カラフル・Eyes ~モノクロ~ (個人情報の流出)
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第一部:(しろ)の少年と(くろ)の少女
出会う。


この作品は私の処女作である、『モノクロ。』をリメイクしたお話になります。

ちょっと進化して、ちょっと変わったモノクロ。をお楽しみください。


『ねえ、■■■』

 

 優しい声が聞こえた。ふと顔を上げると、高いところに女の人の顔があった。

 僕はその人と手を繋いでいた。手を繋いで、どこかへ向かっていた。

 

『もしも■■■に好きな人が出来たら、絶対に守りなさい』

 

 空気が甘くて、優しかった。これはきっと夢だ。甘ったるくて幸せな、夢だ。もしかしたら、これは僕の記憶なのかもしれない。

 

『絶対。約束よ?』

 

 ああ、これはいつの記憶だろう。この時、僕はなんて返事をしたんだろうか? わからない。けれど、これはきっと、きっと。忘れちゃいけないことだ。忘れちゃいけないことだって、そう、記憶の中の僕が告げている。

 

 背景が白く変わった。いつの間に移動したのか、俺にはわからなかった。気づけば、優しい女の人も居なくなっていた。

 辺りは子供だらけだった。皆一様に具合が悪そうで、僕もお腹が空いていた。今まで感じたことがないくらい、お腹が空いていた。

 

 

 1人、連れて行かれた。

 2人、連れて行かれた。

 連れて行かれた子が戻ってくることはなかった。連れて行った奴らは、失敗したと、顔をしかめていた。

 皆怯えていた。皆泣いていた。僕も連れて行かれるのが、怖くて怖くて仕方なかった。

 

 弱い僕は連れて行かれた。白いベッドに縛られて、実験開始と笑われた。僕は目を閉じた。

 僕の記憶は、ここで、おしまい。

 

 

 

「……っくしゅ!」

 

 1つくしゃみをして、俺は目を覚ました。まだ秋だというのに、やけに肌寒い。俺は寝ぼけたままで起き上がって、ざっと辺りを確認する。

 

 辺りは薄暗かったが、幸い目はすぐに慣れた。見たところ、岩の壁と岩の天井しか見えない。視線を右に切ると、丸い穴が開いていて、その先には森が広がっていた。

 

「……ああ。村はずれの洞窟か、ここ」

 

 状況を理解すると、どんどんと色々なことを思い出してきた。

 俺には身寄りがない。町や村を転々としながら、盗みを生業にして生きている。盗みって言っても宝石なんかを盗むんじゃない。食料や生活必需品を直接盗んで、毎日食いつないでいる。

 今日も俺は、今住み着いている森の近くの村で盗みを働いて、当面の食料を手に入れた。運悪くいつもの店主に見つかって、まあ、いつも通りにまけるだろうと逃げ出して……今日は、やけに店主がしつこかったんだった。取って食われるんじゃないかと思うほどの勢いで追っかけてきてたな。

 それで、村の外れまで逃げてきて、なんとかまききって。どこかで休もうと思って、この洞窟を見つけた……と。それでいつのまにか寝ちまったわけだ。

 

「……さっさと出るか」

 

 こんな所に長居する理由なんてどこにもない。今日は色々盗ってきたから、ねぐらに持ち帰って整理をしなきゃならない。

 それに、さっきから妙にボーッとしている。今回はやけに深く眠ってしまったらしい。夢なんて見たのは……多分、初めてだ。こんな状況で誰かに見つかったら、きっとヘマをやらかす。

 そう思って、この洞窟を後にしようとしたその時だった。

 

「ねぇ。誰かいるの?」

 

 声が聞こえた。か細くて幼いが、よく通る綺麗な声だ。

 

「誰か、いるんでしょう?」

 

 また聞こえた。洞窟の奥からだ。この洞窟の奥に何かがいる。

 敵の気配を感じ取って、眠気は一瞬にして消え去った。今俺の頭にあるのは、現れた敵に対して、どう対処するか、という事だけだ。このまま立ち去るか、様子を見にいって、あわよくば危険を排除するか。少しだけ迷って、俺は様子を見にいくことにした。

 

 洞窟の奥はさらに真っ暗だった。一歩一歩しっかりと先を確認しながら歩いて行くと、前方にぼんやりと格子のような物が見えた。牢屋……だろうか? 天然の洞窟を利用した、牢屋。

 次第にこの暗さにも慣れてくると、牢屋の奥に何者かが居るのを確認できた。それと同時に、牢屋の中の何者かもこちらに気づいたらしい。牢屋の奥から、すぐ傍へと歩いてきた。

 

「お前は……何者だ?」

 

 牢屋の中に居たのは、真っ白な少女だった。暗闇の中でも妙に目立つほど、真っ白な。

 肩に掛かる程の長い髪も、まつげも、細い手足も。まるでミルクのようだ。唯一身に纏っている服……というか、ぼろ切れだけが、薄汚れて灰色に見えた。しかし、その汚れた服が、彼女の白さをさらに際立たせている。

 俺のことをしっかりと見据えるその目は真っ赤だ。綺麗で、吸い込まれそうな瞳だった。

 その姿。目の前の綺麗な生き物をひと言で表すならば……作り話の妖精。

 その一方で、まるで幽霊のようだとも思った。前髪も後ろ髪も切り方が不揃いだ。痩せこけていて、手足は触れたら折れてしまいそうな程細い。それに、体を申し訳程度に覆うぼろ切れ。こいつは本当に生きているのかという疑問を抱いてしまうのも仕方ないと思う。

 

「……何者?」

 

 少女が喋った。その声は、さっき洞窟の入り口で聞いた声と同じだった。

 

「私は、希望(のぞみ)だよ。お兄さん」

 

 希望。少女はそう名乗って、こちらに薄く微笑みかけた。

 

「わ……お兄さん、全身真っ黒だ」

 

 希望は俺の来ている服をじーっと見てそう言った。その無遠慮な視線に、俺は少し苛立った。

 

「……真っ黒で悪いのか?」

 

 村外れの森にねぐらを作ってそこに隠れ住んでいる俺にとって、闇に紛れられる黒い服は便利だ。忍者みたいな出で立ちだが、それなりに気に入っている。

 

「……んーん、別に。それよりお兄さん、私に食べ物くれる人だよね? 私、お腹ぺこぺこ。早く何かちょうだい!」

 

 こいつ、俺を食事の配給係かなんかと勘違いしてやがるのか。

 

「……生憎だな。俺はお前に食事を運ぶ係の人間じゃ無い」

 

 希望は一瞬目を丸くしたが、すぐにつまらなそうな顔になってその場に座り込んだ。まるで、食事なんて貰えなくて当たり前だとでも言うように。

 

「じゃあ今日はご飯無しかぁ……お腹空いた」

 

 さっきから少女の声は常に明るい。状況と、その姿と、不釣り合いで不気味だ。

 

「……お前、何者だ」

 

「え? 私、さっきも言ったよ? 私の名前は、希望」

 

「名前じゃねぇよ。お前はなんでここにいる? お前はいつからここにいる? ……お前は、なんだ?」

 

 俺はこいつが何なのかを知るために、低い声で、脅し気味に問いかけた。見た目危険はなさそうだが、こいつからは得体の知れない何かを感じる。それに、こんな子供を村外れの牢に入れて、食事すらまともに与えられないというのは異常だ。こいつがなんで牢屋に閉じ込められているかくらいは聞き出さないと、自分の身が危うくなるかもしれない。だから、脅してでも聞き出すつもりで言ったのだが……

 

「お兄さん、私のことが知りたいの!?」

 

 こいつは、顔を輝かせてこんなことを言い出したのだ。

 

「……お前、そこは怯えるところだろうが。なんで嬉しそうなんだ」

 

「だって、久しぶりに会った人に私のことを知りたいって言われたら嬉しいでしょ? 私、誰かとお話ししたくてたまらなかったの! お兄さんがお話し相手になってくれるんだよね!」

 

「……まあ、そう、だけど」

 

 それはその通りなんだが、なんだ、その言い方はどうにかして欲しい。俺がお前に構ってやってるみたいになるだろ、それ。

 

「ーーっ! やったー! お話しできる-!」

 

 そう言って、希望は嬉しそうに牢屋の中を駆け回る。……あんなに細い手足で、よく走れるだけの体力があるな……って! 

 そうじゃない。そうじゃないんだ。俺はこいつが俺にとってどれくらい驚異なのかを探るためにこいつの話を聞くんだ。落ち着け俺。こいつのペースに流されるな。

 

「早く話せよ。そんなに待ってやるつもりはない」

 

「あ! そーだよね! ごめんなさい、お兄さん」

 

 俺が声をかけると、希望はぴたりと停止して、また俺の前まで歩いてきた。

 

「えっと、えっと、何を聞かれたんだっけ?」

 

「なんでお前がここに閉じ込められているのか、いつからここにいるのか、だ」

 

「そうでした! へへ……。えっと、じゃあ、話すね! 私がどうしてここに閉じ込められてるかって言うとね! ……私、なんにでも色を塗るんだ!」

 

「は? 色を塗る?」

 

「そう! なんでもかんでもどこまでも、真っ黒に塗りつぶすの。だからここに閉じ込められたんだ」

 

「何言ってんだお前。嘘ついてるのか?」

 

 色を塗るだけでこんな所に閉じ込められるってどういうことなんだ。そんなことあるわけないだろう。

 

「嘘じゃないもん、本当だもん! なんならここで塗りつぶして見せても良いんだからね!」

 

「じゃあやってみろよ。どういうことか証明してくれ」

 

 と。そこまで言ったところで、希望が黙り込んでしまった。

 

「……どうした。早くやってみろ」

 

「……やっぱり、やらない。ここでもう1度やっちゃったら、私、もっと嫌いになっちゃう」

 

「何を?」

 

 聞き返しても、希望はただ首を横に振るだけだった。

 

「でも、塗りつぶせるのはほんとだからね! 信じてね、お兄さん!」

 

「……ああ。信じてやるよ」

 

 正直、よくわからない。だが、子供がこんな状態で閉じ込められる正当な理由ってのも、俺にはよくわからない。だから、とりあえず納得しておくことにした。

 

「えっと、それから……」

 

「いつからここにいるのか」

 

「そうでした!」

 

 希望はまたえへへと笑って、頬を掻いた。

 

「えっと……すごく、すごく長くここにいる」

 

「それじゃわかんねぇだろ。具体的に何年ここにいるとかわからねぇのかよ」

 

「わかんない。ここ、外の景色もちゃんと見えないし、時計とかもないから」

 

 そう言われて、そういえばこの牢に着いてから入り口側を1度も見ていないことに気づいた。本当に希望の言うとおりなのか確かめるために、俺は入り口の方に振り向いてみる。

 見えたのは、差し込む橙色の光だけだ。日が落ちかけているのだろう。確かに、外の景色を見ることは出来なかった。

 

「景色が見えないんじゃ季節もわからない、か。納得したよ」

 

「そうだよ。だから私、どれだけここにいるのかわかんない。でも……外に居たときのことは、ちょっとしか覚えてないかな。それくらいはここにいるよ」

 

「そう、か」

 

 ここに閉じ込められている理由は意味不明。いつから閉じ込められているのかもわからない。わかったのは、こいつの名前と、こいつが色を塗れる? ということだけ、か。

 

「ここに閉じ込められてから、ここから出して貰ったことはあるのか?」

 

「無いよ。1回も」

 

「俺が何者か、知っているか?」

 

「全然。ここ、人来ないから」

 

「……そうか」

 

 ……この希望という少女に危険はなさそうだ。こいつは今ここから出られない。そもそも俺のことを知らない。こいつが俺のことを村のやつに話したって、俺のねぐらがバレることはあり得ない。俺が2度とここに来なければ、尾行されることはないのだ。無駄な騒ぎを起こさずに、ここから出るのが1番だろう。

 

「行っちゃうの? お兄さん」

 

 この牢屋から出るべく踵を返すと、後ろから寂しそうな声が飛んできた。俺は振り返らずに言葉を返す。

 

「ああ。ここにいる理由はもうないから」

 

「……また、来てね! お兄さん!」

 

「もう来ないさ。2度と」

 

「……そっか」

 

 俺は歩き出した。コツ、コツと、洞窟に足音が響き渡る。

 

「お兄さん!」

 

 また、声が聞こえた。今度はその声に寂しさは混じっていなかった。

 

「なんだよ! まだ何かあるのか!」

 

「私! お兄さんには怯えないよ! ……だって、お兄さんは優しいから!」

 

「……なんだよそれ」

 

 俺は再び歩き出した。希望の言葉に返事はしなかった。

 

「またねー! お兄さーん! またねー!」

 

 洞窟を出る俺の足音は、希望のでかい声にかき消されて、きっと希望には聞こえなかっただろう。

 

 

to be continued



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話す。

新しくお気に入り登録をしてくれた方、リメイク前から来て頂いた方、お気に入り登録ありがとうございます! 
ガンガン投稿していきますよ!


「待ちやがれぇ! こんのクソヤロォ!」

 

 後ろから届く怒号、罵声。後ろは振り返らない。声の距離からして、多分手の届かないギリギリの所に奴はいる。

 計算外。全くの計算外だ。まさか2日連続、こうしてこの店主に追っかけられる事になろうとは。

 今日のこいつはいつにもましてしつこい。それに鋭い。昨日も相当だったが、今日はそれを上回っている。

 障害物でかく乱しても、隠れても、すぐに見つかる。そのせいでいつもは易々と逃げ切れるところを、こんな捕まる手前まで追いつめられている、というわけだ。

 とはいえ、俺も何も考えていないわけではない。ちゃんと、俺はしゃがむと自分の体がまるまる隠れる大きな倒木のあるところに向かっている。そこまで行ってしまえば、『秘策』を使って逃げ切れる。

 

「待てゴルァ! クソ坊主が! 止まれってんだよ!」

 

「止まれって言われて止まる奴がいるかよクソじじい」

 

「んだとコラァ!」

 

 今のうちに煽れるだけ煽っておく。こいつから判断力を奪う。俺の秘策は判断力でどうこうなる物じゃないが、今日のこいつの鋭さを考えると、やはり冷静さは奪っておいた方が良い。

 そうこうしているうちに、俺が目指していた大きな倒木が視線の先に見えた。一瞬だけ後ろを見て、距離を確認する。うん。問題は無いだろう。

 俺は温存していた体力を使って、一気に走るスピードを上げた。無事に倒木までたどり着き、そこに身を隠した。

 

「それで隠れたつもりかテメェ! 捕まえたぞクソ坊主……!」

 

 追いついたらしい店主が倒木の裏、俺の隠れている場所に向かって足を振りかぶる。おいおい、アイツ俺のこと蹴るつもりかよ。本当に頭に血が上ってんだな。……それとも、最初から攻撃して動きを止めるつもりだったのか。まあ、どちらでもいい。

 だって、その倒木の裏にはもう俺は居ないんだから。

 

「あぁ!?」

 

 店主も気づいたらしい。そこに俺がいないことに。しかし、既に蹴るモーションに入ってしまった店主には途中で攻撃をやめることは出来なかったようだ。

 そこにいない俺を狙った蹴りは盛大に空を切り、バランスを崩した店主はすってんころりん。大きな音を立てて転んでしまった。衝撃で舞い上がった木の葉が数枚、店主の上に落ちていく。

 それがまた店主の神経を逆なでしたのだろうか、キレやすい中年であろう店主は顔を真っ赤にしてプルプルと震え始め、

 

「どぉこ行きやがった、クソ坊主ー!」

 

 と。爆弾みたいな勢いで叫ぶのだった。

 

 

 店主の目を盗んでなんとか逃げ切った俺は、しばらくどこかに身を隠せないかと手頃な障害物とか、山小屋とか、洞窟がないかと森の中を歩いていた。

 マズかったのが、ねぐらの逆方向に逃げてきてしまったこと。まだ店主がいるかも知れない所に戻ってねぐらまで帰るなんて、そんな面倒くさいことはしたくない。

 そうして歩いていると……ちょうど、洞窟を見つけた。

 

「ここって……あいつのいる洞窟じゃねえか」

 

 まさかこんな所まで来ていたとは思ってもいなかった。不覚だ。もう、ここには2度と来ないと思っていたのだが。

 まあ、ここまで来たところで、洞窟内に入らなければどうって事はない。こんな所に捕まってるガキなんかと関わったらきっとろくな事にならない。さっさと別の隠れ場所を見つけるかぁ、なんて考えていて……ふと。あいつ、今日は飯を食えたんだろうか、なんて考えが頭によぎった。よぎってしまった。

 

「……馬鹿だなぁ、俺」

 

 ひとつ、ため息をついて。俺はあいつの様子を見るために、洞窟の中に入っていった。

 

 

 洞窟の中は相変わらずひんやりとして暗かった。懐中電灯くらい持ってくるんだったな、と思ったが、無いものねだりをしても仕方がない。大人しく、暗闇に目が慣れるのを待つことにしよう。

 

「誰かいるの?」

 

 希望は、昨日と同じようにこちらに問いかけた。違ったところと言えば、その言葉に、少し驚きが混じっていたところくらいか。

 

「ああ。いるよ。昨日ぶりだな」

 

「えっ……? お兄さん!? どうして……?」

 

 希望は俺の姿を確認するやいなや、物凄い勢いで格子の前までやってきた。

 

「もう2度と来ないんじゃなかったの? お兄さん」

 

「たまたまだよ。たまたま、この辺に来たから寄っただけだ。それとも何か? お前は俺がここに来るのが嫌なのか?」

 

「ううん! そんなことない、そんなことない! すっごく嬉しいよ! お兄さんが来てくれて!」

 

「そうか。……お前、少し落ち着けよ」

 

 希望は格子をガッチリと掴んで、ひたすらぴょんぴょんと飛び跳ねている。なんだ、どんだけ喜んでるんだこいつ。犬かよ。

 

「で、さ。お前、あれから飯食えたのか?」

 

 本題に入る。そもそも俺はこいつが飯を食えていなかったらいや……しんぱ……哀れだなと思ったからここにいるんだ。この話だけしてとっとと帰る。

 

「……食べたよ!」

 

 希望の返事には間があった。こいつ、嘘ついてないか?

 

「本当に食ったのか?」

 

「本当だよ! 嘘なんてつかないよ!」

 

「本当か?」

 

「本当!」

 

「本当に本当か?」

 

「本当に本当!」

 

「本当に本当に本当か?」

 

「本当に本当に本当!」

 

「本当に本当に本当にほんっとうに本当か?」

 

「本当に本当に本当にほんっとうにぃ……あっ」

 

 その時、洞窟内に盛大にお腹の音が鳴り響いた。……勿論、俺は朝昼ちゃんと食っている。店主と大運動会をしたとはいえ、まだ日が落ちる前だから腹は減っていない。

 

「……本当に食ったのか?」

 

「……嘘つきました。食べてないです」 

 

 希望は泣きそうな声になってそう言った。

 

「ったく、食ってねぇなら最初からそう言えっての……」

 

 俺はぼやきながら、背負っている荷物を降ろし、中身を探る。今日もいくつか食料を盗ってきているから、適当に見繕うためだ。

 

「……お兄さん? なにやってるの?」

 

「捜し物だよ」

 

「捜し物?」

 

「ああ……あった」

 

 俺が鞄から取り出したのは、1枚の板チョコレート。本当はパンとかの方がよかったんだろうが、生憎と今日は持ち合わせがなかった。甘い物が嫌いな女なんて居ないだろうし、まあ、これで喜ぶだろう。

 

「ほれ、食えよ」

 

「食べ物、くれるの?」

 

「ああ」

 

「でも、お兄さん食べ物くれる人じゃないって」

 

「いらねぇなら帰るぞ」

 

「待って、いる! いるー!」

 

 体を格子にぴったりつけて、手を限界いっぱいまで格子の間から外に伸ばす希望。その姿は、なんというか……面白かった。このまま放置してみたらどうなるだろうと考えるくらいは面白い光景だ。

 まあ、このまま放置してたらまた騒ぎ出して無駄な体力を使うだろうし、素直にチョコレートを手渡す。受け取った希望は、チョコレートを色んな角度からまじまじと見つめ始めた。……食わねぇのか?

 

「……お兄さん」

 

「なんだよ」

 

「コレ、何」

 

「……はぁ?」

 

 急に何を言いだしたんだこのガキは。どこからどう見てもチョコレートだろ。……もしかして。

 

「まさか、お前板チョコ見たこと無いとか? まあ、チョコレートは色んな種類あるから見たことないって奴もいるかもしれないけど……流石に板チョコ見たこと無いってのは」

 

「ちょこれえと? 何それ?」

 

「……マジかよ」

 

 この反応。もしかしてこいつ……チョコを知らない? お菓子の代名詞であるチョコレートを知らないのか? マジで?

 

「お前、お菓子とか食ったことないのか? ずっと前からここにいるって言ってたけど、まさかここから外に出たことないとかじゃねえよな?」

 

「んーん。お菓子は食べたことあるよ。……でも、お菓子ってあれでしょ? お煎餅とか、お饅頭とか、大福とか」

 

「洋菓子は?」

 

「ようがし……って何?」

 

「ケーキとかクッキーとかだよ。それも知らないのか?」

 

「んー……聞いたことはあるかも。でも、食べたことはないなぁ。だって、おばあちゃんのくれるお菓子はとっても美味しかったもん! 私、おばあちゃんがくれるお菓子だけでマンゾクだったのです!」

 

 和菓子しか食ったことない、か。まあ、こいつの見た目は5歳とか6歳くらいだし、食べたことないってのもあり得ない話じゃないかもなぁ。

 

「……本当に、とっても美味しかったもん。お菓子。また食べたいなぁ」

 

「……生憎、和菓子なんて盗んできてねぇからな。今持ってるお菓子はお前が手に持ってるチョコレートだけだ。……今度持ってきてやるから、今はそれで我慢しろ」

 

「うん。お兄さん、ありがとう」

 

 そう言って笑った希望は、茶色の包装紙を外した。そして口をあんぐりと開けて、まだ銀紙のついたままのチョコを食べようと……

 

「待った! 待て、紙! その紙外さないと食べれないから!」

 

「んー? 紙なら外したよ?」

 

「茶色い方じゃなくてその銀紙だよ! 全く……」

 

「んー……これ、どうやって外すの?」

 

「……はぁ。貸せ、外すから」

 

 チョコレートを知らないってのも厄介だな、全く。俺は希望からチョコレートを受け取ると、半分ほど銀紙を剥がして渡す。ようやくその姿をあらわにしたチョコレートに、希望は精一杯開けているのだろうその小さな口でかぶりついた。

 

「……! んー……!」

 

 途端、希望は牢の中で再び暴れ出す。どうしたのかと思えば格子の所まで寄ってきて、

 

「これ、すっ……ごくおいしい! おいしい!」

 

なんて言ってまた暴れ出した。つまりこいつはチョコがおいしかったから暴れてるわけだ。んなアホな。ガリガリのくせに、どんだけ元気なんだこいつは。

 

「……あんまり動き回るとチョコ食った意味なくなるぞ。ちょっとは大人しくしとけ」

 

「そうなの!? 大人しくする!」

 

 それから希望は地べたに足を投げ出して座り、黙々と、たまにんー! なんて奇声を上げながらチョコレートを食べ続けた。俺が銀紙を剥がすのを見ていたからか、半分辺りから残る銀紙も難なく外していた。

 そうして、10分ほど経った頃。希望は、板チョコ1枚をペロリと食べきった。名残惜しそうに指を舐めていた希望が、不意に顔を上げた。

 

「チョコレート、すっごくおいしかった!」

 

「おう、さっきも聞いたぞ」

 

「今度来るときもこれ、持ってきて!」

 

「おう、気が向いたらな」

 

「本当にありがとう! お坊さん!」

 

「おう……あ?」

 

 今、なんかこいつ俺のこと変な呼び方しなかったか?……聞き間違いか?

 

「なあ、お前今なんつった?」

 

「チョコおいしかった」

 

「その後」

 

「今度も持ってきて」

 

「その後」

 

「ありがとうお坊さん」

 

「それだ」

 

 うん。やっぱりこいつお坊さんって言ってる。お兄さんの聞き間違いじゃなかった、か。

 

「なんだ、それ。俺のこと呼んでるのか?」

 

「そうだよ、お坊さん」

 

「なんでお坊さんなんだよ」

 

「さっき外からね、すっごい大きい声で、どこ行きやがったクソ坊主-! って聞こえたの」

 

「おう」

 

「そのクソ坊主って呼ばれてたのって、多分お坊さんだと思うの」

 

「……なんでだよ」

 

「そのすぐ後にお坊さんがここに来たもん」

 

「……なるほど」

 

「それでね、坊主って、お坊さんのことでしょ?」

 

「おう……ん?」

 

「だからお兄さんはお坊さん!」

 

「待て、なんでそうなった」

 

 途中までは納得できた。クソ坊主って呼ばれてたのが俺だと思ったところまではこいつ鋭いなと思ってた。だけど坊主は坊さんだから俺も坊さんってのは全く理解できん。

 全く理解できん。

 

「あのなぁ、俺が呼ばれてた坊主ってのは坊さんの方の坊主じゃねえんだよ」

 

「そうなの?」

 

「ああ。俺が呼ばれてたのは、子供の男のことを言う方の坊主でだな……」

 

「私、難しいことわかんない!」

 

「コイツ……!」

 

 絶対わかってるだろ、コイツ、わかってて言ってるだろ。

 

「何々ー? お兄さん、お坊さんって呼ばれるの嫌なのー?」

 

「そりゃあまあ」

 

「じゃあじゃあ、お兄さんのお名前、教えて!」

 

「……俺の、名前?」

 

 俺の名前?

 

「そう、お兄さんの名前!」

 

 俺の名前は……

 

「俺の、名前は……」

 

 無い。無い、無い、無い、無い……無い。

 

『ねえ、■■■』

 

 夢を思い出した。昨日見ていた、僕の記憶。きっと、きっとそうだ。あれは記憶だった。間違いなく、紛れもなく、僕の、僕の記憶だ。

 

『ねえ、■■■』

 

 呼んでいた。あの人は僕のことを呼んでいた

 

『ねえ、■■み』

 

 違う。これは俺じゃない。俺の名前じゃない。

 

『ねえ、の■■』

 

 僕の名前だ。僕の名前だ。俺の名前じゃない。だから、だから……!

 

「お兄さん!」

 

 びくり、と体が跳ねた。それと同時に、俺の頭の中にこびりついていた夢がどこかにいった。……いつの間にか、尋常じゃない汗を掻いていた。服がベタベタして気持ち悪い。

 

「……大丈夫?」

 

「……ああ。大丈夫。大丈夫だ。……俺の、名前だったな?」

 

「うん」

 

「……無いよ。俺に名前は無い」

 

 希望は俺のことを上目遣いで見つめて、次いで俯き、そっと目を伏せた。次に顔を上げたときは笑顔だった。

 

「そっか! じゃあお兄さんはお坊さんだね!」

 

「……結局そうなるのかよ。何、ずっとお兄さん呼びじゃ駄目なのか?」

 

「駄目なの! お坊さんはお坊さん!」

 

「はぁ……はいはい」

 

 この時ばかりは、希望の元気さに、ちょっとだけ助けられた。

 

 

「……さて。そろそろ俺は帰る」

 

「あ……もう行っちゃうの?」

 

 希望の顔が目に見えて萎れた。こいつはころころと表情が変わるから見てて飽きないな。

 

「……次は饅頭だな。おにぎりかパンも持ってくる。腹すかせて待っとけ」

 

「……うん。うん! 待ってる!」

 

「じゃあ、またな」

 

「うん! またね、お坊さん!」

 

 希望に軽く手を振って、洞窟から出るために踵を返したその時だった。

 前から、唐突に胸ぐらを掴まれたのは。

 全く気にしていなかった。足音も、気配も、全部見落としていた。

 俺の胸ぐらを掴んだのは。

 

「やっと、見つけたぞ」

 

 さっきまで俺と大運動会をしていた、俺がよく物を盗む商店の、店主だった。

 

「もう逃がさねぇからなぁ……クソ坊主」

 

 tobecontinued



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煙る。

リメイク前もここは短かったけれど、リメイク後もかなり短くなりました。ごめんなさい。
 上手いこと区切れるのがここだったのです。切れ目弄ろうとも思ったけど、というかかさ増しのために展開変更に合わせて弄ったけど、これが本当にちょうど良い切れ目なんです。
許してください、何でもしますから!


「もう逃がさねぇからなぁ、クソ坊主……!」

 

 店主の憎しみのこもった目が俺を射貫く。なんだか殺されそうな勢いだ。これはなかなかマズいかもしれない。俺はまだ子供だ。大人には力じゃ敵わない。これが真っ正面から対峙している状態ならまだなんとかなるかもしれないが、俺は今胸ぐらを掴まれて持ち上げられている。このままじゃ完全に捕まるか、殺される

 なら、ここは『切り札』を相手に見せてでもどうにかするしか無い、か。

 

「やめてよ! お坊さんを離して!」

 

「るせぇ! 黙れ化け物が! ギャーギャー喚くんじゃねぇ!」

 

 店主が大きく拳を振りかぶった。それを見た希望が大声を上げる。が、それに反応した店主の怒声によって、希望は黙り込んでしまった。

 だけどまあ、助かった。その一瞬だけ隙があれば充分だ。

 俺は『目を見開く』。それと同時に、俺の存在が霞む。姿が、存在が世界から薄れて行く。そして、店主が俺に向かって拳を振り下ろそうとしたその時には。そこには俺は居ない。そこにあるのは、煙。実体の無い煙だけだった。

 

「な、なんだとぉ!?」

 

「お坊さん……?」

 

 これが俺の切り札。自分の体を煙にすることが出来る能力。そんな能力を、俺は目覚めたときから持っていた。これが何なのか、何故使えるのかは全くわからない。ただ、使い方だけを知っていた。それだけだ。

 煙になっている間の俺には、誰も触れられない。実体が無いからだ。いくら煙を掴もうとしても、その手は空を切るだけ。決して俺を捕まえることは出来ない。しかしそれと同時に、俺からも何かに接触することは出来なくなる。当然だ。

 店主の手から抜け出した俺は、煙から姿を元に戻す。そして正面から、動揺した店主のガラ空きの腹を目がけて、回し蹴りを叩き込む。

 

「ぐぉあ!?」

 

 店主は情けない悲鳴を上げ、思いきり体勢を崩した。そして位置が低くなった顔面にもう1発、渾身の蹴りをぶち込んだ。

 

「っがぁ!?」

 

 店主が大きく吹き飛んだ。顔面への強烈な一撃に、転がりながら悶え苦しんでいる。

 

「……お前もか」

 

「あ?」

 

 洞窟に店主の汚い声が響いた。妙に憎しみのこもった、汚い声が。

 

「お前も! そこの化け物の仲間かこのクソガキィ!」

 

 店主は叫びながら立ち上がる。顔面に蹴りを食らって、鼻の骨も折れているはずなのに、どんな根性してんだよ、コイツ。

 

「殺す……! 殺す! やっぱりこいつらは危険だ! 閉じ込めるだけじゃ生ぬるかったんだ! ガキだからって情けをかけるのは甘かったんだ! 殺す、殺す、殺す殺す殺す殺す殺……」

 

 店主が。その続きを言うことはなかった。俺が思いきり店主のタマを蹴り抜いたからだ。

 

「いい加減耳障りなんだよ。黙れクソじじぃ」

 

 とうとう限界が訪れたのか、店主は膝をつき、そのまま倒れた。起きる様子はない。気を失ったのだろう。

 しかし、参ったな。この店主には俺の切り札を見られた。このまま生かしておいては俺の存在がバレる。殺したところで騒ぎになるし、どのみちこの村を出て行かなければならないかもしれない。

 ……それに、今も牢屋の向こうで俺のことを心配そうに見ている希望に、人を殺すところを見せるのは……きっと、正しいことじゃない。

 

「お坊さん、大丈夫?」

 

「ああ、大丈夫だ。こんなやつに負けるほどヤワじゃねぇよ、俺は」

 

「お坊さん、その。さっきの、って?」

 

「……ああ。あれか」

 

 煙の力。それについてはよくわからない。こいつに説明できることも、そんなに無い。

 

「生まれたときから持ってたってだけだ。それ以外はわからない。能力も煙になれるだけ。くだらないだろ? 役に立つけどさ」

 

「……そう、なんだ」

 

 希望はさっきまでの元気がどこかにいったようにしょんぼりしている。言いづらそうに、言いづらそうに、俺に向かって次の句を告げる。

 

「……私、と。同じなんだね。お坊さん」

 

「……は?」

 

 同じ? 俺と、希望が?

 

「まさか、お前の言ってた塗りつぶすってやつ……!」

 

「うん。お坊さんみたいな、不思議な力」

 

「それを見せたから、お前はここに捕まってるってのか?」

 

「……うん」

 

「……そういうことかよ、クソが」

 

 店主の言っていた、化け物、捕まえるだけじゃぬるかった、殺す、という言葉。それは、希望に向かって言っていた言葉でもあったのか。だとすれば。

 この店主をここに放置していれば、希望は死ぬ……?

 

「……はは」

 

「お坊さん?」

 

「はは、ははは、ははははははは……!」

 

 ……そんな。そんな馬鹿なことがあるわけがない。人が、生きるため以外で人を殺すなんて、そんなこと。

 

「ねえ、お坊さん。私、大丈夫だよ」

 

 希望は、泣いていた。

 その頬に一筋涙が伝って、声が震えていた。何かを、覚悟しているようだった。

 

「どんなに酷い目に遭っても我慢できるから、私。我慢しなきゃ、いけないから。だから、気にしないで。ここにいると、危ないよ?」

 

 希望の声が、表情が、決意が物語っている。ああ、そうか。ここの村の奴らは、やるんだな。本当に、希望のことを化け物だと思ってる。ああ、そうだ。

 化け物退治は正しいことだもんな。

 

「希望、待ってろ」

 

「……?」

 

 俺はリュックの側面に装備していたロープを取り出し、店主を縛り上げる。店主は起きてもここから動くことが出来ない。だから、すぐに希望をどうこうすることは出来ないはず。

 俺は牢に飛びつき、扉を探す。幸いすぐに見つかった。扉には南京錠がついており、それを壊せば簡単に開けることが出来そうだった。

 

「希望。すぐに戻ってくる。それまで待っててくれ。……一緒に、逃げるぞ」

 

 俺は馬鹿だ。大馬鹿だ。無償の善意なんて無い。無関係の者に手をさしのべる奴なんていない。そう思っていた。実際にそうだった。だから、自分のために生きることが正しいことのはずなのに。

 今の俺は。自分の身を危険に晒しても、この少女を助けることが正しいことだと感じている。

 

「お坊さん!」

 

 俺は自らを煙に変え、猛スピードで洞窟を飛び出した。希望の声が聞こえたが、今は無視だ。時間が惜しい。ねぐらに戻って、南京錠を破壊するための道具をとってくる。そして、希望を連れてねぐらに戻り、頃合いを見計らって希望と共に村の外に出る。そんなプランだ。

 この事態を村の人間に知らせに行く人間は居ない。眠っているし、起きたとしても動けないから。だから間に合う。成功する。きっと、あの白い少女を助けることが出来る。

 

 俺はひたすらに森を駆けた。煙になっている今、駆けるという表現が正しいのかはわからないが、とにかく駆けた。ねぐらにたどり着き、道具を持って、ねぐらを出る。その後は、元来た道を戻った。

 体感時間が長い。もう、何時間も経ったかのように思える。不思議な時間の流れの中、俺はやっと、希望のいる洞窟にたどり着いた。

 

「希望! 戻ってきた! ここを出るぞ!」

 

 煙から人に戻り、一緒に持ってきたライトで洞窟を照らし、一目散に牢屋へと走った。そして、牢屋の目の前までやってきた。

 

「希望……?」

 

 そして。俺はそこに広がっていた光景に目を疑った。店主が居たところには切れたロープが放られているだけ。牢屋の扉は開いていて、それで。

 昨日も、今日も、牢屋の中に居たはずの希望は。まさしくその牢屋から、姿を消していた。

 

 tobecontinued



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黒く染まる。

皆様、お久しぶりです。個人情報の流出です。

本当に久々の更新は、モノクロ。です。文章を書く勘を取り戻せていなくてつたない文章ではありますが、楽しんでいただければ幸いです。


 俺は堪らず駆けだした。真っ暗な洞窟を抜け、村の方向へ。

 希望はきっと、村の奴らに連れて行かれたのだ。いつ連れて行かれたのかはわからない。だから、早く村に行かないと。希望が殺される、その前に!

 

「……っ!」

 

 なりふり構っていられない。俺は再び煙になって一気に速度を上げる。クソじじいが居ないってことは、希望はきっと村まで連れ出されている。村の中心地には広場がある。そこなら公開処刑にはぴったりだろう。

 

「……クソ。クソ、クソ、クソ、クソ、クソ!」

 

 息が切れてきた。この能力をこんなに長く、短い間に何度も使ったことがなかったから知らなかった。力を使うのってめちゃくちゃ疲れるんじゃねえか。

 でも、走るのをやめない。俺の足は止まらない。駆けて、駆けて、駆けて、駆けて。なりふり構わず足を進めて……やっと気がついた。

 

「……なんだよ、これ」

 

 やけに乾いた風が頬を撫でた。村が見渡せる丘。約一年隠れ住んだこの村で、見知っているはずのこの場所は……()()()()()()()()()()()()

 

 踏みしめた地面はいつもの湿った土と草じゃなくて、真っ黒で、嫌にカサカサしたもの。これはまるで……

 

「炭、だ」

 

 炭。俺が踏みしめた土だったはずのものは、真っ黒い炭に変わっていた。そして、それはこの地面だけじゃない。木も、岩も、全てが真っ黒になって、風に煽られてボロボロと崩れていた。

 村もそうだ。ここから見下ろせる、村だったはずの場所全部が……まるで黒いクレヨンで塗りつぶされたかのように真っ黒に染まっている。

 そこにあったはずの建物たちの一部は消え失せ、一部はその形を残したまま、崩れかけで立っている。活発とは言えないが、何人かは必ず表に出て活動していた村人たちは一人もいなかった。

 そして。村の中心、広場の辺りに、白い少女がポツンと立っていた。

 

「……希望?」

 

 呆けながら、ようやくポツリと漏らした俺の言葉は、音すらも消え失せたような感覚に陥るように静かなこの空間に、驚くほど大きく響いた。俺の声に気づいたのか、希望がこちらを振り返る。

 

「……あ、お坊さん」

 

 振り向いた希望の、俺と格子越しに話していたときはキラキラと輝いていた目から光は失せていた。赤く、美しかったその目は……まるで、全てを飲み込もうとするかのような黒に染まっていた。

 

 そこで俺は思い出した。希望の言っていたこと。目に写るもの全てを真っ黒に塗りつぶすっていう、彼女の力のことを。

 

 希望が膝をつき、倒れた。俺は弾かれたように走り出して、丘を降りる。村のなかを走り抜け、広場に倒れた希望に駆け寄る。抱き起こすと、希望はわずかに目を開けた。

 

「わたし、また、やっちゃった。あたまのなか、嫌いばっかりになって……それで……」

 

「塗りつぶした、んだな?」

 

 希望の頬を涙が伝う。その眼は、すでに赤色に戻っていた。

 

「お坊、さん。ごめ……なさ……」

 

 そこまで言って希望は意識を失った。俺と希望の能力が似た物なのだとしたら、かなり広い範囲を能力で『塗りつぶした』希望は今、体力を使い尽くした危険な状態だろう。ろくに食い物食ってないのに、めちゃくちゃ体力を使ったのだから。なにか食べさせないとまずい。

 

「とりあえず、俺のねぐらに……」

 

 そう言って抱き上げた希望の体は、俺の思っていた以上に軽かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 琴の弦を弾いたような美しい声がアジトに響いた。それに気がついた俺はガスコンロの火を止めて希望を寝かせていたベッドの方を向く。

 

「おう、起きたのか」

 

 希望は少し辺りを見回すと、不思議そうにこてんと首をかしげた。

 

「……お坊さん?」

 

「……ああ、そうだ」

 

 なんだか肯定するのは癪だが、一応肯定しておく。どう否定してもこいつはお坊さん呼びを変えるとは思えないし。

 

「ここどこ?」

 

「俺のねぐらだよ。あのあと倒れたお前を運んできたんだ。……お前、あれから三日も寝てたんだぞ」

 

 そう。希望は三日眠り続けていた。ちょくちょくスープなんかを食べさせたり、水を飲ませたりして栄養補給はさせていたが……このまま目覚めずに死ぬんじゃないかとヒヤヒヤした。

 

「……どうして?」

 

「どうしてってお前、そのまま放置するわけにも」

 

「そうじゃなくて!」

 

 希望が叫んだ。久々に声を出したからか、噎せて咳をした。

 

「おいお前、水飲め」

 

 俺は素早く紙コップに水を注ぎ、希望に手渡そうとするが、希望はそれを手で制した。今までの希望には無い雰囲気に圧され、俺はコップを持った手を引っ込める。

 

「わたし! ……我慢できなかったんだよ?」

 

 希望が言っている事の意味がわからなくて、少し考えた。我慢できなかったって、どういうことだ? 

 少し前のことを思い返して、ああ、あの事かもしれないと少し思い出したのと、希望が次の句を告げたのはほとんど同時だった。

 

「我慢できなかったのに、どうして助けてくれたの? どうして怒ってないの? ……どうして、そんなに優しいの? わたしは、わたしのことが……!」

 

 そこまで言ったところで、盛大に腹の虫が鳴く音がした。もちろん俺じゃない。希望だ。

 

「……スープ、飲むか?」

 

「……うん」

 

 ガスコンロを再点火して、作りかけのスープを温める。ぱちぱち弾ける火の音と、俺が鍋をかき回す音だけがねぐらに響く。

 

「……最初に言っておくけどな。お前が、力を使うことを……村を塗りつぶすことを我慢できなかったからって、それがお前を助けない理由にはならない。でも……なんでお前を助けたのか、俺もよくわかってないんだ。ただ、あの時……なんでか、お前を助けなきゃいけないって。お前を助けるのが正しいんだって、そう思った」

 

「……そっか」

 

 あの時の俺の頭の中には、希望を助ける以外のことはなかったと思う。それこそ、なにかに突き動かされるように、ただ希望を助けたいという思いだけで走っていた。そこに自覚できる理由なんて、一つもなかった。

 

「お坊さん。わたしね、わたしが嫌いなんだ」

 

 希望が呟いたその言葉はきっと、さっき言おうとしていたことの続きだ。これまでのあいつからは考えられないくらいに弱々しくて、か細い声に、俺は思わず振り返った。希望は目を伏せ、身に纏ったぼろ切れをぎゅっと握りしめていた。

 

「わたしね、色んなものが、すぐ嫌いになっちゃうの。わがままなの。暗くてじめじめした洞窟が嫌い。一人が嫌い。寒いのが嫌い。暑いのが嫌い。ご飯をくれなかったり、わたしを……化物を見るような目で見る村の人も嫌い。ぜんぶ、ぜんぶ嫌いなの。でも、駄目なんだ、わたし。なにかを嫌いって思ったらいけないんだ。だって……嫌いがいっぱいになって、我慢しきれなくなっちゃったら……わたしは、ぜんぶ塗り潰しちゃうから。大切なものも、大切な人も、ぜんぶ。だから、わたしは、そんなわたしが一番嫌い」

 

 ぽたり。希望が体をぎゅっと縮めた拍子に、その真っ白な膝に涙がこぼれ落ちた。

 

「壊したくないのに。殺したくないのに。大切なものも、失くしたくないものも、ぜんぶ、ぜんぶ塗りつぶしちゃう。……こんなわたしなんて、助けてくれなくてよかったのに。助けてくれる理由もわからないなら……悪い子のわたしなんて、ほっといてくれたらよかったのに」

 

「……そんなことできるわけねぇだろ」

 

「え?」

 

 俺の言葉を聞いた希望がばっと顔を上げる。涙でグシャグシャの希望の顔をしっかりと見つめながら、俺は次の句を告げる。

 

「俺は、俺が助けたかったからお前を助けたんだ」

 

 こんな気持ちは初めてだ。

 

「お前が悪いやつだとか、お前が自分のこと嫌いだとか、そんなことは関係ないんだよ」

 

 人は一人で生きていく生き物だと、ずっと思っていた。

 

「俺はさ、お前と初めて話すまで、まともな会話なんて一回もしたことなかったんだ」

 

 目が覚めたときには記憶がなかった。頼れる人なんていなかったし、人に頼ったら悉く裏切られた。だから、人と話すことなんてなかった。

 

「知らなかったよ。人と話すのが楽しいなんて、そんなこと。俺は、なんだかんだ、お前と話をするのが楽しかった」

 

 なんだかこいつのことが気になって、心の中で言い訳なんかして、もう二度と来ないと思っていたはずのあの洞窟にもう一度足を運ぶくらいは……俺はこいつと話すのが楽しかったんだ。だから、俺は。

 

「俺は、お前のことを助けたいと思ったから助けたんだ。俺が、助けたいと思ったから! だから、お前のことを放っておくなんてできるわけない! ……だから、助けてくれなくてよかったのに、なんて、言わないでくれよ」

 

 こんな気持ちは、初めてだ。誰かと一緒にいたいだなんて。 

 

「……わたし、お坊さんのことも、塗り潰しちゃうかもしれないよ? いつか、お坊さんのことも嫌いになって、塗り潰しちゃうかもしれないよ。……それでも、いいの?」

 

「いいよ。許す、俺は。もし、そんなことになっても。許す」

 

「……そっ、か」

 

 ぽろぽろ、ぽろぽろ。希望の目から涙がこぼれる。やがて声をあげて泣き始めた希望の頭を、俺は恐る恐る撫でる。白い髪の毛に手を滑らせる感覚が妙に心地よくて、俺は希望が泣き止むまで、撫でる手を止めなかった。

 

 ほったらかしだったスープは焦がした。

 

 

 to be continued



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つなぐ。

 希望が目を覚ましてから二日が経った。現在時刻は午前3時。昨日まで森の一角に確かに存在していた俺のねぐらは綺麗に解体されていた。俺と希望は必要最低限の荷物だけを持って、今まさに解体し終わったねぐらを出るところだ。

 

「お前、荷物重くないか? 大丈夫か?」

 

「わたしをあんまりバカにしないで欲しいなぁ、お坊さん? 全っ然大丈夫なのです! ……ふぁ……あふ」

 

「そうか。まあ、きつかったら言えよ。行くぞ」

 

 希望は眠そうながらも、元気よく返事をした。ずっと牢屋の中にいて、ろくに食事も摂らせてもらえていなかった希望。牢屋の中で跳んだり跳ねたりはしていたから、俺が見ている限りでは運動面では問題なさそうだが、心配するに越したことはない。なにせ、これから山を降りるのだから。

 

 

 俺たちが今いる場所は、埼玉県北西部の山奥にある村の、さらに奥にある森だ。俺はこの森に隠れ住み、時々村に降りて必要なものを盗んで生活をしていた。

 しかし、5日前に希望が村を全て炭に変え、壊滅させてしまった。それによって、新しい食料などの確保ができず、ついに食料がほぼ底をついてしまった。ここで生活を続けていくのは困難だ。ここを出て、新たな拠点となる場所を探しにいかなければならない、と。まあ、そういう事だ。

 

「ねえねえお坊さん、これからどこに行くの? 次のねぐらを探す~って言ってたけど……ええと、あてもなく? 歩き回るの?」

 

「いや、あてはある。山を降りると大きな街があるんだよ。マリアクアンってところだ」

 

 マリアクアン。山の麓に位置する街で、そこそこ名の通った都市だと記憶している。日本らしからぬ都市名だが、こんな名前がついているのには理由がある。

 今よりもずっと昔。古代魔法文明と呼ばれている時代に存在していた、四大都市のうちの一つ。それが俺たちがこれから向かう街、マリアクアンだ。

 この、古代魔法文明四大都市と呼ばれる場所は、過去の歴史を現代に伝えるために、名前を変えずに当時のままの名で読んでいるらしい。それが、マリアクアンが日本らしからぬ都市名である理由だ。

 

「その街の外れに、人の寄り付かない空き家があったはずだ。そこそこ大きかったから、そこがまだ残っていれば、いい拠点になるだろう」

 

「へぇーえ」

 

 ぶっちゃけ、拠点としてはいままでのねぐらよりもよっぽどいい。わざわざ雨よけを作る必要もなし。ベッドなんかが残っていれば、希望もよく眠れるだろう。人が寄り付かないと言っても、絶対に誰も来ないと言い切れないというのが難点だが……まあ、それに関してはいままでのねぐらだって同じだろう。隠れるなりなんなりでやり過ごせばいい。

 

「そっかぁ……おうちかぁ……楽しみだなぁ、おうち……」

 

 希望ははにかみながらそう言った。

 

「そんなにか?」

 

「そんなにだよ! ずっと、ずーっと昔だもん! おうちに住んでたの!」

 

「前はどんなところに住んでたんだ?」

 

「えぇ? どんなところって……普通のおうち?」

 

「いや、普通のって言っても、普通の家にも種類があるだろうが。洋風の家とか、和風の家とか……」

 

「えー、わかんないよ。だってわたし、今まで住んでたとこは、おばあちゃんと住んでたおうちと、あの……洞窟、だけだもん」

 

「あぁ……そうだったな」

 

 ちょっと、希望に悪いことを聞いてしまったかもしれない。そもそも、よく考えれば希望が昔、どんな家に住んでいたかなんてわかりきったことだった。あの村には洋風の家なんて一軒も建っていなかったのだから、和風の家に決まってる。

 

「おばあちゃんとおうちで暮らしてたときは、スッゴク楽しかったんだぁ。ご飯も美味しかったし、なんでもわがまま聞いてくれて! おばあちゃん、とっても優しかったんだぁー。……本当に、優しかった……」

 

「……ん? どうした?」

 

 希望が急に黙り混み、足を止めた。振り返ると、つい今まで楽しそうに話していた希望は、うつむき、その場に立ち尽くしていた。

 

「……大丈夫か?」

 

「……ん。大丈夫! なんでもないよ、お坊さん! ささ、行こう行こう! 早く町まで行かなきゃいけないんでしょー?」

 

「……おう。そうだな」

 

「ほら、早く早く~!」

 

「いや、おいこら待てお前!」

 

 希望は急に元気になると、俺を追い抜いて走っていきやがった。元気になったのならいいが、流石に一人で先に行くのは危ない。俺は追いかけていって希望の腕を掴んだ。

 

「待てって。危ないだろ」

 

「わわ、お坊さん……」

 

 ほっと胸を撫で下ろす。怪我をする前に捕まえられてよかった……。

 

「もしかして、おてて繋ぎたいのぉ~?」

 

 ……は?

 

「やだなぁ、お坊さんたらぁ! そうならそうって言ってくれればいいのにぃ、もぉー!」

 

 頬を赤らめ、体をくねらせながらそんなことを言う希望。……こんなガキに腹を立てるのも少々大人げなくて癪だが。少し……イラッッッッッッと来た。こんな時にすることと言えば、まあ、一つしかないだろう。すなわち。

 

「……っせいぁ!」

 

「あいたぁ!?」

 

 全力のチョップと言うやつだ。当然だな。

 

「痛いよ! お坊さん! 何するの!!」

 

「いや、なに。ちょっとな」

 

「わかんないよ! 理由がわかんないよ!」

 

「ちょっとな」

 

「もぉ! お坊さん!」

 

 希望はぽこぽこと俺の腰辺りを両手で殴ってくるが、大して痛くない。マッサージ程度だ。試しに希望のおでこに人差し指を突きつけ、ぐいっと押し退ける。それだけで、希望は俺に向かってくることができなくなる。ふはは、非力非力。

 

「んーっ! んーーーーっ! お坊さん! おでこ突っつくのやめて! やめてー!」

 

「……お前、無理してないか?」

 

「ふぇ?」

 

 希望の動きが止まる。となると、いつまでもおでこを突っついてるのも悪い。指を離すと、希望のおでこは真っ赤になっていた。

 

「え、え。……どしたの急に。わたし、むりなんかしてないよ! ほんとだよ!」

 

「……そうか。それならいい。さあ、先を急ごう。日が上る前には街に着きたいからな」

 

「えぇ~! ちょっと待ってよお坊さぁん! 歩くのはやいー!」

 

 ……嘘、だな。さっきから、家の話をしていた辺りからこいつはずっと空元気だ。どうせ、よくないことを思い出して、それを隠すためとか、忘れるためとか。そんなことであえて元気に振る舞っていた。こんな時間に出てきた意味がなくなるから、落ち込んだり泣いたりして足を止められるのも困るが……そんなの、無理するよりはよっぽどいいと思うんだが。

 ただ……こいつが元気に振る舞うことをやめないって言うなら、それをやめさせる権利は俺にはない。

 

「……ん、あれ、お坊さん?」

 

 手を。希望の手を握った。

 

「ど、どしたのどしたの、お坊さん、本当におてて繋ぎたかったの!?」

 

「……」

 

「え、え? えぇー?」

 

 手を、繋いだら。少しは安心するだろう。先行きがわからなくても、その先に怖いことが待っていたとしても。握った手の温もりは、心を安らがせてくれる。それを、僕は、知っている。

 

「……お前、勝手に先にいくからな。はぐれられたら俺が困る」

 

「ええー! 何それぇ!」

 

 茶化すように、いたずらっぽく笑う。希望はむすっとして顔をそっぽに向けるが、俺の手は握ったまま離さない。まあ、つまりはそういうことだ。

 

 山を降りて、マリアクアンに到着するまで。俺たちは、決して手を離すことはなかった。

 

 

to be contineud

 



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過ごす。

「うわぁ……! わ、わぁ、わぁはぁぁぁぁぁ!」

 

 日が出てきた。視界一面に広がるは、大都市。時刻は五時。灯りがまばらにしかついていない、未だ眠ったままのマリアクアンだ。

 

「すごい! すごいよお坊さん! 高い建物ばっかりだよ! わたし、初めて見たぁー!」

 

 瞳をキラキラと輝かせてはしゃぎ回る希望。あの村と、冷たい洞窟しか世界を知らないその目には、この大都市は新鮮に映るのだろう。俺としては、でっかい街はいい思い出がなくて複雑な気分なのだが。……よくよく考えてみれば、いい思い出のある場所なんて、俺の記憶の中には一つしかなかったか。

 

「さあ、早いとこ行くぞ。街並みなんてものは歩きながら見ればいいからな」

 

「はーい!」

 

 

 

 

 さて。俺たちがこんなにも早い時間に到着したのには訳がある。主に、希望に関する理由だ。一つは、希望が未だにぼろ切れを纏っただけという服装であること。これは目立つ。最悪通報されかねない。ねぐらに着くまで、目撃者は極力少ない方がいい。そして、もう一つ。拠点にたどり着く前に、盗みを行うからだ。

 

 俺の力は、この体を煙に変えること。衣服やかばんなど、身に付けているものも体の一部と認識されるらしく、それらも一緒に煙に変わる。これらは俺が体を元に戻すと共に元の形に戻る。そして、煙となった俺は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。まあつまり、何が言いたいのかというと。俺は、人気のない開店前の店からの盗みの方がしやすい、ということだ。午前五時。空いている店などはほぼ無い。その事を利用して、今後の食料や、希望の街を歩いてもおかしくないような服を盗んでしまおうという腹積もりなのだ。

 

 そうこうしている間に服屋に到着。希望は一緒に中に入れないので、俺の独断と偏見で希望の服を選ぶことになる。

 勝手にどこかにいかないように希望にきつく言いつける。出来れば隠れていてほしいのだが、街並みを眺めるのに夢中な希望を一ヶ所に留まらせるのは、まあ、無理だろう。一応、誰か人の気配を感じたらちゃんと隠れるように言ったが……心配だな。早いとこ選んで戻るとするか。とりあえず、今日と明日、歩き回れるくらいの服があればいいんだし。

 自らの目をかっと見開いて、自分の体を煙に変える。自分の存在が希薄になっていくような一瞬の感覚に耐えれば、俺はもう人ではなく煙だ。手を降る希望を横目で見つつ、ロックされていて動かない自動ドアの隙間からなんなく服屋の内部に侵入する。

 警備員なんかはいないはず。中に入った俺は、迷うことなく子供服売り場へ直行する。そして……売り場の一番目立つところに展示されている、とある服に目を奪われた。

 

「……これだ。これしかねぇ」

 

 俺は迷わずその服をマネキンから剥がすと、リュックに詰め込んだ。

 

 

 

「お帰りなさいお坊さん! すごい早いね!」

 

 

 結局、俺は五分もしないうちに服屋から出てきた。下着類なんかはシンプルな白の物をまとめて何枚か持ってくるだけだし、本命となる服を一瞬で見つけてしまえばこんな時間にもなるだろう。

 

「ま、服選びなんて迷うこともないしな。いつまでもそのボロではいられないし、次のアジトにたどり着いたらすぐ着替えろよ」

 

「うん、もっちろん! お坊さんが選んでくれた服……楽しみだなあ?」

 

 希望がなんだか含みを持った笑みでそう言う。

 

「おう、任せろ。最高の服を持ってきてやったからな」

 

「……お坊さんが自信満々で最高の服! って言うなんて、なんか信用できないんだけど……」

 

「はあ? なんでだよ」

 

「だって……お坊さん全身真っ黒じゃん……」

 

 希望に言われて、俺は自分の格好を見下ろした。視界に映る色は黒一色。俺の格好は、例えるなら、そう。忍者だ。忍者のような服装を、俺は好んでしている。

 

「黒一色は夜に目立ちにくいからな。合理的だろう?」

 

 それにかっこいいから……というのはまあ、言わないでおこう。今もすでに希望から白い目で見られているのに、さらに白い目で見られる気がする。

 

「……ごーりてき?」

 

「あ、言葉難しかったか?」

 

「んーん、なんとなく意味わかった気がするから大丈夫。んで、夜はごーりてきでいいっていうのはわかったけど、お昼はただの不審者じゃない?」

 

「ふ、不審……者? 俺のこの格好が不審者だっていうのかお前!」

 

「そうだよ! お坊さんわかってなかったの!? 真っ黒の服着てリュック背負ってる男の人なんて絶対不審者だから!」

 

 そんな馬鹿な。流石に不審者までは行かないはずだ。行かないよな? 行かないと信じたい。違う。俺は断じて不審者などではない。……犯罪者ではあるが。

 

「もー。……お坊さん、盗って来たのってわたしの服だけ?」

 

「おう」

 

「お坊さんの分もなんか服盗ってこよーよ! とりあえず不審者じゃない感じで!」

 

「いや。いやいやいやいやいや。いい。俺の分は盗ってくる必要はない。断じてない。持ち物は必要最低限にするべきだからな。俺はこの服三着持ってるし、これ以上必要ない。絶対にだ」

 

「えぇ……。えぇー…………………」

 

 希望の視線がさらにじとっとしたものに変わる。……なんだよ。なにか言いたいことがあるなら言えよ。

 

「お坊さん、もしかしてその服かっこいいとか思ってたりしない?」

 

「……だとしたら、なんだっていうんだよ」

 

「……わたし、お坊さんが選んでくれた服、不安だなぁ……」

 

 噛み締めるように、一言ずつ言い放つ希望。なんだか絶望的な雰囲気を纏い始めている。……ふざけやがって。

 

「この野郎……絶対に『お坊さんありがとう』って言わせてやるからな……」

 

「お坊さんの選んでくれた服が可愛かったらね……」

 

「言ってろ」

 

 あの服がダサいはずがないんだ。今に見てろ希望め。

 

「で、これから食料盗みにいくけどなんか食いたいものあるか?」

 

「……チョコレート」

 

「あいよ」

 

 

 

 

 

 

 

 一通りの盗みを終えて、時刻は午前七時。俺たちは戦利品を抱えて、目的の場所である街外れの空き家に向かっていた。

 

「お坊さぁーん、まだぁ?」

 

「あともう少しだ。俺の記憶が正しければこの辺りのはずだ」

 

 目指す場所は森の奥。鬱蒼と茂る木々で視界は塞がれ、先は見えない。記憶の中に残るあの空き家は、そんな中にポツンと建っている。外見も内装もかなり朽ちていて、なんだかわからない器具が大量に置いてあり、地下に魔方陣が描かれた部屋があったりすることから、古代魔法文明時代の建物ではないかと俺は予想した。

 だとすればかなり年季の入った建物だが、まだ住めそうだと感じる辺り古代魔法文明というのはすごいものだ。建物を老朽化から保護する魔法とか、あったんだろうか。

 

「ここを抜ければ……ほら、あった」

 

 果たして、森を抜けて視界が開けると、記憶通りの場所に、記憶通りのそのままでその空き家はあった。ステレオタイプな西洋の屋敷をそのまま切り出してきたような屋敷。前にここに来たときは……確か、一年前だったか。よく取り壊されもせず残ってたものだ。

 

「うわぁ……おっきい……」

 

「だろ? 外側の見た目通りに中も広い。俺たち二人じゃ使いきれないほどにな。とりあえず入るか」

 

 重めの扉を開き、屋敷の中に入る。と、同時にぶわっと広がる埃と乾いた空気の臭い。思わず咳き込んでしまった。

 

「けほ……うあ、すっごい埃……」

 

「ああ、掃除しなきゃな……とりあえず二部屋くらい使えればいいから、適当な部屋を掃除しよう」

 

「うん、わかった! ……あれ、ところでお坊さん」

 

「お、どうした?」

 

「掃除道具って盗んできたの?」

 

「……あ」

 

 やべ、完全に忘れてた。

 

「いや、いやいやいや。リュックに入らなかったんだよ。他の必要なものを盗んでくと掃除道具なんて盗む余裕が無くてな。どうせでかい屋敷だし掃除道具くらいあると踏んで、あえて。あ、え、て、盗まなかったんだ。わかるな? さあ、まず掃除道具から探しにいくぞ!」

 

「嘘だ! 絶対忘れてたでしょお坊さん! だって、あって! あって言ったもん今絶対!」

 

「探しに、いくぞ! ほらお前も探せ! 手分けしてだ!」

 

「はぁ……わたし、なんか心配になってきたよお坊さんのこと……」

 

 ぐ、うるさいなこのガキ。お前に心配される筋合いないってんだバーカ。

 

 

 

 

 奮闘すること一時間。ようやく掃除道具を見つけた俺は、勝ち誇った笑みで掃除を始めた。俺から道具を受け取った希望は深い溜め息を吐いていたが、それは無視するとしよう。見つけた者が勝者なのだ。ここで掃除道具が見つかったと言うことは、俺がここまで計算ずくで掃除道具を盗まなかったと言うことを証明しているのだ。

 

「……ふぅ、まあ、こんなところでいいんじゃないか?」

 

「うんうん! 良い感じ!」

 

 一階にある食堂らしき部屋。俺たちはここを掃除していて、ちょうど今終わったところだ。

 

「さて、良い時間だし朝飯にするか」

 

「わーい! もうお腹ペコペコだよー」

 

「ま、今の今まで動きっぱなしだったからな。そりゃ腹も減るさ。俺もだしな。……さて、俺は今から飯の準備をする。その間にお前には……俺の持ってきた服に着替えてもらう!」

 

「う゛え!」

 

「なんだ今の声は」

 

 まずもって幼い女の子が出して良いような声じゃなかったぞ。どんだけ嫌なんだよ俺が持ってきた服着るの。

 

「変な声出してもダメだ。どっか適当な部屋で着替えてこい。ほれ」

 

 俺は服が入った袋を希望に向けて放り投げた。それをしっかりとキャッチした希望は、とぼとぼとした足取りで部屋を出る。……さて、俺は飯の用意をするとしよう。森のねぐらでは簡単な調理しかしてこなかったが、伊達に何年も一人で生活はしていない。その気になれば、俺はしっかりとした料理も作れるのだと言うことを証明してやる。

 

 

 

 

 

「はぁ……これ、どんな服なんだろうな……」

 

 お坊さんから服を受け取ったわたしは、今、食堂っぽい部屋の隣の部屋に来ています。さっき一階を見てまわったとき、ここに鏡があるのをめざとく発見したからです。

 せっかく盗んできてもらった服だけど、袋から出すのがすっごく怖い。こんな態度なのはいけないってわかっているから自分のことが嫌いになるけど、でも、お坊さんのセンスじゃあちょっと期待できないです。……うーん、開けたくない。……いや。いつまでも、ここでこうしてるわけにはいかないよね。うん。開けよう。開けて、着て、明日違うの盗んできてって言おう! うん! それがいいよ! と、言うわけで、希望、開けます!!!!

 

「……わぁ、かわいい……」

 

 白地に青の刺繍が入った、かわいいワンピースが袋から出てきました。それは思わず見とれてしまうくらいにきれーで……。

 

「な、なかなか悪くないじゃん、お坊さんのセンス……」

 

 あれだけお坊さんに色々言ったから、素直に喜べないのが若干辛いです。

 いつまでも見とれているとお坊さんが心配するかもしれないので、私は今までのボロボロになった服を脱いで、ワンピースを被るようにして身につけました。鏡で自分の姿を見てみると、なんだか、今までの私とは別人みたいで……ちょっと、ほぉんのちょっとだけ! 自分のことを、好きになれる気がしました。

 

「……お坊さんに、見せにいこ!」

 

 ついでに、今までお坊さんのセンスをさんざん悪く言ったことを謝らなきゃな、と思いつつ。わたしは、部屋を出て食堂に向かうのでした。

 

 

「お坊さん! 見て見て、これ、似合ってる? 似合ってるかな!」

 

「……おう、そうだな、似合ってる」

 

「ふ、ふふ、ふふふふふ……ありがと……」

 

「……今日の、朝飯なんだがな。缶詰にしようと思うんだ。いいか?」

 

「あれ、なんで? お坊さん野菜とかお肉とかたくさん盗んできてたのに」

 

「よくよく考えれば当たり前のことなんだけどさ。……この家、ガス、通ってなかった」

 

「ええー……」

 

 

to be contineud

 



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邂逅。

 あれから……何時間経ったか。時計を見ていないから正確な時間はわからないが、窓から差し込む光が夕暮れ時だと言うことを伝えてくれている。俺と希望は、朝に簡素なごはんを食べてから、ずっとこの家の掃除をしていた。

 字の読めない本が大量に置いてある屁やだの、壁際に簡素な木のテーブルが設置してあるだけの、どういう用途で使うのかわからない部屋だのしかなかった一階の探索はそこそこに。俺たちは寝泊まりをするための部屋を掃除するため、二階の探索に入った。

 二階には部屋が四つ。それのどれもが個人用の寝室だ。どの部屋もレイアウトは一緒。机が一台に椅子が一脚。それに、大きなベッドが一台だ。

 俺たちは一人一部屋ずつあれば十分だから、それぞれ一部屋選ぶことになった。希望は最初、適当に西側の部屋を選んだ。が、俺のアドバイスによって、朝陽が窓から入る部屋。東側の部屋に変更し、そこで寝ることになった。俺はまだ決めていないが、西側の部屋にしようと思っている。なんでかはわからないが、なんとなく、部屋は暗い方が落ち着くのだ。朝早くから明るい太陽の光が入ってくるのは勘弁願いたい。

 他には一階に風呂場や洗面台なんかもあって、そこも掃除はした。が、あまり意味がなかったと言えるだろう。案の定、この家には水が通っていなかったからだ。前のねぐらでもそうしていたように、体の汚れなんかはお湯を沸かして濡れタオルを作って拭き取るしかないだろう。

 と、まあ。この数時間でやったことはこんなものだ。探索と掃除に明け暮れていたお陰で、この家の色々なことを知ることができた。想像よりも綺麗で、良いねぐらになりそうだ。

 

「お坊さんお坊さん! すごいよこれ! ぼよんぼよん跳ねるの!」

 

 で、今俺がいるのは、たった今希望の部屋に決まった部屋だ。俺の部屋になる場所の掃除はこれから。だが、その前にそろそろ晩飯を作らねばなるまい。

 

「よかったな。じゃあ、俺はこれから飯作ってくる。お前はここで待ってろ。出来たら呼びに来る」

 

「はーい。って言っても、ガス使えないんじゃあまた缶詰なんでしょ? 作るなんて大袈裟だよー」

 

「ぐ。……まあ、そうなんだけどな。盛り付けるとかあるだろ。それに今回は余った野菜でサラダを作ろうと思ってるから一応作るぞ、飯」

 

「へー、サラダ作るんだ! 楽しみにしてるね!」

 

「おう、任せとけ。……あんまり跳ねてるとベッド壊れるかもしれないからほどほどにしとけよ」

 

「ええ!? ほんと!? わかった気を付ける!」

 

 ベッドをギシギシと鳴らしながら跳び跳ねていた余韻で飛び続ける希望を見送って、俺は食堂へ向かう。どんなサラダを作ろうか悩んでいると……。

 ガツン、ガツン! と。扉を叩く音が聞こえた。

 

「……誰だ?」

 

 この家の持ち主がいた? まさか。想像以上に綺麗だったとはいえ、この家は本当に長い間使われていない様子だった。少なくとも、前に一度俺が訪れた一年前から。あの埃は、数ヵ月程度でたまるものじゃないし、水道もガスも電気も停まっている。……一応、長い間ここを放置していた持ち主っていう線はあるが……だとしたら相当にタイミングが悪い。なんだってこのタイミングで……。

 とにかく、出るしかないか。一応、言い訳は用意してある。人がいなかったから秘密基地として使っていた……という、少々苦しいものだが。なんとかなってほしいものだ。

 

 ガツン、ガツン! もう一度扉が鳴る。俺はゆっくりと扉に近づき、恐る恐ると言ったように開いて相手を出迎える。予想外の来客に怯える子供を装って。

 

「あの……どちら様ですか?」

 

 扉の前に立っていたのは、紳士然とした服装の男だった。ダークスーツを身に纏い、かぶっているシルクハットは黒一色。中に見えるワイシャツも、鏡のように磨きあげられた革靴も黒。唯一ネクタイのみがくすんだ緑色をしていて、本来は目立つような色ではないはずなのに異様に目立って見えた。

 男は俺の姿を確認すると、ゆっくりと口角を上げた。

 

「……やあ、こんにちは。いや? もうこんばんはの時間かな? ともかくお出迎えありがとう、少年」

 

「……すみません! ここ、ずっと人がいなかったから、仲間で秘密基地にして遊んでたんです! 迷惑でしたら、すぐに出ていきますから!」

 

 勢いよく頭を下げ、あくまで普通の子供のように謝罪する。こっちはここの掃除をしたんだ。これくらいで許してくれても良いだろう? ……こんなに条件の良いねぐらを、手放さなきゃならないのは癪だけど。

 

「ん? ……ああ! ごめんごめん。僕はこの家の持ち主じゃないんだ。誤解を与えてしまったのなら申し訳ない……でもまあこんな状況で来たら勘違いもするよなあ僕ももう少し気を付けるべきだうーむ少年少女に警戒心を与えない方法と言うのはどうにも……」

 

 唐突に。息継ぎもなく、ぼそぼそと途切れることなく言葉を呟き続ける男に、言い様のない不気味さを感じた。

 

「……あぁーあ。いけないいけない。ごめんね。これは僕の悪い癖なんだ。少し……のめり込んでしまうっていうね。さて……本題に入らねば」

 

 やばい。こいつはなにかやばい。全身が拒否反応を起こしている。こいつに関わってはいけないと、逃げなければならないと僕が言っている。出来るのか? ここから、希望を連れて、こいつから逃げることが。考えろ、考えろ考えろ。こいつから逃げる方法を……!

 

「……お坊さん」

 

「!? お前、なんで出てきてる!」

 

 気付けば、自分の部屋にいるはずの希望が俺のすぐ隣にいた。この男の異様な雰囲気に呑まれていて、自分の焦りに飲まれていて声をかけられるまで全く気づかなかった。

 

「わたし……この人嫌。嫌い。……誰?」

 

 希望は俺の服の裾をつかみながら、男を睨み付けながら言った。男はますます口角を上げる。無機質な笑みが、笑っていない濁った目が、希望を射抜いた。

 

「ああ、君かぁ……! 僕の求める子。黒の子! やあ。やあやあ、こんにちは、本当にこんばんは。ふふ、初めまして。ずっと君のような子に会いたかったんだ……僕はタイマ。君と僕はね、おんなじなんだよ……! あぁ、嬉しいなぁ!」

 

 希望の、俺の服の裾を掴む力が強くなる。俺は無言でうなずく。わかってる。今決定的になった。こいつは敵だ。何を思って、どうやって嗅ぎ付けてここにやって来たかはわからないが、こいつは希望を狙う敵だ。

 正直、希望が部屋にいてくれれば、俺が煙になってここから離脱し、希望を連れて窓から脱出。みたいなルートも取れたはずだが……こうなってはそれも無理だ。ならば。真正面から突破する!

 

 希望を見つけた途端、男の注意は希望に向いた。こいつは今俺のことを気にしていない。つまり、奇襲が成り立つ! 目を見開いて、存在を希薄に。一気に煙に変わった俺は男の背後に回り込み、家の中に向かって男を思いきり蹴り飛ばした。

 

「……手応えがない!?」

 

 目論み通り。いや、目論み以上に男は吹き飛んだ。結果から見ても俺は確かに人間を蹴り飛ばしたはずなのに、蹴った瞬間の感触が全くなかった。まるで掛け布団を蹴飛ばしたかのように、俺の蹴りに対する抵抗が全くなかったのだ。不気味だ。一層不気味だが、これでひとまず、少しだけ隙ができた。

 

「希望、逃げろ。お前が逃げ切るまでここで時間稼ぐから、お前は街の方に逃げろ!」

 

「う、うん! お坊さんは?」

 

「後で追い付く。マリアクアンから出るなよ? 探せなくなるからな」

 

 男は倒れたまま起き上がらない。あの蹴りに大した衝撃があったとは思えないが、失神してるなら好都合だ。希望が逃げるのを見届けて、あとから追い付けば良い。これからのことは、そのあとに考えて……。

 

「えっ!? お、お坊さん、後ろ!」

 

「は? うっ!?」

 

 希望が声を上げた。それと同時に俺は背後から物凄い力の強さで振り向かされ、頬に一発。思い拳を貰ってしまった。思わず倒れそうになる俺の胸ぐらを掴み上げ、男は醜悪に笑った。

 

「なるほどね。そうかそうか、なるほどねぇ。ようやくわかったよ。君は白か。謎だったんだ。黒の子のそばにいる子供はなんなのか。君だったら納得だよ」

 

「……俺の方は、お前が、何言ってんのか、さっぱりわからねぇよ! なんなんだ、てめぇ……!」

 

 本当についさっきまで。希望が声を上げるまで。俺の視界には倒れているこいつが写っていたはずだ。いつだ。いつの間に起き上がった? いつの間にこいつは俺の後ろに来た? こいつは……なんなんだ?

 疑問は尽きない。しかし、そんなことを考えている場合でもない。この状況を打破することを考えなければ。さっきからこいつの動きは鈍い。余裕があると言い換えても良い。そこに隙がある。さっきの蹴りが入ったように、素早い動きには対応できないはずだ。

 

「……? さっき名乗ったじゃないか、()()()()。僕の名は、タイマ……」

 

「っ! てめぇが! 俺をその名前で呼ぶんじゃねぇ!」

 

 俺はもう一度自らの体を煙に変え、即座に実体に戻る。そして、そのまま蹴りの体制に入った。さっき家の中側に蹴り飛ばしたように、今度は森側に蹴り飛ばす。そしてそのまま希望を連れて、この家の裏側から脱出する。これが俺の導き出した最高の逃げ道!

 足に渾身の力を込め、発射される弾丸をイメージして蹴り出した。今度はもっと、起き上がるのに時間がかかるように、さっきよりも威力の高い蹴りをこいつの腹にぶちこんで……しかし。無防備に蹴りを受けたこいつは、その場からピクリとも動かなかった。

 

「……は?」

 

「駄目だなぁ、お坊さん。君の蹴りは軽いんだよ。もっと、もっともっともっともっと! 重ぉく撃たなきゃあ!」

 

 衝撃。それと共に、胃の中身を全て吐き出しそうになる。気がつけば俺は、こいつの……タイマの蹴りを受けて、さっきのタイマのように、家の中に吹き飛ばされていた。

 

「お坊さん!」

 

 希望の声がずいぶんと遠くに聞こえる。痛みと、衝撃で声がでない。起き上がれない。

 

「ち……く、しょ……」

 

 タイマが希望に近づいている。駄目だ。あいつに希望を渡しちゃ駄目だ。助けなきゃならない。俺が、希望を、助けなきゃならないのに。

 

「体、動、かねぇ……」

 

 慢心していた。思い上がっていた。切り抜けられると思っていた。俺は所詮子供なのに。くそ、駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ。希望、逃げろ! 逃げてくれ……!

 

 俺の願いは届かない。タイマは、すでに視界の端に映る希望の目と鼻の先まで接近していた。希望を抱き締めるように、タイマが両腕を伸ばしたその時。

 

「嫌いだ、お前」

 

 どす黒い、希望の声が聞こえた。

 

「嫌いだ。嫌い、嫌い、嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌いっ嫌いだぁっ! わたしに……、お坊さんに! 近寄るなぁぁぁぁぁっ!」

 

 希望の足元が黒く染まる。その範囲は一瞬ごとにずん、ずん、ずんと肥大していく。希望から広がった黒が床を染め上げて、タイマの足元まで到達して、そして……タイマの下半身を塗りつぶした。

 

 to be continued



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黒の世界(ノアール)()(プリンセス)

「あああああああああああああああああああ!」

 

 ずぶり。ずぶり。ずぶり。ずぶり。希望から広がる世界(真っ黒)は、彼女の痛々しい叫びと共に少しずつ、少しずつ世界を塗りつぶしていく。

 

「……おい」

 

 今俺は、希望が自らの力を振るっている姿を初めて目の当たりにしている。あの、村をまるごと飲み込んでいた黒い世界を見た時。こいつの力は凄まじい物なのだと思っていた。だが、ここまでとは思わなかった。まるで侵略。希望の足に触れた床が、床に繋がっていた近くの柱が、そして、同じ床に立っていたタイマの足が。希望の足元から広がる黒に触れたとたんに炭に変わっていく。そして、あの時と同じように。黒い世界の中心にいる、真っ白い彼女だけが一際存在感を放つ。まるで、黒の世界のお姫様のように。

 

「ああああああああああぁぁぁっ! っあああああああああああああ!」

 

「……おい、お前」

 

 正直、呆気に取られた。けれど、だからといって思考を止めるわけにはいかねぇ。この力の発動は。この光景は。希望が望んだものじゃないからだ!

 

「おい! 希望ぃぃぃぃぃっ!」

 

 叫ぶ。あらんかぎりの力を込めて。喉が張り裂けそうなほどに痛々しく叫んでいる希望に届くように。俺は、未だに重い体を無理矢理持ち上げるように立ち上がる。あの黒い世界に飛び込んででも希望を止めるために。痛ぇとか、力が入らねぇとか、俺の体も黒に染められてしまうとか、そんなのはどうだっていい。あいつがしたくないことをあいつ自身が止められねぇなら、俺が止めてやらなきゃならねぇ。その程度のこともできないようじゃ、俺は、あいつと一緒にいる意味がねぇ!

 

「あああああああああああああっ………! はっ! う、げほっ! ごほっごほっごほっ!」

 

 俺の叫びが届いたのか。俺が希望の元へ飛び込む前に、希望は何かに気づいたかのように叫びを止めると、そのまま激しく咳き込みながらうずくまった。それと同時に黒の世界はぴたり広がるのをやめた。柱の一部が外からの風を受けてパラパラと崩れ、下半身をまるごと侵食されたタイマは、上半身が下半身から滑り落ちて、そのまま希望の真横に倒れた。

 

「希望!」

 

 俺は姿を煙に変えることで一気に希望に近づき、まだ咳き込んでいる希望を泣かば無理矢理にタイマの近くから引き剥がした。普通ならあり得ないが、この男ならば下半身を失ってもなにかをしてくるかもしれないと。そう思ったのだ。そして、案の定。タイマは地に伏したまま、くつくつと笑っていた。

 

「あぁ……素ぅ晴らしぃな……これが、これが君の力なんだね……! やはり……僕は、君、を……っ!」

 

 ダン! と。家中に大きな音が響き渡るほどの渾身の力を込めて、俺はタイマの頭を踏みつけた。この不気味な男が、一刻も早く身動きが取れなくなるように。

 

「……もう、てめぇは喋るんじゃねえ」

 

 タイマの体から完全に力が抜ける。流石に終わったろう。もう、こいつは動かない。

 

「おぼ、さん。わたし、また……」

 

 咳が落ち着いた希望が、苦しそうにそう言いながら顔を上げる。が、俺はそれを制止した。今希望が顔を上げると、すぐに動かなくなったタイマが見えるだろう。……流石に、胴体が真っ二つになった人間を見るのはキツいだろう。

 

「顔を上げない方がいい。そのままここを出よう」

 

「ん。……でも、大丈夫だよ。わたし、慣れたから」

 

 そう言うと、希望は俺の手を避けて立ち上がった。そして、真っ直ぐに倒れたタイマを見つめると、へらりと笑う。

 

「ほら、へーき。いっぱい見たもん、わたし」

 

 振り返った希望の、その、濁っているのに綺麗な瞳に射ぬかれて。

 

「……そう、か」

 

 俺は、ただそれしか言えなかった。

 

 

 

 

 

 マリアクアンの中央には、大きな噴水がある。これは古代魔法文明の時に作られたものらしく、かなりの時が流れた今でも、当時の魔法動力で動いているらしい。どういう理屈で動いてんのかはさっぱりわからないが、まあ、ものすごい技術なんだろうなってことだけはわかる。

 それはそれとして。よく目立つこの噴水は待ち合わせ場所としても使われていて、ベンチなんかもたくさんある。俺たちは今、そんなベンチのひとつに座って、コンビニから盗んできたおにぎりを食べていた。

 あの家を出てからもう、数時間は経っている。なるべく早くにあそこから離れたかったから、ほとんど荷物は持ってきていない。結局、今朝盗んだものの大半を置いてきてしまった。

 

「……食べないのか? おにぎり」

 

「……ん、食べるよ。だいじょぶ」

 

 隣でほんの少しだけおにぎりをかじったまんまボーッとしている希望とは、あれからほとんど会話をしていない。今みたいに、俺が話しかけたら返事をする程度だ。

 

「ふぅー……」

 

 自然とため息が出る。ガキの癖に妙に頭の回るこいつは、きっと今色々考え込んでるんだろう。もちろん、良くないことを。……こういう時、どうすればいいのか俺にはわからない。せめて気が紛れないかと話しかけてはいるが、そんなに話題があるわけでもない。今日はどこで寝るんだとか、これからどうするんだとか、考えなきゃいけないこともあって、もうどうすりゃいいかさっぱりだ。あぁ、せめて希望がいつも通りに頓珍漢なこと言ってくれりゃあちょっとは頭も回るかもしれないのに……。

 

「ねえ、お坊さん」

 

「おっ……! おう、なんだ」

 

 とか考えてたら急に話しかけてきやがった。いや、助かるんだが心臓に悪い。

 

「世界って、生きづらいね」

 

「……ったく、お前はどこでそういう言葉を覚えてくるんだか。……そうだな。生きづらいよ、本当に。俺に恨みでもあんのかってくらい、世界は面倒事ばっか運んできやがる」

 

「……全部、塗りつぶせるかな」

 

「は?」

 

「人も、物も、建物も、全部、ぜーんぶ、わたしは塗りつぶせるんだよ。だったら、ずっとずっとそれを続けたら、わたしは……世界を全部、塗りつぶせるかな」

 

「お前、それは……」

 

「全部、全部真っ黒の、わたしとお坊さんだけの世界。他の全部が塗りつぶされた、わたしたちの世界。それって、とっても素敵じゃない? ね。お坊さん」

 

「……そうだな。なんもなくなったら、こそこそする必要もなくなって。信じきれない人間も、次から次へと出てきやがる厄介事も、ギリッギリの苦しい毎日もなくなったら……きっと楽だろうな」

 

 希望はそっと目を伏せた。濁った赤の瞳は、外側から呑み込まれるように底無しの黒に変わっていく。

 

「……やっぱり、お坊さんもそう思うよね。じゃあ……」

 

「でも駄目だ」

 

 今まさに立ち上がろうとしていた希望の動きが止まった。そして、意外そうな顔をして、俺の顔を見た。俺は希望と目を合わせず、遠く、空を見て続ける。

 

「楽だろうけど、つまんねぇよ。そんなの世界に負けたみたいでやってられねぇし、そのうち辛くなるだけだ。それに、そんなことしたらお前、いつまでも自分のことが嫌いなまんまだろうが」

 

「……好きになんて、なれないよ」

 

「そんなんわかんねぇよ。絶対に他人と関わらねぇって決めてたはずの俺が、何でか知らねぇけど今、お前と一緒にいるんだ。……認めたくねぇけど、きっと、人の心なんてそんなもんだ。だからお前もいつか、その時が来るかも知れないぞ」

 

「……すっごいお腹すいてたの、思い出した」

 

「ようやく食う気になったかよ」

 

「うん。……いただきます」

 

 隣から聞こえる、パリパリという音を聴きながら。気にすることが一つなくなった俺は、今日のねぐらをどうするかと考える。もう、夜の帳が降りていた。

 

 to be continued

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日暮れ前。鬱蒼とした森の中にひっそりと佇む家の中で、下半身を失った男は倒れていた。

 まるで、世界にその男の下半身が初めから存在していなかったかのように、断面から血は流れず、内蔵も見えない。ピクリとも動かぬ男が生きているなどと、きっと、誰もが思わない。

 

「……流石に、意識を失ってしまったら時間がかかるなぁ」

 

 世界は、錯覚していたのだろうか。ゆっくりと、本当にゆっくりと立ち上がるその男の下半身は、確かに上半身に繋がって、存在している。

 

「いけないいけない。僕の悪い癖だ。喋りたがるし考え込む素晴らしいものを見たらその感動に浸ってしばらく止まってしまうあぁしかししょうがないじゃないかだって僕は……でも、逃がしてしまったことは反省しなきゃいけないかなぁ。さて、どうしようか。流石に僕が追うってのも芸がないし……あぁ、そうだ!」

 

 男は、タイマは。醜悪な笑みを仮面のようにその顔に貼り付けた。

 

「あの子に頼もう。きっと、面白いことになる」

 

 タイマは笑う。クツクツと笑う。彼は自分の下半身だったものを踏みつけて家から出ると、ズボンのポケットから携帯電話を取り出した。

 



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『魅力的』な少女。

「さて……これからどうすっかな」

 

 観光地でもあるマリアクアンは夜でも明るい。所々の街灯や、電光掲示板がまばゆいばかりの光を放っている。だが、明るいからといって安全とは言えない。今夜の寝床を見つけるのにあまり時間はない。そろそろ、俺と希望が二人だけで歩いているのは不自然な時間帯だ。俺だけならまだいい。家出中の不良少年にでも見られて普通の人間は無視をするし、警察に目をつけられたって逃げるのは簡単だ。だが、幼い子供である希望を連れているなら話が変わってくる。最悪、誘拐にでも間違われたらたまったもんじゃないし、希望をつれて逃げられるとは思えない。

 この町に野宿ができる場所は存在しないだろう。裏路地にしたって危険だ。まともに眠ることなどできやしない。

 ホテルなんかは絶対に無理だ。正面から泊まるなんてできやしないし、仮にできたとしても金がない。空き部屋に勝手に忍び込むのも希望がいるから不可能だ。

 ……今から空き家を探す? 馬鹿言え。タイマとやらのせいで使えなくなったあの空き家を見つけたのは一年前で、その時はまともにねぐらとして使えそうな所はあそこしかなかった。それなのにたった一年で何が変わるっていうんだ。忍び込める空き家なんて見つかる保証はないし、希望がいてはそれを探す時間もありはしない。

 ……八方塞がりだ。俺は頭をがりがりと掻いた。思い付く案はすべて俺が一人であることが前提のもので、今まで一人で行動してきたツケを払っているような感覚だ。人一人増えるだけでここまで選択肢がなくなるとは思わなかった。……これ以上案は浮かばない。危険ではあるが、今夜は俺が寝ずに希望を守る形で路地裏で野宿をしようか。幸い、最低限の荷物として寝袋は持ってきている。不潔な地面に寝転がって寝なければならないなんてことはない。

 ……そんな生活がいつまで続けられる? もしも丁度いいねぐらが見つからなかったら、その間俺はずっと寝ないで生活するってのか?

 

「お坊さん? 大丈夫?」

 

 おにぎりを食べ終わった希望が、心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。俺はいつの間にか俯いていたらしい。……大丈夫。大丈夫だ、きっと。明日、町中を探せば空き家の一つくらい見つかるだろう。だから……なんとかなる。今日は野宿にしよう。

 

「ああ、大丈夫だ。今日だが、人に見つかりづらい路地裏で野宿にしようと思う。少し危ないが心配するな。お前が眠ってる間、俺が辺りを警戒してるから大丈夫だ。……寝心地悪いがそこは我慢してくれって感じだな」

 

「それ……お坊さんは大丈夫なの? 今日はよくても、明日とかは? 明後日とか、寝る場所がもし見つからなかったらどうするの?」

 

「……それはその時に考える」

 

「ええ……それで大丈夫なの……?」

 

「今まで俺はそれでなんとかやってきたんだ。大丈夫だろ」

 

「本当に?」

 

「……ああ、本当だ」

 

 希望が真剣な顔をして詰めてくるもんだから、俺は思わず目をそらしてしまった。くそ、こいつ本当に頭が回る。俺の懸念も見抜いてくるし、後ろめたさも見抜いてくるのは正直やめてほしい。そうなんだわかったって、そう言ってくれりゃ楽なんだが……。どうする? どうやって説得を……

 

「あ?」

 

 目をそらした、その目線の先。やや遠巻きだが、あからさまに俺と希望を見ている女がいる。年齢は高校生くらいか。マリアクアンに旅行に来たのが丸わかりな、やや大袈裟なリュックを背負ったその体躯は、触れたら折れてしまいそうなほどに細いのに、なぜか不健康さを感じない。背中辺りまで伸ばされた赤い長髪が、女の雰囲気を華やかにしていた。……それだけに、長く伸びた前髪が左目を隠しているのに違和感を感じる。服装は地味なのに、どこか目を引かれるような。町を歩いている時にすれ違ったら思わず振り返ってしまうような。そんな魅力的な女だ。

 

「お坊さん?」

 

「……おい、見えるか? あの女……俺たちを見てる。場所変えよう」

 

「わかった」

 

 ひそひそ話でここまで終えると、俺と希望はなるべく速やかに移動するべくベンチから立ち上がった。……その時。

 

「あ、あの。あなたたち、二人だけ、ですか? 兄妹? 親御さんは?」

 

 くそ、話しかけてきやがった。面倒な。

 

「はぁ? 別にあんたには関係ないよな。あんまり人の事情に首突っ込まないでくれよ。じゃあな」

 

 可及的速やかに会話を終了させ、希望の手を引いてその場から立ち去る。走らなくてもいい。こちらに会話の意思がないこと、そして、こいつらを相手するのは面倒くさそうだということを相手にわからせれば、ほとんどのやつはそれ以上俺たちに突っ込んでこない。……例外は。

 

「あ、ちょっと! ま、待ってください!」

 

 よほどのお人好しか、なにか企んでるやつかのどっちかだ。しっかし追いかけてきやがったか。本当に面倒だな。ここで追いかけてきたってことは、敵であることも警戒しなきゃならん。

 

「……今日は厄日だな、クソ。おい、走るぞ! あの女、なにか企んでるかもしれねぇ。なるべく複雑な道を通って撒くんだ。……お前に配慮してる余裕はないかもしれねぇ。だから、転ばずついてこい!」

 

「う、うん!」

 

 希望の返事が聞こえたと同時に、一気にスピードをあげて走り出す。俺は裏路地や、街灯の届きづらいところを積極的に選んで走る。右へ。左へ。裏路地をつかってUターンして、真っ直ぐ。また左へ。しばらく走ったところで、繋いだ手の先から息の上がった声が聞こえてきた。

 

「おぼ、さん、ごめっ……はっ、はっ……はや……」

 

「……しゃあねえか、一旦止まるぞ。転ぶなよ」

 

「はっ……は……ごめん、お坊さん……」

 

「いや、謝らなくていい。思ってたよりも長く走れてたから大丈夫だ」

 

 希望が音を上げたために一旦停止。すばやく辺りをうかがう。かなり複雑なルートを通ってきた、と思う。土地勘のない旅行者なら、とても追いかけられないだろう。

 

「ち、ちょっと……どうして逃げるんですか……?」

 

 と、思っていた。前方の曲がり角から、その女が現れるまでは。こいつ、先回りしてきやがった……!

 

「お前、どうやって……!」

 

「私が、先回りできた理由、ですか? それは……これ、です」

 

 そう言って、女は軽く目を見開いた。それは、俺もよく知る動作。目の力を使うときのそれだった。

 

「……! ってめぇ!」

 

 女の目の色が黒から暗い紫に変化するのと、俺が能力を発動し、煙に変わるのは同時だった。何をされるかはわからないが、敵だってことは確定した。なら、なにかをされる前に倒すしかない。……ちらりと、脳裏に先ほどの黒い男、タイマとの戦闘が思い起こされる。あいつに俺の攻撃は通じなかった。この女にも通用しなかったら……?

 いや、いや、いや。考えるな。相手は同年代の、しかも女だ。絶対に、さっきのようなことにはならない。だから……ありったけを込めて突破する! 女の懐に飛び込み、煙化を解除。霞から実態に変わった俺は、すでに蹴りの姿勢を取っている。決して攻撃されるということを認識させない、呼び動作を完璧にスキップした状態で……蹴り抜く!

 ……しかし、手応えがない。俺の蹴りは女には当たらなかった。

 

「ひっ……!」

 

 その女が情けない声を出しながら、尻餅をついたから、という理由で。

 

「いきなり攻撃してこないで、ください! び、びっくりした……私、あなたたちと、戦う気なんてない、です」

 

 青ざめた顔でそう言う女の目は、すでに黒に戻っていて。何か能力が発動した形跡もない。……まあ、だからといってこいつの言うことは信用できないし、警戒を解く気もないが。

 

「自分から仕掛けてきておいてなに言ってんだお前」

 

「そ、そんなつもりはない、です。私の力、戦いには、向かないですから。ただ、私が、あなたたちに追い付けた理由を、説明しやすくなるから使っただけ、です。それに、こうして、私とあなたたちが、同じであることを、わかってもらえたら、大抵は、警戒されないんですけど……」

 

「おい。おい待て。お前、なんで俺たちがそう言う力を持ってるってわかったんだ。どこで知った?」

 

 あの家から着いてきているのでもなければ、俺と希望が能力を持っていることを知る機会などないはずだ。

 

「だから、それも、一緒に説明するために、能力を発動させたんですけど……まあ、いいです。とりあえず、説明、させていただけますか?」

 

 俺は何があってもいいように、希望の近くに戻ってから頷いた。

 

「そうですね、では、まずは私の名前と、身分から。私は、寵姫(チョウキ)といいます。瞳に魔法を宿す者……カラーズ能力者を、保護し、世間から、身を隠しながら暮らす、施設の者です」

 

 寵姫と名乗った女は、先ほどの少々怯えた目とはうってかわって、鋭い意思を宿した瞳で俺たちを見据える。

 

「私の《色》は紫。魔力感知の、カラーズ能力を、持っています。私の目は、あなたたちから、カラーズ能力を、使った痕跡を、捉えました。だから。私は、あなたたちを、仲間として、保護したい。……私と共に、『カラフル園』に、来ませんか?」

 

 寵姫のその発言に、俺はなにかうすら寒いものを感じた。自分勝手な、偽善の匂い。無償の善意に近い提案。……正直、胡散臭い。

 俺は、こいつの言うことを信用できない。してはいけない。経験と直感が警鐘を鳴らしているのを、俺は確かに感じていた。

 

to be contineud

 



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刺客。

 無償の善意なんて存在しない。5年間、1人で生きてきた俺が出した結論。人は、自分に利益がないと人に優しくすることなんてない。以前、この女みたいに、俺に『孤児院に来ないか』と誘ってきた男がいる。そいつの話をしよう。

 その男は、オールバックの黒髪。強面の顔にアゴヒゲを生やして、グレーのスーツを着ていた。今思えばどう見ても極道の男。その男は、顔のイメージとは全然違う、柔和な笑みを浮かべて近づいてきた。

 

『坊主、お前、親居ねぇよな?』

 

 それが第一声。彼は自分を、孤児院を経営してる者だと名乗って、俺をそこに来るように誘った。まだ能力の使い方も下手で、飯にありつけないこともあった俺は、疑いもなにもなく彼に着いていった。ああ、これで食いっぱぐれることもないんだってな。……でも、それは間違いだった。

 結論だけ言うと、俺は売られかけた。そいつは俺が力を持ってることを知っていて、金のために俺に声をかけたらしい。俺の力が、逃げることが得意な力だったからなんとか逃げられたが、そうでなかったらどうなっていたのか。

 人の善意なんてそんなもんだ。虚飾で、虚像で、嘘に満ちている。だから。今目の前にいるチョウキと言う女の真剣な表情の裏にも、悪辣な笑みが隠されているに違いないんだ。

 

「お坊さん……どうするの?」

 

 希望が俺の手を握りしめて問う。

 

「決まってんだろ。おい、チョウキ! ……その提案、断らせてもらう」

 

 その手を強く握り返して、俺はチョウキにそう言った。断られるとは思ってなかったのだろう。チョウキの顔が困惑に変わる。

 

「それは、どうして……?」

 

「信用できないからだ。口先だけならなんとでも言えるだろ? お前の言っていることが本当であることの証明をくれよ」

 

「証明……って、言われても……わ、私の、言ってる、ことに、嘘なんか」

 

「だからそれが信用できないって言ってんだよ。もう一度言うか? 口先だけなら、なんとでも、言えるんだ」

 

「……私、は……」

 

 チョウキはそこで口ごもった。何も言えないなら取引終了だ。俺は希望に行くぞ、と言って、チョウキに背を向けて歩き出した。その、刹那。

 

「危なっ……!」

 

 チョウキの声と共に、俺は後ろから突き飛ばされた。

 

「てめっ……!」

 

 何をしやがる、と。そう言おうとした。でも、俺の言葉は続かなかった。さっきまで俺が立っていた場所に現れた2メートル程もある氷柱と、左腕から血を流して倒れているチョウキが目に入ったからだ。

 

「な、おま……は?」

 

「はぁ……んだよ邪魔しやがってクソが。そのガキ殺れてりゃ後は黒のガキを拐ってお仕事完了だったのによぉ」

 

 そして、その向こうに見えたのは黄色いパーカーを着たガリガリの男。フードを目深にかぶっていてその表情は確認できないが、ちらりと覗く左目は群青色と殺意に染まって輝いていた。

 

「……なんだよお前。これ、どうなってやがる」

 

「はぁ? 状況見りゃわかるだろ? ……あぁ、お子さまにはわかるわきゃねえわな。なんたって頭が足りねぇ」

 

 フードの男は自らの指で自分の頭をとんとんと叩いて笑った。……こいつ、挑発してやがる。だけど、こんなのに乗っちゃダメだ。こいつはさっき黒のガキって言った。俺の服も黒いが、多分、俺じゃなくて希望のことだ。さっきの氷の柱。今、あいつが能力を解除したのか砕けて消えたが、あれは確実に俺を狙った攻撃だった。チョウキが庇ってくれてなきゃ多分、串刺しになって死んでたろうな。そして、あいつはそのガキ殺れてりゃって言ってたはずだ。つまり、殺ろうとしたガキは俺で、黒のガキってのは希望を指してるはず。希望を『黒』と言うってことは。つまり、こいつは敵だ。どこで希望の力を知ったかは知らないが。

 

「お前、敵だな。なんで希望を拐おうとする。目的はなんだ?」

 

「あ? 黒のガキを拐う目的? んなの俺様は知らねぇよ。タイマ様の命令で来てるだけだからな」

 

「は? タイマって……あいつ、生きてるのか!?」

 

「ああ、勿論。体真っ二つにされたって聞いたが……あの人がその程度で死ぬわけがねぇ。五体満足、ピンピンしてるぜ?」

 

 本当に、なんなんだよあの男は……! 不可解にすぎる。異常だ。あの状況から五体満足だ? それが本当なら、あいつ……本当に人間なのかよ!?

 

「考え事の最中悪いがよ。そろそろ用件を言わしてもらうぜ。ま、てめぇはとっくにわかってるみたいだがな。そこのガキ……『黒の子』を寄越せ」 

 

 男がそう言ったと同時に、俺の真後ろで何かが突き出すような音が聞こえた。なるべくフードの男から目線を外さないように後ろを確認すると、そこには、さっきと同じ氷柱が出来上がっていた。

 

「外しちまったんじゃあないぜ。警告ってやつだよこれは。大人しく黒のガキを寄越すなら、お前を生かしてやってもいい。だが、渡さないっつーんなら……お前はここで串刺しだ。賢い選択をしなよ? タイマ様からお前は殺して良いって言われてるところ、こうして温情をかけてやってんだからよぉ。あれだ。そこの女のお陰とはいえ、一発目を避けて生き残ったボーナスってやつだ」

 

 俺の後ろの氷柱を崩しながら、男は言う。……どうする。あいつの攻撃、まったく予想ができない。一回目も、二回目も、攻撃の予兆が全く無かった。

 希望は渡せない。だから、どうにかあいつを倒して逃げるしかない。じゃあ、どうすればあいつを倒せる?

 あいつの能力は氷柱を出現させるもの。俺の能力は煙になること。煙になってる間は誰も俺に触れることはできない。だから、あの氷柱で貫かれようが問題ない。

 そして、俺が希望から離れても、あいつの攻撃は希望に向かわないはずだ。あいつの目的は希望を奪うことなのだから、希望を傷つけるようなことはしないはず。だから、接近は煙になって行えばいい。肝心なのは攻撃だ。

 煙になった俺に何も触れられないように、煙になった俺は何にも触れられない。煙から実体に戻るときは、からだの一部だけ戻すなんてこともできない。だから、攻撃するには体を全て晒す必要がある。だから、もしもそこを狙い打たれてしまったら、その時点で俺は串刺しにされて死ぬ。そして、あの男の余裕。多分、能力を使った戦いに慣れてる。それくらいのことをしてきそうな雰囲気が奴にはある。……どこかに隙は無いのか。あいつのあの能力の隙。思い出せ。あいつはどういう風に能力を使っていたか。……そう言えばあいつ、生み出した氷柱をいちいち砕いていた。そのまま残していても問題はないはずなのに、いちいち。と言うことは、もしかして。あの氷柱は一度に一本しか出せないんじゃないか? そう仮定しても、さっき言った通り俺の攻撃を読まれたら死ぬ。だけど、読まれたところで一本しか氷柱を出せないなら……その裏をかけばいい。勝機が、見えた。

 

「希望」

 

 一層強く俺の手を握りしめていた希望に、小声で、それでいて優しく声をかける。

 

「力は使うな。俺が、なんとかするから。俺を信じろ」

 

 俺の言葉を聞いた希望は一瞬目を伏せたけど、すぐに俺と目を合わせた。

 

「……うん。死なないで」

 

「おいおいどうしたぁ? やっぱり馬鹿だったのかお前は? まさか、黒のガキを渡さないって訳じゃあねえよなぁ?」

 

 しびれを切らしたのか、男は苛立ったようすで俺に問いかける。渡さないって訳じゃねえよな、だって? 俺の答えは決まってる。

 

「ああ。そのまさかだよ」

 

 足を一歩踏み出すと同時に目を見開いて、俺の瞳が白に染まる。それと同時に俺の肉体は世界に溶け、霞み、煙となる。俺は人である速度よりも、煙である速度の方がよっぽど上だ。チョウキの時と全く同じように、俺は男の目の前まで一瞬で移動すると、蹴りの準備を整えた状態で人に戻る。

 呆れたように俺を見る男の目は、群青色のままだ。足元から強い冷気を感じる。やっぱりだ。やっぱりこいつは俺のやることを予想してきた。このままいけば俺は順当に串刺しにされて終わりだ。だが……それくらいのことは俺も読めている!

 足元から氷柱が伸びるその刹那。俺は再び煙に変わって、男に突っ込んだ。そのまま男を通り抜けて、男の真後ろへ。蹴りの体勢になって、人に戻る。正面で実体に戻ったのは、氷柱を使わせるためのブラフ。本命はこの背後からの攻撃!

 

「貰った!」

 

 男の正面にはしっかりと氷柱が出来上がっている。あれを砕いてからもう一度作るのはもう間に合わないだろう。俺は勝ちを確信して、鋭く叫んだ。……なのに、その刹那。足元につい先程感じていた、強い冷気を感じた。いや、足元だけじゃない。これは、360度、男の周囲全部から……!

 

「馬鹿が」

 

 男が残念そうにそう言った瞬間、男を取り囲むように地面から氷柱が突き出した。

 

「お坊さんっ!!」

 

 希望の声が、もう暗くなった街に反響した。

 

 

 to be continued



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