捻くれた少年と猫っぽい少女 (ローリング・ビートル)
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出会い

 μ's、8人目です!

 よろしくお願いします。


「あ~、疲れた~」

「大丈夫か?」

「秋葉原、人多すぎだよ~」

 

 同感だ。パーソナルスペースが広いボッチじゃなくとも、あの人混みは辛い。今は抜け出したが、正直もうクタクタだ。

 小町の提案で、残り少ない春休みの一日を使い、東京観光を試みたが、慣れないことはするもんじゃない。

 まあ、妹との外出なら悪くはない。疲れるけど。物凄く疲れるけど。

 

「ん?何だろ、あれ」

 

 小町は何かに興味を惹かれたようで、てててっと駆け出した。

 もう体力回復しちゃってんのかよ。

 小町が向かった先には人だかりができていて、皆一様にビルに取り付けられた大きなスクリーンを見上げていた。

 

「どうしたんだよ、いきなり……ん?」

 

 大画面に映っていたのは三人の少女。華麗なステップで舞い、美しい歌声で言葉を紡ぎ、観衆を魅了していた。小町も「ほえー」と口を開け、魅入っている。

 新人アイドルの宣伝か何かだろうか。

 すると、画面には煌びやかな文字が表示された。

 

「スクールアイドル……アライズ?」

 

 彼女達のグループ名はA-RISEというらしい。

 つーか、スクールアイドルってなんだ?

 ぼーっと画面を見つめていたせいか、背中に何かがぶつかってきた。

 

「にゃにゃ!?」

「っ!す、すいません……」

 

 猫っぽい驚き声に反応して、振り返りながら謝ると、そこには茶色っぽいショートカットが印象的な女子がいた。

 

「「…………」」

 

 意外と近くにあった顔を、ついまじまじと見てしまう。

 ぱっちりと大きな目に、小さくすらりとした鼻。淡い桜色の唇にきめ細やかな肌。間違いなく美少女にカテゴライズされる顔立ちに、はっと息を呑んだ。

 彼女もしばらくこっちをじっと見ていたが、急に慌てて頭を下げてきた。

 

「こ、こちらこそごめんなさい!凛もぼーっとしてて……」

 

 凛というのは恐らく自分の名前なのだろう、知らない人に自分の名前を安易に教えちゃいけません!と言いたいところだ。

 

「…………」

「…………」

 

 しばらくお互いキョロキョロしながら、たまに目が合う気まずい時間が続く。

 雑踏の賑やかさが少し遠く感じられ、青空の透き通る青さがやけに眩しく思えた。

 

「あ~、ごめんなさい。うちの兄が」

 

 気まずさが頂点に達しようとしたところで、さっきまでスクリーンに釘付けになっていた小町が割って入ってきた。

 

「お姉さんが可愛いから見とれていただけで、悪意とかはないんで」

 

 こいつ、フォローする気あんのか……。

 しかし、目の前の女子は意外なリアクションで返した。

 

「……り、凛は……可愛くなんか……」




 読んでくれた方々、ありがとうございます!


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自己紹介

 感想・評価・お気に入り登録・誤字脱字報告ありがとうございます!

 それでは今回もよろしくお願いします。


 

 自分のことを卑下しながら俯いたショートカットの女子は、俺とは小町の視線に気づいたように、はっと顔を上げた。

 

「ご、ごめんなさい!失礼します!」

 

 頭を下げ、そそくさとその場を後にしようと……

 

「にゃにゃっ!?」

 

 したが、足をもつれさせ、その場にすてんっと転んでしまった。

 俺と小町は慌てて駆け寄る。

 

「大丈夫ですか?」

「あはは……だ、大丈夫にゃ……うん」

 

 自分で自分に大丈夫と言い聞かせるように、彼女は立ち上がり、デニムをぱっぱっとはたき、照れ笑いを見せた。

 その時、春風が彼女の髪をさらさらと揺らし、仄かに甘い香りが鼻腔をくすぐった。

 黙って突っ立ったまま見ていると、彼女は今度こそと言わんばかりに駆け出し……

 

「……にゃぁ」

 

 て行かずに、何故かその場でピタリと立ち止まった。

 もしかしてと思い、声をかけてみる。

 

「……足、痛めたのか?」

「……にゃぁ」

 

 振り向いた彼女は、涙目になっていて、こくりと頷いた。

 そんなやり取りをしている間も、行き交う人波はその流れを止めることなく、緩やかに流れていた。

 

 *******

 

「……ほら、これ……」

 

 ベンチに座っている彼女にペットボトルを手渡す。受け取った彼女は申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「あ、ありがとうございますにゃ……」

「いや、別にいい……」

 

 視線を合わせたまま、小町にもジュースを渡す。見ろよ、このさり気ない気遣い。俺が女だったら惚れるまである。小町は「ありがと~」と言って受け取り、さっそく飲み始めた。

 

「…………」

「…………」

 

 しばらく絡み合った視線はやがて離れ、どちらも明後日の方向を向く。小町は何故か溜息を吐き、ショートカットに話しかけた。

 

「あの~、私、比企谷小町って言います。こっちは兄の八幡です。これも何かの縁ってことで、お名前聞いてもいいですか?」

 

 まじか……初対面の相手に名前聞いちゃうのか。我が妹ながら、コミュ力の違いに驚かされる。俺ならそのまま無難に別れた後、再び初対面状態に戻れるまであるのに。

 ショートカットはキョトンとしていたが、すぐにぱあっと笑顔になり、自分の名を告げた。

 

「全然オーケーだよ♪私の名前は星空凛!よろしくね、小町ちゃん!……比企谷さん!」

「はい、よろしくお願いします!凛さん♪」

「……おう」

 

 申し訳程度に会釈して応じる。別に、俺を呼ぶときに間があったことなんて気にしていない。いないったらいない。

 この時、まだ俺達は知る由もなかった。

 この出会いが…………なんて。




 読んでくれた方々、ありがとうございます!


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もう一つの出会い

 自己紹介を終えたところで、ふと思い出したことを口にした。

 

「……そういや星空。お前、用事のほうは大丈夫なのか?」

「え?……あ~~~~!!!遅刻にゃ!かよちんが待ってるにゃ!」

 

 どうやら友達を待たせていたらしい。驚愕の表情の星空が駆け出そうとするので、小町と共に慌てて制する。

 

「いや、落ち着け。先に連絡した方がいいだろ。足のことも含めて」

「そうだよ、凛ちゃん。油断禁物だよ?」

「あ、うん……わかったにゃ……」

 

 *******

 

 彼女が電話をしてからしばらくすると、ショートヘアの女子が駆け足でやってきた。背丈は星空と同じくらいだが、身に纏う雰囲気は星空と違い、ふわふわしている。

 

「はあ……はあ……り、凛ちゃん……大丈夫!?」

「かよち~ん。もう、大げさにゃ~」

 

 心配そうに星空の脚に触れるかよちんとやらに対し、星空はにぱぁっと笑顔で答える。

 その様子を小町と並んで見ていると、かよちんは立ち上がり、こちらに向かってぺこりと頭を下げた。

 

「あ、あの……凛ちゃんを助けて、いただいて、ありがとう、ございます……」

 

 消え入りそうな声で途切れがちに呟く彼女に、小町が努めてやわらかな笑顔をつくり、落ち着かせる。俺は従者の如く、斜め後ろに控えることにした。

 

「大丈夫ですよ~…………またまた美人さん発見」

 

 何やらぼそぼそ独り言を呟く小町はさておき、目の前のおどおどした少女は、星空とは系統の違う美少女だ。眼鏡越しのくりくりした瞳は、小動物のように庇護欲をそそる何かがある。

 星空はかよちんに抱きつき、ゆるゆりな癒やしのオーラを放ちながら口を開いた。

 

「この子がかよちんだよ!可愛いでしょ~」

「り、凛ちゃん……あ、初めまして。小泉花陽です……」

「初めまして~、比企谷小町です♪こっちは兄の八幡です」

「……あー、どうも」

 

 またもやコミュ力の高さを発揮する小町に続く形で、俺は本日二度目の自己紹介をすませた。

 

 *******

 

「……で、何でファミレス?」

「だってこっちの方が話しやすいでしょ?」

「いや、そういうんじゃなくてだな……二人は用事とかは大丈夫なのか?」

「大丈夫にゃ!二人でぶらぶらするだけですから!ね、かよちん!」

「う、うん……」

「そ、そうか……」

 

 女子3人の勢いに呑まれ、ファミレスまで来てしまったが、この組み合わせで俺ができることといえば、見張りとか、殿を務めるとか、置物になるぐらいしかないのだが……。

 

「ね、ねえ、比企谷さん……」

「?」

「凛達高校生になるから聞きたいんだけど、高校生ってどんな感じですか?」

「……特に中学と変わらん」

「へ~、部活とかは……」

「入ってないからわからん」

「……じゃ、じゃあ、帰りは友達と楽しく……」

「いや、真っ直ぐ家に帰ってる」

「…………」

 

 うん、なんかごめんね?参考にならなくて。

 星空はドン引きというよりは、何か不思議なものを見るような目をこちらに向けていた。

 その視線はどこかくすぐったかった。



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それじゃあ、また

 俺自身はあまり会話に参加していないが、3人の会話に適当に相槌を返している内に、結構な時間が過ぎていた。

 

「小町、そろそろ帰るか」

「えっ、もうそんな時間?じゃあ、凛さん、花陽さん。連絡先交換いいですか?」

「もちろんにゃ」

「わ、私のでよければ……」

 

 スマホをポケットから取り出したところで、小町があっと声を上げた。

 

「あちゃー、電池切れちゃってる……」

「……お前、さっきまで普通に使ってなかったか?」

「今切れちゃったの。お兄ちゃん、代わりにお願いできる?」

「…………」

 

 何やら胡散臭い臭いがプンプンするが、可愛い妹がそういうのなら仕方がない。

 俺はスマホを取り出し、星空に差し出した。

 彼女は、よくわからないものを見た猫みたいに首を傾げた。

 

「にゃ?……えっと、凛が登録すればいいの?」

「……ああ。悪いが頼む」

「ケータイあっさり渡す人、初めて見たにゃ」

「あはは……」

「お兄ちゃん……」

 

 星空は苦笑いしながら、慣れた手つきで連絡先交換を終え、携帯を返してきた。

 

「はいっ」

「……おう、ありがとな」

「ふふっ、比企谷先輩って、なんだか面白いにゃ!」

「え?俺、なんかしたっけ?」

 

 久々に女子と話したせいで、自然と顔芸とかしていたなら恥ずかしすぎる。

 不安になり、つい顔に手を触れると、星空はにぱっと笑顔を向けてきた。

 

「じゃあ、小町ちゃんの連絡先、よろしくお願いします!」

「お、おう……」

 

 俺は二人に小町の連絡先を送り、それから店を出た。

 

 *******

 

「それでは、また後で連絡しまーす!」

「うん、またね!小町ちゃん、比企谷先輩!」

「帰り気をつけてくださいね」

「……おう」

 

 わざわざ駅まで見送りに来てくれた二人は、春の陽射しのように穏やかで、にこやかな表情を見せている。

 そよ風が頬を撫でていくのを感じながら、俺は笑顔を交わす三人をぼんやり眺めていた。

 すると、その笑顔の一つがこちらを向いた。

 

「…………にゃ」

 

 しかし、彼女は何かを言おうとしても何も浮かばないのか、特徴的な語尾だけ口にして、笑顔のまま固まる。

 もちろん、俺のコミュニケーション能力では、気の利いた一言など思い浮かばない。

 なので、別れの挨拶だけはしっかり交わすべく、口を開いた。

 

「……それじゃあ、また」

「……はいっ、またにゃ!」

 

 さっきより、ぱあっと華やかな笑顔が向けられ、何ともむず痒い気持ちになる。

 また……か。

 とっさに付け加えた二文字がこれまでの自分らしくなく、苦笑しそうになる。

 まあ、あれだ。せっかくの出会いだし、可愛い妹の友達だし、現実はいつだって稀有なものだって誰か言ってたし。

 そんな言い訳を頭の中に散りばめながら、小町と共に、改札へ向かった。

 

 *******

 

「にゃ~にゃ~にゃ~にゃ♪」

「凛ちゃん、ご機嫌だね」

「えっ、そうかにゃ?いつも通りだと思うにゃ」

 

 かよちんの言葉に首を傾げると、かよちんはクスクス笑っていた。

 

「かよちん、どうかしたの?」

「何でもないよ、凛ちゃん。行こっか」

 

 いつもと違うイタズラっぽい笑顔が凛にはよくわからなかった。

 



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初電話

「ねえねえ、お兄ちゃん!ちょっと携帯貸して」

「は?いや、別にいいけど……」

「いや~、携帯の充電が切れちゃって……しかも、充電器も見つからないんだよね」

 

 あはは、と笑いながら小町は俺から携帯を引ったくる。まったく、このうっかりさんめ。だが可愛いから許す。

 

「てか俺の携帯なんて何に使うんだよ」

「お兄ちゃん?携帯は遠くにいるお友達とお話できるんだよ?知らないの?」

 

 そう言いながら、小町は優しい笑顔で携帯を耳に当てる。いや、知ってるからね?ただ、その機能をあまり使った記憶がないだけで……あれ、まったくない?

 小町はそんな俺の様子など気にもかけずに通話を始めていた。

 

「あっ、もしもし凛さん?はいはい、もちろん元気ですよ~!一応兄も」

 

 どうやら星空に電話をかけたかったらしい。つっても、共通の知人なんて、他にあてもないんだが……。

 小町が楽しそうに話しているのをBGMに読書に戻ると、もう話が終わったのか、携帯を差し出してきた。

 

「はいっ、お兄ちゃん♪」

「……おう」

 

 まだ通話が続いている状態だったので、さっさと切ろうとすると、無理矢理携帯を耳に押しつけられた。

 

「はっ?ちょっ、おま……!」

「にゃ?」

 

 星空のきょとんとした声が耳をくすぐり、少しだけ……ほんの少しだけ鼓動が跳ねる。何だこれ。いや、思春期男子なら、女子と電話で話す時に当たり前に起こりうる現象だろうな、多分……。

 

「もしかして、比企谷先輩?」

「あ、ああ……」

 

 反射的に返事をしてしまった。しかも、頭の中が真っ白になり、次の言葉が出てこなくてやばい。くっ、何気に女子と電話するの初めてな気がする……!

 てかそれどころじゃない。小町は一体……って、もういねえ……。

 

「あの、どうかしましたにゃ?」

 

 星空の気遣わしげな声に、ようやく頭の中が回転しだす。

 

「い、いや、何でもない。大丈夫だかりゃ……」

「…………」

 

 噛んだ……。

 どうしようもない残念の気分がわき上がってくるのを感じていると、携帯からくすくすと笑い声が漏れた。

 

「ふふっ、先輩噛んだにゃ~。あははっ」

「……お、おう」

 

 星空のやけに楽しそうな様子に、ついこちらも明るい気分になってしまう。

 とりあえず……楽しんでもらえたなら良しとするか。

 

「にゃ~、あ、あの……先輩は今日は何してたんですか?」

「ん?……ああ、まあ、その……家にいた」

 

 唐突に今日の出来事を聞かれ、また噛んでしまう。おい、いきなりそんな事聞かれたら、つい仲良いと勘違いしちゃうだろ。

 

「え~、一日中?せっかくの春休みなのにもったいないにゃ~!」

「いや、休みだからこそ色々やることがあるんだよ」

 

 休みの日こそ休むなよ、という素晴らしい名言を知らないのかよ。

 

「でも、さっき小町ちゃんは、先輩は毎日ゲームやアニメばかりって言ってたにゃ」

「……ほら、な?やることあるだろ」

「…………」

 

 何でだろう、電話越しにジト目を向けられている気がする。おかしい。何も疚しいところはないはずなのに。

 

「……あっ、そうだ!先輩、そんなに暇なら一緒に……あっ……あはは……」

「?」

 

 いきなり言葉を飲み込んだ星空に、つい首を傾げてしまう。おい、いきなりそんなリアクションされたら、何か粗相をしたのかと心配しちゃうだろうが。

 微かに漏れてくるやわらかな息の音に耳を澄ませていると、星空はさっきと同じテンションで話し始めた。

 

「よ、よーしっ!じゃあ今度集まって皆で運動するにゃあ!いいですよね、先輩?」

「お、おう」

 

 いきなりなテンションの上がり下がりに、普段会話をしないボッチらしく置いてけぼりを食らいながらも、何とか返事をする。

 ……べ、別に後輩女子から先輩って呼ばれるのが、くすぐったいとか、ちょっとだけテンション上がったとかじゃない。ただ、断るのが面倒くさかっただけだ。ほ、本当だよ?ハチマン、ウソ、ツカナイ。

 

「えっと……じゃあ後で小町ちゃんに連絡するからよろしくにゃ!お、おやすみなさ~い!」

「あ、ああ、じゃあ、な」

 

 ぷつりと通話が途切れ、綿あめのようにふわふわした沈黙が訪れる。

 ……なんか、最後はおかしなハイテンションだったな。

 

 *******

 

 にゃにゃっ!!

 男の人だってこと忘れて、普通に誘ってたよ!!

 せ、先輩、変な子だって思ったんじゃないかなぁ?

 ていうか、男の人と電話したのって、連絡網以外だと初めてかも……。

 

「凛?ちょっといい?」

「にゃあっ!」

「うわっ、あ、あんた一体どうしたのよ、びっくりしたぁ……」

 

 いきなり呼ばれて凛もびっくりしたけど、お母さんはもっとびっくりしたみたい……いけないいけない。気にしすぎにゃ……。

 

「あはは、どうしたの?お母さん」

「いや、あんたこそどうしたのよ?あ~、もしかして彼氏でもできた?」

「ち、違うよっ!そんなわけないじゃんっ」

 

 お母さんはニヤニヤ笑いながら、私の隣に座り、そっと頭を撫でてきた。

 

「別におかしなことじゃないでしょう?こんな素敵な女の子を周りの男の子が放っておくはずがないもの」

「そんな……り、凛は全然可愛くなんか……」

「はいはい、そんなこと言わないの。それじゃ、借りてたCDここ置いとくわね」

 

 お母さんは優しい笑顔を見せ、部屋を出た。

 ……お母さんはああ言ってくれるけど、凛は……髪もこんなに短いし、かよちんみたいに女の子らしくないし。

 ……ああもう!比企谷先輩は別にそういうつもりじゃないからそんなこと考えなくてもいいの!よしっ、はやく準備して寝よ! 

 

「にゃあ……中学時代のジャージじゃなくて……もうちょっと可愛いほうがいいかな」



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横顔

「にゃ~……このジャージ、凛には……やっぱりこっちにしよっ!」

 

 *******

 

 早朝。

 何故俺はジャージを着て、東京の路上に立っているのか?

 本来なら自宅のベッドで惰眠を貪っているはずなんだが……もしかして、異世界転移しちゃった?もしかして、ありふれた職業で最強になっちゃうとか?

 

「お兄ちゃん、目が腐ってるよ~」

「…………」

 

 どうやら異世界ではないようだ。まあ、可愛い妹となら異世界に行くのも構わないのだが。つーかこれ、もうありそうな設定だけど。

 道端の階段に腰を下ろして、川の緩やかな流れを眺めていると、長閑な気持ちになってくる。なんかもう、このままぼーっとしていたいような……。

 

「ほら、シャキッとしないと!そんなんじゃ凛さんが来た時みっともないでしょ~」

「その星空はまだ来てないみたいだな」

「もう来るよ。タオルとかスポーツドリンクとか用意してくれるんだって」

「……そっか。てか、やっぱり運動するのか」

 

 そう。先日星空と電話で話したのだが、本当に運動する羽目になってしまった。あれ冗談とか社交辞令じゃなかったのか……。

 まあ、口約束とはいえ、やると言った以上はやるしかないだろう。最近運動不足なのは事実だし。

 らしくない事を考えていると、こちらに向けて、たたたっと勢いよく駆けてくる足音が聞こえてきた。

 目を向けると、ストリートダンサーのような、だぼっとしたジャージに身を包んだ星空が、朝のひんやりした空気を突き抜けるように走っていた。

 

「お待たせにゃ~!」

 

 ものすごい勢いで走ってきた割に、全然息を切らしていない星空は、ショートカットの髪を揺らして、朝の陽射しのような爽やかな笑顔を見せた。

 そして、それと同時に控えめな甘い香りが鼻腔をくすぐった。

 

「凛さん、おっはようございま~す!」

「おはよう、小町ちゃん!あっ、せ、先輩もおはようございます」

「……おう」

 

 俺の時だけ何故噛んだかは置いておこう。それより……何故かわからんが、眠気がすっかり醒めちまったじゃねえか。どうしてそうなったかは本当に知らんけど。

 首に手を当てながら、俺はなるべくゆっくり星空に話しかけてみた。

 

「それで……今から何をやるんだ?」

「にゃ?あー……」

 

 ノープラン、だと?

 思わず目を見開いたが、星空はすぐに口を開いた。

 

「よしっ、え~と……走るにゃあ!」

 

 ノープランすぎるだろ。

 

「……そ、そうか。じゃあ頑張れよ」

「にゃあ!?」

「はいはい。お兄ちゃん。恥ずかしいから、こんなところでゴミいちゃんにならないで」

「……おう」

 

 小町からジト目で睨まれ、渋々頷く。

 星空はというと、ほっと胸を撫で下ろしていた。何故そんなに俺を運動させたがるというのか。いや、もうここまで来たら、無心になって走るしかあるまい。

 腹をくくり、申し訳程度に屈伸を始めると、星空は満足そうに頷いた。

 

「かよちんも後から来るって言ってたにゃ!」

「花陽さんも来るんですね♪よ~し、お兄ちゃん!さっそく走るよ!」

「…………」

 

 朝から元気いいね、君達……。

 

 *******

 

 30分後……。

 

「はぁ……はぁ……」

「お、お兄ちゃん……小町はもうだめだよ……」

「にゃ~♪にゃ~♪」

 

 さすがにもう疲れてきた、ていうか限界なのだが……。

 こいつの体力はどうなっているのか……楽しすぎて狂っちまいそうだと言わんばかりのハイテンションなんだが……。

 斜め後ろから少しだけ見える彼女の横顔は、爽やかなという言葉そのもので、ほんのり赤く上気する頬も、こめかみの辺りにはりつく髪も、彼女の魅力を彩っていた。

 ……いや、何見とれてんだよ。

 俺は何とか声を絞りだし、星空に話しかけた。

 

「な、なあ、星空……そろそろ休憩しようぜ。俺も小町も限界なんだが……」

「あっ……あはは、じ、実は凛もそう思ってました、よ?」

「…………」

 

 絶対に嘘だろ。目、泳ぎまくってるし。

 

 *******

 

 河川敷に腰を下ろし、息を整えていると、小泉がとことこと駆け寄ってくるのが見えた。

 

「お、お待たせしました~……あれ?み、皆、どうしたの?すっごく疲れてるみたいだけど……」

 

 星空とは対照的に、ふわふわした空気をまといながらやってきた小泉は、芝の上に寝転がる俺と小町を見て、不安そうに首をかしげる。心配してくれるとか、この子は天使じゃなかろうか。中学時代なら……いや、今はこのくだりすらどうでもいいぐらい疲れた……。

 

「あはは、ちょっと飛ばしすぎたにゃ……」

「もう、ダメだよ。あんまり無理しちゃ……あ、あの、二人とも、これ、どうぞ……」

「ありがとうございま~す……」

「お、おう、どうも」

 

 微かに小さく細い指先が触れたのには気づかないふりをして、ペットボトルを受け取った。べ、別に緊張してなんかないんだからね!

 

「…………」

「凛さん、どうかしたんですか?」

「にゃ?な、何でもないにゃ~。よ~し、かよちんも来たことだし、何かするにゃ~!」

「ま、またノープランかよ……」

「ま、まあ、いいじゃん。それより、お兄ちゃん……凛さんって走ってる時、すごい綺麗だよね」

「……ああ」

 

 小町の言葉に、俺は黙ってこっそり頷いた。

 確かにそうだったから。

 あの時の横顔と走り終わった時の爽やかな笑顔は、春の青空によく映えていて、もう少し見ていたい気分になったから……多分。

 

 *******

 

 にゃにゃあ!?

 き、きっと聞き間違いだよね!?

 い、今……

 

「凛ちゃん、どうしたの?」

「な、何でもないにゃ!!」



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バドミントン

 よし、決めた。休日の朝からジョギングをするのは、これで生涯最後にしよう。

 

「…………」

「……どした?」

 

 何やら視線を感じ、顔を上げると、星空がじぃ~っとこちらを見ていた。

 そして、目が合うと、彼女は人慣れしていない野良猫みたいに、急にあたふたと慌てだした。

 

「にゃにゃっ!?な、何でもないにゃあ!」

「そ、そうか……」

「そうですよ~……あはは……」

 

 何でもなさそうには見えないし、何でもないといって何でもなかった奴を俺は知らないが、あまり突っ込まないほうがいいのは明白なので、気づかないふりをしておこう。

 

「あの……」

 

 小泉がおどおどしながら、ぴょこっと手を挙げた。

 子犬のような瞳が可愛らしく、何とか話しやすい空気を作ってやりたいが、こちらも子猫のように臆病なので、そういう手助けはしてやれない。すまんな。

 

「花陽さん、どうかしましたか?」

 

 その様子を見るに見かねたのか、小町が発言を促した。ちなみに、さりげなく「お前、もっと頑張れ」と言いたげな一瞥を俺にくれた。不甲斐ないお兄ちゃんでごめんね。

 

「あっ、いえ……その、比企谷さんと小町ちゃん……えと……飲み物、どうぞ……」

「わぁ♪ありがとうございますっ!」

「……悪い。助かる」

「いえ、どういたしまして……」

 

 小泉が頬を染めながら、やわらかくはにかんでみせた。

 うわ、何だこの小動物……小町の次くらいに小動物感ある。

 小泉は星空にも飲み物を渡し、一息ついたところで、今度は小町が手を挙げた。

 

「じゃあじゃあ!4人揃ったところで、何かゲームやりませんか?」

「……じゃあ、俺審判やるわ」

「まだ何やるかも決めてないにゃ~!」

「あはは……」

「はいはい、お兄ちゃんはちょっと黙っててね」

 

 まさかの三人からの非難の視線に、俺は「うぐぅ……」と声を詰まらせ、縮こまる。せっかく楽しようと思ったのに……。

 

「あ、あの……それなら、バドミントンやらない?実は家にあるの持ってきたんだ」

「おおっ、花陽さんナイス!さすがお義姉ちゃん候補!」

「えっ?お義姉ちゃん?」

「あっ……こっちの話なので、お気になさらず~」

「あはは、でも、もし、小町ちゃんみたいな妹がいたらって思うなぁ」

「花陽さん……くっ、眩しい!花陽さんの優しさが眩しいよ!」

「あははっ、小町ちゃん。元気だね」

 

 確かに、我が妹はいつにもまして一人で賑やかだ。元気いいね。何かいい事でもあったの?

 

 *******

 

 さて、公平にじゃんけんで決めた結果、俺と星空。小町と小泉のチームになった。

 ……星空と一緒か。何となくだが、楽できそうだ。こいつ、かなり運動神経いいみたいだし。

 

「じゃあ、お兄ちゃん。小町達から始めていい?」

「ああ、いいぞ」

「よ~し、気合い入れていくにゃ~!」

「…………」

 

 いや、気合いは入れなくてもいいんだよ?普通より緩めでもいいくらい。まだ朝だし。休日だし。

 しかし、星空は「いっちにー、さんしー」とストレッチを始めていた。どうやら休みの日こそ休むなよ、というタイプらしい。

 

「いっくよー!……それっ」

 

 それぞれ距離を取り、ラケットを構えると、さっそく小町が羽根を宙に打ち上げた。

 ぽこんという弱々しい音と共に、空に舞い上がった羽根は、春の穏やかな風に揺れ、少し進路を変えながら星空へと向かっていった……なんか文章だけ見ると、さらに飛んでいるよう見えるな。安心してください。落ちてきてますよ。

 

「にゃ!」

 

 星空が難なく打ち返すと、羽根は再びやわらかな放物線を描き、小泉の元へと向かった。

 

「……えいっ」

 

 そして、軽やかな音と共に、ようやく俺の元へ飛んでき

 

「……っと」

 

 よし、とりあえず打ち返せた。体育の選択授業、テニス取っといてよかったー。

 一巡して全員ほっとしたのか、あとはそのまま不規則なリズムで、ぽこんと羽根が舞っていく。

 うわ、これ思ってたよりずっと楽しいな。

 そんな心地よいリズムに身を委ねていると、川原の側の道を、運動部らしき男女混合のジャージ軍団が通りすぎていった。

 

「朝から女の子と楽しそうに……」

「二フラム」

「ちっ、ボッチのくせに!」

 

 君達、聞こえてるからね。そういうのは聞こえないように言ってね。あと、そろそろ俺をボッチだと知ってる奴とは決着をつける必要がありそうだ。いや、マジで。メタい話になりそうだけど。

 

「ひ、比企谷さん、危ないにゃ~!」

「え?」

 

 よそ見していたせいで、小泉がこちらに打ち返してきたのに気づいてなかったようだ。

 そして、はっと気づいた頃には、ぺちっと頭に羽根が当たり、地面に落ちた。

 

「ご、ごめんなさい!大丈夫ですか!?」

「あははっ、大丈夫だよ。花陽さん。よそ見してたお兄ちゃんが悪いし」

 

 悔しいが小町の言うとおりである。今のは俺が悪い。

 

「ひ、比企谷さん!」

 

 すると、星空が近くまで駆け寄ってきて、ちょいと背伸びして、俺の頭に触れた。

 その際、顔が割と近くになり、白い肌に視線が釘付けになる。

 

「……うんっ、問題ないにゃ!」

「…………」

 

 いや問題ありまくりなんだけど何でいきなりATフィールド突き破ってくんのなんかときめいちゃうからやめてあと案外甘い香りが……。

 

「お兄ちゃん、顔赤いよ?」

「……運動したからな」 

「……そっか」

 

 小町はそれ以上追及してこなかったが、何やら意味ありげな視線を感じて、鬱陶しい。可愛いけど。

 とりあえず、今はバドミントンに集中しようと思った。

 



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カマクラ

 時間を確認すると、いつの間にか昼になっていた。

 

「……じゃあ、そろそろ腹も減ったし……」

「まだ帰らないよ。小町がしっかりお弁当作ってきたから、ちゃんと食べてね」

「…………」

 

 読まれてやがる。まあ、お弁当があるなら仕方ない。あとのことは小町の手作り弁当を食べてから考えればいいだろう。

 

「凛さんと花陽さんもどうぞ~♪」

「わぁ、小町ちゃんすごいにゃ~!」

「わ、私達もいいの?」

「当たり前じゃないですか~。将来のお義姉ちゃん候補……じゃなかった。お友達ですから」

「…………」

 

 小町ちゃーん、お義姉ちゃん候補とかいうイミフな言葉が聞こえちゃってるよー。星空と小泉が少しだけキョトンとしちゃったよー。

 

 *******

 

「はー、お腹いっぱいにゃー」

 

 昼飯を食った星空は、ぐでんとシートの上に寝転がった。なんというか、見ているこっちが気持ちよくなるような食いっぷりだった。

 

「もう、凛ちゃん。食べた後すぐ寝転がったら牛になっちゃうよ?」

「凛は猫が好きだから大丈夫にゃ~」

 

 なんだ、その理屈。それなら俺も太らなそうだな。

 小町もそんな様子の星空を見て、楽しそうに笑っていた。

 

「あはは。凛さん、ウチのかーくんみたいですね」

「かーくん?」

「亀でも飼ってるんですか?」

「いや、亀じゃなくて猫だ。カマクラって名前の」

「にゃ!?」

 

 猫という単語に反応して、星空が勢いよく起き上がった。

 

「小町ちゃんの家、猫飼ってるのぉ!?」

「は、はい……そうですけど……」

 

 いきなり距離を詰められ、たじろいでいる小町の様子もお構い無しに、星空は目をキラキラさせていた。いや、これはギラギラと表現したほうがいいだろうか。これはまあ、アレだろうな。

 

「星空、もしかして猫好きなのか?」

「大好きにゃ!」

「お、おう……」

 

 自分に対して言ってるわけじゃないのはわかってる。わかっているんだが……そんな真っ直ぐにこっちを見て『大好き』とか言われると、中学時代なら勘違いしていたところだ。

 すると、小町が一瞬だけニヤリとしてから、無垢な笑顔で話を続けた。

 

「それなら、今度うちに遊びに来ませんか?かーくん人懐っこいから、幾らでも触れますよ~」

 

 そうか?アイツ、人懐っこいか?俺に対しては不遜な態度を撮り続けていて、いつも複雑な気分になるんだが。まあ、見た目はそこそこ可愛いが。オスだけど。

 すると、星空は何故か残念そうに笑い、小泉が「あの……」と口を開いた。

 

「凛ちゃん、実は猫アレルギーなんです。そんなにひどくはないんですけど…」

「「あー……」」

 

 つい小町と同時に、何ともいえない声が漏れる。

 星空は、心から残念そうにしゅんとしていた。

 

「にゃあ……あんなに可愛いのに、どうして凛は……ああ、モフモフしたいにゃあ……」

「「…………」」

 

 小町と顔を見合わせ、どうしたものかと考えていると、解決策ではないが、ちょっとした事が思い浮かんだ。

 

「……カマクラの写真、送ろうか?」

「え?」

 

 つい出てきた言葉に、自分でも驚いてしまう。いや、内容自体は大したことではなく、自分からそんな提案をした事に。

 星空もきょとんとしていたが、次に口を開くよりはやく、小町がパァンと手を叩いた。

 

「それいいかも!お兄ちゃんにしてはナイスアイデア!」

「お、おう……」

 

 お兄ちゃんにしては、の部分はいらないけどな。本当に。

 すると、マイシスターはさらに何かに気づいたような顔をして、「やば、小町天才かも」とか呟いた。

 ……嫌な予感がしたのは気のせいだろうか。 

 

「じゃあ、小町の携帯は今画像が送れないので、兄にしっかり毎日送らせますね!」

「………」

 

 ……そう来たか。

 だが断られる!

 さすがに星空も彼氏でもなく、友達とも言い難い男子から、毎晩メールが来るのは、あまり気分のいいものではないだろう。てか、気味悪がられるまである。

 

「よろしくお願いするにゃ~♪」

 

 ほら…………は?

 予想外すぎる星空のリアクションに、俺はまたキョトンとしてしまう。小学生時代なら可愛げがあったかもしれないが、今はただの阿呆に見えていることだろう。

 こうして、俺は星空にカマクラの画像を送りつける役になってしまった。

 

 *******

 

 その日の晩……。

 

「あ、メール来たにゃ~♪」

 

 ケータイの画面を確認すると、予想どおり比企谷さんからだった。

 素早くメールを開き、添付されたファイルを開くと、可愛らしい猫の顔が画面に表示された。

 

「わぁ、可愛いにゃ~……あれ?そういえば、このメールって比企谷さんから……」

 

 男の子とメールでやりとりするのは初めてだ。で、でも、ただのメールだよね!うん!

 何故かはわからないけど、もう一度メールを見る前に、鏡で前髪を確認してしまった。

 



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お出かけ

「あ、お兄ちゃん。今日凛さん達と出かけるから準備しといとね」

「…………は?」

 

 いきなりすぎる発言に、ソファーに寝転がる俺は首を傾げていたが、既に俺の頭の近くには、小町セレクトの服が置かれていた。

 どうやら俺が参加するのは決定事項らしい。こいつ、俺が暇だと見破るとは……あ、俺がボッチなの知ってるからか。

 

「つーか、何しに行くんだ?俺が行っても何もできないんだが」

「何言ってるの、お兄ちゃん。お兄ちゃんはいてくれるだけでいいんだよ」

「お、おお……」

 

 朝から何感動させに来てんの、このマイシスター?嬉しすぎて、お兄ちゃん泣けてきちゃうんだけど。

 

「ほら、荷物持ちとか、ボディーガードとか、荷物持ちとか」

「…………」

 

 だと思ったわ、このガキ……正直ボディーガード役としては微妙だと思うぞ。あと荷物持ち二回言ってる。

 とはいえ、このままゴロゴロする気分にはなれないので、俺は出かける準備をするべく、体を起こした。

 

 *******

 

「あ、来た!お~い!!」

「小町ちゃ~ん!!」

「こ、こんにちは……」

「…………」

 

 駅から出てきた二人に会釈をすると、小町から何故か肩を小突かれた。いや、ここで俺が満面の笑みを浮かべても、かえって気まずくなるだけだろ。

 すると、星空が俺の前に立ち、にぱっと爽やかな笑みを見せた。

 

「比企谷さん、おはようにゃ!」

「えっ、あ、ああ……おはよう」

 

 朝の陽射しのように爽やかな笑顔を、こんな間近で向けられたら、こちらとしても何か言わなければいけない気がした……いや、まあ、大したことは言えないんだが……。

 星空のぱっちり大きな目を、きらきらした瞳を、少しだけ見てから、俺は何とか口を開いた。

 

「……元気そうだな」

 

 ぽつりと零れ落ちたその一言に、小町が「はあ……」と溜め息を吐く気配と、小泉が「あはは……」と何ともいえない感じで笑う気配がした。いや、何を期待してたんだよ。

 そして、星空はというと……

 

「うんっ、凛はいつも元気だよっ!!」

 

 眩しさが増した笑顔で、俺はすぐに目をそらした。

 さりげなく頬をかくと、少しだけ普段より熱くなってる気がした。

 

 *******

 

 千葉駅付近の商業施設に入ってから、俺はさっそく疑問を口にした。

 

「そういや、今日は何の用事があったんだ?東京なら大概のものは揃うと思うんだが……」

「凛が言ったにゃ、千葉ってそういえばあまり行ったことがないなぁって。そしたら、小町ちゃんが案内してくれるって」

「……わ、私も、あまり来たことなくて……」

「そっか」

 

 この二人は千葉初心者らしい。

 さて、まずは千葉の何から教えればいいだろうか。

 いきなり鋸山とかいっとくべきだろうか。いや、ここは……

 

「お兄ちゃん、一人で千葉愛炸裂させてないで、ちゃんと歩いて」

「お、おう……」

 

 危ない。今のテンションで話してたら絶対ひかれるところだったー。普段教室であまり喋らない奴が、文化祭などのイベントでいきなりはしゃぎだして、クラスメートから冷めた眼差しを向けられる、みたいな。あれ、なんだろう、トラウマをほじくり返された気分なんだが……。

 そんな中、人混みを縫うように歩いていると、いつの間にか星空が隣を歩いていた。

 肩と肩が触れあいそうな距離で最大限の注意をしながら歩いていると、彼女はこちらに目を向けてきた。

 

「「っ!!」」

 

 だが、思わぬ至近距離で目が合い、どちらも驚きに目を見開いてしまう。

 このままだと何かがよろしくない気がしたので、俺は何とか視線を前方にやり、ぼそぼそと口を開いた。

 

「なんかやたら混んでんな」

「にゃあ……い、いつもこうなんですか?」

「混みそうな時はあんま来ないから正直何とも言えん」

「比企谷さんらしいにゃ。あ、あの……」

「?」

「今日はその……来てくれてありがとうにゃ」

「ど、どうした、急に改まって……」

 

 いきなりお礼を言われ、つい狼狽えていると、星空はさっきとは違う控えめな笑顔を見せた。

 

「えっと、今日は凛がいきなり千葉に行きたいっていいだしたから……比企谷さんに迷惑かけたなって……」

「……ああ、まあ気にしなくていい。どうせそろそろ外に出ようかと思ってたところだ。……この前も割と楽しかったし」

 

 俺の言葉に、星空は目をぱちくりさせた。心なしか頬に赤みが差している。

 

「にゃっ!?……じゃ、じゃあ、今日はいっぱい遊ぶにゃ~!!……あれ?」

「どした?」

「かよちんと小町ちゃん、どこにゃ?」

「は?…………あれ?」

 

 星空と共に、辺りを見回したが、小町も小泉もいない。

 隣に気を取られすぎていたか、今さら気づいた。

 どうやらはぐれてしまったようだ。

 



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ラーメン大好き星空さん

「比企谷さんは普段どこに行くにゃ?」

「まあ、大体本屋だな。てか、それ以外の場所にあまり用がない」

「ふ~ん」

 

 とりあえず二人を探しながら施設内を歩き回ることにしたんだが……まあ、この状況は小町の仕業だろうな。あいつはたまに変な気遣いをするから困る。あと変な輩にナンパされないか、お兄ちゃん心配。

 だが、あいつの目的を考えると、しばらく電話に出ることはないだろうから、今はこのままでいるしかない。

 

「ひ~きがやさんっ!」

「うおっ……!?」

 

 いきなり星空の顔が目の前に現れ、つい仰け反ってしまう。彼女は何故か頬を膨らませていた。

 

「もうっ、話聞いてる?」

「わ、悪い……少しぼーっとしてた。何の話だっけ?」

「ラーメンの話にゃ!」

「…………」

 

 マジでいつの間にそんな話になってた?

 まあいい。ラーメンの話ならどんと来いだ。

 

「割と行く方だ。一人で」

「あ、わかるにゃ~。凛もかよちんと行く時と一人で行く時分けてるにゃ~!」

「そ、そうか……」

 

 すまない。こちらにはそもそもそんな選択肢がないのだが……まあ、これは言っても仕方がない。言ったところでドン引きされるのがオチだろう。

 

「比企谷さんはこってり派?」

「まあ、今の気分で言えば……」

「じゃあ、凛と一緒にゃ!むぅ……こんな話してたら、お腹空いたにゃ~!よしっ、比企谷さん!ラーメン食べに行くにゃあ!!」

「……は?」

 

 暴走するラーメン愛を目の当たりにし、キョトンとしていると、いきなり手首を掴まれた。

 

「たふんこっちにラーメン屋があるにゃ!」

「お、おう……」

 

 変なスイッチ入って、やたらテンション高いんですが、あといきなりそんな事されたら、勘違いしちゃうからやめようね。それと、行くなら行くでフロアマップ見ればはやくない?

 色々ツッコみたかったが、唐突なイベント発生のせいで、何も言う間もなく、俺は星空にラーメン屋へと連行されていった。

 俺の手首を掴む彼女の手は、思ったよりもずっと小さくて、ひんやりとしていた。

 

 *******

 

「着いたにゃ……」

「……着いたな」

 

 施設内にあるラーメン屋なので、もちろんすぐに着いた。だが、手首にはまだ星空の細い指の感触が残っており、なんかどっと疲れていた。

 

「じゃ、じゃあ入るにゃっ……」

「?」

 

 なんか星空の様子がおかしい。心なしか頬が赤いような……。

 実は星空も異性は全然慣れてなくて、それで今さらながら顔を赤くしている、というのはさすがに考えすぎか。

 俺はかぶりを振って、まだ熱い頬をかき、星空のあとをついて、店の中へと足を踏み入れた。 

 

 



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ラーメン大好き比企谷くん

「う~ん、悩むにゃ~」

「…………」

 

 ラーメン屋に入り、メニューを開いたはいいが、星空はなかなか決められずにいた。

 さっきから頭を抱えて悩んでいるのを見ると、こいつのラーメン愛は本物だとわかる。

 だが、とりあえず決めないことには、話にならない。

 

「どれで悩んでるんだ?」

「チャーシュー麺のチャーシュー5枚か7枚で悩んでいるにゃ」

「…………」

 

 そこかい!と思わず突っ込みたくなるような内容だ。

 俺は首筋に手を当てながら、なるべく優しい口調で、かつさりげなく口を開いた。

 

「値段はそんなに変わらんから、7枚でいいんじゃないか?」

「……はいっ」

 

 意外とすんなり聞いてくれた。

 注文を終えると、後は待つだけ。

 この時間は普段なら精神統一をして待っている。だが……今日はいつもと違う。

 小町の友達と一緒にいる以上、精神統一のみというのは不味い気がする。もし小町に知られたら、後で何を言われるか、わかったもんじゃない。

 とはいえ、俺に相手を不快な気分にさせず、かつ楽しまれるトークスキルはない。くっ、気まずい沈黙ならいくらでも乗り越えてやるんだが……。

 

「比企谷さん」

「……どした?」

「やっぱり餃子も頼むべきだったか悩むにゃ」

「いや、それは待ったほうがいいんじゃないか?小町達が合流してから、一緒に何か食おうってなるかもしれんぞ」

「た、たしかにそうにゃ……!」

「……てか、まだ悩んでたのか」

「あはは……」

 

 照れたように頬をかく仕草に、つい胸が高鳴ってしまう。

 いや、まあ、そんなことよりも……向こうから話しかけてきてくれてよかった……。

 そうこうしているうちに、ラーメンが二つ運ばれてきた。

 もくもくとたっている湯気に、食欲を誘うスープの香り。つい見入ってしまうようなボリュームに、俺も星空も、自然と口元が緩んだ。

 こうなったら、ラーメン好きとしてはやることは一つ。

 黙ってひたすら味わう事だ。

 俺は星空に箸を渡し、気持ちを整えた。

 

「「いただきます」」

 

 *******

 

「ふ~、おいしかったにゃ~」

「そっか。じゃあ、よかった」

 

 ラーメンを食べ終え、店を出ると、言うまでもなく人は多いが、それを打ち消すくらいに星空はいい笑顔を見せていた。

 ああ、こいつのこういう感じも上手くは言えないが、なんか猫っぽいんだよな。

 

「あ、かよちんから連絡にゃ……フードコートで待ってるって……」

「……おう」

「ふふっ。比企谷さん、今度は皆でラーメン食べますか?」

「そ、それはまたの機会に……」

 

 星空からの素晴らしい提案を一旦スルーし、俺達はフードコートへ向かうことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ラーメンの余韻

 合流してからは、女子3人に男子1人という、端から見ればリア充感はあるが、ボッチ歴の長い奴からしたら、どうにも居心地の悪いパーティーであちこち移動して回った。明らかに男子が入りづらい店もあったので、ぶっちゃけあまり覚えてないくらいだ。

 外に出ると、だいぶ陽が傾いていて、意外なくらい時間が早く過ぎている事がわかった。

 星空は、まるで日向ぼっこをしている猫のように伸びをした。

 

「あ~、遊んだにゃ~♪」

「うん。今日は千葉に来れてよかったね」

「そう言ってもらえて小町も嬉しいです~。ほら、お兄ちゃん。千葉が褒められてるよ」

「お、おう、まあ気に入ってくれたならよかった。……気が向いたら、また来ればいいんじゃねえの?」

「ほら、お兄ちゃんも是非また来てください。よろしくお願いしますって言ってますよ~」

「そこまで言ってねえよ……」

 

 すげえはやさで改変されたな、俺の発言。いや、方向性はあってんだけどさ。

 

「にゃあっ!比企谷さん、次も案内よろしく頼むにゃあ!」

「……暇だったらな」

「ちなみに兄は年中暇です」

「やかましい」

 

 実際そのとおりなんだが、あえて口にすることじゃない。泣くよ?泣いちゃうよ?

 小町の言葉に、星空も小泉も哀しそうな目をこちらに向けている。おい、またかよ。

 

「比企谷さん!…………強く生きるにゃあ!」

 

 おい、何だその励まし方。むしろ哀しくなってくるわ。小泉は隣で聖母のような笑顔で頷いているし……。

 とはいえ、今日は不思議と素直に楽しいと思えたのは事実だった。

 ……やっぱラーメン偉大だな。次は一人ラーメンにしよう。

 

 *******

 

 その日の夜。

 

「……もしもし」

「あ、え、えーと……あ、比企谷さんにゃ!」

「……どした?」

 

 まあ、スマホでかけ間違いとかそうそうないよな。そんな好意をもった女子に電話をする時の口実みたいな……え、俺?や、やってないよ?ほんとだよ?ハチマン、ウソ、ツカナイ。

 星空は何故か言いづらそうに「あー」とか「うー」とか唸っていた。 

 

「忘れ物でもしたのか?」

「えっと……そうじゃなくて……」

「?」

「ま、また、ラーメン食べに行っくにゃあ!!!」

「っ!?」

 

 突然の大声の後、すぐに通話が途切れた。

 びっくりしたぁ……。

 しばらく心臓がばくんばくん鳴っていたのは、きっと大声のせいだろう。

 

 *******

 

「にゃあ……またラーメン一緒に食べようって言うだけなのに、すっごく緊張した……何でだろ」

「凛~、ちょっといい?あら、アンタ顔真っ赤だけど、どうかした?」

「な、何でもない何でもない何でもない!」

 

 

 

 

 



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心配にゃ

 読書をしていたら、気がつくと日を跨ぎそうになっていた。

 明日から学校なので、そろそろ寝ようかと身体をベッドに投げ出すと、携帯が震えだす。

 画面を確認すると星空からだった。

 もう一度確認してから、何故か意味もなくシーツを整え、通話ボタンを押すと、彼女の声が聞こえてきた。

 

「あ、比企谷さん!今大丈夫にゃ?」

「……あ、ああ、まあ大丈夫、だけど」

「あはは、明日入学式だって思ったら落ち着かなくて……かよちんや小町ちゃんはもう寝ちゃったし……」

「それで代わりに俺というわけか……」

「ち、違うにゃ!ただの代わりとかじゃなくて!その……比企谷さんの声が聞きたかった……にゃ」

「……そ、そうか」

 

 いきなりすぎる言葉に、何と反応すればいいかわからずに、手の甲を頬に当ててしまう。

 向こうは大して気にしてなさそうに話を続けた。

 

「比企谷さんはクラス替え気になるにゃ?」

「……教師に忘れられずにどこかのクラスに入れられてればいい」

「何の心配にゃ!?」

「まあ、あれだ。色々あんだよ。お前も気をつけといたほうがいい」

 

 色々思い出しそうになるが、とりあえず記憶の蓋を閉じた。ふぅ、危ねえ。セルフ・マインドクラッシュするとこだったぜ。

 

「わ、わかったにゃ!」

「てか、忘れ物とか大丈夫なのか?」

「入学式だから大丈夫にゃ!」

「……ああ、そうだよな」

「比企谷先輩こそ大丈夫?何だか心配になってきちゃったにゃ」

「……大丈夫だ。今以上に下になることはない」

「やっぱり心配にゃ!?何か凛にできることはない?」

「い、いや、まあ、大丈夫だから……なんか悪いな。あと…………ありがとな」

「……な、なんか照れるにゃ。あ、そうだ!もう寝なきゃ!比企谷さん、おやすみにゃあ!」

 

 いきなりかかってきた電話はいきなり切れた。

 通話を終えると、さっきと同じ静けさが漂い始める。

 だが、どこか違う気がして、それが少しくすぐったくて、つい笑みが零れていた。

 窓から月を見上げると、はっきりとこちらを照らしていた。

 

 ********

 

 特に何事もなく新しいクラスに溶け込むと、あっという間に時間が経った。

 何度か視線を感じた気がしたが、まあ気のせいだろう。もう勘違いすることは二度とない。

 ……星空は今頃入学式を終えて、クラスメートと談笑しているのだろうか。

 ……いや、何で今星空のこと考えた?まあ、別にいいか。大した意味はない。

 そんなことを考えていると、春風が頬を撫でていった。

 それは少しだけ暖かくなっていた。

 

 ********

 

「んくしゅっ」

「凛ちゃん、どうしたの?風邪?」

「ん~、よくわからないにゃ」

 

 はぁ、比企谷さんは大丈夫かにゃあ?

 電話してみよっかな。

 

 



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何気ない一言

 入学してから一週間。凛は陸上部の体験入部に参加していた。

 やっぱり体を動かすのは大好き!

 久しぶりにグラウンドを走る感触が気持ちよく、いつまでも走れそうだ。

 

「星空さん、すごいね!こりゃエース候補かも……」

「てかバネだけなら、既に部内一だよね」

 

 こっちからはよく聞こえないけど、先輩達が仲良さそうだし、ここなら楽しくやれそうにゃ!

 だけど、少し気になることがあった。

 

 ********

 

 翌日。

 帰りのホームルームが終わると、すぐにかよちんの元へ向かった。

 

「かよちん。まだ部活決めてないの?」

「うん。もうちょっとだけ……」

 

 かよちんはまだ部活を決められないでいた。最初は一緒に陸上部に入ろうって誘っていたんだけど……。

 

「スクールアイドル部が気になってるの?」

「えっ?あ……えっと……」

 

 やっぱりだ。ちっちゃい頃からアイドルに憧れているかよちんは、スクールアイドルをやろうとしている2年生の先輩達を見て、自分もやってみたいと思ってるんだ。

 ……よし、ここは凛が背中を押してあげなくちゃ!

 

「ねえねえ、先輩達に会いに行かない?」

「凛ちゃん?」

「かよちん、スクールアイドル部入りたいんでしょ?」

「あ、ち、違うよ……ただ、どんなライブするのかなって……」

「……そう、にゃ?」

 

 多分ウソだと思う。そんな顔だ。

 でも、それ以上は何も言えなかった。

 

 ********

 

 家に帰って、何となくテレビを見ていると、かわいい衣装を着たアイドルが映っていた。

 ……かわいい。

 かよちんなら絶対にあんな風になれるのに。

 そんなことを考えていたら、その隣に同じ衣装を着た自分が登場してきたので、慌てて起き上がる。

 

「凛には似合わないよ……」

 

 つい呟いた言葉は、自分でもよく聞いている言葉だった。

 嫌な考えが頭を埋め尽くしそうだったので、頭を振ると、あの人のことを思い出した。

 そういえば、比企谷さんって部活入ってるのかなぁ?

 何となくメッセージを送ると、五分くらいしてから返事が返ってきた。

 

『帰宅部だったが、今日奉仕部に入部させられた』

 

「にゃ?ほーし部?」

 

 どんな部活だろう?よくわからないにゃ……。

 

『どんな部活なんですか?』

 

『俺もよくわからん』

 

 どういうことかにゃ?

 あと入部させられたって……。

 

『どうして比企谷さんは入部させられたんですか?』

『まあ、あれだ。色々あったんだよ……』

 

 そっかぁ。色々あったんだぁ。比企谷さんも大変にゃ。

 気がつくと、心が軽くなって、少しお腹が空いてきた。

 



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