自分は一体なんなのだろうか。いつ生まれたかも、もはや覚えていないが、生まれた時からそれを考え続けていることだけは覚えている。どれほどの奇跡が重なったのか、自分は始祖の隷長と人間の間に生まれた、いや、生まれてしまった。いつの時代も変わらずに異端とは排斥されるもの。始祖の隷長と言えど、その例に漏れることは叶わなかった。相いれないならば、排除する。それは知性と引き換えにかけられた呪いのようで、不変の真理とも言えるだろう。なぜなら、眼前で繰り広げられている争いがその証明だから。
「怯むな!進め!」
怒号に後押しされるように、人々はその剣を始祖の隷長に突き付ける。テムザ山と呼ばれるここは、今まさに地獄と化していた。積み上げられた屍は数え切れず、歩こうものならば血河に足を取られる始末。唯一自分によくしてくれた恩返し、そして答えを得るために『偉大なるもの』エルシフルの意思に賛同したものの、得た物は既知の真理だけだった。
「エルシフル!貴様は甘すぎるのだ!過ちを繰り返す種族など根絶やしてしまえばいい!」
「それは早計というものです」
純白と黄金の巨龍エルシフルと、げっ歯類とも鳥類ともつかない姿の暗きもの。二対が、超越した力をぶつけ合い生まれる余波は、それだけで死んでもおかしくないだろう。だからこそ、そんな最中にただの人間が介入しているさまは、まさに異常だった。銀髪の青年デューク・バンタレイは、卓越した武勇とエルシフルへの信頼を糧に飛び回る。
「おのれ、忌々しい人間め!」
元々拮抗していた両者の間に、始祖の隷長からすればほんの小さな、デュークと言う要素の差が生じる。紙一重と言えども、はっきりとした差に違いはなく、次第に勝敗は決まっていった。
「認めん!こんな結末は断じて認めんぞ!何故、我々が人間などの尻拭いをせねばならん!そんなもの、ばかげているとは思わんのか!?」
すでに決着は着き。残された力を振り絞った断末魔は、糾弾と怨嗟に満ちた叫びとなり空しく響く。そうして、始祖の隷長を率いていた暗きものは力尽き、後に人魔戦争と呼ばれることとなる争いは幕を閉じた。戦争終結の立役者デューク・バンタレイは英雄と呼ばれ、束の間の平和の後の悲劇をきっかけにその姿をくらませた。人に絶望し、人の身にして始祖の隷長に近しい生き方を選択した彼は、一体何を思うのだろうか。自分の中でデュークに対する興味が湧いたのは、この時が初めてだった。
・・・
「でさ、最近入ってきた小娘が生意気でね。僕がいくら寛容と言えども顎で使うのはどうかと思うんだよ。いつか思い知らせてやらないと」
「……また一人称を変えたのか、トート」
エフミドの丘に建てられた小さな墓の前で、自分――いや僕デュークは話し込んでいた。人魔戦争からもう五年が経つ。世界は表面上平和な時が流れ、僕は、その間に人間としての立場を確立した。トート・アスクレピオスと言う名で、学術閉鎖都市アスピオの長へと収まっているのだ。
「変えたところで得るものは無かったけどな。僕のルーツの片割れである人間を理解するための行為だったが、やはり外面だけ似せてみても意味がないか」
「人間を理解するなど、同じ人である私にも出来ないのだ。悠久の時を生きるお前たちとでは価値観が違いすぎる」
「けど、エルシフルは人との共生に何かを見出したのも確かだ。あいつは僕から見ても、本当に偉大だったしな。何かしらの答えを持っていたのかもしれない」
今となっては聞くことは叶わないが、きっと同族を敵に回してまで進む価値のある道だったのだろう。しかし、その果てにあったのは裏切りによる死だった。せめて僕がその場にいたならば助けられたかもしれないというのに。
「……やめだやめだ。墓前で気が滅入る話をするのはエルシフルにも悪い」
「お前が言い出したことだろう」
呆れた顔でこちらを見てくるデューク。顔の筋肉が死んでるんじゃないかと思うほど僅かしか動かない表情も、数年間顔を合わせているうちに大分読み取れるようになっていた。
「そうだ。この間、クオイの森で面白いものを発見したぞ」
「……面白いものだと?」
「斧だ。それも、遥か昔の時代の始祖の隷長の盟主から作られた特別性のな」
「まさか……スパイラルドラコのものか?」
疑問を投げかけてくるデュークだが、今しがた懐から取り出したその斧のあまりの威圧感は疑うまでもなく本物だ。
「お前さんエアルクレーネ巡るなら、ついででいいからこれと似たようなもの探してくれない?こんなのが後八つも野放しになってるのはあんまりにも危険すぎるからな」
「了解した。確かにそれが人の手に渡るのは好ましくない」
神妙に頷くと、俺が差し出したそれを受け取りその腰に掛けた。
「敬意を表するのはいいが、あまり始祖の隷長にのめり込むと僕みたいになっちまうぞ。人と始祖の隷長の狭間でどちらにも属せずに生きていくことになる」
「構わない。それに、友であるお前がそうなのならば、私くらいは近しく在ってもいいだろう」
「……はっ、つくづくお前さんには興味が尽きないよ」
照れを隠すようにぶっきら棒に言ってのけると、そう言えばもう一つ用事、というより提案があったのを思い出した。
「『天を射る矢』のドン・ホワイトホースから要望が来ててな、ギルドの相談役でもなんでもいいから、知恵を貸してほしいと頼まれたんだ。あいつはベリウスとも交友があるから受けてもいいんだが、いかんせんアスピオは帝国の直轄なもんでね。旅のついでにダンクレストを通ったら、『その辺の軋轢をどうにかしてくれるのなら受けてもいい』と伝言を頼む」
「お前は私を使い走りか何かと勘違いしていないか?」
「あっはっは。いいね。普段からそれくらい気安く話してくれれば言うことないよ。長生きとはいえ、今起きてる世界の異常を解決できない役立たずさ。それくらいで丁度いいってもんだ」
「自虐も過ぎると嫌味にしか聞こえないぞ」
少々歪な会話だが、俺とこいつの間ではこれで平常運転。一度、クロームが居合わせた時には苦笑いをされたもんだ。
「じゃあ、僕はもうそろそろ帰るが、その前に言っておくことがあるな」
それまでのへらへらした顔は途端に消え、始祖の隷長としての側面を引き出す。たったそれだけで、先ほどまでいた人物とは到底同じに見えないほどに纏う空気が変質する。
「魔導器が氾濫し満月の子も生れ落ちた。恐らくこの世界は遠くない未来に大きく動くだろう。それがどうなるのかはまだわからないが、僕の指針はお前に預けることにすると決めた。人でありながら僕と同じ狭間に身を置くお前ならばこそ、僕の果てしなく長い生に答えをくれると期待しているぞ」
そう言い切ると、無言で見送ろうとするデュークを尻目に、僕はその五体を異形へと変化させて天高くへと飛び去ったのだった。
・・・
そして再び時は流れ。
「我が身は創世の賢者にして月の現身。顕れるは五柱が一つ、海の母。ここに帰依し奉る」
あれからさらに二年ほど、僕からすればあっという間の時間。しかし、たったそれだけの時間で世界は明らかにおかしくなっていた。その影響をもろに受けたのが現在も眼下でうごめく魔物たちだ。エアルの異常は生態系に深刻なダメージを与える。僕が危惧したとおりに、尋常ではない凶暴性と一回り程強靭な体を携えて、今も騎士達と思われる集団をとり囲んでいた。偶然とはいえ目撃してしまった以上、助けない訳にはいかないだろう。人間ならばそうするはずだ。
「降神権能、コード・イシス」
突如として無数の水柱に支えられた巨大な水球が出現し、魔物の群れを内包する。ピキピキと音を立てて凍りついていく水球は、うねりながらその形を大きく変え、完成したのは氷の神殿。その中にそびえ立つ柱の数だけ、氷に捕らわれた魔物がおり、次第に鮮血を吸った氷は朱に染まって。朱く朱く、緑の森に映えるように、命を啜る魔殿が禍々しくも堂々と存在し、次の刹那、内包した全てを共に蒸発して消え去った。これで魔物は一層――出来たのは喜びたいところだが、遠くからの視線を向けてくるものがいた。恐らく部隊の指揮官なのだろう、傍らには凛々しい犬を携えているように見える。リタ・モルディオに魔物の凶暴化について喚起を促すために来ただけなのに、まさかこんなことになるとは……。
「逃げよ」
羽織ったローブは幸いにも黒。そのまま闇へと溶け込むようにその場から離れた。
○○○
「ユーリ!」
「なんだよ?」
肩を怒らせて大声を上げた金髪の少年はフレン・シーフォ。対してうんざりとした声で受け答えたの黒の長髪がユーリ・ローウェル。
「なんで作戦通りに行動しない!?」
「上手くいったんだからいいじゃねーか」
「勝手な行動で失敗したら、みんながまきぞいを食うんだぞ!」
「いちいちうるせえなお前は!細かいんだよ!」
「いい加減なんだよ!ユーリは!」
子供のように言い争いを始めた二人の頭にげんこつが落ちる。
「ええい、うるせえうるせえ!とっとと後片付けに行って来い!さっきの魔術の使い手も探さなきゃならん、休んでる暇はないぞ!」
見るに見かねた二人を諌めたのはおじさん、と言った方がいい年齢の男性。この部隊の隊長であるナイレン・フェドロック。言い争いを辞めずに片づけへと向かう二人を見送りながら、頭の中では謎の術士について考えを巡らせていた。
「あれほどの術士、そうはいねえ。ただの一人で、あの規模あの威力となると、なおさらだ」
ぶつぶつと独り言のように唱えて考えをまとめていくうちに、ある結論へとたどり着いた。逃走したとはいえ、助けてくれたことに変わりはない。
「まあ、悪い奴じゃないだろう」
すっきりとした顔でそう言った隊長の姿を見て、近くにいた隊員は、この部隊の行く末について真剣に悩んだのだった。
○○○
なんだこれは。その後一日掛けて周辺を見て回った。そして夜、シゾンタニアに到着し、ギルドに顔を出した後、食事のための店を見つけたまでは良かった。問題はその後だ。ドアを開ける前から嫌な予感はしていたが、案の定大乱闘が起きており、思わず叫びたくなるような有様だった。
「おい、ボケ鴉。この惨状をどうにかしようとは思わんのか?」
「あら、トートの旦那じゃないの。どったのこんな辺境まで」
物陰でひっそりと食事をしていたレイヴンへと近寄り、相席に座ると会話を続ける。それほど壮年でもないので、旦那と呼ばれる事には少々の違和感があるが、やめろと言っても一向に改善される気配はない。
「僕は、アスピオの奴が一人この辺の森の中にいるって話だから、警告にね。まあ、あの小娘がそんじょそこらの魔物に負けるとは思えないんだけど」
「だけど旦那、ドンに呼ばれてたんじゃなかったっけ?」
「いざとなれば、馬も船も要らないから」
飛んでいけばあっという間である。
「おっさんの心臓といい、旦那はやっぱり出鱈目だよね……。他の奴らもそんななのかい?」
「いや、基本的に始祖の霊長は魔術を使わない。俺はやはり異端なんだよ。小賢しく自衛の戦力を持つあたり中途半端に人間臭い」
「そう悲観することでもないんじゃない、とは気安く言えないねえ」
しみじみと呟くのは、心臓魔導器を埋め込まれていた頃の自分を思い出すからだろう。終わりが来ないというのは、それだけでまともな神経を押しつぶす。そして、前例もなく唯一の種とも呼べる僕には、死が存在しない。
「そこにいるのはトートか?」
野太い声に振り向くと、そこにいたのは立派な髭を携えた大男。この町のギルドのボス、メルゾム・ケイダだった。いつの間にやら喧騒は収まっており、今は騎士の少年と二人でテーブルを囲っている。
「いってらっしゃ~い」
笑顔のままひらひらと手を振るレイヴンを一発殴ってから、呼びつけに応じた。
「あんまり目立つのは好きじゃないって言ってるだろうに」
「がはは!すまんすまん。あまり会うこともないから物珍しくてつい、な」
ばしばしと背中を叩くメルゾムに悪気はないのだろうが、とても痛い。
「んで、あんたもギルドの一員な訳?」
長髪の少年が薄く笑いながら、聞いてくる。
「僕は特殊な立場でね、帝国の役職を持っていながらギルドに所属しているんだ」
「へえ。俺はユーリ・ローウェルってんだ。よろしくな」
「トート・アスクレピオス。よろしく」
お互いに名乗り握手しようとした瞬間、カウンター席に座っていた双子の女性が同時にマーボーカレーを吹いた。
「おわっ!なんだよあいつら、きたねえな」
涙目でせき込む双子を呆れたように見ていると、近くにいた金髪の少年がユーリを掴んでカウンターまで運んで行った。
「ユ、ユユユ、ユユ、ユーリ!絶対失礼するんじゃないわよ!」
「なんだよ。そんなにお偉いさんなのか?そうは見えねえけど」
「もし万が一、あの人が命令すれば、僕たち全員の首が飛ぶ」
「…………マジ?」
「マジ」
最後の部分だけ、寸分の狂いもなくユーリ以外の三人の声が重なりあう。冗談とは思えないほどに目が血走っている。
「てゆーかアスピオの魔導王よ!知らないの!?」
「俺、下町育ちだからそう言うのには疎いんだ」
「言い訳しない!もうこのまま気絶させちゃったほうがいいんじゃないかしら」
「ちょ、待て!目が本気だぞ!」
三人は幽鬼のようにユーリへと迫ると、うなじと鳩尾と顎先にそれぞれ一撃を叩き込み、気絶させた。見てる僕としてはドン引きである。
「す、すみません。ユーリってば飲み過ぎちゃったみたいで!この辺で失礼させていただきますね!」
三人でユーリを担ぎ上げると、逃げるようにその場を後にしてしまった。
「なあ、メルゾム」
「……なんだ?」
「この町の騎士は本当に大丈夫なのか?」
「言うな、俺も不安になってきたところだ」
結局この後、二人でこの周辺の異常についての情報交換をしながら酒を飲んだ。
○○○
翌日、リタの掘っ立て小屋を目指して歩いていると、すでに先客がいたようで、小屋のあるあたりが突然爆発した。あの小娘また寝ぼけて魔術を撃ったらしい。訪問客か泥棒は分からないが、死んでないといいのだけれど。
「お邪魔します」
もはやドアの体をなしていないドアを開け、中に入ると、三人分の視線が突き刺さった。なかでもリタの視線には焦りの色がありありと窺える。
「なあ、リタ。次、寝ぼけて魔術使ったらどうなるって約束したんだっけ?」
たらたらと干からびてしまいそうなほどの冷や汗を流しながら、口をパクパクさせている。
「失礼ですが、どちらさんですかね?」
置いてきぼりを食らっていた男性、先日見たこの町の騎士の隊長が口を開く。敵意ではなく、純粋に疑問に思っているようだ。そしてその隣には、目こそ開いているが、完全にフリーズしてしまっている双子の片割れが。
「学術閉鎖都市アスピオのトート・アスクレピオスと申します。以後、お見知りおきを」
「なるほど、あなたが……。それならあの大規模な魔術行使も納得ですな。おかげで助かりました」
「お礼を言われるほどの事ではありませんよ。僕が手助けできたのは、ここへ向かう途中にたまたま見かけたからですから」
はははと笑う僕は、完全に余所行きモードの猫かぶりだ。リタの信じられないものを見る露骨な視線を感じる。
「ここには、魔物の様子の変化の注意喚起に来たんですが、徒労に終わったようですね」
「やはり、異常があるとお思いで?」
「ええ。原因はおそらくエアルの異常。これほどのものだと、何かしらの魔導器が暴走しているのでしょう。故意か、あるいは実験失敗で起こったものなのかは分かりませんが」
リタからもおおよそ同じような仮説を聞いたようで、顎に手を当ててしきりに頷いている。聞きたいことはあらかた聞けたようだ。
「来たばかりで恐縮ですが、僕はそろそろ帰りますね。この後ダンクレストに行かなくてはならないので」
僕は、ペコリと手本のように一礼をすると、そのまま小屋を出てドンの元へと向かった。
・・・
文字通りダンクレストまで飛んで行ったところ、ドンからの話はさほど重要なものではなかった。ダンクレストの片隅に建造した僕の図書館の閲覧許可と、アイフリードの孫を名乗る人物について知ってることはないか聞かれただけ。旅をしているデュークならば何か知っているかもしれないが、生憎僕は基本的にアスピオに籠り切りだ。
「そんでもって久々に会った同胞は、僕に襲い掛かってくるほどに若造と来た。もうやってらんないね」
「あなた、いったい何者なのかしら……?」
すでに勝てないことは理解したらしく、隣にいる若い始祖の霊長を落ち着かせながら、逃走の隙を窺っている。
「そんなに緊張しなくっていいから。若い奴は何故か分からないけど、僕を攻撃しようとするんだ。本能みたいなもんだから怒っても仕方ないし」
「そんな性質、聞いたことがない」
依然変わらずに訝しんではいるが、じわじわと好奇心が肥大していくのが分かる。デュークで鍛えた僕にポーカーフェイスは通用しない。
「そりゃそうさ。僕は世界でただ一種しかいないハーフだから、比較することも出来やしない」
「……伝承で聞いたことがあるわ、人と始祖の隷長の間に生まれた奇跡の子って。てっきり人と始祖の隷長との共生を謳うための創作だとばかり」
「奇跡だなんてもてはやされたことは無いけどね」
記憶をたどっても排斥された思い出しかなくて、思わず苦笑が漏れてしまう。
「まあ、今度から気を付けてくれればいいよ。現存している始祖の隷長は全員追いかけられたことがあるし、いちいち気にしてられないんだ」
「寛大な処置、感謝いたします」
仰々しく礼をする――っと名前くらい聞いておこうか。
「トート・アスクレピオスだ」
「ジュディスよ」
「それじゃあ、ジュディス。縁が在ったらまた会おう」
「うふふ。こちらこそ」
軽い挨拶を交わすと、今度こそ本当にお別れをした。
・・・
晴れやかな陽ざしの差す帝都の下町。その一角にある部屋の窓辺に青年、ユーリ・ローウェルはいた。
「ユーリ!大変だよ!」
「でかい声出してどうしたんだ、テッド」
そうして物語は動き出す。主役は未だに主役だと気付かずに。満月の子。アイフリードの孫。ヘルメス式魔導器。始祖の隷長。星喰み。人魔戦争。騎士団。あげればきりがないほどの、因果も付加価値も立場も夢も約束も、それらを一切合財混ぜ合わせて、世界の行く末を左右する物語始まるのだ。
人魔戦争については情報が少なすぎるため、大半が想像です。
というわけで、オリ主はデュークサイドです。
原作との相違点は多々ありますが、一番大きいのはレイヴンがアレクセイではなく主人公に仕えてる点です。
ちなみにシゾンタニアは劇場版のお話です。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
一話(始まり~花の街ハルル)
ある日、下町の広場にある水道魔導器が壊れた。それが全ての始まりとなった。部屋まで騒ぎを伝えに来た子供と一緒に水道魔導器まで駆けつけると、それはそれは酷い有様だった。噴水のような構造のそれは、水が濁りとても使えるようには見えない。御触れでる濁流と格闘しながらも、注意深く水道魔導器を観察したユーリはある異変に気が付いた。
「じいさん、魔核見なかったか?魔導器の真ん中で光るやつ」
「ん?さあのう?……ないのか?」
「ああ。魔核がなければ、魔導器は動かないってのにな」
ちらりともう一度視線を向けるが、やはりそこには在るべきものが抜け落ちている。
「最後に魔導器に触ったの、修理に来た貴族様だよな?」
「ああ、モルディオさんじゃよ」
「貴族街に住んでんのか?」
「そうじゃよ」
それさえわかれば十分と言わんばかりに、今も流れ続けている水から上がると、城下へと続く坂道を登って行く。途中、後ろから無茶するなよ、などと聞こえた気もするが、今のユーリにとってそれは逆効果となった。
「ここか……」
貴族街に入ってすぐの場所にその家はあった。入口は固く閉ざされ、人気がまるでない。無駄に華やかなこの区画において、この不気味さは明らかに異常だ。
「どこかに入れる場所は……」
怪しいと思いながらも側面まで足を運ぶと、丁度いい感じに空いた窓が見つかった。そうして、室内を物色していると、犯人の影が。しかし、思惑通りに事が進んだのはここまで。とんとん拍子のつけは、間の悪い騎士団の介入により魔核泥棒を取り逃がすという結果に収まった。ついでに投獄もされたが、これはいつもの事なので特に問題はない。はずだったのだが、今日ばかりは違った。
「そろそろ、じっとしてるのも疲れるころでしょーよ、お隣さん。目覚めてるんじゃないの?」
「さっきからいろいろ話してるけど、おっさん暇だな」
「おっさんは酷いな。おっさんは傷つくよ」
隣の牢獄からしつこく話しかけてくる奴がいるのだ。それも至極どうでもいいような話を誇張して話すのだから、はなから疑ってかかってる身としては、あふれ出る胡散臭さで窒息してしまいそうだ。
「はっはっ。ほんとに面白いおっさんだな」
「蛇の道は蛇。試しに質問してよ、なんでも答えられるから。海賊ギルドのお宝か
?それともアスピオの魔道王が持ってると言われてるトートの書の話か?それとも、そうだな……」
「トートの書ってのは多少興味あるけど、それより、今はここを出る方法を教えてくれ」
「何したか知らないけど、十日も大人しくしてれば出してもらえるでしょ」
「そんなに待ってたら下町が湖になっちまうよ」
元々期待してなかったが、とりあえず皮肉で返すユーリ。
「下町……ああ聞いた聞いた。水道魔導器が壊れたそうじゃない」
「今頃……どうなってんだかな」
「悪いね。その情報は持ってないわ」
壁一枚隔てて、何の益もないような会話が続けられる。衛兵がいたら、あまりにも空虚な内容に耳障りだと騒ぎ立てるかもしれないほどだ。
「モルディオやつもどうすっかな」
「モルディオって、アスピオの?学術都市の天才魔道士と、おたく関係あったの?」
「知ってるのか?」
無益な会話の中で、初めて有益な情報を掴んだ。気だるげな声は鳴りを潜め、途端に真剣な声音へと変わる。が、その後も特にそれ以上の情報は出てこなかった。
「出ろ」
人気のない牢獄へと来た人物はユーリも知っているほどに有名な人物だった。騎士団長アレクセイが何で。そんな思考を巡らせていると、釈放された隣のおっさんがユーリの牢の前でわざとらしく躓いて見せた。
「騎士団長直々なんて、おっさん何者だよ」
「……女神像の下」
小声で訊いたユーリの質問を無視し、おっさんはぼそりと一言だけ呟くと、鉄格子の隙間から鍵をすべり込ませてきた。
「何をしている」
「はいはい。ただいま行きますって」
急かされるままに早足でおっさんが出ていくと、再び牢獄には一人となる。
「……そりゃ抜け出す方法、知りたいとは言ったけどな」
呆れた顔でぼやきながらも、しっかりとこの鍵の世話になる事を決めたユーリは、即刻鍵を開け、脱獄を開始した。
「なんだ……?」
暫くしてから、異変に気付く。無事に誰にも見つからずに来ているはずなのに、城内がどことなく慌ただしいのだ。
「まったく、勘弁してくれよ……」
厄介事と、ピンポイントでエンカウントしてしまった。丁度角を曲がったところにある場所で、豪華なドレスに身を包んだ女の子が衛兵に囲まれている。耳を澄ませると、確かにフレンと言う名を口にした。
「見ちまった以上、放っておくことは出来ないか……。それにフレンの名前を出したもんな!」
勢いよく躍り出て、次々と集まる衛兵の内数人を奇襲で片づける。
「貴様!何者だ!」
「通りすがりの脱獄犯、なんてな」
慌てふためく騎士を、一人また一人と倒していく。ユーリの使う剣技は我流かつ独特なので、余程の腕がなければ初見では防げない。
「最近の騎士団じゃ、エスコートの仕方も教えてくんないのか?」
あっという間に兵士を一掃し、一息を入れていると背後に嫌な気配を感じた。
「えいっ!」
「なにすんだ!」
なんと、助けてあげたと思っていた女の子が壺で後頭部を狙っていたのだから洒落にならない。
「……だってあなた、お城の人じゃないですよね?」
「そう見えないってんなら、そらまた光栄だな」
頬を伝う冷や汗を隠すように皮肉で返すと、よく聞く大声が自分の名前を読んでいるのが響いてきた。
「ユーリ・ローウェル?もしかして、フレンのお友達の?」
「ああ、そうだけど」
「なら、以前は騎士団にいた方なんですよね?」
「ほんの少しだけだけどな」
桃色の髪の少女から視線を外したのは、思い出したよくないことを悟られてしまわないように。
「それ、フレンに聞いたの?」
「はい。アスピオの魔導王について書かれた著書を読んでいた時に偶然」
「へえ。あんた、見かけによらず攻撃魔術なんか使うんだ?」
「回復術に比べたらからっきしですよ?」
お互いに理解できないという表情を浮かべる。どうやら、情報に齟齬があるようだ。どう考えてもユーリが知らないだけなのだが、今はそんな事を気にしている場合じゃない。
「のんびりしてる場合じゃないな」
先ほどの大立ち回りを聞きつけた兵士たちが、次々とここへ向かっているようだ。
「まずはフレンのところへ案内すればいいか?」
「あ、はい!」
「それじゃあ行くぞ」
比較的早めに動き出したのが功を奏し、手薄となったフレンの部屋付近へは容易にたどり着くことが出来た。出来たのだが……。
「そんな……間に合わなかった」
部屋はいつもよりもきれいに整えられ、恐らく遠出なのだろうとユーリは言った。それから少しの間、慌てるように連れて行ってくれと捲し立てた桃色の髪の少女だが、ようやく冷静さを取り戻してくれたようなので。
「訳ありなのは分かったから、せめて名前くらい聞かせてくんない?」
ようやくまともに意思疎通が出来ると思ったその時。
「オレの刃の餌になれ……」
ドアを蹴破って入ってきた派手な髪の少年。また厄介事かよ。自分のあまりにひどい星回りに、ユーリは頭を抱えた。
・・・
「で、その後教えた抜け道から城を出て、帝都を離れた。もうすぐデイドン砦あたりに着くんじゃない?」
「そうか。なら一応顔くらい拝んでおくべきかな。幸運なことに、ここクオイの森からならデイドン砦は目と鼻の先だ」
「あら、顔も知らないってのにあのお姫様の動向を探らせてたの?ってことは結構厄介なネタだったりするのかねえ。どっちにしろおっさんのやることに変わりはないけども」
あたかも会話している風だが、僕の他に人影は存在しない。傍から見れば、ひとりごとを呟いているように見える事だろう。その手にある特殊な魔導器はすでにほとんど現存しておらず、所持しているのも使い方を知っているのも僕しかいないのだから。
「しっかし通信魔導器だっけ?これ本当に便利よね。後二、三個持ってたりしないの?」
「残念ながらないな。これは、顔も知らない両親が住んでいた家にあったものを、勝手に使ってるに過ぎないんだよ」
本当は理論も作り方も知ってるが、そんなことが知れ渡ったら大変だし、そもそも作る気も全くない。
「じゃあ、切るぞ。引き続きそっちの監視を頼んだ」
「あいあい、ばっちり任せときなって」
その言葉を最後に魔導器の発光が収まり、森はいつも通りの静けさを取り戻す。満月の子がどう動くかは分からないが、これはフェローも動くか。
「まったく、どうして人間ってのはこうも滅びに突き進むのかねえ」
この健やかな森林もそのつけを払わされてしまっている場所の一つ。自然がなければ生きていけないのに、自然を侵食するその様は、性質の悪い病気のようだ。自分たち生かしてくれているこの星を害するその傲慢さは、やはり僕には理解できないものだった。
○○○
デイドン砦に到着すると、大きな門は閉じられていた。季節外れの魔物の襲来により、つい先ほど緊急で閉門したようだ。耳を澄ませば、慌ただしい声や魔物が引き起こす地響きがまだ聞こえてくるのだから、間違いないだろう。
「なぜこんなところにいる、トート」
「こっちのセリフだ、デューク。暫く見ないと思ったらこんなところにいたのか。たまには顔を見せろよな」
不意に話しかけてきたのは銀髪の美青年。その銀の髪は、僕自慢の髪と比較しても遜色がないほどにきれいだ。始祖の隷長は以外にも毛並がに気を使うやつが多いので、僕もそれに倣ってるに過ぎないのだが。
「会いにいかなかったことについては済まないとは思っている。しかしお前の案じていた通り、ここ数年でエアルクレーネの暴走が頻繁に起こり、時間が取れなかったのだ」
「今のは皮肉だ。まともに受け取らなくていいんだよ」
「む……」
相変わらず冗談が通じない奴を地で行く男だ。まあ、少なからず浮世離れしているからこそ、エルシフルもクロームも引かれたのだろうが。
「……私はそろそろ次のエアルクレーネに向かわねばならん」
「そう急かすな。一言で言うならば、満月の子を見に来たんだ」
「……消すのか?」
「そういうのは盟主様に任せるさ」
やだやだ、とうんざりした顔で答えると、デュークは軽く頷いて僕に背を向けた。
「……また会おう」
短くそう告げると、振り返らずにその場を去る。残された僕は軽い虚脱感に襲われたが、とりあえずは目的を果たすために動き出すことにした。
「なるほど、桃色の髪はよく目立つな。あまり広くはないといえ、一分かからずに見つかるとは思ってなかったぞ」
傍らには凛々しい犬が一匹に長髪の青年が一人、それと見知った顔の女性が一人。ギルド『幸福の市場』のボス、メアリー・カウフマンだ。以前からギルド関係でしつこい勧誘を受けているので忘れるはずもない。
「驚いた。あなたとアスピオ以外の場所で会うなんて」
「……僕もアンタの口から執筆の勧誘以外の言葉が出るとは思わなかった」
「私はまだ諦めてないわよ。あなたの頭脳はいわばお宝の山。宝の持ち腐れなんて、商人としては見過ごせないもの」
やはり諦める気は毛頭ないらしい。商人という枠の中で、カウフマンは間違いなく人類トップクラスの傑物だ。長きにわたって世界を見てきた僕が言うのだから間違いない。だからこそ、この不屈ぶりに困らされているのだが。
「あんたは……」
「ああ、見たことある長髪だと思ったら。シゾンタニアで会った少年じゃないか」
「ユーリ、お友達です?」
カウフマンの定型文の一部のような驚きとは違い、目を見開いている青年。名前は確かユーリ・ローウェルと言ったっけか。
「エステルも名前は知ってる有名人だぜ。なあ、トートさんよ」
「トート……?」
「あんまり大声で呼ぶな。世の中には勝負を吹っかけてくる馬鹿な魔道士もいるんだよ」
「へえ。案外苦労してんだな、魔導王さんも」
「魔導王……?」
先ほどから、ひょこひょこと効果音が鳴りそうな感じに首をかしげている少女。小動物を彷彿とさせるが、それでも隠しきれない高貴な雰囲気と桃色の髪は、皇族特有のもの。その事実が彼女こそが満月の子なのだと示している。
「ほ、本物ですか……?」
「偽物はあらかた退治したから、もういないはずだよ」
彼女は意外と、いやかなり天然なようで、何度も僕とユーリを交互に見てからようやく、僕がトート・アスクレピオスだと理解したらしい。
「あ、あの!初めまして、私はエステリーゼと申します」
「見てみなよ少年。これが普通の反応だぜ」
「ユーリでいい、もう少年って歳でもないだろ。それにあんたが大した奴だってことは知ってるよ。俺たちを囲んでた魔物を一掃した氷の柱、あんたなんだろ?」
口元に軽い笑みを湛えながら聞いてくるユーリに対し、目でそうだと答えると、放置していた満月の子、もといエステリーゼに向き直る。
「もう知ってるみたいだけど、学術閉鎖都市アスピオのトート・アスクレピオス。以後お見知りおきを」
「あの……、トートさんは特殊な回復術を使えると本で読んだのですが……」
「トートでいい。しかし、情報をいったいどこで?僕ついての書籍はすべて廃棄したはずだが」
「お城の―――」
「人の口に戸は建てられないってことさ。それよりも俺たち急いでるんだ。あんた、抜け道とか知らない?」
興奮して口を滑らせそうになったエステリーゼの言葉を、ユーリが遮る。だが、そうか。城のどこかに在るのなら、今度レイヴンかクロームに頼んで廃棄してもらうとしよう。
「ここから西に行くとあるクオイの森を抜ければ、この砦を越えなくても向こう側に行ける。ま、多少魔物は出るけどね」
「クオイに踏み入る者、その身に呪いふりかかる、と本で読んだことが……」
「その辺は行ってみてのお楽しみだな。行くも行かないも自由だけど、急ぐんなら他に道は無いと思うよ」
懐から小さな紙片を取り出してユーリに渡す。僕自作の、このあたりの細かな地図だ。一応持ち歩いてはいるが、世界中を千年以上の間見て回ってる僕には全く必要ないのだが、なんとなく捨てられないでいた。
「礼は言っとくぜ」
「別にいいよ。僕には必要ないものだしね。その地図の出所を聞かれたら、カウフマンと答えてくれればそれでいい。それで護衛は僕が引き受ける。これならカウフマンも文句ないだろ」
「随分と豪勢な護衛ね。さぞお高いんでしょう?」
「言質を取っておかなきゃ安心できないのは分かるが、そういう疲れるやり取りはのは商人同士の時にやってくれ」
去っていくユーリたちを見送りながら、僕は出来るだけうんざりしたような声で言った。
・・・
デイドン砦で貰った地図を頼りにクオイの森へと向かったユーリたちであったが、エステルはその森の薄暗さを目の当たりにして立ちすくんでしまった。もっとも、書物で育ったと言っても過言ではないエステルの想像力が、薄暗い森を呪われていると感じてしまうのも無理からぬことなのだが。
「足元がひんやりします……。まさか!これが呪い!?」
「どんな呪いだよ」
「木の下に埋められた死体から、呪いの声がじわじわと這い上がり、私たちを道ずれに……」
「おいおい……」
顔面蒼白になったりならなかったり。そんなエステルを見ながらユーリは、生きてて楽しそうだな、とぼんやり思っていた。その時だった。
「……あれは?」
視界に映ったのは、けもの道しかないようなこの森には似つかわしくないもの。魔導器の残骸があった。
「これ魔導器か、なんでこんなところに……」
「魔導器です?」
初めての外で疲れが出たのか、少し遅れるように着いて来ていたエステルがユーリよりも前に出る。
「……あれ、これは?」
何かに気が付いたのか、詳しく調べるために近づこうとすると、突然魔導器辺りが強く発光し、収まった時には、その場に倒れるエステルがいた。
「これが呪いってやつか?」
手早くエステルを抱きかかえると、少しだけ先に進み、開けた場所に寝かせた。そして、数時間後。
「わたし、いったい……」
「突然倒れたんだよ。何か身に覚えはないか?」
「もしかしたら、エアルに酔ったのかもしれません」
目を覚ましたエステルだが、なんとなく自分の身に何が起きたのかは感じていた。これも、今まで読んできた膨大な書物の授けてくれた知恵の一つだ。
「エアルって、魔導器を動かす燃料みたいなもんだろ?目には見えないけど、大気中に紛れてるってやつ」
「はい、そのエアルです。濃いエアルは人体に悪い影響を与える、と前に本で読みました」
「ふーん。だとすると、呪いの正体はそれかもな。魔導王さんも人が悪いこったな」
軽い雑談の後、フレンフレンと逸るエステルを諌めて、いや丸め込んで、ここで暫く休憩を取ることにした。
○○○
「さて、そろそろ行くか」
休憩がてらに軽い食事も採り、気を取り直して花の街ハルルへと歩きだした。が、それも束の間、程なくして次なるトラブルがユーリたちへと訪れた。
「グルルルルル……」
身を低くし、警戒を促すように唸っているのはラピード。いつ外敵が襲ってきても平気なように、その鋭い目をさらに鋭くしている。
「エックベアめ、か、覚悟!」
まだ幼さの残る声と共に、身の丈を超える大剣を持った子供が表れた。ラピードを魔物と勘違いして襲い掛かるも、文字通り身に余る大剣に振り回されて自爆。ユーリが止めるまで、独楽のようにくるくると回っていた。あのまま誰も止めなければ永久に回り続けてたかもしれない。
「う、いたたたたた……。ひぃ!ボ、ボクなんか食べても、おいしくないし、おなか壊すんだから」
「忙しいガキだな」
「だいじょうぶですよ」
見るに見かねたエステルが近づいて話しかける。
「あ、あれ?魔物が女の人に」
辺りを見私、遅ればせながらも安全なのだと理解した少年は立ち上がり、服に付いた土を軽く払った。醜態を晒した羞恥からか、頬がわずかに赤らんで見える。
「僕はカロル・カペル!魔物を狩って世界を渡り歩く、ギルド『魔狩りの剣』の一員さ!」
「自己紹介ご苦労さん。んじゃ、そういうことで」
「あ、え?ちょっとユーリ!」
胸を張って自己紹介をしたカロルを軽くあしらい、とっとと先に進もうとするユーリをエステルが引き留めた。
「お話くらい聞いてあげませんか?子供がこんなところに一人ぼっちなんて……」
「エステル、こいつの話聞いてたか?まがいなりにもギルドの人間なんだ。頼まれてもいないのに助けるのはお節介ってもんだろ」
「頼む時間すらなかった気が……」
会ってから数分にして、会話に自然に溶け込んでいるカロル。順応力はピカイチだ。
「そんなことより、二人ともこの森を抜けてきたなら、エックベア見なかった?」
「さあ、見てねえと思うぞ」
「そっか……。なら僕も街に戻ろうかな……。あんまり待たせると絶対おこるし……。うん、よし!二人だけじゃ心配だから『魔狩りの剣』のエースであるボクが。街まで一緒に行ってあげるよ」
露骨に面倒そうな顔をするユーリを無視し、カロルの街までの同行が決まった。
「それじゃあ、地図を……あれ!?無い!ボクの地図が無いよ!?」
「大丈夫です。地図なら私たちも持ってますから」
「いや、そういう問題じゃあ……ってなにこれ!?こんな精巧な地図見たことないよ!」
「さっきから賑やかな奴だな」
カロルの興味を引いたのは、デイドン砦でトートからもらった地図だった。
「測量ギルド『天地の窖』のと比べても、こっちの方が凄いんじゃないかな、これ。いったいどこでこんなもの」
「カウフマンってお姉さんに頂いたんだよ」
「カウフマンってもしかして『幸福の市場』の?確かにあの人なら持っててもおかしくはないけど」
「やっぱり有名人なのか?」
ユーリはそう聞いてから、しまったと深く反省した。何故なら目の前のカロルが待ってましたとばかりに、瞳を輝かせていたからだ。
「カウフマンは『天を射る矢』『幸福の市場』『紅の絆傭兵団』『遺構の門』『魂の鉄槌』っていうギルドを纏めてるユニオン所属五大ギルドの一つ『幸福の市場』のボスなんだ。帝国の管理が無い地域の流通のほとんどを手中に収めてるって噂だよ」
「へえ。そりゃ大したもんだな」
「一時期、書籍市場も独占しようとして『翠玉の碑文』ってギルドと同盟を結ぼうとしたらしいよ。結局、相手側が断ったみたいだけど」
「『翠玉の碑文』。数年前に突然現れて、書籍市場を掌握したギルドですね」
それまで話を聞いているだけだったエステルが、生き生きとした表情で話の輪に加わってきた。さっきのカロルと同じ目をしている。
「童話から専門書まで、ありとあらゆる本を発行していると聞いています。私の愛読書もこのギルドの物が多いんです。ですが、調べてもギルドそのものに関する情報はほとんど無くて……。カロルは何か知りませんか?」
「うーん。『天を射る矢』のドンがギルドへの加入を直接頼み込んだって話は有名だけど……。後は、ダンクレストに一応本部らしきものがあるってことくらいしか知らないや」
「らしきもの、ってどういうことだ?」
「ダンクレストの端っこの方に、『翠玉の碑文』の今まで出した本が全部収まってる大きな図書館だあるんだけど、運営してるのは『天を射る矢』のメンバーなんだ」
「図書館ってことは本をタダで読めるのか?随分太っ腹なんだな、その『翠玉の碑文』ってギルドは」
「それが『翠玉の碑文』なりのギルドへの貢献ってことなんだと思うよ。実際のところ、あの図書館はギルドの人間に大人気だし」
僕も行ったことあるよ、と自慢げに語るカロルと、それをうらやむエステルを尻目に、ユーリは『翠玉の碑文』について考えていた。今まで聞いた情報を総合すると、なんとなくトートを思い出す。そういえば、シゾンタニアで会った時もギルドの人間でもあると言っていた気がするが。
「まさか、ね」
面倒な事実を知ってしまったかもしれない、と軽く首を振る。気が付けば遠巻きにハルルの街が見えた。
十日くらいを目安と言いましたが、書き終えたらすぐに投稿するつもりなので、予定通りにはいかないかもしれません。
設定の矛盾などあれば、指摘していただけると助かります。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
二話(学術閉鎖都市アスピオ~ギルドの巣窟ダングレスト)
護衛を済ませアスピオへと戻ってくると、これまた見覚えのある騎士を見つけた。自己紹介こそしていないが、シゾンタニアでユーリと一緒にいた金髪の少年だ。副官らしき女性と共に、肩を落として歩いている。あの方向にあるのはリタの家だけなので、まあ、そういうことだろう。
「前を見て歩かないと危ないぞ、少年」
「これは、申し訳――あなたはっ!?」
面と向かって挨拶をしたこともなかったはずだが、あちらはしっかりと僕の顔を覚えていたようだ。
「その節はお世話になりました。私は、フレン・シーフォと申します」
「その様子だと、リタに振られたようだな」
「お恥ずかしながら」
「おい、その聞き方は無礼ではないか?」
お互い自己紹介もせずに軽口を交わしていると、一歩後ろに控えていた騎士の女性が口を挟んだ。
「本人が気にしてない以上、君が口をはさむことではないと思うが」
「なんだと……?」
「やめろ、ソディア。彼はここの責任者、立場で言ったら私の方が下だ」
「なっ、も、申し訳ありません。貴方が彼の魔導王とはつゆ知らず……」
ここの責任者、と聞いたとたんに騎士の女性の顔色が青くなる。
「別に畏まらなくてもいい。それと、僕はそれで怒るほどに狭量じゃないからいいけど、世の中にはそうじゃない奴の方が多いぞ」
「……肝に銘じておきます」
許しの言葉に緊張が解け、ほっと胸をなでおろしている。この女性、実に危ういタイプの人間だ。崇拝は時に幾千の兵器よりも恐ろしい物であると、僕がこの目で見てきた歴史が証明している。
「まあ、いいや。そんなことより、何の用だ?騎士団が来るってことは、何かの支援要請かな」
「ハルルの街の結界魔導器が止まってしまい、解決の手段を専門家に聞こうと思い来ました」
「リタ……は断られたか、そうだな、ウィチルっていう魔導士を連れていくといい。僕の家にある本をどれでも一冊持って行っていい、と言付けてくれれば喜んで協力するはずだ」
僕は懐から手帳を取り出し、その旨を書き留めると切り取ってフレンへと手渡した。
「若いが持ってる知識は豊富だから、力になると思うぞ。それに、ここでは珍しく良識のある奴だ、リタとは違ってな」
「お心づかい感謝します」
良識のある、のところでピクリと反応した。リタの奴、相当こっぴどくあしらったらしい。
「じゃあ、僕はこれで。これからシャイコス遺跡の魔物を一掃してから、ダングレスト、その足でノードポリカに向かわなきゃならないんだ」
「シャイコス遺跡……。それならば、私たちの同行を許可してもらえないでしょうか。この近辺で遺跡荒らしが活動しているという情報があるのです」
「そういうことなら拒む理由はないね。入口の門で待ってるから、出来るだけ早く来てくれ」
それだけ言い残すと、自前の杖を取り出してその場を去った。
○○○
「遺跡の中の物を触るときは、ウィチルに確認を取ってからにすること。それから、地下の事は他言無用とする」
「了解しました」
シャイコス遺跡地下への入り口となる石像前にて、フレンの言葉に一糸乱れぬ動きで列をなる騎士たち。これほどまでの動きとなると、練度がどうこうではなく、人徳のなせる技だろう。
「先行し、魔物の排除を行う。ウィチルとフレンは着いて来てもらえるか」
「分かりました。ではソディアは私が戻るでの間、皆と共にここで待機を」
「了解しました」
伝令を終えると、僕を先頭に暗い地下へと潜っていく。空気は冷え込み、湿気は無いが、洞窟のように蝙蝠がいてもおかしくないくらいの雰囲気だ。コツリコツリ、と足音だけが響き渡り、さっそくその足音に群がるように魔物たちが集まってきた。
「手は出さなくていい」
庇うように前へ出ようとしたフレンを引き留め、僕は杖を地面に立てる。それも、全く同じものが二本。蛇の装飾をあしらった杖はまるで自立しているかのように突き立ち、僕の言葉を今か今かと待っている。
「起きろ。『カドゥケウス』」
甲高い音と共に、二つの杖を中心に大きな魔方陣が浮き上がり、まるで最初からそうであったかのように融合した。彫刻であったはずの蛇は本物のように動きだして、その双頭は獲物を見定めるようにゆらゆらと虚空をさまよっている。頭脳明晰なフレンだが、いや、専門家であるはずのウィチルでさえどのような原理でそうなっているのか見当もつかないが、杖には神々しい輝きを放つ翼が生え、その圧倒的な存在感をまき散らす。
「ウィチル、障壁を。一掃するとなると、そっちへ多少の被害が出る可能性がある」
「は、はい!」
初めて僕の魔術を見る機会に恵まれたためか、カチコチに緊張しながらもしっかりとした手順で強力な障壁を作ってゆく。リタとは違い天才ではないが、この子は秀才だ。ゆっくりでも確実に何かを仕上げるという才能がある。
「我が身は創世の賢者にして月の現身。顕れるは五柱が一つ、死者の守護神。ここに帰依し奉る」
解き放たれた蛇が縦横無尽に空中を這い回り、一瞬のうちにその術式が完成した。何もかもが異常である中で、フレンとウィチルが驚愕したのは、その発動時間のあまりの短さに。本来、術士は援護なしでは発動前に少し妨害されるだけで、その術の発動が極めて困難になる。しかし、これほどの速さならば妨害などする間もない。つまりは防ぐことが不可能に等しいのだ。
「降神権能、コード・ネフティス」
辺りから一部の光すらも失せ、それでも感じる禍々しい気配は常軌を逸していた。まるで死がそこに在るかのように、真っ暗な闇の中で今も耳元で囁いているかのように。自分はもう死んでしまっているのではないかという錯覚さえ起こしそうな漆黒の中、フレンとウィチルはかろうじて正気を保つことが出来ていた。音も無く、しかし、確実に魔物の命を奪っていく。一晩よりも長く感じた闇が晴れると、無数にいた魔物は、傷一つなく殲滅されていた。こうして、たった一つの術の行使によって、シャイコス遺跡に巣食う魔物の駆逐は完了したのだった。
・・・
フレン一行がシャイコス遺跡の調査を終え、再びハルルへと出発したその頃、ユーリたちはフレンを追ってアスピオへと来ていた。もはや芸術的なまでのすれ違いなのだが、当の本人たちはそれを知る由もない。
「ドロボウは……ぶっ飛べ!」
「いやぁぁぁ……!」
ユーリの目的でもあるモルディオさんのお宅を物色していると、本の山と山の間から人影が現れた。寝起きで機嫌が悪いのか、はたまた勝手に入ったことに憤慨しているのか。おそらくは、その両方の理由で、カロル目掛けて火球を飛ばした。
「けほけほ。ひどい……」
「お、女の子っ!?」
カロルはダウン、エステルは驚き、そしてユーリは冷静に剣を抜いた。
「こんだけやれりゃあ、帝都で会った時も逃げる必要なかったのにな」
「はあ?逃げるって何よ。なんで、あたしが、逃げなきゃなんないの?」
「そりゃ、帝都の下町から魔導器の魔核を盗んだからだ」
「いきなり、何?あたしがドロボウってこと?あんた、常識って言葉知ってる?」
「ま、人並みには」
人を小ばかにするような皮肉と高圧的な言葉の応酬に、エステルもカロルも入っていけないでいる。特に箱入り娘状態のエステルは、これほどの舌戦を見ること自体初めてだろう。
「……あんた、今すぐそこをどきなさい。その本は踏んづけていいもんじゃないのよ」
足物にある本を視界に収めた途端、リタの声音が著しく変質する。
「それは、学長の本なの。分かる?この世界で最も価値のある本のうちの一冊よ。敬意を払いなさい」
「あ、ああ。そいつは悪かった」
突然豹変した態度に、流石のユーリも気圧されてしまい、素直に謝罪の言葉を口にした。
「あんたたちがどういうつもりでここにいるのかは知らないけどね、アスピオにいる以上、あの人を蔑ろにしたら血祭りにあげられるわよ」
「……肝に銘じておくよ」
「ならいいわ。それで、あんたたちいったい何なの?」
少しは溜飲が下がったらしく、気を取り直して話を再開を促すリタ。
「私、エステリーゼって言います。突然、こんな形でお邪魔してごめんなさい!……ほら、カロルとユーリも」
「ご、ごめんなさい」
「…………」
疑いの晴れてないうちは謝らない、と頑なな姿勢を見せるユーリだが、先ほどついつい謝罪をしてしまったので少々恰好が付かない。
「で、結局あんたらなに?」
「えと、ですね……。このユーリという人は、帝都から魔核ドロボウを追って、ここまで来たんです」
「それで?」
「魔核ドロボウの特徴ってのが、マント!小柄!名前はモルディオ!だったんだよ」
びしっと指を突きつけて、そう言い放ったユーリだが、実際のところすでに疑いはあまりしていなかった。なぜなら、目の前の少女は大事なもののために怒ることが出来る人間だから。
「ふーん。確かに私はモルディオよ。リタ・モルディオ」
「背格好も情報と一致してるね」
「で、実際のところどうなんだ?」
「さっきの本、半年頼み込んでようやく貸してもらえたの。そんなことしてる暇があったら……あ、その手があるか。着いて来て」
あくまで自分のペースで話を進めるリタ。
「シャイコス遺跡に窃盗団が現れたって話。なんか協力要請に来た騎士が、たしかそんな事言ってたわ」
それだけ言い残すと、遺跡調査用の動きやすい服へと着替えるために家の奥へと消えた。
「その騎士ってフレンの事でしょうか?」
「……だな。あいつ振られたんだ」
「そういえば、外にいた人も遺跡荒らしがどうとか言ってたよね?」
「つまり、その盗賊団が魔核を盗んだ犯人ということでしょうか?」
「さあなあ……」
こっそりと、三人近寄って話し合う。そんな必要は全くないのだが、なんとなくだ。
「相談、終わった?じゃ、行こう」
「とか言って出し抜いて逃げるなよ」
手早く着替えを済ませてきたリタの一声に、そんな戯言を返しつつ、ひとまずはシャイコス遺跡に行くことに決定した。
・・・
ダンクレストまで共に行きませんか、というウィチルの熱望を振り切り、僕は一人歩を進めていた。ウィチルの目が危なかったというのも大いにあるのだが、本命はエフミドの丘へ墓参りに行きたかったからだ。
「よお、来てやったぜエルシフル」
海がよく見える崖の淵に、ぽつんとたたずむ小さな岩。僕とデュークで建てた、盟友の墓。決して立派とは言えないが、あいつはきっとこういう方が好きだと言うだろう。
「生憎、今日は僕一人だ。デュークの奴はあんたとの約束を守るために忙しくてな」
僕の独白は、肌をなでるそよ風に運ばれて消える。
「最近やっと分かったんだよ。終わりがない僕がやるべきこと。やらなければならないこと。理解したよ。一番選びたくないと思っていた道こそが、僕にとっての正道だったのだと」
ゆっくりと瞼を閉じて、様々な思いを巡らせる。
「出した結論はきっとあんたと同じさ。いや、あんたよりも少しだけ広いか。まあ、とにかく安心してくれ」
小言を言うエルシフルを幻視して、思わず頬が緩み苦笑が漏れる。木漏れ日がこんなにも気持ちがいいから、今日はもう少しだけここにいよう。墓前には供え物は、幾星霜を経てようやく出した僕の答えを。
「……しまった。花束を持ってくるのを忘れたな」
僅かに逡巡したのちに、ある本、世間一般からは『トートの書』と言われている魔導書を取り出すと天高く放り投げる。空中でばらけたそれらは、空巡る星を高速にしたようにせわしなく動き、それに呼応するように墓前に金で出来た花束が生成されていく。他者には理解不能な文字の羅列が駆け巡り、純金の花束は完成した。一歩間違えば嫌味な成金の所業だが、僕らしくていいだろう。
「随分と豪華な供え物だな」
「ここに眠る者のことを考えれば、これくらいでようやく妥当だ」
些か物思いにふけり過ぎたらしい。振り返るとそこにはユーリたちが立っている。以前会った時よりも二人。子供と、驚くべきことにリタがメンバーに加わっている。なんとも賑やかそうな顔ぶれだ。
「誰の墓なんだ?」
「古い友人さ。大した奴だったんだが十年ほど前に逝っちまってな」
「ですが、なぜこんなところにお墓を?」
「その辺はまあ、お察しって所だな」
展開していた紙の群が手元に戻り、纏まって元の一冊の本へ。リタの好奇心を形にしたような熱い眼差しから、一刻も早く保護しておかなければ、いろいろと危ない気がした。
「ちょ、ちょっと学長!今の何よ!もう少しよく見せなさいってば!」
「あっはっは。断る。知っても今のリタじゃあ理解できなくて発狂するのがオチだ」
「私に不可能はないわ。いいからその本を寄越しなさい!」
「む、無茶苦茶言うな……」
名も知らぬ少年は顔を引き攣らせている。これくらいの会話の押し付け合い、アスピオでは日常茶飯事なのだが。
「とにかく、これは現在の基盤を破壊しかねない理。そう易々と教える訳にもいかないんだよ。悔しかったら早いとこ僕に追いついて見せるんだな」
「ぐぬぬ……!いいわよ、今に見てなさい。必ずアンタを超えてやるんだから!」
額に青筋が浮き出して、地団駄を踏んでいる。とてもじゃないが女の子のする顔ではない。
「天才魔道士様も、アスピオの魔導王の前には形無しって訳だ」
「アンタも一回挑んでみるといいわ。絶望って言葉の意味がよく分かるから」
「ちょ、ちょっと。なんでみんなそんなに冷静な訳!?アスピオの魔導王って言ったら気性が荒くて、機嫌が悪いといきなり術でぶっ飛ばされるって話が……ってあれ、リタとそんなに変わらない?」
「へえ、いい度胸してるじゃないの」
血涙を流してそうな断末魔を上げながらお仕置きされている少年を、視界の隅に捉えながらこちらはこちらで話を進める。
「俺たちフレンって騎士を探してるんだけど、王様心当たりあったりしない?」
「おい、前にも言ったがその呼び方は辞めろ。不敬罪で連行されるまで秒読み待ったなしだ」
かつて、周りが勝手に魔導王と二つ名のようなものを付けた時も、頼んでもいない騎士のパレードがアスピオへ押し寄せて来て死ぬほど大変だったのを、今でも鮮明に覚えている。
「それで、フレンだっけ?ここに来る前まで一緒にいたぞ」
「本当ですか!?」
「ああ、シャイコス遺跡に行った後、ハルルまでは行動を共にしていた。あんたたちも知っての通り、僕はここに墓参りに来るつもりだったから、別れたけど」
「行き先は?」
「動向を求められたから、とりあえずはカプワ・ノールだろうね。普通の人は船に乗って行くから」
「じゃあ普通じゃないあんたは船なんかいらないのか?」
「………………」
「……そこで黙り込むあたり、マジなんだな……」
上げ足を取ったつもりが、取れた物は知ってはいけない類いの事実。いつもの余裕の笑みは崩れ、口元がひくついている。
「そういう訳で、僕としては港を経由しないでダングレストへ行くつもりだ。騎士団の連中は堅苦しくて息が詰まる。旅に気疲れは必要ないしね」
「ああ、それにはまったくの同感だわ」
しみじみと頷くユーリは、どこか枯れたおじいさんのような雰囲気を醸し出している。滲みでる規律とか規則とか大嫌いです感が、今まで会った誰よりも凄い。それこそ、そんな話題欠片も出ていないのに、理解できてしまうくらいには。今までどうやって収入を得ていたのだろうか。
「さて、話が終わったらもう行け。僕は後暫しの間、ここで祈りでも捧げてやるつもりだからな」
黒こげになっている少年や、何かを聞きたそうにしているお姫様から視線を切ると、僕は静かに目を閉じた。
○○○
「アイフリードの孫らしき人物?」
「そそ。カプワ・ノールの執政官の家の前で、噂の元凶になってるのを見たっぽいのよね。たくさんある情報と特徴も一致してるし、まあ、間違いないっしょ」
「……面倒を嫌ったのが仇になったか」
墓の周りの整備を終えた僕は、比喩ではなく一直線にダングレストを目指した。丁度海が見える崖の上だったし、何よりとても清々しい気分だったから。これも比喩ではなく、空を飛びたくなってしまうほどに。
「あれに孫ねえ。難儀な性格に育ってなけりゃいいんだけど」
「ご本人と面識ありなわけ?」
「お前な、アイフリードも人魔戦争の参加者だぞ」
目の前に座っている胡散臭さ全開のレイヴンと話しながら、コーヒーを啜る。ていうかこいつ、カプワ・ノールにいたはずなのに、どうやってこんなに早くダングレストに到着できたのだろうか。
「それと、もう一つ。旦那のお仲間さんっぽいのに乗った人、が執政官の邸を強襲して、魔導器を破壊してったわ。やっこさん、多分巷で竜使いだなんて呼ばれてるって話だぜ」
「特徴は……?」
「んー、魚に羽が生えてるような感じ?」
盟主様がとうとう動き出したのかと思ったが、杞憂に終わった。レイヴンの情報によれば、フェローとは似ても似つかない容姿の始祖の隷長。おそらく数年前にあった若造だろう。
「そいつは問題なさそうだから放置でいいや。巨大な怪鳥の始祖の隷長が現れたら報告してくれ。名前はフェローだ」
「あいあい。それじゃあ最後の報告だけど、旦那の図書館を乗っ取ろうとしてる輩がいるみたいね。無知って怖い!」
「お前、その胡散臭いキャラどうにかならんのか?」
どこまでが本気でどこまでが冗談なのか、非常に分かりにくい。へらへらと本音を隠す技術は認めるが、いき過ぎるとピエロのように見えてしかたない。
「おっさん、割と素なんだけど……。ま、まあそれはさておき。『紅の絆傭兵団』、知ってるでしょ?そこのボスがまた困ったくらいの野心家で、ドンの座を狙って暗躍してんの。んで、その障害になるかもしれない『翠玉の碑文』の本部へ襲撃を仕掛ける腹積もりみたいよ」
「極力、素性は晒したくなかったけど、そろそろ潮時みたいだな」
「そゆこと。じゃあ、おっさんはまた監視に戻るとするかね」
ゆっくりと席を立つと、振り返らずに手を振りながら酒場から出ていく。いろいろと考えるべきことはあれど、まずはドンに会いに行こう。話はそれからだ。
○○○
「お前ぇか。遠いところよく来たな」
ユニオンの本部へと到着すると、一も二もなく最奥にあるドンの部屋へと通された。
「まあ、座れ。会うのも久々だ、たまにはゆっくり話すとしようや」
「……酒は出すなよ。僕が酔っ払ったら街が平らになるからな」
「がははは。そんときゃ俺が責任持って止めてやる」
小さなテーブルに向かい合って座り、ドンの注いだ飲み物を手に取る。
「まずは、友との再会に乾杯といこうじゃねえか」
やれやれ、と軽く笑みを浮かべながら、僕はドンの掲げたグラスへ自分のグラスを軽くあてる。交友関係にまともな人間が、ドンとデューク。それにアイフリードとレイヴンくらいしかいないから、乾杯など滅多にしないのだ。
「まずはお前ぇに謝らなけりゃならん。預かってた図書館が荒らされちまってな、どうにか復元したんだが、それでも完全には程遠い。すまなかった」
「いいさ。落とし前は『紅の絆傭兵団』に直接つけさせる。世界も大きく動き出したし、そろそろ僕も舞台に上がるには良い頃合いだ」
「……始祖の隷長絡みで何かあるのか?」
「それだけで済めばいいんだけどな」
グラスの中の氷が音を立て、少しだけ部屋の空気が重くなった。ドンも何か思うところがあるようで、なるほどな、とかすかに聞こえる程度の声で呟いている。
「あまり派手にやり過ぎるなよ。後始末するのは俺たちなんだ」
「なら図書館の件でチャラだな。それに、ギルドの荒くれ者には力を示すのが一番だろ」
「違えねえ。いいだろう、お前ぇの好きにやりな。どっちにしろ最近の『紅の絆傭兵団』は目に余る。けじめはつけなきゃならねえ」
大方の話も纏まり、双方のグラスも空になったころ、突如耳をつんざくような警報が響き渡った。
「思ったよりも早いお披露目になりそうだ」
僕はゆっくりと立ち上がり、よどみない仕草で双杖を取り出した。
「僕の技は市街戦には不向きだから、外に出て街に入り込もうとする魔物を排除する。おそらくケーブ・モック大森林が大本だろうから」
そう言い残すと、慌ただしく部屋に駆け込んできたドンの部下と入れ違いになるように部屋を出る。ハーフの僕と始祖の隷長の一番の違い。それは魔物を従えることが出来ないということ。だがまあ、大した問題にはならないだろう。すべて吹き飛ばしてしまえばいいだけの話なのだから。
・・・
リタがダングレストの結界魔導器の異常を直し終えたその時、それは起こった。
「なっ!?」
突如として空に現れたのは二つの太陽。あまりにも非現実的な光景を前に、ユーリたちを含めてダングレストにいる人々全員が動きを止める。それは、魔物たちも同様のようで、畏怖かはたまた敵意なのかは分からないが、震えあがり逃走を開始する。しかし、まるで誘蛾灯に群がる羽虫のごとく、魔物の群れを燃え散らしながら、二つの太陽は悠然と存在し続けていた。
「この術式は!」
「リタ……?」
今も燦然と燃え盛る太陽を、リタは見たことがあった。かつて、トートに挑んだ自分が、格の違いを思い知らされることとなった技なのだ。
「……なんでもない。いいから、早くユニオンとやらに行きましょう」
久しぶりに思い出した遠い日の記憶。あの日これっぽちも理解できなかった術式を大まかにだが解析できた嬉しさと、トートを倒して手も足も出なかった汚点を拭いさる、という思いがリタの胸中を渦巻いていた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
三話(ケーブ・モック大森林~歯車の楼閣ガスファロスト)
日の光すら差し込まないほどに巨木だ密集した森、ケーブ・モック大森林。世界に数多存在するエアルクレーネの一つでもあり、その濃いエアルに影響を受けた突然変異種などが多数生息している。その悉くが人を拒むという、自然で出来た要塞のような場所だ。
「……デュークか?」
暴走していたはずのエアルクレーネが収まったのを感じた。始祖の隷長を除いて、そんなことが出来るのは『宙の戒典』を所持するデュークくらいだ。あまり人前でそっちの姿を晒したくなかった僕としては、大いに助かった。今度会ったら何かお礼でもしてやろう。
「トート。いったいどうなってやがる?」
「なんてことはない。簡単に言うとエアルの暴走だ。もう収まったがな」
まばらになった魔物の群れを蹴散らしながら、ドンがこちらへと歩いてきた。相変わらず元気な爺さんだ。
「ベリウスが―――っとその前に客か」
森の奥へと続く道から現れたのはユーリたちだった。
「……ほお、てめえらがエアルの暴走とやらを収めたのか?」
「なに、おじいさん、あんた、なんか知ってんの!?」
「いやな、ベリウスって俺の古い友達がそんな話をしてたことがあってな。それに、さっきトートのやつもそう言っていた」
「やあ、ユーリ少年。この短い間に三回目とは、何かと縁があるな」
紹介にあずかった僕は、目深に被っていたフードを外し、ドンと並び立つように隣まで移動する。やはりか、という顔をしたリタ。そしてなんとなく予想がついていたユーリを除く全員が驚きを露わにした。
「で?エアルの暴走がどうしたって?」
ドンの仕切りなおすような一言に反応して、カロルが待ってましたとばかりに前に出て捲し立てる。
「本当大変だったんです!すごくたくさん、強い魔物が次から次へと、でも……」
「坊主、そういうことはな、ひっそり胸に秘めておくもんだ」
「へ……?」
「誰かに認めてもらうためにやってんじゃねえ。街や部下を守るためにやってるんだからな」
「ご、ごめんなさい……」
カロルの言葉の裏に隠された真意を見抜いたうえでの言葉。とても短いそれは、ユニオンで大勢を纏めてきた貫録を感じさせるには十分で、カロルがいたずらがばれた子供のように、しゅんとしてしまうのも無理からぬことだ。
「……止まれ、エステリーゼ。治療は僕が引き受ける」
「えっ?」
傷ついたギルドのメンバーに対して回復を施そうとしていたエステリーゼを止める。もはや意味のないことかもしれないが、満月の子の力を使う回数は少ないに越したことはない。
「『カドゥケウス』」
双蛇の杖でこつりと地面を突くと、暖かな光が降り注ぎ、全員の傷を瞬く間に治癒させる。重症が一人たりとも出ていなかったのは、流石ドンの部下というところだろうか。
「僕から一つ忠告だ。あまりその力は使わないようにしろ」
「あ……え!?」
急速に顔色が青ざめていき、一歩後ずさってこちらを見る。いつもの天真爛漫な雰囲気は消え去り、心底怯えているのが見て取れる。これ以上話すのは逆効果か。
「特異な力は必ず利用しようとするものを多く生む。平穏を望むならば、必死に隠し通すのが定石だ」
エステリーゼが下がった分、一歩間合いを詰めると、ユーリとリタが立ちはだかる。
「女の子を脅すなんてのは大人気ないぜ」
「善意からの忠告だったんだが……。まあいい、聞くも聞かないもエステリーゼの自由だ」
そう言って、二人から視線を切ると、森の中へと顔を向ける。ドンもその気配の主に気が付いたようで、声を荒げながら呼びつけた。
「……ん?そこにいるのはレイヴンじゃねえか。何隠れてんだ!」
「ちっ」
物陰でこっそりとやり過ごそうとしていたレイヴンは、心の底から嫌そうな顔をしながらこちらまで歩いてきた。ギリギリ見つかる場所にいたのも、おそらく演技なのだろうから、ある意味脱帽ものである。
「うちのもんが、他所様のところで迷惑をかけてるんじゃあるめえな?」
「迷惑ってなによ?ここの魔物大人しくさせるのにがんばったのよ、主に俺が」
「え!?レイヴンって、『天を射る矢』の一員なの!?」
「どうも、そうらしいな」
ユーリたちがレイヴンの素性に驚いている間、ドンがレイヴンの鳩尾にその手に持っている剣の柄を叩き込んだ。
「いてっ、じいさん、それ反則……!反則だから……!」
「うるせぃっ!」
気後れなく接する二人。レイヴンとドンの歳の差を考えると、叱責というよりも、子供の教育に近いように見受けられる。決して口には出さないが、なんとも微笑ましい。
「ドン・ホワイトホース」
「何だ」
ユーリが二人の間に割って入る。
「会ったばっかで失礼だけど、あんたに折り入って話がある」
「若えの、名前は?」
「ユーリだ。ユーリ・ローウェル」
「ユーリか、お前えがこいつらの頭って訳だな?」
段々とドンの放つ威圧感が増していき、口元は愉快そうに笑みを湛えている。
「あのー、ちょっと、じいさん、もしもし?」
「最近、どうにも生きのいい若造が少なくて退屈してたところだ。話なら聞いてやる。が、代わりにちょっと面貸せや」
レイヴンの言葉を完全に無視だ。ユーリ側も満更ではないようで、スイッチが入って昂ぶっているのが分かる。
「なら、残りの皆は僕が引き受けよう。見てるだけでは暇だろうから」
「残念だがな。お前えは先にダングレストの図書館に行け、トート。丁度今くらいの時間帯に、奴らが来てる事が多い。分からせてやれ。それが今回の目的だろうが」
それもそうか。ちらりとリタを見ると露骨に不満そうな顔をしているが、今回は間が悪かったと思ってもらうことにしよう。
「そう拗ねるな、リタ。今度会った時はしっかり相手してやる」
「誰が拗ねてるっていうのよ!」
大きな怒声と共に飛んできた火球を相殺し、僕は街へと歩みだした。
・・・
ケーブ・モック大森林の一件は落ち着き、話の続きをするために、ユーリたちはダングレストに戻ってきていた。ほんの数時間前までトートと談笑していたその場には、ドンと『天を射る矢』。ユーリ一行。そしてフレンがおり、緊迫した雰囲気が流れている。
「……なるほど、バルボスか。確かに最近やつの行動は少しばかり目に余るな。ギルドとして、けじめはつけにゃあならねえ」
「貴方の抑止力のおかげで、昨今、帝国とギルドの武力闘争はおさまっています。ですが、バルボスを野放しにすれば、両者の関係に再び亀裂が生じるかもしれません」
「そいつはおもしろくねえな」
お互いに相手の言うことが予測できているうえでの会話。定型文といってはそれまでだが、これはある意味契約なのだ。口に出して伝える、それが何よりも重要な信頼の証になる。
「バルボスは、今止めるべきです」
フレンの力強い言葉が響く。
「協力ってからには、俺らと帝国の立場は対等だよな?」
「はい」
「ふんっ、そういうことなら帝国との共同戦線も悪いもんじゃあねえ」
「では……」
「ああ、ここは手を結んでことを運んだ方が得策だ。トートの奴に出番だと伝えておけ。公に図書館の礼をする機会が来たぞってな」
それを聞いた幹部は目を伏せるように頷くと、一目散に駈け出していった。
「今、俺が言ったようにトートが参戦する以上、一つだけ注意点がある」
「……それはいったい?」
「早い話が巻き込まれないように近づくなって話よ。今回の騒動、あいつは十年ぶりに戦闘用の兵装を使う気みてえだ」
リタはその事実の恐ろしさに、フレンはシャイコス遺跡のあれが攻撃用ですらなかったことに、それぞれ驚愕の様相を呈した。始祖の隷長とほんの一握りの人間しか知らない武装。トートの特異性とも相まって、凶悪の一言で済ませられないほどにすさまじい。
「だから俺らのやることは、バルボスの野郎を街から遠ざけることだ。それで全て片が付く」
「しかし……いえ、。分かりました。それが賢明な判断でしょう」
逡巡の後にフレンが出した結論は、ドンと同じくトートの自由にさせるというもの。もし万が一にでもトートの気を損ねてしまえば、取り返しのつかない損失になると考えたのだ。
「こちらにヨーデル殿下より書状を預かってまいりました」
そして、フレンはドンへとそれを受け渡す。仕掛けられた罠だということに気づかぬままに。
○○○
フレンが持っていた書状は、ラゴウの雇った赤目の集団によってすり替えられた偽物だった。騎士団とギルド間の戦争を煽るためにバルボスたちが打った布石。思惑通りに効果覿面で、緊張は最高潮に達しようとしていた。表向きは、の話だが。
「ここが例の図書館ってやつか」
「中の物には触れないでよ。おっさん、あくまで通路として使うって言って鍵貰ってきたんだから」
ダングレストの端っこの方にある『翠玉の碑文』の図書館は、伝聞よりも質素な感じだが、それが逆に街の雰囲気との調和をもたらしている。よく見るとところどころ荒れているのは、先ほどレイヴンが話した『赤の絆傭兵団』の件の痕跡だろう。
「奥の部屋は、本来『天を射る矢』の一部の人間しか入っちゃいけないって言われてるんだけど、今回は特別ね」
「奥!?やっぱりただの噂じゃなかったんだ!?」
「噂ってなによ?」
トート所有の図書館ということで、目をキラキラさせたリタの質問に、いつも通りの訳知り顔で、カロルは説明を始める。
「ここの一番奥に立ち入り禁止の扉があって、その奥には黄金でできた図書館と、この世の全てが記された本があるって話なんだ」
「黄金ねえ」
道中で見た黄金の花束を鑑みるに、有り得ない話ではない。この世の全てを記した本という方は眉唾もいいところだろうが。
「はいはーい。無駄話はその辺にして、さっさと行っちゃおうね。正直な話、この鍵持ってるだけで心臓に悪いのよ」
「なんだよ、意外に小心者なんだな、おっさん」
「後、数分後にはおっさんの気持ちを理解できるようになるさ……」
お手本のような遠い目をしながら、鍵を差し込み回す。カチリ、という音がして開いた扉の先にあったのは、金色に輝く大きな竪穴だった。壁面は本棚になっており、中央にそびえる、これまた黄金の螺旋階段から足場が伸びている。本棚に合わせていくつもリングを重ねたように階層が作られ、底がどれほど深いのか見当も付かない。
「ここを降りれば、途中に地下水道に出るから―――ってリタっち聞いてる?」
リタはまるで夢見心地のように悦に浸っている。魔導士ならば、喉から手が出るほど欲しくてたまらないトートの本が、数えきれないほどあるのだから無理もない事だが。
「ダメ!ダメよ!今日は通路として使うだけしか許可取ってないの!破ったらおっさん磔刑にされちゃう!」
「学問の発展のために磔刑になりなさいよ」
レイヴンの静止を振り切って本を手に取ろうとするが、その瞬間レイヴンが懐から在るメモを取り出した。この状況を見越したトートから、事前に授かったものだ。
「えーと、何々。『引き出しの中身、ばらす』」
「あんたたち、こんなところで油売ってないで、さっさと先に進みましょう」
その言葉に含められた意味は分からないが、あっさりと説得は成功し、ユーリたちは気を取り直してバルボスの元へと急いだ。
・・・
「私は騎士団のフレン・シーフォだ。ヨーデル殿下の記した書状を、ここに預かり参上した!」
眼下で繰り広げられているバルボス討伐までの筋書きを観察しながら、僕はその時を待っていた。ここから逃走するとして、逃げ場になりそうなのは砂漠に屹立する塔くらいのものだが、それでは先回りして万が一にでも感づかれたら面倒なことになってしまう。
「ああ、やっぱりそうなるか。追い詰められたら逃げる。どの時代も悪党ってのはワンパターンの思考回路を持つものらしいな」
剣を使い飛び去ったバルボスの後を追うように、何処からともなく現れた竜使いと、それに乗せてもらったユーリが行く。まあ、なんにせよ、ここで暴れださなかった時点で詰みだ。周りの被害を気にしなくてもいい場所ならば、僕が魔導王と呼ばれる所以である兵装『トリスメギストス』が存分に使用できる。
「ドン」
バルボスの残した残党をなぎ倒す指揮をとっているドンの元へと降り立ち、行ってくる、と目で告げる。
「もう行ったかと思ったが、なら丁度いい。ユーリの仲間が追っていくらしい、お前えも同行しろ。あいつらなら自衛くらいは出来るだろう」
「今どこに?」
「さっき出発した。まだそう離れてねえ筈だ」
「分かった」
言葉を切り、風を巻き起こすと、それに乗って飛ぶように追跡を開始する。幸い、馬ではなく徒歩で移動していたため、物の数分でそれらしき一行を視界に収めることが出来た。
「あら、旦那。こんなところで何してんの?てっきりもうバルボスぶっ飛ばしてるかと思ってたんだけど」
「お前が僕をどういう風に見てるかよく分かったよ」
地面に降り立つと、レイヴンから差し出された鍵を受け取り、懐にしまう。
「どうせ目的地は同じなんだから、同行しろって言われてな」
「頼もしい限りです、トート殿」
「トートでいい。堅苦しいのはあまり好きじゃないんだ」
「了解いたしました」
「…………」
彼は真面目に見えて、意外と天然なのだろうか。
「ねえ。見たとこいつもと変わらないように見えるけど、戦闘用の兵装とやらはどこにあるのよ」
じっくりと観察するような視線を僕に向けたリタが、問いかけてきた。同じく、カロルやエステリーゼも不思議そうにこちらを見ている。
「『トリスメギストス』は装着に少しばかり手間がかかるんだ。どうせ後で見ることになるんだからそう逸るな」
行くぞ、と顎で促して、お茶を濁すように話を切った。
○○○
歯車でできた砂漠の塔ガスファロスト。迫りくるバルボスの手下たちを危なげなく退けて登っていると、探し人は向こうから現れた。
「ユーリ!」
「おわっと……、ちょっと、離れろって……」
「大丈夫ですか!?ケガはしてません?」
衝動的に飛びついて体中をまさぐり怪我の有無を探るエステリーゼ。他意はないあたり、少々箱入りに育て過ぎではないだろうか。ともあれ、再会の嬉しさから賑やかに会話していると、ユーリの後ろからクリティア族の女性が歩いてきた。
「あら……?」
「久しぶりだな」
知ってる顔だ。数年前に一度会っている。名前はそう、確かジュディスと言ったか。
「だ、旦那ってば!ちゃっかりこんな美人とお知り合いになってたなんて!」
「知り合いと言っても、突然襲い掛かられた程度の仲だぞ」
「襲いっ!?」
「ごめんなさいね。あの時は抑えが利かなかったものだから」
「抑えっ!?」
あばばばば、と壊れたように繰り返すレイヴンを尻目に、僕はジュディスと握手を交わす。放っておこう。
「友達は元気にしてるか?」
「ええ、おかげさまで。もうあんなやんちゃしないようによく言い聞かせておいたわ」
「まあ、積もる話もあるだろうが、今は止めておこうか」
「賛成よ」
直訳すると、お互い余計なことは黙っていよう、という提案だ。僕が始祖の隷長として舞台に上がるのは、少なくともフェローが動き出してからにするつもりなので、今ばらされると色々と面倒なことになってしまう。
「それじゃあ、お前たちは先に行きな。僕はここらで兵装の準備をしておくことにした」
言葉にせずとも、その物々しい雰囲気が伝わったようで、返答をすることなく、ユーリたちは塔を登っていった。
「……もう大丈夫だぞ、デューク」
「そのようだな」
完全に気配を消して物陰に隠れていたデュークが、僕の元まで歩いてくる。
「見ての通り、僕は一足先に舞台に上がらせてもらった」
「満月の子、それほどまでに大きな節目となるのか?」
「間違いないね。今でさえ発掘され続ける魔導器の影響でエアルのバランスは崩れてしまっている。その上満月の子が生み落されたのだとしたら、必ずフェローが動く」
「そうか……」
小難しいことを考えてるのだろう。僅かながら眉間にしわが寄っている……気がしなくもない。
「人はこれからどこに行くのか。それを見極めるために、僕は『トート・アスクレピオス』という名の役者になる事にした。舞台を一番近くで見ることが出来るのは、最前列の観客ではない。同じ舞台に立つ役者だ」
「……それで人が滅びゆくとしても、か?」
「それで人が滅びゆくとしても、だよ」
無言のまま暫しの時間が経ち、デュークは珍しく笑みを浮かべた。
「お前らしいな、トート。エルシフルとも私とも、まったく異なった視点だ」
「だからこそ、僕たちは友なんだろうさ」
話をしながらローブを脱ぎ捨て、上半身をはだけさせる。
「『トリスメギストス』を使う。ちょっと下準備を頼んでいいか?」
「それが、お前の頼みならば」
腰に差していた『宙の戒典』を抜き放ち、瞬く間に二度切りつける。デュークが短く礼をして去っていった後、ぼとりと重い音を立てて、僕の両腕が地に落ちた。
・・・
「性懲りもなく、また来たか」
ガルファロスト最上階。バルボスは、脱獄しここまでたどり着いたユーリに対して、冷静にそう言い放った。微塵も動じていないのは、自身か、それとも慢心か。
「待たせて悪ぃな」
「もしかして、あの剣に嵌ってる魔核、水道魔導器の……!」
「ああ、間違いない……」
過剰な負荷に軋むような音を立てている魔核。今にも壊れてしまいそうだ。
「分をわきまえぬバカどもが。カプワ・ノール、ダングレスト、ついにガルファロストまで!忌々しい小僧どもめ!」
「バルボス、ここまでです。潔く縛に就きなさい!」
「間もなく騎士団も来る。これ以上の抵抗は無駄だ!」
「それに、学長も来るわ。もう、あんた終わりよ」
それぞれに口上を述べていくが、バルボスの余裕は崩れない。自らの勝利を、いや、もっと言えば自分自身を誰よりも信じているからだ。
「ふんっ、まだ、終わりではない。十年の歳月を費やした、この大楼閣ガルファロストがあれば、ワシの野望は潰えぬ!」
張り上げられる声に呼応するかのように、バルボスの持つ剣がバチバチを音をたてた。
「あの男と帝国を利用して作り上げたこの魔導器があればな!」
「『あの男』……?」
不意に漏れた『あの男』というキーワードにフレンが気を取られているうちに、バルボスの攻撃が開始される。轟音のうねりと共に剣から発射されたエネルギーの塊は、高速のままユーリたちへと襲い掛かり、着弾し大爆発を引き起こす。一発でも直撃したら即致命傷になる威力だ。
「下町の魔核をくだらねえことに使いやがって」
かろうじて全員が避け、戦闘におあつらえ向きの足場へと退避することに成功。追ってバルボスも同じ足場へと降り立った。
「くだらなくなどないわ。これでホワイトホースを消し、ワシがギルドの頂点に立つ!ギルドの後は帝国だ!この力さえあれば、世界はワシのものになるのだ!」
声高々に自らの野望を宣言し、その手にある剣を真上に掲げる。
「手始めに失せろ!ハエども!」
ユーリたちへと向けられた剣先からは、無数の波動が発射され、何度も何度も爆発が引き起こされる。これでは近づくこともままならない。
「大丈夫か、みんな!!」
「あの剣はちっとやばいぜ」
「旦那がいれば何とかなるんだけど……」
「あら、それは頼もしいことを聞いたわね」
比較的冷静に現状の分析を行うユーリたち。中でも、トートの怪物ぶりをよく知っている、レイヴンとリタは、平常時とほとんど変わらない精神状態を保っていた。
「グハハっ!!魔導器と馬鹿にしておったが、使えるではないか!」
力を誇示するように見境なく爆発を起こしていくバルボス。
「そんな……!」
「どうした小僧ども。口先だけか?」
「ふん、まだまだ」
ユーリの軽口が未だに衰えていないのは、ドンですら一目置くような男がこの塔に来ていることを知っているから。他人任せは少しばかり情けないが、この状況を打開するカードがあるとすれば、それは思いっきりのワイルドカードにおいて他ならない。
「お遊びはここまでだ!ダングレストごと、消し飛ぶがいいわ!」
今までとは比較にならないエネルギーが剣へと充填され、放たれようとした瞬間、上空より彼は降ってきた。
「悪いが、ダングレストには僕の図書館があるんだ。―――お前が消し飛べ」
落下の衝撃で陥没した地点の中心にいたのは、両の手が身の丈ほどのある巨大なかぎ爪へと変化し、それと同じものが背中からも一本生えている男性。柔らかそうであるが容易く岩を砕き、とてつもない重量であるかと思えば羽根のように軽やかに駆動する。そんな未知の物質を身に宿し、普段とはかけ離れた姿をしたトートだった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
四話(VSバルボス~闘技場都市ノードポリカ)
「貴様がホワイトホースの切り札という訳か、魔導王」
「誰かの駒になったつもりはないがね」
バルボスの持つ剣を更に超える威圧感と圧迫感を放つ両腕をだらりと下げて、会話に応じる。きしきしと音を立てて機械と生物の中間のような腕が床に着くと、それだけで触れた部分が消滅する。
「お前の野望も野心もやり方も、僕は否定する気はないよ。どこまでも自分に忠実。実に人間らしい生き方だ」
「ならばなぜ、俺の前に立ちはだかる?」
「僕とあんたの闘争に、小難しい動機なんかいらないだろ。『翠玉の碑文』のボスとして、やられたらやり返す。それだけだ」
「違えねえ!アスピオの魔導王。頭でっかちの学者肌かと思ってたが、なかなかどうして面白えじゃねえか。ホワイトホースが気に入るのもよく分かる」
がはは。と豪気に笑うさまは、ドンと似通ったものを感じさせる。ドンとバルボス、二人の間に差はあれど、それはきっと僅差なのだ。野心と義そのどちらに惹かれる人が多かったか、要はそれだけの話。
「だからこそ、残念だ。貴様はここで死ぬ」
「こちらの台詞だ」
空気が張り詰め、バルボスの魔導器が轟音を上げたんのを合図に戦闘が始まる。
「まずは小手調べといこうじゃあねえか!」
こちら目掛けて飛来するエネルギーの塊。物に触れるまでは実態を持たない無敵の弾丸だ。しかし、そんな法則をこの『トリスメギストス』の前では容易く覆されてしまう。
「違うだろう。お前の力は、そんなおもちゃに左右されるものなのか?」
巨大なかぎ爪を横に一閃。目視すらギリギリの速度で行われたそれは、干渉不可の弾丸を何の問題もなくかき消した。
「なっ!?」
背後から驚きの声が上がる。武人からは無造作に振るった爪の速さに、魔導を知る者からは今起こった現象の理解不能さに、だ。
「エアルに干渉!?……いえ、術式に?どちらにせよ反則じゃない」
「……フレン」
「僕もかろうじては見えた。しかし、あれを剣で受けられるとも思えない」
羽虫を払うように不可視の弾丸を払った僕に対し、バルボスも一瞬眉を顰めたが、それだけだ。通用しないと分かると、魔導器を捨て、自前の大剣に持ち変える。
「……賢しい知恵と、魔導器で得る力など、紛い物にすぎん……か。所詮、最後に頼れるのは、己の力のみだったな。血沸き肉躍る、こんな気分は本当に久方ぶりだ!」
床が足の形に陥没するほどの強烈な踏込と共に、バルボスが迫る。放たれた袈裟切りを右爪で受け止め、その勢いで肩を入れて怯ませた。続けて空いている左爪を引き絞り、胸部を貫く軌道で繰り出すも、咄嗟に繰り出された前蹴りが僕の顎先を掠めていく。バルボスは残った四肢の内、自由な左手で顔面への一撃を狙うが、あえて一歩前に出て頬を裂かせる。そのまま前方に一回転するように倒れ込むと、背中から生える第三の手が、空中で自由の利かないバルボスを吹き飛ばす。どうにか自分で跳んでダメージを抑えたようだが、そう生易しい威力はしていない。
「化けもんが……!」
「その言葉は聞き飽きた」
手傷を負ったことを感じさせずに、再び踏み込んでくるバルボスは、その途中に投げ捨ててあった魔導器を拾い上げると、僕の喉元目掛けて投擲した。
「弾けろォ!」
撃墜しようと振り翳した爪があたる直前、魔導器は大爆発を起こし、黒い爆炎が煙幕のように広がる。先ほどの魔導器の軌道とぴったり同じ。襲い掛かる大剣を視認したときには、すでに目と鼻の先にまで迫っていた。普通ならば避けられないタイミング。あと数瞬の刹那には喉を貫き、勝ち誇ったバルボスがいるのだろう。そう、普通ならば。
「『トリスメギストス』」
命令と共に、背中から生えた第三の腕が床を砕き、アンカーのように自身を固定すると、ものすごい勢いで僕を引き寄せる。
「ちィっ!」
ほぼ床と並行になり、その真上には、攻撃を大きく外したバルボス。
「潰れろ」
両腕をしならせ、凶悪な両爪はバルボスを挟み込まんと躍動する。左右からの挟撃に対し、為す術もなくやられるような男でもなく、その手に持つ大剣を、今度こそ貫いてやるぞとばかりに、再三喉元を狙って投擲した。結果、片方の爪を防御に回さなくてはならなくなり、先の攻防の焼き直しのようにバルボスは傷を負いながらも距離をとった。
「次は僕の番だよな?」
仕返しだと言わんばかりに、第三の手をバネのように使って恐ろしい速度で跳びかかる。こちらの攻撃が当たる間際に、何処からともなく飛んできた銃弾のせいで、狙いが逸れてしまったが、持てる限り最高速で振るわれた爪は、薄皮一枚の接触だけで腕を一本もぎ取った。
「野郎ども!」
顔を歪めながらも、ひるまずに手下たちに号令を出す。自らの意思通り手足となり動くのならば、それは立派な武器だろう。達人が剣を振るうように、魔導士が魔術を行使するように、バルボスは統率を武器とする。
「まさか、文句はあるめえな?」
「そうだな。文句があるとすれば、最初からそうしろ、だ」
彼のその人生を象徴する忠実な手下たち。大剣などではない。『赤の絆傭兵団』こそがバルボスの持つ最大の武力と言っていいだろう。
「かかれ!」
その一言を境に一糸乱れぬ波状攻撃が僕へと襲い掛かる。一人を薙ぎ払うと、そのわずかな隙をついてもう一人が、銃弾を躱せば躱した先にはすでに照準が。一対一ならば、引き裂かれてそれで終わりになるだろう。そうさせないのは、偏に見事というしかない練度。騎士団のきっちりとした統率ともまた違う、荒くれ者同士の絆の為せるものだった。
「『赤の絆傭兵団』とはよく言ったもんだな。僕を相手取れるのは、正直驚嘆に値する」
「なら、そのまま死ね!」
合図もなしに波状攻撃が一斉に止み、見上げた空を覆い尽くすほどの魔術の群が浮かび上がる。
「時間稼ぎは終わりだ!いかに強大な魔導王といえど、この飽和攻撃からは逃れられねえだろう!」
流れ星のように、地水火風が押し寄せる。一部の隙間もなく、圧殺してやるぞと聞こえてくるようだ。だが――
「お前は王とは強大な力を持つ者、と解釈しているようだがそれは間違いだ」
ピタリ、と。時間が止まってしまったかのように、全ての魔術が停止した。
「バ、バカな!?これは!?」
「王とは、従える者のことを言う」
巨大なかぎ爪が付いた右腕を真上に掲げると、数多ある魔術が僕の意思に答えるように収束していく。
「『トリスメギストス』は僕が知覚している魔術を、意のままに操ることが出来る兵装。吸収、同化、消滅、そして奪取。例外なく、それが魔術であるのならば従える。それが僕が魔導王と呼ばれる所以だ」
千年の年月を超える研鑽の末に至った一つの境地。長くを生きることが出来ない人間にも、それを必要としない始祖の隷長にもたどり着くことが出来ない、僕だけの頂。
「我が身は創世の賢者にして月の現身。顕れるは五柱が一つ、偉大なる強さ。ここに帰依し奉る」
膨大な数の魔術が飲み込まれ、再構成されてゆく。天高く浮かぶのは、純然たる魔力の嵐。
「降神権能、コード・セト」
濃い、などと生温い表現では言い表せないほどの魔力の奔流がバルボスの誇る『赤の絆傭兵団』を真正面から打ち砕き、カルファロストをバルボスとその野望共々崩壊させていく。圧倒的な密度の嵐は、もはや質量を持っているに等しく、頬を軽く撫ぜるだけで鎌鼬のように肉を裂く。さながら、防ぐこともできない無数の剣をその身に受けるがごとく、巻き込まれた者から順にその身を削られていく。
「……悪くねえ気分だ」
微かに聞こえたそれが、バルボスの最期の言葉。抗うには強大すぎる暴風を前に、逃げる事だけは決してしない。意地でもあり、ほんの小さな、しかしそれはバルボスの根幹をなす矜持。どれだけみじめったらしく死のうとも、己を貫く。誰しもが少なからず持つそれだけを胸に、天災のごとき嵐に飲み込まれてその命を散らした。
「バルボス。誰が忘れようとも、僕はお前の事を覚えていよう」
術が収まり土煙が漂う中、たった一人残った僕は、噛みしめるようにそう呟いた。
○○○
一つの戦いは終わり、僕の術の余波で倒壊寸前だったガルファロストから脱出し、全員が大けがもなくダングレストまで帰還した。途中、隙あらば僕に対して治療を施そうとするエステリーゼのせいで、世界は人知れず危機に瀕したが、『トリスメギストス』を外し、両腕の欠損を知って気絶したことで事なきを得た。その後はドンの筋書き通りに事が進み、一連の事態は収束した。
「かと思ったんだけどな」
誰もが寝静まった深夜。ダングレストにある橋の上に人影が二つ。ユーリ少年とラゴウだ。
「その生き方の終点は、最後まで貫くか、もしくは破滅のどちらかしかないというのに」
過去にもそういう人間はいた。その全てが、英雄か大罪人のどちらかとして歴史に名を残している。はたして、彼の行く末はいったいどちらになるのだろうか。
「もう、少年とは呼べないな」
踵を返し自らの図書館へと引き返す最中、ラゴウが川へと落ちる音を聞いた。
「繰り返すのか先へと進むのか、それとも終わるのか。終わる事のない僕が見届けるとしよう」
・・・
ギルドと騎士団間に友好協定が結ばれた次の日、何の前触れもなくダングレストは未曽有の危機に瀕していた。
「魔物め、こっちに来い!」
結界魔導器をものともせずに襲来した、巨大な怪鳥型の魔物目掛けて、ウィチルが火球を打ち込むが、相手はそれを意に介してもいない。あれは本来、人間よりも上の位階の存在。まともにやりあっては勝ち目などほとんどない。しかし、この場にそれを知ってる者はおらず、騎士団はほぼ壊滅状態にまで追い込まれていた。
「わたしが……狙われてるの?」
中空から鋭い目でにらみつけられていることに気が付いたエステルが、その事実にたどり着く。その間に、あの魔物を知る騎士団長アレクセイが到着し、『ヘラクレス』の使用を即決した。
「忌マワシキ、世界ノ毒ハ消ス」
「人の言葉を……!あ、あなたは……!」
それ以上の会話がなされる前に、ユーリはエステルの元に駆け寄り、『ヘラクレス』が魔物へと向かって火を噴いた。ダメージは微々たるものだとしてもゼロではない以上、受けてやる義理もないと言わんばかりに飛び交う砲弾を見事に躱していく。
「ここにいちゃ危ないよ!」
戦争の一部を切り取ったような砲撃と、その中を優雅に飛び回る魔物。カロルは、逃げるなら『ヘラクレス』に気を取られてる今しかない、と考えたのだ。
「俺はこのまま街を出て、旅を続ける」
「え?」
「帝都に戻るってんなら、フレンのとこまで走れ。選ぶのはエステルだ」
「わたしは……わたしは、旅を続けたいです!」
「そうこなくっちゃな」
少女の小さな決断に対し、ユーリは手を差し出して応えた。そして、その直後、橋に流れ弾が飛来して着弾しそうになったが、そうはならなかった。
「連日でこいつを使うことになるとはな」
音が止み、見上げれば砲弾はぐるぐると同じ場所を回り続けている。
「フレン少年と話があるなら手早く済ませろ。この状態は人の目を引く」
こんなことが出来る人物は一人しかいない。トートだ。
「礼は言っとくぜ」
「別にいい。険しい道を選んだ若者への餞別だ」
「……あんた……」
「心配するな。吹聴する気もないし、そもそも、その生き方を否定する気もさらさら無い」
あまり表情を動かさずにそう言い切ったトートは、空を見上げ、今も飛び続けている魔物を見つめた。その視線からはこの事態を想定していたような落ち着きを感じる。相変わらず底の見えない男だな。それがユーリの抱いた素直な気持ちだった。
「さあ行け、その軌跡が真に世界に変革をもたらすものならば、僕らは再び出会うだろう」
何かを期待するようなトートの言葉に後押しされるように、ユーリたちは新たな旅路へと、足を踏み出した。
・・・
フェローは動いた。ならば僕も、魔導王としてではなく、始祖の隷長としての役割を兼任する頃合いだろう。所詮は端役に過ぎないが、それでもその場所に立っていたい。場合によってはパンドラの箱に、場合によっては機械仕掛けの神に。しかし、選ぶのは僕ではない。いわば、僕は意思を持つ舞台装置のようなものなのだ。
「なんてことを考えてるんだけど、お前はどう思う、ベリウス」
「その問いに答える資格を、妾は有しておらぬよ、トート」
ノードポリカにある闘技場の最奥の部屋で、二体の異形が言葉を交わしている。巨大な狐のような方がベリウス。そして、無数の蛇の尾と狒々の腕を持った巨大な朱鷺が僕だ。
「僕にとって、誰かの一生を見届けるのは本を読んでいる感覚に近いんだ。終わりのない物語よりは、尽きることない短編集を読んでる方がいくらかましだからね」
せわしなく動いていた蛇がその動きを止めると、一冊の本が出来上がっていた。遠い昔、僕の友であった誰かの記録。いつからかだろうか、それを本にしてベリウスへの土産話とする習慣が付いていた。人が好きで『戦士の殿堂』の統領をやってるだけあって、こういう人の輝きの籠ったものは大好きらしい。
「妾もいずれは一冊の記録となってしまうのは、仕方のないことと言えど口惜しや。叶うのならば、幼きより永くを共に過ごしてきた、そなたを一人にしとうはないのだが……」
「お節介が過ぎる。お前は僕の母親か何かか」
「そなたの方が歳は上じゃ。したがって心情的には妹の方が近いぞ」
「止めろ。普段老婆の姿してる奴の台詞にはふさわしくないことこの上ない」
昔の姿ならばいざ知らず、青年の僕が老婆に兄と呼ばれるのは、かなり奇異だ。あまり想像したくない。
「我ら始祖の隷長の人としての姿など幻影のようなもの。数百年を共にしたそなたは、妾にとって真に兄か父と言っても過言ではない存在じゃ」
「……まあ、肉親を知らない僕にとっても、唯一家族として過ごしたお前のことは妹のようにも思ってるけど」
というより、そう思ってるからこそしばしば足を運んでいる訳なのだが。
「なればこそ、そなたを残していかねばならんのが、どうしようもないほどに心残りだ。後に残される者達の気持ち十二分に理解しているだけに、な」
普段の威厳も成りを潜め、ただ、本当に悔しそうに顔を歪める。対峙する二人はこの時だけは、魔導王でも総統でもなく、ただの家族のように振る舞うのだ。いつまで続くは分からない、家族ごっこに過ぎないかもしれないが、僕はこの時間が好きだ。
「今の世界が落ち着いたら。少しだけ、昔のように旅をしようか」
唐突に、そんな言葉が口から漏れた。
「何のしがらみもなく、ただ気ままに生きていたあの頃のように」
段々と体が収縮し、元のトート・アスクレピオスへと戻っていく。
「それじゃあ、またな。ベリウス。今度来たときは旅の計画についてでも話そう」
「楽しみにしておるぞ、兄上」
懐かしい声、懐かしい姿。心なしか弾んだ声でそう言ったベリウスは、遠い日の思い出の中と同じ少女の姿をとって、僕を見送ってくれた。
○○○
ノードポリカを出発し、デュークがいるであろうヨームゲンあたりを目指して歩き出すと、地面にぽっかりと空いたくぼみから、海賊帽が生えているのを見つけた。あからさま過ぎる。穴の淵に、厄介事注意と書かれた看板が幻視出来るほどに。
「しかし……いや、あのマークは確かに……」
「おお!そこに誰かおるのか?聞こえてるなら、引っ張り出してくれんかのう?」
「少し待て。今引き上げる」
見覚えのあるマークの付いた海賊帽を引っこ抜くと、金髪の少女が現れた。
「アイフリード……」
まるで生き写しだ。アイフリードをそのまま小さくしたらこうなる、そういう表現がぴったり合うほどに似すぎている。
「す、すまんのじゃ!うちはさっさとここを去るから、気を悪くしないでほしいのじゃ……」
頭をよぎったある薬のせいで、思いのほか厳しい顔つきをしていたようだ。作った笑顔で怯えたように、目の前の少女が言う。
「そう怯えるな。僕はアイフリードとは友達だったんだ。世間の人間と違って、その帽子に悪い感情は持ってないよ」
「本当かの!?う、うちはパティ、パティ・フルール。もしよければ話を聞かせてもらえないじゃろうか?」
そこはかとなく、昔のベリウスを感じさせる話し方。のじゃのじゃ言われると、どうにも弱い。僕は意外と……いや、これ以上考えるのは止めておこう。
「トート・アスクレピオス。アイフリードの奴とは十年来の友だ。もっとも、あいつが生きてればの話だがな」
『トートの書』を展開させ、瞬く間に簡易のテーブルと椅子を作り出した。当の本人は記憶を失っているようだが、久方ぶりの再会だ。少しくらい話し込むのもいいだろう。
「おぬし、便利な業を使うのう!」
「それ、アイフリードの奴も同じ反応をしてたな」
パタリと本を閉じ、完成したテーブルの向かい側に座るように促す。ご機嫌で椅子を引く様も、初めてこの業を見た時の反応も、既視感と感じるほどに同じだ。記憶の方のアイフリードは、かなり厄介な性格をしていたが、それは見受けられない。どうしてこの子がああなるのか、多くの人間を見てきたけれど、てんで分からない。
「それで、何を聞きたいんだ?」
「うちはアイフリードについて、ほとんど何も知らんのじゃ……。出来れば、トートから何か話してくれんかのう」
「そうか……」
『霊薬アムリタ』。治癒の代償が記憶とは、なかなかどうして悪辣じゃないか。よくもそんな欠陥品を作ったものだ。
「一言で言うなら、あれは夢見がちな奴だったよ」
真剣な顔でこちらを見ているパティに面影を重ねながら、出会いを語りだす。
「世界中の不思議なものもきれいなものも、全部を見てみたいんだと本気で言っていたよ。僕と知り合ったのも、そんな航海の一つがきっかけだ」
「随分イメージと違うのう……」
「世間ではブラックホープ号事件のイメージが強いから。あいつを知ってる僕からすれば、あんなもの信じてる方がどうかしてると思うけどね」
ブラックホープ号の護衛を請け負った際に、雇い主や乗客を虐殺した。それ以来、アイフリードの名はギルドにとっても、それ以外にとっても忌避すべきものとなったのだ。
「海賊を名乗る以上、善人とは言えなかったが、あいつは決して外道じゃなかった。実際、僕と知り合ったきっかけも、僕の持ってる本を読ませろって、押しかけて来たからだし」
「なんと!トートはアイフリードが欲しがるようなお宝を持っておるのか!」
「ああ。だから、ぶっ飛ばして海に浮かべてやったんだ」
「……へ?」
あの時のことはよく覚えている。あんまりにもしつこいもんだから、気絶させた後に樽に詰めて海に放流していたのだ。その度に、海藻まみれになりながら僕の元へと戻ってきた。そして、何度もそんなことを繰り返すうちに、いつの間にか友と呼べる間柄になっていった。
「兎に角、麗しの星を探せ。それでお前の知りたいことは全部分かる」
事実は時として毒になる。だが、パティが僕の知るアイフリードと同じ心を持っているならば、それくらい軽く飲み干して、前に進んでくれることだろう。似合わないのは百も承知だが、友としての信頼というやつだ。
「ありがとうなのじゃ、トート!」
居てもたってもいられなくなったらしく、パティは目を輝かせながら、一目散に走り出した。
正直、バルボス美化しすぎた感があります。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
五話(カドスの喉笛~闘技場都市ノードポリカ)
「……なんか聞こえなかった?」
澄明の刻晶を奪って逃走したラーギィを追って、カドスの喉笛と呼ばれる洞窟まで来ていたユーリたち。その耳に、どこかで聞いたことのある声が聞こえてきた。
「よっこいせ」
「うわっ!……てパティ?」
道なき道から這い出てきたのは、何かと縁のある金髪の少女だった。冒険家を自称するだけあって、いろいろなところを巡って宝探しをしているようだ。
「おっ……また会ったの」
「そんなところから出て来て、やっぱりアイフリードのお宝を探してるのか」
「うむうむ」
「ねえ、そのお宝ってどんなものなの?」
軽い挨拶を済ませると、カロルがわくわくた様子で口を開いた。年相応に少年らしく、冒険やお宝と言ったものには憧れや夢があるのだ。聞かれた方も満更ではないようで、ふふん、と胸を張って答える。
「聞いて驚け、それは麗しの星なのじゃ!」
「何それ……?」
「え……えっと、さあ……」
「博識なエステルも知らないなんて……」
「うむうむ。知らなくても無理はないのじゃ!うちもトートに会うまで、知ってる人を見たことが無かったからのう」
この上なく得意げに、先ほどよりも反りあえるように胸を張りながらパティは言った。
「トートって……まさか?」
「俺たちの知らないことを知ってるトートさんと言えば、一人しかいないだろうな」
「あの変人学長、今どこにいんのよ?ガルファロストで使った馬鹿でかい手甲と言い、あいつ確実に『リゾマータの公式』に到達してるわ!とっ捕まえて吐かせてやらないと……」
「リタっち、落ち着いて!なんか魔力漏れてるわよ」
それぞれトートの名前に対して多種多様な反応を示したが、中でも一番反応が大きかったのは、意外にもエステルだった。
「トートなら、あの話す魔物の事や、私の事も知ってるんでしょうか?」
「……ああ、そりゃ盲点だったわ。確かにあいつなら何か知ってるかも知れなかったな。教えてくれるかは別として」
「難しいと思うけどなあ。旦那って、謎が服を着て歩いてるみたいな人だし。昔、『天を射る矢』の魔導士が、奥の書庫で一冊本を読んだだけで発狂したって言う伝説もあるもんね」
「なんか、有り得そうなのが怖いね……」
テーブルを囲むように輪になって、トートについて考えだす。思えば、重要な立場にいる人物なのに、彼の事はほとんど何も知られていないのだ。
「そういや、ジュディも知り合いなんだっけ?」
「ええ。でも、何年か前に一度会った事があるだけよ。その時も特にこれと言って話をしたわけでもないの」
「なら、リタは何か知らねえか?」
「アスピオには学長の謎を追い求める謎の組織があるわ」
「……おっさん」
「んー。あんまり知られてないところだと、ずば抜けて治癒術が得意だとか。後は、本気出すと金髪になるとかなんとか」
「治癒術!」
それまで何かを考え込んでいたエステルが唐突に大声を上げた。
「そうです!トートは特殊な治癒術を使えるって本で読みました。もしかしたら……」
「多分違うと思うわよ。一回だけ目の当たりにしたことあるけど、あれは治癒術なんて生易しいものじゃなかったから」
「どういうことです……?」
「ごめんね嬢ちゃん。旦那との約束で、これ以上は話せないの。おっさん、旦那との約束は破らないって決めてるのよね」
「なんだか難しい話じゃのう」
蚊帳の外状態だったパティの声が清涼剤のように響き、議論の熱を少しだけ冷ましてくれる。
「ま、兎に角、旦那から情報を引き出そうとするのはやめた方がいいってこと。あの人が本気だしたら、ドンと互角に戦うって話だし」
「確かに、あの爪は厄介そうだったな。動きも独特だったし、やりにくそうな戦い方してたぜ」
「それ、ユーリが言うんだ」
カロルの言葉に頷いたのはエステル一人。カロル自身も言ってから気が付いたようだが、このパーティでセオリー通りの戦い方してるのはエステルのみなのだ。ジュディスの槍術はよく分からないが、世間一般で言う定石とは程遠いだろうということだけは分かる。
「あの爪、術式を改変して強制的に自分のものにするって感じだった……。現代魔導学では、どう足掻いたってあんなことは不可能よ。悔しいけど、あいつがどれだけ先にいるのかすら分からないわ」
「リタ……」
「でもいつか……いつかはあの人を超えてやるの。それが私の夢よ」
ぐっと拳を握りしめ顔を上げたリタは、大きな目標を心から喜んでいるかのような表情だった。
・・・
砂漠をただひたすらに歩いていると、上空より大きな影が僕を覆った。見上げてみれば、四足歩行の猛禽類の姿をした始祖の隷長、つまりはクロームが舞い降りていたところだった。
「トート様。お久しぶりです」
「様はいらないって言ってるだろう、クローム」
直接会うのはかれこれ数年ぶりだろうか。帝都に行くことなど滅多にないので、連絡は取っていても、デュークを使わせる口実程度のものしかない。
「これからどちらへ行かれるのですか?」
「ヨームゲンだ。デュークとフェローに会っておこうと思ってな。特にフェローとは満月の子について話し合わなきゃならんし」
「そうですか……。ならば、背に乗ってください。ヨームゲンまでお送りしましょう」
「いいのか?そこはデューク専用だとばかり思ってたんだが」
上りやすいように低くかがむクロームへと向けて問いかける。
「確かに、あの人以外に誰かを乗せるつもりはありませんが、貴方は例外です。きっと、どの始祖の隷長も口をそろえてそう言うでしょう」
「……それは尊敬とかじゃなくて畏怖でだ。僕はエルシフルのようにはなれないよ」
「確かに大半の若い者はそうでしょう。人魔戦争で人に着いた貴方を忌み嫌い、そしてその力を恐れた。けれどフェローやベリウスを筆頭に、理解者もかなりの数いるのです」
砂嵐と見紛うほどの突風が吹き荒れ、それと同時にクロームの巨体が宙に浮いた。重量を感じさせない優雅な動きで、悠々と天高く舞い上がると、目的地へ向けてぐんぐんスピードを上げていく。
「僕は……たとえ置いて行かれるとしても、僕が好きな者の終わりを見届けるために世界が必要だから、そうしているに過ぎない。代償もなく世界を救っている崇高な始祖の隷長とは、やっぱり違うよ」
「永遠を生きる貴方が、摩耗せずにその想いを持てたことが奇跡だと、エルシフルは言っていました」
「なら、あながち間違った生き方じゃないのかもな」
景色が歪んで見えるほどの速さまで達した時、視界の端に灼熱の砂漠に倒れ伏す一団が映った。
「……トート様」
「構わないよ。僕の友人もいることだしね」
僕たちは、ピクリとも動かないユーリたちが干からびてしまう前に、担ぎ上げてヨームゲンへと向かうことにした。
○○○
古慕の郷ヨームゲン。フェローの作り出した幻によって存在し続けるこの町は、来るたびに懐かしい雰囲気を感じさせてくれる場所だ。今も、こうして三人。人魔戦争以前に戻ったかのようにテーブルを囲む。
「ここで、こうして会うのも後何回あるのかね……」
「そうですね……。三人とも生きる時間が違う者達。一時、その運命が交差しているにすぎません」
「しかし、それでも友となった事実に変わりはあるまい」
「お前ら、もう少し砕けた言葉使いとか出来ないのか?」
浮世離れした雰囲気の二人は貴族のようなので、というよりもデュークは元貴族なので、僕の俗っぽい話し方が際立ってしょうがない。
「それはそうと、あいつらそろそろ起きるんじゃない?」
「確かに。ならば、名残惜しいですが此度の会合はこれまでですね」
「……すまない。迷惑をかける」
「いいのです、デューク。私がやりたくてやっていることですから」
クロームがアレクセイの監視を始めてから、解散の時の定型文のようになったやり取り。正直、夫婦の会話にしか見えないのだが、デュークからはその気が感じられないのがもどかしい。
「それでは、私はこれで」
「デューク、見送りくらいして来い。それくらいの時間はあるだろ」
こくり、と小さく頷くと、デュークはクロームを連れて外へと出ていった。さてと。
「レイヴン。盗み聞きはあまり感心しないな」
「げっ。ばれてたのね……」
すっと柱の陰から現れたのは、他のメンバーよりも一足先に目を覚ましてきたレイヴンだった。
「心臓を再生したときに僕の血を使ったんだぞ。近づけばどこにいるかくらいは分かる」
「あら。おっさん、そいつは初耳なんだけど」
「言う必要も無かったからな。それに、その程度の代償なら安いもんだろ」
「ま、旦那の言う通りか。あの時の俺、生きながらにして死んでたしね」
しみじみと首を縦に振りながら唸っている様は、実に胡散臭い。昔はもう少し騎士らしかった気がしたのだけれど。
「それで、態々隠れてまで会いに来たのは、なんか報告でもあるってことでいいのか?」
「話が早くて助かるねえ。このまま嬢ちゃんがフェローに会っちゃったら、旦那の事も芋づる式になるんじゃないかと思ってさ」
「フェローが話したのなら、その時はその時だ。それよりも暫くの間、ベリウスに気を回しておいてくれ。大事な約束があるんだ」
「……ありゃりゃ、旦那のそんな顔初めて見たわよ。よっぽど大事な約束なのね」
指摘され、自分の顔を触ってみて気が付いた。知らず知らずの内に顔に出てしまっていたらしい。
「想像に任せるよ。それじゃあ、早いとこ戻っておけ。そろそろ全員目を覚ます頃だ」
「あいあい」
踵を返して手を振りながら、レイヴンは外へと出ていき、入れ違いになるようにデュークが、そして、それから一刻も経たないうちにユーリたちが入ってきた。知れっとした顔で混じっているレイヴンは、やはり本心を隠すことにかけてはずば抜けている。まあ、あまり褒められた特技ではないのだが。
「なるほど。あんたら、謎が多いの同士でお友達だったって訳だ」
何かを聞きたそうにうずうずしているエステリーゼと、今にも跳びかかって来そうなリタを制して、ユーリがこちらへ皮肉交じりの挨拶を投げかける。
「僕としては、あんたらがフェローに会いに行きたがることの方が、よっぽど謎なんだけどね」
「……あんた、やっぱりフェローの事も知ってたのね。いったい何を―――」
「リタ、落ち着いて下さい」
隠してるの。と言おうとしたリタだが、落ち着いた物腰のエステリーゼに諭されて唇を尖らせながらも引き下がる。
「知っていることを、教えてもらえませんか?わたし、フェローに忌まわしき毒だと言われました」
「そうか……。やはりトート見立てに間違いはなかったようだな」
話の合間にちらりと、僕の方を見たデューク。その目に映っていたのは、信頼と羨望を混ぜたような視線。
「この世界には、始祖の隷長が忌み嫌う力の使い手がいる」
「それが、わたし……?」
「だから、フェローが動き出す前にケーブ・モックで一度警告してあげたんだ。まあ、意味は無かったみたいだけど」
顔を顰めたのはユーリとリタ。特にリタは、僕の言葉を追及しなかったことを深く後悔しているようで、手が微かに震えている。
「その力の使い手の事を、満月の子と言う」
「……満月の子って、伝承の……。もしかして、始祖の隷長と言うのはフェローの事、ですか……?」
「その通りだ」
「どうして、始祖の隷長はわたしを……、満月の子を嫌うんです?始祖の隷長が嫌う、満月の子の力って何のことですか?」
「……トート」
この野郎、最悪のタイミングでこっちに振りやがった。
「そうだな。始祖の隷長が満月の子を忌み嫌う訳は、フェローの言葉が全てを物語っている。その力は毒なんだよ。それも比類ないくらい強力な」
デュークは静かに目をつぶり、ユーリたちは固唾をのんで僕を見る。
「そもそも、始祖の隷長と言うのは、世界を守る存在だ。姿かたちが魔物のそれと区別が付きにくいため、人からは迫害を受けているが、始祖の隷長が滅びれば世界は滅びる」
「だったらなんで、それが世界に知られてないんだ?」
「都合が悪い事実を隠蔽するのは、いつの時代も変わらないということさ。それに、知ったところですぐ忘れ去るなら、これほど無意味なことも無い」
「それは……」
「だから、僕の話はここまで。どうしても続きを聞きたいのならばフェローに直接聞くといい。激高してなければ理知的な奴だから、少し会話するくらいなら出来ると思うよ」
遠回しな拒絶。何かを期待していたエステリーゼたちからは落胆の色が隠せないが、だからと言って自分を曲げるつもりもない。僕が正しいと思うのは僕。そう割り切って生きてきたのだから。
「どうしてもダメなのかの?」
「すまないね、パティ。手垢のついた言葉だが、世界には知らなくてもいいことがあるんだ」
「でも、トートはアイフリードと友達だったんじゃろう?」
「なら、言い方を変えよう。その事実を今のエステリーゼに受け止められるとは、僕には到底思えない。だから今は話さない」
「あんたがエステルの何を知ってるって言うのよ、学長」
「なら、示して見せればいい。ドンやアイフリード、僕の友に並び立つほどの器と意思をその身に宿しているならね」
目の前にアイフリード本人がいるのが何と無しに間抜けな感じもするが、ドンと並ぶ、というフレーズは効果抜群だったようで、どうにも言い返すことが出来ないでいる。
「……この話は終わりにしようか」
いつになく張り詰めた空気を弛緩させるために、苦笑しながらやれやれと首を横に振る。
「それで、あんたら何で砂漠で行き倒れなんて危ないことしてたのさ?」
「好きで行き倒れてたわけじゃねえって。届けもんがあんだよ」
そう言って、取り出した赤い箱から出てきたのは、聖核だった。デュークに目配せをして、対応を任せる。あれはある意味で同法の死体でもある。見せつけられるのは、あまり気分の良いものではない。
「……わざわざ、悪いことをした」
「いや……まあなりゆきだしな」
「そうか……だとすれば奇跡だな」
「ちょっと、まさか学長が変な術式の魔導器を作ってるんじゃないでしょうね。それも、魔核でもないそんな怪しいものを使って」
義憤からか、リタが一歩前に進み出て口を開く。
「魔核ではないが、魔核と同じエアルの塊だ。術式が刻まれていないだけのこと」
「術式が刻まれていない魔核……?どういうこと!?」
「一般的には聖核と呼ばれている。澄明の刻晶はその一つだ」
説明をしながらも、よどみない動きで澄明の刻晶を足元に安置し、立ち上がる。
「それに、結界魔導器を作る賢人は、トートではない。彼の者はすでに死んだ」
「そりゃ、困ったな。そしたら、そいつ、あんたには渡せねえんだけど」
「そうだな、私には、そして人の世にも、必要のないものだ」
真芯の数センチ上でピタリと固定された宙の戒典が光を放ち、展開された術式によって澄明の刻晶をエアルへと還す。光が収まると、そこには元から何も無かったかのように聖核は消え去っていた。
「聖核は人の世に混乱をもたらす。エアルに還した方がいい」
あくまで諭すように、穏やかな声音を変えることなく言い切ると、ユーリたちに対し背を向ける。
「立ち去れ。もはや、ここには用はなかろう」
一切を拒絶するようなデュークの言葉を最後に、ヨームゲンでの邂逅は幕を下ろした。
○○○
夢を見た。遠い遠い、まだ、僕が他者を全て敵と見なし、ただ感情の赴くままに力を振るっていた頃の夢。暴君と蔑まれ、禁忌の子と疎まれ、これが永遠に続くのだろうと思うと、気が狂いそうだった。いや、事実狂っていたのだろう。でなければ、僕の正気はどこにもありはしないことになる。
「なぜ、暴君と呼ばれし者がが妾などを庇護に置く。なぜ、そのような虚ろな目をしている」
「お前みたいなのは、初めてなんだ。なぜ、僕を嫌わない。なぜ、そんなにも憐みの目を向ける」
奥底に眠る大事な記憶。今でも決して色あせることなく、未来永劫摩耗させてはならない僕の根源。
「そなたは何も知らぬ。この世界で最も無垢な赤子と変わらぬではないか」
「知っているぞ。他者とは迫害するためにある存在。生きるとは、誰かを忌み嫌うということ」
何故、今この夢を見るのか。嫌な予感だけが募っていくが、覚めることが出来ない。最後まで見ろと言われているように、夢だと分かっていながら、どうすることもできない。
「そなたを暴君としたのは、これまでにそなたと関わった全ての者達。その無機質な慟哭を、誰一人として聞こうとはせんかったのじゃな……」
「お前は、何を言っている?分からないぞ。理解できない」
ドクンドクンと心臓の音がうるさいほどに聞こえる。
「今日から、妾たちは家族じゃ。まず手始めに、おぬしの世界を広げるために旅をせんとな」
にっこりと微笑んでくれたのは、彼女が初めてだった。たまたま、ベリウスが僕を忌み嫌わなかった。そんな些細な偶然が、たまらなく幸運だったのだ。大事なことは、いつだってベリウスが教えてくれたから。
「おお、見てみるがいい、トート。これが海だ。いずれは船でも作って航海してみるのも良いかもしれぬな」
二百年を超える旅路の中で、僕は変わった。誰よりも人らしさを持った始祖の隷長。その言葉を中傷ではなく、畏敬へと。永遠の生と言う苦悩も、膨大な感謝の念の前では塵芥も同然だった。
「やはり、人は良い。その生は、短いながらも輝きに満ちておる」
彼女がそう言うから、僕は人としての血が誇らしかった。一度は黒く濁った僕を再び白紙に戻して、暖かい色をくれた。そのお礼を返せないままに。
「トート。そろそろ旅はおしまいじゃ。最後の教えは、物事には終わりがあるという事。そなたには酷な話かもしれんが……」
これも覚えている。旅の最後、出会った場所での別れの言葉だ。
「血は繋がっていなくとも、妾とそなたは家族じゃ。そなたが永遠だと言うのならば、妾はその事実を永遠のものとすることで、そなたと共に歩もうぞ」
夢が終わる。そして、予感があった。これは走馬灯のようではないか。では、いったい、誰の。決まっている。僕が死なない以上、これを共有しているのはベリウスだけ。ああ、だからこそ夢が終わると表現したのだ。僕の大半を占めるこの想いも、僕にとっては泡沫の夢。段々と真っ暗闇に落ちていき、次の刹那に目が覚めた。
「……約束、果たせなかったな……」
流れ星が涙のように降り注ぐ下で、僕はそう呟くのが精いっぱいだった。
今まで使った魔術を、全部オリジナル技に差し替えました。
術の描写も修正を加えてあるので、お手数ですが、もう一度読んで下さると助かります。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
六話(闘技場都市ノードポリカ~ギルドの巣窟ダングレスト)
時は少し戻る。砂漠を越え再びノードポリカへと戻ってきたユーリたちは、この旅の目的の一つでもある、ベリウスに会うために、闘技場の最上階にある総統の部屋の前に来ていた。
「ベリウスに会いに来た」
「あんたたちは……確か、ドン・ホワイトホースの使いだったかな」
「そそ。そういうワケだから、通してもらいたいんだけど」
「そちらは通ってもいいが……」
レイヴンを見た後、見定めるように視線をその場にいる全員に送ってから、言葉を続ける。
「他の者は控えてもらいたい」
「えー!どうしてですか?」
「あたしらが信用できないっての?」
「申し訳ないがそういうことになる。何かあってはトート様に申し訳が立たない」
内心ほっとしているレイヴンを除いたメンバーは、ここでもトートの名前が出たことに驚きを隠せない。いかに、今までの自分たちが何も知らなかったのか、それを突きつけられている気すらするのだ。
「よい。皆通せ」
門の前で断固として譲ろうとしないナッツを動かしたのは、その背にある門の奥。つまりはベリウスの言葉だった。
「統領!しかし……」
「良いと言うておる」
「話が分かる統領じゃねえか」
「……分かりました」
目に見えてしぶしぶ、と言った体で面会を認めたナッツ。
「くれぐれも中で見たことは他言無用で願いたい」
「他言無用……?どうして?」
「それが、我がギルドの掟だからだ」
「分かった。約束しよう」
ナッツは目を深く閉じることで同意の意を示し、ユーリたちはその意志に答えるように掟を守ることを誓った。
「なっ、魔物……!」
長い階段を上った先。統領の私室にてユーリたちを出迎えたのは、大きな狐のような存在だった。
「ったく、豪華なお食事付きかと期待してたのに、罠とはね」
「罠ではないわ。彼女が……」
「ベリウス?」
ジュディスの言葉を先取りして、エステルはその答えにたどり着く。
「いかにも、妾がノードポリカの統領、『戦士の殿堂』を束ねるベリウスじゃ」
「あなたも、人の言葉を話せるのですね」
エステルは一人前に進み出て、真摯に会話を試みる。
「先刻そなたらは、フェローや我が兄上に会うておろう。なれば、言の葉を操る妾とてさほど珍しくもあるまいて」
「あんた、始祖の隷長だな?」
「左様じゃ」
「じゃ、じゃあ、この街を作った古い一族っていうのは……」
「妾と、兄上のことじゃ」
「この街が出来たのは、何百年も何百年も昔……。ってことは……」
「左様。妾はその頃から街を統治してきた」
「スゴイのじゃ!」
あまりの出来事に、息もつかせぬ質問を投げかけるユーリたちに、一つ一つ丁寧な対応で返答するベリウス。
「……旦那が嬉しそうな顔するワケだ」
「そなたがレイヴンか。話は聞いておる」
「なら、話が早い。ドン・ホワイトホースからの書状を持ってきたぜ」
懐から書状を取り出し無造作に近づくと、いつもの適当さからは信じられないほどに丁寧に引き渡す。
「ふむ、ドンは妾にフェローとの仲立ちを求めておる。あれほど剛毅な男も、フェローに街を襲われてはかなわぬようじゃな。無碍には出来ぬ願いよ。一応承知しておこうかの」
「ふぃー。良い人で助かったわ」
これで、今回の旅の目的の半分は達成したと言ってもいい。
「街を襲うやつもいれば、ギルドの長やってんのもいる。始祖の隷長ってのは妙な連中だな」
「我が兄上に言わせれば、人も始祖の隷長も大差ないとのことじゃ。真にその通りよな」
「ねえ。さっきから兄上って言ってるけど、一体誰の事よ」
「我が兄の名はトート。知らぬわけではあるまい」
「なっ!?」
あらかじめ知っていたレイヴン、そしてジュディス以外のメンバーの顔が驚愕に歪む。
「あいつ、人間離れしてると思ったら、本気で人外だったのかよ」
「兄上は始祖の隷長の中において、唯一己を高め続けた者。確かに人の尺度では測れんのう」
「でも、学長は人と見分けつかないわよ」
「例外中の例外。それがトートじゃ。そしてそれ故に、始祖の隷長の妾にすら想像もつかぬ程の苦悩に苛まれておる」
苦悩。これほどにトートのイメージから外れた言葉は無いだろう。少なくとも、事実を知る者以外は寝耳に水な事柄だ。
「あやつは人と始祖の隷長の混血。本当は妾と血の繋がりなど無いのじゃ」
「こ、混血……?そんなのまでいるんだ……」
「人でありながらにして人ではなく、始祖の隷長でありながらにして始祖の隷長ではない。言うなれば、この世界にただ一人、トートと言う種族のようなもの。その孤独と絶望は計り知れぬ」
「……話を」
他者に踏み込むということは自身を掛けるということ。引き返せない一歩を進むことと同義だ。
「話を聞かせてもらえますか?」
躊躇いもなく、慈愛に満ちた顔でそう言ったエステルに対し、ベリウスはどこかトートに似た無垢さを垣間見た。
「遠い昔、今ではフェローや妾くらいしか知らぬほどの昔の話じゃ」
ゆっくりと、古い記憶が語られる。
「まだ、妾が始祖の隷長として未熟であった頃のこと。出会いはそう特別なものではなかった。名もなき森の一角で、たまたま虐殺の限りを尽くすトートの姿を見た」
「虐殺って……」
「言葉の通りじゃ。かつてのトートは、他者を殲滅することを生きる意味としておったからの」
「でも、一体なぜ?私たちが知る彼は非常に理知的な人物よ。とても、そんなことをするようには思えないんだけれど」
「簡単な話よ。生まれてから数百年。何も知らなかったあやつが学んだ事が、それだけしかなかったのじゃ。赤子が誰かの真似をするように、トートは今まで見てきた誰かの真似をしていたに過ぎぬ」
ベリウスの周りに浮かぶ火の玉がちりちりと音を上げる。まるで、表情に出さない分の感情を代弁しているように、だ。
「トートに混じる人の血は、なぜか始祖の隷長からの嫌悪を招く。生まれて初めて受けた仕打ちは、親の愛などではなく心を殺す迫害だったのじゃ」
「……酷い……」
「そんなことが幾度も続き、あやつは他者とは迫害するもの、嫌悪するもの。そう学んでしまった。初めて対面した時、その虚ろな瞳。今でも忘れられぬ」
数百年間、すべて物から忌み嫌われる。それがどれほどの事なのか、人の身であるユーリたちには想像もつかない。ただ、漠然と悲しいおとぎ話を聞かされている気分だ。
「だからこそ、妾は誰もが放棄した義務を我が物とした。何処までもがらんどうで、何も知らぬ無垢なる赤子を、その歪みから引き上げると、そう決めたのじゃ。そうしてその日から、トートと妾の家族となった。所詮は形だけの関係だが、まるで本当の家族のように、世界中を旅してまわったものじゃ。ほほ、思い返すだけで心が躍る」
「いや、いい話聞かせてもらったわ。旦那ってばそう言うの絶対に自分から話さないから」
「そなたには気を許しておる方じゃ。そうでなければ、そんな治癒術は絶対に使わぬ」
「……あらら。分かっちゃうの」
「……おっさん。アンタいったい何の話をしてんのよ?」
リタの訝しげな視線を、下手糞な口笛を吹いて躱すレイヴン。そして。
「しかし、真に聞きたいことはこれではないようじゃな。のう、満月の子よ」
満月の子。最も聞きたかった事柄を前に、前のめりになっていたエステルが更に前へと詰め寄る。逸る気持ち、などと生温いものではない。強迫観念にも似たものが、エステルを突き動かしていた。
「……エステリーゼと言います」
恐怖と期待が入り混じり、か細い脚は意識していないと崩れ落ちそうなほどに震えていて、それでもエステルは愚直に真実を求める。
「満月の子とは、一体なんなのですか?わたし、フェローにそしてトートにも忌まわしき毒だと言われました。その意味を知りたいんです」
「ふむ。それを知ったところでそなたの運命が変わるかは分からんが……」
ようやく、一つの答えにたどり着かんとしたその時、突然背後にそびえていた大きな扉が開いた。慟哭の時は近い。
○○○
『魔狩りの剣』を退けた際にベリウスが負った傷。それが悲劇の引き金となった。機械仕掛けの神は無く、悲劇は正しく悲劇として、崖から転がり落ちるように物語を刻み始めた。
「ぐぁああああっっっ!」
満月の子。その特殊な術式による治癒術をその身に受けて、ベリウスの苦悶の声が夜空に響く。完全に正気を失い、その身を傷つけるかのように暴れまわる。矛先は一番近くに居たユーリたちへと向けられ、死闘が展開される。
「わたしの……せい……?」
ベリウスの叫びを筆頭に、怒号の飛び交う闘技場内で、目の前の出来事に対して呆然自失となった人物が二人いた。
「そんなの、ないでしょ。旦那、本当に嬉しそうだったのよ」
エステルは事実を信じられなくて、そしてレイヴンは事実を認めたくなくて。木偶のように微塵も動かずみ、縋る言葉を呟き続けている。
「……こりゃ、まずいか」
ユーリのぼやきはエステルではなくレイヴンへと向けられたもの。良くも悪くも直情なエステルと違って、その本心を隠すことにおいて突出しているレイヴンが、今では見る影もなく醜態を晒している。理由は分からないが明らかに異常。それも、おそらくユーリ自身が思っているよりも遥かに。
「ジュディ!どうにかレイヴンを正気に戻してくれ!」
「引き受けたわ!」
エステルの隙をカバーしつつ戦うのは、正直なところ厳しいものがある。しかし、そうせざる負えないのならば、こちらは残りの全部を出し切ってようやく互角と言ったところ。鍵はレイヴン。冷静に立ち回り、的確に必要なだけの援護をこなす老獪な者。それなくしてこの苦境を超えることは叶わないだろう。
「おじさま。―――少し痛くするわよ!」
焦点の定まらない目を治す方法も、震える手足を癒す方法も、知りはしない。ジュディスが今この場でできることは、現実を現実だと認識できるようにしてあげる事だけ。
「がはっ!」
振りかぶった腕を撓らせて、いいパンチがレイヴンの顔面に入る。切れた口腔や、鼻から血が流れるが、痛みは確実に実感を与えてくていた。
「……悪い。ジュディスちゃん。手間かけさせちゃったみたいね」
「これくらい、お安い御用よ」
少し、痛くされ過ぎてカチ割れた頭から流れる血を拭い、鼻血をふき取りながら口内に溜まった血を吐き出す。しかし、今そんな事など些事。ユーリの目と鼻の先まで迫ったベリウスの攻撃を打ち抜きながら、レイヴンは静かに覚悟を決めた。
○○○
ベリウスの体から強烈な発光が起き、それを見ていたユーリたちはその先にある結末を悟った。月のように物悲しい光、同時に太陽よりも暖かい。まさに、命の煌めきと形容するのがぴったりだ。
「ごめんなさい……。わたし……わたし……」
「気に……病む出ない……。そなたは……妾を救おうとしてくれたのであろう……」
ベリウスの声からは一切の生気も感じられない。その代わりに満たされているのは、子を見守る母のような慈愛の心。
「力は己を傲慢にする……。だが、そなたは違うようじゃな。他者を慈しむ優しき心を、大切にするのじゃ……」
吐血も、呼吸の乱れすらなく、穏やかな口調は遺言にしか聞こえない。
「フェローに会うがよい……。己の運命を確かめたいのであれば……」
「フェローに?」
もう時間がない。そんな焦燥感がベリウスを襲う。数えきれないほどの年月を生きてきて、今ほどに生きたいと願った事は無かった。
「兄上との約束。果たせそうにないのが、未練じゃな……」
蝋燭の灯が放つ最期の燃焼のように、光は更に強まって。
「ま、待ってください!だめ、お願いです!行かないで!」
エステル涙を流しながら伸ばした手は虚しく空を切り、先ほどまで確かにそこに存在していたベリウスは、今もなお光り続ける聖核『蒼穹の水玉』へと成り果てていた。
「妾の魂。蒼穹の水玉を我が兄トートへ」
その言葉で終わり。地獄への道は善意で塗り固められている、この悲劇にあえて題を付けるとするならば、正しくこれしかないだろう。
「ごめん……なさい……」
膝をついて声を上げずに泣きじゃくる。かける言葉は、一向に見つからない。そんな状態が数分。そう、たった数分だ。それだけしか経っていないというのに、月明かりだけが照らす夜空に巨大な影が現れた。
「あれは……」
騎士団が闘技場になだれ込んできただとか、『魔狩りの剣』も聖核を狙っているとか、そんなことは全て、思考の内から吹き飛んだ。ユーリも、ラピードも、エステルも、カロルも、リタも、ジュディスも、レイヴンも、パティも一目見て、あれがいったい誰なのかを理解する。
「あいつは、戦いは嫌いじゃなかったが、争いは好きじゃなかった。鎮魂だ。今日、この場所でだけは争うことを許さない。今となっては、僕に出来る事はそれくらいしかないから」
ノードポリカにいた全員が身震いした。未知の魔物が話したことに、ではなく。その声があまりにも透明だったから。怒り、恨み、悲しみ。それを一切孕んでおらず、どことなく優しさすら感じさせる。
「黙れ……始祖の隷長がァ!」
「……その憤りも、僕の前では無意味だ」
『魔狩りの剣』がボス、クリントが歯を食いしばって怨嗟の声を叩きつけるが、ガラス玉のような双眸には依然として脅威とは映っていない。
「聖核を求め、僕に群がるのもいいだろう。だが、その瞬間から敵対したとみなす」
パチパチと、彼の遥か上空に展開された、理解しがたいほどに重なる魔方陣から漏れだした雷が音を立てる。
「命までは取らない。暫く気絶してもらうよ」
「船まで走って!早く!」
発動前の術式を見て酷く混乱したリタだったが、視界の隅に捉えたエステルを見てはっ、と我に返り指示を出す。
「冥府の神摂理を貴び、神々の王禁忌を侵せし者に雷霆を以て鉄槌を下す」
ノードポリカ全体を覆う規模の黒雲が発生し、その時を今か今かと待ちわびる。
「ケラウノス・ダムナートーリウス」
発動と同時に極大の雷が数多に降り注ぎぐが、それすらも余波に過ぎない。最も大きな雷が、その中心にいる彼へと落ちた。世界が白く塗りつぶされ、音に関してははすでに耳が麻痺してしまったようだ。無慈悲な轟雷は、持てる力を放出し尽くすまで暴威と化し、それが終わった後『魔狩りの剣』も騎士団も、闘技場にいたもので立っているものはいなかった。
「お休み、ベリウス」
炭化した皮膚はすでに再生し、彼はここに現れた時と微塵も変わらぬ様子で、そう呟いた。
・・・
自らを罰するような術の行使を行ったあの日から、数日が経った。いつかは訪れる結末が、ほんの少し早まっただけ。そう思えば、いくらか気持ちは楽になった。しかしそれは、失った悲しみを和らげるためというよりも、死への羨望を抑えるために必要なこと。喪失感というものは、空いた穴が何かで満たされるまで決して消えることはないのだろう。
「何の用だ……?」
「ただ、人が寄り付かない場所が他に思いつかなかっただけよ。バウルが、ね」
「ああ……。そういうことならここほど適してる場所もないだろうな。僕も一人になりたくてここに来たから」
振り返ると、槍を持った女性。ジュディスがそこに立っていた。
「そう、構えなくていい。ここは別に僕の私有地という訳でもないからな」
「それは、無理よ。私たちはあなたに殺されても文句を言えない理由があるもの」
「ベリウスのことをあんたたちに責任があると言うほど、僕は恥知らずじゃないさ。それに、あいつは自分の矜持を全うして逝った。僕には分からないものだけど、きっと素晴らしいことなんだ」
置いた一泊が長く感じるのは、思い返すことが多すぎるせいか。たった一度の呼吸の合間に、氾濫するように渦巻く思い出。
「…………」
「憧れてしまった。ベリウスのように生きたいと。だから、僕はアスピオに住み着いたりもした。けどもう届かない所に行ってしまったから……。無限に時間があるからこそ、死だけはどう足掻いたって真似できない」
いったい何故、こんなことを言ってるのだろうか。湧き出る疑問を、膨大な記憶が
押しつぶしていく。理性がまともな思考を拒む。が、これ以上話すとあまり良くない気がして、どうにかなけなしの自我を振り絞る。
「……くだらない話を聞かせたな。僕はもう去る。この場所は好きに使うといい」
「待って」
自嘲しながら踵を返すと、呼び止める声が聞こえた。
「これ以上話すことは―――」
「私は、私が死んだとしても、バウルには生きててほしいわ」
はっきりと、真摯に、気後れせず、本心から。何かの魔法のように、その言葉は僕に響いた。
「参ったな……。大きな借りが出来たみたいだ」
「それは光栄な話ね。いずれ返して貰おうかしら」
ベリウスは、一緒に死ねないことを悔やんだのではなく、一緒に生きていけないことを悔やんだのではなかったか。
「なんだ、そんな簡単な事だったのか」
生きるということを僕は今一つ理解できていなかったようだ。なまじ永遠の生などを持っているが故の勘違い。僕は、ベリウスの意思を受け継いだ。ならば生きている意味はきっとそこにある。
「今の騒動が全部終わったら、あんたの旅を手伝ってやるよ」
「そうね。大昔の話を聞かせてくれるのなら、それもいいかもしれないわ」
「なら、約束だ。だから、それまで生きてろよな」
そう言って、今度こそその場を後にした。ダングレストに急がなくてはならない。意思を受け継ぐべき人間が、いるのだから。
○○○
広場の人だかりの真ん中に、やはりドンはいた。どこまでも義を貫く男だ。ベリウスはそんな事望んじゃいないだろうに、それでもケジメはつける。ドンの刃は義の化身。反するものは悉く断じる。それが己であろうとも。
「間に合ったか!」
放つ雰囲気の異常さから、自然と人垣が開けて道になる。僕が必死になったことも、感情の赴くままに大声を上げたことも、これが初めてかもしれない。
「お前え……トート、か?」
「僕みたいなのがたくさんいたら、世界は大変なことになってるだろうな」
信じられないモノを見た、と言う風に目を見開くドン。それは、僕ドンの話の邪魔にならないように遠巻きで見ていた者達も同様だった。
「随分と良い面構えになったじゃねえか。最期にそれを見れただけでも、心残りは一つ減ったなあ」
「昔、ベリウスに言われたんだ。鏡のような奴だって。だから、あんたを見届けに来た」
「なら丁度いい。介錯を探してたところだ、頼めるか?」
「少し待て、相応しい得物を用意する」
懐から『トートの書』を取り出し、虚空に紙片を展開させると、この場の僕以外にとって理解不能な方陣が描かれる。深くのけ反ると、体全体から火花のようなものを散らして腹からそれが精製されていく。ゆっくりと、腹部から生える植物のように真っ直ぐに伸びていった黄金の剣。銘を『クリュサオル』と言う。特別な効果のある剣などではないが、全てが僕の血から出来ている。黄金の至宝。持ち得る限り最高の礼装でもあるそれは、見るもの全てが心奪われるほどに美しい。
「それじゃあ頼むぜ、トート」
「さようなら、ドン」
短くそれだけで会話は終わり。稲妻のごとき剣閃が奔り、ドンが苦しいと感じる間もなく、黄金の剣はその命を刈り取る。切ったのだと言われなければ気が付かないような傷を残して、刃には血糊も付いていない。しかし確実に、ドンのケジメは完遂されたのだった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
七話(ギルドの巣窟ダングレスト~テムザ山)
「影から見ているだけなら、僕はもう行くぞ」
埋葬されたドンの墓の前に『クリュサオル』を突き立て、片膝をついて祈りをささげていると、怯えや恐れを伴った視線が僕を見ていた。レイヴンは分かるがエステリーゼは……。
「……ああ、なるほど。ベリウスが話したのか」
「わ、わたしは……」
桃色の髪が大きく揺れるほどに、ベリウスの名にビクンと体を反応させ、掠れた声を絞り出す。
「謝るな。あれはあいつの選択の結果だ。その責任を誰かに押し付けるような奴じゃないことくらい。エステリーゼにも分かるだろう?それに見方を変えれば、説明を渋った僕のせいでもある。結局のところ、自分が悪いと嘆くのが、一番楽なんだよ。誰かを恨むのは、とても疲れる」
「…………っ!」
エステリーゼの顔が更に青くなったのは、僕の言葉で初めてそういう自分が存在するんだと気付いてしまったから。潔白で純真な心の底に溜まった澱。前に進まんとするならば、まずは己と向き合わなければならない。
「まずは自分を知れ。そうして、世界を、人を知った時。僕はその謝罪を受け入れよう」
「……はい」
深々と頭を下げるエステリーゼから視線を外すと、どうやら他にも話があるメンバーがいるようで。そうだな、まずはリタから話をしようか。
「あんた……人じゃなかったのね」
「半分は人だ。尤も、そのせいで更に化物じみてしまっているけどな」
「ま、あたしとしてはそんな事どうでもいいんだけど。学長がどれくらい遠くにいるか、朧気にも分かった訳だしね」
千年と言う差をそんな事と言い、本気で追い抜かそうと考えている。それ以外は頭の片隅にも入っていないのが、実にリタらしい。
「……もし、僕の領域までたどり着けたのなら、この本についての情報を公開してやろう。世界を変える術式の一つだぞ」
「言ったわね!しっかりと言質取ったわよ!」
「そもそも教えてないだけで、隠してるわけでもないからな。そうだな、最初にリゾマータの公式にたどり着いた者を弟子にしようか」
興奮して目が血走っている。知識に対して貪欲すぎて、完全に女を捨ててきている。それが悪いこととは言わないが。
「……それで、あんた体大丈夫なワケ?あんな無茶な術式使うなんて正気じゃないわよ」
「確かに正気とは言えなかったけど、もう大丈夫だ。いつまでも引きずるのはベリウスも望まないだろう」
「そう、ならいいわ。仮にも私の師匠になる人が、そんな軟弱じゃあ困るんだからね」
「旅をしてみても、その素直になれない性格は直らなかったか。昔は――」
「昔は……、なんだって?」
頬をものすごいスピードの火球が掠めていった。発射した本人は完全に目が据わっている。
「そんなに恥じる事でもないと思うけどな……」
「う、う、うるしゃいわ!時間が戻せるならあの時の自分をぶん殴ってやりたいくらいよ!」
地団太を踏みながら肩で息をして涙目になるリタは、どことなく年相応にも見える。今にも掴みかかって来そうな雰囲気は、出会ったばかりの頃を思い出させるようで、懐かしい。が、これ以上からかうとどんの墓諸共吹き飛びかねない。
「次はユーリか。これと言って用事があるようには思えないが」
「渡すもんがあんだよ」
ほら、と言ってその懐から無造作に、しかし決して傷がつかないように取り出されたのは、聖核。蒼穹の水玉。
「あんたに渡してくれって頼まれたんだ」
「礼を言う。墓を作ってやりたくても、何も残って無くて困ってたんだ」
「礼なら、おっさんをどうにかしてくれると助かる」
「最初からそのつもりだ。あれでも僕の数少ない友人の一人でな。少しばかり胡散臭いが、いい奴なんだよ」
今回の件は僕の落ち度だ。楽観で、レイヴンにとってこれ以上ないほどに重い十字架を背負わせてしまったのだから。今の彼の目に映る光はドンと同じもの。あらゆる色を押しのけて、覚悟の意思がそこに在る。
「レイヴン」
「はいよ」
あくまで飄々と、気負いを感じさせない声で返事をすると、一歩前に出る。だが、その様子は観念した罪人のようにも見えて。
「あんたは後で、ケーブ・モックの森に来い。納得には理屈だけじゃ足りないんだろう?」
「……旦那には隠し事は出来ないのね」
「得物は好きにして構わないが、全力で来い。お望み通りぶっ飛ばしてやる」
同じく気負わず、普段となんら変わらない様子で、そう告げると、僕はこの場を後にした。
○○○
新緑がいい具合に風になびき、かつてここのエアルクレーネが暴走していた時には見られなかった情景が見られる中。先の約束の通りに、僕はレイヴンと対峙していた。ユーリたちは意をくんでここに付いてくるような真似はしなかった。それは無粋極まる高位だ。この決闘まがいな行為は、そういう類いのものだと理解しているのだろう。
「さて、いい加減始めるか」
「の前に、一つだけいいかしら」
顎を僅かに動かし、言ってみろと目で告げる。
「おっさんだけ本気ってのはフェアじゃないと思うわけよ。……ねえ旦那、本気、出してくれない?」
「……いいんだな?」
怖くない訳がないだろう。事実、その声は震えていたし、顔色も隠しきれないほどに悪くなっている。それでも選んだというのなら、友として真っ向から受けて立ってやらなければ。
「正直、これを見せるのはあまり気のりはしないんだけどな」
「俺なりのケジメってやつなのよ」
「……五分耐えろ。無理なら一度僕を殺せ。それで決着だ」
両の手を吹き飛ばす勢いで、僕の両肩から先が『トリスメギストス』に変異し、同時に背中からも第三の腕が生えてくる。『トートの書』はばらけて、光背のように浮き、その中心となる場所にはお互いの尻尾に食らいつく双蛇が合わさって円環状に浮遊。紙片の円は何層かに分かれ、それぞれ時計、反時計と交互に回転していく。まるで歯車のようにも、複数の壊れた時計のようにも見えるそれらは、漠然とその危険性を理解させた。
「我が身は創世の賢者にして月の現身。顕れるは五柱が一つ、死と復活の象徴。ここに帰依し奉る」
だらりと垂れた両爪に異常な速度で成長する植物が巻き付き始め、それが次第に全身へと広がっていく。
「降神権能、コード・オシリス」
絡みつく蔦は、それでも動きを阻害することは全くなく存在している。自然との合一。それこそがこの術式の真骨頂だ。今や、ケーブ・モック大森林が僕で、僕がケーブ・モック大森林。知覚を始めとしたあらゆる感覚が切り替わり、高度な演算機械のようにこの森で起こる全てに対し、完全な把握を実現した。
「……行くぜ、旦那!」
「死ぬなよ、レイヴン」
小手調べとばかりに放たれた二連の矢。さらにそれを蹴散らすと読んでの一矢が放たれる。
「木は我が腕」
僕の命に従い地面から気の杭がそびえ、逆に矢を打ち抜くと、分化して無数の矢となり降り注ぐ。ぎょっと、体を固くしたレイヴンだが、爆薬を仕込んだ矢を眼前の地面で爆裂させることで防ぎ切り、素早い判断で近接戦闘へと切り替えた。
「軽やかに!」
「土は我が足」
刹那の内に小太刀を抜き放ち、滑空するように突っ込み、しかしそれすらも上回る速度で壁が作られた。恐ろしく堅い土でできた壁は、容易にその斬撃を阻む。
「蔦は我が指」
間髪入れず、弾かれたレイヴンの四肢を蛇のように動く蔦が絡みとると、合わさって極太の鞭となり、その腹を打ち抜いた。強烈な衝撃は絡みついていた蔦自身をも引き裂き、レイヴンは最初に対峙していた時よりも遠くにあった大樹に叩きつけられた。それと同時、悶絶する間も無く、木々は根を伸ばして包み込まんと襲い掛かる。
「エアスラスト!」
根から逃れようと咄嗟に発動した術も、僕の『トリスメギストス』が瞬時に掌握。森林に漂う静謐な空気の藻屑と消えた。
「蛍よ!」
腕に絡みつくものだけ力任せにどうにか剥ぎ取り、構えた弓から空中に仕掛けられた地雷のような技。顔を顰め歯を食いしばると、あろうことか自らそれに触れて爆発を誘発させたのだ。
「ぐっ!」
生い茂る草木の侵攻から辛くも逃れ、仕切り直しと言ったところだが、片方はすでに満身創痍。まだ、三分と経っていないというのに、血まみれだ。
「例えばあんたが、跳びかかろうとして踏み込んだ時、僕は土を踏みしめるその力の具合から、次の行動が手に取るように分かる。呼吸からはダメージの有無を。空気の振動からは術式を、だ。これはそういう術。人という、自らとは大きく異なるものへの変異を可能とする、始祖の隷長の特色を生かした術式。トート・アスクレピオスが、レイヴンと戦うための全力」
「…………」
「そう、良い目だ。あんたが僕から何かを学ぶように、僕はあんたから何かを学ぶ。これでようやく対等になったな」
ドンからは義を。ベリウスからは慈愛を。そしてレイヴンから学ぶものは、どうやら不屈のようだ。
「年甲斐もなく熱くなっちゃったじゃないの」
この戦いの中で何を感じ、何処に至ったのか。それは本人の内にだけあればいい。僕の苦悩の片鱗を知るこいつが、こんな目を出来る。こんなにも、生きている。
「ここからはただの喧嘩だ。泥臭くいこう」
「青春だねえ。こりゃ青年たちの事笑えないわ」
お互いに至近距離まで歩み寄り、口元だけで笑いあうと、示し合わせたように殴り合いが始まった。と言っても、高速で展開される組手のように、洗練された応酬が繰り広げられていく。高速で振るわれる爪を紙一重で避け、振るわれる小太刀を目の前で弾く。もしも観衆がいたならば、演武として拍手喝采を浴びる程に見事なぶつかり合い。
「そろそろ倒れたらどうだ?」
「冗談!ここで退いたら男じゃないでしょ」
拮抗したまま時は過ぎ、決着は残り一秒あるか無いかの刹那。爪を弾こうとした小太刀が限界を超えた。パキン、と甲高い音を立てて折れたそれには、もはや受け止めるだけの機能は無く、均衡は崩れ去った。
「ありゃりゃ……。何もこんな時に折れなくてもいいじゃない」
「治療は任せておけ」
やれやれと諦観の声を上げるレイヴンを、鉄塊のごとき爪がぶっ飛ばした。
・・・
朝、ユーリたちが宿から出てみると、手紙と一緒に柱に括り付けられて凍えているレイヴンを発見した。顔面以外は丁寧に治療が施され、傷一つ無かったのだが、恐らく意図的にだろう、顔はボコボコにされたままだった。笑いを堪えながらも、手紙を読んでみると、ユーリたちの知りたかった事、すなわちジュディスの行方について書かれていた。
「テムザ山……ね」
パティの操舵する船に揺られながら、ユーリは呟いた。
「ま、それは置いといて、だ。おっさん、サメの餌になりたくなかったらキリキリ知ってる事吐いてもらうぜ」
「おたく、よく鬼畜って言われない?」
括り付けられる柱が船のものに変わり、レイヴンは未だにその自由を奪われていた。
「ほら、無駄口叩かないの。学長との関係とか、知ってる事洗いざらい話すまでご飯抜きよ」
「リタ、それはちょっと可哀相です。せめてお水は飲ませてあげないと」
「……嬢ちゃん?」
唯一の良心は断たれ、レイヴンの頬を冷や汗が伝う。
「で、真面目な話、どうなんだ?言動から察するに、大分前からトートと親交があったんだよな?」
「かれこれ、五、六年くらいかねえ」
「意外と長いのじゃ」
「それじゃあ、わたしたちと行動を共にしたのは……」
「嬢ちゃんの監視。みたいな」
「もう、海に落としちゃっていいんじゃない?こいつ」
ゴゴゴゴ、と擬音が実際に見えそうなくらいの迫力で、リタが詰め寄る。背後からは火球が数個ほど見え隠れしており、率直に言うと命の危機だ。
「……トートの指示か?」
「旦那は、今の状況をある程度読んでたみたいよ。それに、害意があっての監視を付けたワケじゃないって。生まれのせいで命狙われるのとか、あんま好きじゃないって言ってたしさ」
「だけど、止めはしないと。また、中途半端なことだな」
「永く生きてればいろいろあるのさ。いろいろ、ね」
三十五年ほどのレイヴンの人生でさえ、希望と絶望はない交ぜになって点在していたのだ。千年。この重みは、同じくその時を生きるものにしか想像もできないものだろう。
「おっさんが知ってるのはあくまで旦那の事だけ。始祖の隷長の事情に関しては、あまり踏み込まないようにしてたから」
「そう、ですか……」
求めた答えは再び遠ざかり、まるで世界がお前は知るなと言っているような気すらする。エステルが少しだけ俯けた顔を再び上げると、その双眸には確かな決意が宿っていた。後押ししてくれたベリウスと、他でもない自分のために、自分の知らない全てを知ろう。海猫が飛び交う海上で、少女は人知れず決意を新たにした。
○○○
テムザ山の山頂。そこには膨大な数の穴が空けられた大地が広がっていた。草木の一本すら生えておらず、不毛の地の体現と言ってもいいような場所。十年前に起きたある戦争の爪痕は、生々しく、そして微塵も風化することなく常在している。あの時あの場にいた存在にとって、等しく地獄だった人魔戦争。命の価値が吹けば飛ぶほどに暴落し、呼吸をしている間に隣で励まし合った戦友があっけなく死ぬ。例外ではなく一度は死んだレイヴンにとっては、いささか辛い風景だ。
「人魔戦争。あの戦争の発端は、ある魔導器だったの」
「なんですって!」
トートのくれた情報通り、ジュディスはちゃんとそこにいた。そうして、その口から語られる真実に耳を傾けている。
「その魔導器は発掘された物でじゃなく、テムザの街で開発された新しい技術で作られたもの。ヘルメス式魔導器」
「ヘルメス式……」
「初めて聞いたわ……」
驚きは二つ、一つは自分の知らない術式の魔導器があった事に、そしてもう一つは。
「それに、新しく作られたって……」
自分よりも高みにいるのはトートのみだと信じて疑わなかったリタにとって、それは驚愕の事実だったのだ。
「ヘルメス式魔導器は従来のものよりエアルを効率よく活動に変換して、魔導器技術の革新になる……はずだった」
「何か問題があったんだな」
「ヘルメス式の術式を施された魔導器はエアルを大量に消費するの。消費されたエアルを補うために、各地のエアルクレーネは活動を強め、エアルを異常に放出し始めた」
「そんなの、人間どころか全ての生物が生きていけなくなるわ!」
「そう。人よりも先にヘルメス式魔導器の危険性に気付いた始祖の隷長は、ヘルメス式魔導器を破壊し始めた。それがきっかけ。火種自体は大昔からあったの。ほんの些細な小競り合いで、激しく燃え上がってしまった」
ヨームゲンでトートから聞いた話。始祖の隷長は世界を守っていると、その意味をようやく理解した。エアルクレーネを鎮めるだけではないのだ。世界の危機を退ける彼らは、真に守護者と言っていいのだろう。
「どうして始祖の隷長は人に伝えなかったんです!?その魔導器は危険だって!」
「死人に口なし。世界の危機なんてもの、知らなけりゃ良いだけの話よ。その為の帝国だしね」
「そういうこと。そして、私には事実を知る者として義務がある。未だに稼働を続けるヘルメス式魔導器を」
消さなくてはならない、と言いかけた時、リタの激情がそれを押し流す。
「なら!言えばよかったじゃない!どうして言わなかったのよ!一人で世界を救ってるつもり?バカじゃないの!?勝手に秘密にして勝手に苦しんで、なんなのよ!」
仲間だと、そう思っていたからこその感情の発露。それは、小さな子供の駄々に似ているが、一線を画すもの。心からの声は、同じく聞く者の心を揺さぶる響きがあった。
「何とか言いな――」
リタが返事を返せないでいるジュディスに詰め寄ろうとすると、上方から人の気配が。ユーリたちのちょうど真ん中あたりに降り立ったのは、『魔狩りの剣』のティソンとナン。目深にフードを被った体術使いに特徴的な円状の刃物。これまでにも数度会っている奴らだ。
「どうやら、魔物はそこにいるようだな」
この場にいる全員を嘲笑するような声で、ティソンは言った。目的は言うまでもなく、始祖の隷長、そしてその死後に残る聖核だろう。
「『魔狩りの剣』がなぜ、人に危害を加えるんですか!」
「魔物に組するものを、人とは呼ばんだろう」
「魔物は悪。『魔狩りの剣』は悪を狩る者……。でも!始祖の隷長は悪じゃない!世界のために……」
「雇われて見境なくなってんだろ。狙いは聖核のクセにカッコつけてんじゃねえよ」
「ふん。話にならんなあ」
諸手を上げて挑発するように声を上げるティソンは、言い切ると同時に臨戦態勢へと入った。
「来るぞ!」
弾かれるように体を動かし襲い掛かるティソンとナン。仲間を守るための、そして意思を通すための戦いが始まった。
・・・
ユーリたちが戦いを始めた丁度その頃、帝都からほど近い平原に僕はいた。エフミドの丘へ行こうかと思い立ち、移動していた最中の出来事だ。降りしきる雨が体を打つ。差していた傘はすでにたたまれ、目の前に立つ人物の言葉を無言で待っている。高貴な雰囲気を感じさせる金髪は見る影もなく雨水に濡れ、整った顔立ちはまるで能面のようだ。感情の一切を排した兵士、なるほど確かに一つの完成形だ。しかし、それはあくまでも兵士としての話。人形を騎士とは呼ばない。
「聖核を渡してもらいに来ました」
「アレクセイの命令か?」
「……機密事項です」
淡々と、以前会った時とはまるで別人のように用件だけを告げる。初めて会ったレイヴンにそっくりだ。心を殺す従属が、その身を蝕み、やがては自分を失くしてしまう。その一歩手前に彼はいる。
「悪いんだけど、渡すつもりはないよ。墓に入れてやれるものはこれくらいしかないんだ」
「どうしても渡していただけないというのなら……」
カタカタと震える手で腰にある剣に手を掛けて。
「あんた、少し見ない間につまらなくなったな。傀儡の人生に意味はあるのか?」
「あなたに……あなたに何がっ!……いえ、そうですね。今の私は誇れるものではないのでしょうから」
噛みしめた口元からは血が滴り、剣に掛けた手は強く握り過ぎて、柄から軋みが聞こえてくるようだ。
「私は……間違っているのでしょうか」
「正解も不正解も、所詮は自身が決める事。僕に聞いてる時点で大きな間違いだ」
「手厳しいですね……」
力なく笑い、抜き放たれた剣は真っ直ぐに僕へと向けられる。
「始祖の隷長トート・アスクレピオス。貴方には人魔戦争時のスパイとして容疑がかけられています。大人しく拘束されない場合は、武力行使も厭いません」
「それは、僕と敵対するってことで良いんだな?始祖の隷長としての僕と」
「……任務を開始します」
それは確かな肯定の言葉だった。罪の意識も、優しい心も飲み込んで、肥大したのは冷たい敵意。
「……いいだろう。やってみろ。僕の喉元にその剣を突き立て、見事殺して見せるがいい。期待しないでおいてやる」
手も足も髪も胴も、人としての面影を残したままに段々と人外のものへと近づいて行く。シルクのようだった髪は無数の蛇へ、足には『トリスメギストス』のモデルとなった巨大なかぎ爪。最もその目を引くのが機械的な光を放つ両手。形こそ人のものだが、その不気味さは見ただけで怖気が奔る、本能に訴えかける類いの腕。胴に刻まれた文字盤。古代の言語で書かれたそれは時計だ。『トリスメギストス』も『トートの書』も『カドゥケウス』も、すべてはこの状態の模倣に過ぎない。
「高い壁に当たった時、人は二種類に分けられる。俯くものと見上げるものだ。あんたはどっちかな、フレン・シーフォ」
雨は激しさを増して豪雨となり、そんな中でフレン叫び声を上げながら走り出す。怪物と人との戦いの火蓋は、今ここに切り落とされた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
八話(フェローの岩場~学術閉鎖都市アスピオ)
まず初め、その両手に月明かりを感じさせる光の文字が奔った。足も、無数の蛇も、警戒するのが馬鹿らしいほどに動こうとしない。フレンからしたら、舐めていると思うだろうこの行為は、特に挑発を意図したわけでもなく、この腕こそが最大の力だからだ。
「どうした、攻めてこないのか」
「はあっ!」
基本の方を忠実に守った斬撃が放たれ、それを無造作に伸ばした腕で受けとめる。力は要らない。どうせ止まってしまうのだから。異形の口から紡ぐは祝詞。不可逆の理に土足で踏み込む禁忌の言葉。
「月光を纏う」
「なっ!?」
その言葉と共に淡く光りだした腕に、堅い手ごたえを感じたわけでもないだろう。実際、叩き割る心算で放ったであろう一撃は、打撃音すらなく起こすことを叶わずに防がれた。不可解、理解不能。僕と戦ううえで一番厄介なのはこれだろう。僕だけが到達した理を以て、不条理を為す。予測も対策も不可能だ。
「動揺しすぎだ」
剣を受けた腕を手前に引いてやると、くっつけたようにフレンごと懐に引っ張り込む。バランスを崩し、前のめりに倒れ込んでいく途中、鳩尾に膝を叩き込み、その勢いで吹き飛ばした。
「ぐ……うぅ!」
今すぐにでも膝をついて喚きたいだろうに、苦悶を浮かべながらもすぐに体制を立て直して、きっちりと対峙する。僅かに残った矜持だと言わんばかりに、騎士として振る舞っている。
「…………」
「一応言っておくが、僕がずば抜けた達人で、圧倒的な技量の元に。なんてことはないからな」
片手で首を抑えながらコキコキと鳴らし、見透かしたような言動で釘をさす。
「あんたが挑んだのはそういう相手だ。世界を守護する以上、始祖の隷長に失敗はあってはならない。故にそれぞれ相応の力を持つ。千年以上前の街の幻影を作り出す者すらいるぞ」
「あなたもその例に漏れない、という訳ですか」
「半端な技量の部下や、魔導士のウィチルを連れてこなかった判断は正しい。が、僕を計り損ねたな」
その踏込は地面を円状に陥没させ、空けられた距離を一歩で零にする。意識に最大級の警鐘を鳴らしていたフレンは、見事に反応し後ろに退きながらその手にある剣を―――振るうことが出来なかった。
「…………っ!」
驚愕は培ってきた精神力で強引に押しとどめ、フレンは体を小さく丸めて首と心臓の位置に空いている手の防御を持ってくる。しかし、それをあざ笑うかのように、無数の蛇が鞭と化して巻き付き、腕を引きはがす。僕の拳は首元を狙い、そして急激に下へと軌道を変えて膝を打つ。本来ならば視界の外から襲い掛かり、意識を刈り取るはずの膝は、しっかりと蛇たちの視界に映り込んでいた。
「この状態の僕に、死角は無い」
「ならば!」
決意した目で剣を手放し、その手を使って封じられた腕の付け根に。肩を外したのだ。苦痛の声を押し殺し、下方から迫りくる拳の更に下へと潜り込む。ただ、一撃を躱すために、ほんの少し腕を伸ばすためだけに肩を外した。そのフレンの行動は僕の一撃を紙一重の差で外れさせ、反撃は蛇へ。結果、拘束は解かれ、再び距離をとることに成功した。
「段々と……あなたの力が……見えてきました」
だらりと下がる方を嵌めるよりも前に、フレンが口を開く。
「最初の一撃。受けられた、という感触すらありませんでした。押しても微動だにしない。衝撃を吸収などどいう生易しいものではない」
戻ってきた、と言えばいいのか。戦いの前、迷いに満ちていた表情はとうに消え去り、正しく騎士としてのフレン・シーフォがそこにいた。
「かといって、怪力という訳でもない。でなけでば、僕は今頃粉々にされているはずだ」
その通り。確かに人の尺度で見れば、図抜けているだろう。しかし、他の始祖の隷長と比べて、あまりに脆弱だ。基本的な能力と言う観点で見るならば、僕は始祖の隷長として最弱と言ってもいい。
「そして、その剣」
残された腕で、今もまだ落ち続けている剣を指さす。数秒前に手を放したはずの剣が、未だに滞空しているという異常。落ちてはいる。だが、その速度は非常に緩慢で。
「迎撃をしようとした時も、粘度の高い液体の中で剣を振るうようでした。そんな事が本当に可能なことなのか、剣に生きる僕には分かりません。ですが、それ以外にないと確信しています」
耳障りな雨音の中でもはっきりと。答え合わせをするように、到達した筋道が語られていく。
「あなたのその腕。刻まれた術式は、触れたもの時間に干渉する。違いますか?」
「正確には管理、だ。生体に使用するには少々条件があるけど、剣を使うあんたにとって、これで十分な脅威になる」
これは慢心ではなく、純然たる事実。術は使えず、剣も使えず。敵に立ち向かい、自らを貫くべく磨き上げた結晶が根こそぎ封じられる。始祖の隷長にとっては痛くも痒くもないが、こと人に限っては凶悪だ。
「忌々しい力だと思ってたが、慣れると結構使い勝手がいい。例えばそうだな、足は動くか?」
フレンは、はっと目を見開いて足に力を入れるが、一寸たりとも動かすことが出来ない。いや、厳密に言うならば、足は動かせるがその周囲の物が動きを阻害しているのだ。
「雨は、生きてないからな。膝を殴った時、その周辺の水分の時間は僕が掌握した」
淡々と語る言葉に、フレンは言い表せないほどの怖気を感じた。武器もなく、移動力どころか動くことすら叶わない。これから取れる行動は、極めて少ない。選択の時は今、この瞬間。
「僕はこれより、どうにか生き延びるために足掻かせてもらいます」
臆することも躊躇うこともなく、そんな言葉を口にする。恥も外聞もあったもんじゃない言葉からは考えられないほどの、凛とした雰囲気。僕は、その在り方に騎士の本懐を見た。この状況を打破する唯一の手段、それは僕の興味を引くことだと、フレンは考えた。そして、それは見事に功を奏するのだ。
「いいぞ。すごくいい」
柄にもなく、子供のようにはしゃいでしまう。
「信念。そうか、これが信念か……。礼を言うぞ。それは、僕の中には無かったものだ」
狭間と嘆き。蝙蝠のようにどちらにも付き。ただ、生きていくだけと諦めていた僕は、最も欠けていた。終わりがあるからこそ、命は激しく輝く。そんな言い訳を辞めた今、目の前にいる絶体絶命の騎士に、羨望すら覚えた。
「アレクセイを止めるのか?」
「ええ」
期待はいい意味で裏切られた。自らを律することが出来ないほどの高揚、一体どれほどぶりだろうか。今の自分を傍から見たら、絵本をめくる子供のように見えるかもしれない。
「自分は正しいと思えるか?」
「子細に及ばず。壁の高さを決めるのも、また自分ですから」
「なら、行け。続きはまた相応しい舞台でやろう」
雨が上がり、晴れ間からさす陽光が演出に一役買って出る。スポットライトのような光がフレンを包み、動くようになった足を確認すると、一礼をして僕に背を向ける。照らされながら歩く様は、まさに光の道を征く者。一枚の絵画のような光景を目に焼き付け、僕は満足気にエフミドの丘へと向かった。
・・・
「忌まわしき毒よ、遂に我が元に来たか!」
閑散とした荒野に存在する不自然な形の高台。その最上部から、ユーリたちへとありったけの憎悪を詰め込んだ声による罵声が叩きつけられる。
「……お出ましか。現れるなりいきなり毒呼ばわりとは、随分な挨拶だな、フェロー!」
「何故我に会いに来た?我にとっておまえたちを消すことなぞ造作もないこと。分かっておろう」
ユーリの敵意を意に介さず、ただただ解せないとばかりに首を捻る。
「ったく、これのどこが理知的だってんだよ。下町の爺さんの方がまだ話聞いてくれるぜ」
ユーリは剣を振りかぶる勢いで鞘から抜き放ち、油断なく構えをとる。しかし、事ここに至っても、フェローに警戒の色は窺えない。
「駄目です、ユーリ!皆も待って!」
這う地虫を見るほどに無機質な視線に晒されながら、エステルは一人進み出て声を上げる。恐怖は更に大きな恐怖でで押しつぶされ、最期にはエステルを突き動かす大きな渇望に押しのけられた。
「お願いです、フェロー、話をさせて下さい!」
「死を恐れぬのか、小さきものよ。そなたの死なる我を?」
「怖いです。でも、自分が何者なのか知らないまま死ぬのはもっと怖いです。ベリウスもトートも、あなたに会って話せと言いました。私は自分の運命が知りたいんです。わたしが始祖の隷長にとって害だというのは分かりました。でも、世界の毒と言われる意味を、わたしはまだ知らない……。わたしの力は何?満月の子とはなんなんです?」
声に乗せる渇望はただ一点。自分を知りたいというものに他ならない。美点も、汚点も、城の中の小さな世界では知ることのなかった物事を、今までの旅で学んだ。その旅路の最中に気付かされた事、それは知らないままで済ますのは嫌だ、と言う確かな想いだった。
「本当に私が生きてる事が許されないのなら……死んだっていい。でも!どうして死ななければならないのか……。教えてください!お願いします!」
死んだっていい。その言葉が決意なのか諦観なのか、本人にすら分からないだろう。しかし、心からの言葉であることに相違はないのだ。
「……かつてはここも、エアルクレーネの恩恵を受けた豊かな土地だった。だが、エアルの暴走とその後の枯渇により砂漠にまで成り果てた。何故エアルが暴走したか……それこそが満月の子が世界の毒たる所以よ」
「え……」
「満月の子の力は、魔導器などとは比較にならぬほどにエアルクレーネを刺激する」
「どういうことだ?」
困惑で上手く言葉を発することの出来ないでいるエステルに変わって、ユーリが疑問を代弁する。だが、問いの答えはフェローではなくリタから語られた。
「……魔導器は術式によってエアルを活動力に変えるもの。なら、その魔導器を使わずに術式を使えるエステルは、エアルを力に変える術式をその身に持ってるって事。ジュディスが狙ってるのは、特殊な術式の魔導器。つまり……エステルはその身に持つ特殊な術式で、大量にエアルを消費する……。そして、エアルクレーネは活動を強め、エアルが大量に放出される……。でも、それは学長、トートも同じはずよ!」
「概ねは言うとおりだ。ただ一つ、トートが同じという点は許容できぬな」
フェローの醸し出すあやふやだった憎悪に、明確な敵意が追加される。
「奴の血には確かにある因子が存在している。満月の子とそう変わらぬエアルを喰らうものが」
「やっぱりね……。杖も本もあの爪も、魔術の発動術式なんて刻まれてなかったもの」
「満月の子と同じだというのなら、少なからず周りに影響が出る。でも、彼からはヘルメス式魔導器のような感じはしなかった。ということは」
「エアルの消費を軽減する術式を知っている。でないと説明が付かないわ」
「なら、それを教えてもらえば!」
「不可能だ」
光明が差しかけてきたと、トートに一縷の希望を見出したが、猶予なくフェローの言葉が否定する。
「なんでよ!同じ術式では無理かもしれないけど、どうにか改良すれば―――」
「トートの術式の核となっているのは、その血に含まれる因子。それが無い者に真似することは出来ぬ。それは、目の当たりにした者ならば理解できるはずだ」
「…………」
「レイヴン……?」
鋭い眼光が、この場にいる満月の子であるエステルを差し置いて、レイヴンへと向けられる。
「血を用いた術式。場所は心臓か」
「……そうよ。旦那に再生してもらった」
「まーだ何か隠してやがったか」
「悪いね、青年。これはおっさんだけの問題じゃないからさ」
青筋を立てて詰め寄ろうとするリタを手で押さえたユーリが言った。無言のままに、目では話せと訴えかけてくる。さもなくば……。それはダメだ。トートに貰った命。こんなところで散らせるの事はレイヴンの矜持が許さない。
「おっさん実はね、一回死んでるのよ」
「何を、言ってるんです……?レイヴン」
「いや、マジマジ。人魔戦争で心臓ざっくりいかれちゃってね。五年位前までは心臓魔導器ってので無理やり生かされてたわ」
飄々と自らの死について語る。しかし、生かされていた。このフレーズにだけはありったけの嫌悪が顔を覗かせ、その一遍の親しみも乗っていない表情は事の重さをユーリたち全員に悟らせた。
「難儀な体でね。旦那と初めて会った時は、死なない死体だなんて言われたし。んで、哀れに思ったあの人が心臓を再生してくれたのよ」
「くれたのよ、ってあんた……」
「前に、あの人のは治癒術なんて生温いもんじゃないって言ったでしょ。あれ、体験談なんだわ」
「……それで、その桁外れの治癒術とやらが術式を改造出来ない要因なのか?」
「違うな。そも、トートの力は治癒などではない」
「えっ?でも、心臓を再生したって……」
前提を覆すような発言に、カロルを含めた大多数が戸惑いを覚える。
「再生したわよ。完全な元通り。ほんの少しの差異もなく、ね」
「つまり……どういうことなのじゃ?」
「……治すんじゃなく、戻すのね?」
「然り。件の術式は、莫大なエアルの消費に対し戻し続ける事で打ち消す。我とて真似は出来ぬ領域の御業よ」
「それじゃあ、ベリウスの言ってた学長が抱える苦悩って……」
わなわなと震える指先で口元を覆う。なまじ頭がいいせいで、誰よりも深くその境域を想像してしまう。何処にでも行けるのに、どこかに到達することは決してない。無限、永遠。聞こえはいいが、それらは等しく心を壊し、それこそ死なない死体にしてしまうことだろう。
「…………」
「抑える手段は存在しない。そして、我が怠慢は同胞ベリウスを失うこととなった。見極めなど最初から要らなかったのだ。その力は滅びを招く。禍根は早々に根絶せねばならぬ」
「おい、フェロー。お前が世界とやらのためにあれこれ考えてるのはよく分かった。けどな、なんでエステルがその世界に含まれていない?」
「ならば、どうすると言う。何があろうと満月の子が毒であるという事実は覆らない。人が傲岸にも聖核を狙い蠢き始めた今、我らは務めを果たさねばならぬ」
「フェロー、聞いて。要するに、エアルの暴走を抑える方法があればいいのでしょう?まだ、それを探すための時間くらいあるはずよ。それにもし……エステルの力の影響が本当の限界に来たら……約束通り私が殺すわ」
「……よかろう。だが忘れるな。時は尽きつつあるということを」
荒々しくも聡明。相反する二つを内包するからこその盟主フェローは、それを言い残すと巨大な羽を広げて天高くに舞う。去り際に残した、罪を受け継ぐ者達と言う言葉。それを頼りに、ユーリたちは次なる旅路の目標が定められた。
・・・
「先客がいたか」
「ここの眺めは、お前も好きだと言っていたからな……」
エフミドの丘にあるエルシフルの墓前にはすでにデュークがいた。崖のギリギリに立って、遥かな海原を仰ぎ見ながら返事を返してくる。
「それに、いつの日かベリウスと共にこの景色を眺めたいとも言っていた」
「そうだな。久しぶりに年甲斐もなくはしゃぐあいつを見るのが楽しみだった」
「……後悔はしていないのだな」
潮風になびく銀髪は優雅に揺れて。ゆっくりと振り返ったデュークの目には、同情も、羨望も、心配もなく、ただいつも通りがそこに在った。
「僕には膨大な未来がある。過去にまで囚われていたら、進むべき道すら定まらない。未だ霞のようにあやふやな道だが、その果てが見てみたくなったんだ」
「その果てが滅びだとしてもか?」
「滅びだとしても、だ」
いつかの会話の再現。その短い工程は、僕の根幹は変わらず僕なのだと実感させてくれる。意図したものか、それはデュークのみぞ知る事だったが、兎に角今の僕にとってはとてもありがたいことだった。
「どちらにせよ、自分の選択で上った舞台だ。最後まで関わり続けるさ。それに、確かに得た物もあったから」
「……私に得られなかったものを、お前は手に入れることが出来たのだな」
「心配するなって。僕に手に入れられてお前に出来ない道理はないだろう?」
「……そうか……」
それ以降は示し合わせたわけでもなく、ただただ無言で簡単な墓を作った。それは、荒れる世界とは切り離されたような狭間の出来事。そして、ほんの少し。デュークの中の何かが切り替わった瞬間でもあった。
・・・
学術閉鎖都市アスピオ。この世界のどこかにあるというクリティア族の村ミョルゾについての情報を求めたユーリたちは人知れず、現在未曽有の危機へと瀕していた。
「だから、言ったじゃないの!旦那の家に入るなんて自殺行為だって!」
「いいから、口動かしてないでテキパキ仕掛けの解除に励みなさい!このままじゃここでお陀仏よ!」
「流石は魔導王の自宅と言うべきかしら。訳の分からないものだらけだわ」
「これ、要塞の間違いじゃないのか?」
発端はカロルの何気ない一言だった。即ち、情報ならトートの家にもあるんじゃないのか、という推測だ。反応は真っ二つ、賛成派と断固反対派に分かれた。とはいえ、断固反対派のリタとレイヴンは、数決と言う名の数の暴力で押し包められてしまったので、現在の惨状に繋がってしまったのだ。
「レイヴンの遺書。あれ、本気だったんだね……。辞世の句とか書いてあるから冗談だと思ってたよ」
「失礼ね。おっさんはいつだって本気よ」
「だから、それが胡散臭いんだって」
総力を挙げて四方八方から、性格が捻じ曲がってるとしか思えないほどに嫌なタイミングで飛んでくる魔術を器用に撃ち落とし、その間にリタが嫌がらせの塊のような仕掛けの解除を行う。そんなことが何度繰り返されただろうか。ただでさえ大きな家なのに、地下まで完備しており、正直なところ見通しがたたない。
「大人しく戻った方がいいんじゃないでしょうか?」
「今までいろんな場所に行ったが、ここが一番危ないのじゃ」
「うぐぐぐぐ」
「リタっち。人様に見せられないような顔になってるわよ」
歯をむき出しにして唸るリタを引っ張って、ユーリたちはボロボロになりながらも生還を果たすと、家の前に一枚の手紙と看板があった。侵入前は無かったものなので、つまりはそういうことだ。
「この看板、お疲れ様。って書いてありますね」
「やけに嫌らしい攻撃が多いと思ったら、そういうことかよ」
「じゃあ、ボクたちの苦労とアップルグミは……」
「してやられたみたいね」
「のじゃ」
手紙には、どうせフェローは抽象的なヒントしか出さなかっただろうから、ミョルゾについての情報を記しておく。と書かれており、トートの手のひらの上で遊ばれていた事実が如実に語られていた。
「……なんか釈然としねえが、一応目的は達成ってところか」
丁寧な文体で思いっきりからかうような内容の手紙を、破きたい衝動を抑えながら懐にしまう。そうでもしないと、燃やされてしまいそうな気がしたからだ。余談だが、その後、怒りで完全に暴走したリタによってアスピオが半壊しかけたりもしたのだが、これについては黙殺するとしようか。
原作にもトートさんがいたの忘れてたので、本作ではいなかったことにさせてもらいました。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
九話(クリティア族の街 ミョルゾ~帝都ザーフィアス)
揺蕩うものと同胞から呼ばれる始祖の隷長に支えられて、遥かな大空に浮いている街、ミョルゾ。世界と隔絶され、唯一魔導器を完全に排した奇跡の街。最も人と始祖の隷長が近かった時の情景を今も曇らせずにいる姿は、利便性を考慮しても余りあるほどに好感情を抱かせる。
「クリティアこそ知恵の民なり。大いなるゲライオスの礎、古の世の賢人なり。されど、賢明ならざる知恵は、禍なるかな。我らが手になる魔導器、天地に恵みをもたらすも、星の血なりしエアルを穢したり」
「やっぱり、リタの言った通りエアルの乱れは過去にも起きていたんですね」
語り継だれた伝承は、比喩が多く理解が難しい個所もあるが、予想していたことと相まって一番大切な部分は解読できた。しかし、眼前の壁画に描かれたるは、より禍々しい事態を思わせる。
「エアルの穢れ、嵩じて大いなる災いを招き、我ら恐れ以てこれを『星喰み』と名付けたり……。ここに世の悉く一丸となり『星喰み』に挑み、忌まわしき力を消さんとす」
「ねえひょっとしてこれ、学長じゃない?」
「ああ……言われてみれば確かに。ノードポリカで見た奴に似てる気もするな」
壁画の上部。古代の言語で書かれた文字盤をバックに、見覚えのある始祖の隷長が『星喰み』と対峙している。朱鷺の胴に狒々の腕、無数の蛇の尾。これほど特徴的な存在も、そういないだろう。
「ジュディ。そこ読んでもらえるか?」
「ええ。……時の頂に君臨せし者の力、我らに一抹の希望を示さん。その奮闘は我らに決断と備えの時間を授けたり。かくして……」
「ジュディ?」
よどみない口調がパタリと止まり、その目つきも途端に厳しいものへと変化する。
「……世の祈りを受け満月の子らは命燃え果つ。『星喰み』虚空へと消え去れり」
「なんだと?」
「世の祈りを受け……満月の子らは命燃え果つ……」
「かくて世は永らえたり。されど我らは罪を忘れず、ここに世々語り継がん……アスール、240」
「どういうこと!」
ジュディスが口を紡ぐや否や、リタがその不安を紛らわせるような大声で村長に問いかけをする。
「個々の言葉の全部が全部、何を意味しておるのかまでは伝わっておらんのじゃ。確かなのは、魔導器を生み出し、一つの文明の滅びを導く事となった我らの祖先は、魔導器を捨て外界との関わりを断つ道を選んだとされておる」
これが真実。年端もいかない少女の双肩には重すぎる現実。だから、その場から逃げるように走り去ってしまうのも無理からぬことで。
「ほっといてやれ。今は、な」
ユーリなりの優しさ。それがトリガーとなる事など知る由もなく、一先ずは現状の整理のために休める場所へと移動することにした。
○○○
見た事のない魔導器。レイヴン曰く通信魔導器というものらしい。それを使ってトートに連絡を取ってみる、と言って外へと出ていき、部屋の中には五人と一匹だけが残された。
「上手いことレイヴンが情報をもぎ取ってきてくれるといいんだけどな」
「望み薄でしょうね。今までだって、ヒントはくれても答えをくれたことは無かったみたいだし」
散々話し合った結果、一縷の望みが人頼みとは情けない話だが、リタにはプライドを捨ててでもエステルを助けたいと強く願った。必要なものはリゾマータの公式。そして、トートはすでにそれを運用できるレベルに仕上げているのだから。
「それにしても、時の頂に君臨せし者。なんて大層な呼び名が付いてんだな、あいつ」
「別段、大層でもないわよ。実際、おっさんの心臓を再生してみせたほどらしいし」
「そういや、その話もまだ途中だったな。俺たち分かるように説明しなおしてくれると助かる」
「そうね……。簡単に言うと、治癒術というのはその人自身の代謝の強化なの。だから、屈強な兵士に対して使うのとお年寄りに使うのだと、もちろん効果に差が出るわ」
リタは顎に手を添えて、出来るだけ簡単な言葉を選びながら説明を始める。
「あくまでも、治療の促進をする術。それが一般に治癒術と言われてるものよ」
「でも、レイヴンの場合。心臓は魔導器になってたんだよね?」
「治すべきものが無いんじゃ治せないんじゃないかの?」
「それが、学長との一番の違い。あの人の力は治すんじゃなくて戻すの。この意味、分かる?」
戻す、と言う言葉。それに、時の頂に君臨せし者、と言う呼び名。その二つが関連しているとすれば、導き出される答えは一つだ。
「人魔戦争が十年前。おっさんが学長に心臓を再生してもらったのが大体くらい五年前。確かめる手段はないけど、きっと心臓だけ五年分若いはずよ」
「じゃあ、あいつが使ってる術式ってのは……」
「限定的な時間の逆行。使用したエアルを元に戻してるってワケ。そして、エアルに干渉するにはリゾマータの公式が必要になる」
「意図を手繰れば、結局そこにたどり着くのね」
今は待つしかない現実にユーリたちが歯噛みしているその時、レイヴンはというと、エステルの元へと訪れていた。通信魔導器での連絡などと真っ赤な嘘をついてまで、今、この場に立たねばならぬ事情があったのだ。
「いつから俺の演技に気付いてたのかねえ?アレクセイさんよ」
「飼い犬の管理など造作もないことだ。貴様はトート・アスクレピオスの同行を探るための、良い道化となってくれた。おかげで何の問題もなく事を運ぶことが出来た」
ミョルゾの出入り口にあるのは三人の人影。嘲笑を浮かべる騎士団長アレクセイ。憤怒の表情のレイヴン。そして、対峙する二人の発する濃密な殺意を受け、困惑と恐怖で声を上げる事も出来ずにいるエステルだ。
「生きながらえさせてやった大恩を蔑ろにし、剰え裏切るなどと。帝国騎士団隊長主席の名が泣くぞ。シュヴァーン・オルトレイン」
「あんたが俺にしたことは、二度目の死を与えたに過ぎない。だから、これは復讐だ。あんたを打倒した時こそ、俺は再び前へと進める。人魔戦争で死んだダミュロン・アトマイスと言う名の俺は眠りにつき、生き汚い鴉が産声を上げる」
「ふん。所詮は私に着いてこれる器ではなかったということか」
お互いにほんの少しの隙をも見せずに、腰に掛けられている剣へと手を運ぶ。
「もはや、貴様のような駄犬は必要ない。早々に処分するとしよう」
「飼い犬に手を噛まれるのは、さぞ屈辱的だろうねえ。あんたには相応しい死に方だ」
白刃が太陽の光に反射して煌めき、浴びせただけで人を殺せそうな視線が交差する。
「この戦いを、五年待った。あんたを殺して、俺は過去に決着を着ける!」
「目障りだ。もう一度心臓を貫かれる感覚を思い出させてやろう」
口上は高らかに。想いは全て剣に乗せ、両雄は同時に駈け出した。
・・・
上空から血まみれで降ってきた大馬鹿者の応急処置もあらかた終わり、一度アスピオに運んでいく途中の事だった。
「あれは……」
遥か遠く。視界に映るそれは、まだ霞んで見えるほどに小さいが、その姿かたちには覚えがある。移動要塞ヘラクレス。帝国の誇る最大最強の兵器のはずだ。しかし解せないのは、海上を渡るヘラクレスに群がる船の数々だ。それらは確かに帝国のもの。
「いや、そうか。なるほど。計画が佳境に入って本性を表したか、アレクセイ」
おそらく、レイヴンのスパイもばれていた。監視云々は元々レイヴンの目的のついでに頼んだようなものだが、欲を言えばアレクセイの明確な目的だけでも知っておきたかったか。聖核の用途は多岐に渡り過ぎる。どの文献で何の知識を得たのかを特定しない事には、選択肢が多すぎて分からないのだ。
「最悪、僕が直接叩き潰す必要があるか……?」
「いかに旦那と言えど、その役目だけは譲れないわよ」
「例えば、満月の子の力で聖核に干渉し一つに纏める。それを用いて砲を作れば、ヘラクレスの主砲なんか目じゃない威力のものが出来上がるぞ。控えめに見ても、血まみれでスカイダイビングしてるような奴に止められる事態とは言えないな」
遠くを見据えている僕の隣に、意識を取り戻したレイヴンが歩いてくる。体の機能を一つ一つ確かめるような動きだ。
「まあ、もしもの話だ。断片的な文献は残ってる可能性はあるが、完全な形で現存している本はほとんど無いはずだからな。分かったら落ち着いて地面に転がってろ、負け鴉」
「ま、負け鴉……」
がっくしと脱力したように頭を垂れていじけだすレイヴン。非常に面倒くさい反応をしてくれる奴だな。
「それで、これからどうする。あんたらとフェロー約束を尊重して、僕は静観しているつもりだけど」
「どうするって言っても、とりあえずあれどうにかしないと、うかうか寝てもらんないっしょ」
あれ、そう言って指を指したのは言うまでもなくヘラクレス。船団はその圧倒的な質量差だけで蹴散らされ、もう残り半分くらいしか残っていない。搭載された武装を使うまでもなく、その歩みの余波が引き起こす津波だけで羽虫の如く払われてしまうからだ。
「まるで縮図だな。今の帝国の在り方の体現のような兵器だ」
「今のって事は昔の帝国はこうじゃなかったってこと?おっさん、にわかに信じがたいなあ」
「『星喰み』の脅威はそれだけ根深く残った。代償に満月の子の殆どが命を差し出し、それでも倒すことは出来なかった」
「んー。それだとミョルゾの壁画と食い違ってない?」
「退ける方法は何も倒すだけじゃないだろう。封じたんだよ。『ザウデ不落宮』―――」
不意にアレクセイの行動が線となって繋がる。確かに皇族には『ザウデ不落宮』についての資料はあるだろう。なにせ、再び過たぬようにするための戒めなのだから。
「旦那……?」
用途は何だ。まさか『星喰み』を使役できるとでも思っているのか。そんな馬鹿な、あれはただ全てを喰らうだけ。知性など持ち得ていない現象だぞ。いや、それよりも重要な事は、今『星喰み』が発生すれば、対抗策は二つしかないということ。即ち、人の死か始祖の隷長の死か。
「……因果だな。こうも劇的だと世界に台本があるんじゃないのかと疑いたくなる」
大気が震えるようなエアルの充填がされ、ヘラクレスの主砲が発光しだす。
「レイヴン、もう行け。そして伝えろ。あんたらがアレクセイの目的を阻止できなかったその時、僕は敵になるってな」
「……本気みたいね」
無言を肯定の意と受け取り、レイヴンは騎士のような見事な礼を残して去っていった。
「我が身は創世の賢者にして月の現身。顕れるは五柱が一つ、隻眼の太陽。ここに帰依し奉る」
今も蹂躙される船団と比べても更に小さなこの体に、尋常ではないエアルの収束が開始され始める。近くに存在するだけで、木々は発火し、川は枯渇。あふれ出る熱量のせいで、今や何物も近づくことすら叶わない。
「降神権能、コード・ホルス」
ヘラクレスの主砲。真っ直ぐとこちらへ向けられたそれから吐き出された砲撃を、無数の火球が相殺する。火球、というと語弊があるほどに巨大なのだが、無論それだけには留まらない。
「僕を消そうとしたんだろうが、残念だったなアレクセイ。陽はまた昇る。太陽は不滅の象徴だ」
一つの火球が打ち消されると、エアルに還元され他の火球への強化に回る。その繰り返しは確実に砲撃を削っていく。何しろこちらは尽きる事のない永久機関。伊達で太陽を謳う訳ではない。あの空に存在し続ける太陽のように、決して滅することの出来ない術。力押しでの攻略は不可能だ。
「……準備がいる。アスピオに戻らなくてはならない」
因果応報の理に従うのではない、何も知らなかったあの頃のようでもない。僕はこの時、初めて自分自身のために戦おうと決めた。
・・・
「ようやく来ましたね」
「クリティア族!?いえ、あなたは確か……」
暴走した満月の力に飲み込まれ、人体に支障をきたすレベルのエアルによって人の住めない街になってしまった帝都ザーフィアス。その中心部ザーフィアス城の最上部、御剣の階段にいるであろうアレクセイを目指して進んでいる最中、聞きなれない声に突然がユーリたちにの耳に響いた。
「あんた、確かアレクセイの部下だったよな。悪いが、急いでるんだ。邪魔するってんなら早くしてくんねえかな」
「そう構えずとも、敵ではありません。ここにいるのは我が父の、そして私の友のためですので」
言外に、お前たちのために時間を裂く事など無い、と言っているように冷たい空気。それはいったい何故なのか、理解できないままに話は進む。
「出てきたらどうですか、シュヴァーン・オルトレイン」
「あらら。折角、カッコイイ登場を考えてたのに」
「レイヴン!?」
お約束のごとく暗がりになっていた柱の陰から現れたのは、血まみれの剣を残して消えていたレイヴンだった。
「分かっていますね。次、あの方の慈悲を蔑ろにすることがあれば、私が貴方を葬ります」
「分かってるって。世話になってる自覚もあるし、何より旦那には感謝してるのよ、これでも」
「……永く生きたあの方は約束というものをとても大事にしています。故にベリウスの件、私が貴方たちを許すことは決してないでしょう。それを努々忘れる事のなきように」
「ちょっと、待ちなさいよ!」
噛み付くようなリタの怒号を歯牙にもかけず、クロームは踵を返すと去ってしまう。残されたのは全員の視線を一身に受ける男が一人。
「今までどこ行ってやがったんだ、レイヴン。いや、帝国騎士団隊長主席さんよ」
「あー、やっぱり分かっちゃう?」
「分かっちゃうじゃないわよ!あんた、まさかエステルをさらった実行犯じゃないでしょうね……」
「違うわよ。実行犯はアレクセイ本人。おっさんはボコボコにされてミョルゾから投げ捨てられちゃってねえ。偶然、旦那が拾ってくれて、ようやく動けるようになったんだから」
「それを素直に信じられると思うか?」
漆黒の意思で剣に手を掛け、レイヴンを見据えるユーリ。事と次第によっては容赦はしない、そういう目だ。
「……俺の前の飼い主ってのがアレクセイなんだよ。人魔戦争で失った心臓を魔導器に変えて、死を奪った」
「アレクセイの奴、そんなことまでしておったのか……」
「終わりがないってのは、存外辛いもんでねえ。希望なんて言葉はいつの間にか忘れて、一遍の光も見えなくなるんだ。そうして五年前に旦那と出会った」
「その時に心臓の再生をしてもらったのね」
「表情一つ変えずに俺をぶっ飛ばしたくせに、心臓魔導器を見た途端に激怒したんだ。あの人が怒ったのを見たのは、後にも先にもあれだけだったなあ……」
力なく笑うその顔は、自虐に近い。過去を心から恥じていて、今をどれだけ誇っているのか、それが言葉の節々からも如実に伝わってくるほどに。
「魔導器もぎ取られて、気が付いたら知らない家にいた。最初は夢だと思ったよ。二度と聞くはずのない鼓動が聞こえたんだから。んで、戸惑ってる内に説明を受けて、意味が分からない間に死ねる体に戻ってた」
「…………」
「その後旦那は言ったのさ。生は不平等だけど、死は平等にあるべきだ、って。まさに天啓だったよ。死ぬために生きてるって言ったらアレだけど、実際その通りだなって、そう思ったから。だから、俺は過去に決着を着けて新しい人生を始めることにしたんだわ」
「じゃ、じゃあ、レイヴンが騎士団にいたのって……」
「それ以外に方法を思いつかなかったもんだからねえ。ミョルゾまで五年待ったのよ。情けないことに、返り討ちにあっちゃったんだけど」
これで話は終わり。重い重い生き死にについての話。理解できる、などと口が裂けても言うことは出来ない。してはいけない。それが出来るとしたら、永遠の業を背負うトートのみ。だからこそ、二人がともになったのは必然だったのだ。
「……どいつもこいつも、重い荷物背負い過ぎなのよ……。自分の中にしまい込んで、誰にも言わないのが美徳だとでも思ってんの!?」
「あ痛っ!リタっち、本気で殴るのは……」
「うるさい!これで水に流してあげるんだから、感謝しなさいよね!」
腰の入った正拳が見事にレイヴンの顔面に打ち込まれ、リタは肩を怒らせながら、階上へと向かって歩いていく。
「ま、そういうことだ。そら、歯ぁ食いしばんな、おっさん」
「青年は人の事言えないような……痛い!」
続いたのはユーリ。先ほどまでの雰囲気を霧散させ、気持ちのいい笑顔で笑えない威力の一撃を叩き込む。
「本気でいくわよ?」
「お手柔らかに!」
「ゴメンね、レイヴン……!」
「こ、これくらい大丈夫大丈夫……!」
「おお、ならば手加減は要らんようじゃの!」
「パティちゃん。男には見栄ってものがあってだね……いっ!」
「ワン!」
「…………手加減を……痛たたたた!」
全員が順番に続き、それが終わった後、何事もなかったようにユーリたちがいて。
「じゃあ、後はエステルだな。さくっと助けて殴られろよ」
レイヴンは本気で顔の骨格が心配になった。
○○○
御剣の階段の最上部。今となっては見る影もなくなってしまった帝都を一望できるその場所に、アレクセイはいた。当然ながら、魔方陣の球体に閉じ込められたエステルも一緒にだ。
「……呆れたものだ。お前たちは死んだものだと思っていたが」
「危うくご期待に添えるとこだったけどな」
「ふむ。他は運が良かっただけだと言えるが……。シュヴァーン、貴様は何故生きている。助かる要素など皆無だったはずだ」
「強いて言うなら、日ごろの行いの賜物じゃないの」
「真面目に答える気は無いということか。まあ、いい。今さら貴様が立ちはだかったところで大した障害にもならん」
心底忌々しそうな表情で振り返るアレクセイ。この期に及んでこれほどに恐れる必要がある人物など、たった一人しかいない。魔術を操る始祖の隷長が、これほどの存在とは思っていなかった。ヘラクレスの主砲を真正面から防いでみせるなどと、想像すらしていなかったのだ。綿密に練られた計画に潜む、唯一にして絶対のイレギュラー。それがアレクセイにとっての、トート・アスクレピオスという存在だった。
「それで、復讐の続きでも始めるか。一度無様を晒したのだ、お望みとあらば再現してやろう」
「生憎、それどころじゃないんだわ。何やってるか知らないけど、旦那が自分から動き出すなんてのは洒落にならないのよ。とっととくたばってくれない?」
「ほう、それは良いことを聞いた!帝国の総力の結晶、移動要塞ヘラクレスに真正面から打ち勝てる化物ですらも、『ザウデ不落宮』の復活を恐れるという!まさしく究極の魔導器にふさわしいではないか!」
敵前において高揚を隠そうともせず、高らかな笑い声を上げるが、決して隙は見せない。腐っても騎士団長。人魔戦争を生き抜き、騎士団の頂点まで上り詰めたのは、偏にアレクセイ自身にそれだけの能力が備わっているということに他ならない。
「諸君のおかげでこうして『宙の戒典』にかわる新たな鍵も完成した。礼と言っては何だが、我が計画の仕上げを見届けて頂こう。……真の満月の子の目覚めをな」
その言葉を境に、御剣の階段、その巨大な剣先の部分にエアルが収束を始める。多すぎて目視できるようになったエアルは、光線のように指向性を以て海上へと一直線へと進み、その下にある建造物を呼び覚ます。
「あれは……ミョルゾの壁画の……!」
海面をかき分けて浮上してきたのは大きな遺跡。遠目で見ると一見して指輪のようにも見えるそれは、『ザウデ不落宮』。古代ゲライオス文明から残る、最大の遺産だ。
「こいつはちょっとまずいんじゃない」
思わずレイヴンの口から漏れた呟きは、決して『ザウデ不落宮』などという何に使うのかすら分からないものに対してではない。別れ際のトートの放った言葉を思い出してのことだ。タイムリミットが迫っている。世界の命運は、自分たちにかかっているのだと、レイヴンは改めて実感した。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十話(ザウデ不落宮~ギルドの巣窟ダングレスト)
アスピオでの準備は滞りなく終わり、後は世界の行く末を。もっと言えばユーリたちが『ザウデ不落宮』の発動を阻止できるのか、それともアレクセイによって災厄が再び星を喰らうのか、その結果を待っていた。もしも後者ならば、ここアスピオに眠る『タルカロン』を目覚めさせ、僕は全ての人間の命を以て『星喰み』を打倒する。そう決めた。
「永遠など唾棄すべき妄言であるべきだ。どうか憧れてなどくれるなよ、盟主殿」
「愚問。我は永きに渡りその苦しみを目の当たりにしてきた。自ら望むなど、ありえぬ」
「自分の為なら、そうだろうさ」
海原を一望できる絶壁。『ザウデ不落宮』を襲撃した、撃退された際にフェローが負った傷は深く、僕はその治療に勤しんでいた。
「済まない。我が約束がそなたを縛ることになろうとは」
「盟主殿の判断に間違いはない。ベリウスもエルシフルも人との共存を謳ったんだから」
「我ら始祖の隷長の務めは世界を守護する事。災厄を招いておきながら、間違いがないなどとは言えぬ」
「……もしもの時は僕が全てに片をつける。歯がゆいのは分かるが、暫くは安静にしてるといい」
もしもの時は。あえてそう口にしたが、仄かな確信があった。千年前に目を背けた現実と、向き合うことになるという確信が。
「それに、いい機会でもある。このままいけば、遅かれ早かれ第二の『星喰み』が現れる。その前に人と始祖の隷長は決着を着ける必要があるから」
「ならば、相対する時に備えねばならんか……。もはや同胞も数を減らし、有力な者は僅かしかおらん。始祖の隷長は滅ぼされるが定めなのかもしれん」
「盟主殿に大見得を切った青年ならば、そんなものはクソくらえだ、と言うだろうな」
疲れ切ってしまったようなフェローを見ながら、ほんの数ヶ月の出来事に思いを馳せる。この短期間に、今までの生涯で最も多くの事が変化した。その総仕上げでもある戦いは、すでに佳境に入っていることだろう。
「青年と姫は、世界の命運を背負っての悪と戦う。これが勧善懲悪の冒険譚ならば、大悪党に僕はなろう。なにせ、人を滅ぼそうとしてるんだ、それくらいで丁度いい」
僕の独白と同時に、『ザウデ不落宮』から放たれた極大の閃光が天を貫く。ああ、やはりそうなってしまったか。
「盟主殿。僕はもう行く。やることが山積みなんだ」
「世界を頼む、トート。『星喰み』の前にして、我に出来ることは無いのだ……」
絞り出したようなフェローの声をしっかりと受け止め、僕は体を変異させると『ザウデ不落宮』へと向けて移動を開始した。
「宣戦布告の時は来た」
・・・
「な、なによ、あれ!?」
アレクセイの発動させた『ザウデ不落宮』は空を割り、禍々しい何かを呼び寄せた。色も形も雰囲気も、その全てが生理的な嫌悪感を覚えるほどに醜悪で、その場の誰もがあれは良くないものだと一瞬で理解させられた。
「どこかで見たことあるのじゃ……」
「あれは……壁画の……」
「災厄!?」
「『星喰み』か!!」
忌むべき名前が響き渡り、呆然自失としていたアレクセイが壊れたような笑い声をあげる。
「災厄は打ち砕かれてなどいなかった……。よりにもよって私の手でか!傑作だ。人を道化呼ばわりしてきた私こそが、誰よりも上手く道化を演じていたとは!十年を掛けて、ようやくたどり着いた先が破滅!これが、笑わずにいられるか!ははははははは!」
「ど、どういうこと!?」
「……旦那は満月の子の命を使っても『星喰み』を倒すことは出来なかったって言ってた。つまりは……」
「今まで、ザウデが封じてたっていうの!?」
「トート・アスクレピオスが忌避していたのは、『ザウデ不落宮』などではなかった……。スパイを送り込んでおきながら一向に行動を起こさないかったのは、私など最初から眼中になど入っていなかったからか……!」
哀れ。今のアレクセイはその一言に尽きるだろう。人類が繁栄するために、強大な力を求めた結果、手中に収めたのは確実な滅びなのだから。
「どこで間違えた……?十年前か?それとも千年も前に、人は誤ったのか……?我らは災厄の前で踊る虫けらに過ぎなかった!」
思考をそのまま羅列したかのような嘆きは、天空を総べる災厄の前に虚しく溶けた。もはや、満月の子などと言う問題ではない。今もゆっくりと脈動している『星喰み』は、そう遠くない未来に世界を等しく食らいつくすのだろう。しかし、それよりも恐れていたことが一つ。
「失敗、したんだろうねえ……」
「あんまり考えたくは無い話だけど、そう捉えるのが妥当でしょうね」
「トートが敵になるのかの……?」
「あの人は言った事は必ずやる人よ。心変わりや躊躇いは期待しないほうがいいでしょうね」
『星喰み』と同等の脅威について確認しながら、苦々しい顔をしているその時だった。急激な閉塞感が辺りを覆いつくし、体感する時間の流れが明らかに遅くなる。その場の全員の思考だけが引き延ばされ、呼吸もままならない状態に陥れたのは、ただ、彼がその場にいるだけでまき散らされる余波であった。人を殺せそうなほどの敵意などと言うが、これは別格だ。
「……僕はこれから、全人類の命を対価に『星喰み』を打ち滅ぼす」
優雅に舞い降りた異形。フレン以外は初めて見たが、それでもそれが誰なのかは一目で分かった。体が石のように固まっていなかったら、声を上げることが出来ただろうか。威圧で時の流れを狂わせるような埒外の怪物に対して、いったい、何を言えばいいというのだろう。
「当然、認められない事だろう。ならば僕を打ち滅ぼし、もう一つの方法を選べ。全ての魔導器を捨て、始祖の隷長を殺しつくし、その果てに正義があるというのなら、見事貫いて見せるがいい」
その宣言と共に、浮かぶ巨大な魔核へとトートの力が注入される。『星喰み』へ照準を合わせるためだ。封印を解いた時に放たれたのと遜色のない光線が発射され、『星喰み』の表面に壁画で見たのと同じ文字盤が顕れた。
「これで幾何かの時は稼げるだろう」
コツ、コツと一人の足音だけが辺りに響く。去ってしまうのを引き留めたいというのに、声を上げることが出来ない。
「次、相見える時は敵としてだ」
「待っ―――」
ようやく声を発することが出来た時にはすでにトートは去った後。その声すらも、崩落する『ザウデ不落宮』にかき消されてしまった。
「……冗談じゃないっての」
災厄を打倒する術を持った賢者が明確に敵に回った。その強大さと意思に、ユーリは人知れず眉根を寄せて、そう呟いた。
○○○
人同士で争っている場合ではない。そう考えたのは、何もユーリたちだけではなかった。ギルドの幹部や、騎士団の一部の人間。そして、一番多かったのは以外にもアスピオの魔導士連中だった。リタがアスピオで、この旅の出来事を公表すると、その全員が文句ひとつ言わずに協力に応じたのだ。
「しかし、意外だな。アスピオの連中ってのは、もっと秘密主義で頭でっかちな奴らだとばかり思ってたんだけど」
「確かに、ここに住んでるような魔導士はプライドが高くて、研究以外に興味ないのが殆どだわ」
「なら、どうしてなんです?」
「学長がそう言ったからよ」
それが常識、とばかりに言い切ったリタの言葉。先の言葉と矛盾しているような気がするが……。そういえば、ユーリたちが最初にアスピオに来たときも、トートの本を踏まれて本気で怒っていたか。
「身もふたもない言い方すれば、ここは本来みんなが好き勝手に研究して、そのお零れを帝国が軍事に転用する。そんな場所よ。自分に絶対の自信が無きゃ、アスピオでやっていくなんて夢のまた夢だから」
「だろうね……」
「…………」
余計なことを口走ったカロルを蹴り飛ばし、ついでに一冊の本を手元に置くと、何事もなかったかのように話の続きに戻る。
「アスピオにはそもそも学長だなんて役職存在しないの。私たちが勝手に呼んでるだけ」
「おいおい、ここの連中は自己顕示欲の塊だって話じゃなかったのか?」
「違うわ。現状を正しく認識するための話よ。あの人の前に立つなら、無知は致命的になるから」
ぱらぱらと捲っていた本を、あるページに固定し、それを見せつけるように机の上に置く。古めかしい装丁の本だが、術の心得がある人は術式の記述を、無い人は挿絵を見ておおよその意味を理解する。
「さっき、勇士で学長の家に特攻掛けて拾ってきた本よ。明記されている日付けは約千年前。今の私たちが使ってる術式だって、いろんな人が改良に改良を重ねた結晶だっていうのに、あの人はたった一人で練り上げた。それから千年。そりゃ時間も止めれるようになるってもんでしょ。実際、それに似たような術はおっさんも使えるんだし」
「でも、微々たるもんよ。とてもあの旦那に対抗できるとは思えないんだけど……」
「そのためにこれが必要なんですよね」
「りんご頭……?」
ローブからは水滴をしたたらせ、息も絶え絶えにリタの家に入ってきたのは、ウィチルだった。その手には半透明な結晶がある。
「それ、ひょっとして……」
「ザウデの魔核よ。破片しか見つからなかったのは残念だけど、これなら……」
「一応、術式の記述に破損は見られませんでした。とはいえ、理解できた範囲での話ですけど……。パッと見ただけで、あやうく脳が焼けつきそうになったのなんて初めての体験でしたよ」
「ようやく、光明が見えてきたってところかしら」
ウィチルから受け取った魔核に刻まれた術式を解読しながら、トートの行使した力に対する抵抗策を組み上げていく。
「一瞬でこれを書き込んだ……?。確実になんかやってるわね」
「僕もそう思います。恐らく、処理能力を補佐、または増強するような何かを……」
「よし。そうと決まれば、やることは決まったも同然ね」
「リ、リタ……?」
話に置いてきぼりを喰らっていた一同を代表して、エステルが困惑の声を上げる。
「私たちが今からやるべきことは、知る事よ。なぜ、学長が人を犠牲にする方法を取ろうとしているのか。あの人が他にどんなことが出来るのか。僅かな痕跡もかき集めて、真にトートと言う存在を理解するために―――」
再びウィチルの手に魔核を戻し、荷物を片手にドアを開け放つ。
「さあ、世界を回るわよ。たった一人を知るために」
・・・
ただ、守りたいと思った。守らなくてはならないと思った。信念のもとに生きて、その命を散らした僕の家族を、僕のようにしてはいけないと思ったのだ。
「懐かしいな。ここに来たのはいつのことだったか」
場所は、レレウィーゼ古仙洞。かつての記憶を思い起こしながら、物言わぬベリウスの聖核に優しく語りかけている。
「……僕は僕が大嫌いだ。達観してるようで何も知らない。全てを諦めたようでいて、その主張がコロッと変わる。なまじ力を持っていて、さらには不死と来た」
僕だけが輪廻を外れ、因果が成り立たない存在。生まれてから死に向かうことのないのは、最初から死んでいるということだから。僕にとって生と死は同義。自らの尾を飲み込む蛇のごとく、スタートとゴールに意味を見出すことが出来ない。この悪辣で優しい世界において、最も醜悪な何か。ほら、碌でもないだろう。
「少しばかり変わったと思ったが自虐の癖は治らなかったのか、トート」
「こればっかりは、染み付きすぎてどうにもね」
濃いエアルがふわふわと漂い、幻想的な雰囲気を作り出している中、洞窟の入り口から一組の男女がこちらへと歩いてきた。言うまでもなく、デュークとクロームだ。
「ここから先の争いは、僕の個人の問題だ。何も、着いてこなくてもいいんだぞ」
「お前がやらなければ、私がその決断を下していた。遅いか早いかの違いに過ぎない」
「そういうことです。我が父に比べれば足手まといかもしれませんが、どうか道を共にさせて下さい」
「……そうだな。有力な始祖の隷長である時点で、この先の争いに巻き込まれるのは確定事項と言っていい。クローム、フェロー、ベリウス、後は誰かのをもう一つ。計四つの聖核を用いて世界を救う。それが人の取るであろう道だから」
僕は、懐から『トートの書』を取り出し、ヨームゲンにあるテーブルと椅子を模したものを作り上げると、説明がしやすいように座るよう促す。
「『星喰み』はエアルでは倒せない。ならばエアルでないものを使えばいい。その点は僕も人も同じ。異なるのはその過程なんだ」
「人の命か始祖の隷長の命。人の天秤は、間違いなく人に傾くだろう。そして――」
「始祖の隷長の天秤もまた、人に傾きます。我らは世界の為ならば、この命を差し出すことを厭わないでしょうから」
「そう。フェローを始めとした始祖の隷長は、心から世界を愛している。自らのために命を散らすだろうね。でも、問題はその後だ」
自分でも分かるほどに嫌悪に顔が歪むのが分かる。
「聖核をエアルクレーネを用いて、その新たなエネルギーを生み出す時に副産物が出来る。現象の化身とでも言えるかな。使用した聖核に基づき、意思を持った理が生まれる」
「意思を持った理?」
「古代ゲライオス語で言うところの精霊が一番近いか。物質の精髄を司る存在と言う意味を持つ言葉だ」
「しかし。それは一概に悪いこととは言えないのでは?」
「確かに、進化と呼べるだろう。しかし、見方を変えれば、それは生き物ではなくなるということ」
「…………」
すでに察したようなデュークが、ほんの少しだけ顔を強張らせる。
「現象に成る。それは生の放棄と同時に死の放棄でもある。僕にはそれが許せなかった。数えきれない生命の輝くこの世界において、他でもない僕だけが持つ権利」
「なるほど……確かに、お前だけがそれを選択する権利を持っているだろう。ならば、友である私はあえて聞こう。お前はそれでいいのか、と」
「……選択はすでに済ませた。僕はお前たちの生涯を傍らで見ていたいんだ。時折、僕に構ってくるような変わり者がいて、そんなことを何度も何度も繰り返す。それが堪らなく心を温めてくれるから」
ああ、本当に僕にはもったいない友だ。言葉少なで、堅物で、それでも言わなければならない言葉は伝わってくる。願わくば、最期の時までこのままの関係で入れますように。
・・・
新たにフレンも同行することになり、アスピオ以外で唯一痕跡が残っていそうなダングレストを調べることにした。というのは建前で、実際は『翠玉の碑文』の図書館が目的な訳だが。
「にしても、何回見てもすげえな、ここは」
「辺り一面金ぴかで目が眩みそうなのじゃ」
きょろきょろと辺りを見回すユーリたちとは別に、ドアが開くなり華麗なスタートダッシュを決めた奴がいた。知識欲のままに黄金の本を積み上げていった。リタの周りに建立された黄金の塔を、レイヴンが顔を青くしながら支えている。崩せば、人生何回分かタダ働きしなければならなくなるだろう。
「よく見ると、いろんな本があるね」
「料理本、軍略本、童話、小説、設計図。よく分からないものも多いけど、さながら星の図書館ってところかしら」
「フレン、見て下さい!まだ出回っていない本が置いてあります!」
「良かったですね、エステリーゼ様」
「宝の地図はないのかのう!」
「お前ら、ここに来た目的忘れてるだろ」
各々物色を始め、収拾がつかなくなってきたそんな時、エステルが適当に手にした本の裏側にスイッチを見つけた。
「……?なんです、これ?」
「あっ!?」
少し、目を放していたフレンは止める事を叶わず。無垢なエステルは躊躇わずにそのスイッチを押してしまったのだ。無論、罠である。バルボスの件でここに来たときに仕掛けられた、対リタ用の凶悪トラップ。あの時は日の目を見ることなく終わったそれが、何の因果か今その猛威を振るう。
「あれは……魔導器?でも、なんの魔導器でしょうか」
咄嗟にエステルを庇う形で前に出たフレンの目の前に、あまり見た事のないタイプの魔導器が表れた。一見して害はなさそうだが、油断は出来ない。仕掛けた相手は、かの魔導王なのだから。
「ちょっと、ちょっと!いったい何の騒ぎよ。おちおち読書もしてらんないじゃないの」
「リタ、丁度良かった。あれが何なのか分かりますか?」
「録音魔導器でしょ。数はあんまりない貴重品だけど、特別な物じゃないわ。それにしても―――」
「『今日、ようやくアスピオに到着した。なんでも、学長とか言ってふんぞり返ってる奴がいるみたいで気に入らないけど、どうせたいしたことないに決まってるわ』」
「!?」
突如流れ出したトートの声に警戒を強めるが、暫くしてただ録音したものを再生しているだけだと気付き、構えを解く。リタ以外は。
「『今日、初めて負けた。大人にだって、私に敵うやつはいないと思ってたのに、あの怪物は余裕の表情で立ってた。いつかぶっ飛ばす。それよりもこの街、ネコがいないってどういうこと?今度、こっそり拾って来ようかしら』」
「あ、あ、あああ……」
「『今日、ネコ捕獲のついでにシゾンタニアの近くにある実験小屋にいると、来客があった。なんでも、エアルの異常について知りたいそうだ。寝ぼけ眼で対応していたら、ドアが開いて学長が入ってきた。この辺の魔物が凶暴化しているから、その注意喚起に来てくれたらしい。父親ってこんな感じなのかな?なんてね』」
誰一人口を開こうとしないのには、訳がある。なんと言えばいいのか分からないのだ。掛けた言葉全てが地雷になりかねない。
「『今日、新しい本を貸してもらった。少しは信頼してくれたの―――』」
「ファイヤーボール!ファイヤーボール!ファイヤーボール!」
「リ、リタ!その、なんていうか……何でもないです……」
「これは、えげつなさすぎる……。今まで見てきたトラップの中で、間違いなく一番凶悪よね」
リタが狂ったように火球をぶつけるも、その辺の対策は万全なようで、まったく止まる様子が見られない。
「意味不明な技術をこんなことに使うあたり、アスピオで崇められてるだけあるな」
「なんたって、レイヴンの友達だもんね……」
「ちょっと、少年。それどういうことよ」
「大丈夫です、シュヴァーン隊長。変人であろうとも、私は気にしません」
「……フレン君と嬢ちゃんが仲良いの、納得したわ」
真っ白に燃えつきそうなリタは暫くそっとしておいて、ユーリたちはトートの音読が終わるまでの間出来るだけ意識を逸らしておく為に、これからの方針について話をする事にした。
「次行くとしたら、ノードポリカか。んで、フェローに会ってヨームゲンって感じになる」
「フェロー……協力してくれるといいんだけれど」
「難しいでしょうね。皆の話から鑑みるに、始祖の隷長のために行動をしているトートを裏切るとは考えにくい。それが無くともアレクセイの件で、人に怒りを覚えていてもおかしくない」
「じゃあ、デュークは?はっきりと友達だって言ってたし、何か知ってるかもしれないよ」
「多分、あの二人……いや、クロームも入れて三人か。一緒に行動してると思うねえ。クロームなんて、旦那の事様付けで呼んでるみたいだし」
「……ったく、今は祈るしかねえか」
結局、当初の予定通りにするしかないという結論に至ろうとしたその時、エステルがパティの様子がおかしいことに気が付いた。そわそわと、言いたいことがあるけど言い出せない、そんな感じの表情で唸っている。
「パティ、どうしました?」
「……トートの友達はもう一人おるのじゃ」
「あら、ホントに?ドンにベリウス、デューク。よく聞く名前は出尽くしたと思ってたんだけど」
「初めて会った時に確かに言っていたからのう!間違いないのじゃ!」
興奮冷めやらぬまま、ぴょんぴょん飛び跳ねるパティ。
「それで、一体誰なんだ。俺たちも知ってる奴か?」
「もちろんじゃ!ここにいる全員が知っておる」
「全員が……?そんな人いたかしら」
旅を続けてきたメンバーだけならば分かるが、今この場にはフレンもいる。共通の知人と言うのはあまりいないはず。
「うむ。その名も、アイフリードじゃ!」
原作から少し外れました。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十一話(幽霊船アーセルム号~フェローの岩場)
アイフリードを探す。それは、どう考えても不可能に近い。ブラックホープ号事件以降消息不明であり、現在生きているのかさえ分からないのだから。が、そんなことは些細な問題。現在、ユーリたちが立ち向かおうとしている問題の前では霞んでしまうような案件だ。元より藁を掴むような旅。ならばこそ、その情報を得ることが出来たのは僥倖と言えるだろう。
「……いくのじゃ!」
夜空に高く掲げたそれは、麗しの星。トートが探せと言った、アイフリードへの手がかりだ。海面近くに一つの星が生まれ、遥かな暗闇へと流れていく。幾何かの時間が流れ現れたのは、澄明の刻晶を発見した幽霊船。
「ってことは……」
「この船がそうだったって訳じゃのう。灯台下暗しとはこのことなのじゃ」
「パティ……」
淡々と語るパティの声には、いつもの天真爛漫な様子は見られない。感情を押し殺していなければ、内に秘めた何かが爆発してしまいそうなのだ。まだ、悟られてはならない。決着を着けて、その時こそ名乗りを上げることが出来る。察しのいいユーリやレイヴン、ジュディスはなんとなく事実に行きついていたが、決してそれを語ろうとしないのは、小さな背中から伝わってくる決意故。
「ここに全てが……うちの全てがある」
「なら、行こうぜ。この瞬間を、何年も待ったんだろ?」
「……そうじゃな!」
自分を踏み外さないよう、一歩一歩を踏みしめて船上に着くと、予想と寸分たがわぬ彼がそこに立っていて。
「サイファー……!」
思わず泣きそうな声を引き絞り、遠い日の記憶に焼きついた名を呼ぶ。友と呼ぶことさえも生温い。家族だった。人など簡単に飲み込む海原で、ずっと支えてくれたあの人が、今目の前で苦しんでいる。
「随分と待たせてしまったの。こんなになるまで、一体どれだけ苦しんだのじゃ。のう、サイファー」
「アイ、フリード……、お前なのか。再び会いまみえることが出来ようとは……。罪深いこの身にも、慈悲はあったようだな……」
ぼんやりと、骸骨騎士に重なるように、精悍な男の輪郭が浮かび上がる。
「ベットで安らかに死ねるだなんて思ってなかった。なにせ、お前と共にあると決めたのだからな。まったく、手のかかる船長だったよ」
「そうじゃな……。お主には世話になり過ぎた。がけど、もうこれ以上背負わなくても良いのじゃ」
「……そうか……。俺はもう、休んでもいいのか……」
目尻一杯に貯めた涙をどうにか堪え、パティは最愛の人に銃を向ける。これまでの旅は、この時のために。どうか我が友が安らかに眠れるようにと。
「こうしていると、昔を思い出す。初めて海に出た日の事、ユニオン結成の時の事、お前が魔導王の書庫に襲撃を掛けた事、そしてブラックホープ号の事。自我を侵されようとも、どれ一つ我が心から抜け落ちることなく輝いている」
「お主はちと頑張りすぎなのじゃ。そんな男の泡沫の夢が悪夢であって良いはずがないから……。うちが……うちが、この手で終わらせる」
引き金にかかった指が震え、照準も未だ定まらない。
「俺に、見果てぬ夢の終焉をくれると言うのか……。ああ、安心した。俺はこれ以上誰かを害さなくて済むのだな……」
「すまぬ……サイファー……!」
「お前らしくもない言葉だな。高鳴る鼓動を抑えきれずに海に出たあの時から、ちっとも変わらずに走り続けた。そんなお前だからこそ、共に歩もうと思ったのだ。俺は俺の選択を後悔したことは一度もないぞ」
もう駄目だ。限界だ。そんな言葉、反則だろう。これじゃあ、こぼれる涙を抑える事なんてできっこないじゃないか。
「だからな、礼を言う。今まで世話になったな、アイフリード」
「それはうちの台詞じゃの。ありがとう、サイファー」
震えがピタリと収まって、表情は先ほどまで涙をにじませていた者とは思えないほどに晴れ晴れとした、まるで旅立ちの日のように見せるそれだ。
「おやすみ、サイファー」
万感の思いの詰まった言葉と同時に、たった一発の銃声が響く。外れることなど有り得ない。慈愛の弾丸は確実にサイファーを貫き、その命を停止させる。誰一人として声を上げることなく、波のだけが音がやけに耳についた。
○○○
「急かすなんて無粋な真似はしたくねえんだが、事が事だ。思い出したなら、話をしてもらえないか、パティ?」
自分の過去と決着を着け、号泣で船を見送ったパティも次第に落ち着き始めたころ、ユーリが口を開いた。
「うむ。もう大丈夫じゃ!いつまでも泣いてるわけにもいかんからのう」
「そうそう。過去との決着の後は歩き出す時間よ。笑ってなきゃダメっしょ」
「レイヴン、たまにはいい事言うわね」
「少年ってば、最近ちょっと辛辣になってない?」
辛気臭さはあっという間に吹っ飛び、いつもの皆でいてくれる。それは、とてもありがたいことなのだ。パティは思わず緩みかけた涙腺を締め直すと、トートとしたどんな些細な会話も漏らさないように、記憶の引き出しを開けていく。
「初めてトートの存在を知ったのは、人魔戦争の時じゃったの……。銀髪の……そうじゃ、デュークと共に戦場の掛けておった。二人して英雄などと呼ばれて、心底嫌そうな顔をしていたのを覚えておる」
「デュークが……?」
「うむ。銀髪の騎士と魔導士は、まるでおとぎ話のようで目に焼き付いたのじゃ」
「デュークが騎士!?……いや、あの立ち振る舞いは貴族のものと酷似している。それなら、騎士団にいてもおかしくない、か」
一人で驚愕し、一人で納得したフレン。自分の考えを整理するために、ぶつぶつと何かを呟いている。
「でも、どうしてなんでしょうか?いくらデュークが友達だからって、トートが始祖の隷長と敵対するとは思えないんです」
「簡単なのじゃ。人魔戦争で人に付いたのは、なにもトートだけではないということじゃ」
「……エルシフル、か?」
その場の全員が一斉にレイヴンへと視線を向ける。問い詰めようとしたが、神妙なに顔を歪めるレイヴンを見て、話してくれるのを黙って待つ。
「旦那はちょこちょこエフミドの丘に墓参りに行くのね。それで、なんとなく気になって、聞いてみたんだけど……。名前はエルシフル。旦那が尊敬していた方って話よ」
「……そういうことかよ。相変わらず反吐が出るやり方だな」
「英雄は強力な兵器。だが、戦争が終わればただの脅威でしかない。それならいっそ消してしまえばいい。大方、評議会とやらの決定なんでしょうね」
自分より高い知能に強靭な体、尋常ではない戦闘能力を持ったエルシフルは、人の為に立ち上がった英雄から、ただの脅威に成り下がりってしまったのだ。
「後は……、あの黄金を作り出すしたりする不思議な術についてじゃの。便利だから教えてくれと、何度も頼み込んだのを覚えておる」
「それ、詳しく話して!」
「難しくて分からんかったが、確か……一度全部分解してから再構成してる、だったかの。『錬金術』と言っておった」
「再構成……分解……って事は大本が同じってことだから……エアルは―――まさか……、そういうこと!?」
ものすごい勢いでカバンから紙とペンを出し、ユーリたちにはちっとも理解できないような式を書き連ねていく。
「エアルは全ての物質の源……これ前提に……だとすると、中間に何か……。それを操ることが出来るなら、術は全部思いのままに!」
ダングレストの黄金図書館にも、トートの自宅にある本にも、ことあるごとに出てきた単語『マナ』。何かの暗号かと思っていたが、今なら分かる。これがそうなのだ。
「『星喰み』はエアルそのもの。倒せないなら、別のものにしてしまえばいいんだわ!なんて発想。どんな視点で物事を見れば、そうなるのかしら……」
よどみなく走るペンは、パズルを組み上げるように。今までの旅と、培った知識は裏切ることなく、到達点へと歩を進めていく。
「でも、これじゃあ……聖核!だから、学長は……」
複雑な文字の羅列が紙を埋め尽くし、その果てにたどり着いた公式。非の打ちどころもなく完璧に、リゾマータの公式は成った。
「―――出来たわ。世界を変えるための式が」
そうしてこの瞬間、ようやく人類はトートと同じ土俵に上がったのだ。
・・・
デュークやクロームと別れた後、僕は再び世界を巡っていた。来るべき決着のその時までに、済ませておきたいと思ったからだ。言わば、これは儀式に近い。これまでに歩んだ道を想起して、これからの道を覚悟する。そう言った意味の込められた行脚。
「悪いけど、あんたたちお呼びじゃないんだよ。僕が、覚悟を競う相手に相応しいと選んだのは、ユーリたちだ」
「黙れェ!魔物は全て狩らねばならん!始祖の隷長ならば尚更だ!」
現在地はお誂え向きにもテムザ山。人魔戦争の跡地のここに、統一された衣服を身に纏った集団が一つ。まるで再現のように、化物と人間が対峙していた。その先頭に立つのは、筋骨隆々な大男。クリントだ。形相は憤怒に歪み、噛みしめた歯は屈辱で砕けてしまいそうなほど。
「あんたの持つ命を、どう使おうがあんたの自由。それを否定はしないよ。だがまあ、粗末にするのはいただけないな。今の僕は暴君じゃない。無益な殺生に意味を見出すことは出来ないんだ」
「貴様ァ!そうまでして、我らを愚弄するか!始祖の隷長など、何匹も狩ってきた我らを!」
「状況が呑み込めてねえみたいだなあ。お前はここで終わりなんだから、命乞いの一つでもしてみたらどうだ?ええ、魔導王さんよお」
「…………」
ねちっこく嘲笑を浮かべているティソン。無言のままこちらを睨むナン。そしてその後ろに控える、大勢の『魔狩りの剣』のメンバーたち。殆どが愉悦に顔を歪めて、殺戮の合図を今か今かと待ち望んでいるのが見て取れる。どれほど待とうとも、そんな時は来ないというのに。
「それは、僕と敵対するってことでいいんだな?」
ここが最終ライン。引き返せない無間地獄への入口。
「無論。貴様のような輩はここで死ね」
「野郎ども!掛か―――」
「ああ、もういい。止まれ」
掛かれ、とティソンが言い終わる前に、胸の前をなぞるように手を動かす。所謂、選別というやつだ。この程度を跳ね除けられない奴とは戦わない。そういう線引き。
「やはり、残ったのは三人だけか」
クリント、ティソン、ナン。この三人以外の全員が停止した。正確には、止まっているように錯覚してしまっただけなのだが、この場においてそのことに意味は無い。
「あんたら、始祖の隷長を舐めすぎだ。聖核を懐に持っている以上、全開とはいかないが、それでもこの程度の事は出来る」
「……化物め」
「実際に止めるには、触れなきゃならない。それに、生き物を止めるにはいくつかクリアしなければならない条件もある。どうだ、化物だろう?」
誇るように、逆なでするように、僕はその言葉を口にする。今や、化物であることを恥じてはいない。自分が化物なんだと理解しているし、その化物にも家族がいた。ならば、恥じることなど出来はしない。
「命を燃やせ。場合によっては生き残れるだろう」
ベリウスの結晶、蒼穹の水玉をその場に置き、三人の眼前まで歩み寄る。折れない心には、全力を以て答えなければならない。例えそれが、怨嗟からくる歪みだとしても。
「オーバーロード」
古の暴君が、ここに再誕した。
・・・
フェローに会う。それはユーリたちの旅の、本当の意味での始まりを意味していた。選択肢は数多あれど、すでに心は決まっていた。まずは話そう。多くを語り、心を通わせ、その上で何を成すのか考えよう。それが全員の意見だった。
「やはり、来たか」
待っていたぞ、と言わんばかりの言葉。歓待は望めないが、少なくとも強い拒絶は見られない。盟主として堂々と、しかしその雰囲気は、かつて自害を前にしたドンを彷彿とさせる。見るもの全てを震わせる覚悟の色を双眸に宿し、フェローは静かに口を開く。
「今更、我に何の用だ」
「随分と捨て鉢な台詞だな」
「『星喰み』が再び現れた今、我に出来ることは無い。名ばかりな盟主として、トートを信じて待つのみだ」
「そう。なら、時間はあるのね」
「……対話か。それも良かろう」
世界の毒。それが意味を持たなくなった今の状況は、フェローの平静に一役買っていた。だからこそ、今がチャンスだ。トートが理知的と称したフェローと言葉を交わすなら、今をおいて他にない。
「教えて下さい。なぜ、人の命を使う道を選んだのか。それに、あなた自身の事も。知らないままに全てが終わるのは、嫌なんです……」
「知らなければ良いことも多い。それでも踏み込むと言うのか?」
「悪いが俺たちも半端な覚悟でここに立ってるワケじゃねえんだ。頼む。話を聞かせてくれ、フェロー」
「覚悟、か。久しい言葉だ。人の口からその言葉を聞いたのは、どれほど昔だったか……」
瞼を閉じて想いを巡らせるフェロー。いったい何を見て、何を思ったか、それを推し量ることは到底できないが、それでも再び眼が開かれた時、どことなく嬉しそうな雰囲気を感じた。
「命を懸けて何かを貫き通さんとすると、時折人は情理を越えた行動を取る。今のそなたたち然り、千年前の満月の子然り、だ。ならば、言の葉で示して見せよ。その如何によっては、我が命差し出すことも厭いはしない」
「……学長に聞いたのね」
「その通りだ。人の命を使わない方法には、聖核が必要になると、奴はそう言っていた。ならば、それは真なのだ」
当然と言い切るのは、千年を超える信頼の成せること。人と始祖の隷長、価値観は
大きく違えど変わらないものは確かにある。例えばそう、罪の意識など。
「トートは何かを恐れている。我の死ではなく、その先にある何かを……。そして、それがいったいなんなのかを推し量ることは容易い」
「死よりも恐ろしいって……。そんなものあるの?」
「あるわよ」
「そうね。学長が忌み嫌っているものが一つだけあるわ」
「のじゃ」
トートに近しい三人は答えをもう持っていた。ただ、それがどう結び付くのか分からなかっただけ。認めたくなかったと言い換えてもいいかもしれない。特にレイヴンは、それを忌避する気持ちがよく分かるのだ。
「我らトートだけに背負わせている現状を良しとはせぬ。そなたらに踏み込む覚悟があるならば、我が命を託そうぞ」
「いいのかよ。それはトートを裏切ることになるぜ」
「永い付き合いの中で、互いの想いは理解している。我は始祖の隷長が盟主。世界のために命を散らすのは本望なのだ」
「なら、後は……」
「俺たちが前に進めるか、だな」
ちらりと振り返ったユーリの目に映ったのは、三者三様な表情。すでに覚悟を決めたリタ。いつもと変わらないパティ。そして……。
「……悪いねえ。事ここに至って年長の俺が勇み足とは、情けないったらありゃしない」
「レイヴン……」
手足は一目でわかるほどに震え、苦々しくゆがめた顔は、今にも泣きだしてしまいそうだ。この世界で唯一トートの世界の片鱗を共有した者。僅か数年で心を殺し、立ち止まらせてしまう暗闇は、思い出すだけで飄々としたレイヴンをこうも追い詰めてしまう。
「実際、旦那に助けてもらうまでの俺は酷いもんだったから、賛成とは口が裂けても言えないのよ」
「そうか……。理由は分からぬが、そなたはその領域を知っているのだな。でなければ、誰よりも死を想うトートが心臓の再生などする訳もない」
「こんな事、言えた義理じゃあないけど、今ならまだ引き返せるのよ。きっと、旦那もそれを望んでる」
「薄情と罵られる覚悟はある。何より、ここでそうしなければ、我は我ではなくなってしまう。それは死と変わりない」
「……まったく、始祖の隷長ってのは頑固者しかしないのかね。いいさ。俺の口出しする事でもない。いつか後悔することになるけど、それでいいんなら勝手にしなよ」
その言葉の矛先は何もフェローだけではない。実行せんとするユーリたち、そしてそれを黙認する自分自身への怒り。過去を断ち切ることは出来ても、無くすことは出来ないのだ。己の行動の全てに責任を持つ。当たり前のそれは、限りがあるからこそ受け止められる。善も悪も一切合財の清算である死は、きっとそのためにこそあるのだから。
「先達としての忠告、しかと心に留めておこう」
拗ねるようにそっぽを向いたレイヴンへと、感謝の言葉を述べるフェロー。表情に憂いの影はあるものの、フェローをどことなく嬉しそうだった。
「これで……トートを永劫の孤独から解放できればいいのだが」
荒野に溶けて消えた言葉は、盟主としてではなく、フェローが初めて見せた心の奥底。感謝も憧れも不安も期待も混ざり合い、フェローは精霊へと転生をした。
・・・
『魔狩りの剣』との争いの後始末をしていると、不意に炎の術式が僕の管理から外れた。それは、僕よりも火を従えるに適した存在が生まれたことを意味する。臨界点に潜むこの身を超える。つまりは火そのものと同義な存在が誕生した。そんなものに心当たりが一つだけある。
「やっぱり、こうなったか」
火と親和性が高いのは、フェローだろう。巡る地水火風の一角が僕の敵に回った。だがまあ、問題は無い。いかに精霊と言えど成りたて。上回れなくとも、拮抗に持っていくくらいなら造作もない程度には、研鑽を積んでいるつもりだ。
「考え込んでいても状況は変わらないか……。なら、目下の懸案は後始末をどうするかだな。試運転にしてはやり過ぎた」
オーバーロード。かつて暴君と呼ばれた時に、唯一僕が持っていた武力。分け隔てなく鏖殺の限りを尽くすことを可能とした化物の力だ。加減が極端に難しくなると言う欠点があるが、それを補って余りあるほどに応用が効く。そも、時の干渉に対する対策も講じてこないような輩には必要のないものだったが。
「……もう癒えたか。相変わらず忌々しい体だよ、まったく」
たった数分と経たないうちに争いの痕跡は僕の体から一切消え、残されたのは満身創痍の『魔狩りの剣』の残骸たちと、人魔戦争をもう一度再現したかのように上書きされた爪痕だけ。血で川が出来ているが、それもほとんどは僕自身の流したもの。先ほど述べたオーバーロードの副作用だ。
「とはいえ、まだ立ってくるとは思わなかったぞ。流石にギルドのボスを張ってるだけの事はある」
「だ……黙、れ……!魔物は悪!狩らねば……ならん!」
大剣を杖代わりにして立ち上がるクリント。流れる血を拭おうともせず、ただひたすらにこちらに憎悪を向けてくる。
「さながら手負いの獣だな」
「ぐっ……う……!」
たどたどしいながらも確実に歩を進めるクリントを堂々と待ちながら、最期になるだろう会話を投げかける。
「解せないな。僕には魔物を総べる力など無いぞ。そんな事とっくにわかってるだろうに」
「俺が、示した道。魔物は悪とを煽動し、そこに光を灯して多くの命を散らせた……。ならば俺が信念を曲げることなど、どうしてできようか」
「あんたも、歪まなかったら歴史に名を残す傑物になったのかもしれない」
「…………望むべくもない」
目と鼻の先。すでに互いの間合いなど意味を持たない距離で、同時に渾身の一撃を放つ。防御など最初から念頭に置いていない大剣と拳のクロスカウンター。リーチの差で先に僕の心臓を大剣が貫き、一瞬遅れで僕の拳がクリントの顔を吹き飛ばす―――はずだった。
「…………」
相打ち覚悟の剣閃は鋭く、正しく己の全てを出し切った一撃だった。だから、この目の前の事象は当然と言えば当然の事かもしれない。
「立ったまま気絶とはね……。敵意がないんじゃこれ以上やる理由もない、か」
僕の心臓を穿ったその瞬間、目から光が消えた。初めから死ぬつもりだったからこそ、生き残った。なんという皮肉か。
「悪いね、このくらいじゃ死ねないんだ。それに、今の僕にはやらなきゃならないことが残ってるから」
突き刺さった刃をゆっくりと引く抜くと流れ出た血は再び大地を汚し、ほんの数秒と経たずに傷が塞がった。命を懸けて向かってきた男にほんの少しの羨望と敬意を払って、僕はこの場を後にした。
原作から大分外れました(白目)
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二話(フェローの岩場~最終決戦前夜)
輝ける森エレアルーミン。世界の根レレウィーゼ。そして、ゾフィル氷刃海。フェローが火を司る精霊イフリートになり、残るは地水風の三元素。現存する始祖の隷長に精霊に転生できるような有力者はもはや四体しか残っておらず、その内の三体は明確に敵対をする者。足りないのだ。敵でも見方でもないグシオスを説得できたとしても、まだ半分しかない。
「トートはベリウスの聖核を肌身離さず持っているだろう。直接衝突は避けられぬ」
「だろうな。あいつの懐よりも安全な場所があるとは思えねえし」
精霊となり、世界と繋がったとも言えるイフリート。拡大された知覚はトートの君臨する地点を薄皮一枚隔てた上に己の存在が位置することを悟り、その事実は一筋の光明となった。無論、その案も四大精霊全てが協力してくれることが前提となるのだが。
「そうなると、問題は時間の管理ですね。正直、手も足も出ませんでした」
「触れたら終わりとか、何それズルくない?流石旦那って感じ」
「時間の管理……。なんだか壮大過ぎて想像ができません」
「なんにせよ、彼は私たちと直接決着を着けるつもりでいると思うわ。『星喰み』の侵攻を防いでいるあの方陣がその証拠。待っててやるからここまで来い、ってところかしら」
今も虚空を覆い尽くす巨大な文字盤だが、リミットを示すように時計は回る。注視しなければ分からないが、確実に『星喰み』は地表に接近してきている。もう、あまり時間は取れない。フェロー、いやイフリートが知っていたトートの切り札も千年前のもの。しかし、あのトートがそこで立ち止まってるとは到底思えない。尤も、奥の手の一つを知れただけでも僥倖と言うべきなのだろうが。
「ならば、我はその時までにこの姿に慣れなければならぬな。総ての火を従えるこの身ですら、気を抜けば掌握されてしまいそうだ」
「技術と知識の問題ね。そういう部分なら、学長の右に出るものはいないわ。多分、そのうち圧倒できるようになるとは思うけど……何年後になるかは分からない」
「そういうものなんです……?」
「人が研鑽を積んだ始祖の隷長に対して大きな隔たりがあったのと同じ。研鑽を積んだ精霊は確実に始祖の隷長を上回るわ。その分野においての格が違うのよ」
「あの人と格が違うって……。精霊ってすごいんだね」
「ただ、旦那と付き合いが比較的長い俺からすると、術を封じたとしても手ごわいことには変わりないと思うんだよね。……この間ボッコボコにされたばっかだし」
巨大な爪を振り翳し圧倒したバルボスとの争い。王道とは程遠い動きの体術は、きっと千年の内に編み出したものの一つだろう。その厄介さはパティを除いたメンバーの記憶にも新しく刻まれ、計算高さと野性を合わせたような武は、対策を講じるのが至極難しい。各々の培ってきた力量をぶつけ、仲間全員で隙を補うことでしか対処できない。あるいは、トートの狙いはそこなのかもしれない。個人ではなく、ユーリたちでもなく、世界の全てを相手取って打ち勝つ。文句のつけようのないくらい愚直な案だが、全てを敵に回してでもに自分を貫くのならこれ以上に納得できる方法もない。
「結局、やってみなきゃ分かんねえってことか。まあ、いつも通りだな」
「ボクたち、よく無事に旅を続けられたよね。砂漠で行き倒れたり、帝都からカプワ・ノールまで吹き飛ばされたりもしたっけ」
「誰かさんが大海原のど真ん中で船の魔導器壊して遭難しかけたりね」
「おっさんは血まみれで空高くから落ちたりもしたわよ」
「あなたたち、一体どんな旅をしてたんですか……」
フレンが目頭を押さえながら軽く首を左右に振る。規律正しい騎士団にいた身には、無鉄砲で行き当たりばったりな旅は少々カルチャーショックだったようだ。
「ま、兎に角やることは決まったわ。目的地はエレアルーミン石英林。その後レレウィーゼ古仙洞。そしたら一旦アスピオに戻って連中の研究成果を確認する。異論はないわね?」
「はい!」
手札は順調に揃いつつある。ならば、そろそろむこうが何かしらのアクションを起こしてもおかしくは無い。そんな一抹の不安と共にユーリたちはまた一歩前へと進んだ。
・・・
クロームが向こう側につくかもしれないという知らせを聞いたのは、テムザ山からそう遠くない現在のヨームゲンでの事だった。かつての面影は点在する廃墟しかなく砂嵐が吹きすさぶ中、待っていたのはデューク。この状況で傍らにクロームの姿が見られないのは些か不自然だと思い聞いてみたところ、まったくもって寝耳に水な回答が返ってきた。涼しい顔したままだったので冗談かと疑ってみたが、現実はもっと複雑で。
「落ち着け。あくまでも可能性の話だ」
「いや……そうだな。考えてすらいなかったから、取り乱した」
四回ほど聞き返したところで我に返り、フェローとの小競り合いでメモリいっぱいいっぱいの頭を回転させる。
「だとしても、何故。咎める気は更々ないけど、クロームがお前と敵対するなんて夢にも思わなかった考えだぞ」
「……私を突き動かすものは友との約束を守りたいという気持ち。お前は家族を守ろうと。些細な願いであれ、守りたいと思ったなら命を掛けるに値する」
「ああ、なるほど。思えば僕の計画を聞いてる時から、あまりいいリアクションは無かったか……」
「逆ならまだしも、自分だけ生き残るのは許せないのだ。彼女は優しすぎる。始祖の隷長らしいと言い換えてもいい。それに……」
デュークにしては珍しく、暫し自身の言葉に言いよどむ。
「それに、彼女は私たちの中で一番三人の会合を心待ちにしていた。あのテーブルこそが彼女の帰る場所で、守りたいものなのだ」
「そりゃ、一人でテーブルを囲むことは出来ないからな……。まあ、そういう理由なら仕方ないと言うか、察せなかった僕たちが悪いと言うか」
「誰しもが帰る場所を必要とする。それを無くしてしまった私たちを一番間近で見ていたのは、他でもない彼女だ。それだけは避けたいと願っても不思議ではない」
不思議ではない、などとぼかした言い方をしてはいるが、デュークの言葉には確信が籠っていた。誰よりもクロームと深い付き合いだった奴の言葉だ。まず間違いはないだろう。それに、不思議と嫌な気分ではない。一部とはいえ、僕なんかが帰る場所になれるとは到底思っていなかったから。あの日、ベリウスが僕にくれたものを、僕は誰かにあげることが出来た。満足だ。これで、あまり思い残すこともない。
「もう、引き返すことは出来ないぞ」
「……そうだな」
「お前は僕とは全くの別物なのに、一番近い。自己犠牲を貴ぶ始祖の隷長とも、欲に忠実な人間とも違う。実に中途半端で、だからこそ愚直だ」
「この身が愚かあることは、十年も前に思い知っている。人の汚い部分を見ていなかった私は、代償として友を失った。そうして私は人でありながら人の世界から自らの居場所を見失った」
「僕は、生まれながらにここにいた。始祖の隷長とも人ともどこか違うこの場所に。全部全部中途半端な狭間の世界。何処にもたどり着かない行き止まり。お世辞にもいいところとは言えないが……。まあ、それでも居ついた物好きがいたもんだからさ」
張り上げたわけでもない声は、甲高く唸る風の音に邪魔されることなくはっきりと届く。僕にとってはたった十年足らず、デュークにとってはもう十年も続く関係。人の欲望で終わらせられるような希薄な関係などではない。だからこれは、僕たちが望んだ終わり。
「……今、地の属性も僕の管理を離れた。審判の時はもうすぐそこ。計画の最終段階を始めよう。世界を救うのは、始祖の隷長の献身でも、人の義でもない。僕たち狭間に生きる者の他愛ないありふれた感傷だ」
「私にも少なからず矜持がある。お前と同じ場所に立って刻んだ事の意味を、永劫の事実とすることで、私はお前と並び立とう。例え、その果てが自らの死であろうとも」
「その時は僕も似たようなものさ。術式の核になるんだ、生きてるとは言い難い」
お互いにいくつも先にある言いたいことを看過しての会話。傍から見たら微妙に噛み合っていないようにも見えるそれは、人で言うところの絆に近い何か。ただ、そこに在るだけで多くと繋がり生きていく人とは違う。狭間に生きるとは、ただ寄りそうだけなのだ。
「じゃあ、行こうか」
目指すはアスピオ。長年かけて改造した『タルカロン』の起動。全ての人の命を啜る災厄を起動させるため、僕とデュークはその場を後にした。
・・・
「……見事です。あの人たちを止められるとは思いませんが、それでも私が足掻くよりは遥かに可能性があるでしょう」
荘厳で神秘的な雰囲気に包まれたレレウィーゼ古仙洞での激闘は苛烈を極め、双方ともにボロボロ。天秤はどちらに傾いてもおかしくは無かったほどに紙一重の勝負だった。クロームの胸裏に刻まれた小さくて強い願いを託すに足るかの試験。それにユーリたちは見事合格したのだ。
「精霊化の事はトート様から聞いています。不死を嫌うあの方の配慮を無為にしてあなた方に付く私は、きっと背信者なのでしょうね」
「あなたは……」
自嘲の笑みを浮かべて遠くを見据えるクロームの言葉は、誰が聞いてもすぐにわかるほどに後悔に満ちていて、穏やかな慟哭だった。声は震えず、涙も流さず。一枚の絵画のような佇みは、なんて強いのだろうと見るもの全ての心を大きく揺さぶった。世界を救うためでもなんでもない、ユーリたちよりもよほど身勝手で人間的な願いこそがクロームを支え、これほどの力を発揮する。世界に匹敵する想いを目の当たりにして、各々が考えを改める。自分たちの行動もまた、名も知らぬ誰かの祈りを飲み込んでいるかもしれないと。かつて、レイヴンは心臓魔導器なる物で命をつないでいた。例えば、他にもそんな人がいたとして、ならば、世界を作り替え魔導器を捨て去らなくてはならなくなった時、自分たちはその誰かに何と言えばよいのか。覚悟が足りていない。勝利したと言うのに一様に神妙な顔をしているのはそれが原因であった。
「そこで、顔も知らぬ誰かのために悩めるのなら、あなたたちは前に進むべきです。でなければあの二人を止めるなど夢のまた夢。強い意志のみがあの人たちに比肩しうる武器唯一の武器。ここで折れるようなら戦いにすらなりませんよ」
「分かってても割り切れないのが人間なのよ。それが出来るようになるには、一度底を見てこなきゃ無理ってもんさ。……パティちゃんとか俺とかね」
「そうじゃのう……。うちやレイヴンは奪い奪われで一度全てを失くしておるから、奪われない為に戦うことから目を背けずにいられるのじゃ。それに、うちはトートに会わねばならぬ。全てを思い出した今、何をおいても会って話をしなくてはならぬのじゃ」
ユーリたちの中で一番の年長にして元『海精の牙』のボスをやっていた経験は大きく重い。命を懸け、奪い、上に立ち、そして奪われる。立場や責任を深く理解し、受け止めてきた者は、いかなる時も最も強い。それは偽りの立場であったシュヴァーンでも同様だ。少なくともレイヴンは復讐のためとはいえ、隊長としての責任を出来うる限り果たしていたし、結果として慕ってくれる部下も多かった。つまりは、自分の行動で多くの命を散らす覚悟。それをこの二人は持っているのだ。フレンがシュヴァーンを尊敬していた理由もここにある。
「人に限らずすべての生き物はね、生きてるだけで何かを奪い合う競争をしてるのよ」
幼子に言い聞かせるようにレイヴンが口を開く。普段とはかけ離れた優しげな表情も、今は誰も茶々を入れようとせず紡がれる言葉を一字一句聞き漏らさないように耳を傾ける。
「この世界で起きる物事は、突き詰めればそこに行きつく。ああ、嬢ちゃん、そんな顔しないでって。別に悪いって言ってるわけじゃなくて……」
「ご、ごめんなさい…!わたし、レイヴンの話思い出しちゃってつい」
「いや、まあ。そこで俺のために悲しめるなら、やっぱり説教臭い話はいらないかなあ」
うーむ、と顎に手を当てて唸るレイヴン。何を考えているかは定かではないが、ユーリたちにとってマイナスにはならない事だけは確定だろう。
「こんな話して、何が言いたいかっていうとだね―――」
「奪うことを受け止めて、それでも前に進むのが大切なのじゃ!」
「ああ、パティちゃん!今、久々に来た俺の見せ場だったのに!」
やはり、緊迫した空気は数分しか持たなかった。狙ってやったのかは置いといて、普段と変わりない雰囲気に戻ったユーリたちのその胸の内には、確かに新たな覚悟の形が芽生えていた。
「……それでは、お願いします。どうか、あの人たちを止めてあげて下さい」
いい方向に変わった面構えを一瞥し、一瞬だけ微笑むとクロームは言う。
「心です。それで上回る以外に勝利は有り得ません。だからこそ、私はあなたたちに懸けることにしたのです。敵わないと一抹でも思ってしまった私には、あの方たちと相対する資格はない。それでも、私は私の願いを捨てる事だけは出来ない。そして、そんな愚かな私を、あの人たちは誇ってくれるのでしょうから」
「その前に教えて下さい。自分の命を捨ててまで遂げたいと言うあなたの願いは、いったいどんなものなんですか?」
「小さな、本当に小さな約束ですよ。また三人でテーブルを囲みたい。ただそれだけです」
淡い光を放ちながら、体の構成が少しずつ変化していく。生き物から現象へ。劇的な変異による知覚の改変は、クロームだったものに多くの知恵をもたらした。全ての風がクロームに従う感覚。優雅な風をまき散らし、クロームは精霊シルフへと転生を遂げた。
○○○
三体の精霊を味方に付け、各々思うところは多々あれど、意気揚々とアスピオに凱旋してきてみれば、街そのものが宙に浮いているという異常事態を目の当たりにすることとなった。
「ちょ、なにこれ!?アスピオってこんなだったっけ!?」
「んなわけないでしょ!冗談言ってる場合じゃないってのに、このガキんちょは」
「灯台下暗しってやつだな。アスピオに何かあるのを疑わなかった俺たちも俺たちだが」
「仕方ないよ、これは。街ごと浮くなんて、知らなければ絶対に想像できない」
もはや呆れることは無いだろうと思っていた矢先の出来事だけに、フレンが珍しく乾いた笑いをした。
「きっと、あの場所で待ってるのでしょうね」
「はい……。精霊の皆さんもそう言っています。あの場所の最奥に干渉の出来ない部分があって、その前で待ち構えていると」
「今更話し合いって訳にもいかねえだろうな。互いに譲れねえもんがある」
「それでいいじゃない。少なくとも学長はそのために時間をくれたんだと思うわよ。それに―――」
「リタ・モルディオ!それに皆さんも無事みたいですね。ひとまず安心しました」
ひょこひょこと息を切らせて駆け寄ってきたのは見覚えのあるおかっぱの少年。ウィチルだ。
「りんご頭。お前無事だったのか。てっきり今頃空の上かと思ってたぜ」
「誰がりんご―――ってそんなこと言ってる場合じゃないでしょう。こっちは大変だったんですからね。アスピオが浮上したり魔物の大群が押し寄せたり」
「魔物が!?他の皆は無事なのか……?」
「あ、はい。向こうの方で全部固まったまま動かなくなってます」
「ってことは、そっちも準備は出来てるのね」
「読み取った術式を反転させただけの付け焼刃ですが、効果は莫大です。目立つ欠点としたは、抑えが利かない点でしょうか。何分サンプルがザウデの魔核しかなかったもので。まあ、おかげで魔物の襲来を防ぐことが出来た訳ですが」
「何の話をしてるんです……?」
「対抗策その一、よ」
リタが無造作に歩み寄り手を出すと、ウィチルが懐から傍目には暗号にしか見えない文字の羅列が記された紙の束を受け渡す。ぱらぱらと捲られていく書類の一字一句を見逃さないよう、一切の言葉を発することなく没頭するリタに変わって、ウィチルが置いてきぼりを喰らっているユーリたちに説明を始める。
「いいですか。学長と戦うに当たって、警戒すべき事柄がいくつかあります。一つ目に魔術。二つ目に時間操作。三つ目にその不死性。もちろん他にも脅威はありますが、大別すると大きく目立つのはこの三つです。ですから、僕たちはそれをどうにか封じられないかと考えました」
こほんと小さく咳払いをして、計画の全貌を語り始める。
「リタ・モルディオの仮説から、僕たちは『マナ』と呼ばれる存在を操れるようになれば、互角とはいかなくとも対抗できると考えました。あまり言いたくはありませんが、彼女は天才ですから」
「そりゃ朗報だ。間違ってもあの魔術を受けたくはねえからな」
「続いて時間操作。とりわけ危険なのは停止ですね。やられてしまったら詰みです。なので、あなたたちが旅をしている間にアスピオが総力を挙げてこれを作りました」
再び懐から取り出したのは手のひらサイズの懐中時計。ただし、中を見てみると数字の並びが反時計回りになっている。
「まだ試作品の域を出ない物ですが、一度だけなら学長の真似事が出来ます。と言っても本人に効果があるとは思えませんので、止められてしまった人の時間を正す。解毒剤のように使うといいと思います。今、避難所で同型の物をいくつか作っている最中ですので、どうにか人数分くらいは用意できるはずです」
「一人に付き一度は触れられる。それなら、いくらか作戦の立てようもありますね。零と一の差は大きい」
一対一で手も足も出なかったフレンのトラウマも、これで少しは払拭されただろうか。心の底からほっとしながらそう呟いた。
「最後に不死性ですが……。これに関してはお手上げですね。無茶ぶりもいいところですよ、こんなの」
「十分だ。一番厄介なのを解決してくれたんだからな。残りは俺たちの方でどうにかするさ」
「……歯がゆいですね。僕が戦うことが出来たなら、無理にでも着いていくのですが。足手纏いにしかならないことくらい、分かってるんですけどね」
「そんなこと気にしなくていいっての。あんたたちは仕事をきっちりこなしたわ。後はこのリタ・モルディオに任せておきなさい。さくっとあの浮いてるの撃墜して、学長のして連れ帰って来てあげる。数日後にはいつも通りのアスピオよ」
一通り目を通し終わったリタが会話の輪に入ってくる。珍しく素直な労いにウィチルの顔が驚愕に歪んでいるが、それを完全に無視して紙の束を返却すると、全員が見渡せる位置に立って腰に手を当てる。
「現状で打てる手は全て打ったわ。成果も上々。魔術に関してはほぼ封じられたと言っていいのは、いい意味で誤算ね」
「正確には地火風の魔術は、ですが」
「まあ、なるようにしかならないでしょ。どっちにしろ、旦那は何かしらの奥の手くらい持ってるだろうし」
「です。わたしも、トートを止めて、そして謝らなきゃいけません。あれから世界を見て、自分を知りました。たくさんの事を知って、一回りだけ大きくなれました。今ならきっと、受け取ってくれると思うんです」
「じゃあ、行くか。俺たちの答えを示すために」
日は沈み、一様に夜空に浮かぶ最後の場所を見上げながら、ユーリたちは決意を声にした。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十三話(最終決戦)
今現在、人類にとっての破滅の象徴とも言える『タルカロン』。いくつもの塔がそびえ立ち、その多くが老朽化して太古の遺跡を思わせる。事実、これは古代ゲライオスの遺産であり、所々にトートの手が加えられているものの、大半が当時の面影を残したままになっている。千年前の建造物を現存させる技術もさることながら、ユーリたちの目を奪うのは辺りに刻まれた術式の数々だ。
「凄い……これ一つ一つが、学長の研究成果の結晶ね。にしても『マナ』を使った技術体系をたった一人で完成させたって、どんな冗談よ」
「そんでもって封印したのか。過程で精霊の存在を見つけたんだろうな」
「それだけではない」
数メートル先にある広場から、不意に声を掛けられる。綺麗な銀の長髪を靡かせ、九つの異形の武器で作られた円陣の中陰に佇んでいる一人の男性。煌めく出式の光に演出され、精霊を初めて見た時のように神秘的な感動を覚えるほどだ。確固たる意志と、それに付随する圧倒的な実力と自負が威圧感となってユーリたちの肌を刺す。
「デューク……」
「やはり来たか。雌雄を決するこの場所へ」
「話し合う気は毛頭なさそうだな」
「互いに相いれぬことは理解したうえでここに立っているはず。これ以上の話し合いに何の意味がある」
デュークは地に突き立てた剣に両の掌を乗せたまま、ユーリの言葉を切って捨てる。堂々たる雰囲気と凛と響く言葉は、真に貴族の在り方だ。帝国の腐敗したそれとは似ても似つかない、本物の貴き人の放つ輝きが、確かに彼からは伝わってくる。ならば、相対するにふさわしいのは一人しかいないだろう。
「例え相いれなくても、話をすることにはきっと意味があるんです。わたしは無力だったけど……。それでも短くて暖かかったあの旅は、それを教えてくれました!」
あまりにも無垢。デュークからしたらひよっこもいいところなのだろう。しかし、それでも相手をしない訳にはいかない。所謂、負けられない戦いを言うやつだ。全てで上回ってこその勝利。清廉潔白にして高潔。彼はその果てに人の枠組みから外れてしまったのだから。
「良いだろう。確かに全てを黙殺したまま切り捨てるのは本意ではない」
僅かに臨戦態勢が緩み、圧迫感が霧散する。驚くべきはその切り替えの自然さ。敵意が気が付かないうちに消えるなど、どれだけの歴戦の猛者ならば出来る芸当なのか。
「シルフが……クロームが言っていました。あなたは優しい人だと」
「人が欲にまみれ過ぎているだけの事。私は当たり前に生きているだけだ」
「そして、人を信じる事が出来なくなった……」
「そうだ。私の友が命を懸けて守ったものは、私の友の命を奪った。何も変わらないままに、人は同じことを繰り返す。己の欲望のままに貪り、その代償が己に還ると知ると嘆くのだ。この世の全ては因果応報。そんな単純な理からすらも、目を逸らす。醜悪だと思わないか」
「ですが、全ての人がそうな訳ではありません。世界には良い人だってたくさんいました」
「……澄んだ目だ。それ故に危うい」
精巧な人形のように動くことのなかったデュークが初めて表情を崩す。同情的でいて、しかしどこか懐かしがるような。
「やはり、この問答に意味はない。お前たちは私の胸中を勘違いをしている」
「勘違い……です?」
「この身を焦がす人への絶望は、すでに心に起伏を作らない程度に薄れている。他でもないクロームとトートのおかげで、だ」
「だったら、なんで―――」
穏やかに瞼を閉じて手のひらを翳し、エステルの問いかけを抑える。
「私は人に絶望し、人の世から姿を消した。だが、始祖の隷長でもない私の行く宛など、初めから在りはしない。そう思っていた。そこに住む住人がいるなど、思案することなく」
それは、デュークにとって第二の始まりの記憶。何もかも無くした後のターニングポイント。
「多くを語る必用はない。私はトートの友としてこの場所に立っている。ただそれだけ、そしてそれで十分なのだ」
聞いているだけで伝わってくる強い強い想い。友の為だけに。混じり気なく純粋なその祈りを貫かんと、デュークはユーリたちの前に立ちはだかる。
「あいつの我が儘など、初めて聞いた。初めてだ。本心ではこれが良いことではないと分かっていながら、進まざる負えない。ならば、私は友として最後までトートと並び立とう」
円陣が光を発し、九つの異形はデュークの体を変貌させてゆく。より強く、儚い祈りを叶えられるように。魔装具と呼ばれるこの武器は、太古の盟主スパイラルドラコの一部から作り出されたもの。秘める力は計り知れなく、その受け皿になれるような人間は世界中を見渡しても彼しかいないのだろう。
「来るがいい。傲慢にも世界を変革せんとする者達よ」
浅黒く染まった肌と不変の銀髪。強大な力を従えて、物語の最終局面が始まった。
・・・
数百年振りに、僕の予想を大きく外れる事態が起こった。ベリウスがいつか命を落とすことも、『星喰み』がいつの日か復活することも予想の内だったが、こればっかりは考えた事すらなかった。おかげで、この場所。『タルカロン』の心臓部には迎撃の準備など一切していない。
「急造の結界だが、効果は僕のお墨付きだ。ここは完全に外界と隔離された」
「…………」
「つまりは、僕を倒さなければ死ぬまでここを出られない。最終戦には相応しい展開だと言えば聞こえはいいが、正直なところデュークが倒されるとは露ほども思っていなかったからな。僕の予想を超えた人はあんたたちが初めてだ。誇っていいぞ」
透明な、しかしなんとなく境界線が分かる程度に空間がぶれて見えるようになる。デュークを打倒すような輩に手加減など到底不可能だ。余波で全てが台無しになってしまっては本末転倒。
「言いたいことはいろいろあるが、まずはそうだな……。よくぞここまで来た、と言っておこうか」
「あんたが時間を稼いでくれなかったら、今頃『星喰み』に食われてたろうけどな」
「これが、僕個人の我が儘である以上、僕は世界の全てを相手取って勝たなければならない。違うか?」
例えるならば、ユーリが下町で自分を貫くために帝国に牙を向けたように。アレクセイの暴虐を認められないと打倒したように。生きていれば誰しもが戦う。当たり前の、そして僕にとっては初めての事。家族を守るためだけに、世界の全てを敵に回す。在り難いことに、一人着いて来てくれた例外もいたけれども。
「結界の完成までもう少しだけ掛かる。会話する時間はあるぞ。特に、何人かは言いたいこともありそうだ」
完成までおよそ十分くらいか。改造した『タルカロン』の力の縮小版。僕一人ではこの規模が限界だが、それでも百メートル四方を完全に隔離することくらい朝飯前だ。
「……この場所。全部で一つの結界魔導器ね?」
「流石に優秀だな、リタ。そうだ、こいつは『ザウデ不落宮』など比較にならん結界魔導器。出力さえ足りていれば、『星喰み』だろうが永遠に隔離して停止させることが出来る」
「ああ、やっぱりそうなの。だったら尚更止めなきゃならなくなったじゃない。約束、まさか忘れたわけじゃないでしょうね」
「……見ただけでそこまで分かるのなら、僕に師事しなくとも二十年あればたどり着くんじゃないか?」
「それじゃ遅いのよ。世界を変えるなら、魔導器に変わる物を用意しなきゃいけないでしょ。それも大至急に」
そう言って手を開くと『マナ』を吸収して光を放つ球体が。言うまでもなく僕が作った物だ。道中に設置してあったのを取ってきたのだろう。
「紛れもない次代の技術。勝てない訳よね」
「そうだ。そして、『星喰み』よりもよほど危険な技術でもある。僕が誰にもこの技術を授与しようとしなかったのはそのためだ」
「時間は進むわ。いつまでも留まる事は出来ないのよ」
「ならば、進む筋道は僕が決めよう」
押し付け合いのような対話が終わり、リタやみんなを抑えて、一歩前に出てきた小さな影。パティ・フルール、いやアイフリードか。
「その目は懐かしいぞ我が友、アイフリード。ようやく全部思い出したんだな」
「……人が悪いのう。ノードポリカで会った時に気付いていたんじゃろ?」
「あまりに風貌が変わり過ぎてて確信を持てなかったけど、面影はしっかり残ってたよ。何度も懲りずに僕の家に襲撃を掛けてきた顔だ。忘れようにも忘れられない」
「変わらぬ……本当に変わらぬのう。ドンもサイファーも逝ってしまって、それでもおぬしはあの時のままじゃ」
幼い容姿とは結びつきようのない儚げな笑顔。思えば、老いを遡り皆に置いて行かれてしまった彼女は、ほんの少しだけ僕に近い所にいるのかもしれない。
「……どうしても戦わなくてはならぬかの?」
「躊躇うな。欲しいのならば奪え。僕の知るアイフリードはそういう奴だったぞ。そして、何より強欲だった」
「相わかった。ならば、積もる話はおぬしを倒した後にゆっくりしようかの」
記憶の中にある挑発的な笑みが、パティの笑顔に重なって見えた。変わらないのは、何も僕だけではないではないか。
「……もう、あまり時間も無い」
「俺は一度ぶつかり合ってるし。あとは戦いの中で、ね」
「僕も同じく。想いは全てこの剣に」
「っつーことでだ、残るはエステルだな」
「………はい!」
一目で見て取れるくらいの緊張を纏い、エステリーゼが一歩前に出る。紡がれる言葉を聞き洩らさぬように凝視していると、突然頭を下げた。儀式的な丁寧な礼などではなく、贖いを求める者の礼だ。ダングレストでの約束に基づいて、僕に謝る事、それが彼女の持つ蟠りという訳か。笑えるくらい律儀で、愚直。そして、眩しいほどに気高いじゃないか。
「短い間に劇的な変化を成せるのは人の美点だな。ベリウスが入れ込むのも頷ける。最も得難い結果を意思の力のみで引き寄せる。僕にとっては、それこそが恐怖だった」
「あなたはただ、守りたいのですね。人と違う自分が嫌で、だからこそベリウスをそこから遠ざけたがる」
「そんなこと言われなくとも分かっている」
「ですが、ベリウスは。彼女はきっとあなたのそばに寄り添いたいと、そう思っているはずです」
「死者の声を語ることは出来ない」
「最期に自らの聖核をあなたに託したのは、一緒に居たかったから。誰だって大切な家族を一人ぼっちにさせたくはありません。ですから―――」
祈りを捧げるように両手を組むエステリーゼ。微かに聞き取れる声量で、お願いと呟き、それに呼応して莫大な『マナ』の収束が始まる。
「わたしが謝らなくてはならないのは、あなたと、そしてベリウス。皆の力を借りて、わたしは誰もが笑える結末を描きます」
周囲の空間が蜃気楼のごとく歪み、そして顕現するのは地火風を司る三体の精霊。
「イフリート、シルフ、ノーム。少しだけ力を貸してください。今、この時だけわたしの我が儘を貫き通す力を!」
思えば、満月の子の力とは精霊と繋がるためにあったのではないだろうか。いつの日か彼女のような傲慢とは程遠い人間が生まれて、それと同世代に技術は刷新され、精霊が生まれる。奇跡のような確率も、成されたのなら運命だ。
「……だが、抗わずにはいられないんだ。世界はいつだって僕の敵なのだから」
全てを掛けた最終決戦が始まった。
「最初から全力で行かせてもらうぜ!」
正面からユーリ、そして側面からはフレン。寸分のずれもなく二本の剣が襲いくる。合図無しのコンビネーションとしては満点に近い動きだ。トリッキーなユーリの剣が檻のように逃げ場を制限し、教科書通りのフレンの剣が四肢の根元を掠める。達磨にしてしまおうということか。意外にえげつない作戦を立ててくる。立案者は十中八九リタだろう。
「オーバー……―――」
「なあっ!?」
ならば、あえて受けてやるだけの事。腕を一本落とされるだけで隙を突けるのなら安すぎる。僕にとっては少し痛い程度にしかならない。
「行ってこい!」
「月光!」
フレンが左腕を貫いたとほぼ同時に、蛇のような矢が左足を、上方からの投槍が右足を貫き固定する。
「腹ぁ括れよ!天狼滅牙ぁ!」
「―――ロード」
発動の瞬間、傷口からおびただしい量の血液が噴出し、即座に塞がる。オーバーロード。根幹にあるのは実に単純で初歩的な術に過ぎない。身体能力の強化。それを、誰もが真似することの出来ない強度で発動しているだけ。体の負担を省みない強化は肉体を破壊しつくし、死を招く。僕には関係のない話だが。
「話したのはフェローだな?」
「……まずったか」
涼しげな笑みは絶やさずに、しかしユーリの頬にはうっすらと冷や汗が見える。真上から右肩を一閃する軌道で放たれた斬撃を半身になって躱し、両足の動きを阻害する矢と槍諸共蹴り飛ばす。頭の可笑しい次元での強化術の行使の前では、この矮小な四肢ですら始祖の隷長の全力に勝るのだ。
「がっ、は……」
「ユーリ!今、治療を――」
「させると思うか」
「させてもらうわよ」
腕を組んだまま佇んでいたリタがアクションを起こす。リタの魔術は僕に効かない。だが、精霊の助けがあるのなら、その限りではない。ほんのちょっぴりエアルの流れを阻害できるならエステリーゼの回復術を阻止できる。だが、その瞬間に災害と言っても差支えのない精霊の力が僕を襲うだろう。
「どうやら、魔導王の名前は返上しなくちゃいけないようだ」
「ようやく、ようやく追いついたわよ!」
精霊の力で強烈にブーストされているとはいえ互角。最後の砦が忌々しい力とは、なんと出来過ぎた筋書きだろう。
「月光を纏う」
飛散した血が落下せずにその場に留まり、僕の両腕の冷たい発光と相まって不気味な雰囲気を醸し出す。
「あんたたちにとってはこれも既知。参ったよ。何が起こるか分からないことが僕の一番の武器だったのに、これで決着が付かないようなら、心底使いたくない切り札まで切らなきゃならない。悪い事は言わん、とっとと倒れてくれ」
言い終わると同時に地を蹴り駆ける。疾走は音を置き去りにしてなお早く、ユーリたちから見たら、僕が爆発と同時に消えたようにすら見えた事だろう。でなければ―――。
「無防備に背中を晒すなどするはずがないからな」
「くっ、う……!?」
「ジュディ!」
「槍の一本や二本で受けきれる攻撃じゃない。腕は暫く使い物にならないだろう。止まってるといい」
呻くジュディスが復活する前に、自らの手首を切り血をまき散らす。空中で固定されたそれらは、何よりも固い檻となる。
「時の防りは全てを遮る。そこで大人しくしていろ。どの道もはや戦闘は不可能だ」
「あら……甘いのね。殺さなくていいのかしら?」
「殺したりなんかしたら、きっと他の連中は更に意思を強くする。僕はそれが一番怖い」
「……恐ろしい人。あなたはそれほど強いのに、怖さを知っているのね……」
「敵は多かったからな」
目すら合わせないような会話を終え、改めて意識をユーリたちへと向ける。警戒の色は先ほどまでとは段違い。今度は容易くいかないだろう。何かしらの策を打ってくるだろう。なにせ切れ者揃いだ。目の当たりにした脅威に晒されるままの愚者では有り得ない。
「あのスピードで触られるのもダメって、反則じゃない?」
「あえて誰も言わなかったことだと思うよ、それ」
「のじゃ」
「お前ら、ふざけてないで気合入れろ」
気の抜けるような会話をしているが、抜け目はない。誰かを狙おうとするコースには、前もって剣を掲げ、道を塞いでいる。確かにあれでは突っ切ることは出来ない。が、まだ僕と言う存在についての理解が足りないようだ。
「痛っ!?」
予想外の事態は体を硬直へと導く。例えば、腕を千切って投げるなど。それは微々たるものだが、今の僕には十分な時間だ。カロルの額に当たって落ちたそれが腕だと認識したほんの些細なタイムラグに、僕は疾走した。
「しまった!」
「これで残りは六人と一匹。リタはこっちの戦いには混ざれないから、五人と一匹。早々に対処しないとすぐに全滅だぞ」
仕留めたのはカロル。背後からの一撃で気絶をしてはいるが、念のためジュディスの時と同じく血の檻で囲み行動の自由を制限しておく。
「……リタ!例のアレはどれくらいの時間持つ?」
「無理して五分ってところよ。どうせ使い捨てなんだから、好きに使いなさい」
「エステル!やることは分かってるな?」
「ですが、それではユーリが!」
「あいつは痛みに耐えてんだ。俺たちも同じ覚悟ってもんを持たなきゃならねえよ。ま、他に手段も無いことだしな」
そう言ってユーリが懐から取り出したのは真新しい懐中時計。それを見て意図をくみ取ったのか、エステリーゼを除いた残りのメンバーも同じものを取り出して首にかける。何かは分からない。しかし、何かしらの決意をした目。あの目をした人は強い。注意しなくてはならない。幸運なことに、慢心できるほど僕は自分を信じてはいないのだから。
「……行くぞ」
静かな宣言が響き渡り、一歩を踏み出したその時だった。
「か、なり、痛えが……ようやく、イーブンだ」
目にも止まらない速さで動いている僕に追随する声。よもや、よもやこれすらも乗り越えて、剰え同じ場所に立つとは。
「やはり、あんたたちを敵に選んだのは間違いじゃなかった!」
「お褒めに預かり光栄ってとこかぁ!」
ユーリの放つ渾身の袈裟切りを蹴りで受け止める。それだけで床に蜘蛛の巣状のヒビが走り、瓦礫が天高くまで巻き上げられた。強化術の行使に集中しているエステリーゼを除いて四人と一匹。相手は胸元の懐中時計とエステリーゼを守りながらの戦闘になる。
「まさか、魔導王なんて持て囃された僕が最後に頼るのことになるのが己の肉体とは!」
「この方が分かりやすくていいじゃねえか!」
一撃当たったら肉体が弾け飛びそうな威力の連携が襲いくる。何気ない一矢、何気ない回避の全てが僕を追い詰める布石。次第に肉は裂かれ、骨は砕かれ、血はとめどなく溢れ。さながら羽を捥がれた鳥のように、じわじわと削り取られていく。だが、今気を向けるべきはそんな事ではない。僕が不死で、埒が明かない以上どこかでアクションが必要になるからだ。鎬を削るこのひと時も、全てはその一瞬のための下準備。その前にへし折る。
「―――止まれ」
「あ……―――」
目が眩む両手の発光と同時に、レイヴンとパティ、そしてラピードの動きがぴたりと止まった。レイヴン一人止められれば良いと思っていたが、効果のほどは予想以上。一気に過半数を行動不能へと押し込むことに成功した。
「その懐中時計。僕の真似を出来るようだが、並列して機能を使うことは出来ないみたいだな。もしそれが出来たのならば、少しばかり参るところだった」
「…………生体に使用するには条件があると言っていましたね」
「ああ、ある。まさか、僕が何も考えずに戦っているとでも思ったか?」
「喰えない野郎だぜ」
「お互い様だ。散々切り刻んでくれたな。すぐに戻るだけで痛みがないわけじゃあないんだぞ」
ほんの一滴でいい。傷口から入ったでも何でもいい。僕の血を対象が体内に持っていること、それとオーバーロードの使用中である事が条件だ。無駄に切り刻まれてやっただけあって、成果は十二分に得た。
「……そろそろ終わらせて―――」
「月破紫電脚!」
「鬼神千裂ノック!」
聞こえるはずのない声が聞こえた。いや、予測しておくべきだった。僕と同じことが出来るなら、血の檻などただの水分。動きの阻害など出来っこない。
「吹き飛べ!」
「守護方陣!」
悪寒が止まらない。油断で両腕を吹き飛ばされ、咄嗟の蹴りも防がれた。悪い夢を見ている気分だ。事ここに至って狙いを理解できてしまったから、そしてそれを防ぐことが出来そうにないから。
「あんたの再生力、封じさせてもらう!」
全てがゆっくりになる。なぜ、ユーリの持つ懐中時計が一つしかないと決めつけてしまったのか。目の前に迫り、胸を貫かんとするユーリの手の内にはしっかりと握りしめられた懐中時計。この場でそれを必要としないのはただ一人。リタだ。まったく、優秀すぎるのも考え物だと痛感させられる。
「ぐ、う……」
体内に埋め込まれた懐中時計が僕の時間を狂わせる。
「五分。それしか持たねえが、それまでの間あんたは超再生を使えねえ」
「そのようだ、な。せいぜい死なない程度だ。満足に動けるほどの再生は見込めない」
吹き飛ばされ、仕切り直すようにお互いに相対して言葉を交わす。偶然にも開始と同じ位置だ。仕切り直しと言うにはお互い消耗しすぎているし、これ以上の肉弾戦では勝ち目は薄いのだろう。
「解除」
「っとと」
石像のように固まっていたメンバーが元に戻る。別に観念したわけではない。余力を回している場合ではなくなったと言うだけの事。
「……耐えきったのなら、あんたたちの勝ちだ」
腹部に刻まれた文字盤の刺繍が蠢き、その頂点である零に短針と長身が重なる。浮かび上がったのは巨大な時計。その全貌を見ることが出来ないほど巨大なはずなのに、なぜだかそれがどういう状態なのか理解できる。とても、とても不思議な時計。僕の背負う業にして最後の切り札。
「時計を見ろ!始まりは終わりと重なり、円環は成った。ならば我が妄執の果てに、太極への扉は開かれん!」
滔々と紡がれる祝詞は罪の証。死を知りたいという許されてはいけない願いによってのみ、僕が踏み込むことを許された聖域への鍵だ。
「生も死も愛も妬みも恨みも慈しみも希望も絶望も、ここには全てがある。とはいえ、僕の手が出せるのは死、だけだが」
風景が歪み、捻じれ狂う。ノイズのが混じり、負荷で脳が爆発してしまいそうだ。それでもどうにか成功した。終わりの見えない黄金図書館。転移などと言う低級な現象ではない。ここは太極、世界の全てが記録されている無限の書庫だ。目も眩むような輝きは叡智の煌めきにして、生の美しさ。いつまでも見ていたいものだが、今の僕では持って一分。早々に術式の発動をさせてもらうとしよう。
「括目しろ、喝采しろ、羨望しろ、嫌悪しろ!無間の狭間に死を想え!」
夥しい量の本が意思を持ったように宙を舞い、視界を絶え間なく埋め尽くす。防御などに意味は無い。これはただ、体験するだけのもの。死がない故に、誰よりも死に焦がれた僕だけに許された神域の御業。
「アカシックレコード―――メメント・モリ」
瞬間、喉元を剣が貫いて死んだ。呻きながら声も出せずに惨めに死んだ。焼けるような喉の痛みに狂いそうになりながらも、最後に思い浮かべたのは両親の顔だった。一冊目、名前も知らない兵士の死。
「う、あ……ああ……!」
気が付くと元の黄金図書館にいた。そして、間髪入れず心臓を牙が貫いた。悶えながら、大声を上げてのどをからしながら死んだ。絶叫が多くの野生の魔物を呼び寄せ、かすかな意識を残したままに食われながら死んだ。最期には何かを思考する事すら出来なかった。二冊目、名前も知らない猟師の死。
「力は要らない。ただひたすらに死を想え」
無慈悲で無機質な僕の声だけが木霊する。この世の全てを記録している場所に接続し、全ての死を追体験させるだけの術式を越えた神技。それが僕の歪みにして絶対の切り札だ。
・・・
レイヴンの場合。
「大した御仁だよ、本当に。こんな芸当、神様でもなきゃ出来やしないって」
幾度目の死を迎えた頃だろうか。それでも折れずに悪態をつくだけの余裕があった。幻想の死は体力をも削りゆくが、それがいったいなんだと言うのか。
「皆、この旅で強くなったのよ。きっと大丈夫」
冷や汗を流しながら笑みを作って呟くと、全身を引き裂くような痛みと共に、頭の中に声が聞こえた。
「『騎士団に在籍していた彼女は、人魔戦争で仲間諸共、己の命を失う。弓の名手でもあった彼女は部下である男に看取られて死んだ。―――――――冊目、気高き少女の死』」
ふっ、とため息のような笑いが漏れた。
「旦那ってば、これじゃあ激励みたいなもんじゃないの」
死は、すでに乗り越えた。後押ししてくれた他でもないトートのおかげで。
○○○
カロルの場合。
「…………」
何かを考える事も出来なかった。心は砕け、漫然と迫りくる死を通過していた。初めは怖かった。そりゃあ、死ぬだなんて考えるには幼すぎる。だけど、この旅で何度も覚悟を決めてきたつもりだった。
「…………」
手の先から動かなくなっていく感覚を、目が見えなくなっていく恐怖を、本当の死というものがどういうものなのかを知らなかった。なんて恐ろしいのだろう。覚悟など何の役にも立たないじゃないか。そんな悪態をつければどれほど楽か。全てを押し流す死を前にして、心は完膚なきまでに折れていた。それでも、無慈悲に死は続いていく。
「…………?」
切り替わった風景には見覚えがあった。舞う土煙、観衆の嗚咽。腹部に突き立てられた刃による焼けつくような痛み。
「『多くに慕われ、姦計に落ちた男の死。自らの定めた掟に従い自害。見届けてくれた若者たちに未来を託し、腹を切る。その生に後悔は微塵もなかった。―――――冊目、偉大なる男の死』」
「あ……」
そうだ、託してくれたんだ。僕の憧れていたあの人は。誓ったじゃないか、いつかあの人のようになるって。
「諦めるもんか!ボクは……ボクは凛々の明星のボスに相応しい男になるんだ!」
ありがとう、ドン。歯を食いしばり、背を押してくれた憧れの人に静かなお礼をした。
○○○
フレンの場合。
「『騎士団に在籍し、とある任務の途中。何気ない争い、何処にでもあるありふれた争いから市民を守って死んだ。死を恐れていた彼が身を挺して庇ったのは、我が子に誇れる自分でありたいと思ったから。どうか健やかに。ああ、もう剣の修行を付けてやれないようだ。そんな事を考えながら、彼は死んだ。――――――冊目、ある騎士の死』」
「…………」
自然と涙があふれた。追体験による鈍痛によるものなんかじゃない。幼すぎて何も知ることが出来ずに去ってしまった父の事を僅かにでも知れたのが嬉しいのだ。
「一時期は否定し、僕を置いて行ったあなたを憎みもしました」
堪らず独白を幻影に投げかける。意味などないと知っていても、そうせずにはいられなかった。あなたの息子は胸を張って生きていますと、そう伝えたかったから。
「誇りを胸に、僕は……いえ、私は騎士で在り続けます。あなたが守った未来は、必ずや光が芽吹く事でしょう」
騎士として、息子として、恥じない人生を歩む決意を。そして、この奇跡のような時間を与えてくれたトートにほんの少しの感謝を携えて、僕は行く。
「この背には民の安寧を。私は帝国騎士団フレン・シーフォ。守るべき民がいる限り、何があっても倒れはしない」
心には一点の曇りも存在しない。なぜなら私は騎士なのだから。
○○○
ラピードの場合。
「『騎士団に所属していた彼は、エアルの異常増加に伴う変種の魔物に取り込まれて死んだ。後悔はない。それが自分の生き様なのだから。背を追う子供の成長を見届けられないのが少し残念だが、まあ仕方ない。微かな思考もやがて消え、完全に自我を失った。―――――冊目、生きざまを貫いた犬の死』」
言われるまでも無かった。いつも見ていた大きな背中にもいつの間にか追いつき、今更その生き方を確認するまでもなく、自分は自分の納得できる生き方をしてきた。決して変わることなど有り得ない、これまでもこれからも、自分は自分らしく生きるのみ。
「ワン!」
見ていろとばかりに大きく吠え、次の幻影を待った。止まり方を知らないトートを止めてやるために。孤独に千年悩んだんだ、そろそろ誰かが解放してやらなきゃならないだろう。
○○○
ジュディスの場合。
「可哀相な人……。自分が欠けていると思い込んでいるのね……」
全ての死を追体験させる。それに理解が及んだのは、そう遅くない。突然の苦痛に驚きはしたが、数回目にはどういった術なのか合点がいった。人は自分に無いものに焦がれるのだ、そして、彼もまた半分はその血を宿す者。病的に執着するものがよもや死、とは悲しすぎる。
「この術には、敵意というものが圧倒的に欠如している。知ってほしいと叫ぶ、あなたなりの慟哭で、滲み出るような憧れの表れなのね。どうにかして家族と同じ場所に立とうとした結果がこれ」
なんて小さな願いなのだろう。共に生きて共に死ぬ。何だってできる智を身に着けても、当たり前の事が彼には出来ない。だけど、それは勘違い。彼はどこまでも優しいのだから正してあげなきゃならない。悪いのは全部自分だと抱え込んで、破綻すらできないのはさぞ辛かったことだろう。
「あなたは知るべきよ。同じじゃなくてもいいと言ってくれる誰かが、ずっとそばにいたことを」
「『人と始祖の隷長の共存を目指した。多くを巻き込んだ戦争の末、人の裏切りに合って死んだ。いつの日か、自分の理想を継ぐ者はきっと現れる。分かりあって手と手を取りあえる日が来ると、信じていた。脳裏に浮かぶのは二人の友の姿。ありがとう。感謝の気持ちで満たされながら彼は死んだ。――――――冊目、偉大なる始祖の隷長の死』」
「……安心して頂戴。あなたの理想は私が継ぐわ」
先人の意思を引き継いで、私は不敵な笑みを浮かべた。
○○○
パティの場合。
「優しい術じゃ」
トートの使った最後の切り札のこの術式。きっと、その本質は寄り添いたいという欲求に他ならないのだろう。世界のどこかでどれほど無念の死を遂げたとしても、たった一人トートだけは気付いてくれる。その気持ちを知ってくれる。死後のことなどどうでもいいと言うかもしれない。けれど、誰にも託せなかった気持ちを理解してくれる誰かがいたならば、自分はとても嬉しいと思う。
「薬のせいとはいえ、忘れてしまうとは情けないのう。あれほど心躍ったのはうちの人生でもそうある事じゃなかったろうに」
今でも、いや今だからこそ鮮明に思い出せる。教養などあまりない自分でも分かるほどに、トートの持つ術の凄さは明白だった。好奇心に突き動かされて世界中を駆け回ったが、上回る神秘は片手の指で足りるくらいしか思いつかない。年甲斐もなくはしゃいで、追い返されようとも幾度となく押しかけた。楽しかった。大海賊アイフリードとしての最期の輝かしい思い出。大切な大切な思い出なのだ。
「『一発の銃弾に穿たれて死んだ。自我を蝕まれる悪夢のような時間からの解放は、かつての仲間から。暖かな走馬灯が駆け巡り、安息の内に消滅した。己の仕事をやり遂げられた。そう思いながら。―――――冊目、海賊参謀の死』」
「そうか……あやつは安らかに逝けたのじゃな」
涙は出ない。まだ、やらねばならぬことがあるのだから。
「一人ぼっちなどと寝言を言っておるのなら、たたき起こしてあげなくてはならんのう。それに、お礼も言わねばならんのじゃ」
本当に優しい術。死者にも、生者にも。
「待っておれ、トート。うちはおぬしの友じゃ。おぬしにとっては短い間かもしれぬが決して一人ぼっちにはさせぬ」
トートならば大丈夫。例え自分が先に逝ってしまっても、必ず誰かがそばにいてくれる。だってこんなにも胸を暖かくしてくれる術が、あやつの目指したものなのだから。
○○○
リタの場合。
「……悔しいわね。ここまではっきりと力の差を見せつけられちゃ」
脳裏を埋め尽くすのは、術による苦痛などではなく、追いついたと思った背中がまた遠のいてしまったという悔しさ。人間、死ぬときは死ぬし今回の戦いだってほぼ確実に死ぬと思っていたのだから、今更死を突きつけられたところで動揺などするものか。
「まだ、遠い」
沸きあがるこの感情は喜びか悲しみか。自分でも分からない。幸い自問の時間は十分ある。那由多の死を通過して、この後もまだ数えきれない死が待ち受ける。丁度いい。どんなになっても考える事だけは止めてやるもんか。
「『人魔戦争の渦中で死んだ。この戦争の発端とも言える火種を作り出してしまった男は、無念の中で死を迎えた。――――――冊目、クリティアの誇る魔導士の死』」
「……嫌な事実が浮上したわね」
思わず目頭を抑えてしまう。学長が人間じゃなかったことなど吹っ飛ぶくらいの大ニュースだ。
「というより、これを見たことあるなら知ってて黙ってたのね。……ふふふ」
悩んでいたのが馬鹿らしくなってきて、ようやく自分の事が分かった気がする。ああ、なんだ。何も変わらないじゃないか。あの人が自分よりも遥か先にいる事も、いつかきっと相ついてやると言う気持ちも、何一つ私の内からは失われてはいない。一度の挫折で折れるほどに、自分はか弱い存在じゃない。
「待ってなさいよ、学長。私を弟子に取った事、後悔させてやるんだから」
○○○
エステルの場合。
「ああ……。これが死ぬってことなのですね……」
ため息のように吐き出されたのは嗚咽に近い言葉の群れ。時間の概念があるのかも分からないこの空間で、少なくとも自身の人生観は大きく変わった事だろう。今まではそのきれいな部分だけしか見ることの出来なかったおとぎ話も、影が必ず存在すると思えるようになってしまった。しかし、それを誇りこそすれ、恥じることなど無い。優しいと褒めてくれた者がいて、支えてくれる人がいて、共に歩んでくれる者がいる。ならば大丈夫だ。わたしはわたしのまま。
「『身の毒となる術式を受けて死んだ。善意の刃を受け止め、いつか訪れると覚悟していた結末を受け入れた。知らぬことは罪ではない。敬愛する兄をその面影に重ねながら、未来ある若者たちに全てを託して聖核へとなった。――――――冊目、人の中で生きた始祖の隷長の死』」
「ありがとう、ベリウス。あなたの信じてくれたわたしが、きっとあなたの家族を救い上げてみせます。……また会いましょう」
誰しもが変わりながら過ごしていく、けれどそれは悪いことなんかじゃないはずだ。わたしが長いようで短かったこの旅で変われたように。託してくれたものがあるのなら――――。
○○○
ユーリの場合。
「『深夜の橋の上で切り殺され死んだ。踏ん張りのきかない足でふらふらとよろめき、漆黒の水面に落下した。とめどなく溢れる血と、体温を奪う水に蝕まれて消えるように命を散らす。――――――冊目、欲にまみれた執政官の死』」
「…………覚悟は決めてたさ。俺のやってる事は紛れもない悪。知ってて選んだ道だ」
言い聞かせるように口が動く。分かっている。
「『闇にとけた剣先に切り殺されて死んだ。反応できない速さの切っ先は胴を大きく一閃し、もがいているうちに流砂に落ちる。足掻くすべては飲み込まれ、人知れず砂の下で窒息して死んだ。――――――冊目、腐敗した貴族の騎士の死』」
「最初から腐ってる奴なんかいねえってことくらい、バカな俺でも知ってるよ」
記録には夥しいほどの悪人がいて、どれほど曲がっていようと信念もあった。
「『腹部を剣に貫かれて死んだ。多くを捨て去り、歪んだ理想の果てには後悔だけが残った。流れ出る血を見ながらふと、追憶に思い拭ける。失わない力が欲しかった、それだけの願いすら叶わない。惨めで、悔しくて、情けなくて。失わなければ、今頃どうなっていたのだろう。最期に思い出したのは、遠い過去の自分だった。――――――冊目、理想に燃えた騎士団長の死』」
時系列など無茶苦茶になっているはずのこの場所で、三連続で来たとなると、罪を糾弾しているようにすら感じる。そんなはずないだろう。死者はそれすら出来ないのだから。
「それに、糾弾されて楽になる訳には……いかねえんだよ」
最期まで貫くと、そう決めたから。決して止まらない。止まれないのではなく、止まらない。歩む道は険しいのだろう、進むたびに心を削られてゆくのだろう。だけど、俺は俺が終わるその時まで、曲がっちゃならねえ。
「『落石に潰されて死んだ。じりじりと体を押しつぶされていく最中、考えたのは部下の事。こんな辺境に、よくもまあ問題児ばっか集めたものだ、と漏れた苦笑には血が混じる。託したぜ、問題児ども。俺はそろそろ歳だからな。動けない体を満たすのは恐怖ではなく、希望だった。――――――冊目、辺境の部隊長の死』」
「……はっ。まったく素直じゃねえおっさんだ。ありがとよ」
迷うのも後回しだ。今はやることをやって、その後みんなで考えよう。自分はそうやってここまで来たのだから。
「託してくれたものがあるのなら、俺たちは何度でも立ち上がれる」
見据えた未来はきっと明るい。もうひと踏ん張りでそれを守れるんだ。ちょっとばかりしんどいが、もうひと頑張りするとしよう。
・・・
ゆっくりと、本当にゆっくりと目を開く。その先の結果は分かっていても、そうせずにはいられない。全ての本があるべき場所に戻り、音一つない黄金図書館で、僕は呼吸も忘れてその光景を焼き付ける。
「そうか……乗り切ったか。……そうか。数多の終わりを目の当たりにし、罪と向き合い、痛みに耐え、終焉の一端を知ってなお、立ち上がるのか……」
不動の影が九つ。各々の瞳が僕を射抜く。強い意志のこもった目だ。僕にとっては眩しくて、とても美しいと思える。
「出し惜しみなんかしてない。今のが僕の全てをぶつけた攻撃だった。そうか……。死を持つものが死を乗り越える事なんて、出来るんだな」
今の心境を言葉で表すのならば、これ以上ないほどに愉快だ。
「凝り固まった矜持も、今となっては粉々だ。死を持つあんたたちが乗り越えたなら、僕も甘えてられないな……。諦めはここに置いて行こう」
死を持つ者達が捕らわれずに立ち上がってきたのだ、死を持たない僕だけが、いつまでも捕らわれている訳にもいくまい。それに、どちらにせよ。そろそろ限界だ。
「結界が解けたら奥に進め。ベリウスの聖核はそこに安置してある」
それだけ言うと、膝から崩れ落ち、体を支えられずにあおむけに倒れる。体の内にある懐中時計のおかげで力が戻らない。まあ、戻ったとしても、これ以上阻む気は無いが。
「早く行くといい。僕はもう動けない。最期のあれは再生しない体では負担が大きすぎるみたいでね、必要最低限の機能しか残っていないんだ」
僕の体が生命の維持に躍起になっているせいで、動かせるのは口くらいのもの。心身ともに打倒された。文句などありはしない。
「少しばかり疲れた。休息を取らせてもらう」
すっと目を閉じ、暗闇に落ちてゆく。そんな状態でも、完全に意識を失うまいと抗った。僕は何があっても見届けなくてはならないと思ったから。
「ああ……きれいだな……」
時間の感覚が分からない。きっと数分後くらいのことだろう。尋常じゃない『マナ』と懐かしい気配を感じてうっすらと重い瞼をこじ開ける。光の巨大な羽が天を覆い、『星喰み』目掛けて振り下ろされた。幾千の精霊が流星ように降り注ぎ『星喰み』は今度こそ完全に消滅した。
すみません。長くなりすぎてしまい、投稿が遅れてしまいました。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
エピローグ
「そろそろ起きたらどうじゃ。いくらか日差しが心地よいとはいえ、まだ肌寒い時期。体に障る」
「そう言うなって。あの場所に接続するのはかなり重労働なんだ。暫く経ったが、まだ体調は万全とは言い難い」
「自業自得じゃ」
目を閉じたままに軽口をたたき合うと、いくらか体のだるさも薄れてくれる。鳥の囀りや木漏れ日もさることながら、精霊の声はあの黄金図書館で本を読んでいるようでとても安らかだ。夢見心地過ぎて、本当に夢の中なのではないかと錯覚してしまうほど。
「まあ、無茶したことは認めるよ。だけど、答えを出すまでは負ける訳にもいかなかったからな」
「今の妾ならば、歩んだ軌跡も理解できる。随分と永い旅路だったのじゃな」
「本当に。長い長い曲がりくねった回り道だった。重要なのは、死ねない事なんかじゃなくて、生きているという当たり前な事実だったのに……。ああ、僕はようやく胸を張って生きていると言える。お前の隣でな」
瞼を開くと、そこには僕の唯一の家族がいる。姿かたちは大きく変わっても、彼女は彼女だ。ベリウス……いや現在の名をウンディーネ。リタとエステリーゼの手によって、水を総べる四大精霊の一角に転生したのだ。
「ねえ、ちょっと。話し込んでる暇があるなら、こっちを手伝いなさいよ。世界中の魔導器を新しいものにしなきゃならないんだから、いくら手があっても足りないわ」
「それくらい片付けられないようじゃ、僕の弟子を公言出来ないぞ。それに、折角なら家族に甘えてみたらどうだ」
「冗談じゃないわ!誰があいつなんかに……」
「うふふ。一応家族とは思ってくれているのね」
「げっ」
近くに設置してある簡易のテントから顔を出して愚痴を言ってきたリタと、絶妙のタイミングで付近の散策から戻ってきたジュディス。全てが決着したあの日から、僕は約束に従いリタを弟子に取った。これからすさまじい勢いで変革されていくであろう世界の、その先駆けに相応しい技術を伝授するために。
「丁度いいじゃないか。僕の蔵書の中にはミョルゾの言葉で書かれた物も多くある。いずれは習得することになる言語だ。ついでに教えてもらうといい」
「だそうよ。私としては大歓迎なのだけど。かわいい異母妹の頼みなんだから」
「だあーっ!やめなさいってば!アンタ、絶対私の反応見て面白がってるだけでしょ」
リタを弟子に取って最初にしなくてはならないことは、世界に点在している僕の蔵書を巡る旅だった。人の倫理観では多くが禁忌に当たるため、念入りな隠蔽を施した書庫が世界中に点在しているのだ。ダングレストにある黄金図書館の模造品は、言わば目くらましのようなもの。本当に知られてはならない知識は、堅く堅く封じた。例えば、底の見えない海溝や火山の火口の奥底、山の下敷きなんてものもあったか。まあ、兎に角道のりが厳しく、僕が同伴しなくては閲覧もままならない所ばかりな訳である。
「そんな事よりも学長。この本に書いてある術式、自爆前提でとても一般人には使えなさそうなんだけど」
「お前が一般人であるかはさておき、だ。色々と享受すると決めた以上、自衛の力を付けてもらわなくてはならない。全ての人間に信を置くほど、僕は間抜けじゃないからな」
『星喰み』を引き起こした魔導器よりも一段階昇華された技術は、当然ながらより容易に滅びを招くだろう。要は使い方次第、などと楽観視できる代物とは程遠い。必用なものは間違えない事ではなく、間違いから逃げない事。そして、人の最も恐れる死に立ち向かうことの出来た者ならば、その資格は十二分にある。
「世界が急激に変わろうと、人の営みはそう簡単に変われない。実のところ猶予はそれなりにあるんだ。あいつらも今頃世界中を駆け回ってくれてることだしな」
「そりゃ、そうなんでしょうけど……」
「今のリタは魔導士としては頂点だが、人としてはまだ一五年しか生きていない若輩者だ。学ぶことは尽きないぞ」
天才であるが故の思考回路は、凡百の常識とは相いれない。だからこそ変人扱いされたりもしたけれど、これからはそれでは不足する。人がどれだけ聡明で、どれだけ愚かか。深く深く知らなくてはならない。ここから先は知らなかったでは済まされないことばかり。些細な読み違いで大きな戦争が勃発するだろう。翻った善意が世界を揺るがすこともあるだろう。その責任を受け止められるだけの器を、リタは持つ必要がある。
「手垢の付いた言葉だが、壊すのは簡単でも作るのはとても難しい。いきなりヘラクレスを圧倒できるような兵装をばらまいたら、世界は一夜で消し炭だ。過去の帝国のように、管理する存在がなければ、人はきっと滅びへの道を歩んでしまう」
「そうね。あなたの見せてくれた記録でもそうだったように、人間はいつか必ず過ちを忘れ、繰り返す。きっとそこに終わりはないんだわ……」
でも、と過去に哀しみを馳せた後、心からの朗らかな笑顔を作ってジュディスは言う。
「今度はあなたたちがいてくれる。人と精霊は共に歩める。だったら問題ないでしょ。あなたたちがいてくれる限り、どれだけ遠い未来でも私たちは安心して想いを託せるもの」
「そうだな……。時折あんたたちのような変わり者がいるのなら大歓迎か。退屈と孤独は精神を殺す最も強力な毒だからな」
人は、いつか自身の業に焼かれて滅びるのだろう。何度も危機を乗り越え、文明が崩壊し、それでも受け継がれていく何かがあるから。僕は静かに寄りそおう。僕の家族がそうしてくれたように、取り返しのつかない過ちを犯したのなら共に贖いの方法を模索しよう。何かを成し遂げたのなら、共に歓喜しよう。君臨も統治もしない。ただ共に歩もう。束の間の奇跡のような交差の中で。
「そういう事だ、リタ。今しばらくは歯がゆいと思うが、我慢してくれ。目に映る物全てがお前の教材。遍く万象に無駄なことなんか無いのだから」
「流石に長生きしてる学長が言うと、おっさんの胡散臭い戯言とは違って説得力あるわね」
「あれで、なかなか人望に厚い騎士でもあるんだぞ。一応、元貴族でもあるらしいしな」
「世も末ね」
ペラリと手にした本を捲りながら、呆れたようにリタは言う。頬をなでる風も、照りつける日も、今の僕には以前とは別物のように色づいていた。同じ時を生きてくれる家族も、必死になって追いつこうとしてくれる後続も、一瞬の閃光のような輝きで魅せてくれる友も、そして、生きているという実感も手に入れた。時は過ぎ、誰もかれもがいなくなってしまったとしても、その事実はなくせない。一片たりとも漏らすことなく、あの黄金の図書館に記録されるのだろう。世界の一部とは言い難いあの場所に到達してしまった僕は、きっとどこまでいってもほんの少しだけずれた存在。そう、世界とあの場所の狭間で。
「……今度は絶望せずに済みそうだ」
「当たり前じゃ。有限である始祖の隷長の身では叶わなかったが、今の妾ならば言えよう。永久の時を共に行こうぞ、と」
「それこそ言うまでもない。忌々しくも精霊化すら退ける体だが、その点だけは感謝してもいいと思ってるよ」
「……そろそろ、その自虐もお終いにしなければな」
慈愛の笑みを向けてくる彼女も、以前とは違ってどこか嬉しそうだ。
「僕は僕か。だけど、どうにも頭で分かっていても抜けきらない。何せ千年物の悪癖だ」
「ならば、千年かけて強制すれば良い。時間はいくらでもある。妾も、いや妾たちもいつまででも付き合おう」
瞬間、森そのものの息吹を感じた。姿こそ見せてはいないが、それが彼らなりの同意で、感謝で、差し伸べた手の平で。
「世界が見方とは、何とも贅沢な話だ」
思わず口元が優しくゆがむ。なんとも歪な笑顔になってしまったが、初めて心から笑えたような、そんな気がした。僕を打倒した者達が作る世界は、きっと明るい。そんな未来に花を添えよう。誰かの葛藤を、偉業を、希望を。綴って未来の誰かに伝えよう。狭間に生きて、生きて、生きて、生き続ける。
「……いい絵だな」
指で作ったフレームに、今も微笑ましいじゃれあいを続ける姉妹を収める。遠い未来の誰かは、稀代の天才の素顔を知った時、いったいどんな顔をするのだろうか。そんな思考をしている自分が冗談のようで。
「ああ、なんて素晴らしい」
長いようで短かった世界を巻き込む舞台の結末は、少なくとも僕にとっては最上のものとなった。ともあれ、こうして幕は落ちる。森羅万象が小気味よく音を奏でて祝福する中、僕は初めて未来へと一歩を踏み出したのだ。
エピローグなので短めですが、一応完結です。
目次 感想へのリンク しおりを挟む