笑って咲耶に小さく手を振った。

 

「ミスター・ブラック。ミスター・ルーピン。こちらメガロメセンブリア――魔法世界の第1目的地の国から派遣されたエージェントの高音さんと愛衣さん、そして裕奈さんです」

「初めまして。高音・D・グッドマンです。今回はよろしくお願いします」

 

 夕映が二人にエージェントたち、高音、愛衣、裕奈を紹介し、3人を代表して高音がルーピンとシリウスに挨拶をした。

 

 

 

 引率者同士の話し合いを始めた大人たちを他所に咲耶たちもそれを横目におしゃべりをしていた。

 

「スプリングフィールド先生来れないの?」

「うん。リオンはイギリスにあるゲートを使えへんから」

 

 フィリスの質問に咲耶は頷いて返した。

 ほんのり寂しいが、学期中に本人からも同行できないことは聞いていた。

 

「それだけじゃないけどねー」

 

 話していた咲耶たちに、明るい声がかけられた。咲耶たちが振り向くと、エージェントという女性たちの中の一人、先程咲耶に手を振っていた女性が快活そうな笑顔を浮かべていた。

 

「裕奈でいいよ。木乃香の娘さんの咲耶ちゃんでしょ?」

 

 ちょっとおっかなびっくり、といった表情の咲耶たちに女性 ――裕奈は気さくに告げた。

 

「リオン君が居ないからいつもよりは戦力落ちるけど、ま、その分は人数でカバーするからよろしくね」

 

 

 

 

 裕奈が近衛咲耶とコンタクトをとったのを夕映は確認して、小さく微笑んだ。

 咲耶の母と友人である夕映同様、彼女もかつて咲耶の母とクラスメイトであり、ネギの教え子(ミニストラ・ネギ)と呼ばれる女性だ。

 どちらかと言えば、最近現実世界(こちら側の世界)で活動することが多い夕映よりも、メガロのエージェントとして活動している彼女たちの方がこの旅の始めはうってつけだろう。

 夕映は意識を裕奈たちから高音たちのやりとりの方に戻した。

 

「それでは生徒が集合、点呼の後に移動を開始します。列車の方は――――」

 

 目的地はウェールズ。

 イギリス国内ではあるが、こちらの伝統的魔法族の常套的移動手段である煙突飛行は使えない。

 目的地であるウェールズの村は、従来伝統魔法族と距離をおいていた魔法世界の魔法使いが多く住む村だからネットワークに組み込まれていないのだ。

 そのため移動は非魔法族――マグルの鉄道網を使うこととなり、それがために生徒には周囲に溶け込める服装であることを通達したのだが……

 

 不意に高音や夕映は視線をルーピン達からそらした。

 

「ェヘン、ェヘン」

 

 そのタイミングに合わせたかのように、ルーピンたちの耳に、これ見よがしとばかりにわざとらしい咳ばらいが聞こえてきた。

 視線を向けると、ふっくらとした女性、短くくるくるにカールした巻き毛の魔女が、なんとも周囲から浮いたけばけばしいピンクのカーディガンと帽子をかぶってこちらを向いていた。

 

 キッチリとしたスーツ姿の高音たちは言うに及ばず、ボロボロの服装ではあるがなんとかマグルらしく偽装しているルーピンやセンス良くフィットした服装のシリウスの行いを台無しにするような奇天烈な格好に、高音は眉をしかめた。

 ルーピンとシリウスもハッとしたように表情を変え、次いで苦々しく顰めた。

 ピンクのまるっこい女性は、あからさまにお呼びでないという視線を受けているにも関わらず、にたにたとした笑みを顔に貼りつけたまま高音たちに話しかけてきた。

 

「初めまして、みなさん。わたくし、イギリス魔法省より今回の子供たちの旅行を引率するよう任されました、魔法大臣上級次官のドローレス・アンブリッジです」

 

 年齢を間違えたように甲高く甘ったるい少女ちっくな声がにたにたと微笑む女性から話され、聞いてもいないのによろしくと自己紹介を行った。

 アンブリッジ、という名にルーピンの顔が一層険しくなり、高音は魔法大臣上級次官、という肩書にぴくりと反応した。

 

 彼女の今回の任務は旧世界英国の伝統的魔法族の魔法世界旅行の引率と護衛だが、だからといって現地の魔法族の管理者である魔法省を無視して良いと言うものではない。

 

 だが

 

「任された? 愛衣?」

「えーっと、今回の申請リストには無かったと思い……はい、ありません」

 

 高音は訝しげに、近くに控えていた愛衣に今回の魔法世界行きの同行者のリストを確認するように促した。

 愛衣は戸惑いがちに答えながら、携帯端末で情報を確認し、そこにそのような役職の人物もアンブリッジなる人物の名前もないことを確認した。

 

「失礼ですが、今回の研修では事前に人物の査定を行ったうえで、世界間移動の許可を受けた人物しか行くことができません」

 

 融和政策をとっているとはいえ、それでも魔法世界に行くのは本来気軽にできるものではない。特に元々魔法世界と縁故のない現実世界人が訪れるのは非常に煩雑な手続きが必要なのだ。

 

「あら。おかしいですわね。わたくしが見た所、あなたがたが許可したという人物には、我が国を代表する資格が著しく欠けていると思いますのよ」

 

 至極真っ当な意見を返した高音に、アンブリッジはまるで困ったちゃんの言葉を聞いたかのように返した。

 その口調はどう聞いても高音たちを侮っている風にしか聞こえない慇懃無礼とした言葉遣いだ。

 

「彼らはホグワーツ学校長と現在関西呪術協会がホグワーツに派遣しているリオン・スプリングフィールドがそれぞれ推薦した代表の―――」

「ェヘン、ェヘン」

 

 時間的にもあまり煩わされたくない頃合いだ。高音は逆撫でされる神経を無理やり押し隠して返そうとするが、アンブリッジはそれをわざとらしい咳払いを再びすることで遮った。

 

「考え違いをされておられるのかもしれませんが、我が国を代表するのは、学校長ではなく魔法省の大臣ですのよ?」

 

 にたにたと笑うその笑顔と言葉に、高音は、いや彼女だけでなくルーピン達もアンブリッジ上級次官の狙いが、単に撹乱、もしくは嫌がらせをして“旅行”にケチをつけるのが目的だと気づいた。

 

 高音たちは、この旅行が次のステップ、つまり新旧の魔法族の融和のためのイメージ戦略であると捉えており、この上級次官とやらは旅行の出始めでこのようなパフォーマンスをすることでケチを付けているのだ。

 

「我が国を代表して、大切な子供たちを引率する大人が、一人は脱獄した犯罪者で、もう一人は半獣では、我が国が恥をさらすようなものですわ」

 

 アンブリッジはちらりと決定している引率者たちを見遣り、あからさまに侮蔑の視線を投げると自分こそが代表だと主張した。

 高音もこの女性の一々癇に障る言い方に苛立ちを覚えはするものの、聞き捨てならない言葉が混ざっていることに反応した。

 

「犯罪者……?」

「違う!!」

 

 訝しげに高音が返すと、アンブリッジはにまぁと笑みを濃くし、聞こえていたのだろう、ハリーが声を上げてそれを否定した。

 口を挟もうとしていたシリウスとルーピンは、ハリーの剣幕と言葉にハッとしてそちらを見た。高音たちもハリーに視線を向けると、ハリーははっとして少しトーンダウンした。

 

「あ、いえ、違います。シリウスは冤罪で12年も捕まっていたんです!」

「ェヘン、ェヘン」

 

 大人たちから視線の集中を浴びてハリーは退きかけたが、シリウスへの侮辱と、撤回されたはずの濡れ衣をまた被せようとしていることに反発の心を湧き立たせて主張した。 

 だが、すぐさまアンブリッジはわざとらしい咳払いで注意を自分に戻そうとしてきた。

 

「いいかしらボク? その件に関しては、改めて調査中なのよ。そしてそこの男には、脱獄したという明らかな犯罪歴があるの」

 

 ハリーはアンブリッジの甘ったるく幼児にでも言って聞かせるような言葉に目を吊り上げた。

 そもそも冤罪なんてせずにちゃんと調べていれば、ペティグリューがホグワーツに潜り込むことはなかったし、シリウスが脱獄するなんてこともなかったのだ。

 

「その脱獄の件ですが――」

 

 言い返そうとしたハリーだが、その間に割って入るように高音が感情を押し殺したような声で口を挟んだ。

 

「ダンブルドア校長、および国際魔法力部の方から、野放しになっていた真犯人の検挙への貢献、および彼の被後見人の安全確保のため、英国魔法執行部が超法規的措置を適用したと伺っております。――そして彼自身、優秀な魔法使いであるとも聞いております」

 

 高音にとって、このようなことに横やりが入るのは予定外ではあっても、想定外ではない。

 なにせ前交渉していたISSDAのネゴシエーターからして、色々と受けていたらしいのだから。

 一応話はまとめたらしいが、この数週間でまたなにか色々とイギリス魔法省内でパワーバランスの変化が起こったのか。まさかこの上級次官さんの独断行動ではあるまい。

 

 高音の返しにアンブリッジは一瞬、鬱陶しそうな表情をしたが、すぐさまそれをにたにた笑いで覆い隠した。

 

「あらあら。それでは半獣の件もかしら? 魔法大臣は、人狼というとっても危険な存在を魔法世界に持ち込むことを危惧されていると思いますことよ?」

「人狼…………?」

 

 

 

 

 ハリーはぶん殴ってでもこのガマガエルのような魔女の口を閉じさせたいと思い始めていた。

 よりによって生徒が集まり始めて注目されてきているこの状況で、ルーピン先生のことを暴露するなんてことをしでかすとは。

 

 案の定、ハーマイオニー以外の生徒たちからは困惑したようなざわめきが広がっており、魔法世界側の魔法使いたちも困惑して……

 

「人狼種なんですか!?」

「メイ」

「はひっ!」

 

 ……いなくて、なんだか一名やけにハイテンションで何かを期待するようにルーピン先生を見て、仲間に咎められていた。

 

「先生は!」

「エヘン! エヘン!! お嬢ちゃん? 今は大人の話をしているの。少し黙っていてちょうだい。それからそこの半獣は先生ではないのよ」

 

 ハーマイオニーが声を大にして言い募ろうとするが、アンブリッジは甘ったるい声をやめて睨み付けていらいらと吐き捨てた。

 

 ハリーにとって、シリウスは犯罪者でもなければ、ルーピンは最高の先生だ。それを侮辱されてハリーは怒鳴り返してやろうとして、それを制するように夕映先生がハリーたちの前に腕を掲げた。

 

「……見た所、彼は獣化を制御しているように思えますが?」

「あらあら? これは失礼。異世界の方はそんなこともご存じなかったのね」

 

 真剣な顔をして話す高音とニタニタ顔をひっこめずに揶揄するように話すアンブリッジ。周囲の生徒たちはちらちらと恐れるようにルーピン先生を見つつも、二人の会話を聞いていた。

 

「人狼は満月の夜に本性を顕すの。野蛮な獣になって子供たちに牙を向けるなんて危険なことをするのよ」

 

 魔法世界の魔法使い、といってもなんてことはない。というのを吹聴するかのようにあえて小馬鹿にしたような口調で人狼の特徴を教えて差し上げるアンブリッジ。

 高音はそちらは適当に流して、ちらりと鋭い視線をルーピンに向けた。

 

「制御は、できていないのですか?」

「コントロールできるようなものでは、ないので……」

 

 ルーピンは申し訳なさそうに肯定した。

 アンブリッジはこれ以上ない程に気味の悪い笑みを浮かべているのをハリーは見た。

 

「お分かりになりましたかしら?」

 

 勝ち誇ったような笑みを浮かべるアンブリッジ。

 半獣などを魔法世界に連れていくくらいならば、上級次官である自分を連れていく方がはるかに筋が通っている。

 よからぬことを企んでいるこの魔法使いたちが、子供たちに良からぬ影響を与えることを監視して、魔法大臣に報告を行う……

 

「なるほど。納得いきました」

「でしたら――」

「だからあのリオン・スプリングフィールドが推挙したのですね」

 

 つもりだったのだが、相手はなにやら別の意味で納得してしまったらしい。

 

「リオン・スプリングフィールドからは、引率者としてよりも、個人として彼に魔法世界を体験させてほしいと言う風に伺っております」

「なっ!?」

 

 

 正直なところ、高音もこの人選にはあまり得心していなかったのだ。

 リオン自身が来られないのは、まあ彼とメガロの――正確にはメガロ上層部やゲーデル博士との関係を考えれば無理からぬことだが、なぜ彼が推薦したホグワーツ側の引率者が、前年に退職した先生だったのかということだ。

 

 魔法世界の魔法に対して寛容であり、イギリス伝統的魔法族特有の特権階級意識が薄く、日程的に体力があって、荒事にも対応できる魔法力を持っている人物。

 たしかにリーマス・ルーピン、シリウス・ブラックという二人の魔法使いは見た感じその条件には合致していそうだ。

 だが、退職した先生を推薦したというのはなんらかの意図を感じさせるには十分だ。

 

 要注意生徒の一人“ハリー・ポッター”の後見人であるシリウス・ブラックを学校長が推薦したというのはまだ分かる。

 そしてリオン・スプリングフィールドが推薦したリーマス・ルーピン、彼についても読めてきた。

 

「ミスター・ルーピン。誤解のないように先にお伝えしておきますが、魔法世界も決して亜人に対しまったく差別のない世界ではありません。ですが、人口の大半が亜人である魔法世界を見ることは、貴方にとっても有用だと思います」

 

 高音はルーピンの方を向いて告げた。

 魔法世界には人狼だけではない、亜人種があふれているのだ。むしろ純粋人間など5%程度しかいないのだから、それであたふたしていては今から身が持たない。

 

 周囲の生徒たちも、そして“ルーピン本人も”。

 

「獣化の制御に関しては、こちらの裕奈が対獣化・精霊化のエキスパートです。彼に関してはこちらで責任を持って、安全を保障します」

 

 高音の紹介に裕奈はウィンクして応え、アンブリッジは実に忌々しそうな視線を彼女たちに向けた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

いざ行かん、魔法世界へ!!!!

 ガタンゴトンと揺れる列車の中、ホグワーツの生徒たちは心配そうに車両の出口の方をチラ見していた。

 安全上、そして今現在は魔法を秘匿する必要から、生徒たちの精神衛生上、車両一つを貸し切っての鉄道旅だが、生徒たちの現在の心配事は、開始早々に暴露された引率の魔法使いの重大事項だ。

 

 前学期をもって“闇の魔術に対する防衛術”の職を辞職したルーピン先生が人狼であったということ。

 

 ルーピン先生は前年度多くの生徒に人気の授業を行った良い先生ではあったのだが、人狼に対する恐怖は大きく、満月までにはまだまだ先のある日の昼の今でさえ、生徒たちの多くは不安そうにささめきあっていた。

 

 そんな生徒たちをハリーは不機嫌そうに顔を顰めて見ており、ハーマイオニーはそんなハリーを心配そうに見ていた。

 

 

 

 第54話 いざ行かん、魔法世界へ!!!!

 

 

 

「ルーピン先生!」

 

 対魔獣封印術式を施すために席を外していたルーピンと裕奈が戻ってくると、多くの生徒は恐々と先生を見つめ、ハリーはルーピンに駆け寄った。

 見た所大きな変化はなく、ルーピンは過剰なハリーの反応に苦笑しているほどだ。

 

「大丈夫だよ。ちゃんと封印しておいたから」

 

 その横から、術式を施した裕奈が言い、ルーピンは左の袖をまくって腕を見せた。そこには5本の黒い線がぐるりとタトゥーのように入っている。

 

「1本が1日。今日かけた分で5日分です。満月の時以外は大丈夫だとは思いますけど、心配なようなら印が全部消える前に言ってくださいね」

 

 ハリーが問うように裕奈を見ると、彼女は施した封印術式のことを改めて念押しするようにルーピンに言った。

 獣化禁止術式。

 裕奈の特性からくる得意系統だ。

 

「それがあれば。ルーピン先生の体質は治るんですか?」

 

 今の所見た目は変わらないが、ハーマイオニーはややの驚きと好奇心から尋ねた。

 少なくともイギリス魔法界における伝統魔法では、人狼になった人を治し、それを抑制する術はない。

 唯一、近年開発された脱狼薬によってのみ、獣化は防げずとも理性を保たせることはできる。

 

 だが、それは人狼という種族が忌避される欧州だからこそとも言える。

 闇の魔法生物を使役する術法に長けた日本では人狼 ――狗族を制御する術は確かに存在する。

 ただし、それは治すものではないし、封じるというのは人狼としての特性のみだけではない。

 

「んー、治るわけじゃないんだよね。封印術式だから、魔力の一部とか本来の力も一緒に封じちゃってんの。だから自分で制御できる方がいいよ」

「制御する方法があるんですか!?」

 

 封印術式は完璧ではないし、できるのならば制御できる方が断然いい。

 だが、それはハリーたちにとって思いもよらぬアドバイスだったらしく、ルーピンもまた目を丸くして裕奈を見た。

 

「どうなんだろ? 知り合いに人狼種の人がいるけど、その人は制御してるみたいだよ、ね、愛衣さん?」

 

 裕奈は知り合いの狗族の男性を思い返して、そして先程から人狼の彼を気にしている友人にニンマリとした笑みを浮かべて尋ねた。

 

「はい!? え、あ、えーっと……」

「小太郎君は狗族とのハーフなので、先天的な能力です。調べたところ、そちらの方の人狼体質は後天的な呪い、強制的な転生呪といったところのようです。制御方法がまったく違うというわけではないと思うですが、同じというものでもないと思いますよ」

 

 水を傾けられた愛衣はあわあわとテンパって赤い顔をし、代わりに夕映が答えた。

 

 正確にはルーピンのような人狼の獣化と、彼 ――犬上小太郎の獣化は別のモノだ。

 分類するならば、どちらも亜人、獣人となるのだが、小太郎は生まれつきの人狼――狗族のハーフであり、ルーピンのそれは後天的な人狼化だ。

 人から亜人への変化。それは最早、転生と言ってもいいだろう。

 そして転生により変化した特質を制御するのは並大抵のことではない。

 

「転生による能力を制御した症例は非常に報告例が少ないようです。ただし、私たちが知り得る限り、一人、それを為した“人”を知っているです」

「治した人が居るんですか!?」

 

 夕映の言葉にハーマイオニーたちが驚いてまじまじと先生を見た。

 

「治療ではなく制御です。その呪いは、本人が一番分かっているとは思いますが怪我や病気とは違います。魂魄からの転生ですから根治することはまずないでしょう」

「…………」

 

 分かっていても、違う魔法を操る者たちにもはっきりとそれを口にされてルーピンはほんのりと痛みをかむように微かな苦笑を浮かべた。

 

「それこそ、世界最高の治癒術士でも無理でしょうね」

 

 かつて一人の魔法使いが、人からより上位の存在へと転生を果たした。

 だがそれはあまりにも危険な行いであり、正面からぶつかったとしても制御することは極めて困難な事象だったのだ。

 

 文字通りの死を乗り越え、取り返しのつかない代償を支払って、制御するに至ったのだ。

 転生の呪いということは、治療という治す術では意味がない。

 

 いかに世界最高の治癒術士、近衛木乃香といえどもおそらくルーピンの人狼の呪いを解くことは不可能だろう。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 開始初っ端からの旅の動揺はルーピンの狼化に対する処置が一応保障されたことで、ひとまずの落ち着きを見た。

 ただやはり人狼を暴露されたルーピン先生に話しかけることは気軽にはできないようで、ハリーやハーマイオニー、そして彼らと親しいジニーやウィーズリーの双子らが積極的にルーピンとシリウスと話していた。

 

 その様子と、やはり旅の雰囲気に車内は次第に楽しげなおしゃべりで満ちていった。

 

「裕奈さんもお母様の友達なんですよね?」

「そだよー。まあ、私よりゆえ吉の方が接点は多かったけどね。同じ部活だったし」

 

 

 咲耶は引率者の一人、ルーピンに封印術式を施した裕奈と話をしていた。

 護衛の任務も兼ねている裕奈だが、彼女自身探知能力にはそれほど優れていないし、この場には“影の精霊”を使役して知覚を広げられる高音や術式の豊富な夕映が居る。

 どうやら何かを感知したらしく、高音はそちらの対処にかかりきりになっているが、さしあたって裕奈にできることはない。

 このメンバーにおける裕奈の役目は探知・警戒とは異なる。

 

 

「あ、それは聞きました。図書館探検部ですよね」

「そうそう。私は体育会系だったからね。このかとガッツリ仲良かったって言ったらやっぱ刹那さんとアスナだね。二人はよく知ってるでしょ?」

 

 以前夕映先生から聞いた話もあって、咲耶はわくわくとしながら母の昔話を聞いた。

 裕奈はあっけらかんとした口調で微笑みながら答えた。

 

 咲耶の母 ――近衛木乃香の二人の親友。

 その二人とは咲耶も会ったことがある、どころか大変にお世話になっている人たちだ。

 母と本契約を交わした翼ある剣士と、新旧両世界の融和の象徴たる魔法の国の女王さま。どちらも優しくて強くて綺麗な、咲耶にとって母とは別種の憧れの人たちだ。

 

 母と共に行動している刹那はともかく、某国にて女王さまをやっている明日菜とは、この旅行中にももしかしたら会う機会があるかもしれない。

 

 わいわいと楽しそうに話している咲耶と裕奈の周りには、フィリスやリーシャたちもおり、話しに参加していた。

 

「少し気になったんですけど、愛衣さんて妙にルーピン先生意識してません?」

「あー、あれねー……」

 

 フィリスは、出会ってすぐの時から、具体的にはルーピン先生が人狼であることを暴露されてから、妙にちらちらと視線を向けている引率の女性の事が気にかかったようで尋ねた。

 裕奈はその質問にちらりと愛衣に視線を向けた。

 そして少し離れた位置に座っている愛衣に“聞こえるように”こっそりと少女たちに恋バナでもするように告げた。

 

「愛衣ちゃんはね、初恋の相手が狗族のハーフだったから、ちょっと人狼って聞いてルーピンさんのこと意識しちゃって――」

「ゆゆ、ゆうにゃしゃんっ!!!」

 

 あからさまに聞こえてきた自分の恥ずかしい過去()の暴露に、愛衣は顔を真っ赤にして声を上げた。

 あわあわと裕奈の暴挙を止めようと駆け寄ってきた愛衣を軽くあしらい、少女たちとの愉しいお話は続けられた。

 

「ク族? さっきユエ先生が言ってたコタローって人ですか?」

「そうそう。まあ戦ってる時の小太郎君もかっこいいからね~。リオン君も相当だけど、小太郎君だって今じゃ、最強クラスの一角だし」

 

 リーシャは、先程夕映が言っていたことも思い出して尋ねた。

 ク族のコタローという人がどういう人(?)かは分からないが、どうやらこの人たちは人狼とよく似た種族に対して、嫌悪を抱くどころかむしろ好ましい感情すら抱いているらしい。

 そして裕奈の答えは、幾つかの意味で驚きのものだった。

 

「スプリングフィールド先生って魔法世界でも強いんですか?」

 

 たしかに、あの先生がとても強いのは知っている。一昨年の悪魔のことにしても、昨年のディメンターのことにしても。

 だが、それと比較する魔法世界の魔法使いのことはよく分からないのだ。

 

「そりゃ強いよ。多分世界でも十指には入るんじゃない?」

「え!?」

「若手世代じゃ間違いなくダントツで飛び抜けてるだろうね」

 

 あっさりと告げられた評価に、クラリスもぴくりと反応を示し、フィリスたちはあんぐりと口を開いた。

 

 裕奈の言う世界、という括りに果たして自分たちの居る世界が含まれているのかは分からない。 

 だが、含まれているとすれば、それはあるいは、イギリス魔法界屈指の魔法使いと言われるダンブルドアにも伍するかもしれない可能性があると思えたからだ。

 

 

 列車は進む。西へ、西へと。

 そして…………

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 ウェールズ・ペンブルック州にて

 駅から離れ、一行は緑あふれる雄大な自然に囲まれた村へと到着した。

 ホグワーツ特急ほどではないが、それでも長時間の移動で凝り固まった体をほぐすように生徒たちの何人かはぐぐーと伸びをし、自然の香りを吸いこんでいた。

 

「ウェールズは初めてだな。ここに魔法世界行きの駅があんの?」

「駅じゃなくてゲートよ、リーシャ。授業でスプリングフィールド先生が言ってたでしょ」

 

 初めて訪れたウェールズの牧歌的な風景にリーシャはのほほんとあたりを見回し、フィリスはやや呆れたようにツッコみをいれた。

 

 魔法世界とは地理的な距離ではなく、異界に存在しており、通常の移動手段では決して辿りつけない。その往来の為の特殊な設備がゲートと呼ばれるモノである……というのは、咲耶たちが4年の頃に受けた授業で行われた内容だ。

 

 村の入り口に辿りつくと、一行を引率していた高音は全員の注目を集めるためにパンパンと手を打った。

 

「みなさん。ここが今日の目的地です」

 

 のどかな風景。伝統的魔法族がそうであるように、とてもマグルの世界にあるように仰々しい鉄の塊の移動手段が用意されているようには見えない村だが……

 

「ゲートの開門はだいたい週に一度程度です。次の開門は、明日の朝なので、今日はこちらの村で宿泊となります」

「それではこれから今日の滞在場所に向かいます。村の散策をされたい方は荷物を置いてからです」

 

 夕映と高音がそれぞれ告げてから、改めてみんなで村へと入った。

 

 

 

 村は牧歌的な周囲の風景にあったように、平和的な光景なのだが……

 

「おー咲耶ちゃん! 久しぶりだねぇ、元気かい?」

「はい! おじいちゃんも腰の具合はどうですか?」

 

「咲耶ちゃんが来たって? おやまあ随分いっぱい友達連れてきたもんだ」

「えへへー」

 

「咲耶ちゃんが来てくれたのは久しぶりだからねぇ。後で看てくんないかい?」

「はい!」

 

 村中の人たちが、咲耶を見かけるたびに声をかけてくる光景を見て、ハリーたちは不思議な気分になっていた。

 

「近衛さん。はい、ではありません。貴女は研修旅行中でしょう。団体行動を乱すつもりですか」

 

 先程から声をかけられ、無視するわけにもいかずに丁寧に対応している咲耶だが、流石に高音が注意した。

 

「おや? なんだい学校の行事なのかい?」

「まあまあ高音さん。後ならいいじゃん。宿についたら自由行動っしょ? 宿にしても街の人の好意を受けてんだしさ」

 

 注意を受けてシュンとしてしまった咲耶を見て、話しかけてきた人や裕奈がフォローを入れた。

 

「それはそうですが」

「おいおい。この村で咲耶ちゃんに危害を加えるようなやつなんていねえって」

 

 裕奈のフォローに高音は眉を顰めて言い淀み、通りすがりのはずの村人は鷹揚に笑いながら言った。

 

 

 

 

 この村で――その言い様にハリーは気になって咲耶へと話しかけた。

 

「……サクヤ。なんだか村の人みんなが君に好意的に見えるんだけど」

 

 ホグワーツでも、サクヤはその人当たりの良さと留学生という物珍しさからそれほど嫌われてはいないが、この村でのホグワーツ生の――サクヤの歓待ぶりは、まるで初めて魔法界を訪れたハリーに対するそれにも似たものを感じた。

 

「んー。ウチのお母様がこの村の人と仲ええんよ。それでウチもちっこいころからお世話になっとってな」

 

 そう言いながらもサクヤは通りすがりのおばあさんに笑顔で手を振って挨拶しており、まるでこの村の人全員が咲耶の顔なじみなのではないかと思えるほどだ。

 

「この村は昔、悪魔の大群の襲撃を受けて村人の大半が石化していた時期があるのです」

 

 不思議に思っているハリーたちに、ユエ先生が講義でもするように言った。

 

 石化……それを聞いて思い出すのはハリーたちが2年の時の秘密の部屋の怪物の事件だ。あの時、バジリスクの眼を不完全な形で見てしまった生徒や猫、ゴーストが石のような仮死状態になってしまった。

 だが、それはマンドレイク薬ができるまでの1年にも満たない期間であった。

 

「悪魔の強力な永久石化は当時、誰にも解呪することができず、以降20年近く村人たちは石のままでした」

「20年も!? マンドレイク薬は効かなかったんですか?」

 

 石化された期間の、あまりの長さにハーマイオニーが驚き尋ねた。彼女以外の他の生徒たちも唖然としてユエ先生を見た。

 

「ホグワーツで起こった事件では、たしか仮死状態だったと聞きます。この村の人たちにかけられたのは、永久石化(アイオーニオン・ペトローシス)。文字通り対象を石にする魔法です。石にはどんな薬も効果を及ぼすことはできませんでした。咲耶さんのお母さんはその石化の解呪に成功したのです」

 

 当時、誰にも解呪できないと言われていた悲劇。

 それは時代を超えて解かれることとなった。

 

「その功績をもって、マギステル・マギ、近衛木乃香は世界最高の治癒術士としての評価を確固たるものとしました。今回、この村での滞在場所を無償で提供していただけたこと、そしてゲートの通行許可が下りたのは、彼女に対する好意もあってのことです」

 

 この村の大半の魔法使いは、木乃香によって助けられた者たち。だからこそ、本来そう簡単には下りないゲート通過の許可を得るための助力が多数得られたのだ。

 

 

 

 

 

 

 それからも道中、咲耶が道行く人に声をかけられつつ、その日の宿に到着したハリーたちは、長い金髪を腰ほどまで伸ばした女性に出迎えられた。

 

「ホグワーツのみなさん、ようこそ」

「こちら、今回村での宿をとりまとめてくださったネカネさんです。リオン・スプリングフィールド先生の親戚です」

 

 ユエ先生に紹介された女性は、“あの”スプリングフィールド先生の親戚、という物騒な紹介の割に、女性の見た目は物腰穏やかで、外見こそ全く異なるもののどちらかというと咲耶に近い、優しげな女性だ。

 

 宿の雰囲気は、マグル世界育ちのハリーにとっては見慣れた形式で(もっとも、ハリーはダーズリーたちに泊まりがけの旅行に連れていってもらった記憶などないが)、魔法使いの多く住む村、といってもほとんどマグルと魔法使いの見分けはつかないくらいだ。

 

 だが、扉の開閉する音が聞こえ、振り向くと、そこにはホグワーツにいても違和感のない、魔法使い然とした三角帽子とローブを纏ったおじいさんが入って来ていた。眼鏡こそかけていないが、ダンブルドアの髭にも負けないほどに長く白い顎鬚を生やした小柄なおじいさん。その口には、今時使い込んでいることが分かる古めかしいパイプが咥えられている。

 

「なんじゃ、ぞろぞろと」

「あっ! スタンさん!」

 

 そのおじいさんはなにやら不機嫌そうに鼻をならしてホグワーツ生たちに視線を向けた。だが、その不機嫌さとは対照的に、おじいさんの姿を認めた咲耶が嬉しそうにそのおじいさんのもとへと駆け寄った。

 

「あ~! スタンさん、煙草アカーン!」

 

 駆け寄って、その口に咥えられていたパイプを取り上げた。

 取り上げられたおじいさんは、不機嫌そうだった顔を一層顰めて咲耶を見つめた。

 

「かっ。半人前がいっちょ前に説教垂れておって。年寄りから楽しみを奪うな」

 

 この村に入って初めて聞く、サクヤに対してあまり好意的でなさそうな言葉が投げつけられた。

 だが、それを受けてもサクヤの顔は笑顔のままで、おじいさんに対して向けられる好意的な視線はまるで揺らぐことが無い。

 

「おーいサクヤちゃーん。スタンさんに会えてうれしいのは分かるけど、まずは部屋割りして荷物置いてからにしなー」

「はーい。そしたらスタンさん、パイプあずかっとくからな。後でくるから待っとってな」

「ふん。わしゃ用事があってここに来たんじゃ。待っとらんわい」

 

 そのまま脱線してしまいそうなサクヤに、ユウナが声をかけて呼び止め、一行に戻した。

 別れ際までおじいさんは悪態じみたやりとりを返しており、サクヤの親しい友人、クラリスたちは訝しげにおじいさんに視線を向けた。

 

「全くスタンさんったら、咲耶ちゃんをからかって」

「あれはからかってるんですか?」

 

 しっしとサクヤを追い払っている老魔法使いの様子にネカネは苦笑しており、フィリスが心配そうに尋ねた。

 

「スタンさん。もう普段はパイプなんて吸ってないのよ。咲耶ちゃんに叱られる口実つくってるだけ」

 

 こちらに戻ってくる咲耶に聞こえないように、ネカネはこっそりとフィリスたちに告げた。

 

 

 

 

 

 誰もがその健やかな成長を楽しみにし、そこに居ることを望まれる少女。

 

「――――――――」

「うん? クロス、何か言ったかい?」

 

 ぽつり、と聞こえてきた言葉にセドリックはディズへと振り向いた。

 

「いや。なんでもないよ。」

 

 貼りつけた笑顔でセドリックに応えて、ディズは再び咲耶を見た。

 花咲くように笑う少女を見て、ディズは自身の裡のどろどろとしたものが蠢くようなものを感じた。

 

「サクヤはさ」

「ん?」

 

 ふと、ディズは口を開き咲耶へと話しかけた。

 

「サクヤは、周りの人間からこうだって期待を押しつけらえて、辛くはないのかい?」

「?」

 

 よく分かっていない顔で小首を傾げる彼女を見て、無性に、壊してやりたくなった。

 

「周囲の人間がみんな、君は母親のようになれって押し付けてるだろ。それはすごく鬱陶しくないのかい? 期待が重くはないのか?」

 

 誰も自分を見ていない。

 見ているのは親の子供だということ。

 

 必要ないのだ。

 親ですら、ただの道具としてしか見ていない。

 

 くだらなく続いて行く世界。

 それを続けて行こうとする期待など、ぶち壊してしまいたくなる。

 

 

「ん~。お母様のようになりたい思たんはウチやし、立派な魔法使いになって色んな人の助けになれたらうれしいもん」

 

 えへらと微笑むその顔を見て、再び口を開きかけたディズは、出かけた言葉を取りやめて、当たり障りのない言葉へと挿げ替えた。

 

 

 困っている者を助ける立派な魔法使い、というのが異世界の魔法使いの姿なのだとしたら――――この少女は、そんな在り方を本当に叶えられると思っているのだろうか。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 翌朝。まだ空が薄暗く、日の昇らない頃合いに生徒たちは村の出口へと集まっていた。それぞれ、昨日は来ていなかった魔法使い然としたローブを全員が着用しており、昨日のマグルへの融け込み具合から一転、いかにも怪しい集団へと変わっていた。

 

「おはようございますみなさん。今日はこれからゲートへと向かいますが、宿にあったローブを必ず着用して、はぐれないように私について来て下さい」

 

 夏の明け方前という早すぎる時間の為、生徒の多くは欠伸を噛み殺して眠たそうな顔としているが、引率役の高音はそんな態度をおくびにも出さずにはきはきとした姿を見せている。

 

「ゲートには手順通りの儀式を行いながら近づかなければ決して辿りつかないようになっています。もしはぐれたら濃霧の中で数時間彷徨った挙句、村の出口に逆戻りすることになるので気を付けてください」

 

 高音は全員に注意を述べて、特に事前報告で悪戯好きだと知らされており、実際に稚気に富んでいそうな少年たちの方をちらりと見た。

 そちらには咲耶がわくわくといった顔でついているため、大丈夫そうだ。

 

 まだ陽が充分にさしていないため、気温は上がりきっていないが、それでもこの時期にローブを着こめば相応の熱さが付きまとう。

 しかも目的地までの距離が分からないまま歩くのは精神的には中々につらいものだが、それでもこれから魔法世界というファンタジックな地に赴けるということを思えば、わくわくとした期待感が強かった。

 

「サクヤ。ニホンのゲートもこんな感じなの?」

「んー。日本のはなんか迷宮みたいなとこやなぁ」

「麻帆良のゲートは連絡先が連絡先だからねー。復旧したのもわりと最近だし」

「裕奈さん。ちゃんとはぐれている生徒がいないか注意してください!」

 

 はぐれると大きく時間をロスしてしまい、場合によっては開門の時間に間に合わないだろうこともあるため、注意が必要だ。

 先導する高音は時折小さく呪文を唱えて何かの魔法を使いつつ歩き、生徒たちははぐれないように注意しながら濃霧の中を歩いた。

 

 ようやく朝日が昇り始めた頃、サァァと風が流れ始めたのを合図にするかのように一行は小高い丘のふもとへとたどり着いた。

 

「おっ? 霧がはれてきた」

 

 丘の向こうから差してくる陽の光にリーシャは眩しそうにした。

 

「ええ、着きましたよ皆さん」

 

 高音の言葉と、丘の上にある光景に一同は思わず「おぉ」と感嘆の言葉を漏らした。

 一行が到着した丘の上には立石(メンヒル)が立ち並でいた。

 門のように積み上げられた石柱が幾つも同心円状のような配列で並んでおり、その中央には黒く大きな岩柱が屹立している。

 

 咲耶たちの他にも、丘には数十人の魔法使いと思しきローブ姿の人物がおり、それぞれに幾人かのグループに分かれて待機していた。

 咲耶たちは宿で用意されたサンドウィッチを食べながら開門の時間を待っていた。

 

「結構、人が居るんですね」

「ええ。ただ、これでも少ないくらいです。鎖国状態だった昔と違って、近年では徐々に往来が活発になってきていますから」

 

 フィリスの質問に夕映が答えた。

 

 昔、夕映たちが初めて魔法世界に訪れたころは、まだ魔法世界では旧世界との国交に対して消極的であった。

 だが、紆余曲折を経て、世界間の融和政策へと舵が切られた。

 なので、いくら手続きをとることが難しく、以前よりも開聞の回数が増えているとは言え、一週間という感覚で百人にも満たない人数しか集まっていないと言うのは少ないと言えた。

 

 朝食を食べ終える頃には、すでに十分に太陽は昇り、気温は夏のそれらしく上がる気配を見せ始めていた。

 高音は腕時計で時間を確認し、待機していた他の魔法使いたちも時間を気にしはじめていた。

 

「…………そろそろ時間です。みなさん、中央近くの第一サークルの中に集まってください」

 

 高音に先導され、咲耶やハリーたちはぞろぞろと立石の中央へと足を踏み入れた。

 

「いよいよ魔法世界か!」

「楽しみね」

 

 リーシャとフィリス、そして他の生徒たちも期待と、そしてややの緊張をした様子でわくわくとし――――

 ――――どこからともなく響いた鐘の音を合図に、岩柱を中心とした地面一帯が光り輝いた。

 

 地面と呼応するように空に幾つもの魔方陣が浮かび上がり、中央を貫いて岩柱に降りるように光が降りそそいだ。

 そして――――――

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

なんか自称友人が多いんだけど!?

 目を閉じても瞼を貫通してくる強烈な光はしばらく続き――――そして消えた。

 

 恐る恐る目を開けると、一行は先程までいた屋外の丘の上ではなく、どこかの建物の上に居た。

 周囲には先程までと同じように岩柱を中心とした石の門が円形に並んでいるが、明らかに先程まで居た場所とは異なる景色だ。

 

 

 

 

 第55話 なんか自称友人が多いんだけど!?

 

 

 

 

 列車や車とはまるで違う、一瞬で移動できる魔法の手段。そう聞いてハリーは煙突飛行を連想して、心配していた。

 一昨年前、ハリーはウィーズリー家で初めてその魔法族特有の移動手段を利用して、少々トラウマのような懸念を覚えていたのだ。

 なにせその時ハリーは煤を大量に吸い込んでしまい行先の指定を正しくいう事ができず、訳の分からぬままグルグルと目を回すような気持ちの悪さを味わった挙句に目的地からも、同行する予定だったウィーズリー家の人たちともはぐれて気味の悪い横丁へと跳んでしまったからだ。

 だが、幸いなことに、今回のこのゲートという移動手段は、少々眩しすぎたのと、辿りつくまでが大変だったことを除けば楽なものだった。

 

「もう、着いたのかな?」

 

 ハリーがきょろきょろと周囲を窺うと、同じようにホグワーツの生徒たちはあたりを見回していた。

 

「みなさん、ここが魔法世界側のゲートポート――駅です。これから入国手続きと、荷物の受け取りがありますので、ひとまずみなさんこちらについて来て下さい」

 

 高音が直近の予定を告げてみんなを誘導した。

 周囲には幾つか床面に五芒星の描かれた台座が立っており、模様のような通路で連絡している。

 

 高音に先導されて階段を上り下りしたり、通路を渡っていると、途中にはあきらかに魔法使いと分かるローブを纏い、身の丈以上の大きな杖を持っている人が警備員のように立っていたりした。

 

「なんだかアンバランスなところね。魔法使いみたいな人がいるかと思ったら、カウンターの人はマグルの空港みたいだわ」

 

 手荷物預かりカウンターの係り員は逆にマグルの世界のそれと同じようにキッチリとした制服姿であり、この一行の中では珍しくマグルの飛行機を利用したことのあるハーマイオニーが興味深そうに言った。

 

 

 

「では、ホグワーツ魔法魔術学校の皆さま。杖などの武器類は全てこの封印箱の中にあります。強力な封印でゲートポートを出ませんと開錠できませんのでご了承ください」

「ええ。分かってます。ごくろうさまです」

 

 来る前に預けた荷物(特に全員の小杖は武器に属するということで預けさせられた)を代表して受け取る手続きをしている高音は、手渡された小さな箱を受け取った。

 どうもその箱には、ハーマイオニーや他何人かの生徒が自分の鞄に賭けているのと同じような拡大呪文がかけられているのか、30人ほどの人数の荷物を収めているようにはどう見ても見えないサイズだった。

 

「安全上の問題からゲートボート内での魔法の使用は禁止されているのです。ウェールズ側のゲートのところも、ああ見えて非常にセキュリティレベルの高い場所になっているのですよ」

 

 不思議そうに見ている生徒たちに夕映がこの安全上の手続きを説明した。

 

「旅行中、魔法世界では通常禁止されている未成年の魔法使用に関する制限は緩和されます。ただし、貴方がたは旧世界の代表としてこちらに来ているということを胸に、節度ある行動を心がけてください」

 

 そして手続きが終わると、彼女たちはみんなを展望テラスへと案内した。

 佇む魔法使いと剣士の像を背景に広がる、魔法世界でも指折りの都会的賑わいを見せる首都メガロメセンブリアの光景。

 屹立する山のような大岩やそこに並ぶ高層の建物。そして空を覆い尽くすかのように及ぶ空飛ぶ鯨や貝(?)。街並みは明るく雑多で、ロンドンの街並みにも負けないほど、いや、マグルの世界のどこにも負けないほどに都会然とした“魔法世界”の都市がそこにはあった。

 

「なあ、サクヤ。鯨が空飛んでるんだけど……」

「飛行機、なの……?」

「メルヘンやろ?」

「………………」

 

 イギリスの伝統的魔法族であるリーシャはもとより、マグルの世界もある程度知っているフィリスも、そしてクラリスも唖然として初めて見る魔法世界の景色に口をぽかんとしていた。

 

 いくら伝統的魔法族が機械に疎いとはいえ、彼女たちも堂々と空を飛んでいる飛行機なるマグルの機械の存在は知っている。

 よく分からない理屈で魔法無しに空を飛ぶおかしな鉄の塊。よもやそれによく似たものが、他でもない魔法世界の空に、ホグワーツの食堂に浮かぶ蝋燭のようにたくさん浮かんでいるとは思いもしない事だ。

 

「あれは祈祷精霊エンジン搭載型の飛行船ですね。あちらの世界の飛行機とまあ大体同じようなものです」

「精霊エンジン……魔法と科学の融合ということですか?」

 

 雑事博学の夕映が、生徒たちが唖然と見つめるものの説明を自ら行うと、それに知的好奇心をくすぐられたのか、ハーマイオニーが食いついて尋ねた。

 

「あの型はほぼ魔法オンリーの機体です。魔法科学統合学、という分野の研究も進められていますが、まだポピュラーにはなっていませんね」

「魔法、カガク統合学……?」

「ここ2,30年ほどで急激に発達している分野です。主に日本や、メガロで発達していますが、最先端工学技術の一つ、といったところです」

 

 イギリス(に限った話ではないが特にイギリス)の伝統的魔法族は科学と非常に相性が悪い。

 魔法族にも文明というものがある以上、無縁ではないが、それでも現在の科学水準と比べるとそのレベルは優に一世紀は遅れている。無論の事、科学と魔法の統合した学問、などというものは進歩するはずがない。

 夕映の説明と、目に映る光景に生徒たちはぽかんとしていた。

 

 そして遠くに見える光景以外にも、好奇心旺盛な生徒の気を引く物はあった。

 

「セタ先生。この像はなんなんですか? ウェールズの村にもありましたけど」

「この像は魔法世界の始祖といわれるアマテルという魔法使いとその従者の像です。魔法使いの従者については習いましたか? ――――グレンジャーさん」

 

 質問を受けて夕映が解説し、研修という意味合いから先生らしく質問を混ぜて生徒を見回した。

 質問を受けて、やはりピーンと手を挙げて伸ばしているのは、ハリーたちの学年の秀才、ハーマイオニーであった。

 

「精霊魔法では通常、長い詠唱が必要であり、その詠唱中は全くの無防備になります。そのため詠唱中の魔法使いを守護するパートナーが必要であり、それが魔法使いの従者です」

「正解です。この像はその従者――ミニステルマギ契約の祖になっているとも言われています。またこのアマテルの子孫が魔法世界最古の王国であるウェスペルタティア王国の王族であり、現在の女王はその直系です」

 

 ホグワーツでリオンが説明した伝統魔法と精霊魔法の大きな違いの一つをしっかりと答えたハーマイオニーに夕映は満足そうな笑みを浮かべた。

 イギリス伝統魔法族と関係の薄かった裕奈などはすらすらと応えたハーマイオニーに口笛を吹くように感心の視線を向けた。

 

「魔法世界の純血主義ということですか?」

 

 夕映の説明に、どうやら政治方面に興味があるのか、ディズが尋ねた。

 

 夕映は何と答えるべきかと答えを選ぶように口元に指を当ててしばし考えた。

 言葉通りの字義、“純血”というのとは厳密には異なるが、たしかに血筋を重んじた、というのは間違いではない。

 ただ、イギリス伝統魔法族で意味される“純血主義”というとまた意味合いが異なってしまうのだ。

 なぜなら、当代の女王は、厳密な意味では魔法を使えない、伝統魔法族の定義に当てはめれば“マグル”、ということになってしまうからだ。

 

「違う、とは言えませんが、単に血族だから選ばれているわけではありませんよ。かの王族には代々魔法世界でも特異な魔力が宿ることが確認されています。当代の女王はその中でも特に異質な力をもっていて、だからこそ一度滅亡した王国再興の御旗として立っておられます」

「特異な魔力…………?」

 

 夕映の答えは否定ではなく、答えを率直に告げた。

 流石にリオンも授業ではその説明はしていなかったようで、ディズは訝しげに眉を顰めた。

 ただ、“それ”の詳細はここで語るには相応しいものではない。

 

「さて。それではそろそろ街の方に移動しましょう」

 

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 ゲートポートからバスのような乗り物(マグルの世界のそれとは違って宙に浮いて走行していた)に乗って街まで降りてきたハリーたちは、ひとまず荷物を置くために宿へと向かった。

 街並みは近くで見ると、ロンドンのビルよりもなお高い摩天楼が立ち並んでおり、通りの広さや清潔さなどはダイアゴン横丁とは比較にならないほど整えられていた。

 

 そして宿

 

「………………」

「……あの、セタ先生。ここ、ですか……?」

 

 ハリーは宿、として連れてこられた建物を前にあんぐりと口を開けていた。顔は首が居たくなるほど上に向けられており、多くの生徒、ジョージとフレッドですら同じように唖然としていた。

 旅行自体に慣れていないハリーはもとより、バカンスでよく旅行にでかけるハーマイオニーですら目の前の“宿”の威容に圧倒されており、恐る恐る引率の夕映に尋ねた。

 

「はい。流石に一人一室ではなく、男女別の数人グループで一部屋ですが、十分くつろげる広さはあると思います」

 

 ユエ先生があっさり答えるが、“宿”はどう見ても学生の旅行で使うようなものではなく、それこそ魔法大臣が案内されてもおかしくないようなVIPが滞在するようなホテルだ。

 外観から部屋の広さは分からないが、ガラス越しに見えるフロアの様子はとても豪華に飾られており、ホグワーツという城で普段生活している生徒たちから見ても、このホテルは格が高いと分かるものだった。

 

 タカネたちに促されてロビーへと足を踏み入れると、やはりそこは外から見た通り、というかそれ以上にハリーたちを圧倒する豪華さであり、ハリーは絶対に場所を間違えているという疑念から逃れられなかった。

 多くの生徒も、好奇心旺盛なフレッドとジョージのような例外を除けば、流石に面食らっているようで、同じウィーズリー家でもジニーなどはハリーの隣で顔を赤くして俯いていた。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 チェックインを終えた一行は、部屋分けされた部屋にそれぞれ向かった。

 ひとまず荷物をおいてひと休憩した後、街にでて観光を行うという予定らしい。

 

 

「しっかしすげーなこれ。研修旅行ってだけでこの待遇とか、これVIP待遇じゃね?」

 

 スプリングのよく利いたベッドに腰掛けてルークは感嘆の息を吐いた。

 

 部屋分けされて入室した部屋も、やはり外装同様とてもではないが学生の旅行レベルのものではなく、窓からはメガロメセンブリアの絶景、用意されたベッドはふかふかで清潔。イギリス伝統魔法族御用達のロンドン“漏れ鍋”のすすけた様子とは雲泥の差であった。

 

「たしかにすごいな。どうしたんだいクロス?」

 

 部屋のグループ分けは、ホグワーツにおける寮に準じるのではなく、近しい学年で分けられることとなった。

 ルークとセドリックは、もっとも参加人数の多い新6年生であり、同じ学年という事もあってディズともう一人レイブンクローの生徒と同室となった。

 ルーク同様、魔法世界に着いてから圧倒されっぱなしのセドリックは、窓際の椅子に腰かけ高層からの街の眺めを見ながらルークの感嘆に同意した。

 そしてテーブルを挟んで向かいに座るディズの考え込んでいる様子に問いかけた。

 

 話しかけられてもディズはなにか考え込んだような顔のまま、声を返した。

 

「さっきの、あの魔法使いのことをちょっとね」

「さっきの魔法使い? ああ、あのなんとかって博士と先生もどき? なんだったんだろうな」

 

 ディズの思案しながらの返答に、ルークは先程部屋分けが為された後でロビーで起こった一悶着を思い返した。

 

 

 

 

 

 

 ロビーには客と思しき人の姿もあり、生徒たち集団が入って来たことに気づいて顔を向けた。

 どうやらダイアゴン横丁やホグズミードとは異なり、ステレオタイプな魔法使いの装いをした魔法使いはそれほど多くないらしく、多くはマグルの上流階級の人のようなきっちりとした服装の人ばかりだ。

 ただ、その中に明らかに角と思しきものを生やした人物や尻尾と思われるモノを揺らす人物がいることには初日という事もあって眼を瞑っておきたい。

 そしてそんな人たちの中、一人の男性がこちらへと近づいてきた。

 

「おや? これはこれは。白き翼(アラアルバ)の瀬田夕映さんではありませんか」

 

 声をかけてきたのは、この世界ではよく見るタイプだが、魔法使いには到底見えない男性だ。

 裕奈や高音のようなエージェント、というよりもスーツの上から白衣を纏っているその姿は研究者と言ったほうが似合っていそうな感じだ。

 

「ゲーデル博士!? ……なぜ、このようなところに居られるのでしょうか?」

 

 声をかけられたセタ先生は驚き、そして警戒したように緊張感を滲ませた声で男性に詰問した。

 他の3人の引率者も、ぎくりとしたように身を強張らせている。

 

「いえいえ、今日は旧世界から国賓級の客人たちが来られていると聞いて、是非とも一目お会いできないものかと思いましてね」

 

 引率のタカネの態度とは対照的に、ゲーデルと呼ばれた男性の態度はひょうひょうとして、親しげな―― 一見すると好意的な態度にも見えた。

 だが、その口元に浮かんでいる笑みは、彼の纏う雰囲気と併せて、どこか警鐘を鳴らすには十分なもののようにディズには見えた。

 男性はにこりと生徒たちをぐるりと見回し、

 

「おや。そちらの少年は、たしかイギリス伝統魔法族の英雄、ハリー・ポッターではないですか」

 

 今気付きましたとばかりに、“異なる世界の英雄の名前と顔を一致させた”。

 名を呼ばれたハリーがどきりとして、どう対応しようか逡巡している間に、ゲーデルは気軽に、親しげに、警戒心をほぐすようなわざとらしいジェスチャーとして腕を広げながら彼に歩み寄った。

 

「噂は聞き及んでおりますよ。かつてイギリス魔法界の巨悪を倒し、危機を救った“英雄”と」

「あ、いえ、僕は……」

 

 (ハリー・ポッター)魔法の世界(ホグワーツ)へとやって来てすでに4年目。当初こそ周囲の生徒たちが彼の一挙手一投足に注目していたが、流石に今ではその熱もかなり冷めており、面と向かってハリーを英雄呼ばわりする者は新入生や熱烈なファンを除けば少なくなっている。

 どうやら彼は、厄介事によく首をつっこむ性分にも関わらず、あまり注目されることを好んでいないのか、初対面の理知的な大人からこういうあからさまな扱いを受けることに耐性がないようだ。

 

 ハリーの友人であるハーマイオニーやウィーズリーたちも、事態の思わぬ推移にハリーをフォローするどころではなさそうだった。

 そしてそんなハリーの混乱に、ゲーデルは笑みを深くした。

 

「謙遜することはありませんよ。最近では賊から秘宝を守り抜き、凶悪な上級悪魔を退け、なんと昨年は重大な魔法犯罪者の検挙にも貢献されたとか」

 

 自身が首をつっこみ、解決に多少なりと貢献した事件を次々に話題にされ、持ち上げられていることハリーは居心地悪げに照れている。

 

 だが、その横で、流石にハーマイオニーが事態の奇妙さに気づいたようだ。

 賢者の石の守護(一年目の活躍)秘密の部屋の騒動(二年目の活躍)、そして直近の三年目の事件についてまで口にしたことの不可解さ。

 ここは、ホグワーツではないのだ。

 ましてハリーの打倒した闇の帝王の影響の強かったイギリスでもない、どころか異世界の国だ。

 イギリスを主な根拠地にしていた“闇の帝王”を打倒したからといって、彼が魔法世界で英雄と呼ばれているはずはないだろうし、まして日刊預言者新聞を読めるはずもない異世界の人間が、数週間前の重大事件を知っているはずもないだろう。

 

「その年にして、すでに現代の英雄にふさわしい経歴ではありませんか――――ああ、それとグッドマンさん。あまり滅多なことは言わない方が、あ、いえ思わない方がよろしいですよ。貴女もメガロのエージェントの一人なのですから」

 

 まるで舞台演技のようにハリー・ポッターを讃える傍ら、険しい顔つきをしていた高音へとさらりと釘を刺すような言葉を投げつけた。

 

「! …………即時念話盗聴はゲーデル議員の特技でしたね」

 

 びくり、と高音の肩が震え、顔つきが一層険しくなり、苦し紛れのように睨みつけた。

 ディズたちには届いていなかったが、どうやら念話という技術を使って他の引率者たちと対応を練っていたらしい。

 だが、声に出してはいなかったその会話も、このゲーデルという博士には筒抜けだったらしい。

 

 この状況ではメガロのエージェントである高音には分が悪いと見たのか、一歩引いていた夕映が前に出た。

 

「旧世界の、一学生の情報をなぜ貴方がそれほど知っておられるのです、ゲーデル博士」

 

 夕映の指摘するように、ゲーデル博士が魔法学校の内情を知っている道理はない。

 たしかにあの魔法学校の件は情報統制されていたわけではないが、それでもこの魔法科学分野の博士が興味関心を示す領域ではないはずなのだが

 

「なに。ちょっとした伝手があるのですよ、瀬田さん。なにせ、私は彼らの先生であるリオンとは大の親友ですからね。それに…………」

 

 にっこりと笑いかけながら言いつつ、ゲーデル博士は視線をハリーから一人の少女、近衛咲耶へと向けた。

 

「関西呪術協会近衛家の御令嬢、近衛咲耶さん。イギリスの英雄と日本の姫君の魔法世界旅行。なんとも絵になる光景ではありませんか」

 

 にっこりといい笑顔をハリーに向けるアルフレヒト・ゲーデル。サクヤと似合いの一対、とでも言うかのような言葉になにか思うところがあったのか、ハリーは顔を赤くしてちらりとサクヤを見た。

 

 

 

 一方で、そんな思春期男子学生の微笑ましい内心とは裏腹に、夕映は舌を打ちたくなっていた。

 

 これは嫌がらせだ。

 こちらに来る前に受けたのとは意味合いの異なる、“リオン・スプリングフィールドが居る魔法学校の生徒に対する”嫌がらせだ。

 しかもどうやらその食指は特に、咲耶 ――リオンが興味関心をもっている少女へと向いている。

 

 高音や裕奈にもそれが分かったのか、顔を顰めた。

 念話の盗聴さえされていなければ、「大の親友など、どの口がほざくか」と愚痴っていただろう。

 まあゲーデル博士の研究の発展に尽力した、と言う意味ではたしかにリオンはゲーデル博士と近しいのかもしれない。

 もっともそれは、最強クラスの“怪物”であるリオン・マクダウェル・スプリングフィールドを捕獲するために必要なモノを開発・改良する必要があったという理由からだが。

 

 言いたいことはいろいろあるが、このメガロで彼と騒動を起こすのはあまり好ましくない。

 なにせ、彼は自身の名声もさることながら、権力としても非常に厄介な立ち位置にいるのだから。

 

「親友からの頼みでもあるので、どうでしょうか。メガロ滞在中はぜひとも私の研究室に――――」

「誰が親友だ、誰が」

 

 そんな、言いたいことを言えない葛藤状態を、ぶち壊すようにイラつきと呆れとを内包したツッコミが入った。

 

 

 

 

 

 聞き覚えのある声に、生徒は、そして夕映や高音たちも振り向いてその姿を見た。

 

 ややくすんだ白色のローブを纏った魔法使いの装い。

 髪の色はちょうど金と赤とが混じり合った頃合い。

 

「リオン・スプリングフィールド!?」

「スプリングフィールド先生!?」

 

 彼の“親友”を名乗っていたゲーデルも、この場に居るはずの無い魔法使いの登場に、思わず声をあげて驚いた。

 

「バカな。なぜ貴方がメガロに…………」

「あ? 俺がどこにいようが貴様には関係ないだろうが」

 

 これには飄々としていたゲーデルも虚をつかれたらしく、頬を引き攣らせた。

 ちらりと見れば、よほどこの登場は予想外だったのか、夕映たちや咲耶ですら驚き、まじまじと彼を見ている。

 

 しばし無言で睨みあうリオンとゲーデル。

 そこに念話での会話があったのか、なかったのかはディズたちには分からなかった。

 だが

 

「…………なるほど。どうやら彼は相当に心配性なようですね」

「さて、な」

 

 なにか得心のいく事情を察知したのか、ゲーデルは不敵な笑みを取り戻した。

 そしてこの人物を前にしては、分が悪いと判断したのか、これ以上のちょっかいを続ける気はもたなくなったらしい。

 

「それでは、ハリー君。いずれまたお会いできることを期待しております。」

 

 ただ、去り際に、棘を打ち込むようにハリー・ポッターへと声をかけてホテルを後にした。

 

 

 

 

 去って行くアルフレヒト・ゲーデル(お騒がせ者)を見送るリオン。

 彼は高音やディズたちに背を向けたままら、ローブのフードを頭からかぶって、今更ながらに顔を隠すようなことをやっていた。

 そして、予定外すぎる登場をしたリオンへと、引率リーダーらしき高音が噛みつくように声をかけ、

 

「リオン・スプリングフィールドさん! なぜあなたが魔法世界に来ているのですか!? 貴方は――――」

 

 振り向いた魔法使いの姿は、先ほどのやりとりがあたかも幻であったかのように、そこには“別人”がいた。

 

「ふふふ。リオン君がなにやら面白そうなことに協力しているので、私も協力させていただこうかと思ったんですよ。女王陛下にも頼まれましたしね」

 

 深めにかぶられたフードによって顔には影が落ちており、その顔をはっきりとは見ることはできない。

 だが、はっきりと見えなくても、その人物の容貌は明らかにリオン・スプリングフィールドとは異なっていた。

 胡散臭い、という言葉がこれほどぴったり当てはまる人はそうは居ないだろうというにこやかな笑顔。それを向けられて高音や夕映は絶句していた。

 

 

「えっ!? あ、貴方は!! アル――――」

 

 その人物の名を高音が言おうとした瞬間、ローブを被った魔法使いは忽然と姿を消し、一瞬で高音を背後に置き去りに、ディズやハリーたち ――生徒の前に姿を移した。

 

「クウネル・サンダースです。初めまして、ホグワーツの学生のみなさん。それに……近衛咲耶さん」

 

 姿現し、にしてもこれほどまでに静かにできるものではないだろう。

 おそらく別系統の魔法か何かを使ったのか。

 クウネルと名乗ったその人物は、怪しいながらも丁寧に物腰柔らかく少年少女たちに挨拶をした。

 

「アルビレオ・イマ! なぜ貴方ほどの人がここに!?」

「いきなりお見苦しいところを見せてしまいましたね。アルフレヒト君にも困ったものです。彼はリオン君が大好きなもので、ついつい遊びたくなってしまうようなのです」

「はぁ……」

 

 詰問しようと“別の名前を”声高に叫ぶ高音の言葉は、まるで聞こえていないかのように飄々とした態度を貫くクウネル。

 後ろでわめく高音の声がまるでBGMであるかのように、クウネルの態度には一切のブレがない。

 

「アルビレオさん!!」

「しかし咲耶さんはお母さん似ですね。フフフフフ、貴女を見ていると日本が懐かしく思えますよ。詠春はお元気ですか?」

「おじい様をご存じなんですか?」

 

 クウネルは生徒たちの中でも、やはりというべきか咲耶へと特に注意を向けており、話しかけてた。

 咲耶も謎の男性から自身の祖父(関西呪術協会の長)の名前が出てきたことで驚きつつもどこか嬉しそうに尋ね返した。

 

「ええ。それはもう。懐かしき我が戦友です。彼の作る料理はとても美味しくて……そう、我々は敬意をもって彼をこう呼んでいました――鍋将軍、と」

「~~!! クウネルさん!!」

 

 この人物はいったいどこまで本気なのか。

 怪しさでは先のゲーデルという人物と大差ないが、それでも怪しさのベクトルは随分と違う。

 怒鳴っている高音も、先程までよりも随分と緊張感が薄いように見えるのは気の所為ではあるまい。

 そして先程からず~っと別の名前で呼んでいた高音が、反応しないクウネルに痺れを切らしたのか、ようやく(自己申告した)彼の名前を口にした。

 

「はい、なんでしょうか、麻帆良の誇る脱げおん―――」

「きゃあああああ!!!!」

 

 途端、くるりと清々しいほどのにこやかな笑顔を向けて反応したクウネル。 

 だがなにやら言葉の途中で高音は発狂したかのように金切り声をあげてクウネルに掴みかかった。

 

 顔を真っ赤にして涙目の高音は息荒くクウネルの胸倉をつかんで顔を近づけてものすごい剣幕を向けていた。

 

「なぜ麻帆良から消えた貴方がここに居られるのですか!?」

「すでに私は一線から隠居した身の上です。懐かしの地を巡る旅をしていたとしても問題はないでしょう?」

「よくもまあぬけぬけと……今さら隠居だなどと! 貴方は――――」

「フフフフフ。ほらほら、老人の相手をしていては可愛らしいお方達が蔑になってしまいますよ」

「っ…………」

 

 仲が良いのか悪いのか。一体どのような繋がりがあるのかホグワーツの生徒たちには定かではない。

 不意に、クウネルの腕が高音の腕に絡み付き、次の瞬間高音はふわりと数歩後ろに下がらせられていた。

 

「それでは咲耶さん。リオン君と詠春によろしくお伝えください。イギリスの魔法使いの方たちも魔法世界を是非楽しまれていってください」

「あ。お待ちなさ――――」

 

 高音の制止を綺麗にスルーしてクウネルの体が一瞬で消えた。

 去り際に咲耶へと向けられたにこやかな笑顔は、胡散臭い彼の微笑の中で、唯一、なにか懐かしく愛おしげなものを見る様な色を、ほんの微か、奥底に秘めていたような、そんな気がした。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

「アルビレオ・イマ。魔法世界の大戦の英雄、か……初日から期待以上のものを見せてくれる」

 

 ほんのひとときだけ、目の前に現れた魔法使いのことを思い出して、ディズは口元に笑みを浮かべた。

 

 半世紀前の大戦の英雄が、あれほど若々しい姿だったのには、多少の違和感を覚えなくもない。だが、それ以上に、彼の気を引いたのはあの魔法使いの底の見えない強さの予感だった。

 それこそ、あのリオン・スプリングフィールドのように、どれほどの強さなのか予測もつけられないほどに、圧倒的な強者の予感が、彼からはしたのだ。

 

 それの証左のように、あの魔法使いはリオン・スプリングフィールド同様、ディズの目では魔法障壁を視ることができなかった。

 

 精霊魔法の授業から魔法障壁とは常在させることが可能な術式であると知った。

 サクヤやユエ、タカネなどの様子からも、それは当たり前の技能であり、ディズ自身も積極的に取り入れようとしている精霊魔法の利点だ。

 だが、リオン・スプリングフィールドやあのクウネル・サンダース(アルビレオ・イマ)からは、障壁の存在を視ることができなかった。それはあの二人が障壁を張っていないと、考えるよりもディズの実力では、彼らの障壁を視ることもできないほどに力の差があると考えるべきだろう。

 

 相手の力を読み取ることもできないほどに隔絶した力の差。

 それが世界を変えたと呼ばれる者の力。世界を変えて行こうとする者の力というのならば…………

 

 

 

 




いつもの本編と違う魔法世界編、ということでネギまサイドからの出演大目となております。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

主人公、ハリー・ポッター!!!

 メガロメセンブリア

 南のヘラス帝国と双璧を為す魔法世界の超大国、北のメセンブリーナ連合の首都であり、魔法世界最大の軍事力を擁する超巨大魔法都市国家。

 イギリスのウェールズと連絡するゲートポートを有しており、旧世界(ホグワーツや関西呪術協会などがある世界)との関係の深い都市であり、意思決定機関としてメガロメセンブリア元老院がある。元老院は日本の関東魔法協会(麻帆良学園)など旧世界に幾つかの下部組織を有しており、魔法使いにとって最も尊敬される仕事である“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”の資格を発行する機関でもある。

 マギステル・マギは現在、表向き(イギリス伝統魔法族の言うところのマグルの世界)には国連NGOとして活動している。

 

 

「――――というわけで、ここがその“マギステル・マギ”資格を発行したりもする様々な機関がある議事堂です。安全や機密上の問題から、残念ながら中の見学を行うことはできません」

 

 ハリーはイギリスの魔法省にも“普通の”議事堂にも行ったことがないが、よくダーズリーおじさんが見ているテレビに映るような国家権力の中枢、といった感じの建物の前に来ていた。

 ユエ先生が魔法史の授業よろしく解説をしながらその観光案内をしていた。

 

 

「マギステル・マギには私達のような魔法使いもなれるんですか?」

「可能かどうかで言えば可能です。実際、咲耶さんのお母さんの近衛木乃香さんは旧世界――日本の関西呪術協会の出身で、幼少期にはこちらの魔法とは無縁に育ちましたが、資格を得て活躍しています。――――ただし、多くの魔法使いが目指す職業であり、その資格習得率は極めて低く、長い修行を経た歴戦の魔法使いですらそうそうなれるものではありません」

 

 時折される質問にもすらすらと応じており、まさに勉強のための旅行、という呈をただしく実行していた。もっとも、質問する顔ぶれは学校での時と同様ほとんど決まっていたが、他の学年も混じっている分、ハリーにとってはいつもとは毛色が異なることに、ハーマイオニー以外の生徒の質問する姿も見ることができた。

 

 

 

 

 第56話 主人公、ハリー・ポッター!!!

 

 

 

 

 メガロメセンブリアの市内にはハリーたちも見慣れた一般人――ただし全員魔法使いらしい――が多く見られた。

 市内の観光名所などを巡ったり、マーケットのようなところを訪れたりして生徒たちは魔法の国を楽しんだ。

 

 ただ、ハリーにとって、この観光にまったく不満がないかと言えばそうではなかった。

 

「ハリー!! ちょっとそこに立って、写真をとらせてくれないかな! セタ先生! ここは写真をとってもかまいませんか?」

「ええ大丈夫ですよ」

 

 きらきらと眩しい程の笑顔ときらりと光るカメラのレンズを向けてくるのはグリフィンドール寮、ハリーの一つ下の学年の男子生徒、コリン・クリービーだ。

 彼は英雄・ハリーの熱狂的なファンであり、この旅行においてもその狂信ぶりを発揮してげんなりとしているハリーにも構わずコリンはフラッシュを焚いてシャッターをきった。

 

「……勘弁してくれ」

 

 ハリーは憂鬱だった。それはハリーの都合など知ったものかとばかりに纏わりついてくるコリンにうんざりしているというのもある。

 友人であるハーマイオニーは視線を向けてもしょうがないとばかりに肩を竦めて救いの手は述べてくれない。

 その横にいるのは親友のロンではなく、その彼の妹、ジニーだ。

 他の友人たちフレッドとジョージはどっかに行ってしまったし、サクヤはもはや目に見える範囲のところには居らず、おそらく彼女のハッフルパフの友人たちと観光を楽しんでいるのだろう。

 

 ハリーはがっくりと肩を落し、その瞬間をコリンはシャッターに収めた。

 

 

 ハリーはホテルでのひと騒動を思い返していた。

 今まで動物園の珍獣のような見世物じみた視線を受けたことがないわけじゃない。

 初めてホグワーツに来た時は、あちこちからひそひそ声とともにそんな視線がぶすぶすと飛んできていたし、一昨年だって法螺吹き教師のおかげで悪目立ちしたことだってある。

 ただ、それでもこんなところでまで、あれほど露骨に特別扱いを受けるとは思ってもみなかった。

 ハリーがこの旅行に来るまでの間に出会った魔法世界側の魔法使いは、頻度の多い人でサクヤとスプリングフィールド先生、他は数度会った程度でセタ先生やフェイトという人物くらいしか知らなかった。

 そのいずれも、ハリーのことを名乗る前から知っていたと言う人は居なかった(スプリングフィールド先生は名前くらいは聞いたことがあったようで睨みつけられたが)。

 だからこちらの世界では自分は普通なんだと思っていた。むしろお母さんのことやニホンの魔法協会の事がある分、サクヤの方がよく知られているくらいだ。

 

 なのにあんな扱いを受けるなんて……

 

 しかもこの旅行でなら、普段は学年と寮が違うためにあまり会えないサクヤとずっと一緒に居られると思っていたのに、コリンやジニーに囲まれてあまり話せていないような気さえする。

 

 あのゲーデルという人が、サクヤと似合いと言ってくれたときは、どきりと心臓が跳ね、期待してサクヤを見たのだが、その彼女はまるで変わった様子を見せてくれなかったこともハリーの気分を下降させた要因と言えるだろう。

 

 

 

 

 ともあれメガロでの滞在は、観光の時間はまずまずあったものの、全体で見ればそれほど長時間ではなかった。

 なにせ帰りにも同じゲートポートを使用するのでまたメガロには来ることになるからだ。

 

 一行は最初の逗留地であるメガロから空路で次の目的地、アリアドネーへと赴いた。

 

「……これってマグルの避航船とは、違うんだよ、な……?」

「飛行船? うん。まほーの力で浮いとるらしいえ?」

 

 鯨のような形をした大きな飛行船の腹の中に、恐々と乗り込んだリーシャは、離陸する前からおっかなびっくりといった調子で、この質問もすでに5回は繰り返されている。

 どうやらリーシャを始め、魔法の世界にどっぷりつかっている伝統魔法族は科学(よく分からない理屈)で飛行するよりも魔法(よく分からない力)で飛んでいるという方が安心するものらしい。

 流石にマグルの世界にも詳しいフィリスやディズなどは平然とし、むしろ興味深そうに船内を見回しているし、リーシャと同じ純血の伝統魔法族でもフレッドとジョージなどは早速船内探検に乗り出したりしていた。

 

「クラリス? そんなカチコチなっとったら疲れるえ~?」

「………………そう」

 

 挙動不審なリーシャや、いつにもまして仏頂面+凍り付いているクラリスをほわほわとほぐそうとしつつ、鯨飛行船はメガロを離れ、次なる目的地へと旅立った。

 

 

 

 

 

 ハリーは船内の窓から移ろっていく空の景色を眺めながら、眉根を寄せていた。

 

 空を飛ぶのは好きだ。

 ただしそれは自分が、箒に乗って、爽快に翔けることが、だ。

 ハリーが飛行機、もしくは飛行船というものに乗ったのは、マグルの世界のものも含めて初めてだ。

 顔も見えない操縦者の手による鯨の飛行船で運ばれることのは、なんとも言えない違和感を生じさせていた。

 思い通りに行かない歯がゆさ。風を切る爽快感のなさ。

 

「箒にも乗ってないのに空を飛んでるのが退屈か、ハリー?」

「あ、シリウス? えっと……」

「それとも風になった感じがないことがか?」

 

 ようやくコリンやジニーから解放された一人きりになるタイミングだったが、話しかけてきてくれたシリウスに少し気恥ずかしそうに頷きを返した。

 

「なんで分かったの?」

「ジェームズが地面に降りてた時と同じ顔をしてたからさ。まあ、あいつの場合は地面に降りたら降りたで今度はどうすればリリーに見てもらえるかってバカやってたけどな」

 

 父の親友が肩を竦めておどけてみせたので、ハリーはくすりと笑った。

 父の話は、あまり聞いたことが無い。

 一歳で父母と死別したハリーは、預けられたダーズリー家がポッター家を嫌っていたこともあって、ハリーに両親のことを話してくれたことはほとんどない。

 マクゴナガル先生やハグリッドが昔の生徒を懐かしむようにわずかに語ってくれたことがある程度だ。

 だから父の大の親友であったシリウスから語られるそれは、ハリーにとってとても新鮮で、嬉しいものだ。

 

「父さんはどんなバカやってたの?」

「ん? そうだな……暇を見てはスニベリーに呪いをかけたりかけられたり、知っての通り我らが親愛なるムーニーの可愛いふわふわと遊ぶ計画を立てたりさ」

スニベリー(泣きミソ)?」

「ああ。……魔法薬学の先生殿さ」

 

 ムーニー(ルーピン)パッドフッド(シリウス)ブロングス(父さん)……名前を呼ばれなかった一人のことをシリウスや、今はもういない父さんがどう思っているのかは分からない。

 代わりに上がった名前は(直接は呼ばなかったが)シリウスの顔に少しの苦みを注いだようだ。

 

「後はそうだな……夏休みにバイクでマグルの警官や死喰い人とカーチェイスした時は、空は飛んでなくても笑ってたな」

「カーチェイス!? そんなことまでしたの!?」

 

 父とシリウスの昔の思い出。

 それは平穏に過ごしたい(とは思っている)ハリーからすれば中々にぶっ飛んだ経験だ。

 まあハリー自身も空飛ぶ車でホグワーツ特急を追い駆けたという前科があるものの、それはハリーが望んだというよりも(一応は)已むに已まれぬ事情があったからだ。

 

 シリウスはくっくっと笑い、その顔はとてもハンサムにハリーの目には映った。

 そして再び遠くを見るように空の景色へと目をやった。

 

「バカだったからな。まあそれでも彼らほどの…………ハリー。マグルの世界は楽しいか?」

「え?」

 

 不意に話しの流れが変わり、シリウスの質問の意図をハリーは咄嗟に掴み損ねた。

 マグルの世界が楽しいか?

 その質問に対する答えはノー以外ありえない。

 ダーズリー家でのハリーの扱いは最低で、マグルの友人はいない。楽しい思い出なんてほとんどないと言っていいし、ハリーにとって幸福な思い出といえばすべてが魔法に関わってからのできごとなのだ。

 夏休み前にシリウスが誘ってくれた時に即答したように、マグルの――ダーズリー家から出ていくことができるのならすぐにでもそれを選択したいくらいだ。

 だが、安易に答えるには、というよりもシリウスの様子はハリーの答えを求めているようには見えなかった。

 

「俺の家 ――敬虔なる我がブラック家は、ろくでなしの集まりだった」

 

 シリウスは空を見つめたままぽつりと語り始めた。

 それはシリウスの実家――イギリス魔法界でもきっての純血の名家、ブラック家に対する思いだ。

 

「少しでもまともな奴がいれば、すぐに家系図からは抹消だ。イギリスにはもう碌に残っちゃいない純血であることだけを誇りにしているような家で、俺はそれが嫌で16の時に家出して、君のお父さんの家に転がり込んだ」

 

 ハリーはイギリス魔法界についてあまり詳しくない。

 マグルびいきの純血の一族であるウィーズリー家のロンや、本好きで物知りのハーマイオニーから知識を補完されることはあるが、基本的にはほとんど知らないと言っていい。

 シリウスのブラック家のことも、自分の家であるポッター家についてだってほとんど知らない。かろうじて魔法省の大臣がコーネリアス・ファッジであり、犬猿の間柄であるマルフォイ家がかなり有力な名家であることくらいは知っている程度だ。

 

 自分の庇護下に迎えたいという意志がそうするのだろうか。シリウスはあまり語りたいようには見えない自分の家のことを自嘲気味の顔でハリーに語り始めた。父の話題が出てきた時にだけ、ほんの少し緩和されたように笑顔を交えながら。

 

 ハリーは知らないことながら、イギリスの純血の魔法族はもうほとんど残っていない。

 大抵はどこかでマグルの血と交わっているし、残っている純血の一族もそのほとんどが近遠を問わなければ親戚だ。

 

 そもそも、その有難い純血とやらは、いったいどれほどの価値のあるものなのだろうか。

 魔法使いだって、それこそどこかの学者が提唱したように“火星から生じた”のでなければ始まりはおそらくマグルからの突然変異だ。

 

「魔法世界と聞いて、この世界を見て、ふと思ったんだ。もし連中がこんな世界を見たらどう思ったんだろう、てな」

 

 さらに言えば、今彼らが居る“魔法世界(ムンドゥス・マギクス)”にはそれこそ純血の魔法使いがたくさん、というよりもこの世界では住民のほぼすべてが純血の魔法使いで占められているのだから。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 煙突飛行よりはずっと快適で、ただ相応に時間を要した鯨飛行船での移動の後、ハリーたちはメガロメセンブリアからメセンブリーナ連合の領域をぐるりと西へ抜け、魔法世界の二大勢力から外れる中立国、アリアドネーへと到着した。

 

 その街並みはメガロメセンブリアよりもやや古都然とした伝統を感じさせる趣をもっており、街の上空では箒や大きな剣のようなものに乗った甲冑を纏っている人たちが飛んでいたり、屋根の上を飛び跳ねている人影まであったりした。

 ハリーたちを乗せた飛行船は、発着場だろう架橋の先端へと降り立った。

 

「ようこそアリアドネーへ……お久しぶりです、ユエさん」

「お久しぶりです、ビーさん。今回は色々便宜をはかっていただきありがとうございます」

 

 今度の出迎えは、メガロの時とは異なり、お互いににこやかな、懐かしむような友人同士のやりとりだった。

 幾人かの女性からなる一団が一行を出迎え、その一団の中でも中心人物と思われる黒髪の女性が代表して夕映と握手を交わしていた。

 

 ハリーは我知らずほっとした思いを抱いていた。

 代表の女性はどうやら今度こそユエ先生と親しいように見えるし、周囲の人たちも特にハリーのことを特別奇異な目では見ていない。

 

 

「いえ。麻帆良駐在大使からもよくするようにと言われておりますから……大使はお元気ですか?」

「ええ。こちらに来る前もお会いしましたが相変わらずでしたよ」

 

 現在は“現実世界”に駐在している“純粋魔法世界人”である共通の友人を思い浮かべて二人はくすりと笑みを零した。

 

 徐々にだが、本来往来ができない純粋魔法世界人も最近では現実世界に赴けるようになっている。誰でもが往来できるわけではないが、日本の麻帆良学園はとある理由から魔法世界全体にとって極めて重要な都市となっており、駐在大使が派遣されているのだ。

 

 二人が挨拶を済ませると、夕映は女性のことを生徒たちに紹介した。

 女性はこのアリアドネーの学校の総長であるらしく、夕映と交友関係にあり今回の研修旅行に尽力してくれた一人なのだそうだ。

 

 夕映は研修旅行やそのほか色々と総長と話があるらし、総長は後ろに控えていた魔法使いの中から案内役として数名を生徒たちにつけ、にこやかに歓迎の意を生徒たちに告げた。

 

「こちらアリアドネーの戦乙女魔法騎士です」

「彼女たちが案内してくれますので、裕奈さん、高音さん、あとはお願いするです」

 

 

 

 戦乙女魔法騎士と紹介された女性は肩書の物騒さと裏腹にマグルのスーツ姿と同じような服装であり、それほど物騒な感じはない。

 

「このアリアドネーは連合からも帝国からも独立した中立国。学ぶ意志のある者はどのような者でも受け入れる魔法学術都市です」

 

 案内されながら見ていく街並みにはローブ姿の人も多く居るが、それよりも他のところをこそ、ハリーはここが魔法世界なのだと実感していた。

 

「…………エル、フ?」

 

 ハリーは先頭を歩く女性を ――正確にはその頭部から生えているピンと伸びた兎のような耳を見て呟いた。

 

「兎耳に見えるわよ」

「亜人ということよね。ここの街は同じような人がたくさん歩いてるわ」

 

 ハーマイオニーとジニーもメガロとは違う街並みの様子に興味深げに眺めていた。

 

 メガロではほとんど見なかった魔法世界らしい亜人。案内役の女性はどうもそういった類の種族らしい。

 街には他にも犬のような耳の人、猫のような耳の人。肌の色だけでなく様々なところで種族の違いがあるらしい。

 

「皆さんはまずメガロをご覧になられたのでしたね。でしたら亜人はあまり見なかったでしょうが、魔法世界の、特に南の地域ではむしろ純粋なヒューマンは割合としてそれほど多くはありませんよ」

 

 亜人の姿にぽかんとしている旧世界の子供たち(+二人の大人)の様子に、案内役のウサミミ女性は注意するように言った。

 勿論、旧世界、イギリスにも亜人――“ヒトたる存在”は存在する。

 狼人間や鬼婆、ゴブリン、吸血鬼にディメンター。ほかにも類するものとしては巨人やヴィーラ、小人、泣き妖怪、ケンタウロスや水中人などなど。

 だが、いずれにしてもこれほど堂々と街中を闊歩しているということはない。

 ゴブリンであれば、魔法族だけが目撃するような場所で普通に見かけるものの、ここのように“普通の”ヒトと区別なく生活しているといった風ではない。

 

「あの、亜人と人が普通に生活していて、問題なんかは起きないんですか?」

 

 魔法史ではゴブリンを始めとした亜人と人との争いのことも習った。だからだろうハーマイオニーが少し遠慮がちに、“亜人”の女性に尋ねた。

 

「普段の生活ではそれほど大きな問題は起きませんよ。勿論ある程度もめごとは起きますが人種の違いで大きな争いが起きたのは、大戦以降、ここ半世紀ほどではめっきり少なくなりましたね。まあ辺境の地域に行けば治安が悪いのでもめごとはしょっちゅうのようですが、少なくとも都市部では騎士団も駐在していますから治安は保たれています」

 

 ハーマイオニーはややぶしつけな質問だったが、女性は外見上、それほど気を害した様子もなく微笑んで、生徒に教えるように答えた。

 

 ある程度のもめごと、喧嘩や諍いなどは無論ある。だが、それは“人”が集まる以上当然のことで、ハーマイオニーの指摘したような人種による騒乱を意味しない。

 

「大戦で人種に関する条約ができた、ということですか?」

 

 ハーマイオニーが続けて質問をし、女性は興味深そうに彼女を見つめ返した。

 

 研修旅行に来る前の学校での授業――精霊魔法の授業の座学で、ある程度の魔法世界についての知識は教えられた。

 ただし、それは通常の魔法史ほど詳しいモノではない。なにせ実技も含めてたった一つの授業で包括して教えなければならないのだ。それほど詳しい所までできるはずもない。

 

 そしてハーマイオニーは、そういった“違い”に、感心を抱いたのだ。

 

「歴史に興味がありますか?」

 

 ハーマイオニーは頷きを返した。

 彼女はマグル生まれ――純血主義から“穢れた血”などと言われる魔法使いだ。

 たしかにイギリス魔法族では表向きはそういった差別的な問題はよくないこととされているが、他らなぬハーマイオニー自身が、それを体験している。

 話を聞いた限りでは彼女とハリーの親友、ロン・ウィーズリーの父親も純血の魔法族でありながらマグル贔屓の“血を裏切る者”であるために上司のファッジ魔法省大臣から疎まれているという話だ。

 学校でも一部生徒 ――“主に”スリザリンの生徒による純血思想の差別が普通に存在してそれ自体がもめごととなったりする。

 もしも魔法世界で、そんな純血かどうかなどという違い以上の違いを克服したという方法があるのならばと思えたのだ。

 

 

 興味深そうな女生徒。

 質問してきた彼女以外にも、幾人か興味をもったような視線が向けられているのを確認した案内役の女性はちらりと高音と裕奈に視線を向け、アイコンタクトをとってから、微笑みながら優しげに伝えた。

 

「でしたら授業を聴講されるといいかもしれませんね」

「できるんですか!?」

「はい。総長(グランドマスター)から、希望があれば騎士団候補生と同じ授業を受けることができるようにと、とりはかられております」

 

 お世辞にも学校の勉強――特に魔法史なんかは――不人気授業の際たるものではあるが、成績の関わらないものであれば、興味をひかれた生徒も多いようで、生徒たちは近くの友人とざわざわと相談して、授業についてを検討しだした。

 

 

「クラリスは受けるのよね。リーシャとサクヤは?」

 

 フィリスは魔法世界への留学を希望しているクラリスは当然のこととして、他の二人がどうするかを確認した。クラリスはこくんと無言で頷き、同じように二人を見上げ、

 

「おもしろそーだから受けてみよっかな」

「うちもー!」

 

 リーシャは朗らかに、サクヤはほわほわと微笑んで授業参加を決定した。

 

 授業は嫌いでも、成績のつかない雑学チックな講義だからこその前向き検討なのだろう。他の生徒たちも控えめに、あるいはのりのりで参加を希望する声を上げた。

 そこには魔法世界にまで来たのだから、という思いも大きいのだろう。

 

 

 咲耶たちが聴講を決定したように、知的心探求心旺盛なハーマイオニーは当然のごとく参加を決定しており、ハリーもまた、参加の意思表明をして、そのことを咲耶に言うことで話のタネにしようと、彼女に視線を向け――――

 

「あっぶないよー!」

 

 ようとして、上の方から間延びした注意の声がかけられた。

 

 

 

 異世界での、魔法生徒たちのいつもと違う学校生活が短くも開かれようとしていた。

 

 

 注意している割に、その声はそれほど危機意識を喚起させるものではないようなぼんやりとした声音でハリーは反射的にその声の聞こえた上を見上げ―――

 ――――その目の前に“ナニカ”が広がって、景色を遮った。

 

「よっと、危ない危ない……ん? あれ? 男の子? ……見えたかな?」

 

 遮ったのが“少女”だったのに気付いたのは、それがすたんと地面に着地してからだった。隣にいたハーマイオニーもジニーも、というよりも一行のほぼ全員が呆気にとられていた。

 少女の短めのスカートが、遅れてふわりとおとなしくなり、少女はにぱっとハリーを見上げた。

 

 上からヒトが降ってきて、何事もなく降り立ったこと。魔法の世界なんだからそれはまあありえなくもないことだが、それでもいきなりの展開には虚をつかれるものだ。特に案内役の女性騎士は、落ちてきた少女の顔を知っていたがために、一層驚きに彩られていた。

 

「イズー!!!」

「げっ! 先輩!? なんでこんなとこに!?」

「任務中です! あなたこそ今度は何をしたのですか!?」

 

 先輩、と呼ばれた女性は落下してきた少女をとっ捕まえて、首根っこ掴んで持ち上げた。

 

 さらに驚きなのは少女の容姿だ。

 ハリーから見ても顔立ちは可愛らしいと思える容姿をしている。

 額になにやら奇妙な紋様のようなものが描かれているが、今はえへへと誤魔化し笑いを浮かべている褐色の顔は愛嬌があり、普通の人間ではありえない明るい緑色の髪は軽く波打つようにして少女の躍動的な性格を表しているようだ。

 服装はどこかの学校の生徒なのか、制服らしきものを着ているが、スカートの丈はホグワーツのものよりもかなり短く、太ももの大部分は露わとなって、少女の褐色の肌をさらしていた。

 だが、そんなあれこれよりも生徒たちの目を引いたのは、少女の頭部に映える二本の大きな角と短いスカートの下から伸びている太い尻尾だ。

 

「いやー。まあそれは……って、先輩、この人たちは?」

「だいたい注意を促すのならもう少し危機感を煽る様な言い方を……はぁ、客人です。旧世界、イギリスの」

「旧世界!? あっちから来たの!!?」

 

 猫のように首根っこを掴み上げられていた少女は、先輩と呼ぶ女性が引き連れていた一団へと話題をそらそうとして、返ってきた答えに瞳を輝かせた。

 ひゅん、と一瞬で脱走した少女は、次の瞬間、呆然としていたハリーの目の前に立っており、ハリーの手を握った。

 旧世界からというのがよほどうれしいのか、満面の笑顔を浮かべている。

 

「私、イゾルデ!! イズーでいいよ!」

「え。あ、うん」

「同い年くらいの旧世界出身の子って初めて見たよ! ――――ところで君、見えた?」

「?」

 

 咲耶のほんわかとしたニコニコとはまた違う、燦々とした輝きのようなニコニコ顔。その笑顔のまま、イズーと名乗った少女はハリーに謎の質問を付け加えた。 

 思わぬ事態、からの謎の問いかけに、ハーマイオニーとジニーが訝しげにハリーを見る。

 その問いかけの意味を、ハリーも一瞬理解しかね――――そして遅れて理解してしまった。

 

「な、ない!! ちが! 見えてない!!」

「……ふーん。君、目がいいんだ」

 

 少なくとも、視力的な意味ではこれ見よがしな丸メガネをかけたハリーを目がいいとは言わない。二人のやりとりに、首を傾げるハーマイオニーとジニーにはおそらく意味が分からなかったのだろう。

 空から落下してきて、一瞬で目の前を通過した光景。

 普通であればそれを認識することは常人にはできはしない。

 だが、ハリーは類まれなシーカーとしての素質を持ち、高速で飛翔する小さなスニッチを見つけて捉えるというクィディッチで鍛えられた動体視力がある。

 だから……まあ、分かってしまったわけだ。

 少女の穿いているミニスカートの下がどうなっているかが。より具体的には、ハリーの太ももよりも大きい尻尾があるのに下着はどうしているかの謎が解明されてしまったという…………

 否定の言葉とは裏腹に、ハリーが見えていたことを証明するように顔はこれ以上ないほどに赤くなっており、動揺を露わにしたハリーに対して二人の少女の顔が険しくなる。

 少年の初心なリアクションを楽しんだのか、イズーは楽しげに笑ってから握っていた手を離した。 

 

「ま、いいけど。いきなり驚かしてごめんねー。ちょっと悪者に追われてて」

「誰が悪者ですか!!!」

 

 次から次へと、というのはこういうことだろうか。

 幸いにも今度は上空から落下してくるということはなかったが、空から数人の女の子が箒に乗って降りてきた。

 先頭で怒っている顔を見せているのは、白いネコ耳のようなものを生やした子で、よく見るとイズーと同じ制服を着ていた。

 

「げっ。委員長!」

「イゾルデさん!!」

 

 地面に降り立った女の子を見て、イズーは顔を顰めて逃走しようとし、白耳の少女は制止するように声を上げた。

 

「やっぱりなんかしでかしたな、イズー」

 

 少女だけなら逃走も辞さないといった構えをみせかけたイズーだが、先輩魔法使いが腰に手を当てて怒り逃走を許すまじと構えていた。

 

「ちぇー…………まあいいや」

 

 結局、落下出会い系の角少女ことイゾルデは、箒にのって現れた少女たちによって連行されるように引っ立てられた。

 

「それじゃ、またねー」

 

  去り際、ハリーに向けてぶんぶんと手を振って笑顔を向けてきたイゾルデに、ハリーはなぜか顔を真っ赤にし、友人たちから訝しげな眼差しを向けられるのであった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔法生徒、体験中

 古来より魔法世界では南の古き民と北の新しき民の間に様々な確執が存在した。

 それは種族の違いというものだけではなく、もっと根本的な、この世界が成立したころから存在したものが原因と言われている。

 だがそれでも永い時をかけて作り上げられた世界の構図――メセンブリーナ連合とヘラス帝国――両者の間に全面戦争に至る程の理由はどこにもなかったはずだった。

 

 はじめは辺境のささいな争いがきっかけだったと言われている。

 だが、やがて確たる意志を持って帝国の侵攻は始まった。

 歴史に記されるところの“アルギュレー・シルチス亜大陸侵攻”。だが、帝国の真の狙いは彼ら古き民の文明発祥の聖地“オスティア”の奪還であった。

 

 連合と帝国の狭間に位置していたオスティアは、国の持つ歴史と伝統とは裏腹に政治的な力の乏しい、大海に漂う小舟のように揺れる状態となっており、当時はメセンブリーナ連合の支配下にあった。

 

 強力な魔法力を有するヘラス帝国の侵攻力は圧倒的であった。

 数多の鬼神兵、空挺魔法師団。

 二度に渡るオスティア攻略戦こそ失敗に終わったものの、帝国は当時としてはまだ研究段階と考えられていた大規模転移魔法を実戦に投入することにより、大陸間を繋ぐ要所、グレート=ブリッジを陥落することに成功する。

 

 グレート=ブリッジは全長三百キロに亘って屹立する巨大要塞にして、連合の首都メガロメセンブリアとオスティアとをつなぐ喉元。

 ここを陥落させられたことにより、連合はまさに風前の灯かと思われた。

 

 

 

 

「第13魔法大隊、潰走!!」「空挺艦隊!! 精霊砲の直撃により旗艦撃沈!!」

 

 起死回生の一手として、望んだ一大決戦。

 大兵力を投入した連合だが、圧倒的なヘラス帝国の防衛力の前に、連合は為すすべなく決戦敗北の色を濃くしていた。

 

「くぅッ!! 押し戻せ!!! 撤退はできん!! なんとしてもここを取り戻さなければならんのだ!!!!」

「し、しかし……!!」「敵、巨神兵来ます!!!」

 

 空を覆っていた魔法艦隊は旗艦を失ったことにより制空権を奪われ、対空砲火の薄くなったところに、天を衝くほどの巨神兵が進軍。

 連合軍の本営へと迫ろうとしていた。

 その巨腕が、圧倒的な暴力の惨禍を撒き散らさんと振りかぶられ

 

 

 そして――――

 

 ――――轟雷が響いた。

 

 

「な、なんだ!!?」

「きょ、巨神兵が……」

 

 雷神の鉄槌かと見えるほどの強大な大魔法が、敗戦を決定づけようとしていた巨神兵を両断した。

 

 

「よっしゃ! 間に合ったな!!」

 

「あ、あれは…………」

 

 空に浮かぶ5人の戦士。

 

 桁外れに膨大な魔力を纏う赤い髪の少年。

 片刃の長刀を構える黒髪の男。

 巨大な大剣を手にする褐色の大男。

 長い髪を一つに束ねた魔法使い。

 童にも見える白髪の魔法使い。

 

紅き翼(アラルブラ)!!!」

「サウザンドマスター!!!!」

 

 歓声が、上がる。

 

 

「間にあってない。敗色濃厚だ!」

「終わってねえなら間に合ってんだよ、詠春!」

「いいね。獲物独占!! 久々に全力でやれそうじゃねえか!」

「ここで退いたら後がありませんしね」

「まったく、バカは気楽じゃな」

 

 オスティア防衛戦で多大な武勲を上げつつも辺境へと追いやられていた最強たち。

 サウザンドマスターとその仲間、紅き翼が、遂に激戦の戦場へと復帰したのであった。

 

「さてと……それじゃあ、いっちょ――――」

 

 再びその身に雷の如き瞬き魔力が纏う。

 

「行くぜ!!!!」

 

 黒い渦のような重力球が無数、空を覆う魔法艦隊に穴を空け、

 戦艦をも上回るほどの斬艦剣が巡洋艦を切り裂き、

 雷光の剣が巨神兵を焼き斬り、

 

「百重千重と重なりて走れよ稲妻――――千の雷(キーリブル・アストラペー)!!!!!」

 

 雷系最強の大呪文が魔法使いを寄せ付けないはずの巨神兵を数体、まとめて打ち倒した。

 

 

 

 

 

 

「ば、ばかな。こ、こんなことが……奴は、悪魔か!?」

 

 戦況は一転していた。

 帝国の空挺艦隊はある艦は重力に潰され、ある艦は馬鹿げた大きさの剣に切られた。

 魔法使いを駆逐する巨神兵は雷剣に斬られ、雷を落とされ消し炭になった。

 防衛ラインが打ち破られる。

 

 最強の5人が戦線を傾け、それに乗じて連合は一気呵成に攻勢をしかけた。

 

 

 

 

 第57話 魔法生徒、体験中

 

 

 

 

「――――紅き翼(アラルブラ)の名を知らしめることともなった最大の激戦、グレート=ブリッジ奪還作戦の成功により、戦況は逆転。連合は一気に帝国の戦線を押し戻し、領内へと躍進することとなります」

 

 ハリーはぽかんとした表情で授業の映像を見ていた。

 色々と思うところはあるが、その中でも特に大きかったのは、胡散臭い、という思いだった。

 

 なにせ映像に映っている“サウザンドマスター(赤髪の英雄)”とやらは、どう見てもハリーたちと同じくらいの年齢か、それ以下に見えたからだ(しかもどこかスプリングフィールド先生にも似て見えた)。

 

 映像と授業内容が正しければ、大戦というのは、ハリーが経験してきたような冒険が、少し日常から外れた程度としか思えないようなものだ。

 それこそ“大きな戦争”という言葉そのものだった。

 だが、それならハリーと同い年程の少年が活躍したなどと言われても、正直信じがたい。

 2年ほど前にホグワーツで教鞭をとり(?)、“大活躍した”と喧伝していたとある魔法使いの大法螺でもそこまではなかっただろうほどだ。

 

「彼らは、その圧倒的な武勇でも知られていますが、最大の功績は魔法世界において無比の悪名を轟かす秘密結社“完全なる世界(コズモエンテレケイア)”を打倒したことにあります」

 

 恐ろしいことに、どうやらこれは魔法世界の共通認識のようで、その当人など今この教室のどこにもいないのに、授業を行っている魔法教師は赤毛の少年たちの功績とも言える歴史について講義している。

 

「“完全なる世界”は、末端は武器商人や武装マフィア、さらには両陣営の中枢にまで潜り込んでおり、人種間の対立や不安と混乱を煽り、怒りと憎しみを撒き散らし、戦火を拡大せんとしていました。アラルブラは大戦末期、その全ての真相を暴き、世界を滅亡の危機から救った英雄とまで言われています。この組織の壊滅と王女アリカ・アナルキア・エンテオフュシア様の決断、歴史あるウェスペルタティアの王都オスティアの犠牲をもって大戦は終結します」

 

 アリアドネーの授業聴講は、参加希望が多かったためにいくつかのグループに分けて組み込まれた。

 ハリーはハーマイオニーとジニーたちウィーズリー兄妹と一緒になった。他にも幾人かの生徒が同じクラスに配されており、その中にはクィディッチで戦った事のあるハッフルパフのセドリックやルーク、リーシャもいた。

 

 そしてハリーたちの授業では、近現代の著名な魔法使いとして、近々執り行われる大きなお祭り ――終戦記念式典―― にちなんで、大戦の英雄であるアラルブラとナギ・スプリングフィールドについて行われていた。

 

 

「終戦後、サウザンドマスターは地位や権力の座に就くことなく世界を巡り、戦争では解決しなかった様々な問題を解決するために尽力しました。そのため、彼はメガロ政府より発行される称号、偉大なる魔法使い(マギステルマギ)ではなく、古来から口の端に上り、呼び名わされる本来の意味での立派な魔法使い(マギステルマギ)と称されております」

 

 メガロでの観光で説明されたマギステルマギ。

 魔法界で最も名誉ある称号であり、職業。

 

「彼と同じく本来の意味でそう呼ばれる魔法使いは決して多くはありません。近現代で特に有名なマギステルマギは、30年ほど前に魔法世界で起こったコズモエンテレケイア残党による大崩壊事件の解決、およびブルーマーズ計画の提唱・推進を行っているネギ・スプリングフィールドや、魔法世界でも屈指の治癒術士として世界を巡っている近衛木乃香がそう呼びならわされています」

 

 ハリーは思わぬ名前が出てきて、同じ名前をもつ少女を思い浮かべた。

 “コノエ”

 その名前は、ハリーにとって友達の一人の苗字に過ぎないが、それでもニホンの魔法協会のお偉いさんの孫だということは知っている。

 

 授業はいよいよ終わりを迎えているのか、本来の騎士団候補生向けの授業だった先程までの雰囲気から一転、ホグワーツの生徒たち、騎士団候補生、両者に向けて微笑んだ。

 

「ちなみに余談ですが、オスティア終戦記念式典では2代に渡って魔法世界を崩壊から救った英雄の名を冠して、魔法世界全土から選りすぐりの使い手が集まる“スプリングフィールド杯”という剣闘士の戦いが催されます。特に近年では王都復興の記念行事も執り行われることから一層盛大になります。アリアドネーからは例年通り記念式典の警護任務のための騎士団を派遣し、候補生からも選抜を行います。ホグワーツのみなさんは丁度式典の際にオスティアに居られると思いますから、任務の際に見かけることもあるかもしれませんね」

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 授業が終わり、休み時間になると解放感を覚えるのはホグワーツも魔法世界の学校も同じらしい。

 生徒たちは思い思いに休憩をとっていた。

 旧世界からの来訪者に、多くの者は興味深げな眼差しを向けていたが、かといって全ての生徒が積極的に話しかけていくわけではなく、遠巻きに見てひそひそと話していり、

 

「ねえねえ。キミたち旧世界から来たんだよね。なんて国から来たの?」

 

 そしてある生徒は積極的に興味津々という思いのままにハーマイオニーたちに話しかけていた。

 真っ先に話しかけてきたのは肩口ほどの金髪とエルフのような長い耳の少女。

 流石に昨日の少女のように際立って目立つ大きな角や尻尾がない分、ハリーたちにとってもそれほどぎょっとせずにすむ容貌だ。

 

 ちょうどホグワーツ生同士で集まっていたハリーたち。物怖じしない度胸のよさからハーマイオニーが答えた。

 

「イギリスよ」

「イギリス!? イギリスっていうと、あのナギとネギの出身地だよね!!? どんな国なの?」

 

 ハーマイオニーの返答に、エルフ耳の少女は目を輝かせて話に食いついた。

 ナギとネギ、というのがどうやら魔法世界において名の知れた英雄らしい、ということはすでにハーマイオニーも覚えていた。というよりもネギ、という名前に至っては、なぜか知らないがマグルのニュースでも聞いた名前だ。

 だが、向こうの世界、伝統的魔法族にとっての教科書にでてこない彼らの出身地が“イギリス”と聞いても、ハーマイオニーには対応のしようがない。

 

「えっと………」

「イギリスかぁ~。あっ! 私メルル! メルル・コリエル! よろしくね!」

 

 少女――メルルは訪れたことのない、かの英雄たちの出生地を思い浮かべて恍惚とした表情となっており、困り顔のハーマイオニーにはっと気が付いて、自らの名前をまだつげていないことを思い出したらしい。

 メルルの自己紹介に応えてハーマイオニーもハリーたちも名前を返した。

 

「いいなー、旧世界…………」

「あっちの世界に興味あんの?」

「そりゃそうだよ! 旧世界に行ける純粋魔法世界人なんてほんの一握りなんだから! 同い年くらいの子で旧世界に行った子なんて見たことないよ!!」

 

 羨ましそうなメルルの様子に、フレッドがふと何気なく質問すると、メルルは勢いよくつめよるようにして言った。

 

 ハーマイオニーはこの人懐っこいエルフ耳の少女の言葉に、少しひっかかりを覚えた。

 “旧世界に行ける純粋魔法世界人はほんの一握り”

 旧世界、というのがハーマイオニーたちが普段暮らしていた世界だということは既に知っている。

 その往来はたしかに煩雑な手続きを必要とするものではあるが、それでも向こうからこちらに来たときには数十人の魔法使いが一緒にやってきたのだ。そんなゲートが世界中にあと幾つもあるというのだ。こちらから向こうの世界に行くのがそれに対して難しいというのはないだろうし、ほんの一握り、というのは言い過ぎではないだろうかと思えたのだ。

 

「一度でいいからマホラの軌道エレベーターを見たいんだよね~」

 

「アナタごときがアチラに行こうなどと。相変わらず無駄なことに妄想を働かせていますわね、メルルさん」

 

 夢見がちに話すメルルとの会話に、一人の少女が声を挟み、割り込んだ。

 

「う゛っ。いいんちょー……」

 

 メルルはぎくりと顔を顰めると、バツ悪そうにそちらを見た。

 ハリーたちもそちらに視線を向けると、3人の少女を引き連れた気の強そうな女の子がいた。

 肩口ほどの銀髪にゆるいウェーブのついた、そして頭部にちょこんと三角形の白い猫耳を生やした少女。

 

 思わず「今度はネコかよ」と吐露しそうになったのはハリーのみならずジョージとフレッドも同じだったようで、顔を引き攣らせていた。

 

「あら? この声、たしか…………」

 

 ハーマイオニーも、決して亜人との交流に慣れているわけではないが、ふと、話しかけてきた少女の声に聞き覚えがあって、そしてその猫耳を思い出すようにしてマジマジと見た。

 

「昨日は挨拶もなく、失礼しましたわ。ホグワーツ魔法魔術学校のみなさん。わたくし、メルディナ・ジュヌヴィエーヴと申しますわ」

 

 ハーマイオニーの悩むそぶりを気にかけたのか、猫耳の少女は胸に手を当てて礼儀正しく自分の名前を告げた。

 

「昨日?」

「問題児がご迷惑をおかけしましたわ。イゾルデさんは素行に大いに問題があり、候補生と名乗るもおこがましい方ですが、あのような野蛮な粗忽者は極稀ですのでご安心ください」

 

 一瞬、昨日、という言葉の指すところが分からなかったハリーたちが、この猫耳少女が、昨日ここに来る途中であった捕り物劇の一人であったことを、言われて思い出した。

 

 礼儀正しく聞こえる言葉と態度に、しかしハリーは少しだけ反発心を覚えてムッとメルディナと名乗った少女を見た。

 似ているのだ。

 取り巻きを連れて威圧するように上から話しかけてくる高圧的な態度。礼儀正しい言葉遣いの裏に隠しつつも、まったく隠れきれていない嘲りの思い。

 なんとなく、少女の態度に宿敵とも言えるマルフォイを思い起こされてハリーは顔を顰めた。

 

「むっ! 問題児問題児って、いいんちょー、こないだの模擬戦でイズーに負けたからって根に持ってるんじゃないの!? 選抜試験も近いし!」

 

 そしてハリーとマルフォイの関係は、そのままこの二人にも当てはまるのか、メルルは指を突き付けて言い返した。

 

「ふん。バカバカしい。地上での模擬戦と箒レースでの空戦はまったく異なります」

「それって陸戦じゃ勝てないって言ってるようなもんだよねー」

「問題児の腰巾着が言ってくれますわね!」

「いつもお伴を連れてる委員長に言われたくないよ!」

 

 ハリーたちを放置してヒートアップしていく二人。

 メルディナは冷静そうに言い返しているがメルルの言葉に米神がひくついている。

 

 バチバチと火花を散らして睨みあう二人。

 ハリーたちが呆気にとられていると、「パンパン!」と手を打って注意をひく音が耳に届いた。

 はっとなって、言い合いをしていた二人もそちらに視線を向けると、そこには教師の一人なのか褐色の肌で長く垂れた耳をもつ眼鏡の女性と、ホグワーツ生の引率者である夕映が苦笑して立っていた。

 

「はいはい。お客さんの前でみっともない口げんかしないの」

「ぐっ」

「うっ。ファランドール先生……」

 

 眼鏡をかけた亜人の女性――ファランドール先生に注意を受けてメルルもメルディナもバツ悪そうに言葉を詰まらせた。

 唇を尖らせつつも言い合いを止めた二人を見て、ファランドールはクラスをぐるりと見回した。

 

「ちょっとみんな聞いてー。ホグワーツの人もいいかな」

 

 教室に聞こえる声で呼びかけ、そして呆気にとられていたハリーたちにもニコリと微笑みかけた。

 

「候補生は知ってると思うけど、近々オスティア行きの選抜試験がありまーす。その試験だけど、せっかくなので希望するホグワーツの生徒にもその試験内容と同じ模擬戦、箒ラリーに参加してもらおうかと思ってます」

 

 先生の布告に、ハリーははっとして自分が持ってきた箒、ファイアボルトのことを思い出した。

 たしか、研修中希望する生徒には箒レースへの参加が認められるという話だった。

 これがそれかと思い、ハリーは自分と同じようにクィディッチの選手であり、空を飛ぶのが好きなはずの二人、フレッドとジョージを見た。

 二人も顔を見合わせて顔に笑みを浮かべているのを見ると、どうやら二人も参加するつもりらしい。

 

「他のクラスの子にも伝えるけど、希望する子は私か、こっちのユエまで――」

「お待ちください、ファランドール先生!!」

 

 だが、その参加について説明していたファランドール先生の言葉をメルディナが遮った。

 

「栄光ある警備任務を選抜する試験に、彼らが参加するというのは納得できません!」

 

 きょとんとする先生や咲耶たちの前で、メルディナはハリーたちには思いもよらない拒絶を告げた。

 メルディナの言葉に、先生は少し困ったようにポリポリと頬を掻いた。

 

「メルディナさん。試験にはいくらなんでも参加できないって。あくまでも相互の技術研修のための練習の参加。それについてはちゃんと言っておいたでしょ?」

「授業態度や振る舞いを拝見させていただく限りにおいて、彼らが箒ラリーに参加して私たちと腕を競えるほどの魔法使いとは思えませんが……」

 

 先生が納得させようとするのに対して、メルディナはちらりとハリーたちを見て言った。

 

 あからさまに格下だと見ているその眼差しに、マルフォイと同質の片鱗を思い浮かべていたハリーはムッとして顔を険しくした。

 今の時点において、魔法使いとしてどうかなどということを判定させられるほどの何かがあったとは、ハリーには到底思えなかったのだ。

 

「まあまあ。その子たちは一応“あの”リオン・スプリングフィールドの教えを受けている生徒たちなんだから」

「なっ!!? なぜあのリオン様が旧世界の魔法学校で教鞭をとられているのですか!!? それもこんな障壁の常時展開もできていないような連中に!!!」

「リオン“様”!!?」

 

 なだめるために出てきた名前。それを聞いたメルディナの反応はぎょっとするものであり、教室にいる他の生徒たちも驚いた様子でハリーたちに視線を向けた。

 そして問われてもファランドール先生にはその答えを持ち合わせていなかったのか、視線を泳がせた。

 

「なぜもなにも……なんでなの、ユエ?」

「関西呪術協会から依頼されてのことらしいですよ。――向こうのクラスの咲耶さんのお母さんが近衛木乃香さんなのと関係あるかもしれませんね」

「なっ!! あのマギステルマギの!?」

 

 困ったファランドール先生は一緒に来ていた友人兼旧世界からの引率者に尋ねた。

 夕映からの――騎士団候補生にとっての大先輩からの言葉は、劇的だったらしく、メルディナは今度はマジマジとホグワーツ生を見た。

 その彼らはなにか周りの自分たちを見る雰囲気が変わったことだけは分かったのか、ただそれがなぜなのかが分からずに困惑している。

 

 騎士団候補生ともなれば、マギステルマギは憧れの存在、職業だ。

 その中でも近年において著名な人物が身近にいると分かれば、見る目も違うだろう。

 

「ともかく、彼らはリオン・スプリングフィールドの弟子、とまではいかなくても、彼が選抜した魔法生徒なんだから……んー、そうだ! 箒ラリーの練習であなた自身が彼らの技量を確かめればいいじゃない」

「…………分かりました」

 

 ファランドール先生にまとめられて、メルディナはしぶしぶといった様子で引き下がった。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

「ごめんねー、うちのいいんちょーが我がままで」

 

 騒動が沈着した後の授業は、一見何事もなく、いささかばかり周囲から向けられる視線に好奇の色が混ざった後の放課後。メルルはハーマイオニーたちに謝っていた。

 

「なーんか、キッツイ物言いだったよなぁ~」

「うーん、まあいいんちょーは私にはいつもあんな感じなんだけどね。それよりもキミたち箒レースに参加するの?」

 

 ホグワーツ生同士集まっていたリーシャも、先程の偉そうな少女の態度には思うところがあるらしく、メルルは困ったような笑みを浮かべており、思い切って話題を箒レースの方にずらした。

 果たしてそれは少なくともリーシャに対しては有効だったらしく、二カッと笑顔になった。

 

「あったりまえ! 箒の勝負と聞いちゃ、黙って下がれないっての!」

「そうそう。やっぱ分かってるな、リーシャは」

「こっちの箒乗りの力を試すのがこの研修旅行における我々の最大の目的だからな」

 

 勇ましく参戦の意志を告げるリーシャにフレッドとジョージが囃し立てるように同意を示した。

 彼ら、そして彼女にとって箒での勝負というのは最も楽しめるスポーツなのだ。

 この研修旅行の通達があった時から、箒のレースが行われるという告知が会った時からの楽しみだったのだから、あの程度のやりとりはむしろ彼女たちの闘志と好奇心に火をつけるものでしかない。

 

 それは3人だけではなく、自身の箒乗りとしての腕前に多少の自負を持つハリーやセドリックたちにとっても同様だ。

 メルルはそんなホグワーツ生たちのやる気を感じたのか、微笑ましそうな眼差しを向けた。

 そして

 

「やっほ、リーシャ! ハーミーちゃんたちも一緒のクラスやってんな」

「サクヤ!」

 

 他のクラスに配されていた咲耶やクラリス、フィリスがリーシャの楽しげな会話に連れられたのか跳ねるようにやってきた。

 

「サクヤ、こちらメルルよ。メルル、こちら向こうのニホンっていう国からイギリスに留学してるサクヤ・コノエよ」

「よろしゅうな~、メルルちゃん」

「よろしくサクヤ……って、ニホン!? あのニホン!? てかコノエって、もしかしてあの近衛木乃香の!?」

 

 お互いに初顔合わせのメルルと咲耶たちはお互いをハーマイオニーに紹介された。その紹介を聞いてメルルは衝撃を受け、興奮したように咲耶に顔を寄せた。

 

「あっ、やっぱり知ってるの?」

 

 メルルの興奮した様子にハーマイオニーはやっぱりと納得した。

 ウェールズでもそうだったが、どうやらサクヤの母親はニホンの魔法協会の娘ということとは無関係に有名で、とても凄い魔法使いなのだということをイヤでも実感させられていたのだ。

 

「そりゃ知ってるに決まってるよ! あの“ネギの教え子(ミニストラ・ネギ)”、近代以降最高の治癒術士のマギステルマギ! 白き翼(アラアルバ)のメンバーの一人なんだから!」

 

 

 熱弁を振るうメルルに、咲耶は照れ顔で頭を掻いており、ハリーはそんないつもの仕草をしている咲耶がどこか遠くに感じられた。

 

 特別な存在。

 

 ここでは自分は他の皆と同じ、特別ではない存在。

 この世界ではヴォルデモートを倒したことなんてほとんど知られていない。

 自分のことを“生き残った少年”などと言う人はいない。

 “普通”なのだ。

 望んだはずのそれが、なぜか靄のようものをハリーの胸にたちこめさせていた。

 

 

 メルルとハーマイオニーの話に咲耶やその友人たちを加えた女子陣の話は、ハリーの些細な憂鬱さに反して盛り上がっていた。

 

「――――本番の選抜試験では百キロのラリーになるんだ。魔法による妨害も自由だけど生徒間での直接攻撃魔法は禁止されてるから基本は“エクサルマティオー”の撃ち合いだね」

「箒に乗りながら魔法の撃ち合い、ってのはちょっと新鮮だな。クィディッチじゃ選手間の魔法の掛け合いはなしだから」

 

 本来の選抜試験と箒ラリーについての説明を聞いて、その参加を決めているリーシャはふむふむと頷いていた。

 

「市街地から魔獣の森を大きく回るのが本来のルートなんだけど練習だと森の手前で引き返すルートでだいたい50キロくらいかな」

「50キロか。それでも試合に比べると長いな」

「あの委員長って子は強いのかい?」

 

 ルークとセドリックも参加する気満々な様子で、いつものクィディッチとは違う長距離戦と、敵意をぶつけてくるであろう相手について思索を巡らせていた。

 

「いいんちょーは騎士団候補生の中でもすごいよ。氷の魔法の使い手で、実践レベルの無詠唱魔法を使えるのはクラスでもいいんちょーくらいだし。候補生で対抗できるのはイズーくらいだね」

 

 無詠唱魔法。

 伝統魔法にもある技能だが、そのメリットは相手に何の呪文を唱えているのかを悟らせないための奇襲性にある。

 だが、そのメリットは精霊魔法にこそ大きいだろう。

 なぜならば元々詠唱の短い伝統魔法に比べて、精霊魔法は始動キーを含めて長い呪文詠唱を必要とする。

 ゆえに精霊魔法で無詠唱魔法が行使できれば、奇襲性に加えて速射性の面でもメリットがある。

 

 ただし無言呪文、もしくは無詠唱魔法は、どちらの魔法系統においても難しい。

 習っていないハリーはもとより、比較的実技の得意なリーシャやクラリスですら無言呪文は習得していない。大人の魔法使いでも自在に無言呪文を行使できる魔法使いはそれほど多くはない。

 

 そんな難易度の高い魔法を実戦レベルで行使できるというのは、それだけあのメルディナという委員長の実力が高いという事だろう。

 そしてそれに対抗できるという人も。

 

「イズー?」

 

 どこかで聞いたことのある名前。

 話を聞いていたハリーが、覚えのある名前に反応して首を傾げた。

 

「あ、今日はイズーいなかったから知らないよね。ウチの騎士団候補生で一番魔法演習が強いのがそのイズーで」

「ヤッホー、メルル!」

 

 その時、元気のいい声が聞こえてきて、ハリーたちはそちらを向いた。

 

 元気よく腕を振って向かってきているのは、褐色の肌に明るい緑色の髪を持つ少女。頭部には大きな角、そしてミニのスカートの下から揺れる大きな尻尾。

 

「あ、イズー」

「あああああ!!!」

「オヨ? ああこないだの“見た”子だ」

 

 別の光景を思い出してしまい、ハリーは思わず指を差して絶叫した。

 きょとんとした顔は不意なこともあって可愛らしく、ハリーは昨日“見た”ものを思い出してボッ!! と顔を赤くした。

 

「あれ? イズー、この子たちのこと知ってるの?」

「まあねー。ちょいと街中でばったり。それで今日はお説教だったのだ」

 

 

 なははと笑うイゾルデ。

 顔を赤くしてあわあわとしているハリーをハーマイオニーやジニーが訝しげに見ていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

飛翔する魔法使いの卵たち

「というわけで、こちらイゾルデ。クラスは私と同じだよ」

「よろしく~」

 

 エルフの少女に、角と尻尾の生えた少女を紹介されるというファンタジーここに極まれりといった展開に、リーシャはそろそろ感覚が麻痺してきたのを感じつつ、他のみんなと同じように挨拶を交わした。

 

 

 

 第58話 飛翔する魔法使いの卵たち

 

 

 

「今日のお説教は長かったね、イズー?」

「ほーんと。総長からのお叱りが長いのなんのって。“旧世界からの客人を前に礼を失するようでは戦乙女騎士団の――”なんちゃらって、もーくたくただよー。って、それよりさ。今来てる子の中にリオンの関係者が来てるって話聞いたんだけどマジ?」

 

 ころころとよく変わるイズーの表情は、今は少しぐったりとして見せており、机の上にへにゃりと体を投げ出した――かと思いきや、どこかで半端に話を聞いてきたのか、興味津々とメルルに尋ねた。

 

「関係者っていうか、この子ら全員だよ。旧世界から研修旅行で来てて、リオンが向こうの学校で教師やってるんだって」

 

 メルルの言葉に、イズーはびっくりとした顔をして(ついでに尻尾がピンと動いた)、ハーマイオニーやハリーたちをマジマジと見た。

 

「へー、教師かー」

「えーっと、イゾルデさん」

「イズーでいいよ、だいたいみんなそう呼ぶから」

「イズーは、リオンと知り合いなん?」

 

 なぜか感心した様子のイズーに咲耶は気になることがあったのか、小首を傾げて尋ねた。

 イズーの口ぶりは、メルディナやメルルのような遠い有名人を口にしたようなものと違い、もう少し近しい間柄の関係のような気がしたのだ。

 

「んー。知り合いっていうか、恩人……かな。多分向こうは覚えてないと思うけど」

 

 特に照れた様子もなく、あっさりと答えるイズー。だが、その顔はどこか照れているようにも、自嘲めいているようにも見えた。

 リーシャたちはその返答に驚いてイズーを見た。

 注目を浴びてイズーはコリコリと米神をかいた。

 

「ここに来る前にあの人に助けられたことがあってねー。っていうかここに私が放り込まれたのも間接的にはあの人のおかげってとこなんだよ」

「5,6年くらい前だっけ?」

 

 イズーの言葉に、特に驚いていたのはハリーとハーマイオニーだった。

 二人にとってあのスプリングフィールド先生は、サクヤのこと以外に関しては極めてドライに対応する魔法使いだ。

 向こうは知らない、ということは元々知人だったとかではないだろう。それなのに見ず知らずの相手を助けたというのは、二人の持つ先生のイメージとは大きくかい離していた。

 

 

 魔法世界は全てが平和の世界ではない。

 旧世界においてもそうであるように、平和な地域があれば騒乱の絶えない地域や治安の悪い地域もある。

 亜人は種族によっては、その希少性や能力から迫害されることも珍しくはない。

 イゾルデの種族――龍族においてもそれは見られることだ。

 

 彼と出会ったのはそんな世界にありふれた光景の中で起こった、ほんの気まぐれのような出会いだった。

 イズーにとっては荒んだ世界に見えた光のような出会いで、彼にとっては修業時代に遭遇し、気まぐれを起こさせただけの一コマ。

 

 

「そっかー、先生やってんのかー…………よくあの人が教師なんてやってるね?」 

 

 イズーは一度だけ会ったあの魔法使いのことを懐古し、そしてどう考えても性格的に合致しなさそうなことをやっていることに気が付いて苦笑交じりに尋ねた。

 

「ニホンの魔法協会からの推薦だって言う話よね」

「うん。おじいちゃんがお願いしたって聞いたけど」

 

 ハーマイオニーたちほど驚いていなかったフィリスが確認するように答え、咲耶もほんわか嬉しそうに頷いた。

 

「ん? おじいちゃん?」

「あっ、そっか! お母さんが近衛木乃香っていうことは、おじいさんは紅き翼(アラルブラ)の近衛詠春なんだよね」

 

 咲耶の返答にイズーは首を傾げるも、メルルがすぐに気が付いた。

 近衛木乃香の親族、ということは、魔法世界においても有名なもう一人の英雄の親族でもあるということに。

 

「こっちでも有名な方なの?」

 

 ハーマイオニーが尋ねた。同じ世界内ですら、ニホンの魔法協会の長の名前などそうそう分かりはしない。それなのに異世界においてむしろ名前が通っていることに不思議を感じたのだ。

 

「さっき授業で出てた刀もってた男の人だよ。青山詠春! もうだいぶ前に近衛詠春って名前が変わったみたいだけど、旧世界最強のソードマスター! ニホンのサムライだよ!」

「え!?」

「サクヤってサムライの家の子だったの!?」

 

 メルルの話に、ハリーたちはもとより、親しい間柄のフィリスたちも驚いた。

 てっきり魔法使いとしていい家柄だと思っていたら、なんだかトンデモサムライの孫娘だったわけだから驚きもするだろう。

 

「うちもおじいちゃんの若いころの写真は見たことあったけど、戦っとるのは初めて見たわ~。ひょっとしたらリオンとおんなじくらい強かったんやなぁ」

 

 旧世界最強のソードマスター。

 アラルブラのNo.2。

 かのサウザンドマスターの盟友にして、現関西呪術協会の長。

 

 

「へー…………」

 

 照れたように笑っている咲耶をイズーはマジマジと見つめた。

 

 流石に伝統魔法族の中でも精霊魔法の方に慣れているからか、他の――ハリーたちとは違って障壁の展開をしているように視える。

 足元で丸まっている白い子犬は使い魔なのか、魔法生物のように見える。ただ、あのソードマスターの孫、というには武術の心得はなさそうに見え、どちらかというと後衛タイプのように見えた。

 今は自分を見つめ返してくる眼差しに、ワクワクとしたものと、そして…………

 

 不意に、イズーはピンときた。

 

「咲耶。リオンのこと好きなんでしょ!」

 

 いきなりの暴露暴論に、リーシャはぎょっと眼を剥き、フィリスはあらあらと口元に手をあて、クラリスも目を開いていた。

 流石の咲耶も、イズーの話の飛び具合に驚いたのか、一瞬不意を突かれたようになり、

 

「えへへー、うん」

 

 ちょっぴり照れながら頷いた。

 イズーは「やっぱりー」と自身の推測になにやら満足しており、メルルは「ありゃりゃ」と目を丸くしていた。

 

 

「サクヤはスプリングフィールド先生の許嫁」

「はー。そっかー。へー」

 

 クラリスがすでに公の事実になりつつある情報を補足すると、どこかの誰かさんの脳内イメージに特大の錘が落下してダメージを与えたが、イズーは納得したように頷いている。

 

「イズーもリオンのこと好きだったりするん?」

「私? あはは! まあ、好きっちゃ好きだけど、私はこっちにいる大勢のファンの一人みたいなもんだよ。恩もあるし、ただ憧れてるだけ。だから委員長とは相性悪いんだけどねー」

 

 傍で見ているルークやリーシャは口元を引き攣らせていて修羅場かと危ぶんでいるが、咲耶は咲耶で、特に嫉妬心を剥き出しにしたり、不安げな様子もなく尋ね、イズーも豪快に笑い飛ばしながら答えている。

 

 フィリスも、咲耶が嫉妬したりしないかと様子を見ていたが、特にそんな様子もないことから、少しだけひっかかったイズーの言葉じりをメルルに尋ねた。

 

「相性って?」

「ウチはほら、騎士団目指してる人が多いからさ。大戦の英雄のナギとか立派な魔法使いのネギとかに憧れてると受けがいいんだけど、アウトローのリオン派は、まあ言ってみれば不良染みてるってとられちゃうんだよ」

「派閥があんのかよ」

 

 まるで好きなクィディッチチームを語るようなノリになっていることにリーシャたちはわずかばかり驚いた。

 

「メルルは何派なの?」

「私はナギ派かなー。もちろんネギもいいし、リオンの謎に包まれた孤高って感じもいいけどね。ちなみに派閥別性格診断っていうのがあって、ナギ派は武闘派系、いわゆる脳筋が集まってて、ネギ派は知的なインテリタイプが多いんだって」

 

 フィリスの質問にメルルは饒舌になって答えた。

 誰がどういう人物か、という違いは、一人除いてほとんど分からないが、一つだけ分かることがあった。

 

「それで委員長はネギ派の中でも特に崇拝染みてる優等生タイプだから、イズーと相性が、ね……」

 

 今日ハリーたちに文句を言っていたあのメルディナが見た目通り知的な優等生タイプだということだ。

 

「スプリングフィールド先生って、そんな英雄とか立派な魔法使いと同じくらい、魔法世界では有名な人なの?」

 

 ハーマイオニーは少し気になっていたことを尋ねた。

 “ネギ”派だというメルディナが様をつけて呼んだ先生。思い返せばこの研修旅行で初めて訪れたメガロでもあの先生に絡んだ人物との遭遇があり、一騒動起きかけたのだ。

 

「知る人ぞ知るって感じかな? ネームの知名度は抜群だし。メガロと仲が悪いことはとにかく有名で、オスティアの女王様とかネギとかが間に入らないと今でも険悪って聞いたことがあるけど」

 

 ハーマイオニーの問いにイズーが答えた。

 国と仲が悪くて王族や英雄に仲介されるってどんなだよ。と内心でツッコミを入れる一同。

 咲耶が困ったちゃんを思い出すような顔で曖昧に笑っているのは、彼のやや子供っぽい(咲耶にとって)可愛くて困った性格を思い出しているのだろうか。

 

「ただ実力は並外れてるっていうのはたしかだね。なにせ弱冠13歳でのスプリングフィールド杯単独優勝は、史上初の快挙だし。それになによりあの顔と名前だから、色々噂の的になってるよ」

 

 だがそれでも、メルルの言う通り実力はある。

 最強クラスの一角。

 並み居る達人クラスの猛者を寄せ付けない力。

 なによりも2代の英雄の面影を色濃く映すあの容姿は、その名前と相俟って極めて(魔法世界の)世間の注目を集めたものだ。

 

「噂に、ってスプリングフィールドっていう名前のこと? なにか関係があるの?」

 

 ハーマイオニーが尋ねた。

 授業の時から気になっていたのだろう。

 “スプリングフィールド杯”

 2代に渡って偉業を為している英雄の名前。それを一国の魔法協会の重鎮と親しい魔法使いが名乗っているというのだから無関係とは考えにくい。

 

 だが、質問を受けたメルルとイズーは答えに窮したように顔を見合わせ、咲耶を見て、そこにきょとんとした平和そーな顔を見て苦笑した。

 

「んーとね。ナギとネギは親子だってはっきり分かってるんだけど、リオンはよくわかってないんだよね。今の所、ネギの兄弟、ナギの隠し子説。ネギの子供説。他人のそら似説。整形説。ゲーデル博士の陰謀説。ってな感じで色々あるんだけど、そこんとこどうなの咲耶?」

 

 指を立てて色々な仮説を例示したメルルは、許嫁だという少女に尋ねる形で、“魔法界でおそらく最もホットなゴシップニュース”に探りを入れた。

 

 知っている可能性は極めて高い。

 ナギ・スプリングフィールドの盟友である近衛詠春の孫であり、ネギ・スプリングフィールドの仲間である近衛木乃香の娘なのだ。

 

 だが

 

「んー、実はうちもよう知らんのよな」

「え……?」

 

 期待に反して咲耶は人差し指を頬にあて、困ったように言った。

 期待していた答えを得られなかったメルルとは別の意味でハーマイオニーが唖然とした。

 

「元々リオンはお母様とおじいちゃんの知り合いだったらしから、うちが物心ついたころにはふらーと家に来とったんよ。せやから改まって聞いたことなかったかな~」

 

 それでいいのかニホンの魔法協会、という思いは聡明なハーマイオニーならずとも抱いただろう。

 血筋や家系のことを全く気にしないというのはある意味、おおらかな咲耶らしいといえばらしいが、流石に許嫁のことくらい気にかけるべきだろう。

 

「あ、でもお母さんのことは知っとるよ?」

 

 そんな言葉にでなかったツッコミを感じ取ったのか、咲耶は付け足すように言った。

 

「それって、もしかして……あの人?」

 

 だがそれは知りたいようで知りたくない情報。

 メルルは思わず唾を飲み込んで深刻そうに尋ねた。

 ハーマイオニーやフィリスたちは、なぜスプリングフィールド先生の母親のことでそれほど少女が深刻そうな顔をしているのか分からずに訝しそうにメルルを見ている。

 

「? エヴァさん。すっごいまほー使いで可愛い人やで?」

 

 メルルの悩ましい思いをまったく斟酌することなく、咲耶はきょとんと首を傾げてあっさりと、一番あってほしくない人物の、よりによって愛称を口にした。

 

 “エヴァ”

 それがあの先生の母親の名前かと、ハリーたちは特に感慨もなく聞いた。

 しいて気になるとするならば、あの先生の母親というからにはそこそこの年齢だろうに、“可愛い”というのはどういうことだろうかということくらいだろうか。

 

「……会ったことあるの?」

「うん」

「あのエヴァンジェリンと?」

「? うん」

「………………」

 

 だが、そうはいかない魔法世界の住人達。

 

 

 

 交友は深まりつつも、カルチャーギャップはまだまだあるのであった。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 ハリーたちホグワーツ生。

 そして騎士団候補生が手に箒を持って集まっていた。

 

「はーい。それじゃあ今日の飛行訓練は選抜試験も近いので実戦練習としまーす」

 

 彼らがいるのはホグワーツにあるクィディッチ場とは違う、けれども思いっきり空を飛ぶと気持ちの良さそうな芝生場。

 ファランドール先生が生徒たちの教導役として立っていた。

 

「今回は授業の聴講に来ている旧世界の魔法学校生も技術交流として参加するから、男の子もいるよ。脱がし合いが嫌な人は見学に回ってね~」

 

 ファランドール先生の言葉に、騎士団候補生の女子生徒からくすくすと笑い声が聞こえてきた。

 

 ハリーから見て、今のくすくす笑いは自分たちの実力を下に見られたような気がして、わずかにむっとした顔で、くすくす笑いをしたリーダー格の女子を睨み付けた。

 

 ハリーが配されたクラスの委員長、メルディナとその取り巻きの女子生徒たちだ。

 ハリー自身、別に彼女たちをひん剥きたいという願望があるわけではないし、そもそもハリーたちの武装解除では衣服を剥くことはできないのだが、昨日のやりとりからすると、彼女たちがハリーたちを侮っているのは明らかだ。

 ハリーたちの魔法程度、喰らうわけがない、と。

 

「ホグワーツの子たちもいるから改めてルールの説明をすると、レース中は妨害自由。ただし破壊系の攻撃魔法は禁止だから、武装解除と対抗呪文を上手く使うこと! あと高度は30mまでだよ。今回は練習だけど、本番を想定して指定のチェックポイントを通過してここまで戻ってくること! あとホグワーツの人もいるから厳密には指定しないけど一応、コンビでのレースだから気をつけてねー」

 

 軽い調子で説明されたルールは、昨日メルルとイズーに教えられたとおり。

 コンビでの戦いということで、フレッドはジョージと、セドリックはルークと組んでおり、ハリーは誰と組もうかと思ったのだが、実の所選択肢はなかった。

 ホグワーツ生で一番魔法の巧いスリザリン生はこの箒レースに参加しないらしい(というよりももとよりスリザリン生とは組む気はなかったが)。

 ハリーが親しくしており、かつ魔法力の強いのはハーマイオニーとサクヤだが、二人とも箒乗りとしてはあまり優秀ではなく、このレースには参加しないとのことだ。

 

「がんばれー、リーシャ、クラリス!!」

 

 ちなみにサクヤの友人であり、ハッフルパフのクィディッチチームの選手であるリーシャは友人のクラリスと組んで参加するのだそうだ。

 

「しっかしクラリスと一緒に箒で飛ぶことになるとはな~」

「留学予定先のイベント。逃すはずがない」

 

 なんだか嬉しそうなリーシャの横で、小柄なクラリスが感情表現の乏しい表情の中に熱意と戦意を灯して両の拳をぐっと握っていた。

 

 ということで、ハリーが名目上、組むことになったのは

 

「よろしく、ハリー」

「うん。よろしくね、ジニー」

 

 ロンの妹、ジニー・ウィーズリーだった。

 

「心配いらないぜハリー」

「ジニーの箒の腕前は俺たちのお墨付きだ。マルフォイなんかよりよっぽどできるぜ」

 

 彼女の兄たち、フレッドとジョージの推挙もあって、ハリーはジニーと組んで、この競技に臨んでいた。

 ジニーの魔法の腕前は正直あまりよくは知らないのだが、クィディッチの腕前においてはこれ以上ない程に信用できる双子のお墨付きであり、

 

「ジニーちゃん、ファイトー!!!!」

 

 なぜかやたらと応援に力のこもっているサクヤの言外の圧力を受けてでもある。

 

 ハリーは自分の信頼できる相棒である箒 ――ファイアボルトに視線を落し、ギュっと握りしめた。

 

 少し離れたところで見学しているシリウスがくれた世界最高級のレーシング用箒。

 その謳い文句はここに来て正しかったと言えるだろう。

 ハリーが見た限りにおいて、ここの生徒たちが持っている箒は、どう見てもハリーのファイアボルトはおろか、クリーンスイープほどにも洗練されてはいない。

 魔法の腕前はやる前からは分からないが、少なくとも箒の性能は断然にこちらの方が上で――――

 

「ふん。飛行用に特化された専用の箒ですか。自身の腕は大したものではないと告げているようなものですわね」

 

 メルディナがあからさまに蔑んだような視線をハリーの持っている箒に向けた。

 手の中のファイアボルトが優秀であるから、その分だけハリーは自身の魔法の腕前が弱弱しいものだと告げてしまっているように思えて、ギリッと歯を噛んだ。

 

 

 

「おーおー、委員長やる気満々だねえ」

「うっわぁー。ハリー君の持ってる箒って、なんかすっごい飛行用にチューンされてるね」

「ファイアボルトよ。私達の世界では最速の競技用箒なんですって」

 

 早速前哨戦が始まっている参加組とはうって変わって、観戦組のイズーやメルルはフィリスたちと一緒に和気藹々と正しく交友を深めていた。

 

「うーん。私も出たかったな~」

「イズーちゃんはどしてでえへんかったん?」

「う゛っ…………」

「イズーは一昨日の件で今回の研修中、研修生と模擬戦闘の類をすることを禁止させられちゃったんだって」

 

 咲耶の悪意なき言葉がイズーの心にダメージを与えた。

 ホグワーツ生たちが持つ飛行特化型の箒や天敵である委員長との火花繰り出すような活気に当てられてか、羨ましそうにしているイズーだが、どうやら今回はお預けの罰則を受けているらしく、見学組へと回されていた。

 ちなみにメルルが出ていないのは、イズーとペアだからだそうだ。

 

「まあイズーの本領はこういうスピード・戦術系の任務じゃなくて、力押しの制圧系だからこの競技じゃいいんちょーとの勝率は高くないんだけどね」

「ちょっとメルル。なんかそれ私がパワーバカみたいに聞こえてない?」

 

 

 ハリーたちはスタートのためにそれぞれに位置についており、手に持っていた箒へと各々跨り――――ファランドール先生のスタートの合図とともに地を蹴って空へと飛び立った。

 

 

「始まった! ――――お? 委員長が出負けしてる!?」

「おお! ハリー君すっごーい! 他のみんなもやるねー!」

 

 先頭を飛んでいるのは騎士団候補生たちにとっては意外なことに、旧世界から来た魔法使いの――メルルから見ても授業態度があまり良くなさそうな男の子だった。

 コンビを組んでいるジニーは遅れており、連係がとれている様子はないが、それでも単騎での加速力が騎士団候補生たちのそれを大きく上回っているのを見せつけていた。

 先頭にハリー。遅れてメルディナとそのパートナーの女の子が続き、それとほぼ横一直線でウィーズリーたちと、セドリックやリーシャたちがパートナーとともに飛翔している。

 

「ハリーもそうだけどセドリックもリーシャも、私たちの世界の魔法競技――クィディッチの選手なのよ。特にセドリックとハリーはスピードが売りのポジションの選手よ」

「くでぃっち? へ~……あ。委員長が仕掛けた!」

 

 

 

 

 

 

「なっ!」

「速い!!?」

 

 油断、といえばそれも確かにあったが、それでもメルディナたち騎士団候補生にとってハリーたちの箒の速度は予想を大きく超えていた。

 

 メルディナ達の箒や武装は基本的に配給制で、今は画一的な汎用箒だ。

 一部生徒は飛行用にグリップを改造していたりするが、箒というのはただ乗るための物ではなく、杖の代わりにもなるのだ。騎士団員となってからは箒の代わりにランスに騎乗するし、杖のような発動媒体や近接用の武器として使用する汎用性の高い物なのだ。

 飛行術式、安定術式、場合によっては認識阻害術式の全ては、騎乗者の技量に依存する。

 その点で言えば、箒の――飛行用の箒としての性能はホグワーツ生たちが持つ競技用箒の方が段違いに上だ。

 

 特にハリーのファイアボルトは箒の性能によって10秒で約240km/hまで加速できるスペックを有しており、魔法力さえあれば、飛行用の術式も安定用の術式も必要ではない。ただし、安定して、そして速く飛ぶためには術式ではなく純粋に箒捌きの技量が必要となり、勝敗を決するのは箒の性能の違い、そしてその性能を引き出す騎乗者の技量次第となっている。 

 日本では箒による飛行がそれほど得意ではなかった咲耶が、イギリスに来てあっさりと飛ぶことができたのは、飛行用の術式を必要としなかったという理由が大きい。

 

 単純な速度勝負であれば、競技用に特化した箒に乗っているホグワーツ生――クィディッチ選手ではないクラリスですら、メルディナたちの汎用箒に比べて性能が高い―― の方が、勝るのは当然と言えた。 

 

「くっ……ティナ! 仕掛けます!! 前は私が! あなたは後ろを!!」

「了解です!!」

 

 このラリーのゴールは50km。

 まだ開始して数分ということを考えれば、仕掛けるには早すぎる時間帯ではあるが、先頭を飛ぶ一人が速すぎる。

 メルディナはパートナーのアルティナ・ヴェルルへと指示を飛ばし、自らも加速術式を全開にしてハリーのファイアボルトへと距離を縮めた。

 

 

「!」

 

 ほぼ横一直線だった第2陣の中で、二人が急激に加速し、頭一つ抜け出した。

 リーシャたちもそれに遅れまいと加速体勢に入ろうとし、

 

「なっ、箒の上に立った!?」

「ウソだろ、おい!!」

 

 抜け出した内の一人はさらに加速してハリーを追撃。もう一人はリーシャたちにとって驚くことに、箒の上に立って杖を構えて後方から追撃してくるリーシャたちの迎撃の体勢を整えていた。

 

 リーシャとルークは驚愕も露わにし、声には出さずともセドリックとクラリスも驚いていた。

 たしかに箒で飛行中に魔法を放つことができなくはない。

 実際昨年ハリーはクィディッチの試合中にスニッチを追い駆けながらパトローナスチャームを打っていた。

 だが、騎乗に対する安定を騎乗者に依存するセドリックたちの箒では、あんな曲芸飛行――箒の上に立ち、進行方向と逆に構える――なんてことはできない。

 おまけに

 

「シュトル・シュトレル・クワルクシュトレン」

「げっ!!」

 

 唱えられる始動キー。

 このレースにおいて認められている攻撃魔法はただ一つ。

 そしてその恐るべき効果を、リーシャは友人から聞いていた。

 

 ――着ている衣服諸共、武装を解除する魔法……つまり素っ裸にひん剥く魔法――

 

熱波(カレファキエンス)武装解除(エクサルマティオー)!!」

 

 マズイ!! と思いつつも、箒を加速させることに専心していたリーシャたちはそれに対処するゆとりはなく、慌てて舵を切ろうとし、

 

障壁(バリエース)最大(マーキシム)!!! っ!!」

「クラリス!!?」

 

 回避が間に合わず、直撃するその寸前、リーシャたちの前に躍り出たクラリスが障壁に魔力を叩き込んで武装解除を阻んだ。

 だが、相手の魔力はクラリスの咄嗟に込めた瞬間最大魔力を上回っており、障壁にかかる負担にクラリスのうめき声が漏れる。

 

「っ!」

 

 ――持ち堪えきれないっ!!—―

 

 障壁が砕け、クラリスの衣服を高熱にさらす武装解除が直撃する――――その寸でのところで、今度は慌てて箒を操作したセドリックがクラリスを引っ張り、直撃を免れた。

 

「クラリス! 大丈夫か!?」

「…………少し、袖が燃えた」

 

 クラリスのおかげで回避できリーシャやフレッドたちが進みを止めてクラリスのもとへと駆け寄った。

 直撃しなかったとはいえ、クラリスの左右の袖は武装解除の影響を受けて消し飛んでいた(術式の構成のために幸いにも火傷などの外傷はないが)。

 

 クラリスは全力を込めて、それでもなお阻むことができずに砕けた障壁を思い返した。

 

 ――危なかった――

 

 クラリスたちの使う伝統魔法では、魔法による勝負は当たるか当たらないかが大きい。

 例えば今のような場面、伝統魔法同士の撃ち合いならば、相手の攻撃呪文を盾の呪文で防いだ場合、大抵攻撃は徹らない。

 攻撃呪文に障壁貫通能力がほとんどないためだ。

 それは呪文詠唱の短さによる速射性と引き換えにしたものと言えなくもないが、伝統魔法では先に一撃クリティカルヒットさせればほとんど勝敗を決するのが常だから、それは戦術としてそれほど間違ってはいない。

 

 呪文のレベルとしては、クラリスの使った障壁魔法と相手の使ってきた武装解除はそれほど差のあるものではない。

 でなければこの競技のルール――使用できる呪文がほとんどその二つというのはバランスを欠くものとなってしまう。

 つまり今、クラリスの最大障壁が砕けたのは、単純に相手の攻撃魔法の“威力”がクラリスの障壁を上回っていたからだ。

 思い返せば2年前の悪魔襲撃事件の時も、マクゴナガル先生やスネイプ先生の呪文は悪魔の体に常時展開されている障壁に阻まれてほとんど通用していなかった。

 

 これが、伝統魔法による戦いとは違う、精霊魔法による戦い。

 それ自体に優劣がある、とは思わないが、それでも今のように真っ向からぶつかった場合、力不足は明らかだった。

 

「ありがとう、セドリック」

「いや。こっちこそだよ。クラリスが防いでくれなかったら、全員まとめて直撃だった」

「ただの箒レースじゃないって、こういうことか。……どうやらポッターもやられたみたいだな」

 

 クラリスは危ういところで自分を助けてくれたセドリックに礼を述べた。

 ルークも、これがただの箒レースだと思ってしまっていたために対応が遅れたことを省みて、危うかったことを反省した。

 先頭を飛んでいたハリーも、撃墜――こそされなかったものの、進路から大きく弾き飛ばされて動きを止めていた。

 

 

 

「フル・フィル・フェルル・フィナンシエ」

 

 後ろから聞こえてくる精霊魔法の始動キー(呪文詠唱)に、ハリーは杖を取り出した。

 期待通り、ハリーのファイアボルトは魔法世界においても飛び抜けた加速力と速度維持力を有しており、トップを走れている。

 だが、後ろから迫る気配は余力があるとはいえ、ハリーとの距離を着実に縮めている。

 

「くっ! エクスペリアームズ!」

 

 振り向き様、一瞬で狙いを定めたハリーは打たれる前に伝統魔法での武装解除呪文を叩き込んだ。

 始動キーと長い詠唱を必要とする精霊魔法に比べて、伝統魔法では後出ししたとしても楽に先手が取れる。

 杖を弾き飛ばし、呪文の威力で多少吹き飛ばすことができれば追撃は防げる。それを狙ったハリーだが、

 

「ふん」

 

 前面に伸ばした左手。“無詠唱”で張られた魔法障壁がハリーの放った紅閃を楽々と弾き飛ばした。

 唖然とするハリー。

 今の振り向きざまの一撃は不意をついた筈。だが、相手はいともたやすく攻撃魔法の詠唱中の片手間でハリーの攻撃を防いだ。

 

氷結(フリーゲランス)武装解除(エクサルマティオー)!!」

「ぅわああっ!!!」

 

 そして冷風がハリーへと殺到し、なんとか直撃を躱したハリーだがその左半身を凍りつかせ――そしてハリーの上衣の左側のみを砕いた。

 しかも衝撃によりハリーは飛翔コースから弾き飛ばされ、高速で飛翔していたがためにコントロールを一時失ってスリップするように宙を回った。

 

 

 

 

 

「ああ! ハリー!!」

 

 攻撃を受けたクラリスたちやハリー。

 魔法による大画面のウィンドウでその様子を見ていたハーマイオニーが悲鳴をあげた。

 

「いや! 反応がいい。ギリギリで避けてる!」

 

 その横でイズーが感心していた。

 今のは不意をつくつもりで逆襲を受けたのだ。あの高速の飛行中では緊急回避も難しく、直撃してもおかしくはなかった。

 運に恵まれたこともあったのだろうが、それでも今の場面でメルディナの魔法の直撃を避けたのは中々のものだ。

 

 

 動きを止められたホグワーツ生たちを悠々と追い抜き、先頭集団は一気に騎士団候補生たちで占められることとなった。

 

 

 

 




感想にて幾点か受けた指摘について追記させていただきます。



・ハリポタとネギまの戦闘力について
今回の両校の生徒の差は、私がもつ両原作の魔法のイメージとなっています。
生徒同士の力量差という点では、実は次の話でちらりと出す予定ですが、“騎士団員”を目指している生徒と、ただ普通に魔法使いの勉強をしている学生とではやはり戦闘力に差があるだろうという解釈からです。ハリーにしてもいくつか実践を経験しているとはいえ、本作ではほとんど魔法戦闘は経験していませんし、それを学ぶ時間である“闇の魔術に対する防衛術”が3年中1年しかまともに受けられていないためです。その1年も、多くは魔法生物に対するものが中心なので対魔法使い戦闘の経験がホグワーツ側には著しく欠けている、と解釈しています。
一般の魔法使いの戦力差についても、戦闘力の換算は麻帆良学園を参考にして同程度、としています。そのためネギま最強クラスのインフラが目立つラカン表からすると戦闘力300というのは低いように思われるかもしれませんが、一応このレベルが高位と呼ばれる魔法使いで麻帆良学園や本国魔法騎士団団員の平均レべルとなっています。そのため麻帆良学園(ネギまサイド)と比べてホグワーツの学校教員が人材不足、というふうには設定していないつもりです。

・姿現し / 姿くらましとゲート、瞬動について
戦闘訓練を受けていない魔法関係者が、ネギまの高位魔法であるゲートに相当する魔法を普通に使えているのは脅威ではないのかというご指摘を受けたのですが、本作品ではハリポタ原作中にも見られる“ばらける”というリスクの点から両者を分けております。
ゲートは人の転移、というよりも何かを介して空間を接続しているため姿現しのようなばらけるリスクがかなり低いと解釈しています。ただしその分、魔法としての難易度が高い。一方で姿現しは人そのものを転移しているためのリスクがある分、危険で技術としての難易度が高いが、魔法自体はそれほど高難度ではないと考えています。
また姿現しをして魔法使いの障壁を突破できる強力な魔法を問答無用で叩き込むという戦法に限って言えば、ハリポタ側の方が強いです。以前にもハリポタ魔法とネギま障壁の関係について解釈を述べているので省略しますが、強力な魔法使いの障壁や全力の障壁を張られると一撃ではそうそう貫通はできないと設定しています。
ただし、ハリポタの描写から、姿現しは発動時に大きな音がして、姿をくらますまでにタイムラグがある(ドビーの死より)という欠点のため、戦闘時では瞬動より隙が大きいと解釈しています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔法学校交流記

 異世界の魔法使いの卵たちが、激しいレース争いをしている丁度その頃。

 

「彼らはどうですか、ビーさん?」

「魔法の違いに戸惑っているようですね。箒の飛行技術に比べて空戦で十分に力が出せていなさそうなのは……あまり空戦経験がないのですか?」

 

 旧世界の魔法学校からの研修生を引率しているISSDAの夕映と、総長として学校を纏めているベアトリクス。

 かつて彼女たちが参加したそのレースを、二人はモニタで観戦していた。

 

「学校では模擬戦闘の類はあまり時間がとられていないみたいですから。それに飛行技術も競技という側面が強いようですし」

 

 今、ハリーたちが“スポーツ”として参加しているこのレース。今回は練習だが、本来の意義は、騎士団候補生の選抜の試験だ。

 ホグワーツでは荒事対策では“闇の魔術に対する防衛術”が、その役割を果たすが、夕映の言うように、昨今の授業においては、それは重要視されていない。少なくとも夕映の見た限りにおいては……

 なにせ1年ごとに担任が変わるような授業だ。

 イギリス魔法界がここ10年ほど、闇の勢力が著しく凋落しているのもその理由であろう。

 

「なるほど……平和的ですね」

「それほどそうではないようですけど……一部生徒は自主的に模擬戦や実戦経験を積んでいるようです」

 

 実は言うほど平和とは言えないのだが、向こうの学校のカリキュラムに関してどうこう言う筋は、夕映にもベアトリクスにもないだろう。

 

「この子とかは特に元気がよさそうですね」

 

 ベアトリクスが視線を向けたのは、初手から一気に飛びだそうとし、しかしメルディナによって足を止められた眼鏡をかけた男の子。

 向こうの学校からは、色んなことにすぐ首をつっこみたがるトラブルメーカーの問題児、として注意するように言われている生徒だ。

 幸いにも今の所、問題を起こすようなそぶりは見せていないが、負けん気強そうにメ先を睨み付けている眼差しからは、このラリーがまだすんなりとは終わらないことを予感させてくれる。

 

 夕映はベアトリクスにつられてクスリと笑い、そして別のモニタを開いた。

 メルディナたちが飛び立った最初の地点で、彼女たちと同じようにモニタで観戦をしている生徒たち。

 その中でも夕映は一人の少女をモニタに映した。

 

 褐色の肌に明るい緑色の髪、竜族の象徴である大きな角を持った少女。

 

「あの竜族の子……あの子がリオン君がここに預けた子ですよね」

「…………ええ。元気のいい子ですよ。――よすぎることがありますけど」

 

 数年前に、どういう経緯だったのかリオンがオスティアのアスナ女王へと預け、アスナから相談をされたネギが夕映に相談し、そしてここへと連れてこられた少女。

 

 どうやら咲耶やその友人と親しくなっているようで、楽しげな笑顔を浮かべておしゃべりしている。

 

「あの委員長って子との関係は、コレットとエミリィのようですね」

「そうですか? むしろアナタとお嬢様にそっくりだと思いますよ」

 

 お互いに評して、顔を見合わせてくすりと笑みを交わした。

 

「式典に派遣する警護人員の増加はそれでですか?」

「少しは。でもまだあの子たちが行くと決まったわけではありませんよ。優秀な候補生は大勢いますから」

 

 

 

 第59話 魔法学校交流記

 

 

 

 レースコースは市街を抜けた後、魔獣の森の手前を横切る形で通過し、都市の反対側から再び市街へと戻るルート。

 瞬間最高加速度、という点ではホグワーツ生と騎士団候補生の間にそれほど大きな差はない。だが、大量の魔力消費で加速させる騎士団候補生に対して、トップスピードの維持時間は箒の性能に勝るホグワーツ生の方が優れていた。

 

 しかし

 

「くっ!! 追い抜けない!」

 

 先頭集団はそろそろ市街へと戻ろうかという地点。リーシャたちは先頭集団となっている騎士団候補生から遅れていた。

 

 幾度かは最接近することもできていた。

 だが、その度に迎撃されて大きく回避行動をとらされてコースを外れ、体勢を整える間に差を離される、ということを繰り返していた。

 最初の攻防以来、リーシャやセドリックはおろかハリーでさえ、先頭のメルディナの顔すら見ることができていない。

 

 

 箒上での攻防を理解していなかった最初の市街地戦はともかく、その後の平野部での攻防では、セドリックたちはまったく勝機を見いだせなかった。

 ジョージやフレッドが幾度か連携して攻撃をしかけるも、視界のいい平野では、障壁魔法によって楽々と防がれていた。

 

 伝統魔法は確かに呪文詠唱が短いという確かな、そして大きな利点がある。しかし光線により攻撃範囲が狭く、特化した効果しかもたない伝統魔法に対して、精霊魔法は効果範囲が広い。

 平野での空中戦をしてみて、セドリックは二つの魔法の違いを痛いほどに実感していた。

 

 伝統魔法での武装解除(エクスペリアームズ)は貫通力がなく、容易には障壁を突破できない。

 それに対して精霊魔法の武装解除(エクサルマティオー)は効果範囲が広いため、伝統魔法で撃ち落とすことはできないし、時に障壁を砕くほどの威力を持つ。もしかしたら盾の呪文ならば防ぐこともできるかもしれないが、相手の魔法の威力次第では砕かれるだろう。そもそも盾の呪文は効果が一瞬しか保たない。

 

 こうしてみると、セドリックには二つの魔法の、特に防御の概念の違いが大きいように感じられた。

 城塞にしかけるような固定型の魔法ならばともかく、戦闘中ではただ“来た呪文を防ぐ”という盾の呪文しかない伝統魔法に対して、精霊魔法では常駐できる魔法障壁(デフレクシオ)がある。他にも瞬間的に強靭な防御力を発揮する障壁や障壁の重ね掛け、多様な形態の障壁。

 思い返せば、一番初めにスプリングフィールド先生が教えたのも、“防御の魔法”であり、最初の試験は“防御を持続させる”ことだった。

 精霊魔法においてもっとも欠けていて、かつ生き残るために重要なことだ。

 

 今回の箒ラリーに参加していないディズが、遭遇した魔法使いの障壁に気をかけていた理由が今ならば分かる。

 あのメルディナという少女が、障壁の常駐という“防御の基本”すらしていなかった自分たちを格下に見ていた理由が分かる。

 

 だが………………

 

 

 

 今また牽制の魔法を放たれ、回避したハリーたち。

 

 いよいよ市街へと戻ってきて、レースは終盤へと突入し、ハリーも箒を駆りながら、なんとか勝機を探していた。

 

 

 

 

 一方、トップを走るメルディナの方では、もはや異世界の魔法使いとの勝負はすでに決着し、騎士団候補生同士の戦いの様相を呈していた。

 ただ、その中にあっても、優勢に運んでいるのはやはりメルディナとアルティナのコンビであった。

 

 優秀な騎士団候補生は多くあれど、その学年主席であるメルディナに実技演習で唯一対抗できるのがイゾルデであり、その彼女がこの箒ラリーに参加していない以上、メルディナの牙城を脅かす者は存在しなかった。

 

 市街地の建造物を華麗に避けて飛びながら、メルディナは冷めたような思いを抱いていた。

 

 

 

 失望、と言っていいだろう。

 これでも研修生には期待して、心待ちにしていたのだ。

 

 ――旧世界

 それはあのナギ・スプリングフィールドとネギ・スプリングフィールドを生み出した世界であり、今もこの世界を救うためにネギが奮闘している世界なのだ。

 

 ホグワーツ、というのがどういう国にあるのか、実は調べたりもした(メルルあたりはそんなこともしていなかっただろうが……)。

 イギリス。

 それはあの英雄たちが生まれた偉大なる国。

 

 だが、そこに住まう伝統魔法族は…………

 

 

「フン。所詮旧世界の伝統的魔法族なんてこんなものですわね。血筋と歴史しか拠り所の無い――」

「メルディ!! 一人、猛追してきます!! 凄いスピードです!!」

「なんですって!!?」

 

 パートナーのアルティナからのいきなりの注進にメルディナは思わず思考の海から引き上げられて後ろを振り向いた。

 

 距離はまだある。

 順位も追い上げてはいるが、まだ間に何人か候補生がおり、迎撃せんと杖を構えている。

 だが、たしかに一人――いや、その後に数人、ジェットでもついているのかと思えるほどに追い上げてくる者たちがいた。

 一秒ごとに、天井知らずのように加速していく流星のように。

 

 

 

 トップを走るメルディナとアルティナに追いつかんとしていた2位のコンビは後ろから猛追してきている人影に驚愕していた。

 

「ここに来て追い上げをっ!?」

「これ以上行かせないっ!!」

 

 先頭を走るメガネの男子。

 他のメンバーも速いが、なんといっても彼の速さが段違いだ。

 

 

 相手は魔法の攻撃態勢も、防御の態勢もとっておらず、杖すら手にしていない。

 ただただ速さを追及するかのように箒の柄を両手で握り、箒に抱き着くように前傾姿勢をとっている。

 

 魔法力で叶わないとみて、破れかぶれになったのか。

 いや――

 

 「風花(フランス)武装解除(エクサルマティオー)

 

 コンビネーションで放たれた武装解除の呪文が単騎で猛追してきたハリーへと向かい、

 

「速い!!」

「あっさり突破された!!?」

 

 武装をもぎ取る風の攻撃。

 ハリーはその抜群の動体視力と判断力をフルに発揮して、最小限の被害となるようにギリギリの回避行動のみで風の迎撃を突破した。

 

 攻撃の来るタイミング。効果範囲。攻撃を恐れない胆力。高速で翔ける箒を正確に制御する技量。 

 ハリーの箒のスピードは、ほとんど落ちることなく、むしろさらに加速してトップへと迫った。

 

 

 

 

「なっ!! 魔法を受けずに回避だけで突破を!?」

 

 なんという箒捌きの技量だろう。自分たちの後ろを飛んでいた候補生のコンビがあっさりと突破されたことでメルディナは驚きの声を上げた。

 

 ハリーが突破したことで、市街地戦は再び混戦へと戻りつつある。

 抜かれた候補生はなんとか抜き返そうとし、しかしすぐ後ろから他にも来ていることに焦って連携が乱れている。

 

 双子と思われる同じ顔をした男子が、絶妙なタイミングで次々に波状攻撃をしかけ、反撃の暇を与えない。詠唱魔法に時間のかかる精霊魔法とは違い、速射性に優れる伝統魔法の優位性をうまく生かし始めていた。

 他の選手たちも箒の性能を活かしたコーナリングやスピードで攻撃を躱しつつ、着実に差を縮めている。

 

 なんといっても持続的な速度は向こうの方が上なのだ。

 視界のいい平野部では圧倒できたが、身を隠す障害物の多い市街地にきて混戦へと持ち込まれている。

 

 魔力ブーストによって加速し逃げ切ることもできるが、この箒ラリーは本来、警護任務の選抜を兼ねる騎士団員への登竜門なのだ。

 実戦に役立つよう詰め込まれた様々な要素を掬いだし、騎士団員としての力を身に着ける鍛練。

 逃げる、という選択肢は矜持にかけて選べない。

 

 アルティナとともに杖を構え、猛追してくる魔法使いを迎撃するために狙いを定めようとした。

 

「くっ! 遮蔽物を盾にして!?」

「速すぎて捉えきれない!?」

 

 ハリーは塔から塔へ、影を留めない高速の飛翔によって照準を定めさせなかった。平野部での戦いでは遮る物がなかったが、ここでなら工夫をすることができる。

 

 身を隠す軌道をとる必要から、単純な直線軌道よりもハリーのスピードは落ちている。

 だが、それを無視できるほどに今のハリーの速度は尋常ではない。

 徐々にだが差が詰まる。

 

 

 

 

 ハリーは高揚感を覚えていた。

 これほどまでにこのファイアボルトを、箒の性能を十全に引き出したことが今までであっただろうか。

 いや。

 クィディッチの競技場ではその広さと、ファイアボルトの速度の凄まじさから、そのトップスピードを存分に発揮することはしていなかった。

 今ではそれが分かる。

 

 このレースの前、今目の前を翔けるメルディナは道具に頼っている自分を蔑んだ目で見ていた。

 たしかにそうだったかもしれない。

 だが今では胸を張れる。

 自分は今、この最高級の箒――ファイアボルトの力を完全に引き出している。

 

 全身で風を感じ、自身が風になったかのような感覚。

 視界に流れる光景が、相手の動きが、時間を引き延ばしたような感覚で認知できる。

 

 メルディナとそのパートナーが杖をこちらに向けようと体を半身にしようとしている。その動きの予兆がゆっくりとしたものに感じられ、一瞬先の未来が脳裏に閃き、その一瞬に対応できないのが嘘のように思える。

 ハリーの手が素早く懐に飛んだ。

 

 

 

 

 距離が近づけば、それだけ回避軌道をとるのは難しくなる。

 ハリーとの距離が近づいた分だけ、メルディナはハリーへと照準を定めやすくなり

 

「このっ!! 氷結(フリーゲランス)――」

「エクスペリアームズ!!!」

 

 飛行しながら後方に武装解除を放つために杖を振るおうとしたメルディナだが、その腕に正確にハリーの武装解除術が命中し、杖が吹き飛ばされた。

 早抜きからの一撃。

 一瞬の時間差で、攻撃を受けなかったアルティナの魔法が発動するが、急加速したハリーはそれが当然のように避けた。

 

「なっ!! この速度で正確に!!?」

 

 ――障壁の継ぎ目のタイミングを狙われたっ!!?――

 

「メルディ!!?」

 

 アルティナは相手に魔法が命中しなかったことよりも、自身のパートナーであるメルディナが撃たれたことに衝撃を受けた。

 

 常駐型の魔法障壁、と言っても、常にその身に纏えるわけではない。

 攻撃魔法を発動させる一瞬。攻撃しながら防御を持続させられるのは、よほどの鍛練を積んだ高位の魔法使いでしかなしえない高等技術だ。

 相手がそれを分かっていたのかは分からない――いや、このタイミングで無策で突っ込んできた、というのは考えづらい。狙ったと考えるべきなのが自然だろう。

 だが、果たしてそれは可能なのだろうか?

 あの少年の乗っている箒には飛行補助の術式はあっても安定化の術式はない。

 不安定な箒の上で、この高速で飛行する中、一瞬しかない攻防の切り替えのタイミングを衝くなどという芸当を、果たしてただの学生が?

 

 

 最早リードはほとんどない。

 今はまだハリーよりも先んじており、ゴールまであとわずか。

 

「くっ!!! ティナ!! 加速(アクケレレット)!!!」

「っ!! 加速(アクケレレット)!!!」

 

 メルディナはここにきてこの勝負の訓練としての意義を捨て、ただ速度の勝負へと没した。

 残りの魔力を全てブーストに回し、ハリーの速度に対抗するために加速した。

 

 

 流星が市街を翔けるように3つの光点が奔り、宙でもつれあるように流星の軌道は抜きつ抜かれつを繰り返した。

 

 

 

 流れる景色。

 見える終着点。

 

 そして―――――

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

「やったぜ、ハリー!!」

 

 わずかな差で、デットヒートに勝ったのはハリーだった。

 コンビでのレース、ということを考えれば、ペアであったジニーを放置して単騎でゴールしたハリーではなく、コンビでゴールしたメルディナとアルティナの勝利であろう。

 だが、今回は練習であり、急造ペアであるためにそのルールは一応のものでしかない。

 

 ハリーたちがゴールしてしばらくしてから候補生やセドリックたちも競うようにゴールし、今は勝利したハリーをジョージが担ぎ上げていた。

 

「すごかったねー! まさかあんなに速く飛べるなんて思わなかったよ!」

 

 観戦していたメルルも、ハリーの絶技のような箒捌きに感嘆していた。

 咲耶やフィリスも、クィディッチの時に見せるハリー(シーカー)の腕前とは違う姿にわいわいと騒いでいた。

 

 

 

「まさか委員長に勝つとはなぁ」

 

 自分にも伍する候補生の筆頭が、一度とはいえ不覚をとったのだが、イズーはなんだか嬉しそうに、というかうずうずとしたような顔をしている。

 ちらりと、イズーはメルディナへと視線を向けた。そこにはとびっきり悔しそうにしているメルディナが

 

「あんなの!! ただ箒の性能と扱いが良かっただけですわ!! この箒ラリーの意義は実戦に必要な様々な要素をくみとることです!! アナタのやり方は実戦ではなんら通用しません!!」

 

 ビシッとハリーに指を突きつけて言い放った。

 本来の選抜試験では百キロ、しかもコンビでなければ意味がないため、今回のハリーの勝利は相棒をまったく無視した騎士()としては褒められたものではないだろう。

 だがその悔しそうな表情は言葉とは裏腹に、自らが不覚をとったことを自覚しているように見える。

 

 

 ハリーは自分たちを格下に見ていた相手に一矢報いたことで、負け台詞を遮ってやりこめてやろうと口を開きかけた。

 

「騎士団員たるもの、いつどのような状況でも力を発揮できるように――」

「それは違いますよ、メルディナ」

 

 だが、ハリーが口を開く前に落ち着いた女性の声がハリーの出端をくじき、メルディナの言葉を遮った。

 

総長(グランドマスター)……!」

「この戦いでは先に戻ってくることが目的で、相手よりも強いかどうかを競うものではないのだから。彼はその目的を正しくまっとうしています」

「ですが――」

 

 ベアトリクス総長からのお言葉にメルディナは悔しそうに俯き、反論しようとして

 

「道具の性能にしてもそう。相手が高性能のアーティファクトを持っていたからといって、任務のいいわけにはできないでしょ? それに最後の武装解除は、アナタの防御と攻撃の隙間を狙った見事なものでしたよ」

「そうそう委員長。最後のあれがエクサルマティオーだったら委員長ひん剥かれてたね」

「なっ!!!」

 

 反論できない正論と、たしかに見せたハリーの技量に言葉を封じられた。

 おまけに、にししと笑っていれてきたチャチャにメルディナは顔を真っ赤にした

 キッ! とハリーを睨み付けた瞳は涙目になっており、ハリーから身を隠すように肩を抱いてぷるぷると震えている。

 

 たしかに、伝統魔法で使う武装解除がメルディナたちのモノと同じであれば、確実に肌を晒していただろう。

 

「~~ッ!! 分かりました!! 今回は私の負けです!! ですが、次の選抜試験は必ず私が通過してみせます!!」 

 

 敗北の屈辱をしっかりと噛み締め、メルディナは総長とイズーを睨み付けるように見つめた。

 ライバルであるイズーに宣言するように。

 そして次いでハリーへと向き直り、歩み寄った。

 

 距離的には歩み寄ってきてはいるものの、どう見ても好意的な顔に見えない険しい顔をしている少女に、ハリーは敵対するように睨み返した。

 攻撃的な言葉が出てくれば、いつもマルフォイにやり返しているようにやり返してやろうとハリーは身構えた。

 

「アナタ……名前をまだお聞きしていませんでしたわね。なんとおっしゃるのかしら?」

 

 だが口を開いたメルディナは、屈辱を無理やり抑え込んだような顔で、口調だけは丁寧に問いかけた。

 

「ハリー……ハリー・ポッター」

「ハリー・ポッター…………覚えましたわ。アナタたちもオスティアに行くのでしょう? 次に会うのはそのオスティアです!! 絶対に騎士団員として、次は絶対に負けませんわ!!!」

 

 ビシリっと指を突きつけ、メルディナは堂々と言い切るとふいっと身を翻し、肩をいからせて歩き去った。

 屈辱とかなんか色々とした感情を発露させて赤くなった顔を見せまいとするかのように足早に。

 

「負けませんって、委員長のやつ、何しにオスティア行くつもりだよ」

 

 すたすた歩き去って行くメルディナとその御供たちを見送りながら、頭の後ろで両手を組んで眺めていたイズーは呆れたような、どこか楽しがっているような、そんな顔で彼女を見送っていた。

 

「どうやら、彼女たちにはいい刺激になったようですね」

 

 ベアトリクスは薄く微笑み、ハリーたちホグワーツ生にお礼を述べた。

 

 かつての自分が、そしてここにはいない“かつての”委員長が感じたのに似た思いを、メルディナが抱いてくれたこと、それはきっと小さな、それでも次代へとつながる確かな一歩だ。

 

 現実世界と魔法世界はまだまだ遠い。

 単純な距離の問題ではなく、心の距離がまだ遠いのだ。

 それだけ永く、二つの世界は隔たっていた。

 

 メルディナのように、現実世界の人々のことを知らない純粋魔法世界人は多い。

 同じように、ホグワーツの彼らもまだまだ魔法世界のことは実感としてとらえきれていない。

 ただこの研修で、少しでもそれを埋めることが ――お互いに分かっていくことが大切なのだ。

 

 

 

「単純なスピードならともかく、魔法の技能はやばかったな」

「攻守の威力の差が大きかった。戦闘技術でも学ぶことは多い」

 

 ホグワーツの魔法生徒の力を体感したメルディナたち同様、本場の精霊魔法の使い手の力をリーシャやクラリスたちホグワーツ生も体感して振り返っていた。

 セドリックやルークも参加していなかった咲耶やフィリスたちと先のレースでの騎士団候補生たちの魔法について話していた。

 

 今回の魔法戦はお互いに刺激を受け合う交流会となったらしく、総長たちはそれを満足そうに見やり、今回のレースに参戦できなかったイズーは興味深そうにハリーを見つめてにまっと笑った。

 

「ふーん……よし! 私もいっちょオスティア目指して頑張るとするかな!」

「ありゃ、どういう風の吹き回し?」

 

 なにやらやる気をみなぎらせている相棒にメルルが意外そうな顔をして尋ねた。

 メルルの知る限り、彼女の相棒はそれほどオスティアのお祭りには興味がなかったはずなのだが

 

「オスティアに行けばまたハリーたちと会えるんでしょ?」

「えっ!!?」

 

 にこやかな笑顔のまま告げた(一部少女にとってやたら不穏な)言葉にぎょっとなってハリーたちはかえりみた。

 

「うっわぁ、あのイズーがやる気になってる。これはいいんちょー強敵出現だ」

「これはまた随分とオモシロ……複雑怪奇なラブ空間になってきたわね」

「えっ!? なに!? そゆう感じなん!?」

 

 一部、別の意味で交流が深まったことになにやら顔を輝かせていたが、これもまあ交流の形であろう。

 

 

 

 

 ・・・・・・・

 

 

 

 アリアドネーでの研修期間も終わりに近づいた休日。

 騎士団候補生に混じって講義を受けていた咲耶やハリーたちは、ハーマイオニーやクラリスたちとともに、彼女たちのクラスメイトのメルル、そしてイズーとともに街へと繰り出していた。

 

「それじゃあレッツゴー!」「おー!」

 

 元気いっぱいのメルルに合わせるように腕を突き上げるサクヤの様子に、お供になっているハリーは心温まる思いで見つめた。

 

 

 ホグワーツでは学年も寮も違うためにあまり一緒にいられないサクヤと(周りに友人たちがいっぱいいるが)、一緒にデートのようなことができるとのことでハリーは心が弾むのを感じていた。

 ほわほわの無邪気な笑顔は相変わらず幼く見えて、けれどもとても可愛らしい。

 彼女はいつも友人たちと一緒に行動しており、今日だって彼女の友人がたくさん同行している。

 どうやら波長があうのかサクヤはメルルやイズーともすっかり仲良しになっており、次の国に行く前にスイーツ巡りをしようと画策するに至ったらしい。

 

 

 のだが

 

「ちょい待ち」

 

 同行しているイズーが待ったをかけた。

 おそらくハリーが気になっていたことと同じことだろう。

 

「なんで委員長たちがいんの?」

 

 イズーが指さす先には、箒ラリーで激戦を繰り広げた委員長ことメルディナと、その御供のアルティナがいた。

 

「わ、私は! あ、アナタたちが研修生と出かけると聞いて、アリアドネーに関して間違った知識を彼らに教えてしまいはしないかと思っただけで! 委員長として異世界からの客人をもてなそうと……ぐ、総長(グランドマスター)からもくれぐれもと言われたのです!!」

 

 指をさされたメルディナは顔を赤くして言い分を述べ、なぜかハリーを睨み付けていた。

 その瞳はなぜか涙目になっており、言葉もどこかたどたどしい。

 

「要するにいいんちょーはハリー君と一緒におでかけしたいと?」

「なっ!!? あ、わ、わたくしは別に! あ、あちらのコノエさんにお母上のお話を伺いたいだけですわ!!!」

「あんだけ面と向かって“次に会うのはオスティアだ!” なんて言ってたのにな~」

「~~~ッ!!! アナタたち!!!!」

 

 メルルとイズーがにまにまと代わりばんこに指摘するとメルディナはぷるぷると震え――爆発して二人を追い駆けまわした。

 どうやら彼女なりに堂々と敵対宣言をしておいてこの交友会に参加するのは気が引けるものがあるらしい。

 

 一方でそんなメルディナの相棒のアルティナは

 

「よろしゅうな~、うち近衛咲耶」

「よろしく。私はアルティナ・ヴェルル。メルディもあんなだけど、あなたたちと話をしたがっていますから」

 

 表面上淡々としつつも和気藹々とニコニコ顔のサクヤと挨拶を交わしていた。

 

「それじゃあ、まずは私のおススメのスイーツめぐりから行ってみよー!」

「ゴー!」

「えっ!? そ、そういう趣旨だったのですか!? それじゃ、これはデー……」

「おーい。人数多いの忘れないでよ、委員長」

 

 どこでどうまとまったのか。すっかりメルディナも参加することになったスイーツ巡り(今決定)へと一行は歩き始めた。

 

「わ、分かってます! しかしメルルさん。彼ら(・・)は研修に来ているのですよ! 時間も残り少ないのですからもっと学ぶべき価値のある――」

「メルディ。もうみんな行ってる」

「にゃっ!!?」

 

「へー、クラリスはこっちに留学希望してるの!?」

「うん。だから色々教えてほしい」

 

「ちょっ! ま、待ちなさい!」

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

狗族と人狼

 同じ年代の、異世界の魔法使いたちとの交流を温めることができたアリアドネーの滞在日は長くも短くも感じられるうちに過ぎ、一行は再び鯨飛行船にて次の目的地へと向かう日となった。

 

 フィリスたちは新しくできた友人との別れに、離陸する飛行船の窓から名残惜しそうに外を眺めていた。

 

「次に会うときはオスティアって言ってたけど、イズーたちが選抜試験に通らないと会えないのよね」

「また、会えるとええな……ううん。きっとまた会えるて」

 

 出会いと別れは旅の常とはいえ、淋しさを感じないものではない。咲耶もこの慣れない思いを感じて寂しそうな表情になり――――しかしまた会えることを告げるように顔を明るくした。

 

「そうだな……ん? おい、あれ! あの塔のあたりのヤツ、イズーじゃね!?」

「えっ!?」

 

 リーシャの声に、咲耶やフィリス、クラリスまでもが視線の先を追った。

 

「あ! ホンマや!!」

「なんか跳ねながら塔に上ったわよ、あの子」

 

 ポート近くでもは一番の高さの塔に、箒も使わずにぴょんぴょんと跳ねるように駆け上がった特徴的に大きな角と尻尾を持つ少女 ――イズーの姿を見つけて、咲耶たちは窓に顔をくっつけた。

 イズーは咲耶たちの見送りに来たのだろうが、何かを探すようにじーっと飛行船の方を凝視した。そして、明確に視線を一点に向けてにかっと笑うと大きく手を振った。

 

「もしかしてイズー、この距離で見えてるのかしら?」

「……そうっぽいな。あっ、なんか後ろから来てるぞ」

 

 飛行船の中から見ているから気付いたのだが、果たして外から飛行船を見て、目的の人物を特定できるものなのだろうか。

 ただ、なんとなくあの少女は見えてるだろうと感じさせてくれる。後ろに迫っている人物には気づいていないっぽいが。

 

「あ、あれ委員長じゃね?」

「メルディナさん? あ、ホント。でもなんか言い合いしてるわね」

 

 戦いを通じて仲良くなり、見送りに来た……というわけではなさそうで、なにやらメルディナはイズーと言い合いをしているように見える。

 そしてイズーがなにかニヤニヤとした顔で飛行船の方を指さすと、メルディナは顔を真っ赤にして飛行船の方を睨みつけ、飛行船のどこかに向けて指を突き付け、何か喚いた。

 残念ながら、その声は咲耶たちには届いてはいないが。

 

 ただ、なんとなく言っていることが分かるのは、咲耶たちの思い過ごしではあるまい。

 

「へへへ。まったなー委員長!」

「またオスティアで会おな~!」

 

 多分、ニュアンスは違っても、同じようなことを言っていたはずだと信じて、リーシャたちは手を振ってアリアドネーを後にした。

 

 

 

 

 第60話 狗族と人狼

 

 

 

 

 鯨飛行船内にて、ホグワーツの生徒たちが集合し、ハリーたちの前には初めて見る顔の男性がいて、夕映から紹介されていた。

 

「村上小太郎君です。ヘラスではアリアドネー以上に亜人が多いので彼にも同行してもらいます」

 

 追加の引率者。

 なぜ今さら追加、と思わなくもないが、同時にハリーはその男性の外見から向こうで紹介されるわけにはいかないよな、と納得していた。

 

 ちらりと、ルーピン先生の方を見ても驚きに目を瞠っており、他の生徒たちも動揺してざわついていた。

 

「人狼…………」

 

 一見すると普通のヒトと見分けのつかないルーピン先生とは違って、目の前の男性はあからさまだった。

 野生の猛犬の毛並のような黒くツンツンとした髪の毛。そしてその頭部から伸びている三角形の犬耳。顔つきは向こうの世界の東洋人のようだが目つきが鋭く、強気な性格を感じさせる。

 彼が引率の人たちが言っていたク族の人狼なのだろうか、雰囲気からして狼のような人だ。

 この旅行の始め、ユエ先生たちが言っていた人狼の特性を制御する術を知っているかもしれない人。

 ハリーはややの期待を込めて見つめた。

 もしかしたら人狼の制御ができたら、ルーピン先生がホグワーツに戻ってくるかもしれない。

(実際には、人狼という種族自体を嫌悪するイギリス伝統魔法族の世界では、制御できたとしても学校の教師になどなることは難しいだろうし、昨年制定された反人狼法がある限りルーピンが真っ当な職につくことは難しいのだが)

 

 

 

 

 

 ハリーたちホグワーツ生に小太郎を紹介した夕映たちは、ひとまず解散して高音たちだけで別方面の要件について小太郎と情報の交換を行った。

 

「オスティアの方はどうですか?」

「あー……まぁ予定通り、ってか、荒くれモンがうじゃうじゃや。下の方には楓の姉さんと例のアイツが潜って掃除中や」

「楓さんはともかく、あの人は大丈夫なのですか?」

「心配性やな高音さん。アイツは歯ごたえある獲物さえ居ったらええんやから、ある意味扱いやすいで」

 

 ブルーマーズ計画の進捗とともに、魔法世界の“表側”では魔力が生成される環境が整いつつある。

 それを象徴するように魔法世界でも魔力の充実が見られている。具体的には純粋魔法世界人の現実世界への往来が微々たる進捗とはいえ可能となっていることや、魔力消失現象によって荒廃した地域に魔力が戻っていることなどがある。

 つまり半世紀前の大戦で崩落した旧王都オスティアの浮遊島の再浮上だ。

 だが、その一帯は魔法世界の強者でも苦戦する強力な魔法生物たちが、あたかも雑魚敵のごとく大量にポップする危険地帯になっているのだ。そのまま浮上させては現オスティア市街部にも強力な魔法生物たちが流入する恐れがある。

 そのための処置の一つを、彼らの仲間である甲賀中忍、宇宙忍者の長瀬楓と、“とあるやり手の剣士”に依頼しているわけだ。

 

「日程的に彼女は記念式典までオスティアにいるのでしょう? こちらとエンカウントした場合、その反応は不確定なものがあります」

「咲耶ちゃんが襲われでもしたら私らまでリオン君に殺されそうだしね」

「裕奈さん。そんなありそうなことを言わないでください」

 

 高音たちの懸念は“あの剣士”の行動原理が危険極まりないことにある。

 あっはっはと快活なジョークを飛ばす裕奈だが、リオンの咲耶への“執着”を知っている夕映からすれば、それは笑えるようなことではなく、頭痛を堪えるように額に手を当てた。

 

「心配いらんて。アレの食指が動くようなんは連中の中に居れへん。リオンのやつも来てへんのやったら近衛のガキんちょに手ぇ出す理由もないしな」

 

 高音たちの懸念に対してなかなかに失礼な物言いをする小太郎。

 

 “あの剣士”が狙うのは強者だ。

 自分の剣が存分に振るえるツワモノ。

 小太郎からみて、“彼女”の御眼鏡に適うような使い手は、この一行の中には自分を除けばいない。

 かろうじて高音あたりにちょっかいをかけるかと思えるくらいだろうが、それならまあなんとか対処できるだろう。

 

「まあそっちの話はひとまずおいといて。小太郎君、ちょっと君に見てもらいたい人がいるんだよね」

「あん?」

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

 

「あんたがルーピンさんか?」

「はい。あなたは、村上さん……ですよね」

 

 裕奈たちに促される形で、小太郎はルーピンたちと会う運びとなった。

 

 この魔法世界旅行におけるルーピンのもう一つの意義、人狼化の制御について小太郎の意見を聞くためだ。

 

 ハリーやシリウスたちと話をしていたルーピンは、自分と同じ、いや、それ以上にあからさまに人狼らしき人物に話しかけられて思わずどぎまぎとした。

 

 連れてこられた小太郎は挨拶もそこそこにして、じろじろと不躾な視線をルーピンに向けた。

 ずいと顔を近づけられたルーピンは居心地悪そうにたじろぎ、口を開こうとし、 

 

「ふぅーん……後天的な人狼への転化、ねえ……」

 

 その口から言葉が出る前に言われた言葉に、ルーピンやハリーたちはぎょっとして目を開いた。

 見た目で分かるこの男性とは違い、ルーピンの人狼特性は、普段は一見して分からないものなのだ。

 

 小太郎はルーピンの反応とは無関係に顔を離し、ちらりと夕映を見た。

 

「魔力の影響で満月の光を浴びると理性の枷が外れて無差別に呪いを振り撒く魔狼になるそうです。同じ人狼種の小太郎君なら、彼の治療方法を知らないかと思ったのですが」

 

 あらかじめある程度は説明していたのだろう。

 それに補足するように夕映はルーピンの人狼化について小太郎に説明した。だが、気になる言葉がそこに含まれていたのか、小太郎は鼻を鳴らしてルーピンを見た。

 

「…………あいにくやけどさっぱりやな。治療なんぞ専門外や」

 

 小太郎の答えに、一緒で話を聞いていたルーピンの友、シリウスは眉を顰めた。

 彼は知っているから。

 シリウス自身はルーピンが人狼だからといっても、友であることに揺らぎなどない。だが、それでも学生時代からずっと、ルーピンがそのことで苦悩し、そして辛い目にあっていることを知っている。

 ユエから治療は無理だと言われてはいたが、あらためてそれを通告されるのは気分のいいものではない。

 

「そうですか…………せめて制御方法くらいなんとかならないかと思ったのですが」

「制御いうてもなぁ。生まれつきのもんやし、気にしたことないわ」

 

 夕映の言葉に小太郎は難しい顔をして唸っている。

 

「貴方は、その、人狼の力を暴走させたりはしないのですか?」

「んぁ?」

 

 ルーピンの質問に小太郎は怪訝な表情となった。

 人狼の力とは、ルーピンにとっては制御できるようなものではなく、ただただ苦痛と嫌悪そのものでしかない。

 その牙を別の誰かに突き立てた瞬間、その被害者は新たな加害者たる人狼へと変じてしまうのだ。

 

「暴走? 力の使い方も分からんガキ時分にはあったかもしれんけど…………なんや、もしかして自分、その力が恐いんか?」

 

 ルーピンの様子から自分との相違を見て取った小太郎は、訝しげな視線を彼に向けた。

 

「貴方は恐くないのか!? 自分の身の回りにいる人を無為に危険にさらして! 人狼は……危険な存在のはずだ!」

 

 

 小太郎にとって獣化は奥の手に相当するものではあるが、紛れもなく自身の持つ力の一つだ。嫌悪するものでも恐れるものでもない。

 だが、目の前の西洋魔法使いにとって、彼の内に宿る力というものは、自分のそれとは違うものであることを理解したのだ。

 一方でハリーやシリウスはルーピンの言葉に悲痛な思いに聞いた。

 

 子供のころからその狂暴な性に振り回され、他者を傷つけない代わりに自らを傷つけ続けた半生。いつか自分も、自身を人狼に堕としたあの人狼のようになってしまうかもしれない。

 血に飢え、未来の希望を潰すことに快感を覚え、他者を自分と同じ穴に引きずり落とすことを喜ぶ、そんな獣のような存在に。

 

「はぁ~、な~るほど」

「なにか分かったんですか?」

 

 小太郎が呆れつつも納得したように頷き、それに対して夕映が尋ねた。

 ハリーたちも今度こそ期待を持って小太郎を見た。

 

「なんでコイツが獣化のコントロールできんかは、分かったわ」

「分かるんですか!?」

 

 小太郎の言葉に、ハリーが驚きと喜色を混ぜて声を上げた。

 それはハリーだけでなく、シリウスやハーマイオニーたちも同じであり、当のルーピンは言葉の意味が理解できないかのように唖然として小太郎を見つめた。

 

 

 イギリス、いや、ヨーロッパにおいて人狼を御する方法はないとされる。

 だが、闇の魔法生物というのは、場合によっては魔法使いによって御される場合もあるのだ。

 例えばハリーが2年生の時にホグワーツを恐怖に陥れた蛇の怪物、バジリスク。

 毒蛇の王ともされるあの怪物は、視線を合わせた者を一瞬で殺すという手の付けようのないようにも思える化け物であるが、一説によると魔法使いによって生み出された存在であり、魔法使いによって使役されることもある。

 日本ではそれに似た存在として式神が存在する。

 人によって作り出される、元々存在する、人の意志を越えるものによって生み出される、様々な経緯はあるが、人の手に余る存在を下し、使役する術は確かに存在する。

 とはいっても、魔法生物の使役に関してヨーロッパの魔法が日本の呪術(魔法)に劣っているというわけではない。

 日本の魔法でも使役できない存在をヨーロッパの魔法で使役できることはままある。先のバジリスクなどその一例であろう。

 

 ただ今回に限って言えば、少し違った。

 

「まーな。簡単に言うと――――――――アンタが弱っちすぎんねん」

「なっ!?」

 

 あまりにもあんまりな言い分にハリーは絶句して小太郎を睨み付けた。

 

「オツムがええんか知らんけどな。ぐだぐだ悩んで自分にすら脅えとる。アンタが自分にどでかい枷をかけっぱなしにしとるから、もう一人のアンタが暴れたがっとるんや」

「暴れたがっているなんて……出来るはずがない! 貴方はフェンリール・グレイバックを知らないのか!」

「誰やそれ?」

「イギリスの人狼だ。子供を噛んで人狼にする事を趣味にしているような屑野郎だ」

 

 小太郎が首を傾げ、夕映たちに尋ねるように視線を向けるも、彼女たちも知らないらしく首を傾げていた。

 それに対してシリウスがやや重い声で、その人狼のことを説明した。

 

 かつてルーピンを噛んだ人狼。

 イギリス暗黒時代。闇の帝王に組し、狼人間の中で最も残酷とされている男だ。

 

「そいつも人狼の制御はできてへんのか?」

「やつは人狼になるときわざと子供の近くに居ようとする! それを制御出来ているだなんて言えるものか!!」

 

 グレイバックの信条は“狼人間は人の血を流す権利がある”というもので、闇の帝王に敵対的な行動をとった魔法使いの子供を噛むことで人生を狂わし、狼人間に、そして死喰い人へとすることを使命と捉えているような狂人。

 

 好戦的な小太郎といえども、流石にそんな人物に対しては思うところがあるのか、目を細めた。

 

「ほー…………まあそもそも種族としての狗族とアンタの人狼化はちゃうもんやから一緒にはできんやろけどな。ただ、たとえ制御する方法があったとしてもアンタはできへんわ」

「なんでそんなことが言えるんだ!」

 

 小太郎の見放したようなおざなりな言葉に、ハリーは思わずカッとなって声を上げた。夕映たちも小太郎の言い様に顔を顰めた。

 

「小太郎君」

「聞かれたことに答えただけやろ」

「それにしても言い方があるでしょう」

 

 話しは終わりとばかりにひらひらと手をふる小太郎を夕映が窘めた。

 叱咤するような気配を感じて小太郎は「はぁ」と溜息をついた。

 

「つーかアンタも分かっとるんやろ。転生転化して人外の特性を持ったんやったら、ネギと同じや。簡単にどーにかなるもんちゃうわ」

 

 溜息交じりの言葉に夕映は難しい顔をした。

 小太郎の言は予期していなかったことではない、というよりも予想通りと言えた。

 転生による人外への転化。

 それの意味するところは最早ただのヒトには戻らないということ。そして代償なくそれを制御することは非常に困難だということだ。

 

 だが、その言葉は不可能ということだけは否定していた。

 それに気づいたハーマイオニーは今にも噛みつきそうなハリーを抑えて冷静に指摘した。

 

「村上さん、それはどうにかする方法があるということですよね」

 

 小太郎はめんどくさそうに頭をガシガシとかいた。

 

「こういうんはそれこそリオンのヤツの…………あのガキ面倒事投げて押し付けよったな」

 

 呟きを口にしながら、この人狼もどきをリオンが魔法世界に送り込んだ理由が分かって声に険を宿した。

 

 内に宿す“本質”の制御は、ネギが経験したのと同じものと仮定するならば純粋戦闘タイプの小太郎ではなく、むしろ闇と魔に卓越したリオンやネギ、“闇の福音”こそが専門だろう。

 そして小太郎の見立てでは、彼らの方法では、今の時点のルーピン(人狼もどき)では確実に人狼を制御できない。

 より正しくは制御に失敗して飲み込まれるだろう。

 

 夕映たちから聞いた情報や短いながらも交わしたルーピンとの会話から、ルーピンが自身の人狼としての“本質”を認めておらず、自身すらをも恐れているのは明らかだ。

 “闇の福音”たちのやり方とは合いそうにない。堕ちるのが目に見えている。

 リオンはそれが自分のところに話が回ってくるのがいやで早々に厄介事を放り投げたのだろう。 

 

 

 小太郎を睨み付けるように見つめてくる子供たちやルーピンの眼差し、そして夕映たちの無言の圧力にを受けてガシガシと頭をかいた。

 

「わーったわーった。人狼のよしみで少しは面倒みたるわ」

「え?」

「暴れさせたる言うとるんや。ガキのお守りで来とんのやから少しはできるんやろ? ほれ。撃ってきてみいや」

 

 

 

 

 

 

 ここには居ない誰かさんに対する小太郎のイライラが沸点に到達しそうになっていたころ。

 

「次は“あの”ヘラス帝国か~」

 

 リーシャたちは相変わらずほのぼのと空の旅を満喫していた。

 

「あの?」

「ほら。ヘラスって言ったら、スプリングフィールド先生をリオポン呼びした勇者がいるとこだろ。あれってサクヤの知り合いなんじゃなかったっけ?」

「あはは。うーん、あの二人は今から行く帝都からはちょい離れた王国のお姫さまやからな~」

 

 次の目的地であるヘラス帝国。

 授業によるとそこは住人のほとんどが亜人で構成されている、リーシャたち魔法族にとっても未知の場所なのだ。

 

「え? お姫さまなの?」

「うん。うちよりちょい年上やったかな」

「えっ!?」

 

 ヘラス帝国領内とはいえ、あの二人がいるのは帝都とは違う古都。いくらあの二人がわんばくやんちゃでも、流石にエンカウントすることはないだろう。

 

 だがそれ以外にもたくさん楽しみはある。アリアドネーでの授業で習ったことやメルルに教えてもらったヘラスの見所(スイーツ編)など楽しみはいっぱいで、飛行船は順調に目的地へと向かい――――突然ズーンという音とともに軽く飛行船が揺れた。

 

「ひゃ!?」

「んあ、なんだ?」

 

 グラグラとした揺れは一瞬。すぐさまもとの通りに落ち着いた。

 

「なんやったんやろ今の?」

「別に天気が悪いわけでもないわよね」

 

 外を見ても、今の揺れを起こしたと思われる原因は見当たらず、飛行も安定しているように見える。

 咲耶たちは首を傾げ――――そして何事もなくまたおしゃべりへと戻っていった。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

「何を考えてるんですか、小太郎君!?」

「なんや寸止したのにダウンかい。典ッ型的なひょろひょろの西洋魔術師やな」

 

 怒る夕映や高音に対してあきれ混じりに指差す小太郎。その指し示す先には吹き飛ばされて壁に激突し、目を回しているルーピンとアワアワと彼に駆け寄るハーマイオニーたちの姿があった。

 

 瞬動からの掌底一閃。

 但し直撃はしておらず、ただ風圧のみがルーピンを吹き飛ばしたのだが、その威力は障壁なしの魔法使いが耐えられるものではなかったらしい。

 

「船を壊す気ですか!!」

「ただの風圧で壊れるもなにもないやろ。それに見てみい。あれだけでノビとるやないか」

 

 ルーピンは防衛術の教師を務めたこともあり、見かけのひょろひょろとした外見とは違って、魔法使いとしては中々に優秀ではある。

 だが 最強クラスに次ぐレベルの遣い手である小太郎の技を見切れるのは、魔法世界においてもそうは居ない。

 

 躱せるとまでは小太郎も思ってはいなかった。

 だがまさか不意討ち対策に障壁の展開もしておらず、人狼の特性である頑強さがこの程度だとは思いもしなかったのだ。

 

「今、彼は獣化の封印とともに力の一部も封じられているのです」

「あー、裕奈さんのあれか。てことは数日はそのまんまやな…………」

 

 小太郎自身もかつて受けたことのある獣化封印術式。

 彼自身はそれを懲罰として施されたのであり、また受けたいとは思わないのだが、自分からパワーダウンするために使うとは奇特な事だと小太郎はノビているルーピンを見やった。

 

「そいつに言うとけ。封印やらが解けてからもっぺんやったるわ」

 

 ルーピンの傍に駆け寄ったハリーは、敵を見るような目で小太郎を睨み付け、小太郎は睨み付けてくるハリーに薄く笑いかけた。

 

「俺は元々狗族やから噛まれても問題ないしな。もっとも、ひょろひょろのヘタレに俺を噛むような牙があるとは思えんけどな」

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リオンくんのしんじつ

 亜人とも呼ばれる、この世界に太古から住まう古き民たち。彼らの国が多くある、世界の2大勢力の一つ ―― ヘラス帝国。

 

 当然その街にはメガロはもとよりアリアドネーよりも多くの亜人が生活しており……というか目に映る人のほとんどすべてが亜人だった。

 それもアリアドネーでよく見かけた猫耳、犬耳、兎耳などの生えたちょっと変わった外見のヒト、といったレベルではなく、デフォルメされたイルカのような人(?)や、もはやぬいぐるみにしか見えない1頭身の兎もどきなどが、普通に闊歩している。

 今まで見た街以上にファンタジーここに極まれり、といった街並みにハリーたちは唖然としながら街を歩いていた。

 

「ユエ先生。亜人って、あの、前に学校に来た悪魔のような人もいるんでしょうか?」

 

 街を歩く亜人の人々を見て、ハーマイオニーは思っていた疑問をぶつけてみた。

 彼女が2年時にホグワーツを襲撃した悪魔。

 それは自称ではなく、たしかに“悪魔”の姿と力を見せた人ではない存在だった。

 

 今この街にはあの時のようなこれ見よがしな悪魔っぽい亜人はいないが、居てもおかしくなさそうな光景だ。

 

「悪魔……魔族も稀にではありますが居ますよ。ただし、まだ魔界との国交は開かれていませんから数としては多くはありませんが」

「魔界!? 魔界なんてあるんですか!?」

 

 ユエの説明にハーマイオニーは驚いて質問を重ねた。

 魔法世界、などというものがあるので不思議ではないといえばないのだが、まだ知らない異世界があるのかという驚きはあって当然だろう。

 

「ええ。魔族は主に魔界から来ているそうですよ。 …………!」

 

 どこだよそれは!! という生徒たちの心の声は、残念ながら答えを得ることはなかった。

 話しながら先導していた夕映が、路地を向かい合うように歩いてきたとある人物に気づいて足を止めた。

 

「夕映さん? 知り合いですか?」

「…………ええ。出会ってあまり喜ばしい相手ではありませんが……」

 

 夕映の様子に気づいた高音の問いに、夕映は実に嫌そうな顔をした。

 険しい視線を向ける先にいるのは、黒づくめの装いをしており、ヒトか亜人かは一目では分からないが、不気味な感じのする人だ。

 

「モフフフ。これは見事な貧にゅ……いや、綾瀬夕映だったネ」

「……今は瀬田夕映です。パイオ・ツゥさん。…………まさか傭兵の活動ですか?」

 

 夕映は警戒心を露わに尋ねた。

 この異相の魔法使い、パイオ・ツゥとは過去に幾度か戦い、あるいは共闘したことのある間柄だからだ。

 傭兵結社“黒い猟犬(カニス・ニゲル)”のメンバー。

 そしてそれ以上に、この人物のキケンな性格と性癖を知っているからこその警戒だ。

 

「なに。偶々近くを通りかかった時に我が師の目撃情報を聞いてネ。せっかくだから挨拶でもと思ったまでヨ」

「あなたの師匠ですか?」

「だが、どうやらガセだったようネ。まあただの挨拶のつもりだったから、いいのだが」

 

 怪しげな笑い方をして体を揺らしたパイオ・ツゥに夕映だけでなく、小太郎や高音たちも疑惑の視線をぶすぶすと刺しつけた。

 完全に怪しいものを見る眼差しを向けられているパイオ・ツゥは心外そうに肩を竦めた。

 

「私とてそこそこには事情通ネ。“白き翼(救世主)”。そんな恐い顔をしなくても野暮な真似はしないヨ」

 

 とある、あまり善良とは言い難い理由からパイオ・ツゥは白き翼と関わりがある。

 そこらへんからおおよその事情を察しているのだろう。

 

 今現在、白き翼が実行している計画は“世界”を救うための計画だ。流石にそれを邪魔して自分たちの首を絞める様な真似は依頼されても受けることはないだろう。

 

 ただし

 

「もっとも。この宝の山にみすみす手もつけずに去っていくというのは乳神の名折れというものではあるがネ」

「オイ」

「やめるです」

 

 巨乳(リーシャ)美乳(咲耶、フィリス)貧乳(クラリス、ハーマイオニー)などなど、より取り見取りの品評会の如き光景に熱視線を向けることは怠らない。

 相も変らぬ性癖に小太郎含め、高音たちが冷たい視線を向け、夕映は躊躇なく装剣して突きつけた。

 

「モフフフ。やはりやめておこう。白き翼の貧乳、綾瀬夕映と犬上小太郎がいては分が悪いどころではないからネ」

「なっ!! ひっ!?」

 

 それでは去らばだと、パイオ・ツゥ(不審者)は去って行った。

 

 

 

 

 第61話 リオンくんのしんじつ

 

 

 

 

 引率の先生の中ではなにやらやることがあるのか、特にルーピン先生などは大変そうにしていたが、とりあえず一般生徒には関わりもなく、与り知らないことであった。

 

 

 というわけでヘラス観光。

 

 

 魔法学校での交流が中心だったアリアドネーとはうって変わってヘラスでの研修は街や史跡などの観光が中心となった。

 流石は魔法世界の古き民が住まう歴史ある帝国だけあって、限られた時間の中でも見るべきものはたくさんあり、時間いっぱい生徒たちは街を巡っていた。

 

「お土産どれにしよかな」

「魔法世界らしいものがいいわよね。って言っても、どれが魔法世界らしいのかよく分かんないけど」

「おっ。これってサクヤが送って来てくれる立体映像の手紙だよな。クラリス買うのか?」

「…………」

 

 咲耶はリーシャたちとわいわいとお買い物を楽しみながら、おじいちゃんやリオンたちにプレゼントするお土産を探していた。

 魔法世界も含めて世界中を旅しているお母様はともかく、おじいちゃんにとっては魔法世界は久しく訪れていない懐かしい地であろうし、リオンにいたってはのんびりとお土産を買うという思考すらないだろう。

 ウィンドウに飾られた人形――笑顔を貼りつけてナイフを放り投げた体勢の可愛らしい翼の生えた人形をツンと指で突いた。

 突かれたことに反応して、人形は器用に6本のナイフが動かしてポンポンとジャグリングしだした。

 

「この人形。なんかどっかで見たような……」

「どうしたのリーシャ?」

 

 立体映像の飛びだす魔法の手紙。

 かけるだけで認識阻害がかかる魔法のメガネ。

 おもちゃのような、しかしたしかに効果を発揮する魔法の杖、などなど……

 

 向こうの世界ではみないような物。似たような、しかしホグズミードでもないような魔法の品物なんかも販売しており、ウィンドウショッピングだけでも少女たちの目を楽しませた。

 

 

「土産物ならそっちの方にいいのがあるぜ、嬢ちゃん」

「はぇ?」

 

 不意に、咲耶たちは背後から声をかけられて振り向いた。

 

 振り返った咲耶たちの視線の先に居るのは、ローブのフードを目深にかぶった大男。

 胸元で組んでいる腕はホグワーツの魔法使いのような細腕とはまったく違う、ムキムキにたくましい太腕。

 深くかぶられたフードの影になっていてよく顔は見えないが、どこか楽しげな笑みを感じるような声だった。

 いきなり声をかけられた咲耶がきょとんとした顔をしているのを見て、男はくっくっと笑った。

 

「俺か? 俺は親切な流れのおっさんだよ」

「…………えと、どれがええの?」

 

 不審げな顔をしている友人たち。咲耶は少し戸惑いがちに、とりあえず自称“親切なおっさん”のおススメのお土産を尋ねた。

 

「エヴァのガキに渡す土産だろ? ほれ、そこの棚だよ」

 

 視線を向けると、そこには他の棚から区切られた棚があり、周囲から隠すようにめぐらされたカーテンには注意を促す文句が書かれている。

 

 

 ――アダルトオンリー 実用・妖精シリーズ”ADULTERA” ~小さなカプセルに大きな夢~――

 

 棚に置かれていたのは小さなカプセルの山。R-18の文字が躍っており、“スイッチ一つで実物大のヌード妖精が貴方をおもてなし!” という説明文とともにいかがわしい説明図が描かれたものだ。

 

「へー……って、エッチぃお土産やんか!! こんなんリオンに持ってけへんって!!」

 

 種類はたくさんあって、妖艶なボインのお姉さんの木精、挑発的で綺麗な胸の形の風精、燃えるような情感あふれる火精、そして色々と控えめながらもカチューシャが似合う少女のような水精。多種多様、幅広い男の妄想(ニーズ)に応えてくれるようだ。

 

「ん? 男なんぞ、みなエロスを求める野獣なんだよ。リオンのぼうずなんぞ、ああ見えて独占欲の塊。見るからにムッツリじゃねえか。詠春と同じだな」

「こらー!!!」

「ワッハッハ!!」

 

 両手をあげてぷんぷんと怒ると大男は豪快に笑い飛ばした。

 無防備極まりなく大男に近づく咲耶だが、不思議とお守り役のシロが噛みつく様子はない。

 だが、色々とおかしなワードが大男の言葉には混じっている。

 

「ちょっとサクヤ! こっち来なさい!」

 

 フィリスは不用意に不審者に近づこうとしている咲耶を強引に引き戻した。

 

「あの人、スプリングフィールド先生の事知ってるみたいな口ぶりよね。知り合いなの?」

「ん? ん~……」

 

 あらためて聞かれた咲耶は、とりあえず落ち着いて不審者をまじまじと観察した。

 フードの影になっていて顔はよく見えないが、袖口から僅かに見える肌の色は濃い褐色。

 そうでなくともこれほど目立つ体格と、なによりも威圧感を放つ大男ならばそうそう忘れたりはしないだろう。

 

「どっかで……ううん。多分知らん人やな」

 

 あからさまにうさんくさそうな視線を向けられている気配に気づいたのか気づいていないのか、大男はにやりと口元に笑みを浮かべた。

 

「リオンのぼうずに持って行くならオススメは水の精だな。なにせヤツの好みはぺったんこだ」

 

「!!!!!」

「こらこらこら! なんで見知らぬ不審者の言葉を真に受けてんだよサクヤ!」

「ひどい中傷ね」

 

 にやにやとしながら言い放った大男の言葉に、咲耶はガビン!!! と衝撃を受けたような顔をし、見知らぬ不審者の言葉をあっさりと信じている脳天気少女にリーシャがツッコミを入れた。

 どうやらこの大男は関係性は不明ながらもスプリングフィールド先生と知り合いらしい。ただし、言っている言葉は大概にひどいものでフィリスはうさんくさそうにしている。

 

「中傷? いやいや真実だぜ。いいか? 男子の初恋っていうのは大概相手は母親か小学校の先生って相場は決まってるんだよ。そしてヤツの母親は稀に見るまな板。そこから導かれる答えこそがヤツの好み――――ツルペタだ!!!」

 

 喝ッ!!! と目を見開いて告げられた言葉。

 

「ツルペ……!!!?」

「こらそこっ! 確かに! みたいな顔しない!」

 

 どうやら咲耶は思うところがあるのか真実ここに見たりと立ち竦んでおり、フィリスも慌ててツッコミに回った。

 

 どうやらこの大男。スプリングフィールド先生だけでなく、その母親のことも ――魔法世界でも噂の域をでないらしいことの真実も嘘か真か知らないが知っているらしい。しかもそれは咲耶の反応を見る限りにおいてあながち的外れとも言えないものだから始末に悪い。

 先生の母親が、咲耶曰く“すっごい魔法使いでかわいらしいエヴァちゃん”で、このうさんくさいおっさん曰く“稀に見るぺったんこ”というのがどんな人なのか気にならなくもない。

 とりあえず今はこの状況をどうするべきか。

 呵呵大笑しているおっさんは、ふと、何かに気づいたように視線を逸らした。 

 

「ワッハッハ!! っと、やべぇやべぇ。お目付け役に見つかるとメンドクセェ。それじゃな咲耶嬢ちゃん」

 

 シュタッ!と大男は片手を挙げて別れのジェスチャーをすると、瞬動を使って一瞬で咲耶たちの前から姿を消した。

 

 それはリーシャたちから見て、極めて精度の高い姿くらましのような一瞬であり、入りの音もなく、そして視界に映る範囲からは姿を消えていた。

 

「なんだったんだ今の……?」

「さあ……?」

 

 リーシャたちは呆然と、大男が消えたところを見つめて揃って首を傾げた。

 まるで嵐のようなにぎやかさのおっさんだった。

 そしてなにやらだんまりとしている咲耶へと視線を向けると、両手で包み込むよう胸に手を当てて難しい顔をしていた。

 

「…………むぅ」

「こらこら」

 

 リーシャやフィリスと比べて慎ましやかな、しかしクラリスに比べて確かに膨らみのある胸に難しい顔で見つめる咲耶に、友人一同が揃ってツッコミをいれたのであった。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 現実世界の日本、京都にある関西呪術協会の一室。協会の長が執務を行う部屋で、部屋の主と顔を突き合わせていたリオンは、ふと何かを感じて顔を巡らせた。

 

「………………」

「どうかしたかの、リオン?」

 

 集中が途切れたリオンの様子に部屋の主――詠春が不思議そうな顔をした。

 

「いや……なんだか今、全力で否定しなきゃならん中傷を受けた気がしたんだが…………」

「?」

 

 リオンにとって、どこかで噂される、というのは身に覚えのあり過ぎることだ。

 それは自意識過剰、というよりも、自身の名前に由来するあれこれの噂がある以上仕方ないことだ。

 好奇心、悪意、脅威、色々な形での興味が自分の名前に向けられていることをリオンは実感として知っている。

 それでなくとも、噂なんていうものはありふれていることだから、特に気にするものでもないのだが…………なんだか今の悪寒は無視していいものではないような――自分の尊厳を著しく傷つけられたような気がなんとな~くしたのだ。

 ただ、どれほど優れた魔法使いとは言え、世界のどっかでなされた取るに足らない自分の噂なんてものを辿るなんてことは馬鹿げている。

 リオンは感じた“なんか”を気のせいとして振り払って手渡された書類に視線を戻した。

 

「……まぁいい。それでこれが今年の予定か?」

 

 今日、関西呪術協会の長を訪れたのは、なにも茶飲み友達を訪れたなんていう平和ボケした内容の為ではない。

 拍車のかかるだろう、今年の予定を知っておくために呼び出されたのだ。

 

「うむ。情報公開のステージがいよいよ一段階進むからの。今年はそっちでもかなり変化があるはずじゃ。とりあえずお主にも関係のあるところをまとめておいた。問題なければ進めておくから確認だけしといてくれんか」

 

 魔法バラシという歴史の大転換点となる計画。

 それはさらに壮大な計画の一部でしかないのだが、一部である情報公開だけでも一歩間違えれば世界的な大混乱を容易に引き起こしてしまう重大事件だ。

 ゆえに発案者は“とある経験”からその大混乱を回避するべく、情報公開には慎重を期し、幾つかの段階を経て行う計画をたてたのだ。

 もっとも時間的な制約もある以上、大枠の方の計画を進める関係上必要なところには既に先行して情報の開示がなされているが…………

 

 すでに幾つかの段階はクリアし、現在は国際機関、世界各国の政府、国際的な大企業のトップに情報が公開され、こちらの世界の各国魔法協会首脳部に対して理解と協力を求めるステージまで至っている。

 そして次はいよいよ“伝統的魔法族の民間レベルに魔法をばらすことを通達する”段階だ。

 魔法世界側とコネクションが強い魔法族は、昔から非魔法使いに溶け込むことに慣れているが、こちらの世界で非魔法使いから隠れ住んできている伝統的魔法族は、非魔法使いの生活様式に適応できていない場合が多くみられる。

 現代文明における科学の産物を忌避し、一般人からすると頓珍漢としかいえないような突飛な行動をとる“まともではない”ような人物がありふれている。

 そのためいきなり魔法使いに非魔法使いの生活に馴染めと言われれば大きな混乱を伴う事間違いなしだ。

 ゆえに政府レベルで協議を終えてから一般魔法族にもそれを通達するという手続きを踏むことで混乱を抑えようとしているのだ。

 

 それでも例えばイギリスのように非魔法族に縁の深い魔法使いに対して差別意識の根強い地域からは当然反発は予想される。

 まずはこのステージの混乱を収めなければ、とてもではないが一般公開にまでは至れない。今年からはその対策の仕事も増えていくだろう。

 

 渡された分厚い資料には一部ごとに案件についての詳細が盛り込まれており、リオンはパラパラと要諦に目を通した。

 

 

 ――――魔法情報の公開

 イギリスにおける伝統魔法族の箒のスポーツ競技“クィディッチ”ワールドカップ開催

 諸外国の伝統魔法族の計画協力状況について

 ヌルメンガードにおける調査報告

 近衛咲耶、リオン・スプリングフィールドの縁談企画…………

 

「おい」

「フォッフォッフォ。ちょっとしたお茶目じゃよ」

 

 資料の中に、計画には全く関係のなく潜り込んでいた企画書を抜き出してリオンはドスの利いた声を発した。

 詠春は当然それを予想していたのか髭を撫でつけながら好々爺とした笑みを浮かべた。

 

 色々と言ってやりたいことはあるが、ツッコんでも年の功で軽く弄られて、この老人の遊び心を満たしてしまうだけだろう。

 リオンは抜き出した余計な企画書を掌の上で燃やして消し去り、軽く払った。

 どこからともなく「チッ」という舌打ちが聞こえた気もしたが、綺麗に無視をして資料の続きに目を通した。

 

 

 ……火星移住計画進捗状況

 ホグワーツの留学生受け入れ拡大について

 不死者狩りと名乗る集団について

 近衛咲耶と近衛リオンの入籍届…………

 

 リオンは無言で断罪の剣を突きつけた。

 

「ちょっとだけは冗談じゃよ!」

「それが辞世の言葉か、ジジイ!!」

 

 冗談ではない言い訳に思わずツッコミが入った。

 

 近衛咲耶……御年16歳。女性であれば日本では法律上結婚を認められる年である。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

オスティア観光

『 戦争の終結、そして災厄と呼ばれた女王の処刑から半世紀

  今だからこそ語られるあの時の真実…………

 

 

「空中王都の崩落拡大中!!」

「本艦の周囲にも強力な魔力消失現象! 即席の対抗呪紋塗装装甲がいつまでもつか……」

 

 砕ける大地

 崩れ行く島々

 

「泣き言はいらぬ!! あと数時間持てば充分じゃ」

 

 

 魔法世界最古の王国――――崩壊…………!

 

「最も的確に市民を救えるよう最大効率で舟を回せ!! ただし!! 捨ててよい命はない!! 一人も救いもらすなこれは厳命じゃ!!」

 

 世界を救う代償に自らの国を滅ぼした苦悩。

 その決断はかの女王にふりかかる最後の悲劇の幕開けに過ぎなかった。

 

 各国への難民の受け入れによる社会不安の増大。

 死の首輪法による国際的な奴隷公認法の承諾。

 

 失われた自国の民を守るための彼女の努力。

 世界を守るため、完全なる結社に通じていた父王からの王位簒奪。

 

 全ては完全なる予定調和だったかのごとく、一つの結実へと向かって行った。

 

 

 “災厄の女王”アリカ・アナルキア・エンテオフュシア

          ――――――――――投獄…………

 

 

「アリカ様の処刑が10日後に行われるだと!? それは本当か!?」

「は、はい……」

 

 明らかになるあの惨劇の真実

 

 

「元老院は戦争で疲弊し、混乱した世界の慰み者としてアリカ様を生け贄にするつもりなのです…………。ナギ!! あの方を救えるのは最早あなただけだ!!」 

 

 迫り来る最期の時

 

「……あの崩壊の時、アイツはこう言ったんだよ。女一人を掬っている暇があるんなら、一人でも多くのいわれなき不幸に苦しむ無辜の民を救え。世界を救えってな。あいつは自分を救えとは、言わなかったんだろ」

 

 分かたれた女王と英雄。

 二人の選んだ道とは……!?

 

「あの方もいわれなき罪への悔恨の念に磨り潰され、希望を見失っておられるのです!! それを見捨てるのですか! あなたが行かなければ誰が彼女を救うのです!! ナギ!!!!」

 

 

 刻限は…………残り10日……

 

「いいんだな……それで……」

 

「ああ。俺たちは――――――」

 

 

 

 魔獣蠢くケルベラス渓谷。魔法を一切使えぬその谷底は魔法使いにとってはまさに死の谷。

 魔法の使えぬ谷底で行く百の肉片となって魔獣の腹に収まってしまえば、たとえ吸血鬼の真祖とえども復活することは叶わぬ処刑法。

 

 

「アリカ様!!!!!」

 

 ただただ続いていた冷たく薄暗い世界でお奪い奪われるだけの日々

 …………その終着

 

 一つだけの暖かな思い出…………

 彼らとともに過ごした――――――――

 

 

「よぉーっし。ここまでやりゃもう充分だろ、おっさん」

「なにっ!? 貴様、いったい!!?」

 

 戦いの日々

 

 

 

「行ってください、ナギ!!」

「忘れんなよナギ。俺との決着はまだ着いてねぇんだぜ」

 

 アラルブラ

 No3――アルビレオ・イマ

 No5――ジャック・ラカン

 

「詠春!?」

「ここは通さん!! ナギの道を阻むものは、俺が相手だ!」

 

 No2――青山詠春

 

「アリカ女王を頼む、ナギ!!」

「お願いします、ナギさん!!!」

 

 No6――ガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグ

 No7――タカミチ・T・高畑

 

「愚かなッ! サウザンドマスターといえどもあの谷底から生きては出られん!!」

「そいつは、どうかな?」

 

 覚えてるか、あの時のこと

 

「な、ぎ……? え……? なぜ主が……」

 

 サウザンドマスター

 ナギ・スプリングフィールド

 

「捕えよ、反逆者だ!! 谷底の二人も逃すな!!」

 

 俺はお前にまだ伝えてねえことがある

 

 

「なぜじゃ! いくらお主でも自殺行為じゃ!! 魔法の使えぬこの場では、主も普通人と同じ! こやつらの攻撃、一撃でも掠れば即死は免れぬ!!」

「確かに、な!! これまでで一番やべぇ状況かもなっ……けど!!」

 

 ――元アラルブラメンバー監修協力のもと明かされる英雄と女王の隠された愛の物語。

 

「ナギ!!!」

「しまっ! がっ……!!!」

 

 ――サウザンドマスター最大の危機。

 

 

「いかにアラルブラとてこの戦力相手に切り抜けられるわけがない! 終わりだ、英雄たちよ!!!」

 

「はっ!! この程度の戦力で、やれるもんかよ! 俺たちも! あのバカも!!」

 

 ――アラルブラ最後の戦い。

 

 

「なぜここまでの危険を冒して妾などを助ける!? 無意味な行為じゃ!」

 

「言ってねえことがあるからだよ! アンタに!! 伝えてねえ想いがあるからだよ!!」

 

 ――二代英雄の物語を紡ぐ、最後の鍵。

 

 

「アンタの罪も後悔も! 世界すべてへの責任ってやつも! 全部一緒に背負ってやる! だから……!!」

 

 

 “THE LAST ―― THE ALA RUBRA MOVIE――”

 

 真実の愛の物語が、ここに描かれている。

 

 

 

 オスティア終戦記念式典、王都オスティアにて先行上映決定!

 

 括目せよ。英雄、ナギ・スプリングフィールドの物語を。           』

 

 

 

 第62話 オスティア観光

 

 

 

 ゴォンゴォンゴォンという重低な音を響かせながら雲海を切り抜けていく飛行船は、間もなく次の予定地へと到着しようとしていた。

 しかし船の高度は一向に下がる気配はない。

 そしてワクワク、ワクワクと一向に落ちること無いテンションのリーシャたち。

 

「楽しみだな、オスティア!」

「サクヤは何度か行ったことあるのよね」

 

 魔法世界研修旅行もいよいよ大詰め。

 ヘラスからオスティアに向けて移動する飛行船の中では、各々で快適な時間を過ごしていた。

 咲耶たちのようにおしゃべりする者。機内で上映される映画や宣伝を見る者。美しい景色の移り変わりを眺める者。ぼこぼこに傷ついた体を休める者…………。

 

「うん。けど、今の時期は丁度お祭りの時期で、うちもこの時期に来たことはないんよ」

 

 オスティア終戦記念式典

 魔法世界文明発祥の地と言われるこの地で行われる祭りは、ヒトも亜人も、人種も国境も超えて世界中から人が集まって平和を願う魔法世界最大の祭典だ。

 

 かつて魔法世界を二分した大分烈戦争、そして魔法世界崩壊未遂事件。

 二つの歴史的事件の解決と終結日に行われ、リーシャたちもこの研修旅行で訪れたメガロやヘラス、アリアドネーの重役なども出席する魔法世界きっての式典でもある。

 

「皆さん、雲を抜けたら間もなく到着しますよ」

 

 夕映たちが下船準備に入るよう生徒たちに教えに来た。リーシャたちは外の様子を見ようと窓に寄り

 

「どれどれ……お? オオッ!?」

「ぅわぁ……ステキ……」

「………………」

 

 窓から見える景色の先には、白い雲をショールのように纏い、悠然と浮かぶ大小の島々があった。

 生徒たちを乗せた船が向かうのはその中でも一際大きな島。見える限りにおいて大都市のように栄えているところもあれば、大きな森林のような地帯もある。

 

 島からは多くの飛行船が発着しておりホグワーツ生以外にも多くの人ごオスティアに出入りしていることがうかがえる。

 

「市街地でもそうですが、ここでの乗降客も多いのではぐれたり、スリに気をつけるようにしてください」

 

 

 

 

 

 飛行船が到着した新オスティア国際空港から移動し、市街地へとたどり着いた咲耶たち。

 そこではまさにお祭りといえる光景が広がっていた。

 

「う、おぉ!! なんか人スッゲー!! ……てかヒト?!」

「亜人も多いわね。それにアリアドネーとかヘラスに比べるとちょっと……活気がよすぎるみたいね」

 

 まるでリオのサンバのようなド派手な装いであったり、ヴェネチアの仮装カーニバルのような顔のヒトであったり、狼人、虎人、悪魔っ子などなど、街はヒトで溢れていた。

 

「この祭典は七日の間、王都を挙げて行われます。多くのイベントが都のあちこちで行われ、合法非合法問わず、様々な賭け試合なんかも開かれています」

 

 平和を願う式典ではあっても、街の光景からはまったく堅い雰囲気は感じられず、人々は全力でこのお祭りを楽しみ、平和を楽しんでいるといった風に見える。

 

「正統派の箒レースや竜槍騎兵による馬上試合などもありますが、中でも例年最も盛り上がるのが、魔法世界全土から選りすぐりの拳闘士が集い、魔法世界最強の遣い手を決めるスプリングフィールド杯です」

 

 魔法世界最強。ユエが語るその言葉の響きに、ハリーやセドリックなどはごくりと唾を飲んだ。

 アリアドネーでは、箒レースによる空戦での魔法“競技”を体験したが、それとは違う、本当の魔法使いたちの拳闘が繰り広げられるというのだ。

 こちらでの魔法を体感しただけに、一昨年あった決闘クラブとは違うだろうという事は容易に想像がついた。

 

「魔法世界最強、か…………」

「スプリングフィールド先生ってこっちでもめっちゃ強いという話だったよな。ってことはあのレベルが集まってくるってことなのか」

 

 マクゴナガル先生やスネイプですら歯が立たなかった悪魔を容易く蹴散らしたスプリングフィールド先生が使うような精霊魔法の遣い手。その最強を決めるための戦いだというのだから、一体どれほどの戦いが行なわれるのか。

 

 などとまだ見ぬ猛者たちの戦いを夢想してシリアスに浸っているセドリックやルークたちの一方、

 

「あっ! リーシャ見て! ナギまんやナギまん!」

「よっしゃ、食おう食おー!」

「……なんかあっちこっちにスプリングフィールド先生……じゃなかった、ナギって人とネギって人のポスターがあるわね」

「あっちには映画もやっている。船の中で宣伝があったやつ」

 

 思いっきり祭りを満喫している生徒の姿もあった。

 

「おーい…………。ちょいちょいサクヤ。スプリングフィールド先生ってさぁ……」

 

 スプリングフィールド先生のことを尋ねようとしたルークだが、露店で“ナギまん”というまんじゅうを買ってもきゅもきゅ食べている咲耶やリーシャ、観劇の宣伝を楽しげにみるフィリスやクラリス。

 戦い方面には興味関心がないらしい。

 

「彼はまた特殊です。ただかなりの荒くれ者がオスティアに集まってくるのは事実なので皆さんも気を付けてくださいね」

 

 ルークの質問には咲耶の代わりに夕映が答え、あわせて街での注意を改めて伝えた。

 

「特殊ねえ……ん? わ!? おい、セド! なんかすっごい船が来てるぜ!?」

「デカい……あれは…………?」

 

 浮遊島のさらに上空。

 大きな、今まで見たこともないほどに巨大な船が接近している光景に、ルークやセドリックが唖然とした声を上げた。

 彼らだけでなく、他の生徒や周囲の観光客たちも、巨大な船の威容に感嘆の声を上げていた。

 

「メガロメセンブリアの旗艦級戦艦ですね。…………あの船が来ているということは、元老院のメンバーが来ているようですね」

 

 船を見つめる夕映は、その船の来ている意味を考えて顔を険しくした。

 メガロメセンブリア元老院。

 そこはこの数十年で幾度か内部改革を行ったことでかつてとは、中身が様変わりしている。

 ネギの活躍による出自の公表――“災厄の女王”アリカ女王にまつわる真実と彼女の名誉回復という、元老院にとっては悪い意味での大スキャンダルが明らかになったのだから仕方ないとも言えるだろう。

 ……それを数十年単位でしかけた、とある“変態”には敬意を覚えるほどだ(当人には絶対言ってやらないが)。

 ただ、それでも元老院が魔窟であることには違いがない。

 ……ひょっとするとあるいは、このタイミングともなればその変態……もとい元オスティア総督が来ている可能性も高い。

 

「おいおい、なんだよアレ!?」

「あれは、確か戦争の講義で出てきてた……」

 

 見上げる間に、戦艦から吐き出されるように巨大な人型が射出され、見た目どおりの重厚感ある音を立てて着地、そしてズシンズシンと歩き始めた。

 

「巨神兵…………」

「ただのパフォーマンスです。持っている杖も儀式用です」

 

 魔法世界の特色とも言える巨大兵器の姿に、思わずディズの口元が歪んだ。

 世界を越えても分かる、圧倒的な力の姿。

 高音はとりたてて騒ぎ立てるのではなく落ち着かせるようにアレを儀式用と言い切ったが、あれだけの質量の機動兵器だ。

 魔法世界製なら対魔法処置も施されている可能性もある。

 ただ巨大なだけで十分に脅威だ。

 

 驚き醒めぬ間に、対抗するかのようにヘラス帝国のインペリアルシップが姿を見せて、同じように巨神兵を落していくのだから、ホグワーツの生徒たちは唖然とするほかなかっただろう。

 

 だが、一足早く周囲の観光客や落ち着きを取り戻したようで、中でも気性の激しい連中などはテンションが上がったのか街中で野試合などをおっぱじめていた。

 

 

「ユエ先生。なんか決闘みたいのが始まってますけど、街の治安とかって大丈夫なんですか?」

 

 周囲の観客たちは囃し立てて、やれ「北に2千」「南に4千」などと賭けと思しき声まで上がっているが、ホグワーツ生にとってはぎょっとする光景以外のなにものでもない。

 ハーマイオニーは慌てて夕映の袖を引っ張って尋ねた。

 

「裏路地は危険です。表通りに関しては……まあ野試合とかがよくあるので注意は必要ですが、警邏が巡回していますから、騒ぎになったらすぐに駆けつけてきますよ」

 

 夕映は何でもない事のように言うが、すぐ近くで起こっている野試合はホグワーツでやったような決闘とはまるで違う、昨年度にシリウスがやったような、いやそれよりも遥かに激しいバトルにしか見えない。

 

 …………と、

 

「どうやら騎士団が来たようですね。無届の野試合は祭りの名物ですが、街中では取り締まりの対象ですからね」

 

 騒ぎを聞きつけたのか、白い鎧に身を包んだ戦乙女騎士がランスに乗って駆けつけて野試合を取り締まり始めた。

 警備団と思しき騎士の登場にハーマイオニーなどはあからさまにほっとして、男連中の幾人かは残念そうにむくれた。

 

「むぐむぐ……あれ? アレて、ありあどねの騎士団じゃないですか、夕映センセ?」

「ええ。基本式典期間中の警備はオスティアのものと、アリアドネーの騎士団の増援で行われますから」

「えっ!?」

 

 ナギまんを食べながら事態を見守っていた咲耶がふと気づいて尋ねた質問と、夕映の答えにハリーたちは先とは違う意味で驚いて騎士団を見てみた。

 だが、騎士団員はフェイスアーマーを着用しており、顔を判別することはできな…………

 

「一人でっかい角と尻尾生えてるのがいんだけど。あれってイズーじゃね?」

「……みたいね」

 

 できそうなのが一人だけいた。 

 リーシャとフィリスが認めた先に居るのは、つい数週間前にアリアドネーで別れた大きな竜の角と尻尾を持つ少女。

 向こうも気づいていたのだろう。暴れていたごろつきを鎮圧すると、周囲のメンバーになにか声をかけて咲耶たちの方へと歩み寄ってきた。

 

「よっ! やっぱまた会ったな!」

「イズー!!」

「うわぁ。イズー、試験受かったんや!」

「まあねぇ~」

 

 話しかけながらフェイスアーマーを持ち上げ、顔を見せてきたのは特徴的な額の紋様と褐色の肌を持つ可愛らしい竜族の少女、イゾルデだ。

 

「そしたらいいんちょさんは……?」

 

 イズーと再会できたのは嬉しい。素直に喜んだ咲耶だが、すぐに選抜の結果彼女がここにいるという意味の逆に思い当たって尋ねた。

 イゾルデ(とおそらくメルル)がここにいる以上、委員長ことメルディナとアルティナは落ちたのだろうか。

 

「委員長たちも来てるよ」

 

 懸念した咲耶だが、イズーがちょいちょいと近くに来ていた騎士を指さした。

 騎士の女性はイズーと同じようにフェイスアーマーを持ち上げて顔を見せた。

 

「お元気そうですわね。ホグワーツのみなさん」

「あっ、いいんちょさん」

 

 先程の捕り物の時とはうって変わって優雅に挨拶をするメルディナに、咲耶はにぱっと笑って手を振った。

 メルディナは咲耶をちらりと一瞥し、それからホグワーツの生徒を見回して――とある箇所を見て顔を赤らめた。

 

「っ、ぅ……い、イゾルデさん! 今は任務中ですわよ!」

「へいへい。まじめだねー委員長は。んじゃ仕事中だから、また後でなー」

 

 ちらちらと誰かさんをチラ見していたメルディナは、誰かさんと視線があったのかガバッとイズーに振り向いて腕を引っ張っていった。

 

「行ってもたなー」

「忙しそうだな」

「街のあちこちで今みたいな騒動が起こるお祭りですからね。みなさんも出歩くときは気を付けるようにしてください」

 

 

 賑わうオスティアの街を一巡り散策した一行は、オスティア滞在先のホテルへと赴いて体を休めた。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 魔法世界文明発祥の地、オスティア。

 名物として知られているのは、やはりなんといってもその風光明媚な街並みや遺跡群。

 だが、それに劣らないほどの名物として温泉が知られている。

 特に朝風呂は縁起がいいということで信心深いお婆さんや前夜に飲み明かした若者たちで公衆浴場は賑わいを見せる――――というのがオスティア観光本に記載された宣伝文句だ。

 

 

「おおー、広いなー」

「ホント。ホグワーツの監督生用の浴場もすごかったけど、こっちはこっちですごいわね」

 

 というわけで、その晩。

 リーシャやフィリスたちは仕事上がりのイズーたちと一緒に公衆浴場へとやってきていた。

 

 ホグワーツの学校では生徒個人が入れる小さな浴室とは別に、監督生やクィディッチチームのキャプテンのみが入ることができる専用の浴室がある。

 一般生徒であるクラリスや咲耶はもちろん、平のクィディッチ選手であるリーシャもその中身は知らないが、監督生であるフィリスだけはその中身を見たことがある。

 ホグワーツ監督生用のそれは、浴室も浴槽も白亜の大理石造りで、宝石の埋め込まれた金の蛇口などで彩られた豪華絢爛な浴室だ。蛇口からは様々な種類の入浴剤の泡がでてくる楽しいお風呂ではあるのだが、普段は友人たちと行動を共にしているフィリスはそちらをあまり利用していない。

 時たま監督生としての仕事で咲耶たちと入浴の時間が外れてしまったときに利用するくらいだ。

 

 だがここの公衆浴場は、風呂場、というよりもアミューズメント施設のように広くてさまざまな造りをしている。見渡すといくつもの大きな浴槽が散在しており、それぞれに湯の色が異なるのはそれぞれに薬効なりなんなりが異なるからなのだろうか。

 

「わーい。温泉温泉!」「…………」

「咲耶さん。風呂場で走らないように」

 

 感嘆しているフィリスやリーシャとは別に、咲耶はクラリスを引っ張って元気よく近くの浴槽に突撃しており、夕映が呆れ混じりに口頭注意をした。

 みんなでお風呂、ということでテンションの上がっている咲耶にイズーたちは微笑ましげな眼差しを向けた。

 

「おーおー、元気いいねぇ」

「まったく、子供の遊び場ではありませんのよ」

 

 裸の付き合いとして一緒に来たイズーやメルディナたちも苦笑しつつお湯へとつかった。

 リーシャたちもお湯につかってぐぐぅーと手足を伸ばした。

 

 ホグワーツの魔法のかかったシャボンなどはない、魔法世界の王国にもかかわらずマグル製の浴室と同じ造りだが、それでものんびりできる風呂場は長旅で疲れ気味の生徒たちの体をほぐすにはうってつけだった。

 咲耶はタオルを頭にのっけて、ほにゃ~とふやけていた。

 そして他のメンバーは…………

 

「メルディナさん。ちょっと聞いてもいいですか?」

「なんですかフィリスさん」

「オスティアの警備任務ってずっとあんな感じなんですか?」

「まあだいたいわ…………私たちはまだ候補生ですから任務はゴロツキの鎮圧レベルしか任されませんわ」

「ゴロツキの鎮圧って、危険ではないんですか?」

「ハーマイオニーさん。そのために私達は選抜されたんですよ」

 

 フィリスやハーマイオニーは真面目同士で気が合うのかメルディナやアルティナとよく話をしていた。

 ホグワーツでは基本的に生徒が荒事を任務として任されることはない。一部生徒が“自主的に”荒事に首を突っ込むことはあるが、それは校則をボロクソに破っての違反行為だ。

 ただ彼女にとっては――より正確には彼女の友人にとってはのっぴきならない事情があったがゆえに、首を突っ込みまくることとなった。そのため、同じくらいの年で、自分から荒事を仕事としようとしている気持ちに興味があるのだろう。

 

 

 ふにゃけている咲耶の近くでなにやら深刻そうな顔をしていたクラリスは、じーっととある一点を見ていた。

 

「ん?」

「どしたんクラリス?」

「………………」

 

 クラリスはその一点、イズーの豊満な両の果実をむんずと掴んだ。

 

「なっ!!?」

「お? どうした?」

 

 不意を打たれたイズー本人は特に驚いた様子もなく、むしろ咲耶やいつも揉まれているリーシャが目を丸くした。

 

「………………」

「何やってんだ、クラリス!!!?」

 

 ムニムニムニムニと果実の感触を堪能しているクラリスを、我に返ったリーシャが慌てて羽交い絞めにして引っぺがした。

 イズーの大きな胸が指圧から解放されてぽよんと揺れ、クラリスの背中に押し付けられたリーシャの胸がぐにょんと潰れた。

 

「品評」

「はあ?!」

 

 背に受けた感触にか、クラリスはむぅとした顔をしてくるりと振り返った。

 振り返り、今度は

 

「リーシャより大きい」

「なっ!?」

「でも……」

「ひゃわぁっ!!?」

 

 いつもの手に馴染んだ方の果実を掴んだ。

 もにゅもにゅとクラリスの手の中でリーシャのが形を変え、びくんとリーシャの背が伸びた。

 

「リーシャの方が感度が良い」

「ぁっ! やぁっ、っ! めんかっ!!!」

 

 クラリスの指の動きに合わせてリーシャ艶めいた声が上がり、――――――――拳骨がクラリスの頭に落ちた。

 

 

 

 

 

 

「何をやってるんだか」

 

 一方、離れたところで子供たちの様子を見ていた裕奈は呆れたように苦笑していた。

 かつては彼女も元気いっぱいでオスティア風呂を走り回ったが、流石にこの年になれば落ち着きも多少は出るだろう。

 

「…………」

「ん? どうしたのゆえ吉?」

 

 その横で、なにやらじと~とした眼差しを向けている夕映に裕奈は尋ねた。

 夕映は振り返り、そしてそこにあるものを見て溜息を吐いた。

 

「…………いえ。なんでもありませんよ、裕奈さん。アナタにはきっと関係ないことですから」

「? ……ああ。ムネか」

「ぅぐっ!!」

 

 ぐさりと、どこかにナニカ鋭いものが突き刺さった。

 

「楓とか千鶴さんほどじゃないけど、あの子たちも相当だよね~。“全盛期の”ゆえ吉とあのクラリスって子が同じくらいかにゃぁ?」

「っ!! 」

 

 大人組は大人組で、いろいろとこの引率に思うことがあるらしい…………

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

バカをやる男の近くにいるのは大変だ

 何千――何万――いったいどれほどの命を奪って自分はここに居るのだろう。

 ただ奪い、奪われるだけの日々。

 

 ――姿に惑わされるな。コレ(・・)は人ではない。兵器(モノ)と思え――

 ――この100年で何千何万の命を吸ってきている……化け物だよ――

 

 …………化け物。

 

 自分の力で多くの命を消し、国を滅ぼした。

 

 なのに…………

 

 ――悪ぃ……遅くなっちまった。全く、いつもいつも、ヒーロー失格だな――

 ――さあ、行けや。ここは俺が何とかしとく。

 何だよ嬢ちゃん。泣いてんのかい? 涙見せるのは……初めてだな。

 へへ……嬉しいねえ――

 

 命を賭けて、自分を救ってくれた人たちがいた。

 

 ――幸せになりな嬢ちゃん。あんたにはその権利がある――

 

 本当に?

 本当に自分にはそんな権利が許されているのだろうか。

 

 

 眼下に広がる光景と空に浮かぶ島々。

 自らが犯した罪の光景と為すべき光景。

 

「…………終戦記念式典、か。またこの時期が来たんだよね」

 

 彼女が居るここから離れた場所にある市街地の方では、祭りの賑やかさがここにまで届いている。

 だが、距離感以上にその賑やかさは遠いものに思える。

 

 神楽坂明日菜としての自分と黄昏の姫御子としての自分。

 仮の心と真実の意志。

 

 この世界を救う。

 ナギやガトウが命を賭けて私にくれた平穏と幸福。それを捨てて選んだ道だ。

 

 ――世の中ぶっ壊すだけじゃぁ、どうにも収まりがつかんこともあるだろ――

 ――かもな。そん時ゃまあ……あとの誰かがどうにかすんだろ――

 ――テキトー言ってんじゃねぇぞ――

 

 本当にテキトーで…………

 

 ――父の、サウザンドマスターの思いを継いだ、この僕が、お前たちの好きにはさせない!!――

 

 本当に、もうすぐそれが形になる。

 この世界だけじゃなく、二つの世界の、人の力で世界が救われる。

 

 けれどもう一つ。

 

 ――アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア。黄昏の女王だな

 ……聞きたいことがある。お前ならば…………――――

  ――……リオン。あんた、それ、分かっていってんの? それは……――

  ――お前ならば知っているはずだ。それが俺のなすべきことだ―― 

 

 アイツの目的が叶ってしまうまでも、もうきっと残り猶予は多分ない。

 アイツの目的が善なのか悪なのか。

 だれにとっての願いの形なのか。

 それは分からないけれど、一つだけ言えるのは、アイツがやろうとするのだけは、絶対に間違っている。

 それにアイツの目的が実現したとき、それをあの子が手伝ってしまったと知ったら…………

 

「記念式典、あの子も来てたわよね。久々に咲耶と会える、か…………」

 

 咲耶ももう16歳。

 知るべき時が来たのかも知れない。

 選ぶべき時が来たのかも知れない。

 

 アイツが何をしようとしているのかを……何に咲耶を利用しようとしているのかを。

 

 

 

 第63話 バカをやる男の近くにいるのは大変だ

 

 

 

 

 オスティア王国女王、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア。

 魔法世界最古の王族の末裔にして現代の“黄昏の姫御子”。

 かつては旧世界、日本の麻帆良学園に滞在していたこともあり、新旧両世界の融和の架け橋としてオスティア復興の象徴として尽力している。

 両世界融和の活動の一つとして行われた、旧世界の伝統的魔法族の魔法世界研修旅行。彼女はその支援者の一人でもある。

 

「あれが魔法世界の女王サマかぁ~」

「授業で見た人物と一致してた」

「ええ。綺麗な人だったわね。サクヤはあの女王様とお知り合いなんでしょ? 話した時はあんまりそんなそぶり見せなかったわね?」

「女王様やからなぁ」

 

 支援された側のホグワーツの生徒たちは、オスティアにて女王の謁見を受けることとなった。

 腰ほどまで伸ばされた橙色の髪。青と緑のオッドアイ。

 流石にリーシャたちが女王である彼女と直接会話することはできなかったが、研修中の公式行事の一つとしての謁見であり、歓待の言葉を告げられたのだ。

 アスナ女王と仲の良い咲耶ではあったとしても、研修旅行の一員として来ている以上、アスナも公的な場では公私の区別はつけなくてはならない。

 久々のアスナと咲耶の顔合わせは実に淡々としたものだった。咲耶としても多少ならず残念な思いはあるが、仕方のないものだろう。

 

 謁見を始めとした公式行事が終わったホグワーツの生徒たちは、滞在場所へと戻ってのんびりとしていた。

 咲耶はリーシャたちやディズらとともにゆったりと過ごしていた。

 

「サクヤちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」

 

 初めて生で見た女王の(マグルの王族を含めても初めての)姿に、ぽうっと感慨に浸っていたリーシャやフィリスたちに対して、ディズは自分の知識欲から溢れた質問を咲耶に尋ねたくて仕方なかった。

 ディズが水を差し向けると咲耶は軽く首を傾げて質問を促した。

 

 ディズが尋ねたかったのはこの魔法世界での王族の資質。

 

「ユエ先生がたしかあの女王様には特殊な力があるとか言ってけどどういう魔法使いなんだい」

 

 

 

 

 質問に対してあの時ユエは「単なる血族だから選ばれているわけではない」と言っていた。

 イギリス伝統的魔法族には本来の意義での王族は存在しないが、強いて言うならば闇の勢力が台頭していたころのロード・ヴォルデモートや純血主義の中でも最大派閥のブラック家などが、(彼ら自身にとっては)それに該当する。

 だがヴォルデモートはともかく、純血主義の輩などは能力によって選ばれているのではなく、純血――文字通り血筋のみによって選ばれているのだ。そしてヴォルデモートにしても、貴ぶのは血筋。

 つまりイギリス伝統的魔法族で幅を利かせている純血主義と、魔法世界の王族はなにが違うのかをディズは知りたいのだ。

 

 イギリス伝統的魔法は時代錯誤だ。

 それはマグルの世界にも生活の基盤をもつディズだから分かる。

 

 マグルの世界の昔の言葉に“高度に発展した科学技術は魔法と区別がつかない”という言葉がある。

 だが、バリバリの伝統的魔法族の思考回路にはマグルの科学技術は持たない者たちの愚かしい努力と見える。

 次代の担い手を育てる学び舎たるホグワーツですらそれは色濃く反映されている。

 そもそもホグワーツではそういった科学の産物が使えないようにさえされているのだ。

 

 愚かしい限りだ。

 

 車や列車、ロンドン市内の建物など、魔法族ですら自分たちが創造出来ないマグルの造り出した産物を求めているのに、マグルを蔑む。

 純血主義などそんなマグルを排絶して進歩を否定し、未来すら否定するような連中だ。

 

 ゆえに、この魔法世界の存在を知り、実際に見てディズは蒙が啓けた思いだった。

 ディズが考えていた次の魔法界。それを大きく上回る世界の在りよう。科学(非魔法族)魔法(魔法族)が融合し、進歩していく文明。

 ディズから見てこの世界はまさに切り開かれた未来にある世界だ。

 閉塞的で退行的なイギリス伝統魔法族の世界では味わえない、先に進む愉悦。ディズが求めているものがここにはある。

 だからこそ、そんな世界にあって、王族という旧来的なシステムをとっている意味を知りたい。

 

 

 そして、ディズの質問に対して返ってきたのは、彼の思惑をさらに超えたモノだった。

 

 

 

「アスナさんは魔法使いとちゃうえ?」

「え?」

 

 

 

 質問したディズだけでなく、リーシャたちも咲耶の言葉に意外そうに驚いた。 

 

「アスナさんは魔力はあるけど魔法は全然使えへんのよ」

「それで魔法世界の王族なんて出来るのかい?」

 

 ディズ達は魔法使いだ。

 血筋以外に選ばれる要素、というのは魔法の力に違いない。特殊な力を持つ王族、と聞いていたからてっきり特殊な魔法使いだと思っていたのに、肝心の魔法すら使えないと言うのだ。

 

「うん。アスナさんはちょい変わっとってな。えーっとたしか……」

 

 咲耶は明日菜の持つ特異的な能力の名前を思い出そうと人差し指を口元に当て、

 

 

 

完全魔法無効化能力(マジックキャンセル)よ」

「そうそう。それを持って……はぇ?」

 

 かけられた答えに頷き、そして驚いて振り返った。

 

 

 

「やっほー咲耶」

 

 振り返ると少し離れた所に少女がいた。

 ふりふりと手を振って笑いかけてきているのは咲耶と同じくらいの年齢の少女。

 橙色の長い髪をツインテールにし、咲耶を見つめる柔らかな瞳は緑と青のオッドアイの

 

「アスナさん!」

 

 ぱあっと顔を明るくした咲耶は、勢いよく少女に抱きつこうと駆け出して――――少女のように見える相手がどういう立場の人で今ここがどういう場所かを思い出して抱き着く直前で思いとどまった。

 少女は迎え入れる体勢だったのを、咲耶が自制したことでぽかんとした表情となり、そしてくすくすと笑った。

 

 咲耶はぽやぽやしている割に聡い少女だ。

 その時々に応じて、自身の立場でなすべき行動をきちんととれる。

 伝統的魔法族との融和の機運を察して留学に出たり、子としての寂しさを抑えたり、研修旅行生として王族相手に節度ある行動をとるといった風に。

 だから彼女は少女に微笑んだ。

 

「今は“神楽坂明日菜”で来てるのよ、咲耶」

 

 向けてくる視線は優しい。

 ウェスペルタティアの王族としてではなく、神楽坂明日菜として。

 咲耶の逡巡は一瞬で、花のように顔をほころばせて抱きついた。

 

「えへへ~。えやっ! アスナさん、久しぶり~!!」

「おっと! 抱きつき癖は相変わらずね、咲耶」

 

 

 ぎゅうっと抱きついた咲耶の頭を撫でる明日菜。

 

「えっと…………だれ?」

 

 よく分からないリーシャたちはとりあえず首を傾げた。

 少女の服装はどこかの学校の制服のようで、短めのスカートから覗く脚は細くしなやかな躍動感を感じさせる。

 

「アスナさん、そのかっこどないしたんですか?」

「ふふふ。どうよ! なかなかイケてるでしょ?」

 

 咲耶は久方ぶりのスキンシップを楽しんで居る相手、明日菜の衣装に目を輝かせて尋ねた。

 母の昔の写真で見た服装――赤のブレザーにチェック柄のスカート――麻帆良学園の制服。

 期待通りの顔を見せてくれた咲耶に明日菜は「ふふん」と少し自慢げに制服を披露し、

 

「コスプレですか?」

「あんたに合わせたのよ! 最近忙しくて咲耶と会う機会なかったからね」

 

 ほんわかとした顔でぬけぬけとのたまう咲耶。明日菜はその頬をむぎゅうと抓ってツッコミをいれた。

 いつもの格好ではどうしてもアスナ・ウェスペリーナの印象が大きい。今回はそうではなく、咲耶の友人としてここに来たのだ。ゆえに、かつて木乃香とルームシェアしていた頃の、思い出深い年に年齢詐称して変装してきたのだ。

 

 

 

 神楽坂明日菜を紹介されたリーシャたちはなんとも言い難い表情で明日菜をまじまじと見た。

 この同い年くらいに見える少女が咲耶の母と同い年だというのは、まあ、スプリングフィールド先生の若年化を見ていただけに納得できなくはない。

 だが、咲耶の母と同年代であり、先だって見たこの国の女王様が、目の前に等身大でいるというのは大層リアクションに困るできごとだ。

 恐れおののくには明日菜の見た目は同年代であることもあって親しみを感じさせるが、友人のように接するのには気が引ける。

 

「えっと、女王様は……」

「あなたたち、咲耶の友達よね。今は明日菜でいいわよ。久しぶりに友達に会いに来ただけだし」

 

 とりあえずあまり遠巻きにして凝視するのも悪いと思ったのかリーシャが恐々気味に尋ねると、明日菜はからっとした笑みで応えた。

 女王様から名前呼びする許可をもらったリーシャたちだが、流石に困惑気味に顔を見合わせた。

 

「えーっとじゃあ、アスナさん。サクヤに会いに来たって、えーっと、色々大丈夫なんですか?」

 

 なんか色々大丈夫かとリーシャが尋ねると明日菜は目を泳がせて言いよどんだ。

 

「んー……夕映ちゃんとか高音さんたちに見つかるとちょっとマズイ、かな? ……よし、ちょっと抜け出さない?」

 

 やはりなんか色々マズイのは彼女も自覚しているのだろう。

 だが、少し考える素振りを見せた明日菜は、いいこと思いついたとばかりにぽんと手を打ってリーシャたちにお散歩の提案をした。

 

「え?」

「あの……野試合とかがあるから街に出るときは気をつけるようにって」

「私が居れば大丈夫!」

 

 困惑するリーシャを援護するべくユエから言われた注意事項を述べるが、明日菜はなにやら自信満々に胸を張って親指を立てた。

 

「大丈夫って…………」

「ちょうど話しておきたいこともあってね。ちょっと抜け出すくらいならまあ、大丈夫よ。あなたたちも一緒にどうかな?」

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 お言葉に甘えて、咲耶と共にリーシャやフィリス、クラリスは明日菜先導のもとこっそり抜け出て散策に繰り出していた。

 ちなみに彼女たちの頭の上には、なんのためにか変装として、それぞれの髪の色にあった猫耳が生え、猫族に化けており、傍目に見る分には大層心なごむ、もしくは踊る光景になっている。

 女子だらけということに加えてその変装のためにディズは遠慮したらしい。

 

「なんか、耳はともかく尻尾は変な感じだな」

「そうね……ってちょっ!? リーシャ! 尻尾振るのやめなさい! スカート!! 中見えちゃうから!!」

 

 普段のホグワーツの生活では猫耳を生やすなんて経験はなく、リーシャは興味深げに自分の猫耳をほにほにと弄っていた。だが、その好奇心旺盛な気分に反応してか、同時に生やしている尻尾が無意識にふりふりと揺れ動き、なんだか生え際が大変な状態になっているらしい。

 

「アスナさんのマジックキャンセルは、その年齢変える魔法は無効化しないんですか?」

「クラリスちゃんだよね。ん~。基本的には無効化するんだけど、なんって言うか……気合い(?)みたいな感じで無効化しないこともできるんだよね」

「…………」

 

 クラリスは明日菜の持つ力に興味があるのか尋ねているが、あまりよく理解はできそうにないだろう。

 

 

 やがて5人が到着したのは、島の沿岸部。雲海に臨み、空と浮遊島の景色を一望できる草原だった。

 

「あれ浮き島だよな。ほんとどうやって浮いてんだろ」

「下の方も見て。昔の遺跡かしら?」

 

 眼下に眺望する島や遺跡に感嘆しているリーシャやフィリス。クラリスも言葉少なながらも魔法世界屈指の景色を見入っていた。

 

「気に入った?」

「はい」

 

 咲耶の友人たちの笑顔に、明日菜も嬉しそうに微笑んだ。

 空から流れる風を楽しんでいる子供たち、そして眺める景色をもう一度明日菜は見渡した。

 遠くに浮かぶのはかつて幾度もの激戦の舞台となった宮殿もある。

 今は主のいない墓所。

 

 ふと、隣から視線を感じ、振り向くとそこには小首を傾げている咲耶の姿。

 視線の中に気遣うような色を感じて、明日菜は苦笑した。

 

「ここには私もよく来るのよ。色々と気合い入れたいときとかに」

 

 ほんわかとした気分を自然にふりまくことができる笑顔。

 ただ、今はその笑顔の中に影を含んでいるのを見分けることができるのは、自身の親友である、彼女の母親が幾度か見せたのを覚えているからだ。

 自分が彼女にそんな顔をさせてしまったこともある。

 その中でも一際覚えている悲しみ――大粒の涙を流させてしまったこともある。

 

 この光景は、その時流させた涙の代わり。

 

 この子にはそんな涙は流させたくはない。

 

 だから…………

 

「咲耶は…………リオンのお父さんとお母さんのこと知りたい?」

「え?」

 

 逡巡の後に問いかけた明日菜の問いは咲耶にとって唐突で、ことのほか予想外の問いだったらしく目を丸くした。

 

「リオンの親のこと。このかと刹那さんは……たぶん言わないと思うから」

 

 リオン・マクダウェル・スプリングフィールド。

 その名が示すのは魔王と英雄という決して両立することを望まれない二つ。

 現在の魔法世界きっての問題児とされる異端の存在だ。

 

 明日菜は咲耶から視線を外し、遠くに浮かぶ墓所の宮殿へと視線を向けた。

 

 あそこでこの国を一度滅ぼし、ナギに救われた。

 あそこでこの世界を壊しかけ、ネギに救われた。

 そして…………あそこで神話の終わりをアイツに宣言した。ネギや木乃香、刹那さん、エヴァちゃん、ほかにも多くの仲間たちとともに。

 

 明日菜の顔がとても悲しいもののように見えたからか、咲耶は困ったように唸った。

 

「う~~ん」

 

 知りたいか知りたくないかで言えば、勿論知りたい。

 知って何が変わるというわけでもないし、変えるつもりもないが、それでもやっぱり、大好きな人の事なのだから。

 

 リオンとの付き合いは長いと思っている。

 小さい頃から何度も助けてもらったし、構ってもらった。

 ずっと一緒に居たわけではないが、一緒に居られた時にはずっと見てきた。

 だから、彼が何か自分に隠しているのも分かっているし、なぜかは知らない負い目みたいなものを持っているのも感じている。

 リオンの両親のこともそうだ。

 エヴァちゃんが母親ではあると思っているが、本人から父親のことを聞いたことは一度もない。

 

 隠しているのか、“本人も知らない事なのか”分からないが、それはやはり彼自身から教えてもらいたい。

 

 だから

 

「リオンのご両親のこと知らんと、御挨拶するときに困るよな~」

 

 ふにゃりと少し照れながら本気(・・)の心配で答え、咲耶の返答に、明日菜はキョトンとなった。

 紹介されるならリオンから。

 咲耶の微笑はどこまでも優しく、そしてどこまでも一途だ。

 

 

「……プッ。アッハッハ! そうきたか! 流石は咲耶! うん。そっか。そうだよね…………」

 

 言葉にしなかった咲耶の意思を感じて、明日菜は嬉しそうに笑った。くしゃくしゃと咲耶の頭を撫で、目元を緩ませて少女に視線を向けた。

 

 その事を知ろうが知るまいが、彼に抱く思いは変わらない。 

 アイツが人であっても、吸血鬼であっても、ほかの何者であっても…………

 

 

 なら、きっと今はまだ知る必要のないことだろう。

 だから代わりのことを明日菜はゆっくりと語りはじめた。

 

「…………あの子はさ。長い、永い時間の中で、たくさんの辛いものを見てきた奴なの」

 

 大きな優しさをもち、全てを抱え込んで、がんじがらめになった挙句にバカみたいな方法しか選べなくなった大馬鹿。

 

 きっと何度も喪失を味わった。

 きっと何度も希望を抱いて、その度に絶望を味わった。

 きっと何度も涙した。

 

 ずっとずっと一人ではどうしようもないものをどうにかしようと足掻き続けて絶望して…………

 

「アイツはナギとは違って頭良いのに、やっぱりネギみたいにバカなやつだから」

 

 絶望の果てにたったひとつだけ残った願いも……面と向かったら、きっとバカだとしかいえないものをまた願っている。

 

 そんなに抱え込むなと言ってやりたい。

 ただ、それがどれだけアイツにとって楔になっているかを知っているから…………

 もうそれはネギやナギ(英雄)では解きほぐせない事。

 叶えた後で、どれだけの痛みを抱えることになるかなんて分かりきっているのに、願いを叶える道の途中でさえ、独りで勝手に痛みを抱え込もうとしている。

 

「アイツは……本当に咲耶のこと大切に想ってるから」

 

 咲耶が彼を好きなのと同じくらいに、アイツも咲耶を大切に思っているのは紛れもない事実だ。

 きっとそれは一目惚れだったんじゃないかと思う。

 ボロボロに傷ついていたときに向けられた純粋で一途に自分に傾けてくれた心と笑顔。

 だからきっと、それでまたバカみたいな悩みを一つ抱え込んだのだろう。

 自らの願いを叶えるための道具として、その要になる価値を、この少女に見出してしまったから。

 この子を守るための思いが何から来てるのかもごちゃまぜになってしまった。

 

 大切に想っていたから守りたいのか

 大切なモノだから守る必要がある思っているのか

 

「あのバカ、絶対に後悔する道に突っ込むから、せめてアンタだけは傍に居てあげて」

 

 手伝ってあげてほしいとは言えない。

 アイツの願いは正しいのかもしれないけれど……アイツがそれを願うことは絶対に間違っているから。

 

「きっとそれが、一番アイツにとっていいことだから」

「うん!」

 

 それでも、アイツを慕う笑顔に明日菜は淡く微笑み、そして笑顔に変えた。

 

「だいたいあのバカどもはちゃんと止めてやらなきゃ際限なくバカやる連中なんだから」

 

 最後に明日菜は、散々バカやった元パートナーを見続けた経験から、苦笑して言った。

 その苦笑は本人の自覚とは多少異なり、どこか、楽しい思い出を懐かしむ笑顔にも似て見えた。

 

 

 ただそれでもやっぱり、アイツの願いが叶った結果を、この子がどう受け止めるかは明日菜にも分からない。

 アイツの、リオン・スプリングフィールドの企み。

 

 親殺しの禁忌を………………

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

祭りの余韻 (+人物まとめ追加)

 会場は興奮と熱気の歓声に包まれていた。

 

「さあ! いよいよオスティア終戦記念式典最大の目玉。スプリングフィールド杯も大詰めの決勝戦!!」

 

 オスティアで最も大きな大闘技場。

 そこでは今、大勢の観客が見守る中、魔法世界で最も栄誉ある拳闘大会の決勝戦が行われていた。

 大型の悪魔のような魔族や複数の手を持つ魔族など、合計4体の魔族、亜人がリング上で激戦を繰り広げており、戦闘の様子を解説者が伝えている。

 

 灼熱の魔法が闘技場を燃やし、瀑布のうねりが炎を押し留め、氷結の魔法が世界を氷つかせる。

 伝統魔法に多い光線状の魔法ではなく、超常の現象を操り、敵を撃つ魔法が乱舞する。

 それだけではない。異形の見た目同様、拳闘士たちの体に宿る力は人外のそれで、拳撃が闘技場の地面を削り陥没させるほどだ。

 

 

 

 旅程の一つとして観戦席を融通してもらったホグワーツの生徒たちも決勝の試合を観戦しており、魔法世界屈指の強者の魔法戦闘を目の当たりにして歓声を上げていた。

 

 伝統魔法族が好む儀式的な礼はなく、魔法の撃ち合いによる決闘とも違う。魔法戦士による“魔法も含めた”闘いだ。

 

 観戦席にいるルーピンやブラック、向こうの世界での戦闘経験ある大人の魔法使いあるですら目の前の闘いに圧倒されているのを見れば、このレベルの闘いが向こうの基準にしても相当にハイクラスだと分かる。

 

 リーシャやルークたちが飛び出る技の派手さに声を上げる横で、ディズは新旧両世界合わせても稀な遣い手同士の闘いを凝視していた。

 そこから学べることを手に入れるために。

 学舎で得られる程度の魔法の知識や自信など、この闘いだけでもちっぽけなものだと知れる。

 ディズは聞き耳を立てて引率の魔法使いたちの話している評価に探りをいれた。

 

 

 

「元チャンピオンとしてはこの闘いはどうみますかな、コタロー君?」

 

 問いかけた裕奈が前回この決勝戦を見たのは、もう30年ほど前になるだろうか。

 その時はまだ“ナギ・スプリングフィールド杯”という大会名であったこの大会に“大上小次郎”、そしてナギ・スプリングフィールドという名の超新星が出場し、伝説の傭兵剣士、ジャック・ラカンと激戦を繰り広げたのだ。

 当時、魔法の事情とは関わりの無かった裕奈だが、諸事情により旧世界からこの魔法世界へとやってきて、この大会を見る機会があった。

 

 当時、サウザンドマスターの生まれ変わりか!? と噂されたナギ・スプリングフィールドと伝説の英雄、ジャック・ラカンの参戦により大会決勝は奇跡の一戦とまで言われ、語り草となるほどのものとなった。 

 

 これまた諸事情により“大上小次郎”として参加していた犬上小太郎 ――現在は村上小太郎―― は、元チャンピオンと言われて顔を顰めた。

 

「チャンプ言うても引き分けやったし、そもそも相棒がネギちゃうかったら無理やったからなぁ」

「まーまー、謙遜謙遜。それでこの大会だったらどう?」

 

 小太郎自身にとってそれは謙遜ではないのだが、裕奈はぱたぱたと手を振って改めて今大会のレベルについて尋ねた。

 

「ハッ! 余裕で優勝決めれるわ!」

 

 当時の相棒、ナギ・スプリングフィールド(ネギ)と組んで戦った相手は、ラカンはもとよりそのコンビの相手も今試合に出ているどの選手よりも上だった、と小太郎は見ている。

 

「まあ、あの時みたいにネギ君もラカンさんも出てないしね」

「リオンの奴でも出とったらもうちょいおもしろかったかもしれんけどな。まああの連中もここまできただけはあるって程度やな」

 

 あの時の小太郎は幼く――それでも達人クラスの中ではかなりの遣い手ではあったが――ラカンやフェイト、そしてライバルと見定めたネギたち最強クラスとは大きな実力差があった。

 あれから時が経ち、小太郎自身も最強クラスに近い実力をもっていると目されてはいる。

 

 自分の後ろの世代の脅威がこの場にいないことを少しだけつまらなく思いながら小太郎は今大会の優勝コンビが決まるのを見つめた。

 

 

 

 

 第64話 祭りの余韻

 

 

 

 

 

 ハリーたちの見ている前で、大きな島が一つ、二つ……いや、十以上、ゆっくりと大地を離れ、徐々にだがハリーたちのいる島の高さに浮上している。

 見ているのはハリーたちホグワーツ生だけではない。

 式典に集っている魔法世界人たちも、半世紀前に崩落した廃都が再浮上する光景に感嘆の声を上げていた。

 

 視線を集めているのは二つ。

 浮き上がる島々とそれを浮かび上がらせている者。

 先日の女学生の装いからは連想もできない、女王然とした姿のアスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア様だ。

 胸元の空いた純白のドレス。手元には身の丈ほどの大きな大剣。

 一見すると女王の身分とも装いとも合わないように思える武骨な大剣は、儀式用のモノには見えないが、アスナ女王の意を受けているかのように浮かび上がり、輝いて見える。

 

「サクヤ。あの女王様、魔法使えないんじゃなかったっけ……?」

「そやでー」

 

 リーシャの問いに咲耶はほわほわとした顔で答えた。

 

「思いっきり使ってるみたいに見えるんだけど……」

 

 咲耶の言葉とは裏腹に、アスナ女王は魔法を使っているように見える。

 

「アスナ女王は普通の魔法はたしかに使えませんよ」

「普通の?」

 

 夕映の言葉にリーシャたちは首を傾げた。たしかに今アスナ女王が見せている島を浮かせる魔法は、普通の魔法とは言えないだろう。

 巨大な物体を浮遊させて操る魔法は伝統魔法にもあるが、浮遊している島々は、おそらく今足場にしている島と同じく人の力を越えているものだということが、なぜだかリーシャにも感じられた。

 

「はい。以前オスティアの王族には特殊な力が宿っているという風なことを言いましたが、これがそれです」

 

 魔法世界に存在する“天然の”魔力を司る魔法。

 神代の物語を今に紡ぎ、失われた大地を蘇らせているのだ。

 

「この世界の始まりと終わりを司る神代の力。黄昏の姫巫女。その最後の末裔が彼女なのです」

 

 

 かつてこの国を襲った巨大魔法災害、広域魔力消失現象。

 そしてこの魔法世界の最大の問題 ――魔力枯渇。これは魔法世界の存亡の危機に関わる重大な問題だった。

 魔法世界とは“言葉通りの”世界だ。魔力の枯渇は、世界の崩壊へと直結する。

 ゆえにこの世界が生まれてからの2600年。魔法世界だけでは、魔法使いだけではこの問いに全てを救う最善の解を見つけることはできなかった。

 

 だが時が経ち、神話の世界から人の世へと移りゆく中で、一人の英雄が一つの解をもって問いに応えたのだ。

 

 “生物の存在しない”魔法世界の“表側”に魔力を生み出す環境を整えること。 

 この儀式はその成果を確かめるものだ。

 

 新旧二つの世界が隔たれたままでは

 あの英雄が答えを見つけられなければ

 人の世がここまでに至らなければ

 そして、あの女王の支えがなければ

 

 どれか一つでも欠けてしまえば導くことのできなかった解。

 

 

 ゆえにこの祭典は、過去を悼み平和の願う終戦の式典であると同時に、未来を紡いでいく祈願の式典でもある。

 

 神話から人の世へ。もはや神代の力がこの世界を統べる世は終わる。

 今代の女王はまさに、神話の時代の“最後”の末裔なのだ。

 

 

 

 

 多くの人が浮遊島、あるいはアスナ女王へと視線を向けている中、ここでは珍しい旧世界人、ホグワーツの生徒たちの中の一人へと視線を向けている者が居た。

 

「アレがこのか様のお嬢さんですかー?」

「で、ござるな。ふむ。木乃香殿の若かりし頃にそっくりでござるな」

 

 一人はロリータ風の服装を着た眼鏡をかけた童顔の女性。一人は細めで長身の女性。

 ――――白き翼協力者の月詠と宇宙忍者、長瀬楓だ。

 

 彼女たちはこの儀式に先立って、廃都にうろつく魔獣たちを狩っていたのだ。

 なにせ再浮上した島はこれからまた(すぐにではないが)一般市民の生活の場になっていくのだ。

 ラストダンジョンのポップ敵キャラのような、中ボスみたいなのにうろつかれては安全な生活はできないだろう。

 そのために事前に再浮上する島の手入れを任されたのだ。

 

 ひとまず無事に仕事はやり終え今は、問題がないかを確認がてらの小休止だ。

 

 楓は旧友の娘のほわほわ顔に、懐かしい面影を見て口元に笑みを浮かべた。

 一方で月詠は表情こそ笑みを貼りつけているが、その眼差しには親しげなものはなく、未熟な少女がどれだけ愉しめるかを見定めていた。

 

 少女自身に戦闘力はほとんどない。あの近衛詠春の孫娘、といっても少女は母である木乃香(癒しの姫君)に似たものを感じる。

 傍に侍る式神の白狼は、近くにいる狼使いほどではないがそこそこ、といったところだろう。

 他の学生たちは魔法使いではあるが、戦闘の心得があるように見える者はほとんどおらず、昔の“お嬢様”の友人たちのように美味しそうな子はいない。

 

 ただ少女たち自身に食い甲斐がなくとも、あの“福音の御子”が執心しているという価値が彼女にはある。彼女に剣を向けて赤い華でも咲かせれば、近くにいる狼どもや魔法使い(夕映や高音)、そしていずれは“福音の御子”ともやる機会をつくれるだろう。

 

 最強種である真祖の怪物、闇の福音の直系にして英雄の血族とされる、新世代最強の魔法使い。

 噂ではあの“千の刃”とも互角の戦いを繰り広げたとか。

 そんな怪物との死闘を想像するだけで、月詠はぞくぞくとした感覚に震え、恍惚と顔を赤くした。

 だが、その妄想は隣から向けられる忍びの細い目に醒ませられた。

 

「そんな目でみつめられたら、ウチドキドキしてしまいますえー」

「咲耶嬢や学友殿たちに手は出さない。そういう約定にござったな」

 

 向けられる楓の気と月詠の笑顔の裏に高められた気がぶつかり、ぴしぴしと周囲の空気が弾ける。

 あの子供たちがここにいる意味と意義は月詠とてよく知っている。

 魔法世界人12億人を救う計画。

 それと天秤にかけても、月詠にとってはなお魅力的な妄想ではある。

 

 月詠はくすくすと笑いながら楓へと振り向いた。

 

「もちろん覚えてますえ~。それに心配ならさんでも、あんまりウチ好みの子はおらんようですし~…………それより、あのお嬢さんの名前、咲耶っていいはるんですか?」

 

 少しだけ事実を隠して、月詠は自身の思惑を韜晦した。

 それに気になることがあるのも事実だ。

 

「? そうでござるよ。木乃香殿に似て治癒術の心得があるとか」

「治癒術、ですか…………」

 

 月詠はちらりと近衛咲耶を視て、口元に笑みを浮かべた。

 

「なにか気になることでもあるのでござるか、月詠殿?」

「いいえ~。このか様も“因果な”名前をつけはったと思いまして…………ああ。そういえば占いも得意にしはってましたなぁ、このか様は」

 

 神鳴流とは元々は京の都の守護と魔を討つことを目的とした組織だ。その剣士である月詠は、必然的に京都と関わりの深い関西呪術協会とも関わりがある。

 呪術とは古来から日本――大和に伝えられていた陰陽の術法が原点にある。

 まだ人と魔――神霊(・・)との境界があやふやだったころからの流れがそこにはある。

 

 ある意味では彼女は確かに近衛木乃香の娘だ。その“本来”の特性が真逆だとしても。

 

 おそらく長は気づいているだろう。

 でなければ“あの”式神はありえない。 

 かつて近衛木乃香が封じられし大鬼神の召喚の巫女として利用されたように、やんごとなき血脈がたしかにあの少女には流れている。

 

 鶏が先か卵が先かの議論ではないが、名がつけられたからそれが現れたのか、それともそれが現れることを予見したからその名がつけられたのか。

 

 

 

 

 

「これでオスティアの目ぼしい行事は観光し終えたかな、高音さん?」

「ええ裕奈さん。日程では明日の午前の便でメガロに戻る予定です」

 

 この公式行事をもって、ホグワーツ生のオスティアでの観光予定はおおむね終了となる。あとはメガロへと戻り、現実世界への帰還という流れだが、まだまだ油断して良いときではない。

 襲撃というちょっかいを喜んでかけてきそうな厄介な剣士に一人心当たりがあるからだ。

 国際的な外交バランスとか、今後の世界の安定のためとか、多少は、気を使うようになっているようだが、興が乗るとなにをしてきてもおかしくない怖さがあの剣士にはある。

 

「心配いらんで高音さん。あの戦闘狂は楓姉さんが面倒見てくれとるようやし」

 

 だが高音の心配を小太郎が杞憂と判断したようだ。

 

「村上さん。アナタの戦闘力は私も認めていますが、油断する悪癖は治すべきです」

 

 楽観的にも聞こえる小太郎の言葉に高音は顔を顰めて諌めた。

 戦闘力だけならば小太郎は最強クラスとも戦えるほどではある。幼いころはよく油断から足元をすくわれるなんてへまをやらかしていたが、今回は少し違う。

 

「しとらんしとらん。心配性やな高音さん。つーかどっちか言うと、向こうに戻ってからの方を警戒すべきやと思うけどな」

「………………」

 

 笑みから顔を真剣なものに変えた小太郎。

 高音は小太郎の言葉に顔を険しくした。思い当たる節はあるのだ。

 

「リオンのやつはともかく、タカユキがこっちに来んかったんは、向こうの問題が難航しとるからやろ」

 

 メガロ政府と準敵対関係にあるリオンはともかく、今回の護衛任務でタカユキが同道しなかったのは彼の方の任務――旧世界での調査や伝統魔法族との調整の方が難航しているからだろう。

 

「タカユキさんの報告では“あの”組織が水面下でヨーロッパの伝統魔法族に接触している可能性を指摘しています。そしてイギリス魔法省も別の意味で妙な動きをしてくる可能性は十分にありえます」

「難儀なもんやな」

 

 

 

 

 行事式典が終わった後も、祭りの余韻がすぐに冷めることはなかった。

 

「すごかったなぁー」

「この研修ももうすぐ終わりね。……メルルたちにお別れくらい言いたいけど難しいかしら?」

 

 リーシャたちも祭りの余韻としての物悲しさと、この魔法世界研修旅行ももうじき終わってしまう事のわびしさがあるからだろう。

 フィリスはせっかくこのオスティアでも再会できたメルルやイズーたちと別れを言うタイミングがないのが心残りだ。

 

「彼女たちは任務でオスティアに来ていますから、そうそう時間の都合は合わないと思いますよ」

「そっかー、残念やなー」

 

 オスティア警護任務についていたこともある夕映が経験から告げるとリーシャやフィリスだけでなく咲耶やクラリスも残念そうにしょぼんとした。

 幾度か魔法世界を訪れたことのある咲耶といえども、そうそう気軽に来ることはできない。オスティアならばともかく、アリアドネーならばなおさらだ。

 ましてリーシャやフィリスなどは次にいつ来れるか分からない、というよりももう一度来ることが出来るかもわからないほどだ。

 悪くすれば今生の別れとなる可能性だってある。

 

「そう悲観することもありませんよ。夏休みが終われば…………いえ。もう会えなくなるわけじゃありませんから」

 

 だがなぜか夕映は微笑を浮かべると、まるで次に会う時があるかのように言った。

 

「つってもユエ先生。魔法世界に来るのも、こっちから向こうの世界に行くのもなかなか難しいんでしょ? 留学希望してるクラリスでもしばらくは会えないんじゃ?」

 

 リーシャは夕映の言葉に不思議そうな顔をして尋ねた。

 それに対して夕映は、なにか含む有ることがあるかのような顔をして笑みを深めた。

 

「ふふふ。まあそこはお楽しみということで。それに夏休みももうだいぶ経過しましたし、向こうに帰ってからは慌ただしいですよ」

 

 結局、夕映の先程の言葉の真意は分からないが、まあ交流が活性化すると言うのならば会う機会もやがては巡ってくるということなのだろう。メルルやメルディナなどは特にイギリスに興味があったようだし、もしかしたら来る予定があるのかもしれない。

 そしてこの研修旅行が終わってからの日程が大変なのは、まさにその通りだ。

 一応この研修期間中に宿題を持って来ている生徒もいるが、ほとんど碌に進んでいないのが大方の実情だろう。

 そして研修が終わると、もう夏休みはほぼ半分近くが終わっていることになるのだからなかなかに大変だ。

 

「そうですよね。リーシャはちゃんと宿題のノルマはこなしているんでしょうね?」

「…………」

「こら!」

 

 フィリスは昨年夏休みの課題の追い込みに奔走させられた二の舞を踏まないようにとリーシャに尋ねるが、リーシャはさっと顔を逸らした。

 

 

 

 

 

 長くも短くも感じられる研修旅行はいよいよ終わりを迎える。

 オスティアでの行事を終えた翌日。一行は無事にメガロへと戻り、メガロでのちょっとした観光やお土産めぐりなどをした後、来た時と同じようにゲートを通過して旧世界へと帰還を果たしたのであった。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 ハリーたちが魔法世界で見聞を深めていたころ。

 旧世界、イギリスでは人知れず一つの動きが進行していた。

 その動きは今はまだ知る人もほとんどない、小さな蛇の軌跡でしかない。

 その歩みがやがて大きなうねりへと続いて行くことは、まだそれを企図する者たち以外では居もしなかった。

 

 

 とある村の、まだ緑の残るその村の小高い丘の上に、大きな屋敷が建っている。

 建築の見事さはかつての家主の栄光を思わせるが、今はあちこちの窓に板が打ち付けられ、蔦が絡み付き、往時を偲ばせるものとなっていた。

 リトル・ハングルトン。

 かつてリドルの屋敷と呼ばれていたこともある屋敷だ。

 だがそこに今はリドル家の住人はいない。もうずっと昔に、一家は謎の死を遂げたのだ。ただ死んでいる。一切の病気も、怪我も、傷害のあともなく、ただ死という事実のみを刻み付けられるという“変死”を一家は遂げたのだ。

 真っ当な警察には決して解決できない事件。

 事件の後、幾度か屋敷の主が変わったが、屋敷の管理をするために敷地の隅に住まう者だけを除いて、この屋敷に長く住むことのできた者はいなかった。

 

 

 その屋敷に今、“魔法使い”が身を潜めていた。

 

「ソーフィン。俺様をもっと火に近づけるのだ」

「はっ、帝王よ」

 

 不自然に甲高い声。無理に低い声を出そうとして失敗しているかのように奇妙な声が命じ、別の男がそれに応えた。

 ソーフィンと呼ばれた男は、不自然な声の主を敬意をもって扱っているのだろう。自らの手で重い椅子ごと主を暖炉の傍へと連れた。

 

「帝王。計画の実行の日はいつになさいますか?」

 

 ソーフィンは丁重に、言葉を選ぶようにしながら尋ねた。

 

「少なくともクィディッチワールドカップが終わるまでに動くことは愚かなことであろう」

「左様ですか。……しかし、バーサ・ジョーキンズから得た情報によると、まもなく国外の魔法使いどもが魔法省に持ち込んだなにかの企みが始まるのではないかということですが」

 

 問いに対して返ってきた答えにソーフィンはやや警戒の色をこめて進言した。

 

 まもなく雌伏の時は終わる。

 問題はその時をいつにするかということだが、魔法省の木端役人から得た情報を加味しても、ソーフィンと男の間では現状の認識と思惑に差異があるようだ。

 

「ふん。マグル贔屓の精霊魔法の使い手どもか」

 

 現在、この世界のマグル側の情勢に深く関わっている精霊魔法の使い手たち。

 それに対する警戒と認識が異なるらしい。

 甲高い声の主は侮蔑を込めたように吐き捨てた。

 

「むしろ都合がよい。連中の企図するマグルとの積極的な融和など不満と混乱を招くだけだ。クィディッチワールドカップに加えて国内にも混乱が起きれば、動くには絶好の機会だ」

 

 彼も精霊魔法の使い手たちを、マグル程に侮っているわけではない。

 いかに愚かしく、腐っていようとも魔法使いは魔法使いだ。ただいずれ支配し、管理淘汰する輩の一部というだけのこと。

 

 ここに来るまでの潜伏先であったアルバニアにおいて捕え、情報を提供させ、そして今はもうこの世にはない魔女からの情報は彼らにとって有益であった。

 近々イギリスにてクィディッチのワールドカップが行なわれ、魔法省の多くはそれに注力せざるを得ないこと。

 加えて国際魔法協力部と魔法大臣は、国連(マグルの国際的機関)から派遣されている精霊魔法使いとの交渉にかかりきりになっているということ。

 その連中と行っている交渉は、どうやらマグルとの積極的融和政策を基本方針にしているという噂が流れ始めており、一部の純血主義者の間で不満が高まっているということ。

 闇の帝王に仕える最も忠実な下僕の一人が、アズカバンから脱獄し、とある魔法省官僚に幽閉されているということ。

 来年度のホグワーツでの“闇の魔術に対する防衛術”の教授職に、かつては名高き闇払い、アラスタ・ムーディーが就くことになっていること。

 

 それらの情報は、彼に――闇の帝王、ヴォルデモート卿に復活の機が熟しつつあることを知らせてくれた。

 

「なるほど。では御心は変わりなく?」

 

 問われるまでもない。

 13年前のあの日。

 思いがけぬ“呪い”により自身の力を大きく削がれ、凋落したあの日から帝王としての恥辱と苦渋に塗れた雌伏の時が始まった。

 帝王を畏れ、傅いていた者どもは浸水した船から這い出る鼠のごとく浅ましく逃げ出し、忠を示した者たちは捕えられ、アズカバンへと送られた。

 復活を企図し、新たな下僕としたクィレルという愚者は、計画を果たすことはできず、復活は阻止され永遠の命も手に入らなかった。

 

 だがそんな中、一つの転機が帝王に訪れた。

 かつて最も忠実で、下僕の中でも強大な魔法力を有していた男が帝王のもとに舞い戻ったのだ。

 彼により帝王は仮初の体を手に入れることができ、そしてさらなる幸運として、魔法省の事情通の役人を一人捕えることにまで成功したのだ。

 そして今、イギリス魔法界はかつてないほどに光の中で目を焼かれんばかりの混乱を迎えている。

 

 世界とどのように向き合うのか。

 穢れた者ども、下等なマグルどもとどのように繋がっていくべきなのか。

 

 多くの魔法使いが混乱している。

 

 ならば導こうではないか。

 ダンブルドアや、血を裏切る者たちの言う光の、愛の道などではなく、魔法使いとしてあるべき道を、闇の導を辿る道へと。

 

 決意を問うソーフィンに、帝王は口角をつりあげた。

 

「ああ。いよいよ――――ナギニか」

 

 頷きを返そうとしたその時、扉の外からずるずると這いよる音が聞こえ、話が途切れた。

 部屋の扉の隙間から4メートルを超える大きな蛇が入室し、そのまま帝王のもとへと這い寄った。

 ソーフィンが見る前で蛇は帝王の乗る椅子を這い上り、そしてシャーシャーと空気の漏れる様な音を発した。

 彼にはそれが理解できない。

 だがそれこそが、ヴォルデモートがイギリス魔法界に存在する旧い血を受ける者の証――パーセルタングだ。

 

「ああソーフィン。ナギニが面白い知らせを持ってきたぞ。客人が、その扉の外に居るのだそうだ」

 

 ソーフィンの冷たい眼差しが扉へと向けられ、手にある杖が振られ、手も触れずに扉が開いた。

 

「さてマグルよ。すべて聞いたな?」

 

 

 

 

 

 この日、人知れずリトルハングルトンの旧リドルの屋敷で一人の哀れなマグルが命を散らした。

 被害者はリドル家だったころから仕えていた屋敷の庭番であった老人だ。

 

 

 

 死者の出た同じ屋敷で、魔法使いはほくそ笑んでいた。

 

 帝王は道を選び、全ての手筈も整った。

 狙いはホグワーツ、そこに守護されるハリー・ポッターの血。

 ただ運と母親の愛情のみでヴォルデモートの手を逃れた子供ごときの血を、ヴォルデモートは欲し、今や心血を注いでいるのだ。

 

 ヴォルデモートの身に宿るイギリスの古い魔法族の血。

 マグル生まれを排絶し、マグルを弑して回る思想など、その血同様、まさにヤツの古臭さの象徴だ。

 あの臆病者の賢者。ダンブルドアを認め、恐れているにもかかわらず、このイギリスにこだわる蒙昧。

 自らの魂の一部を砕かれたにもかかわらず、なおその敵を侮る愚かさ。

 

 彼にとっても残念であり信じ難いことに、帝王の魂の一部は永久に戻ることはない。

 そしてそのために帝王は致命的な事柄を忘却――いや、手に入れ損ねている。

 

 

 ソーフィンは懐に忍ばせた自らの証をぐっと握りしめた。

 自らの主が頂く証と同じ印 ――三つの秘宝を表す、“死を克服する印”。

 

 正三角形に内接する円と、二つを貫く線。

 

 

 マグルは有用だ。精霊魔法族もまた侮るものではない。

 なにせ天命を読み解く兆しである宙の星にまで手を伸ばすような輩だ。

 まさに天を、世界を掌握する所業。

 そのような輩。マグルともども支配し、管理することこそ、新しい魔法使いのあるべき道だ。

 

 

 

 復活の時は、迫る……………

 

 




魔法世界編ではキャラ登場が多かったのでまとめました。


・イゾルデ
愛称イズー。竜族の少女で、褐色の肌に竜の角と尻尾を持つ。身体能力、魔力が高く、魔法戦士として非常に優秀だが少々問題児。昔修業時代のリオンに助けられた孤児。性格や問題行動の多さに反して、魔法戦闘の勉強に関しては真面目で、魔法戦闘系の授業ではクラストップの成績。ナギやネギよりも魔法界での問題児リオンを尊敬していることから委員長とは相性が悪い。

・メルル・コリエル
金髪でエルフのような耳を持っている亜人。アリアドネーの外から来た候補生。魔法使いとしてはそこそこできるが、両親がトレジャーハンターであることに加えて、名前が似ていることから委員長にあまり良く思われていない。

・メルディナ・ジュヌヴィエーヴ
愛称メルディ。白い猫耳尻尾の亜人。クラスの委員長で、プライドが高い。座学ではトップで、戦闘技能ではイズーに及ばないが、氷系統の使い手として中々に高位の魔法使い。

・アルティナ・ヴェルル
愛称ティナ。メルディとよく一緒に行動している。炎熱系魔法の使い手。最近の趣味は真っ赤な顔をしてわたわたしているメルディを眺めること。


・コレット・ファランドール
純粋魔法世界人で犬系統の亜人。アリアドネーの学校の教員で、夕映とは旧知の仲。

・ベアトリクス・モンロー
アリアドネーの総長。夕映やコレットとは昔なじみで、共通の友人に旧世界麻帆良の駐在大使がいる。ヒューマン。

・高音
メガロメセンブリアのエージェント。影の魔法の使い手で、攻守、探知のバランスがよくかなり高位の魔法使い。“偉大なる魔法使い”としての資格は有しているが、ネギや木乃香とは違い“立派な魔法使い”とまではいかないため、まだまだ研鑽中。

・裕奈
メガロメセンブリアのエージェント。魔法使いとしてはそれほどではないが、魔法銃の使い手で、多様な術式を弾丸として撃つことができる。ゆーな☆キッドとの関係は謎。

・愛衣
メガロメセンブリアのエージェント。炎系統の魔法を得意とする、全体的にバランスのよい魔法使い。好みのタイプは野性味あふれる人狼種(?)

・アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア
ウェスペルタティア王国の女王。魔法世界でも希少な魔法無効化能力の保持者――黄昏の姫御子。公的には実戦を退いて久しいが…………

・村上小太郎
旧世界出身。狗族と人とのハーフ。結婚して苗字が変わった。

・パイオ・ツゥ
ヘラス族の亜人。傭兵であり、乳在るところに現れる乳神。某伝説の傭兵の変態方面での弟子だったりなかったり……

・親切な流れのおっさん
変態…………



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4章後篇 ホグワーツ編
O.W.L成績発表!!


 見回すとそこにいるのは人。

 スーツ姿で仕事に急ぐ男性(ヒト)。杖をつきながら歩く老人(ヒト)。赤子を乗せたベビーカーを押す女性(ヒト)。

 人、人、人。

 当たり前のロンドンの光景に、リーシャたちは何とも言えない懐かしさというか安心感を覚えた。

 

「いやー、一月も経ってないハズだけど、このマグルだけって感じが懐かしく思える日が来るとはねー」

「たしかに。なんか猫耳とか犬耳とか、あげく人の姿ですらないヒトたちに見慣れちゃったものね」

 

 魔法世界ではメガロを除けばヒトは少なく、亜人を見る機会の方が多かった。こちらに戻ってきて感じるのは、ヒトが多いということだ。

 リーシャもフィリスも、初めて魔法世界に行っていたホグワーツ生は、引率のシリウスとルーピンを含めて、すっかり国際感覚ならぬ異世界感覚が身についた思いだ。

 流石に咲耶は慣れたもので、ほわほわ顔で友人たちの戸惑いに苦笑している。

 

 ロンドン、パディントン駅につくといよいよ研修旅行は終わりだ。

 

 生徒たちは各々、以降の夏休みの予定を尋ねあったり、あるいは計画を確認し合ったりしていた。

 その予定を楽しみにしている一人にはハリーも含まれていた。

 夏休みにはダーズリー家に戻っているハリーだが、嫌で嫌でしょうがないその儀式は旅行前に既に終えている。

 残りの夏休みはウィーズリー家の“隠れ穴”で過ごせるように誘いを受けており、ハリー自身も喜んでそれを自身の予定としていた。

 

 少し気がかりなのは今後は一緒に暮らさないかと行ってくれているシリウスだが、どうやらまだ色々と家の手続きやら裁判やらが残っているらしく、この夏休みはハリーを送り出すことを残念そうに決めていた。

 それらが遅れた理由の幾割かには、おそらく今回ハリーたちの研修に同行したことが含まれているのであろうが、研修旅行は彼にとっても有意義なものであったと、今の様子が物語っていた。

 

 そしてハリーを誘ったウィーズリー一家は、

 

「サクヤ! サクヤはこの後、どうするんだい?」

「もちろんイギリスに残るよな! なんせ夏休みの最後にはクィディッチワールドカップがあるんだから!」

 

 フレッドとジョージがサクヤを一家にご招待していた。

 彼らの父、アーサー・ウィーズリーはイギリス魔法省きってのマグル好きとして知られている。(その割には理解はひどく歪で偏ってはいるのだが)

 日本の魔法族はマグルの生活に密着しており、マグルにも詳しいという咲耶の話に、アーサーは大層興味を抱いていたそうなのだ。

 実はお誘いは毎年あったのだが、同寮の友人たちとの約束が先にあり、優先されるために今まで一度も成功したことがなかったのだ。

 

 だが、今年は4年に一度行われるクィディッチワールドカップの開催年であり、その主催国はイギリス。

 魔法使いならば一度は見ておくべき大イベントであり、せっかくイギリスに来ているのだから、是非にと誘っているのだ。

 幸いにも魔法省の役人であるアーサーは、ワールドカップを取り仕切る魔法ゲーム・スポーツ部の部長、ルード・バグマンと交友があり、チケットを融通することが出来るのだそうだ。

 そうでなくても、咲耶は魔法省が“交友”を深めたいと画策している日本の魔法協会の長の孫娘。VIP待遇で招く口実に不足はない。

 しかもどうやら今のイギリスのナショナルチーム、特にアイルランドチームは、優勝候補にも挙げられているほどだとか。

 

 咲耶もクィディッチへの興味はともかく、魔法省の役人で、マグル好きの、話を聞きたいと言ってくれているイギリスの伝統魔法族、その中でも希少な純血の魔法使いとは会ってみたい。

 だが、

 

「んー、今年は日本に帰ってくるよう言われとるんよ」 

「そりゃないぜサクヤ! ワールドカップを観る機会なんてそうそうないぜ!?」

 

 咲耶が残念そうに御断りの言葉を告げるとジョージはショックを受けたようにがっくりと肩を落した。

 

 たしかに興味はある。

 だが、咲耶の思惑とは別に、計画は進んでいるのだ。

 忙しく飛び回る護衛役(リオン)を付けられない以上、咲耶の安全のためにも日本への帰省は必要な処置であるとの長の判断だ。

 

 咲耶はウィーズリー兄弟やハリー。そしてリーシャたち友人たちにも別れを告げ、付き添いの夕映とともに日本へと帰還するのであった。

 

 

 

 第65話 O.W.L成績発表!!

 

 

 

 夏休み開始からおおよそ一月、イギリスでは今頃クィディッチワールドカップが佳境を迎えているぐらいの頃。

 咲耶は自宅である関西呪術協会の本部に届いた手紙をドキドキしながら開いていた。

 古めかしく蝋封された封筒を開き、中からこれまた古風な羊皮紙を取り出して広げた。

 

 

 ―――――――――――――――――――

 普通魔法レベル成績

 

 合格

 優・O(大いによろしい)

 良・E(期待以上)

 可・A(まあまあ)

 

 不合格

 不可・P(よくない)

 落第・D(どん底)

 トロール並み・T

 

 サクヤ・コノエは次の成績を修めた。

 天文学:良 

 魔法生物飼育学:可

 呪文学:優

 闇の魔術に対する防衛術:良

 占い学:優

 薬草学:優

 魔法史:可

 魔法薬学:優

 変身術:良

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 懸案だった受講科目が全てパスしている。

 咲耶はもう一度羊皮紙に目を通し、はぁ~と安堵の息を吐いてから、顔を綻ばせた。

 

 およそ一月前の先学期末に行われた普通魔法レベル試験(O.W.Lテスト)の結果が返却されたのだ。

 ホグワーツの多くの学生にとって行く行くはこれが卒業後の進路にも関わるのだが、イギリス伝統魔法族の管轄の仕事を希望していない咲耶にとっては人生の岐路というほどには重くない。

 ただO.W.Lテストの結果は六年生以降のN.E.W.Tの各教科の履修要件ともなるものなので、留学中の咲耶にとっても大切なものだ。

 

 先年に行われた進路相談でもそのことは話にのぼり、咲耶は六年生以降のカリキュラムをひとまず癒者の進路に合わせた構成にしようと考えている。

 そのために必要なのは、N.E.W.Tで呪文学、闇の魔術に対する防衛術、薬草学、魔法薬学、変身術での優秀な成績だ。

 六年生以降は、それぞれの科目の教授が自分の授業の受講にふさわしい成績を要求してくるのだが、咲耶のこの成績ならば、必要科目の受講に不都合はない。

 

 ただ、すべての科目で優秀というわけにはいかなかった。

 魔法史はN.E.W.Tで必要な科目ではないが、異文化交流として留学しているのだから、最低限のレベルくらいはとっておいた方が都合がよいのは間違いない。

 ただあまり良好とはいえない成績なのは、おそらく英語の人名(特にゴブリン名)、地名でミスを多発したのが響いたためだろう。

 そして魔法生物飼育学だ。

 この科目は四年時までは、ケトルバーン先生の授業で咲耶のお気に入りだったのだが、高齢と負担を理由にハグリッド先生へと変わってしまい、どうしようかと悩んでいた科目だ。

 ハグリッド先生には入学前にお世話になったこともあり、あまり悪く言いたくはないが、正直教師として適正があるとは言い難いというのが咲耶を含めた大多数の生徒の共通見解だ。

 なにせ就任初年度とはいえ、授業の大部分がフロバーワームだったという、なんともお粗末なものだったのだ。

 真っ当にカリキュラムをこなしたとは到底思えないし、結果もそれ相応のものと受け止めるしかなかろう。

 

 咲耶は授業結果の報告をしないと……と思って、しかし、思いなおした。

 普通なら親に報告するものだろうが、残念ながら咲耶の親は仕事柄世界を遍歴しており、家にはいない。

 家にいるのはおじい様だが、そちらも執務で大忙しだ。特に今は大切な時期らしく、邪魔になってはいけないだろう。

 そしてリオン……は夏休みに入ってからまったく見ていない。

 黙っているわけにもいかないので、時間をみつけて話すのは必要だろう。だが、今は仕事の邪魔をするわけにはいかない。

 結果を見せる相手は、見せたい相手はいない。

 ちょっぴり寂しそうな顔をして近くで丸まっているシロを撫でた。

 

 姫の思いを察してか、シロはまるで見た目どおりの子犬のようにペロリと咲耶の手を舐めた。

 慰めてくれているのだろう。咲耶は少し微笑んだ。

 彼らが忙しいのは、今年が“伝統的魔法族”にとって大きく変わる第一歩になる年だからだ。

 今頃向こうではクィディッチワールドカップが行なわれているのだろうが、それが終わると、いよいよあの計画が魔法族に報告される。

 “非魔法使いに対する魔法情報の公開”……という情報を公開することだ。

 それだけでもおそらく小さくない混乱が起こるだろう。なにせ留学中に分かったことだが、イギリスにあるような伝統的魔法族は、一般人の生活にまるで無知だ。

 現代社会の中に隠れて、現代文明から孤立している感じすらある。

 その摺合せをしていくことが、まずは大きな仕事になるのだが、そのために木乃香や詠春は大忙しだ。

 

 咲耶は友人たちがどうしているのかを想像して、ぽわぽわと微笑んだ。

 

 リーシャやフィリス、クラリスたちも成績表を受け取ったことだろう。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 

「まったく! あなたたちときたらっ!!」

 

 イギリス有数の純血の魔法族の一家――ウィーズリー家の隠れ穴で、怒声が上がっていた。

 怒っているのは一家の母であるモリー・ウィーズリー。恰幅のよい魔女で、面倒見がよく、“優しい親”というものに縁のなかったハリーにとっては、親友の母親ということ以上に親しみを感じている人だ。

 だが、現在ぷりぷりと怒るウィーズリーおばさんの手には、二枚の羊皮紙が握られている。

 

「こんな成績でどうするつもりなの! フレッド!! ジョージ!!」

 

 怒っている原因は本日到着したO.W.Lテストの結果が、モリーにとっては予想を遥かに下回るほどに、怒られている当人であるフレッドとジョージにとっては予想通りの、悪い成績だったためだ。

 

「こんな成績もなにも、会心のできだぜ、なあジョージ?」

「ああ、まさに! 呪文学と変身術に“良”があるなんて、俺たちにとっちゃやりすぎちまったくらいだよ」

 

 悪びれずに肩を竦める二人にモリーは成績表を引き千切らんばかりにぷるぷると怒りで震えた。

 

「あななたち!! こんな! 成績で! N.E.W.Tはどうする気なの!!? パーシーは監督生にもなったし、魔法省にも入省したというのに! こんな!!」

 

 あまりの怒りに上手く言葉にならないほどなのだろう。

 母親の激怒ぶりにさしものフレッドとジョージも顔を見合わせて少し顔を困らせた。

 彼らは“本気で”魔法省になど魅力を感じていないのだ。

 呪文学と変身術で“良”という成績がとれたのだって、彼らにとっての“実用”に必要だったことからの副産物だ。

 

「ねえママ。俺たち魔法世界に行ってきたんだ」

「それに比べたら、魔法省なんかに入るなんて、人生の無駄遣いだよ」

 

 少しだけ笑みを引っ込めての二人の言葉は、彼らにしてみればわりと真剣だったのだが、怒りのモリーは口をぱくぱくとさせて、言葉を失った。

 

 モリーは純血の魔法使いだ。

 彼女自身が純血の名家、プルウェット家から同じく純血の名家、ウィーズリー家に嫁いできたのだ。

 名家、といっても伝統的魔法族の名家は往々にして=金持ちというわけではない。特にウィーズリー家はお世辞にもあまり裕福とはいえない家だ。

 だからこそ、ちゃんとした魔法使い、というものをモリーは意識している。

 ちゃんとした魔法使い、といっても純血主義のような輩になれとは言っていない。ちゃんとした魔法使いの職についてもらいたいのだ。

 一家の大黒柱であるアーサーは魔法省の役人。長男のビルはグリンゴッツの呪い破り。次男のチャーリーはドラゴンキーパー。

 アーサーはややマグル贔屓が過ぎておかしな趣味をもっているし、ビルは(モリーから見て)おかしなセンスだし、チャーリーはドラゴンに負わされた火傷なんかがあるしで、心配事はもちろんある。

 だが彼らはいずれも立派な職についている。そして今年からはパーシーがアーサーと同じ魔法省へと入省したのだ。

 是非ともフレッドとジョージの二人にも続いてもらいたかったのに

 

「魔法世界じゃ、純血だのマグルだのっていうくだらないもんなんかない」

「魔法の世界なのにマグルの作っているモノを積極的にとりいれてる。魔法なんかも全っ然違ったんだ。おったまげたね!」

 

 当の本人たちはモリーから見て、真面目に将来を考えているようには到底見えなかった。

 

「それで? それで学んできたのが魔法のかかったいたずらおもちゃづくりのアイデアなの?」

「あー、それは、また別だな、うん」

「それは魔法世界を冒険する前の俺たちの産物だよ、ママ」

 

 この夏休み、二人がいない間にモリーはフレッドとジョージの部屋から多数の悪戯玩具の試作品が発見されたのだ。

 その、モリーから見て勉学を阻害しているとしか思えない産物の件もあり、彼女の堪忍袋の緒はまさに限界のようだ。

 

 傍で見ていたハリーやロンは、モリーの顔が噴火するまであと5秒前のようになっているのを見て、そそくさと退避を決め込んだ。

 

 

 おばさんの怒声とアーサーおじさんの宥め声を背に、ハリーとロンは上階にあるロンの自室へと向かいながら話をした。

 

「パーシーは魔法省に入れたんだ」

「ああ、うん」

 

 先ほどちらりと話にでてきたパーシーの件だ。

 ロンはその話題はあまり愉快なものとは思っていないのか、顔を顰めてパーシーの部屋の方を睨みつけた。

 

「パーシーのやつ。なんの仕事があるのか知らないけど、ここんとこずっと残業しっぱなしさ。パパに促されないと帰ってこないんじゃないかな」

「それじゃあ、仕事は楽しいんだ。なんの仕事をしてるの?」

 

 ハリーとパーシーは、ロンやクィディッチチームの仲間であるジョージ、フレッドたちほどとは関わりがなかった。

 だが、彼がグリフィンドール寮の監督生であり、非常に勉学に関しては優秀であることは覚えている。ハリーが3年次に選択科目のアドバイスをくれたのも(あまり参考にはならなかったが)パーシーだった。

 

「国際魔法協力部」

 

 ハリーの質問にロンはややぶっきらぼうな口調で答えた。

 

「海外の魔法使いと色々外交したりする部署さ。始めは鍋の厚さをバカみたいに調べまくってたけど、最近はなんか違う仕事をしてるらしいよ」

 

 ロンの説明を聞いても、今一つよくわからないが、どうやら色々な仕事をしているらしいとハリーは自分を納得させた。

 鍋と外交がどう結びついているのかは分からないが、ロンはパーシーのその変化を自分のやってる間抜けさ加減に気付いたんじゃないかなと言った。

 本当のところはどうなのかは分からない。

 

 ハリーは階下での口論がやむまでロンとともに時間をつぶしたのであった。

 

 

 

 

 

 この夏休みはいろいろなことがある。

 例年の夏休みはハリーにとって、ただひたすらに苦痛でしかなかった。

 魔法から隔絶させられ、碌に友人と連絡をとることもできず、ダーズリーの家に閉じ込められる扱い。できるのならば夏休み帰宅などなしに、ずっとホグワーツで居たいくらいだった。

 だが、今年の夏休みは、魔法世界への研修旅行に始まり、“隠れ穴”での楽しい休日。

 

 最初のイベントである研修旅行は、親友のロンが行くことができなかったが、それはフレッドとジョージのたくさんの土産話と、ハリーがプレゼントしたお土産(一粒食べるとしばらく亜人になれるタブレット)で機嫌を持ち直すことができた。

 そしてもう少しすると今度はクィディッチワールドカップだ。

 ハリーは学校ではグリフィンドール寮のクィディッチ代表チームのシーカーを1年生の時から務めているが、ワールドカップがあるということを今年の夏に初めて知った。

 なにせハリーは魔法族の父と母から生まれてはいるものの、こてこてのマグルであるダーズリー家で育てられたのだ。

 ダーズリー家で箒に跨るなんて(彼らにとっての)奇行をすれば、数日間は物置に閉じ込められるに決まっている。

 プロチームがあるということはかろうじて知っていたが、どこの国が強いのかなどは全く知らない、言ってみればにわかファンととられても反論はできない。

 だが、それでもクィディッチがとびきり楽しいスポーツであることはよく知っているし、ワールドカップの話をするときのロンの興奮ぶりからすると、ハリー自身も楽しみで仕方ない。

 本来はそうそうチケットが手にはいるようなものではないらしいのだが、魔法省の魔法ゲーム・スポーツ部にツテのあるアーサーおじさんが決勝戦のチケットをハリーとハーマイオニーの分まで含めて融通してくれたのだ。

 

 少し残念なのは、そのビックイベントにこの前まで一緒に旅行をしていたサクヤが来られないことだ。

 旅行の終わり際に、ジョージたちがサクヤを誘って、断られたのを見たときはハリーも落胆したものだ。

 ちなみに落胆したのは、彼らだけでなく、アーサーおじさんやパーシーもだったらしい。 

 

 なんでも、パーシーの勤めている国際魔法協力部は、今はワールドカップの開催にも関わることになっており、非常に忙しい状態なのだが、本来の業務は外交なんだとか。

 そのため野心家のパーシーは、フレッドとジョージが海外の魔法協会にコネクションが強いサクヤと親しく、家に呼ぶ算段をたてているのを、実は大層喜んでいたらしい。

 目論見が外れて肩を落とすパーシーを、この後ハリーは見ることになるのだが、現状はハリーやロンが思っていた以上に激流のようになっていることを、この時のハリーはまだ知らなかった。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 人の往来がそこそこ活発な通りに臨む喫茶店で、一人の青年が新聞を読んでいた。

 人と待ち合わせているのか、仕事の休憩中なのか、彼以外にも同じようなことをしている人はちらほらと見える。

 その中で青年だけには少し変わった特徴があった。

 青年が、というよりもその手にもっている新聞にだが。

 

 携帯端末が発展・普及した昨今、このような場所で動画を見るのは別に不思議なことではない。だが青年の持っているのは紙の新聞だ。

 スーツを着こなすビジネスマン風の若い青年にしてはやや時代外れ感はあるが、おかしくはない――――その新聞の写真が動いていなければ、だが。

 

 青年――――タカユキ・G・高畑が読んでいるのは日刊預言者新聞。

 イギリス魔法界で最も読まれている伝統的魔法族のニュース新聞だ。

 

 タカユキはイギリス人でも、伝統的魔法族でもないが、現在の任務の関係上こちらのニュースには目を通しているのだ。もっとも今はヒマつぶしに目を通しているにすぎないのだが。

 一面には伝統的魔法族の間で人気のスポーツ“クィディッチ”のワールドカップについての結果が大々的に載っている。

 裏面の小記事には友人の勤めている学校――ホグワーツ――の一部生徒が魔法世界に研修旅行に行ったことについての記事もあった。

 ぺらぺらと目を通していくと、タカユキはとあるひとつの記事が目につき、内容を読んでいき――――

 

「おっと。いいところだったんだけど時間か」

 

 視線を手慰みの新聞から正面へと上げた。

 

「相変わらず気怠そうな顔をしてるね、リオン」

「うるさい。夏はキライなんだよ。こんな昼日中に呼びやがって」

 

 夏の太陽にうんざりとした顔をしている金髪のリオン・スプリングフィールドがしかめっつらしい顔でそこにいた。

 リオンはタカユキの相席に座り、ウェイターを呼んで紅茶を注文した。

 

「相変わらず紅茶党かい?」

「どっかの白髪と違って泥水を好んで啜る趣味はない」

 

 その返答で誰かさんとの仲は相変わらずかと察することができ、タカユキは苦笑した。

 

「そうそう。この間の咲耶ちゃんたちの旅行の件、載ってるよ」

 

 とりあえずタカユキは本題に入る前に場を和ませようと、先程見つけた面白い記事も紹介するつもりで新聞を差し出した。

 リオンは一瞥してそれを受け取り、どうやら帰還時にロンドンで撮られたらしい写真を見た。

 動く写真の中では幾人かの生徒とともに咲耶がいつものほわほわ顔で笑っている。

 

「ふん」

「それとぜひリオンの意見を聞きたい記事も見かけたんだけど――14ページ目のコラム見てくれないかな」

 

 にこやかにタカユキに勧められてぺらぺらとめくったリオンは、どうやらその“意見を聞きたい”と思われる記事を見つけて口元を引き攣らせた。

 

「………………おい」

 

『――――ヴァンパイアは1811年に“ヒトたる存在”として定義されたが、その性格は凶悪で残忍。古来より多くのマグル、魔法使いが彼らの毒牙にかかったと言われている。魔法省が未だにヴァンパイア撲滅に対して本腰をいれていないのは、驚くべき怠慢であろう――――――』

 

 全体的に、日刊預言者新聞とは反権力的な趣があるのか、魔法省をこきおろすような文面が目立つが、タカユキが示した記事は、別の意味で危ない記事だ。

 リータ・スキーターというライターが載せている記事は、単に魔法省を非難したいがために書かれているような文章で、どこぞの学校の教師について触れていたりということは一切ない。

 たまたまの偶然だろうが、“当人にとっては”随分と挑発的だ。

 ついでにそれをわざわざ当人に見せたこの友人の性格もたいがいイイ性格といえるだろう。

 

 この程度の冗談は本題に入る前のちょっとした挨拶といったところだったのだろう。リオンは、くっくっと笑いを噛み殺すタカユキの手元に新聞を軽く投げて戻した。

 ちょうど注文した紅茶がきたため、リオンは気分直しにカップを口元に近づけ、薫りを楽しんでから一口、口をつけて味わった。

 呼び出すからにはそこら辺はタカユキも気をつかったのか、なかなかのものだ。

 

 

「それで、わざわざこんなところに呼び出した理由はなんなんだ」

「うん。そうだね……まずは調査の件だけど」

 

 気分直しを終えたリオンは、カップをテーブルにおき、今日の本題へとはいり、タカユキは思考を切り換え、周囲に認識を逸らす魔法を張った。

 これから行う会話は魔法がらみ、ということだ。魔法バラシを控えているとはいえ、今はまだ、魔法には秘匿義務がかかっているための処置だ。

 第三者からみて二人の会話はただの談笑にしか見えないことだろう――もっとも向かいの席に座る友人の仏頂面は談“笑”というにはスマイルに欠けているが。

 

 

「やはり例の組織が最近になって動きを活発化させているのは間違いなさそうだ」

「コズモエンテレケイア残党か」

 

 単刀直入。魔法協会が救世を画策している裏側で暗躍している組織の存在を二人は口にした。

 

 完全なる世界(コズモエンテレケイア)

 半世紀前の大戦、いやさらにずっと昔から魔法世界で暗躍していた組織。

 世界の救済を目的に、魔法世界の全てを消そうと目論んでいた組織だが、末端の者たちの中には、ただ金儲けや権力欲へと走る輩も多くいた。

 当初、タカユキが調査を始めたときはそんな雑魚レベルが甘い蜜の味が忘れられずにいるのだろう程度の予想だった。

 争乱を誘発して利益を目論む、厄介ではあるが問題なく処理できるだろうと思われていた。

 だが、

 

「それもリオンの予想通り、幹部クラスの生き残りがいて、こちら側に対してもかなり積極的に動いている節がある」

 

 気づいたきっかけは幾つかあるが、大きかったのは上級悪魔によるホグワーツ襲撃事件があったためだ。

 魔族を召喚、使役するのはかなり難しい。それも爵位級の悪魔を二体ともなるとただ喚ぶだけでも困難だ。

 あの時、ホグワーツに襲来した悪魔たちは間違いなく誰かに使役されていた。

 主を吐かせることはできなかったが、そもそもそんなことができる輩はある程度限られる。

 候補として有力だったのは、やはり前歴のあるMM元老院だ。

 ここ十年ほどで大きく刷新されているとはいえ、政治なんて魔物と大差がない。連中ならば、大量の悪魔召喚もできなくはないだろう。

 だが今回に限っては、意図が見えなかったのだ。

 リオンを襲撃するため、というなら意図として分からなくもないが、あの時悪魔たちはリオンではなく、ホグワーツ――伝統魔法族の方を狙っていた。

 幾ら元老院とはいえ、昨今の情勢下で魔法世界の鎖国を維持することはありえない。

 すでに魔法世界は、現実世界の協力なしには存続できないということが、明らかとなっているのだから。

 リオンを狙うにしてはあまりにも戦力が少なすぎ、かといって元老院が彼らを狙っていたというのも考えづらい。

 つまり、元老院とは別に、悪魔を召喚し、使役した個人ないし組織があったということだ。

 

 元老院以外で、上級悪魔の使役をできるほどの組織。

 そこで思い当たったのが“コズモエンテレケイア”だ。だがリオン自身、この推測には半信半疑ではあった。

 

「…………連中には“人間”に対する殺害規制がかかっているはずだ。向こうに行ったやつならともかく、こちらの世界の魔法族には関わらんはずだ」

 

 “コズモエンテレケイア”は人間を殺害しない。

 組織の幹部である使徒たちは、そういう風になっているのだ。加えて組織幹部は、解呪不能の永久氷結によって封じられており、再生も転生もできないはずなのだ。

 もちろん末端構成員であれば、規制されていないであろうが、そんな輩にあれほどの魔族を召喚・使役することはできないだろう。

 あの封印から逃れた者がいる。

 ならばなぜ、こちらの世界で動く?

 

「これは僕の推測なんだけど」

 

 リオンの疑問に対して、タカユキは調査結果を踏まえた自らの推測を口にした。

 

「ネギさんは“ブルーマーズ計画”によって現実世界と魔法世界の境界を崩そうとした。魔法世界の住人たちが生きている世界を現実世界にしようとしたといって言いだろう」

 

 魔法世界の現実化、あるいは移民計画。

 それ自体は元々、帝国でも連合でも実験的に行われていたことだ。

 ネギの計画はそれらを実行可能なものであると示したものであり、事実わずかずつ結果は出ている。

 魔法世界――“裏”火星の魔力充溢化。

 表の火星を緑化することで、裏の火星にも影響を及ぼすというものだ。

 この計画が実行されているからこそ、魔法世界12億人には希望がある。元老院といえどもこれを壊す行動だけはしないだろう。

 だが、それは今まで確として分かたれていた二つの世界を融合させるにも似た試みだ。

 

「もしかしたら連中の“対象”が拡大したという風には考えられないか?」

 

 ならば、彼らの――“コズモエンテレケイア”の、全てを平等に、夢の世界へと誘う、という目的もまた、広がったと考えることもできよう。

 

「……ありえなくはないか」

 

 タカユキの推測に、リオンは黙考し、頷いた。

 かつて、“コズモエンテレケイア”のとある幹部は、こちらの世界にある、神霊――強大な魔法生物へと手を伸ばしたことがあった。魔法世界をたまたま訪れていた、こちらの世界の子供へも手を伸ばそうとしたこともある。

 たとえこちら(現実)の世界のものだとしても、彼らの“救う”範囲に含まれるという推測は十分に考えられる。

 

「だがそれだと行動戦略に対して戦術が見えないな。主なしの残党程度が幾ら動いても完全なる世界(コズモエンテレケイア)には到達できない」

 

 両世界の魔法に関わる全てを“完全なる世界”へと旅立たせる。

 それが彼らの今の行動戦略だとして、しかしそれは実現不可能だ。

 

 “コズモエンテレケイア”には主がいない。

 すでに“神”は“人”の手により討滅されたのだ。

 黄昏の姫巫女(神の末裔)がいるとはいえ、“神”なくしては、“完全なる世界”は完成しないだろう。

 

「連中の計画のためには“鍵”が必要になるのは間違いない。ヤツは討滅されたはず…………だから呼び出したのか」

 

 思考していたリオンは、なぜタカユキが個人的に、この会話のためにリオンを呼び出したのかに気付き、瞠目した。

 

 “神”が討滅されていれば、連中の計画は成り立たない。

 つまり――――“神”がまだ存在している可能性があるということだ。

 

 リオンの驚きに、タカユキは深刻な表情のまま頷いた。

 

「……あの討滅戦、失敗したという話は聞いていないし、ネギさんやフェイトさん、それにエヴァンジェリンさんまで参加していたらしいから、失敗があれば気づいているはず」

 

 “神”が討滅されたのは、タカユキはもちろん、リオンが生まれる前の話だ。 

 討滅戦のことは伝聞にしか知らない。

 だが、現在最強の魔法使いと目される使い手たち、そして白き翼が激戦の末、討ち果たしたということだけは確かとされていた。

 

 それが覆るということは、誰かが、もしくは全員が討滅戦に関して偽りを隠しているということだ。

 

「フェイト・アーウェルンクスは元々使徒だ。保険のためになにか手を打ったという可能性はないかな?」

 

 タカユキは最も怪しい魔法使いの名を口にした。

 

 フェイト・アーウェルンクス。

 ネギの盟友であり最強クラスの一角。タカユキ自身はそうでもないが、リオンとは非常に折り合いが悪い魔法使いだ。

 彼は元々はアーウェルンクスシリーズ、つまり使徒の一体だった男だ。

 彼のもっていた計画は、本来であれば魔法世界全ての救済――すべての嘆きを消し去ることだった。

 ネギの、“魔法世界を”救う計画とは求める範囲が異なる。

 ネギの計画が失敗した際、すぐさま“完全なる世界”を発動できるように、“神”を討滅せずに残している可能性は十分にありえるだろう。

 

 だが

 

「……いや。むしろ――—―――」

 

 

 

 

 

 物語を紡ぐのは“神”か“人”か。

 英雄たちの残照が終わり、悠久へとつながる物語が始まろうとしていた…………

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

転換の年、始まる

『—―魔法省、錯乱!!!!――

 魔法省は、マグルに対して段階的に魔法についての情報を公開していくという国際的な取り決めに批准したことを発表した。この史上類を見ないほどと言ってもいい暴挙について、現魔法大臣のコーネリウス・ファッジは「深く議論された結論であり、魔法族の利益を損なうものでは一切ない」とのコメントを冷や汗をびっしょりかきながら発表した。しかし、この発表でイギリス魔法族の不安を解消することはできないだろう。すでに魔法族の中ではファッジ魔法大臣を、歴代で最も愚かな魔法大臣だとして解任する声が高まっている。また、魔法省の昨今の不手際は、つい先日行われたクィディッチワールドカップにおける警備の不手際についても非難を浴びたところだ。今回の発表が、前回のヘマを隠れ蓑にしたかったのか、それとも前回のヘマを吹き飛ばしたかったのかは分からないが、そのどちらも失敗した恥の上塗りと言えるだろう。もしもこれが、闇の魔法使いにいいようにあしらわれた魔法省の起死回生の一手だとしたら、もはや魔法省の権威失墜は避けられないものであり、一刻も早く体制を刷新することを、イギリスの魔法族の一人としても願うばかりである。—― リータ・スキーター著 ――』

 

 この日、日刊預言者新聞の一面にぶち抜かれた記事は、イギリス伝統魔法族に衝撃を与えた。

 

「一体、なにを考えているんだ?」

 

 チャーリーは日刊預言者新聞を睨み付けるように見ていた。比較的マグルに対しては好意的な純血の魔法族、ウィーズリー家でさえも困惑しているのだ。

 

「リータ・スキーターの書いてることだから話半分にもならないだろうけど、この魔法情報の公開自体は嘘じゃないみたいだな」

 

 ロンやハリーたちの夏休み明けを見送る予定で“隠れ穴”に滞在しているビルも顔を険しくしている。

 彼らの父親であるアーサー・ウィーズリーの影響や、代々の家風もあって彼らはマグル生まれの魔法使いを差別するようなことこそないが、それでも生粋の魔法族であり、魔力のないマグルに魔法を教えてどうするんだという思いがあるのだろう。

 

「パパもパーシーも職場に出づっぱり。まったくなんでいきなりこんなことしたんだろう?」

 

 食事のテーブルが欠けていることにロンは文句をいうように言った。

 本来は休暇中であるはずなのだが、クィディッチワールドカップの際の“不手際”、そして今回の発表の影響で、今日も家にはアーサーとパーシーの姿がない。代わりにクィディッチワールドカップの数日前から“隠れ穴”にやってきたハーマイオニーの姿がある。

 

 アイルランドの優勝とブルガリアチームのシーカークラムの活躍によって大盛り上がりのうちに終わったクィディッチワールドカップだが、試合後、なんと会場近くのキャンプ場に闇の魔法使いと悪名高い“死喰い人”の面をした魔法使いが暴動を起こし、キャンプ場の管理をしていたマグルの一家を魔法で玩ぶという事件が起きたのだ。

 しかもその騒動は、“闇の印”――ヴォルデモートの印が打ち上がったことでさらなる混迷を極めたのだ。

 クィディッチワールドカップ決勝の興奮は、恐怖へととってかわり、魔法省は警備の不手際や死喰い人を拿捕できなかったことを非難されることとなった。

 これが魔法省にとって予定通りの時期での発表だったのか、それとも記事にあるように事件を打ち消す目的で発表に踏み切ったのかは分からないが、今頃魔法省は苦情や問い合わせ、批判の手紙でパンクしそうになっていることだろう。

 

 不満を垂れているロンの横で、新聞をチャーリーから借りてハーマイオニーが紙面に目を通した。

 

「……いきなりじゃないわ。多分もっと前からそういう話があったのよ、きっと」

「なんで分かるんだい?」

 

 ハーマイオニーの言葉にロンを始めみんなが不思議そうな顔でハーマイオニーを見た。

 

「魔法省を非難する書き方だけど、この取り決め、国際的に決められた、って書いてあるでしょ」

「それが?」

 

 ハーマイオニーが紙面を示しながら言っている意味が分からず、ハリーは尋ねた。

 

「ここ数年になって、ニホンから留学生が来たり、今までまったく関わりがなかった魔法世界に行くことになったり、こちらと向こうの二つの世界でそういう流れになっていたのよ」

 

 ハーマイオニーはこの中で唯一、マグルの両親をもつ魔女だ。

 ハリーもマグルの生活環境の中で育てられたが、ハーマイオニーはハリーとは違って勉強家で、マグル生まれにもかかわらず、ハリーの周りにいるほかのどんな魔法使いよりも勤勉に勉強している。おそらくハリーやロンが睡眠の時間にあてている魔法史の授業をすら、まじめに受けているからこそ気づいたことだろう。

 

「すいませんねえ。僕は行ってないもので。それで、なんだってこんなこと決めたんだい?」

 

 ロンは拗ねたように口を尖らせて言った。

 自業自得とはいえ、(むしろだからこそ)ハリーやハーマイオニー、そしてジョージやフレッドたちから楽しげな土産話を聞いて疎外感を抱いているのだろう。

 

 不貞腐れながらのロンの問いに、ハーマイオニーは答えに窮した。

 

「それは………………」

 

 彼女にもその答えの意味は分からないのだ。

 

 

 

 

 第66話 転換の年、始まる

 

 

 

 

 今回のホグワーツ特急乗車は、いつもよりやや緊張感を帯びたイベントとなっていた。

 どうやら、どこからか魔法省の発表は海外からの、特に魔法世界側の魔法使いやニホンなどからの強い要請があったという情報が、魔法省高官と繋がりのある一部生徒には流れたらしく、その一部生徒は憎悪するように咲耶を睨み付けたりしていた。

 もしかしたら呪いでもかけようと企んでいたのかもしれないが、やたらと威圧感のある赤毛の男子生徒と刀を腰に下げた犬耳の子供が、少女に杖を向ける意気をくじいた。

 

「うーん、なんか刺々しい感じになってんな」

「まあそりゃねぇ。って言っても何がどう変わるのかは今の所分かってないけどな」

 

 コンパートメントに乗り込んだリーシャは乗車する生徒や見送りの保護者たちの間に漂う緊張を感じ、ルークも相槌をうった。

 

「そんな変わるもんなんかなぁ」

「イギリスの魔法族はあまりマグルの生活に詳しくない。変化を怖がっている人が大多数」

 

 同じコンパートメントにはクラリスと咲耶、そしてリオール・マクダウェルとして同乗しているリオンがいた。ついでに子犬形態に戻っているシロが咲耶の膝の上で丸まっている。

 

「でも実際、どう変わるもんなんですか、スプリ……マクダウェル先、さん」

 

 リーシャが呼びなれない呼称でこの場にいる一番物知りそうな人物に尋ねた。

 ぎこちなさ過ぎて妙な呼称で呼ばれたリオンは呆れたような顔で溜息をついた。

 

「魔法族は生活に科学を取り入れる。非魔法族は産業に魔法を取り入れる。そうやって文明的な革命を起こそうというわけだ」

「?? えーっと。クラリスは分かった?」

「…………」

 

 溜息交じりされたざっくりとした説明に、リーシャは盛大に疑問符を浮かべた顔をしてクラリスを見た。クラリスは沈黙で応えた。

 おまけに隣の咲耶までもが小首を傾げているのを見て盛大に溜息をついた。

 

「いきなり魔法情報を公開するわけではない。やっても誰も信じやしない。段階的に情報を開示していきながら互いの生活圏について理解していくんだよ」

 

 リオンの説明に分かっているのか分かっていないのか、リーシャは「ほぉ」と頷いた。

 具体的にまでは分からないが、とりあえず互いを理解していくことが基本方針なのだろうという事で納得したらしい。

 

「でもマグルの……ガガクだっけ?」

「科学だよ、リーシャ」

「そうそうそのカガク。魔法使いが取り入れてもメリットってあるもんなんですか?」

 

 リーシャの疑問にルークが補足しながら尋ねた。

 この中でリーシャはとりわけ純血の魔法族でありマグルの生活や文明には疎い。それに比べるとルークやクラリスは多少だがマグルの生活にも知識があるらしい。

 

「リーシャ。今、乗っているものがマグルのカガクで造られた物」

「え? そなの?」

「それに魔法世界で見た、魔法と科学が融合した文明のレベルは、たしかにこっちとは全然発展の度合いが違ってたしな」

 

 クラリスとルークに言われて夏休みに体験した研修旅行を思い出した。

 

 元々イギリス伝統的魔法族も、一部純血主義者が意味もなく毛嫌いし、多くの魔法使いが認識していないが、彼らもマグルの産み出した物を享受しているのだ。

 ただし、その入手方法はマグルの常識に照らせば、馬鹿げているというのも通り越した呆れた方法であるのが常だ。(このホグワーツ特急にしても、当時の忘却術士が167回にも及ぶ忘却術と隠蔽の呪文による工作を施し、秘密裏に頂戴したものらしい)

 高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない。とは昔のマグルの言葉であるが、たしかに魔法があればマグルの科学に頼らなくともいいだろう。

 だが、そのマグルの知恵の結晶も場合によっては魔法よりも便利な時もあるのだ。

 

「ふーん。そういえばそっか……じゃあさ。魔法世界はそういうのいいんですか?」

「なにが?」

 

 リーシャはひとまず先の疑問は解決したらしいが、新たな疑問ができたらしく尋ね、今度はルークが首を傾げた。

 

「いや、魔法世界側の魔法使いにも魔法の秘匿義務はあるって聞いたよーな気がすんだけど、魔法ばらすようなことして魔法世界側にはいいことあんのかなーって」

 

 リーシャの質問に、ルークとクラリスはそういえばと思い至り、咲耶とリオンに振り向いた。

 

 おそらくイギリスの伝統魔法族の多くは先のリーシャのように、魔法族が科学を取り入れることの恩恵を理解してはいないだろう。

 魔法と科学。その両者を融合した者は、さらにその先へと進むという期待を十分に抱かせてくれるものだ。

 

 だが、それならば既にその分野を進めている魔法世界のメリットとは一体なんであるのか。

 

「ふん。思ったよりまともなことを言う」

 

 リーシャが意外にも面白い視点を持っていることにリオンは少しだけ笑みを浮かべた。

 

「まあ、そこら辺はもしかしたら授業でやるかもな」

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 ホグワーツ特急がホグズミードに停車すると、あたりはすでに真っ暗で土砂降りの雨が降っていた。

 

 上級生の中には防水の魔法で雨を弾いたり、濡れてしまっても魔法で乾かしたりして工夫していたが、魔法に詳しくない新入生や下級生の多くは濡れぐしょのままで組み分け式の行われる大広間へと向かうこととなった。

 

 大広間は始業の祝宴に合わせて見事な飾り付けが施されていた。

 各寮ごとに四つの長いテーブルの上には金の皿や杯が並び、宙には何百という蝋燭が浮いている。

 学校の広間だけを比べるのならば、その豪華さはアリアドネーよりもずっと上のように思えた。

 

 教職員テーブルには元通りのリオン・スプリングフィールドの姿に戻ったリオンがついており、ダンブルドアやスネイプ、スプラウト先生たち例年通りの顔ぶれが席を埋めていた。

 

「今年の“闇の魔術に対する防衛術”の先生は誰なんだろね」

「見つかったのかしら。N.E.W.Tの授業が始まるからいい先生が来て下さっていたらいいんだけど……」

 

 セドリックは教職員テーブルの中に空席があるのを見つけていた。

 “闇の魔術に対する防衛術”――毎年不幸なできごとのために担当教授が代わる科目であり、呪われた学科とのうわさもある。

 フィリスは今年から始まるN.E.W.T(メチャクチャ疲れる魔法テスト)のクラスが始まるため、それに向けたまともな教授が来てくれることを願っているようだ。

 一昨年の口だけ教授のような人が来てしまった場合、来年の試験は絶望的になる恐れがある。

 

「あ゛ぁ~、おなかへったぁ~」

 

 リーシャは空腹できゅるきゅるとなるおなかを抱えてテーブルにつっぷしていた。

 他の多くの生徒もそうであるように、組み分け式が始まるまでの空腹は毎年のことだ。

 

 やがてびしょ濡れの一年生が大広間へと入場し、例年通りに組み分けの儀式が進行した。

 残りの新入生が少なくなるにつれて徐々に生徒たちの関心は組み分けよりも豪華な食事にシフトしていき、最後のホイットビー・ケビンが、リーシャたちと同じハッフルパフに組み分けされると、マクゴナガル先生が組み分け帽子を片付け、生徒たちは期待の眼差しでダンブルドア校長に顔をむけた。

 

「ぅおほん。さて、新入生の組み分けが終わり、みな空腹に耐えかねておることじゃろう」

 

 軽く咳払いし、気の早い生徒がナイフとフォークを手にしているのをダンブルドアはぐるりと見回した。

 

「じゃが、皆には今少しの時間をいただきたい」

 

 今か今かと待ち望んでいる生徒たちを焦らすかのようにダンブルドアは待ったをかけた。

 いつもなら二言三言の短い言葉とともに食事の開始を告げるのだが、どうにも話が長くなりそうな雰囲気に生徒の一部は愕然とした顔をしている。

 ダンブルドアはもう一度、生徒たちを見回してからゆっくりと聞かせるように口を開いた。

 

「魔法省が先日発表したことをみなも知っておると思うが、魔法界は一般人に対して――――あえて我々が普段使う、マグルという呼称ではなく、一般人とさせていただくが――彼らに対して段階的に魔法の存在を公表していくことを決定した」

 

 生徒たちが少しざわめき始めた。

 魔法省の発表は生徒たちも勿論聞いている。

 新聞を毎日読んでいるような生徒は勿論少数ではあるが、くだんの発表はあまりにも魔法界に衝撃を与え、家ではもっぱら親がその話をしていたためだろう。

 

「これは魔法界の長い歴史の中でも大きな転換点となり、事はイギリス一国の問題ではない。魔法界全体が、国や世界を問わず交流を深めていく必要がある。――――みなの記憶にも新しいクィディッチワールドカップもその一つじゃな」

 

 

「食事前に話なんてなんなんだろうな」

「……交流。もしかして…………」

 

 空腹の苛立ちでぐったりしているロンの不満に対して、ハーマイオニーは感じている空腹を抑えて監督生らしく、しゃんとしてダンブルドアの話に耳を傾けていた。

 

 

「さて、この大きな節目に対してホグワーツも、積極的に海外の魔法学校との交流を深めていくことを決定し、新しく幾つかの魔法学校から留学生を受け入れることとなった」

 

 ダンブルドアの言葉に聴いていた生徒は驚きにざわめき、聞き逃していた生徒も遅れてざわめいた。

 3年前のサクヤ以来の留学生だ。

 ざわめきの中、フィルチが扉へと駆け寄り広間の扉を開いた。

 

「紹介しよう。ダームストロング校の生徒たちじゃ」

 

 入室してきたのは茶褐色を基調とした制服を纏った、いずれもがっちりとした体躯に、スポーツ刈りの髪型が厳めしい5人の男子だ。

 とりわけ先頭を歩く一人は印象深い。曲がった鼻に濃く太い眉、制服の上からでも分かるほどに鍛えられた太い筋肉がついており、

 

「おい!! あれ……」

「ビクトール・クラムだ!」

 

 リーシャが驚きに目を瞠っていた。

 やや猫背気味のがに股歩きの男子。ガタイがよく、むっつりとした顔をしている男子生徒。どうやら皆が知っている有名人らしく、リーシャだけでなく、セドリックやルークの他に多くの生徒が驚いている。

 

「?」

「クィディッチ・ワールドカップで活躍したブルガリア代表チームのシーカーだよ。年が近いとは思っていたけど、まさか学生、しかも留学して来るなんて」

 

 首を傾げている咲耶にセドリックが自身も驚きながらも男子生徒――ビクトール・クラムについて簡単に説明した。

 セドリックもクィディッチチームのシーカーを務めているだけあってクィディッチ好きであり、憧れの混ざったような目で見ていた。

 直近ではクィディッチワールドカップの決勝で活躍したこともあり、そんな有名人の思わぬ登場に広間は興奮した声や黄色い声がそこかしこから聞こえていた。

 

 興奮冷めやらぬ中、再びダンブルドアが口を開いた。

 

「次にフランスから来られたボーバトン校の生徒たちじゃ」

 

 扉から今度は一転、水色の魔法着を着た5人の女子生徒たちが入室してきた。

 咲耶の目には光輝く妖精たちが舞うように入室してきたようにみえた。

 

 

「ほわぁ、キレーな子らやなぁ。ぱりじぇんぬ言うんやっけ?」

「パリジェンヌはパリ出身の人よ、サクヤ。パリに学校があるかは知らないけど、たしかに気合い入ってるわね。特に一番最後の子」

 

 どこかずれたコメントを述べた咲耶にフィリスはツッコミをいれつつ留学生たちを見つめた。

 ボーバトンの魔女たちはいずれも美少女、と言って差し支えない少女たちで、広間の多くの男子生徒はぽぉ~と留学生たちに見惚れており、もっとも目をひいているのは間違いなく最後尾を優雅に歩く女生徒だろう。

 まるでモデルのような容姿とプロポーションの少女。

 フィリスから見て、オリエンタルな美少女が咲耶ならば、まっとうな美少女といえば彼女だと断言できるような子だ。

 

 国外からの2校の魔法学校の留学生たちは、それぞれ広間の前方、教職員テーブルの前に立った。

 どちらの生徒たちも咲耶の時に負けず劣らずの好奇心を生徒たちに掻き立てさせ、

 

「そして最後に――――魔法世界、アリアドネーの生徒たちじゃ」

 

 最後にして最もどよめきの大きい留学生たちが入室した。

 

 フード付きのローブを羽織っているが、スカート丈の短い統一された制服。

 

「あっ!!」

 

 4人の少女を見た瞬間、咲耶が顔を輝かせた。

 広間の多くの生徒は入室してきた女子たちの容姿にギョッと驚いてどよめいているが、一部生徒はそれらと別の意味で目を丸くした。

 

「イズー!?」

「メルルと委員長、アルティナさんもいるわ!!」

 

 4人の生徒。

 この夏、魔法世界の研修旅行の一環として訪れたアリアドネー魔法学術都市の騎士団候補生、イゾルデ、メルル、メルディナ、アルティナの4人だ。

 

 通路を歩くイズーは途中で咲耶たちの様子に気づいて、にっと笑みを浮かべてウィンクを飛ばし、メルルは嬉しそうに手を振っている。

 

 ホグワーツの生徒たちが驚く理由。4人の内の二人の頭部に明らかに普通のヒトにはない角や耳、尻尾が生えているからだ。

 フリットウィック先生やハグリッドのようにヒトとして規格外な魔法使いを目にする機会が多いとはいえ、彼女たちほどあからさまな亜人は禁じられた森に入り込むような一部の例外的生徒しかいない。

 ヒトでないことに怯えの混ざった空気が漂うが、イズーたちは意に介した素振りを見せず、ハリーたちの姿にも気づいてグリフィンドール席の方にもひらひらと手を振っている。

 ホグワーツの生徒たちはこの魔法が世界からの留学生の登場に、一部に流れている噂の真偽を見たかのように囁き合い、あるいは困惑している。

 

「ぉほん。みな留学生に対して聞きたいことは山とあるじゃろう。じゃが、ひとまず彼らの寮について話しておきたい」

 

 思わぬ亜人の登場にざわめく生徒たちに、ダンブルドアが静粛を求めた。

 

「すでに我が校には、ニホンからの留学生、サクヤ・コノエがおるのは、皆もよく知っておることじゃろう。じゃが今回来た彼らは半期留学となっておる。皆と友情を育むには十分で、しかし深く理解し合うには些か短い。そこで勝手ながら、学校ごとに世話役となる寮を決めさせていただいた」

 

 ホグワーツは基本的に寮による生活を基本としている。寮での生活は供に過ごす仲間との友情を深めるには利があるが、同時に異なる寮とは疎遠になりやすい。

 まったくの見知らぬところに放り出りだすというのではなく、学校ごとに世話役となる寮を決めて、交流を醸造しやすい環境を整えるという意図があるのだろう。

 

「まず、ダームストロング校にはスネイプ先生のスリザリンに席を設けていただいた」

 

 スリザリンのテーブルでざわめきが大きくなった。

 スリザリンには伝統的魔法族の中でも、いわゆる“由緒正しいお家柄”というのが多い。つい先日のクィディッチワールドカップを見ていた生徒も多く、そこで活躍したクラムを自分たちの寮が獲得したと知らされ、興奮している生徒が爆発したようだ。

 ダンブルドアはごほんごほんと咳払いした。

 

「ボーバトンの生徒たちにはフリットウィック先生のレイブンクロー。そして、アリアドネーから来ていただいた生徒たちにはマクゴナガル先生のグリフィンドールにお願いさせていただいた」

 

 レイブンクローの生徒たち、特に男子生徒たちが急に身だしなみに気をつかうように髪を撫でた。

 一方で魔法世界からの留学生を振り分けられたグリフィンドールは困惑の色も大きく、しかしジョージとフレッドなどは顔を見合わせてにやりとした。

 

 ダームストロングはスリザリンに

 ボーバトンはレイブンクローに

 アリアドネーはグリフィンドールに

 そしてニホンのサクヤはハッフルパフに

 

「これで四寮それぞれに留学生を迎えることとなったが、みな寮という括りに囚われることなく、積極的に交流をもってほしい――――それでは宴会を楽しむとしようかの」

 

 4つの寮それぞれに交流の役目が課され、しかしダンブルドアはそれに囚われずに交流を活性化するように優しく告げ、最後の言葉と同時にテーブルには食事が現れた。

 

 学期初めの宴会は例年になく、各寮盛り上がりを見せた。

 

 グリフィンドールではイズーがハリーのところに突撃し、メルディナが引きずられるようにそれに対抗して顔を赤くするという光景が見られたり、研修旅行に行っていたメンバーを中心にして、上手く場を盛り上げながら亜人の少女たちを寮に溶け込ませたりしていた。

 

 

「メルディナさん。私たちがアリアドネーに居た時から、こちらに留学してくることが決まっていたんですか?」

「本決まりではありませんでしたけど、そういう話はありました。無事にこちらに来ることができて光栄ですわ、ハーマイオニーさん」

「いいんちょーってばイギリスに行くことが決まってからすごかったよ。よっぽどハリー君に――」

「にゃにお言っているのですか、メルルさん!!!」

 

 ハーマイオニーと話していたメルディナは、高貴な白猫のような所作から一転、シャー!!! と尻尾を逆立て顔を真っ赤にしてメルルを追い立てた。

 なぜだか名前が出てきたハリーはよくわかっていない顔できょとんとしているが、その横ではジニーがムッとした顔をしている。

 

「でも委員長じゃないけど私もこっち来るのは楽しみだったんだよな。ほら私はあっちじゃ箒レースに参加できなかったし。それに…………」

 

 イズーもこの留学は幾つかの意味で楽しみだったらしい。

 ライバルであるメルディを破ったハリーがやっているというクィディッチへの興味。恩義あるリオン・スプリングフィールドと再会できること。

 ちらりと教職員テーブルを見れば、たしかに彼の姿があった。

 

 

 他の寮でも、スリザリンではクラムを中心に、その横にはまるで彼の長年の親友であるのは自分だとばかりにとある純血の名家の少年が居座っていたが、先日のクィディッチワールドカップについてのことやクィディッチについてなどの話で盛り上がった。

 レイブンクローでは、男子生徒たちが、留学生の女生徒たちの下僕に志願するかのように周りを取り囲み、甲斐甲斐しく料理を皿に運んでいた。女生徒たち、特に一番きれいな女生徒はそうやって扱われることに慣れているかのような振る舞いだった。

 

 

 

 盛り上がる広間も、生徒のおなかが膨れてくると徐々に疲れから話も下火になり始め、デザートのお皿も綺麗になると、ダンブルドア校長が再び立ち上がった。

 生徒たちはおしゃべりをやめてダンブルドアに視線を向けた。

 

「さて。みなよく食べ、よく飲んだことじゃろう。いくつか知らせることがあるので、今一度耳を傾けてもらおうかの」

 

 ダンブルドアは例年通りの決まり文句として、管理人フィルチからの禁止事項を通達して、ホグズミードについてのこと、クィディッチのことも連絡した。

 そしていよいよ締めの言葉を告げようとし――――バンッッと大広間の扉が開かれた。

 皆の視線が再び大広間の扉へと向けられ、そこには一人の男が立っていた。

 黒いマントの旅装に身を包み、歩行用のステッキを持つ男。

 男は大広間中の視線を受けたまま、コツッコツッと鈍い音を響かせて教職員テーブルへと向かい、ダンブルドアの前に進んだ。

 ダンブルドアは男とは旧知の仲であるのか、数歩進み出て手を差し伸べた。

 二人は握手を交わして、二言三言小声でつぶやくように何事かを交わした。

 二人の挨拶が終わったのか、男は教職員テーブルの空いている一席に腰を下ろし、懐から取り出したスキットルに口をつけてぶぎぶぎと何かを飲んだ。

 

「“闇の魔術に対する防衛術”の新しい先生をご紹介しよう。――――アラスター・ムーディー先生じゃ」

 

 ダンブルドアの紹介に、幾人かの生徒は驚きに息をのみ、そして次第にこそこそと近くの席の友人と声を交わした。

 

「アラスター・ムーディー? マッドアイ!?」

「マジか!? マッドアイって、闇祓いの…………」

 

 セドリックは驚いたようにまじまじと紹介された新任の先生を見つめ、ルークもぎょっとして顔を向けた。

 新任の先生は顔中傷跡だらけで鼻は大きく削がれ、左右で瞳の色が違っていた。それは生来からの異色というのではなく、片眼は明らかに義眼であり、普通の瞳とは無関係にぐるぐると広間のあちこちを探っていた。

 咲耶は生徒たちの驚く様子に小首を傾げて友人たちに尋ねようとし、クラリスが驚きに目を開いているのを見てぎょっとした。

 

「クラリス?」

「…………引退した闇祓い。お母さんたちの先輩だった人」

 

 クラリスの声には驚きの中にもどことなく親愛のように感じられる気がした。

 言葉通り、両親の先輩だったという事以外にも何か接点があるのかもしれないが、ジッとムーディーを見つめるクラリスにつられて咲耶も視線を新任の先生に向けた。

 

 くるくると動き回る青色の義眼が、グリフィンドール席の方を見据え、ハッフルパフの方を(自意識過剰かもしれないが自分の方を)見据え、眼窩の中で横を向いて教職員テーブルを見据え、そして再びグリフィンドール席の方へと向けられた。

 その後も神経質そうに義眼は動き回っていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

図書室で感じる出逢いの運命

 咲耶のホグワーツ4年目、第6学年の授業初日の朝は、例年よりもやや煩雑な手続きを必要とした。

 朝食の後、大広間でハッフルパフ寮監のスプラウトから授業時間割が配られ、それぞれ希望するN.E.W.Tの授業の申請を行い、確認・了承される作業があったためだ。

 

「はい。全ていいでしょう。シビルは占い学の授業をあなたが継続することを大層お喜びでしょう。勿論、私も薬草学の授業であなたと会えることを歓迎しますよ」

 

 去年までの授業から魔法生物飼育学と魔法史と天文学を抜いた科目を申請した咲耶は、無事に全科目が受理されて確定した時間割を受け取ることができた。

 

「すげーなサクヤ。精霊魔法も受講するのにN.E.W.Tまでそんなにとんのかよ」

 

 咲耶に比べて少ない授業数を申請、受理されたリーシャは咲耶の時間割を見て顔を引き攣らせていた。

 N.E.W.Tのレベルは非常に高い。必要最小科目数のみを継続して空いた時間を有効利用することがうまく回すコツ、というのが先達たちの弁だが、咲耶は癒者に必要な5科目に加え、進路に余分な占い学まで受講している。

 かなり大変になるだろうことが予想できた。

 

「ん~やっぱ留学してきとるからしっかり勉強しときたいからな」

 

 サクヤも一応そこらへんは考慮して、魔法史、魔法生物飼育学、天文学は受講を断念したのだ。どれも興味があり、魔法生物飼育学は趣味の嗜好の点で、天文学はブルーマーズ計画の観点から受講したかったのだが、前者は担当教師を考慮し、後者はやはり授業実技が夜になってしまう点がネックとなった。

 

 友人たちも各々の時間割を受け取り、大広間を後にした。

 

 

 

 第67話 図書室で感じる出逢いの運命

 

 

 

 大広間を出た咲耶たちは、まるで見計らっていたかのように幾つかの視線を向けられ、 

 

「フィー! みんなもおはよー!」

「メルル! イズー!」

 

 他のいろいろなところが声をかけようとするのを制するかのように、元気のいい少女の声が咲耶たちの集団に声をかけて笑顔と共に駆け寄った。

 一緒にいたルークは声をかけそこねた周囲の生徒たち――スリザリン4年生の集団やダームストロングの有名人、ほか幾人かのグループたち――をちらりと見て、肩を竦めてから声をかけてきたエルフ耳の少女や他、留学生の少女たちに視線を向けた。

 

「まったくびっくりしたわ! アリアドネーでもオスティアでも、全然このこと言ってくれなかったじゃない」

「へへへ~。アルティナはともかく私とかいいんちょーとか、特にイズーはこっちに来るのに手続きが少しメンドーなんだ」

 

 フィリスとのやりとりにメルルは少し照れくさそうに微笑んだ。

 エルフ耳のメルルはともかく、大きな角と尻尾が目立つイズーが近くにいることで、取り巻いていた生徒たちには近寄りがたいものがあるのだろう。

 

「いいんちょさんたちは一緒とちゃうの?」

「今は別行動。委員長とアルティナはハーマイオニーに教えてもらって図書館の方に行ったよ」

 

 咲耶も友人たちを歓迎するように嬉しそうな顔で尋ねた。

 どうやら4人での留学、といっても相変わらずメルディナとアルティナ、メルルとイズーは微妙な距離感を保っているらしい。

 ただまあここまで一緒に来ているくらいだから心底敵対しているわけではないのだろう。イズーはにししと微笑んでいる。

 

「みんなは今から授業なの? よければ校内とか案内してほしいんだけど」

 

 メルルが尋ねた。フィリスはクラリスや咲耶たちに振り返り、先ほどもらった各々の時間割を確認するように促した。

 5年生までは基本的に1時間目から授業がある。だがN.E.W.Tクラスの継続授業のみである6年生からは時間割によっては空き時間ができるのだ。

 

「私は今日は午後からよ」

「うちも午前中は空いとるえ~」

 

 すぐにフィリスと咲耶が案内を了承した。リーシャも同じく午前中は空き時間だったが、残念ながらクラリスとセドリックは古代ルーン文字のクラスがあったためここで別れることとなった。

 

「フィーたちは6年生だっけ?」

「ええ。6年生からは5年生の時にあった試験の成績と希望の科目の授業のみが継続されるの」

「なるほどね~」

「それでどこから行く、メルル、イズー?」

 

 アリアドネーの騎士団候補生の授業と形態と違うことにフィリスは面白そうに頷き、リーシャが尋ねた。

 

「うーん。みんなの寮を見てみたいんだけど、他の寮には入れないのよね」

 

 ハーマイオニーたちからでも聞いたのだろう。メルルは残念そうに言った。

 

「それじゃあ授業で使う教室とか案内するわ」

 

 フィリスが言って、とりあえず一行はメルルとイズーにホグワーツを案内することとなり、大広間前から移動しようとして――――

 

「すいません。ヴぉくも一緒に案内していただけませんか?」

 

 遠巻きに見ていたうちの一人が声をかけてきた。

 その存在を認識していたルークは、声をかけてきたことに意外そうに目を瞠り、リーシャとフィリスは話しかけてきた人物自体にギョッと驚いた。

 がっしりとした体格をやや猫背気味にした男子生徒。特徴的な濃い目の顔。服装は一見してホグワーツのものとは違うと分かる制服を着ている。

 

「ええですよ~。えーと、お名前は……」

「ヴィクトール・クラムです」

「咲耶・近衛です、よろしゅう」

 

 ギョッとしている他メンバーを他所に咲耶が話しかけてきた男子生徒を受け入れ、メルルとイズーも各々自己紹介した。

 制服から留学生と分かるため、特に深くは考えてはいないのだろう。

 

「ちょい、ちょいちょい、サクヤ」

「ん?」

 

 クラムがイズーに角や尻尾に興味を抱いて尋ねている隙に、リーシャが顔を引き攣らせながら咲耶のローブを引っ張った。

 

「あれ、誰だか知ってるか?」

「ビクトル・クラム君やろ?」

「………………」

 

 小首を傾げてクィディッチの有名人の名前を言う咲耶に、リーシャは口をぱくぱくと開いた。

 

「スリザリンの寮で、ヴぉくヴぁ、同じ留学生の人が居るのを聞きました」

 

 クィディッチプレイヤーとして尊敬するクラムのことで熱弁を振るおうとしたリーシャだが、クラムはそれを遮るように言った。

 

「数年間ヴォクワーツに来ていて、魔法世界にも詳しいと聞きました。是非、話を聞きたいのです」

 

 咲耶とは違う訛りのある固い口調でたどたどしく言ったクラムはぺこりと頭を下げた。

 クラムからのお願いに、リーシャもフィリスも何とも言えずに顔を見合わせた。

 

 

 

 

 

「へー。ビクトールはプロのスポーツ選手なのか~」

「ヴぁい。クィディッチを、やっています」

 

 大きな尻尾を揺らしながら歩くイズーとのしのしと歩くクラムの会話。

 職員室や保健室、クィディッチ競技場や薬草学の温室などあちこちを案内しながら、しばらく一緒に歩いていても慣れない違和感にリーシャは話題に加わりづらく歩いていた。

 

「クィディッチってあれでしょ。ハリー君とかリーシャがやってるやつ」

「うん。こないだワールドカップがあったんやろ?」

「ええ。決勝戦でヴぁ、アイルランドに負けてしまいました」

 

 クィディッチのない魔法世界の住人メルルと、あまりよくクィディッチを知らない咲耶と、クィディッチのトッププロの会話、なにかおかしいと思うのはリーシャだけではあるまい。

 

「クラムさんはなんでホグワーツに留学してきたんですか?」

 

 リーシャよりも適応が早いのかフィリスは少し丁寧な口調でクラムに質問をしたりしていた。

 

「ヴォクワーツにヴぁ、魔法世界の先生が来ているからです。そういった学校ヴぁ、ヨーロッパでヴぁ、あまりありません。ヴォクワーツヴぁ、ダームストロングとも親しいのでそういう話がきたのです」

「海外の魔法界との交流を活性化するって話ですものね」

 

 ホグワーツ、ダームストロング、ボーバトン。

 ヨーロッパの伝統魔法族にとって三大魔法学校と称される旧い歴史を持つ魔法学校だ。

 その中で同国内に魔法世界へのゲートがあるのはイギリスのホグワーツのみである。そして授業に魔法世界側の魔法に関する授業を行っているのも。

 

「あっ。ここがふくろう小屋。学校から手紙を送る時はここのふくろうが使えるんやって」

 

 一行は西塔のてっぺん、たくさんのふくろうが休んでいるふくろう小屋へとやってきた。

 ふくろうが出入りするために窓が開放されていて風が心地よく吹き込んでいる。今は太陽の高い時間なので夜行性のふくろうの多くは眠っているか、あるいは来場者を眠そうな目で睨んだりしていた。

 

「へ~、ふくろうで手紙のやりとりするんだ。こっちの魔法使いは変わってんなぁ」

 

 案内している咲耶もあまり慣れていないフクロウを使った伝信手段。

 魔法世界のメルルやリーシャにとってはさらに見慣れない手段だったらしく、二人は近くのふくろうマジマジと見つめていた。

 

「そういえば研修中は気にならなかったけど、ふくろう便がなかったら、魔法世界じゃどうやって連絡をとってるんだ? 煙突も見かけなかったし」

「煙突? だいたいメールとか、テレパティアとか、こっちと魔法世界でも通信できるようになってるし」

 

 魔法世界を研修旅行中に気づいたことだが、あちらにはこちらの魔法族の建物には必須の暖炉と煙突があまり見られなかった。もちろんついている家もあるにはあったが、学校では一つも暖炉を見かけなかったのだ。

 こちらの伝統的魔法族は暖炉と煙突を介して移動や通信をやりとりしているのが一般的だ。

 ルークの質問にイズーが答えたがお互いに少し伝わらないワードが混ざっており、それぞれの文化について教え合ったりしていた。

 

 

 

 そして一行は図書室へと赴いた。

 整然と並ぶ本棚にぎっしりと並べられた本。マグルの製本とは違って一冊一冊の大きさが不揃いで、どれも古書然とした書籍ばかりだが、だからこそ積み重ねられた英知の蹟を感じられる。

 どうやらメルディナとアルティナはすでに図書室を後にしているらしく、姿は見えない。

 

「ここが図書室。ほとんどの本にまほーがかかっとって、特に禁書棚のはセンセのサインが必要なんよ」

「ほぉー、なかなか大した蔵書だな」

 

 イズーは近くの本の背表紙に指をかけながらつらつらとなぞった。

 その様子はまるで本を読むことに親しんでいるような堂に入った様子で

 

「えっ!? イズーは本なんて読まないと思ってた!!」

「なんでだよ!!?」

 

 裏切られた!! とでも言うかのようなリーシャの声にイズーは全力のツッコミを入れた。

 イズーの魔法世界での破天荒な振る舞いやパワータイプという風に言われていたことからリーシャはてっきり自分と同じタイプと思っていたらしい。

 

「イズーは頭もいいよ、一応」

「おーいメルル。一応ってなに一応って」

 

 相棒の残念なフォローにイズーが不満顔でぼやいた。

 だが、実際イズーは問題行動が多くとも、実技だけでなく成績も優秀なのだろう。そうでなくば純粋魔法世界人でありながら現実世界への留学など認められないだろう。

 

 一方でクラムは同じこちらの世界の魔法学校から来たこともあってホグワーツの図書室の蔵書量を比較して純粋に感心しているらしい。

 

「すヴぁらしいです。ダームストロングでヴぁ、蔵書に偏りがあります」

 

 単なるお世辞というだけでなく、外見に似合わぬ知的好奇心を刺激しているらしい。クィディッチのトッププロという肩書に反して、と言うと失礼だがクラムは勉学に関しても優秀なのだそうだ。

 クラムは本に視線を向けたままゆっくりと歩き――――本棚の切れ目から覗いた光景に足を止めた。

 

「どしたんクラム君?」

 

 呆然としたクラムの様子に咲耶が小首を傾げて尋ね、歩み寄った。

 

「彼女ヴぁ……?」

 

 瞬きすらなく視線を固定したままのクラム。咲耶はクラムの見ている先を覗き込み、そこに一人の少女が居るのを見つけた。

 栗色の髪を細波のように伸ばし、なにやら真剣な表情で分厚い本と睨めっこしている。

 

「あ。ハーミーちゃんや」

 

 咲耶の友人、ハーマイオニー。彼女の座っている座席の机にはたくさんの本が山と積まれており、かじりつくように本を覗き込んでいる。

 まだ授業初日なのだから、たいして宿題もでていないだろうに、あれほどまでに集中しているのは彼女の勤勉熱が研修旅行で高まったのだろうか。

 

 咲耶はハーマイオニーの所にちょこちょこと近寄り、親しげに声をかけた。

 

「ハーミーちゃん。今お勉強中?」

「あらサクヤ。いいえ、少し調べものをしているの。サクヤは……あら? あちらは…………」

 

 声をかけらえたハーマイオニーは、咲耶がいつも一緒にいる友人と、グリフィンドールに配属となった魔法世界からの留学生、そして友人たちが騒いでいたクィディッチの有名人がいることに気がついた。

 

「お邪魔するわ、ハーマイオニー。今メルルとイズーと、それからクラムさんに学校を案内していたの」

 

 昨日から一緒の寮になっているメルルとイズーはにこやかに手をふり、クラムはフィリスに紹介されて、ややぎこちなさそうにぺこりとした。

 

「初めまして。ヴィクトール、クラム、です」

「こんにちは。グリフィンドール4年のハーマイオニー・グレンジャーよ」

 

 ハーマイオニーは、クラムが(というよりもダームストロング校の生徒が)スリザリンに配属されたことや、学校に関する何らかの噂でも聞いていたのか、挨拶してきたクラムを少し意外そうな顔をして、自分の名前を告げた。

 クラムがなにか言いたそうにして、しかしそれ以上口を開くことができず、もどかしそうな様子にハーマイオニーが少し眉根を寄せ、

 

「ハーミーちゃん、なに調べとるん?」

 

 それを遮って咲耶がハーマイオニーが広げている本に興味を示して話しかけた。

 

「これ? この本は…………」

 

 ハーマイオニーは本に視線を戻し、本の名前を告げようとし、はたと考え込むように黙り込んだ。

 言葉が途切れたハーマイオニーを、咲耶はこてんと小首を傾げて見つめると、ハーマイオニーも顔を上げて咲耶の顔をまじまじと見つめた。

 

「?」

「そうだわ。サクヤ、あのね。聞きたいことがあるんだけど」

「あ、マズイ。マダム・ピンスが睨んでる」

 

 ハーマイオニーが言葉を選ぶように何かを尋ねようとした矢先、ホグワーツの短気な司書、マダム・ピンスが眉を吊り上げて話をしている不埒者がいないかを探りに来たのに気づいてリーシャが注意を飛ばした。

 

「ああ、いけないわ。ごめんなさいサクヤ。私まだここで調べないといけないことがあるの。また後で話しましょう」

 

 リーシャの注意に、ハーマイオニーは慌てて視線を本に戻した。

 おしゃべりをして図書室を騒がしくすれば容赦なくマダム・ピンスに追い出されてしまう。

 まだまだ調べものをしなければいけないことのあるハーマイオニーにとって、今は本を読むことの方が大切なのだろう。

 咲耶ももともとお邪魔をしているのはこちらだからと、小さく「ほなまたな~」と声をかけて、すでに本への没頭へと戻ったハーマイオニーと分かれた。

 

 リーシャやイズーたちも怒られる前にと図書室の出口へと向かい、クラムは少しだけ、留まるように図書室を振り返り見たが、眉根を寄せて本に集中する少女の姿を見て、微かに首を振り、図書室を後にした。

 

 その後、一行は食堂にて昼食をとり、それぞれ授業があるとのことで、留学生との交流初回、校内案内の会はお開きとなった。

 

 

 後日、留学生の一人が頻繁に図書館通いをするようになり、ミーハーな女生徒がその後を追い駆け、ハーマイオニーが苛立つという現象が起きるのだが、それはひとまずおいておこう。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 午後の授業。咲耶たちの時間割は新任の教師、アラスター・ムーディ先生の“闇の魔術に対する防衛術”の初めての授業だ。

 毎年担当の先生が代わるこの授業だが、やはり魔法使いとしては必要度の高い授業と認識されているからか、割と多くの生徒が授業を継続していた。

 いよいよ今年から始まるN.E.W.Tのクラス。今は引退したとはいえ、イギリス魔法界きってのエリート魔法戦士“闇祓い”。

 昨年のルーピン先生が先生としてはいい授業を行ってくれたのだが、生徒たちはそれ以上に今年の授業を期待し、そしてムーディ先生の恐ろしげな容姿から同じくらい不安を抱いているのだ。

 

 コツッコツッという木を打つ音が廊下から聞こえてきて、扉が開き、始業式の時以来のおどろおどろしい傷跡だらけの顔、ムーディ先生が姿を見せた。

 この時初めて、咲耶は近くでムーディ先生を見て、その左肢が木製の義足であることに気がついた。

 

「机の上の不要な物はしまってしまえ。――――教科書だ。そんな物は必要ない」

 

 教壇の中ほどまで来たムーディは唸るような声で言った。

 咲耶たちは指示通りに教科書を鞄に戻した。やはり実技が主体となるのであろうか。咲耶はリーシャたちと顔を見合わせて、しかし先生の魔法の義眼がぐるぐると生徒の動きを監視するように動き回っているのを見ておしゃべりはしなかった。

 ムーディ先生は出席簿を取り出して生徒の名前を読み上げ、クラスの出席をとった。 

 

「さて。今ここに居るお前たちは、魔法省の定めるところのO.W.Lの試験で、それよりも高度なN.E.W.Tのクラスを受けるに値すると認められた者たちだ。N.E.W.Tのクラスは、これまでのO.W.Lよりも遥かに難しくなる」

 

 ムーディ先生の褒める様な言葉に生徒たちは少しだけ顔を緩め、そして難しくなるという言葉に慌てて引き締めた。

 

「これまでこの科目を受け持った教師たちもそれぞれに異なる理念をもって授業を行ったのだろう。だが、はっきり言ってお前たちの進度は大きく遅れている。特に呪いの扱い方に関してだ。わしの役目は、魔法使い同士が互いに呪いをかけあうことについてを学ばせることだ」

 

 生徒の何人かはごくりと唾を飲みこんだ。

 これまでの闇の魔術に対する防衛術では闇の魔法生物に対する対処法を学ぶことが中心であり、対魔法使いを想定した“訓練”はほとんど受けていない。

 一部生徒は自主的にその訓練を行なってはいるが、だからと言って楽観的に考えられるような雰囲気の先生ではない。

 

「魔法省の定めるところにおいても、この学年では違法とされる闇の呪文がどのような物かを理解し、それに対抗する術を身に着けることが求められる。まず知るべきは、最も恐ろしい呪いがどのようなものかだ。魔法法律により厳しく罰せられる呪文が何か、知っている者はいるか?」

 

 ざわりと、教室がざわめいた。

 違法、とされるものはたしかに存在する。それを知らずに一生を過ごすことができれば越したことはないが、そういうモノは往々にして唐突に、そして理不尽に訪れるものだ。

 いつかは知るべきことではある。だが、いつか、というのは常にして今ではないと思ってしまうものだ。

 

 教室内の生徒は互いに顔を見合わせて、幾人かの生徒がおずおずと手を挙げた。

 中にはクラリスやセドリックの手も上がっており、クラリスの顔はいつも以上に感情を抑え込んだような氷のような表情となっていた。

 ムーディは魔法の義眼で生徒たちを見渡し、クラリスを指した。

 

「服従の呪文」

 

 咲耶はハッとなってクラリスを見た。

 “服従の呪文”

 それは彼女にとって、おそらく最も忌まわしい呪文の名であるだろうからだ。

 父と母を狂わせた魔法の一つであり、幸いにも二人の人格こそ取り戻すことができたものの、決して許すことのできないものに違いない。

 

 ムーディの目はクラリスにピタリと視点を合わせたまま、魔法の義眼はムーディの手元の名簿へとすーっと動いた。

 

「ふむ。オーウェン家の子か……」

 

 ムーディの確認の問いに、クラリスは凍りついたような表情のまま頷いた。

 ムーディは今度は魔法の義眼をクラリスに向け、自身の方の瞳を閉じた。

 かつての仲間を思っているのか、数秒、瞳を閉じた後、瓶の中の蜘蛛を一匹取り出した。

 

「インペリオ!」

 

 呪文をかけられた蜘蛛は、一見すると愉快な感じでダンスを踊り始め、クラスの中ではくすくすとした笑いが零れた。

 だが、その中で咲耶は笑うことはできず、気遣うようにクラリスを見た。微かに、クラリスの瞳が細められ、その中には憎悪にも似た色が感じられた。

 

「この呪文がもたらすものは、完全な支配だ」

 

 蜘蛛を愉快な感じで躍らせながら、ムーディは言った。

 くすくす笑っていた生徒は先生が話し始めたことで笑いをひっこめたが、相変わらず顔は微笑んでいた。

 

「何人かの生徒は、分かっておるようだな。この呪文こそが、何年か前に、魔法省を大きく混乱させた闇の魔法だ」

 

 しかし、ムーディの言葉に笑いを引っ込めた。

 

「この呪文をかけられた者は、かけた者の思うがままに操られる。窓から飛び降りさせることも、水に溺れさせることも…………誰かを刺すこともできる」

 

 蜘蛛は、人であれば飛び降り自殺をしようとしているかのように机の上の端に立っている。

 

「誰がこの呪文にかけられているのかを見分けるのは、かつて魔法省にとって大きな仕事の一つだった。誰が自らの意志で動き、誰が操られているのか。かつての“死喰い人”の中には、この呪文に操られていたためだと言って、未だに罪を逃れた者もおり、その逆もまた然り」

 

 “死喰い人”という言葉に、生徒の数人が「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。

 

「強靭な意志の力と魔法力があればこの呪いに打ち勝つことはできる。だが、それはいつでも誰でもできるわけではない。もっとも有効な対抗策は、この呪文にかけられぬようにすることだ」

 

 ごくりと、生徒たちの誰かが唾を呑みこんだ。

 

「さあ。次の呪文だ。知っている者はいるか?」

 

 

 

 その後も、授業はゾォッとするような冷たさの中、続けられた。

 “磔の呪文”。そして一瞬で対象の命を奪う“アバダケダブラ”。

 実験台として呪文をかけられた蜘蛛の姿に、幾人かの生徒は顔を青くしていた。

 

「さて、この三つの呪文、“アバダケダブラ”“服従の呪文”“磔の呪文”が“許されざる呪文”と呼ばれ、同類である人に対して行使した場合、アズカバンで終身刑に値する」

 

 それからムーディは三つの許されざる呪文についての特徴をノートに記させた。

 生徒たちの間ではおしゃべりはなく、皆が今までにこの授業ではなかったほどに真剣に机に向かっていた。

 

「お前たちが今年学ぶのは、最悪ということがどういうことなのかを知ること。そして実際にそのような呪文を行使する敵に相対したとき、対処するための術を身に着けることだ」

 

 

 授業が終わり、教室から出ると生徒たちはめいめい、先程の授業についておしゃべりを始めた。ほとんどは初めて見る“許されざる呪文”がいかにおそろしいかについてだった。

 

「大丈夫か、クラリス」

「……平気」

 

 先程の授業で段々と顔色を悪くしていたクラリスを気遣ってリーシャが尋ねた。

 クラリスは血の気が引いた顔で、いつも以上に声を平坦にして答えた。

 

「初回から随分な授業だったな」

「けど、必要な事」

「まあそりゃそうかもしんねーけど……」

 

 あえて楽天的な感じで肩を竦めたリーシャだが、クラリスは短い言葉でリーシャの気遣いを否定した。

 

「留学生も、クラムさんやメルル達もあの授業を受けるのかしら?」

 

 フィリスは授業の必要性を認めつつも、しかしあの授業内容では友好的な交流とは程遠いことに懸念を示すように顔を顰めて言った。

 ムーディ先生が言うには、次回からの授業では実際に許されざる呪文に対抗するための実技――実際に“服従の呪文”を受けて打ち破る練習をすると告げたのだ。

 

 授業でのこととはいえ、人間への行使がアズカバン行と同義とされる呪文を、よりによって未成年の生徒に行うというのだ。

 魔法省が知れば、ムーディはおろか、彼を教師にしたダンブルドアも処罰を免れないだろう。

 

 咲耶たちは授業の事を話しながら地下にある自寮、ハッフルパフへと戻った。――途中、玄関広場で起こった騒動の中心地から、4年生のスリザリン生がムーディ先生に地下の、ハッフルパフとは違う方向に引っ張っていかれるのを訝しげな顔で見て通り過ぎた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

屋敷しもべ妖精解放運動? しもべではないわ! 無礼者め!!

「ふ~ん。これが……SPEWバッチ?」

「エス・ピー・イー・ダブリューです!」

 

 リーシャはハーマイオニーから手渡されたバッジを気の無さそうな顔で眺めていた。

 SPEW(ゲロ)と読んだリーシャにハーマイオニーは意気よく訂正した。そのハーマイオニーの腕の中には、同じバッチが何十個も入った箱を持っていた。しかもバッチには幾種類もの色が用意されていて、フィリスは呆れたような眼差しをハーマイオニーに向けた。

 

「ハーマイオニー、最近これを作っていたの?」

「ええ。屋敷しもべ妖精福祉振興協会(Society for the Promotion of Elfish Welfare)。魔法生物仲間の目に余る虐待を阻止し、その法的立場を変えることを目的にしているの」

 

 最近のハーマイオニーは、食事の時間の度に早食い記録に挑戦しているかのようにあっという間に食事を終えて、図書室へと駆けて行くということを繰り返していたが、どうやらそのS.P.E.Wなる組織の設立のために奔走していたらしい。

 

「なんでまたんなことやろうなんて思ったんだ?」

 

 リーシャが尋ねた。

 こじんまりとしたリーシャの家には屋敷しもべ妖精は居ないが、純血の魔法族であるリーシャは、もちろん屋敷しもべ妖精のことを知ってはいる。

 ある程度大きな魔法使いの屋敷に住みつき、その家の魔法使いに無償で奉仕することに名誉と喜びとを感じる妖精。逆に、主人である魔法使いから報酬を受け取ることは彼らにとって極めて不名誉とされ、特に衣服を主人から貰うということは彼らにとって解雇を意味する。

 ちなみに、ホグワーツにも屋敷しもべ妖精は存在しており、その数はイギリスでも最大数と言われており、生徒や職員の食事や掃除などの雑務のほとんどは、彼らが人の目につかないところで済ませている。

 

「なんで? 奴隷労働なのよ!?」

 

 何気なくもまっとうなリーシャの質問にハーマイオニーはスイッチが入ったのか、ピクリと眉を動かし、リーシャに詰め寄った。

 

「ベッドのシーツ交換、暖炉の火熾し、部屋の掃除、料理までしてくれる魔法生物が無償無休で奴隷働きさせられているの!」

 

 鼻息荒くリーシャに訥々と屋敷しもべ妖精の仕事と待遇の悪さを述べるハーマイオニー。

 だが、リーシャたちの反応はいま一つ悪い。

 

「ふ~ん……」

 

 ハッフルパフの寮は厨房の近くにある。

 毎年バレンタインの際にはそこで咲耶がチョコ作りをするのが定番になっているし、リーシャたちも訪れたことがある。

 そこにいる屋敷しもべ妖精たちの姿は、ハーマイオニーの言うところの“奴隷待遇”について、今の労働環境こそが至高だとばかりに仕事に励んでいた。

 他人から見て奴隷待遇だろうが、当の本人たちにとっては最高の環境なのだ。

 奴隷扱いしている覚えもないのだから、リアクションが悪いのも無理からぬことだろう。

 

「会員は今の所、私とハリーとロンの3人。短期的には彼らの労働条件の改正。長期的にはしもべ妖精の代表を一人、魔法生物規制管理部に参加することとしているわ」

 

 だが、ハーマイオニーはなにやら義憤に燃えているらしい。

 新学期が始まってまだ1週間も経っていないというのに大した行動力である。会員が彼女の友人二人、というのはまあ……活動内容からして仕方ないことではあろうが。

 思わずリーシャは強制的に会員になったであろうクィディッチのライバルに同情した。

 

「…………それで、もしかして勧誘?」

 

 フィリスが呆れ混じりの目をハーマイオニーに向けた。

 

「そう! と言いたいけれど、サクヤには難しいわよね……」

 

 ハーマイオニーはがばりとフィリスたちに振り向いた。だが、難しい顔でサクヤをちらりと見た。

 S.P.E.Wの方針は政治的な思想だ。

 海外の留学生をそういう団体に入れることは、非情に危うい。流石にハーマイオニーもそれは分かっているのだろう。

 咲耶は申し訳なさそうにぽりぽりと頬を掻いた。

 

「だからサクヤには、というよりもシロくんに話を聞かせてほしいの!」

 

 

 

 第68話 屋敷しもべ妖精解放運動? しもべではないわ! 無礼者め!!

 

 

 

「シロくんのこと?」

 

 勧誘ではなく「話が聞きたい」というハーマイオニーの要望に咲耶は小首を傾げた。

 当のシロくんは子犬形態で、主に名前を呼ばれたことで首を巡らせ、咲耶の足元できょとんとした顔をしている。

 

「サクヤ。サクヤはいつもシロくんと一緒よね?」

「うん」

 

 おいでと手を広げれば、シロはぴょんと身軽に腕の中に飛び込んだ。

 相変わらずなにかの術をつかっているのか、ほとんど重さは感じず、ふわふわとした毛並の感触が心地よい。

 

「お休みとか、お給料とかはあげているの?」

 

 ハーマイオニーは気になっていたことを尋ねた。

 無償無休。主に奉公することだけが自分の存在価値とでも思っているような振る舞い。

 それはまるで屋敷しもべ妖精の奴隷労働のように見えるのだ。

 

 咲耶は小首を傾げて少し考え、「ふむ」と呟くと子犬状態のシロを抱き上げて目線を合わせた。

 日本には厳密な意味で“屋敷しもべ妖精”はいない。

 天狗や河童に代表されるように、アジア(日本)に生息している魔法生物とゴブリンやヒッポグリフのようにヨーロッパに生息している魔法生物など、地域によって魔法生物も居るモノと居ないモノとがあるのだ。

 シロくんは厳密には魔法“生物”とは多少異なる。

 式神という“魔法”生命体、というのが括りとしては正しい。

 だが本来的には白狼天狗と言う妖怪の一種であり、魔法生物だ。

 屋敷しもべ妖精と同じように魔力(気)を操る術法をもち、確たる人格をもつ。

 

「言われてみればそやなぁ。…………ふむ。シロくん。お休みとろっか?」

 

 思い返せばシロくんはずっと咲耶の傍に居る。魔法世界の旅行中でも片時も傍を離れなかったし、学校でもほぼ咲耶の足元をうろついて、怪しい人物(基本男性か男子生徒)が近づいて来た時に威嚇しているのがデフォルトだ。

 自由を求めて脱走するどこぞのカエルとは対照的と言えるだろう。

 普段奴隷として扱っているというつもりは毛頭ないが、ハーマイオニーの言うことも至極もっともだ。

 

 咲耶はにっこり笑顔でシロに提案した。咲耶としてはいつも頑張ってくれているシロくんにゆっくりしてもらって、友達と楽しく遊んでもらいたいというくらいの気持ちだったのだ。

 だが、その瞬間、シロはガン!!! と衝撃を受けたように身を震わせた。

 

「そ、それは、某が、ひ、必要ないということでしょうか……?」

「ちゃうちゃう。シロくん、ずぅっとうちにつきっきりやろ? 偶にはゆっくりのんびりしたり、お友達と遊んだり」

 

 ポンという軽い音とともに子供の形態に人化したシロくんは、ポロポロと涙を流してわなわな震えており、咲耶はよしよしとあやす様に頭を撫でた。

 

「そ、某にとって、姫さまにお仕えできれば、それだけで身に余るほどの――」

「ダメよ、シロくん!!」

 

 えぐえぐと泣くシロくんの言葉を、ハーマイオニーが鋭く遮った。

 仕えるだけでいいなんていうのは、まさしく屋敷しもべ妖精と同じ。まともな教育を受けず、洗脳されているようなものだ。

 ハーマイオニーは他の幸福があることを知らないシロくんに教えて上げようと熱弁を振るった。

 

「屋敷しもべ妖精たちもそう!! まずは働く以外にも楽しみがあることを知るべきなの! 魔法使いに尽くすことだけが幸福な生き方だなんて間違いよ! 自分が不当な扱われ方をしていることを理解しないといつまでたっても――」

「黙れ小娘!」

 

 熱弁を振るうハーマイオニーへの怒声。

 怒鳴られたハーマイオニーがびくりと身を震わせてシロくんを見ると、先程までの泣いていたのはどこにいったのか、尻尾の毛並を逆立てて総毛だっている。

 右手は腰の刀へとのびており、「ふーっ!!」と威嚇するように喉を鳴らしている。

 

「姫さまのご友人と思って言わせておけば、先ほどから無礼な! 某は姫さまにこそ仕えているのだ! 末席とは言えども我は神にも通ずる天狗ぞ! 人間ごときの卑小な価値観でこの白狼天狗を推し量ろうなどと、愚弄するにもほどがある!」

「こらシロくん!」

「はぅ!!」「サクヤ!! そんな風に扱っちゃダメ!!」

 

 激昂して今にも刀を抜きそうなシロ。

 咲耶はトンカチツッコミで式神を大人しくさせるが、その行為は刀を向けられそうになっていたハーマイオニーの気に障ったらしい。

 

「なんかおかしな関係になってんな~」

 

 とりあえず三人(二人と一匹)のやりとりに傍観を決め込んだリーシャは三竦みを見て呟いた。

 少女の行動に侮辱を覚える式神と、式神の行動を怒る主と、友人の行動に憤る少女。

 ハーマイオニーが咲耶の行動を注意すると、それがまたシロの癇に障ったらしく毛並みを逆立ててハーマイオニーを威嚇するが、今度は主からの制止を受けているだけあって行動には移さずにすんだようだ。

 とりあえずヒートアップしそうな場を宥めるためにフィリスが口を挟んだ。

 

「まあまあ、シロくんもハーマイオニーも落ち着いて。ハーマイオニー、アナタのやろうとしていることは分からなくもないけど、やっぱり肝心なのは本人の意思でしょ?」

 

 フィリスはひとまずハーマイオニーの行いに関しての批判は避けて、無難にある程度の理解を示しつつ、拙速を抑えるように言った。

 

「それは本人たちにちゃんとした判断が下せる場合だわ。その本人たちが現状を認識していないのだから――」

「まだ言うか、この小娘!」「シロくん!!」

 

 だが命に縛られて板挟みにあっているシロとは別に、ハーマイオニーはそんなシロの姿を見るに、自説の正しさについての確信を深めているらしい。

 ハーマイオニーが、屋敷しもべ妖精とシロくんが“無知”であるからだと反論すると、それを侮辱ととったシロくんがまたも刀に手を伸ばして咲耶に注意を受けた。

 

「とりあえず、その本人さんはどう思ってんの?」

 

 ひとまず、自説を盲信しているハーマイオニーにシロくん側の意見を汲み取らせるのが難しいと判じたリーシャは、まだブレーキ役が働いているシロくんに思っていることを言ってもらおうと尋ねた。

 

「某を人の括りで推し量ることが無礼なのだ。某に休みなどそもそも不要」

 

 だがブレーキ(主の命令)があるとはいえ、シロくんも大概に憤っているらしく、いつもよりも言葉がキツイ。

 言葉を選ばぬ全力の否定にハーマイオニーが再び口を開こうとした。

 

「シロくん。うちのこと気にせんと、自分のことを言ったらええんよ?」

 

 だがハーマイオニーよりも先に、咲耶がなでなでとシロくんをあやしながら優しく問いかけた。

 咲耶とて、シロくんが式神であるという認識はちゃんと持っている。

 だが、その上でシロくんは単なる道具や魔法の一つではなく、可愛らしく頼もしい友達だと思っているのだ。

 押し付けではなく、シロくん自身が休みを欲しい、何かが欲しいというのならば、それを拒むことをする気はない。

 

 熱くなっていたシロは、主の柔らかな声に頭が冷えたのか、シュンと大人しくなり、居ずまいを正した。

 咲耶を見上げ、優しく問いかける眼差しが向けられていることを見た。

 その間にハーマイオニーの方も、自分からシロの意見を聞きに来たということを思い出したのか、少しばかり冷静さを取り戻して、乗り出すようにしていた身を落ち着かせた。

 シロは主から小娘 ――身の程を弁えぬ妄言を繰り返した人間―― へと視線を移すと、少しだけ口を尖らせた。

 

「そもそも某は式神です。回復の方法が人とは異なり、食事や休息によってはさして回復しないのです。現体し、維持するためには姫さまの御力をいささかばかりいただく――魔力供給が必要なのです」

 

 ひとまずシロは、主から説明するように求められていることを察して、口を開いた。

 ハーマイオニーもシロくんの意見を聞くつもりはあるのか、大人しく傾聴しており、フィリスたちはホッと息をついた。

 

「某を留めおきながら、姫さまが何事もなく過ごされておられるように見えるのは、それだけ姫さまの御力が優れておられるからなのです。そこらの人間風情では契約した瞬間にでも木乃伊となるでしょう」

 

 なんだか言葉の端々に主礼賛と人間に対する見下しが交じっている気がするが、ハーマイオニー達は耳を傾けた。

 S.P.E.Wとやらにはほとんど興味のないクラリスたちにとっても、シロの話はいささか興味のある話ではある。

 こちらの魔法でも、動物や魔法生物を使い魔として使役する魔法は存在するが、ニホンのシキガミという魔法が、こちらのとどう違うのかは知的好奇心として気になるものだからだ。

 そしてどうやらシロくんを使役することは、魔法をかけて使い魔にするのとは魔法の系統が異なるらしい。

 

「ゆえに某にとってもっとも快適なのは、姫さまのお傍に控えているときなのです」

 

 ただやっぱり、要約するとシロくんの言は“姫さま素晴らしい”に収束していた。

 しかもなにやらドヤ顔で満足気に言ったシロに、ハーマイオニーは苦虫をかみつぶした顔になった。

 

「でも、一生懸命働いているんだからご褒美くらいあってもいいはずだわ」

 

 いかにハーマイオニーが勤勉といえども、系統の異なるニホンの魔法については詳しくない。シロくんの自己申告によれば給料(?)はたしかに支払われているそうだから、無償というわけではないのだろう。

 だが、シロくん自身が休みなく一生懸命働いているのだから、存在していること以上にいいことがあってもいいのではないか。

 なおも言い募ろうとするハーマイオニーに、シロの眼が剣呑な色を帯びた。

 

「そやなぁ。シロくんなんか欲しいものないん?」

 

 だが、咲耶も一緒になってシロの労働環境改善に努めるつもりらしい。姫さまの問いに答えることは、自らの怒気を晴らすことよりも圧倒的に優先度が高いらしい。

 剣呑さは見間違いだったかのように消え、顔を真っ赤にして姫さまを見上げた。

 

「ほ、欲しいものなど。そのような身に余るお気遣い……ひ、姫さまに撫で撫でしていただければ、それだけでもう何にも勝る幸せです」

 

 もじもじテレテレと、いつも咲耶がやっていることこそが至高のご褒美だと断言した。

 健気可愛いシロくんの言葉にきゅんときたのか、咲耶は「えへへ~」と嬉しそうにシロくんをぎゅっと抱きしめた。

 抱きしめられたシロくんは「あわわ」と目をぐるぐるさせながら顔を真っ赤にしている。

 

「撫で撫でって、だいたいサクヤが暇さえあれば、シロの尻尾やら頭撫でてないか?」

「要は今まで通りが一番シロくんにとってありがたいってわけね」

 

 とりあえず何事もなく収まったことにリーシャとフィリスはほっとしてやれやれと咲耶とシロくんを見た。

 いまだにハーマイオニーはどこか納得いかなそうだが、無償無休で省みられることのない屋敷しもべ妖精とシロくんは違うということは理解したらしい。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 咲耶たち6年生の授業は、想像以上に大量の課題と難しい授業内容に大いに苦労することとなった。

 “変身術”では今までの無生物を生物に変えるものから、生物を変身させる呪文が始まっていたし、“呪文学”でもそうだが無詠唱での魔法の行使“無言呪文”が当たり前のように求められ、その練習のためにクラスメイトたちは唇を引き結んで顔を紫色にするという光景がそこかしこで見られた。

 精霊魔法でさえ無詠唱魔法はできない咲耶ももちろん“無言呪文”を使うことはできず、フィリスとリーシャと一緒に仲良くもがいていた。咲耶の身近で、最初の授業の時から使えていたのはスリザリンのディズとハッフルパフではセドリックぐらいであり、かろうじてクラリスが授業後の復習によって行使することができるようになったくらいだ。

 “魔法薬学”に至っては、とびっきり調合が複雑な“生ける屍の水薬”を調合したが、これには咲耶は勿論のこと、クラリスやセドリックですら大いに手こずらされ、薄いピンクになるはずの水薬はせいぜいが薄紫といったところだった。スネイプが講評に値すると判じたのは、O.W.Lを優秀な成績でパスしたはずの生徒たちの中でも、唯一ディズのみという散々たるものだ。

 生徒が落第しないように授業をしてくれるスプラウト先生の“薬草学”ですら、有毒食虫蔓などの今までよりもずっと危険な植物を取り扱うようになり、グリフィンドールのリー・ジョーダンが下手につついて絡み付かれるような事態になっていた。

 だがもっとも恐ろしく、困難だったのは“闇の魔術に対する防衛術”だ。

 ムーディ先生はなんと生徒一人一人に“服従の呪文”をかけてそれに抵抗するという訓練を課したのだ。

 ちなみにこの授業内容はシロの癇に大いに触ったらしく、一度目の呪文の際は抜刀して先生に切りかかるところまで行きそうになっていた(呪文をかけられる直前だったため咲耶がとめて不発となった)。

 それが終わると今度は、ムーディ先生は無言呪文での対人の魔法の掛け合いをするという実技演習を始めた。

 こちらは精霊魔法による魔法障壁が大いに役立ち、決闘クラブに参加していたメンバーは軒並み安全を確保できていたのでまだましだが、やはり無言呪文の行使は大いに難問だった。

 

 というわけで

 

「………………」

「………………」

「――――ぷはっ!!」

「発動してない。リーシャ、声をださないのと息を止めるのは別」

 

 決闘クラブのメンバーは一旦精霊魔法の練習を脇において、この“無言呪文”の習得を目下の課題としていた。

 逸早く“無言呪文”を習得していたクラリスが監督しているのだが、咲耶たち3人は中々に難航していた。

 

「難しいってコレ!」

 

 バシッと呪文を唱えて、ビシッと杖を振って、ドーンと決めることを得意としている(本人談)リーシャにとって、黙って魔法を使うというのは納得がいかないものらしい。この叫びも果たして何度目だろうか。

 

「集中力が足りてない。フィーは……もうできてきている」

「そうは言っても全然威力が出てないわ。もう少し何とかしないと」

「でも出るだけすごいわぁ。うちまだ全然や」

 

 無言呪文の行使には通常よりも強固な集中と魔法のイメージ、そして魔力が必要とされる。

 ジッとしているのが苦手なリーシャは集中力が、伝統魔法への慣れが不十分な咲耶はイメージが伴っていないのだろう。

 フィリスだけがこの練習によって何とか使えるくらいになっていた。

 

 うむむと試行錯誤しながら練習していると同じ決闘クラブのメンバーである、セドリックとルーク、そしてディズが入ってきた。

 

「スリザリンの方はどうなんだ?」

「さあ? 僕はクィディッチチームには関わっていないからね」

 

 ルークの質問にディズは肩を竦めて答えた。クィディッチと言うワードに、リーシャがぴくんと反応して顔を向けた。

 

「クィディッチがどうしたんだ?」

 

 ただでさえぐだりがちだった無言呪文の練習への集中が完全に途切れたのを見て、クラリスとフィリスは溜息交じりに肩を竦めた。

 ちょうど煮詰まって来たこともあり休憩するにはいいタイミングだ。

 

「グリフィンドールチームがすごいことやらかそうとしてるんだよ」

「すごいこと?」

 

 ルークの言葉にフィリスたちも首を傾げた。

 フィリスたちはクィディッチチームには入っていないが、ホグワーツ生の常としてクィディッチは最大の楽しみであり、毎年応援には熱がこもるものだ。

 ルークはにやりと笑い、セドリックが困り笑いを浮かべた。

 

「イズーがクィディッチチームに入ろうとしているらしい」

「ええっ!?」

「今年からグリフィンドールチームのキャプテンになったアンジェリーナ・ジョンソンがマクゴナガル先生に聞いていたんだ。『交流を深める目的ならクィディッチをやるのが一番いいはずだ』って」

 

 セドリックの言葉に咲耶たちが一瞬フリーズした。

 

 昨年優勝杯を手にしたグリフィンドールチーム。そのキャプテンだったオリバー・ウッド。卒業した彼の後任キャプテンなのが、グリフィンドール6年生のアンジェリーナだ。

 セドリックたちはどうやらその新キャプテンが新しいチーム編成の事でマクゴナガル先生に質問していたのを目撃したらしい。

 

「え。そんなん。イズーたちて半期しかおれへんのに?」

「その前に留学生が代表選手になんてなれるの? そんなのスリザリンなんて……」

「そっ。そういう話を今しがたしてたんだよ」

 

 咲耶とフィリスが目をぱちくりとし、ルークはちらりとディズの方に視線を送った。

 クィディッチ寮対抗杯は“寮”で競い合うものだ。

 編入している咲耶はともかく、半期だけの留学生であるイズーたちが寮に属しているとするかは厳密に見ると微妙だ。

 しかもスリザリンに至っては、そこで逗留している留学生の中にプロが混ざっているのだ。

 ディズはルークとセドリック、そして咲耶たちの視線も受けて肩を竦めた。

 

「マーカス・フリントとクィディッチの話をしたことはないから分からないけど、ビクトール・クラムが学生のクィディッチ試合に出ることはないんじゃないかな。仮にもプロなんだし」

「仮にもって!? クラムだぞ!? 世界的なシーカーの!!」

 

 ディズの言葉にリーシャがなんて愚かなとでも言うかのように声を上げた。

 クィディッチワールドカップでも活躍したトッププロシーカー、ビクトール・クラム。

 

「幸か不幸か、ハッフルパフがクラムと試合することはないんだけど、留学生の参加が認められたとしたら、グリフィンドールとスリザリンの試合はかなり荒れそうだね」

 

 昨年、ファイアボルトに騎乗したハリーを破ったセドリックだが、本人はそれを完全なる実力とは思っていない。

 ましてそのハリーと比べても、現時点ではクラムがクィディッチ選手としては名声実力ともに隔絶していると見るのが当然だ。

 ただし、寮対抗杯は一年を通して3期に分けて行われるため、半期で留学を終える予定のクラムやイズーはイースター休暇の後に行われる第2節に参加することはない。

 トッププロと当たる機会を逃すことを幸いととるべきか、残念ととるべきかは、寮対抗杯の行方を考えれば微妙なところだろう。

 

「でもイズーがクィディッチか~。どうなんやろな?」

 

 とりあえずあまりそっちには執着のない咲耶が人差し指を口元に当てて誰とはなしに尋ねた。

 

「アンジェリーナの話しぶりじゃ、よっぽど自信があるんじゃないか? たしかにメルディナとかアルティナの箒捌きはすごかったし」

 

 ただし、本人に実力があればだが、とルークは言った。

 研修旅行時に見たメルディナやアルティナの箒の技量を考えれば、それと実技では同等以上というイズーの能力は、決して低いものではないだろう。

 それでもことクィディッチに関してはいくらなんでもクラムほどとは思えない。

 グリフィンドールチームは、それほどシーカーとしてのハリーを信頼しているのだろうか。

 たとえスリザリンがトッププロを引っ張り出してきたとしてもハリーならば渡り合えると考えるほどに。

 

「グリフィンドールチームは、前のキーパーのウッドがいなくなったからね。マクゴナガル先生もチームが勝つためならやるんじゃないかな。交流を深める意味でも……まあ悪くはない、と思うし」

 

 寮対抗杯はホグワーツの学生生活を語る上では、大多数の生徒にとっては欠かすことのできないイベントだ。

 文化交流というのなら、それこそ当事者として参加するのが一番。その意味ではイズーがクィディッチに参加するのは望ましいことだろう。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人の口に戸は立てられない……だれかあの赤毛ノッポの口を閉じろ!

 16mほどの高さの三つの柱。それぞれの先端には輪っかがついており、その内の一つに箒に乗った少女が飛んでいた。

 体格は同い年の少女の平均からすると、局所的に膨らみ豊かで……しかし最大の特徴は頭部に生えた大きくて立派な角と額の紋様、そして大きな尻尾だろう。

 アリアドネー騎士団候補生、現在はホグワーツへの異世界留学生、イゾルデことイズーだ。

 彼女の顔にはわくわくと、好戦的な笑みがいっぱいに広がっていた。

 彼女の視界には、びゅんびゅんと人影が飛び回り、人影の合間をいくつものボールが行き交っている。

 イズーはボールの中でも人の間をやりとりされている一つに合わせて三つの柱の前をゆらゆらと動いていた。

 アンジェリーナ ―― アリシア ―― ケイティ。

 敵のDF役をやっているハリーを躱してケイティがアンジェリーナにボール――クアッフルをパスした。

 アンジェリーナがシュートの態勢に入り、イズーは三つの輪っか、ゴールの内の一つへと向かおうとしている。

 アンジェリーナは的確にイズーの箒の進路を読んで無防備となったゴールへとクアッフルを投げ込んだ。

 

「よしっ! 決まっ――――ああっ!!?」

「ん!! おっ、と!」

 

 体の進行方向とは逆。

 イズーは箒の柄の方から伸びている太い尻尾でぺしりとクアッフルを弾き飛ばしてゴールを阻止した。

 

「ヒュー! まじかよ、あんなのウッドだってできないぜ!」

「そりゃそうさ。いくらウッドでも尻尾は生えてなかったからな」

 

 フレッドとジョージがナイスセーブしたイズーへとやんややんやと喝采を叫んだ。

 

 

 

 第69話 人の口に戸は立てられない……だれかあの赤毛ノッポの口を閉じろ!

 

 

 

「これでひとまずウッドの代わりは見つかったな」

「ええ。スリザリンとの一戦だけだけど……許可はマクゴナガル先生にお願いしてみるわ」

 

 安心したようなフレッドの言葉にアンジェリーナが嬉しそうに頷いた。

 過日、クィディッチのメンバー募集の話題を出した時、たまたま話を聞いていた留学生のイズーが食らいついたのだった。

 

 ――「クィディッチ? はいはい!! 私やりたい!」――

 

 元気よく手を挙げ、尻尾を揺らして立候補したイズー。

 留学生が参加できるのかという問題はあったが、ひとまずやってみてもらおう、ということで他の希望者と一緒に選抜を受けてもらったのだが、結果は見事というものだった。

 アリアドネーの箒ラリーの時にもすでに実証されていたが、やはり彼女たちの箒の加速力はハリーのファイアボルトには及ばないものの、他の希望者よりも上で、箒捌きや体捌きはそれこそ本領だった。

 

「おーい、イズー!」

 

 ジョージが声を上げてイズーを呼んだ。

 気分よくぶんぶんと宙を飛んでいたイズーが声に気づいた。

 そのまま箒に乗ってこちらに進路を変える――――のではなく、なんと空中で箒から飛び降りた。

 唖然としたアンジェリーナたちが悲鳴を上げようとした瞬間――――ズザッ! とその横に一瞬でイズーが現れた。

 

「きゃ、え? あ、えっ? 今、箒から飛び降りて……?」

「へへへー」

 

 今しがたまでイズーが浮かんでいたゴールポストの辺りと、今豪快な着地音とともに本人が現れた場所とを交互に見ているチームメイトにイズーはブイッ! とポーズとともに満面の笑みを浮かべた。

 

 

 

瞬動術(クイックムーブ)、っていってね。まあさっきのは虚空瞬動だけど」

 

 めでたく対スリザリン戦のキーパーの座を射止めたイズー。

 選抜が終わり、寮へと戻る道すがら、イズーたちは見学していたハーマイオニーやロン、他のアリアドネー留学生組であるメルルやメルディナ、アルティナたちと合流しておしゃべりしていた。

 

「クイックムーブ?」

「接近戦の割と上位の使い手が使う歩法だよ。イズーは戦闘系技能に絞れば結構強いからね」

 

 短距離での姿現し(ホグワーツ敷地内では使うことができない)にも似た高速移動術に興味をもったみんながわいわいと先程の技について尋ねていた。

 相棒のメルルの持ち上げてくれている言葉にイズーは苦笑した。

 

「箒なしに空を飛べるのかい!?」

 

 ジョージが驚いて尋ねた。

 伝統魔法では箒なしに自在に空を飛ぶ術は現在のところないとされる。

 ハリーも驚いてイズーを見た。

 夏休みの後半に見たクィディッチワールドカップ決勝でのビクトール・クラムの飛行術。彼の箒捌きはまるで重力から解放されたかのようなものであった。

 だが、イズーがまさに空を飛べるのであれば、空に魅せられた者としてその術はぜひとも知りたいものだ。

 それはハリーだけでなく、この場のグリフィンドール生全員の思いであったようで、みんなが期待のこもった瞳でイズーを見た。

 

「それは無理」

「え?」

「私ができるのは虚空瞬動までだから。空を飛ぶのはできないんだよ」

 

 だがハリーたちの期待に対して、イズーはあっさりと否定した。

 (厳密には“この状態では”というくくりがつくのだが)

 

「それにしたって私のなんかまだまだ。昔見たリオン先生のにだって全然至ってないしな」

 

 イズーは少しだけ寂しそうな顔を見せた。

 

「スプリングフィールド先生てやっぱすごいのね」

 

 イズーの様子には気付かない様子でケイティが尋ねた。

 精霊魔法こそ受講はしていないが、あの先生の容姿だ。気になる女生徒は多く、彼女も気にはなっている一人なのかもしれない。

 

「あたりまえです」

 

 ケイティの質問にメルディナがバッサリと答えた。

 

「高位の使い手の中でもSAランク相当の力をもち、かつ所在が明らかとなっているのはネギ様とその盟友フェイト様、そしてリオン様くらいなのですから」

 

 他にも幾人か、最強クラスと称される使い手は存在する。

 だが、現在所在が(生存が)確認されているのはかの3名の魔法使いだけだ。

 

「SAランク?」

 

 初めて聞く言葉にハリーが首を傾げた。

 

「いわゆる最強クラス、ってやつだね。一人で巨神兵とか軍隊を相手取れるぐらいの超強力な使い手だよ」

「ダンブルドア校長は魔法世界だとどう言われているの?」

 

 メルルの説明を聞いて、ハーマイオニーがメルディナたちに尋ねた。

 勿論ダンブルドアは魔法使いだと思っている。だが、果たしてそれが別の場所ではどのように看られているのか、というのは知りたがりの欲として聞いてみたいものなのだろう。

 

「アルバス・ダンブルドア校長ですか」

 

 問われたメルディナはちらりとイズーを見た。イズーは苦笑して視線を逸らし、首元を掻いている。

 

「ランクは戦闘能力の格付けで判断されますから、たしかダンブルドア校長はAAAランクあたりだったと思います」

 

 AAAランク、ということにハーマイオニー達は驚きの表情となった。

 魔法世界側の基準にあてはめられているから自分たちの認識よりも低く見られているという事もあるのかもしれないが、イギリス魔法界最高の魔法使いと呼び声高いダンブルドア以上と見なされている魔法使いがいるというのだから。

 

 だが、メルディナ達にとっても、AAAというのは驚くべきことだ。

 

「ヒューマンであの高齢にも関わらず、AAAというのは驚異的です。それに、どちらかというとあの方は魔法戦士というより、魔法世界では魔法薬の研究分野で有名です。……イゾルデさんはあまりお好きではないようですが」

「あー、まあ、ね」

 

 イズーが歯切れ悪く頷いた。

 ハーマイオニーは少し驚いたようにイズーに振り向いた。

 なんで? と問うような視線が向けられているのを察しながらも、イズーは答えづらそうに顔をしかめ、代わりにメルルが答えた。 

 

「あっちだとダンブルドア校長の一番有名な功績がドラゴンの血液の利用法に関する研究だからね」

「それでなんで? あれはすばらしい研究よ」

 

 メルルの説明にハーマイオニーは納得できないとばかりに声をあげた。

 強力な魔力を持ち、皮膚や角、心臓などの内臓ですら強力な魔力特性を有しているドラゴン。その中で、かつてダンブルドア校長はドラゴンの血液に関する12の利用法を発見したといわれている。

 それにより魔法薬学は大いに発展したのだが……

 

「イズーは竜族だからだよ」

「え? あっ! あ~……」

 

 ハーマイオニーはハッと気づいてイズーを見て、申し訳なさそうに目を泳がせた。

 だが、他のメンバーは首を傾げており、

 

「竜族? じゃあさ。本物のドラゴンみたいになることもできるのか?」

 

 ロンが興味津々で尋ねた。

 

 好奇心からの問いだったのだろうが、言葉にひっかかるものがあったのか、イズーの尻尾が機嫌悪そうにブンと揺れた。

 イズーの不機嫌を察したメルルとメルディナが素早く目配せして、イズーが変な真似をしないかを警戒したが、イズーは肩を竦めて苦笑した。

 “本物のドラゴンみたい”というのは、イズーにとっては些かならずカチンとくるものがあるのだろう。

 だがまあ、見た感じではやり合うような気もなく、ただの子供の物知らずといったところだろう。

 

「まあね。ここではやらないけど、な」

 

 言葉では軽く流して、ただし、にぃ、と凄味のある笑みをロンへと向けた。

 

 よく分からないが気圧されたロンは「え、あ。そう……」とあいまいに頷き、ハーマイオニーは顔を顰めてロンを軽く小突いた。

 ハリーにはイズーの影に一瞬、獰猛な肉食獣の影が混ざったように見えた。そしてロンの脳裏に、1年生の頃の出来事が蘇っているのが分かった。

 

 1年生の時、彼らはドラゴンに会った。というか育てた。

 本来ドラゴンの飼育は違法だ。

 物凄く危険で、訓練されたドラゴン使いが半ダースは必要なのだと、ロンの兄であるチャーリーから聞いたことがある。

 あのドラゴンも、ハリーたちが育てたくて育てたのではなく、ハグリッドがアンダーグラウンドに卵を入手し、こっそりと孵化させてしまったために育てることとなったのだ。

 まだ赤ん坊のドラゴンであり、わずか数週間の飼育期間であったが、その短い時間でドラゴンの恐ろしさはもう十分だった。

 

 空気が少し重くなり、メルディナの睨み付ける視線が厳しくなったのに気づいたイズーは、ふっと笑みを軽くし、空気も一緒に弛緩した。

 

「服が破けるし。こっちに戻った時に真っ裸になっちゃうからね。それともそれが見たいの、ハリー君?」

「なっ!?」

 

 なぜだかお鉢が回ってきたハリーは、ニマァと浮かべられた笑みに、いつかの謎の光景を思い出して顔を真っ赤にした。

 

 メルディナの視線がなぜだかまた厳しくなった。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 精霊魔法の授業。

 研修旅行に行ったこともあって、以前よりも“知っている”という自信もあったが、夏休みの終わりごろの大ニュースもあって受講していた生徒たちは、今までとは違うドキドキをもって授業に臨んでいた。

 

 精霊魔法講座独特の、魔法映像には魔法世界の光景ではなく、こちらの世界のとある国――日本の光景が映っていた。

 

「――――現在、魔法技術を組み込んだ科学技術の応用が最も進んでいるのが宇宙開発分野だ」

 

 街並みの光景自体は、日本独特のものではなく、どちらかというとヨーロッパ調の影響を色濃く受けているような街並みで、しかし最大の特徴は空高く天を衝く一筋の塔の存在だろう。

 高く、高く、雲を突き抜けるほどに高い。

 箒で飛ぶよりもずっとずっと高い。

 

「日本の旧麻帆良学園に建設された軌道エレベーター“アマノミハシラ”は、その代表的な建築物だ。これの建築により宇宙開発は一気に推進することとなった」

 

 それもそのはず。

 スプリングフィールド先生が説明している塔は空どころか静止軌道にまで到達していた。

 

 純粋な魔法族としての暮らしが長いセドリックやクラリスはもとより、マグルとしての知識があるフィリスやディズですら、それに魔法と科学の両方の技術が含まれていると聞いて唖然としていた。

 

 こんなものを作るマグルの技術力に。

 最先端の分野に関わる魔法があるということに。

 

 映像は地上から見上げた塔の姿から、“宇宙から”眺める塔の姿に代わった。

 周囲には幾つかの舟が、海の中を泳ぐように行き交っており、宇宙開発、という言葉が実感から離れて聞こえてきた。

 

 

 精霊魔法の授業では、魔法世界に関しての知識、精霊魔法自体に関する知識、実技のほかにも、件の発表を受けてか、魔法と科学の融合――魔法族と非魔法族が手を取り合った成果――についても授業していくのだという。

 

 

「もう一つ、近年魔法統合学技術の応用が進んでいるのがエネルギー分野だ」

 

 今度は一転、映像は地球のどこかの光景へと移った。

 もうもうと煙を吐く煙突群。ダムから放流される激流の水。マグル建築の巨大なタンクのような建造物。

 

「非魔法族――こちらのいうところのマグルは19世紀以降、火力や原子力などの様々なエネルギーを“発電”というシステムを介することにより電気へと変換し、魔法なしでの生活を豊かにしていた」

 

 マグルの生活――その姿なのだろう。

 ホグワーツで見られるような蝋燭による揺らめいた炎の明りではなく。ホグワーツ特急でよく見られる電灯、TV。他にも薄っぺらい板のようなモノが、マグル製品であるはずなのに中の映像が魔法世界の新聞のように動いているような“機械”まであった。

 

 ホグワーツでもマグル学、という学問はある。

 魔法使いの視点からマグルの生活を理解するという学問分野であるのだが、どうやら昨今のマグルの科学の発展は魔法使いの常識をも大きく超えているらしく、マグル学を受講している生徒ですら、魔法界出身の生徒はスプリングフィールド先生が見せる映像をポカンと見ていた。

 

「だが、この発電というシステムを安定的に運用していくためには、地球の地下資源の採掘や環境の破壊という問題を抱えざるを得なかった。ここらへんはマグル学とやらで習って…………いるといいんだがな。まあいい。とにかく20世紀後半の科学技術ではいずれ地球環境の急激な悪化が大きな問題となっていた」

 

 魔法世界を実際に見たこともあり、他の授業でも難易度が高くなっているので合わせたのだが、生徒たちの顔を見回して、ポカンとした顔をしているのが多いのを見て、リオンは溜息をつきそうになって小さく息をついた。

 やはりマグル学、といってもそれほど広範な知識は伝えていなかったのかもしれない。

 中には希少なスリザリン生やマグル出身の生徒などで熱心に聞き入っている生徒もいるが…………

 

「それらの問題を解決した魔力炉の開発は、魔法技術が農業、工業、情報に次ぐ第4の技術革新だということを決定づけるものの一つとなった。もっとも今はまだ一般には魔法の存在は非公開となっているため、大部分の国際企業には新技術供与と言う形で行われたのだが、そこらへんはもうじき関係なくなるがな」

 

 リオンは言葉を一度区切り、魔法映像を切って周囲の景色を元の教室へと戻した。

 

「さて。この学期が始まる前に、この魔法開示によるメリットが何か、と言う質問を受けたが、地球の魔法使い、非魔法使いに対するメリットは分かったことだろう。それぞれの技術水準、生活水準の向上だ。そして宇宙開発によりマグルの経済にも大きな利潤をもたらすとともに地球環境自体の改善にも効果があることが実証されている」

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 今までよりもずっと難しい授業。

 今までとは違う環境での生活。

 それによる疲れは、のほほんが基本の咲耶や頑丈なイズーたちでも「休ませてぇ~」と悲鳴を上げたくなるようなものであり、

 

「ぷっはぁ! いやぁいいなこれ!! これがイギリスの魔法界の名物?」

「いい飲みっぷりだねぇ、イズー。これぞ! ホグズミード名物! “三本の箒”のバタービール!!」

 

 イズーたちは咲耶やリーシャと一緒にホグズミードへとやって来ていた。

 とりあえず一巡りホグズミード村を案内してからやってきた三本の箒。

 店の中は相変わらずガヤガヤとした賑わいを見せており、女主人のマダムロスメルタが相変わらず大人の魅力いっぱいに取り仕切っている。

 イズーは初めて飲むイギリス伝統魔法族名物のバタービールをおいしそうに飲み、リーシャが嬉しそうにジョッキを持ち上げた。

 真っ白なヒゲを生やしたイズー。メルルはそれを笑いながら、メルディナは苦笑し、アルティナはちびちびと飲みながら口元をほころばせた。

 

 新規留学生組のホグワーツ生活は、おおむね良好に過ごせているらしい。

 亜人というちょっとびっくりする外見だが、好奇心旺盛でよく言えばチャレンジ精神あふれるグリフィンドールが世話役に選ばれたということもそれに一役買っているのだろう。特にフレッドやジョージ、ハーマイオニーらの精霊魔法講座組が上手く他生徒との円滑材になってくれているのだそうだ。

 常であればグリフィンドール生と敵対するスリザリン生は、少々ならず失礼な視線を向けてきてはいるものの、例年のような罵り合いにまでは発展していないとのことだ。

 スリザリンには流石に名家の子息が多いだけあって――しかも大概にしてそういう名家は、マルフォイ家を筆頭に権力と密接につながっているため――昨今の情勢を鑑みて、侮蔑の思いをぶちまけることを何とかこらえているらしい。

 もっともだからといって、仲よしこよしという関係にはまったく至ってはおらず、在校生たちの仲の悪さは相変わらずだが…………

 

 

「そしたらイズーもクィディッチ出るんや?」

「うん。キーパーだって!」

 

 とりあえず今の所、クィディッチに向けて徐々に高まりつつある敵対心はイズーにとっては心を燃え立たせる範疇のものに収まっているらしい。

 

「スポーツだっつってたけど、空戦の訓練としてもなかなか面白いよ。ほら、あの体当たりしてくるやつを弾き返さなきゃいけなかったり」

「ブラッジャーね。あれを打ち返すのはビーターの役目よ」

 

 本当にルールを覚えているのかどうか怪しい所はあるが、どうやらそちらの方も概ね順調らしい。

 なんでもビーターの棍棒なしにブラッジャーをぶん殴ったり、尻尾を使った好セーブを連発して、フレッドやジョージがやんややんやと持て囃しているとのことだ。

 微妙になんか違う視点でクィディッチをやっていそうな発言にフィリスが訂正を入れた。

 

「普通はブラッジャーを殴ったりはできないはずなんだけどな」

 

 ハッフルパフチームのリーシャは、今はまだライバルというよりもクィディッチ好きの選手として、イズーの非常識さを呆れ混じりに笑っている。

 

 イズーも「へへへ」と陽気に笑ってぐびりとバタービールを飲んだ。

 

「でもクィディッチは楽しいけど、実践演習する場所がないのは困ったもんだよな」

 

 だがふとちょっとした愚痴を溢すかのように言った。

 

「実践演習?」

「ほら、私らは騎士団候補生だからさ、一応戦闘技能も磨いておかなきゃいけないんだよ。ただこっちだと、教室じゃそんなに派手に暴れられないし、廊下とかは一応魔法禁止だろ?このままだと鈍っちゃいそうでさぁ」

 

 正直、“あの”リオン・スプリングフィールドが先生をしているとうことで、過分な期待をしていた感はある。だが、残念なことにあの先生がここで教えているのは精霊魔法の基本からある程度の応用、基礎魔法力の向上、あとは座学が中心であり、戦い方を教えているわけではないらしい。

 留学希望先のことだからか、クラリスが興味を惹かれたようにイズーを見ているが、イズーは暴れたりないのか物足りなさそうな顔をしている。

 竜の尻尾が不満げにぶんぶんと揺れており、フィリスはふむと顎に手を当てた。 

 

「そういうことなら決闘クラブに入らない?」

「決闘クラブ?」

 

 フィリスの提案にイズーは興味を惹かれたらしい。言葉の響きもあってか、瞳が輝いた。

 

「そう。私達でやってて、精霊魔法とかこっちの魔法とかで、実践的に使う訓練をしようってクラブよ」

「へ~」

「顧問はスプリングフィールド先生」

「あのリオン・スプリングフィールドが!?」

 

 フィリスと、さらにはクラリスの思いもよらないクラブの特典にイズーが身を乗り出した。

 手合せできる、というのは高望みのし過ぎであろうが、先生が顧問をしているクラブ、というのであれば期待ももてるかもしれない。

 イズーは即答で入部しようと頷こうとし、

 

「リオンしゃまでしゅか?」

 

 おかしな言葉が耳に入った。

 

 

「そうそうリオンの……うん?」

 

 うんうんと頷いた咲耶は、ふと、先程聞こえてきた言葉がなんだか呂律の回っていなかったような気がしてイズーたちともども振り向いた。

 

「……ひっく」

「……え? 委員長?」

「しぇっかくの現実世界にゃのに、にゃんでリオンしゃまがいて、ニェギしゃまがいにゃいんでしゅか」

 

 思わずイズーも顔を引き攣らせた。

 いつもはピンと立っている白猫の耳はぺたんと萎れており、両手でバタービールのジョッキを持ってしゃくりあげている。

 

「もしかして、委員長、酔った? 」

「ひっく」

 

 うりゅうりゅと涙目になって、くぴくぴとバタービールを飲んでいるメルディナ。

 いつもの凛とした感じはまったくなく、細長い猫の尻尾がふよふよと揺れている。

 ――――完全に酔っている。

 

「そっかー、いいんちょさんもコレ弱いんやなぁ」

「?」

 

 同類相憐れむ、ではないが同じようにこのアルコール度数がほとんどないバタービールで酔ってしまう咲耶は、初回以降バタービールではなく素直にただのジュースを飲んでいて素面だ。

 あたたかい視線を向けられたメルディナはキョトンと首を傾げており、思わず咲耶は手を伸ばし、なでなでと頭を撫でた。

 

 咲耶のなでなでが心地よいのか、メルディナはにゅ~と甘えたように喉を鳴らして咲耶の方に身を傾けた。

 いつもは堅物の委員長のそんな姿に、イズーは微妙な笑みを引き攣らせ、メルルの方にひそひそと声をかけた。

 

「おいおい、メルル。委員長が――」

「いやもうホンットこっちの世界は違うよね!! 流石は大先生パルルンを生み出した旧世界! もうホントごちそうさまって感じのイイ素材がいっぱいだよ!!! ハリー君とかセドリック君とかディズ君とか!!」 

「……メルル?」

 

 返ってきたのはけたけたと笑いながらいつも以上に明るいメルルの声。

 嫌な予感に振り返ってみれば、こちらはいつも以上に吹っ飛んだ感じに陽気に壊れていた。

 ナニをイッテいるのかワカラナイが、こちらはこちらで豪快にジョッキを持ち上げて、ごきゅごきゅと飲んでいる。

 

「金のボールを求めてトビあう男の子同士とかホントもうありがとうございますって感じだよねっ!!!」

「…………」

 

 とりあえずイズーは暴走状態に入っている相棒からそっと距離をとった。

 相棒が距離をおいたことに気付かないメルルは手近なところにいたクラリスにぐだーと圧し掛かり、クラリスは鬱陶しそうに顔を顰めた。

 

「……そういえば屋敷しもべ妖精はこれに弱いと聞いた。もしかして亜人は酔いやすい?」

「ん~、私はぜんぜんなんだけどな~、アルティナは大丈夫……?」

 

 素面状態のイズーは、アリアドネー四人組の残る一人、唯一亜人ではないアルティナ(委員長のお守り役)を振り返った。

 

「メルディかわいい」

「……でもないな」

 

 どうやら酔ってはいないらしいが、にゃ~と咲耶に手懐けられているメルディナをぽわぽわと幸せそうに眺めていた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

クィディッチ観戦には万眼鏡だよな! 遠くが見れるし、コマ送りでも見れるんだから!

 天候は今にもぐずりだしそうな生憎の曇り模様。

 真紅のユニフォームをまとったハリーたちグリフィンドールチームと、緑のユニフォームをまとったマルフォイたちスリザリンチームがクィディッチ競技場のピッチの上で睨みあっていた。

 犬猿の仲の両チームによる開幕伝統の一戦に、観客席も大きく盛り上がりの予兆を見せている。

 

 ハリーはぐるりと観客席を見回した。

 グリフィンドールの応援席には、親友のロンとハーマイオニー、そしてジニーやネビルなど例年の顔ぶれに加えて、アリアドネー留学組のメルディナたちが座っており、なにやらロンから熱いレクチャーを受けている。

 解説席には相変わらずのリー・ジョーダンが今か今かと待っており、その後ろには(なるべく)公正な解説を望むためにマクゴナガル先生が睨みを利かせている。(ちなみにその矛先が、リー・ジョーダンか、敵チームであるスリザリンか、はたまた発破をかけるためにハリーたちに向いているのかは微妙なところだ)

 少し離れたところにはどちらのチームのサポーターというわけではないのだが、(それでもハリーの心情的にはきっと自分たちの応援のはずだと思っているが)ハッフルパフのサクヤが手をメガホンのようにして歓声を上げていた。

 ほわほわと可愛らしい笑顔が向けられ、外気の冷たさに反してハリーは身体の中が熱くなったように感じた。

 サクヤはぶんぶんと大きく手を振ってくれており――—ハリーの後ろで(・・・)イズーが大きく手を振り返した。

 

「へへへ~。すっげー盛り上がりだな。向こうさんもいい感じにギラついてるし、気合入るな!」

 

 この一戦において参加が認められたイズーは、グリフィンドールとスリザリンの仲の悪さにはまったく無頓着、というか分かっていないのかもしれない。

 ハリーから見て、イズーの言う“いい感じにギラついた”スリザリンチームの顔は、始まる前からどうやって悪辣な手を使おうかと企んでいるような顔つきにしか見えなかった。

 実際、(例年のごとくだが)試合前の数日間は非常に剣呑な雰囲気が校内に立ち込めており、特にクィディッチで重要なポジションであるハリーは護衛なしに廊下を歩けば呪いでも飛んできそうな状態だった。

 

 審判のマダム・フーチの指示で、両チームのキャプテン、マーカス・フリントとアンジェリーナ・ジョンソンがお互いの手を握りつぶさんばかりに力を込めて握手をした。

 

「おい。ポッター」

 

 すれ違いざま、マルフォイが声をかけてきた。

 2年の時からのスリザリンチームのシーカーであり、その手にはスリザリンチーム全員が持っているのと同じニンバス2001がある。

 近寄れば嫌味を言ってくるのはいつものことだが、相変わらず青白い顔に憎たらしいニタニタ笑いを浮かべてねっとりとした声で話しかけてきた。

 

「あの半ヒトに尻尾を生やす魔法は教わらなかったのか? 気絶して落ちたときに運がよければクッションになるかもしれないぞ」

 

 マルフォイの言葉にスリザリンチームがゲラゲラと笑った。

 本人に直接口撃する意気地はないのだろうが、マルフォイの態度は半ヒトであるイゾルデをあからさまに小馬鹿にした態度であり、言葉の端々に侮辱感がにじみ出ていた。

 侮辱を受けているイズー本人は、一瞬キョトンとした顔になり(もしかしたら別にこれは彼女にとっては侮辱に値する言葉ではなかったのかもしれない)、試合前の挑発行為だと気付いてニヤリと楽しそうな笑みをうかべた。

 だが挑発を受けたのはどちらかというとハリーだ。

 

「そっちこそ、クラムに泣きついて代わってもらわなくていいのか、マルフォイ。まさか恥ずかしげもなく君が試合に出てくるとは思わなかったよ。見ているみんなも、今日君がここに立っていることを望んじゃいなかっただろうさ」

 

 ハリーの返しにマルフォイの顔がさっと赤くなった。

 

 グリフィンドールチームが留学生をチームに入れるようマクゴナガル先生に相談した、という噂が流れてから、校内にはとある期待が生徒の間で広がっていた。

 世界的に有名なプロのシーカー。ブルガリア代表の若き天才シーカー。ビクトール・クラムがクィディッチ対抗戦の初戦、スリザリン対グリフィンドールに出場するのではないか! という期待だ。

 クィディッチワールドカップで見せたような超絶的なウロンスキー・フェイントが見られるのではないか!? その期待は、この試合前に明らかとなったメンバーによってガッカリとしたものへと変わった。

 

 クラムはこの試合に出ていない。

 

 スリザリン側の観客席を見上げればすぐに見つかるのだが(周囲からあからさまな好奇の視線を向けられているのがそれだ)、クラムは観客席に座って、試合の観戦をしている。

 マルフォイが屈辱にまみれたかのように赤い顔をしているところを見るに、どうやらスリザリン内でも散々にクラムへの参加要請が持ち上がったのだろう(つまりはシーカー・マルフォイの不要論だ)。

 

 ハリーとしてはクラムと戦う機会に恵まれずに残念8割、試合の勝利の可能性が大きくなったことによる安堵が2割、といったところだ。

 

 

 

 第70話 クィディッチ観戦には万眼鏡だよな! 遠くが見れるし、コマ送りでも見れるんだから!

 

 

 

「なんか言い合いしとるなぁ」

「スリザリンが留学生を入れたことを当て擦っているんでしょ。まあ、マクゴナガル先生とダンブルドア校長が認めたのなら変わりようがないわよね」

 

 咲耶はイズー(・・・)に手を振って声援を送った後、彼女の近くを歩いていたハリーがスリザリンチームのシーカーとなにやら舌戦を始めたらしいのを見て、相も変らぬグリフィンドールとスリザリンの交流関係の在り方を見ていた。

 咲耶の横ではフィリスが呆れ混じりに両チームシーカーのやりとりを眺めており、そしてちらりとスリザリン席の方を見た。

 

「それにしてもクラムが出ないなんて……残念だわ」

 

 フィリスはあいにくとワールドカップ決勝戦の観戦に行くことができなかったが、日刊預言者新聞やらリーシャから借りた雑誌やらでクラムが空の上では物凄くかっこいいことは知っている。

 それだけに、今その本人が観客席で背中を丸めているのを見るのは残念と言うほかない。

 

「やっぱりプロの選手だからね」

「フリントのやつは出てくれって交渉したらしいぞ。まあクラムは全然首を縦に振らなかったみたいだけどな」

 

 セドリックとルークにとってもクラム不参加は残念だ。

 試合であたるのならばそうそう単純にはいられないが、どのみち留学期間の問題であたる可能性がない以上、クラムのプレーを間近で見る機会、しかも現在学校で屈指の飛び手であるだろうハリーとの差を観られたかもしれないというのは如何にも惜しいものだった。

 

「でもなんでイズーは出れたのにクラムは出なかったんだろうな」

 

 リーシャもまた、クラムが参戦しないことをクィディッチプレイヤーとして不満そうに唇を尖らせた。

 

「クィディッチに関しては素人のイズーとプロのクラムを一緒にできるわけがない」

 

 一方のクラリスはいつも通りの平坦なテンションで言った。おそらくクラムが出なかったのはまさにそこであろう。

 

 競技場ではいよいよ選手たちが箒に跨がり、スタンバイを終え――――マダム・フーチの合図とともに空へと飛翔した。

 歓声が一気に高まり、解説者のリー・ジョーダンが実況放送を始めた。

 

「さーあ! 全員飛び立ちました!! 今回の驚きはなんといっても魔法世界からの留学生騎士イゾルデでしょう! 大きな尻尾と立派な角がチャームポイントとのことですが、むしろすらりと覗く眩しい太腿と魅力的なバストにこそ」

「ジョーダン!!」

「失礼しました、先生。――――グリフィンドールは交流のためにやってきた留学生を昨年までのキーパー・ウッドの代わりに参戦させるという手に出ましたが、魔法世界にはなんとクィディッチはないとのことです。交流にはうってつけでしょうが、果たしてその実力は、おぉっと!! ケイティがクアッフルを奪われた! モンタギューからワリントン。スリザリンが立ち上がりを狙って――――おおっ!! イゾルデ、ナイスセーブ! 華麗な箒捌きで見事にシュートをブロック!」

 

 イズーの好セーブに、グリフィンドールの観客席を中心におぉ!! と歓声が上がり、スリザリン側からは溜息とヤジが上がった。

 

「クアッフルはアンジェリーナに! 今年から新しくキャプテンの座を受けたアンジェリーナですが、噂によるとウッドの執念が乗り移っているのではないかというほどの気迫を見せているそうです。もちろんそれで彼女の魅力が減じるとうわけではありませんが――O.K.先生! 分かってます! さあ、クアッフルはアンジェリーナからアリシア――アンジェリーナに戻って――――グリフィンドール先取点!!!」 

 

 再びグリフィンドール側から歓声が上がった。

 

「ほー、イズーの箒は知らなかったけど、動きいいな」

「うん。立ち上がりで固くなるかもとも思ってたけど、反応がずば抜けて早いね」

 

 友人の活躍に純粋に喜んでいる咲耶などとは違ってクィディッチ選手のリーシャやセドリックは、初めて見る魔法世界人のクィディッチプレーをしっかりと選手の視点から観察していた。

 

「それに箒ラリーでやってたみたいな曲芸飛行だってまだあるし、アレを抜くのは結構骨が折れるんじゃないか?」

 

 ルークもまたイズーのキーパーとしての厄介さに唸った。

 試合は連携して攻め込んだスリザリンチームのシュートをイズーが再び防いでグリフィンドールに歓声をもたらしていた。

 

 

「いやー、これはなかなかいい選手を見つけたかもしれませんね。留学期間の関係で一戦だけなのが勿体無い程です。さて、シーカーたちの方はどうでしょうか」

 

 解説のリー・ジョーダンの実況に、咲耶たちを含めて観客たちが視線を空の上の方に向けて両チームのシーカー、ハリーとマルフォイを探した。

 どちらもまだスニッチを見つけてはいないのか、びゅんびゅんと大きく高速飛行しながら競技場の空を翔けていた。

 

「グリフィンドールのシーカーはもちろんハリー。彼は先の夏休み、魔法世界のアリアドネーで行われた箒ラリーという勝負においてもその実力を存分に見せつけたという素晴らしい飛び手です! 間違いなく留学生のビクトール・クラムとのシーカー対決を誰しもが期待していた事でしょう。ホントに、なんでスリザリンはマルフォイを出しているんでしょう」

「ジョーダン!!!!」

「あぁーとすいません、先生。分かってます。ごほん。スリザリンのシーカー・マルフォイといえば昨年は怪我で試合順序を入れ替えるというはた迷惑をやらかしたスリザリン期待のシーカーですが、今年は無事に出場できているようですね。今年も欠場してくれていれば代理としてもっと面白い展開が期待――ああ! すいません先生! もう言いません!」

 

 どうやら実況の公平性と道徳性に欠けると思われたのかマクゴナガル先生からメガホンを奪われそうになって解説席ではドタバタ劇がプチ発生していた。

 時折混ざるマクゴナガルとジョーダンのそうした掛け合いがスパイスとなって実況は一部生徒を除いて大いに盛り上がっていた。もっともスリザリン席の方からはブーイングが響いていたが。

 ちなみに試合の方はイズーが大半の予想を大きく裏切って抜群の反応速度と箒捌きと度胸で無失点に抑えたまま40-0となっていた。

 

 どうやらスリザリンでは(というよりも魔法世界に行った生徒以外の生徒は)アリアドネー留学生組の魔法力を大きく侮っていたらしく、だからこそイゾルデのクィディッチ出場がすんなりと通ったのだろうが、スリザリン席の方ではブーブーと大きなヤジが飛んでいる。

 スリザリンチームの選手たちも歯軋りしていそうな顔で忌々しくグリフィンドールの選手たちを睨み付けていた。

 

「アリシアがクアッフルを持っています。フリントが追って来て、ケイティ、アンジェリーナにパス――あのヤロウ!! わざとやりやがった!!」

 

 ケイティからのパスは大きくコースを外れてインターセプトされていた。

 フリントはパスの直前でケイティの横っ面に肘鉄をかまして、よろけたケイティのパスが大きくずれてしまったのだ。

 だがタイミングは絶妙だったのか、マダム・フーチの居る位置からは見えなかったらしく、判定はとられずに攻守が逆転した。

 

「ちくしょう! モンタギュー、クアッフルを奪って反転して攻め込む。イゾルデそれを待ち受け――危ないブラッジャ、えええっ!!!?」

 

 観客席に悲鳴と、直後に驚愕の声が上がった。

 スリザリンのチェイサーがシュートを放ち、それをブロックしようと飛んだイゾルデ目掛けてスリザリンチームのゴリラのようなビーターがブラッジャーを棍棒でかっ飛ばしたのだ。

 ウィーズリーの双子のビーターは間に合わず、イゾルデに直撃――というタイミングで、ブラッジャーはたしかにイゾルデに直撃した。ただし、大きく振り回されたイゾルデの尻尾が迎え撃つように動き、ブラッジャーが弾き飛ばされたのだ。

 

「マジかよ!!? アイツ、信じらんねぇ!! ブラッジャーを弾き飛ばした!!」

 

 弾き飛ばされたブラッジャーは、慌てて翔けつけようとしていたフレッドの脇をすっ飛んで行き、危ういところで誤爆するところだったイズーがフレッドに謝っていた。

 

 

「オイオイ。イズーのやつ本当にブラッジャーを弾き飛ばしたよ、しかも尻尾で」

「接近戦の戦闘技能に優れているとは言っていたけど、あの尻尾、攻防にも使うのか」

 

 クィディッチ選手の常として、幾度かブラッジャーの洗礼を浴びているリーシャやセドリックは、常識はずれのイズーの行動に引きつった顔をしている。

 ブラッジャーの直撃は、一昨年前にハリーの腕を折ったこともあるほどのもので、普通は棍棒でぶん殴るものだ。

 鉄製のブラッジャーを撃ち返して平然としているということは、あの尻尾の一撃は棍棒でぶん殴るのと少なくとも同等の威力を持っているということがうかがえる。

 この前ホグズミードでおしゃべりしていた時はただの間違いか冗談かと思っていたのだが、イズーは尻尾でクアッフルを弾き返した上に、シュートまで見事にブロックしており、観客席に向けて拳を上げてアピールしている。

 

 どよめく競技場だが、試合はまだまだ続いていた。

 イズーがシュートブロックしたクアッフルをアンジェリーナが確保し、動揺しているスリザリンチームを抜いてカウンターのシュートを決めた。

 

「グリフィンドール50-0! 大きくリードしていて……おや? ハリーの動きが。まさかスニッチか!? スニッチが現れたようです!!」

 

 天から地へ、二筋の軌跡が猛烈な速さで翔け降りた。

 先行して動き出したのはどうやらマルフォイらしく、その少し後をハリーが猛追している。

 二つの箒の性能差と技量から二人の距離は見る間に狭まり――ハリーがリードした。

 

「くっ――――!」

 

 距離が離されようとした瞬間、マルフォイの腕がハリーのファイアボルトへと伸びて、その箒の尾を掴もうした。

 確実に反則をとられる行為。

 今の動きは審判も観客も全員が集中して見ているのだ、この試合中にも何回かあったようにフーチが見逃してくれると期待できるほど甘くはない。

 だがマルフォイにとって、ここ忌々しいポッターにスニッチを獲られるくらいなら、ペナルティスローを貰うことくらいなんでもない。

 

 しかし、昨年も受けたそれをハリーは覚えていたのか、ハリーは錐揉み状にローリングしてそれを跳ね除け、地面へと突撃するように一気に加速した。

 

 その飛翔はただでさえ早かったファイアボルトの動きを十二分に発揮しており、マルフォイは触れることすらできない次元の飛行に思わず絶句した。

 

 マルフォイを完全に置き去りに、ハリーはぐんぐんとスニッチとの距離を詰めた。それはすなわち地面への距離も一気に縮まっているということであり、観客たちが息をのんだ。

 

 

 

 全ての視線を受けて、それを遠くに感じながらいつかの感覚がハリーの中に蘇っていた。

 

 自分の全てのポテンシャルが引き出されているという充溢感。

 音が遠くなり、風と一体になった感覚。

 視界に流れる光景が、時間を引き延ばしたようにゆったりと流れる。

 近づいてくる地面、スニッチの羽ばたき、コンマ数秒先の軌跡が見えないことが嘘のように思える。

 

 

 ――――地面に突っ込む!!―――― 

 

 観客たちが悲鳴を上げそうになる中、ハリーは地面の上3mで金色のスニッチを掴みとった。 

 歓声が聞こえるよりも早く、ハリーは渾身の力でファイアボルトの柄をぐいと引き上げた。

 残り1m。

 ハリーとファイアボルト重力の軛から解き放たれたかのように、ダイブから上昇へと進路を切り換えた。

 

 世界に音が戻ってくる。

 歓声が上がっている。手の中の感覚がジンジンと熱くなるような気がした。

 

 ――――獲った!!!―――― 

 

 高々と金のスニッチを掲げるハリーにグリフィンドール席が爆発したかのような感性を上げた。

 

 

「すっげえ!! 見たかクラム!!! これがハリーだ!! グリフィンドール、スニッチをとって200対0で勝ちました!!!!」

 

 リー・ジョーダンも大喜びで試合結果を叫んでいた。

 

 

 

「はわぁ。イズー、すごかったなぁ」

「いやいや、ハリーだって! 最後のアレ! クラムばりのターンだったぜ!」

 

 決着した試合のことがそこかしこで興奮気味に話されており、咲耶は先程の試合中のイズーの初心者キーパーとは思えない動きを、リーシャはハリーが最期に魅せたダイナミックな技のことを話していた。

 

「ホント、そのまま突っ込むかと思ったわ! まだ心臓がドキドキする」

 

 フィリスもハリーの危険なダイビングに興奮したのか、ドキドキと跳ねる心臓を抑えるように胸元に手を当て、頬は紅潮している。

 

 ハリーのプレーに魅せられたのは彼らだけでなく、他の多くの生徒も同じであり、セドリックやルークもハリーの絶技を絶賛していた。

 そしてひとしきりハリーへの言葉が出尽くすと、顔を引き締めた。

 

「これでグリフィンドールが1勝、か」

「しかも大差の勝利だからな。次はイズーは出てこないとはいえ、結構キツイな」

 

 セドリックとルークは今後の展開に思いを馳せて口元を歪めた。

 今日の試合を見る限り、イズーの鉄壁ぶり(物理)は尋常ではなかった。しかもどうやらハリーはハリーでクィディッチワールドカップや箒ラリーが刺激になったのか、以前以上に腕前が上がっていると見て間違いないだろう。

 次節ではハッフルパフがグリフィンドールと当たることを考えれば、次のキーパーが誰になるかも問題だが、ハリーとシーカー対決をすることになるセドリックの方も大きな問題だ。

 そして今回グリフィンドールが大勝したことで、次のハッフルパフ―レイブンクロー戦は勝敗とともに点差も大きな課題となった。

 

 

 

 大騒ぎのグリフィンドール席。イズーの試合ぶりを見ていたメルルはほぅと息を吐いた。

 

「いやー、うまくいってよかったね~」

 

 イズーなら怪我をしたりすることはないとは思っていたが、ルールを完全に理解しているかなど不安もあったし、普段が普段だけになにか問題を起こさないか、かなり心配していたのだ。

 だがどうやら無事に試合を終えることができたし、グリフィンドールのチームメイトとハイタッチしている様子からすると交流、という目的としても成功だったといえるだろう。

 これならいいんちょーもさぞや安堵しているだろうと思いきや、

 

「まったくですわ。まだ碌に障壁も張れていないくせにあんな無茶な飛び方をするなんて」

「……ん?」

「え?」

 

 なんか話がかみ合わなかった気がしてメルルはメルディナに振り向いた。

 向こうも違和感に気づいたのか、びっくりした顔をしている。

 しばし奇妙な沈黙が二人の間に流れた。

 

「……イズーのことだよ?」

「へ? あ、ええ! もも、もちろんですわ! あの方がおかしな真似をしてチームの方たちに迷惑をおかけしないか、ホント心配でしかたありませんでしたわ!! ホント!!」

 

 じと~と訝しげな視線を向けると、メルディナは顔を赤くしてあわあわとなにやら取り繕うように胸を張って、盛大に視線を泳がせた。

 

「……いいんちょーさぁ、男の子に免疫ないよね」

「はにゃ! にゃ、な、なにをおっしゃっているのですか、メルルさん!? 私別にハリーさんのことなど、どうも言っておりませんわよ!」

「うん。私もハリー君のことは何も言ってないよ」

「…………」

 

 わたわたと意味不明に動いていた手がピタリと止まった。

 アルティナはなにやら生温かそうな眼差しをメルディナに向けており、二人の視線を受けているメルディナは顔をそっぽに向けているがうなじまで真っ赤にしており、ぷるぷると肩を震わしている。

 

 アリアドネーの戦乙女騎士団の候補生が女子校チックな環境にあるとはいえ、メルディナが男性にまったく免疫がないというわけではないはずなのだが……

 実際、オスティアの警備任務の際には暴漢の捕縛をしたり、普段の生活ではアリアドネーの街中で男性と出くわしたりすることも当然あるのだから。

 

 何か変な運命的なものとか感じちゃってないよなーと、若干の不安を覚えつつ、とりあえず寮に戻ったらなんか揉めそうだなーと、競技場でハリーに突撃してハグしているイズーを見てメルルは思った。

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 大いに盛り上がっているクィディッチ競技場とは別、ほとんど生徒がいなくなった校舎の一室。普段大半の生徒が足を踏み入れない、精霊魔法講座の教師の私室。

 

「――――――――というわけだけど、いいかい、リオン?」

 

 宙に浮かぶモニターに映る友人の確認に部屋の主はいつも通り不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「ふん。まあいいだろう」

 

 送られてきた資料に目を通してそれに了承の意を返した。

 資料の内容は、“組織残党の掃討作戦”。

 最早何度目になるのか分からないこの作戦計画だが、今回は普段動いていたタカユキだけでなく、リオン自身も動くことを了承していた。

 

「決行日時に合わせて代理を手続しておくから、よろしく頼むよ」

「ああ。…………ところでこの回線は本当に大丈夫なんだろうな?」

「それは心配いらないよ。なにせアルフレヒトご自慢の通信技術だからね」

「…………一番信用できん名前が出てきた気がしたんだが?」

 

 ことがことだけに、彼が敵方に内通しているということはないはずだが、リオンにとってもっとも鬱陶しい名前がでてきたことでリオンは視線に冷ややかなものを込めた。

 予想通りの反応にタカユキはあははと気楽そうに笑って流した。

 

「でも、技術的には彼が一番信用できる、だろ?」

 

 口元に笑みを浮かべて諭すように言う数少ない友人に、リオンは「ふん」と機嫌悪そうにそっぽを向いた。

 たしかに、自身盗聴技術にも卓越した魔法科学統合学の博士の技術であれば、それはほぼ間違いなく世界最高レベルの技術だと言える。

 素直ではない友人の反応にタカユキはくすりと微笑み――そして顔を真剣なものに戻した。

 

「実際の所、残党の中にやつらは“いる”と思うかい?」

 

 タカユキの問いを受けて、リオンはもう一度資料に目を通した。

 資料を見る限りにおいては、まず“いる”。

 

「だから俺を駆りだすんだろうが」

「まあ、ね…………」

 

 タカユキとて決して弱くはない。

 新世代に限れば、トップクラスの使い手だろう。

 だが、もしも残党の中に、“幹部クラス”がいるとすれば、タカユキとて打破することはできない。

 ヤツラは本来、そういう存在なのだから。

 

「リオンの予想では?」

「………………」

 

 リオンは目を瞑り、深く瞑想するように記憶を顧みた。

 

 半世紀前の“大戦”における決着。

 そして、その後の残党狩りに対する雌伏の手口。

 “あの”事件の際のネギたち白き翼の、そしてヤツラの顛末。

 その後、何度も繰り返された炙り出しに対する反応と、近年の動き。

 術式を調べるために何度も見た“白薔薇”。

 

 ただ一言。

 リオンは在り得る可能性の“一つ”を口にした。

 

 ――――魔術師――と…………

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ホグワーツ恋愛注意報発令

 クィディッチシーズン第一節は、グリフィンドールとハッフルパフがともそれぞれ1勝をおさめる結果となった。

 ハッフルパフとレイブンクローはどちらも留学生なしの接戦勝負であった。

 最終的にはセドリックがレイブンクローのシーカー、チョウ・チャンからスニッチを奪いとることに成功して勝利したのだが、ゴール数は圧倒的にレイブンクローが勝っていたのだ。

 勝敗を分けたのはレイブンクローチームのメンバーの士気のバラツキだろう。

 フィリスの話では、麗しいボーバトンの女生徒たちを自寮に迎えたレイブンクローは、男子は良いところを見せようと張り切り、逆に女子はそんな男子に辟易していたのだそうだ。

 

「特にフラー・デラクールって子がすごいわ。レイブンクローの男子生徒全員が彼女にメロメロ。その分、女子の反感がすごくて、噂だとヴィーラの血が入っているからだ、なんて話よ」

 

 他の留学生たち。

 有名人であり、プロクィディッチ選手なだけあって威圧的な体格にもかかわらず、丁寧な応対と物静かな態度のビクトール・クラム。ダームストロングの他の生徒たちも、あまりよろしくない学校の評判とは裏腹に、来ている生徒たちは概ね礼節ある生徒たちだ。

 そして、すでにホグワーツ4年目になっている咲耶はもとより、アリアドネーの留学生たちも亜人というインパクトある外見さえ乗り切れば友好的で、むしろ積極的に学校生活に溶け込もうとしている。

 そんな彼ら、彼女らと比べると、ボーバトンの生徒、特にフラー・デラクールが反感を買うのも(無論それは彼女の魅力を受けていない女生徒のだが)無理はないだろう。

 なにせ彼女は食事となれば「ボリュームがありすぎる」だの「味が雑すぎる」だの、廊下を歩けば「鎧が見苦しい」「飾り付けが陰鬱」だのと、文句をつけに来たのかといわんばかりの態度であったし、口調に訛りがあるのはクラムや咲耶も同じだが、彼女のそれは見下すような態度と相俟って、まるで赤子にでも話しかけているような鼻につく小ばかにした印象を周囲に与えていたからだ。(ちなみにアリアドネー組は基礎的な言語変換魔法なるものがあるらしく、言葉に不自由しているところはあまり見かけない。)

 

「たしかにデイビースのやつとか、試合中もなんか目がイッてたしな」

 

 リーシャが先日のクィディッチの試合の際の、相手チームキャプテンの様子を思い出して苦笑交じりとなった。

 セドリックがスニッチを掴んだから勝てたようなもののリーシャにとってあの試合は終始押されっぱなしだった苦しい展開の試合だったのだ。

 その理由が留学生の女子にいい恰好をみせたかったから、というのではあまりいい気分がしない。

 女性陣の酷評に、話を聞いている男子陣、セドリックとルークは顔を見合わせて肩を竦めた。この状況で口を挟めば、余計な火の粉が飛んでくるのが目に見えている。

 ホグワーツ生らしく校訓に則って、眠っているドラゴンを遠巻きした二人には火の粉を向けずに、代わりに矛先はこの場にいたもう一人の男子へと向けられた。

 

「ところでクラムさん、この前のグリフィンドールとの試合の時、参加してもらいたいって話があったって聞きましたけど、出られなかったのはやっぱりプロの規定の縛りとかがあるからですか?」

 

 以前学校案内の時以来、割とよく話すようになったビクトール・クラムへとフィリスは質問した。

 

「ヴぁい。それも理由にありました」

 

 どうやら彼にとっては、スリザリンの寮でイギリス名家の生徒たちと交流を紡ぐよりも、魔法世界の留学生やホグワーツの一般的生徒、そしてニホンの留学生とバラエティに富んだメンバーと話をしていたいらしい。

 N.E.W.Tの課題で図書室に通うことが多くなった咲耶たちと、なぜかよく図書室を訪れるクラムは遭遇する機会が多くなり、そのままおしゃべりに興じることも多くなっていた。

 クラムとしても、学校としての評判から、純血主義の同士として見てくるスリザリン生や、まるで悪の手先とでも思っていそうな視線を向けてくることのある生徒たちよりも気が楽なのかもしれない。(なにせダームストロングは純血の魔法族しか入学させず、闇の魔術に力を注いでいるといったカリキュラムがあるためにあまり評判が良くないのだ)

 

「スリザリンとグリヴィンドールヴぁ、あまり仲がよくないと聞いていました。ヴぉくが出れば、ヴぁランスが悪くなって、いいことではないと、考えたのです」

 

 クラムの答えた理由は、聞きようによっては、自分が出れば間違いなく勝っていた、と言っているようにも聞こえ(そしてそれは名声的にはおそらく事実)、思わずリーシャから対抗意識が漏れそうになった。

 

「でも、今ヴぁ後悔しています」

「後悔?」

 

 だが、続けられたクラムの言葉に、リーシャだけでなくセドリックや咲耶たちも首を傾げた。

 

「グリヴィンドールのシーカー。彼ヴぁ、すヴぁらしい飛ヴぃ手です。ヴぉくヴぁ、ヴぉくよりも年下で、競いたいと思う選手を初めて見ました」

 

 ビクトール・クラムから飛び出した評価と、その目が爛々と戦ってみたいと語っていることに、リーシャもセドリックも驚いた。

 誰もが認める世界的なトッププロのシーカーが、学生の一人を同じ土俵で戦いた相手として見ていたのだ。

 対抗意識を燃やしかけたリーシャも、実際にはハリーといえどもクィディッチではクラムと比べれば別次元だと思っていたのだ。

 クラムに対しての失望ではなく、クラムを認めさせたハリーの強さに、リーシャもセドリックも驚いていた。

 

 

 

 第71話 ホグワーツ恋愛注意報発令

 

 

 

 12月も中頃になると雪が深くなりはじめ、薬草学の授業などで屋外の温室へと向かうのは寒さが堪えるようになってきていた。

 

「――それでは皆さん。お話があります」

 

 危険な植物の扱いもだんだんと慣れてきて(もっとも慣れてきた時ほど危険なのだが)、今日も悪戦苦闘した授業が終わったころ、薬草学の教師を務めるハッフルパフ寮監の小太りの魔女、スプラウト先生がみんなの注意を集めた。

 

「クリスマスと冬季休暇の時期が近づいてきました」

 

 スプラウト先生の言葉に、リーシャが小さく拳を握って喜びを露わし、咲耶やフィリスはクスクスと笑いを噛み殺した。

 

「冬期休暇が終われば、あともう3か月で留学生たちとは――今年の半期留学生たちとはお別れとなります」

 

 スプラウト先生はちらりと咲耶を見て、言葉を訂正して言った。

 ハッフルパフには今年度の半期留学生はいないが、咲耶たちにとっては魔法世界の友人たちと別れの時期が近づいてきていることを意味している。

 少し寂しそうな咲耶を他所に、スプラウト先生は言葉を続けた。

 

「そこで、古来行われていた魔法学校同士の交流の伝統に則って、クリスマス・ダンスパーティが開催されます」

 

 “ダンスパーティ”という言葉に、生徒たちが俄にざわめいた。

 例年では、クリスマス休暇には生徒の多くは一時帰宅を選び、学校に残ることを選んだ少数の生徒たちだけが、広間で行われる先生たちとのクリスマスパーティを楽しんでいた。

 そこでは料理などはいつもよりも豪華で、寮の垣根も(一応は)なく、飾りつけもクリスマス仕様となって楽しいのだが、ダンスパーティのような催し物はない。

 

「このダンスパーティは外国、異世界の方たちとの交流を一層深める機会であり、四年生以上が参加を許されます。また下級生を招待することが可能ですが、パーティ用のドレスローブの着用が参加する上でのドレスコードとなります」

 

 今年度の学期前に届けられたふくろう便に、例年に無かったもの――正装用のドレスローブを準備すること―――が付け足されていて、多くの生徒たちは首をひねっていたのだが、その理由を生徒たちは理解した。—―――すなわち、ドレスローブの使い途だ。

 

 

 ダンスパーティは12月25日、クリスマスの夜八時から夜中の十二時まで、大広間で始まり、玄関ホールまで開放して行われるとのことだ。主に女子生徒たちはくすくすと笑いながらその時を楽しみにするのであった。

 

 

 

 

 クリスマスにホグワーツに残る希望者リストは、当然と言えば当然だが、例年になかったほど大勢の生徒の名前が書き込まれた。

 そしてそれは咲耶の身近にいる友人にもおこっていたことであり、いつもであれば家族に気を遣ってクリスマスに残ることのなかったクラリスまでもが、今年のリストには名前が書き込んでいなかった。

 

「クラリスも今年は残るの?」

 

 リストを見て、少しびっくりしたようにフィリスが尋ねると、クラリスはむっつりとして目を逸らし、こくんと頷いた。

 もともとクラリスがクリスマスに必ず帰省していたのは、聖マンゴに入院していた両親のお見舞いに行っていたのと祖父母に心配させないようにとの理由からだったのだそうだ。

 だが、昨年の夏に両親は“奇跡的に”退院。今では健康的に家で過ごしており、たしかに帰省する理由は薄らいだのだが……

 なにやら唇を尖らせているクラリスを見てフィリスと咲耶がきょとんと首を傾げ、理由を知っているのかリーシャはくっくっと笑い噛み殺していた。

 

「リーシャ?」

「実はクラリスのお母さんが、クリスマスパーティのこと聞いてすっかりはしゃいだらしいんだよ。それでこの機会にボーイフレンドでも紹介し――あいてっ!!!」

 

 にまにまとした笑い顔でクラリスの事情を説明していたリーシャは、クラリスから手痛い足踏みを受けることとなった。

 涙目で睨んでくるリーシャからそっぽを向き、憮然とした顔となったクラリスはついで、友人へと話をふった。

 

「サクヤは?」

「リオンと行くつもりやよ」

「だと思ったよ」

 

 クラリスの問いにまったくぶれることなく、ニコニコ顔で先生の名前を出した咲耶に、リーシャやフィリスは呆れ交じりの微笑み顔となった。

 

 普通こんな楽しそうなイベントに先生を連れ込もうとは思わないが、そこはサクヤテイストというところなのだろう。

 

「それじゃあ今から行ってみる?」

 

 

 

 

 フィリスの提案により、ハッフルパフの談話室を出た咲耶たち。

 目的地は勿論リオン・スプリングフィールド先生の研究室であり、通いなれた階段に向けて歩いていると、廊下の壁に知り合いが一人、誰かを待っているかのようにもたれかかっているのを見つけた。

 ホグワーツの制服、おそらくダンスパーティの告知がなされた時に、ハリーやセドリックと並んでホグワーツの女生徒の期待を最も多く集めた男子生徒。同じ決闘クラブの友人のディズ・クロスだ。

 

「あれ? ディズ君どないしたん?」

「サクヤ」

 

 はたして待ち人が来たといった風にディズはスッと壁から身を起こし、いつも通りのにこやかな笑顔を向けた。

 咲耶の足元で子犬形態のままついて来ていたシロくんがぴくんと反応して、唸り声こそ上げなかったものの警戒するように睨みつけていた。

 ディズは咲耶を見て――ちらりとその友人たちを見て、それから言葉を選ぶように困ったような表情をした。

 咲耶がきょとんと首を傾げ、一方でフィリスはピンときたのか、「少し外しましょうか?」と気を利かせて尋ねた。

 

「ん、ああ……いや。いいよ。すぐ済むから」

 

 だが、それでディズの方も肝が据わったのか、一度大きく深呼吸すると真摯な表情を咲耶に向けた。

 その顔つきに、流石のリーシャも察したのかここに居ていいのかと居心地悪そうにしているが、クラリスは動く気はなく、フィリスは一瞬驚き、そしてわくわくとした顔で成り行きを見守る気満々だ。

 

「……サクヤはクリスマスパーティ、スプリングフィールド先生と行くのかい?」

「うん」

 

 逡巡するように少しの間の後に問われた質問に対する即答。当然と言えば当然の咲耶の返答。

 

「そっか。それならいいんだ」

 

 ディズはその答えにほっと息をついたように見えた。彼は「それだけだから」といつも通りのにこやかな笑顔でその場を後にした。

 

「なんやったんやろ?」

「…………」

「そりゃあ……」

 

 キョトンと不思議そうな顔をしてディズを見送る咲耶に、クラリスとリーシャも生暖かい顔となり、フィリスは仕方ないとばかりに溜息をついた。

 

「まぁ、彼ならすぐに相手見つけられるから大丈夫でしょ」

 

 友人たちが居るにもかかわらず堂々とクリスマスパーティの話をしてきた度胸をかうべきか、肝心の言葉をかけなかったことを不甲斐無いと判じるべきか。いずれにしても咲耶が頷くことはなかっただろうから、責めるだけ野暮というものだろう。

 フィリスは嘆息しながら分かっていなさそうな咲耶を見た。

 

 なぜディズがあんなことを聞いて来たのか。咲耶にはその理由が分からなかった。――――少なくとも、彼が自分に好意を向けている訳ではないことは、ダンスパートナーの申し込みをしているというのではないということだけは、分かったから。

 

 

 

 

 途中ちょっとしたイベントが発生したものの、到着した目的地――リオンの部屋にて

 

「俺に、クリスマスを祝えと? 俺に」

 

 ほわほわ顔でクリスマスダンスパーティの件を話した咲耶に、返ってきたのが非常に呆れたとばかりの言葉と、フィリスたちから見て極寒と評することができる眼差しであった。

 そういえば、いつぞやクリスマスはこの先生の嫌いな日だったという話を聞いたりしたことがあったような気もしたと、フィリスはぼんやりと思いだしていた。そして咲耶はよくあの視線と迫力を間近に受けて怖気づかないものだと、頬を引き攣らせていた。

 

 しばし無言でにらめっこを――ただし一方はニコニコ顔だが――していたリオンは「はぁ」とため息をついて視線を逸らした。

 

「あいにく忙しいんでな、そんなのに出ている暇はない」

 

 しっしと手振りで追い払う真似までしてお願い事を却下したリオンに、咲耶はガンッとショックを受けた顔になり、足元ではシロくんが主を泣かせるなとばかりに柳眉を吊り上げてジィッと睨み付けていた。

 しょんぼりとした咲耶の肩にリーシャがぽんと手を置いて、なにやら忙しそうにしているスプリングフィールド先生の部屋から退出を促そうとし、

 

「咲耶。話しがあるからお前だけ少し残れ」

 

 後ろから声がかけられて振り返った。

 

 

 

 リーシャたちには先に寮へと戻ってもらうと、部屋では咲耶がリオンと向き合うこととなった。足元のシロは不機嫌そうに尻尾をぶん、ぶんと揺らしており、童姿ならばむくれていそうな雰囲気。

 リオンは、目を落していた仮想モニタを指の一振りで消し去ると顔を上げて咲耶へと向き直った。

 

「……咲耶。今回は本当に忙しいんだ。野暮用でな。おそらく俺はここにいない」

「うん」

 

 リオンと一緒にクリスマスを過ごせるという期待を抱いていただけに、残念な思いは消えないが、その彼の真剣な表情は偽りや誤魔化しを言っているわけではないと信じられた。

 

「数日中に、俺はしばらくここを離れる」

 

 ただ生徒と先生だから、などという括りから拒否したわけではない。慰めにはならないが、少しだけほっとして、リオンが離れると聞いてその分、少し悲しさに胸がつきりとした。

 忙しくて一緒にはいられない。

 その理由は今までで何度も聞かされてきた言葉で――自分がまだまだ子供だと言われているような気がするから。

 

「代わりが来ることにはなるが、念の為だ」

 

 リオンはすっと席を立ち、咲耶へと歩み寄った。彼の手がスッと咲耶の首元へと伸び、内緒話をするようにその顔が耳元に寄せられた。

 満月からやや欠けた、立待月の影響で口元には八重歯のように尖った牙が微かに覗くほどに近づき、恐れではない別の気持ちから心臓がどきどきと跳ねた。

 

「もしも何か起こって、本当に危ない時、―――――――――」

 

 吐息が感じられるほど近くで、誰かに聞かれることを忌避するように微かに、しかしたしかな声で告げられた言葉に、咲耶は意味が分からずにキョトンとした。

 

「? はく――」

 

 リオンの顔が遠のき、先程の言葉の意味を反駁しようとした咲耶だが、その口元を覆うように掌を当てられ、言葉が遮られた。

 

「言葉にするな。いいか。どうしようもなくなったときだけ使え」

 

 深刻な顔で見下ろすリオンの言葉に、咲耶はこくんと頷きを返した。

 

 シロの尻尾が、不機嫌そうに揺れていた。

 

 

 

 

「まさかスプリングフィールド先生が断るとはなー。ちょっと意外……でもないのか?」

「でも話ってことはやっぱり気にはかけているのかしらね」

 

 ハッフルパフの談話室へと戻るリーシャたちは先ほどの顛末に意外感を覚えて残念そうにしていた。

 もちろんあの先生は誰にでも優しいというわけではないし、咲耶に対しても態度はつっけんどんな冷たい印象があるが、それでも咲耶のことに限ればかなり優しく、気をつかっていたのを見てきた。

 咲耶の許嫁というのがどこまで本当かはともかく、好意自体は抱いていると見ていただけに、そして、咲耶の一途さを知っているだけに残念だ。

 せめて今話している内容が咲耶のしょんぼりを少しでも和らげることを期待するとしよう。

 

「あ、あのっ!」

「おぅっ!!?」「きゃっ」

 

 不意に、柱の影から人が飛びだして来てリーシャたちはギョッと跳び退った。声をかけてきたのは見覚えのあるグリフィンドールの下級生、丸顔の男の子。

 

「えーっと……たしか、グリフィンドールのロングボトム、だよな。どした?」

 

 いきなり声をかけてきたネビルに驚きつつもリーシャが尋ねた。

 

「えっと。その…………」

 

 だがネビルは声をかけたのはいいが、3人からの視線にさらされるのは覚悟不十分だったのか、同じような状況で平然としていたディズとは違い、しどろもどろになって救いを求めるようにちらちらと視線を一人に向けた。

 ネビルが視線を向けた一人。

 

「フィー、リーシャ、先に戻ってて」

「え?」

 

 クラリスは特に普段とテンション変わらず二人に場を離れるように求めた。

 クラリスとロングボトム。この組み合わせが意外だったのか――というよりもクラリスに浮いたっぽい話が急浮上したことが意外だったのか、フィリスが二人に視線を行き来させた。

 フィリスからそういう方面の疑惑の視線を向けられた少年は挙動不審さをさらに上乗せしていた。

 

「……分かった。行こうぜ、フィー」

 

 その場に残っていたそうなフィリスだったが、結局、リーシャがフィリスを引っ張ってその場を後にした。

 

 

 残してきたクラリスとロングボトムの方をちらりと見ながらフィリスはリーシャに尋ねていた。

 

「意外だったわね。あんまり彼、積極的なようには見えなかったのに」

「まあ、あとで聞こうぜ。ところで、フィーはいいのか?」

「なにが?」

 

 二人は地下の廊下にかけられた梨の絵の前を通り過ぎ、柱の陰に山と積まれている樽の一つをこんこんと叩いて、談話室へと入った。

 

「あ、いや~……そのさ。フィーって今誰かと付き合ってるのかなーって」

 

 自分からふっておいて、こういう方面の話は苦手なリーシャはらしくもなく、もじもじと照れていた。

 いつもは男勝りで活発なリーシャの女の子らしい顔。

 自分に対してそんな顔をしてどうするとフィリスはこれみよがしに溜息をついた。

 

 談話室から自分の部屋に入った。人が居る中ではできない会話もここなら問題なくできる。

 

「アンタに心配されなくても私は大丈夫よ。むしろあんたはどうするのよ? セドリックのこと」

「!!? な、なんで!」

 

 部屋に入ったリーシャは、思いもよらない名前がでてきたことで、ぎょぉっと盛大に飛び退った。

 なんだそのリアクションはと思いつつも、とりあえず自覚はあるということは確認できた。

 

「セドリックのこと誘わないの?」

 

 もう一度、落ち着いた声で尋ねると、リーシャはしばらく意味不明に手をあたふたと動かしていたが、ひとしきりあたふたしたら少し落ち着いたのか、茶化す様子もなく尋ねているフィリスを見て、顔を真っ赤にしてすとんとベッドに腰掛けた。

 腰を落ち着けたら落ちつけたで、今度は「う~う~」と唸りながらなにやら百面相をし出しており、フィリスはとりあえず自分のベッドに腰掛けてしばらくリーシャを眺めることにした。

 

「………………いつから、気づいてたんだ?」

「アンタが自覚するよりも早かったことだけは確かなんじゃない?」

 

 真っ赤な顔で涙目になって尋ねてきたリーシャに、フィリスは呆れ混じりに返した。

 ついでにそれ以外も、という言葉はひっこめておいた。

 そっちの方は、おそらくまだ気づいていないだろうし、自分が口を出すことではないだろう。

 それにすでに十分キャパシティいっぱいになっているようなので、あえて混乱した頭に今追い打ちをかけることもあるまい。

 

 リーシャは今度はすくっと立ち上がって意味もなく部屋の中をうろうろとしだした。

 う~う~と唸りながらフィリスの前を二度三度と横切ってなんか色々と考えているらしい。

 

「……………………。 よし!!」

 

 しばらくうろうろとしていたリーシャは、ようやく何かを決意したのか、ぐっと拳を握って立ち止まり――――直後、部屋の扉が開いた。

 

「ただいまー」

「セドのことダンスに誘う!!」

 

 自分への宣言を高らかに口にした瞬間、時間が止まったように感じられた。

 

「…………」「…………」

「…………おかえりなさい、サクヤ、クラリス」

「ただいま」

 

 咲耶とリーシャの間に沈黙が流れていた。

 ギギギと錆びついたブリキのような動きで首を巡らして見ると、扉の所には先生の用事が終わって戻ってきた咲耶と、途中で合流したのかロングボトムからの用事が終わったクラリスとが一緒になって帰ってきていた。

 

 お互いに、奇妙なほどの沈黙が間を流れた。

 

 ――――あ、マズイ――――

 

 リーシャがそう思った瞬間、咲耶の顔ははぅるん! と輝いていた。

 

「リーシャ、セドリック君のこと誘うん!?」

「あーあーあー!!」

 

 キラキラした瞳で詰め寄った咲耶。リーシャは両耳を防いで懸命に聞こえないふりをして逃げ回ることとなった。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 ひょこん、と柱の影から頭が一つ飛びだした。

 

「どかな?」

 

 その下からまた一つ、ひょこんと頭が飛びだした。

 

「セドリック一人……ルークはあたりに見えない」

 

 反対に上からもまた一つ、ひょこんと頭が飛びだした。

 

「見たくないんでしょ。とりあえずリーシャ。場は作れたんだからちゃんとやんなさいよー」

 

 咲耶とクラリスとフィリスが柱の影から団子のように顔を覗かせ、一組の男女の会話の様子を覗き見ていた。

 リーシャとセドリック。

 寮も学年も同じで、同じクラブに所属しているからセッティングすることはそう難しくはなく、唯一の懸念はセドリックとしょっちゅう一緒にいるルークの動向だったが、その彼の姿は少なくとも見える範囲にはない。

 

「それにしてもリーシャ、かわえーなー。めっちゃ照れとる」

 

 出歯亀している咲耶は口元を手で隠しながらほっこりと微笑んだ。

 三人が見守る先で、セドリックと対面しているリーシャは顔を赤くしている。二人の会話はまでは聞こえないが、リーシャが何かを思いきって伝え、セドリックはびっくり、と驚いている。

 

 咲耶が初めて話したハッフルパフの友人リーシャと、いつも優しく紳士的なセドリック。

 リーシャはセドリックにしょっちゅうクィディッチのことで突っ掛かって、対抗心を燃やして、けれども試合の時は凄く信頼しあっていた。

 二人とも咲耶にとって大切な友人で、上手くいってほしい。

 

 驚いていたセドリックは、しかし次いで、申し訳なさそうな顔を見せて何かをリーシャに告げていた。

 リーシャの顔が、今まで見たことがないような泣きそうな顔になり、その顔が俯いた。

 セドリックがまた何かを伝えようとして、リーシャは二度三度、首を左右に振り――

 

「? …………あっ、リーシャ!?」

 

 セドリックに背を向けてリーシャが逃げるように去った。

 

 

 

 

 

 逃走したリーシャはほどなく寮の寝室で丸まっているところを発見された。

 

「リーシャ。リィーイシャ」

 

 ひとまず昼間からベッドにもぐりこんでいたリーシャを談話室まで引っ張り出して、ぐだらせるままにしておいた。

 

「ぅう゛~……」

「情けないわねぇ。別に今回フラれたわけじゃないのに」

 

 あの後、フィリスはセドリックと話をし、それによりやりとりの一部が伝わったのだが、やはりリーシャのダンスの誘いは拒否されたのだそうだ。

 ただそれは、リーシャ“が”拒否された、というわけではないらしい。

 セドリックにはすでにダンスのパートナーが決まっていたのだそうだ。

 

「出遅れたリーシャの問題。何のための胸だか」

「お前ら慰める気あんのかよ!?」

 

 やれやれと毒を吐くちっこい友人に、リーシャはがばりと身を起こした。

 

「だから厨房から色々もらってきたでしょ、ほらホットココアよ」

 

 むくれるリーシャにフィリスは湯気のたつ温かなココアが入ったマグカップを手渡した。ほかにもリーシャを元気づけるための会でも開くつもりなのか、屋敷しもべ妖精お手製のお菓子がいくつか置かれている。

 

「だいたいダンス断られたのだったらサクヤだって同じなんだから、アンタだけいつまでも沈まないでよ」

「あー……ワリ、サクヤ」

 

 フィリスの言葉に、リーシャはバツ悪そうに咲耶に謝った。咲耶はほわほわ顔で「気にせんでええよ~」と軽く手を振った。

 

「それよりセドリック君の相手って誰なん?」

 

 咲耶は気になっていて、しかし先程までの轟沈していたリーシャの手前聞くことを遠慮していたことを尋ねた。

 たしかにセドリックは咲耶から見てもイケメンくんだし、頭もよく、紳士だ。

 咲耶自身は恋愛対象とは見てはいないが、純粋にカッコいいと思うし、同じ決闘クラブのディズ君と並んで女子から人気がある、というのも納得ではある。

 

「レイブンクローのチョウ・チャンだってよ」

「あー……あの子ね~……」

 

 セドリックから御断りの理由の際に教えてもらった子の名前に、フィリスは頬を引き攣らせた。

 たしかに、セドリックに気があるようなそぶりを見せていたし、そんな噂を聞いたことがあった。

 アプローチをかけられたセドリックが自分からダンスに誘ったか、誘われたのを受けたのか。最終的にどちらから言いだしたのかは分からないが、自分に向けられた熱烈な好意を無下にあしらうようなことはできなかったのだろう……案外好意があったのかもしれないとは、友人の手前考えないでおくが…………

 

「一学年下のレイブンクローの子よ。クィディッチチームのシーカーの」

「おぉ~」

 

 小首を傾げていた咲耶にフィリスが教えると、咲耶はぽんと手を打った。

 咲耶と同じ東アジア系の黒髪の女の子で、魅力的な子だったとぼんやりと思い出せた。

 名前が出てきて、また陰鬱さがぶり返してきたのかむっつりとしてココアに口をつけた。

 

 リーシャ自身、クィディッチのライバルであるチョウ・チャンにはそれほど悪感情はないが、今は流石にその名前を聞いて心穏やかにはいられない。

 

「よっ。なに楽しそうなことしてんの?」

 

 そこに、いつもはセドリックの横から聞こえる声が聞こえてきて、リーシャはびくぅっ! と身を震わせた。

 恐る恐る振り返ると、覚えのある声のとおりルークがいた。プチ宴会のようになっているのに引かれてやってきたのだろう。

 リーシャは彼の後ろに素早く目をやって、そこにいつもは一緒にいる人の姿がないことにほっと安堵した。

 

「いいだろー、別に……」

 

 ぷい、とそっぽを向いてリーシャは誤魔化すようにまたマグカップに口をつけ――すでに空になっていることに気が付いて眉を顰めた。

 ふんっとそっぽを向いたリーシャを見て、ルークは問うような視線をフィリスに向けた。

 フィリスが肩を竦めるジェスチャーをするのを見て、ルークはもう一度リーシャに視線を戻した。

 いつもとは違い、どこか覇気がなく、躍動するようなリーシャらしさがなりを潜めている。

 リーシャはじっと見つめてくるルークの視線に居心地悪そうにして、フィリスたちが持ってきてくれたパイに手を伸ばした。

 咲耶はリーシャをじっと見つめているルークをキョトンとした顔で見上げた。ルークはなにやら緊張しているかのように深呼吸し、ゆっくりと口を開いた。

 

「その、さ。リーシャ。よかったらダンスパーティ、一緒に行ってくれないかな?」

 

「………………は?」

 

 パイに伸びたリーシャの手が空中で止まった。

 何を言ったのか理解するまでに時間がかかったのか、リーシャはぱちくりと目を開けて、立ったまま自分を見下ろしているルークを見返した。

 

「ダンスパーティ。相手いなかったらでいいんだ」

 

 フィリスは「へぇ」というように口元に手をあてて微かに笑みを浮かべており、咲耶はぽかんと口を開けており、クラリスは我関せずとばかりにリーシャが手を伸ばしていたパイを掠め取った。

 

「はえっ!!? な、ななな、なんで!?」

 

 言葉を繰り返されたリーシャが、数秒遅れて意味を理解して大いに動揺し、ズザァッと飛び退った。

 恋のライバルに先を越されて落ち込んでいたところに、別の方向からの急襲を受けたのだ。“そういう方向”に思考が寄っていたこともあり、リーシャもルークの意図を“ちゃんと”理解したようだ。

 

「俺がリーシャと行きたいから、だよ」

 

 その言葉は間違いようもなく、リーシャを見つめるルークの顔も、見間違いなく真剣なものであった。

 もぐもぐとパイをほおばっているクラリスの横で、咲耶が満開の花を咲かせるようなきらきらとした笑顔となっていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ホグワーツ恋愛警報発令中

 クリスマスパーティが近づくにつれ、校内は日に日に色めいていっていた。

 談話室で、食堂で、廊下で、男女がダンスのパーティの話をする光景が見られた。

 

「僕としてはね。気軽に相手を選べる君たちが羨ましいくらいだね」

 

 動きの早い男女が段々とペアを決めていっているある日の朝食時。

 

「どういうことなの、ドラコ?」

 

 スリザリン寮のテーブルでなにやらプラチナブロンドの髪の少年がパーティに関して自らの豊富な経験と、ままならない立場について話していた。

 

「ダンスパーティは家の付き合いも大切だからね。僕の家くらいになると当然、踊らなければならない相手がいるんだよ」

 

 ハーマイオニーはスリザリンのテーブルから離れたグリフィンドールのテーブルに居ながらも、自慢げに話しているその会話が耳に入ってきていた。

 別に聞きたくもないのだが、なぜだかその少年は聞こえよがしに隣のバンジー・パーキンソンに語っており、マルフォイの言葉にバカみたいな悲鳴を上げたバンジーの声ともども嫌でも耳に届いた。

 

 

 

 第72話 ホグワーツ恋愛警報発令中

 

 

 

「なんだいあれ?」

「いちいち反応しないの、ロン」

 

 ハーマイオニーに聞こえるということは、その向かいに座っているロンや隣のハリーにも聞こえるということであり、無視すればいいのにロンはうげぇとわざわざ反応している。

 

 マルフォイの方は、取り巻きのバカ女(バンジー・パーキンソン)が思い通りの反応をしたのに気をよくしたのか、ふんぞり返ってにやにやと笑っている。

 

「当然さ。なにせ今は交流の時期だからね。父上としては――――」

 

 マルフォイはちらりと、どこか別の方向(気のせいでなければハッフルパフ席の方)に薄気味悪い笑みを向けた。

 

「当然。他国の魔法協会とのつながりを大切にしなければならないからね。高貴な家柄の魔法使いはしかるべき家柄と結びつくものなんだよ」

 

 ちらりとハーマイオニーもマルフォイの視線の先に目をやると、そこには友人たちと話をしている彼女の友人、サクヤがいた。彼女はなにやら友人の持っている新聞のことを話題にしているように見える。

 どうやらハリーもマルフォイの視線の先の彼女に気づいたらしく、隣からはムッとした雰囲気が伝わってきて、ハーマイオニーは先手をうった。

 

「いつもの出鱈目よ、ハリー」

「でも」

 

 案の定、ハリーはマルフォイの方に体を向けかけており、ハーマイオニーの言葉に不安げにサクヤの方を見ていた。

 グリフィンドール生がマクゴナガル先生からダンスパーティの話を聞いてからハリーが頻りにあの少女に気をひかれているのは知っている。

 だが、なんのプライドだか知らないが、ハリーは今の所サクヤに自分からアプローチをかけてもいないし、別の女の子の申し出を「ノー」の一言で可哀想になるほどつれなくフッていた。

 ロンといいハリーといい、ダンスパーティにパートナー同伴で出る気があるのかと呆れる思いだ。

 

「サクヤのことだから、相手は最初から決まってるわよ。許嫁がいるんですから」

 

 それは勿論ハリーのことでも、ましてマルフォイのことでもない。

 許嫁という言葉にハリーは不機嫌そうにむくれた。昨年本人やフェイトという人がそう言っていた人物は一人だ。

 ハリーの機嫌の悪化とひきかえに、席に落ち着かせることに成功したハーマイオニーだが、今度はマルフォイの方に彼女の言葉が届いたらしく、にたぁと笑ってこちらに身を乗り出してきた。

 

「おいグレンジャー。もしかしてそれはあのスプリングフィールドとかいう先生のことじゃないだろうな?」

「あら。知ってたの?」

 

 相変わらず侮蔑に塗れたような話し方でつっかかってくるマルフォイに淡々と答えた。

 マルフォイが知っていたというのはそこそこ驚きだが、どうせ親から聞いたことだろう。なら無駄なことだと分かっているはずだが。

 マルフォイはなぜか新聞を見せつけるように掲げてきた。

 

「ああ、そうか。君はまだ知らないんだろうね、グレンジャー。僕ならあんなのが先生をやっていることにも、ニホンの魔法協会から派遣されてきたのにも驚きだけどねぇ。まだ新聞を見ていないのかい?」

 

 掲げているのはおそらく日刊預言者新聞だろうが、それがなんだというのだろう。気にはなるが――――

 

「どれどれ……うわっ! 度胸あるなこれ。よくこんなの書けるな。あ。ありがたく借りてるよ」

「えっ?」

 

 いつの間にか、ハーマイオニーの傍に新聞を持ったイズーが立っており、記事を見て感心している。――――そしてマルフォイはいつの間にか手の中にあった新聞が消えていることに目を白黒させていた。

 

「なにが書かれているのですかイゾルデさん…………呆れた。まさかこんな記事を載せるだなんて」

「うわっ! ホントだ! しかもこの書き方。あっちゃー。これ大丈夫なの?」

 

 メルディナとメルルもやってきて、イズーが持っている新聞を覗き込み、ひくりと頬を引き攣らせた。ただ、イズーもメルルも(メルディナは眉を顰めているが)どこか笑っているように見えた。

 

「なにが書かれているの、イズー?」

「ん? リオン先生のこと」

 

 ハーマイオニーが尋ねるとイズーは持っていた新聞をハーマイオニーに手渡した。

 どこかから文句が飛んできた気がしたが、ハーマイオニーとハリーは気にせずに、イズーが見せてくれた新聞に目を向けた。

 

 

『ホグワーツの危険な人選

 本誌の特派員、リータ・スキーターは、先だってヴァンパイアの危険性について記事を寄せた。

 無辜な魔法使い、マグルを危険にさらす、凶悪な闇の魔法生物――ヴァンパイア。その中でもっとも悪名高く、危険だと言われるのが、数百年前から活動していたという真祖の怪物。魔法界では600万ドル(マグルの金額表示)という超高額の懸賞首であり、“闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)”、“人形使い(ドールマスター)”、“不死の魔法使い(マガ・ノスフェラトゥ)”、“禍音の使徒”、“悪しき音信”、様々な異名を持っていたエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだろう。悪逆非道の限りを尽くしたこの怪物だが、しかし歴史上では突如として姿を消している。

 さて、近年魔法世界との交流を盛んにしているということで諸外国から留学生を多く迎えているホグワーツだが、その中に極めて危険ではないかと思われる人物がいることを本誌は突き止めた。ニホンのカンサイジュジュツキョウカイ(魔法協会に類似)から派遣されている同校の精霊魔法講座教師のリオン・マクダウェル・スプリングフィールドという人物だ。――――そう、マクダウェルだ。

 一説によると、かの“闇の福音”が最期に根城としていたのはニホンではないかとも考えられており、そこから派遣されたこの怪しい人物が、かの怪物と関係があるのではないかと推察することはその名前を見れば容易なことだろう。この危険人物は着任以来、本当にニホンの魔法協会のお墨付きを得たのか疑問に思えるほどの横暴な授業を行っていると評判で――――――――』

 

 つらつらと続いているのは、“疑惑”だとか“察するに”だとか、これでもかとばかりに偏見で塗糊され、筆者の邪悪なユーモラスが滲み出ている批判文。

 

「なによこれ!」

 

 ハーマイオニーは思わず非難の声をあげた。

 スプリングフィールド先生とはハーマイオニーはにとってそれほど親しい先生ではないが、友人の想い人であるし、助けられたことだってある。

 しかもこの記事では、客観的事実を示しているのは名前に共通点があることしかないのに、これではまるで先生が極悪危険な犯罪者とでも言うかのようだ。

 

「よく書けるよねぇ。こんな恐ろしい内容。メガロの新聞でもこんなに堂々とは書かないよ」

 

 しかし、おそらく憧れの人物に対する中傷記事にもかかわらず、イズーやメルルたちは苦笑して見ているばかりだ。

 そのドライな反応にハーマイオニーは目を丸くした。

 

「驚かないの?」

「え? だってこんなの、そうじゃないかって、みんながずっと言ってることだもん。むしろ知られてないことに驚くんだけど」

 

 尋ねるとイズーから返ってきたのは至極あっさりとした、何を今更と言うものだった。

 

「サクヤはこのこと!」

「知ってるでしょ。関西呪術協会、というか近衛詠春は、リオン先生の比護者の一人だったんだし」

 

 ハーマイオニーだけでなくハリーも唖然と口を開き、信じられないとばかりにメルルたちを見つめた。

 そんな周囲の様子に、イズーとメルルは苦笑した。

 

「別にリオンが悪事を働いたって話は聞かないしね~。っと、メガロの軍隊を何度か壊滅させたのは別か」

「あれはメガロから仕掛けて来たんだろ?」

「軍隊壊滅?」

 

 ここにきてようやくの擁護――かと思いきや、なにやら思いっきり物騒な会話になっていることにハリーがぎょっと声を挟んだ。

 

「こういう経歴の方ですからね。昔は何度かメガロの軍隊が討伐に乗り出していたようです。ただ、リオン様が拳闘大会で優勝された頃にオスティア女王とネギ・スプリングフィールド様がメガロとの調停を行って、騒動を収めたそうですが…………新聞ありがとうございました」

 

 たしかにスプリングフィールド先生がメガロという国と仲が悪い、というのは研修中に聞いた話ではあるが、まさか軍隊を派遣されるような人だったのいうのはあまりにもあんまりな情報だ。

 メルディナはイズーから新聞を受け取り、丁寧に折りたたんでマルフォイへと返した。

 マルフォイは差し出された新聞をひったくると、恐々と周囲を見渡し(おそらく記事の内容以上にヤバい危険人物が周囲にいないかを確認したのだろう)、そそくさと広間から出ていった。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

「このリータ・スキーターっていう記者はタチの悪い記事を書くことで有名だから、信じる人はあまりいないと思うわよ」

 

 ハーマイオニーたちと同じようにリオンの記事を見ていた咲耶たちは、精霊魔法の教室へと向かいながらそのことを話していた。

 

「この前のダンブルドアの記事なんて、彼を“時代遅れの骨董品”だなんて書いてたぐらいだもの」

「ひどい書き方やなぁ。まあリオンはこんなん気にせんと思うけど」

 

 フィリスはしきりに、先ほどの新聞を見て顔を顰めている咲耶に気にしないように言っていた。

 

「でもこの記者、本当にタチ悪いことばっか書くからなぁ。ザカリアス・スミスみたいなバカが変に騒ぎ立てないといいんだけどな」

 

 ただ一部の生徒はそういうわけにもいかず、朝食時に咲耶にことの真偽を確かめるようなことを聞いていた下級生のことに、リーシャは気分を害していた。

 おそらくリオン自身は、顔も見えない相手からの、今更な情報を気にはしないが、代わりに怒ってくれている友人に咲耶は微笑んだ。

 

「まあ、エヴァさんのことはホントなんやけどなぁ」

 

 魔法世界の情報をきちんと調べたのか、単に名前が似ているから中傷記事に仕立て上げたのかは知らないが、一部の推察は見事に的を射ていたのだ。

 リーシャたちは、「ふ~ん」と聞き流しそうになり――

 

「え!? でも、このエヴァンジェリンって人、何百年も前の人なんでしょ。そんなの関係があるかなんて証明のしようがないでしょう?」

 

 なんかさらっと流せない関係性があったために、フィリスは驚いて尋ねた。

 

「関係っていうか、リオンのお母さんやよ?」

「……え?」

 

 ピシリと、空気が固まったような気がした。

 スプリングフィールド先生の見た目はどう見ても20代。一方で記事には件の人物は数百年前の人物と書かれている。

 

「でもこの人何百年も前の……」

「エヴァさん、たしか650歳くらいって言うとったから。あ、でもすっごい可愛い人やで。今どこに居るかは分からんけど」

 

 どこかピンとのずれたところで熱心に説明している咲耶に、フィリスとリーシャはパチパチと瞬きだけを返した。

 

 

 

 精霊魔法の教室に到着すると、そこには渦中のスプリングフィールド先生が――

 

「あれ? セタ先生? スプリングフィールド先生じゃないんですか?」

 

 おらずに、夏休みの時に研修旅行の引率をしていた瀬田夕映が教壇に立っていた。咲耶も、一瞬驚いたように目を瞠り、すぐに挨拶をした。

 

「こんにちは夕映センセ」

「こんにちは。リオン君は出張中ですので、しばらくは私が代理としてきました」

 

 

 受講していた生徒たちは、日刊預言者新聞の件もあって、そのせいで不登校となっているのではないかと疑念を抱く者も中にはいたが、授業自体は平穏無事に行われることとなった。

 特に今期から授業で取り扱う“魔法使いによる宇宙開発”に関しては、夕映の専門分野であるだけに、スプリングフィールド先生よりも分かりやすく、好評であった。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 放課後

 咲耶たちはハーマイオニー、そして彼女に連れられてきたジニーと一緒に昨今のホグワーツ情勢についての議論を廊下にておこなっていた。—―――ようはクリスマスパーティに向けてのおしゃべり会だ。

 もっとも最初はハーマイオニーもスプリングフィールド先生についてのことを聞いてきたのだが、結局はイズーたちがハーマイオニーに語ったことと大差なく、そして咲耶がフィリスたちに語ったことともほぼ同じことであり、当人の出張は記事の件とは関係ないだろうということを話すに終わった。

 そしてそれが終わると話題はマルフォイの振る舞いに関して――つまり咲耶がマルフォイなんかのダンスパートナーになるのではないかという危惧についてだった。

 

「—―――なんて言ってたのよ! サクヤ! ホントなの?」

「ウチが? そのマルホイ君と?」

 

 マルフォイが前々から魔法世界側の魔法使い、そしてニホンの魔法協会の長の孫娘であるサクヤとコネを作りたがっていたのは明らかだった。

 

「ううん。誘われてへんし、おじい様からもなんも言われてへんよ?」

 

 だが、心配をよそに咲耶はマルフォイの名前にキョトンとした顔となり、あっさりと否定した。

 

「でも付き合いとかはいいの?」

「あはは。別にそんなん、会場で話せばええことやん」

 

 もしかしたら祖父の方にはそういう話が行っていたりするのかもしれないが、少なくとも咲耶のもとにはそういう話は届いていない。

 せっかく交流を深める機会なので、話す機会があればいいとは思うが、ただそれだけのことである。

 横で話を聞いていたフィリスが可哀想なものを見る眼で遠くを見ていたりするが、咲耶にはきっと関わりのないことであろう。

 

「そいうハーミーちゃんとジニーちゃんはパートナーどないするん?」

 

 咲耶への疑問が解消したところで、今度は咲耶が友人たちに尋ねた。

 ハーマイオニーもジニーも、咲耶から見てとっても魅力的な女の子だ。(気のせいかハーマイオニーの方は前歯が以前と違っているような気もするが……)

 しかもよく一緒にいる男の子の存在があるだけに、それはもう、咲耶にとって興味の的だ。

 

「ハーミーちゃんはハリー君とかジニーちゃんのお兄さんとよう一緒におるけど、お兄さんの方と行くん?」

 

 ハリーの方は、目下彼を狙っている人物が数人いることを把握しており、その中でも(咲耶にとって)最有力候補なのがここにいるジニーなのだから、自然ハーマイオニーの第一候補はもう一人の彼なのかと、自然にそう思って尋ねたのだが。

 

「なんですって?」

 

 非常に不愉快そうに睨み返された。思わずびびる咲耶たち。

 

「な、なにかあったん?」

「なにか? あの人って……ホンット、もう、信じられないわっ!!」

 

 恐る恐ると尋ねてみると、ハーマイオニーは渾身の怒りをぶちまけた。ちらりとジニーを見てみると、処置なしとばかりに肩を竦めていた。

 

 

 怒れるハーマイオニーの話によると、なんでも彼女の友人、ロン・ウィーズリーは、積極的に動こうとしないハリーを焚き付けることが目的だったのか、ハーマイオニーが居る横で「誰かに申し込まないでこのままだと、残りはトロールになってしまう」などとのたまったのだとのことだ。

 横には女子であり、仲がよく、誰からも誘われていないハーマイオニーが居るにも関わらずだ。

 あげく、「顔のいい順に申し込んで、最初にオーケーしてくれる子ならば、メチャクチャ性格が悪くてもいくのか?」と、彼女が尋ねたら、なんと返ってきた答えは「うん、まあそんなところだ」だったというのだから呆れたものだ。

 これには親友であるハーマイオニーも頭にきたらしい。

 

 

「う~ん。そらいかんなぁ。ジニーちゃんのお兄ちゃんながらダメダメやなぁ」

 

 ハーマイオニーの話に、流石の咲耶もフォローなく、処置なしのジャッジを下した。

 未だにジニーをダンスに誘っていないというハリーにも驚きだが(咲耶にとって)、もう一人の方に至っては論外である。

 パートナーがいるからダンスに行きたい、あるいはダンスという機会を活かして女の子と仲良くなりたい、という健全な思いから外れて、もはや恰好がつかないからアクセサリーが欲しいと言っているようにしか思えない。

 ジニーも兄のことながらフォローのしようもなく、うんざりとため息をついた。

 

「それじゃあハーマイオニーはパーティーどうするの?」

 

 そんな相手と行くことはまずないだろうと、フィリスがどうするのかを尋ねた。

 クリスマスダンスパーティの時期は着実に迫ってきているのだ。

 

「それは……私よりも、ジニーの方が問題よ!」

 

 口ごもったハーマイオニーは、突然、話題を自分からジニーの方に強引に振った。

 

「ジニーちゃん?」

「ハリーのことよ」

 

 先ほどの話では畑の案山子になっているとのハリー。首を傾げる咲耶にハーマイオニーはため息交じりだ。

 

「ハリーっていえば、たしかレイブンクローの5年生が申し込んで断られたって聞いたわよ」

「えっ!?」

「あれ? 私はうちの3年生が申し込んで断られたって聞いたけど」

「えええっ!!?」

 

 フィリスとリーシャから次々伝えられた噂に、咲耶はビックリと叫んだ。

 

「そんならジニーちゃん! 早よ申し込まな!」

 

 幸いにもハリーは断ったらしい、というのであれば、これ以上別の誘惑にハリーが惑わされる前に勝負にでるべきである。

 咲耶はジニーにガバリと詰め寄って勢い込んだ。

 

「サ、サクヤはハリーと行く気はないの?」

 

 サクヤの迫力に仰け反り気味になったジニーは、前々から気になっていたことを思い切って尋ねた。

 

「うちが? ハリー君と?」

 

 首を傾げた咲耶に、ジニーはこくりと頷いた。

 

 ジニーとハリーとは同じ寮で生活しているし、夏休みには一つ屋根の下で生活していたりもする。別の寮のサクヤと比べると、ハリーと居る時間はジニーの方が圧倒的に長いはずだ。

 だが、だからこそ、そんなハリーのことを見ていたら分かってしまうのだ。

 ハリーはサクヤに惹かれている、と。

 サクヤからのアドバイスでなるべく積極的にハリーの傍にいるようにしてはいるが、肝心のハリーは、自分に向ける“親友の妹”という観念を頑なに外してくれない。

 むしろ魔法世界で無意識にサクヤの姿を追いかけていたように、きっとハリーはサクヤが好きなのだ。

 申し込みを断っているのも、もしかしたらサクヤと行きたいからなのではないか。そう思えてならないのだ。

 

 当の咲耶は、そのことにまるで気づいていないのか、なんでそんな質問が来たのか分かっていない様子だ。

 ハーマイオニーが口を挟んだ。 

 

「もし申し込まれたら、としたらよ」

「ないない。でももしそうだとしても、うちに遠慮して申し込まへんとかアカンよ!!」

 

 ハーマイオニーの仮定を、咲耶は一考だにすることなく手を振り、そしてズイッとジニーに詰め寄った。

 

「で、でも、もし断られたら、い、今までみたいな関係にだって」

「ハリー君はジニーちゃんの気持ち知っとるんやろ!」

 

 後ずさりしそうなジニーへの咲耶の追撃。ジニーはボンッと顔を赤くして俯いた。

 普段明るいジニーも、やはりハリーへの恋心に対しては引っ込みがちになってしまうらしい。

 

「やっぱり、ジニーはまず男の子に慣れてハリーの前でもありのままの自分でいられるようにする訓練をするべきじゃないかしら」

「むぅ~~……」

 

 以前から、ジニーの恋愛応援に関しては咲耶とハーマイオニーは意見があっていない。

 まずは他の男子と恋愛関係になって耐性をつけ、同時にハリーに染み付いたジニーへの“親友の妹”としての観念を消すべきだと主張するハーマイオニー。

 恋愛は戦争だから一途に攻めるべきだと主張する咲耶。

 現在のところ、ジニーは想い人との関係がうまくいっている(らしい)咲耶の主張を経験者としての意見として採用している。

 

 今までの経過を見るに、ハリーだってジニーの好意には気づいているはずだし、危険も顧みずに助けようとしたこともあったのだから、憎からず思っているのは間違いない。

 好意を抱いているっぽいイズーやメルディナには申し訳ないが、今まで応援してきただけに、咲耶としてはジニーと結ばれてもらいたい。

 ただ動きの鈍いハリーに対しては、時には引くことも戦術だと言うハーマイオニーの意見ももっともであり…………

 

「すいません。少し、よろしいでしょうか?」

 

 唸っていた咲耶とハーマイオニーたちに声がかけられ、振り向いた。

 

「ありゃ。クラムくん? どないしたん?」

 

 声をかけてきたのは、初日以来、留学生の中ではイズーたちに次いでよく話しているダームストロングのビクトール・クラムだった。

 クラムに対して好意的な(好意ではない)咲耶やリーシャたちとは異なり、毎度毎度図書室を騒がせる原因であり、あまり評判のよろしくないダームストロングの生徒ということもあってハーマイオニーは顔を顰めた。

 

「彼女に、用事があって。おじゃまさせていただきました」

「ハーミーちゃんに?」

「私?」

 

 クラムはいつも通り丁寧に、そしてぎこちない言葉遣いでハーマイオニーに体を向けた。

 まるで接点のない……どころか印象のよくないクラムからの突然の用事に訝しげな色が深まった。

 

 彼がクィディッチの世界的な有名人だということはもちろんハーマイオニーも知っている。

 ほかならぬワールドカップ決勝戦にて、ウィーズリー家のご厚意により観戦することができたのだから。

 だが、ハーマイオニーにとってクィディッチはまわりのみんなが熱狂するほどの魅力あるスポーツではない。

 元々魔法とは無縁のマグル生まれだったということもあるし、彼女自身、実はそれほど箒で空を飛ぶのが好きではない。飛行機ならばまだしも、足がつかない箒に上、というのは……はっきり言って怖いのだ。

 親友のハリーが寮の代表選手だということやトーナメントの結果が寮対抗杯に大きく影響するからこそ、クィディッチ寮対抗試合を熱心に応援してはいる。

 だが、むしろあれは寮同士の友好的な関係を阻害する大きな原因の一つであるとすら思っているし、それに浮かれて命の危険を顧みないなんて極めて愚かだとも思っている。

 例えば命を狙われているのを分かっているのに、差出人不明の最高級箒のプレゼントに安易に乗ろうとしたり、試合の直前に生徒同士で呪いのかけあいをしたりということだ。

 ゆえにそんなクィディッチのトッププロといっても、多少感心するくらいであり、目の色を変えて追っかけまわす気には到底ならない。

 彼女の友人のロンが、クラムにべた惚れ(ファンとして)なのも、癪に障る理由の一つだ。

 

 ハーマイオニーからの、普段あまり向けられる類ではない視線を真っ向受けて、なぜかクラムの顔がさっと赤くなった。

 咲耶やリーシャたちがはてなと首を傾げる目の前で、クラムはすっと片脚を引き、なるべく優雅に見えるように頭を下げた。

 

「以前から、図書室で見かけて、ずっと気になっていました。ヴぉくと、クリスマスに踊っていただけないでしょうか」

 

 クラムの言葉に、咲耶たちは唖然として“少年”を見つめた。

 そこにいるのは、クィディッチのトッププロではなく、彼女たちと同じ、紛れもなく恋する少年だったのだ。

 ジニーは両手で口を覆い隠し、咲耶はぽかんと口を開き、フィリスたちも軒並み似たような驚きの顔で固定されている。

 そして

 

「え……えっ? あ、ご、ごめんなさい。あの、私……私?」

 

 申し込みを受けた当人は、受けた衝撃に呆然とし、それからあたふたと動揺を露わにした。

 問い返されたクラムは、直立の体勢に戻り、こくりと頷いた。

 

「え、その、でも……私、マグル生まれよ?」

 

 ハーマイオニーはおたおたと挙動不審気味になりながら尋ねた。

 誘われた事の衝撃も大きいが、不信感もあるのだ。

 

 ダームストロング専門学校

 世界に11しかない魔法学校の一つで、ホグワーツ、ボーバトンと並ぶ、ヨーロッパ三代魔法学校に上げられる伝統魔法族のための魔法学校。

 秘密主義の傾向が強く、決闘や戦闘魔術の教育に定評がある一方で、その評判は11校中、最悪と言われている。

 特に近年では闇の魔術を積極的に生徒に教えているとも言われており、ハーマイオニーのようなマグル出身者の入学を認めない方針をとっていると噂されているほどだ。

 

 事実というべきか、ダームストロングの留学生はスリザリンの寮に滞在するように通達されており、それは彼らの性質が純血思想に近いことを意味しているのだと、多くの生徒が解釈していた。

 

「ダームストロングが、あまり評判のよくないことは知っています。ですが、それがヴぉく自身へのものでないのであれヴぁ……ヴぉくを見てください。よろしくお願いします」

 

 だがクラムはそんな評判を知った上で、そしてハーマイオニーがマグル出身者と聞いてなお、もう一度頭を下げた。

 

 ハーマイオニーは、困ったように周囲の友人たちを見た。

 驚いているジニーやリーシャ、興味深そうなフィリス、クラリスはいつもと変わらないように見えるがやはり少し驚いているように見え……もう一人は花でも咲かせそうなほどにきらきらの瞳になっている。

 

 どうやらこの友人から見て、クラムという人物はそれほど悪い人柄ではなさそうだというのが、察っせられた。

 そして本人もすごく紳士に申し込んでくれている。

 ほんの少し、いつも一緒にいる友人たちのことがハーマイオニーの脳裏に浮かんだが、その一人の言った言葉も、耳に残響していた。

 

 ――「残りはトロール2匹、なんてことじゃ困るぜ」――

 

 彼にとって自分は女の子ではないのだ。

 フレッドだってパートナーを見つけて申し込んだというし、ネビルだって自分から申し込んでO.K.をもらったというのだ。

 女の子を顔でしか見ないような“友人”が目覚めるのを待つくらいなら…………

 

「分かったわ。よろしく、クラムさん」

 

 言葉とともに、すっと右手を差し出すと、クラムは紳士的にその手を優しく握り、触れるように口づけをした。

 

 隣で咲耶が満開のお花畑を背景にしていた――—かと思えば、はっ! と我に返り、ぐるんとジニーへと振り向いた。

 

「ジニーちゃん! 今からハリー君に申し込みに行こ!!」

「えっ!? い、今から!?」

「うちもついてくから!!」

 

 止める間もなく、咲耶はジニーの手を引っ張って、どこかへと暴走して行った。

 

「…………」

「あれも一つの修羅場の形になるのかしらね?」

 

 幸福感から我に返され、呆気にとられるクラムが説明を求めるようにハーマイオニーを見たが、彼女もまた呆気にとられており、いい加減友人の萌え系暴走に慣れてきたフィリスが遠い目をして、咲耶とジニーを見送っていた。

 

 

 

 






原作との相違点

ジニーがハーマイオニーの対ハリーアドバイス「他の男子とつきあってみたら」を実行していないため、ハリーに対する上がり癖が抜けきっていない。むしろ積極的にかかわるようにしており、少しは慣れてきているとなっています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

クリスマスパーティ開幕!!

 いよいよパーティまで日にちを数えるほどになっている。

 ハリーから見ても、ホグワーツ城の様子はこれまでとは違う飾りつけが施されていた。

 大理石の階段の手すりには溶けることのない氷柱が下がっており、大広間には12本の大きなモミの木がクリスマスツリーにむけて並んだ。

 廊下の飾り鎧や絵画の住人も陽気なクリスマスキャロルを歌い、多くの生徒たちの気分は嫌が上でも盛り上がっているようだった。

 

「おいおいまだ相手が見つかってないのかよ、ロン?」

「まだだよ」

 

 もちろんそれは、勇気ある行動と普段の行いという因果による結果として、魅力的な相手とダンスパートナーの契約を結ぶに至った生徒のことであり、アプローチをかけもしていないハリーやロンにとってはただただ消えて行く日数を数えて焦りをもたらすものでしかないのだが。

 兄のフレッドに言われてロンは不機嫌そうに睨んだ。

 

「ホグワーツでは可愛い女の子が作れないんだ」

「おっどろきー! トロールと踊るための捨て台詞としちゃ最高だぜ、ロン」

 

 苦々しそうに言ったロンにフレッドが爆笑した。

 ハリーも、それは違うと言ってやりたがったが、ロンがいらいらと癇癪を爆発させそうになっているのでやめておいた。

 

「そういう兄貴はだれと行くんだよ?」

 

 ロンがじろりと睨みつけながら尋ねた。

 

「イズー」

「えっ!!?」

 

 フレッドが照れもせずに即答したのだが、その名前にロンもハリーもぎょっとしてフレッドを見た。

 

「あいつに申し込んだのか!?」

「もちのロンさ。ジョージも今日中に片をつけてくるとさ」

 

 フレッドはにっと笑いながら、談話室の向こうの方でアンジェリーナと話しているイズーたちの方を見た。向こうも視線に気づくと、フレッドは軽く手を挙げて合図し、イズーもにっと笑って手を挙げ返した。

 イズーはクィディッチのチームに参加するような活発な女の子だし、ホグワーツに来てから、亜人の彼女たちが周囲に溶け込めるようにフレッドとジョージは積極的にバカをやって盛り上げていたのだが…………

 

「ハリー。これはもう、躊躇している時間はないぞ。今夜、僕たちがベッドに戻るまでにはパートナーを捕まえるんだ」

「あー……うん」

 

 ロンはしかめっ面をしてハリーに言った。ハリーは躊躇いがちに頷いた。

 

 

 

 第73話 クリスマスパーティ開幕!!

 

 

 

 クリスマスダンスパーティの話を聞いた時、真っ先に一人の黒髪の少女のことが頭に浮かんだことは、ハリー自身否定できない。

 だが、結局はすぐに頭を振って追い払った。

 ――だって無駄じゃないか――と

 彼女には許嫁がいる。好きだっていつも言っている。

 それにどうせ、周りの誰も、そんなに盛り上がりっこない。

 はじめハリーはそう考えていた。

 

 だが、その考えはものの2,3日で見事に砕かれた。

 どこを見ても、クリスマスに向けての空気にあてられてピンク色の空気が見えるようだったし、聞いた話ではネビルでさえ、誰かは知らないがパートナーを見つけたらしい。(ロンが苛立つ原因の一つだ)

 フレッドも相手がいるし、リー・ジョーダンはアンジェリーナと行くと喜んでいた。ルームメイトのシェーマスもディーンも相手を見つけたらしい。ジョージはまだだが、彼が今日中と言ったからには、おそらく今日中にパートナーを作ってくるのは間違いない。

 

 このままでは、みんながパートナーとダンスを踊っている横で、ロンと一緒に壁の苔にでもなって傍観しているなんていう惨めな未来がいよいよ近づいてきているとハリーにも認めざるをえなかった。

 

 談話室の扉がガラリと開いて、悲壮な決意(?)を抱いている友人と同じ髪の色の少女が入ってきた。—――― ジニーだ。

 彼女はハリーたちの一学年下の三年生だから、可哀想だがクリスマスパーティには出られないことが決まっている。

 出られるのは四年生からなのだ。

 だがその方がいいのかもしれない。

 だって、それならばハリーやロンみたいに、惨めな未来を回避するために目を血走らせなくていいのだから――――

 

「あ、あの。ハリー!」

 

 ぼんやりとしていたハリーは、そのジニーから声をかけられてビクッと背を伸ばした。

 

「え! あ、何、ジニー?」

 

 ジニーが話しかけてくるときは、いつも妙に緊張気味に話しかけてくることがあるのだが、何やら今日のジニーはいつにもまして緊張しているのか、首元が彼女の燃えるような髪の色に負けないくらいに赤くなっている。

 ジニーは、ちらりとハリーの隣、深刻そうな表情でなにかぶつぶつ言っている兄を見て――そして思い切った顔でハリーを見た。

 その顔は真剣で、瞳は緊張のあまりか、少し濡れているようにも見えた。

 

「ちょっと、いいかしら?」

 

 ジニーがくいっと扉の方を示した。ハリーはちらっとロンを見てから、頷いてジニーとともに談話室を出た。

 

「あら! さっき入ったところじゃない!」

「ごめんなさいね、婦人」

「いいのよ! ええ! こういう時期ですものね!」

 

 先ほど扉をくぐったばかりのジニーがすぐまた出てきたことで、グリフィンドール寮の入り口である“太った婦人”が非難めいた声を上げたが、ジニーは軽くあしらってその場を離れた。

 ハリーはジニーの後をついて歩き――――寮の入り口から十分離れたところで、ジニーが振り向いた。

 

「あ、あのね、ハリー!!」

「! う、うん…………?」

 

 調節を間違ったような大きな声で名前を呼ばれてハリーは思わず仰け反った。

 そして、どこかからからジッと見つめる濃密な視線を感じた気がして思わずあたりを見回した。

 なぜか人通りはなく、柱の陰に隠れていない限り人は居なさそうだが――――いや、居た。階段の上、欄干のところに隠れるようにしながらこちらを見ている、黒髪の少女と白い子犬……サクヤとシロだ。

 

「…………」

 

 ハリーの視線に気づいたのか、ジニーもそちらを見上げ――サクヤは右手で口元にメガホンをつくるような仕草をして左手は応援でもしているかのように拳を振り上げている。

 ぞくっ、と予感がした。

 ジニーはサクヤの言わんとすることが分かったのか、ぐっと唾をのみ込み、ハリーに真剣な眼差しを向けた。

 

「ハリー。わ、私とダンスパーティに行ってください!」

「え、ぁ………ぅ」

 

 グラグラと、足元が揺れたような気がした。

 

 ジニーが、自分にある種の好意を抱いてくれていたのは、もちろん知っていた。

 どんな鈍感だって、ジニーの態度を見れば、分かるだろうと言うほどにあからさまだったのだから。

 ただ、ハリーの側から、同じような眼で彼女を見たことは、なかった。

 だって彼女はロン(親友)の妹だ。

 両親のいない自分を息子同然に思って、とってもよくしてくれているウィーズリー家の人のたった一人の娘だ。

 それに、自分にだって、気になっている女の子がいる。

 —―――今、まさにジニーを焚き付けて彼女の応援をしている少女のことだ。

 

 元々、彼女には好きな相手がいて、決まっている相手がいて…………そして、自分の好意にはまったく気づいていないということが明らかとなった。

 

 

 

 

「あ、帰ってきた。おかえりーサクヤ」

「ただいまー」

 

 ホクホク顔の咲耶がハッフルパフの談話室へと戻っていると、リーシャとフィリスとクラリスは先ほど別れたところで待ってくれていた。

 どうやらハーマイオニーとクラムはすでにどこかへ行ってしまったらしく、姿は見えない。

 

「ジニーはどうだったの?」

 

 フィリスに尋ねられて、咲耶は「ぶいっ!」と嬉しそうにVサインをつくった。

 

「上手くいった! やっぱ、ハリー君もジニーちゃんのことは気づいとったんやもん! よかったぁ~」

 

 満面の笑みで友人の幸せを喜ぶ咲耶。

 嬉しそうな咲耶を見て、フィリスは生暖かい眼差しをグリフィンドール寮のありそうな方向に向けた。

 上手くいった――ということは、このぽやぽや少女は、一人の少年の叶う望みのなかった恋心を無自覚に粉砕してきた、ということなのだろう。

 まあハリー・ポッターの恋愛相手、というのは噂のネタとしては十分に面白いが、フィリスにとって所詮は他人事、相手が誰でも別にどうでもいい。

 叶う望みのない一方向的な思いに早々ケリがついて、友人に幸ある展望が開けたのならきっとよかったのだろう。

 これで彼女の周囲では、アリアドネー組の進展は分からないが、リーシャもクラリスもセドリックもルークも。そしてジニーもハーマイオニーもダンスのパートナーが決まったことになる。

 

「ところでサクヤ」

「ん?」

「あなた、人のことに首を突っ込み過ぎよ!! あなたの周りでパートナー決まっていないのあなただけよ!!」

 

 ということで、そろそろ決まってない残り一人に喝を入れる時がきた頃だろう。

 

「あれ? そうなん? クラリスは?」

「……グリフィンドールのネビル・ロングボトム」

 

 リーシャはすでにルークからのお誘いにO.K.の返事を返しているし、フィリスはすでにレイブンクローの男子生徒を確保したのだそうだ。

 そしてクラリスの方もどうやらパートナーを見つけたらしい。

 

「ネビル君……おおっ! そなんや!」

「…………」

 

 なんでか嬉しそうな咲耶はクラリスにむぎゅと抱き付いてじゃれついた。

 

「またそうやって誤魔化そうとする! そういう事なんだから、サクヤもそろそろ落としどころを見つけなさい。スプリングフィールド先生が行けないのが残念なのは分かるけど、こういう行事ごとには出ないといけないんでしょ」

「そやなぁ…………」

 

 クラリスに抱き付いたまま、咲耶はむぅと困ったように唸った。

 

 実のところ、リオンとクリスマスパーティに参加できないというのは残念ではあるが、ふて腐れているわけではない。

 ただ、相手がいるのに飾り合わせのように男の子をお誘いするということにひどく抵抗感があるから、あれ以降、自分のためにダンスパーティのことは動くつもりがなかったのだ。

 だが、フィリスの言う通り、公式行事に出る、というのは関西呪術協会の身内の中からホグワーツに来ている自分の義務だ。

 フィリスに言わせれば「お堅い」ということになるのかも知れないが、やはり咲耶にとって踏み出す気を挫くのには十分すぎる理由だ。

 

 クラリスを離して悩みながら歩く咲耶は、ふと、足元を追従している白い子犬をじっと見つめ、抱き上げた。

 今は子犬形態のシロくんだが、人化すれば9歳くらいの童の姿になることもできる。その際、ふさふさ尻尾とピコピコの犬耳が生えてはいるが、男の子だ。

 ジィッとシロくんを見つめる咲耶。

 きょとんと首を傾げているシロくん。

 嫌な予感のするフィリス。

 

「シロくんと行こっか?」

 

 案の定、咲耶はにっこりといつものほわほわ笑顔でトンデモ提案を自らの使い魔へと提案した。

 

「ふぇっ!!! そ! そそ、そー!!? そのような畏れ多いこと!!?」

「やめなさい」

 

 シロくんは毛を逆立ててぎょっとしており、フィリスはため息交じりに自制を促した。

 

「え~、でもシロくんかて男の子やし」

「イメージの問題よ。一応、シロくんはペットとして……来てるんだから」

 

 ペット呼ばわりされたシロくんは、ギロリとフィリスを睨みつけたが、対外的にはその通りである。

 ペットを飾りたてて公式行事のダンスパーティに出席する海外の魔法協会の長の孫娘。—―—――外聞の悪いこと甚だしいだろう。

 

「ええ考えやと思うんやけどな~」

「まあ、普通にダメだろ、それは。サクヤだったら募集すればすぐにでも相手くらい見つかるだろ」

「んなことないって。それにそいうことじゃないんやけどなぁ……」

 

 リーシャのあっけらかんとした言葉に咲耶は苦笑した。

 どうしたものかと、寮へと頭を悩ましながら寮へと向かっていると、地下への階段を降りる手前で、赤毛の男子生徒が一人、誰かを待つように立っていた。

 男の子は、咲耶たちが近づいてくるのに気づくと、「よっ!」と軽く手を挙げた。

 

 グリフィンドールクィディッチチームのビーターコンビの片割れ。

 普段は二人一緒にいることが多いので、まとめて呼べば済むのだが今は片一方しかいないので……

 

「ウィーズリーの…………ジョージだ!」

「残念、フレッドだよ」

 

 リーシャがびしっ! と決めるように言ったが、“フレッド”はくっくっと笑って肩を竦めた。

 

「ちっ。それでどうしたんだよ、フレッド?」

 

 見分けのつかないほどにそっくりな双子である。リーシャは勘が外れたことで舌を打って要件を尋ねた。

 “フレッド”は「サクヤに用事だよ」と言って、咲耶に向き直った。

 

「サクヤ。スプリングフィールド先生、今出張中だけどさ。ダンスパーティまでに帰ってくるのかい?」

 

 頭を悩ませていた原因をズバリと言われて咲耶はシュンと、項垂れるように頷いた。

 そんな素直な咲耶の様子に、“フレッド”はふっと微笑んだ。

 

「ならさ。俺と行かないか? ダンスパーティ」

「はぇ?」

「俺も相手がいなくてね。うちの弟と同じじゃかっこつかないし、サクヤも公式行事に出れないと困るんだろ?」

「うみゅ」

「心配しなくてもスプリングフィールド先生に喧嘩売るような真似はしないよ」

 

 “フレッド”の言葉に咲耶は口元に手を当てて考え込んだ。

 フレッドは精霊魔法の授業でも一緒だし、1年目の時からよくしてくれている知り合いの男子だ。

 咲耶の懸念しているところを無視して都合で選ぶのならば申し出としてはありがたいのだが……

 

「フレッド君はそれでええの?」

「学校一の美女と仮にでもパートナーになれるのなら光栄の極みだね」

 

 さらりと言ってくる“フレッド”に、咲耶は呆気にとられ、そしてくすくすと笑った。

 

「………………そしたら、よろしくお願いします、フレッド君」

「よろしく、サクヤ。それから……俺はジョージで正解だから」

「おいっ!!」

 

 

 

 

 ちなみに余談ながら。

 

 その日、ロンは玄関ホールにて衆人環視のもとボーバトンの美女、フラー・デラクールに申し込んで御断りの言葉すらなく拒絶されたのであった。

 そしてその後、傷心したロンは、ハーマイオニーならパートナーが居ないハズだ、と彼女に申込み、盛大に彼女を怒らせた。

 現場に居たハリーの見た所、ロンの言葉には色々と彼女を怒らせるに足る文句があって判然としがたいが、決め手になったのはハーマイオニーの

 ――「あなたには、私が女の子だったことがお気づきにならなかったようですけど、他の誰も気づかなかったわけじゃないわ!」――

 という抗議に対するロンのこの言葉、

 ――「O.K. 分かった。君を女の子と認めるよ。だからこれでいいだろ。さあ、僕らと行くかい?」――

 ではないかと思われる。激怒したハーマイオニーは誰と行くとも教えてくれずに部屋へと戻ってしまった。

 

 その後、ハリーがメルディナやアルティナに頼み込んで拒否されてロンの傷口を広げ――これもなぜかメルディナを怒らせた――最終的にメルルがO.K.してくれたことで話がまとまった。

 ただしその際、「傷心の親友のために、一肌脱ぐ男の友情……イイ!」というメルルの小声はナニカの悪寒をハリーに感じさせたが、ひとまずロンにもパートナーができたのであった…………

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 クリスマス当日。

 生徒たちは朝起きてクリスマスプレゼントの山を解体することから1日が始まり、気もそぞろといった様子で昼間を過ごした。

 当然、休暇中の課題など手につくはずもなく、男子も女子もお互いを意識しあっていた。

 そして男子が準備のために自室に戻るよりもずっと早い時間から、女子生徒たちは今日という日の自分を最高に艶やかな姫にするための戦いを始めたのであった。

 

 そして後に準備を始めた男子共がそわそわと玄関ホールの方へと降りて行き始めたころ、女子たちは思い思いのパーティードレスに身を包み、精一杯の花を演出していた。

 

「うわぁっ! 何それサクヤ!? キモノ?」

「えへへ~。着物とはちゃうんやけど、和風のドレス」

 

 薄桃色の花を散らした振袖風のドレス。腰は錦綴りの帯で締められており、胸元には白いリボンが花のようにつけられた衣裳。ただし、足元はダンスのために動きやすいようにスカート状に広がっており、純粋な着物、というわけではないのだろう。

 咲耶の和風の顔立ちと合う和風テイストのドレスは色鮮やかな桜を連想とさせた。

 ドレスに合わせたのか、以前の振袖姿の時とは違って髪は結い上げておらず、濡れる様な真っ直ぐな黒髪を下ろし、飾りの髪留めをつけている。

 ニホンからの留学生らしく、しかしダンスパーティであることをしっかりと考慮したサクヤらしい装いにリーシャが感嘆の声をあげた。

 

「リーシャもスゴイな!」

「そ、そうかな?」

 

 一方で咲耶も、リーシャのドレスローブ姿にお世辞ではなく、スゴイという感想を抱いていた。

 

「うん! スゴイ――ムネが」

「ムネよね」

「ムネ魔神」

「オイッ!!」

 

 ハッフルパフのシンボルカラーである黄色を多少意識したような淡いベージュを基調としており、普段の活動的な印象をガラリと変える露出度の高いドレス。肩や背中が剥き出しで、最大の特徴はリーシャのたわわな胸を活かすように大きく開かれた胸元だろう。

 モスグリーンのドレスを着たフィリスと露草色のドレスを纏ったクラリスからもマジマジと見られながらの言葉に、いつもであれば手を挙げて追い掛け回すところだが、今日のリーシャは顔を真っ赤にして胸元を隠した。

 

「う~~。やっぱし、これ胸元開き過ぎだよなぁ……」

 

 リーシャの魅力を最大限活かすために仕立てられたかのようなドレスだが、当のリーシャも流石に恥ずかしいのか赤い顔のまま自分の胸元を困ったように見ている。

 

「別にいいと思うわよ。とっても魅力的だし、ルークも喜ぶんじゃない?」

「う゛…………」

 

 このダンスパーティの話の前まであまり意識しておらず、しかしパートナーに誘ってくれた男子の名前を出されてリーシャは耳まで赤くして俯いた。

 今のはフィリスが茶化したわけではないのは分かるが、恥ずかしいものは恥ずかしいのだろう。

 フィリスと咲耶は微笑ましい顔でリーシャを見ていた。

 しおらしく女の子をしているリーシャというのは数年のつきあいになるが新鮮で可愛らしい。

 だが、こうも恥ずかしがっているとそのまま男子の前に放り出すのも酷に思え、咲耶はぽんと手を叩いて自分の鞄へとむかった。

 

「そしたらえーっと…………あった!」

 

 ごそごそと発掘していた咲耶は、一つの黒いストールケープを取り出した。

 薔薇模様のレースがあしらわれた少し大きめの肩掛けで、咲耶はふわりとリーシャの肩に羽織らせて、胸元で留めて大きなリボンのようにしてまとめた。

 

「これでどかな。踊るのにはちょい邪魔かな?」

「おお! いや! これでいい! これがいい! サンキューサクヤ!」

 

 少し大きいストールケープは、薄く透けてはいるが剥き出しの肩や背中を軽く隠すには十分な効果で、胸元でリボンのようになっていることで胸も適度に隠されている。

 なにより、黄系統の淡いベージュと黒の取り合わせはハッフルパフのシンボルカラーとも合わせがよく見えた。

 喜ぶリーシャに咲耶も嬉しそうに微笑み返した。

 咲耶とフィリスがそれぞれクラリスとリーシャの化粧を手伝った後に、自分の化粧も済ませると、時間はちょうどよい頃合いとなっていた。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 グリフィンドール寮談話室。

 時代遅れの女性用ドレスローブのようなローブを悪戦苦闘しながら加工したロンは、やや襟や袖口をぼろぼろにしながらもなんとかレース無しの状態にしていた。

 おかげでハリー、ロン、シェーマス、ディーン、ネビルが部屋を出発して談話室に降りたころにはすでに女性陣は準備万端整えて待っていた。

 

 ハリーのパートナー、ジニーはピンク色のドレス、首元にはネックレスをつけており、赤い髪の毛を三つ編みにして後ろで結んでいた。

 

「えーっと……あの、ジニー。素敵だよ」

「あ、ありがとう」

 

 ハリーがぎこちなくジニーのドレス姿を褒めるとジニーはボッと耳まで赤くして俯いた。

 

「随分ボロボロだけど……部屋でナニしてたの?」

「なんでも!」

 

 一方で、ロンのパートナーとなったメルルは黒を基調とした動きやすそうなドレスを着ており、彼女の金髪がよく映えていた。

 ロンの袖や襟が詰めの甘い切断呪文の影響でボロボロなのを見て、メルルはなぜだか楽しそうにロンとハリーとを見比べており、ロンがいらいらとしていた。

 

 ちらりとあたりを見回すとハリーたちはかなり後発組らしく、メルル以外のアリアドネー組もイズー含めて談話室からは居なくなっていた。

 そして、ハーマイオニーの姿もない。

 

「あー……下に行こうか、ジニー?」

 

 ハリーが言うと、ジニーはこくんと頷いた。

 

 結局、ハーマイオニーが誰と行くことになったのかは、ハリーもロンも教えてもらえなかった。

 あれ以来、ロンは何度も隙を見てはハーマイオニーにパートナーについての探りを入れていたが徒労に終わった。

 

 パーティは盛大に飾りつけられた大広間を解放して行われるようだった。

 ハリーたちが行くと、そこにはすでに多くのペア、そしてパートナーがおらず壁の花となることを運命づけられた生徒たちがいた。

 

 やはり目立つのはボーバトン校のフラー・デラクールだ。

 彼女は他の女子ならば着せられている感が付きまとうような華やかなシルバーグレーのサテンのパーティローブを着こなし、レイブンクローのクィディッチチームキャプテンであるロジャー・デイビースを従えていた。

 デイビースは、普段であれば笑顔の甘いイケメン君との評価も高いが、フラーの横にあっては煤けて見えるほどにみすぼらしく、フラーの魅力に取りつかれて締まりのなくなった笑みはどう見てもかっこいいとは言えないものだった。

 

 そんな彼女に負けないくらい目立っているのはやはり…………

 

「—――― ハリー……ハリー?」

「えっ!? あ、何、ジニー?」

 

 とある少女に見惚れていたハリーは、隣からかけられた声に我に返って振り向いた。

 ジニーは不機嫌そうにハリーを睨み、はぁとため息をついた。

 

「やっぱりサクヤ綺麗ね。ニホンのドレスかしら?」

「う、うん。……たぶんね」

 

 ジニーは仕方ないといったように、ハリーが見惚れていた少女、ハリーとの恋仲を応援してくれていると同時に巨大な障壁になっているサクヤを話題に出した。

 サクヤは、ハリーやジニーには見たことのない類のドレスロースを着ており、ホールへとやって上がってきた彼女は、自分のパートナーを探してキョロキョロとあたりを見回していた。

 周囲のみんなも、サクヤの異裳に呆気にとられ、ついで男子生徒たちはその姿があまりにもはまっていることに見惚れている。

 キョロキョロとしていたサクヤはパートナーを見つけたようで――――

 

「なっ! ジョージ!?」

 

 そのパートナーが、ハリーの予想とはまるで違う人物だったことに驚愕した。

 

「あら? 知らなかったのハリー?」

「スプリングフィールド先生じゃないのか!?」

「先生は出張中よ。サクヤはこういう行事に出ないといけないからって、ジョージが誘ったのを受けたそうよ」

 

 ハリーは愕然として、サクヤとジョージのペアを見ていた。

 ジョージが何かの冗談でも言ったのか、サクヤはちょっぴり驚いたような顔をし――口元を抑えてクスクスと笑っている。

 自分の中の、どこか変なところがジワリと黒く淀んだような気がして――――不意に、サクヤはハリーとジニーに気付いて、こちらを見た。

 その顔には薄らと化粧が施されているのか、いつも以上にサクヤは可愛らしく見えた。

 サクヤはなにやらハリーたちの方を指さし(それがハリーだったのか、ジニーだったのかはハリーには分からなかった)、小さく拳を握ってから隣のジョージと腕を組むような仕草をした。

 ジョージは少し驚いたような顔になり――急に痛そうな顔をして飛び退いた。先ほどまでジョージが居たところに白い犬耳を生やした子供みたいなのが現れて、ジョージを睨んでいる。

 と、不意にハリーは自分の腕に何か柔らかいものが押し付けられたのを感じて振り向いた。

 

「え? じ、ジニー!?」

「………………」

 

 すぐ近くにジニーの赤い髪が広がっており、間から覗くうなじが妙に赤くなっている。

 ジニーはぎゅっとハリーの腕に体を押し付けていた。

 

「は、ハリー。わ、私……今日は…………」

 

 大勢の人の声にかき消されそうなほどに小さく、でもその声は奇妙なことにハリーの耳にしっかりと届いた。

 ジニーが抱きしめる腕にぐっと力が込められた。花のような香りが立ち込め、なんだかくらくらとしたような気分になった。

 

「い、行きましょう!」

「う、うん……」

 

 ぐいっとジニーに引きずられるようにしてハリーは足を進めた。

 ちらりとサクヤの方を見ると、赤い騎士服のようなローブを着た男子生徒が近づいていた—―クラムだ。そしてその横にはたくさんのフリルがついたピンク色のドレスを着た、ハリーの知らない可愛らしい女の子がいて、サクヤと親しげに話していた。

 

 

 

 

「うわぁ! ハーミーちゃん、めっちゃかわええ!」

「ふふ、ありがとう、サクヤ。貴女こそエキゾチックですごく素敵よ」 

 

 ふんわりとした桃色の布地のローブを着たハーマイオニーはいつもよりもずっと可愛らしく見えた。

 いつもはぼさぼさで無造作に伸びているクセのあった髪の毛は、優雅なシニョンに結い上げられており、緊張気味の微笑みは恥じらいを色として添えていた。

 

 咲耶の隣ではジョージがびっくりとした顔でハーマイオニーを見ている。(少し彼の距離が遠いのは、先ほど咲耶がジニーに発破をかけるつもりで抱き真似をした際、シロくんの鞘が、本人曰く“偶然”彼の脛をぶつけたためだろう)

 ハーマイオニーの横にいるクラムは、いかめしい顔をしているが、どこか緊張で強張っているように見えるのは気のせいではあるまい。

 クィディッチの有名プロ選手ならこんな学校の交流行事程度、ものの数でもないだろうに。ただ、その姿は彼もまた年相応の男の子なのだと感じさせられ、ごっつい体つきに反して少し可愛らしく感じられた。

 

「サクヤはハリーを見なかったかしら? ジニーと上手くやれているといいんだけど……」

「大丈夫! さっき仲良う腕組んどったよ」

「ならいいわ」

 

 咲耶の満面の笑みでの保証に、ハーマイオニーはくすりと笑った。

 

 周囲の生徒たちは、それぞれに約束の相手を見つけると大広間の方へと移動を始めており、咲耶たちもパートナーと連れだって向かっていった。

 その際、クラムはハーマイオニーに腕を差し出して紳士的にエスコートし、ジョージも同じようにしようとしてくれたのだが、足元で人化したシロくんが鞘を振り回し始めたので慌てて距離をとる羽目になっていた。

 

 美しくなったハーマイオニーの姿は、クラムの堂々とした紳士ぶりと相俟って大勢の視線――特にクラムの追っかけをやっていた女子の恨みがましい視線を大いに集めることとなったが、並び立つ姿はどこからも異論のつけようもない。 

 どうやらスリザリン寮で、クラムはパートナーを秘密にしていたらしく、スリザリンの生徒たちはぎょっとしてハーマイオニーを見て、何か文句を言おうとして、言葉にならずに押し黙っていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ホグワーツ恋愛戦線異状アリ!?

 咲耶たちが大広間に入ると、思わず咲耶もハーマイオニーも感嘆の吐息を漏らした。

 大広間の様相は、期待以上のすばらしさだった。

 壁は銀色の輝きに覆われており、雪化粧をしたモミの木が並び、ヤドリギが絡み合うように伸びてあちこちで花を咲かせている。

 いつもの寮ごとのテーブルは消えており、代わりに10人ほどが座れるテーブルが置かれており、ぐるりと視線を巡らすと、友人たちの姿もそこかしこで見つけることができた。

 珍しくしおらしい様子のイズーとルーク。

 フィリスは彼氏と仲良くやっているようだ。

 そしてクラリスは、

 

「サクヤ、ハーマイオニー」

 

 咲耶の姿を見つけてパートナーであるネビルを放り出してやってきていた。

 ネビルは慌ててクラリスの後を追っかけており、その進路の先にビクトール・クラムの姿が見えて「ひっ!」と悲鳴を上げた。

 

「クラリス。相手の子、放り出してきたアカンえ~」

 

 咲耶が苦笑してクラリスを窘めると、彼女はいつも通りの眠たそうな眼差しをネビルに向けた。

 ネビルはおずおずとクラリスの隣までやってきて、しきりにクラムから隠れようとしているが、どう見ても小さなクラリスは衝立の役割を果たしていない。

 

「おいネビル! シャキッとしろよ! 別にカナリアの羽は生えちゃいないぜ!」

「カナリア?」

 

 エスコートの役目を完全に果たせていないネビルに、ジョージがどんと背中を叩いて励ました。咲耶はキョトンと首をかしげた。

 ネビルは前につんのめってクラムに軽くぶつかり、小さく悲鳴を上げて飛び退ってこけそうになったところをクラムに手首を掴まれた。

 

「あ、ありがとう……」

「いい」

 

 ネビルはもじもじとしながらお礼を言い、クラムはムッツリとして返した。

 ハーマイオニーはそのやりとりを見て、くすくすと口元を隠して笑い、視線を向けてきたクラムににっこりとほほ笑んだ。

 クラムの口元が微かに嬉しそうに曲がった。

 不器用ながらもうまくやれていそうなハーマイオニーとクラムのやりとりを見て、咲耶も微笑み――ふと思いついてクラリスに尋ねた。

 

「クラリス、ネビル君と仲よかったんやな。あんまし話とるとこ見んかった気がするんやけど……」

 

 聞かれたクラリスは、いつもの考えの読みづらい瞳でネビルを見た。

 

「……学校に入る前から少し接点があった。最近は話していなかったけど」

 

 クラリスの言葉にネビルはビクッ! と身を震わせた。

 そして言いづらいことでもあるのか、口をもごもごと動かし――意を決して俯いていた顔を上げた――瞬間、クラリスに睨まれてまた俯いた。

 

「どかしたん、ネビル君?」

 

 物言いたげなネビルの様子に、咲耶は小首を傾げて尋ねた。

 

「気にしなくていい。彼の問題」

「?」

 

 だがクラリスはネビルに話させなかった。

 

「個人的にスプリングフィールド先生と話したいことがあるらしい。今回はその取次ぎを頼まれただけ」

「あ、そなんや。ごめんなーネビル君。リオン、しばらく戻らんらしいんよ。うちでよかったら聞くけど?」

「う、うん……」

 

 ネビル自身は咲耶に相談したそうにちらちらと視線を向けるのだが、どうやらクラリスの方がそれをかなり嫌がっているらしい、というのが二人の間に流れる空気として感じられた。

 咲耶はふむと、顎に指を当ててハーマイオニーを見た。

 ネビルと同じグリフィンドールの4年生である彼女なら別の切り口があるかと期待してみたのだが、残念ながらその試みは不発に終わった。

 

「サクヤ!」

 

 いつもよりやや口調の荒い声でディズが話しかけてきてしまったからだ。

 

 

 

 第74話 ホグワーツ恋愛戦線異状アリ!?

 

 

 

「ディズ君。あれ? ディズ君、いいんちょさんと一緒なん?」

 

 名前を呼ばれて振り向くと、無難なドレスコードを選択しているディズが、丈の短く動きやすそうなドレスを着たメルディナを連れていた。

 

「ええ。まあ……」

「それよりもサクヤ。スプリングフィールド先生と一緒だったんじゃなかったのかい? てっきりクリスマスまでには戻るものだとばかり思っていたんだけど……」

 

 ディズの質問で、咲耶はそう言えばディズから一番初めにそれを聞かれていたことを思い出した。

 

「あれ、言うてへんかったっけ? ごめんな、ディズ君に聞かれたあと、リオンから出張の話聞いたんよ」

「悪いなクロス」

 

 咲耶が申し訳なさそうに謝り、その後ろからジョージがにっと笑みを浮かべて立った。

 珍しくディズははっきりと分かるくらいに顔を顰めた。

 

「リオン様が今日居られないことで、何か不都合でもあるのですか、クロスさん?」

 

 メルディナが、探るような視線を向けながら尋ねると、ディズは振り返ってメルディナと視線を交わらせた。

 その顔は今まで見たことがない程に感情が無いように見えた。

 メルディナとディズがわずかな時間、無言で視線をぶつけあう。

 

「…………いいや? 先生に睨まれる役どころを独り占めだね、ジョージ・ウィーズリー」

「あいたたた! それを言ってくれるなよ。もう痛い目をみてるってんだから」

 

 不意に、ディズはいつものように穏やかそうな笑みを浮かべてジョージの方に向きなおって言った。

 ジョージはタブーワードを聞かされたように額に手を当てて天を仰いだ。彼も自分の行動の危険性はいささかならず理解してはいるらしい。

 ディズの様子はすでにいつものそれに戻っていた。

 

「ところでいいんちょさん。アルティナちゃんは?」

 

 咲耶はメルディナといつも一緒にいるアルティナの姿が見えないことを尋ねた。イズーがフレッドとメルルがロンと一緒に行くというのはジョージから聞いていたが、彼女のことだけは聞いていなかったのた。

 

  「ティナはあちらです」

 

 メルディナの指差す先を見ると、たしかに、メルディナと同じように比較的動きやすそうな正装をしたアルティナの姿があった。

 その横に居るのは、プラチナブロンドの髪をオールバックにし、教会の牧師のような格好をした男子生徒。

 

「マルフォイじゃないか!?」

 

 アルティナの相手を見たジョージが嫌そうに声を上げた。

 スリザリン4年生男子のドラコ・マルフォイ。グリフィンドールの彼にとってよりにもよって、という相手だったのだろう。

 特にウィーズリー家とマルフォイ家は互いにイギリス魔法界きっての純血の家系“聖28一族”の一家に数えられているが、国際魔法使い連盟機密保持法成立以降の両者の在り様は真逆。当代の当主であるルシウスとアーサーなど、出会ってしまえば街中であろうと取っ組み合いの喧嘩をするなどという間柄なのだから。

 

「何か問題があるのですか?」

 

 だがメルディナたちにとっては、それはまったくもって関係のないことだ。

 どちらもイギリス魔法界において重要な位置にある家系、というだけのこと。接触の取り方は、片や異世界の友人として、片や将来的な有用性として、という違いはあるが、これからの魔法界を変えていくためにはこの人脈作りは、魔法世界アリアドネーの代表として重要な任務でもある。

 事前に知らされた要警戒人物の身辺に身を置くのと同じように。

 平然としているメルディナに、かえってジョージも意見をしにくいのか、顔を顰めただけでそれ以上は言葉を続けなかった。

 

 

 

 

 ハリーとジニーは会場を巡りながらあちこちに知った顔を見つけては挨拶をしていた。その中でいくつもの驚きをハリーは見ることとなった。

 ハッフルパフクィディッチチームのシーカー、セドリック・ディゴリーがレイブンクローのシーカー、チョウ・チャンと一緒にいることであったり、メルディナがマルフォイと一緒に居ることであったり、パーティに魔法大臣のファッジが来ていることであったりだ。

 考えてみれば、この魔法界情勢が緊迫している現状において、海外や異世界の魔法学校の生徒が複数参加しているこのクリスマスパーティが、彼らにとっては一学校の交流会という以上に重要な役目をもっているということの表れだろう。

 ファッジは精霊魔法の臨時講師をやっているセタ先生と話をしていたし、見れば新聞記者らしき女性の姿もある。

 そして意外なことに、魔法省の外交を司るはずの国際魔法協力部部長のクラウチの姿は会場にはなかった。代わりにファッジの近くには真新しいパーティローブを着た赤毛のパーシー・ウィーズリーの姿があった。

 

「パーシーが来てる」

「みたいね」

 

 ハリーの見たところ、パーシーはファッジの御付としてこの場にいることを名誉ととらえていることは間違いなく、どう見ても頬が緩んでいた。

 ハリーとジニーはその様子を見てくすくすと笑った。

 そんな感じで、ジニーも次第に緊張も解れて魅力的な笑顔を見せるようになり、ハリーも段々と居心地よくパーティを楽しみ始めていた。

 

 そんな時、不機嫌そうなロンと出会った。

 

「あらやだ。なにそんな顔してるのよ」

 

 華やかな場の空気に合わない顔をしているロンにジニーが顔を曇らせて話しかけた。

 

「おい、ハリー。ハーマイオニーが誰と一緒に来てるか知ってたか?」

「いや?」

 

 ロンはジニーをうるさそうに一瞥すると深刻そうな顔をハリーに近づけて低い声で聞いてきた。

 その質問で、そういえば会場に来てからハーマイオニーを見ていないことに気が付いた。

 あたりを見回してもすぐには見つけられない。

 

「クラムだ」

「えっ!?」

 

 姿の見えないハーマイオニーを探していたハリーにロンが唸るような声で言った。

 ハリーはまさかと言う顔でロンを見た。

 

「え、だって、クラムって……ハーマイオニーが?」

 

 ロンは実に忌々しそうな顔でこくりと頷いた。

 ハリーは動揺してもう一度周囲を見た。

 クラムならばすぐに見つかる。なにせ周りから視線を集めているところを追っていけば、その内の一つはクラムなのだから。—―――いた。

 広間に入る前に見た騎士服のような姿のクラムの横に、フリルのついたピンク色のドレスを着た可愛らしい女の子がいる。

 だが、まったくハーマイオニーには見えない。

 いつも猫背気味の背中はピンと伸びているし、魔法薬の煙を吸い過ぎてゴワゴワのくせっ毛は、艶々で真っ直ぐになっており、優美なシニョンで結い上げられている。

 なんで今まで気が付かなかったのかと思うほどに、すごく可愛らしい女の子だった。

 

「あいつクラムなんて有名なだけだなんて言ってたくせに……緋色のおべっかつかいの――」

「違うわ」

 

 唖然としているハリーの横で、ロンがハーマイオニーの文句をぶつくさと言っていると、ジニーがそれを止めた。

 

「クラムがハーマイオニーに申し込んだのよ」

 

 再びハリーはびっくりしてジニーを見た。ロンも同じようにあんぐりと顎を落としてジニーを見ている。

 

「なんで分かるんだよ!?」

「彼が申し込んだときにその場にいたもの。サクヤとかリーシャとか、何人もいる前で申し込んでたわ」

 

 なぜかロンは激昂して尋ね、ジニーは平然として答えた。

 ロンはショックを受けているのか、パクパクと何か言いたそうにして、恨みがましそうな目でハーマイオニーを睨んだ。

 

「なんで言わなかったんだよ」

 

 視線はハーマイオニーに向けたまま、ロンが唸るようにいった。

 

「私が? それこそなぜよ。私には関係ないもの」

 

 ジニーはロンから顔を背けると「行きましょう」とハリーの腕を引いて歩き出した。

 ハリーは驚きが抜けきらないまま、ジニーに合わせてロンから離れた。

 

 本当に信じられない。

 ハーマイオニーがあんなに可愛い女の子だってことも、それを分かっていなかった自分も……そしてなぜ言ってくれなかったのかも。

 だが、たしかに彼女は言っていた。

 何度もロンが誰と行くのかと尋ねたとき、「きっとアナタたちからかうから言わない」と。

 たしかにそうだ。

 今の彼女の姿なしに、猫背でぼさぼさ頭だった時の彼女が言ったとして、きっとロンは笑っただろう。ハリーも信じられなかったかもしれない。

 

 ジニーが歩くに任せるままにしていると、ふとどこに向かっているのだろうかという疑問がよぎった。我に返ってみると、ハーマイオニーが先ほどよりもよく見える。…………ジニーとハリーは彼女の方に向かっていた。

 

「こんばんは、ハリー! ジニー!」

「こんばんは、ハーマイオニー」

 

 咄嗟に逃げ出したくなったが、それよりも早く、ハーマイオニーが近寄ってきたハリーとジニーに気付いて挨拶してくれた。

 その顔は、近くで見るとますます信じられないくらいに綺麗になっている。

 ややぎこちない微笑みは、化粧と少し上気して赤くなった頬のせいもあって、はにかんでいるようにも見えるし、授業中のとある事件以来出っ歯だった前歯を短くしたおかげで、非常に可愛らしい。

 ハーマイオニーはパートナーのクラムにハリーとジニーを紹介した。

 驚くことにクラムはハリーのことを知っていたらしく、しかしなぜか握手した手が威圧するようにぎゅっと強く握られた。

 

「どう、ハリーとはうまくやれてる?」

 

 ハーマイオニーがウィンクをして尋ねると、ジニーは恥ずかしさを思い出したように顔を赤くした。

 

「ハリーはどうかしら?」

「え、あー、うん…………」

 

 綺麗になったハーマイオニーに微笑みを向けられ、ハリーは少しドギマギした。

 

「ハーマイオニー。えーっと、君……すごくキレイだよ、うん」

 

 しどろもどろになりつつも、一生懸命褒めたそれは、ハリーにとって紛れもなく本心だった。

 それが分かったのか、ハーマイオニーの横にいるクラムは、ムッと面白くなさそうに口のへの字の勾配を急にした。

 そしてハーマイオニーは

 

「アナタ……ハリー……」

 

 ハリーにとって予想外なことに、頭痛を堪えるように額を指で押さえていた。

 まるでハリーの今の言葉が最悪の一言だったかのような反応に、思わずハリーはたじろいだ。

 

「ハリー? そういうことは隣のパートナーに言うものよ。もしかしてだけど、まだ言ってないなんてことないでしょうね?」

 

 ドキッとしてハリーは慌ててジニーを見た。

 慌てて出会ってから今までのことを思い出そうとしたが、衝撃的な光景を立て続けに見たせいで、談話室を出る前のことがうまく思い出せない。

 だが、ジニーはにこりと微笑んでくれ、ハリーはほっと胸をなでおろした。

 

 

 パーティの料理は今までとは一風変わったヘンテコな――しかし洗練されたやり方となっていた。

 テーブルには一見何の料理も置かれておらず、金色のお皿とメニューだけが用意されていた。

 どうやらメニューに書かれた料理を言うと、その料理がお皿に現れるという仕組みらしい。

 メニューの中身もいつものものとは違っていて、ボーバトンやダームストロングのことを表したと思われるヨーロッパのいくつかの国の象徴的なメニューやハリーが見たこともない料理などもメニューに含まれていた。(おそらくニホンや魔法世界の料理なのだろう)

 

 ハーマイオニーたちと同じテーブルについたハリーには、ハーマイオニーとクラムが楽しげに話す会話が耳に入ってきた。

 どうやらクラムは正しくハーマイオニーの名前を発音することができないようで、二人で“ハーマイオニー”の名前を呼ぶ練習をしていた。

 “ハーミィ・オウン”と呼ぶクラムの顔はとても大真面目で、ハーマイオニーは苦笑しつつもとても楽しそうだった。

 

 みんなのお腹がほどよく満足したころ、ダンブルドアはみんなの起立を促した。

 生徒たちが立ち上がると、ダンブルドアは杖を一振りし、先ほどまで料理が置かれていたテーブルとイスがくるくると回って消え去り、大広間があっという間にダンスをするのに適した舞踏場へと変わった。

 ハリーはこれからダンスを踊ることを思い出して、急にジニーの存在感が増したように感じられて緊張してきた。

 見ればジニーも少し緊張しているのか、ちらりとハリーの方を見てきて、視線がぶつかって、バッとお互いに顔を背けた。

 —―いけない。意識のしすぎだ――

 そう思ってハリーは別の方向を見ようとしたら、微笑ましげにこちらを見ているハーマイオニーと、その横で敵でも睨むような顔を向けてきているクラムを見てしまった。

 ハリーはなんでクラムがこれほど自分に敵意にも似た視線を向けてくるのか理解できなかった。

 

 ダンブルドアが再び杖を振るうと今度は右側の壁に沿ってステージが作られた。

 そして燕尾服を着た小柄な魔法使いのフリットウィック先生と楽器を携えた楽団が現れて演奏する準備が整えた。

 フリットウィック先生の指揮振りでスローテンポな曲が演奏され始め、ダンスは代表として7年の監督生ペアを皮切りに始められた。

 4寮の代表が優雅に、あるいはややぎこちなく踊り始め、しばらくするとマクゴナガル先生の手をとったダンブルドアが踊り始めた。

 それを合図に生徒たちも曲に合わせて踊り始めた。

 踊りが始まると、ハーマイオニーやほかのことに気をとられるゆとりはなくなってしまった。

 なにせハリーとジニーはお互いに緊張しており、ハリーはジニーの足を踏まないように懸命にリズムをとらなければならなかったからだ。

 

 なんとかジニーの足を踏まずに一曲終えた頃にはすっかりハリーもジニーも緊張を忘れていた。

 2曲目の演奏は先程よりもずっと速くて激しいテンポの曲となっており、ハリーとジニーはお互いに少し休憩を入れるためにダンスフロアから抜け出した。

 その際に近くのテーブルからバタービールを拝借し、広間の出入り口側のテーブル席に二人で腰掛けた。

 フロアではフレッドとイズーがかなり激しい踊りを踊っており――――気の所為でなければ今しがたフレッドが5mほど宙を舞ったような気がした。

 

「あー……いい曲だね」

 

 なんとなく会話しなければいけない気がしてハリーは言ってみた。

 

「そうね。でも……今は少しアナタと話がしたいわ」

 

 ドキリとしてハリーはジニーを見た。

 いつも寮で見ているはずの顔が、化粧のせいか、今日はなぜかまったく違う女の子のように見える。

 脳裏になぜかロンのことや、サクヤのこと、ハーマイオニーのことなどが次々によぎったが、ジニーを見つめていると、それらがすべて流れていくように思えた。

 話がしたい。そう言われてもハリーには咄嗟につなげる話題が思い浮かばず、ジニーもなぜか話題をつくろうとせずに視線をフロアへと向けた。

 メルディナがスリザリンの6年の監督生と優雅に踊って周囲の注目を集めていたり、ネビルがハッフルパフ6年の小さな女の子とぎこちなく踊っているのが目に映った。

 

「ポッター」

 

 不意に、低く唸るような声で呼びかけられてハリーはぎょっとして振り向いた。

 

「ムーディ先生?」

 

 声をかけてきたムーディ先生は、片方の目をジッとハリーに向けており、魔法の義眼はくるくると広間のあちこちへと向いていた。

 

「ポッター、私の部屋に来い」

「え、ムーディー先生?」

 

 ハリーは困惑し振り向いて隣に座っているジニーと顔を見合わせるが、どうやら彼女も困惑しているらしく、意味が分からないといったふうに眉を寄せている。

 

「重要な要件だ。来い」

 

 有無を言わせないような強い瞳と口調で言われて、ハリーの困惑はますます深まった。

 それならばパーティが始まる前か後にしてくれればよかったのにと思うが、どうも急務らしいというのが伝わってきた。

 

 戸惑いつつもハリーはジニーに場を離れることを謝った。

 

「ごめんね、ジニー。あー……誰かに誘われたら踊ってきて構わないから」

 

 ――嘘だ。本当はそんなことを思っていないのに――

 脳裏をよぎったその考えをハリーは自分で否定した。

 彼女はロンの妹だ。今日一緒に来たのは……一緒に居て嬉しかったのは……そう、ロンの妹で、家族みたいに思っているからなんだ。

 広間にはパートナーの見つからなかった男子が何人もいるのだから、彼女がパーティ会場で一人でいて放っておかれるはずはない。

 どれだけの時間抜け出すことになるか分からないのでハリーは、本心とは違う言葉を口にした。

 

 しかし苦笑して頭を横に振った。

 

「大丈夫よ。待ってるから」

 

 微笑みながら言われたその言葉で、ハリーはお腹のあたりがカーッと熱くなったように感じられた。

 

「う、うん。それじゃあ……すぐに、戻ってくるから」

「ええ」

 

 耳に入ってくる音楽が雑音のように聞こえた。

 どうして静かにしてくれないのだろう、という考えが浮かんだ。

 

「いくぞ、ポッター」

 

 もう一度ムーディ先生に声をかけられてハリーはハッと我に戻り、慌ててムーディ先生の後を追って広間から出た。

 最後にもう一度ジニーの方を見ると、にこりと微笑んでくれた。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 ハリーはムーディ先生に引きずられるように強引に3階にある先生の研究室へと連れていかれていた。

 “闇の魔術に対する防衛術”の先生の部屋に入るのは今年になってからは初めてだ。

 去年の担当だったルーピン先生の時や一昨年のロックハート先生の時とはまた内装がガラリと変わっていた。

 ロックハートの時は論外としても、ルーピン先生の時にはこの部屋は授業で使うための魔法生物が置かれていたのだが、今のこの部屋にはそういった生物はいなかった。

 代わりにムーディ先生の“闇祓い”時代のものと思われる道具が一杯置かれていた。

 怪しい人物が傍にいるとクルクルと回るスニースコープや金色のくねくねとしたアンテナのよなもの、姿が映らない代わりになにかぼやけた靄のようなものが映っている鏡などだ。

 

 ハリーは好奇心が首をもたげ、部屋の中をよく見てみたいという気持ちが湧きあがりかけたが、すぐに早くジニーのところに戻らないといけないと思い返して急かすようにムーディ先生を見つめた。

 先生はハリーを先に部屋に入らせた後、かちゃりと鍵を閉めてから部屋の奥まで歩き、そこにあった机の上にいつも懐に入れてある携帯用酒瓶をことりと置いた。

 普通の方の目が靄しか映っていない鏡を見て、魔法の義眼が今さっき鍵を閉めた扉を見た。

 ハリーには何が見えているのか分からないが、その魔法の義眼は物を透かして見ることができるらしい。

 

「ポッター。お前は魔法世界に行ったらしいな?」

 

 ムーディ先生は急にそんなことを聞いてきた。

 

「どう思った?」

「え? あの、どうって……?」

 

 まったく意味が分からない。

 ダンスパーティを中断させて、重要な要件があると連れ出して尋ねることが魔法世界旅行の土産話を聞きたいというのか。

 

「向こうの魔法使いとやらはどうだったと聞いているのだ。どうだ? 強かったか? 恐ろしかったか?」

 

 訝しげな顔をしたハリー。多分自分は先生をものすごく睨み付けているだろうと分かっていたが、眉間が険しい皺を作るのは止められなかったし、止めようとも思えなかった。

 

 ―― 一体、ムーディ先生はなにがしたいんだ?――

 

 いい加減、意味のない世間話ではなく本題の要件を告げるか、そうでないのならば広間に戻らせてほしい。

 ハリーは口を開きかけた。

 

「よくないことが起きている。実によくないことだ」

 

 しかしムーディはハリーを見ずに、こつこつと歩きながら深刻そうになにかを話し始めた。

 

「ポッター。闇の帝王は怒っている。怒りだ、ポッター」

 

 なにか、不穏な気配がしたように感じられた。

 違和感があった。

 

「闇の帝王は、全ての魔法使いを統べる存在なのだ。魔法の闇を深く識り、汚らしいマグル生まれを粛清し、魔法の世界を正しい形に導き、頂点に立つお方」

 

 言葉が、違う。

 

 “闇の帝王”とは、あのヴォルデモートのことのはずだ。だがなぜ闇の魔法使い捕獲のスペシャリストである“闇祓い”がそんな風にアイツを呼ぶ?

 帝王、などと敬意を抱いているかのような呼び方を…………いや!

 言葉だけではない。ムーディ先生の姿が変貌していっていた。

 顔の傷跡が消え、皺の刻まれた肌は滑らかになり、削がれていた鼻が盛り上がっていった。義肢がつけられていた右肢には左と同じように肢が生え出てきた。

 魔法の義眼がポトリと落ちて、眼窩に本来の瞳が填まっていた。

 

 その容姿は、もはや完全に別人のものだ。

 

「あ、あなた、お前は……!!」

 

 まったく知らない人物が目の前にいた。

 ギラギラとした狂気を孕んだような視線をハリーに向けている。

 

 バチン、という音が、室内、ハリーの背後で響いた。

 どこかで聞いた音。

 そうだ、屋敷しもべ妖精が“姿現し”した時と同じ音だ。

 “姿現し”。

 そんなはずはない。だってこのホグワーツでは“姿現し”も“姿くらまし”もできないと、ハーマイオニーは言っていたのだから。 

 

 振り返ったハリーは、そこに魔法使いが居るのを見た。

 闇のように昏いローブを被り、ハリーを歪んだ笑みで見ていた。何かを抱えている。黒いローブで包まれた赤ん坊のような何かを。

 

「な、あ…………」

「ハリー・ポッター。生き残った少年……ああ、13年前の過ちを、今日こそ、正すのだ。ハリー・ポッター」

 

 月のない夜空に、まるでオーロラのような光が虫食いのわいた布のように広がっていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ホグワーツ強襲

 大広間では楽団に引き続いて“妖女シスターズ”の激しいロックが流れていた。

 生徒たちはゆったりとしたダンスから一転、激しいテンポで踊っており、ステージ前に詰め寄った生徒の中にはヘッド・バンキングをしてノリにノッテいる生徒もいる。

 司会進行のような役目をしていたフリットウィック先生は、ステージ前の生徒によってその小さな体を持ち上げられて、とうにステージから担ぎ出されてもみくちゃにされている。

 

 

 ホグワーツ学校長のダンブルドアは生徒たちの笑みが溢れる広間を優しげな笑みで見つめた。

 

 グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリン。

 ボーバトン、ダームストロング。

 さらには異世界の魔法騎士団候補生。

 

 国内だけではなく、海外、そして魔法世界。

 普段いがみ合いの目立つ寮同士の生徒もこの宴の中にあっては、笑い合っているように見えるのは彼の欲目なのかもしれない。

 

 長命な彼はこれまでに多くの物事を見てきた。

 家族に降りかかった悲劇と死。

 周りの全てが自分よりも劣っていると錯覚した若き日。

 何にも代えがたく、理解し合えたと思った親友との出会いと……対立。

 自らの愚かさと権力の恐ろしさを知った。

 いくつかの自分にとって価値の無い肩書を付けられ、自らの居場所を定めた。

 多くの子供たちの成長を見守り、いくらかは導き、そして彼らの内のいくらかは正しい道をへと進むことができなかった。

 二つの暗黒期を生き、一つは自らの手で終わらせ、もう一つはその芽を摘むことができずに今へと至らせてしまった。

 できるのならばそれを次の時代に引き継がせることなく幕を閉じさせたい。

 

 世界は変わっていくのだ。

 

 愚かだった若き日に追い求めた愚かな夢 ―― 死の支配とマグルの従属。

 そんなくだらないものを抱き、親友と語らっていた同じ口で、愛の重さを説いているのだ。

 

 魔法世界の魔法使いたちが思い描く未来 ―― 魔法と科学(マグル)の共存という願い。

 それが彼の心にどれほどの波をたてたかが分かる者は、おそらく居なかったであろう。

 自分たち(・・)が抱いてしまった間違った夢と近しく、そしてまったく異なる未来。

 そんな計画に愚かな自分がどんな言葉を挟めるというのだろう。

 

 また同じ思いを抱いてしまわないとなぜ言えるだろう。

 マグルの文化を尊重しつつ、彼らにない力を使って、彼らを支配する望みを抱かないと誰が言えるだろう。

 ファッジ魔法大臣とは別の意味で、彼はあの計画が恐ろしかった。

 大臣が危惧する価値のない恐怖ではなく、今では唾棄するものであるはずのかつての思いを、自分が再び抱いてしまわないかということが。

 

 世界が変わるというのなら――――それはきっと愚かな旧時代の遺物である自分ではなく、ここにいる、未来を紡ぐ子供たちこそが作っていくべきなのだ。

 

 

 ダンブルドアはぐるりと広間に溢れる笑顔を見て――――そして異変に気が付いた。

 

「あれは! …………なんと……」

「ダンブルドア? どうされましたか?」

 

 動揺を露わにして窓に駆け寄ったダンブルドアに、マクゴナガルが訝しげな顔をした。

 他にはだれもまだ気づいていないのかもしれない。

 ―――いや。幾人かの生徒たちは気が付いた。

 

 窓の外、そして広間の天井に映る景色の異常に。

 

「なんだ?」

「ん? どうしたんだ?」

 

 疑問の声を上げなら気が付いた生徒たちが窓の外を見て、天井を見て、次第にその戸惑いは伝播して広間に広がった。

 

 天井の景色が消えている。

 ホグワーツの城にかけられた魔法の一つ、景色を写す魔法が消えてむき出しの天井がそのままになっている。

 そして外の景色はさらに異常だった。

 

「なんだあれは?」

「オーロラ!?」

 

 半透明な膜のような何かが空に輝いており、それは所々食い破られたように亀裂が走っており、それは瞬く間に広がっていた。

 

「ダンブルドア! あれは一体!?」

 

 異常に気付いたマクゴナガルが、ダンブルドアの横に立って尋ねた。

 その声は今まさに、恐ろしい何かが起こっているのではないかと問うかのように震えていた。

 彼女だけではない。

 スネイプやフリットウィック、スプラウトたち他の教師も、ファッジやパーシーのようなゲストも、愕然として空を見上げている。

 

「ダンブルドア校長先生! ありゃあ一体!?」

「……ホグワーツの、護りの魔法が破られた――いや、消えたのじゃ」

 

 ハグリッドの問いに、ダンブルドアは動揺する声で答えた。

 

 ホグワーツの城には、様々な古代の魔法がかけられている。

 許可なしに敷地を越えられない魔法。位置の探知を不可能にする魔法。姿現し・姿くらましを不可能にする魔法――あらゆる護りの魔法が働いており、ダンブルドアがここにいることと併せて、イギリスでもっとも安全な場所とも評されているのだ。

 

 だが今、その魔法が唐突に破られた。

 

 ダンブルドアの動きは素早かった。

 高齢とは思えないほどの素早い動きで広間の前方に行くと注意を集めるために爆竹をならすような音を立てて生徒たちを振り向かせた。

 

 ホグワーツの領域に異変が起こっている。

 ここにいる全ての魔法使いがそれに気づいていて、その理由を求めてダンブルドアに視線を向けた。

 

 ダンブルドアは起こっている異常事態を皆に伝えるために、注意を集め、言葉を発しようとした――――その瞬間。

 

「!!」

 

 異質な気配に気が付いた。

 その在りかは自らの背後。

 並みの魔法使いよりも遥かに早く、しかし、往時のアルバス・ダンブルドアから見れば遥かに遅い反応速度で、ダンブルドアは振り向こうとし――――

 

 ――「Μέλαν(メラーン) Καί(カイ) Σφαιρικόν(スファイリコン) Δεσμωτήριον(デズモーテーリオン)」――

 

 ダンブルドアが振り向ききるよりも、杖を振るうよりも早く、イギリス魔法界最高の魔法使いの周囲に剣が突き刺さり乱気流のような黒い影が半球形に渦を巻いた。

 

「!! ぬっ―――――」

 

 激しい濁流に詠唱も集中も掻き乱される。

 そして次の瞬間、ゴトッ、という音と共に黒く小さな球体のみが、ダンブルドアのいたその場所に残った。

 

「え……?」

 

 

 

 第75話 ホグワーツ強襲

 

 

 

 ダンブルドアが姿を消した。

 それを見ていながら、しかし広間の魔法使いたちはその意味を理解できなかった。

 ホグワーツ城にかけられた古代の守りが突然に消失したことも、ダンブルドアの背後に黒衣の魔法使いが立っていたことも……そして、ダンブルドアが黒い球体に成り果ててしまったことも。

 

 皆の視線を集めているのは、すでにダンブルドアではなかった。

 黒衣のローブを纏う魔法使い。顔には仮面がつけられており、その顔を見ることはできない。

 

 驚愕を打ち破ったのは、広間を震わせる地鳴りのような轟音だった。

 

「ダンブルドアになにをした!!!!」 

「! ハグリッド!!」

 

 もっとも早く動いたのは、この広間にあっておそらく最も魔法使いらしからぬ男だった。

 毛むくじゃらの顔を赤黒く染め、踏みしめるフロアを巨体で揺らし、突然現れた黒衣の魔法使いへと駆けた。

 憤怒の迸る大音声は、それだけでビリビリと魔法使いたちの心に本能的な恐怖を思い出させた。

 通常の人よりも遥かに大きなルビウス・ハグリッドの突進。

 

 激高したハグリッドは、先程までダンブルドアのいた場所まで一気に駆け、勢いのままその巨腕を振りかぶり、フロアをぶち抜かんばかりの勢いで振り下ろした。

 魔法使いたちは一瞬先の未来として、黒衣の魔法使いがぐしゃぐしゃに潰れることを幻視し、

 

「ぬぅうぐっっ!!!!」

「なっ!!?」

 

 黒衣の魔法使いの目前でハグリッドの巨腕が止まったのを驚きとともに見た。

 激突までまだ1mはある。

 寸止めをしている、というのではない。

 その証拠にハグリッドの顔は我を忘れているのではないかと思うほどの憤怒の形相のままで、魔法使いの遥か手前で止まってしまった自らの腕に、咆哮を上げている。

 

「ぐ、がぁぁあああああ!!!」

 

 次の瞬間、魔法使いの周囲から黒い槍のような影が数十条、ハグリッドの巨体へと襲い掛かり、その巨躯を吹きとばした。

 

「ハグリッド!!!」

 

 悲鳴を上げたのは誰だったのか。

 生徒たちが、教師たちの数人が、吹き飛ばされたハグリッドの名を呼んで鞠のように吹きとばされた姿を目で追った。

 

「くっ!!」

 

 ハグリッドが吹き飛ばされたのと間髪入れずにマクゴナガル、スネイプ、フリットウィックの3人が杖を抜き放ち無言呪文を黒衣の魔法使いへと飛ばした。

 ダンブルドアが消えたことによる動揺が収まっていない、平常心とは程遠い精神で放たれたとは言え、ホグワーツ教師陣の中でも魔法力に長けた3人の魔法の集中砲火だ。

 

 だが黒衣の魔法使いは仮面の奥で微かに鼻で笑うと、微動だにすることなく呪文の放射をまともに受けた。

 いや、受けてはいない。

 先程のハグリッドの剛腕同様、魔法使いの体に届くことなく遥か手前で何かに防がれたように弾けた。

 

「っ! ポモーナ! 生徒たちを広間から連れ出してください!!」

「ミネルバ!」

 

 常軌を逸している。

 奇襲であったとはいえ、ダンブルドアすら消し去ってしまったような相手だ。何人の魔法使いがいても相手になるものでないとうのは分かっている。

 そしてマクゴナガルたちは今の攻防で黒衣の魔法使いの異常性に気が付いた。

 2年前、ホグワーツを襲撃してきた悪魔の貴族。その相手に対しても杖を交える程度はできたのだ。

 だが今のは、まるで通る手ごたえがなかった。

 それにここには生徒が多すぎる。

 マクゴナガルはこの場で指揮する副校長として、スプラウトに指示を出した。

 スプラウトは加勢をしようと杖を抜き、だが、大勢の生徒がいることに思いとどまった。

 一方で、夕映はマクゴナガルたちに加勢すべく前に進み出た。

 

「加勢します!」

「ユエ先生!」

 

 装剣して魔法剣を手に持つ夕映。

 マクゴナガルが一瞬、心強い援軍をえて振り返るが、彼女の表情は苦々しく歪められていた。

 

「ほう。まさかここで再会するとは思わなかったぞ。白き翼(アラ・アルバ)

 

 進み出てきた夕映を見て、黒衣の魔法使いは初めて会話のための言葉を発した。

 その言葉はまるで、彼女のことを知っているかのような口ぶりで、マクゴナガルは杖を構えながら尋ねた。

 

「あの者を知っているのですか、ユエ先生?」

「知っています。けれど…………」

 

 夕映は歯切れ悪く答えた。

 彼女には、確かにあの姿に見覚えがあるのだ。

 だがそれはありえることではないはずなのだ。

 彼女たちはそれが封印されたところを見た。……いや、見たはずだった。

 

 “闇の福音”の創りだした対“人形”用の最強呪文。

 決して終わることのない永続的な氷結継続魔法による氷の薔薇に捉えていたはずだ。

 

 だが、時を越えて、確かにかの魔法使いは彼女の前に姿を現している。

 

「なぜ、アナタがここにいるのですか!? 魔術師・デュナミス!!」

 

 完全なる世界(コズモエンテレケイア)の最強、最古の使徒の一体――――デュナミス。

 

 

 

 

 大勢の生徒が大広間の出口に殺到し、すでに周囲は大混乱していた。

 

「姫さま!!!」

「な、なんなん、あの人!?」

 

 戸惑う咲耶に、彼女の式神シロが警戒を発した。

 

「敵です。姫さまもお早く退避を!」

 

 彼の顔には焦りの色が浮かんでおり、愛刀を抜き放ち、すでに臨戦態勢になっている。

 

「て、敵って」

「かなりの手練れです。メイガスたちが時間を稼いでいる間に」

「サクヤ!!」

 

 どうするべきか。混乱の広がる咲耶にシロは退避を促し、そこにセドリックの声が届いた。

 

「セドリック君! みんなも!」

 

 振り返るとセドリックだけでなく、リーシャやフィリス、クラリスたちも一緒におり、わずかばかりの安堵感を咲耶は覚えた。

 だが続く言葉は、現状が到底安心できるものではないということをさらに教えるものであった。

 

「玄関ホールも無理だ!! 黒い魔法生物が何体も現れてる!!」

「っ!」

 

 

 

 逸早く大広間から逃げ出した生徒たちは、しかし城から脱出するという望みを果たすことはできなかった。

 絵本にでも描かれているような姿をした悪魔のような黒い魔物が数体、いや十数体、外へと通じる扉の前に出現し、近づく生徒に襲い掛かっていたのだ。

 

「きゃああああっ!!」

 

 一体の魔物が女生徒へと襲い掛かる。

 彼らの言うところのマグルとは違うはずの魔法使いは、しかし迫る異形の魔物の姿に杖を振るうどころか抜くこともできずに、恐怖から目を瞑り悲鳴を上げた。 

 

「こん、のぉっ!!!」

 

 拳がぶつかるその直前、ドゴンッ、という鈍い音を響かせて魔物の一体が殴り飛ばされた。

 

「あ、あ……」

「戦えないやつは下がってろ! このっ。なんだこいつら!?」

 

 恐怖で崩れ落ちた女生徒に、瞬動で駆けつけたイズーが怒鳴るように言って魔物たちと相対した。

 

「召喚魔だよ、イズー! おそらく自立思考型でたぶん広間の方の魔法使いがマスター!」

 

 その横に、アリアドネーの魔法剣を装剣したメルルたちも追いつき構えた。

 スプラウト先生たち教師陣も追いついてそれぞれに魔物に立ち向かっていくが、倒す傍から次々に地面から湧いて出ており、行先を見失った生徒たちへと襲い掛かるのを守るので必死だ。

 逃げ道は上にもあるが、上に逃げたからと言ってどうなるというのか。

 空を飛んで逃げることもできるかもしれないが、魔物の中には明らかに翼の生えた飛行タイプも交じっている。

 

「ちっ! あっちを潰す方が優先かっ!!」

「お待ちなさい、イズーさん!!」

 

 ガンッ!! とまた一体の魔物を殴り飛ばしたイズーが、広間の方に取って返そうとするのをメルディナが制止した。

 

「あちらはここの先生方やユエ先生たちが対処しています! 私たちはここをなんとかして生徒たちを避難させなければ!」

 

 メルディナは氷魔法の矢を飛ばして、魔物を牽制しながら指示を飛ばした。

 彼女たちも今は生徒でしかない。

 だが同時に人々を守る騎士団の候補生でもあるのだ。

 

「メルディナさん!」

「ハーマイオニーさんですか!」

 

 氷結武器強化した剣を振るって一体を退けたところで声をかけてきたハーマイオニーにメルディナが振り向いた。

 傍にはクラムが杖を抜いて付き添っており、同じようにフレッドやロンなどのグリフィンドール生も混乱した顔をメルディナたちに向けていた。

 

「これは、いったいどうなっているの!?」

「分かりません。敵性の召喚魔がここを襲っているようです。召喚主は広間の魔法使いのようですが、この数の召喚魔を同時使役できるなんて並みの使い手ではありません。何とか退路を開きますから、皆さんは外に退避してください」

 

 メルディナとて状況を完全に把握できているわけではない。

 それよりも急務の問題として襲撃してきている召喚魔に対抗しなければならない状態になってしまっているのだ。

 

「だ、ダンブルドアはどうなったんだ!?」

「くっ! それも分かりません!!」

 

 のんびり話をしている状況でもない。

 切羽詰まったロンが泣きそうな顔で聞いてくるが、分かっているのはイギリス魔法界最強の魔法使いは現在動くことができない状況に陥っているということだけだ。

 上の方を見れば、生徒の一部は行き場を失った鼠のように上へと逃げ始めているが、まだ玄関ホールにも大勢の生徒がいるし、大広間から抜け出せていない生徒もかなりいる。

 なんとかしてあの玄関を突破しなければジリ貧どころではない。

 必要なのは突破力。

 それも一人や数人で突破するのではなく、一気に大量の生徒が逃げるだけの道を作るだけの……

 メルディナにはそれはない。アルティナやメルルにも。彼女たちが力を合わせても、大勢の生徒の一部を守るのが精いっぱいだ。

 だが…………

 

「メルル!! やるぞ! 委員長、アルティナ! 援護よろしく!!!」

「なっ!! イゾルデさん!?」

 

 戸惑うメルディナに、炎を浴びせかけたイズーが告げた。

 

 普段はいがみ合うライバルと視線があった。

 この場を切り抜けるための力を――持ちうるすべての力をここで解放することをすでに決めている顔だ。

 

「くっ! ティナ、前に!! メルルさん!!」

「了解!!!」「分かってるよ!!」

 

 戸惑いを捨て、メルディナは二人に指示を飛ばして前に飛び出した。

 アルティナもそれと同時に剣を振るいながら前に飛び出し、メルルはイズーの傍へと駆け寄った。

 

「道を抉じ開けます!! みなさん! 扉から離れて下さい!!!!」

 

 

 

 

 合流した咲耶やセドリックたちは人混みに身動きがとれずにようやく大広間を脱しようとしていたところであった。

 だが、その途中でさえも上空から襲撃してくる魔物の対処に追われていた。

 

「インペディメンタ!!」

 

 上空では翼をもつ魔物に対して宙を翔けるシロが刀を振るって魔物を切っていた。空を飛べないセドリックなどは、それでも妨害呪文や攻撃呪文を使ってシロを援護していた。

 

 夕映やスネイプ先生たちが“デュナミス”というらしい魔法使いと派手に戦っている逃げ場のない広間よりも、まだ広がりをもつ玄関ホールでは動きに自由がきくはず。

 なんとか広間の扉をくぐり抜け、玄関ホールの階段の前に立ったリーシャたちは、そこで信じがたい光景を目にすることになった。

 

「よし! ……って、なんだありゃ!!?」

 

 イズーから伸びている尻尾が巨木の様に大きくなっており、玄関ホールの魔物を打ち払っていた。

 前衛ではメルディナとアルティナが障壁を使って生徒たちを魔物から守りつつ引き剥がし、メルルは動けないイズーを守るように中衛に。そしてイズーはビキビキと骨格を変え、今や人としての姿すら変えようとしていた。

 背中からは巨大な翼が生え、地面を掴む四足は獰猛さを表す鉤爪をもち、体全体が膨れ上がっていく。頭部に生えた角は、いつも以上に大きく太く、しかしもはや体の大きさからすれば大きなものとは言えなくなっている。

 その姿はきっと誰もが知っているものであり、リーシャたちですら見たことのない強力無比な魔法生物。

 

「ドラゴン!!? うそでしょ!?」

 

 フィリスが驚愕して声をあげた。

 今や玄関ホールでは一体のドラゴンが出現し、大暴れしようとしていた。

 

 

 

 ドシンッッ!! と踏みしめた脚が前に進んだ

 

「やっちゃえイズー!!」

 

 背に乗ったメルルの声に応じて、ドラゴンがその豪爪を振るった。

 その一撃は数体の魔物をまとめて薙ぎ払い、陽炎を薙ぐかのように消し去っていた。

 メルディナとアルティナの二人は、イズーが進撃するのに合わせて後退し、拡散していた魔物の排除に移っている。メルルは時折、バックアタックを仕掛けてくる魔物を警戒し、ドラゴンの巨体ゆえに目の届かない部分を守っていた。

 ただし、そんな攻撃はほとんど届いているようには見えない。

 なにせドラゴンはただでさえ強靭な耐久力と並の魔法を寄せ付けない皮膚を持っている。どうやらそれは竜化したイズーであっても同じようで、しかも魔法障壁まで使ってガードしているのだ。

 

 生徒たちは、ドラゴンという、知識上では極めて危険で獰猛なはずの生物が、今は確たる意思と理性とをもって自分たちの退路を切り開こうとしてくれているのを、消し去りようのない根源的な恐怖を抱きつつも目撃していた。

 

 しかし、次から次へと湧いて出てくる魔物はキリがなく、なんとしても脱出を阻止しようとしているかのように現れてくる。

 イズーは大きく息を吸い込み、ググゥッと背筋が反り返った。

 咆哮とともにその口からドラゴンのブレス――炎が放たれて、直線状に扉までの魔物を燃やし、扉を吹きとばした。

 

 

 

「アレ、イズーか!?」

「イズー、スゴっ!!」

 

 口から火を吐いて魔物を一掃したドラゴン(イズー)の姿にリーシャや咲耶は歓声を上げた。

 他の生徒たちも今この場においてはドラゴンの恐ろしさよりも、その頼もしさに心強さを覚えて歓声を上げていた。

 

「いまのうちに!! 早く外に退避を!!」

 

 玄関門までの魔物が一掃されたのを見て、メルディナが素早く道を指示した。

 ただしそこは炎の残り火――というには業火すぎる火が残っており、道自体を遮っていた。

 しかし、メルディナの声に応じたかのように、イズーのブレスによって生じた炎が通路のように道を作った。

 

 イズーがばさりと翼を羽ばたかせ、突風を生じながら巨体を浮き上がらせた。

 自らの巨体が避難する邪魔にならないようにするのと同時に、空戦型の魔物を倒すためだろう。

 スプラウト先生がメルディナに頷き、生徒たちに避難の合図を――――

 

「みなさん今のうちに――」「!?」

「イズー!?」

 

 出そうとした瞬間、浮かび上がっていたイズーが背に乗っていたメルルを振り落とした。

 驚くメルル。

 だが次の瞬間、ドラゴンの姿になっているイズーの体を、黒く巨大な手(・・・・)が握り掴んだ。

 

「なっ!!?」「きゃああああっ!!!」

「くぅっ! イゾルデさん!!」

 

 城の壁面を砕く轟音を響かせながら外から伸ばされた手は、軽々とイズーの巨体を掴んで有り余るほど。

 メルディナたちは咄嗟に落ちてくる岩塊を防いで生徒たちへの被害を防ぎながら、捕えられたイズーの名を呼んだ。

 

「なんだあの腕!!?」

「ちょっ! 外に何か居るぞ!!!」

 

 悲鳴が上がり、その中で生徒たちは外の異常事態を見た。

 地面から這い出ようとしている巨大な魔物の姿。

 その姿は巨体と言えるハグリッドよりも、ドラゴンの姿になったイズーよりも、そして7,8mはあると言われる巨人よりも大きい。しかもそれは、まだ地面から現れきっていないのだ。今はまだ地面から肩が出てきた程度でしかないそれは、右手でイズーを握り掴み、左手を地面にかけて這い上がろうとしている。

 

「嘘だろッ!!?」

 

 ズズズズと這いあがってくる巨大召喚魔の姿は、あまりにも大きすぎる。

 あっという間に玄関ホールからのぞく程度では顔の頭頂部を捕えることができなくなってしまっており、もがくイズーは抵抗虚しく外に引きずり出されていた。

 

 イズーを外に引き抜いた超大型は、イズーを掴んだまま腕を上に伸ばした。

 

「グゥ!? グ、ォオオオオオッッ!!!!!」

 

 ギシギシ握りつぶされそうになりながらも、イズーは渾身のブレスを吐いて攻撃を行った。

 玄関ホールに立っていた召喚魔を一掃した火炎のドラゴンブレス。

 だが、あまりにも大きすぎる超巨大召喚魔の体には、焦げ跡すら残すことはできなかった。

 イズーの体は、ホグワーツ城を超えるような高さまで持ち上げられ、そして――――

 

「ダメっ!! イズーーッ!!!」

「ッ!! ―――――――――ッッァ!!!!」

 

 轟音と共に、イズーの体が地面に殴りつけるようにして叩きつけられた。

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 夕映やマクゴナガルたちは初撃以降、近づく事さえ許されなかった。

 魔術師の周囲から沸き上がる影のような物が槍となり剣となり魔物となって襲いかかってくるのだ。

 ただでさえ相手の力量は夕映たちとは比較にならないほど隔絶している。それに加えて奇襲を受けたことも状況を苦しくしていた。

 夕映自身は基本的に戦闘の準備を万全に整えてこそ力を発揮するタイプだからだ。

 すでに乱戦に近い状況の今、遅延呪文(ディレイスペル)を仕込むゆとりも、竜牙兵(使い魔)をだすゆとりも、魔力ブーストを仕込むゆとりもない。

 魔物を召喚し続けている本体を攻撃するほどの余力はなく、また、あの敵の障壁を抜くことは彼女たちでは難しい。

 それはマクゴナガルやスネイプたちも同様であちらも防戦一方。なんとか避難している生徒たちの方に行かないように頑張っているが、すでに支えきることすら難しくなり、幾体かの魔物が突破している。

 幸いにも迎撃しているようではあるが、だからといって安心できるものではまったくない。

 

 デュナミスは最初にダンブルドアを“黒き牢球”で封印して以降、腕を組んだまま魔物を召喚するのみだ。

 彼の積層多重障壁を破る術は現状ない。

 だがなんとかしなければ。

 

 ゴウッッッ!!! という豪音が、広間の外、玄関ホールの方から響いた。

 

 ――外でなにかあった!!?――

 

 焦りが視野を狭くする。

 分かってはいても、思考が袋小路に陥っていくのを止められなかった。

 あちらではアリアドネーの騎士団候補生たちがなんとかやってくれていると信じたいところだが、確かめることはできない。

 不可解なのは、奇襲を仕掛けて来た敵が――それもこの場の全員を瞬殺できるほどの手練れが、時間稼ぎでもするかのような消極的な戦いに徹しているということだ。

 たしかに、このままだと遠からず一人また一人と力尽きてしまうだろう。そうそうに殺られるつもりはないし、元より“あの魔法使い”が人を殺すということはないのだが、最大戦力のダンブルドアを封じた今、この場の片を付けるのはたやすいはずなのだ。

 

「セタ先生!!」

「!! しま――――」

 

 思考が目の前の戦闘から状況把握により過ぎた。

 フリットウィックの危機を報せる声に反応した時には、すでに槍衾は回避不能の状態にまで迫っていた。

 せめてもの抵抗に耐魔障壁を全力展開しようとし、しかし接触の瞬間、黒い槍は奔る剣閃によって斬りおとされた。

 

「ほう」

 

 仕留めるつもりだった攻撃を斬りおとされたことでか、デュナミスがわずかに反応を見せた。

 夕映の前に立ったのは、白い尻尾と耳を持つ童姿の剣士。

 

「ナイスシロくん!!」

 

 剣士の主である少女の声が、夕映たちの背後から飛んできた。

 

「アナタは!」

「我が主の命により、今より某が相手をしてやる、魔術師!!」

 

 夕映にとって最優先護衛対象であるはずの咲耶の式神が、前に出てきたことで驚く夕映だが、主からの命令を下されたらしいシロは刀を無形の位にして声を張り上げた。

 

「我こそは祖神猿田彦命の御末裔! 四十八天狗が一、富士山陀羅尼坊太郎が眷族! 山宮配子。藤原朝臣近衛咲耶様が式神、白狼天狗!!! 主より賜りし式名を――――」

「ちょっ! 上に来てるです!!」

 

 大音声で名乗りを上げるシロに、容赦なく影槍が襲い掛かった。

 シロは愛刀・魁丸を振るってその攻撃を斬りおとすと、ダッ! と前へと駆けた。

 

「おのれっ! 某の名乗りを妨げるとは無礼者めっ!!!」

「言ってる場合ですか!?」

 

 名乗り上げを遮られたシロが怒りながら距離を詰める。

 夕映はツッコミを入れながらも後陣に下がり、無防備になっている咲耶の傍についた。

 

 

 

 距離を詰めるシロに浴びせかけられる無数の攻撃。

 シロは獣そのものの反射速度でそれを躱し、一気に地を蹴って瞬動で魔術師の脇をとった。

 振るわれる白刃。

 その刃は、先ほどのハグリッドや魔法攻撃と同様に、魔術師の障壁に阻まれ、弾かれそうになる。

 

「っ!!」

 

 足元から影が襲い掛かり、シロは再びの瞬動で距離をとることを強いられた。

 シロの斬撃でも、あの魔術師を覆う堅牢な城塞のような魔法障壁を破ることは難しい。

 

 瞬動の抜きと同時に再び振るわれた刃。

 刀身に込められた気が剣閃となって魔術師へと襲い掛かり、障壁にぶつかり――

 

「!!!」

 

 瞬間、魔術師は咄嗟に半歩をずらした。

 

「なっ!!」

「なんとっ!!」

 

 マクゴナガルたちが驚きの声を上げた。

 障壁を徹り抜けた斬撃が、魔術師の躱しきれなかった腕を半ばで斬り落としたのだ。

 初めて、この魔術師に攻撃が通った。

 魔術師もこの小さな式神に感心したように視線を注いだ。

 

「なるほど。神鳴流の技か」

 

 —―斬空閃 弐の太刀――

 

 あの大戦の英雄にして幾度もその剣技をもって立ち塞がった強敵と同じ技。

 堅固な魔法障壁を破るのではなく、任意の物のみを切る最上の剣技。

 魔術師の眼差しが鋭く敵意を帯びた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔の支配者、復活!!

 サクヤ・コノエの使い魔が敵襲撃者を引き受けてくれたことにより、マクゴナガルたちは玄関ホールへと向かっていた。

 消えてしまったダンブルドアがどうなったかは確かに気がかりだ。

 だが、それ以上に大切なこととして、生徒たちを守らなければならない。

 ホグワーツの守護の魔法が何らかの方法で破られ、ダンブルドアの姿もない以上、戦闘区域となっているホグワーツ城は危険でしかない。

 進まぬ生徒たちの避難を援護するために、マクゴナガルとスネイプ、フリットウィックは消耗の激しい身体に鞭打って玄関ホールへと駆ける。

 

 その瞬間、門壁を破壊しながら外から何か大きなモノが投げ込まれ、猛烈な衝突音を響かせて広間の扉横の影に激突した。

 

「!!?」

「なんだっ!?」

 

 衝突により壁は大きく抉れ、粉塵が立ち込めた。

 もうもうと立ち込めた粉塵の奥に、投げ込まれたものが横たわっており、それはしゅるしゅるとサイズを小さくした。

 ヒト型ほどに小さくなったそれは、ピクリとも動かない。

 靄が落ち着くにつれて、その姿が露わになっていった。褐色の肌、大きな尻尾、頭部から生える角。

 

「イズー!!」

「なっ!? イゾルデさん!!」

 

 横たわるそれは、先ほどまではドラゴンの姿で奮戦していたイズーの力なく横たわる姿であり、咲耶が悲鳴を上げて駆け寄った。マクゴナガルも思わず声を上げて彼女を見た。

 イズーの体は、ドラゴンの姿になった際に破れたためにか衣服はなく、その裸体が野晒のままになっている。

 咄嗟に夕映が羽織っていたローブを一枚彼女の体にかけたが、その際に見えたのは痛々しくひどく傷ついた彼女の体だった。

 やはり殺すまでには至らすつもりはなかったのか、息はある。だが、明らかに全身の打撲は重症の域に達しているといえるだろう。

 

「ひどい…………」

「待っとってイズー! 今うちが治す!!」

 

 あまりの姿に、近寄ったフィリスは口元を手で覆い、咲耶は扇を抜いて治癒魔法を発動させた。

 ポウ、とイズーの傷だらけの体を光が覆い、傷を癒していく。

 以前に比べれば、無論咲耶の治癒の腕前は段違いに向上しているが、正直これほどの怪我の治癒は経験が無いに違いない。

 咲耶の顔に焦りが滲む。

 

「くっ! コノエは彼女の治療をそのまま続けてください! なんとか彼女を――生徒たちを安全なところに―—」

 

 マクゴナガルは必死に現状の取れる手を模索しようとし――――そして身の毛のよだつ、おぞましく、恐ろしい声を聞くこととなった。

 

 

 

 第76話 魔の支配者、復活!!

 

 

 

 ――――「黙るがよい」――――

 

 恐怖し、混沌の状況にあった生徒、教師、魔法大臣たちの頭の中に、突然、声が響いた。

 

「魔法使いの子らよ。この俺様の話を、声を聞くがよい」

 

 先ほどよりもはっきりと、そして、たしかな絶望とともに響く声。

 

「この声は!?」

「これは……まさか……っ!」

 

 動揺するマクゴナガルの横で、スネイプは大きく目を見開き、左の腕を抑えた。

 

 ――――その声を覚えている。

 彼らにとって最も恐ろしく、忌まわしい者。

 名を呼ぶことすら憚られる邪悪なる存在。

 

「今この事態に、戸惑い、恐怖する者がいるだろう。だが、案ずることはない。魔法使いの子らよ。全ては、俺様のために行われたことだ」

 

 バチンという音とともに、玄関ホールのただ中に、それは現れた。

 

 かの者の姿を見た魔法使いも、彼らの中にはいた。

 だが、現れたその姿は、もはや往時とはまるで違ってしまっていた。

 顔は髑髏のように白く、細長い眼は不気味な赤をたたえており、鼻は切れこみをいれただけのように高さがない。

 だが、誰が間違うであろう。

 あの声を、あの恐ろしい風格を。

 かのアルバス・ダンブルドアが、イギリス魔法界で、最も邪悪と認めた最悪の魔法使い。

 

「この闇の帝王の――ヴォルデモート卿の復活のために行われたのだ」

 

 もはや、敵対する最大の存在はなく、子らを守るための古の呪文も消えた学び舎に、古き血を持つ破滅の魔法使いが蘇ったのであった。

 

 

 

 

「ハリー!!!」

 

 ヴォルデモートの傍らには縄で縛られ、激痛に顔を歪めて蹲るハリー・ポッターの姿があり、ジニーやハーマイオニーたちが、悲鳴のように声を上げて近づこうとし、ロンやクラムに止められていた。

 

 大人の魔法使いたちは言葉を失い、顔を蒼白にして蘇った邪悪を見つめており、子供たちの多くは、この状況が現実のものかと分からなくなるほどに混乱をきたしている様子となっていた。

 

「この中の幾人かは、愚かにも考えたことがあるだろう……そう。今、ここに蹲る虫けらのような子供が、選ばれた少年ではないかということを。このヴォルデモートが、永久に喪われたということを」

 

 次第に、魔法使いたちはそれを現実のものとして認めざるを得なくなっていた。

 “例のあの人”が蘇ってしまったのだと。

 

「ああ……ああ、ああ。これはこれは。魔法大臣」

 

 懸命に隠れようとしていたファッジは名を呼ばれて息の仕方を忘れたようにパクパクと口を開け閉めしていた。

 ヴォルデモートは持っていた杖をひゅんと振った。

 その動きにファッジは情けなく「ひぃ」と声を漏らした。いや彼だけでなく、全ての魔法使いが、何が起こるのかと恐怖に身を凍りつかせた。

 だが、命を刈り取る緑の光も、何かを壊す炸裂音も轟きはしなかった。

 代わりに、広間の方から一つの黒い球が飛んできてヴォルデモートの手中に収まった。

 

「あなたのご友人のダンブルドアは――このとおり、当てにはならないようですな、大臣」

 

 黒く小さな、掌に収まるほどの大きさしかない球。

 それが闇の帝王を唯一阻みうる大魔法使いと呼ばれていた者なのだ。

 

「実に。実にみすぼらしい姿だ、ダンブルドア」

 

 

 ヴォルデモートは嘲笑を込めて球を眺めた。こんな程度の存在が、この闇の帝王を上回るだなどと思われていたのだ。

 こんな程度の存在が、今足下で惨めに転がされている蓑虫とともに、彼を破滅させる存在だなどと信じられていたのだ。

 なんと愚かなこと。

 

「今宵。ダンブルドアは俺様の計画によりその身をこの哀れな球へと封じられた」

 

 悲鳴が上がった。

 帝王の存在を畏れ、その恐怖を思い出したことを何よりも告げてくれる音色だ。

 だがこの場には相応しくない。

 彼は杖をひゅんと振るった。途端、悲鳴が打ち消され、強引な静寂が生み出された。

 

 そうだ。

 これより始まるのは真なる復活の儀式だ。

 体だけではない。イギリス魔法界を恐怖させ、古き血に依る魔法使いのあるべき魔の世界へと作り替えるための始まりの一つだ。

 

「さて、ハリー・ポッター。生き残った少年よ。お前に今一度、このヴォルデモート卿に立ち向かうチャンスをやろう」

 

 そのために、まずは汚点を雪がねばならない。

 奇跡的な偶然とはいえ、このヴォルデモート卿を死の際まで追いやったなどという勘違いを晴らすために。

 

 

 

 身体を戒めていた縄が解け、ハリーはようやく手足を解放された。

 だがあらゆるところが痛みを発していた。

 ヴォルデモートという悪意が身近にあることで、ハリーの額にある雷形の傷跡が割れるような痛みを発している。

 ヴォルデモート復活のための供物として血をとる際に傷つけられた右手が熱を帯びたように痛む。

 

 ハリーは近くに転がされていた杖に無意識の防衛反応として手を伸ばし――――

 

「クルーシオ!」

「ああぁああアあぁああああッッッ!!!!!」

 

 ヴォルデモートの“磔の呪い”をまともに受けて悶絶した。

 今までの痛みの比ではない。

 神経を鑢でこそぎ、背骨が灼熱の棒に変えられたような痛みが間断なく続けられた。

 耐えきることなんてできない。

 この痛みが少しでも続くのならば、いっそ殺してくれと思うほどの痛み。

 不意にその痛みが凪いだ。

 ハリーはぐったりとし、杖を掴もうと伸ばした手は半端に伸ばされた所で落ちた。

 ヴォルデモートはその姿を見下ろし、満足そうな笑みを浮かべた。

 

「見たか! 貴様に奇跡が起こることはもはやない。今日、この決着をもって、誰の心にも疑惑の残らぬようにしようではないか! ハリー・ポッターが生き残ったのはただの幸運でしかなかったということを! この、ヴォルデモート卿の力の絶対を!!」

 

 唯一死の呪文を受けて生き残った少年、ハリー・ポッター。

 彼の上げた悲鳴の影響は、これ以上ないほどの悲壮さを魔法使いたちに与えた。

 

 —―もはや闇の帝王を止めうる者は存在しないのだ――

 

 絶望とともにそれは魔法使いたちに否が応でも知らしめてしまった。

 

「さあ…………ほぅ。どうやら、俺様の許に戻る勇気のある者が、居たようではないか」

 

 ヴォルデモートはばさりとマントを翻し、玄関ホールから上階を仰いだ。

 いつの間にか、階上から見下ろす位置に仮面をつけた魔法使いたちが立っていた。

 

「我が、真なる家族よ」

 

 ヴォルデモートが両手を広げて迎えるように言った。

 来襲するあまりの光景に、ファッジは唖然とするばかりで、目を飛びださんばかりに剥いている。

 

 死喰い人(デスイーター)

 かつてヴォルデモートの熱烈な支持者として、働いた重大な魔法犯罪者集団。

 そのすべてはヴォルデモート卿の凋落とともに服従の呪いを解かれ、あるいは逮捕されたはずであった。

 たしかにクィディッチワールドカップで、デスイーターの仮面を被った数人がマグルに暴行を加え、暴動を起こし、“闇の印”を打ち上げたという事実はある。

 だが、ここには二十人以上のデスイーターが姿を見せているのだ。

 

 これまで築き上げた平穏という仮初が、外からの因子ではなく内から崩れ去っていく音が聞こえたとしても不思議ではあるまい。

 

「だが、随分とまごついた到着だ。大方、ここに来ることを恐れたのであろう? 俺様の前にその裏切りの姿を晒すことを。ここで薄汚れたマグルの庇護者であるダンブルドアと対面することを。そして誰一人として、身体を損なうことなくこの場に集った事に、これほど失望を覚えたことはない」

 

 デスイーターたちは、かつてのご主人様の言葉に底知れない怒りを感じ取って身を震わせた。

 そう。

 ここにこうして集うことができたということは、ヴォルデモートが失墜した後、アズカバンに送られることを免れ、弱り切ったヴォルデモートを見捨てた輩だと言うことに他ならないからだ。

 だが彼らはここに集った。

 ヴォルデモートの大敵であるダンブルドアの足元へと。

 忠義からではなく、恐れから。

 もしも本当に彼が蘇り、その召集を拒んだとなれば、絶対の死を免れないことを知っていたから。

 

「見ろ!! これがダンブルドアだ!! 貴様らが恐れる老いぼれの姿だ!!」

 

 ヴォルデモートは毒々しい顔で、手にしていた黒い牢球を掲げた。

 デスイーターたちから安堵のどよめきが立ち上がった。中には雄叫びの如き歓喜の声を上げる者もいた。

 

「そして今一つの証を見せてやろう……立て、ハリー・ポッター!!!」

 

 張り上げた大声と共に、ヴォルデモートは杖を振り上げた。

 それに糸を引かれるかのように、ハリーはぐいと無理やりに立たせられて、うめき声を上げた。

 足で立ったとき、すぐに膝がぐらついて崩れ落ちそうになるが、たたらを踏んでなんとかこらえ、敵を睨み付けた。

 そして――――

 

「…………なんのつもりだ?」

 

 目の前に黒いマントが翻るのを見た。

 

「セブルス?」

 

 

 

 

 どよめきが波のように広がった。

 他の誰ならばともかく、あのスネイプが、今、まるでハリーを庇うかのようにヴォルデモートの前に立っているのだ。

 

「セブルス……ああ。セブルスよ。ダンブルドアに尻尾を振った愚かなる我が同朋よ」

 

 ヴォルデモートは恍惚としたような口調で、恐ろしく冷たい眼差しをスネイプに向けた。

 

「スネイプ先生!」

「黙れ!!」

 

 マクゴナガル先生が声を上げて何かを言おうとしたが、ヴォルデモートは一喝し、杖を振るってマクゴナガルを吹き飛ばして強引に黙らせた。

 

「お前もまた私を裏切った。このヴォルデモートがそのような小僧によって失われたなどという過ちを信じ、あまつさえ、俺様の復活を一度は阻む行いまでした」

 

 ヴォルデモートの赤い瞳に射竦められ、スネイプの普段土気色の顔が一層こわばりを見せたかのようだった。

 

「だが、俺様は覚えている。お前のもたらした情報こそが、始まりだったのだ。それこそが、真に顧みるべきものだったのだ」

 

 ハリーには、二人のやりとりの意味が分からなかった。

 だが、スネイプの肩がビクリと震え、恐れから強張っていたものが、何かを決意したものに転じた、そんな気がした。

 

「ゆえにセブルスよ。俺様に対する罪を贖うというのであれば――」

「ずっと以前」

 

 スネイプが、ヴォルデモートの言葉を遮った。

 ヴォルデモートは、目の前に立つ愚か者の顔に、自分の予想したものではないものが映し出されているのを見て、冷めたような顔になった。

 

「あの時に、私はこうするべきだったのだ」

 

 マントが翻り、スネイプは杖を“ヴォルデモートに”向けた。

 

「何のためにだ、セブルス・スネイプ?」

 

 ヴォルデモートの声にはもはや愉悦の色はなく、ねっとりとしたタールのような悪意といらだちに染まっていた。

 

「貴方には理解できないもののために、だ!」

 

 スネイプは、杖を振るい、放たれた刃のような呪いがヴォルデモートを襲った。

 ヴォルデモートの顔には、くっきりと憎悪の色が宿り、その呪いを弾き飛ばした。

 二度、三度、四度と無言呪文を放つスネイプだが、ヴォルデモートはそれをまるで寄せ付けずに撃ち落した。

 

「もういい。ならば死ね」

 

 ヴォルデモートが掲げた杖の先から、炎が噴き出し、鞭のように振るわれた。

 炎の鞭はやすやすとスネイプの杖腕を縛り、杖ごとその腕を燃やした。

 スネイプの苦痛を叫ぶ声が上がり、

 

「アバダ――」

 

 ヴォルデモートから明確に殺意が湧き上がり

 

「—―ケダブラ!!」

「エクスペリアームス!!!」

 

 瞬間、忘我したハリーは訳も分からないなにかに突き動かされるように杖を掲げてヴォルデモートに呪文を吐き出した。

 ヴォルデモートがもたらす絶対の死――アバダケダブラ。

 それに対して、行ったのはよりにもよって武装解除。

 ハリー自身、なぜこの呪文を唱えたのかは分からなかった。それになぜスネイプを助けるように駆けだしたのかも分からなかった。

 ハリーにとって、スネイプなんて嫌悪の対象でしかない。

 出会った瞬間から、嫌悪と侮蔑の眼差しを向けられ、意味も解らないころから理不尽な冷遇を受け続けた。 

 ハリーはスネイプのことが大っ嫌いだし、スネイプはそれ以上にハリーのことを疎ましく、嫌っているに違いない。

 

 だが、助けてくれた。

 

 3年前、賢者の石をヴォルデモートとクィレルが狙った時。

 そして今も。

 去年だって、勘違いと別の憎悪に囚われた、全くのはた迷惑でしかなかったが、スネイプからすれば凶悪殺人犯と対峙していたハリーの窮地に駆け付けようとしていたのだ。

 

 それが何によるものなのか、ハリーはダンブルドアに聞いたことがある。

 ――――ハリーの父に、命を救われたからだ。

 お互いに嫌悪しきっていたのに、自分の命を顧みずに、命を助けてくれたからだ、と。

 

 その時の父の気持ちが――言葉を交わした覚えもないのに、分かった気がする。

 いや、気持ちなんてものじゃない。

 ただ、そうあるべきだと、体が動いたのだ。

 

 スネイプ自身が、本当はどう思って、なんのためにハリーを守ろうとしているのか。

 ヴォルデモートと何かの関係があるように見えたのに、それを切ってまで立ち塞がってくれた原動力がなんなのか。

 ダンブルドアが語ってくれなかったなにかが、きっとまだあるのだろう。

 それが何かは分からないし、この自然に動いてしまった体には関係がない。

 

 復活するためにハリーの血を供物として取り入れ、13年前と3年前にハリーの命を救った母の守護を克服したヴォルデモートには、自分の呪文なんて一瞬で消し飛ばされて終わる。

 ハリーは間延びしたような時間の中で、それを思い――――そして二つの魔法がぶつかり、拮抗するのを見た。

 

 

「えっ!!?」

「なんだと!!!!」 

 

 

 驚きは全ての魔法使いに、中でも当のハリーとヴォルデモートの驚きは際立っていた。

 

 二人の魔法がぶつかり合い、赤でも緑でもない、金の糸が紡がれている。

 二人の杖を繋ぐ拮抗。

 杖を繋いだ光が幾百、幾千に分かれてドームを作り、金糸が紡いだドームの中、二人は宙へと浮き上がっていた。

 

 

 

「なにが起こってるんだ!?」

「分からない!! けど……これは、ハリーが!?」

 

 光の織り成す金糸の一つ一つがオルゴールの歯車のように音を奏で、そのすべてが美しい調べとなっていた。

 眩い光景に目を焼かれそうになりながらもリーシャはその光景を見ようとし、セドリックも目の当たりにしていた。

 

 

 死喰い人たちは、決着をつけようとしたはずの主人が思いもかけず苦戦し、再び“生き残った少年”が奇跡を起こしてしまうのではないかという恐怖に動くことができなかった。

 今日、ここに馳せ参じた彼らにとって、闇の帝王への忠節とは、帝王の絶対的な力による恐怖あってこそ成り立つものなのだ。

 ここにこなければ蘇った闇の帝王が確実に自分たちを罰する。

 かといってもしもここで下手に動いて去就を明らかにし、あの少年が再び帝王を下せば、今度こそ逃れようもなく身の破滅だ。

 

 

 

 

 二人の杖は、共鳴し合うかのようにぶるぶると震えていた。

 光の糸は、今やその真ん中に金色の玉をつくり二人の杖の間を彷徨っている。

 

 二人の力があたかも拮抗しているかのように、行き来を繰り返しており、しかしそれは徐々に徐々にハリーの方へと偏り始めていた。

 光の玉が近づくごとに、ハリーは杖の震えが止められなくなってきているのが分かった。

 これ以上はもうハリーの杖――不死鳥の尾羽を芯にした柊の杖が耐えきれない。

 あの光の玉に触れてしまえば砕けてしまう。

 ハリーはあまりにも非現実的な光景の只中にあって、奇妙なほどにそれが確信的だと思えた。

 ハリーは渾身の力と気力を振り絞って懸命に抗おうともがき、しかしそれでも徐々に破滅の光球はハリーへと近づいた。

 

 そして

 

「――――なに?」

 

 ――ドクン――と、ヴォルデモートは己が身の内の脈動を感じた。

 感じた瞬間、拮抗は一気に崩れ、金色の光の玉はヴォルデモートへと押し寄せ、彼の手から杖を吹きとばした。

 

 結末は呆気なく、ヴォルデモートの杖が手から離れた瞬間、光の牢獄は消え去り、二人は地面へと落ちた。

 バチンと、何者かが“姿現し”した音をヴォルデモートは自身の背後に聞いた。

 彼の蛇のように切れ込んだ瞳が限界まで開かれた。

 

 ――――体が動かない――――

 

 指がピクリとも動かず、音の正体を確かめようにも振り向くことができない。

 

「なん、だ、これは…………これは。何をした!! ソーフィン!!!」

 

 

 ハリーは見た。

 ヴォルデモートの背後に二人の男が現れたのを。

 一人はヴォルデモートを蘇らせた場にいた男。短いブロンドの髪の巨漢の男で、ヴォルデモートに自らの左手を切り落として捧げていたために、左手がない。

 もう一人は見たことがない。腰は曲がり目深にかぶったローブから覗く体は骸骨のように痩せ衰えており、立つ姿は弱々しい老人のようだ。

 だが、何か違う予感を、ハリーは唐突に感じた。

 

 

 

「ご苦労だった、ヴォルデモート卿」

「なにを、した! ソーフィン?」

 

 左手を失ったブロンドの男、ソーフィンと呼ばれた魔法使いはにやにやと笑いながらヴォルデモートへと話しかけた。

 その慇懃な言葉遣いにヴォルデモートは真っ赤な瞳に殺意を滲ませ後ろを見ようとした。

 だが体が動くことはない。

 こんな経験は今までの彼の記憶には無かった。

 どのように強力な魔法も、闇の呪いも、不世出の魔法使いである闇の帝王を縛ることなど出来るはずはない。

 そんな怒りとは裏腹に、体はまるで“内側から支配された”かのように自分の意志を拒絶する。

 

「なにを? ヴォルデモート卿。貴方はつくづく愚かな男だ。貴様の哀れな13年に免じて僅かな時間を与えてやったというのに、よもやあんな小僧一人満足に仕留めきることができないとはな」

 

 ソーフィンや、かの闇の帝王の名前を口にし、くっくっと侮辱するように笑った。

 

「誰にそんな口をきいているっ!! ソーフィン!!!!」

 

 できの悪い仮面のように潰れたヴォルデモートの顔がこれ以上ないほど憎悪に歪んだ。

 

 今すぐにでもこの男を殺してやりたい。

 一体誰にそんな口をきいているのかを思い知らせてやりたい。

 だが体は動かない。

 これほどまでに闇の帝王たる彼が屈辱と怒りとを覚えているのに、出来ることはまるで無力なマグルが魔法使いを前にしたときのようではないか。

 

「他者を見下し、利用し続けてきた貴様が、何故自分だけはそうはならないと言い切れる? 自分だけが違うと思うのはおこがましいのではないかな、ヴォルデモート?」

「騙しただと。このヴォルデモート卿を!!?」

「ダンブルドアを無力化するお膳立てがあると聞いてなお、臆病風に吹かれる貴様をここまで引きずってくるのには苦労したがね」

 

 赤く光る目がこれ以上ないほどに開かれた。

 ヴォルデモートにとって、他者とは常に見下し、騙し、利用するための存在でしかないはずなのだ。

 自身が持つ特別な力によって脅し、殺し、ひれ伏せさせる。

 信頼するなどという空虚な思い違いと甘美な言葉によって心酔させる。

 ヴォルデモートにとって全ての他者はそうあるべきなのだ。

 

 その自分が、騙されたと?

 ありえることではなく、許されることではない。

 

「いやそれは貴様にとっては恥ずべきことではないな、ヴォルデモート卿。ダンブルドアが全盛期の時、我が主でさえ、イギリスには手を出そうとしなかったのだから」

「主!? 主だと!!??」

 

 なんなのだこれは。

 全て上手くいっているはずだった。

 下僕を利用し、その肉を供させ、何にも代えがたい敵の血を手に入れた。

 

「あやつの強大さを知っているのなら、なぜこの国にこだわった? なぜ奴のいるこの国内で平然と愚行を繰り返した? ああ。もちろん分かっているとも。貴様ごときでは他の国で猛威を振るうことなどできないと分かっていたからだろう?」

 

 恐れていたのではない……とは言えない。

 誰しもがそう噂したように、確かに彼はあの老人と杖を交える事だけはしなかった。

 だがそれは当然そのようにすべきであり、ヤツは認めざるを得ない魔法使いなのだから。しかし結局やつは術中にはまり、みすぼらしい黒球の中ではないか。

 そんな今の状況を、このヴォルデモートを操って作り上げたというのか?

 

「所詮貴様は、この国でしか持て囃されない、黴の生えた古臭い血統にしかしがみつけない憐れな鳥だ」

 

 ソーフィンは杖を振るうとどこからともなく、いくつかの物を出現させて地面に落した。

 

 アナグマの刻印がなされた小さな金のカップ。文字の刻まれた黒ずんだティアラ。金のロケット。黒い装丁の本。ズタボロになり虫の息の大蛇。

 

 ヴォルデモートの目が瞬時に4つの品物を見て、そこに恐怖が浮かび、そしてボロボロの蛇皮のようになっている愛蛇を見て、憤怒に染まった。

 

「貴様ぁ!!!! どこだっ!! どこでそれらを手に入れた!!」

「どこで? ふん。だから貴様は赤子にすら遅れをとるのだよ。ヴォルデモート」

「なに!? ぐがっ! き、さ……」

 

 激昂するヴォルデモートにソーフィンは酷薄な笑みを浮かべていた。

 

「ここにあるのが、卿の魂の全て。さて、それでは私の腕を返してもらおうか」

「やめろ、やめろっ!!」

 

 全てを恐怖させるはずの闇の帝王の叫び。

 老人が小さく呪文を唱え、それが結ばれると、四つの品物と虫の息の蛇から黒い靄のようなものが吹き上がった。

 

「一時とは言え、肉体を与えたのだ。代償に卿の魂を捧げていただこうか。私の本当の主の復活に!」

「やめろぉっ!!!」

 

 彼が心から信頼する者などなく、またこの場には命や名誉をかけて、危機に陥った彼を助ける者もない。

 動くことのできないヴォルデモートからもまるで魂を引き抜かれるように黒い靄が沸きだし、絶叫が迸った。

 

 

 

「ああああああッッッッ!!!!!」

「ポッター!?」

 

 絶叫は一人のものではなかった。

 聞こえてきた叫びにスネイプやほかの魔法使いたちもハリーへと振り返った。

 ハリーは額にある雷形の傷痕を押さえ、床に崩れ落ちていた。

 

 傷痕がぱっくりと開き、額が割れるような激痛。

 いや。その傷痕からは、ヴォルデモートのものと同じように黒い靄が、ひび割れた器から解き放たれているかのように滲み出ていた。

 

 

 

「なにが……っ!?」

「分かりません! が止めないと不味い予感だけはするのてす!!」

 

 激烈に加速するように膨れ上がる嫌な予感に、夕映はチャージしていた魔力を全開にして、ここぞとばかりに攻撃をしかけた。

 

 夕映は争乱の中心であるヴォルデモートと男をもろともに撃つべく、二人にむけて手に持っていた剣を投擲した。

 雷撃魔法を詰め込んだ魔法剣。

 少なくとも着弾したそれを解放することで雷撃を浴びせる手管だったのだが、その剣はヴォルデモートたちのもとに行くことなく上から落ちてきた黒い影に押し潰された。

 

「なっ!? デュナミス!?」

 

 滝のように落ちてきた影に飲み込まれて剣か落ち、その影からとぷりとデュナミスが現れた。

 その位置からでは雷撃解放してもヴォルデモートには届かない。

 だが、夕映はせめてと剣に込めた魔法を解放した。

 

解放(エーミッタム)白き雷(フルグラティオー・アルビカンス)!!」

 

 解放された白き雷が、障壁の内側からデュナミスを攻め、同時に夕映は杖を左手に持ち、デュナミスの懐にまで潜り込んだ。

 右手を突きだし、待機させていた大呪文を解放。

 

 ――零距離・雷の暴風(ヨウィス・テンペスタース・フルグリエンス)――

 

 夕映が持つラテン語詠唱における最大級の攻撃魔法。その雷風の放撃がデュナミスへと襲いかかり

 

 ――届いて、いないッッ!?――

 

「ッッ!!!」

 

 デュナミスの曼荼羅のような積層多重障壁は、内と外から伝統魔法の数十倍にも及ぶだろう威力の攻撃を受けながらも、小揺るぎもせずに夕映を吹き飛ばした。

 

 マクゴナガルが作り出して浴びせかけた剣の嵐も、フリットウィックが放った爆発の呪文も、全て混乱の中心であるヴォルデモートのところにまで届くことなく、デュナミスによって防ぎきられてしまった。

 

 

 

 荒れ狂う黒い靄の奔流が、全て老人へと吸い込まれていき、ソーフィンが歓喜に狂ったような哄笑をあげた。

 裏切りを叫ぶヴォルデモートの怨嗟の声が消えた。

 ハリーが荒い息をつきながら、じくじくと痛みを覚える額を押さえて蹲っていた。

 

 全ての靄が消え去った時、弱々しく立っていた老人は消えていた。

 そしてあの男――“闇の帝王”と恐れられ、自らをヴォルデモート卿と称した闇の魔法使いの姿もまた、消えていた。

 

「何が……起こったのですか……?」

 

 マクゴナガルの声が震えていた。

 最悪と呼ばれた闇の魔法使いは姿を消した。それだけをとれば、最悪の事態を乗り越えることができたと言っていいだろう。

 だが満ち溢れる濃密な気配は、彼女にも、他の全ての魔法使いたちにも、何らの安堵をもたらさなかった。

 

 闇の帝王の代わりに立っていたのは大きな猛禽のような魔法使い。

 

 マクゴナガルはその顔を知っていた。無論直接会ったのはこれが初めてだ。だが、知っている。

 生徒たちは感じていた。その魔法使いからどこかで感じたことのあるような、それでいてそれよりも猛々しい存在感が溢れているのを。

 

 金髪の巻き毛と秀麗な顔立ちの男。

 

 

 ハリーは痛みが治まり、はっきりしつつある視界の先にその魔法使いを見た。まるで違う容姿だが、なぜかハリーは、それがダンブルドアだと、錯覚した。

 

 それはハリーや、他のほとんどの生徒、魔法使いたちが思う最高の魔法使いが、彼であったからだ。

 

 かつて彼と互する魔法使いと、互いに認めた同志。

 

 ソーフィンは片手となった残る右手で杖を振るい、黒衣のマントをパッと出すと、男に恭しく差し出した。

 男はマントを受け取るとバサリと翻し、それを纏った。

 

 マントに記された紋章は円に内接する三角形と分断する一つの直線。

 

 古く、それを求める者からは見なされていた――死を超越する印、と

 そして一つの学び舎と、ここではない場所ではこう見なされていた――――

 

「お待ちしておりました、我が義父―――― グリンデルバルド様」

 

 ゲラート・グリンデルバルドの紋章、と

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神を殺す力

 場を支配するのは混沌と、それを圧する超然とした魔法使いの格。

 

 長い時を経て恐怖の記憶を思い出されて呼び出された死喰い人たちは、呆然としてどう動くべきかを見失っていた。

 黒いフードを纏った魔術師はここに迎えるにいたった同志へと振り向き、老人の姿を捨て、今や青年の姿を取り戻した金髪の魔法使いは、ソーフィンから手渡された杖をひゅっと一振りした。

 

「何をした?」

「梯子を外された哀れな羊どものために柵を打ちつけたのさ」

 

 ご主人様が居なくなり、戻ってこないことを悟った死喰い人たちは慌ててこの場から逃走するためにその場でくるりとローブを翻し、姿をくらまそうとして――――むなしくその場で回転するだけで終わった。

 姿くらまし防止呪文。

 このホグワーツにかけられていた護りの為の呪文が、今や敵味方のすべてを拘束するための檻として再びかけ直された。

 

 

「アイツヴぁ……!!」

「お、おいっ!! どうしたんだよ! クラム!!」

 

 蒼褪める多くの生徒たちとは異なり、金髪の魔法使いを見たクラムは牙をむくように怒りの形相を露わにし、杖を掲げて飛び出そうとしていた。近くにいたフレッドが慌ててクラムを羽交い絞めにしてクラムを止めていた。

 

「だ、誰なんだ、アレ!?」

 

 ロンは震える声で“名前を言ってはいけない人”を食った魔法使いについてを尋ねた。

 

「ヴぉくたちは知っている!!  アイツヴぁ! ヴぉくたちの血族を殺した男だっ!」

「だから誰なんだよ!」

「グリンデルヴァルド! ゲラート・グリンデルヴァルドだっ!!」

 

 

 

 第77話 神を殺す力

 

 

 

 

 死喰い人、そして魔法使いたちのこの場からの逃走を封じたグリンデルバルドは、杖の振り心地を確かめるようにうっとりと杖と自分の杖腕を眺めた。

 長く忘れていた杖を振るう感触。体に溢れる魔力を解き放つ感覚。自分の意志に寸毫の狂いなく答える体の反応。それらは彼の要望をことごとく叶えるに足るものであった。

 グリンデルバルドは再び杖に魔力をこめ、

 

「待て」

 

 振るおうとした直前に、黒衣を纏った魔術師に制止された。

 

「なんだ?」

「人を殺すな。それが目的のための前提だと言ったはずだ」

 

 たしかに彼にとって、この魔術師は今の状態を齎してくれた魔法使いであり、そして彼の今後の目的とも合致する同志だ。だが、グリンデルバルドにとって、そこには上下の関係性というものを持ち込まれるのは心外である。

 

「ふん。どうせ消すのだ。同じことだろう?」

「違う。今我々には鍵がない。ここで彼らを消せばその魂は永久に損なわれる」

 

 グリンデルバルドの問いにデュナミスは“先輩格”として淡々と答えた。

 

「それにすでに分かっただろうが、その体はすでに人を殺すことに制限がかかっているはずだ」

「……たしかにな。これが人に対する殺害規制とやらか」

 

 人に対しての行動に対して、一定以上の殺意を抱こうとするとズキリと頭が締め付けられるような拘束を受ける。

 グリンデルバルドは興味の薄れた顔になり、鼻を鳴らした。

 元より、彼らにとってこの場に残る全ての魔法使いは、とるに足りない存在なのだ。それこそ魔法の有無――マグルかどうかなど些末な差でしかない。

 この形での使徒化(・・・)を企図したのも、薄汚れた魂がグリンデルバルドの秘術にとって都合がよかったのと、すでに人とは呼べないそれ自身が使徒にとって極めて遺憾な事態を引き起こす災厄となっていたからだ。

 

「それで。ここの連中はこのまま放置か?」

 

 グリンデルバルドはぐるりとあたりを見回して尋ねた。

 彼にとってこの場所は馴染みこそないが、感慨を抱かせるに足る場所ではある。なにせ、彼のライバルであり親友であった人物が、自分の野望を砕いたにも関わらず、選んだ居場所なのだから。

 

 恐々とする魔法使いたちは、あまりにも違いすぎる存在に、意識を向けられただけで、絶望的なほどに悲観する先を予感させられた。

 

「ここで始末しておくほどのものではない、が、たしかに放置しておく理由もまたないと言えるな」

 

 グリンデルバルドの問いに、デュナミスはなんの思い入れもなく答え、この場に降り立ったところに留まらせている影に視線を向けた。

 先ほどの戦いで圧倒し、その影の中に囚えたままに引きずってきた式神。

 

 

 

 

 咲耶はデュナミスが視線を向けている先、黒い影溜りの中に沈む白い毛並みを見て、愕然としていた。

 

「シロくんっ!!」

 

 童姿の小さな体の大部分は影に沈み込みかけており、ところどころに見える部分は明確に傷だらけの姿。圧倒的な使徒の力の前に、傷つき敗れた式神の姿であった。

 実体が保てなくなるほどまでは食い込んでいないが、明らかに重症。

 すぐに治療しなければ、実体が消滅してしまうことすら分かってしまうほどだ。

 すぐにでもその影から引き上げたい。

 その衝動を覚えながら、咲耶は膝をついたまま動くことができなかった。

 今この場を離れると同じように傷だらけとなったイズーの治療を放棄することになってしまうからだ。

 母であればおそらくあんな傷でも一瞬で治せるであろうに、未熟な自分では自身の盾になってまで守ろうとしてくれた式神が傷ついているのに治しに行くことすらできない。

 

 何一つ叶えることのできない無力感。

 

 不意に――――耳の奥から言葉が聞こえた。

 

 —―もしも何か起こって、本当に危ない時――—―― ――

 

 告げられたのは一つの名前。

 呼ぶことを禁じて、それでもどうしようもなくなった時に呼べと。いつも自分に語り掛けてくれる声が、いつもより呵責を深めた音で、教えてくれた。

 そこに込められた思いは複雑すぎて、咲耶にも分からなかった。

 けれど――――その時は、きっと今しかない。

 

 

 

 

「この場の人間たちには退場いただく。だがまずはこの式神から消しておくとしよう」

 

 デュナミスの無慈悲な宣言がシロの耳にも届いた。デュナミスはすぅと腕をシロへと向けている。

 

 友の治療のために動くことの出来ない姫さまの見ている前で、影からの圧迫が強まり、シロの口から「ぐぅ」という無様な呻き声が漏れた。

 シロは未だに握りしめている刀に力を込めた。

 

 今更自身の存在がどうなろうと構いはしない。

 自分の存在と引き換えにでもこの魔術師たちを退けられるのであれば躊躇なくそうするであろう。

 だがそうしたとしても、今の自分にはそんな力が無いことはわかっている。

 存在が消え、その後どうするというのだ。

 

 まだ取れる方法は一つだけある。“あの男”が残した方法だ。

 だがそれを自分は望みはしない。

 “あの男”が残したそれは、廻る因果を繰り返させる縛りの糸だ。卑劣な“あの男”が自身の目的のために、ほんのわずかに生じた隙間に差し込んだ毒。

 もう絶対に繰り返さないと誓ったのだ。

 悔恨と断罪の業火の中で誓ったのだ。二度目はないと。

 何においても守るべきものがあり、そのために――“姫様”のために自分は再びここにいるのだから。

 かつての主のためではない。すべてはただただ姫様のために。それだけが―――――――

 

 

「討ち祓って! 白葉(ハクヨウ)!!」

 

 名が――喚ばれた。

 もう二度と、決して喚ばれることを望まない名前が、他でもない、決してその名を口にしてほしくない姫さまの口から。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 ピシリと、亀裂が走った。硝子細工の器に走る疵。

 

 ――偽りなく汚れなき白い毛並み。豊穣なるこの地を表すかのような木の葉のような見事な尾。……よし、お前の名は―――― ――

 

 名前――そうだ。自分の名前。あのお方に頂いた、己が真名。

 

 —―俺はお前を信じてるから、だから俺の大切な者を守って欲しいんだ――

 

 魁の刃を振るうはあの方のために。あの方の、大切なものを守るために。

 

 —―忠義の剣だなどと、大層なことを言って、結局これか。お前も、俺を騙していたということか――

 

 世界が、変わる。

 川を流れる薄桃色の花が、紅蓮に包まれ燃え上がる。

 

 ――貴方の所為ではない――

 

 その言葉が、なによりも苛むのだ。

 そのお優しい心が、あの結末を招いたのだ。

 

 罅割れが広がっていく。

 決定的な何かを変える、おそろしく不気味な音。全身の毛が逆立つほどに破滅的な音。

 

 ――もう二度と繰り返しはしない。

 守るべきものを、貫き通す第一義を、違えることだけは――――しない。

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

「討ち祓って! “白葉”!!」

 

 咲耶がその名を叫んだ瞬間、“シロ”を縫いとめていた拘束がはじけ飛んだ。

 

「ぬっ!!?」「なにっ!?」

 

 一瞬で影の束縛を打ち破った式神の反撃に、デュナミスとグリンデルバルドは距離をとって防御の構えを見せた

 劫っ、と焔が立ち上った。白い焔。“白葉”の体から放たれた焔は四方へと放たれ、瞬く間に周囲を舐める。溢れる焔の氾濫に魔法使いたちが阿鼻叫喚のごとくに悲鳴を上げた。

 

「これは……!?」

「一体なにが……?」

 

 だが広がる焔は一見無秩序なように見えて、しかし確実に影の魔物だけを焼いていた。

 その光景に魔法使いたちは驚き、瞠目して童姿の式神を見た。地に伏していた小さな体は刀を携えて立ち上がっている。

 なによりもその体から放たれる炎に、体は逆に凍えるようななにかを感じた。

 人ととしての存在が、あの炎に違うものを感じているのだ。

 

 白狼天狗――――神の末席に連なる天狗。人の式に堕ちた“神”。

 

 “白葉”は自身の刀――魁丸をスッと構えた。周囲に散っていた焔が収束し、刀身へと収束していく。強く、強く―――― 一帯に放たれた焔の全てが刀身へと宿った。

 

 デュナミスは視た。

 目の前の小さな式神が、先程までの取るに足らない存在ではなく、その身に宿っている気が、極限まで収束していくのを。そして、これまでよりも明確に、主と式神の繋がりが感じ取れた。

 

 白葉は焔を宿した刀をスゥと引き、腰だめに構えた。飛びかかる弓矢のごとく引き絞られる気の収束。

 デュナミスはゾクリと、その刀に悪寒を感じ取った。

 

 ――あの焔刀は危険っ!?――

 

 その正体不明の力が牙を剥く前に潰すべく、ディナミスとグリンデルバルドが魔法の構えをとった。

 

「――――軻遇突智!!」 

 

 瞬間、白葉が刀を振り抜き、振り切られた刀身から焔の斬撃が放たれた。

 

「!!」

 

 斬撃の形をとって放たれた焔。

 デュナミスは咄嗟に防御の構えをとり、グリンデルバルドは炎凍結の魔法で迎撃しようとし――そのどちらもが焔の斬撃に呑まれた。

 斬撃はそのまま城壁へと殺到し、無形の焔に戻って崩れた。

 

「くっ!!」

「ちぃ! なんだこの力は!?」

 

 デュナミスとグリンデルバルドは焔の波の中から抜け出し、予想外に強大なものとなった式神の力に顔色を変えていた。

 式神の攻撃が積層多重障壁を破って、本体にダメージを与えた。

 覚醒したばかりでまだ十分な調整を施していないグリンデルバルドはともかく、最古の使徒であるディナミスの積層多重障壁はそれこそ城塞と同等のものだ。

 しかも恐ろしいことに、最強であることを設定された使徒に対して、ヒトの使い魔ごときが突き立てる牙を見せたのだ。

 

 白葉は追撃をためらわず、瞬動で一気にデュナミスとの距離を詰め、至近距離で刀を薙いだ。デュナミスは破れかけの多重障壁だけでなく、影の魔物を使ってそれを防ごうとするが、紙を切り裂くようにその防御を斬り、デュナミスの体に一閃を入れた。

 

「ぬっ!!?」

 

 体を刃が通った瞬間、デュナミスはドクンと異変を感じて呻いた。

 再生核さえ無事ならば容易く再生できるはずの体が明確なダメージを受けている。先ほどよりも明確に、この式神の脅威度が増していることをデュナミスは認識した。

 仕留めるべく刃を振るおうとした白葉だが、グリンデルバルドからの魔法の射撃を浴びて、それを切り払い、その隙に二体は距離を離した。

 

「なんだあれは!?」

 

 最強の使徒二体が妖魔に退けられるという事態にグリンデルバルドが怒声を上げる。

 デュナミスはいつもよりもかなり再生の遅い傷に手をやり、顔を険しくした。

 

「この傷……不死(・・)殺し、いや。()殺しの力か!!」

 

 焔の上に立つ白葉の眼光が二体を射抜く。

 “やんごとなき血脈を受け継ぐ近衛の式神”

 あの癒し為す姫君の娘だ。何かしらの脅威を孕んでいることは予想がついていたが、これはデュナミスの予想を超えていた。

 軻遇突智。火産霊神あるいは火之炫毘古神とも記される、日本神話において不死たる神を弑した火神の名だ。

 不死であろうと、神たる存在であろうとも、燃やし滅することのできる神代の力の再現。

 式神の力か、主の力の一端を借り受けているのか、どちらかはともかく、一太刀を体に受けたデュナミスは危機感を募らせた。

 ――あの力は、自身だけでなく、“主”をも弑する。—―

 

 だが――――

 再び跳躍して襲い掛かってきた白狼天狗に、デュナミスはにやりと口元を歪めた。

 

「大した力だ。あの“福音の御子”の寵愛を受けるだけはある。だが、いいのか?」

「…………」

 

 語り掛けてくるデュナミスの言葉を無視して討滅を果たそうとする白葉は

 

「主の方がついて来られないようだぞ?」

「!!!」

 

 その言葉だけで、眼前の敵を放り出して振り向くことを余儀なくされた。

 

 

 

「おいっ!! サクヤ!! どうしたんだよ、おい!!」

「—―――ァッくっ。—―――ッぅ」

 

 白い焔が吹き荒れた瞬間、胸元を抑えて倒れ込んだ咲耶に、リーシャたちは色を失って叫びかけていた。

 

 焼けるように胸の奥が熱い。

 久しく遠ざかっていた“魔力の暴走”。長じてからはなかったはずのそれが、今、かつてないほどの勢いと唐突さで咲耶に襲い掛かっていた。

 自分の中の奥底から次々と何かが溢れ、どこかに流れ出していく感覚。激流の只中に放り出されたかのように身動きがとれない。人の身に余るものが、咲耶という殻を破って出てこようとしているかのように。

 筆舌に尽くしがたいほどの激痛が咲耶の体を駆け巡り、体はくずおれ、床に爪をたててのたうちもがいていた。

 

 

「ッ!!!」

 

 ――しまった!!!――

 

 痛恨の極み。

 白葉はあれほど戒めていたにも関わらず、見失いそうになっていたことに気づいて慌てて焔を内に戻した。

 あと一歩のところで使徒たちを屠ることができたにも関わらず。あとわずかだけ続ければ皆の窮地を救えたことも無関係に。そのわずかが姫を壊してしまうことを恐れて、焔を沈めた。

 他に目もくれずに白葉は姫のもとへと駆けようとし――――その頭上に泥のような黒い影が落ちた。

 

「ガッッ!!!!」

 

 重く圧し掛かる影に潰されて白葉は地に縫い付けられた。

 

「あのまま続けていれば、あるいは我らの内のどちらかを滅することが出来たかも知れなかったな、白狼天狗」

 

 白葉が躊躇なく選んだ答えの愚かさを嘲笑うようにデュナミスは十重二重に束縛していく影を重ねた。白葉は影の重みと嘲りとにギッと歯を噛み締め、届かなかった姫の姿を見た。

 焔を白葉の内に戻したことで幾許かのゆとりを彼女にもたらしてはいたが、それでも砕けた封じは戻っていない。

 燻る焔が彼女の身を内側から焼いているのが、白葉の目には視えていた。

 

「白、葉…………」

 

 胸を抑えながら苦しげに式の名を喚ぶ姫の声に、白葉は握る刀にぐっと力をこめ、束縛を打ち破ろうとした。

 だが同時に暴れ出ようとしている“軻遇突智”の炎を抑え込むことにも力を割かれ、束縛を打ち破ることは到底できない。それどころか重みを増してくるそれは、白葉の小さな体を今や砕かんばかりのものとなっていた。

 

「それで。こいつも殺さずにおくのか、ディナミス?」

「いや。他の者は封じておくだけでいいが、こいつだけは別だ。こいつの能力は危険だ。それにこれは召喚された半実体にすぎん。これを消滅させたところで、存在自体は消えはしないだろう」

 

 召喚魔は人とも魔法世界人ともまた異なる存在だ。魔族と同じく、この世界で普通の損傷をおったとしても、魂さえ無事なら元の世界に送還されるだけだ。

 だが“近衛”の式神としての契約は断たれる。おそらく、それであの神殺しの力は失われるはず。

 不滅の主にも届きうるだろう神代の力。

 

「白葉……!」

 

 消し去られようとしている式神の名を喚ぶ咲耶。

 

 なんとか応えてくれようともがく白葉だが、それは式神の苦悩を深めるだけの効果しかもたらせない。

 

「魔法世界に残してきた組織の遺産と引き換えに、こちらの世界に適応した新たな使徒の起動。この30年の潜伏期に築いたものは失ったが、対価としては十分だ」

 

 ――――リオンが言ったのだ。

 “どうしようもなくなった時に”、と。そうすれば――――

 

「終わりだ、人の式に堕ちた天狗よ。案ずることはない。いずれお前の主も同じところに行くことになるのだ」

 

 デュナミスは右腕を伸ばし、この場における最大の脅威を排除する魔法を紡ぎ――

 

「!!!!」

 

 その腕が不意に掴まれた。

 

 

 ――どこにいたとしてもそれは伝わるから――

 

 

「なにっ!!?」

 

 デュナミスの足元の影から伸ばされる腕。咄嗟にデュナミスはその腕の伸びてくる先を追い、そこに光る眼光を見た。

 影の中、こちらを睨みつける碧眼の瞳。 

 

 ――影を使った転移魔法(ゲート)!?――

 

「貴様ッ!!?」

 

 その転移魔法を得意とする魔法使いを知っている。

 前回の戦いで襲来した悪夢のごとき闇の魔法使い。今回の襲撃のために魔法世界へと誘いだしたその息子。

 

「随分とやってくれたようじゃないか、人形」

 

 グンッと掴まれた腕が引き寄せられ、次の瞬間、空気を震わす衝撃とともにデュナミスは吹き飛び、城門を砕いた。

 障壁ごと吹き飛ばされたデュナミスの姿に、グリンデルバルドは驚愕し、現れた敵の増援を見据えた。

 

「貴様……!」

 

 新月の影響で赤い髪。溢れる魔力はすでに規格外。姿現しを封じたこの場所に転移してくる魔法使い。

 

「り、おん…………」

 

 ―― リオン・M・スプリングフィールド ――

 咲耶は涙で滲む視界の先に、なによりも安心感をもたらしてくれる人が立っているのを見た。

 

 

 リオンは敵意の眼差しを向けてくる魔法使いと相対し、次いで足元で影に飲み込まれる寸前の白の式神に視線を落とした。

 

 外だけでなく中もボロボロに傷つき、それでも刀を離そうとしない童姿の忠義の式神。

 そこにあるはずの封の一つが、察知した通りに砕けつつあるのを視て、眉を顰め、膝をついてその影に爪をたてた。

 掴まれた握力で握りつぶされていくかのようにビキビキと音を立てて砕かれていく影の拘束。

 身体が解放されていく白葉の耳に、リオンは小さく言葉をかけた。

 その言葉に、白葉はぐっと歯を噛みしめた。

 

 

 

 

「なるほど貴様がデュナミスの言っていた厄介な魔法使いか」

 

 最強の魔術師であるデュナミスが施した拘束を、瞬く間に砕いた力。

 この作戦において、彼―― ゲラート・グリンデルバルドの宿敵、アルバス・ダンブルドアと並んで要警戒人物として挙げていた最強クラスの魔法使い。

 

「そうだ。その赤髪。顔。魔力。忌々しいスプリングフィールドの血族。リオン・スプリングフィールド!!」

 

 吹き飛ばされたところから立て直したデュナミスが、かつてを思い出させるその忌々しい血族の名を叫んだ。

 

「魔術師、デュナミスか。やはりあの時、抜け出していたとはな。聞いていた通り、死んだふりが得意なようだな?」

 

 当初の予定地とは異なる場所、世界で、リオンはようやく敵と対峙した。

 

 

 

 一方、リオンに解放された白葉は、何においても駆けつけるべき所に――咲耶のもとに駆け寄り、倒れている彼女の横に膝をついた。

 

「咲耶姫」

「シロ、くん……」

 

 まだ苦しさは続いているのだろう。息は荒く、胸元を抑えた手は握りこまれたままだ。

 しかし先ほどは苦しさと絶望で濡れていた瞳は、あの男の到着で白葉の望むままの形になってくれている。

 自身を呼ぶ名前が、今の自分に相応しいものへと戻っていることに、白葉は泣きそうな顔となって微笑み―― 一度だけ、自分の望みとして姫の頬に触れた。

 

 そこに感じる温もりは望んだとおり。

 そこにある思いは、今は一欠けらだけ自分に向けられ、けれど想いは揺らぐことなく、白葉の望んだところにある。

 

 

 ――――本当は自分に姫の傍にいる資格なんてない。

 自分の力はあまりに弱く、自分の意思は望むように貫くことすらできない。

 今だって同じ。

 どれだけの時が経とうとも、自分の抱いた罪は消えず、変わらない。

 同じことを繰り返し、それでも同じ願いを抱くのだ。

 この優しい姫に幸福を、と。

 

 名を喚んだことは、力を解放したことは、決してさせてはいけないことだった。

 あの男の策略を、覆すことができなかったのは、痛恨の極みでしかない。

 

 それでも、その鈴のようなお声でもう一度名前を喚んでいただけただけで、どれほど嬉しかったか――――

 

 微かに触れた手をシロ(・・)は離した。

 

「申し訳ございません。すぐに、封印をかけなおします」

 

 離した手を、パンッ! と甲高く柏手を打った。

 

 ――「ひふみよいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおゑに さりへて のます あせえほれけ」――

 

 咲耶の耳に、朗々とした詞が届いた。

 

 ――たかまのはらにかむづまります すめらがむつかむろき かむろみのみこともちてすめがみたちのいあらわしたまう とくさのみずのたからをにぎはやひのみことにさずけたまい―― ――――

 

 十種神宝大御名。御霊を鎮める言霊が咲耶の中で荒れ狂おうとしていたものを鎮めていく。燃え盛る白焔がゆるゆると優しく撫でる様な温かさへと収まっていく中、咲耶はその御霊鎮めを詠う式神を見上げた。

 優しさに満ち、そして――――哀しむような顔だった。

 

 

 

 咲耶の傍に駆け寄った式神が、咲耶に封をかけなおして暴走しかけていた魔力を落ち着かせていくのを横目で確認し、リオンは二体の使徒に向き直った。

 

「ふん。あっちの雑魚どもを餌に俺やタカユキを釣り出して、本命はそこのをお仲間に加えることだとはな」

 

 リオンは敵意の視線に不機嫌さを上乗せして、デュナミスを、そして情報とは異なるモノになっている魔法使いに視線をむけた。

 

 予定では、魔法世界のとある場所に追い詰めた組織残党を、“そこにいるはずの”幹部ごと殲滅する手はずになっていた。

 だが魔法世界での殲滅作戦行動時、肝心の幹部生き残りの姿を発見できなかったのだ。

 予想と外れた結果に終わった作戦。とはいえ、元々残党たちの組織だった動きが活発になってきたというのと、幾つかの些細な違和感が、永久氷結されているはずの使徒に生き残りがいるのではないかという推測の根拠でしかなかった。

 推測が外れたのであれば、リオンが魔法世界に赴いたのは無駄足ではあったし、暴れる機会がなかったのが物足りなくはあるが、面倒事がないにこしたことはない。

 それで終わるはずだった。—――― 仕掛けておいた保険が作動するまでは。

 

「ゲラート・グリンデルバルド。新たな使徒の名だ」

 

 大鳥のような金髪巻き毛の魔法使いは、両手を広げて自らの新たな在り方を告げた。

 その姿にリオンはスッと目を細めた。

 

 組織残党が旧世界のある施設周辺に出没し、伝統魔法族の何者かと接触をもっている、というのはタカユキの情報で掴んでいた。

 ヌルメンガード ―― かつてゲラート・グリンデルバルドが“より多くの善のために”という名目のもと建てた悪名高き魔法使いの牢獄であり、ダンブルドアに敗れた彼自身が収監されていた場所だ。

 魔法世界で大戦が起こっていたのとほぼ同じころ、旧世界ヨーロッパの大陸で猛威を振るった闇の魔法使い。記録によればその年齢はダンブルドアとほぼ同じはずであり、人の寿命にしてみればいつ全うしてもおかしくないはずの老齢のはずだが、そこに立つ姿は若々しく、全盛期と言っても違いない姿だ。

 どんな魔法を使ったのかは、リオンにとってさしたる関心事ではないが、上の方で身動きがとれなくなっている間の抜けた仮面の馬鹿どもの困惑した様子からすると、この場に居るホグワーツ・魔法省の勢力とも“死喰い人”とやらの勢力とも合致しない存在ということなのだろう。

 

「魔法世界に行っていたはずの貴様がなぜこの短時間でここに舞い戻ってこられた?」

 

 ホールへと舞い戻ったデュナミスは苦々しい顔で問いかけた。彼にとっても、できればこの男との遭遇は避けたい事態だったのだろう。

 使徒である自身が敗れるとは思わなくとも、かつてその使徒たちを氷の白薔薇に閉ざした“怪物”の直系の眷族だ。遠ざけておくに越したことはない存在であるのは間違いなく、しかし、現にこうしてここに居てしまっている。

 魔法世界と旧世界は、基本的に数週間から数か月の頻度でしか開くことのないゲートでしか繋がっていない。

 世界にいくつかゲートが点在しているとはいえ、作戦行動が完了していないであろう今の時点で、悪評あるリオン・スプリングフィールドが即座にこちらの世界に戻ってこられるようなゲートはなかったはず。

 

「さて。思考停止した時代遅れの人形ごときには分からんだろうよ」

 

 険しい顔で睨みつけてくるデュナミスに、リオンは口元だけに笑みをつくって言った。

 

「ほざけ、大戦を知らぬ若造が!! 今更来たところで、使徒二体を相手に一人でどうにかできると思っているのか?」

 

 いきりたち語調を荒くするデュナミス。

 たしかに“親”である真祖や理不尽なほどの破壊の化身である英雄ならばいざ知らず、あの事件以降に現れたこの男ならば、最強に設定された始まりの魔法使いの使徒たる自身が敗れる道理はない。

 だが――

 

「どうかな? それに若造一人というのは早合点のようだぞ?」

「なに? ……!!?」

 

 コロコロと転がった黒い牢球が、突如として炸裂したかのように眩い光を放った。

 

 封が解ける。死の灰から蘇る不死鳥のようななにかが牢球を打ち破った。

 竜種ですら封じる黒い牢獄に囚われた魔法使いがその卓越した魔法を以て束縛を打ち破った。

 そこに封じていたのは、この城の主。ヨーロッパ最強とも呼ばれる賢者にして、ゲラート・グリンデルバルドを打ち破った魔法使い。

 その光景にグリンデルバルドはふるふると肩を震わせ、口元に笑みを浮かべた。

 

「アルバス・ダンブルドアァア――――!!!」

 

 白く伸びる髭と髪。古式魔法使い然としたローブを纏い、老齢の姿を思わせない覇気を放つその姿に、グリンデルバルドは懐かしの友と再会したかのように、いやそれ以上に歓喜とも見える笑みを浮かべて咆えた。

 

「……ゲラート、ッ!」

 

 ダンブルドアは憤怒に顔を染め、敵を圧する気迫を放ち、かつて自らが倒し、道を分かった友を見据えた。

 その手に持つは、友より奪いし最強の杖。

 

 

 アルバス・ダンブルドア

 ゲラート・グリンデルバルド

 使徒・デュナミス

 リオン・M・スプリングフィールド

 

 最強に値する魔法使いがここに集い、そして今、激突の瞬間を迎えようとしていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

激突! ホグワーツ城

 魔法世界、某所。戦いの大勢が決したと思われる戦場にて。

 

「間に合ってくれていればいいんだけど…………アルフレヒト。さっきの術式は本当に機能したんだろうね?」

 

 先ほどまで転移ゲートがあった場所を見ながら、タカユキ・G・高畑は残っている友人に問いかけた。

 去って行ったのはリオン・スプリングフィールド。今回の作戦においてこちらの世界に連れてきてしまったタカユキの友であり元修行仲間だ。

 

 残っている方の友人、アルフレヒト・ゲーテルは宙に浮かべたモニターを睨みながら、何かのデータを物凄い勢いで打ち込んでおり、どうやら先ほどの問いかけは耳に入っていないらしい。

 

「………………」

「アルフレヒト!」

 

 もう一度、今度は先ほどよりも大きな声で話しかけると、ようやくアルフレヒトは気が付いたのか、モニターから一瞬だけ目を離してタカユキを見て、またすぐにモニターに顔を戻した。

 

「うん? ああ。うん。理論上は完璧。リオン君の魔力ならば座標設定さえ間違えていなければちゃんとたどり着いているはずさ」 

 

 満足そうに話しているのは彼にとっての実験、リオンやタカユキにとっては真剣な魔法術式の成果。

 

「座標設定が上手くいっていなかったら?」

「それは僕の責任じゃない。今頃時空の狭間に落ちているか、火星と地球の間を漂っているか…………」

「オイ」

「どっちにしろリオン君なら死にはしないだろう? それに僕としては今回の個人レベルでの異世界間空間転移術式のデータがとれたので十分さ!」

 

 “個人規模での異世界間空間転移”

 これまで大規模な施設型のゲートでしか為しえなかったその大規模魔法を個人レベルで行える術式に改良したアルフレヒトの次世代魔法。

 現実世界に残してきた大切な者に訪れた危機の報せに、リオンがとった方法だ。

 リオンとアルフレヒト。

 天敵とも親友とも言っている間柄だが(これに関する見方として両者の意見が一致することはまずない)、この急場に際して珍しくリオンが、アルフレヒトに助力を求めたのだ。

 彼にとってそれの意味するところが何かを、予想できないはずはなかろうに、それでも残してきたものの大切さゆえに、それを選んだリオン。

 

「十分なら、リオンに出していた条件は要らないんじゃないのかい」

 

 上機嫌で実験データを纏めているアルフレヒトに、冷めた視線とともにとりあえず言ってみた。

 今回のアルフレヒトの術式は、常駐設置型でないという点でこれまでと違いはするが、その分、消費する魔力は個人のものに依存する。

 空間転移はただでさえ高等魔法であり、よほど高位の魔法使いしか使えない。そして魔法の威力は術者自身以外の要素として時間と空間にも依存する。

 同じ世界の中でさえ、国を超えるほどの転移魔法は困難なのに、それが異世界間だ。膨大な魔力の氾濫により世界間が接続しているならともかく、おそらく現時点ではアルフレヒトの新術式を実践で作動できるのは、規格外の魔力を持ち制御に長けるリオンやネギ、エヴァンジェリンくらいであろう。

 そういう意味では、アルフレヒトの研究を実際に試した貴重な経験であり、今彼が怒涛のごとく打ち込んでいるデータは、リオンが自ら実行してくれたからこそできた貴重なデータだ。

 助力の対価としては十分なはずだが 

 

「それとこれとは話が別。あのリオンが僕に頼み事をしてくるなんてまたとない機会!! いやぁ、親友の頼みを叶えることができて喜ばしい限りさ!!」

 

 アルフレヒトは満面の笑みで、観測データを調べつつ、どのような対価をリオンに求めるかを夢想していた。

 

「親友なら対価を求めないものだと思うけどね、アルフレト」

 

 タカユキはため息をつきながらぼやく様に言い、空を仰いだ。

 

 

 

 第78話 激突! ホグワーツ城

 

 

 

 

「やはり……お前とは決着を、つけるべきなのだろうな、アルバス」

「ゲラート……」

 

 目に映るかつての友の姿は、まるでそのかつてを思わせる青年の姿。ダンブルドアと夢を語らい、彼が惹かれたその時の姿。

 

「だがここではふさわしくない。分かるだろう? “あの時”を繰り返すつもりはない」

「………………」

 

 放たれる光。怒れる弟。息絶える妹……

 グリンデルバルドの言葉に、ダンブルドアは瞳に炎を燃やした。

 グリンデルバルドは視線を上へと向け、くるりと体を回してマントの中に吸い込まれるように“姿くらまし”した。

 

「だ、ダンブルドア……」

 

 怯えの残るマクゴナガルの震える声。救いを求める生徒たちの眼差し。

 それを感じながら、ダンブルドアはくるりと回転し、グリンデルバルドを追って“姿くらまし”した。

 

 

 

 ホグワーツの天頂。

 二人の魔法使いが雌雄を決するために向かった頭上を見上げ、デュナミスは頭を振った。

 

「やはり調整を終えていない段階ではムラがあるな」

 

 グリンデルバルドの持つ伝統魔法の闇の魔術と“始まりの魔法使い”の系譜に連なる秘術による使徒化。デュナミスや、今は裏切りの一人を残して稼働していないアーウェルンクスシリーズなどとは違い、こちらの世界由来の使徒。変わっていく世界に対応していくために取り込んだ新たなる使徒ではあるが、流石に“主”の調整なしの現状では、完全体とはいかなかったらしい。

 

「他の心配よりも自分の方を案じたらどうだ?」

「案じる? ふん。如何に貴様でもこの状況、足手まといを大量に抱えた状態を一人でどうにかできるのか?」

 

 リオンの言葉にディナミスは向き直り、二人の最強の魔法使いが視線を交えた。

 高められていく戦気と魔力。

 

 ハリーやマクゴナガルたちは押し潰されそうな圧力が増していく中、固唾をのんで二人の対峙を見つめ――――赤髪の魔法使いの姿が一瞬で消えた。

 

「!!?」

 

 直後、ハグリッドが振るった剛腕と同等以上の衝撃がホールを震わせた。

 “入り”も“抜き”も見せない完璧な縮地でデュナミスへと迫ったリオンの拳撃。その一撃はデュナミスが常に展開する曼荼羅のような積層多重障壁によって阻まれた。

 

「ダメだっ!! またあの障壁で止められた!!!」

 

 スプリングフィールド先生の攻撃ですら阻まれた。その光景に叫び声が上がった。

 突き出され宙に止まるリオンの右腕。

 

「――――ぬっ!?」

 

 両者の視線が至近で交わりリオンはにっと笑みを浮かべた。

 次の瞬間、リオンは左の掌に顕現させた破壊の爪牙を振るった。その爪牙は夕映やマクゴナガルたちの攻撃をものともしなかったデュナミスの障壁を粉々に砕いたが、間髪入れずにデュナミスは影の槍を八条、リオンへと反撃に繰り出した。

 リオンは脚を踏み込み、槍を回避しつつさらに接近し、体を翻してデュナミスの体に蹴撃を叩き込んだ。

 

「ぐぅっ!!!」

 

 魔法使いとは思えぬ――いや、人の攻撃とは思えない威力にデュナミスの体が吹き飛び、轟音を響かせて城壁を突き破って外へと放り出された。ダンブルドアとグリンデルバルドが懸念したように、このまま屋内で戦えば余計な被害が出る可能性が高い。

 まずはこの敵を外へと追いやり、開けた空の下でなら大魔法を行使できる。

 追撃をかけて一気にここから引き離す。立て直される前に瞬動で再度距離を詰めようとしたリオンだが、しかし

 

「! ちっ」

 

 跳んだのは前方ではなく、後方。

 ギリギリで躱したそこには、ディナミスによって召喚された魔物の攻撃が突き刺さっていた。ホールに召喚された魔物の中でも中型の魔物が4体、手に持つ武器を振りかぶってリオンが居た場所を砕いている。

 それだけでなく、先程まで生徒や教師たちを牽制していた魔物の全てがリオンへと殺到していた。

 

「アス・ラック・アレイスト・クルセイド。来たれ虚空の雷、薙ぎ払え」

 

 上に飛び、素早く周囲に視線を巡らせながらの詠唱。

 

 ――「雷の斧(ディオス・テュコス)!!」――

 

 迫る魔物たちへの雷斧一閃。全方位の魔物を一気に消し飛ばした。

 

 

 

「すっげ……先生、アレを一撃って」

 

 イズーに肩を貸しながら階下から見上げていたリーシャが唖然として言った。

 

 咲耶の治療を受けたイズーは危機的な状態は脱しているが、それでもまだ十分には回復しきっていない様子だ。意識を取り戻して痛みに顔を顰めながらも、昔自分を助けてくれた人物が再び背を向けて戦っているのを見ていた。

 

「!! リオンさん!」

 

 次の瞬間、城壁を突き破って、巨大な腕がリオンへと振り下ろされた。ドラゴン姿のイズーを圧倒した超巨大召喚魔による攻撃。

 思わず声を上げたイズーだが、それよりも早くリオンは反応しており、召喚魔のあまりにも巨大な腕に対抗できるとは思えない細腕を突きつけた。

 イズーだけではない。先ほどのドラゴンを握りつぶさんとした光景を覚えていた全ての生徒、教師たちが思わず悲鳴を上げそうになる目の前で、リオンは轟音と共にその巨腕を真っ向から受けた。

 

「なっ!」

「ちょっ!! 止め、た……?」

 

 リーシャも、咲耶に肩を貸しているフィリスもあんぐりと顎を落した。

 リオンが受け止めているのは、すでにホグワーツ城すらも超えるほどのサイズになっている超大型だ。ただの人――まっとうな魔法使いでは盾の呪文を使ったところで粉々に潰されるのを免れることはできないだろう。

 だがリオンは止めている。

 左腕一本で隕石のような拳を止めており、その体から魔力が雷光現象となって溢れた。

 

「来たれ雷精、風の精!! 雷を纏いて吹きすさべ、南洋の嵐!!」

 

 ――「雷の暴風(ヨウィス・テンペスタース・フルグリエンス)!!!」――

 

 その呪文は夕映がデュナミスに放ったのと同じ“雷の暴風”。だが威力は桁違いのものであり――――轟ッ!!!!! と旋風をともなった雷の砲撃が超大型召喚魔の腕を吹きとばし、山のような召喚魔の半身を消し飛ばし、空へと昇った。

 

「きゃああああっ!!!」

 

 吹き荒れる余波と衝撃に生徒たちの悲鳴が上がる。箒もなしに宙に浮かんでいる魔法使いは桁違いの魔法を放ってなお、そこにいた――――

 

 

「ちぃっ!!!」

 

 鬱陶しいデカブツを仕留めたリオンだが、“雷の暴風”の技後硬直が解けぬ間に、その脇腹に攻撃を受けて吹きとばされた。

 

「リオン君!!」

 

 吹き飛ばされて地面に直撃したリオンに夕映が声を上げた。

 咄嗟に体を捻って着地態勢をとっているが、着地した地面には大きく亀裂が走り、陥没が広がった。

 

「そう簡単には、いかないか」

「無論だ。利のある場所で戦うのは戦術の基本。ここならば貴様には枷がはめられ、大規模魔法も使えまい」

 

 間隙を狙ったのは召喚魔とは異なる異相の魔法使い。 

 先程の魔法使い然とした黒ローブ姿ではなく、ハグリッド程の大きさもある四腕の異形。顔を覆っていた仮面は狐のようにも見える表情へと変わっており、左右の肩から生える2本目の腕はその体躯の足元につきそうなほどに大きい。

 

「このデュナミスの大幹部戦闘形態。大戦を知らぬ若造がこれについてこれるか!?」

 

 裂帛の気合いと共にデュナミスの背部から十数条の影の槍が飛び出し、リオンへと襲い掛かった。

 

 

 

「まずいですね」

 

 次々に襲い掛かってくる黒い槍を躱して、城壁を激走しているリオンを見て夕映が眉を顰めて呟いた。ディナミスの攻撃の他に、残っていた魔物たちも休む暇なく襲い掛かってきており、返り討ちにしているが、積極的な攻勢をかけている様子がない。

 しかもリオンは時折、わざと攻撃を回避できない袋小路に動いており、障壁を使って直撃を防いでいた。

 

「流石は幹部クラス。リオン君が押されています」

「ならばセタ先生。援護をしなければ!」

 

 夕映の言葉にマクゴナガルが声を上げた。

 

「いえ。むしろ逆です」

「逆!?」

 

「こちらに攻撃が流れてこないようにするためにリオン君の行動が大きく制限されています。しかもこの状況では大魔法もそうそう使えない。私達がここに居る限り、リオン君の足枷にしかなりません」

 

 魔物の攻撃がスプリングフィールド先生へと向いたために扉への道が開け、生徒たちは外への脱出ができているが、まだそれは完了していない。

 リオンは階下の咲耶の方に万一にも攻撃が流れないようにするために動きでデュナミスを牽制せざるを得なくなっているのだ。

 デュナミスもリオン・スプリングフィールド相手ならばともかく、階下の生徒たちを殺害することはできないため、本気でそちらを狙うことはない。だが、その素振りを見せるだけでリオンの動きを制限できるのならば狙わない手はないだろう。

 そしてリオンの魔法の本領は大規模・高火力な攻撃魔法だ。まだ“咲耶”の避難が完了していないこの状況で全力の魔法行使は著しく制限されているのだ。

 だが―――― 

 

 

「アス・ラック・アレイスト・クルセイド。契約に従い、我に従え、高殿の王!」

「むっ!? ハイエイシェント!?」

 

 古代ギリシャ語による詠唱。しかも術式に込める魔力は今までの比ではないほどに高められている。デュナミスもそれに気づき、呪文詠唱を止めるために攻勢を強めた。

 

「彼方より来たれ、争覇する雷鳴!! 物皆悉く打ち砕け、轟く鉄槌!!」

 

 リオンはその攻勢を体術でもって受け流し、振るわれた腕を掴み力の向きを変えて投げ飛ばしながら詠唱を続けた。だが確実にその位置取りは追い込まれている。

 

「ちょっ!? それはっ!!?」

 

 詠唱されている呪文の脅威度に、デュナミスよりもむしろ夕映が驚愕の声を上げた。

 ハイエイシェントの中でも明らかに高威力の呪文を詠唱している。込められている魔力も並の魔法使いでは到底ひねり出すこともできないような規格外。このままあれが解放されれば避難の完了していない自分たちはもとより、外にでた生徒にも被害の及ぶほどの馬鹿げた攻撃だ。

 だがリオンの詠唱も術式の展開も淀みなく紡がれていく。

 

 ――『高天の御雷(たかまがのみかずち)!! 固定(スタグネット)!!』――

 

 リオンの右腕の掌に膨大な雷光の塊がまるで小さな太陽のように煌いた。放たれることなく、そこに留まる雷光玉。

 デュナミスの顔色が変わり、その背後の腕がまるで千手観音のように広がった。

 

「“それ”はやらせん!!!」

 

 召喚魔と影槍により逃げ場は封じた。

 千手の腕が秒間2000撃の重拳の連発、巨竜を屠り、芥子粒も残さないほどの攻撃が――――

 

掌握(コンプレクシオー)ッッ!!!」

 

 逃げ場を失ったリオンの体に暴雨の如くに降り注いだ。

 城壁を砕く轟音が刹那の内に連続して鳴り響き、ホグワーツ城を揺らした。すでにその拳の下に在るのは岩塊にもならない粉塵ほどのモノしか残されておらず、

 

「――ヌゥッ!!!!」

 

 次の瞬間、デュナミスの巨体が吹き飛んだ。

 衝撃を受けた腹部には雷電の残滓。デュナミスは先程の攻撃による惨禍の跡地を確認しようとし――――ド、ガッッ!!!! と、別の方向からの衝撃を受けて吹き飛んでいた軌道を無理やり変えられた。

 見えない攻撃はそれで終わらない。光の奔流がデュナミスの周囲を囲むように迸り、牢獄のようにデュナミスを捕えた。

 

 

 

「な、なにが起こってるんだ!!?」

「キャァ!!!」

 

 紫電が宙に走り、怪物のような魔法使いであるデュナミスが何もできずに攻撃を受け続けている光景に、リーシャたちは驚愕の声を上げていた。

 デュナミスの体が光にぶつかり弾けるたびに衝撃が波のように連発し、離れた階下にいた彼女たちのところにも容赦なく押し寄せていた。

 降り注ぐ衝撃波に生徒たちはホールから逃げるどころではなく、吹き飛ばされるものもいた。

 

「!!」

「っ、らぁっ!!」

 

 雷光の猛撃により跳ね飛ばされ続けていたデュナミスが、強烈な一撃を受けて弾け飛び、穴の開いた城壁から外へと吹きとばされた。

 腹部に強打を打ちこんだリオンの姿は、雷の精霊のように白く瞬き、飽和した雷子がバチバチと周囲で弾けている姿。

 

 

 

「これはっ!? “あの時”の変身技!?」

 

 セドリックは衝撃波に耐えながらあの規格外の魔法使いの姿を見て声を上げていた。

 2年前の悪魔襲撃の際に見せたスプリングフィールド先生の変身技。まるで雷の精霊そのものであるかのような雷速の移動術と溢れる雷子と魔力。

 

「くっ。これは、リオン君の“空間掌握型”術式兵装です!!」

 

 夕映が衝撃から身を庇うようにしながら言った。

 リオン・スプリングフィールドの“3つ”の空間掌握型術式兵装の一つ。周囲数キロの電荷を支配し、“自身を含めた”上級以下の雷撃属性魔法を無詠唱“任意”座標に発動させる術式兵装。

 

 ――術式兵装(プロ・アルマティオーネ)高殿の王(モイ・バシレク・ウーラニオーノーン)――

 

 リオンが雷の魔力を纏わせた右腕を振るう。掌握された雷精が距離を越えて輝きを放ち、直後、遠く離れた禁じられた森の上で“零距離”から発動した極太の“雷の暴風”がデュナミスの体を呑み込んだ。

 

「アス・ラック・アレイスト・クルセイド。契約に従い、我に従え、高殿の王! 来たれ、巨神を滅ぼす燃え立つ雷霆。百重千重と重なりて、走れよ稲妻!!」

 

 すぐさまリオンはハイエイシェントを詠唱し、再び膨大な魔力を漲らせた。空に描かれる巨大な魔法陣。かの“サウザンドマスター”が“得意”としたと言われる雷系最大規模の大軍勢用広範囲呪文。

 

 ――「千の雷(キーリブル・アストラペー)!!!」――

 

 その詠唱どおり、巨神をも討ち滅ぼすであろう数多の雷霆が、禁じられた森の上空を震わせた。

 

 

 

 鼓膜が破れるかと思うほどの轟音は一瞬、玄関ホールの全ての人間の動きを止めた。

 

「あれが、リオン・スプリングフィールド様の力……」

「すごい……」

 

 まさにその容姿通り、かの英雄たちにも引けを取らないであろう規格外の戦闘力。その姿は魔法世界の出身であるメルディナやアルティナとって驚嘆するほどのものであり――むしろ二代英雄の伝説的な強さを伝聞においてのみ知っている分、その度合いは強かった。

 

 授業では習った。あの大戦争を影から操り、さらには僅か10人足らずで魔法世界を崩壊寸前まで追い込んだ秘密結社“完全なる世界(コズモエンテレケイア)”。その秘密結社の大幹部。

 かのサウザンドマスターとも互角に渡り合ったというほどの最強の魔法使いの一角だ。

 その強さの一端は今しがた自分たちも味わったばかりだ。

 彼が来るまで、あの魔法使いはまったく本気を出していなかった。ただ召喚した魔物たちを適度に操っていただけにすぎない。それだけでも自分たちを含めて、ホグワーツの戦力の全てを圧倒していたのだ。

 リオン・スプリングフィールドはその大幹部と互角以上に渡り合っているのだ。

 

 いつの間にかリオンは雷速瞬動を発動させてホグワーツ城の中から消え、禁じられた森上空で雷光を撒き散らしながらデュナミスと激戦を繰り広げていた。

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

「…………あれが魔法界の英雄、スプリングフィールドの血族の力か。たしかに、昔の俺たちを遥かに超える馬鹿げた力だな、アルバス」

 

 ホグワーツ城の最も高い塔の上。グリンデルバルドは禁じられて繰り広げられている戦争かと思えるほどの激戦を見て呟いた。

 

 かつて自分こそが、魔法界で最も優れた魔法使いだと思っていた。

 そしてその自分こそが死を克服する唯一の魔法使いとなり、そして魔法使いの中でも最も優れた自分こそが、魔法使い、マグル、全てを支配する存在になるのだと思っていた。

 やがて彼は自分と肩を並べる存在と出会った。

 アルバス・ダンブルドア。

 友となり、同志となり、そして一つの死を経て敵となった存在。

 

 新たな世界が広がり、自分たちは決して最強ではないと思い知らされた。

 自分たちがまだ見ぬ世界があり、まだ知らぬ魔法が存在する。

 

 ならばどうすればいい? ――――知ればいいのだ。

 統べる存在でないというのならば、なればいいのだ。

 

 全て(・・)を変える存在に。

 

「…………だからそのようなモノになったというのか、ゲラート」

 

 そのかつては互角以上に渡り合った友、アルバスは息を乱して膝をついていた。

 たしかに魔法の妙はかつて以上に磨きがかかっている。この半世紀牢獄暮らしだった自分と比べればその研磨のされ方は比べようもないだろう。

 

「いいや。まだだ。まだ辿りついていない」

 

 だがアルバス・ダンブルドアは老いた。

 彼に言わせればそれによって知恵は増し、術は深くなったとでも言うのだろう。しかし明らかに反射速度は遅延し、体力は衰えている。ゲラートに言わせればそれは弱体化だ。

 

 ゲラート・グリンデルバルドは成ったのだ。

 こちらの世界と魔法の世界、どちらにおいても最強となる存在に。

 そしてやがては全て(・・)を変える。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 玄関ホールでは再び戦闘状態となっていた。

 かつての主に呼び出され、応じた結果その主を失う現場を目撃する羽目になった死喰い人たちが動き始めたのだ。グリンデルバルドによって“姿くらまし”を封じられたことで恐慌状態に陥った彼らだが、幾人かは混乱に紛れて逃亡をはかり、もはや姿を隠すことを諦めた者たちは自身の狂乱の心のままに敵対する者たち――ダンブルドアの配下である魔法教師たちやハリー・ポッターへと襲い掛かったのだ。

 マクゴナガルや夕映たちはそれらと戦っていた。

 デュナミスやヴォルデモートと比べればその戦闘力は格段に劣るものの、その彼らと戦っていたマクゴナガルたちにも余力はほとんどなくなっていた。

 

 暴走した死喰い人の一人、マクネアが近くの生徒へと襲い掛かり、飛来した閃光をもろに受けて踊るように宙を舞った。

 

「ムーディー先生!! 今までどこにおられたのですか!?」

 

 呪文を放ち、死喰い人を倒したマッドアイ・ムーディの姿に、疲労していたマクゴナガルは声を荒げて問いただした。

 マッドアイは歩行用の杖を気忙しくつき、魔法の義眼をぎょろぎょろと忙しなく動かして何かを探していた。その様子は学期が始まって以降見てきた彼の姿とは全く違っており、動揺し、取り乱しているように見える。

 流石にこの状況ではそれも仕方ないことなのだろう。

 なにせ最高の闇祓いとも呼び声高いアラスター・ムーディの前にこれほどの死喰い人がうろついているのだから。

 

「ポッターはどこだ!」

「なんですって?」

「ポッターだ!! ハリー・ポッターはどこだ!?」

 

 マッドアイはマクゴナガルの問いには答えず、声を荒げて少年について詰問した。

 なにか決定的な違和感のようなものを覚えて、マクゴナガルは眉を顰めた。たしかにポッターのことは重要だ。だが、現状重要なのはこの騒乱の場から生徒全てを守ることにある。

 

「ポッターは――」

 

 友人たちに肩をかつがれて避難している。そう答えようとした瞬間、ムーディーの胸元に飛来した失神の呪文が突き刺さり、彼の体が吹き飛んで玄関から外に投げ出され、動かなくなった。

 

「なっ!?」

 

 驚き、振り返って見たものは、杖をつきつけ、冷たい眼差しを扉へと向けている一人のスリザリン生。

 

「クロス!! なにをやっているのですかっ!?」

 

 スリザリン6年の監督生、ディズ・クロスだ。

 ダンブルドアもスプリングフィールドもそれぞれの敵と対峙している今、おそらく最も戦闘に長けた魔法教師を気絶させてしまったことに、マクゴナガルは激昂して彼に杖を突きつけた。

 ディズはマクゴナガルがゾッとするほどに冷たい視線をマクゴナガルに向け――

 

「なんの真似だ、ディズよ」

 

 扉の外に立っていた一人の魔法使いがディズの名を呼んで問いかけた。

 振り向き、見たのは死喰い人“だった” 左手のない男。あのヴォルデモートを謀り、ゲラート・グリンデルバルドの復活の贄に捧げた張本人。ソーフィン・ロウル。

 

「この期に及んで、ハリー・ポッターをどうこうしたところで意味のないことは貴方も分かっていると思いますけどね」

「だが、放っておく意味もない。なぜあの小僧やその魔法使いたちを庇うような真似をした? もはやまともな判断力もないとはいえ、まだ暴れさせるだけでも十分に利用価値はあったはずだ」

 

 まるで旧知の仲であるかのように、ディズは死喰い人と話している。

 しかしその内容は、まるでおかしなものだ。

 元“闇祓い”のムーディを倒したことがハリー・ポッターや自分たちを守るためだった?

 驚き、マクゴナガルが振り向いてディズを見ると、彼はふっと口元に笑みを浮かべて“敵”を見据えていた。

 

「もう分かっているのでしょう? 俺がどちらについているかは」

 

 左手に持つ杖を突きつけるディズ。

 それを見てソーフィンはギシリと歯を噛み、憎々しげにディズを睨み付けた。

 

「やはりかっ! 俺の息子がっ! あの大魔法使い、ゲラート・グリンデルバルドの血を引く唯一の魔法使いがっ!! 裏切るというのか、ディズ!!!」

 

「なっ!? 息子っ!!? クロス! アナタはっ!?」

 

 マクゴナガルだけではない。

 近くに居たセドリックやリーシャ、フィリスたちも、その他の生徒たちも驚愕してディズ・クロスを見た。

 

 マグルの孤児院出身。だが、彼はスリザリンに選ばれた。それは彼が純血とまではいかなくとも、魔法族に関わる家系に連なっているということを意味していた。

 それにしてもよりにもよってというものであろう。今日ここに現れ、往時以上の力を得た最悪の魔法使いの直系だなどということは。

 だがたしかに、彼の金の巻き毛、整った容姿、威風と自信に溢れる様は今まさにダンブルドアと戦っているであろう魔法使いと似て見える。

 

「関係ないな。俺はアンタに育てられた覚えはないし、古ぼけた爺さんの妄想とやらよりも、俺は“あちら”を選ぶ」

「キサマァ!!」

 

 だが、そのディズの拒絶するかのような言葉に、ソーフィンは憤怒の形相を浮かべた。

 

「クロス。君は……」

 

 セドリックは友だと思っていたディズに震える声で呼びかけた。

 

「手を出すな。あの男は――俺が仕留める」

 

 返ってきたのは手助けを拒絶する言葉と、これまでに彼が幾度かだけ漏れ出るように見せたことのある好戦的な顔。

 道を選んだ魔法使いが、その血を否定する戦いを始めようとしていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

分かたれた道

 なべてこの世はままならぬもの。

 それは同世代で天才とも言われるディズにとっても同じだった。

 まったくままならないものだ。

 サクヤ・コノエに今日、あのリオン・スプリングフィールドがいることを確認し、“居ない”という虚偽の情報を伝えたはずなのに、まさか本当に彼が居なくなってしまうとは思いもしなかった。

 幸いにも間に合ってくれたが、わずかなタイミングのずれで色々と被害がでかかっている。

 賢しく上手く立ち回ったつもりで、結局あの“祖父”には自分ごとき子供の思惑など掌で踊っているようなものだったのだろう。

 

 だが今日、その掌から飛出す。

 己が力をもって、自らの選択を試す。

 

 

 

 第79話 分かたれた道

 

 

 

 ホグワーツ城城門前広場。二人の伝統魔法族が互いの杖を振るっていた。

 橋と崖とを背にする左手のない魔法使い――ソーフィン・ロウルが次々に放つ紅い閃光を、ディズは杖を複雑に振るってそれを防ぎ続けていた。揺らめく陽炎のような光が閃光の軌道を無理やりに変えて地面にぶつけている。

 同時にディズは左手の杖を振る動きとは独立しているかのように魔力を右手に集中させた。

 

「シュバルツ・シュタル・デア・シャッテン。大気の精よ。息づく風よ。疾く来りて我が敵より我を守れ!! 風陣結界(リーメス・アエリアーリス)!!」

 

 突き出す右手に呼応して風の結界が二人の間を隔て、ロウルの魔法を阻んだ。

 伝統魔法に加えての精霊魔法。

 ロウルはギシリと歯を噛んだ。敬愛する養父の力を取り戻させるために渋々力を借り受けたが、実の息子がそんな魔法の扱いをするのは、生粋の伝統魔法族のロウルにとって神経を逆撫でするには十分なのだろう。

 

 ディズの風陣結界がロウルの放つ魔法を4つ、5つと受けるにつれ、その風の収束に綻びを広げていた。

 結界が攻撃を阻む間に、ディズは左手の杖に魔力を込めて風精を喚起した。

 

「シュバルツ・シュタル・デア・シャッテン。風精召喚。剣を執る戦友!! 迎え撃てっ!!」

 

 ディズの周囲に風精で編まれた分身が5体出現し、号令一下、同時に破られた結界を回り込むようにロウルへと襲い掛かった。

 

「舐めるな、ガキがっ!!!」

 

 ロウルは身に秘める莫大な魔力を背景に無詠唱で次々に緑の閃光を放って、風の精霊を“殺して”いった。

 

 

「シュバルツ・シュタル・デア・シャッテン――――」

 

 風精を遠隔操作して攻撃を回避させると同時に、身体強化をかけた自らも同時に撹乱するように走りながら呪文を詠唱した。

 

 ――残り三体。

 

 残存魔力が目減りしていくのを訴えているかのように体が悲鳴を上げる。訴えを無視して詠唱を続けた。

 

「闇夜切り裂く一条の光。我が手に宿りて敵を喰らえ」

 

 ――残り二体。

 

 杖を持った左手に雷精が集っていき、さらに術式を重ねてその雷精を封印。

 

 ――残り一体。

 

 ディズは足に魔力を集中させて、大地を踏みしめた。

 目に映るのは、風精の最後の一体が死の呪文を受けて消える姿。その死の呪文を放った“敵”。その背後に映る城門前の橋。こちらとあちらを断絶する深く長い崖。

 これから再現するのは幾度も見た、高速の移動術。

 幾度も練習はした。成功したことは一度もない。――――だが今は、成功しなくてもいい。安全な着地なんてなくていい。ただ、今求めるのは相手よりも早く一撃を加える速さだ。

 

 最後の風精を消し去ったロウルが狂笑を浮かべ、杖を掲げた。

 ディズは足に込めた魔力を一気に炸裂させた。

 

「次は貴様だっ、ディぃズ! ――――がっ!!!?」

 

 ディズの姿がロウルの視界から消え、次の瞬間、魔法の直撃を受けたよりも重い鈍痛が腹部へと突き刺さり、ロウルの体が吹き飛んだ。

 ロウルは飛びそうになる意識を無理やり繋ぎ止め、何が起こったのかを確認するために体の前を見下ろした。

 ディズの体当たりによる攻撃。伝統魔法族から見て、魔法使いとしての誇りを投げ捨てたかのような卑賤な行い。

 ロウルの体がディズもろとも石垣を突き破り、崖の上へと身を投げ出した。

 

 ディズの行った瞬動術は、リオンはもとよりイズーや夕映たちから見てもお粗末極まりないものであった。

 入りは明らかに見え見えで、瞬動術の弱点である移動進路は容易く読み取れた。

 抜きはもとより考えておらず、着地のタイミングはなく、ただ相手にぶつかって留まらせずにもろとも吹き飛んでいるだけだ。

 だが大柄な体格の割に、スプリングフィールドやイズーのように体術の心得のない伝統魔法族(ロウル)は、ディズの移動進路を読むことも、瞬動術の速度に反応することもできず、ただ体当たりするという目的において、ディズのとった手段は抜群の効果を発揮した。

 

 敵にめり込ませるようにぶつけた右肩が激痛を発しているのを無視し、宙に躍り出たディズはロウルに左手の杖を向けた。

 

「きさっ!!?」

 

 ディズの無言呪文による武装解除術。激昂し声を上げようとしたロウルの手にバシッ、と紅い閃光がぶつかり、その手から杖を吹きとばした。

 杖を失ったロウルとディズの体が、魔法無しでは決して両岸に届かないところで自由落下を始め、ロウルの顔が恐怖と怒りに引き攣った。

 “死の呪文”を連発できるほどに膨大な魔力を有するロウルといえども、杖なしには浮くことも“姿くらまし”することもできない。

 できるのはただ体を張った見苦しい一撃を自身に加えた息子を巻き添えに落下するくらいであり――――そのロウルの体にディズの左手が添えられた。

 

「おのれっ、この、裏切り者めがっ!!」

「エーミツタム ――

 ――白き、雷(フルグラティオー・アルビカンス)!!!!」

 

 ディズの遅延術式解放と同時に、白い稲妻が迸り、雷撃を浴びたロウルの絶叫が谷底へと落ちた。

 

 

 

 

「やばいっ!!」

 

 ソーフィン・ロウルとともに落ちていくディズを見て、リーシャが身を乗り出そうとした。だがディズの体は宙の上に完全に投げ出されており、手を伸ばそうとしても到底届く見込みはない。

 他の魔法先生たちは、それぞれ死喰い人の制圧や生徒の安全確保に動いている。

 

 ――届かないっ!!――

 

 リーシャやセドリックの見ている前で、ディズの体が谷底へと落ちて行き――――ダッ、とリーシャたちの横を疾風が駆けた。瞬動で谷壁を蹴り駆けた疾風は、落下するディズへと追いついてその腕を掴んだ。

 

「ぐっ!」「っ゛!!」

「イズー!!」

 

 追いついたのはイズー。咲耶の治療により危機的な状態からは脱したものの、それでも色濃くダメージの残るその体に鞭打って駆けたのだろう。身に纏っているのは夕映から申し訳程度に羽織らされたローブのみで、風にはためくそのローブの下は痛めつけられた痕がまだ痛々しく剥きだしのままだ。

 落下するディズを片手で掴み止め、同時に残りの手で岩壁を掴んで落下を食い止めた。だが、その運動エネルギーは痛む体にはかなりの負担なのか激痛に苦悶の声を漏らした。

 意識が飛びかかっていたディズも、グンッと引き留められた腕にかかる自重による苦痛から意識を呼び戻された。

 崖下の川面に“何か”が落ちた音が谷間に響いた。

 イズーはその手に掴んだ男子の腕が、ズルズルと滑り落ちつつあるのを感じて、さらに顔を顰めた。

 

「っぅ。おいっ! 瞬動で上に上がるから、早く両手で掴め! このまま入ると手が抜ける!」

 

 瞬動は伝統魔法による“姿くらまし”のような魔法とは根本的に異なる“歩法”だ。

 “姿くらまし”のような転移系の魔法は道筋という過程をすっ飛ばすことができるが、瞬動ではただ高速で移動するに過ぎない。つまり多大な運動を伴う。

 イズーの負傷もかなり酷いため掴む力が弱く、このまま急激に上昇した場合、ただでさえずり落ちそうになっている手が離れるのは必至だ。

 

「くっ!」

 

 ディズはイズーの指示に応じて右手を上げようとして、激痛に顔を顰めた。右腕は上がらず、だらりと垂れたままだ。

 

「っ!! その腕……っ!」

 

 ――肩が外れてるのかっ!!?――

 

 見れば肩口が不自然に落ちている。

 おそらく不完全な瞬動で体当たりを敢行した際の衝突で骨折したか脱臼したかしてしまったのだろう。これでは掴むどころか腕を上げることもできはしない。

 イズー自身も治癒が中断したために完全回復とは程遠い状態だ。腕だけでなく全身が鈍痛を間断なく伝えており、体を支えている岩壁も二人分の重みを支え続ける負荷で徐々に小石を散らし始めている。

 イズーだけなら虚空瞬動で上に上がれるが、このままではディズは引き上げられない。イズーの顔が苦悩に歪み、

 

「イズー!!」

 

 頭上から自身の相棒たる少女の声が響いた。

 その声を聞いたイズーは、ディズを掴んでいた手を離し、足に魔力を集中させ、宙に足場を作り出した。

 

 体を支えていた手が離され、体を襲う浮遊感。ディズは悲鳴を上げるでもなく、諦観したように目を閉じ、

 

「ぐっっ!!? っ、これ、は……?」

 

 予想していたよりも随分と早く体に衝撃がきて思わず声が漏れた。その衝撃も予想よりも遥かに軽く、ただ痛めている体には十分に響くが、瞬動もどきでの体当たりをしたときよりもずっと弱いものだった。

 ディズは目を開け自分が触れているものがなにかを見た。

 石の蛇だ。

 岩壁からせり上がる蛇身はそれほど大きくはないものの、ディズの体を横たえるには十分な幅がある。

 上を見上げればイズーはすでに虚空瞬動をつかったのか崖の上に登っており、ディズの乗る石の蛇もずずりと身を伸び上がらせてディズを崖上まで運んでいく。

 ちらりと崖下に目を向けても、もはや夜の帳がおりた今、目視ではすでに下の様子がどうなっているのかは分からない。

 だが杖も箒もなく、そして雷撃を浴びせて麻痺させた状態での落下だ。

 最後にディズは一度目を閉じ、それから上へと視線を転じた。

 

 

 

「はぁ~~。間に、合ったぁ~~……」

 

 崖上では小杖を掲げてメルルが魔法行使しており、ディズの体が地面に降ろされるとバタンと身を投げ出した息を吐いた。

 

「ナイス、メルル」

「おつかれさん、イズー」

 

 メルルの横では膝を着いたイズーが息を整えており、メルルと視線を交わしてこつんと腕を打ち合わせた。

 精霊魔法による“石蛇”の魔法。メルルのそれ単独では加速していたディズの落下速度には対応できなかったであろうが、そこは普段コンビを組んでいたという連携ならではだろう。

 

 

 

 一方で、他の生徒たちは、先程のロウルとディズの会話を思い出し恐々とした視線を向けていた。

 グリンデルバルドの孫。聞き間違い出なければたしかに彼はそう言っていたのだ。

 ディズと同じスリザリン生は畏敬混じりに、他寮の生徒は恐ろしい者を見るようにディズを見ていた。

 その中でそんな視線とは無関係に近寄ってきた者も居た。

 

「クロス! 大丈夫かい?」

「セドリック、ディゴリー……」

 

 同じ決闘クラブでのセドリックがただ心配そうな顔でやや慌てて尋ねてきた。

 セドリックはディズの体を素早く見回し、左手でおさえている右腕がだらりと垂れさがっているのを見て眉を顰めた。

 

「その腕。早く治療をしないと」

「いや。まだいい」

 

 ディズはちらりと視線をフィリスと彼女が肩を貸している咲耶に向けた。

 イズーを治癒していた彼女は、先程の暴走こそ収まっているものの大きく消耗しており、今治癒魔法を使うことはできないだろう。

 何よりも禁じられた森の上空では、今なおリオン・スプリングフィールドが魔術師デュナミスと激戦を繰り広げている。

 

 ディズは稲妻が飛び交い、暴風が巻き起こる上空を険しい顔で睨み、それから大きく損壊したホグワーツ城の頂に目を向けた。

 

「ダンブルドア校長は、まだ……?」

 

 質問をしたディズの問いに答える代わりに、セドリックも視線を上に向けた。

 

 今なお語り継がれるダンブルドアとグリンデルバルドの戦い。その再演が今ここ、ホグワーツで行われているというのだ。

 

 そちらでは森の上空ほど激しい戦いは繰り広げられていないようだが、戦いの前にどこかへと戦いの舞台を移した二人の行方は分からない。

 一方で、周囲の死喰い人達も多くは決着したらしい。 

 死喰い人の中でも、おそらくここに子供を預けている者達も居たのだろう。そういった輩は早々に逃亡を図っており、残っていたのは最早これまでと諦めて暴れまわっていた者たちであり、その者たちもホグワーツの教師たちの手によって鎮圧されていた。

 生徒たちの心配は一つはまだ決着のついていないダンブルドアとグリンデルバルドに向かい、一つは明かされたディズ・クロスの来歴――グリンデルバルドの孫ということに向いており、あるいは禁じられた森上空で今なお続く激闘へと向いていた。

 

 おそらく術者に魔物を再召喚するだけのゆとりがないのだろう。黒い魔物たちもいつの間にか姿を消しており、城門前広場へと脱出してきた生徒たちは身を寄せ合うように空を見上げ――――ドォッ!!! と赤い炎が城の頂から燃え盛り、そこから“何か”が落ちてきた。

 重力に引かれて落ちてきたそれは、地面へと叩きつけられる前に、“腕”を振るい、急速にその落下速度を緩めて地面に落ちた。

 

「ぬ、ぐぅ……」

「ダンブルドア!!?」

 

 落ちてきたそれはグリンデルバルドと戦っていたはずのダンブルドア。

 その姿は体のあちこちを痛めつけられているかのように痛々しく、その姿にマクゴナガルやフリットウィックたちが慌てて駆け寄った。

 ダンブルドアは弱々しく身を起こし、荒い息をつきながらもホグワーツ城を睨み上げた。

 

 

 

「ここまでだ、アルバス」

 

 上空には杖もなしに魔法使いが見下ろすように浮かんでいた。

 ボロボロのダンブルドアと比べると明らかにどちらに軍配が上がったが明らかな姿のゲラート・グリンデルバルドだ。

 

「老いたな、我が友よ。そしてこれが、今の俺とお前の差だ」

 

 グリンデルバルドのダンブルドアを見る目は、どこか落胆したようであった。ダンブルドアはマクゴナガルが支える手を引き離し、ふらつきながらも立ち上がった。

 

「……ゲラートよ。人を捨てて、そのようなものになってまで、なにを望むと言うのだ」

 

 荒い息に言葉を乱しながらもダンブルドアは厳しい口調でかつての友へと問いかけた。

 もはや杖を交えた二人の戦いの趨勢は明らかとなったのだ。

 片や時の流れにより老い、知識と経験を得る代わりに力を衰えさせた魔法使い。

 片や長きにわたる監獄生活を送るも、邪悪な魔法使いの魂を糧に時に逆らい、そして使徒としての新たな力を手に入れた魔法使い。

 かつてはわずかに秀でていたダンブルドアの力は、今やグリンデルバルドの後塵を拝し、明確な差となって二人の距離を隔てていた。

 ダンブルドアの問いに、グリンデルバルドは両手を広げた。

 

「全てだ」

「全て?」

「魔法使いも、マグルも、こちらの世界も、あちらの世界も、全てを望むのだ」

 

 宙から見下ろすグリンデルバルドに、ダンブルドアは厳しい顔つきを深めた。

 

「覚えているだろう、アルバス。俺たちがかつて望んだものを。取り戻すのだ! 全ての過去を! 未来を! お前にとっては――そう、“アリアナ”をだ」

「っ!!?」

 

 一つの名が出た瞬間、ダンブルドアの顔が凍りついた。そこに宿るのは恐怖であり、憤怒であり、悲哀であった。

 これほどまでに動揺し、心を乱したダンブルドアの姿を初めて見たのか、マクゴナガルやフリットウィックたちは怪訝な表情でダンブルドアを見た。

 それらの余事にはかまうことなく、友の動揺を見て取ったグリンデルバルドは言葉を続けた。 

 

「この半世紀。お前は何をしていた? お前ならもっと多くを変えられたはずだ。名声を集め、権力に手を伸ばし、世界に関わることもできたはずだ。

 だがお前はそうしなかった。未来を紡ぐ子供たちを導くと嘯いて、ここに閉じこもり、世界の流れから目を背け続けた。

 その結果がどうだ? あの愚にもつかない魔法使いの台頭を許し、旧来以前とした過去を紡いでいくのを見ていただけだ」

 

 かつての友が語る言葉が、ダンブルドアの胸を抉った。

 

 

 求めてくる世間の願いに背を向けている。そのことは“分かっていた”。

 多くの魔法使いが、彼が権力の座を求めたこともあった。だがそれを幾度も拒絶し、結果その座に就いたのはダンブルドアと比べてあまりにも足りないファッジだ。

 たしかに彼が助言という助けを求めた時、たびたび言葉を与え、手を貸しはした。

 だが、昨今の問題。

 “魔法バラシ”によるマグルとの積極的融和という問題には、ダンブルドアは口を挟むことができなかった。

 なぜならそれは、かつての自分の夢とあまりにも似ていたから。

 次代を担う者達に選択を委ねるという言い訳で、結局は自分が選んだ結果、引き起こされる未来から逃げたのではないか?

 

「自分が関わることで“また”死を結果とすることを恐れたのか? だがな、アルバス。貴様の行いは、いや。行わないという決断は、それだけで多くの死を許容したということだ」

 

 ヴォルデモートのことにしてもそうだ。

 かつてトム・リドルという名だった少年が道を誤り、闇に堕ちたのを確信したとき、手を打つことはできたはずだ。

 気づかなかったなどと言い逃れることはできない。

 他者よりも優れた洞察力を持つダンブルドアには、少年が裡に宿していた邪悪な心を見抜き、そしてついにはそれが改心することはないと断じたのだから。

 

 討つことはできた。ただ殺すのならば、ずっと昔であればできたはずだ。

 そうすれば後に死んでいく多くの命を救うことができた。

 だがその答えを先送りにした結果、その答えはダンブルドアの関わらぬところで、多くの死を撒き散らした。

 答えを先延ばしにし、“予言”という曖昧模糊なもので未来を縛り、守るべき子供たちにすら牙を剥かせてしまっている。

 

「俺の道は違う! 全てを覆せる。アリアナの死という絶望も、覆せるのだ。お前の願った、魔法族とマグルとの垣根をなくすこともできる。無論――――マグルと魔法族を隔てるという望みもまた、叶うのだ」

 

 熱を帯びたように演説するその言葉を聞いていた者たちが、怪訝な表情となった。

 マグルと魔法族との垣根をなくす――つまり今、魔法世界側の者達がなそうとしていることと、マグルと魔法族を隔てる――純血主義の対立する思想がどちらも叶う?

 そんなことは在り得るはずがない。

 

「それは、矛盾する願いじゃ。両立することはない」

「いいや。並び立つ! そのために俺は使徒に成った! 全ての希望を叶えるために。“完全なる世界”を完遂させるために!」

 

 見上げるダンブルドアと見下ろすグリンデルバルド。

 全てを望む魔法使いは、まるで手繰り寄せるように掌を握り込んだ。

 

 

 そう、全てを叶えるのだ。

 破滅という絶望から世界を救い、変えようのない不平等を失くし、あらゆる悲しみを消し去る。

 敗者はなく、勝者だけの幸福な世界。

 それはかつての“彼ら”の野望を越える大業。

 

「今はもう眠れ、アルバス。貴様も、貴様の愛する者も、すべてはまた出会うことになる。“完全なる世界”さえ完遂すればっ!」

 

 グリンデルバルドは、その胸の内を全ては吐きつくし、そして杖を友へと向けた。

 その視界に孫がいることも見えつつ、多くの魔法使い、子供たちいることも見えながら、かつての世界の全てを断ち切るように杖を掲げ――――

 

 

 

 

 ――ドゥッッ!!!――

 

 

 

 

 雷鳴を伴った何かが砲弾のようにグリンデルバルドに迫り、彼は発動させようとしていた魔法をキャンセルしてそれを回避した。

 

「くぅあッ!!」「デュナミスっ!?」

 

 勢いのままホグワーツ城にぶつかり跳ねたそれは、同志である異形の魔法使い。

 厄介と言う魔法使いを抑えていたはずの彼が、下半身を失った状態で投げ飛ばされたものであり、デュナミスはあやうくぶつかりそうになった味方に構うことなく、自らに纏わせた黒い影を解いて放った。 

 

 ――『虚空影爪、貫手八殺』!!――

 

 解けたそれは、八つの黒い腕となって伸び、デュナミス自身が飛来した方向へと襲い掛かった。

 迎え撃つは影すら映らない速さで迫る敵であり、――――雷速で出現したリオンは、デュナミスの迎撃をものともせずに接近した。

 全ての影爪を突破したリオンは、上半身のみとなっているデュナミスの胸に拳を突き立てた。

 

「ッラアッ!!」

 

 ――右腕解放(デクストラー・エーミッタム)轟き渡る雷の神槍(グングナール)!!――

 

 デュナミスの体を特大の槍が貫き、ホグワーツ城の塔へと串刺しにした。

 

「なにっ!!」

 

 一瞬の出来事に、ダンブルドアを追いつめていたグリンデルバルドも思わず目を瞠る。反応は早かった。グリンデルバルドはほとんど反射的に魔力を練り、

 

「アバダ――」

 

 杖をリオンに向け、死の呪文を放とうとしたグリンデルバルド。だが、その標的は一瞬で消え、そして気づいた時には間近に現れていた。

 

「――――!!! ガッ?!?」

 

 現れざまにリオンは一撃をその体に叩き込み、グリンデルバルドは吹き飛ばされてデュナミスの横にめり込まされた。

 壁にめり込んだ彼を追撃するように、空間に紫電が奔り、煌く槍が空間を越えて現出した。

 

 ――雷の投擲(ヤクラーティオー・フルゴーリス)――

 

 雷の槍が連続して現れ、次々にデュナミスとグリンデルバルドの体を貫き、動きを封じた。

 

「ぐぅっあっ!!!」

 

 

 

 さしもの使徒も、その拘束からは脱することができないのか、苦々しげにリオンを睨み付けた。

 バチンと雷を纏って現れたリオンはそんな使徒たちを油断なく睨み返した。

 見上げていた魔法使いたちは唖然として戦いを終わらせた規格外の魔法使いの姿を見上げていた。ディズですら、痛む肩を抑えながら口元に笑みが浮かぶのを抑えきれなかった。

 圧倒的、と言うほかないだろう。

 傷ついていたダンブルドアは、終着を強引に書き換えた雷神のごとき魔法使いに鋭い視線を向けた。

 その雷神――リオンの体にはまるで傷ついた所はなく、半身を失った上に大槍で胸を貫かれているデュナミスと比べれば決着は明らかだ。

 

「これ、が、魔法世界最強クラスの力ッ……まさに、理不尽なまでに、常軌を逸した力…………」

 

 グリンデルバルドはなんとか魔法を行使して脱しようともがくが、腕に突き刺さった雷の槍が、手の感覚すらも麻痺させてその手から杖が落ちた。

 

 

 

 

「しまいだ」

 

 リオンは冷徹な視線を敵に向け、戦いの決着を告げた。視線を向けられたデュナミスはギシリと歯を噛んだ。そして「なぜだ」と憤激の声を上げた。

 

「なぜ人間に与する! 最強種の、ダークエヴァンジェルの唯一直系の眷属が!!」

 

 吠えたデュナミスに、見上げていた魔法使いたちの間からどよめきの声が漏れた。

 だがその問いは、リオンにとってなんらの動揺をもたらすものではなく、眼差しに微かな呆れが混じるのみだった。

 

「別に人間に与しているわけではないがな」

 

 リオンの答えに、ぎょっとしたのはそれを聞いていたマクゴナガルやファッジたち伝統魔法族の“人間”たちだ。

 それに構わず、リオンは「だが」と言葉を続けた。

 

「俺の目的を果たすためには、貴様らは邪魔だ」

「目的だと?」

「俺の目的は、俺の手で果たす。邪魔はさせない」

 

 組織の計画ならば全ての望みは成就する。だがそれは与えられたものであり、ただの“夢”だ。

 甘美にして温もりある夢。ゆえにこそリオンが為そうとしていることでは決してない。リオンの望みは、彼が“したいことでは絶対にない”のだから。

 

 リオンは決して交わることはないと、明確なる拒絶の意志を示し、そして腕をデュナミスへと向けた。

 掌に宿る膨大な魔力。今度こそ、長きに渡る神の葛藤の残滓を消し去るために。

 自身を消して余りあるその手を見て、渋面となっていたはずのディナミスは「くっ」と口元に笑みを浮かべた。

 

「かの闇の福音の直系の眷属にして英雄の血脈。そして我が主の御業に連なる魔法技。ただの人形たる私に勝ち目はない。そう、あの時と同じだ。

 ――――だが、貴様はどうやら勘違いしているようだな」

「なに?」

 

 リオンは訝しげな顔となった。

 負け惜しみにしては余裕ある態度。まだ再生核は潰れていないようだが、いくら使徒とはいえ雷撃系最大の突貫力を有し、膨大な魔力によって編まれた魔装兵具――轟き渡る雷の神槍(グングナール)による束縛を、あの状態で解呪することはできないはずだ。

 もう片方の使徒――グリンデルバルドにしても、ダンブルドアを上回ったとはいえ激戦の直後、まして未調整の状態による戦闘だ。今の状況を覆すことはできないだろう。

 

 ――勘違い……?――

 

 何かを見落しているとでも言うのだろうか。 

 だが仮に見落としていたとしても、すでにこの周囲一帯は数キロにわたって電荷的に空間を掌握している。ただの魔法使いに――死喰い人とやらが来たとしても後れをとることはない。

 

「前回の戦いの号砲を告げたのが、誰であったのか聞いたことはないのかね?」

「…………!!」

 

 だが告げられた言葉に、リオンの思考が脳裏に点在する関係ある“点”を急速に結んでいった。

 

 ――数十年前の“完全なる世界”の決起。その端緒となったゲートポート破壊事件。

 起こした首謀者は3番目の使徒と目の前の魔術師、狂気の剣士。そして――――

 

 “それ”に気づいたリオン。

 だが同時に、その背後に何者かが現れた。

 振り向いたリオンは、敵を認めるよりも早く、反射的に魔法の行使をしようと右腕を突き出し、

 

「!!!」

 

 その右腕が剣によって切り飛ばされた。

 

 

「リオンッ!!!!」

 

 

 見上げていた咲耶の悲鳴が上がった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

墓所の主と求めるモノ

 半壊のホグワーツ城前、上空に浮かぶ二人が交錯していた。

 一人は雷の精霊のごとき姿に変じたリオン。

 一人は小柄で、子供のようでも老人のようでもあった。その姿フードを目深にかぶったローブで覆われており、顔どころか性別すら判然としかねる。

 突然あらわれたその人物は、手に持っていた大剣を振り抜いた。

 

 まるで紙でも切り裂くかのように、リオンの――真祖直伝の堅牢な魔法障壁が切り裂かれ、同時に振るわれた大剣がリオンの腕を切り飛ばしたのだ。

 

 ――魔法障壁を切り裂いた!!?――

 

 驚愕するリオン。その体勢が整えられる前に、剣士はさらに踏み込み、大剣を振りかぶった。

 その距離は外れようもなく、リオンの体を両断できる距離。

 咲耶の声にならない叫びが上がり、振り下ろされた大剣がリオンの体を切り裂く――――直前で、リオンの体が雷子となって消えた。

 

「む?」

 

 バチッと、紫電が爆ぜ、雷速の近距離移動によって回避したリオンが消えたのとほぼタイムラグなしに剣士の背後に現れ、爪を振るった。

 

 術式兵装したリオンの、紫電と膨大な魔力を付与された攻撃は、例えデュナミスの積層多重障壁でさえ容易く切り裂くだろう。

 だが、剣士は空を凪いだ剣の重さに身を任せ、小柄な体を回転させて、背後からのその爪を剣で受け止めた。

 

「! ちぃっ!!」

 

 轟音。気と魔力の衝突によりリオンの放つ紫電が拡散して白く閃光し、衝撃が撒き散らされた。

 振るった爪に生じた違和感に、リオンは再び雷速転移を発動させて距離をとった。

 原理は不明。だが、あの大剣はリオンの魔法障壁を紙のように切り裂く攻撃力がある。

 転移間際に置き土産のように空間に雷の斧を炸裂させて追撃を阻む。追撃の機ではないと見たのか、剣士は自らも後方へと跳び、距離をとった。

 

 咲耶たちの頭上、先程よりも近い位置に雷精が集い、瞬時にリオンの姿が再構築された。

 

 

 

 第80話 墓所の主と求めるモノ

 

 

「リオン!!」

「騒ぐな。この程度心配いらん」

 

 リオンの右腕が切り飛ばされ、退かされたということを心配した咲耶に、リオンは一瞥もくれずに制した。

 言葉通り、雷精状態のリオンは切り飛ばされた右腕を雷子に戻して消し、右腕を超速再生させた。形の無い雷気が腕の形を作り、失った右腕を戻した。

 

 だが、それと同じように、グリンデルバルドたちのところまで退いた剣士は、大剣を一振りさせて、デュナミスとグリンデルバルドを串刺しにしていた雷の槍を諸共に掻き消した。

 

「ちっ! あいつ…………」

「なっ!?  リオン君の轟き渡る雷の神槍(グングナール)を一振りでっ!?」

 

 リオンは眉を顰めて、自らの腕を切り飛ばした大剣に視線を向け、夕映は声を驚愕の声を上げた。

 リオンの魔法障壁はその膨大な魔力を注ぎ込んである分、相当に強靭だ。使徒たちの積層多重障壁ほどではなくとも、並みの攻撃では傷一つつきはしない。

 少なくとも、剣の一薙ぎで紙のように切り裂かれるほど柔ではない。ましてやグングナールと雷の投擲はどちらも容易く消せるものではない。

 二人を解放した剣士は、左手で無造作に剣を持つと、右手を二人に向けた。

 

「なっ!!?」

 

 さらなる驚愕の声が夕映や、魔法使いたちから上がり、リオンも顔を険しくした。

 

「半分に千切れた体が!?」

「そんなバカな……!?」

 

 剣士が翳した手は何かの魔法を発動させているのか、上半身のみとなっていたデュナミスの体がみるみると再生していき、一糸纏わぬながらも初めの魔法使いの体を取り戻したのだ。グリンデルバルドの方も受けたダメージが回復しているのか、リオンに受けた拳打と雷の投擲の痕が消えている。

 驚愕をよそに、デュナミスは周囲に黒い影のようなものを展開させて自らに纏わせ、次の瞬間には黒衣の魔法使いが完全無欠に蘇っていた。

 これで元通り。いや、片や戦力が低下し、片や終わることがないことを示した。

 夕映の背に冷たい汗が流れる。おそらくマクゴナガルやほかの魔法使いたちも同様だろう。

 ダンブルドアすらも圧倒したグリンデルバルドと同等以上の力をもつデュナミス。その二人を瞬時に復活させた謎の剣士。

 対してこちらはリオンこそほとんど無傷のように見えるが、ダンブルドアは消耗が激しく、戦えたとしてもグリンデルバルドに勝つことは最早できないだろう。そして他の魔法使いでは消耗がなかったとしても、あの強大な魔法使いたちに対しては牽制にもならないだろう。

 事実上1対3。

 いかにリオン・スプリングフィールドといえでも、最強クラスを相手にこの状況は、不利に過ぎる。

 

 おそらくこの城の結界が軒並み消失しているのはあの剣士が原因なのだろう。

 ホグワーツの領域を守護する古の魔法は強力だ。なにぶん古いものだから確かに穴はあるが、それでも本来ならば破るためには多大な労力を要する。

 だがもしも、魔法自体を無効化する能力を敵が有していれば、それは段違いに容易い仕事になっただろう。

 そしておそらくあの剣士こそがその要をなした襲撃者。

 

「リオン…………」

 

 流石に咲耶も不安そうにリオンの名を呼んだ。

 リオンはそちらに振り向くことなく――――バチィッ! と紫電を撒き散らし、見る間に紫電は活発な放電現象へと変わった。

 “神鳴り”の化身。

 まるでそれを体現した存在であるかのように、リオンは魔力の高まりとともに放電現象を活性化させていく。

 そして――――雷精の姿が咲耶たちの前から消えた。瞬間、上空の剣士の背後にリオンが現れ、右腕を突き入れる。

 

「!」「…………っ」

 

 剣士はその攻撃を大剣で受け止めた。

 思わず目を細めるリオン。剣士の方はフードに隠されて顔を覗くことができないが、リオンの怪物的な腕力による掌打を受け止めて一歩も引いてない。

 剣士は拮抗もわずかに、支点をずらしてリオンの腕を弾くと反撃に剣を薙いだ。だがそこにはすでにリオンの姿はなく、再び雷速の動きで死角に回り込んだリオンが攻撃をしかけ、再びそれに反応してぶつかりあった。

 

「なっ!? リオン君の雷速瞬動に反応している!?」

 

 夕映の驚きの声が上がった。

 リオンの“高殿の王”による雷速瞬動は、かの英雄“ネギ・スプリングフィールド”の得意とした“雷天大壮”によるものとはいささか原理が異なるものの、その移動速度は全く遜色ない――つまり人間の知覚速度の限界を遥かに超える雷速のものだ。

 たとえ感覚の強化魔法を使用したとしても、それを処理するのが人間の脳――電気的な反応である以上、知覚し、反応することはできはしない。

 雷速瞬動に追従するためには、雷そのものとなった術者の性質を利用するしかないのだが、それができるのは極めてまれだ。まして空間を掌握しているリオンの“高殿の王”の雷速瞬動を初見で反応できるなどというのは規格外も過ぎる。

 だがフードの剣士はリオンの雷速の動きに反応し、どころか反撃までしている。

 攻撃を受け流されて体が流れ、体勢を立て直すために一瞬動きを止めたリオンに剣士が距離を詰め、薙いだ大剣がリオンの体を分断。だが分断された体は紫電となってほどけ、大剣を振り抜いた剣士を捕らえた。

 雷囮による雷撃捕縛。

 白雷の網が剣士を包みこむ――――寸前で剣士は大剣を切り上げに払った。捕縛の網がまるでバターが溶けるように掻きけされる。

 だがそれもまた布石。

 リオンは掻き消された雷撃により変位した電場を利用して電位を操作し、剣士の眼前に雷速で現れ、雷撃を纏った掌打を打ち込んだ。

 

 ――右腕解放(デクストラー・エーミッタム)!! 白雷掌!!!――

 

 右腕に籠められていた白き雷が解放され、その雷撃が剣士を焼く。

 

「!!」

 

 だがリオンのその掌は、剣士のローブにすら触れておらず、咄嗟に引寄せられた大剣の腹に阻まれていた。

 解放された雷撃は剣士に向かうことなく、ただ白雷を撒き散らす。

 刹那の停滞。

 リオンが後退するよりもわずかに早く、剣士が大剣を薙ぎ、リオンが地面に向けて吹き飛ばされた。

 

 リオンは半ば吹き飛ばされるに身を任せつつ、敵の動きを見定めようとし――――驚愕に目を見開いた。

 

「!!!」

 

 ずれたフードの奥にのぞく剣士の相貌。 左右で異なる瞳の色。

 絶句が一瞬の躊躇を産んだ。

 虹彩異色の剣士は右手に持つ大剣を肩に担ぎ上げるように振りかぶり、左手で柄尻を握った。

 

 その姿を写したリオンの瞳が、今とは異なる光景を幻視した。

 振りかぶる大剣。背に流れる橙の髪が揺らめき、左右で色の異なる青と緑の瞳がリオンを見つめる。口元には笑みが浮かぶ。

 

 幻と現実が同じ言葉を紡ぐ。

 

 ――「無極而太極斬(トメー・アルケース・カイ・アナルキアース)」――

 

「!!!!!」

 

 ぞわりと、特大の悪寒がリオンだけでなく、地上にいた全ての魔法使いをも襲った。

 それは根元的な畏怖。

 魔力を持つ者たちだからこそ、抗うことのできない、本能的な恐怖感だった。

 

「なっ!!!」

 

 振りかぶり、両手で振り下ろされる大剣。大剣から放たれる斬撃に、リオンは咄嗟に背後を省みた。

 

 迎撃――撃ち落とすのは不可能

 回避――後方の咲耶を巻き込む

 

「ちぃッ!」

 

 とった一手目は“その”斬撃を前に最も悪手と言えるだろう。

 左腕を前に突きだし呪文を解放、同時に二手目を並列として右腕の封を解放。

 

最強防護(クラティステー・アイギス)!!!」

 

 咲耶たちを背後にしたリオンの前方に、10を超える魔方陣が展開された。

 そこに込められた術式は、それこそ一つ一つが城塞の守りにも匹敵するほどの防御の力を宿しており、

 

「――――ッッ!!」

「リオン!!!」

 

 次の瞬間、咲耶が見たのはまるでガラスが砕けるようにリオンの最強防護が砕け、リオンの体から鮮血が吹き上がる光景だった。

 

 

 

「!!?」

 

 墜ちる福音の御子、同時に剣士はそれに気づいた。

 “高殿の王”による電位操作により、離れた空間に魔法発生のひずみが生じている。

 出現したのは特大の螺旋槍。

 

 ――巨神ころし・暴風の螺旋槍――

 

「統合術式ッ!?」

 

 デュナミスが叫んだ。

 それはかつての戦いで偉大なる魔法使い(ネギ・スプリングフィールド)が開発、使用していたオリジナルスペル。

 襲撃者たちを巻き込み破壊せんとする破壊の槍。

 

 ――「エーミッタム!!!」――

 

 霧のような血を吐きながらの解放の呪文により、雷の投擲に込められた暴風がその威力を顕現させた。

 

 ――抉れ雷の狂飆!!――

 

 

 

 見上げる魔法使いたちの目には、落ちるリオン・スプリングフィールドと、そのさらに上空に出現した巨大ななにかが3人の襲撃者を巻き込んで炸裂した光景だった。

 天文塔が雷撃を伴った暴風に消し飛ばされ、上空で突如巻き起こった暴風の余波は、地上にいた魔法使いや生徒たちにも容赦なく衝撃を撒き散らし、生徒たちから悲鳴が上がった。

 そして、その悲鳴をかき消すように轟音を響かせて、剣士が放った斬撃が――――それをまともに受けたリオンともども地面に落下した。

 

「リオン君っ!!」

 

 リオン・スプリングフィールドが撃ち落された。その事実に夕映が驚愕して声を上げた。

 朦々と立ち込める煙。その奥に “赤髪の”リオンが血の迸る胸の傷を抑えるようにして膝をついていた。

 

「っ――!」 

 

 —―リオン君の術式兵装が剥がされているっ!?――

 

 夕映は目を見開いた。

 雷電を振りまく“高殿の王”の姿から、通常の赤髪黒衣の姿に戻っている。

 

 胸元に刻み付けられた斬痕。深く切り込まれたそれは、魔法障壁によってまったく軽減されること無くリオンの胴を切りつけていた。

 

 

 

 

 ――こっちの状態では再生力が低い……っ――

 

 新月期(赤髪)の状態では吸血鬼の力は著しく弱い。そのため再生力は大きく制限を受けており、雷化も解除されている以上、いつも通りの超速の再生は使えない。

 リオンはズクンと疼く傷を抑えながら、特大のカウンターを置いてきた上空を睨み上げた。

 あの剣士が、あの呪文とともに剣を振り下ろした瞬間、リオンは咄嗟にとった選択肢が悪手であることを認識していた。

 “王家の魔力”による魔法を打ち消す力の発現。

 あの剣士の顔を見た瞬間、ありえるはずのないその現象が起こることがリオンの脳裏をよぎったのだ。

 

 雷速瞬動を使えば、リオンはあの斬撃を回避することはできた。

 だが、それをすれば地上にいた魔法使いたち――咲耶へと致命的な攻撃が届いたであろう。現にダンブルドアが生徒たちを守るために咄嗟に張った障壁も、あの斬撃はまるで薄い水の壁を破るかのように突破している。

 

 だが一方で、上空の剣士たちの方もリオンの攻撃を受けており――――その姿を見た生徒や魔法使いたちは思わず息をのんだ。

 

 デュナミスはリオンの攻撃の第一目標でなかったために直撃こそ受けなかったが、左腕が抉り取られるように吹き飛んでおり、損傷はグリンデルバルドも同じような有り様だ。そしてもっとも甚大な損傷を受けているのが、小柄な胴の大部分を抉り取られた剣士であった。

 魔法使い二人にしても、決して軽くはない損傷のはずだが、剣士の損傷はヒトであれば明らかに致命傷、即死の域。

 しかしフードを纏った剣士は痛みなどないかのようにリオンを見下ろしていた。

 

「……なるほど。“そこ”にいたわけか」

「…………」

 

 声は大きくはなかった。だがリオンの耳はその呟きのような言葉を拾い、眉をピクリと動かした。 

 高位の雷精にも相当する“高殿の王”の状態に、ただの斬撃で物理的なダメージを与えられる人物はそうはいない。なによりもあの“技”を使える剣士はリオンの記憶では一人しかいない。

 だが幻視した姿は今はもう消えており、視界に映る姿には見た覚えがない。

 凝視するように向けて来ている視線は、リオンではなく別の何かを視ているように感じられた。

 

「予想以上ではあったが、どうやらあの忌々しいスプリングフィールドの血族を一人。今日ここで消し去ることができるようだな」

 

 左腕を失っているデュナミスが優越混じりの笑みを浮かべて、剣士の横へと並んだ。

 グリンデルバルドも左手に杖を掲げて並び立った。

 彼にとって眼下で膝を着く手負いの魔法使いは、聞いていた以上、想定以上に規格外の魔法使いだった。

 だがもはや趨勢は決したも同然であり――――

 

「…………いや。私はここで退かせてもらおう」

 

 剣士の放った思いもよらぬその言葉に二人の魔法使いは虚をつかれた。

 

 

「なにっ!? どういうつもりだっ!?」

「なっ! また裏切るのか、(ぬし)よ!?」

 

 グリンデルバルドとデュナミスは眉を吊り上げた。

 欠損こそ生じているが、それでもあのリオン・スプリングフィールドも少なからざるダメージを負っている。

 最強クラスの魔法使いであるデュナミスとグリンデルバルド。そして“魔法を無効化する”(ぬし)の3人であれば、あの厄介な魔法使いを仕留めることができるはず。

 彼やデュナミスにとって“計画”の障害となるあの魔法使いは、消せるときに消しておくべきものであり、その機を逃す道理などない。

 

「つくづく心外な言い方をする。以前にも言ったはずだ。同志となった覚えはないとな。それにここでの計画は果たしたのであろう。貴君らの戦果としても十分なはずだ」

「だがあれを放置しておく理由はないはずだ。むしろ障害となるものではないのか!」

 

 主と呼ばれた剣士の言葉に、今やデュナミスは眼下よりも並び立つ小柄な剣士に対して殺気を向けていた。

 助けた二体の使徒から殺気を向けられている剣士はフードの奥の顔に薄く笑みを浮かべると、目を細めて眼下のリオンを見た。

 

「…………今のアレを倒したところで、得られぬ」

「主よ。だが、今こそ好機ではないか!」

「ならば好きにするがよい。元より最初の目的が同じというだけであって、私は貴君らの計画とやらに興味などない。やれるというのならアレを倒せばよい。今、私がアレを倒す気はない」

 

 好機ととらえるデュナミスに対し、主は突き放すように言った。

 その言葉にぴくりと反応したのは二体の使徒だけではない。

 

 

 

「まるでいつでも俺を倒せるみたいに言ってくれるじゃないか。大人しく退けると思っているのか?」

 

 

 リオンの言葉に、聞いていた夕映たちはぎょっとした。

 今の状況はどうみてもこちらの危機。仲違いして去るというのなら、それは見逃してもらえるということと同義だ。

 だが視線を向けたリオンの、その体から吹き上がる黒い魔力に、魔法使いたちはゾッとすることとなった。

 まるで奈落へと繋がる闇の洞を覗きこんでいるような感覚。立ち上がったリオンの姿が黒の魔力に浸食されているかのように黒くなり、両の腕に禍々しい紋様が浮かび上がる。

 

「なんだっ!?」

 

 上空から見下ろしていたグリンデルバルドも異変に気付いた。

 魔力の質が変わる。それまでよりもさらに深い深淵へと堕ちるかのように、熱も光も、全てを呑み込むかのような暗き闇。

 

 紋様はもはや腕に刻まれているものではなくなっていた。

 

「貴様、それはっ!?」

 

 禍々しい魔素痕が手の甲で紋章状に渦を巻き、背には悪魔のような黒白の翼を象り生み出している。

 

 

 

 覚えがあった。

 かつて死を克服する野望を抱いていたころに調べた知識の中にあったとある禁呪。

 狂気にして禁断、闇の魔王が創造せし不死の秘術。

 

「マギアエレベア!?」

「マギア、エレベア……?」

 

 ダンブルドアもまた、そのおぞましき闇の禁呪の名を震える声で呟いた。その動揺を露わにした声に、マクゴナガルたちが訝しげに振り返った。

 

 

「どうなっている!? あの秘術は」

 

 リオンの使っている魔法の本質を知って、グリンデルバルドはダンブルドア同様に動揺し、そして瞳に隠しきれない欲望の色を宿した。

 

「真祖の吸血鬼、闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)の固有技法。そしてあのネギ・スプリングフィールドが完成させた闇の究極技法だ」

 

 デュナミスが忌々しげに吐き捨てた。

 リオンの足元に流れた血が、まるで意志をもったかのようにリオンの体に纏わりつき、左腕へと絡み付いて魔方陣を浮かび上がらせた。

 

「ぬっ!? 吸血鬼の能力、血液操作!?」

 

 魔法使いの血には魔力が宿る。

 吸血鬼が他者の血を体内にとりこむことで魔力を高めるように、リオンは自らが流した血で魔方陣を描き、なんらかの魔法をブーストさせようとしていた。

 

 血の魔方陣が絡み付く左腕には絶対零度の凍気

 右腕には英雄の力にも値する雷霆の紫電。

 

 今まで以上に強大な魔法の行使の予感に、デュナミスとグリンデルバルドは体勢を整えて襲い掛かる構えを見せ――――その前を剣が遮った。

 二体は忌々しげに主を見て、それからリオンを睨み付けた。

 

 先程までの状態においてさえ、今の二体ではリオンに勝てなかったのだ。ここからさらに切り札を切ろうとしているリオンに対して、主の力なしでは対抗出来ないのは明らかだった。

 二体は渋々と構えをといて、感情を押し殺して眼下の魔法使いたちを見おろした。

 二体の戦気が薄れると、主は剣を下ろした。

 

「ちっ。……ソーフィンは回収していくぞ」

「貴様の“元”孫にやられたようだが。そっちはいいのか?」

 

 グリンデルバルドは苛立たしげに舌打ちし、デュナミスはちらりと魔法生徒の一人へと視線を向けた。それは今宵、新たな使徒と成った元人間の唯一の肉親。

 

 使徒と成った男は、それが些末ごとであるかのように、デュナミスと視線の先を同じくした。

 愛娘が人知れず産んだ、今や自身の血を受け継ぐただ一人の孫。

 

「構わない。アレも選んだのだからな。それに計画が完遂すれば、それすらも関係ないのだろう?」

 

 それすらもまた、“完全なる世界”の中では、最適な形で具現化されることであろう。

 

 見上げるディズと見下ろすグリンデルバルド(祖父)の視線が交わる。

 初めて見る祖父の姿は本来あるはずの年よりもずっと若い。そして孫である自分に向けてくる瞳には、肉親に向ける情は感じられなかった。

 

 

 ズズズ、と、使徒たちの周囲から影が現れ、その姿が覆い隠されていく。

 彼らの逃亡を阻むためにリオンの腕が動き、

 

 ――――「次にまみえる時には、返してもらうぞ。我が―――――」――――

 

 グリンデルバルドが、デュナミスが――――そして“墓所の主”の体が、消えていく。

 リオンの動きが止まり、追撃の手は行われなかった。

 

 影が解れていくように消えていく使徒たちをリオンは睨み付けた。

 

 月のない新月の夜。

 見上げる魔法使いたちの視界に残ったのは、ボロボロに破壊された痕を残すホグワーツ城だけだった。

 

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 戦いの幕が引かれたホグワーツ城前から離れた森の中を一人の男が走っていた。

 

「くそっ! なぜだっ! なぜこんなことにっ!!」

 

 あの連中がここに来る前に“姿くらまし”を禁じるための結界は破壊されたままだが、その代わりに防止呪文が一帯にはられているために“姿くらまし”は封じられているのだ。

 男が悪態をつくのはそれもあるが、それ以上に狂ってしまった計画について。そして計画を壊した男についての悪態だ。

 本来であれば、今日、不世出の魔法使いである男の主、“闇の帝王・ヴォルデモート卿”が蘇るはずであった。かつて以上の力を手に入れ、ダンブルドアを墜とし、ハリー・ポッターを殺し、その権勢を取り戻し、すぐさま盤石の態勢を築くはずであった。

 あのダンブルドアさえ、ハリー・ポッターという運によってのみ生かされている子供さえいなければ、それだけでヴォルデモート卿の道は盤石だと疑いもなく信じていた。

 そして主に忠節を尽くし、アズカバンにまで投獄されていた自分は帝王の最も信頼有る一番の部下となったはずだった。

 アズカバンに投獄されることを恐れ、主を見捨て、仲間を売ったような連中など比べ物にならないものだ。

 だが何が狂っていたのか ――――ソーフィン・ロウルだ。

 死喰い人の面をしていたあの小賢しい男が主を裏切ったのだ。

 忌々しい異世界の魔法使いもどきの力を借り受け、よりによって帝王を供物のように扱ったのだ。

 

 今は逃げて、“姿くらまし”ができるところまで逃げて…………それでどうするというのだろう。

 アズカバンの脱獄を手引きした父――それは息子である自分への愛ゆえではなく、今はもう亡き母に対するものであったが――を幽閉するために帝王が施した“服従の呪文”は解けてしまっただろうか?

 屋敷に戻り、逃げたその後に潜伏することは可能だろうか?

 

 統べる者に最も近い存在になるはずが、なぜこんなことになってしまったのだ。

 行く先は闇のような暗闇となり、なにをどうすればいいのか思考が回らない。

 

 ただ、今はひたすらに足を動かすしかできることがない。

 まるで魔法の使えない、侮蔑すべきマグルのような自分。

 

 その屈辱、憤り、理不尽。すべてに怨嗟を向けて、企みを砕かれたパーテミウス・クラウチ・Jrは走っていた。

 

 ――「行キ先ハソッチジャネェゼ」――

 

「!!?」

 

 クラウチの逃走は、不意に森の中に響いた不気味な声によって止められた。足を止めたクラウチの周りの草木が、急に不自然な音を立てている。

 

「だ、誰だっ!?」

 

 月の光のない森の闇は、見えない何かの不気味さを一層に深めた。

 一寸先の見えない闇を恐れる。それはヒトが抱く根源的な恐怖だろう。

 

 クラウチは咄嗟に杖に灯していた光源を強めた。

 

 森の中に光が生まれるとともに周りを囲む木々によって薄暗い陰影が作られた。そしてその木々の間を走る糸のようなものがキラリと見えた。

 クラウチの周りはいつの間にか、その糸のようなもので囲まれており、クラウチの心臓は痛いほどに跳ねた。

 

「コンダケ派手ニヤラカシタンダ。逝ッチマッタ主人ヘノ餞ニハ十分ダロ」

 

 闇から湧き上がったかのように小さな人形が浮かんでいた。

 左手に小さなナイフ、右手には人形の体の3倍はあるだろう大きな鉈のような剣を肩に担いでいた。

 ――――小さい。

 恐らく人形自身にはクラウチの膝程の大きさのサイズもないだろう。人形自身の作りも非常に稚拙なように見える。関節は球体の継ぎ目が丸わかりで、表情は口を開けた笑顔で固定されている。

 だが、なぜかその笑顔はこれ以上ない程に不気味だった。

 カタカタカタカタ。ケケケケ。

 

「腰抜ケノ三流小悪党ノ子分ハ、間抜ケナ主人ニ倣ッテ死ニヤガレ」

 

 クラウチの口から小さく悲鳴が上がった。震える手に力を込め、杖を不気味な人形に向けた。

 そして――――――――

 

 

 

 

 

 ――――――――地面に倒れ伏した人影の横に、鉈のような剣を突き刺し、その上に腰掛けたチャチャゼロは、退屈そうに空を見上げていた。

 

「マッタク。アノガキハツメガ甘イゼ」

 

 どうやら彼女の主人代理の方も戦闘を終えたらしい。

 チャチャゼロの方も今回の襲撃者の主犯の一人を捕縛するという役目を果たしたわけだが、相変わらず主人代理も、丸くなった主人ともども、つまらない役目ばかりを押し付けてくるのは彼女の密かな不満だ。

 

 ただ、おそらく今度は少しは楽しくなるだろう。

 なにせ封は解かれた。

 彼が解くことを望みながら、解かれないことを願っていた封が破れたのだ。

 ならば次はそれを使うことになる。

 その向う先は、チャチャゼロがよく知り、そして今までに一度も戦ったことのない相手。彼女自身に長い、永い時の終わりを与えるだろう終焉の相手。

 

 チャチャゼロは変わらぬ笑みを張り付けて月のない星空を見上げた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

事後処理

 ――もふり、もふ、もふ、もふり…………――

 

 ふかふかとしたベッド。咲耶は微睡の中、触り心地のよい何かを堪能していた。 昨日の就寝時間は遅く、また色々と騒動があったことから疲労が抜け切っていないのだろう。魔力もかなり出し切っていたし、未だに虚脱感があるのはベッドのぬくもりのせいだけではないだろう。

 胸元にある“抱き枕”。ふわふわ、もこもことした感触。

 ぎゅぅと抱いても受け入れるように体が沈み込んだ。

 

「ほわぇ?」

 

 寝ぼけ眼を薄らと明けた咲耶の目に、白いもふもふが映りこんだ。

 

「…………」

 

 もふ、もふ。抱き心地のよい白い毛並がベッドの上にあった。

 咲耶は気怠い体に力を入れてベッドの上で身を起こし、周囲を見回した。

 外の景色を写す魔法の窓は、まだホグワーツの魔法全体が完全に修復されていないために様子が分からない。

 おなかのすき具合からすると早すぎる時間、ということはないだろう。だが、ルームメイトも昨日の疲労が残っているのか、まだベッドのカーテンが引かれたままだ。

 咲耶は自分のベッドに視線を戻した。

 木の葉型のもふもふとした尻尾。童姿のシロくんが、くー、くーと安らかな寝息をたてている。時折頭の犬耳がぴくっと動き、尻尾がもぞもぞと咲耶をくすぐるように動いた。

 咲耶は小首を傾げた。

 

「……はれ?」

 

 咲耶の疑問の声がその触り心地のよさそうな耳に届いたのか、式神は主に遅れること数分、身じろぎして目を開け、「ほわ?」と口を開けて体を起こした。

 ゆっくりと体を咲耶の方に向けて、まだ眠たそうだった瞳を見開き、ハッと慌てた様子で飛び跳ねて正座した。

 

「お、おはようございます、姫様!」

「うん。おはようさん、シロくん…………」

 

 ベッドの上で両手をついて挨拶するシロくんに咲耶も挨拶を返した。

 主の挨拶を受けてシロくんは「えへぇ」と相好を崩し、ふわふわの尻尾がぱたぱたと左右に揺れた。

 咲耶はジッとシロくんを見た。

 シロくんは咲耶の傍にいるのが嬉しいのか、ご機嫌なようすで尻尾を振っている。

 

「シロくん。今日はどしてそっちなん?」

「はい?」

 

 童姿のシロはきょとんと首を傾げた。

 

「いつも朝はワンコのカッコやのに、今日はそっちなんや」

 

 言われてシロくんは気づいたのか、自分の体を見下ろして首を傾げた。

 

「あれ? そ、そう言えば……? も、申し訳ございません! 姫様の褥の一角を与えられているに過ぎない身の程で、このようなっ!」

「あ、うん。それはええんやけど」

 

 咲耶の護鬼であるシロは、基本的に咲耶の傍についてその身を守護するのが役目。

 そして基本的に子犬の姿でいるシロは、寝る時には咲耶のベッドの枕元で尻尾を丸めて休む姿勢を見せているのがいつものことだ。

 当初本人はこの“主と同じ布団に入る”という行いを恐れ多いと固辞していたのだが、ほわほわもこもこなシロの尻尾が好きな咲耶は好んでシロをベッドに引き入れていた。

 本人曰く、「式神には休息は必要ない」ということなのだが、それでは見ている咲耶の方の気が休まらないというのもある。

 だが、一応男子型の式神であるシロは、これまで咲耶やルームメイトの女子がいるこの部屋の中では子犬形態でしか過ごしていなかった。

 

 指摘されたシロは顔を真っ赤にし、痛恨事とばかりに大慌てし――――「あれ?」と小首を傾げた。

 

「どしたん?」

「も、申し訳ございません! むんっ!」

 

 なにか不具合でもあったのか、シロは今度は少しばかり気合いを入れて力をいれ――――何も起こらなかった。

 

「あ、あれ? ならばっ!」

 

 首を傾げている咲耶の前でシロは手印を組んで念じるように瞼を閉じた。

 そして、なにも起こらなかった。

 

「は、はわっ!!?」

「なにやってるの、サクヤ、シロくん?」

「あれ? 今日はそっちのカッコなんだ、シロくん。同じベッドで寝てたのか、サクヤ?」 

 

 バタバタとした音で目を覚ましたのか、他のベッドからフィリスが起きてきて、リーシャも仕切りを開いて顔を出してきた。

 

「はぅっ!!? ひ、姫様!!」

「うん?」

「じゅ、獣化の形態になれません!」

「…………うん?」

 

 シロくんが涙目になって主に自分の不具合を申告した。

 クリスマス翌日のことであった。

 

 

 

 第81話 事後処理

 

 

 

 

 闇の魔法使いヴォルデモートの復活と失墜。そしてゲラート・グリンデルバルドの再誕。

 イギリスのみならずヨーロッパの魔法界を恐慌させるにたる事件の情報は、その対処にあたる者たちにとっては幸いなことに、そしてその情報を発表する者にとっては不幸なことに、速やかに魔法界を巡ることとなった。

 なにせ事件の舞台であったクリスマス・パーティにはイギリス魔法省の大臣であるファッジ自身がおり、新聞記者までおあつらえ向きに居たのだから。

 ただそれは保守的なファッジにとっては決して望んだ展開ではなかった。

 出来るのなのならば目を閉じて見なかったふりをしたいとさえ思っていただろうことは、グリンデルバルドたちが撤退した後の始末でのわめき散らした醜態から容易く察することができた。

 だが翌日朝刊、その醜態ほかなんやかんやと一緒に日刊予言者新聞一面に張り出されては対処せざるをえないだろう。おまけに魔法省国際魔法協力部部長であるパーテミウス・クラウチが自宅にて服従の呪文を受けていたと思われる状態で監禁されていたのを発見されるにおよび、省内の混乱は極限と言ってもいい状態にまでなっていた。

 

「ダンブルドア。是非とも聞き分けていただきたい。これは現魔法大臣の指示でもあり、闇祓い局の局長としても同意見だ」

「ルーファス。幾度言われようと、例えコーネリウスの言葉であろうと、わしは言を翻すことはない」

 

 一方ホグワーツにおいても、翌日およびその次の日になっても一先ずの後始末がつかなかったのは、ダンブルドアが負傷したことだけでなく、魔法省からの事件調査という名目による足の引っ張りがあったためだ。

 ホグワーツ教師陣は生徒の安全のため、クリスマス休暇における生徒たちの速やかな帰宅の手配と破壊の爪痕著しい天文塔の撤去または修理を進めようとしていたのだが、魔法省から派遣された役人は事情を聞きたいからと教師や生徒の時間を削り、無駄に何度も同じ質問を繰り返した。

 そしてほかにも問題を複雑にしたのは、事件が魔法世界の動向とも関わっていることなども理由の一端にあっただろう。

 

「復活した闇の魔法使い、ゲラート・グリンデルバルト。その孫など危険分子以外のなにものでもない。生徒たちの安全のためにも配慮すべきことではないだろうか」

「ディズ・クロスのことならばルーファス。彼も生徒じゃよ」

「渡す気はない。あえて獅子身中の虫を抱え込むと? ならばそちらの闇の魔法使いについてもですかな? 話によればかの“ダークエヴァンジェル(闇の福音)”の息子だとか。カンサイジュジュツキョウカイの手前、魔法大臣も事を荒立てるつもりはありませんが、魔法省に出頭する必要はあると思われます」

 

 職員室では、また別の――――事態を一つ厄介にした件についての始末について話し合われていた。グリンデルバルドの孫がホグワーツに入学していたことについてだ。

 完治とまではいかなくとも治療を受けたダンブルドアや他の教師陣、魔法省から派遣されてきたルーファス・スクリムジョールと闇祓い。話し合いの当人であるスリザリン生――ディズ・クロス。そして魔法世界側からの代表たちが集まっていた。

 

「だそうだけど、リオン?」

「ふん。荒立てたければ勝手にやってろ」

「こらこら。調整するのは僕なんだからあんまり立てないでよ」

 

 リオンの代理としてやって来ていた夕映は事の次第をISSDAに報告するためにすでにホグワーツを発っており、代わりに臨席しているのはリオンと、今回の件を調査していたタカユキ。

 

「いやいや。たしかリオン君は“こちらでは”懸賞金がかけられていないはずでしょう。闇の福音も今は懸賞金を停止されていますし、ここはメガロが責任をもって引き取るというのはどうでしょう?」

「できればゲーデル博士は黙っていただけないかな?」

 

 そしてMM元老院の遣いとして来ているアルフレヒト・ゲーデルだ。

 胡散臭い笑顔で提案したアルフレヒトの言葉にタカユキは口元を引き攣らせながら制した。

 バチバチとした緊張感が魔法世界側の魔法使いたちの間で高まり、アルフレヒトの戯言を受けたわけではないだろうが、会議のざわつきは大きくなり、ルーファスはリオンたちを睨み付けた。

 リオンは猜疑と敵意の込められた視線を向けてくる顔を一瞥し、「はぁ~」と長々と溜息を吐いた。

 

「おい、ディズ・クロス」

 

 そして睨み付けてきている“お偉方”ではなく、自分同様、“禍中”にある子供――ディズへと声をかけた。

 今や優等生然とした皮を被ることなく負けん気の強い挑発的な視線が返ってきてリオンはニヤリとした笑みを浮かべた。

 

「このままならお前はめでたく危険分子の芽として摘まれるわけだが、なにか言いたいことはないのか?」

「………………」

 

 二人のやりとりに、ダンブルドアが議場のざわめきを黙らせて二人の睨みあいを注視した。

 

「ならこうしようか。――――」

 

 タカユキは友人の口から飛び出したびっくり提案に呆れた表情となっており、他の教師たちは顰め顔、闇祓いたちはギリギリと歯軋りするように睨みつけていた。

 

 

 

 

 

 

「なんでわざわざ厄介事を引き起こすかなぁ、リオンは?」

「福音の御子ともあろう者が、似た境遇に同情でもした、というところなら、まさに鬼の霍乱だな」

 

 先程の話し合いで決まった事項を思い返してタカユキは頭痛を堪えたような顔になっており、アルフレヒトはにやにやとリオンを揶揄した。

 

 今回の事件の後始末の中でも頭を悩ませた案件――――ディズ・クロス。

 どうやら彼がかのゲラート・グリンデルバルドの孫であるということは、事実であるらしい。

 孤児院出身である彼にそのことを告げたのは裏切りの死喰い人“ソーフィン・ロウル”だが、谷底に落ちた後行方不明となった彼が、どうやって嗅ぎつけたのかは分からないままだが、ディズの血統についてはダンブルドアが認知していたというのだ。

 他の教師たちは無論そんな話は聞いておらず驚き、闇祓いはダンブルドアの正気を疑った。

 ディズ・クロス自身が何か目立った悪事を働いたということはないのだが、あの最悪の闇の魔法使いの血を受けているということだけでも、彼を危険視する理由は十分であり、まして親である死喰い人を谷底に突き落とすということまでしでかしたのだ。

 状況が状況だけにそれは防衛行動ではあるだろうが、闇の魔法使いの卵と危険視している子供を連行するのを戸惑う理由にはならない。

 

 闇祓いたちを戸惑わせ、激高させたのは、日本の魔法協会の長の肝いりでやってきているリオンが彼を庇護するともとれる発言をしたことにある。

 しかもその当のリオン・M・スプリングフィールドにしても些か以上に重大な問題ごとを抱えている。

 闇の福音――真祖の吸血鬼の直系の眷属。

 闇の魔法の継承者。

 イギリス魔法界の悩みの種である闇の魔法使いの中でもとりわけタチの悪い

 そしてだからこそ、魔法省にとっても未曽有の大問題であるこの事案の山に対しても、魔法大臣コーネリウス・ファッジはホグワーツにやってきていないのだ。

 最悪とも名高い吸血鬼の血を引く半人と差向うなんてことは恐ろしく、できるのならば闇祓いに命じてアズカバンにでも放り込みたいところだが、日本の関西呪術協会やISSDA、ほかにも魔法世界の後ろ盾がある相手に無謀なことはできない。

 おまけに“狡兎死して走狗烹らる”ではないが、ダンブルドアですら歯が立たなかったグリンデルバルドたちを圧倒する様を見てしまえば、敵対することは得策とはいえまい。

 

「リオンが弟子をとるとはねぇ……本気であの子を鍛えるつもりなのかい?」

「あいつが途中で死ななければ、短い期間だが鍛えることになるだろうな」

 

 厄介事(ディズ・クロス)の解決のために口を挟んだのは意外なことにリオンであり、その提案は孤児ということになっているディズを、彼が弟子にするということであった。

 

 タカユキですら眉を寄せたその提案だが、ダンブルドアはそれを否定しなかった。

 どうやらダンブルドアとグリンデルバルドには、かつての決闘の勝者と敗者と言う関係以上の何かがあるらしく、自身ホグワーツに勧誘したディズに対しては特別な思いを抱いているということを察するのは容易かった。

 ディズも大人しく魔法省の管轄に免れないとあっては――というよりも、その展開を願っていたらしく、リオンの提案にありがたく従い、歯ぎしりする魔法省の役人の前で弟子となったわけだ。

 そのディズは、ダンブルドアが話したいことがあるということで校長室に連れられていっており、二人で話しているところだ。

 

 にやにやと興味深そうにしているアルフレヒトはともかく、タカユキは地獄を味わうだろう少年のことを考えて溜息をついた。

 

「リオン!」

 

 不意にリオンは耳に慣れた少女の声で呼ばれて視線を向けた。

 咲耶が隣に童姿の式神を伴ってやってきた。その顔は少々困っているようで、隣の式神は仏頂面で険しい顔をリオンに向けている。

 

「あ、タカユキさん……とゲーデルさん、こんにちは」

「こんにちは咲耶ちゃん」

 

 タカユキは顔見知りの少女の、少し見ないうちにますます母親に似て美人になっている姿を見て頬を緩めた。

 咲耶はタカユキと、ゲーデルがいることに少し驚いた顔になり、それでもぺこりとお辞儀をして挨拶をした。それからこの数日、忙しくてあまり真正面から見ることのなかったリオンの方へと向き直った。

 

「リオン、センセ。今、ちょいええかな? 相談にのってほしいことがあるんやけど」

「……なんだ?」

 

 リオンは見上げてくる咲耶の顔をじっと見て、ちらりと隣の式神を視て、続きを促した。

 

 

 クリスマスから数日。

 クリスマス休暇ということで授業はなかったのだが、この数日間、咲耶は中々に大変な状態にあったらしい。

 

「ほう。式神が形態変化できなくなったと……?」

 

 咲耶の相談事というのは、式神のシロのこと、そして咲耶の魔法のことであった。

 普段は小型の白狼の姿をとっているシロは、あの日以来以前の姿に戻ることができなくなったのだという。加えて咲耶自身も、魔法の挙動がやたらと安定を欠くようになってしまったらしく、咲耶自身に原因の心当りがないが、少々厄介な状態になっているのだそうだ。

 リオンはわずかに口角を歪めて咲耶の状態をマジマジと視た。

 

「問題ない。その状態に慣れろ」

「リオン?」「ふぅん……」

 

 リオンの告げた言葉に、タカユキは不審そうに眉根をよせており、ゲーデルは面白そうに見物していた。

 

「やっぱそれしかないんかなぁ?まほーもなんやよう安定せんのよ」

「魔力の質が多少変質したんだろ。ちょうど治癒術士の必要があるところだったから、お前の方も視てやろう」

 

 言われた内容を反駁して作屋は一瞬キョトンとなり、それからぱぁっと顔を綻ばせた。

 

「それてリオンがうちの魔法みてくれるん?」

「そういうことだな」

 

 先生からの補習の宣告。生徒であれば「うげぇ」と顔をしかめるそれは、しかし咲耶にとってリオンからのものだけは、大好きな人が自分を見てくれることであり、「やったー!!」と嬉しそうな声を上げた。

 

 だが

 

「本気かい、リオン?」

 

 喜んでいる咲耶とは異なりタカユキは不信感を露にしていた。

 その険しい声音に咲耶はキョトンとなって二人を交互に見上げた。

 

「咲耶ちゃんのこれは、魔力の加減がうまくいかなくなっているからだろう? バランスが崩れて普通の魔法の行使ですら難しくなっている」

「だから?」

「何らかの処置をするか、一度日本に戻って、詠春さんに見てもらうべきじゃないのかい!?」

 

 淡々として韜晦するような態度のリオンにタカユキが激しく詰問した。

 

「必要ない」

 

 友人の詰問に対して、リオンは平静な声で否定した。

 

「むしろこっちが本来の“こいつ”に近い。いい加減、余計な首輪を外してやる頃だ」

「首輪をつけようとしているのは君じゃないのかい、リオン」

 

 静かながらも激した様子のタカユキに、咲耶はビクッと体を竦ませた。会話の意味は分からないが、どうやら二人の間で、咲耶の状態に対する視立ては異なるらしい。

 タカユキからは怒気にも似た気が溢れ出ており、リオンを威圧しようとしていた。

 

「タカユキ」

 

 対するリオンは、底冷えするかのような声でタカユキの覇気に応えた。

 

「今回のことを招いたのはお前にも一端がある。わざわざうまく運んだものを俺が崩すと思うのか?」

「リオン。君は本気で……!」

 

 リオンの言葉にタカユキは両手をポケットへと納め、

 

「そうそう。邪魔はよくありませんよ、タカユキ」

 

 背後からかけられた傍観者の言葉に腕の動きを止められた。

 

「アルフレヒトっ! ……どういうつもりだい?」

「おや、意外かい? 言っただろう。僕はリオン君の親友だからね。親友なら対価を求めないものなのだろう?」

「ッッ!」

 

 嘯くアルフレヒトにタカユキはギリッと歯を噛んだ。

 リオンは余計な事をという目を向けたが、タカユキにとって極めて厄介な状況だ。元々リオン一人とってもタカユキでは相手にもならないのだ。

 

 タカユキの言葉でリオンが今さら止まるとは思えない。

 リオンの言う通り、堰き止められていた堤を壊す一役をかったのはたしかにタカユキだ。

 リオンは確かに近衛咲耶を守護するという役目を忠実に実行した。

 出来うる限り彼女の傍に居て、そばを離れる際には可能な限りの護りを用意した。

 そこに堤の一穴を穿つ一刺しを仕込んでいたのは、僅かに生じた余禄で足掻いたリオンの抵抗。

 “彼女の力の発現のキー”

 それが彼の願いに反するものだったのか、望みに反するものだったのか、それはタカユキにも分からない。

 ただ確実に言えることは、リオンは彼の目的の為に咲耶を利用しようとしていること。そして今回の一件は、その準備を大きく進めたという事だ。

 問題は、その目的が決してリオンが好ましいと思っている内容ではないと言う事だ。

 

 睨みあうリオンとタカユキに、咲耶はおたおたと視線を彷徨わせた。

 そして―――――

 

「!」

 

 近づいてくる気配――リオンすらも超える強大な魔力を感じ取って二人は視線を切った。

 

「貴様…………」

 

 副校長のマクゴナガルに先導されてやってきている二人の日本人。リオンは睨み付けるように眉を顰め、咲耶は嬉しそうな笑顔になった。

 一人はスーツに身を包み、腰に大きな刀を下げているサイドテールの女性。

 そしてもう一人は、

 

「咲耶、元気やったー? お、リオン君も久しぶり~」

「お母様!? 刹那さんも!」

 

 関西呪術協会、長の娘にして両世界最高の治癒術士と名高い立派な魔法使い(マギステル・マギ)“近衛木乃香”だ。

 黒く長い髪は癖がなく腰元まで下ろされており、咲耶の母というにはかなり若いように見える外見。だが、その容姿はたしかに咲耶の母と思わせるものだ。

 

 咲耶は嬉しそうに母親のもとに小走りに駆け寄り抱き着いた。

 

「お母様! どうしてここに?」

「この前は色々大変やったみたいやな、咲耶。今日はな、そのあと片付けのお手伝いとかをネギ君から頼まれてなぁ。あとは…………」

 

 抱きついてきた娘を抱きしめ返し、頭を優しく撫でて微笑みかけた。咲耶を見つめる木乃香の眼差しは柔らかい。

 じっと咲耶を視た木乃香は、ついで顔を上げてリオンに視線をうつした。

 

「リオン君もおおきにな~。魔法世界からこっちにすっ飛んで来たて聞いたけど、色々大丈夫なん?」

 

 ちらりとリオンの後ろに視線をずらせば、そこには魔法世界から正規のゲートを使ってやってきたと思われるタカユキとアルフレヒトの姿。

 タカユキはともかく、アルフレヒトはリオンと非常にリスキーな関係なため、ここで顔を合わせていること自体が、なんらかの取引の結果だということが容易に想像できる。

 

「別に。対価は支払った」

「そうですよ、近衛木乃香様。すこーし研究用の血液サンプルをいただいただけです。それに僕としてもこちらの魔法を見ておきたいと思っていましたからね」

「相変わらずやなぁ。二人とも」

 

 吸血鬼の眷属から血を貰うというのはこれいかに、と思わなくもない。

 だが、常々リオン・M・スプリングフィールド(福音の御子)の血統を探りたがっていたアルフレヒト・ゲーデルにとって、リオンの血液サンプルは貴重な研究対象だろう。

 なにせ普通ならばリオンは字義通り超人的な再生力を持っているし、そもそも傷をつけることすら困難だ。

 

 リオンとは犬猿の仲と評されているメガロの魔法科学博士に木乃香は苦笑いを返した。

 

「色々とやらなあかんことはあるんやけど。まずは……リオンくん、ちょっとええかな?」

 

 木乃香はにっこりとした笑みをリオンへと向けた。リオンは彼がもっとも苦手とするその笑みに、しかめっ面しい顔となった。

 

「木乃香様」

 

 どうやら木乃香はリオンと二人で話がしたいらしく、木乃香のパートナーである刹那は眉を顰め、リオンと二人きりになるのに難色を示してか咎めるように木乃香に呼び掛けた。咲耶も母とリオンとが内緒話をしようということに心配そうな顔になった。

 

「大丈夫。咲耶。せっちゃんと少しお話ししとって?」

 

 だが木乃香は撫で撫でと娘の頭を撫でながら、リオンとの対談をセッティングした。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

過去との決別。未来へと進む

 ――「俺の弟子になるなら立派な悪の魔法戦士、そうだなクエストボスクラス、最低でもフィールドボスクラスにしてやろう」――

 

 なんという勧誘文句だろうか。

 よりにもよって闇祓いやダンブルドアの居る前でそう言ってくれたリオン先生(マスター)にとっては、イギリス魔法界最高の魔法使いも闇の魔法使いハンターも取るに足らない相手なのだろう。

 力を求めるディズにとって願ったり叶ったりの申し出に、一も二もなく、むしろこちらから申し出るように弟子志願したため、すでにあの先生の呼び方は師匠(マスター)になった。

 ただし同時に――「生き残れば、だがな」―― という言葉には単なる脅し文句以上の緊張感をディズに与えていた。

 

 そしてその後。

 ディズは校長室にてダンブルドアと一対一で対面していた。

 

 

「…………やはり。知っていたのですね、貴方は」

「それは“どれ”のことかね、ディズ。君の祖父を知っていたことかね。それとも君が彼らに通じていたことかね。それとも、君の友人たちのために――そうであると願うばかりだが、友人のために実の父と決別の道を覚悟していたことかね?」

「…………嘘つき、とは言えませんが、食えない人ですね、貴方は」

 

 睨み付けながらの問いかけに、校長はまるで全てを見通しているかのような態度で尋ね返してきた。

 初めて彼と会ったとき抱いた疑念。ダンブルドアは両親のことを知っているのではないか。

 その答えは早くから目星がついていた、

 あのときこの人は「両親のことは知らない」、そう言っていた。

 たしかに両親のことは知らなかったのかもしれない。だが、まだその時ヒトとして存命であった祖父のことは知っていたのだ。かつての宿敵として。そしておそらく――どうやってかはしらないが――その彼に娘がいて、そのさらに息子があの孤児院に居ることを掴んでいたのだろう。

 嘘はついていないと考えるなら、母が死んだ後、ソーフィン・ロウル(実父)が探り当てた動きを察知して、もしくはホグワーツに入学資格を得た年頃の子供の魔法使いがスクリーニングにかかった際、かつてのグリンデルバルドに似た何かを感じとって探り当てた、と思いたいところだ。

 

 この三年と少し、あるいはもっと長く、この人は自分をどのような目で見て、感じていたのだろう。

 

 稀代の悪人の血をひく悪の血統としてか。

 家族を離散させる切欠をつくりだした罪悪感か。

 それとも、かつての親友であり、道を違えた同志のたったひとりの孫としてか。

 

 ダンブルドアはゆっくりと机の上に手を差しのべた。コトリ、と小さく音をたてて、机の上に一本の棒っきれ――彼が使っていた小杖―― を置いた。

 

「この杖のことは知っているかね?」

 

 ダンブルドア校長の普段の杖がどのようなものかはあまり覚えがないが、基本的には伝統魔法使いはよほどのことがなければ“選ばれた”杖を使う。

 だが何事にも例外は存在する。

 

「……決闘の戦利品、ですか?」

「そう、じゃな……確かにこれはかつて君の祖父、ゲラート・グリンデルバルドが使っていた杖じゃ」

 

 ダンブルドアは、まるでディズの反応を窺うように一度目を閉じてから、ディズが所有権を主張する機会を与えるかのような視線を向けた。

 ディズは気に食わない名を聞いたように目を細めた。

 

「勘違いしてはならんのは――だからと言って、この杖が彼の正統な財産ではないということとじゃ。無論、わしにとってもじゃが」

 

 ディズの反応をどう受け取ったのか、ダンブルドアが告げた言葉は所有権の訴えとは真逆。 

 

「この杖は……彼はグレゴロビッチという杖職人から奪い取ったらしいのじゃが、元は古い魔法使いのとある男が所有したのが起源にある、古い杖なのじゃ」

 

 杖の縁起に連なる物語。

 奪い、奪われることを宿命づけられた杖。

 

「この杖の所有者には代々戦いと死とがつきまとい、次々に人の手を渡り歩き、今、ここにある」

「死の秘宝、ですか」

 

 ディズの祖父が、そして彼の同志であったダンブルドアが求めた死を克服する三つの秘宝の一つ。最強の杖、ニワトコの杖(エルダーワンド)

 ただの学生が知るべきでないとダンブルドアが望んでいたその言葉がディズの口から出たことにダンブルドアは重々しく息を吐いた。

 

 彼の孫であり、死喰い人に紛れていた彼の義息子が親である以上、その名を知らないと楽観視するようなことはなかった。

 だがかつての自身の愚かさの象徴である秘宝の名を聞いてはダンブルドアの心に落ちるものが生じるのも無理からぬことだ。

 

「この杖には他の杖よりも強い意志がある。より強く、優れた魔法使いを主と見なすのじゃ。戦いによって主が変わる強力な杖。所有者が変わり続ける所以じゃ。

 そして今すでに、この杖の主はわしではなくなっておる。あの時の戦いでゲラート・グリンデルバルドの力はわしの力を大きく上回っていた……今のわしを、ではない。往時のわしをじゃ」

 

 かつてダンブルドアは最強の杖を有していたグリンデルバルドを倒した。そしてその最強の杖を手に入れた。

 本来であれば、老いたとはいえお互いに年経た者同士、牢獄暮らしで魔法から遠ざかっていたグリンデルバルドにダンブルドアが劣る理由はない。

 だが、グリンデルバルドはヒトであることを捨てた。

 ダンブルドアが捨てることのできないいくつかを捨て去り、そして“ただの”魔法使いであることすら過去のものとした。

 その力は最早ダンブルドアといえども抗することができないものだった。

 もしかしたら、往年のダンブルドアの力が今あれば、齢を重ねたことによる経験をそのままに、若き頃の力を取り戻すことができれば、あるいは抗することもできたかもしれない。

 だがそれは詮無いものだ。

 

「この杖がかの者の手に戻れば、ますます厄介な事態になるであろう」

 

 最強の杖を持ったダンブルドアであろうとも、アレには勝てない。

 

「余計な懸念ですね」

 

 ディズの否定に杖を撫でるダンブルドアの手が止まった。彼自身分かっている答えを尋ねるように視線を向けた。

 

「より強い者にその杖の所有権が移るというのなら、その杖の所有者はスプリングフィールド先生……マスター・リオンになるはずです」

「たしかにのう……」

「もっとも、あの人がそんな物求めるとは思えませんがね」

 

 ダンブルドアは自嘲するかのように微かに口元に笑みを浮かべた。

 

「そうじゃの……ならばこの杖は誰にとっても必要のないもので、君の祖父が持っていたものとして、これを君に渡そうとおもうのじゃが」

 

 杖をとり、その柄をディズへと差し出した。

 

 彼にとってディズは、その生を大きく乱してしまった子でもある。

 かつてグリンデルバルドを倒したことは ――当時の情勢や彼が行なっていた非道を見ればやむを得ぬことであったが―― その結果彼の娘は落ちのびるような暮らしを余儀なくされ、その果てに息子を生んで孤児院の前で亡くなった。

 ほとんど財産を残すこともなく、その内の一つはダンブルドアが手にしていた。

 罪滅ぼし、というわけではないが、“愛しさを覚えていた”親友の孫として、できるのならば何かをしてやりたいという思いがあるのだろう。

 

 ディズはダンブルドアが差し出す最強の杖を手に取り、品定めするように眺め……両手でそれを握り、力を込めた。

 

 ディズのしようとしていることを理解して――というよりももともと想定のひとつだったのだろう、ダンブルドアは少し切なげな微笑を浮かべた。

 

 不要なものだ。

 最強の杖だなどと謳ったところで、それで全てが決するわけでないのは主が次々に代わるというこの小杖自身の歴史が証明している。

 それなのにただただ戦いと死とを引き寄せる杖など、すでに厄介な身の上のディズには不要以外のなにものでもない。

 

 小杖は折ろうとする力に抵抗するように弾力を返し、そしてやがて、長いその歴史に幕を下ろすようにめきりと音をたてて折れた。

 

「よいのかな?」

「ええ。古い歴史の一つが終わった。それだけです」

 

 ダンブルドアは驚いた様子もなく、微かな笑みを口元に浮かべて瞳を閉じた。

 

 

 

 

 第82話 過去との決別。未来へと進む

 

 

 

「主目的はネギさんとフェイトからの依頼です」

 

 リオンと話があるらしい木乃香は二人でリオンの研究室へと向かっていき、タカユキはホグワーツを後にした。

 そして咲耶は刹那とともに大広間へとやってきていた。

 

「コズモエンテレケイア幹部の生き残りが現れたということでその調査。それから怪我人が出ているだろうと言うことで木乃香様が派遣されたのです」

 

 刹那と咲耶の他に、咲耶の友人たちであるリーシャやフィリス、クラリスたちも同席していた。

 大広間、といっても正確には大広間跡地、といったところだろう。

 4寮の学生の生活の拠点である東西南北の塔はほとんど被害を受けていないが、先日戦闘のあった天文塔の中でも特に激戦の中心地であった玄関ホールから大広間にかけては壊滅的な状態であった。

 ただ、ホグワーツの屋敷しもべ妖精や先生たちが懸命に撤去作業や修復作業を行ったおかげである程度使用することができるようにはなっていた。

 

 大広間では咲耶たちの他にも幾人かの生徒の姿があり、ジョージとフレッドなどは自作の悪戯魔法道具を披露して、なぜかアルフレヒトと盛り上がったりしている。

 

「咲耶のお母さんって凄腕の癒者なんですよね?」

 

 フィリスが尋ねた問いに、刹那は首肯した。

 

 幸いなことに、殺害規制とやらがかかっていたらしい使徒による被害の中にも、その前のヴォルデモートや死喰い人たちの襲撃で受けた被害の中にも死者はいなかった。

 だがヴォルデモートに片腕を焼かれたスネイプやハリー、イズーなどのように軽傷では済まない負傷を負った者もいた。

 校医のマダム・ポンフリーが治療に当たってはいるが、怪我人の数の多さに十分な治療体制は整っておらず、特にヴォルデモートにやられたスネイプの傷はポンフリーの治癒魔法によっても癒えていない。

 伝統魔法の中でも闇の魔法と呼ばれる魔法によってつけられた傷は並大抵のことでは治癒できないのだ。

 そしてそのために木乃香が選ばれた。

 彼女の治癒術は死という不可逆の現象以外のあらゆる怪我や呪い、病を癒すと言われる世界最高の治癒術士。

 

「お母様、リオンと何話しとるんかなぁ?」

 

 その木乃香がなにやらリオンと二人きりで話しているのは咲耶にとって非常に気になる事柄だ。直前にはリオンとタカユキが口論していたことも気にかかる。

 

「今後のことに関わることでしょう」

 

 刹那は具体的なことは話さず、誤魔化すように視線を反らし、反らした先に見えた光景に眉をひそめた。

 

「ところで、ゲーデル博士は何をやっているのですか」

 

 刹那は呆れたような、咎め混じりの声をかけた。

 ウィーズリー兄弟と話していたアルフレヒトは、なぜか朦々と立ち込めている白い煙に囲まれていた――かと思えば、途端に煙が晴れて、アルフレヒトはパチパチと拍手をしていた。

 

「ああ、いえ。こちらの学生のユニークな発明に感心していたところなのですよ。いや、学生の作とは思えない。なかなかに面白い」

 

 メガネの位置をくいっと直し、いつもの笑顔を貼り付けているアルフレヒトからはどういう思惑なのかを推し量ることは難しい。だがどうやら今はフレッドとジョージの悪戯魔法玩具に好奇心を刺激されているらしい。

 刹那は溜め息をついた。アルフレヒトは興味の赴いた先の玩具についての考察をぶつぶつと呟いている。

 

「発想としては魔法具というよりも陰陽術の式符に近いですね。ほとんど使用者の魔力を消費することなく一定の効果がえられるように設定されている。しかも術者には術の知識がほとんど必要ないようですし。面白い! 実に面白い!! こちらの魔法使いは一般人についてはあまり関わらないようにしていると聞いていましたが、これはむしろそういった方向にもすすめられそうですね」

 

 ぶつぶつ呟く白スーツの男。怪しいことこの上ない。

 

「えーっと、アレは……」

「……放っておきましょう」

 

 なにやら思考に埋没しているアルフレヒトを指さすフィリス。刹那は見なかったかのように視線を戻した。

 見た目完全に怪しい人物だが――なんか学生を勧誘しだしたが、まあ大丈夫だろう……きっと…………

 

「お待たせ~」

「あ、お母様!」

 

 タイミングよく、仏頂面のリオンをひきつれて木乃香が広間へとやってきたことで、咲耶と刹那は彼女を出迎えた。

 

「お母様、リオンとなんのお話しとったん?」

「ん? んーっと……リオンが咲耶のことどんだけ気にかけててくれとったんか、聞いとったんよ」

 

 咲耶の頭を撫でながら、にぱっと咲耶そっくりの笑顔を向ける木乃香。リオンはそっぽを向き、薄ら笑いを向けてきていたアルフレヒトと視線があって、鬱陶しそうに舌を打った。

 そんなリオンの様子に木乃香は口元に手をあて「ふふふ」と、微笑んだ。

 

「そしたら行こっか、咲耶?」

「?」

 

 咲耶へと向き直り、ざっくりとした提案をした木乃香に、咲耶だけでなくリーシャたちも小首を傾げた。

 

「保健室。怪我人の治療をお願いされとるからな。手伝ってくれるやろ?」

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 なんとか損壊を免れたホグワーツ保健室。

 魔法先生たちの奮闘の甲斐あって生徒の多くは多少の怪我はあっても重傷を負った生徒はほとんどいなかった。

 一部、重症をおったイズーやスネイプのような怪我人も…………

 

 

 

「――――これでよし、と」

 

 スネイプは今しがた治療を受けた右腕をまじまじと見て、ややぎこちなく握って開く動きをして確かめた。

 

「しばらくは動かしづらいかもしれんけど、無理には動かさんこと。あんまり急激に治し過ぎると体に負担がかかり過ぎるから後は自然経過に任せてくださいね」

 

 治療を施した木乃香の言う通り、腕の動きにはぎこちなさが目立つが、完全に炭化していて触れるだけで崩れそうだった腕がケロイド化することもなく治癒している。

 マダム・ポンフリーがある程度の治療を行っていたとはいえ、ヴォルデモートの闇の魔法による攻撃を受けて負った傷だ。彼女の治癒をもってしてもここまでの治癒を得ることはできなかった。

 それがここまで治癒した。おどろくべき治癒魔法だ。

 

 その近衛木乃香は、同じく傷の残っているアリアドネーの留学生生徒の方へと治療に向かい、そちらもあっという間に治癒した。

 憧れのマギステルマギの一人でもある近衛木乃香を前に、メルディナたちは感激したように彼女の治癒を見ている。咲耶も偉大な母の卓越した治癒魔法から何かを学ぼうとしているのか母の施術を真剣な様子で見ていた。

 

 一方壁際では相変わらず不機嫌そうな顔のリオンと刹那が隣り合って立っていた。

 

「弟子をとったと聞きましたが、本気ですか、リオン君?」

「ああ」

「どういう風の吹き回しですか?」

 

 そこそこに付き合いが長く、幼いころのリオンを知っている刹那にとっても、リオンが弟子をとったというのは意外過ぎることだった。

 何を企んでいるのか……いや、リオン・スプリングフィールドの企みはもとより一つだ。

 そのために咲耶を守護してきたのだから。

 問題は、“魔法使いの弟子をもつ”という行動が果たしてどういう意味をもっているのかだ。

 リオンは煩わしそうに刹那に視線を向け、

 

「お母さんの見てきたものを少しでも見たいんよな?」

 

 治療を終えた木乃香が娘と同じようなほわほわの顔で口を挟んだ。

 

「エヴァちゃんがネギくんを弟子にとったみたいに、リオンくんも弟子にしてもええと思える子が見つかったんやろ?」

 

 かの闇の福音の初めての弟子、ネギ・スプリングフィールド。千の魔法を操り、雷速で天を翔けると言われるマギステル・マギ。

 今代最強の魔法使いとも称される彼を育てたのが母であるのならば、その“息子”であるリオンも、弟子をとってこそ見える景色があるのではないか。

 

「どうだかな」

 

 リオンは不機嫌そうにそっぽを向いた。

 

 

 ――本当に厄介だ。――

 関わりを深めていった時から、本当にこの天然姫は厄介な存在だ。

 踏み込ませたくないところに、微笑を浮かべてするりと入り込んでくる。

 

 そう、たとえば

 

「というわけで、咲耶のこともよろしゅうな」

「は?」

 

 今も娘の背中をポンと押してにこやかな顔をしている。

 

「咲耶もそろそろ本格的に魔法の修行してもええころやし。ちょうど魔力コントロールの練習する必要もあるみたいやし」

「なんで俺が……」

「エヴァちゃんと同じ光景を見たいんやろ?」

 

 リオンの顔が苦虫を噛み潰したようになった。

 たしか近衛木乃香に初めて魔法の指導を行ったのも、リオンの母、エヴァンジェリンだったはず。それもネギが彼女に弟子入りしたのと同じころだったはずだ。

 ならば母と同じことをするためには、ディズだけでなく、治癒術士の面倒もみるのはたしかにもっともだ。

 

 だがこれは、よりによってというものだ。

 

 なぜこれほどリオンを信じることができるのか、不思議でならない。

 他ならぬリオン自身が、自分の願いと思いに揺れ動いているのを感じているのだから。

 

 渋面を浮かべているリオンと刹那をよそに、木乃香は「あとは」と咲耶の方へ向き直り、その横にちょこんと座っている童姿の式神に手を伸ばした。

 その手がぽんぽんと頭を撫で、口中で詠唱が呟かれた。シロはぴくんと反応して木乃香の顔を見返した。

 

「シロくん?」

「とりあえずこっちはこれでよし、と」

 

 咲耶も、自身の胸の裡がなにかすっと変わったようなのを感じてこてんと小首を傾げて母を見た。

 

「多分この子の方は、咲耶の魔力供給が変わってもたから前の形があわへんようなってもたんよ。せやからすこし前と形態が違うかもしれんけど、これでとりあえずは狼の方に戻れるはずや」

 

 パチンとウィンクをする木乃香は、どうやら先ほどの一幕で咲耶が今現在抱えている問題ごとを解決してくれたらしい。

 咲耶は満面の笑みで、だきっと母に抱き着いてお礼を述べた。

 本当に母は凄い。

 ホグワーツにやってきてから、咲耶も魔法は一生懸命に習っている。治癒の腕前だって相当に上がっているはずだ。だが、母の腕前はそんな咲耶よりも桁違いに上で、リオンのことだって、まるでなんでも分かっているようにやりとりしている。

 それが少し悔しくて、けれど憧れの母の優しさと凄さを感じられたのが嬉しかった。

 

 

 

 

 “神殺しの力”は完全には封じない。けれど咲耶自身の意志で、ある程度行使できるようにしてやってほしい。

 木乃香がリオンと結んだ取決めだ。

 リオンにとって、咲耶の神代の力、“神殺しの力”は目的を果たすうえで欠くことのできない力だ。

 その利用価値があるからこそ、リオン・スプリングフィールド(福音の御子)は近衛咲耶を庇護している。

 それがリオン自身の思惑であり、刹那の認識であり、詠春が懸念していることだ。

 

 ただそれでも、思うのだ。

 それが先ではなかったのだと。

 

 咲耶に利用価値を見つけたから守ってくれるのだけではない。

 咲耶への思いの後に、利用価値を見つけてしまったから、分からなくなっているだけだと。木乃香は信じ、神楽坂明日菜は願っている。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ディズ・クロス奮闘記

「くっ! インペディメンタ!! っ、シュバルツ・シュタル・デア・シャッテン! 光の精霊11 、っ、5柱! 集い来りて敵を射て!! 魔法の射手!! 連弾・光の5矢!!!」

 

 小杖から精霊魔法による妨害呪文(インペディメンタ)を放って迫りくる相手を牽制しつつ、同時に精神を介した術法で精霊を呼び集め、精霊魔法による魔法の射手を放って後衛から放たれていた魔法の射手を迎撃した。

 だが“普段よりも圧倒的に少ない”本数の矢では完全には撃ち落とせず、いくつかの氷弾が追尾の機能によってディズへと襲い掛かった。

 

「っ! 風盾(デフレクシオ)!」

 

 撃ち落としきれなかったことを悔やむよりも先に、ディズは防御の為に魔力を回して氷の矢を防いだ。

 致命的な直撃コースこそ防いだが、全てを防ぐことはできず、風盾を突破した幾つかがディズの体に赤い筋を刻む。

 痛みを顧みる暇はない。ディズはすぐさま先程妨害呪文で牽制したもう一人を探し、瞬時、背後にプレッシャーを感じて反応した。

 

風よ(ウェンテ)っ!」

 

 相手と自分の接近戦での実力差は明確。おまけに今は常時展開している物理保護の魔法障壁は著しく減弱しており、攻撃のいくらかを減衰することはできても防ぎきることは到底できない。

 実際この数週間――この別荘での生活を含めての数週間――幾度も血反吐を吐かされてきたのだ。

 修行の始めに手首につけられた鉛の腕輪が物質的な重み以上に負荷をかけている。

 

 防御は必須。かといってさらなる防御を行うにはすでに状況は追い込まれ過ぎていた。

 せめてと風をその身に纏わせてなんとか衝撃を減らそうと試みるが、振り返る途中で脇腹に刺さった拳打が、まるで臓腑を抉るように響き、ディズの体が吹き飛ばされる。

 

 うめき声を噛み殺し、無言呪文でクッション呪文を発動し、着地の衝撃を和らげて少しでもダメージを減弱しようとした。だが常の状態であれば余裕で発動できたはずのその呪文の威力は、弱々しい効果しか発揮できず、ディズは想定よりも強すぎる着地の衝撃に呻いた。

 だがそこに怒声混じりの詠唱がふって来て、反射的に顔を上げた。

 

「この距離で足を止めるな! ――アス・ラック・アレイスト・クルセイド。闇の精霊37柱!! 魔法の射手、連弾・闇の37柱!!」

「くっ、シュバルツ・シュタル・デア・シャッテ、ぐぁあああっ!!!」

 

 すでにボロボロのディズの体に、闇色の魔弾が降り注いだ。

 ディズの周囲の床面を破壊し、ディズ自身にも容赦なくダメージを付与していった。

 

「ちょっとはその状態でも魔法を使えるようになってきたが……茶々丸´何秒もった?」

「25秒です、マスター」

 

 ぷすぷすと煙を上げて横たわるディズの傍らに、容赦なく痛めつけていた二人が降り立ち、先程の荒事がなんだったのかというような会話をしている。

 25秒。その数字を聞いた魔法使いは溜息をついてディズを見下ろした。

 

「2対1とはいえ、これだけ手加減をやってるんだ。せめて1分くらいはもちこたえろ」

 

 傍らに立つ内の一人は、つい先日ディズの師匠となった“闇の魔法使い”、リオン・スプリングフィールド。そしてもう一人はこの“別荘”の管理を行っている人形の内の一体である、茶々丸´(チャチャマルダッシュ)というらしい魔法と科学の融合したガイノイドなのだそうだ。

 前衛の茶々丸´と後衛のリオン。完全に役割分担しているこの状況は、ハンデだ。

 リオンは無詠唱魔法は使わず、接近戦も仕掛けてこないスタイル。典型的な魔法使いが多い伝統魔法族との戦いを想定した訓練でもある状況なのだが、前衛の存在は厄介極まりない。

 ディズ自身、伝統魔法と精霊魔法を組み合わせた我流のスタイルであり、精霊魔法による身体強化を使った接近戦を幾度かやったことはあるが、茶々丸´の接近戦の実力は我流で付け焼刃のディズのレベルとは比べ物にならないレベルだ。

 おかげで未だに師匠(リオン)が求める1分という時間を耐えきることはまったくできていない。

 

 ――簡単に言ってくれるな、くそっ!――

 

 痛みが間断なく襲ってくる中、脳内では散々な悪態をついてはいるが、それでもディズはなんとか体を起こそうとした。

 手加減してもらっているのは分かるが、それ以上に今の自分の状態はその手加減どころではないほどに弱体化させられているのだから。

 

「おら。とっとと起きて距離をとれ。お前のスタイルの距離から始めてやってるんだ」

「つぁ!?」

 

 距離をとれ、という言葉とは真逆に、リオンはディズの体を(本人にとって)軽く蹴り飛ばし、無理やりに距離を離した。

 

「襲撃してくる側はのんびりお前の準備を待ってくれないぞ」

「失礼します、クロス様」

 

 ディズの体が宙を舞っている間にも、リオンの詠唱が開始され、丁寧にもことわりをいれて茶々丸´が距離を詰めてくる。

 

「ッ、セクタムセンプラ!」

 

 その接近を阻むためにディズは着地も待たずに小杖を振るって殺傷魔法を放つ。

 だがその斬撃の魔法は、手首につけた腕輪に魔力を吸い取られ、ヘロヘロと弱々しい効果しか発揮できず、茶々丸´にぺしんと軽々撃ち落とされた。

 

「なんだそれはっ! 撃つならもっとまともに撃ってこい!!  魔力を扱うために必要なのは強い精神力だ! その腕輪の効力を破ってみろ!! ――アス・ラック・アレイスト・クルセイド。来たれ氷精、大気に満ちよ、白夜の国の凍土と運河を!! こおる大地(クリュスタリザティオー・テルストリス)!!」

 

 着地した矢先にディズの足元の床が凍りつき、鋭い氷柱が突き出て襲い掛かる。

 止まることは許されない。

 止まれば容赦なくリオンからの攻撃が雨霰と浴びせられ、茶々丸´からはボールか何かのように蹴り飛ばされるだろう。

 

 

 

「リオンよーしゃないなー」

 

 咲耶は傍らに以前よりも少し大きくなった犬型のシロくんと、まさしく作り物の笑顔を貼り付けたチャチャゼロとともに、再び始まった20秒ばかりの魔法の撃ち合いを見学していた。

 

「十分容赦シテヤッテンジャネーカ」

「そうけ?」

「ドウセコノ後回復スルンダ。ドウセナラモット派手ニ血トカ出サセレバ少シハオモシレーノニナ」

 

 今現在はリオンはディズの戦闘訓練をみているが、同時に咲耶の治癒魔法と魔力制御の訓練もみている。

 とりあえずの方針としてはディズをボコボコにして咲耶に治癒を実践させる。

 おかげでディズは雷撃による熱傷・感電、氷撃による凍傷、ほかにも打撲に刺創、闇属性による精神攻撃系などなど様々な種類の怪我を負って咲耶の治療の練習に貢献しているのであった。

 

 

 

 第83話 ディズ・クロス奮闘記

 

 

 

 波乱に満ちたクリスマス休暇が明けた頃、ホグワーツの住人は大きく様変わりを余儀なくされていた。

 

 各寮の談話室こそ無事だが、修復の間に合わなかった教室のいくつかは変更になったし、ホグワーツを守護してきた幾つかの古代魔法は最早修復できなくなっていた。

 当然、あのような危険なことのあった学校に留まることを懸念する保護者は多く、留学生の幾人かは自国へと戻り、ホグワーツの生徒の幾人かはホグワーツに戻ってこなかった。

 特にヴォルデモート復活の報せを受けて馳せ参じた魔法使い――死喰い人であることを宣言する羽目になった家は、当人も学校側も、そして魔法省も対応に苦慮することとなった。

 

「なんかクロスのやつ、やつれてね?」

 

 昼食時。激戦の中心地であった大広間は、全学生が日常的に使用するという理由から真っ先に修復作業が着手され、なんとか生徒たちが食事をとるには不都合ない程度にはなっている。

 ただし、天井にかけられていた外の天候を写す魔法や重厚な飾り付けなどの必要機能以外の部分は、他にも色々と着手すべき優先順位の問題からまだ回復していない。

 その武骨な内装が剥きだしの大広間にて、友人たちと昼食をとっているリーシャは、他寮の友人であるディズ・クロスの、ぐったりとした姿を見て、事情をしってそうな友人に尋ねてみた。 

 常であればハッフルパフの誇る優等生、セドリック・ディゴリーと人気を二分するほどのハンサムぶりと余裕ある態度のディズだが、クリスマスがあけて、痩せたというよりもやつれたと言うのが相応しい疲れ具合が露わとなっており、控えめに言っても以前の紳士然とした振る舞いが失われていた。

 それはクリスマスパーティで明かされた彼の出生、血筋にまつわるあれこれで、スリザリン内部からは畏敬の念を、その他の多くからは畏怖の感情を向けられているから……ではなく、

 

「修業が大変みたいやからなぁ」

 

 共に修行している――といっても方向性と内容は全く異なるのだが――咲耶は苦笑交じりに答えた。

 咲耶自身もリオンから本格的に魔法の手ほどき、特に膨大かつ暴れ馬のような魔力を制御する修行を受けているために正直言って結構キツイ。

 だがそれでもディズと比べると地獄の1層目と3層目くらいの差があると言えるだろう。

 いくら1時間を1日にする“別荘”を使っているとは言え、疲労も溜まれば精神的な疲労はもっと溜まる。

 

 過酷な修行が日常生活におよぼす悪影響は存分にディズへとふりかかっており、午後の授業、変身術のスリザリン―ハッフルパフの合同授業にて、いつもであればいの一番に華麗な魔法の成功を魅せるディズは失敗の連続を晒す羽目になっていた。

 

 

「らしくないミスだったね、クロス」

「あ~……ああ。まあ、ね」

 

 失敗を晒した変身術の授業後、ディズは疲労の色濃く残る顔を隠すように掌を額に当てて溜息をついた。

 その腕には武骨な腕輪が嵌められ、ジャラリと音を鳴らす鎖が短く伸びていた。セドリックはそれに気づいて不思議そうに指さした。

 

「その腕はどうしたんだ?」

 

 どう見てもオシャレグッズには見えないし、スマートなディズのセンスに見合う物ではないだろう。

 どちらかというと囚人が足首にはめる拘束用の腕輪にも見える。

 

「鉛の腕輪。マスター……スプリングフィールド先生につけられたんだ」

「鉛? 筋トレか?」

 

 ディズの答えにルークが首を傾げて腕輪を見た。

 鈍く光る鉛の腕輪は単なる腕飾り以上の筋力を要求しているように見えるのだ。だが勿論、その程度で済むはずがない。

 

「精神力と魔法発動力の強化だよ。鉛には魔力を吸収する性質があるらしいからね」

「ああそれで……」

 

 げっそりといった様子で言うディズ。

 これのおかげで、普段であれば楽々できる無言呪文も、本来のディズであれば失敗するはずのないNEWTクラスの高難度魔法でも不発か失敗が多発しているという。

 

「でもまあ問題はそれだけじゃなさそうだな」

 

 しかもそれ以外にもディズの精神に負荷をかけているものは存在する。

 ルークが指さす方向を見てみると、階下の方からクリスマス以降もホグワーツに残っている留学生、ビクトール・クラムが睨み付けていた。

 ディズは、深々と溜息をついた。

 いつものディズなら、そんなあからさまなリアクションはとらずに軽く微笑んで誤魔化す程度であっただろうが、修行の疲労と魔法の失敗という屈辱がディズから余裕を奪っているのだろう。

 

「あっちはどうしたんだ?」

 

 6年同じ学び舎で生活していながら初めて見るディズの余裕ない態度に、セドリックは意外さと同情を交えて尋ねた。

 クラムはどうやら遠くから睨みつけるだけではなく、肩をいからせてディズの方へと足早に駆け寄ろうとしていた。

 

「ダームストロングはゲラート・グリンデルバルドの母校だからね。いろいろとあったんだそうだよ……っと」

 

 言いながらディズは逃走を決め込むつもりらしく、足に魔力を集中させて勢いよく地面を蹴り、ひゅんっと風を切る音だけを残して階上へと跳び上がった。

 

「おおっ。今のってイズーがやってたやつだよな」

「瞬動術、だったかな。修行の成果かな」

 

 クリスマスの戦いの際、ルークとセドリックもディズの戦いぶりを見ていたから、彼があの瞬動術を会得していたことは知っている。ただし、あの時の瞬動術は着地のことを考えない体当たり攻撃で、実際そのせいでディズは肩を脱臼するというダメージを負っていた。

 それを考えれば逃走という手段に平然と使用しているのは術が熟達しているということなのだろう。

 もっとも

 

「ディゴリー。さっきまでここにいた彼ヴぁ、どこに行った?」

 

 今にも杖を抜いて呪いを打ち出しそうな形相のビクトール・クラムから逃れるため、というのは残されたルークとセドリックにとって災難以外の何物でもないのだが。

 

 

 

 ハッフルパフの主席候補が留学生に質問攻めにされているのを階下に見下す階上にディズは着地した。

 実のところ、まだ瞬動術は成功したことがない。

 今回は単に足に魔力を込めての特大ジャンプをしただけで、運動エネルギーがほとんどなくなる上階に着地したにすぎないのだが。

 

「へー、身体強化の魔力強化、この短期間でものになってるんだ」

「アリアドネーのイゾルデ……」

 

 声をかけられて振り向くと、褐色の肌に大きな角と尻尾を持つ少女、イゾルデがいた。

 

「クリスマスの時に見た瞬動モドキは抜きはできてなかったし、入りもバレバレだったけど、それからこの短期間でここまで形になるなんて……リオンとの修行とか羨ましいけど、なんか色々大変そうだな」

「君にそう言ってもらえるとは光栄だな」

 

 リオンに助けられたことがあり彼のファンだというイズー。彼女の瞬動術は虚空すらも足場にするほどのもので、今のディズとは比べ物にならないレベルのものだ。

 だがほんの少し前はまともに“抜く”もできない自爆技だったことを考えると大きな進歩といえるだろう。

 

「アリアドネー組は全員ホグワーツに残っているようだけど、いいのかい?」

「私ら一応騎士団候補生だからね。それにここにリオン・スプリングフィールドがいるならその方がずっと安全だよ」

 

 彼女の傍には相棒であるメルルやメルディナ、アルティナもいる。ディズの問いにイズーは軽く笑って答えた。

 

 最強の魔法使いの一角、リオン・スプリングフィールド。

 それが単に魔法世界だけのものでないことは、先日の戦いで見た通りだ。だが一方で弟子入りしておいて今さらだが、リオンの立場は不思議なものだ。

 

「気になっていたんだけど、リオン・スプリングフィールドという人は、魔法世界では悪ではないのかい?」

「真祖の息子だから?」

 

 敵が言っており、そして本人も認めていた彼の正体。

 最強最悪の魔法使い、真祖の吸血鬼、闇の福音――ダーク・エヴァンジェリン……その息子。

 かのヴォルデモートよりも古い、闇の純血統だ。

 そして本人自身も、かつてダンブルドアとグリンデルバルドが探究したという秘術“闇の魔法”を継ぐものだという。

 どう考えても“偉大なる魔法使い(正義の魔法使い)”ではなく、悪い魔法使いだろう。

 

「咲耶から聞いてないのか……」

 

 イズーはふむと顎に手を当てて考える風な顔になった。ディズはそんな彼女の顔をじっと見つめた。

 別に今さらリオン・スプリングフィールドが悪人だろうと極悪人だろうと構いはしないが、気になるのはたしかだ。

 なにせ当の本人の関心の大部分は、ディズにも教えることのないなんらかの企みにのみ向いているのだから。

 

「ま、そこらへんは色々とあるらしくてね。昔はダーク・エヴァンジェルも600万ドルの賞金首だったけど、今はそれも解除されてるし。」

 

 

 

 

 

 ディズに逃げられて厳しい顔であたりを睨み付けるクラムを、セドリックとルークは宥めつつ咲耶たちと話をしていた。

 クラムがディズへと向ける明らかな険悪な雰囲気。クリスマス休暇前には見られなかったそれの理由を咲耶たちは聞いていた。

 

 クラムの、というよりもクラムの通う学校であるダームストロングにおけるゲラート・グリデルバルドの悪評。

 彼の出身地における彼の悪逆な行動による結果、多くの人々が殺された過去。

 クラムの血族の者もその犠牲者に連なっているらしく、残された一族の人間としてグリンデルバルドに激しい憎悪を抱いていること…………そしてその子孫に向ける複雑な感情。

 

「それでクロスに決闘を申し込んでいたのかい?」

 

 クラムの話を聞いたセドリックが眉根を寄せてクラムに尋ねた。

 セドリックにとってディズは、寮こそ違うが同じ決闘クラブの友人であり、入学以来常に成績で自分を上回る唯一の存在でライバルのようにも思っている人物だ。

 

「そうだ」

「分かんなくもないけど、クロスは孤児院出身、というか祖父どころか親の顔も知らなかったみたいだし…………」

 

 厳しい顔で頷くクラムにルークも頭を掻きながら困ったように言葉を濁した。

 イギリス魔法界においては、史上最悪の闇の魔法使いという称号はヴォルデモートによって塗り替えられたといっていい。グリンデルバルドも勿論悪名高い闇の魔法使いではあったのだが、彼自身はイギリスにおいてはそれほど猛威を振るっていなかったのだ。 

 ルークもセドリックも勿論、ディズがあの悪名高いグリンデルバルドの子孫だと聞いて思うところがないわけではない。だが、ディズはあのクリスマスの日、死喰い人でありながら闇の帝王を裏切りグリンデルバルドの復活に暗躍していた実父(らしい)と対決してそれを打ち破ったのだ。

 友人としての彼を知っているだけに、血筋だけを理由に彼を否定してどうこうしようという気にはなれないのだ。

 

「ディズくん、ええ人やと思うけどなぁ……」

 

 ただクラムの思いも分からなくもない。

 たとえば、考えたくもないがもしもヴォルデモートの息子が居たとして、ヴォルデモートとは無関係に育てられていたとして、それで親しくできるかというと、そうは簡単に納得できない。

 きっと恐ろしく、そして過去の親の悪行が頭をよぎって感情は到底収まりはしないだろう。

 実際、魔法省の大人の魔法使いの間でも相当に意見がもめているらしいというのを咲耶は聞いているし、セドリックもそうであろうと予想していた。

 子供の魔法使いよりも成熟し、賢いであろう大人の魔法使いですらそうなのだ。ましてや子供の魔法使いならばなおさら感情のままに動かずにはいられないであろう。

 

「彼が闇の魔法使いと戦っていたのヴぁ、ヴぉくも見ていた。けれど、どうしても彼と正面から向き合わずにヴぁいられないんだ」

 

 クラムの言葉にセドリックたちは困ったように咲耶を見た。

 現在ディズ・クロスは魔法使いの弟子としてリオン・スプリングフィールドの庇護下にある。

 庇護といっても守護ではないようだが、それでも咲耶と共に彼の修行を受けている。

 その庇護の範囲は、関西呪術協会やウェスペルタティアの後ろ盾もあって、少なくとも魔法省の干渉を寄せ付けないほどにはあるらしい。

 ゆえにクラムがディズにグリンデルバルドの罪を理由に決闘を挑むことに問題が生じる可能性はありうる。

 だからこそ…………

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 グリフィンドール寮談話室。

 大広間からホグワーツ城で最も高い8回の東塔へと昇り、太った婦人の肖像画を開いた先にあり、フレッドやジョージといったグリフィンドール生が過ごしていた。

 ハーマイオニーはそこで大量の本を図書室から借りて談話室の一角を占拠していた。

 ぺらぺらと凄まじい速度でページが捲られていき、とある部分を見つけてハリーとロンへと振り向いた。

 

「ハーマイオニー、見つかった?」

「ええ。けど…………これよ」

 

 探していたのはラテン語のとある言葉。あのクリスマスの夜にダンブルドアと、あの蘇った闇の魔法使いが呟いたとある言葉。

 

「マギア・エレベア……ラテン語で闇の魔法」

 

 

 イギリス魔法界において闇の魔法使いというのは表向きは忌避される存在だ。

 闇の魔法使いを拿捕、あるいは殺害するための専門家として闇祓いまでいるくらいなのだから。

 ただ、クリスマスの夜に多数の死喰い人の残党が現れたように、あるいはかつてヴォルデモートが健在だったころの暗黒期において、死喰い人とそれに対抗するための組織の人数比が20対1で死喰い人が上回っていたという事実が示すように魔法界において闇はありふれたものだ。

 そしてリオン・スプリングフィールドがあの夜用いたのがずばりそのまま闇の魔法

 つまりは彼はイギリス魔法界の基準に照らせばヴォルデモートやグリンデルバルド、そして死喰い人たちと同じ側の危険な魔法使いというわけだ。

 

「なんだって、ダンブルドアはそんな危険なのを迎えたんだよ!」

 

 ロンは嫌悪を露わに声をあげた。

 

「ニホンの魔法協会が認めているからでしょ」

 

 ハーマイオニーはそんなロンに溜息交じりに言った。ただそんな彼女も眉根を寄せており、困惑が伺えた。

 

 ロンとハーマイオニー、そして保健室での数日の療養から退院したハリーの三人はクリスマスに起こった事件について調査するために行動を起こしていた。

 

 クリスマスの事件後、ハリーはしばらくは保健室へと強制収容されていた。

 ヴォルデモート復活の供物とされたハリーは、ムーディ先生に化けていたクラウチJr.によって傷を負わされ、その後復活したヴォルデモートによって磔の呪文を受けたのだ。さらには自身の中から正体不明の黒い靄のようなものが溢れてグリンデルバルドに吸い取られたとあれば、気にならない方がどうかしているだろう。

 ハリーとて当然その質問はぶつけてみた。

 まずは目が覚めた時にいたマダム・ポンフリーに。だがこれは当然ながら失策だった。ポンフリーは怪我を負った経緯については関心が薄いが怪我を治すこと、あるいは悪化させることに関しては凄まじい執念を発揮する。

 ハリーの質問はポンフリーの中では療養に差し障るに十分なものと判断されたらしく、一刀両断にされる形で封殺され、事件について知っているであろう先生のほとんどは療養中のハリーのお見舞いに来る暇もないほどに忙しなくホグワーツ城の復旧や生徒の安全確保に奔走していたし、ハリーが保健室でもっとも頻度多く見かけたのは大怪我を負って入院しているスネイプ先生だったのだから。

 そして最も多くを知っているであろうダンブルドアも、ハリーに事情を説明することはなく、結局ハリーは数日後に到着したサクヤの母という治癒術士の手によって治療を施されて全快し退院させられたのだ。

 一応、お見舞いに来てくれたハーマイオニーたちからあの事件のその後の顛末についてはある程度は聞いていた。

 ――――事件の発端であったクラウチJr.が森で捕縛され、強襲してきた死喰い人のほとんども先生たちが捕縛するか、あるいは大々的に悪だと報道されるにいたったということ。クラウチJr.が化けていたムーディ先生は先生の部屋のクラウチJr.のトランクの中から衰弱した状態で発見された事。そのため急遽臨時の“闇の魔術に対する防衛術”の先生として、そして護衛役として魔法省から闇祓いが派遣された事。…………逃走したグリンデルバルドたちの動向は不明。

 

 ハリーはとりわけ事件の中心近くに居たのだから、自分の身に何が起こったのかを知りたいと欲したのは行動力溢れる彼らにしてみれば当然のことだろう。

 とはいえまだその調査は始まったところでしかない。

 

「なんだハリー、ロン。ハーマイオニーも」

「もしかして今度はスプリングフィールド先生に探りを入れるつもりか?」

 

 そんなハリーたちを見つけてジョージとフレッドが声をかけてきた。

 

「だったらどうなんだ?」

 

 兄たちに対してロンがやや挑戦的に応じた。

 弟からの棘のある問いに、フレッドとジョージは顔を見合わせた。

 

「三人でやるならやめといた方が良いぜ」

「実は俺たち、クリスマスの後、こっちに来てたゲーデル博士と話したんだけどさ。あの人、魔法界じゃ有名な使い手らしいぜ」

 

 事件後、調査として魔法世界からやってきたアルフレヒト・ゲーデルとこの二人がなにやら話をしているらしい場面はハーマイオニーたちも何度か見かけたことがあったが、その時は二人が発明した悪戯魔法具についての意見を交わしているらしかったのだが、どうやら知らぬ間に交友関係を深めていたらしい。

 

「別になんでもないさ、ジョージ、フレッド」

 

 ハリーは誤魔化すように、そして干渉を拒否するように言った。

 そんなハリーの拒否の態度を察したのかフレッドとジョージはにっと笑うと逆に顔を近づけて声を潜めて話しかけた。

 

「やるなとは言ってない。ただもう少し手を考えた方が良いって言ってるんだ」

「例えばこういう手はどうだ? ―――――――――――――」

 

 

 




今回作中出てきた設定、”鉛は魔力を吸収する”というのはオリジナル設定ではなく、”ネギま!? neo”に登場する設定です。原作からのスピンオフという位置づけなので公式設定とは言い難いですが、原作では特に言及されていないし矛盾もないので今回設定として取り入れました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

潜入! 闇の魔法使いの居城

 混乱のあったクリスマス明けの授業も徐々に落ち着きを見せ始めていた。

 

 もはや恒例とばかりに1年持たずに先生が病院送りとなった“闇の魔術に対する防衛術”は、校長が担当の先生を見つけられなかったということで魔法省から“闇祓い”が派遣されることでどうにか授業が再開していた。

 ただしやはりマッド・アイムーディーのような(ただし偽者だったわけだが)過激な授業は流石に行われず、ほどほどの授業カリキュラムに沿った内容となっていた。願わくば“名前を読んではいけない例のあの人”の呪いが今度こそ解けてほしいものだが……

 ヴォルデモートとの戦いによって片腕に重傷を負ったスネイプも、近衛木乃香という優れた治癒術士の治療の甲斐あってほぼ元通り――平面上はなにごともない授業の形へと戻っていた。

 そんな中、例年に比べると些か遅い時期となったが、各寮の掲示板に一部生徒の関心を引く掲示が告知されたのであった。

 

 ―――――――――――――――――――

   【“姿現し”練習コース】

 十七歳になった者、または八月三十一日までに十七歳になる者は、魔法省の“姿現し”の講師による十二週の“姿現し”コースを受講する資格がある。

 参加希望者は、リストに氏名を書き込むこと。

 コース費用 十三ガリオン

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「ほぅ。受ければいいじゃないか」

 

 休憩時間のほんの雑談代わりに提供した話題に、リオンはあっさりと答えた。

 返答はあっさりとしているが、現在ハードな修行中の見であるディズにとってはそうもいかなかった。

 

「同じ移動術ならば“姿現し”を練習するよりもその時間で瞬動術の練習をしたいのですが…………」

 

 現状、毎回ボコボコのボロボロになるまで戦闘訓練と基礎能力向上訓練を叩きこまれている身としては、そちらに専念したいという思いがなくもない。

 魔力抑制のために左腕につけられている鉛の腕輪が、単なる質量以上の意味合いで負担になっているのも問題だ。

 “姿現し”の習得に自信がないわけでは無論ない。

 バラけるリスクのある魔法だが、有用性は高いし、限られた魔法使いしか習得できないというようなほどに高難度というわけでもない。

 ただ同じ移動術ならば、瞬動術でも……という思いがよぎらなくもない、というよりも心が休息を欲しているのだろう。

 

「瞬動術と転移系の魔法は用途が全く違う。それぞれに利点と欠点がある。その“姿現し”とやらもまたしかりだ。どっちかというとお前は魔法の方に適性があるんだ。ぱぱっと習得して来い」

 

 ディズ自身、理解していることを師匠の口から声に出して告げられてしまえば、もはや頷く以外の選択肢はなかった。

 

「利点と欠点て?」

 

 ただ、一緒に修行中の咲耶にとっては“姿現し”は興味惹かれる魔法だからだろう、小首を傾げて尋ねた。

 

「瞬動術は達人クラスの縮地ともなれば話は別だが、だいたいは6~7m程度の基本的に短距離を移動する歩法だ。出の早さは戦闘時には大きなメリットだが長距離の移動には根本的に向いていない。転移系の魔法は逆に瞬動ほど早さはないが、術者次第でかなりの距離を一瞬で移動できる。何度か見たが“姿現し”とやらはその中間だな」

 

 伝統魔法による転移系移動魔法“姿現し”。

 精霊魔法による境界を利用した転移術(ゲート)

 歩法による瞬動術。

 それぞれに適した場面があり、それぞれに欠点がある。

 例に挙げれば“姿現し”はバラけるというリスクの他に発動前に回転する前動作やポップ音といった入りの分かりやすさがあるのが欠点と言えるだろう。

 

 だが、何事も長所と短所がある以上、習得できるものならば習得しておいた方が良いのには違いないだろう。

 特にディズの魔力量は一般的な学生の魔法使いと比べれば抜きんでて多いが、リオンや咲耶、あるいは世界最強クラスの連中と比べれば規格内に収まっているレベルであり、突出した固有技能などもないのだから。

 伝統魔法における最大のメリット。多種多様な指向性の強く速射性に優れた魔法を状況に応じて使いこなす。それがディズの基本方針となっている。

 

 ただ問題は……

 

「マスター・リオン。その時はこの腕輪――」

「つけたままに決まっているだろう」

「デスヨネ」

 

 この色んな意味で重たい枷は、まだつけたままになるということだ。

 

 

 

 第84話 潜入! 闇の魔法使いの居城

 

 

 

 ホグワーツに残ることを選んだ留学生にとってもそろそろと半年間の期間が迫ってくる年度明けの授業。

 

「サクヤ!」

 

 N.E.W.Tクラスであっても比較的継続受講者の多い呪文学の授業後、赤髪双子のウィーズリーたちに声をかけられて咲耶は足を止めて振り返った。

 

「どないしたんジョージくん、フレッドくん?」

 

 授業が終わり、咲耶はいつも通り友人たちと一度寮に戻ってから、リオンの“別荘”で修行を行う予定で帰寮しようとしていたのだが、それほど急ぐわけではない。

 二人はなにやら悪だくみを考えているような笑顔で咲耶に近づいてきた。

 

「サクヤ。最近スプリングフィールド先生のところで勉強してるんだよな?」

「今日も行くのかい?」

 

 尋ねてきた二人に、咲耶は「うん」と首肯した。咲耶の返事に二人は顔を見合わせてニヤリと笑みを深くした。

 

「それって決闘クラブのメンバー、ディゴリーとか彼女たちも行ってるのかい?」

 

 ジョージの質問に咲耶は意図をつかみかねてリーシャたちにちらりと振り向いた。

 今まで自身の修行(とディズの地獄メニュー)に一生懸命で考えていなかったが、たしかに自分たちは決闘クラブのメンバーであり、そういえばリオンはその顧問だ。

 

「ううん。クラブの活動っていうよりもリオンが個人的に修行つけてくれとるだけやから、うちとディズ君だけやよ」

 

 リーシャたちも修行でぐったりしている咲耶たちを見ているから、自分たちも参加しようという話にはならなかったのだが、言われてみれば参加していてもおかしくはないのかもしれない。

 

「ふーん。そっか……」

「それがどかしたん、ジョージ君、フレッド君?」

 

 顔を見合わせて思案顔になったジョージとフレッドに咲耶は小首を傾げた。

 この二人、以前からおもしろ怪しげな発明に没頭していたようなのだが、最近はそれに拍車がかかった様子となっており、先生がたのみならず生徒たちからの警戒レベルも上がっているのだが、不思議と騒動は起きていない。

 起きてはいないのだがそれだけに、何かとてつもない一発がそろそろ起きるのではないかともっぱらの評判だ。

 

「その修行さ、スプリングフィールド先生の部屋でやるんだろ?」

「俺たちも見学できないかな?」

 

 二人からの続けざまの質問に咲耶はきょとんとなった。

 

「見学?」

「そ、見学」

 

 小首を傾げたままおうむ返しに尋ねた咲耶に、フレッドがにんまりとして頷いた。

 咲耶だけでなく、リーシャやフィリスたちももの問いたげな視線を二人に向け、関心の眼差しが集まったのを見た二人は演説でも行うかのように大仰に手を振った。

 

「ご存知の通り、我々は日々、有益な魔法道具の研究に勤しんでいるわけなのだが――」

「有益な魔法道具?」「悪戯玩具の間違いでしょ?」

 

 フレッドの説明にリーシャとフィリスが胡乱げな声を挟み、クラリスも胡散臭そうな眼差しを隠そうともせずにぶつけた。

 

「とっとっと。これは残念な結果だなフレッド」

「ああ、まったくだ。俺たちの研究成果は魔法科学統合学の権威である博士からも一目置かれたものだというのに」

 

 わざとらしく嘆く二人。だがその内容は少々どころではなく気になるものだ。

 

「そうなん!?」

「そういえばメガロのあの怪しい博士さんとやたらと親密そうに話してたわよね、貴方たち」

 

 いつのまに!? と驚愕する咲耶だが、騒動の後数日、こちらにやってきていたアルフレヒト・ゲーデル博士と親密そうに彼らの開発した悪戯玩具について話し合っていたのをフィリスはじめ多くの生徒に目撃されていた。

 

「その通り。そして博士から素晴らしい研究だとお褒めの言葉を授かったというわけさ」

「それで?」

 

 大仰ぶった説明がどこまで本当かは分からないが、真に受けて目をまん丸にしているサクヤとリーシャを脇においてフィリスは疑り深い目を二人に向けた。

 

「それで我々の研究の発展のために、ここは是非とも精霊魔法についての知識と実践を深めたいと考えていてね」

「するとどうだろう? 折よく精霊魔法の達人であらせられるスプリングフィールド先生が、本校屈指の天才であるディズとニホンの伝統魔法の名家の息女であらせられるサクヤに修行をつけているというじゃないか」

 

 ふむふむと感心して聞きいっているサクヤとリーシャに対して、フィリスとクラリスの視線はますます冷めて白い眼差しとなっている。

 

「これは是非とも我々もその修行の一端を目に焼き付けて、研究に活かすところがないかを探りたいと考えた次第なのさ」

「そかそか」

 

 これを信じるのかと思いたくなる理由を述べた二人に、咲耶はほわほわ顔で頷いており、フィリスは思わず額に指をあて、とりあえず注意をしておこうと口を開いた。

 

「サクヤ、これ――」

「でも修行に関してはリオンも真面目にやっとるからなぁ。リオンが許可してくれるかは分からんよ?」

 

 だがフィリスが忠告をする前に咲耶は少し困ったように釘を刺した。

 ジョージとフレッドはちらりと互いを見て頷くと「それじゃよろしく」と同行を願い出たのであった。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

 “少々”人数は増えたが予定通り一度それぞれの寮に戻ってから咲耶たちは寮を出て、途中同じく修行を行っているディズ“など”と合流し、スプリングフィールド先生の部屋へと赴いた。

 

 

 

「オイ」

 

 部屋に訪れてきたメンバーの多さに扉を開けたリオンは低い声を出して弟子二人を半眼でねめつけた。

 

 咲耶の背後には彼女の友人たちであるルームメイトといつぞやも来ていた決闘クラブとかいうクラブのメンバー。そして赤毛が二人。

 ディズの背後にはリオンにはあまり見覚えのない、ホグワーツの学生とは違う制服に身をつつんだガタイのいい男子生徒。

 

「というわけでジョージ君とフレッド君、それからセドリック君とかクラブのメンバーも見学したいんやって」

「なにが“というわけで”だ。適当に誤魔化して説明したふりをするな」

 

 えへへと誤魔化し笑いで説明を省略して友人たちを研究室にあげようとした咲耶の頬をギリギリと抓りあげてリオンは鬱陶しげな顔をした。

 

「それで貴様の方のソレはなんだ」

 

 頬を抓りあげられてぱたぱたと悶えている咲耶をそのままにしてリオンはもう一人の方の弟子が連れてきた男子生徒の方についても顔を向けた。

 

「……俺と決闘がしたいそうです」

 

 ディズは師匠の威圧と背後から漂ってくる敵意混じりの戦意を感じて疲れたように溜息をついた。

 もはや説明するのも気鬱だが、説明なしに事を進めた場合、咲耶のような抓りあげの刑では済まないことは簡単に予想がつく。説明しないわけにはいかないだろう。

 

 

 ダームストロングからの留学生、ビクトール・クラム。

 クリスマス以降、事あるごとに――というか事無くとも決闘を申し込んでくる彼につかまったディズがなんか色々諦めたのかここに連れてきてしまったのだそうだ。

 説明を聞いたリオンは微かに鼻で笑って愉快そうにディズとクラムとを見た。

 

「なるほど。なかなか愉快なことになってるじゃないか」

「全然愉快じゃありません」

 

 しかめっつらで睨んできているクラムとニヤニヤと笑っている師匠(リオン)

 

「まあいいだろう。決闘の場所くらいは都合してやる」

「むしろ止めてください」

 

 一応こういう事態を避けるためにディズはリオンの庇護下に入ったということになっているのだが、どうにもこの保護者はまったく止める気はないらしい。

 

「せっかくの実戦経験の機会だ。無駄にすることもあるまい」

「ならせめてこの腕輪外してください」

 

 ディズのせめてもの願いは当然のごとく否の一文字で結論付けられていた。

 

 

 

 結局、クラムだけでなくセドリックやルーク、リーシャ、フィリス、クラリスにフレッドとジョージといった面々もなし崩し的にリオンの研究室に入室を許され、ぞろぞろと入り込んだ。

 部屋の中を見渡せば、以前よりもやや古書の類が整理されており、代わりに巻物の類が多く机の上を占拠するようになっている。

 ガイノイドというらしいロボットメイドも相変わらず無表情で佇んでおり、ディズと咲耶は慣れた様子で、セドリックたちはやや緊張気味に、フレッドとジョージは冒険にのりだした子供のように目をきょろつかせて部屋の扉をくぐり、最後のフィリスがなぜか閉まり悪い扉をなんとか閉めて――――

 

「おい」

 

 ピクリと何かを感じ取ったように反応したリオンに、不機嫌通り越して戦闘態勢一歩手前のような目で睨みつけられてフィリスたちはぎょっとした。

 

「教師の部屋に入るにしては随分と礼のない入り方をするもんだな」

「え?」

 

 スプリングフィールド先生の言葉に、フィリスたちは意味が分からず顔を見合わせた。先ほどまで来客の多さに鬱陶しがっていたが、ディズの決闘騒動の話などで決してここまで機嫌を損ねてはいなかった。

 咲耶たちはリオンを見て、そしてその視線が彼女たちではなく別の、誰でもない壁の方に向いているのを見て首を傾げた。

 リオンは何かを待つように数拍間を置いたが、何の反応もないことを見ると片眉を不快げに吊り上げた。

 

「茶々丸´」

「了解しました。サーチモード、熱源感知――――」

 

 リオンの一声に、控えていたガイノイドの瞳が光った。

 

「客人でもないなら遠慮はいらん」

「了解しました。—―――サーチ完了。排除行動を開始します」

 

 排除という不穏な言葉にリーシャたちはぎょっとするが、ガイノイドの視線はなにやら彼女たちとは別の、何もないところへと向いており、そちらに向けて腕を伸ばし――――

 

「ま、待ってください、スプリングフィールド先生!!」

 

 慌てた少女の声が突然そちらの方から上がり、バサリと水でできた透明なマントがはためいたかのように見つめていた場所から少し離れた空間が揺れ、そこから3人の子供が姿を現した。

 それは見覚えのよくある咲耶の友人たちを含んでおり

 

「ハーミーちゃん!?」

 

 咲耶が驚いた声を上げて友人の少女の名前を呼んだ。

 咲耶と親しいグリフィンドールの下級生ハーマイオニーとその友人の少年たち。現れたハーマイオニーは敵意がないことを示すためか両手を上げており

 

「ロックオン」「やれ」

「ストップストップ、リオン、茶々丸´さん!!」

 

 まったく容赦なく排除行動を継続しようとしているガイノイドと主に咲耶が慌てて飛びついた。

 姿を現したのに攻撃されそうになったハリーはぎょっとして、すぐさま杖を引き抜いて構えを見せた。

 茶々丸´は一応咲耶のお願いに反応してか攻撃を一時保留し、主に判断を仰ぐように振り返り、リオンはめんどうくさそうに顔を顰め、軽く手を振って一時中止を指示した。

 ガイノイドが腕を下して攻撃状態を解除したことにハーマイオニーや咲耶はほっと胸をなでおろし、ハリーとロンは警戒心剥き出しの顔でリオンを睨みつけた。

 

「ふぅ…………ハーミーちゃん、どないしたん? いきなり……出てきて」

 

 とりあえず友人が排除されることを阻止した咲耶は抱き留めていた茶々丸´を解放してハーマイオニーに向き直った。

 

「ありがとう、サクヤ。えーっと、ここに居る理由なのだけど…………」

 

 危うい状態だったということの認識はあるのか、ハーマイオニーは不機嫌そうなスプリングフィールド先生をちらちらと伺いつつ、答えようとして口ごもり、

 

「僕たちも見学に来ました!」

 

 答えにつまったハーマイオニーを制するかのように、ハリーが前にでてスプリングフィールド先生に聞かせるように大きめの声で答えた。

 ただその言い訳があまりに苦しいものであるのは言った本人も分かっているのか、判決を待つようにリオンを睨み付けている。

 

 大方“闇の魔法使い”であることを暴露したリオン・スプリングフィールドが、巨大な悪の“闇の魔法使い”ゲラート・グリンデルバルドの孫を使って何をしようとしているのかを探ろうとして来たのかというところだろうが…………

 

「茶々丸´」

 

 冷ややかに見下ろしていたリオンが口を開いた。それは判決を待っているような気分のハリーたちにはひどく冷たい声に聞こえたであろうもので

 

「窓から蹴り落とせ」

「ストップストップストップ!!」

 

 到底生徒に対するものとは思えない判決を下したリオンを咲耶が再び止めることとなった。

 

 

 

 

「お前は俺の研究室を保育所にでもしたいのか、咲耶?」

「まぁまぁ。それにしてもよう分かったなぁ、リオン」

「魔法使いなら自分の研究室に入って来たものくらい感知できて当たり前だ」

 

 結局敵意剥きだしのハリーとロンはともかく、ハーマイオニーと咲耶のとりなしもあってハリーたちも室内への入室をきちんと了承されることとなった。

 部屋の主は苦々しげにぶつくさ言っており、咲耶は困り顔でそれを宥めることとなっている。

 

 

 一方でハリーたちは穏やかに潜入に成功していたフレッドとジョージから呆れと称賛の言葉をかけられていた。

 

「スプリングフィールド先生の部屋にこっそり潜入なんてよくやるな、ハリー、ハーマイオニー。それに我が弟よ」

「君たちに言われたくないよ」

「おいおいハリー。俺たちはちゃんと相手を見てやってるぜ。それにしてもこれ透明マントか? なかなか面白い物を持ってるじゃないか」

 

 まさかこんなにもあっさりとばれるとは思わなかった。

 ハリーは自慢の透明マントが入室と同時に看破されたことでイライラとしながら二人をあしらっていた。

 ダンブルドアから渡された父からの遺産の透明マント。これが看破されたことはハリーの知る限り魔法使いではダンブルドアだけしかなかった。それはこのマントが完璧ではないということなのだが、それにしても今回はよりによってという相手だ。

 ちらりと彼の方を見てみると、仏頂面の先生をサクヤがほわほわと微笑みながら「まぁまぁ」と宥めており――その自分には向けられていない微笑にハリーの心はますます苛立った。

 

 

 

 ぶつくさと言いながらも“別荘”への転移準備を整えたリオンは、一行を引率して転移した。

 惨劇の試験を思い出す魔法儀を使うことにハリーやロンだけでなくフレッドやジョージも顔を引き攣らせ、初めてのクラムも驚いた顔をしていたが、それにはリオンもディズもまったく気にかけずにいつもの修行場へと移動した。

 

「ここなら学校の教師どもの監視は届かん。存分にやっていいぞ」

 

 向かい合うディズとクラム。

 そもそも、彼がディズに対して執拗に決闘を申し込んでいたのは、ディズの血縁上の祖父、ゲラート・グリンデルバルドがクラムの親族をはじめ、ヨーロッパの大陸で暴虐な行いをしていたことが根底にある。

 そして、その母校、ダームストロングでは闇の魔術に関して熱心な指導が行われており、かの闇の魔法使いの信奉者も多いのだそうだ。かつてとはいえ親族に対して悪辣な非道を行った魔法使いを崇める輩。クラムにしてみれば、そんな連中に我慢できるようなものではなく、今回のように決闘を申し込んでそれらに思い知らせてきたそうなのだ。

 世界的に有名なクィディッチの選手であるクラムだが、他校に留学してきたことや決闘の経歴、今も決闘に臨む佇まいからして魔法の腕前も秀でているであろうことが見てとれた。

 

「…………マスター。決闘はいいんですが、腕にこれがついたまま――」

「心配はいらんぞ。どっちが勝とうが死ぬ前には止めてやる。一応はまだ教師だからな」

 

 本当かどうか分かったものではない。

 嘘ではないだろうが、彼の基準での死ぬ前など、一歩手前どころか、片足踏み越えて後ろ足だけで堪えているような状態であろう。

 

「少々要らん観客が多いが、気にする必要はない」

 

 いつも一緒に修業しているサクヤだけでなく、セドリックやルーク、女子陣、おまけに生き残った男の子までついているのだ。普通なら気にするなというのはなかなかに難しい話であり、

 

「貴様が無様を見せた場合は、死んでいた方がましだったと思うメニューで鍛えてやるからな」

「………………」

 

 そんな余裕を見せると相手にではなく師匠によって襤褸雑巾にされるのが想像できた。

 ディズはここまでの地獄を思い返してぶるりと身震いし、杖を持つ左手に力を込めてクラムを見据えた。

 

 

 

 

 ディズ・クロスとビクトール・クラム。おそらく学校に在籍している魔法使いの中ではそれぞれ屈指の魔法使いの二人が向かい合う。

 

 ハリーは思いもかけず見学することになった決闘を行う二人の学生を見比べた。

 1人はホグワーツの上級生。サクヤと同じ学年のスリザリンの生徒。ゲラート・グリンデルバルドというダンブルドアがかつて倒した魔法使いの子孫。

 

「両方相討ち、っていうのが一番いいと思わないか?」

「えっ!?」

 

 ハリーの耳元でこっそりとロンがささやいた。

 意外に思ってロンを見ると、どちらかというとクラムの方を苦々しげに見ていた。

 ビクトール・クラム。クィディッチ・ワールドカップ、ブルガリア代表としても活躍している世界最高のシーカー。 

 クィディッチ・ワールドカップの決勝を観戦したハリーもロンも彼のファンだった。

 それがなんでまたこんな敵意をむき出しにしたような目で彼を見ているのか…………思い当たるのは一つ。

 クリスマスダンスパーティの時の件だ。

 正直あの時は、ハリー自身ジニーをパートナーにしていたり、その後のあれこれのせいで記憶があいまいではあるのだが、たしかあの時クラムのパートナーとして来ていたのは彼らの親友のハーマイオニーだ。

 あの時の彼女はいつもの――当然今の――ハーマイオニーとはまるで違う女性に見えた。

 思えばあの時、ロンはクラムと一緒にいるハーマイオニーを敵視するような眼差しで見ていたが…………

 

 ハリーとしては、クラムを応援したい。だってクラムはハリーにとっても尊敬に値するクィディッチ選手で。この決闘だって悪い魔法使いの系譜に対して挑んでいるのであって……ハーマイオニーとのことは思い返せば気になっては来るものの、相手と比べれば絶対に応援するのはクラムだ

 

 ディズ・クロスはスリザリンの生徒で、闇の魔法使いの系譜で…………実の父親を倒したようなヤツなんだから。

 

 抱える思いに些かの矛盾があることに、ハリーの心は気付いていた。

 彼が闇の魔法使いならば、あの父親と戦いはしなかっただろう。彼はそうではないからこそ、あの時杖は父親ではなくこちらに向いていただろう。

 けれども…………彼は孤児院で育ったと聞いた。

 ならハリーと同じように親が居て欲しいとは思わなかったのだろうか?

 父親の手助けをしたいとは思わなかったのだろうか?

 悪人の父親の味方になんてハリーならばならない。そう思いはするものの、それでも思ってしまう。

 なんで父に杖を向けたのか、と。

 

 

 

 

「それじゃあ――――始め」

 

 両者の決闘はリオンの合図によってその口火が切られた。

 クラムは抜群の反射速度で杖を振るい、無言呪文を放とうと杖先をディズへと向け――

 

「!?」

 

 瞬間、目前からディズが消えた。

 ディズは杖にではなく、足へと魔力を集中させ、一気に床を蹴ったのだ。

 瞬動術。

 一瞬でディズはクラムの背後へと――無防備なその背中の2mほど後方へと跳んだ。

 

 ――遠いっ!――

 

 上手く瞬動術を成功させたディズだが振り返って彼我の距離を目にして内心舌を打ちそうになった。

 まだ上手く制御ができていないために距離が遠すぎたのに加え、瞬動術の速さに身のこなしがついてきておらず、体が流れる。

 だが実際に舌を打つ間も省いてディズは今度こそ杖へと魔力を流して左腕を振るった。

 

エヴァーテ・スタティム(宙を踊れ)!」

「がっ!!」

 

 クラムも気配で察知したのか、流石の反応を見せようとしたが、それよりも早くにディズの杖から閃光が放たれ、直撃を受けたクラムは舞うように宙を吹き飛んだ。

 クラムは4、5mの距離を吹き飛ばされるも、クィディッチで鍛えた体は咄嗟の事態に反応して宙にある内から大勢を整え、床に体を打ち付けながらもすぐさま起き上がった。

 その反応は“まっとうな”決闘であれば、致命的にまではならなかっただろう。

 だが

 

「シュバルツ・シュタル・デア・シャッテン。風の精霊5人。縛鎖となりて敵を捕まえろ。魔法の射手(サギタマギカ)戒めの風矢(アエール・カプトゥーラエ)!!」

「っ!!」

 

 ディズはクラムが起き上がるのどころか着地するのもまたずに次の詠唱を始めており、クラムがディズへと顔を向けたときにはすでにその詠唱は完成し、5本のサギタ・マギカがクラムへと殺到した。

 クラムは体勢を整える暇もなく杖を振るうが、5つの矢を同時に迎撃することは不可能で、攻撃は杖を持つ右手、左肩、右腰へと着弾した。

 

「くそっ!」

 

 魔法の矢が着弾した箇所から白い帯のような拘束が広がり、見る間にクラムの体を抑えつけていく。クラムは悪態をつきつつも杖を振るってその魔法を解除しようとして――――しかし杖腕を捕えられた状態では杖を振るうことができず、ついには床に縫い付けられるように拘束が完成した。

 

「これで、終わりだな」

「ッッ!」

 

 それでもなおもがこうとしたクラムの首元にディズの杖が突きつけられた。クラムは視線に呪いが込められたらとばかりにディズを睨みつけ、ディズはクラムを見下した。

 睨みあう二人。だがクラムにもすでに決着は明白であることは理解できているのだろう。敗北を認めるように顔をうつむかせた。

 クラムから戦意が消えたことを見てとったディズは拘束を解除した。

 体の自由を取り戻したクラムは、睨みつけるような視線は変わらないが、それでも襲いかかるような真似はせず、問いかけた。

 

「…………なぜ君ヴぁ、あの時ゲラート・グリンデルヴァルドについて行かなかった?」

 

 本当はこんな決闘やらずとも、分かっていた。

 

 ――ディズはゲラート・グリンデルバルドとは違う――

 

 分かっていて、けれどやらずにはいられなかっな。

 

「ついて行きたいと思わなかったからだな」

「君の祖父だろう?」

「らしいな」

「なら――――」

「けど、他人だよ」

 

 いいきるディズにクラムは目を細めた。

 

「俺が育ったのは魔法使いの家でも、闇の魔法使いの巣窟でもない。マグルの孤児院で、割とあの場所が好きだったからな」

 

 語るのは紛れもなく本心の一端。

 

 連中はどうにもマグルの支配とやらがしたいらしいが、それよりも彼にとってはマスターやサクヤの方の魔法使いが進めようとしている融和の方がいいと思ったのだ。

 

「それに、俺の母親が死の間際にそういうところの前に居たってことに、きっとなにかの意味があったんじゃないかって、少し思うからな」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

闇の魔法使いの教え

 嵐のような怒涛の攻撃を回避し、あるいは杖を振るって迎撃していた。

 メイドのような姿のガイノイドから放たれる拳打は、当たれば痛いで済むようなものではない。障壁なしに四肢に受ければ行動に著しく制限を受けるし、クリティカルヒットすれば行動不能だろう。

 精霊魔法を自身の魔法戦技に取り入れるようになってからは、障壁の常在と強化はディズにとっても大きな課題であり、一撃でノックアウトするということはないだろう。

 ただし一撃受ければ隙を生じ、そこから流れ落ちるようにあとはぼろ雑巾への一途となる。

 おまけに

 

魔法の矢(サギタマギカ)連弾(セリエス)氷の11矢(グラキアーリス)!!」

「ッ、プロテゴ!!」

 

 離れた所からは後衛の魔法使いよろしくサギタマギカを放って来る師匠がいるのだ。

 ガイノイドの相手をしながらそちらにも注意を分配していたディズは放たれた追尾型のサギタマギカを盾の呪文で防御。その盾が消える前に近接を抜いてきた前衛のガイノイドがディズの腹部に一撃をめりこませんとした。

 

「づッ!!」

「!」

 

 かなりのダメージを負うことにはなる。だがディズは敢えてそれを回避するのではなく、瞬間的に風盾(デフレクシオー)を高め、さらにはその攻撃に吹き飛ばされる形で身を任せることで衝撃の幾分を流した。

 攻撃を直撃させたガイノイドも手応えに差異を感じたのか、すぐさま追撃の態勢に入ろうとし、それよりも早く、地面に着地したディズは足へと魔力を集めた。

 

 ――瞬動術!――

 

 ダンッッ!! と衝撃音を響かせてディズの体が一気に高速へと入る。

 普通の魔法使いでは何が何だか分からない間に脇を通過して背後をとることのできる速度であり、ビクトール・クラムですら咄嗟には反応できなかった高速の移動術。

 

 だが

 

「バカがっ」

「!」

 

 一気に後衛の師匠の背後をとろうとしたディズだが、次の瞬間、予想していた着地態勢に入ることはできずに天地を逆転させられ宙に浮いていた。

 

「そんなバレバレの粗い瞬動が実戦で通じるかっ! そらっ! 氷瀑(ニウイス・カースス)

「づっあッ!!」

 

 接近した瞬間、動きを――というよりもその軌道を読まれたのだろう。自身ほとんど力を用いずにディズの瞬動の勢いを利用して彼を投げ飛ばしたのだ。

 気づいた時には稚拙な技と戦術の罰とばかりに氷の爆撃がディズに襲い掛かり、今度は正真正銘吹きとばされた。

 

 

 

 第85話 闇の魔法使いの教え

 

 

 

「クロスはいつもスプリングフィールド先生とこんなことをやってるのかい、サクヤ?」 

 

 氷の爆発に撃ち落とされ、その直後メイドロボットさんに蹴り飛ばされたディズの姿から、修行の苛烈さに戦慄しながらルークは咲耶に尋ねた。

 

「のうまく さらばたたぎゃていばく、ちごた、たたぎゃていびゃく――ん? どないかしたかな、ルーク君?」

 

 シロと差向いに座って何かよくわからない呪文を唱えていた咲耶は、ルークに話しかけられて詠唱の練習を中断して振り向いた。

 

「いや。なんかクロスのやつ凄い勢いでボコボコにされてるけど、二人とも修行っていつもこんな感じでやってんの?」

 

 ボコボコにされているというディズの方を見て、いつものような光景であることを確認した。

 

「うちは基本的に治癒魔法の練習とこの練習ばっかりやけど、ディズ君はあんな感じやなぁ」

 

 咲耶とて無意味に友人が傷つけられているのであれば止めもするが、リオンはおそらくちゃんと加減しているし、いつも咲耶の修行と称してディズに治癒魔法をかけるようにしているのだ。そちらに咲耶が口を挟むのは野暮を通り越して大きなお節介でしかない。

 

「サクヤのそれはなにやってんの? シロに治癒をかけてるのか?」

 

 リーシャの方はむしろサクヤの修行の方に興味があるのか、覗き込むようにして尋ねた。

 

「んー、今はおんみょーじゅつって言う日本の魔法を使う練習。これがうちの力に合うてるんやって」

「不思議な響きの呪文よね。ニホン語なの?」

 

 フィリスにもリーシャにもクラリスにもサクヤの唱える呪文の詠唱の響きには聞き覚えがない。明らかに英語でもラテン語でも、普段使っている伝統魔法の詠唱でもない。

 

「真言っていうもんなんやけど、日本語ともちゃうもの、かな?」

 

 教えられた呪文は魔法ではなく陰陽術――中でも真言を用いた火の呪術。

 あの日以来暴走気味になっている咲耶の焔の力を、式神を介して制御するための訓練だ。

 

 

 

 

 呪文の詠唱練習をしている咲耶の一方、ディズは…………

 

 懐に入られた状態から今度は瞬動術を距離を離すために使うが案の定その動きは読まれていたのか茶々丸´はすぐさま追撃してきた。

 だが読まれていると分かっていれば、追撃が来ると想定していれば対処の方策はある。

 

「インペディメンタ!!」

「!? 行動阻害を確認――――遅延解除プログラム始動」

 

 ディズの妨害呪文が命中し、茶々丸´は体をぐらつかせ、のみならず動作の遅延を認識した。彼女はすぐさま呪文の解呪を行うが、接近戦から逃れる僅かな間は得られた。

 

 精霊魔法と伝統魔法――魔法使いにとって接近戦というのは鬼門だ。

 とりわけ伝統魔法族の魔法使いはほとんどそんなところを鍛えはしないし、せいぜい子供染みた取っ組み合いが関の山、つまりは体術に関してはマグルと土台はほぼ同じなのがこちらの魔法使いの特徴。

 だが、もしも多数の敵に襲われることを想定するのなら――例えばこの前のように死喰い人の群れが現れた時や、“闇祓いたち”が襲ってきた時を考えるのならば、呪文の詠唱だけでなく自らの体で呪文を避け、戦いを有利にもっていくための体術は必須技能といえる。

 

 ディズは遠距離から魔法を放って来る師匠の方へと視線を走らせた。

 覚悟していた通り、魔法の矢が追撃に放たれており、ディズは杖を鞭のように振るってその中で直撃コースの攻撃を防いだ。

 

 体術といってもマグルの用いるボクシングだとかフェンシングだとかを修めることだけではない。

 相手の攻撃を避け、防ぎ、こちらの攻撃を相手よりも先に当てるための工夫の技術だ。

 

 ――「相手の攻撃に当たらないようにして、自分の攻撃を当てろ」――

 

 ずっと以前師匠はそんなようなことを言っていた。

 その時はひどくおざなりなアドバイスに思えたが、それは大事なことだった。

 

 相手の攻撃を喰らえば動きが鈍り、思考が曇り、隙が生じる。

 そうなってしまえばその次の攻撃を受ける可能性が増え、そしてどんどんと追い込まれていく。

 自分の攻撃を先に当てることができれば逆に追い込むことができる。

 シンプルだがそれは事実だ。

 そのために相手の攻撃を回避し、防御し、フェイントを入れ、戦術をたてて攻撃を行うのだ。

 

 だから攻撃を防いだことを喜んでいる暇はない。ディズは腕にかかる魔力的・物質的な重さを無視して、杖に魔力をかき集めた。

 唱える呪文は知り得る限りの中では強大で、今この状態では発動できるかは分からない。

 

「シュバルツ・シュタル・デア・シャッテン。来たれ雷精、風の精!!」

 

 それでもこれから先、生きていくために。

 降りかかってくるであろうものを討ち払っていくために。

 残りの魔力を全てかき集めるつもりで呪文を叫んだ。

 

 鉛の腕輪に減弱されながらも漏れ出るように溢れる魔力によって杖に集う雷精と風精。

 リオンはニィと笑うと自身も今までよりもやや魔力を込めて詠唱を追従させた。

 

「アス・ラック・アレイスト・クルセイド。来たれ氷精、闇の精!!」

「っ!」

 

 唱える呪文は同種のもので、ディズは顔を歪めた。

 

「雷を纏いて吹きすさべ南洋の嵐!」

「闇を従え吹雪け常夜の氷雪!」

 

 ディズの杖に電光が弾け、リオンの手元には氷粒の煌きが輝く。

 

「闇の吹雪!!!」

「雷の暴風!!!」

 

 一瞬早く出たのは後から詠唱を始めたリオン。それは式を構築し詠唱する速度の練度と魔力を練り上げる速度の違いに由来するものだが、それでもディズはリオンの“闇の吹雪”が炸裂する前に“雷の暴風”により打ち合いへともつれこませた。

 

「っ、ぐっ!!」 

「そらっ! どうしたボーズ!」

 

 激突はややディズよりの中間地点――だったのだが、見る間にそれはディズの方へと押し込まれていく。

 

 

 

「うわぷっ!」「うおっ!!」

 

 雷と氷雪を伴った暴風の余波は離れたところで見学していたハリーたちにも突風となって襲い掛かっていた。

 

「これって、サクヤの“春の嵐”と同種の!?」

「クロスのやつ、いつの間にこんなのまで覚えてたんだよ!」

 

 見覚えのある系統の大威力攻撃魔法に、フィリスとリーシャが思わず声を上げた。

 授業では教わっていない高位の攻撃呪文。

 その威力は、離れた位置にまで届く余波だけを見ても今までの授業で教わった精霊魔法とは段違いに強い。

 

 だがディズの渾身のその大魔法も、リオンの放つ同種魔法の前にどんどんと押され、飲み込まれている。

 それも当然だろう。

 リオンは余裕のある笑みを浮かべ、手加減しているのがその様子からは分かるのだが、現状のディズは今の魔法を発動させられただけでも上々といった状態なのだ。

 魔力を吸収する鉛の腕輪。

 肉体的によりも魔力的に大きな負荷となっているそれは、慣れてきた今であっても魔法行使において負担となっている。

 

 だが、それを言い訳にはできない。

 世界は唐突な理不尽で溢れている。

 それは今まで、この学校という庇護を受ける場においてでさえ、何度も見てきたのだから。

 強大な闇の魔法使いの襲撃。上級悪魔の来襲。ディメンターの暴走。そして使徒。

 子供だからといって常に守られるというわけではない。ましてやディズは、“守られない”理由、排斥される理由すらあるのだから。

 

「っ、らぁああああっ!!!」

 

 これ以上押し込まれるわけにはいかない。

 ディズは咆哮とともに全身の細胞から魔力を絞り出すように杖に魔力を流し込む。

 左腕からびきびきと何かが砕ける音が聞こえる。

 

「むっ。腕輪が壊れた!?」

 

 リオンはわずかに目を瞠った。

 ディズの魔力放出を減衰させる鉛の腕輪に亀裂が入り、それは見る間に広がって腕から落ちた。

 ディズの魔力量は並の魔法使いと比べるとかなり多いとはいえネギやリオン(最強クラス)と比べるとかなり少ない。

 それだけにあの腕輪を壊すほどの魔力を流すには、腕輪が一度に吸収できる限界値を超えるほどの魔力の集中と練り上げを爆発させるしかない。

 

 爆発し、堰き止められていた魔力が一気に氾濫し、押し込められつつあったディズの“雷の暴風”が一気に膨れ上がった。

 

「っ」

 

 リオンの最大魔力放出に比べれば圧倒的に弱い。

 だがそれでもディズの急激な魔力の爆発は加減していたリオンの“闇の吹雪”を押し返すほどの膨らみを見せ、両者の狭間で弾け、氷雪が雷撃によって白煙となった。

 

「少しは――—―まともに魔法を扱えるようになったじゃないかボーズ」

「はぁ……はぁ…………」

 

 肩で息をするディズに対して、リオンはやはり傷一つなく、息はまったく乱れていない。

 だがたしかにわずかだがディズの一撃はリオンに届きえた。

 

 ただしディズの体はふらふらで、

 

「止まれ。茶々丸´」

 

 追撃に接近していた茶々丸´に制止の命令がおりて幸いなことにこれ以上の拳打は飛んでこなかった。

 だが、

 

「褒美だ。少し、戦い方を見せてやる」

「くっ! ガッっ!!!」

 

 師匠は容赦なかった。

 視界から前触れもなくリオンの姿が消え、同時に感じたのは杖を持つ左腕が掴まれた感触と腹部に何かが振れた感触。構える間もなく全身を雷撃が走り、吹き飛ばされた。

 

「アス・ラック・アレイスト・クルセイド。来れ虚空の雷、薙ぎ払え」

「ッッ!!」

 

 なんとか継続していた魔法障壁がまったく作用しなかった。

 加減されているのか打撃としての威力はほとんどないものの、痺れる体はすぐには動かせず、リオンの素早い詠唱に手を打つことができない。

 

 —―「雷の斧!」――

 

「—―――ッッッ!!!!」

 

 雷がディズの脇を掠めて落ち、地面を抉った。

 直撃すればおそらく心臓が止まっていたであろう一撃が逸れたのはリオンの加減のおかげだろう。

 

「づ、くっ……!!」

 

 とはいえ掠った雷撃により体は痺れ、動けない。

 

「普通常駐型の魔法障壁というのは、応時展開型の障壁と違って、ある程度以上の強度の物理干渉を半自動的に弾くものだ。それだけに今みたいにゼロ距離での攻撃には弱い一面がある。まあよくある障壁破りの一例だな」

 

 ディズのものとは比べ物にならないほど滑らかで予備動作のない瞬動術で魔法使いの懐に潜り込み、常駐している魔法障壁が反応できない接触状態からの無詠唱雷の矢(サギタマギカ)

 相手の動きを封じてから詠唱の早く、決定力のある攻撃魔法へと連携する。

 

「ついでに今のコンビネーションは実戦でも決め手としてそこそこに有効だ。今のお前なら修得できるだろうから、覚えとけ」

 

 ――覚えとけと言われましても…………――

 

 実際問題、体は痺れて動かないし、そうでなくとも消耗が激しすぎてしばらくは動くことができない、というのがディズの本音だ。

 見学しているセドリック・ディゴリーやクラリス、グリフィンドールの英雄君にらしくないところを見せることにはなっているが、動けないモノは動けない。

 

 せめてもの気遣いにこれ以上戦闘継続する気はないのか、茶々丸´は蹴り飛ばしには来なかった。

 

 

 

「次、咲耶いくぞ」

「はいな」

 

 名前を呼ばれた咲耶はいつもどおりディズの治療のためにその傍まで行こうとして、

 

「そっちじゃない」

「はえ?」

 

 呼び止められて振り返り、首を傾げた。てっきりいつも通りディズの治癒を通しての治癒魔法の練習かと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。

 

「今日はお前の術の方の訓練だ」

 

 言われて咲耶は考え込むようにしてディズの方へと振り向いた。

 大きな怪我はしていないようだが、疲労困憊でぶっ倒れている。

 

「ボーズの方は回復しだい自己治癒しとけ。咲耶が終わったらまた実戦訓練行くぞ」

「りょーかいです、マスター…………」

 

 声を出すのも億劫な様子だが、今日はいつもと違って大きなダメージは受けてはいない……ともギリギリで言えなくはないかもしれない…………

 

 疲労と痺れとで動くことができないディズを茶々丸´が運び、代わりに咲耶とシロとがリオンの前へとやってきた。

 

 

 

「よくやるな、クロス。というかこれやって普通の授業もやってたらやつれもするわな」

 

 休憩に入ったディズを、ロンやハーマイオニーは恐る恐るといった風に遠巻きにしているが、それには頓着せずにルークが話しかけた。

 

「まあ…………望んでやってもらっていることだからな」

 

 魔力と体力はまだほとんど回復していないが、雷撃による痺れは徐々に抜けてきており、ディズは大きく呼吸を乱しながらも受け答えできるようになっていた。

 

「なんでこんなことやってるんだ?」

 

 そんなディズに、ハリーが疑惑を満面に貼り付けた顔で問いかけてきた。

 答えるまでに間が生じたのは疲労から息を乱していたかれだが、ハリーはディズが言い淀んでいるように見えたらしく、重ねて問いかけた。

 

「なんで闇の魔法使いになんてなりたいんだよ」

 

 その質問、向けてくる疑念の顔から、ディズはハリーの今回の“見学”とやらが、闇についての調査という義憤にでも駆られているように見えた。

 グリフィンドール、闇を打ち払う少年からスリザリン、闇の後継として生まれ向かおうとしている少年への問いかけ。

 

 ハリー・ポッターが入学してから4年。

 いくつかの大きな騒動の中心に彼が居たのをディズは見てきた。

 それは彼がもとより中心に近いところに居た、というのもあるが、彼自身が自らそこに首を突っ込んでいるという面も確かにあるのを見てきた。

 ハリーが自身のことをどのように思っているのかはディズには知ったことではないが、彼の行動は英雄気取りの人助け癖がにじみ出ているように見える。

 日常的には純血主義のスリザリン生と敵対し、クィディッチチームのシーカーとしてヒーローじみた活躍を愉しみ、自身の力のことを碌に知りもせず、鍛えようともしていないくせに、事件とあらばその渦中に飛び込んで人を助けに行く。

 

 闇の魔法を使う闇の魔法使い(悪い魔法使い)を敵視しているその顔は、自身のもつ“正義感”にでも溢れているかのようだ。

 

「ハリー・ポッター。別に俺は君の言うところの“闇の魔法使い”になんて興味はない」

 

 返したディズの言葉にハリーはむっとしたように顔を顰めた。まるで嘘は意地でも見抜いて見せると言わんばかりだ。

 

「ならっ!」

「あの人はたしかに闇の魔法を使うけど……そうだな、そんなくだらない枠に興味はないね。ただ、生まれに因縁がある以上、力がないと自由に生きることもできそうにないんでね。誰しも君とは違って保護呪文がかけられているわけじゃないんだ」

 

 

 

 

 

 なにやら問答をしているらしい弟子と見学者の方を見て顔を顰めたリオンは、すっぱりとそっちは放り捨てて入れ替わりにやってきた咲耶の方へと集中した。

 

「詠唱は覚えたな」

「うん。えーっとな、リオン。覚えたんやけど……」

「なら今日はそこまでやるぞ」

 

 咲耶得意の治癒術の実施訓練ではなく、リオンにとっても専門外である“陰陽術”の練習。

 それは咲耶にとって自身の力の本質を抑え込むために重要な鍛練だ。

 自信なさ気な咲耶だが、リオンの強い視線を受けて、「ふぅ」と息を吐くと意識を切り換えて自分の式神を見下ろした。

 

「……うん!」

 

 以前よりもつながりが明確に感じられる自身の式神。咲耶は力強く頷きを返した。

 

 それ以上の合図はない。リオンはやや警戒するように咲耶を注視しており、サクヤは息を吐き、取り入れるように息を吸った。

 

「むん」

 

 小さく気合いをいれて、パンっと柏手を鳴らした咲耶は両手の人差し指のみを立てて合わせるような形の手印――不動明王印を結んだ。

 唇を尖らせて集中する咲耶からなにかが送られているのか、咲耶の式神であるシロの毛がぞわりと逆立ち気配が変わった。

 

「はっ!!」

 

 シロは短く気を吐き、その周囲に赤い火玉を浮かび上がらせた。

 以前よりも明確になった主従の繋がりから、無意識的にではなく、意識的に式神へと力を流し込んでいく第一段階。

 この段階まではまだ負担はそれほどない。

 

「よし、魔力供給の制御はできているな。本来は気と魔力はコンフリクトするものだが、そっちは狗の方で調整できているからお前は自分の魔力の制御にだけ集中してろ――――次!」

 

 次を促すリオンの声に、咲耶は集中をさらに高めた。

 

 思い出すのはあの時の白い焔。

 無我夢中で、自分の中の何かが壊れたと思うほどに激しく放出してしまったあの焔を強くイメージし、灯火のように小さく燃やした。

 ズキンと、胸に凝りのようなものが圧し掛かり、再び自分の中の何かを壊すために荒れ狂おうとするそれを僅かに導いていく。

 

 咲耶がさらに眉間にしわを寄せて集中を高めるのに合わせるように、赤い火玉は青を経て白へと変わっていった。

 

「そうだ。それがお前の本来の魔力資質だ。まずはそれを暴走させないように留めろ。術の運用自体は狗の方に任せろ」

 

 自身の力の本質である“らしい”神殺しの力。

 人の身では到底扱えないそれを神の末席である式神へと移す第二段階。

 流れ出る焔の勢いが蛇口自体を壊してしまわないように徐々に開き、絞り、調節していく。

 

 この修行を始めた当初はこの段階で暴走して、シロが無理やり蛇口を閉じていたが、今は咲耶自身が絶妙に自身の力の及ぶ範囲で制御できている。

 最近ではこの状態を維持するための継続訓練が治癒魔法と並んで咲耶の修行のメインだ。

 

 だが、治癒魔法の練習をしなかったということ、そして呪文の事について触れてきたということは次の段階に進むということ。

 

「次。詠唱を始めろ」

 

 リオンの指示に咲耶はこくりと頷くと、不動明王印を組んだ状態でさらに精神を集中させた。

 蝋燭の灯火のような小さな白い焔から、“あの時”自分をも焼かんばかりに猛った焔を、ほんのわずかだけ顕現させる。

 自身への圧力が増し、それをシロへと流す道筋にも負担がかかっているのが感じ取れる。示されている道筋を壊そうと暴れ狂う。

 壊れてしまうその前に、咲耶は口を開いた。

 

「のうまく さらばたたぎゃていびゃく さらば――――

 

 やや拙く不安定な不動尊 火界咒の詠唱。怒りの顕現たる炎をもって仏敵や魔を払い煩悩を討ち祓う術法。

 だが咲耶のそれはただ己の内にあるものをここに顕すための補助だ。

 遥か昔から紡がれ、彼女がこの世に生まれる前から宿っていた力の具現。人の身に余るその力を僅かでも制御するための補助。

 

「ぼっけいびゃく さらばたたらた せんだ――」

「むっ」

 

 響くその詠唱の、本来のものとは違う言葉にリオンはぴくりと反応した。

 瞬間、ボッ! と白焔は今までと違う勢いで揺らめき、シロの尻尾へと燃え移った。

 

「のわっ!」

「うぇっ!? シロ君!!?」

 

 尻尾の先から燃え上がる赤い火にシロはばたばたと走りまわり、咲耶はわたわたと手を振ってうろたえた。

 リオンははぁと溜息をつくと右手を振るった。準備していた魔力が形を成し、放たれた冷気がシロの尻尾の先に氷を作って炎を消した。

 咄嗟に式神が封を閉めなおしているので、制御を外れた一部以外の暴走はないが、明らかに失敗だ。

 

「だいじょぶ、シロくん?」

「呪文の詠唱を噛むな」

 

 焔の鎮火した尻尾からぷしゅ~と煙をたたせて伏せているシロに咲耶は近寄り、リオンはきつめの声で叱責した。

 

「発音難しいんよ、これ」

「精霊魔法と違って真言や陰陽術は言葉そのものに意味がある伝統魔法の一種だ。詠唱自体は無意識下でも唱えられるほどに体得しなけりゃ実際には使えん」

 

 発音が難しいのは分かる。リオン自身、この英語とも日本語とも違う独特な呪文を実戦で使ったことはない。だが普段使うラテン語や古典ギリシャ語の詠唱でもそうだが、諳んじる以上のレベルで詠唱できなければ展開の激しく乱れる実戦では使いこなすことなどできはしない。

 咲耶に実戦で使うことを求めているわけではないが、暴走させないためには必須な技能だ。

 

「お前の本来の資質は炎に向いているはずだ」

「そうなん? でもうち――」

「治癒系に素質がないとは言ってないが炎にも向いているんだよ。普通は潜在的な資質と好みは無意識下で一致するものだが、お前の場合は抑えなしに不用意に使うと負担が大きすぎたんだ」

 

 もっとも、他に手がないわけではないが――――できればそれはとりたくない手段だ。

 対象の潜在能力を引き出す手段。

 例えその方法を“本人が望んでいたとしても”、彼自身の叶えたくない目的の為にその手段をとることは、選べるはずは決してない。

 

「魔法の資質、というよりも固有能力と言った方が正しいな。使うならその狗っころを介してにしろ。式神も術もなしに振り回せば確実に命を縮めるぞ」

 

 

 

 

 

「君は育ててもらった家の親戚を憎んでいるんだったよね」

「ダドリーたちを知っていたら当然のことさ!」

 

 可愛らしい敵意にも似た睨みつける視線を向けてきているハリーに尋ねたディズの確認に、ハリーはそれがなんだと言わんばかりに声を大きくした。

 

 

「護られているのが当然か。流石、生き残った少年は言うことが違うね」

「なにっ!!」

 

 1歳の時から彼を護り、そして今やほとんど意味をなさないものとなっている守護呪文の力と意味を理解していないらしいハリーにディズは呆れ交じりに皮肉った。

 カチンときたのかハリーは声を荒げた。

 

「母親ご命と引き換えにかけた守護呪文。それを保つために必要なのが、君がまさに憎んでいるその家というわけなのにな…………贅沢な話だ」

 

 自身が魔法使いの子供であることを知らされず、親から受けるはずの愛を知らずに育った。魔法界に来るまでハリーもディズも、父母の顔を知らなかった。

 魔法界に足を踏み入れてから、自身がマグルとは違うことを理解し、二人は父の顔を知った。二人とも運命とも言える因果によって襲われる理由がある。

 違うのは、ハリーは英雄であり、母から命を代償にした守護呪文がかけられているのに対して、ディズは極悪人の子であり、それがために魔法省からこそ狙われる理由となっていること。

 

 ハリーの守護呪文は、ハリーのために命を捧げた母の愛が、彼を害しようとしたヴォルデモートが、彼に手を出すことができないようし守護した呪文だった。さらにその守護はダンブルドアによって強化され、母と血の繋がる叔母の家が、ハリーにとって家と呼べるものである限り彼を守るモノだった。

 だがその呪文は今や、ヴォルデモートが復活のためにハリーの血を取り入れたことによって無効化された上、そのヴォルデモート自身が消滅してしまったのだ。

 守る相手が消えた以上、守護呪文は最早無意味であり、ハリー自身、彼を虐待した“叔母の家”とは別の家を二つも見つけている。

 ホグワーツのグリフィンドール寮とシリウスの家。

 もはや守護呪文は効果を発揮しない。発揮すべき相手もいない。

 だがそれでもハリーが護られてきたというのは事実だ。

 これからどれだけの時が経とうとも、ハリーがあの家で育てられ、母やダンブルドアから守護されてきたことは変わらない。

 それをハリー自身が憎んでいるというのは、母が死の際に自分を預けた孤児院を大事に思うディズにしてみれば憎々しいものに見えた。

 

 一方でハリーにとって、スリザリンの生徒であり、自ら闇の魔法使いに従おうとしているディズは、マルフォイなどと同じ嫌悪すべき敵だ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

師弟の旅立ち

 大きな変革の序章から始まり、例年と同じか、それ以上の波乱のあった一年が終わった。

 ゲラート・グリンデルバルドの復活という報せはイギリス魔法界のみならずヨーロッパ全体に大きな波紋を広げた。

 特に彼の母校であり、彼による被害、信奉者が最も大きかったダームストロング専門学校では、その影響も大きかった。

 闇の魔法使いの帰還という最悪の事態を恐れたのか学校長であるイゴール・カルカロフが学校と生徒を放り出して失踪するという異常事態が発生したのだ。

 だが現在のところゲラート・グリンデルバルドの姿は確認されていない。無論のこと使徒・デュナミスの姿も確認されていない…………

 ダームストロングも、元々カルカロフの評判は悪かったのもあり、異常事態のわりには混乱は大きくはない。

 一見するとまだ魔法界は平穏を保っていた。

 様々な変化をその水面下に抱え込みながらも…………

 

 

 

 第86話 師弟の旅立ち

 

 

 

 咲耶にとっては4回目の、学年としては6年目の終業式。

 半期で留学を終えて魔法世界へと戻ったイズーやメルルたちアリアドネー組やダームストロングへと戻ったクラムたちはいないが、ダンブルドアは式の言葉としてそれについてもちらりと触れ、非魔法族についての見聞も広めるようにと訓示を行った。

 そして迎える夏休み。終業式は終わり、各々の寮で荷物を纏め終え、咲耶はハッフルパフの友人たち、そしてディズと共に校門を出ていた。

 

「今年の夏休み、サクヤはこっちに来れるの?」

「ううん。あの魔法開示のんがあるから、うちも色々と顔出さなあかんみたいなんよ。それに術の修行もあるし」

 

 今年もお泊り会をしようと思っていたのだろうフィリスの問いに、咲耶は残念そうに首を横に振った。

 

「そういやサクヤの家ってニホンの魔法協会のすげーとこなんだっけ」

 

 リーシャたちにとってあんまり関係ないというか意識していなかったことだが、そういった政治的なことに顔を出す必要がある家、というのは今更ながらに咲耶の家の立場を思い出させた。

 昨夏、こちらの世界の伝統魔法族に全世界的に発表された事案、魔法バラシ。それは今まで進められていた、そして今後進めていく計画の一部にすぎない。

 今後はさらに両世界、魔法族と非魔法族の協力が必要となる。

 軌道エレベーター“アメノミハシラ”のある日本はその中心的な役割を果たす国であり、その地にある関西、関東の呪術・魔法協会と関わりの深い近衛家の咲耶は、学生の身分とはいえ公的な場への顔出しが求められているのだ。

 それだけでなく、今までリオンと修行してきた陰陽術・治癒魔法についても実家で鍛練したいと考えていた。

 

「スプリングフィールド先生は?」

 

 クラリスが尋ねた。その質問に咲耶は少しだけ寂しそうに微笑を返した。

 

「リオンは調べものがあるから魔法世界に行って、ディズ君も修行を兼ねて一緒に行くんやって」

 

 ちらりと隣に立つ修行仲間、ディズを見上げた。

 纏め終えた荷物がその手にはあり、みんなでホグワーツ特急へと向かっているのだが、彼にとってこれは帰省であると同時に旅立ちの前日でもある。

 

「ああ、一応これが最後の帰省だからね。一度孤児院に戻って手続きをするんだけど、その後はマスターについて行くことになる」

 

 彼はこれから一度、自分を育ててくれたあの孤児院へと戻る。

 夏休みの度に戻っていた帰るべき“家”。

 だがそれも最後だ。

 イギリス魔法界では17歳で成年とみなされるのであり、ホグワーツではディズに限らず卒業までに成年となる。

 ディズもまた魔法使いの卵から大人の魔法使いへとなり、自立することとなる。

 

「そういえばうちも聞いてなかったんやけど魔法世界のどこらへんに行くん?」

「それは――」

「日本で修行するお前には、そいつがどこに行こうが関係あるまい」

「あ、リオ、ン……?」

 

 リオンの声に振り返ってみれば、赤毛の少年姿――リオールの状態のリオンがやや憮然としたような様子でいつの間にかやってきていた。

 ここにいるメンバーにはすでにバレていることだが、ホグワーツ特急に乗車するのにスプリングフィール先生の姿では周囲の視線が鬱陶しいからだろうか。

 

「クロスは魔法世界旅行か~。イズーたちに会ったらよろしく言っといてよ」

 

 お気楽といった調子のリーシャの言葉に、ディズは苦笑してちらりとリオンを見たが、彼から説明する気はなさそうだ。

 

「アリアドネーには行くかどうかは分からないけどね」

 

 今回のリオンの魔法世界行きに帯同するよう命令されたのは、一つにはリオンが対外的にディズの監督責任者になっており、自身が魔法世界で用事があるというのが理由だ。だがそれとは別に、ディズの修行を兼ねている以上、知人とのんびり会っているという余裕がある旅ではなさそうなことは、終業式までの修行の地獄具合から察しがついた。

 

「ボーズ。言っておくが、俺の時間はお前の修行だけに費やしているような暇はないぞ」

 

 校門を出て、クリスマスの戦いがあった広場を超え、徐々にホグワーツ城は遠ざかりつつある中、リオンはディズへと声をかけた。

 

「俺は俺でやることがある。お前が自分で強くならなければ、これがお前がこの城を見る最後の機会になるかもしれんぞ?」

「………………」

 

 師の言葉にディズは振り返り、これから後にする白亜の城を見上げた。

 

 

 ここから始まった……などという感慨を抱くのは間違いであろう。

 それよりも前、ダンブルドアが自分の前に訪れた時から魔法とのつながりを意識することになっていたのだし、それよりもさらに前から、自分の生はとうに始まっていた。

 彼自身の記憶にもない、面影すら覚えていない母があの孤児院の前に辿りついた時から…………

 

 それでも感慨を抱いて見上げてしまうのは、ここもまた大切な思い出がある場だからだろう。

 

 年下の、面倒を見るだけの子たちだけでなく、自分を崇拝染みた目で見る者だけでなく、友として接してくれた者と出会った場所。

 自分の道を見つけて踏み出した場所。

 師として頼む者に出会えた場所。

 

「戻ってきますよ…………あと一度」

 

 あと一度。

 最早この場所に戻る意味はないのかもしれない。

 この学び舎で“学業”を修めたところで、ゲラート・グリンデルバルドの孫である自分は魔法省に警戒されずにはいられないだろう。

 そちらで真っ当な職につくことはできない。

 だが世界はそれだけではない。

 だとするならば、ここに戻ってきて“勉強”する意味はない。

 だがそれでも、戻って来ようと思えるだけの場所になっている。

 

「…………なら、生きることだな」

 

 旅が始まる。

 向かう先は昨年も訪れた魔法世界。だが、今回の旅はあのような“お行儀のよい”ものではない。

 捜索と修行。

 ディズがこれからも生きていくための力を手に入れるための旅だ。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 日本。軌道エレベーター内部のとある一室。

 

「墓所の主…………」

 

 提出された報告書を読み返していたネギ・スプリングフィールドは、問題の名前を目にして無意識に呟いた。

 報告書は昨年の冬、イギリスにおいて姿を現した人物について。

 使徒2体を捕縛していたリオン・スプリングフィールドと敵対し、逃走した謎の魔法剣士。

 かの人物とはネギ自身、会ったことがある。裏火星における大崩壊事変の際に、僅かな時間だけだが話もした。

 あの時、あの人物は“コズモエンテレケイア”とかかわりを持ち、あの場所にいたのだが、どのような思惑からかネギたちに助力し、その後姿をくらました。

 “始まりの魔法使い”の復活や魔法世界の復元などいろいろなことがあったため、あの場ではその後の追跡をすることができなかったが、よもや世代を超えて再び敵対者として現れてくるとは予想外――というよりも油断していたといえるだろう。

 あの魔法剣士についてネギが知っていることは多くはない。だが、微かに見えたその容姿から、ネギ自身の母や、あるいは“黄昏の姫巫女”と何らかの関係があるのではと予想される程度だ。

 人物自体も問題だが、厄介なのはかの人物がリオンの魔法を苦も無く切り裂いたという現象の方だ。

 ――魔力完全無効化能力(マジックキャンセル)――

 その力の恐ろしさは、彼のパートナーである神楽坂明日菜の頼もしさからよくわかっているし、それ以外の理由でも大きな懸念材料となっている。

 黄昏の姫巫女の血統――ネギ自身にも流れる王家の血統だ。

 それは“始まりの魔法使い”と関わりのある血統ということでもあり、なればこそコズモエンテレケイアとかの人物が再び繋がっているのは、あの組織が何らかの計画が進行しているということを考えるのには十分すぎる問題だ。

 

 “始まりの魔法使い”は倒された。

 他でもないネギ自身と、彼の仲間たちの手によって。それは紛れもない事実だ。

 だがその具体的な顛末を知る者は限られている。

 

 報告書にはリオン・スプリングフィールドが調査を行う予定である、ということが記されておりネギは目を険しくした。

 

 リオン・スプリングフィールドを“始まりの魔法使い”の事案に就かせることの危険性。

 報告によれば組織自体はほぼ壊滅したが、最古の使徒・デュナミスとこちらの世界の魔法使いであるグリンデルバルドが使徒となって動いているという。

 そんな敵であれば、対処できる遣い手が限られているのは確かであり、リオン・スプリングフィールドがそれだけの魔法使いであることはネギも認めるところだ。

 ――――だが、違うのだ。

 リオンを“始まりの魔法使い”の件に近づけてはいけない。

 他らなぬ“彼”自身の願いのためにも。

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

【継がれる願い】

 

 

 

 

 関西呪術協会総本山。

 神社をも兼ねているそこは常から荘厳な雰囲気の漂う場であり、清浄な結界に覆われている神域でもある。

 だが今、その神域は常とは違う空気が漂っていた。

 

 集う者たちは一様に黒と白の格式ばった衣装で身を包み、普段会うことのない友人や知り合いと再会する貴重な場であってもバカ騒ぎのような雰囲気はない。

 

 周囲から訝しみの眼差しを向けられている少年――リオン・スプリングフィールドは今日の主役へと目を向けた。

 けれどもそこには主役はいない。

 たくさんの花と、祭壇と、何度か見たことのある頭部の突き出た禿げ頭の写真と、そして彼が納められた棺が置かれている。

 

 関西呪術協会の長の義父にして関東魔法協会理事長、麻帆良学園学園長。日本最強の魔法使いの一人である近衛近衛門――――その葬儀。

 長きにわたり日本の、そして旧世界の魔法界を支えてきた彼の葬儀には、まだこの世に出でて十年にも満たないリオンの知らない者たちが大勢弔問に訪れていた。

 政府高官、財閥の人間、多国籍企業の幹部。ほかにも、彼が学園長を勤めていた学園の生徒の中にはユニークかつ秀でた才能を開花させた者も多く、魔法世界の発明家や作家、某国の女王などまでやってきている。

 喪主を務めているのは近衛近衛門の義息子であり関西呪術協会の長、近衛詠春。

 ただそれらのいずれも、リオンにとってさしたる関心事ではない。

 喪主の娘である近衛木乃香は、言葉も碌に喋れない赤子を腕に抱いており、その赤子が見慣れない人の多さと雰囲気にあてられたのかぐずりだしたのを見て、リオンは場を後にした。 

 

 

 彼の母にとっても、来ている顔ぶれの肩書はさしたる関心事ではないらしく、少し前までは弟子や“友人”たちに話しかけられていたが、今は遠くからつまらなそうに一人佇んでいた。

 

「どうしたのですか――――母さん?」

「リオンか。いやなに。また知り合いが一人逝ったと思ってな」

 

 話しかけ、返ってきた言葉と母の顔からは彼女の思いは分からない。

 遠くを見ているようであり、どことなく――――寂しげに見えた。

 

「珍しくないのでは? 母さんは不老不死なのでしょう?」

 

 真祖の吸血鬼、童姿の闇の魔王。

 

「……ああ。もう何人もの死を見てきたし、死をもたらしてきた。死に慣れ過ぎるほどにな」

「…………」

 

 六世紀を越える時を生きた不死の魔法使いであり、その生の中では数多の人の死を見てきて、知った人間の死に添い、そして時に自らの力で人を殺してきたはずだ。

 

「あのジジイとは珍しく長い付き合いになったからな。もうヘボ碁に付き合わされることもないと思えば、そこそこには感慨もわくさ」

 

 ただ、どことなくその顔が寂しげに見えた。

 それは彼女が、あの学園に来てから変わってしまったがためなのか。

 “子”という今までにはない存在を紡ぎ、親としての自分をもってしまったがためなのか。

 

 “子”であるリオンには分からない。

 

「100歳を超えていたのでしょう? 人にしては長命だ」

「ああ。ひ孫を見るまでは死なんとかほざいてたが、まさか本当にひ孫を見てすぐにくたばるとはな」

 

 “子”の言葉にエヴァンジェリンは微かに笑みを浮かべた。

 悪態をつきながらのその顔は、今度こそ紛れもなく寂しげだった。

 

「親が死に、子が死に、孫が死ぬ。そうして命が紡がれていくのが本来の人の在り方なのさ」

「…………」

 

 人はかつて人間50年、などと謡っていた。

 科学技術、魔法技術が発達した今でさえ、大抵の人間の寿命は一世紀にも満たない。

 親が死に、子が死ぬ、それが人の在り方なのだとしたら、死ぬことのない身である彼女はどうなのだろう。

 

 吸血鬼の血を半分しか受けていない自分は、人に比べれば頑丈でも、おそらく真祖ほどの不死身度はない。

 ならばいつの日か、自分もこのような顔をこの人にさせてしまうのだろうか。

 自分の死を彼女の永い生の中に刻み付け、得たものを失うことを押し付けてしまうのだろうか。

 胸の裡に靄のようなものが立ち込めた。

 

 せめて自分だけは彼女にそんな思いを背負わせたくない。

 せめて自分だけは、彼女よりも先に死ぬわけにはいかない。

 

 そのためには――――――――

 

 

 

 

 

 人のはけていく中、母をこっそりと撒いたリオンは一人の魔法使いに話しかけた。

 

「ネギ・スプリングフィールド」

「リオン君。珍しいですね。僕に話しかけてくるなんて」

 

 ネギ・スプリングフィールド。

 母の弟子であり、彼の父親であるという噂のある人物であり、現代最強・最高の魔法使い。そして――――

 

「聞きたいことがある」

 

 “闇の魔法”の唯一の継承者。人を越え、不死の道へと足を踏み入れた魔法使い。

 最高の魔法使いである彼ならば答えられるかもしれない。

 

「何ですか?」

 

 少し驚いた顔をしていたネギ・スプリングフィールドは、その驚きを押し隠したような平静なそぶりで質問を促した。

 

 魔法使いの中で、おそらく最も可能なことが多いであろう魔法使いに質問を許可され――――しかしリオンは、直前まで問おうとしていた意志を逡巡させた。

 

 何を問えばいいのか。

 何が自分の望みなのか。

 

 望みは、知りたいことは一つ。

 

「不死を、終わらせる方法を知っているか?」

 

 終わらぬ生を終わらせる術を。

 

「! ……それは、マスターのことですか?」

「……ああ」

 

 最高の魔法使いの驚いたような顔。

 少年の質問は、願いは――――彼が叶えてはいけない望みなのだから。

 

「マスターは君のお母さんですよ」

 

 ネギ・スプリングフィールドは顔を険しくしてリオンを睨み付けた。

 彼にとっても、彼の母、エヴァンジェリン・AK・マクダウェルは師であり、失いたくない女性の一人なのだから。

 

「ああ。だからこそだ」

「どういうことですか?」

 

 だがリオンは挑むように応えた。

 

「……親が死に、子が死に、孫が死ぬ。それが人としての真っ当な死に方なのだろう?」

「それは…………」

 

 母自身が言った、“人”の世の真っ当な在り方。

 そしてエヴァンジェリン(真祖の吸血鬼)が望むべくもない平穏な終わり方であり、当の本人が遥か昔に捨ててしまった望み。

 

「俺は自分の死をあの人に見てもらいたくはない。あの人には、人として真っ当に生を終えて欲しい」

 

 決して“母”を殺したいわけではない。だが自分の死で、あの人に悲しみを抱かせたくはない。

 そして何もしなければ自分よりも真祖の吸血鬼であるあの人が長命であり、自分の死をあの人が看取ることになるのは決定された事項だろう。

 

 だからそれを変えたい。 

 

「…………残念ですけど。マスターの不死は造物主によって与えられた真祖としての不死です。僕ではどうすることもできません」

「そう、か…………」

 

 例え、その望みが―――――母を殺すことと同義であろうとも………………

 

 

 人の生の終わりである葬儀の中、

 人の始まりを告げるかのような赤子の泣き声が、道を踏み始めた少年の耳に届いた。

 

 今はまだ知らない。

 その泣き声が――その少女こそが、鍵となるということを。

 

 

 

 

 






ようやく第4章が終わりました。
物語のキーとなるものもほぼ出し終えたので後は収束していき、いよいよ次章、第5章が最終章となります。

ネギまのアフターストーリーが描きたいという思いから始めた本作ですが、開始後すぐにUQ holderでネギまの続編が出てしまい慌てたりもしましたが、かなり後の世代の話だったのでそこにつながるまでの平行世界の話という形で最後まで行きたいと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5章
ディズ・クロスの敗北


最終章、突入です。




 パチパチと弾ける音が聞こえてきた。

 

「……? ぐっ…………!」

 

 寝ている状態から身を起こそうとしたディズは、しかし激痛によってそれを断念させられた。

 周囲は暗く、今の時間は夜なのだということは分かる。ただ完全な暗闇ではなく仄明るい光源が灯っていた。

 ただ意識に靄がかかったように頭が重く、指を動かすのでさえ錆びついたブリキを動かしているようなぎこちなさが感じられた。

 現状が理解できない。

 

「目が覚めたか」

 

 声が聞こえてきて、そちらに目を向けると、たき火の向こうに見覚えのある魔法使い――師匠であるマスター・リオンが座っていた。

 周囲は岩場のようであり、人工的な建物は見られない。

 

「ここは……? ぐっ、つぅ!」

 

 首を巡らし、今度は身体を捻って起き上がろうとしたディズだが、僅かでも体を動かすとこの激痛は起こってしまうらしい。

 

「一応は治癒魔法をかけておいてやったが、元々俺は治癒魔法が苦手だからな。無理に動くと死ぬぞ」

「治癒?」

 

 自分が意識を失う前の出来事がぼやけており、体の現状を確認しようにも満足にそれすらもできない。

 何があったのかを思い出すことだけが現在ディズにできることであり――――不意に自身の体から吹き上がる鮮血の光景を思い出した。

 

「…………俺は、負けた……のですか?」

 

 この世界に来て、最初の実戦。左頬から右脇腹にかけて、深く切りつけられて吹き上がった血。そこから先は覚えていないが、おそらく自分は負けたのだろう。

 

 襲い掛かってきたあの亜人との戦いに…………

 

 

 

 第87話 ディズ・クロスの敗北

 

 

 

 周囲の景色は見渡す限り砂と岩。荒野の大地と呼ぶのにふさわしい光景がディズの前に広がっており、彼は師であるリオンとともにその中を走っていた。

 魔力による身体強化を施した状態での全力疾走。その速度は瞬動術、とまではいかなくとも非魔法族のトップアスリートの走力を楽に超える速度であり、魔力消費による精神力の消耗も体力の消耗もそこそこきている。

 それに対して少し前を行くリオンは同等以上の速度で走っているにもかかわらず涼しい表情のままで大して疲労も消耗もしていないように見えた。

 

「マスター。ここはどこなんでしょうか?」

 

 魔法世界を訪れたのはこれで2度目。だが今回は前回と違い、ウェールズのゲートは使用しなかった。

 マスター・リオンの指示するままにイギリスから飛行機でニホンへ、そしてどこかの都市のゲートを使って魔法世界へと転移した後、前回とは違う船に乗って暗い海中のようなところをさらに移動。

 ようやく辿り着いたのが、この砂礫の大地に囲まれた街であり、現在はそこから出て荒野を疾走している最中だ。

 消耗もきついが、よくわからない場所をよくわからないままどこまで走ればいいのかも分からずにかけ続けるのは精神的につらい。せめてなんらかの情報をと尋ねてみると、リオンは後ろのディズを振り返らずに答えてくれた。

 

「“ベルト”と呼ばれているところだ」

 

 ただし返ってきた答えは、当然と言えば当然だがまったく知らない場所の名前。

 

「ベルト、ですか。魔法世界とはまた違う……?」

「魔法世界には違いないがムンドゥス・マギクスとはまた別の異界だ。向こうと違ってこっちは開拓地だらけだからな。賞金稼ぎやら無法者が流れてきてる。気を抜いてると生き残れんぞ」

 

 魔法世界――ムンドゥス・マギクス。

 昨年訪れたのは魔法世界の中でも大都市に分類される治安のいい街ばかりだったということや、しっかりとした護衛がついていたこともあって危険はなく帰還できた。

 だが今回はそうはいかない。

 “ベルト”と呼ばれるそこは昨年訪れたメガロやヘラス、アリアドネー、オスティアのどれとも違っていた。しかも開拓地という言葉と、周囲の景色を見るにどう考えても治安がいいとは思えない。

 

「目的地まではどれくらいあるんですか?」

「さあな」 

 

 せめてどれくらい走り続けるのかと尋ねた質問には、そっけない返事が返ってきた。

 

「探索任務だ。強いて言えば目標が見つかるか、こうしてうろついて怪しい反応がでてくるかするまでだな」

「………………」

 

 今回の旅はディズの修行を目的としたものというよりも、師匠の用事のついでに修行をつけてもらうというのだから、そこに文句をつける権利はディズにはない。

 探索、というのが何を探しているかまでは分からないが、おそらく人か生き物であろう。

 予想できるのは、昨年ホグワーツに襲来した使徒たち、というのが有力な候補ではある。

 

 ひとまずディズはこれも修行という風に捉え、リオンの後を離されないように懸命に追いかけた。――――実際、これほどの身体強化を持続させているのはキツイ。

 

「とりあえずはここら辺を仕切ってるやつのところに向かってるが…………」 

 

 走りながらちらりと視線をディズの背後に向けたリオンは目を細めて顔を険しくした。

 

「マスター?」

「……そろそろか。向こうに岩場が見えるな?」

「? はい」

 

 何がちょうどいいのか。やや不穏な気配を感じながらもディズは促された方向を見て、岩に区切られた一角があることを認めた。

 

「あそこで一旦止まるぞ」

 

 はい、とディズが首肯する前にリオンは縮地を使って一瞬で駆け、ディズが反応する前に岩場へと跳んでいた。

 ディズもまた足に魔力を集中させ、ギュッと解放するとともに一気に跳躍し瞬動術でその後を追った。

 

 

 

 岩場にたどり着いたディズは、ようやく走ることを止めての休息に大きく息を吐いて呼吸を整えた。

 走り始めてどれくらいの時間がたったのか、日の昇り具合で確かめることはできそうにない。というのも空を見上げるとそこには一つの太陽、青い空に白い雲――なんてありふれた景色は広がっておらず、どう見ても岩や島にしか見えないものがあちこちに浮かんでいるのだ。

 太陽も知っているよりもずっと小さい大きさしかないように見える。

 とりあえず時間をはかることを諦めたディズは師匠へと疑問をぶつけることにした。

 

「どうしたんですか?」

 

 疲労の見えるディズへの休息のため、などという優しい理由からこの休息時間が設けられているのではないことくらいは分かる。

 

「くるぞ」

「? ……ッ!」

 

 答えはリオンからの返答よりも明確に上空から飛来してきていた。

 上空から五十を超えるほどの光の筋が飛来し、二人の頭上へと振ってきたのだ。

 

魔法の矢(サギタマギカ)!?」

 

 ディズは咄嗟に杖を引き抜き、リオンは片手をすぅと掲げて魔法障壁を強め、着弾して爆ぜる魔法の矢を防いだ。

 面制圧攻撃ではなく、ピンポイント爆撃のように続く魔法の矢を障壁で防ぐディズは、その矢の一本一本に込められている魔力の多さに呻きながらもなんとかその矢の雨を防ぎ切った。

 

「っ、ぐっ! 敵っ…………!?」 

 

 ようやく魔法の矢による爆撃が終わった時、周囲には着弾の砂煙が立ち込めており、視界がけぶる中、超感覚魔法で視界を補って周囲の状況を確認した。

 当然だが師匠はまったくの無傷で平然と立っており、それとは別、岩山に立つ襲撃者が一人いた。

 

「リオン・スプリングフィールドとお見受けする!!!!」 

 

 はたしてそいつが師匠が捜索しているという対象なのかはディズには分からないが、襲撃者と思しき男は岩山の上で大音声を上げた。

 はためくローブの中に見える体躯はがっしりとしており、ハグリッドほどではないがかなりの巨躯。一瞥するに魔法使いといよりも戦士という表現が似合いそうな男だ。

 

「魔法世界に悪名高き“福音の御子”よ! 決闘を所望する!! かの“闇の福音”の唯一の後継と噂される魔法使い! 貴様の首を挙げればベルトにおいても俺の名は轟くことになるだろう!」

 

 どうやら男の目的はリオンただ一人らしく――とはいえこの場に居る以上ディズに対しても注意の幾割かを割いてはいるが――持っている剣をリオンへとつきつけている。

 先程の攻撃を考えるに、魔法の矢はリオンが最初に教えた基礎攻撃魔法ではあるが、奇襲となる程に離れた距離から百を超える数をピンポイントで撃ってきた腕前、最強クラスであると言われるリオンを相手に挑んでくる自信。それらを考えると相手はかなりの遣い手なのだろう。

 

 リオン・マクダウェル・スプリングフィールド。

 英雄と怪物の名を冠する出自不明の魔法使い。

 その力は魔法世界において広く知られるほどに強力で、どちらの名前も多くの者に畏怖と警戒とを与え、そして倒すだけの価値あるものとみなさせることができるのだろう。

 男の目的は強敵と戦うという喜びのためか、名のある魔法使いであるリオンを倒すための功名心がゆえか、

 

「いずれ誰もが知ることになる俺の名は――――」

 

 男は大見得を切るようにばさりとローブを落とし、

 

 

「―――――――ノン ♡ タン !!!」

 

 

 聞いてもいないのに大見得きってその名を宣言した。

 異形の様相。肌の色は魔法世界独特なのか灰色がかっかており、瞳も人ではありえない色で輝いており、ヒューマンではなく亜人であることが分かる。

 

「………………」「………………」

「さあっ! 臆したのでなくば決闘を受けよっ!!」

 

 名前と外見があっていない。

 ディズはちらりと視線を男からリオンへとうつした。

 リオンは目を細めてノン♡タンなる男を見ており、その顔が奇妙に平坦に見えるのは感情を殺しているからだろうか。

 

「思ったよりもバカがかかったがまあいい」

 

 リオンははぁとため息をついてぽつりと漏らした。その言葉はおそらくノン♡タンなる男には聞こえなかったであろうが、ディズには聞こえた。

 ディズが訝しげに視線を向けるが、リオンはその視線を無視したてノン♡タンへと返答した。

 

「決闘は別にいいが、一々雑魚の相手をするのも面倒だな…………ふむ、おお、そうだな。ここにいる俺の弟子に勝てたら、相手をしてやろう」

「マスター、なにを……?」「なにっ!?」

 

 随分とわざとらしくけしかけるリオンにディズは訝しみを深め、ノン♡タンは真に受けたのか強烈な視線をディズへと向けた。

 

「お前の相手だ、ボーズ」

「気づいていましたね、マスター」

 

 口元に笑みを浮かべたリオンが顎で男を示しているところからするに、どうやら本当にディズがあの男の相手をするらしい。というよりもわざわざ休憩をとったのもあの男が仕掛けてきやすいようにしたのが理由だろう。

 ノン♡タンも本命(リオン)の前に、その弟子なる人物をかたずけるのは吝かではないのか、岩山から跳び下りた。

 

「お前は魔法世界の遣い手と交戦経験がないからな。丁度いい実戦の機会だ。殺す気で行けよ。あの男、見たところ本気だ。甘く見るとすぐに死ぬぞ」

 

 弟子に襲撃者を押し付けた師匠は、決闘の場をあけるためにか短い距離をひゅんっと移動した。

 ディズはあらためて男を観察した。ハグリッドほどには大きくはない体躯は、しかし今まで見たどのような魔法使いよりも格闘戦に向いていそうなほど筋肉が盛り上がっている。

 おそらく最初に“ベルト”に転移してやってきた街からここまでのどこかから、あの男につけられていたのだろう。

 ディズにはそれがどこからだったのかは分からない。

 走っている時であればそちらに注力しすぎていたからだが、街からつけられていたとしたら、抜けているにもほどがある。あるいは、それにも気づかないほどに、相手とディズの間には実力差があるのか。

 何も知らなければ、筋骨隆々とした体躯から接近戦を得意とするタイプとみなして遠距離からの攻撃に終始したいところだが、最初に受けた魔法の矢による奇襲攻撃を考えるに、魔法使いとしての実力も一級品なのだろう。

 

「子供よ! 福音の御子の弟子というのは本当か」

 

 ディズの瞬動術で一足飛びにできる距離、そのわずかに外側にまで近づいた男は確認の問いかけをした。

 ディズは答えの代わりに杖を構え、身体強化と障壁の強化を行って戦闘準備を行った。

 それだけで十分だった。

 

「ならば仕方あるまい。俺の名はノン♡タン! きたる宇宙開拓時代に先駆けてこの名を高めるため! 貴様に私怨はないが、このノン♡タンが福音の御子を倒す前の前座となってもらう!!」

 

 なんかやたらとヘンテコな名前を強調したがっているのには意味があるのかないのか…………よほど功名心が強いのか。

 男の周囲から砂が宙に浮きあがり、さらさらと形を変えて幾本もの刃へと変わった。

 

 宙に浮く砂の刃がディズに襲い掛かるのと同時、ディズは左腕を振るって杖先から閃光を放った。

 

 

 

 魔法世界の住人との初めての戦い。 

 模擬戦闘ではなく、本当の戦い。

 伝統魔法族とは幾度か経験したことはあるために、今更脚が震えて身が縮こまるということもないが、相手の戦い方は今までのモノとは全く違っていた。

 浮き上がる砂の刃は次々にディズへと襲い掛かり、あるいはその刃をもった男が直接薙いできた。

 

 魔法戦士――――魔法と近接術の融合、それはディズが取り込もうとしていた戦術であり、ディズにとって交戦したことのない相手。

 トム・リドルの記憶は純魔法使いとしての戦い方、あるいは蛇をけしかけることしかしなかった。

 死喰い人、ソーフィン・ロウルは大柄な体躯こそあったが、近接術をマグルが行う野蛮なやり方と見下し、忌避していた。

 それらとは違う初めての経験。魔法使いとしてではなく、魔法を使う戦士として襲い掛かってくる相手。

 その相手の瞬動術は明らかにディズのものよりも上で、身のこなしも速度も圧倒的に相手が上。砂の刃を操作しながら自身でも振るってくる技量も高い。

 だがそれでもディズはそれらに反応することができていた。

 近接戦闘は茶々丸´の苛烈な攻撃。放たれる魔法は師匠が繰り出してくる容赦なく降り注ぐ攻撃。

 これまで散々に鍛えられた経験が、今ここでも活きている。

 瞬動術はまだ隙が多いが、自身の攻撃特性が最も活きる中距離を保ち、技の多彩さと出の早さに勝る伝統魔法で攻撃を防ぎ、隙を埋め、相手の攻撃の鋭さに対しては反応と判断の早さによって伝統魔法、精霊魔法の最適解を当てることによって対抗する。

 

 ディズの魔力は、一般の魔法使いに比べれば多いが、サクヤ・コノエはもとよりリオン・スプリングフィールドよりも圧倒的に少ない。

 彼ほど頑強な魔法障壁は張れないし、山を消し飛ばすような出力の魔法は放てない。

 だが彼らと違い、ホグワーツにて50年に一度の天才と言われるほどに――ダンブルドアに匹敵するほどの伝統魔法の才がある。

 

「なかなかだな、若造」

 

 詰め切れない距離。押し切れない攻防に襲撃者はディズの力量を見誤っていたことを認めた。

 目の前に立つ魔法使い――リオン・スプリングフィールドの弟子とやらは単なる子供ではなく、力持つ魔法使いだ。

 

 

 ――やれる。俺の力は、こちらの魔法使い相手でも十分に通用する――

 

 押し切れない展開はディズにとっても同様だが、ディズは自身の必殺技を放つタイミングを見計らっていた。

 半純血プリンスのオリジナルスペル“セクタムセンプラ”。

 その呪文とディズが出会ったのは偶然だった。

 孤児院出身であるディズは新品の教科書を買うことができず、学校に寄贈されている教科書を借り受けて勉学を行っていた。

 その中の一冊、予習のためにと借り受けた古い魔法薬学の教科書に、その呪文は記されていた。

 半純血のプリンスとやらが誰だかは知らないし、興味もない。

 だがどうやらその人物はかなり魔法薬学や、呪文の考案に造詣が深かったらしく、教科書にはセクタムセンプラ以外にも多くのオリジナルスペルが記され、魔法薬学の注釈もページが真っ黒になるほどに書き込まれていた。

 

 魔法戦闘において非常に役立つ魔法であるセクタムセンプラ。

 だが訓練において師匠に通用したことはない。

 彼には強固な魔法障壁が存在するからだ。それにまともに撃ってもまず当たることもほとんどない。

 彼のような遣い手に当てるためには、当てるための状況を作ること、そして障壁破りの手順が必要となるのだ。

 

 セクタムセンプラには残念ながら障壁突破の効果はない。

 だからこそ能力を付加するか、あるいは障壁自体を破壊する必要がある。

 ノン♡タンの魔法障壁も、師匠程ではないがかなり強い。だが割合としては身体強化に割いている割合の方が多いらしく、師匠の障壁ならばいざ知らず、この敵の障壁を破ることはそう難しくないとディズは視ていた

 

 ディズは攻防を行いながらさらに障壁破壊の魔法を構築していた。

 

 しかし

 

「だが――――まだ青いっ!!」

「ッ!」

 

 突如足元の砂が螺旋を描いて一気に舞い上がりディズの視界を消し、同時に高速で舞う砂礫がディズの体を打ち、集中を奪わんとする。

 視界を奪った以上、勝負を決める気であろう、相手が撃ってくる手は――

 

 ――接敵! 超感覚魔法を強化!!――

 

 相手の土俵である接近戦。

 ディズは超感覚魔法の出力をあげて視界によらぬ対応に切り替えた。

 向こうは視界を奪ったと思って接近してくる。その距離はディズにとって相手の魔法障壁を破るための好機でもある。

 

 

 ――捉えたっ!!!――

 

「むっ!!?」

 

 嵐砂を破り接近し、大剣を振りかぶっていた相手の動きを捉え、振り下ろされた剣を躱すと同時に構築していた障壁破りを起動。

 硝子が砕けるように身を覆っていた障壁が砕けるのを感じたノン♡タンの顔色が変わった。

 

 ――無詠唱魔法っ!!!――

 

 ディズはこの機を逃さず右手に無詠唱のサギタマギカを込めて掌で触れて零距離で放とうとし―――――

 

「なっ!!!!??」

 

 次の瞬間、ディズの体から血が噴き出した。

 

 ――斬られた? 躱したはずなのに?――

 

 左頬から右の脇腹にかけて。

 噴水のように鮮血が吹き上がり、ディズは信じられないように目を見開いた。

 

「残念だったな若造。この俺、ノン♡タンの前に立つには、5年早かったな」

 

 体の力が一気に抜け、足元に生じた血だまりに膝が落ちる。

 

「なん、―――――」

 

 何を受けたのか、それを見極めることもできなかった。

 視界が暗く閉じていき、意識が闇に呑まれて沈んでいく。

 

 

 魔法世界最初の戦いは――――相手との本当の力量差すら分からずに敗北するという形で終わった。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

「ド派手に血を吹き上がらせてハラワタぶちまけかけてたんだ。文句のつけようのない負けっぷりだったな」

 

 どうやら一命はとりとめたらしい。

 治療を施されてはいるが、師匠は治癒魔法が苦手だという自己申告通り、完全には治っておらず、傷口は熱を持ち、ずくずくとした痛みは間断なく続いている。

 ディズは体を起こすことを諦めて目だけを動かして周囲を再確認した。

 

 一応たき火で明るくはあるが、少し離れた所は暗すぎてここが先程まで居た場所かどうかは確信がもてない。

 師匠があの後、あの襲撃者と戦ったとしたら、地形が変わっていたとしてもおかしくはないのだから。

 

「あの男は……?」

 

 分からないので、率直に尋ねた。

 師匠が負けたとは思わない。

 信頼があるから、というよりも単純に師匠の旅装には元から以上の汚れも攻撃を受けた様子もないからだ。

 

「お前が無様に負けたからな。俺が適当にあしらっておいた」

「あしらって……?」

「ああ。多少傷は負わせた程度だったからな。また来るだろう」

「…………」

 

 ただ、予想よりもあの相手と師匠の間には圧倒的な差があったらしい。

 それはディズにとっては期待通りであり、同時に自身の未熟さ、非力さを一層教えるものであった。

 

「あの男…………マスターから見るとどのくらいの強さなんですか?」

 

 五分に、そこまでいかなくともまともに戦えていたと思っていた。

 だが、おそらく実際には相手はただこちらの力量を確かめる程度の力しか出しておらず、ただ仕留めるときにだけ本気を出したのだろう。

 もっとも、それがどの程度の本気だったのかすら、ディズには分からない。

 

「雑魚は雑魚だが……ぎりぎりAAクラス、いわゆる達人クラスってところだな」

 

 AAクラス。

 戦闘力で見れば、ダンブルドア校長がAAの上位からAAAクラスであり、一般的な魔法学校職員のレベルがAクラス、ということを考えるとありふれたレベルではないが、決して数少ない遣い手というわけでもないのだろう。

 なによりも魔法世界に来て早々に襲い掛かってきたのだ。

 

「ここには、ああいうやつが大勢いるのですか?」

「開拓地といったはずだ。賞金首みたいなならず者やそれらが目当ての賞金稼ぎ。一攫千金狙いの冒険者、ここはそういうやつらが流入している場所だ」

 

 昨年の夏休みの研修旅行で見た光景が魔法世界の全てだとは思ってはいない。イギリス一国に留まっているよりも世界ははるかに広く、そして今もなお広がっているのだ。

 これからもあのレベルに遭遇しないという保証はなく、リオンが雑魚、と言ったからにはドンドンと出てくるレベルなのだろう。

 あのレベル相手に瀕死の重傷を負った、ということはディズ一人では到底この魔法世界を生きていくことはできないと証明したともとれた。

 

「あの男は……目的の相手ではなかったんですね」

「まあな。あれは俺の首を狙ってきた武芸者か賞金稼ぎか……一応俺の賞金は凍結したはずなんだがな」

 

 そういえばこの人は魔法界の軍隊ともやり合ったという話を聞いたことをふと思い出した。聞いた時は半信半疑であったが、おそらくは事実なのだろう。

 魔法省から危険視されている自分と同様――いや、実際にこうして襲撃者が居る以上自分よりもさらに過酷な生き方をしてきたのだろう。

 生きていくために力を身につけることを迫られる。

 望む、望まざるとに関わらず。

 

 それはディズに歩んでいくことになる道とて同じだ。

 ダンブルドアはともかく、イギリス魔法省はゲラート・グリンデルバルドの血縁である自分を野放しにはしておかないだろう。

 ダンブルドアの庇護下である学校を出れば、その先に待っているのは自分を偉大なる闇の魔法使いの再来として“闇”に引き込もうとする闇の魔法使いの歓迎か、混乱を収めようとする“正義の魔法使い”たちによる排斥か。

 どちらの道もディズ本人の意に沿うものではなく、道としても過去にしか向いていない。

 だが力を身につけなければ、自ら道を切り開かなければ閉ざされてしまう道が自分の前には延びている。

 そして今の自分には魔法族と非魔法族の安定に関わる程の力も立場もない。

 

「実戦は百度の練習にも勝る。当面の目標は最低限あのレベルを自力でなんとかできるようになることだな。もっとも、出来なければ今度は死ぬだろうがな」

 

 AAクラス以上の遣い手。

 それは望むところであり、あのダンブルドアやグリンデルバルド、そしておそらくはヴォルデモートがそのクラスの魔法使いであるのだから、ディズ自身にとっても超えるべき目標だ。

 

 とはいえ今は休むことしかできそうにないのが現状だ。

 まだ傷口が完治していないこともあり、徐々に睡魔がディズの頭を再び侵しはじめていた。

 

「マスター、もう一つ聞いていいですか?」

 

 ただ、この機会に聞いておきたいことはあった。

 一つではなく、いくつも聞きたいことはあった。だが、今の朦朧としつつある状態では一つが限界。

 リオンは否定を返さず、質問を受け付けるように視線を返した。

 

 

「なんで、俺を弟子にしてくれたんですか?」

 

 以前から聞きたかったこと。

 彼を弟子にとったその目的だ。

 

 初めて彼の戦い方を見たとき。

 この人の持つ力を知りたいと思った。

 全てを打ち砕き、凌駕する力。

 自分の知っている魔法とは違う種類だからこそ、余計に印象づいたという面もあったかもしれないが、時が経つにつれ、ディズは自身の目が間違いではないことの確信を深めていった。

 だから弟子として認められた、というのは望ましい事ではある。

 だがこの人にとって、それが何の益となったのかは分からない。

 

 この人は何かの目的のために全てを懸けている、そんな人であることは薄々察することができた。もとより、語る気がないだけで殊更隠してはいないのだろう。

 

 だから分からない。

 サクヤがこの人の目的のために、何らかの役割をもっていることは分かる。

 ならば自分は?

 一体どのような歯車の中に組み込もうとしているのか、そもそもそんな気があるのか。父親と名乗ったあの魔法使い(ソーフィン・ロウル)とは違いまるで見えてこなかった。

 

「お前が…………」

 

 リオンは言葉を答えかけ、考え込むようにして言葉をきった。

 そして

 

「いや。お前が俺とまともにやりあえるような魔法使いになったら、教えてやる」

 

 今はまだ知る必要がない。

 まだ弱く、卵でしかない魔法使いに語る意味はない。

 

 反発し、追求する言葉の代わりに、ディズの意識は再び睡魔の中に呑まれていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ハリー・ポッターのお引越し

 夏休み。それは生き残った少年“ハリー・ポッター”にとって一年で最も嫌いな期間だった。

 普通の学生とは異なることにハリーは学校にいることが好きだったのだ。

 魔法に囲まれた生活。親しい親友、ユーモアあふれる友人、気になる女の子。毛嫌いしているヤツらや厳しい先生たちも居るが、それでもハリーの家であったダーズリー家にいるのとは比べ物にならない。

 だが、それも去年までの話だ。

 ホグワーツ特急に乗ってダーズリー家に戻ったハリーは、いつもであれば早くても数週間後にウィーズリー家が招待してくれるのを心待ちにしていたが、今年は違う。

 帰宅後早々に、ハリーはあることを叔父であるバーノンに告げた。

 

 ――この家を出る――

 

 “普通”であることを金科玉条のように唱えるバーノンからすれば、魔法などというものにどっぷり漬かっているハリーはできるのならばさっさと出て行ってもらいたい。だが未成年の子供を放り出したと近所に知られれば、それこそ“普通じゃない”と見なされてしまうし、ハリー自身がどこでなにをするか分からないというのも恐怖だ。

 だがバーノンの恐怖は二つの意味で的が外れていた。

 その内の一つをハリーは告げた。

 すなわちハリーの名付け親である後見人がハリーと一緒に住みたいと言ってくれており、引き取ることを約束してくれているのだ。

 その後見人――シリウスからの手紙を見せたこともあって、説得は実に“すんなり”といくこととなった。

 

 ちなみにもう一つの意味。

 魔法が“普通”とは異なるものではなくなるということ――魔法バラシに関しては告げたところで無意味であり、かえって恐慌を招くだけであっただろう。

 

 ともあれハリーはダーズリー家という監獄から解放された。

 亡き父の親友であり、ハリーを心底愛してくれているおじさんとの生活。それは心躍る希望に満ちた日常となるであろう。

 そう。

 例えその第一仕事がお化け屋敷のようなブラック邸からの引っ越しの手伝いだったとしても…………

 

「穢らわしいクズども! 塵芥の輩! 雑種、異形、出来損ないどもめっ!! ここから立ち去れっ!! 我が祖先の館をよくも汚してくれたなっ!!!」

 

 家に居る者の鼓膜を破るのに挑戦しているかのような絶叫が轟いていた。

 

「黙れ、この鬼婆っ!! 黙るんだッ!!」

「血を裏切る者よっ! 忌まわしき我が骨肉の恥めっ!!!」

「アズカバン帰りが騒いでいる……おかわいそうな奥様の宝を次々に捨てて」

「だーまーれッッ!!!」

 

 壁に貼り付けられた老女の肖像画と張り合うように怒声を上げているシリウス、そしてぶつくさと文句を垂れ流している屋敷しもべ妖精。

 シリウスは屋敷しもべ妖精を追い出してから杖を振って肖像画に失神術をかけてなんとか肖像画を黙らせようと奮戦し、ルーピンは友に加勢するために杖を引き抜いて呪文を放っている。

 

「くそっ! 愛しのお母上は最後まで煩わせてくれる」

 

 シリウス・ブラックが彼の母であるブラック夫人――ヴァルブルガ・ブラックの肖像画に向けて悪態をついていた。

 

 

 

 第88話 ハリー・ポッターのお引越し

 

 

 

 かつての純血の名家、ブラック家の屋敷は往時の面影を残しつつもここに住み続けるためには相当の精神力を試されるようなお化け屋敷となっていた。

 記録として残る正式な当主であるオリオン・ブラックもその夫人であるヴァルブルガ・ブラックもすでに亡く、家系図に記されるその“唯一の”息子であるレギュラスも行方不明、家系図から抹消されたもう一人の息子であったシリウスは成年になる前からブラック家を出奔し、一年と少し前まで10年以上にわたって監獄に収監されていたのだから、屋敷は無人も“同然”で、荒れ果てていた。

 一応この一年、屋敷を人の住める環境に整える時間はあったはずなのだが、どうもシリウスはこの屋敷をとっとと売り払ってしまいたいらしく、裁判やハリーとの新住居を探すなどの忙しさにかまけて最低限しか行わなかったらしい。

 もっとも片付けられることに頑強に抵抗する屋敷を見るにシリウス一人では数年がかりでも片付けは終わらなかっただろう。おまけに屋敷を掃除してくれるはずの屋敷しもべ妖精はぶつくさと文句を垂れて反抗的な目を向け、ごみ袋に入れた物を漁って持っていってしまう始末。

 

 冤罪事件の後始末の目処がつき、移住する新居が決まった今年の夏、ハリーはシリウスの旧宅を片付ける手伝いをしにきていた。そこにはシリウスの友人であるルーピンやブラック家の家紋の入った由緒正しいガラクタゴミを廃品回収しに来たマンダンガス・フレッチャー、ハリーの友人であるロンやハーマイオニーの姿もあった。

 

 ハリーやロンたちは純銀製の高そうな品やそのほかシリウスにゴミと判断されたほとんどの品物をゴミ袋に詰めて行き(ちなみにそれらはマンダンガスがどこかに持って行った)、ルーピンとシリウスは屋敷に残っていたら不味いモノ(ドクシー妖精の巣になっているカーテンやボガード入りの机など)を始末していた。

 ブラック家の家紋の入った純銀製の品々や、曰くありそうな絵画や絨毯、大鍋などなど、しかるべきところに出せばひと財産楽に築けそうな物をごみとして扱っているシリウスは、それだけこの屋敷と、ブラック家という一族に嫌悪を抱いているのだろうか。

 

 あまりにも物を捨てすぎるシリウスに、ハリーは今後の生活費について尋ねたかったが、一つでもブラック家の縁の品を捨てようとするシリウスに尋ねることはできず、かすかに不安を募らせた。

 だが、見かねたルーピンがこっそり教えてくれたところによると、昔シリウスを援助してくれた叔父さんの財産と、冤罪事件による賠償などがしっかりとあるとのことだ。

 それにいざとなればハリー自身にも両親が残してくれた遺産がグリンゴッツの金庫に山のように保管されている。

 ハリーにとって大事なのは、父さんの親友であり、自身に対しても愛情を注いでくれるこの名付け親のおじさんとこれから一緒に暮らしていけるということだった。

 それを思えばこれから先の生活は、楽しみに溢れていたし、ぽんぽんと威勢よく物を捨てる作業も慣れてくれば爽快なものに思えてくるのだった。

 

 

 ブラック邸に一人の来客者が訪れたのは、慌ただしさも徐々に収束に向かいつつあったころだった。

 

「随分とすっきりしたものじゃの、シリウス」

 

 白髪の髪と豊かな髭、古式ゆかしい魔法使い然とした魔法使い。ホグワーツ魔法魔術学校の学校長、アルバス・ダンブルドアだ。

 シリウスたちは荷造りと掃除の手を止めてダイニングに集まり、もてなしをかねた休憩をとった。

 

「マンダンガスが随分とほくほくとした顔をしておったぞ」

「先祖が代々溜め込んでいたゴミを片づけるのに随分と助かっていますよ」 

 

 ダンブルドアはいつものお茶目けある顔つきで、先祖代々の品物を思い切りよく物を捨てすぎなシリウスに愉快そうに言うが、シリウスはまったくそれらに価値を見出していないようなそぶりで、ルーピンやハリーに肩を竦めてジェスチャーした。

 

「それでダンブルドア。今日いらしたのはどういった要件なのですか。引っ越しの手伝いならばもう少し早くおいでいただきたかったところですね」

 

 ダンブルドアに対してにこやかに言うシリウスに、ダンブルドアはいつものキラキラと光る水玉のような瞳を向けた。

 

「シリウス。ハリー。実は君たちと話があってお邪魔させていただいたのじゃ」

 

 にこやかにしていたダンブルドアは、今日の来訪の要件について入ったからだろう、少し居ずまいを正した。

 ダンブルドアのまじめな様子に、シリウスは少し浮かれ気味になっていた気持ちを整えるように瞳を真面目なものに切り替えた。

 

 実のところ、シリウスにとってダンブルドアの来訪はあまり喜ばしいことではなかったのだ。 

 引っ越しの忙しさがあるという理由も多少はある。

 だがそれ以上に、ダンブルドアはハリーがダーズリー家を出てシリウスと暮らすことに反対していたのだ。

 もちろんのこと、両親のいないハリーにとって保護者といえば親戚のダーズリー家か、名付け親として後見人となっているシリウスのどちらかであってダンブルドアがハリーの住居に口を挟む権利はない。

 そしてハリーを含む全員が、ハリーの“家”をシリウスと暮らすその場所だと言えば、それを止めることはできない。

 昨年はまだシリウスも冤罪の諸手続きや新たな住居の問題があったため、ダンブルドアの反対意見に頷くことができたが、今年は違う。

 それが分かっているからだろう、今まではダンブルドアはそのことに関して何も言ってはこなかった。

 だからこのタイミングでのダンブルドアの来訪は、シリウスにとって嫌なことを告げに来たのではと想像させるに十分だった。そしてダンブルドアに強く出られるとなんだかんだで抗うことができずに丸め込まれてしまう気がするのだ。

 

「ハリー。これを覚えているかね?」

 

 そんなシリウスの懊悩とは裏腹に、ダンブルドアは懐からじゃらりと音を立てて何かを取り出してハリーたちに見えるように掲げた。

 

「ペンダント?」

 

 より正確にはロケットだろう。

 金色でやや小ぶりなペンダントには、写真かなにかを入れる部分が備えてある。

 

 覚えているかと尋ねられたハリーだが、今までにロケットを持ったことはない。

 ダーズリー家ではそんな余分なものをハリーに与えはしなかたし、両親の遺産はグリンゴッツの金貨と透明マントのみ。自分で買ったこともないとなればハリーに覚えはなく、シリウスに確認するように視線を向けたが、シリウスも肩を竦めて知らないことをアピールした。

 

 だが答えは別のことろから来た。

 ハーマイオニーが「あっ!」と声を上げたのだ。

 

「ハリー! それ! グリンデルバルドが現れた時に持っていたロケットだわ!」

「え!?」

 

 彼女の記憶力はハリーもよくお世話になっているし、かつて彼女たちの先生であったルーピンも認めるところだ。

 ハリーも驚いて改めてロケットを見た。とは言っても、あの時のハリーは死喰い人に切りつけられた上、ヴォルデモートに磔の呪いをかけられて絶叫した後で、しかもヴォルデモートの出現で最悪に頭が痛くなった直後だったから、こんな小さな物のことなんて碌に覚えちゃいない。

 

「そう。これはゲラート・グリンデルバルドとその一党がヴォルデモートから奪い取ったものの一つじゃ」

 

 だがハーマイオニーの答えは正しく、ダンブルドアは首肯してそのロケットをテーブルに置いた。

 

「ダンブルドア、どういうことですか?」

 

 不穏な話題に、シリウスが眉を顰めて尋ねた。

 昨年のクリスマスに起こった事件――“闇の帝王”ヴォルデモート卿の復活と失墜、そしてゲラート・グリンデルバルドの復活は、日刊預言者新聞でもニュースになった周知のことだ。

 その場にはいなかったシリウスやルーピンも事件自体については知っている。

 だが、あの時実際にどのようなことが起こったのかということについては、それを記事にしたものの魔法知識の限界から明かされていない。

 何が起こっていたのか、それ明らかにすることができたのは当のゲラート・グリンデルバルドの一党、贄にされたヴォルデモート、そしてそれを極秘裏に調査していたダンブルドアしかおらず、ダンブルドアはそれを魔法省にすら報告していないのだ。

 

 

 今、それをダンブルドアは明かし始めた。

 ヴォルデモートが行っていた不死の秘術についてを。

 

 

「魂を分ける……そんなことが可能なのですか、ダンブルドア?」

 

 話を聞いていた全員が、ヴォルデモートの行ったと考えられる“闇の魔法”のおぞましさに息をのみ、ルーピンが嫌悪の表情を露わに尋ねた。

 

「恐るべき闇の魔術じゃ。死よりも残酷な仕打ちを自身に課しておるようなものじゃ」

 

 ルーピンは闇の魔術に対する防衛術の教師として教壇に立ったこともあるほどその分野に詳しい。だからこそ、魂を分断するという闇の魔術のおぞましさが分かるのだろう。

 そしてそれは闇の魔法を嫌悪していた親友を持つシリウスも同様だ。

 

「ヴォルデモートが15年前、生き延びたのはそれがあったからということか……」

 

 唾棄すべきものを聞いたシリウスは忌々しそうに吐き捨てた。

 彼にとってヴォルデモートは、多くの人を殺した犯罪者である以上に、親友とその妻を殺した仇なのだ。

 

「ダンブルドアはヴォルデモートがまだ生きていると考えているのですか?」

 

 そして同じくルーピンにとっても。

 魂を“複数個に”分ける。

 それは言いかえれば、まだあのおぞましい魔法使いが完全には消滅していないかもしれないと推測させるのは難しくないことだ。

 ルーピンの声には深刻さがこもっていた。

 

 復活したゲラート・グリンデルバルドだけでも厄介な存在なのだ。

 かつての彼はイギリスではそれほどその暴虐性を発揮しなかったが、ヨーロッパにおいて悲惨な事件を各地に撒き散らしていた。

 “より多くの善のために”という名目で敵対する者、その親族、親しい者たちを虐殺し、捕縛し、自ら打ち立てた監獄“ヌルメンガード”に幽閉した。

 ダンブルドアとの決闘によって敗れたとはいえその力は互角。いや、なんらかの手段をもって若返り、人であることを捨てた今のグリンデルバルドはダンブルドアをもってしても抗しきれないのは先刻証明されたことだ。

 そんな厄介な存在に加えて、あの“闇の帝王”までもが存命であるなどというのは悪夢のような仮定だ。

 

「そうかもしれんし。そうでないかもしれん。それを確かめるために、シリウス、君に聞きたいことがあるのじゃ」

 

 それは実際にあの場に居て、そして敗北したダンブルドアだからこそより重く捉えている。

 

「あの時……ゲラート・グリンデルバルドはおそらくヴォルデモートが隠していた分霊箱の全てを把握し、残っていたそれらを糧としてあの姿になったのじゃろう」

 

 闇の魔法使いの力を強化するために闇の魔法使いの魂を贄とする。 

 それもまたおぞましい手法であるが、それならばヴォルデモートほど適役となる贄はないだろう。

 

「全てというのは確かなのですか?」

「おお。おお、シリウス。わしもそれが知りたいところではある」

 

 シリウスの確認にダンブルドアは大仰に頷いた。

 

「本来であれば、分霊箱の数については――ヴォルデモートが分霊箱を作成したということはまちがいないのじゃが――数についてはまだ確たる証拠があるわけではない。これから語ることはわしが来たるべき時のために探っていた、ヴォルデモートの過去に基づく推測という、あやふやで、時に大きな過ちを犯すやもしれぬあてどない旅によるものじゃ」

 

 ダンブルドアは彼がよくそうするように話を緩やかに、けれどもひきこむようにゆったりとして自身の推測を語り始めた。

 

「ヴォルデモート……いや。トム・リドルというかつてマグルの孤児院にいた少年をホグワーツに招いたのは他でもない、このわしじゃ」

 

 その言葉にハリーはギョッとしたようにダンブルドアを見た。きらきらと光るダンブルドアの瞳が憂いを帯びたように陰りを見せた。

 驚きはハリーだけでなくロンやハーマイオニーたちにも同様だが、考えてみればあの極悪非道な魔法使いとてかつてはハリーたちと同じく魔法使いの卵であった時期があり、ホグワーツで学んでいたというのは聞いたことのある話だ。

 そしてだとすれば誰かがホグワーツに招いたということであり、それがダンブルドアであったとしても不思議ではない。

 

「トム・リドルという少年は、ホグワーツで魔法を学ぶ前から、誰に教わるでもなく、己が身の内にある特殊な力――魔法についてを理解し、それを他者に対して行使する術を体得しておった。それによって時に他者を脅し、強制的に従え、後と比べれば遥かに小さいながらも、それでもいくつもの悪事を働いておった」

 

 ハリーが2年の時、ハリーはトム・リドルが5年生の時の“記憶”と出会った。

 それは日記に込められていた彼の“記憶”であったのだが、その時ですら彼は一人の女子生徒を、バジリスクを用いて殺害し、その罪をハグリッドに押し付け、自身はまんまと罪から逃げていた。

 それよりもさらに以前、ホグワーツに入る前からトム・リドルという少年は悪の萌芽を抱いていたのだ。

 

「当時から、そして後により鮮明に、彼は自身を特別な者とすることにこだわっておった。おそらく両親や自身の血筋のことを知らないということが、より自身の特別さについてのコンプレックスとなっていたのやもしれぬ」

 

 それは悔恨なのかもしれない。

 彼をホグワーツに招き、自らその力を伸ばす手助けをしたことがではない。

 この時すでに彼の者が示していた明白な本能――残酷さと秘密主義、そして支配欲――それらを見抜いていながら、後に起こる悲劇を、そして彼を正しい道に導けなかったことを。

 

「じゃが、やがて彼は自身の魔法の力の由来、彼の魔法族としての血筋について探り当てたのじゃ。それこそがゴーント家。魔法族の中でも古く、純血に拘った一族じゃ」

 

「ゴーント家!?」

「知っているの、シリウス?」

「純血の一族ならね、ハリー。なにせ狭い世界だ。ゴーント家は気狂いの純血としても有名だが、もう一つ連中にとっては自慢できるつまらない理由があってね。ゴーント家は……スリザリンの末裔だ」

 

 聖28一族の一つにも挙げられる純血の名家――ゴーント家。

 すでに途絶えたとされる家系ではあるが、とある人物の血を受け継いでいたこと、その血の純度を守るために血族結婚を繰り返していたこと、そして何世紀にも渡って情緒不安定と暴力の血筋で知られた一族。

 

「そう。ヴォルデモートがパーセルタングであるのも、ゴーントの、スリザリンの血を継いでおったからじゃろう」

 

 サラザール・スリザリンの末裔。

 今まで誰も解き明かすことのなかったヴォルデモートの出自についての話に、ロンが恐怖に引き攣った顔をしてごくりと喉を鳴らした。

 シリウスもルーピンも深刻な顔で話に聞き入っており、ハリーとハーマイオニーたちもこの話の行方に、固唾を飲んで耳を傾けていた。

 

「とにかく彼は自身の特別さを盲信し、そしてそれを際立たせる証を求めていた。血筋という目に見えないものではない。たしかにそこにある物……スリザリンの、そして自身を特別たらしめた魔法の学び舎、ホグワーツを創った4人の創始者の縁の品のような物にじゃ」

 

 自身が特別であることの証左。

 そんなものを求める気持ちがハリーの中に……一欠けらもないとは言わない。ハリー自身、クィディッチのシーカーとして活躍している時、そしてこれまでの幾つかのホグワーツでの功績を思えば、自分が他にはない特別だという思いは抱かずにはいられない。

 まして自身を見てもらいたい相手を思えばなおさらに………… 

 

「孤児院にいたころから、彼は他者の所有物を奪い、コレクションするという性質をもっておった。そして一つを除いてホグワーツ創始者3人の縁の品を手に入れたことをわしは長年の調査によって突き止めた」

 

 ダンブルドアは懐から幾つかの品物を取り出して机の上に並べた。

 

「ヘルガ・ハッフルパフのカップ。ロウェナ・レイブンクローのティアラ。スリザリンのロケット――――」

 

 穴熊が刻印された小さな金のカップ、文字の刻まれた黒ずんだティアラ、金色のロケット……それらは全て、あのクリスマスの日にグリンデルバルド一党が見せた物だ。

 

「たしかなこととして、グリフィンドールの品だけは彼の手に渡っていないと断言できる」

 

 ただ一つ、ダンブルドアはスリザリンと友であり敵対した創設者の品だけは彼の手に渡っていないことを断言した。

 

「なぜですか?」

「おお。そのことに関しては、是非とも話したいところじゃが、あいにくと今はそれとは別の話を続けねばならぬ」

 

 尋ねたハリーにダンブルドアは破顔して話を本筋へ――――つまりヴォルデモートのことへと戻した。

 

「ヴォルデモートは自身を特別なものとすることにこだわっておった。ゆえに、推測でしかないのじゃが、自身の魂を保管する分霊箱にはそれに相応しい物を選んだはずじゃ」

「創設者の品!」

 

 話が繋がっていく。

 それはダンブルドアの調査と推測に基づくものでしかないが、彼らにとってダンブルドアの推測は、それだけで信じるに値するものなのだ。

 ハリーが驚き、創設者の品々を見つめる顔にダンブルドアは満足そうに頷いた。

 

「そう。つまりヴォルデモートは魂を複数個に分けたのじゃろう」

 

 それは推測に推測を重ねたものではあるが、他らなぬダンブルドアの洞察ということもあり、真実味を帯びていた。

 

「一体幾つに……?」

 

 ルーピンの声は震えていた。

 たった一度ですら無辜の魂を殺め、自身の魂を引き裂くというおぞましい手法を複数回。だがそれはヴォルデモートを知る者たちからすれば忌みこそすれ意外感に驚くことではない。

 あの魔法使いは己以外の全てが凡庸で、唯一特別な自分に従い搾取されるのが当然だと思っているようなやつだったのだから。

 

「……これはまだ非常に弱弱しい推測でしかなく、しかもおそらく彼自身にとっても予期しないできごとが混ざった可能性が大きいのじゃが、ヴォルデモート自身は七つに分けようとしたのではないかと思っておる」

 

 7度。

 その回数はもちろんヴォルデモートが行った非道の犠牲者の数からすればほんの一欠けらの数でしかない。

 だがそれがヴォルデモートに対する悍ましさを減弱させるものでは決してない。

 ハリーはその数の根拠をダンブルドアに尋ねようとし、

 

「7は魔法的に最も強い数字だから!」

 

 ハーマイオニーの解答にダンブルドアは満足そうに微笑んだ。

 シリウスやルーピンも感心したようにハーマイオニーを見た。彼女の考察力はハリーやロンにとってよく知るものであり、今までに幾度もそれに助けられてきた。そして今度もまたそれは正しいのだろう。

 

「わしもそう考えた。そして確証も得た」

「確証ですか?」

「トム・リドルは分霊箱を複数個に分けて作った際のリスクについて知るために、ある魔法使いに分霊箱について問うたことがあったのじゃ。その時に触れておった数もまた7つ」

 

 ハーマイオニーが口元を両手で覆って驚愕の声を押し殺した。

 シリウスやルーピンもきつく眉根を寄せて、ヴォルデモートに加担したと思われるその魔法使いに敵意を抱いた。

 だがダンブルドアはそんな彼らの敵意を手をあげて制した。

 

「勘違いしてはならぬのは、その者はそのことを非常に悔いておるということじゃ。ヴォルデモート卿は巧みに人の心にとり入り、操り、自身に有益な道具として他者を操る。かつての多くの魔法使いがそうであったように、その者を責めることはできんじゃろう。彼は当時優秀なホグワーツの学生であった少年の勉学に対する知識欲に応えんとしただけなのだからの。そして彼が教えずとも、トムは分霊箱の作り方をすでに知り得ており、止める理由にはならなかったであろう」

 

 たとえ道を間違えたからといって無暗と人を糾弾しない。その寛容さはハリーのよく知るダンブルドアのものだ。

 ハリーはシリウスとルーピンの顔を見たが、彼らはダンブルドアの言葉を聞いて完全には納得していないながらも、追及するのは無意味だと察したようだ。

 ダンブルドアは話を続けた。

 

「ヴォルデモート卿が自身の魂を7つに、つまり6つの分霊箱を作ろうとして、じゃがそこに幾つもの、彼にとって予期しない出来事が絡み合ったとわしは考えておる」

 

 予期しない出来事、というのならあの結末こそ予期してはいなかっただろう。利用するだけの存在であった死喰い人が、自身を利用して他の魔法使いの復活を実行したなど。

 

「まず一つ。それを教えてくれたのはハリー、君なのじゃ」

「えっ!?」

 

 ダンブルドアはは真っ直ぐにハリーを見つめた。

 ハリーは困惑し、シリウスやロンたちも驚いたようにハリーに振り返った。

 

「いつか君に話したことがあったのぅ。15年前、ヴォルデモートが君を殺しそこなった時、彼の魂の一部が君にとりつき、そのために君はパーセルタングを話すことができるのだと」

 

 それは2年生の時、秘密の部屋と悪魔の襲撃が終わった後で、ハリーはダンブルドアに質問をすることを許され、そして幾つかの自身にまつわることを聞いていた。

 彼とハリーをつなぐ共通点について。

 そしてそれ以前に殺し損ねた理由についてもまた、聞いていた。

 

 すなわち母の愛。

 

 だがハリーには、今、その話がどのように繋がるのかが分からずに困惑していた。

 

「まさかっ!」

 

 シリウスが驚きに声を上げた。同じく頭の回転の早いハーマイオニーも話の流れから気が付いたのだろう。両手で口を覆って愕然としてハリーを見た。

 

 魂の一部が憑りつく――――それはまさに分霊箱のようではないのか、ということに。

 

「そう。ハリー。君こそが、ヴォルデモート自身が予期しなかった分霊箱の一つだったのじゃ」

 

 理解できない言葉の響きが、ハリーの鼓膜を震わし、脳を凍り付いたかのように思考停止させた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

志半ばに散った者

 その昔、予言が為された。

 一人の偉大なる予見者の血を引くものから、偉大と言われる魔法使いに対してなされた予言。

 魔法使いの意志を決定し、幾人もの人の運命を決めた呪いのような予言。

 

 

『闇の帝王を打ち破る力を有した者が近づいている。七つ目の月が死ぬとき、帝王に三度抗った者達から生まれる。そして闇の帝王は彼の者が自分に比肩する者としての印を刻むであろう。

 しかし彼は闇の帝王の知らぬ力を持つであろう。一方が生きるかぎり他方は生きられぬ。

 

 S.P.TからA.P.W.B.Dへ  闇の帝王、そしてハリー・ポッター』

 

 だが果たして未来とは決められたものなのであろうか?

 たかだが一人の人間の言葉によって多くの人間の運命が決められてしまうようなものなのだろうか。

 

 いや。

 決めるとすればそれは、運命ではなく、ただ人間の意志をこそ定めんとするものであろう。

 

 なぜなら未来は無限にあり、数多の平行線の上の一つを、自分たちは走り続けていくのだから。

 

 

 

 第89話 志半ばに散った者

 

 

 

 ハリーの中にヴォルデモート卿の魂が入っている。

 驚くべきダンブルドアの言葉に、ロンは顎が外れそうになるほど大口を開け、ルーピンも大きく目を見開いた。

 混沌とした静寂になりかけたのを破ったのは、ドンッッ! という音だった。

 

「ダンブルドア!」

「落ち着くのじゃシリウス。今はもうそれもない。ハリー、あのクリスマスの日からパーセルタングを使ったことはあるかの?」

 

 シリウスが机を叩いてダンブルドアに詰問しようとしたが、ダンブルドアはそれを片手をあげて制してハリーに質問した。

 自身の中にヴォルデモートの一部が紛れ込んでいる、というのは以前にも聞いていたことだが、気持ちのいいことではない。

 

「い、いえ」

 

 ハリーは唇を震わせながら答えた。

 元々蛇と話す機会なんてそうはない。ホグワーツにいる蛇といえば、今はもう亡いバジリスクと魔法薬学の授業で使う物くらいだ。

 夏休みに入ってからもそうそう蛇と出くわす機会はなかった。

 そもそも蛇と話せる自身の能力が、ヴォルデモートに由来するものだと知ってからは、あえてそれを使おうとハリーは思わなかったのだ。

 

「おそらくじゃが、ハリー、君のパーセルタングは失われたのではないかとわしは見ておる」

 

 ハリーは隣に立つハーマイオニーを見て、ロンを見て、それから自身の手を見た。

 

 ――――蛇と話す力が無くなった?

 ヴォルデモートが自分の中から居なくなった?――――

 

 それは安堵すべき事だと思うのに、今はそれが実感としても認識としてもつかめなかった。

 

「ダンブルドア。ハリーが……ヴォルデモートの分霊箱だったかもしれないという推測はともかく、今はもうハリーの中にヴォルデモートの魂が無いのは確かなのですか」

 

 シリウスは深刻な顔をダンブルドアに向けた。

 今は亡き親友のようにも、そしてその親友の息子としてだけでなく愛情を注いでいるハリーの魂に関わることだ。シリウスはダンブルドアの嘘も韜晦も許さないとばかりに睨み付けている。

 ダンブルドアはそれに対しては明確に首肯した。

 

「まぎれもなく。これらの品々と同じく、ゲラート・グリンデルバルドの生贄として吸い出され、ハリーの中にはもはやヴォルデモートの魂は残っておらぬ。そして幸いなことに、見る限りにおいてはハリーの魂自体にはあの者は手をつけなかったように見える」

 

 シリウスはそれでも完全には落ち着かない様子でハリーを見たが、ハリーはどこか安堵したようにダンブルドアを見て続きを促した。

 

「ハリーを分霊箱にする。それはヴォルデモートが企図していたことでなかったことは確かであろう。いや、あるいはあの時まで彼はそのことに気づいていなかったやもしれぬ」

 

 それはそうだろう。

 クリスマスのあの夜。もしも死喰い人の裏切りがなければ、ヴォルデモートは間違いなくハリーを殺していたはずだ。

 杖から放たれた武装解除の呪文がヴォルデモートの死の呪文とぶつかり不可思議な現象を引き起こしたあれがなければ、あの呪文は今度こそハリーの命を終わらせていただろう。

 もしもハリーがヴォルデモートの魂の保管箱なのだとしたら、もっと別の方法をとってから始末したはずだ。

 

「彼が予期しなかったことは他にもある。分けた魂を破壊されてしまったのじゃ」

 

 ヴォルデモートの失態の推測とも言うべきダンブルドアの言葉は続く。

 

「4年前。クィレルにとりついて賢者の石を奪いにきたヴォルデモートは、ハリーたちの勇気ある行動の結果、失敗し、逃走することとなった。じゃが、実はな、その途中で彼はその魂を消滅させられてしまったのじゃ」

「だれにですか……?」

「スプリングフィールド先生にじゃ」

 

 ハリーは唖然としてダンブルドアを見た。

 ハリーが1年生のあの時、命を落としそうになっていたあの事件の時に、あの先生はヴォルデモートを一部とはいえ倒していたのだ。

 

「彼は通常では滅ぼすことのできないような魂を消滅させる古代の魔法を操ることができるのじゃ。そしてその結果、ヴォルデモートは急遽、別の分霊箱を本体に変える必要性を生じてしまった」

 

 しかも魂を消滅させるなんて魔法、いったいどれほどおぞましい魔法なのかハリーには想像もつかないほどだ。

 だがその後もヴォルデモートは現れた。

 それが意味することは、確かにヴォルデモートは魂を複数に分け、予備を保管していたことの証左だった。

 

「別の分霊箱を本体に……?」

「おそらく創始者の品とは別の物だったのじゃろう」

 

 ゲラート・グリンデルバルドが復活に用いたヴォルデモートの分霊箱と思われるものは、カップとティアラとロケット、蛇、黒い本、ハリー、そして本体。

 ハリーはヴォルデモートが意図しなかった8個目の魂だと考えると、たしかに蘇るために別の分霊箱が使われたと考えるのが妥当だろう。

 果たしてそれが何で、どこにあったのかはわずかに気にはなりはするものの、それは終わってしまった物のことだ。

 

「なら先生。ヴォルデモートの魂は……全部無くなったのですね」

 

 ハリーはおそるおそるといった様子で尋ねた。

 スプリングフィールド先生が消滅させた一つを含め、ヴォルデモートの全ての魂はゲラート・グリンデルバルドに喰われたことになるはずだ。

 グリンデルバルドも危険極まりない闇の魔法使いだが、少なくともグリンデルバルドとヴォルデモートという伝統魔法族の世界において最悪とされる二人の闇の魔法使いを同時に相手にすることはなくなる…………

 

「わしもそう思っておった…………これを見るまでは」

 

 だがダンブルドアはそれを否定した。そして彼は机の上においたロケットを手に取って開いた。

 

 中には羊皮紙の切れ端が折りたたんで押し込んであり、ダンブルドアはそれを取り出して開き、ハリーたちに見えるように広げた。

 

 

『闇の帝王へ

 あなたがこれを読む頃には、私はとうに死んでいるでしょう。

 しかし、私があなたの秘密を発見したことを知ってほしいのです。

 本当の分霊箱は私が盗みました。

 できるだけ早く破壊するつもりです。

 死に直面する私が望むのは、あなたが手強い相手にまみえたその時に、もう一度死ぬべき存在となることです。        R.A.B』

 

 

 

「これは…………」

 

 文面を読んだルーピンが声を漏らした。

 

 何者かが――ダンブルドアやグリンデルバルド一党以外の何者かが、ヴォルデモートの策略に気づき、事前に手を打っていた。

 それは本来であれば味方的な行いであっただろう。

 

「これってさ」

 

 ロンが割り込むように声を挟んだ。ハリーやハーマイオニーだけでなく、シリウスやルーピンからの視線の集中を受けてロンは身をすくませたが、先を促すような視線がそろって自分を向いていることを感じたのか言葉を続けた。

 

「これって、その……この人が本物を壊したってこと……ですよね…………?」

 

 自信なさげにロンの言葉が尻すぼみになっていく。

 

 そう。

 希望的にはこれで全ての分霊箱が壊され、ヴォルデモートは完全に滅びたと思いたいところだ。

 だがもしも残っていたら…………

 

「そう。じゃがそれには確証がない。ゆえに知らねばならぬ。でなくば、ヴォルデモートが完全に滅びたと言う確証もなく、そしてまた、さらに困難な事態が我々の前に立ちふさがっていることにもつながってしまうのじゃ」

 

 さらに困難な事態。

 現時点でヴォルデモートが滅びていない以上に恐ろしいことがあるのかとハリーたちは眉根を寄せてダンブルドアを注視した。

 だがダンブルドアは、今はそれについても話す時ではないのか、それには語らず、スッと手紙をシリウスへと差し出した。

 

「本題に入らせてもらおうかの。シリウス。わしはこれが誰の物か、君には分かるのではないかと考えておる」

「私が?」

 

 名指しで手紙を差し出されたシリウスは困惑顔で手紙を受けとり、しかめっ面をして手紙を眺めた。

 かつてはヴォルデモートの腹心なのではないかと噂されていたシリウスだが、実際には親友を殺された仇敵としての関係なのだ。

 ヴォルデモートにあてた手紙の主もどうやら彼と敵対しているらしいが、分霊箱について知っているであろう人物など、他ならぬダンブルドア以外には心当りがなかった。

 

「R.A.B…………B? ブラック(Black)……?」

 

 注目したのは手紙の最後に記されたイニシャル。

 家名を表すであろうBの文字は、彼自身の名と何かの関係があるのかないのか……いや、ダンブルドアが自分に持ってきたということは、関係があるのであろう。

 

「おじさん?」

 

 ハリーが不安げに尋ねた。

 

「R.A…………レギュラス……?」

 

 ぽつりと、シリウスは呟いた。

 R.A.B――――そのイニシャルが示す人物を確かにシリウスは一人知っていた。

 レギュラス・アークタルス・ブラック。

 シリウスの実の弟だ。

 手紙に記された文字のくせにだってどことなく見覚えがあるように思えた。

 疎遠ではあったが、それでも同じ屋敷で暮らしたことのある弟の手だ。

 だがその声にはまさかという思いが込められており――――瞬間、部屋の片隅からガチャンッ!!! と皿が割れる音が響き、全員がそちらに振り向いた。

 

「クリーチャー!!」

 

 そこに居たのはブラック家の屋敷しもべ妖精――――クリーチャーだった。

 シリウスに怒鳴られたクリーチャーはわなわなと震え、しかしその目はいつもの反抗的なものではなく、机の上に置かれたロケットに引き寄せられていた。

 主であるシリウスの怒声にもかかわらず、反抗心を持つ忠実な屋敷しもべ妖精は聞こえていないかのようにロケットを凝視していた。

 ふらふらと引き寄せられるように近づいており、毛嫌いするハリーたちはおろか、大っ嫌いな主であるシリウスのことも見えていないかのようだ。

 

「何をしているクリーチャー! お前は自分の巣に――――」

「シリウス!!!」

 

 罵倒を浴びせかけようとするシリウスにハーマイオニーが怒鳴り声を上げた。

 S.P.E.Wという屋敷しもべ妖精の地位向上を目指す組織を立ち上げたほどの彼女にとって、魔法使いの屋敷しもべ妖精に対する扱い、殊にシリウスのクリーチャーに対する扱いは常から説教対象であり、腹に据えかねるものがあったのだ。

 かんかんに怒っているシリウスに、かんかんに怒っているハーマイオニー。

 だがハリーはクリーチャーの様子がどうにもおかしいことに気が付いた。

 

「このっ!」

「待って、シリウス!」

 

 指示に従わないクリーチャーに対して実力行使にでようとしていたシリウスに、ハリーは待ったをかけた。

 シリウスは煩わしげに振り向いたが、ハリーはそれには構わずに机の上のロケットを掴んで掲げた。

 

「――――ッッ!!!!」

 

 瞬間、クリーチャーの瞳が飛びださんばかりに目を剥き、殺意にも似た眼差しをハリーへと向けた。

 

「やっぱり……シリウス! クリーチャーは何か知ってるんだ!」

「なにっ!?」

 

 ハリーの言葉にシリウスは驚愕の声を上げ、クリーチャーは痛恨事とばかりに身を震わせた。

 シリウスはばっと振り返ってハリーの手の中にあるロケットを見て、それからクリーチャーを睨み付けた。

 そして屋敷しもべ妖精の態度からハリーの推測が正しいことを感じ取ったのか、クリーチャーに駆け寄ってその胸倉をつかみ上げた。

 

「知っているのか、クリーチャー!! どうなんだっ!!」

 

 掴みあげられて、クリーチャーは自身の主の激高した様子と命令に気が付いたようだった。

 屋敷しもべ妖精にとって何よりも重い主からの命令。

 屋敷しもべ妖精であるからには何に代えてもそれには従わなければならないはずで、

 

「く、クリーチャーは、ご命令におしたがいになれませんっ!!! クリーチャーはしゃべってはいけないのです!!!」

 

 しかし驚くべきことに、クリーチャーはシリウスの命令に背いた。

 

「クリーチャー!!!!」

「シリウスやめてっ!!!」

 

 胸倉をつかみ上げるシリウスの手に殺意にも似たものが込められたのがハリーには分かった。

 おそらくはハーマイオニーにもだろう。

 彼女はシリウスの腕に飛びつくとなんとかしてクリーチャーを引き剥がそうとした。

 だがそれをすればおそらく解放されたクリーチャーは自分を罰するために自傷行為を行うであろう。

 ただハーマイオニーの力ではシリウスの掴み上げる腕を解くことはできずシリウスは主の命令に背いたクリーチャーを殺そうとしているのと同時に彼自身が傷をつけるのを防いでいた。

 

「話せ!! クリーチャー!!」

「クリーチャーはおぼっちゃまのご命令にお従いにならなければならないのですッ!!! おぼっちゃまのロケットのことをお話ししてはいけないのですッ!!!」

 

 今、何かがおかしかったように思えた。

 

 ――従わなければならない……?――

 

 シリウスはクリーチャーに知っていることを話せと命じている、にもかかわらずクリーチャーは従わず、けれども従わなければならないと言っている。

 主に従うこと、主の不都合になることは侵さない事、それは屋敷しもべ妖精の絶対のルールである。

 かつてハリーは自由を求めた一人の屋敷しもべ妖精が主の意から反してハリーに助力しようとしたことがあった。

 それはハリーにとって余計に散々たる過程を齎しこそしたが、彼にとってはそれは紛れもなく意志に基づいた行動で、彼は主の命令からは逸脱しないギリギリの範囲で行動していた。

 それでも彼は行動の度に自身を罰していた。

 クリーチャーもシリウスには反抗的ではあったが、それでも屋敷しもべ妖精としていやいやながら命令には従っていた。にもかかわらず今は反している。

 

 それに、なによりも…………

 

「先生! このロケット、いただいてもいいでしょうか!!」

 

 ハリーは咄嗟に机の上に置かれていたロケットをひったくり、ダンブルドアに確認をとった。

 ダンブルドアはまるでこれからハリーが何をするのか察しがついているかのように穏やかに微笑みながら頷いた。

 

「クリーチャー!」

 

 ハリーはロケットを手にクリーチャーの前まで駆け寄り、それを突きつけた。

 ロケットを目の前に突きつけられたクリーチャーの顔が恐れおののいたかのように引き攣った。

 

「これを主人のロケットだって言ったね? これはレギュラスのロケットなんだね?」

「――――――ッッッ!!!」

 

 クリーチャーの瞳が罅割れ喉から声にならない悲鳴が上がった。

 クリーチャーは憎悪に満ちた瞳でハリーを睨み付けている。

 ハリーはドキドキと跳ねる心臓の鼓動を感じながら、願うような気持ちで言葉の続きをかけた。

 

「…………僕は、これを君にあげようと思う」

「!!」

 

 クリーチャーはショックで死にそうな顔となって全ての動きを止めた。

 まるで呼吸の仕方すら忘れたのではないかと思えるほどに固まり、ふるふると腕を振るわせながらハリーの持つロケットに手を伸ばそうとした。

 

「だから教えてくれないか。このロケットについて、知っていることを!」

 

 しかし続けて言われた言葉に、その手が止められた。

 ぱく、ぱくと何かを言いたげに口を開閉し、そしてぐっと歯を噛み締めてから言った。

 

「く、クリーチャーは……クリーチャーは喋らない! 血を裏切る者とは話さない! ぼっちゃまのお命じになられたことを裏切らない!」

 

 確信が持てた。

 クリーチャーは命じられていたのだ。

 おそらくこの金のロケットの持ち主――ヴォルデモートの分霊箱を盗み出したレギュラス・ブラックによって。

 

 その命令を撤回できる者はハリーではない。

 ハリーにはクリーチャーへの命令権がないのだ。

 

 それができるとすれば……

 

「シリウス…………」

 

 ハリーは懇願するような瞳でシリウスを見た。

 シリウスは驚きが過ぎて呆然としたようにクリーチャーを見ていた。いつの間にか胸倉をつかんでいた手も放していた。

 もしかしたらそれはシリウスにとって、アズカバンから戻って、いや、これまでで初めて“クリーチャー”という存在を見ているのかも知れなかった。

 

 シリウスはブラック家にまつわるものを嫌っている。純血の思想に染まりきった腐った家系を。

 その“物”の中に、このクリーチャーは含まれていたのだろう。

 だがシリウスのやり方ではおそらくクリーチャーは心を開かない。

 屋敷しもべ妖精の友のいるハリーには分かる。

 何もハーマイオニーの語るS.P.E.Wの思想に共感したなんてことではない。

 

「クリーチャー」

 

 先程までの激昂した声ではなく、静かな落ち着いた声でシリウスは屋敷しもべ妖精の名を呼んだ。

 クリーチャーの体がびくりと震え、おそるおそる主を見上げた。

 

「………………話して、くれ。もしもレギュラスが…………俺の弟が、ヴォルデモートを倒すために命を落したのだとしたら、俺はそれを知る義務がある。弟の勇気ある行動を知りたい」

 

 ずっとずっと、碌でもない奴等ばかりだと思っていた。

 狂信的な純血主義者で、ブラック家が事実上の王族だと錯覚しているような両親で、弟は愚かにもそんな両親のことを盲信しているのだと思っていた。

 事実そうだったはずだ。

 そして死喰い人に加わった。

 シリウスがまだこの家に居る時から弟は熱烈なヴォルデモートのファンで、彼が魔法界を正しい形にするのではないかと信じているような愚か者で…………そして死喰い人となってヴォルデモートの行いの恐ろしさを知って、臆病風に吹かれて死んだ。

 それが事実だったはずだ。

 

 けれども、違う真実があるのかもしれない。

 臆病風に吹かれて、ヴォルデモートの下から逃げ出そうとして死んだのではなく、ヴォルデモートに一矢報いようとして勇気ある行動をとろうとして、そして死んだとしたら…………

 それはシリウスの知らない、弟の誇りある姿なのかもしれない。

 

 シリウスはハリーから“弟”のロケットを受け取り、そしてもう一度クリーチャーの前にかざした。

 

「これは、お前にやろう。だから……話すんだ。クリーチャー」

 

 シリウスが今までよりもずっとやさしく命じた。

 ハーマイオニーは命令口調なことが不満かと思われたが、だがシリウスの今までよりもずっとやさしい口調に、何よりもクリーチャーという存在を認めるような扱いにほっとしたように易しく満足そうに微笑んだ。

 クリーチャーはわなわなと震える手でレギュラスのロケットを掴むと胸に抱きよせ、わんわんと声を上げて泣き出した。

 

 

 泣くクリーチャーに命じて早く語らせることは今のシリウス・ブラックになら出来たかもしれない。

 けれどもシリウスはそれをしなかった。ハリーもダンブルドアも、誰一人としてそれを急かしはしなかった。

 ただクリーチャーだけが持つ主との大切な思い出を尊重するように涙を流すクリーチャーを見つめた。

 

 

 

 クリーチャーが泣き止むまで宥め続けた後、クリーチャーはゆっくりと語り始めた。

 ヴォルデモートに抗った知られざる魔法使いの死にざまについて――――ヴォルデモートが哀れな屋敷しもべ妖精をどの様に扱ったのか、レギュラス・ブラックがどれほどこの屋敷しもべ妖精を大切にしていたか、そして苦悩の果てにどのように死んだのかの話を。

 クリーチャーの話は魔法使いとしての、人としての視点が交えられていなかった分、客観的で、それが真実であることをハリーたちに如実に告げていた。

 シリウスはクリーチャーの話の全てを一言も口を挟まずに耳を傾け、そして終わった後、天井を見上げて目を閉じた。

 それは最後に分かり合うことなく逝ってしまった弟のことを悔いているようにも黙祷を捧げているようにも見えた。

 

「ご苦労であったの、クリーチャー、シリウス。だがこれではっきりとした…………ヴォルデモートは――――滅びてはおらん」

 

 最後の分霊箱――――スリザリンのロケットに封じられたヴォルデモートの魂は滅びていない。

 レギュラスが命と引き換えに盗み出し、クリーチャーに破壊することを託した分霊箱は、彼では破壊することができなかったのだ。

 ヴォルデモートの分霊箱には屋敷しもべ妖精の魔法が通じないほどに高度な防御処理が施されているのか、だがグリンデルバルドはそれと同様な分霊箱を取り込んだのだ。

 

「それでクリーチャー。ロケットは今どこにある?」

 

 シリウスはクリーチャーに視線を戻し、真っ直ぐに見て尋ねた。

 分かりあえなかった弟の死の真実はシリウスにとっても衝撃だ。だがだからこそその最後の役目は果たさなければならない。

 ヴォルデモートの分霊箱を破壊するという役目は何が何でも果たさなければならない。

 

 もはやクリーチャーは主に反抗し死を求める屋敷しもべ妖精ではない。

 分霊箱の行方を問われたクリーチャーは再び瞳に大粒の涙を溜めた。

 

「行ってしまいました」

「行ってしまった?」

 

 それまでの韜晦するような答えではない。 

 だがそれだけにその答えにシリウスは眉根を寄せた。クリーチャーの言葉が今までの戯言染みた声音ではなく、主に応える屋敷しもべ妖精の言葉になっているからこそ、本当にロケットがこの場所にないことが分かってしまったからだ。

 

「マンダンガス・フレッチャー!!」

 

 クリーチャーは泣きそうな顔で声を上げた。

 

「あの盗人が持ち出した!! ロケットを! レギュラス坊ちゃまのロケットを!!! 坊ちゃまがお捨てになられた物を、クリーチャーが大切にしまおうとしたのに!!!」

 

 クリーチャーの言葉にシリウスたちは唖然とし、ダンブルドアまでもが驚いたように目を丸くした。

 シリウスたちはこの屋敷の掃除として様々な物を捨て、その中の多くをマンダンガスが処理という名目で持ち去った。おそらくはどこぞで売り払う気なのだろうがマズイものまで処理してしまったらしい。

 

「マンダンガスを探してくる!」

「私も行こうシリウス」

「落ち着くのじゃ、シリウス、リーマス」

 

 シリウスとルーピンが席を立とうとし、ダンブルドアが片手を上げてそれを制した。

 たしかにヴォルデモートが滅びていないということは重大事だ。

 だが、それが明らかとなったことだけでも、ダンブルドアにとっては重要なことだった。

 

「ヴォルデモートの分霊箱が残っていることはたしかに厄介な事態となったといえる。じゃがより重要なのは、ヴォルデモートの魂――分霊箱をゲラート・グリンデルバルドが取り込んだということじゃ」

 

 分霊箱は魂の一部を保管することで、残る魂をこの世に繋ぎ止め、完全なる死を防ぐ術である。

 すでにグリンデルバルドの魂がどのような形になっているかはダンブルドアをもってしても分からないことだが、もしもグリンデルバルドとヴォルデモートの魂が繋がっているとしたら、グリンデルバルドは使徒である上に分霊箱の不死性すらも持ち合わせていることになるやもしれないのだ。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ディズ・クロスの不思議な森の修行

 魔法世界、ウェスペルタティア王国王都オスティア

 

「うーん、ベルトには居なかったか~。ザンネンザンネン」

 

 魔法世界の柱ともいえる女王。彼女は提出された報告書に目をやりながらその結果を反芻した。

 そのセリフがいやに棒読みに聞こえるのは提出した当人がひねくれているからだろうか。

 

「キサマ……外れと分かっていてオレを行かせたな?」

「え!? いやいやまさかぁ~。気のせい気のせい」

 

 ジト目をむけるとぎくりと身を震わせて目を泳がしている女王様は腹芸があまり得意でないということを自覚しているのだろうか?

 もっともお気楽頭の神楽坂明日菜としてならともかく、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアとしての透徹した思考と超然とした態度をもってすればどうかは分からないが。

 ただ少なくとも今回の件に関してはこの報告書を提出した当人、リオンは意図的に外れを掴まされたらしいと分かるには十分だった。

 無駄骨を掴まされ、結局ベルト探索が弟子の修行を見るばかりだったリオンは溜息をついた。

 

「まあいい。大方フェイト・アーウェルンクスあたりの差し金だろ。あの人形はオレのことを信用してないからな」

「いやいやそんなことないって。私は信頼してるよ?」

「……………」

 

 女王を睥睨する目が白々しさを増した。

 女王がどう思っているかはともかくとして、フェイトがリオンを信用していない事に関してはフォローのしようがないと認めているようなものだ。

 

「まあいいじゃない。タカユキ君とか龍宮さんとかの調査もまとめてからになるけどとりあえず調査お疲れさま」

 

 デュナミスたち使徒の行方の捜索。当然ながらその調査はそもそもリオン一人で行うにはアテが多すぎる。

裏火星(ムンドゥス・マギクス)における“組織”の拠点は一掃したとはいえ、隠れることができないほどではないし、ベルトや魔界など、その気になれば地球にだって潜伏できるのだから。

特にベルトは現在開拓時代の幕が開こうとしている最中であり、無法者や流れ者、一獲千金を狙う者など素性の怪しい者が大量にのさばっているくらいだし、魔界にしても墓所の主の知り合いがいるという点では可能性としては大きい。

 調査には彼らの他にも“白き翼(アラアルバ)”のメンバーも動員されてのものとなっている。

 だが、現在のところまだ発見報告はあがっていなかった。

 アスナ女王からのありがた~い労いのお言葉にリオンは出されているオスティアンティーに口をつけて苛立ちごと飲み込んだ。

 

 明日菜は相変わらず分かりやすい子のツンツン具合に顔をほころばせた。

 

「そういえばアンタ弟子をとったんでしょ。その子はどうしたの?」

 

 

 

 第90話 ディズ・クロスの不思議な森の修行

 

 

 

 鬱蒼と茂る密林の中、一つの人影が跳ぶように駆けていた。

 

「はっ、はっ、は……くっ!」 

 

 後にしている巨木がバキバキと豪快な音をたてて折れているような音とともに、「ギャォオオオオオ!!」という咆哮が響いてくる。

 身体強化と超感覚魔法を全開にして疾走しているディズは、この1週間ほどの“鬼ごっこ”を終わらせるべく足に魔力を集めた。

 

「グルゥオオオオオオッ!!!!」

 

 追撃して来るのはディズを比較対象にすると数十倍の体積を誇る巨体の竜種。下位ではあるが成体のドラゴンだ。

 ディズが仕掛けるタイミングを窺っているのと同時に、彼もまたこの鬼ごっこを終わらせようと動いた。

 

「!」

 

 巨翼が羽ばたき、猛烈な嵐を巻き起こして周囲の巨木を薙ぎ払う。その木々は竜にとってはさしたるものでなくとも、人にとってはあまりにも大きく、羽ばたきによって生み出した風の魔法によってそれをディズ目掛けて飛ばしてきたのだ。

 仕掛けるタイミングをあえて後手としたディズは瞬動術で大地を蹴ってそれを回避した。

 その動きはこの2度目の魔法世界来訪した当初に比べると段違いに滑らかな動きとなっており、実戦でも十分に耐えるレベルのタイムラグの少ない瞬動術だ。

 だが追手きている竜種の知能は高く、ディズの瞬動術の“入り”を見抜いてその“抜き”の位置を先読みしてそこにブレスを吐こうと口に魔力を溜めていた。

 そして

 

「グルッ!?」

 

 驚きは竜種のものだった。

 たしかに瞬動術で着地した獲物は、一瞬姿を見せたとみるや着地の状態から強引に反転しようとして身を翻し――――その場から消えた。

 先程までのような気配の連続する移動ではない。まさに気配が突然にそこで終わったかのように消え去っていた。

 

 

 瞬動術からの姿現し。

 着地の抜きの際の慣性を利用して姿現しの手順に必要な回転を得る。

 ドラゴンの背に姿現ししたディズは左手で腰に差していた短刀を抜き、すばやく魔法を蓄積した。

 短刀に内蔵した小杖に魔力が循環し、慣れた呪文詠唱を脳裏に描いた。

 

 ――セクタムセンプラ――

 

 切り裂き呪文を付与しことによって短刀に強力な魔力刃を纏わせる。刃を振るったディズはドラゴンの背肉に腕を衝きこんだ。

 

「グルァアアアアア!!!」

 

 ディズの魔法では突破できない魔法障壁も、ドラゴンの背という密着距離では用をなさず、強靭な鱗は強力な切り裂き呪文によって引き裂かれた。

 流石に痛みを感じているのか、それがどの程度かは分からないがドラゴンが背中に乗っているディズを振り落とそうともがく。

 ディズは振り落とされまいと魔力をつかって相対位置を固定し、突き刺した左腕はドラゴンの体内へと潜り込み、

 

「エーミツタム! 白き雷(フルグラティオー・アルビカンス)!!!!」

「―――――――――ッッッ!!!!」

 

 ドラゴンの内部で放たれた“白き雷”。

 ドラゴンの体内を魔力で編まれた雷撃が焼く。さしものドラゴンの魔法障壁も抗魔力も、体内からの魔力放射に対しては十全の役目を果たすことはできず、ドラゴンは絶叫を上げて巨体を地面に投げ出して轟音を響かせた。

 

「はぁ……はぁ……なんとか、成功、か…………」

 

 ディズは荒い息をついて地に伏したドラゴンを見下ろした。

 

 

 “武器に切り裂き呪文を留めて振るう”。

それはディズが自身の攻撃貫通力の低さを補うために練っていた方法の一つだ。

 並みの魔法ではドラゴンの固く強靭な鱗と魔法障壁を突破できない。ディズの精霊魔法では出力不足であり、従来の伝統魔法では方向性が特化しすぎていて応用性に欠けているのだ。

 “あちら”の世界でドラゴンの弱点と言われている目や鱗の薄い場所を狙おうにも魔法障壁で守られており、おまけにそこを狙うためにはドラゴンと真正面から向き合わなければならない。

 それはディズの近接格闘能力からすると自殺行為でしかない。

 だが遠距離からでは突破できない。

 そこでディズは強力な切り裂き呪文であるセクタムセンプラを柄に杖を内蔵した短刀に蓄積させたのだ。

 

 媒体に魔法を込めること自体はすでにある術式だ。

 ジョージ・ウィーズリーとフレッド・ウィーズリーが考案した魔法道具の試作品や、精霊魔法においても遅延呪文を物質に込めることはできる。

 だが物質に魔法の特性を込めた状態で行使するというのは、それらとは異なる術式を用いていた。

 師匠が用いるマギアエレベア――術式兵装。

 本来敵に向けて放出するはずの攻性魔法を自らに取り込むことによって力を得る技法だ。

 だが、それには資質はもとより適性が必要であり、ディズがそれを使うことはできなかった(というよりも教えてもらえなかった)。

 自身の魂に攻撃魔法をとりこむことはあまりに危険、かつそれをなす“闇の器”がディズにはほとんどなかったのだ。

 そのためディズは、“攻撃性の伝統魔法を媒体に留める術式”を構築して利用したのだ。

 

とはいえ流石に殺すまでには至っていない。ドラゴンの生命力はディズの魔法の一撃で削りきれるほど弱くはないのだ。

 だが少なくともしばらくは行動不能にはなっているはずだ。

 襲われれば戦うが殺すことが目的ではないし、一々殺していてはこの森ではキリがない。

それよりもドラゴンとの戦闘で派手な音をたてたのでなるべく早くに移動しなければ他の猛獣や危険生物などが集まって――――

 

 

「下位とはいえ成体のドラゴンを倒すほどとはなるほど……おそるべき進達の度合いだな。さすがは福音の弟子といったところか!」

 

 来てしまった。

 

「お前は…………」

「いずれは魔法界に名を轟かす暁のノン♡タンだっ!!」

「………………またか」

 

 ベルトで調査していた時からムンドゥスマギクスに戻ってきてからも、この異形の賞金稼ぎ、ノン♡タンは幾度となくディズの前に現れていた。

 

「またとはなんだっ! 今度こそこのノン♡タンが福音の御子の首を挙げる! ……福音のはどこだ?」

「ここにはいない。今は別行動だ」

「なにっ!!?」

 

 目的はディズではなく師匠であるリオンだが、当のリオンはディズに任せ、その度にディズは相手をしていた。

 最初の戦いのときのように瀕死の重傷を負うことはないようにしていたが、それでもディズとこの賞金稼ぎの力量差は圧倒的であった。

 格上の相手との戦闘経験を積むことによりディズの力は確かに以前よりも上がっている。戦うたびに、以前の師匠との修行では得られなかった実感――確かに自分が強くなっている感覚が分かり、そして相手との力量差が詰まってきていることも感じ取れていた。

 

ただ師匠不在の状態でこの強敵と相対するという事態は初めてである。

 あるいは今度こそ自分の最後か、それともこの強敵を倒すほどに成長した証をたてられるか。

 

「まあいい。どうやら貴様もこのノン♡タンが倒すに値するほどの腕前に…………むっ?」

 

 ノン♡タンはドラゴンを倒すほどの腕前をディズが見せたことに倒す価値を見出したのか襲撃の構えを見せようとし、しかし険しい顔をして視線を背けた。

 顰めた表情。

 それはディズの視線を逸らせるための罠なのか、それとも……

 

ディズは感覚強化の魔法をこの強敵へと集中させていたが、そのリソースを割いて知覚領域を広げた。

 

「!?」

「マズイな」

 

 その知覚領域にかかるものがあった。

 深刻そうなノン♡タンの声にディズは短剣を構えたまま視線を向けた。

 

「なんだ?」

 

 離れた木の樹上に一体。大型の蜘蛛にも見える魔獣がこちらを向いていた。

 サイズはあちらの世界の魔法生物であるアクロマンチュラほどであろうか。ディズは実際には見たことはないが、アクロマンチュラであればそこそこに危険だ。

 “幻の動物とその生息地”という本によるとアクロマンチュラは魔法使いが創り出したといわれる魔法生物だが、訓練により飼育することができず、非情に凶暴で毒牙を持ち、なによりも大型な上に肉食で人を食うという。

 

 ただそれでも一体であればドラゴンとも戦えるディズにとってはすでに脅威というほどではないのだが……

 

「なんだ“霊体喰らい”を知らんのか?」

「霊体喰らい?」

 

 残念ながらここは地球ではなく“魔法世界”。どうやらアクロマンチュラではないらしい。

 もっともだからと言ってより安全な魔獣なのかというと、そうではないらしく、キシャキシャと鋏を打ち鳴らしていた蜘蛛モドキはまるで瞬動術を使ったのではないかというほどの速度でディズとノン♡タンへと突っ込んできた。

 

「なっ!!」

「魔界生物の一種だ。その名の通りレブナントやゴーストのような霊体を喰らう。もっとも肉がついていても関係なく食うがな」

「くっ!! 速いっ!!」

 

 巨体の蜘蛛のような外見の通りなのか、それに反してというべきか、“霊体喰らい”の動きは早い。

無論それをまともに受けるつもりはなく、今のディズであれば回避できる体当たりだ。“霊体喰らい”は巨体通りの衝撃を伴ってディズの後背にあった巨木をへし折った。

 ディズはすぐさま魔力を練り上げて魔法の矢を飛ばした。

 無詠唱サギタマギカによる連弾・雷の11矢。

 流石に詠唱魔法ほど本数はないが、それでも相手が少し大きいくらいの蜘蛛であれば――――糸のような物を吐き出して迎撃された。

 

「ちっ!」

「見た目通り蜘蛛のような能力で糸状の拘束糸を飛ばしてくるが――――」

 

 二発、三発。立て続けに粘弾が飛んできてディズはそれに対する回避運動をとらされた。

 弾は着弾直前に一気に広がってディズを捕えようとするが、ディズは小刻みな瞬動を連続させてそれを避けた。

 ノン♡タンも同じく回避運動を…………回避している?

 一瞬、意識がその違和感をとらえて逸れた。

 

「!」

 

 気づいた時には、向かってくる粘弾の数が増しており回避で抜ける間がなくなっていた。

 ディズは魔法障壁で防ごうとして、しかし警鐘を鳴らす第六感に従って咄嗟に伝統魔法を使って炎の光線を無言呪文で放射して撃ち落し――――きれなかった。

 

「魔法を絡め取った!?」

 

 粘弾はディズの魔法とぶつかった瞬間、それを絡め取った。

 あのまま魔法障壁で受けていれば、障壁ごと拘束糸に絡めとられていただろう。

 

「そうだ。そして最大の特徴は――――集団で行動するという点だな」

「なっ!!」

 

 樹上には目視できるかぎりで10を超える数の“霊体喰らい”がディズ達を見下ろしており、何匹かがノン♡タンの方にも粘弾を飛ばしていたようだ。

 

 こちらを見下す“霊体喰らい”たちは完全にディズたちを捕食対象と認識したらしい。

 キシャキシャ、キシャキシャ、キシャキシャと鋏を打ち鳴らす音が樹上で合唱のように響き、

 

「くるぞっ!」

「っ!」

 

 頭上から“霊体喰らい”たちが一斉に跳躍した。

 

 

 

・・・・・・・・

 

 

 

「ボーズならサウマシア密林においてきた」

「あんたねぇ…………」

 

 リオンの薄情なほどに淡泊な返答に、悲惨な状況にあっているであろう彼の弟子を思って明日菜は嘆息した。

 彼女にとってリオンは弟弟子にあたり、随分と昔の話ではあるが彼女もリオンと同じ“悪の魔法使い”に弟子入りしていたことがある。

 もっとも時期が違うので一緒に修行したことはないが。

 そして彼女にも経験のあることだが、リオンの師である人物の修行は相当に厳しい。

 

「まだ学生でしょ。あんなところに放り出して死んだりしたらどうすんのよ」

「学生だろうとあっちの魔法界じゃ、あいつはもう成人だ。それにそれを言うならもっとガキの時分に魔法世界でサバイバルしたバカどもがいただろ」

「“した”んじゃなくて、“させられた”のよ。――――ってまあ、それはともかく、もう少し気をつかってあげなさいよ」

 

 たしかに明日菜や彼女の親友である木乃香などは、件の“弟子”くんよりももっと若いころに魔法世界強制サバイバルを経験している。

 その時には忘れていたことだが、元々魔法世界の姫だった明日菜はともかく、木乃香や白き翼のメンバーたち、ほかにも巻き添えを受けた学友などは相当に大変だっただろう。

 奴隷にまでなってしまった友人もいたくらいだ。

 よもや“弟子”くんが奴隷にさせられているという事態はないと思いたいが――――

 

「俺を狙っていた賞金稼ぎがつきまとってたからな。修行にはもってこいだろ」

「ちょっと!!! ホントに死んだらどうすんのよ!!」

 

 訂正。

 思っていた以上にこの弟弟子は性格が悪いようだった。

 公的にはリオンにはもう賞金はかかっていない。

 だがその有名すぎる名前のせいで、彼を倒して名を挙げようとする武芸者は結構多い。

 そして概してそういう連中はかなりの腕前であるものだ。

 

「そんなヤワな鍛え方をした覚えはないが、くたばったなら線香の一本でも上げてやるさ」

「あんたはまったく…………」

 

 親子で似たような言い草に明日菜は額に手を当てて嘆息したのであった。

 

 

 

 

・・・・・・・・

 

 

 

 現実世界。

夏休みも残り1週間というところになって“生き残った少年”ハリーとその親友であるハーマイオニーは親友のロンの家である隠れ穴へとやってきていた。

 

「ハリー、分霊箱探しはどうなのかシリウスから聞いた?」

 

 ハーマイオニーからの質問にハリーは首を横に振った。

 

「どうやらマンダンガスは地下に潜ったみたいで、ダンブルドアでも確保できていないらしいんだ」

 

 この夏行う計画であったハリーとその名付け親シリウスの引っ越し作業はなんとか終わった。

 途中からヴォルデモートの分霊箱の捜索という重大任務が生じたため助っ人に来ていたルーピンが、そしてシリウスも任務として出かけなければならなくなってしまった。

 そのため新しい屋敷への引っ越しだけにして、あの頑固なブラック邸の大掃除はまたの機会となってしまった。

 せっかくのシリウスとの暮らしも分霊箱探しの必要性から難しく、ハリーは例年通りロンの家である隠れ穴へと預けられたのであった。

 

「もしかしたらもうグリンデルバルドの手に落ちている可能性もあるんじゃないかって…………」

 

 穏やかなハリーの日常。だがそれとは別の場所では密かに問題ごとが進行していることを子供である二人も知ってしまっている。

 

 この夏、ハリーとシリウスのもとを訪れたダンブルドアが語った推論。

 ヴォルデモートの不滅の理由――分霊箱とその残る一つの行方。

 ブラック家にあったはずのそれは、しかし引っ越しの荷造りの最中に流出してしまい、それを持ちだしたと目されるマンダンガス・フレッチャーは行方不明となっていた。

 

 元々マンダンガスという男は、あまり素行のよろしくない魔法使いとして周囲に認知されている。

 イギリス魔法界の中でもドブのようなところを住みかとしているネズミのような男で、ダンブルドアや闇祓いなどが避けられてしまう地下について繋がりを持つ魔法使い。

 それは有事であれば、裏の事情に精通しているという利点をもたらすが、平時にあっては色々と厄介の種を持ち込む騒動の素のような存在となってしまう。

 そして今回も、イギリス魔法界において由緒正しいブラック家の大掃除に際して、その由緒正しい品々を売り払おうと画策したマンダンガスが、シリウスたちも知らなかったことではあるが、ヴォルデモートの最後の分霊箱を持ち出してしまったことが、現在ハリーやシリウス、ダンブルドアにとってなかなかに厄介な事態を招いている。

 

 マンダンガスは魔法使いとしてはダンブルドアとは比べるべくもなく、シリウスやルーピンなどと比べても大きく劣る魔法使いだ。

 だが裏の事情に精通したマンダンガスの行方を、伝手のない彼らが追いかけることは難しい。

 しかもどうやら分霊箱を持っている彼を追っているのはダンブルドアたちだけではない可能性があるのが厄介な所だ。

 

 ヴォルデモートの魂を喰らった闇の魔法使い、ゲラート・グリンデルバド。

 彼もまたマンダンガスを追いかけている可能性が大きいのだ。

 彼にとって、マンダンガス自身には大した価値はない。だがマンダンガスが持っている分霊箱は、幾つかの意味でグリンデルバルドに利をもたらす。

 

 ヴォルデモートの分断した魂は、元々いくつかはすでに砕かれてしまっていたが、それでもそれを喰らったグリンデルバルドが、最後に残された一つを喰らえば、それだけで彼の力が増すことが懸念される。

 また、分霊箱自体には、分断した魂をこの世に繋ぎ止める働きというものがあるらしく、そのため、ヴォルデモートの分霊箱がある今の状況では、もしかすると通常の方法では、ヴォルデモートの魂を喰らったグリンデルバルドもまたその効果を受けている可能性があるのだという。

 ただでさえダンブルドアを圧倒するほどの魔法力を示し、半身を抉られても死ななかったグリンデルバルドが、通常の方法ではその魂を冥府に送ることすらできないとなれば、それは厄介処のはなしではない。

 ほかにもその分霊箱を何らかの方法で利用する可能性。ヴォルデモート自身が復活する可能性など、推測される懸念事項はいくつも上がる。

 そのために現在、シリウスやルーピン、他にもダンブルドアの警鐘に同意した魔法使いの何人かがそれを捜索しているらしいのだが、現在のところ、それは見つかっていないらしく――――らしいということから分かるように、ハリーはその捜索から外されていたのだった。

 

 ハリーにとっては、ヴォルデモートは憎むべき両親の仇でもあるし、他ならぬシリウスが必死に捜索している物なのだから、少しでも力になりたいと申し出たのだが、ダンブルドアやルーピンだけでなく、シリウスすらからもそれを制止されてしまった。

 

 ハリーからすれば、それは理由にはならないとも感じられた。

 一年生の時から今までで、賢者の石を死喰い人から守ったり、秘密の部屋の謎を暴いたりと、ダンブルドアのいないホグワーツでその平和に貢献していたのは紛れもなくハリーなのだ。

 今彼らが困っているのなら、少しでも力を尽くそうとするのは、当然のことに思えたのだ。

 

 ただ――――同時にハリーは自身に力がないことも理解していた。

 昨年のクリスマス。ハリーはヴォルデモートの復活にまんまと利用され、その魔手から逃れるという幸運を再現しはしたものの、その後の混乱においては何の役にも立たなかった。

 ゲラート・グリンデルバルドや魔法世界からの襲撃者を退けたのも、彼の復活に手を貸した裏切りの死喰い人を倒したのも、ハリーではない。

 

 ハリーではないのだ。

 

 

 

 もちろん、ハリーとしてもウィーズリーおじさんやおばさんが温かく迎えてくれる隠れ穴は、ホグワーツのグリフィンドール寮の部屋と並んで大好きな場所だ。

 だから、隠れ穴での生活は、いささかの不満と、シリウスがいないことに対する少しの淋しさを除けば、概ね良好なものだった。

 

 バタンと扉が開け放たれ、赤毛のノッポの少年――――ハリーのもう一人の親友、ロンが入ってきた。

 

「ハリー、ハーマイオニー。教科書のリストが届いたぜ」

 

 彼はどたばたとハリーたちの方へとやってきて、手にしていた封筒を差し出した。

 ロンから手渡された封筒を開き、ハリーはリストを確認した。新しい教科書は2冊。多くの科目は昨年からの継続授業であり、その教科書が必要となるのは“闇の魔術に対する防衛術”であろう。

 教科書のリストを取り出したハリーは、封筒にまだなにか別のモノが入っているのに気付いて――――バシッと音がしてフレッドとジョージがハリーの近くに“姿現し”した。

 

「今度の教師はどれくらいもつもんかね」

「去年は4か月の最短記録だったからな」

 

“闇の魔術に対する防衛術”も継続ではあるが、昨年の担当教授であるアラスター・ムーディー先生は――――正確にはその先生は着任することもできずにトランク詰めになっており、彼に化けていた死喰い人は4か月で化けの皮が剥がれて逮捕となった。

 正直、よくダンブルドアが毎年新しい担当教授を見つけて来られるものだと感心するほどだ。

 昨年のを除いてみても、その前の年は終了間際に人狼であることが発覚して学校から追い出され、その前は大法螺吹きの詐欺師であることが露呈した挙句、記憶を失って病院送りになり、そのさらに前の年に至っては死喰い人であった上に死んでしまった。

 呪われた学科という噂が真実味を帯びているとしても誰も異を唱えはしないだろう。

 

 ハリーは果たして今年の担当教師はどうなのだろうかと、望み薄く羊皮紙を眺めていた。

 

「ハリー。まだ何か入ってるわよ……まあ! ハリー! あなた監督生よ!」

「えっ!?」

 

 そんなハリーに、ハーマイオニーが驚きの言葉をかけた。

 彼女はハリーが持っていた封筒に、まだ別の物が――彼女自身の封筒に入っていた物と同じ物が入っているのを見つけて目を輝かせた。

 驚いたハリーが、いつの間にか彼女が持っていた封筒と受け取って見ると、そこには一昨年くらいまでパーシーが着けていたのと同じPの字の入った赤と金の色をしたバッジがあった。 

 

 —―僕が……監督生?――

 

「ハリー! 私もよ!!」

 

 ハーマイオニーは喜色満面でハリーに抱き付いた。

 呆然としていたハリーは、顔に押しつけられた柔らかい感触と心地よい香りに意識を引きもどされた。

 

「は、ハーマイオニーっ!?」

 

 ハッと我に返って周囲を見ると、ニヤニヤと笑う双子と、憮然とした表情をしている親友の姿があった。

 ハリーは慌てて、ただやんわりとハーマイオニーを押し返すと、彼女も監督生に選ばれたことに対して祝福を述べた。

 

「き、君も監督生に選ばれたのかい?」

「まっ、当然だよな。兄弟?」

「我らがグレンジャー嬢と、英雄ハリーが選ばれずして誰が選ばられるっていうんだい? おっと大穴で我が弟という可能性がなきにしもなかったかもしれないな」

 

 ハリーに続いてジョージとフレッドがニヤニヤ顔のまま、ロンの肩に腕を巻きつけて言った。

 ハリーはハッとしてロンを見た。

 

 ロンとハーマイオニー。

 1年生のころからいくつもの冒険を潜り抜けてきた親友だ。

 ハリーはロンの危機に躊躇なく駆けつけるし、ロンもまた同様だ。ハーマイオニーだって勉強の面だけでなく、危機に際して知恵を貸して、導いてくれる。

 だがハリーは知っている。

 ロンは心の中では自分に嫉妬していることを。功績を上げても周囲から注目を受けるのがハリーばかりで、ロンはハリーの影、成績優秀なハーマイオニーの影、騒がしくも人気者な兄たちの影に隠れていることに劣等感を抱いていることを。

 

 ロンに向けたハリーの顔がよほどのものだったのか、ロンは気難しげな顔をした後、ため息交じりににやりと無理やり笑顔を作った。

 

「やったなハリー。監督生だぜ!」

 

 ロンはジョージとフレッドの腕を振り払ってから、ハリーの肩をバシッと叩いた。

 

「あ、うん…………」

「君が選ばれて当然だって思ってた! ホントだよ?」

 

 それは……たしかに本当なのだろう。

 今ではロンは隔意などないかのようにハリーに笑いかけてくれているが……。

 ロンは色々とハリーが選ばれるにふさわしい理由を言ってくれた。

 賢者の石を守ったこと。秘密の部屋の謎を暴いたこと。グリフィンドールクィディッチチームで百年ぶりの1年生シーカーとなり、大活躍したこと。闇の魔術に対する防衛術で学年一番の成績をとっていること。

 ハリーはロンの気づかいに背中がむず痒くなりながらも、小さくお礼を言った。

 それからロンとハリーは、新学期が始まってからどんな理由でマルフォイから減点するかやどんな罰則を与えるかを面白おかしく話し合い、ジョージやフレッドは今からハリーにおべっかを使えば新学期に起こすであろう騒動で口をきいてくれるはずだなどと軽愚痴を言って、それぞれハーマイオニーに注意を受けたりした。

 

「ところでジョージ。なんだいそれは?」

 

 ふと、ハリーはジョージが手に着けているグローブに気付いて指さして尋ねてみた。

 

 この夏から、というよりももっとずっと前かららしいのだが、二人は色々な魔法道具を作成し、ある時は周囲を楽しませ、ある時は小さな騒動の種となっていた。

 

「実験作さ」

「試してみるか監督生様? 」

 

 ジョージはつけているグローブをとり、ハリーの方へと差し出した。

 ハリーはそれに怪しみの視線を向けた。渡された物をバカ正直に受け取って水掻きができたなんてなったりしたら目も当てられない。

 

「心配しなくてもこの状態じゃまだ未完成――なにも起こらないって意味での未完成品さ」

 

 受け取らないハリーにジョージは苦笑して杖を取り出し、片手に持つグローブをトントンと杖で叩いた。

 

「インセンディオ」

「なっ! おいっ!!」

 

 いきなり燃焼呪文をグローブにかけたジョージにロンが驚いた声を上げたが、グローブにはまったく火がつかず、一瞬だけうっすらと発光した。

 

「…………なにも起こらない?」

「起こるのはこれからさ」

 

 首を傾げたハリーに二人はにまりと笑みを向け、グローブをフレッドへと手渡した。

 ジョージからグローブを持ったフレッドはそのグローブを右手に着けてくるりと手首を返した。

 

「さあさご覧あれ。我らが新発明!」

 

 大仰に言った瞬間、フレッドの掌から小さな火が燃え上がった。

 

「えっ!? あれ今、君、杖……」

「杖なしで魔法!?」

 

 杖も呪文もなしに魔法を使った。

 無言呪文はそこそこに熟練した魔法使いであればできるものだが、杖なしではそれはできないはずなのだ。

 

「魔法のグローブさ。あらかじめ魔法をしこめば誰でも無詠唱で魔法が使える優れもの…………まあ、威力は込めたときよりも数段弱くなるし、そんなに強力な魔法もしこめないから、ちょっとした余興程度だけどな」

「本当はマグルでも魔法が使える魔法道具を目指してるんだけどな。テスターがいなくてそちらは現在効果不明なんだ」

「マグルでも?」

 

 ジョージとフレッドの説明にハリーたちは訝しげな表情になった。

 たしかに魔法のグローブはそこそこ面白そうではあるが、マグルでも魔法が使えるようになんてやっていいことだとは思えなかったからだ。

 ハーマイオニーに至っては露骨に顔を顰めている。

 二人もそれに気づいたようで、まあまあと落ち着かせるジェスチャーをして弁明した。

 

「スポンサーの意向でね。ほら、例の“魔法バラシ”があるから、その後の需要を狙ってるんだろうよ」

 

 魔法と非魔法族の融和。

 一方にしか扱えない力というのは不和と混乱を生む。

 マグルでも魔法を扱えるようにする技術はそれを解決するための一助となるはずの研究ではあるが…………

 

「今から狙い筋の開発をしてるのさ」

 

 とりあえず今の彼らにとっては愉快とお金になるものの一つでしかないようだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

再会……っていつの間に会ってたんだよお前ら!

「よっ、しょと……はぁ~、毎年のことやけどすごい人だかりやな……ディズ君?」

 

 9月1日。キングスクロス駅9と3/4番線プラットホーム。

 例年通り、魔法で秘匿されたプラットホームへと入った咲耶は、隣を歩く友人へと振り向いた。

 

「…………そう、だね」

 

 師匠から彼女の護衛役を仰せつかったディズは、なにやら感慨深げに紅い列車――ホグワーツ特急を見つめていた。

 

「ディズ君?」

「ああいや……よくこの列車をまた見ることができたと思ってね」

 

 幾度死にかけただろう。

 少なくとも死を覚悟したのは片手の指では足りない回数を、この夏休みの内に体験した。

 

 ゲラート・グリンデルバルドの系譜に連なり、そして外れた者にして、リオン・スプリングフィールドの弟子、ディズ・クロスがホグワーツ最後の年を過ごすためにここへと帰ってきたのだ。

 

 

 ちなみに、咲耶の横に侍る童姿の式神シロは、護衛役が自分一人ではないことになにやら不満顔で口をへの字にしていた。

 

 

 

 第91話 再会……っていつの間に会ってたんだよお前ら!

 

 

 

「よ~っす、サクヤ!」「久しぶり、サクヤ」

「おはようサクヤ。……シロくんが随分と機嫌悪そうね」

 

 ホグワーツ7年目の友人、リーシャやクラリス、フィリスと再会し、ディズもセドリックやルークと挨拶を交わした。

 

「クロスと一緒に来たのか?」

「うん」

「一週間ほど前に魔法世界から戻ってね。それまでの間、ニホンのサクヤの家で厄介になっていたんだよ」

 

 リーシャがサクヤの隣に立つディズを見て尋ね、咲耶は他意なくその質問に頷いた。セドリックたちからもうかがうような視線を向けられてディズは補足するように説明した。

 

 師匠の魔法世界での用事とディズの修行は些かのゆとりをもって終了した。

 ただしリオンの方はその後も行くところがあると言ってディズを咲耶の実家、へと分投げてどっかに行ってしまった。

 

「サクヤの家で!?」

「何を考えているかはだいたい予想できるけど、サクヤの家、物凄く広いから、変な心配はしなくていいよ」

 

 ニホンで一緒に過ごした上にニホンから一緒に旅行してきた。

 いつの間にかあまりに親密な関係になっていそうなそんな行動に驚くリーシャ。彼女だけでなく、クラリスなどは射殺さんばかりの目でディズを睨み付けており、ディズは顔を能面のようにして淡々と少女たちの妄想を先に否定した。

 

「そなの?」

「うん、まぁ……そかな」

 

 確認するように視線を向けるリーシャに咲耶はぽりぽりと頬をかきながら首肯した。

 

 咲耶にとって、実家の広さは孤独と結びつくような象徴なので複雑だが、否定することができない広大さがたしかにあった。

 咲耶の実家、つまりは関西呪術協会総本山、炫毘古社はそれこそ家というよりも邸宅というか屋敷というか……呪術協会の術士も多数詰めており、お手伝いさんなども大勢在住している、ある種の城といっても差し支えないような広大さがあるのだから。

 

「おかげでなんとか宿題をするゆとりがあったよ。実は今年は課題の提出をほとんど諦めてたんだけどね」

「珍しいなクロス。そんなにスプリングフィールド先生の修行きつかったのか? なんか傷作ってるみたいだし」

 

 ディズは肩を竦め、ルークが意外そうに尋ねた。ディズの口元から首筋にかけてなにやら切り付けられたような大きな傷が覗いており、服に隠れているが傷跡は胸元の方にまで及んでいるように見える。

 彼は1年生のころから学年で成績一番で、5年生からは監督生、7年生では主席確実と目されていたくらいの優等生だったのだが、そんな彼が夏休みの宿題を諦めていたといのは驚きものだろう。

 

「まあ……死んだら宿題は提出できないからね」

 

 ディズは死んだ魚のような遠い目をして呟いた。

 まるで悟りを開いた隠者のような雰囲気のディズに思わずルークが頬を引き攣らせた。

 

「……そういえばクロスはなんで監督生バッチつけてないんだ?」

 

 話題の転換も兼ねてセドリックはもう一つ、以前のディズとは異なる点があることに気づいて尋ねた。

 以前のディズには、5年生の時からセドリックと同様、監督生に選ばれた証である監督生バッチを胸につけていたのだが、今のディズにはそれがなかった。

 監督する他の生徒のいない夏休み中にまで監督生バッチをつけている必要は勿論ないのだが、ホグワーツ特急に乗ると監督生には車内の見回りをするという仕事が与えられるため、だいたいの監督生は列車に乗る前からバッチはつけていた。

 ハッフルパフの監督生であるセドリックやフィリスもその胸元には監督生バッチが光っている。

 

「去年の学期末にダンブルドアに返上したんだよ」

「えっ!?」

 

 だがセドリックの質問に対してディズはなんでもないことのように、なんでもある答えを返してセドリックのみならず友人たち一同を驚かせた。

 

 監督生とは5年生になった生徒の内から基本的には成績優秀で、他者の模範となるような生徒が各寮から男女1名ずつ計2名、学年では8名が選ばれるものであり、校長によって決定される義務であり資格だ。

 寮生の模範となり、下級生や他の寮生を指導し、必要ならば監督生以外の生徒に罰則を与えることすらできる権限を校長から与えられる。

 選ばれた生徒は大体の場合において卒業まで継続して監督生を務めることになるのだが、ディズはその大体から外れた珍しい事例になったらしい。

 

「どうせ魔法省だの理事会だのから文句が上がるのが目に見えていたからね」

「いやでも主席間近の7年生で?」

 

 監督生、というのは明確な選定基準がないものの、基本的には成績優秀な生徒が任命されるものであるからして、成績優秀者ということとほぼ同義と見なされる。

 7年生ともなれば、卒業後の就職を決める年でもあるのだから、評価に影響するその職をこの時期に辞するというのは今までの労苦から考えると割に合わないものだろう。

 

「別に監督生が必ずしも主席になるわけではないし、そもそも主席になったところで魔法省が俺を評価するはずはないね。興味もないし」

 

 ただディズにとってはやろうがやるまいが、もはや魔法省からの評価は最悪レベルから上がることはないだろう。

 史上最悪の闇の魔法使いの血統。

 そんな肩書の上に成績優秀な学生生活をおくったとついたところで無駄に警戒心を煽るだけだ。

 

 

「その代わりに選ばれたスリザリンの監督生がアレか?」

 

 空いている席がないかを窓から探しながらプラットホームを歩いていると、なにやら剣呑な雰囲気を撒き散らしている一角があり、リーシャが半眼になって指さした。

 

「あ、ハリー君と……マルホイ君やっけ?」

 

 フィリスとセドリックがつけているのと色違いのPの文字が刻まれたバッジをつけているドラコ・マルフォイとハリー・ポッターがなにやら睨みあいをしていた。

 

 その横ではそれぞれガタイのいい2人の男子生徒と赤毛のロン・ウィーズリーも同じく喧嘩直前の雰囲気で睨みあっている。

 

 

 

「ウィーズリー、所詮君はポッター程度の腰巾着にしかなれないんだよ。どんな気持ちだい? 大勢の生徒の前で情けなく泣きわめいた無様なポッターの下につくというのは。血を裏切る者にはお似合いだな」

「このっ!」

「ヴォルデモートの腰巾着の君の父親はどうなんだ? ディメンターと仲良くやれてるのかい?」

「ッッ。いい気になるなよポッター。ファッジなんかが父上をアズカバンに入れられるものか。父上はすぐに出てくる」

 

 今にも呪いのかけあいに発展しそうな雰囲気だ。

 

 

 

「止めなくていいのか、クロス?」

「元監督生が監督生を? 冗談だろ」

 

 呆れたように溜息をついたディズにルークが顔をにやりとして尋ね、ディズは肩をすくめて応えた。

 優等生、監督生として体面を作っていた前までならいざしらず、今はもうあんな鬱陶しそうな子供同士の諍いに首を突っ込む気にはなれない。

 

 一方で咲耶は諍いに顔を顰めている友人、ハーマイオニーの姿に気づいてぱたぱたと近寄っていた。

 

「やっほ、ハーミーちゃん! おっ! ハーミちゃん監督生なったんや!」

 

 ハーマイオニーの胸元に飾られた監督生バッジを見て、咲耶はおめでと~とほわほわ笑顔で友人の栄達を祝福した。

 

「ありがと。ハリーもよ」

「あ、そなんや。ハリーくんもおめでとーなーって、あれなにしとんの?」

「いつものことよ」

 

 どうやら彼女も監督生になっても変わらない男子どもに辟易としているらしく、はぁ~、と思い溜息をついた。

 ハーマイオニーに声をかけたことでハリーとマルフォイもサクヤたちに気づいたのか、ハリーは「サクヤ!」と嬉しそうに顔を緩め、マルフォイは「ちっ」と忌々しそうに舌を打った。

 

 

 

 “和やかな”挨拶を交わした一同は、それぞれ監督生は監督生用の車両に、ロンは兄たちの車両に、そして咲耶はディズとリーシャとクラリスとルークとともに空いているコンパートメントへと入っていった。

 

「なんか色々大変だな。クロスも、ってかスリザリンとグリフィンドールも」

 

 先程のスリザリンとグリフィンドールの新監督生のいがみ合いを思い返してリーシャがしみじみと呟いた。

 同じ学年の一番身近な監督生がセドリックとフィリスという寮でも最も良識ある二人だからこそ特にそう思うのかもしれないが、ハーマイオニーはともかく、会うなり非友好的な言葉のやりとりをするようなあの二人が他の生徒の模範として寮の規律を守るというのはどう考えても無理なように思える。

 しかもマルフォイの方はディズと同じ寮なのだ。

 これから一年、彼が尊大な態度で寮を闊歩するのは想像に難くない。

 

「まあマルフォイのとこも、家のごたごたで大変なのは間違いないだろうけどな」

「なんかあったん、ルーク君?」

 

 ただ外面ほど彼は横柄な態度ではいられないだろうと言うルークに咲耶は首を傾げた。

 

「ほら、去年の騒動であいつの父親、死喰い人としてホグワーツに来てたからさ」

 

 昨年の騒動にて、ヴォルデモートが復活の狼煙を上げたことにより、かつての暗黒時代終焉時に粛清を免れた裏切者の死喰い人たちは、強大なご主人様の勘気を恐れてあの場所に召集されていた。

 だが集ったものの、闇の帝王の頂点は三日天下どころかあっという間に弾け飛んでしまい、残ったものは死喰い人としてのレッテルのみ。

 ほぼ全員があの場の魔法先生たちによって捕縛され、魔法省へと引き渡された。

 

「もっともあのマルフォイのとこのことだし、すぐに出てきそうだけどな」

「そうなん?」

「マルフォイ家は狡猾で知られている。たとえ凶器の杖が彼らの指紋だらけでも、犯行現場に彼らの姿があることは決してないとも言われるほど」

 

 リーシャが諦め交じりのように言い、きょとんと小首を傾げる咲耶にクラリスが淡々とマルフォイ家にまつわる評判を述べた。

 

 “純血”の一族、マルフォイ家。

 その歴史は古く、ウィルトシャー州を地盤とするイギリス魔法界でも屈指の富豪の一族だ。その財貨をもって魔法省に多額の寄付を行っており、魔法大臣とてマルフォイ家を粗略に扱うことはできないという。

 ヴォルデモートが健在であるならばともかく、魔法省がその復活と消滅を目撃している以上、マルフォイ家は思う存分保身のための行動に走り、元同志や亡き主を裏切るであろう。

 

 気分の悪くなるような話をしている間に、ホグワーツ特急は出発の時間を迎え、ホグワーツへ向けて走り始めた。

 咲耶たちは話題を夏休みのことに変えてわいわいと愉しげな会話をし、車内販売でやっていた魔女からお菓子などを購入した。

 カボチャジュースに百味ビーンズ、蛙チョコレート。

 イギリスに暮らすリーシャたちからすると昔から慣れ親しんだものであり、けれどもニホンから来ているサクヤを交えてそれが食べられるのは今年が最後。

 ホグワーツ特急でこうしてホグワーツに向かいながらみんなで食べられるのはこれが最後だ。

 

 しばらく小さな宴会を楽しんでいると、監督生として見回り途中のセドリックとフィリスがコンパートメントへとやってきた。

 ふぅと疲れたようなため息をつくフィリスにリーシャがカボチャジュースを差し出してねぎらった。

 

「おつかれさん、フィー。なんかいつもより大変そうだな?」

 

 差し出されたそれをフィリスはお礼を言ってから受けとり、まだ十分に冷えているジュースで喉を潤した。

 

「大変も大変よ。ハリーとスリザリンのマルフォイがもう、ずぅっと空気を悪くしてるの。先生が同乗してなかったら監督生が監督生を取り締まらなきゃならなくなってたわ」

 

 フィリスはうんざりとした様子で眉を顰めてぼやいた。

 温厚でフォロー上手なセドリックからもなんの訂正も入らず、顔を向けてもため息とともに肩を竦めている様子から、件の二人が相当に険悪な関係なのだとうかがい知れた。

 

「先生が乗ってるの?」

 

 フィリスとセドリックのお疲れの原因の話は脇に置いて、クラリスは気になることについて尋ねた。

 ホグワーツ特急は先生に引率されるものではないので、必ずしも教師が同道しているというわけではない。だが必要があれば教師が乗っていることもあり、今回で言えば

 

「ええ。ほら、“闇の魔術に対する防衛術”の先生じゃないかしら」

 

 “闇の魔術に対する防衛術”の教授。

 

「魔法省の闇祓いで、去年臨時で来られた先生とは別の人よ」

 

 今までも年の最後まで教授がもたなかったという事態は起こっていたのだが、昨年に至っては半期を超えることもできずなかった。しかもその人物ははじめから別人であったわけで……事態を憂慮した――というよりもそうほいほいと“闇の魔術に対する防衛術”のスペシャリストを用意できるはずもなく、先年の残り半期は魔法省の職員が派遣されたのであった。

 そこにはかなり衝撃と混乱のあったホグワーツに対する監視の意味合いもあったのであろう。

 そしてどうやら年度が替わっても、“闇の魔術に対する防衛術”の相応しい人材を校長は見つけることができなかったようだ。

 まあ何十年にも渡って、一年限りで席が空いてしまう呪われた教授職と噂されているのだ。無理もないだろう。

 

 リーシャたちは今年の先生こそ、まともに最後まで残ってほしいと話し、いよいよ今年に迫ったがどのようなものかを話題に移した。

 めちゃくちゃ疲れる魔法テスト(Nastily Exhausting Wizarding Test)、通称N.E.W.T。

 イギリス魔法界の就職において、この出来栄えで就職の可否が決まると言ってもいいほど重要な試験であり、例年5年生時のO.W.L試験以上に多くの生徒をノイローゼに陥れる関門だ。

 

 例年の先輩方の死にそうな顔や奮闘ぶりについて話したりしながら、列車はガタゴトと森林地帯を走っていき平穏な時間が流れ――――不意に、ピクンとなにかに反応したディズとシロが扉へと視線を向けた。

 

「どうかしたのかい、クロス?」

「シロくん?」

 

 セドリックと咲耶が、急に気を張り詰めさせた二人にきょとんと尋ねるが、二人は扉を睨みつけており…………ガラリと、ノックの音もなくコンパートメントの扉が開けられた。

 

「ん?」「なんだ?」

 

 リーシャたちが一斉に扉の方に視線を向けると、そこにいたのは青白い顔の細面の少年――ドラコ・マルフォイだった。

 ノックもない無礼と、あまりよい印象のない――はっきり言って嫌な奴の来訪にフィリスやクラリスは露骨に顔を顰めた。

 

「どうしたんだい、マルフォイ?」

 

 ただ流石にセドリックは同じ監督生としてというのもあるのだろうが、コンパートメントのみんなの嫌悪感を感じ取って自分からマルフォイに声をかけた。

 

「サクヤ・コノエ」

 

 だがマルフォイはセドリックなどまるで相手にもならないと言わんばかりに――いや、眼中にも入っていないかのようにただじっと咲耶だけを見据えていた。

 

「先生が呼んでいる。来い」

「先生?」

 

 青白い顔には能面のように表情がなく、不気味さがあり、咲耶は怪訝そうに首を傾げた。

 まだ授業が初めってもいないのに先生に呼び出しを受ける理由が思い当たらない。

 

「先生ってドーリッシュ先生かしら? さっき出ていくときにはなにもおっしゃられていなかったけど……」

「何の用か言っていたかい?」

 

 どうやらフィリスは見回りの前に同乗していた先生に言葉を交わしたらしいが、その時には何も言伝のようなものは受けていなかったらしい。

 他の寮の監督生に連れてくるように言うよりも、同じ寮のフィリスかセドリックに言った方がよかったのでは、とどこか引っかかったように訝しげな表情となった。

 

「お前には関係ない。用があるのはコノエだけだ」

 

 マルフォイはフィリスやセドリックの疑問など知ったことかとコンパートメントの中にずかずかと入りこもうとし、

 

「マルフォイ!」

 

 外からの怒鳴り声によってその歩みを止められた。

 

 

 

 マルフォイは能面のような顔でぐるりと声のした方へと振り向いた。

 

「なにをやっているんだ。こんなところで」

「ポッターか」

 

 声をかけてきたのは、同じく監督生として見回りに来たハリーだった。

 見回り、といってもそれが建前であり誰かさんに会いに来たのであろうことは、隣にハーマイオニーを連れていることからも簡単に分かることであった。

 

 ハリーは見回りという口実のもとサクヤへと会いに来て、そこに最も嫌悪する相手の顔が見えたことで反射のように怒鳴り声が上げたのだ。

 なにせ碌でもないスリザリン生の筆頭――腐れマルフォイのことなのだから。

 どうせ碌でもない考えのもと、サクヤに絡んでいるのだろう。

 

「お前には関係ない……いや、お前もだ、ポッター」

「はぁ?」

 

 ハリーの嫌悪の視線と態度に対して、マルフォイはいつにもまして憎らしく青白い顔をしていた。

 

「あの方が呼んでいる……来い、ポッター、コノエ」

 

 いったいマルフォイはどういうつもりなのか。

 ハリーは眉根を寄せてマルフォイを睨みつけ、ちらりと隣のハーマイオニーにどう思うか尋ねようと視線を逸らした。

 その瞬間、

 

「クルーシ―――――!!!!!」

 

 ハリーや咲耶たちからは見えない位置で杖を抜いていたマルフォイが突如として呪いをかけようとし、しかし光線が放たれる前にコンパートメントの中から飛来した光弾によってマルフォイは吹き飛ばされた。

 

「クロス!?」

 

 コンパートメントの中から驚きの声が上がった。

 

 

 

 マルフォイの礼儀のない誘いに困惑していたのは咲耶も同じだった。

 コンパートメントの壁の向こうでマルフォイとハリーとが会話しているのを見守りながら、まあついて行くくらいならいいかと軽く考えていた矢先のことだった。

 

 突如として膝上に居たシロが尻尾の毛並みを逆立て、クロスが早業で杖を抜き去って無言呪文で閃光を放ってマルフォイを吹き飛ばしたのだ。

 

「ディズ君!?」

「下がっているんだ、サクヤ」

 

 咲耶やセドリック、他のみんながギョッとしてディズの行動に驚く中、彼は杖を左手に持ち、吹き飛ばしたマルフォイへと歩み寄ってコンパートメントを出た。

 

 ハリーもぎょっとして出てきたディズを見た。

 壁に打ち付けられたマルフォイを油断なく見おろすディズに、ハリーは「なにをしているんだ!」と詰問しようとして、しかし声がでなかった。

 それはゆらりと立ち上がったマルフォイの幽鬼のような動きのせい以上に、目の前に立つ魔法使いが、明確に“違う”雰囲気を発していることにあった。

 気圧された、と言っていいだろう。

 

 

 ディズは後ろのグリフィンドール生のことにはわずかに意識を残しつつ、ゆらりと立ち上がったマルフォイを見定めた。

 先ほどの呪文はただ吹き飛ばしただけだったから、別に気絶していないことはさして問題ではない。

 だがディズの知る“ドラコ・マルフォイ”という少年は、常に自分が属するなにかの権力を傘にして威を張り、普段は取り巻きを後ろに引き連れ、いざとなれば真っ先に逃げ出すようなとるに足らない子供だ。

 大きな傷をつくるような魔法ではなかったとはいえ、壁に打ち付けられるような痛みを味わった直後では喚き散らすか、少なくとも腰が引けるような程度の子供だったはずだ。

 だが今、ドラコ・マルフォイは腰が引けた様子も、何かの虚勢を張っているわけでもなく、それどころか自分を傷つけた相手に対する憎悪やいらだちなんかも感じ取れはしなかった。

 ただただ目的を果たそうとすることと、そこに障害があることを認めただけのような操り人形のような動き。

 

「服従の呪文か……」

「えっ!!?」

 

 ディズの呟きが聞こえたのだろう。

 背後にいた二人のグリフィンドール生の驚愕したような声が上がった。

 

 服従の呪文。

 それは、死の呪文、磔の呪文と並んで伝統魔法における許されざる呪文と定められている闇の魔法であり、同族である人に対して用いれば、アズカバンで終身刑に値するとまでされる呪文だ。

 昨年の“闇の魔術に対する防衛術”の授業によって、ディズはもとより咲耶やリーシャたちも、そして今年で5年生になるハリーたちも知ることになったおぞましい魔法。

 当然一介の学生がかけられてよい魔法ではなく、それがかけられているということは、まさに碌でもない企みがあるということなのであろう。

 

 遅まきながらハリーも杖をポケットから引き抜き、戦闘態勢をとりマルフォイに相対した。

 

 だがその次の動きはハリーの予想を大きく超えていた。

 

「アバダ―――」

 

 それは少年の力量、覚悟では唱えることなどできるはずのない闇の呪文。

 あらゆる生物に“死”という不可逆をもたらす禁忌の魔法であり、それをためらいもなく唱えようとしていることからも、マルフォイが平静の状態ではないことが明白だった。

 

 素早くハリーの杖が動き、しかしマルフォイとハリー、どちらの呪文も唱え切るには至らなかった。

 シュンッとハリーの目の前から一瞬にしてディズ姿が消えた。

 

 瞬動術によってマルフォイの背後に回り込んだディズは杖腕とは逆の右手をマルフォイの背に押し当て、無詠唱で魔法を発動させた。

 

 —―魔法の射手(サギタ・マギカ) 戒めの風矢《アエール・カプトゥーラエ》!!――

 

 おそらくマルフォイには背後をとられたと意識する間もなかっただろう。

 気付いた時には“戒めの風矢”による捕縛魔法が発動し、その体を光の帯が拘束して地面へと縫い付けていた。

 腕に、脚に拘束帯が巻き付き、身動きがとれないほどにガッチリと捕縛の魔法がかかった。

 

 ハリーは驚き、唖然としてディズ・クロスに視線を向けていた。

 

 —―速い…………ッッ――

 

 一瞬の早業だった。

 ハリーが習った魔法の使い方とはまるで違うやり方で、けれども圧倒的に戦い慣れた動き。

 圧倒的な格上、というにはハリーにはディズの力のほどがまるで見えなかった。

 

 

 瞠目して見つめるハリーや友人たちの視線をなんとも思っていないのだろう。ディズは床に縫い付けたマルフォイを見下ろした。

 

「がぁっっ!!!!」 

「っと、一応武装は解除しておくか」

 

 完全に封殺され、それでもなお暴れようとするマルフォイに、ディズは杖を一振りしてマルフォイの手から杖を弾き飛ばした。

 今のディズからすればいくら操られているとはいえ、子供の魔法使いが暴れたところでどうということはない。それでも無力化したのは、さらに不意の事態を考えたればこそで―――

 

「!!」

 

 ディズはばっと身を翻して杖をコンパートメントのハリーたちの居る方とは反対の出口へと向けて振るった。

 扉を突き破り、二つの閃光がディズへと襲い掛かり、しかしディズの張った障壁に遮られてはじけて消えた。

 

 

「クラップ! ゴイル!」

 

 襲撃者はマルフォイの腰巾着の二人の姿にハリーが叫んだ。

 だがその顔は、いつもの愚鈍な様子にも増して虚ろであり、マルフォイの危機にかけつけたというような様子ではない。

 おそらくマルフォイ同様“服従の魔法”を受けているのかもしれない。

 クラップとゴイルはディズの足元にマルフォイが捕まっているのにもかかわらず、杖を構えて振るってきた。

 同時にディズは右手を前に突き出して迎撃の魔法を放った。

 

 ――魔法の射手(サギタ・マギカ) 雷の七矢(セリエス・フルグラーリス)!!――

 

 無詠唱で放たれた7本の雷の矢の内の二本がクラップとゴイルの放った閃光とぶつかって消し去り、残りの魔法が二人に降り注いだ。

 麻痺の付加属性を持つ魔法の矢を受け、二人はビリビリと体を痺れさせられ、ガクリと膝から崩れ落ちた。

 

 

 

「なんなんだ一体」

 

 襲撃が一段落し、コンパートメントから顔を出したルークが倒れているクラップとゴイル、そして拘束魔法を解こうと足掻くマルフォイを見て顔を顰めた。

 

「クロス、彼らは……」

「ああ。服従の呪文で操られているな…………」

 

 同じく出てきたセドリックは、二人を拘束するのを手伝いながら確認するように尋ね、ディズは首肯しつつジッとセドリック、そしてフィリスやグリフィンドールの二人を観察した。 

 

 生徒が“服従の呪文”をかけられた、というのも異常事態であり重大案件ではある。だがそれは誰が、いつ仕掛けたのかという問題を考えれば一層その混迷を深める。

 

 ディズたちはホグワーツ特急に乗車する直前にマルフォイたちと会っているのだ。“服従の呪文”はかけられた者を見分けるのが非常に困難な魔法だ。

 かつての暗黒時代にはこの呪文によって、誰が敵で、誰が味方か分からない疑心暗鬼の世界となっており、魔法省も大いに手を焼かされたらしい。

 問題は誰がそんな魔法をマルフォイたちにかけたのか。

 マルフォイたちは列車に乗車してから監督生車両に居た筈だ。

 そこにはセドリックやフィリス、そしてグリフィンドールの二人もまた一緒に居た筈で、もしもマルフォイがそこで服従させられたのだとしたら、彼らもまた実は服従させられており、それを隠している可能性は十分に考えられた。

 ただその場合はそれこそ、マルフォイが行動するよりもセドリックかフィリスが咲耶を誘いだした方が確実であり、ついでにハリーを連れていこうとするというのは理に合わない。

 だがそれも周囲の人間を欺き、彼らが服従させられていないと思わせるために裏をかいていて……などと疑心暗鬼に陥ってしまうのが恐ろしいところだ。

 

「サクヤ。解呪できるかい?」

「うん。ちょい待ってな」

 

 ただディズ自身が警戒しているのに加え、サクヤには式神が目を光らせている。

 彼らが妙な動きをしても対処できるだけの自信は、この夏の修行で十分についており、事実それだけの力はあった。

 

「姫様!」「サクヤ!」

 

 襲撃して来る者が列車の中に居る者だけであったのなら。

 

 警鐘を鳴らしたシロとディズが全力で魔法障壁を展開し、咲耶や友人たち、そして拘束してあるマルフォイたちを守ったのと同時、咲耶たちの居る車両を側面から轟炎が薙いだ。

 

「づぅ!!!」

 

 先のクラップやゴイルの魔法とは桁外れの魔力が込められた重い一撃に、ディズとシロの顔が歪んだ。

 

「この魔法は……ッッ!」

「きゃああっっ!!!」

 

 修行中に遭遇した下位の竜種のブレスに勝るとも劣らない高威力の炎熱魔法の放射。

 ディズの全力展開した魔法障壁が軋み、罅割れていく。

 ホグワーツ特急は轟炎の衝撃によって大きく揺らされ、脱線を警戒してか急ブレーキがかかる。

 炎の衝撃に加え急激に減速して揺れるホグワーツ特急。咲耶やハーマイオニーたちの悲鳴が響き、しかしディズはさらに魔力を叩き込んで障壁を補強して攻撃を防ぎ切った。

 

「くっ――――はぁ、はぁ……」

「ディズくん、シロくんッ!」

 

 轟炎が過ぎ去り、ディズは荒い息をついて熱を帯びた左腕を抑え、咲耶はすぐさまディズと式神へと声をかけた。

 だがそれに応える余裕はない。

 動きの止まったホグワーツ特急の、外装が吹き飛んだその外に一体の人影が宙に浮いていた。

 

 

「おやおや。まさか受けきるとは思いませんでしたよ」

 

 

 かつて一度だけ聞いた覚えのある声が愉快そうな口調で話していた。

 

「なっ!!」

「お前はッ!!」

 

 白いスーツに外套を纏った優雅な装い。背中では括られた白銀の髪が風に靡き揺れている。

 瞳は赤く、その顔には魔的な微笑が浮かんでいた。

 杖も箒もなく空に佇む浮遊術。

 

 セドリックやハリーたちは驚きに目を見開いた。

 あの姿を覚えている。

 その身から溢れ出る強大な魔力と存在感。

 

「久しぶりですね ―――― ディズ・クロス君」

「―――― ロキ!!」

 

 2年と少し前、ホグワーツを襲った侯爵級悪魔、ロキが再びその姿を咲耶たちの前に顕していた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

そろそろエサにかかった頃合いかと遠くで魔法使いは考えていた

 ――――二年前。

 

「魂を返す、ですか? ふむ……できなくはないですが、あまりやりたいことではありませんねぇ」

 

 ディズ・クロスは彼と対峙していた。

 ホグワーツではスリザリンの継承者による襲撃が続き、ついには連れ去られる事件までが発生していたころだ。

 

「今も結構ギリギリなんですよ? この氷結封印、見ての通りレジストしきれていないんですよ。予想よりも福音の御子が弱体化していなかったもので。当然ですけど半月期の弱点を克服していたんですねぇ」

 

 目の前の悪魔――あの父親を名乗る男のパトロンが仕向けたというこいつはすでにボロボロだった。

 片腕はなく、その切断面は凍り付いて砕けたようになっている。

 彼がここに来るまでに戦っていたのは――この悪魔にこれほどの傷をつけた相手はあの異色の魔法使い、リオン・M・スプリングフィールドだ。

 

 ディズはこの悪魔たちの目的――あの連中が目的にしているらしい分霊箱の一つ“秘密の部屋の鍵”を対価にすることで交渉を行っていた。

 

 自分が探し出した“鍵”を渡す代わりにこの中に捕われた魂を元の持ち主に返すこと。

 

 現在一度はこの悪魔が誘い出したスプリングフィールド先生は城内に戻り、もう一人の潜入悪魔と交戦しているらしい。

 できるのならばこのまま“鍵”をもって彼ともう一度遭遇することなく撤退したいということなのだが、それをすれば“鍵”の中に取り込まれた魂の持ち主は遠からず死んでしまう。

 なんの準備もなく魂を抜き取られた肉体はそれほど長くはもたないのだ。

 

 ロキと名乗るこの悪魔は僅かな時間、ディズを上から下まで見回すと、ふっと微笑んだ。

 

「まぁいいでしょう。このままだとダーフィトを回収できそうにありませんし、一応不要な殺害はしないように言われていますしね」

 

 彼の召喚主は、こちらの人を殺害できないように造られている。

 そのため召喚された悪魔もそれに準ずる制限を受けているのだ。

 だが実は、召喚悪魔であるロキたちは、召喚主ほど厳しい制限をかけられているわけではないし、今回の件ではあくまで生徒から魂を抜き取ったのは“秘密の部屋の鍵”とやらなので、放っておいても彼にとっては問題にはならない。

 ただ放っておけば間接的に見殺しにすることになるだけだ。

 

「ただ覚えておきなさい。貴方が依頼主の側であるからことは構えませんが、これは貴方への貸しです」

 

 ゆえに今回はあくまでも前途有望な雛になりそうな卵への期待という貸しだ。

 

「今はまだ貴方は雛にすらなっていない卵だ。いずれ貴方にはこの貸しを返していただくでしょうね。貴方が今よりももっと殺すに惜しいと思える存在になったときに」

 

 

 そして2年後……彼は再び悪魔とまみえていた――――――――

 

 

 

 第92話 そろそろエサにかかった頃合いかと遠くで魔法使いは考えていた

 

 

 

 懐かしきホグワーツの城へと向かう最中の特急は多くの子らを乗せたままその動きを止め、その中の一車両は外装を哀れな状態にさせられて中にいた少年少女たちを外気に晒していた。

 それをなした張本人は宙に佇み彼らを見下していた。

 そこに居合わせたハリーやセドリック、咲耶たちにも見覚えのある、忘れがたき人外――上級悪魔の一体、ロキ侯爵。

 

「前に見た時は、才覚と度胸だけの賢しい卵といったところでしたが……ふふふ、随分と厳しい師についたようですね。今は巣立ちを前にした雛といったところにまで成長しておられる」

 

 挨拶代りの一撃を察知し、そして障壁魔法を展開することで自分のみならず車内の人や物を守りきった旧知の少年に微笑みかけていた。

 

「君には借りがありましたねぇ」

 

 微笑みを向けられた相手、ディズは対して表情を硬くし、杖を握る掌にはじっとりと汗ばむ湿りを感じていた。

 格上の相手との戦闘経験は魔法世界で得ることができた。しかしそれは逃げるという選択肢を選ぶことができたし、どのような方法でも生き残ればいいというものであった。

 だが今は違う。

 今回は逃げという手をうつことはできない。

 

「借り?」

「以前は彼の我儘のおかげで随分と大変な目にあったものでね」

 

 ロキの言葉に反応する余裕があったのは、ディズではなくハリーであった。

 相手が自分よりも遥かに実力者であることを見抜き、すでに一分の余裕もない戦闘態勢に入っているディズに対して、ハリーは警戒しつつも言葉を交わしてくる悪魔相手にその言葉を聞き、疑問を尋ねる余裕を見せていた。

 

「どういうことだ」

「…………」

 

 ハリーにとっては、現れた悪魔は一見分かりやすい敵ではあるが、スリザリン生であり不信な経歴を持つディズもまた警戒すべき相手なのだ。

 ハリーは杖を悪魔に向けつつもディズを睨み付けた。

 答える余裕のないディズのリアクションは、ハリーからしてみれば詰問を無視しているように見え、ハリーは苛立ちを募らせた。

 そんな子供の様子にロキは愉快そうに笑みを浮かべた。

 

「おや、ご存じない? そちらの坊ちゃんと、君のご友人のお嬢さんはもう少し彼に感謝した方が良いと思いますけどね」

 

 ロキは拘束されて床に転がるマルフォイを手で示して言った。

 

「彼が魂を返すように命じなければ、そのまま死んでいたのですからね。もっともそのおかげで私は福音の御子の前に顔を出して臣下を一人爆発させる羽目になってしまったのですから」

 

 あの時の事件の、知られざる側面を。

 

「だから、あの時の借りを返していただきましょうかね」

「!!」

 

 気配が、変わった。

 瞬時にそれに気づき、反応したのはディズだった。

 高速移動術によって消えたように動いたロキに対して、ディズもまた瞬動術で反応し、互いに魔力を刃の形にして切り結んだ。

 

「なっ!!?」

 

 突如として終わりを告げた会話、始まった戦いにハリーたちはついていけていなかった。

 二人の激突が熱波と冷気とが乱気流を生み出してハリーたちは吹き飛ばされそうになっていた。

 

 

 

「ほう、エンシス・エクセクエンス? なるほど、師匠譲りというわけですか」

「くっ」

 

 ロキとディズ。

 切り結ぶ二人の刃はそれぞれ炎と氷の魔力によって編まれている。

 ただしディズの氷の刃は、物質的な氷ではなく状態の強制相転移によって生み出される魔法の刃――断罪の剣(エンシス・エクセクエンス)。ディズの師であるリオンが得意とする魔法の一つだ。

 

「けれどまだ――――未熟!!」

「づあッ!!」

 

 だがその魔法はディズをもってしても遥かに高難度。魔法世界での修行を経た今でもそれはまだ未完成(インペルフェクトゥス)

 刃が砕かれ、吹き飛ばされる。

 体勢の崩れたディズにロキは炎の刃を振りかぶり

 

「ぬっ!?」

 

 ギンッッと別の刃がロキを襲い、ロキは刃を薙いでそれを防いだ。

 白く小さな体で振るわれる刀。

 

「式神っ!」

「我が姫、藤原朝臣近衛咲耶様の命によりこの白狼天狗、白葉がお相手仕る!!」

 

 咲耶の式神白葉が愛刀“魁丸”を構え、短距離瞬動術によってロキへと接近した。

 振るわれる刃はかつて悪魔と対峙した時の、シロとしての太刀筋よりも数段に鋭く、あのときよりも上位の悪魔であるロキを相手にしても渡り合う剣戟を見せていた。

 そして白葉が前衛の戦士としてロキを封じれば、

 

「シュバルツ・シュタル・デア・シャッテン! 影の地 統ぶる者、スカサハの、我が手に授けん、三十の棘もつ愛しき槍を!!」

 

 ――「雷の投擲(ヤクラーティオー・フルゴーリス)!!!」――

 

 距離を開けたディズが魔法の詠唱へと入り、周囲に5本の雷の槍を現出させた。

 

「ちっ!!」

 

 放たれる5つの槍は、流石に直撃を受ければロキといえども無傷では済まない。

 ロキは投擲槍を躱し、あるいは弾き――その奥から短剣に断罪の剣を付与させた魔法剣を携えたディズが迫る。

 この場面での魔法使い(ディズ)の接近は明らかに悪手。

 魔法世界での修行をしたことでかえって無意味に自信をつけたのか、ロキは継続させている炎の刃でその体を真っ二つに焼き焦がそうとし、

 

「なにっ!!!」

 

 “ディズの体を透過して”斬撃がロキへと襲い掛かった。

 咄嗟に体をずらして回避するも、完全には躱しきれず、斬撃はロキの魔法障壁に触れ――しかしそれすらも素通りしてロキの右腕を半ばから斬り裂いた。

 

 ――斬空閃 弐の太刀――

 

 宙を舞う右腕。

 だがそれに気をとられている間はない。

 弐の太刀の斬撃によりまったくの無傷だったディズが左手に持った魔法剣を振るいロキに切りかかってきている。

 

「ちっ!」

 

 舌を打ち、距離をとるロキだが、一瞬早く魔法障壁に魔法剣がぶつかり、込められた障壁破壊の術式が障壁を砕く。

 壁を取り除いたディズはそのまま連撃に右手の杖を掲げて魔法を放った。

 放たれた麻痺呪文が障壁を失ったロキへと突き刺さり、その体を吹きとばす。とはいえ流石に悪魔の抗魔力は伝統魔法の効力を打ち消しているのか、体の自由を奪うには至らない。

 

「ぬぅっ!!」

「シュバルツ・シュタル・デア・シャッテン! 来たれ虚空の雷、薙ぎ払え!!」

 

 ――「雷の斧(ディオス・テュコス)!!!!」―― 

 

 立て直す間は与えない。

 ハイエイシェントによる雷斧の魔法が悪魔へと突き刺さり、紫電が周囲の空気を焼いた。

 

 

「おいおい、メチャクチャ強くなってないか、クロス!? というか今、思いっきりなんか体通っていったけど、大丈夫なのか!?」

「それもそうだけど、っ。できるだけ距離をおいた方がいい、リーシャ、みんなも。」

 

 リーシャやセドリックたちには三人の攻防とその余波は見ていることしかできなかった。

 助太刀しようにも目まぐるしく動く激しい攻防に彼らの技量で手を出せば足を引っ張るおそれが強かった。それが分かるほどには、セドリックは聡かった。

 

 

 まともに直撃した雷の斧。

 

「ちっ!」

 

 しかしディズはその手応えに舌を打った。

 まだ倒しきれていない。

 おおよそ予想してはいたが、そこそこの決め技である雷の斧でも、あのレベルの相手を一撃で沈めることはできない。

 追撃しようと杖を振るおうとしたディズだが、轟ッ、と炎が吹き荒れ、構えていたディズはシロとともに吹きとばされた。

 ディズは咄嗟魔法障壁と炎に対する対抗呪文で防御し、白葉も防いでいた。

 

「姫様ッ!」

 

 吹き飛ぶ二人を見て叫び声を上げそうになった咲耶だが、白葉の求める鋭い声ではっと立て直した。

 相手は炎を使っている。

 咲耶がこの夏必死に学んだ炎の呪術。ならばそれは彼女にとっても土俵の上だ。

 パン! と甲高く柏手を打った咲耶は素早く不動明王印を結んだ。

 

「のうまく・さらばたたぎゃていびゃく・さらばぼっけいびゃく・さらばたたらた・せんだまかろしゃだ・けん・ぎゃきぎゃき・さらばびぎんなんうん・たらたかんまん!!」

 

 

 咲耶の火界呪により制御された焔がシロの魁丸に宿り、ロキの火炎剣と切り結んだ。

 悪魔の黒炎と同等以上の咲耶の焔。

 打ち合わせる度にロキは自身の炎の制御が剥がされそうになるのを感じていた。

 

「花の姫君も随分と――」

「シュバルツ・シュタル・デア・シャッテン。光の精霊127柱! 集い来りて敵を射て! 魔法の射手(サギタ・マギカ) 連弾(セリエス)光の127矢(ルーキス)!!」

「!!!」

 

 咲耶の加護を受ける白葉とロキとが切り結ぶ隙にディズは詠唱を行い、制御可能な限界数の魔法の矢を放った。

 

「これは、評価を見誤っていましたね」

 

 たまらず後退するロキ。

 

「巣立ち前の雛鳥ではなく、すでに巣立ちの準備を終えた若鷹でしたか」

 

 白葉との共闘とはいえディズの力はロキの想定を上回っていた。

 眼がいいのか前衛で激しく撃ち合う白葉に絶妙なタイミングで後方射撃を行い、あるいは中距離でも技のある白葉を活かすために伝統魔法の使い手には滅多に見ない近接戦闘も仕掛けてくる。

 

 ディズが遅延させていた術式を解放して雷の槍を周囲に纏わせ、白葉が焔刃を構え、ロキに追撃しようとし、

 

「才能と未来ある青い果実を摘むのも愉しみですが、収穫の時を迎えた果実を貪るのは王道の愉しみ!」

 

 下がったロキが今度は前へと踏み込んだ。苛烈な踏込に足元が陥没して亀裂が奔る。

 

 ――速いッッ!!?――

 

 ディズの魔法により引き上げられた感覚をもってしても捉えきれないほどの瞬動術。

 

「ガッッ!!」

 

 ロキは一気にディズとの距離を縮めるとともに勢いそのままにディズへと拳打を撃ちこんだ。

 白葉が反応して焔刃を振り払おうとするが、それよりも早くロキの魔法が発動した。炎の中から湧き出す無数の蜂。

 

 ――紅蓮蜂(アペス・イグニフェラエ)――

 

「しまっ――!!」

 

 高速で飛来した炎の蜂が白葉に群がり、触れた瞬間爆発を起こしてその体を炎に包んだ。

 

 

 

 吹き飛ぶディズは、白葉を炎に包んだロキがギュンとその姿を変貌させたのを見た。

 取り巻く炎の中から現れたのは黒炎の体の魔物。

 

 ――変身!? 悪魔の本性かっ!!――

 

 黒炎の悪魔が赤い瞳を光らせて口を開いた。

 それは魔法世界でドラゴンが行なうブレスの予備動作にも似た瞬間。

 

「ッッ!!!」

「ガ、ハァッッ――――!!!!!」

 

 咆哮と共に吐き出される黒炎の咆撃。

 回避は間に合わない。

 判断は素早く、ディズは魔法障壁を強化して空中で防御の態勢をとった。

 

「ディズ君!!!」

 

 黒炎に呑まれるディズの名を咲耶が叫んだ。

 咆撃が過ぎ去ると、明らかにダメージを負ったディズが転がり落ちた。

 ディズは体勢の整わない着地にもかかわらず素早く身を起こし、敵の追撃に目を向けた。

 

 ――間に合わないッ!!!――

 

 ロキはすでに自身黒炎と化した腕を振りかぶっており、魔法障壁の破れたディズへとその爪牙を振り下ろした。

 そのタイミングは魔法障壁を張り直すにも魔法での迎撃を選択するにも遅く爪炎の牙が放たれ、ディズへと迫り―――――

 

「ぬっ!!!」

 

 その目の前に氷の壁がせり上がり、悪魔の攻撃を阻んだ。

 

「氷っ!?」

 

 炎と氷の衝突は、破壊音と衝撃を響かせながらもその一撃では突破を許さなかった。

 唐突に現れたその氷壁。

 ロキは咄嗟の反応として後ろに下がり、その判断が自らを救った。

 先程までロキがいた場所には地面から氷柱が鋭い先端をもってわき上がり、すんでのところで彼の体に風穴をあけ損ねていた。

 

「これは…………」

 

 距離を取ったロキは体勢を整え、ディズは片膝を地につけた状態で見た。

 金の髪、黒いマントを靡かせて空から降りる魔法使いの姿を。

 

 

「ここで貴方の登場ですか。福音の御子」

 

 

 あの時の対峙を繰り返すかのように、魔法使いは悪魔と向き合った。

 

 

「ふん。少しはやれるようにはなったみたいだが、まだまだだな」

 

「マスター」「リオン!」

 

 以前との違いは守るべきものと弟子を後ろにしていること、そしてあの時の半月とは違い、満月の影響を受けていることだろう。

 

「どうやら誘い出されたようですねぇ……」

 

 リオンと相対したロキは頬を引き攣らせた笑みを浮かべ、リオンは獲物を前にした狩人のように口元を歪めた。

 この夏休みかかってようやく最後に吊り上げられた獲物なのだ。しかもそいつは一度は自分の手から逃れた相手なのだ。

 

「大人しくしろとは言わねぇよ。首だけにしてからゆっくり背後関係を聞かせてもらおうか」

 

 

 

 

 強力な魔法先生の登場にセドリックたちが安堵の息をついていた。

 目の前で繰り広げられていた戦いが小康状態となり、周囲の状況にも気を向ける余裕ができると、他の車両の生徒はすでに近くからは避難しており、それとは逆にどたどたと駆けてくる音が聞こえた。

 

「何事だっ!?」

「ドーリッシュ先生!!」

 

 杖を片手に駈け込んで来たのは首にロケットのようなペンダントをかけた短い白髪頭の男。新しい“闇の魔術に対する防衛術”の教授であり、現役の闇祓いである魔法使いが遅まきながらやってきて、ボロボロになった車両の残骸と対峙する二人を見て目を剥いた。

 

「これはどういうことだ!?」

 

 彼にとっては初めて見る者が二人。

 一人は炎の体の魔法生物。もう一人は事前に情報を渡されていた“闇の魔法使い”。

 闇祓いにとって、どちらが襲撃者か断定できない状況であり、どちらとも警戒すべき状況なのかもしれない。

 

 

 

 後ろの方で魔法使いが何かを喚いているのをバックにリオンは右手に魔力を集中させた。

 白く輝く爪牙が剣となる。

 遠方から転移してきたリオンよりも遅くに駆け付けた魔法使いが何をしていたのかはリオンには分からない。

 周辺生徒の避難を行っていたのか、ディズ・クロス(グリンデルバルドの孫)が殺されるのを期待して待っていたのか。

 そうであるのならば別にどうでもよかった。

 リオンがここにいる以上、そちらは弟子の領分であり、爆炎に包まれていた咲耶の式神もダメージを受けてはいるが咲耶のもとへと戻っている。

 今は

 

「なるほど……ですが。誘い出されたのは、どちらですかねッッ!!!」

 

 爆ぜるように飛び出したロキに対し、リオンはグンッと右手を振り上げた。

 指の数と同じだけの氷の刃が周辺の森ごと薙ぎ払う破壊を伴ってロキを薙いだ。

 

「きゃぁああっっ!!!!」

「ちょっ! スプリングフィールド先生っ!?」

「くっ!」

 

 フィリスやリーシャたちの驚きの声が上がった。

 セドリックが障壁を展開して破壊の余波を弱めるが、衝撃は突風となって彼女たちに襲い掛かっている。

 

「アス・ラック・アレイスト・クルセイド――――」

 

 リオンは片手を上げて呪文を詠唱、セドリックたちが屋根の吹き飛んだ頭上を見上げると、空ではなく見渡す限りの氷の塊が輝いていた。

 

 ――氷神の戦鎚(マレウス・アクイローニス)!!――

 

 直径数十mにもなろうかという氷の塊が瞬時に生成され、リオンが腕を振り下ろすと同時に空気を唸らせて吹き飛んだロキのいるであろうあたりを諸共に押し潰すように落ちた。

 

 

「マスター! 相手は――」

「お前は障壁張って見てろ。――――解放・固定(エーミツタム・エト・スタグネット)!」

 

 予期していた通りの師匠の乱入にディズは立ち上がるがリオンは短く指示を飛ばすと右手を掲げて待機させていた術式を解き放った。

 右の掌に白い螺旋の渦が生まれ、周囲の温度を急激に低下させる。

 

 ――「千年氷華!!!」――

 

掌握(コンプレクシオー)!!!」

 

 リオンは掌に生まれた小さな竜巻を握り潰した。

 

「くっ! 術式兵装!? サクヤ、セドリック・ディゴリー、障壁を!!」

 

 すでに戦闘思考へと切り替え、大技を発動させたリオンを見て、ディズは後方に下がりながら障壁を展開し、同時に自身よりも遥かに強大な魔力を持つサクヤと、この場では信用のおけるセドリックに自身と仲間とを守るように指示した。

 

 

 

 

 吹き飛ばされ、氷神の鉄槌による追撃を受けたロキは砕けた氷塊の中から纏っている炎を活性化させて素早く這い出た。

 

「ちっ! あれは――――」

 

 ロキは現れた敵の姿に顔を歪めた。

 悪魔であるロキが本性である炎の化身を晒したのとは違う。

 以前戦った時、彼を、そして彼の部下を瞬殺した“闇の魔法”。

 

 以前とは異なる、氷を支配する空間掌握型の術式兵装『氷の王』。

 リオンの指がくんっと突き上げられ、ロキの足元から氷柱が突き上がる。

 

「くっ!」

 

 直撃すれば胴体に風穴が空くであろうそれを避けた。

 

 

 

 氷のような白く透き通る姿に変じたリオンの魔力が場を侵食していき、彼を中心に一気に列車が、森が凍り付いていき、空間に氷精が満ちていく。

 

「さむっ!! てかこおってるっ!?」

「リオンやりすぎは……槍!!?」

 

 空間を支配した主の一挙手により、森の上空一面に無数の槍が顕現して狙いを定めた。

 

 —―氷槍弾雨(ヤクラティオー・グランディニス)!!!―

 

 その魔法名が表す如く、氷の槍が豪雨のように降り注ぐ。

 たった一体を相手取っているとは思えないほどに大規模な爆撃のような攻撃。

 

「スプリングフィールド先生は戦争でもしてるのかよっ!?」

「サクヤ、先生のあの変身技って、“闇の魔法”!?」

「雷じゃない。二つ目の変身」

 

 

 リオンは戦場を列車から引き剥がすように前へと進み、ディズは咲耶や友人たちの近くへと退がった。

 

 

 降り注ぐ氷の槍をロキは召喚した炎の大剣で薙ぎ払い、まだ降り注ぎ続ける槍雨の中をリオンが縮地で距離を詰めて痛打を放ち、吹き飛ばされた。

 

「ちぃっ!」

「はっ!」

 

 吹き飛ばされつつも地を削りながらそれに耐え、向かい合う。

 氷の剣と炎の剣が再びせめぎ合う。

 だが今度は使い手の技量が桁違いだった。

 ロキもまた先程までの若鳥相手の時とは違い、福音の御子相手では殺害規制を解除して殺すために力を振るうが相手もまた以前の時とは違っていた。

 中途半端な半月期ではなく吸血鬼としての力を全力で振るえる満月期のリオン・スリングフィールド。

 しかも今この空間はリオンの土俵だ。氷の精霊に満ち、支配された領域。

 今が夏で、気温の高い時期だというのは関係しない。

 

 だが、これ以上の熱量――火の精霊が顕在化する領域ならば?

 

「!?」

 

 ロキはにぃと笑い。リオンは瞠目した。

 ロキの魔力が昂ぶり、それに反応し、周囲に巡らした氷圏が急激な温度上昇によって溶かされていく。

 

「………………」

「魔力量のみを見れば、貴方は私よりも遥かに上だ。特に今日(満月)という日にはね。けれども、相性が悪かったですね」

「……なんのことだ」

 

 ロキの纏う黒炎が勢いを増し、極限まで高められた火精の活動が空間を歪めていく。

 

「氷は炎に溶かされる」

 

 炎が形をなして魔神が顕現する。その威容はもはや人の業によるものとは思えない神威。

 セドリックやハリーたち、そしてディズですら見たこともないほどに巨大で、この世に終焉をもたらす神の姿にも見える炎の魔神。

 

「この氷の空間支配が今の貴方の切り札なら、貴方は私には勝てない」

 

 ――――炎帝召喚!!――――

 

 炎の上級悪魔の召喚により現れた魔神が、リオンの創った氷圏、氷の精霊で満ちた世界を再び塗り替えようとしていた。

 

 

 

「なっ! 炎の巨人!?」

 

 特急から離れた空に、遠くからだからこそ見えるあまりにも大きな、天を衝くほどに巨大な炎の魔神が突如として現れ、ハリーが唖然と声を上げた。

 

「まずい! スプリングフィールド先生の氷が溶かされていく」

 

 炎の魔神はその威容に相応しい熱量を誇っており、さきほどまで凍り付いていた周辺の空間、リオンが作り上げた氷の世界がどんどんと溶かされている。

 セドリックが驚きと危機を感じるほどに、世界のありようが一変しようとしていた。

 

 炎の魔神が拳を振りかぶり、ドウッ!!!! と衝撃音を響かせて魔神の拳が宙に浮かんだリオンへと直撃していた。

 

「…………たしかにまずいな」

 

 杖を手に臨戦態勢をとっていたディズも空で行われている攻防を見て呟いた。

 

 師であるリオン・スプリングフィールドの力はよく知っている。

 

「本気で加減はしなさそうだっ!!」

 

 ディズが懸念したのは不安などあるはずのない師匠のことではなく、いよいよもって自分たちのことを忘却して暴れる師匠の余波のことだ。

 

 

 天高くそびえる炎の魔神の、そのさらに上空から巨大な氷の柱が6本。

 

 ――冥府の氷柱(ホ・パゲロース・キオーン・トゥ・ハイドゥ)――

 

 拳を受け止められた右腕をはじめとして次々に魔神へと落ちて貫いた。

 一つ一つの氷柱が魔神と比しても十分な体積・質量をもつ巨大な氷塊で、魔神の熱をもってしても容易くは溶けずにその動きを縫い止めた。

 だが、いずれはその氷も魔神の熱に溶けてしまうはずで――――

 

「アス・ラック・アレイスト・クルセイド。契約に従い、我に従え、氷の女王。来たれ、永久の闇、永遠の氷河(ハイオーニエ・クリュスタレ)

 

 上級以下の魔法の詠唱を必要としないはずの“氷の王”が高らかにハイエイシェントを謳った。

 両手に宿る膨大な魔力と氷精、闇精が魔神の周囲の温度を再び急激に低下させていき、それは極低温にまで達する。

 

「全ての命ある者に等しき死を。其は、安らぎ也」

 

 大地が、森が、空気が、そして魔神の炎の体までもがその分子運動を停止して凍りついていく。150フィート四方。制御された領域を絶対零度に凍てつかせる。魔法で領域こそ制御されているが、溢れた冷気が対流となって突風を生み出し、極寒の空気を列車にまでもたらした。

 夏のイギリスに現れる厳冬の風。

 

「ウソでしょ、炎が凍りついていく……」

 

 ハーマイオニーが、いや彼女だけでなく列車の中に居た全ての魔法使いが唖然として巨人を見上げていた。

 

 具現化したとはいえ炎が凍るという異常事態。

 

 そして

 

 ――「おわるせかい(コズミケー・カタストロフェー)」――

 

 最後の一節とともに、氷の異界と化した世界は崩壊していき、それとともに凍りついた炎の魔神が砕けた。

 

 

 

 崩壊した氷の世界を唖然として見上げていたハリーたちは昇り始めた満月を背後に吸血鬼の魔法使いが空から降りてくるのを見つめた。

 蝙蝠のような漆黒のマントが靡き、溢れる魔力の残滓は先ほどまでの氷結の魔法の名残を残して凍てついている。

 

 咲耶の近くに降りたリオンはマントをばさりと振った。

 黒いマントが丸まって、まるで手品のように虚空に消え、その代わりに小さな人形がトンっと地面に降りた。

 

「チャチャゼロ。さっきの悪魔の回収をしてこい」

 

 人形――チャチャゼロにリオンは命令を出した、

 

「粉々ニナッテンジャネエノカ?」

「調節したから首から上だけは残っているはずだ。悪魔の生命力なら生きているだろ」

 

 首から上だけの相手に何をするつもりなのか、ハリーは冷徹な目で人形を見下しているスプリングフィールド先生をゾッとして見た。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終学年

 車両を再編してホグワーツ城に向かった列車は、ホグズミード駅にて待機していた魔法先生たちによって出迎えられた。

 特に咲耶やハリー、悪魔と直接遭遇した生徒たちは急ぎマダム・ポンフリーのもとへと連れて行かれ、保健室にて治療を受けつつ事情聴取を受けた。

 そして何者かから“服従の呪文”を受けたと思われるマルフォイ、および二人のスリザリン生は呪いの解呪を受けた後、そのまま聖マンゴ疾患病院へと送られることとなった。

 

 

「狙いはなんだったのでしょうか、スプリングフィールド先生。捕らえたのですよね、襲撃者を」

「さあな。首から上は回収させたが、まだ氷漬けのままだ。この後ゆっくり聞いておくさ」

 

 保健室に集った魔法先生たち ――ダンブルドア、リオン、マクゴナガル、スネイプ、新任のドーリッシュ。

 マクゴナガルから向けられた問いにリオンは肩を竦めた。

 治療を行っているポンフリーは保健室で緊急会議染みたことを行っていることに苛立ちを隠せない様子だが、当事者であるハリーたちの話も聞かずにはいられないだろう。

 

「数人の生徒が“服従の呪文”をかけられていたのは、例の悪魔の仕業と考えるべきでしょうか、ダンブルドア?」

「ふむ……どう思うかね、スプリングフィールド先生?」

 

 マクゴナガルから推測を求められたダンブルドアはリオンに振った。

 スネイプはもとより猜疑的な眼差しをリオンに向けており、魔法省から派遣されてきた闇祓いのドーリッシュの向けている視線に込められているのも闇の魔法使いであるリオンに対しては警戒するように通達されているのか同様だ。マクゴナガルも瞳の奥に疑念が宿っているようであるが、今回の場合は経緯が経緯だけに闇の魔法使いを黙認しているようだ。

 

 他の魔法使いたちならともかく、老獪な魔法使いであるダンブルドアの思惑はリオンにも読めない。

 この好々爺としたジジイも、やはり魔法使いらしく秘密主義的だ。

 融和政策を推し進めてきた対外勢力に対して、バカ正直にあけっぴろげにはしていまい。

 

「アレの狙いはともかく、そっちの方は咲耶とあのガキを狙ってたんだろ、ボーズ?」

 

 リオンは自身が到着するまでの餌にしていた弟子に尋ねた。

 

「はい。部屋に入ろうとしたドラコ・マルフォイはサクヤに、それからやってきたハリー・ポッターに対してどこかに連れていこうとするような発言をしていました」

 

 ディズからの報告にリオンは不機嫌そうにふん、と鼻を鳴らすと

 

「…………絞れんな」

 

 言葉短く、襲撃者たちの戦略目的がどこにあったのか、決定づけるには不十分だと断じた。

 

 夏休み中、リオンは自身が動くことによって“敵”を釣ろうとした。

 だが奴らは結局動きを見せず、今になって襲撃をしかけてきた。

 それもリオンにではなく咲耶とこちらの世界の子供に対してだ。

 

 ハリー・ポッターはイギリス伝統魔法族にとってはたしかに重要な役目を果たした価値ある少年かもしれない。

 あるいはヴォルデモート一派にとっては憎悪の対象であり、未だに彼の復活のカギと見なしている者もいるかもしれない。

 だがリオンや魔法世界に者たちにとってはそれほど重要な価値はない。

 

 それに対して咲耶は、彼女に手を出すとリオンが釣れるという餌の意味でも利用価値がある。

 あるいは彼女自身の神殺しの力や関西呪術協会に及ぼす影響も考えられる。

 

 咲耶とハリーをどちらも狙ったということが敵の狙いの的を絞れなくしていた。

 

 

「ダンブルドア。まさかあの件が……」

 

 一方で、伝統魔法族側には読み取れたものがなにがしかあったのか、スネイプがダンブルドアに小さく耳打ちした。

 ダンブルドアはスネイプにらしくない鋭い眼光を向けると小さく首を横に振った。

 

「そっちには、心当たりがありそうだな」

 

 

 

 第93話 最終学年

 

 

 

「始まらねーなぁ~……」

 

 仕方ないこととはいえ、大広間ではここに来るまでに起こった異常事態と、いつまでも始まらない組み分け式と、空腹とで生徒たちの間には困惑と不平とが広がっていた。

 

「それにしても……あ゛ぁ~~。もうおなかすいたぁ~~」

 

 机の上に身を投げ出してぐだっているリーシャの愚痴は、ほとんどすべての生徒の気持ちを代弁していた。

 

「我慢しなさい、リーシャ。アナタ最終学年なのよ。下級生の見本になるようにしなきゃ」

「でも無理もない……おなかすいた…………」

「クラリスまで……まぁ、そうよね」

 

 最終学年の監督生としての立場と責任のあるフィリスはなんとか毅然とした風を保とうとしているが、彼女も、そして普段無口なクラリスまでもが空腹を訴えていた。

 

 何事もなかった例年であっても、ホグワーツ特急の長い旅が終わってホグワーツに到着した時点で生徒たちはおなかがペコペコなのだ。

 まして今年は途中でひと騒動あって到着が遅れ、騒動に関しての簡単な調査や手当てなど、色々と時間をとられることになったのだ。

 かといって始業式では新入生の組み分けも行われるため翌日に、というわけにもいかない。

 結果広間ではぐーぐーという音があちこちで響く結果となっていた。

 

「サクヤとクロスは……ああ、来たわね」

「おまたせ~」

 

 広間には事情聴取に連れて行かれ、遅れたディズと咲耶の二人も広間に入ってきて、咲耶はハッフルパフ席に、ディズはスリザリン席にそれぞれ座った。

 

「ありゃ、まだ始まてないん?」

「まだよ。けどいい加減、組み分けを始めてもらいたいわね」

 

 その数分後、ダンブルドアやマクゴナガルがやってきて、新入生の組み分けが始まり、ようやく晩御飯にありつけたのであった。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 歓迎式“は”無事に終わった翌朝。

 生徒たちは朝食を摂るために大広間へと集い、そこで各寮の寮監の先生から時間割を配布された。

 

「ドーリッシュ先生の“闇の魔術に対する防衛術”は……明日ね」

 

 ハッフルパフのテーブルでスプラウト先生から時間割を受け取ったフィリスは、ひとまず新任の先生の初授業の日程を確認した。

 

「闇祓いの先生だからな。今年は期待できるか?」

 

 フィリスもそうだが、リーシャも、そして多くの生徒がそうであるように、現役闇祓いの授業という看板はなかなかに魅力的に映るらしい。

 

「どうかしらね。まあ、去年みたいなことがなければいいわよ」

 

 昨年度の“闇の魔術に対する防衛術”の教師、“元”闇祓いのマッドアイは、授業こそ素晴らしかったが、その内実、教師が本人ではなく死喰い人。おまけに“名前を呼んではならなかったあの人”の復活のために工作していたなんていう偽物だったのだ。

 それから比べれば、どんな教師だろうとまあ許容範囲だろう……はずだが、

 

「去年だけか?」

「…………」

 

 リーシャの確認にフィリスは無言の返答を返した。

 

 その前年、人狼であったルーピン先生は、体質に問題こそ抱えていたが、まあ授業内容自体はよかった。その体質は学校という場所ではかなりの問題になってしまうのだが……

 そのさらに前年、名高い冒険家にして闇のハンター(笑)ロックハート先生は、もはやなんの授業だったのかすら記憶にない。

 そのさらにさらに前年では、これまた“例のあの人”の配下であったという……しかも授業はとびっきりおもしろくなかった。

 

 これはこの科目に期待するだけ無駄と言うことなのだろうか。

 

「サクヤはどんな感じかしら?」

「あ、話反らした。」

 

 フィリスは咲耶の時間割を覗き込んで、強引にリーシャとの不毛な話題を切った。

 咲耶も苦笑しながら渡された時間割表を見せあいっこしながらおしゃべりをし、おおよそ時間割表を受け取る生徒全員に表が渡った頃合いで、広間の前方からパンパンと注意をひくための音が聞こえて話を中断した。

 前を向くと、グリフィンドール寮寮監にして副校長であるマクゴナガル先生が、相変わらず厳格そうな顔つきで、ぐるりと生徒を見回し、おしゃべりを続けている生徒が居ないかを確認してから、口を開いた。

 

「みなさん! 昨日は色々とありましたのでお伝えしませんでしたが、今年のハロウィーンではとあるゲストがここ、ホグワーツへとやって来ます」

 

 内容はどうやら昨晩伝え損ねた――というよりも時間が時間だっただけに生徒を休ませることを優先させたのだろう――今年の特殊な行事についてだった。

 

「ゲストは魔法界の今後に関わる重要な会談がここで行われるためにやってきます。みなさんの授業見学が目的というわけではありませんが、パーティも開かれるので生活態度を目にすることはあるでしょう。くれぐれもホグワーツの学生として、恥じない行動をとるように普段から心がけてください!」

 

 マクゴナガルはちらりと厳しい視線を自寮の生徒の、特に幾人かに向けて言った。

 

 

 マクゴナガルの話が終わり、朝食時の喧騒が戻ると、そこかしこでマクゴナガルが言ったゲストとは誰なのかを噂しあっていた。

 

「お客って誰かしら?」

 

 ハッフルパフ席のフィリスも当然その一人で、彼女はクラリスやリーシャ、咲耶たちに答えを求めるでもなく尋ねてみた。

 リーシャは肩を竦め、クラリスは無言で首を横に振って不明を表した。

 

「たぶんネギさんちゃうかな」

 

 む~、と咲耶が自信なさ気に答えた。

 

「ネギさん? たしか魔法世界の英雄って人よね?」

「うん。夏休みにそんなよなこと言うとったから」

 

 先の夏休み、日本の魔術協会の本山の一つである咲耶の実家にはいろいろな人の出入りがあった。

 その中にはISSDAのメンバーであり、ブルーマーズ計画に関わっている人もいた。

 特にネギは、咲耶の祖父と親しい関係にあるし、母はネギの教え子の一人だ。

 そこからもたらされた情報は、かなり信頼度が高く、少なくとも魔法ばらしに関するゲストが来ることだけは確かだとわかる。

 

 

 

 

 咲耶たち最終学年の授業、N.E.W.Tクラスはやはり難度の高い授業ばかりだった。

 咲耶の受講している科目は治癒術師のカリキュラムでもあるため、薬草学や呪文学もそうだが、スネイプ先生の魔法薬学やマクゴナガル先生の変身術などは元々厳しい先生の授業が一層厳しさを増しており、受講の継続を許された他の優秀な生徒たちも頭をパンクさせられそうになっていた。

 

 咲耶が趣味で受講を継続している占い学も、近く大きな天文イベントが迫ってきていることもあってトレローニー先生ははりきって星占いの宿題を出していた。

 

「占い学の宿題?」

「うん。来月のハロウィンの日に皆既月食があるから、星占いの宿題がいっぱい出とるんよ」

 

 横から覗き込んで話しかけてきたリーシャに咲耶は羊皮紙に羽ペンを走らせながら答えた。

 

「ふーん。皆既月食ねぇ……占い的になんかあんの?」

 

 きたる来月末、ホグワーツではハロウィーンのパーティが行われるのであるが、おりしもその晩に昇る月は、通常の天体運行においては少し特殊な満ち欠け、月食の日となっている。

 太陽の光を照り返す月が地球の影に隠れ、一晩のうちに満月から半月、新月と刻々と変化していく天体ショー。

 古来よりそういった特殊な天体現象は何かの前触れとされることが多く、トレローニー先生もこれ幸いとばかりに、その誰が見ても分かる現象を不吉な予兆ととらえて予言を撒き散らしているのであった。

 

「トレロニセンセの占いによると、うちは赤い月の光を受けると恐ろし目に遭うらしいわ」

 

 自身に関する不運の予言を、のほほんと語る咲耶にリーシャやフィリスたちはげんなりとした顔になった。

 

「まだ言ってるのかよ、あの先生」

 

 シビル・トレローニー先生。

 高名な予見者の血を引く予言者とは本人の弁だが、実のところ占い学を履修した生徒の多くはそれを信じていない。

 咲耶が4年生の初回のころに託宣され、その後もことあるごとに不運な予言をなされているのと同じように、挨拶と同じような感じであの先生は不運な予言を行うからだ。

 

「五年生に悪しきものを吸引する鷹の星に生まれた人が居ってな。うちの厄災もいつもならそれに引かれていくらしいんやけど、赤い月はそれを越える不運をもたらすんやって」

 

 とりわけ各学年で一人ほど、極め付けに運の悪い生徒を見定めて死の宣告やそれに準じる予言を行うのが、あの先生のパフォーマンスであり、彼女たちの学年では咲耶がその“運の悪い生徒”に選ばれているのだ。

 ただ、その予言は当たらないことで有名であり、他の諸先生方――特に占い学を好ましく思っていない某グリフィンドール寮寮監などはほとんどはっきりとそれが当たらないことを喧伝していたりする。

 

「赤い月ねぇ……」

 

 そもそもトレローニー先生の授業では、彼女の好みの未来――つまりはいかに自身の未来を悲惨なものにするのか、という点に注力していれば受けがよいため、N.E.W.Tクラスの進級を認められなかったリーシャやフィリスはまったく彼女の占いを信じていない。

 ちなみに占い学をとってすらいないクラリスももちろん信じていない。

 

 おしゃべりしながらも、咲耶の羽ペンは羊皮紙に仕上げの文言を書き記し、咲耶は満足そうにそれをしまった。

 

「そういえば、夏休みにお母様から変わった占いのやり方教えてもろたんやけど……」

 

 片付け終えた羊皮紙の代わりに咲耶は鞄に手を入れてガサゴソと何かを引っ張り出してきた。

 

「へぇ~、なにこれ? どうやって使うのかしら?」

「サクヤの占いは当たりそうなんだよなぁ」

 

 占いに使うのだろうが、フィリスたちから見ると用途不明の木製の棒っきれの束。トレローニー先生の占いはあまり信じていないリーシャだが、咲耶の占いは妙に当たりそうだと冗談交じりに言っており、クラリスも多少興味が湧いたのか、口は挟まないまでも顔を向けてきている。

 

「易占いう占いやって。……というわけでリーシャの運勢占ってもええかな?」

「何がというわけなのかよく分かんないけど、まあいいや。よろしく」

 

 言う間に咲耶は手元に黒い布をそれらしく敷いて場を整えていた。

 

 ほんわか笑顔で尋ねられるとリーシャはポリポリとうなじを掻きながら頷いた。それは彼女自身去年から気になっている問題ごとがあるからであり

 

「ほんなら、リーシャの恋愛模様をと」

「オイコラ」

 

 知ってか知らずか、その問題ごとにダイレクトアタックかましてくる天然娘にリーシャはドスの利いた声を響かせた。

 

 昨年訪れた彼女にとっての転機。

 自身の恋心と自身に向けられていた恋心。

 それに関する決着はついていない……とうよりもつけられていない。

 求めるモノと求められるモノが絡んでしまい、どうやれば解けるのかが分からなくなってしまった状態。

 授業の頃からよく一緒に組んでいたリーシャにしてみれば咲耶の占いは先生よりかは信頼してもいいし、気楽なものだ。

 

「あ~たる~も八卦。あたらぬ~も八卦」

「その掛け声はどうなの、サクヤ……」

 

 みょうちくりんな掛け声を唱えながら幾つかの竹の棒をジャラジャラとすり合わせる咲耶に、フィリスは呆れ交じりに呟いた。

 

「え~、これはな、日本の由緒正しい占いの掛け言葉なんよ。とりゃ!」

 

 ジャラジャラとすり合わせていた棒っきれを机の上に勢いよく撒き散らした。竹の棒っきれはジャララと机の上に広がり、模様なんだかよく分からない状態に広がった。

 

「それは占いの仕方としてあってるのか……?」

 

 ふむふむと顎に指を当ててバラバラに散らばった棒っきれを見ている咲耶だが、そんな友人を見つめるリーシャやフィリスの眼差しは胡乱なものとなっており、クラリスに至っては自分の読書に戻っていた。

 

「えっとな~。リーシャは…………あれ?」

 

 フィリスたちにはさっぱりだが、咲耶にはなんらかの結果を読み取れたのか、占いの結果を口にしようとし、しかし首を傾げた。

 ますます心配になるリーシャとフィリスだが、

 

「リーシャ、夏休みにご両親に男の子紹介した?」

「ぶぅっ!! なっ!!?」「はぁっ!!?」

 

 占者から出てきた問いかけに、リーシャは吹き出し、フィリスはぎょっとなってリーシャに振り向いた。ちなみにクラリスの瞳も怪しく光り、素早く本をたたんで身を乗り出してきていた。

 男の子が親と顔を合わせる、という程度ならば、まあ普通にありえそうなシチュエーションなのだが、咲耶が読んだのは“恋愛”の占いだ。そして顔を真っ赤にして慌てふためくリーシャの反応。

 胡散臭い掛け声から始まった謎の占いは、リーシャの真実味を帯びたようなリアクションに、一瞬で格好のゴシップ入手の場となっていた。

 

「えっとな。易の結果が二つあってな。一つはその男の子が出とるんやけど、もう一つは――――」

「うぉらっしょいっ!!!!」

「うにゃぁ!!」「あっ! こらリーシャ!」

 

 ただし、その結果は、発表の最後を待たずに奇声を発して飛びかかったリーシャによって、ほんわか占い師の口が封じられるというものであった。

 

「なんでもねーよ!!」

「なんにもなくないでしょ! ちょっとなにがあったのよ!? ルークと? それともセドリックと?」

「な、なっ!?」

「うちの、見立てではリーシャからじゃなくて、リーシャへの想いの強い――へぶっ!!」

「フィーのラブ臭とかいうのといい、サクヤの占いといい、なんなのこいつら!?」

 

 フィリスのラヴ臭センサーと咲耶の占い。二人合わさればリーシャの夏休みに起こった“青い春”を完全に暴きたてることなど造作もないといわんばかり。

 リーシャはバチンと咲耶の口に手を押し当てて再びその口を封じて絶叫した。

 

「相変わらずにぎやかだね」

「宿題やってんじゃないのか」

「お前らまでこっちくんなぁっ!!!!!」

 

 騒ぎを聞いてか顔を出しきたセドリックとルークには、手近にあったもふもふとしたクッションをブン投げて全力の拒否を示すリーシャであった。

 

 

 

 

 

 忙しくなっているのはN.E.W.Tを控える最上級生たちだけでなく、O.W.Lを控えるハリーたち5年生もであった。

 どちらの学年も授業難度と宿題の量が昨年までとは一線を画すような状況になっており、まだ新学期が始まってからまだ一月も経たない内から、課題の多さに絶叫やうめき声を上げる生徒は多かった。

 

 

 もっとも、修行としてとある魔法先生に教えを受けている生徒――――現在、3対1で暴れまわっている彼、ディズ・クロスほど身体的に厳しい目にあっている生徒はいないだろう。

 

 

 

「ッく!!」

 

 足元から氷柱が槍の如くに突き出し、襲い掛かる。

 短距離の瞬動術で地面を、氷柱を蹴って動き、相手の攻撃を利用して襲い掛かってくる相手を撹乱――

 

「なっ!!」

 

 できてはいなかった。

 襲い掛かる三人の内の一人――リオンがくんっと指を上に向けた瞬間、両腕が後ろに捻られ、両の足首も宙に止められた。

 

 ――魔力糸を飛ばした操糸術っ!!――

 

 ディズは瞬時に魔法の矢を周囲に展開し、乱回転させることで糸を切断。身体を自由にすると、今度は接近してきていた他の二人に対応。

 完全に懐に潜り込まれればディズの技量ではすぐさま詰みになるためにそこまでは踏み込みを許さない。

 小杖を仕込んだ短剣を振るって魔法を放ち足を止める。――が、その内の一体、チャチャゼロは両手に持った大きなナイフを投擲。空気を切り裂いてディズへと2本のナイフが迫る。

 今度は短距離ではなく、思い切って距離を離すために瞬動術で地を蹴った。

 接近を試みていたチャチャゼロと茶々丸´からは距離を離した、だがディズの瞬動での高速移動はリオンの縮地により完全に捕捉されており、“抜き”の直後にはその背後をとられていた。

 攻撃よりも一瞬早く圧し掛かる圧力にディズは反応し、“抜き”の状態から素早く翻身。

 

「ほう!?」

 

 姿くらましによって転移を行いリオンの目前から姿を消した。

 流石のリオンもわずかに驚いたのか軽く瞠目し、しかしすぐさま気配を察知して転移先を見抜いた。

 転移先は背後。

 ディズは右手に持った短剣に障壁破壊の術式を付与してリオンへと切りつけ――

 

「!!」

 

 それを振り向きざまの体術で受け流そうとしていたリオンは、咄嗟に前方に跳んだ。

 瞬間、先程までリオンが居た場所をディズの短剣が横薙ぎに振り抜かれ、リオンの魔法障壁の一つを破壊し、上空から剣が高速で飛来し、その軌跡で十字を刻んだ。

 

 ――これは!――

 

 リオンは十字のその先に、ディズが左手にロザリオを持ち掌打の構えを見せているのを見た。

 退魔の力を宿す銀で作られた十字架。

 

 ――対吸血鬼古式封印術“十字封棺”!!――

 

 十字に十字を重ねて吸血鬼の体に刻み込み、行動の自由を奪う封印術。

 まともに直撃すれば上位吸血鬼に属するリオンといえどもかなりの制限を受ける可能性は十分にあり、

 

「っ!!  ――――が、はっ!!!!」

 

 しかしディズの掌打に対してリオンは踏み込んでそれを躱して、ディズの腹部に後ろ回し蹴りを叩き込んで上空へと蹴り上げた。

 リオンは瞬時に地を蹴り、ディズの背後に回り込み、右拳に魔力を込めて打ち下ろした。

 上から下へ、地面に叩きつけられたディズは床を割ってめり込まされた。

 

「ふむ。以前よりかは随分とマシにはなったか」

「…………」

 

 リオンは半分地面にめり込む形で倒れているディズの横に、しゅと降りると夏休みからの弟子の成長をまずまずと評した。

 残念ながら弟子はそれに答えられていないが…………

 

「十字封棺とはなかなかだったが、俺に近接戦を挑むには実力不足だな」

 

 伝統的儀式術衣則った吸血鬼を封印するための術式。

 たしかに半分とはいえ吸血鬼に特性を持つリオンにはかなり有効な手ではある。

 だがそれも当たらなければ意味がない。

 いかに強大な力を振るおうとも当たらなければ意味がないのだ。特にあれほどの封印術はゼロ距離で当てなければ意味がない。その点でディズの接近戦のスキルは、多少死角を突いた程度でリオンに攻撃を当てられるほどは洗練されていないようだ。

 

 ただ――――

 

「だが……やはりお前は勘のいい奴だな、ディズ・クロス」

 

 答えの返ってこない弟子に、師匠は呟いた。声は小さく、届きはしなかっただろう。

 ただ、その顔には苦笑が浮かんでいた。

 

 勘のいいこの弟子はおそらくもう分かっているのだろう。

 だからこそ今のようなスキルが実際にリオン(上位吸血鬼の眷族)に通用するのかを試した。

 

 吸血鬼――いや、不死者を狩るための手法。

 

 本命の手段が役に立たなかった時の保険。

 

 そう

 

 リオン・スプリングフィールドにとって、終わらせるための相手を滅ぼすための、自身が及ばなかった時に、自分の意思が、アレを終わらせることを望むためのもう一つの駒であり…………そして―――――――― 

 思考していたリオンを回帰させたのはディズがめり込んだ床の中からゆっくりと身を起こした動作によってだった。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 “塔”にあるとある一室。

 秘書であるガイノイドすらも席を外してもらった状態で、“彼”は一人の盟友と会っていた。

 

「今度のイギリス魔法界との会談。やはり君が行くのかい……ネギ君?」

「そのつもりだよ、フェイト。イギリスは僕の故郷でもあるし、リオンからの報告にあった悪魔のことも気になるしね」

 

 現代の英雄、立派な魔法使い、ネギ・スプリングフィールドと3番目の使徒、フェイト・アーウェルンクス。

 フェイトは常と変らぬ無表情で盟友にしてライバルの予定に憂慮を示した。

 

「彼と、その剣が近くにある時に君が近づくのは賢明とは言えないと思わないかい?」

 

 今、あの男の手元には“剣”がある。

 人の身を越え、より上位の存在となっているネギであろうとも、いや、かの“闇の福音”ですら滅ぼしうるであろう、不死者に対する圧倒的な“剣”。

 それをあの男――リオン・マクダウェル・スプリングフィールドは手にしている。

 それは非常に危険な状況だ。

 並みの相手ならば、例え“剣”があろうとも、最強の魔法使いの一人であるネギ・スプリングフィールドが討滅されることはない。

 千の呪文を操り、雷神と見紛う姿へと変ずることのできる、使徒をも凌駕する魔法使いがネギという男なのだから。

 だが相手があのリオンならば話は異なる。

 二人に優劣をつけるとすれば、ネギに軍配が上がるであろうが、それでも“剣”をもったリオンが相手ではネギが滅ぼされる可能性がある。

 他の余人ならばいざしらず、今の情勢下でネギにもしものことがあれば、魔法世界の存亡を賭した計画に影響が出る恐れがあるのだ。

 

「リオン君のことを懸念しているのならば、大丈夫だよ。それに咲耶ちゃんだって、彼女は道具じゃない」

「あの男が君と同じ考えだとは思わないことだ。事実彼は近衛咲耶を利用する気なのだろう?」

 

 この件に関して、ネギとフェイトの意見はどこまでも平行線だった。

 どこまでも――そう、あのリオン・マクダウェル・スプリングフィールドが“生まれることをネギが認めて以来”ずっと。

 

「違うよ、フェイト」

 

 フェイトの懸念をネギは穏やかな顔で否定した。

 

 彼にとって彼女が道具だなんてあるはずがない。

 

 たしかに彼女は彼にとって、彼の願いにとって必要な存在だ。

 

 けれども……

 

「リオン君は――――」

「僕は今でもあの時の君の判断が正しいとは思えない」

「…………」

「君が今斃れることは君の計画の頓挫にも繋がることだ、くれぐれも気を付けることだね。ネギ君」

 

 かつて敵対する者同士であった盟友からの、気に掛ける言葉にネギは少し驚いて、そして笑みをこぼした。

 

「大丈夫だよ、フェイト。こちらからの代表には関西呪術協会の代表として木乃香さんと刹那さんにも同行してもらう予定だから」

 

 だからどんな問題が起こってもきっと大丈夫。

 かつての仲間を、そして次の世代に紡がれていく意思を、ネギは信じているのであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

英雄来訪

 毎年豪勢な料理と気合の入った飾り付け、そして時にミュージシャンなどを招いて大々的に行う催し物となるホグワーツのハロウィンパーティ。

 今年は例年と異なる雰囲気を主に教師陣が出しながらも、例年にもまして気合の入った装飾が大広間や玄関ホールを彩っていた。

 教師たちの雰囲気がいつもと違うのは、今年のパーティには魔法省大臣やとあるゲストがダンブルドアに会いに来て会談を行うからなのだそうだ。

 

 

 

 第94話 英雄来訪

 

 

 

 ハグリッドの魔法生物飼育学を終えたハリーと友人たちは泥だらけの体で、飾りつけのなされている校内を玄関ホールへと戻ってきた。

 

「まったくハグリッドって。あんなのがふわふわで可愛い人気者だとでも思っているのか!?」

 

 激高するロンは、先程の授業でハグリッドから対面させられた彼曰く“毛並がふわふわでかわいかろう”生物についての悪態をついていた。

 体格が普通の人間よりも“骨太”なハグリッドの感性が常人と異なっているのは教え子である前に友人であるハリーたちもよく知っていることだが、授業の度にそのことに辟易せずにはいられない。

 今回もハグリッドが生徒にとって面白いだろうと考えて紹介した生物は、彼らにとって語るも悍ましい怪物だった。魔法生物“飼育学”という科目名から考えても、あれは間違いなく範疇を越えるものだったはずだ。

 悪態をついているロンだけでなく、ハリーやハーマイオニーもその点に関しては弁護の余地がない。

 二人もハグリッドが大切な友人であることから彼の担当科目である魔法生物飼育学を履修しているが、正直なところ今年のO.W.L試験が終わった後、来年も継続受講したいかと問われれば、首を縦に振ることを躊躇せざるを得ない。

 唯一この授業の今年に入ってからよくなったことと言えば、彼らの大っ嫌いなドラコ・マルフォイがとある事件により現在学校に居ないことくらいだ。

 もっともそれにしても、誰か知らぬ者に“服従の呪文”をかけられ、ハリー自身と友人のサクヤを誘拐しようとしたという、まったく喜べない理由からなのだが。

 

「それよりもハロウィンよ、ハロウィン。ゲストが来るから凄い気合いの入れようね。……これもきっと屋敷しもべ妖精が頑張ったのよね……」

 

 気持ちのよい思い出ではないことは忘却しようとしているのか、ハーマイオニーはばっさりと話題を変えて口内の飾り付けに言及し始めた。

 屋敷しもべ妖精福祉振興協会(S.P.E.W)の設立者であるハーマイオニーにとってホグワーツのイベントが大々的になることは、ここで労働する屋敷しもべ妖精たちに対する奴隷労働が過酷になることとイコールと捉えている。

 この夏、とある屋敷しもべ妖精の地位向上を果たすことができた彼女は、どうやら協会の一層の活動向上を目論んでいるらしく、またなにかを考えているようだ。

 

 ロンはうんざりしたかのような目でハーマイオニーを見ており、ハリーも内心で溜息をついた。

 ハリーの名付け親でありこの夏から共に過ごすシリウスと、ブラック家の屋敷しもべ妖精であるクリーチャーとの和解はハリーにとっても好ましい事柄ではある。だが、だからといってハリーやシリウスがハーマイオニーの掲げる屋敷しもべ妖精の地位向上に興味関心が湧いたかと言えばそんなことは決してない。

 

「なんでわざわざホグワーツで話し合いなんてするんだろうな」

 

 これ以上SPEW(ゲロ)の話などまっぴらとばかりにロンは今回のゲストの来訪目的、“重要な会談”についての話に話題をそらした。

 

 今日、ハロウィンパーティの前に行われるという会談――噂によると魔法省大臣と“向こうの”魔法世界に関わるお偉いさんが来るらしい。

 ハリーたちがホグワーツに入学して以来、幾度かそういった会談があったのだが、ハリーにはその理由がよく分からなかった。

 

 魔法界の政治に関することを話すのだろうということはハリーにも分かるが、それならばそういったことは、ロンドンにあるという魔法省の会議室ででも話すのが普通だろう。

 

「ダンブルドアがいるからでしょう」

 

 S.P.E.Wの話にもっていけなかったのがやや不満なのか、ハーマイオニーが憮然と答えた。

 

 魔法省大臣であるファッジは、なにかあるとダンブルドアにお伺いの手紙を送って助言をもらい、時にはロンドンまで彼を呼び立てるということがしばしばあったという。

 ならば魔法界始まって以来の改革に際して賢者ダンブルドアの意見を聞きたいというのは間違いではないが、それだけではないように思える。

 そのことを尋ねようと後ろ向きにハーマイオニーに顔を向けながら歩いていたハリーは、曲がり角から出てきた人物に気づかずにぶつかった。

 

「うわっ!?」

「おっと失礼」

 

 よそ見をしていたハリーは背後を歩いていた人に気付かず、ドンっ、とぶつかってよろめいた。

 慌てて振り返り確認すると、ぶつかったのは赤髪ですらりとした体躯の男性。伝統的魔法族の衣裳ではあまり見ないスーツを完全に着こなしている優男風の男性で

 

「大丈夫ですか?」

「っと、え、あ、スプリングフィールド先生? すいません……」

 

 彼はぶつかって転ばないように素早くハリーの手をとっており、にこっと笑顔を向けた。

 ぶつかった人物は、普段恐ろしい雰囲気とキツイ眼差しを振りまいている精霊魔法の教師に見えるが、その整った顔には普段であれば絶対にありえないであろう人好きのするような微笑みが浮かべられている。

 ハリーは思わずその違和感と不気味さにゾッと鳥肌を立たせた。

 男性はハリーの不審者を見るような目に気付いたのか少し戸惑いを見せた。

 

「えっと、本当に大丈夫かな?」

「いえ、その……先生?」

 

 戸惑っているのは向こうもハリーも同様。ハリーはいつかのようにまた先生の中に偽者がいることを懸念して距離をとり、そっと杖に手を伸ばした。

 

「なにをしているのですか、ポッター!?」

 

 困惑した空気を払ったのは、ハリーの寮の寮監であるマクゴナガルだった。

 マクゴナガル先生の表情はいつもの真一文字に口を結んだものをさらに硬質化させたかのように強張っており、ハリーたちは思わずたじろいだ。

 

「あ、あの、僕たち……」

 

 マクゴナガルはギロッとハリーたちに視線を向けてから1度深呼吸し、そして毅然とした態度でスプリングフィールド先生似の男性に向き直った。

 

「失礼しました、ミスター・スプリングフィールド。それにミセス・コノエもお久しぶりです。ホグワーツへようこそ、私は副校長のミネルバ・マクゴナガルです」

「初めまして、プロフェッサー・マクゴナガル」

 

 どこぞの先生と同じ家名で呼ばれた男性は、柔和な笑顔と紳士的な態度で挨拶を返し、握手を求めて右手を差し出した。

 ハリーにはマクゴナガル先生がらしくもなくどぎまぎしながら差し出された手をとって握手したように見えたが、それよりも男性の後ろに見覚えのある女性が居るのに、気づいて驚いていた。

 

「あっ。サクヤのお母さん、ですよね……?」

 

 スプリングフィールド氏がマクゴナガル先生と対応したのでちょうどよく、ハリーは気になっていたそちらの女性へと声をかけた。

 ハリーたちも昨年会ったサクヤの母親、近衛木乃香はハリーに声をかけられて気づいて振り向いた。

 

「ん? お? おぉ!? えーと、咲耶の友達の……そっちの子はハーミーちゃんと……あっ、ハリー君やったっけ?」

「知り合いですか、このかさん?」

「咲耶から写真で見せてもろたんやけど、こっちの可愛い子は咲耶の友達のハーマイオニーちゃん……と、去年うちらが来た時に会うた男の子。あとえーと、そっちの子は……初めてやよ、な?」

 

 どうやら娘から写真を見せてもらったらしい少女のことはすぐに名前が出たのだが、男子たちのことは少し自信なさげだ。

 ハーマイオニーとの覚えられ具合の差にハリーは内心がっくりとし、それ以上にロンはつまらなそうな顔になっていた。

 

「ポッター。ウィズリーとグレンジャーも。彼らは要件あってここに来ているのです。あなたたちは寮にお戻りなさい」

 

 まだ話をしようという気配を察したのか、マクゴナガル先生がハリーたちにここから離れるように促した。

 客人たちの前だからか口調こそやんわりとしているが、その視線はいつも以上に厳格にここから早く去りなさいと告げていた。

 

 

 

 

 訪れたゲスト――ネギ・スプリングフィールドは、副校長に促されて離れていった少年少女たちをどこか微笑ましげに見送った。

 それはかつて教師であった経験から学生を見て懐かしく思っているのか。

 

「あの額に稲妻傷のある彼――彼がハリー・ポッター……たしか先月狙われた内の一人が彼でしたよね」

 

 ネギはその中の一人、報告書に頻繁に名の上がる少年に視線を定めた。

 

「ええ。ご存知でしたか」

 

 マクゴナガルの返答にネギの瞳が細くなった。

 

 ハリー・ポッター

 こちらの世界の魔法犯罪者、トム・リドルに目を付けられ贄にされた少年。

 報告では“彼ら”とは繋がりがないとされるが、鎖がつけられている可能性はある。

 

 悪魔を捕えたリオンからの報告にも付されていた――――何者かが“彼ら”と通じているはずだと…………

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 彼は駆けていた。

 小さな体を風に変えて疾駆していた。

 目的はただ一つ。

 この学校に秘された“楽園”を探り当てること。

 動く階段、会話する絵画、漂う数多のゴースト。普通の学校ならばあまりお目にかからないものが彼の行く手を遮るかのようにひしめくが、彼は“楽園”求めて駆けていた。

 

 なにせここは全寮制の学校――――そう、女子寮があるはずなのだ!!!!

 洗いたての下着、タンスにしまわれた下着、部屋に脱ぎ散らかされた下着、浴場に入るために脱衣した脱ぎたての下着……彼の求める“楽園”がきっとここにはあるはずなのだ!!!!

 

 上には行けない。

 ここに入る前、彼は上空に幾匹もの天敵が空を舞い、そしてこの建物の上階に入り込んだのを目撃していたから。

 白や茶色などの翼をもつ彼の天敵――夜の狩人たるフクロウどもだ。

 まだ日の高い時間にもかかわらずやつらが跳梁跋扈しているのはここが魔法使いたちの巣窟だからだろう。

 魔女っ娘にはフクロウ。

 なかなかに絵になる光景ではあるが、それでも彼にはあの鳥類は天敵だ。

 もちろん彼があんな鳥頭に捕まるはずはないが、それでも用心にこしたことはない。

 向かう先は奴等の棲家のあるだろう上ではなく、下。

 なにやらいい匂いが漂う下の階へと彼は向かっていた。

 もしかしたら厨房が近くにあるのかもしれない。無論のこと彼の目的はそんなつまらない場所ではない。

 魔女っ娘の秘奥たる深部を暴きにきたのだ。

 

 そして彼は捜索地への手掛かりを目にした。

 

「むむむ! あそこから女生徒が出てきた……あそこだっ!」

 

 樽が山積みになっているところに現れた扉から女生徒が出てくるのを目撃したのだ。

 黒いローブに秘されたシルエットは、露出度こそ少ないがまさに魔女っ娘。

 翻るローブの中の下半身には女子学生らしく丈の短いスカートがはためいていた。

 彼は樽の影に隠れて女子生徒が通り過ぎるのを見上げてやり過ごし、「ムハァ♡」と見上げた先に映った絶景に口元を歪めた。

 

 女子生徒が完全に通り過ぎるのを待ち、それから彼は先程の扉の前に立った。

 

 ここが目的の女子寮であるかどうかは確定ではないが、彼の勘が告げていた。

 

 ――きっとこの奥に自分の目指す“楽園”があるに違いない――

 

 彼は自身の直感に絶対的な自信を持っていた。

 殊にこの方面に関する自身の直感はまず外れがない。

 

 そして事実、その扉の奥には彼の目指す女子寮“も”あるのであった。

 

 彼は滾る期待に胸を膨らませて取っ手のないその扉を開ける手段を模索しようと、ひとまずその扉だったあたりをごそごそと探り――――

 

「!? —―――ッッ!!??」

 

 樽から放射された何かが、彼の顔面にもろに命中した。

 学び舎とはいえここは魔法使いの巣窟。

 わずかな油断が即、己が死へとつながるということを彼は身をもって知ることとなった。

 

 愚かな侵入者を迎撃するための劇物。

 

「アッつ、スッパッ!!???」

 

 アツアツに熱せられたビネガーが噴射されるという機構に、彼――――アルベール・カモミールは見事に引っかかったのであった。

 

 

 

 ホグワーツ地下階に談話寮のあるハッフルパフの寮生である魔女っ娘、リーシャとフィリスは寮の入り口の手前でいつもは見ないモノを見つけていた。

 

「なんだこれ?」

 

 キーキーと甲高い鳴き声を出しながら床の上をのたうち回っているなにか。

 どうやら元は毛に覆われていたらしいのだが、それはビネガーを浴びたことで赤紫色に染色されており、元が何色かはよくわからない。

 まともに顔面に浴びせられたことで、目や鼻や口に入りまくっているのか、熱さとビネガーの酸っぱさに悶え苦しんでおり、床の上をのたうち回っている。

 リーシャはとりあえずそれを摘まみ上げて目の前に垂らしてみた。

 

「イタチかしら?」

「ッッ!!! イタ、ッッッ!!!!」

 

 ジタバタ、ジタバタと暴れており、フィリスのイタチ発言になんか抗議しようとしたっぽいのだが、口を開いた瞬間にまたもビネガーを吸い込んでしまいもがいている。

 

 とりあえず二人はビネガーまみれのイタチに洗浄の魔法をかけて綺麗にしてから、寮の入り口を開ける手順、ハッフルパフリズムを叩き、扉を開けて談話室に入った。

 どうやらイタチは綺麗な白い毛並をしていたらしく、赤紫色が落ちると咲耶が好きそうな撫で心地のよい白毛が現れた。

 だがまだ口や鼻に入ったビネガーの酸っぱさは残っているらしく悶えており、談話室に入ってからお皿に水を入れてあげるとごくごくと飲んでからようやく一心地ついた様子でほっとした。

 

「ぜーはーぜーはー。くっそー、俺っちとしたことがあんな罠にかかるとは」

 

 ぐっと口元の水を拭い、先程の失態を悔やむかのように悪態をついた。

 

「イタチが喋った……」

 

 リーシャとフィリスが唖然としてその白イタチ(仮)を見た。

 

 イギリス魔法界にも人間種以外に喋る生物は存在する。有名どころではケンタウルスや小鬼、屋敷しもべ妖精のなどなど。だがそれらの多くは亜人種に分類されるものばかりで、人語を介し、喋るほどの動物となればかなり限られる。

 いないことはないのだが、少なくともリーシャもフィリスも見たことはない。

 

「イタチだとぅ!!?」

 

 ただ、どうも二人の驚きの言葉は本人(?)にとってはいたく不満だったらしい。

 怒り顔で二人に指を突きつけた。

 

「俺っちをケチなケダモノなんかと一緒にしてもらっちゃぁ困るね、お嬢ちゃんたち! 俺っちは、ケット・シーと並ぶ由緒正しいオコジョ妖精。新旧両世界を股に掛け、英雄の大願成就を支える影の英雄。そう! 俺っちこそ――――」

「あ、カモくんや」

「その通り。漢の中の漢。アルベール・カモミールとは俺っちのって、あり?」

「カモくんおひさー。こないなとこでどないしたん?」

 

 滔々と長口舌でウソかホントか分からない自己紹介を始めたイタチ改めオコジョ妖精は、ぴょこんと顔を出した咲耶に腰をおられてキョトンとなった。

 咲耶はオコジョ妖精と知り合いなのかぴこぴこと手を振って挨拶をしてきた。

 

「これはこれは、咲耶の嬢ちゃんじゃねぇですかい! お久しぶりっ――むぎゅっ」

 

 居丈高な偉そうな態度から一転、カモくんと咲耶に呼ばれたオコジョは知り合いなのか喜び勇んでぴょーんと跳ねて飛びかかり、咲耶の胸に飛び込もうとしてワンコ式神、シロくんに前脚で踏みつぶされた。

 

「姫様に下賤な手を触れるな下郎め」

「むーっ!! むーっ!!」

「こらこらシロくん」

 

 去年よりも少し大きくなったように見えるシロの脚は小さなオコジョであるカモミールを余裕で踏んづけており、カモミールは再びじたばたともがく羽目になっていた。

 とりあえず咲耶は式神に命じてカモミールを解放させて居ずまいを正した。

 

「カモくんが居るいうことは、お客さんてやっぱネギさんなんや」

「そっすよー。それに木乃香の姐さんに刹那の姐さんも来てますぜ」

「お母様と刹那さんも?」

 

 流石にその情報は咲耶も驚いたようで意外そうな顔で小首を傾げた。

 

「それより咲耶の嬢ちゃん。こちらのお嬢さんたちに俺っちのこと紹介してくだせえよ」

 

 それよりも、とカモミールは自分の存在を女子にアピールするかのようにパタパタと手を振って、リーシャたちに紹介してくれと咲耶に頼んだ。

 咲耶も、それもそやなと納得して友人たちに白いオコジョを手で示した。

 

「こちらネギさんの友達のカモくん」

「おうよ。よろしくな」

「へ、へぇ~、よろしくな。な、だ、抱いてもいいかな?」

 

 小さな体に一見すると愛くるしい見た目。

 その見た目にリーシャはすっかり魅了されたのか、目を輝かせてカモに手を伸ばし、了承を得ると胸に抱いて撫でた。

 

「お、おおっ! 撫で心地いいな! ほれ、クラリスとフィーも!」 

「ムフ、ファ♡」

「…………」

「そういえば以前知り合いのオコジョの話をしてたわね。近くの人の恋愛感情が分かるんだったかしら?」

 

 カモの毛並が気に入ったのか、リーシャは胸にうずもれて嬉しそうなカモを撫でながらクラリスとフィリスにもと呼びかけた。

 クラリスはおそるおそるといった様子で手を伸ばして恐々と撫ではじめたが、さらさらとした毛並と柔らかく温かな感触に無表情な顔を少し嬉しそうに崩した。

 フィリスも順番に撫でさせてもらいんがら、ずっと以前にそんなような話を聞いたような気がすることを思い出していた。

 

「おうよ。俺っちのオコジョレーダーにかかれば女子供の恋愛事情なんざ丸裸。興味あるなら、お嬢ちゃんたち。いっちょパクってみるかい?」

「パク?」

「パクティオーだよ、パクティオー。なんだもしかして、やり方知らねーのか、嬢ちゃん?」

 

 首を傾げたリーシャにカモはにやりと腹に一物抱えていそうな笑みを向けた。

 

「たしか、呪文詠唱するための魔法使いの従者と契約することよね」

「あー……でもやり方は色々あるとしか聞いてねーな。どうやるんだ?」

 

 数年間精霊魔法について学んでいるだけあってパクティオーについても授業では習っている。だがその詳細に関しては精霊魔法の使い手とは方向性が異なるために色々とあるとしか習っていなかった。

 

「まあたしかに色々あるけど、一番簡単なのはキスだな」

「へー、キスね……キスゥッ!!?」

 

 何気なく聞いたリーシャだが、その行為を反駁して、ぎょぉっと身を引いた。

 

「キスだよ、キッス。俺っちの描いた魔法陣の上でむちゅーっと一発。女子高生なら気になる相手が居るんだろぉ?」

「んなっ!!?」

 

 げっへっへと、汚いおっさんのような笑い方をするカモ。顔を真っ赤にして絶句するリーシャ。

 そしてハッと何かに気が付いたのか、リーシャは赤い顔のままサクヤへと振り向いた。

 

「さ、ささ、サクヤとシロくんって、もしかしてそれなのか!?」

「そぉっ!!? そ、そそそ、某が姫様となど、そにょ、もにょ……」

「んーん。パクテオーは西洋風のやり方やから。シロくんの場合は陰陽術の式神契約っていう別の契約の仕方をしとるんよ」

 

 話を振られた白狼天狗は目をぐるぐるとさせて混乱しており、対して咲耶はのほほんと答えている。

 

「ちなみにリオンとチャチャゼロの場合はたしかドール契約っていうやり方やったて聞いたな」

 

 契約の仕方自体はいくつかある。咲耶がシロと結んでいる式神契約。リオンが母から譲り受けたチャチャゼロと名目上結んでいるドール契約。

 カモのようなオコジョ妖精が得意とし、専門の業者がいるほどに一般的なパクティオー。そして特にこの方法での契約がためにミニステルマギが恋人探しの口実になっていたりする。

 

「パクティオーってのは主と従者の間に魔力のパスを繋ぐだけではなく、従者の潜在能力を引き出し、時には資質に応じた超強力なアーティファクトを入手することもできる契約だぜ」

 

 ただ勘違いしてはならないのは、カモの思惑がどうであれ、パクティオー自体は契約者に大きな益をもたらすものである。

 契約者の秘められた潜在能力を引き出すこと。適正にそったアーティファクトを貸与されること。魔力供給による戦力強化。カードを介した召喚、念話などなど。与えられる恩恵は大きい。

 

「咲耶の嬢ちゃんの母さんのこのか姐さんだって、治癒能力に目覚めた切欠は俺っちがとりもったパクティオーだし。なにを隠そう、ネギのアニキが魔法世界を救うに至った仲間とのパクティオーをとりもったのはほとんどか俺っちなのさ」

 

 そして現在魔法世界で有名な“ネギの教え子たち”も、その中の幾人かはネギとパクティオーを行うことによってその才能を開花させはじめたりもした。そしてそんな彼女たちが、世界を救う力となったのだから、あながちカモの言葉も間違いではなかろう。

 

「咲耶の嬢ちゃんも、リオンのアニキとやればいいモン出そうなんだけ―――――じょ、冗談っすよ、式神の旦那」

 

 ただ何事も余計な一言というものはある。カモの発した迂闊な言葉で、チャキリとカモの首筋に刃が添えられた。

 切れ味鋭く、カモの細首を楽々落とすであろうそれを持っている式神は、ハイライトを消したような瞳でカモを見下しており、カモはガクブルとしながら両手を挙げた。

 まぁまぁという咲耶の取り成しによりシロは膨れっ面で渋々といった表情で剣を引き、なんとかカモの首はつながったままとなった。

 

「ふー……まあ、咲耶嬢ちゃんの方はともかく、俺っちが見たところ胸にイイもんもってるそこの金髪の嬢ちゃんならビンビンに才能を感じるぜ。なんなら俺っちのオコジョレーダーで調べてもいいんだぜぇ。そうさな、相手は――むぎゅるっ」

 

 ただその後結局リーシャに叩き潰されました。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 ホグワーツの副校長に案内されて通路を歩くネギは興味深そうにあたりを見ながら歩いていた。

 

「面白いつくりの校舎ですね。装飾品や階段にも魔法がかかっているのですか? メルディアナともずいぶんと違う感じです」

「ミスター・スプリングフィールドは魔法学校の出身ですか?」

「はい。ウェールズにある魔法学校です」

 

 ホグワーツはネギが卒業した魔法世界由来の魔法学校、ホグワーツとはまったくその内装も異なっていた。内装の至る所が魔法化されており、ウェールズの中でも山奥にあったメルディアナとは別の意味で浮世離れしている。

 ただここで生活する生徒の姿はちらりと見ただけではあまり違いがあるようには思えなかった。

 事前に調べたところによると校内の寮毎に随分と仲の良し悪しがあるようだが、目に映る限りではそうそう簡単に見つかるものでもない。

 ネギはおしゃべりしている婦人の絵画に微笑を向け(そのご婦人たちは頬を赤らめていた)、視線を動かしていき――――上階からこちらを見ている一人の魔法使いを見つけた。

 

 金髪のリオン・スプリングフィールド。

 髪の色以外にはネギ自身と、そして彼の父親ともよく似た面立ちをもつスプリングフィールド。

 ネギはアルバス・ダンブルドアや魔法大臣との会談を前に彼とも少し話しておきたいとも思ったが、相変わらずツンツンとした視線を向けてくる彼はネギとは話すともりはないのか、近づいて来る気配はない。

 “今年で最後となる”彼の教師生活がどうだったか聞いてきたい気もしたが、その話をすればきっとネギ自身、彼にとっては不可侵となるところにまで話をもっていかなければならないような予感がネギにもあった。

 各方面からの報告の流れを読めば、すでに“彼の”準備は整っていることは分かる。

 それによって引き起こされるのは、ここ20年以上起こっていない最強クラスの魔法使い同士の激突だ。

 ネギはそれが止めようもないことだと分かりつつも、それでもその戦いは起こしたくないと考えていた。

 

「どうかしましたか、ミスター・スプリングフィールド?」

 

 知らず、足を止めてしまっていたネギを不審に思ったのか、副校長が訝しげにネギに尋ねた。

 リオンは、顔見せは果たしたとばかりに背を向け、ネギは一瞬黙するように目を伏せ、そして前を向いた。

 

「いえ。なんでもありません。行きましょうか――――魔法省大臣とダンブルドア校長のところに」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

欠け行く月

 古来よりこの世界には常人とは異なる異能を宿した人間が現れていた。

 そういった者達は、時に神の使いと崇められることもあったが、その多くは化物、魔物などとされ迫害されてきた。

 遥かな昔、それを憂慮したとある存在は、彼らのためにもう一つの世界を創った。そのとある存在を何かの言葉で表すとすれば、それは“神”だろう。

 異能を宿した者達――魔法使いの一部は、“神”によって異界へと導かれた。

 しかしその“神”や同胞だった者達と道を同じくせず、こちらの世界に留まった者達もまたいた。

 以降、彼らは隔たった世界にて独自な文化を造っていくこととなる。

 だが、元は同じ世界から分かれた二つの世界は、まるで鏡の表裏のようにどこか似通った文化を形作っていった。

 元の世界――旧世界に留まった異能者、魔法使いたちは時に崇められ、迫害されながらも世の影に隠れながら過ごしていた。

 

 ホグワーツ魔法魔術学校。

 10世紀末、こちらの世界に残った者達の末裔たち――ゴドリック・グリフィンドール、サラザール・スリザリン、ロウェナ・レイブンクロー、ヘルガ・ハッフルパフの4人の魔法使いによってイギリスのとある場所――魔力の豊富な霊脈の上に創設された魔法使いたちのための学び舎。

 彼らの内の3人は魔法を得るに相応しい者を選び、1人は全ての同胞を受け入れた。

 だがやがて、3人の内の一人、最も過激な選別思想を有していた者がホグワーツを去り、しかし彼らの思想は長くホグワーツで受け継がれていった。

 故郷である世界から去り、新天地へと渡った者たちと決別し、長い時の中で魔法を持たない者たちをマグルと呼び、お互いを敵視する時代を経て、魔法使いは己をマグルから隠すことになっていった。

 

 

 ローブを目深にかぶった“そいつ”はその白亜の城を見上げた。

 訪れたのは2度目。1度目は助力していた者たちの計画のために。

 そして2度目。

 空に浮かぶ金の月は真円を描いており、しかしその月の端が陰りを帯び、欠けた。

 空に雲がかかっているわけではない。

 星が光を食んだのだ。

 

 望月でありながら欠月でもある蝕の夜。

 

 彼を見つけた昨年より待ったその時が、ついに来たのだ。

 

 

 

 第95話 欠け行く月

 

 

 

 夜の帳が徐々に降り、月が昇るころ生徒たちは大広間に集まってハロウィンパーティが始まった。

 校長室で魔法省大臣やゲスト、ダンブルドアらが行なっている重要な、会談はパーティが始まるころには終わっており、彼らもこのパーティに出席するという話だったのだが、予想外に話が長引いているのか、未だに彼らはやってきていない。

 

 普段は寮ごとに並ぶ食事のテーブルは、パーティ用の丸テーブルがいくつも点在する立食形式になっていた。ところどころには座るための椅子も用意されているが、多くの生徒は各々皿に好みの料理を盛って窓際へと寄っていた。

 生徒たちは、ゲストたちや校長がやってくる前の時間を、屋敷しもべ妖精たちが気合を入れて作ったハロウィン用の料理を楽しみながら空を眺めて過ごしていた。

 

「そろそろ欠けているのがはっきり見えてきたわね」

「おおー、たしかに」

 

 フィリスもリーシャや咲耶、クラリスたちとともに夜空を見上げていた。

 少し前は欠けているところのない満月だった月が、今はその一画を失っておりそれは徐々に徐々に広がってきている。

 

 月食。

 天体の運行上、月が地球の影に隠れ、太陽の光が遮られて影を落とす現象。その中でも皆既月食と呼ばれる現象は、月が完全に本影に入り全てが隠される。

 月が蝕まれる。

 満月でありながら徐々に月が欠けていく。そして本影に入った月は、光の性質により色を変える。

 いつもの銀月の色から、赤い月へと。

 

 咲耶は欠けて行く月を見上げ、そしてふと自分に向けられている視線のようなものを感じた気がして振り返った。

 そこには満月の影響下にあって吸血鬼の度合いが色濃く表れているリオンが視線を向けていた。

 

 実はほんのちょっぴり、咲耶は今日のリオンがどうなるのか気になったりしていた。

 新月期の一週間、満月期の一週間、そして半月期の一週間が2回。4つのサイクルで繰り返されるリオンの性質の変化だが、満月でありながら新月ともなる皆既月食でどうなるのかは咲耶も見たことがない。

 今の所リオンは、満月期の――吸血鬼としての割合の方が強そうに見える。

 

 彼女の近くではハリーがハーマイオニーやロン、ジニーたちと一緒に空を見上げていた。

 

 

 

 窓から離れたところで独り佇んでいたリオンは、自身の中で刻を追う毎に魔力が変質していくのを感じ取っていた。

 反応しているのは自身に宿る2種類の“血”か、それとも闇の力なのか。

 リオンは測るように自身の胸に手を当てて瞑目し、それから彼女を探した。

 

 窓際で蝕まれていく月を眺めている少女。彼女はリオンの視線に気づくとピコピコと手を振って花のような笑顔を向けた。そして友人から何かを話しかけられて小突かれ、笑いながら天体観測に戻っていった。

 

 ――今でも、悩むことはある。

 あの笑顔を曇らせるようなことはしたくはない。けれども自分の望みを優先するのならば、おそらくあの花に陰を落とすことになる。

 

 去年のあの時、すでに賽は投げられた。

 長年求め続けた“解”はほぼ得られていた。あとはただ、選び、そして死力を尽くすのみだった。

 だがリオンは迷っていた。

 結局、自身が下せなかった決定を下したのは、運命。

 リオン自身はただ、彼女を守るための保険をかけただけだった。事実その保険は彼女を守り、リオンを間に合わせるだけの時間を作った。

 だから後は、結末の焔を燃え上がらせるだけだ。

 自身の死か、それともあの人の死か。

 

 それでも未だにその焔をつけていないのは、弟子をとったからだ。

 僅かでも天秤を傾けるため――その理由で、結局やりたくないことを先延ばしにしているだけだと、リオン自身が分かっていた。

 

 自分の思うままに生きているつもりだったのに、結局何者からも自由な存在とは程遠い。

 

 

 

 鬱然としたリオンの溜息を遮ったのは、来客を告げる声だった。

 

「スプリングフィールド先生。お客様ですよ」

 

 告げたのはこの学校の管理人、アーガス・フィルチ。

 この学校で彼ほど生徒が嫌いな者はリオンを含めてもいないだろうという男で、この学校には珍しいことに魔法を全く使わない珍しい人物だ。

 卑屈さが滲み出ているかのようなフィルチの声にリオンは振り向き――――

 

「! 貴様……」

 

 フィルチに連れられてきたローブ姿の人物に絶句して目を見開いた。

 

 

 予感は、あったのかもしれない。月食の影響で魔力がこれまでになく充溢している今だからこそ、感じる予知にも似た直感。

 

 ――――「次にまみえる時には、返してもらうぞ―――――」――――

 

 “あの時”、去り際にかけられた言葉。

 

 小柄で少女のようでもあり、老婆のようでもある者――墓所の主。

 この魔法学校の結界にも反応していないところを見ると、王家の魔力を使い認識を混乱させたのか。殺気立ち身構えるリオンにフィルチは意味が分からずに驚いている。

 フードに隠れた陰の中で墓所の主はふっと口元に笑みを浮かべた。

 

「そういきり立つな。私は貴君と話をしにきただけじゃ」

 

 敵意のない所作。

 片手を挙げてひらひらと動かすと、フィルチは一瞬前の驚きも忘れ、要件を終えたことのみを認識させられて背を向けて去った。魔力のほとんどないフィルチは精神干渉に抗うこともできなかったのだろう。

 そして他の魔法使いたちも、認識を誤魔化されているのか不思議がる様子はない。

 流石にあからさまにおかしな挙動をとれば認識阻害を破れるとは思うが、今の現状でリオンの側から戦端を開くのはあまり利口ではないだろう。

 

「座らぬか?」

 

 墓所の主は近くに用意されている椅子をぬけぬけと示してリオンを誘導した。

 

 

 

 広間の大勢がそれぞれに談笑し、月蝕を見上げ、あるいは別の場所で行われている会談の行く末を考えている中、それらの者たちに認識されずに二人は席に座っていた。

 今日という日において、リオンの魔力、能力はおそらく過去にないほどに高まっている。

 吸血鬼としての力も、魔法使いとしての力も、そのどちらもが極限へと振りきれている状態だ。とはいえ相手は魔術師殺しの力、王家の魔力を有する者だ。

 リオンは油断なく敵である墓所の主を見据える一方、墓所の主は今のところは敵意がないことを示すためか、テーブルの上に現れたティーカップを手に取り口をつけた。

 

 

 墓所の主がティーカップをカチャリと置き、口を開いた。

 

「今宵貴君を訪った要件だがな…………いい加減、人に肩入れするのはよさぬか?」

 

 その言葉にリオンの眉がぴくりと動いた。

 

「貴君には貴君のあるべき場所がある。そこに戻るというのなら、私も彼奴らから手を引こう」

「言っている意味がよく分からんな。そんな戯言をほざきに来たのか?」

 

 リオンは決して無条件に人に組してはいない。けれどもたしかに彼の行動は人に利する――少なくともネギやフェイトたちの思惑にある程度則っている行動となっている。

 墓所の主のその言にリオンは瞳に込めた感情を消し去った。

 リオンの視線に墓所の主も切りつけるような視線で応じた。

 

「元々彼奴らとは利害が一致していただけの間柄。かつてはネギ・スプリングフィールドに少しばかり助力したこともあるほどじゃ。私は私の守るべきものさえ戻ってくればそれでよい」

 

 “墓所の主”

 その存在について知られていることは決して多くはない。それはかつてかの者と計画を同じくしていたフェイトたちにとっても同じだ。

 ただ王家の血を引く者であり、そして魔法世界の深奥を知る存在であるということくらいしか分かっていないのが正直なところだ。

 だがたしかに、墓所の主はネギ一派にも助力したことがあるらしい。

 

「俺が貴様の言うあるべきところとやらに行くのが、貴様の言う守るべきものというやつなのか?」

 

 険しい視線のまま発された問いに、墓所の主は目を伏せて肯定を示した。

 リオンの瞳が細まり、空気が凍てつく。飽和した魔力がバチバチとはじけ、手元のカップに残る温かだった紅茶を、瞬く間に凍りつかせた。

 

「あいにくと俺にはやりたいことがあるんでな。俺は俺の自由にやらせてもらう」

「自由に、のぅ……」

 

 墓所の主は意味ありげにため息をついた。

 

「それは本当に貴君の自由か?」

「何が言いたい?」

 

 二人の間で凍てついた空気がさらに緊張感を帯びていく。

 リオンはゆっくりと席を立った。

 

「リオン・スプリングフィールド。貴君のやりたいこととやらは、貴君の中より出でたものではない。元より、ヌシは他者の願いを叶えることのみに腐心していたのじゃからな」

「何を言っている」

 

 墓所の主もまた席を立ち、リオンに相対した。

 

 リオンの背後には異変に気づかず欠けていく月を見上げる咲耶たち。

 リオンは刻々と高まっていく魔力を戦闘態勢へと切り替え、墓所の主は虚空から大剣を出現させてその手に宿した。

 

「どうやら話はここまでじゃな…………頃合いもよいじゃろう。後は、貴君の親に倣って、力づくでやらせてもらうとしよう」

 

 あらゆる魔法、気術、魔力、気力を無効化する魔術師殺しの大剣。それが現れたことにより、異変を隠していた認識阻害の魔法は破られた。

 会話の終焉は対決の幕開けへ。

 ローブを被り大剣を掲げる異能者とすでに臨戦態勢の闇の魔法使い。

 その異常な光景に、生徒たち教師たちは気が付いた。

 

 

 

「おい、あれ……あれっ!! 去年のっ!」

 

 ざわつく大広間。異様な雰囲気が流れてきたことに気付いたリーシャが振り向いた。

 咲耶やクラリス、フィリスたちも気付いて振り向き、そして対峙する二人を見た。

 

「リオン!」

「っ!? サクヤ、前に出ないでっ!」

 

 いつのまにか戦闘態勢に入っているリオンの姿に咲耶は驚愕の声を上げた。

 気づいていなかったのはディズですら同様で慌てて動き始めた咲耶の前に出て手で制した。

 

 

 

 ――いつの間に!? ッッ!!?――

 

 幾度も思い知らされる。

 自分はひどく弱く、魔法についてすら知らないことが多すぎるのだと。

 

 大剣を携える小柄な剣士と師匠であるリオンが対峙しているのを見たディズはつくづくと自分の無力さを痛感していた。

 認識阻害がかけられていたのか、師匠が敵と相対していたということに、今の今まで気付かなかったばかりか、今もその敵の力量が見定められていない。

 師匠の今の様子から、そして何より去年のクリスマスの事件での戦闘の様子を見ていたことからも、あの剣士が師匠と同格、最強クラスの遣い手であることは分かっている。けれどもそれがどの程度の強さなのか、ディズには全く見えなかった。

 リオンやフェイトという魔法使いとも違う。どれだけ自分と違うのか分からないというレベルですらない。

 相手の力量が分からない。

 魔力の昂ぶりも、自分やリオンが展開している魔法障壁の強弱すらも見えない。

 そのことにディズは驚愕し、ただ駆け寄ろうとするサクヤを制止し、遠くから見守ることしかできなかった。

 

 広間に居た教師たち、マクゴナガルやスネイプ、フリットウィックたちも遅まきながら異常に気付き、杖を抜いて生徒たちをかきわけて前へと出ており。

 

「リオン君!!」

 

 バンッッと結界が破られ、広間の扉が開かれるのと同時に、“墓所の主”と相対するリオンに並ぶ形で魔法使いが駆けつけた。

 マクゴナガルたち教師は咄嗟に振り向いた時には声を発した魔法使いはすでに瞬動でリオンの横へと駆けていたが、広間の出入り口に会談を行っていてこの場には居なかったダンブルドア、そしてニホンからきたカンサイジュジュツキョウカイの特使、コノカ・コノエとその護衛が並んでいるのを目にした。

 

 咲耶たちを背後にするリオンの横に並び立つもう一人の魔法使い。

 

「ネギ・スプリングフィールド……それにこちらの世界の姫と神鳴流剣士じゃな」

 

 墓所の主は駆けつけた魔法使い――ネギと扉の所に立つ木乃香、そしてその前に出ている刹那を一瞥した。

 

「久しいな、我が末裔」

「アナタは…………」

 

 墓所の主はリオンの横に立つネギに向けて笑みを向け、ネギは襲撃者の姿を――突如としてこの城の中に生じた違和感の正体に気付いて瞠目した。

 

 以前に会ったあの時からまったく変わらぬ姿。

 ローブに隠れた奥から覗く光彩異色(オッドアイ)の瞳。

 

 魔法世界崩壊事件の中、僅かにまみえたかの者と、時を経て再び相対していた。

 

「あの時の少年が、真実あの時放言した計画を実現せんところまでくるとはな」

 

 絶句しているネギに、墓所の主は大剣を担いだまま感慨深げに零した。

 その言葉にネギはキッと眼差しを鋭くした。

 

 あの時、たしかに墓所の主はネギに助力してくれた。だが今、たしかにこの者は敵としてネギたちの前に、リオンの前に立っているのだ。

 

 広間に駆け付けたダンブルドアや室内の魔法先生たちはそれぞれに激震の中心地になろうとしているところから生徒を守る壁のような役割を果たそうと人だかりの中から出でた。

 マクゴナガルが、スネイプが、フリットウィックが、それぞれに杖を構え、“闇祓い”兼教師であるドーリッシュも杖を抜いて歩み寄った。

 

「だがしてはらならぬことをしたな」

「ッッ!」

 

 肩に担いでいた大剣を下し、無形の位においた墓所の主から、怒気とともに魔力が吹き荒れた。

 その気勢はネギやリオンに向けられていたにもかかわらず、遠巻きにしていた生徒たち、事態の推移をはかっていた魔法教師たちを青褪めさせた。

 

「ヌシさ――」

「なぜ神を堕とした」

 

 口を開こうとしたネギの言葉を遮り、墓所の主は怒気に満ちた視線と言葉をネギに叩き付けた。

 

 —―“神”を堕とす――

 

 その意味するところはリオンにも分からず、ただ、自身の目的のために鍛え上げてきた“武器”との奇妙な符合に心がざわついた。

 

 

「……ヌシさん。アナタは、なんの目的で使徒に与するのですか? アナタは――」

「我は“墓所”の護り手」

 

 ネギの問いかけに毅然とした答えが返る。

 

「いかなる手段によってでも、取り返させてもらうぞ。あるべき形に」

 

 リオンやネギ、そして刹那や魔法使いたちが、間近で膨れ上がった“墓所の主”の戦気に反応して臨戦態勢から警戒レベルを最大限にまで引き上げ、構えた。

 敵の力は魔法や気を無効化する王家の力。

 それは魔法使いや気力使いにとって天敵といえる力であり、歴戦の使い手であるネギや刹那ですら真っ向からぶつかっては危険な代物だ。

 

 ただ

 

「それで? 結局何がしたいのか知らんが、一人でこの状況をどうにかできると思って、のこのことやってきたわけか?」

 

 リオンは対峙する最中にも高まっていく魔力を、いつでも戦闘に使えるよう臨戦態勢に変換しながら尋ねた。

 いくらなんでも、新旧の最強クラスであるリオンとネギ、それに刹那が居る状況を単身でどうにかできるとは思えない。

 

 扉周辺では、刹那と木乃香がダンブルドアに何かを告げたのか生徒たちの避難がはじめられており、魔法教師たちは生徒たちの防壁になるように、三人を囲むように動いていた。

 

 その動きには気づいているだろうが、墓所の主はそちらには興味がないのだろう。ただ相対するリオンとネギ、そして隙あらば斬りつけてくるであろう神鳴流剣士の動きのみを牽制しながら、リオンの問いにふっと笑みをこぼした。

 

「どうにか? 言うたはずだがな」

 

 

 ざわめきながら扉へと流れていく生徒たち。その流れは扉から距離のある咲耶たちのもとにはまだ届いておらず、教師たちが杖を大剣を持つ異能者に向けながら警戒に当たっていた。

 扉から離れた位置に居るディズは、サクヤの前に立ち、事態の推移を全神経を前方に向けて警戒していた。

 いかに成長したとはいえ、ディズは自身の力が眼前で開かれようとしている戦いに通用する者ではないことを理解していた。だから気圧されていたと言っていいだろう。

 それはリオンや刹那、そしてネギですら目前の敵に臨むことに注力せざるを得ない状況で、

 

「いかなる手段によってでも、とな」

 

 気づいていなかった。

 生徒たちの防壁として動いていた教師たちの一人、“闇祓い”でもあるはずの魔法省から派遣された魔法使い、ドーリッシュが咲耶へと近づいていることに。

 いや、それは分かっていた。けれどもその意味を理解していなかった。

 

「えっ?」

 

 不意に肩に置かれた手に、咲耶は振り向いた。いつの間にか、後ろから歩み寄っていたドーリッシュ。

 イギリス魔法界において“正義”であるはずの魔法使いの顔が、昏く歪んでいた。

 

 接近は気付いていた。

 ただディズにとっても、警戒すべきは前方であり、後方に守るサクヤのさらに後方から歩みよる存在が、別の思惑によって操られていることには、その時まで気づいていなかった。

 

 

「!!?」

 

 

 驚きは操られていた者以外の全ての“魔法使い”のものだった。驚愕に時を失わなかったのはただ二人――このことを企んだ剣士、そして操られていた魔法使い。

 リオンは眼前の脅威のことすら忘れ、振り返り、そして目に映った光景に驚愕した。

 

 

 

 

 肩に置かれた手から、何かが流れ込む。肩を叩かれ振り向いた時に、金色に光るロケットが、そこにはめ込まれたS字の入った小さな緑色の石が見えた気がした。

 

「あ」

 

 パリンと、何かが砕け、壊れる音が自分の中から響いたのを咲耶は聞いた。

 内からも外からも音が消え、自分の中で小さく灯っていた白い焔が急激に存在感を増した。

 取り返しのつかない何かが壊れた。

 

 いち早く気付いたリオンが色を失った瞳で振り返っている。

 咲耶の視界から色が消えていた。咲耶の好きなリオンの金の髪の色も、碧眼の瞳の色も。

 

「—―――ッッ!!!」

 

 振り返ったリオンが駆けようとし、しかし咲耶の瞳はそれを最後まで映してはくれなかった。

 

 白いナニカが、燃え上がった。

 

 今までに何度か感じた感覚。

 自分の中にある抑えきれない何かが溢れる。

 

 白い焔が、瞳に映るリオンを隠し、そのほかの全ての光景を消した。

 

 制御するための咒など、間に合いはしなかった。咲耶自身はもちろんのこと、守護のための(安全弁である)式神の制御も。

 

「――――――――ッッ!!!!!」

 

 咲耶の喉から絶叫が溢れ、少女の意識は一瞬で白に呑み込まれた。

 

 

 

「咲耶ッッ!!」

 

 背後で突如として湧き上がった異変に振り返ったリオンは、目に映った光景に、瞬間、忘我して叫んでいた。

 常の彼であればどうということのない魔法使いが、彼の大切なものに手を触れていた。

 首元で金色のロケットが揺れており、そこから何かが少女に流れ込み、少女のナニカを破壊した。

 

 それはあの子にとって大切なもの。

 いつかリオン自身が解き放たなければならないと懊悩していたもので――――少女にとって命を守るために必要だったもの。

 

 その術式がどこから来たのかなど考える必要などない。

 先ほどまで対峙していた存在の脅威など関係ない。

 少女の躰から湧き上がり、一瞬で燃え上がった白い焔だけが、リオンの心を占めた。

 

 神殺しの白焔

 ヒトの身にはあまりにも過ぎたその力が、封印も制御も打ち破って、少女の躰を食い破って、命を糧にして、猛るように燃え上がっていた。

 

 

 判断もなく、衝動のままに駆けようとしたリオンの背後に、その隙を逃すはずもなく脅威が迫っていた。

 あらゆる魔法を、魔力を、気力を無効化する魔術師殺しの大剣。

 障壁を強化することも、体を捌いて躱すという判断もないリオンの背に、その必殺の大剣が迫り――

 

「!!!!」

 

 衝撃音とともにその軌道が逸らされた。

 

「ほう」

「リオン君ッ!」

 

 驚愕し、一瞬で立ち戻ったネギが寸でのところで大剣の側面に拳打を当てて軌道を変えていた。

 ネギが叫ぶまでもなく、すでにリオンは瞬動で駆けており、ネギは奇襲を防いだ墓所の主と相対した。

 

「邪魔をしてくれるな、英雄」

「邪魔はさせません!!」

 

 触れるだけで魔力を消し去る剣が振るわれ、避けたネギの眼前を薙いだ。

 

 自身と血脈を同じくし、そして自身の天敵である魔術師殺しの大剣を持つ剣士。かつては助力を受けたその敵と、ネギは単身で戦端を開いた。

 

 

 

「はははっ!!! はははははッッ!!!!」

「ッ!」

 

 背後から守っていたつもりだったはずのサクヤの声を聞いたディズは、振り返り、一瞬で白い焔が少女から湧き上がり、少女を呑み込んだのを見た。

 そして焔に腕を焼かれながらも狂ったような哄笑を上げているドーリッシュの姿を捉え、すぐさま杖を抜き放ち、無言呪文を飛ばしてサクヤと接触している彼の腕を斬り飛ばした。

 腕を斬り飛ばされた反動でサクヤから、そして白焔から距離をとらされたドーリッシュは、腕を切断された痛みなどないかのように笑い声を上げ続けている。

 

 突然の事態に驚愕したのは、サクヤたちの近くに居たハリーも同じで、しかしハリーにはもう一つ、別の物が見えていた。

 驚愕し、動揺しているロンやハーマイオニーは気付いていなかったが、ヴォルデモートという危機的存在と幾度も相対した経験のあるハリーには、僅かばかりの思考のゆとりがあった。 

 本来であれば彼らを守る立場のはずの、魔法省から派遣された“闇祓い”の魔法使いの、その首にかけられ、揺れているロケット。

 Sの字の入った緑色の石をはめ込んだ金色のロケット。

 実物を見たわけではない。だがかつて“ソレ”と魂の一部を共有していたハリーには、分かった。

 

 —―分霊、箱ッッ!!――

 

 夏休みにダンブルドアから示唆されていた存在。ヴォルデモート卿の魂の一部を封じた分霊箱。その最後の一つ。

 

「エクスペリアームスッッ!!!!」

 

 気づいたハリーは咄嗟に呪文が口をついて出ていた。

 すでに片腕を失い、血を撒き散らしていたドーリッシュに呪文が命中し、その首元からロケットが弾き飛んだ。

 

 ハリーの呪文を受け、吹き飛んだロケットの蓋が開かれる。

 かつて魂を共有した存在(ハリー)の魔力を受けて反応したのか、開かれたロケットの中から黒い靄のようなナニカが溢れた。

 それは悪意の塊。

 魂の一欠けらとなり、赤子が泣きわめくかのように悪意を撒き散らすだけの存在となった闇の残滓。

 ただこの世に魂を残すだけの存在と成り果てたかつての“闇の帝王”と呼ばれたモノの残骸には、もはや理性など残っていない。

 より強大な存在(ゲラート・グリンデルバルト)に残された魂の大部分を奪われ、そこから流し込まれた意思によって操られた、人形の糸でしかなかった。

 自身の意思ではない、他者から送り込まれた意図によって魔法使いを操っていた魂。

 その役目からも解き放たれた残骸は、ただ残された妄念にのみ燃やされて咆えた。

 

「ハリィィ、ポッタァァァァ!!!!!」

 

 それは、あるいはかつての怨敵であったことを覚えていたのかも知れない。

 そこ(ハリーの体)から魂が失われ、一時的に血を同じくした体を滅ぼされた今になっても、ハリー・ポッターさえ取り込めば何とかなると考えていたのかも知れない。

 

「ッ!」「チッ!!」

 

 ハリーにも、そして今のディズにも魂そのものをどうにかする術はない

 襲い掛からんとする怨念を前にして杖を構え――――

 

「神鳴流奥義――――斬魔剣 弐の太刀!!!」

 

 黒髪の剣士が靄を切り裂いた。

 

「――――ッッッッ!!!!!!」

 

 怨念の残滓は、その一太刀を浴びて絶叫した。

 魔を滅する神鳴流の奥義。

 

 “闇の帝王”ヴォルデモート卿――かつてトム・リドル・Jr.と呼ばれた魔法使いの魂の、最後の一欠けらは、怨敵を前に、魔法使いではない者の手によって完全に滅ぼされた。

 

 

 






ヴォルデモート卿、消滅…………


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

パクティオー

 イギリス魔法界において最悪と言われた闇の魔法使いの残骸を討滅した剣士――刹那は振り抜いた刀を納める暇もなく焔へと振り向いた。

 彼女にとって守るべき第一は、主でありパートナーである木乃香。そしてそれと同等なほどに大切な咲耶であり、ソレを切り裂いたのは彼女を害した原因である魔であることを視たからである。それがどれだけイギリス魔法界にとって“最悪”だったのかは分からないし、今考慮すべきことではない。

 今、考えるべきは咲耶の中に封じられていた力が封印を破って解放され、彼女を蝕んでいるという事態。

 振り向いた刹那の眼前に、黒が翻り、そして金の髪の魔法使いが着地した。

 

「ッッ!!」

「ッ! リオン君!!」

 

 刹那同様、焔が暴走した瞬間に反応したリオンは、咲耶へと接近をはかり、荒れ狂う白焔によって阻まれて後退を余儀なくされていた。

 翻る黒のローブが落ちると、そこに隠れていた腕が露わとなった。

 

 

「マスター!」

 

 リオンの右腕を見た瞬間、ディズも驚愕して声を上げた。

 咲耶の焔によってダメージを受けたのかリオンの右腕は焼けただれており、吸血鬼の能力、再生能力が全開となっているはずなのに、再生されていなかった。

 

 リオンは眼前の白焔を睨みつけながら、燃やされた右腕に左手を当て、魔力を込めた。その意思を具現化して、彼の右腕は瞬時に凍りつき、そして砕かれた。

 自身の力すらも阻む神殺しの焔をまともに受けた腕を自ら凍りつかせて砕いたリオンは、すぐさま右腕を再生した。

 腕を再生したリオンの横に、一つの魔を滅した刹那が並んだ。

 

「リオン君。再封印は――」

「要の式神ごと呑まれて壊されている、封印もクソもあるか」

 

 咲耶の力を研究してきたリオンだからこそ分かる。 

 傀儡となっていた魔法使い、傀儡糸となっていた霊魂、二つを介して使徒が封印破りの術式を仕込んでいたのだろう。

 計画は成就した。最早あそこに封印はない。

 

 

 

 第96話 パクティオー

 

 

 

「咲耶っ!!」

 

 荒れ狂う焔のただ中に呑まれている娘の姿に木乃香が駆けつけて叫んだ。

 

「お下がりください、木乃香様!」

「こいつぁマズイぜ、このか姉さん! 刹那姉さん!」

 

 焔を無視して近寄りかねない木乃香に、刹那と木乃香の肩に乗るカモが制止を叫んだ。

 すでに周囲の生徒たちは退避させており、墓所の主と戦闘状態に突入したネギはすでに戦闘場面を広間から移している。

 焼かれた右腕を元通りに戻したリオンは、けれども険しい顔で焔と対峙していた。

 “近衛”咲耶のもつ神代感応の力――神殺しの焔。

 その力はかの“真祖”ですら滅ぼす道具として彼自身が目しており、必然、その力を継ぐリオンとて無事には済まない現世最高峰の不死殺しの力だ。

 だがそれほどの力、人の身には過ぎた力であり、いくつもの封じを施し、制御の術法を修めたといえども抑えきることなどできようはずもなく、まして今はその封じのほとんどを壊されているような状態。

 吹き荒れる焔は確実に卑小な人の命を、咲耶の命を削っている。

 

「おい、小動物」

 

 前方の焔を見据えたままリオンは背後の小動物――アルベール・カモミールへと呼びかけた。

 

「パクティオーの契約陣の準備をしろ」

「!」

 

 現状とれる唯一の手を打つために。

 

「なにをすると言うんです、リオン君!」

 

 リオンの言葉に刹那は鋭い詰問の声を上げ、木乃香は不安げな瞳でリオンを見た。

 たしかに咲耶の祖父、木乃香の父である詠春などが戯れにパクティオーをリオンと結ばせようと口にしていたことは知っているが、今この状況でそれが出てくる理由がすぐには理解できず

 

「そうか! パクティオーで咲耶嬢ちゃんの潜在力を引き出せば!」

 

 逸早くその意図に気づいたのは契約陣のエキスパートであるカモだ。

 魔法使いとそのパートナーの間で交わされる契約、パクティオーにはその潜在能力を引き出す効果がある。

 咲耶自身の志向は治癒・回復なのだが、その本質は現状から明らかな通り、“神殺しの力”だ。

 共にあることで不死に終焉をもたらす力。

 神代に伝わる、神の不死を終わらせた力。

 その力は今、関西呪術協会の治める地の祭神――炫毘古神の焔の力となって具現化している。

 ならばおそらくパクティオーによって引き出される近衛咲耶の力の本質は、おそらく…… 

 

「けど、あんな状態じゃ足元に契約陣は描けねえっすよ、旦那っ!」

 

 問題は、パクティオーを行うためには、契約陣の上で特定の行為を行う必要があることだ。

 現在、咲耶の力は暴走しており、近づくもの、周囲のものに対して無差別にその力が振るわれている状況だ。

 それを掻い潜って行為を行うことは至難で、まして契約陣を用意することすら不可能だろう。

 

「外の地面に描け。後は俺が無理やりそこに押し込める」

 

 それに対してリオンは強引な力技に持ち込むための準備をすることを命じた。

 

「リオン君……」

「準備が整うまでの時間くらいは一人で稼げる」

 

 木乃香が不安げな視線をリオンに向けた。

 あの状態の咲耶を相手取るからには、かなりの力技となるであろう。

 リオン・スプリングフィールドの力技ともなれば、咲耶の身の安全が危ぶまれる恐れがある。さらには不死殺しの力が具現し、吹き荒れているあの状況に相対することはリオン自身にもかなりの危険を伴う。

 今この場で、荒れ狂う咲耶の魔力を掌握するほどの“主”格となれる魔法使いは、リオンと木乃香、それにネギぐらいしかいない。

 そして墓所の主と戦闘状態に突入しているネギも、すでに本契約を行っている木乃香も、咲耶と契約を交わすことはできない。

 咲耶の力を掌握し、制御できるのはリオンしかいない。

 そしてそれは、咲耶が望んでいたことであり、リオンが選べなかった選択肢だ。

 

「それしかなさそうですね……このちゃん!」

 

 だがもはやそれしか手段がない。刹那もそれが分かっており、木乃香に向けて声を飛ばした。

 

「……うんっ! カモくん!」

 

 木乃香も覚悟を決め、手元に長杖を召喚した。

 純粋魔法使いタイプの木乃香に体術のスキルはなく、瞬動術は使えない。カモの矮躯では外に出るまでに時間がかかりすぎる。カモを乗せて窓から飛出すのが最短経路であるとの判断。

 刹那は木乃香の護衛と援護、リオンはその時間を稼ぐために左右の腕に待機させていた術式を解放しようとし

 

「ッッ!!」「!!!」

 

 瞬間、リオンの前に刹那が飛び込んで振るわれた焔刃を防いだ。

 リオンですら魔法を発動させようとしていたタイミングであったことからも虚をつかれた。

 寸でのところでその凶刃を察知して防いだ刹那は、目の前の剣士を睨みつけた。

 白い毛並みの髪と犬耳。白い尾は敵意をむき出しにして逆立っている。

 白焔の中から現れたその姿は、今まで見てきた姿とは違っていた。刹那の夕凪と鍔競り合うように押し合うその刃は、切り開くための忠義の刃。

 

「くっ! 白葉っ!!」

 

 だがその姿は、少女が好んだ童の姿ではない。

 刹那よりも高く、リオンとも張り合うほどの長躯。姫の質を損なうことのないようにきちんと着つけられていた指貫と水干姿は胸元のはだけた着流しのような姿に。

 変わらないのは咲耶が好んだ白い毛並みの尻尾と犬耳くらいで、あとは面影を残す程度にしか見えないほどに、式神は成長していた。 

 

「神焔に当てられて、封じが解けたのかっ!」

 

 咲耶の神代由来の力を封じていたのと同様、神代の世代の式であった白葉にもまた封じがなされていた。

 その咎神の姿を見せぬよう。

 その咎の心を現さないよう。

 だがその封じは、咲耶の暴走が始まるよりも前から――その式神の名を咲耶が呼んだ瞬間から、壊れかけていた。

 陰陽の術において名はもっとも短い呪とされる。

 ゆえにその名を封じることで、その本態を封じていたのが最初の、そして最大の封じだったのだ。

 咲耶自身の過ぎた力の封印。式に堕ちた神の力を縛る封印。

 咲耶と白葉は、互いに自身の力を、片方は自らに納まりきらぬ力を散らすために、片方は自らの罪科を封じるために、抑えあってきたのだ。

 式神と“先祖返り”の異能を持つ少女が、出会うよりもずっと前から。

 

「姫、様に……咲耶姫に貴様らを近づけはせぬっ!!!」

「ッッ!!」

 

 競り合う刃、魁丸から白焔が吹き荒れ、押し込む圧力が増大。

 白葉は白焔刃を振り抜き、刹那はそれよりも一瞬早く跳び退った。同時にリオンも後方に距離をあけて逃れた。 

 白葉の式神としての封じが解けている。

 今、目の前に立つのは、かつての罪科と慚愧の記憶が混濁して表出し、荒れ狂う堕ちた神の末席。ただただ面影を求め、それを護ろうとするという意思だけで刃を振るう一柱の白狼天狗だった。

 

「このちゃんっ! カモさんを連れて外へっ! 彼は私がなんとかします!」 

 

 自らのパートナーへの言葉と共に刹那の背から白き大烏の翼を広げ、剣を構えた。

 翼ある剣士の全力解放の姿。

 パートナーである親友の言葉に木乃香は力強く頷き、カモを肩に乗せたまま長杖に乗った。

 

「せっちゃんっ! リオン君! お願いっ!!」

 

 

 飛び立つ木乃香。その姿を見送るゆとりもなく、刹那は白焔を纏う白狼天狗と剣を交えて激突した。

 そして荒れ狂う白焔を前にリオンは両腕の魔法を解き放った。

 

 ――左腕、解放固定(シニストラー・エーミッサ・スタグネット) 千年氷華!!――

 

 左手には絶対零度の凍気の魔法を

 

 ――右腕、解放固定(デクストラー・エーミッサ・スタグネット) 高天御雷!!――

 

 右手には全てを滅する雷霆の紫電を

 

 ――双腕掌握(ドゥプレクス・コンプレクシオー)!!!――

 

 それは母であるエヴァンジェリンでも、天才であるネギですらできない、彼自身の闇の魔法。氷と雷、二つの属性の支配者たるリオンだからこそ纏える空間制御型の術式兵装。

 

 氷と雷の二属性混合装填。

 

 ――術式兵装・中天北極紫微大帝!!!――

 

 白く輝き、紫電を散らすリオンが、くんッと指をタクトのように振るった瞬間、焔を吹き散らしていた咲耶がその周囲の空間ごと氷結した。

 雷速の魔法速度と凍結の空間制御。

 その力によりリオンは空間を支配し、任意座標に一瞬で氷の世界を顕現させた。

 

「スプリングフィールド先生っ!!!」

 

 咲耶を凍りつかせたリオンに、彼女の友人であるリーシャやハリーたちは声を荒げた。いくらなんでも氷漬けはやり過ぎなように見えたのだ。だが

 

「チッ」

 

 それに対してリオンは舌を打って自らが創り出した眼前の氷結世界を睨み付けた。

 氷からは白い焔が突き破って噴き上がっている。最強状態のリオンの、上級魔族ですら封じるはずの氷結魔法が、数秒ももたずに破られようとしていた。

 唖然としている余裕はリオンにはなく、すぐさま発動を重ねて空間を氷結させた。

 吹き荒れた焔までをも凍てつかせ、咲耶自身を周囲の空間ごと凍りつかせ、その周囲の床面も氷に変えた。

 だが咲耶の白焔はそれすらも食い破ろうとしており、だが完全に食い破られる前に床面からつき上がった氷柱が咲耶ごと周囲を飲み込んで広間の壁を突き破り、城外へと貫いた。

 

 

 

 

 振るわれるはあらゆる魔法を無効化して切り裂く大剣。ネギはその剣を躱し、あるいは受け流していた。

 ネギは魔法使いでありながらも、柔の八卦掌と豪の八極拳を基礎にした接近戦の技能は一流の域にある。

 だがそれはネギの本領ではない。墓所の主の攻撃にネギは防戦を強いられていた。 

 

「くっ! 墓所の主さんっ! 何故このような方法をとったのですかっ!」

 

 連撃を捌きながらネギは詰問の声を上げた。

 ネギにとって墓所の主は同じ血脈を有する者。一度は彼の計画に賛意を示してくれたのだ。

 

「手法に関して其方にとやかく言われたくはないな、英雄」

「!」

 

 墓所の主のやり方に憤るネギに対して、主は冷笑を浮かべて返した。

 

「貴君は自分の思い描く世界の救い方のために姫巫女に100年の人柱を強いたであろう? そしてさらには“父”を救うために教え子を巻き込み、師に犠牲を強いた」

「ッッ!」

 

 役目という目的のためにこちらの世界の人間を巻き込み、少女の命を薪のように焔にくべた墓所の主と、必要な人物の犠牲を強いたネギ。

 

「同じことよ。泥に塗れた外道の所業と罵られようとも、己が目的を果たす。貴君と私とに差などない。我が目的は墓所の安寧を護ること」

 

 墓所(・・)を護る者、それが墓所の主。

 ならばその墓所に眠るはず(・・)の者とは?

 

「棺の主が目覚め、再び共鳴りの音を響かせるその時まで。そのために――――ッッ!」

 

 語られる己が罪。

 ネギは雷精の姿に自らを変え、墓所の主の言葉を遮った。

 

「ダーク・エヴァンジェルの闇の技法。いや! 始まり(・・・)に連なる技法かっ!」

 

 その姿は白く輝き、髪は長く、異形の証であるかのように尾を伸ばす雷精。

 

 —―術式兵装・雷天双壮――

 

 雷系最大魔法である“千の雷”を重複装填することにより、自らの肉体を上位雷精に相当する存在へと変身させるネギ・スプリングフィールドの最強モード。

 ネギは雷速瞬動で墓所の主へと迫り、拳を撃ち込んでいた。

 雷速の突撃攻撃を、大剣を盾にすることで防いだ墓所の主。刹那の瞬間、雷精と化したネギと視線が交わる。

 

 ネギと墓所の主。

 そのどちらもが、真なる善者などでは決してない。そのような者などどこにも存在するはずがないのだから。

 世に正義も悪もなく、百人居れば、百通りの正義がある――思いを通し、自らの正義(エゴ)を貫くは、ただ力を持つ者のみ。

 

 ネギのエゴと墓所の主のエゴ。互いに譲れぬ二つの正義が激突していた。

 

 

 

 

 

 ホグワーツ城城外の空で、氷の華が咲き乱れ、白焔の龍がそれを食い破っていた。

 

「—―――――――—―――!!!!!」

「くっ!」

 

 白焔を荒れ狂う龍のように顕現させている咲耶。僅かでも足止めし、その熱を抑え込もうと氷華を操るリオン。

 どちらにも残りの時間はなかった。

 声にならない絶叫を白焔の中で挙げている咲耶は、今この時にも刻々とその命を焔に変えて削り続けており、それに対するリオンも今の術式兵装に限界が迫りつつあった。

 今の状態での消耗が著しいというのもあるが、それ以上に今日という日においてはこの二属性混合装填を行うには時間に制限があるのだ。

 

 本来、リオンの属性は新月期には雷を、満月期には氷を支配するように移り変わる。二つの属性を等量に操る“中天北極紫微大帝”は本来半月期にしか使えない技だ。

 そしてその場合、魔力の消耗が著しく時間の制限を受けるのだが、今日はその理由が変わってしまう。

 皆既月食の起こる今日この瞬間、リオンは満月と新月、二つの期の力をフルに扱える。

 だがそれは皆既月食が起こっている間のみの話だ。

 月が本影に入り、欠けていくとともにリオンの魔力は増大し、完全に月が蝕に入った時を頂点にして、その後は魔力が減衰していく。

 皆既月食では、大気の状態に応じて月の色が変わる。

 宙に見える今の月は、ほぼすべてが本影に入っており、銀月から赤い月へと姿を変えている。

 つまり今が、リオンにとって最大の力を振るえる瞬間なのだ。

 これ以上長引けば今度は魔力が減衰していく中、咲耶と対峙しなければならなくなる。

 雷の力だけでは咲耶を無傷で止めることはできず、氷の力だけでは咲耶の白焔の力に押されて対抗できない。

 高殿の王の魔法発動速度と空間制御、そして氷の王の氷結物量の力を併せ持つ今だからこそ、辛うじて咲耶に致命傷を与えることなく抑えられているのだ。

 

 星空の中、赤い月が真円を描き、その縁が青く輝く。月が皆既食となり、リオンの中で魔力の変質が平衡となった。

 

 ――契約陣はまだかっ!――

 

 月の皆既食の時間は長くはない。

 咲耶の神殺しの力を抑えるだけの支配力を発揮しなければならないことも考えれば、この時間の中でパクティオーを成功させる必要がある。

 焦りが制御を乱し、その間隙をつこうと白焔の龍が顎を広げて襲い掛かった。それが術者の意思を反映しているのかどうかは分からない。受ければリオンといえども無事では済まず、神殺しの焔は彼の魔法障壁ですら食い破るだろう。

 

「旦那っ!!!」「リオン君!!」

「! —――――ッッ!!」

 

 白焔龍の顎を躱すリオンに下方から名を叫ぶ声が届いた。

 素早く視線を向けると、そこには待ち望んだ契約陣が描かれており、その脇には木乃香がリオンの名を叫んでいる。

 注意が下方に向かい、白焔への視線が逸れた。瞬間、白焔龍の顎がリオンの胴に牙をたてて噛み裂いた。

 

「――――!!!!」

 

 自身の焔がリオンを裂いた。その光景は一瞬、咲耶の意識を驚愕によって引き戻して膠着させた。

 次の瞬間、噛み千切られたリオンの体は氷となり、そして砕けて粒子となった。

 

「っ!」

 

 自身の体を氷精化することで、寸でのところで攻撃を躱したリオンは雷速転移することで咲耶の背後にまわり、その腕を捕えた。

 

「―――――ッッ!!!!」

「咲耶ッッ!!!」

 

 咲耶に触れる。それは自らが実体化することと同義であり、白焔の槍が今度こそあやまたずリオンの胴を貫いた。

 間近に見える咲耶の瞳が驚愕で開かれるのが目に見えた。

 肉体的な激痛はもとより、自身の不死性を侵す焔に力が消えそうになる。なによりも、目に映るその顔が、リオンの心を締め付けた。

 だが、今、掴んだこの腕を離すわけにはいかない。咲耶の腕を掴んだまま虚空瞬動によって地面に描かれた契約陣へと翔けた。

 貫かれた腹部から喉元へと血がせり上がろうとするのを血流操作で押し留め、触れる掌と貫かれた腹部から神殺しの白焔がリオンの力を焼いていく。

 苦痛による絶叫をあげていた咲耶の口が、リオンの名を呼ぶかのように動く。

 

 

 白焔の奥に見える黒曜石のような瞳。

 その瞳に曇りなど求めてはいない。

 初めて見たその色が無邪気な笑みを湛えてくれていたように、リオンが大好きなその色を曇らせたくなどない。

 逡巡は、もはやない。

 リオンは右の掌を咲耶の頬にあて、唇を重ねた。

 

 

 二人の間で魔力が交わされ、地面に描かれた契約陣が反応して光輝き、魔力の奔流となって気流を生みだした。

 魔力の奔流が二人の落下を受け止めた。

 輝きは閃光のように。立ち上る魔力が二人を包み込んだ。

 

 ―― パクティオー 成立!!! ――

 

 リオン・マクダウェル・スプリングフィールドを主とし、近衛咲耶を従となす契約がここに結ばれた。

 咲耶の中に眠る潜在能力が解放され、封印を壊されて荒れ狂っていた神代の異能が、強大な主と咲耶の支配下に置かれて鎮められていく。

 

 

 魔力流に受け止められた二人の体がゆっくりと契約陣の描かれた地面の上に降りた。

 唇を重ね、決して傷つけないように従者の体を抱くリオン。

 ゆっくりと唇が離され、驚愕によって開かれていた咲耶の瞳をリオンが見つめた。

 

「リオ、ン……?」

 

 咲耶の目に映る碧眼の瞳が優しく微笑んだ。

 

 

 

 いつか、この瞳の色を曇らせてしまうかもしれないと分かっていた。

 この少女は、彼女の母にも負けないくらいに優しい少女だから。

 だからリオンの目的に――彼の母であるエヴァンジェリンを殺すことに使ってしまえば、きっと曇ってしまうと分かっていた。

 だから踏み出せなかった。

 それはなによりも優先したいことだったはずなのに、けれども他にも大切なものを覚えてしまったから。

 自らを貫通している白の焔。それについては誰よりも彼自身が知っている。

 神の不死性を消し去り、終わらぬ生に終焉をもたらす力。

 母にもたらすはずだった終わりが、自分に向いてしまったという結末。

 

 彼は消えゆく力をかき集めるようにしてほんのわずか、少女に触れる掌に力を込めた。

 それは、いつもは力強かった彼からすれば、信じられないくらいに弱弱しく、けれども彼にとっては終わりの時をほんの僅かだけ、先延ばしにする大切な感触だった。

 

 天宙に留まっていた赤い新円はその形を崩し、銀の弓をか細く見せ始めていた。

 荒れ狂っていた焔はまだ完全に消えていない。だからあともう少しだけ魔力をもたせなければならない。少女が完全にその焔を納めるその時まで――――

 

 

 

 微笑みかけていた瞳が閉じられ、頬に当たっていた掌が力を失って落ちる。

 あれほどに猛り狂っていた焔はいつの間にか消え失せており、咲耶を蝕んでいた激痛はとうに無くなっていた。

 大好きな人と交わした大切な儀式の喜びはない。

 そんなことよりも

 

「リオン……?」

 

 少女の体を抱き留めてくれていた力が消え、リオンの体が地面に落ちた。

 まるで初めて出会った時のように力なく横たわり、そしてその体が弛緩した。おそるおそるその体に手を触れ、揺さぶるがその体からはまるで抵抗がなく、揺れた。

 二度、三度と小さく名を呼ぶが、黒衣の魔法使いは応えない。いつものような、不機嫌そうで、けれども少女には分かるやさしさのある声は返ってこない。

 何度呼び続けても、応えてはくれなかった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

蘇る“はじまり”

 荒れ狂っていた白い焔が消えた。

 城外で翼を広げ、愛刀夕凪を振るっていた刹那は、姫の魔力にあてられて暴走していた式神が、突如としてその実体化を解いたのを見て、瞬時に視線を巡らした。

 

 地面に描かれた契約陣が魔力の流れが途絶えたことで光を失う。

 金の髪の魔法使いが少女の体から滑り落ち、その身を力なく横たえていた。

 少女がゆさゆさと魔法使いの体を幾度か揺さぶりながら声をかけ、それでも決して声が返ることのないことを悟った瞬間、悲痛な叫び声があがった。

 

「お嬢様っ!!」「リオン君っ!!」

 

 空から翔け降りた刹那と契約陣の横にいた木乃香が顔を青褪めさせて少女に駆け寄った。

 

「木乃香様治癒の術を!」

「うん。咲耶、少し離れて!」

 

 ほんの僅かでも命が残っているのであれば。それがたとえ消えゆく蝋燭の最後の灯のようなほんの微かな残り火であったとしても、命が失われていなければまだ間に合う。

 世界最高峰の治癒術師、近衛木乃香にはそれだけの力があり、経験があった。

 ゆえに刹那はリオンに縋り付く咲耶を引き剥がし、木乃香に治療を行ってもらおうとして――

 

「!!! このちゃんっ!!」

 

 目の端でリオンの影が揺らめき、咄嗟に木乃香の腕をとって咲耶とともに跳び退った。

 

「なっ!!?」

 

 瞬動で回避した木乃香の目の前を、リオンの影が切り裂いた。ほんの僅かでも刹那の反応が遅れていれば、影が木乃香を切断していただろう。

 命を喪失したと思っていた体の影が、突如として牙を剥く。しかも他でもない、リオン・スプリングフィールドの影が。

 あまりの事態に咲耶の涙は止まっており、その混乱は極地へと達していた。

 

「せっちゃん、これはっ!?」

 

 動揺は木乃香も同様だ。

 リオンの影は横たわる彼の周囲から幾筋も立ち昇っており、まるで影自身が意思を持っているかのように渦を巻く。

 その光景に、刹那は混乱や動揺よりも危険を察知した。

 

「これはまさかっ!!!」

 

 渦を巻く影がリオンを取り巻き、その体を覆っていく。

 それは決して解けるハズのない封印が解けようとしている証。

 

「転生封印が解けるッ!!!」

 

 かつてネギ・スプリングフィールドが施した不破の封印、“リオン”という器が壊れたことを意味していた。

 

 

 

 第97話 蘇る“はじまり”

 

 

 

 リオンの弟子であるディズは、師匠が3つ目の術式兵装を展開し、ホグワーツ城城外の空で荒れ狂う白焔を纏うサクヤを対処しているのを見ていた。ダンブルドアもまた城外での異変に立ち会うためにかディズの隣に現れている。

 

 師とサクヤが空から消え、地に降りたのを追って、ディズは城から瞬動術を使って外に出た。そこでダンブルドアと共に信じがたい光景を目にしていた。

 

「むぅ」

「なっ!? マスター!!?」

 

 横たわり、影に呑み込まれようとしている師の姿。そして抜身の剣を構え、決然とした顔で“リオン”を見る翼ある剣士。

 事態の推移はディズにも追従できる領域を超えていた。

 

 

 

「すいませんお嬢様――――」

 

 そして黒い影が乱舞する光景を前に、翼ある剣士、刹那は覚悟を決め、背後に庇う少女に対して謝罪の言葉を紡いだ。

 

「完全に戻る前に滅します!!」

「刹那さんっ!!?」「せっちゃんっ!!?」

 

 剣士が構えた剣に魔力とは異なる、気を集中させていた。それは極限にまで練り込まれた気の集中。魔力と気という違いこそあれ、それは並の魔法使いの力を遥に上回る最強クラスの力。

 涙に濡れる咲耶の顔が恐怖と驚愕に引き攣り、木乃香と共に悲鳴のような声を上げた。

 

 主とその娘。刹那にとって最も大切な人たちの悲痛な声を聞きながらも、刹那は愛刀夕凪に気を集中させた。

 例えそれによってどれほど親友の娘に憎まれようとも、今ここで“彼”の封印を破られるわけにはいかない。

 

「神鳴流決戦奥義――――」

 

 “魔”を滅する剣技の秘奥。

 極限の気の集中によって刹那の持つ夕凪の刀身が一つの意志を具現化せんと輝きを帯びる。

 

 ――「真・雷光剣ッ!!!」――

 

 横たわるリオンの体から立ち上る影が接近する刹那に反応して迎撃しようとし、剣先に電気エネルギーを帯電させた刹那の剣が爆発し、全てを白閃に染めた。

 

「ッッッ!!!!!!」

 

 旧世界最強クラスの剣士の全力の剣。

 それは揺らめく影を焼きつくし、死に逝くリオンの体すら跡形もなく滅するほどの威力であり、だがしかし白閃が消え、視界が戻った時、刹那はその剣の先が受け止められていたことに驚愕した。

 

 地面から手を伸ばす影と闇で編まれた召喚魔。

 幾重にも展開された堅固な魔法障壁。

 

「やらせはせぬよ、神鳴流」

「なっ!! 使徒っ!!?」

 

 刹那の剣はリオンの体を守るように現れた二人の使徒、デュナミスとグリンデルバルドによって防がれていた。

 それは刹那にとって最も恐れていた事態であり、ディズにとっては理解の及ばぬ事態であった。

 

 墓所の主と呼ばれた剣士が現れた以上、使徒がここに現れることは予想外ではない。

 理解できないのは、突如として現れた使徒は力なく横たわるリオンの体を守ったことだ。

 ディズの師、リオンは紛れもなく使徒と敵対していた。

 今意識がないように見えるリオンを害することは使徒たちにとって容易いはずで、それどころか何もしなければ先程の雷の剣によって討滅されていたはずなのだ。

 彼らにとって最も厄介な敵であるはずの“福音の御子”を守った。

 

 刹那は仕留めるはずの剣が止められたことに驚愕し、技後であることとあいまってその体が硬直した。

 デュナミスの闇影の魔物が刹那に向けて巨腕を振りかぶり、バチリと紫電が走った。

 

「ッッ!!!」

「むっ!?」

 

 巨腕が振り下ろされたそこに、刹那の体はなかった。

 

「刹那さん、木乃香さんっ! 無事ですかっ!?」

「ネギさんっ!」「ネギくんっ!」

 

 雷天双壮状態のネギが雷速の動きで刹那を間一髪のところで抱き上げ回避したのだ。

 ネギは刹那を抱いた状態で木乃香と咲耶の所に後退して着地した。

 

「ちっ! ネギ・スプリングフィールドかっ! ……だが、出し抜かせてもらったぞ、英雄」

「くっ!」

 

 横たわるリオンの体は嵐気流のように取り巻いた影によって完全に隠されていき、溶けるように飲み込まれた。

 そして地面へと沈み込むように消え――――ゆらりと、黒衣の影が立ち上がった。

 

「なに、が……」

 

 ネギたちの背後のディズは、唖然として“それ”を見た。

 立ち上がった黒衣の人影。その裾野がまるで生き物であるかのように舞い、揺らめいている。

 ディズだけではない。ダンブルドアも、そして遅れてやって来たマクゴナガルやスネイプたちもまたその存在を見て、体が動かなくなっていた。

 視線を向けられているわけではない。威圧を飛ばされているわけではない。

 ただそこに居る、それだけでその存在は全てを圧していた。

 

 絶望感……? いや、それは畏怖であった。

 人よりも遥かに上位の存在を目の当たりにした畏敬の感情。絶対に抗えないと思わせられる存在の違い。

 その存在を表する言葉を彼らは知っていた。ただ、目の当たりにしたことはなかった。

 

「よく、お目覚めになりました、(マスター)

 

 表す言葉の名は“神”。

 そうとしか思えない存在が今、目の前に立っていた。ネギは食いしばる歯の奥から、その存在の名を呼んだ。

 

「っ、造物主(ライフメーカー)……!」

 

 始まりの魔法使い、世界を創りし者、造物主、神。

 

 封じられていたその“神”が今、眠りを破り再び現れていた。

 存在の格とも言えるモノが違う。ディズたちだけでなく、ネギたちも動くことができずに見ていた。

 忠実なる使徒に迎えられた造物主は頭部を覆う黒のローブを下ろし、その顔を露わにした。

 その顔はディズや咲耶たちが見知ったものであり、けれども何かが違っていた。

 

「マス、ター……?」

 

 無意識に、ディズは赤髪の師を呼び、咲耶はその違いに身を震わせた。

 顔は同じように見える。

 だが直感よりも深い何かによって理解させられていた。それはあるいは魔法使いとしての、人としての本能、原初の記憶に基づくものなのかもしれない。

 

 

 

 赤い髪の造物主は、細まった瞳で周囲を見回していく。

 視線が自分の体を通り過ぎるのを感じて、ディズは背中を冷たいものが流れ落ちたのを感じた。

 ネギを、咲耶を、木乃香を、ディズたちを見回した造物主は――――

 

 

「ふぁああぁ~~」

 

 

 大口を開けて欠伸をした。

 

 虚をつかれて思わず唖然となり、目を丸くする一同。その目を丸くしている者の中には敵であるデュナミスやグリデルバルドたちも含まれている。

 

「あー……んだよ、せっかく寝てたのに。なんで起こすかなぁ」

「ま、マスター……?」

 

 まさに寝起きですと言わんばかりに、使徒からマスターと呼ばれた造物主はガリガリと後頭部を掻いていた。

 

 ディズから見ても隙だらけで、先程までの神威のような威圧感はなんだったのかというほどに無防備そうに見える姿。

 だがネギや刹那は嫌な汗が流れるのを感じていた。

 たしかに以前彼らが戦った時とはなぜか振る舞いが異なっている。だが間違えようはずもない。

 その顔はネギの父――ナギ・スプリングフィールドと同じもの。

 

「よう。そっちにとっては久しぶりになるのか? ネギ」

 

 そしてまるで父のような口ぶりで、造物主はネギに振り向いた。

 悪戯っ子のようなにやりとした笑みを口元に、切れ長な瞳がネギを捉える。

 

「つーかなんだよこれ。なんかパス繋がってね?」

 

 ネギへと視線を向けた造物主だが、今度は自分の体の状態が気になるのかグーパーと掌を開けたり閉じたり、腕を上げて背中を覗くような仕草をしたりしている。

 

 思いもよらぬ造物主の振る舞いに虚を衝かれてフリーズしていたデュナミスは主の疑問にハッとなって動きを再開した。

 

「はい。忌々しいスプリングフィールドの封印を解除するためには封印式である疑似人格そのものを破壊する必要があったのです」

 

 主の性格こそ予想外であったが、計画自体は成就した。

 もっとも封印が解かれるはずのない日。もっとも“リオン”の強い日を狙ってその力を破壊する計画。

 

「不死殺しの姫。此花咲耶姫の力。それによって主を封じていた術式を破壊しました。パスはその際に結ばれた“副作用”です」

「……マジ?」

 

 最も忠実な使徒デュナミスの言葉にナギの姿をした造物主はひくりと頬を引き攣らせた。

 

「いやいや勘弁しろって。キスの契約だろコレ!? しかも相手はあんなガキじゃねえか」

「え、あ、いや。スイマセン。ま、マスターなら契約破棄も容易いでしょう」

「イヤイヤ、そういうこっちゃねーだろ、オマエさぁ。なんかこれ、思いっきり悪役じゃねえか。はぁ……それでなんでまた今になって起こしたんだよ?」

 

 どよーんと落ち込む造物主の姿に、デュナミスは思わず謝罪が口をついて出て、造物主は重々しい溜息を吐いた。

 

「無論、今度こそ完全なる世界を実現するためです!」

「完全なる世界……完全なる世界、ねぇ……」

 

 主と使徒で随分と温度差のあるやりとり。造物主はうんざりとした様子でちらりとネギに視線を向けた。

 

 かつて世界を救うための“次善策”を覆された者と覆した者。

 “神”にとってその解は全ての魂を平等に救う事であり、ネギにとっての解は不平等を許容しながらも世界を救う事。

 どちらが正しいのか、ネギ自身にも、“神”にも答えはない。

 だが彼らは一つの解を出したはずだった。

 それが例え闘いによって決められた解だとしても、かつて“神”はそれを受け入れたはずだったのに……

 

「あれからずっと機を窺っていたのか、デュナミス? ……忠臣ってやつだな」

「はっ!」

 

 造物主自身が彼の計画の最善ではない部分を認め、一度はネギの答えを認めたにもかかわらず、その造物主が居なくなった後も彼の計画を信奉し続けた執念。

 造物主は皮肉混じりにデュナミスを忠臣と評して言った。

 

 造物主にとって“計画”は願いの具現であった。

 救われぬ仔羊らを救うための願い。幸福にありたいと願う思いの具現。

 すべては他者からの願いを遍く拾い上げて救うという“神”としての優しい在り様。

 

 だがそれももう終わり。

 

 造物主は労うようにデュナミスの肩にポンと軽く手を置き、

 

「忠臣には、報いてやらねぇとな」

 

 その手がデュナミスの体を通り過ぎた。まるで水のカーテンを手が通るように抵抗もなく、“神”の手が使徒の体を通り過ぎ、二つに分けた。

 

「マス、ター……?」

 

 信じられないと目を見開くデュナミス。

 

「俺の最初の送還者だ、デュナミス。安らかに眠れ、最古の使徒よ」

 

 最も忠実なる使徒の体が真っ二つにされて断面から花が散るように解けた。

 あれほどまでにしぶとく大戦を潜り抜け、無敵の真祖の力を掻い潜り、世界を翻弄した使徒が、宿る年月の重みもなく呆気なく、最強であるはずのその力による抵抗もなく、花吹雪が舞うようにその体が消えた。

 

 驚愕は彼らだけのものではなくネギやダンブルドアたちも同様であり、

 

「なっ!!? きさっ――――!!?」

 

 主だという者の暴挙に新たな使徒であるグリンデルバルドは激昂して杖を向け振り向こうとし――――その体がビシリと固まった。

 

「バカ、なっ!? 石化だとっ!?」

「使徒が造物主に牙を向けられるはずがねぇだろ」

 

 コマンドを停止させられた機械のように、使徒として造り替えられた体は、かつての闇の大魔法使いといえども、もはやその体を自身の意志のみによって操ることができなくなっていた。

 

「なぜだ……!」

「なぜとは心外だな。完全なる世界を実現することがお前らの願いだろ? それをいの一番に叶えてやっただけだ」

「ふざけ――」

「お前も眠れ、グリンデルバルド」

 

 その一言で、かつて旧世界欧州において史上最悪と呼ばれた闇の魔法使い、新世代の新たなる使徒、ゲラート・グリンデルバルドは消えた。

 デュナミスと同じく、彼らが与えたいと願った世界を与えた世界を夢見る世界へと。

 

「願った大舞台の夢は自身で叶えなければ気が済まない……それが、“人”というものなんだろ?」

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 ――より多くの善の為に――

 

 ある魔法使いが造った監獄に記されたその言葉は、真実彼の理想であった。

 魔法使いと非魔法使い――マグルという区別なく、より優れた者による支配こそが、より多くの者にとって善なる未来に繋がる。

 欧州伝統魔法族において史上最悪と言われた魔法使いゲラート・グリンデルバルドにとってその思想は、かつては正しいモノであった。

 魔法使いであるという優位性。その魔法使いの中でも比肩する者のない魔法力と多方面における才覚を持つ自分。

 彼にとって他者の上に立ち、従えるというのは当然のことであり、そんな自分が魔法族とマグルの両者を支配するというのは、彼のもつ思想から見れば当然のことであった。

 その思想が、支配される者からすればどれほど危険なものであったとしても。

 

 そしてその認識は、ただ一人、自分に比肩する者との語らいによってより強固なものとなっていった。

 ――アルバス・ダンブルドア――

 グリンデルバルドがただ一人、対等な友であると認め合った魔法使い。

 彼らはどちらもが、自身を極めて優秀な存在だと認識しており、事実互いが出会うまで自身と対等な存在など居りはしなかった。

 そんな二人が出会い、同じ思想を共有するようになり、そしてついには死を超越する術にまで手を伸ばそうとした。

 

 そんな二人に、自身の愚かしさを認識させたのは皮肉なことに彼らの尺度で当てはめてみれば極めて矮小な、魔法使いとも呼べぬ存在の死によってだった。

 

 アリアナ・ダンブルドアとい少女。アルバス・ダンブルドアの妹。

 マグルによって魔法力を壊された少女が死んだことにより、彼らは道を違え、そしてどちらもが悔恨とともにその後の生を歩き続けていくこととなった。

 

 やがて二人は、長い、長い、懺悔のような生き方の果てに異なる答えを導き出していった。

 

 一人は死を超越するという傲慢さの愚かしさを知り、世界を導くことの重責と恐怖とを知った。

 一人はこの世界では全ての人の願いが叶わぬことを知った。

 

 だからこそ、一人は人々を導き、愚かしさを知る者として正しき道を照らす賢者となることを選び、一人はこの世界を壊してでも、全ての願いを叶えることを望んだ。

 

 より多くの善ではない、全ての願いのために。

 失ったものも、失わせたものも、敵対する者も、過去に、そして今に在る者全てのための世界となるために彼は――ゲラート・グリンデルバルドはヒトであることを捨てた。

 たとえその道の半ばで、再びかつての友と戦うこととなろうとも、その道の先では失ったものも取り戻せると願い。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

「—―――――――ッッ!!!」

「ダンブルドアッ!!」

 

 舞い散る花吹雪のごとくに、かつての闇の魔法使いゲラート・グリンデルバルドが消滅した瞬間、ホグワーツの賢者、ダンブルドアは杖を振るっていた。

 その形相は長年副校長として共にあったマクゴナガルや、かつて敵として、そして内通者として、彼の冷酷な面を見たことのあるスネイプにとっても、見たこともないほどに苛烈なもので、振るわれた魔法はこれまで彼が見せたどんな魔法よりも敵を攻撃する意思を示していた。

 

 だがそのダンブルドアの魔法に対して、使徒二体をあっさりと葬り去った造物主はただ黒衣をはためかせることによって応じた。

 自らは動くこともなく、広がる黒衣の裾野がダンブルドアの魔法を受け止め、姿現しによって跳びかかったダンブルドアを弾き飛ばした。

 

 弾き飛ばされたダンブルドアの体が地面を削って倒れ伏し、マクゴナガルたちが驚愕する中、ネギ・スプリングフィールドはドウッ!! と魔力を乱舞させた。

 

「ッッッ!!!!!」 

 

 敵であった二体の使徒が、造物主の手によって消し去られたのを目の当たりにし、ネギは表しようのない心の荒れを覚えていた。

 ネギにとって彼らは敵であることは間違いない。彼らの企みはネギの計画から見れば、世界を滅ぼそうということでもあり、父であるナギのころからの仇敵であったのだから。

 だがそれでも、たとえ敵だとしても、懸命に仕えた主に討滅されるなどという光景を目の当たりにして心を平穏なままで居させることなどできはしなかった。

 心の揺れのままに魔力が吹き荒れ、その意思を反映して雷天双壮のネギの体が、バチィッ!! 稲妻となり、雷化したネギが造物主に迫った。

 

 —―完全雷化“千磐破雷”――

 

 稲妻と同等の存在となったネギの速度は、人の認識を越える雷速の攻撃となり、“千の雷”を内包したネギの攻撃は拳の攻撃ですら敵を撃滅する高位攻撃魔法と同位である。

 離れたところから見ていたディズや、歴戦の剣士である刹那ですら見ることもできない速度の攻撃。

 

「っっ!!?」

 

 にもかかわらず、彼はその攻撃を受け止めた。

 雷速の利点を生かし、死角からの攻撃であったにも関わらず、顔面に向けて振るわれたネギの拳を造物主は右手一本で余裕をもって受け止め――――笑みを浮かべた。

 悪寒がネギの脳裏に警鐘を鳴らし、すぐさま雷化回避をしようとした。

 しかし掴まれた腕を基点にして造物主の力が及んでいるのか、ネギの体は雷化による回避ができず、造物主の背後に巨大な魔方陣が現出した。

 円陣、六芒星、五芒星、そのほかあらゆる魔術的要素の詰め込まれた大小幾百もの魔方陣。それらの配列自体がさらに大きな魔方陣となり、黒く輝く。

 

「しまっ――――!!」

 

 腕を離そうと力を込めるが、回避する間もなく、魔方陣から放たれた黒い閃光がネギの体を飲み込んだ。

 

「ネギさんっ!」「ネギ君っ!」

 

 閃光に飲まれたネギの体は、掴まれていた腕だけを残して、遠く彼方にまで地を削り、森を薙ぎ払い、吹き飛ばされた。

 

「しばらく死んでな、ネギ」

 

 雷腕だけのネギに語りかけ、造物主は持っていた腕をゴミのように地面に投げ捨て、地に落ちたネギの腕は陽炎が瞬くように消え失せた。

 

 現世最強の魔法使いであるネギ・スプリングフィールドをまるでよせつけない圧倒的な力。それはまさに“神”が振るう力にも見えた。

 

「くっ!!」

 

 地平の彼方まで飛ばされたのではないかと思うネギの行方を一瞬だけ視線で追った刹那は、すぐに夕凪を造物主に対して構え直した。

 力の差は歴然。

 刹那はたしかに旧世界最強クラスの剣士ではある。

 しかしネギの力に比べれば格段に劣っていることを理解しているし、造物主の力はそのネギの力をまるで寄せ付けないほどのものなのだ。

 

 造物主は、剣を向ける刹那を見て、そしてその背後に木乃香を、そして伝統的魔法族の魔法使いたちの姿を認めて、はぁと溜息をつき、すっと片腕を上げた。

 中空に先程とは形の違う巨大な魔方陣が描かれ、その魔方陣から巨大な獣の腕が重低音を響かせて地面に爪を下した。

 おそらく高位魔法使いが数十人単位でも開くことの叶わないだろう転移門をただの腕の一挙手で開き、何かが召喚されようとしている。

 

 —―魔獣召喚――

 

 魔方陣を抜け、その巨体を現すは有翼の獅子――グリフォンのような姿の魔獣。しかも

 

「なっ! デケエ! こいつぁ古龍クラスの魔獣ですぜ、刹那姉さん!!」

 

 カモが思わず叫んだように、現れた魔獣はこちらの世界に存在するグリフォンとはサイズも魔力も格の違う魔獣――否、聖獣とも呼べるほどの存在だった。

 

 魔法世界に存在する聖獣――例えばヘラス帝国の守護聖獣の一体、古龍龍樹などは、真祖の吸血鬼と同等の怪物、最強種だと言われている。

 現れたのは化け物と同格と思われる一体。

 

「くっ!!」

 

 刹那は顔を険しくして夕凪と、もう一つの剣――アーティファクト“タケミカヅチ”を装剣して構えた。

 神の名を冠する剣。

 それはまさに、木乃香の中に在る近衛の血脈。そこに宿る神威交感の力の具現の一つであり、咲耶の神殺しの力と同種の力。

 神剣を手にする彼女に、そして彼女たちの警戒に油断も見落としもなかった。

 

 

「こっちにゃ少しやることがあるんだ。しばらくコイツと遊んでな」

 

 造物主は何かに手を伸ばすように前に腕を伸ばし

 

「その間にこいつは借りてくぜ」

「!!?」

 

 その腕が、木乃香の背後に隠されていた咲耶の腕を掴んだ。

 刹那は木乃香を庇うように前に出ていて警戒し、造物主を見ていた。にもかかわらず造物主は一瞬で位置を入れ替えたかのように空間を越えていた。

 

「ひ――――」

 

 刹那は咄嗟に振り返り、しかし剣を向けるよりも早く、そして木乃香が反応するよりも早く造物主は掴んだ咲耶諸共再び空間を飛び越えた。

 短い咲耶の悲鳴が、それすらも寸断されて消え去った。

 

「しまった! リロケート!?」

 

 侮っていたわけでは決してない。 

 だが“神”たる始まりの魔法使いの力を前にただ翻弄され、大切な少女を攫われてしまった。

 そして追跡することすらできない。

 

「ッッ」

 

 ネギも、リオンも居ない彼女たちの前に、聖獣クラスの魔獣が一体、その巨体をもって立ち塞がっていた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

世界の変革

 気付いた時には、周囲の景色が変わっていた。

 

「――――ひゃぅっ!」

 

 短い浮遊感の後、トンとどこかの地面に足をついた咲耶は、びっくりとした顔で自分の今の状態を確認した。

 腕を掴む手。それを追っていくと黒衣の袖が見え、さらにそれを追っていくと大好きなリオンによく似た、けれどもどこかが違う、赤い髪の“人”が居た。

 

「ワリィな、嬢ちゃん」

 

 口調も違う。

 ツンツンとしたリオンとは違い、固さの感じない砕けた調子の口調で、けれども声は同じだった。

 

 びっくりした様子の咲耶の腕を離し、よろめいて倒れないことを確かめた彼はちらりと視線をどこかに向けた。

 つられて咲耶も視線をそちらに向けると、そこには空が広がっていた。

 どこか屋外、どころか高い塔の上にいるらしく、周囲には何もない。ただ見下ろす先に森が広がっており――――かなり遅れてそこがホグワーツ城の天文塔の屋上であることに咲耶は気が付いた。

 何かを確認したらしい彼は、今度は「はぁ」とため息をついた。

 

「まったく、こんな嬢ちゃん利用するなんざ、まるっきり悪党じゃねぇか」

 

 ガシガシと困ったように後頭部を掻いている。

 

「あ、あの……」

「ん?」

 

 自分に、そして周囲に起きた事態の急変に、心と頭がついていっていなかった。

 自分の中のどこかが、「違う」と囁いているのに、動いている彼を見ると、喋っている声を聞くと、触れてくれていた温もりを思い出すと、全てがウソのように思えてしまう。

 

「……リオン、は…………」

 

 咲耶は震える声、動揺する心で、自分を守ってくれていた彼の名を紡いだ。

 自分の口からその名前が出た瞬間、別の後継がフラッシュバックした。

 

 白で埋め尽くされた光景。

 必死に自分を助けようとしてくれているあの人の姿。

 口づけるために目の前いっぱいに映った顔。

 そして――――焔の槍に貫かれて崩れ落ちる姿。

 

 心が軋みを上げて、けれども目の前で似た顔をしているその人が動いているのを見ると、全てが信じられなくなって

 

「リオン? ああ、こいつのことか」

 

 信じられなくて……

 

「ワリィな。ソイツはもう死んじまったよ」

 

 終わってしまったことを、告げられた。

 

 

 

 第98話 世界の変革

 

 

 

 その短い言葉の意味することが頭に染み込むまでには数秒の時間がかかって、理解するにはさらに時間がかかって、そして理解した瞬間、咲耶の瞳から涙が溢れた。

 

 ――リオンはもう、居ない……自分が殺してしまったから――

 

「うぇっ!!? オイオイ、泣くなよ!!?」

 

 ボロボロと大粒の涙を流す少女を前に、“神”である彼はまるで人のように慌てふためいた。

 

「ウチが、リオンを殺して……」

 

 嗚咽が止まらず、瞳から零れる涙は拭っても拭っても止めどなく溢れた。

 

 ――自分が泣く資格なんてないのに――

 

 彼を殺したのはほかでもない自分の焔が原因で、それを制御しきれずに暴走させてしまったのが原因で、それを止めようとしてくれた彼を貫いてしまったのだから。

 あの白い焔に呑まれていた時に絶え間なく襲っていた痛みよりも、その事実の方がずっとずっと心に痛みをもたらしていた。

 

 

 涙を流す少女を前に、どうすればいいのか分からずあたふたしていた彼は、「ふぅ」と困ったように息をつくと、優しく手を伸ばして少女の頭に手を置いた。

 その手の感触は、いつかリオンがやってくれたのと同じ感触で――――わずかに涙が止まったので見えた彼の困ったような顔が、リオンとはまるで違って、再び涙が流れた。

 

 涙を流す少女の頭を優しく撫でながら、始まりの魔法使いはゆっくりと口を開いた。

 

「……元々な。“リオン”ってのは真っ当に生まれた命じゃなかったんだよ」

 

 

 

 リオン・マクダウェル・スプリングフィールド。

 子など宿るはずのない吸血鬼の真祖の子とされ、かつての英雄と瓜二つの容姿を持った魔法使い。

 魔法世界で、その親が何者かを謎とされた彼は――真実、父親たる存在のない命だった。

 

 その正体はただの封印の器。

 

 死したとしても、他者の体に乗り移り、太古より転生を繰り返し続けた不滅の“神”――始まりの魔法使い。その彼を封じ、これ以上の転生を止めるための封印。

 

 かつて魔法世界を滅ぼさんとした大戦にて、英雄ナギ・スプリングフィールドと彼の師は“始まりの魔法使い”の討滅に失敗した。

 その当時の器を滅ぼすことには成功したものの、彼の共鳴りに捕えられた師が新たなる“始まりの魔法使い”となってしまった。

 そしてその器を今度はナギとその仲間たちが封印することに成功した。英雄ナギの犠牲によって。

 時が経ち、封印は破られ、今度は英雄の息子ネギが“始まりの魔法使い”を封じるための計画を練り、それを実行した。

 

 転生を繰り返し、ナギに憑りついた“始まりの魔法使い”をナギから引き剥がすためには、肉体から“始まりの魔法使い”の魂を引き剥がすだけではなく、ナギ自身の魂からも“始まりの魔法使い”の一部を分ける必要がある。

 当時よりネギは、師であるエヴァンジェリンの薫陶により、その力に太陰――陰陽道の影響を受けていた。陰陽の思想において魂とは魂魄二つの存在により成り立つとされる。すなわち精神を支える気である魂と肉体を支える気である魄。

 ネギは魂魄の概念から、“始まりの魔法使い”が憑りつくのが魂魄における魂だと定めた。

 

 人から生まれ、しかしヒトよりも上位の種であるエヴァンジェリンの“肉体”。憑りつくことで写し取ったナギの“魄”。肉体に結びつく二つの要素によって不死ならざる器を作り、そこに造物主の“魂”を封じる。

 

「転生を繰り返しちまう不滅の俺をなんとかそれ以上転生させずに殺すための方法がコレだったんだよ」

 

 殺したとしても転生して他者に乗り移ってしまう造物主を殺すために、ナギから中身を引き剥がした後、娘であるエヴァの“子”として転生させた。

 子として生まれ、育つという人の枠組みに魂を押し込める。それによって人としての寿命を与える。

 肉体と、肉体と精神を結びつける魄。その二つによって肉体の牢獄に囚われた魂はその滅びと共に消滅を迎える。

 それがネギの目論んだ“始まりの魔法使い”の封印法であった。

 

「だからある意味、俺がリオンってことなのかも知れねえけど……嬢ちゃんが望むのはそういうこっちゃねぇよな……ワリィ」

 

 事実その封印は、上手くいっていた。

 吸血鬼()の力の弱まる新月期には()としての力が封印を保ち、満月期には吸血鬼()の力が封印を強化した。

 陰と陽、二つが螺旋のように絡み付くことによって、例え片一方が傷ついたとしても他方がそれを補い、保ち、欠けた月が満ちるように封印を再生する。

 決して破れぬ不破の封印。

 

 

 “リオン・スプリングフィールド”が気づかなかったのは、自身の封印が弱まる時ではなく、強まるとこをこそ、墓所の主が測っていたことだ。

 例えどちらかの力が壊されても、その時表に出ていない他方が回復させる封印だが、その二つが完全に表に現れてしまう時があった。

 それが今日、皆既月食による赤い月の夜だ。

 満月()でありながら新月()である。

 彼が知るべきだったのは、自身の力が弱まる時ではなく、強まる時であったのだ。

 

 もしも満月か新月、どちらかの時に、同じように咲耶の力をその身に受けたとしたら、封印の遊びを貫いて“始まりの魔法使いの魂”にまでその力の甚大な影響を及ぼしていただろう。

 

 しかし赤い月は陰陽二つの封印の力を完全に発揮させ、その中身を極限まで奥底へと沈み込ませた。

 その時に、封印を粉々に砕かれてしまったのだ。

 最も封印が強固だったからこそ、その中身である魂は損傷少なく解放されてしまった。

 “彼”の“共鳴り”が、封印の器を逆に飲み込み、入れ替えてしまったのだ。

 

 

「ホントはもう出てくるつもりなんざなかったんだがなぁ……」

 

 “リオン”であった男の言葉には、切なさや諦念や悲しみのような思いが込められているように咲耶には聞こえた。

 

「造物主さんは……死にたかったん?」

「どうだかな。人の死を見るのに飽きたってとこかもしんねぇな」

 

 “リオン”という封印をネギが創った時、彼はその器を壊すべきであった。

 陰陽二つの力が完全に発揮されていない時に壊されていれば、その中身ごと、永遠は終焉を迎えていたであろう。

 事実フェイト・アーウェルンクスや、他の仲間たちの幾人かはそれを主張していたのだ。

 “リオン”という存在を活かし続けていれば、もしかすると封印に綻びができるかもしれない。“リオン”自身が、ネギにとって災厄の種になるかもしれない。

 だがネギはそれを是としなかった。

 

「いつも何かに雁字搦めにされてて、望まれる何かをしねぇといけないって思ってて……」

 

 かつて一体の使徒が“彼”の思惑を離れて動いたことがあった。

 

 その使徒には彼への忠誠や目的意識を設定しなかった。

 その使徒――テルティウム(三番目)と呼んだアーウェルンクスは、それでも創られた使徒として彼の目的を果たすための道具として動いていた。

 それはほんの気紛れ。

 考えもなく立ち向かうものを殴り倒し、ただ前へと進むことしか知らないと評された愚か者を見て、それでもそういうバカの方がやっていて気持ちがよいと思ったから。

 だから雁字搦めの自分では決してなれないその自由な在り方を与えてやれば、新たな使徒(道具)はどうなるのかを見てみたくなった。

 そしてその使徒は変わった。

 幾つもの出会い。人形や人との関わりを経て、創造主である彼の思惑も超えて道具は人へと近づいた。

 まるで人間のような自我を芽生えさせ、そしてついには道具は主の思いを引き継ぎながらも、彼の計画とは異なる道へと進むことを選んだ。

 

 創造物である人形ですら、自由を選んだのだ。

 ならば、いずれにしろ(・・・・・・)終わりを迎える神としての御代を前に、彼とて自由を選びたいと、そう願ったのだ。

 

 

 ネギは“その”願いを聞いてしまった。

 自由などなかった“神”に、“人”としての自由な生を送り、やがて訪れる“人”としての死によって終わらせてあげたいと。

 

 

 それがゆえの、この結末。

 

 

 満ちた月を眺める彼の姿を、咲耶は見つめた。

 

 

「ただまぁ――――」

 

 “彼”は再び舞台を得た。

 それがすでに望んでいなかったものだとしても、整えられた舞台の上に、彼は降り立ってしまったのだ。

 ならばやることは一つ。

 

「せっかく出てきちまったんだ。やることはやっとくか」

 

 物憂げだった顔は、行く末を決めた笑みを浮かべており、迷いなく決断した男の顔となっていた。

 

 

 いつぞや、三番目が言っていた言葉を思い出していた。

 

 ――ポッと出の君に僕の舞台を奪われるのは、どうにもシャクにさわるようだよ――

 

 この体だからだろうか、自分には分かるはずもなかった感情が、今ならば分かる気がした。

 2600年を超える時の果てに思い描いた夢の結末を、たかだか十年程度しか生きたことのない子供が描いた絵図によって塗り替えられ、30年程度の時によって美味しい所を奪われようとしているのだ。

 

 

「何をするん?」

 

 いつの間にか、咲耶の涙も止まっていた

 それは隣に立つこの人の心が、どこか彼に似ているように思えたからかもしれない。

 

「何って、そりゃオメエ。アレだよ……」

「…………」

「あ~……アレだよ」

 

 ただやはり違いはある。

 あからさまに視線を泳がせて言葉を探している彼を、咲耶はじとーっと見つめた。

 

 

「あぁ! アレアレ! アイツらのやろうとしてた、魔法バレってやつだよ」

「えっ!?」

 

 リオンならば決してとらないような慌てたジェスチャーを加えながら、彼はさらりと爆弾発言をしていた。

 魔法をばらすこと

 それはネギにとって、否、今や数多の人たちの計画の大きな一歩にして、次なる転換点。

 

「もうバラしちまうつもりなんだろ? それを代わりにやっちまおっかなーって。ああ、後、嬢ちゃんのパクティオー。そいつを先に解いとかねえとな」

「えっ!!?」

 

 驚きは続けられた彼の言葉によって増幅され、咲耶の顔が歪んだ。

 

「リオンの、パクティオーを……?」

「ああ。嬢ちゃんも意味のねえパクティオーがついたまんまじゃイヤだろ」

 

 言葉の衝撃が咲耶の胸を貫いた。

 

「リオンの契約……まだ、続いてるん……?」

 

 魔法使いと従者の契約は、普通主従のどちらかが死ぬことによって契約も“死ぬ”。

 “始まりの魔法使い”に呑み込まれた場合にはその限りではないのだが、それを知らない咲耶にとっては、リオンが死んだという信じがたい事実の中で、彼との契約がまだ生きているというのは希望のように思えたのだ。

 

「まあ一応、俺も“リオン”の一部、いや俺の一部がアイツではあったからな。けど残ってんのはそれくらいだ」

 

 少女のその心の揺れを感じながらも、しかし彼は期待には少女の期待を裏切ることしかできなかった。

 彼はもはや“リオン”ではないのだ。

 そこにリオンの意思など残ってはおらず、本来あるべき形へと戻ってしまっている。

 

 

 咲耶の心臓が痛いほどに跳ねていた。

 目の前で淡々と咲耶と、リオン・スプリングフィールドとの契約を破棄しようと作業している彼を見て、ぐちゃぐちゃになった心の中で走馬灯のように思いが駆けていた。

 リオンと出会った時の思い出。

 リオンと遊んだ僅かな思い出。

 居なくなったリオンの姿を探して、それでも見つからなかずに泣いた思い出。

 そして再び会えた時の嬉しかった思い出。

 ずっとずっと、彼の隣にいたかった。

 

 —―あの子はさ。長い、永い時間の中で、たくさんの辛いものを見てきた奴なの――

 

 不意に、いつか明日菜さんが言っていた言葉を思い出した。

 

 ――アイツは……本当に咲耶のこと大切に想ってるから――

 

 いつもツンツンとした態度の中に、自分のことを大切に、気にかけてくれていることはちゃんと知っている。

 

 —―あのバカ、絶対に後悔する道に突っ込むから、せめてアンタだけは傍に居てあげて――

 

 彼が、彼にとって大切なことをやろうとしていて、そしてそれに自分を巻き込もうとして、けれども迷っていたことは知っている。

 だから彼の助けになりたかった。

 たとえどんなことでも、それが彼にとって大切なことなら、それに自分が必要ならば、打ち明けて欲しかった。助けたかった。

 たとえそれでどれほどの苦悩を抱え込むのだとしても。

 

 ――きっとそれが、一番アイツにとっていいことだから――

 

 たとえ、今、この溢れる情動に突き動かされての行いが、遅すぎるもので、そしていけないことなのだとしても

 

「……ウチ……ウチにも手伝えることあれへんかな!」

 

 彼が“彼”でないと分かっていても、それでももう、“彼”を手伝いたいという思いを止めることはできなかった。

 そこに“彼”が残されていなくとも、それでも“彼”との繋がりは、まだそこにあるのだから。

 

 

 

 少女からの申し出に、彼は目を丸くして呆けた声を出した。 

 

「は…………?」

 

 少女の申し出は“神”である彼にとっても、意外極まるものだった。

 

「オイオイ。俺は嬢ちゃんの知ってるヤツじゃねぇんだぜ?」

 

 ナギの時とは違い、今の“始まりの魔法使い”の中にリオンという存在はないと言っていい。

 わずかでも彼の“中”にリオンという器が残っていれば、そもそも彼が外に出ることはできなかったのだ。

 

 この少女がこの器を愛していたのだとしても、それは“始まりの魔法使い”である彼に向けられるべきものではない。

 それは分かっている……分かっているはずだ。なのに

 

 

「うん。分かっとる。……それでも、リオンなんやろ?」

 

 それでも選ぶのだ。

 自分の心が願うものを。よりよいものを。在りたいと願った未来を。

 

 

 

「……はぁ……なんつーか、覚悟決めちまったような顔しちまってるじゃねぇか」

 

 涙で充血した少女の目は赤く、喪失を理解した悲しみは残ったままだ。けれどもその奥底にほんの一欠け、剛い意志が秘められているのを見て取った。

 

 永劫を生きるとは失い続けることと同義だ。

 始まりにおいて彼は人の営みを愛し、永き時の果てに彼は人の思いを忘却した。

 

 だが永劫を生は同時に得ることを繰り返すこととも同義であった。

 ただ前へと進む生き方に対する羨望を得て、自由に生きることに焦がれる思いを得た。

 

 人から外れ、しかし人の思いをより愛しく思うようになっていった。

 

 だがそれでも、“神”には人を完全には理解できない。

 

 今だってそうだ。

 この少女は、分かっている。

 分かっていて、けれども選ぶのだ。

 

 この体になって彼は、以前よりももっと人に近寄れたと思っていた。だがそれでも、少女の思考を理解できず、けれども少女の心に何かを感じた。

 少女は自棄になっているわけではない。

 “神”にも見えない先にある何かを感じ……否、願って、行動しようとしているのだ。

 

 彼らと同じ――愚かにも見えるほどに真っ直ぐ、ただ前へと進む“人”。

 

 

 “始まりの魔法使い”はふっと口元に笑みを浮かべた。

 

「たしかに出てきたばっかの俺だけじゃ、今からやるこれの後、アイツの相手をするのは骨が折れるしな。嬢ちゃんが協力してくれりゃ俺は助かるが……いいのか?」

 

 彼がやろうとしていることは、ネギたちがコツコツと築き上げてきたものを強引に奪い取る所業。そしてその先にあるのは、ネギたちとは違う世界の救済という未来。

 

 神が目論み、為そうとしている未来。

 人の子が望み見る未来。

 果たして訪れるのはどちらのどちらの未来か。

 “始まりの魔法使い”である彼とて全てを見通せるわけではなく、少女の見通す世界は分からない。

 

 “始まりの魔法使い”からの問いに咲耶は自らの意思で、こくりと首肯した。

 

「イイゼ。じゃあちょっとこっち来な」

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 有翼の獅子の巨大な翼が唸りを上げて空気を切り裂き、鎌鼬を作り出した。

 獅子に比するとあまりにも小さな魔法使いたちはそれぞれに小杖から閃光を放って魔獣に抗っていた。

 だがそれらの伝統魔法は魔獣の展開する魔法障壁によって阻まれ、静電気が弾けるほどにも効果を及ぼしてはいなかった。

 色とりどりの閃光が乱舞する中、白い翼を持つ剣士は巧みに射撃魔法を躱しながら魔獣に接近し、その剣を振るっていた。

 手にする剣は主、近衛木乃香より与えられし“タケミカヅチ”。

 魔獣は魔法使いたちの伝統魔法よりも、その神の名を冠する剣の方へと迎え撃つタイミングを合わせ、振るわれた刃に魔法障壁を付与させた巨爪を叩き付けた。

 刹那の刃が魔獣の巨爪にぶつかり、激しく火花が散る。

 主からの魔力を充填させたタケミカヅチに、さらに自分の気力による術を纏わせた。剣先に紫電が集う。

 

「神鳴流奥義――――極大! 雷鳴剣ッッ!!!!」

 

 刹那の烈破の気合いとともに雷のごとき剣の一撃が轟きとともに落ち、激突した魔法障壁が軋みを上げる。

 軍配は刹那に上がり、魔獣の魔法障壁が砕けてその体に剣閃を刻んだ。

 ディズやマクゴナガルたちの魔法をものともしなかった魔獣が雷鳴を伴う剣を受けて踏鞴を踏んだ。

 追撃の好機。

 

「このちゃんっ!!」

 

 だが刹那は瞬動で距離大きく開けて主の名を叫んだ。

 

 上空に巨大な魔方陣が展開する。

 円と三角を基陣にした複雑精緻な巨大魔法陣。その直下には杖を掲げてハイエイシェントを紡ぐ木乃香。

 かのサウザンドマスターをも超える、旧世界最大の魔力量を誇る癒しの姫君。その慈恵の魔女の魔法が今、攻撃のための魔方陣へと注がれて、白閃に輝く。

 

 ――「神の雷!!」――

 

 アース神族最強の戦神トールの振るうミョルニル(雷神の槌)のごとき一撃が魔法障壁を砕かれた巨体の魔獣へと落とされた。

 激突した雷玉に凝縮された雷電が炸裂し、聖獣にも伍する魔獣の体が飲みこまれた。

 絶妙なコンビネーションによる極大の2連撃。紫電の輝煌が魔法使いたちの目を白閃に焼き、ハレーションが明滅する。

 

「これならっ!」

 

 マクゴナガルが目を腕で庇いながら叫んだ。

 ハイエイシェントによる極大の精霊魔法はリオンの魔法にも匹敵するほど。

 伝統魔法と精霊魔法の違いもあるのだろうが、直撃した魔法はマクゴナガルの知りうる最高の魔法使い、ダンブルドアをも上回る魔力と威力が込められていた。

 あれならばいかに巨大な魔獣といえども耐えられるはずがない。

 

「ガァアアアアアッッ!!!!」

「なっ! このちゃんっ!!」

 

 だが魔獣はたしかにその身に雷撃の威力を受けながらも、憤怒の咆哮を上げて、空に浮かぶ木乃香に向けて飛翔し、小さきその体を切り裂くであろう豪爪を振りかぶった。

 

「ッッ!!?」

 

 いくら攻撃性に乏しいとはいえ、自身の膨大な魔力を前提としたハイエイシェントの一撃を、真っ向受けながらも逆らって向かってくるとは予想外に過ぎた。

 自身の魔法障壁を悠々切り裂き、血に染めるであろうその爪に、木乃香の体が硬直し――――走る稲妻が巨獣の体を吹き飛ばした。

 

「!!?」

 

 吹き飛ばされた巨獣が空中で身を捩り、体勢を整える、その間もなく、稲妻が再び巨体に触れて弾け飛んだ。2度、6度……雷速で奔る稲妻が光の檻となって巨体を打ちのめす。 

 

 ――右腕(デクストラー)解放(エーミッタム)!!! 『巨神ころし(ティタノクトノン)!!!』――

 

 魔獣の直上から突如として巨大な槍がその身を貫いて地に落ちる。

 

「ネギさんっ!」

 

 雷精化したネギ・スプリングフィールド。

 巨神ころしで貫かれた魔獣は、しかしその強靭な生命力をもって耐えており、地に縫いとめられてなおあがくように首を巡らした。

 だがその体が槍から逃れることはなかった。

 

解放(エーミッテンス)雷神槍(ディオス・ロンケーイ)――――」

 

 ――「千雷(キーリプレーン・アストラペーン)招来(プロドゥカム)!!!」――

 

 地にあって轟雷が迸った。

 術式統合により雷神の槍に込められていた“千の雷”が魔獣の体内で解放され、その身を千雷によって焼き尽くす。

 魔神ですら倒す一撃を体内から喰らえば、いかに聖獣クラスの魔獣とはいえ耐えきれるものではない。

 行く手を阻む巨獣はついに横たわった。

 

「すいませんっ! 再生に時間がかかって。刹那さん、木乃香さん、“彼”は!?」

 

 雷天双壮の姿で窮地に駆けつけたネギの姿は、捻じ切られた腕も完全に修復しており、すでに“始まりの魔法使い”との戦闘態勢を整えてきていた。

 

「お嬢様を連れて転移をっ!」

「ごめんネギくん! うちらも追跡はできて――――」

 

 だが周囲に“始まりの魔法使い”はすでになく、刹那と木乃香も行方を追えてはいなかった。

 二人の顔には魔獣を倒した安堵はなく、焦燥が広がっていた。だが木乃香の言葉は、次なる異変によって遮られた。

 

「今度はなんだっ!?」

「ホグワーツ城がっ!!!」

 

 突如、ホグワーツ城が光り輝き始め、その光が地面を奔り、地平の彼方へ線を刻んだ。

 ディズやマクゴナガル、ダンブルドアですら見たこともない現象に驚愕し、ネギはハッとなって地に刻まれた光の線の行方を追った。

 

「霊脈に潜り込んでいる……? まさかっ!」

 

 その方向は彼の故郷であるウェールズ――地球の霊所であり、地球と火星とをつなぐゲートの置かれた地だ。

 

 ホグワーツ城はたしかに霊所ではない。 

 だがこの地は霊所を繋ぐ霊脈の流れる土地。その上にあるのがホグワーツ城だ。

 かつて創始者たる魔法使いたち、伝統的魔法族にとって重要な学び舎をこの地に定めたのは、麻帆良のような地には劣るものの、この地が極めて魔力の充溢した場所であるからだ。

 霊脈を流れる魔力を吸い上げ、古代魔法によってこの土地を守護する魔法へと変換する結界を結んでいる。

 だが今、その膨大な魔力は別の用途へと転換されようとしていた。

 

「霊脈から霊所にアクセスして、大規模儀式魔法を展開させるつもりです!」

 

 扶余、洛陽、雲崗、アンコールワット、麻帆良……世界各地に散らばる魔術的霊所、聖地が霊脈を介して繋がれていた。

 

「しかもこの魔法はっ!!!」

 

 ネギは発動しようとしている術式に見覚えのあることに驚愕した。

 かつてとある“天才科学者”が世界を変えようと試みた術式。

 

 世界の裏に隠れる魔法という存在を認知させ、その力をもって世界にありふれた悲劇のいくつかを失くそうという“彼女”の試み。

 あの大天才ですら、2年の歳月を準備に費やし、儀式の発動に数十分という時間を必要とした大規模儀式魔法。

 

 “神”であるかの魔法使いは、その術式をその力によって強引に押し通そうとしているのだ。

 

 

 儀式を行うには巨大魔法陣の中心に術者が立つ必要がある。素早く思考を巡らせたネギはホグワーツ城の天頂へと視線を向けた。

 直径30mはあるであろう複雑怪奇な立体魔方陣。

 大天才“超鈴音”が用意した平面的な儀式陣よりもさらに高度な立体魔方陣がホグワーツで最も高い塔の頂を中心に展開されている。

 

 ネギはざっと顔を蒼ざめさせてから魔方陣を睨み付け、雷速瞬動を発動させて飛び込もうとし――――発動するよりも早く、巨大な光柱が空に走った。

 

 

 上空1万8千m ――成層圏にまで打ち上げられた大魔法は、さらに霊脈から魔力を吸い上げ、同時に世界各地の聖地に仕込まれた儀式陣と共鳴し、同様の現象を引き起こしていた。

 

 世界が変わる。

 

 かつてネギ・スプリングフィールドは、己が歩む道のために超鈴音の革命を否定した。

 未来を知る者として過去に起きた悲劇のいくらかを失くすというやり方を否定し、今を生きる者として未来を形作っていくために。

 時を経て、ネギ・スプリングフィールドは超鈴音と同じ手段――魔法バラシという手法をもって世界を変えようと臨んでいた。

 それは単なる過程であって目的ではなかった。だからこそそれによって引き起こされる混乱を少しでも小さくするために遅々たる歩みで変革を行ってきた。

 

 だが“神”の気まぐれのような御業によって、世界はネギたちが予期していたよりも一足飛びに変革を余儀なくされていた。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 ふらりと、咲耶の体が傾いた。

 “始まりの魔法使い”は咲耶と合わせていた手を離し、倒れ込む前に少女の体を抱き留めた、

 抱き留めた少女を見る目は愛おしいものを見るように優しげで、少女の頬にかかる黒髪を撫でるように払いのけた。頬に手を当てると、そこからはたしかな温もりを伝えられた。

 だが少女に意識はなく、完全に脱力して彼の腕の中に抱かれていた。

 

 おそらく魔力枯渇による意識喪失だろう。

 儀式に用いた魔力の大部分は霊脈から吸い上げたものだが、儀式陣を発動させるために膨大な魔力を必要とした。そのための魔力のほぼ全てを少女に肩代わりさせたのだ。おかげで彼には十分な魔力が残されている。

 

 そう、ヤツと対峙するのに十分な魔力が。

 

「!!」

 

 雷光が地面から天へと走り、少女を片腕に抱いた“始まりの魔法使い”へと襲い掛かる。 

 人間の知覚速度を遥に超える雷速瞬動によるネギの奇襲を、“始まりの魔法使い”は片腕を払いのけるように動きに合わせて弾いた。

 

「ッッ!!」

 

 たしかにネギの雷速瞬動は知覚速度を上回る。だが通常の瞬動とは異なり、雷速瞬動は自身の出現位置――雷そのものとなったネギの落ちる位置を風系統魔法による電位操作によって決定させる必要がある。そのため先行放電のような落雷の予兆を生み出してしまうのだ。

 その予兆を読み取り、まして反応することは極めて難しい。だが、“始まりの魔法使い”たる彼は視界に入らぬ地上からの奇襲に対して反応してみせた。

 

 

 雷化突撃を捌かれたネギはすぐさま空中で体勢を整えて“始まりの魔法使い”に向き直った。

 ネギは素早く敵と、そこに抱かれる少女に視線を向けた。

 少女に意識はなく、力なく“始まりの魔法使い”の腕に抱かれている。

 

「ワリィな、ネギ。オメエらの見せ場は貰っちまったわ」

「くっ!」

「まっ。どうせもうじきアンタらもやるつもりだったんだろ?」

 

 以前の彼とは明らかに違う、人間らしい感情の見えそうな不敵な笑みを浮かべる“始まりの魔法使い”。

 彼の言葉にネギは顔を険しくした。

 

 “全世界強制認識魔法”

 魔法という存在をお伽噺の中でしか知らぬ一般人に、強制的に魔法の存在を認識させる、意識の書き換えを世界規模で行う大規模儀式魔法。

 それは魔法や超能力、妖怪や魔物といった超常のモノに対する認識の壁を下げる程度のモノでしかないが、すでに魔法バラシの路線が敷かれている今、その魔法はネギたちが決断するはずだった公開の時を無理やりに決定づけるものとなっただろう。

 

「まだ世界は魔法を受け入れる制度が作られていない。それなのにこんな強引なやり方をすれば――」

「混乱が世界を覆う、か?」

 

 ネギたちは魔法バラシのために段階的にその準備を進めていた。

 だがその準備はまだ整ってはいない。

 イギリス伝統魔法族という世界の中のほんの一部の中ですら、魔法を使えない者たちの生活を理解していない者は多く、持つ者は持たざる者やそこから生まれた者達を見下し、差別している。そして元々、魔法使いたちが世の裏に隠れ住む原因となったのは魔法を持たざる者たちが魔法使いたちを畏怖したのも大きな理由なのだから。

 今、魔法の存在が無理やりに明らかにされれば、世界に混乱が広がる。

 

 まだ、早い――――

 

「それはただの怯懦だ。世界を変えるという決断を先送りにしているにすぎん」

 

 だがネギたちのその慎重な歩みを“始まりの魔法使い”は牛歩の歩みだと断じた。

 

 ネギたちがいくら起きるであろう混乱を収めるために準備をしようとも、結局魔法の存在を公開すれば歪は生じる。

 魔法を持つ者と持たない者との間にはどこまでいっても明確な“差”があるのだ。魔法技術を一般化できるようにしようとも、全ての者がその恩恵にあずかれるとは限らない。ましてネギのような強力無比な魔法使いなどほんの一握りでしかない。

 差は羨望となり、嫉妬となり、争いの火種となる。そのすべてが炎となるわけではないが、すべてが消えるわけでもない。

 

「もういいだろう、ネギ」

 

 どこかで線を引かなければならない。

 あとはいつ、どこで線を引くのか。

 ネギたちにとってはまだ先の話であり、“始まりの魔法使い”にとっては今であっただけのこと。

 

「決着をつけよう」

 

 争いと混乱の火種を抱えたまま、求める物が得られるかどうか分からない不確かな未来を歩んでいくか。

 望みうる最善の世界を夢見て、安穏とした今の中に眠るか。

 

 人が紡いでいく未来か、神が与える夢の今か。

 

 

 “始まりの魔法使い”の顔がふっと、笑みを浮かべ

 

「咲耶ちゃんっ!!」

 

 腕に抱えていた咲耶が宙へと放り投げられた。

 咲耶には浮遊術のスキルはなく、ホグワーツ城で最も高い塔から意識のない状態で放り出されれば落下するよりほかに先はない。

 ネギは瞬動で彼女の所に跳び、少女を抱き留めて落下を阻止した。

 だが抱き留めてしまえば、もうネギは完全雷化も雷速瞬動もできない。

 

「ライフメーカー!!!!」

 

 咲耶を腕に抱いたまま振り返ったネギは、“始まりの魔法使い”の体が花びらを散らすように消え行こうとしていた。

 フードが外れ露わになっている赤髪の顔が、不敵な笑みに歪む。

 

「これが最後だ――――――俺を、殺しに来い」

 

 その言葉がネギに向けられたものなのか、彼を殺す力を秘めた少女に向けられたものなのか…………

 ネギの見ている前で、“始まりの魔法使いの”姿が完全に消えた。

 奥歯を噛み締め、虚空を睨み付けるネギの腕の中で、少女の涙が空から落ちた。

 

 

 この日、世界は変革し、人々は魔法という存在を認めた。

 

 旧世界(現実世界)新世界(魔法世界)、二つの世界は魔法の認識という点において、等しい世界へとなった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

世界滅亡へのカウントダウン

 ―――― 近頃、一人でいることが多くなった。

 一人、と言ってもこの大きなお屋敷の中には沢山のお手伝いさんとかお弟子さんとかが居るから誰かは居た。でも彼らは大体にして忙しそうで、幼い彼女に構ってあげることはできなかったし、また彼女の出自を考えれば、そうおいそれと馴れ馴れしくするのも憚られたのだ。

 大好きなお母さまは今日も世界のどこかで誰かを救っているし、お祖父様は沢山の紙に埋もれて大変そうだ。

 

 すいっ、と障子の向こうに歩く姿が見えた気がした。いつもは見ない人の気がして、 少女はそぉっと障子を開けて廊下に顔を出した。

 たしかに人が居た。

 普段はこのお屋敷には居ない彼。少女――近衛咲耶はぱぁ、と顔を輝かせると廊下に飛び出し――――

 

「り~~おんっっ!!」

 

 ドーンッと元気一杯に彼の後ろから突撃した。

 小さな少女のタックルとはいえ、相手もそれほど大きくはない子供。 

 

「オイ、ガキ」

 

 突き飛ばされかけ、けれどもなんとか諸共に転倒することを堪えた少年は、くるりと不機嫌そうな顔で振り向いてドスをきかせた声を出した。

 

「えへへ~。お久しぶりやね、りおん!」

 

 淋しさなどまるで見えない、無邪気な満面の笑みを浮かべている咲耶の顔を見て、リオン少年は「はぁ」とため息をついた。

 

「いきなり飛びつくな、咲耶」

 

 それは遠い記憶。

 もう微睡の中でしか見ることのできない彼との記憶――――

 

 

 

 第99話 世界滅亡へのカウントダウン

 

 

 

「咲耶ッ!!」

 

 微睡から浮上しかかった咲耶は、自身の名を呼ぶ声を聞いて瞼を開けようとした。

 だが瞼は異様に重く、苦心して開けた視界に飛び込んできた光は眩しくて、反射的にぎゅぅっと目を閉じた。

 

「ぅ、ん……。おかあ、さま……?」

 

 今度は恐る恐る瞼を開けると、ぼやけた視界の先に泣きそうな顔で安堵した様子の母の姿があった。

 母の後ろには同じく安堵した様子の刹那や、フィリス、クラリス、リーシャたちも居てくれていた。

 起き上がろうとした咲耶だが、その体は瞼を開けようとした時と同様に重く、苦心して上体を起こした咲耶は無意識に欠けている何かを求める様に辺りを見回した。

 

 何かが欠けていた。

 誰か大切な人が、居て欲しいはずの人が、そこには居ない。

 

「リオ――――」

 

 思わず口をついて出た音に、誰よりも咲耶自身が驚愕し、目を見開いた。

 

 幾つもの光景が、走馬灯のように駆けた。

 自身の中から溢れて狂った焔が、彼の体を貫いた光景。

 黒い影が彼を飲み込み、そして彼とは違うヒトへと換えてしまった光景。

 彼に手をとられ――そして手を伸ばした光景。

 

 ―――― これが最後だ――――――俺を、殺しに来い ――――

 

 意識の奥底で耳に残っていた声がリフレインした。

 

 あの人は、もう居ない…………

 

「咲耶、大丈夫?」

「!」

 

 動揺が顔に表れていたのだろう。木乃香が心配するように尋ねた。

 母の声に咲耶ははっとなり、もう一度周囲を見回した。心臓の拍動が痛いほどに跳ねており、自身の荒い息遣いが遠くに聞こえていた。

 

「…………あれから、どないなったん?」

 

 咲耶の問いに、木乃香は痛ましげに顔を歪め、刹那は目を伏せて顔を逸らした。あれからどうなったのか。そのことに対いするある程度の答えは二人にはあったが、それを今の咲耶に伝えて精神衛生上無事でいられるか分からなかったのだ。

 そして室内にいる、彼女を心配する友人たちは答えを持っていなかった。彼女たちと咲耶との違いは、ただ起きていただけであって事態の把握はほとんどできていなかった。

 昨晩からの事態の変遷はそれほどまでに理解の及ばぬことだった。

 

 咲耶に答えをもたらしたのは新たな入室者だった。

 

 

「今頃ボーヤはお偉方と会議中だよ」

 

 

 探し求めていたのと同じ白金の髪。だがその髪は長く、膝裏にまで届きそうなほど。なによりも“彼”とは全く異なる姿と声。

 

「エヴァ、さん…………」

 

 小柄な体型であるクラリスよりもさらに小さな体格の少女のような風貌。

 だがその瞳は“彼”と同じく碧眼で、周囲を刺すような鋭い眼差し。

 

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 

「エヴァちゃんも来たんや」

「ああ。息子の不始末だからな」

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 旧世界では全世界強制認識魔法の発動から半日が経っていた。

 ホグワーツ城では緊急会談が開かれていた。ホグワーツに来ていたためにそこに、同席しているイギリス魔法省の魔法大臣は、今までに行われていた会談と、あまりに違う様相に唖然としてついて行けていなかった。

 

「現在、一般人に対する魔法認識の浸透度は76%。この進達速度は、おそらくかつて(チャオ)が計画していた魔法バラシの情報網や、ブルーマーズ計画の一端として進行していた公開の準備という下地があったためでしょう」

 

 報告しているのは魔法使いでも人でもない。

 エヴァンジェリンとともに新たに増援としてやってきていた機械人形――ガイノイドの茶々丸だ。そして会談に臨んでいるのもここにいる人物たちだけでなかった。

 中空に浮かぶ仮想ディスプレイに映る者たち、ISSDA代表(フェイト・アーウェルンクス)雪平コンツェルン代表(雪平あやか)関西呪術協会長(近衛詠春)など魔法使い、非魔法使い、気力使いなど伝統魔法族とはまるで違う面々だ。

 

「このままのペースで行くと2日後には現実世界での魔法の受け入れはほぼ完了するものと思われます」

「なんたることだ…………この失態、どうなさるおつもりですか、ミスター・スプリングフィールド!!」

 

 ガイノイドからの報告に魔法省大臣は呻くように頭を抱え、そしてまんまとこの事態を許した人物を一方的に詰った。

 今回の大事件、結果的に引き起こしたのは関西呪術協会から派遣された魔法世界側の魔法使いリオンだ。

 いずれ魔法を世界に公開する予定であったとはいえ、今はまだ下地を作っている段階だったのだ。人外となっているネギやフェイトならばいざ知らず、定命であり単なる役職の魔法省大臣にとっては今、そんな混乱の素を引き起こされては溜まったものではないのだろう。

 今回の事件の発端に、魔法省から派遣された闇祓いが、闇の魔法使いの走狗になっていたという事実は都合よく彼方に放り投げている。

 

 ネギはそれを指摘する気はなく、大臣に対しては無言の返答を視線とともに返してから、ディスプレイの一つに視線を向けた。

 

「実際の影響の方はどうなっていますか、あやかさん?」

 

 魔法世界と深い関わりを持ちながらも非魔法使いである――伝統魔法族の言うところのマグルの代表としてこの場にいる人物。ネギと数十年来のつきあいのある雪平あやか。

 

<ISSDAに関わりの深い企業に関してはそれほど大きくはありませんわ、ネギさん>

 

 彼女は世界的なコンツェルンの代表としてネギと、彼の計画に賛同、協力しており、今回の事件によって生じた非魔法族側の混乱についての情報を収集していた。

 彼女の集めた情報の限りにおいては、現在まだ表立った問題――軍事的・政治的に致命的な事態は起こっていない。

 

<けれども問題が起こるのはこれからだよ、ネギ君>

「フェイト」

 

 だがフェイトが横から指摘したように、問題が起きるのはこれからだ。

 

<君が懸案していた魔法技術への民間応用に関する道筋はまだたてられていない。伝統魔法族の非魔法族に対する意識の改革も十分ではないようだしね>

 

 やがて魔法を軍事的に利用しようとする企業やテロリストが表立って現れるかもしれない。魔法を用いて魔法を使えぬ者を欺いて政治利用しようと企む輩が現れるかもしれない。

 無論それらは、すでにある問題ではあるのだが、魔法という存在が世の裏だけでなく表の世界にも知られれば、魔法を持つ者たちは持たない者たちにこれまで以上にその力を振るうようになるだろう。

 そのための整備は、間に合わなかったのだ。

 そして

 

<何よりも彼が蘇ったということの方が厄介だ>

 

 フェイトは“そんな”事態よりも遥に懸念すべき厄介な事態が起こってしまったことを指摘した。

 

 “始まりの魔法使い”、“魔法世界創造の神”、“造物主”――ライフメーカーの復活。

 かつて彼によって創られた使徒の一体である彼には、ネギよりもさらにその深刻さを受け止めていた。

 

 

「そもそも彼は何者なのですか?」

 

 ネギたちの会話に、ディズが割り込んで尋ねた。

 彼にとっても昨夜の事件は衝撃が大きかった。この一年弱、自分を鍛えてくれていた師匠が倒れたかと思うと、突如として敵のようにふるまい始め、かと思えば敵を一瞬で葬り、そして去って行った。

 あの時の黒衣の魔法使いが、師匠であるリオンと同じ人物だとは思えなかった。

 

 同席している魔法省大臣やホグワーツの魔法先生たちもそのことを聞きたいと関心を示しており、ネギは深く息を吐いた。

 そしてゆっくりと、かの魔法使いの正体を語り始めた。

 

「彼は、始まりの魔法使い。魔法世界を創りだした造物主。そして――――――完全なる世界の首魁です」

「なっ!?」

 

 最強の味方であったはずの存在の正体。

 悪魔をけしかけ、最悪の闇の魔法使いを陣営に引き込んだ組織、“完全なる世界”。

 ディズやダンブルドアですら驚きに目を見開いた。

 

「“始まりの魔法使い”は太古の昔から転生を繰り返す不滅の存在で、今から24年前、我々は“始まりの魔法使い”の討滅を行いました」

 

 それはかつて、ネギの父が、そしてネギ自身が、彼の仲間たちとともに行った討伐の話。

 

「通常の方法では、彼を滅ぼすことはできません。転生体を滅ぼせば、彼の魂は新たな宿体に憑りつき、共鳴りをおこして新たな“始まりの魔法使い”となります」

 

 ネギやエヴァとは違う、不死ではなく不滅の存在。

 

「転生を繰り返す彼を封じるため、僕たちは特殊な封印術式を用いました。彼の魂を転生体から引き剥がし、転生能力そのものを封じる方法です。それによって生み出されたのが……“リオン”という存在でした」

 

 外道と罵られようとも、自身のエゴを通すために選んだ手段だった。

 

 ――泥にまみれても尚、前へと進む者であれ――

 

 師に言われたその言葉の通り、師ですらも利用して目的を叶えた。師であるエヴァンジェリンの胎を利用した術式。

 神である“始まりの魔法使い”を人の枠組みに押し込む封印。

 

<ネギ君。あの時から僕は何度も忠告したはずだよ。まだ無力な内にアレを始末すべきだと>

 

 だからこそ、転生を封じた状態で“彼”を滅ぼすことを試みるべきだと、仲間は主張していた。

 フェイトはかつて諫言した繰言を述べた。その言葉にネギは顔を歪め、視線を落とした。

 

 たしかに彼の選択した答えには甘さがあった。

 外法に手を染めたのなら、それを貫くべきだったのに、それでも幸福な選択肢を彼もまた感受する権利があると思ってしまった。

 それは外法を胎に収めたエヴァが、それでも最愛の人と魄を同じくするそれを、まるで母であるかのように見つめていたのを見てしまったからか。それともあるいは、その命を生み出した父としての責を感じたからか。

 

 いずれにしても、ネギの選んだ道はここにきて破滅へと至る道となった。

 

 

「よろしいかね、ミスター・スプリングフィールド?」

 

 会話がネギたちの中でのみ行われようとしているところに、魔法大臣が口を挟んだ。

 

「その“始まりの魔法使い”とやらが、真実、魔法使いの始祖だと言うのなら、彼の意思こそが魔法使いたちにとっての標ではないのかね?」

 

 魔法省大臣は口元を歪めて言った。

 元々彼らは伝統的魔法族の中でも純血主義に属する輩。本心としては魔法の使えないマグルとの関わりを深めたいなどとは思っていないのだろう。

 

 かつて、マグル生まれの魔法使い、つまり初代の魔法使いはマグホプと呼ばれ、ある種の敬意をうけていた。だがやがていつの間にか、伝統的魔法族は魔法力が血に宿るというような解釈をするようになり、マグル生まれは魔法族から魔法力を奪っているなどとまで思う輩が現れるようになった。

 

 今代の魔法大臣もそんな輩。

 始まりの魔法使いという、言ってみれば純血の大元とでも言う存在がいることを都合よく解釈して、反論に出たいようだ。

 おそらく伝統的魔法族としては“始まりの魔法使い”という呼称も内心では懐疑的かもしれない。

 

 だがそれを受け入れるわけにはいかない。

 ネギにとって、いや、これからの未来を選んだ者たちすべてにとって、彼の選択肢は世界を滅ぼすことに等しいのだから。

 

「それは――――」

<ネギッ! 大変よっ!!>

 

 魔法大臣の言葉に反駁しようとしたネギだが、それを遮った新たなウィンドウが彼の横に現れ、危急を告げる切羽詰まった言葉が響いた。

 

「アスナさん!?」

 

 映っているのは魔法世界、ウェスペルタティア王国の女王、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアだ。

 

<ネギ、今どこにいるの!?>

 

 会議に突如乱入してきた通話者に、魔法大臣やホグワーツの魔法使いたちは呆気にとられ、だがアスナはそれらを気にしている暇などないとばかりにネギに向けて質問している。

 

「今は地球のイギリスです」

 

 ネギにとってアスナはかつて最も近しいパートナーであったのだが、今は互いに重い立場のある身の上同士。常に互いがどこにいるのか分かるなんてことはなく、この様子ではもしかしたら普段ネギが最も多く居るISSDAの本部の方に問い合わせていたのかもしれない。

 ひどく慌てた様子から、思わず場所を教えてしまったネギだが、続く言葉に今会談中であることを告げようとした。

 

<とりあえず外を見て!!>

「えっ?」

 

 だがそれよりも早く、アスナは強引にネギに指示を出した。

 

「何が……?」

 

 明日菜の切羽詰まった様子に促され――――そしてあることに気づいてネギはハッとなり、窓枠に駆け寄って空を見上げた。ダンブルドアや魔法大臣たちはネギのその行動に訝しみを覚えつつも、窓の外に目をやった。

 外に広がるのは山の端に落ちていこうとしている太陽。星はまだそれほどはっきりとは見えないが、気の早いものがちらほらと輝き始めようとしている頃だ。

 世界で魔法という事実が暴露された混乱とは無関係にいつも通りの茜空が広がっており、そんなネギに茶々丸が「ネギさん」と声をかけた。

 

「火星の位置に異常が見られます」

「火星の位置?」

 

 ネギにも、他の誰にも判然とはしないが、高性能なレーダーと、文字通り人間を大きく上回る演算能力を有する茶々丸には、目に見える火星の、肉眼では大きさの区別などつかない差がわかるらしい。

 

「目視により確認される火星の大きさが、現在の天体運行状況から観測されるはずのサイズを逸脱しています。おそらく――――」

「まさか火星が地球に落ちてきている!?」

「!!!?」

 

 魔法世界のみならず、二つの世界そのものの、滅亡へのカウントダウンが進行しようとしていた。 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 開けた視界に映るのは、峻険な岩山、浮かび上がる岩塊、そして次々に湧き上がり、海のように広がる黒い異形――召喚魔たち。

 

 彼が眠りについている間に随分とこの世界も変わっていた。

 今まで人の文明が大きく発展するということはまま見てきた光景であり、前世紀においては特にそれが顕著であった。

 だがそれがこの世界――ムンドゥス・マギクスにまで及ぶようになるとは彼にとっても驚嘆に値する出来事であった。

 

 彼が――“始まりの魔法使い”が創造した魔法の世界。

 いずれは泡沫に消える定めのその世界の行く末を、一度は人に託そうとし、継ぐ者が現れず絶望し、自ら救済しようとした。

 だがその伸ばした手は、かつて期待した世界を救わんとする人の手によって拒絶された。神の示す道ではなく、人が自ら拓いて行く道。

 一度は望んだはずのその希望を、しかし目の当たりにして彼が抱いたのは寂寥感であった。

 

 あれほど永く望み続けてきた時には現れず、自らの手を振るわんとしたところで現れて結末を塗り替えようとする。

 自らの愛し子が、自ら解を出し、進んでいこうとする。

 

 けれども…………それは…………

 

「全てを救う解ではない、か」

 

 ネギの示した方法では、世界は救われるが、全ての人は救われない。

 世に蔓延る理不尽、不平等、苦難、災厄、貧困――――それらを解決する法には、決してならない。

 むしろ彼のあのやり方は、それを助長し、より一層、顕著なモノへとしてしまうであろう。

 

 自分ならばよりよくできる。

 自分の解の方が優れている。

 自分の方が――――――――

 

 かつて、彼は英雄に語った。

 

 —― 人間とは度し難い ――

 

 まったくその通りだ。

 人として生きることを望み、それを与えられた今だからこそ、“始まりの魔法使い”()であった彼も理解した。

 自らの中に宿っていた思いを。

 

 他でもない。自分の手で、世界をよりよくしたい。

 この舞台は誰にも譲らないというエゴを…………

 

 

 だが“神”の意思に背くのもまた人の権利。

 彼の座すこの迷宮の深奥から遠く離れた入り口にて、異変を嗅ぎ分けた抵抗者たちの戦いが、始まっていた。

 

 

 

 ムンドゥス・マギクス、夜の迷宮(ノクティス・ラビリントゥス)

 

 魔法世界において、オスティア王国旧王都と並んで屈指のダンジョンと評されるその入口で戦いが行なわれていた。

 

「俺の名は黎明のノン♡タンなり!! 新しき魔法世界に轟くであろう俺の名を知るがいいっ!!」

「また言ってるのかお前は!」

「前と名乗りが違ってんぞ、オイ」

 

 賞金稼ぎに冒険者に傭兵。腕に自身のある彼らが、最難関とされるこのダンジョンに彼らが集ったのは、平穏を保っていたはずのこのダンジョンがにわかに活性化し、突如大量の魔物が出現し始めたことにあった。

 異界より召喚されたと思われる大型のデーモン型召喚魔。高位の召喚術師であっても単独では1体召喚するのがやっとというレベルの召喚魔が、数十、いや数百もの軍勢として“夜の迷宮”にて召喚されている。

 放っておけば、近隣の国や街にまで進出し、人々を食い散らかしていくであろう災厄。

 それを阻止するために急行できる場にいた近隣の腕利きたちがその召喚魔を駆逐するために駆けつけたのだ。

 

「しかしこれほど大量の大型召喚魔を異界から召喚するとは……」

「湧き止む気配がないな。入口で食い止めるのも限界だぞ。いっそ中に潜り込むか」

 

 召喚魔は今もなお、湧き止むことなく召喚され続けており、現在、ダンジョンの入り口付近から、召喚魔が外に出ていくのを防ぐのがやっとであった。

 

「いや、ここは“夜の迷宮”。深入りは危険だ」

 

 正確には元々彼らはダンジョン内部にまで踏み込むつもりはなかった。

 なぜなら“夜の迷宮”はここ半世紀、踏破の居ない危険なエリアだからだ。半世紀前、かの“紅き翼(アラルブラ)”のみが踏破したと言われているが、それ以降、このダンジョンの内部に潜り込んで生還した者はいない。

 一体どのような内部構造になっているのか、どのような悪辣な罠が仕掛けられているのか、どのような魔物が巣食っているのか、圧倒的に情報が乏しいダンジョン。それが“夜の迷宮”だった。

 ゆえに彼らはこのダンジョンの入り口にて召喚魔を駆逐し続けながら、わずかずつ内部を覗こうと試みていたのだが

 

「? なんだ、なにか光――――」

 

 遠く離れた迷宮の頂上。千里眼の魔法によってかろうじて建物があると認識できるほど遠くの頂上で、なにかが光った。

 

 刹那、ノン♡タンは間近で響いた轟音と衝撃波に吹き飛ばされた。

 

「――!!!? ガハッッ!!!」

 

 地雷型炸裂魔法でも踏み抜いたのかと瞬時に思考した。

 

「なにが――――」

 

 吹き飛ばされることで爆発から運よく逃れたノン♡タンや“生き残りたち”は爆破の中心地を振り返った。

 だがそこに居た筈の仲間の姿はなく、代わりに雷神槍を携えた白く輝く異形の魔物の姿を見た。

 大きさは人間大。携えている魔法槍こそ長大だが、本体の大きさは決して大きくはない。

 

 その魔物の名を知っていた。

 名高き四大精霊の中で最強とも称される“雷”の最上位精霊。

 

「まさか、ルイン――――!!!!」

 

 驚愕の言葉は、最後まで紡ぐことができなかった。

 

 ――――「千の雷」――――

 

 白輝の魔物が一言、告げた瞬間、幾百、幾千の雷が荒れ狂い数百m四方を埋め尽くした。最高位の魔法使いのみが扱うことのできるというハイエイシェント、そのオリジナルの魔法。

 中心に居た者たちは血液が沸騰、内部から爆裂し、離れた所に居た者達も雷に貫かれた。

 

 

 

 ウェスペルタティア王国ならびにメセンブリーナ連合、ヘラス帝国の観測術師が、魔法世界時間で1日前、ありえないほどに大規模な召喚魔法の発生を観測した。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

<異変を察知して乗り込んだ冒険者や傭兵たちの脱出報告はないわ>

「夜の迷宮には最上位精霊が巣食っています。おそらく……」

 

 明日菜からの報告にネギは沈鬱に顔を歪めた。

 最上位精霊。それは最強クラスの魔法使いであるネギ自身がそれに匹敵すると称される最高位の魔物だ。

 おそらくAAAクラスの腕利き10人程度居たところで相手にもならないだろう。

 

 “夜の迷宮”で“始まりの魔法使い”によるものと思われる大規模召喚魔法が行われ、突入した者たちの脱出報告がない。それが今現在魔法世界側の諜報部が得られた情報だ。

 

「火星の地球への接近速度から計算すると、衝突までおよそ72時間。ですが、地球の引力、そして魔法世界の重力と進行速度から推測すると、およそ60時間後には魔法世界と地球の衝突は不可避となります」

「60時間…………」

 

 そして火星衝突までのタイムリミット。

 ガイノイドである茶々丸の報告にネギたちは絶句した。彼女の計算能力は人間のスペックを大きく超えており、おそらく間違いはないだろう。

 

「そんなバカな話があるか!!! 魔法使いの始祖が、魔法使いを滅ぼすつもりなのかっ!!?」

 

 だがネギたちが信じようが、魔法大臣にとって茶々丸は信用ならないマグルの玩具。そんな彼女の言葉を是が非でも戯言としたいかのように叫んだ。

 生粋の魔法使いとしての自負をもつ彼ら伝統魔法族にとってみれば、魔法族の始祖が自分たち魔法族を滅ぼそうとしているのは理解しがたいのだろう。

 

「魔法使いだけではない。全ての人、世界を、じゃな……」

 

 狼狽する魔法大臣に対し、ダンブルドアはより深刻に事態を把握していた。

 いかに優れた魔法使いといえども、火星が地球に衝突するなどというバカげた災厄を防ぐことなど出来るはずもない。

 そもそも魔法学において惑星の天体運行は運命を表すにも等しいものなのだ。流れ星程度ならばともかく、惑星軌道などずらせるはずもない。

 火星の運行軌道をズラし、まして数日という短期間で地球に衝突させようなどという行いは、それこそ運命を悪戯にする神の所業だ。

 

「おそらく彼の狙いは、こちらと向こうの二つの世界の全てを“完全なる世界(コズモエンテレケイア)”に送るつもりです」

完全なる世界(コズモエンテレケイア)? それは彼らの組織の名では……?」

 

 ネギの言葉にディズが不審気に尋ねた。ディズは先の夏休みに、リオンについて敵の捜索を行っていた。だがリオンからは敵の目的についてまでは聞いていなかったのだろう。

 ネギはディズだけでなく、魔法大臣やダンブルドアたちにもゆっくりと見回してから言葉を続けた。敵の、始まりの魔法使いの企みについてを語るために。

 

「“コズモエンテレケイア”とは最善の可能世界。無垢なる楽園。人の最も幸福に満たされた時を、在り得たかも知れない幸福な現実を、与える世界です」

 

 かつてグリンデルバルドは言った。マグルとの垣根を無くすという願いも、魔法族からマグルを排し、真に純血を貴ぶ世界という願いも、相反する願いだろうと並び立つ、全てを叶える世界を創ると。

 これこそがその方法。

 万人の願いを叶える世界などあり得ない。だが万人の願いを個々に叶える世界ならば……そんなことができるとすれば、たしかに叶うのかも知れない。だが……

 

「ですがそれは世界の終わりと同義です」

 

 それは現実ではない。

 

「この世界は辛いことも多い。悲劇も起きる」

 

 悲劇に溢れるこの世界はたしかに辛い現実だ。

 両親を殺された子供がいる。愛を受けずに育った子供がいる。戦争がある。貧困がある。疫病がある。

 もしも今こうならばと願うことは誰にだってある。

 

「けれども、未来は色々な可能性に満ちている。今思い描くよりももっとずっと素晴らしい未来だってあります」

 

 一歩を踏み出すには勇気がいる。

 辛い現実を踏みしめ、未来へと歩んでいくためのわずかな勇気。

 

 それは傲慢な考え方なのかもしれない。

 いくら勇気をもとうと、踏み出すことすらできない理不尽なことは確かに存在する。

 もしかしたら彼の願うことこそが、全てを平等に幸福に導く行いなのかもしれない。

 

 けれども――

 

「可能性を終わらせる“コズモエンテレケイア”を、僕は認めることができません」

 

 ネギ・スプリングフィールドは悪を為す。

 己が選ぶ未来、人が未来を選ぶことのできる世界のために。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

不死者の道

 本来“完全なる世界”の狙いは、破滅へと向かう魔法世界の住人たちを、平等に救うために“コズモエンテレケイア”へと送ることだった。

 だが、その範囲はもとより曖昧。

 魔法世界に赴いていた現実世界人を範囲に入れることもあれば、こちらの世界の魔法生物を含むこともあった。

 おそらく魔法に関わるものはその対象になりえるのだろう。

 だとすると今、この世界は全てが魔法に関わることになろうとしている。

 もとより“彼”にとっては全てが等しく、救いの対象。

 

「こちらの世界は現在、彼の強制認識魔法によって“魔法世界”と等しい状態になっています。そして落ちてきているのは火星そのものではなく、火星を依り代にして存在している“魔法世界”。火星の魔法世界と地球の魔法文明とをぶつけて、その衝突エネルギーを使って両世界規模でコズモエンテレケイアを発動させるつもりです」

 

 全ての準備は整えられた。

 魔法世界同士の衝突により発生するエネルギーを利用しての全世界同時コズモエンテレケイア化儀式。

 世界の終わり。

 

「き、君たちが彼を逃したからっ!!! どうしてくれるんだっ!?」

 

 行なわれている儀式のあまりのカタストロフィーを理解し、事態を呑み込めた魔法大臣が顔色を変えてネギを指さしてがなった。

 ことがここまでに至った責任を追及すれば、きっとそれはどこにでもあって、ないようなものだろう。

 

 咲耶の異能を開封した魔法使いのことを、ホグワーツが気づいていれば。魔法省が気づいていれば。

 関西呪術協会やウェスペルタティア女王がリオンを庇護していなければ。

 リオンが咲耶と出逢っていなければ。

 ネギとエヴァが彼を転生という形で封じなければ。

 そもそも“彼”が絶望するような世界を続けていなければ…………

 

 だが、それは全て――――

 

「無意味な問答だな」

 

 意味のないことであった。扉の開く音とともに告げられた言葉が魔法大臣を小馬鹿にしたように否定する。

 

「このままいけば、全ての人間はそんなモノを気にする必要のない夢の世界行きだ。責任の所在など考えるだけ無駄な話さ」

「なんだ君は! 子供が口を出すなっ!」

 

 ガラリと扉を開けて入って来たのは白金の髪の子供の姿の少女。

 その後ろには近衛木乃香やその娘、護衛もついているが、口を挟んできた少女は、どう見てもこの場の恐るべき危急の対処に相応しいとは思えない少女なのだ。

 

師匠(マスター)

「ま、マスター?」

 

 だがその少女に対して、ネギは出迎えるような所作を示し、魔法大臣は唖然と口を開けた。

 

「咲耶が起きたから連れてきたぞ、ぼーや」

 

 呆けた間抜け面を晒している魔法大臣はまったく見向きもしない。一方で連れてこられた咲耶はどうしていいか分からず、珍しく彼女らしくもなくおどおどとした様子となっている。

 そんな咲耶をおいて、白金の髪の少女は席に座る内の一人、ディズへと歩み寄りその顔を近づけた。

 

 体格的にはホグワーツの一年生よりも幼く見えるその少女は、しかし怪しげな色香と妙な風格をもっており、ディズは警戒心を抱いて睨み返した。

 

「お前がリオンの弟子とやらだな?」

「…………」

 

 ぞくりと冷たい何かがディズの背中を滑り落ちる。

 まるで師であるリオンを前にした時のように、圧倒的に格の違う者を前にした時の感覚があった。 

 しばしディズを観察していた少女はつまらなそうに鼻を鳴らして顔を背けた。

 

「勘はいいようだが、随分と程度の低い弟子だな」

「なに?」

 

 そして口をついて出てきたのは随分と挑発的な言葉に、思わずディズは睨み返した。

 

「この程度の弟子しか鍛えられんようなヤツでは、どのみち大した器ではなかったということだな」

「貴方は……何者だ」

 

 師を侮辱しているような言葉に、ディズの瞳が険しく細まる。

 

「彼女はエヴァンジェリン・マクダウェル。リオンの……母親です」

 

 ネギは言葉を選ぶように間を空け、結局“母”という言葉を選んだ。

 それがどれほど空虚な響きをもっているのか、他ならぬネギ自身が理解していた。

 

「なっ! 真祖の吸血鬼、闇の福音か!?」

 

 だがネギの思惑など何の関係もなく、それを聞いた魔法使いたちは悪の権化を見るような眼でエヴァに怖れで満ちた視線を向けた。

 

「ええ。……マスター。それでリオン君の研究は……?」

 

 そのような視線が向けられることは、腹立たしいことではある。だが、それだけの名であることは否定しようもないことであり、それよりも今は進めなければいけない話があった。

 ネギからの問いにエヴァはちらりと咲耶に視線を向けた。

 

「……ぼーやの考えている通りだよ」

 

 

 

 第100話 不死者の道

 

 

 

 古代、人と神の境界は不明瞭であった。

 ギリシャ神話、黄金の時代においては人は不老長寿の存在であり、神は人とともに営みを紡ぎ、人は神の存在を身近に感じていた。

 だがやがて神は人の前から姿を消し、人は徐々に定命の定めを背負っていくことになる。

 

 日本の神話においても、神は人の営みに深く関わりをもっていた。そして神はやがて人の世に子孫を残していった。

 不死であった神から生まれた人の子。始まりにおいて、彼らには寿命をもたなかった。

 神の血を引く血脈。

 だが彼らもやがて限りある命の定めを負っていくこととなる。その定めをもたらした存在、不死を終わらせた神――――――それが木花咲耶姫。

 

「咲耶ちゃんには、その神と同じ力、不死を終わらせる力を再現する異能をその身に宿していました」

 

 やんごとなき近衛の血脈に宿る特殊な力。神代の力を降ろす異能。

 

「けれどもそれは人の身に余る力。彼女の身にかかる負担を少なくして制御するための術式を、長年リオン君はとある目的のために研究していました」

 

 身の丈に合わぬ袈裟は自らを滅ぼす。

 咲耶の異能は咲耶自身の命を削るものだ。だからこそ、いくつもの封じをかけていた。 

 だがリオンはそれを、扱おうとしていた。たとえ咲耶の寿命が縮もうとも、自らの為さんとする目的のために。

 

「とある目的?」

「それは…………」

 

 向けられた疑問に、ネギは答えることを躊躇した。

 その答えをネギは知っている。

 知っていて、それに正邪の答えをつけることを恐れていた。

 

「私を殺すことさ」

 

 ネギが躊躇した言葉の続きを、エヴァは冷たい笑みを浮かべたまま述べた。

 

「えっ」

「エヴァちゃん! そないな言い方はっ!」

 

 エヴァの、リオンの母のその言葉に、木乃香はバンッと机を叩いて抗議するように声を上げた。

 

「どう言葉を取り繕ったところで、アイツのしようとしていたことは同じだ」

 

 木乃香からの強い視線を受けようと、エヴァの態度は崩れることはない。

 けれどもそうではないのだ。

 

「リオンくんは……」

 

 たしかに、“リオン”の為そうとしていたことは、“親殺し”の大罪。

 まともな人間であれば、企図することすらありえはしないだろう。

 だが、そこに込められていたのは…………

 

「アイツも気づいていたはずさ。咲耶の近くに居ればやがては神話通り、自身の命を縮めることもな」

「!?」

「私を殺すか、アイツが殺されるか。結局アイツはその賭けに負けた。それだけのことさ」

 

 結局、残された事実というのは、リオン・マクダウェル・スプリングフィールドは母を殺すために何年も何年も研究を重ね、その力を手にしながらも躊躇し、最後には自滅した愚者というものでしかない。

 たとえそこにどのような思いが、母に対する願いが込められていたとしても、それは誰にも明かされはしなかったのだから。

 

 冷たく聞こえるエヴァの言葉を瞑目して聞いていたネギは、決意した瞳を開いた。

 

「リオン君の研究。咲耶ちゃんの力のコントロールは完成しているんでしょうか、マスター?」

 

 咲耶の力は“神殺しの力”。まさに“始まりの魔法使い()”を弑するのにうってつけの力だ。

 

「負担は避けられんが、パクティオーと式神を使えばあと一度程度の運用はできるだろうよ。もっともそれがどこに向くかは遣い手次第だがな」

 

 不死殺しの力の向かう先。

 悪の権化たる真祖の吸血鬼を滅ぼすか、正道より堕ちし英雄を討つか、それとも…………

 

 

「ネギさんは……みんなは、リオンを殺すつもりなん……?」

 

 

 咲耶の言葉は、場の緊張の糸を痛いほどに張り詰めさせた。

 ネギにとっては、“リオン”はすでに亡い。だが、それに対して思うところがないわけではない。“リオン”を生み出したのは、ネギだといってもいいのだから。

 そしてなによりも、少女に対して率直なところを告げるのは気が咎めた。すでに“彼”ではないとはいえ、“彼”だった存在に対して、殺すための道具にするのは…………

 

「勘違いするなよ小娘。リオン・スプリングフィールドなんてものはもうすでに死んでいるんだよ。たとえ未だに契約の絆が消えてなかろうが、ヤツはすでに“始まりの魔法使い”として蘇り、魔法世界を、いや全ての世界を消し去ろうとしている。最強最悪の不死者。それがヤツだ」

「ッッ」

 

 冷酷な声が、斬りつけるように発せられた。

 咲耶とリオンのパクティオーは未だ消えてはいない。だからこそ咲耶はまだ希望を捨てきれていないのであろう。だからこそ咲耶は泣きそうな顔で、声の主を、エヴァを睨み付けた。

 エヴァにとって咲耶の視線になどなにほどの威圧もない。だが、エヴァは瞳に少しだけ憐憫を浮かべて咲耶を見返した。

 

「……いい加減、終わらせてやれ」

「どういう――――」

「不死者の苦悩は人間には分からん」

 

 先程までとは異なる雰囲気に、咲耶は言葉を呑み込まされた。

 

「不死者とは失い続ける生を見続けるものだ。千年ですら人の人生なら10回繰り返しても釣りがくる。ヤツの過ごしてきたのはその倍以上。始まりの想いを腐らせるのには十分だ」

 

 咲耶の生きてきた人生は20年にも満たない。まだまだ人の生き方も、社会も見てはいないのだから、エヴァの生きてきた600年どころか、数十年の年月ですら想像できない。

 だから、リオンの――いや、“始まりの魔法使い”がどうして魔法使いを助けようとして創った世界を今になって壊してしまうのかは分からない。

 

「キサマが“ヤツ”の何にリオンを見たのかは知らんが、“始まりの魔法使い”はもはや壊れている」

 

 繰り返される転生の果てに、あの(ナギの)ような性格を見せたのは、なぜかは分からない。

 けれども

 

 ――「これが最後だ――――――俺を、殺しに来い」――

 

 あの言葉は、他でもない“始まりの魔法使い”自身が、もはや終焉を望んでいるのだろう。

 薄ぼんやりとした意識の奥底に残っている彼の言葉が、本心であることを咲耶は心のどこかで理解していた。

 

「けど…………」

 

 だがそれでも、咲耶にリオンは殺せない。

 いや、リオンでなくとも、咲耶は誰かを殺すことを是とはしないだろう。

 

 それはエヴァもネギも分かっている。

 

「咲耶ちゃんの力は“始まりの魔法使い”に対して極めて有効です」

 

 不死を終わらせるための力の研究は、リオン・スプリングフィールドが長年をかけて求め続けてきたもの。

 理論と技術の開発の天才であるネギといえども、残りの時間でリオンの研究の域を超えることはできないだろう。

 ゆえに、ネギは最後のピースを埋める。それが誰かにとってどれほど酷いことだったとしても。

 

「咲耶ちゃんにできないというのであれば、その力は白狼天狗に委ねます」

「え……?」

 

 咲耶は自らの式神が居ることに、今更ながらに気が付いた。

 白葉の姿は以前までの童姿ではない。暴走時の、手足の伸びた姿のまま、陰陽師を思わせる狩袴に身を包み、怜悧な刃を思わせる威圧感は以前の比ではない。

 何よりも以前とは異なるのは目だ。

 以前も他者に対しては興味関心のまったくない目をしていた。だが、今、咲耶に対しても冷酷な瞳を向けていた。

 今まで向けられたことのない冷たい眼差し。

 

「白、葉………?」

 

 漠然とだが、咲耶は理解してしまった。

 この白狼天狗は、もはや近衛咲耶の式ではない。正真正銘、神に連なる天狗の末席たる妖異。

 

 ネギは白狼天狗が、守護していた少女との縁を断つように視線を逸らしたのを合図にするかのように仲間たちに指示を出した。

 

「これから彼とともに魔法世界にて、“始まりの魔法使い”討滅戦を行います!」

 

 刹那の、フェイトの、アスナの顔が引き締まる。

 

「木乃香さんはあやかさんやISSDAと協力してこちらの世界の混乱を抑えて下さい! 刹那さんは木乃香さんの護衛を! 明日菜さんはゲーデル議員やベアトリクス総長と連携して、そちらの混乱を抑えて下さい!」

 

 この戦いは世界存亡を賭けた戦いになるものとはいえ、全てを投げうって討ちに出る訳にはいかない。

 こちらで起こるであろう混乱に備えることも危急であるし、何よりも敵は不死者。

 そして以前とは違い、ネギパーティの力を借りる訳にはいかないのだ。彼女たちにはそれぞれ立場があり、好意に甘えて危機に晒すわけにはいかない。

 勿論彼女たちはネギが申し出れば駆けつけてくれるだろう。

 だが敵地はすでに大量の召喚魔がひしめく死地。すでにネギとの仮契約を終えている彼女たちを連れていくわけにはいかない。

 

「ちょっ! 待ちなさいネギ! 私も―――」

「明日菜さん! 今アナタがオスティアを離れれば魔法世界の安定が崩れるおそれがあります」

「けど!」

「二人の黄昏の姫巫女の力で安定させる必要があります」

 

 そしてそれはネギの初代ミニステルマギ、神楽坂明日菜とて同じ。

 現在火星―ムンドゥス・マギクスの繋がりは非常に危うい状態になっている。

 元々崩壊の危機にあったムンドゥス・マギクスを、“もう一人”の黄昏の姫巫女を人柱にすることで何とかの安定を保っていた。だが今、無理やり火星表面から人造異界“ムンドゥス・マギクス”を引き剥がしたことにより、世界そのものが不安定になっている。

 ゆえにアスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアは戦いに赴くわけにはいかない。

 戦いのために彼女がその力を奮えば、二人の“黄昏の姫巫女”によってなんとか繋ぎ止められている世界が、“コズモエンテレケイア”が発動する前に崩壊してしまうだろう。

 だからこそアスナを呼ぶことはできない。

 

「代わりに龍宮さんとクウネルさん、それからザジさんに連絡をとってください」

 

 だが、今度ばかりは逃すわけにも、仕留めそこなうわけにもいかない。

 

「アルビレオ・イマはともかく、龍宮さんとザジさんにも?」

 

  “紅き翼”の中で、現在唯一“始まりの魔法使い”と戦うことのできる魔法使い――アルビレオ・イマ 。

 歴戦の傭兵にして半魔のスナイパー――龍宮真名。

 魔界の王族にして人と魔を繋ぐ姫――ザジ・レイニーデイ。

 

「はい。こちらからは僕とフェイト。それから……」

 

 ウィンドウに映る盟友、フェイト。そして師であるエヴァンジェリンへと視線を向けた。エヴァンジェリンは「ふん」と鼻を鳴らして機嫌悪そうに了承の意を告げた。

 ネギの望む本気のメンバー、常人ではない者達による討伐チームだ。

 そこには旧世界最強クラスの剣士も、最高の治癒術師も、欧州最高の賢者も、加わる余地はない。

 アスナには、ネギの選んだメンバーが、彼の覚悟のほどを告げているように感じられた。

 

 

「俺も連れて行ってください」

 

 言葉を差し挟んだのは、ディズだった。

 

「クロス君……」

「マスターが俺を鍛えたのは、自分の目的を果たせなかった時の代わり。そうじゃありませんか?」

 

 リオンの弟子としての役目。

 

「だからこそマスターは俺に、不死者と、吸血鬼の真祖と戦う術を教えていました」

 

 もしもリオンの計画(サクヤの力)がエヴァンジェリンに届かなかった時、あるいは倒しをえた後、上位吸血鬼を封印する役目をリオンはディズに期待していた。

 それはリオンにとっては気まぐれであり、計画の遂行を遅らせる単なる言い訳にしたかったのかもしれない。だがどのような理由があるにしろ、ディズはリオンに吸血鬼、不死者との戦い方を教わり、それ以外にも生き抜くための力を与えられた。

 

 ネギはディズの申し出に困り顔を見せ

 

「確かにな。だが、生憎と今回の戦いに貴様を入れる余裕はないんだよ小僧」

 

 彼が答えるよりも先に、エヴァが不機嫌さを隠そうともしないで答えた。

 

「ヤツが居るのは“夜の迷宮”だ。貴様程度ではヤツに辿り着くまでの盾にもならん。どこぞの甘ちゃんが貴様を助けるために時間と魔力を無駄に消耗させられるのがオチだ」

 

 世界存亡の危機なのだから出し惜しみをせずに戦力を投入すべき機ではある。

 だがその戦力が、要の戦力の足を引っ張ってしまっては意味がない。

 エヴァやフェイトはともかく、ネギはその“足手まとい”に気をとられかねない甘さがある。

 “始まりの魔法使い”を仕留めることのできる刃は白狼天狗だが、その刃を届かせることができるのは、ネギをおいて他にいないのだから。

 

「なら、試してみますか?」

 

 

 

 ・・・・・・・

 

 

 

 ――――なんでなん、白葉?――――

 

 もたらされたもう一つの決別は信じがたく、ボロボロになった少女の心にまた一つ罅を刻み付けていた。

 

 ――――私はずっと、ずっと後悔していました――――

 

 信じていたのはこれまでの繋がり。

 これまで続き、積み重ねてきた絆は、宝石のように煌く大切なもので、これからもずっと続いていくものだと信じていた。

 

 ――――あの時、あのお方の、我が主の傍に居なかったことを。主の命に異を唱えず、姫を守るために坐するのみであったことを――――

 

 だが、大好きな彼が少女の傍から居なくなり、また一人、これまで少女の傍に居てくれた存在が去っていく。

 

 ――――この世界は、我が主が望み、戦って治めた世界の末の世。ならば、この世界を終わらせるわけにはいきませぬ――――

 

 信じてきたもの、向けられていた想い、宝石の粒のようなものだったはずのそれが、まるで何の意味もない砂礫のように崩れていく。

 

 ―――― たとえ――――― ――――

 

「たとえ、主の御心を守れなかった、卑小な式といえども、主の敵は我が剣が討ち滅ぼすのみ」

 

 真なる名と、姿を取り戻した、堕ちた神の末席が一柱、戦場へと舞い戻る。

 平和の魁となる名を持つ剣を携え、その剣を未来の魁となすために。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 “不死狩り”の卵の少年の挑戦は、最強の魔法使い、真祖の吸血鬼の前に砕かれていた。

 ネギは魔法すら見ることなくエヴァに打ちのめされた少年と、式に決別を告げられた少女を見やり、感情を押し殺した。

 

 白葉とエヴァ、二人の行いはネギが万全の態勢で“始まりの魔法使い”に挑むために必要な行いだった。そのために心優しい少女を傷つけ、才ある少年の心意気を砕いた。

 だが目的のために手段が正当化されるなどということはない。

 

 ただ、それでも今は…………

 

「アスナさん、このかさん、あやかさん」

「…………」

 

 彼が告げようとしている言葉に、アスナも木乃香も押し黙ろうとし、

 

「なんですかネギさん」

 

 わずかな間をおいて、雪平あやかはネギに続きを促した。その姿は、計画の発起時より彼のことを1歩後ろで見守り、支え続けた彼女の覚悟が込められているかのようであった。

 

「この世界を、頼みます」

「ネギ。アンタ……」

「……お任せくださいネギさん。そしてどうか―—ご武運を」

 

 世界の命運を賭けた戦い。

 不死者対不死者。

 

 ――――予感がある。

 これがおそらく最後の戦いになる。

 ネギ・スプリングフィールドにとっての、いや、それよりも遥かに以前から幾度も繰り返されてきたエイエンの終焉に。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

英雄譚の残照

今回の話で近衛咲耶の物語としての“春のおとずれ”は最終話です。


 岩肌が露出した渓谷。濃密な魔力を含んだ空気が、霧が立ち込めるように靄をはり、岩塊を宙に浮かせている。

 ブルーマーズ計画により魔力の以前よりも魔力の充溢した魔法世界全土から、いや、裏火星“ムンドゥス・マギクス”の依り代たる表火星からも、ゲートを通して地球からも魔力をかき集めて大規模な儀式を発動させようとしているのだろう。

 

 一人の男が膝をつき、左腕のあった場所を抑えていた。

 

 裏火星“ムンドゥス・マギクス”、夜の迷宮(ノクティス・ラビリンタス)

 

 大規模投入された彼の仲間たちはすでに地に倒れ、眼前には巨大な異形、異界から召喚された魔物が立ち塞がっていた。

 一人残された彼も、もはや魔力は尽き、剣は折れ、片腕すら失う満身創痍の有様。

 

「ぐぅ…………」

 

 次々に召喚される魔物たちは、一体一体がAAAクラスにも匹敵するほど。平時であれば、一体を倒すのにすら魔法化軍備を揃えた軍の部隊が派遣されるほどだろう。

 そんな敵が、圧倒的な多勢として召喚され続ける。そう、この悪魔のような魔物たちはただ召喚された者たちに過ぎないのだ。

 これほどの存在を次々に召喚し続け、そして一方で別の儀式を進行させるなど、もはや一魔法使いがなしうる所業ではない。 

 太古より生きると言われる伝説の存在――始まりの魔法使い。

 

「グブブ。雑魚め」

「くっ!」

 

 魔物たちは抵抗の力の残されていない男に対して、破壊の鉄槌を振り下ろすかのように腕を撃ちおろし

 

「ぐぶアっ!」「なっ……!?」

 

 その瞬間、雷の大槍が悪魔の体を貫いた。貫き、地に落ちた瞬間、大槍は雷霆となり周囲の悪魔を飲み込んだ。

 数体の悪魔が一瞬で無に帰され、他にも数体の悪魔が四肢を貫かれた。

 

「何者だ!?」「探せ!!」

 

 攻撃は目の前の瀕死の人間によるものではない。それよりも遥かに恐ろしく強い存在。

 悪魔たちは人間に止めを刺すことよりも、雷槍の主を求めて周囲を警戒し、探査の網を素早く巡らした。

 

「アレだ!」「速い!」

 

 そして悪魔たちは気が付いた。

 人ではないナニカ。

 閃光そのものの速さで飛来し、接近してくる存在。

 

 圧倒的な力。

 雷速で空間を縦横無尽に奔り、千の魔法が全てを破壊し、魔物を屠っていく。

 当代最強の魔法使い――――英雄、ネギ・スプリングフィールド。

 

「大丈夫ですか。すぐに救護班が来ます。持ち堪えてください」

「……!」

 

 魔法使いは片膝をつく男の前に背を向けて立った。

 その背はあらゆる災厄を討ち払い、災禍から人々を守らんとする“マギステルマギ”の背。

 

「おい、ぼーや。ただの人間に構っている暇はないぞ」

「ネギさん。地球衝突までの残り時間、5時間を切りました」

 

 声が聞こえて、男は目の前の存在以外にも、少し離れた所に数人の魔法使いたちが降り立っているのに気づいた。

 

 白金の髪の少女。白いスーツを来た感情の見えない男。銃を手にした褐色の女性。機械仕掛けの感覚器官を頭部につけた緑髪のガイノイド。女性と見紛う長髪の魔法使い。道化師(クラウン)のような少女。……そして刀を携えた白狼の妖魔。

 

「奴が逃げる。追うぞ。これで最後だ」

「はい、マスター!」

 

 その言葉とともに、彼らは飛び立った。

 あらゆる侵入者を阻んできた“夜の迷宮”の深奥。最悪の不死者、“始まりの魔法使い”が待ち受ける終焉の地へ。

 

 

 

 第101話 英雄譚の残照

 

 

 

 世界の行く末を選ぶための戦いは、神話に語られるラグナロクほどではないにしろ、超常の者同士の苛烈な争いを極めていた。

 

 世界滅亡まで、残り2時間。

 

 異界から続々と召喚され続ける魔物の群れは、ある者達は高重力の渦に呑みこまれて圧し潰され、ある者たちは天より落ちる科学の雷により打ち砕かれ、あるいは神出鬼没に跋扈するクラウンに引き裂かれた。

 

 そして

 

「――――――ッッ!!!」

 

 魔眼の射手の放つ銃弾を躱し、岩塊の砕斧を砕き、凍漣の槍を溶かし、雷速の相手と拳打を交わす“神”が一柱。

 氷と黒耀の無数の刃が舞踏のように宙を踊る。

 “始まりの魔法使い”は黒衣を震わせ刃を弾き、雷速で動く最も厄介な敵を探し――空気を切り裂き、無数の刃の隙間を掻い潜って弾丸が撃ち込まれる。

 

 半魔のスナイパーが己が能力を全解放して放った魔弾は、それだけでは“始まりの魔法使い”を仕留めるには至らない。

 だが仲間の攻勢を的確に援護していた。

 

 3人の最強クラスとの攻防の合間に刹那に生じた僅かな好機。それを逃さぬ歴戦の魔女が、魔法使いの黒衣を一瞬で凍てつかせ、攻防一致の鎧を封じる。

 同時に脚が封じて隙を広げ、左からかつての人形が襲いかかった。

 使徒の中でも最も膂力に長けた地のアーウェルンクス。

 交錯は一瞬。人形は自らの半身を失うのを代償に人形師の左腕をもぎ取った。

 落ちる人形の行方は追わず、魔法使いは残る右腕を奔る紫電に合わせた。

 雷速瞬動で迫る英雄。

 その心臓を魔法使いは貫いた。

 心臓を貫かれれば、いくら不死者といえども……まして貫いたのは“始祖”の御手。例え物理攻撃を無効化する雷化であろうとも、“始まりの魔法使い”の力の前には及ばない。

 

 ネギ・スプリングフィールドの不死の力が侵され、血が吹き上がる。

 

 そして――――目を見開いた。

 

 ネギの心臓を貫いた自らの腕の下。ネギの腹部から伸びた氷の槍が、二人を繋ぐかのように“始まりの魔法使い”の腹部を貫いていた。

 

 背後から味方の一撃を受けたネギは、しかし“始まりの魔法使い”の腕と動きを完全に封じたことで微笑んだ。

 

 最後の一手。

 

「!!!!」

 

 “始まりの魔法使い”の背後から、神をも焼き殺す白き焔を纏った刃が、その体を貫いた。

 主の意に逆らいし式神の命を賭けた一刀は、永劫の時を越えて振るわれた。

 その力は、不死者である始まりの魔法使いだけでなく、使い手である白狼天狗すらも灼いている。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 “アンタは不死者ってもんを何も分かってないねぇ”

 

 “…………”

 

 “いいかい。不死者ってのは強く! 美しくあるもんなのさ! そこいくとなんだいアンタは? 人間のやることなすことをいちいち気にかけて右往左往。みっともないったらありゃしない!”

 

 “貴族の貴女たちに理解してもらおうとは思わないさ”

 

 “ふん。あんな生きた屍連中と一緒にして欲しくはないねぇ。むしろアンタの方こそ、危ういってことに気づいてんのかい?”

 

 “…………”

 

 “分かっちゃないねえ。断言してあげるよ。アンタはいずれ孤独に耐えきれなくなる。不死者の強さと美しさを持てずに苛まれて、アンタの大好きな人の世に災厄を撒き散らす。人間に無駄な希望を抱いて、幻滅して、勝手に絶望して、やがては全てを終わらせたくなる”

 

 “……もしも……いや。貴女がそう言うのならきっとそんな未来が来てしまうのだろう。けれども私は人の可能性を信じたい。永遠などどこにもないのだから。例えそれが真祖であろうと、貴族であろうと、永劫不変などありはしない。死すべき定めの人の子こそが、時を紡ぎ、世界を変え続けるのだと、信じている”

 

 “アンタの言うその変化が、いいことだって保証はどこにあるんだい? 勝手に希望を抱いても、その分アンタは絶望をすることになるのさ。絶対的な善なんてのは、アンタの言うどこにもない永遠なんての以上にありえやしないもんなんだからね”

 

 “善かれと思ってやったことでも、不滅者のアンタからすれば、どこかで歪みを作って不満になるもんさね。それは積み重なって絶望を導く”

 

 “…………貴女の言う事だ。おそらくそうなのだろうね”

 

 “なんだいアンタも分かってんじゃないかい”

 

 “それでも! 私は人を信じたい”

 

 “………はぁ。言うだけはいったよ。あとは好きにおし”

 

 “ああ。そうさせてもらうよ、狭間の魔女”

 

 “はぁ…………ああ。そうさね、二千年くらいして、もしもアンタが子猫でも飼いたくなった時は……少しだけ預かってやるくらいは私とアンタの誼にしてやるよ”

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 地に倒れる二人の魔法使いを、ただ一人立つエヴァンジェリンは見下ろしていた。

 

「これで、終わりだ。ライフメーカー。不死の焔がお前の不死を貫いた……永遠の終わり。神話の終焉だ」

 

 一人は彼女の“父祖”。

 死すべき定めにあった彼女の命を永らえさせ、人の道を踏み外させた憎悪の対象。

 

 一人は彼女の弟子。

 自らの力を受け継ぎ、結果として人の道を外れてしまった光の子。

 

「そのよう、だな……我が、愛しき娘よ」

 

 一度は己が手で惨殺し、そして己が身の内に宿すことになった魂。まるで感情を凍てつかせたかのように彼女はそれを見下ろした。

 主を倒したとはいえ、この場に召喚された魔物や迷宮に巣食う精霊たちの相手をしている茶々丸たちはまだ合流できていないため、残りの時間がどれくらいかは分からない。ただ、未だに世界が終わっていないところからすると、おそらく間に合いはしたのだろう。

 それともこれは、すでに世界が終わっていて、自分にとっての都合のよい夢、自分を吸血鬼にした憎き“始まりの魔法使い”をついに倒したという夢を見ているのだろうか。

 いや……そんなことはない。これが自分の願いだなんてあるはずがない。だって―――――

 

「これでようやく、世界は動く。絶望を越えて、新しい時代への希望と、混沌とが開かれたわけだ」

「キサマ……」

 

 にぃ、と笑みを浮かべる彼に、エヴァは眦を険しくした。

 

 たしかにネギの、彼らの計画は世界を次のステージに進めうるものだった。魔法という秘された技術を公然のものとし、常人にはなしえない奇跡と、奇跡が起こせないからこそ足掻き続けて研鑽された科学の技術、二つを融合することによって滅びゆく世界を救い、人の世界を広げるもの。

 だがそれを進めるための壁は厚く、足踏みを余儀なくされていた。魔法を持っていないからこそ持つ者への怖れ。持っていたからこそ、恐れられた過去。持つ者という選民的な意識。

 魔法や不可思議に対する強制認識。それは世界を混乱させる危険な試みではあったが、ネギたちが、世界が踏み出すことのできなかった一歩を無理やりに踏み出させたのだった。

 “彼”の計画では、魔法の世界のものとした全てを等しく夢に取り込むものだったのだろう。

 だが、それは失敗しても構わなかったのだ。

 “彼”の願いは、彼が破れたとしても、叶ったのだ。

 魔法の垣根は取り払われ、崩壊するための世界を救うための道筋はこれで整えられたのだから。

 

「神様気取りで、全部を掌の上で転がしたつもりか?」

「くっくっく。為すべきことは終わった……すべて、終わったのだ」

 

 ハジマリに抱いた願いは当に色褪せ、悠久の中で消えてしまったが、たしかに終わったことを、彼は受け入れていた。

 浮かぶ笑みは、満足気にも、皮肉気にも見えるもので、エヴァは苦味を噛んだように顔を顰めた。

 エヴァにとって、彼のそのすべてを受け入れたような顔が気に入らなかった。

 たしかに彼にとって、この結末は自分自身のエゴを通せなかったことを除けば、望んだ結末なのだろう。

 だが、彼女が望んだのはこんな結末ではない。彼女が望んだのは…………

 

「マス、ター……」

「ぼーや!」

 

 途切れがちなネギの声に、エヴァはハッとなって振り向いた。

 常ならば“マギアエレベア”の影響で傷を高速修復するはずのネギだが、“始まりの魔法使い”の魔力の影響ゆえにか、貫かれた胸の傷の修復が未だにできていなかった。

 修復の呪詛が阻害されている以上、ネギの傷は重傷、にもかかわらずネギはなにか伝えたいことがあるのか、苦心して身を起こそうとし、エヴァはネギのもとに寄って上体を起こすのを手伝った。

 

 エヴァに抱き起される形で身を起こしたネギは、倒れ伏し、間もなく消滅するであろう“始まりの魔法使い”へと向き直った。

 

「ライフ、メーカーさん」

「……お前の勝ちだ。英雄」

 

 憐憫を含んだかのような眼差しを向けてくるネギに、“始まりの魔法使い”はにやりとした笑みをそのまま向けた。

 

「もう一度聞かせてください。リオンとして、1人の人間として、生きたことは、なんの影響もなかったんですか?」

 

 戦いの前にも行われたネギの問いに、浮かべていた笑みを消し去った。

 

「俺は…………いや。戦いの前にも言ったはずだ。その問いに何の意味がある。もう、終わったことだ」

 

 リオン・スプリングフィールドとしての生。エヴァの息子として、母のことを思い続け、そして特別な誰かを愛しいと思う心を取り戻させてくれた生き方。

 

 意味は十分にあった。

 あのままで、あの少女と終わりの時までいたかった。

 けれどももはやそれはなんの意味もない感慨。

 他者の望みではなく、自分の望みを叶える生き方は、もうないのだ。

 

 終わりを受け入れる始まりの魔法使いに、ネギはふっと、優しい眼差しを向けた。

 その笑みは、まるで――――彼こそが終わりの覚悟を決めたかのようであった。 

 

「貴方はこれまで、神様としてこの世界を見守り続けてきたのでしょう? なら今度は、僕たちが、貴方が変えたこの世界を見届けるべきだ。終わりのない神様としてなんかではなく、限りある命の、一人の人間として」

「なん……だと……?」

 

 告げられた言葉の意味をすぐに飲み込めず、そして為さんとしているその意図を察して“始まりの魔法使い”はネギを睨み付けた。

 

「もう今の僕では、自分の損壊と、貴方の消滅を、止めることはできません。けれど僕の中には、貴方と同じ血と、闇の魔法がある」

「貴様……」

 

 ネギと“始まりの魔法使い”の不死の根源である“闇の魔法”。

 だがそのどちらも、すでにか細く、消え逝こうとしていた。片や“神殺しの焔”に貫かれ、片や“始まりの魔法使い”の力に貫かれている。

 

「リオン君を返してもらいます。僕の残りの全てと引き換えに」

 

 だが、ネギの残り全てを引き換えにすれば、――“マギステルマギ”の力とともに全てを代償にすれば――――。

 それは“神”への奇跡を願うようなもの。

 

 だがそれは“彼”にとって救いではない――――救われていいはずが…………

 

「無駄なことだ。ヤツはもう――――」

「貴方の中には、まだ、リオン君が、残っているのでしょう?」

「……なぜ、そう思う?」

 

 拒絶するための理由を、ネギは否定した。

 

「咲耶ちゃんの、彼女のパクティオーが、まだ生きているから」

「やはり、消しておくべきだったな」

 

 リオンという存在はたしかに消えた。けれども確かにまだ残っているものもある。

 

 かつてナギ・スプリングフィールドという男が、奇跡によって取り戻されたように、微かに残ってはいる。

 それが如何なる意志によるものなのか、“彼”自身も分ってはいない。

 

「なぜ、そこまでする?」

 

 残っていたとしても、存在する意義などもうないのに。

 他でもない、敵であるネギが、“彼”を残す必要などないはずなのに。

 

 それでもネギが、“リオン”を求める理由は――――

 

「僕が、リオン君の親だからです」

「!?」

 

 ネギの言葉に、“始まりの魔法使い”は目を見開いた。

 

「彼を生み出したのは、理由があったからですけれど、それでもリオン君は、僕が望んで、エヴァンジェリンさんがこの世界に産んでくれた、子どもだから…………だから、彼の幸せを、願いたいんです」

「…………」「ぼーや…………」

 

 親として――そんなもの、もう理解できない思いのはずなのに。

 ネギと“彼”との間の繋がりなど、無いに等しいものの筈なのに。

 

「ごめんなさい、マスター。勝手にこんなこと決めちゃって。それでも僕、マスターと同じ体になって、それでマスターに彼を産んでもらったのが、すごく、嬉しかったです」

 

 

 奇跡を起こすのが神とは限らない。

 

 

「……バカが」

「後は、頼みます。エヴァンジェリンさん」

 

 

 いつだって人こそが奇跡を望み、それを為さんと人は足掻き続けるのだから。

 三つの“闇の魔法”により紡がれた奇跡。それは今度こそ人の世で生き続け、そして死を迎えるだろう。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 ある日、全世界の人たちが同じ夢を見た。

 

 空に迫る火星。この世界の終焉を告げるかのような赤い星が来襲する夢を見た。

 勿論惑星である火星が地球に落ちるなんてことあるはずがなく、世界は今も続いている。

 ただあの夢の日から、世界は“なぜか”大きく変わっていった。

 人々は魔法や超能力、気といった超常的な存在を認識し、それを不思議なものと思わずに受け入れるようになった。

 科学の発達した現代において、近代文明で否定されてきた魔法が混ざり合う。それにより技術レベルは格段に向上した。

 

 

 仮想ディスプレイが宙に浮かび上がりTV映像を流す、などということは今や先進国の一般家庭や、どうということのないカフェですら普通に見られる光景だ。

 イギリスはロンドン、町の一角にあるカフェにおいて、長年の友人と会っている二人の男性たちも、そんなこの10年足らずですっかり見慣れた光景を当然のものと受け入れていた。

 

 ディスプレイでは箒に乗った魔法選手たちが高速で宙を駆け巡り、ボールを回し、ブロックし――――クィディッチの世界大会の様子が放送されていた。

 

<――――スニッチか!? スニッチを見つけたのかハリー!!? いや、クラムもだっ! 地面が迫る、危ない! いや、どちらも回避した!? スニッチは! ハリーだ!! ハリー・ポッターがスニッチをとった!!!!>

 

 昨日行われたクィディッチワールドカップ、イングランド対ブルガリアの様子だ。二人の男性が話しているのは録画放送の内容ではなく、もっと日常的な、彼らの近況について。

 

「――――それがどうもサクヤからの手紙だったらしくてな。もうじき出産だってよ」

「ああ! それでか」

「うん?」

「アメリカに負けて落ち込んでたリーシャのテンションが随分と上がって、ルークの奥さんのところに飛んで行ったからね」

 

 魔法省法執行部にて日々魔法がらみの犯罪事件を追っている男性、セドリックは、久々の休日にホグワーツ在校時代からの友人、ルークとの会話を楽しんでいた。

 話の内容はお互いの家庭の――二人の友人でもあった奥さんたちの最近の様子や、遠く離れてしまった友人からきた手紙についてなど、懐かしさに心温まるものだ。

 

「はぁ~、それで珍しく休日にアイツとデートじゃなかったのか、セド」

「まあ、それもある、かな?」

「そろそろいい頃合いだろうし。いい加減リーシャも踏ん切り付ければいいのにな。プロポーズはもうしたんだろ?」

 

 すでに既婚者である友人からの言葉に、プロポーズを保留にされているセドリックは苦笑した。

 

「ワールドカップのこともあったからね」

「ベスト8だろ? リーシャだってなかなかの結果出してたし、サクヤの報告はいいきっかけになるんじゃねえの」

 

 かつての想い人にして、今は親友の婚約者、そしてクィディッチのイングランド女子代表。今自宅に来て、奥さんと盛り上がっているだろう友人の煮え切らなさも、そろそろだろうと、ルークは笑い飛ばした。

 

 遠く離れた異国の地に居る友人が、母になるという知らせは、きっと彼女にもいい刺激になるだろう。

 だいたい、彼女と親友はとっくにお似合いになっていたのだから、もっと早くにそうなっていてもよかっただろうに。

 青年となって、一層ハンサム度の増した友人の気の長さには呆れる程だ。

 

 ルークは置いていたカップに手を伸ばし、セドリックも同じく手を伸ばそうとして――――胸元に入れていた端末が着信を知らせるのに気づいて取り出した。

 端末を確認したセドリックの顔が休日を過ごす穏やかなものから一転、魔法警察としての引き締められたものとなっていた。

 

「仕事か?」

「うん。魔族絡みの強盗事件みたいだ」

 

 魔法や気、超常的な力が一般的に受け入れられるようになり、たしかに科学レベル――魔法科学技術は以前よりも格段に向上し、人々の生活水準は平均で見ても大きく向上した。

 魔法炉の開発によって環境破壊のないクリーンエネルギーは、安定的に人々に供給されるようになったし、魔法技術を用いた環境整備事業は衛生面を整え、疫病の発生を大きく減らした。

 それまでの非魔法使いの中からも、知ること、学ぶことによって精霊魔法を扱える者が出始めていたし、非魔法使いに魔法を疑似修得させる魔法道具が現れ始めたことによって、魔法族と非魔法族の境界は薄れていった。

 しかし一方で、魔法犯罪が増えた。

 魔法を使えなかった者たちがその力を手にしたことによる倫理観の崩れというのが“伝統的な魔法使い”に属するコメンテーターたちの意見であった。

 だがそれは今まで表沙汰にならなかった、非魔法使いにとっての違法行為が明らかとなっただけだという意見もある。

 

「気をつけろよ、セド」

「うん。それじゃあ、フィーにもよろしく、ルーク」

 

 魔法使いは席を立った。

 マグルという言葉が意味をなさなくなった世界で、日々のささやかな営みを守っていくために…………

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

セドリック・ディゴリー

ホグワーツ魔法魔術学校を首席で卒業後、魔法省魔法法執行部へと入局。魔法警察として増加する魔法犯罪の取り締まりや魔法を使えない民間人の守護者として活躍していく。

 

ルーク・アグリアーノ

ホグワーツ魔法魔術学校を卒業後、グリンゴッツで働き始める。旧魔法族の通貨と一般的な通貨の交換が盛んとなり、魔法使い以外の顧客も出始めたことでゴブリンとの折衝が大変になってきているらしい。在学時からの彼女と結婚。

 

リーシャ・グレイス

卒業後、プロクィディッチ選手として活躍。とある魔法省局員と交際が囁かれ、結婚まで秒読みが噂されるが、当人はなかなか踏ん切りがつかない模様。

 

クラリス・オーウェン

ホグワーツ魔法魔術学校を卒業後、魔法世界アリアドネーへと留学。魔法騎士団の教育と訓練を受けた後、イギリスへと戻り魔法省国際魔法協力部に入局。外交官として国内外のみならず、旧世界と新世界の交流に尽力。

 

フィリス・レメイン

卒業後、魔法省国際魔法協力部に入局。事務官として友人の手助けをしたり、結婚の踏ん切りのつかない友人の愚痴を聞いたりとした日常を送る。在学中より交際していた彼氏と結婚。

 

ハリー・ポッター

O.W.L試験では魔法薬学の必修要件を満たすことができず、“闇祓い”になることはできなかった。卒業後、プロクィディッチ選手になり、シーカーとして活躍。イングランド代表として世界の強敵と戦う。奥さんは同じくプロのクィディッチ選手らしい。

 

ハーマイオニー・グレンジャー

ホグワーツ魔法魔術学校を主席で卒業。

 

ジョージ・ウィーズリー、フレッド・ウィーズリー

在学中より発明品がアルフレヒト・ゲーデル博士の目に留まり、メガロの魔法技術開発部に勧誘される。母親を激怒させる成績で学校を卒業後、父の後押しもあり母を説得。魔法世界へと行き、魔法道具の開発を行う。彼らのアイデアを基盤に、一般人にも魔法を擬似的に修得させる魔法具が開発され、それらは後に“魔法アプリ”として発展していく。

 

アルバス・ダンブルドア

ホグワーツ魔法魔術学校の校長としてその任を全うする。特にお気に入りであった少年が卒業した数年後、全ての役目を終えたかのように学び舎で眠りにつく。彼の名はイギリスを中心とした伝統的魔法族における認知度とは裏腹に、彼らがマグルと呼んだかつての人々にはまったく知られることはなかった。魔法族と非魔法族の融和政策に関して最後まで中立、傍観の立場を貫いたその態度は時代の流れから取り残されているかのようでもあった。

 

 

ネギ・スプリングフィールド

ISSDAの創始者にしてブルーマーズ計画の提唱者。彼のなした功績はあまりにも大きく、“立派な魔法使い(マギステルマギ)”として彼の名は比肩する者のない名となる。現在行方不明。死亡説も囁かれるが、熱烈な信奉者たちは彼の生存を信じてやまない。

 

フェイト・アーウェルンクス

ネギ・スプリングフィールドの盟友にして最強の魔法使い。魔法や宇宙開発を担う国際的な大企業アマテル・インダストリアル社設立に協力。後に彼の行いは世界の富を再分配したと言われる。

 

エヴァンジェリン・AK・マクダウェル

行方不明

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 その日、屋敷は常ならざる緊迫感に包まれていた。

 巫女装束に身を包んだ術士や医術の心得のある女性が慌ただしく廊下を動き、閉じられた室内の外で男が静かにたたずんでいた。

 数時間、男はじっと待ち続けた。

 宵闇のころから続けられたそれは、明け方、一つの泣き声とともに終わりを迎えた。

 

「!」

 

 男はその声を聞いた瞬間、はっと顔を上げた。

 男の立ち入りを拒むように閉じられていた部屋の戸へと駆け寄り、開こうと手を伸ばしかけて宙で止めた。

 

 ――この扉を開ける資格が自分にはあるのか……――

 

 逡巡が男の動きを押し留めた。

 これまで彼が歩んできた道が、奪ってきたものの重みが、そして、終わりを約束された運命が、男を戸惑わせ――――扉は中から開かれた。

 

 室内には、男の愛する女性が身を横たえており、その隣に立つ女性が産着に包まれた赤子を抱いていた。

 男が開けることを逡巡した扉を開いたのは、愛する女性と面影の似た、彼女の母。

 義母に導かれて、男は愛する彼女と、そして生まれたばかりの自らの子の前に立った。

 赤子を抱くのは黒髪の――かつての最強の剣士。

 

 男は出産を終えたばかりの女性――咲耶の顔を見て、そこに浮かぶ慈母の微笑を見て、泣きそうな笑みを返した。

 そして咲耶に促されて、剣士から赤子を渡され、慣れない様子で恐る恐るその腕に抱いた。

 

 彼の愛する女性と同じく、そして彼と同じく、やがて命尽きる定命の存在。

 けれどもその命こそが、今を、そして未来を紡いでいくのだ。

 

「リオン。名前、決まったん?」

 

 弱々しくけれども確かな微笑を浮かべて咲耶は、赤子の父となった男――リオンに尋ねた。

 リオンは、腕に抱いた赤子が懸命に手を伸ばして自分に触れようとするのを見た。

 

 永遠を約束されない今だからこそ強く思う願い。

 おそらく長くは生きられない母と、終わりを覚悟している自分の分まで長く生きて欲しいという願い。

 遠く未来にあるだろう希望を見晴るかせてほしいという願い。

 

「ああ…………“はるか”。近衛、はるかだ」 

 

 




前書きにも書きましたが、本話をもちまして2年を超える“春のおとずれ”の本編はエンディングを迎えました。
主人公・近衛咲耶としての物語の終着はやはりこの形だろうなーと連載開始時から考えていたのでまずまず構想通りになりました。
ハリー・ポッターの世界を中心的な舞台に、魔法先生ネギま!のその後の物語を描くというコンセプトですから、開始直後にUQ holder!の連載が始まってしまい、そちらの展開も多少混じるようになりました。
物語の終わりはネギま!の終わり方にならってみましたが、どうでしたでしょうか? 構想通りでしたが、ハリーやその周辺の人物をあまり関与できなかったのはやはりちょっと残念です。
近衛咲耶としての物語は今回で終わりですが、実はまだ完結ではありません。
最終話に登場しなかった人物――ディズ・クロスの物語はまだ終わっていません。そしてリオンの物語も。
次回完結、といきたいところですが、まだ完成していません。そこで次回から少し活動報告の方にて“春のおとずれ”の設定など(ネタバレ含む)を公開していきたいと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悠久への道

*注意
基本的に私は物語の最後はハッピーエンドが好みです。今回の話には死にネタが含まれているため、(特に咲耶にとって)完全なハッピーエンドで終わってほしいという方は、前話を最終話とした方がいいかもしれません。私的には今回の話はハッピーエンドとまではいかなくてもトゥルーエンドというつもりなのですが、バッドエンドの側面も含まれております。





 

 時の流れとは無慈悲な牢獄のようなものだ。

 

 700年という時は、悠久の身たる不死者からしても恐ろしく長く、まして定命の人間からすれば気の遠くなるほどに永い。永遠とも思えるほどに長く、残酷だ。

 

 長い時の中には楽しい時もある。

 多くの友に囲まれ、“ニンゲン”のように騒ぎ、楽しみ、ささやかな幸せを糧に日々を生きる。

 けれどそれも一瞬のこと。別れは訪れる。

 いや、それよりも前に、どれほど好きだったものにも飽きてしまう。情熱を傾けられなくなる。何もかもが時間という川の流れによって押し流され、忘却の彼方に消えていってしまう。

 

 友であった者も、慕ってくれていた者も、愛していた者も…………息子でさえも。

 

 

 

 第102話 悠久への道

 

 

 

 暗く、深い森の中。3つの影が闇を縫って疾走していた。

 先行する二つの内の一人は女性。おそらく魔力での補助を行なってはいるのであろうが、疲労の色は隠せない。それだけでなく体のあちこちに小さな傷を作っているのは、何者かの襲撃を受けたのだろう。だが、彼女は自身の疲労や負傷よりも、残る二人の方にこそ心配そうな視線を何度も送っていた。

 先行する二つの内のもう一人は男性。その腕の中には子供の体。子供には意識がないのか瞳を閉じたまま、身じろぎ一つない。抱きながら疾走している男性自身も、女性と同じく負傷しており、その度合いは女性よりも大きい。

 そして残る一つは、二人よりも少し遅れて、いや、殿として警戒しながら疾走していた。

 

「…………! ちっ!!」

「リオンさん!?」 

 

 殿の男は自身の探知網に無数の反応がかかったことを察知して舌を打ち、先行する二人は反応して振り向いた。

 

「包囲網が狭まっているな。予定地方面はいの一番に抑えられている」

「そんなっ!」

「くっ……どうしますか?」

 

 逃亡劇の終着が近い。それも彼等にとって最悪な終着。

 

 殿を務めているリオンは、探知網の中に、知っている気配を探知して、4人での脱出の可能性が無くなっていることを認めざるを得なかった。

 追撃してきている奴らの組織力。それだけでも厄介だったのに、加えてこちらの手の内を知っている“男”がどうやら始末をつけに来たらしい。

 かつて不死に“近かった”時の自身が鍛えた、“不死狩り”の弟子。

 組織の狙いはこちらが奪取した子供――奴等が造りだした、怪物。だからこそ、“不死狩り”として名をはせているヤツが出張って来たのか。それとも…………

 

「……俺が囮になって引き付ける。はるか、ジンテツ。お前たちは南側のルートを抜けて西に向かえ」

「なっ、それは!」「お父様っ!?」

 

 リオンは先行する二人――娘であるはるかと、その夫であるジンテツへと指示を出した。自分を餌にして逃げろと。

 疾駆を止めて振り向いたリオン。はるかとジンテツも慌てて足を止めて振り返った。

 

「なにをしている。早く行け」

 

 リオンに囮を任せることに躊躇し戸惑う二人に、リオンは声を強くして命じた。

 彼女たちには分かっているのだろう。“今の”リオンをここに残しては間違いなく生きられないということを。

 

「できませんっ! お父様を置いてなんて! もともとこれは私たちが勝手にっ!」

「元はと言えば種を撒いたのは俺だ。そもそもお前たちが関わる必要のなかったことだ」

「お父様……」

 

 現状を直接的に招いたのははるかとジンテツであり、リオンはそんな二人の無謀を助けるために駆けつけたのだ。

 だが元を辿れば、二人がそんな無謀を行うことになった理由はかつてのリオンの失態が原因。

 

 かつて彼自身が、とあるマッドサイエンティストに提供した彼自身の生体サンプル。それが今回の事態を引き起こしたようなものだ。

 “始まりの魔法使い”から連なる始祖の血脈と英雄の血脈。二つを内包したそれはさぞや研究対象として興味深く、弄りがいのあるものであっただろう。ありすぎて研究機関が膨張かつ暴走してしまうほどに。

 自分とは正反対の、この心優しい娘夫婦は、ろくでなしの父親の過去の失態を償うために、こんな危機に陥ってしまったというわけだ。

 間抜けにも、リオンが気づいて駆けつけた時にはすでに二人は逃走困難な状況にまで追い詰められており、リオンの力でかろうじてここまで辿りつけたということだ。

 

「しかしリオンさん。“今の”アナタの力では単独で包囲網を切り抜けることは……」

 

 だがジンテツの言う通り、もはやリオンにかつての最強クラスの力はない。

 “闇の魔法”という土台の力はなく、魔力はかつての半分にも届かない。そんな力では、それこそ二人を逃がすための囮にしかならないだろう。その後に彼が脱出することは不可能。おそらくそれすら命を賭けることになる。

 自分たちが勝手にしでかしたことで窮地に追いつめられ、駆け付けてくれた義父を犠牲にして逃げる。そんなことジンテツにも、はるかにもできるはずがなかった。

 

 だがリオンは自嘲するように笑みを浮かべ、はるかの頭にぽんと手を置いた。

 

「アイツが逝って、それでもまだ俺が生きているのはこの時のためだ、はるか」

 

 本来であれば、とうの昔に死んだはずの自分などよりも、“彼女”の方がずっと長く生きなければいけなかったはずなのだ。優しい心を持ち、人を救いたいと願い、そのための力と技(治癒の魔法)を手に入れようと頑張り続けた彼女。

 存在しなかったはずの自分などのために、彼女が寿命を縮めていいはずなどなかった。

 それを自分のエゴのために命を削らさせ、それでさえ結局目的を果たすことができなかった。その目的も、親を殺すという人でなしの考えだったのだ。真っ当な死に方なんて望めるはずもない。それが子を守って、子のために死ねるというのなら……彼にとってその死に方は十分すぎるほどにまともな死に方だ。

 ――――例え、かつての弟子に殺されるのだとしても

 

「西に抜けたら、お前たちは俺の母を……あの人を頼れ」

「ですがそれはっ!」

 

 逃亡地点が使えない以上、彼らだけで子供を守るのはもはや不可能。かつての仲間も、“白き翼”も、この状況下では頼ることはできないだろう。

 だがあの人なら。リオンと同じく、往時の力を失いこそすれ、それでも最強の魔法使いである不死人のあの人ならば。きっと彼女たちを、子供を守ってくれるはずだ。

 

「大丈夫だ。あの人なら…………行け、ジンテツ。はるか」

 

 笑みが向けられる。親から子への最期の笑み。

 父を呼ぶ娘の声を背に、魔法使いは駆けた。子らを守るために、己の最期を得るために。

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

「隊長! 例の魔法使いが包囲を突き破ろうとしています!!」

 

 部下からの伝令と共に、森の一角に巨大な氷山が出現した。おそらくその氷の魔法によって指揮下にある精鋭たちが幾人もやられただろう。

 

「…………あの人か」

 

 “今の”ヤツの力でよくやるといったところだ。

 突破されようとしているのは、あらかじめ包囲を厚くしていた方角。彼女たちが本来逃走しようとしていた方向だ。それを察知しているだろうに、あえてこれほど派手に突破しようとしている――――おそらくデコイであろう。

 娘たちを逃すために、あの“福音の御子”が死ぬつもりなのか。いや、もはや彼は真祖の力を継ぐ存在ではない。

 だが…………

 

「魔力切れまで追い込む。まずは魔法化装備で攻撃。――――今日が“福音の御子”の最期だ」

 

 本来の狙いは、裏火星のとある研究所から奪取された、“研究の失敗作”の破壊、および犯人の抹殺であったのだが、ヤツを始末できるというのならば、それは“不死者狩り”としての彼らの本来の目的に適う事だ。

 

 命を賭けるというのなら受けて立とう。

 不死者狩りとして、真祖の息子の命を絶つ。

 かつての弟子として、師匠がかつて託した願いをここで果たす。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 魔法使いは二本の氷刀を左右に、縮地を使ってヒット&アウェイによって次々に接近戦を繰り返していた。

 

 

 最初の氷結魔法で初手はとった。

 目をひく巨大な氷山はさぞや追手の注意を集めたことだろう。わらわらと狩人が殺到し、魔法化された軍事兵装で連携攻撃を仕掛けてくる。

 放たれる魔弾は今のリオンでも十分に防ぐことのできるものではあるが、統率のとれた敵の数は甚大。

 初手で放ったような大規模魔法は、魔力の温存を考えればもう使えはしない。

 体術と魔力の運用こそ健在だが、もはやリオンはかつての“福音の御子”ではないのだ。

 かつての彼ならば同じ魔法でも氷刀輪舞――宙に無数の刃を躍らせて周囲の敵を一掃できていただろう。

 放たれた魔弾を五撃、六撃と切り払うが、かつてとは比べるべくもなく脆弱な氷刀は途中で砕け、リオンは瞬動を使って回避。

 なおも迫る魔弾を、防御魔法に回す魔力すらも惜しんで避けるが、躱し切れるものではない。肩に、脇腹に、ギリギリを魔弾が掠め、血筋を刻む。

 逃げることだけを、自分が生き残ることだけを考えれば、手はないこともなかった。けれども今の彼は囮だ。娘を、子供たちを逃がすための囮。

 囮としてなるべく長く注意を引きつけるために魔力を節約しようとするリオンに対し、距離をとりながらも逃さないように包囲を敷く狩人たちは、リオンに魔力と体力を消耗させるような戦術をとっている。

 持久戦は今のリオンの状態を知っていれば、当然の戦術だろう。

 リオンの瞬動術に対しては、魔法科学技術によってブーストされた高機動兵装によって、狩人たちの脚は短距離ながら縮地クラスの瞬動術のような機動力を発揮し対抗している。

 

 

 

 ――――――子供が欲しいと、そう言ったのは、彼女と自分と、どちらが先だっただろうか。

 どちらにしても、おそらく彼女には分かっていたのだろう。リオンが子を望んでいることを。

 母が、そしてネギ()がしてくれたように、命を次に繋げ、託すこと。そんな“人”としての究極の営みを、彼もまた行いたいと願っていたのを彼女は分かっていた。

 そして…………彼女自身の命が、そう長くはないだろうことも。

 人の身に余る神代の力。あの時の解放が結局彼女の寿命を大きく縮めた。

 そのことを誰が責めたわけでもない。

 だが、たしかにそうなのだ。

 リオンの身勝手さが、そしてそんなバカの力になろうとした彼女の優しさが、彼女の寿命を縮めたのだ――――――

 

 

 

 リオンは手元に魔力を集中し、凍気を顕現させて白薔薇の荊を造形した。荊は距離をおいて囲む狩人たちに猟犬のように向かい、敵を貫いた。

 氷刀より魔力の消耗が激しいが、それでも今のまま削り続けられるよりは結果的に消耗が抑えられるはず。

 乱舞する氷の荊に貫かれた狩人たちは、氷の侵食を受けてその体を凍てつかせていく。魔力と魔法が弱体化しているとはいえ、それでもその力は凡百の魔に収まるものではない。そのことにヤツラも気が付いたのか、氷荊の侵略に恐怖を抱いたのか、たじろぎを見せる。

 

 だがまだ終わりではない。

 消耗具合を図っていたのだろう。リオンが消耗してきていると見たのか、あの程度では怯まぬ遣い手が姿を見せていた。

 

「堕ちたとはいえ流石は“福音の御子”といったところか」

「むふぅん。元よりその名の悪名が堕ちることなどあるまいが、これ以上の無様を晒す前に引導を渡すも拙僧らの役目」

 

 阿修羅の腕を持つ亜人。袈裟に身を包んだ僧侶。巨腕の魔族。魔法使い…………白き翼(・・・)持つ世界の救世主たち。

 

 

 

 ――――――ネギがリオンに望んだのは、この世界の行く末を人として見守ることだった。人として見続けた世界は、ある意味では変わり、そして本質的なところでは変わらなかった。

 魔法技術の普及と革新、そして地球規模での環境の変化により、世界の富が再分配された。

 魔法の力を持つ者。金持ちたちは魔法技術を買い、魔法の力を手に入れた、そういった“持つ”者たちは、それらを手にできなかった者たちへ差別、区別を行い、格差が広がった。それは伝統魔法族がかつてのマグルを侮蔑していたものとよく似た光景で、それが拡大したかのようであった。

 結局、ネギや木乃香、明日菜、あやからがどれだけ頑張ろうと、人の性は変わらないということなのだろう。

 醜悪で矮小な、短き定命の人という存在。

 けれどもそれがすべてではない。そんな一面はたしかに世界のあちこちで広がりを見せはしたけれど、限られているからこそ懸命に生き、人を愛し、慈しむ行いもまた、リオンが見てきた人という存在の生き方だった。――――――

 

 

 

 肩口に灼熱のような痛みが奔り、鮮血が吹き上がる。

 影を伝いリオンの死角を衝いた忍びの振るった刃が、リオンの左腕を肩口から切り飛ばしていた。

 

「ッッッ!!!!」

 

 切り飛ばされた腕の代償として、氷結の魔法を撃ち込み、敵を白銀の氷像へと変えた。

 リオンはすぐさま切断面を氷結させてこれ以上の出血を防ぐが、片腕を喪ったことに加えて大量の出血。体がぐらつき、隙が生じる。

 その隙を好機と見たのか、敵は一斉に攻勢を強めてくる。

 魔力を温存するためにではなく、再生は“できない”。そんな力ももうリオンにはないのだから。

 

「――――ッッ!!!」

 

 ――ヴォン、と上空が光り輝き、反射的に敵は空を見上げた。

 空に巨大な魔方陣が描かれ、無数の氷槍が造形された。咆哮とともにその槍が迅雨となって降りかかる。

 槍の雨の中を敵は回避し、あるいは防御しながら逃げるのではなくリオンへと迫った。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 戦場の跡は惨々たるものとなっていた。木々は折れ、地は抉れ、岩は凍りつき、砕けた氷像があちこちに転がっている。

 周囲に追跡者の姿がいないのは、包囲を打ち砕いたから――と考えるのは甘すぎだろう。おそらく子供の抹殺の方をメインに切り替えたのか。

 リオンは片腕を失くし、そして全身の至る所から血を流していた。その姿は満身創痍。体力も魔力もとうに底をついており、片目を切り裂かれ、夥しい血を流している。ズタボロの体を引き摺るようにして歩き、岩を背に預けて崩れるように座り込んだ。

 氷結させて止血させはしたが、そんなものがいつまでも保つはずがない。今のリオンはそんな存在なのだ。

 半分になった視野が、さらに紅く濡れて狭まっている。口元から吐息と共に血霧が溢れる。

 

 ――はるかは、ジンテツは、子供と共に無事にあの人の所に辿りつけたか――

 

 包囲網は脱出しただろう。だがあの人の感知網にかかるほどまで行くことができたかどうかは分からない。

 ただ、願うだけだ。

 

 ――自分よりも先に死ぬな――

 

 もう体は動きそうにない。

 霞みそうになる視界に、一つの影が落ちた。

 

「――――ここで、お前か。ディズ・クロス…………」

「お久しぶりです、マスター……いや。リオン・スプリングフィールド」

 

 リオンは途切れがちな言葉で、かつての弟子の名を呼んだ。

 世界救世軍“白き翼”、契約傭兵、ディズ・クロス。

 

 もはやリオンには顔を上げる力すらも残されておらず、ディズはそんな弱々しいかつての師を――敵を見下ろした。

 こんな再会を考えていなかったとは思わない。なぜならこの力はそのためのものだから

 

 彼がディズを鍛えたのは、彼のかつての目的――最強の不死者、吸血鬼の真祖、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルを殺すためだ。

 リオンが鍛えていた“不死殺しの焔”が真祖を殺し得なかったとき、わずかでも殺す可能性を残すための保険。そして同時に、事を為した後、もう一体の吸血鬼を――真祖の血をひくリオン自身を殺させるため。親を殺した外道を屠るための道具。

 だからこそ、この再会は“かつての”彼の望み通りであり――――そしてディズもそれを知っていた。

 だが

 

「なぜ、出てきたのですか。今のアナタには……不死狩りの俺にとってアナタには、殺す価値などなかったのに」

 

 不死者とは、人の世に騒乱を起こす害悪である。

 かつて世界を滅亡に追い込んだ“始まりの魔法使い”然り、ヨーロッパ魔法族に暗黒時代を築いたヴォルデモート然り、使徒へと転じたグリンデルバルド然り。

 吸血鬼の真祖も、その血を継いだ福音の御子も同じだ。

 だがその力を失った、ただの魔法使いである“リオン”は違う。

 そのまま歴史の流れに埋もれて消えていくのであれびなんの問題もなかった。 

 なのに…………

 

「やはり、死ぬつもりだったのですか? 彼女が……咲耶が死んだから」

 

 現れた以上、逃すわけにはいかない。

 それにあの“失敗作”は騒乱を引き起こす。

 リオン・マクダウェル・スプリングフィールドの血から造られた失敗作。英雄(スプリングフィールド)の血脈を受け継ぐだけでなく、魔王(マクダウェル)の――“始まりの魔法使い”の系譜にも連なる素体。

 あれを連れ出すことに手を貸した彼は、やはり不死者と同じく、人にとっての害悪でしかなかったのかもしれない。

 

 あるいは、壊れてしまったのか。

 以前の彼の望みはもはや叶うことはなく。残骸のような彼を支えた伴侶を失ったことで、世界に災厄をもたらすことを望むようになったのか。それとも、全てを終わらせたくなったのか。

 

「…………俺は、死に損ないだ。親の命と、力を喰らって、みっともなく死に損なった………人としての命を、もらった。だから……簡単に死ぬわけには、いかねえな」

 

 死ぬべき時に死ななかった――――生かされた。父に、そして母によって。

 だから簡単には死ねない。

 たとえ“アイツ”が先に逝ってしまっても、命をもって生きながらえさせられた命を、簡単に投げ出すわけにはいかなかった。

 

「ならばなぜここに来た!!? 来れば死ぬと分かっていたはずだっ!!!」

 

 だからこそ納得できるはずがなかった。

 リオン・マクダウェル・スプリングフィールドで“あった”彼だからこそ、あの実験個体を残しておくことの危険性を理解しているはずなのだ。

 それを持ち出せば必ずや抹殺部隊が追手としてどこまでも彼等を追うことを理解していたはずだ。

 

 彼だけが逃げるのならばともかく。囮として誰かを守り、逃がすことのできるほどの力はもう彼にはなく、死という結末を避けることはできないと分かっていたはず。

 

「だからだよ」

「なに?」

「みすみす子を死なせる親なんていない」

「――ッ。」

 

 分かっていて、簡単に命を投げ出すことなどできないと決めていて、けれどもリオンはこの結末に辿りついた。

 

「…………それで自分が死んでも?」

「天秤にかけるようなもんじゃ、ねえんだよ。ただ、子が死ぬところは見たくない。それだけだ」

 

 死という結末を選んだのではなく、我が子の死という結末を見たくないがゆえに。

 リオンの言葉に、ディズはギシリと歯を噛んだ。

 

「――――ッッ! …………ッ。ならば、ここで終わりです。リオンさん」

 

 どちらにしても、再生能力を失ったリオンの体はもう、命を繋ぐことはできないだろう。

 不死者である師に鍛えられた弟子、不死狩りとして、ディズは腕を掲げた。

 

 リオンは自身に最期をもたらす魔法の発動を察して、薄く笑った。

 

「――――っ」

 

 魔法が、放たれた。

 胸を穿ち、心臓を貫く白杭の穿孔魔法。血が噴き上がり、衝撃にリオンの体が力なく弾んだ。

 撃ち抜かれた心臓の、周囲の空間が歪み、潰されていく。

 吸血鬼の不死者であったとしても、心臓を潰されれば動きは止まる。まして再生の核となる起点を消滅させられれば、復活速度は極めて遅くなる。

 魔法は人としての死だけでなく、念には念をいれているのか、それともかつての師に鍛えた力を見せつけているのか、不死狩りとしての力まで込めたようだ。

 そんなことをしなくとも、もはや死にかけの彼に、吸血鬼ではなくなった彼に、心臓を再生させることなどできるはずもない。

 貫かれた心臓を核にするかのように、渦を巻く暗黒が激しさを増していく。その渦は徐々に大きくなり、リオンの体を呑み込んでいく。光も逃さぬ漆黒の世界へと。

 

 

 最も厄介で危険だった敵は消えた。

 肉塊一つ残さず――――これ以上その血を利用できないように消滅した。

 

 ディズ・クロスは瞑目するように目を伏せ、そして次に開いた時には、再び“不死狩り”として、なすべきことをなすために、西へと視線を巡らせた。

 

「マギアエレベアは野放しにしてはならないものだ」

 

 この世界に今存在するマギアエレベアの保有者は“2体”。

 一つは真祖の吸血鬼、ダークエヴァンジェルの中に。そしてもう一つは………………

 

「絶対に逃がしはしない」

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 終端のウタカタに見えるのは在りし日の彼女の姿。

 その顔は記憶にあるとおりに微笑みかけてくれていて――――

 

「――――――」

 

 ――――名前を呼ばれた気がした。

 

 今でも鮮明に思い出せる彼女の顔は、どれも笑顔だった。

 初めて会った時の笑顔。初めて遊んだ時の笑顔。再会した時の笑顔。子供ができた時の笑顔。

 最期の時も、恨み言を言ってよかったのに……お前のせいで死ぬのだと、怒ればよかったのに、それでも見せたのは笑顔だった。

 

 花の舞う中、笑いかけてくれている彼女は、彼が来るのを待っていたようで――――ただ、やはり来るのは少し早かったらしい。

 ぷんぷんと頬を膨らませ――――それでも嬉しそうに彼に飛びつき、彼の腕に自身の腕を絡めた。

 懐かしく、愛おしい重み。

 リオンは少し驚いた後、泣きそうな顔で微笑み、見上げてきた彼女と視線を合わせた。

 

 悠久など必要ない。

 ただ、この温もりと、重さだけが、欲しかった。

 

 いつかのように、リオンはふっと微笑み、咲耶の頭を撫でた。

 

 彼と彼女の物語の終着。

 これは永遠に続く物語ではない。

 過去から繋がれ、そして未来へと繋いでいく物語の、ほんのわずかな時の物語。

 

 

 

 

 

        fin

 

 

 

 




魔法先生ネギま! からUQ holder!へ。
完全に原作通りにつながる物語ではないため、時間軸など異なる部分がありますが、幾つもある並行世界の一つにあったかもしれない物語と結末として楽しんで頂ければ幸いです。

リオンと咲耶の結末については、否定的意見もあるかと思いますが、人である以上、必ず生としての終わりはあるものとして描きました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。