それは彼女のジャスティス (炉心)
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(前編)
長くなったので、分割します。
前編となります。
生徒会長は忙しい。
光陰矢の如し。金烏玉兎。Time flies―――
高等部で過ごす最後の年、前年度から2期に渡って務めた生徒会会長としての任期も終盤に差し掛かっている。今日一日が終われば、残す大きな仕事は来月に控えている次期生徒会長選挙後の引き継ぎ業務のみ。そして、職務の引き継ぎが終了次第、私は2年間の思い出と愛着と責任が染み付いたこの任から解かれることになる。
だが、油断は禁物だ。感慨に耽るにはまだ早い。まだ、今日と言う日が終わったわけではないのだから。
それは即ち、学園生活に於ける学生にとっての最大且つ一大イベント―――学園祭が。
既に日が傾きかけ、茜色に染まり始めた世界の中で、学園祭のメインとなる本祭自体はほぼ終了に向かっている。しかし、これから先は後夜祭という名のもうひとつのイベントが待ち受けているのだ。
私が通うこの学園自体は女子校の為、男女共学の学校に比べればハメを外す生徒の割合は比較的少ないだろうが、それでも例年注意を怠るような真似はできない。何せ、何故か我が学び舎たる学園は、男子禁制を謳い文句にする女子校であるはずのくせに、学園祭の準備やイベント運営に学園創設期から付き合いのある近隣男子校から応援と協力を頼むという理解不可能な慣例が存在するのだ。
正直なところ、思春期真っ盛りの男子達を不可侵領域たる乙女の園に一時的とはいえ招き入れるのはどうかと思う。ただ、昔から脈々と続く伝統に加え、近年では学校間交流とか社会勉強の一環の為とかと尤もらしい口上を並び立てられれば、私一人が反対したところで現状を覆すのは不可能に近いだろう。
この機会を楽しみにしている生徒達が多いのも事実なのだし。
「取り敢えず、先生方に経過報告。それから……執行部と後夜祭の運営委員会の方にも予定の最終確認に行かねばなりませんね」
「―――さん」
私は忙しない状況の中でこれからの予定を頭の中で組み立て、スケジュール確認するように呟きながら喧騒に満ちた校内を早足で歩く。
時折、立ち止まって見知った来賓の方に会釈するのも忘れない。生徒会長には外面の良さと社交性も必要なのだ。
正直忙しいのだから、内心では走りたいとも思っているが、走ってはいけない。廊下を走るのは校則違反だ。他生徒の見本となるのは大変だと痛感する瞬間でもある。
「―――さんっ」
直感と言う程大層なものではないが、後方から名前を呼び掛けられた気がして立ち止まり、一拍置いて振り返る。
「はい、何か御用ですか?」
振り向いた先には誰もいなかった。傍から見たら滑稽な行為に、羞恥で顔に熱が集まる。
勘違いか? と思いながらも、少し先を見通せば、数メートル先から今年の学校間交流の関係で学園祭運営に協力してくれていた男子校の生徒会の人が向かってくるのが見えた。
名前は……ウィラー・サヴラウさん。私とは同学年で、計らずも同じ生徒会長の職に就いている。
ある意味で目立つ他校の制服姿のサヴラウさんは、模擬店舗やステージ等が設営された校庭に面した中央校舎の廊下を早足で通り抜け、丁度玄関ホール付近で停止していた私の元へとやって来る。
同年代の男の人としては平均的な身長だろうが、相対する私が少々小柄な体格の為、近づかれると必然的に見上げる形になってしまう。
サヴラウさんは少しだけ乱れていた息を整え、少し間を置いてから私の顔色を窺うようにして言葉を発する。
「すみません。宜しければこの後、少し時間をいただけませんか? 出来れば場所を変えた上で話したいことがあるのですが……」
何だろうか?
既に学園祭行事ほぼ終了し、特に伝達事項等も無かったはずだが。
「あ、学園祭関連の話ではないんですけど……駄目ですか? それとも、もう他に用があったりして……無理でしょうか? 先約が入ってたりしますか?」
サヴラウさんの不自然な様子に頭を撚りたくなる。
今日まで学園祭の準備での様子を見ていた感じでは、話し方は丁寧で敬語調だが常にハッキリと意見や提案を口にし、言動にメリハリのあるタイプの人だと思っていたのに、今受ける感じはその印象と違って随分と歯切れが悪い。どこか私の出方を探っているような気がする。
それにしても、学園祭に関する事柄でないのならば、この忙しい時間帯に一体何を私と話すというのか?
「申し訳ないのですけれど、これから先生方への報告と後夜祭の準備が有りますので……。それに、本校の生徒以外はそろそろ校内から退出して頂く時間なのですが?」
少々キツイ言い方になっているのは自覚しているが、勘弁して欲しい。連日の準備に加えて日中の多忙具合が重なり、微妙に気分がささくれ立っている時間帯だったのだ。
「少しでいいんです。あまり時間は取らせません。……ごく、個人的な用件なので」
個人的な用?
ならばわざわざ場所を変えずとも、今此処で用件を話してくれればいい。あまり時間的な余裕もないのだから。
「ご用ならば此処で伺います。どうぞ、仰ってください」
「いえ、本当に場所を……この場所は人も多く通ってますし―――」
〈〈ご来園の皆様方にお伝え致します。間もなく本日の学園祭は終了の時刻となっております。本校の生徒以外の皆様方は、お出口の方へと移動をお願い致します〉〉
少し顔を歪ませ、気まずそうな表情で私を説得しようとするサヴラウさんの声と校内の喧騒の全てを打ち消すかのようなアナウンスが流れる。腕時計で時間を確認すれば、いつの間にかもう15分程で本祭は終了の時刻だ。
「放送をお聞きしましたか? 申し訳ないですが、時間なのですが……」
「……わかりました。仕方ないですね。では、此処で言わせてもらいます」
本当に何があったのだろうか?
何故この人は急にこんなにも思い詰めた顔をしているんだろう?
……もしや、私の知らないところで何かしらのトラブルでも発生していたのか?
その被害なり影響なりを被っていた彼は、今日の学園祭が終わる前に立場上一番責任のある生徒会長である私に苦情を言っておくつもりだとか?
まさかだとは思うし、そんなことはないと思いたいが。
「……タスミンさん」
「はい」
サヴラウさんが発した真剣な声に、知らず知らずの内に身体が固くなる。話を聞くといった以上、どんな内容でも甘んじて聞き届けなければならない。
しかし、男の人の真剣な声というのは、何故こんなにも不思議で圧倒的な力を感じるのだろう?
身近な異性のサンプルが年長の親類縁者くらいしかない為、男性に関しては未知なる部分が多すぎる。
少し通路の脇に移動した私達の横を、出口に向かう来賓の方や移動する生徒達が通り過ぎてゆく。
すれ違う何人かの生徒が見詰め合っている私達を見て、何事かを囁き合っている。何か彼女達の琴線に触れることでもしただろうか?
ふと、逸れた視線がサヴラウさんの後方を捉え、生徒会の後輩の子達がこちらに向かってくるのが見えた。
「「あ、センパーイっ!! この後のことなんですけど~」」
「好きです。僕と―――付き合ってくださいっ!!」
…………一瞬で思考のブレーカーが落ちた。
* * *
「……頭が痛い」
朝の目覚めは最悪だった。
朝食を取っている今も気分はあまり良くない。
原因自体は解っている。睡眠不足、その一言に尽きる。お陰で日課となっている早朝ランニングと魔法トレーニングは中止してしまったほどだ。
ボンヤリとした思考のまま、こんがり焼けたトーストに無塩バターとたっぷりのマーマレードを塗り、ノロノロと口へと運ぶ。サックリしっとり甘くて苦い。個人的にはベストチョイスと呼べる部類に入る一品だが、残念ながら現在の食欲増進までには至らない。
二口程進んだところでトーストをお皿に戻す。作って貰った食事を残すのは心苦しいし勿体無いが、無理矢理口に詰め込む気は起きなかった。
「エルス、あなた大丈夫? 顔色が悪いわよ?」
洗い物の音が止み、キッチンから母の気遣いの言葉が聞こえる。
「大丈夫。昨日は学園祭だったから色々忙しくて、少し疲れが残ってるだけ」
「そう、ならいいけど。……母さん、もう仕事に行くけど、病院とかに付き添わなくても大丈夫かしら?」
「そんなに酷くないから。午前中ゆっくりしてれば治ると思う。午後から学園祭の後片付けにも行かないといけないし」
「……わかったわ。じゃあもう行くけど、無理はしないでね。本当に調子が悪いようだったら連絡を頂戴ね」
キッチンから出るとダイニングルームに用意していたビジネススーツを手早く着込み、忙しなく出勤の準備を整えながらも、私の様子を心配する母。
元々過保護ではないが心配性気味の母だったが、5年前に一人娘の私が魔法戦技を始めてからというもの、心配性な性格が少々加速していた。もっとも、その以上に私に対する信頼度が増したことは誇るべき事実だったが。
娘である私の言葉を信用し、最後にもう一言だけ私に念押しして、母は足早に玄関を出て行った。
玄関まで見送った私だが、出勤前から心配を掛けさせたことを少し申し訳なく思う。
「……さて、どうしましょう」
ダイニングルームへと戻り、完全に食べる気が失せた朝食をテーブルから片付け、シンクで食器を軽く洗いつつ呟く。
視線は手元に向かうが、実際には何かを見ている訳ではない。思考は回り始めたが、普段の状態と比べればまだまだ鈍い状態と言える。
鈍く働く要因たる寝不足なのは充分理解している。けど、今からベッドに戻って二度寝する気にもならない。午後からは学校に行かねばならないし、それまでどこかに出かけていようか? それとも朝食前に出来なかった分の魔法のトレーニングでもするか? もしくは……
「はぁ」
ダメだ、全然ダメだ。昨日のことがまったくもって思考の隅から離れない。
瞼を降ろして視界を漆黒に染め上げれば、何故か見えないはずの光景が鮮明に浮かび上がる。私の脳の映像記憶能力はこんなにも優秀だっただろうか? などと疑問が過ぎる程の高画質・高解像度だったりする。
「週明けには何かしらの返答はしないとダメ……ですよね」
今年の学園祭の日程都合上、今日を入れて週末と来週初めの三日間は学校が振り返り休日扱いとなる。だが、週が明けの登校日には否応無くもう一度会うことになる。通例として、学園祭協力の最終報告と挨拶をする為にサヴラウさん達がやって来るのだ。そして、通常であれば学校間での交流はそこまでとなる。基本的にそれ以降は何かしらの個人的な関係を結ばない限り会う機会はなくなる。
少なくとも、私自身は今年までそのパターンを繰り返していた。
「いっそ何もせずに有耶無耶に……」
魅惑的な解決法。我ながら情けないが、逃げの思考が頭の中を支配する。
「ダメ。それはダメ」
直様否定。いくらなんでもそれはない。それはしてはいけない。卑怯すぎる。失礼すぎる。
「……考えていても埒があかないし、取り敢えず学校に行きましょう」
視界を取り戻し、ウダウダで非生産的な思索を切り上げることにする。
「うっ……」
自室に戻り、寝巻きから制服に着替えようとしたところで、不意に『学校』の単語が思考内でピックアップされ、先程は無意識に目を逸らしていた昨日の状況が芋づる式に脳内に再生される。
―――悪夢だった。
少なくとも、私にとっては悪夢と呼ぶ以外の何物でもなかった。
多数の来賓者やそれ以上の生徒が行き交う廊下でのサヴラウさんの告白は、一瞬にして周囲の人達の注目を集め、次の瞬間には甲高い叫び声と多くの囁きが水面に投げ込んだ石礫の起こす波紋のように辺りに拡がった。
告白で茫然自失としていた私が意識を取り戻した時には既に時遅しだった。
結局、後夜祭の終了迄にはほぼ全校生徒に噂が広まっていたのではないか? そう思えるほどの伝播速度だったのだから、女子高生の連絡網の広さと色恋話に関する情報の伝播速度を侮ってはいけなかった。
色々と忙しかったことも理由や言い訳にして、昨日は追求の手を躱し続けて乗り切ったが、今日学校に行けばもはや逃れることは出来ないだろう。
人生最大の危機―――が、確実に待ち受けている可能性大だ。
「いっそ、今からでも仮病を―――」
ピリリリリッ!!
《―――You’ve Got Mail》
回避策を検討しようした矢先に、私のデバイスである『パニッシャー』がメールの着信を告げる。
「誰で……―――ッ!!」
発信者を確認し、全身が硬直する。
バインド系魔法が得意な私のお株を奪うほどの拘束力。それほどの威力を持つ人物からのメールだった。ある意味、考えないようにしていた現実でもあった。
「……見なかったことに」
現実逃避を選択して、メール着信画面を消そうとしたが、
ピリリリリッ!!
《―――You’ve Got Mail》
再度の着信。発信者は言わずもがな。
「…………」
見えざる強制力に抗うことは叶わず、無言で空間ディスプレイを展開して着信メールを開き、一件目と二件目の内容を確認する。
その内容だが……ハッキリと言おう。
『脅し』であると。
「フッ」
俯いたまま、何故かハードボイルド調な嘆息が口から発せられ、悟りを開き無我の境地に至った者のみが持つ表情を浮かべる。
定まらない視線を私はゆっくりと我が家の天井へと向けて、見えるはずのない天壌の遥か彼方、次元の深淵の先に在ると言われるアルハザードの幻想郷を我が瞳に幻視しながら、静かに噛み締る。
「腹を括りましょう」
そして、この後確実に我が身に訪れるであろう、友人からの『オ(・)ハ(・)ナ(・)シ』と謂う名の公開尋問の運命を諦観の思いで受け入れた。
* * *
―――あぁ、やっぱり逃げよう。
学校の校門が見えてきたところでそう判断を下し、その場で身体を反転。今歩いて来た道を戻ることにする。
ドタキャンに加えて登校拒否なんて生徒会長としてあるまじき行為だが、この際形振り構っていられない。たとえこれまで築いてきた生徒会長としての私の評価とイメージが全て崩れ去ることになろうとも、私が来ることを舌舐めずりして待ち構えている悪魔のいる伏魔殿にわざわざ乗り込むほどの勇敢さと愚かさを持ち合わせてはいないのだから。
さあ、自由なる未来へと逃避行だ。視界の先には遮るものなど何も存在しない。
「エ~ルス、何処に行くのかしら? 学校はこっちよ?」
……私の聴覚器官は壊れてしまったらしい。もしくは、溜まっていた疲れが原因で幻聴が聞こえるようになったのか?
きっとそうに違いない。それならば、この右肩に手が置かれているような違和感の正体も幻覚の類ということで納得が出来る。
「わたし、待ちくたびれちゃった。エルスったら全然来ないんだから」
おかしい。やはり知った人の声が聞こえる。どういうことだろう?
「ほら、人が声を掛けてるのに、生徒会長様ともあろう子が無反応じゃ駄目よ。こっち向いて? 『おはようございます』わ?」
やんわりとした言葉で促されつつ、私の身体はクルリと回転させられる。
正面に向き直ったところで改めて見れば、当然ながらそこには長年の友人の姿。まごうことなき存在の確認。
だが、見知った友人の顔を見て益々混乱が深まる。何故彼女がこの場所にいる?
先程、私が身体を翻す前に視認した時、確かに彼女は校門のところにいた。開かれた校門の門柱と門柱の間、丁度ど真ん中の場所に立ち塞がる番人が如く威風堂々たる姿で屹立していた。
時折吹く風に編み込んだ長い銀髪を棚引かせ、両手を腰に当ててスタイルの良い身体を少し反らし気味にして立っている様は何故だか無意味に格好良かった。
眉目秀麗なその顔に獲物を待ち構える肉食獣の面影を見て取って、私は直様踵を返すことにしたのだが……どういう手段を使ったのか次の瞬間には私の背後にいた。
おおよそ30メートル位の距離はあったはずだ。にも関わらず、彼女は一瞬にして私の傍まで移動したのだ。
絶対におかしい。有り得ない。彼女は転移魔法も身体強化魔法も使えないはずだ。何かのトリックか? 未知なる古代の希少魔法か何かか?
「どうしたの、変な顔して?」
不可能を可能にした友人は、なんの衒いもない表情を浮かべている。
「……おはようございます」
「ええ、おはよう。今日初めての会話ね」
薄く目を細めての微笑。そして返答。同い年なのに大人びた雰囲気が些さか羨ましい。
「今日は予定があって学校に来ないはずじゃ……」
「予定ならキャンセルしたわ。朝送ったメール見てない?」
「見ました」
だから仮病を使いたいのも我慢して学校に来ている。
「なら知ってるでしょう。てっきり学校で落ち合いたいって『お願い』も知らないのかと思ったじゃない」
『お願い』? あのメール内容が『お願い』? 新手の冗談だろうか?
「昨日は失敗したわ。予定があったとはいえ、早目に帰ったせいでこんな面白い―――もとい、エルスの一大事に親友として立ち会えなかったなんて」
「……今、「面白い」って言いました?」
「本当に悔しい。今日の朝に連絡網が廻って来て、知ってすぐに今日の予定をキャンセルしたんだから」
サラッと無視しましたね。あと、朝知ってすぐに前々からの予定をキャンセルって、その無駄な行動力の原動力は一体何なんですか?
「ま、その話は後で。取り敢えず学校に行きましょうか」
私の左側面に廻り込み、スルリと私の左腕を取ると、その儘がっちりホールドして笑顔で歩き出す。なんだか友人と連れ立って歩くというよりは、強制連行されている気分だ。
周囲を行き交う人達は特に気にした風もないから、傍目には仲の良い女子高生同士のスキンシップにしか見えないんだろうけど。
「そうですね」
もはや反論する気にもならない。私は張りのない声で答えて、促されるまま学校に足を向ける。自分で見ることは出来ないが、きっと今の私の顔には苦悩と諦念の二文字が現れていることだろう。瞳に映る世界の全てが悪意を持っているように見えるのは、私の心が些少なせいだとは思いたくない。
「あぁ、楽しいわ。学祭の片付けなんて面倒以外の何物でもないけど、今日に至っては笑顔で協力する気になるわね」
足取りも軽い友人の口から溢れる言葉尻をとらえるに、どうやら学園祭の後片付けも手伝う心積もりらしい。特に部活動やサークルに所属もしておらず、生徒会等の各種委員会にも関わりのない彼女が自ら進んで面倒事を引き受けようとするのは大変珍しい。明日の天気は槍が降るかもしれない。
「やっぱり、報酬が有るとヤル気が違うわよね」
「報酬なんて出せないけど……」
報酬など用意してない。精々、生徒会や関係する委員会の生徒達で持ち寄ったジュースとお菓子くらいのものだ。時期的に、先生方や協賛していただいた地元企業からの差し入れ品も有るが。
「わかってるくせに~」
……小悪魔の様なそのイヤラシイ顔はやめて欲しい。ついでに拘束を解いた右腕を私の右肩に回し、頬が引っ付くくらい近くに引き寄せるのも勘弁願いたい。色々と鬱陶しくてかなわない。……別に、否が応でも私の腕に当たる柔らかで平均以上を誇る身体の一部分の感触に腹を立っているわけではない。羨ましいと思ったりもしない。本当だ。
「近いですよ。あと、歩きづらいです」
「冷たいな~。ツンデレなんてもう時代遅れよ? あ、エルスは学校ではクーデレ型か?」
「なんですか、それ?」
『ツンデレ』? 『クーデレ』? 何かの表現の呼称だろうか? どこかで聞いた覚えもあるが、正直よく分からない。テレビか何かで言っていたのだっただろうか?
どうも私の知識は魔法関連の特定分野に偏重しているようだ。もう少し視野を広げていこうとも思うが、興味のないことに興味を持つのは難しい。
「気にしなくていいわ。知らないのならね……その方がエルスらしいし」
疑問を笑顔で躱された。この手の遣り取りは彼女の方が一枚上手だ、ここでこれ以上追求しても色良い答えは望めないだろう。……あとで調べておこう。
「そうそう、一応生徒会の子とかにはわたしから釘を刺しておいたから、エルスが懸念しているような質問攻めに遭うことはないと思うけど……まあ、多少の質問くらいは我慢ってとこだけど」
なんと、私の為にそんな根回しをしてくれていたのか。
正直に言って嬉しい。これは、彼女に対する友人としての評価を改めなければならないかもしれない。
「ルコ……あ、ありがとう」
「いいってことよ」
私の素直な感謝の言葉に、なかなか男気溢れる笑顔と台詞が返ってくる。彼女にこんなにも信頼と友愛の思いを抱けるなんて、今までの私は随分と友人を見る目がなかったのだろう。
「―――わたしの楽しみを取られたくないしね」
前言撤回。
やっぱり我が友人たるルコ・ノイエは信用できません。ええ、断じて無理です。
* * *
「つ、疲れました」
長い半日だった。
私のこれまでの人生の中で、こんなにも長いと思える時間を過ごしたのは初めてだ。時間の流れる速度はいかなる場合も一定で、体感として感じる時間はその人の経験や過ごしている環境、精神状態に大きく左右されると聞いたことがある。
初めて経験することや道に迷ったり未知なる状況に遭遇したりした時、急いでいる時の待ち時間が長く感じるのもその顕著な例であろう。因みに、子供の頃より経験豊な大人になった時に時間が短く感じるのは、逆の事例が働いていることの典型らしい。
「もう、今すぐ帰ってベッドに飛び込みたいです」
昼から今現在の夕方に差し掛かるまでの数時間。その間に削られ続けた体力と気力は、インターミドルの大会直前の一日中トレーニングしていた時よりも下手すれば激しいものであったように思える。
私は知った。
飽くなき好奇心と言葉による追求、それだけで人間はここまで疲労させられるものだということを。
私は知った。
友人は選ぼう。でないと、後悔は後からしてももう遅いということを。
私は知った。
本当に女子高生というのは、自分でも他人でも恋愛事に関しての興味が尽きることがない人種であると。
「学校に戻るのが……もの凄く億劫です」
片手に持ったお菓子やジュースの入った袋を見ながら心底思う。
今日片付けをしている生徒会の子達や協力してくれている委員会の子達に対する、生徒会長からの慰労を込めての差し入れの買い出しに出ていたのだが……本音はあの場から少しの間でも脱出したかった。何せ、顔を合わす子顔を合わす子全員が昨日のことを聞きたがっているようなのだ。それを躱して生徒会室に逃げ込んでも、そこに待っているのは更に厄介な友人からの逃れざる追求の手。「親友のわたしにも何も教えてくれないの?」と言っている言葉は心配しているようなニュアンスだが、ルコ―――彼女の場合は友情を平気で自身の享楽の為に犠牲に出来る節がある。下手な対応は本当に今後の私の人生に影響が出そうだ。
……第一、皆色々と聞いてくるが、私自身が未だに昨日の告白に対してどう反応したらいいのか分からないというのに。
嬉しくないわけではないのだが……。
そんな風に考え事をしながら歩いていたからだろう。周囲への注意を怠っていた私は、気付くタイミングが完全に遅れた。
「タスミンさん?」
「あっ……」
不覚だ。顔が判別出来る距離に近付くまで気付かなかった。
おかげで逃げることも隠れることも心の準備をすることも出来なかった。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
いや、それよりも、何故サヴラウさんが今こんな所にいるのだろうか? 制服姿なのも疑問だ。今日は世間一般では週末で、学校はお休みの筈だが。
―――って、違う!! そんなことはどうでもいい。重要なのは今このタイミングで顔を合わせてしまったことだ。昨日の今日で、しかも何一つ答えも対策も用意していない状況でなんて、いくらなんでも気まずすぎる。どんな対応を取ればいいのか!?
「奇遇ですね。買い出しですか? 確か今日は学園祭の後片付けの予定でしたよね?」
「ふぇ?」
あぁ、違う!! 落ち着け、私!! 「ふえ?」って何だ!? 「ふぇ?」って!!
深呼吸! 冷静に成れ!! 普段通りに!
「ええ、そうです。そちらも制服を着ていますし、学校の方に何か用事でも?」
よし! OK!! 取り繕った! さっきの「ふぇ?」は無かったことにしていい!
「臨時補講がありまして。最近忙しかったので、その分の埋め合わせです」
「そうですか」
……あれ? 何だろう? 反応が予想外に淡白だ。
昨日のこともあるから、会えば何かしらのリアクションがあると思っていたのに、至って平静な対応で拍子抜けしてしまう。
「……今日は申し訳ございません。本来なら後片付けも手伝うべきなのに、お任せしてしまって」
「いいえ、準備のお手伝いをしてもらって、その上後片付けまでご協力していただくわけにはいきません」
若干の間が在ったが、どうかしたのだろうか?
昨日の今日なら当然かもしれないが、今迄学園祭の準備等で接してきた時と違い、今日は表情の変化があまり見られないから、サヴラウさんの考えていることの予想も推測も出来ない。私の顔を見詰めていたような気がしたのは……やはり自意識過剰なのだろうか?
「もう夕方ですけど、今日は何時まで片付けを?」
射し込む緋色の西日へと目を細めながら顔を向けるサヴラウさん。
彼の鳶色髪が夕日に反射して赤く輝く。線の細めの顔立ちが、横を向いたことで少し精悍な雰囲気を湛えて見えて、一瞬ドキッと心臓が跳ねる。
昨日もそうだったが、男の人の表情は時々忽然と予想出来ないものへと変わる。
どう言っていいのか分からないし、本当にそうなのかも分からないが、少しだけ恐怖にも似た感情を感じる。
「今日はもう終わりです。学校に戻って、差し入れを渡したら片付けて帰ります」
少し俯いた状態で私は言葉を発する。何故かサヴラウさんを正視することが出来ない。
「そうですか……」
視線を下げているので確証はないが、サヴラウさんが何か思案しているのは声のニュアンスから想像がついた。
そして、次に何を言おうとしているのかも。
「タスミンさん、よかったらこの後―――」
「わたしの友達に何か用?」
予想通りの未来へと至る言葉を遮ったのは前方からの友人の声。
顔を上げてみれば、サヴラウさんの後方から夕日色に煌く銀髪を翻してルコが歩いてくる。その表情は厳しくて鋭い。美人はどんな表情をしていても強い印象を与えると、そんなどうでもよい感想がボンヤリと頭に浮かんだ。
「ルコ……」
私が友人の名を呟くのと同時に後ろを振り返るサヴラウさん。
そんなサヴラウさんの傍まで寄り、軽く一瞥してからそのまま通り過ぎて私の傍で立ち止まるルコ。
「大丈夫?」
「え? あ、何がですか? 私、何か変ですか?」
私の右腕に手を当て、珍しく心配気な表情の友人に私の方が戸惑う。私自身に自覚はないが、そんなに不安に思うような表情を私はしていたのだろうか?
友人の手が何かを宥めるように、落ち着かせるようにゆっくりと私の腕を擦る。
「あなた……サヴラウさん?」
「はい、そうですけど」
私の様子を確認した後、ルコはサヴラウさんに向き直り、改めて問い掛ける。その声の温度は普段の数倍低い。こんなに冷たい声を聞いたのは、友人関係を結んでから初めてのような気がする。
対して、答えるサヴラウさんの声も若干硬い気がする。
そう言えば、この2人は殆ど面識がなく、初対面に近かった筈だ。少なくとも、サヴラウさんの方は生徒会関係者でもない一般生徒のルコの顔はほぼ知らないだろう。
……いや、ルコは美人だし、性格的にも目立つ存在だから、もしかしたらサヴラウさんも知っていたかもしれない。そうだとしたら……嫌だな、何だか凄く不快な感情が湧き上がってくる。
「聞いてた話と随分違う気がするけど……まあ、いいわ。悪いけど、今日のところは帰ってもらっていい? 突発的過ぎて、お互いに色々と心の準備も出来てなかったでしょう?」
胸の奥に絡みつくモヤモヤとした正体不明の悪感情にどう対処すべきかを私が考えている内に、ルコがことを進める提案をサヴラウさんに出していた。
私にとっては正直言って渡りに船な内容である。
今の状態はお世辞にも良いとは言えない。突然の事態に感情の乱れも相まって、自分自身では打開策が見付からない状況だ。
情けない話だが、この場から逃げ出したいとも思ったのだ。
「……わかりました」
サヴラウさんの返答。静かに響いた声に少しだけ寂しくなった。
……どうしてそう感じたのか?
「タスミンさん」
「あ、は、はいっ」
名前を呼ばれて、思考の海に浸かっていた私の意識が現実に引き戻される。
「今日はすみませんでした。思いがけず出会えたのが嬉しくて、ちょっと自制が効かなくて……今日会ったことは出来れば無かったことにしてください」
何故サヴラウさんが謝るのだろうか?
彼は何も悪いことはしていないはずだ。それに、今日会った事実を無かったことにする理由もわからない。
「じゃあ、今日はもう失礼します。……また改めて週明けに。さようなら」
手早く会話を纏め、別れの挨拶をしたサヴラウさんは、私の傍らにいたルコにも軽く頭を下げると、素早く踵を返して足早に立ち去った。
夕刻の人混みの中にその背が隠れるまで見ていたが、結局サヴラウさんが私の方を再び振り返ることはなかった。
「エルス、わたし達も学校に戻りましょう」
感情の読めない表情でサヴラウさんが去っていった方向を見詰めていたルコが、急に優しい笑顔になって私の右手を引く。
「ええ、そうですね」
意志も感情も篭ってない口先だけ私の返答だが、それを気にした様子もなくルコは私の右手を掴んだまま歩き出す。
彼女に引かれ、私も足を動かし始めて――――漸く気付いた、自分の状態に。
何故気付かなかったのだろう?
ルコは気付いていたのか?
いいや。それよりもむしろ気になるのは、サヴラウさんも気付いていたのだろうかということだ。
私自身には自覚がなかった。そうなっている理由も思いつかなかった。だが、紛れもない事実として今は認識できる。
どうしてだろう……私の身体は小刻みに震えていたのだ。
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