清滝一門の長男 (Rokubu0213)
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幼少期
清滝一門の日常


「兄弟子、もう一局お願いします。」

 

 

小学四年生の少年、九頭竜八一は悔しそうに俺に求める。

 

 

「待って八一、次は私がお兄ちゃんに指してもらうの。」

 

 

小学二年生の銀髪の少女、空銀子は少年を将棋盤の前から無理矢理追い出そうとする。

このままでは取っ組み合いの喧嘩になりそうだったから、仕方なく仲裁案を出す。

 

 

「わかった、わかった、2人とも同時に相手するからもう一個将棋盤出すよ。」

 

「「!?」」

 

 

俺は2人の表情が勝負師の顔に変わるのを横目に見ながら将棋盤をもう一つ取りに行った。

 

 

「絶対次は勝ってやる!」

 

「私も勝つもん」

 

 

いくら兄弟子といえどもニ面指しで負けるわけにはいかないと弟弟子と妹弟子は気合が入っている。

駒を並べる手にも力がこもっている。

あんまり強く叩きすぎると壊れちゃうからほどほどにしてね......

 

 

✳︎

 

 

結局ニ面指しは俺の二勝で幕を閉じた。

 

 

「まだまだ、修行が必要だな。」

 

 

俺は得意げに弟と妹にドヤ顔をする。

これで兄弟子の威厳はしっかりと保たれた。

ここまではよかったのだがここで想定外の事件が起こってしまう。

俯いて盤面を見ていた二人頬から滴がポタリと......あれ?

 

 

「「うわぁぁぁぁん」」

 

 

負けた2人は悔しさのあまり泣き出してしまった。

 

 

「うわぁ!?ごめん、ごめん、2人とも確実に強くなってるからね。そんな泣かないで。」

 

 

俺は焦ってこの状況を変える最善手を探す。

しかし俺が最善手を導き出す前に時間切れになってしまった。

 

 

「また2人泣かしてダメでしょ!」

 

 

高校二年生の俺たちのお姉さんである清滝桂香さんが襖を開けて中に入って来た。

 

 

「違うよ、姉さん俺何も悪いことしてないんだよ。」

 

 

言葉の通じる桂香姉さんに弁明を開始しようとしたその矢先に、言葉の通じない方の人がドスドスと和室に近づいてくる。

アカン、これめっちゃ怒ってる時の師匠だ。

 

 

「コルゥラ、勇気、喧嘩するな言うたやろ。」

 

 

俺たちの師匠清滝鋼介が先生が荒々しく襖を開けて中に入って来て俺を叱りつける。

ゲンコツを一発くらい、あまりの痛さに......

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁん。」

 

「ちょっとお父さん、暴力はダメって言ったでしょ!」

 

「せやかて......」

 

 

これが将来数々の将棋タイトルを獲得することになる清滝一門の日常だった。

 

 

✳︎

 

 

あの後たっぷり師匠に怒られた俺は縁側で1人泣いていた。

そこにさっきとは違って優しい雰囲気を纏った桂香姉さんがやって来た。

 

 

「ようやく2人とも泣き止んで寝てくれたわ。」

 

「ほら、勇気君も今日は遅いからもう寝よ?」

 

「......」

 

拗ねて無視を決め込んでいると桂香姉さんは優しく微笑みながら俺の隣に座った。

 

 

「なんでお父さんは勇気君をいつも厳しく叱るんだと思う?」

 

「そんなのわかんないよ。」

 

 

素っ気なく答える。

 

 

「それはね、勇気君がお父さんの一番弟子だからだよ。一番お兄さんの勇気君には八一君と銀子ちゃんを守ってあげられるくらい強くなって欲しいと思っているんだよ。いや、なれると思っているんだよ・・・」

 

 

後半になっていくごとに桂香姉さんの声は小さくなる。

そんな桂香姉さんを見て居ても立っても居られなくなって突然立ち上がる。

そして夜空に向かって高々とこう宣言した。

 

 

「わかった、俺強くなるよ。八一や銀子、それに師匠や桂香姉さんも守れるくらい強くなるよ!」

 

 

桂香姉さんは一瞬驚いたような顔をして、そしていつものように優しく微笑んだ。

強くなると誓ったあの日から俺はひたすら将棋に打ち込んだ。




アドバイスしてもらえるとありがたいです


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長男の旅立ち

史上最年少14歳のプロ棋士誕生

将棋の歴史がまた一つ塗り変わった。歴史を変えた子供の名は山橋勇気、清滝鋼介九段の門下生である。

ープロ棋士になった率直な気持ちを教えてください

ーーまだ実感はないけど、ただただ嬉しいです。

14歳でプロ棋士になった天才は、年相応の初々しいインタビューで場を和ませた。

 

 

 

「兄弟子、この写真緊張しすぎてしょ。あははははっ。」

 

「顔が引きつってる、フフッ」

 

 

八一と銀子は雑誌将棋次元の俺の記事を読んで大爆笑している。

俺の四段昇格を口実に関西中のプロ棋士を家に招いて師匠は酒を飲んでどんちゃん騒ぎをしている。

 

 

「あんなに一杯の大人に囲まれたら絶対みんな緊張するんだよ、馬鹿にするな!」

 

 

俺と八一と銀子が喧嘩している横でいつもは止めてくれる桂香姉さんも口元を隠して必死に笑いを堪えている。

 

 

 

「ちょっと、桂香さんまで笑ってるやん。」

 

 

指摘すると桂香さんはとうとう我慢できなくなって、吹き出してしまう。

 

 

「もー。」

 

 

今夜の清滝邸は笑いで溢れていた。

 

 

✳︎

 

 

夜も更けてきてどんちゃん騒ぎしていたプロ棋士達が一人また一人と帰っていく。

最後の一人を見送って、桂香さんが居間に戻ってきた。

その顔にはさすがに疲労の色が濃く出ている。

 

 

「ほらみんな、もう遅いから早く寝なさい。」

 

 

桂香さんが戻ってきたことにも気付かず、将棋を指す銀子と、隣でそれを見る八一。

今日は中々将棋を止めようとしない。

 

 

「詰み、15手詰めだよ。」

 

「え!?そんなはず……あっ。」

 

 

銀子は自分の玉が詰むことを確認すると悔しそうに口を噛む。

 

「もう一局!」

 

「次は俺!」

 

「もう遅いし、3人とも明日も学校でしょ。」

 

 

桂香さんは2人を注意するしかし、本気で止めようとはしていないのはその声音から分かる。

 

 

「だって、明日からお兄ちゃんいなくなっちゃうんだよぉ。」

 

 

銀子はそう言うとシクシクと泣き出した。

俺はプロ棋士になるのと同時に一人暮らしをすることを決意した。

そして明日から俺は福島のアパートに一人暮らしすることになっていた。

銀子の言葉を聞いて八一も寂しそうに俯く。

ついさっきまで楽しい笑い声に包まれていた清滝亭は一転して感傷的な雰囲気に包まれていた。

 

 

✳︎

 

 

結局その後も将棋を指し続けとうとう銀子は寝落ちしてしまった。

 

 

「置いてかないで・・・」

 

 

銀子は切なそうにそう言いながら俺の服の袖を小さい手でチョコンと掴んでいる。

俺の妹はやっぱり世界一可愛い。

愛しくなり寝ている銀子の頭を優しく撫でる。

 

 

「どこにも行かないよ。」

 

「ううん……やめて。」

 

 

鬱陶しそに寝息をたてる。

愛らしい姿に思わず顔がにやける。

 

 

自分で決めた覚悟が揺らぎそうになる。

いつまでもこの家でみんなと楽しく過ごしたい。

でもこの家では俺は強くなれない、盤上では常に1人で戦わねばならない。

そのためには甘えを捨てなければならない。この家にいたら俺はみんなに甘えてしまう。

 

 

桂香さんが銀子を部屋へと連れて行き部屋に残ったのは八一と俺だけ。

 

 

「八一、一回本気で指すぞ。」

 

 

八一が驚いて顔を上げる。そして嬉しそうに笑った。

 

 

「よろしくお願いします!兄弟子!」

先手は俺。7六歩8四歩2六歩・・・一般的な駒組みが続く。

八一が10手目俺の角を取る。

八一はお互いに得意な角換わりの将棋に持ち込む。

 

一番得意な戦法で挑んでくるか、いいだろう受けて立とう!

余計な考えを全て排除して棋士モードになる。

 

 

✳︎

 

 

69手目俺の攻めの拠点の歩の後ろに角を打って俺は優勢を確認する。

八一も必死で粘り続けたが99手目3二金打ちを見て八一は投了した。

 

 

昨日より確実に強くなっている。八一の才能が俺を上回っているのは最初から気付いていた。

しかし最近その成長が目覚ましい、八一もすぐにプロ棋士の世界にやってくるだろう。

俺はこの一局でそう確信した。

 

 

「八一、待ってるぞ。」

 

「うん、絶対兄弟子と同じ世界にすぐ行く!」

 

 

翌朝早朝俺は師匠と桂香さんに見送られながら静かに家を出た。

 

 

「辛くなったらいつでも帰ってこい。ここはもうお前の家だぞ。」

 

「ご飯は毎日三食食べるのよ。つらくなったらいつでも帰ってきていいからね。」

 

 

いつも厳しかった師匠の始めての優しい言葉に涙が溢れそうになる。

桂香さんは心配そうに、だけど笑顔で送り出してくれる。

涙を必死に堪えながら俺を棋士として人間として大きく成長さしてくれた師匠と桂香さんに深く頭を下げお礼を言った。

 

 

「行ってきます。」

 

 

プロ棋士になって一人暮らしを始めて俺はさらに将棋に打ち込んだ。




テストヤバイ


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伝説が誕生した夜

俺と姉弟子は将棋会館で盤王戦の中継を見ていた。

 

 

今回の盤王戦第5局は将棋にしては異例の盛り上がりを見せていた。将棋界の神である名人に対して若干16歳のプロ棋士が挑戦している。それだけでも十分すごいことだがその少年は名人と互角以上の熱戦を続けて2勝2敗のイーブンで最終戦まで持ち込んだのである。

 

第5局は中盤に兄弟子が大きなリードを奪い勝勢だと思われたが終盤、名人のマジックが発動しみるみる差は縮まっている。

 

名人と指している兄弟子は目が充血しフラフラになりながらも盤面から決して目を離さずに手を読み続ける。

苦しそうな息遣い、お茶を飲む仕草、着物の右裾をギュッと握る姿、ひとつひとつがとても格好良く見えた。

俺もあの舞台に行きたい、兄弟子と同じ世界を見て見たい、14歳の八一は兄弟子に純粋な憧れを抱いていた。

 

 

 

✳︎

 

 

 

名人の指し手ひとつひとつに将棋会館の観戦者から歓声が上がる。将棋会館は指し手が一つ進むごとに悲鳴や兄弟子への激励がとんでとても騒がしい。

その中で私は静かに必死に大好きなお兄ちゃんの勝利を願って応援し続ける。

もはや私には二人の指し手の意図など全くわからない。

『頑張れ』そう心の中で応援することしかできない。

応援しながら私はお兄ちゃんがどんどん遠くへ行ってしまうような感覚に陥り、悲しくなる。

この感情はお兄ちゃんがプロ棋士になって一人暮らしを始めた時以来久し振りに感じたものだ。

 

 

「行かないで」

 

 

私は声にならないほどのか細い声で画面の向こうの兄弟子に話しかける。

私はこの時、隣で憧れの眼差しで画面を見る弟弟子にも近い将来置いて行かれてしまうだろうことを薄々悟っていた。

 

 

さっきまでも十分騒がしかった将棋会館がさらに盛り上がる。

 

 

「山橋の勝ちや!」

「新しい盤王の誕生や!」

 

 

 

盛り上がる将棋会館の中で私は複雑な気持ちでお兄ちゃんに拍手を送った。

 

✳︎

 

盤王戦第5局、目の前の神から将棋指しがこの世で最も聞きたい言葉を聞いた。

記者が対局室に詰めかけて自分にたくさんの質問をしてくる、俺はそれを無意識に答えていく。

全ての対局後の公務を終えて、対局の宿に来ていた師匠の笑顔を見て、俺の意識は途切れた。

 

 

気がつくと見慣れた、だけど久し振りに見る天井がある。

記憶がハッキリとしない、盤王戦で名人と戦い、だんだん劣勢になり、心が折れかけてそして……

 

 

「あ、気がついた?大丈夫?」

 

 

桂香さんが襖を開けて部屋に入ってきた。

 

 

「あ、桂香さん。」

 

 

とても久し振りに桂香さんに会えた気がする。

 

 

「おめでとう、山橋盤王。」

 

 

桂香さんから祝福の声を聞いてようやく記憶が戻ってくる。そうだ勝ったんだ、いつまでも後ろから俺を追いかけてくる強大な魔物からついに逃げ切れたんだ。

 

 

「勝ったんだ。」

 

 

気付いたら泣いていた。我慢しても我慢しても、とめどなく涙が溢れて来る。昔と同じように桂香さんは隣で優しく寄り添ってくれる。

 

 

「おめでとう。」

 

 

桂香さんは優しく俺の頭を撫でてくれる。

 

 

「俺、勝ったよ。あの名人に勝ったよ!」

 

「うん。見てたよ。すごいかったよ。」

 

 

昔みたいに桂香さんの膝に顔を埋めて自慢する。

桂香さんは笑いながら、それを褒めてくれる。

幸せな時間だ。このままいつまでも桂香さんと二人でいたいとさえ思った。

 

 

「いつ行きます姉弟子?」

 

「私、行かない、勝手にすれば。」

 

「エエッ!?、さっきは姉弟子もお祝いしに行きたいって言ってたじゃないですか。なんで急に不機嫌になってるんですか!?」

 

 

桂香さんに泣き崩れていると、襖の後ろに人影があるような雰囲気を感じた。

 

 

「八一と銀子もいるの?」

 

 

俺が呼びかけると二人はゆっくりと襖を開けて部屋に入ってきた。

一人暮らしを始めて今まで一度も清滝亭には帰らなかったため、いつも様子を見にきてくれた桂香さんとは何度かあっていたが、八一と銀子に会うのは2年ぶりのことである。

二人も久し振りに会う俺に少し緊張しているように思う。

 

 

「ただいま。」

 

 

俺は満面の笑顔で二人に言った。

二人の顔が昔のような笑顔に変わる。ちょっと見ないうちに大きくなったな。

八一はもう立派な青年の顔つきをしている。

銀子もやはり美人に成長している、多分学校でも人気あるんだろうな、まぁ銀子が将棋以外の話を他人とできるとは思えないけどな。

そう思うと思わず笑いが漏れそうになる。

俺がくすりと笑うと銀子が目ざとく見つける。

 

 

「今兄弟子失礼なこと考えた。」

 

「え!?何も考えてないよ。」

 

 

俺と桂香さんを見て鋭い眼光で言った。

 

 

「私たちは邪魔だったみたいだしね。」

 

 

昔よりもトゲがあるような気がする、しかも呼び方もお兄ちゃんから兄弟子になってるし、反抗期なのか?反抗期なのか!?

 

 

「おめでとう、兄弟子!あの名人に勝っちゃうなんてホントにスゴイよ。俺もね、あと1勝でプロ棋士になれるんだ。」

 

 

八一が嬉しそうに俺の隣にやってくる。八一は昔とあまり変わってない。

 

 

「そしてね、中学校を卒業したら俺も一人暮らしする。」

 

「「「!?」」」

 

 

突然の八一の宣言に俺と銀子と桂香さんは一斉に驚く。

 

 

「なんで、一人暮らしするんだ?」

 

「だって、プロになったら一人で戦わないといけないし助けてくれる仲間はいなくなるから。」

 

「そうか……」

 

 

八一もしっかり成長していたようだ、それも俺が予想するよりも早い速度で。

 

 

「……」

 

 

銀子が何か言いたそうにしているが何も言えずに俯いている。

 

 

「銀子……」

 

 

何か言ってやりたいが、銀子が言いたいことがわからず話しかけることができない。

代わりに昔みたいに頭を撫でてあげる。

 

 

「おに……あ。子供扱いしないで!」

 

 

銀子は一瞬嬉しそうに微笑したが、突然ボッと赤面して距離を取られた。

難しいお年頃なんだな。

 

 

「ヴォー、勇気よくやったー。」

 

 

俺が目覚めたことを知った師匠がドタドタと騒がしく部屋に入ってくる。

 

 

「ちょっとお父さん、まだ目覚めたばかりだから静かにして。」

 

「わしの勇気がわしの勇気が盤王になったんやー。」

 

 

あんなに喜んでくれる師匠を見るのは初めてな気がする。ちょっと恩返しできたかな……

でも凄い酒臭いな……

 

 

「あははは。」

 

 

相変わらずな清滝一門のみんなに思わず笑ってしまう。

そんな俺を見て、八一と銀子は一度顔を見合わせて嬉しそうに頷いた。

 

 

「兄弟子、一局指そうよ!」

 

「え!?さすがに今は疲れたよ。」

 

「えー。」

 

「私も私も。」

 

 

昔みたいに二人に将棋を迫られる。

そんな何気無いことが無性に嬉しかった。

 

 

盤王になったことで相手からの研究も厳しくなりより苦しい戦いが増えると思うが、これからも頑張っていこうとそう誓った。

 




次からようやく原作の一巻の話になります。


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4月
八一の恩返し


手違いで少し加筆しました。

申し訳ございません。


ー俺が盤王になってから2年後に、八一は竜王になったー

 

今日は八一が師匠に恩返しをする日、将棋の世界でいう恩返しとは弟子が師匠に勝つことである。そして八一の兄弟子である俺は今、八一の姉弟子の銀子とともに八一の恩返しを見守っている。

 

「穴熊か、八一勝ちに来たな。」

「焦ってるから、八一。」

「確かになー。」

 

 

八一は竜王になってから現在まで公式戦11連敗中なのである。ネットでは八一のことをクズ竜王というアンチまでいるほどである。

 

 

「清滝一門の他の2人が人気すぎるのが問題なのかもね。浪速の白雪姫さん。」

 

 

俺は悪戯っぽく銀子に言う。

銀子は不敵に笑うと一枚の写真、俺がプロ入りした時の将棋次元の写真を見せて来た。

 

 

ギャアアアア俺の黒歴史。

 

 

「いつまで、その写真で馬鹿にするつもりなんだよ。銀子!!」

「兄弟子が死ぬまでよ。」

「俺、老人になってこの写真見たら恥ずかしさのあまり死ぬ自信あるぞ・・・」

 

 

ホント俺をいじめる為だけにあの写真をずっと持ってるってどんだけドSなんだよ・・・。

 

 

 

俺がプロ棋士になった直後は俺もプロの世界で生き残ることに必死でひたすら将棋に打ち込んでいたからあまり八一や銀子に会えなかったが、最近は少し俺も心に余裕ができて八一や銀子と会える時間も増えてきた。

 

俺が盤王になってから2年の間に八一はプロ棋士、銀子は女流棋士へと成長し二人ともタイトルを獲得するほどに強くなった。

 

しかし二人とも現在大きな壁にぶち当たっている。

 

八一は竜王らしい将棋にとらわれて、自分の将棋を見失っている。しかし、八一の才能が将棋の歴史上でも類を見ないものだというのは疑いがないし、八一なら自力でも復活するだろうと思う。

 

銀子は奨励会に入会し現在2段。女流では敵なしの銀子も男子しかいない奨励会では、必ずしも勝てるわけではない。むしろ、銀子の才能の限界が近づいてきていることに俺は気付いている。銀子は頭のいい子だ、おそらく才能の限界にも彼女は既に気付いているのだろう。才能の違いに立ち向かわなければならない苦しさは俺も痛いほどわかる・・・。だからこそ銀子が心配だ。

 

 

「応援してるぞ・・・」

 

 

無意識に声が出てしまった。

 

「!?な、なにが?」

 

 

銀子は一瞬驚いたがすぐに無愛想な表情に戻る。

俺も意識的に重い雰囲気を壊すように話題を変える。

 

「銀子はもうちょっと兄弟子に対する敬意が欲しいものだなぁ。昔みたいにお兄ちゃんって呼んでくれてもいいんだよ。」

「ぶちころすぞわれ」

 

 

銀子は顔を真っ赤にして怒る。

今はまだ、この話をするべき時ではない。本当に銀子が助けが必要になるまでは見守っておこう。

 

そうこうしているうちに対局は終わり八一が勝った。

 

 

ーーー師匠はおもむろに立ち上がりーーー

 

 

「オシッコォォォォォォォ」

 

 

「「あのバカ師匠」」

 

急いで対局室へ向かうが既に時遅し。

 

 

将棋会館から一筋の聖水がビルの外へと流れた。

 

 

その後、桂香さんに将棋会館まで来てもらい、かろうじてパンツのみ履かせることに成功した師匠をタクシーに押し込んで強制送還と相成った。

俺と八一と銀子にはこれから飛び散った尿を洗い流す苦行が待っている。

苦行を開始しようとすると、通行人がざわめき出す。

 

 

「あれ?あんた・・・もしかして浪速の白雪姫!?」

「・・・」

「テレビで見ました!サインしてください!!」

 

 

あっという間に取り囲まれる銀子、さすが俺の自慢の妹だ。

 

 

「あれ、あっちに山橋くんもいるよ!」

「ホンマや、山橋くんや!」

 

 

他の通行人が俺に気付いて騒ぎ出す。

名人に勝った俺は、メディアでは将棋界の新世代の旗手のような扱いを受けているため、将棋をしない人の知名度もそこそこある。

あと、注目され始めたのが中学生だったこともあり、ファンからは『山橋くん』と呼ばれて何歳になっても子供扱いされている。

それが最近の悩みだったりする。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 

イメージを崩さないようにできるだけ爽やかに受け答えする。

 

 

突発的に始まったサイン会のせいで結局、世間の知名度が低い八一だけが、苦行を行うことになってしまった。

 

 

ごめんよ八一。今度飯奢ってやるから。




アニメは5巻までやるつもりなんでしょうか?


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新しい家族が増えた日

「起きて、兄弟子。」

 

 

言葉とは裏腹にガンガン蹴られる足の痛みで起きた俺は目の前に悪魔がいるのを認識し、震え上がって目を覚ます。

 

 

「ど、どうした・・・銀子。」

「一緒に八一の部屋に来て。」

 

 

銀子の背後から立ち昇る黒いオーラを見た俺は最善手がyesしかないことを悟った。

乱暴に歩く銀子の後ろを着いて行き、2階下の八一の部屋に行く。

そして合鍵を使って中へ突入するとそこにはーー

 

 

八一と裸の幼女がいた

 

 

「通報しよう。」

「待って兄弟子!?」

 

 

 

✳︎

 

 

 

 

八一の必死の弁明を聞いた俺と銀子は彼女は雛鶴あいという名前で弟子にする約束をしたことを知った。

 

 

「黙れ小童」

「こわっぱじゃないですぅー!雛鶴あいっていう名前があるんですぅー!!」

そして銀子とあいちゃんが今喧嘩している。

 

 

「私のこと知らないの?将棋やってて?」

「しりませんっ!!」

 

 

ノータイムで否定するあいに、八一は慌てて説明する。

 

「この人は、女王、女流名跡の二冠を持ってる空銀子二冠、俺の姉弟子だよ。」

「師匠の姉弟子・・・つまりおばさん?」

「ぶちころすぞわれ」

「それで師匠この人は誰ですか?」

「エェッ、兄弟子も知らないの!?」

「始めまして、八一の兄弟子の山橋勇気です。あいちゃんのおじさんに当たるのかな。」

「勇気おじちゃん?」

 

 

カワイイーー、小学生の初々しい反応を見てると、こちらも自然と幸せな気分になる。

俺が幸せに笑っていると、右足を思いっきり踏まれた。

 

 

「イダッ。」

 

 

銀子が鬼のような目でこちらを睨んでいる。

 

銀子はさっきからみるみる機嫌が悪くなっている。

特に八一のことを『師匠』と、俺のことを『おじちゃん』と呼ぶたびに明らかに機嫌が悪くなっている。

同じことに気づいた八一がすかさず、手を打つ。

 

「あいや。あいちゃんや。」

「なんですか師匠?」

「俺を師匠って呼ぶのと、兄弟子をおじちゃんって呼ぶのやめてお願いだから。」

「え、えーとじゃあ・・・」

 

 

あいちゃんは両手を頭に当てて可愛く考え込む、そして上目遣いに俺と八一を見ておずおずとこう言った。

 

「やいちおにーちゃん♡ゆうきおにーちゃん♡」

 

八一は飲んでいたお茶を吹き出し、俺はあまりの可愛さに一瞬トリップした。

銀子が小刻みに震えている。今銀子の中で何が起きているのか!?

知りたいような知りたくないような・・・

 

 

「と、とりあえず、師匠の家に行こうか。」

 

 

俺はひとまず状況を整理するために師匠を頼ることにした。

 

 

 

✳︎

 

 

 

清滝邸に行くと既にあいちゃんのことは将棋連盟から連絡済みで、一時的に八一が内弟子として引き受けることとなった。

 

 

「チッ」

 

 

隣に座る銀子からの怒りのオーラが益々深まるのを感じる。コワイ。

その後あいちゃん歓迎パーティが急遽行われ、清滝邸には久しぶりに一門全員が集合していた。

 

 

「おじいちゃんと呼んでもいいんだよー」

師匠は早くもあいちゃんにゾッコンである。

 

 

「お父さん、今日はみんなで集まれてとても嬉しそうね。」

 

 

桂香さんはテキパキと食器を片ずけながら嬉しそうに話す。

 

 

「たしかに、みんなでこうやってご飯食べるのは俺がプロ棋士になって以来かぁ」

「懐かしいですね。」

「そうだな〜」

「そんな昔のことみたいに言わないで。」

「何か言いました姉弟子?」

「うっさい八一、頓死しろ。風呂入ってくる。」

 

 

そう言うと銀子は部屋を出て行ってしまった。

 

 

「まだ姉弟子機嫌悪いですね。」

「まぁ、いきなりライバル出現だもんな。」

「えぇ!?姉弟子にライバルができたんですか⁉︎そんな強い女流棋士が誕生したんですか!?」

 

 

八一よ、もう少し将棋以外のことを考えようとはしないのか!?

 

 

「全くもうちょっと将棋以外も成長して欲しいものね〜。」

「八一の将棋バカは筋金入りだからな。」

「勇気くん、あなたもまだまだよ。」

「俺もですか!?」

 

 

桂香さんは俺と八一を呆れた顔で交互に見る。

桂香さんから見れば俺もまだまだ子供みたいだ・・・。

 

 

笑いながら話していた八一は急に真面目な顔になり俺に向き合う。

 

 

「あの、兄弟子、本当に俺があいの師匠になっていいんでしょうか。成績も人気も兄弟子の方がありますし・・・やっぱり俺よりも兄弟子に弟子入りした方があいにとってはいいんじゃないでしょうか?」

 

 

八一の不安そうな顔を見て俺は思った。

 

 

ーーこの未熟で危なっかしい弟を助けるために俺は強くなると決意したんだーー

 

 

「八一に俺が師匠の内弟子になった時の話まだしてないよな?」

「え、はい聞いたことないです。」

 

 

恥ずかしからあんましたくないんだけどね。

 

俺は静かに昔話を始める。




jJSの可愛さを表現するの難しい


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長男が生まれた日

「きよたきせんせーの弟子にしてください!!」

 

 

俺は清滝先生の家の門の前で土下座をしている。

 

親に黙って家を抜け出し、かれこれ清滝先生が家を出るまで30分以上家の前で待った。

 

2月の朝は恐ろしいほどに寒く、両手は氷のように冷たくなり感覚がない。耳も痛いし、段々気が遠くなって来た。

 

 

「おい桂香!ちょっと来てくれ。」

 

 

清滝先生に抱きかかえられて家の中へ入った。

 

 

気がつかくと布団の中で寝ていた。

 

 

「あ、気がついた?大丈夫?」

 

 

茶髪のキレイなお姉さんが襖を開けて部屋に入ってくる。

 

「おねえさん誰・・・?」

「始めまして。清滝桂香です。君の名前を教えてくれるかな?」

「やま・・・!?知らない人には名前を教えられません。」

 

 

ここで俺は気づく、目を覚ましたら知らない家の中にいて、知らない大人が目の前にいる。

つまり!俺は誘拐されたんだ。

 

 

「ウワアァァァァァン。」

 

 

怖くて俺は泣きじゃくった。

 

 

「えぇっ!?大丈夫だよボク、私は悪い人じゃないからボクをお母さんの所へ帰してあげるから名前だけ教えてくれない?」

 

知らない女の人は優しく俺に話しかけてくれて少しずつ落ち着いていく。

しばらく女の人と話していると、襖が開いて憧れの人が部屋に入って来た。

 

 

「あっ!き、きよたきせんせー。」

 

 

急いで正座をする。

 

 

「そんなに緊張しなくてもいいよ。」

 

 

清滝先生は優しく笑いかけてくれた。

 

 

「どうやって儂の家の前まで来たんや?」

「えっと、一人で歩いて来ました。」

「親御さんはそれ知っとるんか?」

「んっ、、、はい。」

「親御さんは何て言ってた?」

「えっとそれは・・・」

 

 

俺が言葉に詰まると清滝先生はじっと俺の目を見る。

そして笑った。

 

 

「嘘をついてはあかんで。親御さんに内緒で来たんやな?」

「・・・はい。」

 

 

観念して白状する。

 

 

「お名前はなんて言うんや?」

「山橋勇気、5歳です。師匠の弟子にして下さい!」

 

 

清滝先生に土下座をする。

 

 

「桂香、将棋連盟に連絡して山橋くんの親御さんを探してもらってくれ。」

「はい、お父さん。」

 

 

お姉さんが部屋を出ていくと清滝先生は俺に向き直って言った。

 

 

「勇気くん、弟子になりたいんやったら今から試験や。」

 

 

清滝先生は俺の前に将棋盤を出して駒を並べていく、俺も慌てて駒を並べて行く。

 

 

「4枚落ちや、思いっきりかかっておいで。」

「はい!」

 

 

大きく深呼吸して俺は飛車先の歩をついた。

 

 

✳︎

 

 

一度戦って親御さんの元へ返すつもりだった。

ただ、今は目の前の少年の才能の高さに驚いている、惹かれている。

 

 

「グスッ。」

 

 

勇気くんは勝たなければ弟子になれないと思ったのだろう。敗勢になると涙を流しながらひたすら攻めを受け続けた。

終盤の受けはまだまだダメだが、中盤の駒組みには目を見張るものがある。

5歳で思いつくような手ではない。これがまぐれでないとするなら彼は間違いなく将棋の神に選ばれた子供である。

この子を育てたい、いち棋士として、目の前にいる大きな才能を伸ばしてみたい、そんな感情が生まれる。

 

 

儂と勇気くんが感想戦を行なっていると桂香が月光会長と2人の大人を連れて部屋に入って来た。

勇気くんの顔に突如緊張が走る。

 

 

「お母さん。」

 

 

両手をグッと握りしめて下を向く。

 

 

「山橋勇気くんのご両親を連れてきましたよ。」

「勇気帰るわよ。」

 

 

勇気くんは母に手を掴まれ無理矢理に連れていかれそうになる。必死に抵抗しながら儂に助けを求める目線を送る。

体が熱くなる。将来将棋界の宝をになるかもしれない才能をここで無くすわけにはいかない。

 

 

「お母様、少しお話を聞いていただきたい。勇気くんには素晴らしい才能がある。彼は近い将来必ずプロ棋士になれます。いや、儂がプロ棋士にしてやります。せやから、儂に勇気くんを預からせて下さい。」

「せんせー。」

 

 

勇気くんが泣きながら儂に笑いかけてくる。

 

 

「お言葉ですが、清滝さん、あなたは今までにタイトルを獲得したご経験は?」

「!?ありませんが・・・」

「タイトルも取れないような方がなぜ、この子がプロ棋士になれると言えるのですか?」

「それは・・・」

 

 

彼女の口撃に一気に劣勢に立たされて防戦一方になる。

もう投了寸前、ここで儂は起死回生の勝負手を放った。

 

 

「確かに儂のようなタイトルも取ったことがないように二流棋士ではお母様も心配でしょう。ならこちらにいる月光9段の弟子になるのはどうでしょうか?彼はタイトルも獲得していますし、おそらく今関西で最も強い棋士です。これなら文句あらへんでしょう!」

 

 

隣で話を聞いていた、兄弟子の口が開く。すまん、後で話すから今は引き受けてくれ。

 

 

「いやや・・・」

 

 

完全に蚊帳の外になっている勇気くんが、口を開いた。

 

 

「そんなんイヤや、僕は師匠の弟子になりたいんや!師匠に強くしてもらいたいんや。テレビで見た師匠みたいに強く熱い棋士になりたいんやぁぁぁぁぁぁぁ」

 

 

5歳の子供の魂の叫びにその場にいた全ての大人が言葉を失った。

 

 

「勇気・・・」

 

 

息子の必死の叫びに母親の動きが止まる。

 

この後、儂と勇気くんは勇気くんのご両親と話し合いなんとか、弟子入りを認めてもらった。

 

八一と銀子が内弟子になる一年前の出来事だった。

 

 

✳︎

 

 

「まぁつまり俺が言いたいのは憧れこそが強くなる重要な要素だってことだよ。八一はあいちゃんの憧れの人なんだ。お前が師匠として導いてあげるんだぞ!」

「・・・はいっ!」

 

八一の目に炎が宿る。

 

 

ーーまたひとつ成長するなーー

 

 

八一のさらなる成長を予見して体の芯がグッと熱くなる。

 

 

「そういえば、兄弟子から俺と姉弟子が来る前の話聞くの始めてですね。俺が来る前って兄弟子どんな生活してたんですか?」

「うーん、まぁ色々あったよ。」

「色々ってなんですか?」

「懐かしい話してるわね。」

 

 

桂香さんが洗い物を終えて俺の隣に腰を下ろす。

 

 

「桂香さん、俺たちが来る前って3人でどんな生活してたんですか?」

「うーん、あの頃の勇気くんはねー・・・」

「ちょっと桂香さん!今日はこの話はもう終わりにしよう。八一明日公式戦だろ、早く家帰りなさい。」

「えっ!?兄弟子そんな反応されたら余計きになる・・・」

 

 

渋る八一を無理やり連れてあいちゃんと3人で福島のアパートへ戻った。

 

 




タイトルをつけるのが一番難しい


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盤王のスキャンダル

次の日、俺は八一とあいちゃんとともに将棋会館に向かっている。

目的は、あいちゃんの弟子登録と八一の帝位戦リーグのためである。

 

 

「ウフフ〜♪」

 

 

あいちゃんは、俺と八一に連れられて楽しそうに歩いている。

ほんとうに無邪気な子供は可愛い。

 

 

「本当にいいんですか?付き添いなんて。」

「んああ、いいよどうせ今日予定ないし。」

「でも、盤王戦の防衛戦が近いんじゃ・・・」

「気にしないくらいがちょうどいいんだよ。」

「やっぱり、兄弟子はすごい・・・」

 

 

本当はあいちゃんの可愛さをもっと見たいだけなんだけどね。

 

 

 

✳︎

 

 

 

将棋会館に着いて無事に弟子登録を済ませ、八一は対局場へ向かった。俺とあいちゃんは道場へ行き中に入る。俺に気付いた子供たちが一斉に俺の周りに集まる。

 

 

「山橋盤王だ!」

 

 

子供たちに囲まれている俺を見てあいちゃんは驚いた顔をする。

 

 

「おじさんスゴイです、大人気です。」

「アハハ、まぁ一応将棋の世界で有名人だし。」

 

 

すがる子供たちから逃げて俺はあいちゃんの1日の対局料を払う。

 

 

「あいちゃん、好きなだけ今日は指してきていいよ。」

「ハイッ!」

 

 

あいちゃんは目を輝かせて将棋盤の前に行く。

盤王と一緒に来た竜王の弟子ということで、あいちゃんは早くも子供たちに大人気だ。

あいちゃんは八一が言った通り強かった。

道場にいる子供を次から次へと倒していく、特に終盤力には目を見張るものがあり、彼女の才能の高さを感じさせる。

 

 

あいちゃんは勝つたびに俺の方を見て嬉しそうに笑う、可愛い。

俺はその笑顔が見たくて自然とあいちゃんを応援する。

また一勝して笑顔を向ける。それに応えるように俺も笑うと、向かいの席で今負けたショートカットの女の子が俺の方へやってきた。

 

俺の前に来ると彼女は緊張した顔で話しかけて来る。

 

 

「は、始めまして水越澪です。あ、あ、あの山橋先生握手してください。」

「え?いいよ。」

 

 

前に差し出された小さな手を握ると、澪ちゃんの顔が明るくなる。

 

 

「やったー、盤王に握手してもらった。私、ファンなんです。さっきもあいちゃんに向けた笑顔が素敵で、その・・・な、なんでもないです。」

 

 

澪ちゃんは顔を真っ赤にして顔をブンブンと激しく横に振る。そんなよくわからない仕草も小学生がやると可愛く見えるなぁ。

 

 

澪ちゃんと話しているとさらに背の高いお嬢様っぽい子と、その二人よりもさらに小さい金髪の子がやってくる。

 

 

「初めましてです。貞任綾乃と申します。よろしくお願いいたしますです。山橋盤王のお話は姉弟子からよくお聞きしていますです。」

「姉弟子?綾乃ちゃんの師匠はどなた?」

「加悦奥です。」

「加悦奥先生ということは姉弟子というのは・・・万智さん?」

「はいそうです。姉弟子はよく、『こちらが準備する前に勝手に穴に上がり込んで無茶苦茶やって去って行く』と言っておりました。」

「うん、将棋のことだよね!?穴熊ののことだからね!」

「?」

 

 

汚れのない小学生になんて事を言っているんだろう・・・

 

 

「供御飯山城桜花の穴に盤王が・・・」

道場の外ではなんか変なひそひそ声聞こえるんですけど・・・

 

 

「しゃうおっといぞあーるだよ。」

「?」

 

 

気がつくと金髪の子が俺の足に掴まっていた。

 

 

「シャルロットイゾアールちゃんです。」

 

 

綾乃ちゃんが補足してくれる。

なんだろうこの子マスコットキャラみたいでめちゃめちゃカワイイ。

 

そういえば、銀子も子供の頃負けた時に俺の腰に顔埋めて泣いてたっけな。

 

昔を思い出してイゾアールちゃんの姿を笑顔で見つめていると八一がやって来た。

 

 

「あいー、昼飯食べにいくぞ・・・兄弟子ロリコンだったんですか!?」

「おい八一!?何言い出すんだよ!?」

 

 

弟にまさかの誤解をされる。

 

その上、道場の外では「将棋界のホープに初スキャンダルだわぁぁ」とか言われちゃってるし、違うからね!?

 




次回からオリジナル展開突入です。


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押しかけ妹

これ以上ここにいると俺のイメージが下がる一方だと感じ、急いであいちゃんと八一を連れて地下へといった。

 

ようやく落ち着いて、今はあいちゃんの作ってくれたおにぎりと卵焼きをを3人で食べている。

 

 

「ホントにあいちゃんは料理上手なんだな〜」

 

 

あいちゃんの絶品弁当を食べて俺は感心する。

 

 

「えへへ〜うれし〜です。将来のお兄さんになる人だし気に入られなきゃ・・・」

 

 

あいちゃん、何を計算してるの・・・

 

 

「あ、そういえば、歩夢が対局前に、『おのれグランドマスターよ、貴様を倒す機会を待ち続けている、覚悟していろ。』って言ってましたよ。」

 

 

あいちゃんの計算などには全く気付かずに八一は世間話を始める。

 

 

「あー、そ、そうか。」

「おじさんは、あの、マントの人と関係があるんですか?」

「いやー、まぁプロデビュー戦の相手だったんだよね。」

 

 

俺が盤王となった次の対局が神鍋歩夢のプロデビュー戦だった。名人と戦い覚醒していた俺はその勢いのまま中盤戦で完全に勝負を決めて歩夢を泣き崩れさしてしまった。

その後もその勢いのまま中盤戦で相手との駆け引きに勝利し、圧倒的な差をつけて相手を絶望させて勝ち続けた俺についた新たなあだ名が

 

 

【中盤の鬼】

 

 

だった。

 

 

「だから今、攻め将棋といえば兄弟子と女流棋士の月夜見坂燎女流王将が有名なんだよ。」

 

 

八一から歩夢くんのデビュー戦の話を聞いたあいちゃんは怖がりながら俺の方を見た。

 

 

「おじさんは本当は怖い人なんですか!?優しい言葉で油断さしておいて本性を現す鬼なんですか!?」

 

 

またスキャンダルと言われそうな言い回しで俺を分析するあいちゃん。

 

 

「ちがうよ!?あいちゃん。確かに将棋ではよく怖いって言われるけど、対局以外では優しいおじさんだよ。」

 

 

9歳の女の子に嫌われないように必死になる俺。

 

 

あいちゃんと八一との昼食タイムはあっという間に過ぎて、八一は対局に戻ることになった。

 

 

「あい、ちゃんと兄弟子の言うこと聞いて4時になったら帰るんだぞ。」

「えっと・・・はい・・・。」

 

 

あいちゃんは少し黙ったが素直に頷く。

 

 

「あいを引き続きお願いします。」

「うん、まかしとけ。」

「あと、・・・ゴメンなさい。」

 

 

八一はそう言うと逃げるように俺の前から去って行った。

 

 

『ゴメンなさい』ってなんのことだろう?

 

 

 

✳︎

 

 

 

夕方4時になり八一の約束通りあいちゃんを清滝邸まで送り届けようとした。

 

 

「あいちゃん、そろそろ帰ろうか。」

 

 

あいちゃんは少し困った表情をしてその場に立ち止まる。

 

「あの、師匠は・・・」

「もう少し対局が長引きそうだから先に帰ろうね」

 

 

俺が外に行こうとしても、中々歩き出さないあいちゃん。やっぱり師匠が気になるんだろうな。

 

 

「八一の対局見たい?」

「!?ハイッ!」

 

 

あいちゃんは元気よく答える。

 

 

「そっか、いいよ。見ておいで、連盟には俺が話通しておくから。」

 

 

俺はウキウキで対局室へ行くあいちゃんの後ろ姿を見送る。棋士にとって一番大事なものは憧れだと俺は思うから。

 

 

 

✳︎

 

 

 

あいちゃんのことを将棋連盟に話して俺は自分の家へと帰った。

 

 

いつものように鍵を挿して回すと手応えがない。

 

 

ーーおかしいーー

 

鍵が開いている。

 

現在俺の部屋の鍵を持っているのは俺と八一だけ。

 

まさか泥棒に入られた!?

 

俺が恐る恐るドアを開けると中に人影が一つ。

まさか、本当に泥棒がいる!?

 

 

中をゆっくりと覗いてみるとそこには見慣れた顔があった。

 

 

「あ、兄弟子おかえり。」

「なんでいるの!?」

 

 

銀子が当たり前のように俺の部屋で棋譜を並べている。

 

 

「今日から、しばらく兄弟子の家に住まわしてもらうことにしたから。」

「ちょっと待ってくれ、いきなりすぎるし・・・、ってかどうやって俺の家入った!?」

「色々とあって。」

 

 

何があったんだよ。

 

 

いくら妹弟子だからといってもJCと同棲は社会的に大丈夫なんだろうか・・・。これこそ本当にスキャンダルになりかねない状況じゃないだろうか。

 

 

「し、師匠には話したのか?」

「うん、将棋の上達のためって言ったら頑張って来なさいって言ってくれた。」

「そ、そうなんだ。」

師匠は銀子に甘いからなぁ。

 

 

「そもそもなんで俺の家に住む必要があるの?」

「・・・八一の監視。」

 

 

銀子は一瞬黙ってから理由を話す。なるほど、八一があいちゃんに取られないか心配ということか。だから八一の家に近い俺の家に住むことにしたのか。

俺は男として見られてないらしい・・・。

 

 

「ダメかな・・・」

 

 

ここまで強引に話を進めようとしていた銀子が、一転して不安そうに唇を噛みしめ上目遣いで聞いて来る。

 

 

「う・・・い、いいよ。」

銀子にあんな顔されちゃ、俺は断れない。

 

 

「よろしくお願いします。」

 

 

銀子はかしこまって挨拶する。

 

 

こうやって俺と銀子の二人暮らしが始まることになった。

断じて下心はないからね!?




クーデレって書くの難しいですね。


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5月
開幕!盤王戦


歩夢との対局に戦後最長の402手で辛うじて勝利し、あいも無事研修会に入ることができて、俺とあいは久しぶりのまったりとした時間を過ごしていた。

 

 

「師匠、今日はご予定はありますか?ないんでしたらあいと一緒にお出かけでもしませんか?」

「いや、今日は観たいものがあるんだけど、あいにも観せたいものだから、一緒に観る?」

「見せたいものですか?ハイッ♪ご一緒します。」

 

 

あいは上機嫌で朝ごはんをもりもり頬張っている。

そんな弟子の無邪気な姿を見て俺は自然と笑顔になってしまう。

 

 

俺は10時になるとタブレットを取り出してニコ生で将棋中継を見始める。

上機嫌で俺の隣に座ったあいは、それを見て顔から笑顔が消えた。

 

 

「将棋ですよ、師匠。」

「うん、今日、兄弟子の防衛戦なんだ、応援しないとな!」

「師匠のだらぶち。」

 

 

なぜか、あいの機嫌が急に悪くなった。

なんでだ?

 

 

 

✳︎

 

 

 

「お時間になりましたので対局を開始して下さい。」

 

 

立会人の合図を聞いて先手の俺が一手目を指す。7六歩、角道を開ける最も一般的な初手。

挑戦者の田井中俊7段はそれを見て8四歩と指す。

居飛車党同士の対決。

 

 

戦型は俺が一番得意な角換わり戦になった。

 

23手目自信を持って力強く用意していた一手を放つ

 

ーー3五歩

 

この手を見て田井中7段の手が止まった。

 

 

俺は玉を囲わずいわゆる居玉で相手を攻め始めたのだ。

 

玉の守りが薄い分、もちろん攻め切らなければ負けてしまうのだが、決め切れる自信がある。

 

俺は123筋に狙いを定めて角も桂馬も香車も取られながら無理やり飛車を敵陣に侵入させる。

 

相手も角を二枚設置して守りの薄い俺の玉にプレッシャーを与えてきた。

 

 

ーーここで引いてたまるか!

 

 

敵陣に銀を打ち込み無理矢理相手玉の守りを剥がしにかかる。

 

相手も負けじと角を突進させてこちらの守りを剥がしに来た。

 

 

ついに俺の玉を守る駒はなくなった。

 

 

逃げ道も金で封鎖される。

 

 

ーーまだ終わってない!

 

 

ひたすら手を読む。

 

 

 

読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む読む

 

 

ーー見えたっ!

 

 

時間いっぱい使って相手の詰みを発見した。

 

 

 

81手目5四桂打ちを見て田井中7段は投了した。

 

 

「ありません、負けました。」

「ありがとうございました。」

 

 

まずは一勝、俺は盤王戦で先手を取った。

 

 

 

✳︎

 

 

 

「すごいです、師匠、おじさん勝ちましたよ!」

 

 

最初は不機嫌だったあいも兄弟子の将棋を見始めるとすっかり機嫌を直しそれからは1日中、兄弟子の将棋に夢中になっていた。

 

 

「ところで師匠あの戦法あいは知らないですー(>_<)」

「角換わり4五桂急戦。最近有力視されている角換わりの戦法だよ。ただそれをタイトル戦で、しかも居玉で指すのはさすが兄弟子って感じだな。」

「おじさん、本当に強かったんですね!普段はそんなに強そうな雰囲気なかったから信じられませんでした。」

「そうだよ、兄弟子は昔から俺の憧れで目標なんだ。恥ずかしいから兄弟子には絶対言わないけどな。」

 

 

兄弟子は昔からずっと俺より前を走り続けて来た。

居飛車党になったのもプロデビューもタイトル獲得もいつだって兄弟子の後を追い続けた。・・・将棋だけじゃない、一人暮らしも兄弟子を真似して始めた、兄弟子の真似をすれば強くなると思って・・・

 

でも最近になってわかった。兄弟子の真似をしてるだけじゃいつまでも兄弟子には追いつけない。

 

兄弟子を超えるには兄弟子とは違う道を進まなければならない。

 

「でも師匠なら絶対勝てますよ、おじさんにも。だってあいの師匠は最強なんですから!」

 

 

俺の膝の上で無邪気に笑う弟子を見て思う、俺はあいの憧れる誰よりも強い棋士にならなきゃいけないんだ!

 

 

「ああ!いつか絶対勝ってみせるよ。」

 

 

 




この作品を書き始めた当初予想していたより多くの方に読んでいただいて、とても嬉しいとともに驚いています。

皆さんに楽しんで頂けるように努力しますのでこれからもよろしくお願いします。


さて、次回は桂香さんファン必見です!!


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桂香にときめく盤王

箸休めに桂香さんの話を一つ。


盤王戦第1局から一夜明けて俺は自分の家に戻ってきた。

始めてタイトルを獲得した日は対局後の取材対応、打ち上げの結果ぶっ倒れてしまったため、対局後の公務には嫌なイメージしかなかったがやはり中々大変だった。

 

結局当日に帰るつもりが、長引いて対局した宿で一泊することになってしまった。

 

銀子に一泊することを電話したらなんか不機嫌になっていた。

銀子も今日から女王戦だし気が立っているんだろう。

できれば、行く前に応援してあげたかったんだけどなぁ。

 

 

見慣れたアパートの前までやって来ると、そこには桂香さんがいた。

 

 

「桂香さんありがとうございました。」

「あ、勇気くんお疲れ様。」

 

 

俺が対局でいない日は桂香さんに銀子の世話をお願いしている。

 

 

「ちょうど今、銀子ちゃん行ったところ。銀子ちゃん勇気くんに会いたがってたよ。」

「そうだったんだ。」

「もう朝ごはん食べた?」

「まだ。」

「じゃあ折角だから作ってあげようか?」

「うん!」

 

 

桂香さんが台所でせっせと朝ごはんを作ってくれている。

味噌汁の匂いが漂い、卵を割る音が聞こえて自然とお腹もすいてくる。

 

なんか夫婦みたいだな。

妄想でニヤニヤしていると桂香さんが目ざとく見つける。

 

 

「なにニヤニヤしてるの。どうせ夫婦みたいだなぁとか馬鹿なこと考えてるんでしょ。」

「そ、そんなことあるわけないでしょ、アハハハハ・・・」

 

 

やっぱり桂香さんには敵わないそう思った。

 

 

「どうぞ、召し上がれ。」

 

 

俺の目の前にはごはんと味噌汁に卵焼きとベーコン、清滝邸で暮らしていた時は毎日食べていたメニューだった。

 

 

「いただきます。」

 

 

まずは味噌汁を飲む。

 

 

「美味しいよ、桂香さん!」

 

 

昔と変わらない美味しい味に思わず涙が出そうになる。

 

 

「ウフフ、ありがとう。」

 

 

桂香さんはしばらく俺がごはんを食べている姿を無言で微笑みながら見ている。

 

 

「銀子ちゃんとの二人暮らしはどう?」

「ごはんを二人分作ったり買ったりしなきゃいけないこと以外は特になんの問題もなく過ごせてるよ。」

「ふーん、ご飯はコンビニ飯が多いの?」

「そうだね、最近はお互いに公式戦が多いから、基本コンビニ飯ばっかだね。」

「それじゃあ、栄養が偏って体に良くないわよ。・・・そうねぇ、勇気くんが盤王戦の期間中だけでも私がごはん作ってあげようか?」

「え!?いいの?でも師匠のご飯も作ってるのに俺たちの分までなんて大変だよ。」

「いいのよそれくらい。逆に私にはそれくらいしかしてあげられないから。」

 

 

桂香さんが寂しそうに言った。

 

 

「う、うんお願いしようかな。俺も銀子もめっちゃ助かるよ。桂香さんのご飯美味しいし。」

 

 

その後も俺と桂香さんは他愛もないことを話した。

桂香さんと二人きりというのはとても久しぶりな気がする。

 

 

「なんか悔しいな。昔は勇気くんと一番一緒にいたのは私だったのに今はもう銀子ちゃんや八一くんの方が一緒にいる時間長いもんね。」

 

 

確かに俺が盤王になってから一番会う機会が減ったのは桂香さんだ。

八一や銀子とはプロ棋士である以上会う機会が時々あったからそこまで会う機会は減らなかった。

 

 

「八一や銀子が内弟子になるまでは桂香さん俺にずっと構ってくれてたよね。」

「私も弟ができたみたいで嬉しかったのよ。勇気くんより小さい八一くんや銀子ちゃんが来てからは私も二人の世話が増えたから勇気くんに構ってあげられなくなっちゃったけどね。」

「正直八一や銀子に嫉妬してた時期もあったんだよ。」

「へぇー、そうなの初耳!」

 

 

桂香さんがイタズラっぽく笑う。

 

 

桂香さんと話していると落ち着く。不思議と素直になれる。

 

 

「じゃあそろそろ私行くね。」

「あ・・・うん。今日はありがとう。」

 

 

もう少し桂香さんと話していたかったが迷惑をかけるわけにもいかないので引き止めなかった。

 

 

俺の感情を読んだのか桂香さんは微笑んで俺の頭に優しく手を置いた。

 

 

「頑張ってるね。偉いぞ!」

 

 

優しく俺の頭を撫でてくれた。

 

 

桂香さんが帰った後も桂香さんの笑顔がしばらく頭から離れなかった。

 




桂香さんみたいな年上の女性に甘やかされたい!!


さて、次回は銀子ファン必見です!!


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銀子にときめく盤王

箸休めに銀子の話を一つ。


盤王戦第一局に勝利した俺はその勢いのまま三連勝を達成して盤王戦防衛を果たした。

 

心地よい疲労感を感じながら家へと帰って来た。

 

 

「ただいま。」

 

 

ここ最近はただいまと言って部屋に入ることが当たり前になった。それが俺にとってはとても嬉しいことだったりする。

 

 

「お帰りなさい。ご飯は桂香さん作ってくれてるから食べて。」

 

 

銀子は簡単な話をすると再び棋譜並べを再開する。

 

銀子との二人暮らしは、風呂上がりの銀子を見て理性を保つのが大変なこと以外は基本的に何の問題もなく生活できていた。

 

 

ひとつ、飯の問題を除いて。

 

 

 

最初は銀子が住まわしてもらうお礼にと、ご飯を作ってくれたが、大量のソースで真っ黒なお好み焼きという名の、ダークマターが出てきたのを見て、銀子を怒らせないように丁寧にお断りして、それ以来俺が簡単な料理を作ったりコンビニ飯で賄うようになった。

 

しかし盤王戦期間中は体調管理も大事だと、桂香さんが提案して盤王戦期間中は桂香さんが料理を作ってくれることになった。それを銀子に伝えた日から銀子に2日間完全に無視されたのはまた別の話である。

 

 

盤王戦も今日で終わりなのでまたしばらく桂香さんのご飯が食べられないなぁ。

 

桂香さんの絶品お好み焼きを食べ終えてそんなことを考えていると棋譜並べをしていた銀子が急に立ち上がった。

 

 

「もう寝るのか?おやすみ。」

 

 

俺が話しかけても銀子はその場に立ったままである。

不思議に思って銀子のいる方をみると、銀子と目が合う。

 

いつもよりも顔が赤いしなんか睨まれてるし・・・なんか怒らせるようなことしたかなぁ

 

 

銀子は無言で俺の隣の席に座る。そして椅子を俺の方に近づけた。

 

 

「ち、近いんだけど。」

「・・・」

 

 

銀子の息遣いが聞こえるほど密着していて俺はドギマギする。

 

銀子は子猫がじゃれつくように額を胸にすりつけてくる。

 

 

「!?ぎ、ぎ、銀子!?なにしてんの!?」

 

 

昔は将棋で負けるとよく俺の腰に顔を埋めてきたけど、それは銀子が小学生低学年の時のこと。

 

銀子の髪からシャンプーのいい匂いがして、俺の理性が飛びそうになる。

これ以上はまずい。

 

 

「ちょっと、ごめん銀子。」

 

 

俺は銀子を強引に引き剥がして距離を取る。

 

 

「あ・・・。」

 

 

銀子の顔が切ない顔になる。

 

 

「ごめん銀子・・・乱暴して。」

「私も少し変だった、ごめん。」

 

少しというかかなり変だったけど・・・

 

 

「・・・」

「うっ・・・」

 

 

気まずい沈黙が流れる。

 

 

「ど、どうしたの?」

「最近会えてない。」

 

 

確かに最近お互いに公式戦が続いて一緒にいる時間は少なかった。

 

 

「寂しかった。」

 

 

銀子は蚊の鳴くような小さい声で言った。

 

 

「銀子・・・」

 

 

そういえば昔の銀子はめちゃめちゃ寂しがり屋だったっけ・・・

 

 

俺が修学旅行に行った時も俺に会いたいって一晩中大泣きして、桂香さんを困らせたって聞いた。

 

 

微笑んで銀子の頭に手を乗せて軽く撫でてあげる。

 

銀子は恥ずかしそうに俯いている。

俺が手を離すと、銀子は悲しそうに俺を見た。

 

「・・・もう・・・ちょっと。」

「う、うん。」

 

 

頭を再び撫でると今度は嬉しそうに俺を見つめてきた。

 

 

「フフッ」

 

 

その笑顔に思わず見惚れてしまう。

 

 

「おめでとう・・・お、お兄ちゃん。」

 

「えっ・・・」

 

 

驚いて思わず銀子の顔を見つめてしまった。

 

 

「も、もう寝る。」

 

 

 

銀子は顔を真っ赤にして、和室に行ってしまう。

 

 

その日は目を瞑ると銀子の顔が浮かんでしまい眠れない夜を過ごした。

 




銀子みたいなクーデレな女の子に甘えられたい!!

こういう話は需要あるんだろうか・・・

次回から真面目に原作に戻ります。


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突撃!竜王のお宅訪問

訳あって寝不足の俺はまだ寝ぼけた状態で、布団から抜け出しケータイを確認する。

 

 

八一からメール来てる。

 

 

ーーー

兄弟子盤王防衛おめでとうございます!

 

それで今日、お祝いしたいんで明日の朝10時に兄弟子の部屋行きますね。

 

あと、兄弟子に会ってもらいたい人もいます。

 

ーーー

 

時計を確認すると既に午前10時。

 

 

 

 

「兄弟子、入ってもいいですか?」

 

ヤバイヤバイヤバイ、八一はまだ銀子が俺の家で生活していることを知らないはず。

もし銀子が俺の家で生活していることを知ったら・・・八一は俺を軽蔑するだろう。

それは絶対ダメだ、俺は何としても兄としての威厳を保たなければならない。

 

 

「悪い八一、少し待ってくれ。」

「どうかしたんですか兄弟子?」

「何というか今動けない状況にいるというか何というか・・・」

「動けない、アッもしかして兄弟子昨日の盤王戦で疲れて倒れてるんですか!?今すぐ助けに行きますね。」

 

 

八一が合鍵を使って鍵を開けようとする。俺は必死にドアを抑える。

 

 

「大丈夫だから八一!だから一旦帰ってくれ、準備ができたら呼ぶから!」

「兄弟子さっきから様子が変ですよ。!?もしかして昨日の対局に疲れて幻覚を見てるんですか!?今すぐ助けないと。」

 

 

ぜんっぜん読み間違えてるから八一!?何一つ合ってないから八一!?

 

 

俺と八一がドアを挟んで一進一退にの攻防を続けていると、その騒動で目を覚ました銀子が和室から出てくる。

 

 

「何を騒がしくしてるの。」

 

 

起きちゃった。

銀子の登場に動揺した俺はついにドアはこじ開けられ八一とに真っ黒の服に身を包んだ見知らぬ幼女が部屋に入ってきた。

 

 

「姉弟子!?」

「あなたの一門はみんな家に女連れ込んでるの!?」

「違うからぁぁぁぁ。」

 

 

俺は全力で弁明を開始した。

 

 

✳︎

 

 

「つまり、姉弟子は棋力を向上させるために兄弟子の家で勉強しているんですね。」

「そ、そうだなそういうことになる。」

 

 

銀子のために本当の理由は伏せてある。

 

 

「はぁ、中盤の鬼なんて言うからどんな凄い奴なのかと思ったらまさか中学生を家に連れ込む性犯罪者だとは思わなかったわ。」

 

 

この子には全く誤解が解けてないんだが・・・というかこの子誰!?

 

 

「兄弟子!紹介し忘れたんだけど俺の新しい弟子の夜叉神天衣9歳です。」

 

 

目の前の新しい八一の弟子と八一を交互に見ながら俺は弟を信じるために聞かなければならないことを聞く。

 

 

「本当にロリコンじゃないんだな?」

「違いますよ!?」

 

 

 

俺と八一がやり取りしている横で、別の戦いが勃発している。

 

 

「ふんっ、あなたが女王の空銀子ね。まぁ見てなさい、私が女流棋士になったらあなたのタイトルなんてすぐに全部奪ってあげるわ。」

「だまれ小童。」

 

 

夜叉神天衣とかいう子、銀子をいきなり煽りやがった!

一応平静を装ってわいるけど、背後から立ち上る黒いオーラがドンドン増してきている。

 

 

「あ、そ、そうだ兄弟子!いきなりで悪いんだけど、天衣に指導対局を1局さしてくれません?」

 

 

八一も危険な雰囲気を感じ取って銀子と天衣ちゃんを引き離そうとする。

 

 

「ん、いいぞ!そうだな今すぐやろう。やろう!」

 

 

急いで将棋盤を持って来る。

 

 

「八一が私をここに連れてきた理由はこれ?私は別に八一との対局だけで十分なんだけれど・・・」

 

 

天衣ちゃんは八一の方をちらりと見る。

 

 

「強くなる為には、色んな人と指すのが一番の近道だぞ。」

「言われなくてもわかってるわよ。バカッ!!」

 

 

これがツンデレというやつか!

そうやって思い返して見ると、天衣ちゃんの今までの言動が全て可愛く見えてきた。

 

 

「何をニヤニヤしてるの気持ち悪い、早く指導対局してよ。」

 

 

明らかに俺を挑発して来る。こういう生意気な子供は嫌いじゃない。

 

 

「わかったじゃあ、4枚落ちでやろう。」

「ふんっ、ハンデをつけすぎたって後悔しないことね。」

 

 

駒を並べようとすると、銀子が俺の肩を掴む。

 

 

「ど、どうした銀子・・・?」

 

 

嫌な予感しかしない。

 

 

「どいて兄弟子、そいつ殺せない。」

「・・・」

 

数々の俺に対する無礼に俺ではなく銀子がキレた。

 

銀子がヤンデレのテンプレみたいな発言してる・・・

殺すっていうのは、天衣ちゃんの玉を殺すって意味だよね?・・・そうだよね!?

 

 

「ま、まずは俺が指導対局するから銀子は八一とでも指しといてよ。」

 

 

銀子と天衣ちゃんを対局させるのは色んな意味で危険だと判断した俺は急いで駒を並べて対局を開始する。

 

 

対局は中盤戦で既に盛り返せないほどに差がついた。

可哀想だが、天衣ちゃんの陣内に飛車を打ち込み、玉を詰ましにいく。

天衣ちゃんの手が止まった。

確かに定石はしっかり頭に入っているが、それ以上のものは感じられない、あいちゃんほどの才能はないのかな。

 

 

刹那天衣ちゃんの雰囲気が一変する。

 

 

「・・・ま・・・だっ、私は戦えるっ!!」

力強く、持ち駒を自陣に打ち付け徹底抗戦の構えを見せる。

 

 

「ほぉ、いい目をしている。」

 

 

一心不乱に見つめる天衣の目は美しく輝いている。それを見て俺の心も熱くなる。

 

 

✳︎

 

 

「グスッ何なのよあんた、人畜無害みたいな顔して、どんだけ私をいじめたら気が済むのよ!!」

投了後、天衣ちゃんはボロボロと涙を流しながら盤上の駒をぐしゃりと潰し、夜叉のような視線で俺を睨みつける。

 

 

--結論から言うと俺の勝利ーー

 

 

ただ天衣ちゃんは、俺の予想よりも力強い受けをした。なるほど八一が認めただけはある。彼女ならあいちゃんのライバルもしっかり務まるだろう。

 

おそらく八一はあいちゃんのライバルを作ってあげる目的で天衣ちゃんを弟子にとったのだと思う。

 

棋士にとってライバルとは非常に大切な存在だ、ライバルがいるからこそ棋士はどこまでも強くなれる。

 

あの名人にもライバルがいたように・・・

 

 

「ごめんよ、天衣ちゃん別に悪気があったわけじゃなくて俺もつい熱くなっちゃって。」

「もういいうるさい!もう騙されないわ、あなたは人狼ね!!怖いから近づかないで。」

 

 

なんかすごい嫌われた・・・

 

 

「すいません、兄弟子、悔しいから八つ当たりしてるだけなんです。」

「いや別に気にしてないからいいんだけど、やりすぎちゃったかな?」

「あれぐらいでちょうどいいのよ。」

 

 

銀子が満足そうに言う。

天衣ちゃんごめんね・・・。

 

 

「ところで八一、お前これあいちゃんに言ったのか?」

「それがまだなんです・・・」

「・・・」

 

 

これは絶対一騒動あるぞ。

 




あいと天衣の一騒動は、偉大なる原作2巻や今絶賛放送中のアニメ『りゅうおうのおしごと』でご確認ください。


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6月
最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが


最近銀子の様子がおかしい。

 

 

最近銀子の帰りが異常に遅いのである。

 

 

「ただいま。」

 

 

今日も帰ってきたのは午後10時過ぎ。

前は学校が終わったらすぐ帰ってきていたのに・・・

 

 

一緒に住む兄として銀子が道を踏みはずそうとしているのなら正してあげなければならない。

 

 

「ここに座りない。」

 

 

意図的に威圧する。

 

 

「どうしたの?」

 

 

銀子はのそのそとやって来て俺の前に座った。

 

おかしい点は他にもある。

最近家に帰ってくるとひどく疲れているのだ。

銀子は自分の対局があった日もあれほど疲れては帰ってこない。

銀子が将棋以上に神経を使うこととはいったい何なのか・・・

 

 

「最近変わったことないか?」

 

 

まずは核心に迫らずに、銀子の心をほぐしていく。

将棋と同じで、攻めるには準備が大切なのである。

 

 

「特に何も。」

 

 

おぉ、穴熊のごとく硬いガードだ。

 

 

「最近少し疲れ気味じゃないか?」

 

 

歩を突き捨てるように軽く探りを入れる。

 

 

「そんなことはないと思う。」

 

 

銀子は眉をひそめて警戒度を上げている。

 

 

「じゃっじゃあ俺に相談したいこととかないのか?」

「何もない。」

 

 

の、ノータイムだと・・・!?

さすが、銀子。守りが尋常じゃないほどに硬い。

 

だが【中盤の鬼】と呼ばれて攻めに定評がある俺に崩せない守りなどない!

 

 

「なんで最近こんなに帰りが遅いんだ!」

「な、なんでもない。」

 

 

この日始めて銀子の表情が変化した。

よしっ、一気に攻めを繋ぐ。

 

 

「俺に言えないような事してるのか?」

「・・・」

 

 

銀子はついに黙り込んで俯いてしまった。

そしてポタポタと小さな雫が垂れた。

 

・・・

 

泣かしちゃった!?

 

 

「ご、ごめん銀子。チョット言い過ぎちゃった。」

「いきなり、怒るから・・・」

 

あわてて銀子をなだめる。

 

その後銀子の要望で頭を撫で続けてなんとか銀子を泣き止ませることに成功した。

 

 

「どうしても言いたくないこと?」

「兄弟子にはどうすることもできないこと。」

 

 

そう言うと銀子は和室へ行ってしまった。

 

 

✳︎

 

 

 

『ヤバくない?』

『通報しとく?』

『えーコワイよー。』

 

 

俺は今大切な妹に何か危険なことが起きてないか確認するため銀子を中学校から尾行している。

 

 

周りの中学生からは明らかに不審者に思われているが関係ない。

俺は何としても銀子の帰りが遅い原因を突き止めなければならないのだ!!

 

 

銀子は一人で迷いなく道を歩いて行き、俺もよく見知った場所の前で立ち止まった。

 

銀子は清滝邸にそのまま入って行った。

 

 

なんで清滝邸に寄ってるんだ?・・・

 

 

ここで俺の頭の中で今までの出来事が全て一つに繋がる。

 

つまり俺の読みはこうだ。

 

 

ーーー銀子は俺と暮らしたくないーーー

 

 

だから遅くまで清滝邸にいてなるべく俺と一緒にいる時間を減らしているのだ。

 

銀子は自分から二人暮らしをお願いした手前自分からは言いにくいのだろう。

 

分かった銀子・・・お前のために俺から二人暮らしの終わりを提案してあげよう!

 

 

・・・どうしてこんなに嫌われちゃったのかなぁ(泣)

 

 

俺は涙を堪えて清滝邸へと駆け出す。

 

 

「ゴメンよ銀子ぉぉぉ。今日からもう俺の家には帰ってこなくていいからねぇぇぇ。」

 

 

叫びながら清滝邸の中に入るとそこには驚いた顔の銀子と桂香さんがいた。

 

 

「いきなりどうしたの!?というか何でここにいるの?」

「分かったよ銀子、お前本当は俺と暮らすの嫌だったんだろ。明日には銀子の私物全部こっちに送るから今日からまたここで暮らしていいぞ。」

 

 

銀子が目をパチパチとさせている。

 

 

「何いきなり言い出してるの。明日からも兄弟子の家で暮らすから。」

「え?だってお前俺といるのが嫌でここにきてるんじゃないの?」

「違う!お兄ちゃんと暮らすのが嫌な訳ないじゃない。

 

 

本当なのか!?

よかったぁ、銀子に嫌われてなかったよぉ〜

 

 

「じゃあなんで・・・」

 

 

銀子の後ろにいる桂香さんと目が合う。

桂香さんは気まずそうに目をそらした。

 

銀子がここにいる理由、そして銀子が俺にこれを内緒にしていた理由がわかった。

 

 

「将棋星人には関係のないことだから、帰って。」

「わ、わかった。ごめん。」

 

 

悔しそうに俯く桂香さんに俺は何も言うことができなくて、銀子に無理矢理外へと追い出される。

 

 

ーー将棋星人にはわからないことだからーー

 

 

銀子に言われた言葉と桂香さんの顔が頭の中をグルグル回る。

 

桂香さんにBがついたことは知っている。

 

銀子が言った言葉の意味もよく分かる。

 

 

・・・でも

 

 

思い出したのは桂香さんに誓った夜。

 

 

俺はあの夜みんなを、桂香さんを守ると誓ったんだ。

 

 

例え嫌われたとしても、俺は桂香さんの為に何でもしてあげたい。

 

 

だって俺は

 

 

 

 

ーー清滝一門の長男だからーー

 

 




今日から原作3巻の話に突入です。


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兄弟喧嘩 〜桂香side〜

次の日、俺は将棋会館の前にいた。

 

目的はただひとつ、年上の妹弟子を待つために。

ドアが開き、目当ての人が将棋会館から出てくる。

その顔は今日も沈んでいる。

 

 

「あっ、勇気くん・・・」

 

 

桂香さんは俺に気付くと複雑そうな表情を浮かべる。

 

 

「桂香さん、俺も今丁度帰りなんだ、一緒に帰ろ?」

 

 

桂香さんは俺の目をジッと見つめる。

 

 

「ウフフッ、待ってたのバレバレよ。」

 

 

桂香さんは弱々しく笑った。

 

 

✳︎

 

 

「銀子は中々朝起きてくれないんだよ。終いに今日は学校休みだとか言って二度寝しようとするし、ホント大変。」

「・・・」

 

 

一緒に帰りながら、勇気くんは色んな話を私にしてくれている。

意図的に将棋の話を避けてくれている。

その気遣いさえも何故か腹立たしくて、私はずっと勇気くんを無視し続ける。

 

 

勇気くんにまで八つ当たりしちゃってる・・・

自分のちっぽけさに余計腹が立つ。

 

 

勇気くんは私なんかと違って才能があって将棋界でスターで・・・

 

 

なのにーー

 

 

なんで、なんで、なんで、なんで 私なんかに構うのよ!

 

 

その場に立ち止まる。

異変に気付いた彼が立ち止まって振り返る。

 

 

「どうしたの桂香さん?」

「帰って。」

「いま、一緒に帰って・・」

「今すぐ私の目の前から消えて!!」

「!?」

 

 

勇気くんは一瞬何を言われているのかわからない表情になる。

 

 

そして、目に涙が溢れる。

 

 

「お、俺は桂香さんの力に少しでも・・・な、り、、たく、て・・・」

 

ーなんで私は目の前の男の子を泣かしているんだろうー

 

「それがお節介だって言ってるの!」

 

 

ーーなんで彼に怒っているんだろうーー

 

 

「もう顔も見たくない。」

 

 

みるみる勇気くんの顔が悲しみに歪んでいく。

 

 

ーーそれはダメ、それだけは言ってはいけないーー

 

 

「才能に恵まれた勇気くんに私の何が分かるのよ!!!」

 

 

一度放たれたら止まらない、私は自分の負の感情全てを19歳の子にぶつけてしまった。

 

 

勇気くんは口をパクパクさせて固まっている。

 

 

幻滅しちゃった?これが本当の私なんだよ。

 

 

才能に嫉妬して、ひがんで生きていく、そんな汚い人間。

 

 

「ご、、、めんな、さい。」

 

 

彼はそう言うと私の目の前から静かに去って行った。

 

 

あーあやっちゃった。

 

 

私は今日のこの行動を後にさらに深く後悔することになる。

 

 

✳︎

 

 

勇気くんに酷いことを言ってしまった翌日私が将棋会館に行くと研修会の幹事の久留野義経7段に呼び止められる。

 

Bのことかしら・・・

私は暗い気持ちで久留野先生の元へ行くと予想外のことを言われた。

 

 

「桂香くんにお届けものがあるよ。僕から渡した方がいいと思うからって言っていたよ。」

「あ、ありがとうございます。」

 

 

私にお届けもの・・・なんだろうそもそも誰からだろう。

茶色の封筒の中を開けてみるとそこには一枚の棋譜が入っていた。

その棋譜には赤いペンで無数の文字が書かれている。

 

 

ーーここの攻めは重い気がします、もう少し持ち駒と相談して攻めるタイミング考えてみて下さい

 

ーーここの同銀は同歩の方がいいと思います。例えばここから・・・

 

私の昨日の対局の棋譜に大量のアドバイス、読み筋が書いてある。

 

 

少し汚いこの字には見覚えがある。

 

 

勇気くんの字だ・・・

 

目から涙がどんどん溢れて止まらなくなる。

 

 

あんなに酷いことを言ったのに、勇気くんはまだ私のためにこんなに・・・

 

見たくないって言ったからわざわざ久留野先生にお願いして・・・

 

 

今すぐにでも勇気くんに会って謝りたい、でも今の私に勇気くんに合わせる顔なんてない・・・

 

 

✳︎

 

 

私はこの気持ちを誰かに聞いて欲しくて銀子ちゃんに相談した。

 

 

「兄弟子が・・・」

「うん。私勇気くんにとっても酷いことしちゃってる・・・」

 

 

他人に話すと、再び自分のやってしまった事を再認識させられて涙が出てしまう。

 

 

「泣かないで、桂香さん。兄弟子が桂香さんの事嫌いになるなんて事ないから。」

「ウン、ゴメンね・・・」

 

 

銀子ちゃんにまで慰められている・・・

 

私はいつからこんなに弱い人間になってしまったんだろう・・・

二人はいつの間にこんなに強くなっていたんだろう。

 

 

ーーーやっぱり二人とも将棋が・・・

 

 

また嫉妬しそうになっている自分の思考を無理やり遮断する。

いつから私はこんなに汚い人間になってしまったんだろう。

 

 

「今はただ、将棋のことだけ考えるべき。それが一番楽だから。

「うん。そうだね・・・」

 

 

心に大きな重りを抱えたまま今日も私は将棋を指す。

強くなっているのかどうかも分からないまま。

 

 

それから勇気くんは毎日私の棋譜にアドバイスを書き続けてくれた。

 

その量は日に日に増えていった。

 

 

 

勇気くんからのアドバイスが始まり一週間が経った日、私は偶然彼に会った。




僕の作品であいちゃんや天衣ちゃんが活躍するのはいつになることやら・・・


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兄弟喧嘩 〜勇気side〜

「才能に恵まれた勇気くんに私の何がわかるの!!!」

 

 

桂香さんと別れた後自分が現実にいるのか夢を見ているのかもわからない状態でフラフラと歩く。

 

 

「才能か……」

 

 

気がつくと福島のアパートの前に来ていた。

 

先週から八一とあいちゃんは【捌きのマエストロ】生石充9段の経営している『ゴキゲンの湯』へ行き、振り飛車を習っているらしく、最近は福島のアパートにはほとんどいない。

今日もゴキゲンの湯に行っているようだ。

 

 

「ただいま。」

「おかえり。」

 

 

家に帰るといつものように銀子が一人で棋譜並べをしている。

 

俺は銀子の向かい側へと腰を下ろす。

 

 

「どうしたの?」

 

 

銀子は目線は盤面のまま俺に聞く。

 

 

「あのさ銀子。桂香さんのことだけど……」

「将棋星人にはどうしようもできないこと。今はそっとしてあげて。」

 

 

銀子は無愛想に言った。

 

 

 

駒音だけが悲しく響く。

 

 

「俺はみんなの兄なんだけどな……」

 

 

銀子は不思議そうに俺を見てきた。

 

 

「ごめん今のは忘れてくれ。」

 

 

 

風呂に入りながら考える。

俺が桂香さんにしてあげられること・・・。

 

 

結局知恵を絞っても一つしか案は思い浮かばない。

 

 

「これしかないか……」

 

俺には将棋でしか桂香さんを助けることができない。

だって俺は生まれてから将棋しかしてこなかったから……

 

 

次の日から俺は桂香さんの棋譜をもらうことが日課になった。

 

✳︎

 

 

「っ負けました……」

 

 

目の前で山刀伐八段を下した俺は、感想戦を開始する。

 

 

「あなたの激しい攻め、ゾクゾクしたわよ。」

 

 

感想戦をしながら背中に寒気を感じる。

 

 

「あ、有難うございます。この局面どうだったんですかね。」

 

 

その後も感想戦は白熱し、時間も結構たってしまった。

 

 

「あなたとの感想戦は楽しいわ。今夜一緒に私の家で研究会しない?」

「いえ、すいません遠慮しておきます。」

 

 

なんの研究会をするつもりなんだ!?

 

 

「そう、残念だわ。……次の相手は名人ね。私も楽しみにしてるわ。」

「っはい!頑張ります。」

 

 

✳︎

 

ーーーー

竜王戦トーナメント準々決勝

3組優勝の山橋勇気盤王と1組4位の山刀伐八段の対局は山橋盤王が終始攻め続け山刀伐八段を下した。

これにより竜王戦トーナメント準決勝は盤王と名人の対局が実現することになった。

名人と盤王の対局は2年ぶりとなる。

永世7冠がかかっている名人と勝ち抜けば弟弟子に挑戦できることになる両者の対局は非常に激しいものになると予想される。

ーーーー

 

勇気くんはすごいな・・・

 

 

竜王戦の記事を読みながら私は一人歩き続ける。

 

私が向かっているのは八一くんと勇気くんが住んでいるアパートの近くにある神社。

将棋に勝てない私は神にすがるしかなく、神社にお参りに行こうとしている。

鳥居を通って境内に入り本殿へと向かうとそこには見覚えのある男の子がいた。

 

 

「……」

 

 

対局の時のスーツ姿のままで彼は目を瞑り一心不乱に何かを願っている。

 

 

「あ、桂香さん……」

 

 

私に気付いた勇気くんは気まずそうに目を逸らす。

 

私は勇気くんにここまで気を遣わせてしまっていたのだ。

 

それが申し訳なくて、自分に無性に腹が立つ。

 

 

「おめでとう勇気くん。今日も勝ったんだってね。」

 

 

私は頑張って優しいお姉さんに戻ろうとする。

 

「グスッ、ウッ、ウッ……」

 

 

気がつくと涙が流れていた。

なんでまた泣いてるんだろう・・・。

 

 

そうだわかった。

 

 

ーー彼に抱きしめられているからだーー

 

 

「そんなに抱え込まないで。俺に会いたくなかったら会わなくてもいい。俺がイヤなら違う棋士紹介するから。だから桂香さん、そんなに……一人で悩まないで。」

 

 

「ご、ごめん・・・ね。」

 

 

勇気くんはどこまでも優し過ぎるのよ。

 

 

どんなに酷いこと言って突き放しても、ずっと私のことを考えてくれてる。

 

 

「私焦ってて、勇気くんにも酷いこと言っちゃって・・・ごめんね・・・。」

「いいよそんなこと。だって家族だもん、俺たち。」

 

 

そうか・・・。勇気くんはあの夜の誓いを今も必死に果たそうとしてるんだ。

 

自分の戦いもあるのにみんなのことにまで気にかけている。

 

ホントにどこまで強く成長したんだろうか。

 

 

「あの、勇気くん・・・ちょっと痛いかな。」

「あ!ご、ごめんなさい……」

 

 

勇気くんは顔を真っ赤にして私から離れる。

 

この辺はまだまだ子供みたいね。

 

 

勇気くんのおかげでわたしの心は知らない内に軽くなっていた。

 

今なら素直に言える。

 

「勇気くん、いや先生、私に将棋を教えてください。」

「桂香さん、先生呼びはダメだよ。だって俺たち家族なんだし。」

 

 

そう言って笑う彼は今までで一番頼もしく見えた。




銀子って月夜見坂燎のことどう呼んでましたっけ?

知ってる人いたら教えて下さい。


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桂香さん強化!臨時研究会

桂香さんと一緒に清滝邸へ行くと銀子が不安そうな顔で桂香さんを待っていた。

 

銀子は桂香さんを見ると、額を桂香さんの肩にすりつけてじゃれている。

 

 

「遅い。」

「心配かけてごめんね銀子ちゃん。」

 

 

桂香さんは銀子の頭を優しく撫でる。

 

 

「嫌われたのかと思った。」

「嫌いになるわけないでしょ。」

 

 

桂香さんに撫でられて銀子もようやくいつもの調子に戻る。

そこでようやく俺に気づく。

 

 

「あ。兄弟子……」

 

 

さっきのやり取りを見られたのが恥ずかしいのか顔を赤らめている。

 

 

銀子は俺が桂香さんに将棋を教えることを嫌がっている。

 

俺の才能に触れて桂香さんが将棋を止める後押しになってしまうと考えているのかもしれない。

桂香さんに限ってその心配はないと俺は思っているんだけどなぁ・・・

 

 

「あのさ銀子、俺も桂香さんを教えることになった。」

「・・・」

「私がお願いしたの。」

「桂香さんがいいなら・・いいよ。」

 

 

銀子は渋々ではあったが認めてくれた。

 

 

 

かくして俺と銀子による桂香さん強化会議が開催された。

 

 

「まずは、しっかり時間を使い切る練習をすべき。」

「いや、時間は余ってもいいんだから大事なのは指すテンポだ。少々悪い手でもこちらのテンポで指していれば優勢になることもある。」

「へぇー。」

 

 

桂香さんが感心した声を上げる。

 

 

「騙されちゃダメ桂香さん。それは天才の考え方。」

「イヤイヤ、テンポなんて才能関係ないだろ。」

「凡人はそんなに一定ペースで次の手は浮かばない。」

 

 

銀子と俺は桂香さんの育成方針で喧嘩する。

 

 

「ウフフフ、アハハハハハ。」

 

 

言い合う俺たちを見て桂香さんは嬉しそうに笑い出す。

それにつられて俺と銀子も笑い出す。

 

 

「なんだか、昔に戻ったみたいね。」

 

 

そういえば昔は桂香さんを取り合ってよく喧嘩してたなぁ。

 

 

「ほんと、そうね。」

 

 

銀子がニッコリと笑った。

 

こんなに楽しそうな銀子を見るのはとても久しぶりな気がする。

 

 

「八一もいてくれたらなぁ。」

 

 

俺の何気ない一言で空気が突如重くなる。

銀子は複雑な表情するし、桂香さんは懐かしそうに目を細める。

 

 

「さぁ、八一くんを驚かせるくらい強くならないとね!」

 

 

桂香さんが明るく言った。

 

 

こうして俺と銀子と桂香さんの臨時研究会が発足した。

 

 

 

✳︎

 

 

 

桂香さんと銀子との研究会は毎日行われた。

 

 

「大分いい将棋になってきてると思うよ。」

「そうかなぁ。あんまり実感わからないんだけど……」

「うん。桂香さんだけの将棋になってきてる。」

「みんなのおかげだね。」

 

 

桂香さんは嬉しそうに笑う。

それを見て俺と銀子の表情も自然と緩む。

 

研究会が始まってから俺と銀子と桂香さんの仲は格段に良くなった。

 

いや、昔に戻ったという方がいいかもしれない。

 

将棋を教えた後は師匠も含めた4人でご飯を食べてから帰るのが定番の流れになっている。

 

でも、密かに八一も一緒にいて欲しいと思う・・・

 

 

「ワシは・・・ワシで・・・」

 

 

師匠は飲み過ぎて完全にダウンしてる。

 

 

「桂香さん、師匠連れて行くね。」

 

 

俺は師匠をおぶって寝室へと連れて行く。

 

 

酒臭い・・・

 

 

「勇気・・・頼む、、ぞ……」

 

 

急に自分の名前を呼ばれて驚く。

 

 

「はい。任せてください。」

 

 

師匠を布団に寝かして静かに部屋を出る。

 

 

居間に戻ると桂香さんと銀子が練習対局している。

 

 

邪魔してはいけないので音を立てないように側に座る。

 

 

子供の頃から聞いていた心地よい駒を打つ音だけが居間に響く。

この音を聞いていると段々と眠くなって・・・

 

 

 

✳︎

 

 

 

「ウフフ、寝てる。」

「最近名人との対局に向けて研究頑張ってたから。」

 

 

銀子と桂香さんが話しているのを聞いて目が覚めた。

 

 

「本当に勇気君や八一君は住んでる世界が違うんだね……」

 

 

桂香さんの寂しそうな声が聞こえる。

 

 

「兄弟子はいつも自分のことより私たちのことを優先してくれる。」

「本当に優しい人だね。」

「でもその優しさは……」

 

 

銀子の言葉の最後の方は小さ過ぎて聞こえなかった。

 

 

「膝枕でもしてあげたら喜ぶんじゃない?」

 

 

桂香さんが突然すごい提案をした。

 

 

「で、できない。」

「じゃあ私がしてあげようかしら。」

「!?い、いや私が・・・や、や、や」

 

 

 

面白そうだからまだ寝たふりしてるけど。

 

 

一人が立ち上がる気配がする。

 

立ったのはどっちだ?

 

気配が俺のすぐ隣まで来る。

 

 

「お、お兄ちゃん・・・」

 

 

隣に来たのは銀子だった。

 

 

「フフッ。」

 

 

銀子の緊張している様子がこっちにまで近づいて来て思わず笑ってしまった。

 

 

「い、いつから起きてたの?」

 

 

銀子は顔を真っ赤にして焦っている。

 

 

「今だよ。今、今。」

 

 

銀子はジト目で俺を睨みつけて来る。

 

 

「ホントは最初から起きてたでしょ。」

 

 

ちょっと桂香さん!?

 

桂香さんは意地悪な顔をしている。

最初から俺が嵌められてたのか・・・!?

 

 

「ぶちころすぞわれ。」

 

 

この後銀子にボコボコにされた。




銀子のせいでクーデレキャラに目覚めてしまった。


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再戦!名人vs盤王

関西将棋会館の対局場へと行くとまだ俺の対局相手は来ていない。

下手へ腰を下ろして対局時間になるのを静かに待つ。

 

 

そこに対戦相手、名人がやって来た。

互いに一言も話さないまま対局時間が近づいてくる。

 

 

盤王戦以来の名人との対局。俺がこの2年間でどれだけ成長したのかを測るのにはこれ以上ない最高の指標である。

盤王戦で勝利したとはいえ、あのタイトル戦で名人に勝ったという感覚は全くなかった。

 

 

「時間になりましたので対局を開始してください。」

 

 

立会人の言葉を聞き、深く深呼吸をしてから飛車先の歩を突く。

名人は6手目飛車を中央に振った。角道を空けた中飛車、通称ゴキゲン中飛車。

現在では生石充玉将の得意戦法として知られている。

 

振り飛車か・・・

名人の手を見て4八銀と銀を前へと進めて超速3七銀戦法を目指す。

 

その後お互いに陣形を整え合い、迎えた35手目4五銀と銀をぶつけてこちらが先に仕掛ける。

 

 

相手の角を引かして邪魔な名人の5筋の銀を取り、こちらのペースに持ち込む。

 

ーー行けるっーー

 

実際は五分、でも攻めてる分感覚的にはこちらが有利。

 

 

さらに勝負の一手、5二銀打で相手に銀をあげるかわりに飛車を釣り出してさらに、ノータイムで4一銀打。

 

ーー決まったーー

 

ここまで思い通りの完璧な指し回し。

銀を使って徐々に自分の持ち駒を増やして行く。

 

 

81手まで進んで、名人の持ち駒は飛車と歩一枚。対する俺は歩4枚に桂馬銀飛車が一枚づつ。

完全に俺のペースだ。

 

相手の囲いを崩すための手を考えようとしたその時だった。

 

 

「!?」

 

 

駒の利きがどんどん見えなくなって行く。

 

 

そんなバカな・・・

 

 

さっきまでは名人と共有できていた感覚が今や完全に失われている。

 

 

さっきまでハッキリと見えていた名人の姿はもう

 

 

ーー見えなくなっていたーー

 

 

攻めの手が見当たらない。

 

動揺した俺は攻めに全く関係のない金を動かした。

 

 

「はぁ。」

 

 

名人の口からため息が漏れた。

 

 

✳︎

 

 

「何が起きたの?」

 

 

テレビで銀子ちゃんと一緒に勇気くんの対局を見ていた私は何が起きたのか全くわからなかった。

 

 

テレビの前では悔しそうに唇を噛む勇気くんの姿が大きく映っている。

 

中盤までは完全に勇気くんのペース、このまま最後まで押し切ると思っていた。

 

しかし勇気くんは負けた。

 

でもハッキリとした悪手があったわけではない。少なくとも私にはそう見えた。

しかし勇気くんは負けた。

 

 

「こ、これが名人の実力・・・」

 

 

何が起きたのかわからない私に銀子ちゃんは説明をしてくれる。

 

 

「直接的な勝因は108手目の8六銀打。あれは詰み形としては極めて稀なケース、完全に読み切らないと指せない手だった。」

「1分将棋の中でそれを読んだの・・・」

 

 

名人の実力の一端を垣間見たようで私は小さく身震いした。

 

 

「でも、兄弟子の攻めもその名人相手に成功していた。終盤も悪い手は一つもなかった。ただ名人が最善手を刺し続けただけ。」

 

 

悪くない手を指しているだけだと負ける・・・

3日前の対局の八一くんといい、勇気くんや名人の人並外れた戦いに言葉を失う。

 

 

「これが将棋星人なのよ。」

 

 

銀子ちゃんは淡々と言った。

 

 

✳︎

 

 

「全くなんつー将棋しやがるんだ。」

 

 

俺と一緒にゴキゲンの湯で兄弟子と名人の将棋を検討していた生石さんは、ため息をついて呟くように言った。

 

 

「これが名人のマジック……」

 

 

兄弟子の中盤の攻めは今までの兄弟子の対局の中でもトップクラスに綺麗に決まり完全に勝利を手にしたと思った。

実際に俺と生石さんの結論も先手勝勢だった。

普通に指していれば負けない局面・・・

 

 

「この負け方は後を引くな。」

 

 

生石さんはどこか同情したように呟いた。

 

 

「そうですね……」

 

 

言葉では肯定しながら、心の中ではどこか兄弟子だったら次の対局からコロッと元に戻って勝つと思っていた・・・

 

 

✳︎

 

 

「いい、銀子ちゃん。勇気くんは今日普通の精神状態じゃないから慰めたりしたらダメよ、絶対にダメだからね。絶対に絶対よ!」

 

 

帰りに桂香さんから入念に注意された。

 

 

時刻はすでに夜の11時過ぎ、いつもならとっくに兄弟子も帰ってきている時間、でも今日はまだ帰ってこない。

 

 

ーーガチャーー

 

 

ドアを開ける音がして急いで振り返るといつも通りの兄弟子がいた。

 

 

「お・・・かえり。」

 

 

なるべくいつも通りに話そうとするけど、うまくいかない。

 

 

「ただいま。」

 

 

意外といつも通りだ。

 

 

「遅くなってごめんね。風呂入ってくるから先寝てていいよ。」

「う、うん。」

 

 

あまりにもいつも通りで逆にこっちが心配してしまう。

 

しかし明日も学校があるので仕方なく布団に入り、眠りに着いた。

 

 

✳︎

 

 

何かを強く叩く音がして私は目を覚ます。

 

 

「?」

 

 

和室の隣の兄弟子が寝てる部屋の電気が点いていることに気が付いた。

 

 

和室から覗くと、兄弟子が将棋盤の前にいた。

 

 

ーー泣いてるーー

 

 

兄弟子は将棋盤の前で泣きながら今日の棋譜を並べている。

 

 

私が兄弟子の涙を見たのは2回目。

 

 

1回目は嬉し涙だった。

 

 

でも今回は・・・

 

 

「クッソ!!」

 

 

兄弟子は将棋盤をもう一度強く殴る。

 

 

こんな兄弟子見たことがない。

 

 

子供のころから兄弟子はいつも優しくて、強くて、悩んでる姿なんか見たことなかった。

 

 

でも兄弟子も一人の人間なんだ。

悔しくないはずがない、腹が立たないはずがない。

 

 

でも私の前ではその姿を見せてこなかっただけだった。

 

 

「おにい……」

 

 

和室を飛び出そうとして直前で止まる。

 

多分兄弟子はこの姿を見られたくないはず・・・

 

 

私は桂香さんにはなれないんだ・・・

 

 

目の前で泣いている兄を慰めることもできない非力な自分が悔しくて、情けない。

 

 

この日から兄弟子は長い長いトンネルの中を彷徨うことになる。




ちょっと気になったんですけど、将棋にもゾーンってあるんでしょうかね?


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桂香の決意

昨日日間ランキングにランクインしていました。

多くの人に読んでいただいてとても嬉しいです。
ありがとうございます。

僕の作品が良いというよりも、アニメ『りゅうおうのおしごと!』の注目度の高さに助けてもらっている部分がほとんどだと思いますが。

これからも頑張って投稿していくので引き続きよろしくお願いします。


「そう、勇気くんが……」

 

 

勇気くんと名人との対局から一夜明けて、今日も私のための研究会が開催されている。

 

 

でも今日は私と銀子ちゃんの二人だけ。

 

 

「夜は一人で泣いてた。朝会った時は表面的にはいつも通りだったけど、時々ぼーっと考え込んでる時があった。」

 

 

勇気くんが心配だったから今日は勇気くんには私の研究会は休んでもらうことにした。

電話で伝えたときは今日も研究会やりたそうだったけど、今回は若干強引に休んでもらった。

 

銀子ちゃんの話を聞いていると思っていた以上に重傷みたい……

 

今は一人でいる時間が必要だと思う。

 

 

「私も人の心配してる場合じゃないか……」

 

 

勇気くんのことを考えながら自嘲気味に呟いた。

 

 

2日後には研修会の例会がある。

 

ここで私がBを消せなければ女流棋士への夢が遠のく……いや途絶えると言ってもいいかもしれない。

いや、Bを消せなければ諦めるそれくらいの気概で挑まなければダメだ。

 

 

「銀子ちゃん。」

「な、なに?」

 

 

私の顔を見て銀子ちゃんが怯えて返事をする。

今そんなに怖い顔してるかな……?

 

 

「2日後の研修会でBが消せなければ研修会辞めることにした。」

「え……!?」

「突然決めてごめんね。でも、それくらいの覚悟で挑まなきゃ勝てないと思う、あいちゃんや天衣ちゃんには……」

「……」

 

 

銀子ちゃんは今にも泣き出しそうな顔で私を見ている。

 

 

「け、桂香さんがそう決めたなら私は……全力で応援する。」

「ありがとう。」

 

 

そして今日も銀子ちゃんは私にみっちりと稽古をつけてくれた。

銀子ちゃんを勇気くんの家まで送り届けて自分の家に帰ってくる。

 

 

勇気くんと銀子ちゃんと研究会を始めてから私は、自分がどれだけ周りの人に恵まれていたのかを理解した。

 

 

この歳になるまで夢を追いかけることを黙って許してくれている父親。

私のために自分の時間を削ってくれる銀子ちゃんや勇気くん。

私が会いたくないって言ったから距離を置いてくれている八一くん。

 

勇気くんから聞いた話だが八一くんは毎日勇気くんに私の様子を聞いていたらしい。

 

これだけ多くの人に支えられている。

それがわかっただけでも25歳まで研修会に居続けた意味はあったと思う。

もし今週Bが消せなくて研修会を辞めることになっても悔いはないかな……

 

家に帰ると、一件メールが来た。

 

 

その差出人は勇気くん。

 

 

ーーー

将棋を楽しんで!!

ーーー

 

 

内容は見る人が見たら、とても素っ気ないこれから人生のかかった対局をする人にかけるには無責任すぎると思われるかもしれない。

 

 

でも、このメールは昨日名人と極限の勝負をしてそして負けた勇気くんから送られて来たもの。

今、誰よりも将棋で苦しんでいる人から送られて来たメッセージがこの言葉であることに私は感動を覚えた。

 

 

そしてこのメールは私の中に忘れていた大事なことを思い出させてくれた。

 

 

✳︎

 

「桂香さんがっ、桂香さんが、辞めちゃう。桂香さんを勝たしてあげてよお兄ちゃんっ。」

 

 

銀子は家に帰ってくるなり泣きじゃくって俺の足に顔を埋めている。

 

こんなに泣きじゃくる銀子を見るのはいつ以来だろう……。

 

 

「大丈夫だよ、大丈夫。」

 

 

昔みたいに銀子を慰める。

 

 

「お兄ちゃん、お兄ちゃん。桂香さんずっと頑張ってきたの。誰より努力してだから助けてよっ。」

「うん。」

 

 

桂香さんにBが付いてからずっと桂香さんと一緒に将棋を指し続けて一番近くで涙も見せずに見てきた銀子の我慢がついに限界に達したみたいだ。

 

清滝一門の長女を慰められるのは長男の俺しかできないことだから、黙って銀子の話を聞き続ける。

 

 

「俺が桂香さんにしてあげられること……」

 

 

今日一日、俺は名人との対局をずっと頭の中でリピートし続けた。

過去の自分の棋譜なんかも引っ張り出して、並べて見たりもした。

完全に迷走している。その自覚はある。

 

結局何か強くなる当てがあるわけでも思いつくままに将棋と向き合って得た答えは将棋が好きという事実と、将棋を通じて得た、八一や銀子、桂香さんや師匠が大好きということだった。

 

その桂香さんが研修会を辞める。

 

 

女流棋士になる夢を捨てる。

 

 

もちろん桂香さんには女流棋士になって欲しい。

 

 

でも、もし桂香さんが研修会を辞めて女流棋士にならなかったとしても、俺たちを出会わしてくれた将棋だけは嫌いにならないで欲しい、そう思った。

 

 

今俺が桂香さんに一番伝えたいことだけを書いて桂香さんにメールで送った。

 

 

✳︎

 

 

「今日、連勝してBを消せないようなら……研修会を辞めるつもりです。」

 

 

研修会の例会日、私は家を出る前に父親に言った。

 

 

「今までわがままを言ってごめんなさい。こんな歳になるまで面倒を見てもらって、それなのに勝手にこんなこと決めて、本当にごめんなさい。」

 

父親は黙って私の顔を見る。

 

 

「けど、そのくらいの覚悟でやらないと……どうせダメだと思うから。」

「桂香……」

「行ってきます」

父の言葉を遮るように私は頭を下げ、家を出た。

 

 

私が勝たなければならない理由は他にもある。

 

 

名人との対局に敗れた次の対局で勇気くんは完敗した。

中盤の無理攻めで自爆して70手過ぎたあたりで既に『完切れ』状態だった。

明らかに普段の勇気くんではしない負け方。

 

 

もし勇気くんに教えてもらってる私が今日負けちゃったら多分勇気くんは立ち直れなくなっちゃうだろう。

 

 

だから、私は勝たなきゃならない。

 

 

せめてそれが私をどん底から救ってくれた家族への恩返しになると信じて。

 

 

研修会に行くと一言も喋らずに静かに対局の時を待つ。

 

 

私は意識的に周囲を威圧している。

 

 

才能のない私がいきなり強くなることはできない。

 

 

だからこそ自分が使える武器は全て使う。

 

 

私は……

 

 

ーどんなことをしてでも大好きな将棋を続けたいー

 

 

異様な雰囲気に包まれた中で今日の手合いが発表された。

 

 

「清滝桂香くんと夜叉神天衣くん。平手」

「清滝桂香くんと雛鶴あいくん。平手」

 

 

これも何かの運命かしら。

 

私は小さく深呼吸して天衣ちゃんと将棋盤を挟んで向かい合う。

 

 

私の一世一代の対局が始まるーー




最近書きたいことがドンドン浮かんでくるけど、その全てを表現し切ることができない自分の文章力の低さが、もどかしく、悔しいです。


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交錯する兄弟の思い

今回まったく進んでいません。



「かはっ。はぁ・・・はぁ。」

 

 

俺は研修会の雰囲気に押されてトイレで空嘔吐きを繰り返した。

 

 

苦くなった口をすすぐため飲み物を買いに二階の道場へ降りるとー

 

奥まった場所に、姉弟子がポツンと座っていた。

 

その向かい側に俺も座る。

 

「・・・どうも。」

「・・・」

 

 

俺と姉弟子は無言のまましばらくいる。

 

 

「兄弟子は?」

「今はちょっと・・・」

「ああ・・・」

 

 

兄弟子の対局は棋譜でだが俺も確認した。

兄弟子らしくない、厳しく言えば酷い将棋だった。

 

 

「・・・」

「・・・」

 

 

お互いにまた黙ったままである。

 

 

「どうして桂香さんの邪魔をするの?」

「桂香さんが女流棋士になれなくてもいいの?桂香さんが大事じゃないの?」

 

 

姉弟子はそう俺に言いたいのかもしれない。

 

 

「ここで何してるんだお前たち?」

 

 

重い空気をぶち壊すように明るい声で兄弟子が来た。

 

 

「「!?」」

 

 

俺も姉弟子もどう言葉をかけたらいいか戸惑う。

 

 

「なんかこうやって3人で会うの久しぶりな気がするなぁ」

 

 

兄弟子は表面的にはいつも通りである。

 

「・・・」

「・・・」

「・・・」

 

 

3人とも沈黙している。

 

 

今日の桂香さんと、あいと天衣の対局はいわば、俺と兄弟子の代理戦争、外から見れば兄弟喧嘩に見られているのかもしれない。

 

 

「俺は上に戻るね。」

 

 

俺は弟子の戦いを見届けるべく、研修会に戻る。

 

 

「俺も行こう。銀子はどうする?」

「あと少しだけ・・・ここに・・・」

 

 

道場の隅で聞くその声は、幼い日にずっとここで将棋を指し続けたがって泣いていた、ちいさな女の子と同じものだった。

 

 

✳︎

 

 

八一の後に続いて重い足取りで3階へと向かう。

 

正直人の心配をしていられる余裕はないのだが、どうしても桂香さんが心配で見に来てしまった。

いや、桂香さんが心配というのは半分は本当だが、半分は言い訳だ。

今はただ自分の将棋からは逃げ出したい、そんな気分だった。

 

 

一人で考え事をしながら研修会の扉の前に行くと、中から泣きじゃくった女の子が出て来た。

 

その子は俺の姿を確認すると鬼のような形相で俺に向かって俺の足をポコポコと叩いて来た。

 

 

全然痛くないし、むしろカワイイ。

 

 

「あんたでしょ!!あのババアに教えたの。」

 

 

あのババア=桂香さん

 

 

「なんのことかわからないな〜。」

 

 

俺は意地悪にとぼけてみる。

 

 

「あんたしかいないでしょっ。あんな将棋教えるの……」

「強かっただろ?」

「……フンッ!」

 

 

最後にもう一度俺の足を叩いてトイレへと消えて行った。

 

 

この様子だと桂香さんは天衣ちゃんに勝ったみたいだな。

 

正直に言うと桂香さんが天衣ちゃんに勝てる確率はそれほど高くないと思っていた。

桂香さんの成長を実感して素直に嬉しい。

自分の教えている人が成長するというのがこれ程嬉しいことだとは思っていなかった。

 

今すぐにでも褒めたい。

 

確かに八一があいちゃんにデレデレなのも仕方ないな。

 

 

あの天衣ちゃんに勝ったと知って、桂香さんがBを消す期待がグッと高まった。

この研修会で天衣ちゃんより強い子などいない、一人を除いて。

 

 

心なしか足取りが軽くなって研修会に入る。

 

 

しかし俺の期待を将棋の神様は嘲笑うかのように粉々に打ち砕いた。

 

 

「!?」

 

 

桂香さんの対戦相手は・・・あいだった。

 

 

不安そうにあいと桂香さんを見つめる八一の隣へ行く。

 

この対局は俺と八一が見届けなければならない。

 

 

「まさか、こんなことになるとはな……」

「本当に……将棋の神様は残酷ですね。」

「ああ。」

 

 

八一が少し視線を彷徨わしてから口を開いた。

 

 

「あの、兄弟子……、昨日の将棋のことなんでけど……いやすいませんなんでもないです。」

「そ、そうか。」

 

 

八一が竜王になって以来、八一が俺に将棋の話を振ることはなくなった。

おそらく八一なりのケジメなんだろう。

同じプロ棋士出てある以上いつかは戦わなければならない相手、その相手に必要以上に将棋の情報を与えるのはデメリットしかない。

それは多分勝負師としては正しい考え方。

 

 

しかし、敵であっても家族と大好きな将棋の話をしたいというのは俺の甘えなのだろうか……。

 

 

その後俺と八一は一言も喋らずに自分たちの教え子の対局が開始するのを待つ。

 

 

そこに銀子もフラフラと危ない足取りで俺たちの横に来た。

 

 

「姉弟子大丈夫ですか!?」

「大丈夫。見届ける。」

 

 

銀子の様子を見て改めて銀子がどれほど俺たち一門のことを大事に思っているのかを再確認する。

 

今は、微妙な関係だけど絶対に八一とも元の関係に戻れると、戻らなければならないと思った。




すまない、天衣ちゃんが活躍するのはもっと先の話なんだ。


ほのぼのした話も書きたいと思う今日この頃。


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激突!桂香VSあい

この話を書くとき頭の中でずっと、def tech の『my way』が流れていました。

歌詞が心に刺さる名曲なので皆さんも是非聞いて見て下さい。


対局は桂香さんの先手で始まった。

 

あいちゃんは6手目に飛車を持ち上げ中央に振る。

 

 

「ゴキゲン中飛車!?」

 

 

居飛車党のあいちゃんが、振り飛車を・・・

 

 

桂香さんの表情は全く変わらない。

これも桂香さんは予測済みだったのだろうか。

 

ただ生石先生に教えてもらった、たった二週間で振り飛車を指しこなすことができるのか正直疑問だ。

 

 

桂香さんは銀を繰り出して超速3七銀を目指す。

 

 

あいちゃんは美濃囲いに組んで玉の守りを固めようとする。

桂香さんはあいちゃんの手を見てノータイムで歩を前進させた。

 

「なっ!?ここで!?」

 

 

桂香さんはあいちゃんが美濃囲いに組む途中で歩を進めて戦いを開始したのだ。

 

 

その手は全く迷いなく力強く指された。

 

 

予想外の奇襲にあいちゃんが目に見えて動揺する。

あいちゃんは少し時間を使って考えて、そのまま桂香さんの歩を取った。

 

 

ーーパチンーー

 

 

桂香さんはノータイムで次の手を指す。

あたかもこの先の変化に絶対の自信があるかのように。

 

 

「ん、この手は……」

 

 

八一が気付いた。この手はいい手ではない、むしろ正しく受けられたら桂香さんが悪くなる悪手だ。

 

 

桂香さんのノータイムの指し手にあいちゃんはビクッとする。

そして震える手で自身の美濃囲いを完成させた。

 

 

ーーそれはまずいーー

 

 

桂香さんはすかさず桂馬を跳ねて飛車と角両方に睨みを効かせる。

 

 

「あっ!」

 

 

あいちゃんが自分のミスに気づいて悔しそうに唇を噛む。

普段のあいちゃんなら決してしないミスだっただろう。

しかし今、対局は完全に桂香さんのペースで進んでいる。

 

 

あいちゃんの読みは桂香さんに邪魔されて本来の力が発揮されていない。

 

 

桂香さんは迷わず飛車先の歩を突いて攻勢を強める。

自分の玉を守らずにひたすら相手の玉のみを目指して攻め続ける。

 

 

今俺の見ている桂香さんはいつもの優しい俺たちのお姉さんの桂香さんではない。

今あいちゃんが戦っている相手は獰猛にあいちゃんの首を狙う

 

 

一匹の鬼だった

 

 

突如あいちゃんの手が止まった。

 

 

「・・・うっ・・・うう・・・!ううう・・・」

 

 

俯いたあいちゃんは、泣いていた。

 

 

無理もない、身内の人の人生がかかった対局という極限状態は9歳の子供にはあまりにも辛過ぎる。

 

これはもうダメか・・・

 

 

誰もが投了すると思ったその時だった

 

 

「・・・ごめんなさい・・・桂香さん。・・・わたし、もう・・・負けたくないっ!!」

 

 

あいちゃんは力強く銀を前線に移動させた。

あいちゃんの目に闘志が宿る。

 

 

「っ・・・!」

 

 

桂香さんの表情にこの日始めて動揺が走った。

しかし桂香さんも怯むことなく駒を力強く動かす。

 

 

勢いを取り戻したあいちゃんの反撃はとても激しい。

 

 

あいちゃんは一度は制圧された5筋に駒を集中さして劣勢だった状況から再び五分へと戦況を戻した。

 

 

まずい

 

 

このまま互角で終盤戦に突入したらあいちゃんの圧倒的な終盤力で押し切られて負けてしまう。

 

 

「こうこうこうこうこうこうこう・・・」

 

 

あいちゃんは前後に揺れて一心不乱に手を読み続けている。

もう対局相手の桂香さんのことなど完全に頭から消えている。

今あいちゃんは思考の海の中に深く深く潜っている状態だった。

 

 

「まだ……」

 

 

桂香さんの顔が恐怖に歪んだ。

その恐怖は先日俺が感じたものと同じ、将棋でプロを目指した人なら必ず経験する恐怖、圧倒的な才能に対する恐怖だ。

いまこの空間にいる全ての人があいの才能に恐怖を感じていた。

 

 

時間が過ぎて行く。

桂香さんはここで始めて長考した。

 

 

やがて駒台に置いた手に力がなくなり崩れ落ちそうになる。

 

 

諦めないで!

 

 

俺は思わず両手に力が入る。

隣では銀子も両手を強く握って祈るようにして見ている。

 

 

桂香さんはまだ指さない。

 

 

俺には永遠にも思えるほどの時間が経ち、桂香さんが震えながら選んだ手は、

 

 

ーーー5二銀打ちーーー

 

 

「!?」

 

 

その手を見て俺の心臓が跳ね上がる。

それは俺が名人との対局で使った攻め・・・

 

 

桂香さんは突然顔を上げて、俺と目が合い

 

 

笑った

 

 

✳︎

 

 

目の前の小学生にとてつもない恐怖を感じる。

途中からこの子は既に対戦相手の私のことなんて完全に忘れている。

ただひたすら最善手を探して盤上真理のみを追求している。

 

 

これが天才・・・

 

 

このまま終盤に行ったら私が勝てる可能性は完全に無くなる。

やっぱり付け焼き刃の戦い方じゃ、あいちゃんみたいな才能の前にはなんの意味もなかったのかな・・・

 

 

心が折れる音がした。

 

 

ゴメンね勇気くん、銀子ちゃん・・・私ダメだったみたい。

駒台にかかった手が崩れ落ちそうになる。

 

 

ーー諦めないで!ーー

ーー桂香さんは強いんだよ!ーー

 

 

勇気くんと銀子ちゃんの声が聞こえる!?

 

 

そんなはずはない。

 

 

ダメダメ!集中しないと。

 

 

雑念を払うように再び盤面を見ると、その盤面に見覚えがあることに気付いた。

 

 

こ、これは名人と勇気くんの試合の時と似た局面……

 

 

あの時勇気くんが指したのは5二銀打、でもあの対局で勇気くんは負けちゃった。

けど、あの手が決して悪かったわけじゃない、銀子ちゃんもそう言っていた。

 

 

折れかけていた心に再び炎が灯る。

 

 

私は勇気くんに恩返しをしなきゃならない。

勇気くんが強いってことを伝えて上げなきゃならない。

 

 

だって勇気くんは私の自慢の大切な家族だから!!

 

 

私は自信を持って5二銀を打つ。

 

「えっ!?」

 

 

フフフッ。勇気くん驚いてる。

 

 

見ててね、勇気くん。

私あいちゃんに勝つから!

 

 

私の手を見てあいちゃんの動きが止まる。

読み筋の中にはなかったみたいね。

 

 

あいちゃんが体を前後に揺らしながら変化を読み続ける。

 

 

1分考えて、あいちゃんは銀を取らずに飛車を逃した。

 

 

間違えた!

 

 

私はすかさず銀をさらに打ち込んであいちゃんの囲いを壊しにかかる。

あいちゃんは時間一杯考えて囲いを放棄して玉を逃し始めた。

私もここが勝負所だと判断して時間一杯考える。

一手一手じっくり時間を使ってできるだけ深くあいちゃんの手を読む。

 

 

絶対に勝つ!!

 

 

今の私はBを消すことなんてどうでもよくなっていた、目の前の対局に勝ちたいただそれだけしか考えられなくなっていた。

 

 

体が熱くなる。

 

 

勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい

 

 

ただひたすら勝ちたい、その一心で指し続ける。

 

 

思考がどんどんクリアになっていく。

普段なら絶対に見えないであろう駒の利きが今は感覚で捉えられる。

これが八一くんや勇気くんが見てる世界なの!?

 

 

「負け・・・ました。」

 

 

気がつくとあいちゃんが投了していた。

まるで夢を見てるかのような感覚だった。

目の前の盤面を見て現実に引き戻される。

 

 

これは私が指したの……!?

今までの対局がまるで夢だったのではないかと思う。

動揺しながら顔を上げると勇気くんと銀子ちゃんの顔が目に入る。

 

もう、この対局が自分が指したのかどうかなんてどうでも良くなった。

 

 

「やったよ!勇気くん!銀子ちゃん!」

 

 

衝動的に勇気くんと銀子ちゃんの所へと駆け寄って二人に抱きついた。

 

 

「おめでとうっ桂香さん!」

「おめで……とう、おめでとうっ。」

 

 

銀子ちゃんも勇気くんも私のために泣いてくれていた。

 

 

私をドン底からすくい上げてくれた二人の家族に、本気で私と対局してくれたあいちゃん、私に気を使って距離を置いてくれた八一くん、ずっと私を鍛えてくれた久留野先生、この歳まで何も言わずに将棋を続けさしてくれた父親、私に関わってくれた全ての人に心から感謝した。

 

 

「ありがとうっ。」




熱が入りすぎて僕の作品史上最高文字数になりました。

これにて桂香さん編終了です。

次は久しぶりに箸休め会にしようかなぁ。


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桂香さんとの密会!?

ラブコメが書きたい。

そんな今日この頃。


研修会での対局から2日後桂香さんに日頃のお礼をしたいと呼ばれて福島駅前の喫茶店に来ていた。

喫茶店に着くと既に桂香さんが店前で待っていた。

待ち合わせ時間の10分前だったけど、もう既に来ていた。

 

 

「ごめんなさい、桂香さん。待った?」

「私も今来たとこよ。……なんかデートの待ち合わせみたいね。」

 

 

桂香さんはイタズラっぽく笑う。

これは桂香さんが俺をからかう時に出るものだと最近わかった。

俺をからかってるとはわかってる、わかってるけど、顔がニヤケてしまう。

 

 

「さぁさぁ。早く入りましょう。」

「うん。」

 

 

桂香さんと共に喫茶店に入る。

普段俺一人だったら絶対に入れないようなオシャレな店。

というか店内カップルしかいない。

 

 

席に通されてそれぞれ注文をする。

俺はコーヒー、桂香さんはカフェラテを頼んだ。

 

 

「この店カップルしかいないね。……俺たちも周りからカップルに思われてるかもね。」

 

 

いつもからかわれているお返しに、仕掛けてみる。

桂香さんはじっと俺の目を見てくる。

桂香さんと見つめ合う、何となく気恥ずかしくなって目を逸らした。

 

 

「私はカップルに間違われてもいいけどね。」

「え!?」

 

 

桂香さんはまたイタズラっぽく笑っている。

 

 

「何そんなに赤くなってるのよ〜。もしかして照れちゃった?」

 

 

うーん、俺はいつになっても桂香さんには勝てないのか……

 

 

「銀子は今日対局があるから来れなかったね。」

 

 

これ以上戦っても俺が、からかわれるだけだから仕方なく話題を変える。

 

 

「そうねぇ。だから今日誘ったんだけどね。」

「え?」

「何でもないわよ。」

 

 

コーヒーが運ばれて来て桂香さんと他愛もない話をする。

話題は知らない内に恋バナになっていた。

 

 

「桂香さんはモテてそうだけどなぁ。」

「そんなことなかったよ。全然モテなかったし……」

「ホントかなぁ。」

「ところて勇気くんは恋したことないの?」

「恋!?」

 

 

予想外の質問に驚く。

 

 

「恋かぁ……今まで将棋しかやって来なかったから女性と会うことがほとんどなかったんだよね。会っても将棋関係の人ばっかだし。」

「そうなの。……」

 

 

ここで桂香さんは俯いて沈黙した。

あれ?俺なんか悪いこと言ったかなぁ。

桂香さんはガバッと顔をあげて将棋の時みたいに怖い表情で俺を見てくる。

 

 

「け、桂香さん?」

「勇気くん!」

「はい!」

 

 

桂香さんの必死の剣幕に思わず背筋が伸びる。

 

 

「勇気くんは銀子ちゃんのことどう思ってるの?」

「銀子のこと?」

 

 

予想外の質問。

 

 

「銀子は、……物凄い寂しがり屋泣き虫だっただけど、最近は段々自立してきてて、努力家で、あ、でもまだまだ危なっかしくて……」

「違う、違う、そういうことじゃなくて。女の子としてどうかっていうこと。」

「女の子!?」

 

 

銀子を一人の女の子として見た時……

今まで銀子は妹って感覚で見てたからそんなこと考えたことなかった。

 

 

「うーん、よくわかんないけど、カワイイとは思う。見た目はまぁ言うまでもなく、性格もキツイところもあるけどそこがまた危なっかしくてカワイイと思うよ。あと、お願い事する時とかは……」

「ハイハイ、よーくわかりましたからもう十分です。」

「え!?桂香さんが聞いてきたんじゃんか。」

「もういいからいいから。」

 

 

なんか急に不機嫌になっちゃったよ。

女の子はよくわからない。

 

 

「じゃあ好きなの?」

「は!?」

 

 

何をいきなり聞いてくるんだ!?

銀子は妹だし、嫌いなわけないけど……好き……なのか?

 

 

「いきなりそんなこと聞かれてもわかんないよ。」

「ふーん、わからないんだ。まぁ今はそれでいいわ。」

 

 

桂香さんの機嫌が少し戻った気がする。

やっぱり女の子はよくわからない。

 

 

「あ、あともう一つ聞いていい?」

「なに?」

「わ、私のことはどう?」

「はぁ!?」

 

 

今度は桂香さん!?

 

 

「桂香さんも子供の頃からずっと一緒にいて……嫌いなわけないよ、でも……」

 

 

俺が口ごもっていると、桂香さんの顔が笑顔になる。

いつものからかう時の笑顔。

 

 

「あ!また俺のことからかってるでしょ。」

「アハハハッ。そんなに顔真っ赤にして怒らなくても、ごめんごめん。」

「それはやり過ぎだよ!」

 

 

マジで考えちゃったじゃんか、恥ずかしい。

 

 

やっぱり怖くて聞けない……

 

 

その後はまたいつも通り世間話をして解散になった。

 

 

銀子や桂香さんを一人の女の子として見るかぁ……。

 

 

この日から俺は徐々に銀子と桂香さんを女性として意識するようになっていった。




そろそろヒロインレースも加速さしていきたいと思っています。


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万智にときめく盤王

箸休めに万智さんの話を一つ。


俺は今関西将棋会館の前である人を待っている。

ぶっちゃけ対局前よりも緊張している。

 

その原因は今回の待ち合わせ相手にある。

 

 

「いはりました。」

 

 

俺の前にやって来たのは対局時の着物姿でもなく、記者モードのスーツ姿でもない私服姿の共御飯さんである。

白のワンピースを着ていてなんというかその・・・胸がとても強調されている。

俺は頑張って胸から視線を外そうとする。

 

 

「こ、こんにちわ。」

「ウフフ、まだ朝ですよ。」

「ひゃい!?」

 

 

万智さんは耳元で甘く囁いて来た。

 

なぜ俺がこんなに取り乱しているのかというと、話は昨日にまで遡る。

 

 

✳︎

 

 

関西将棋会館の棋士室で同じ関西将棋連盟所属のプロ棋士の人と研究会を行い、帰ろうとした時のことであった。

 

 

「山橋さん!」

 

 

名前を呼ばれて振り返ると観戦記者モードの鵠さんが居た。

 

 

「あの・・・明日・・・10時に将棋会館の前に来てくれませんか?」

 

 

いつもの鵠さんのような余裕が感じられない。

 

 

「暇だから大丈夫だけど何か用?」

「えっと、用というかその・・・」

 

 

鵠さんは両手を前に組んでモジモジとしてなかなか言い出さない。

普段とは全く違う女性らしい鵠さんに思わずドキドキする。

 

 

「デートして欲しいんです!」

「!?」

「それでは待ってますね!」

 

 

そう言うと鵠さんは走り去ってしまった。

 

 

・・・デート!?

 

 

確かに万智さんとは同い年で同じ関西所属の棋士だから今までも話す機会はたくさんあったように思う。

 

でも俺万智さんに好意持たれるようなことしたっけなぁ。

しばし考えていると俺は衝撃的なことに気付いた。

 

 

ーー初デートだ!ーー

 

 

生まれてからずっと将棋ばっか指して来た俺にとってデートなどというものは完全に別世界のものだと思っていた。

そんな俺もついに初デートをする日が・・・

 

ヤバイ、そう考えると急に緊張して来た。

どんな服着ていけばいいんだ?どこ行けばいいんだ?というかそもそも何話せばいいんだ?

 

あーもう準備することが山積みだ。

早速研究しないと!

その夜俺はタイトル戦前よりも高い熱量でデートの研究を行った。

 

 

✳︎

 

 

「ほな行きましょか。」

 

 

万智さんは俺の手を引いて歩き出した。

 

あれ?

俺色々と行くとこ考えてたんだけどなぁ。

 

 

万智さんに連れられて最初に行った場所は水族館だった。

 

 

大阪には海◯館という全国的にも有名な水族館があり、カップルの定番スポットになっている。

ここも昨日の研究で検討済みだ!

俺は自信を持って万智さんの後に続いて入館した。

 

 

「勇気はんは、こなたは魚やとなんやと思います?」

 

 

二人で魚を見ながら歩いているといきなり万智さんが聞いてきた。

 

 

「うーん、オットセイかな。何となくおっとりしてそうだし。」

「何かイメージがいまいちわきまへんなぁ。」

 

 

あら、共感してもらえなかった。

 

 

「じゃあ、俺のイメージは?」

「そうですねー。」

 

 

万智さんは立ち止まって本格的に考え出す。

 

 

「クジラですかね。はたから見ると愛らしくて人気がある・・・」

 

 

おー、万智さんの評価めっちゃ高いじゃん。

 

 

「でも、その実肉食で獰猛です。相手を誘っておいて向こうが近づいてきたら本性を現し、猛り狂う己自身をぶち込む・・・」

 

 

何か途中から変な方向に話が進んでる気がするけど・・・気のせいだよね。

 

 

その後万智さんオススメの蕎麦屋に入り、昼食を食べて、本屋で万智さんオススメの本(BL)を教えてもらった。

 

 

人生初デートは万智さんにリードされっぱなしだったけど、とても楽しかった。

 

 

一通り遊んで将棋会館の前まで戻ってきた。

 

 

「ではこなたはここで。ありがとうございました。おかげでいいサンプルが取れました。」

「いや、こちらこそ・・・ん!?」

 

 

今、万智さん何て・・・

 

 

「八一はんを落とすためにはどういう方法が効果的なのか知りたくて協力してもらいました。」

「え、じゃあ昨日からのやつって。」

「全部演技どす。」

 

 

ギャァァァァァ騙されたぁぁぁぁぁ

 

俺が半ば放心状態で突っ立っていると突如万智さんは俺に近づいて耳元で囁いた。

 

 

「サンプルとは関係なく楽しかったどす♪」

 

 

万智さんは走り去って行った。

やっぱり万智さんは食えない人だ。

 

 

万智さんに呆気にとられてしばらく放心状態でいると、後ろから肩を叩かれる。

 

 

「何突っ立ってるの?」

「へぇ・・・ぎ、銀子!?」

「今の見て・・・」

「早く帰るわよ。」

 

 

そう言うと銀子はドンドン先を歩いて行ってしまった。

 

・・・見られてないよね?

 




京都弁ってなんやねん!!(大阪府民並みの感想)

明日も箸休め会です。

べ、別に時間稼ぎしてるわけじゃないんだからね!!


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あいにときめく盤王

箸休めにあいちゃんの話を一つ。


ーーーピンポーンーーー

 

 

「はーい。」

 

こんな夜遅くに誰だろう。

 

ドアを開けると幼女がお鍋を持って立っていた。

 

 

「おじさん。作り過ぎちゃったんでお裾分けです。」

「あ!ありがとう、あいちゃん。」

「お鍋置くので失礼しますね。」

 

 

そう言うとあいちゃんは俺の家へと入って行った。

 

あいちゃんの割烹着姿はとても様になってるなぁ。

 

ドアを閉めてリビングに戻ってくると、あいちゃんが銀子の部屋である和室を開けようとしていた。

 

 

「チョット待って!」

「どうしてですか?」

「いや、どうしてというか何というか。」

 

 

銀子不在のうちに勝手に銀子の部屋にあいちゃんを入れさせたことがバレたら絶対殺される・・・

 

 

「今ここにはこわ〜いお化けがいるから絶対開けちゃダメだよ。」

 

 

あいちゃんが黙って俺を見つめる。

・・・我ながら苦しい言い訳だったか?

 

 

「そうなんですか怖いです〜>_<」

「そ、そうだね、だから開けないでね。」

 

 

あいちゃんが純粋な子供でよかった〜。

 

 

「まだ、夜ご飯食べてないんですか?」

「うん、今からコンビニで何か買ってこようかと思ってたところ。」

 

 

今日は銀子は対局で遅くなるため夜ご飯は別々に食べることになっていた。

 

 

「じゃあ是非今!私のカレー食べて下さい!」

「あいちゃんのカレーかぁ。美味しそうだね。」

 

 

そう言うとあいちゃんはその辺にあった皿にカレーをよそってくれてテーブルの前に置いた。

何でこんなに甲斐甲斐しく世話焼いてくれるんだ?

 

 

「さぁ是非食べて見て下さい。今!」

「う、うん……」

 

 

異様に急かしてくるな・・・

 

 

「いただきます。」

 

 

カレーを一口頬張る。

 

すると俺の意識がプツリと途切れた。

 

 

「・・・あれ?」

 

 

気がつくと俺は机に突っ伏していた。

 

 

「気がつきましたか?」

 

 

向かい側にはあいちゃんが座っていた。

どのくらい気を失っていたんだろう。

 

「いきなり倒れちゃうんでビックリしちゃいました。」

 

 

あいちゃんが天使のような笑顔で笑いかけてくる。

 

確かに八一があいちゃんにデレデレするのも分からなくないなぁ

 

 

「何で俺気失っただろう?」

「さぁ、どうしてでしょうねぇ?」

 

 

あいちゃんは肘をついて両手の上に顔を乗せる姿勢でこっちに天使のような笑顔を向け続けてくる。

 

 

「さぁ、続き食べて下さい!」

「う、うん。」

 

 

あいちゃんのカレーは確かに美味しかった。あの料理上手な桂香さんに匹敵するくらい美味しいカレーだった。

 

これからも下手すれば毎日でも食べたい。そう思ってしまう。

 

 

「美味しかったですか?」

「うん。とても美味しかったよ。」

「ありがとうございます!うれし〜です。」

 

 

そうやって無邪気に喜ぶあいちゃんはまさしく天使そのもので、将棋に勝って無邪気に喜んでいた幼き日の銀子に似ていた。

 

 

「かわいいなぁ〜。」

 

 

懐かしくなって無意識にあいちゃんの頭を撫でてしまった。

 

 

「ふぇぇぇ〜。」

 

 

あいちゃんがよく分からない奇声を上げた。

 

 

「あ!ごめん。つい銀子を思い出しちゃってつい……」

「い、いや大丈夫です。私もいきなりで少し驚いちゃっただけだし……」

 

 

あいちゃんが頬を赤らめて顔を覆う。

 

 

「今、おばさんを思い出してって言ってましたけど、おばさんも子供の頃ははしゃぐことあったんですか?」

「うん。銀子は今じゃあんな感じだけど昔はすんごい寂しがり屋で泣き虫だったし……」

 

 

銀子の思い出話をしていたらつい熱が入って喋りすぎてしまった。

 

途中からあいちゃん、ずっとメモ取ってたけど何に使うつもりなの・・・?

 

 

「あんまり遅くなると師匠が心配するので帰ります。」

「ああゴメンね。つい喋りすぎちゃって。」

「いい情報もゲット出来たからあいも嬉しいです。」

「・・・」

 

「あっ!?」

 

 

あいちゃんは突然ノートを落としてしまい中身が少し見えてしまった。

 

 

ーー好きな人を落とすにはまずは外堀から埋め・・・ーー

 

 

あいちゃんが焦ってノートを拾い上げた。

 

 

「今ノートの中……」

「何も見てませんよね?」

「いやちょっと……」

「何も見てませんよね?」

「は、はい。」

 

 

あいちゃんは来た時と同じ天使のような笑顔で帰って行った・・・

 




あいちゃんのノートの中には八一を落とすための様々な戦略が書いています。(今後再登場するかはわからない)

明日はバレンタインなので特別編を投稿します。

『清滝一門の長男』史上初の一日3本投稿です!
お楽しみに!!


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バレンタイン特別編
【バレンタイン特別編1】何気ない日常


この話を書いてわかったこと……

俺はラブコメを書くのが絶望的に下手だった(泣)


昨日の公式戦は白熱して夜中の1時まで続いた。

 

 

フラフラで家に帰って風呂にも入らず死ぬように眠りについた。

 

 

寝ぼけ眼で時計を確認すると時刻は午後1時。

幾ら昨日が遅かったとはいえ寝すぎたか。

 

寝たい気持ちを無理やり抑え込んで布団から這い出てくる。

 

 

布団から出て居間のドアを開けようとする。

 

 

「おはよ……」

「まだ入らないで!」

「えっ!?」

 

 

銀子がドアを押さえつけてくる。

 

 

「なんで?」

「いいからまだ入らないで、昨日風呂入ってないでしょ。まずは風呂入って来て。」

「えー、まぁいいけど……」

 

 

何か腑に落ちないけどこう言う時の銀子は絶対に譲らないと知っているので素直に風呂に行く。

 

 

✳︎

 

 

「もう入っていいか?」

「うん。どうぞ。」

 

 

風呂から入ってきて銀子からのお許しを得て俺は居間に入った。

 

 

・・・ぱっと見おかしいところはないなぁ。

 

 

俺が風呂に入っている間、居間ではカランコロンと激しく物音が鳴っていたが銀子は何をしていたんだろう……

 

 

俺が遅めの昼ご飯を食べ始めると銀子は部屋着から外出用の服へと着替えていた。

 

 

将棋にしか興味がないと思っていたが意外と銀子の私服はセンスがいい。

 

 

まぁ、本人が人類最強レベルで可愛いので何を着ても似合うのだが。

 

 

「どこか行くのか?」

「うん。ちょっと買い物。」

「そうか。遅くなる前に帰ってこいよ。」

「うん。」

 

 

✳︎

 

 

ーーーピンポーンーーー

 

 

銀子が買い物に行き一人でまたウトウトしだしていると突然インターホンが鳴った。

 

 

「はーい。」

 

 

ドアを開けるとそこには八一がいた。

 

 

「どうしたん八一?」

「それがJS研のみんなが兄弟子にどうしても会いたいって言うんで、止めたんですけど聞かなくて……」

「いいよ。どうせ暇だったし。」

 

 

俺と八一が話しているとドタドタとJS達が俺の家へと入って行く。

 

 

「あらあらみんな。勝手に入っちゃダメよ。」

「あれ、桂香さんもいるの?」

「八一くんの部屋に行ったらたまたまみんな勇気くんの部屋に行くところだったのよ。」

 

 

桂香さんの目が泳いでいる。

長年の勝負師の勘が俺に告げる怪しいと。

 

 

「ほ、本当にたまたまなんですよね……?」

「そうよ。そうなのよ。たまたま、たまたま。」

 

 

怪しい。

いつまでも玄関で話しているわけにもいかないので部屋へ通した。

 

 

居間に行くとJS達が話しかけてくる。

 

 

「山橋先生お久しぶりです!」

「うん。久しぶりだね、澪ちゃんだったよね。」

「私の名前覚えてくれてたんですね!?嬉しいです!」

 

 

澪ちゃんは両手を振り回して喜んでいる。

澪ちゃんは今日も元気いっぱいだなぁ。

 

 

「こんちちわ、ちぇんちぇー。」

 

 

シャルちゃんは挨拶もそこそこに俺の足にしがみついてくる。

ここが余程気に入ったみたいだ。

目の前の天使を見ていると自然と頬が緩んで頭を撫でてしまう。

 

 

「ウフフゥ〜」

 

 

シャルちゃんも嬉しそうに笑うのでずっと撫でていたくなる。

シャルちゃんは今日も可愛いなぁ。

 

 

「お久しぶりです。貞任綾乃です。」

「綾乃ちゃんもこんにちわ。」

「先日は姉弟子のデートに付き合っていただきありがとうございましたです。」

「「!?」」

 

 

八一と桂香さんが一斉に俺の顔を見る。

 

 

「兄弟子、万智さんとデートしたんですか!?そういう仲だったんですか!?」

「い、いや俺たちは決して八一の思っているような関係じゃなくて、あれも普通のデートじゃなくて……」

「デートはしたのね?」

「は、はい。」

 

 

桂香さんからいつもの優しい雰囲気が消え去ってなんか怒ってる時の銀子みたいなオーラ出てるんだけど……

 

 

「おじさん、こんにちは。」

「あ、あいちゃん!こんにちは。最近将棋の調子はどう?」

 

 

あいちゃんが話しかけてきてくれたので無理やり話題をすり替える。

 

 

「おじさんはあの記者さんと恋人なんですか!?」

「だから違うって!」

 

 

なんでこんなに俺と万智さんの仲を疑うんだよ。

 

 

「ふんっ。あなたが誰と付き合おうが私には関係ないわ。もう帰りたいからこれだけあげとくわ。」

 

 

天衣ちゃんはそう言うと俺に高級感のある黒い箱を渡してくれた。

 

 

「あ、ありがとう。……これ何?」

「な、何って!?……ちょ、チョコレートよっ!!言わせないでよ!」

「チョコレート?……あっ!?今日バレンタインかよ!?」

 

 

急いで携帯で日付を確認する。

2月14日、確かにバレンタインだった。

 

 

昨日の対局で頭いっぱいで完全に忘れてた。

 

 

「ありがとう。めっちゃ嬉しいよ。今年は一個ももらえないと思ってたよ。」

「あんた私のが最初なの!?……ふんっ、感謝しなさい!!」

 

 

哀れみの目で見るの止めて!!

 

 

「あ〜天ちゃん!勝手に先に渡しちゃダメだよ!!」

「そうです。一緒に渡す約束だったです。」

「シャルもわちゃすの〜」

「おじさん私もあります!」

 

 

そう言うとJS達は一斉にチョコレートを俺に渡してくる。

みんなからチョコレートを貰うのは嬉しくないわけはないんだけど……なんだろうこの背徳感は。

 

 

「みんな、ありがとうね。感謝して食べるよ。」

 

 

その後はみんなと雑談をしてあっという間に時間が過ぎていってしまった。

 

 

「もう、結構暗くなってきたからみんな帰ろうか。」

 

 

八一が提案する。

意外と八一はしっかり保護者してるみたいだなぁ。

 

 

「そうだね。またいつでも来ていいから今日は帰ろうか。」

「「「「はーい。」」」」

 

 

JS達はせっせと帰り支度を始める。

 

 

「なんだかんだで、最後までいてくれたんだな。」

 

 

ゴスロリ服のJSに話しかける。

 

 

「なっ!?、別に晶が来ないから待ってただけよ。」

「でも、池田さんなら呼んだらすぐ来そうな……」

「う、うっさい。黙れ!!!」

 

 

そう言うと天衣ちゃんは俺の足にローキックを入れてきた。

まぁ何度も言うようだけど全然痛くない、むしろカワイイ。

 

 

JS達はワイワイしながら俺の部屋から去って行った。

JS達がいなくなると急に静かになってなんか寂しいなぁ。

 

 

「なにぼーっとしてるの?」

 

 

肩をツンツンと叩かれる。

 

 

「あれ?桂香さん一緒に帰ったんじゃないの?」

「勇気くんに渡さなきゃいけないものあるから。」

「え?まさか桂香さんも……」

「いやチョコレートじゃないけど。」

 

 

ですよねー

ちょっと期待した自分が恥ずかしい……

 

 

「そ、そうだよね……」

「はい。どうぞ。」

 

 

桂香さんは赤い包装紙に包まれた箱を渡してくれた。

 

 

「チョコレートじゃなくてチョコレートケーキをあげるね。」

 

 

桂香さんはイタズラっぽい笑みを浮かべている。

 

 

「俺で遊ばないでよ……」

「手作りだから、あんまり自信はないんだけど……」

 

 

桂香さんは俯いて恥ずかしそうに笑う。

その姿に見惚れてしまう。

 

 

「義理じゃないからね。」

 

 

桂香さんは俯いたまま顔を真っ赤にして言った。

 

 

「えっ!?」

 

 

これって告白というやつか!?

 

 

「お礼チョコ。いつも将棋教えてもらってるお礼のチョコだよ。」

「う、うん。そうだよね。うれしいなー。」

 

 

気付くといつものイタズラっぽい笑顔に戻っていた。

 

 

✳︎

 

 

桂香さんも帰って再び部屋には俺一人。

 

 

そういえば銀子からチョコもらってないなぁ。

銀子からしてみたら俺は兄なんだし、俺にチョコあげる義理なんか全くないなら仕方ないんだけど……やっぱり欲しい。

 

 

モヤモヤする気持ちを振り払うように台所に向かって夕食の準備を始める。

 

 

流し台の方を見ると無造作に置かれた紙袋が一つ目に入った。

さすがの俺でもこれが何かは容易に想像ができた。

 

 

「ただいま。」

 

 

最悪のタイミングで銀子が帰ってきた。

 

 

「あっ......」

 

 

銀子は俺と紙袋を交互に見て恥ずかしそうに俯いた。

何かフォローしないと。

 

 

「お、お帰り。結構遅かったな。何買ってたんだ?」

「え!?それは......」

 

 

銀子は焦って持っていた紙袋を後ろに隠す。

 

 

「「......」」

 

 

気まずい沈黙が続く。

 

 

「い、今からご飯作るからちょっと待っててな。」

 

 

そそくさと準備を始める。

冷蔵庫から野菜を取り出して、まな板も取り出す。

明らかに挙動不審に台所にやってくる。

 

 

「ど、どうした?」

 

 

俺が聞くよりも早く、一瞬の早業で台所の紙袋を銀子が持ってた紙袋とすり替えた。

 

 

「これ......あげるから。」

 

 

銀子はそう言うと和室に戻って行ってしまった。

 

 

料理する手を止めて、その紙袋に見る。

中を確認するとやっぱりチョコレートだった。しかもデパートで売ってる高いやつ。

 

 

「多分もうひとつの紙袋もチョコだよな......」

 

 

料理を再開する。今日のメニューは味噌野菜ラーメン。

麺を湯掻きながら今日一日の銀子の行動をおさらいする。

麺が湯掻きあがると同時に俺が出した結論はは至極単純なものだった。

 

 

✳︎

 

 

銀子とラーメンを食べ終わった後なんとなく気まずい雰囲気が漂う。

 

 

「なぁ、銀子。」

「なに?」

「チョコレートありがとうね。」

「ああそれ。いいわよ。......住まわしてもらってるお礼だから。」

 

 

ここまではOKだな。

俺は次の話題へと繋ぐ。

 

 

「ついでにもう一つの紙袋も欲しいなぁっと思ってるんだけど......」

「い、いや......それはダメ。」

「いやね別に中身に興味がるんじゃなくて紙袋いいなと思ってね。」

 

 

さすがに無理があるか......?

 

 

「......あれスーパーの紙袋だけど。」

 

 

さすがに無理があったか......

 

 

「酷い出来よ……」

「え?」

「だから失敗したの!」

 

 

銀子が今日一盤大きな声を出した。

 

 

「別に出来なんてどうでもいいよ。銀子が作ってくれたってことが嬉しいんだよ。」

「……ホントにいいの?」

「うん。」

「チョコレートに見えないよ。」

「どんな物でもいいよ。」

 

 

銀子はゆっくりと和室に戻り紙袋を持ってきた。

 

 

「ほ、ホントに酷いからね!」

「わかったって。」

 

 

紙袋を開けて中を見る。

チョコートなんだが……なんだが……アメーバみたいな……

 

 

でも銀子の手作りってだけで凄く嬉しい。

 

 

「食べて見るね。」

「う、うん。」

 

 

チョコートを口に運ぶ。

味は……普通に美味しかった!

 

 

「美味しいよ!これ!」

「ホントに!?嘘!?」

 

 

銀子が昔のようにニッコリと笑った。

 

 

「食べてみろよ。めっちゃ美味いぞ!」

「ほ、ホントだ……」

 

 

チョコートは作った本人も驚く会心の出来だった。

 

今年のバレンタインは恋とは全く無縁だったがこういうのもいいなぁと思った。

 

 




原作4巻の話を今書いているんですけど話が広がり過ぎて上手く畳めるか心配です。


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【バレンタイン特別編2】銀子と付き合ったら

初の試み、全編銀子視点です。



私は今、関西将棋会館の1階に居る。

目的はお兄ちゃん……いや勇気に会うため。

 

 

「あれ、銀子?」

 

 

彼が私に気付いて駆け寄ってくる。

 

 

「ここで何してるんだ?」

「丁度いま対局終わって帰るところだったの。」

「そうなんだ。」

 

 

嘘。本当は自分の対局が終わってから1時間くらいここで待ってた。

 

 

「じゃあ一緒に帰ろうぜ。」

 

 

勇気が歩き出した。

私もその半歩後ろを着いていく。

将棋会館を出て一つ目の角を過ぎたあたりで勇気の手を捕まえる。

彼の手は一瞬強張ったがすぐに私の手を握り返してくれた。

冬の外気は凍えるほど寒いけど、繋がれた右手と顔だけは熱かった。

 

 

私と勇気が付き合ってから3週間が経った。

今までは頼もしいお兄ちゃんだった勇気も恋に関してはダメダメで私も素直になれないタイプだからあまり、カップルらしいことはできていない。

 

あと、私達が付き合ってることは清滝一門の人以外には秘密にしているから外ではあまり会えない、それも私達の進展を妨げる大きな障害になっていた。

 

私としては勇気の周りに群がる女子達に取られないためにも公表したいんだけど……

 

 

「何処か寄っていくか?」

「うん。」

 

 

彼は私に優しく笑いかけてくれる。

子供の頃から何度も私に向けてくれる笑顔。

 

 

「すいませーん、山橋盤王。ちょっと先程の対局について聞きたいことが。」

 

 

スーツ姿の記者が走ってやってきた。

この人の名前は金田聡美。勇気がプロ棋士になってからずっと勇気の将棋の記事を書き続けている人。

 

 

「金田さんこんにちは。」

 

 

彼は優しい笑顔で金田さんに挨拶した。

その笑顔はさっきまで私だけのものだったのに……

 

 

私は知らない内に彼の背後に隠れるように下がった。

 

 

「そうですね、どの部分でしょうか?」

 

 

金田さんのインタビューが始まる。

 

 

金田さんは悔しいけど同姓の私から見ても魅力的な女性だと思う。

 

 

大人の落ち着いた雰囲気がありながら、愛想の良さもあるし、胸も大きいし……

勇気がどうかは知らないけど男の人は胸の大きい人の方が好きっていうし……

 

 

将棋しか取り柄のない私より金田さんの方が何倍も魅力的で……

心の中がモヤモヤする。

繋いでいる右手に力が入る。

 

 

「あの局面はあんまり……銀子?」

 

 

彼が私の変化に気づいて見てくる。

そんな心配そうな顔しないでよ……

 

 

「すいません。また今度話すので今日はこれで。」

「えっ!?後ちょっとだけでいいので……待ってくださーい。」

 

 

彼は私の手を強く握り返してくれて、金田さんから逃げるように走り出した。

 

 

駅まで一気に走って列車に飛び乗る。

 

 

「ハァハァ。」

 

 

普段ほとんど運動しない私には堪える……

 

 

「いきなり走り出してゴメン。大丈夫?」

 

 

彼はまた心配そうに私の顔を見てくる。

 

 

「もう大丈夫。」

「そうか。」

 

 

彼はこんなに私を大事にしてくれるのに、私は少し他の女と話すだけで嫉妬して……

自己嫌悪に陥って沈黙する。

 

 

それきり二人とも何も喋らなくなる。

 

 

✳︎

 

 

 

福島駅に着きアパートへ向けて歩き出す。

位置はさっきと同じ、そしてさっきと同じ様に手を繋ぐ。

 

 

「俺は銀子のこといつも一番に考えてるんだからな。」

 

 

彼が突然口を開く。

彼の言葉がとても嬉しくてにやけそうになる。

 

 

「いきなりどうしたのよ。」

 

 

でも私は素直になれないから無愛想に答えてしまう。

 

 

「さっき金田さんと話してる時今にも泣き出しそうな顔してたぞ。」

 

 

彼はそう言うと笑い出す。

私そんな顔してたの……!?

 

 

「いや、そ、それは。」

 

 

なんとか言い訳を探そうとする。

 

 

「ごめんね。銀子のことほったらかしちゃってたもんね。」

 

 

彼はそう言うと謝ってくる。

なんでこんなに彼は優しいんだろう。

 

 

「私こそごめんね。チョットしたことですぐ嫉妬して……面倒臭いよね。」

「いや。俺は愛されてる感じがして嬉しいよ。」

 

 

そう言って笑う彼の笑顔に見惚れる。

いつまでもその笑顔が見ていたい、ずっと私だけに向けて欲しいと思ってしまう。

ごめんね勇気、私やっぱり面倒臭い女だ。

 

 

「今年もチョコ作ってみたから帰ったら食べてみて。」

「また手作りしたの!?」

「またって何よ。嫌だったの?」

「嫌っていうか前も一回作って……」

「味はいいって言ってたじゃない。」

「味は良くてもあのアメーバみたいな見た目は……」

「あの時そんな風に思ってたの!?」

「ごめんごめん。」

 

 

こうやって何気ないことを話しているのが楽しい。

関係は全く進展しないし、心配事は増えるばかりだけど……

 

いつまでも一緒にいてね。




バレンタイン関係ないじゃんとか言われそうですね……


ちなみに金田さんは今後本編に出る……かも?


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【バレンタイン特別編3】桂香さんと付き合ったら

今回は桂香さん視点です。


アニメの7局の予告だけで涙腺崩壊しました。


「頑張ってね!」

「行ってきます。」

 

 

彼はそう言うと家から出て行く。

その後ろ姿を見送りながら私の心にはモヤモヤがかかる。

今日が何月何日がわかってるのかしら……

 

 

彼が完全に見えなくなってから家に戻り、家事を始める。

今日は私は公式戦がないからできるだけ多くの場所を掃除しておきたい。

 

 

まずは朝の洗い物を洗い始めるとふと、紙袋が目に入る。

朝渡すつもりが渡せなかった物。

 

 

私が勇気くんと付き合い始めてから一つわかったことがある。

それは彼の生活の中心は将棋だということ。

付き合う前からそれはわかっていたことだった、でもいざ付き合ってみると私と彼のみている世界が全く違うことがわかった。

 

 

彼は付き合い始めても全くいつもと変わらない。

公式戦前はしっかり準備して早く寝て、何もない日はダラダラ過ごしている。

 

 

まるで姉弟で二人暮らししてるみたいに、マイペースに過ごしている。

私は毎日ドキドキしているのに……

 

 

そんなモヤモヤを抱えながら家事を進めて行く。

 

 

✳︎

 

 

午後7時対局を終えた勇気くんが帰ってくきた。

 

 

「ただいま。疲れたよ〜」

 

 

そう言ってはいるものの圧勝しているので普通より早い時間に帰ってきている。

 

 

「おかえり。今から餡作るから一緒に食べましょ。」

「うん。」

 

 

彼は着替えに自室に戻り、私はご飯の用意をする。

 

 

「手伝うことある?」

 

 

彼が着替えを終えて居間にやってきた。

 

 

「もうできるから待ってて。」

「わかった。」

 

 

彼は素直に座る。

 

 

「ジーッ」

 

彼が何故か私を見てくる。

 

 

 

「どうしたの?何か顔に着いてる?」

「そうじゃないんだけど……」

 

 

彼は気まずそうに視線を逸らした。

 

 

料理が出来上がって食卓に並べて行く。

今日は餡掛け焼きそば。

餡のトロミをいい具合で自分でも納得できる出来だ。

 

 

「美味しいよ!」

 

 

彼も喜んでくれてるようで嬉しい。

その無邪気な笑顔を見ると彼が年下の子だということを思い出さしてくれる。

 

 

食事を二人とも終わってから彼にチョコレートを渡す。

 

 

「ねぇ、これバレンタインだからあげる。」

 

 

私はなるべく平静を装って渡す。

 

 

「ありがとう!」

 

 

彼が嬉しそうに笑う。

 

 

「開けるね。」

 

 

彼はそう言うと包みを無造作に破る。

 

 

「ちょっと!?その包装も可愛いの選んだんだけど……」

「え!?そうだったの?ごめん……」

「まぁ、いいわよ。」

 

 

そんなところも彼の可愛いところ。

 

 

「ありがとう。本当に美味しいよ!」

「よかった。嬉しいわ。」

「本当に……」

 

 

彼の顔が突然曇る。

 

普段そんな表情を私たちには絶対見せないようにする人だから余計に心配になる。

 

 

「どうしたの?」

「あと1ヶ月待って。」

「え?」

「3月になったらさ、順位戦が終わるから。そしたら桂香さんの行きたいところ、どこでも一緒に行こうね。」

「勇気くん……」

 

 

彼が私のことをしっかり考えてくれていたことがわかり嬉しくなる。

 

 

「ごめんね。付き合ったのに全然彼氏らしいことしてあげられてなくて。」

「そ、そんなこといいのよ。」

 

 

彼は私の事も考えてくれている上でしっかりと、将棋にも向き合ってる。

やっぱり彼は私の自慢の彼氏だ。

 

 

「じゃあ、3月はいっぱい付き合ってもらうから代わりに、今月は私が彼女らしいことしてあげようか。何かして欲しいことないの?」

「して欲しいこと?」

 

 

彼が焦り出す。

将棋を指す時の真剣な表情も好きだけど、年相応のこう言う表情も好きだなぁ。

 

 

「えーと……なんだろうなぁ。」

 

 

彼は言葉を濁して目が彷徨っている。

こう言う時素直にならないからなぁ。

まぁ、ここはお姉さんがリードしてあげましょう!

 

 

「え!?ちょっと桂香さん!?」

 

 

彼の頭を無理やり私の膝に持って行く。

 

 

「たまには私に甘えなさい。」

 

 

徐々に抵抗するのをやめて大人しくなる。

恥ずかしいのか顔はずっと下を向いたままだ。

 

 

「お疲れ様。」

 

 

彼は八一くんや銀子ちゃんの前では頼もしいお兄ちゃん、メディアの前では将棋界の新星、将棋盤の前では盤王、どこでも弱いところなんて見せられない。

 

彼のこんな姿を見れるのは私だけ。

 

彼の弱いところを独占できるのは私だけの特権なの!

 

 

彼の頭を撫でたまま思う。

いつまでも彼と一緒いたいとーー




これでバレンタイン特別編は終了です。

いつも書いている作品とは全く違う雰囲気の物になりましたが楽しんで頂けだでしょうか?


明日からようやく原作に戻ります。


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7月
狂ったあの娘は雷少女


今日から真面目に原作の話始めます。


7月中旬のある日俺は、銀子とともに東京駅に降り立っていた。

 

 

「着いたな銀子。」

「……」

 

 

銀子はたった2時間の電車移動と東京の暑さに負けて、既に疲労困憊気味だ。

 

 

「よくその体力でタイトル戦できるな。」

「将棋はまた別。」

「そんなもんかなぁ。」

 

 

東京駅から出るため歩き出そうとするが、東京駅は人でごった返していてなかなか前に進めない。

 

 

「銀子大丈夫か……」

 

 

後ろを振り返ると銀子は無抵抗にどんどん人の波に流されていた。

 

 

「どこいくんだー!?」

 

 

慌てて人混みをかき分けて銀子の元へ行く。

 

 

「大丈夫?」

「もう無理ここで死ぬ。」

 

 

そんなにヤバいのかよ!?

 

 

どうしよっかなぁ。

いつまで待ってもこの人混みが解消されることは無いだろうし、かといって強引に突破するのはか弱い銀子じゃ無理だろう。

いい案がないか考えていると銀子が突然俺の手を握った。

 

 

「連れて行って。」

 

 

銀子な顔はほんのり赤く、俺から視線を逸らしている。

 

 

「お、おう。」

 

 

銀子の手を引いて人のバリケードを超えて東京駅の外を目指す。

 

久しぶりに握った銀子の手は小さくて滑らかでドキドキした。

恥ずかしくて銀子の顔が見れない。

銀子の手に力がこもっているのがわかる。

銀子もドキドキしているんだろうか。

 

 

桂香さんとの密会以来考えるようになった銀子という一人の女性。

彼女が今の俺にはとても綺麗に思えた。

 

ようやくお互いに落ち着いてきて、会話が生まれ出す。

 

 

「兄弟子は明日は解説?」

「うん。マイナビのね。」

「そう。」

「銀子はどうするの?」

「ホテルで……桂香さんの対局見る。」

「そうか……」

 

 

研修会であいと天衣に連勝してBを消した桂香さんだったが年下の子供相手に威圧し続けられるほど桂香さんは勝負師ではなかった。

結局あの後も研修会では勝ったり負けたりを繰り返している。

 

そんな優しすぎる桂香さんが女流棋士なるには、明日のマイナビ女子オープンしかないと俺と銀子は思っている。

 

相手が同年代の女流棋士やアマチュアなら桂香さんも思いっ切り指せるだろう。

そして、実力を発揮できた桂香さんなら女流棋士相手にも簡単には負けない……いや勝てると確信している。

 

 

アマチュアがマイナビ女子オープンで女流棋士になるための条件は、チャレンジマッチと一斉予選を勝ち抜いて、本戦で一回勝つこと。

 

明日のマイナビ女子オープンは桂香さんにとってとても大切な大会になる。

 

 

「はっ!」

 

 

頭の中で桂香さんのことを考えていると、突然制服姿の高校生が俺たちの行く手を遮った。

俺はその高校生の顔を見て反射的に嫌悪感を覚える。

 

 

「祭神。」

 

 

俺はその名前を苦々しく言った。

 

 

祭神雷、女流六大タイトルのひとつ『女流帝位』を保持する、岩手県出身の17歳。

愛称は『いかちゃん』。

女流帝位だけあって、将棋の才能はピカイチ、いや当代女流棋士最強と言っても過言ではない。

悔しいが今の銀子よりも確実に強い。

その高い実力とともに彼女が注目を集める理由はもう一つある。

それは彼女の奇抜な行動である。

こう言うと聞こえはいいが、要するに問題児なのである。

まぁその破天荒さが将棋ファンにはうけているのだが俺は正直苦手だ。

 

 

「誰かと思ったら絶賛4連敗中の山橋盤王様じゃんか。」

「……どうも。」

 

 

怒りを抑えて努めて冷静に答える。

 

 

「久し振り銀子。才能のない雑魚同士お似合いのカップルさぁ。」

 

 

雷は下品に笑う。

 

 

「黙れ。」

 

 

自分のことを馬鹿にされるのはまだいい。

だが妹を馬鹿にするのだけは絶対許せない。

 

 

「あはっ。勇気怒った?いつもニコニコしてるあんたのそういう顔いいねぇ。なかなかそそるよぉ。」

 

 

雷はさらに下品に笑う。

 

 

「今のままじゃいつまで経っても八一との約束は叶わないぞ。」

 

 

雷に言われっぱなしでは気がおさまらないので少し反撃する。

 

 

笑っていた雷の表情が豹変した。

 

 

「うるさいうるさいうるさいうるさい・・・」

 

 

イライラと親指の爪を噛む。

その様子は明らかに尋常じゃない。

俺も隣にいる銀子もその常軌を逸した雷の様子に恐怖を覚える。

 

 

「あはっ。そうか、みんな倒せばいいんだぁ。銀子も勇気の新しい弟子も八一の弟子たちもみんな私が虐殺すればいいんだ。そしたら勇気の悔しさで歪んだ顔も見れるし、八一も私のこと認めてくれるぅ。」

 

 

雷は一人で勝手に結論を出して盛り上がっている。

 

 

「私が虐殺するの楽しみに見ときな【ニセモノの天才さん】。」

 

 

いつもなら聞き流している陳腐な挑発。

だが名人に圧倒的才能の差を見せられた後の俺には聞き流せない言葉だった。

 

 

「お前!」

 

 

我を忘れて雷に殴りかかりそうになるのを銀子が止めた。

 

 

「今はダメ。……私が絶対に倒すから。」

 

 

銀子の目に静かな闘志が灯っていた。




いかちゃんこんなに狂ってたっけ?


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帝位を持つ男

ホテルへのチェックインを終えた後、銀子は部屋で休憩をとることに。

 

 

そして俺はある人の家を訪ねていた。

名人に負けてから4連敗中。

順位戦B級1組でも2連敗の最悪のスタート。

今年はA級に行ける最初のチャンスだというのに・・・

 

終わりの見えないトンネルから抜け出すために俺も自分を変えなけれならない。

 

 

 

於鬼頭曜、帝位のタイトルを持つ関東将棋連盟所属のA級棋士。

だがこの人は一度、その地位から転落した。

タイトルもA級の地位も失い、命すらも失いかけた。

そして甦った。

それどころか以前よりも遥かに強くなって。

今の俺は、全てを変えて強くなった於鬼頭帝位の考えが知りたかった。

 

 

「指してくれるかなぁ?」

 

 

インターホンを押して待っていると、門が開いた。

 

 

「どういったご用件で?」

「あの、なんの連絡もなくお宅に来てしまったことをまずはお詫びします。」

「いえ、気になさらずに。」

「早速で恐縮なのですが、今日1日でいいので私と研究会をしていただけませんか?」

「申し訳ありませんがお断りします。」

 

 

予想通りに拒否される。

 

 

「そこをなんとか。」

「私と研究をしたところで得られるものなどなに一つありませんよ。」

「いえ、そんなことはないです。於鬼頭先生の指し手はコンピューターのように正確です。・・・でも昔の先生の棋風はそうじゃなかった。」

 

 

於鬼頭先生の表情が今日始めての変化をした。

 

最近の於鬼頭先生はコンピューターでの研究をベースに正確な指し回しで勝利するイメージが強くある。

 

しかし元々於鬼頭先生の将棋は攻め将棋だった。中盤から積極的に仕掛けて相手を攻め倒す。丁度今の俺のように。

 

 

「あなたは私のようにはなれない、いえなるべきではありません。」

「一局だけでもお付き合いしてください。よろしくお願いします。」

「・・・まぁでは家の中にお入り下さい。」

 

 

於鬼頭先生の家は恐ろしく広い。

しかしそこに生活感は全くなく、俺と於鬼頭先生の足音しかしない。

 

畳の部屋に案内された。

 

 

「お座り下さい。」

「あ、ありがとうございます。」

 

 

俺が座ると向かい側に於鬼頭先生も座った。

於鬼頭先生は無言で駒を並べ始める。

俺も慌ててその後に続くように駒を並べる。

 

 

「「よろしくお願いします。」」

 

 

於鬼頭先生とのvsが始まった。

於鬼頭先生の指す手は至って普通の手。その指し手からはなんの感情も伝わってこない。

於鬼頭先生は表情一つ変えずに一定のペースで駒を動かす。

まるでコンピューターのように・・・

 

 

「負けました。」

 

 

俺は全くいいとこなく負けた。

 

 

不思議な将棋だった。

於鬼頭先生がなにを考えているか全くわからなかった。

於鬼頭先生に俺の手は読まれていたのか、形成をどう判断していたのか・・・なにもわからなかった。

 

 

「将棋は好きですか?」

「え?」

 

 

予想外の質問に驚く。

 

 

「はい。好きです。」

「私も好きです。」

 

 

質問の意図がわからず困惑する。

 

 

「ヒトは好きですか?」

「は、はい。」

 

 

ますますわからず混乱する。

 

 

「私は嫌いです。」

 

 

どう反応したらいいのかわからない。

 

 

「人はいつかいなくなります。」

 

 

一度全てを失った於鬼頭先生だからこそ重みを持つその言葉。

 

 

「しかし、盤面真理は不変です。そこには確固たる結論がある。その結論を最も正確に教えてくれるもの、それがコンピューターです。」

於鬼頭先生はここで始めて言葉を一回切った。

そして俺を真っ直ぐ見つめて言った。

 

 

「あなたは人と将棋を指しすぎている。」

 

 

「!?」

 

 

その一言は今まで培ってきた俺の将棋観を根底から覆すものだった。

 

 

「将棋とはミスのゲーム。実際にプロの将棋でも勝敗を分けるのはミスです。

あなたのように自分のペースに相手を巻き込んでミスを誘発させるというのはある種合理的な戦術のように思われます。しかし、相手が自分を見ていない最初から勝負していないとしたらどうでしょう。」

「?」

 

 

於鬼頭先生の話の意味がわからない。

 

 

「相手が盤上真理のみを追い求めている人ならどうでしょう。」

 

 

!?

 

 

その言葉を聞いて真っ先に思い浮かんだのは名人。

思い返してみるとあの人は最初から俺と戦っていなかった・・・

ただひたすら盤上真理のみを追い求めていた・・・

 

 

「今の戦い方に限界を感じているのなら一度、盤上真理を追い求めて観るのもいいかもしれませんよ。」

「は、はい。ありがとうございます。」

 

 

今日の一局で何かが劇的に変わったわけではない。

 

でも何かを変えるきっかけは得られた気がする。

 




於鬼頭先生は原作でほとんど情報がないので半分オリジナルキャラみたいになってるけどご了承下さい。



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開幕!マイナビ女子オープン

開幕と言いながらまだ開幕しません。


於鬼頭先生との研究会の翌日俺は、東京駅で八一たちを待っていた。

 

 

「おはようございます。兄弟子。」

「おはよう八一。あいちゃんも天ちゃんもやる気十分だね。」

「はいっ。頑張ります。」

「あんた今の呼び方なに!?」

 

 

あいちゃんは頭に必勝鉢巻きまでしてやる気十分だ。

天衣ちゃんも表面上はいつも通りだが、いつもよりもツッコミのキレがいいから、やる気十分ということだろう。

桂香さんは……さっきから一言も発していない。

目を合わそうと思ってもなかなか目が合わない。というか桂香さんが意識的に避けているように思う。

……やっぱり緊張してるのかなぁ。

 

 

5人でマイナビ女子オープンの会場へと向かう。

 

 

竜王である八一の突然の訪問に会場はプチパニックになり八一は運営の人に連れていかれた。

八一は俺に助けを求めるような目で見てきていたが、生憎俺もそういう公務は大嫌いなので気付かぬふりをして、あいちゃんと天衣ちゃんと桂香さんを連れて会場へと向かった。

 

 

「兄弟子〜」

 

 

八一の悲痛な叫びが聞こえた気もするが気のせいだろう。

 

 

「あの、桂香さん」

「……」

 

 

返事はない。

無視されているわけじゃない。

聞こえていないのだ。

その証にさっきから俺の手に引かれた方向にしか進まなくて時々周りの人とぶつかりそうになってる。

桂香さんの様子を見て改めてこの大会の重要性を認識した。

3人にとってこの大会は特別なものである。

あいちゃんや天衣ちゃんにとっては始めての大会。

桂香さんにとっては人生が掛かった大会。

 

 

✳︎

 

 

会場に入り、対局開始までの待ち時間になった。

3人の様子を見てみると性格が出ていてとても面白い。

 

 

「まったく、八一は肝心な時にどっか行っちゃう。使えないわね!」

 

 

天衣ちゃんはいつも通り八一に暴言を吐いている。

俺が翻訳してあげると、

『大会前なんだから私の側にいてよ……』

ということだろう。カワイイ。

 

 

「あんたなにニヤついてるのよ!」

 

 

天衣ちゃんは大会前でもいつも通りお嬢様だなぁ。

 

 

一方のあいちゃんは椅子に腰掛けて静かに気を高めている。

もう少し緊張するかと思ったが意外と肝っ玉が据わっている。

 

 

「はっ!?」

 

 

あいちゃんを見てると突如あいちゃんの目が見開かれる。

 

 

「ごめん。気が散っちゃったかな?」

「……師匠の近くに女の人がいます……」

 

 

いつものあいちゃんからは想像できない冷たい声。

 

 

私がこれから対局なのに師匠は女の人とイチャイチャして……」

「あ、あいちゃん大丈夫?」

 

あいちゃんの口からぶつぶつと滅びの呪文みたいなものが聞こえてくる。

メッチャ怖いんだけど……

 

 

だらぶち!!!

「うぉ!?」

 

 

いきなり大きな声を出されて驚いた。

た、大会前で気が立ってるんだろう。

そっとしておいてあげよう……

 

 

「……」

 

 

そして一番心配な桂香さんは……まだ一言も喋っていない。

会場に来てからは死んだ魚見たいな目で一点を見つめてる。

話しかけてもいいものか……?

俺があれこれ考えてソワソワしていると、死んだ魚みたいな目が突如生気を宿して大きく見開かれる。

 

 

「勇気くん!!」

「はいっ!!」

 

 

驚いて俺も大きな声が出てしまう。

桂香さんは緊張からか少し頬が紅潮していて目も潤んでいる。

なんというかいつもの余裕のあるお姉さんな桂香さんと違い、守ってあげたくなるような可愛さがある。

見つめられて目を合わすのが恥ずかしくなり逸らしてしまう。

 

 

「アドバイスちょうだい!!」

「アドバイス!?」

 

 

保護対象モードの桂香さんが可愛すぎて頭がうまく回らない。

 

 

「うーんと……いつも通りにやれば大丈夫だよ。」

「ウフフ、それ全くアドバイスになってないよ。」

 

 

いつの間にか桂香さんの顔にはいつものいたずらっぽい笑顔があった。

いつもの桂香さんに戻ってる……

 

 

「あ、そうだ!もし一斉予選を突破できたら勇気先生からご褒美欲しいなぁ〜」

 

 

顔の前で手を合わせてお願いする。

その仕草可愛すぎ!!

いやここで照れちゃダメだ。

またこれは俺をからかって楽しんでるんだろう。

 

 

「うん。何か考えとくよ。」

 

 

できるだけ冷静に答える。

 

 

「じゃあ私のお願い一つ聞いて?」

「お願い?俺にできることならいいよ……。」

 

 

なんだろうメチャクチャ高いバックとか買わされるんだろうか……?

つい昨日高い買い物もしたし、そんなに高いものは買えないんだけど……。

 

 

 

どんなお願いでも絶対に聞いてね……。絶対に絶対よ。頑張ってくるわね♡。」

 

 

桂香さんはウィンクをして愛用の定跡書を読み始めた。

……本当は緊張してないの!?

 

 

組み合わせの抽選が終わり、3人とも盤の前へと向かって行く。

あいちゃんは気迫と狂気が入り混じった足取りで。天衣は威風堂々と。

そして桂香さんは、なぜか楽しそうにスキップしながら行った。

 

 

ーーみんな頼もしいな。

 

 

3人ともおかしいところもあったが、あの様子なら本来の力が出せるだろう。




ちょっとずつあいちゃんと天衣ちゃんの出番が増えてきましたね。

僕の作品だと

あいちゃんが腹黒ヤンロリ
天衣ちゃんは王道ツンデレ

になってしまってますね。


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盤王と女流王将

燎さん初登場です。

アニメで月夜見坂燎の声優をやっているMachicoさんは、オープニングの『コレカラ』を歌っている人ですね。

個人的には今季のアニメで二番目に好きなオープニングです。(一位はゆるキャン△)


3人の様子を見送って俺は解説会の控え室に向かった。

 

控え室に入ると既に今日のパートナーが来ていた。

 

 

「ようやく来やがった。オセーよ。」

「ごめん。ごめん。」

 

 

俺は適当に謝りながら控え室に行く。

 

 

月夜見坂燎、昨年のマイナビ女子オープンの覇者である。

関東所属の棋士だけど、なぜかよく関西将棋会館に出現する。

 

 

「久しぶりだな。」

「ああ。」

「そういえば最近、女に将棋教えてるんだって?」

 

 

何でいきなりそれを聞くんだよ!?

 

 

「はぁ!?そうだけど……なんでお前が知ってんの?」

「万智から聞いた。」

「ああ。なるほど……」

 

 

万智さんと燎と俺は同い年で、小学生名人戦をキッカケに知り合って以来定期的に会う仲である。

燎とは一時期それ以上の関係だったが……

 

 

「オレをほっといて新しい女口説くタァいい度胸だな。」

 

 

ヤンキーみたいな絡み方をしてくるな……。

 

 

「いやいや!?ほっといたっていうかお前が勝手に離れて行ったんだろ。」

「ふんっ。そんな昔のこと忘れた。」

 

 

こいつ理不尽すぎるだろ……

 

 

「そろそろ時間なので……」

 

 

運営の方が俺たちを呼びに来たがドアを開けて固まっている。

 

 

「……もう少し待ちましょうか?」

いや大丈夫です!!

 

 

 

絶対修羅場と勘違いされてるだろ。

関係者の人俺をゴミを見るような目で見てたし。

 

 

 

解説場はありがたいことに満員御礼、俺と燎が入って行くと軽く歓声が上がった。

 

 

「みなさんわざわざ会場にまで足を運んでいただいてありがとうございます。」

「オメーら全員ヒマなのか?」

「何言ってんですか!?みんな解説を聞くっていう大事な用事で来てるんですよ。」

「それがヒマって言ってんだよ。」

 

 

燎との軽いやり取りでまずは会場を温める。

 

 

「解説は僕、山橋勇気と月夜見坂燎の二人でやっていきますのでよろしくお願いします。この解説は守りの手に対しては厳しい解説が待っていると思うので会場の皆さんも注意して下さいね。」

「守りの手なんて全部悪手だからな。」

 

 

ドッと笑いがおこる。

 

実は俺と燎のコンビは解説では割と人気の組み合わせである。

といっても燎が無茶苦茶なこと言って俺が焦るっていうのが基本構図なんだけどね……

 

 

「さぁ、進行の早い将棋から出来るだけ多く解説していきましょう。」

「じゃあまずはこれだな。」

 

 

燎が選んだ対局は桂香さんの対局だった。

コイツ絶対狙ってるだろ。

正直黙って桂香さんの将棋を応援したいと思ったけど仕事だから解説を始める。

 

 

「焙烙和美女流三段は非常に激しい攻撃が特徴ですね。守勢に回ると難しい戦いになるかもしれません。」

 

 

観客の前ではそう言ったものの、焙烙三段の将棋は実のところ荒い。

無理攻めを冷静に咎めていけば桂香さんにも十分勝機がある。

 

 

この対局は予想通り序盤から激しい展開になった。

 

 

「アマチュアの清滝桂香が、序盤から積極的に攻めているな。見てるこっちまでスカッとするような攻めだ。」

 

 

攻める大天使にここまで言わせているのは、あの桂香さんだ。

桂香さんは俺と銀子に教えてもらっているうちにどんどんと攻めっ気の強い将棋になっていた。

桂香さんの指し手にどんどんと力がこもっていく。桂香さんの駒音がする度に焙烙三段の戦意が削がれていっているのが見て取れる。

 

 

「ところで、山橋盤王。この清滝さんというアマチュアは盤王が教えているそうだが、今回一斉予選を突破できる可能性はどれくらいあるんだ。」

 

 

こんなに大勢の将棋ファンの前で俺に復讐する気かよ!?

 

 

『え!?あの人盤王の弟子なのか。』

『名前調べろー』

『イメージ通りだな』

『盤王はロリコンじゃなかったのか!?』

『馬鹿野郎!!盤王はセーラー服萌えだ!』

『巨乳がぁぁぁぁ。』

 

 

なんか無茶苦茶に言われてんだけど。

 

 

「いえ、清滝桂香さんは弟子ではなくて僕の妹弟子にあたる人なので時々一緒に将棋を指すんですよ。」

「研修会で勝った時、抱き合ってたらしいけどな。」

 

 

どこまで情報仕入れてるんだよ!?

 

 

『やっぱり歳上派だったのか!?』

『イメージ通りだな』

『巨乳がぁぁぁぁ』

 

 

俺のイメージってどうなってるの!?

 

 

「あ!勝ちましたね。最後まで攻めの姿勢を崩さない非常に力強い将棋だったと思います。さぁ、つぎ、次いきましょう。」

 

 

俺は無理矢理次の対局へと話を移した。

 

この後は何の問題もなく解説は終わり午前中の仕事は終わった。

 

 

✳︎

 

 

「なに勝手に喋ってんの!?」

 

 

控え室に戻ると同時に燎につめ寄る。

 

「いいじゃんいいじゃん。これでお前達は将棋ファン公認のカップルだぞ。」

「カップルじゃないから!!」

「男女の関係じゃないって言うのか?」

「ああ。」

「18歳の男が巨乳の女の近くに居てヤらないわけないと思うんだがなぁ。」

「お前はもう少し女子としての恥じらいはないのか!?」

「恥じらいなんかあっても将棋にゃ勝てねーんだよ。」

「はぁ。お前と話してると、どっと疲れるわ。」

 

 

俺は脱力して部屋から出ていく。

 

 

本当に男女の関係じゃねーんだな。

 

 

燎の最後の呟きは小さすぎて聞こえなかった。




原作キャラのキャラ崩壊がすごいことになってる気がする……


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迷子のお嬢様

唐突に天ちゃん回!!!


昼休憩になり八一たちと合流するため電話をかけようとすると、見覚えのある黒のゴスロリドレスが目に入った。

 

「あ、えっと……、あの……」

 

 

天衣ちゃんである。

しかし天衣ちゃんの周りには八一達はおらず、いつも側に居るボディーガードの池田晶さんもいない。

 

いつもの強気なお嬢様の雰囲気は完全になく、心細そうに涙目で周りを見渡している。

 

 

「よっ!迷子さんですか?」

 

 

天衣ちゃんにバレないように後ろから近づいて、話しかける。

 

 

「きゃっ!?あ、あんたね。」

 

 

天衣ちゃんの可愛い声が聞けた。

しかし天衣ちゃんは俺に気づくと目の涙をぬぐいいつものお嬢様モードに戻ってしまった。

 

 

「八一たちは?」

「あいつらは私を置いていったわ。」

「はぐれたんだろ。」

「……」

 

 

はぐれたらしい。

 

 

「ちょっと待ってな。今八一と連絡とるから。」

 

 

 

ーーー

トゥルルルル

「天ちゃん見つけたぞ。」

「え!?今兄弟子といるんですか?」

「うん。」

「おいっ、お嬢様はどこにいる。吐け今すぐ吐けぇぇぇ。」

「うげぇぇぇぇ、今兄弟子と、いっしょ……」

「ちょっと晶さん、八一くん呼吸できてないから!」

「おい、山橋勇気今すぐお嬢様を出口まで連れてこい。万が一お嬢様に何かあったらどうなるかわかっているな!!」

ブチッ

ーーー

 

 

乱暴に電話が切られた。

 

 

「……」

「どうしたの?」

「絶対無事にみんなの元に返してあげるからな!!」

「な、なんでそんなにやる気なのよ……」

 

 

俺の首がかかっているからな!!

 

俺は天衣ちゃんに手を差し出す。

 

 

「?、何よこれ?」

「手、繋がないとまたはぐれちゃうだろ。」

「い、いいわよそんなの。一人でついていけるわ。」

「いや、そう言って八一とはぐれたんだろ。」

「……」

 

 

また黙り込んでしまった。

まったく難儀なお嬢さんだ。

 

 

「こういう時は大人を頼りなさい!」

 

 

強引に手を繋いで歩き出す。

 

 

「ちょっと!?勝手になにやってるのよ。だいたいあんただってまだ未成年でしょ!大人ヅラするなー!!」

 

 

天衣ちゃんの罵倒がさらにヒートアップしていく。

本当に天衣ちゃんは恥ずかしがり屋だなぁ。

あいちゃんとは大違いだ。

 

 

こういうタイプの子どもと接するのは始めてだなぁ。

銀子も八一もどちらかというと素直に俺を慕ってくれたし、あいちゃんも年相応に感情を表現する子だ。

でも天衣ちゃんは自分の感情をあまり表に出さない。

まるで仲良くなることを恐れているかのように。

こういう子、放っとけないんだよなぁ。

 

 

俺は突然立ち止まった。

 

 

天衣ちゃんは止まれず俺の背中に激突する。

 

 

「危ないでしょ!いきなり止まらなでよ。」

「ごめんごめん。」

 

 

天衣ちゃんに向き直る。

天衣ちゃんの目をジッと見つめる。

 

 

「な、何よ……。気持ち悪いわ、通報するわよ。」

「これあげる。」

 

 

ポケットから飴を取り出して天衣ちゃんに渡す。

 

 

「何これ?」

「飴だよ。」

「どういうことよ?」

「午後も対局あるんだからこれ舐めて落ち着きなさい。」

 

 

俺は諭すように優しく言う。

さっきまで俺を睨みつけていた天衣ちゃんの目から怒りが消えた……ように思う。

大人しく俺の手から飴を受け取り口に運んだ。

 

 

「美味いだろ。俺のお気に入りなんだ。」

「何これ!?辛いんだけど……」

 

 

天衣ちゃんの顔が歪む。

んー、お嬢様にはハッカ飴はお気に召さなかったようだ。

 

 

「美味しくなかった?」

「これを美味しいと感じるならあなたの舌はどうかしてると思うわよ。」

「この飴はな、大人には美味しいと感じるんだよ。つまり天ちゃんはまだまだ子供だねー。」

 

 

天衣ちゃんの顔がみるみる赤くなる。

 

 

「ま、まぁよくよく考えると美味しくもなくもないかもしれないわね。」

 

 

結局美味しいのか不味いのかどっちだよ……

 

 

「大人でも嫌いな人は嫌いなんだけどね。」

「あんた騙したわね!?絶対許さない!!」

 

 

天衣ちゃんが怒り出す。

 

 

「これで少しはリラックスできただろ?」

「はぁ!?」

「午後もしっかり自分の将棋を指せよ。応援してるから。」

「な、何よいきなり……」

 

 

天衣ちゃんが急に大人しくなり、どこか怯えたような表情になる。

怒ったり黙ったり忙しい子供だ。

 

 

「よしっ、早く八一たちのところ戻ろうぜ!」

 

 

不意打ちで手を繋ぐ。

 

 

「あんた絶対に覚えてなさいよ!!」

 

 

天衣ちゃんが顔を真っ赤にして文句を言う。

相変わらず罵倒されてるけど、今日は天衣ちゃんのいろんな表情が見れた。

子供はやっぱり表情豊かじゃないといけない。

 

 

口では文句言ってるけど、繋いだ手は無理矢理に振りほどこうとしなくなった。

 

 

✳︎

 

 

出口に近づき八一たちの姿が見えてきた。

 

 

「おっ、八一たち見えたぞ!」

「……あんた慣れてるのね。」

「何のこと?」

「何でもないわよ。もう一人で行けるから離して。」

「はいはい。」

 

 

天衣ちゃんは俺の手を離して先に行ってしまう。

 

 

未成年のくせに大人ぶって……



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一門集合飲み会

大量のフラッシュに囲まれている、一人の女性と二人の女の子。

 

 

一人は戸惑ったように周りを見ている。

一人は威風堂々と立っている。

一人は夢の中にいるような表情で目をパチパチとさせている。

 

 

あいちゃんと天衣ちゃんと桂香さんはチャレンジマッチを4連勝で突破した。

 

 

アマチュアながら3人とも圧倒的な強さで勝ち進んだことで、メディアから注目されている。

 

 

実は注目されている理由はそれだけじゃないんだけどね。

 

 

『一斉予選へ向けての意気込みをお願いします。』

 

 

「いつも通りに指すだけです。」

「いっぱいいっぱい勉強しなきゃですけど……次の一斉予選も絶大に勝ちますっ!!」

「先に女流棋士になった昔の修行仲間と公式戦で対局できるのはすごく嬉しいです。……頑張りたいと思います。」

 

 

三者三様の受け答えをしていく。

 

 

『あれが竜王が同棲している・・・』

『二人とも小学生だぞ』

『二股なのか!?』

『あの人が盤王の彼女・・・』

『空銀子とは真逆のタイプだな』

『どっちが本命なんだ!?』

 

 

いろんな意味で注目されてるね……

 

 

インタビューも終わり冷や汗を垂らしている俺と八一の元に3人がやって来た。

 

 

「「おめでとう。みんな。」」

 

 

戦いを終えた3人に労いの言葉をあげる。

 

 

「はいっ。ありがとうございます!」

「ふん。このくらいは余裕よ。」

「緊張した〜。」

 

 

「よしっ。今日はみんながチャレンジマッチを突破したお祝いに俺が夜ご飯を奢ってやろう!」

「いいんですか!?」

「別にいらないわよ。……まぁ行ってやってもいいけど。」

「そんな、勇気くんに奢ってもらうなんて悪いわよ。」

「いいっていいって。」

 

 

そう言って俺は歩き出す。

後ろから八一が駆けてくる。

 

 

「本当に大丈夫ですか兄弟子?いくら小学生もいるっていっても5人分ですよ。」

「え?だって俺と八一が割り勘だろ?」

「え!?いつそんなこと決まったんですか!?」

「ついでに銀子も誘っておこう。」

「チョット聞いてます!?」

 

 

八一を無視して電話をかける。

ーーー

トゥルルルル

「どうしたの?」

「いやさ、今から桂香さんたちの突破祝いに夜ご飯食べにいくことになってるんだけど一緒に行こうぜ。」

「……行く。」

「オッケー。じゃあ吉祥寺の駅で待ち合わせな。」

「わかった。」

「吉祥寺まで一人でこれるか?迎えに行こうか?」

「行けるわよ。子供扱いしないで。」

ガチャ

ーーー

 

 

✳︎

 

 

「ふーん値段の割にはちゃんとした肉じゃない。」

「コラッ、天衣!店の人に聞こえちゃうだろ!?」

「師匠、次はなに食べますぅ〜?」

「あ、あい。自分でとるから・・・」

「なに食べます?」

「じゃあそこの玉ねぎでお願いします。」

「はい♪」

 

 

八一は二人の小学生に囲まれて中々大変そうだ。

 

 

「天衣ちゃんも欲しいものあったら言ってね。」

「子供扱いするなババア。」

 

 

まだ天衣ちゃんは研修会でのことを根に持っているようだ。

 

 

「天ちゃん、年上の女性に向かってそれはダメだよ。桂香さんは優しいから許してくれるかもしれないけど……」

「どーせ私はババアですよー。25歳にもなって女流棋士になれてない老兵ですよー。」

 

桂香さんがネガテイブモードに入った……

桂香さんと天衣ちゃんが戦っている横では違う戦いも勃発していた。

 

 

「おばさんお肉苦手なんですか?さっきから食べてないですけど。」

「ぶちころすぞわれ。」

「まぁまぁ姉弟子。あいも姉弟子を思いやって話しかけてくれてるんで大目に見てやってくださいよ。」

「……わかったわよ。」

 

 

その日はあいちゃんと天衣ちゃんが加わってから始めての一門全員集合食事会になった。

 

 

仲良くできるか不安なメンバーも何人かいたが意外とみんな楽しんでいた。

 

 

これからもみんなで定期的に集まりたいな。

 

「そうだ八一、この会、師匠には内緒な。絶対拗ねるから。」

「そうですね……」

 




短いけど今日はここまで。


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盤王と修羅場

桂香さんファン増えろ!!


東京遠征3日目、今日の俺の予定は・・・

 

 

銀子とのデートである。

デートって言っても銀子が行きたいスイーツの店を回るだけなんだけどね。

 

 

「今日はどれくらい行く予定なんだ?」

「ここに書いてあるところ全部。」

 

銀子は俺にケータイを見してくる。

ケータイの画面には店の名前がズラリと並んでいる。

 

 

「これ、全部か!?」

「うん。」

「ホントに大丈夫か……?」

 

 

銀子は俺の手を握って歩き出す。

 

「お、おい銀子危ないぞ。」

 

 

今日は私のものだから……

 

 

✳︎

 

 

 

昼の3時を過ぎるまでに既に10軒制覇。

 

 

「もう俺これ以上食べられ……ない。」

「まだ行く。」

「えー!?」

 

 

銀子は昔から一度決めたことは絶対に辞めない奴だから絶対に許してくれない。

 

 

これはもうスイーツ拷問だ!

銀子に引っ張られながら次の店へと連れていかれそうなる。

 

 

「あ、あそこにいるの桂香さんじゃないか?」

 

 

地獄へと引きずり込まれる途中に救世主を見た気分だ。

 

 

「あっ!銀子ちゃん、勇気くん。」

 

 

桂香さんも俺たちに気づいてやって来る。

 

 

「どうして一人なの、桂香さん?確か今日はあいちゃんの友達の東京観光の付き添いだったはずだよね?」

「そうだったんだけど……、あいちゃんがね、八一君のところに行くって……」

「八一のとこって今日はあいつ、棋帝戦の解説だろ。」

「そうなんだけど……」

今日は独り占めできと思ったのに……

 

 

心配になってスマホでニコ生を見る。

 

 

そこには……

八一にキスするシャルちゃんの姿がアップで映っていた。

 

 

「あいつ何やってんの!?」

「八一君まさか本当に……」

「ロリ王」

 

 

みんな程度は違えど八一の状況に驚いている。

銀子よ、驚くのはいいんだが俺の足をガシガシと踏み続けるのやめてくんない!?

 

 

「女はべらして楽しそうだな盤王。」

 

 

驚きで固まっている俺たちの前にゴツいバイクが止まった。

見覚えのある赤髪の女性が話しかけて来た。

 

 

「月夜見坂女流王将!?」

 

 

女流タイトルホルダーにいきなり遭遇して桂香さんは驚く。

 

 

「なんで燎がこんなとこにいるんだよ。」

「まぁ、東京在住なわけだし会ってもおかしくわないだろ。」

また増えた……

 

 

「いやー、にしても間近で見ると一層でかい乳してるなー」

 

 

燎が桂香さんに詰め寄ってくる。

 

 

「え!?え、えっ?」

 

 

桂香さんは怯えるように後退りしていく。

桂香さんを庇うようにすかさず燎と桂香さんの間に割って入る。

 

 

「昨日からなんでお前そんなに桂香さんのことで俺に絡んで来るんだよ?」

私はお前のこと考えて手引いてやったのによ。なんでもねーよ、面白いからだ。」

 

 

この時俺は何となく桂香さんと燎はこれ以上一緒に居てはイケナイないように思った。

俺の直感が警鐘を鳴らしている。

 

 

「始めまして月夜見坂女流王将。」

 

 

さっきまで俺の後ろで怯えていた桂香さんが、俺の押しのけて前に出てきた。

 

 

「清滝桂香と言います。勇気くんの()()です。」

 

 

なんか弟子の部分を妙に強調してるんだけど……

 

というかそもそも俺は桂香さんの師匠じゃないんだけど!?

燎は桂香さんの顔をジッと見ると不敵に笑った。

 

 

「あんたの昨日の将棋は良かった。俺好みだった。」

「え!?あ、ありがとうございます。」

 

 

予想外のお褒めの言葉に桂香さんが動揺している。

 

 

「だかな!あの程度の将棋なら私も指せる。」

「!?」

 

 

桂香さんの顔から戸惑いが消える。

いくら女流王将相手だとは言っても自分の将棋を否定されたらカチンと来るだろう。

 

 

「今のは訂正して。」

 

 

その言葉にキレたのは桂香さんではなく、銀子だった。

銀子が怒って燎に詰め寄る。

 

 

「悪い。悪い。別にあんたの将棋を否定したかったわけじゃない。あのタイプの将棋は私も指せるってことだよ。」

「「?」」

 

 

銀子も桂香さんも言っている意味がわからず首をかしげている。

 

 

「やっぱり、あの事二人に言ってないな?」

 

 

銀子と桂香さんが話を振られた俺に顔を向ける。

 

 

「……」

 

 

俺は黙ったままでいる。

 

 

「なら私が教えてやろう。俺は昔、勇気に将棋を教えてもらっていた。」

「「!?」」

 

 

全く予想外の告白に銀子と桂香さんは固まっている。

 

 

俺と燎の関係はおそらく俺ら二人しか知らない。

八一も師匠ももちろん知らない。

というか八一には絶対知られちゃいけないのだが。

 

 

「本当なの、勇気くん?」

「あー、本当だね。」

「いつから?」

 

 

銀子がメチャメチャ不機嫌になってる……

 

 

「うーんと、俺と燎が小5の時、小学生名人戦の後。」

 

 

そうして俺は過去の記憶を思い起こす。




アニメのおかげでモチベーションアップしました。


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【番外編】読者のみなさまへ

皆さん初めまして、『清滝一門の長男』の作者です。

 

私がこの作品を投稿してから1ヶ月がたちました。

この1ヶ月で総UA約69,000、お気に入り件数800以上を達成しました。

これほど多くの方に読んでいただいてとても嬉しいです。

ありがとうございます。

 

 

今回は連載開始から1ヶ月たったので、この作品の登場キャラの情報整理と今後の注目ポイント、そして最後に少しご報告をしようと思います。

 

 

①九頭竜八一

属性:チート主人公系男子

原作の主人公です。ここまでは作品への出現回数はそこまで多くないです。よって兄弟子がいることによる変化はまだ大きくは発生していません。

今のところは名人以外にも明確な目標がある点が違いでしょうか。

まぁ彼が活躍するのは原作5巻の話の時でしょうからまだまだ先ですね。

今後八一に関しては、八一は兄弟子が自分より強いという前提の元に過ごしているということに注目して読んで下さい。

 

 

②空銀子

属性:クーデレデレヒロイン

原作では色々と不憫な八一の姉弟子です。この作品の登場回数はおそらくトップでしょう。というのも僕がこの作品を書いたのには大きく2つ理由があります。そのうちの一つは……

 

 

銀子を救ってあげたい!!!

 

 

原作の6巻を読んだ人は絶対に思ったはず、銀子可哀想すぎるでしょ!?

これから三段リーグ戦うんだよ!?

同時期に女王戦あるんだよ!?

八一とずっと一緒に居たんだよ!?

八一とのフラグも折れたみたいになってんだけど!?

 

 

なんでこんなに可哀想なんだよ……

銀子を幸せにしてあげたい、そう思って一夜を明かし朝日も登る午前6時、気が付くと目の前に書き殴ったオリ主の設定資料があったのです……!!!

これが『清滝一門の長男』誕生秘話です。

 

 

話が脱線してしまったので戻すと、当初銀子はクール:デレ=7:3くらいで書こうと思ってたんですけどいざ書き始めるとクール:デレ=2:8くらいになってしまっています。

ここまで読んでくれた読者の方はもうすでに銀子がオリ主に恋心を抱いているのはわかっていると思います。

では原作で恋心を抱いていた八一に対してはどう思っているのでしょう?

今後はこの点に注目して読んでみて下さい。

 

 

 

③清滝桂香

属性:高木さん系お姉さん

原作では才能のないことに苦しんでいるみんなのお姉さん的存在の人です。この作品では銀子に次いで二番目に出現率の高いキャラです。その理由は……

 

 

桂香さんを救ってあげたい!!!

 

 

今みんな『また!?』って思ったでしょ?

でも原作読んだ人はみんな思ってると思うの。

桂香さん報われなさすぎじゃない!?

天才小学生の近くにいて焦って、かつての親友の首を切って女流棋士になり、原作3巻以降八一くん全然桂香さんのこと好きな描写ないし……

 

 

桂香さん可哀想!!!

 

 

ということで桂香さんも救いたいと思っています。

まぁ現状この作品で一番変化してるのは明らかに桂香さんでしょう。あいちゃんにも勝ったし、マイナビオープンも4連勝したし。

今後の注目ポイントは明確で、桂香さんがどこまで強くなるかです。

 

 

そしてここで皆さんに一つ謝らなければならないことがあります。

桂香さんキャラ崩壊の件についてです。

今感想欄に文句言いに行こうとした人ちょっと待って下さい、まずは弁明さして下さい。

なぜこうなったのか。

理由は大きく2つあります。

まず一つ目、僕の理想の年上のイメージがああいう普段からかってくるけど、本当に苦しい時は優しくしてくれる人というイメージなんです。そういう幻想を抱いていたら自然と桂香さんがそういう方向のキャラになってしまいました。

次に2つ目、今期アニメで『からかい上手の高木さん』がやっていたからです。

いや〜、あの作品いいですよね。全ての登場人物が絶妙なバランス感覚を保って成立しているあの甘酸っぱい雰囲気。あと声優の高橋李依さんの演技が素晴らしい!!!

作者が高木さんにどハマりして、気づいたら桂香さんもからかいキャラになっていた……!!

ホントにすいません。

 

 

④雛鶴あい

属性:腹黒ヤンデレ系幼女

原作では八一の第一夫人として君臨するJSです。この作品ではあまり登場回数が多くありません。おそらくマイナビオープン編が最も登場回数が多くなると思います。

原作との違いもほとんどなく、通常運転で八一に猛アタックしています。

オリ主に対しては優しい親戚のおじさんだと思っているのではないでしょうか?

あまりにも原作と違いが無さすぎるので、近々この作品ならではの立ち位置をあいちゃんには与えようと思っています。

彼女がオリ主のヒロインレースをかき回してくれると思いますよ(ゲス顔)

ということで注目ポイントはそこです。

 

 

 

⑤夜叉神天衣

属性:王道ツンデレJS

原作では将棋でもヒロインレースでもあいちゃんのライバルとして立ちはだかっている天ちゃん。この作品での登場回数は少なく、オリ主に対しては基本ツンツンしていますがちょっとずつデレる兆しが出始めています。

でも相手はJSなのでオリ主を犯罪者にしないためにもいい感じの落とし所を見つけて行こうと思っています。

ということで注目ポイントは天ちゃんにとってオリ主がどういう存在になっていくかです。

 

 

 

⑥月夜見坂燎

属性:元カノ系女子

原作では少々可哀想な扱いの燎さん。この作品では現在絶賛活躍中ですね。正直燎さんを書き始めた頃にはまだアニメに登場していなくて僕の頭の中のイメージで書いていたんですが、アニメに登場すると僕のイメージとは全然違う新しい燎さんがいました。

正直僕もこれからどうしようか戸惑っているんですけど、まぁもう書いてしまったものは仕方ないのでこのままのキャラで行きます。

彼女にはこれからもヒロインレースをかき回してもらいたいものです。

 

 

 

ここからが重大発表です

 

 

 

まずはこの作品の今後の構想について。

実は作者は原作6巻までしか読んでません。なぜかというとさっきも書いた通り、銀子が可哀想だからです。この先銀子がろくな目に合わないのはなんとなく察しているので、7巻を読むのが怖くて読めずにいます。いつかは読むとは思うのですが、少なくとも今すぐには読みませんね。

とういうことで、原作知識がないまま書くのは絶対にイケナイと思うので、原作には6巻まで沿って、そこからオリジナル章を2つほどやって完結したいと思っています。

まだまだ続くと思うので今後ともよろしくお願いします。

 

 

そしてもう一つ、この作品明日から少しお休みを頂きます。

理由は二つあります。

一つ目は、リアルがめちゃめちゃ忙しくなってきたということです。

理由は言えないんですけど、とにかく忙しいです。

二つ目は、自分の作品のクオリティに疑問を抱いたからです。最近自分の作品を読み返して見ると、とても下手に思うんですよね。そもそも自分の書きたかったものがなんだったのか最近は見失い気味ですし……

ということで自分を見つめ直す意味も含めて一度休ませてもらいます。

 

 

最後に皆さんにお願いがあります。

自分を見つめ直す材料として皆さんの意見が欲しいです。

活動報告にてアンケートを実施するので是非ともお答え下さい。

 

 

エタる気は全くないので、今しばらくお待ち下さい。

絶対に帰ってきます!!

 

 



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盤王と女流王将〜出会い〜

恥ずかしながら帰ってまいりました。



俺と燎の出会いは突然訪れた。

正直俺の第一印象は良くなかった、寧ろ苦手なタイプだとさえ思った。

 

 

「俺と毎日将棋を指せ!」

 

 

小学生名人戦の決勝で八一を下して優勝した俺は表彰式が終わり、八一たちと合流しようと、会場を出ようとしていた。

その途中で赤髪の女の子に呼び止められた。

その子は人差し指をビシッと俺の方に向けて、睨むように見ながら話しかけてきた。

 

 

「えっと……誰?」

「ああん!?俺を知らねーのか!?」

「え、す、すいません。」

 

 

その人は怒鳴って俺の胸ぐらを掴んでくる。

この人本当に女の子だよね……

学校の男子より凶暴な気がする。

怒鳴り声に会場に残っていた運営の人や記者の人が一斉にこちらを向く。

一斉に注目されて、その人は気まずそうに手を離して、俺を無理やり会場の外に連れ出した。

 

 

「小学生名人戦ベスト4の月夜見坂燎だ。」

 

 

周りに人がいないことを確認して、燎さんは何故か得意気に胸を張り、自己紹介した。

俺は自分の記憶の中から月夜見坂燎の情報を検索する。

ヒットしたのは一件。

 

 

「えーと……あぁ八一に負けた人だ!」

「お前喧嘩売ってんのか!?」

 

 

燎さんがまた怒って胸ぐらを掴んできた。

八一との将棋も相当激しかったけど、棋風通り性格も激しいなぁ。

 

 

「ご、ごめん。そんなつもりで言ったわけじゃないんだけど……っていうか苦しいから離して!!」

 

 

燎さんは落ち着いて離れる。

なんだかこの人怖いなぁ……

 

 

「んで、返事は?」

「何のですか?」

「だから、俺に将棋を教えろってこと。」

 

 

そういえば、さっきも会場でそんな事を言ってたような気がする。

 

 

「んーと……ごめんなさい。」

「はぁ!?なんでだよ。」

「まだ俺、人に将棋を教えられるほど強くないし、プロになるためにもっともっと強くならなきゃいけないから。」

 

 

これは俺の本心。

決勝で八一に勝てたのは早指しだったから。

あいつは感想戦で俺の読みを超えてきた。しかもそれが、その局面での最善手だった……

あいつの才能に比べれば俺の才能なんて……

 

 

優勝してまだ強くないか……わかった!じゃあ明日朝の10時に関西将棋会館の道場に来い、私と一局指せ!」

「いや、行くとは……行っちゃったよ。」

 

 

そう言い放つと燎さんは俺の返事も聞かずに立ち去って行った。

なんなんだあの人。

 

 

✳︎

 

 

小学生名人戦から一夜明けて俺は関西将棋会館の前にいた。

ちなみに、現在時刻は10時27分、完全に遅刻。

でも俺のせいじゃないんだよ!

 

 

将棋会館行ってくるって言ったら、銀子が

『私も行く。』

って言って着いて来ようとしてきたから、それをなだめるのに手間取った。

最終的には銀子が号泣して、騒ぎを聞きつけた桂香さんが様子を見にきて銀子を慰めている間に隙を見て抜け出してきた。

後で絶対怒られるよね……。

 

 

その上燎さんも待たせてるし、あの人のことだから絶対怒られる。

足取り重く道場に行くと既に燎さんは将棋盤を一つ独占して待っていた。

 

 

「ごめんなさい、燎さん。」

「おせーな!ちゃっちゃと始めるぞ。」

「はい。」

 

 

意外と胸ぐらは掴まれなかった。

燎さんはせっせと駒を並べて準備を開始する。

 

 

「早く準備しろよ。」

 

 

燎さんに促されるままに駒を並べて対局を開始する。

 

 

「「よろしくお願いします。」」

 

 

✳︎

 

 

「……負けました」

 

 

 

結果は俺の勝利。

さすが小学生名人戦のベスト4だけあって完勝というわけではなく、結構ギリギリの戦いになった。

 

 

盤上には相手の駒に周りを囲まれて剥き出しの王が二人いた。

 

 

お互いに守らず、自らの肉を切って骨を断とうとする戦いはヒリヒリとした緊張感があってとても楽しかった。

重要な局面になるごとに燎さんは一番激しい変化を選択してきた。

それに触発されるように俺も敢えて先の見えない激しい変化に突入する。

独創的な駒組をする八一や、相手を押さえつける正統派な銀子との対局も楽しいけど、お互いに攻めが好きな燎さんとの対局はひと味違ってとても楽しかった。

性格的には苦手だけど、将棋の相性は今まであった人の中で最も良いかもしれない。

 

 

「なんだお前。見た目によらず、なかなか熱いやつだな。」

 

 

燎さんも同じ事を感じたのか満面の笑みを浮かべた。

始めて見る燎さんの笑顔。

会ってから怒った表情しか見てこなかったからそのギャップに不覚にもドキッとしてしまう。

 

 

「おいっ!!」

「はいっ!?」

 

ヤバい、なんか怒らせるようなことしてしまっただろうか。

今までの経験から反射的に身構えてしまう。

 

 

「俺は奨励会に入る。」

「はぁ!?」

 

 

予想外すぎる言葉に思わず声を出して驚いてしまった。

 

 

「俺は八一にリベンジするんだよ。だから奨励会に入る。」

「奨励会に入るって……」

 

 

俺が言葉を濁していると燎さん突如怒り出す。

 

 

「テメェ俺が女だからって下に見てんなら許さねぇからな。」

「イヤ、そんなこと思ってないよ。」

 

 

女流棋士がプロ棋士より弱いというのは事実としてある。

しかし将棋で女性が男性に勝てないというわけではない。

少なくとも俺はそう思っている。

例えば銀子なら……苦戦はすれど男性とも互角それ以上に戦えると思う。

 

 

しかしそれは銀子のような規格外の存在の話。

目の前の燎さんは確かに強い、でも……

 

 

「今の俺じゃ追い付けない。それはわかってる。あいつに追いつくには八一より強い奴から学ぶしかないんだよ。」

「……」

 

 

燎さんの顔をじっと見る。

正直にいうべきか、それとも……

そもそも俺はまだ将棋を教えられる程の人間じゃない。

その上俺は八一より強くもない。

 

 

「将棋を教えるというか、研究会はどう?」

「研究会?」

「燎さんは関東に住んでるから直接教えることは難しいよね。だからネットで毎週vsをやって感想戦をSkypeでやる。これならお互いにとっていいと思うんだけど。」

 

 

俺には人に将棋を教えるなんて覚悟は出来ない。

俺が選択したのは逃げの一手だった。

 

 

「うーん、今はまぁそれで良いだろう。」

「よかった。じゃあこれからよろしくお願いします。」

 

 

俺は燎さんに手を差し出す。

燎さんはその手をじっと見てから握り返してきた。

 

 

「じゃあ早速もう一局やるぞ!」

 

 

この研究会は俺がプロ棋士になるまでの4年間続いた。




今回は燎とオリ主の出会いを書きました。

別れはまた違う機会に書きます。


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元弟子vs今弟子

タイトルが全く思いつかなかった。


「元カノね。」

「いや違うよ!?」

 

 

銀子今までの話聞いてた?

 

 

「まぁ、そういうこった。俺はお前のこと思って身を引いたのによ、違う女教えやがって。」

「なんだって?」

「なんでもねぇよ!勇気の将棋を一番理解している女流棋士は俺だ。それだけは覚えとけよ。」

 

 

「「「……」」」

 

 

微妙な沈黙。

 

 

「も、もう今日は遅いし俺の帰りの新幹線もあるから行こうか?」

 

 

沈黙に耐えられなくなって口を開く。

 

 

「どーせ私は二番目の女ですよー。一番にはなれませんよー。」

 

 

桂香さんがネガティブモードになった!?

目から光が消えてるし……

昔からこのモードに入った桂香さんは面倒臭いとわかっている。

 

 

「なぁ銀子ど……」

 

 

桂香さんは一旦置いといて、正常な方の銀子に話しかけようとする。

 

 

「元カノ……」

 

 

銀子が無表情で俺の足に蹴りを入れてくる。

天衣ちゃんと違いこの攻撃はただただ痛い。

 

 

「痛い痛い!?だから元カノじゃないって言ってんだろう!?」

「うるさい。」

 

 

対話拒否!?

 

 

「おうおう、両手に花だな。」

「どこが!?」

 

 

燎はニヤリとしながら頭の中で何かを考えてる。

どうせロクなこと考えてないだろう……

 

 

「そうだな……俺も勇気の弟子に戻ろうかな。」

「「「はぁ!?」」」

 

 

俺と桂香さんと銀子が一斉に驚く。

 

 

「何言い出すんだよ!?というかそもそも俺はお前の師匠じゃない!」

「まだそんなこと言ってんのかよ。確かに研究会っていう形にはしてたけど、あれは完全に俺が教わってただろ。」

「でもなー。」

 

 

しかしここで、誰も予想できないことが起こった。

 

 

「今さら近づいてきてるんちゃうで。」

「「「え?」」」

 

 

突然コテコテの関西弁が聞こえてきて、関東在住の燎だけじゃなく、俺や銀子まで呆気にとられる。

 

 

「あんた、一回捨てといてまた近づくのは虫が良すぎるんとちゃいますか?」

 

 

声の主は桂香さんだった。

桂香さんは笑顔で燎に詰め寄って行く。

笑顔なのが逆に怖い。

 

 

「うぉ!?ん?ん?」

 

 

いつもは詰め寄る側の燎が逆に詰め寄られて、狼狽している。

攻められる燎、めちゃくちゃレアだな。

 

 

「うちは、子供の頃からずっと一緒にいてん。途中からやってきた何処の馬の骨ともわからん奴に勇気くんやるわけないやろ!!」

 

 

桂香さんは燎に向かって早口でまくしたてる。

こ、怖すぎる……

普通の女の子だったら泣きだしてもおかしくないほどの桂香さんの威圧感。

普通の女の子ならーーー

 

 

「あんっ!?お前良い度胸だなおい!!」

 

 

燎コワッ!?

 

 

「っ!?」

 

 

ここまで押せ押せだった桂香さんが少し怯んだ。

 

 

「子供の頃から一緒ってな、近すぎる方が逆効果なこともあんだよ。」

 

 

確かに、俺も桂香さんに将棋教える時どうしても手加減しそうになっちゃうもんな。

 

 

「そんな……」

 

 

何故か銀子にクリーンヒットした。

 

 

「そ、そんなことは……ないわよ。」

 

 

桂香さんの声が段々と小さくなっていく。

 

 

「ホントにそう思うか?」

「そ、それは……」

 

 

桂香さん沈黙。

 

 

「ったく、しゃーねーな。そこまで言うならマイナビを勝ち抜いてこい。俺に証明して見やがれ、あんたが勇気の一番弟子だって事をな!」

 

 

桂香さんをビシッと指差してバイクに乗って颯爽と走り去って行った。

 

 

燎さんカッケー

 

 

「け、桂香さんのあんな姿始めて見たな……」

「う、うん。」

 

 

俺と銀子がヒソヒソと話していると、今まで沈黙していた桂香さんがクルッと回って俺たちに叫んでくる。

 

 

「何やっとんの?はよ八一くんのとこ行くで!」

「「はいっ!!」」

 

 

桂香さんの意外な一面を見れた1日だった。




ちょっと短いんですけど、キリがいいので許して下さい。


次回からまたJS達が登場します。


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盤王主催!?臨時JS研

昨日の惨劇から一夜明けて俺は今、福島の家に一人でポツンといる。

 

 

「一人だと寂しいなぁ。」

 

 

銀子が来てから基本家に一人ということがなかった。

つい最近までは家で一人なんて当たり前だったが何故か今日は無性に寂しい。

 

 

銀子は、今日は『女流名跡』釈迦堂里奈先生の元へ研究会に行っている。

八一も釈迦堂先生の弟子の神鍋歩夢と研究会しに行くらしいから、俺も行きたいと言ったんだが、銀子に断固拒否された。

なんでだろう……?

 

 

八一も一緒とはいえ、銀子は大丈夫だろうか?また人の波にさらわれていないだろうか?

次から次へと心配事が浮かぶ。

 

 

なんでこんなに銀子のことばっかり考えてるんだろう。

知らない内に銀子の存在が俺の中で大きくなってるなぁ……

 

 

一人でいても寂しいし、棋士室でも行こうかな。

 

 

ーーーピンポーンーーー

 

 

そんなことを考えているとインターホンが鳴った。

 

 

「誰ですかー?」

 

 

急いでドアに向かう。

 

 

「あの、おじさん!開けてください。あいです。」

「あいちゃん?」

 

 

意外な訪問者に驚きながらドアを開ける。

 

 

「天衣ちゃんまでどうしたの?」

「お願い事があって来ました。」

「私はその付き添いよ。」

 

 

天衣ちゃんが両手を組んで反論するとあいちゃんが慌てて怒る。

 

 

「違うでしょ。天ちゃんも一緒にお願いしなきゃダメだよ。」

「だから私はこの男の力を借りなくても大丈夫だと言ってるでしょ。」

「昨日は教えて欲しいって言ってたじゃんか〜。」

「あの二人とも喧嘩するのはいいけど……まずは家に入って。」

 

 

俺の家の前でいつまでも幼女が喧嘩するのは変な噂が立ちそうで怖い。

 

 

「あ、すいません。お邪魔します。」

「……勘違いしないでね。私は教えて欲しいなんて一言も言ってないから!!」

「だからなんの話だよ?」

 

 

二人を居間に通す。

 

 

「二人ともお茶でいい?」

「はい。」

「なんでもいいわ。」

 

 

どう言う用事で来たのか分からないがとりあえずお茶を出すため準備をする。

お菓子はどうしよう……

 

そういえば和室に銀子の買い置きの和菓子があった気がするな。

ちょっと拝借してこようかな。

和室から和菓子を持って帰ってくる。

 

 

「ジーッ。」

 

 

この時の俺はあいちゃんが和室を覗き込んでいたことに気付いていなかった。

 

 

「二人ともどうぞ。」

「ありがとうございます!」

「どうも。」

 

 

無邪気にお礼を言うあいちゃんと、落ち着き払っている天衣ちゃん、本当にこの二人は正反対の二人だなぁ。

 

 

「それで、今日はどうしてここに来たの?」

 

 

改めて要件を聞く。

 

 

「あっ、その私達は次のマイナビオープンで絶対に勝たなきゃいけないんです!」

 

 

天衣ちゃんも頷く。

 

 

二人の真剣な表情からこのマイナビオープンにかける思いの強さが伝わってくる。

 

その気持ちには単なる始めての大会以上のものがあるように思える。

 

 

「始めての大会だから気合が入るのはわかるけど、そんなに勝ちにこだわらなくてもいいんじゃ……」

「ダメなんです!!」

 

 

あいちゃんが声を荒げて俺の言葉を遮った。

 

 

「勝たないと、師匠が安心して竜王戦の準備できないから……」

「あいちゃん……」

 

 

なんて健気な弟子なんだろうか。

自分が強くなるよりも、師匠を安心させたい、その一心で勝ちたいと思うなんて……

 

 

「だから!今日だけでいいので私達に稽古をつけて下さい。」

「いいんだけど、俺が教えてもそんなすぐに強くなることはないと思うんだけど。」

「おじさんじゃなきゃダメなんです。師匠はいつもどこかで手加減があるんです……」

 

 

あぁ、八一はなんだかんだで優しい奴だから、盤を挟んであいちゃんを威圧するようなことはしないんだろうなぁ。

その点俺は、天衣ちゃんを泣かしたくらい手加減なしで指し合う。

 

 

「あのババアが強くなったのは明らかにあんたの指導が原因だから、あなたの指導力だけは評価してあげるわ。」

「はぁ、どうも……」

 

口は悪いが一応褒めてくれてるんだよね……?

というかいい加減、桂香さんをババアって呼ぶのやめてくれない!?

 

 

「わかった。でも俺の稽古は厳しいよ。」

「はい!よろしくお願いします。」

「望むところよ。」

 

 

こうやって俺主催の臨時JS研が開催されることとなった。

 

 

 

✳︎

 

 

「グスッ……まだ……もう一回、グスッ……お願いしま……す。」

「まだよ!!もう一回指しなさいっ!!」

 

 

臨時JS研開始から半日がたち、目の前には涙でできた水溜りと、目を真っ赤にしている幼女が二人いる。

 

 

「流石に二人とも一回休もう。体調崩して一斉予選出れないなんてなったら元も子もないじゃんか。」

「あんたはまだまだ余裕なんでしょ!なら指しなさい!」

 

 

こうなると負けず嫌いのお嬢様は聞く耳を持たなくなる。

やっぱりまだまだ子供なんだなぁ。

 

 

この半日で二人が高い才能を持っていることを改めて認識した。

おそらく彼女達なら雷も倒せるかもしれない。

そう思わせるほどに二人の成長速度は異常に早い。

 

 

「これは言おうかどうか迷っていたんだけど言うね。」

「「?」」

「二人はメチャクチャ強い。それは俺が保証する。一斉予選でもほとんどの敵相手になら勝てると思う。」

「ほとんど……?」

 

 

天衣ちゃんがすかさず言葉尻を掴む。

 

 

「うん。ほとんどの相手にはね。」

「誰よ?」

 

 

天衣ちゃんが急かしてくる。

 

 

「祭神雷。」

「ふぇ?」

「ふーん。」

 

 

二人ともそれぞれの反応を示す。

 

 

「順調に行けばあいちゃんが決勝で当たることになる。」

「はいっ!」

 

 

あいちゃんの表情が引き締まる。

 

 

「あいつは強いよ。」

「「……」」

「あいつは女流棋士の中で間違いなく最高峰の才能を持っている。」

「「……」」

 

 

二人は黙って俺の言葉に耳を傾ける。

 

 

「でも、女性であることに変わりはない。女性の感性で将棋を指している点はあいちゃんや天ちゃんと同じだ。だからこそ男の俺や八一では教えられないことがある。そこで!今度八一が対局でいない日に特別講師を招いてもう一度研究会をしたいと思う。」

「臨時講師ですか?」

「誰よそれ?」

「まぁそれは会ってからのお楽しみだよ。」

 

 

今言ったら絶対二人ともに来ないだろうからな。

 

 

「それに八一の弟子のあいちゃんや天ちゃんには特に……」

 

 

ここまで言って慌てて口を塞ぐ。

そういえばこれは八一から口止めされてるんだった。

 

 

「ちょっと待って下さい、なんでそこで師匠の名前が出るんですか?」

 

 

今まで真面目に話を聞いていたあいちゃんの目から光が消えた。

 

 

「教えて下さい。今何か言うのやめましたよね。」

 

 

あいちゃんがまるで人形のようなぎこちない動きでこちらに向かってくる。

なにこれメッチャ怖い!?

 

 

「正直に言って下さい。おじさんに手荒な真似はしたくないので。」

 

 

本当にこの子小学生だよね!?

 

 

「な、なんでもないです。」

 

 

なんで俺小学生に敬語使ってるの?

 

 

「嘘です。真実を語って下さい。それとも痛いのが好きなんですか?」

 

 

誰か助けて〜

この後恐怖に負けて八一と祭神の話をしてしまった。

ごめんなさい、八一……

 




予想外に長くなったな……


臨時講師が誰なのか、まぁなんとなく予想はつきそうですけど次回までのお楽しみという事で。


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臨時JS研withJC〜前編〜

臨時JS研から4日が経ち、再びおれの部屋には二人の幼女がいる。

 

 

しかし4日前とは違う点が一つある。

おれの部屋には二人の幼女と一人の中学生がいる。

 

 

「小童達とやるなんて聞いてないんだけど。」

「まぁそんなこと言わずに……」

 

 

銀子には研究会を家でやるから一緒にやらないかとだけ言っていた。

 

最初はあまり乗り気じゃなかった銀子だったが、研究会の相手が女の子だと言うと、一転して絶対に出ると言い張った。

銀子も同性の将棋仲間が欲しいのかもしれない。

 

 

「おば……空先生が臨時講師ですか?」

 

 

あいちゃんもついにおばさん呼びから成長した!

 

 

「そうだよ。おれが知ってる女流棋士で一番強い人は間違いなく銀子だからね。」

「……空先生にやけてます。」

「なっ!?に、にやけてないわよ!」

 

 

そう言ってはいるものの銀子の顔は、にやりと嬉しそうに笑っている。

 

 

「「ニヤニヤ」」

「なに見てるのよ!?」

 

 

あいちゃんと俺が生暖かい笑顔で見ていると銀子は恥ずかしかったのかそっぽを向いてしまった。

 

 

「ごめんごめん。でもそういうことだから、今日は4人で頑張っていこう!」

 

 

あまり弄りすぎても銀子が拗ねるのでこの辺で真面目な話に戻す。

そうするとここまで不機嫌そうに口を閉ざしていた天衣ちゃんが話し出した。

 

 

「ちょっと待って。私たちはマイナビを勝ち上がっていけば最後は空銀子と戦うのよ。敵になるかもしれない相手と研究会するなんて絶対に嫌よ!」

 

 

まぁ、天衣ちゃんはそう言うと思ったよ。

この子は全てを一人で背負っちゃうタイプだからなぁ。

ここらで少し、勝負師の先輩としてアドバイスしたあげたほうがいいな。

 

 

「あのね天衣ちゃん。」

「……なによ。」

 

 

俺の諭すような口調を聞いて少し天衣ちゃんの態度が丸くなった。

 

 

「確かに俺たち将棋指しは盤上では一人で戦わなきゃならない。でもね、盤上での戦いだけが対局じゃないんだ。今は研究がものを言う時代、だからこそ他人との研究はこれから天衣ちゃんが強い女流棋士になりたいならば絶対に必要なものになるよ。だからね?今日は練習だと思ってやろう?」

「……わかったわよ。」

 

 

完全に納得した様子じゃないけど、まぁ今日だけでも付き合ってくれるならいいか。

この子を変えるのは師匠である八一の役目だろう。

 

 

「じゃあ早速始めよう!」

 

 

第2回臨時JS研withJCが開催された。

字面だけ見たらこれやばいなぁ……

 

 

✳︎

 

 

「疲れ、ました……」

「そうね。少し休憩してもいいわよ。」

「そうだね。ちょうどさっき、八一の対局も終わったみたいだし、これで研究会は終了にしようか。」

「「ありがとうございました。」」

 

 

あいちゃんも天衣ちゃんも揃って挨拶してくれた。

なんだかんだで天衣ちゃんも礼儀正しい子だね。

 

俺はこれから戦場へ向かう二人に最後のアドバイスをあげる。

 

 

「二人にこの二回の研究会で、相手の心理を読む戦いを教えたね。」

「「はい。」」

「一つ注意しなきゃいけないのは、相手ばかりを見て、盤上が疎かになったら元も子もない、だから俺が教えたことは頭の片隅にでも置いておいて、長考する時の一つの手がかりくらいに思っておいてね。」

「あの……私、祭神さんに勝てますか……?」

 

 

あいちゃんは不安そうに聞いてくる。

 

 

「そうだね……。はっきり勝てるとは言い切れない。でも十分戦えるとは思う。」

 

 

可愛そうだが客観的な分析を述べる。

 

 

「そうですか……」

「別にあなたが勝つ必要なんかないわ。私が倒すだけだから。」

「!?空先生の出番なんて絶対に来ませんからぁー。空先生が戦うのは私ですからぁー。」

 

 

銀子とあいちゃんが喧嘩する。

ほんとこの二人はよく喧嘩するなぁ。

でも今の一言、俺には

『負けても必ず私が仇を取るから、気負わずに戦いなさい。』

に聞こえたのは気のせいかな?

 

 

「残念ね。空銀子を倒すのはこの私よ。」

 

 

天衣ちゃんもすかさず参戦する。

この子本当に負けず嫌いだな!?

 

 

3人で言い合いする様子を見て俺は少し安心する。

前よりは3人とも仲良くなったかな。

銀子ってあんまり、俺や八一や桂香さん以外と仲良くしてるところ見たことないし、兄である俺としては銀子にも俺たち以外の友達がいたほうがいいと思うんだよな。

 

 

「なに笑ってるのよ気持ち悪い。」

 

 

微笑んで3人の様子を見ていると、天衣ちゃんに突っ込まれる。

 

 

「いやーみんな仲良いなと思って。」

「「「仲良くないわよ!(です!)」」」

 

 

うん。みんな仲良くなってるね!

 

 

「ところで、おじさんと空先生に一つ聞きたいことがあるんですけど……」

 

 

あいちゃんが突然正座になり、爆弾を投下した。




長くなったので前編後編で分けました。

次回、あいちゃんに新たな属性が追加されます。


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臨時JS研withJC〜後編〜

あいちゃんが急に話を変えて来た。

聞きたいことなんだろう?

 

 

「なに?」

「おじさんと空先生ってお付き合いしてるんですか?」

「「はぁ!?」」

 

 

予想外の質問に驚く。

 

 

「な、なんでそう思ったの?」

「はい。この前おじさんが和室からお菓子を取って来た時、部屋の中を覗いちゃったんですけど、そこに空先生の制服があったり、……明らかに女の人の部屋だったので。」

 

 

覗かれてたのかぁ……

 

 

「勝手にお菓子食べたの……?」

 

 

銀子が睨んでくる。

この状況で怒るとこそこ!?

 

 

「私応援します!!」

 

 

あいちゃんが目を輝かして言ってくる。

 

 

「いやだから、勝手に話進めないで!?」

おばさんとおじさんが結婚すれば師匠の周りの女の人を一人減らせるし……!

 

 

あいちゃんまた何を計算しているの……

 

 

「だから俺と銀子は兄妹みたいなものだから!全く恋愛感情とかないから!?」

「えっ!?……本当ですか……?」

 

 

あいちゃん全く信じてくれない。

 

 

「なっ!そうだよね銀子?」

 

 

銀子にも応援を頼む。

 

 

「……そうよ。私達に恋愛感情なんて全くないわ。」

 

 

やっぱ無いよね……

わかってはいたがこうやって実際に言われると凹む……

あと銀子足の裏つねるの止めて、めっちゃ痛いから、今にも発狂しそうだから……

 

 

「ふーん。つまりあなたは今、付き合ってる人はいないのね。なら私がその立場頂こうかしら。」

 

 

黙って話を聞いていた天衣ちゃんが妖しい笑顔で俺に近寄ってくる。

 

 

お互いの吐息が触れ合うくらいに密着してきて、耳元で妖しく囁く。

 

 

「この前の仕返しよ。」

 

 

マイナビのことまだ根に持ってたのかよ……!?

 

 

「え!?天ちゃん、おじさんのこと好きだったの!?これは大チャンス!天ちゃんを師匠から離せる……!」

 

 

あいちゃんの腹黒演算がまた開始している……

 

 

「……ダメ!!、絶対にダメ!!」

 

 

ここまで無言で俺の足をつねっていた銀子が普段からは想像もできないような大きな声で言った。

 

 

銀子の方を見ると、唇が微かに震えて目尻には涙がたまり、今にも泣き出しそうな顔ををしている。

 

 

「「……」」

 

 

いつもの銀子からは想像できない姿にあいちゃんと天衣ちゃんは驚いて無言になっている。

 

 

俺にとっては子供の頃によく見た光景。

俺に将棋で負け続けると子供の頃はよくこうなっていた。

こうなった銀子を慰めるには方法は一つしかない。

俺は隣にいる銀子の頭を優しく俺の膝へと誘導する。

銀子は最初は少し抵抗したがすんなりと俺の誘導に従う。

 

 

「あの、……おじさん。すいません……」

「銀子のことは大丈夫だからね。今日は、一旦帰ってくれる?またいつでもうちに来てくれていいから。」

「はい。」

「……なんか悪かったわね。」

 

 

あいちゃんと天衣ちゃんは反省しながら帰って行った。

部屋で二人きりになり銀子の頭を撫でながら優しく話す。

 

 

「いつもの銀子らしくないじゃんか?天衣ちゃんもお前をからかうためにやったってすぐわかったでしょ?」

「だって、だってぇ。」

 

 

銀子が子供みたいに泣きじゃくっている。

 

 

「ほらもう泣き止んで。」

「八一だけじゃなくて……お兄ちゃんまで取られちゃう……」

「どういうこと?」

 

 

銀子はひたすら泣きじゃくる。

そしてポツリと再び話し始めた。

 

 

「私のこと……好き?」

「……」

 

 

銀子からの問いかけに心臓が跳ね上がる。

 

 

「えっと……」

 

 

これはどういう意味だろうか。

いやもうわかってるこれはそういうことなのだろう。

目の前の女の子は大事な可愛い妹……だったはず、でも俺たちも成長してもう昔とは立場も考え方も違う。

昔から俺を兄としたってついて来てくれて、ちょっと甘えすぎなところもあったけど、そこがまた可愛くて、今は昔ほど素直に気持ちを表現しなくなった、でも根本は変わらなくて、寂しがり屋な……

 

 

そんな銀子のことが俺は……

 

 

「好きだよ。」

「えっ……!?」

「大事な家族だもの。」

「……そ、そうよね。ありがとう……」

 

 

銀子は一瞬顔を輝かせたがその顔はすぐに曇った。

ゴメンな銀子。俺はまだ銀子のことを大事な妹、保護対象としか見れない。




あいちゃんはこれから八一の周りにいる女性をどんどんおじさんに紹介(押し付け)するお節介な親戚になります。

今回銀子とオリ主がくっつきそうになりましたがまだくっつける気はありません。


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決戦前夜

いつの間にかアニメに追いつかれそうで焦っています。


「おはよう、銀子。」

「おはよう。」

 

 

お兄ちゃんに恥ずかしいところを見せてしまってから一週間が経ち、微妙な空気だった私たちの仲もようやく元通りになってきていた。

 

 

「これ何?」

「これか?新しいパソコン買ったんだ。」

 

 

お兄ちゃんは居間で説明書片手にデスクトップのパソコンの設営をしていた。

 

 

「何に使うの?」

 

 

お兄ちゃんはこういうハイテクな物とは無縁の人だと思っていた。

 

 

「ソフトを使って研究をやってみようと思ってね。」

「そ、ソフト?兄弟子は人の考え方に触れたいからっていつも研究は人とやってたじゃない。」

「まぁそうだったんだけどね。最近調子悪いから、思い切って新しいことに挑戦してみようかなって思ったんだ。」

「そ、そうなの……」

 

嬉しそうにパソコンを組み立てるお兄ちゃんを見て、私の心の中に急に胸騒ぎがする。

お兄ちゃんが遠くに行ってしまうように感じた。

 

 

行かないで!!

 

 

この感覚は久しぶりに味わう、あの盤王戦の時以来の感覚だ。

悲しい、寂しい、折角一緒に住んでまた昔みたいに仲良くなれたのに、また遠くに行っちゃう……

 

 

「が、頑張って。」

 

 

震える声で辛うじて言って、私は逃げるように和室に戻った。

 

 

✳︎

 

 

今日はパソコンの設営に四苦八苦して1日が過ぎてしまった。

 

明日は桂香さんたちのマイナビ一斉予選がある。

俺も桂香さんの応援をするために一緒に行くことになっている。

朝一の新幹線で東京に行くので今日はもう寝よう。大会に出ない俺が遅刻なんてしたら大問題だからな。

布団を敷いて、眠りにつこうとする。

…………

 

 

寝れない!!!

 

 

俺は対局しないのに、緊張で全然寝れない。

寧ろ自分の対局前より緊張して寝れない。

 

 

ーーートゥルルルル

 

 

「!?」

 

 

深夜にいきなり電話がなって驚く。

慌てて名前を見る、桂香さんだった。

対局しない俺も寝れてないんだから、桂香さんもねれてないんだろうなぁ。

そんなことを呑気に考えてるうちにもケータイのバイブ音が鳴り続けている。

俺は一度ベランダに出てから電話に出た。

 

 

ーーー

「はい。山橋です。」

「あっ、勇気くん。ゴメンね寝てたよね?」

 

 

桂香さんが電話越しでも分かるくらいに固い声で話している。

 

 

「それが全く寝れてなかったんだよ。」

「そうなの?……実は私も寝れてなくて。」

「そうだと思ったよ。……緊張してる?」

 

 

俺が質問すると桂香さんは少し沈黙した。

俺は黙って桂香さんの返事を待つ。

夏の夜風は優しく俺の顔を撫でてくれる。

 

 

「うん。正直逃げ出したいくらい怖い。不安。」

 

 

桂香さんは一段と声が小さくなり今にも消え入りそうな声で答えた。

 

 

「……そうだよね。」

「明日ね、私が本戦に出るためにはね、千ちゃんを倒さなきゃいけないの……」

「千ちゃん?」

 

 

始めて聞く名前だ。

誰だろう。桂香さんの友達という時点で嫌な予感しかしないのだが……

 

 

「私の友達。27歳で女流三級なの。」

「うん。」

 

 

27歳で女流三級。

その意味は将棋の世界においては非常に重い。

つまりこの人にとってこの大会が本当にラストチャンスなのである。

この大会で勝たなければ女流棋士への夢が絶たれる。

つまり、桂香さんが首切り役になるということだ。

 

 

桂香さんはとても優しい人、でも勝負の世界ではその優しさは時に桂香さん自身の足を引っ張ることになる。

ここは先生として、心を鬼にして桂香さんを激励するしかない。

 

 

「……じゃあ桂香さんはその人のためにわざと負けてあげるの?」

「まさかっ!?そんなことするわけないじゃない!!」

 

 

桂香さんが声を荒げる。

 

 

「そうだよね。……そうするしかないよね。」

 

 

電話越しに鼻をすする音が聞こえる。

『止めていいよ』って言ってあげたい。苦しんで欲しくない。

でもその言葉を桂香さんは望んでいない。

桂香さんが俺に望んでいる言葉はそれじゃない。

 

 

「まだ泣いちゃダメ。桂香さんも他人の心配している余裕はないんだよ。泣くのは女流棋士になってから、それまでは絶対に泣いちゃダメ。勝つことだけ考えて。」

 

 

なんて残酷なことを言っているんだろう。

自分の夢を叶えるために友達を蹴落とせ。

そんなこと俺も桂香さんにさせたくない。

 

 

「……桂香さんには夢を叶えて欲しい。もし、その過程で桂香さんがどんな心の傷を負ったとしても俺が責任を持って受け止めてあげるよ。」

 

 

「勇気くん……。」

 

 

桂香さんは自分に言い聞かせるように繰り返し繰り返し話す。

 

 

「そうだね。夢を叶えるには勝つしかない……。そうだね……。」

 

 

「俺はいつでも桂香さんの味方だからね。」

 

 

こんな言葉しかかけられない自分が情けない。

 

 

「ありがとう。勇気くん、ちょっと吹っ切れたわ。もう寝るわね。こんな深夜にごめんなさい。」

「俺も眠れてなかったからいいよ。」

「おやすみ。」

「おやすみ。」

ーーー

 

 

俺は桂香さんの挑戦がどんな結末になっても最後まで見届る、そう心に誓った。

 




もっとテンポよく進んだ方がええんかなぁ?


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8月
女の戦い


7巻読みました。
師匠カッコいいし、銀子可愛いかったです。
そして泣きました。

私は決心しました。銀子のキャラを矯正する。やっぱり銀子はクーデレだからこそ輝く、そう思いました。



8月1日、俺、あいちゃん、天衣ちゃん、桂香さん、八一、銀子は再びパレスサイドビルに来た。

 

 

『あれが竜王の弟子……』

「本当に小さいな。』

『かわいい。』

『盤王の弟子もいるぞ。』

『彼女は清滝先生の娘さんらしい。』

『盤王が仕込んだ清滝先生の娘さん。どれくらい強いんだ……』

 

 

会場に入った瞬間にお客さんからの視線を集める。

 

 

「な……なんだか、まえよりすごく人が多くないです?」

「そ、そうね……」

 

 

あいちゃんと桂香さんが異様な雰囲気に怯えている。

 

 

「そんなに怯えなくても大丈夫だよ。当たり前だけど、出場者控え室にはお客さんは入れないから静かだよ。」

「そうなんですか。……ここはなんか怖いです。」

 

 

あいちゃんはいつの間にか桂香さんの手を握っていた。

あまりにも将棋が強いから忘れがちだけどまだ小学三年生なんだよな。

 

 

将棋の世界では若さは才能の証。

俺や八一や銀子も比較的早い頃から注目されていたから分かるが、将棋の世界では若いうちから活躍すると、大人の期待と嫉妬と戦わなければならない。

あいちゃんや天衣ちゃんはこれからそういったものとも戦っていかなければならない。

それは下手したら対局よりも辛いものになるかもしれない。

目の前で怯えながら桂香さんの手を握るあいちゃんを見て、少しでも守ってあげたいそう思った。

 

 

『おい、盤王が来てるぞ。』

『お花用意しろ。』

「解説もお願いしよう。』

 

 

前回は八一がサプライズ出演だったが今回は俺がサプライズ出演ということになる。

会場のスタッフが慌ただしく動き出す。

もうすぐ運営の人に連れて行かれるな。

 

「平常心でね。」

「はいっ!!」

 

 

優しく笑いかけて送り出す。

そして隣の桂香さんにも最後の言葉をかける。

 

 

「行ってらっしゃい。」

「行ってきます。」

 

 

思っていたよりも短いやり取り。

でもそれでお互いに言いたいことは全部伝わっている。

桂香さんは俺の目をじっと見て大きく頷いてくれた。

 

 

俺と桂香さんとあいちゃんのやり取りを一歩引いて見ていたツンデレお嬢様にも話しかける。

 

 

「見守ってるから思いっ切り指してこいよ。」

「言われなくても指すわよ。……見てなさい。」

 

 

天ちゃんはいつも通りに見えるが、その顔に少し安堵の表情が混ざっているように見えるのは俺だけなのだろうか。

 

 

直後俺は運営の人に連れられて行った。

 

 

✳︎

 

 

 

出場者控室は不思議な空気に満たされていた。

表面上は和気藹々としているように見える。顔見知りの女流棋士達が屈託無くお喋りし、対局前とは思えないほど和やかなムード。

 

 

「......」

 

 

その異様な雰囲気の中で私は静かに時間が過ぎるのを待っていた。

何も考えずにただひたすら待ち続ける。何かを考えたとたんに不安に押しつぶされそうになるから。

 

 

「桂ちゃん」

 

 

そんな私に誰かが話しかけてくる。

私をそう呼ぶのはただ一人、私の大事な大事な友達、香酔千女流三級。

 

 

「......千ちゃん」

 

 

 

話したいことは山ほどあるのに、この場で会えることを二人とも楽しみにしていたはずなのに、言葉が出てこない。

話題は千ちゃんが関東に移籍するときに研修生みんなで歌った『栄光の架橋』の話になった。

 

 

「私はまだ、夢の途中にいるの」

 

 

千ちゃんは言った。

 

 

「大それた夢だってことは、わかってる。それはこの二年間で十分すぎるくらい思い知らされたから......負かされるたびに何度も将棋をやめようと思ったけど、でもやっぱり諦めきれずに、ここにいるの」

「......私もそうなの」

 

 

私は千ちゃんの顔を真正面から見る。二年前と何も変わってない。目の前にあるのは研修会で何年も一緒に頑張ってきた大好きな親友の顔。

 

 

「私もずっと夢を見てた。......でもねその夢がね、いつの間にか私だけのものじゃなくなってたんだ。」

「......」

 

 

千ちゃんは黙って私の話を聞き続ける。

 

 

「私が苦しんでるときは一緒に悩んでくれて、私が嬉しいときは一緒に喜んでくれる、そんな家族と一緒に私は今ここに立ってる。だからね......絶対に負けられないの。」

「そっか......だから桂ちゃんはそんなに強くなれたんだ。」

 

 

千ちゃんが小さく呟いた。

 

 

 

「じゃあ......決勝で」

「ええ。決勝で」

 

 

私と千ちゃんは、盤の前での再会を誓い合う。

私たちは知っていた。

その誓いが果たされる時_どちらかの夢が破れることを。

どちらの夢が破れるのかも_

 




8巻も出るらしいですね。
楽しみです。


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鵠さんの憂鬱

俺は今観戦記者の鵠さんの隣で同門の将棋の解説をしている。

 

 

「とんでもない新星が現れましたね。」

 

 

あいちゃんと旗立朝日女流1級の棋譜を見ながら鵠さんが感嘆の声を上げる。

小学生が女流棋士を30分で瞬殺。そんなマンガみたいなことが今目の前で起こっているのだから。

 

 

「あ、天ちゃんも勝った。」

 

 

天ちゃんの相手は 67歳のベテラン女流棋士鞨鼓林すゞ女流5段。

角換わりで飛車先の歩を持ちあった形の非常に古い将棋。

天ちゃんは相掛かりから得意の角交換系の将棋に無理やり持ち込んだ。

さすがの狡猾さだ。

 

 

「二人とも小学生とは思えませんよね......」

 

 

鵠さんは記事を書きながらもその顔は少し焦っているように思う。

 

 

「やっぱり万智さんも焦る?」

 

 

今はまだ対戦することはないがいずれ、そお遠くない未来にあいちゃんと天ちゃんは女流棋士の舞台に上がってくる。

そして万智さんたち女流5大タイトル保持者たちに牙をむくことになるだろう。

 

 

「そいうことを堂々と聞くのはデリカシーがないと思いますよ。」

「あぁ、ごめんね。ちょっと俺も思うところがあって。」

 

 

万智さんたちはあいちゃんや天ちゃん達と引退するまで闘わなければいけない。

年下の規格外の天才と一生闘っていく、それは俺も同じこと。俺は引退するまで八一のライバルで居続けることができるのか、弟子ができてからどんどん強くなる八一を見ているとそんな不安がこみ上げてくる。

 

 

「正直昔から八一さんに追われているあなたを見ていて、可哀想だなとどこか他人事のように考えていましたが今はもうそんな呑気なことを言ってられないですね。」

 

 

いつも飄々としていて掴みどころのない鵠さんが今日は少し近く感じた。

 

 

「いち将棋ファンとしては八一さんの将棋が好きですが、一人の人間としてはあなたのことも応援してますよ。」

「ありがとうございます。」

 

 

俺の真っすぐ見詰める鵠さんの眼に嘘はなく、とても綺麗だと感じた。

 

 

「あっ!勇気さんのお弟子さんも勝ちましたよ。」

「えっ!?本当ですか!?」

 

 

急いで桂香さんの棋譜を探す。

 

 

「か......完璧だ。」

 

 

桂香さんは振り飛車党として有名な女流棋士の四間飛車に対して急戦作戦の『4五歩早仕掛け』で一気に相手の2筋を突破した。

その後は少し美濃囲いの硬さに苦しんではいたもののしっかりと相手玉を詰まし切れていた。

 

 

「よかった~」

 

 

安心して椅子にもたれかかる。

そんな俺の様子を見て鵠さんが微笑ましそうに笑った。

 

 

「本当に大事に思われてるんですね。」

「大事な家族なんで。」

 

 

安心したとたんにふと鵠さんに聞かなければならないことがあることを思い出した。

 

 

「あっ!そういえば万智さん、燎に桂香さんのこと言っただろ?」

「はい。」

「なんでよりにもよってあいつの言ったんだよ?」

「雑談の一環として。」

 

 

鵠さんは平然と言ってのける。

 

 

「雑談の一環で爆弾投下しないでよ......」

 

 

鵠さんは焦る俺を見て妖しく目を細める。

 

 

「お燎に何か後ろめたいことでもあるんですか?」

「いや......別になにも無いけど。」

「......勇気さんは嘘をつくのが下手ですね。そんなことでは浮気なんかできませんよ。」

 

 

嘘なのバレてるし......

 

 

「う、嘘じゃないし......」

 

 

我ながら話せば話すほど嘘っぽいなぁ......

 

 

「まぁ私としては楽しいのでこれからも頑張ってください。」

 

 

鵠さんはそう言うとまた真面目に記事の編集作業に戻ってしまった。

何を頑張れという意味なんだ....

 

 

✳︎

 

続く一斉予選決勝、勝てば本戦へと駒を進めることができる。

アマチュアの人からしてみれば女流棋士の夢への最後の関門。

会場の緊張感はピークを迎えて異様な雰囲気になっている。

 

 

この雰囲気に3人は呑まれていないだろうか?

心配になる。

 

 

天ちゃんの相手は鹿路庭珠代女流二段、いくら天ちゃんと言えどもすんなりとは勝てないだろう。

まずはお手並み拝見といこうか。

 

 

そしてあいちゃんの相手は予想通り祭神雷。こっちはまったく予想ができない。

祭神とあいちゃん、才能だけなら両者互角といったところだろう。

だが、祭神には経験という大きな武器がある。この差がどこまで埋まるかだろう。

 

 

そして桂香さんの相手は……香酔千女流3級。

おそらく昨日桂香さんが言っていた人だろう。

香酔千さんの棋譜を見たが客観的な結論を出すとこの勝負の勝者は……




万智さんとのフラグが立ったように見えますが気のせいです。


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「この日」を誇れるように

この話を書く時は『あの日タイムマシン』を聞いていました。


マイナビ女子オープン予選決勝が一斉に始まった。

この舞台にあいちゃん、天衣ちゃん、桂香さんの3人全員が立っているのは既に奇跡と言っても過言ではない。

しかし、人間というのは欲深い生き物だ。

ここまできたら3人とも本戦に出て欲しいと思ってしまう。

中継を見ながら自然と両手に力が入る。

 

 

ーーーガンバレーーー

 

 

俺はただひたすら祈る。

今俺にできるのはそれだけだから。

 

 

最初に俺たちの目を引いたのは天衣ちゃんの対局だった。

 

 

「鹿路庭さんが居飛車……」

 

 

隣で一緒に観戦している鵠さんが驚いていた。

天衣ちゃんの対戦相手の鹿路庭珠代女流二段。たしか振り飛車党だったと記憶している。

 

 

「これは……明らかな挑発。」

 

 

そして天衣ちゃんは生粋の負けず嫌い。この挑発に乗らないはずはない。

そう考えていると天衣ちゃんはほぼノータイムで飛車先の歩を進めて相掛かり戦へと持ち込む。

天衣ちゃんの口元が少し笑ったように見えた。

 

 

負けず嫌いのお嬢様のお仕置きが始まる……!

 

 

✳︎

 

 

「これは……すごいな……」

 

 

あいちゃんvs祭神雷は予想通り混沌とした戦いになっていた。

祭神は超力戦将棋になる戦法、ダイレクト向かい飛車を選択した。

それに対してあいちゃんも守りに使うはずの金銀を前線に繰り出して速攻で相手を潰す作戦を取った。

これは定跡など存在しない混沌とした戦い。信じられるのは己の才能のみ。

才能と才能のぶつかり合いがいま目の前では起こっている。

自分の才能に絶対の自信を持つエゴイスト、祭神雷らしい将棋だ。

八一もとんでもない奴に好かれたもんだな。

 

 

「はぁ……」

 

 

隣では鵠さんの口からため息が漏れる。

そのため息は感嘆か恐怖か、はたまた羨望かそれは鵠さん本人にしかわからない。

しかし確かなことがひとつだけある。鵠さんは今、一人の将棋指しとして目の前の将棋に引き込まれている。

それは俺も同じだ。

この勝負がこの先どう進むのか楽しみで仕方がない。

俺達は二つの規格外の才能が描く絵画が完成するのを固唾を飲んで見守る。

 

 

✳︎

 

 

「……」

 

 

私は盤の前で一言も喋らずに対戦相手を待ち続ける。

 

 

あと一勝、あと一勝で本戦。

 

 

私は念仏のようにひたすら頭の中で繰り返す。

 

 

1戦目は自分でも驚くくらいに完璧に指し切った。

さっきの対局で一生分の運を使い果たしたのじゃないかと思うほどね。

……いや、まぐれでも勝てればそれでいいわ。

まぐれだろがなんだろうがあと一勝だけ、一勝できればそれでいい。

私はハンカチを握りしめているかもわからない将棋の神に祈る。

 

 

向かいの席に私の対戦相手、千ちゃんが座った。

お互いに目は合わせない。

頭の中では色々な事が思い出される。

千ちゃんとの思い出。

悔しくて泣いた日、嬉しくて笑って日色んな苦楽を共にしてきた。

 

 

「ありがとうね……桂ちゃん。」

 

 

対局開始から2分。

持ち時間三十分の将棋では異例なほど長い時間を使ってから、千ちゃんは飛車先の歩を動かした。

 

 

その一手は居飛車党の千ちゃんからしてみればごく普通な一手。

2分も費やして差す手ではない。

その2分間で千ちゃんは何を考えていたんだろう……

 

 

「!?」

 

 

考え込みそうになる自分を無理矢理現実に引き戻して、私も飛車先を突き返す。

二人で何度も指してきた相掛かり。

数え切れないほど見てきた局面なのに何故かとても懐かしく感じる。

私は溢れてくる涙を押さえ込みながら指し続けた。

 

 

✳︎

 

 

局面は完全に私が優勢。

目の前の千ちゃんもそれは分かっているのだろう。

なのに千ちゃんは淡々と指し続けている、その表情はどこか清々しく見える。

千ちゃんの手が突如止まる。千ちゃんは目を瞑って微動だにしない。

時間はどんどんと過ぎて行き、秒読みが始まった。

 

 

「負けました。」

 

 

ハッキリと投了を告げた。

 

 

「あっ」

 

 

私は何も言えずに反射的に礼で返す。

 

 

「実はね私、戦う前から負けるって分かってた。」

「……」

 

 

私は何も言えずに千ちゃんの言葉を聞き続ける。

 

 

「いつの間にこんなに差がついちゃったんだろうな……」

 

 

千ちゃんは俯いて独り言のように言った。

 

 

「……」

「ありがとうね。私の首切り役になってくれて。」

 

 

涙が溢れて止まらなくなる。

 

 

「グスッ……うん。」

「私の分まで頑張ってね。」

「うん。……頑張る、頑張るからね。」

 

 

千ちゃんの長い長い夢が今日終わった。

 

 

✳︎

 

 

「では清滝桂香さんの強みは積み上げてきた研究量ということですね。」

「はい。桂香さんの研究量には目を見張るものがあります。昔は定跡に囚われて自由な将棋が指せない時期もあったんですけど、今はとても定跡を使いこなせてると思います。」

 

 

俺はいま将棋世界のインタビューを受けている。

マイナビ女子オープンの特集を組むらしい。

俺はアマチュアながら本戦出場を決めた桂香さんについてのインタビューを受けている。

 

 

「次の本戦へ向けてお弟子さんへのメッセージなどありますか。」

 

 

記者の金田さんから最後の質問が来る。

 

 

「本戦の相手は……月夜見坂燎女流王将と、非常に強い相手ですけど、臆することなく自分の将棋を指して欲しいと思います。」

 

 

インタビューが終了すると、金田さんとなんとなく雑談が開始した。

 

 

「清滝桂香さんも、もちろんすごいでけど九頭竜竜王のお弟子さん達も凄いですよね。」

「正直俺も雛鶴さんが祭神女流帝位に勝つとは思ってませんでした。」

 

 

「ところで……」

 

 

金田さんは記者の鋭い視線を向けてきた。

 

 

「雛鶴さんの中盤の金銀二枚攻めはとても……盤王の将棋に似たものを感じたのでけど雛鶴さんにも仕込まれたんですか?」

「そ、そんなわけないじゃないですか。」

「……」

 

 

 

金田さんにジッと見つめられる。

 

 

「記事にはしません。これは私の個人的な興味です。」

「……絶対に八一には内緒にしておいてくださいね。」

 

 

八一も師匠に内緒で弟子達が他の棋士に将棋教わってたら気分良くないだろうから。

 

 

金田さんとの雑談も一通り終わり、金田さんは慌てて席を立つ。

 

「私はそろそろ次のインタビューに行ってきますね。」

「大変ですね。頑張って下さい。」

 

 

金田さん少し歩き出してから再び振り返る。

 

 

「早く清滝桂香さんの元に行ってあげて下さい。多分もう限界ですよ。」

「はい。」

 

 

激戦を勝ち抜いた家族に今日は何をご馳走してやろうかな。

足取り軽く桂香さん達が待つパレスサイドビルの入り口へと向かった。




なんとか4巻終わった……
なんだかんだで1ヶ月かかりましたね(笑)

明日からはまた箸休めの回を挟む予定です。
どのキャラとの話がいいとかリクエストありますか?

ところで前から予告していたように銀子を純正クーデレキャラに戻すために勉強を少しづつしています。
昨日はクーデレキャラの書きかたを勉強するために『デートアライブ』を読み返して、鳶一折紙を愛でました。


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お燎主催!尾崎豊ツアー

まだ8巻読んでないのでこんなふざけた話になってしまいました。


8月のある日、棋士室には燎と万智さんと俺の1998年生まれトリオがいた。

各々自分のしたいことをして特に会話もないまま既に30分が経過していた。

 

 

「おい、万智!勇気!」

 

「なんどす?」

 

「どうした?」

 

 

万智さんはパソコンを閉じて、俺はスマホを電源を切って燎の方を向いて続く言葉に耳を傾ける。

 

 

「俺たちもついに今年で卒業の年だ。」

 

「……どういうこと?」

 

「こなたは半年前に入学したばかりどす。」

 

 

俺も万智さんも訳が分からずに聞き返す。

 

 

尾崎豊(おざき)だよ。」

 

「......」

 

「......ごめん全然わかんない。」

 

 

依然として頭に?マークが出ている俺たちに燎がイライラと頭をかく。

 

 

「だから、尾崎豊(おざき)の卒業だよ!」

 

「あぁそいうことね。」

 

「どういうことどす?」

 

 

まだ分かっていない万智さんに俺は説明を始める。

 

 

「燎が好きな歌手の尾崎豊が19歳、つまり10代最後の年に作った歌が『卒業』って曲なんだよ。」

 

「それはわかりましたが、それがどうしたんどすか?」

 

「だから、俺たちも来年で20歳だろ。だからこそ今の内に卒業するんだよ!」

 

「卒業って......俺も燎も今は学校行ってないし、腐った大人と闘ってもないだろ。」

 

「はん、わかってねーな。学校って......俺たちにとっちゃここが学校みたいなもんだろ。」

 

 

燎は得意げに地面を指す。

 

 

「確かに将棋会館は学校みたいなもんかもな......」

 

 

悔しいが妙に納得してしまい、頷いてしまった。

 

 

「だろだろ。じゃあまずはここの校長の月光会長に殴りこんでついでに、窓ガラス割って回ろう。」

 

 

燎はどんどんと調子に乗って、腕をぶんぶんと振り回している。

危ないので慌てて燎を窓側からドア側へと移動させる。

 

 

「殴りこみにいくわけないだろ!?」

 

 

「会長に殴り込むためにはまず男鹿さんを倒さなければあきまへんなぁ」

 

 

万智さんなんで乗り気なの!?

というか提案が妙に現実的で怖いんだけど......

 

 

「確かにそうだな......わかった男鹿さんは俺に任せろ!その間に勇気が月光会長に殴り込め。」

 

「こなたは騒ぎを聞きつけた職員さんの足止めをしとくとしましょう。」

 

「行かねぇよ!?」

 

 

でも燎vs男鹿さん......少し見てみたい気もする。

やっぱり万智さんの提案が現実的すぎる。

 

 

自分の中から湧き出てくる好奇心を抑え込みながら、燎の月光会長殴り込み計画を止める。

 

 

「仕方ねぇな、じゃあ代わりに今から難波行くぞ。」

 

「なんでまたいきなり。」

 

「ピンホールのハイスコア競いに行くんだよ。」

 

 

また尾崎ネタかよ!?

 

 

「んじゃあ、1時間後に難波駅4番出口前で集合でいいな。」

 

 

燎が意気揚々と出て行こうとするのを慌てて止める。

 

 

「電車じゃ一時間でいくのは無理だよ。」

 

「なんだよ、さっきからうっせーな。バイクで来ればいいだろ。」

 

「持ってない。」

 

「車で行けばいいどす?」

 

「持ってない。」

 

 

くそ!こいつら俺が無免許なのを知ってて。

 

 

「ないなら盗んだバイクで走り出せよ。これこそ尾崎豊(おざき)だろ!……やっべメッチャかっこいいじゃねぇか。今すぐ盗んでこい、誰のでもいいから盗んでこい。」

 

 

燎のテンションが上がってバンバンと背中を叩かれる。

背骨折れそう……

また尾崎ネタで一人勝手に盛り上がってるよ

 

 

「こなたの車でよければ乗っていきはりますか?」

 

 

ヤンキーにタバコを勧められてる優等生みたいになってる俺に万智さんが学級委員長の如く助けね来てくれた。

 

 

「ありがとう……よろしく頼むよ。」

 

「勇気はんにそんな度胸はおざりまへんやろうし。」

 

 

助けてくれた委員長はまさかの毒舌キャラでした。

二人の女流棋士に振り回されて既にグロッキー状態の俺を引きずりながら二人は将棋会館を出て行った。

 

 

燎の尾崎豊ツアーはまだまだ続く。

 

✳︎

 

 

「ピンホールというのは面白いものどすね。」

 

「……帰んぞ。」

 

「お、おう。」

 

 

大阪難波に到着して、予定通りピンホール大会が開催された。

燎は経験者だけあって、中々の腕前だ。

慣れた手つきでレバーを引っ張り絶妙な力加減で次々と得点を重ねていった。

だがそれ以上にピンボールが上手かったのがまさかの万智さんだった。

ピンボール初挑戦の筈なのに万智さんが打ち出した球は次から次へと高得点を叩き出し得点を伸ばしていき、最終的には30年破られていなかったそのお店のハイスコアを更新した。

俺たちが唖然としてみている横で万智さんは「よくわかないんですがすごいのですか?」と事の凄さを全く把握していなかった。

天然物の天才って怖い……

 

 

時刻は既に夜になっていた。

夜の戎橋商店街は仕事終わりのサラリーマンで賑わっていて、大阪ならではの活気があった。

 

 

「腹減ったな。なんか美味しいもん食べようぜ。案内してくれ地元民。」

 

「美味しいもんってなぁ……、そうや、肉まんがあるぞ!」

 

 

商店街をずんずんと歩いて行くと、肉まんの美味しそうな匂いが漂ってくる。

大阪の定番5◯1の肉まんを3つ買って燎と万智さんに手渡す。

 

 

「うめーな、これ!」

 

 

燎は気に入ったのかガツガツと食べ始めた。

本当にワイルドだ。

 

 

「本当に美味しいどすね。」

 

 

万智さんも初体験みたいだ。

万智さんは一口一口が小さくてモグモグと食べてハムスターみたいで可愛い。

二人の幸せそうな顔を見て俺も肉まんを食べる。

うん、やっぱり美味しい。

 

 

肉まんを食べながら商店街を抜けていく。

高校に行ってないからわからないが、これが学校帰りに友達と買い食いをするという感覚なんだろうか、楽しいな。

やがて商店街を抜けて有名なグリコの看板が見えてきた。戎橋である。

 

 

「へぇー、ここが阪神が優勝したら飛び込む川か。」

 

「微妙に間違ってるような気がするけど……」

 

 

橋の中央から目の前を流れる道頓堀川を見下ろす。

意外とこの橋高いな。

 

 

「飛び降りてみろよ。盤王防衛記念に。」

 

「もう3ヶ月前の話なんだが……」

 

「多分尾崎豊(おざき)もこの状況だったら飛び込んだと思うぞ。」

 

「なら燎が飛び込めよ。」

 

「あぁ!?なんで俺が入らなきゃなんねぇんだよ。」

 

 

燎と俺は押し合う。

まぁお互いに本当に落とそうとはしてないんだけどね。

 

 

しかしここで予想外の事が起きた。

 

 

「えいっ!!」

 

 

一歩後ろで俺たちの茶番を眺めて笑っていた万智さんが突如後ろから俺たちを押したのだ。

 

 

「ふざけんなぁぁぁぁぁぁ。」

 

「嘘やろぉぉぉぉぉぉぉぉ。」

 

 

満面の笑みで俺たちを見下ろす万智さんを前に何もできないまま道頓堀川へとダイブした。

 

 

八月のある日、阪神が負けた日に戎橋から飛び降りた一組のカップルの映像がSNSに流れた。

この映像はもちろん炎上した。

俺と燎だとバレなかっただけ不幸中の幸いなのかな……




次回、銀子の話を挟んで本編に戻ろうと思います。

新しい作品を書き始めたので時間のある人は是非読みに来てください。


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夏風邪と看病

お気に入り1000件&UA100000達成しました。
とても嬉しいです。
本当にありがとうございます。

これからも頑張っていきますので引き続きお付き合い下さい。


太陽が高く上がりセミがジージーと鳴いているザ・夏という日に俺は布団の中で寝込んでいた。

理由は言うまでもない、先日川に突っ込んだからだ、あの後ずぶ濡れで帰った俺と燎は案の定この時期に揃って風邪でダウンした。

 

 

「ゴホッゴボッ。」

 

 

今何時だろう。時計を見ると午後3時過ぎ。

昼はもうとっくに過ぎてる。

風邪の時こそなんか食べなきゃいけないよな。

そう思って体を起こそうとする。

 

 

「大丈夫?」

 

 

乱暴にドアを開ける音が聞こえて銀子が肩で息をしながら居間に入って来た。

 

 

「だ、大丈夫だけどなんでいるの?」

 

 

公式戦がこんなに早く終わる筈はない。

 

 

 

「もう終わった。」

 

「お、おう。」

 

 

強過ぎだろ!?

銀子の手にはパンパンに膨らんだコンビニ袋が提げられていた。

 

 

「風邪なんでしょ?寝て。」

 

「え、ありがとう……」

 

 

バレてたのか。

 

 

「何か食べる?」

 

「うん、昼まだ食べてないから何か食べようかな。……っあ!?昨日の夕飯の余りがあるからそれ食べるよ。」

 

 

銀子には悪いが今銀子の料理を食べて生き残れる確率は低い。

俺は慌てて布団から飛び出そうとする。

 

 

「……パン買ってきたけど要らない?」

 

「パン?う、うん。じゃあパンもらうよありがとう。」

 

 

銀子はスタスタと俺の前にやって来て思いっきりまるで勝負手を放つように俺の前にパンを叩きつけた。

 

 

「あ、ありがとう。」

 

 

ペチャンコのパンを受け取って食べ始めた。

 

 

✳︎

 

 

ペチャンコのパンを食べ終えたが未だに体調は悪く頭も痛い。

銀子は対局時のセーラー服から部屋着へと着替えて居間に戻って来た。

 

 

「まだ体調悪い?」

 

「まだ良くはなってないかな。」

 

「そう。」

 

 

しばし沈黙。

 

 

 

「朝くらい自分一人で行けた。」

 

「?」

 

「体調悪いなら正直にそう言って寝てれば良かったじゃない。」

 

 

銀子は不貞腐れたように俺と目を合わせずに言った。

 

 

「いつまでも子供扱いしないで。」

 

「ごめん。」

 

 

どうやら銀子は風邪になったことを言わなかったことに怒っているようだ。

 

 

「いいわ。病人なんだから今日は素直に看病されて。」

 

「……お茶飲む?」

 

「さっき飲んだ。」

 

「そう。」

 

 

銀子がソワソワと周りを見回す。

 

 

「服、汗で濡れてるんじゃない?」

 

「さっき着替えた。」

 

「……そう。」

 

 

銀子はしょんぼりと俯いてまた周りを見渡す。

 

 

「熱は測った?」

 

「さっき……「頓死しろ!!」

 

 

銀子のキックがお腹にクリティカルヒット、パンが出そうになる。

 

 

「おまっ!?一応病人やねんけど……」

 

「うるさい。」

 

 

本当に俺を看病してくれる気あるのか……

 

 

「ところでこんな時期に風邪になるなんて災難だったね。」

 

「まぁ災難だったというか、万智と燎のせいというか……」

 

 

俺がぶつぶつと言うと、銀子の顔がみるみると険しくなる。

背後からは黒いオーラが徐々に立ち上がってくる。

 

 

「なんで供御飯さんと月夜見坂さんが兄弟子の風邪と関係してるのよ?」

 

 

背後の黒いオーラがみるみると大きくなる。

これはアカン。本気で怒ってる時だ。

 

 

「この前、燎と万智さんと3人で難波に行ってな……」

 

 

銀子に燎と万智さんとの尾崎ツアーの話をする。

銀子は無表情で俺の話を聞く。

 

 

「理由はわかった。」

 

 

銀子はそう言うと無言で俺の布団に入り込んでくる。

 

 

「何やっとんの!?」

 

 

驚いて布団から飛び出そうとするが、銀子に掴まれて逃げられなくなる。

 

 

「うつして。」

 

「……どういうこと?」

 

「風邪治すのは他人にうつすのがいいはず。」

 

「本当に?」

 

「……」

 

 

絶対嘘だなこれ。

 

 

私もお兄ちゃんと同じ風邪になるの。いいからはやく。」

 

 

風邪で抵抗できない俺は銀子に引っ張られて布団へと寝かされる。

 

 

「ちょ、おい……」

 

 

銀子が目と鼻の先にいる。

銀子の体温、心音がダイレクトに伝わって来てドキドキする。

なんかすごいいい匂いもしてくるし。

心地よくて段々と眠くなってくる。

 

まぁ眠くなって来てもドキドキしてるから全く寝れないんだけどね。

寝てるのか起きてるのかよくわからない時間を過ごしていると、いつの間にか隣から規則正しい寝息が聞こえてくる。

 

 

「おにい……ちゃん。」

 

 

銀子の寝言が聞こえてくる。

俺今銀子に、お兄ちゃんって言われたよ!?

めっちゃカワイイ!!

 

 

目の前で無防備に眠る銀子の頭を優しく撫でる。

銀子の顔が幸せそうに微笑む。

 

 

銀子の顔を見ていると妙に体が熱くなってフラフラしてくる。

これは暑すぎる夏のせいか、はたまた季節外れの風邪のせいか。

それとも……

 

 

俺は無理やり思考を遮断して眠る努力をした。




今までよりは銀子のキャラクターを再現できていると思う。
……そうでもないかな?


取り敢えず次回からは本編に戻ります。


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9月
迷走する盤王


「え!?この局面でまだ互角なのかよ。」

 

 

俺は今、自室で昨日の自分の順位戦をコンピューターで解析していた。

結果は勝利。

名人に負けてからどん底の俺だったが先月の順位戦でようやく連敗を5でストップ。その後また3連敗をしたが昨日の順位戦でそれもストップできた。

順位戦だけは辛うじて勝てている。

逆に今年のタイトル挑戦は全滅でほぼ終了なんだけどね……

 

 

そんな俺の次の相手は神鍋歩夢六段。

先日、竜王挑戦者決定戦で名人と死闘を繰り広げたあの神鍋歩夢だ。

神鍋くんはあの対局で一皮剥けた。

棋譜を見ればわかるが明らかに強くなっている。

今の、戦い方を手探りで探している状態の俺では確実に負けるだろう。

どうやったら勝てるか……実は策が無いわけではない。

しかし俺に指しこなせるだろうか……

 

 

「ただいま。」

 

「ん?ああ、おかえり。」

 

 

集中しすぎて銀子が帰ってきていたことに気づいていなかった。

銀子はコンピューターの画面を覗き込む。

 

「昨日の?」

 

「ああ。俺的には穴熊に組んだ時点で優勢かなと思ってたんだけどコンピューターは互角だっていうんだよなぁ。やっぱりコンピューターの基準はよくわからない。」

 

「……驚いた。」

 

「え、なにが?」

 

「兄弟子が穴熊に組んだから。」

 

「あー、確かにあんまり指してこなかったな。」

 

 

確かに今までは穴熊は組むのに手数がかかるた後手に回りやすく敬遠していた。

 

 

「最近不調だし、新しい戦法に挑戦してみようかと思ってね。」

 

「……そ、そう。」

 

 

銀子は何か言いたそうに口ごもったが結局なにも言わずに和室に行ってしまった。

和室に戻る時少しこちらを見た銀子の心配そうな表情が目に入った。

 

 

再び一人になりコンピューターと検討を再開する。

神鍋君の対策をするには、昔からライバルの八一に聞くのが一番いいんだけど、あいつ今竜王戦の準備に忙しいだろうし、俺と研究してもあいつのメリットなんもないからダメだよな。

様々な考えを頭の中に抱えながら一人黙々と検討を続ける。

 

 

✳︎

 

 

「山橋先生こんにちわ。」

 

 

明くる日俺は、気分転換に棋士室を訪れてた。

棋士室に入るとおそらく奨励会で最も年の離れた二人が将棋を指していた。

 

 

「こんにちわ。……鏡州さん。」

 

 

俺は少しぎこちなく挨拶する。

人の良い笑顔を浮かべて挨拶してくれたのは鏡州さん。

俺は鏡州さんの笑顔を見ていられなくなり目をそらす。

 

 

「お久し振りです。山橋先生。」

 

 

鏡州さんの反対側に座っているのは椚創多。

11歳で奨励会2段に所属して、史上初の小学生プロ棋士になれる可能性すらあるいわゆる天才。

 

 

「こんにちわ。椚君。」

 

「少し勉強させていただけませんか?」

 

 

鏡州さんが席を立って俺を呼び込んで来る。

 

 

「……はい。是非ともお願いします。」

 

 

俺は少し躊躇ったが結局指すことにした。

 

 

✳︎

 

 

「なるほど、ここは角を切る変化もありましたね。」

 

「俺も少し考えたけど、角打ちがうるさいと思ってやめました。」

 

 

椚君と俺の対局が終わり、感想戦に突入する。

練習対局だからお互いに本気ではないものの椚君の実力に恐怖を覚える。

この子は一体どこまで強くなるのか全く予想が付かない。

ニコニコと笑いながら検討を続ける椚君を見ながら背中に悪寒が走った。

 

 

「いや〜そんな変化もあったのか。」

 

 

隣でわざわざ棋譜をとってくれていた鏡州さんが感心したように呟いた。

 

 

「やっぱり二人とも凄いなぁ。……さすが神童。」

 

 

鏡州さんの言葉には何の皮肉も込められていない。

それがまた俺の心を締め付けるのだが……

 

 

「気になったんだけど、二人の脳内将棋盤ってどうなってるの?」

 

 

鏡州さんが目を輝かせながら聞いて来る。

脳内将棋盤。それは人によってそれぞれ違うものが浮かぶという。

確かに目の前の天才がどんな脳内将棋盤を持っているのか俺も気になる。

俺も期待を込めて椚君の方を見る。

二人の大人に見つめられて、椚君は男の子とは思えない綺麗な顔を驚きの表情へと変えた。

 

 

「え!?ぼ、僕ですか?僕は……ないです。」

 

 

「「はっ!?」」

 

 

全く予想外の答えが返って来て思わず、情けない声を出してしまう。

 

 

「僕は全部符号で処理しているので脳内将棋盤はありません。」

 

「「……」」

 

 

符号で処理ってなんだよ……

あらためて目の前の小学生の規格外っぷりに驚かされる。

 

 

「じゃ、じゃあ。山橋先生はどうなんですか?」

 

「お、俺ですか?俺は普通の将棋盤が目の前に有りますよ。」

 

「……それだけですか?」

 

「そ、それだけですよ。」

 

 

椚君の後に言った所為でめっちゃショボく聞こえちゃうじゃんか……

 

 

「何個見えてるんですか?確か人によっては複数見える人もいるって聞いたことがあります。」

 

 

椚君がフォローしようとしてくれているのか、さらに質問をして来てくれた。

 

 

「……残念ながら盤も一個しかありません。」

 

「で、でも一個で大量の変化を読んでるってことは思考速度がとても速いんですね。」

 

 

鏡州さんが苦し紛れのフォローを入れてくれた。

 

 

「読みですか?読みは同時に複数処理しますよ。」

 

「一つの将棋盤でですか?」

 

「うん。」

 

 

その言葉を聞いて鏡州さんと椚君の顔が強張る。

 

 

「つまり、一つの将棋盤の上に複数の局面を描けるんですか?」

「はい。」

 

「やっぱりこの人も天才だ……」

 

 

鏡州さんが小さく呟いた。

 

✳︎

 

 

鏡州さんと椚君と別れて一人家へと帰って来る。

鍵を開けて部屋の中へと向かうと居間に人影が一つ。

銀子が既に帰ってるのか。

 

 

「ただい……」

 

 

ドアを開ける手が止まる。

その理由は居間の人影にあった。

 

 

「はっ!!」

 

 

驚く俺の顔を見て、居間にいた少女はニヤリと笑った。




今日からまた投稿頑張っていきますのでよろしくお願いします。


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押し掛けあの娘は雷少女

「なんでここに……!?」

 

 

目の前にいるのは世界中で最も俺と仲の悪い人物、祭神雷。

 

「はっ!八一の家の上に住んでるのは前から知ってたさぁ。」

 

「どうやってここに入ったんだよ!?」

 

「色々やった。」

 

 

俺の家のセキュリティはガバガバなのか!?

祭神は俺の姿を見るやすぐに駒を並べて行く。

突然顔を上げて不思議そうにこちらを見た。

 

 

「早くそこに座って、将棋指す。」

 

「何言ってんだよ。お前俺の将棋は嫌いなんだろ?」

 

「早く早く早く早く早く早く早く。」

 

 

祭神はイライラしながら爪を噛む。

この状態になった祭神には何を言っても無駄だ。

観念して俺は祭神の対面に座って駒を並べた。

 

 

「……わかった。一回だけ指すからそしたら帰ってくれよ。そして二度と俺の家に来るなよ。」

 

「はっ!!」

 

 

祭神の嬉々とした声が響き渡った。

振り駒の結果、祭神が先手。

 

 

「始めるさぁ。叩き潰してやる。」

 

 

祭神はニヤリと笑って角道を開けた。

それを見て俺は飛車先の歩を進めて居飛車の構えを見せる。

序盤の戦型の駆け引きが始まった。

この駆け引きは俺が最も得意としている所。

簡単に相手の思うようにはさせない。そう思っていた。

 

 

5手目祭神は飛車を持ち上げ俺の飛車の向かい側に置いた。

向かい飛車、先月のマイナビであいちゃん相手に祭神が使用した戦法だ。

祭神は敢えて俺にこの戦型をぶつけて来た。

まるで才能比べをやりましょうと言わんばかりに。

 

 

ふざけやがって……!

 

 

苛立つ感情を表には出さずに、無表情で慎重に相手の角を取り角交換を済ました。

 

 

9手まで進んでここまでは普通の進行だ。

ここで俺の手が止まった。

 

 

あの戦法を試すべきか?

 

 

頭の中で様々な葛藤が生まれる。

 

 

---公式戦では一度も使ったことのない戦法だ、これなら祭神の意表を突いて倒せる

 

 

---なれない戦法を使えば負けるんじゃないか?

 

 

ーーーまた負けるのか?

 

 

ーーー怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い

 

 

 

俺は震える手で目的の駒を掴む。

なんで練習対局でこんなに緊張してるんだよ。

俺は震える手に精一杯力を込めて目的の駒を持ち上げて、真っ直ぐ動かした。

 

 

その手を見て祭神が相貌が大きく見開かれる。

 

 

「はっ!!」

 

 

祭神は歓喜の声を挙げて力強く銀を動かして行った。

 

 

駆け引きは終わった後はどちらかの王が倒れるまで戦い続けるだけだ。

 

✳︎

 

 

「これで満足か?」

 

「……」

 

 

祭神はさっきから黙ってジッと盤を見つめている。

盤上には周囲を敵に囲まれた祭神の王将が寂しそうにポツリと残っている。

 

余裕そうに振舞ってはいるが、祭神は確実に強くなっている。

しかも銀子を遥かに凌ぐ速度で……

祭神は程なくしてプロ棋士と互角、それ以上に戦える程の実力をつけてくる。

祭神が覚醒した時、女流棋士の世界はどうなってしまうのか。

本当に末恐ろしい奴だ……

まぁ、それは一旦置いといて、いい加減そろそろ帰ってもらわないと困るよなぁ。

 

 

「おーい。聞こえてるか?」

 

「……」

 

 

反応がない。

こいつでもこんなに静かになる時があるんだなぁ。

祭神の意外な一面を見れたような気がして少し得した気分になる。

 

 

「あは、あはは、あははははは。」

 

 

祭神はいきなりクイッと頭を上げて、狂ったように笑い出した。

笑い方が怖すぎるよ……てかすんごい近所迷惑だからぁ〜

 

 

「お、おい。取り敢えず黙ってくれ。近所迷惑だから……」

 

「これさぁ。これなんだぁ。あいつ倒すにはこれさぁ。」

 

「あいつって……」

 

 

聞くまでもなくあいちゃんだよなぁ……。

 

 

「ねぇ、勇気……」

 

 

祭神はさっきまでの狂ったような笑いをやめて今度はモジモジとしだす。

まるで、女の子が好きな男子に告白する前のように、少し顔まで赤くなっている。

 

 

「な、なんだよ急に気持ち悪い。」

 

「あの、あのね……私に……」

 

 

祭神は言葉を切って、またモジモジとする。いつもの狂った祭神とは違って女の子らしい、祭神を不覚にも可愛いと思ってしまう。

 

 

「将棋教えて!」

 

「断る。」

 

 

即答した。

こいつと定期的に会うとか絶対イヤだ、絶対俺は胃痛で死んでしまう。

これは、自分の命を守るための選択だ、決して銀子にバレた時に殺されそうだからとかそう言う理由ではない!

 

 

「ちっ!釣れない奴さぁ。」

 

「お、おい……」

 

 

すっかりいつもの太々しい祭神に戻っていた。

 

 

「将棋の世界は等価交換だ。俺がお前に教えるメリットがない時点で教えるわけなんてないってことぐらいわかってただろう?」

 

「等価交換……」

 

 

祭神は再び黙りこくって何かを考えている。

狂ったように笑い出したり、演技だけど恥じらって見たり、黙ったり、本当に忙しい奴だなぁ。

そんな呑気なことを考えていると、ゴソゴソときぬ擦れの音がする。

 

 

……は!?

 

 

祭神を見ると、制服のボタンを外して、シャツを脱ぎ去ろうとしている。

 

 

「いきなり、何しようとしてんだよ!?」

 

 

俺は焦って、祭神の動きを封じに行く。

八一の話を聞いてやばい奴だとある程度は理解したつもりでいたが甘かった……こいつ絶対におかしい。

プロ棋士だからとかいう言葉で片付けられないほどにおかしい。

 

 

「等価交換さぁ。将棋を教えてもらう代わりに、私のはじめてをあげるさぁ。」

 

「何言い出してんだよ!?」

 

「男はJKのはじめてが何よりも価値を感じるさぁ。」

 

「それは間違った知識だからね!?絶対に外で今の発言するなよ!?」

 

 

祭神の両手を押さえ込んで取り敢えず動きを抑え込む。

 

 

「ちょ、離せ!」

 

「いいから一回黙れ、そして動くな!」

 

 

祭神と一進一退の攻防が続く。

しかし、ここで俺は大きなミスをしてしまった。

俺は祭神に集中しすぎて背後の人間の存在に気づけなかったのだ。

 

 

「た、……だいま。」

 

「!?……お、お、かえりなさい、ぎ、ん、こ。」

 

 

なるべく平静を装って返事をする。

 

 

「兄弟子?」

 

「いつからいた?」

 

「『男はJKの……』ってとこから。」

 

 

一番誤解されるとこぉ!!

 

 

「早く続きしてよ♡。」

 

 

祭神お前は一旦黙ってろ。

この後俺がどんな地獄を味わったかはかはみんなの想像に任せるよ。

 

ただ、長い将棋の歴史の中で、この夜が大きな転換点になったことを、未来の将棋指しはおろか、本人達さえも気付いてはいないのであった。




お久しぶりです。

こんなに投稿期間が空いた作品を読んでくれる人がいるのかはわからないですけど、読んでくれる人がいるならありがとうございます。

色々悩みましたが、取り敢えず自分が書きたいと思うものを書いていこうと思います。


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残酷な真実

「ここで飛車を引いたのはちょっと甘いかな。ここは大胆に飛車を切って……」

 

「飛車切るの!?……ふんふん、でここが……ホントだ良くなってる。」

 

「ね。飛車切りは勇気がいるし、失敗した時のリスクが大きいけど、その分決まった時は大概優勢になるから一回は検討した方がいいと思うよ。」

 

 

場所は清滝邸、今俺と桂香さんは二人で研究会を行なっている。

9月になり、中学校が始まり、最近は銀子がいない日中に二人で研究会を行うことが多くなった。

 

 

研究会が終わると、桂香さんはすぐさまエプロンを着て、夕食の準備に取り掛かろうとする。

エプロン姿の桂香さんは可愛いなぁ。

桂香さんの持つ大人の女性の魅力と、母親のような安心感がエプロンによって、一つの線になっているまるで雀刺しのような破壊力がある。

 

 

「ありがとう、勇気くん。今日も夕ご飯食べていく?」

 

 

最近は桂香さんと研究会をした後、師匠と3人で夕食を食べていくのが定跡になりつつある。

 

 

「そうしようかな。」

 

「わかった。今から作るから居間で休んでて。」

 

 

師匠と桂香さんと3人で夕食を食べていると、八一や銀子が弟子入りする前に戻ったみたいでとても懐かしくなる。

あの時は純粋に将棋を指すのが楽しかった。

何も背負うものもなくただただ自分が強くなることだけを考えて将棋が出来ていた一番幸せだった時間。

 

「最近疲れてない?」

 

昔のことを思い出していると、台所からカチャカチャと料理をする音をさせながら、桂香さんが聞いてきた。

 

 

「え?特に大丈夫だけど……」

 

「本当に?勇気くんは昔から思い詰めると自分じゃブレーキをかけられなくなるから心配なのよ。今は銀子ちゃんがいるからそこまで心配はしてないけど……」

 

「そうかな?自分では自覚ないんだけど。」

 

「自覚ないから危険なのよ。」

 

 

桂香さんが少し怒ったように言う。

 

 

「うーん。わかった、気をつけるよ。」

 

 

釈然としないけど一応礼を言って忠告を受け取る。

 

 

「それより、桂香さんは大丈夫?緊張してない?」

 

 

桂香さんの運命の一戦まであと1ヶ月を切った。

 

 

「……してないと言えば嘘になるかな。」

 

 

台所から料理を作る音が途切れた。

 

 

「そっか……まぁ仕方ないよね。」

 

「うん。勝ちたい、どうしても勝ちたい。」

 

「うん。」

 

 

18歳の時から追い続けてきた女流棋士の夢があと一勝、すぐ目の前に迫っている。

勝ちたいという思いは俺が計り知れないほどだと思う。

 

 

「あ、あのね……勇気くん……もし私が女流棋士になったら……」

 

 

桂香さんが突然台所からボウルを持って出てきた。

その顔はどこか焦っているような、怒っているような、初めて見る桂香さんの表情だった。

 

 

「な、なに?」

 

 

思わず俺の声も裏返ってしまう。

 

 

「ただいま〜。ちょっと近くまで来たんで寄りまし……、兄弟子と桂香さんどうしたの?」

 

 

や、八一!?

 

 

「な、何でもないわよ。」

 

「なにもないぞ!うん、うん!」

 

「いや明らかに何もなくないんだけど……」

 

 

俺は目の前の将棋盤にバシバシと歩を叩きつけている。

うん、初手の練習だ!何も怪しくないな!

 

一方の桂香さんはボウルの中身をシャカシャカと目にも留まらぬ速さでかき混ぜている。……中身がもう完全に液体になってるんだけど。

 

 

「お、お帰りない八一くん。今から私達ご飯食べるんだけど、八一くんとあいちゃんも食べていく?」

 

 

桂香さんは軽く咳払いをして、何事もなかったかのように、いつもの桂香さんに戻っていた。

 

 

「あ、いいなぁ。あいにLINEしますね。」

 

「じゃあ、銀子も呼ぶか。」

 

 

俺も銀子に清滝邸に来るようにLINEを送った。

桂香さんは台所に戻りまた、カチャカチャと料理をする音が聞こえて来る。

 

 

「「……」」

 

 

き、気まずい。

八一も視線をあちらこちらに落ち着きなく動かしている。

竜王戦を控えたこの状況で、将棋の話はデリケートな話題になるからできれば避けたいよなぁ。

 

 

「あ、あの一つ聞いてもいいですか?」

 

 

唐突に八一が沈黙を破ってくれた。

 

 

「ん、なんだ?」

 

「兄弟子は名人との盤王戦、どんなこと考えてたんですか?」

 

 

予想外のことを聞いてくる。

まさか、八一が俺に将棋の質問をしてくるとは思わなかった。

 

 

「盤王戦……そうだなあの時は、正直一局一局指すのに夢中であんまり覚えてないなぁ。ただ今思うと初戦で完敗したのがよかったのかな。」

 

「完敗したから?」

 

 

八一が怪訝そうな顔をする。

短期間に同じ相手と5戦や7戦するタイトル戦で初戦に完敗すればある者は、自信をなくす、ある者は情熱を無くす。これが普通のことだと八一は思ってるんだろう。

 

 

「初戦で名人に完敗してから格が違う、この人には敵わないって思って逆に気負わなくなったんだよね。そしたら2局目から自分でも驚くほどにノビノビと指せて、何故か勝てた。」

 

「へー。」

 

「まっ、完全に勢いだけで指した若気の至りだよ。」

 

「ありがとうございます。全然参考にはならなかったけど……」

 

 

八一が苦笑している。

参考にならなくてゴメンな……

 

 

「ところで、準備は順調か?」

 

「正直わからないです。ただ、自分の中では最大限の努力をしてるつもりです。」

 

「そっか。」

 

 

八一は手に持った歩を力強く盤面に打ち込んで決意のこもった目でこちらを見た。

頼もしいな。

 

 

「俺も何とかしないとな。来月までには。」

 

「……」

 

 

八一が気まずそうに目をそらした。

 

「次の相手は神鍋くんだし、その次は……」

 

「於鬼頭先生ですもんね。」

 

「ああ。」

 

 

普段の俺なら絶対に他人に、ましてや八一に対しては話さない言葉、しかしこの時の俺は何故かその言葉をポロっと出してしまった。

 

「どうしたら、抜け出せるんだろうなぁ」

 

「あの……」

 

 

八一が口を開いてまた気まずそうに口ごもる。

 

 

「どうした八一?何か言いたそうだけど?」

 

「いや……その。」

 

 

八一は歩を手の中で転がして、右を向いたり左を向いたりなんだかせわしない。

 

 

「ん、なんだ言ってみろよ?」

 

「その……兄弟子は弱くなってると思います。」

 

「え?」

 

 

八一の口から出た言葉が理解できない、いや脳が理解することを拒否している。

 

 

「この前、姉弟子と話したんです。兄弟子の将棋は変わったって」

 

「……」

 

「昔の兄弟子は中盤にめっぽう強かった。いつも、誰も思いつかなような手順で形勢を自分のものして、子供の時の俺は、兄弟子が本当に魔法使いなんじゃないかって思ってました。そして、そんな兄弟子に憧れて、俺も努力して兄弟子の後を追い続けました。でも……」

 

 

八一は一度言葉を切ると、じっと俺の目を見る。

八一の目にもう迷いはなかった。

 

 

「今の兄弟子には憧れません!」

 

「……」

 

 

頭をハンマーで殴られたような衝撃を受ける。

俺が、弱くなっいる……?

俺の将棋は変わった?

今の一言は八一が俺の将棋を否定したことになる。

そして将棋指しにとって将棋を否定されると言うことは自分の人生そのものを否定されたのと同義である。

頭の中で八一の言葉がグルグルと頭の中を回る。

 

 

「あ、いやだから……もっと自分を大事にして欲しいって言うか……その。」

 

 

八一が我に帰ってオロオロと的外れなフォローをしてくる。

そんな八一を静かに睨みつけて、無感情に言い放った。

 

 

「黙れ。」

 

 

自分でも驚くほどに冷たい声音が出て驚く。

 

 

「あ、兄弟子……」

 

 

それは弟に始めて見せる兄の姿。自分の黒い感情をむき出しにした姿。

 

 

「勇気くん……」

 

 

居間の異変に気付いて桂香さんが台所から出てくる。

心配そうに俺と八一を見てくる。

今は桂香さんの顔も見たくない。

 

 

「帰る。」

 

 

とにかく今は清滝邸から1秒でも早く立ち去りたい。

立ち上がって逃げるように居間を出て行く。

 

 

「兄弟子、ただいま」

 

 

玄関で靴を脱いでいる銀子と会う。

コントロールできない感情は暴走し、関係のない銀子にまで八つ当たりをしてしまう。

 

 

「今日からうちには来るな」

 

「え?」

 

「ここでまた暮らせ。いいな。」

 

 

それだけ言って、足早に清滝亭を出る。

 

 

「な、ん、で……おにいちゃん!待って!」

 

 

銀子の言葉を無視してドンドンと清滝邸から離れて行く。

 

 

この日始めて俺は、八一と銀子と喧嘩した。

 

 

✳︎

 

 

深夜2時、真っ暗な部屋の中にはカチ、カチとマウスをクリックする音だけが無機質に響く。

コンピューターと検討を続ける。

一言も喋らずひたすら検討を続ける。

銀子が来る前はこの光景が当たり前だったんだ。

しかし検討には一切身が入らない。

 

 

昔の俺ってなんなんだよ?

 

 

八一の言葉がグルグルと頭の中を回る。

 

 

どこで狂った?

名人に負けた時か?

いやそれは結果的に俺の問題が表面化したきっかけに過ぎない。

原因はもっと前にあるはずだ。

いつだ?

細い糸を辿るように自分の記憶の針をどんどんと巻き戻す。

 

 

名人との盤王戦に臨んだ時、俺はどう思ってたんだっけ?

あの時の俺は何で将棋さしてたんだっけ?




長くなりましたね。

正直原作5巻は完成され過ぎてオリ主入る隙間ないし、八一と平行線で進む感じになります。

最近自分の昔の話を読んでいると、色々と直したい部分がたくさん見つかったので、少しずつ昔の話を加筆修正していこうかと思っています。
今のところ1話と2話だけ加筆修正が終わってます。

といっても内容ががらりと変わるほど変えるつもりはないので、読み返す必要はないと思うけど、気が向いた人は読んでみてください。



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史上最強の棋士

盤王覚醒の裏側。


史上最強の棋士は誰か。

この質問に対する答えは人によって様々だろう。

ある人は昭和の大名人の名をあげるかもしれない。ある人は現名人の名をあげるかもしれない。ある人は皮肉を込めてソフトというかもしれない。

しかし俺の答えは違う。

史上最強の棋士とは……

 

 

✳︎

 

 

「これ意味ないな。」

 

 

八一に残酷な真実を告げられてから丸一日ひたすらコンピューターとにらめっこすた。

AIの読みは深くそしてとても広い。これは到底人間に理解できるものじゃない。いくらAIの読みを知り評価値を見たところでそれはあくまで人間の感情を廃した客観的な数字でしかない。これを使ってAIと同じ将棋を指すことはできない、少なくとも俺には……

 

 

「はぁ。」

 

 

頼みの綱のコンピューターすら役に立たないと分かりため息が出る。

何八つ当たりしてんだろ……

清滝邸でのことを思い出して激しい自己嫌悪に襲われる。

八一に図星を突かれて思わず感情に任せて八つ当たりしてしまった。八一には何も悪気はないのに。

ふと我に帰ってはじめて空腹を感じる。

そういえば昨日から何も食べてない……

重い体を無理やり起こして何かを食べるためにキッチンに向かう。

 

ピンポーン

 

 

突然インターホンがなった。

八一かもしれない!

急いでドアを開けにいく、昨日のことを謝るために。

 

 

「ごめっ……」

 

 

ドアの向こうにいたのは八一ではなかった。というかそれ以前に、男じゃなかった。

 

 

「へっ。ここが盤王様の家ですかい。」

 

「お邪魔さしてもらいます。」

 

「は?」

 

 

目の前にいる二人が余りにも意外すぎてまだ自体が飲み込めていない。

目の前にいたのは二人のタイトルホルダー、女流王将と山城桜花。

二人は固まる俺を相手にもせずズカズカと家の中に入って行った。

 

 

✳︎

 

 

「燎と万智さん……?何で俺の家の前にいるの?ていうかどうやって俺の家知ったんだ?」

 

 

少しずつ事態が飲み込めてきて、次々浮かんでくる疑問を手当たり次第二人にぶつける。

 

 

「いっぺんにしゃべんな。」

 

「八一はんからお願いされましたので。」

 

「八一から?」

 

「にしても兄弟喧嘩とはまだまだ青いな。」

 

 

ニヤニヤしながら肩を掴んでくる燎。

 

 

「喧嘩なんかしてないよ。」

 

 

絡んでくる燎を引き剥がす。

 

 

「まぁ不調の時イライラするのは当たり前だからいいんじゃねーの?」

 

 

燎がそっぽを向きながら、遠慮がちに言った。

これで何となく察した。

二人は八一にお願いされて慰めに来たのか。

同い年で同じ世界に生きる二人だから声を掛けたのかな。

 

 

「不調にしてもあれはあきまへんよ。」

 

「あれって?」

 

「あんな不細工な穴熊は始めてどす。穴熊の面汚しどす、早く引退なさい。」

 

「酷すぎない!?てか慰めに来てくれたんじゃないの!?」

 

 

既に傷心の俺の心に追い打ちをかけるように、切りつけてくる万智さんマジ鬼畜。

 

 

「何でわざわざお前慰める為だけに行かなきゃ行けないんだよ。見返りが必要に決まってんだろ。」

 

「見返り?」

 

 

燎はせっせと駒を並べていく。

 

「棋士にとって見返りつったらこれしかないだろ。」

 

「将棋か……」

 

 

結局俺たち棋士にはこれしかないんだよな。

苦笑しながら将棋を指す。

 

 

✳︎

 

 

「ごめん。流石にもう限界。」

 

 

結局一日中将棋指した。

流石に2日連続徹夜はキツイ。

痛む頭を支えながら将棋盤を片付ける。

 

 

「情けねーな。そんなんでよくタイトル戦戦えたな。」

 

「タイトル戦でもこんなに長く指さないだろ。」

 

 

燎や万智さんとは不思議な関係だ。

小学生名人戦で始めて出会いその後もなんだかんだで関係が続いている。

気兼ねなくなんでも話せる相手、それが燎や万智さんだ。

 

 

「俺って変わった?」

 

「ん、なんだいきなり。」

 

「いやまぁ、昔から俺のこと知ってるし……気になってね。」

 

 

普段茶化したことしか言い合わない、燎にこんなことを聞くのはなんとなく気恥ずかしい。

 

 

「そうどすね。昔ほど変人ではなくなった気がします」

 

「変人?」

 

「あー確かにお前は昔、天野宗歩オタクだったからな。」

 

「は?」

 

「知らねーの?俺らの世代でお前は『天野宗歩オタク』って言われてたんだぞ。」

 

「なん……だと。」

 

 

全く気づいてなかった。

衝撃の新事実すぎて固まってしまう。

 

 

「これ気付いてないパターンだ。」

 

「他の奨励会会員がみんなトップ棋士の棋譜並べてはる横で、勇気はんは『棋聖天野宗歩手合集』広げてはりましたしね。」

 

「関東でも有名なほどだったんだし、普通気付くだろ……」

 

「そんな。関東まで広まって……」

 

 

比較的棋士の中では常識人だと思ってたのに……

 

 

「子供ん時は、勇気が神鍋みたいになって、神鍋が勇気みたいになると思ってたのに見事に逆転して驚いたぜ。」

 

「俺が神鍋くんみたいに!?」

 

 

子供の時の俺どんな奴だったんだよ。

一息つくと、ふとお腹がすいたことに気づく。

二人を見ると二人とも同じことを考えていたのか無言で頷く。

 

 

「おい、腹減った。飯作れ。」

 

「おい……女の子なんだからなんか作ってくれないの?」

 

「我が家は使用人がいるので作ったことないどすね。」

 

「カップ麺なら得意だぞ。」

 

「……俺が作る。」

 

 

女子力低すぎ!?

銀子といい女流棋士はみんな女子力壊滅的なのか?

いやあいちゃんや桂香さんは女子力高いし、やっぱり個人の問題か……

 

 

✳︎

 

 

「始めて食べる味どすけど中々美味ですね。」

 

「確かに学生が集まるご飯お代わり無料のラーメン屋のチャーハンくらいは美味しいな。」

 

「なんだその微妙な評価……」

 

「ん?最大級の評価だろ?」

 

 

燎は頭に?マークを浮かべながらムシャムシャとチャーハンを食べる。

これはボケなのか?本気なのか?

 

 

「ここまで美味しい料理を出されると女としては少し悔しどすね。」

 

「そうだな。絶対コイツ俺たちのこと見下してるな。」

 

「み、見下してないぞ……」

 

 

本当のこと言ったら絶対殺されるな……

 

 

「俺たちも本気出しゃ料理くらいできるぞ。」

 

「そうどすね。私たちもうら若き乙女どすから。」

 

「う、うん。」

 

 

似合わねー。

 

 

「てことで、台所借りるなー。」

 

「え、ちょっと待って!?」

 

「いいから。いいから。公式戦近いんだから将棋しとけ。」

 

 

燎から無言の威圧感を感じる。

タイトル戦前の棋士のようなオーラだ。

 

 

「は、はい。」

 

 

仕方なく棋書を読む。

……集中できない。

 

 

「まずは油ひかなきゃダメどすね。」

 

「油どこだ?」

 

「これどすかな?」

 

「なんか、瓶小さくないか?」

 

「色が黄色どすよ。」

 

「そうだな、これだろう。」

 

 

ジュワ〜

 

 

「おい!蒸発してるぞ。……臭いぞ!?」

 

「お前それお酢だから!?」

 

 

✳︎

 

 

台所を無茶苦茶にして燎と万智さんは去って行った。

 

 

「あいつら……」

 

 

ブツブツ文句を言いながら押し入れに顔を突っ込んで、ある棋書を探す。

古本のカビ臭い匂いにに包まれながら目当ての棋書を探す。

 

 

「これこれ。」

 

 

 

『棋聖天野宗歩手合集』

 

 

これを見ると小学生の頃を思い出す。

 

毎日師匠に将棋を教えてもらい、八一と銀子と寝落ちするまで将棋を指して、学校では先生に隠れて棋書を読んだ。

あの時は将棋を楽しんでいた。

新しい戦法を覚えてはすぐに使いたくなった。

負けたら相手の使う戦法の棋譜を血眼で探して対策を練った。

勝ってガッツポーズした次の日にはまた違う戦法でボコボコにされる。

そんな繰り返し。一般人からしたら不毛な繰り返しと思うかもしれない。

俺にとってはそんな繰り返しが最高に楽しかった。

 

 

そんな毎日の中で出会ったのが『棋聖天野宗歩手合集』。

始めてこの棋書を読んだ時俺は衝撃を受けた。

その棋譜は江戸時代の物とは思えないほど新しかったのだ。

江戸時代の将棋は現代の感覚で言うと遅い将棋になる。お互いにガッチリと陣形を整備してから戦いが始まるそれが当時の主流、定跡だった。

しかし、天野宗歩はそんな当時にしては珍しく早い段階で仕掛ける棋譜が多く残っている。

これこそが、天野宗歩の凄さ。

時代の常識にとらわれず、自分の感覚にのみ従って将棋を指す。

しきたりや差別、様々なものに苦しめられながらも自分の信念を曲げずに自由に指す。

 

 

俺はそんな天野宗歩に憧れてーー




感想にて過程がないので違和感があるという指摘を頂いたので、書きました。
でもやっぱり後付けだと言い訳みたいになってあまりしっくり来ませんね。

二次創作はとても難しい。
でもそれが最高に楽しい。


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盤王目覚めの時

師匠の家の居間で俺は弟子のあいと一緒にテレビを見ている。

目的はただ兄弟子の対局を見るためだ。

見るだけなら自分の家でも見れるんだけど、今日は何となく師匠の家で見たかった。

一週間前の出来事が俺を師匠の家へと引きつけているのかもしれない。

とにかく今は姉弟子や桂香さん、師匠の近くにいたかった。

 

 

「八一いたの?」

 

 

姉弟子が驚いたように、居間にやって来る。

確かに俺が日中にいるのが珍しいのか、固まっている。

 

 

「兄弟子の対局を見たくて。」

 

「そう。」

 

一言だけそう答えると、姉弟子は盤を挟んで向かい側に座る。

 

 

「あれから兄弟子に会いました?」

 

「会ってない。」

 

 

兄弟子に会ってから一週間が経過していた。

あの日以来、俺も姉弟子も兄弟子に会えていない。

それどころか、将棋連盟での目撃情報や街での目撃情報もない。

一週間が一度も家から出ていないようで、事情を知らないあいが突然死亡説を唱え出して、清滝一門が大騒ぎした事件も起こった。

 

 

「あっ、対局室に入ってきた!」

 

 

テレビに映し出される一週間ぶりの兄弟子の姿を見てホッと一安心する。

隣の姉弟子も安心して、ホッと胸をなでおろしている。

 

 

「酷いこと言っちゃったなぁ。」

 

 

ポツリと呟く。

 

 

「大丈夫よ。兄弟子はきっと許してくれる。大丈夫、大丈夫。」

 

 

姉弟子の優しい言葉に涙が出そうになる。

俺はあの日、大事な兄弟子の人生を否定してしまったのだ。

怒鳴るでもなく、ただ静かに睨む兄弟子の目を見て、俺は自分の言ったことの恐ろしさに気づいてしまった。

 

 

「あ、おじさんです!生きてますよ、ししょう!」

 

「あら、小童もいたのね。あと勝手に兄弟子を殺さないで。」

 

 

姉弟子がギロリとあいを睨みつける。

泣いてる暇はない、これは早急に対処しなければ。

 

 

「あ!歩夢もきたよ。」

 

 

テレビに映る歩夢の姿を見て強引に話題を変える。

 

 

「あ、マントの人です!」

 

 

あいは歩夢を見て興奮している。

あいの中ではまだその認識なのね。

 

 

「時間です始めてください。」

 

 

時間になり、振り駒が行われる。

 

 

「歩が5枚です。」

 

 

兄弟子が後手となった。

 

歩夢は優雅な手つきでまず角道を開ける。

続く2手目は、

 

 

「8四歩!?」

 

 

『王者の手』

居飛車党の本格派が好む手で、『自分の方針を定めて、相手の様子を見る』という意味がある。

序盤の戦型を巡る駆け引きが得意な兄弟子がおよそ指しそうにない手だ。

 

 

「変えてきたね。」

 

「はい。」

 

 

しかし、兄弟子はこの後さらに俺たちを驚かせる手を放った。

 

 

ここから歩夢は得意の矢倉に組む意思を見せ、兄弟子もそれに応じる。

淡々と駒組みが進み18手目、兄弟子は銀を掴んで真っ直ぐ進めた。

 

 

「左美濃……」

 

 

姉弟子が驚いたように呟いた。

一年以上前から水面下で研究されてきた戦法、居角左美濃。

しかし、ソフトを使えば誰もが知って居る筋であるため、多くのプロ棋士が避けてきた戦法でもある。

ましてや歩夢は矢倉党、居角左美濃を知らないはずがない。

 

 

その後も駒組みが続く両者。

歩夢は矢倉を完成させて、攻撃の準備に取り掛かっている。

一方の兄弟子は、歩をドンドンと進めて相手にプレッシャーをかけている。

歩夢が33手目を指して、進行が止まった。

兄弟子がこの日始めての長考に入った。

 

 

「仕掛けるのかしら?」

 

 

姉弟子が目の前の将棋盤に駒を並べて、局面を再現する。

 

 

「この状況だと、9四歩で端をついて力を蓄えるか、6五歩で開戦するか、7五歩で突き捨てるかの三択ですかね?」

 

「端付くのは、神鍋流を警戒してないんじゃない?」

 

「でも、兄弟子の棋風的に、相手の得意な形に飛び込むかもしれませんよ。」

 

「7五歩が無難じゃないの?」

 

「でも兄弟子がそれで満足するか……」

 

 

盤上であれでもないこれでもないと兄弟子の手を予想する。

昔の頃に戻ったみたいだ。

兄弟子がプロ棋士になった直後は公式戦がある度にこうやって盤を挟んで姉弟子と二人で兄弟子の手を予想していた。

あの時はまるで兄弟子と一緒に戦ってる気がして嬉しかった。

 

 

「懐かしいね。」

 

子供の時みたいに敬語なしで話しかけてしまう。

 

 

「そうね。」

 

 

姉弟子は嬉しそうにクスッと笑った。

 

 

✳︎

 

 

「山橋八段持ち時間を使い果たしたので一分将棋になります。」

 

 

記録係の声が耳に入る。

手数はまだ33手で止まっていた。

 

 

次の一手が戦局を大きく左右する。

俺の大局観がそう告げていた。

チラリと神鍋君の方を見ると、既に盤上没我の状態だ。

流石だ。

相手が序盤戦で時間を使い切る異常事態を受けても動揺一つない。

 

いつ俺が変わったのか、その答えは案外簡単なところにあった。

盤王になったからだ。

タイトル保持者になって俺は負けられないという信念を持つようになった。

それはいつしか俺の将棋の目的そのものを変えてしまっていた。

 

 

ー俺は勝つために将棋を指してたんじゃない、将棋を指したいから将棋を指していたんだ。ー

 

 

「50秒、1、2、3……」

 

秒読みが始まる。

一つ深呼吸をしてこの先の展開を読みきった俺はニヤリと笑って、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。

 

 

「神鍋流の歴史を終わらせよう。」

 

 

✳︎

 

 

いつまでたっても兄弟子は次の一手を指さなかった。

 

 

『山橋八段持ち時間を使い果たしたので一分将棋になります。』

 

 

テレビから記録係りの声が聞こえてくる。

 

 

「おじさん、どうしちゃったんですか?」

 

 

あいが心配そうに聞いてくる。

 

 

「そこまで悩むような盤面じゃない気がするんですけど……」

 

「そうだよね。俺たちからしてみたらそう思う。でも……」

 

「兄弟子にはそう見えていない。」

 

「?」

 

 

俺と姉弟子の言葉の意味がわからずあいは頭の上に?マークを浮かべている。

 

 

「これが兄弟子の大局観なんだよ。」

 

「どんな将棋にも重要な分岐点となる部分が必ず存在する。兄弟子はその分岐点に対する嗅覚が異常に優れてるんだ。」

 

「そして、兄弟子の局地的な読みの深さは世界一なのよ。」

 

 

兄弟子の口元が何か言葉を紡いだ。

俺は自分の弟子に誇らしげに言う。

 

 

「あい、よく見とくんだ。これが兄弟子の将棋だよ。」

 

 

その先の兄弟子の将棋はまさに俺が憧れた兄弟子の将棋そのものだった。

ほぼノータイムで次から次へと手を指していく。

桂馬が奇襲をかけ、できた隙にすかさず銀が突っ込む。

歩夢の矢倉は一枚一枚囲いから引き剥がされていく、まるで魔法のように。

手数が進むにつれて歩夢の手が止まるようになる。

 

とうとう70手を超えたところで歩夢も持ち時間を使い果たして、一分将棋になった。

 

 

「ついに終盤戦ね。」

 

 

姉弟子とテレビに釘付けになっていた。

目を輝かせてテレビを見つめる姉弟子の顔は昔の銀子ちゃんになっていた。

 

 

「でもさすが、歩夢だ。押し込まれながらそこまで離されていない。」

 

 

どんどんと駒を進出して攻勢を強めていた兄弟子だが、歩夢もしぶとく受けて、既に入玉の足掛かりまで作っている。

 

 

「入玉されるとやっかいね。」

 

「そうだね。どう止めるべきか。」

 

 

俺と銀子ちゃんが今後の展開を考えている脇でずっと、テレビを見ていたあいが衝撃の一言を俺たちに言い放った。

 

 

「こうこうこうこうこうこうこうこう、こう。すごいです。おじさんの勝ちですよ!!」

 

 

✳︎

 

 

「負けました。」

 

 

目の前のマントを被った少年は静かに駒台に手を置いた。

 

 

「ありがとうございました。」

 

 

神鍋君は暫く押し黙って何も喋らなくなる。

記録係が席を立ち、記者達が中へと押し寄せてくる。

将棋界注目の若手対決という事で、それなりの数の報道陣が来ていた。

シャッター音が鳴り止まないまま感想戦が始まる。

 

 

「一つ聞いて良いか、グランドマスターよ?」

 

「何ですか?」

 

「いつから気付いてた?」

 

「詰みの事ですか?」

 

「いや、この展開をだ。」

 

 

神鍋君の声はいつものように芝居がかっておらず、少し声が震えている。

正直答えるのは酷なので可哀想だが、嘘もつけないので真実を口にする。

 

 

「9四歩の時です。」

 

 

9四歩で神鍋流を誘った時点でこちらの勝利は読めていた。

この一局は神鍋流の対策として今後注目されることになるだろう。

これで神鍋流の対策は急速に進むことになる。

つまり俺が一つの戦法を滅ぼしたということになっちゃうのかな。

 

 

俺の言葉を聞くと神鍋君は顔を伏せてしまう。

あれ!?また泣かせちゃった?

 

 

「ふ、ふ、はははは。壁はまだ高く遠いか。」

 

「あの?」

 

「待っていろグランドマスターよ。我は新たな槍を持って必ず貴様を討つ!」

 

 

神鍋君はいつも通りなにかオサレなポーズを決めて堂々と宣言して来た。

 

 

「はい。いつでも待ってます。」

 

 

後々俺と神鍋君は何度も矢倉戦を行いその度に新手を発明したことから、『神鍋と山橋が指せば矢倉の歴史が1000年進む』と言われて将棋ファンに期待されることになる。

 

感想戦も終わり一人将棋会館を後にして、今日の対局の余韻にひたる。

まずは一勝、ここで終わったわけじゃない。

 

次は『玉将戦挑戦者決定戦』相手は於鬼頭曜帝位。

 

今の俺にもう敗北の恐怖は無かった。

今の俺にあるのは、ただただ誰かと指したいという思いだけだ。




兄弟子覚醒!!

原作の雰囲気を破壊しない。
それがとても難しい……


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変わらないもの

エピローグのような何か。


 

「すごい……」

 

「ですね……」

 

 

俺も姉弟子もテレビで歩夢と感想戦をする兄弟子から目が離せない。

笑顔だけど疲労の色を隠せない兄弟子の姿は昔憧れた兄弟子の姿そのものだ。

 

 

「兄弟子許してくれるかな……」

 

 

改めて自分が言ったことに対する後悔の念が俺の心を蝕む。

もしこのまま、兄弟子と喧嘩別れすることになったら……

そんな嫌な想像をしていると、無意識に両膝に置かれた手に力がこもってしまう。

 

 

「大丈夫よ、おにいちゃんなら。」

 

 

姉弟子が手を添えて優しく言ってくれる。

 

 

「そうかな?本当に許してくれるかな?」

 

「あの兄弟子よ。許してくれないはずないじゃない。」

 

 

まるで昔にみたいに姉弟子に話しかけてしまう。

俺たちの空気から対局が終わったことを悟ったのか、桂香さん襖をちょっと開けて顔だけ出して、話しかけてくる。

 

 

「八一くんと銀子ちゃん、今電車乗ったみたいだから、勇気くん迎えに行ってきて。私はご飯作っとくから、今日は久しぶりにみんなで夜ご飯食べましょ。」

 

 

多分気を利かせてくれてるんだろうな。

 

 

「そうですよ、ししょー。おじさんとても疲れてましたし、お迎えに行ってあげて下さい。お一人で!!」

 

「あ、うん。ありがとう、あい。」

 

 

弟子も俺の背中を押してくれる。

兄弟水入らずで二人きりで話せってことか、あいは人間ができてるなぁ。

 

 

「また余計なこと言って。八一私も行くわ!やっぱり、弟弟子と妹弟子が迎えに行くべきよ。」

 

「確かにそうですね。」

 

 

姉弟子はやっぱりブラコンだな。

あの面倒臭がりの姉弟子がわざわざ外に迎えに行くなんて。

 

 

「むー。じゃああいも行きます!」

 

 

あいは何故か不機嫌になり身支度を始めた。

 

 

「来てくれるのはありがたいし……。姉弟子もいいですよね?」

 

「……」

 

 

いたたたた!?

姉弟子は俺の膝を思いっきり踏みながら立ち上がる。

 

 

「重い、重いですよ姉弟子!?」

 

 

あまりの痛みに口から悲鳴が漏れた。

そして気づいてしまう、姉弟子の顔がみるみる険しくなっていること、そして右手が強く握りしめられていることに。

 

 

「頓死しろクズ!!」

 

 

 

みぞおちに激しいフックを決まられてうずくまる俺の横を足音大きく通り過ぎて行く姉弟子。

 

 

「早く行かないと勇気くん帰って来ちゃうわよ〜。」

 

「は、はい……」

 

 

桂香さんに急かされて地を這いながら玄関に向かう俺なのであった。

 

 

✳︎

 

 

夕方の野田駅は会社帰りのサラリーマン、学校帰りの学生でごった返していた。

いつもはうんざりするその人混みの中を今日は足取り軽く進む。

対局後こんなにいい気分で帰れるのは久しぶりだ。

乗り換えのホームへ向かっていると人混みの中からよく知っているシルエットを見つける。

 

 

「あ、いた。おじさんですよー。」

 

 

あいちゃんが俺に気付いて駆け寄ってくる。

 

 

「おじさん、凄かったです!」

 

 

突進してくるあいちゃんを受け止めると、キラキラした瞳で見上げてくる。

この子は本当に天使だなぁ。

あいちゃんの可愛さを堪能して、夢の世界へ飛んでいた俺は腹部への強烈な痛みを感じて、現実に引き戻される。

 

 

「こら小童。八一だけで飽き足らず兄弟子までロリコンに堕とそうとするな。」

 

「いや、俺ロリコンじゃ……」

 

 

八一の腹に銀子の拳がめり込んでる。

その光景に身震いしながらあいちゃんから距離を取る。

冤罪が一番怖いからね。

 

 

「ただいま。」

 

 

いつもみたいに笑顔で3人に話しかける。

 

 

「お帰りなさい!」

 

「お疲れ様兄弟子。」

 

 

あいちゃんは元気よく、銀子は少しホッとした表情で返してくれる。

 

 

「あの、兄弟子……」

 

 

八一だけは気まずそうに俯いている。

気使わせてるな……兄なのに情けない。

 

 

「ありがとうな八一。」

 

「え?」

 

「やっぱり将棋は楽しいな。」

 

 

意識して満面の笑みで言う。

その顔を見てようやく八一の顔に笑顔が浮かんだ。

 

 

「はいっ!」

 

 

よかった。

これでいつもの俺たちだ。

将棋で繋がった関係、時には衝突することもあるかもしれないでも俺たちが築いて来た関係はちょっとやそっとじゃ壊れない、壊れて欲しくない。

 

 

「ところで3人とも何でいるんだ?」

 

「あっ!そうです。桂香さんがおじいちゃんせんせーの家でご飯食べようって言ってました。」

 

「それで私たちが迎えに来たの。」

 

「なるほど。じゃあ行こうか。」

 

 

人でごった返している野田駅を4人で歩いて行く。

 

 

「おじさんずっと会えなくて寂しかったです。」

 

「そうなの?ゴメンね。」

 

「あの、ちょっと耳を貸して下さい。」

 

「ん、何?」

 

 

屈んであいちゃんに近づく、あいちゃんは俺にだけ聞こえる声で天使のような顔で言った。

 

 

「早くおばさんを引き取って下さい。」

 

 

あいちゃんはさっと離れて八一の右腕に抱きついた。

 

 

「兄弟子、顔真っ青ですけど大丈夫ですか!?」

 

「う、うん。大丈夫、大丈夫……」

 

「小童に何言われたの?教えなさいよ。」

 

「何でもないから、気にしないで。」

 

「きっとおじさん、疲れてるんですよ。早く帰りましょっ、ししょー。」

 

 

あいちゃんは八一の右手を独占してルンルンで帰って行く。

俺はその後ろで銀子のしつこい質問をかわしながら家へ帰った。

 




勇気くんも覚醒したことですし、この作品もそろそろ折り返し地点を過ぎました。
書いた当初はここまで長く続けられると思ってませんでした。
読者の皆さんの存在がモチベーションの源です、本当にありがとうございます。

さて次回は一話で5巻の話を終わらせましょう。(嫌な予感)


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12月
竜王戦第四局


地震で起こされて寝不足なり。


日本有数の温泉街である、和倉温泉郷。

その中で日本一の温泉旅館と名高い名宿『ひな鶴』。

ひな鶴には毎年多くの観光客が温泉と料理を求めて訪れる。

しかし今日はひな鶴の主役は温泉や料理ではなく将棋になっていた。

 

 

「竜王戦第四局。温泉旅館『ひな鶴』より中継しております。本日の解説は史上一人目の10代のタイトルホルダーとして次世代の将棋を担い手として期待され、先日玉将戦挑戦者決定戦で於鬼頭曜帝位を破り挑戦権を獲得した、山橋勇気盤王です。よろしくお願いします。」

 

「よろしくお願いします。」

 

 

俺の隣で慣れた口調で鹿路庭珠代女流2段、通称『たまよん』が進行をする。

 

 

「竜王は3連敗と非常に厳しい状況に置かれていますけど、兄弟子である山橋九段から見て竜王のこれまでの将棋は如何ですか?」

 

「そうですね……。初戦で少し自信を失ってしまったのかなという印象を受けています。でもこのまま簡単に沈んでいくことは、八一に限ってはあり得ません。昔から八一はどんな壁にぶつかっても諦めずにその壁を超えてきた。八一なら……名人に一矢報いることができると信じています。」

 

 

つい、言葉に熱がこもってしまう。

日本中のみんなが名人の勝利を願っている。今の八一にとっては日本中の人が敵に見えているのかもしれない。そんな弟の味方でいてやれるのは俺たち家族だけだ。

 

 

その後はここまでの3局の流れを軽くおさらいしたり、序盤講座などもやって時間を潰したがまだまだ対局開始までには時間があった。

 

 

「まだ対局までには時間があるので、本日のゲストの山橋九段のお話を聞かせていただきたいと思います。コメントから拾っていきましょうかね。」

 

 

ニ○ニ○動画のコメントが鬼のような速さで流れて行く。

 

 

『これから左美濃中心なのか?』『角交換左美濃は考えてたのですか?』『桂香さんは愛人なんですか?』『クズ竜王の勝機はあると思いますか?』『王将戦は自信ありますか?』『於鬼頭帝位戦は研究通りだったんですか?』

 

 

真面目な将棋の話から、地雷のようなもの、八一アンチと様々なコメントが流れてるな。

 

 

「やっぱりみなさん、先日の王将戦挑戦者決定戦のことについて聞きたいみたいですね。」

 

 

さすがたまよん、無難な進行をしてくれる。

 

 

「公式戦では前例のない戦型になったわけですけど、研究されていたのですか?」

 

「そうですね。角交換左美濃はおそらく、検討した人も今までに一握りの人だったと思います。でも必ずしも注目されない戦型が無力という訳ではないと思い研究しました。」

 

「なるほど……。その上で山橋九段は成立しているという結論に至ったのですね。」

 

「いや、そういう訳ではなく……実は僕の中でもまだ結論は出てません。なんとなく感覚でいける気がしたので……」

 

「感覚……」

 

 

たまよんが俺の顔をジッと覗き込んでくる。

今のそんなに問題発言だったかな?

いつも笑顔で前向きなたまよんの顔から笑顔が消えて怒ったような怯えているような目を向けられる。

 

 

……そんなに見つめられると照れるなぁ。

気まずくなり目を逸らす。逸らした先で別の視線とぶつかりフリーズしてしまう。

視線の主はカメラの後側で無言のオーラを桂香さんと銀子だった。

明らかに怒ってる……なんで?

そしてあいちゃんはなんでそんなに笑顔で俺にグッドマークをしてくるんだ。

 

 

「あの山橋九段?」

 

「は、はい。何でしょう?」

 

 

いかんいかん。仕事中だ、集中しないと。

 

 

「山橋九段といえば、やはり今期の順位戦で昇級すれば史上3人目のプロ入りから4年連続での昇級となり53年ぶりの快挙となります。将棋ファンの期待は相当なものですけれどプレッシャーはありますか?」

 

「確かに僕自身この偉大な記録に挑戦できるのは非常に光栄なことだと思っています。でも順位戦と同時に玉将戦も戦わなければなりません。正直あまりにもハードスケジュールで自分でも心配になります。……でも、年明けの3ヶ月で死んでも構わないというくらいの気持ちで臨みたいと思います。」

 

 

『88888888』『88888888』『ガンバレ〜』『来年も初っ端から見逃せないな!』

 

 

コメントでも暖かい言葉をかけてくれる。

会場でもささやかな拍手が巻き起こっている。

そんな中でちらっと桂香さんと銀子を見ると、二人は浮かない顔をしていた。

桂香さんは心配そうに俺を見ながら手を叩き、銀子は何かに怯えているような顔をして呆然と立ち尽くしている。

 

 

「今度一緒に研究会してくれませんか?」

 

「は!?」

 

 

祝福ムードの中、さりげなく距離を詰めて俺にだけ聞こえる声で話してくるたまよん。

あの、豊満な胸が……胸が……

 

 

「ちょっと待たんかい!」

 

 

部屋の中にコテコテの関西弁が響き渡る。

 

 

『なんだなんだ』『期待』『wktk』『放送事故?』

 

 

静寂のなかドスドスと足音を立てて歩いてくる一人の女性。

カメラの前に姿を現して、その正体が判明する。

 

 

『愛人きたー!』『今の声この人?』『清滝八段の娘さん!』『修羅場?』『でっけぇ。』『女流王将に勝った人だ!』

 

 

「あのうちの弟を変な道に誘惑せんでくれまへんか?この美人局!」

 

 

桂香さんの剣幕に圧されてジリジリと後ずさりして俺の後ろに隠れるたまよん。

これは桂香さんがキレた時になる関西人モード。

まずはたまよんに先制攻撃した桂香さんは今度はキッとこちらを向いて俺を叱りつける。

 

 

「なにデレデレしてんねん!仕事中やろ!?」

 

「はい!」

 

 

あまりの怖さに昔を思い出してつい返事をしてしまう。

 

 

「えっと……僕の師匠の清滝鋼介八段の娘で先日、マイナビ女子オープン決勝トーナメントで月夜見坂燎女流王将を破った清滝桂香女流2級です。」

 

 

取り敢えず紹介して、場を納める。

 

 

「……あれ。」

 

 

紹介されて正気に戻ったのか自分のしたことに気づき青ざめている。

助けを求めるようにこちらに目を向けてくる。口の動きだけで言葉を紡ぐ。

 

 

『たすけて』

 

 

怒ったり、涙目になったり、今日の桂香さんは祭神みたいに破天荒だ。

 

 

「今日は九頭竜竜王を応援するために、清滝一門全員がひな鶴にきております。カメラの向こうにいる2人にも少し登場してもらいましょうか。」

 

 

いきなり話を振られた2人の反応は全く別だ。

銀子はビクッとして反転して扉から逃げ出そうとする。

あいちゃんはというと……両手両足同時に動かしながら油の指してないロボットみたいにぎこちない動きで歩いてくる。

俺は小走りで銀子の後を追って無理やり連れ戻す。

 

 

「後で覚えてなさいよ。」

 

「……」

 

 

視線だけで人を殺せる。

この言葉の意味を俺は今日初めて知った気がする……。

 

 

「さぁ、これから竜王戦に向かう八一に応援のメッセージをそれぞれ送ってもらいましょう!」

 

「なんで私が八一なんかのために……」

 

「ふぇぇ~。みんなが見てる前で師匠に愛の告白を……」

 

 

正直台本無視もいいところだけど仕方ない。

これで放送事故は免れたはずだ!!……大丈夫だよね?

 

 

余談だがこの応援メッセージの後すぐに名人が対局場に登場したのだが、八一アンチがさらに急増してコメント欄が大荒れとなった。

やっぱり名人の人気は凄いなぁ。

 

 

✳︎

 

 

日本有数の温泉街である、和倉温泉郷。

その中で日本一の温泉旅館と名高い名宿『ひな鶴』。

深夜だというのに、ひな鶴は将棋関係者で賑わっていた。

 

『最後の審判』により指し直し局となった竜王戦第4局。

大盤解説場では生石さんと山刀伐さんというA級棋士二人による豪華な解説が行われている。次のタイトル戦の相手と一緒の部屋にいるのはなんとなく味が悪いと思い俺は大盤解説場を静かに後にした。……本音を言うと一人になりたかっただけだ。

体が心が熱い。

自分も早く将棋が指したいと思い体がウズウズする。

八一の活躍を嬉しく思う一方で、心の中がチクリと痛む。

名人と八一は盤上で本音で語り合っている。

俺には本音の一端も見せてくれなかった、あの名人が八一には本音で語っているのだ。

名人に選ばれたのは俺じゃなくて八一だった。

また八一は過去の俺を超えていった。

 

 

「なんでアイツなんだよ……。」

 

 

右手を強く握る。自分の心の中に渦巻く黒い感情を極力気にしないように努力する。

これは嫉妬という感情。俺の記録を後から次から次へと塗り替えていく弟に抱く決して誰にも見せない秘密の感情。

 

 

「………八一………。」

 

「?」

 

 

誰もいないと思って控え室に来たのだが、既に先客がいた。

その部屋にいた人は桂香さんと銀子だった。

銀子は今にも死んでしまいそうなか細い声で弟の名前を呼んでいた。

 

 

「八一も遠くに行っちゃうよ……。みんな私を置いて行っちゃうよ……。」

 

 

銀子が震えながら絞り出すように言葉を吐く。

 

 

「……嘘つき。二人とも嘘つき。『どこにも行かない』って、『置いてかないよ』って言ってたのに……。」

 

 

今の銀子の表情は俺がプロ棋士になって家を出る前の晩の時の表情と重なる。

ようやく俺は気が付いた。あの日銀子が言った言葉の意味に。そして近い将来俺は銀子を泣かしてしまうことになることを確信してしまった。

 

 

「ぎん……」

 

 

銀子を包み込むように支えていた桂香さんと目が合う。

桂香さんは目を細めて人差し指を口元に持って行く。

今は喋るなという桂香さんの合図。

 

 

「……」

 

 

こんなに近くにいるのに何もできない。

自分の無力さに歯噛みしながら静かに控え室を出る。

 

 

多くの人に多大な影響を与えた竜王戦第4局は八一の勝利で幕を閉じた。




5巻&今後のネタ振り終了です。

今回の話で触れられていない5巻の内容(天衣ちゃんやあいちゃんのマイナビ)は原作通りだと考えてください。


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1月
初詣


まずはジャブのような話を一つ。


激動の2015年が終わり、新たに2016年が始まった。

今日はその最初の日、元旦である。

 

 

「いやーやっぱり人が多いな!」

 

「そうですね。お参りするだけで、一苦労でしたね。」

 

「……。」

 

 

俺と八一と銀子の3人は初詣で住吉大社に来ていた。

住吉大社は大阪でも12を争う人気の神社。

ここに祀られれている神は開運招福・商売繁盛の神様であり、商売の街である大阪の人々がこの神社を放っておく筈がない。

住吉大社は人でいっぱいで、立つのもやっとな程である。

 

 

「どうします兄弟子?おみくじでも引きに行きますか?」

 

「そうだな、やっぱり初詣といったらおみくじだな!あと、桂香さんと師匠へのお土産にお守りを買って行こうか。」

 

「そうですね、行きましょう。」

 

「……。」

 

 

何故桂香さんと師匠がいないのかというと大晦日、当然の如く棋士仲間と呑んでドンチャン騒ぎをした師匠は二日酔いでダウン。

師匠一人では心配だということで桂香さんも不参加になった。

本当に師匠は何歳になっても懲りない。

 

 

「よっしゃ。突っ込みますよ。」

 

 

八一はそう言うとおみくじ販売所があるであろう方角の人混みの中へ突入する。

 

 

「また人酔いか?大丈夫か?」

 

「大丈夫、歩けるから。」

 

 

さっきからずっと、腕にもたれかかってるんだけど……

 

 

「そんなに辛いならお姫様抱っこでもしてあげようか、白雪姫?」

 

「ぶ、ぶちころしゅぞわれぇ……」

 

 

決めゼリフにもいつものキレがない。

というかよく見ると顔も赤いし、本当に熱あるじゃないか!?

 

 

「ホンマに大丈夫か?」

 

「え、うん。大丈夫だから。でも……疲れたからこのまま行きたい……かな」

 

「わかった。疲れてるんだったらわざわざおみくじ引きに行かなくてもいいぞ。」

 

「えっ!?……あのだから腕貸してくれたまま、その……」

 

「大丈夫だ!俺がお前の分まで引いて来てやる!」

 

 

可愛い妹のためだ。勢いよく人混みの中に突撃する。

 

 

✳︎

 

 

兄弟子とともにおみくじを3つ確保した俺は、境内の入り口の門で待っていた姉弟子と合流した。

 

 

「大丈夫ですか?」

 

「もう治った。」

 

「そうですか、よかったです。」

 

 

姉弟子は門の柱に隠れるように、寄りかかっていた。

 

 

「なんでそんなところにいるんですか?」

 

「ナンパされるから。」

 

「あぁ……。」

 

 

新年早々ナンパなんてする暇なやつもいるんだな。

 

 

「兄弟子は?」

 

「御守り買ってからくるそうです。」

 

「そう。」

 

 

姉弟子は俺の腕からおみくじを一つぶん取って早速確認する。

少しは感謝の言葉とかないのかな……

 

 

「どうでした?」

 

「中吉。」

 

「まぁ、いい方じゃないですか?」

 

「そうね。八一は?」

 

「えっと俺は……吉でした。」

 

 

姉弟子は俺の結果を聞くと口角がわずかに

上がる。

 

 

「勝った。」

 

「勝ったって……。」

 

 

将棋指しはどんな事でも勝ちたがる、たとえそれが将棋と関係のない事でも。

でもさすがにおみくじの結果は良くないかな?

 

 

「おお、いたいた。」

 

「兄弟子こっちです。」

 

 

兄弟子が両手に紙袋を持ってやって来た。

 

 

「お守りありました?」

 

「あったよ、あった。ほい。」

 

 

兄弟子はそう言うと紙袋に手を突っ込んで赤色のお守りを取り出す。

目の前に差し出されたお守りを受け取る。

 

 

「ありがとうございます!」

 

「竜王防衛祝いってことで。そんで、はいどうぞ。」

 

「ありがとう。」

 

 

兄弟子は青色のお守りを姉弟子に渡す。

姉弟子はちょこんとそのお守りをつまんで大事そうに両手で持つ。

 

 

「あ、そうだ。これ余り物ですけどどうぞ。」

 

「俺の今年の運勢は〜……ゲッ!?」

 

「どうしたんですか?」

 

 

兄弟子は苦笑いしてこちらにおみくじを見せてくる、そこには大きな文字で『凶』と書いてあった。

 

 

「うわ!?凶だ……。」

 

「縁起悪すぎよ。八一もう一個買って来て!」

 

「了解です!!待ってて下さい。」

 

 

今年は1月から王将戦もあって、大事な時期なのに縁起悪すぎる。

人混みに向かって再びアタックしようとした俺を兄弟子が止める。

 

 

「待って待って。別におみくじくらい凶でも大丈夫だから。」

 

「何言ってるんですか!?兄弟子は玉将戦も順位戦もあるんですからちゃんとゲン担がなきゃダメですよ!」

 

「そうよ。おみくじをなめないで!」

 

「なんで俺が怒られてんの!?」

 

 

俺たちが兄弟子に説教していると、いつの間にか周りに人だかりができていた。

 

 

『あれ、竜王ちゃうか?』

『白雪姫もおるで!!』

『山橋くんや!!』

『ホンマやホンマや!!』

 

 

 

しまったバレてしまった。

瞬く間に人は増えていき、ファンが押し寄せてくる。

 

 

『空先生、頑張って下さい、応援してます。』

『3段昇格応援してるで』

 

 

『はよあのクソ眼鏡から名人奪ってくれよ!』

『生石玉将との関西頂上決戦待ってんで!』

 

 

兄弟子と姉弟子の前には早くも行列ができている。

 

 

あれ?ーー

 

 

笑顔でファンに応じる二人を見ながら違和感を覚える。

この時何故か俺には兄弟子と姉弟子の笑顔が少し歪んでいるように見えた。

 

 

「竜王戦見たで、感動さしてもろたわ。ホンマにおおきに。」

 

 

後ろからいきなり酒臭い大男に肩をバシバシと叩かれる。

 

 

「イテッ!?……あ、あぁ、ありがとうございます。」

 

「これからも頑張ってな!応援してんで!」

 

 

そう言うと大男は去って行った。

強烈な人だ……。でもあんなに応援されたの初めてかもしれない。

基本俺アンチしかいなかったし。

ちょっとは人気出て来たかも……?

 

 

『握手して下さい!』

『僕も握手して下さい!』

『順位戦も頑張ってな!』

 

 

気づくと俺の前にも行列ができていた。

ちょっとは人気出て来たかも……!




〜最近の悩み〜

失踪してた3ヶ月の間に、銀子と八一と勇気の理想の関係像が変化してしまったこと。


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初夢とプロポーズ

文字数が増えまくるなり〜


「次の奨励会で勝ったら2段なんだよね。スゴイなーカッコイイなー。」

 

「頑張ってね、お兄ちゃん。家で待ってるから。」

 

「うん。頑張ってくるよ。」

 

 

これは俺がまだ小学生の頃のお話。

この日の例会に勝てれば俺は、2段に昇段できることになっていた。

八一と銀子の応援を背に気合い十分で将棋会館に向かった。

 

 

✳︎

 

 

「次は絶対に昇段できるよ!」

 

「そうだよ。だっておにいちゃんは最強なんだから。」

 

 

これは勇気くんがまだ小学生だった頃のお話。

勇気くんは今日の例会に惜しくも負けってしまって昇段を逃してしまった。

ここまで一度も立ち止まることなく昇段してきた勇気くんは始めて足踏みすることになった。

 

 

「ありがとう。次は絶対に昇段する。」

 

「うん。応援してるよ!」

 

「私も応援してる。頑張って!」

 

 

正直もっとショックを受けていると思っていた。

勇気くんは大人びているし、しっかり者だとはいえまだ小学生だ。

普通の小学生なら大泣きしながら帰ってきてもおかしくないような状況だ。

なのに勇気くんはいつもとまるで変わらない様子で帰ってきてこうやって八一君と銀子ちゃんと話している。

時々この子は本当に人間なのか、そんな風に思ってしまう。

 

 

いつも通り賑やかに話している、勇気くんと八一くんと銀子ちゃんを見て、お父さんが珍しく重苦しく言った。

 

 

「勇気、今日は対局で疲れとるやろ、もう寝なさい。」

 

「……はい。」

 

 

立ち上がろうとする勇気くんに八一くんと銀子ちゃんがすがりつく。

 

 

「えー、もっと話したい。」

 

「おにいちゃん、今から1局指そうよ〜。」

 

 

まとわりつく八一くんと銀子ちゃんにお父さんが一喝した。

今日のお父さんは珍しく威厳がある。

 

 

「コラッ!銀子、八一、お前ら最近たるんどるんちゃうか?どれ、儂が稽古つけてやろう。」

 

「今から指してくれるんですか!?」

 

「お願いします。」

 

 

八一くんと銀子ちゃんは急いで盤を取りに行った。

それを横目に勇気くんはゆっくりと立ち上がり居間を出て行く。

お父さんが私に耳打ちをする。

 

 

「桂香、勇気の部屋に行ったれ。」

 

「勇気くんの部屋?どうして?」

 

 

お父さんは少し困った表情をした。

 

 

「まぁ、ええから行ってき。」

 

「……はい。」

 

 

お父さんの真意がわからないけれど、取り敢えず勇気くんの部屋に向かう。

襖をノックして入る。

 

 

「勇気くん、入るねー。」

 

 

部屋に入ると勇気くんが部屋の中央にポツンと座っていた。

目が合う。

勇気くんの目には涙が一杯溜まっていて今にもこぼれそうだった。

 

 

「どうしよう……どうしよう。昇格できなかったよぅっ。」

 

 

勇気くんの目から一筋の涙がこぼれた。

 

 

「勇気くん……。」

 

 

予想外の光景に思わず固まってしまう。

目の前の男の子は確かに人間だった。

悔しくて悔して仕方がなかった、でも決して八一くんと銀子ちゃんの前では決して弱いところを見せまいと我慢していたんだ。

 

 

「誰だって上手くいかない時はあるよ。」

 

 

私は居ても立っても居られず、勇気くんを抱きしめて頭を撫でる。

 

 

「どうしよう。カッコよくなきゃ強くなきゃいけないのに……。」

 

「大丈夫だよ。勇気くんはずっとかっこいいお兄ちゃんだよ。」

 

「負けちゃったよ。応援してくれてたのに……なのに……。」

 

 

この子はこの若さで既にとても多くのものを背負っている。

師匠の期待、八一くんと銀子ちゃんの期待、メディアの期待。

それらはたかが小学生の子が背負うにしては余りにも重すぎる。

 

 

「大丈夫だからね。私の前では甘えてもいいんだよ。だって私は勇気くんのお姉ちゃんなんだから。」

 

 

頭を撫でながら泣きじゃくる勇気くんを慰める。

この日私は決心した。

勇気くんの支えになりたいとーー

 

 

✳︎

 

 

「懐かしい夢だったな。」

 

 

2016年の初夢はまさかの過去の事であった。

桂香さんの前で号泣しちゃって、慰めてもらって……あぁ恥ずかしすぎる。

恥ずかしさに身をよじりながら、『指し初め式』に向かう準備をしていた俺の元に一本の電話がかかって来た。

 

 

「勇気くん。今大丈夫?」

 

「はい。大丈夫ですけど、なんですか?」

 

 

電話の相手は桂香さんだ。

桂香さんとは後の指し初め式で会えるのにわざわざ電話してくるのは何か急用があるのだろうか。

 

 

「あのさ、今から家に来てくれない?」

 

「師匠の家?いいけど、なんで今?」

 

「あのね、なんか懐かしい夢を見ちゃってね……」

 

「そうなの?」

 

 

夢?桂香さんも懐かしい夢を見てたのか。まぁ俺の夢とは多分違うだろうけど。

 

 

「女流棋士になったから、約束通りお願いを聞いてもらおうと思ってね。」

 

「……そういえばそんな約束してた……ね。」

 

 

すっかり忘れてた。

記憶の中を検索すると確かにマイナビ一斉予選の前に言ってたような気もする。

 

「忘れてたの!?」

 

「いや、ちゃ、ちゃんと覚えてたよ。」

 

「はぁ……。まぁいいわ、取り敢えず家に来てね。」

 

「うん……。」

 

 

✳︎

 

 

居間には俺と桂香さんと師匠の3人だけがいる。

なぜが居間は重苦しい雰囲気に包まれていた。

 

 

「勇気くん……いや山橋先生。」

 

「は、はい!」

 

 

今までの桂香さんの表情や、やり取りを俺なりに検討した結果、俺は桂香さんの次の一手を予測した。頭の中に告白の二文字がチラつく。

落ち着くんだ俺、それはあまりにも都合のの良い展開なのではないか。何か他の狙いがあるはずだ、いやでも……。

 

 

ソワソワする俺と対照的にいつもと変わらないエプロン姿の桂香さんは正座をして俺の真向かいに座る。

 

 

桂香さんはゆっくりと慎重に一枚の紙を懐から取り出して、俺の目の前に置いた。

まさか、婚姻届だと……!?

いくらなんでもそれは指しすぎではないか!?

親の前でいきなり結婚申し込むなんて。

いや、あえて師匠に知らせることで外堀を埋めるということか。

考えれば考えるほどこの一手は好手に見えてくる、桂香さんいつの間にこんなにいい手を指すようになったんだ……!

 

 

「勇気くん……?勇気くん聞いてる?」

 

 

桂香さんの声で現実に引き戻される。

 

 

「……あれ?」

 

 

よく見るとその紙は婚姻届などでは決してなく、棋士にとってもしかしたらそれよりも大事なもの、女流棋士の申請用紙だった。

 

 

「私をあなたの弟子にして下さい!!」

 

「お、俺の!?」

 

「うん。私が女流棋士になれたのは勇気くんのお陰だから、私の師匠は勇気くん以外には考えられない……。」

 

「でも……。」

 

 

俺はチラリと師匠を見る。

普通に考えて、桂香さんは師匠の弟子として女流棋士になると思っていた。

師匠も絶対に娘の師匠は自分だと思ってるだろう。

 

 

「勇気がええならお願いしたい。」

 

「師匠!?」

 

 

あの師匠が頭を下げてお願いしている。

それは俺にとってはあまりに衝撃的で、でも少し嬉しくて思わず言葉に詰まってしまう。

 

 

「桂香が女流棋士になれたのは、誰が見てもお前のお陰や。桂香が勇気に師匠になって欲しいと思うのも当然や。せやから桂香の師匠になってくれへんか?」

 

 

師匠に、桂香さんにお願いされて断る理由などどこにもない。

 

 

「はい。こちらこそ、宜しくお願いします。」

 

 

俺は目の前の桂香さんの申請用紙を手に取った。

 

 

「ありがとう勇気。桂香を女流棋士にしてくれてホンマにありがとう。」

 

 

師匠の声が涙ぐんでいることに気づく。

 

 

「俺なんて何も……桂香さんが毎日血の滲むような努力をして、どんなに傷ついても諦めずに何度も、何度も……。」

 

 

去年の思い出が一気にフラッシュバックしてきて俺の涙腺を激しく刺激してくる。

 

 

「ありがとうっ、本当にありがとう、お父さん……勇気くん……。」

 

 

つられて桂香さんもドンドン涙声になっていって後半はほとんど聞き取れない。

 

「ほな、行こか!新年早々湿っぽいのは縁起が悪いわ!」

 

 

師匠のとびっきりの笑顔を見て、俺と桂香さんも自然と笑顔になる。

 

 

「「はい。」」

 

 

久し振りに師匠と桂香さんと3人で将棋会館に向かう。

対局に向かう師匠と、学校に行く桂香さんに手を引かれて、眠気まなこをこすりながら将棋会館に行った昔のようにーー




次話の製作が難航してます(泣)


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王将戦第1局〜1日目〜

お久しぶりです。
ベルギー戦惜しかったですね〜


玉将戦、スポーツニッポン新聞社及び毎日新聞社主催のタイトル戦だ。その名の通り、駒の「玉将」から命名された。1950年に一般棋戦として創設され、翌1951年にタイトル戦に格上げされた。持ち時間は8時間の2日制。

このタイトルを現在持っている、生石充玉将は名人からこのタイトルを奪取した。

過去タイトル戦で名人に挑戦する事4度、いずれも名人の厚い壁に阻まれた。

5度目の挑戦となった玉将戦で始めて名人を破って玉将になった。

玉将タイトル奪取以降、6期連続で玉将を防衛している。

 

 

「わかっとるか勇気。生石君は玉将戦を知り尽くしてる。相手のペースに呑まれたらあかんで!」

 

「ちょっとお父さん声大きいって、周りに迷惑だから。」

 

 

読んでいた将棋雑誌を置いて勇気君に向かってあれこれ話しているお父さんを注意する。

私とお父さんと勇気君は今、静岡行きの新幹線に乗っていた。

お父さんは朝からずっとこの調子で、目立って仕方がない。

 

 

「はい。心得てます。」

 

 

一方の勇気君も朝からずっとお父さんのアドバイスを真面目に聞き続けている。

こういうところは師弟なんだなぁと今更ながらに思う。

 

 

「桂香さんはわざわざ来なくても良かったのに、次の対局も近いんだから。」

 

「そういうわけにも行かないわよ。私は勇気君の弟子なんだから、私もあいちゃんみたいに師匠のお世話しないと!」

 

「八一のところは少し変わってると思うんだけど……」

 

 

勇気君がごにょごにょと口ごもっている。

照れてるな……

 

 

「いいのよいいのよ。そんな遠慮しなくて。お水いる?出したあげようか?」

 

「それはもう弟子というより、メイドだよ!?」

 

 

お父さんは目を丸くして私と勇気君のやり取りを見ていた。

 

 

「なんやお前ら、師弟っていうよりもう夫婦やな。」

 

 

お父さんがとんでもないことを口走る。そんなこと勇気君の前で言わないでよ!?

 

 

「ちょっとお父さん何言い出すんよ!?」

 

「おい桂香!?痛い痛い!?勇気助けてくれ、ホンマに頼む!!ホ、ン……」

 

「ちょっと桂香さんストップ!!師匠泡吹いてるから!?」

 

 

✳︎

 

 

静岡に着く前から一悶着あったがそれは忘れるとして……。予定通りに静岡に着き対局場がある場所へとなんの問題もなく到着した。

第1局は静岡県の掛川市にある掛川城の二ノ丸茶室で行われる。

この場所は生石さんがタイトルを獲得して以来、毎回第1局が行われており、今や玉将戦の定石となりつつある。

その影響もあってか掛川市には異様に生石さんファンが多かった。本当に何から何までアウェイだな。

和服に身を包みゆっくりと音を立てないように襖を開いて控え室を出た俺は対局場へと向かった。

 

 

「この和服も久しぶりだな。」

 

 

俺は和服を着る時はタイトル戦だけだと決めている。

つまり俺にとっては3年ぶりの和服である。

和服は正直苦手だ。

暑いし、重いし、何よりも体勢を変えるとゴソゴソときぬ擦れの音がして集中をそがれる。

そんなことを考えながら二ノ丸茶室に着く。

背丈の半分しかない扉を開いて、正座をしながら入っていく。

対局室に入ると同時に激しいシャッター音が部屋の中に響き渡る。表情を一切変えずにゆっくり歩みを進め、下手側に座った。

まだ対局室に生石さんの姿は無かった。

シャッターの音が徐々にまばらになり、再び室内に静寂が訪れる。

やっぱり報道陣がいつもよりも多いな。

タイトル戦は他の棋戦に比べて報道陣が多くなるのは当たり前なのだがそれにしても多い。

それだけ注目されてるということなのか。

特にすることもないので、目をつぶり生石さんが来るのを静かに待つ。

 

 

静かだった対局室が再び喧騒に包まれた。

生石さんが入ってきたのだ。

和服姿の生石さんはいつもの髭面と和服がミスマッチで違和感がとてもあった。

フラッシュに目を細めながらダルそうに足を引きずりながら俺の向かい側にまで来て、小さく俺に聞こえるか聞こえないかの声量で呟いた。

 

 

「今日は騒がしいな。」

 

 

驚いて向かい側の生石さんの顔を見る。

生石さんは何事もなかったかのように腰を下ろした。

俯き加減の生石さんの表情を伺うことはできない。

しかし、お互いにこの対局場の異様な雰囲気に少なからず違和感を感じているそれだけは解る。

雑念を振り払うように、駒を決まった順番で並べて行く。

俺の並べ方は大橋流、まず玉を並べてからその周りを固めていく並べ方は、おそらく将棋界で最も一般的な並べ方である。

生石さんも同じく大橋流で並べている。

パチパチと駒音だけが和室に響く。

 

 

全ての準備が終わり、立会人が開始の合図を出す。

 

 

「時間になりましたので、対局を開始します。」

 

 

立会人の声が和室に響き渡る。

 

 

一度目をつぶり、小さく息を吐いて、角道を開ける。

その姿勢のまましばらくの間静止する。

激しいシャッター音に包まれながら、俺の地獄の3ヶ月間が始まった。

 

✳︎

 

 

関西将棋連盟の棋士室には多くのプロ棋士が詰め寄り、異様な盛り上がりを見せていた。

その棋士室の右端の机だけは異様に平均年齢が低い席になっていた。

 

 

「今日はとても人が多いですね。」

 

「間違いなく関西の2強の対局だからな。」

 

「2強じゃなくて3強です!」

 

 

創多が食い気味に言った。

そう言ってくれるのは創多くらいだよ……

生石さんが飛車を中央に振ったのを見て、姉弟子も目の前の盤の飛車をつまんで中央に持って行った。

 

 

「生石先生はゴキゲン中飛車ね。」

 

「そうですね。」

 

「兄弟子と生石さんって対戦したことあったっけ?」

 

 

ふと疑問に思ったことを口にする。

その言葉を聞いて鵠さんがカチャカチャとパソコンをいじる。

 

 

「公式でも、非公式でもありませんね。」

 

「そうなんですか。」

 

「まずは無難に生石さんが得意な戦法をぶつけて来た感じですね」

 

 

ここまでは一般的な中飛車と居飛車の進行だった。

この次の一手で兄弟子が持久戦か急戦を望むかがはっきりする。

兄弟子はほとんど考える間なく角に手を伸ばした。

 

 

「2二角成……?」

 

「角交換するのね。」

 

 

生石さんも素早く馬を銀でとり、角交換が成立した。

この進行自体は別に何もおかしくない。現に1()0()()()()()には流行していた戦法だ。

 

 

「どうして山橋先生は角交換したんだろう?これは振り飛車に有力な対抗策があるのに。」

 

 

俺たちの疑問を端的に創多がまとめた。

確かにそうだ、この戦法は振り飛車側に有効な対抗策が発見されて、今はほとんど指されていない。

しかも、その対策を発明したのは生石さん本人だ。

 

 

「何か策があるんだろう。」

 

 

兄弟子の次の一手に注目が集まる。

従来通りに4八銀と指してしまえば、振り飛車優勢の状況まで一直線に進んでしまう。

変化させるとしたらここしかない。

 

 

「なに指すの……。」

 

 

姉弟子は画面に釘付けになり、兄弟子の次の一手を今か今かと待ち構えている。

 

 

「端歩……!?」

 

「評価値変化しません。」

 

 

兄弟子の指したのは端歩。一見特に強い意味は持たないように思われる一手だ。

その後は生石さんも端歩を突き返して、なおも進行する。気付くと盤上には中飛車対居飛車のの見本のような盤面が現れた。

 

 

「これじゃあ、何も変わらない。さっきの端歩はただの時間稼ぎじゃないですか!?」

 

「いや……これは。」

 

 

生石さんが飛車先の歩を進めた。その瞬間だった。

 

 

「評価値振れました。」

 

「「え!?」」

 

 

姉弟子と創太が同時に驚く。

 

 

「今の手の何が……。」

 

 

生石さんが指したのはごく普通の手、100人の棋士に聞けば100人が自然と答えるようなそんな手。

 

 

「あっ、どっちに!?」

 

 

姉弟子が珍しく声を大にする。

 

 

「+200、先手……居飛車側です!」

 

「そんな馬鹿な……あり得ない。」

 

 

創多は信じられないという表情で盤面を見て変化を読む。

コンピューターを駆使し、符号で全てを処理する創太には到底理解できない感覚だろう。

 

 

「八一さんはどう思います?」

 

「んーそうだな。……」

 

 

頭の中の将棋盤が急速にクリアになり、思考が純化されて行く。

いつの間にか目の前から姉弟子と創多が消えていた。

 

 

「凄い……ここまでの展開を読んで、さらに誘導できると確信してこの手を選んだのか……。でもこの変化なら振り飛車良しのはず……」

 

「や、い、ち……。」

 

 

いつの間にか時刻は夕方になっていた。

中継を見ると丁度封じ手を生石さんが渡したところであった。

周りを見渡すとポツポツと棋士室から人が減っていた。

その中で興奮で顔を真っ赤にしながら狂ったように盤面を見てあれこれとこの先の展開を考えている創太と、顔を真っ青にして化け物を見るような目でこちらを見ている姉弟子だけが妙に浮いていた。

 

 

「また、やっちゃいました……?」

 

「う、うん。生石さんの時よりももっと凄かった……」

 

「そうですか……。」

 

「ねぇ……。八一はさ……。」

 

 

姉弟子が怯えたような目をこちらに向けておどおどと何かを言おうとしている。

 

 

「兄弟子と……戦うの?」

 

 

姉弟子の言葉を受けてここ最近、自分の中にあったモヤモヤがどんどん整理されて行く。

名人と戦ってから異様に手を読めるようになった。

それ以来兄弟子の将棋を見ると不思議な感覚になる。評価値的に言うと好手とは言えない手が後々効いてくる。

感覚で言うと序盤に置いた時限爆弾が突如爆発する感じだ。

兄弟子は俺や創多とは全く違う感覚で将棋を指している。そう感じるようになった。そしてその棋風を純粋に尊敬すると同時に自分とは相容れないものだと敵対視する自分もいるのだ。

俺は兄弟子と同じ道には進まない。俺は自分の正しいと思う将棋で貫く。

 

 

なぜなら俺は竜王だからーー

 

 

「はい。いつか兄弟子を超えたい……絶対に超えます。」

 




次回も少し時間がかかるかもしれません。

《プチ解説》
⚪︎今回勇気君が指したのは丸山ワクチンの佐藤新手です
⚪︎冒頭の生石さんの話はおそらくモデルであろう久保王将のお話を使わせてもらいました


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