独裁者な幼馴染みを辱める話 (まさきたま(サンキューカッス))
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幼馴染みは独裁者

 演説が始まった。

 

 世界を敵に回してまで、民族としての誇りを守り抜くため、戦い続けることを選んだ国民達。

 

 そんな勇敢で無謀な民衆を、束ねることを強いられた支配者の、街頭演説。

 

 

「親愛なる、我が愛しき従僕達よ。今日は一つ、残念な報告をしなければならない」

 

 

 透き通るようなアルトボイスが、民衆に埋め尽くされた広場に響き渡る。

 

 それと同時に、ゴォン、と低い重低音が鳴り響く。彼女の発言に合わせ、配下の兵が銅鑼を鳴らしたのだ。

 

 ────彼女の、支配者としての、言葉の重みを演出するため。彼女を支配者として、持ち上げるため。

 

 

「愚かなる隣国は、我らの慈悲を蹴り、戦火の火蓋を切った。実に嘆かわしいことだ」

 

 

 数千を数える市民たちの前で高台に立ち、そう言いやれやれと首をすくめるのは、まだ年端もいかぬ少女。

 

 彼女は、超人的に優秀だった。

 

 ただそれだけで、まだ成人もしていない齢17歳の華奢でか細いその少女は、国の運命をその肩に背負ったのだ。

 

 父親が、先代の総統であった事。その父親の仕事の半分を、子供のうちから軽々こなしていた事。見目麗しく、広告塔としてはこの上なかった事。

 

 そして何より、常に時代のひと回り先を行く発想力と、それを実現する行動力。すべてを備えて生まれてきた彼女は、間違いなく100年に一度の英雄だった。

 

 その常人離れした圧倒的なスペックを、優秀な人間に飢えた政府は放っておかない。放っておく余裕はない。

 

 国民の全員が、世界と戦うことを望んでいる。自国の何十、何百倍もの戦力を相手に、勝ち目の無い戦いを挑むしかない状況。

 

 こんな状況から、国を守り抜けるとしたら、それは英雄でしかありえない。彼女は前総統の娘であり、若くして指導者の立場につくことを国民を納得させるのは難しくなかった。

 

 周りに持ち上げられた彼女はわずか15歳にして、このハーゲン帝国の総統になった。そして、彼女主導のもと、様々な制度改革・地方開発・軍備拡張を信じられない速度で実現していったのだ。

 

 

「だが、悲しいかな。隣国は我らを見くびりすぎている。我々の真の敵は世界だぞ? たかが1国を相手に、後れを取る事があるわけない」

 

 

 その結果。弱小であった我らハーゲン帝国は、たった数年で強国と呼ばれるにふさわしい軍事力を手に入れた。

 

 最先端の兵器と、それを利用した上で地に足の着いた大胆な新戦術。募ればいくらでも現れる、士気の高い新兵。

 

 世界はまだ気づいていない。我がハーゲン帝国が、一人の天才によってとんでもない脅威となりつつある事に。

 

 

「だが。いまだ世界を相手にとって戦うには、時期尚早。本気で隣国を粉砕してしまえば、その脅威を感じ取った列強の強国共が、焦って我らに進撃してくるだろう」

 

 

 総統の演説は続く。今日の演説内容は、侵略してくる隣国に対し、和平を結ぶことを国民に納得させる演説だ。

 

 ハーゲン帝国の国民のプライドは高い。なぜ、勝てる相手に弱腰にならねばならないのか。

 

 そういった不満の声を押さえるのが、本日の演説の狙いだ。

 

 

「耐え忍ぶ時だ、我が従僕達よ。この私、ロレンシアを信じて欲しい」

 

 

 聞いていて心地よいアルトボイスが、囁くように耳を打つ。

 

 

「5年だ。私が就任して、5年経てば世界を敵に回せるだろう。つまり、今日から数えてあと3年。我らは、まだ動くべきではないのだ」

 

 

 15歳で国の最高権力者となり、様々な改革を2年かけて進めてきた、稀代の天才ロレンシア。彼女の言葉だからこそ、今の発言は説得力を持つ。

 

 ……まぁ、今回の演説の大部分は、実は僕が代筆したものだが。多忙を極め、寝る暇すらろくにないロレンシアに、演説の台本なんてくだらない雑事をさせる訳にはいかない。

 

 彼女の幼馴染であり、ずっと彼女の隣に立って、彼女の理想を聞き続けた僕だからこそ。

 

 彼女の話し方、考え方はよくわかっている。事実、僕の台本に目を通した彼女はほとんど修正せず採用してくれた。

 

 平凡で、お世辞にも優秀と言えない僕を、秘書としてずっと近くに置いてくれているのは。思い上がりでなければ、彼女は僕のことを信用してくれているんだろう。

 

 たまたま隣の家で、彼女の父が総統になる前からの付き合いで、同じベッドで兄妹のように過ごした僕を。

 

 

「とはいえ、納得できぬ者も多いだろう。だが! そもそも根本の原因は、貴様ら従僕にある。貴様らが戦力として未熟だから、我々はこんな煮え湯を飲む羽目になるのだ!!」

 

 

 彼女の演説が佳境に入る。その瞳は凛凛と輝き、握ったマイクからは汗がしたたり落ちる。

 

 ────ああ、美しい。そして、尊い。

 

 キラキラと輝く、彼女の後姿。固唾をのんで見守る、数千の民衆。

 

 

 

 ……彼女が演説する高台の後ろで、背中で腕を組んで立ち尽くす僕は、後悔していた。

 

 彼女は、あんなにも神聖で、汚れなき精神を持ってあの場に立っているというのに僕は。

 

 僕はっ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その、高台の後ろに待機する兵は、みな目をそらしていた。

 

 軽い出来心だったのだ。

 

 僕はめくりあげた。演説の直前まで書類仕事をしようと、控室に仕事を持ち込んだ挙句、あっさり寝落ちしてしまった彼女のスカートを。

 

 お尻のスカートめくりあげて、こっそり背中にシールで張り付けたんだ。僕も疲れてたんだろうか。

 

 しかも間が悪いことに、その直後に彼女は目を覚まし、仕事を再開した。お尻のパンツが丸見えのまま。

 

 

 

 正直に白状しようか、すごく迷った。でも、彼女は徹夜続きで明らかに機嫌が悪そうだ。

 

 バレない様に、こっそりとシールを外そう。僕はそう判断し、そして────

 

 

 

 結局チャンスがなく、彼女はパンツ丸出しで演説を続けている。

 

 

 どうしよう。凄くいたたまれない。

 

 これ、バレたらいくら僕でも処刑されるんじゃないだろうか。兄妹のように親密な僕らでも超えちゃいけない線はあって、多分その線を振り切ってる気がする。

 

 てか、まだハート柄の子供パンツ履いてるのかロレンシア。

 

 

「私はここに新兵を募集する! 隣国に頭を下げずに済ませられるように! 世界に見下された現状を打破するために! 私は、諸君らの更なる尽力と、節制と、協力をここに命じる!」

 

 

 ひらり。

 

 彼女が身振りを派手に演説する度に、お尻の上に張り付けられたスカートがはためく。

 

 み、見ちゃだめだ、自制しろ僕。

 

 

「私についてこい、賢明なる我が従僕達よ! あと3年経てば、諸君らは世界の頂点に立てる! ここでの忍耐を、恥と思うな! 我らの発展のための1歩と思え!」

 

 

 彼女は高台の上で、叫び、そして笑った。

 

 背後に立つ僕には、その横顔からしか、笑顔を見られなかったけれど。

 

 獰猛で、まっすぐ前を見つめた、支配者としての笑み。パンツ丸出しでなかったら、きっと僕の目はその笑顔に釘付けだっただろう。

 

 ……ごめんなさい、今はパンツのほうが気になります。

 

 

「我らは発展した! 国は富み、食糧難はなくなった! 交通の便は整理され、技術者は存分に開発に努め、教育は充実し、資源は存分に蓄えられた!」

 

 

 ふりふり。

 

 ロレンシアは身を乗り出し、民衆をにらみながら演説する。その過程で、お尻が左右に揺れる。 

 

 あー、もういいや。すっごい眼福だ、欲望のまま凝視しよう。どうせ処刑されるなら、たっぷりロレンシアのお尻を堪能してやろう。

 

 いい尻してるなぁ、ロレンシア。かわいくなったよなぁ、昔からだけど。

 

 

「だが、まだ足りぬ! まだ、競り負ける。 今蜂起しては、国が亡ぶのだ。私は親愛なる従僕諸君を、無駄に死なせるつもりはない」

 

 

 そういうと、彼女は静かにこぶしを前に突き出した。

 

 

「以上で、演説を終わる。もし、隣国に和平を結ぶ件で、文句があるなら我が総統府の前で好きなだけ叫ぶと良い。もっとも、命の保証はせんがな。以上だ」

 

 

 彼女はそこまで言うと、くるりと身を翻し、ゆっくりと僕らのほうへ戻ってきた。

 

 い、一応演説台の上にはマイクを置くように机があるし、民衆にはパンツが見えてないとは思うけど……。

 

 後ろで控える親衛隊には全員にパンツ見られてるんだよなぁ。隊長さんが僕の方を睨み、ジェスチャーで何とかしろと言っている。

 

 ……まぁ、このままロレンシアが帰ると、更にパンツの目撃者が増えてしまう。それは、彼女にとっても僕にとっても好ましくない。何とかしなければならないのは、当然だ。

 

 よし、ここでこっそり耳打ちして、自分でスカートを直してもらうか……? 僕がシールを貼り付けた事は、どうせ即座にバレるんだろうけど。

 

 あー、そっか。どうせ処刑されるんなら、僕自身の手でシールを剥がした方が良いな。

 

 気づかれないと言うワンチャンにかけて。

 

 ……慎重に、ロレンシアが横切った瞬間を狙って、ソレ!

 

 

 

「っ!?」

 

 

 

 あ、手がお尻に当たっちゃった。というか、鷲づかみにしちゃった。

 

 ビクリと背を振るわせた後、顔を真っ赤にしてロレンシアが睨みつけてくる。オイオイオイ、死んだわ僕。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何なんだ君は!! 馬鹿なのか、阿呆なのか、この私にどれだけ恥をかかせたいんだ!?」

 

 ……ロレンシア。僕のかわいい家族であり妹のような存在である、幼馴染の天才少女。

 

 僕と彼女の関係は、お互いがお互いに信頼しあっている、無二の存在といったところか。そんな僕を殺すのは、流石に忍びなかったらしい。

 

 幸いにも、彼女は即座に僕を処刑台送りにはしなかった。

 

 その代わり、個人的に僕を制裁するのだとか。あーよかった、これなら寧ろお願いしたいくらいだ。

 

 それにしても、ロレンシアは激怒していてもかわいいなぁ。

 

「ごめんごめん、悪気は無かったっていうか、魔が差したっていうか……」

「その軽い行動で、私は何人に下着を見られたと思ってるんだ!? しかも、あ、あんな柄……」

「あ、ソレソレ。その年でハート柄はどうかと思うぞ、ロレンシア」

「やかましい! 肌に合うんだ、アレが!」

 

 ばしーん。椅子に括り付けられた僕に、ロレンシアの渾身のビンタが炸裂する。

 

 我々の業界じゃなくても、ご褒美ですな。顔真っ赤な美少女のビンタほど心地よいものはない。

 

「君はいつもいつもいつもいつも、下らないことばっかりして!!」

「あははー」

 

 ヘラヘラ笑う僕に、ますます怒りをグレードアップさせるロレンシア。バシンバシンと、顔をしばかれた僕は快感で悶える。

 

 そんな、僕と彼女の他愛ないコミュニケーションは続く。いかに天才といえど、何処かで感情を爆発させるガス抜きは必要なのだろう。

 

 案外彼女が僕を傍に置いているのは、こういったガス抜きを期待しているのかもしれない。

 

「次やったら許さないからな! 絶対だからな!!」

「もちろんさロレンシア。僕が君を裏切る事なんて、天地がひっくり返ってもあり得ない」

「う、そこは信用しているけど……。こういう悪戯だけは何度言っても改めてくれないよね」

「ロレンシアは可愛いからな」

「うるさい、大馬鹿!!」

 

 演説を終えた若い支配者の執務室に、ビンタの音は夜遅くまで響いた。

 

 ああ、気持ち良い。今夜はよく眠れそうだ。




多分続かないです。
ノリと勢いで書き上げました。


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独裁者は甘えたい?

「っはぁ、はぁ」

 

 熱い吐息が、ロレンシアの口から零れる。更に、タラリと彼女の唇から、よだれが一筋流れ落ちた。

 

 そんな彼女は、顔を真っ赤に染めながら、僕の腕に抱き着いて、しな垂れるように立っていた。

 

 鼻と鼻が触れ合う距離。頬を上気させ、僕にすべての体重を預け立っている彼女。僕は、そんな彼女の顔へ、ゆっくりと手を近づける。

 

 そして、やさしく耳元で、囁いた。

 

「はい、ロレンシア。鼻かんで」

「んー!!」

 

 僕の手に持ったチリ紙が、湿り気を帯びる。

 

 すかさずチリ紙を取り換え、僕は鼻水だらけの彼女の顔を、やさしく拭きとって綺麗にしてやるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロレンシア。今の君の体調で、前線に赴くのは無茶だと思うよ」

「うるさい、良いから支度しろ」

 

 ズビー、と鼻をかんでも可愛いロレンシア。

 

 そんな彼女の愛くるしさとは裏腹に、現在我がハーゲン帝国は絶体絶命の危機に瀕していた。

 

 隣国の宣戦布告。それにあえて勝利せず、外交により停戦に持っていかねばならない現状。

 

 しかも、軍部の人間がロレンシアの方針を正しく理解し、そして実行してくれるとは限らない。なるべく抵抗せず、住民の避難を優先して領地は放棄しろといった命令を、”遠回しに”前線には通達したのだが、その意をくみ取ってくれる将校はいなかった。

 

 

 ロレンシアは、頭が切れすぎる。頭が切れない人間の思考回路を、読み違えたのだ。

 

 

 残念ながら、無線を使って彼らに詳しく方針を説明することはできない。

 

 

 何故なら我が軍で使用している遠距離無線は、すべて傍受され、暗号も解読されているからだ。僕たちは常に、敵に手の内を見せながら戦い続けねばならないのだ。

 

 もっともロレンシアは既にそれに気づき、現在、全く新しい暗号形態とその通信法を開発中である。

 

 それが導入されるまでは、我々は前線に”遠回しな命令で”真意を伝え続けるしかない。

 

 

 そして、残念なことにロレンシアの意をくみ取れなかった将校たちの手によって、隣国との戦線は拮抗してしまっていた。更に最悪な事に、戦況は消耗戦の様相を呈している。

 

 5年後に向けて温存していた資材や金銭を、軍部は自己判断で湯水の如く消費し、無意味に戦線を維持し続けているのだ。

 

 このままではまずい。そう考えたロレンシアは自ら、最前線に赴き司令部に真意をかみ砕いて説明する事にした。彼女の考えは、普通の人間にとってはかみ砕いて説明されなければ理解できないと、彼女は気付いたらしい。

 

 17年一緒にいた僕ですらギリギリ理解できるくらいだからなぁ。彼女の考えを、周りに分かりやすく解説してる僕みたいな役目の人も向こうにはいないらしい。

 

 ……近々、命令の解読役として僕を戦線に飛ばしたりしないよね? それが一番いい方法な気がして怖い。

 

 そんな、国の存亡をかけた非常に大事な時期だというのに。昨日よりロレンシアは、40℃を超える高熱を出して床に伏せっている。

 

 頼れるリーダーは意識朦朧、心身薄弱。隣国は大挙として押し寄せ、軍部は命令を理解せず資源を浪費し消耗戦。

 

 ハーゲン帝国、終わったかもしれん。

 

 

「せめて今日は休養したほうがいい、ロレンシア。今休めば、その風邪は長引かずに済むはずさ」

「馬鹿者! 代わりに、戦争が長引くだろうが!」

「君が倒れたら、この国は終わるんだぞ」

「うるさい! 私は車の中で休めばいいだろう、良いから君は資料をまとめておけ!」

 

 そして、彼女の悪い癖というか、意地っ張りなところが出て、彼女は激高していた。こうなればロレンシアはテコでも考えを絶対に変えない。

 

 殆どのケースで彼女の考えが正しいのだから、彼女は自分の考えをそう簡単に覆さないのだ。これは、彼女の数少ない短所といえるだろう。

 

「今日、何人の我が従僕が、銃弾に怯え、戦火に焼かれ、絶望に沈んでいると思う!? 1日も休んでなんかいられるか! その1日で何人死ぬと思ってる!」

「ロレンシア……」

「私は行くぞ、この体が焼けつくそうと。それが、私の背負ったものなんだ!」

 

 ……ああ。こうなれば仕方がない。

 

「車の準備はできているか?」

「行かれるのですか」

「今のロレンシアを説得できる人間などいないさ。こうなれば、少しでも早く車の中で休んでもらうのが一番だ」

「わかりました、秘書殿。車は既に、用意させてあります」

「そうだ、それでいい。早く私を、司令部の大馬鹿のところへ連れていけ」

 

 

 ゲホ、と湿った咳をこぼしながら。彼女はニヤリと、目の前に走ってくる車を見てほほ笑んだのだった。

 

 ……本当に大丈夫なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕たちは狭く臭い自動車に乗り、半日以上をかけて移動した。向かったのは、ハーゲン帝国東部の隣国との領土線付近に展開された、5㎞にも及ぶ巨大な戦線のその司令部が設置された都市ダタイ。

 

 即ち、軍部の最高司令官のいるその場所である。

 

 アポイントもなし、事前連絡もなし(というか、盗聴されているので出来なかった)の体一つで緊急視察。

 

 予想はしていたが、すんなりと最高司令官に面会は叶わなかった。

 

 最初はロレンシアが本物かどうかの尋問から始まり、忙しいだの作戦中だので一向に話が進まない。いろんな場所をたらい回しにされた挙げ句、何度も遠回しに“帰れ”と言われ続ける。

 

 僕が必死でツテを辿って面会を取り次ぎ、粘り強く交渉を進めた。結局、最高司令官ルーデンとの会談が叶ったのは、僕達が到着して5時間は過ぎた深夜2時であった。

 

 時間が経つにつれ、ロレンシアの機嫌が目に見えて悪くなっていく。体調が悪いのを押してきているのに、総統からの面会要請を優先しないとはいかなる重大な仕事なのか、とブツブツ言いながら持ち込んだ仕事を処理する彼女は正直すごく怖かった。

 

 そんな命知らずな司令官ルーデンは、ロレンシアを指令室に招き会釈して。ロレンシアが言葉を発する前に視線を切り、義理は果たしたとばかりに彼女を無視し、隣にいる部下に指示を飛ばし始めた。

 

 呆然とするロレンシアに、彼の秘書であろう女性の一人がロレンシアへ近づき、「要件は私がお伺いします」と一言。

 

 あちゃあ。どういう対応だ、一国の元首に向かって。

 

 ────とうとう、ロレンシアの中で何かが切れる音がした。

 

 

「ルーデン」

 

 要件を紙に書いてくれと白紙を手渡そうとした秘書の女性に一瞥すらせず、ロレンシアは忙しそうにしているルーデンの方へと歩く。

 

「申し訳ありません総統閣下。少々立て込んでおりまして、後程お伺いします。明日には時間を作りましょうとも」

「何がそんなに忙しいのか」

「ええ。東北部の戦線が総攻撃を受けております。ここが崩れてしまえば、戦線の崩壊は必至。しばし時間をいただきたく」

「ルーデン。東北部の予備勢力は、南部防衛に回せと通達しなかったか? 万一、南部の油田地区が奪われたら我らに未来はないぞ」

「恐れながら、ロレンシア閣下は戦争戦略に関しては明るくないと感じまする。素晴らしい政治手腕をお持ちではありますが、戦争に関しては年季と経験に伴った私の采配を信用していただきたく」

「聞こえなかったか、ルーデン。東北部に兵力を集めてどうする。南部に回せ」

 

 二人の間の空気が凍り付いている。オロオロと棒立ちになった秘書さんから、一応僕は差し出された白紙を受け取っておく。

 

「閣下。今は問答をしている時間の余裕はありません。我が采配をもってすれば、東北部の戦線を維持しながら十分に南部の油田をも守り切って見せますとも。ここで予備兵力を引くのは、むざむざ東北を明け渡すようなものであります」

「その結果、燃料は? 弾薬は? 3年後の蜂起の際に、十分な戦闘資源を保つことができるのか?」

「ふふ。燃料や弾薬を惜しんで戦争を放棄するおつもりで? 本末転倒もいいところですぞ」

 

 やりあってるなぁ。僕は変に口を挟まず、おとなしく落書きでもしておくか。

 

 僕はもらった白紙に、自前の筆ペンでロレンシアの似顔絵を描き始める。かわいいロレンシアの肖像画を指令室に飾れば、少しは空気も緩やかになるだろう。

 

 秘書さんがギョッとした目で僕を見ているけど、気にしないでおく。

 

 5歳ぐらいの、聡明さを発揮しつつ甘えん坊な時代のロレンシアを書こう。今思い出しても、彼女は可愛かったなぁ。今は可愛い半分、美しい半分になっちゃった。

 

 どっちにしろ尊いけれど。

 

「はっきり言わなければわからんかルーデン。東北戦線を放棄し、あの近辺の3都市は奴等に占領させてやれ」

「……おっしゃっている意味が分かりかねますな」

「あの辺にめぼしい地下資源はない。重要な施設もない、農村地帯だ。それどころか、畑のイナゴの卵が凄まじい数だと報告されている。イナゴの大量発生が予測され、今年は飢饉になる可能性が高い」

「……」

「東北部から、首都へ直通する道もない。隣国にくれてやるには、あれ以上の土地は存在しないだろう」

「くれてやらずとも、守れますぞ?」

「停戦の条件にする。東北3都市の放棄と、多額の金銭賠償によって無期限の停戦を行う。本当に負けたように見せかけるのと、停戦の餌を兼ねているのだ」

「それはすなわち、我らがハーゲン帝国を隣国の属国として売り飛ばすという意味でしょうか? ならばここで、総統閣下を銃殺せねばならないのですが」

「戦争が貴様の領分なら、政治は我が領分だと知れ。どうせ3年後には世界を敵に回すのだ。口約束で好きなだけ譲歩すればいい、そういう話だ。3年後までに賠償の支払いを行う約定にすれば、実質タダで停戦できるだろう」

 

 2人のにらみ合いが続く。あの剣呑とした雰囲気で、銃殺をちらつかされて一歩も引かないロレンシアは凛々しい可愛い。

 

 そうだ。甘えん坊なロレンシア5歳が、凛々しい今のロレンシア17歳に甘えている構図にしよう。

 

 なんと尊いんだ。この落書きは後世に残る傑作となるだろう。

 

「では、あの土地の住人はどうなりますか」

「住民の避難を最優先させろ、と通達しなかったか? まさか、まだ避難が終わっていないなんてことはあるまいな」

「ほぼ完了しておりますが、一部の住人は意地を張って残っています」

「ならば構わん。自分の意志で残ったのだ、占領され地獄を見ても、自己責任だろう」

「彼らは我らの勝利を信じて、残った民ですぞ。お見捨てになるのですか」

「当然だ」

 

 ────その言葉を聞いたルーデンは、腰元の銃を抜きロレンシアへと向けた。

 

 間髪入れず、僕がロレンシアに向けられた銃を撃ち落とす。ロレンシアを守るために練習した、拳銃早撃ち。これが割と、役に立つ機会が多い。

 

 激昂しているルーデンは、撃ち抜かれ血塗れの手で立ち上がり、なおも懲りずにロレンシアに詰め寄った。即座にロレンシアの護衛がルーデンを取り押さえるが、彼は一歩も引く様子はない。

 

「反逆か、ルーデン。貴様の戦略そのものは評価しているから、殺したくはないのだが」

「……我らに退けと? 勝って、追い返せるだけの戦力を有しながら、民を見捨てむざむざ敵に白旗を上げろと?」

「民を見捨てるのではない。自らの身の危険を察知できぬ愚物を見捨てるのだ」

「愚物ではありません。誇り高き民でしょう。避難せず残ったものは皆、兵たちの家族です」

 

 ルーデンは、ロレンシアを睨みつけ、声高に叫ぶ。

 

「戦地へ赴く戦士たちに! 背後には我らがいるぞと! 我らもともに命を懸けると、我らの士気を高めるためにあえて危険を承知で残ったのですぞ!」

「愚かな奴だ」

「そんな彼らを見捨てるのですか? 私に、私に、妻や子供を見捨てろというのですか?」

「ルーデン」

 

 ロレンシアは、そんなルーデンに一言、呆れたように呟いた。

 

「そんな馬鹿な風習があるのなら、なぜ貴様がやめさせなかった? いや、貴様もそんなふざけた風習に乗っかっている愚物か?」

「愚……物……?」

「戦略上、意味のある撤退は勝利のために必要だと知っているだろう。自ら撤退を封じて戦うとは、ただの阿呆だ」

「違う。これは、共に戦うといった誇り高き……」

「はっきり言ってやろうかルーデン。貴様の家族が残っているから、東北部をそんなに重視しているのだろう?」

 

 ロレンシアは、ルーデンをそうバッサリと切り捨てた。

 

「どけ。これ以上貴様に任せられない。現時点より、戦線の総指揮は私が執る。はぁ、わざわざダタイまで来た甲斐があったと言うべきか、部下の愚かさを嘆くべきか」

「違う……私は……、勝てる戦争だから……」

「勝ってはいけない戦争だ。その大前提に気付け愚か者」

 

 そう言い、ロレンシアは司令部の席に座り書類に目を通す。

 

「はぁ……。資源運用や戦略眼は悪くないんだけどなぁ、ルーデンよ。家族への情に負け、大局を見失うとは情けない……」

 

 彼の残した書類を見て、ロレンシアは愚痴をこぼす。彼女は本当に、残念そうな顔をしていた。

 

 ルーデンは顔を伏せ、微動だにしない。

 

 んー、後で僕がフォローしておくか。ルーデン指令もまた、我がハーゲン帝国には必要な人材だし。撃ち抜いた僕が言うのもなんだけど。

 

 ロレンシアはその辺の人づきあいとか苦手なのだ。自分で何でも背負い込んで、自分の仕事を増やしていく。

 

 ルーデンの様な、そこそこに優秀程度の人材なら、惜しまず切り捨ててしまう悪癖。我が国では貴重な、優秀で老練の指揮官なのに、勿体ない事この上ない。

 

 甘い言葉で言いくるめて、再利用しないと。ロレンシア1人で抱え込みすぎると、いつかこの国は回らなくなる。

 

「回線を回せ。全部隊に繋げ、作戦を大幅に変更する」

 

 彼女はそう言って、指令室の通信手に指示を飛ばす。僕はルーデンをフォローするため、尊いロレンシアの落書きを手に持って彼に近寄る。

 

 放送が終わったら、ルーデンに声を掛けよう。

 

「えー、マイクテスト。聞こえているだろうか。まずは名乗ろう、私はハーゲン帝国総統、ロレンシアである」

 

 その放送は、戦線の全陣営より受信したことを告げるランプが灯った。感度は良好の様だ。

 

 すべての陣地の状況を把握しながら、全陣地に対しリアルタイムで指示を飛ばしていく方針らしい。ロレンシアならば、それくらいできるのだろう。

 

「えー、現時刻より、ロレンシアの名をもって作戦の変更を通達する。まず、東北司令部のお兄たまの諸君」

 

 ……ん?

 

「……失礼。東北司令部の従僕諸君。ルーデン総司令により出された指示を一時中止し、今から出す方針に従って敵の行動を取ってほしい」

 

 東北司令部のランプが2回点灯する。了解の合図だ。

 

「現時点で残存している市民の避難を最優先。次に自分の命を優先だ。余裕があれば戦闘物資の運び出し、最後に戦線の維持に努めろ」

 

 ……あー、残ってる市民の避難勧告、やっぱりやるのね。ロレンシアは甘いというかなんというか。

 

「予測になるが、次の敵の作戦は南方急襲である。南方へ戦力を結集しろ、第4師団、第5師団は直ちに南方戦線へ向かえ。第6師団は私を抱っこしろ」

 

 通信手が、ギョッとロレンシアを見上げる。

 

 ……東北戦線を崩壊させるため、第4.5師団を南方へ向かわせるのは良いとして。第6師団に何をさせるつもりなんだロレンシアは。

 

「あー、すまない、本当にすまない。言い間違えだ。第6師団は現戦線を維持せよ。以上、作戦通達を終える」

 

 先程から、言い違えが多いな。不審に思い彼女を見上げると、ロレンシアの顔は益々紅潮し、目が虚ろになってきていた。

 

 どうやら彼女の風邪が、悪化してきているらしい。通信を終えると、彼女はフラリと倚子にもたれかかった。

 

 

「ルーデン最高司令官殿。ロレンシアを、憎く思いますか?」

「……」

「今のロレンシア総統閣下のコンディションは、最悪です。そんな彼女が、わざわざ此処に乗り込んできた理由を理解して頂きたい」

「勝てる戦争に負ければ、我が軍の士気は壊滅する。まだ若すぎるあの女には、人の感情の機微が分かっていないのだ。このままでは、ハーゲン帝国は……」

「それを、お頼みしたいのですよルーデン指令」

 

 僕は、負傷した彼の手に包帯を巻き付け、耳元で囁く。

 

「彼女は優秀過ぎます。だが若く、経験が無い。それが故に、感情の機微を理解できない」

「その通りだ」

「ルーデン指令。軍部に名を轟かせる英雄たる、貴殿のお力をお借りしたい。何とか兵士達を慰安し、士気を保って頂きたい。彼女の描いた絵が実現すれば、我が国家は世界を統べる。それは、保証します」

「……」

「彼女の足りないモノを全て持っておられる貴方にしか、頼めないのです。我がハーゲン帝国の未来のため、どうか、お力をお貸し願いたい」

 

 ルーデン指令の顔は渋い。ロレンシアに面目を叩き潰された形なのだから無理はないだろう。

 

 だが、彼はまだまだ利用出来る人材だ。僕が上手く、人間関係を緩衝してやればまだまだ働いてくれる。

 

 特に、軍事関係ならば彼に出来ないことの方が少ないのだ。ルーデンは、伊達に最高司令官として任命されている訳ではない。

 

「少しでも国民の犠牲を減らすため、あの体調を押して前線まで出向いた彼女の意を、僅かで良いので汲んで頂けませんか」

「……無論、我が忠誠はハーゲン帝国にある。命令であれば、従うだけ。それが、軍人だ」

「感謝します、偉大なるルーデン指令」

「よしてくれ」

 

 ルーデンは、忌々しそうに倚子で眠っているロレンシアを睨む。

 

 ロレンシアはもう限界のようだ。そろそろ、彼女をベッドに運ぶべきだな。

 

「僕は彼女を寝室に運びます。ルーデン指令、彼女の方針は聞きましたね? 指揮権を再びお任せして、宜しいでしょうか」

「ああ、任せたまえ。それが命令であるのなら」

「では、現時刻を以てロレンシアの代行である、僕からルーデンに指揮権を委譲します」

「謹んで承ろう」

 

 自分が指揮するつもりだったのだろうが、意識を失ってしまったロレンシア。彼女は決して、万能で無敵な存在ではないのだ。

 

 そんな彼女を、宝物を扱うかの如く優しく抱き竦め、僕は彼女を貴賓室へと運ぶ事にする。

 

「健闘を祈ります」

「ああ」

 

 ルーデン指令にそう一言述べ、僕達は司令室から退室した。彼は内心では憎悪で煮えくり返っているだろうけど、ハーゲン帝国への忠誠は本物。

 

 出された命令には、正しく従ってくれるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして僕は、前線の兵士に案内された貴賓室のベッドに、魘されている彼女を横たわらせた。

 

 その細い肩には、何十万もの兵士の命が乗っている。そんな重圧に耐えながら、彼女は日々身を粉にしてハーゲン帝国に尽くしているのだ。

 

 これで戦争の指揮まで抱え込んだら、過労で死んでしまう。これで、良いのだ。

 

 魘されている彼女の頭を、優しく撫でる。小さな頃は、ロレンシアが風邪を引くと、付きっきりで頭を撫でてやったっけ。

 

 少し、彼女の顔色が良くなった気がした。親衛隊の面々の見守る中、僕は昔の様に、ロレンシアを撫で続ける。

 

 

「また、されるのですか」

「ああ。魘されるよりマシだろう」

 

 

 行きの車の中でも、僕はこうやってロレンシアを癒やしていた。ロレンシアにとってほんの僅かな休息では有るが、なるべく質の良い休息にしてやりたい。

 

 

 ────そして。

 

 

「お兄たまに抱っこして貰いたくなーる、お兄たまに抱っこして貰いたくなーる、お兄たまに抱っこして貰いたくなーる、お兄たまに抱っこして貰いたくなーる……」

 

 

 

 彼女の耳元で、僕はそう囁き続けた。

 

 

「その行程、必要ですか?」

「ふふん、これはサブリミナル効果という奴だ(大嘘)。こうする事により、ロレンシアは夢の中で僕に抱っこして貰えて、そして現実世界のロレンシアも僕を見て堪らず抱っこして欲しくなる」

 

 

 別名、催眠とも言う。意識のはっきりしないときに囁かれた言葉を、脳は現実と誤認してしまうのだ。

 

 

「そう! 熱が冷め、健康体になったロレンシアは、何故か無性に僕が恋しくなり、強気な態度を取りつつも人目のないところで僕に甘え始めグッハァ!!!」

「妙な単語が頭に浮かんでくると思ったら!! 貴様の仕業か大馬鹿者!!」

「ウワーー!? ロレンシアが起きてた!!」

 

 

 

 この後めっちゃ説教された。




クール妹系強キャラパンツ丸出し独裁者幼馴染みヒロイン


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独裁者はワガママである

「……ただいま。僕の可愛いロレンシア総統閣下」

「ああ、戻ってきたのか。ご苦労」

 

 2週間ぶりの、愛しい妹分の声。

 

 僕は今日、長く辛かった外交官としての職務を終え、久し振りに総統府に顔を出していた。

 

「いきなり外交官に命じられた時は焦ったけど……、素人なりに、何とか形に出来たよロレンシア。調停書類に目を通しておいて欲しい」

「はん。君の事だ、どうせ上手くやったのだろう? 後で見ておくから、今日はもう休んで構わん。ゆっくり、疲れを癒やせ」

 

 ロレンシアは、そんな僕をどことなく優しい目で見ている。どうやら、今日はご機嫌な様だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 2週間前。

 

 予定通り、隣国の侵攻に対してハーゲン帝国は東北戦線を放棄し、撤退した。全ての資源・食料を首都に引き払った上で。

 

 その後、隣国は勢いに乗り進撃を続けようとして……、残念なことに時間切れ(タイムアップ)、冬将軍の到来で有る。

 

 ハーゲン帝国の東北部は、非常に寒冷な地域なのだ。 しかも東北戦線だけが崩壊したことにより、隣国軍の一部が東北部に孤立してしまった。

 

 これも、ロレンシアの狙い通り。そして、ルーデン指令が消耗戦になってでも戦線を維持した理由でもある。

 

 もし冬まで戦線を維持されていたら、戦争に勝つつもりであったルーデン指令の目論見通りに、ハーゲン帝国の完全勝利となっていたはずだ。

 

 そうなってしまえば、国際的に孤立している我が国は、百戦錬磨の列強共によって袋叩きにされてしまうだろう。

 

 つまり、ハーゲン帝国が生き延びるには、負けを装っての外交停戦しかないのだ。それが、ロレンシアの出した結論だった。

 

 そしてその、大事な大事な停戦の外交官として抜擢されたのは────

 

 

 

「君なら、私の考えは十全に理解しているだろう?」

「え、ちょ、僕はただの秘書で」

「ああ、君に官僚としての地位も用意しておく。だから遠慮せず行ってこい、と言うか君以外に適任がいない」

「でも、そんなことをしたら僕は2週間もロレンシアを愛でることが出来ない───」

「とっとと行け」

 

 

 

 

 僕だった。

 

 この人選は、流石にロレンシアのミスだろう。才能溢れるロレンシアと違って、僕は平均的な能力しか無い一般人だ。

 

 幼くしてロレンシアと知り合ったから、ロレンシアの考えが人より理解できるだけ。それが、彼女の目には優秀に映ってしまったのだろうか。

 

 何にせよ、買いかぶりも甚だしい。万一交渉が失敗すれば、僕のせいでハーゲン帝国が亡んでしまう。

 

 恥も外聞もない。僕は必死に、その職務を他の誰かに押しつけようとしたけれど、

 

 

 

「上手くやったら、私直々に褒美をやろう」

「えっどんな!? その、少しエッチな感じのご褒美を期待をしてもいい感じかいロレンシア!?」

「……うむ、考えておくよ」

 

 

 

 そんな、可愛く卑怯なロレンシアから甘い飴をちらつかされ、欲望に負けて引き受けてしまったのだった。

 

 それからは、僕は身を粉にして頑張った。今までの人生で一番頑張ったかもしれない。

 

 無い頭を振り絞って停戦の落としどころを固め、心を氷にして汚い策謀を駆使し、隣国の領土で暗殺に怯えながら粘り強く交渉を重ねていった。

 

 敵兵に銃口チラつかされたし、筋肉モリモリの集団に囲まれて暑苦しい交渉現場ではあったけれど、僕はなんとかロレンシアの期待するだろう成果を持ち帰ったのだった。

 

 

 

 

 

「……ほお。賠償金の支払い期限は5年、か。よくこの条件で頷かせたな」

「あと3年で蜂起するってロレンシアは言うけど、不測の事態は起こるものさ。だから、2年ほど余裕を持たせといたよ」

「簡単に言うが、相当に苦労しただろう。ふふ、君に任せて正解だった」

 

 

 

 

 僕の手渡した書類を見て、ロレンシアはご満悦だ。彼女の笑顔のために頑張った部分もあったので、僕としても達成感がひとしおである。

 

 さて。今日はもう休んでいいと言われた訳だが。

 

 このまま退室したら、明日から総統府でロレンシアの秘書を再開することになるのだろう。

 

 だが、大仕事終えてすぐ仕事復帰というのも、味気ない。3日程度は休暇が欲しい……。

 

 

「ん、休暇か? 別に構わんぞ」

「やったぜ」

 

 

 とまぁ、ロレンシアに休暇をおねだりしてみたら、あっさりと許可が出た。彼女は実に、機嫌が良い。

 

 ロレンシアの後ろで事務作業をしていた、書類山積みな第二秘書(どうりょう)の顔が一気に青ざめたけど。すまん、あと3日くらい僕不在で頑張ってくれ。

 

 

「君が休みたいとは、意外だがな。何か趣味でも始めたのか?」

「あーいや、そんなんじゃないさロレンシア。ただ────」

 

 

 少しロレンシアは、不思議そうな顔で僕を見る。

 

 あ、そういやまだ報告してなかったっけか。

 

 

「実は、最近恋人が出来てさ、2週間も家を空けたし2、3日くらい彼女の為に使おうかと」

「ああ、なるほ────」

 

 

 そう。ロレンシアに外交官の仕事を命じられる数日前の事。

 

 僕には、ずっとコネが欲しかった人が居るのだ。その人物は我が軍の中将であり、北部の辺境に居るため中々会う機会が無かったのだが。

 

 なんとその中将殿から直々に、お見合い話が飛び込んできたのだ。向こうさんも、中央へのパイプとして僕に目を付けたらしい。

 

 こんなうまい話はない。僕はその中将殿の紹介を快諾し、直ぐにお見合いを行った。

 

 向こうの顔を立てるのに加え、そこそこ可愛い娘だった事、僕自身特定の相手もいなかった事もあり、その女性とは交際する事になっていた。

 

 

 

 

 

「は?」

「何だいロレンシア?」

「……は?」

 

 

 

 

 そんな感じで恋人が出来た経緯を説明したら、ロレンシアの手に力が篭もった。……機嫌を損ねちゃったかな。

 

 別に内緒にしてたつもりじゃないのだ。報告するタイミングが無かっただけで……。

 

 でも結果的に、大事な妹に恋人が出来た事を隠してたことになるのか。

 

 僕の年だと結婚も視野に入るしな。将来家族になるかもしれない人を、可愛いロレンシアに隠してたのは良くなかったのかもしれない。

 

 

「……誰? どんな娘なんだい?」

「ん、軍人の娘さん。ちょっとアホッぽいけど、情が深そうないい娘だよ」

「ふーん」

「後で、ちゃんと彼女をロレンシアに紹介する場を設けるよ。きっと仲良くなれると思う」

 

 

 まぁ、今からでも取り返しはつく筈だ。後でキチンと、紹介すれば良いだろう。

 

 

「ふーん」

 

 

 ────ロレンシアから返ってきたのは気のない返事。どうやら、拗ねてしまったようだ。

 

 僕の目を合わさず、クルクルとペンを回し、ロレンシアは不機嫌そうに足を揺らしている。

 

 こうなったロレンシアの機嫌は、しばらく直らない事を僕は知っていた。今日は彼女の機嫌取りを諦めて、いったん退出しよう。

 

 

 

「じゃあねロレンシア。また3日後、顔を出すよ」

「ふーん」

 

 

 

 不機嫌なロレンシアに苦笑して、僕は総統室を後にする。

 

 ふと、視界の隅に移った第二秘書さんが、ガクガクと白目を剥いて痙攣し、 泡を吹いているのが見えた。

 

 ストレスだろうか。機嫌を損ねたロレンシアと、これから二日も仕事するんだもんな。

 

 がんばれ。負けるな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。

 

 ロレンシアから3日も休暇をねだり取った僕だったが、そうゆっくりとはしていられない。

 

 やるべきことは目白押しなのだ。もし今回の休暇中に間に合わなければ、次にいつ休みがもらえるかわからない。

 

 

 

「お! 帰ってきたね」

 

 

 僕が自宅に帰ると玄関から現れたのは、そばかすの可愛い、癖毛な茶髪の美人。

 

 中将殿とコネクションを作る打算の元、お見合いで縁を結んだ女性、すなわちパルメその人だった。

 

 

「ただいまパルメ。同棲を始めた直後だというのに、長らく家を空けてすまなかったね」

「いーよいーよ! うん、ウチの父様もそんなんだったし。お疲れ様」

 

 

 パルメは、付き合った直後に外国へ飛んだ僕を、あまり怒ってはいない様子だ。

 

 やはり、軍人一家に生まれたからだろうか。仕事への理解が深い。

 

 

「ただ、中将殿へのあいさつには付き合ってもらうよ? 休暇はもらえたんでしょ?」

「もちろんさパルメ。総統閣下も、快く?許してくれたよ」

 

 

 その一方、彼女は少し礼儀にうるさい。

 

 中将殿の紹介から付き合い始めたので、彼女は二人で中将殿の家にお礼に行くのが筋だと言い張ったのだ。

 

 しかも、彼女の家族関係はというと……

 

 

「義父上様が殉職された後、パルメは中将殿に育てられたんだったよね。これって実質、親へのあいさつだよね」

「そう緊張しなくて良いよ? 中将はスッゴい気さくで、何というか友達感覚で話せるタイプの人なの。それに、すっごい褒めてたよ、君の事!」

「それは照れるな」

 

 

 パルメの父親は、7年前の隣国の侵攻により殉職したらしい。その後、彼女は父親の親友であったという今の中将閣下に引き取られたのだ。

 

 中将殿は、パルメを愛娘のようにかわいがって育てたのだとか。パルメも、中将に多大な恩を感じているという。

 

 

「じゃ、行こうかパルメ。貴重な休日なんだ、大事に使わないと」

「うん、新婚旅行の代わりだしね。私が北部都市の案内もしてあげるよ!」

 

 

 パルメはそう言うと、嬉しそうに僕の腕に抱き着いてきた。豊満な膨らみが、僕の右肩を包み込む。

 

 

 ……ゴクリ。ロレンシアよりも……、いや、何でもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕はパルメと車に乗り、数人の護衛と共に中将殿の自宅へと向かった。

 

 ……僕に護衛なんかいるのか? と思う方も多いかもしれないが、これはロレンシアの策謀である。

 

 ロレンシアの秘書に加え、外交官としての地位も得てしまったので、僕はVIP扱いらしい。僕を襲う奴なんていないだろと散々突っ込んだのだが、ロレンシアに押し切られて護衛部隊を編成されてしまった。

 

 はっきり言って邪魔である。せっかく恋人との逢瀬なのに、後部座席には筋骨隆々のマッチョ軍人が睨みを利かせ座っている。これじゃ、パルメにセクハラ出来ない。

 

 

「……こちらバード。目標、南南西に移動中……、FH・ビッチ2・OFF」

「……了解。引き続き任務を続行せよ」

 

 

 しかも、護衛の連中は後部座席でよくわかんない暗号を使い、誰かと連絡を取り合っている。

 

 なんだよ、その暗号。僕の知ってるやつじゃないぞ、わざわざ新規に暗号を作ってまで報告する内容ってなんだよ。

 

 そんなこんなで、とても甘い雰囲気に慣れない不快的な車旅は、恋人同士の会話がないまま半日ほど続いたのだった。

 

 移動中、パルメが欲求不満そうに胸を押し当ててきたせいもあり、車内での僕の悶々は留まるところを知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空が赤みを帯びてきたころ。

 

 長い車旅を終え、僕達は海沿いの中将閣下の管理する、北部都市スノーランドに到着した。

 

 中将殿は、ここら一帯の改革・発展を任されている人物であり、だからこそ僕が何としてもコネクションを作りたかった人物でもある。

 

 僕たちは事前に手紙であいさつに訪れる事を知らせていたため、車窓からパルメが顔を見せると、中将殿の家の門番は笑顔で僕たちを出迎えてくれた。

 

 門番も顔見知りらしい。彼女と門番は、気さくに軽口を交わしていた。 

 

 

 さて。僕とパルメは中将の邸宅に着くと、まずは客間に案内された。

 

 中将殿は既に帰宅していると言う。

 

 僕達が案内された先には、しわの深い老人が笑顔を浮かべ客間で待っていた。

 

 他の軍人家であれば、格下である僕達が彼の部屋に出向かされるモノだ。

 

 わざわざ客間に足を運び、出迎えて貰えるとは思わなかった。聞いていた通り、彼は気さくな人物らしい。

 

 

「待ちわびたぞ、パルメ!!」

「久しぶり! 会いたかったよ、ローランドさん」

 

 

 二人は出会って早々に、笑顔で抱擁を交わした。成る程、仲が良い。

 

 中将殿はパルメと旧交を温めあった後、僕の方へ向き直り、改めて右手を差し出す。

 

 僕も当然、笑顔で握手に応える。僕としても念願の対面なのだ。

 

 

「ようこそ来てくれた、秘書官筆頭殿。いや、今は特務外政卿とお呼びしたほうがいいかな」

「やめてください、中将殿。それはロレンシア総統閣下の悪ふざけで作られた役職ですよ」

「いやいや、素晴らしい成果を上げたそうではないか。電報で調停内容を聞いたよ、実に見事だ。君にパルメを預けて正解だった」

 

 

 ニコニコと僕の手を握りしめたまま、中将殿は楽しそうに僕を褒め称えた。そんなローランド中将からは、気さくな好々爺といった印象を受ける。

 

 なるほど。北軍の殆どの人間が、中将殿を支持し続ける訳だ。 

 

 

 

 北の大地の父。圧倒的な支持を得て、北部全域の統治を任されたハーゲン帝国の誇る3英雄の一人。

 

 僕は今日、そんな偉大たるローランド中将と、念願のコネクション作りに成功したのだ。

 

 

 

「さて。いつ頃まで我が家に滞在できるかな、お二方? ああ、無理に引き留めるつもりはないよ。若い二人だ、いろいろと忙しいだろう。でも一泊くらいはしてくれるね?」

「んーと、彼次第かな。車の中で悶々としてたし、今夜は何処かで別にお宿を取りたがるかも? フフフ、彼はとってもエッチなの」

「ああ、哀しいかな。可愛いパルメが我が家を離れ、恋人と二人で暮らしている。この老い先短い爺を哀れと思うなら、今夜くらいは我が家で休んで貰いたいものだ」

「あはは、中将殿がよろしいのでしたら、お言葉に甘えますよ。いいよね、パルメ」

「えー、実は私が欲求不満なんだけどなぁ。まぁ、君が言うなら仕方ないか」

 

 

 

 芝居がかった物言いで、僕たちを引き留めようとするするローランド中将。そんな中将を見て文句を言いつつ、どこか嬉しそうなパルメ。

 

 こんな幸せそうな二人を引き離すつもりはないし、僕としてもやっと面会が叶った中将殿だからそう簡単に離れるつもりは無い。

 

 この先のハーゲン帝国の発展には、彼の協力が必要不可欠。僕は、ローランド中将の好意に甘え、彼の邸宅で部屋を頂くことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夕食は、豪華絢爛と言った料理が並んだ。

 

 流石は北の大地の最高権力者。これ以上のもてなしは無いだろうというくらいに、僕達は歓待された。

 

 彼なりのパルメを思う親心、なのだろうか? 

 

 ああ、心苦しいなぁ。こんなにも良くしてくれる中将殿に、僕はこれから辛い頼みをしなければならないのだから。

 

 ……全ては、ハーゲン帝国の発展のため。

 

 やっと彼に目通りが出来たのだ。今日という日を、逃すわけにはいかない。

 

 

 

 

 ────夜。

 

 僕は、夕食の折にローランド中将に頼み、少しだけ話をする時間を貰った。

 

 ローランド中将は、快く時間を空けてくれた。パルメの結婚相手である僕の頼みなら、何でも聞いてやろうとまで言ってくださった。

 

 有難い話だ。ローランド中将に、北部で出来ないことは何も無い。

 

 ────北部への影響力では、ローランド中将はロレンシアすら上回っているのだから。

 

 例えロレンシアの命令であっても、ローランド中将が命令を上書きすれば、彼の命令が優先されてしまう。

 

 なぜ、そんな無法がまかり通ってしまうのか。

 

 それは、彼が北の大地に住む軍人から、商人から、民衆から、圧倒的な支持を得て統治しているからだ。

 

 

 

 ────北の英雄。前回の隣国侵攻において、唯一崩壊しなかった北部戦線を指揮し、帝国を滅亡から救った男ローランド。

 

 そう。そんな彼の圧倒的な人気は────

 

 

 

 

「……引退?」

「御無礼は承知しております、ローランド中将。今年を以て、貴方の役職を新鋭にお譲り頂きたく愚考します」

 

 

 

 

 ────ロレンシアの、邪魔にしかならない。

 

 夕食後。ローランド中将の私室に招かれ、彼と向かい合って座っている僕が切り出したのは。

 

 ローランド中将に隠居して貰いたいと言う、まさに無礼千万なお願いだった。

 

 

「……あっはっは! それが本当に総統殿のご命令であれば仕方ないさ、従おう秘書筆頭殿。だが、そんな任状はまだ届いていないぞ?」

「ええ。別にこれは命令ではありませんから。僕の、個人的な要望です」

「────ほお?」

 

 ローランド中将はどこか面白そうに、ニヤニヤと僕を眺める。

 

 うわぁ、やりにくい。腐っても英雄と呼ばれるだけは有るな。

 

 

「ロレンシアから貴方へそんな辞令を出してしまえば、北部軍が反乱を起こしちゃいますからね。貴方の人徳のなせる業でしょう」

「……ふうむ」

「なので、僕が独断で貴方に隠居を勧めに伺いました。どうかハーゲン帝国の為を思うなら、ここで身を引いて頂きたく」

 

 

 そこまで僕の言葉を聞くと、ローランド中将は初めて真剣な表情をした。

 

 

「────秘書筆頭殿。今の話は、聞かなかった事にしてあげよう」

「ローランド中将、それは」

「話はコレで終わりだよ。ははは、君はまだ若い。失敗は買ってでもするべきだ。だが─────」

 

 クルリと椅子を回し、ローランド中将は僕に背を向ける。

 

「若くとも、最低限の引き際は弁えておくべきだ。大怪我をしてからでは遅いぞ? 少年」

「……」

 

 

 彼の言葉の節々から、有無を言わせぬ気迫が滲み出ていた。

 

 口調は慇懃に威圧感は凄い、流石はローランド中将。

 

 でも。

 

 

「僕はハーゲン帝国に住む1人の人間として、改めて申し上げます」

「そうか」

「今年で中将を辞してください、ローランド殿」

 

 

 その程度の脅しで、降りる訳にはいかない。

 

 

「そこまで言うんだ、私に何か不足が有るのかね?」

「……まさか。ただ、貴方に匹敵する新鋭が育たねば、滅びの定めにあるのがハーゲン帝国の実情なのです」

 

 

 ────ローランド中将は、僕の言葉に、ふぅむと唸る。

 

 僕の言葉を吟味しているのだろう。

 

 

「世界を相手に戦う時に、貴方に頼りきる訳には参りません。どうか、コレまでの数多の勲章を持ち帰り、若い力を見守って頂きたい」

「……そんなことは言われるまでも無い。私の部下に見所のある者が何人も居るよ。時期が来れば、私も自ら席を譲ろう」

「それでは、間に合わないのです」

 

 あー、うー。実に、心苦しい。

 

 こんなに人の良さそうな老人に、こんな侮辱に近い事を言わなければいけないなんて。

 

 

 

 

「貴方の指定する者ではなく。中央から新たに人を派遣しますので、その方に席をお譲りください」

「……」

「すみません中将殿。心中、お察し致しますが」

 

 

 

 

 僕が告げたのは、遠回しな左遷通告。

 

 ローランド中将が権力を持ち続けるのは、ハーゲン帝国にとって良くないのだ。ローランド中将の息のかかった人間が後を継いだって、何も変わらない。

 

 

 

 ────贈賄と汚職に塗れた、帝国で最も汚いと言われる北部都市の再生の為には。

 

 

 

 

 

「はっきり言うよ、私はかなり不快な気分だ。何が、そこまでの狂言を君に吐かせた? 君の事は買っていたのだが」

「……では、遠慮なく言いましょう、中将殿。あなたは贈賄に弱すぎる。洗えばいくらでも出て来る、杜撰な証拠隠滅も頂けない」

 

 

 この人は、ぱっと見は好々爺なのだが、汚職塗れの利権大好き人間と言う側面も持っているのだ。

 

 明らかに過剰な経費使用。北部だけで、ハーゲン帝国の4割近い予算が組まれてしまっている現実。

 

 彼の人柄に丸め込まれ、彼と共に美味しい汁を吸い続けている北部軍上層。

 

 どこかで、切り込む必要はあった。だが、切り込む手段が無かった。

 

 北部でのローランド中将の人気から、中央は強くでられないのだ。そこにつけ込み足下を見て、日に日に増長する北部からの予算請求。

 

 

 

 

 

 これらは、ロレンシアが大きく頭を抱えている案件の一つである。北部では、ロレンシアよりこの老人の方が影響力が大きいのだ。

 

 ロレンシアの出した命令は、ローランド中将により大きく歪められ、その狭間で彼は巨額の利益を貪っている。

 

 戦争の英雄は、政治の英雄たり得ない良い例だろう。

 

 

 

「そこまで言うからには私の汚職の証拠を掴んでいるのだな? だが、大きな声では言えないが、贈賄も政治の潤滑油となる。それは君も認めるところだろう? 秘書筆頭殿」

「否定はしません。貴方が真に国の役に立っているので有れば、僕は目をつぶっていたでしょう」

 

 

 まぁ、一切汚職がない政治家というのは居ない。僕自身、前の隣国との交渉の際には、贈賄の類を駆使している。

 

 

 

「だけどそれは、目的実行の為の手段として用いるのであって。中将のように利益を得るために、汚職に手を染めている訳ではない」

 

 

 僕は、そう言って彼を切って捨てた。

 

 国の政策を進める為に、必要な情報を集めるために、目的を持って行う買収と。

 

 自分の富や利権のため、買収を目的にしてしまっている中将では、大きく違うのだ。 

 

 善悪という面では、等しく僕と中将は悪人だろう。

 

 利害で言えば、ハーゲン帝国に取って僕は利であり、彼は害。それだけの話である。

 

「……若いな、実に惜しい。その正義感は、若者にしか無い希有なものだ」

「正義感? 僕にはそんなものありませんよ。僕が動くのは、ハーゲン帝国の未来と、ロレンシアの為だけです」

「で、だ。そんな若い君は、少し世間を知らなさすぎる」

 

 

 ローランド中将の目から、笑みが消えた。完全に、僕を敵と見なした様だ。

 

 この人は、常に他人と親しく接し、その懐に潜る。敵を作らない事に掛けてはハーゲン帝国でも随一だろう。

 

 そして戦功を挙げ、持ち前の人当たりの良さを駆使し、今の地位に上り詰めたのだ。

 

 

 

 そんな彼が、僕を敵視した。

 

 

「なぁ。何故、君にパルメを預けたと思う?」

「中央へのコネ作りでしょう。僕は良い狙い目だ、そこそこの地位であり、ロレンシアへの発言力も持ってる」

「その通り。そして、もう一つは、保険だよ」

 

 

 彼が取り出したのは、裏帳簿。

 

 それは、僕の家の金庫の中に有るはずの、僕自身の贈賄の証拠だった。

 

 

「────あ」

「パルメを君の家に住まわせたのは、失敗だね。こう言う事になるのさ」

「まさか僕の金庫を開けたんですか。国家機密も入っている金庫を。処刑されてもおかしくない────」

「良いか、少年。自分に見合った現実を見なきゃいけない。青くさい正義感だけで行動すると、汚い大人に足下を掬われるんだ」

 

 

 ああ。

 

 

「さて、もう一度問う。君はまだ、その話を────」

「まさか、本当にソレに引っかかるなんて……」

 

 

 正直、半分ネタで仕込んだ罠だったのだが。国家機密の詰まった僕の書類を、堂々と自宅に置いてるとでも思ってたのか。

 

 重要書類は、全て総統府の金庫の中にあるに決まってるだろう。もし万一、食いついたら美味しいなと宝くじを買うつもりで仕込んでおいたのだ。

 

 その罠の内容とは。僕の自宅に、わざわざ「機密」と張り紙した金庫を置いて。その中に、かなり適当に書いた証拠帳簿を入れておいただけ。

 

 まさか────

 

 

「は、はあぁ。色々と準備してたのに、説得材料とか致命的な弱みとか美味しい退職後のポストとか頑張って用意したのに……。ローランド中将、申し訳ないが現時刻を以て貴方を逮捕します」

「……どういう事だ、秘書筆頭殿、これをバラ撒かれたら貴殿は────」

「無傷ですよ。そんなデマ文書。ソレ、一回でも裏を取りました? だったら直ぐ分かる筈なんですが」

「は、はぁ?」

「国家機密保持法違反です。いかに貴方といえども、国家機密の書類盗難なんて起こしては、誰も庇えません」

 

 

 

 今まで人と敵対すること無く、自前のコミュニケーション力で危機を乗り切ってきた男、ローランド。

 

 裏を返せば彼は、致命的に人を嵌める事には向いていなかった。今まで、そういう寝技は殆どは彼の部下に任せっきり。

 

 彼自身は、むしろ騙されやすい部類の人間だ。

 

 

 僕は、待機していた護衛部隊へと無線を飛ばす。

 

 ────即座に、彼等が中将の私室になだれ込んできた。

 

 

「ま、待て! この書類の写しは用意している、本当にバラ撒くぞ!」

「……お好きにどうぞ」

「君はパルメを娶っただろう? ならば我々は家族ではないか! こんな暴挙は今すぐやめて────」 

「彼女、7年前に亡くなった貴方の腹心である“諜報員”の娘さんでしょう。つまり彼女も、諜報員。それくらい、調べはついてます」

「いや、何故、それは」 

「裏を取り、背景を調べ、そして動く。ソレが出来ないから、貴方は贈賄をするだけの癌になったんだ」

 

 

 別にローランド中将は、単なる無能と言う訳ではない。むしろ、英雄に相応しい器は持っていた。

 

 単に、適正の問題だ。

 

 彼の人に好かれる才能は本物だし、北部戦線を守り抜いた実績から軍を指揮するのも人並み以上だろう。

 

 彼が中間職で、人と人とを繋ぐ仕事をすれば、この上なく有能に違いない。

 

 ただ彼は、権力を握ってしまい、そこで旨い汁を吸い過ぎたのだ。

 

 麒麟は、老いて醜く太れば、駄馬に劣ってしまう。

 

 

 

「待て、待ってくれ秘書筆頭殿!」

「貴殿の更迭には、かなりの不満が出るでしょう。だが、これは無視できる犯罪では無い」

「分かった、1年くれないか! 私はそこで、仕事を一区切りして席を譲ろう。約束する、この通りだ!」

「貴方が既に、ロクに政治に関わってないのも調べてますよ。毎日、職場に女を囲いに行っているだけ。まとめるべき仕事なんて無い筈だ」

「違う! 私は、私は!」

 

 

 後は、僕の護衛部隊に任せよう。

 

 ────まさか、ロレンシアはコレを見越して彼等を手配したのかな? 彼女なら、あり得そうだ。

 

 

 

 

 そして。

 

 翌日、北の英雄ローランドは、国家機密保持法違反の疑いで、中央に呼び出される事が正式に決まった。

 

 僕の報告を受けたロレンシアは、嬉々として令状を送ってくれたのだ。

 

 ああ、残念である。

 

 ローランド中将は噂の通り好々爺で、悪い部下に好き勝手されてるだけだったら、と言うケースを期待していたのだが。

 

 

 パルメには、悪いことをした。

 

 

 結果的に僕は、彼女の育ての親を更迭した事になる。パルメからしたら、信じた中将の命令通りに動いただけなのに、恋人に騙され嵌められた形だ。

 

 せめてもの、償いはしたい。僕はローランド中将を更迭する際、後ろ盾を失ったパルメに、今後の生活の世話を申し出たのだが。

 

 

 

「は? 怖気がするから喋らないでくれます?」

 

 

 

 当のパルメからは氷のような目で見下され、ペッと唾を吐かれた。こっちが素らしい。

 

 あの陽気で親しげな性格は、全て演技だったのだ。女って怖い。

 

 欲望に負けて、パルメを抱かなくて良かった。女性不信に陥る所だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その、翌日。

 

「パルメに振られた!! 慰めてくれロレンシア!」

「……ゴミ掃除、ご苦労。だが、そう言う狙いなら私にも告げておけ馬鹿者」

「出会い頭に拳骨!?」

 

 僕は、拘束されたローランド中将と共に、ロレンシアの元へ帰り着いた。

 

 北部での彼の人気は、確かに凄まじい。だが、今回の1件はローランド中将のポカが酷すぎて、流石に庇いきれない様だ。

 

 その代わりにアレコレと、ローランド中将を救うべく裏工作やら買収やらの報告が僕の所に飛んできている。だが、中央の軍人に幾ら金を積んだところで無駄だろう。

 

 僕達は、ロレンシアに対する忠誠で固く結束しているのだから。金銭を幾ら貰おうと、ロレンシアの不利になるような真似は絶対にしない。

 

 北部がローランドに心酔しているように、中央ではロレンシアは神に等しい存在なのだ。

 

 ────その証拠に、ロレンシアの写真で買収される話は割と良く聞く。当然厳罰である。

 

 が、彼女の写真は買収の弾になるくらいには、価値が高いのである。

 

 隣国との停戦をあんなに有利な条件で締結させる時だって、僕が秘蔵している「ロレンシアのパンツ写真」を何枚使った事か。

 

 ……外交官が男で良かった。外国にまで広がる、ロレンシアのパンツの輪。

 

 まさか自分のパンツを交渉材料にされているとは思っていないだろうロレンシアは、僕から今回の事の顛末を聞き、無表情で僕を褒め称えた。

 

「君は、デカい功績を挙げるのが好きだな。ローランドの失脚で、ハーゲン帝国の発展はますます早まるだろう」

「でしょ? 彼の後釜として送る人材は、もう何人か優秀なのをピックアップしてるよ。後で見といて」

「うむ」

 

 腐りきった北を立て直せる能力を持ち、軍部にも顔が広く、頭が切れて、自分の利益より国を優先できる人材。

 

 僕のイチ押しとしてはルーデン司令だ。もし彼が行ってくれれば、間違いは無いのだが。

 

「……その、何だ。一つだけ、君に聞いておいて欲しいことがある」

「……? なんだいロレンシア」

「私の、夢についてだ」

 

 そんな風に、僕がローランドの後釜について考えていると。

 

 ロレンシアは、いつになく真剣な表情で、僕を見つめていた。

 

「ロレンシアの夢?」

「そうだ。私には、夢がある。それはささやかで、いつか叶えてみせると誓った、私の心の奥底からの願い」

 

 彼女は、何かに躊躇いながら、僕を見据えて話を続けた。

 

 何だろう。いつもハキハキしている彼女が、こんな表情をするなんて。

 

「私は、戻りたいんだ。子供の頃に」

「子供?」

「楽しかったなぁ、あの頃は。家に帰ると父様が居て、母様が居て、私に微笑んでくれる。隣の家には君がいて、おばさまが居て、いつも2人で遊び回った」

「……そうだね、ロレンシア。懐かしい記憶だ」

「あの家に、私は帰りたいんだ」

 

 ────それは。

 

 誰もが1度は考える、他愛のない妄想。

 

 幸せだったあの時に戻りたい。それは、誰もが決して叶わないと知ってる願い。

 

「父様も、母様ももういない。だけどそれでも、私は全てが終わったら、あの家に帰りたいんだ」

「……ロレンシア」

「幸せな思い出の詰まった、私達のあの家に。それが私が今、身を粉にして働いている理由の1つ」

 

 

 そこで彼女は、言葉を切って立ち上がった。

 

 

「君も、私とあの家に、戻ってくれないか? 全部、終わって。ハーゲン帝国が世界を統べて、国が平和になって、私が役目を終えたその時」

 

 

 そうか。そうだったのか、彼女の想いの底には────

 

 

「また、私をあの幸せな日々に、連れて行ってくれないか?」

 

 

 ────ずっと残っていたんだ。楽しかった、子供時代が。

 

 無邪気に遊んでいれば良かった、あの頃が。

 

 ロレンシアが、絶望的な状況の中で国を守るため奮闘しているのは。

 

 僕とロレンシアが一緒に遊んだあの家を、あの土地を、あの思い出を守りたかったんだ。

 

 

「……勿論だ、ロレンシア。一緒に、あの家に帰ろう」

「ああ。ありがとう、君ならそう言ってくれると信じていた」 

 

 

 いつまで経っても甘えん坊だな、ロレンシアは。

 

 今のは紛れもなく、彼女の本心なのだろう。僕に、また一緒に遊んでくれと、甘えているのだ。

 

 ────まるで、子供の時みたいに。

 

 

 いつか、帰ろう。今は誰も居ない、管理を近所の人に任せている、僕と彼女の住んでいた家に。

 

 ハーゲン帝国が、世界を統べたその後に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、君は恋人作るの禁止ね」

「……ん?」

 

 

 そこまで言うと、ロレンシアはニッコリ笑い、よく分からない命令を出してきた。

 

 

「……ロレンシア、それは一体?」

「だってあの家に、私と君以外に誰かが居るのは、嫌だからな。君は恋人を作らないべきだ」

「え、ちょっと、ロレンシアさん?」

「これは総統命令だ。拒否は認めん」

 

 

 

 …………え?

 

 ロレンシアにそう言われたら、僕に逆らう事なんて出来ないよ!?

 

 嘘、じゃあまさか僕は、この先ずっと童貞なの?

 

 

 

「ちょっと待とうかロレンシア。結局パルメちゃんとは1発も出来てないんだ! このままじゃ、僕は童帝になってしまう!」

「お。なんだい、そうだったのか。あはははは!」

「笑い事じゃないよロレンシア!? せめて、せめてエッチなお店はアリだよね!?」

「勿論却下だ」

「う、うわぁぁぁ!!」

 

 

 

 

 

 そう言って僕からプイと顔を背けたロレンシアは、どこか楽しそうに笑っていた。

 

 ……ああ、何だよもう。この先僕はずっとサクランボ(チェリー)確定らしい。

 

 ────だけど、今笑っているロレンシアはとても可愛いから、それで良いか。

 

 

 

 

 

 それは、世界大戦が起こる3年前の。

 

 弱小国家ハーゲン帝国の、総統府での他愛ない会話だった。




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独裁者は言いなりになる

「……え? 今何でもするって言った?」

 

 

 

 

 

 

 それはローランド中将の更迭が決まり、後釜としてルーデン司令が中将へと昇進してからひと月ほど後の話。

 

 栄転となったルーデン司令に代わる東北部の人事やら、ローランドへと懲罰内容やらと書類仕事に忙殺される魔の1か月を乗り切り、仕事が片付き始め総統府に雑談が飛び交う余裕が出て来た頃である。

 

 我が愛しきロレンシア総統閣下は、

 

「そう言えば停戦協定の件で、まだ君に勲功褒章を下していなかったな。あんな大功を挙げて沙汰が無いとなれば、軍全体の士気に関わる」

 

 と、思い出したかのようにのたまった。 

 

 確かに、先の僕の成果に対しては、数日間休暇を貰ったきりである。昇進や報酬等は出ていないし、受け取る余裕も無かった。

 

 まぁ、無いなら無いで別に構わないのだが。ロレンシアの傍に居られさえすれば、僕は無限に働き続けられるだろう。

 

 とは言え何か貰えると言うなら、話は別だ。遠慮するつもりも無い。思い出してきたぞ、確かロレンシアはエッチな期待をしていい感じのご褒美と言っていた。

 

 ともなれば。思い切って、ロレンシアと一緒にお風呂とか頼んでみても良いかもしれない。今回の功績を考えれば、ギリギリ許してくれそうだ。

 

 銃殺される可能性も否めないが、賭けてみる価値はある。

 

「嬉しいよロレンシア。僕は、一体何が貰えるんだい?」

「うむ。それに関してはもう決めているぞ」

 

 そんないやらしい妄想で鼻を膨らませていた僕へ、ロレンシアは悪戯っぽく囁く。残念ながらご褒美の内容は、もう決まっているらしい。

 

 でも。どんなモノが出て来ても、僕は大喜びするから問題はない。

 

 彼女の罵倒ですら、僕にとってはご褒美なのだ。ロレンシアから絶縁状でも叩きつけられない限り、僕は────

 

 

 

 

「私が君の命令を、何でも聞いてやろう」

 

 

 

 …………。

 

「ロ、ロレンシア?」

「あ、勘違いしないでくれ。あくまで私個人で出来る範囲だ。私の総統としての権力を、君に使わせるつもりはない」

「え、いや、その」

「逆に、私1人で出来ることなら何でも構わんよ。次の私の休暇は一日中、君の言いなりになってやろうじゃないか」

 

 

 ガタガタガタッ、と総統府で仕事している軍人達に動揺が走る。

 

 ……一緒にお風呂だとか催眠術だとか、そんなちゃちなもんじゃ断じてねぇ。ロレンシアは女の子で、僕は成人した男だぞ。ロレンシアはどうして警戒しないんだ? 

 

 何 が 起 こ っ て い る ! ?

 

「とととと年頃の女の子がそそそそんな何でもすすするなんて、いっちちちちちゃダダダダダ」

「動揺しすぎだろう。そも、君を外交官に任じる時、エッチなご褒美も考えてやると言った手前だ。性的な命令であっても多少は目をつぶるさ、君の良識の範囲で好きにしたまえよ」

 

 あふん。ウチの妹、男らしすぎる。

 

 そして僕を信頼しきってらっしゃる。試されている、僕の男としての色々が試されてる。

 

「君の功績から考えたら、これでも安い褒美だ。だが昇進なんかより、君はこういうご褒美の方が嬉しいだろう?」

「あ、ハイ、そりゃもう」

「では、そうだな。今週末の土曜でどうだ? 君もその日までに仕事を終わらせておけ」

「了解した。何があっても、終わらせる」

 

 流石はロレンシア。僕のことは、よく理解している様だ。

 

 良識と言う言葉を使い命令を牽制しつつ、それでいて僕が最も嬉しいだろうご褒美を用意してきた。妹に何もかも見透かされているこの感覚。やはりロレンシアは優秀だなぁ。

 

 

 ────殺気を感じる。

 

 部屋の隅々から、凄まじい殺気を感じる。ロレンシアに心酔している兵士諸兄から、射殺すような視線を感じる。

 

 チラチラと、ロレンシアの死角から僕に向いた銃口が目に入る。ロレンシアの背後に立つ兵に至っては、完全に僕に向けて銃を構えている。

 

 この場に居る皆が、僕にご褒美を辞退しろと重圧をかけてきていた。

 

 その視線を、僕は意図的に無視した。当たり前だ。誰が辞退なんかするもんか。撃ちたければ撃て、僕は不退転の覚悟を持ってここに居る。

 

 今週末になれば、ロレンシアは僕の言いなり。あの気高く美しく可愛らしいロレンシアが、何でも言うことをきいてくれる。

 

 ならば命を賭ける価値は、十二分っ!!

 

 今週末まで生き残れるか否か。既に僕の護衛の何人かも、僕に銃口をチラチラと見せてきている。

 

 僕の護衛ですら敵なのだ。果たして僕は、この先生きのこる事が出来るだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うむ、来たな。おはよう」

「ロレンシア、おはよう」

 

 

 幸いにして、その日は無事に訪れた。

 

 週末の土曜日。ロレンシアが僕のために用意してくれた、最高の一日。

 

 1秒と言う時間が惜しいのだ。僕は日が昇った朝一番に、彼女の私室を訪れていた。

 

 昔は朝が弱かったロレンシアも、最近はこの時間に目が覚める様になっている。仕事尽くしの毎日に、慣れきっている様だ。

 

「……さて、今日一日、私はフリーだ。仕事は全て片付けているし、総統としての地位も総統府に置いてきた。今の私は、ただの町娘のロレンシアだ。さぁ、何でも命令してくれて構わんぞ」

「こんなに可愛らしい町娘は、そうは居ないけどね。覚悟はいいかいロレンシア、遠慮無く命令させて貰うよ」

「うむ」

 

 私室へと入ると、彼女は既に私服に着替え終わっていた。白色のワンピースに、麦わら帽子を被った彼女は成る程、町娘のような出で立ちだ。

 

 軍服以外のロレンシアを見るのは、実に久し振り。だが、そう言えば子供の頃、彼女はこう言ったラフな服を好んでいたな。

 

 そんなバッチリと私服を決めている彼女に、大変申し訳ないのだが────

 

 

「ごめん、ロレンシア。その、着て欲しい服があってね……」

「ああ、成る程。そのくらいはどうって事は無い、何を着れば良いんだ?」

 

 この日僕は、彼女に着て貰わないといけない衣装を持ち込んできていた。久し振りのお洒落なのに、申し訳ないな。

 

 幸いにもロレンシアは、服を着替える事に抵抗は無さそうだった。許可を貰えたので、僕は部屋の外に置いていたカバンを部屋に引っ張ってくる。

 

 1メートル近くあろうか。僕は超巨大なキャリーバッグを、ガラガラとローラーを滑らせて部屋のベット近くへと置き、その口を開いた。

 

 開いたバックの口からは、ドバーッとカラフルな衣装が山のように流れ出てくる。最低でも10着は有るだろう。

 

 

「……凄い数だな。これ、全て着るのか?」

「ああ、全部着てくれないかロレンシア。主に、僕が明日生き残るため」

「いや、意味が分からんぞ」

 

 

 話は、こうである。

 

 僕のご褒美の話を聞き、ロレンシアファンは怒った。そりゃあもう、烈火の如く怒った。

 

 普段からロレンシアの兄と言う美味しすぎるポジションの上に、一日中彼女にエッチな命令を出せるとなっては、ついに彼等の堪忍袋も爆発四散したらしい。

 

 そしてご褒美を辞退しなかった事により、彼等の中で僕の処刑が確定したそうだ。

 

 その日の帰り道、僕は大量の兵士に待ち伏せにあい拉致監禁され、必死の命乞いを余儀なくされた。しかし何を言っても聞き入れて貰えず、下手をしなくとも殺されそうな状況だった僕は、苦し紛れにこう説得したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 僕は彼女の兄だ。ロレンシアに手を出したりはしない。安心してくれ、ロレンシアに誓って僕は嘘をつかないだろう。

 

 むしろ、僕を生かしておいた方が良いぞ。そうだ、僕が諸君の希望に応えようじゃないか。

 

 諸君、好きな衣装のロレンシアを想像したまえ。どうだ? どんな服装でも、ロレンシアは素晴らしいだろう?

 

 いいか、今週末までに僕にこれぞという衣装を持ってきてくれ。僕がご褒美を使ってロレンシアに衣装を着て貰い、その姿を撮影しよう。

 

 衣装を持ってきてくれた人に、その衣装のロレンシアグラビア写真を無料進呈だ。勿論、公序良俗に反するモノは破り捨てるけどね。ロレンシアの兄として、当然だ。

 

 さあどうする? 僕を殺すかい? それとも水着姿の、メイド服の、チアリード服のロレンシアは見たくないかい……?

 

 

 

 

 

 

 

 心のこもった僕の説得の結果、彼等とは無事に和解出来た。そして僕の私室に、溢れんばかりの女物の服が届けられる事となる。

 

 貝紐ビキニ、絆創膏、生クリームなどを持ち込んできた馬鹿共は後で軍法会議にかけるとして。持ち込まれたある程度健全な衣装は、彼等の希望通り撮影する事になった。

 

 

 

「しゃ、写真も撮るのか」

「ロレンシア、辛いと思うけどプロパガンダは大事なんだ。ハーゲン帝国の為にも、一肌脱いでくれないか」

「むう。結局仕事になってる気がするが、まぁ良いだろう」

 

 

 しゅるり、と彼女はワンピースを床に落とす。ロレンシアは面倒臭そうに、まずは給仕服を手に取った。

 

 衣ずれの音にドキマギとしながら僕は後ろを向いて、持ってきたカメラをテキパキと組み立て始める。

 

 絶世の美女と二人きり、僕は着慣れぬ給仕服のスカートの裾を伸ばしているロレンシアに向けて、静かにシャッターを切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「可愛かったよ、スッゴく可愛かったよロレンシア」

「……いや、君が満足しているならそれでいいか。君のご褒美だ」

 

 

 満喫した。

 

 

 

 兵士共の希望と欲望により、古今東西様々な衣装が集められた、豪華絢爛なロレンシアの個人撮影会。

 

 学生服ロレンシアにメイド服ロレンシア、水着ロレンシアに裸エプロンロレンシア。今まで見たことない刺激的な姿のロレンシアが、今日から僕の写真コレクションに加わるのだ。

 

 今日は……今日は、間違いなく今までの人生最良の日だ。

 

 

「生きてて良かった……、本当に生きてて良かった。僕、これからも頑張るよ」

「そ、そうか。それは良かったな」

「じゃ、ちょっと遅くなったけど出かけようかロレンシア。護衛は手配してるから」

「うむ」

 

 

 これで兵士達への義理も果たした、いよいよここからは僕の時間だ。

 

 僕はロレンシアを外へと誘う。せっかくの休日に、家に篭もりきりなんて勿体ない。安全の為、護衛も手配済みだ。

 

 本音も言うと二人きりが良かったのだが、ロレンシアから護衛を外すわけにはいかない。覚悟はしていたが、車内ではパルメとの旅行の時の様に、護衛が睨みをきかせる。

 

 しかもパルメの時とは違い、殺気をはらんだ視線だ。当社比5倍くらい、やりづらい。

 

「……ふふ」

 

 一方でロレンシアは、護衛されるのに慣れきっている様だ。隣で睨む護衛が居ても気にせず、ニコニコと機嫌よさげに彼女は僕の肩にもたれかかってきた。

 

 彼女の髪が、僕の首筋をくすぐる。振り向くと、彼女は猫のように目を細めながら、僕を見上げ微笑んだ。

 

 今日は、僕のご褒美の日というだけでは無い。滅多に無い、ロレンシアの休日でもある。

 

 彼女は聡明で理知的で、それでいて昔から甘えん坊だった。彼女の両親亡き今、彼女が甘えられる相手は僕だけなのだろう。

 

 僕で良ければ、いくらでも甘えてきて貰いたい。

 

 寄り添ったロレンシアの肩を、僕は優しく抱きこんだ。ロレンシアは、抵抗しない。

 

 ……触れあった肩から、彼女の柔らかい温もりを感じる。僕の右半身は、かつて無い幸福感に充ち満ちていた。

 

 ロレンシアの体躯を抱え込んだ腕に、微かに感じる吐息。ワンピースの上の、白絹の肌触り。

 

 ……左の席の護衛からは、凄まじい殺気を感じる。僕の左半身は、かつて無い危機にさらされている。

 

 脇腹に押し当てられた、鉄の感触。強く踏みつけられた、僕の左足。

 

 まさに、デッドオアアライブ。身体の左右で僕の生死が綺麗に分断されている。

 

 とはいえ、甘えてくるロレンシアを放置するという選択肢は無い。

 

 いかに護衛を刺激しないようにロレンシアを愛でるか。これは、僕と護衛のチキンレースだ。

 

 抱きすくめるまではセーフらしい。キスとかは多分アウトだろう。

 

 どこまでなら許してくれるかな。こっそり、身体を預けるロレンシアの胸まで手を────

 

 

 

 

「ステイ」

「あっはい」

 

 

 ロレンシアが見えない位置から、銃口をちらつかされた。胸はダメっぽい。

 

 

 

 

 

 

「ここ、か」

「うん。ロレンシアと遊ぶなら、ここしか無いと決めていた」

 

 がらんとした街道のその脇に、仲良く並んで佇む2軒の白い木造建築。約束通り、近所の人に手入れはして貰えているようだ。

 

 表札に僕とロレンシアの名字が刻まれた、今は誰も住む人の居ない空き家。すなわち、僕達が幼少期を過ごした実家である。

 

「────懐かしい」

「少し、古くなった印象だけどね。見てロレンシア、君が好んで座っていた木の切株だ」

「ああ。よくその切株の上で、並んで他愛ない話を繰り返していたな」

「今じゃ、二人で腰掛けるのは無理そうだけどね。僕もロレンシアも、大きくなった」

 

 2人で座った木の切り株は、今見ると小さかった。大人1人が座る分には申し分ないが、2人で腰掛けるのは不可能だろう。

 

 時の流れを実感する。

 

「……はぁ。まさか思い出のこの場所で、不埒な真似をすることになるとは思わなかったな」

「ちょ、ちょっと! 何もしないよ、いきなりどうしたのさ」

「君がスケベなのはよく知ってるよ。隠さなくても良いさ、本当にある程度まで覚悟はしてるんだ。私は何をしたら良いんだ?」

「だから、そう言うことはしないってば!」

 

 そんなことをしたら僕は蜂の巣になってしまう。

 

 それに、ロレンシアの夢を聞いた後に、ここでロレンシアを辱めるってどんな鬼畜だ僕は。

 

「じゃあ、私達は何をしにここへ?」

「……僕達がこの場所に来たら、やることは1つだろう」

「────ん?」

 

 子供の頃。

 

 朝早く起きた僕は、庭から大声でロレンシアを呼び、朝が弱い彼女は僕の声で慌てて起きてくる。

 

 そしていつも、この切株の上に二人並んで座って。今日は何所へ出かけようかと、どんな遊びをしようかと、笑いながら話し合ったのだ。

 

「遊ぼう、ロレンシア。昔みたいに、何もかも忘れて、ただ無邪気にさ」

「……それは、私の夢の。いや、それは凄く嬉しいけど。今日は、君のための一日で……」

「分からないかい、ロレンシア。この僕が、古今東西神羅万象ありとあらゆる事象を含めて最も嬉しい瞬間は」

 

 

 

 ────(ロレンシア)が、笑っている時間さ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局。僕はその日、ロレンシアと夜まで子供のように遊び続けた。

 

 しりとりをして、鬼ごっこをして、歌を歌って、本を読んで。

 

 そんな他愛ない子供じみた遊びを、懐かしんだ。

 

 少し照れくさそうな彼女は切り株に腰かけ、声をそろえて童謡を歌う。僕たちの、思い出の歌を。

 

 あの時はまだ、僕にも父さんがいて、母さんがいて。僕とロレンシアは親を庭へと集めて、一緒に切り株の上に立ち、童謡を合唱したんだ。

 

 子供二人が開催した、小さな音楽祭。僕や彼女の両親は、ニコニコと微笑みながら稚拙な歌に拍手を送った。

 

 その時に歌った、僕が大好きだった童謡である。

 

 

 

 

 

 

 歌い終わる頃には、日が傾き始めていた。空は赤く染まり、道端に人気が少なくなる。これ以上ここに居たら、総統府へ戻るのが深夜を過ぎてしまうだろう。

 

 そろそろ、童心に返る時間は終わりのようだ。

 

「頑張ろうね、ロレンシア」

「そうだな」

「また、ここに戻ってこよう。今度は二人で、ずっと一緒に」

「……ああ。約束しよう」

「うん、約束だ」

 

 夕焼けの下、僕達は指切りを交わした。子供の約束の様に。

 

 ロレンシアは、笑っていた。きっと、心の奥からの笑顔だと思う。

 

 総統業務で毎日が忙しいロレンシアも、少しは息抜きになっただろうか。

 

 きっと今日は、欲望のままロレンシアにエッチな事をさせるより、ずっとずっと幸せな一日だった。それだけは、断言出来る。

 

 だから。

 

 

 

「ロレンシアのあの態度だと、かなり際どい事も許してくれたよなぁ……。格好つけずに、履いてるパンツ貰っときゃ良かったかなぁ……」

 

 

 

 夜、ベッドの中で独り密かに後悔したのは内緒である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

「1パック3枚入り、500ハーグだよー」

「おい、もう一つだ! もう一つ寄越せ腹黒秘書!」

「こ、こっちにも! くそう、本当に入ってるんだろうな!」

「僕は、ロレンシアに関することで嘘はつきませんよ」

 

 

 商いは、大盛況となっていた。

 

 僕は約束通り、兵士共の各それぞれの希望通りの衣装写真を進呈した。

 

 ただ、写真を配るだけでは勿体ない。この前の外交で贈賄を駆使した僕は、かなり散財していた。その資金回収を兼ねて、ロレンシア写真の販売を同時開催したのだ。

 

 兵士達の要求したロレンシアの衣装写真3枚入り、1パック500ハーグ(日本円にして10000円程度)。

 

 10パックに1枚、レア写真として「お着替え中の半脱ぎヘソチラロレンシア」

 

 30パックに1枚、スーパーレアとして「お着替えを撮影しているのに気付き、下着姿のままジト目で僕を睨むロレンシア」

 

 そしてウルトラレアとして、谷間の見える「裸エプロン新妻ロレンシア」を収録した。1枚だけしか存在しない、究極のレア写真(おたから)である。

 

 因みに裸エプロンは僕のリクエストだ。兵士達の希望ではない。

 

 兵士達は食いついた。兵士達に金を惜しむ気配はなく、用意しておいた大量のロレンシア写真パックが飛ぶように売れていく。これで、当座の資金難は乗り切れるだろう。

 

 そしてロレンシアの人気が高まれば高まるほど、バーゲン帝国はより強固に結束する。兵士は喜び、バーゲン帝国もより発展していく。

 

 まさにwin-winだ。

 

「やったぁ……ジト目下着ロレンシア様だぁ……」

「畜生あいつ引きやがったぞ、本当に下着写真が入ってやがる! 俺に10パック寄越せ!」

「うーん、学生服と学生服で学生服がダブってしまった。誰か~、メイド服か、水着のロレンシア様と交換して頂きたい」

「皆見ろ! 学生服ロレンシア様、よく見たら上着が透けてるぞ!」

「何だと!? おい、さっきの学生服ダブり! 俺の猫耳ロレンシア様と交換しないか!?」

 

 

 ハーゲン帝国は、今日も平和であった。

 




不定期更新……


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独裁者の腹心の末路は如何に

 おい、もうベルが鳴ったぞ。みんな席につけ。

 

 よしでは、本日の歴史の授業を始めよう。教科書の247ページを開いてくれ。いつもの通り、居眠りした奴は閉め出すからそのつもりで。

 

 さて今日は諸君のお待ちかね、ハーゲン帝国の侵略戦争と世界大戦のお話だ。昨年大ヒットしたあの映画でみんなもよく知っているだろう。大学入試で良く聞かれる部分でもある、心して聞くように。

 

 さて開戦当時19XX年、ハーゲン帝国は弱小国家として扱われていた。ヨウロプ大陸の西部に位置する、先の大戦の敗戦国だった彼らは、補償条約により周辺国に多額の借金を背負わされていた。返済などできっこない多額の借金だ。いずれ国家は破綻し、周辺国に蹂躙されるのは目に見えていた。周辺国家の思惑としては、ハーゲン帝国崩壊を待って植民地にしたかったのだろう。

 

 前の大戦では、ローランド中将を筆頭としたハーゲン軍人の必死の抗戦で、ギリギリハーゲン帝国は滅亡を免れていた状況だった。事実、前の大戦の際に首都にまで侵攻が及び、当時の大総統だったローレンは戦死してしまっている。

 

 その後を継いで指導者となったのは、ローレンの一人娘、着任時は若冠15歳であったロレンシア大総統だ。

 

 彼女の統治に変わった後も、領土拡張を狙った隣国フラメに攻め込まれ東北都市を隣国へと割譲させられたりとハーゲン帝国は苦境が続く。そんな歴史的背景から、にっちもさっちもいかなくなったハーゲン帝国は、19XX年に隣国フラメへ向けて宣戦布告を行ったのだ。これが巡り巡って、世界大戦の引き金になった。

 

 ハーゲン帝国は、もともと油田くらいしか資源のない弱小国家に他ならない。周辺国によって運命を捻じ曲げられた被害者と言えるだろう。よく彼らは悪役として戦争映画で描かれているが、彼らの立場に立って事を考えるとまた違った感情が湧いてこないだろうか。窮鼠猫を噛むという。窮鼠を最悪の侵略国家へと仕立て上げた戦犯は、当時の周辺国なのかもしれない。

 

 

 話を戻そうか。19××年、ハーゲン帝国が隣国への賠償金の支払期日であったその日、ハーゲン帝国から隣国フラメへと宣戦布告が行われた。

 

 それはほぼ完全な奇襲だったため、対応の遅れたフラメは瞬く間に重要施設を制圧される。そのまま、満足に軍を動かす事も出来ず、2か月という短期間で首都がハーゲン帝国により制圧されてしまった。

 

 この展開に喜んだのは、当時列強だったエイレス・スパーニャ等の周辺大国だ。ハーゲン帝国が行った何の前触れもない宣戦布告、国際法をほぼ無視したフラメへの侵略行為。彼らはハーゲン帝国に対し宣戦布告を行う、これ以上ない大義名分を手に入れたのだ。

 

 即座に包囲網が組まれ、同年7月、隣国の奪還を名分に4カ国が同時にハーゲン帝国へと攻め入った。そのうち2国は、当時の列強だったエイレス・スパーニャである。兵力も、装備も、何もかもがハーゲン帝国の何倍もの大国が、2国も参戦してきた訳だ。

 

 連合軍は2方面からハーゲン帝国へ侵攻した。ハーゲン帝国側からはスパーニャ国軍、隣国側からエイレス国軍を主軸に据えた二面作戦だ。だが両国とも、いかに早くハーゲン帝国を占領し、その支配圏を強めるかしか頭になかったに違いない。連合軍と銘打ったものの互いに殆ど連携も取らず、好き勝手に侵略を開始したのである。

 

 2国が連携していなかったせいで、攻め込む時期が1週間ほどズレてしまった。それが致命的だった。先に攻めたエイレスはハーゲン帝国のほぼ全軍の猛攻を受けて1週間の内にほぼ壊滅、後に攻めたスパーニャも同様に壊滅。せっかくの2方面からの連合軍なのに、各個撃破されてしまったんだ。

 

 何故、こうもあっさりとこの2国は壊滅したのか? それは、ハーゲン帝国陸軍は当時では珍しかった戦車部隊を、高度な戦術を以て実践導入していたからだ。その戦車部隊の戦術論は、大総統ロレンシアの発案だったらしい。今の戦術論でも一部採用されるくらいに、彼女の戦術は素晴らしかった。歩兵を相手にした装備しか持ってきていなかった両国は、大量の戦車を前に抵抗もできないままに壊滅してしまう。

 

 戦争形態を大きく変えたこの一戦から、各国も戦車の量産を始めだし、数年の間に陸戦の主役として戦車が君臨し始める。だが、その数年の間ずっと周辺国は、ハーゲン帝国の戦車部隊に頭を悩まされることになる。

 

 ハーゲン帝国は列強2国を相手取り、同時に勝利を収めた。しかも戦車部隊は消耗しておらずほぼ無傷の状態で、だ。この年に、世界は大きく動いた。

 

 同年10月、エイレス陥落。ハーゲン帝国は今までのお返しとばかりに電撃的にエイレスへと侵攻した。エイレスの主力軍は既に壊滅していたし、残存戦力もハーゲン戦車部隊を前になす術なく粉砕されていた。この短期間で首都まで陥落させられたのも、無理もないだろう。同年12月、スパーニャも同様に陥落したことで、名実ともにハーゲン帝国はヨウロプ大陸の覇者となった。

 

 ロレンシアの恐ろしいところは、この展開を開戦前から予想していた所だ。資材不足で時期を逃すことがないよう、宣戦布告を受ける前から既に銃弾や燃料を前線の備蓄施設にかき集めていた。

 

 勢いに乗ったハーゲン帝国は、周辺国に従属を迫っていく。列強2国の敗北を受けて、弱小国家はこぞってハーゲン帝国に降伏した。従わなかった国も、即座にハーゲン帝国軍に侵略され、植民地にされていく。

 

 結局、開戦から2年の間にエイレス、スパーニャ、フラメを含む7ヶ国はハーゲン帝国の植民地にされ、その他8ヵ国がハーゲン帝国の属国となる。

 

 植民地にされた国の民は奴隷として扱われ、連合軍によって解放されるまで過酷な扱いを受けることになる。この時のハーゲン帝国の行った残虐な仕打ちについては、後に道徳の授業で学ぶように。

 

 さて、時は巡って19XF年。ヨウロプ全域を支配しようとしたハーゲン帝国に待ったをかけたのが、ソバット連邦だ。ハーゲン帝国の侵略行為を国際法に対する冒涜だと非難し、領土割譲を迫った。

 

 ここからが、ハーゲン帝国の最大の失策であろう。北部戦線を維持していたハーゲン帝国軍は、今度は宣戦布告すら行わずソバットの首都めがけて急襲したのだ。戦勝ムードもあったのだろうが、広大なソバット連邦相手に極地電撃戦は失策でしかなかった。

 

 これに関しては、おそらく北部軍の独断であると推測される。ソバット侵攻の知らせを聞いたロレンシア大総統が、癇癪を起こして通信機をたたき割ったというのは有名な逸話だ。映画を見た人は、印象的なシーンだっただろう。

 

 常に冷静で、機械じみて、全く人間味を感じられなかった彼女が、初めて人間らしい行動を見せたのだから。

 

 いかにハーゲン帝国が精鋭であり、防寒装備や戦術論を整えていたとはいえ、広大な雪原での戦闘はソバット連邦に分があった。更に土地勘がないハーゲン帝国は最短距離を移動できず、電撃戦であるはずなのに後手に回るという失態をおかす。

 

 結局、この侵攻作戦で得をしたのはソバット側だけだった。何せ、ろくに被害も出さずに、ハーゲン帝国の技術の粋を集めた戦車をたくさん鹵獲できたのだから。

 

 ソバット侵攻作戦の失敗の知らせを受け、ロレンシア大総統は即座に戦線を縮小させた。大量の戦力を失い、戦線の維持が難しいと判断したのだろう。支配していたスパーニャを放棄し、守りを固めて再起を図る方針に切り替えたのだ。だが、これも結果的には悪手だった。

 

 ソバット戦線の敗報を受け、ハーゲン帝国軍部ではソバットへの報復・再侵攻論が過熱化していたからだ。スパーニャを放棄した意味は理解されず、彼女は『臆病風に吹かれた』と批判の嵐にさらされる。

 

 開戦前は大人気だった彼女も、この時には大きく支持を落としてしまっていたのも一助となった。

 

 19XD年。ロレンシア大総統はスパーニャ解放の責任を取って辞職を迫られる。幸か不幸か、ロレンシアはその地位こそ失わなかったものの、軍の指揮権は彼女の手を離れる事となってしまう。

 

 結局、暴走した軍部により、ルーデン中将を筆頭にソバット連邦の再侵攻部隊が編成された。その年の11月。やはりソバット連邦によりハーゲン帝国軍は散々に壊滅させられ、ハーゲン帝国最優の将軍と名高かったルーデン中将も命を落としてしまう。これが決定打となり、これからどんどんとハーゲン帝国は追い詰められていく。

 

 翌年19XC年にはエイレス帝国が解放される。その後ソバット・エイレス・スパーニャは連合軍を結成し、一気にハーゲン帝国へと侵攻を開始した。

 

 そして19XA年、終戦。ハーゲン帝国の首都が陥落したその日、ハーゲン帝国の指導者であったロレンシアは、自らの家に火を放って自殺した。燃え残った彼女の家からは、遺書が見つかっている。

 

『もう一度、あの日、あの場所に』

 

 この遺書に記された文の意味は色々解釈をされているが、北部戦線軍が勝手にソバット侵攻をした日に戻りたい、という説が有力だ。映画では”恋人と過ごした日に戻りたい”ドラマチックな解釈をされていたが、彼女は生涯恋人などを作っていない。ロレンシアは感情を一切表に出さず、機械のように大総統であり続けたと伝えられている。

 

 

 さて、長々と語ってきたが、「ハーゲン帝国滅亡の最大の分岐点」はどこかと言われたら、実は俺は開戦前にあると思う。ソバット侵攻なんかより、ずっと大きな分岐点だ。

 

 ああ、これはあくまで俺の推論だからテストには出さないよ。雑談と思って聞き流してくれ。

 

 ハーゲン帝国の宰相を務めた男がいる。彼の名は……。おっと、ド忘れしてしまった。俺も年かな? 

 

 まぁ、あんまり有名じゃない人物なんだ、名前は各自調べてくれ。ソイツは元々ロレンシアの秘書長を務めていた男らしい。ロレンシアと同郷であり、コネで雇われたと周りからは疎まれていたそうだ。

 

 だが、最近の研究で彼の評価は大きく見直されている。ロレンシア大総統の成果と言われている商業発展や軍事成長・外交戦略は、この男が一手に引き受けていたらしい。保存された殆どの書類で、彼が主導して政策を進めた形跡が残っている。

 

 それだけじゃない。彼は熱心なロレンシアの信奉者で、プロパガンダを積極的に行い彼女の人気を底上げしていたのだとか。実際に彼が生きている間は、ロレンシアの人気は凄まじかった。彼女が最初に大きく支持率を落としたのは、彼が死んだ翌年であり、まだ連戦連勝していた頃だという。間違いなく、初期のロレンシアの人気は彼によって演出されていたのだろう。

 

 とまぁ、彼は奸雄ロレンシアの腹心であり、彼女の陰でハーゲン帝国を支えていた大黒柱だった。ロレンシアの手記には何度も『彼が生きていたら~』という旨の文が出てくる。間違いなく、彼女が最も信頼を置いていた人物だったんだろう。またロレンシアと不仲だったルーデン中将の手記においても、この男だけは非常に高く評価されていた。ロレンシア大総統の苦手とする人間関係の、潤滑油の役割もこなしていたのだろう。

 

 だが、残念なことに彼は開戦の直前、味方であるハーゲン帝国軍人により射殺されてしまった。野心家だったローランド元中将と、中将を担ぎ上げた軍部の将校によるクーデターに巻き込まれたのだ。公式記録では彼がロレンシアに付き添って北部都市を視察していた折に、ロレンシアを庇って銃弾の雨を浴び、即死したとある。

 

 俺は、ここがハーゲン帝国の命運を分けた瞬間だと踏んでいる。もしこの男が生きていたら、恐らくロレンシアの命令が軽視されることなく行き渡り、戦争の結末は大きく変わったはずだ。ハーゲン帝国の敗因はロレンシア大総統の命令が軽視されたからであり、彼女自身は常に最善の手を打ち続けたのだから。まぎれもなく、彼女はここ100年で最高の頭脳を持った人間だった。それを周囲が理解しなかったからこそ、我々はハーゲン帝国に勝てたのだ。

 

 もし、ロレンシア大総統の考えを理解し、それを周囲に潤滑に伝える存在が存命したままハーゲン帝国が戦争を行っていたら。そう、この男が生きていたのであれば、今我々はハーゲン帝国の旗の下でロレンシアの銅像に敬礼して生活していただろう。

 

 ああ、チャイムが鳴ってしまったか。今日はここまで。興味があれば、先程俺が言った男のことを調べておくといい。映画ではチョイ役でしか出ていなかったが、実際はかなりの功績を残した人物なんだ。

 

 それと男子諸君が大好きな、エイレス博物館に資料として展示されている有名な”ロレンシアのパンチラ”写真も、彼が保有していたものだ。彼はロレンシアの信奉者であったと同時に、スケベな男でもあったらしい。まさか彼女も、後世で下着写真を博物館に展示されるとは思っていまい。感情が希薄だった彼女が、パンチラ写真なんぞを気にするかどうかはしらんがね。

 

 では、授業を終わる。今日は重要な話をしたから、定期テストに備えてよく復習するように────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────Zzz。

 

 

 

 

 

 ────Zzz、Zzz。

 

 

 

 

 

 

「そろそろ起きるんだ。もうすぐ北部都市スノーランドに到着するぞ」

 

 ……微睡む僕の耳を、鈴の如く凛とした声が撫でる。透き通る心地よいその声で、僕の全身はより一層リラックスし、眠りはさらに深まっていく。

 

「……はぁ。私の太ももを気に入ってくれたのなら嬉しいが、君が起きないと私も動けないんだ」

「……Zzz」

 

 太もも? そうか、僕が頬で感じている柔らかな温もりは、ロレンシアの太ももだったのか。これは、ますます起きるわけにいかなくなった。よし、まずは少し寝返りを打って、ロレンシアの太ももに顔をうずめて深呼吸しよう。

 

 すー、はー。

 

「……おい、もう起きているだろう。あと数分で到着だ、そろそろ顔を上げろ」

「うーん、まだ意識がはっきりとしないんだ。誰かががおはようのキスをしてくれたら目が覚めるかもしれないけど~」

「だ、そうだ。ホフマン、君はこの男の護衛だろう。お望み通りキスをしてやるといい」

「おはようロレンシア。うん、もうバッチリ目が覚めたよ」

 

 ジトリ、と僕を蔑むロレンシア。残念なことに彼女の太股の上で眠る僕の至福の一時は、とうとう終わりを告げた。

 

 相変わらず彼女は、僕の扱いが上手い。さあ、仕事の時間だ。体を起こして彼女に向き合い、僕は笑みを浮かべて頭を掻いた。

 

 

 

 

 正確には、『必死でいつもの笑顔を張り付けて』だけど。

 

 

 

 

 せっかくのロレンシアの膝枕だと言うのに、酷く嫌な夢を見た。妙に現実味のある、あり得ない歴史の話だ。

 

 統一された学生服を着た子供達に、老年の一人の教師が歴史の授業をしている夢。ハーゲン帝国が戦争に負けて、滅亡してしまうという授業内容。

 

 なんとも、馬鹿馬鹿しい。ロレンシアの計画は完璧だ、ハーゲン帝国が負ける筈があるもんか。振られる仕事が増えてきたせいで、僕も疲れているのかもしれない。最近は、ずっと嫌な予感にさいなまれ、眠れない日が続いていたけれど、ここまでの悪夢は初めてだ。

 

 しかも、言うに事欠いて、ロレンシアが感情の無い機械みたいな人間だって? 彼女はこんなにも表情豊かで、甘えん坊で、可愛らしい少女なのに。

 

「どうした? 難しい顔をして」

「あはは、何でもないよロレンシア。僕はただ、君の下着について考察していただけさ」

 

 ───ああ、しまった。表情に出ていたか。いつもの調子で誤魔化してみるが、賢いロレンシアに何処まで見抜かれたかは分からない。

 

「職務中に妙なことを考えるな、馬鹿者。我々は貴重な時間を割いて視察に来ているんだぞ?」

「大丈夫さ、パンツの事と平行して仕事の事も考えてるよ」

「君ならそれくらい出来そうだから腹が立つ」

 

 忘れよう、単なる夢の中の話だ。疲れた僕が、不幸な未来を妄想してしまっただけだ。そんな時は、可愛く聡明で美しいロレンシアの顔を見て落ち着こう。

 

 そんな彼女はと言うと、時計を気にして何度も何度も周囲を見渡している。

 

「もうすぐ、合流時刻だ。ルーデンはまだ迎えに来ないのか」

「確かに、少し遅いね。うーん、連絡ミスかな? 彼ほどの男がこんなポカをするとは考えにくいんだけどなぁ」

「まぁいい、まだ時間はある。ギリギリまで待ってやろう」

 

 ほんのり腹立たしそうなロレンシア。うん、やっぱり彼女は表情豊かだ。意外と怒りっぽい所もあるんだよな。

 

 

 

 ────だが、残念なことに彼は開戦の直前、味方であるハーゲン帝国軍人により射殺されてしまった────

 

 

 

 ……………そういえばあの授業で一人、妙な存在が語られていた。ロレンシアの秘書長であり、宰相と呼ばれ、彼女の政策を一手に進めた男。

 

 そんな男は知らない。秘書達はみな同列であり、第一、第二と番号が振られているだけだ。秘書長なんて役職は存在しないし、僕にはロレンシア以外の直轄上司はいない。

 

 それに、ロレンシアの政策を押し進めたのは、全て彼女本人に他ならない。誰だ、ロレンシアの成果を横取りしたその男は。許せん、軍法会議にかけてくれる。

 

 ……ああいや、夢の話か。自分の妄想に対して怒るなんて、馬鹿馬鹿しい。

 

 ────公式記録では彼がロレンシアに付き添って北部都市を視察していた折に、ロレンシアを庇って銃弾の雨を浴び、即死したとある────

 

 ロレンシアに付き従って北部視察した時に、ロレンシアを庇って即死した。それが彼の死に様。 

 

 だが、今までそんな事件は起きていない。やっぱり妄想だろう────

 

 

「なんだか、静かですね」

 

 

 僕の護衛のホフマンが、ポツリと呟く。成る程彼の言う通り、以前パルメと共に来た時は、もう少し賑やかな街だったと思う。

 

「北部の戦力は軒並み国境に回してるからね。戦争が始まる前の、嵐の前の静けさと言うやつだろう」

 

 しかし僕は、せっかく彼が指摘した『些細な違和感』を、さらりと流してしまった。この些細な違和感が、僕の命運を分けるとも知らずに。

 

 静かだから、何だと言うのだ。たまたま人が少ないだけだ、北部軍が国境に移動しているから寂しいだけだ。

 

 

────ローランド中将とその部下のクーデターに巻き込まれ────

 

 

 それは、本当に偶然だった。

 

 ぼくは、居眠りした時に見た夢を信じるような、センチな性格ではない。

 

 だが、薄ら薄ら気付きかけていた。

 

 秘書長ではないが、秘書の中で最も権力があるのは誰か。ロレンシアの北部都市の視察に、同行した男は誰か。彼女の押し進めた政策の、ほとんど全て関わっていたのは誰か。

 

 まさか。僕がその『男』なのか? 僕の存在が、未来にねじ曲がって伝わった結果が、その『男』の正体なのか?

 

 だったら僕は今日、殺されてしまうのか?

 

 落ち着け、そんなはずはない。だが、考えろ。クーデターが本当に起こるとしたら何時だ。

 

 それは人気が少なく、辺りに軍も巡回しておらず、護衛も薄い瞬間。例えば、長旅を終えスノーランドに到着し、ルーデン司令と合流する直前の、油断しきった一瞬────

 

 それは、今、この瞬間では無いか?

 

 

「伏せろっ!!」

 

 

 刹那、僕の後ろでホフマンが叫んだ。

 

 その声に呆け、硬直した僕は、棒立ちのまま振り向いて。

 

 そしてやっと、いつの間にか停車していたクルマのその窓から生える、無数の黒い銃口に気付いた。

 

 

「ロレンシアを守れぇぇぇっ!!」

 

 

 それが、僕の口から零れた最後の言葉。

 

 僕は絶叫しながらも咄嗟に、ロレンシアと銃口の間に割り込めた。無意識の内に、僕はロレンシアを庇いにいけたのだ。

 

 僕は恐るべき銃口に背を向け、目を見開いた可愛く美しいロレンシアと向かい合った。間もなく彼女は護衛達にのし掛かられ、人の山の中へと消える。

 

 それが、僕がはっきりロレンシアの顔を見た、最後の瞬間だ。その時、既に僕の背中のその先から、凄まじい銃撃音が響き渡っていた。

 

 轟音と共に僕の太股が、切り裂かれる。肩からは血が吹き出て、腹には熱い水流が濁々とこぼれ落ちる。

 

 

 1寸おいて、ようやくロレンシアの護衛部隊の銃撃が火を吹いた。ロレンシアに銃口を向けた不届き者達は、雨霰の如く降り注ぐ銃撃を嫌って、奴等の車の中へと逃げ込む。

 

 やがて護衛達のフルオートにばらまく銃弾に屈し、奴等は撤退した。

 

 

 ほんの、数秒間の出来事だ。

 

 

「……」

 

 視界がぼやけ、赤く染まる。目の前の人物が誰か、よく分からなくなる。

 

 だけど、その姿だけで僕はロレンシアを見分けた。今、僕の目の前に立ち、僕の肩に手を置いている少女こそ、ロレンシアだろう。

 

 ぼやけた視界のなかで、彼女の顔が蒼白になるのが分かった。庇うのが遅かっただろうか? 彼女の何処かに、銃撃が当たってしまっただろうか?

 

 

「……」

 

 くそ。何でだ、声がでない。

 

 彼女に声をかけないと。無事だったか確認をしないと。

 

 ロレンシアは、僕の全てなのだ。彼女同様、親も兄弟も皆失った僕にただ一人残された、大事な肉親なのだ。

 

 彼女に、傷ひとつつけるわけにはいかない。彼女の父、ローレン前総統との、男と男の約束なのだ。

 

 

「……」

 

 

 ああ、ダメだ。

 

 声が、出ない。指先も動かない。力も入らな────

 

 

「ひ、秘書殿……」

 

 

 じゃり、と言う音がする。血と土の味が口腔内に広まる。

 

 気がつくと、既に目の前にロレンシアは居なかった。僕の視界には、黒々とした土砂と、赤黒い血流だけが映り続けていた。

 

 僕の回りに、人が集まってくる。残念ながらもう目が霞んで、誰が誰だか分からないけれど。

 

 だけど、僕の目の前に座り込む、明るく柔らかなロレンシアのその陰だけは、やはり見間違えようもない。

 

 彼女の手が、僕の頬に触れる。暖かい。柔らかい。心地よい。全身につんざく刺すような痛みが、一気に和らいでいく。

 

 ああ。周りの事は何も分からないけれど、ただひとつ言えるのは。

 

 僕は笑顔だった。

 

 大好きな女の子に頬を撫でられて眠る僕は、間違いなく幸せだった。

 

 その時。頬に、冷たい何かが伝うのを感じた。ポタリ、ポタリと空から垂れてくる水滴が、土だらけの僕の顔を洗い流す。

 

 やがて、少女の慟哭を皮切りに、何もかもが真っ暗になって。

 

 僕は長い長い眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大体、三日間くらいの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次に僕が意識を取り戻し、うっすらと目を開けた先に見えたのは、よくよく知っている天井だった。

 

「……そ、総統府?」

 

 そう。クーデターによりハチの巣にされた僕が眠っていた所は、仕事場兼ロレンシアとの愛の巣。すなわち、ハーゲン帝国総統府である。

 

 目を覚ました僕が最初に感じたのは、凄まじい激痛だった。

 

 痛い。腕も、足も、腹も、肩も、何もかもが痛い。全身が腫れ上がって、そこに塩水をこれでもかと塗りたくられるくらい痛い。

 

「い、い、痛ぇよぉぉぉぉ!!!」

「……おおっ!! 目が、目が覚めたか!」

 

 あまりの激痛に身悶えしていると、凛として咲く花の様な透き通った声がする。

 

 目線だけを動かすと、そこには目にいっぱいの涙を浮かべたロレンシアが立っていた。僕が寝ているベッドの傍まで駆け寄ってきた彼女は、僕の頬を撫で破顔した。

 

「君は……君と言う奴はなんて馬鹿な真似を……、いや、もういい。医者は!? 意識が戻ったぞ、医者を呼べ!」

「御意」

 

 そうか。僕は助かったのか。

 

 体はピクリとも動かせないが、こうしてロレンシアに話しかけられ、頬を撫でられているからには、僕はまだ幽霊ではないのだろう。

 

「目が覚めたとはいえ、君はまだ重症だ。暫くは、ここで休んでいてもらうからな」

「……みたいだね。ところで、何で僕は執務室に寝かされてるの?」

 

 意識が戻って最初に目に入るのがロレンシアの笑顔なのは、大変素晴らしいことなのだが。なぜ僕は病院ではなく、こんな場所で眠っていたのだろう。

 

「市中の病院に入院されたら、多忙な私は見舞いに行けないからな。それに、2度めの襲撃が無いとも限らない。ここが一番安全で、合理的な病室だ。君もそう思うだろう?」

「……そうだね」

 

 どうだ、名案だろうと頬を緩めるロレンシア。彼女があまりに自慢げなので僕は押し黙ったが、それは全然名案ではないと思う。

 

 僕のベッドを無理やり執務室に持ち込んだせいで仕事場が狭くなって同僚の秘書たちもやりにくそうだし、僕の治療のための点滴やらの管理をしている看護師さんは部屋の隅に追いやられているし。

 

 なんだかロレンシアの様子がおかしい。いつもの聡明さは何処に行ったのだろうか。

 

「何にせよ、君の意識が戻ってよかった。ああ、今日は素晴らしい日だ、ともに祝杯を上げようではないか。なぁ、みんな!」

「総統閣下。素晴らしいご提案ですが、ローランド元中将の1件の裁判書類がまだまだ────」

「うるさい。明日処刑しておけ、それでいい。奴に裁判など必要ない」

「いえ、その、それは司法的に不可能ですし、そもそも北部からの凄まじい反発が予想され────」

「構わん、明日処刑だ。よし、今日は解散としよう」

「ロレンシア、落ち着いて」

 

 やっぱり、彼女の様子がおかしい。

 

 なんというか、その愛くるしさや美しさはいつものロレンシアなのだが、中身がポンコツになってしまっている。

 

「私は落ち着いているぞ。君までなんだ、せっかくの素晴らしい日に」

「そんなことを言ってる時のロレンシアは、よくミスをするじゃないか。ロレンシア、君は今、柄にもなく浮ついているだろう?」

「む、そんなことはないぞ。私がいつそんな────」

「あれは5歳ごろだったか、家族旅行で南部地方に泊まりに行った時だ。旅行先で浮ついた君は、調子に乗って名産物のオレンジジュースを飲みすぎて、しかも寝る前トイレに行き忘れてしまい」

「私が悪かったからその話は一刻も早く忘れろ」

 

 あの時のロレンシアは可愛かったなぁ。プライドの高かった彼女は羞恥に顔を歪ませつつも、何も言い訳をせず項垂れていて。

 

 ああ、思い出したら興奮してきた。

 

「……はぁ。どうして君は、重傷で寝込みながらも私を辱める事を忘れないんだ」

「これが生きがいだからね。ああ、今やっと僕は生を実感しているよ」

「そんな生の実感は投げ捨ててくれ」

 

 僕が興奮する一方で。明らかに浮ついていた彼女は、やや落ち着きを取り戻し僕をジトリと睨みつけた。

 

「ねぇ、ところで何で僕は生きてるの? あの時の感じだと、絶対死んだと思ったんだけど」

「ああ、左胸を何か所も被弾していたからな。私も諦めていたさ、だけど奇跡ってのはあるものでな」

 

 そこまで言うと、ロレンシアは少し頬を染め。目線を左右に動かしながら、意味深な目で僕を見つめた。何なのだろう。

 

「君、その、なんだ。背に私の写真を、隠し持っていたんだろう? その薄っぺらい写真が、何故かすべて銃弾を受け止めて身体に通さなかったそうだ」

「……あ」

 

 すっかり失念していた。そうだ、僕はコートの背に、ロレンシアの写真を縫い付けていたのだ。

 

 それは、北部視察に向かう朝、ほんの気まぐれで仕込んだものだ。連日の仕事と、言い様の無い不安によるストレスに対処すべく、全身をロレンシアのパンツ写真に包んでしまおうと言う結論に至った。

 

 一応、実利も兼ねてはいた。ロレンシアの写真は、中央では賄賂の弾になるほどに価値が高い。だが、北部都市ではめったなことでは手に入らない。

 

 ルーデン中将に付き従って北部都市へ異動した、ロレンシア信奉者の軍人に高く売りつけられるかも知れない。販売することも考えて、僕はかなりの数のロレンシアの写真をコートの背面に縫い付けていたのだ。

 

 それも、皺にならないようラミネート加工した状態で。何枚もの硬く加工されたパンツ写真が折り重なっていれば、そりゃ銃弾くらい防げるだろう。

 

 そんなつもりはなかったが、僕は知らずのうちに天然の防弾チョッキを着ていたらしい。

 

「あ、いや、構わないんだ、その、私の写真を隠し持つくらいはな? 別に気にしてないし、その、君が私のことを大好きなのはよく知ってるし、な?」

「……あー。その、えっと、ロレンシア? 僕の持ってる写真、見ちゃった?」

「え、いや見ていない。医者が手術前に、コートの中の写真に気が付いてだな。残念だが、写真は血塗れだったから破棄したそうだ」

「ようし、その医者を呼んで来い」

 

 医者よ、ロレンシアにパンツ写真とか盗撮写真だっていうのを黙っていてくれたのは助かるけど。お前、僕のお宝写真を横領しただろ。

 

 預かってくれてるだけなら許すけど、盗むつもりなら許さん。

 

「……よかった。ほんとによかった。君を失ったら、頑張る意味がなくなってしまうからな」

「ん? ロレンシア?」

「ああ。ああ、ああああ。ほ、本当に、目が覚めてくれて、本当に、本当に……」

 

 僕が、主治医に対して不信感を抱いていたら。今頃になってロレンシアは、大きな声をあげて泣き始めた。

 

 ……彼女の泣き顔を見るのはいつ以来だろうか。ロレンシアは、僕の悪戯に涙を浮かべて怒ることはあっても、決して涙をこぼすことはなかった。

 

 人前でおねしょをした時でさえ、顔を真っ赤にしながらも、泣くのだけは堪えていた。

 

「あの、えっと、ロレンシア?」

「うああああん、ほ、本当に、怖かったんだぞ!! 」

 

 そんな彼女が、泣いている。

 

 そうだ、確か最後に彼女が号泣しているのを見たのは。前総統にしてロレンシアの父、ローレンさんが死んだ日だ。

 

 父を慕っていたロレンシアは、避難した先で焼け落ちる総統府を見て、僕に抱き着き大声をあげて泣いていた。彼女は、誰か自分の大事な人に対して、大声で涙を流せる優しい人間なのだ。

 

「大丈夫さ、ロレンシア。僕は生きてる」

 

 彼女を撫でてやれないのが悔しい。せめて僕は、大声をあげて泣く彼女を諭すように、優しく話しかけた。

 

「それにさ、僕は最近いい夢を見てね。その夢によると────」

 

 

 ────もし、ロレンシア大総統の考えを理解し、それを周囲に潤滑に伝える存在が存命したままハーゲン帝国が戦争を行っていたら。そう、この男が生きていたのであれば、今我々はハーゲン帝国の旗の下でロレンシアの銅像に敬礼して生活していただろう────

 

 

 

「僕たちは、世界を統べることが出来るらしいよ」

 

 



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