その背中は罪を背負い、手は血に染まっていた。 (黒樹)
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※人を選びます。ご注意ください
※シリアスに進みますが問題は抱えてます。
※桜満春夏に魅力を感じた人はこのまま匍匐前進で。


 

 

桜舞う季節。それは人生で新たなスタートを刻むに最も相応しい季節だろう。天王洲第一高校に無事、入学を果たした桜満集は流れ流されの平凡な生活を送る新一年生だ。同居人や義母とも関係は良好と思う。他人に迷惑を掛けずに生きて来たし、自分は比較的大人しい子供でわがままを言わないことには自信がある。集は少なくとも自分ではそう思っていた。

 

「集」

 

出された課題を片手間に処理していると、義母・桜満春夏から声が掛かった。振り返れば、春香と同居人兼幼馴染の霧崎音葉という男女比2:1のこの状況。音葉は名前からして女に間違われがちだが、外見も少し可愛らしいが、暦とした集と同じ高校一年男子生徒。そんな彼が春夏の隣にいるのは極普通の事だった。幼い頃からその光景を見ているし、仲睦まじいとは思う。しかし、最近は親密というか少し過度に春香が音葉に甘えるというらしからぬ光景を目にすることがある。もう一人の幼馴染には話しているが身内の恥のような、ただの話題のような、そんな気もするしただの愚痴と言えばそれまでだが。

 

「どうしたの?」

「ちょっと大事な話があって……」

「大事な話?」

 

珍しい。あまり訊かない単語だ。滅多にそんな話が家庭内で起こることはない。何だろうと首を傾げていると何故だか妙な気持ちになった。凄く嫌な予感というか、警鐘が頭の中で鳴り響くというか、言い表せない妙な感覚。

良い意味なのか悪い意味なのか、集の期待は義母の予想外の一言で裏切られる事になる。

 

「実はね……」

 

女性経験の浅く、薄い、集にとってその表情の意味はわからない。

どうして春夏が恋した乙女みたいな表情で恥じらっているのか。

疑問に思うだけで、結局答えに行き着いたのは、現実にその問題を突きつけられてからだった。

 

 

 

「私と音葉君はね、付き合ってるの」

 

 

 

「は?」と上手く声に出せれば良かったが、生憎と開いた口からは声は発せられなかった。集は言葉の意味を噛み砕いて呑み込んで流す事にした。そして、もう一度。

 

「えっと……えぇ?」

「男女間交際し・て・る・の」

 

やや駄々っ子のように宣言された言葉に集は困惑した。少し幼稚に可愛く振舞っている義母にどんな反応を返せと? 悩んだ末に二重で困惑してしまった後に、ズキリと頭痛が集を襲う。

 

–––痛い。

ズキッ。

–––イタすぎる。

ズキッ。

–––そもそもあれだ。その歳で可愛子ぶったって多少痛々しいだけで、後に消えない傷が残るだけだろ。

ズキッ。

–––何か忘れているような。

ズキズキッ。

–––なんだっけ?

ズキズキッ。

 

脳内を色褪せた記憶が駆け巡る。脳裏に蘇る光景の数々。

桜色の少女が微笑みながら、幸せそうに言うのだ。

 

–––私ね、音葉と結婚するの。

 

そう。姉だ。桜満真名。

なんで忘れていたのだろう。

大切な記憶なのに。大切な人なのに。

いろんなものを失ったクリスマスを。

僕は、忘却した–––。

 

集は失った記憶を思い出した。失っていた事を忘れていた。後悔をしていた事を忘れてしまっていた。

心にした蓋を取り外し、ようやく目の前の光景を理解する。

 

「あのさ、春夏」

「……う、うん」

「ちょっと隣のそいつ殴っていい?」

 

ダメよ。なんて言われても意見せざるを得ない。スノーホワイトの髪を撫でつけながら彼は何食わぬ顔で視線をソワソワと逸らしている。落ち着きがないのはいつもの事だが、許し難い事実が此処にある。

 

「なぁに、集?」

「うちの姉の次は春夏か! いったいどれだけうちの家族引っ掻き回したら気が済むんだよ!?」

「思い出したの集!?」

「最悪の形だったけどね! ってそれは今はいいんだよ!」

 

第一声がそれか。思わず集は地面を殴りたくなった。近所迷惑だから止めたが、さすがに声までは抑えられないのが現実だ。何処かで鬱憤を晴らさなければ気が済まなかった。

あぁ、本当に最悪だ。忘れていた自分もだが、よりにもよって義母からの秘密の告白で過去を思い出す事になるなんて。これを最悪と言わずして何と言おう。取り敢えず、行き場のない怒りを音葉に指を向ける事で軽減する。

 

「なんでよりによって春夏にいっちゃうかな? 学校ではモテてるのにおかしくない? というかおかしいでしょ!」

「お、落ち着いて集」

 

一度に大量の情報量を処理した集の脳はとっくに限界を迎えている。処理しきれていない半面、熱暴走を起こした頭は至って冷静だと本人は語るだろうが、無理がある。春夏の制止によってようやく落ち着きを取り戻した。思わず立ち上がった腰を落ち着けながらふぅと息を吐く。幸せが逃げると言うが、手遅れだ。

もう既に最終段階まで来ている彼に、事実は更なる追い討ちをかける。

 

「わ、私から迫ったの」

「そこは歳とか考えてよ!?」

「これでもまだ30手前なんだけど!」

「いや、でも、えぇ……?」

「春香さんは立派なレディだよ」

 

誰が可笑しいのか。僕なのだろうか。流れ流され歴の長い集にとってこの場は不利な立場にある。繰り返して来た思考がそれは可笑しくないものだと告げている、が。歳を踏み越えても義母という立場が脳を掠めた。同居人が同棲人に変わっていたとか洒落にならない。

 

「とにかく僕は認めないからね!」

 

 

 

❇︎

 

 

 

「はぁ~…………」

 

天王洲第一高校・1ー1。学校に逃げるように登校するなり机に突っ伏して盛大な溜息を吐く。家にいたら息詰まりそうでこうして早めにやって来たわけだが、ようやく冷静な思考を取り戻せた。自重しているつもりなのか知らないが春香は事あるごとに音葉にべったりで何度も心配そうに声を掛けてくるも集は課題をやっているから邪魔をしないで、と告げている。課題なんて無いわけだが、これも同じ高校一年の音葉には報告されているだろうから、実際そっとしておくという選択を取ったんだろうなと予想はつくけど。

 

「早いね、集」

 

突っ伏している集の頭越しに声が聞こえた。女性の声。幼馴染–––この前までは2人目のと思っていたが実際には3人目–––の祭が自分の机の横に立っていた。見上げる形で顔だけを上げた集は「なんだ祭か」と呟きながらも安心感を覚えていた。

少し幼い顔に高校生にしては大きな胸。自己主張はさることながらおさげの髪といつもの様子に母性のようなものを感じる。母親としてはこちらの方が上手のような、とは集の談だけではなく音葉も同意を示している。

もう一度、机に突っ伏して集は幼馴染に応えた。

 

「ちょっと色々あって……」

「落ち込んでるの?」

 

落ち込む、というか、へこむというか。

冷静になって考えてみれば別に悪いことではないのだ。小さな頃から育ててもらっていたし、迷惑や心配を掛けたことも少なからずはある。そうやって献身的に育ててもらったことに感謝はしているし、それが理由で恋も疎かにさせていたのは事実、一人で頑張らせ過ぎていた自覚もなくはない。

それにだ。ロストクリスマスを思い出した今、集にとって春夏と音葉は同じくして大切な人を失った悲しみをお互いの存在で癒しているように見える。傷の舐め合いといえば或いはそうなのかもしれないが、それでも心の拠り所となっているのは事実なのだから。

思えば、塞ぎ込んでいた時も、フォローしていたのは決まって音葉で自分は心配を掛けてばかりいた。そう考えると二人がくっつくのも仕方ないのかもしれない。

 

「春夏さんと何かあった?」

「えっ……!」

 

言い当てられて、思わず顔を上げるどころか姿勢を正してしまった。やっぱりと何かわかったような祭の表情に集は取り繕った笑みを向ける。幼馴染には敵わないなぁと思いながら、ははっと乾いた笑みを漏らした。

 

「春夏さんの秘密を知っちゃったとか」

「え、そんなのあるの?」

「まぁ、ね。……あ、わかった」

 

ずばり、と祭は腰に手を当ててずいっと集に顔を寄せて、

 

「春夏さんと音葉君が付き合っているのを知ったとか」

「えっ、な、なんで?」

 

知っているの。思わず口にしかけて閉じてしまった口をもう一度開けて、その様子を見た祭はふふっやったと問題が解けた子供のように喜ぶ。集にとっては喜べるべき問題とは言い難いが。今度こそ口にする。

 

「……なんで知ってるの?」

 

僕でさえ知らなかった事実を。家族なのに、隠していた事を他人に先に知られているのは少し不快だった。不本意だがそう感じた。集は困惑したまま祭の優しげな微笑みを見て、なんだか癒されるような気がした。

祭はうーんと唸りながら、記憶を手繰り寄せ、見た事実そのままを口にする。

 

「去年のクリスマスの後だったかな。二人が買い物してるの見たんだけど、その時にね、腕組んでたから。春夏さんも結構満更じゃない感じで自分からぐいぐい行ってたし」

「……確かに、見たことあるような気もするけど」

 

冷静に考えて。集が知らないだけでそういう兆候はあったのだ。ソファーや椅子に座るにしても必ず二人は隣になる。買い物も二人で行くことが多く集は誘われる度に断っていた。やたらと音葉の部屋から春夏が出てくる。仕事の鬱憤が溜まっているのか音葉に愚痴ったり甘える様子を見せている。等々。

気づく要素はあったのに集が目を逸らしていただけである。

 

「祭以外には?」

「颯太君も八尋君も知ってるよ」

「……知らなかったのって僕だけ?」

「みたいだね」

 

いや、でも、だって、家庭内でそんなことが起こってるってどうやったらその答えに辿り着くのだ? 想像すらもできなかったがなんとなく理解している自分に嫌気がさして、集は頭を抱えた。そりゃ幸せになって欲しいけど、何故よりによってこうなったのだ。それは一番自分がわかっていることも理解しているのだが。

 

「あの二人、いつからそんな関係なんだろう」

「去年のクリスマスだって。訊かなかったの?」

 

–––訊かなかったのではなく訊けなかった。とは、言えない。昨日からずっと避けているのは反抗期というかなんというか、そんな感じがして素直に言えなかった。ちょっとした意地が集にもある。祭にはバレバレだが。

 

「昨日はびっくりしちゃって……」

「そうだよねー。仮にも幼馴染が自分の義母と付き合っているなんて知ったら……あ、うん、動揺するよね」

 

同情した。心の底から集の心境を察した。

祭の脳内では自分の母親と集が付き合うという奇妙な妄想が繰り広げられて、顔を真っ赤にしながらぶんぶんと否定したのは乙女の複雑な心境なので余計な詮索は少し鈍感な集には思い至らなかった。

心此処に在らず、頭の中では沈静化したパニックに事実を突きつけられて逃げ場はもうない。

 

「おはよー」

 

疎らな教室に透き通るような美声が通った。中性的な(空気すらマイナスイオンに変換する女子寄り)声、中性的(むしろ美少女より)な顔とルックス、と美少女見間違う少年が教室に入ってくる。誰もが振り返り、挨拶をし、時には男子ですら近づくのを躊躇う程の彼は件の人物の一人である。

彼女と見間違う彼と言えば、教室に入るなり集の心中を察してか否かずんずんと目を逸らす集に近づく。ずいっと袋を差し出して少し不機嫌そうな顔だ。

 

「お弁当、忘れてるよ」

「……あ、ごめん」

 

客観的に見て、このやり取りが夫婦間のやり取りに見えなくもない。霧崎音葉が男子だと知らない者は皆、羨ましそうに集を睨んだ。–––後に性別は関係ないと語り出すアブノーマルが増える。これは、予言ではなく祭の経験則だ。中学時代はそういう音葉の魔性に引き寄せられる犠牲者が後を絶たなかった事実さえ、英雄譚として語られるほど、犠牲者は心酔していた。

女の子らしい仕草。きっとそれがとどめを刺しているのだと祭は指摘できない。しても意味がないからだ。

 

「一応、言っておくんだけど。あの人は独りで抱え込み過ぎた。この意味はわかるよね?」

「……わかってるよ。全部」

「だから、荷物を半分持つくらいのことはやるし、私はあの人に幸せになって欲しいからその為だけに行動する。もうこれ以上大切な人を悲しませるような真似はしたくない」

「じゃあ、音葉は好きな人ができたらどうするの? 本当の意味で好きな人に巡り合ったら」

「そこは春香さんもわかってるよ。……まぁ、どちらも手放すつもりはないけどね」

「いや、あのさ、せめて納得させようとかそんな気はないの? 何言いに来たの? 美少女面して何言ってんの?」

「因みに、春夏さんは私に他にも好きな人が出来たら嫉妬しちゃうってさ。可愛くない?」

「だからお前何言ってんの!?」

 

喧嘩を売りに来たのか。宣戦布告か。浮気宣告か。三つ目なら喜べるのだがそれはそれで複雑なところ、集もあるところでは義母を思いやっているのだ。ついでに義母がかなり本気な事も理解している。

そして、これがほんの序章に過ぎない事は今の集にとって予想できる筈もなかった。

 

 




アルターエゴ買いました。完全生産限定盤。
いい新年を迎えられましたね。


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罪〜強奪〜

 

 

 

霧崎音葉の朝は一杯の紅茶から始まる。……というのは妄想であり、理想であり、幻想に過ぎない。朝起きれば、隣には幼馴染の義母である春夏が緩んだ頰を必死になって戻しながら此方を見て来ていた。下着姿が家でのスタイルでかなりズボラなのか服は脱ぎ捨てて床に転がるのが常だ。

 

外見は美少女。だが、心は確実に男の子な霧崎音葉にとってこの光景は目に毒だ。いくら見慣れているからと言って長時間の直視はかなり危険である。

 

6:18.

時計が差すのはまだ学校に行くよりも早い時間帯。

霧崎音葉は朝に弱い。

力なく伸ばした手でアラームを消しておく。

 

 

「ね…む…い…」

「私がシャワーを浴び終えるまでに起きてること。いいわね?」

 

退室して朝のシャワーに行く春夏を見送りながら這い出すように布団から出る。服を用意していない彼女の代わりに音葉は取り敢えず目に付いた清潔な衣服を箪笥やクローゼットから選ぶ。そんな日常的にやっているような物怖じしない音葉の隣に浮いているピンク髪の少女が手元を覗き込む。半透明な体。透き通るような肌と瞳は何処か幻想的な雰囲気を醸し出している。彼女はにんまりと人の悪い笑みを浮かべる。

 

『黒ね』

「言っておくけど、選んでるわけじゃないの」

『あら、どうかしら』

「最初に手に取ったものの上下を探しているだけだから」

『ふーん。そう』

 

ニヤニヤとした笑みをやめない少女。彼女の名前は桜満真名。数年前のロストクリスマスで死んでしまった音葉の元恋人だ。真名の恋人が音葉と言った方が正確かもしれないが。彼女は死んだ今も現世に居着いている。それも音葉の魂そのものに粘着する形で。

 

『今日の私は何色だと思う?』

「さぁ、何色だろう」

 

スカートをひらひらと捲ったり離したり真名が挑発を仕掛ける。相手をしたら思うツボだと学習している音葉はポーカーフェイスでそう答えたのだった。不機嫌そうに真名は背後から抱き着いてくる。腕を前に回して甘えるような仕草、耳を甘噛みしたり頰を擦り付けたり、ご機嫌は良好な方に回復した。

 

「朝からベタベタしない」

『死んでも一緒って言ったじゃない』

 

いやー、愛されてるね。なんて冗談半分で受け流す。ガチャリ、と扉が開く音が背後から。振り返るとさっきシャワーを浴びるために部屋を出た春夏が部屋を覗き込むようにして立っていた。

 

「そうだ、インターフェイス……完成したわよ」

「じゃあ、近日中に盗りに行きますね」

「……気をつけてね。子供と言えど、容赦はしないだろうから」

「大丈夫ですよ。……スケープゴートは用意してあるんで」

 

まるでその場には一人しかいないような態度で音葉を見つめる春夏はそれだけ言うと去って行く。

彼女を貫通した視線は、仕方ないことなのかもしれない。それでもやはり胸に痛みを覚えて、胸元の布地を握り締め歯軋りの音が二人だけの部屋に木霊した。

 

 

 

 

 

❇︎

 

 

 

 

 

警報が鳴り響く。GHQセフィラゲノミクス。春夏の勤め先を悠々と歩く白髪の彼を不審人物として扱う者はいない。それどころかまるで見えていないように隣を通り過ぎて行く。警報によって警戒地点へと走る兵士達を尻目に、冷笑とも見える微笑を浮かべて踊るようにステップを踏んで行く。

 

『いつからこんな酷い事出来るような子になっちゃったのかしら』

「さぁ、少なくとも真名の所為で性格は歪んだかもね」

『えー。ちょっと着せ替え人形にしただけじゃない。集もトリトンも嫌がるから、消去法で貴女しかいなかったのよ』

「女の子の仕草も作法も教え込もうとしたよね。そのせいで、自分を『私』としか呼べなくなったんだけど」

 

成長したら余計に女々しくなって絶望するかと思いきや、耐性が付いていた所為であまり抵抗はなかったものの。

今回の作戦について、真名は利用されたテロリストに同情を覚え始めていた。

 

「ツグミ、進行状況はどう?」

『音にぃ。こっちは苦戦中。なんでそっちには兵隊が行かないのよ』

 

耳につけた通信機から紛う事なき少女の声。かなりあどけない声だ。

 

「もう少し計画は詰めないと。あ、下層E-02の監視カメラとか諸々シャットアウトしてくれる?」

『早っ。保って30秒よ』

「十分。終わったら葬儀社の方に専念よろしく」

『約束、デートだからね』

「ツグミン愛してる」

 

通信は終了し、周囲の警報装置、監視カメラ、電源全てが落とされる。この区画だけは特別なようで非常用予備電源が入り薄明かりが灯った。

目の前の鉄扉に手を触れる。軽く触れただけでぐにゃりと壁は歪む。口角を吊り上げながらクールに無音で壁を破壊する。大きな魔法陣が展開し、消えた。

 

「……本当に趣味が悪い」

 

部屋に足を踏み入れて第一声がそれだった。培養液のようなエメラルドグリーンの液体と、その中心に鎮座する機械製の拘束具のような装置の中には裸の少女が胎児のように丸まっていた。真名が生きていれば年齢はそのくらいだろうか。かなり似た容姿の別の人型、桜色の髪の少女を見て同じく桜色の髪の少女はあられもない姿に魅入る。

 

『私の模造品、か……これ私のからだにしちゃってい?』

「ダーメ。自我があるのなら私が育てる。もう二度と同じ結末は辿らない」

『えー、ぶーぶー。私としたくないの?』

「馬鹿言ってないで撤退するよ」

『葬儀社に罪擦りつけて?』

「どうせやるつもりだったんでしょう。なら、免罪にはならないでしょ」

『まったく酷いんだから』

 

お姉ちゃんはそんな子に育てた覚えはありません、と腰に手を当てて説教してくるが育てられた覚えもなく–––むしろ調教された感があるが真名の言葉を無視した。

液体の上に足を踏み出す。すると、どういうことか足は沈む気配がなかった。波紋が広がりそのままゆっくりと歩き少女の元へと接近し、真下へと到着すると手を伸ばし拘束具がバラバラに崩れ落ちた。崩れ落ちる鉄片の中から少女だけを掬い上げて着ていたコートを羽織らせる。男性としては好ましい状況であるが状況を選ばないほど馬鹿ではない。

 

「おまえは誰だ!?」

 

一安心したのも束の間、広間に男性の声が響いた。

情報は把握している。金髪の男は葬儀社・リーダー、恙神涯。

加えて四分儀と月島アルゴ。

なるほど、面倒な面子が出しゃばってきた。

 

「私は私。それ以外に答えは必要?」

「……その手にある少女を渡せ」

「却下、と言ったら?」

「実力行使だ」

 

彼らの求めるもの。それはこちら側にある。だというのに、問答無用で銃を構えたかと思うと発砲。コンマ0.3の常人なら躱せないような精密射撃を霧崎音葉の脳天へと迫らせ、直撃は必至かと思われたが何もせずに銃弾は逸れた。

 

「これは警告だ。怪我をしたくなかったらさっさと渡せ」

「優しいのね、お前」

「無駄口を叩く暇があったら–––」

「残念、時間切れ」

 

少女を横抱きにしたまま音葉は地面を破壊した。上がる粒子の煙に残された三人は目を守りながらも消えた行方を追って粉塵が収まる頃には誰の姿もなかった。通信機から仲間の声が聞こえる。時間切れだと。任務の失敗に歯軋りをしながら涯は撤退を始めた。

 

 

 

 

 

❇︎

 

 

 

 

 

少女が目を覚ましたのは深夜を過ぎてからだった。弱々しく布団を払い除けて自分の姿を見下ろす。一糸纏わぬ裸体を見て首を傾げるものの、状況は把握出来なかった。自分がどうして此処にいるのか。自分は誰なのか。どうして裸なのか。絶えない疑問に寝惚けた思考を覚醒させようとするも、言えるのは一つだけ。

 

「何もない……」

「あっ、起きた?」

 

再度、首を傾げる少女に音葉は挨拶代わりに問い掛けた。意味などない、自分を認識させるための声掛けに想像以上に少女が肩を跳ねさせた。急いで裸体を隠すあたり羞恥心はあるのだろう。赤児レベルの知能なら困っていたところだ。

 

「あなたはダレ?」

「私は霧崎音葉。男だよ」

 

悲しいことに自己紹介をする時は性別について自己申告をしなければならない。これは長年でついた癖だ。

 

「君の名前は?」

「私は……ない。何も、ないの」

「じゃあ、私がつけようか」

 

急遽考えられた名前は願望、とも取れるような。

或いは、彼女に願う、彼女への願いそのもの。

 

「いのり。……どう?」

「いの、り…いのり…いのり…」

 

コクン、と満足したように頷いた。無表情で反芻しては飴玉を転がすように何度も自分の名前を呼び続ける。不意に少女–––いのりは音葉を見つめた。ぐぎゅる〜と可愛らしい音が鳴った。

 

「お風呂入っておいで。ご飯は用意しとくから。深夜だから軽めのものしかしないけど」

「お風呂……?」

「なるほど。一般常識は曖昧なわけか」

 

いのりが起きるまで迂闊に動けなかった音葉はシャワーを浴びていない。取り敢えず、二人分の着替えを用意していのりを案内すると自分の衣服を脱いで裸のままの彼女に中に入るよう勧めた。ついでに誰でも彼でも一緒に入浴をしないようにと釘を指す。簡単に自分の身体を洗ってみせて実践してもらう形式で入浴を終えると今度は軽食の準備。おにぎりを2つ、漬け物を少量。いのりは黙々と完食してしまった。

 

「夜も遅いし、そろそろ寝ましょう」

 

部屋の用意をしてなかったので、必然的に春夏と音葉どちらかの部屋となる。春夏は残業で泊まり込みの仕事に追われていて今はいないのでどちらかが春夏の部屋を使うことになる。しかし、おそらく春夏の部屋は悲惨なことになっているので案内はできない。消去法で自分の部屋を差し出すことになった。

 

「ここ使って。私は別の部屋で寝るから」

「……」

「どうしたの?」

 

退室しようと扉の方に歩こうとすると、袖をぐいっと引っ張られた。振り返ればいのりが必死に抵抗している。

 

「独りは…嫌」

 

一瞬、きゅんとしてしまった。最初から可愛いのはわかっていたが不意打ちは流石にクリティカルヒットだ。無表情で見上げられるのも何考えているかわからないが、それを補って余りある言葉の破壊力。この時、音葉の常識やら倫理やら何もかもが吹き飛んだ。

 

「もー、可愛いなぁもぉ」

「…苦しい」

 

思わず抱き着いてきた音葉に抵抗することなく主張すると、我に帰った音葉がいのりの拘束を解く。

 

「さ、寝ましょうか」

「…うん」

 

ベッドの奥側にいのりを誘導して、音葉が手前側に陣取る。布団をかぶるといのりは音葉に身を寄せるように接近した。

 

「……落ち着く」

 

理由はわからない。けれど、一緒にいると安らぐ。自分の居る場所が彼の隣で良かったと改めて思いながら眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

翌日。6時に目覚まし時計の音で目を覚ましたいのりは目覚まし時計の音を止めた。寝惚け眼でのそりと起き上がるとフラフラ部屋の外に出て状況を確認する。辺りを見回していると別の扉が鳴った。硬直しているとその部屋から同年代の男が出て来る。お互いにバッチリ目が合い欠伸をしていた男は大口を開けたまま固まってしまった。

すぐさま後退して、いのりは扉を閉めるとまだ寝ている音葉を揺り起こす。軽くパニックを起こしている彼女は起きるまで揺り起こし続けた。結果、朝弱い音葉を叩き起こす事に成功した。

 

「待って…買い物は午後から…眠らせて」

「起きて。…誰かいたの」

「男? 女?」

「……女?」

 

この時、既にいのりの中で男女は逆転していた。初めて見た男が霧崎音葉という異常性故の誤解だった。

 

「春夏さんじゃないかな。帰ってきてたの…」

「誰?」

「保護者的な立場の人」

 

簡潔に説明を終えると再び眠りに就こうとする。誤解が誤解を生む形になったがいのりは納得して布団に入った。

こうして出来たいのりの誤解と集の抱いた謎が解けたのは集が学校から帰宅した夕方過ぎの事だった。



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cheat code

 

 

 

「……学校に行きたい」

 

突然、いのりはそんなことを言い出した。普段は自己主張すらせず音葉の近くで寄り添ってあやとりや歌を唄う彼女であったが、こうして何かを要求するのは初めてのことだった。少し驚いて音葉はいのりの顔を見つめる。いったいどうしてそんなこと言い出したのかと。

 

「急にどうしたの?」

「……だって、私に付き添っているから学校に行ってないって」

「そんな心配しなくてもいいのに……」

 

確かに、いのりの警護という理由で彼女の側を離れられないのは事実。かと言って、彼女を家の中でしか活動できないようにするというのは音葉の幸せにするという目的とはかけ離れていると思う。外の世界に触れることを欲しているのなら、自分が警護に付きながら外出させた方が安心なのは明白。事情も何も知らない集と出掛けるというのは言語道断。むしろ手を出したら八つ裂きにするくらいの忠告はしてある。

音葉は考えた。手はないでもない。同じクラスにするのも容易だ。それにはツテを最大限に利用することになるが、借りを作るきっかけにもなり兼ねない。いのりと天秤に掛けた結果、重要性はいのりの方が高かった。

 

「OK.その前にテストしましょう」

「…何をするの?」

「ちょっとした学力テストよ。せめて赤点を取らないくらいにはなってもらわないと困るから」

 

簡単に現在学校で使用している問題集を用意する。まとめ問題のページだけを抜き出していのりに差し出す。正直、理数系以外は集に教わった方がいいと思ったので適当に出しただけだ。音葉は理数系以外の成績があまり良くない。

 

「…できた」

「少なくとも100問はあったのだけど」

 

終わったとのことで問題集を全部答えと照らし合わせてみる。意外な事に全問正解。学力的には集も音葉も遠く及ばなかった。

 

「……ごめんなさい。勉強教えてくれない?」

 

膝から崩れ落ちた音葉は切実に頼んだ。

学校を休んで一週間、本格的に英文等の科目がヤバかった。

 

 

 

 

 

❇︎

 

 

 

 

 

供奉院。表でその名を知らぬ者はいないだろう。数多くの企業グループを牛耳る代表で、クホウイングループと総じて呼ばれる事が世界で精通しており天王洲第一高校では出資も行なっている大株主だ。裏でもその名を知らぬ者はいない。特に音葉にとって縁深いのは表ではなく裏の供奉院の方だった。

 

「相変わらず大きい屋敷ね」

 

供奉院邸。ここに来るのは四度目くらいだろうか。いずれにせよ裏の事情で通い詰めていた為に道に迷うことはなかったが、入るのを気後れするような趣味の悪い家だと思った。やたらデカくて掃除をするだけでも一苦労なその外観に呆れてモノも言えない。

事前に連絡はしてある為に不在ということはないだろう。仕事を蹴ってまで時間を用意してくれたというのだからこちらも遅れるわけにはいかない。意を決して呼び鈴を鳴らす。そうすると歳若い女性の声が–––というか、学校でも訊き慣れている声が出迎えた。

 

『はい? どちら様でしょうか』

「霧崎音葉です。ハロー、生徒会長」

『……お祖父様が大切な来客だからと予定をキャンセルしたけど、貴女だったのね』

「まぁ、そこまでたいした用じゃないんだけど」

『待って。いま開けるわ』

 

鉄柵が自動で開く。大きな音に耳を塞ぎながら稼働が終わるのを待つ。開いた後でゆっくり門を通るとそのまま庭を突き進み屋敷の扉の前へ着いた。

コンコン、と今度はノブをノック。

一分程で木製の扉は開き、横に並ぶメイドとSP達が整列している姿が。

 

「ようこそおいでくださいました。音葉様」

 

一字一句違わず、声を揃えて、動作もぴったりとあったお辞儀。

毎回ながら、居心地が悪くなる光景だった。

 

「いらっしゃい。音葉君。お祖父様がお待ちよ」

「毎回思うんですけどなんとかならないですかね、これ。亞里沙先輩」

「供奉院にとって貴女がそれだけ特別ということよ」

「特別悪意でも込めてるって意味ですか」

 

胃薬が欲しくなる話だ。いや、頭痛役の方が今は役にたつかもしれない。

供奉院亞里沙の先導で屋敷の中を歩く。いつものことながらだだっ広い屋敷に退屈に目を向けながら応接室へと向かった。

 

「お祖父様、お連れしました」

「入れ」

 

木製のドアをノックし、礼儀正しい所作で亞理沙が入室する。中から聞こえた声といえば貫禄のある爺の声だ。相変わらずだなぁと音葉はなんともいえない気持ちになる。扉の先で待っていたのはやはり初老を既に超えた爺だ。

 

「よく来たな霧崎殿」

「今日は時間を作ってくれてありがと、おじさま」

「相変わらずおぬしは歳をとると性別がはっきりしなくなるのぉ」

「褒め言葉として受け取っておくわね」

 

対面のソファーへと座り、すかさずお茶が出て来る。好みは熟知しているのか紅茶だ。そして、やはり金持ちか高級品の類を平然と用意してくれる。

 

「それで早速で悪いけど、今日はお願いがあって来たの」

「珍しいな。こちらで叶えられるものなら叶えよう」

「まだ何も言ってないんだけど」

「こちらも世話になっておるからな」

 

取り敢えず、願いだけを叶えてさっさと帰ってしまいたい気分だった。今後とも宜しくとも意味合いの取れる言葉を聞き流して、音葉は本題を切り出した。

 

「実は、私のお願いというのは一人天王洲第一高校に転入……させたい子がいるの。私と同じクラスで、三年間同じにしてくれると助かるんだけど」

「なんだ、そんなもので良いのか?」

「もし得られるのならGHQの動きに関しての情報も逐一欲しいわ」

「うむ、手配しよう」

「じゃあ、私はもう帰るから」

「……まぁ、待て。もう少しじっくり話をしようではないか」

「……例えば?」

「うちの孫娘と婚姻–––」

「確かに綺麗で可愛くてエロくて素敵ですけど、その話はまたの機会に」

 

音葉は逃げるようにその場を後にした。

 

 

 

 

 

❇︎

 

 

 

 

 

「それでは転校生を紹介する」

 

天王洲第一高校・1ー1の教室は今朝からかなり賑わっていた。理由は見ての通り、『転校生の話題』についていつもはさほど高くないテンションはこれほどかと上がっていた。音葉は朝から一緒に登校して来たし驚く程でもないが、かなりの騒めきに少し苛立っていた。

トントントントントントン。リズミカルに机を叩く指の音など周りのクラスメイト達からすれば話題の方が重要なようで、耳にも入っていない様子だった。

そして、時は来た–––。

教師の入室を促す言葉に反応して桜色の髪の少女が入室する。それだけで教室は静寂に包まれた。

 

「うおおおぉぉぉ! 可愛い!!」

 

直後に爆発した。

思わず、音葉は耳を抑えて机に突っ伏した。

魂館颯太だったか、彼のブラックリスト入りは確定した。

 

「楪いのりです。…よろしくお願いします」

 

二度目の爆発が起こる。あれか。一々爆発しないと生きれないのか? 大音量で雑音を流された気分になりながら音葉は深く机に沈み込む。本格的に頭痛薬が欲しくなって来たところだった。

 

「席は……ちょうど霧崎の隣が空いてるからそこに」

 

指定された席は教室の角の窓際にいる音葉の隣。教師の指示でゆっくりといのりは歩いて行く。これも数日前に決まったことだが、急な席替えを行い事前に隣は開けられていた。転校生が来る、という理由は教師側に伝えられたもので教師側も不審には思ってもいない。その全てが一人のクラスメイトのせいだとは誰も露ほども思わないだろう。

 

「……音葉、疲れてるみたい」

「まさか男子がここまで枯れてるとは思ってなくてね」

「…膝枕、する?」

 

もちろんお願いした。

 

 

 

邪魔者(教師)がいなくなれば飢えた狼が我先にといのりに押し寄せる。しかし、大半の男子は意気地無しが多くむしろ女子の方が近寄り易いことで言えばそれが自然だった。魂館颯太はその狼の一人。ここぞという時にばかり勇気を発する。

 

「はいはい、楪さんは何処に住んでるの!?」

 

男子生徒の大半の耳が反応した。

押し寄せる質問にいのりは静かな様子で受け止める。きっと殆ど何も考えていない表情で、彼女は隣で頬杖をついている音葉に視線を送るもたいした意味などないのだろう。首を傾げて見せるといのりは質問に戻る。

 

「音葉と同じ…部屋も一緒」

「え、えぇ? ちょっ、どういうことだよそれ!?」

 

男子生徒……どころか女子生徒の心中も代弁したかのようなセリフ。颯太は音葉に詰め寄るのではなく、同居人の集へと詰め寄った。

 

「どうって言われても……ねぇ?」

 

集は助けてくれと言わんばかりに音葉に視線を向ける。集自身もまだ姉に似た少女をいきなり連れて来られて意味も何もわかっていないのだから、どう説明をすればいいのかも検討がつかない。

そんな困惑している集と比べて堂々とした態度で音葉は答えた。

 

「一緒に住んでいることに横槍を入れられる筋合いはないのだけど」

「……実は兄妹とか?」

「そんなわけないでしょ」

 

むしろ姉妹というなら音葉の視界に今も浮遊している幽霊もどきの真名といのりが、と言われた方がしっくりくる気がした。

 

「だったらなんだってんだよ!? 転校生がかなり可愛い子だったのにお手つき済みとか酷過ぎんだろうがチクショウ!」

「手ェ出したらそのナニ斬り落とすから。……他の男子も余計なことはしないことね」

「イェス・マム!」

 

正確には「イエッサー」だが敢えて音葉は無視した。最近、女王様もかくや呼ばれることの多い彼は女磨きというかなんというか変な方向に覚醒しつつある。もちろん心は男子だ。だというのに誰が見ても女子と言う。素性を隠すには性別を逆に気取ることで裏では動きやすくしているがその癖が最近、表にも反映しているせいなのかもしれないが。

 

「もう質問がないなら、切るわよ」

「ちょっ、待った、あと一つだけ」

 

最後の質問となる。指を一本立ててそう主張するもこれで本当に終わるだろうか。いのりは人に初めて大量に囲まれて疲弊しているように見えた。

 

「ズバリ、楪さんの好みの男子は!」

 

そんなこと思いつきもしなかった。音葉にも興味のある案件だ。いのりに向き直ると彼女も音葉を見つめていた。

 

「…音葉みたいな人」

「……無理だ」

 

クラス中の男子生徒が崩れ落ちた。

 

 

 

下校時間になり、電車に乗って二人帰路に着く。音葉の後ろをついて回るいのりの様子に何処か微笑ましい様子で見送ったクラスメイト達と別れて簡単な買い物を終えると、マンションに帰れたのは夕暮れ、指紋認証システムに手をかざして電子ロックを開けて中に入り、さっさと着替えに行ってしまったいのり。その着替えを待つ間に買い物で今日買った食材などを冷蔵庫にしまった。

 

「…音葉」

「早いね。なに?」

「座って」

 

女の子にしては早着替えないのりにびっくりしていると、ソファーに座ったいのりが隣をポンポンと叩く。促されるままに座ると今度は引っ張られて膝枕された。

 

「初日、どうだった?」

「…楽しかった」

 

淡白な感想。それでも少し緩んだ口元を見れば本気だと言うことが伝わってくる。それなら良かった、と自然と音葉の口元も緩んだ。

 

「まだ楽しいことはあるよ。体育祭に文化祭、修学旅行に林間学校もあるらしいし」

「でも、少しだけ…疲れた…かも」

「ゆっくりお休み。初めて大勢に囲まれたんだから」

 

精神的な疲労は時に肉体的な疲労よりも色濃く出る場合がある。こうやっていのり自身に興味を持つ人間との接触は初めてだったのだろう。受け答えだけでかなり消耗したいのりはそのままぐっすりと眠ってしまった。

膝枕も名残惜しかったが起き上がって、いのりを部屋へと連れて行く。ベッドに寝かせて布団を掛けたところで突然、目眩に襲われ足元がふらついた。

 

「あっ、まず……」

 

片腕をベッドに突いた。膝から崩れ落ちる。急激な痛みと発熱が襲う。

 

「……発作が、始まっ、た……」

 

あの日からずっと、一定周期で来る症状。

渇き。痛み。苦しみ。

薬も何も効かない病名不明のそれは、体表に紫の結晶を作る。

アポカリプスが体を蝕む。

 

『……またはじまったのね。大丈夫よ。貴女がそれに殺されることはないもの』

 

ひんやりとした幽霊の手が額を撫でた。

朦朧とした意識の中、その感触だけが光のような。

錯覚の中で音葉は眠りに落ちた。

 



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初めての看護

 

 

「……大丈夫?」

 

何回同じ事を訊いたのだろう。夜になって異変に気付いたいのりはすぐさま集を呼び、ベッドの上に倒れた音葉を運ばせた。目は覚ましたもののその前は酷い魘されようだった事を考えるとかなり普通じゃないことは明らかだ。

翌日まで様子を見た結果、学校は無理という音葉の自己主張と、これまで何度もあったという集の発言からいのりはずっとベッドの隣を離れることはなくなった。心配、しているのだと思う。いや、心配だ。あまり感情表現の豊かではないいのりでも行動がそう物語っていた。

 

「春香には……」

「言わないで。お願いだから」

「でも……」

「毎回同じでしょう。こんな事で心配は掛けたくないの。お前ならわかるでしょ」

 

一度だけ、春香に心配されてメディカルチェックを受けさせられた事もある。その時はかなり心配を掛けさせた。真名の事もあり桜満春香はアポカリプスに非常に過敏だ。きっとバレて仕舞えば、根を詰めることになりかねない。傷つけることに直結する。それは二人の共通認識だ。

 

「じゃあ、僕は学校に行くから……何か食べたいものはある?」

「急に優しくなってどういうつもりかしら。私に気があるの?」

「冗談言う余裕があるなら大丈夫だよね。あと、一応否定しておくけど男にそんな気起こさないよ」

「おまえの好きな人は祭だから?」

「同性は対象外だって言ってんの!」

 

裏工作に裏工作を重ねて祭の恋を応援すること約二年程。実に長かった。と、音葉は記憶している。集がかなりの鈍感で骨を折ったのは祭ではなく音葉だった。……結局のところまだくっついてはいないが。

怒った風に扉を開けて、閉める時には静かに閉める。病人に対してとことん優しいのが集だ。扉を閉める時にはからかわれた時の興奮は無くして平常心を保つことに徹した。何より慣れた遣り取りだから。そして、音葉が弱っている姿を誰にも見せたくないのは理解しているから。無理をしているから。長年の付き合いは伊達じゃない。

 

「……大丈夫?」

 

いのりはそれ以外に掛ける言葉を知らない。何度だって問い掛ける。目に見えて弱っている音葉の様子に言葉と行動が裏腹なのを理解していた。

 

「……平気、と言いたいところだけどちょっとキツイかも」

「何かできること…ない?」

「……」

 

いのりの手が見えた。弱っている時こそ病人は少し心細さを思い出すものだった。無言で音葉はいのりの手を掴む。その手の力は弱々しく握り返さないとすぐに離れてしまうほどに。

 

「……いのりに触れていると不思議と落ち着く。歌を唄ってくれないかしら。眠れるような…そういう歌を」

「…わかった」

 

斯くしていのりは歌い始める。

この場にそぐわない鎮魂歌を。

しかし、それは……鎮めるには十分だった。

苦しみから和らいだ音葉の表情を見ていのりは僅かに頰を緩める。

歌は、染み渡る。

 

 

 

 

 

❇︎

 

 

 

 

「……ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさいっ」

 

魘されていたのはいつからだろう。いのりが気付いた時にはもう額に脂汗を滲ませ、譫言を……謝罪を口にしていた。音葉は目覚めていないというのに、状況は悪化するばかり。一時は容態は安定していたものの急激な変化に彼女は戸惑う。

 

「……音葉?」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 

呼び掛けても返事はなく、涙を流しながら赦しを乞う。

これ以上、何をすればいいのだろうか。

手を握る、額を拭く、呼び掛ける。

そのどれもが効果を成さない。

困り果てた挙句、思い出したのはひとつだけ。

汗を拭いた額に自分の額を合わせた。

 

「…大丈夫。独りじゃない」

 

なんとなくこうしたかった。理由はいのり自身にもわからない。けれど、微かに譫言は小さくなり苦痛に歪めていた表情はどこか和らいだようだった。

根本的な解決には至っていない。だけど、どうしようもない。そんな時に思い出したのはとても親切にしてくれたクラスメイトの顔だ。いのりはすぐさま思いついたままに携帯端末を手にする。買い与えられた自分の端末には今眠っている病人の連絡先と住人達の連絡先、と一人だけクラスメイトの連絡先を交換していた。校条祭という文字を見つけて確認するとタップ。授業とか休み時間とかそういう遠慮は完全に忘れていた。

 

『初めて連絡くれたね、いのりさん』

 

お互いにとって幸か不幸か出られる状況だったらしく、2.3回のコールの後に通話口から声が聞こえた。いのりは数秒フリーズして通話口の相手の名前を思い出した。

 

「……祭、どうしたらいい?」

『どうしたの? 音葉君に何かあった?』

 

何気ない会話から音葉の欠席は集に訊いていた結果、いのりの焦った様子もない声のトーンに対応できた。これがもし春香や他の人間であれば理解はできなかっだろう。事情も何も知らない人にとって早急過ぎるいのりの話し方は対応に困るものだった。

 

「うなされてる」

『うーん、熱は測った? 汗とかは?』

「……わからない。べったりしてる」

『病院とかには当然行ってないんだよね……』

「…連れて行った方がいいの?」

『でも、いつものことだから……治るとは思うんだけど。念のために出来る限りの看護はしておいた方がいいとは思う』

「…何をすればいい?」

『取り敢えず、熱を測って…起きられるなら汗を拭いてあげて…できれば着替えさせることができたらベストなんだけど。いっぱい汗をかかせて悪いものを追い払うには…裸で抱き着くとか? ほら、人の肌で温めるのが一番いいっていうし、抱き締められると安心するでしょ!』

 

いったい誰に言い訳をしているのか祭は早口になって妙に興奮しているように思う。理由はいのりには見当もつかなかったが聞きたいことは聞けたので通話を切った。電波の向こうで祭が焦るのもお構いなく、やることは決まったとばかりに用意をする。

静かな部屋にコール音が鳴る。端末が着信を報せたのを確認するといのりは掛けてきた相手の登録名を見た。それは先程、頼った相手の祭だったので応答しようと端末を操作する。

 

「……切れた」

 

しかし、電話の掛け方を教えて貰いながら出方を知らない彼女は着信拒否のボタンを押した。電波の向こうで祭が切られたことに傷つくのをいざ知らず、端末を放り投げる。

洗面器を用意して、タオルを一枚浸して、絞って……。最後に準備ができたところで音葉を起こす。

 

「起きて。音葉」

「……真名?」

 

誰かと間違えているようだった。意識ははっきりしない、目が虚で焦点も合っていない。誰かの名前を呼んで縋るように抱き着く音葉に複雑な感情を抱きながら、いのりは背中を撫でる。

 

「汗が拭けないから…離れて」

「もう二度と手放さない。もう二度と繰り返さない…やだ」

 

ぎゅっと抱擁が激しくなった。会話が成り立っているようで成り立っていない。そんな追い込まれた状態の音葉に対していのりは軽く抱き締め返してみる。

 

「…どこにも行かないから、離れて」

「……」

 

今度は簡単に剥がせた。

パジャマのボタンを外して服を脱がせる。

華奢な躰つきなのにどこか力強い身体。

その肌を洗面器にて水に浸しよく絞ったタオルで拭いていく。

 

「つぎ」

 

ベッドに音葉を押し倒して下半身も脱がせる。いのりには無い何かが顔を出したが硬直は数秒で解けた。一度、風呂場で目にしている上に事態は急務であることから平然とスルーする。興味が湧かなかったわけでは無いがそれどころではなかった。

 

『そう、優しくよ優しく! そこは女の子と同じようにデリケートなんだから』

 

何やら音葉の下半身を見て熱を発する幽霊がいるがいのりには見えないし聞こえない。少し暑くなった気はしたが気のせいだと看病に徹した。

拭き終わるのに5分くらい。

しっかりと全身を余すところなく拭いた後で疲れ切った彼女は服を着せる面倒さに気づいた。でも、祭に教わった通りなら裸で……肌を合わせれば効率はいいらしい。とにかく理論的なことはわからない。それでも結果、よくなるということが理解できたいのりは適当に片付けて服を脱いだ。それに看病に少し疲れたというのもある。恥ずかしいものの見られていないという状況に正常な判断をどこか失っているいのりは同じ布団に入り、音葉を抱き締める。

 

「熱い……あっ」

 

そういえば体温を測っていなかったことを思い出して、体温計を手元に手繰り寄せた。音葉の脇に差し込むこと数分、ピピッと音が鳴る。測定終了の合図にいのりは体温計を見た。温度は35.2℃。

 

「……わかんない」

 

次に自分の体温を測って差があまり無いことに気づいた。理屈や何もかもがいのりには全てがわからなかった。なんで裸で抱き合うと具合は良くなるのか。

しかし、理由はどうあれ音葉の症状はいのりが肌を合わせたことにより急激に良くなった。幸運な事にいのりにはアポカリプスウイルスを抑制する力がある。そんな事はつゆ知らず。結果的に和らいだ音葉の表情に満足したいのりは同じく眠りに落ちた。

 

彼女は、アダムとイヴの夢を見る。

アダムと同じ夢を共有する。

音葉が見た夢をそのまま、見たままに。

 

 

 

 

 

ガチャ。という玄関のドアを開ける音でいのりは目を覚ました。ぞろぞろと廊下を進む音が次第に大きくなり意識は少しずつ覚醒していく。複数人いるようで会話からすると男が三人、女が一人。いのりはぼーっとする頭でなんとなく数を数えて、その気配がこの部屋に向かっている事に気付いた。

 

「音葉君、だいじょー…ぶ…?」

 

最初に入ってきたのは祭だった。まずは一番無難な人間からということだろう。一番病人に対して気遣いが出来る人間は誰かと訊かれれば保健委員の彼女しかいない。

それに続いて、颯太、谷尋、集と騒々しい男が扉を潜る。騒々しいと評価するなら颯太のことだが人が何人も集まればそれは変わらない。よって一番配慮が出来る人間は祭だ。彼女がまず驚いたのは同衾しているいのりと音葉の仲の進行具合だ、望めるなら添い寝するくらい集と仲良くなりたい彼女にとってただ遅れている事実に心はダメージを受けた。

 

「えっ、ええー!?」

「ちょっ、颯太君、大きな声は……」

「ん。うるさい……」

 

同衾という羨ましい限りの状況に颯太は奇声を上げた。転校してきた謎の美少女が音葉と同衾するほどの仲というものが心底羨ましかったのだろう。いのりは顔だけを布団から出して抗議の声を上げたが音葉から離れる事はしなかった。

 

「いやいやいや、なんで!?」

「最初に音葉と一緒に寝てからたまにね。いくら春香が引き剥がそうとしても無駄だったから」

 

家庭内の妙な三角形の図を脳裏に浮かべながら集は諦念の息を吐いた。

彼の苦悩は尽きない。住人が増えた事により一層過酷になっていた。

 

「それで音葉君は?」

 

今だに抗議を続ける颯太を空気のように扱い、祭は眠っている彼の心配をした。周知の事実だが祭と音葉はかなり仲が良かったのだ。なお、彼女にとっては女友達のような意味合いが強いのは本人には知られていないが。

 

「……今はだいぶへーき」

 

見た感じ。伝わる熱。おでこを合わせて体温を測る術を覚えたいのりはそうやって答えて見せた。もちろんのこと野次馬にはその姿がいちゃついてるカップルにしか見えない。

 

「ん、あれ?」

 

ただ、その姿に違和感を覚えた。

祭には別の姿が映っていた。

羨望する颯太には見えておらず。

隅で傍観する谷尋にも見えてはいない。

辛うじて、集も気づいていないようだった。

 

「ちょっと皆は少し部屋の外に出てて欲しいんだけど……」

「そうだな。このバカうるさいし」

「おまえらは羨ましくないのかよ!」

「……はは」

 

誰も不審がる様子はなく退室していく。颯太の襟首を掴んで谷尋が撤収するその背後を集がついていく。今から夕食の準備に取り掛かるのだろう。

遠ざかっていく足音を確認して、さてと祭はベッドの方に向き直った。心の準備はしてある。いのりに対して感じた違和感を口に出した。

 

「……ねぇ、いのりさん。服は?」

「…そこ」

 

一箇所に集められた女性用衣服とパジャマを指差す。首から肩、腕にかけて白い肌のラインが布を一切纏っていない。確かに女性服にはそういう仕様の服も存在するが祭の違和感はそれだった。

 

「本当、颯太君よく気づかなかったなぁ……」

 

颯太が喚き散らしていたせいで誰も気づかなかったのは祭には幸運なことだった。まさか、自分が助言したことが実行されているなんて思いもよらなかったのだから。

 

「ほら、いのりさん。服を着て」

 

ベッドから這い出すいのりは一糸纏わぬ姿を晒す。毛布が幾らか剥がれた事により音葉の裸体も上半身までは祭に見えた。服を着用しようとのそのそ起き上がったいのりがちょうど下着をつけようとした時、その背後で人影が起き上がった。

 

「ふぁ〜。……え?」

「……良かった。大丈夫?」

 

寝惚け眼を擦っていた音葉の意識は着替え中のいのりへ。寝起きの無防備な精神に突然、裸体など映れば意識はたちまち覚醒を促され、同時に疑問が浮かんだ。

その裸体の彼女といえば、安心した様子で(されど無表情)音葉に視線を浴びせていた。

バッと立ち上がって顎に手を当て、

 

「ちょ、ちょ、ちょっと前隠して音葉君!」

 

祭に言われて頭から下を見下ろした。少し肌寒いなと思っていたが、全裸だとは気づかなかった。慌てて状況を整理するに至る。

祭は顔を手で隠しながら目を逸らしている。朧げな記憶が浮かんできた。

 

「……ありがと。いのり、気持ちよく眠れたわ」

「…また、する?」

「お願いだから二人とも言動に気をつけて!」

 

極端に感謝を伝えたつもりだが、祭からは注意をくらってしまった。

そんな風に騒いでいれば誰かが不審に思うのは道理で。誰かが様子を見に来るのは必然だった。

完全完璧に体調を取り戻した、音葉の耳には忍び寄る足音が聞こえた。

扉の前で、一人の男の気配を察知した。

 

「おーい。入るぞー」

 

いのりは裸。音葉も裸。

こんな状況で、颯太の投入。

 

「ちょっ、待って颯太君!」

 

祭は慌てて声を掛けるもドアノブは回る。ガチャと扉が開く。この距離では誰も止められなかった。しかし、咄嗟の判断で音葉は毛布を引っ掴むといのりに被せて押し倒し、颯太が顔を出した頃には、

 

「どっ!?」

 

枕が、颯太の視界を覆った。

音葉が咄嗟に投げたのである。

直撃してもただの枕に殺傷能力はない。

枕が落ちる頃には、更なる追撃が待っている。

 

「えっ、なんではだ–––」

 

言い終わる前に目潰しが颯太の双眼を突き刺した。

 

「ぎゃあああぁぁぁ!!」

 

悶絶し床を転がる颯太を更に追撃、蹴飛ばして廊下に出す。事情が事情なだけに祭も止めることはしなかった。恨むなら颯太のラッキースケベセンサーの感度だろう。

 

「おまっ、俺に何の恨みがあるんだよ!?」

「私の裸体を見たからには生かしてはおかないわ」

「おまえ男だろう!」

「プライバシーというのは守る為にあるのよ」

「少なくともおまえ、着替えを見られたくらいで怒るような奴じゃなかっただろ!」

 

男子とは下劣な生き物だ。いのりが裸で毛布に包まっていることを知れば良からぬ妄想をすることは確実。特に颯太は危険度大、音葉の警戒理由である。彼自身も容姿こそあれだが男性には変わりないのだから。

 

「次は集と谷尋ね」

「待って。音葉君、服。服!」

 

この後、勘付いて来なかった二人も颯太を止めなかったことを理由に制裁された。

 



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そして、始まる。

タイトル変えました。


 

 

 

「僕、ちょっとトイレに行ってくる」

 

唐突な集の提案により春夏の職場セフィラゲノミクスに見学に来て、春夏が離れた途端、集はそう言ってこの場を離れようとした。本当に唐突な事で春夏の職場に興味を示さなかった集が見学をしたいなんて言い出すのは稀な事で、春夏も喜んで引き受けた件だったが、案内の途中で呼び出された春夏は今や別の場所で、集と音葉は二人きりの状態だった。いのりは春夏と相談して生徒会長の家に預けて来ていた。

 

「……そっちはトイレじゃないけど」

 

さっき通った場所にトイレはある。集は反対方向に向かおうとして、音葉の指摘に下手な苦笑いを返した。

 

「そ、そうだっけ?」

「……おまえ本気なの?」

「な、何が?」

 

トイレに行くだけ。それなのに音葉の視線は冷たかった。

両者の中で、駆け引きが行われる。

集はここ最近で葬儀社の仲間入りを果たした。もちろん家族には伝えていないし、バレるような行動も謹んでいるつもりだ。帰りは遅くなることもあれど上手く誤魔化しているつもりだった。今回の計画はヴォイドゲノムを奪うこと。春夏が研究員なのをいいことに最重要区画付近まで集は単身乗り込んだ。

音葉は集の行動の全てを把握していた。ツグミから連絡を受けていたのだ。音にぃのところのもやしっ子が葬儀社に入ったという知らせを受けたのは半年程前、もちろん春夏には極力心配させないように、態度に表さないように注意していた。春夏には筒抜けで今回の事も計画も未然に防ぐ事が出来ながら教えていない。こうして忠告だけに留めるつもりだった。

 

「少なくとも、職を失うわよ。テロリストを招き入れたんだもの。もし運が悪ければ……春夏は慰みものにされて殺されるかもしれない」

「……そこまでわかってるなら、音葉なら絶対に春夏を守れる。僕は信頼してるんだ」

「信用の間違いでしょ」

 

いつかはこうなると心の何処かで思っていたのかもしれない。

あの日も。4人がいた。中心だった。

 

「最初の罪を消す為に、罪を重ねるつもり?」

「贖罪とは言えないんだろうね」

「……前を向いた事は褒めるけど、その方法は許せないわ」

「でも、やらなくちゃいけないんだ」

 

集は覚悟を決めた。揺らぐロウソクの火のような覚悟を。

これから先、迷って転んで、後悔するような事もあるかもしれない。

その背中を止める事は音葉にはできなかった。

 

「おまえの選択がどんな結果を生んだのか、目を逸らす事は許さない。これが最後の警告」

 

片足を突っ込めばたちまち底無し沼に引きずり込まれる。気づけば両足嵌っていて抜け出せず、世界に殺されていく。まだ集の覚悟は足りないのだと、音葉は見抜いていた。そして、この日から集は家に帰ってくる事はなくなった。

 

 

 

 

✳︎

 

 

 

 

 

「あ、あのね……とても、すごく大事な話があるの」

 

元気どころか生気も失くしたような深刻な顔で春夏は目を逸らしたまま顔を合わせようとしない。あの後は施設の電源が落ちてヴォイドゲノムが盗み出されて見学に来ていた一般人1人が失踪、容疑者兼被害者として集が疑われた挙句、集はテロリストに連れて行かれたという推測とテロリストの仲間ではないかという推測により春夏と音葉は監禁と取り調べを余儀なくされた。特に春夏に至っては集を招き入れた本人なので厳しい取り調べのもと、セフィラゲノミクスを解雇され職を失うまでになってしまった。

ここ数日、集の失踪と裏切り、職を失うなどのショックから音葉に泣きながら本心を吐露して甘える事に至っている春夏を抱き締めながら音葉はわざとふざけた笑みを見せる。

 

「妊娠しました?」

「……してるって言ったら? 私を棄てる?」

 

弱気で声も穏やかじゃない。いつもなら冗談混じりの言葉に反応するどころか「バカ」なんて言って甘えてくるはずがこんな弱った姿を見せられると、音葉の持つ嗜虐心と愛欲が擽られたが思い留まる。

 

「そんなことないですよ。別に同情だけで付き合っているわけじゃないし」

「……そうよね。あなたはそんな子だった」

 

回答に満足したらしい。幾らか気分は晴れているようで。

 

「……それでね、話なんだけど」

「クビになったって話?」

「……えっ、知ってたの?」

「あれだけお酒を飲んで、酔って、集みたいに棄てられるんじゃないかーって不安になってエッチせがんで、全部忘れようとしてるのは伝わって来ましたから」

 

酒に溺れて、性に溺れて、最初は見逃したものの吐くまで飲む勢いだったので無理やり奪って音葉自身が処理したお酒の味はかなり苦くて衝撃的だった記憶がある。供奉院のお嬢様は嗜んでいるというものだから、イケると思ったのだが……。正常な思考は停止していたように思う。

 

「……ごめん。私変なことしなかった? 嫌われることとか。引かれることとか」

「可愛かったですよー。あれくらい寄り掛かってくれた方が信頼されてるって感じがして私は好きですけど」

 

口説き落としているつもりはないのだが(むしろ手遅れ)春夏の顔は耳まで真っ赤になった。枕に顔を埋めて顔を隠す、こんないちゃつきを集が見せられていたらかなり精神にきていただろう。

これ以上は春夏自身も泥沼だったのか、話題を変える。

もちろん、この先のことだ。

 

「それで新しく仕事を探さなきゃなんだけど……貯金もそんなにないの」

「あ、それなら安心して」

 

何処からともなく通帳を取り出す音葉。大人の面目なさそうな表情で縮こまっている春夏は一度突き返すも断固として音葉は譲らなかった。

 

「いいから。春夏が私のものなら、私もおまえのものだもの」

「でも……」

「春夏が嫌いにならない限り、私はおまえに添い遂げたいの」

 

口説いてはいない。むしろ口説いた後なのでなんと表現すればいいものだろうか。集が見たら確実に頭悩ます問題提起となるという事は確実だった。

冷めやらない熱を保ったまま気恥ずかしそうに春夏は通帳を受け取る。開く。……絶句した。

 

「…………」

「どうしたの?」

「……まさか変な仕事してないよね」

 

春夏は自分の目を疑った。音葉が差し出した通帳は貯金額が大幅に学生のそれを超えていたのだ。今までに春夏自身が稼いだお金も大幅に超えている。

 

「具体的には?」

「風俗とか、ホストとか、キャバ嬢とか!」

「ホストはともかく他は無理ですから、生理的にも性別的にも」

「も、もし風俗とかキャバ嬢になるんだったら……か、代わりに私が!」

「その時間全額賭けてでも春夏を買うわ」

 

そんな仕事をされては困る。言い訳をするつもりもないが集も困るだろう。おそらく2人揃って土下座してでも止める。音葉は嫉妬で。集は義母への負い目で。特に独占欲の強い音葉はかなり本気だった。

 

 

 

 

 

✳︎

 

 

 

 

 

春夏を利用した。そんな負い目から集は家出してテロリストなのかレジスタンスなのか微妙な立ち位置の葬儀社で寝泊りを繰り返す。授業に必要なものは学校に揃っているし、学校も休んではいない。カモフラージュの為に学校は普通に通っている。変わらない日常に非日常をプラスした感想は「やってしまったな」という罪悪感と後戻り出来ない後悔、前進した自覚のない達成感。

 

「これで良かったのかな……」

 

言い訳はないけれど。それでもやはり、音葉にぶん殴られても仕方ないと思う。同時に義母に手を出した音葉をぶん殴りたいまではあるがこれでチャラにならないだろうか。

 

「集、ここに居たのか」

 

廃墟ビルの屋上。夜風が吹くその場所に葬儀社のリーダー、集を勧誘した恙神涯が姿を現した。

 

「トリトン」

「その呼び方はやめろと言っているだろう」

 

星空を眺める集の隣の手摺に手を置いた。同じく星を眺めるフリをして、あまり興味のない星空にどこか焦点を合わせて会話に集中する。考えているのは過去のことだった。

 

「お前からこの作戦を聞いた時は驚いたよ。まさか桜満春夏を利用するとはな。良かったのか? こんな事してただじゃ済まないだろう」

「無関係さえ証明できれば、でしょ。それに音葉だって頭が回るし……でも絶対、あとで音葉にぶん殴られるのは覚悟しとかないといけないけど」

「あいつは今、どうしてるんだ?」

「……あぁ、うん。春夏と付き合ってる……うん」

「…………はっ!?」

 

普段はクールを装う涯の表情筋がぶっ壊れた。やっとこのクール野郎の顔を変えられて満足したが、内容もあまり喜ばしいものではなかった。集も苦笑いだ。

 

「……それは流石に想像していなかったな」

「音葉を見たらきっと同じくらいびっくりするよ。昔より女っぽくなっているから」

「昔はあいつ着せ替え人形だったからな。最初はあの人も注意するものの最後は結局、真名と一緒になってあいつを着せ替えてた。俺とお前は必死で逃げてたな」

「今じゃ、それが祟って学校では女王様って呼ばれてるんだよ。……男なのに。でもまぁ、僕なんかよりよっぽど男らしくて優しくて気立てが良くて春夏が惚れるのも無理はないってわかってるんだけどね」

「あいつと喧嘩した日には勝てたことなんて一度もなかったな」

「でも、今なら–––」

 

「勝てる気がする」と2人の声が重なった。

強くなる為にあれから涯は海外で軍事活動に参加した。

集はヴォイドゲノムを手に入れた。

着実に力を手にした、2人に死角はないと思った。

それさえ超える異能を手にした音葉を知らずに。

 

「けど、さ、どう責められたとしてもこれでいいと思ったんだ。僕がいないなら心置きなく春夏は弱音を音葉に伝える事ができるし。いちゃつくにも僕の目を気にしているだろうし……」

「お前もある意味で大人になったんだな……」

「あ、でも、いのりもいたな」

「いのり……? 誰だ、そいつは」

「最近は有名になったんだよ。知らない? この女の子」

 

集はお気に入りのダウンロードフォルダからとあるミュージックビデオを集は選択し、端末に表示した。半年程前に急遽、いのりの歌いたいという願いを無理矢理にも叶えた音葉が試行錯誤の末に絶対に辿られないアドレスでWebのトップアーティストまでに上り詰めた、桜色の少女の歌う姿。その中でも代表的なデビュー作を映した。

「egoist」の楪いのり。

集も、音葉も、世界中も注目するWebアーティストだ。

 

「こ、こいつのことを知っているのか集!」

「え、うん。そりゃあ同じ家に住んでいるし……」

「それはいつからだ!」

 

食い気味に集の肩を掴む涯の様子は明らかにおかしかった。

 

「えっと……音葉が連れて来たのは一年くらい前かな」

「あいつが……?」

「本当に最初はびっくりしたよ。姉さんに瓜二つで、ちょっと雰囲気は違うけど音葉にべったりで、なんていうか2人を見ているとあの時の姉さんと音葉を思い出したよ」

 

目の前で奪われたインターフェイス。まさか、それが、こんな近くにあったなんて。全力で追跡したがどうしても見つからなかった情報がこうして見つかったのは幸運なのかもしれない。そして、あのインターフェイスが本物なら、集の話が本当なら。あの場に現れ葬儀社に濡れ衣を着せたのは音葉だ。

顔も容姿も朧げで、あの日の作戦時に交わした言葉、声が鳴り響く。

最初は男性だと思っていたが、なるほど、情報を錯綜するには最高の手段だ。まさか自分の体質特技を利用して探すべき情報を操作してどっちに疑われても転ばない選択肢を取っている。犯人が男性にしても、女性にしても、混乱させるには有効な手段だ。

 

「楪いのりをここに連れてくることは可能か?」

「あ、いや、絶対ムリ」

 

集は断言した。涯は質問を変える。

 

「ここ一年、音葉の行動について何か不審な点はあるか? 夜はいないとか」

「さぁ? 夜は友達と遊ぶか、ノイズキャンセリングヘッドフォンをつけて出来るだけ気配を薄くするか早めに寝ているからね……」

 

集なりの2人への配慮が仇なした。集も青春真っ只中の苦学生。たとえ義母といえど意識するような現場の音などには常に敏感だ。特に情欲の話はあまり聞きたくない。……多少、どこまでいったのか気になりはするが。

 

「敵か、味方か、どちらにしても誰にも気付かれず敵陣深くまで潜り込む……神出鬼没性。イギリスの怪奇、切り裂きジャックのような少年兵がいた、って噂があったな……」

 

たった一時期だけ。ジャックザリッパーの再来と噂された。軍に派遣された少年兵がいた。戦闘能力は単体で国を滅ぼせるほどだと尾びれをつけて噂が蔓延していた。

 

「どうしたの涯?」

「いや、あいつに会うのが楽しみになっただけだ」

 

取り籠めるだけの条件を用意することが急務と、涯の目標に追加された瞬間だった。

 




着々と正ヒロインになってゆく桜満春夏さん。
最初は集を困らせたかっただけです。


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