捻くれた少年と寂しがり屋の少女 (ローリング・ビートル)
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風をあつめて
よろしくお願いします!
彼女との出会い、それはどしゃ降りの雨の日だった。
5メートル先を見通すのにも苦労するような、ひどいどしゃ降りだった。
*******
「……マジか」
神社の片隅で雨宿りしながら、現実逃避しようとする俺。もちろん、そんなことで事態は好転しない。ざあざあと雨が地面に叩きつけられる音に、俺の呟きは虚しくかき消された。あまりの豪雨に、檻に閉じ込められたような感覚になり、慣れない土地なのも手伝って、胸に居座る孤独感が増幅している。
……別に高校の出だしで躓いて、ボッチ生活が続いているからではない。
それに、恐らく出だしが変わっていたところで、ボッチのままだったと思う。まあ、それでも自覚があるだけまだマシだろう。世の中には、自分をリア充と勘違いしている痛い奴もいるらしい。「いつからリア充と錯覚していた?」とツッコミたくなるくらいに痛々しい奴が。
とはいえ、そんな事実で自分を慰めても、現状が変化するわけではないのも事実。
今はとりあえず……雨、止んでくれ。
「はっ……はっ……」
前をぼんやり見ていると、うっすらとこちらに向かってくる人影が見える。色は……白と赤?
まさか……幽霊じゃないよね。浴衣姿の幽霊なら割と歓迎するのだが……いや、やっぱり駄目だ。自分のスペックにはそこそこ自信があるが、特別高いわけじゃない。
どうでもいいことを考えていると、その人影ははっきりと色と形を結び、自分の隣に飛び込んできた。
「あ~、もう!いきなり雨降るとか……」
彼女はぶつぶつ文句を言いながら、手に持ったスーパーの袋についた水滴を払う。しかし、それよりも目を引いたのは、その服装である。
巫女服。
始めて見るわけではないが、彼女はこれまでに見た誰よりも似合っていた。丈長で上品にまとめられた、ほんのり紫がかった髪は、雨に濡れたせいで額や首筋に貼りつき、艶やかな魅力を放っている。
そして、巫女服もずぶ濡れになったせいで、その豊満な身体のラインをはっきりと浮き立たせ、うっさらと紫色が透けて見える胸元から、目が離せないでいた。
数秒そうしていると、彼女がこちらに気づき、顔を向けてきた。
「あら?」
「……っ」
慌てて視線を逸らす。一応断っておくが、俺は決してふしだらな視線を向けていたわけではない。紳士たる俺は、彼女が風邪をひかないか、心配していたのだ。ハチマン、ウソ、ツカナイ。
「君、雨宿り?」
「え?あ、ああ、ひゃい」
噛んでしまった。だから、ふしだらな感情などないと、何度言ったら……。
「ふふっ、焦らんでもええよ?」
関西弁……巫女服に巨乳に関西弁とか、ちょっと属性を欲張りすぎじゃないですかねえ。金髪、ハーフの転校生とか、そんなレベルだ。
とりあえず向き直ると、大人びた美貌に視線を釘付けにされる。
目はぱっちりしているが、けっして鋭くはなく、優しげな視線をこちらに注いでくる。そんな感じに、顔のパーツは整いながらも優しい丸みを帯びており、ぽってりと厚みのある唇の色気も、胸の鼓動を高鳴らせる。
彼女は無言のままの俺に対し、気さくな調子で話しかけてきた。
「ここにはお参りに来たん?」
「え?ええ……まあ……」
今日ここに来たのは、単なる気まぐれだ。来たるべき進級に備え、柄にもなく遠出をして、英気を養おうとしたに過ぎない。そして、何となく神社に足を運び、いい1年とは言わない。平和な1年になりますように、なんて祈っていたところで、運悪く雨に降られた。おい、初っ端から躓いてんじゃねえか。
心中で毒づいていると、巫女さんの微笑みが向けられている事に気づく。
「じゃあ、大事な参拝客さんのために、ウチが傘貸してあげるから待ってて」
「……え?あ……」
こちらが反応する前に、彼女は雨の中、境内へと走っていった。
*******
10分程してから彼女は傘を差しながら戻ってきた。
服は私服になり、髪はおさげにしてある。片手には折りたたみ傘が握られている。
「はい、これ」
「……ありがとうございます」
降って湧いたような幸運に、いまいち現実味が持てずにいると、巫女さんはまた傘を傾け、親しげな視線を送ってきた。
「気いつけて帰り。それとな……」
「?」
「女の子は男の子の視線には意外と敏感なんよ。ウチは慣れてるけど、学校ではさっきみたいにジロジロ見んほうがいいよ」
「…………」
彼女の去り際の悪戯っぽい笑顔は、家に帰っても頭から離れなかった。
読んでくれた方々、ありがとうございます!
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風をあつめて ♯2
それでは今回もよろしくお願いします。
翌日、俺はまた秋葉原へと足を踏み入れていた。理由は言うまでもない。昨日借りた傘を返却する為だ。こういう物はさっさと返すに限る。そして、お礼の品も渡して、貸し借りゼロにする。これで終了。偶然も運命も宿命も俺は信じない。
そんな自分への戒めを何度も復唱しながら、右手に持った紙袋の取っ手をぎゅっと握り締め、神田明神へと少し早歩きで向かった。
*******
「あら、君は……」
「……どうも」
朝早いからか、閑散とした境内に、やや緊張しながら入ると、すぐに先日の巫女さんの姿を見つけた。彼女は竹箒で落ち葉を丁寧に掃いていたようで、足元には落ち葉がこんもりと集まっていた。
なら話は早いとばかりに、俺は紙袋を差し出す。
「……この前はありがとうございます……これ、どうぞ」
「あらら、これは御丁寧に……ふふっ」
「?」
急に吹き出した彼女に首を傾げてしまう。寝癖は直したし、私服にも空港の金属探知機ばりに厳しい小町チェックが入ったはずだが……。
「君は慌てんぼさんやね」
「?」
「何か忘れとらん?」
「…………あ」
彼女のからかうような微笑みで、はっと気づく。
やっちまった……。
やらかし上手の比企谷君は、傘を返しに東京に来たのに、その傘を忘れてしまいました……。
ついキョドってしまい、視線があちこち動く俺に対し、巫女さんはお腹を抱えて笑った。
「あっはっは!君、おもろいなあ♪」
「いや、何て言うか……その……」
「まあ、焦らんでもええよ。傘は別の持ってるし」
「はあ……」
「いつでもお参りに来てくれていいし」
「……ああ、俺、この辺りに住んでないんで……」
「あ、そうなん?遠いところ?」
「……千葉からです」
「そっかぁ。千葉からわざわざ傘返しに来てくれたんやね」
「……まあ、忘れたんですけど」
「鋸山、また登りに行きたいなぁ」
「来たことあるんでしゅか……」
噛んじまった。
柄にもなく会話してみようとするからだ。コミュ力なぞ、使わなければどこまでも衰えていく。
「ふふっ、今噛んだやろ」
ああ、もうやだ。
今日のところは退散しよう。
明日は明日の風が吹く。
「……じゃ、じゃあ、帰ります」
「うん、またね」
そう言って、巫女さんはひらひらと手を振った。
*******
翌日。
俺は……いや、説明など必要なかろう。
俺の前には、呆れ笑いの巫女さんが立っている。
「君は本当に真面目やねえ……」
「……早く貸し借りはゼロにしたいので」
「ふふっ、まあお疲れさん。あ、そうや、ちょっと待ってて。ウチ、今日はもう上がりやから」
彼女はそう言って、ぱたぱたと草履を鳴らし、奥へ入っていった。
正直、ここで帰ってもいいはずだ。普段ならそうしている。これで貸し借りゼロの関係に戻したのだから。それに、心の片隅で一かけらでも変な期待をしてしまいそうな自分が怖い。
しかし、考えている内に私服姿になった彼女がこちらに駆け寄ってきた。
「お待たせ!さ、行こうか」
「いや、行くってどこに……?」
「んー?わざわざ千葉から来てくれた良い子に、そこの自販機で飲み物奢ってあげるよ」
「いえ、結構です……」
俺は年上だからといって奢られるのが当たり前と思っている軽い男子ではない。基本、自分を養ってくれると確信した女性以外には……
「まあまあ、そう言わんと♪奢られるの嫌なら無理にとは言わんから」
「……な、何故」
「今朝、カードが告げたんよ。出会いは大切にって……」
「カード?」
「ウチ、占いが趣味なんよ。何なら占ってあげようか?」
「いや、そういうのは信じてないんで……」
「恋愛運好調って結果に裏切られたから?」
「……な、何で知ってるんですか?」
あれ、何この人?エスパー?秋葉原の母なの?確かにバブみを感じるし、オギャれなくもないが……。
すると、手の甲に何か落ちてきた。
「……水滴?」
空を見上げると、いつの間にかどんよりと曇っていて、今にも大量の雨粒を落としそうだ。というか、もう降り始めている。
そして隣を見ると、巫女さんが優しく微笑んでいる。
「……傘、いる?」
「……はい」
「じゃあ、うちの前まで行くから、ついて来て」
俺は、為す術なしといった心境で、彼女の背中をとぼとぼと追いかけた。
やがて、雨雲が予想通りに大量の雨粒を落としてきた。
読んでくれた方々、ありがとうございます!
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風をあつめて ♯3
それでは今回もよろしくお願いします。
雨がざあざあ降りしきる中を、俺が傘を持ち、所謂相合い傘状態でのんびり進む。秋葉原の賑やかな街並みから住宅街に差し掛かるまで、特にこれといった会話もなく、雨音が車の音や、赤の他人のすれ違いざまの会話をかき消すように鳴り響くのを黙って聴いていた。
最初に彼女が口にしたのは、お礼の言葉だった。
「ありがと」
「?」
俺は何も答えられず、また沈黙が訪れた。
横顔をちらりと見やると、その横顔ははっとするほどの見たこともない美しさと、鈍色の海のような憂いが共存していて、目が離せなくなる。
そして、彼女の瞳は、この雨降りの街ではないどこか遠くを見ているようだった。
*******
巫女さんの住むマンションの前まで辿り着くと、彼女は入り口の雨よけの下に移り、にこっと微笑んだ。
「送ってくれてありがと。その傘使ってええよ」
「……っす。どうも」
急な笑顔にうっかりときめきそうになるが、何とか堪える。落ち着け。名前も知らない美少女と相合い傘をしたからといって、この先特別なイベントが起こるわけではない。ただ偶然が重なっただけの話だ。そこに意味なんて求めるものではない。
すると、左肩に何か添えられた。
見てみると、それは彼女の手だ。
「君は優しいなぁ」
俺の左肩の……雨に濡れた箇所を優しく撫でてくる。
「ずっとウチが濡れんようにしとったんやろ?」
「いや、別に……」
傘を借りるのだから、少しでも貸し借りゼロにしておきたいだけだ。あとは……いや、いいか。
しかし、そんな内心などお構いなしに彼女はやわらかく微笑み、肩に置いた手をそっと……俺の頭に移動させた。
「なっ……」
「いい子いい子♪君は優しい子やね」
白く細い指先と、小さな掌の感触を頭に感じ、急激に心音が跳ね上がる。
だがそれでいて、その温もりから伝わってくるのは、抗いがたい安らぎ。一撫でごとに、心身の疲れを拭われるような圧倒的な癒し。
そして、こちらを見上げてくる優しい眼差し。
や、やばい……このままじゃ……。
何かに目覚めてしまいそうな予感がしたので離れようとすると、彼女の方から先に手を離した。
「ふふっ、ごめんなぁ。嫌やった?」
「い、いや、なんつーか……」
悪びれる素振りも見せずにそんな事を言われると、もうこちらとしては文句も何もなくなってしまう。まあ、元より言う気も起きてなかったんだが……。
「ふふっ、可愛いなぁ」
「そ、そうすか、失礼しましゅ……」
噛んでしまったことも気恥ずかしさに拍車をかけ、一刻も早く立ち去ろうとすると、先に彼女の方が手をひらひら振って、マンションの中に入っ……
「なあ、ウチの名前は東條希。君の名前は?」
くるりと彼女は振り返り、自己紹介をしてきた。
唐突な展開に混乱とまではいかないが、また動悸のようなものを感じながら、何とか自分の名前を告げる。
「…………比企谷、八幡です」
互いに自分の名前を言い合い、何とも言えない間を埋めるように雨音が鳴り響く。
二人してしばらくそのまま雨音を聴き続けた。
読んでくれた方々、ありがとうございます!
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風をあつめて ♯4
感想・評価・お気に入り登録・誤字脱字報告ありがとうございます!
それでは今回もよろしくお願いします。
春休みが終わり、2年目の高校生活が始まったが、もちろん学年とクラスメートが変わっただけで、大した変化はない。持ち前のボッチ力を発揮している。5年後には書籍化できるのかもしれない。
そして、周りの変化が些細なことに思えるのには理由がある。
結局、春休みの内に巫女さん……東條さんに傘を返すことができなかった。
理由の一つは金欠。バイトをいくつかバックレてから、現在何もしていない俺には、そう何度も遠出をする金はない。
もう一つは……これは理由といえるのかもわからない。
どう会えばいいのか、わからない。
先日の頭なでなでと自己紹介。
あの時の妙な感覚が頭から離れない。
中学時代の自分なら迷わず好きになっていただろうと考えてしまう辺り、俺は期待したくないのだろう。
こんな偶然が重なるなんて……とか。
そんな事を考えている間も、教室内や窓の外の景色は、淀みなく流れていった。
*******
今日は午前中だけだったので、午後は適当にぶらつこうかと思い、駅前へ足を運んだ。
その途中で考えはまとまった。
小遣いが入ったら、すぐに返しに行こう。
そんで、仮に神社に誰もいなくても返却する。むしろその方が都合がいいまである。
そう、人生はリセットできないが、人間関係はリセットでき……
「あら?」
「…………」
「比企谷君?」
この前みたいに思考回路が働かなくなり、その場に縫い付けられたように、動けなくなってしまう。
そんな俺とは対照的に、彼女は笑顔を向け、そっと言葉を紡いだ。
「スピリチュアルやね」
「……はあ、そ、そうすか」
絡み合う視線は中々解けず、近くを通り過ぎていく人のカツカツと鳴る足音が、この前の雨音に似て聞こえる。
彼女は俺の服装を上から下までじぃっと眺め、感心したように頷いた。
「へえ、制服似合ってるやん」
「ど、どうも……」
春らしい私服姿に身を包んだ彼女は、また距離を詰めてきた。ふわりと優しく甘い香りが鼻腔をくすぐり、彼女に関しての新しい情報がインプットされる。
「今日から新学期始まったんやね」
「ええ、まあ……そっちは……」
つい聞き返してしまう。
「ちょっと遠出がしたくて。カードがこっちがいいって告げたんよ」
「はあ……」
「まあ、確かに面白いことになったね」
東條さんは悪戯っぽい笑みに変わり、また肩に手を置いてくる。先日の感触が鮮明に蘇った。
「暇なら付き合ってくれへん?」
「いえ、今から用事が……」
「ふふっ、嘘下手やなぁ」
「…………」
「……ウチと一緒は嫌?」
「い、いや、別に……そんな事は……」
「じゃあ、行こっか」
リセットボタンはどうやら故障中らしい。
肩に置かれた手が離れると同時に、俺は東條さんと並んで、ゆっくり歩き出していた。
読んでくれた方々、ありがとうございます!
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風をあつめて ♯5
それでは今回もよろしくお願いします。
「…………」
「どうしたん?いきなり考え込んで」
「いや、どうしたもんかと思いまして……」
「?」
「俺は一人で行動する時は、最大限楽しめるよう、綿密な計画を立てますが、誰かといる時は基本人任せで、後をついていくタイプですので、どうしたもんかと思いまして……」
「素直な意見ありがと。なんか色々と悲しいけど」
そう。問題はそこなのだ。
女子との交際経験が乏しい俺は、こういう時に簡単に時間を潰せる方法など思いつかない。告白やらメールや電話やらで女子の時間を潰してきた俺ではあるが。何だそれ、哀しすぎる。
すると、東條さんが口を挟んだ。
「じゃあ、君がいつも行く場所でええよ」
「え?」
「君の予定にウチが勝手についていくだけなんやから。どこでも文句は言わんよ。ただし……」
彼女は俺の耳元に艶のある色っぽい唇を寄せた。
「エッチな場所はあかんよ?」
「なっ……」
耳朶を撫でる艶めかしい声音と、首筋をくすぐる甘い吐息に、顔が赤くなるのを感じながら、慌てて飛び退く。い、今、ぞくっとしたぞ……。
彼女はなんてことないように、クスクス笑い、目を細めた。な、何でしょう……そのシマウマを見つけたライオンのような目は……。
「ほな……行こ?」
*******
「本屋ね、ウチもよく行くよ」
「そうなんすか?」
「ええ、占いの本とか料理の本とかを買いにね。あとは……」
「?」
「ヒ・ミ・ツ♪」
何だよ、それすげえ気になるじゃねえか。
ヒミツののんたんかよ。それとも、かみさまみならいかよ。いや、もっとストレートに考えよう。
つい、大人なコーナーに目がいってしまう。
もしやヒミツとはそういうヒミツなのか……私、気になります!
「ん~~~?」
東條さんがこちらの考えを読んでいるかのようにニヤニヤ笑う。これもスピリチュアルな力の一端なのだろうか。
「比企谷君は何を考えてるんやろうな~?」
東條さんは悪戯っぽく笑いながら、俺が見ていた棚の前に移動し、適当にグラビアアイドルの写真集を引き抜く。
「ウチのこんなカッコとか~?」
次にタオル一枚を巻きつけただけの女性が挑発的な笑みを向けてくる表紙の雑誌を向けてくる。
「こんなんかな~?」
「ち、違います……」
やめいやめいやめい……!
想像しちゃうじゃねえか。妄想しちゃうじゃねえか。それと、焦っちゃうでしょっ、泣いちゃうでしょっ!
そんなやり取りは、周りの人に少し注目されていた。
「うわ、すっげえ美人……」
「いいなあ……」
「あんた何見てんのよ」
「畜生……ボッチの癖に……!」
「綺麗ずら~」
おい、誰だよ。ボッチとか言ったの。東條さんに失礼だろうが……はい、すいません。俺ですよね。
本屋でここまで精神力をガリガリすり減らされたのは、間違いなく人生で初めてだろう。
店員から冷たい視線を頂いた辺りで、さっさと店から退散することにした。
読んでくれた方々、ありがとうございます!
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風をあつめて ♯6
本屋を出ると、東條さんはう~んっと大きく伸びをした。
その際に、豊満な胸が白いTシャツ越しに強調されたが、はち切れそうとか、下着が透けるんじゃないかとか、ちっとも気になっちゃいない。ハチマン、ウソ、ツカナイ。
東條さんがこちらをチラリと見て、悪戯っぽい声音で話しかけてきた。
「いや~、面白かったね♪」
「……どっと疲れが溜まった気がするんですが……」
「ウチは結構楽しかったよ?君の好みもバッチリわかったし」
「え?あれだけで……」
「うふふ……ウチにかかればそれくらい朝飯前や」
「ち、ちなみに……どんなのが好みって思ったんでしょうか?」
一応、尋ねてみると、東條さんは口元に指を当て、考える仕草をした。今考えてんのかよ。
「例えば……」
「ふぁっ!?」
東條さんはいきなり俺の腕をとり、しゅるっと自分の腕を絡めてきた。
そして、俺の肘の辺りには暴力的なまでの柔らかい温もりが押しつけられる。
心臓がバクバク鳴り出し、顔が赤くなっているのが自分でもわかった。
「こういうのに弱いんとちゃうん?」
「い、いや、その……」
こんなの古今東西全ての男子高校生は弱いと思います!
東條さんはすぐに腕を解き、俺の正面に立った。何だ、この寂しさ……。
「じゃあ、次はどこに連れてってくれるん?」
「…………」
さて、次はどの手札を……てゆーか、これ完全に彼女のペースですよね?もう、いいけどさ……。
ゲーセン、は論外だな……本屋でこれだ。ゲーセンとかだと、どんな風にいじられるか、わかったもんじゃない。
斯くなる上は……
*******
「ラーメン?」
「ええ、そろそろ腹も減ってきたので……」
「うん、じゃあ行こっか」
座って飯を食うだけの飲食店ならば、それほどからかわれずにすむだろう。我ながらナイスアイディア。お腹もペコペコだしね!
からかい上手の東條さんは、ニコニコ笑顔のままついてきた。
「比企谷君は、この辺りの高校なん?」
「まあ……近いっちゃ近いですね」
「ラーメン食べたら、君の家に行くのもいいかもね」
「…………」
「君は顔に反応がでやすいからええなぁ♪」
「い、いや、いきなり何言ってんでしゅか……」
「なんかホッとするなぁ」
な、何この人?勘違いさせる言葉のオンパレードで、中学時代の俺なら好きになってるし、今の俺なら警戒心がMAXに働き、ATフィールド展開するまである。
「どうしたん?」
「い、いや、何でも……」
ラーメン屋までの道のりを俺と東條さんは、付かず離れずの微妙な距離感を保ちながら歩いた。
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風をあつめて ♯7
「あ~、美味しかった♪」
「……そうすか」
どうやら気に入って頂けたようだ。まあ、ラーメンは世界一の食べ物だしね!
東條さんは振り返り、にっこりと笑顔を浮かべた。
「じゃあ、ウチはそろそろ行くね。付き合ってくれてありがと♪」
「……まあ、その……スピリチュアルな力なら仕方ないんじゃないですか?」
「ふふっ、そやね。じゃあ、連絡先交換しとこっか?」
「話が繋がっていない気が……」
「君が傘を返そうと思った時に、いつでもウチがおるとは限らんやろ?」
「その時は神社の誰かに……」
「……嫌?」
「…………どうぞ」
実際断る理由もないので、俺は東條さんにスマホを渡した。
彼女はキョトンとしていたが、やがて俺の意図に気づいて苦笑した。
「君は警戒心が強いのか、そうでもないのか、ようわからんね」
「暇つぶし機能以外あまり使わないので、こういう時の使い方がよくわかってないだけです」
「さらっと悲しいこと言うね」
東條さんは軽やかな指さばきで連絡先を交換し、俺にスマホを返した。
「はい。後で連絡するから、登録お願い♪」
「……了解」
「それと……」
「は?」
東條さんの手が俺の頭に乗っけられる。
そのまま、ふわふわした優しい感触が俺の頭をよしよしと撫でた。ひんやりした感触が、まだ4月の頭なのに、やけに気持ちよかった。恥ずかしいけど。
「今日は付き合ってくれてありがと♪君は優しいね」
「いや、あの……すげえ恥ずかしいから止めて欲しいんですけど……」
「そんなに恥ずかしがることないやろ?この前もしたんやし」
「いや、そ、それとこれとは話が……」
道行く人の視線がグサグサ突き刺さり、HPがガリガリ削られていく感覚がする。特に男子の視線が痛い。
「何だよ、あいつ……あんな美人に……」
「羨ましいぜ、チクショウ」
「けぷこん、けぷこん……あ、あ、あれはもしや、八幡ではあるまいな……」
「ちっ、ボッチの癖に……」
「ザキ」
怨嗟の声が聞こえてきた気が……今、知り合いがいなかったか?あと誰だよ、ボッチって言ったのは。しかも最後に、誰か死の呪文を唱えて行きやがった。
とはいえ、東條さんの頭の撫で方は絶妙で、なんか疲れが取れるというか、中学時代なら…………いかん。また東條さんのペースだ。
俺はそっと彼女の手をどけた。その際に掴んだ手首の細さに、妙に胸が高鳴るのを感じながら。
「もう、照れ屋やなぁ~」
「い、いや、そっちが大らかと言いましゅか……」
「ふふっ、その噛みっぷりに免じて許してあげる♪ほな、行くね」
「…………」
彼女は意外なくらい颯爽と改札をくぐり、その背は見えなくなった。
「……帰るか」
一人で帰路につくと、頭やら肘やらに残っている彼女の感触が、やたらとむず痒かった。
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風をあつめて ♯8
東條さんと連絡先を交換してから一週間後、彼女の方から休日の夜に電話がかかってきた。その間、特にメールなどのやりとりもなかった。中学時代なら、きっと悶々とした日々を送っていたことだろう。そして、しょうもないメールを送り、黒歴史を1つ増やしていたかもしれない。
まあ、仮定の話はいいとして、とりあえず東條さんから電話があり、彼女の方は何となくかけてみただけという謎な理由だったので、こっちが今日学校であった出来事を話したのだ。
「奉仕部?」
「はい」
「学校生活を振り返って書いた作文で、おかしな事書いたから?」
「……はい」
奉仕部というよくわからん部活に入れられた経緯を話すと、東條さんからはキョトンとしたような、または呆れたような反応が返ってきた。まあ、当然といえば当然の反応だろう。
なんて考えたところで、今度はクスッと笑う声が漏れ聞こえてきた。
「君はおもろいなぁ」
「今、面白い要素ありましたっけ?」
「ふふっ、今度その作文見せて♪」
「……絶対に嫌です」
「ええやん。減るもんでもないし。一度は先生に見せたんやろ?」
「それとこれとは話が別ですよ。つーか、わざわざ見せに行くのも……あ」
未だに玄関に置いてある傘を思い出す。
……早く返さなきゃいけない。
まあ、傘のお礼に作文を見せるくらいなら別にいいか。実際に減るもんでもないし。減るのは東條さんからの僅かばかりの好感度くらいだろう。うわ、哀しすぎる。何でわざわざ自分から好感度を下げに行かなきゃならんのか。
「じゃあ、今度傘と一緒に持って行きます」
「ありゃ、どうしたん?急に……」
「いや、今度こそ傘を返さなきゃいけないんで、そのついでに……」
「ああ、忘れとった!ふふっ、また忘れたら面白いんやけど」
「いや、それはさすがにないですから」
*******
「それで、また忘れたんやね」
「いや、何と言いますか……作文の方に気を取られすぎていまして……」
「あはは!まあええよ♪おもろいし、カードがそう告げとったし、作文もってきてくれたし」
カードが告げてたなら、教えてくれてもいいんじゃないですかねえ……。いや、別にいいんだけどさ。
ちなみに、今は秋葉原駅近くの喫茶店で話している。今日は偶々神社でのバイトが休みだったらしい……連絡先交換してよかった……これもスピリチュアルパワーだろうか。
東條さんは既に、例の作文を読み始めている。
口元の笑みは残したまま、視線を原稿用紙に走らせる姿は、彼女の知的な美貌を一層引き立たせた。
そして、大した量はないので、すぐに読み終えた。
彼女の視線がこちらを向き、口元に貼りついた笑みが、次の言葉を想像させる。
「やっぱり君、おもろいなぁ♪」
「本当に面白けりゃクラスの人気者ですよ」
「あははっ、わかる人にはわかる面白さって事でいいんやない?」
「…………」
*******
「ん?」
「どうかしたの、お姉ちゃん?」
「いえ、何でもないわ」
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風をあつめて ♯9
「じゃあ、今日はウチが奢ったげるよ」
「いや、さすがにそれは……俺は専業主夫として養われる気はあっても、施しを受ける気はないんで……」
「あはは!君はおもろいなあ。じゃあ、割り勘にしよっか」
俺の未来の専業主夫としての矜持は、シュールなギャグとして受け取られたようだ……何だこれ、やるせない。
支払いを終え、外に出ると、空はさっきよりどんよりと重たそうな雲が増えていた。
「また雨が降りそうやね」
「そ、そうですね……」
おい、また雨とか勘弁してくれよ?思い出はいつの日も雨じゃなくてもいいからね?
「ウチ、白いシャツだから、雨降らん内に帰らんと」
「そ、そうですね」
何故それをわざわざ口に出しますかね、この人は……これはむしろ「見てください」というサインなのだろうか。そんで俺が見たら、何か罰ゲームがある流れなのだろうか。
「もしかして……見たかった?」
「いや、俺はその手には乗らないんで」
「その手って?」
「い、いや、こっちの話です」
どうやら俺の思い過ごしだったようだ。いや、まだまだ油断はできない。
そんな事を考えながらも、不思議と心が穏やかに凪いでいるのを感じた。
「君はまだ時間ある?」
「……あるっちゃありますけど、まあ、その……課題もあるし、そろそろ帰ろうかと思います」
現代文の課題があるので、何がなんでも忘れるわけにはいかない。
東條さんは、ほんの一瞬……もしかしたら気のせいかもしれないが、目を伏して寂しげな表情を見せた。
そして、すぐにからかうような笑顔に戻った。
「そっか。課題はしっかりやらんとあかんよ。比企谷君、先生に目をつけられてそうやから。ふふっ」
「……どうでしょう」
ステルスヒッキーは同級生には効果絶大だが、教師陣には効果が薄いらしい。それは薄々感づいていた。かといって、やることは変わらんのだが。
「まあ、無難にやり過ごしますよ」
「君はたまに枯れたこと言うなぁ。せっかくの青春やから楽しいことが多いに越したことはないやろ?」
「何事もなく平穏無事が一番だと思いますけどね」
「そんな事言って……いきなり転校生との甘~い恋が始まったりするかもしれんよ?」
「いや、そういうのは期待してないんで……」
謙虚、堅実をモットーに生きている俺としては、そんな甘い夢は見ずに非モテ三原則を遵守していきたい。てか、在校生とのロマンスの可能性はないんですね、わかります。
これ以上つつかれると、うっかり黒歴史を披露しかねないので、俺は強引に話題を変えた。
「あの……次こそは持ってきますんで」
「うん。期待せずに待っとくから、焦らんでええよ」
「え、あ、ま、まあ、その……」
言い訳のしようもない。する気はないが。
「何なら今度君ん家に取りに行ってもええよ」
「い、いや、さすがにそれは……」
「ああ、そういうことなんやね」
「?」
「ここまで来てウチの巫女服姿が見たいんやろ?最初からそう言えば……」
「……話が飛躍しすぎて、大気圏外まで飛んでいってますね」
「そう?ふふっ、じゃあ帰り気をつけて」
「ええ。それじゃあ」
千葉と東京。どっちかの夜は昼間的な大した距離はない。
そう。つまり、これは大した出来事じゃない。
だから過度な期待もしない。淡い幻想も抱かない。
彼女の視線を背中に感じながら、俺は駅へと向かった。
あ……そういや、作文返してもらうの忘れた……。
*******
「……反応が遠くなったわね。気のせいかしら」
「お姉ちゃん、さっきから何を言ってるの?」
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風をあつめて #10
あの作文、つい何度も読み返しちゃったなぁ。
字の感じからして、多分思ったことをそのまま書きなぐっただけなんやろうけど、だからこその嘘偽りのない本音。
決して肯定はできない。でもあっさり否定もできない。
そんな彼の考え方……って、ウチ考えすぎやね。はやく書類まとめないと……
「希、やけに機嫌よさそうね」
「ん?そう?そう見える?」
「μ'sの子達とは別の良いことがあったのかしら?」
「無駄に鋭いんやね、エリチは。まあ、ちょっと……ね。興味深いものに出会ったというか……」
「何か匂うチカ」
「ん?エリチ、今……」
語尾がおかしかったような……。
「何?どうかしたの?」
「……ううん。何でもないよ」
エリチはいつもの賢い可愛いオーラを振り撒いている。うん、やっぱりウチの気のせいやね。ぼーっとしすぎてたのかも。
書類をまとめ終えたエリチは、こっちに立ち上がり、真面目な表情になった。
「じゃあ、私は理事長室に行ってくるわね」
「うん。いってらっしゃい」
足早に生徒会室を出ていくエリチの背中は、どこか焦っていて、余裕がないように思える。
新学期に入ってから持ち上がった廃校問題。動揺している生徒も少なくない。責任感が人一倍強いエリチは尚更だった。
そして今日も理事長に、生徒会として廃校阻止の活動をする許可をもらいに直談判しに行ってる。
この前はNOを突きつけられた。
……きっと理事長は気づいているんやろうな。エリチが無理してること……。
そこで、校門の辺りを三人並んで歩く女の子達が見えた。彼女達は、今朝も早い時間からトレーニングをしていた。
そう。廃校阻止に向け、動いている子達がここにも……。
「……騒がしくなりそうやね」
カードは確かにそう告げていた。
*******
「へぇ~、比企谷君がテニスを……ふふっ」
「はい。まあ、成り行きで」
「……そのわりにはやけに機嫌よさそうやね」
「そうですか?」
「うん。返事がやけに早いし、声も弾んでる。もしかして、テニス部に可愛い子でもおったん?」
「いや、依頼人は男子ですよ」
「じゃあ可愛い男の娘やったん?」
「……ち、ちち、違いますす、よ?んな訳ないじゃないですか……!」
「めっちゃ動揺しとるやん……ふふっ、でも見てみたいなぁ、比企谷君がテニスしてるとこ」
「いや、めっちゃ笑う気満々でしょ」
「ウチがそんな意地悪なお姉さんに見える?」
「…………」
「おやおや?何で黙るん?言いたい事があるなら、はっきり言った方がええよ?」
「いえ、な、何も……」
「ふふっ、まあ頑張ってね」
「……ありがとうございます」
通話を終え、ベッドに寝転がる。夜に携帯がいきなり震えて怪奇現象だと思わなくなった辺り、大きな進歩じゃなかろうか。悲しすぎる。
……今日はやけに喋ってた気がするが……ただの気のせいだろうか。
一瞬で訪れた静寂が耳に馴染むまで、少し時間がかかった。
しかし、それからすぐに眠気がやってきた。
眠りに落ちる寸前、俺の書いた作文と彼女の傘が頭の中に浮かんだ。
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DOWN TOWN
奉仕部は現在、川崎沙希という女子生徒のバイト先を探していた。彼女の弟からの依頼である。最近帰りが早朝になる事もあるとか。あと川崎大志が小町に気があるんじゃないかとか。あっ、こっちは関係ないか。
まあ、とりあえず調べていくうちに候補の一つとなったメイド喫茶に入ったのだが……。
「お帰りなさいませ、ご主人様~♪」
「…………は?」
何故かメイド姿で俺を出迎えたのは東條さんだった。
いつもの巫女服の儚げなイメージからかけ離れた萌え系メイド服の姿に、思わず息が詰まる。
……いやいや、まさか。きっと他人の空似だろう。そんな偶然があるわけ……
「あら、比企谷君?」
「っ!?」
まさかの本人。
今なら平塚先生の結婚報告も、すんなりと信じられる気がする。
そんな予期せぬ遭遇にテンパっていると、彼女はくすくすと笑みを溢した。
「そんな驚かんでもええやろ?そんなに似合ってない?」
彼女はその場でくるりと一回転し、黒いロングスカートをふわりと泳がせた。同時に、いつもと違うフローラルな香りが漂ってきた。
そして、見慣れた悪戯っぽい笑みを向けてくる。
「どう?」
「え?あ、ああ、まあ、その……似合ってなくはないんじゃないですか?」
「疑問型なんて……ウチ悲しいっ!」
わざとらしい泣き真似をする東條さんに、逆に冷静さを取り戻す。ああ、このテンション……巫女服の時と変わんねえわ。
だがリアクションには困る。
「いや、あの……」
すると、背後から声がかかった。
「ヒッキー?」
「どうやら通い慣れてるようね」
振り向くと、由比ヶ浜と雪ノ下が怪訝そうな視線を向けてくる。どうやらあらぬ疑いをかけられているようだ。
さらに、その後ろにいる二人も苦い表情をしていた。
「八幡、メイドさんが好きなんだね……」
「うむぅ……まさか貴様がメイドとそこまで親しげになるぐらい通っていたとは……さすがの我もドン引きなんだが」
おいおい、何だこの空気。材木座にまでドン引きされるとか……。
東條さんは、四人をちらりと見て、何だか面白そうにニヤァっと笑みを深めた。それに対し、俺の防衛本能が警鐘を鳴らしだす。
そして彼女は火に油を注ぎだした。
「比企谷君、ごめんね?今日は巫女服じゃなくて」
「「…………」」
雪ノ下が目を眇めて半歩ほど俺から距離をとり、由比ヶ浜はあわあわと俺と東條さんを交互に見ている。
戸塚と材木座は何故か席の確保に向かっていた。要するに逃げたということだ。
……とりあえず俺も逃げるとしよう。
「……じゃあ、俺も席とっとくから」
「「…………」」
冷たい視線を背中に感じながら、材木座の隣の席に座る。
その後、二言三言話すのが聞こえてから、一際大きな声が聞こえてきた。
「じゃあ、メイド服を着用されるお二人はこちらへどうぞ~」
*******
びっくりしたなぁ。
まさか彼が来るなんて……まあ、今は仕事しないとやね。
とはいえ、やはり色々と気になるもの。
私は試着用のメイド服を用意しながら、茶髪にお団子が特徴的な女の子に話しかけた。
「もしかして君達、比企谷君と同じ部活?」
その子はやや緊張気味に答えてくれた。
「あっ、えと、同じ部活なのは私達だけで、あとの二人は……手伝いというか」
「そう、賑やかやね」
「あの……お姉さんはヒッキーとはどんな関係なんですか?」
どんな関係……。
ウチと比企谷君の関係……。
何故か言葉に詰まりかけたけど、すぐに思いつく。多分彼も同じように言うはず。
「……傘貸したんよ」
「え?」
彼女は驚いた顔をして、もう一人の女の子は、何かを探すようにシフト表を見ていた。
*******
はて、従業員用の更衣室だか事務室だかでは、スクールアイドルと奉仕部がレッツ・ラ・まぜまぜされているのだが……何だこの胸のざわつきは……大丈夫だよね?何も出来上がらないよね?
「八幡、どうしたの?さっきの人、知り合いみたいだけど……」
「ん?あ、ああ、まあ、傘借りただけだ」
「え?」
戸塚は可愛らしく首を傾げる。まあ、俺も似たような返しをされたら、きっと疑問に思うだろう。俺が首を傾げても可愛らしくはならんが。
「ふむ、八幡よ。貴様、どのくらい通えばメイドさんとあのように仲良くなれるのだ」
「知らん。近い。あっち行け」
材木座がくぐぐっと近寄って来るのを片手で押しのけながら、何とか気持ちを依頼のほうへ持っていく。
結局、雪ノ下と由比ヶ浜がメイド服で戻ってきてからも、東條さんは出てこなかった。
*******
その日の夜、東條さんから電話がかかってきた。
「ふふっ、今日はびっくりしたやろ?」
「……心臓飛び出すかと思いましたよ。つーか、あの後帰ったんですか?」
「休憩に入ったただけよ。それに、特定のお客さんとだけ話すわけにもいかないから。それより、比企谷君が巫女服だけやなくメイド服も好きだなんて」
「いや、何でそうなるんですか……奉仕部の活動ですよ」
「なるほど。ウチに奉仕してもらって、奉仕の精神を学ぶんやね。いやらしい……」
「……それで、何でわざわざ千葉のメイド喫茶でバイトしてたんですか?」
「ふふっ、ただの手伝いよ。知り合いから頼まれて、1日だけ入ったんよ」
「そうですか」
「だからメイド服もあれっきりやね」
「……そうですか」
「残念そうやね」
「いえ、別に……」
「何なら今度借りて、着てあげてもええんよ?」
「いえ、別に……」
「……比企谷君のムッツリスケベ」
「いや、何でそうなるんですか」
「ふふっ、言葉通りよ」
「……そこは冗談よと言うところでは?」
「まあまあ。それより、比企谷君は中々楽しそうな部活に入ってるんやね」
「楽しそう……ですか?」
「あんな可愛い子達に囲まれて羨ましいなぁ♪」
「いや、羨ましいって……」
「それに……ヤキモチ妬いちゃう……かな」
「…………」
「なんて言ったらどうする♪」
「……おやすみなさい」
「あっ、ちょっと比企谷く……」
また顔が赤くなるのを感じ、溜め息を吐く。電話越しでも心臓に悪いとかどんだけなんだよ。もう今日は寝よう。
結局、その日の夢に、関西弁のメイドが出てきて、やたらからかってきたのはまた別の話。
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DOWN TOWN #2
「比企谷君……いい朝やねぇ」
「ええ。家で寝ていられたらもっといい朝でしたね」
休日の朝、俺は神社周辺のゴミ拾いに勤しんでいた。本来なら惰眠を貪り、ゲームか読書をする予定だったのだが、前日の夜に東條さんから呼び出されたのだ。呼び出されただけであっさり出てきちゃう俺……案外社蓄適正が高いのかもしれん。
溜め息を吐く俺に、東條さんはクスクスと笑った。
「ふふっ、たまには朝陽を思いきり体に浴びたほうがええんよ」
「……スピリチュアル的に、ですか?」
「そうやね。それに……」
東條さんは、顔をぐいっと近づけ、耳元で囁いた。
「……君と迎える朝も中々素敵やん?」
「い、いや、変な言い方はやめてくれませんかね……」
うっかり変な妄想しそうになるだろうが。脳内で二人で朝を迎えて何気なく暮らしちゃうだろうが。
まあ、この人のからかいに逐一反応していたら時間が幾つあっても足らないので、さっさと作業を再開する。この手の単純作業は別に嫌いじゃない。働きたくはないが。
「ふふっ、何だかんだ真面目にやってくれるところは好きよ」
「そ、そりゃどうも……」
落ち着け、俺。好きという単語にいちいち反応するな。これも全てからかい上手の東條さんの罠だ。
しかし、神社という場所だからか、こうしていると運気が良くなっていくような気がする。もしかしたら帰りに一万円ぐらい拾っちゃうんじゃなかろうか。
「邪な考えを持つと運気が下がるから気をつけなあかんよ」
「…………」
地の文読む力あるとかスピリチュアルすぎんだろ……。
*******
「はぁ……ようやく終わった」
「お疲れさん♪」
作業を終え、手の甲で額の汗を拭っていると、東條さんがスポーツドリンクを手渡してきた。
「……どうも」
「ふふっ、いい汗かいとるね。気分はどう?」
「……やっぱ将来は専業主夫になるべきだと確信しました」
「あはは……まあ君らしい答えやね。じゃあ、もう上がりだから、着替えたら行こっか」
「えっ?まだ何かあるんですか?」
「そんな露骨に警戒しなくてええやん?朝から働いてくれたお礼にご飯くらいご馳走するだけやよ」
「いや、その、俺は給料分働いただけなので、お礼を言われる筋合いはないと言いますか……それに、奢ってもらうとか申し訳ないんで……」
自分でも何を言いたいのかわからないまま、とりあえず言い訳じみた言葉を並べ立てると、彼女はそれをさらりと受け流すように笑い、俺の隣に並んだ。
「誰も奢るとは言っとらんよ。こういう時の為に用意してたから」
「……え?」
ワンテンポ遅れて彼女の言葉の意味に気づいた時には、既に彼女は歩き出していた。
俺は慌ててその背中に声をかけた。
「いや、さすがに家とか……」
「なんか問題あるん?」
「えっ、いや、その……てかあんた、俺の事好きなんですか?」
「ふふっ、かもね♪」
「はっ?……」
「何て言ったらどうする?」
「…………別に」
「あははっ、そんな顔しないの。お礼したい気持ちは本当やし。それに……」
「?」
首を傾げた俺に、彼女は今日一番の小悪魔めいた笑みを見せた。それだけで、何だか先の言葉が予想できてしまった。
「比企谷君なら突然押し倒すような度胸はないやろ?」
「…………」
……予想できていたが、対応はできそうもない。
何か反論しようにも今は何も思いつかなかったので、続きは彼女の家に向かう途中で考えることにした。
……結局ついて行っちゃうのかよ。
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DOWN TOWN #3
彼女が自分の部屋のドアを開けると、何だか甘い香りがふわりと漂ってきた。
初めての感覚に、得体の知れない緊張感が、腹の底から一気にせり上がってきて全然落ち着かない。
……や、やはりここは戦略的撤退を……
「あっ、俺ちょっと用事が……」
「じぃ~~~……」
無理そうだった。目をうるうるさせているのが見え透いた演技だとしても、それに抗えるかどうかは別問題だった。
「じゃあすぐに用意するから。その辺座っといて」
「は、はい……」
部屋の中は意外なくらい普通で、すっきりと清潔感がある。
大人しく椅子に座り、キョロキョロとあちこちを見ると、東條さんがクスッと笑った。
「別に怪しいものはないやろ?」
「えっ、ああ……はあ、意外と普通の部屋というか……」
「ふふっ、当たり前やん?ウチ、普通の可愛い女子高生なんよ」
「自分で言いますかね、それ……」
「謙虚な女の子のほうが好みなん?」
「……お、俺に合わせる必要はありませんし、んな事言われたら、うっかり勘違いしちゃいそうなんで」
まったく……この人の発言はいちいち反応しづらい。
まあ、からかっているのがわかりきっている分、変な期待をすることもないんだが……。
「はいは~い、お待たせ~」
手早く準備を済ませた東條さんが、カレーを載せたお盆を持ってきた。多分、1日寝かせたやつだろうか。
「あの、もしかして俺がここに呼ばれたのって……」
「ん~?別に……作りすぎたカレーを食べて欲しかったとかじゃないから安心してええよ?」
「…………」
最早隠す気ゼロじゃねえかよ……。
いや、タダ飯最高だからいいんだけどね?巫女さんの手作りカレーとか、世の男子は大抵喜んじゃうだろう……あまり聞かないシチュエーションだが。
二人揃って「いただきます」をしてから、カレーを少し多めに口に含むと、想像していたよりは辛かった。そして美味い。
「味はどうかな?」
「ああ……美味いっす」
「そう?よかった♪男の子に食べさせるんは初めてやったからね。お口に合うか心配やったんよ」
「そ、そうですか……」
普通ならここで、何故その初めてに自分が選ばれたのかを聞いたり、自分を部屋に上げた理由を聞いたりするのだろうが、どうせからかわれるだけなので、俺はそのままカレーに集中した。
*******
「ふふっ、別に洗い物までしなくてええのに」
「いえ、さすがにそこまでしてもらうわけにはいかないので」
「君は本当に真面目やねえ」
「真面目ならあんな作文は書きませんよ」
「あははっ、そうやね。たしかに」
食器をてきぱきと棚に戻しながら、東條さんはクスクスと笑い、「でも……」と付け足した。
「君のそういうとこ、ちょっと面白くていいと思うんよ。なんか信用できるし」
「……そんなもんなんですかね。よくわからないんですけど」
「ええんやない?ウチも何となく言ってるし」
そう言った彼女の笑顔はさっきより大人びて見えて、改めて年上なんだと気づかされる。
そのまま自然と言葉のキャッチボールをしていたら、いつの間にか洗い物は終わっていた。
*******
すべて片付けると特に仕事もなくなったので、もう帰ることにした。
「今日は朝からありがとうね」
「……ええ。めっちゃ疲れました。あとカレー、旨かったです」
「ふふっ、素直やね」
「まあ、その……どうやらちょっと面白いらしいんで……って何やってんですか?」
何故か俺の頭には東條さんの手が置かれていた。
あまりに自然な動作で、避けようという気すら起きなかった。
「……どうかしたんですか?」
「ん~?何でもないよ♪」
そのまま優しく撫でられる。
前もそうだったが、妙な懐かしさと気恥ずかしさで、何も言えなくなる。何故抵抗できないのか……。
紫色の粒子がぽつぽつ弾けるようなイメージと共に、体から余計な力が抜けるのを感じた。
彼女は笑顔のまま、そっと頭を数回撫でてから俺を解放した。
「じゃ、じゃあ、今度こそ帰ります」
「はいはい。あっ、比企谷君。ウチも部活始めることにしたんよ」
「……は?いや、確かもう3年じゃ……」
「特に決まりはないからええんよ。だから応援よろしく~」
「はあ……な、何部なんでしょうか?」
「スクールアイドル部♪」
「…………」
その聞き慣れない言葉を理解するまで、しばらくの時間を要した。
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DOWN TOWN #4
μ's。
東條さんが入ったスクールアイドルのグループ名だ。
なんでも、廃校の危機から音ノ木坂を救うために活動を始めたらしい。ちなみに、グループ名は芸術を司る女神の名前だとか。
さっそくライブ映像を見てみたが、本当に東條さんが歌い踊っていた。
その姿はきらきら輝いていて、普段とは違う彼女の生き生きした姿に、しばらく見いってしまった。
……あの人、こういう事もできるのか。
素直に感心していると、携帯が震えだし、画面には彼女の名前が表示された。
「あっ、もしもし比企谷君?ライブは見てくれた?」
「まるで狙い澄ましたかのようなタイミングっすね」
「ふふっ、そうやった?これもスピリチュアルの力やね。それで……どう、やった?」
「……まあ、その……いい感じだったと思います」
「……ありがとう♪八幡君が素直に褒めるってことは、アイドルの衣装も巫女服と同じくらい似合っとるんやね」
「そりゃそうと何故にいきなりスクールアイドルなんですか?」
「……カードがそう告げとったんよ」
「…………」
きっと東條さんのことだからマジで言っているのだろう。
一人頷いていると、東條さんが話を続けた。
「それで、比企谷君の推しメンは誰なのかな?」
「は?推しメン?」
「そう、推しメン。比企谷君の好みの子や応援したい子やね」
「…………」
「ウチに気を遣わんでもええよ」
「はあ……」
推しメンといわれても、今ライブ映像を見たばかりだし、かといって東條さんを指名してからかわれたくもない。さて、どうしたものか……ん?
「……あの、一応決まりました」
「ほうほう……じゃあ聞こうかな?」
「……あー、俺の推しメンは……A-RISEの優木あんじゅさんです」
「…………」
「……あれ?と、東條さん?」
「いや、ちょっと……そこまで本気で選ぶなんて思っとらんかったから」
「……な、何故に引き気味?」
「それに……」
「?」
「ここはウチを選んで欲しかった……かな?」
「……えっ、あっ、いや、その……」
「ふふっ、冗談やけど♪ドキッとした?」
「…………」
……結局、どう答えてもからかわれるんじゃねえか。
次からは一回からかわれる度に腕立て伏せ十回やってみるか?
とりあえず……μ'sとA-RISEのライブ映像をもう一回ずつ見ておくか。
*******
翌週、μ'sが秋葉原の路上でライブ活動をやるというので、観に行くことになった。べ、別に断れなかったとかじゃないんだからねっ!
確かメイド喫茶の前でやるらしいのだが……多分、こっちか?
電話で東條さんから教えてもらった場所を思い出しながら歩いていると、曲がり角から出てきた人物に気づくのが遅れた。
「っ!」
「きゃっ」
思いきり真正面からぶつかってしまう。
相手が尻餅をついたのを見て、俺は慌てて手を差し出した。
しかし、そこでようやく相手が女子と気づく。
鮮やかな金髪が印象的な彼女は、その宝石のように綺麗な青い瞳を、俺の手にじっと向けていた。
……もしかして、気味悪がられているのだろうか。
不安が胸をよぎったところで、彼女は俺の手を握り、勢いよく立ち上がった。
「あ、ありがとうございます……」
「いえ、その、すいません。ぼーっとしてて……」
「ふふっ、私もよ。それじゃあ、私急ぐから……」
「あっ、はい……」
彼女は大人びた笑みを見せ、颯爽と去っていった。あっ、こっち振り返った。
……なんか顔赤かったけど大丈夫なのか?また振り返った。
*******
「はぁ……はぁ……早く忘れ物、取りに行かなきゃ……それにしても、さっきの男の子……運命かしら」
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DOWN TOWN #5
メイド喫茶前に到着すると、既に結構な人だかりができていた。ライブ映像のコメント欄を見た時も思ったが、割と人気があるようだ。
さて、東條さんはどの辺りにいるのだろうか……。
少し離れた場所から、そっと人だかりの隙間を見つめていると、背後に人の気配を……
「ふぅ~……」
「っ!?」
耳元に生温かいものがかかり、ぞわっと総毛立つ感覚がした。
「うん、ええリアクションやね」
「い、いや、何やってんすか。心臓止まるかと思いましたよ……」
振り返ると、小悪魔めいた彼女の笑みがそこにあった。いや、この人は本物の小悪魔じゃなかろうか。
普段は巫女服を着ている小悪魔は、今日はいつかのようなメイド服姿だった。
「…………」
「ふふっ、どうしたん?ぼーっとして」
彼女はぴょんっと跳ねて、俺の前に立った。その際、ある箇所が大きく揺れ、そこだけかなり悪魔的だった。
そこで再び彼女と目が合う……おかしい。やましいところなど何一つないはずなのに、ギクッとちゃったぞ……。
彼女は俺の視線を悟っていたのだろうか、東條さんは目を細め、口を開いた。
「どこ見とるん?」
「……こ、このライブの成功を夢見ています」
「そっかぁ、このライブの成功の鍵はウチの胸に詰まってるんやねぇ」
「…………」
……さて、家に帰ったら腕立て伏せをしっかりやりますかね。
「お待たせ!」
いきなりの大声に視線を向けると、そこにはさっき遭遇した金髪さんがいた。
早すぎる再会に驚いていると、東條さんが彼女に声をかけた。
「あっ、エリチ。随分早かったやん」
「ええ。全力で走ったから何とか……あ」
彼女と目が合う。
俺はとりあえず会釈しておいた。
「……どうも」
「ふふっ、また会ったわね」
「あら?二人は知り合いなん?」
「いや、その、知り合いといいますか……」
「今さっきそこでぶつかったのよ。うんめぃ……偶然ね」
「…………」
この人、なんか変な言い間違いしなかったか?いや、まあ気のせいか。
東條さんは、俺と金髪さんを交互に見てから、今度はさっきとは違う質の笑みを浮かべた。ただ、どこがどう違うのかまではよくわからなかった。
「そう言う希こそ彼と知り合いなの?」
「うん。ウチと比企谷君は仲良し小好しだもんね~」
「え?あ、その……」
「あれ?仲良し小好しだと思ってたのはウチだけやったんかなぁ?」
くっ!何でいきなりこんなテンションに!あと近い近いいい匂い近い!
するとエリチと呼ばれた金髪さんは、強引に俺と東條さんの間に割って入ってきた。
「ほらほら、そんな絡み方したら彼が困ってるでしょう?」
この人もこの人で近いんだが……そ、そして、いい匂い……。
「アンタ達、ライブ前に何やってんのよ」
今度は年下っぽい女子がやってきた。確かこの子は……
「にこっち、どうしたん?」
「どうしたん?じゃないわよっ、絵里も忘れ物取ってきたんなら早く着替えないと、そろそろ時間よ」
「あっ、そうだったわ。じゃあ、比企谷君……だったかしら。ライブ楽しんでいってね」
「あ、はい……」
二人はパタパタとメイド喫茶に入っていった。金髪さんが何度か振り返りながらだったのが気になるが……。
「さぁて、ウチも戻らんと。比企谷君、熱い声援よろしく」
「……まあ、その……心の中でなら」
「ふふっ、じゃあ行ってくるね」
「……ええ」
そう言って駆け出す彼女のやわらかな微笑みは、やっぱり大人びた年上のもので……。
何故か頬がじんわり熱くなるのを感じた。
「あっ、そうそう、にこっちはあれでもウチやエリチと同い年やからね~」
「……そうですか」
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DOWN TOWN #6
「気を遣って優しくしてるんなら……そういうのはやめろ」
先日、職場見学が終わった後に、由比ヶ浜に告げた言葉。
これでいい。何一つ間違ってはいない。そのはずだった。
しかし、胸の奥底で何かがどんより蟠っているのが、はっきり自覚できた。
俺はそれに気づかないふりをした。
そうするのが一番だと思っていた。
*******
もう一学期もだいぶ終わりに近づいたある日の夜、何かを忘れるように読書に集中していると、携帯が震えだした。
誰からの電話かなんて、いちいち確認するまでもなかった。
「……もしもし」
「ふふっ、こんばんは♪今日もテンション低いねぇ」
「陽気なテンションで元気よく挨拶する俺を想像してみてくださいよ」
「んー……ああ」
いや何だよ、そのリアクション。そんなにひどいのかよ。
「じゃ、じゃあ今日は失礼します……」
「それで……なんかあったん?」
「えっ?いや……は?だ、誰から……」
当たり前のように聞いてきたことに、ついつい驚きの声が漏れてしまった。
「ふふっ、図星みたいやね」
どうやらカマをかけられていたらしい。普段からかわれているくせに、この程度も見抜けないとは……。
というよりは、それに気づかないくらいには、頭の中に先日の事が残っているからか。
何も言えずにいると、彼女の息づかいだけが電話越しに聞こえてきた。
多分、俺が言いたくないといえば、この人は何も聞かないだろう。
何事もなかったかのように、普段のノリでからかってくるだろう。
そして、いつもの自分なら、そうして誤魔化して、時間が経つのに任せるはずだった。
しかし、自然と俺の口は動いていた。
*******
話し終えると、彼女は「そっか」と言った。
何故か、一人で頷いている姿が用意に想像できた。
「どっちも優しいんやね……」
予想外の言葉に、一瞬言葉を失う。
「いや……別に優しくはないですよ。実際……」
「そんなことないよ」
「…………」
「きっと由比ヶ浜さんは君の事を思ってた。そして、比企谷君も不器用ながら彼女の事を思いやったんやろ?ただ、ちょっとすれ違っただけ」
「…………」
「三月に君と出会ってから、そんな大した時間は経ってないけど……君は最初から不器用で優しい男の子やよ」
「……そ、そうですか」
心に何かがじんわり染み込むような感覚がした。
それは、彼女から頭を撫でられた時の感覚と、どこか似ていた。
電話越しの声だというのに、そっと穏やかに胸が高鳴るのを感じながら、思いついた言葉をそのまま口にした。
「ありがとう、ございます」
すると、彼女の安心したような息づかいが耳元を揺らした。
「元気でたみたいやね」
「かもしれません……まあその……」
「そうやね~、お礼は神社の掃き掃除のボランティアでええよ?」
「……こ、このタイミングで言いますかね、それ」
「あははっ、これはウチからの優しさ♪遠慮とかせんでええよ」
「……まあ、いつか、気が向いたら行きますよ」
「来週やね。ありがと♪」
「…………」
どうやら来週の日曜日の予定は決まってしまったみたいだ。
まあいいだろう……何だかんだ世話になってるし……。
「……東條、さん」
「なぁに?」
「その……ありがとうございます」
「ふふっ、今日はやけに素直やね……可愛いなぁ」
その艶やかな声音に、またドキリと胸が疼いた。
ここは戦略的撤退をするしかないだろう。
「……す、すいません。もう寝ます」
「はいは~い♪おやすみ~」
通話を終え、部屋の灯りを消すと、心が軽くなった感覚と寂しさみたいなのが、同時にやってきた。
そして、目を瞑っても、眠りは中々やってこなかった。
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DOWN TOWN #7
「比企谷く~ん。休憩してええよ~」
「……ああ、どうも」
東條さんから飲み物を受け取り、ベンチに腰かける。心地よい疲労感という言葉は自分らしくはないが、今感じているものが、まさにそうなのだろう。
「目以外から邪気が浄化された感じやね」
「……それでも目は腐ってるんですか」
「気にしなくてもええんよ。そういう目つきが好きな女の子だっておるんやから」
「その奇特な奴を紹介してもらいたいですね」
「ん~♪今日もいい天気やね~」
そう言いながら東條さんは大きく伸びをした。
話を断ち切られたが、その強調された胸元を見れば許せてしまうのは男の性だろうか。ならば仕方ない。
俺は先日の夜、電話でした話を切り出すことにした。
「そういや、この前の件は一応解決しました」
「そっか……ふふっ、よかったやん。仲直りできて」
「いや、仲直りとはニュアンスが違うと言いますか……」
「まあええやん?細かいことは。これでまた部活動が始められるわけやし」
「そっちのほうはさりげなく辞めたいんですが……」
「まあまあ、案外悪くないもんやろ?そういう形で誰かと一緒にいるのも」
「…………」
いたずらっぽく笑う彼女に、俺は黙って頷いた。
*******
昼を少し過ぎたくらいに、全ての仕事が片づくと、東條さんが、今度は小さなポーチを二つ持って、駆け寄ってきた。
「今日はお疲れさんやったね。はい、これ」
そのうちの一つを手渡されると、それが何なのか、何となく想像できてしまう。
「……あの、これ……」
「ん?そんな慌てんでも、家に来て手料理も食べたんやし、今さらやろ?」
「はあ……」
そうなのかもしれないが、さすがにここまでされると、ボッチとして訓練されてきた奴じゃなければ、うっかり勘違いしてしまうんじゃなかろうか……一体この人はどれだけの男子を死地に送ってきたのだろう。
心の中で敬礼を送り、丁寧にポーチを開くと、そこには……コンビニで売っているおにぎりが二つ、ちょこんと入っていた。
……いや、いいんだけどね?
「あははっ、だって外で手作り弁当なんて渡してたら、カップルみたいやん?」
「……べ、別に何も言ってませんけど」
「ふふっ、自意識過剰くん♪」
「また旬なネタを……」
つっても、全然シチュエーションが違いすぎて、いつも通りにからかわれている気分にしかならない。
「まあ朝寝坊しただけなんやけどね」
「つまり、朝寝坊しなかったら手作り弁当が食べられた、と」
「う~ん、それはどうかなぁ」
含みを持たせて微笑む彼女の髪を、風が優しく撫でた。
控え目な香りがふわりと漂うのが、何だか前より馴染んだことのように思えた。
そのせいかはわからないが、つい思った事を口にした。
「そういや……東條さんって一人暮らしなんですね」
「うん、そうやけど……珍しいね。君からウチの事聞いてくるなんて」
「い、いや、何となく……」
彼女にそう言われると、急に気恥ずかしくなってしまった。特に変な意味合いもないはずなのに……。
そんな俺の様子を見た彼女は、またくすりと笑った。
「ふふっ……高校に入った時からよ。ウチの親、かなり転勤が多いから」
「…………」
それから彼女は穏やかなトーンで、小学校の頃の話を始めた。
五分程度だっただろうか。俺はなるべく想像力を働かせながら、その話に聞き入っていた。
*******
「ふぅ……久しぶりに小学校の頃思い出したなぁ。退屈な話だったやろ?」
「……いえ、そんな事は……」
彼女の小学校時代は、転校が多く、友達づくりにも苦労したとのことだ。まあそうじゃなくても友達いない奴もいるしな……誰の事かは伏せておく。
ただ、話の内容よりも、遠い過去を見つめる彼女の横顔が、ひどく寂しそうに見えたのが、胸を締めつけた。
だがそれも数秒だけで、すぐに跡形も残さずに消えてしまった。
「じゃあ、今度は比企谷君の小学校時代について聞こうかな」
「いや、それはさすがに……本気で面白味の欠片もありませんし……」
「ええよ、それで……それに、比企谷君の小学校時代なんて気になるやん?」
「は、はあ……」
そういうものなんだろうか……まあ、別に隠す事でもないからいいけど……。
「じゃあ小学校時代の誕生日やフォークダンスの楽しい思い出を……」
「おっと……これは心して聞かんといかんね」
しょうもない話の連続になりそうだが、少しでもいいから彼女が笑えばいいと思う。
心の片隅でそんな事を祈りながら、俺はなるべく明るく思い出話を始めた。
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DOWN TOWN #8
「♪~~」
「希、今日は機嫌いいわね。何か良いことでもあった?」
「別に~、いつもどおりやよ」
エリチの言葉についつい首を傾げてしまう。そんなに舞い上がっているように見えたのだろうか?
つい自分の頬を触ってみると、エリチがこっちを見ながらニヤニヤ笑っていた。
「な、なぁに?」
「ふふっ、いつものように誤魔化そうとしても私にはわかるわよ」
「はあ……」
エリチの宝石のような青い瞳は、本当に全てを見透かすくらいに輝いている。しかし、ウチ自身にもわからない。そもそもどんだけ機嫌よさそうやったんやろ?
思い当たる節はなくはないけど……まあそれが全部じゃないし。
「さっ、練習練習♪」
「……比企谷君ね」
「っ!」
何故かはわからないけど、図星を突かれたみたいに体がビクッとしてしまう。
……何でやろうね?
「も~、エリチったら。いきなり変なこと言わんでよ~」
「ふふっ、たまにはいいじゃない。だって事実なんだし」
事実……なんかなぁ?
色々あって、最近連絡を取り合うことは多いけど、彼と話してる時の感覚がそういうのかは正直わからない。
……そもそも恋がよくわからないのかもしれない。
告白された事とかは一応あるけど、転校が多いという最もらしい理由をこじつけてお断りしていた。
それに、周りの女の子達の恋愛話にもあまり興味が持てなかった。
「希~……もしも~し」
「えっ?ああ、ごめん。ぼーっとしとった」
おっといけない。つい考え込んでた。
すると、エリチが頭を撫でてきた。
「何でいきなり子供扱い……いつもはそっちがポンコツやのに」
「そうだったかしら?この私がポンコツだったことなんて一度もないけど」
「今世紀最大のウソをどうもありがと」
「それより、比企谷君のこと色々教えなさいよ。どんな風に知り合ったのかしら?」
「エリチどうしたん?やけに食いつくね~」
珍しい。普段は男子の話なんてしないのに。
すると、彼女は何故かドヤ顔で笑った。ポンコツが少し出てきたね。
「だって……あんな素敵な目をした男の子、初めて見たわ」
「……目?」
つい首を傾げてしまう。
おかしいなぁ?私が知ってる比企谷君とエリチが言ってる比企谷君は別人なんやろうか。
彼の目はどんより濁っていて、スピリチュアルの力で何とかしたいと思ってたんやけど……まあ、あのままでも可愛くはあるかな?
エリチはどこかうっとりした表情をしている……こ、これはマジなやつやね。
「それで、希」
「な、なぁに?」
「比企谷君について、できるだけ詳しく教えてくれないかしら?」
「……ウチもまだ詳しく知らんからねぇ」
よくよく考えてみれば、まだウチは比企谷君の事はそんなに知らない。
入ってる部活や、変な作文は知ってても、もっと日常的な事についてはよくわからない。
この前も比企谷君の哀愁漂う思い出話やったし……今度はそういう話もしてみようかな。
「希~、もしも~し。ふぅ……やっぱりライバルになりそうね」
「え?なんか言った?」
「何も」
「いやアンタ達、何話してんのよ」
いつからいたのか、にこっちがジト目でこちらを見ていた。今日も相変わらずにこっちやね。
「どうかしたん?」
「さっきから黙って聞いてれば……いい?私達はアイドルなのよ。男に現を抜かしてる暇なんてないんだから!」
「そ、そうやね!アイドルやもんね!よしっ、今日もレッスン頑張ろう!」
エリチの追及を逃れる為に、ウチは全力でにこっちの話に乗ることにした。後でにこっちにはブラ○クサンダーでもあげよう。
「あっ、希!もう……」
エリチの視線を背中に感じながら、自分の頬が少し紅くなっている気がした。
*******
「ふぅ……」
家に帰り、ベッドに身を投げ出すと、やっと気持ちが落ち着く。
エリチ……一目惚れしたんやろうか。
お堅い性格の彼女にしては意外だけど、予想外の出来事なんて、人生幾らでも起こる。
……ウチにもいつか、そんな日が来るんやろうか?
とてもじゃないが、想像がつかない。
いや、今はそれより……比企谷君に電話しとかんと。好きな食べ物くらいは……何のためかはわからないけど。
彼の番号を選択すると、飾り気のないコール音がしばらく鳴り続けた。
七回……八回……九か「はい」
その声につい笑みが零れてしまう。
「ふふっ、やっと出た。ねえ、比企谷君……」
さあ、なんて事ない話をしよう。
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DOWN TOWN #9
「ふむふむ、ここが比企谷君の部屋か~。意外と綺麗にしてるんやね」
「…………」
……なんでここに先輩が!?
いや、今まで先輩とか呼んだことないんだけどね?
つい変なテンションで、そう考えたくなる今日この頃……。
クラスメートですら上がったことのない俺の部屋に、何故東條さんがいるのか。
理由は遡ること数時間前……
*******
「ほら、お兄ちゃん!腐った目してないで、はやくはやく!」
「へいへい」
休日の昼間に妹の荷物持ちとか、兄冥利につきる話ではあるけれど、やはり家でゴロゴロしていたい。惰眠を貪りたい。
そんな気持ちを片隅に、小町の後ろを歩いていると、何故か視線を感じた。
そして、ふと目線を向けた先に、その人は立っていた。
「あら、比企谷君?」
「ど、どうも……」
まさか、また千葉駅近くで会うとは……何、この人?千葉大好きなの?それとも俺の事好きなの?
「ふふっ、どうしたん?そんな驚いて」
「いや驚くでしょ、そりゃあ……」
「今日も用事があって来たんよ。もしかしたら比企谷君に会えるかな~とは思ってたんやけど。本当に会えるとは……ウチら赤い糸で結ばれてるんやろうかね?」
「…………」
東條さんが頬に手を当て、いつものように悪戯っぽい笑顔を向けてくる。やばい……これはいつものパターンだ。
そう思っていたのだが、今回はそうはならなかった。
「ちょ、ちょっと、お兄ちゃん!こっち来て!」
いきなり小町から腕を引かれ、ひそひそと耳打ちされる。
「何だよ……」
「何だよじゃないよ!誰、あのグラマーな和風美人?小町、あんなの聞いてないよ!」
「……まあ、言ってなかったからなぁ」
「もしかして、比企谷君の妹さん?」
いつの間にか距離を詰めていた東條さんが、会話に割り込んでくる。
さっきとは打って変わった優しい笑みを向けてくるが、これが作り物であることはすぐにわかった。
……この人、間違いなく面白いものを発見したと思ってる。
しかし、そんな事はどうでもいいと言わんばかりに、二人は既に自己紹介を済ませ、会話を始めていた。
「それで、希さんはお兄ちゃんとはどんな関係なんですか?」
「いや、普通にただの知り合いなんだけど……」
ぼそっと言うと、東條さんはわざとらしく両手で顔を覆った。
「うぅ……ひどい……ウチと比企谷君の仲なのに~」
「あー、お兄ちゃん、ひど~い」
「…………」
どうやら余計な事は言わないほうがいいようだ。
首筋に手を当て、溜め息を吐くと、小町が東條さんに人懐っこい笑顔を向けた。
「あのですね~、今小町と兄は二人で買い物に来てるんですけど、希さんもよかったら一緒にどうですか?」
小町の唐突すぎる申し出に、東條さんは笑顔で頷いた。
「ええよ。もう用事も済んだし」
まさかの即答である。
ついつい口をポカンと開けていると、彼女はいつもの笑みで、心を揺さぶってきた。
「比企谷君がオーケーなら、やけど……」
断れるはずもないし、断る理由もない。別に嫌なイベントでもないし。
俺は黙って頷き、二人の後を静かについていく事にした。
心が少し……ほんの少し弾んだ気がしたのは、多分気のせいだろう。
そして、このことがちょっとした事故のきっかけになるとは、無論知る由もなかった。
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DOWN TOWN #10
「いや~、びっくりですよ~。まさかウチの兄に、希さんみたいな美人な知り合いがいるなんて~」
「あははっ、小町ちゃんはお上手やね~」
「…………」
二人の後をとぼとぼついていきながら、何だか不思議な気分になる。あと小町がこちらを時折窺ってくるのが気になる。何を話しているのか、何を聴いているのか。
すると、東條さんはこちらに意味深な笑みを向けてきた。
「な、何ですか……」
「別になんでもないよ~、それより何でそんな離れとるん?」
「いや、ほら……安全確認大事ですよね?」
「その割には挙動不審でちょっと危険人物みたいやけど」
「失礼な。それだけ周囲に気を配ってるってことですよ。てか、小町に変なこと吹き込まないでくださいよ」
「変なこと?んー……例えば、初めて出会った時に君がウチの濡れた巫女服をいやらしい目で見てたこととか?他には……」
「いえ、そういう事ではなく……」
「ふふっ、心配せんでもお姉さんは可愛い比企谷君の恥ずかしい場面をばらしたりはせえへんよ」
得意気にそう言いながら、彼女は頭を撫でてきた。
いや、だからそういう行動を慎んで欲しいんですが……。
「くっ……うらやましい!」
「ちょっとアンタ、何見とれてんのよ」
「ザキ」
「はあ……まったく、ボッチのくせに」
周りからぼそぼそと怨嗟の声が聞こえてくる。そして、その中に混じっている俺をボッチだと決めつける声。いや、当たってるんだけどね?
とりあえず誰が言い当てたのかを確認しようとすると、そこにはそれらしき人物はいない。
……どうやらステルス機能をお持ちらしい。
「ふふっ、顔赤くなっとるよ?どうかしたん?」
「いや、アンタのせいでしょうが」
「あわわわ、お、お兄ちゃんが……綺麗な年上女性に頭なでなでされてる!しゃ、写メ撮ってお母さんに見せなきゃ……」
「落ち着け、小町。変な誤解の種にしかならんからやめろ。あとそれぐらいで感動して泣くな」
「でもでも!あのお兄ちゃんがだよ?小町嬉しいよ……あっ、希さん。もっと撫でてくださいよ~」
「はいは~い」
「…………」
とりあえずやめて欲しいのだが、何故かしばらくされるがままになっていた。
……別に気持ちよかったとか、そんなんじゃない……はず。
*******
「それで、アイツはいつの間にかいなくなってるわけですが……」
「あははっ、これもスピリチュアルやね」
いや、絶対に違う。ただの計画的犯行だろう。
そもそも小町の荷物持ちで来たのだから、もう用事はなくなったわけだが……。
なんて考えていると、東條さんがいきなり近くから顔を覗き込んできた。
ふわりと優しい香りが漂い、その心地よさに包まれた気分に沈みかけると、厚みのある唇が動いた。
「二人っきりは……嫌?」
「っ……!」
もちろん演技に決まってる。それは理解している。
しかし、理解しているからといって、この上目遣いに無反応でいれるほど悟りは開いていない。
彼女もそれを理解しているのだろう。いつものように悪戯っぽい笑顔を見せると、俺の返事を聞くこともなく歩き出した。
「比企谷君。ウチ、あのお店が気になるんやけど」
「…………」
用事はなくなったが、どうやら別の用事が入ってしまったらしい。
俺は大人しく東條さんについていく事にした。
*******
彼女について行った事を俺は早くも後悔していた。
「……そ、それで、さっそく水着売り場ですか?」
やたらカラフルな空間に、女子のみの集団やカップル。しかもやたら甘い香りがするし、とにかく居心地の悪さだけは抜群だった。
無論、東條さんは、そんなの気にかけることなく、いくつかの水着を手に取りながら話を続けた。
「ふふっ、そろそろ夏の曲のMV撮影があるんよ。皆は去年買ったばかりっていうから」
「…東條さんは持ってないんですか?」
「ウチは……」
東條さんは胸元を押さえながら、そっと耳打ちしてきた。
「去年のはもうきつくなったんよ」
「…………」
絶対に動揺してなるものかと気を強く持っていると、彼女は「う~ん……」と伸びをしてみせた。
すると、ただでさえ豊満な胸がより強調される。視界の端っこでは、カップルの男が女に頭をはたかれていた。
「よしっ!じゃあ、比企谷君はウチにどんな水着着て欲しいん?」
ブラジリアンビキニ。
「いや、俺はそういうのよくわからないんで……」
うっかり心の声が出るとこだったぜ……。
だが妄想は止めることができない。これは俺が悪いんじゃない。社会が悪い。違うか。違うな。
東條さんは俺の心を読んだかのように、露出度の高い水着を手に取った。これこそ本当のスピリチュアルだろ……。
「その反応……そっかぁ。比企谷君はこういうのが好みなんやね」
「いや、そ、そんなことないですにょ……」
噛んでしまった。
おかしい、別にやましいことなどないのに。
「本当は?」
「好きです……い、いや、そうではなくてですね……」
いかんいかん。本当は、と聞かれたらうっかり口が滑るシステム発動してたわー。っべーわ。
東條さんはクスクス笑いながら、わざとらしく胸元を隠した。
「あんまエッチなのは無理やけど、可愛いのにするから期待してええよ。じゃ、ウチは着替えてくるから。水着売り場の外で待っててくれる?」
「えっ?いや、そっちが……」
すると、東條さんは何故かそっぽを向きながら答えた。
「……や、やっぱり恥ず……ミュージックビデオを楽しみにしてて欲しいやん?せっかくやし」
「そ、そうすか。じゃあ、近くの自販機で飲み物買ってきます」
水着姿を拝むイベントには入らねえのかよ……神様何考えてんだ。
俺は少し……ほんの少しやるせない気分になりながら、水着売り場を出た。
去り際に見た彼女の横顔。頬が少し赤い気がした。
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君は天然色
東條さんが水着を購入してから、とりあえず喫茶店で一休みすることになった。
店内はそこそこ賑わっていたが、まだ空席がちらほら見えたので、すぐに座れた。
案内された腰を下ろすと、ようやく人心地ついた気分に浸れる。
「ふぅ……」
「ふふっ」
零れ出た溜め息に東條さんが可笑しそうに口元を手で覆う。
「……何か?」
「ちょっと疲れすぎなんやない?もしかして、運動不足?」
「いや、これは足が疲れたんじゃなくて、人混みに疲れただけですよ。メンタルが……」
「それは……御愁傷様やね」
気まずそうに目を逸らしながら、苦笑いされている。おや?どうやら引かれてますね、これは。
すると、普通の笑顔に戻った彼女は、メニューの一つを指差した。
「何にするか悩んどるなら、これなんかいいんやない?」
「?」
白く細い指が置かれた場所を見ると、そこにはカップルで頼むためにあるような、ストローが2つささったカラフルで映えそうな飲み物の写真があった。
「……随分喉渇いてるんですね。俺の分の水あげましょうか?」
「なるほど~、今日はそう切り返すんやね」
「な、何の話ですかね?」
そう毎回毎回、西片君ばりにからかわれてたまるか。
顔を上げずにメニューを一つ一つ精査していると、やたらと視線を感じてしまう。あぁ……きっとにやにやしてんだろうな。絶対に顔を上げないでおこう。
「奉仕部のほうは最近どうなん?」
「はっ?」
予想していなかった質問に、つい顔を上げると、そこには想像していたのとは違う種類の微笑みがあった。
……この人は笑顔だけで何種類あるんだろうか。確かめていたい気がする。
その気持ちを押し殺し、メニューを一旦テーブルに置いた。
「……いきなり母親みたいな質問ですね」
「μ'sではそういう役割やからね。最近はエリチのお世話が大変やし」
「はあ……お世話?」
「それがね、君と会ってからやけに髪型とか衣装が年下の男の子にウケるかどうかを気にしたり、休み時間毎に君のことを聞いてくる日があったり……比企谷君のせいで大変な事になっとるんよ?」
それは本当に俺のせいなのだろうか?
わからないが、一応謝っておいたほうがよさそうだ
「……なんか、しのびないっす」
「構わんよ」
クスクスと笑う東條さんの口元にうっかり見とれそうになったところで、まだ注文を済ませてないことを思い出し、俺と彼女は慌てて注文した。
何を注文したかって?言うまでもなく普通のコーヒーだよ。
*******
喫茶店を出て、しばらくぶらついたところで、俺はあることを思い出した。
「……そういや傘返さないと」
「……ああ、そういえばすっかり忘れとったね~」
東條さんも今思い出したかのような反応だ。まあ、最近雨降ってなかったしなあ。いや、ちゃんと返す予定はありますよ?当たり前じゃないですか。
「じゃあ、今から取ってきましょうか。そんなに時間はかからないと思うんで」
「ウチも行っていい?」
「…………それじゃあ今から取ってきます」
「ウチも行っていい?」
「…………」
どうやら聞き間違いではないようだ……マジか。マジで言ってんのか、この人。
女子がウチに来たがるとか……中学時代なら、小躍りしていたかもしれない。
だが断る。
「あっ、すいません。ウチ散らかってて、今来客とかは……」
「よしっ、決まりやね!じゃあ行こっか♪」
「っ!?」
東條さんは俺の腕を取り、歩き出した。
正直抵抗できなかったが、それは決して肘の辺りに感じる柔らかな感触のせいではない。ハチマン、ウソ、ツカナイ……。
*******
「へえ、ここが比企谷君のお家かぁ~」
「まあ、そうですけど」
ごく普通の比企谷家を見ながら、東條さんはやたら目をきらきらさせている。そんなに珍しいものでもないはずだが……。
大変不本意ではあるが、来てしまった以上、一応はもてなしておかないと、小町からお叱りを受けてしまう。
「あの……と、とりあえずお茶でも淹れますんで……」
「……ありがと♪」
こうして比企谷家に……さらには俺の部屋に東條さんが上がることになったのだが……。
「比企谷君、どうしたん?汗かいてるけど」
「い、いや、エアコンがあまり効いてないようで……」
「そうかなぁ?でも、」
笑いながら胸元をぱたぱたさせる東條さんから、慌てて目を逸らす。い、今、谷間が見えたような……てか、わざとじゃねえだろうな。この人の厄介なところは、普段は狙ってやってるのに、たまに天然なのが含まれているところだ。これがスピリチュアルの力か。違うか?違うな。
なんて考えているうちに、東條さんが立ち上がり、怪しげな笑みを浮かべた。
「さてさて、じゃあ始めようかね」
「何をですか?」
「もちろん、比企谷秘蔵のエッチな本探しに決まっとるやん?」
「…………」
何がもちろんなのだろうか。
えっ、何?俺が知らないだけで、女子の中では男子のエロ本探しがブームなの?エロ本探しなうとかTwitterにあげちゃうの?その光景、映えるの?
彼女はベテラン捜査官のような余裕たっぷりの笑みで、ある場所に狙いをつけた。
「まずはベッドの下からやね」
「いや、そんなのありませんから。しかもベッドの下て、今時……」
「ええっ!?……な、な、ないの?ウソやろ?」
「いや、なんつー驚いた表情してんすか……」
一体何を確信していたのだろうか。
ちなみにベッドの下には何もない……ベッドの下にはな。
せいぜいこの前パソコンでスクールアイドルのライブ映像を見た時、優木あんじゅの動画をいくつか保存したくらいだ。あとは……
「本当にないん?比企谷君なのに」
「比企谷君なのにって……まあ、そんなの読んだら魂が汚れますからね」
「そっかぁ。じゃあエリチのスクール水着写真を枕の下に入れとくね」
「いやいや、何やってんすか」
「いらんかった?」
「……い、いりませんけど?」
「表情とセリフがあっとらんよ」
……なかなか鋭い。てか、何故持ち歩いているのか。
すると、東條さんがベッドの下を漁った時の震動からか、棚から何かが落ちてくる。
そのあるものを見た俺は、冷や汗が背筋を伝うのを感じた。
「あら?これは……」
「ちょっ……」
それはやばいやつだ。
回収するべく、俺は一歩踏み出した。しかし……
「あっ……」
「えっ?」
しかし、勢いあまってしまい、足を滑らせた俺は、東條さんごとベッドに倒れてしまった。
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君は天然色 #2
「いたた……」
「…………」
ぎしぎしと軋むベッドの音。密着する柔らかな温もり。混じり合う吐息。驚いた丸い瞳。呼吸に合わせて動く豊かな双丘。
あらゆるものが意識を埋めつくし、時間が止まったような感覚がした。
こんなにも女子と顔を近づけたのは、生まれて初めてだという事実も、頭の片隅に追いやられていた。
それぐらい目の前の東條さんは……綺麗だった。
ぽってりした唇に視線がいき、あとは釘付けにされたかのようにそのままでいると、ふっとその唇が動いた。
「……比企谷君」
「は、はい……」
言葉はぼんやりと、耳をすり抜けていった。中学時代なら、勢いに身を任せ、何らかの行動を起こしていたかもしれない。
このまま、甘い香りに誘われてしまったら、どれだけ……。
そこで、また唇が動いた。
「これは……とんだドスライズやね」
「…………」
いやドスライズって何だよ。
しかし、急に場の空気が弛緩した気がした。
「あの、比企谷君……そろそろ、どいて欲しいんやけど?」
「っ!す、すいません!」
慌てて体を起こし、すぐに手を差し出す。無意識で出してしまった手は、頼りなくぶらぶらしていたが、東條さんが掴んだことにより、安心感を得た。
「もう……びっくりするやん?」
「す、すいませんでした……」
「比企谷君ったら……意外とオオカミなんやね」
「いや、そういうわけでは……」
頬を紅く染めながら、わざとらしく言う東條さん
この人ならば、自分の意思で頬を紅くすることができるんじゃないかと考えると、なんか複雑な気持ちになるが……。
「でも……」
東條さんが躊躇いがちに口を開く。
その瞳は微かに濡れていて、上目遣いがやけに色っぽく思えた。
そして、彼女は胸元に手を当て、言葉を紡いだ。
「さっきの比企谷君……男らしかったよ」
「ああ、そうですか」
「え~、反応薄くない?」
「さすがに今のはわかりやすいというか……」
「そっかぁ、比企谷君もウチの事を理解し始めたんやね。えらいえらい」
「…………」
何故頭を撫でるのかとツッコミをいれたいところだが、今はやめておこう。別に何だか気持ちいいとか、そんなんじゃないとだけ言っておこう。
「ふふっ♪」
「…………」
しばらくの間、東條さんは俺の頭を優しく撫で続けた。
俺は、彼女の赤い頬を眺めながら、時計がチクタクと時を刻む音に耳を澄ませ続けた。
「ところで……」
そこに、東條さんの声が乗っかってくる。
「この写真は何なのかな~?」
「あっ……」
いかん。さっきのドスライズとやらで、すっかり忘れていた。
ニヤニヤと笑う彼女の手には、メイド服を着用した彼女の写真があった。
……はい。先日、秋葉原に行った時、ふらっと入ったスクールアイドルショップにて購入してしまいました。
「ふぅ~ん、そんなにウチのメイド姿が見たかったんかな?」
「……い、いや、これは……」
「ん~?」
「いや、だから……」
「どうしよっかな~?可愛い比企谷君の頼みやからな~♪」
「べ、別に頼んでるわけじゃ……」
だから見られたくなかったのだ。これならエロ本が見つかったほうがマシである。持ってないけど。
得意気な笑みでこちらを覗き込んでくる東條さんは、そっと顔を耳元に近づけてきた。
「ふふっ、また今度ね……御主人様♪」
「っ!」
耳をくすぐる吐息のせいだろうか、それとも甘い囁きのせいだろう
とにかく、頭の中が真っ白になり、ふわふわと天にも昇るような気分が脳内を隙間なく満たしていった。
*******
その後、からかわれ続け、小一時間ほど経ったところで、東條さんは帰ると言い出した。
玄関を出て、もう一度我が家を見上げた彼女は、来た時と同じような表情を見せた。
「ふぅ……また来ようかな」
「いや、まあ……どっちでもいいですけど。てか、うちにスピリチュアルな何かがあるんですかね?」
「う~ん、どうやろ?比企谷君の家やからね」
「それ、褒められてるんですか?」
「もちろん。今日も比企谷君からはスピリチュアルなエネルギーが溢れとるね」
「いや、今テキトーに言ってるでしょ……」
しかし、もし本当なら、俺がボッチなのはスピリチュアルな力が、人を寄せつけないからということになる。違うか?違うな。
それより、我が家を見上げる東條さんの横顔は、少しだけ……気のせいと思えるくらいに少しだけ、寂しげに見えたのは何故だろうか?
「よし、レッツゴー!」
「…………」
いつの間に自転車を用意した。いつの間に後部座席に座った。これこそスピリチュアルだろ。
「……そこは小町専用なんで」
「はぁ……ウチの足、震えとる。いきなり比企谷君に押し倒されたからやろうか?」
「…………」
どうやら拒否権はないらしい。まあ、別にいいけど。なんだかんだバイトの時、世話焼いてくれるし。
「あんまスピードは出しませんよ?暑いんで」
「ええよ。ウチもそのほうが好きやし」
ゆっくり座席に座ると、いつもと違う重みを背後に感じ、気が引き締まる。
すると、背中に暴力的ともいえるくらいの凄まじい柔らかさが密着してきた。
「っ!!」
「比企谷君、どうかしたん?」
こ、この人……わかってやってんのか……!
いや、しかし……そんな……いや、もう考えるな。背中に密着しているのはクッションだ。何の変哲もないただのクッションだ。
心の中で何度も念仏みたいなのを唱えながら、俺はゆっくりと自転車を漕ぎ始めた。
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君は天然色 #3
夏休みの過ごし方……それはやはり、エアコンの効いた部屋で読書やゲームやアニメが最高だと思うし、これまではそれを実践してきた。
しかし今年はだいぶ違った。何故なら……
「比企谷く~ん。そろそろ休憩入ってええよ~」
「……はい」
こうして、俺は夏休みに入ってからも、たまに神社でのバイトに励んでいた。立派な社蓄への道をコツコツ歩んでいるようで、何なら今すぐ帰りたい。しかし……
「比企谷君、今日はやけに頑張ってるね。何かあったん?」
「……いや、別に何も。まあ、何もないからこそ、こうして有り余ったエネルギーを発散させているんだと思いますけど……」
結局、宿題を終わらせ、部活は休みなので、自然と仕事に精をだしてしまう。関係ないけど、精をだすって下ネタにも聞こえます!
そんなくだらないことを考えているとは知らずに、東條さんは腕を組み、感心したように頷いていた。それにより、胸が強調されているが、おそらくご褒美だと思うので、黙ってチラ見しておくとしよう。
「うんうん。とっても健全やね。そんな健全な比企谷君には、このMAXコーヒーを上げよう♪」
「……どうも」
さらにMAXコーヒーのご褒美までつくとか、さてはここ……優良ホワイト企業だな?
俺は幸運に感謝しながら、とろけるように甘い液体で喉を潤した。
「美味しそうに飲むねえ」
「実際美味しいですからね」
「この前のシチュエーションとどっちが美味しい?」
「……何の話ですかね」
「比企谷君がウチを押し倒したり、二人乗りの時に背中で胸の感触を味わったり……」
「…………そういや、μ'sのほうは最近どうですかね?」
「露骨に話題をすり替えたね~。皆元気にやってるよ。誰か気になるん?」
「いや、別に」
「まあまあ、もうだいぶスクールアイドルの顔も覚えたんやろ?比企谷君の推しメンは誰かお姉さんに言ってごらん♪」
推しメン、か……まあ、あの人しかいないな。
「……優木あんじゅ」
「え、何て?聞こえんかったからもう一度」
「……優木あんじゅ」
「……そっかぁ。ああ、喉が渇いたなぁ」
「えっ?」
東條さんは、いきなり俺の手からマッ缶を奪い取り、こくこくと飲み始めた。
それ、まだ半分以上残っていたんだが……。
あと間接キスになってますけど……。
すぐに飲み終えた彼女は、空になった缶を俺に渡し、爽やかな笑顔を向けてきた。
「さっ、休憩終わりだから、そろそろ行こっか♪」
「は、はい……」
何故だろうか。いい笑顔なのに、目が笑っていない気がするんだが。
しかし、そこにツッコむ勇気はなく、黙って立ち上がると、彼女は今思い出したと言わんばかりのテンションで、衝撃的な一言を呟いた。
「あっ、そうだ。今度海行こっか」
「……は?」
そんな一言をはっきり理解するのに、俺は数分の時間を要した。
*******
どこまでも広がる青い海。
真っ直ぐに横たわる水平線。
そして、穏やかに揺らめく海。
……マジか。本当に来たのか。
先日東條さんから言われた時には、冗談かと思い流していたのだが、昨日の夜連絡が来たのにはマジで焦った。
まだ現実味がないからか、砂浜から伝わってくる熱も、周りを取り囲む喧騒も、どこか遠く感じる。
ちなみに、東條さん……達は着替え中だ。
まあ、そろそろ来る頃だと思うが。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!おっ待たせ~!」
まず着替え終ったのは、ディアマイシスターか。
こちらにとてとてと歩み寄ってくる小町は、可愛らしい黄色い水着を着ていた。とはいえ、妹の水着姿だが……
「ほらほら、何か言うことはないの?」
「ああ、世界一可愛い」
「うわ、テキトー……でも、あの二人の水着姿を見て、そのテンションでいれるかな」
「…………」
小町の言葉に、つい想像力が働き始めるが、ここは何とか抑える。落ち着け。俺は家に帰りたいだけなんだ。
「比企谷く~ん!」
ざわめきが砂浜を揺らした。
振り向くと、絢瀬さんがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。モデルばりのプロポーションに加え、白い肌と水色のビキニ姿がひたすら眩しく、男子だけでなく、女子の視線も集めている。
そんな視線を気にもせず、彼女はこちらに得意気な笑みを見せた。
そして、その後ろを東條さんが苦笑いで歩いている。言うまでもなく周りの視線を集めながら。
すると……
「おい、見ろよ。アイツ……」
「うわ……美少女3人も……」
「ザキ」
「ちっ、ボッチのくせに!!」
やはりこうなるか……てか、なんでお前は俺がボッチなの知ってんだよ。そろそろ正体が知りたい。
しかし、どこにもそれらしい姿は見当たらなかった。ちっ、逃げやがったか……。
「ふふっ、比企谷君どうしたん?顔、赤いけど」
「い、いや、嘘ですよね。全然赤くないですよね」
「さっ、比企谷君、オイル、塗ってくれないかしら」
「……は?」
「比企谷君、オイル塗ってくれないかしら」
「…………」
まさか、このようなベタなイベントに遭遇する日が来ようとは……何ならこの前夢で見たくらい理想的なイベントである。
だが断る!!
「いや、その……さすがに直接触れるのは、アレなんで……」
「照れなくてもいいわ。私も初めてだから、ね?」
「…………」
言い方がエロい気がするのは気のせいでしょうか?
「比企谷君、塗ってあげたらええやん?」
「…………」
逃げ道を塞ぐように、東條さんがニヤニヤと笑顔を向けてきた……アンタ、絶対に楽しんでるだろ。
*******
「よしっ、ありがと!比企谷君♪」
絢瀬さんは、やたらいい笑顔で砂浜へと駆け出した。顔が赤かったのは陽射しのせいだろうか。どちらにしろ……疲れた。
くっ……おいしい体験のはずなのに、ほとんど記憶にねえよ!MOTTAINAI!
「比企谷君、比企谷君」
「…………」
東條さんの声が聞こえただけで、嫌な予感がした。むしろ確信した。
「ウチにも塗って♪」
「い、いや、その……」
「なんで~、エリチには塗ってあげたんやろ?」
「ぐっ……」
「ふふっ、お・ね・が・い♪」
「…………」
拒否権はないらしい。知ってたけど。
俺は緊張を紛らすようにため息を吐き、サンオイルをゆっくりと右手に垂らした。
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君は天然色 #4
何とかサンオイルを塗り終わり……
「比企谷君、まだ塗っとらんやろ?」
「…………」
くっ……話数が変わったから、いつの間にか終わってた的な流れになると思っていたんだが……。
どうやらキチンとやらねばいかんらしい……果たしてメンタルが持つのだろうか?絢瀬さんでだいぶ削られたんだけど。
いや、腹をくくれ……とりあえず……何も考えるな。
「じゃ、じゃあ……塗ります」
「うん、お願い♪」
俺は手にオイルを垂らし、彼女の剥き出しの背中に視線を落とした。
白い肌は陶器のように滑らかで、その曲線はまるで芸術品のようだ。
そして、腰はしっかりとくびれているのに、それなりに肉付きはいい。このスタイルが、あの巫女服の下に隠れていたかと思うと、何だか背徳的な気持ちに……おい、考えないと誓ったばかりだろうが。
ようやく背中に触れると意外なくらいの柔らかさに、鼓動が跳ねた。
「ひゃうっ!」
「っ!」
……びっくりしたぁ。
意外なくらいかわいらしい声に、逆にこっちが驚いてしまう。い、今の本当にこの人の声か?
「あはは、ごめんねぇ。くすぐったくて、つい……」
「わ、わかりました……」
気を取り直して、もう一度背中に手を触れる。
「んぁっ……!」
「……あの……わざとやってますか?」
「ち、違うよ~。だから、なるべくはやく終わらしてくれんかなぁ」
「りょ、了解……しました」
まだ来たばかりなのに、ここまで心身を削られるとは……やっぱ常に心身安定しているボッチ最高だな。
*******
「はぁ……はぁ……」
ようやくオイルを塗り終えた俺は、精神力を使い果たしたせいか、砂浜に寝そべっていた。おかしい。定番のラッキースケベなイベントのはずなのに、こんなに疲労感があるなんて……リトさんやっぱパネェな。
「ほら、比企谷君も泳がんともったいないよ?」
この疲労感の原因である東條さんは、さっきのあれこれを完全に忘れ去ったように、いつものテンションに戻っていた。やっぱりわざとだったんじゃねえか?この人……。
「それとも、今度はウチが比企谷君にサンオイル塗ってあげようか?」
「いや、俺はそういうのいいんで……」
「じゃあ、ウチが泳ぎ教えてあげる♪」
「……普通に泳げるんですが」
「え~、じゃああっちの沖まで競争する?」
「いや、しませんから。アンタめっちゃ体力ありそうだし」
「あははっ、比企谷君はウケるなぁ」
「いや、ウケねえから」
やめて!このやりとりは別のキャラクターとのだから!先回りしないで!
*******
東條さんにからかわれながら、テキトーに波に身を委ねていたら、いつの間にか昼になっていたので、小町と東條さんは昼食を買いに行った。
ひとまず買っておいた飲み物に口をつけると、絢瀬さんがずいっと身を寄せてきた。近い近い近い!
「ふふっ、比企谷君、楽しんでる?」
「……まあ、ぼちぼち」
「それはそうと、比企谷君は希と付き合ってるの?」
「っ!げほっ、げほっ!」
唐突すぎる質問に焦ったせいか、飲み物が気管に入ったようだ。
「だ、大丈夫!?ご、ごめんね……」
何回か咳き込んだものの、絢瀬さんに優しく背中をさすられ、何とか早めに立ち直れた。
「……ふぅ……だ、大丈夫ですけど、てか、いきなりどうしたんですか?」
「んー、そりゃあ、気になるわ。親友がいつの間にか素敵な男の子とお近づきになってるんだもの」
「はあ……」
何とか平静を保っているが、素敵なという誉め言葉に心がしっかり反応してしまっていた。
「それで……質問の答えは……」
「いや、言うまでもなく付き合ってませんよ」
「そっか……なら、えと……り、りり、り、立候補しようかしら……チカ」
「……はい?」
「あわわ……ご、ごめんなさい!今の忘れて!」
絢瀬さんは、走って海の中へと突っ込んでいった。その瞬間の海が割れたような衝撃に、周りの客は恐れ戦いていた。
「…………」
どうしてそんな事を聞くのかと悩むほど鈍感ではない。だからこそ、対応に困るのだろう。色々と疑問はあるが、せめて今だけは、この喧騒と波音がかき消してくれたらいいと思った。
「お待たせ~」
「焼きそば買ってきたよ~」
急に二人の声が聞こえたので、ビクッと肩を跳ねさせてしまう。何も後ろめたいことなどないのに。
「あれ?エリチは?」
「ああ……海に向かって走り出しました」
「な、何で?」
「よくわからないんですが……」
「ふぅ~ん。よくわからないんやね」
東條さんは、前屈みになり、こちらの顔を覗き込んできた。そのせいで豊満な胸がさらに強調されているのは、わざとなんでしょうか。
「……ほんとに、わからない?」
「…………」
上目遣いが意味していることは何だろうか?
彼女の質問への答えはわかっていても、それだけはさっぱりわからなかった。
からかっているのか、試しているのか。それとも……
「あのー、お二人さん?いちおー、小町がいるんだけど、忘れてないですか?」
「……いや、別にそんなんじゃねえよ」
「ふふっ、忘れとらんよ。小町ちゃん♪ エリチ呼んでくるね。そろそろ危険人物扱いされそうやし」
「はいは~い、お願いしま~す」
「すぐ戻ってくるからね。自称鈍感くん♪」
「…………」
東條さんの背中を見ながら、俺は何とも形容しがたいこの気持ちに、どんな名前がつくのだろうかと、つい考えそうになり、慌ててかぶりを振った。
……今は考えなくてもいいだろう。
「お、お兄ちゃんがあんなやりとりするなんて……はやくお母さんにメールしなきゃ!」
「…………」
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君は天然色 #5
「あぁ~、楽しかった♪」
「………」
帰りの電車の中、東條さんが楽しそうに呟くのを聞きながら、俺は窓の外を見ていた。
夕焼けがたゆたう海に降り注ぎ、キラキラと輝きを撒き散らしているのを見ていると、そこに懐かしさみたいなのが湧き上がってきた。
「な~に黄昏とるん?」
「いえ、なんか久々に海に行ったんで……」
「日光、人混み、塩水……比企谷君の苦手なものばっかやからね。ちょっと疲れたかな?」
「いや、勝手に変な属性つけないでね?確かに人混みきらいだけど……」
他はそうでも……いや、夏の陽射しとか暑すぎて苦手かもしれん。塩水も苦手かもしれん……あれ、当たってる?
隣で寝息をたてる絢瀬さんと小町を横目に、東條さんと話していると、不思議と疲れがとれる気がした。まあ、小町の寝顔があるからな。
しかし、その穏やかな空気をかき乱すように、彼女は何故か顔を近づけてきた。
「な、何すか?」
「ふふっ、だいぶ日に焼けたね~。これはこれでいい感じやと思うよ。健康的で」
「そ、そうですか」
「うん。普段より活発に見えるよ」
マジか。なるたけ家から出ないで済む、やらかい未来へ邁進中なんだが……。
ていうか、顔近い息が耳にかかるいい匂い可愛い……。
思考がこんがらがって、何をどうしたものかとなり始めたところで、ようやく東條さんは離れた。
「比企谷君」
「はい……」
「呼んでみただけ♪」
「なんすか、それ?」
やめて!その付き合いたてのバカップルみたいなノリやめて!うっかり勘違いしちゃうから!何ならキャラ崩壊して、次回から彼氏面しちゃうまである。しないけど。
すると、東條さんは口元に手を当て「う~ん」と考える素振りを見せた。
「ねえ、やっぱり比企谷君って、呼びづらいと思うんよ」
「……そうですか?」
ここにきて、まさかの名字ダメ出し?と普段なら思うだろうが、彼女の表情から、何故かそれはただ言ってみただけに思えた。
「そうやね~、じゃあ、今日から八幡君って言わせてもらおうかな」
「すいません。勘弁してください。てか文字数変わってませんから」
「ん~?……そうやね。ウチみたいに、休日にこき使って、いつもからかう先輩から名前で呼ばれるなんて……嫌やろうね。しくしく……」
「…………」
あからさまに演技なのだが、それでも潤んだ目で上目遣いされ、腕を組んで胸を強調されると、どうにも罪悪感やら思春期男子の純粋な心やらを刺激されてしまう。
「そういうわけで、名前で呼んでみてええやろ?面白そうやし」
「……いや、今はまだ心の準備が……」
「じゃあ、明日までにしといてね♪」
「…………」
ダメだ。言い返せねえ……何なの、この人?陰蜂並みに勝てる気しないんだけど。
ため息とともに、もう一度窓の外に目をやると、海に注ぐ夕陽の光が、からかうようにキラキラと瞬いていた。
*******
千葉に到着すると、俺と小町は一足先に電車を降りた。ちなみに、絢瀬さんは眠ったまま、「八万……」とを呟いている。羊の数だろうか。
「希さん。今日はありがとうございました!絵里さんにもよろしくお願いします!」
「うん。また一緒に遊ぼうね、小町ちゃん」
「……それじゃあ」
小町が背を向け、歩き始めたところで、彼女はさっと距離を詰め、耳元で囁いてきた。
「それじゃあね……八幡君」
「…………」
あまりに突然の響きに、俺は何も返事できなかった。
そして、そうしているうちに、甘い香りを残して彼女は離れ、扉が閉まり、俺も背を向けた。
「お兄ちゃん、希さんから何言われたの?」
「……次のバイトのシフト」
「ふ~ん、そっか。頑張ってね」
小町は俺の言った事を信じていないだろうが、それでもそれ以上聞いてくる事はなく、てこてこと歩き始めた。
電車が完全に見えなくなってから、ようやくおもいだしたように、一つの事実に思い至る。
夏はまだ始まったばかりなのだと。
*******
数日後……。
俺は千葉の林間学校にて、ボランティアに勤しんでいた。
もちろん自主的にではなく、小町をダシにして呼び出されたのだが……。
そんな風に、強制的に連れてこられた林間学校にて、俺は東條さんと電話で話していた。
休憩時間に、まるで狙いすましたかのようなタイミングで電話がかかってきたのだ。まさか、近くにいるんじゃなかろうか……いないな。
「へえ、林間学校にボランティアとして参加しとるん?」
「……ええ。まあ」
「そっかぁ。頑張ってるんやね」
「いえ、無理やり連れてこられただけなんで……何なら今すぐ帰りたいまであるんですが」
「ふふっ、そう言いながらも真面目にやるのが八幡君なんやけどね」
「…………」
「ちなみに、ウチらは今真姫ちゃん家の別荘で合宿しとるんよ。ちょうど海もあるから、ミュージックビデオ撮影しとるんよ。この前の水着で」
「……そうですか」
そう言われると、自然とμ'sの水着姿が浮かんでくる。
「妄想も捗るやろ?」
「……そうですね」
「もう、照れてそんな棒読みせんでもええやん?」
「それよか、そろそろ練習に戻らなくていいんですか?」
「それもそうやね。じゃあ、なんかおもろいことあったら教えてね」
「……まあ善処します」
「それじゃあね~」
通話が途切れると、急に蝉の鳴き声が大きくなった気がした。
ていうか、名前で呼ばれてるのに、特に違和感ないのがヤバい。何がヤバいかよくわからなくてヤバい。
「はちまーん!どうかしたの?」
「いや、何でもない……今行く」
「あっ、ちょうどよかった。八幡、連絡先交換しない?」
「えっ?ああ、わかった」
マジか。戸塚の連絡先が手に入るとか、なんて棚ぼた……これも、あの人のスピリチュアルな力のおかげかもしれん。
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君は天然色 #6
「ふふっ……」
八幡君との電話を終えると、自然と笑みが零れた。そっかぁ、今は林間学校かぁ。どんな顔でボランティアしてるのか見てみたいなぁ。想像つくけど。
「どうしたの希?ニヤニヤして」
「ん~?何でもないよ。いい天気だなって思っただけ」
「そう。あまりにニヤニヤしていたからポンコツ化したかと思ったわ」
「……エリチ、今ウチは今年一番傷ついたよ」
「何で!?」
まさかエリチにポンコツ扱いされるとは……ウチも注意せんとあかんね。
すると、今度はにこっちがやれやれといった表情で溜め息を吐いていた。
「なにやってんのよ、二人して。ぼさっとしてたら、次の新曲は、このにこにーがセンターに……」
「「そろそろ練習に戻ろっか」」
「ちょっと無視しないでよ!」
*******
その日の夜、八幡君の妹の小町ちゃんから電話があった。
内容は想像していたものとはだいぶ違った。
「え?八幡君が何かおかしい?」
「そうなんですよー。おかしいというか、おかしな事を考えてそうというか……」
小町ちゃんは言いたい事を上手く言葉にできないでいるみたいだ。でも、いつも彼を見ている小町ちゃんだからこそわかる何かがあるんだろう。
沈黙で続きを促すと、小町ちゃんはまた口を開いた。
「しかも、そういう時のお兄ちゃん、小町の経験上、最悪で最悪で……とにかく最悪なんですよ」
「ふふっ、小町ちゃんはお兄ちゃん想いなんやね。八幡君が可愛がるのもわかるなぁ」
「……え、えーっと……あっ、お兄ちゃん来たそれじゃあ失礼します」
「うん、それじゃあね」
彼が何をするのか、小町ちゃんから聞いた状況から、何となく想像してみる。
カードで占ってみても、あまりいい結果はでない。
多分、彼は精神的にかなり疲れて帰ってくるだろう。
でも、周りにはそんな素振りをちっとも見せないだろう。
その時、ウチに何ができるかはわからないけど……何かできたらいいな。
とりあえず今度会ったら、小町ちゃんをワシワシしてみようかな。
そんな事したら、多分八幡君に怒られそうやけど。
*******
予定外のボランティアや、奉仕部の活動に忙殺され、ようやく林間学校が終わった。
車は行きの出発点に近づき、慣れた街並みにほっとしていると、その中に見覚えのある人物を見つけた。
「あれ?あの人……」
「…………」
由比ヶ浜も気づいたようだ。そういや、メイドカフェで会ってたよな。この人の行動範囲がよくわからん。そのうち、うちの学校の購買でパン売ってそう。バナ納豆パンとかやばそうなやつ。
「ほぅ……」
平塚先生のバックミラー越しの面白そうな視線が、何だかくすぐったかった。
停車した車から降りると、スタスタ歩きながら、東條さんがこちらへやって来た。
「あっ、八幡君。偶然やね~」
「……そうですね。」
白々しい嘘に苦笑いを浮かべていると、小町がボソッと「お義姉ちゃん候補がよりどりみどり♪」とか呟くのが聞こえた。
「確か、海の見える別荘で合宿してたんじゃないんですか?」
「もう終わったよ。それで、用事があって千葉に来たら、まさかこんな場所で会うなんて。これもスピリチュアルな力のおかげやね」
白々しい嘘に、俺は首筋に手を当て、しばし瞑目した。まあ、用事はあったのかもしれないが。
そして、それと同時に安堵のような言葉では形容しがたい不確かで曖昧で温かな何かを感じていた。
「まあ、お互いに合宿から帰ってきたことやし、今から甘い物でも食べに行かん?」
「いえ、荷物があるので今日はこのまま……」
「なるほど。一旦家に置いてから出てくるんやね」
「…………」
どうやら逃がす気はないらしい。ここで逃げようものなら、家までついてきそうだ。まあ逃げる理由もないんだが。
それより、視界の端で小町が平塚先生に何か話しているのが気になるんですが……。
「あの!」
すると、由比ヶ浜もしゅばっと手を挙げた。
「ど、どっか行くなら、あたしも一緒に行っていいかな!?ゆ、ゆきのんはどう!?」
「私は失礼させてもらうわ。疲れているし、それに……」
雪ノ下の視線の先には、雪ノ下姉がいた。ひらひらと笑顔で手を振っているが、やはり怖い。あれ?似たようなオーラを出す人が今近くにいるようだ。
「八幡君、どうかしたん?」
「い、いえ、なんでも……」
共通点は圧倒的戦力を誇る胸部か……そこにオーラが詰まってるんですかね……あ、なんか納得だわ。
「ヒッキー?」
「そういや、ようやく帰ってきたって感じがするな」
「なんかめっちゃ話逸らそうとしてるし!しかも話題変えるのヘタ!」
*******
とりあえず、いつまでも外にいても仕方ないので、近くにある喫茶店に入ってから話をする事にした。
店内に流れている穏やかなジャズも、何だか懐かしく思える。
俺と小町、東條さんと由比ヶ浜で向かい合って座り、注文の品が来たところで、俺は改めて尋ねた。
「それで……今日は何故わざわざ千葉に?」
「そりゃあ、全国巫女集会に来たに決まってるやん?」
「…………」
そんなあからさまな嘘を信じる奴がいるわけ……いやいますね。信じてる人が二人。ほえーっとか、はえーっと言ってて、この二人の将来がマジで心配。
「もちろん冗談よ。知り合いに頼まれて、さっきまで近くでティッシュ配りやっとったんよ」
「……そうですか」
何故だろう。男子達がホイホイティッシュを貰っていくのが目に浮かんだ。何なら俺も取りに行くまである。いや、下心じゃなくて人助けだよ?ハチマン、ウソ、ツカナイ。
「八幡君、林間学校は楽しかった?」
「楽しいとかそういうんじゃないでしょ、あれは。まあ、なんつーか、休日出勤のいい練習になりましたよ」
「う~ん……ウチの知ってる林間学校と趣旨が違うような」
「あたしがさっきまでいた林間学校とも違う……」
「お二人は間違ってませんよ。ただ兄がバグってるだけですから」
「バッカ、お前……いち早く世の中の仕組みを理解しただけだろうが」
「あははっ、やっぱ八幡君はおもろいなぁ」
「八幡君……」
由比ヶ浜が繰り返すように呟くのを聞きながら、ミルクと砂糖をぶちこんだコーヒーに口をつけると、東條さんが、鞄からがさごそと何かを取り出した。
「実はバイト先で、こんなのもらったんやけど。今晩皆でやらん?」
そう言いながら彼女が掲げたのは、大量の花火だった。
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君は天然色 #7
東條さんの提案で、急遽花火をすることになったのだが、まだ夜まで結構な時間があるので、とりあえず時間を潰す事になった。
それはいいのだが……
「何故ウチに……」
「まあ細かい事はええやん?比企谷君の部屋でエッチな本を探す捜索隊が増えたわけやし」
それがイヤなんですが……それと由比ヶ浜……「一体何冊あるんだろ」とか小声で言うな。顔を赤らめるな。
「じゃあ、小町も参加します!」
「せんでいい」
小町ちゃん、お兄ちゃんがそんなもの持ってると思ってたの?ちょっとショックなんだけど。
こうしてあるはずのないお宝捜索隊が結成された。
いや、活動させないけどね?
「残念やね。八幡君なら『探せ!性癖の全てをそこに置いてきた!』とか言いそうなのに……」
「いつからそんなキャラ付けされてたんですかね」
忸怩たる思いである。むしろ紳士扱いされてると思っていたのだが……。
「八幡、君……」
背後で由比ヶ浜が何か呟いたが、近くを通りすぎた車の音にかき消され、よく聞こえなかった。
*******
数時間後。
「八幡よ、何故に貴様が夜の公園で花火など、リア充なイベントを?」
「それよかお前はいつからいた。話はそれからだ」
「まあまあ、花火は皆でやったほうが楽しいよ、八幡」
いきなり参加する運びとなった材木座はともかく、戸塚の参加は素直に嬉しい。スピリチュアルな力を今だけは信じちゃうくらいだ。
しかし、まさかこのメンバーで花火をすることになるとは、ある意味これが一番スピリチュアルやね!
まあ、実際企画してくれたのは東條さんだし……。
すると、彼女としっかり目が合った。
「ん?どうかしたん?」
「……いえ、何でもないですけど」
「ふふっ、そんな可愛い顔されたら気になるやん?」
「……そ、そりゃあ、暗くて視界が悪くなってるんですかね?」
「あははっ、そうかもしれんね♪」
彼女は勢いよく放たれる虹色の光を、うっとりと見つめながら、くすりと笑ってみせた。
ぼんやりと頼りない光が浮かび上がらせる輪郭や、その小さな笑顔が、切なくなるような儚さで、やけに胸の奥底を締めつけた。
「……比企谷君、何をそんな暗い顔してるの?」
「え?あ、いや……え?」
何の前触れもなく、背中に柔らかい感触と共に甘い囁き声が乗っかってくる。こ、これは……ま、まさか……いや、間違いなく……
「エリチ……だいぶ早い到着やね」
「そりゃあ、比企谷君……じゃなくて、希から呼ばれれば5分で飛んでこれるわ」
その速度は色々と超えちゃってる気がするんですが、いいんですか……あと背中に当たってるのが色々と変な気分になるんで離れてくれると嬉しいんですが……。
「あの……ヒッキーが困ってますから!」
すると、由比ヶ浜が左腕にしがみついてきた。それと同時に柔らかいものが肘に当たる。いや、だからそれだとさっきより困った状況になってるからね。
「じゃあウチはこっちとった~!」
やはりこの人も参加してきたか……ええい、そのしてやったりな表情やめい。色々と本気になったらどうしてくれる。
「なんだ、あの羨ましい状況……」
「おのれ、八幡……貴様はこちら側であろう……!爆発せよ!」
「ちっ、気に入らねえぜ!ボッチのくせによ!」
「エクスプロージョン」
何やら怨嗟の声が聞こえてくる。
おい材木座、何故お前まで一緒になっている。
そして、そこのお前……何故お前は俺をボッチだと……ちっ、逃げやがったか。
それとエクスプロージョンはやめてね、皆巻き込んじゃうから……。
*******
しかし、いざ始めてみると早いもので、東條さんが持ってきた花火は3分の2ほど消化された。
小町と由比ヶ浜はまだまだはしゃいでいるが、俺は端っこで線香花火の小さな光を見つめていた。あぁ、なんか落ち着く……。
「一人で寂しくせんで、ウチもまぜて~」
東條さんが隣に来て、自分が持つ線香花火を俺のにくっつけてきた。
すると、二つの花火は合体して、ほんの少しだけ大きな塊になる。
このなんともいえない状況に、どちらからともなく笑いあった。
「このままやるしかないかな」
「……そうっすね」
二人して、ぼんやりと灯る炎を見つめる。材木座達が騒ぐ声や、花火の弾ける音が遠ざかった気がした。
「綺麗やね」
「ええ、まあ……」
「でも、なんか悲しい色やね」
「……かもしれませんね」
「ごめん。冗談やから気にせんでええよ」
「そうなんですか?」
「うん……そうなんよ」
ぱちぱちと小さな火花を散らしながら、ゆっくり燃え尽きていく姿は、確かにそう見える。
やがて小さな炎は地べたに落下し、あっという間に消えた。
東條さんの横顔を見ると、街灯の弱々しい光に照らされた瞳が、淡く優しく揺れていた。
その目はここではないどこか……もう戻りはしない何かを見ているようだった。
それだけで急に心がざわつき、何か言わなければいけない気がした。
「……もう一本やりましょうか」
「そうやね。また……合体させる?」
「いや、合体とか……」
「あははっ、比企谷君は何を考えとるんかな~」
それは健全な意味のほうでよろしいでしょうか?
いつものように俺をからかう笑顔にほっとしながら、俺は彼女に線香花火を差し出した。
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君は天然色 #8
夏休み最終日。
特にやることもないという、ある意味一番贅沢な一日を過ごし、あとは明日に備えて寝るだけ……と思っていたら、携帯が震えだした。
まあ、こんなタイミングで電話をかけてくる人は、あの人以外にいないだろう。
「やっほ~。こんばんは、八幡君」
「……どうも」
予想的中。しかし、彼女も少し眠いのか、声が若干とろんとしていた。
「あらら、夏休みがあと1ヶ月足りない~って顔してそうやね」
「……まあ否定はしませんよ。てか実際足りないと思うんですが……」
「まあまあ、そんな事言わずに。二学期はイベントがあって楽しいやろ。ウチらも文化祭があるし。八幡君もそうやろ?あと修学旅行とか……」
「そういや、そんなイベントがありましたね……」
うっかりしていた……そういやあったな。まあ、ぼーっとしてりゃ、そのうち終わってるだろ。できるだけ楽な作業に割り振られることを祈る。
「う~ん、かなりめんどくさそうやん……」
「まあ、どうにかして何もやらないをやるかを考えているところですね」
「ふふっ、それじゃあウチが当日行こっかな。なんか面白そうやし」
「今のやりとりのどこに面白そうな要素が?」
「文化祭じゃなくて八幡君が、だけど」
「いや、それこそ面白味にかけると思うんですが……」
「いやいや、八幡君こそ自分の面白さに気づいとらんやろ?八幡君よりからかいがいのある男の子はなかなかおらん」
「そりゃあ、どうも……つーか、褒められてる気がしない……」
「ウチの中では大絶賛なんやけどねえ」
俺の周りの女子、褒め方が下手すぎやしませんかね……褒められてるのに心が削られてる気がするんだが……。
「もちろん八幡君は音ノ木坂の学園祭に来てくれるんやろ?」
「……まあ、用事がなければ」
「うん。それでええよ。来たらたっぷりからか……もてなしてあげるから」
「今からかうって言おうとしてましたよね?本音隠せてませんよね」
「あっ、流れ星」
「誤魔化し方が雑すぎる……」
「八幡君を楽しくからかえるシチュエーションに出会えますように。よしっ」
「星に願っちゃったよ……てか、そんな願ってまで望むもんですかね」
「もちろん。ウチはね、こう見えて結構寂しがり屋さんなんよ」
「……そう、なんですか?」
それは意外な気がした。
なんだか実年齢より精神的に大人びて見えるからだろうか。
そんな事を考えていると、彼女はすぐに声色を変えた。
「うん。そうなんよ。ウチ、寂しがり屋だから……構って♪」
「っ…………」
甘い声音に脳が蕩け、体に電流が走ったかのような感覚。
たとえ自分の見せ方を心得ている者のフェイクだとしても、胸が高鳴らずにはいられなかった。本当にずるいな、この人……。
そして、彼女はスピリチュアルな力のおかげかは知らないが、それすらもお見通しのようで……
「ふふっ、可愛い?」
「……あー、そろそろ寝たほうがよくないですか?」
「素直やないね」
「明日に向け、体力を温存したいんですよ」
「じゃあ、八幡君が二学期を頑張れるように、ウチからプレゼントを送ろうかな」
「は?プレゼント?いや、それは……」
「そんな警戒せんでも、割と素敵なものやから楽しみにしててええよ」
「……そ、そうですか」
「おっと、もうこんな時間やね。それじゃあ、おやすみ~♪」
「あ、はい……って、もう切れてるじゃねえか」
電話をかけてくる時と同じでいきなりだな、と思いながら携帯をベッドに置こうとすると、再び携帯が震えだす。どうやら今度はメールみたいだ。
差出人は……やはり東條さんか。
しかもメールに画像が添付されている。
これがもしかして、さっき言ってたプレゼントってやつか……ぶっちゃけ開きづらい。
いや、あの人がウィルスを飛ばしてきたりしないのはわかってるんだけど……新しいからかいネタとかになりそうな……。
しかし、虎穴に入らずんば虎子を得ず。もしかしたら本当に良いものかもしれん。
意を決して画面を開くと、東條さんの水着写真がスマホに表示された。
この前着ていた物とは別の水着だった。さらに、派手目なアクセサリーも着けている。これは新しいPVに使ったやつか。
俺は苦笑いしながら、その画像を保存した。
……確かに良いものだ……こりゃあとんだドスライズだぜ。
夏休み最後の一日は、いつの間にか終わりを告げていた。
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君は天然色 #9
「へえ、八幡君が文化祭実行委員ねえ……」
「……まあ、寝てる間に勝手に決まったんですがね」
俺は神社のバイトの休憩時間に、東條さんと文化祭について話し合っていた。
二学期が始まり、さっそく文化祭実行委員を決めていたのだが、寝てたらいつの間にか決められていた……。
それを聞いた東條さんは、何故か優しく頷き、俺の肩に手を置いた。
「まあ、文化祭が終わるまではバイトも休みでええよ。どうせなら楽しくやれるといいね」
「……そう、ですね。そういや、そっちも今月の終わりには大会みたいなのがあるんじゃないですか?」
「ああ、ラブライブの事?そうやね……実は結構緊張しとるんよ」
「東條さんでも緊張するんですね。なんつーか……意外です」
「あははっ、ウチをなんだと思っとるん?緊張くらい普通にするよ」
そう言いながら笑う彼女は、たしかに普通の女の子に見えた。まあ、普段がスピリチュアルとかなんとか、やたらと風変わりだからな。
「八幡君はもちろん観に来てくれるんやろ?」
「……その日、用事がなければ」
「ありがと。じゃあ、ウチもしっかりいいもの見せんといかんね」
「…………」
いつから俺のオブラートに包んだこのフレーズは肯定の意味を持つようになったのだろう。まあ別にいいんだけどさ……。
「よしっ、しばらくバイト来れない分、今日はしっかり働いてもらおうかな」
「……了解」
しばらく彼女の顔が見れないという単純な事実に、胸の中に靄がかかったような気分になりながら、俺は立ち上がった。
*******
さあウチも頑張らんといかんね。
八幡君の高校の文化祭も楽しみだけど、今は練習に全力を注がなきゃいけない。
ただ、少し気になることがあった。
「穂乃果、少し飛ばしすぎですよ。休憩時間くらいはしっかり休んでください。最近夜もランニングしてるそうじゃないですか」
「もう少しだけお願い!ほら、大会まであとちょっとしかないから!」
「……わかりました」
最近、穂乃果ちゃんが頑張りすぎている。あれは明らかにオーバーワークだ。ただ本人の頑張りを尊重したい気持ちもあるので、海未ちゃんもあまり強く言えないでいる。
さらに……
「ことりちゃん、どうかしたにゃー?」
「えっ?あ、ううん。なんでもないよ。あはは……」
ことりちゃんも目に見えて元気がない。こう、何か言いたい事があるけど、言えずにいるみたい。これは……すごく深刻そうやね。
部活が終わってから聞いてみようかな。
「希、どうかした?」
「ああ、エリチ。なんでもないよ」
「そう。ならいいんだけど、あまり無理しちゃダメよ」
「あはは、エリチに言われるとは思わんかったわ」
「ふふっ、そう?じゃあ、私達もそろそろ練習に」
エリチは生徒会長の仕事もあるし、ここはウチがしっかりやらんとね。
*******
いざ始まってみると、文化祭の準備は予想よりかなりしんどいものとなっていた。
最初はそれなりに上手く回っていたのだが、雪ノ下姉に焚き付けられた実行委員長の鶴の一声で、ほとんどの実行委員がクラスの出し物を優先し始め、だいぶやばい事になった。
さて、どうしたもんかね……。
「ヒッキー!調子はどう?」
「…………由比ヶ浜か」
「今の間、何!?名前忘れてたとか!?」
「そ、そんなわけないじゃないかー」
「口調変わった!?もう、信じらんない!」
「まあ、それは冗談だが、どうかしたか?雪ノ下に用事か?」
「あー、それもあるんだけど、まあ、なんていうか……ヒッキーは元気かなって」
「まあ、今すぐ帰りたくなるくらいには元気だ」
「それ、本当に元気なの!?あ、ヒッキー的には元気だね」
「納得されちゃったよ。まあ、俺が言い出したんだが……そういや、クラスの方はどうなんだ?」
「えーと……巫女服着たいって言ったら却下されちゃった。あはは……」
「いや、当たり前だろ。『星の王子さま』に巫女なんて出てこないぞ。あれはそもそも日本の作品じゃ……」
「いや、それくらい知ってるし!そういうんじゃなくて……ヒッキーって、巫女服好きなんだよね?」
「……は?」
「だって希さんが言ってたよ?ヒッキーは三度の飯より巫女服が好きだって」
「いや、誰がそんな事……いや、言いそうなの一人しかいねえな。あの人何考えてんだ……」
「あはは、希さんってヒッキーからかうの好きだよね。わかる気はするけど」
「いや、わからなくていいから。そんなからかいがいのある奴じゃないから」
「彩ちゃんも言ってたよ。『じゃあ、僕も着て、八幡をからかおうかな』って」
「えっ、マジ?なんだよ、それ。どこだ。どこで見れるんだ?」
「あたしの時と反応が違う!ヒッキー、さすがに食いつきすぎだよ!」
「すまん、少し正気を失ってた……」
「そんなに!?ヒッキー、彩ちゃん好きすぎじゃない!?」
だって仕方ないだろ?戸塚が巫女服でからかってくるんだぜ……って、いかんいかん。戸塚は男子、戸塚は男子……。
「まったくもう……じゃあ、あたしはゆきのんのとこ行ってくるね。それじゃ頑張ってね。ヒッキー」
「……ああ」
由比ヶ浜を見送ってから、俺はスマホの画面を開き、東條さんにメッセージを送った。
普段なら10分もしないうちに返ってくるのだが、今日は夜まで返信はなかった。
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君は天然色 #10
「ふぅー……」
熱いお湯に浸かると、体の芯から疲れが解れていく気がする。
あれからスローガン決めのいざこざがあり、なんとか作業ペースはまともになったが、やはり疲れる。
それと気になることが一つ……いや、俺の気のせいかもしれないが。
湯気のようなぼんやりとした輪郭で、彼女の事を思い浮かべてみると、不思議とその表情は笑顔だった。
彼女は何かを抱えているように見えた。
それが何なのかはまだわからない。
だが、柄にもなく……何かできる事はないか、なんて考えていた。
*******
そして、文化祭当日。
色々あったが、とりあえず間に合った事に安堵しているのは俺だけではないだろう。
色々気がかりな事はあるが、まずは目の前の仕事を終わらせるしかない。
すると、いきなり目の前が真っ暗になった。
「だ~れだ♪」
いや、声だけでわかるんですが……あと背中に当たってます。何がとは言いませんが、柔らかいものが当たってます。はい……
「だ~れだ♪」
どうやら正解を言うまで拘束は解かれない仕組みらしい。
「……どうしたんですか、東條さん」
すると、ようやく拘束が解かれ、目の前が明るくなった。
そして、振り向くと悪戯っぽい笑顔で彼女が立っていた。
「さすがやね。声だけでウチと気づくとは……」
「……まあ、割と特徴ある声なんで。あと関西弁喋るのが他にいないし……」
「なるほど。それは迂闊やったね。ちなみに、本当にそれだけ?」
「…………」
これは色々と見抜かれているのだろうか、うっかりいらん事言わないようにしよう。新たなからかいの種を生むことになる。そろそろイジらないで、東條さんとか言ったほうがいいかもしれない。
すると、東條さん以外のメンバーも顔を見せた。
「…………」
「エリチ、どうしたん?」
「なんか距離が縮まってる気がするわ」
鮮やかな金髪を靡かせる絢瀬さんは、何故かこちらにジト目を向けていた。
そして、その様子を見て、矢澤さんが溜め息を吐いていた。
「まったく、アイドルなんだからもう少し周りの目を気にしなさいよ。周りにはこの宇宙一のスーパーアイドルにこにーのファンがいるかもしれないのよ」
「あははっ、にこっち、100%気のせいやから」
「なぁんでよ!?」
相変わらずのやりとりに何だか頬が緩みそうになる。
とはいえ、まだ仕事中なのを忘れるわけにもいかない。
さらに、この3人……やはり目立つ。まあ、たしかに……美人なのは間違いないからな。さっきから二度見していく野郎もいるし。なので、今は距離をとりたい。
「じゃあ、俺は行くんで。まあ、その……楽しんでってください」
「うん。それじゃあ、八幡君も頑張って♪」
疲れが少しだけ解れた気分になりながら、俺は仕事に戻った。
*******
あらら、こりゃ何かあったみたいやね。
さっき周りにいた人の中に、八幡君に敵意の籠った視線を向けた人がいた。もしかしたら、林間学校でやったような事をやったのかもしれない。
「どうかしたの、希?」
「ううん、何でもないよ。ほら、にこっち、迷子にならんようにしてね」
「なんで急に子供扱いすんのよ!?」
「まあまあ、にこっちやし」
「理由になってないわよ!」
現状が掴めない以上、今は文化祭を堪能することにした。
*******
そして、一通り見て回ったところで、文化祭終了のアナウンスがされ始めた。あとは体育館で有志によるステージパフォーマンスがあり、最後に地域奨励賞の発表などがあるらしい。
「私達も文化祭のパフォーマンス、しっかりやらなきゃね」
「当たり前よ。この宇宙一スーパーアイドル・にこにーがいるんだから。しょうもないステージなんて見せられないわよ」
エリチとにこっちは、改めて音ノ木坂文化祭への思いを強くしていた。
……結局、最初に穂乃果ちゃんとことりちゃんからは聞き出せなかったけど、まあ、今はパフォーマンスを成功させなきゃね。
すると、八幡君が走っていくのが見えた。
……何かあったんやろうね。さっきから、女の子が何人か誰かを探してるみたいやったし。
何故だか胸騒ぎがした。
私は八幡君が誰を探しているのかを知らない。
何ができるのかもわからない。
それでも、自然と足は動いた。
「ごめん。先行っててくれる?」
「え?いいけど……」
「……わかったわ」
にこっちとエリチは、首をかしげながらも頷いてくれたので、笑顔を返し、八幡君が走った方向に向かった。
彼はテキトーに走り回っているのではなく、どこかに向かっているような気がした……多分、屋上かな?
そこに何の根拠もない。ただ何となくそう思っただけ。μ'sが屋上で練習してるとかはさすがに関係ない。
駆け足で階段を上がり、さらに屋上へ続く階段を探していると、それはすぐに見つかった。
机や椅子でバリケードを作っているけど、それが不自然にずらされていて、上の方からガチャっと音がした。どうやら勘が当たっていたらしい。
これは本当にスピリチュアルやね。
少し得意げにバリケードを通過し、階段を駆け上がり、ドアノブに手をかけた。その時……
「だったら結果だけ持っていけばいいじゃない!」
女の子の怒鳴り声が響き、慌ててドアノブから手を離す。どうやらお取り込み中らしい。
何だかよくわからないままその場で耳をすましていると、背後から足音が聞こえてきて、すぐに身を隠した。さすがに部外者がいていい場所じゃない。
そして、陰からドアの前を窺うと、薄暗くてはっきりしないけど、多分男子一人、女子二人の三人組がドアを開け、屋上に出ていった。
再び耳をすませると、爽やかな男子の声と優しく労るような女子の声が、多分さっき怒鳴った女の子を説得していた。
だが、どうも埒があかないみたいだ。もうじきステージパフォーマンスも終わるんやないやろうか。
そう思った直後……
「はぁ~あ……」
うんざりしたような溜め息。
誰のものかはすぐにわかった。
そして、声のトーンがいつもと違うことも……。
それからは、ただ淡々と言葉が紡がれていった。
驚くほど鋭利で冷たい言葉は、どこか虚しく響き……なんだか胸を切なくさせた。
やがて、その言葉は誰かにより断ち切られ、壁に衝撃がきた。多分さっき来た男子だろう。
これが八幡君の思惑だったのか、屋上のドアからは女子二人に囲まれ、一人の泣いた女の子が出てきた。
「どうして……そんなやり方しかできないんだ」
その言葉を残し、男子も去っていった。
足音が遠ざかり、溜め息を吐くと、静寂だけが残った。本当にあっという間だった。
……今、彼はどんな顔をしているんだろう?
「ほら、簡単だろ?誰も傷つかない世界の完成だ」
誰も傷つかない、かぁ。君はそういう風にやってきたんやね。
自然と零れてくる苦笑いを、いつもの笑顔に変え、ウチは……私は扉を開けた。
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いつか晴れた日に
独り言を呟き、青空を見上げると、そっと扉が開いた。
目をやると、そこには東條さんが立っていた。
不思議と驚きはなかった。
彼女はいつか見せてくれたような包み込むような笑みを見せ、隣に腰を下ろした。
「お疲れ様。頑張ったね」
「いや、別に頑張っては……」
この人、全部聞いてたのか。てか独り言聞かれてたとしたら、相当恥ずかしいんだけど……。
しかし、彼女からはいつものからかうような笑みはなく、ただ優しい微笑みをで俺を見ていた
そして、まるで子供にするかのように、頭を撫でてくる。
「……恥ずかしいんですけど」
「誰もいないから大丈夫やよ」
「いや、そう言われても……」
しかし、東條さんはそのまま俺の頭を撫で続けた。
「ふふっ、えらい、えらい♪八幡君は頑張った。本当に頑張ったね。いい子、いい子♪」
どうやら拒否権はないらしい。まあ、仕方ない。東條さんだし。
つーかこれ、本当にやばい。何がやばいって、なんか気持ちよすぎてやばい。あとこの人の手の柔らかさがやばい。やばすぎて語彙力もやばい。
数秒そうしてから、彼女は自分の膝を指差した。お、おい、まさか……
「ちょっとだけ休んでええよ」
「い、いや 、さすがにそれはちょっと……そろそろ行かなきゃ行けないんで……」
「…………」
いや、そんなほっぺた膨らまされても……あざといし、可愛いし、やっぱあざといし……。
すると、彼女はいきなり目の前に来て、正面から俺の頭部をそっと抱きしめた。
「っ…………」
「君は本当に強がりさんやね。まあ、そこが可愛いとこやけど」
額に当たる柔らかな感触に胸が高鳴るが、何より彼女の優しさが胸に染み込んでくる気がした。
「さっきも言ったけど……お疲れ様」
「……どうも」
実際そうしていたのは1分ぐらいだろう。
でも俺にはやたら長く感じた時間だった。
それは、このままこうしていたいからだろうか。
今確かに言える事は、この温もりと優しさに俺は救われている。ただそれだけだった。
いつか少しでも、これと同じものを返せるだろうか。
まったく自信はないが、それでもいつか……なんて柄にもない事を本気で誓っていた。
やがて甘い香りを残し、彼女の体は離れた。
「よしっ……もう大丈夫そうやね。じゃあ、そろそろ行こっか!」
東條さんは、笑顔でこちらに手を差しのべていた。
俺は頬が緩むのをこらえ、その手をそっと握り、しっかりと立ち上がった。
それからは言葉など必要なく、二人で屋上をあとにして、体育館へと向かった。
*******
すべての作業を終え、足早に校舎を出て、校門を通過すると、見知った顔がそこに集まっていた。
「お兄ちゃ~ん!」
「やっほ~!」
「八幡く~ん!!!」
「ちょっ……あんま大声出さないでよ!恥ずかしいじゃない!」
まあ、なんというか……元気いいね。何かいい事でもあったの?と言いたくなるようなテンションである。
「……悪い。待たせた」
「ええんよ、ウチらが勝手に待ってただけやし」
「うわ、なんか意外……お兄ちゃんの事だから、『別に待ってなくてもよかったんだが』とか言うと思ってたよ……」
「それは、私がいるからかしら……やだ、もう」
「宇宙一のスーパーアイドル・にこにーがいるからでしょ」
なんか勝手に話が進んでいるのに苦笑いを返すと、自然と皆で駅の方へと歩き出した。
「いや~、やっぱり大きな学校の文化祭はすごいね~」
「……そういや、文化祭のステージはどこに決まったんですか?」
「うっ……」
俺の言葉に、何故か矢澤さんがギクッとなる。
すると、その様子に笑いながら絢瀬さんが口を開いた。
「実は、屋上になったのよ。公正なくじ引きの結果で」
「うぅ……だから何度も謝ってるじゃない」
そうか。矢澤さんがくじを引いたわけか。
なんかその場面が目に浮かぶわー。
絢瀬さんは、そんな矢澤さんの肩に、そっと手を置いた。
「大丈夫よ、にこ。誰も責めてないわ。それに、慣れた場所でできるんだからいいじゃない」
「そうやね。リラックスできて、うっかり過去最高のパフォーマンスになるかも」
「……そ、そうね!そうよね!絶対にそうなるわ!だってμ'sだもの!」
「わあ、楽しみです~!小町も絶対に観に行きますからね!」
女子4人の賑やかなトークの邪魔をしないよう、忍のようにこっそりと歩いていると、東條さんが何か思い出したように手を叩いた。
「そういえば、さっき話しとったんやけど、八幡君も頑張ったことやし、今度皆で巫女服着て癒してあげようってなったんやけど……」
「いや、それはさすがに……」
「戸塚君もOKしてくれたよ」
「マジすか。それいつやるんですか」
「お兄ちゃん……」
「八幡君は戸塚君が絡むと変なテンションになるからね」
「ですよね~、あれ何なんだろ?」
これが愛じゃなければ何と呼ぶのか、俺は知らなかったんだが……。
まあ、ご褒美イベントはさておき、これは観に行かなきゃなどと、珍しく外出に前向きな自分を誤魔化すように首筋に手を当てていると、東條さんが小声で呟くのが聞こえた。
「……よし。私も頑張らなきゃね」
「?」
あれ?今、なんか違和感が……。
しかし、この時の俺はその違和感を放置しておいた。
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いつか晴れた日に #2
文化祭が終わってから3日後。俺はベッドの上で悶えていた。
「うわぁ…………」
めっちゃ恥ずかしい。思い出すだけでも顔が真っ赤になりそうだ。あのまま東條さんの言うとおりに膝枕をされていたら、恥ずかしさで死んでいたかもしれない。
しかし、あの時癒されていたのは否定しようのない事実なわけで……さらに彼女の優しすぎる笑顔が、いちいち胸を締めつけていた。
すると、その内心を容易に悟り、からかうかのように携帯が震えだした。
相手が誰だかは言うまでもない。
「……もしもし」
「やっはろ~!」
「とりあえず、文字だけだと誰だかわかりづらいんで、いつも通りにやってもらえませんか」
「あはは、そうやね」
メタい話になったが、まあそれは些細な事だろう。
とりあえず、さっきまでのあれこれを悟られぬよう、至って平静を装い、いつも通りの声のトーンを強く意識した。
「そ、そろそろ、文化祭っすね」
「いや~、あれからエリチ達も、文化祭の準備張り切ってるんよ」
「……そうですか。てか、大変じゃないですか?生徒会とライブの練習両立すんの」
「まあ、大変は大変やけど、皆がいるから楽しいかな」
そういうのは多分、俺には無理な考え方だな。いや、プリキュア観てる時は思えるな。
「今、俺には無理な考え方だな。とか思ったやろ」
「……別に今スピリチュアルな力使わなくてもいいですよ」
「あははっ、使っとらんよ。ほら、八幡君の思考パターンって、慣れたら読みやすいから。ね?」
「…………」
いや、「ね?」って言われても……なんだ、それ可愛いっすね。
そこで、ふとこの前の違和感が胸をよぎった。
普段とは違う口調。
それだけのはずなのに、やけに引っかかった。
だが、今それを聞くのが正しいのかはわからない。
「もしも~し、聞いてる?」
「……あぁ、すいません。ぼーっとしてたんで」
「あらあら、せっかく八幡君を褒めちぎっとったのに」
「いや、絶対にそれはないでしょ」
「ふふっ、おかしいなぁ~。ウチはいっつも八幡君を褒めちぎってるのに、なんで疑われるかなぁ」
「褒めちぎるの意味をググったらどうですか?」
「それもそうやね……ふわぁぁ……八幡君の声聞いてたら、なんか眠くなってきたなぁ」
「話がつまらなくてすいません」
「あははっ。違うよ。ほっとしとるんよ。それじゃあ、おやすみ~」
「……ええ。それじゃあ」
訪れた静寂に、なんだか胸のあたりにぽっかり穴が空いたような気分になった。
*******
音ノ木坂学院・文化祭当日。
あいにくの雨だが、無事開催され、俺と小町は開始と同時に校舎の中へ足を踏み入れていた。
「わあ~……すっごい盛り上がってるね~」
「ああ、たしかに」
外はどんよりしているにも関わらず、校内はそれを感じさせないくらい盛り上がっていた。総武高校より規模は小さくとも、かなり活気がある。
すると、東條さんがこちらに駆け寄ってきた。
「やっほー、来たみたいやね。お二人さん」
「あっ、希さん!こんにちは~」
「……どうも」
「こんにちは。おやおや、八幡君?女子校だからって、そんなに緊張せんでもええんよ。むしろキョロキョロしてたほうが怪しいから」
「ま、まあ、それはわかってるんですが……」
客の女子率がこんな高いなんて聞いてないよ!
いや、マジで……男子なんて、片手で数えられるくらいしか見かけていない。うっかり回れ右するとこだったわ。
「ふふっ、たまにはええやん?女の子に囲まれるのも」
「……そ、それよか、ライブの準備はいいんですか?」
「今も絶賛準備中やけど?ほら、八幡君をからかって、エネルギー充電しとかんと」
「…………」
それで一体何が充電されるというのだろうか。
すると、彼女がほんの一瞬だけ不安そうに目を伏したのに気づいた。
それを気のせいだとは、どうしても思えなかった。
「……あの……」
「じゃあそろそろいかんとね。二人も最後まで楽しんでね~♪」
「わっかりました~♪」
「…………」
陽気に手を振り合う二人を見ながら、俺は黙って片手を挙げ、彼女を見送った。
これが気のせいならいいんだが……。
そう思いながら、彼女の背中が角を曲がるまで、俺は黙って見送った。
*******
小町としばらく色んな教室を見回ると、思いの外はやく時間が過ぎた。
「いや~、こっちの文化祭も楽しいね~」
「……まあ、裏でどんな面倒があるか知らなきゃな」
「またそういう事言う……本当は希さん……μ'sに会えるのが嬉しくてたまらないくせに」
「小町ちゃん。今言い直した理由はなぁに?」
そんなしょうもないやりとりをしていると、いきなり校内放送のベルが鳴り響いた。
「皆さん、お待たせいたしました!それでは14時から屋上ステージで、我が校が誇るスクールアイドル・μ'sのライブが始まります!雨の中ではありますが、是非足を運んでください!」
テンションの高い放送に、校内のあちこちから歓声があがる。これだけで、μ'sへの期待値の高さがわかるというものだ。私服姿の女の子もはしゃいでいるあたり、その知名度も上がっているのだと頷ける。入学希望者も増えてるらしいからな。
もしかしたら、その期待の高さで気負っているのだろうか。
「お兄ちゃん、どしたの?」
「……ああ、悪い。今行く」
……まさかな。
この時の俺は、俺自身の気持ちにすら気づいていなかった。
*******
わかりきっていた事だが、雨はさっきよりも強かった。風があまり吹いてないのが幸いか。
屋上は傘をさした観客でカラフルに彩られている。後ろの人はかなり見えづらいだろうが……本当に早めに来てよかった。
期待に満ちた空気がだいぶ高まり始めたところで、メンバーが登場し、空まで届きそうなくらいに歓声があがる。隣にいる小町も、片っ端からメンバーの名前を叫んでいた。
そんな中、東條さんと目が合う。
この偶然もスピリチュアルなんかね。
彼女は、雨に打たれながらも笑みを見せたので、俺は黙ったまま頷いた。
そして、興奮の為か、顔がやたら赤い高坂さんが喋り始めた。
「皆さん、こんにちは!私達はスクールアイドル・μ'sです!今日は最後まで楽しみましょう!」
元気な開幕宣言から、雨をかき消すような爆音と共に、ライブが開演した。
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いつか晴れた日に #3
ライブは勢いのあるパフォーマンスのお陰で、順調な滑り出しだった。
だが、おかしな点が一つ……
「穂乃果さん、どうかしたのかな?」
「…………」
小町が不安そうに呟く。
そう、高坂さんがさっきからやたらと息が荒い。あれだけ躍りながら歌っていれば、息があがるのは普通だと思うのだが、高坂さんのそれは、明らかに他のメンバーより目立っていた。
さっき、顔が赤いのは気持ちの高ぶりのせいだと思ったが、どうやら本格的に体調が悪いのかもしれない。東條さんや他のメンバーも、ちらちら視線を送っていた。多分、事情を知っているのだろう。そして、そのうえでライブ決行を決断したのだろう。
何の足しにもなりはしないが、ただ何事もなく終わるように祈ってみるも、そんなものは儚く打ち砕かれた。
「穂乃果っ!」
最後の曲を終えたところで、高坂さんはステージ上で倒れてしまった。
絢瀬さんや他のメンバーが高坂さんに駆け寄るのを見て、俺と小町も自然と足が動いていた。
その途中で、ステージに背を向け、歩き出す観客を見た時、雨がさらに強くなった気がした。
*******
それからは何もかもがあっという間だった。
高坂さんを運ぶのを手伝い、救急車が来て、それを見送ってから、そのまま小町と帰路に着いた。ただそれだけだった。
電車の中で小町と交わした会話もほとんど覚えていない。
ただ、彼女の……東條さんの哀しそうな横顔だけが脳内に焼き付いていた。
……今、何をしてるんだろうか。
すると、携帯が震えだした。
今日はもうかかってこないかと思ってたので、少し驚きながら携帯を耳に当てると、彼女の声が聞こえてきた。
「あ……もしもし、八幡君……今日はごめんね?」
「いや、別に謝る必要とかないですよ。てか、大丈夫だったんですか」
「うん。今は落ち着いとるよ。穂乃果ちゃん、昨日から熱がでてたみたいなんよ……」
「……あー、その……東條さんは大丈夫ですか?」
「ウチ?ウチは大丈夫。身体はどこも悪くないよ」
「いや、そういうんじゃなくて……」
しかし、彼女は続きを言わせてはくれなかった。
「ふふっ、あー元気でたなぁ。珍しく八幡君が優しい言葉をかけてくれたからやろうかなあ……あ、そういえば明日までにやらんといかん生徒会の書類作成があったんだ!ごめん、八幡君。また今度ね」
「えっ?あ……」
こちらが反応する前に、通話が途切れる。
訪れた静寂は、もやもやした気分を増幅させるだけだった。
その空元気に俺はただ一人で頷くことしかできなかった。
*******
それから数日間、お互いにそのまま連絡は取らなかった。
口実が見つからないなど、それらしい理由は思いつくのだが、本当の理由が自分でわかっているので、もどかしさを感じてしまうのだ。
とりあえず、それを紛らすように、μ'sのライブの結果を確認すると、そこには意外な結果が表示されていた。
「……辞退?」
そう、μ'sは予選を辞退したと書かれていた。
……一体何があったのだろうか?
たしかに途中で中止になったものの、それまでは上手くいっていたし、何よりわざわざ
頭の中によぎる不安から、とても目が離せそうになかった。
「あれ?お兄ちゃん、どったの?」
「……ちょっと出てくる」
小町に一言だけ残すと、学生服のまま家を飛び出した。
*******
不思議と電車の中では何も考えなかった。
何より今はただ東條さんの顔が見たかった。
駅に着いてからも、あとはひたすら神社までの慣れた道のりを走った。
そこにいる保証など、どこにもないのに。
ただ、予感はした……こりゃ俺もだいぶあの人の影響受けてんな。
すると、制服姿の彼女とバッタリ出くわした。
「……あれ?八幡君……?」
東條さんは目を丸くしていたが、同時に俺が来るのを予想していたかのようにも見えた。
「……どうも」
「ふふっ、どうしたん、急に?おつかいにしては遠出やね」
どうやら冗談を言う元気はあるらしい。まずはその事に安堵した。てか本当に今さらだが、大した口実もなしに千葉を飛び出して秋葉原まで来るとか、わけわからなすぎだろ。
にこやかにこちらの顔を覗き込む彼女に、とりあえず言い訳だけする事にした。
「いや、その……まあ、あれですよ。この前心配してもらったから、その借りを返すというか、なんというか……」
普段は理屈や屁理屈をこねくりまわすくせに、本当に肝心な時に気の利いた言葉の浮かばない自分に苛立ちながらも、それでも特に言葉は出てこなかった。
そりゃあそうだろう。勝手に心配して、勝手にここまで来ただけなのだから。わざわざその身勝手を口にすることもない。
だから、一言だけ……ひとかけらだけの本音を伝えた。
「……急に会いたくなっただけです」
「奇遇やね。ウチも八幡君に会いたかったんよ」
そう言って、彼女はやわらかな笑みを浮かべた。
「……そう、ですか」
「そうなんよ。ウチら、気が合うね」
「一方的に心読まれてる気はしますけどね」
「ふふっ、ここで立ち話もあれやし、とりあえずウチの部屋行こっか」
「…………」
そのまま俺と彼女は並んで歩き出す。
二人分の足音が、いつもより重なって響き、夜空へと溶けていった。
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いつか晴れた日に #4
「……お邪魔します」
「どうぞー」
東條さんの部屋に足を踏み入れると、やはりまだ慣れない感覚がする。まあ、特に何をするわけでもないので、そんなに気負う必要もないのだが。
「今コーヒー入れるから待っとって。砂糖とミルク多めでええやろ?」
「あ、はい……お願いします」
テーブルの近くに腰を下ろし、部屋の隅に目を向けると、小さな棚の上に普段占いに使っているタロットカードが置かれていた。
そして、その隣に写真立てが置いてあるが、ここからはどんなのかがよくわからない。
すると、東條さんがコーヒーを俺の前に置いた。
「はい、お待たせ」
「ありがとうございます」
「そうそう、下着はそっちの棚やないよ」
「ぶほっ!?」
いきなりすぎる一言に、咳き込んでしまった。なんだ、この人。俺に見せたいのか?見せびらかしたいのか?なんなら受けて立つぞ。
「いや、いきなりどうしたんですか……」
「だって、棚の方を真剣に見てるから、てっきり盗ろうとしてるのかと」
「…………」
つっこみすら入れず、とりあえずコーヒーに口を付け、気持ちを落ち着けることにした。また彼女のペースに乗せられているようだ。もう諦めてるけど。
その様子を見て、くすっと笑みを見せた彼女は、斜向かいの位置に腰を下ろした。俺は、その表情から、話を始める気配を感じた。
「じゃあ、ちょっと長い話になるけど大丈夫?」
「……いくらでも聞きますよ」
俺の言葉に意外そうな顔をした彼女は、すぐにいつもの表情になり、話を始めた。
*******
それからしばらくして、コーヒーが温くなる頃に、彼女は溜め息を吐いた。
「なかなか上手くいかんもんやねぇ……」
「…………」
どうやら活動休止の理由は、中心人物の高坂さんが抜けた事にあるらしい。
そして、そうなるのに至った理由は南さんの留学……とそれに関するすれ違いのようだ。
東條さんは、何かあるのに気づいていながらも、何もできなかった自分に対し、歯痒さを感じているのが、ありありと見て取れる。
そんな彼女は、窓の外に目をやり、溜め息を吐いた。
「もっとうまくやれてたらよかったんやけどねえ」
「いや、別に東條さんのせいじゃないでしょう。てか、誰が悪いとかでもないと思うんですが……」
なんというか、この人は一人で背負いこみすぎている気がするのだ。
本当は人一倍寂しがりで、俺みたいなどうしようもない奴でもついからかって構うくせに、肝心な時に一人で考え込む。
それを否定はしない。俺も似たようなものだから。
でも……だからこそ……。
「……たまには周りに、甘えてもいいんじゃないですかね。なんつーか、その……あんなにいいメンバーいるなら」
「まさか君から言われるとはねえ」
「自分でもそう思いますよ」
「……じゃあ、約束しよっか」
「約束、ですか?」
「うん。八幡君は、この前みたいな事になる前にウチに甘える。ウチは今回みたいな事になる前に八幡君に甘える。どう?」
東條さんは、小指を突きだしてきた。
それに対し、頬が緩むのを感じながら、そっと小指を絡めた。
ひんやりとした感触が合わさり、温もりになる瞬間がはっきりとあった。
「まあ、その機会がこないのが一番かと」
「ふふっ、そういうとこホント君らしいなぁ。でもせっかくやし……それじゃあ、ちょっと甘えようかな」
彼女の小悪魔めいた笑みに、びくっと肩が反応する。
「……今、ですか」
「うん、甘える♪そういうわけで、八幡君はベッドに座りなさい」
「……は?」
この人……今とんでもないこと言わなかったか?
聞き間違いかと思い、もう一度聞いてみることにした。
「すいません。聞こえなかったからもう一度……」
「そこに座って♪」
聞き間違いではないようだ。え、ホント何言ってんの、この人?
「あ、あの、何をするんですかね……」
「何をするというか、ウチがしてもらう側やね」
「…………」
いよいよわからなくなってきた……一体何をさせる気なのだろうか?
変な想像が勝手に膨らんでいくのを必死に押し止めていると、東條さんがじりじりとにじり寄ってきた。
「ふふっ、力抜いてええよ。あとはウチがリードしてあげるから」
「…………」
やばいやばいやばいやばい……!
しかし、こうなった以上、あとは自然の流れに身を任せるのも人生だろう。
しばし瞑目し、俺は覚悟を決めた。
*******
「ん~、気持ちいいなぁ」
「…………」
東條さんが、気持ちよさそうに目を閉じ、俺に身を委ねている。
そう、俺は東條さんに……膝枕をしていた。
……さっき変な妄想ばかりしていた自分が恥ずかしくて死んでしまいそうだ。
「八幡君の膝はなかなかの寝心地やね。エリチにも負けとらんよ」
「そりゃどうも」
「う~ん、このまま朝まで眠れそう」
「そ、それはさすがにきついんで……」
「zzz……」
多分、いや間違いなく寝たふりだろうが、今はそれでも構わなかった。
こんなことでも、彼女の役に立てることが嬉しかった。
*******
ぼんやりした視界の中、不思議なものを見た。
俺は何故か東條さんと南極にいた。どうしてそんな宇宙よりも遠い場所にいるかはわからないが、二人して光る何かを見て、ゲラゲラと笑っていた。そのぼんやりした光をしっかり見ようと目を凝らしたところで、その世界は消え去った。
「…………ん?」
慌てて時計を確認すると、なんと朝の8時を過ぎていた。
どうやらいつの間にか寝落ちしたらしい……やっべえ。なんかもう、やばい理由が多すぎて色々やべえ……いつ自分が寝たとかもわからんし、もう遅刻決定どころの騒ぎじゃないし、小町にも泊まってくるとか言ってないし、さらに女子の家で朝を迎えちゃったし……さらに……
「…………」
「すぅ……すぅ……」
目の前には天使がいた。
普段の東條さんのイメージからすると、女神とか言われそうなものだが、今の彼女はあどけない寝顔を晒している天使だった。
……やばい。急に心臓がばくばく鳴り出した。これ、なんかの病気じゃね?
俺は、その寝顔から目が離せずに、少し厚みのある唇が、何か言葉を紡いでいるのをじっと見ていた。
しかし、それが音を伴うことはなく、ただ彼女の中で完結していた。
……このまま時間が止まればいい、なんて本気で考えてしまった自分に苦笑していると、彼女が目を覚ました。
「……あ、八幡くぅん、おはよ~」
「……おはようございます」
寝ぼけ眼の彼女は、この状態にも動じることはなかった。それはそれでどうかと思うが。
「ごめんねぇ……ウチ、すっかり寝ちゃったみたいで……」
「いや、まあ……いつの間にか俺も寝てたんで」
「学校大丈夫?」
「もうどうしようもないんで、たまには重役出勤で」
「ふふっ、じゃあウチも今日は遅刻しよっかなぁ」
「いや、東條さんはギリギリ間に合うでしょ…」
「八幡君だけ遅刻させるわけにもいかんやろ?」
「今から急ぐのが面倒くさいだけじゃないですか?」
「それも半分くらいはあるかも」
「あるのかよ……しかも、半分」
「まあまあ、細かいことはええやん。それより、先にウチ、シャワー浴びてくるから」
「……あ、ああ、はい」
このシチュエーションでそういうことあっさり言うの、やめてくれませんかねえ。ひたすら心臓に悪いんで。
ただ、のろのろと浴室へ行った寝起きの彼女は、とにかく無防備らしく、衣擦れの音や鼻唄がやたらと脳を刺激してきた。
*******
交代にシャワーを浴び、東條さんが作ってくれた朝食を頂き、同時に家を出ると、なんだか妙な気分だった。
東條さんもそう考えているのか、いつもと少し違う笑顔を向けてきた。
「来てくれてありがとう。嬉しかったよ」
「いえ、特に何かしたわけでもないんで……」
「誰かがいてくれるだけで救われた気分になることもあるんよ」
その言葉に、屋上での事を思い出した。
同時に何だか照れくさくなり、首筋に手を当てた。
「……ならよかったです」
「ふふっ、それじゃあ、いってらっしゃ……じゃないや。またね、八幡君」
「ええ、それじゃあ」
そのまま二人して別々の方角に歩き出す。
どちらもこんな朝のような晴れやかな心で、一歩一歩刻んでいた。
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いつか晴れた日に #5
「えっ?μ's、活動再開するんですか?」
「うん。まあ、今度のライブは平日やけど、また土曜とかにライブするときは連絡するね」
東條さんの家に泊まってから三日後、どうやら問題は解決したようだ。
結果だけ見てみれば、南さんは留学を延期し、高坂さんはμ'sに戻り、すべて元通りだ。まあ、あれだ……この人の言うスピリチュアルな力が働いたということにしておこう。
東條さんの声も、いつもより弾んでいるように聞こえた。
「八幡君にはなんかお礼せんといかんねえ?」
「いや、お礼されるようなことは何もしてないんですけど……」
「今度会った時、普段より多目にからかってあげようかな」
「……それ、お礼じゃないような気がするんですが」
「まあまあ、八幡君も嫌いやないやろ?むしろ、好きやろ?」
「は?……い、いや、そんなことは…」
「素直になってええんよ。お姉さんはちょっとくらいは受け止めてあげるから」
「いや、俺は何を説得されてんですか。しかも、ちょっとしか受け止めねえのかよ」
「ふふっ、ほら……八幡君は色々すごそうやし」
「え?何ですか、そのイメージ」
「あっ、もうこんな時間。じゃあ、ウチはそろそろお風呂入ろっかなぁ」
「うわ、このタイミングで……いや、まあいいんですけど」
まあ、何というか……晴れても降っても、東條さんはやはり東條さんだった。
*******
そして迎えた休日の朝……。
「……おはよー。八幡くーん」
「…………」
「朝~、朝だよ~、朝ごはん食べて学校行くよ~」
「…………は?」
緩い朝の微睡みの中、やわらかな声が降りかかり、徐々に意識が覚醒していく。小町……じゃないよな……あと今日は休みのはず。
うっすら目を開けると、朝の陽射しがその姿を優しく照らし、なんだか神々しく見えた。
「おはよ♪」
「……」
そこには笑顔の東條さんが、ベッドの傍で中腰になり、こちらを覗き込んでいた。
「……な、なんで、いるんですか?」
いきなりすぎる展開に輪郭も朧気な言葉を発することしかできない。
しかし、彼女は事も無げに答えた。
「この前言うたやん?」
「…………」
この前……そういや、お礼がどうのこうの言ってたな……。
少しずつ思考が回り始めたのと同時に、彼女の私服姿を確認する余裕も出てきた。
「ふふっ、チャイナドレスじゃなくてごめんね?」
「……リクエストしたことありましたっけ?」
「でも、見たいやろ?」
「……ちょっと顔洗ってきます」
「うん、いってらっしゃい」
そう言ってにこやかに手を振る彼女の視線を背中に感じながらも、一つだけ考えた。
頼んだら、チャイナドレス着てくれるのか。
……いや、別に頼まないけどね?ハチマン、ウソ、ツカナイ。
*******
とりあえず顔を洗い、身支度を整える。
部屋に戻ると、本を読んでいた彼女は居住まいを正し、こちらに向き直った。
「じゃあ、改めておはよう」
「……どうも」
「よし、それじゃあ、行こっか」
「……あー、今日は大事な用事があるので」
「うんうん。ゲームもアニメもあとでいくらでも付き合ってあげるから」
「……わかりました」
こうして、よくわからないまま休日の予定が決定してしまった。
しかし、不思議と嫌な気分なんてのは欠片もなかった。
*******
まずは公園に到着。
迷うことなく、すぐに到着するあたり、東條さんはこの辺の土地勘があるんじゃないかと思えてくる。
晴れた日の休日らしく、公園内には家族連れやカップルや、友達同士など、ボッチにはかなり近寄りづらい環境が出来上がっていた。
隣を歩く東條さんは、わざとかどうかは知らないが、「ん~」と伸びをして、胸を強調してから、こちらに笑顔を向けた
「さっ、まずはここで好きなだけウチに甘えてもええよ」
「いや、甘えるっつったって……やることもないですし」
「好きな風に甘えればええんやない?ほら……あんな風に」
東條さんの視線のさきには、小柄な女子と一人の男性がいた。
男のほうは、女子に優しく抱きしめられている……ていうか、胸に顔を埋めている。
「おにーさん、いつも漫画描いてて偉いね。よしよし」
「…………(あまえちゃん、好き~!!)」
……あれは……まあ、触れないでおこう……皆、スルーしてるし。
「いやあ、さすがにそこまで甘えるわけには……」
「はい、どーぞ♪」
東條さんは、ベンチに座り、自分の膝をぽんぽん叩いていた。
……経験上これは……心を決めるしかないようだ。
わずかに逡巡してから、俺も同じようにベンチに腰を下ろし、ゆっくりと体を倒した。
「……し、失礼します」
「どうぞ~♪」
いつもの枕よりも、やわらかくて温かな感触が、包み込むように頭を癒してくれる。
……や、やばい、気持ちよくて、このまま寝てしまいそうなんだが。
すると、見知った人物が目の前を通りすぎていった。
しかも、目が合ってしまう。
「ん?……」
「あっ……」
そう、偶然にも平塚先生と出くわしてしまった。
……まさか、この状況で……いや、ここ千葉だから別におかしいことではないんだけど。
「…………」
「…………」
そのまましばらく視線が交錯してから、平塚先生は何事もなかったかのように歩き始めた。
どうやら気づかなかったのだろうか。だが、はっきりと目が合った気がしたんだが……。
……まあ、何事もなければそれでいい。それより……
「どうかしたん?」
「いえ、何も……」
この態勢、ぶっちゃけ恥ずかしいので、そろそろ起き上がりたいのだが、頭を撫で始めた東條さんは、それを許してくれそうもなかった。
*******
「いやー、まさか生徒が休日にデートしてる幻を見るとはなー。私、疲れてるのかなー?……ふぅ、ラーメン食って帰ろ」
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いつか晴れた日に #6
「う~ん……次はどこに行こうかな~」
「……意外とノープランなんですね」
「気まぐれなのもええもんやろ?」
なんか良いこと言った風に見えるのは、この人の普段の言動のおかげだろう。
頭に残る東條さんの太ももの感触に、まだ胸の奥がじんと熱くなるような気分になりながら、とぼとぼ見慣れた町並みを歩いていると、秋の匂いをはらんだ風が彼女の髪を揺らした。
「いい風やね……」
「まあ、涼しくてちょうどいいっすね。一年中このぐらいならさらにいい」
「ふふっ、言うと思った。でも、こうやって季節の移り変わりを眺めるのも素敵やない?」
「……悪くはない、と思います」
「偶然、ウチと君が出会って、もう半年以上経ったんよ」
「そういやそうですね」
改めてそう言われると、何だか不思議な感じがする。
この人と出会ってから、時間が経つのが早く感じるようになってしまった。からかわれているうちにいつの間にか半年とかすげえな。出来ればそんなに早く大人になりたくはないんだけど……。
「八幡くーん?……あかん、ロマンチックな気分じゃなく、先の事考えすぎてだるそうにしてる」
「やっぱり今が最高ですね」
「できればもっと後に言って欲しい台詞やね。じゃあそろそろお昼ご飯にしよっか。八幡君は何か食べたい物ある?」
「そうっすね……やっぱりラーメンですかね」
「あ、いいね。行こっか。じゃあ、この辺りに八幡君のおすすめある?」
「……一応」
「よ~し、じゃあそこに……わわっ」
何かに躓いたのか、東條さんがバランスを崩し、こけそうになった。
慌てて反応すると、彼女を真正面から抱き止める形になる。
「あはは……こけるところやったね。ありがとう」
「い、いえ、大丈夫です……はい」
意外なくらい近くにある彼女の顔に戸惑いながらも、何故かそのまま動けないでいた。
じんわり温かな感触のせいだろうか、なんて考えていると、彼女は首を傾げ、俺の顔を覗き込んできた。
「もしかして……このままでいたい?」
「え、いや……その……」
厚みのある唇から言葉が零れるのを合図に、俺はそっと手を離した。
それと同じタイミングで、彼女は俺の数歩前を歩き始めた。
「ふふっ、なんちゃって♪」
「…………」
いや、まあ冗談なのはわかってたんだけどね?
何故か彼女はしばらくこちらを振り返らなかったので、その背中を見つめながら、俺はとぼとぼと歩き続けた。
*******
……ウチはしばらく振り返らなかった。いや、振り返ることができなかった。
自分の頬が、じんわりと熱くなっているのがわかったから。
「ラーメン楽しみやなぁ」
そう言いながら私は……ウチは、そのまま普段どおりを意識しながら足を運んだ。
それが既に普段どおりじゃないと気づきながら。
*******
いつものラーメン屋に入ると、まだ割と席は空いていた。
水はセルフサービスなので、二人分持ってカウンター席に並んで座ると、東條さんが口を開いた。
「八幡君はよくラーメン屋に行くの?」
「……まあ、そこそこ。東條さんは行かないんですか?」
「ウチ?μ'sのメンバーとは練習帰りにたまに行くよ。凛ちゃんが好きやからね」
「へえ……まあ、運動後のラーメンは美味いですからね。何なら運動してなくても美味いし」
「ようするにいつでも美味しいって言いたいんやね」
「そういうことです」
それから少しして、熱々の湯気を立てながら、ラーメンが運ばれてきた。
二人して「いただきます」を言ってから、ラーメンを啜ると口の中に、こってりした幸せが広がる。
「「ふぅ……」」
そのまま幸福な溜め息を吐くと、偶然タイミングが重なり、東條さんが笑い、俺は口元が緩む。
「捻くれてない八幡君を見るのは初めてかもねえ」
「いや、さすがにもう少しあるでしょ」
「う~ん、そういうことにしとこっかな」
「ええぇー……」
そんなしょうもないやりとりの後は、どちらも黙々と麺を啜った。
*******
「あ~、美味しかったぁ♪」
「……ええ、ほんとに」
やはりラーメンは最高という事実を、改めて認識しながら、俺は東條さんの言葉に頷いた。
彼女は、携帯で時間を確認すると、すっと身を寄せてきた。
「そろそろ八幡君の家に戻ろっか」
「え?ああ、はい。どうかしたんですか?」
「言ったやろ?今日はゲームやアニメにも付き合うって」
「……そういや言ってましたね……え?まさか、一緒に?」
「うん、一緒に。あっ、もしかして趣味は一人で楽しみたいタイプ?」
「いや、そういうわけじゃ……まあ東條さんがよければ」
本当はめっちゃそういうタイプだし、東條さんならそこに気づいていそうなものだが、この時の俺は否定の言葉を口にできなかっはたし、する気もなかった。
もしかしたら、初めて個人的な趣味を誰かと共有したいと思った瞬間かもしれない。
そんな風に大袈裟に考えていると、彼女は俺の耳元に、そっと囁いてきた。
「いきなり押し倒してきたらダメだからね」
「…………」
さすがに上手い切り返しが思いつかず、俺は首筋に手を当て、誤魔化した。
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いつか晴れた日に #7
「お邪魔しま~す」
「……どうぞ」
妙な緊張を抱えた俺とは対照的に、東條さんは大して気にしてない感じで部屋に入ったが、こちらとしてはやはり自分でもよくわからない不思議な感覚があるわけで……しかも、さっきの一言が頭の中でやたら響いていた。
そして、彼女はそれすらも忘れたように、一人で頷いている。
「うんうん、相変わらず八幡君って感じの部屋やね~」
「いや、それどんな感じですか……てか、最近来たばかりでしょうが」
「あははっ、それもそうやね。じゃあ、早速観よっか。八幡君、プリキュア好きなんやろ?」
「いえ、やめときます。あれはほぼ確実に号泣するから一人で観たいんですよ」
「そ、そうなんやね……それは仕方ないね」
せっかくこちらの趣味に歩み寄ってくれた東條さんには申し訳ないが、これだけは譲れない。どんな色仕掛けをしてこようともだ。いや、別に期待しているわけじゃないよ?本当だよ?とりあえず来るなら来い。受け止めるから。
そこで、飲み物すら用意していない事に気づいた。来客慣れしてないからか。いや、させてくれない周りが悪い。
「……飲み物取ってきますんで、その辺に座っといてください」
「はいは~い」
飲み物を取りにいく途中、こういう作業を自分からするという事実に、つい苦笑いしてしまった。
*******
飲み物を用意し、テレビの前に並んで座り、とりあえず最近始まったアニメを観てみると、さっそく事件が起きた。
「わお……いきなりやね」
「…………」
学生服姿の男子と、巫女装束の女子がキスをしていた。
おい、どうなってんだ。いきなりキスから始まるとか…ゼロ○使い魔思い出したわ。
てっきりアクションものかと思ってたのに……迂闊だったわ。
いや待て。俺、意識しすぎじゃね?別に、学生服姿の男子と巫女装束の女子がキスしているだけじゃねえか。さすがにこれだけで意識するのは気持ち悪すぎるだろ、俺……。
学生服姿の男子は爽やか系のイケメンで、俺とは似ても似つかないし、巫女のほうは吊目がちだし、胸元のボリュームも寂しい。
思考を切り替えところで、ふと隣にいる東條さんに目をやると、彼女は人差し指で自分の唇をなぞっていた。
そのしなやかな指先の動きと、唇のほんのりとした赤みに、どくんどくんと心が踊るのを感じ、俺は慌てて画面を停止させた。
「ん?どうかしたん?いきなり……」
「あー、とりあえず別のやつにしましょう」
「ふふっ、そうやね。それはそうと、今さっきウチの唇見とったやろ?」
そう囁き、彼女はにんまりと笑った。
「……えー、これでいいですかね」
……だが無視する!!
少しでも反応しようものなら、どうなるかが目に見えているからな。ていうか、この人……俺をからかいすぎて感覚麻痺してるのかもしれんが。今のやりとり、俺のような自制心がなきゃ、絶対に危なかったぞ……。
「…………」
「?」
少し責めるような目つきで見ても、彼女は可愛らしく小首を傾げるだけだった。
……わざとなのかどうなのかは本当にはっきりして欲しい。
*******
アニメ鑑賞を始めて三話くらい観終えると、東條さんが「あっ」と何か思い出したように呟いた。
「どうかしましたか?」
「八幡君。そろそろウチの事、名前で呼んで?」
「……いや、このタイミングでする提案じゃないでしょ、それ……」
「じゃあ八幡君の中でのベストタイミングを教えてくれたら、そこでええよ」
「…………」
もうこれ、遠回しに逃げられないことを告げてますよね。大袈裟な言い方かもしれんが。
……まあ、確かに東條さんから名前呼びされてるのに、俺が名字呼びというのはフェアじゃないかもしれない。だから、これはあくまで公平性の問題であって……
「またそんな顔して……たまには面倒な事考えんでええと思うよ」
「…………」
今自分がどんな顔をしてるかは知らんけど、そう言いながら優しく微笑む彼女は、それはもう余裕たっぷりで……。
もし俺が名前呼びすることで、その余裕を少しでも崩せるなら、なんて考えてしまった。
「それじゃあ、いきますよ…………の、希しゃん…………っ」
噛んだ。
わかりやすく噛んだ。
だが、彼女からはいつものようなリアクションはかえってこなかった。
その瞳は逸らされていて、ほんのり赤く染まった頬をかいている。どうやら思った以上の効力はあったらしい。
「へえ……思ったよりすぐに言えたやん?まあ、最後は噛んだけど。でも、」
「……そこは聞き逃さなかったんですね。……希さん」
「か、からかうように言うのは禁止やよ?」
「そっちが名前で呼べって言ったんじゃないですか。……希さん」
「むぅ……今日の八幡君はなかなか手強いなぁ」
「いえ、今のは……希さんの自滅でしょう。やっぱり名字呼びに戻しましょうか?」
「そんなイジワルなこと言う子にはワシワシしちゃうよ~!」
「えっ、あっ、ちょっ、まっ、ああっ!!!……」
東條さ……希さんが、背後から胸の辺りをがしっと掴んできた。間違いなくμ'sのメンバーにもやってんな、と思わせるような強さで。
それは男相手でも変わらないのだろうか、俺はしばらく立てなくなるまで、希さんにワシワシされた。
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いつか晴れた日に #8
わしわしから解放され、ようやく体力が回復し始めたところで、もうだいぶ陽が傾いていることに気づいた。
希さんも同じことを考えていたのか、すっと立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ帰ろうかな」
「……送ります」
「うん。それじゃあ、お願いしよっかな」
希さんの言葉に、少しだけ寂しさを覚えたのは、なんだかんだ今日が楽しかったからだろうか。
半年前は思いもしなかったであろう考えに、人知れず苦笑いをしてしまった。
*******
駅前はいつものような人通りの多さで、色んな人が帰路に着いているのが、何となくわかった。
希さんは、こちらを振り返ると、いつものからかうような笑みを見せた。
「八幡君。ウチが帰るからって、そんな寂しそうな顔せんでもええよ」
「いや、無理っすね。寂しくて堪らんので、帰ったらプリキュアでも観ることにしますよ」
「素直でよろしい♪あ、今度またμ'sが出るイベントあるから、ヒマやったら来てね」
「ええ。ヒマじゃなければ行きませんけど……」
「あらあら、そんなこと言ってたら、ウチの最高の一瞬を見逃しちゃうよ?」
「そりゃあ非常事態ですね。なるべく行けるように最善を尽くしますよ」
「最善って単語が八幡君とミスマッチすぎる件について」
「自覚はあります。おそらく二度と使わないでしょう」
自然と言葉が零れるままに会話をしていると、このまま長い時間過ごしていられそうな気がした。もちろん、そろそろ帰るけど。
彼女は今度は温かな日だまりのような笑みを見せた。
「じゃあ、またね。八幡君。今日は付き合ってくれてありがと」
「いえ、どういたしまして。てか、こちらこそ気遣っていただいて、ありがとうございます」
「ウチはやりたいことやってるだけ~。それじゃっ」
そのまま振り返る事なく改札をすり抜ける彼女の後ろ姿は、ほんの少し大人で、なんとなく可愛らしく、見とれてしまった。
*******
「あ、ヒッキー、やっはろー!」
「……おう」
こちらは休み明けで、まだ体に休日の緩さが残っているのだが、由比ヶ浜のほうはそうでもないようだ。朗らかな笑みのまま、俺の背中をはたいてきた。
「ほら、もっとシャキッとしなよ!この前デートしたばっかなんでしょ?」
「いや、あれはデートじゃ……てか、なんでお前知ってんの?エスパー?」
「違うし。フツーに見ただけだよ。駅前で」
「…………」
そりゃあまあ、由比ヶ浜も千葉で生活しているわけで。
別に駅前にいたところで、不思議でもなんでもない。
「ちなみに、ゆきのんもいたよ」
「…………そうか」
何と返せばいいかわからないので、とりあえず返事だけしておく事にした。特に何かを疑われているわけでも……
「付き合ってるの?」
「いや、違う」
そこは即答しておいた。てか考えたそばからこんな質問が来るとか、こいつやっぱりエスパーなんじゃねえの?俺の周り、超能力者ばっかか。
「そっかぁ、付き合ってないんだね」
そう言いながらお団子をくしくしと弄る由比ヶ浜の表情は、なんとも形容しがたいものがあった。
なので、そこに触れるのはやめておいた。
「そろそろ教室行かないと、チャイム鳴るぞ」
「あ、そだね。行こっか」
そのまま教室の前まで並んで歩いたが、かつかつと響く足音は、やけに揃っていて、やたら大きく響いた。
*******
μ'sは曲作りの為、また合宿に行っているらしく、おそらくその間は連絡は来ない。
……今さらだが、定期的に電話がかかってくるのが、当たり前になってたんだな。
そう考えると、俺もこの半年くらいでだいぶ人間強度が下がったのかもしれない。
「お兄ちゃん、そういう時は自分から電話すればいいんだよ」
「……何の話だよ」
「今のお兄ちゃんが何考えてるかなんて、顔に書いてあるよ」
「…………そうか?」
あながち否定できない辺りが悔しい。いや、これはそういう気になるではなくて、ただあの人が誰かをからかいすぎて怒らせていないか、とかそういう心配みたいなものだ。一応、バイト先の後輩として……。
すると、携帯が震え出す。どうやらメールを受信したみたいだ。またどっかからのスパムメールだろうか。
確認すると、希さんからのメールだった。
『そんな寂しそうな顔してどうかしたん?』
「…………」
ほんの一瞬ではあるが、マジで焦った。
実はその辺の中にいるんじゃねえかと思ったぞ。
スピリチュアルなパワー、恐るべし。
……いや、テキトーに送っただけなんだろうけど。
*******
「希、どうかしたのですか?」
「なんかニヤニヤして楽しそうだにゃ~」
「ふふっ、な・い・しょ♪」
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いつか晴れた日に #9
『金曜日、秋葉原来れる?』
合宿から帰ってきた希さんのメールには、そんな短い文章が書かれていた。
さて、どうしたものか……金曜日は来るべき休日の為、英気を、あ、考えてるうちに『行きます』とか返信しちゃってるよ。どうしたんだ、俺。イミワナンナイ。
「お兄ちゃん、どうしたの?いきなりニヤニヤして。なんかキモイよ?」
「小町ちゃん。言葉遣いが乱暴よ。あと別にニヤニヤしてない」
「してたよ。じゃなきゃ言わないもん。どうせ希さんの事考えてたんでしょ」
「いや、休日に思いを馳せていただけだから」
「ウソだー。さっき希さんから、イベントのお誘いのメール来たから、それでニヤニヤしてたんでしょー?」
「……えっ?お前にも来たの?」
「当たり前じゃん。希さんは大事なお義姉ちゃん候補……じゃなくて、お友達だからね」
「…………」
小町ちゃん、本音はもう少し隠そうね。
まあ、そりゃあ友達だから呼ぶよな。危うく気持ち悪い勘違いをするとこだったわ……。
「まあ、それなら一緒に行くか。他は誰に送ったんだろうな」
「多分、結衣さんとかじゃないかな。あ~、楽しみだなぁ♪」
小町の言葉に、それだけは間違いないと頷いておいた。
*******
ライブ当日。
いつかのように、学校帰りにそのまま駅に向かっているのだが、今日は一人ではない。
「ヒッキー、楽しみなのはわかるけど、歩くの早いよ~!」
「確かに……この男にしては、珍しく動きが機敏ね」
今日は総武高校メンバーもいる。小町も既に駅にいるらしい。やはり、知り合いには声をかけていたようだ。
由比ヶ浜に半ば強引に連れられた雪ノ下ではあるが、その表情はさほど嫌そうではない。さらに……
「八幡、μ'sのライブ楽しみだね」
「あ、ああ……」
やばい。スクールアイドルのライブの前に、既に天使降臨してやがる。てか、もう戸塚もライブやりゃあよくね?何ならファンだけでなく、プロデューサーを引き受けるまである。
「ど、どうしたの、八幡?そんなじっと見て……」
「え?あ、悪い……てか、少し急ぐか。もう小町が待ってるらしい」
「待てい、八幡よ。我もいることを忘れておらんか?」
「…………」
「何故、知らぬふりをする!?」
「あ、いや、悪い。完全に忘れてたわ」
ライブ会場に着いてもいないのに、こっちはこっちで無駄に賑やかだった。
*******
秋葉原に到着し、UTXの前まで行くと、由比ヶ浜などの初めて見る面子は、驚愕の表情を浮かべていた。
「うわあ、すご……これ、校舎なんだよね」
「前、テレビで見た事あるけど、実物はさらにすごいね」
「今からこの中が見れるなんて……あ、お兄ちゃん、希さんに連絡した?」
「一応、メールは送った」
雪ノ下もこの校舎には感心しているのか、興味深げに見上げている。てか、この子なら通ってても全然違和感ないんだが……。
ちなみに、材木座はUTX近辺から女子の比率が増した事もあり、少し大人しくなってた。わかるわ、その気持ち。
まあ、女子校に入るのは、かなり遠慮したいところではあるが、まさかここまで来てUターンするわけにもいかない。
「……とりあえず中入るか」
「そだね。お兄ちゃん、今から女子校に入るんだから、目つきどうにかならない?」
「いや、今日は大丈夫だろ。皆スクールアイドルの事しか考えてないからな」
「皆、はやくしないと置いてっちゃうよ~!」
「由比ヶ浜……あいつ、初めて来た場所でよくあんな……」
「由比ヶ浜さん、迷子になるからこっちにいらっしゃい」
「なんか子供扱いされてる!?」
*******
本番前、ウチは柄にもなく緊張していた。やっぱり、A-RISEと一緒にライブをやるというのは、かなりプレッシャーがかかる。普段そういうのを感じないウチでもこうだから、一年生はもっと緊張してるかもしれない。
「希、どうかしたの?」
「エリチ……いや、なんでもないよ」
「隠さなくてもいいのよ。私もすごく緊張してるから」
「あはは、わかった?」
「ええ。だから、一人にしておけなかったのよ」
いつになく大人びたエリチに、なんだか照れてしまう。この子はたまにこうだからズルい。ポンコツのくせに。
でも、そこが最高に好き。
「……おおきに」
照れ隠しに、少しおちゃらけながらお礼を言ったところで、携帯が震えた。
何故か、それだけで誰からか確信した。これこそ本当のスピリチュアやね。
そして、その予感はズバリ当たっていた。さて、どんな内容やろうね?
『着きました。応援してます』
ついつい笑ってしまう。
普段の語彙力からは想像もつかないくらい短い文章。さらに、シンプルといえば聞こえはいいが、もっと何か書くことあるんじゃないかとつっこみたくなるような内容。
でも、それが何故かすごく嬉しくて……。
頬が緩むのが、自分でもはっきりわかった。
「もう大丈夫そうね。なんか悔しいけど……よし、気合い入れていくわよ!」
「ふふっ、そうやね」
私は、心の中で捻くれた彼に『ありがとう』を告げ、皆の元へと駆け出した。
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いつか晴れた日に #10
ライブが始まると会場内の熱気はさらに増し、体が自然とリズムを刻んでいた。
先にステージに現れたのはA-RISE。全国トップクラスの人気を持つ彼女達のステージは、完全に場の空気を支配していた。
「すごい……」
「…………」
由比ヶ浜と、意外にも雪ノ下もステージ上の3人に見とれていた。
まさに王者の貫禄。この後ステージに立つμ'sは……いや、大丈夫か。
何故か俺は何も根拠はないけど、そう確信していた。
やがて曲が終わり、割れんばかりの拍手が鳴り響き、会場を埋め尽くしていく。
総武高メンバーも、自然と惜しみない拍手を送っていた。
「すごかったね……」
「……ああ」
戸塚の呟きに頷くと、材木座も何か呟いた気がしたが、とりあえずそれは置いといて、もう一度ステージに目を向ける。
今からμ'sが……希さんがあそこに立つと思うと、なんだか不思議な気がした。
そうこうしているうちに、あっという間に時間がやってくる。
『さあさあ、皆さんお待たせいたしました~!続いての登場は、音ノ木坂学園のμ'sだ~~!』
やたらテンションの高い司会のアナウンスと同時に、再び会場が暗転する。すると柄にもなく、今から何か始まるという高揚感が沸き上がってきた。
それを後押しするように、9人の姿をスポットライトが照らし出す。
すると、さっきのA-RISEに負けじと、周りから歓声があがった。
由比ヶ浜や戸塚の声も混じっていて、つい頬が緩みそうになる。
そして、μ'sのライブが始まった。
ささやかなイントロにメンバーの歌声が乗っかり、会場の空気が変わる。
それは先程のA-RISEのライブで感じたものと、非常によく似ていて、どこかが違った。
何だか会場を温かく包むような一体感。
さっきは凄すぎるものを見て、見とれていた由比ヶ浜も、今度は笑顔でリズムをとっていた。
そしてそれは、周りの人間も同じらしい。
会場内は、幸せが降り注いだような温かい空気に満たされていた。
*******
曲が終わり、健闘を称えるような大きな拍手が鳴り響くと、ステージ上の9人は深々と頭を下げた。
「お疲れ」
何故かはわからないが、俺はぽつりと呟き、そのまま拍手を送り続けた。隣では小町が「希さ~ん!」と叫びながら、手を振っている。
何だか、さっきまでの数分間が夢みたいな、不思議な感覚がした。
そうさせるのは、ステージにいる希さんが、あまりに綺麗だったからかもしれない。
そんな感想が自然と出てくるくらいには、心踊る夜だった。
*******
「はぁ……すごかったね」
「……そうね」
帰り道、由比ヶ浜はまだ先程の興奮を引きずり、雪ノ下はやや疲れを滲ませながらも穏やかに話しながら前を歩いている。その後ろを、俺や小町、戸塚と材木座がテキトーに固まり、歩いていた。駅のすぐそばなので、すぐに帰れるのがありがたい。
そこで、携帯が震えだした。多分、これは……。
すぐに画面を開くと、また予想は当たっていた。
『ありがとう~。帰り気をつけてね~』
……さて、どう返信しようか。
気の利いた文章を送りたいところだったが、帰りの電車の中でも何も思いつかず、結局寝る直前まで携帯と自問自答していた
*******
翌日の夜。
「やっほー、八幡君。昨日はありがとう」
「あー、いや、こちらこそ。小町も楽しんでたみたいですし」
「君はどうなの?」
「……楽しんでましたけど」
「おっ、いつになく素直やねぇ。明日は雪やろうか?」
「かもしれませんね。明日が楽しみです」
「ふふっ……メール、ありがと。あれで緊張が少し解れたよ」
「……いや、大したことは書いてないんですが」
「それでもええんよ。八幡君がどんな気持ちで送ってくれたかは何となくわかるから」
「それはスピリチュアルな力ですか?」
「女の勘やね」
「ああ……なるほど」
「さらに、寝る前には『お疲れ様です。おやすみなさい』なんてシンプルで優しいメールも貰ったし」
「あ、あれは、自分も寝る前だったんで……なんつーか、気の利いたこと書けないのは申し訳ないです」
「ええんやない?むしろ、八幡君が絵文字を駆使して、長文送ってきたら、そのほうが心配になるやろ?」
「心配されるレベルですか……いや、それより、予選の結果発表はいつなんですか?」
「明日やね。まあ、ジタバタしても仕方ないし、のんびり構えてようかな」
「そっすか。……まあ、大丈夫だと思いますけど」
「そう?」
「あんな綺麗な……魅力的なの見せられたら、まあそう思いますよ」
「……もう一回言ってくれる?」
「いや、その……すいません。用事思い出したんで、し、失礼します……」
危ねえ……ライブ中に思ったこと、そのまま言いそうになったわ……。
*******
「さっき、綺麗って……ふふっ、ウチだけに言うたわけやないのに、なんでにやけるんやろうねえ」
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ドリーミング・デイ
昼休み。
いつもなら一人でベストプレイスにて、昼食を楽しんでいるところだが、今日は違う。
俺は今、奉仕部の部室にて、パソコンとにらめっこをしていた。
「だ、大丈夫?ヒッキー、すごい顔しかめてるけど」
「あなた、少し緊張しすぎじゃないかしら」
「八幡、深呼吸してみたら?」
「あ、ああ、悪い……」
もちろん部室内には雪ノ下と由比ヶ浜もいて、さらに戸塚もいる。
この場に集まっている理由は一つ。
ラブライブの予選の結果を確認するためだ。
現在、発表時間まであと三分を切ったところなのだが……。
「ふぅ……」
戸塚に言われたとおり深呼吸をすると、ほんの少しだが、気持ちが落ち着く。まあ、あれだ……今さらジタバタしても仕方ないというか、そもそも俺にはジタバタしようもない。
今頃希さんは、どんな気分で発表を待っているのだろうか……表向きは余裕綽々なのは間違いないだろうが。
「あった!あったよ!μ'sって書いてある!」
「……え?」
由比ヶ浜の言葉に、思わず声が漏れる。
すると、隣にいる戸塚が「やったー!」と喜ぶのが聞こえ、雪ノ下がほっと胸を撫で下ろすのが見えた。決して物理的に撫で下ろしやすそうとか思ってない。ちなみに、材木座は教室の隅で、したり顔で頷いていた。いつからいたんだよ……いや、今はそれより……
「……おい、マジか」
「マジだよ!ほら、見てみなって」
由比ヶ浜に言われ、おそるおそる確認してみると、そこには確かにμ'sの名前と写真が表示されていた。
すると、胸の中につかえていた何かが、すぅっと抜けていくのを感じた。
……よかった。
素直な感想と共に、つい口元が緩むのをこっそり左手で隠し、窓の外に目を向けた。
朝はあまり意識していなかったが、突き抜けるような青い空は、雲一つなくて、遠くても繋がってるような不思議な感覚がした。
まあ、何がとは言わないが……柄じゃないし。
「比企谷君、気持ち悪い思い出し笑いはやめなさい」
雪ノ下の罵倒を聞きながら、俺は希さんに『おめでとうございます』とメールを打ち、すぐに送った。
*******
その日の夜、風呂から上がり、自分の部屋に戻ったところで、狙いすましたかのように携帯が震える。これもうスピリチュアルというよりエスパーじゃねえの?なんて考えながら通話を押すと、いつもの陽気な声が聞こえてきた。
「こんばんは~、八幡君」
「……どうも」
「相変わらずテンション低めやねぇ。昼間はあんなに早くお祝いメールくれたのに」
「これがデフォなんで、慣れてくれると助かります。それと……おめでとうございます」
無難な返しと祝いの言葉をセットで送ると、クスクス笑うのが聞こえてきた。
「うん、ありがと♪エリチも八幡君からのメールを見て、目をギラギラ……キラキラさせとったよ」
「今、ギラギラって言いませんでしたか?え、何?俺食べられちゃうんですか?」
あの人、普段はクールっぽい感じなのに、たまに頭のネジが吹っ飛んだようなテンションになるの、本当に謎すぎる。
「まあまあ、細かい事は気にせんでええやん」
「全然細かくない気がしたんですが……」
「それより、八幡君は今度体育祭があるんやろ?」
「はあ、てかよく知ってましたね」
「そりゃあもう、結衣ちゃんが言ってたから。実行委員会にもなっとるんやろ?」
「……ええ。まあ」
「はぁ……お姉さんは哀しいなぁ。八幡君がそんな大事なことをウチに黙ってたなんて」
「いや……黙ってたというか、そっちもライブ前だったんで……」
「知ってるよ~♪もちろん、応援に行ってあげるから、楽しみにしてて」
「…………確か部外者は出入り禁止ですが」
「そんなウソが通用すると思った?」
「…………」
いかん。μ'sの予選突破をお祝いする予定が、ウチの学校の体育祭の話になってる。まあ、希さんが話したければ別に構わないのだが……。
「まあ、実行委員会っつっても、俺の役割はサポートみたいなもんですし、競技もそんな出ないですからね」
「へえ……それじゃあ、そんなやる気のない八幡君に、やる気がでるおまじないをしてあげよう」
「……おまじない?」
「徒競走で一等になったら、ひとつだけ何でも言うこと聞いてあげる」
「はあ…………は?」
「ん?聞こえんかった?徒競走で一等になったら、ひとつだけ何でも言うこと聞くって言ったんやけど。こう見えて、ウチは約束は守るよ」
「…………」
「ふふっ、それじゃあ期待してるよ、少年♪あ、でも、はりきりすぎてケガせんようにね」
「え?あ、はい……」
「それじゃあ、おやすみ~~♪」
彼女の言葉と同時に通話が途切れてからも、しばらく携帯を耳に当てていた。
……いや、別に変な事は考えていない。そもそも体育祭とは運動を通じて、心と体を育み、生徒同士の交流を深める場であって、下心を持ち込むなどもってのほか。最後までスポーツマンシップをまっとうするのが俺の役目。なあ、そうだろ?
……はあ。とりあえず、ほんの少しだけ頑張りますかね。少しだけ。
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ドリーミング・デイ #2
とある早朝。
数日前から始めて、だいぶ慣れてきたジョギングから戻ると、のろのろと階段を降りてきた小町と出くわした。寝癖がついてても、やっぱりめちゃ可愛い。欠伸してる姿とか、神がかって可愛い。
「ふぁぁあ……あれ?お兄ちゃん、こんな朝早くに外出してたの?珍しい……」
「……まあ、あれだ。たまにはな。ほら、いい天気だし」
「うわ、なんかお兄ちゃんらしからぬ言葉……どったの?希さんから命令されてるとか?」
「い、いや、命令って……一体どんな関係性なんだにょ」
「噛んだ……て事は半分くらい当たってるじゃん。ま、頑張ってね」
「お、おう……」
「でも、お兄ちゃんのやる気スイッチ押すなんて、希さん何やったんだろ。参考にしたいから後で聞いとこっと」
「いや、聞かなくていいから。参考にしなくていいから。やる気スイッチとか入ってないから」
「ふうん、でも今のお兄ちゃん、なんかいい顔してるけどね」
「っ!……そ、そっか」
……そこだけ聞くといい話に見えなくもないが、それだと俺は、どんだけ希さんに言うこと聞かせたいんだよ、と我ながらゲスい気分になるな。落ち着け、八幡。体育祭とはあくまで学校教育の一環であり……。
朝っぱらから俺は、いつかと同じ事を考えて、下心を塗り潰していた。いや、下心なんか断じてないけど
*******
そして迎えた体育祭当日。
幸い爽やかな快晴に恵まれ、体調も万全だ。要するにいつもどおりだ。いつもどおりなの大事。
そこで、ポケットに入れていた携帯を取り出し、今朝希さんからきたメールを、もう一度確認する。
『ファイトだよ~!』
何故高坂さん風なのかはわからないが、言っている姿は容易に想像できる。まあ、悪くない。
携帯をポケットに仕舞い直したところで、同じ実行委員でもある奉仕部メンバーがやってきた。
「ヒッキー、やっはろー!」
「おはよう」
「……おう」
「どしたの?今日なんかやる気に満ち溢れてない?目がいつもより爽やかというか……濁ってるけど」
「そういえば、少し背筋もしゃんとしているような……」
「いや、そうでもないが……てか、濁ってるってなんだよ」
「そっか。ヒッキーも大人になったんだね……」
「おい、話を逸らすな。目を潤ますな。なんか哀しくなるだろうが」
周りから見ても、今日の自分はどこか違うらしい。いまいち釈然としないが……まあ、なるたけ全力を出しますかね。
全力という言葉の自分らしくなさに苦笑が漏れる。
そうこうしているうちに、とりあえず総武高校体育祭が幕を開けた。
*******
一方その頃……
「まさか、エリチ達もついてくるとはねえ」
「ほら、希一人で千葉なんて、迷子になったら大変でしょ?親友として当たり前の事じゃない」
「親友って言葉がこんなに薄っぺらく聞こえる日が来るとは思わなかったわ」
「ていうか、お姉ちゃん。この前秋葉原で迷子になってたよね」
「ぐっ……あ、あれは……ちょっと迷っただけよ。人生に、ね」
「イミワカンナイ。はあ……お姉ちゃんがどんどんポンコツになっていく……」
「まあまあ、そこがエリチのいいところやし、ね?」
「私がポンコツと言われてるのは否定しないのね」
「そりゃそうでしょ。そこは事実だし」
「チカァ!!!」
*******
最初のほうは特に出場する競技もなく、やる事といえば、委員会の仕事くらいだ。こちらに関しては特にこれといった問題もなく、無事進行できている。
……てか、今さらだが本当に来るんだろうか?
改めて考えると少し……いや、かなり恥ずかしい気がする。何が恥ずかしいかはわからないが……。
やべえな。急に落ち着かなくなってきた。
「あの男は一人で何を唸っているのかしら。通報するべきかしら?」
「あはは……まあ、ヒッキーにも色々あるんだよ。ヒッキーだし……なんでかは予想つくけど」
由比ヶ浜の最後のほうの呟きは、聞こえない振りをしておいた。てか予想つくのかよ。スピリチュアルかよ。
*******
「よし、着いたわね!皆、ついてきて!」
「エリチ、そっちやないよ」
「「…………」」
「な、何よ!亜里沙もにこもそんな目で見なくてもいいじゃない!」
*******
「ねえ、ゆきのん大変だよ!!」
「どうかしたの?」
「紅組、怪我した人がいて、二人三脚リレーのチームが一組足りないんだって!」
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ドリーミング・デイ #3
総武高校のグラウンドに到着すると、想像していたより観に来ている人の数は多く、こっちのイベントもかなり気合いを入れてるのがわかった。
観客には私達と同年代の人達もいて、ぽつぽつ聞こえてくる会話から、友達や気になる異性を観に来ているみたいで、何だか微笑ましい。
「さて、八幡君はどこかしら」
「エリチ、その怪しげな望遠カメラはしまってね」
「お姉ちゃん、いつそんなの手に入れたの?」
「ほら、アンタ達バカやってないで、さっさと座るわよ」
呆れた顔で溜め息を吐くにこっちについて、皆が並んで
こういう時、たまにお姉ちゃんっぽくなるんよねえ。もしかしたら、本当に妹でもおるんやろうか。後で聞いてみよう。
「あれ、八幡君じゃない?」
「ん?」
エリチの言葉に反応し、グラウンドに目を向けると、すっかり見慣れたくせ毛の男の子が、気だるそうに辺りをキョロキョロしていた。どうやら、実行委員の仕事中らしい。
……あぁ、からかいたいなぁ……って、ダメダメ。八幡君はお仕事中なんやから。
「もう少し間近で観たいわね。よし、行ってくるわ」
エリチがまたわけのわからない事を言い始めたと思ったら、あらびっくり……エリチは私服の下に総武高校のジャージを身につけていた。
「……エ、エリチ?」
「お姉ちゃん!?」
「ア、アンタまさか……」
「ん?もちろん手作りよ」
「…………」
才能の無駄遣いにも程がある。隣で亜里沙ちゃんは頭を抱えていた。御愁傷様。
「もちろん皆の分も用意してきたわ」
「何でよっ!?」
「念の為よ。念の為」
「…………」
ダメや。この子、はやく何とかしないと……。
そう考えながらも、何故かウチはワクワクしていた。なんでやろうね。
「まったく、行くなら一人で……って、アンタらもなんで行こうとしてんのよ!?」
「姉がこれ以上恥を晒さないように、です……」
「……ほら、なんか面白そうやし?」
「お、面白そうって……」
「大丈夫よ、にこ。別に競技に出るわけじゃないから。近くで彼を……体育祭を視察するだけだから。これも音ノ木坂の為よ」
「せめてもう少し本音隠しなさいよ……ああ、もう!どうなっても知らないからね!」
エリチの手作り総武高校ジャージは、それはもうサイズぴったりだった。
*******
さて、二人三脚のメンバーが足りなくなったようだが、どうしたものか……。
今の俺のクラス内の状況を考えると、俺から救援を頼むのは限りなく不可能に近い。なので、この件は由比ヶ浜や雪ノ下、もしくは委員長の相模に頑張ってもらうしかないのだが……
「…………は?」
ふと斜め前に視線を向けた瞬間、俺の口から驚きの声が零れた。
ありえないことなっている。いや、何て言うか……いるはずのない人物がそこにいた。
……てか、今日来るって言ってたな。じゃあ納得……できねえよ。まあ待て。まだ見間違いの可能性もあるし……。
予測不可能すぎる展開に、やや混乱しながらも、とりあえずその人物に近づいてみる。
すると、その人は……東條希は、すっとぼけるように首を傾げて見せた。
「あの……何やってるんですか」
応援に来るとは聞いていたが、まさかこんな所までやってくるとは聞いてねえぞ。聞いてたら全力で拒否してたが。
彼女は、ほんの少し考える素振りを見せてから、にぱあっと笑顔になった。
「え?ウチ、君とどこかで会ったっけ?」
「希さんじゃないなら誰なんですかね」
「うふふ、ウチの名前は西條望。よろしくね」
「…………」
わかりやすすぎる偽名である。いや、ここまでくると、偽る気なさすぎて、ある意味正直といえる。てか、誤魔化そうとするなら、関西弁どうにかしましょうね。
色々言いたい事はあるが、まあまずは……
「……てか、そのジャージどうしたんですか?変なサイトでも……」
「これ?エリチの手作り。ウチもびっくりしたんやけど」
「…………」
なんだ、その才能の無駄遣い……。
呆れ混じりの感心をしていると、こちらに向けて由比ヶ浜が駆け寄ってきた。
「あ、ヒッキー!!ちょっといい?ってええ!?な、なんで東條さんがいるの!?」
「違うよ。ウチの名前は西條望やよ」
「あ、そうだったんですか。すいません、人違いでした」
「おい、あっさり騙されんな。少しは疑え」
さすがはアホの子と言いたいところだが、ちょっと将来が心配になってきた。変な壺とか買わされないように注意して欲しい。
由比ヶ浜は周りをキョロキョロと確認してから、ヒソヒソ声で話しかけた。
「あの、な、なんでいるんですか?大丈夫なんですか?」
「まあ、こっそり見るだけだから大丈夫大丈夫。エリチと亜里沙ちゃんは髪が目立つから、こっそり隠れながらやけど。にこっちは小さいし」
胸が大きい者同士の会話を聞いていると、今度は体育教師が駆け寄ってくるのが見えた。
「由比ヶ浜、代わりの走者は見つかったか?」
その言葉を聞いた由比ヶ浜は、「あっ」と何か思い出したような表情になった。まあ、希さんの件があったから仕方ない。
すると、体育教師が何故かじ~っとこちらを見ていた。
もしかして、このタイミングで「ペアを組め」対策について物申されるのだろうか。あれが使えないのかなり辛いんだけど……。
内心びくついていると、体育教師はにっこりと暑苦しい笑みを見せた。
「よし、お前ら走ってくれ!もう時間がない!」
「「…………え?」」
この人、今何て言った?
隣を見ると、希さんにしては珍しく驚いた顔をしていた。
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ドリーミング・デイ #4
どうしてこうなった……。
そんな呟きが口から漏れてきそうな現状に、思考回路が上手くついていかない。
だが、そんなことはお構い無しに、時間と物事は進んでいく。
一方、希さんは「フンス!」と気合いを入れていた。
「さあ、八幡君。ウチらも頑張ろうか!」
「いきなりの参加で、よくそんなテンションになれますね」
「まあ、こんな機会滅多にないし?今日のウチは総武高校二年西條望として、八幡君が優勝できるように全力を尽くすよ」
「いや、優勝とか……てか、大丈夫ですか?練習もなしに二人三脚とか……」
「まあ、大丈夫なんやない?ウチら割と一緒におるやん?」
「何の根拠にもなってねえ……てか、めっちゃ楽しそうっすね」
俺の言葉を聞いた彼女は、キョトンとしてから、いつもの悪戯っぽい笑みを見せた。
「……君とだから、楽しいんよ」
「…………そうですか」
いや、そういう言い方は反則じゃないんですかね?べ、別に悪くはないんだけどさあ……いや、もう何て言うか、反則すぎて反則というか。
てか、もう10月なのに暑いな。陽射しのせいで、顔が火照ってやがる。勘弁してくれ。
*******
そうこうしているうちに、すぐに順番が回ってきた。
普通の徒競走とは違う緊張感に戸惑いながらも、深呼吸して気持ちを整えると、希さんが笑顔を向けてきた。
「八幡君、準備はいい?」
「……はい」
この心臓の強さはステージで培われたのだろうか。元々だろうか。やはり心強い。
そして、平塚先生の合図で、一斉にスタートした。
自分が思ったよりもずっとスムーズなスタートに驚きながら、順番に足を運ぶと、自然と速度がついてきた。
「はっ……はっ……」
「はっ……はっ……」
息もぴったりのようで、急造にしては中々のコンビネーションだと思う。だが、問題が一つ。
…………右下で何かが揺れてる!!
そう。スタートと同時に、視界の右斜め下で、希さんの豊満なアレが激しく揺れ動いている。
まったく予想できなかったわけではないが、これは想像以上だ……。
何とか視線を前に、むしろやや上向きに固定しているが、それでもやはり気になってしまう。だって男の子だもん!
ちなみに、順位のほうは現在8組中3位。この状況を考えれば、中々の位置だろう。
だが、ハングリー精神豊かな彼女はそう考えてはいないらしく、まだスピードをはやめようとしている。
これ以上はぶっちゃけこける危険性が高くなるので、遠慮したいところではあるが、彼女に合わせて走らないといけないのも事実。
さらに向こうへ、プルスウルトラ!的なノリでまた1組追い抜くと、もう1組もすぐ近くにいた。
小気味良いリズムはテンポを上げ、やがて前には誰もいなくなる。
あと少し……もう少し……。
だが、欲をかきすぎたのか、どちらからともなく足がもつれ、紐がほどけた。
「あっ!」
「っ!」
踏ん張ろうにも、最早こけるのは避けられないようだ。だが、この人には……
最近の運動の成果か、ただのまぐれか、何とか彼女の体の下に、自分の体を滑り込ませた。
すると、顔面に柔らかな衝撃がきて、後頭部が地面にぶつかった。
「ぐっ!」
「だ、大丈夫!?八幡君!」
「……何とか」
「もう……無理しすぎ。あっ、ウチら1位みたいやね」
「そ、そうすか」
希さんに手を引かれ、ゆっくり立ち上がると、赤組が盛り上がっているのが見えた。
「あの謎の二人組速かったなー」
「あんな人達居たっけ?」
「まあ、1位だし良くね?」
「あの女の人美人だよねー」
「む、胸……胸……」
「すごかったな……色々と……」
「あの人、どっかで見た事あるような?」
「つーか、あの男羨ましすぎるだろ」
「ちっ!ボッチの癖に!!」
うわあ……1位になっただけでなく、最後にこけたせいで、やたら目立ってしまったようだ。そのせいか、何やら色々言われている。てか何人かムカつく事言ってんな。棒か何かでぶん殴ってやりたいわ。
ジロリと声のする方を睨んでいると、希さんが肩をつついてきた。
目を向けると、彼女は何故かしてやったりみたいな笑顔を浮かべている。
「君、なんかチラチラこっち見てたよね」
「っ…………」
「さっき、思いきり胸が顔に当たっとったね」
「っ…………」
「八幡君やらしー♪」
「…………」
何も言い返せない。いや、確かに下心みたいなのがゼロだったわけじゃないが。
すると、彼女はそのぽってりした唇を俺の耳元に近づけ、優しい声音で囁いてきた。
「でも、ありがと。かっこよかったよ♪」
「っ!!」
だから反則技止めて欲しいんだが……。
口元を手で覆い隠すと、希さんはすぐに心配そうな表情になり、俺の服の砂埃を優しくはたいた。
「じゃあ、ケガした所を……」
「あ、それは自分でやっとくんで。希さんは早く隠れてくれると助かります……」
「う~ん、そうやね。じゃあ、顔に残った感触はウチからのご褒美って事で♪」
こちらが何か言い返す前に、彼女はペロッと舌を出し、矢澤さんのいる場所へと小走りで行ってしまった。
……まあ、とりあえずあの感触は忘れないようにしとこう。ご褒美らしいし。
*******
「あ、いた!!ちょっと希!!あんた何ちゃっかり競技に参加してんのよ!!」
「そうよ!なんてうらやま……危ない橋を渡ってるチカァ!」
「でも、1位おめでとうございます!」
「あはは、ごめんねぇ。成り行きで……」
そうは言いながらも、まだウチの胸の中は激しく高鳴っていた。
今まで気づかんかったけど、八幡君って、意外とおっきな体してるんやねぇ。
とくん、と高鳴る胸に手を当て、ウチは顔が赤くなってたらどうしようか、なんて考えていた。
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ドリーミング・デイ #5
体育祭が無事に終わり、携帯を確認すると、希さんからメールが来ていた。
内容を確認すると、どうやらもう帰っているらしい。
……とりあえず、ばれなくてよかった。
いや、知り合いには普通にバレてたけどね!雪ノ下からも片付けの後に説教されたし!
雪ノ下からの説教を思い出し、くたびれた気分になりながら鞄を漁っていると、何やら入れた覚えのないひんやり硬い物に手が触れた。
……なんだ、これ?いや、なんか馴染んだ感触の気が……。
おそるおそる引っ張りあげると、手にはMAXコーヒーが握られていた。
さらに、紙きれがテープで貼り付けられている。
『お疲れ様。今日はありがと。楽しかったよ♪またやってみたいなぁ』
何だか声が聞こえてくるようで、つい頬が緩んでしまう。
丸っこい文字で書かれた言葉は、じんわりと胸に染み込んできた。
……とりあえず、これっきりにしといてください。マジでヒヤヒヤしたんで。
*******
数日後……。
「ああ、そっちは今月修学旅行ですか」
「うん。まあ行くのは穂乃果ちゃん達やけどね」
「場所はどこなんですか?」
「ウチらの時と同じで沖縄やね。沖縄の海、気持ちよかったよ~♪また泳ぎに行きたいくらい!」
「…………」
「今、ウチらの水着姿を想像しとったやろ?」
「……美ら海水族館には行ったんですか?あ、果ての浜は?」
「露骨に誤魔化してるなぁ。まあ、そのムッツリ感が八幡君らしいんやけどね」
「俺らしさとは……てか、なんか用があったんじゃないんですか?」
「あ、そうそう。すっかり忘れとった。八幡君と話すの楽しいから、つい脱線するんよね」
「なんすか、その優しい責任転嫁」
「あはは。実はね、今度結婚式場のイベントにμ'sが出演することになったんよ」
「はあ」
「来週の日曜日なんやけど、来れそう?」
「……まあ、特に用事もないんで構いませんけど」
「そっかぁ。いつも通りやね。よかったぁ」
「おーい、何気に失礼……いや、はっきり失礼ですよー」
「ふふっ、衣装もいつもと違うテイストやから、楽しみにしててええよ。あ、水着やないからね!」
「さすがにそのぐらいはわかるんですが……」
「じゃあ、よしっ!来週はよろしく~。あっ、今週のバイトも忘れんようにね~」
「……了解」
通話が途切れ、先程までの会話の余韻に浸りながら、
結婚式場ね……まあ、滅多に行く機会がない、というか今後も行く機会があるかもわからないしな。あるとすれば小町の結婚式くらいだろうか……うわ、つい想像しちゃったじゃねえか。泣けるからやめろ。
まあ、とにかく……今回はどんなイベントになることやら……。
*******
イベント当日……。
「いや~、さすが結婚式場のイベント。女子率高いなぁ。お兄ちゃん、小町がいてよかったね」
「ああ、それはこういうイベントがなくても毎日思ってるぞ」
「いや、さすがにそれは気持ち悪い」
「ひどい……」
いつものようなやりとりをしながら、小町と並んで歩いていると、確かに女子率高ぇ……一人で来てたら、うっかり回れ右してたわー。本当に小町がいてよかった。何なら、朝起きた時から、夜寝る時までそう考えている。要するに小町最高。
「八幡君、相変わらず目つき悪いよ?」
「うおっ!びっくりしたぁ……」
これは得意技なのだろうか、スピリチュアルな力なのだろうか、また知らないうちに背後を取られていた。これ、未だに慣れないんだけど……。
小町はあまり気にしていないのか、にぱぁっと可愛らしい笑みを希さんに向けていた。
「あ!希さん、こんにちは~!今日は小町まで誘っていただいて嬉しいです!」
「こちらこそ来てくれてありがとう。相変わらず小町ちゃんは可愛いなぁ♪」
希さんも同じ考えのようで、小町の頭を撫で、嬉しそうに目を細めている。すると……
「今日は来てくれてありがとう。相変わらず可愛い目をしてるわね」
「っ!」
いつの間にか傍にいた絢瀬さんが、頭を撫でてきた。いや、距離感……!
しなやかな指先の感触に、何やら不穏な気配を感じていると、彼女は上目遣いでこちらを見てきた。
「この前の体育祭は完全に希のターンだったわ。てなわけで今度は私の魅力満載の……」
「エ・リ・チ?」
「はい」
いつものようにツッコミを入れている希さんだが、その身に纏った雰囲気は、いつもとどこか違う。なんかこう怖いというか……うん、怖い。紫色のオーラは……気のせい、だよな?
「ほうほう」
何故かはわからないが、小町が一人で納得したように頷いていた。
*******
イベント始まると、ステージ上では、希さんを含めた6人のメンバーが、パフォーマンスを始めた。2年生組はいないが、その不在を感じさせないパフォーマンスに、会場はの熱気は増していく。
その中でも一際目を引くのが、やはりウエディングドレスに実を包んでいる星空凛だろうか。照れ笑いのような表情に、会場全体が虜になったかのように思えた。
タキシードをアレンジした衣装に身を包んだ他のメンバーも、ステージに彩りを添え、観客の盛り上がりも、より一層熱を増していく。
そこで、希さんと目が合った……気がした。まあ、今回は席がステージに近いしな。そんな偶然もあるだろう。
だが、この時の俺は知る由もなかった。
この後、俺達の関係がハッキリ変わり始める出来事が起こる事に……。
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ドリーミング・デイ #6
ライブ終了後、希さんから呼び出され、小町と一緒に別のホールに行くと、何やら撮影が始まろうとしていた。
入る場所間違えたかと思い、少し戸惑っていると、背後から肩をとんとんと叩かれる。
……また背後を取られちまった。どうやら俺に殺し屋の才能はないらしい。
そう考えながら振り向くと……その瞬間、時が止まったような感覚を覚えた。
「ふふん。相変わらず八幡君は隙だらけやね」
「…………」
「ん?どうかしたん?」
「…………」
「お~い、八幡く~ん」
「わぁ~!希さん、綺麗ですね~!本物の花嫁みたい!」
本物の花嫁ってなんだよ、とかいうツッコミも言えないくらいに、俺はその格好に見とれてしまっていた。
ドレスそのものは、星空が着ていた物と変わりはしないのだが、何故だろうか……何かが違って見えた。
スタイルとかそういう単純な話ではなく、何かが特別だった。
「…………」
「八幡く~ん。あかん、返事がない。ただの屍みたいやね」
「あららら、お兄ちゃんが興奮と感動のあまり黙っちゃってる」
「……い、いや、何つーか、その……いきなりすぎて驚いただけだけど?え、あれ?てか、今から何が始まるんですか?」
「実はモデルを頼まれたのよ」
俺の質問は答えたのは、希さんの背後にいた絢瀬さんだ。こちらもウエディングドレスを着用している。淡いブルーが彼女の魅力を引き立てていた。さらに……
「まったくもう……しょうがないわね~。まあ、この宇宙一のスーパーアイドル・にこにーなら、モデルに選ばれても仕方ないけど」
「はいはい。早くしないと、皆待ってるわよ」
「少しは感動に浸らせなさいよ!!」
よく見ると、先程ドレスを着ていなかったメンバーがドレスを着用して、そこに立っていた。
これは何事かと希さんを見ると、彼女は申し訳なさそうに笑った。
「いやあ……あはは、本当はもう帰るとこやったんやけどね。ここのオーナーさんに頼まれちゃって……ごめん、そんなに時間はかからんらしいから、待っててくれる?」
「……まあ、大丈夫ですけど」
「それにしても、皆さん綺麗ですね~!いいなぁ、小町も着たいなぁ♪」
小町のドレス姿……やはり見たいような、見たくないような、というのが本音だ。まあ、どちらにしろまだ先の話だが。
しかし、今は胸がどくんどくんと激しく脈打っており、何も考えられそうにない。
……おい、なんだ、この感覚。
「八幡君?」
「っ!?あ、は、はい?」
「そんな驚かんでもええやん。撮影の前に一年生の紹介しておこうと思ったんやけど」
「ああ、そうですか……」
「…………」
希さんは俺をじっと見つめてから首を傾げ、そっと耳打ちしてきた。
「もしかして……ウチのドレス姿に見とれてたん?」
「…………」
何故言葉が出てこないのだろう……普段どうでもいい事や余計な事ならいくらでも出てくるのに。
そんな俺を見て、希さんは、してやったりみたい笑顔で、くすくす笑った。
*******
まだ頭の中がふわふわした状態のまま互いの自己紹介を簡潔に済ませると、小泉が心配そうにこちらを見た。
「あ、あの……顔真っ赤ですけど……だ、大丈夫ですか?」
「……だ、大丈夫だ……ああ」
やだなにこの子。小動物感のある癒し系じゃないですかー。なんていうか、奉仕部の部室に欲しい感じ。
すると、希さんがジト目でこちらを見ながら、ぼそっと呟いた。
「彼は発情期やから、あまり気にせんほうがええよ。特に半径5m以内は立ち入り禁止やよ」
「は、はつ……っ!?」
「いや、なんつー嘘ついてんですか……」
半径5m以内立ち入り禁止の発情期とか、ただの危険人物じゃなかろうか。
そうこうしている内に、スタッフさんがメンバーを呼びに来た。
「お待たせしました。それではよろしくお願いします」
さて、撮影が終わるまでもうしばらくかかりそうだし、その辺をうろついときますかね。そうすりゃ少しは落ち着く気もする。
「あ、そこのキミ!」
いきなり聞こえてきた大きな声が、自分に向けられたものだと気づくと同時に、やたらテンションの高いショートカットのお姉さんが、俺の周りをぐるぐる回り、品定めをするように上から下まで眺めている。
どうしていいかわからずにいると、そのお姉さんは立ち上がり、笑顔で俺の手を握ってきた。
「君も手伝って!お願い!!」
「…………は?」
*******
どうしてこうなった。
タキシードに着替えた……というか、着替えさせられた俺は、現在スタイリストさんに髪型を整えてもらっていた。
まさか、この俺にこんな機会が訪れる時が来るとは……。
あのカメラマンは、一体俺の何を見て判断したのだろうか?今日、体調悪いとかじゃねえよな。
準備が終わり、撮影現場に戻ると、小町が「おおっ」と驚いていた。
「お兄ちゃん、だいぶ雰囲気変わったね~!目はアレなままだけど」
「わかりきった事をいちいち言うな」
希さん達に目を向けると、どうやら撮影はほぼ終了したのか、弛緩した空気が流れていた。
そこで、絢瀬さんと目が合う。
「ぐはぁっ」
彼女は何かに撃ち抜かれたように胸を抑え、ぱたりと気絶した。いや、なんでだよ。
だが、それすらも構わず、カメラマンさんは「キター!」とテンションを上げている。いや、なんでだよ。
「そのどんより……影のある目つきがタキシードに意外と合うわー!やはり私の目に狂いはない!」
今、どんよりってはっきり言ったな。言ったよな。おい、目をそらすな。
だが、彼女は勿論そんなのお構い無しに、μ'sのメンバーに目を向けた。
「よ~し、じゃあそこのアナタ!ちょっといい?」
「はい」
呼ばれてこっちに来たのは、何となく予想はしていたが、希さんだった。
……てか、これ、まさか……
「はい、じゃあ、そこに並んでもらえる?そうそう、はい腕組んで!」
カメラマンの指示どおりに希さんが腕を絡ませてくると、甘い香りが鼻腔をくすぐってきた。
「いいわね、最高!その初々しい感じ、いいわよ!」
どんな感じなのか。何がいいのかはさっぱりわからないが、パシャパシャとテンポよく撮られていくので、そんなに失敗はしていないのだろう。
横目で彼女を窺うと、自然な笑顔を見せていた。
そして、そのままこちらを見ずに唇を動かした。
「大丈夫。ウチの隣やから、慣れとるやろ?」
「……そこそこ」
「よし、じゃあ次はハグしてみようか!」
「「え?」」
さすがの希さんも驚いた表情をしている。これはまあ、さすがに、ね。
すると、カメラマンも正気に戻ったのか、申し訳なさそうな笑みを見せた。
「あー……ごめんごめん。つい熱が入っちゃって……いきなりこんな事言われても困るよね?」
「ウチは大丈夫ですよ」
「は?」
「本当に!?」
慌てて希さんを見ると、別に大したことないとでも言いたげに笑っている。マジか……。
「いや、いくら何でも……」
「八幡君は嫌やった?」
「いや、別に嫌というわけじゃ……」
「じゃ、せっかくやし……ね?」
「え、いいの?マジ?マジ?」
希さんのあっけらかんとした物言いに、カメラマンも期待の眼差しを向けてくる。
そうなると、こちらとしては黙って頷くしかない。
「…………」
「?」
とはいえ、これまでの人生経験でハグの経験などないので、どうすればいいかわからない。
こちらが視線をさまよわせていると、希さんは首を傾げてから、「あっ」と手を叩いた。
「ウチからしてあげたほうがいいよね。それじゃあ……」
「え……」
彼女はそう言ってから、そのまま俺に抱きついてきた。
柔らかな感触が体に絡みつき、優しい体温が心を包み込んできた。
それに合わせるように、彼女の背中に手を回すと、彼女の体がすっぽり収まり、想像より華奢な体に、鼓動が再び跳ね上がる。
少し離れた場所からキャーキャー聞こえてきて、小町達がそこにいるのをようやく思い出した。
だが、不思議と恥ずかしさはなかった。いや、それに構う余裕すらなかったというほうが正しいだろう。
胸の中は緊張やら興奮やら、そして……言い様のない幸福感で満たされていた。
「よしっ、もう大丈夫ですよ~!」
「…………」
「ふぅ……これはさすがに緊張するね~。あれ、八幡君?」
もう終わりだというのに、腕がほどけない。
……やばい。
今はまだこの人を……
「もしも~し」
「っ!」
彼女の言葉でようやく我に返り、慌てて腕をほどく。
すぐ目の前にある彼女の瞳は、少し戸惑いの色を見せていた。
その事が胸の奥をきつめに締めつけた。
「お疲れ様~!完成したら、パンフレット送るね~!」
締めの言葉を聞き流してから、とりあえず俺達は、一旦二人だけになろうと、どちらからともなく控え室を目指した。
*******
ドアを閉めてから、俺はすぐさま希さんに土下座をした。
「……すいませんでした」
おそるおそる彼女の表情を窺うと、頬をかき、視線を部屋の隅に向けていた。
「も、もうっ!びっくりするやん?いきなり……」
「……本当にすいませんでした」
「ああ、もうっ、そんなに謝らんでもええから、頭上げて?べ、別に嫌じゃなかったし……」
「…………」
頭を上げると、今度はその頭を彼女に撫でられ始めた。
「っ、あ、あの……!」
「お返し♪拒否権はなしよ」
「は、はあ……」
よくわからないまま、しばらくされるがままになっていた。
その小さな手はいつものように温かく、でもどこか違う。
再び彼女が口を開いたのは、時計の秒針が一周してからだった。
「まあ、八幡君の新たな一面が見れたから良しとしておこっかな」
「……そうですか」
「そうですよ~。じゃあ、そろそろお互い帰る準備しよっか、狼くん♪」
「っ!……はい」
この時、俺はすぐに察した。
またしばらく彼女に頭が上がりそうにない事に。
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ドリーミング・デイ #7
『八幡君、目を閉じて?』
「……は?」
『いいから、あとはお姉さんに任せとけばええよ』
「え、いや、だから、その……!」
「っ!!」
目を開け、体を起こすと、そこは見慣れた自分の部屋だとすぐにわかった。
……なんつー夢見てんだか。欲求不満かよ。
自分に呆れながら首筋に手を当てると、この前の出来事を思い出してしまう。
あれが自分の中でどういう意味を持つのか……既にわかりきっている気はするのだが、まだ深く考えられる状況じゃない。
……今はただ……とにかく恥ずかしい!!
何やってんの、俺!?何、その場の勢いだけであんなことしちゃってんの!?中学時代に学んだでしょ!?八幡のバカ!
ひたすら自己嫌悪に陥りながら、今日は少しぐらい遅刻してもいいや、とだらけた気持ちになっていると、携帯が震えていた。
こんな朝早くから誰だろうか……などと考えるまでもなかった。
「……はい」
「おっは~!!」
「元気いいですね。何かいいことでもあったんですか?」
「ん?いいこと?そうやね~……誰かさんに熱くだきしめられたことかな」
「……すいません。本当に勘弁してください」
「あははっ、これはしばらく使えそうやね。うんうん」
「てか、用事は何なんですか?」
「ん?なんかね、八幡君が遅刻してもいいやって気分になってそうやから、注意しとこうと思って」
「…………」
「え?まさか……本当に当たってたん?」
「い、いや、まさか……」
「まさにスピリチュアルやね。さ、八幡君も起きて準備しよっか」
「はあ……まあ、そうしときます」
「うんうん。今日も八幡君はいい子やね」
「めっちゃ子供扱いされてる気がするんですが……」
「どうやろうね~?あ、用事もう一つあった」
「?」
「君の声が聞きたかっただけ……なんてね」
「っ!」
朝からなんつー爆弾投下してきやがる……いや、悪い気は全然しないからいいんだけどね?
この後、洗面所で顔を洗っていたら、小町から「朝から何一人でニヤニヤしてんの?怖すぎるんだけど……」などと言われてしまった。
……いや、本当にあの攻撃はずるいと思います。
*******
「告白!?」
「そうそう、それで手伝って欲しいってワケ」
いきなり場面が変わってすまないが、奉仕部に意外な依頼が来た。
なんと、クラスメートから告白の手伝いをして欲しいという、明らかに面倒極まりない内容……だが、本人は至って真面目らしい。戸部だから、そう見えづらいが。戸部だし。
さらに、その依頼を受けるかどうかの判断が、俺に委ねられようとしている。いや、なんでだよ。
とはいえ、部活の性質上言うことは一つしかないのだが……
「まあ、やってみますか……」
その言葉が、色んな物事を大きく変える鍵になるとは、勿論知る由もなく……。
*******
そして、再び俺は希さんと連絡をとっていた。
「修学旅行、ええなあ。ウチも京都行きたいなあ♪」
「いや、去年行ったでしょう」
「場所は京都やないし、修学旅行先で八幡君をからかえなかった……」
「そもそも去年は出会ってないでしょう」
「あ、それもそうやね。なんかもっと前から君のこと知ってたみたいやから。不思議やね」
「……そうですか」
口ではそう言ったが、たしかにそのとおりだと思う。
ぶっちゃけ去年の今頃は、家族以外の誰かとケータイで話をするなんて思ってもみなかった。なんだそれ、哀しすぎる。
「……あー、一応土産買ってきますんで、とりあえずバイトの時渡しますよ」
「あら、ありがと。じゃあ、ウチはお礼にハグしてあげよっかな」
「いや、それは遠慮しときます。てか、あんた接触多すぎでしょ。俺の事好きなんですか?」
「……う~ん、どうやろうねぇ?」
「…………」
やっぱり変にからかうのはやめておこう。駆け引きでこの人に勝てる気がしない。
「そういや……今度ライブあるって言ってましたね」
「うん。少し先なんやけどね。今度はハロウィンパレードでのライブやから、衣装も面白いもんになるよ」
「面白い……ですか」
「そ、面白いやつ。さらに、八幡君のお土産次第で露出度が上がる仕組みになっております」
「なん……だと……」
なんだ、そのおかしく幸せな仕組み……いや、素晴らしいのかもしれないが、見れるのはいいが、見られるのは……
「八幡君?」
「っ……いえ、なんでも……」
今、俺は何を考えていたのだろうと、すぐに反省をする。何を思いあがっているのだろうか。
気持ち悪い考えを振り払っていると、耳元を彼女のクスクス笑う声がくすぐった。
「どうかしましたか?」
「別に~。やっぱり君と話すのは楽しいなぁ、て思っただけ」
「……それならいいですけど」
急に先日の夢を思い出し、胸の中がざわつき始める。
それを悟られないように、何か話を切り出そうとしたが、上手く言葉が出なかった。
「じゃあ、そろそろウチは寝よっかな。じゃあ、八幡君。修学旅行楽しんで来てね~」
「ええ、それじゃあ」
何も悟られなかった事に安堵を覚えた俺は、戸部の依頼と、その後奉仕部を訪れた海老名さんの遠回しな依頼について考えた。
*******
「う~ん、なんか隠してる気がする……」
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ドリーミング・デイ #8
さて、希さんにはもちろん言わなかったが、修学旅行中に奉仕部としても活動しなければならない。
一つは戸部の告白の手伝い。そして、もう一つは……おそらく海老名さんだろう。はっきりとは言わなかったが、何となくはわかる。
……まあ、ぼちぼちやりますかね。
あと、お土産忘れないようにしなけりゃな。
*******
「♪~~~」
「かなりご機嫌みたいね。何か良いことあった?まあ、予想はつくけど」
「ん?何の事やろ?」
「別に私に隠す必要ないわよ」
そう言ってエリチは爽やかな笑みを見せた。なんやろ、この何かを吹っ切ったような笑顔は……。
そんな笑顔のまま、エリチはさらに話を続けた。
「愛しの彼と進展があったんでしょ?この前もあんなに熱い抱擁を交わしてたんだもの……いいなあ」
「し、進展って……そんなんあるわけないやろ?恋人じゃあるまいし……」
「でも好きなんでしょ?」
はっきりと出てきた『好き』という言葉に、胸が高鳴るのを感じた。
そのせいか、特に何も考えないまま口を開いてしまう。
「……やけにストレートに聞いてくるね……ど、どうしたん?」
「そりゃあ気になるわ。親友と初恋の相手がただならぬ関係になっているのよ?気にならないわけがないわ」
「いやいや、ただならない関係とかなっとらんよ?……たまに電話するくらいやし」
「ふむふむ……好きなのは否定しないのね」
「も、もう!からかわんといて」
からかうのは大好きなのに、自分がからかわれると頭が混乱してしまう。ああ、どうしよう……。
何を聞かれるのかとあたふたしていると、エリチは今度は大人びた笑顔を見せた。
「ふふっ。いいじゃない、少しくらいは。私、これでも少し落ち込んだのよ」
「エリチ……」
彼女がどのタイミングでその決断をしたのかはわからない。
でも、それより大事なこと……。
もし逆の立場だったらどうだろうか。こんな風にすんなりと相手の背中を押せるだろうか。
いや、まあ八幡君の事に関しては色々と言いたい事があるけど、まず聞くべきは……
「エリチ……本当にいいの?」
「まあ、希もまだ自分の気持ちがよくわからないみたいだし、比企谷君が誰が好きかはわからないけど。もしかしたら案外私の事が好きかもしれないし。その時はごめんね」
「もうっ、台無しやね!まあ、エリチらしいけど」
「でしょ?もうポンコツとは言わせないわよ」
「あははっ、それは無理やろ」
「えっ?」
流石にそれは無理がある。うん。
それにしても……私の気持ち、か。
*******
「…………」
「ヒッキー?」
「ヒッキーってば!」
「っ!」
「どうしたじゃないよ~。お土産コーナー睨みつけてるけど、選ぶの早すぎじゃない?まだ初日だよ」
「……ま、まあ、たしかに」
いくらなんでも気が早すぎたか。とはいえ、今から少しでも考えておかないと、絶対に失敗するだろう。
こちらをじーっと見た由比ヶ浜は、何かに気づいたように、「なるほど」と言った。
「もしかして、希さんへのお土産考えてたとか?」
いきなり鋭くなりやがった……お前はもっとアホの子のはずだろう。
「……いや、小町に頼まれてたものがあるか探してただけだ」
「ふぅ~ん。じゃあ、そういうことにしておくね。それと、依頼の事忘れちゃダメだよ」
「あ、ああ……」
*******
「じゃあ、今日はここまで」
「はぁ~、疲れた~」
穂乃果ちゃんがのろのろと床に寝転がると、それを合図に場の空気が弛緩していく。
「にゃ~。気持ちいいにゃ~♪」
「り、凛ちゃんっ、ジャージ汚れちゃうよ!」
「二人とも、何をやっているのですか。はやく帰らないと下校時間を過ぎてしまいますよ!」
「え~、私も寝転がりたかったなぁ」
「ことりまで……!もう……少しだけですよ」
「まったくもう……何やってんのよ」
「希、今日はやけに気合いはいってわね」
「そう?ウチとしてらいつもどおりやったんやけど」
ふと目を向けると、夕焼けが滲んで、街をほんのり赤く染め上げていた。
……今頃彼も同じような夕陽をみているのかな。
柄にもない事を考えてると、頬が熱くなっているのがわかった。
それと同時に、胸の中が不思議なくらいざわついていた。
*******
「……ふぅぅ」
「八幡、お疲れだね。どうかしたの?」
「ああ……まあ、あれだ。観光地で人多いからな。それで疲れたんだろ」
「あはは。八幡らしいね」
ふわりと甘く囁くような戸塚の声を聞いていると、気力体力が回復していく気がした。
とりあえず今日はこんなもんだろう。
戸部のほうは正直手伝いなんか要らないんじゃないかと思えるくらい奮闘していた。
それよりも、葉山の行動の方が気になった。まあ、何となく予想はつくが……。
どちらにせよ、今俺ができるのは奉仕部として、できる限りの手伝いをすることだけだ。
……そういや旅館の中にも土産屋はあったな。
参考までにこっそり見に行くか。
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ドリーミング・デイ #9
翌日。
奉仕部で早めに宿を出て、朝食をとっているのだが、朝から落ち着かない気分だ。
修学旅行でテンションがおかしなことになっているからだろうか。
……いや、違う。俺に限ってそれはありえない。
女子二人と朝飯を食っているからか。
……この二人とは部活で割と一緒にいるからな。
じゃあ、昨晩戸塚と一緒にお風呂に入れなかったからだろうか。
……まだチャンスはある。あとこれはそういうのじゃない。
だとしたら、奉仕部の依頼の件だろうか。
……まあ、こんがらがった内容ではあるが、文化祭の時ほどは疲れてない。
そうだとしたら、この感覚はなんなんだろう。
いや、本当はもう気づいている。
お土産を探している時だけじゃない。
この慣れない街を歩いている最中、ふと考えてしまうのだ。
あの人がここにいれば、もっと楽しいんじゃないか、なんて……
「ヒッキー、どうかしたの?」
「…………」
「ヒッキーってば!」
「っ!!びっくりしたぁ……どうかしたのか?」
「どうかしたのかじゃないよ~。ほら、はやく食べてお店出ないと二人を見失っちゃうでしょ?」
「……そうだな」
いかん。こんな朝っぱらから何をありえない妄想してんだか……ドルチェ&ガッバーナの香水のせいだろうか?どんな匂いか知らんけど。
「何か心配事でもあるの?」
「あー、今のところは特にないな。せいぜい戸部の喋り方がアレなのが問題ってくらいで」
「今さら!?そこはさすがに変えようがないよ!」
「たしかに問題かもしれないけど、普段から一緒にいるなら大丈夫じゃないかしら」
「ああ、だから今テキトーにぼんやり対策を考えてた」
「うわ、なんにも考えてなさそう……だ、大丈夫だよ!……う~ん、多分……」
何、その頼りない声……まあいいか。戸部だし。ダメ元だし。ダメ元すぎて、なんならダメ出ししたいまである。
それよりも気になるのは葉山の動きだ。ちなみにこれは、海老名さんが喜ぶような意味ではない。
……それとなく邪魔をされている気がする。
とはいえ、その理由やら経緯やらは何となく予想はつく。
こりゃあまた面倒なことになりそうだ……てか、既になってんだよなぁ。
すると、ポケットの中で携帯が震えだした。
確認すると、どうやらメールのようだ。差出人は……まあ二択だな。
特に意味はないが、あえて画面を見ないようにメールを開き、再び画面に目を落とすと、まず顔を思い浮かべたほうだった。
『眠い』
「…………」
いや、俺にどうしろと?
メールを打つ気力があるなら起きようよ……うわ、寝ぼけ眼でメール打ってるとこ想像したら、それはそれで可愛い。それどころじゃないとわかっていても可愛い。
……とりあえず、少し気持ちが落ち着いた。
「比企谷君。いきなりニヤニヤするのをやめなさい」
*******
「…………ふぅ」
あぁ……寝起きの変なテンションで、八幡君に変なメール送っちゃった……。
最近、気が緩みがちやねぇ。やっぱり、あのハグからやろうか……いやいや、朝っぱらから何を思い出しとるんやろ、ウチは……。
すると、背後からこちらに向かってくる足音が聞こえた。この音の感じやリズムで、すぐに誰だかわかった。
「おはよう。どうしたの、希?昨日とは打ってかわって沈んだ表情ね」
「ん~、昨日夜更かししたんよ~」
嘘は言ってない。実際夜更かししちゃったし。ぼんやりしているうちに、いつの間にかだいぶ深夜になっていた。
「夜更かし……いやらしいわね」
「いや、さすがにそれは妄想が過ぎるやろ。エリチにそういう一面があるのは知っとるけど……」
「う、うるさいわね。まあ何もないならいいわ。また占いで不吉な結果でも出たのかと思ったわ」
「ん~、まあカードは悪くないんやけど……」
「?」
私の言葉にエリチは首を傾げたが、私は笑い返すことしかできなかった。
ただ胸が少しざわつくというだけで、細かいところを言語化できる気がしなかったから。
小さな溜め息が零れたけれど、それが何を意味するのから自分でもわからなかった。
*******
数時間後……。
奉仕部の依頼という はあったものの、それなりに楽しかったせいか、あっという間に時間は過ぎていった。
現在、俺達は竹林の道にいる。
そう、戸部はここを告白の場に選んだのだ。由比ヶ浜も「とべっちにしてはナイス……」と呟いていた。
あとは海老名さんが来るのを待つだけだ。
「いよいよだね……」
「ええ。なんかこういう場面は初めてだから、なんか変な感じね」
「あはは……まあ、告白の場面に遭遇するとかまずないし、したとしても、じっくり見たりしないからね」
「…………」
「ヒッキー?」
「比企谷君?」
「…………」
二人から声をかけられているが、今は返事をしている余裕はなかった。
もう海老名さんの姿が見えている。躊躇などしている余裕はない。
ここで俺が……俺のような奴がやれることはただ一つ。
……まあ、やるしかねえか。
そして、俺は彼らの元へと飛び出して行った。
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ドリーミング・デイ #10
家に帰り、制服のままソファーに腰を下ろすと、そのまま眠ってしまいそうだった。ちょっと最近根詰めすぎたかもしれない。
だが、そんな疲れた身体でも、習慣になっていることは覚えているのか、自然と携帯をチェックしていた。
メールは特にないようだ。別に特定の誰かからのを待っているわけでは……いや、やはり気になる。
修学旅行最終日になり、もう家に着いててもおかしくないのに、八幡君からのメールがない。
……この言い方は違うかな。家族や恋人じゃないし。
ただ、胸騒ぎがする。
とりあえずこの仕返しだけはしたいなぁ。
「ふぅ……今度会ったら、たっぷりからかわんといかんね」
ぽつりと呟いた言葉は、一人きりの部屋に、やけに大きく響いた。
*******
「いやあ、まさか修学旅行から帰ってきて、すぐ風邪ひくなんてねえ。まあ、お兄ちゃんらしいかもだけど……」
「……俺らしいとは」
修学旅行を終え、帰宅したその夜に、体調不良を感じ、その日はそのまま寝たのだが、翌朝にはさらに悪化していた。
……まさかこのタイミングで風邪をひくとは。
朧気ながら、あの日の夜の事がぼんやりと頭の中に浮かんできた。
『あなたのそのやり方……とても嫌い』
『すまない。君がそういうやり方しか知らないとわかっていたのに……』
『なんで色んな事がわかるのに、それがわからないの!?……ああいうの……やだ』
奉仕部の依頼……。
どうやら、俺は色々と間違えてしまったようだ。
……いや、そんなのは今さらか。
間違えていたというなら、最初から間違えていたのだろう。
いや、そもそも最初ってどこだっけ?
「もしもーし、お兄ちゃーん?」
「あ、ああ、悪い……考え事してたわ」
「……もしかして、結衣さん達と何かあった?」
「……よくわからん、なんかあったと言えばあったし、なかったと言えばなかった」
「うわぁ、またお兄ちゃんが拗らせてる……まあ、体調悪いから今は聞かない。じゃ、学校行ってくるね」
「ああ、行ってらっしゃい。もし移ってたら、お詫びにお粥作るわ……」
「余計具合悪くなりそうだからいい。それより、ちゃんと寝てなきゃダメだよ。目腐ってるし」
「…………」
最後の一言がなけりゃ完璧可愛い妹だったんだが……いや、憎まれ口叩いていても完璧に可愛い。
そんな事を考えてる
とりあえず……今は寝よう。
深い眠りが訪れる前、誰かの顔が浮かんだ。
その表情は靄がかかっていて、よく見えなかった。
*******
学校にいる間も、何だかモヤモヤした気分のまま過ごしてしまった。授業がこんなに耳に入ってこないのは、初めてかもしれない。
「う~ん……」
「何やってんのよ。希」
「ん?誰やったっけ?」
「ぬわぁに言ってんのよ!スーパーアイドル、矢澤にこよ!てゆーか、しょうもない冗談言ってんじゃないわよ!」
「あはは、ごめんごめん。ついからかいたい欲求が……」
こんなにからかいがいのある人も珍しいかもしれない。八幡君と西片君に並ぶといっても過言ではないだろう。
にこっちは溜め息を吐いてから、こちらにジト目を向けてきた。
「まったくもう……それで、なんかあったの?」
「え?」
「そんないかにも悩んでますみたいな顔されたら、誰でも気になるわよ」
「あらら、ウチそんな顔がしとったんやねえ……」
いけないいけない。これは注意しておかないと。
何となく頬に手を当て、表情を柔らかくしようと悪あがきをしていると、にこっちは前の席に腰を下ろした。
「もしかして、比企谷っていう男子のこと?」
「うん」
「…………」
「どうかしたん?」
「いや、随分はっきり言うなあって思っただけ。アンタの事だから、どうせはぐらかされると思ってたし」
「隠す必要もないからねえ」
「……も、もしかして、もう付き合ってんの?」
「……そんなんじゃなくて。もう修学旅行も終わってるのに、連絡も何もないから気になってるだけ」
「はあ?そんなの自分から連絡したらいいじゃない」
「ん~、そうなんやけどね……いや、ほら、何て言うか……」
「……やば。ちょっとずつキャラ変わってきてる」
「何か言った?」
「何も。それより、気になるならさっさと電話でもした方がいいわよ。誰とは言わないけど、背後から虎視眈々とチャンスを窺ってるのがいるかもしれないし」
「にこっち……」
「お礼ならいらないわよ。このくらいスーパーアイドル・にこにとってはどうってことないんだから」
「にこっち虎視眈々なんて言葉知っとったんやね」
「なんで感心するところがそこなのよ!?」
「冗談冗談。ありがとね、にこっち」
だいぶ心が軽くなった気がする。
にこっちの頭を撫でると、まだ人慣れしていない野良猫のように嫌がられた。
*******
家に帰ってから、私は八幡君に……ではなく小町ちゃんに電話をした。
にこっちがいたら溜め息を吐かれそうだが、今は仕方ない。
通話状態になると、私はすぐに話し始めた。
「あ、もしもし、小町ちゃん?」
「希さ~ん、聞いてくださいよ~」
「?」
「実は兄が……」
小町ちゃんの話を聞いた私は、すぐに家を飛び出した。
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Someday
「……今、何時だ?……てか、だりぃ」
意識が朧気だが、体がまだだるいことだけは、はっきりとわかる。
普段なら風邪ぐらい一日で回復しそうなものだが、今回はどうも普段よりひどいようだ。
まあ、別に皆勤賞を狙ってるわけじゃあるまいし、2、3日休むのは構わないのだが、これではゲームをしたり、アニメを観たりする余裕もない。
やたら損した気分になるが、どちらにせよ今は休むしかない……喉、乾いた……。
一旦起きるか……起きるのだるいが……
「あ、無理せんほうがええよ。今は」
「……それも、そう、ですね……………………は?」
「ん?どうかしたん?お水飲む?スポーツドリンクもあるけど……」
「……夢、か」
「夢じゃないよ~」
聞き慣れた声のする方に、ゆっくりと視線を向けると、確かに彼女はそこにいた。
いつもと変わらない小悪魔めいた笑みをこちらに向けていた。
「……希さん……ですよね?」
わかっていながらも、一応尋ねてみる俺に対し、彼女は笑みを深めた。
「当たり。君の尊敬する優しい先輩、東條希だよ~」
「……な、なんで……?」
「小町ちゃんから聞いて、心配になったからやね。本当は昨日からでも来たかったけど、さすがに遅かったから、とりあえず栄養ドリンクとか、お見舞いの品だけ買い込んどいた」
「……学校は?……てか、今何時ですか?」
「今はそんなの気にせんでもええよ。はい」
希さんが蓋を開けたペットボトルをこちらに渡してきた。
口をつけると、乾いた喉を優しく潤していく感覚が気持ちいい。
少しだけ元気が戻った気がしたので、もう一度確認すると、やはり彼女はそこにいた。
どうやら間違いないようだ。危ねえ……滅茶苦茶リアルな妄想したかと思ったわ……。
一息ついたとこでまた布団に潜り込み、頭に浮かんだ疑問をぶつけてみた。
「……あの、どうして……?」
「困った人を見たら放っておけない性格やからね。バイト先の可愛い後輩やし」
「……学校は?」
「振替休日やね」
「でも、もし移ったら……」
「はいはい。病人はそんなこと気にしないで休まんと」
「……はい」
今は何を言っても……いや、そもそも万全の状態でも、この人には言いくるめられてきたのだが……。
「何なら子守唄でも歌ってあげようか?」
「……クセになって毎晩聴かないと眠れなくなりそうなんでやめときます」
「ふふっ、体調悪くてもそういうところは相変わらずやね……それじゃ、おやすみ」
そう言って、希さんは俺の頭を撫でてきた。
ひんやりした掌の感触が心地よく、なんだか眠気が再びやってくる。
沈んでいく意識の中で、彼女に渡すために買ったお土産の事を思い出した。
*******
再び目が覚めると、もう外はだいぶ陽が傾いているようだ。
それと、体はかなり楽になっていた。
すぐに希さんの事を思い出し、隣に目を向けると、彼女は机に突っ伏して、寝息をたてていた。
その姿に自分の学校での姿が重なり、つい頬が緩んでしまう。
「すぅ……すぅぅ……んん?あ、おはよ~」
「……もう少し寝てても大丈夫ですよ」
「ふふっ、ウチが寝てる間に、こっそりエッチないたずらする気やろ?」
「恩を仇で返す真似はしませんよ」
彼女はとろんとした目つきのまま立ち上がり、そのまま俺の顔を両手で挟んだ。
「は?」
「ん……」
そして、そのまま顔を近づけ……額と額を優しく合わせた。
「うん、もう熱も下がったみたいやね」
寝ぼけているのか、からかっているのか知らないが、とにかく今希さんの顔がすぐ目の前にあるのは事実。
唇の辺りに生温かい吐息がかかった瞬間、俺の体は自然と動き出していた。
「…………っ!」
「きゃっ!」
俺は、いつかのように彼女を抱きしめていた。
病み上がりのせいか、頭はまだぼんやりとしていたが、甘くやわらかな体温と感触は、はっきりと伝わってきた。
もちろん彼女の戸惑いも、両腕を通して伝わってきた。
「は、八幡君?」
「……いくらなんでも無防備すぎやしませんかね」
「あはは……そうかもしれんね。八幡君、意外と狼さんやもんね」
「いや、羊が頑張って吠えただけですよ」
「なんかあった?」
「……少しだけ」
「今日は正直やね」
「隠し事してもどうせばれますから」
これも病み上がりのせいだろうか、普段よりもするすら言葉が出てくる気がした。
自然と彼女の厚みのある唇に目がいく。
彼女は俺の視線に気づいたのか、控えめな笑みを見せ、そっと口を開いた。
「ねえ……する?」
「…………」
何を、とは聞かなかった。
さすがに何の事を聞かれているかは想像がついた。
だが、何も言えずに黙っていると、希さんは目を閉じ、無防備な唇をこちらに晒した。
正直心臓が高鳴りすぎてヤバい。だがこの状態で逃げるような真似はしたくない。
俺は少しずつ彼女との距離を詰めた。
「…………」
「…………」
「にゃ~」
「「っ!?」」
気の抜けるような鳴き声に、二人して驚いてから目を向けると、そこには、いつからいたのだろうか……カマクラがベッドの下から、のそのそ出てきて、こちらをじとっと見つめていた。
先程までの張り詰めた空気が一気に弛緩し、一気にいつもの空気が戻ってくる。
「あはは、び、びっくりするねぇ。カマクラちゃん、いつからいたんやろうか」
「そ、そうっすね……普段はそんなに俺の部屋には来ないんですけど」
「そ、そう?あ~……ちょっと台所借りるね。八幡君はまだ横になってて」
「は、はい……」
ぱたぱたと部屋から出ていく彼女の背中を見つめながら、俺は胸の辺りに、初めて感じる熱が確かにそこにあった。
見れなくとも、触れられずとも、それが何なのかは最早言うまでもなかった。
*******
「……あ~、ドキドキした。どうしよ。この後顔見れるか心配なんやけど……」
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Someday #2
「そっか……八幡君、大変やったんやね」
「いや、大変ってほどのことは……」
希さんが部屋に戻ってきてから、何となく沈黙が嫌になり、俺はゆっくりと修学旅行での出来事を話し始めた。
その流れで、自然と奉仕部への依頼の件も話してしまっていた。
マナー違反な気もするが、誰かに話して、一度頭の中で整理したかった。別に依頼者が戸部だからではない。
希さんは何故か終始目を合わせてくれなかったが、しばらく一人で頷いてから、急にデコピンをかましてきた。しかも地味に痛い。
だが、彼女はやっと目を合わせてくれた。
その顔には文化祭の日の屋上で見せてくれた笑みを浮かべていた。
とはいえデコピンをしてくるあたり、今は少し怒っているのかもしれないが。
俺はおそるおそる口を開いた。
「……ど、どうかしましたか?」
「理由は言わんでもわかるやろ?」
「……はい」
あの時はああするしかなかったとは言わなかった。言えなかった。結局それは今までの自分に都合のいい言い訳にすぎない。
その選択しか取れなかった自分も、結局は過去の自分の積み重ねなのだ。
俺が何も言えずに俯いていると、彼女は俺の手をそっと自分の手で包み込んだ。
「ウチはね……やっぱり君が傷つくのは嫌なんよ。自分勝手な事言って、ごめんね」
「…………謝らなくてもいいですよ。むしろ、こっちこそ……すいません。学校休んでまで看病してもらって、さらに話聞いてもらって……」
「あらら、ばれてたんやね」
「まあ、なんとなく気づいただけなんですけど……」
「別に気にせんでええよ。ウチはやりたいことやってるだけやし」
小さな手のひらの心地よい冷たさが、心にまで染みてくる気がした。
そして、もう少しその冷たさの奥にある温もりを知りたくて、なるたけ優しく握り返した。
「ねえ、八幡君」
「?」
「『好き』って言葉は……その言葉は君が本当に誰かに伝えたくなった時にとっておいて欲しいな。まあ、君の事だから、そんなほいほい使ったりはせんやろうけど」
「……そうします……あ、そうだ。お土産なんですけど」
「?」
俺はのろのろと立ち上がり、まだごちゃごちゃ散らかった鞄の中から、学業のお守りを取り出し、希さんに手渡した。
「……これ、受験あるんで……」
「ありがと。これはウチもお返しせなあかんね。……何して欲しい?」
「そういう時は『何か欲しいものある?』とか聞くもんじゃないですかね」
「だってほら、八幡君やし」
「いや、一回もそんなお願いしたことありませんから。てか、いいですよ。お返しなんて」
「そんなこと言ってると後悔するかもよ?」
「…………」
たしかに。
そう思いながらベッドに腰を下ろすと、希さんが隣にきた。その口元はやたらニヤニヤしている。
「ほら、たしかにって思ってるやん」
「その普通にマインドスキャンするの何とかならないですかね……」
どっちかの眼、実は千年眼じゃなかろうか。今後何か粗相をしたら罰ゲーム喰らいそう。
「まあ、今決めなくてもええよ。ウチは待ってるから」
「……一応考えときます。忘れるかもしれませんけど」
「じゃ、約束しとこっか」
「はい……てか、そっちから言うんですね……」
「ウチは義理堅い性格なんよ」
こちらに身を寄せてきた彼女と、今度は小指を絡めた。
こんなに細くて頼りないのに、どうしてこんなに強いんだろうか。
本当に……色々反則すぎだろ、この人
*******
しばらくしてから希さんが帰ることになり、俺は玄関まで彼女を見送ることにした。
外はすっかり陽が傾いており、見慣れているはずの夕焼けの風景は、何だか違和感を感じた。
希さんはこちらを振り返り、まだどこか心配そうに、こちらを見つめていた。
「じゃあ、ウチは帰るけど、熱が下がったからって、無理したらあかんよ」
「ええ。ありがとうございました。そっちも帰り気をつけてください。それと……もし何か困った事があったら、今度は俺に話してください。できるだけ力になりたいので」
「まだ熱があるみたいやねえ」
「いや、本気で言ってますよ……何と言うか、借りは返しておきたい」
「ふふっ、借りとか君らしい言い回しやね……じゃあ、もしその時が来たら、真っ先に君に相談させてもらおうかな」
すると希さんは、猫のようにしなやかな足取りで距離を詰め、俺の耳に直接言葉を吹き込んだ。
「頼りにしてるからね」
そう囁いてから、彼女は甘い香りを残し、離れていった。
普段から大人びているが、この時ばかりは大人と子供になったような気分だった。
「じゃあ、またね」
「ええ。……それじゃあ」
そして彼女は遠ざかっていった。
夕陽が照らす後ろ姿は、いつまでも見ていたくなるくらい綺麗で、また胸をかき乱されるのだろうと確信した。
そして、彼女の言葉はまだはっきりと脳内に響いていた。
『頼りにしてるからね』
……今のままではいられない。
少しずつでいい。一歩ずつでいいから変わりたい。
いつか来るかもしれないその時のために、俺は決意を新たにした。
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Someday #3
体の軽さを実感しながら学校に行くと、何だか見慣れているはずの景色がどこか違って感じられた。久しぶりの病欠後のせいだろうか。まあ、そのうち慣れるだろう。いや、慣れるってのもおかしいか。
そんなしょうもない事を考えながら歩いていると、いつの間にか学校に到着していた。
とはいえ、安定のボッチ力を発揮している俺は、教室に入っても、特に誰からも声をかけられるでもなく……
「あ、八幡!もう大丈夫なの?」
戸塚が小走りに駆け寄ってきたので、頬が緩みそうになったが、なんとかこらえた。おっふ。危うく天使のスマイルで昇天しそうになっちまった。
「おう、そもそも昨日にはもうだいぶ回復してたからな」
「そっか。じゃあ何か困った事があったら言ってね。あまり無理しちゃだめだよ」
「……お、おう」
え、何その健気な台詞。いくらでも無理できそうなんですけど!つーか、もっかい休んで、もっかい言われてみたい!
そんな中、ふと誰かに見られている気がして、チラ見すると、由比ヶ浜と戸部がすぐに顔をそむけた。
*******
「ふぅ……」
「あら、どうしたの?昨日からよく溜め息ついてるけど」
「う~ん、自分でもよくわからんねえ。ていうか、そんなに溜め息吐いてた?」
「ええ。でも、よくわからないって、本当かしら?」
「どういう意味?」
エリチはやたらにやにやしながら私の頬をつついてきた。あ、これは少しお姉さんモードやね。
「な~に~?」
「ん?いや、希も希で案外素直じゃないのね」
「…………」
「昨日も比企谷君からもらったお守りを休み時間の度に見てたの自分で気づいてないの?」
「え?ウチ、そんなんなってた?」
「ええ。一人でにやにやしてたわ。少しひいたわよ」
「がーん……エリチに引かれるなんて……音ノ木坂で一番イタいエリチに……エリチに……」
「失礼ね!まったく……この前休む時協力してあげたのは誰かしら?」
「うっ……それは確かに感謝してるけど……ていうかエリチ、なんかキャラ変わった?」
「失恋で成長したのかもしれないわね」
「…………」
私はそれに何と答えたらいいのかわからなかった。
彼女は間違いなく私の背中を押してくれている。
そして私は間違いなく……
すると、エリチはうっとりとした表情で窓の外を見ながら呟いた。
「私は……愛人で構わないわ」
「エリチ、台無し……」
窓の外の景色はもうだいぶ涼しそうで、あと少しすれば冬になることを告げていた。
あっ、その前にハロウィンライブがあるんやった。八幡君に教えてあげよ。
*******
さて、どうしたものか……。
ようやく登校できるようになり、学校生活を無事に終えたのはいいが、まだ希さんに連絡できていない。
いや、普通に着信ボタンを押して、普通にお礼を言うだけでいいのだが……。
この前のあれこれが脳裏に焼き付いて離れないせいで、つい躊躇ってしまう。緊張のあまり、みっともない姿を見せてしまいそうで……。
恥をかくのなんて慣れてるはずなんだが……。
すると、そんな情けない俺に呆れたように携帯が震えだした。
しかも、画面にはしっかりと目的の人物の名前が表示されている。
「やっほ~。元気?」
「…………はい」
「ど、どうしたん?そんな申し訳なさそうな声出して」
「ああ、いえ。なんつーか、本当ならお礼の電話をこちらからしなけりゃいけなかったんで……」
「あはは、そんな事気にしとったん?ええよ。ウチがやりたくてやっただけやし」
「そういうわけには……」
「大丈夫やって。年末年始、神社で頑張って」
「…………えぇ?あ、いや、わ、わかりました」
「……今、嫌そうな顔せんかった?」
「あー、あれですよ、あれ。まさか、社畜になる前から年末年始働くことになるとは思わなかったんで」
「ふふっ、君らしい理由やね。でも、年末年始にウチの巫女姿を見れるという素晴らしい特典があるよ。それとも、君はもう見飽きた?」
「……ま、まあ、別に暇だからいいですけど」
「素直でよろしい♪あっ、その前に今度ハロウィンパレードでライブやることになったんよ。よかったら観に来て欲しいなぁ」
「……本当に色んなコスプレしてるんですね」
「いや、巫女服はコスプレで着てるんやないけどね。何なら八幡君もコスプレしてきたらどうかな?」
「もう間に合ってるみたいなんでいいっすよ。たまに小町からゾンビ扱いされますんで」
「ああ、八幡君らしいね」
「俺らしいとは……」
「よかったら小町ちゃん達も連れてきてね~」
「了解……あ、ちょっと、いいですか?」
「?」
「あー……その……この前は本当にありがとうございました……わざわざこっちまで来てもらったり、色々迷惑かけたんで、その……借りは返しておきたいので、飯でも奢らせてくだしゃい……」
「……う~ん、噛んだねぇ」
「…………」
「あははっ、そんなに気にせんでええよ。八幡君が噛むのかわいいし。それじゃあ、楽しみにしてるからね♪八幡君のエスコート……期待しちゃうなぁ」
「……ほどほどにしてくれると助かります。それじゃあ」
「うん、ばいばい」
*******
その数分後、ほっと安堵の息を吐きながら、二人はそれぞれ呟いていた。
「よかったぁ……普通に話せた」
「よかったぁ……普通に話せた」
そんな小さな呟きが重なったことなど知る由もなく、二人はいつもよりぐっすり眠った。
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Someday #4
ハロウィンライブ当日。
秋葉原はまだ朝だというのに、既に仮装した人達で溢れていた。
そんな中、俺は小町達と一緒に人混みを通り抜けているわけだが……。
「っべーわ。ヒキタニ君、ほんとに仮装しなくていいん」
「もう間に合ってるからいいんだよ」
そう。何故か戸部がいる。
ちなみに戸部はミイラのコスプレをしている。どうでもいいけど。今朝、小町と駅で戸塚達を待っていたら、何故か一緒に来たのだ。理由はわからんけど。
かといって反対する理由も特にないので、そのまま行動を共にしているわけだが……。
あと材木座はフランケンシュタインのコスプレをしている。本当にどうでもいいけど。それより……
「わあ……八幡、すごいよ、あっちの人達」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。希さんからメール来たよ。衣装楽しみにしててだって」
見ろよ、この天使二人を。両方魔法使いの格好してるけど、こりゃもう立派な天使だよ。何なら、これが拝めただけでも来た価値があるというものだ。
そう思いながら戸塚の視線の先を確認すると、何のコスプレかはわからないが、華やかで賑やかな集団がいた。
「ほら、才人!こっちこっち!」
「ルイズ、お前まだ来たばっかりなんだから、あんま走り回んなって!迷子になっちまうぞ」
「才人さん、私も構ってください!」
「ここが才人さんのいた世界……」
「すごく高い建物……」
なんだろう、普通のコスプレとはどこか違うというか、まるでファンタジーの世界から飛び出してきたみたいだ。ハーレムだし。
しかも、その真ん中にいる男子だけ、割と普通な……とにかく不思議な集団だ。
*******
さて、小町ちゃんにメールも送った事だし、あとはしっかりパフォーマンスするだけやね。
……普段なら八幡君にメールを送るところやけど、何故か送れなかった。
自分でもよくわからんけど、余計に気になるからやろうか。
「…………」
「希、もしかして緊張してるのですか?」
「え?……そう、見える?」
「にゃ~!凛達がいるから大丈夫にゃ!」
二人から言われたということは、どうやら自分で気づいていなかっただけで、実は緊張していたのだろう。
……あぁ、もう!これは間違いなく八幡君のせいやね。
絶対に後で思いっきりからかわんと。
私は、また極めて自分勝手な事を決意して、気合いを入れ直した。
*******
特設ステージにμ'sが登場すると、一際大きな歓声が上がり、彼女達の知名度がかなり高くなっていることがわかった。
それぞれハロウィンらしいカラフルなコスプレに身を包み、観客の目を惹き付け、すぐパフォーマンスに移ると、観客はあっという間に魅了されてしまった。
「希さ~ん!」
「ふむう……今回も悪くない」
「わぁ…………」
「ちょっ……ヒキタニ君、俺こういうの初めてなんだけど、なんかやばくね?やばくね?」
「…………」
興奮しながら肩をバシバシ叩いてくる戸部をスルーし、ステージに意識を集中していると、希さんと視線がぶつかる。どこで見るかなんて言ってないので、これもスピリチュアルな力なんだろうか。
すると、彼女は少しだけ目を伏せてから、またこちらを見て……投げキッスをしてきた。
……なんだ、今の撃ち抜かれたような感覚。
それと、さっき目を伏せた彼女の表情が、どこかいつもと違う気がした。
*******
ライブ終了後、パレードをぼんやり眺めながら、μ'sのパフォーマンスの余韻に浸っていると、肩をつつかれた。
振り向くと、先程までステージにいた絢瀬さんがそこにいた。
軽く頭を下げると、何か企みを含んでいそうな笑顔で、こっそり話しかけてくる。もう少しポーカーフェイスとかできないんでしょうか……まあ、わかりやすくていいけど。
「比企谷君。ちょっといいかしら」
「はい?」
「希に飲み物届けてもらえない?もう着替えは済んでると思うから」
「……ああ、わかりました」
何を頼まれるかと思えば、そのくらいのパシリなら小町で慣れてるからお安いご用だ。
近くの建物の一室を借りているらしく、自然と早足になっているせいか、言われた部屋にすぐ辿り着く。
そして、一呼吸おいてからドアを開けると、そこには……
「え?」
「っ……」
まだ着替えてる途中の希さんがいた。
「すいませんっ!!」
あまり出さないボリュームで謝りながら、勢いよくドアを閉める。
すぐに静寂が訪れたが、まだ心臓がばくばく高鳴っていた。
しばらくすると、「もういいよ」と声がかかり、俺はおそるおそる足を踏み入れた。
彼女は髪を指先で弄びながら、こちらをジト~っとした目で見た。
「も、もう……ノックくらいしてよ」
「はい。すいませんでした……」
確かに。
いくら着替えが終わっているからと聞いていても、ノックするのがマナーだった。小町が相手だったら、三日間くらい口を聞いてもらえないだろう。
首筋に手を当て、もう一度謝罪の言葉を口にしようとすると、彼女は距離を詰め、こちらの顔を覗き込んできた。
「ふふっ、じゃあ今度のバイトでお昼ごはん奢りね」
「……はい」
元より拒否権などあるはずもない。
頷くと、彼女は俺の胸に手を当て、悪戯っぽい笑みを向けてきた。
「君になら見られてもええんやけど」
「からかわないでくださいよ」
「それは無理な相談やね」
まあ、そりゃそうだろう。
飲み物を手渡すと、希さんは「ありがと」と受け取ったが、また伏し目がちになった。
その表情がどこか切なくて……
俺は自然と口を開いていた。
「あの……あー……この後時間あるなら、どっか行きませんか?」
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Someday #5
「お待たせ」
「……いや、そんなには」
希さんが控え室から出てきたので、俺は携帯から顔を上げ、意味もなく手を軽く挙げた。
「やっぱ制服なんですね」
「まあ、学校の代表として参加してるからね。あ、ごめんね~。巫女装束は持ってきてないんよ」
「そりゃ残念っすね」
「お、なんかリアクション変わったやん?いきなりデートに誘ってくるし、八幡君が今日何をするつもりなのか楽しみやね」
「あんまハードル上げられても、くぐるしかなくなるんですが……」
「あ、やっぱりいつもの八幡君やね。安心安心」
「お、おう……」
いつもの俺とは……と少し不安になるが、まあいいだろう。
俺と彼女はどちらからともなく歩きだし、控え室をあとにした。
*******
まだ小町にメールで先に帰っていいと伝えると、「頑張るんだよ!」と謎の激励を貰った。
……まあ、素直に受け取っておこう。
希さんも、μ'sのメンバーの誰か……おそらく絢瀬さんだろう……に連絡してから、にぱっと笑顔を見せた。
「それじゃあ、どこ行こっか?」
「あっちの方、出店あるらしいんで行ってみますか」
「へえ、そういえばまたお祭りっぽいもの食べてないんよ。これは何か食べんといかんね」
急に目をキラキラさせた希さんは、ガシッと俺の左手首を掴んだ。
あまりに自然なその行動に、しばらく照れやら何やらが追いつかなかった。
*******
「ん~、美味しい……♪」
クレープを頬張り、うっとりと呟く希さんを、通りすがりの男女がチラ見して行った。まあ、気持ちはわからないでもない。可愛い。あと可愛い。
感心して、一人で頷いていると、希さんがクレープをこちらに差し出してくる。
「はい、あ~ん」
「いや、しませんよ」
油断すると、すぐにこういうからかいが来る。さっき見たあの表情は幻だったと言わんばかりのテンションだ。
すると、周りからヒソヒソと声が聞こえてきた。
「おい、あれを断る男がこの世にいるのか?」
「頭がおかしいのか……心に病を抱えているのか……」
「ニフラム」
「ちっ、ボッチのくせに!そこは素直にいけよ!」
何か色々言われているんだが……。おい、昇天させようとすんな。あと俺をボッチ呼ばわりするお前。いい加減姿を見せろ。
目を向けると……ちっ、逃げられたか。まあいい。今はそれどころじゃないからな。
「八幡君、どうかしたん?」
「いえ、何でもないです……」
「えいっ」
「んぐっ!?」
いきなり口にクレープを押しつけられ、言葉が発せなくなるなくなる。
ふわふわの生地と甘い生クリームのコンボに、MAXコーヒー並の幸せを感じたが、すぐに気恥ずかしさが表に出てくるのがわかった。
「ふふっ、どう?」
「いや、どうとか言われましても……甘いです」
「八幡君好みの甘さやろ?」
その言葉の意味をいちいち深読みしてしまいそうになる自分がいるが、まあこれは言葉どおりに受け取っておいていいだろう。
こくりと頷くと、希さんは何か思い出したかのような表情で口を開いた。
「今日は何で誘ってくれたの?」
「…………」
彼女の視線は正面を向いていて、その視線は人混みの向こうに注がれていた。
だが、周囲のざわめきは先程より少し遠く聞こえる。
このまま聞こえなかったふりをしても構わないのかもしれないが、俺はさっきの違和感を口にした。
「……気になったんですよ」
「?」
「あー……何つーか、気のせいかもしれないんですけど、ふとした時の表情が暗いというか、暗めというか……それで、気になったんですよ。ほら、バイト先の先輩がどこか悪くしてたら気になると言いますか……」
最後の方はだいぶ早口になってしまったが、噛んではいないので伝わっただろう。希さんは、正面を向いたまま頷いていた。
「そっかぁ、そんなにウチの事が気になってたんやねえ」
だいぶ曲解はされているが。いや、そうでもないのか?
何ともいえない気分になっていると、急に希さんが腕に抱きついてきた。
暴力的なまでの感触が肘に押しつけられ、脈拍数が急速に上がるのを感じた。
「じゃあ、気にかけてもらったお礼をせんといかんね」
「い、いや、礼とか……そんなの……いらないでしゅけど……」
「あははっ、噛んだ♪……ありがと。心配してくれて。あとこうして一緒にいてくれて」
「…………」
最後の方の『一緒にいてくれて』が、やけに切なく聞こえたのは何故だろうか。
だが、そんな疑問を打ち消すように、彼女は爆弾を放り込んできた。
「ねえ、八幡君にとって、ウチって何なん?」
「…………」
せめてからかう時には、もうちょいわかりやすいテンションでやってくれませんかねえ。
俺は内心の焦りを隠し、いつものように言った。
「……大事な先輩、ですかね」
「……………………鈍感」
希さんのリアクションは、いつもと少し違っていた。
*******
「ふぅ……やっと仕事が一段落つきそうね」
「ああ、そろそろ娘の顔が見たいよ」
「ふふっ、あの子びっくりするんじゃないかしら……いきなり、こっちに来いって言い出したら」
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Someday #6
「ふぅ……」
自然と零れる溜め息。最近少し多い気がする。まあ、そんな時期なんやろうね。カードもそんな感じやったし。
実は昨晩、両親から連絡があった。
まさか、いきなりあんな……
「どうしたの?また溜め息ついて」
「えっ、あ、まあ、あはは……」
「むむっ、今度は恋愛絡みとはまた別のやつね……私でよければ話聞くけど」
やっぱりエリチは鋭いなぁ。ポンコツやけど。
とはいえ今は言いづらくて、つい作り笑いを浮かべてしまった。
「う~ん、まだ大丈夫かな。まあ、そんな大変なやつやないし……」
「そう?ところで、最近進展はあったのかしら?この前もライブが終わった後、夜の街へ消えていったじゃない」
「夜の街へは行っとらんけどね。まあ、その……今みたいなのも悪くないよ?」
「なんだぁ……せっかく妄想ネタを回収しようとしてたのに……」
「エリチ、また色々台無しになっとるよ。はやくヨダレ拭いて」
とりあえず……今色々考えるのはよそう。
そう決めた私は、エリチに思いつくまま話題をふり、いつものような会話で頭の中を埋めた。
*******
ハロウィンライブや、その後のあれこれの余韻に浸りたいが、なかなかそうはいかないのが現実の厳しいところだ。学生でもこうなのだから、社会人になったら……はあ、働きたくねえな。
「ちっす、比企谷君!」
てか、あの人今何してんのかな……って、初恋中の中学生男子か。って、いらん事考えたらトラウマが……。
「って、比企谷君、シカトとかひどくね!?」
「……ああ、戸部か。いつからそこにいた?」
「いや、さっきから声かけてたし!この前一緒にハロウィン行った仲じゃん!」
どういう仲だというのだろうか。もしかして俺がリア充になったとでもいうのだろうか。もしくは戸部がボッチの仲間入りを果たしたとか……ボッチの仲間入りとか、これもうわけわかんねぇな。
「それで……何か用か?例の依頼なら、この前聞いたとおり、今は無理だろうから諦めろ」
「いや、そうじゃなくって!それも関係あるけど!」
「?」
どういうことかよくわからないので、沈黙で続きを促すと、戸部は急に申し訳なさそうに頭を下げた。
「あん時、ごめんっ!」
「は?」
どの時かは何となくわかるが、謝られる理由がからないので、首を傾げるなと、戸部は続けて口を開いた。
「いや、ほら……あん時、比企谷君が海老名さん好きって言ったの……あれ、ウソっしょ?なんつーか……周りが気まずくならないようにっていうか……」
「……別にお前の為にやったわけじゃねえよ」
「そうかもしれないけどさ、でも大事なのって、俺が比企谷君に感謝してるって事じゃね?」
「……そういうもんか」
「そーそー!細かい事いいっこなしでしょ~!」
まあ、確かに戸部がそう言うのなら、それを俺が否定する事はできない。
……いや、それよりも一つ気になる事がある。
「お前……呼び方変わってね?」
「え?あ、気づいた!?実は戸塚君に聞いたんよ!比企谷君、ヒキタニ君じゃなかったんでしょ!?いや~、俺もおかしいと思ってたんだわ~」
最後の方は嘘だろ。お前は絶対にヒキタニだと思ってたはずだ。戸部だし。
まあ、このしょうもないやりとりでわかったことがある。
こいつ、まあまあどころか、だいぶいい奴なのではなかろうか。
一応、戸部と目を合わせると、何故かいきなり肩を組まれた。うん、やっぱりこういうノリは苦手だわ。材木座とは違うベクトルで疲れそうだもん。
*******
「希~、そろそろ練習に……って、いないわね。どこ行ったのかしら?トイレ?しょうがないわね。荷物だけでも持って行ってあげますか。よいしょっ、あわわっ!!希のケータイがっ!……ふぅ、傷はついていないようね。よし、しっかり画面も……ん?……これって!!」
*******
今日は戸部がやたら話しかけてくる以外は特に変化のない一日だった。いや、奉仕部の部室に行ってないのは、まあ変化といえば変化か。思えば2年になってから、平日は殆どあの部室に顔を出していた。
……明日は顔出すか。まだ勝負の事もあるし。
そう考えたところで、携帯が震えた。多分着信だな、これは。
画面を確認すると、確かに当たってはいたが、その相手は予想外だった。
「あ、比企谷君!ちょっといい?大変なの!」
「ど、どうかしましたか?」
絢瀬さんの慌てた声に、つい緊張気味になってしまう。どうしたというのだろうか。
こちらが聞き返そうとすると、絢瀬さんの声が聞こえてくる。
「希が……希が両親のところに帰っちゃうの!!何か聞いてない!?」
「…………は?」
あまりに突然すぎる話題に、理解が中々追いつかず、俺は口をポカンと開けたまま、玄関で立ち尽くしていた。
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Someday #7
絢瀬さんとの通話を終えてから、俺はすぐに電話帳を開き、見慣れた名前を何度も指で叩いた。
しかし、繋がらない。どうやら電源が切られているようだ。
いや、落ち着け。別に今すぐどこかに行ってしまうわけじゃない。
そう自分に言い聞かせてみたが、焦りみたいなものは収まってくれなかった。
試しにもう一度彼女の名前を指で叩いてみたが、やはり繋がらない。
それと同時に、今度は無力感がこみあげてきた。よくよく考えてみれば、俺は彼女の事を知ったつもりでいて、その実大して知らなかったのだ。というか、そんな事を考えることすら自惚れなのかもしれない。
いきなり知らされた事実に、止めどなくマイナス思考が溢れ出すのを、何とか抑えようとかぶりを振る。
すると、カマクラがじーっとこちらを見ているのに気づいた。
「……どした?」
何か言いたそうな顔に、つい語りかけてしまうが、もちろん何の返事もない。こんな事するあたり、自分が平常心じゃない証拠だろう。
「お前だったらどうする?」
「な、何やってんの、お兄ちゃん?」
「…………」
我が麗しのマイシスターが、いつの間にかご帰宅されていたようだ。しかも、こちらに気持ち悪そうな目を向けてくるというおまけつきで。
「おかえり」
「いや、何事もなかったようにしても無駄だから。てか、どしたの?カーくんに人生相談なんかして。もしかして希さんの事?」
「……別に。何でもねえよ」
「うわ、当たっちゃった……まあ、お兄ちゃんが悩みそうなことなんて、それ以外にほとんどないから仕方ないんだけどね」
「…………」
どうやらこいつに隠し事しようとするだけ無駄らしい。ついでに失礼な事を言われてる気がするが、まあ事実だろう。
「お兄ちゃん、何があったかは聞かないけどさ、もうちょっと素直になっていいんじゃないの?」
「……そういうもんか」
「まあ、今さら素直で可愛げのあるお兄ちゃんなんて気持ち悪いだけなんだけどさ、たまには言うべきこと言わないと、嫌われちゃうかもよ?」
「……そういうもんか」
「ギャップ萌えというやつです!」
ぱちこんっとウインクしてくる小町に、つい苦笑してしまう。何それ可愛いかよ。
何だか、あっちの状況もよくわかってないのに、一人で悩んでいるのが馬鹿らしくなってきた。
つーか、たまには思いきり驚かせて、からかいつくしてやらんと割に合わん。
俺は小町の頭を撫でてから、すぐに用意を始めた。
*******
よし、準備完了。
まあ、いきなりの事やし。あとは向こうで色々揃えればええやろ。
……いきなりなのはいつもの事か。
小さい頃はいきなり転校するって言われて、随分怒ったなぁ。
とりあえず、いつも振り回してくる仕返しに、二人に会ったら少しくらいお説教してもいいだろう。
何なら、その勢いで八幡君を無駄にからかいまくってもいいくらいだ。
*******
しばらくして、俺は秋葉原の駅前に立っていた。
別に気持ち次第で電車が速くなるわけでもないのだが、何だか普段よりかなり早く到着した気がする。
とはいえ、もうすっかり暗くなっており、駅前を行き交う人は、どこか急いでいるように見えた。
さて……多分今日は、あそこにいるよな。
確信に近い感覚で足早に目的地へと向かう。
通学路に比べたら、歩いた回数は遥かに少ない道。
だが、この道を歩く時に目に入る景色は、鮮明に脳に焼き付いており、微かではあるが、胸が高鳴る。
そんな事に今日初めて気がついた。
やがて、目的地の神社に到着する。
一歩一歩確かめるように歩いていくと、すぐにその背中が見えた。
こんな時もいつもどおりなのが、いかにも彼女らしい。
……果たして言いたいことはしっかり言えるだろうか。
全然こちらに気づく気配のないその背中に、俺は声を飛ばした。
「……希さん」
「ひゃあっ!?……え?え?嘘……え?ほ、本当に八幡君?」
「あー、はい……」
「ど、どうしたん、いきなり?」
あまりに予想外だったのか、慌てふためく彼女は、まだ俺がここにいるのが信じられないみたいだ。
とりあえず先制攻撃は成功したらしい。いい気味だ。
薄暗い境内で見る彼女は、どこか幻想的で、油断すると、そのまま見つめてしまいそうだった。
それを何とか振りきり、俺は軽く息を吐いて、思いつくままに言葉を口にすることにした。
「その、なんつーか、希さんって、結構謎な人ですよね」
「ん?そ、そうなんかなあ?別に何も隠したりはしてないけど……」
「いや、秘密っていうか、俺みたいなのにも最初から割と親しげに接してきたじゃないですか」
「それは……何となく君がウチと似てたから、かな」
「……そうなんですか?」
「うん。一人は平気みたいな顔してるけど、どこか寂しそうなところとか……」
「そうですか……」
寂しそう、か。あながち間違いではないのかもしれない。
ただ、これまで諦めるのに慣れていただけで……。
それで諦めたくないものが今はあるから……。
「あと、文化祭や修学旅行の後、希さんのおかげでいろいろ助かりました」
「ウチは大したことはしとらんよ。でも……ありがとう。今日はお礼を言いに来てくれたん?」
「……それだけじゃないですよ。ただこういう事は言えるうちに言っておこうと思っただけなんで」
「え?それってどういう……」
「……希さんが引っ越して、これまでみたいに会えなくなっても……」
「……………………?」
「あー……一回だけでいいんで聞いてください」
「は、八幡君?」
こちらが何を言うのかは、きっと既に気づいているのだろう。
いつの間にか、風は止み、時間が止まったような感覚に陥っていた。
俺は、丸くなった目を見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。
「俺は……希さんが好きなんですよ」
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Someday #8
訪れる沈黙。
自分が言った言葉を、もう一度頭の中で反芻してみる。
よし、間違ってはいないはず。
そんな意味のない確認作業をしながら、何とか気を紛らわそうとするが、もちろん大した効果はなく、不思議な高揚感と脱力感のせめぎあいが身体を支配していた。
一体どのくらい静寂がこの場を包み込んでいたのだろう。
先に口を開いたのは希さんだった。
「…………八幡君」
「…………」
名前を呼ばれたが、碌に返事すらできないのが情けない。
それでも、何とか視線は逸らさないように、真っ直ぐに見つめ続ける。
すると、彼女の唇が再びふわりと動いた。
「あの、ウチが引っ越すって、何の話?」
「……………………え?」
希さんは、こてりと首を傾げながら、本当に不思議そうな表情を見せた。
な、何だ、この感じ……。
焦りに身を任せるように、ついつい口を開いてしまう。
「あ、絢瀬さんから聞いたんですが……」
「エリチから?ん~……まあ、うっかり携帯でも見たんかな?エリチやし……」
「…………」
「まあ、エリチの早とちりやね……ちょっと九州にいる両親から呼び出されただけで、引っ越したりはせんよ」
「……そ、そうですか」
「うん、なんかごめんね。エリチが……あはは」
少し気まずそうに笑う希さんは、そのまま顔を伏せたかと思うと、こちらに一歩踏み込んできた。
ほっとしたのも束の間、今度は別の緊張がこみあげてくる。
「ねえ、八幡君……」
「は、はい?」
彼女は極上の上目遣いと共に甘い声音で囁いてきた。
「さっきの言葉……一回しか言ってくれないの?」
「っ!?」
おい、なんだこの反則技。こんなんありかよ。……まあ、この人からすりゃあ、アリなんだろうな。うん、知ってた。
こちらの心情など掌で転がすように、蠱惑的な笑みを浮かべた彼女は、また一歩距離を詰め、甘い香りでこちらを包み込みながら、そっと掌を胸に当ててきた。
「さっきは君が来たことに驚いて、よく聞こえんかったなぁ」
「ぐっ……」
「あーあ、もう一度しっかり聞きたいなぁ」
男に二言はないと言いたいところだが、そんな顔されたら言うしかない。だって可愛すぎるんだもの。
あっさり前言撤回した俺は、もう一度彼女の目を見て、さっきよりもしっかりと言葉に輪郭をもたせた。
「……好きです。心から」
「……うん」
最後に付け加えた言葉に一瞬目を見開いた希さんは、すぐに穏やかな笑顔になり、はっきり頷いてくれた。
こんな薄暗い中でも、その頬は朱く染まっているのがわかり、より一層胸が高鳴る。
それから彼女は、しばらく考え事をするように目を伏せたが、何かを決意したように顔を上げた。
「その……ウチの事を心から好きで、早とちりでわざわざここまで来てくれた八幡君には、何かご褒美が必要やね」
「い、いや、別に……」
「必要やね?」
「はい……」
何だろう。今圧で押しきられた気がするんだが……。
まあ、十中八九からかわれるだろうが、今となってはそれもどんと来いだ。こちらはもう既に告白を済ませているのだから。
「ん…………」
「っ…………!?」
キスされた。
何も考える暇などない。
希さんはいつになく俊敏な動きで、俺の頭部を左右から掴み、自分の唇を俺のそれに、やたら不器用に押し付けていた。
柔らかな唇の感触に、全身が痺れるような感覚がして、微動だにできない。
まるで天に昇っていくような幸せを俺は初めて体験していた。
ぼーっとした思考回路の中、名残りを惜しむように、そっと唇が離れると、再び時計の針が回り始めるように、周りの景色もじんわりと目に馴染み始める。
希さんは、どこか落ち着かない表情のまま、口元だけ笑みを見せた。
「……わ、私……ウチも君が好き。大好き。心から」
「……どうも」
初めて見る表情に、たまらなく愛しさが溢れてくる。
衝動のままに今度はこちらから口づけを交わした。
「…………」
「ん、んん……」
こちらもよく加減がわからず、随分不恰好なものになってしまったが、それでも気持ちは昂り続けている。
希さんは、とろんとした目をこちらに向け、小悪魔の笑みを見せた。
「巫女装束のまま、こんなキスさせるなんて……八幡君はほんと好きやねえ」
「いや、最初はあんたからでしょうが……」
「こんな気持ちにさせたのは君やろ?」
彼女はぺろりと唇を舐め、キスの余韻を味わっていた。
その赤い舌に目を奪われていると、希さんは目ざとくその視線に気づき、思いきり抱きついてきた。
「もう一回……ね?」
「……はい」
その魔性に抗えるわけもなく。
ただ不器用に唇を重ねる二人を、月だけが見ていた。
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Someday #9
「じゃあ、すぐにご飯作るから待っててね」
「…………」
まさかこんな展開になるとは……。
あの後、希さんと手を繋いで駅まで行き、彼女に見送られながら千葉に戻る予定だったのだが、トラブルにより、電車が止まってしまった。
そして、今日はこちらに泊まることになったのだが……。
「ん?どうかしたん?あ、まさか緊張しとるん?結構前泊まったのに?」
「あー、いや、その……この前とは色々違うというか……」
「そうやねえ、あっ、忘れとった!」
「っ!」
何かを思い出したように希さんはこちらに駆け寄り……唇を重ねてきた。
不意打ちにまったく反応できずに呆然としていると、唇が離れ、頬を赤くしながら笑う彼女が視界に映った。
「ふふっ、家でチューすんのは初めてやね?」
「……そ、そりゃまあ、さっきのが初めてなんで……」
「それもそうやね。というわけで……ん」
希さんは目を閉じ、何というか……『待ち』の姿勢になった。
長い睫毛もきめ細やかな肌も、形のいい艶やかな唇も、これまでより近く感じる。触れられるという事実だけではなく、心の距離がそうさせるのだろうか。
俺は手が微かに震えるのを隠すことなく、再び彼女と唇を重ねた。
*******
食後。二人して洗い物をしていると、ある事を思い出した。
「そういや、両親に会いに行くって言ってましたけど……」
「ん?ああ、その用事なんやけど……やっぱり年が明けてからにしようと思ってるんよ。ラブライブもあるし……」
「そうですか」
「何なら君もついてくる?ちょっと早いけど両親への挨拶ということで」
「早すぎ。早すぎですよー……でも」
「?」
「一緒に旅行とか……いいんじゃないんですかね。まあ、予定が合えば。あと金が貯まれば」
「……そうやね。八幡君とならどこ行っても楽しそうやし。北極や南極でも」
「その2つは遠慮しておきたいですけど、まあどこ言ってもからかわれるんでしょうね」
「あははっ、当たり前やん」
「当たり前なのかよ……」
色々想像したら、つい笑みが零れてしまった。確かにこの人なら、南極でも平然とからかってきそうだ。
「ふむふむ。八幡君のそういう笑顔、初めてやね。可愛い~」
「そ、そうですかね?てか、どういう笑顔なのか、よくわからないんですけど」
「なんていうか、外ではあまり見せないやつやね。こういうの見れるのが恋人の特権かな」
「……ま、まあ、こんなんでよければいくらでも」
何故か指で頬をつついてくる彼女に、俺は苦笑しながら、後でつつき返そうと密かに決心した。
*******
あれこれやってるうちに、少しだけ作業が遅れたが、ようやく一息ついた頃、1日のイベントとしては最後のアレがやってきた。
「八幡君、お風呂どうぞ」
「え?あ、ああ、はい……」
お風呂という単語だけで心臓が跳ね上がりそうな自分が情けないが、まあ仕方のないことだろう。だって男の子なんだもん!
落ち着け、俺。ただ風呂に入るだけだ。この前と同じ。そうだろう、八幡?いきなりそんなドスライズな出来事は期待しちゃいけない。そう、まずは健全な付き合いをしていかなきゃ……よし!
「ど、どうしたん?えらく自問自答してるみたいやけど……」
「いえなんでもないです、はい」
さっさと服を脱ぎ、湯船に浸かると、何だか1日の疲れが抜けていく気がした。
改めて……えらい急展開な1日だったなと思う。
自分がまさか希さんと付き合う事になるとは……。
彼女ができた、という単純な事実確認では済まされない何かがそこにはあった。
それと、あの人さっきからやたら可愛すぎるんですけど!
なんかもう、うれしい!楽しい!大好き!を全身で表現してきて、既にこちらはキャパオーバーになりかけである。
すると、コンコンとノック音が聞こえてきた。
「八幡君?湯加減どう?」
「……ああ、はい。だいぶ良い感じです」
「そっかぁ、じゃあ入るね」
「え?」
ガラッと音がしたので目を向けると、バスタオル1枚巻いただけの希さんがそこにいた。
「は?……え、あ、ちょ……」
「ふふん、お背中流しましょうか?なんちゃって♪」
「…………」
俺は口をぱくぱくさせながら、思考を何とか正常に戻そうとしたが……無駄だった。
タオル一枚だけ巻かれた彼女の身体から目が離せなかった。
俺の視線に間違いなく気づいているはずの彼女は、この上なく楽しそうに笑って見せた。
「あらあら、八幡君ったら、気になって仕方がないみたいやね」
「…………」
「まあ、ええよ。八幡君なら、全部見ても」
「っ!」
はらりと床に落ちるタオル。
その瞬間、俺の意識は途切れた。
*******
「あらら、水着着とったのに……ふふ。ちょっとやりすぎたみたい。本当に可愛い反応するね、君は」
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Someday #10
「…………あれ?」
目が覚めると、白い天井がこちらを見下ろしていた。
……俺は何をしていたのだろうか。何かこう……物凄く幸福な体験をした気がするんだが……ハチマン、キオクナイ。
すると、奥から希さんが出てきた。彼女は目が合うなり、こちらに駆け寄ってきた。
「あ、やっとお目覚めやね」
「……希さん?え、あれ?」
「いやあ、君をここまで運ぶの大変やったよ。おまけに着替えまで……」
「え?着替え?……あ」
なんか色々と蘇ってきた。
さらに、今自分がぶかぶかのスウェットを着用していることに気づく。
「あ、それお父さんの」
「いや、まあ、その、ありがとうございます……え?い、一応聞きますけど……」
今頭の中に浮かんでいる最大の疑問を口にしようとすると、希さんはそれを手で制止した。
「まあ、皆まで言わんでええよ。ね?」
「……うわあ」
まさか付き合い始めた初日に全部見られてしまうとは、いやおかしいだろ。このシリーズ、大概こっちが見る側だったじゃねえか。うん、メタい。
「そんなに落ち込まんでもええやん?どうせいつか見ることになるんやし」
「いや、いきなり何言ってんですか……」
「あ、ごめん。どうせいつか見せ合うことになるんやから、やね」
「……い、いや、まあ、そうなのかもしれないんですけど」
もしかしてだけど、俺が欲しくてたまらないんじゃないの?と勘違いしちゃいそうになるから、もうちょい控えめにして欲しいものだ。じゃないと、そのうち勢いでいっちゃいそうな気がする。
「それじゃあ、ご飯も食べたし、お風呂も入ったし、もう寝よっか」
「あ、はい……」
布団を敷くくらいは自分でやろうと思っていたが、もう既に、ベッドの隣に敷いてあった。
「それ、エリチがうちに泊まる時に使う布団なんよ」
「はあ……」
何だ、その情報……ありがたいような、聞かずにいたほうがよかったような……ほら、色々気になっちゃうし?
「だから、浮気はあかんよ?」
「……はい」
じゃあ何故言ったのだろうか。いや、まあいいんだけど。仮に絢瀬さんの残り香がかなり残っていたとしても心が揺らぐことはない。ハチマン、ウソ、ツカナイ!てか、浮気のボーダーライン低すぎやしませんかねえ。
すると、希さんはにこにこしながら上に向かって手を伸ばした。
「じゃあ、電気消すからね~」
「え?あ、はい……」
いきなり視界が真っ暗になり、何とも形容しがたい不思議な気分になる。
部屋が暗くなり、静かになったせいか、外から聞こえてくる音が、やけに強調されている。それも普段自分の部屋で聞くものよりは少しだけ賑やかな気がするのは、東京という街の空気がそうさせているのだろうか。
そして、この前とは違い、今回はこういう細部を気にすることができている自分がいる。いや、無理矢理にでも考えないといらんことを考えそうだからか。
「八幡君、寝心地はどう?」
「……いいですよ」
「そっか。じゃあ、そっち行っていい?」
「え……」
いきなり何を言い出したかと思えば、こちらが返事をするよりはやく、希さんは布団に潜り込んできた。
「はっ!?」
「大丈夫。隣で寝るだけやから」
いや、それが色々と問題なんですが……この人、俺の理性を過大評価してなかろうか。
包み込むような甘い香りに、落ち着かない気分でいるとと、彼女はそっと手を握ってきた。
「ふふっ、あったかいなぁ」
「……そうですか、ならよかったです」
「まだ緊張してる?」
「……そりゃあ、まあ……なんつーか……信頼を裏切らないようにしなきゃいけないので……」
「あらあら、なんか申し訳ないなぁ」
「絶対思ってないですよね……」
「それじゃあ、もっかいキスする?」
「……いいですね」
彼女が動く前に、俺の方から覆い被さるように口づけると、微かに驚く気配があった。このぐらいの仕返しはしていいだろう。
それから、手を繋いだまま無言になり、甘い余韻に浸った。
互いの息づかいと温もりが満たす時間に、極上の幸福が宿っているのが、ありありとわかる。
やがて、どちらも意識を手放して、ゆっくりと穏やかな眠りについた。
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Your eyes
翌朝。
意外なくらいあっさり目が覚めた。少し早めに寝たからだろうか。体を起こす際に、やけに軽くなった気がした。
希さんは既に起きていて、台所で料理をしていた。
「あ、おはよう。思ったより早く起きたね」
「……おはようございます。あの、すいません……一人でゆっくり寝ちゃって」
「ええよ。わざわざこっちまで急いで来たから疲れてたんやろうね。それより……はい」
希さんは、こちらにとてとてと駆け寄ってきて、目を閉じ唇を突き出した。
「……えっと、熱はないみたいですね。はい」
「は・ち・ま・ん・く・ん♪」
あ、どうやらこういう逃げは許されないみたいですね。さて、正直まだかなり緊張するんだけど……。
俺は、彼女をそっと抱き寄せ、昨日の事をなぞるように、なるたけ優しく唇を重ねた。
*******
そして、彼女は当たり前のように、駅まで見送りに来てくれた。
駅までの道のりや、行き交う人並みすら、普段と違って見えるのも、気のせいかもしれないが、それでもやはりどこか違う。
改札の前まで行くと、希さんは手を握る力を強めてきた。
「それじゃあ、またね。あ、ちゃんと小町ちゃんには報告してあるから」
「ああー……何言われるか大体想像つきますね。まあ、別にいいですけど」
「ふふっ、その場面見てみたいなぁ。今から千葉に行こうかなぁ」
「いや、今日練習あるでしょ」
「むぅ……そこは『俺も離れたくないよ』とか言うべきやないの?」
「…………」
いや、何でそんな可愛らしく頬を膨らませてんですかね、この人は。そういうキャラじゃないでしょうに。いいぞ、もっとやれ。
「今、可愛いって思ったやろ?」
「そう思うのわかっててやるのはずるいんじゃないんですかね」
「そういうとこ好きになったんやないの?それとも一番は……ここ?」
希さんはやや前かがみになり、胸を強調してきた。
朝っぱらから狂暴な魅力を放っているが、俺の言うことは既に決まっている。
「……全部好きですよ」
「…………」
あれ、なんかこの人固まってらっしゃる?
どう声をかけようかと悩んでいると、
「も、もう、びっくりさせんといてよ!いきなりらしくないこと言うから、異世界転移したかと思ったやん!」
「え、そこまで?」
「あ、もうこんな時間!八幡君、急がな間に合わなくなるよ」
「やべぇ、それじゃあまた!」
「うん、大好き♪」
「っ!」
そっちも不意打ちしてんじゃねえか。危うく転ぶとこだったわ。
千葉に戻る途中、窓の外を流れていく景色は、やはりどこか違って見えた。
*******
家に帰ると、案の定小町がにっこり笑顔で待ち構えていた。
「お兄ちゃん、おっかえり~♪」
「お、おう、ただいま……」
こんなハイテンションで出迎えられるのは、小学生以来じゃなかろうか。
すると小町はすかさず俺から鞄を受け取り、手洗いをしたらリビングに来るように促してきた。どうやら話すまで鞄は解放してもらえないらしい。
俺は嘆息してから洗面所へと向かった。
*******
口に出すとアレな部分は伏せておいて、大まかな流れを説明すると、小町は驚いているのか、感心しているのか、よくわからない声を出した。
「はえ~、お兄ちゃんの勘違いがとんだファインプレーになっちゃったんだね~」
「まあ、俺というか絢瀬さんだけどな」
「あはは、そだね。でもそっかぁ、お兄ちゃんがすっかり成長してくれて、小町も嬉しいよ」
「なんでオカン目線なんだよ……」
「でも、本当におめでとう。お兄ちゃん、希さんのこと大事にしなきゃだめだよ?」
「それはまあ……重々承知している」
「でも本当によかったよ。正直周りから見たら、もどかしいと言いますか……とにかく見ててやきもきさせられたのですよ」
「……そっか」
「あ、言っとくけど、お兄ちゃんと希さんがケンカしたら、小町は希さん側についちゃうから」
「そりゃあ、頼もしいな」
そう言って笑う小町の瞳は、やけに優しく見えた。
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Your eyes #2
「……ちょっといいか?」
「「え?」」
カーテンの隙間から西陽が差し込む放課後の部室。
それまでの鉛のような沈黙を破り、いきなり声をかけてきた俺に、雪ノ下と由比ヶ浜は驚きを隠すこともなく、ただ視線をこちらに向けている。ついノックもせずに入ったことは後で謝ろう。
「次の生徒会選挙の事なんだが……」
「ああ、いろはちゃんの依頼だよね?」
「前も言ったけど、貴方のやり方を認めるわけにはいかないわ」
「まあ待て。それなんだけど、俺が立候補しようと思うんだが……」
「…………え?」
「どういう事かしら?」
「言ったまんまの意味だ。俺が立候補して当選する。それだけだ」
俺の言葉に、二人は顔を見合わせた。多分だが、内心ではかなり驚いていると思う。
「一体どういう風の吹きまわしかしら」
「さあな。なんつーか……」
この感覚は何なのだろうか。
成長とか、そういうかっこいいものとは違う。
もっと泥臭い何かだと思う。
俺は自然と思いついた言葉を口にしていた。
「あがいてみたくなったんだよ」
二人は、どういう心境かは知らないが、はっとした表情になった。何言ってんだ、こいつみたいな雰囲気になってないことは何となくわかるが……。
雪ノ下はしばしの間、瞑目して考え込む素振りを見せてから、やがて小さな笑みを見せた。
「それで……依頼は何かしら?比企谷君」
さすが察しがはやくて助かる。
由比ヶ浜もうんうんと勢いよく頷いていた。
ならば、もう迷うことはない。
俺は少しだけ背筋をしゃんと伸ばし、口を開いた。
「生徒会役員になりたい……協力してくれ」
「それはかなり難易度の高い依頼ね。二重の極みを習得するほうが遥かに簡単そうだわ」
「え、マジで?そんなに?」
雪ノ下から『二重の極み』という似つかわしくない単語を口にするくらいには難しいらしい。
「で、でもでも!ほら、何とかなるかもしれないじゃん?えと……同情票とか!」
「それフォローになってないからね。あと、お前よく同情票なんて言葉知ってたな」
「馬鹿にすんなし!!」
気づけばいつもの奉仕部に戻っていた。
自分から一歩踏み出す勇気をくれた希さんには感謝だな……
「あ、そういえば希さんから聞いたよ!ヒッキー達付き合う事になったんだって!」
「へえ……あの人も物好きね。色々と話を聞いてみたくなるわね」
あの人……後で覚えてろよ。いや、そのうちバレそうだからいいんだけどさ。
*******
その日の夜……。
「そっかぁ、奉仕部元通りになったんやね。よかったよかった」
「……まあ、その後からかわれまくりました」
「うんうん、いいことやね」
「いいことなんですかね」
「あっ、ごめん!やっぱり君をからかうのはウチやないと、本領発揮せんよね」
「これまでどう本領発揮したのか聞きたいところなんですが……」
「生徒会選挙、いい結果がでるように祈ってるからね」
「カードは何て言ってるんですか?」
「ひ・み・つ♪」
「勿体ぶるということは、まあまあいい結果みたいですね」
「……君、そういうの上手くなったね」
「生憎この読みは一人にしか通用しないんですけどね」
「あらら、それは気をつけんといかんね。ウチの気持ちが筒抜けになったらあかんから」
「もうだいぶ筒抜けになってますよ。つっても人の事は言えませんが……」
「それもそうやね。あ、もうこんな時間やん。じゃあウチはもう寝るね」
「ええ。俺もそうします。それじゃあ」
「うん。おやすみ~」
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Your eyes #3
それから数日後……。
やたら賑わっている廊下には新しい生徒会メンバーの名前と役職が貼り出されていた。
生徒会長・雪ノ下雪乃
副会長・由比ヶ浜結衣
生徒会書記・一色いろは
生徒会庶務・比企谷八幡
「どうしてこうなるかね……」
「あはは……ま、まあ、いいじゃん。皆仲良く当選って事で……」
「そうですよぉ、先輩。終わり良ければ全て良しっていうじゃないですか」
「いや、そもそも何でお前がちゃっかり当選しちゃってんの?これってお前を当選させない為の依頼だったんじゃねえの?」
「え?だってほら……皆さんとなら楽できそう……楽しくやれそうですし、内申点……皆さんがやるのに、私だけやらないのも後味悪いというか~」
「…………」
この子、本音が隠しきれてない。てか、隠す気ないよね……まあ、別にいいけど。
「あの、比企谷君。本当にいいの?当初の予定とはだいぶ違う結果になってるけれど…」
「ああー……まあ、これはこれでいいと思う。そもそも資質でいえば、お前がやるのが適任だからな」
「でも、せんぱぁい。なんで一年の私が役付きで、先輩が庶務なんですか?」
「ん?まあ、あれだ……色々雑務に追われそうなんでな」
「はあ、よくわかんないですけど」
結局、他に候補者が集まることもなく、それならもうこのメンバーでということになり、このような結果になった。
すると、由比ヶ浜がぽつりと呟いた。
「奉仕部のほうはどうなるのかな?」
「……別に、そのままにしとけばいいんじゃねえの?毎日生徒会活動やるわけじゃないし」
「そだね。ゆきのんの紅茶飲めなくなるのやだもんね」
「それが理由なのかしら……まあ、いいけど」
「あ、それじゃあ私も奉仕部参加しま~す」
「お前、サッカー部あるだろ」
「たまにですよ、たまに」
……とまあ、こんな風によくわからんが、さらに騒がしくなりそうな展開になった。
*******
「♪~~」
「希ちゃん、ご機嫌だね~」
「ええ、それに何というか……綺麗になった気がします」
「にゃ~」
ことりちゃん達から声をかけられ、自分がにやけていた事に気づく。よかったぁ、いい方向に受け取ってもらって。でも、気をつけんといかんね。
「の~ぞ~み~」
こんな風に絡まれちゃうから。
「はぁ……今夜はウォッカで一杯やりたい気分だわ」
「はいはい。まだ未成年だからやめようね。よしよし」
元生徒会長の危険発言を宥めながら、優しく鮮やかな金髪を撫でた。
理由はまあ……想像つくだろうから伏せておきます。
とにかくウチがやるべきことは、エリチの名誉のために、ボロが出ないようにフォローすること。もう手遅れの可能性が非常に高いけれど。
「はぁ……恋をして、終わりを告げ、願うことは……」
「はい、ストップ。それよりにこっちは?」
「たしか、穂乃果達と……いえ、はじめてのおつかいかしら」
これはボケているのだろうか?それともバグっているのだろうか?どちらかわからないからツッコミづらい。いや、そもそもウチはボケて魅力を発揮するキャラだから、そこ取らないで。
すると、廊下の向こう側から、穂乃果ちゃんとにこっちがドタバタと走ってきた。
「みんなー!次の会場決まったよ!」
「あら、どこかしら?」
一瞬で切り替わったその表情は、もう既に立ち直っていると告げている気がした。
……さすがエリチやね。
「あと希。後でお泊まりの時の事、詳しく」
「え?」
とりあえず、誰から聞いたかだけ後で取り調べしておかなきゃ。
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Your eyes #4
「は?新曲がラブソングになりそう?」
「そうなんよ……」
「それで、どうしてその報告を昼休みに?」
「実はね……」
*******
「決勝の曲はどうしよっか?」
「そうですね……残りの日数を考えると、これまでの楽曲からパフォーマンスを磨いたもののほうがいい気がします」
「そうかもね」
「A-RISEや他のスクールアイドルはどうするのかな?」
「にゃ~。悩むにゃ~」
「審査員がいるんだから、パフォーマンスのクオリティを優先するべきよ」
「私もそう思うわ。決勝だし」
「ちょっと待って。皆、それでいいの?」
「エリチ?」
満場一致で決勝には、これまでの楽曲で挑もうという流れになっていたけれど、急にエリチが反対を表明した。何やろ?嫌な予感しかしない。
すると、エリチはこれ以上ないくらいのドヤ顔で告げた。
「ラブソングにするべきだと思うのよ!!」
「「「「「「「「ラブソング……」」」」」」」」
つい皆の声が重なる。
まさかの提案だったからだろうか。にしても、何故このタイミングで?
首を傾げていると、まず海未ちゃんが真っ先に口を開いた。
「あの、ラ、ラブソングとはつまり……恋愛の歌、ということですよね」
「ええ。そういうことになるわね」
「わあ……絵里ちゃん、大胆です」
「そうかしら?でも、アイドルが恋愛ソングを歌うのは普通じゃない?」
「ま、確かにそーね。むしろ歌わないほうが珍しいわ」
「私達が歌わなかった理由は……ねえ」
「どうせ誰も経験がなかったからでしょ」
「真姫ちゃんもにゃ」
「う、うるさいわね!」
ラブソングという単語だけで、ここまでざわつくとは、さすが女子高生やね。うんうん。
そのざわざわを納めるように、エリチが手をぱんぱんと叩く。
そして、再び不敵な笑みを見せた。
「確かにこれまでは経験者はいなかったわ。こ・れ・ま・で・は。でも、今は違うでしょ?」
「「「「「「「…………」」」」」」」
「な、なんで皆してこっちを見るん?」
皆が見たことのないような目つきでこちらを見ている。
軽いホラーやね、これは……。
「希。μ'sのために一肌脱いでもらえないかしら。赤裸々にあなたの体験を語ってくれるだけでいいから」
「ええぇ……」
*******
「というわけなんよ。あはは」
「というわけなんですか」
「それでね。ウチは考えたんよ。この状況を打破する策を」
「はあ……」
「八幡君。明日、こっち来てくれない?」
「はい?いや、あの……もしかして巻き添えにしようとしてます?」
「うん♪」
うわあ、こんな可愛い声音で人を巻き添えにする人初めて見た。
だが断る!!
「いや、何と言いますか……俺があれこれするよりも、希さんが説明したほうが効率いいと思うんですが……」
「八幡君はウチが皆から一肌脱がされても……いいの?」
「いや、一肌脱ぐって言葉まんまの意味じゃ……」
「ウチが八幡君のあれこれを全て話しても……いいの?」
「あ、やっぱり行きます」
即決即断。
そりゃそうだろう。そんなの怖すぎる。
μ's内とはいえ、あれこれバラされたら恥ずかしいに決まってる。性癖とか。いや、さすがにそんな話はしないだろうけど。
「ごめんねぇ、休日に」
「……まあ、これもデートの代わりだと思っときますよ」
「ふふっ、八幡君もそういう事言えるようになったんやね。お姉さんは嬉しいよ」
「そりゃどうも。じゃあ、集合時間とか決めときますか」
「そうやね。あ、八幡君」
「?」
「決勝戦終わったら、どこか行こうね。二人だけで」
「は、はい……どうかしたんですか、いきなり?」
「うん。君に会ってみたいって両親が言うから、それに向けて、親密度をさらに上げておきたいなって」
「ああ、なるほど……………………え?」
なんか急に重大イベント発生した気がするんだが……。
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Your eyes #5
当日。
秋葉原まで行くと、改札のすぐそばに希さんは立っていた。
「おはよ」
「……おはようございます」
「そんな緊張せんでええよ。何人かは結構話したこともあるやろうし、皆いい子ばかりやからね」
「…………」
いや、あなたを一番警戒しているのですが……とは、あえて言わなかった。
果たして、今日はどうなってしまうのか。
そう考えていると、彼女がいきなり抱きついてきた。
不意打ちで甘い香りに包み込まれ、周りからちらちらと視線を感じ、鼓動が加速する。胸元にぶつかってくる柔らかな温もりも、かなり暴力的だ。
「の、希さん?」
「このくらいええやろ?皆の前やとできないからね」
「…………」
確かにそのとおりだと思うが、ここも周りの視線はあるんですが……ほら、どっかから「あれはμ'sの東條希さん?え?お、男の人と抱き合ってる!?嘘っ、あれ?これ何て状況?」とかやたら混乱した声が聞こえてくるし……この声、どっかで聞いたことある気がするんだが……。
「ああ、やっぱりあかんね。このままやと……八幡君、こっちこっち」
いきなり身体を離した彼女は、俺の手を引き、人目を避けるように柱の陰まで誘導する。何だ、一体……っ!
「ん…………」
「…………」
思考があっという間に真っ白になるような甘い感触。
希さんは、自分の唇を押しつけるように、俺のそれと重ねていた。
しかし、それも数秒のこと。こちらの理性が完全にとろけないように加減したかのような塩梅で、唇は離れていった。
希さんは、頬を紅く染めながら、あははと誤魔化し笑いをした。
「……い、いきなりごめんね。でも、君を見たらやっぱり抑えられんやん?」
「そ、そうですか……ま、まあ、いいんじゃないですかね?せっかくの休日ですし……いや、休日あんま関係ないかもしれませんけど、まあいいと思いますよ」
「あははっ、めっちゃ早口やん!可愛い♪じゃ、行こっか」
「……は、はい」
僕の心のヤバいやつが、「その前にトイレ……」と言いたそうにしているが、何とか彼女と並んで歩き始めた。
*******
今回の謎のミーティング会場となっている和菓子屋『ほむら』に到着すると、希さんがこちらを向き、少しだけ真面目な声のトーンで告げた。
「心の準備はできた?」
「……なるようになれって思っとけばいいですかね」
俺の言葉を聞いた彼女は「その意気やよし」と扉を開けた。すると……
「いらっしゃいませー!あ、今日はよろしくね!」
「……どうも」
「あれ、穂乃果ちゃん何で仕事してるん?」
「あはは、ちょっとこの前お母さんのプリンこっそり食べた罰で……あ、あと5分で終わりだから、部屋に行ってていいよ」
「りょーかい。じゃ、行こ」
「あ、はい」
「ちょっと待って!」
「?」
いきなり呼び止められたかと思いきや、高坂さんはじいっと俺の顔を覗き込んできた。柑橘系の爽やかな香りが鼻腔をくすぐり、非常によろしくない。あと近い。
「あー、えっと……?」
「うん、やっぱり希ちゃんの言ったとおりだ。どんよりしてるけど優しい目つき……」
「そ、そうか……」
微妙な褒められ方に苦笑していると、希さんが割って入るように腕を取ってきた。
「さ、仕事の邪魔したらいかんから、はよ行こ」
「……はい」
な、何だ、この変な威圧感……いや、気のせいか?
俺は黙って足を動かすことにした。
*******
「比企谷君、待ってたわよ!」
高坂さんの部屋に足を踏み入れると、今度は絢瀬さんがこちらにやって来て、手を握られる。くっ……相変わらずこの人の距離感だけは未だに謎だ。
すると、また希さんがさりげなく絢瀬さんの手をほどき、割り込んできた。
「じゃあ、穂乃果ちゃんが来るまで、簡単な自己紹介済ませとこっか」
「…………」
この時、希さんがいつもより声が強張って聞こえたのは、おそらく気のせいじゃない。
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Your eyes #6
わかってはいたことだが……めっちゃ居づらい!
女子ばかりの空間に放り込まれ、何だか居たたまれない!だって男の子だもん!
希さんの方に目をやると、何故かやたらニコニコしている。
この表情……笑顔だけど笑顔じゃない。さっきから威圧感すごいし。周りは気づいてないけど。
彼女の謎のテンションに内心不安を覚えていると、誰かに肩を叩かれた。
振り返ると、二年生組の一人・南ことりがいた。特徴的なサイドポニーとふわふわした柔らかい雰囲気。優しい笑顔の組み合わせは、いかにもアイドルっぽいと思えてしまう。
彼女は笑顔のまま、俺と希さんを交互に見て、うんうんと何かに納得したように頷いた。
「希ちゃんのこんな表情初めて見たよ~」
「ん~?」
「…………」
とりあえず頷くだけ頷いておくと、南さんはこちらに笑顔を向けてきた。
「比企谷君って、執事服とか似合いそうだよねぇ~」
「そ、そうか?」
「希ちゃんもすっごくメイド服似合ってたし、二人並べて写真撮りたいな~。比企谷君の分、執事服作るから採寸していい?」
「ああ……」
「えっと、八幡君のサイズは……」
いつの間に移動していたのか、希さんは流れるような動きでメジャーを使い、俺の採寸を済ませた。
「はい、これ返すね」
「え?あ、うん。ありがと♪」
おい、あまりに動作が自然すぎて、南さんはメジャー奪われたこと気づいてなかったぞ……てか、これまさか……いや、それはあの人のキャラじゃない気が……。
すると、今度は一年生組のショートカットが特徴的な星空凛が隣に座ってきた。
「今日はよろしくにゃー!比企谷さんはラーメンが好きなんだよね?凛もだよ!」
「お、おう……」
近い、だから近い
「そうやね。凛ちゃん、ラーメン大好きやもんね。また食べに行こうね」
「にゃ~」
絶妙な撫で加減で、反対側から星空を猫のように宥める希さん。いや、いつそこに移動した?
「…………」
「…………」
「ん?八幡君とにこっちどうしたん?」
「い、いや……」
「べっつにー」
矢澤さんは希さんの異変に何となく気づいているようだが、特にそれを指摘することはなく、こちらに視線を向け
た。おそらく『あんたがどうにかしなさい』という意味だろう。知らんけど。
「あの、比企谷君。ちょっといいですか?」
気まずさみたいなのを誤魔化すように、立ち上がって身体をほぐそうとすると、今度は園田さんが話しかけてきた。
どんな話だろうと身構えると、彼女は「失礼します」と言って、急に俺の腰に手を添えてきた。
「少し猫背気味ですね。せっかくそこそこ身長があるのですから、背筋をしっかり伸ばしたほうがいいですよ」
「……おう。了解」
あ、危ねえ……「ひゃうっ!」とか変な声出しそうになっちまった……いきなり腰がっつり来るから……。
「八幡君は猫飼ってるから、猫っぽくなったんやね~」
「そ、そうなんですか?」
「…………」
さすがにそれは無理があるような……てか、いつから希さんが腰を押してた?入れ替わったの全然気づかなかったわー。
「あ、あの、比企谷さんは……」
「お米好きだよ♪」
「ぴゃうっ!は、はい」
まだモノローグでの紹介すら終わる前に、一年生の一人・小泉花陽の話は遮られた。あのリアクションからして、「米派ですか?パン派ですか?」という質問とかだと思うが……。
「希……?」
「なぁに、真姫ちゃん?」
「いえ、何もないわ。大丈夫……」
一年生組最後の一人・西木野真姫も、希さんのいつもと違う何かに気づきながら、スルーすることにしたようだ。
てか、何だこの状況。空気は悪くないけど、落ち着かないというか……。
すると、ドタバタと足音が近づいてくるのが聞こえた。
おそらく高坂さんが手伝いを終えたのだろう。
すると、ガラッと扉が開き、部屋に駆け込んできた彼女は笑顔で希さんの手を握りしめた。
「それだよ、希ちゃん!」
……いや、何がだよ。
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Your eyes #7
高坂さんのいきなりの発言に、その場は静まり返る。
一つだけ言えるのは、皆一様に「どういう意味?」と言いたげな顔をしていることだ。
「あの、穂乃果……それだけでは意味がわからないのですが……」
「今の希ちゃんの気持ちを歌にすればいいんだよ!」
「え?ウチの?」
いきなり名前を出された希さんは困惑している。他のメンバーが視線で続きを促すと、高坂さんは「えーと……」と唸りながら、必死に言葉を搾り出していた。
「そう!さっきみたいに希ちゃんがヤキモチ妬いてる時の気持ちとかを歌詞にすればいいんだよ!」
「ほ、穂乃果ちゃん?ヤキモチって、ウチそんな……」
「確かに……さっきすごかったよね。圧力が……」
「ええ。いつもの希とは明らかに違いました」
「私はこれをいつも見ているのよ」
「それはあんたの自業自得でしょ」
「にゃあ、ほんっとうにびっくりにゃ」
「私は話しかける隙すら……」
「まあ、確かにこういう機会がなきゃ見れないかもね」
「み、皆……あうぅ……」
いきなりあれこれ言われた希さんは、珍しくあたふたしている。うわ、何て可愛い。いいぞ、もっとやれ。
こちらの心情が悟られたのだろう、恨みがましい目を向けられたが、気づかないふりをしておいた。どうだ、からかわれる気持ちは。
……これ、絶対後でえらい目に会うよな。
一応心の準備だけしておくと、希さんがようやくまともに口を開いた。
「で、でも、こんなんで曲作りってどうするん?」
「大丈夫!海未ちゃんと真姫ちゃんが頑張ってくれるから!」
丸投げかい。
しかし、名前を出された二人は、特に嫌そうな顔をするでもなく、いつものことのように頷いた。どうやらμ'sでは当たり前の光景らしい。
「よ~し、私も衣装のデザイン考えなくちゃ!」
南さんも何がスイッチになったかは知らないが、スケッチブックを出し、何やら書き込み始めた。さっきのあれこれで衣装が書けるなら、それはそれですごい。
さらに、矢澤さんと絢瀬さんが立ち上がった。
「じゃあ、私達は希から胸キュンエピソードを引っ張り出すわよ!」
「希、比企谷君、覚悟を決めなさい!」
「八幡君、こんな時どんな顔すればええんかな?」
「……笑えばいいと思いますよ」
こうして、俺と希さんは将来子供が何人欲しいかという、最早曲作り関係なさそうな事まで、根掘り葉掘り聞かれた。
*******
数時間後、ようやく解放された俺達は、相変わらず人通りの絶えない秋葉原の街を歩いていた。そんな中、冬の訪れを伝える冷たい風が吹き抜け、手を擦り合わせたり、顔をしかめたり、皆似たような反応をしている。
からかわれることにはまだ慣れていない希さんは、やや疲れ気味な顔のままだ。
「はぁ、エリチの本気のレッスンより疲れたわ……」
「……まあ、作業が進んだからいいんじゃないですかね。まだどんなもんか全然知りませんけど」
「あはは、八幡君には本番まで内緒やね。でも、いい曲になるから楽しみにしてて」
「……はい」
希さんの言葉に頷くと、彼女は何かに気づいたように、空を見上げていた。
「あ、雪……」
「え?」
その言葉に反応して空を見上げると、薄暗い空から、はらはらと雪が舞い降りてきていた。
手の甲に落ちたその一粒は、じんわりと溶けて、小さな水滴に変わる。
希さんは、嬉しそうに笑みを深め、そっと呟いた。
「初雪やね。まさか八幡君と見れるなんて……」
「普段の行いのおかげですかね」
「そういうことにしておこうかな。ねえ、八幡君。もう少しだけいい?」
「大丈夫ですよ」
俺達はどちらからともなく手を繋ぎ、しばらく眺め続けていた。
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Your eyes #8
本格的に冬に入り、ベストプレイスにも少し居づらくなった今日この頃。俺の周りは珍しく賑やかだ。
「そっかぁ。八幡、東條さんと付き合い始めたんだね」
「……ああ。まあ、な」
「っべーわ、比企谷君。スクールアイドルに手を出すとか、マジぱねーわ」
「戸部、言い方。下品極まりないからやめろ」
「うむぅ、しかしあれほどまでの美女が選んだのが……八幡って、それはないでしょう!」
「ああ、おもしろいおもしろい」
賑やかなのは構わないんだが、約二名がアホな事言ってる。しかも一名滑ってる。滑るのは一向に構わないのだが、周りまで恥ずかしい気持ちにさせるのは、最早罪だと思う。
「あとやっぱり……八幡が自分からそういうの言ってくれるようになったのが嬉しいな」
「……そうか」
うわ、なんて可愛い顔して笑ってんの、この子。いや、いかん。戸塚は男。戸塚は男。それにそういうこと考えてたら、スピリチュアルな何かで希さんに知られて、お叱りを受けるかもしれん。
「八幡、どうかした?」
「いや、何でもない。まあ、色々と警戒していただけだ……」
「そ、それって、何でもなくはないような……」
「ほら、あれじゃね?まだ付き合いたてだから色々あるんじゃね?マリッジブルーとか言うっしょ」
「いや、それ結婚前のやつだから」
「だから八幡って、それは……」
「もう言わせねえよ」
そんなこんなで、寒さを程よく忘れるくらいには賑やかな昼休みとなった。
*******
「雪?」
「うん。ニュース見たら、結構積もるらしくて」
「ああ、そういやこっちも深夜から降るって言ってましたね。ライブのほうは大丈夫なんですか?」
「そっちは大丈夫なんやけど……多分電車止まるやろうね」
「ああ……」
確かに予報どおりならば、朝電車に乗る頃にはすっかり積もっているだろうな。
そんな事を考えていたら、希さんの表情が少し沈んだ気がした。もちろん見えるはずもないのだが、何故かそんな気がした。
「まあ、ネットでも観れるからええんやけど」
「……行きますよ」
自然とそう答えていた。
俺はμ'sの関係者ではないし、この前作詞の手伝いのようなことをしただけだ。
だが、俺はこのライブを生で見届けなくちゃいけないという変な使命感があった。
ちょっと前までなら、鼻で笑ってしまうような選択だが、そんなのはもう関係ない。
「あー……絶対に、行きます」
「……そっか。じゃあ、楽しみにしてるね」
「ええ。それで、頼みがあるんですが」
「?」
*******
「まさか前日から泊まりに来るとはね」
「……これが一番確実かと」
ライブ前日の夜。俺は希さんの家にお邪魔していた
まあ結局のところ、雪が降る前にこっちに来ておけばいいだけの話なのだ。後の事は後で考えればいい。
「てか、すいません。本番前なのに」
「ええよ~。だってこっちのほうが元気になるし……」
「…………」
「いや、無言にならんでよ。恥ずかしいやん?」
「そ、そうっすね。そういや、年末とかどうするんですか?」
「ん?神社でバイトがあるけど……」
「え?マジですか。俺何も聞いてないですけど……」
「八幡君は千葉にいるからやない?あと、ウチがごり押しした特殊なポジションやし」
「ああ、それもそうですね……てか、ごり押しって……」
メイド喫茶といい、この人一体どんなコネクションを……いや、今は考えないでおこう。
希さんは、こちらを見ながらからかうような声音で話を続けた。
「八幡君が年末からこっちでお泊まりでええなら、喜んで一緒に働きたいけど」
「ああ、じゃあそれで……」
「そ、即答やね……ええの?」
「そりゃまあ……一緒にいられるし」
「…………いくらウチが喜ぶこと言っても、今日はやらしいの禁止やよ」
「しませんよ。てか、色々台無し」
「あははっ。あ、一つお願いしていい?」
「いくらでも」
「じゃあ……眠るまで手を繋いでて欲しい、かな」
「…………」
そう言った時の表情は、それはもうどんな天使や女神も敵わないくらい魅力的で……。
俺に出来るのは、黙って頷くことと、手汗の心配くらいだった。
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Your eyes #9
朝起きると、昨日見た街の風景が偽物だったのかと思えるくらいの白銀世界。
外泊という特別な状況も相まって、まるで異世界にいるかのような変な高揚感が湧いていた。
「わあ、八幡君こっち来といてよかったねえ」
「そうっすね」
「ふぁああ、まだ眠たいなぁ。昨晩八幡君が寝かせてくれんかったからやろうか」
「……言うと思いました」
「まあ、お約束やからね。夜更かしは今度泊まりに来た時にお預けやね」
「そりゃあ生きる希望が湧いて助かりますね」
「ウチはちょっと早めに出るけど、八幡君はどうする?ライブは午後からやし、もう一眠りしとってもいいけど」
「……あー、じゃあ俺は準備して、神社に行っときます」
「そっかぁ。あ、これ……」
希さんは引き出しから何か取り出し、俺の手に握らせた。何だ?お小遣いか?
手を開いてみると、そこには……
「鍵?」
「そ、鍵やね。まあ細かくいえば合鍵やね」
「…………」
マジか。
高校生にして女性の部屋の合鍵を渡される日が来るとは……これ結構でかいイベントじゃね?
「八幡君、なんか目がいやらしいよ」
「い、いや、そ、そそ、そんなことはないにょろよ!」
「慌てすぎやろ……まあ、いいけど。その……いつ来てもええよ」
「……まあ、その、時間があればいつでも」
それから特に意味のない笑みを交わす。
このくすぐったい感じは割と嫌いじゃない。
希さんはくるりと身を翻し、台所へと向かった。
「それじゃあ、朝御飯にしよっか」
「そうですね」
右手に握りしめた鍵の感触は、自分の家のものと大して変わらないはずなのに、まったく違うものに思えた。
*******
朝食を終えてから、希さんはさっき言ったとおりに学校へと向かった。
彼女の表情は、いつもどおりに見えて、微かに緊張を滲ませている。
「じゃあ、また後でね~」
「ええ。足元気をつけて」
「うん。八幡君も来る時気をつけてね」
彼女を見送り、片付けを済ませると、まだ大して時間は経っていないが、出かけるにはちょうどいいくらいにはなっていた。
「それじゃあ、俺も行きますかね」
せっかく時間があるのだから、まあ少しくらいは役に立っておこう。
*******
予想外の事態。
昼頃には止むと言われていた雪は、一向に止む気配はなく、東京の街を白く染め続けていた。
「え~!!穂乃果ちゃん達、間に合わないかもしれないのぉー!?」
「ば、ばかっ!縁起でもないこと言うんじゃないわよ!」
「そうよ。そろそろ説明会も終わる頃だし、急げば余裕で間に合うわよ」
「うん、はやく雪止むといいなぁ……」
「……希、どうかした?」
「……ううん。何でもないよ」
仮に雪が止んだとしても、道に雪が積もっていたら走るのは難しいし、何より転ぶ危険がある。もし転んでケガでもしたら……。
悪い想像が一瞬頭をよぎりかけたが、それを何とか抑え込む。
大丈夫。きっと大丈夫。カードも良い感じやったし。
絶対に9人揃って最高のパフォーマンスをすると決めたから。これまで応援してくれた人のために、自分のために、大事な人のために。
「あら?ミカさんからだわ」
穂乃果ちゃん達の友達で、何かとμ'sを手伝ってくれているメンバーの1人からの着信に、皆の視線が集まった。
「はい、もしもし。…………えっ!?本当に!?……比企谷君が!?」
「え?」
いきなり出てきた彼の名前につい目を見開いてしまう。どういうことなんやろ?
通話を終えたエリチが、にっこりと笑顔をこちらに向けた。
「穂乃果達はもうじき到着するわ。音ノ木坂の皆が雪かきを頑張ってくれたそうよ。なんとその雪かきには比企谷君も参加してくれて、とても活躍したそうよ」
「そうなん?昨日、説明会あるのは話したけど……もう、言ってくれてもええやん?」
とはいえ、何も言わないあたりが八幡君らしいので、まあ良しとしておこう。
うんうんと頷いていると、エリチが何ともいえない笑みを見せた。
「ちなみに、穂乃果達がお礼を言おうと駆け寄った時に転んで、3人が抱きつくような感じになったらしいわよ」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………ふぅーん。さ、エリチ。ウチらも準備始めるよ」
*******
「っ!!」
「どうかした、比企谷君?」
「大丈夫、比企谷君?」
「私達がメインのシナリオまだ?比企谷君?」
「あ、ああ、問題ない。てか、最後の質問意味わからん」
今、何か寒気がしたんだが……。
き、きっと寒さのせいだよね!うん!
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Your eyes #10
ライブ開始まであと数分。
雪はいつの間にか止んでいて、そのせいか音を立てるのも躊躇うような静寂が観客席に充満していた。
無事にライブができるという安堵もあるが、やはり緊張感のほうが勝ってしまう。
すると、照明が落ち、ステージがライトで照らされ、メンバーの姿が見えた。
それだけで、想像以上の歓声が上がり、一気に会場内のボルテージは上昇した。
やがて、曲の始まりを悟ったように熱気はそのままに会場内が静まり返った。
数秒後、まるで雪がちらつくような雰囲気のイントロが鳴り響き、歌が始まる。
そこからはまるで夢の中にいるみたいだった。
切ない歌詞も華やかな演出も、すべてが心に刺さる感触を確かめながら、気がつけば先程の倍はあろうかというくらい大きな歓声が沸き上がっていた。
俺も出遅れた分を取り戻すようになるべく大きな拍手を送る。
彼女に聞こえるように。彼女に届くように。
すると、彼女がこちらを見た……気がした。
現実的に考えて、俺の拍手の音を聞き分けられるはずもないし、見つけるのも至難の業だが、今ならばそんな奇跡を信じてもいい気がした。
*******
会場を後にし、火照った身体を冷ますように、駅までの道をゆっくり歩いていると、ポケットの中で携帯が震えだす。
一応確認すると、いつもの名前が表示されていた。
「……はい」
「あ、八幡君?今どこ?」
「会場出て駅に向かってるとこですよ」
「え~!?せっかく会おうと思ったのに……」
「いや、さすがに人多すぎて無理かと思って……てか、他のメンバーと一緒にいなくていいんですか?」
「んー、むしろ皆から行くように言われたんよ。今日のお礼もかねて」
「ああ、まあ、その……たまにはボランティアでもやろうかと」
「へえ、わざわざライブの日に?」
「…………はい」
「穂乃果ちゃん達に抱きつかれたって本当?」
「っ!……いや、あれは不慮の事故で……」
「そっか。じゃあ、上書きしとかなあかんねぇ」
「は?」
「ど~ん!」
「っ!」
背後から突然の襲撃、もといハグ。
…………からのワシワシ!!
「~~~~~!!」
凶悪なコンボに思わず変な声を出しながらも、解放されると同時に振り返る。
すると、そこにはにっこり笑顔の希さんがいた。
本当にいつもの笑顔で、さっきまでのステージが嘘みたいに思えた。
「やっほー。今日はお疲れさんやったね」
「いや、そっちのほうが疲れてるでしょ。……あー、ライブ観れて本当によかったです」
「そっか。八幡君も最近すっかり素直になったねえ。よしよし」
「昔から素直ですよ。自分には」
「そういうところは相変わらずやね~。よしよし」
「いや、どんなテンションなんですか」
「この解放感に浸ったまま君を可愛がりたい気分やね」
「……打ち上げとか行かなくていいんですか?」
「それは結果発表終わってからやね」
「そうですか……じゃあ、もしよければ今日は一緒にいませんか?」
「もちろん」
その言葉を合図に、どちらからともなく口づけを交わす。
甘い感触が心を満たしていく。
寒さなんて気にもならなかった。
そう思った直後に、手の甲にひんやりした粒が落ちてきた。
「あ、また雪が……」
「さっき雪かきしたばかりなんですが」
「あーあ、このまま積もって明日の電車止まればいいのに」
「あんたが言うと現実になりそうだからやめてくださいね」
とりあえず希さんの家へ向かうことにした。
鍵は俺が開けよう。
彼女の前で彼女の部屋の合鍵を使うのは、一体どんな気分だろうか。
弾む会話の片隅で、俺はそんなことを考えていた。
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FUTARI
「はい、もしもし」
「……おめでとうございます」
「ありがと。これも八幡君のおかげやね」
「いや、それは大げさでしょ。曲とパフォーマンスが良かっただけですよ。てか、これ言わせようとしてます?」
「バレたかぁ。でも、君がいてくれて助かったって心から思ってるよ。雪かきも頑張ってくれたし、しっかり声援もくれたし、手がかじかんで鍵を取り出せない時も合鍵を使ってさっと開けてくれたし、一晩中抱きしめてくれたし……」
「最後に嘘を混ぜてきましたね」
「あらら、ウチは別にいつでもいいのに」
「っ……い、いや、まだ、その……付き合い始めたばかりでそういうことをやるというのは……何と言いますか……」
「ん~?ウチはただ抱きしめてくれるだけでええんやけどな~。八幡君はまだ先のことがしたかったん?」
「…………」
「八幡君のエッチ♪」
「……したいです」
「え?」
「本音を言えば、その……めちゃくちゃしたいです」
「…………ええっ!?」
「次のデートの後、いいですか?」
「え?いや、ちょっ……」
「……何て言い出したらどうしますか?」
「…………あ~~!!八幡君、ひどい!ウチをからかうなんてひどい!」
「何すか、その特大ブーメラン。そういや、年末大丈夫そうですか?」
「うん。八幡君がキリキリ働く準備はちゃんとできてるよ。何なら巫女服も着る?」
「いや、それ誰得なんですか。参拝客ドン引きでしょ」
「そっかぁ。じゃあこのプランは次の機会に……」
「その機会は永遠に来ないと思いますが……」
「ふふっ、じゃあ明日は楽しみにしとくね」
「ええ。それじゃあ」
*******
通話を終えると、急に部屋が静かになった気がした。まあ、当たり前なんやけどね。
……はやく会いたいなあ。
あれ、どうしたんやろ。前まではこんな事なかったのに……。
ああ、ちょっとだけ脆くなったんかな。
「……八幡君、はやく会いたいなあ」
さっきと同じ呟きを今度は口にしてみると、より一層部屋の静けさが増した気がする。
「あらあら、もしかして彼氏と電話?」
「うん」
「へえ、希にもようやく恋人ができたのね。嬉しいわ」
「…………えっ?え~~~~~~~!?お母さん!?」
「そうよ。あなたのお母さん。びっくりした?びっくりした?」
「あ、当たり前やろ!いつからそこにおったん!?」
「『はい、もしもし』の辺りから」
「最初からやん!?」
この母親、相変わらず神出鬼没すぎる。スピリチュアルとかそういうのを通り越して、ただただおっかない。
お母さんは長い髪をかき分けながら、楽しそうにこちらを見ている。
「そっかぁ、希もそういうお年頃かぁ。よきかなよきかな」
「も、もうええやろ?それより何の用なん?」
「親が子供に会うのに理由がいるかしら?年末だから仕事の合間を縫って会いに来ただけよ。そしたら、まさかのビッグニュース。私ったら運がいい。スピリチュアルね。ちなみに明日は何時から来るの?」
「えっ?まさか、会う気なん?」
「まあまあ、悪いようにはしないから。ね?」
*******
普段なら年の暮れは、大掃除も程々にこたつでダラダラしているのだが、まさか秋葉原まで来る日が来ようとは……。
そして、最近彼女の住むマンションまでの道を歩いていると、自宅に帰る時のような安心感がするようになっている。
マンションに到着してから、彼女の部屋の前に行くまで、何度かポケットの中の合鍵を感触を確認した。
……いや、これはさすがに浮かれすぎだな。今日は呼び鈴を押すだけにしとくか。
そう決めて、ゆっくり呼び鈴を押すと、すぐにドアが開いた。
「いらっしゃい、八幡君。待ってたよ♪」
「ど、どうも……」
何故かさっそく違和感。
……何だ?何かおかしい気がする?
確かに同年代の中じゃ飛び抜けて色っぽい人だが、ここまで色っぽかったっけ?顔は変わってないみたいだけど……。
他におかしいところは…………あれ?胸でかくなってね?
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FUTARI #2
「……えーと」
「どうかしたん?」
「いや、その……なんか雰囲気変わりました?」
「そう?成長期やからやない?」
そう言いながら、希さん(?)は自分の胸をわしわしした。
……べ、別につい目が吸い寄せられてなんかない。ていうか、今そうなったらやばいと本能が告げている。
「なんやなんや、これくらいで照れちゃってもう♪八幡君は可愛いなぁ」
「ぅぷっ!?」
いきなり顔面を胸に押しつけられ、その柔らかさのせいか呼吸困難になる。
やばいよやばいよやばいよ!普段なら心の中でガッツポーズくらいするのだが、これはやばい気がする。何がやばいって、よく理由もわからないのにやばいとハッキリ思える部分がやばい!
しかも、気のせいだろうか……どこからか殺気じみたものを感じてしまう。スピリチュアルやね。もう何が何だかわからん。
「ん~、そのリアクション……本当に可愛いなぁ」
「え?え?」
希さん(?)が至近距離で、こちらの顔を覗き込んでくる。
あれ?いや、間違いない!この人は……!
「ストーップ!!」
すると、希さん(?)がハリセンで誰かに頭を叩かれる。
「いったぁ~い!ちょっと何すんのよ、希~!」
「うるっさい!私の恋人に何しようとしてんの、お母さん!?」
「……やっぱりか」
「え?気づいてたの?」
「まあ、その……途中から雰囲気似てるけど、別人かなと……」
本当はお姉さんだと思っていたのだが、今言うと面倒そうなのでやめておこう。
希さんのお母さんは、ハリセンの痛みから立ち直ったのか、再度俺の顔を覗き込んできた。ふわりと漂う大人の香りに、何ともいえない気分になっていると、希さんがジトーっとこちらを見ていた。そりゃもう効果音がしそうなくらいに。
「ふむふむ、ふむふむ。しかし意外ね。まさか年下と付き合い始めるなんて……ほら、あの子ってああ見えて寂しがりで甘えんぼじゃない?」
「もうっ、余計なこと言わないの!」
再びハリセンでツッコミを入れようとする希さん。
しかし、その一撃は不敵な笑みと共に、あっさり受け止められた。
「甘い。その攻撃はもう見きったわ」
「くっ……!」
「…………」
おーい。もしもーし。来客が置いてきぼりになってるよー。
とはいえ、このままでは陽が暮れそうな気がしたので、俺は二人の間に割ってはいった。
「希さん、今日はバイトもあるので……」
「あ、そうやったね。ていうかごめん。玄関で……じゃあお母さん、続きは後で」
「しょうがないわね。じゃあ、今から用意して出かけるわよ」
「「え?」」
「神社のバイトは夜からでしょ。それまで積もる話でもするわよ」
「もう、強引なんやから。八幡君、大丈夫?」
「俺は大丈夫ですけど、いいんですか?親子水入らずの時間を……」
「もちろん♪君にはたっぷり話を聞かせてもらわなきゃだからね。あ、私の名前は東條いのり。いのりって呼んでもいいわよ」
そう言って、希さんのお母さんはがっしりと腕を組んできた。
すると、ぎっしりと柔らかな何かが詰まったような感触のものが、肘の辺りに押しつけられる。こ、こういう時は念仏を……宇宙天地與我力量降伏群馬迎来曙光……
「あーもうっ!そこはウチのポジション!」
「じゃあ逆で……」
「そっちもダメ!」
「…………」
左右からもう色々とやばい。やばすぎてやばい。
もう年の暮れだというのに、さらに騒がしくなるとは……。
どうやら今年は最後まで楽しすぎる一年になるらしい。
既に確定していた。
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FUTARI #3
「いや~、久々の東京は相変わらず混んでるわね~」
「いつぶりやっけ?」
「あ~……一年以上は経ってるんじゃない?」
「…………」
「どしたん、八幡君?」
「…いや、動きづらいのでそろそろ離れて歩いてもらえないかと」
俺は未だに左右からガッシリ腕をロックされていた。暴力的な柔らかさに頭がくらくらするのもあるが、今度は周りからの殺意のこもった視線に、背筋が凍る思いもしていた。
「うら、やま、し、い……」
「ガッデム」
「美女に囲まれてんじゃねえよ。ボッチのくせによ」
ほら、やっぱり聞こえてきた。ていうか、お前は一体誰なんだ。何故俺がボッチなのを知っている?
さっと目を向けたが、そこにはそれらしき人物はいなかった。
……いずれ決着をつけてやろうじゃないか。明日には忘れてるだろうけど。
「どうしたん、八幡君?柄にもなく戦う男の顔をして……」
「いえ、何でもないのでお気になさらず」
「そうよ。男は外に出れば七人の敵がいるんだから、そっとしておいてあげなさい」
「とりあえずお母さんはそろそろ八幡君から離れよっか」
「しょうがないわねえ」
いのりさんが離れ、ようやく右腕に自由が戻った。だが、ほんの少しだけ名残惜しさを感じたのは何故だろう。冬だからか。
すると、希さんがさらに強く左腕にしがみついてきた。
さすがに力が強すぎませんかねと思い、左側に視線を向けると、彼女は俯いたまま口を開いた。
「……ウチ以外見んといて」
「はい」
可愛い。
いや、マジで。
え?てか、さっきの可愛さ何?やばい。思わず「はい」とか即答しちゃったんだけど。いや、他の人見るつもりなんてないからね。つーか、ほんと可愛い。できればもっかいやってほしいくらい可愛い。
「あらあら。我が娘ったら、そんな表情まで身に付けちゃって……とりあえず仲睦まじい二人をパシャリ」
「ちょっ、い、いきなり何なん?」
「娘の成長の記録を残しただけよ。後でお父さんにも見せてあげなくちゃ」
「やめて」
「孫の顔見るのが楽しみだわ。この二人からなら絶対可憐なチルドレンできそうだし」
「いや、気が早いにも程があるやろ。まだ付き合って1ヶ月くらいやし……」
「あ、着いたわよ」
「聞いてない……いいや、これは人の話を聞く気がないやつやね」
「……似てますね」
「えっ!?ほ、ほんとに!?複雑なんやけど」
「いや、まあ、はい。いい意味で……」
しかし、希さんがこんなテンションになるとは……さすが実の家族。いいぞ、もっとやれ。
二人のやりとりを見ていると、自然とにやけてしまいそうになり、食事中もそれを誤魔化すのに苦労した。
*******
店を出て、心地よい満腹感に浸っていると、思いきり伸びをしたいのりさんが、こちらを振り向き、満足そうな表情で口を開いた。
「よし。腹も膨れたことだし、そろそろ行くかね」
「え、もう?」
「まだ仕事の合間だからね。でも、安心していい。来年の中頃には二人で戻るから。だから、年末年始は二人きりを堪能しなさい」
「……そっか。最後のは余計やけど。お父さんによろしく言っといて」
「はいよ。じゃあ、八幡君。この子の事頼むわね。まだ今年は半日くらい残ってるから、しっかり楽しみなさい」
「……はい。あ、ご馳走さまでした」
「お母さん、またね」
「うん。それじゃ、二人とも、よいお年を」
いのりさんは軽く手を挙げ、駅までの道を颯爽と歩いていった。
悪ふざけの多い人ではあるが、その背中は大人のそれだった。
「なんつーか……嵐みたいな人ですね」
「ほんとに……ふふっ、だから退屈しないんやけどね。」
そう言って微笑む彼女の横顔は、さっきのいのりさんみたいに写真におさめたくなるくらい魅力的だった。
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FUTARI #4
それから俺と希さんは神社のアルバイトへ向かった。
まだ夕方なので人通りもまばらだが、夜になれば凄まじい混み具合を見せると聞き、少しだけ怯んだが、彼女の楽しそうな横顔を見て、何とか思い止まった。ふぅ、一人なら既にバックレてたところだったぜ……。
互いに着替えを済ませ、外に出ると、見知った顔が近づいてきた。
「あら、来たわね。お二人さん」
「まったく……年末になっても見せつけてくれるわね」
「もう、照れるやろ?」
「……どうも」
全然照れた素振りも見せずに笑う希さんに続き、会釈すると、μ'sの三年生メンバー、絢瀬絵里さんと矢澤にこさんは巫女服を見せびらかすように立っていた。
「わぁ、やっぱり二人共似合っとるやん。ねえ、八幡君」
「……そうっすね」
ぶっちゃけ贔屓目なしに見ても、この三人だけでそれなりに客を呼べると思う。眼福という言葉をはっきり表していると思う。
「比企谷君、そんな…………はっ、だ、駄目!あなたには希がいるじゃない!で、でも、愛人とかなら、まったく考えなくもないというか……」
「エ・リ・チ?」
「はい」
「もう、いつまで失恋を引きずってんのよ。年末なんだから、しっかりしなさいよ」
「にこはまだお子様だからわからないのよ。この胸が張り裂けるような痛みが」
「誰がお子様よ!」
「じゃあ、そろそろ仕事始めよっか。八幡君」
「ですね」
「放置してんじゃないわよ!」
*******
仕事に入ってからは、その作業量に忙殺され、あっという間に時間が過ぎた。
物を運び、あっちに行ったり、こっちに行ったりを繰り返ししていると、もう休憩時間になっていたのか、希さんがこちらにとてとてと歩いてきた。手にはマッ缶が握られている。
「はい、お疲れ」
「……どうも。まだ余裕ありそうですね」
「まあ、3回目やからね。もう体が覚えとるんよ。どう?騒がしい大晦日は」
「まあ、悪くないっすね……仕事がなければさらにいい」
「あははっ、まあその方が君らしいもんね。うんうん」
「何故頭を撫でてくるのかわからないんですが……」
「嬉しいくせに~♪」
実際疲れが吹き飛ぶ感覚がするから不思議だ。これもスピリチュアルだろうか。すげえな、俺の彼女。ヒーリングっとな力でも持ってるんだろうか。
「さっきμ'sの皆も来たよ。A-RISEの三人も来てたみたい」
「あ、そうなんですね。てか、もう年越してたんですか」
「うん。明けましておめでとう。今年もよろしくね」
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
「…………」
希さんは、そっと近寄ってきて、こちらを上目遣いで見つめてきた。
「ど、どうかしたんですか?」
「……ほんとにわからない?」
「…………」
さすがにそこまで鈍感ではないので、彼女を優しく抱き寄せてから、そのまま口づけを交わす。
これまでで一番長かったかもしれない。
彼女の温もりが体に流れ込んでくる気がした。
唇を離すと、彼女は笑みを見せた。
「今年初のキスやね」
「……そっすね。あの……二回目もいっときますか」
「ん……」
人のざわめきが遠ざかり、夜風がふわりと通りすぎていく。
冬の寒さはあまり気にならなかった。温もりがそれだけ包み込んでくれていたから。
今年もこの人と一緒にいれますように……それだけをしっかり祈った。
*******
「あわわ……キ、キス……本当にする人いるんだ……きゅう」
「ツバサ!しっかりしろ!」
「まさか、偶然こんな場所に出くわすなんて……ツバサ、ドンマイ」
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FUTARI #5
正月が過ぎて、冬休みもそろそろ終わろうかという頃、早朝のジョギングから戻ると、まさかの来客がいた。
「やっほ~♪」
「……え?」
希さんが我が家の前でひらひらと手を振っている。
あれ、おかしいな?あと5キロくらいなら余裕で走れそうなんだが……。
少し速度を上げて駆け寄ると、彼女はタオルを手渡してくれた。
「ど、どうも……」
「来ちゃった」
「いや、マジでびっくりしました……」
「ふふっ、君の家族にも新年の挨拶しときたいからね」
「そっすか。じゃあ、その……上がってください」
「うん、お邪魔します」
*******
「あら、希ちゃん。いらっしゃい」
「希さん、明けましておめでとうございま~す!」
「…………」
希さんが入ると、まだ休日の朝だというのに、母ちゃん達は賑やかに希さんを迎えた。
「明けましておめでとうございます。こんな朝早くにすいません」
「いいのよ。希ちゃんはもう家族も同然だから」
「そうですよ~」
二人が歓迎している姿は、息子の彼女と仲が良い素敵な家族感が出ているが、半分くらいは『こいつはここを逃したら今後彼女ができることない』みたいな気持ちが籠っていそうだ。いや、さすがに疑いすぎか。
小町は希さんに抱きつき、その豊満な胸元に顔を埋めていた。おい、うらやましいからやめろ。俺だってまだやってもらったことねえんだよ。
「よしよし、相変わらず小町ちゃんは可愛いね」
「むぅ……この感触を脳裏に焼き付け、是非トレースせねば」
「ちょ、次、私にやらせて」
母ちゃん、何やってんだよ。そんな目をキラキラさせてんの初めて見たんだけど……。
ちなみに親父は、気まずくなったのかリビングのソファーで寝転がり、もう一眠りしようとしていた。まあ、親父が小町達と同じノリになったら、スピリチュアルな力で消し去るけどね!まあ、そんな心配はないだろうけど。とにかく親父はそこで寝て日頃の疲れでも癒してろよ。
「とりあえず、俺はシャワー浴びてくるわ」
*******
身支度を整え、自分の部屋まで行くと、希さんは俺のベッドで眠っていた。
「すぅ……」
「…………」
マジか。いや、別にいいんだけど。可愛いし。あと可愛い。
静かな部屋には、彼女の寝息だけ響いている。
「すぅ……」
「…………」
する必要はないのだが、一応周りに人がいないかを確認してから、至近距離で寝顔を覗き込む。
……あ、やば。可愛い。語彙力崩壊するくらいに。
この時俺は何を考えていたのだろうか。
自然と手が動き、指で彼女の唇を撫でていた。
やわらかな感触が指に吸いつき、いつまでもこうしていたくなる。
止め時がわからなくなり、もうこのまましばらくこうしてようかと思った瞬間、はむっと指をくわえられた。
いつ目を覚ましたのか、最初から寝たふりだったのかはわからないが、得意気な笑みを見せていた。
一体自分の指はどうなってしまうのかと成り行きを見守っていると、指先をチロリと舐められただけで、すぐに解放された。
「眠っている女の子にイタズラしようとするなんて、さすが八幡君やね」
「いや、さすがって……寝たふりしてたんですか?」
「ううん。寝てたよ。でも、唇にいやらしい気配を感じたんよ」
「…………すいません」
「ええよ~。君ならいくらでも。でも……指だけなん?」
「……いや、無理っすね」
寝転がったままの彼女の唇に、強引に自分のを押しつける。
小町のノックで中断されるまで、それは続いた。
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FUTARI #6
昼過ぎまでだらだらと過ごしてから外出すると、陽射しがやけに眩しく感じられた。
「今日もいい天気やねえ。八幡君の目つきも……ああ、うん。ごめんね」
「いや、今さら何の確認してんですか。わかりきったことでしょうに」
「あははっ、でもこの目つきがええんやけどね。あと八幡君、お父さんと目つきそっくりやね」
「うわ、すげえやだなんですけど……そういや、希さんは母親似でしたね」
「まあ、そうやね。あ、胸はまだあっちのほうが大きいよ」
「どうしたんすか、急に。何すかその情報……」
とりあえず記憶の片隅くらいには留めておこう。別に変な意味などない。多分。うん、多分。
「そういえば八幡君。彼女にして欲しいコスプレとかある?」
「唐突ですね。どうしたんですか?」
「いや、これからからかいのバリエーションを増やしていかないと飽きられるかもしれんからね」
「飽きませんよ。てか、からかいのバリエーションって何ですか。それがコスプレとどう繋がるんですか」
「ほら、例えばチアガールが応援してる風にからかうとか」
「いや、そんなの……悪くないですね。むしろいいと思います」
「うん。たまに必要以上に素直になるところ、ええと思うよ」
「……とりあえず、総武高校の制服を……」
「おっと、これは予想以上にドス黒い要求がありそうやね」
「たまにはそのぐらいあったほうが健全ですよ」
「そう、やね……うん?そうなんやろうか?」
特に意味のない楽しい会話は、冬の乾いた空気の中でどんどん弾み、いつまでも続けられそうだった。
だが俺はある事実に気づき、立ち止まった。
「そういや、俺達は今どこに向かってるんですかね?」
「ん?あ、てっきり八幡君がどこか決めてるかと……」
「……とりあえずバスでも乗りますか」
とりあえず……夢中になりすぎるのは注意したほうがいい。
*******
千葉駅まで行き、目についた喫茶店に入ると、店内はそれほど混んでおらず、ちょうどいい雰囲気だった。
ゆったりメロディーをなぞるような穏やかなジャズを聞き流し、希さんの表情が少し真面目になったのを見て、俺は話を聞く態勢を整えた。
希さんも俺のその様子に気づき、頷いてから口を開く。
「ウチ、大学も東京のに行くことになったよ。本当はちょっと前に決まってたんやけどね。ドタバタしてて落ち着いて言うタイミングがなくて……」
「ああ、確かに……おめでとうございます」
「ありがと。まあこれからも巫女のバイトは続けるから、巫女服のウチは見れるよ」
「そりゃあラッキーですね。そういや、μ'sはどうするんですか?」
「う~ん、そっちはまだ色々と話し合いしてる途中かな」
「そうですか」
「八幡君も何か言いたいことがあるんやないの?」
さすがに読まれていたようだ。最早スピリチュアルとかではなく、表情で悟られたのだろう。
俺は気を取り直すように、運ばれてきたアイスコーヒーに口をつけ、気持ちを落ち着け、口を開いた。
「……俺、東京の大学目指そうと思います」
「……ほんと?……」
「まあ、まだ受かるかわからないっすけど。もし受かったら、その時はよろしくお願いします」
「うん。もちろん……そっかぁ、楽しみやねえ」
希さんはやたらとにこにこして、こちらを見つめてきた。その表情はいつもより幼く見え、こちらもつい頬が緩んでしまう。
「あと一年くらいでいつも一緒にいられるんやねえ」
「……受かってからね。そこ重要だから」
「大丈夫。ウチが春頃からみっちり勉強教えてあげるから」
「うわあ……効果ありそうだけど、なんか怖いっすね」
「ふふふ、今夜は寝かさんよ」
「いや、何で今夜なんですか。まあ、やれるだけやりますので、よろしくお願いします」
「うん。あ、今のもしかしていやらしい意味?」
「ち、違います、勉強ですよ……」
まったくこの人は……テンパりそうになる俺も俺だが。
希さんは、いたずらっぽく目を細め、小さいがよく通る声で囁いた。
「ねえ、八幡君。もうしばらくここで話さん?」
「……いいですね」
再びコーヒーを口にすると、いつもより砂糖が少ないことに気づいた。
……まあ、たまにはいいか。
このコーヒーの味と共に、会話の一つ一つを刻んでおきたくなった。
こういう日常の先に、さっき話した未来が待っているなら、それはとても素敵なことなんだろう。
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FUTARI #7
「えっ?ラブライブの決勝の会場が幕張に?」
「うん、そうなんよ」
夜に希さんから突然の報告。
確か幕張には国内でもかなり有名なイベント会場があるはずだが、まさかラブライブの会場として使われることになるとは……。
もしかしたらμ'sの知名度は俺が思ってるよりはるかに高いのかもしれない。
「まあ、何つーか……かなり観に行きやすくなりましたね」
「そうそう。それともう一つ面白そうな情報があるんやけど」
「?」
「実は……ボランティアを募集する予定らしいんよ」
「……ほう。社畜の練習ですか。ステージで夢を見せてる裏で社会の現実を教えるとか、かなり充実したイベントになりそうですね」
「うんうん。その感じいいよ。八幡君してる」
「八幡君してるって……いや、言いたいことはわかるんですけどね」
「まあ、君の都合さえよければ考えてみてよ」
「了解しました。前向きに検討しときます」
「おお、本当は即答したいけど、あえて返事を遅らせるという八幡君らしい捻デレやね」
「…………」
恥ずかしいから、思っててもそういうことは言わないでね……。
「と、とりあえず……本番楽しみにしてますので」
「うん。それじゃあ、またね」
「はい。それじゃあ」
*******
「せんぱぁ~い、幕張でボランティアってどういうことですか~」
「……社畜の練習だよ」
「は?どういう意味ですか?」
「そのまんまの意味だよ」
「はあ……って、そういう意味じゃなくて!どうしてあの先輩が自分から幕張のイベントのボランティアをするって言い出したんですか?しかも生徒会まで巻き込んで」
「…………」
「あ、黙った。って、何寝たふりしてるんですかー?」
「あはは……まあ、でもいいじゃん?イベントって、楽しそうだし」
「それもそうね。この男の私利私欲の為に動くのは少し納得いかないけれど」
「私利私欲?それどういう意味ですか?」
「深い意味はないわ」
「はあ……まあ、雪ノ下先輩も納得してるならいいですけど」
「ふふっ、ヒッキーがあんなに前向きに行動するなんて滅多にないもんね。私達も背中押さなきゃ!」
「…………」
なんか照れくさいので、心の中で礼を言うことにした。
……後でマッ缶買ってくるか、4人分。
*******
それから、他に有志のボランティアを募ったり、希さんと毎日連絡を取り合ったり、志望大学を考えたりしているうちに、あっという間に日々は過ぎた。
そして本番二日前……。
「……しかし、見事に見知った顔ばかりだな」
校内でボランティアを募集したところ、テニス部や葉山グループなど、見覚えのある奴らばかりが集まっていた。
「あはは、いいじゃん。緊張しなくて」
「そうね。何かと使いやすいわ」
「私、そういう意味で言ってないよ!?」
「わあ、やっぱり可愛い子多いですね~。せんぱぁい、どの子がタイプですか?」
「はいはい、会場から追い出されたら困るから黙ってようね」
「八幡、μ'sの人達まだいないみたいだね」
「今控え室にいるみたいだぞ」
「けぷこん、けぷこん……」
「材木座、無理して喋ろうとしなくていいぞ。てか、よく来てくれたな……」
「は、八幡……べ、別にあんたのためじゃないんだからね!」
「……本当に喋るな、お前自身のために」
メダパニでもかけられたかのようなテンションの材木座から距離をとると、誰かが目を丸くしてこちらを見ているのに気づいた。
「あれ、比企谷?」
「…………折本?」
「うっそ、まじで比企谷じゃん、総武高校行ったんだ~!」
「あ、ああ、まあな……」
まさかこのタイミングで過去に告白した女子に再会するとは……。
さらに、向こうが俺の事を覚えているとは……。
どうしたものかと思い、首筋に手を当てると、折本は数秒首を傾げてから、何故か一人で頷いた。
「比企谷、なんか変わったね。ウケる」
「いや、ウケねえから」
「あははっ、じゃあ今日はお互い頑張ろーね!」
「……おう」
変わった、か。
そんな些細な一言に充実感みたいなものを感じてしまうあたり、確かに変わったのだろう。
まあそれでも過去の失恋なんていちいち思い出したくないけどな!絶対に気のせいだろうけど、ほんの少し背筋に悪寒がしたし!
*******
「あら、希どうしたの?なんか怖い笑みを浮かべて……」
「何でもないよ~♪」
「あ、はい」
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FUTARI #8
それから作業が始まり、ただの空洞のようだった会場内はそれらしい雰囲気になっていった。
「ヒッキー、休憩行ってきたら?」
「……ああ、もうそんな時間か」
やはりこの手の単純作業は集中できる。ボッチ経験者なら納得してくれるはずだろう。
それ故に時間が経つのも早く、作業は既に折り返し地点を迎えていた。
確かに休憩に行くにはいいタイミングかもしれない。
「じゃあ比企谷君のグループは休憩に行ってきて。それと比企谷君、ちゃんと10分後には戻ってくるのよ」
「ちょっと?何で遅刻常習犯みたいな扱いなんですかね」
「正確には、警戒しているのは貴方ではないけれど」
「……お前がそういう冗談言うようになるとはな」
「誰の影響かしらね」
雪ノ下の言葉に苦笑しながら、俺は戸塚達と一緒に休憩に入った。
*******
「やっほ~」
「……あ、どうも」
一人になったところで、まさかの普通に遭遇。
いや、もっとこう……サプライズみたいなね?別にいいけどさ、嬉しいし。
だがそれがあまり伝わっていないのか、希さんは不満げな表情だ。
「あ、どうも。なんて、他人行儀な挨拶やねえ。やり直しを要求する~」
「いや、ほら。ここイベント会場だからね……誰かに見られたらアレと言いますか……」
「ほう、八幡君は人に見られたらあかんことをしたいんやね」
「いや、そういう話じゃなくて……」
「ちなみに、さっきの女の子は初恋の相手かどうかを聞くのは後にするから心配せんでええよ」
「……は?どこから見てたんですか?」
「君達がいたところからは正反対の入り口」
「どんだけ目と鼻利くんですか」
「スピリチュアルやね」
「万能すぎやしませんかね、その台詞」
「まあ、見えた聞こえたは嘘やけどね。ただの女の勘」
「それはそれですごいと思いますが……」
それこそスピリチュアルというやつではなかろうか。
すると、彼女は急に言いづらそうに口をもごもごさせた。
「それで……ああ、これ言うてええんかなぁ」
「せっかくだから言ったらどうですか?」
続きを促すと、彼女は髪の毛を弄りながら数秒俯き、そして何かを誤魔化すような笑みを見せた。
「うん。嫉妬やねえ。こんなんウチらしくもないけど」
「……言うまでもなく付き合ってたとかじゃないですよ」
「わかっててもつい出ちゃうんよ~。ほら、恋は盲目って言うやん?」
「…………」
そして希さんはこちらに距離を詰め、つむじを見せてきた。
「だから……色々終わるまで我慢する分、心を込めてよしよしして欲しいなあ」
「……それぐらいなら」
一応周りを確認してから、その頭に手を触れ、優しくいたわる。
猫のように目を閉じた彼女を見て、そろそろかと思い、そっと手を離すと、彼女は満足そうに笑った。
「ん……充電完了。リハーサルもいけそうやね」
「……リハーサルで燃え尽きないでくださいよ」
「その時はまた充電してもらうもん」
「そりゃ、何度でも構いませんけど」
「ふふっ、じゃあお礼に……」
今度はこっちの頭を撫でられる。
だいぶ慣れたが相変わらず破壊力は抜群である。
いつもより短めの時間だが、それでも身体が癒された気分がした。
「よし、じゃあこの後も頑張らんといかんね」
「……ええ」
そう言って、手をひらひら振る彼女の笑顔は、スクールアイドルの顔だった。
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FUTARI #9
本番当日。
俺達はボランティア参加者に用意された席で、ステージを見つめていた。
そんな中、右隣にいる由比ヶ浜はやたらそわそわしている。
「わぁ、なんかこっちが緊張しちゃうなぁ」
「……まあ気持ちはわからんでもない」
さすがに全国大会決勝ともなると、雰囲気が別物である。いや、何で俺が緊張してんだよと思いながらも、これはどうしようもない。開演してくれたらこれも紛れるかもしれんが。
すると、何度かライブで見かけたことのある眼鏡をかけた賑やかなお姉さんが出てきた。
「さあ、会場にお集まり皆さん、盛り上がる準備はできてますかー!?」
その言葉と突き上げた拳に、一気に会場内の空気がヒートアップしていく。
さっきまでの緊張感はどこへやら、由比ヶ浜も盛り上がっていた。さすがリア充。
左隣にいる戸塚もぱちぱちと拍手している。可愛い。
そこからはまるでスイッチが入ったかのように物事が進んでいった。
一組目のグループから会場は派手な盛り上がりを見せ、歌声や声援や演出が混ざりあい、夢の世界にいるような気分になった。
しばらく見届けていると、パフォーマンスの合間に戸塚が肩をつついてきた。
「八幡、μ'sは何番目だっけ?」
「あー……次の次だ」
プログラムを確認しながら、ちょっと驚いてしまう。もうここまで来たのか。
その事に気づくと身体がうずうずしてきた。
「うわあ……あっという間だ」
「そうね。意外と魅入ってしまうものね」
「八幡、いよいよだよ」
「……あ、ああ」
「は、八幡よ……こういう雰囲気、我は苦手なのだが」
「…………おお、珍しく気が合うな」
「……」
そして、また一組パフォーマンスを終え、会場内が拍手の音で満たされる。
いよいよだ。
司会が待ちわびたその名前を呼んだ。
「さあ、続いては音ノ木坂学院からμ'sでーす!!!」
名前が呼ばれるとスポットライトがステージにいる彼女達を照らし出した。
すぐに希さんがどこにいるかはわかった。
その姿に胸が高鳴り、さっきまでの不安みたいなものが吹き飛ぶ。
そして高坂さんが「よろしくお願いします」と言い、全員が頭を下げると、束の間の静寂が訪れた。
数秒してから穏やかなイントロが始まり、色んな音が重なってから、壮大なものに変化していく。
熱い歌声が、熱のこもったダンスが、会場内を包み込んでいくのがわかった。
*******
奇跡のような時間が終わった後、スクリーンに映し出された彼女達はやりきった笑顔を見せていた。
「「「「「「「「「ありがとうございました!!」」」」」」」」」
次の瞬間、割れんばかりの歓声があがる。
周りがμ'sファンだからかもしれないが、これまでで一番大きく聞こえた。
俺は豆粒程度の希さんに視線を集中させた。
すると、それは多分ただの偶然だろうが、彼女がはっきりとこちらを見た気がした。
星空の中のようなきらびやかな空間で、一瞬だけ二人きりになった気がした。
一つだけ確かなこと。
この光景を一生忘れない。
それだけを自分の中に誓い、俺は彼女達を讃えた。
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FUTARI #10
あの熱狂から少し時間が経ち、今日はバレンタインデー。
街が色めき立ち、冬の寒さも忘れるくらいに盛り上がる一日。
もちろん自分には関係ないと思っていた。
だが今年は……
「あ、八幡君お待たせ~」
「……いえ、今来たところなんで……」
「おお、その台詞が出るとは……八幡君ノリノリやねえ」
「ええ、まあ。一回言ってみたかったんで……」
「そういうのあるよね、わかるわかる」
「わかるんですか。ちなみに、どんな台詞ですか?」
「ヒ・ミ・ツ♪」
そう。今年は一緒にいる相手がいる。
俺と希さんは現在千葉にある某遊園地の前にいる。
今思えば、付き合い始めてからこういう場所に来たのは初めてだ。
まあ、これまでお互いに忙しかったのもあるが……。
すると、希さんが流れるような動きで腕を絡めてきた。
「じゃ、行こっか」
「は、はい……」
うわ、何この人。いきなり普通のカップルみたいなことしてきたんですけど。可愛いすぎて涙出そう。
「ふふっ、今日はしっかりエスコートお願いするからね」
「いや、俺は三歩後ろを黙ってついていく大和撫子タイプなんですけど」
「あははっ、確かにそうかもしれんね。じゃあ、今日はウチがエスコートしてあげよう」
「よろしくお願いします」
「八幡君は初めての遊園地やからね。お姉さんから離れないように注意しとかなあかんよ」
「いや、さすがにそこまでしなくてもいいんで。てか、初めてじゃないので。久々すぎるだけなので」
「そう?その割には珍しそうにキョロキョロしてるけど」
「……前に来た時と比べると、だいぶ変わってたんで……」
「う、うん。細かくは聞かないでおこうかな」
なんか少し引かれた気がするが、まあいい。テンションが高い今は細かいことなど気にならない。
ていうか、さっきから肘に柔らかいものが押しつけられてて、そっちの方が気になって仕方ないんですけど!
*******
「そういや、ラブライブ優勝のインタビューはもう落ち着いたんですか?」
「うん。ようやく、やね」
先日のラブライブ全国大会でμ'sは見事に優勝を果たした。
ぶっちゃけ感動しすぎて涙で顔がぐしゃぐしゃになり、由比ヶ浜と戸塚の表情がやや引き気味だったぐらいだ。
テレビにも取り上げられ、学校前にファンが来たりしているらしい。
「あれからドタバタしとって落ち着かんかったからね。落ち着いてからやっと優勝した実感も沸いてきたというか……」
「まあ、あの後会う暇もなかったですし……」
「そう。だから寂しかった分を埋めんといかんからね。よし、じゃあさっそくあのジェットコースター行くよ~」
「……いきなりですか。いや、別にいいんですけどね」
「ふっふっふ。今日はとことん付き合ってもらうよ~。そのためにさりげなくサービスしてるんやからね」
「あ、そういうことだったんですね……ちょっと……いや、かなりずるくないですかねえ」
「そんなん今さらやん?」
見ました?この人の開き直り方ハンパないですよね……。
そうこうしているうちに、俺達はアトラクションの前まで来ていた。
*******
「はぁ……はぁ……」
「いやあ、いきなりこれはなかなかハードやったね」
「……ええ。ていうか、何すか世界最長って……」
「世界で一番長いって意味やね」
「いや、そういうことではなく……」
「大丈夫。ほら、そこベンチあるよ」
希さんと近くにあったベンチに並んで座ると、何だかさっきまでの急転直下が夢の中での出来事みたいに思えた。
目の前を通過していく家族連れが何だか微笑ましい。
「ちち、はは、アーニャあれのりたい」
「あれはお前の身長じゃダメだ」
「あら、残念ですねえ」
……仮に乗れたとしても子供にあれはきついだろう。
行き交う人の流れをぼんやり眺めているうちに、体力が回復したので、俺は柄にもなく気合いを入れて立ち上がった。
そして、彼女にそっと手を差し出した。
「……そろそろ行きますか」
「そうやね。ふふっ」
小さな手の感触は柔らかく、ほんのり温かかった。
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Love can go the distance
昼時になり、俺と希さんは目についたレストランに入った。
控えめなBGMのかかった店内はカップルや家族連れでそこそこ混んでいて、それぞれ会話や食事に夢中になっている。
「よし、何とか半分くらいは乗れたかな」
「そうっすね。運良くそんな並んでないタイミングで行けたんで」
「そうやね。これも……」
「スピリチュアルな力、ですかね」
「むむっ、ウチの名フレーズが八幡君に奪われそうな予感……これはまた新しいのを考えんといかんね」
「いや、奪うつもりなんてこれっぽっちもないので……」
「え~、なんかウチのセンスが否定された気分やね。じゃあ、八幡君の決め台詞考える?」
「それこそいらんでしょう。どこで使うんですか?」
「電話の時とか?」
そんなやりとりをしているうちに、テーブルに料理が運ばれてきた。
すると、希さんが小悪魔めいた笑みを浮かべ、フォークに突き刺したハンバーグをこちらに差し出してきた。
「はい、八幡君。あ~ん♪」
「……いや、さすがにそれは恥ずかしいと言いますか……」
「大丈夫、誰も見とらんよ~」
念のため周囲を確認すると、確かに皆目の前の相手や料理に集中しているように見える。まあ、ここテーマパークだし、そんなもんか。
「そ、それじゃあ……」
ぶっちゃけかなり恥ずかしかったが、同時に何とも言えない幸福感が沸いてくる。あ、やばい。これダメになりそうなやつだ。
「あ、あ、あなた達……」
「「え?」」
明らかにこちらに向けられたっぽい声が隣からしたので、目を向けると、なんとびっくり。A-RISEの三人がそこにいた。
綺羅ツバサさんは何か信じられないものを見る目で、他の二人はそんな彼女を気遣う目をしている。
「こ、こんにちわ~」
「…………」
さすがにこのエンカウントは予想外だったのか、少し照れ気味に希さんは挨拶し、俺は黙って会釈した。
状況が状況だけに、一体何を言われるだろうと緊張していたら、綺羅さんはにっこり笑顔を浮かべ……
「ね、ねえ、英玲奈。はい、あ~ん」
「……あ~ん」
「はい、あんじゅもあ~ん」
「あ、あ~ん」
「じゃあ、今度は二人が私に……」
「やめろ、ツバサ!傷口に塩を塗るだけだぞ!」
「そうよ!この勢いで新曲を書けばいいじゃない!」
「「…………」」
ほんの一瞬だけ綺羅さんとある先生が重なったような……まあ、賑やかな時間を過ごせてよかったです。はい。
*******
少し陽が傾いてきた頃、俺と希さんは赤く照らされだした街を見下ろしていた。
「やっぱり最後は観覧車やねえ」
「そうっすね。なんかこう……あっという間でしたね」
「そうやねえ。あ、次は水族館とかどう?」
「……いいですね。てか、水族館もしばらく行ってないんですけど」
「またお姉さんがエスコートするから安心してええよ~」
「そりゃあ安心ですね」
「あ、そろそろ頂上やね。八幡君、チャンスがきたよ」
「いや、それいちいち言いますか。てか、ベタすぎじゃないですかね」
「だからええんよ。こういうのやってみたいやん?」
希さんは目を閉じ、待ちの姿勢になった。
長い睫毛も厚みのある唇もやけに艶かしく、胸の中を乱暴にかき乱していく。
これは一種の暴力みたいだと思えてきた。
だが、そんな下心を悟られぬよう、なるべく優しく彼女頭に手を添え、口づけを交わす。
いつもより少し長い口づけに頭がぼうっとした頃、つうっと糸を引き、唇が離れていった。
希さんはとろけたような表情のまま、ポケットから小さな包みを取り出し、俺の手に置いた。
見たところバレンタインのチョコレートのようだ。
「こういうの作るの初めてなんやけど、割と自信作」
「……ありがとうございます」
希さんは、まだ夢見心地の瞳のまま今度は耳元に顔を近づけてきた。
「もうちょっと大人になったら、まだ甘いの味わわせてあげる」
「……っ!」
甘い囁きに言葉を失っていると、観覧車はもう一週を終えようとしていた。
「八幡君、これから色んなとこ一緒に行こうね」
「……はい」
ドアが開き、また冬の寒さに包まれたが、それも気にならなくなるくらいに彼女の笑顔と手は温かかった。
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Love can go the distance #2
3月に入り、学校の行事も卒業式を残すだけになった。
そんな目を覚ましたばかりの春の夜に、窓の外に浮かぶ半分の月を眺めながら、俺は珍しく自分から電話をかけていた。
「はい、もしも~し」
「……こんばんは」
「どしたん?八幡君からなんて珍しいね~」
「えっと……明日はそっちが忙しいと思うんで、今日言っとこうかと思って……」
「あー、明日卒業式やもんね」
「ええ。その……卒業おめでとうございます」
「うん、ありがと。ふふっ」
「?」
「なんか卒業式前夜に言われるのって変な感じやね」
「一番に言いたかったもんで……」
「最近は本当に素直やね。お姉さんは嬉しいな~」
「そ、そういや、両親には会いに行くんですか?」
「うん。卒業式終わったら次の日には行こうかなって思ってるよ。なになに?もしかして、ウチの両親に……」
「いえ、家族水入らずを邪魔するわけにはいかんので……」
「え~、八幡君と九州行きたいと思っとったのに~」
「いやほら、まだ心の準備が……」
「あははっ、冗談やから気にせんでええよ。それより次の週はこっちに来るんやろ?」
「ええ。バイトもありますし」
「でもよかったねえ、八幡君」
「何がですか?」
「まだしばらくはウチの巫女姿見れるよ。JDの巫女」
「そりゃあ素晴らしい幸運ですね。しっかり目に焼き付けときます」
「そうそう。そういう心がけは大事にせんとね」
「あー、肝に銘じておきます。そういや大学に入ってからμ'sのほうはどうするんですか?」
「う~ん、それは今度直接会った時に言おうかな。あ、それと気になることがあるんよ」
「?」
「カードによると明日ものすごいサプライズがあるらしいんよ」
「すごいサプライズ……卒業式で?」
「何やろう、八幡君が卒業式でプロポーズしてくれるとかかな?」
「まあ、毎回当たるわけじゃないと思うんで」
「あ、スルーした。ちなみに八幡君もあるらしいよ」
「マジすか。なんか急に怖くなってきたんですけど……」
「大丈夫。あくまでサプライズやから。良い事かもしれんよ」
「……それは、そうかもしれませんね」
「そうそう、前向きな心が大事なんよ。って、もうこんな時間やん。じゃあ、ウチ明日朝早いからもう寝るね」
「わかりました。それじゃあ……おやすみ」
「うん、おやすみ♪」
さて、明日はどんなサプライズがあるんですかね。
この時の俺は大して深く考えることなく、そのまま眠りについた。
*******
翌日……。
「え?ラブライブの大会を東京ドームで開催?その前にニューヨークでライブ?」
一方その頃……。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!すごいよ!お母さんがニューヨーク旅行当てたよ!」
「…………マジか」
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Love can go the distance #3
「ええ!?ニューヨーク旅行当たったってすごいやん!」
「いや、ニューヨークでライブするほうがすごいと思うんですが……」
本当にサプライズが起こりやがった……しかも二人同時に。
こんな事が本当に起こるなんて思いもしなかった。
正直まだ現実感がない。希さんと話ながらも、つい頬をつねってしまう自分がいる。
サプライズという言葉ですませるのも生温い気がした。
「ニューヨークかぁ……」
「行ったことあるんですか?」
「あるよ。ただそういうんじゃなくて……」
「?」
「初めて君と一緒に行くのは新婚旅行にしたかったというか……」
「……いきなりそんな事言われるとリアクションに困るんで自重してください」
「あははっ、でも本当にすごいなぁ。スピリチュアルやね」
「やっぱりそっちが言うほうがしっくりきますね。そういや東京ドームでもイベントやるんですよね。そっちもかなりすごいと思うんですが……」
「ああ……うん、でも、まずはニューヨークのライブを成功させんといかんからね」
「?」
「八幡君、ニューヨークで迷子にならんようにね」
「いや、迷子て……まあ、そん時はよろしくお願いします」
「いい子にしてたら迎えに行ってあげる」
「じゃあ大丈夫ですね」
「あはは、本当かな~?……ふわぁ……なんか眠くなってきた。じゃあ今日はもう寝るね。おやすみ~」
「ええ。おやすみ」
通話を終え、いつもの静寂に身を委ねると、先程の会話で感じた違和感を思い出した。
東京ドームで何か言い淀んだ気がするが……これは気のせいだろうか?
*******
数日後、日本の玄関といわれる成田空港にて、俺は何ともいえない気分で外の飛行機を見つめていた。
隣には小町がいて、やたらとキョロキョロしている。まるでこれから高飛びでもするかのようだ。
「お兄ちゃん、ちょっと緊張しすぎじゃない?」
「いや、お前もさっきからそわそわしすぎだろ……」
「おい、バカ兄妹。搭乗口はこっち」
「…………」
父ちゃんと母ちゃんは割といつもどおりのテンションだった。まあらしいっちゃらしいな。せっかくの旅行なんだし、せいぜい羽伸ばして楽しめっての。
すると、今度は母ちゃんがキョロキョロし始めた。
「ねえ、希ちゃんはどこにいるの?」
「いや、探さなくていいから。何するつもりなんだよ……」
「挨拶に決まってるじゃない」
「まあまあ、お母さん落ち着いて。お兄ちゃんが希さんみたいな美人と付き合えるなんて、ポケモンが実在するくらい低い確率なんだから、ここはそっと見守ってあげないと」
いや、ポケモンて……確率低いどころの話じゃねえぞ。
ちなみに、希さん達は比企谷家が立ち話しているそばの柱の真後ろにいる。さりげなく誘導しといてよかった。
やがてアナウンスが聞こえてきて、それと同時に期待に胸が高鳴り始めた。
*******
さっきはあんなにワクワクしていたのに、まさかこんなことになるとは……
「ねぇねぇ、私の家あの辺りかな?」
「穂乃果、もう少し静かにしなさい」
「海未ちゃんそう言いながら、ずっと窓の外見てるね」
「にゃあ、なんだか眠くなってきたにゃあ……」
「今のうちに寝ておいたほうがいいよ、凛ちゃん」
「ビジネスクラスの座席ってこうなってるのね。少し眠りにくいかも」
まさか前の列にμ'sが来るとは……しかも、前の座席には……
「なんか比企谷君の匂いがするわね」
「さらっと怖いこと言ってんじゃないわよ!あんたヤバい能力でもあるの!?」
「まあまあ、ええやん。エリチやし」
まさかの三年生トリオである。しかも絢瀬さんが謎発言をしたせいで、親父と母ちゃんの顔が引きつっている。ぶっちゃけ俺も少し引いてる。え、何?俺そんなに臭い?
あと希さんがさらっと笑顔で流しているのがすごい。これはいつもどおりということだろうか。
とにかくこのまま何事もなく……
「そういえば希、もう3月だけど比企谷君とはどこまでいったの?」
「ア、アンタ……アイドルがいきなり何聞いてんのよ?バカじゃないの?」
「何を言ってるの、にこ?旅にコイバナはつきものでしょ。それで、どうなの希?」
やめて!隣にいる親父と母ちゃんが聞き耳たててるから!両親に彼女との進展具合とかしられたら恥ずかしくて死んじゃう!
「キスまでしかしとらんよ」
「…………」
いや、そんなはっきり言わなくても……つーか、この人俺が後ろにいるの気づいてるよね?間違いなく気づいてるよね?
ちなみに親父と母ちゃんはうんうんと頷いていた。やめろ口元に手を当ててこっそり笑うなよ……。
「でも、最近は八幡君も少しずつ素直になってきたんよ。二人っきりの時は甘えてくるようになったし」
「「…………」」
おっと何かあることないこと言われそうな雰囲気。絢瀬さんと矢澤さんは黙って聞き入り、ウチの親二人は笑いを堪えている。小町はこちらを肘でつついていた。
「たまにやけど、ウチの事『のんたん』って……」
「っ!!!」
この新手の羞恥プレイは約一時間ほど続き、俺はどう誤魔化すかを必死に考えていた。
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Love can go the distance #4
「あー、なんかどっと疲れたわ」
人生初の海外の地を踏みしめた俺は、特に感慨に耽るでもなく、ただひたすらげんなりしていた。
あんなからかいパターンがあるとは……高木さんだって驚きだろうよ。
ちなみに希さん達は既にタクシーに乗り、先にホテルへと向かった。後で覚えてろよ……。
「ほら、お兄ちゃんタクシー乗るよ」
「おう」
「飛行機は中は退屈せずに済んだからよかったわ」
「…………」
「……やめてくれ」
親父と母ちゃんが未だにニヤニヤこっちを見ているのは納得いかないが、まあせっかくの海外だし切り替えよう。
何より家族旅行自体久しぶりだからな。
もし今後もこういう機会があるなら、変なこだわりは捨て、一緒に行くのも悪くはないと思った。
ああいうからかいが付いてくるのはごめんだけどね!めっちゃ恥ずかしかったわ!
*******
ホテルに着き、荷物を置いてからロビーに戻ると、さっそく希さんと遭遇した。いつもすぎる笑顔で、何だか日本にいるような気分になってしまう。
「だ~れだ?」
「それを真正面から言う人初めて見ましたよ……」
「あははっ、さっきは楽しかったねえ」
「まあ尊い犠牲はありましたが……」
「ほら、ウチとしては親友二人に聞かれて、正直に答えないわけにはいかんから」
「えっ、いくつか嘘情報ありましたよね?最後のほうの膝枕ねだってくるとかただの妄想ですよね?」
「……八幡君、ウチの膝枕……イヤ?」
「ズルすぎやしませんかね……今からでもお願いしたい気分ですよ」
「素直でよろしい。じゃあ、そろそろ行くからまた後でね」
「ええ。それじゃあ楽しんできてください」
「うん、八幡君達も楽しんでね~」
何と言うか……ニューヨークでも相変わらずな人だな。そこがいいんだけど
「お、お兄ちゃん、そんな所で一人でにやにやしないで……ここニューヨークだよ?」
「…………」
*******
これまで映画の中でしか見たことのない街並みを歩いていると、何だか自分も映画の登場人物になったかのような気分だ。
「お兄ちゃん、こういうとこ希さんと来たかったんじゃないの?」
「……別にまた今度でいい」
「うん。お兄ちゃんのそのリアクションでお腹いっぱい。あれ?なんか撮影してるね」
「ああ。そうだな」
行き交う人並みの中で、一人の少女が歩く姿をカメラに収められていた。
パッと目を引くその容姿は、本物のモデルとかアイドルと言われても、すぐに納得してしまう。
周りにいるスタッフらしき人は日本人ようなので、案外日本で活動しているのかもしれない。
すると不意に目が合った。
「っ!」
何だ?なんかこっち見て驚いた気がしたんだが……。
その少女は、近くにいるやたらと背が高い強面の男の人と二言三言話してから、こちらに向かって歩き始めた。
「ね、ねえお兄ちゃん……あの人、私達の方に来てない?」
「……いや、たまたまだろ」
進行方向に偶然俺達がいただけだろと思いながら、何故か動けずに立ち止まっていると、その少女は何と俺達の前で立ち止まった。
そして、ほんのり赤い頬に手を当て、こちらに控えめな笑顔を向けてきた。
「ワタシの名前は、アナスタシアデス。日本でアイドルやってマス」
「あ、は、はい……」
いきなり名乗られたが、もちろん初めて聞く名前だ。
だが、そんなことはお構いなしと言わんばかりに少女は距離を詰めてきた。
「アナタの目……とても素敵デス」
「え、あー、はい。どうも」
近い近い近い近い!!!あといい香りがやばい!!!!
「あ、もしもし希さん……」
「ちょっと小町ちゃん?どこに電話しようとしてるの?」
「冗談だって。でもお兄ちゃんどしたの?」
「いや、俺にもわからん……」
「あの、ワタシ、今度テレビに出マス。よかったら見てください」
「あ、は、はい……」
何だ、ただの営業か……びっくりしたぁ。やたらぐいぐいくるから、ていうかいつの間にか両手を握られてるんでけど……!
すると、背筋に悪寒が走った。
「っ!!」
「???」
本能に急かされるように俺は背筋を伸ばし、同じように悪寒を感じたらしいアナスタシアさんの手が緩んだ隙に慌てて距離をとる。
「あー……じゃあそろそろ行かなきゃいけないんで」
「え、ええ、マタアイマショウ……」
彼女は笑顔で小さく手を振り、強面の男の人の元へ小走りで戻った。
その凛とした背中を見て、小町は溜め息を吐いている。
「は~、綺麗な人だったね~。お兄ちゃん、浮気はダメだよ」
「しねーよ。てか、そういうんじゃないだろ」
「……だといいけど」
何を疑う要素があるというのか。それよりさっきの悪寒……ま、まさかね。
俺はとりあえず色々気づいていないふりをすることにした。
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Love can go the distance #5
「え?高坂さんとはぐれた?」
「うん、そうなんよ……」
ホテルに戻ると、μ'sのメンバーが先程とは真逆の暗いテンションでたむろしていた。
何人かはこちらを見て「え、何でここにいるの?」みたいな表情をしたが、すぐに暗い表情で俯いた。華やかなホテルのロビーで、この一角だけがやたらと不釣り合いに見える。
「この辺りに来たことあるのがウチだけなんやけど……」
「さすがに希一人に探しに行かせるわけには行かないわ」
確かに絢瀬さんが心配する気持ちもわかる。
本当は皆探しに行きたいのだ。
だが、よく知らない街で行き当たりばったりに移動して、自分や他のメンバーが迷子になったら目も当てられない。
そう考えながらも自然と口は開いていた。
「俺も一緒に行きましょうか。それなら一人にしないで済むし」
「……ええの?」
「あー、大丈夫ですよ……多分」
親父と母ちゃんに目配せすると、二人とも黙って頷いてくれた。写真さえ見せてくれればこの二人ならある程度の範囲は探してくれるだろう。
「小町、悪いがそこで他のメンバー留守番しててくれ」
「うん。お兄ちゃん、希さんから離れないようにね。お兄ちゃんまで迷子になったらいやだよ?」
「おう」
希さんに目を向けると、彼女は力強く頷いてくれた。
ぶっちゃけかなり不安だが、それも少し薄らいでいく。
そして、ホテルの外へ足を踏み出した……のだが。
「あ、みんな~!!」
「穂乃果ちゃん!?」
なんと高坂さんがホテルの前まで来ていた。手に持っているあれは……何かのケースか。
希さんは慌てて駆け寄り、高坂さんの肩に手を置いた。
「大丈夫やった?よく一人で帰ってこれたね……」
「一人じゃないよ。ここまで優しいお姉さんが連れてきてくれたんだぁ」
「え?誰もいないけど……」
「そんな……あれ?いない……」
「…………」
確かに誰もいない。いや、てか何だそのファンタジーみたいな話……ま、まあ、いいか。無事帰って来れたんだし……。
希さんがこちらに申し訳なさそうな笑顔を見せたので、とりあえず頷く。
その後、高坂さんは園田さんに雷を落とされていた。
あまりの勢いに、とりあえず部屋に戻ろうとすると……
「ねえ八幡君……ウチの部屋に来て」
「…………は?」
やたらと優しい笑みを浮かべた希さんから、お呼びだしを喰らった。
*******
一応小町に伝えてから彼女の部屋に行くと、中は彼女一人だけだった。
「……一人部屋なんですか?」
「違うよ。真姫ちゃんが気を利かせてくれたんよ」
「ああ……なんか悪いですね。明日ライブなのに」
「そう。明日はライブだから、八幡君が浮気せんようにウチだけを見るようにしとかんとね」
「ど、どうしたんですか、いきなり……んんっ!?」
何の前振りもなく重ねられた唇。
彼女は俺をベッドの方へ押しやりながら、舌を卑猥に絡めてきた。
それに応じていると、乱暴にベッドに押し倒された。
軋んだ音がまるで遺物に感じられるくらい、もう既に二人きりの世界になっていた。
希さんはチロリと唇を舐め、再び強引に唇を重ねてきた。
「んん……!」
「んくっ……ん……」
頭の中に炎が燃えたぎり、何も考えられなくなりそうだ。
俺は今度はこちらのターンだと言わんばかりに彼女と位置を入れ替わり、ベッドに押し付け、唇を雑に重ねた。
何だか獣になったかのような気分だが、不思議と悪い気はしない。
微かに手の震えを感じながらも、今度は彼女のコートを脱がす。
さらに、その下に着ていたシャツのボタンを不器用に外すと、紫色の下着と豊満な谷間があらわになった。
どくん……どくん……と未知なる興奮が胸を叩くのを感じながら、俺はもう一度希さんと目を合わせた。
……彼女はぎゅっと目を瞑っていた。
その様子を見た瞬間、急に体から力が抜け、俺は彼女の隣で仰向けになった。
「……ええの?」
「無理しなくていいですよ。……なんかありました?」
「ヤキモチ……やね」
「ヤキモチ、ですか。……え?俺なんかしましたっけ?」
「……めっちゃ綺麗な子に声かけられてデレデレしとったね」
「っ!い、いや、別にデレデレはしていませんが……」
ていうか、あれ見られてたのか……あの時の悪寒は気のせいじゃなかったのか。
希さんはさっきまでとは違う感じで俺の上に寝そべり、ふるふると首を振り、頬を膨らませた。
「してた。してたよ。それでね、もっとウチに夢中にさせたいなぁって……」
「もう夢中ですよ。出会ったその日から……」
「ほんとかな~?」
「信じてもらえるまで何度でも言いますよ。……愛してます」
「っ……きゅ、急にそんなんずるい~!」
「先に仕掛けたのはそっちですよ」
「むぅ……あ、そうだ!」
何か思いついたかのような表情を見せた希さんは、俺の手をとり、ぐいっと自分の胸に押しつけた。
「はっ!?」
「ウチの鼓動、わかる?」
「は、は、はひゃい……」
暴力的な感触に頭の中が真っ白になりかけるが、何とか持ちこたえる。噛んだけど。
そんな俺のリアクションを見た希さんはいつもの悪戯っぽい笑みを見せ、口を開いた。
「今、すっごく高鳴っとるんよ」
「は、はい」
「この高鳴りの分だけ、ウチは……私は、君を愛しています」
「…………ありがとうございます。てかまた俺が暴走したらどうすんですか?」
「大丈夫。信頼してるから」
「そりゃあ裏切れませんね」
やっぱりこの人には勝てそうもねえな。
俺達はどちらからともなく微笑み、長く甘い口づけを交わした。
窓から見えるニューヨークの夜空は東京と大して変わらないように見えた。
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Love can go the distance #6
ニューヨークでのライブを無事に終え、日本に戻った直後、再び事件は起こった。
「お兄ちゃん、何あれ?」
「……芸能人でも来てんじゃねえの?」
やたらと人だかりができている。先に降りた希さん達は無事に抜けれただろうか。
はぐれないよう小町の手を引き、親父と母ちゃんについていきながら、人だかりの中心地をチラ見すると、そこにはまさかの人物がいた。
「あれ、希さんだよね。ていうかμ'sのメンバー、皆いるよね?」
「あ、ああ……」
背伸びをしてよく見ると、μ'sメンバーにファンが群がり、その一人一人にメンバーがサインをしていた。
「うわあ……本当に有名人じゃん。この前のライブのおかげかな」
「……そうかもしれん。ん?」
ふと周囲に目をやると、空港内のあちこちのスクリーンで、ニューヨークでのライブ映像が流されていた。
華やかな着物風の衣装で歌い踊る彼女達は、これ以上ないくらいスクリーン映えしていて、注目を集めるには十分すぎた。
……にしても人気爆発しすぎだけどな。
そのまま見ていると、希さんと目が合う。
彼女はこちらにウインクしてきたので、俺は頷き、小町の手を引いた。
「お兄ちゃんもウインクしたほうがよかったんじゃないの?」
「どこに需要があるんだよ……」
後ろ髪を引かれる思いがしたが、ひとまずその場を離れた。
*******
夜になり、ベッドに寝転がってゲームをしていたら、携帯がようやく震えだした。
俺は慌てて起き上がり、机に置いていた携帯を掴み、通話状態にする。
「……はい」
「やっほ~。希お姉さんだよ~」
「妙なテンションになってますね。お疲れ様です」
「あはは、まさかあんなんなるとはねえ……ふぅぅ」
「本当に有名人になりましたね」
「そうなんよ。芸能人になった気分やね……秋葉原駅でもサインしたし……」
「このままプロデビューとかするんですか?」
「あー……そうやった。ニューヨークで言う予定がドタバタしとって忘れとった」
「そ、そういやそうですね……確かにドタバタしていましたからね」
「うんうん。ウチら、ニューヨークで激しく燃え上がったよね……」
「まあ、ニューヨークで言い忘れたやつは、今度会った時でいいんで……」
「スルーしたね。ほんと照れ屋さんなんやから」
「いや、あの夜に関して言えば希さんのほうが……」
「あ、そういえば明日朝早いんやった!それじゃあ八幡君、おやすみ~!」
「……スルーしましたね。そっちも照れ屋じゃないですか」
*******
翌日、神社のバイトに行くと、希さんはやや疲れた表情で外のベンチに座っていた。
その憂いを帯びた表情を優しく風が撫でていく姿は、しばらく見ていたくなるが、とりあえず声をかけることにした。
「……またサイン責めにあったんですか?」
「ん?ああ、今度はそれとは別のプレッシャーがね……」
「プレッシャー?」
隣に座り、希さんにMAXコーヒーを手渡すと、彼女はそれを開け、ちびちびと口をつけた。
「実はね、次のライブはいつだって問い合わせが殺到してるらしいんよ」
「……マジですか。すごいですね」
「でもね、μ'sはウチらの卒業と共に終わらせるって、皆で話し合って決めたんよ」
「あ、そうなんですか……え?」
何の前触れもなく淡々と告げられた情報に、俺はただただ驚くしかなかった。
「もしかして最近言いたかったことって……てか、俺が聞いていいやつなんですか?」
「うん。君は口が固いからね。それに、君には聞いて欲しいんよ」
希さんは、こてりと俺の肩に頭を乗せ、体重をかけてきた。
ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐる感触を楽しみながら、俺は彼女の手を握った。
それからバイトが始まるまでの間、彼女の話に耳を傾けた。
*******
その翌日……。
日を跨ぐ頃、少し眠気を覚えたタイミングで携帯が震えた。
「あ、もしもし八幡君」
「……どうかしましたか?」
「あのね、最後のライブやることになったよ。また日にちは決まっとらんけど」
「そうですか。絶対に観に行きますよ。あと、またボランティア必要な時は言ってください」
「うん、ありがとう。今日はそれを言いたかっただけだから。おやすみ~♪」
「……おやすみ」
彼女のテンションにつられ、少し目が覚めてしまった。
間違いなく彼女はいつもより少し幼い無邪気な笑顔になっているだろう。
ただひとつ残念なことは、今楽しそうにしているであろう、彼女の笑顔が直接見られないことだ。
ふと窓の外に目を向けると、星が昨日より綺麗に輝いていた。
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Love can go the distance #7
μ'sのラストライブとなる舞台・秋葉原には、全国からスクールアイドルが集まっていた。
まだライブ当日ではないが、あちこちに出店が出ていて、あの賑やかな司会者がリポートしていた。
「なんかすごい祭りになってますね。てか、わざわざ全国から集めたんですか?」
「穂乃果ちゃんがスクールアイドルのお祭りにしようって言うから、皆であちこち行ってきたよ」
「行動力ぱねぇ……」
「八幡君もやん。まさか本当にボランティアやってくれるとは思ってたけど……」
「思ってたんですか……」
「でも、友達をつれてきてくれたのは予想外やったね」
希さんの視線の先には、出店の売り子をやっている由比ヶ浜や一色。奥でお米スムージーを作っている雪ノ下がいた。
「いや、あれは自己申告と言いますか……」
生徒会メンバーやらその他のメンバーは、前日になっていきなり連絡してきた。今回は学校は何も関係ないので、特に言わなかったのだが……。
ちなみに材木座はあまりの女子の多さに圧倒されたのか、出店の奥でひたすら裏作業に徹していた。まあ、かなり助かっていてありがたいのだが……。
「いい友達ばかりやねえ」
「…………そっすね」
「あら、今日は捻デレ控えめやね」
「そんな塩分みたいな扱いされても……」
「ほらほら、お二人さん?まだ作業は残ってるわよ」
「エ、エリチ……背後からいきなり現れんでよ」
「ずっといたわよ」
「盗み聞きされとったんやね」
「いえ、堂々と聞いていたわ」
「堂々としてれば聞いてていいわけやないよ」
「さあ、それはさておき私達は立ち位置の確認をしておかないと」
強引にスルーしている感じはするが、こういう時の絢瀬さんの表情は頼れる年上の女性で、たまにおかしく見えるのは気のせいなんだと思える。
「じゃあ、俺も作業に戻るんで。二人も頑張ってください」
「が、頑張ってなんて……そんな、いけないわ比企谷君、あなたには希がいるじゃない……」
「…………」
前言撤回。やはりこの人はどこかがおかしい。
「エ・リ・チ♪」
「はい」
「……他のメンバー集まってますよ。行かなくていいんですか?」
「それもそうやね。じゃあ八幡君、また後で」
「比企谷君、今日は来てくれてありがとう」
「ええ」
こちらにひらひらと手を振り、駆け出した二人を見送ると、さっきまで出店の近くにいた戸塚がいないことに気づく。
あれ?さっきまでそこにいた気がするんだが……。
とりあえず俺も戻るか。
そう思い、出店の裏側に行くとそこには……
「あ……」
「……は?」
スクールアイドルの衣装を着た戸塚と、その姿を見て満面の笑みを浮かべる南さんと優木さんがいた。
え、何?どういう状況?
戸塚が可愛いという現状以外、理解できずにいると、戸塚は恥ずかしそうに身をよじった。
「は、八幡……見ないで。あと忘れて」
「…………」
俺はすぐ後ろを向き、脳内のフォルダに永久保存しておいた
後から聞いた話によると、戸塚を見て、どうにも我慢できなくなったらしい。
……ったく、グッジョブ!
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Love can go the distance #8
「私達μ'sは……このライブをもって、活動を終了することにしました」
準備を終え、明日に向けて本日は解散という雰囲気になったところで、高坂さんがその場にいる皆へ告げた言葉。
驚いた表情はすぐに悲しげなものに変わり、高坂さんの言葉に耳を傾けていた。
事前に知っていた俺も、やはり改めて聞くと寂しいものがある。
近くにいた由比ヶ浜は涙を滲ませていた。
周りにいるスクールアイドル達も涙を隠そうともしていない。
夕焼けが、やけにもの悲しくこの場所を照らしていた。
もちろん続けようと思えば続けられるだろうし、それを期待している人達も沢山いる。
しかし、μ'sはスクールアイドルでいることを選んだのだ。
彼女達は限られた時間の中で一生懸命輝き、その瞬間のすべてを楽曲やパフォーマンスに注いだという事実はこれからも残り続ける。
そんなことを考えていたら、少し離れた場所にいた希さんと目が合う。
彼女はいつもの大人びた笑みに、ほんのちょっぴり寂しさを滲ませていた。
そして夕陽に目を向けると、さっきより輪郭が曖昧に見えた。
*******
ライブ当日。
まるでこのイベントのためにと思えるような青空だ。
真っ直ぐに降り注ぐ陽射しは、昨日とは真逆に新しい何かの始まりを暗示しているようにすら思える。
もう既に秋葉原のど真ん中にはスクールアイドルがスタンバイしていて、祭りの雰囲気が通行人の目を惹いていた。
こちらはやることはやったので、後は見守るだけとなり、色んな感情が混じり合っていた。
だが、決して嫌な感じはなく、むしろ清々しいくらいだった。
「八幡君」
「はい?」
背後から呼ばれ、振り返ると、そこには今日のための衣装に着替えた希さんがいた。
うっかり見とれてしまったこちらの視線に気づいたのか、希さんは得意気な顔をした。
「ふふん、どう?」
「……あー、まあ、その、あれです。今までで一番綺麗だと思います」
「ん、ありがと。じゃあ、しっかり見ててね」
「ええ、もちろん」
どちらからともなく、こつんと拳を突き合わせると、何だか言葉にしがたい感情が沸き上がってきた。
「お二人さん、そろそろいいかしら」
「ていうか、いくら建物の陰とはいえ、少しは自重しなさいよ!」
「あはは、ごめんね。エネルギー補充しとった。ね?」
「……まあ、そういうことで。じゃあ楽しんできてください」
三人は駆け出すと、すぐに他のメンバーと合流し、自分の配置につく。
数秒の静寂から穏やかなイントロが始まり、そこから一気に加速していく。
そこからは華やかな祭りの始まりだった。
街のあちこちに散らばったスクールアイドルが、皆で踊り、歌を紡ぐ。
青空の下、素敵なメロディーが響き渡り、祭りは盛り上がりを見せた。
どの瞬間も俺はすべて焼き付けようと、しっかり見つめた。
*******
熱狂のうちにライブは終わり、夕焼けが照らす街は、未だに余韻に包まれていた。
隣にいる戸塚や材木座も感無量といった表情をしていた。
「楽しかったねえ」
「うむ。いい日だ」
「……そうだな」
そんなやりとりをしながら、ふわふわした気分でいると、突然高坂さんが「皆さん、ついてきてくださーい!」と誘導を始めた。
μ'sのメンバー以外、皆がきょとんとしていると、俺は希さんから肩を叩かれた。
「さ、八幡君も行こっ」
「え?ど、どこに……?」
「東京ドーム」
「マジですか」
「マジやね。お楽しみはまだまだこれから!」
「……まあ最後まで付き合いますよ」
彼女と共に歩き始めると、やわらかな風がそっと頬を撫で、どこかへ行った。
それはいつか二人でいる時に吹いた風の感触と似ていた。
次回、最終回です!
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パレード
「ふぅ、さすがに今日は疲れたなぁ……」
「まあ、ひたすらライブしてましたからね」
東京ドームのライブを終え、俺は希さんの家に帰った。
そして、風呂で汗を流して寝間着になり、ようやく気持ちが切り替わったのか、希さんはぐてーっとベッドに寝転がった。
そんな姿を見ていると、何だか労いたくなってきたので、優しく頭を撫でた。
「……お疲れ様です」
「ありがと。君もお疲れ様。本当に助かったよ。ていうか、君も疲れたんやないの?」
「ライブで色々吹っ飛びましたよ」
「まあ、ウチの風呂上がりも見れたしねえ。八幡君なら一発で回復やろ」
「……なんか話変わってますよー」
「あはは、それじゃあ今から大事な話をせんといかんね」
「大事な話?」
「そ。春休みの九州旅行」
「……え?」
「実はお母さんから二人分の飛行機のチケットが送られてきたんよ。ウチに確認もなしに」
「マジですか」
何となくだが、あの人ならやりそうだという気分になった。希さんは「いきなりごめんね~」と言いながら、俺の腕を引っ張った。
俺はそれを合図にベッドに寝転がり、彼女と向かい合った。
「ふふっ、こんな態勢になったら色々と我慢できなくなるやん?」
「ま、またそういうことを……」
「ウチは眠気のことをいったんやけど?君は何だと思ったのかな?」
「…………」
言い返せなかったので、とりあえず抱きしめてみた。
すると彼女も仕返しと言わんばかりに抱きしめ返してきた。
「大好き♪」
「……どうも」
「ん~?聞こえないなぁ」
「……俺も好きですよ」
そのまま唇を重ねると、彼女の目がとろんとしていた。
だがこれはこの前のようなのではなく、おそらくただ眠いだけだろう。
眠りにつく前に、今日という日を刻みつけるように口づける。
「ん…………」
「…………」
極上の甘い時間に浸かっていると、まるで世界で二人きりになったかのような感覚になる。
そんな中、快楽に後押しされ、互いに舌を絡み合う。
ざらついた感触が楽しくなってきたが、さすがにこのまま続けるわけにはいかないので、そっと唇を離すと、つうっと糸を引いた。
彼女はぺろりと唇を舐め、小さく口を開いた。
「おやすみ、また明日」
「ええ、おやすみ」
すぐに彼女が眠りについたのがわかり、俺はその頬に手を添え、やわらかな温もりを感じる。
今、確かなことは、この人とずっと一緒にいたい。
何なら夢の中でも会いたい。
朝一番に笑顔を見たい。
そんな時間を重ねていきたい。
そんな事を願いながら、俺もゆっくりと夢の世界に身を委ねた。
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