High School (IF)leet. (神田猫)
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入学式〜出航

 坂本龍馬は暗殺を逃れ、ライト兄弟は飛行機の開発に失敗し挫折した。

 坂本龍馬は世界を相手にする貿易企業を起こし、姉の乙女や志士たちの妻女を連れ世界を見聞した。その時、後のブルーマーメイドの前身にあたる女子海援隊が発足する。

 三百年以上栄えた江戸幕府は終わりを迎え、日本は近代国家への道を歩み始める。明治政府から下野した西郷隆盛や明治維新に貢献した五代才助らは、坂本龍馬とともに日本の海運会社『坂本商会』を設立し、海運業を中心とした世界各国との貿易で日本最大の貿易会社へと成長させた。

 明治政府は日露戦争による講和条約の影響で大陸侵略への足がかりを失い、追い討ちをかけるように地下資源の採掘の余波を受け、平野部の多くは海の底へと姿を消した。

 かつての移住地を失った人々は海の上に巨大フロート艦を建造。日本人の生活の場は陸地から海の上へと移り変わった。

 日本は陸軍の増強を図っていたが、地盤沈下による生活の変化に対応するため政策を転換。海軍の増強を図り、坂本商会や各国同盟を重視した政策も功を奏し海洋国家として強い優位性を生み出した。

 第一次世界大戦を機に世界情勢は著しい変化を遂げ、疲弊した欧米諸国に変わり日本・アメリカ・イギリスを中心とした海洋国家の協力体制が力を確立。シーレーン、つまり輸送路などを守るため国際機関を設立し、それ以来、世界を巻き込む大きな大戦は起こっていない。

 日本は世界戦争を起こさないため、軍を解体し軍艦を民間に転用。その過程で、男性ではなく女性が艦長を務めるようになった。これがブルーマーメイドである。

 なお、艦艇の技術が著しく発展を遂げた今日でも、レオナルドダヴィンチが考案したヘリの理論は完成されておらず飛行船のみが空路で利用されている。

 

 『ブルーマーメイドの歴史』と書かれた本とコラムの『空路の歴史』を読み終え、ホッと一息つく一人の男性。

 男性と言ってもまだ非常に若く、外見年齢は大学生や大学院生に見える。だが、海上安全整備局で使われる制服を着ており階級を表す肩章は現場の最高位に当たる一等保安監察官のものだ。

 

「教官職の大変さが分かったかしら? 柊教官」

 

 ホッとした男に一人の女性が声をかける。柊と呼ばれた男に驚いた様子はない。

 

「古庄教官、お疲れ様です」

「お疲れ様。明日からの実習、気が重いわ」

 

 古庄教官は横須賀女子海洋学校の教職員を束ねる存在で、教職上では男の上司にあたる。

 

「古庄教官が弱音を吐くなんて珍しいですね。お疲れの様子ですし」

「ええ、今年から教務主任になったのだけど仕事の量が破格に増えたわ。生徒の船には乗船しないけど、第一集合地点の西之島新島まで文科省や海上安全整備局の研究員を連れて行くことになって気が重いのよ」

「官僚やそれに近い人たちですから事実上上司みたいなものですしね」

 

 古庄は顔に手を当て深いため息をつく。それを見た柊は給湯室でお湯を沸かしお茶を入れる。カップに注がれたお茶からは華やかな花の香りが漂ってくる。

 

「これは……ラベンダー?」

「はい。精神的に疲れた時に飲むと落ち着きますよ」

「ありがとう」

 

 ハーブティーは嗅覚から不安を抑えたり気持ちを落ち着かせることができる。

 ハーブの中では有名なラベンダー、カモミールなどは不安に効果があり、どちらもほのかに甘く飲みやすい。

 

「意外と甘いのね」

「かすかに甘い、という程度ですが飲みやすいですよね」

「このところ、コーヒーや紅茶ばかり飲んでいたからこういう優しい味も新鮮でいいわ」

「そう言ってもらえるとありがたいです」

 

 笑顔で返す柊。彼は飛び級で大学、しかも海洋医大を卒業した経歴を持ちハーブティーなどにも詳しい。

 

「カフェインは取りすぎると体に悪いのでほどほどに、時には寝ることも大切ですよ」

「ええ、そうさせてもらうわ。明日からもっと忙しくなるだろうし、休まないと」

 

 壁にかけられた時計を見ると、時刻はすでにてっぺんに差しかかろうとしていた。もうすぐ入学式当日になってしまう。

 ハーブティーをぐっと飲み干し、古庄は職員室を出て仮眠室へと向かう。

 

「明日からよろしくお願いします。現場での実績はかねがね。頼りにしているわよ」

「頼りにしていただけて光栄です。こちらこそ、古庄教官の経験を学ばせていただきます」

 

 柊は丁寧に礼をして再び机に向かう。

 入学式まで十時間を切り、これから始まる教官の業務に胸を踊らせるとともに不安もほのかに感じる柊であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「艦長、号令」

 

 入学式が終わり、晴風の食堂に一同が集合した。遅れて入ってきた柊が艦長に号令の指示を出す。

 横須賀女子海洋学校では入学式当日から実習を行う。『海で必要な知識は海で学ぶべし』というような感じで遠洋実習での技能取得を大事にしている。受験勉強で初めて知識を身につけたものが多い最初の実習は教員が乗船する。

 

「起立––––礼!」

 

 艦長、岬明乃の号令で乗員が揃って礼をする。

 晴風乗員、総員三十一名。まだシワのない新しい制服に身を包んだ生徒たちの目はこれからの学校生活への期待から輝いている。

 

「晴風乗員の諸君、初めまして。私が担当教官、柊だ 」

 

 生徒の目つきが変わる。まるで『お前が教官? 男なのに?』と言いたげな目をしている。

 ブルーマーメイドは無論、女性の職業だ。そんな職場で男性というのはイレギュラーな存在。

 海上安全整備局の上層部は官僚なので男性が多いが、現場職員は女性が多い。教官職も女性が多く、横須賀女子は名前の通り女子校になるので教職員はほぼ女性だ。当然。生徒たちも教官は女性だと思っていた。

 そんな生徒たちを気にせず話を続ける。

 

「まず、入学おめでとう。これからは高校生、そしてブルーマーメイドの卵として秩序を守り行動して欲しい」

 

 柊の言葉にさっきまで目を輝かせていた生徒たちに緊張が走る。生徒が初めて目の当たりにする現職のシロイルカの迫力は想像よりずっと強い。多くの海難現場を見てきた、プロ中のプロ。その覇気の強さは尋常じゃない。

 柊も緊張感を高めるために真剣な表情を作る。ここでしっかりと緊張感を持たせないと事故に繋がったりする恐れがあるからだ。

 

「君たちのこれから歩む将来は死と隣り合わせだ。同僚、先輩、後輩、要救助者。現場では誰が命を落としてもおかしくない。それは今日かもしれないし明日かもしれない。岬、分かるか?」

「は、はいっ!」

 

 急な問いかけに岬は驚くが、大きな声で答える。

 

「良い返事だ。一人のミスが誰かの命を奪う、一瞬の迷いが、ほんの数ミリの誤差が。だが、ブルーマーメイドの殉職者は非常に少ない。宗谷、なぜだと思う?」

「はい、厳しい訓練を積み互いを認め合う信頼があるからだと思います」

 

 宗谷の目はまっすぐ柊を見つめていた。迷いのない、自信に満ち溢れている。さすがはブルーマーメイドの名家、宗谷家出身なだけはある。

 

「そうだな。そのために見ず知らずの新入生が演習で生活をともにする。その意味をよく頭に入れて取り組んで欲しい。将来、この晴風での経験は君たちの役に立つ」

 ふぅ、と大きく息を吐き、前のスクリーンにスライドを映し出す。

「見せるか迷ったがこの写真はブルーマーメイドの救助風景。巨大タンカー船座礁の時のものだ」

 

 映し出されるのは黒煙を上げて炎上するタンカー、油まみれになりながら要救助者を探索するブルーマーメイド隊。どの写真も報道される花々とした理想とはかけ離れたものだった。

 

「驚いたか? 今までテレビで見ていた、聞いていたブルーマーメイドの姿は現実じゃない。この事故ではタンカー乗員が何人か死亡した。残念なことにブルーマーメイド隊の一人も怪我により除隊を余儀なくされている」

 

 この事故で柊率いる特務艦ひたちは後方で重症者の手当を行っていた。除隊を余儀なくされたブルーマーメイドの隊員は腕に倒れてきた鉄骨が当たり出血多量、神経も傷ついてしまっており左腕を切断した。

 

「救助以外の場で殉職する奴もいる。海賊との戦闘、スキッパーの実技訓練、潜水訓練、君たちが渡る未来は一歩踏み外すだけで死に直結する」

「教官、僭越ながら申し上げます。教官は我々の恐怖心を煽っているのですか? 先ほどからブルーマーメイドの負の面を伝えていますが、そればかりではないのでしょうか?」

 

 あまりの空気の重さに宗谷が話に割って入る。柊がハッとして周りを見ると顔色を悪くした生徒もいる。

 

「宗谷の言う通りだな、少々周りが見えていなかったようだ。重い話をしてすまなかったな。楽にしてくれ。ここからは普通のホームルームだ」

 

 柊の言葉に戸惑う生徒たち。教官に楽にして良いと言うが、どのくらい楽にしていいのか掴めない。

 

「各自自己紹介をしてもらう前に、改めまして私が担当教官の柊蓮一等保安監督官だ」

「「「「えー!?」」」」

「えーってなんだ、えーって」

 

 先ほどまで顔色を悪くしていた生徒たちも含め満場一致の驚きに対して柊がツッコむ。ここの乗員たちは一つのネットワークで共有されているのではないのかというほど反応が揃っている。

 

「一等保安監察官って軽く言いますけどブルーマーメイドでもホワイトドルフィンでも最高位の階級なんじゃ……」

 

 宗谷が驚きながら全員の気持ちを代弁する。

 

「まあそうだな。一応十八で海洋医大を卒業している。今二十五だから––––」

「「「「えー!!」」」」

「……今度は何だ」

「二十五歳!?」「嘘、嘘でしょ!」「私のいとこと同い年だよ」「一等保安監督官なのに二十代なんて……」「医大卒だからお医者さんなんじゃ」

 

 一つのネットワークで構成されているかのように揃った反応をする生徒たちは、今日初めて会ったとは思えない。統一された表情を見せる。

 

「確かに医者で専門は循環器。オールマイティーに診れるけどな。ん? 宗谷。そんなに考え込んで何か信じ難いことがあったか?」

「いえ、航洋艦の教官なんかに現役トップクラスの方が任官されるなんて聞いてことなくて」

 

 指導教官の多くはブルーマーメイドを早期退職して教官の道へ進んだものなので階級はさほど高くない。教官を束ねる古庄でも二等保安監督官。他の教官はせいぜい保安正、高くて三等保安監督官だ。

 上官より部下の方が階級が高いという通常では考えられない状況が出来上がっているが、古庄教官には宗谷校長が話を通してくれた。

 

「”なんか”という表現はあまり良くないな。自分たちの力を低く見積もりすぎだ。現役とは言っても任官されたからもうホワイトドルフィンじゃない。俺に自己紹介は終わり、次は岬」

「はい! 艦長の岬明乃です––––」

 

 最前列に座っていた岬が勢いよく立ち上がる。一人終わると次の一人、というように進んでいく。

 

「副長の宗谷ましろだ––––」「書記の納沙幸子です––––」「水雷委員の西崎芽衣よ––––」

 

 一人一人自己紹介を終え、最初のホームルームを終える。

 

「では、ホームルームはこれまで。各自、出航準備のため持ち場に移れ。以上!」

 艦橋組は艦橋へ、機関科は機関室へ、航海科や主計科は各自の持ち場へ散る。

 柊が艦橋へ向かおうとすると、岬に呼び止められた。

 

「教官、ちょっとお聞きしたいことがあります」

「なんだ? 各乗員のスリーサイズとかは教えられないぞ?」

「い、いえ、そうではなく……」

 

 岬は教官の発言にドン引きした。柊もそれを察する。『やばい、セクハラになる』というので頭がいっぱいになった柊に、岬が問いかける。

 

「なぜ私が艦長なのでしょう。私が艦長になれるほどの成績だとは思えないのですが」

「ああ、そんなことか。入学時の試験なんてきにするな」

「えぇ!?」

 

 教師としてテストの内容を気にするなという発言はいささかどうなのだろうと思う岬。

 そんな岬をよそに柊は確信を持って続ける。

 

「あのテストはあくまで基礎学力を図るテストだ。入学時成績が良い生徒が首席になるというわけではない。艦長とは特に異質な職業で、部下への信頼、戦況を見る目、冷静な判断とか、普通じゃ見れないような能力が必要なんだよ」

 

 艦長適性と基礎学力は全く違う分野だ。基礎学力があっても艦長としての素質が低い人間は艦長にはなれない。だが、基礎学力が低くても艦長適性が非常に高ければ艦長になれることがある。余は、才能。艦長になれるものとなれないものの差が何かと究極的に追い求めると才能にたどり着いてしまう。

 

「どの能力も自分で測るんじゃなくて他人が見て判断するものだしな」

「でも、ペーパーテストだけでそんなこと分かるんですか?」

「そんなわけないだろう? 試験が学校だけで済むわけがない。ブルーマーメイドは将来日本を守る職業だ。警察官とかと同じで身辺調査などはしっかりと行われている」

「そ、それは知らなかったです」

「知られたら詐称したりする人が出てきたり、宗教や国家に利用されたりするだろう? あ、これは機密事項だから内緒な」

 

 あっさりと国の将来にすら関わりかねない機密事項を生徒に漏らして良いのだろうかと思う岬。

 

「もちろんです。こんなことは口が裂けても言えません!」

「そう言ってもらえると安心するよ。君達はすでに特殊ではあるが公務員なんだよ。で、話を戻せば岬は身辺調査で問題はなかった。まあ、心配要素ならいくつかあったんだがな」

「心配要素、ですか?」

「『精神的に未熟』、『突発性な行動が多い』とかかな? 他の適正は比叡や武蔵クラスに乗艦できるレベルだったようだが、その辺の不安要素を治すためにもこの船になったんだろう」

 

 武蔵クラスに入る生徒は、座学実技ともに最高レベルであり尚且つ精神的に成熟した優秀な生徒で泣いとけない。年によって優秀な生徒が少ないと、武蔵クラスは作られない。

 精神的に未熟だと、洗脳をされたりストレスの負荷に弱かったりしてしまう。これらは早めに治さないといけないため学校側も『精神的に未熟』とされた生徒は、教官に気を配るよう通達している。

 

「それは……」

「自分の過去があるからしょうがない。とか言うなよ」

 

 見透かされたような発言にドキッとする岬。

 岬は幼い頃、海難事故で海上安全整備局に勤めていた両親を失っている。

 

「それは甘えだ。過去であれ未来であれ生あるものは死ぬんだ」

「柊、教官……?」

「すまない。配慮が足らなかった。嫌なことを思い出させたな」

「いえ、大丈夫です」

「ならいいんだが……岬、時間大丈夫か?」

 

 懐中時計を取り出して見れば時間はすでに出航時間ギリギリ。

 

「本当だ! 教官失礼します!」

 

 慌てて環境へ向かう岬明乃。そのあとを追うようにゆっくりと艦橋に向かう柊であった。




二度も間違えて投稿してしまいました。
こんにちは、神田猫です。

無計画に作品を広げていますが、ガルパンの方は数ヶ月に一度の更新なので問題ないでしょう。Maybe…

こちらも更新は非常にゆっくりになる予定ですが、頑張ります。


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入学式前の一幕・西之島新島まで①

 晴風が出航する数時間前、さらには入学式の前。校長室に一人の男性教員が呼び出されていた。

 部屋には校長––––宗谷真雪と男性教員––––柊蓮。横須賀女子海洋学校のトップとホワイトドルフィンの精鋭という何とも奇妙な組み合わせである。

 

「お久しぶりです。宗谷先生」

「柊一等監督官、久しぶりね。まずは座ってちょうだい」

 

 入るとすぐに席に通され、両者が腰を下ろす。 先に話を切り出したのは宗谷真雪の方だ。

 

「ホワイトドルフィンで最速の昇進スピードだと聞いているわ。やるじゃない」

「自分でも驚いています。とは言っても7年なので、真霜ほどではありませんが」

「真霜が昇進してるのは宗谷派だからというのもあるわ」

 

 ブルーマーメイド及び海上安全整備局には派閥が存在する。その中でも最も強大な影響力を誇るのが初代ブルーマーメイド船長、来島の巴御前、現安全監督室室長などを有する宗谷派。この派閥は優秀な人材も多く、昇進の信頼性などから昇進のスピードは他の派閥に属する人間より早い。

 ホワイトドルフィンでも同様に派閥が存在するが、柊は誰の派閥にも属さない。そのような人間が7年で一等監督官に登りつめるというのは異例中の異例である。

 

「派閥……ですか」

「派閥は貴方にとっては嫌いな言葉かもしれない。けど、私や真霜は派閥を守り、派閥に守られているのよ」

「いえ、過去の話ですから。それよりまずは呼ばれた理由をお聞きしても?」

「そうね。これを見てちょうだい」

 

 宗谷が封筒を差し出す。封筒には『日本海洋技術研究機構   船舶の新型中枢機関の実験について』と書かれている。

 中には分厚い論文と実験の概要、上層部の認可証などが同封されている。

 

「海技研はなかなか面白い研究をしているようですね」

「ええ。最初は高度すぎていまいち理解できなかったけど、読んでいくうちに分かってきたわ」

「確かに相当高度な研究です。工学に精通していないと分からないところもありますね。これを今度の実習で実験すると言うわけですか」

 

 実験とは、入学式後からの実習で武蔵に新型中枢機関を乗せて実際の航海でデータを収集すると言うもの。中枢機関は艦橋の多くの機能を自動化させるので教員は乗艦せず、授業もその機関に搭載されたAIが行う。世界的に見ても初の試みとなっている。

 

「この情報は一応、古庄教官に伝えているのだけど、念のため貴方にも伝えておこうと思ってね」

「確かに、これは問題なく実験が終了するとは思えませんね」

 

 柊はAI否定派の人間で、中枢機能のコンピューター管理にも否定的である。この中枢機関は海技研のスーパーコンピューターでメンテされ、インターネットで現場のパソコンに飛ばされる。

 海技研のセキュリティーは最先端であるが、ハッキングされる可能性もある。そもそもシステムに欠陥があれば船がどうなるのか予想もつかない。

 

「システムの設計にミスはありません。でも、こんな精密な計画に穴がないわけがないんですよ。見た所、問題が発生した時のマニュアルは作られていないようですし、これを上層部はよく許可しましたね」

「何を考えているのか見当がつかないの。 まるで何かと競っているような…急かされているような…」

「別の組織が関わっていると思います。例えば、”海の理”とか」

「”海の理”。本当にあそこが関わっているとなれば、生徒の安全確保が厳しくなるわね」

 

 海の理とは、海上での優位がブルーマーメイド一強であることに反発する人間で構成された組織。男性の多い組織ではあるが女性も少なからずおり、高い科学力を有している。実際に犯罪は起こさないため警察は手を出すことができないが、間接的に陥れるような行為は多く確認されている。

 

「あそこの多くはお堅い男性、人魚になり損ねた女性。そして––––」

「洗脳された若い学生たち。ね」

 

 海の理で最も恐ろしいのは、洗脳の技術だ。真逆の思想だった人間を自分たちの味方にするなんてお手の物、成績優秀な生徒が一晩で熱狂的な思想家になることだ海のってある。

 事実、ホワイトドルフィンでは最大の派閥が海の理で、ブルーマーメイドとは協力姿勢を演じているもののいつ手のひらを返すか分からない。

 

「身辺調査が行われているので学生は今のところ安全ですが、海の理が関わっているとすれば武蔵の生徒は非常に危険ですね」

「ええ、彼らのハッキングと洗脳の能力を発揮すれば武蔵の生徒を洗脳して思うがままにすることも安易にできる」

「晴風はお任せください。ですが、流石に全艦艇の安全は保証できかねます」

「いえ、無理は言いません。最大限の努力はしていただきますが……」

「分かりました。では、少し準備がありますので失礼します」

 

 封筒を宗谷に返し、部屋を出る。

 

「詮索は良くない、もう少し慎重にしたまえ––––君」

 

 部屋の外の影に向かい低い、高圧的な声で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「教官! 教官! 教官ッ!!」

 

 教官室で荷物を出していたところに慌てた様子の納沙が部屋に飛び込んできた。

 

「どうした?」

「き……機関が…停止…しました」

「ん?」

「航海長…が方角を間違えていた…ことがわかりまして……」

「んんんん!?」

「進路を急いで…集合地点へ向け……速力を上げたところ……機関が止まりました」

 

 柊の顔からサッと血の気が引いた。一気に呼吸が乱れ、心拍数が上がる。

 

「納沙!」

「はいッ!?」

「艦橋に行くぞ」

「はい!」

 

 艦橋から艦内を走って来た納沙に構わず、柊は艦内をトップスピードで駆け抜ける。納沙は息を切らしながらゆっくり後を追う。

 艦橋に着くと水平線を見つめながら虚ろな目をした宗谷ましろ、涙目で舵を強く握った知床凛。やることがなく手の空いた立石、西崎、内田、山下の姿があった。

 

「宗谷、報告」

「ハイ…方角ヲ間違エ4時間ニ渡リ航行…方向ヲ転換シ速力ヲ巡航18knカラ第3戦速マデ上ゲタトコロ…機関ガ停止……現在…機関科ガ修理ヲ行ッテイマス」

 

 今にも泣きそうな声で機械的に報告を行う宗谷。相当こたえているらしい。

 

「私ハイツモコウナンダ。運ガ悪イ」

「機関科、修理までどのくらいかかりそうだ?」

 

 伝声管と呼ばれる金属の管に向かい話す。伝声管の中を振動が伝わり機関科のいる機関室まで届く。

 ちなみに、伝声管は理論上、声の振動を減衰させず届かせることができる優秀なものだ。つなぎ目があったり金属板が薄かったりすると減衰してしまうが、それでも200m程度は鮮明に声を届けることができる。

 

『こちら機関科、柳原麻侖! 損傷の確認は終わったところで、だいたい1時間弱で終わりそうでい!』

「了解した。損傷部の様子を撮影、艦内共有クラウドで共有してくれ」

『今撮影してアップロード中…………アップロード完了! 今から修復に入る』

「頼んだぞ」

 

 教員専用のタブレット端末から艦内共有クラウドにアクセス、アップロードされた写真を一枚一枚確認する。

 写っていたのは配管の部分。若干劣化しており、圧力に耐えかねて穴が空いたと思われる。しかも、複数箇所に渡って。最悪の場合、その部分が裂けて航行不能もあり得たかもしれない。

 

「んー、妙だな」

「何がですか?」

「晴風は出航前日に点検を行ったはずなんだ。その船が、こんな損傷するか? 劣化とは言ってもこの劣化は酸化の劣化じゃない。人為的に腐食させた時の劣化によく似ているんだ」

「では、乗員の誰かが意図的にこの船に危害を加えた、と思っているのですか?」

「いや、この船にそんなことできる人間はいないさ。それより、岬はどこだ」

 

 1番艦橋にいるべき艦長––––岬明乃の姿が艦橋にない。

 

「艦長でしたら自室で荷物を下ろしているかと。我々も交代で荷物を明けていますので」

「そうか。状況も確認できたことだし、俺は自室に戻るぞ。予習授業の用意があるからな」

 

 授業の言葉に背筋がゾクッとする艦橋の面々。今日の夜、当直の生徒以外は教室にて高校生の授業の予習が行われる。各自のペーパーテストから授業のスケジュールを立て、苦手教科の予習を行えるように準備を進めていた。

 晴風の生徒は基本的に一般教養の成績が芳しくないので、誰しも嫌だと思っていた。

 

「あのぉ〜、予習の方はぜひお手柔らかにお願いします」

「ああ、全員、学校の授業が生易しく感じられるくらいにしてやろう」

「「「ヒィィ!!」」」

 

 大きな爪痕を残して艦橋からあっという間に艦橋を後にする柊。

 柊の姿が見えなくなると納沙、西崎、立石、内田、山下の5人が小声で世話話を始める。

 

「ちょっと、教官意地悪じゃないですか?」(納沙)

「そうそう。私たちの苦手そうな部分を徹底的に調べてて、出席しないといけない授業が苦手なのばっかりだったんだよ」(西崎)

「Oui!」(立石)

「得意教科は予習プリントだけでしたよ」(内田)

「えー」(山下)

 

 学生にとって嫌なものといえば、『苦手教科の授業』だろう。自分の嫌いなものほどを強制されることは苦痛そのものだ。逆に好きな教科がスラスラ解けるのは楽しい。

 

「今夜の授業は数学・理科なので、艦橋からは艦長、西崎さん、内田さん、山下さんですね」(納沙)

「嫌だー! 最初っから授業なんて!」(西崎)

「Oui」(西崎)

「物理……」(内田)

「数学……」(山下)

「別に苦手が克服できるなら問題ないだろう。あの教官なら教えるのも上手だろうし、これを機に苦手を減らせるんじゃないか?」(宗谷)

 

 いつの間にか元気に戻っていた宗谷が5人に追い討ちをかける。すると納沙が反撃と言わんばかりに

 

「そんなこと言って、副長は苦手な教科ないんですか?」

「んー、一般、専門含めて苦手という苦手な教科はないな」

「グハッ!」

 

 反撃した納沙を一撃で粉砕した宗谷。しかも無自覚。何処かの誰かが言ったそうだ『無自覚の悪を邪悪というのだと』。

 あまりのダメージに納沙はその場でうずくまってしまった。

 

「副長、トドメ刺したね」

「えぇ!? 私は言われた質問に答えただけだぞ!?」

「くーッ、無自覚なのか…!」

「な、何だ! 苦手がないのがそんなに不思議か?」

 

 苦手がある生徒、西崎が苦手のない完璧超人宗谷に立ち向かう。

 艦長が荷物をまとめ戻ってきたときには艦橋に何ともいえない壁ができていたとかいないとか。




 更新遅れまして申し訳ありません。

 コメント、評価など、お気に召しましたらで良いのでしていただけると嬉しいです。


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航海初夜

 4月6日の21時30分。

 約30分前に初回の予習の講義を終えた柊は、自室に戻り1日の疲れを一気に感じていた。

 初めての教官、出航から4時間で同時に起こった2つのトラブル、トドメに1時間の予習講義。最後のは自発的に行ったものだが、その前の2つがかなり負担になっている。

 

「あ゛ー……これが2週間か…慣れるが先か、終わるのが先か…」

 

 今回の実習は太平洋の領海を航海するもの。戦闘訓練や救助訓練などは行われず、学生の親睦を深め、基礎的な航海のイロハを実際に体験しながら学ぶことになっている。

 しかし、非常時に備え、艦には掃海具、スキッパー、ガスボンベなど最低限度の装備は積み込まれている。

 

「トラブルがなければ何の問題もないんだが、まだ右も左も分からない学生30人と船を一気に管理するのはシロイルカの頃じゃ考えられんなぁ…」

 

 ホワイトドルフィン、言いにくいのでシロイルカとも言われるこの組織に所属していた柊。階級も高く仕事の量は同年代より多かったもののここまでの負担を感じたことはなかった。

 艦内では学生が主導して生活する。教官は実習の時間内に最小限の補助と教育を施すのが仕事。だが、それ以外の時間でも安全に生活できるよう気を配らなくてはいけない。

 

「ふぅ…」

 

 深呼吸をして気持ちを入れ替える。

 棚に仕舞い込んである生徒に関する情報のファイルを取り出し、1ページ目から丁寧に目を通していく。入学前にすでに見ているものの、確認のため何度も見返している。

 

「………」

 

 柊が探すのは生徒の身辺に関する情報。『海の理』に近い人間はいないであって欲しいと思うが何度も確認してしまう。

 

「岬明乃……知名もえか……」

 

 幼少期、海上安全整備局に勤めていた両親を海難事故で失った。両親の素性は調べたがごくごく普通の一家。階級は高かったものの、発言力は組織を動かすほどではなかった。

 だが、彼女の親友、知名もえかの両親はやや疑いの目を向けなくてはならない。すでに殉職しているため、派閥が不明。海の理かその周辺に所属していた可能性は捨てきれない。

 思考が加速し始めたところで部屋のドアを叩く音がして柊は現実に戻った。

 

「教官、夜遅くにすみません」

「構わんさ。どうせ、この後は資料を読みふけっているだけだからな」

 

 片手で開いていたファイルを閉じ、岬を部屋の中に入れる。教官室には作業用の机、ベッド、本棚など最小限のものが揃えられている。

 

「すまないが椅子がないんだ。ベッド……嫌なぁこの椅子に座ってくれれば」

「あっ! ベッドで大丈夫です!」

「そうか、なら座ってくれ。紅茶、コーヒー、緑茶、ハーブティー、どれが良い?」

「ハーブティーでお願いします」

 

 棚の中に置かれたハーブティーの入れ物を取り出す。

 

「夜だからベルガモットにしようか。安眠作用がある。緊張しっぱなしの今日にはうってつけだ」

「教官、ハーブにも詳しいんですか?」

「んー、詳しいってのは少し違う。必要だから覚えただけだな」

 

 深夜、古庄教官に作ったのもハーブティー。ハーブにはリラックス効果などがあり、薬などを使わず軽度の不眠症などの治療ができるため重宝している。現場で働いていた頃は、新人や大きな出動の後、面接時や面談時など使うことが多々あった。

 

「ああ、ブルーマーメイドやホワイトドルフィンはそんなところじゃないからな? 俺が個人的に覚えただけで」

「でも、必要だったってことですよね?」

「んー、まあ。上官の中には心理学とか学んでいる人もいるぞ。だから、組織のレベルが高く保たれているんだ」

「教官が覚えたのは何ですか?」

「俺? んー、医学、薬学、航海術、海戦術、情報工学、機械工学、電子工学、心理学、哲学、宗教学。とかかな。本当はもっとあるけど」

「人間じゃない……」

「やめろ。地味に傷つく」

 

 お茶をカップに注ぎ、岬に手渡す。レモンとオレンジの中間のような柑橘系の香りが空間を包む。

 

「良い匂い」

「ベルガモットは柑橘系同士の交配種で香料としても利用されるものだからな。アールグレイに使われてたりするな…」

「すみません、よくわかりません」

 

 ちなみに、ベルガモットは柑橘系の交配種で良い匂いがするので食べられるかと思いきや苦味が強く食用には適しさない。バニラとかと同じ、匂いは良いけど味が悪い系。

 

「で、どうしたんだ?」

「えっと、朝の教官の話、続きなんですけど……お父さんってどんなものでしょうか」

「これはまた哲学的な問題だな」

 

 お父さんとは何か。家庭によって差が出る回答が無限に存在する問題。だが、普通の艦長であれば『自分の父親とのギャップ』で悩むであろうが、岬の場合は少し違う。

 

「教官もご存知の通り、私は幼い頃に両親を失っています。だから、父親という存在を近くで感じた経験が他のみんなより圧倒的に少ないんです」

「そうだな…じゃあ、質問していこう岬の父親はどんな人物だったか覚えているか?」

「そうですね。まず、優しかったのを覚えています。階級が高かったのもあって仕事も忙しかったみたいですが、休日はよく遊び相手をしてくれました」

「ほうほう…海上安全整備局の人間である以上、海洋大を出ている可能性が高い。勉強も出来たし、少なくとも水泳は出来たのか」

 

 海上安全整備局は、行政省庁職員と同等のレベルとされている。しかし、国防や外交の必要性などから倍率や給料が高めになっている。

 

「すげえな…俺じゃ勝てる気がしない」

「教官の方がすごいと思いますよ? 医大を飛び級で出てて、ホワイトドルフィンでもトップの方にいたんですから」

「いや。立派な父親をしながら働いてたんだから俺より上だよ。俺は陸に戻ったらカップ麺生活だし、研究始めるとカロリーメ◯ト生活だったからな。嫁さんもいないし」

 

 しゅん(´・ω・`)とした顔をする柊。

 

「彼女さんもいないんですか?」

「彼女か…まあ、いたことはあったがな…今はいないな」

 

 しょぼんとした顔と変わって暗い顔になる柊。

 

「そうですか…すみませんなんか…変なこと聞いちゃって」

「いや? 別に、暗い過去ではあるけどあの頃がなければ俺はここにいないだろうからな。まあ、何はともあれ、岬は父親のこと覚えているだろ? 怒るとか、教えるとかはしなくてもいい。ただ、精神的な大黒柱となってくれるだけで艦長としては極めて優秀なんだよ。艦長は船の脳であり、心臓であり、心の中心でもある。そのことを覚えておくといいぞ」

「はい! ありがとうございます」

「そろそろ消灯時間だな」

 

 柊の机に置かれた懐中時計は22時指そうとしている。

 晴風の消灯時間は(形式上)22時、これは教官のさじ加減によるが柊は甘めの教官なので消灯時間後に出歩いても何も言わない。ただし、起床時間の6時には起床しないといけない。

 

「岬の部屋は個室だからちょっと孤独かもしれないが、寝れないなら艦橋に顔を出したり、他の部屋に行ったりしても大丈夫だから」

 

 岬はグッとハーブティーを飲み干し、ぺこりと一礼。自分の部屋へと足早に歩いて行った。

 再び、部屋に静寂が訪れる。

 

「お前のこと話せないな…俺も思い出すだけで辛くなっちまう…」 

 

 懐中時計に手をかけ裏にある写真を眺める。

 普通に使う限りは裏が見えないような仕掛けになった特殊な時計。裏にある写真には、今より少しだけ若い柊と柊に抱きついた笑顔の女性。

 

「俺の生徒たちには俺たちみたいな思い、させられないな…」

 

 パチンと時計を閉じ、制服の内ポケットにしまう。

 思い立ったらまず行動、一通のメールを送信する。

 

 

 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

To:宗谷真雪

 

 資料開示のお願い

 

 

 宗谷校長

 

 柊です。

 海上安全整備局情報開示制度に基づき、以下の情報開示を要求いたします。

 

 一、武蔵に搭載された新型AIについての資料

 二、武蔵艦長 知名もえかについての調査資料・提出資料

 三、岬明乃・知名もえか両名の両親が殉職した際の出動に関する書類一式

 

 

 

 よろしくお願いいたします。

 

 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

 

 

 このメールからこの航海実習の歯車が大きく歪み始めることは、誰も知らない。

 たとえ、人知を超えた、天才で、あったと、しても。




 更新遅れまして、すみません。

 はいふり 劇場版おめでとうございます!

 閲覧ありがとうございます。コメント、評価など、お気に召しましたらで良いのでしていただけると嬉しいです。


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全てが壊れ始める時

 ぎこちないラッパの音が艦内に響く。

 

 起床ラッパ––––海軍時代から続く6時の合図で晴風の場合は万里小路が担当する。軒並み楽器を演奏でき、ヴァイオリンに関してはプロ級の彼女だが管楽器がなぜか苦手。教職員陣はなぜ彼女をラッパ手にしたのだろうか。

 ちなみに、この起床ラッパはブルマー・シロイルカの隊員では『世界で2番目に聞きなくない音』とされており、この音を聞くと熟睡していたも反射的に飛び起きてしまう。

 晴風の場合、このラッパから5分後に身支度を済ませて教室に集合するように決まっている。

 

「おはよう」

「「「おはようございます」」」

 

 柊が5分ジャストに入ると遅刻者なしで全員が制服に着替え集合していた。

 

「初日から全員集合か。素晴らしい」

 

 タブレットに出席の記録をつけながら柊が話す。

 

「出欠の確認は必要ない。体調の悪いものは––––––––いないな。連絡、西之島新島に到着後、艦内全体の点検を行う。各生徒は点検のための準備をすること」

 

「「「はい」」」

 

「それと……みんなに連絡するか迷ったが言っておこう。––––昨夜、ホワイトドルフィンがクーデターを決行した」

 

 一息溜めて柊は淡々と告げた。

 生徒たちにざわめきが広がる。

 

「教官は……どうなのですか……」

「教官もホワイトドルフィンですよね?」

 

 生徒たちの心配は今目の前にいる男に対してのものだった。男性であるということはホワイトドルフィンの一員であるということ。すなわち、この男もクーデターに参加しているかもしれない。

 

「んー…少し口が悪くなるが、あいつらと一緒にしないでくれ。俺はあんな組織、二度とごめんだ」

「へ? でも、ホワイトドルフィンって男性なら誰もが憧れるような職業なんじゃ……」

「納沙の言ってることは半分正解、半分外れだ。そもそも、最初に言った通り現場は華々しい世界じゃない。あの組織にいるのはほとんど派閥でのし上がってきた連中。そうでないまともな人間は教官なんかに左遷されるんだよ。今回クーデターを挙行した連中もそういう奴らだ」

 

 ホワイトドルフィンはブルーマーメイド以上に派閥に支配されている。

 

 現在、上層部を始め人事などの中枢が『海の理』派閥によって構成されているため同じ派閥の人間はどんどん昇進するが、そうでないものはあっという間に左遷される。

 今回、クーデターを起こしたのは海の理派閥。ホワイトドルフィンが海の優位をより強固にするために決行されたと考えられる。

 

「俺は今、横須賀女子の教官。どんな事情があろうともクーデターに加担することは無い。それで、今回の実習だが西之島新島に到着後、速やかに横須賀に帰還する。その時、艦隊運動を取る。艦隊運動についての講義を先取りで行うので、艦橋要員は今日の正午に上げる講義動画を必ず見るように」

 

「「「はい!」」」

 

「長くなったな。朝のHRは終了する。総員、ベットメイクの後朝食。持ち場につけ! 以上」

 

 HRが終了し生徒たちが一斉に教室を後にする。

 柊も生徒が退室し忘れ物の確認を行った後、部屋に戻った。

 

「ふぅ……眠い」

 

 インスタントのコーヒーをすすりながら呟く。

 柊は昨晩のクーデター騒動から学校側との協議、連絡などに終われ一睡もしていない。現場ではこんなこともあったが、流石に事務作業ばっかりなので疲れがたまる。

 

「15分くらい寝れるか……」

 

 時間と相談して仮眠の時間を決める。流石に生徒がせっせと活動している間にがっつり寝る気は無いので、アイマスクを目に当てて座って寝る。

 ゆっくり意識が落ちていく。そして、夢の世界に誘われる––––––––

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前に船体が大きく揺れた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『艦尾に水柱! 接近中の艦艇は武蔵! 繰り返す、接近中の艦艇は武蔵!』

 

 艦内に非常ベルの音が響き渡り艦橋から状況の報告が行われる。それと同時に教官室にある無線を使って艦内全域に通信を流す。

 

「慌てるな。落ち着け。艦橋、状況を把握次第報告。機関、常に全力発揮可能な状態を維持せよ。航海、見張りを厳とせよ。砲雷、対水上戦闘用意。主計、手の空いているものは手伝いに回れ」

『艦橋、艦長の岬です。相手は武蔵。艦尾方向に艦影。艦橋形状から武蔵と思われます。なぜ砲撃したか分かりません』

「音声で停戦を呼びかけろ。5回で反応がない場合、敵対とみなし対水上戦闘を開始せよ」

『了解しました』

 

 艦橋とのやりとりをすませると、手早く荷物をまとめ艦橋へ向かう。荷物とは言っても、タブレットと時計のみ。必要最小限のものにまとめられている。

 その頃、岬は必死の呼びかけを初めていた。

 

「武蔵、武蔵、応答願います。こちら航洋艦晴風。本艦に敵対意思はありません。すぐに攻撃をやめてください––––」

「艦長、応答ありません。見張りからの報告でも変化なしとのことです」

 

 艦橋にいる全員が武蔵の方向を見ている。5回目の警告まで無視されれば敵対することになる。相手は自分たちと同じ同級生、同い年の女の子。しかも、性能と技術の双方において圧倒的に有利な相手であることは言わずともわかることであった。

 

「武蔵、武蔵、応答願います。こちら航洋艦晴風。本艦に敵対意思はありません。すぐに攻撃をやめてください––––」

「宗谷、変化は?」

 

 警告を続けていると柊が艦橋に到着する。宗谷にした質問は柊の予想通りの回答が帰ってきた。

 

「ありません。次が5回目の警告になります」

「近くを通る一般の船舶はあるか?」

「ありません。現在この海域にいるのは晴風と武蔵のみです」

 

 この近海に船がいないなんて驚きだった。もともと漁業船が通行することが多い海域であるため、幸運であると言うべきであろう。

 

「では戦闘行動に移すのも安易だな」

『武蔵、最後の警告にも反応なし』

 

 伝声管を伝い悔しさをにじませた野間の声が艦橋に届いた。

 

「教官、武蔵とのコンタクトに失敗。これで、武蔵とは敵対したことになります」

「ブルーマーメイド本隊に連絡。晴風は武蔵との距離を取るため、一撃離脱を試みる。右魚雷戦用意!」

「弾頭模擬弾ですが、良いのでしょうか?」

「弾頭模擬弾でも多少の攻撃にはなる。ダメージコントロールに失敗すれば沈むのは通常弾頭と変わらない」

 

 弾頭模擬弾とは、訓練などに使用される魚雷で威力を極力下げた魚雷のこと。一応、同じ重さになるように重りが入っているので、運動エネルギー的には同じになる。ただ、爆発が起きないため武蔵に対してはほとんど効果がないのは目に見えている。

 

「武蔵に対して攻撃すれば、避けるはずだ」

「なぜですか?」

「今武蔵のコントロールを行なっているのは十中八九、海上安全整備局の導入した新型AIだ。それのプログラムには避けられる弾頭は避けると言うようにプログラムされている。武蔵の大きさなら避けた後、もう一度戻すのに時間がかかるからその間に離脱する」

「初耳です」

「入学資料の端に書いてあっただろ?」

 

 AIに避けるようにプログラムされている理由は1つ。そのAIが武蔵のようなバルジ増し増しの不沈艦ではなく、海上安全整備局などに普及したインディペンデンス級などに使用されるからだ。現代の水上戦闘において、巨艦巨砲重装甲の艦艇は用いられず、小回りの効き艦隊運動を行いやすい艦艇が多い。そのため、魚雷などは避ける必要がある。

 

「野間、武蔵艦橋付近をよく見ていてくれ。些細な変化でもあればすぐに報告」

『了解』

 

 晴風に備えられた魚雷発射管は少しずつ旋回していく。晴風にある魚雷は1発のみ。当たっても外れても小さな違いだが、逃げられる可能性は少しでも上げて起きたい。

 

『教官、武蔵艦橋で閃光……モールス信号です!』

「読み上げろ」

『”貴艦ハ本艦トノ距離ヲアケラレタシ”』

 

 発光信号。開く、閉じるの2パターンを使い分けて文字を伝達する方法。手旗信号とともに無線が使えない場合使用されることが多い。モールス信号は国際的に普及しており、異国籍の船ともやり取りが可能になる。

 

「––––––––かなきゃ」

「どうした? 岬」

「助けに行かなきゃ!」

 

 誰にも止める暇を与えることなく岬は艦橋を飛び出した。

 

(モカちゃんモカちゃんモカちゃんモカちゃんモカちゃんモカちゃん!)

 

 岬の頭の中にあるのは、かつて孤児院で共に過ごした武蔵艦長––––知名もえかのこと。今の時間、艦橋にいるのはおそらく彼女である。なら、あの発光信号を送ったのはきっと彼女だ。

 岬にとって知名もえかと言う人間は友達、親友以上の存在である。家族を失った岬にとってこの世で一番お互いを理解した家族のような存在。そんな彼女の身に何か起こっている。落ち着いていられない、このまま横須賀に戻ることなどできない。

 

「おい、落ち着け」

 

 スキッパーに乗り込もうとした時、岬は腕を掴まれた。強引に解こうとしても強く捕まれており離れない。

 

「なんで止めるんですか? 私の親友があそこにいるんです…止めないでください」

「それは無理な相談だ」

「離してください。私には助けなきゃいけない人がいるんです」

「今行っても無駄だ。武蔵の砲撃なら近接弾でもただじゃ済まない。それに、お前がいなくなったら誰がこの船の父親になるんだ」

「代わりならいますよ。しろちゃんとか、ココちゃんとか、教官だっている。私がいなくなっても大丈––––」

 

 パチン! と言う乾いた音と共に、頰に痛みが走る。頰はじわりじわりと熱くなり、脈を打つごとに痛みが強くなる。

 柊の行為は(世間一般的に見れば)立派な体罰だ。だが、その行動に移す時迷いはなかった。生徒の身を危険に晒すのを止めるなら、自分の職などどうでもいいと心から思っているから。

 

「周りが見えていない。お前が勝手な行動をすれば、艦内の統制は著しく低下する。お前には、ここにいる全員の命を危険にさらしている自覚が足りない」

「じゃあ、教えてください。どうやったらモカちゃんを救えるんですか? 今行かなかったらいつ見つかるかもわからない。もう家族を失うのは嫌なんです!」

「お前が行ったところで武蔵にはたどり着けない。今は引くしかないんだ。この船じゃ、武蔵には敵わない」

 

 無理だと言う現実に岬の頰を大粒の涙が伝る。

 

「嫌だ……嫌だよぉ……諦めたくない……」

「諦めはしない。体制を整えるためにも一旦引くだけだ。武蔵はビーコンで監視をするはずだ。居場所はすぐにわかる」

「ヒック……ヒック……」

「宗谷! 晴風の艦長権限を一時的に移譲する。武蔵を撒いて横須賀に帰港せよ!」

 

 柊は艦橋に向かって大声で指示を出し、泣き崩れた岬を保健室に届ける。

 晴風が無事に横須賀に帰港できたのはその次の日のことになる。




 更新遅くて申し訳ありません。神田猫でございます。

 物語の方向が急に変わりすぎですね。さすが私。駄文とガバガバ準備のエキスパート。

 閲覧ありがとうございます。コメント、評価など、お気に召しましたらで良いのでしていただけると嬉しいです。


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