艦隊これくしょん -南雲機動部隊の凱旋- (暁刀魚)
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-第一部 南雲機動部隊の黎明-
『00 これより艦隊の指揮をとります』


 深い、深い水の底へと沈んでゆく感覚。

 ――疾うの昔に、肉体はその機能を終えているはずだというのに、肉体に宿るはずの意識は、“魂”はいまだに暗く侘しい海の存在を、体とも言えない感覚全体に告げていた。

 

 死んだのだ、そう気がつくのにさほど時間は要さない。あっけない最期だったと今更ながら回想する。水に溺れて、みっともなくもがき抜いてそれでも助からず、溺死。正直、自分が情けないとも思ってしまう。

 生きてやれることはごまんとあった。しかし、死んでできる事は何一つない。当たり前だ、体が動かなければ楽しむことも悲しむことも、味わうことも寝ることもできないのだから。

 

 思うことは単純だ。死にたくない、もっと生きていたい。言葉が過去形にならないのは、きっとまだ自分が死を自覚しきれていないからだろう。

 きっとこのまま死した己を恨めしく思って、やがてそれだけを怨念にこの海の底へ沈殿しきえてゆくのだろう。体が溶けてゆく感覚がそれを自分に告げるのだ。

 

 やがて自分の感覚に、引きずられるような何かを感じた。潮の流れだろうか、宛もなく海に沈み続けるよりも、きっとそれに任せて行ったほうがよいのだろうとあやふやな思いでその流れに答える。

 

 視界はまっくらだ。闇の中にいるから見えないのか、それとも視覚が用をなしていないために見ようと思っても見ることすら叶わないのか、水に目をやられたなど、笑えない。しかし、自分の最後は思い切り目を閉じていたことを思い出して、すぐにその考えを打ち消した。

 

 これから先、死を自覚できない自分の感覚は、果たしてどこへ行くのだろう。もしも死後の世界があるのなら、このまま門戸は叩けまい。自分が死んだということはわかるのに、それを受け入れられない愚か者など地獄にすら居場所がないだろうことはよく分かる。

 だとすれば、もしも、もしも天国でも地獄でもないもう一つの、死んだ人間がたどり着く先があるのだとすれば、そこへ行きたい。

 

 生きて、もう一度生を受けて、新たな自分でそこへ行きたい。輪廻転生とでも言うべきなのか、その時己の記憶はどうなるだろうか、たとえ消えたとしてもこのままでいるよりは、ずっといい。

 それでも、願うことができるのなら。

 

 

 生きて、そして再び自分として――――“南雲(なぐも)(みつる)”として、生きたい。

 

 

 そう思った時、自分は――満は白い何かを感じていた。

 

 

 ♪

 

 

 最初はそれが、“光”であるとは気が付かなかった。眩すぎて、単なる背景の白としか思えなかった。なにせ先ほどまで自分は“死んで”いたのだ。それも暗く、深く、何も存在することの許されないような海の底に、はっきり沈んでいるとわかっていたのだから。

 

「――、」

 

 誰かが満を呼んでいる。声はよく聞き取れなかったが、どうやらぼやけた視界の先で彼女が自分を覗き見ているようなのだ。

 何度も目を閉じて、受け入れる光量を調整する。少しずつピントのあう視界。それが正確に周囲の状況を捉えるまでに、数秒を要した。

 

 その頃には、満に呼びかけられていた、言葉の意味も理解できていた。

 

「――提督」

 

 よくわからないが、なんとはなく重機臭い名前だと満は感じた。明らかに軍隊で使用される呼称であるのだが、知識の乏しい満にはそれがよく解らなかったのだ。

 もとより、判断力が低下していたということもあるが。

 

 なにせ彼はその時、覚醒の混乱と同時にいやというほど思考を支配する“それ”に襲われていたのだから。

 

 

 “それ”は、一人の女性に対する感覚であった。

 

 

 明らかに満の常識とはかけ離れたような、テレビの向こうか、ないしはある種部活的な特定の場所でしか見ることのできないような特殊な装い。

 弓道着でいいのだろうか、知識のない満に判断はつかない。

 

「どうかなされましたか? 随分顔色が優れないようですが」

 

「あ、いや……えっと、大丈夫。君は?」

 

「……、私は――赤城といいます。正規空母赤城、貴方の秘書艦を勤めることになりました。以後お見知りおきを」

 

 正規空母? その違和感を大いに覚えるような単語に、満の脳は急速に覚醒を始める。ぼんやりとしていた視界もまた、周囲の情報を取り込むべく、一挙に辺りを駆けまわり始めた。

 

「えっと、僕は……」

 

「南雲満提督ですね? 存じ上げております」

 

 まず、どうやら自分は座っているらしい。多少簡素ではあるもののしっかりと作られた様式のデスクに、真正面には赤城と名乗った女性が佇んでいる。弓を携えた不思議な女性だが、自然と緊張の解かれる雰囲気だ。そして外はどうやら港であるらしい。高くあがった陽は、満のいる部屋にまで届いていた。

 

 これまで自分が暮らしてきた場所とも、自分が沈んだ海の上とも違う、まったく不可思議な新天地。生きているということ以上に、気になる事が多すぎる。

 

 観察するように赤城を覗きこむ。今の彼女は微笑んでいるものの、その彼女がどのように思考しているかは満にはよくわからない。もともと人の機敏を感じ取るのは得意ではない。しかしそれでも、なんとなく赤城の雰囲気を感じ取る事はできた。

 続けて、確かめるように口を開く。意図して言葉を選ぶのはこれが初めてだ、慎重に吟味しながらいくつかの言葉を選んでいく。

 

「どこで僕の名を?」

 

「これから指揮を取る提督の名です、少し小耳に挟んだのを、記憶していました」

 

 誰かから聞いたという具体的な名称を出さない、それはつまり自分で調べたということで違いはないだろう。無論、勝手にそう判断しているだけだが、スラスラとよどみのない言葉遣いは、彼女の知性を感じるには十分だ。

 

「提督、と言うことは僕は君の……“君たち”の司令ということになるのかな?」

 

 “あえて”違和感を覚えるような言動だ。しかし、そのまま会話を続けようとすれば続けられなくもない、そんな言い様。赤城は何かを感じ取ったように目を細めると、少し間をとってから返答する。

 

「……えぇ、その通りです。よろしくおねがいしますね?」

 

「あぁ、こちらこそ」

 

 大丈夫だろう。判断材料など無いに等しいが、満はそう決めつけて一つ頷く。会話はそれ以上続かなかった。お互い軽く握手を交わしてそれっきりだ。赤城は優しく微笑んだまま、まるで何かを待っているかのようにしている。

 

「――少し聞いてくれるかな?」

 

「はい? 何でしょう」

 

 わかっているのだ。軽く会話を交わしただけで、赤城が理知的で、なおかつある程度信用に足る女性であることは理解できた。おそらくあちらも、満の言動にはいいえもしれない違和感を抱いたことだろう。まるで拒絶することなく、彼女は満の話に耳を傾けた。

 

 

 ♪

 

 

 話にして、数分ほどだろう。

 さして時間はかからなかった。要点だけを掻い摘んで、理解してもらえればそれでいい。聞き手である赤城は聡明だ。ある程度情報を省略しても十分に補完してくれるだろうことは想像に難くない。

 

「つまり、南雲提督は――いえ、その哀れな少年は気がつけば夢のなかとすら思える事態に直面していた、と」

 

「そもそも不可思議な話だろう? あって初対面で、こんなお伽話をするのは如何ともおもうけれどね」

 

 状況の認識に圧倒的なまでに情報が足りていないのは、満自身理解しなくてはならないことだ。なにせいきなり世界そのものが変質したのである。

 そして同時に、死者が生者に――それも、この世界で確かな立場にあるらしい存在に――転じたとなれば、頼れるものに頼るしか無いというのは至極アタリマエのことだ。

 

 そしてその頼れる女性、赤城は少し考えこむと一つ頷いてから嘆息する。

 

「……俄に信じられませんね。そんなこと、非科学的すぎます」

 

「まぁ、そうだろうね」

 

 ある程度、その答えは満の心情へストンと腑に落ちる部分もあった。実際に主観を持って観測したはずの満にですら、現在の状態は理解の範囲外にあるものだ。単に話の中で聞いただけでしか無い赤城に取ってしてみれば、これ以上ないほどの理不尽的不可思議であるに違いない。

 

「――ですが」

 

 同時に――そこから先につながる赤城の言葉も、満は想定していたとおりのものだった。

 赤城はあくまで平然とした様子で、淡々と事実を挙げていく。用意していた言葉を、引き出していくかのように。

 

「納得の行く点と、仮説はある程度立ちますね」

 

「そうか? できることなら、軽くでもいいから説明がほしいのだが」

 

 思わず、と言った様子で軽く赤城に顔を近づける。目を見て解るほど感情を理解しているわけでは内にしろ、赤城の言葉に嘘のないということは、よく分かる。

 

「まず、私は貴方を新米の提督との説明を受けていました。――しかし、“それだけ”だったのです、私が個人で調べてみても貴方の“過去の経歴は一切無かった”。意味はお分かりですね?」

 

「いきなり現れたぽっと出の新人に、そんな過去があったと。まぁそれは素敵に非科学的だね」

 

「非現実的です。――が、貴方もお気づきでしょうが、この世界にはそういった非現実が実在いたします」

 

「……正規空母、赤城か」

 

 詳しくは知らないがそれでも、空母という単語がいわゆる戦艦や何かのような“船”に与えられる呼称であることは、解る。

 

「この世界では、魂という概念が存在します。魂とは人そのもの、死した者も、生ける者もすべて、魂によって存在を確立させている。同時に、私たちの世界は、あらゆる世界の“魂”が、流れ着く場所でもあります」

 

「僕はここにたどり着く直前、何かに引き寄せられるのを感じた。“死して魂となった南雲満がこの世界にたどり着いた”というのが正解かい?」

 

「おそらくは。この世界は特に大いなる海に沈んだ魂の漂着場所です。もしかしたらそれ以外の死者は、もっと別の場所に行くのかもしれませんね」

 

「海だけが特別だった? と、そういうことになるかな?」

 

 海とはすべての原点であるために、あらゆる存在とは切り離されて考えられる。人が住むことのできる場所が大地であり、海はそれを隔絶させるということでもあるのだろうが。

 かくして海に隔絶されたこの世界には、本来生きている普通の人間――生前の満と何ら変わらない――者達の他に、魂を主体とする存在が生まれるに至った。

 

「そして、死した魂が流れ着く場所は、主に三つ。一つは――これは他にほとんど例を見ないのですが、この世界に“もとよりあった存在”として漂着する場合です」

 

 つまり、この世界に最初から生きていた住人として、かつて死した時の姿そのままに蘇生するというのだ。余程のことが無い限り、人は死してすぐに魂が分解され、最期に抱いた一念のみでこの世界に訪れる事となるのだが――満はその中でほぼ唯一といっていい例外のようだ。

 

「この条件を満たすには、死後強烈なまでに、自己への執着というものがなければならないのです」

 

「……いや、多分僕はかなり速くにここに流れ着いたために、こんな形で漂着したんだろう。死んでから、ここに付くまで待ったのはほんの数時間程度だった気がするからね」

 

 無論、覚醒の直前に思ったのは自己の確立であることを鑑みれば、より一層“奇跡的”であるということは間違いないのだろうが。

 

「そしてもう二つ。これはある種対となっているといってよいでしょう。この世界に流れ着いた時、たいていの場合は死の直前に抱いた執念だけをいだいて流れ着きます。生前の記憶など欠片も残らずにたどり着きます」

 

 その執念の意味こそが、重要なのだと赤城は言う。

 

「その時抱いた感情が、恨みつらみ――負の感情であった場合、憎悪を背負った一つのバケモノとなる。その名を――深海棲艦(しんかいせいかん)

 

「深海……」

 

「妄執の行く先とでもいいましょうか、彼ら――正確には彼女ら、なのですが――は人を喰らい尽くすことがその存在意義です。私たちの敵であり、世界の敵ですらあります」

 

「もう一つはつまり、“生の感情”を持って生まれた魂、か」

 

「その通りです。彼女ら深海棲艦に対抗するべく生まれ活動する“少女”。名を――」

 

 一拍、赤城はおいた。

 すでに理解の及んだ部分ではある。しかし、それはある種赤城にとって、己の名乗りでもあった。自身がまたそうなのであるのだから、それは大仰を持って、語られてしかるべきだ。

 

 

艦娘(かんむす)、と言います」

 

 

 そして、それを指揮し、運用するのが満の仕事――提督、というわけだ。

 思わず満は唾を飲む。今、満の存在する世界は、大げさなほど大げさだ。現実味などまったくあったものではない。

 

 しかし、

 

 目の前にいる女性、赤城は間違い用もなく本物だ。もはや何一つ弁解の余地もなく、南雲満という一人の少年はそんな世界に放り出されたのだ。

 

「……ままならないものだね。僕はただ普通に生きて、そして普通に死ねなかっただけだというのに、こうして全く僕の知らない世界で戦争をしろと言われた。おかしなことだ」

 

 しかし、やるしかないのは事実である。やるしかない、というよりもそれは“それ以外にやりようがない”と言うべきか。

 この世界の存在として再誕し、この世界に生まれた“自分がそうなっていたかもしれない成れの果て”との戦いを強要される。

 

(望むところだ。僕は生きる、南雲満として生きていく。そのために必要なことは、なんであってもしてやるさ)

 

 死して魂に恐怖が刻まれたからか、はたまたそれが南雲満と言う少年そのものであったのか、そんな思考は激しく自然と生まれでた。躊躇うことなく思い浮かべた。

 

「……だから、これからは提督としては、未熟な僕を支えてくれないかな」

 

 至って真剣に満は語る。己が決めた決定を、何一つ躊躇うことなく語るのだ。

 そんな満の物言いに、しかし赤城の見せた表情はどこか楽しげな微笑みであった。

 

「――提督は、とてもおもしろい人ですね」

 

 あくまで単なる本音の一つとして飛び出たそれは、まさしく赤城自身の本来の笑みだった。それは満が目覚めたその時に、覗き込んでいた赤城の顔に自然と重なる。

 

 浮かべた笑みは、自然で屈託のない、出会って間もない満ですら“彼女らしい”と思えるような、そんな優しい表情だった。

 

「……酷いな」

 

 おかしげに肩をすくめてそれに答えて、お互い軽く笑いあう。ひとしきり、それを続けてそれから改めて澄ました真っ直ぐな顔で、赤城は満に向き直る。

 

「では、改めまして、報告させて頂きます」

 

 

 ――それは、水平線の向こう側、海に沈んだ魂が辿り着く、ひとつの世界の物語。

 少年と、艦娘達と、海の敵。

 

 

「――提督が鎮守府に着任しました。これより艦隊の指揮を取ります」

 

 

 ――――願いを巡る、物語。




ヒトヒトマルマル。提督の皆さん、提督志望の皆さん、一般の皆さん、こんにちわ!
夏の終わりに祭りの終わり。艦これもイベントが終わったことで少し時間の流れがゆっくりになった気がします。
そんなこともありまして、本作を投稿する運びとなりました、よろしくお願いしマース!

という訳で次回更新は明日、8月30日、時間はヒトロクマルマルで更新させていただきます!

ところでタイトルが別の艦これ二次作品ともろかぶりしたので変更しました。……あわわわ、元タイトルって、この作品以降にも増えるであろう艦これ二次作品とも被るんじゃないでしょうか!


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『01 第一艦隊、出撃します!』

「――というわけで、以上が簡単なこの鎮守府における提督の役割になります」

 

 新米提督、南雲満。

 そもそも彼は新米である以上に、完全に無知なままこの提督という地位に着いた。よってただそのままでいては無能どころか、存在自体が害悪となることは間違いない。

 しかし幸いなことに彼はこの世界に転生直後からして、それを受け入れる程度に頭の回転は早かった。即座に説明を受け、それを飲み込んでしまえば少なくともそこらの無能な提督に遅れを取るということはなくなるだろう。

 加えて彼の秘書艦である赤城は非常に優秀だ。説明の仕方ひとつとっても、前も後ろも知らないはずの満を簡単な教育である程度実用に耐えうる提督へ育て上げたのだ。

 

 満自身の優秀さ。そしてなにより師となった赤城の有能が奇跡的に咬み合って、一週間という非常に短い時間の内に南雲満は提督としてのお墨付きを赤城から受けるに至った。

 

 ――現在は、その最終試験。提督としての役割のおさらいである。

 

 提督の主な役割は鎮守府の資材運用、この一点に尽きる。

 現存の艦娘への燃料補給や入渠。新規艦娘の建造支持や新規武装の開発支持、何より出撃、演習、遠征の支持などなど、これらの指示を提督は行うわけだが、それらすべてにおいて資材は必要となる。これらを有効に運用し、利益を出すのが鎮守府の役目だ。

 

 同時に深海棲艦の撃滅も主な役割となるわけだが、それは基本的には艦娘個人の仕事だ。提督ができるのは進撃及び撤退の指示、夜戦突入するか否かの指示など、ごくごく簡素なことである。

 

「ある意味、コツさえ掴めば誰でもできるとは言える。とはいえこれは艦娘の命を預かる仕事だ、単なる愚鈍には、できないことだろうね」

 

 赤城曰く、たとえどれだけ大破しようとも、誰一人欠けず帰ってきた艦隊をねぎらうことが提督の仕事だそうだ。これは戦争だ、無理な進撃をすれば艦娘は沈む。だからこそその判断を間違えてはならない。決断こそが、提督という役割に最も必要なのである。

 

「言葉は悪いですがそうですね。ようは決断力の有無が提督の良し悪しを決めます。慢心し、艦娘の進退を見誤るのが、無能な提督というものですよ」

 

 赤城という秘書艦は非常に優秀だ。それは短い時間だけでもよく分かる。本来提督が身につけておくべき知識を、彼女は最初から有しているのだ。

 それだけの秘書艦が最初から配属されている鎮守府。その意味は、満にだって重々理解の及ぶ所であった。

 

「期待大、だね。正直身も凍るような空恐ろしさを感じるよ」

 

「こちらに私が着任したのは、私自身の個人的な理由です。それに、経歴のしれない新米提督である貴方は、ある種“試されている”わけですね」

 

「実験――か。おそらくはこの世界、提督になりうる人材が少ないね?」

 

 ――赤城の立てた推測を、まさかこの世界の軍部が立てていないはずもない。しかし彼らはそう簡単には満を提督の座からは引き下ろせないのだ。すでに認可の降りている状態で、それを何の理由もなく異動させることはできない。

 その上で提督という、この上なく責任がのしかかる地位に座った満を、即座に彼らは排斥しなかった。しにくかったというのもあるだろうが、多少の期待だってあるだろう。

 

 そう考えて赤城を見る。穏やかな表情は、どこかこちらを観察しているようにも見える。それはきっと、彼女と自分の壁なのだろう。いつか乗り越えることが出来れば――そんな思考を、満は思わずと言った様子でかき消した。

 

「……その少ない人材で、回せる程度の状態だったのですよ、今までは……そして、今のところも」

 

 だからこそ余裕を持って行えるテストケース、というわけだ。

 

「うん、大体わかった。まずは僕達の鎮守府が要する戦力を確かめたい」

 

「そうですね、これから行なっていくことは、艦娘との連携が必須事項です。そのためにも艦娘たちと交流を持ち信頼関係を築くのが第一です」

 

 新設の鎮守府に、まさか正規空母が一隻配属されているだけではないだろう。知識の薄い満だからこそそういった知恵はすぐに回る。赤城は明らかに“歴戦”の艦娘だ。提督を代行しうるほどの知識面を有するとなれば、当然ベテランでなければ勤まらない。

 提督は人間でもいいわけだから、わざわざ戦闘を担当する艦娘をその役目を終える以前に提督に育て上げる必要は、ない。

 

「ではご案内しましょう。まずは我が鎮守府のエース、第一艦隊出撃時の旗艦を務める艦娘――」

 

 言葉に合わせて、満は腰掛けていた豪奢な椅子から立ち上がる。椅子の足が床を引きずる音が、部屋中に響いて消えた。

 

 

「――駆逐艦、島風です」

 

 

 ♪

 

 

 ――見えてないか?

 満が彼女を始めてみた時の感想が、それだった。特に感慨はない、元々枯れたところはあるが彼のストライクゾーンから彼女は割りと外れている。ムリもないことだ。

 そして、満がそう思わざるをえないほど、彼女の姿は特徴的だった。

 

 うさぎの耳を思わせるような特徴的なリボンに、明らかに“見えている”ほど腰元で留められたスカート、際立った容姿と目の前で浮かべている子どもらしい笑みが、彼女を彼女たらしめているのだろう。

 

「駆逐艦島風です。スピードなら誰にも負けません。速きこと、島風のごとし、です!」

 

 ――名を、島風。

 駆逐艦は本来水雷艇の撃滅を目的とした艦だ。加えて輸送船団の護衛や対潜対空、――潜水艦や航空機との戦闘を目的とした艦船で、一隻では軍艦として認められない。数隻の艦隊を組むことで、他の軍艦――正規空母である赤城や軽巡、重巡洋艦、戦艦などと同等に扱われる。

 島風は特異な駆逐艦だ。速度――と言うよりもこの場合は“最強”と形容するべきだが――を追い求めたこの島風型は量産に向かず、前提とされていた艦隊同士の戦闘が行われなかった当時の情勢などにより一隻しか作られていない。さらに言ってしまえば島風は艦隊を組む駆逐艦でありながら“単艦で艦隊を組む”唯一の駆逐艦なのである。

 

「まーもちろん、私自身が単独で行動したわけではなく、あくまで部隊に編成された駆逐隊の一つだった、ってだけですけどね」

 

「さすがにそれは、どこの主人公だと問いたいね」

 

「当然、速さという世界の主人公ですよ! 島風は一番なんだから!」

 

 ――主人公ではないのだな、と言いたかったのだが、どうやら彼女は相当な自信家のようだ。今世紀最大級のどや顔でもって返された。ここは彼女の個室なのだが、開け放たれた窓からちょうど流れていった風が島風の髪をはためかせ無色の空白に溶けていった。

 

「それで? 貴方がこの鎮守府の提督? 今日来たばっかりで挨拶に行けなくてごめんね? それにしてもこの島風が先手をとられるなんて、ちょっと悔しい!」

 

「いや、君がここに来たのはほんの数時間前のことだろう? 明らかに片づけが終わっていないじゃないか。……手伝おうか?」

 

 そもそも、赤城が顔を見せたのは一週間前のこと、その時点では鎮守府事態が正式に稼働しているわけではなかった。簡単な提督の仕事に関する講習を終え、ようやく今日から本格的な鎮守府の活動が始まる、というところだったのだ。

 むしろ島風は、誰よりも速い。最速だ。

 

「いいんですか!? でもそうだなー、これから時間もあるしせっかくだから私の留守を頼んでいいですか?」

 

 中々荷物の多い室内だ。ダンボールが空のもの含めて三十は周囲に放り出されている。おそらく彼女の私物以上に、仕事上必要な物も多いのだろう。すでに設置されている本棚には、いくつかのファイルが詰め込まれていた。

 内容は――速力アップ1と書かれている。

 

 そんな訳もあってか、島風はパッと顔を輝かせると、それからすぐに考えるようにして窓の外から覗く太陽を見上げる。

 

「……留守? 君はいったい何を言っているんだ?」

 

「これから出撃してくるんです! 演習でもいいですけど、まずは軽く体を慣らしたいですから!」

 

 ――戦闘がしたい。端的に島風はそういった。キラキラしい笑顔で、極上の楽しみを今か今かと待ち続ける子どものごとく満を見上げていた。

 

「……む、」

 

 隣に立つ赤城に目をくれることはなく、腕組みをして満は一人思考にふける。端的にそれは、島風の出撃に意味はあるかないか。

 気圧された、というのもあるが何より彼女の実力というものに興味があった。艦娘と深海棲艦の戦いそのものにも、また。

 

 軽く島風を見れば、今にも走り出しそうな雰囲気でゆらゆらと体を揺らめかしている。

 気が急いているのだろう。彼女を止めようとすればぶうたれた島風を相手に面倒な説得を試み無くてはならないかもしれない。

 

 利はあるのだ。それに対して、時間を消費してまでそれを差し止める理由はあるか、問題はそこだ。

 

「ここらへんはさほど海域に脅威はないのか?」

 

 ここで初めて満は赤城へ助けを求める。内容は単純、いくつかの質問だ。

 

「鎮守府周辺の警戒程度であれば、第一艦隊の旗艦がわざわざ出撃するまでもないかと。出撃にかかるコストもほとんどない、と言っていいですね」

 

「では、演習を行う場合の準備にかかる時間は?」

 

 島風が提示したのは二つの方法、演習か出撃か。出撃であれば軽く手慣らしになるような海域はあるか。演習であれば、それにかかる時間とコストはどうなるか。

 

「予定の開いている艦隊はいくつかありますが、開戦するまでに数時間かかりますね」

 

 答えは非常に端的だった。

 

「……日が暮れるな」

 

 演習は不可能、そういうことだ。ポツリと漏らした満の言葉に赤城が沈黙と首肯でそれに答える。島風は少し首を傾げていたが、少ししてなんとなく理解したように思えた。

 条件を整理して、思考。

 そこから導き出される推察と、可能であることを願う希望を込めて、赤城に加えての質問をすることにした。

 

「となると赤城、僕達は新設の鎮守府と艦隊だ。周囲からは未熟と思われているだろうし、そうなれば“それ用の”なにか任務のようなものがあるんじゃないか?」

 

「……ありますよ。ちょうどこの辺りの――“鎮守府正面海域”を警戒するよう、上層部より通達が出ています。島風さん単独でも十分可能な任務です」

 

「むしろ、普通の艦娘でも可能よね。……私でも下手すりゃ中破して失敗する可能性があるのは否定しないけど」

 

 簡単な任務であるが、注意は必要。当然のことではあるが、中々意識の向きにくい部分だ。実際に目の前で艦娘が中破してすぐであればともかく、やがては意識から薄れていってしまう部分だ。

 かと言って、恒常的に艦娘を中破させるつもりはない、意識が薄れれば問題が起きるということはつまり満が常に意識していれば何の問題も置きないということなのだ。

 

「資材は、定期的に補給されるんだよな?」

 

「そのとおりですね。ボーキサイトは他よりも配布の数は少ないですが」

 

 燃料、弾丸、鋼材、ボーキサイト。それぞれ燃料は艦娘を海で稼働させるために必須であるし、弾丸は武器だ。鋼材は艦娘の入渠建造に必須である。ボーキサイトは空母の運用が必要になるまでは気にする必要はない。

 

「一度の出撃で、使う燃料、弾丸はさほどではないだろう。その間に消費された分もおおよそ補給されるはずだ。出撃に対するコストの問題はほぼ無いといっていいな」

 

「おぅっ!」

 

 腕組みをして、口元に手を当てての満の言葉。それに島風が少し驚いたようにしながらも、意味を察して嬉しそうに跳ね上がる。

 

「島風に不備はない……ようだな。となれば撃沈の可能性はないと見る。更に任務事態の難易度も島風であれば十分なんとかなるレベル。でもって――」

 

 沈黙。そして思考。ゆっくりと間をとるように思い出すのはここに来るまでの赤城との会話。実のところ今この鎮守府に、赤城と島風以外の艦娘は“配属されていない”のだ。

 つまり、単純に人手が足りていない、挨拶に行く艦娘もいない。

 

「本来だったらここに着任してくる第六駆逐隊も、軽巡三隻と重巡一隻も、何もかもまだ足りていない状態だからな。今日やれることは、それこそ島風に試験的に出撃してもらって、僕自身の経験を積むしか無いんだ。だから――」

 

 すでに島風は満の言葉を理解した上で待っている。満も言葉を選んで使おうとして、一度淀んでそれから放つ。――緊張しているのだ。この言葉を口にすることでどこか現実味を感じていなかった自分の撃鉄を起こす、火薬の煙を実感させるのだ。

 故に、少し待った。少し待たせた。

 

 そして、

 

「――慢心だけはするなよ、島風」

 

 その言葉に、島風は元気よく応えてみせる。

 

「はいっ!」

 

 側で赤城が見守って、満と島風は、約束を取り交わすように、言葉を交わした。

 

 

「――第一艦隊、出撃します!」

 

 

 響き渡る声は、水平線の向こう側、深海棲艦の待つ会場へと、伸びているかのようだった。

 




ヒトロクマルマル。提督の皆さん、宿題の終わっていない学生の皆さん、こんにちわ!
今回は島風ちゃんも登場なのです!
次回から本格的に出撃、バトルとなります。
ちなみに今回フレーバー的に出てきた駆逐隊なんかの話は、大体こちらがわの話になります。加えて個人的に調べた知識なので、間違っていたら申し訳ないです。

次回更新は明日、9月1日の同時刻、ヒトロクマルマルとなります。島風出撃が終われば連日更新はおしまいです。詳しくは明日のあとがきで!


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『02 島風、出撃しまーす!』

 空は思うように流れて行かない。雲はいつだって島風の上を流れているのに、どうにも島風はそれが気に入らないのだ。海に出るたび、空を遮るものがなくなるたびに島風は思う。

 もっと速く。高速で流れていくフィルムのように、雲が水平線へと消えてゆけばいいのに。

 彼らは表情を何度も変える。けれども彼らはのんびり屋、どれだけ島風が急かしても雲の速度は変わらない。それが変わる時があるのなら、それは島風が海を駆ける時。

 

 鎮守府から出撃し、単艦で海を絶え間なく駆ける。遮るものは何一つ無い、沈む時だって、前に進む時だって、それを咎めないのが海なのだ。そんな一時は島風にとって最もかけがえのないものの一つである。

 

「提督ー! 聞こえますかー!」

 

 とはいえ今は出撃の真っ最中、ここで手を抜いては間違いなく赤城に冷たい目を向けられるだろう。しかも笑顔でだ。これほど怖いことはない。

 なんとなく、信頼できない理由もないのに、信頼出来ないのが赤城という艦娘なのである。

 

『あー、こちら鎮守府だ。島風の方は問題ないか?』

 

 通信の相手は提督、南雲満だ。当然側には赤城が控えているだろう。満の心配そうな声音は電子音では隠しきれてはいない。しかし同時に、隣にいる赤城に対しての信頼もあるのだろう――無論、旗艦島風に対しても、だ――さほど気負いはないように思える。

 鎮守府に着任して、提督としての初仕事。経験など一切ないはずだというのに、彼の様子は平然そのものだ。

 

 面白い少年である。左官として鎮守府一つを任せられるには圧倒的に経験不足であろう年齢で、しかしその年齢に見合わない規格外の冷静さ、そして同時に知識面での未熟さも、また。

 

 提督が、普通の事情でこの鎮守府を任されてはいないことくらい、島風だってわかっている。前例のないことは、まず行うだけの合理的な理由が必要だ。

 それを見極めてみるのも悪くない。駆逐艦島風は、一応歴戦をくぐり抜けてきたエリートなのだ。

 

「問題はないですよー! 通信機は小型ですからね。音質は悪いですけどどこでも交信できますし、海の上を“走る”にも、戦闘するにも問題はないですよ?」

 

『走る……ね。そういえば疑問なんだが、艦娘は決して船にのるわけではないんだろう? だったら一体、どうやって海の上に浮かぶんだ? 泳いでいくわけじゃないだろう?』

 

「あー、艦娘の種類によりますけど、私みたいな軍艦型の艦娘は海の上を“走れる”ようになってるんですよ。赤城さんの靴なんかみるとなんとなく想像がつくんじゃないですか?」

 

 島風が応えてから、すぐに返事は来なかった。大方赤城の足を見ているのだろう。もしかしたら、ミイラ取りがミイラになって、今は赤城の足に見惚れているかもしれない。提督だって男なのだから。

 などと全くもって無責任なことに思いを馳せている内に、赤城の苦笑気味な声が、島風のもとに届いてきた。

 

「それでですね、とりあえずまずは鎮守府正面に出撃してください。羅針盤は回さなくていいので、すぐにつくと思います」

 

 困った様子の彼女から、勝手に島風は照れているのだなと決めつけるといたずらっぽく笑い、それからすぐに頷いた。

 

「了解しました!」

 

 両手で風を掴むように、阻むように大きく広げる。体いっぱいで風を感じながら、水上で静止していた島風はゆっくり前に進み始める。

 ――最大速度40ノット超。時速にして70キロを超える世界最高峰の高速駆逐艦、島風。

 揺らめくスカートをたなびかせ、少しずつ、己のトップスピードへと、ギアを切り替えてゆく。

 

「島風、出撃しまーす!」

 

 やがて島風は、海を二つに切り裂くような痕を残して、鎮守府正面の、港から姿を消していった――

 

 

 ♪

 

 

「今回想定される深海棲艦の駆逐艦です。おそらくは島風一隻に対して敵も一隻、一騎打ちの形になるでしょう」

 

 通信を――切ったわけではないが、一度置いて、赤城の話に満は意識を傾ける。接敵まで数分。島風の全速力でも少し時間があるそうだ。その間に今回相対する敵艦の戦力を満は赤城に問いかけていた。

 その答えだけで、疑問が終わるわけではない。

 

「解るのか?」

 

「他の鎮守府でもそうですが、鎮守府周辺に敵はほとんどいません。ですので近づいてくるのは別の艦隊が壊滅した際のはぐれか、そのはぐれ艦隊が出した偵察くらいなものです」

 

 一つの戦力が近ければ近いほど、敵はそこには近づかなくなる。アタリマエのことだ。もしそうでない艦隊がいるとしたら、そこが敵の拠点であることに気が付いていないのだ。

 

「まぁ、さすがにここまで来たらこっちから補足して殲滅に行っている、か。正直現在のこの鎮守府の戦力じゃ、大型の艦隊に来られても困るが」

 

「あちらは本拠地から出てくることは中々ありませんよ。それに不毛な鎮守府特攻よりも、商船を叩く方が理にかなっているのは、理解しているようです」

 

 敵が人間ではなく、闘うのが兵器を背負った少女であるという点から見落としがちだが、深海棲艦との戦いは戦争である。現状違いにそれぞれの拠点、それもダメージを与える上で致命傷となりうる程の決定的な本拠地には、一歩足が伸びていないのが現状だ。

 

 そもそも、艦娘も、そして深海棲艦も、人の手の届かぬ場所から生まれてくる存在だ。この戦いに終わりはなく、そして同時に始まりすらも忘れられてしまっているのである。

 それでも戦争は戦争だ。結果としての死がひとつの可能性としていつだってありうるのだし、いつか終りを迎えるその時まで、戦争という事実を忘れることはできない。

 

「戦争が恒常化し、人々の中で深海棲艦との戦闘が日常化して久しい中、私たちはそれを忘れないようにしたいものですね」

 

「戦争は、長引いても長く起こることがなくとも、人々から忘れられるってところかな。少し、ピンとこない話だけど」

 

 満は戦争を延々と続けてきた世界を知らない。しかしその世界が、戦争を長く忘れてきた世界のそれとさほど姿を変えないというのなら、それはある種の皮肉であり、どうしようもない時流とでも呼ぶべきものだった。

 

 ――そんな折、沈黙していた島風の、機械越しの甲高い声が提督の座する執務室に響き渡った。

 

『敵艦見ゆ! これより砲雷撃戦入ります!』

 

 それは、戦闘開始の合図だった。

 

 

 ♪

 

 

 敵の数は一、種別は駆逐艦ハ級。それぞれ敵艦船は弱いものから「いろは」順に名を付けられ、この駆逐艦はその三番手。三種類存在する駆逐艦の中で、装甲が特に高い種類である。

 とはいえ相手はたかだか駆逐艦。少なくとも単騎で駆逐艦の最高峰、どころか戦艦にすら比肩しうる実力を持つ島風には、到底及ばない程度の相手だ。

 

 通常であれば、の話だが。

 

 たとえ敵との間に大きな差があろうとも、彼らは時には必殺となりうる火器を存分に操ってくる。直撃すれば島風とてただではすまないだろう。

 

「――それを考慮した上で、勝利するための戦略を練るのは、実際に戦う私たちですよ、提督!」

 

 未だ途絶えない無線の向こうで、何かを考えるように沈黙する満に対して語りかける島風。呼吸の間すら与えず後方へ消えてゆく無数の雲は、水平線の向こうに見える深海棲艦が駆逐艦のハ級へとつながっている。

 

『それは……そうだろうな。君たちに僕が乗艦することはできないのだからな』

 

「えぇ、だからそこで待っていてください。必ずや、完全勝利で終わらせて見せますから」

 

『了解した』

 

 端的な返事を持って通信を終える。ここから先は島風の戦場だ。報告が必要ならばする、しかしそれをする必要がないのだから、後は目に映る敵を、叩き潰すだけでいい。

 

 戦闘の合図は島風の主砲、『12.7cm連装砲』。それを模した兵器妖精と呼ばれる、魂のみを拠り所とした動物程度の意思を持つ特殊な兵器。

 響き渡る音は衝撃となり海を割る。発射のために急停止した島風の速力による反動を伴って、島風の後方、波が大きく、吹き上がる――!

 

 空気を文字通り“抉る”用に噴出する弾丸は、即座に駆逐艦ハ級の元まで接近すると、その上方をかすめて、消える。

 

「――外した!」

 

 ろくに狙いも付けずに、開幕の一撃として放った一発だ。当たるとは思っていないし、そもそも当てるつもりすらない。だがそれにより、得られた成果がひとつ、ある。

 島風が第一射を放った時、駆逐艦ハ級もまた一つの行動を見せていた。後方への退却、すなわち逃亡である。この一発にはそれを防ぐ意味がある。背を向けようとしたその瞬間、逃さないということを明白にするかのように、駆逐艦ハ級の後方で特大の爆音と水しぶきが噴出したのである。

 

 浮かび上がり島風の足元まで伝わってくる波の揺れを感じ取ると、即座に島風は身をかがめ、最大速力で水上を駆ける。音はない、置き去りにするほど、彼女は速さを信奉している。

 

 狙いをつけようとして、やめる。これ以上は無駄弾だ。そもそも目視では水平線に浮かぶ異物程度にしか見えない敵を、どう射抜こうというのか、島風の射撃精度では到底むりというものだ。

 しかし敵にはそれを考える余裕すらないのだろう。砲雷撃戦第二射目は、駆逐艦ハ級のそれであった。音を置き去りにするほどの爆発的な加速を伴う砲弾は、しかし島風には届かない。

 

 それから何度も駆逐艦ハ級の連打が続く。目的は明白だ。照準をあわせている。全速前進で進む島風を、必死に捉えようとしているのだ。

 

「撃ちながら後退して、逃げ切れるはずないもんね!」

 

 撃つ、撃つ、撃つ、撃つ。何度も何度も何度も何度も、繰り返すように発射する。その感覚はやがて少しずつ早くなっていくのだ。何としても島風をうがとうという一閃は、幾重にも広がる弾幕へ変わる。

 それでも島風は止まらない。己を穿ちうる、一撃がないことを知っているから。焦らない、たとえ一発一発が、少しずつ己に近づいてこようとも。

 

 その時、島風の進路上を一発の砲弾が真正面から通り抜けていく。無駄に思えるような乱発が、しかしここで島風を捉えたのだ。そして敵もそれを偶然のまま終わらせるほど、低い練度をしていない。

 即座に照準を固定させると、構え、そして放つその一瞬まで――トリガーに手をかける直前にまで持っていく。

 

 しかし、穿つはずだった島風が、消えた。

 

 

 ――すでにその進路上から、駆逐艦島風は消え失せていたのだ。

 

 

 衝撃。単なる棲艦の末席に過ぎない駆逐艦が、果たして感情と呼べるものを持つのか、それはまったく定かではないが、それでも目の前から消え失せた島風を追うその姿は、右往左往し驚愕しているようにしか、見ることはできない。

 それが解るほど、島風の行動は圧倒的だったのだ。

 

 消え失せる、など普通ではない。島風はそんなありえないとしか言い用のないことも、当たり前のようにこなしうる“速度”を持つ。

 

 その上で、駆逐艦もまた優秀だ。即座に高速で“ずれた”島風を発見、射線を合わせる。すでに両者の距離は目視で測れるほどに接近していた。弾丸の先に、敵を映すのはさほど難しいことではない。

 一つ、二つ。まずは駆逐艦ハ級の音を切り裂く一条が奔った。

 耳を劈くようなそれ、弾丸は直後島風の“いた”照準の先を、通り抜けていった。

 

 そう、いた。島風は直前までそこにいた。だというのにそのすぐ直後にはもう、その場から離れ、更に駆逐艦へと接近しているのである。

 

「あはは、その程度じゃ島風にはあたらないよ! 速度が足りてないんだから!」

 

 何を、したか。

 単純である。砲弾を、“見てから”即座に回避したのだ。

 

 迫り来る速度は音速を超える。しかし島風に到達するには、ある一定以上の時間を要する。それは一瞬ではない、それ以上に短い刹那だ。その瞬きほどの一時で島風は見切り左右へ回避する。

 まさしくそれは、弾幕、弾丸のカーテンを切り裂いていくかのような、電光石火の閃きだ。

 

 両者の距離が、あっという間に詰められていく。一刻の猶予はない、すでに島風は駆逐艦ハ級をその一瞬で“捉えて”いた。

 

 迫る。迫る。迫る。

 もう一刻の猶予はない、あるのは駆逐艦ハ級が島風を捉えるか、島風が駆逐艦ハ級を轟沈させるか、その二択。その決着に、一秒という瞬間は短すぎるものだった。

 

 島風の体が、いよいよ持って加速する。最速40ノット、それは前方にいる駆逐艦ハ級にすら威圧を与えてしまうほどのものだ。

 駆逐艦の砲塔が、寸分違わず島風を狙う。発射されれば確実に中破、ないしは大破すらもありうるクリティカル確実の状況で、それが一発放たれる。

 

 時間が歩みを止めたように、シャッターを切る一瞬へ変わった。

 

 近づいていく双方。必殺のそれと必中のそれ。交わるように弾丸は、やがて島風の眼前へと迫り――――

 

 

 ――その後方へ、通り過ぎていった。

 

 

 島風は身をかがめ、弾丸が耳元を横切るように回避。その上で、すでに彼女は兵器妖精、二丁の『12.7cm』を構え終えていた。

 

「じゃあね。海の、怨念さん!」

 

 超至近距離、土手っ腹を“殴りつける”かのように放たれたそれは、何ら留まることすらなく、駆逐艦ハ級へと直撃。さしものハ級も、この至近距離から砲撃を受けて耐え切ることは不可能だ。

 

 その一発で、戦局は完全に決していた。

 

 

 ♪

 

 

『というわけで、完全勝利ですよ、提督ー』

 

 のんきな声が再び繋がった無線から響いた。そこから聞こえてくる声は、何ら先ほどと変わりなく満の耳へと届いてくる。何にせよ、戦闘はこれで終了だ。

 予定通り、後は島風を帰投させるだけ。

 

「ご苦労だった。ではこれで――――」

 

 それを口にしようとして、しかし、それは島風の声によって遮られた。

 

『それで提督、』

 

 思わず、と言った様子で口をつむぐ満。しかし島風は全く来にした様子もなく、次を続けた。確かめるように、問いかけた。

 

 

『“進撃”、しますか?』

 

 

 まず、思考に空白が生まれた。満の想定から飛び出した答えだ、無理もない。その上ですぐさま、意味を理解した上で問いかける。

 

「……どういうことかな?」

 

 ちらりと、赤城の方を見ようとして、やめる。今話しをしているのは満と島風だ。間違いなく島風は、赤城の存在を考慮してはいないだろう。それで満が赤城に頼っては、ある種マイナスであることは、間違い用もない。

 その上で、言葉を待つ。

 

『私は無傷です。このまま前進しても問題はないと思います。進撃して、敵の主力を叩ければ今回の任務は終了するはずです』

 

「なるほどな、一理ある。……それで、勝算は?」

 

 まずは、そこ。何を判断するにしても満には圧倒的に情報が足りない。足りないのなら、その場で聞いて補う以外に方法はないのだ。

 

『あります。間違いなく戦闘は単対複数の戦いになりますが、旗艦さえ潰せばいいのなら、敵をかいくぐってそこだけ潰してきます。……戦術的勝利なら、見込めるんじゃないかな』

 

 すべてを潰すことは不可能だ。弾薬も、燃料も足りず、圧倒的に不利な状況で島風は戦わなくてはならないのである。

 

「了解。……一言聞かせてくれ、できるか?」

 

 情報は、得た。ならば後は、島風本人の意思である。今日のように進撃を望むのか、その上で勝利を保証してみせるのか。満は一言、問いかけた。

 

『やって見せますよ。不可能なことじゃないですから』

 

 答え。

 満は顔を伏せ沈黙した。満だけでない、応えた島風も、そして見守る赤城も全員、たっぷり沈黙を保ち続けた。それはほんの数秒であるはずの出来事。

 だというのに感じられる時間の規模は、永遠とも、無限とも取れるほどのものだった。

 

 そして、たっぷり悩んだ満が、ゆっくり顔を上げ、宣言する。

 

 それは、

 

 

「――ご苦労だった。第一艦隊は即座に撤退、これより鎮守府に帰投せよ」

 

 

『はいっ! わかりました!』

 

 即座に島風の、返答を呼んだ。そこで通信は途絶える。必要はないと島風のほうが判断したのだろう。実際満も、すぐにこれ以上の通信は必要ないと、どことなく前かがみになり詰め寄るような形になっていた通信機から離れ、司令室の椅子に、どかっと体を思い切り良く預けた。

 革のこすれるような少し重い音が、響いて窓の外へと消えた。

 

「お疲れ様です」

 

 そんな満に、赤城が優しげな声で話しかけてくる。

 

「あぁ、おつかれ」

 

 そうやって吐き出した満の言葉は、必要以上の緊張が見て取れた。平然としているようでどこか大きな緊張はあったのだな、と満のみならず赤城すら感心したようにそれを見る。

 

「……最期の判断、もしあそこで進撃を選んでいれば、私は即座にあなたを提督から解任するよう上層部に掛け合っていたと思います」

 

「だろうね。……まったく島風も人が悪い。明日には第六駆逐隊が到着する。それを待つのが普通だろう。今日は、むしろイレギュラーな出撃だったんだからまったく」

 

「島風は、勘のいい娘ですから。こうやって、必要なこともしてくれるんですよ」

 

 側によった赤城が、満の髪を一度、二度なでる。きっと、彼女にとって満は少し年の離れた弟のような少年なのだろう。そうやって考えれば悪くない。嬉しいという気分なのだろうと感情に思いを馳せながら、

 

 ――満は、緩んだ瞳で眼を細めるのだった。

 




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、心機一転夏の終わりを感じる皆さん、こんにちわ!

今回は島風の初出撃をお送りしました。
連日更新は今日までとなります。明日からは大体三日ごとの更新となるので、次の更新をお待ちください!

次回更新は9月4日、時刻同じくヒトロクマルマルにて、またお会いしましょう!


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『03 ささやかな祝杯』

 満が指揮する鎮守府の食堂はその人材の少なさもあってか、昼食、夕食で賑わう時でもなければ非常に閑散としていてどこかもの寂しいものがある。とはいえそもそも艦娘達がほとんど配属されていない現在、たとえ一番盛況な時であっても、中はガラガラで空いているのだが。

 

 多くて百人ほどを収容できる食堂は、現状雑務妖精――兵器妖精のヴァリエーションだ――が動き回っているだけで、人影はどこにも見られない。どうやら調理を担当する職員も、今は休憩中のようだ。

 

 満、赤城、そして島風の三名がこの時間に夕食を食べるためここに来た。島風の出撃という予定外の事態に時間を取られ過ぎていたためだ。

 とはいえその後始末も終わり、後は通常通りに一日を終えれば良い。忙しくなるのは明日からだ。

 

 丁度そんな三人に気がついたのだろう、食堂を管理するスタッフも顔を見せ、食堂は光を取り戻したようだ。赤城と満は早速食券を販売する機械のもとへと向かう。

 

「赤城さんは、今日はどうします?」

 

「そうね、カレーにしようかしら。提督はどうします?」

 

 秘書艦として満の側にいるよりも些か柔らかい態度で赤城が問いかける。どうやら公私で性格を使い分けるタイプらしい。それでも真面目で冷静な部分は変わっていないようだが。

 提督と秘書艦という関係さえ取り払われてしまえば、満にとって赤城はあらゆる経験における大先輩だ。自然と言葉遣いも改まったものになる。とはいえ、単なる上下関係ではなく、相手を慮った対等関係とでも言えばいいだろう。

 

「うどんで。ついでに定食も頼みましょうか」

 

 定食。別名朝食セット、味噌汁と魚が一品ずつ日替わりで頼むことのできるセットだ。とりあえず主食以外が欲しい時に重宝する。ご飯はベットの券を買う必要があるが。

 

「そうですね、ではいただきましょうか」

 

 二人で並んでカウンターで品を受け取る。カウンターの向こう側でスタッフが如何にもこれより戦闘態勢にはいるといった様子で勢い豊富に注文を受け取っていた。

 不思議に思いながらも、すでに島風が席を取りスタンバイしている場所へ向かう。当然島風はすでに席について満たちの到着を待たずに夕食として購買から購入してきたパンを一つ食べている。全部で三つほどのセットになったもので、小腹がすいた時にちょうどいいような量を、ガツガツと食べては完食しようとしている。

 

 満と赤城が席についた時にはもう、最期の一個になったパンを食べ終えようとしていた。

 

「……食事まで速いんだね」

 

「そうですね、これが私の信条ですから!」

 

 元気よく、少し皮肉がかった満の言葉に返事をする島風、裏表のない様子は、半ば呆れを通り越して毒気を抜かれるような心地であった。

 

「じゃあ、私たちもいただきましょうか」

 

 自然と、満が島風の隣で赤城がその正面、という形で座る事になった。特に意識はしていないが、当然の流れとしてそうなったのだ。

 

「いただきます」

 

「いただきます」

 

 二人で手を合わせて唱和すると、そのまま自身の食事へと箸を向けていく。満が頼んだのはきつねうどんだ。油揚げに味の着いたタイプであり、あまり長くつけておくと、その油揚げの味が失われてしまう。うどんの汁は当然多量であるため、失われた味がそのまま戻ってこなくなるのだ。

 よって、まずは最初に油揚げを食し、その後に面をじっくり食べていくことになる。

 

 出来上がったばかりのうどんは、若干猫舌気味の満の舌にはどうも暑すぎる。先に油揚げを食して時間を置くことで、温度を程よいものにする必要があった。

 

「あぁ……おいしい」

 

 卓の向こうで、赤城の声が少し跳ねるように聞こえてくる。よほど美味しいのだろう。カレー独特のスパイシーな香味が鼻をくすぐる。まず最初に少し甘みを含んだまろやかな味わいがあり、その直後にピリっとしびれるような辛さが残る。そのどちらもがカレーの魅力ではあるが、満が香りだけで感じ取るのはどちらかといえば後者によっている。少し惜しいな……とは思ったものの、口には出さず油揚げを口に含んだ。

 

 塩気を伴う甘み。甘味には隠し味として少量の塩を加えるというが、油揚げはそれと同じように両者を調和させている。うどんの汁が染みていることもあるのだろう、噛んで広がる甘みはまったりと口の中に残るものであった。

 一度、二度、噛んで口に含めるたびにその甘味が口内へと広がっていく。さっぱりとはしていない、しかしそれ故に重厚な、いつまでも楽しんでいられるのが油揚げの良さだろう。

 

 しかし、どれだけゆっくり食していようと、やがてそれも終わってしまう。長く楽しめばそれだけ飽きも生まれてくるがため、あとに残ったのは、どちらかというと余韻というよりは口の中に残る味覚の塊といったところか。

 それを即座にうどんの汁と麺を同時に啜って胃の中へと押し込んでいく。満にとって程よい暖かさの汁は、うどんらしく薄められた醤油の味がさっぱりと良く通る。大きくすすった半分ほどを、その汁の味とともに飲み込んだ満は、更に麺そのものをかみしめて味を楽しむ。

 

 味だけではない、食感もまたうどんの持つ魅力の一つだ。噛めば噛むほど味わいの生まれるそれは、硬すぎず、柔らかすぎず、そして何よりすするのにちょうどいいくらい、艶のある滑りの良い麺だった。

 

 汁とともに飲み干しても何ら抵抗なく胃に収まっていくし、ゆっくり噛んで飲み込んでも問題はない。一つの味では収まらない、味わい深く食べごたえのある一品だ。

 

 ちょうど、最初に含んだ一口をゆっくり一分もかけて噛んで飲み込んだか、というところで隣に座る島風が、勢い良く両手を上げる。

 

「ごっちそうさまでしたー! いっちばーん!」

 

 どうやら食べ終わったらしいが、別に夕食は食事のスピードを競う場ではない。特に今日はもうこれ以上の業務はないのだから、後はぐっすり眠るだけだ、速度を気にする意味はまったくない。

 性分なのだろう、それに島風は食した後も席を立たず、なんとはなしに満に話しかけてきた。

 

「提督ー、今日はお疲れ様でした! うん、よくぞあそこで撤退を命令してくれたって感じだよね。ちょっとドキドキしたかな」

 

「ん、ご苦労さま。まぁあんな見え透いた挑発に乗るのは馬鹿か阿呆と相場が決まっているからね。わざわざ君に無理をさせるわけにも行かないだろうさ」

 

 勢い良く箸でうどんを摘んで、汁とともにかきこむ。今度は碌にかまずに飲み込んで、流れる熱と口に取っ掛かりの残らない麺のみずみずしさを存分に楽しむ。醤油をまとった水流が、うねる魚の様に喉を通って消えていく。幸せな感触だ。

 

「でも、意外とわかってない提督って多いんですよ。無茶をしてでも戦果を取りたがるんですよね。やっぱり花形だからでしょうか」

 

 箸を置いて島風を見る。可憐な容姿だ。赤城もそうであるが、艦娘というのはどうも容姿が非常に整っている傾向があるらしい。そんな見目麗しい少女に囲まれ、世界を守る仕事をする。如何にもヒーロー向きの職種ではないか。

 どちらかといえば満は、自分自身を参謀向きだと判じているが、なってしまったものは仕方がない。それにこの仕事を追い出されてしまえば、食うに困るは自分である。

 

「昔、それはそれは優秀な提督がいたんですけど、ある作戦の最中に亡くなっちゃって、今も惜しまれてるんですけど、その提督の言葉に『私は機械である。常に精密な動作が必要な、ちっぽけな歯車である』というものがあるそうです」

 

「歯車……ね。決して、提督――司令という地位を指す言葉じゃないような気がするな」

 

「そうですか? 今でもそれは、提督達の訓戒なんですけど」

 

「……機械はいつか壊れるよ。人間と同じさ。だから決して、機械が……感情のない自分が正解だとは、僕は思いたくもないね」

 

 そんなものかなー、と島風は嘆息気味に言う。彼女自身がそう思って語るわけではないだろう。その言葉に、否定の色も肯定の色も見えなかった。

 

「それでですね提督。話は変わるんですけど――」

 

 島風は続けて、なんでもない様子で再び顔を輝かせる。それから少しだけ満の方へと身を乗り出して――

 

「小型特殊自動車ってあるよね!」

 

「……またえらく話が飛ぶね」

 

 全く関係ない話題が飛び出してきた。どうやら先程のことはすでに理解を終えているのだろう。理解が早い――浅い、とも言えるかもしれないが。

 

「それで、小型特殊自動車って、扱い的には自動車なんですよね」

 

「あぁ、うんそうだな、原付免許じゃ乗れないな」

 

 前世において原付免許以外を取得したことのない満には些か意識の向きにくいところだが、どうやらそうらしい。

 話半分に、麺を勢い良く啜っていく。するっと喉を通るあっさりとした味わいが、多少うどん風味に調理してあるとはいえこってりとした汁の通った直後に食感として残るのだから、いつでもスッキリとした味わいを楽しめる、これがうどんの魅力と言えるだろう。

 箸が進む――つまり美味しい、という意味である。

 

「それでですね、そういう小型特殊自動車って、自動車専用道路だって乗れちゃうんですよ? 一応アレも高速ですよ!? おかしいと思いません?」

 

「……そもそも、自動車専用道路が高速かどうかなんて事自体、僕には意識が向かないんだが、それがどうかしたのか?」

 

「だって高速ですよ!? 皆がビュンビュン飛ばすすっごい場所ですよ? あんな速度的欠陥品が通るなんて……不敬です! 手打ものですよ!?」

 

「それはさすがに多方へ喧嘩を売りすぎだ!」

 

 思わず、と言った様子で声を荒げる。さすがに突っ込まなくてはならないだろう。いくら速度狂いの島風とはいえ、他人のスピードにケチを付けるのは些か問題がある。

 

「島風は速度の化身として発言しているの。喧嘩を売るとかどういう以前の問題です。遅いっていうのは罪なんだから」

 

「……遅さを憎みすぎだろう」

 

 憎む、というにはどうにも島風はイキイキとしすぎている。その口から放たれる弾丸のような言葉の群れは、決して彼女の性分だけによるものではないだろう。

 もとよりテンションが若干高いのが彼女であるようだが。

 

「でも、公道を走ってる小型特殊はイラッと来ますよね。原付でも」

 

「……原付の制限速度は三十キロだよ」

 

 明らかに速度超過を前提としているように聞こえるのは気のせいだろうか。さすがに満としてもそれはどうかと思うが、とかく。

 

「小型特殊は15キロしか出ないよ」

 

「え? そうなのか」

 

 割と意外だった。少なくとも公道で小型特殊を見たことはない、見るような地域でもなかったから当然なのかもしれない。

 

「まぁそりゃ小型特殊なんて農道しか走らないけど! それでもなんだか釈然としない! ああいうのを車と認めたくない!」

 

「……ほとんど実害はないと思うんだけどなぁ」

 

 そもそも出会わないし。出会っても余程の場所じゃなければ抜いて行けるんだから。だというのになぜだろう。島風の暴論がなんとなく正論に聞こえてくるのは。

 ……気圧されすぎ、ということだろう。

 

「それにしても提督って食べるの遅いですよね。そんなに遅くて、一体何を食事に求めてるんです?」

 

「少なくとも速さじゃないな。……良く噛んで味あわないと料理がもったいないだろうに。食材だって無限じゃないんだぞ?」

 

「無限じゃなくても、循環はします。経済と同じです。良い経済は循環が為されている経済ってことなんだから」

 

「そもそも、食材の循環に必要なのは労働力だろう。雑な食べ方では労働力は長期的に見て失われるぞ?」

 

「労働とは、すなわち死ぬまで働き続けるということです。たらたらと食事をとっているような不良労働者は必要ないんですよ」

 

「ブラックじゃないか」

 

 ……島風のようなせわしない行動を期待されるブラック鎮守府。少なくとも満は見たいとは思わなかった。

 

「まぁいいです。ってん? もしかして赤城さんも提督側の艦娘ですか?」

 

「その言い方だと僕が艦娘みたいに聞こえるんだけど」

 

 広義的には満も艦娘も人間なのだから人間と呼んでいいとおもうのだが、島風はそこは譲れないとばかりに視線を送ると再び赤城に向き直る。

 見れば、赤城は先ほどうどんを食べ始める前に見た量とほとんど変わらない量のカレーが赤城の手元にあった。スプーンにはカレーが付着していることから一応口をつけてはいるようだが、ほとんど減っているようには見られない。

 

「む、赤城さんも提督みたいなゆっくり食事のタイプなんですかー?」

 

「いや、そもそも赤城さん会話に参加してなかったし……ん?」

 

 そこで、あることに気がつく。赤城のカレーの量はさきほどとほとんど変わっていない用に思える。しかし、それはおかしい。手をつけたのならもう少し量は減っているはずだ。むしろこれは――“増えている”?

 

「……え? いやちょっと、赤城さん……何杯、おかわりしたの?」

 

 島風も気がついたようだ。

 赤城の食べるカレーは明らかに量が増えている。つまりそれはこのカレーがすでにおかわりされたものだ、ということだ。

 

 二杯目? もしそうであれば、赤城の食事のスピードは、島風に匹敵する程のものになる。であるならば、とそこまで考えてハッとあることに気がつくと満は即座に首を振った。

 ある一点に視点を向けたのである。

 

 そこは、食堂のカウンター。その向こう側では、明らかに疲労が見え隠れしたスタッフの姿が見えた。“たかだか二杯程度でここまで疲労するはずがない”。満と赤城がここに来るまで、スタッフは悠々と休憩をとっていたはずなのだ。

 

「い、一体、“いくつ”。いくつ食べたんだ赤城さんッ――! 一つではない。二つでもない、一体、一体それはいくつなんだァ――――!」

 

 ドギャァ――――――――ン。

 衝撃が頂点に達した爆発のごとく襲い掛かるは満と島風。しかもまだ終らない。その衝撃は、マッハを優に超える特急クラスの衝突でもって表される。

 もう一つ、あることに満が気がついたのである。

 

 

「いえ、“まだ”このカレーは五杯目よ? それがどうかしたの?」

 

 

 カレーの色合いが明らかに最初に見たものと違う。入れ替わっている。辛さが、カレーの種類そのものが。

 

 伴って、聞こえた赤城のその言葉でもって、満、島風、食堂のスタッフたち。それぞれが地獄めいた悲鳴を上げた――




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、特に忙しい時間に追われて遠征がはかどらない皆さん、こんにちは!

最後の謎テンションはなんとなく色々思い出すようなテンションですが、正直何を元ネタにしたかと言われると困っちゃうくらいそういう作品はニワカです!

次回更新は三日後、9月7日のヒトロクマルマルです! それでは、よい抜錨を!


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『04 !すでのな隊逐駆六第』

 島風初出撃の翌日から、大いに鎮守府内は騒がしさを増した。各種スタッフも増員され、整備妖精などの妖精組も続々と鎮守府内を飛び回る姿が見られるようになった。

 赤城や島風が言うには、これが普通の鎮守府だという。つまりようやく満の鎮守府も機能を帯びたといえるようになってきたというわけだ。

 

 そして、当然その中には新規に配属される艦娘達も含まれる。段階的に配備を予定される複数の艦船は、まずは特に輸送船などの護衛を担当することとなる駆逐艦から行われることになる。その数、四隻、四人。

 

「いや、赤城さんは食べ過ぎというより、もはや吸い過ぎだ」

 

「吸い込んでるよね! 赤城さんじゃなくてピンク城さん?」

 

 二人で顔を寄せあって、満と島風はヒソヒソと声を交わし合う。視線の向かう先はデスクの向こう側でそんな二人を少し情けない表情で見ている。

 

「ちょっと丸っこいよな、赤城さんって。太ってるわけじゃないけど」

 

「なんでも吸い込めそうな感じですよね、ほんとに」

 

 どこかの星の風来坊か何かを見るような目で赤城のことを話す二人に、オロオロとした様子で赤城が口を挟む。

 

「え、えっとその……じ、自覚はしてるんですよ? でも、燃費が悪いのは私の常ですし、それに一応、か、加減だってしてますよ?」

 

「それは下限の間違いでは? 最低限これだけは食べないとということでは?」

 

「違いますよ! 私はあくまで私の基準に則って、できうる限りの我慢を……あれ? あまり違わないような」

 

 最初は声を張り上げた赤城が、やがてぼそぼそとした弱々しい声音に変わっていくのに、島風と満は声を合わせて「やっぱりー」と煽った。

 トマト色の赤城の顔が、さらにさらに赤く染まった。

 

「……正直私、他の正規空母の人と同じ鎮守府にいたことがあるんですけど、赤城さんみたいにたくさん食べる訳じゃありませんでした」

 

「やっぱり」

 

 再三繰り返すように言うのは、些か酷なようにも思えるが、赤城“が”したことは一種のいじめだ。結局後に満は赤城を通して上層部に赤城専用の食堂増設を提案、それは承認されることとなるのだった。

 

 満、島風、赤城の三名がそんな風に暇な時間を潰していると、やがて扉をノックする音が聞こえてきた。ちらりと時計を見ると、時刻は丁度『一〇〇〇』だ。指定されていた通りの時刻である。

 これがあるために、三名はこの司令室を動くことができず、また仕事もなかったために暇をつぶすようなことをしていたわけであるが、とかく。

 

『――第六駆逐隊、ただ今まいりました!』

 

 鉄琴の上を跳ねまわるような、少しばかり甲高い少女らしい声だった。満は音もなく咳払いのように喉の調子を整えると、即座に先ほどよりも少し低い声音で、

 

「入ってくれ」

 

 と返した。

 合わせて赤城と島風も、司令室のデスクに沿うように縦一列で並んで姿勢を正す。先程までの空気は一瞬にしてかき消されたようだった。

 

「失礼します」

 

「なのです」

 

 黒髪の少女を先頭に、四名の少女――すべて駆逐艦、故の“駆逐隊”だ――が入室してくる。全員島風と同程度か、更に年下ほどの年齢に見える――が、実際はそれよりもさらに若いだろう。艦娘というのはそういうものだ、違和感は未だに拭えないが理解は追いついてきた。

 

「改めまして、第六駆逐隊、暁型一番艦暁です」

 

 黒髪の少女。少しばかり大人びた様子を見せるものの、どちらかといえばそれは背伸びをした結果であろう、澄ました笑顔も少し微笑ましく見える。

 

「二番艦の響です。С уважением(よろしく)

 

 白く染め上げられた髪は、どこか洋風のそれを思わせるが、顔立ちはどちらかと言えば日本人に近い。幼さで言えば暁と同程度だが、こちらは彼女よりも随分落ち着きが見られる。

 

「三番艦、(いかづち)よ。覚えておいて」

 

 快活そうな、しかしさほどツンとしたところのない、言うなれば嫌味のない様子は、元気印の女の子というのが良いだろう。茶色気味に明るい髪の色が特徴的だ。

 

「四番艦、(いなづま)なのです。えっと、その、これからヨロシクお願いいたします!」

 

 他の三人と比べれば落ち着きのない様子は、その髪色から雷とは対照的に映る。内向的な性格なのだろう、おどおどとした様子はどちらかと言えば庇護欲をそそった。

 

 そうして四名が自己紹介を終えると、そのリーダー――ネームシップ艦である暁が、代表して言葉を述べる。

 ――が、

 

「以上四隻をもって、第六駆逐隊は『一〇〇〇』を持って、本鎮守府へと配属されました。これより提督の指揮下に入りましゅ!」

 

 噛んだ。

 

「……、」

 

 周囲の空気が凍りつくようなタイミングで、噛んだ。

 

「……あの」

 

 島風が何かを言おうとしてすぐに口をつぐむ。止まってしまった時は、彼女の速度でもっても溶かすことはできなかったようだ。

 

「あー、これはまた、個性的な娘達だね」

 

 耐えかねたように満が口を開くと、ようやく状況も再び回転を始めた。反応を見せたのは状況を滞らせた張本人、暁である。

 

「な、何よ! なんか文句あるっていうの!? 喧嘩なら買うわよ、主にカードで!」

 

 言い切ったあと、コソコソと隣の響と言葉をかわす。しばらく響はそれをうん、うんと頷きながら聞いていたがおおよそ全てを聞き終えたのだろう、耳元に顔を寄せる暁から離れて向き直る。

 

「いい暁、カードっていうのはね、いろいろと種類があるけれど、この場合はクレジットカードというのが正しいよ。先に商品を受け取って、あとで銀行からまとめてお金を引き下ろすときに使うの」

 

「……響、それ提督に聞こえるようにイッちゃダメよ」

 

 隣から雷の剣呑気味なツッコミが入った。直後に暁は、先ほどの赤城以上に顔を赤くわたわたとさせ始める。

 

「響ィ――ッッ!」

 

 と、状況が混迷したことに困惑気味なのであろう、電が突拍子もなく頭を下げ始めた。

 

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい!」

 

 いきなりの謝罪はしかし、どちらかと言えば必死さが伝わってくる微笑ましいもので、なんとも言えない表情をしていた満の感情をある程度整理させる効果はあった。

 

 まったく状況は解決していないものの、それでも落ち着きを取り戻した満は、赤城と島風を見て問いかける。

 

「……なぁ、艦娘っていうのは、だいたい皆こんなかんじなのか?」

 

「……………………、」

 

 島風は、答えることができなかった。体中に脂汗のようなものをにじませ、どうしたものかと口をパクパクさせている。言葉が出てこないようだった。

 赤城も軽く苦笑気味に――怒っているわけではないようだが、嘆息混じりでそれに応えた。

 

「……凡そ」

 

 それが、きっと赤城に出来る最大限の答え、だったのだろう。満はそれに、何か返事をすることはなかった。

 

 

 ♪

 

 

 配属された第六駆逐隊を伴って、島風を旗艦とした南雲満の第一艦隊は、司令室での一件から三時間後、正午過ぎ『一三〇〇』を持って鎮守府を出港した。

 空は昨日よりいくらか雲を分厚くしているものの、雨が降る様子もない程よい晴れの天候であった。

 

「というわけで、何か質問あるー?」

 

「凡そありませーん」

 

 のんきな声音で問いかけた島風に対し、暁が元気よく返答する。片手を振り上げ、自身の存在をアピールしているようだ。

 

「今回私たちが相手にするのは南西諸島沖で確認される敵艦隊の指揮下にあった現はぐれ艦隊です」

 

「主に軽巡までが確認されているけれど、そこまで大型の艦は確認されていないから、私たちでも比較的容易な出撃よね」

 

 補足するように響と雷が合わせて状況を説明する。よく勉強しているようだ。島風はうむと一つ満足そうに頷く。

 

「最近、南西諸島沖が少し不穏なのです。えっと、詳しくは島風さんに聞きたいんですけど、よろしいですか?」

 

「んむ、まっかせなさーい」

 

『先輩面が映えるね、島風』

 

『実際先輩ですからね、いつもより張り切り気味なのは彼女が第一艦隊の旗艦が初めてだからでしょう。第一艦隊の旗艦、つまり鎮守府の最高戦力(エース)ということですから』

 

 腕組みをする島風は、そんな通信機越しの会話を完全にスルーして口火を切る。まずはここ最近南西諸島周辺で確認される複数の深海棲艦の艦隊についてだ。

 

「報告によれば、ここ最近主に確認されているのはせいぜいが軽巡洋艦程度の小さな艦隊。けれどもそれが南西諸島沖、さらに言えばその中でも製油所地帯において複数群発して確認されているの」

 

「基本的に深海棲艦は軽巡以下で艦隊を組むことは殆ど無いわよね」

 

 思い出すように言葉を選ぶ。島風はニヤリと楽しげな笑みを浮かべると、流し目を送りながらそれに付け加える。

 

「一部の例外は除いてねん」

 

 跳ねるような語り口だ。先ほどの暁のような、大人ぶった態度ではあるものの、こちらはどちらかと言えば風格があった。艶美であった、とも言えるが。

 

「――敵船団からの偵察、よね」

 

 ごくり、と喉を鳴らして雷が問いかける。今度は人好きのする良い笑みを浮かべて島風は頷いた。そうやって表情をコロコロ変える様は非常に楽しげだ。

 

「正直、ここらへんを防備している鎮守府や何かのなかで、これに対抗できる戦力を割ける余裕はどこもない。私たちの鎮守府はそれを補うために建設されたから、当然そういった大船団ともいつかは対決する時が来る。まぁ覚えておくといいよ」

 

 海上で、立ちすくむ暁達第六駆逐隊。対する島風は、その周囲を高速で一回転した。その速度に切り裂かれた海の波が、島風と他の四名を、隔てる壁のように現れていた。

 

「こういうのは、近道なんてないわよね。一から、段階を踏んで前に進んでいったほうがいいのかしら」

 

 ぽつり、と漏らす雷の言葉に、島風が大いに頷く。

 

「そういうわけだから、最初はそんな大船団の偵察――からも追い出されるように切り離された、はぐれ艦隊から叩いていくよ」

 

「……それはなんとも、世知辛いな」

 

 響の苦笑めいた言葉。軽巡を旗艦とした駆逐艦を伴う敵艦隊の行動はいわゆる偵察と呼ばれるような、末端かつほそぼそとした仕事だ。それすらも放棄させられてしまうような集団。ともすれば落ちこぼれとでも言える集まりである。

 普段であればほうっておけばいいが、さすがに鎮守府正面にまで迫っている敵艦隊を放置するわけにも行かない。

 

 そんな訳で最初に島風達へ命じられた任務は、鎮守府の防衛であった。警戒せよとの文面であったが、すでに偵察が確認された状況ではもはや決定的だ。当然のごとく“撃滅”こそが今回の出撃の目的となる。

 

「それならさっさと終わらせて鎮守府に帰還するわよ。第六駆逐隊、行きます!」

 

 暁が同じ駆逐隊に所属する同型艦達へと声がけをする。そこら辺はリーダーと呼ぶべきか、役割分担は思いの外為されているようだった。

 

「おぅ! じゃあ早速行きますよー!」

 

 島風もそれに乗る。

 宣言と、通信機への連絡をほぼ同時に終えた瞬間、島風は即座に水平線へと速度を上げて向かってゆく。追いかける暁型四隻。かなり加減した速度であることは明白であったが、それでも暁達は、その後を全速力で付いて行こうとするのだった。

 

 

 ♪

 

 

「そういえば、少し聞きたいことがあるのです」

 

 移動中、ふと思い出したように電が近づいてきて島風に問いかける。周囲に敵は存在していない。目撃とされてすらいないわけで、当然潜水艦でも潜っていない限りここから“何か”が飛び出してくることはない。

 その上で電は島風へと聞いた。

 

「赤城さん……私たちの鎮守府の秘書監さんは、もしかして“あの”赤城さんなのですか?」

 

「……んー、まぁそうだろうね」

 

「本当ですか!? じゃ、じゃあ後でサ、サインもらっておかないと!」

 

『……アハハ』

 

 会話の中でも、通信は途絶えているわけではない。向こう側で、少し困ったように赤城が苦笑するのが聞こえてきた。

 

『んー、無駄口は咎めないから聞きたいんだが、赤城さんってそんなに有名なのか?』

 

 そこに満も食いついてきた。思いの外興味が有るらしい。

 

「し、知らないのですか? 赤城さんといえば、かつては日本が世界に誇るといわれた無敵機動部隊の旗艦で、日米合同の最大艦隊決戦である『ミッドウェイ海戦』の英雄、一航戦赤城なのです!」

 

『……ミッドウェー?』

 

 満の言うそれは満が本来暮らしていた世界での、日米戦争における重要な転換点だ。無敵だった第一機動艦隊が壊滅、日本が初めて大きな敗走を余儀なくされた闘いである。

 この世界の場合、各国間での戦争が、深海棲艦との戦争に変わったため、こういったおかしな変化も見られるというわけだ。

 

「かれこれ五年前のことですね。当時の決戦は凄かったんだろうなぁ。私と同じ駆逐艦電も、当時参戦していたそうです」

 

 今は海軍の駆逐艦電は彼女であり、前任はとうに軍から除籍されているそうだが。

 不思議なことに、建造や何かで新しく現出する艦は、現在存在している艦と同種の者が生まれることはない。たとえ生まれたとしてもそれは外装で、すでに生まれている艦がその外装を付け替えるのだとか。

 故に同一の艦を同じ艦隊に所属させることはできないし、別々の艦隊に同一の艦が所属していても、片方はその軍艦の機能だけをもった艦船妖精が“操縦”しているらしい。

 

 ちなみに艦船妖精は主に遠征用で、基本的な全力出撃はオリジナルの艦娘が行う。ようは信頼度の問題だ。

 

『不思議なもんだ』

 

 つぶやくようにして浮かんだ言葉は、そのまま誰に拾われることもなく消えていく。無駄話はすでに終わりだ。島風の号令のもと、戦闘行動が開始サれようとしている。

 

「さぁ、第六駆逐隊、私の後に続いて敵主力艦隊を討つよ!」

 

「了解!」

 

 ――すでに、敵影は確認されている。

 後は、状況は接敵を待つだけとなっていた。




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、週末を桜花もとい謳歌する皆さん、こんにちわ!

今回は第六駆逐隊、暁型の登場となりました。次回が初の集団戦。
少し海域に出てくる敵の確認を間違えて、敵ボスが1-2仕様ですが、何卒よろしくお願いします。

次回更新は9月10日、ヒトロクマルマルにて。またお会いしましょう。


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『05 洋上のかもめ』

 海が震えている――

 

「――敵艦見ユ! 軽巡ヘ級、雷巡チ級各一隻、駆逐艦ハ級二隻にロ級一隻を確認」

 

「……考えられる、最大級の敵戦力だね」

 

 暁の報告に、舌なめずりをするようにしながら島風がこぼす。進行する敵のかき分ける波の揺れが、島風の足元にたどり着くかのように、海は少しばかり荒れていた。

 昨日よりも少しだけ強さを増した風が、そう認識させているだけだろう。

 

「陣形は単縦陣。真正面から火力で敵をぶちぬくよ。――第一艦隊、これより砲雷撃戦入ります!」

 

 声に合わせて、旗艦島風を筆頭にして一列の陣形を組む。単従陣。主に敵艦への打撃力を高めることを主眼においた形だ。

 

「雷撃戦に入るより先に、駆逐艦をすべて最低でも中破に持っていく。軽巡は夜戦で落とす、いいね!?」

 

 大声を張り上げて問いかければ、それに第六駆逐隊の四隻が一斉に“了解”と頷く。

 直後、速度を一斉に上げた五隻の駆逐艦が、敵の艦隊へ向けて、突撃を始めた――!

 

 

 ♪

 

 

 駆け抜けるように加速し、海が後方へと消えてゆく。滑るように水上を“走る”姿は、海面ギリギリを滑空する高速の機影のようだ。

 島風の後方、暁、響、雷、そして電の順番に並び、海をかき分け進み続ける。反対方向には、敵の深海棲艦も同様に単縦陣で島風達へ迫るのが見える。

 

 ――最初の一撃は、島風によって放たれた。後ろにつく四隻よりも明らかに速度を上げる。誰よりも速く敵艦に接近すると、停止。

 島風を取り巻く連装砲が、勢い良く爆音を上げた。

 

「てぇ――ッ!」

 

 狙いは駆逐艦、ハ級。五隻の艦影から、真ん中を選んで一斉に砲弾を放つ。

 

 それぞれは軽巡を、雷巡をすり抜け寸分違わず駆逐艦に向かい――直撃。クリティカルの一撃のもと、容赦なくて旗艦を、たったの一撃で叩き潰した。

 

「……響! 私たちもいくわよ!」

 

 それに感化されたのであろう、暁が後ろの響に声をかける。無言でそれに響が頷くと、この二人も全速力で前に出る。島風はそれをチラリと見やると、再び前進を始めた。このまま敵艦隊と接敵し、そのまま横を抜けていくつもりだ。

 

 交錯する暁に響――その横を、雷巡の砲撃が駆け抜けてゆく。無色の線条をともなって、爆発的な加速が火薬の痕を残して消えていった。

 即座に両艦がその場で停止、中央を切り裂くように弾丸は通りぬけ、両者は再び直進する。

 

 更に駆逐艦ハ級へと接近する暁達は、弧を描く響と、直進する暁に別れた。直後、暁が『12.7cm連装砲』をハ級へ向けて放つ。――外した。ハ級はその場で急停止するとドリフトを駆けるように船体を動かして斜め横の暁へ向き直る。

 

 直後。

 

「――запуск(発射)!」

 

 その真横にまで回った響の、少し遠くからの連装砲が駆逐艦ハ級を叩いた。黒煙が赤く照り付く火花を伴って上方へと吹き上がる。

 大振りで鉄に鉄を叩きつけるような鈍く重苦しい音が銃弾の炸裂音とともに鳴り渡る。

 

 この一撃で駆逐艦ハ級、二隻目が大破。直後に放たれた苦し紛れの砲雷撃も、即座に回避行動を取った暁からそれ、どこともしれぬ場所へと消えてゆく。

 

「ようし順調! 雷、電、駆逐艦ロ級を落として!」

 

 島風が声を張り上げて――通信が為されているためそれは不要であるが、士気高揚のためだ――指示を飛ばす。

 直後、軽巡ハ級の轟砲が周囲を覆うように音を破裂させた。耳を覆うようなそれはしかし、向けられた雷、電の両艦どちらに当たることもなく、海をかき分け消えていった。

 

 すかさず加速する雷と電は、大破した駆逐艦を、間に挟むようにして通り過ぎて行く。砲撃はなかった。すでに出来るような状況ではなかったのだ。

 そして向かうは駆逐艦ロ級の真正面。砲塔を構え急速に接近していく。当然、そこは敵艦の射線上まっただ中であった。

 

 しかし、雷達は放たれた砲撃を、いちにのさんでタイミングを合わせ同時に左右へ飛び退き回避する。赤熱の砲弾は何もない海面へと消えて溶けてなくなっていった。

 

 瞬間、左右から雷と電が駆逐艦ロ級の左右に並び立つ。主砲は構えられ、まるで一閃の刃が駆逐艦を貫くように交差していて、爆発はその後に起きた。

 至近距離からの一撃。しかも二発だ。回避することも、堪えることもできずに駆逐艦ロ級は噴煙を上げ爆発。海中へとその船体を没していった。

 

「よし、雷撃戦入ります! 撃ち落とした駆逐艦を狙って、ついでに軽巡辺りも狙ってよね!」

 

 直後、島風はもはや砲撃の意味は皆無と判断、号令をかける。――敵艦もそれは同様だ。大破しなかった残りの二隻。軽巡へ級と雷巡チ級が魚雷を水面下へ解き放つ。

 

 合わせて、島風達もまた身を翻し魚雷を装填する。狙うは軽巡雷巡、そしておまけで残った大破した駆逐艦だ。

 

「雷巡は私が中破させるから! 夜戦で全部決着を着けるよ!」

 

 解き放たれた、島風側の魚雷を全問、一直線へと敵へ向かうそれらは、一発が大破した駆逐艦へ、一発が雷巡へ、残りすべてが軽巡に向かった。

 

 敵の一撃は狙いが正確ではない。あらぬ方向へと砲撃がそれ、そして消えて音を失った。そして島風の一撃、雷巡への雷撃が直撃、飛沫を大きく噴出させる。

 

 跳ね上がる音は二つ。駆逐艦へのそれと雷巡へのそれ。――残りはすべて、どこかへ消えて失われてしまった。外したというわけである。

 

「しっかりしてよねー! まぁ当てるのも難しいけど、――海域を一時離脱、夜を待って夜戦に突入。私に続いて!」

 

「はい!」

 

 暁の返答を皮切りに、四つ返事が飛んでくると、島風は軽巡達の姿を確認することなく速力を上げていく。後に続く四隻もまた、――ちらりと電が後ろを振り返ろうとして、しかし途中でとどめて速度を上げた。

 

 かくして、鎮守府正面領域、はぐれ艦隊との最初の接敵が終了した。

 

 

 ♪

 

 

「ここからは、すこし機を見ながら夜戦に突入します」

 

「……夜戦?」

 

 赤城の言葉に、満が確かめるように問いかける。すでに戦闘は一時終局、必要もなければ会話を交わす必要はないと、通信は島風の方から切られてしまった。満達鎮守府の面々は、再び回線を繋がない限り、島風達と連絡をとることはできない。

 その間に、ちょうどいいとばかりに満が赤城へ幾つか質問をするのだ。

 

 現状、満の事情を知るのは赤城のみである。他人に聞かれないようにする必要があった。

 

「端的に言ってしまえば、夜に行う戦闘行動です。昼間に行う夜戦行動との大きな違いは、駆逐艦及び軽巡洋艦が非常に高火力を奮うことができる点です」

 

 他にも空母が行動不能となり、置物になるという点もあるが、これに関しては現状では関係ない、後に別の機会で満へと伝えられることとなる。

 

「つまり、島風達は自分が主戦場とする場所で決着をつけようってわけだな? まぁ誰も被弾していないのならいいんじゃないか? ここではぐれを排除しておけば、鎮守府周域が煩わされることもないんだろう」

 

「えぇ、私もそう思います」

 

 赤城も同様に同意する。敵を残してしまった状況で、完全勝利を狙うのだ。こちらに現状の被害はなく、駆逐艦五隻を養えないほどの資材がないわけではない。

 十分に問題のないことだと言えた。

 

「とはいえ、夜を待つには時間が余るね。一度帰投するのかい?」

 

「いえ、洋上で敵を監視しながら待機ということになります」

 

「大変だな、あの娘達も」

 

 ポツリと漏らしたつぶやきに、それが仕事だからと苦笑する赤城。彼女たちは普通の人間とは違う。それが前提である以上、満もそれを受け入れなくてはならないのだが、どうにも満には、先ほどまで司令室にいた島風も、横に立つ赤城も、美麗な少女にしか思えなかった。

 

「こういうのは、慣れていくものなのかな。敵を沈めることも、味方に死の危険をもたらすことも」

 

「慣れていくというよりも、学習していくというのが正しいでしょうね」

 

 死と隣合わせの環境で、人間は死に慣れていくのではない。死を学習し、理解していくのだ。決してそれは死を肯定するわけでもないし、死を迎合するわけでもない。

 ただ死をこなしていく、それだけのことだ。

 

 そんな中で、死に対する感情を摩耗させ、“慣れていってしまう”ということは、死を受け入れるのと同義、生きながら死んでいるのだと、満は思う。

 

 ――死の中、殺しの中にしか自分をおけない人間は、きっともう死者でしかないのだと、愚痴をこぼす用に意識の奥へと沈殿させた。

 

「さて、となれば日が落ちるまで僕らはここで暇を持て余していなきゃ行けないわけだね。何か食事でも……あ」

 

 意識を切り替えるように放った言葉、しかし気がついた時には遅かった。――赤城は食事の権化、それを聞けばもう、そちらに意識を向けるのは道理である。

 

「……、」

 

 沈黙していた。

 赤城はどうやら冷静にこちらを眺めているようである。気を抜いてしまった満を咎めるか、そうであれば如何によいか、満は他人の心の機敏に疎い。赤城が何かを言いたげなのは解る。しかしその内容まではわからない。

 どうか、満を叱り飛ばすものであってくれ、そう心のなかで懇願して、果たして結局そうであったか――

 

 ――答えは、満と赤城の二人しか知らない。

 

 

 ♪

 

 

 日が落ちて、時刻はおよそ『二〇〇〇』。夜がくれ光がなければ視界を得ることも難しいだろう。島風達第一艦隊は、そんな中を音も立てずに、できうる限り気配を殺して、移動していた。

 

 一度は互いに距離を離し戦闘を終えたものの、敵を見失ったわけではない。夜の闇に紛れても、敵主力艦隊の残る二隻はその位置を島風たちに補足されているというわけだ。

 

 軽巡――軽装甲巡洋艦と、雷巡――重雷装巡洋艦は、それぞれ巡洋艦から派生した艦艇であり、軽巡は駆逐隊数個をまとめる旗艦であり、それらは通称水雷戦隊と呼ばれる。

 雷巡はそれらが敵の戦力を漸減――つまりそぎ落とし――した後に魚雷で主力を叩き潰すための艦種だ。

 

 とはいえ雷巡は島風の魚雷で中破、今は魚雷を放つことのできないお荷物とかしている。問題は、現状無傷で残った軽巡一隻だ。これを落とさない限り、完璧な勝利は望めない。

 もとより、すべての敵艦を落とさない限り、最高の評価をあたえられることはないのだが。

 

 とかく、それら二隻を追うべく、島風達は夜の海を駆け抜けているわけだ。

 まばらな星々が舞う夜空と、黒に塗りつぶさえた海が同化しているかのような闇色の時刻。暗がりに混じった駆逐艦は、敵艦を殲滅するべく戦闘行動を開始する。

 

「――我、夜戦に突入す!」

 

 声音を殺して、それでも精一杯の声量でもって通信機の向こう側にいる提督たちへと告げる。帰還の命令はない以上、後はもう潰すか潰されるかの二択になる。

 

 直後、急速に接近した駆逐艦五隻に、ようやく軽巡と雷巡の二隻が気がつく。無理もない、暗闇に少女たちの姿は浮かぶはずもないのだから。

 戦闘行動にすでに入った駆逐艦と、未だ動けずにいる軽巡達。どちらが先制するかは、もあはや考えるまでもない自明の理であった。

 

 島風が連装砲をすべて構えて発射する。まずは一発――外した。あらぬ方向へ消え、音も立てることなくどこかへ沈んでいったらしい。

 

「あぁもう!」

 

 舌打ちするようにしながら、速度をまして重雷装艦へと接近する。まだ、主砲の一撃が残っているのだ。

 

「――私はこの置物をどかす! 他の人たちは速く軽巡を囲んで落として!」

 

 暁達がそれに応じたのを見届けると、島風は即座に雷巡へと接近する。すでに速度を出すということが不可能と思えるほどのダメージがある、故に雷巡はそこで島風を“落とさなければ”ならない。しかし、この存在に敵を迎撃する方法は、現在の状況では存在しないのである。

 

 すかさずその場で反転し、雷巡は睨みつけるように島風と視線を衝突させる。もはや意識を向ける必要すらなく、逃げるにはあまりにその船速は遅く、そんなことをする必要もないのに。

 そこから、動こうとはしなかった。それは敵である深海棲艦なりの意地なのか、はたまた逆転の一手を携えての仁王立ちなのか。

 

 構わない。最初からそんなことを気にするような戦い方を、島風は行ってきてはいないのだから。直後、島風が雷巡へと到達する。

 

 駆け抜けるように一閃、弾丸は、その横方向に、一直線に放たれた。

 声はない、深海棲艦の怨嗟はこの世界の人間には届かない。ただ悲鳴のような爆発音を上げて、夜の空白に赤色の点灯を与えた。

 

「……無駄弾だなぁ」

 

 島風はぽつりと、愚痴っぽくこぼしてしまえば、どうにもならずに霧散していく――轟沈する重雷装艦を背にして、その場を離脱するのだった。

 

 ――そして同時に、無傷の軽巡を取り囲むように暁達も前進していた。

 足を止めず――狙いを付けさせないためだ――グルグルと周囲を遊泳しながら、少しずつ軽巡へと体を近づけていく。

 

 状況は決していた。

 どこかに狙いをつけて当てようにも、動き続けている的は当てにくい。しかもその的は攻撃に合わせて動くのだ。避けられもするだろう。

 しかし、このまま放置していては必殺の位置から一斉砲火を受ける。それに対抗する手段は全くと言っていいほど存在しない。

 

 軽巡は、たった一隻で四隻を相手にしなくてはならなくなった時点で、詰んでいるのだ。

 

 それでも諦めることはなかった。深海棲艦とは意識の薄い行動の集合体、機械のようなものである。世界を恨み、己を恨んで死した人や生物の怨恨が、ただその思いだけを糧に“機械的に”世界へ牙を向き続ける。

 

 ――そんな化け物じみた妄執兵器に、“諦め”などという機能は最初から存在しているはずもない。

 

 暁達艦娘も決して油断することはない。意識を極限まで緊張に高めて、真っ直ぐ重厚を軽巡へと向けている。

 それは油断を“許されない”がための行動だった。世界を祝福し、この世界を救うべく誕生した艦娘に、“諦める”という行動は最大の禁忌にして他ならない。

 

 ――意思を持ち、かつてはただ純粋なまでに機械だからこそ機械的だった思いは、世界へ無垢な思いを抱かせた。

 

 深海棲艦は人間や生物が――複雑な感情を持ちうる存在たちが――最後に抱いた生きたいという妄執、怨みやつらみによって存在を形成している。

 しかし艦娘は、その逆。機械や植物のような――複雑な感情を持ち得ない存在たちが――最後に抱いた、一直線で穢れのない感情によって生まれるのである。

 

 満のような例外を除けば、人間が艦娘になることはない。意識を持つ者が深海棲艦となり意識を失う。逆に意識を持たない物が艦娘となり意識を得るのである。

 

 ――軽巡が、動いた。

 勢い任せに暁の進行上にすかさず砲塔を向けると、回避の間もなく砲撃を行う。しかし届かない。撃たれてからでも、発射の瞬間の火薬的発光を頼りに、その場で回避を行えばいい。

 反対方向に反発した暁は、そのままくるくると後方へ退避する。逆に残った三隻は、続く第二射が装填されるよりも速く敵を討つべく、一直線に軽巡へと向かった。

 

 三方向から向けられる砲口、躱すすべはもうどこにも存在していない。

 

「……テェ――!」

 

 雷の合図。

 ――直後に炸裂。爆発を伴って、二度、三度炎を吹き上げた軽巡ヘ級はその場で艦体を真っ二つに割られると、海の中へと消えてなくなり溶けていった。

 

 

 ♪

 

 

 かくして、鎮守府正面領域を巡る、はぐれ艦隊と島風達第一艦隊の戦闘は終息した。

 とはいえもとよりこの闘いは前哨戦に過ぎないのは、誰もが知っているところにある。本命はこの艦隊が流れだした南西諸島周辺を偵察する大規模船団。

 

 故に――少しずつ、満の鎮守府は戦いの空気を増していくこととなる。




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、少し揺らいだ熱さにほっとする皆さん、こんにちわ!

ちょっとミスもありましたが、別に大勢を揺るがすほどではないのです。
慢心慢心。

次回更新は9月13日、ヒトロクマルマルにて、良い抜錨を!


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『06 夜の帳は海の向こうへ』

 夜も白んで、朝へと向かおうというかの頃、第六駆逐隊の四隻、暁、響、雷、電は遅い休憩をとっていた。

 夜戦からの帰りということもあって、休むにしてもこの時間になってしまったのだ。

 

 白い湯気が体中を覆い、存在を染めてしまうかのような鎮守府の大浴場。平時であれば鎮守府の中で働く従業員を妖精まで含めて収容できてしまうほどの大きさを持つそれは、現在暁達貸し切りとなっていた。

 同時に出撃していた島風はいない。まだ彼女には仕事が残っているらしく、提督に引きずられて司令室へと行ってしまった。

 

 本来、艦娘としての戦闘能力を、人の療治方法で癒やすことはできない。こうして湯船に浸かることは、兵器としては意味のないことなのである。

 しかし兵器である艦娘は同時に人間としての機能を持つ。精神的な疲れはあるし、こうして風呂にはいることを文化とするのは、人間であろうと艦娘であろうと同じこと、というわけだ。

 

「ふー」

 

 早速湯船に浸かりながら暁が大きく心の疲れを載せた吐息を漏らす。湯の熱さが体中に染み込んで、一瞬我慢を要するほどの熱が暁を襲うものの、それもやがて慣れでもって心地よい感覚へと消えていく。

 

 まるで、疲れがその熱によって湯の中へともっていかれるようだった。

 

「はらしょー」

 

 その隣で、響もまたぽつりとこぼす。彼女にしては少しばかり甘ったるい声は、彼女特有の言葉回しを、熱さにとろけさせている様子だ。

 

「ふたりともー、湯船にはいるの早いんじゃないのー?」

 

 遠方、入口から雷の声が響いてくる。ようやく脱衣を終えて浴室の中に入ってきた雷と電は、まだ浴槽に入れそうにはない。

 

「早く来たほうがいいよ。これは本当に、すごくいいな」

 

 響の声が周囲に飛び散って跳ねまわって広がっていく。タイル貼りの大浴場は、声が複数に分裂して聞こえてくるのだ。

 

「その前に体洗わせてもらうわ。電、背中流してあげる」

 

「そ、それくらいは一人でできるのです」

 

 体を覆うには少し小さめのタオルを前に添えて、雷が周囲を見渡しながら電へと声をかける。胸元をタオルで抑えながら、必死に電がそれを否定した。

 

「あー、一日の疲れが全部癒やしに変換していくようだわ。そうでしょ響」

 

「うらぁー」

 

 楽しそうな暁とそれに感嘆の吐息で返す響、雷はそれに惹かれながら大浴場というにも足りないほどに広い室内を見渡す。

 入ってすぐには体を洗うためのシャワーその他一式。左右に広がり、更にその角から曲がって少し伸びている。そこから敷居があり、浴槽は揺れる水面のような、複雑な形をしている。左手側の外壁がすべてガラス張りとなっており、そこからは鎮守府と港、その先にある大海原が一望できるようになっていた。

 

 今は、沈みゆく月をのんびりと眺めながらぼんやり湯船に浸かるのが良いだろう。外は、少しの光ばかりで景色を確かめられそうにはない。

 

「じゃあ、さっさと洗うわよ」

 

「あ、ちょ、ちょっと待って下さいなのです」

 

 体を洗う場所に足を向けた雷に、電が待ったをかける。ぱたぱたと駆け足気味に湯船に向かうと、いつの間にやら手にしていた桶――入り口に山積みにされている――を湯船に入れると、体を落としてから引き上げる。

 それから体の前を覆っていたタオルを離して丁寧にたたむ。電の日焼けしていないホイップのような肌が露となる。

 

 周囲には見知った者しかいないとはわかっているものの、それでも少し気恥ずかしいのだろう。体を抑えるように隠しながら、お湯を汲んだ桶を、頭から垂れ流していく。ゆっくりと飛沫を立てないようにお湯をおろして、白い肌を通り抜けたそれらは、やがて床に落ちて溶けて消えていった。

 

「んぅ」

 

 熱さが肌にしみたのだろう、目を細めながら吐息を漏らし、大体すべてを終えると再びタオルで体を隠しながら立ち上がる。

 それを見ていた雷が、苦笑気味に声をかけてきた。

 

「何よ、掛け湯? わざわざそんなことしなくても、体はちゃんと洗うんだからいいじゃない?」

 

「それでも、お風呂にはいる時は気持ちを湯船に入れないと行けないと思うのです。そのために、こういうことは必要なんじゃなかな……?」

 

 自信なさげではあるものの、内気な妹にしてははっきりとした物言いに、少しだけ雷は嬉しそうな表情を浮かべて、それから軽く笑んで見せる。

 つられるようにして電も優しげな微笑みを浮かべた。

 

「じゃあ私もそうしようかしら。きっとそうしたほうが、ゆっくり休めると思うのよね」

 

 艦娘は湯船で体を癒やすことはない。しかし、心を癒やすことはできるのだ。だとすれば、思うようにあるがまま、心を安らげるよう努力するのも、艦娘としてただしい姿ではなかろうか。無論、それは普通の人間にも言えることだ。

 

「なによ、ふたりともずるいんじゃない? お風呂を私たちよりも満喫している気がするわ」

 

 すでにお風呂に入っているため、暁と響は作法に則る事はできない。響は今でも十分湯船を堪能しているようだが、暁はどこか不満気だ。冗談めかして攻め立てるように言葉をかける。

 

「こ、これは電の勝手な思い込みなのです! だ、だから雷までやる必要はないというか、えっと、その、あの!」

 

 しかし、それを真に受けてしまった電が、慌てたように雷へと寄っていく。慌てふためく電の様子に暁はいたずらっこのような笑みをこっそりと浮かべ、やれやれといった様子で雷も苦笑する。

 そして、

 

「ちょっと、そんなに急いで歩くとバランスが――あ、」

 

 そんな雷に駆け寄っていた電は、思い切りツルッと足を滑らせて、仰向けに跳ねてしまった。巻き上がったタオルと桶が、どこともしれぬ場所へ跳ぶ。

 

「ちょ、」

 

 暁の慌てたような声。呆然と倒れゆく電を見守るしか無い雷。時間が、歩むことを忘れてしまったかのようだった。

 

 

「――ふきゅ!」

 

 

 尻もちを着いた電の、跳ねるようなソプラノボイス。

 直後、どこかへと墜落したらしい、桶がカコ――ンと、跳ねるような音を周囲に響かせるのだった。

 

 

 ♪

 

 

 体を洗い終えて、雷と電も湯船に使った。四人は少し手狭にすることで、向かい合うことができるようデザインされた浴槽の一角で、体を付きあわせて極楽を味わっていた。

 

「あぁー。いやぁお疲れ様ぁ」

 

 ぽつり、と言った様子で暁がこぼす。

 

「まぁ、大変だったのは否定しないわね」

 

 おちょぼ口気味に吐息を漏らしながら、思い切り気持よさそうに目を細めた雷が同意する。それに寄り添うように電もまた、頭にタオルを載せて一息つく。

 

「島風さんはすごかったのです。でも、あの人は本当に駆逐艦なのでしょうか」

 

 駆逐艦の最高峰を目指した島風の性能は、戦艦すらも特定条件下であれば打倒しうる強力なものだ。通常の駆逐艦である暁達とは、一線を画するのは間違いない。

 とはいえ暁型も特Ⅲ型駆逐艦と呼ばれる、吹雪型駆逐艦の完成形であるのだが。

 

「ただ性能がいいってだけじゃないよ。すごく戦い慣れているからね」

 

「そうなの? 響も良くわかるわね」

 

 同じ暁型の、姉妹とも呼べる四人だが、その誕生は思いの外偏っている。艦娘が先代から名を“継ぐ”形式であるため、実際に暁が長女というわけでもない。この中で最も経験を持つのは響だ。駆逐艦の一隻であるために戦闘経験はさほどあるわけではないものの、少なくとも人を見る目は誰よりも養われている。

 雷の意外そうな声に反応し、ひとつ頷いてから答える。

 

「最初の一発。私たちより遠い距離から、あの人は一撃で駆逐艦を撃沈させていたね。私たちは一発じゃ大破がせいぜいだよ」

 

 駆逐艦の本分は雷撃戦だ。主砲による砲雷撃戦で敵を沈められずとも、さほど問題はないが、島風は当たり前のように重巡や軽巡など、より砲雷撃戦に特化した艦種が保つ距離から敵を撃滅するのである。

 

「アレを“当てる”のが本人のセンス。アレを“沈める”のが本人の性能、ってわけだね」

 

「島風さんも、それを解説する響もかっこいいのです!」

 

 キラキラと目を輝かせながら、跳ねるような声音で電が言う。雷も響に視線をやって、そんな状態に暁はどこか不満気だ。

 

「私がネームシップなのに、響はなんでも知っていてずるいわ」

 

「……さすがに、なんでもは知らないかな、学んできたことをいかしてるだけだよ。大丈夫、暁だって強くなってる」

 

 だといいけど、嘆息気味にぶくぶくと泡が湯船を盛り上げる。口元を覆って暁は目線だけで他の三名を一度見た。

 

「それに、島風と私たちじゃ少し年季が違いすぎる。あの人は五年も駆逐艦として活躍してるからね」

 

「……ご、ごね!?」

 

 あまりの事実だったのだろう、雷が思わずといった様子で絶句する。無理もない、艦娘は戦争の中に身を置く存在だ。轟沈してしまうこともあるし、そうでなくとも精神を疲労させる。特に駆逐艦は装甲が薄く“死にやすい”存在だ。数年もしない内に次の艦娘に役割を引き継がせるのが慣例である。

 

「すごいのですよ! 世界最強の駆逐艦として、あのマリア海戦やレイ海戦にも参加し、戦果を上げているのです」

 

「へー、ってあれ、それだけ?」

 

「それだけなのですよ?」

 

 少しの違和感を覚えるも、電がそう答えると、なるほどと雷は納得する。

 

「でもそれって、つまり長く戦い続けてきたってことよね。……疲れちゃわないのかしら。艦娘って、楽に続けられることじゃないと思うのだわ」

 

 暁の嘆息。無理もない事である。戦闘に死が伴うのは事実であり、今回まったく無傷で勝利をおさめることができたのは、単純に運が良かったから、というだけなのだ。

 ――島風が旗艦であったこと、それもまた、暁たちにとっての幸運なのである。

 

「戦争って、幸運な存在が他者の幸運を吸い取って生き延びるものだと思うわ。そうでなくちゃ、私たちはいつまでも戦い続けられるはずだもの」

 

 戦えて、活躍できて一人前。暁にとって一流とはその先にあるものだ。自分が一人前であるとは思って入るが、それ以上だとは思っていない。

 持てるプライドが、小さな物しか許されない。駆逐艦というのは、そういうものだ。

 

「ふぅん。でもしょうがないんじゃない? そんなこと言ったら、私たちの戦う意味だってわからなくなるでしょ」

 

「……戦う意味?」

 

 雷の言葉を、反芻するようにして問い返す。

 

「もともと私たちは、どこから来るかもわからない怪物と、もう始まりすら解らなくなった戦いを続けてるのよ? 死ぬときは死ぬ、勝つときは勝つ。同じじゃない、なんだって」

 

 戦争が日常化し――日常化せざるを得なくなり、すでに時間は幾つもの間を刻んでいる。始まりはいつだっただろう。それすら、歴史書の中にしか記されていない事実と化してしまっているのだ。

戦うことに意味を求めてはならない、求めてしまえば、失ってしまったことに気がついてしまうから。

 

「えっと、よくわからないですけど、私は今まで深海棲艦と戦ってきた艦娘の皆さんはすごいと思うのです。それを導いてきた提督も、支えてきた整備妖精や人間の皆さんも」

 

 電が語る。

 

「過去に築いてきた栄光は、決して血塗れなものではなく、あくまで誇らしげに語って良いものだと思うのです。スポーツの世界を席巻する人たちがいるように、電たちも、誰かに自分を誇ることはできませんか?」

 

 普段は口数の少ない電が、ここぞとばかりに言葉を何度も何度も連ねていく。それら一つ一つが思いに変わって、過去から未来に繋いでいくものだとでも言うように。

 

 暁や響から見て、電は口数の少ないおとなしい少女だ。第六駆逐隊に最も遅く参加して、後輩である以上に、ほっとけない妹のような存在といえる。

 そしてそれは特に、雷に言えることだ。最も近くの姉妹である彼女たちが、如何に信頼しあっているかは語る必要すらないことだ。

 

 そんな妹の、今まで垣間見ることのできなかった凛とした姿。それを横目に眺めながらも雷は、

 

「そうだと、いいんだけどね」

 

 いくつかの感情をのせた、少しだけ低音気味の声で、そう言った。




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、お風呂が恋しい皆さん、こんにちわ!

今回は暁型四人の歓談回となります。
……実はいろいろそれ以外にも意味はあるのですが、軍機なのです。

次回更新は9月16日、ヒトロクマルマルにて、よい抜錨を!


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『07 天龍だ。フフ、怖いか?』

 駆逐艦イ級の砲雷撃が、島風の耳元を掠めて後方へ消えてゆく。身をかがめた状態で島風はイ級の砲塔にまで接近していたのだ。表情のない低音のような殺意をこめた視線が、イ級の姿を一度なめて消えてゆく。

 連装砲をセットして、あとはそれを発射する。島風は急速にその場を離脱して、後にはイ級が爆発した後に吹き上がる黒煙が残った。

 

 隊列の最後方にあがった爆発は、果たして深海棲艦たちを驚嘆させたか、それは彼女たちの表情からは読み取れない。とかく島風の一撃に続き、その島風の後方に配する三隻が、勢いを上げて深海棲艦の水雷戦隊に肉薄する。

 

 三隻の艦種はそれぞれすべてが軽巡洋艦。先日満の鎮守府に配属されたばかりの艦娘達であった。

 

 

『天龍型二番艦、龍田といいます。天龍ちゃんともどもよろしくおねがいしますね?』

 

 おっとりとしたお嬢様のような甘ったるい声音。ニコニコとした笑顔を顔に張り付かせて動じさせない。いうなれば何を考えているかわからないような表情が特徴的な艦娘。

 名は龍田。

 

『俺の名は天龍、ふふ、怖いか?』

 

 天龍型一番艦。ネームシップ天龍。長身に女性らしい体躯は凛々しさを体現する美少女である。凶悪な笑みを浮かべ自身を強く見せているものの、あまりにも彼女を引き立てているために、一層可憐になっているようにしか思えないと満は感じた。

 

『北上です。まぁよろしく』

 

 “球磨型”軽巡の三番艦、北上。満の横に立つ島風を一瞥した後、興味なさげに目を反らし、満の方を観察するように眺めていた。

 満にはよくわからないが、気だるげな雰囲気こそあるものの不真面目さはない。マイペース、ということだろう。

 

 以上三隻の艦娘が暁たち駆逐艦に遅れて配属された軽巡洋艦である。駆逐艦に比べれば火力が高い砲雷撃戦向きの艦種だ。

 

 通常通り島風を旗艦に、これら三隻を編成した第一艦隊は現在、南西諸島沖の警戒を目的として出撃していた。ここ最近頻発している南西諸島沖での深海棲艦発生に対する策として海軍本部が打ち出した作戦だ。

 とはいえ何も難しいことはなく、海軍としては満に段階を追って軽巡やそれ以降の艦種に対する知識と経験を学ばせるつもりなのだ。

 

 提督としては三流どころか、毛の生えた素人とはいえ無駄遣いをするつもりはない。満の着任を面白い実験だと興味をもつ層は一定以上存在する。

 

 それは、今回配属された北上の配属理由からも見て取れる。――龍田と天龍は燃費の良さという理由での配属だが――北上は重雷装艦への改装が予定されている。軽巡北上と、雷巡北上という複数の艦種を取り扱うこととなるのだ。

 

 

 そして現在。作戦名『南海諸島沖警備』に出撃した島風達を待ち受けていたのは、軽巡ヘ級を旗艦とした水雷戦隊であった。

 真っ向からの殴り合いに突入した島風達は先制攻撃とばかりに、まず島風が最後尾の駆逐艦を潰した。

 

 残り二隻。軽巡ヘ級と駆逐イ級。

 

 島風に続き、襲いかかるのは天龍だ。12.7cmを構え、ゆっくりと狙いをつけながら、移動は高速だ、水上をその体で駆ける。多少離れていた敵艦隊と第一艦隊はすでに一列横並びとなり並走していた。

 目を大きく見開いた天龍の砲塔が、駆逐イ級を捉えんとゆっくりぶれ続ける。一瞬の間何の砲撃もない空白が生まれた。その間に駆逐イ級は速度を大幅に上げ、蛇行して回避行動を取る。

 

 狙いが定まらないことに怒りを覚えたか、眉間に皺を寄せ焦れたように天龍が一発を放つ。音を殺した海上に、再び砲撃の焔が灯る。

 

 直後、それは海面へと没し、大きな水柱を駆逐イ級の後方に打ち立てた。外したのである。

 

 安堵を敵は覚えただろうか。一度主砲を撃ち放ってしまえば暫くは次の砲撃がやってこなくなる。となれば当然、後は逆に敵を捉えて砲撃をかましてしまえばいい。

 果たしてそう、海の怨念は思考しただろうか。しかし、そうは問屋がおろさない。天龍の狙いは自身が砲撃を直撃させることではない。

 

 ――砲撃を隠れ蓑とすることだ。

 

 直後、駆逐艦イ級ははぜた。木っ端微塵に、破裂して沈んだ。――それを為したのは龍田。天龍と同一型の二番艦。いわば妹と呼ぶべき艦娘である。

 彼女を駆逐イ級に近づけさせた。砲撃による回避行動へ意識を割かせることで近づく龍田を隠しきったのだ。

 深海棲艦には思考能力がある、がさほど複雑ではない。特に末端でしかない駆逐イ級ともなればそれはお粗末としか言い様がない。そこを利用しての一閃であった。

 

 残るは旗艦の軽巡ヘ級。狙うは島風艦隊の最後尾、同じく軽巡の北上だ。両手を鳥のように広げさながら滑空するかのような体勢で速度を上げ、周囲を飛び交う連装砲で狙いを定める。

 一見すきだらけに見えるが、狙いあっての行動だ。

 軽巡は北上に狙いを定め、回避行動を取る彼女を追いかけるのに必死だ。これが重巡などになってくればまた違うが、基本的に駆逐艦や軽巡洋艦の深海棲艦に作戦という概念はない。

 

 それを利用しての囮作戦、それが北上の取った行動だ。無論、それが当たり前の戦術であることは言うまでもなく、そこからさらに応用を効かせているだけだ。

 

 それでも、その行動を起こせることに意味がある。マイペースでこそあれ、無能な鈍亀ではない、あくまで牙を隠す兎といったところか。

 ――結果横から襲いかかった天龍の一撃で、軽巡ヘ級は中破に至った。そしてそれは北上に狙いを定めた瞬間に直撃、大きく軽巡をぐらつかせた。

 

 それによりヘ級の砲塔は大きくブレた。それはもう、天龍どころか、その隣に立つ龍田の側にそれも当たりもしないような狙いで放たれたのである。当然回避すらせず龍田の横を駆け抜けた主砲が、虚しく海を震わせた。

 

 夜戦を待つまでもない。勝敗は決した。

 島風を中心に軽巡を取り囲む第一艦隊。四方向から軽巡ヘ級を包囲すると――

 

「――さて、と」

 

 北上が――

 

「――そろそろ」

 

 天龍が――

 

「――終わりに」

 

 龍田が――

 

「――しま、しょうかっ!」

 

 島風が――

 

 一斉に全門の魚雷を解き放った。寸分違わず、すべてが軽巡へと直撃、為す術もなく沈んで海へと消えてゆくのだった。

 

 

 ♪

 

 

「お疲れ様天龍ちゃん、さっきはありがとねー」

 

 周囲に敵影はなし、安全を確かめらたところでようやくと言ったふうに龍田が言った。対する天龍はといえば唾を吐き捨てるようにしながら――実際には勢い良く息を吐きだしただけで吐き出してはいけない。海が汚れるからだろう――挑発的な笑みを浮かべる。

 

「別に、アタリマエのことをするのが一流だろうが、ま、つまり俺が一流ってことだな」

 

「そうだねー、天龍ちゃんってばすごいねー」

 

「だろー、さすがだろー?」

 

 おっとりとした緩やかなボイスであるがために、少しばかり胡散臭さの残る声音だが、嘘は見えない。端から見るに、彼女たちはいつもこうなのだろう。

 

「天龍って、面白い艦娘だね」

 

「そうだねー」

 

 ポツリと漏らした島風の言葉に、否定する要素はないのだろう、島風に一瞥もくれず北上が同意した。

 

「おい、聞こえてんぞ!」

 

「マジで?」

 

 聞こえるつもりで会話をしたつもりはないのに、と嘆息気味に北上がこぼす。それは島風も同様のようで、ほう、と口を半開きにして吐息を漏らした。

 

「あのな、俺らは艦娘だぞ? 海の上での些細な音を拾えなくてどうするんだよ」

 

「そんなもんかなー」

 

 艦娘は特殊な存在ではあるものの、その身体的な特徴や機能は通常の人間と同一である。例外は海の上、彼女たちが戦いの舞台へ上がる時、その真価は発揮されるのである。

 

「なんでもいいですけど、ちょっと速度上げてくださいよー、出撃全然終わりませんよー?」

 

「とはいってもねぇ……この辺り一体を束ねる敵の主力艦隊は近くで捕捉されているから、この先に進めばいつか敵とは鉢合わせになるわよー、遅いか速いかでしょ?」

 

「遅いのはダメ! 私たちは高起動の駆逐艦に軽巡なんだから、もっと気張って速度をあげないと」

 

 ニコニコとぼんやりした笑顔でたしなめるように言う龍田に、島風が高説を垂れるように文句を言う。唇を尖らせてブーイングでも始めようか、というところで通信が入った。提督である満からのものだ。

 

『君はもっと速度を出したいだけだろう!』

 

 そう突っ込むためだけに連絡を取ったのか、それ以上の言葉はない。暫くは沈黙によって周囲が凍りついたものの、それ以上なにもないと解った途端、脱力気味に笑みがこぼれてきた。

 島風が今にも吹き出しそうに肩を震わせ、口元を抑えながら言う。

 

「……提督ってこういうこと、いう人だったの!?」

 

「さぁー」

 

 表情が変わらないのはやはり龍田だ。とはいえそういう島風も、いささかツボに入りすぎている感がある。何がそんなに琴線へ触れるのか。

 

「いや、アレ笑いすぎでしょ。いよいよもって壊れたの?」

 

「……さすがに、あってすぐの艦娘を壊れたというのはどうなんだ?」

 

 北上のなんでもなさ気な言葉に、天龍がううむ、といった様子で答える。というよりも、艦娘に対して壊れたというのはシャレにならない。

 

「もうちょっとこう、言葉遣いをだな……」

 

「おやおや、不良娘の仮面が剥がれてきてますよー?」

 

 からかうような物言い。実際そうなのだろう、すぐにしまったという風にして、それから顔を赤らめる天龍は端から見ていて“可愛い”し、“面白い”。北上がどちらを主眼としているかは北上自身にしかわからないことだが。

 

「う、うるさい! お前に指図されるいわれはねぇ!」

 

「ふーん」

 

 至ってマイペースに、相手の出鼻をくじくような受け答え。赤くなった天龍が、いよいよ唇を噛み締めて北上を睨み始めた。

 

 ちらりと目をやって、それから無言でそれに返す。スイスイと前に進むのは止まらず、しかし時間は死んだかのような空白を生んだ。

 結果、

 

「……うぅ」

 

 天龍の目尻に涙が浮かぶ。いよいよ持って耐え切れなくなったらしい。さすがにそこまでは想定していなかった北上も、慌てたように天龍へ声をかける。

 

「え、ちょ、泣かないでよ。ごめんよ。悪気はなかったんだよ」

 

「…………、」

 

 返答はない、自分は泣いてなどいない。そう言いたいのか、必死になって北上を睨みつける天龍。こうなってしまえば、つり目気味の瞳も垂れ下がり、少しばかり弱気に見える美少女の完成だ。

 

 ――直後。北上は島風が遠くに見えることに気がついた。北上の側を離れたのだ。理由は語るまでもない。

 

 鬼が、いた。

 

 鬼の如き形相は、どこにもない。あるのは天女の如き笑み。しかし、それは同時に鬼神の迫力を伴って北上を襲う。

 

 ――逃げやがった。

 そう考えた時には、絶対零度と表現して差支えのない龍田のほほえみが鼻先三センチほどにまで迫っていた。

 

 

 ♪

 

 

 その後、戦隊を離れた――とはいっても、島風の全速力であれば十秒ほどで合流が可能だが――島風に追いつくべく速度を上げたことも功を奏してか、島風他、第一艦隊は進撃直後の戦闘区域で、敵主力艦隊を発見することとなる。

 

 敵は軽巡ヘ級を旗艦とする水雷戦隊。

 他の艦は同じく軽巡のホ級。イロハ順に強さの位階を示す深海棲艦の分類においては旗艦のヘ級よりも一段階性能は劣るものの、艦種は軽巡。駆逐艦イ級などと比べれば、雲泥の差ほども性能差がある。

 

 艦娘は戦術が大きく艦娘個人の戦闘能力に関わるが、与えられたイロハの若い深海棲艦はその順番によって強さが変わる。そのいい例だ。

 

 おまけと言わんばかりに配置されたのは件の最弱駆逐艦イ級。しかし三隻も揃ってしまえば厄介なことは確かである。

 島風達は軽巡三隻を要する艦隊。敵の軽巡よりは数が多い、が全体の総数では一隻負けている。これにつけ込まれれば敗北も十分ありうる敵だ。

 

 無論、それをむざむざと許すような戦い方は決して一流などとは到底呼ぶことはできないだろうが、とにかく。

 

 南雲満率いる第一艦隊、些細ではあるもののその二度目の対主力艦隊総力戦が、始まろうとしていた――




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、可愛い女の子を弄くり回したい皆さん、こんにちわ!

天龍ちゃんはとってもとっても可愛い子なのです。
そういう子が強がっているのは、男の人を狙い撃ちするわけですね!
(以下次回に続く)

次回更新は9月19日ヒトロクマルマルにて、よい抜錨を!


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『08 無能』

 端的に言ってしまえば、現在の状況は簡単だ。軽巡三隻に対して敵は二隻。さほど苦になる相手ではない。あくまで問題は敵の数だ。もしも島風側が一隻中破し、三対五のような数的不利に陥れば最悪だ。

 

 そこで島風の取った作戦は、高い回避能力を持つ島風が、この数的不利をごまかすというものだった。ようは囮だ。敵の軽巡二隻を島風が引きつけ残る三隻の駆逐を軽巡が一騎打ちで叩き潰す。

 ここで気をつけるべきは軽巡がきっちり敵駆逐艦を落としきることだ。駆逐艦イ級は脆弱とはいえ軽巡はそこまで艦種的に駆逐艦へのアドバンテージは持てない。性能差こそあれ、技能差は誤魔化せないのだ。

 

 そんな作戦を通信で島風から聞いた満は、ふむと一つ嘆息して腕組みをする。

 島風が囮をするということは問題無いだろう。島風は旗艦でしかも鉄壁とすらいえる回避力を持つ。どんな装甲よりも、当たらないという回避力こそが、最高の防御というわけだ。

 つまり、そこは何ら異論はない。次点の作戦は敵艦隊を二と三に分断し、三を相手に軽巡達が持ちこたえている間、島風含む他軽巡が二を殲滅。というものだが、これはうまく軽巡二隻を分断できるかが不明瞭なため却下となった。

 

 また赤城も、島風と組ませるのに相性の良い艦がいない、とこの案に賛成することはなかった。満としては北上と組ませれば良いと思うが、どうもそうは行かないらしい。

 

 そういうこともあってか、この作戦に否はない。とはいえ――

 

「敵戦力は鎮守府正面の時と左程変わらないな。あまり違いがわからないけど、……思うにアレはイレギュラーだったの?」

 

「本来では想定されていない戦力ではありますね。ですが前例がないでもありませんし、特に気にする必要はないでしょう」

 

 事実、これ以降鎮守府正面に出現する敵艦は通常通りのものとなった。単なる誤差の一つ、データではないのだ、起こりうる事態ということだろう。考えられる最大戦力には変わりない。

 ともかく、本命はこの戦闘。一度目の主力艦隊での戦闘は無傷での勝利とあいなった。しかし今回もそうであるとはいえないのが戦闘というものだ。

 

「しかしこれは、第六駆逐隊から二隻は連れて行くべきだったかな。そうすれば十全な余裕を確保できただろうにさ」

 

「それが慢心を呼ぶこともあります。とはいえ、今よりも余裕があったのはたしかでしょうね」

 

 ――戦力的には、火力面においてほぼ駆逐艦の上位互換と言える艦種が三隻も揃っている。性能が控えめな天龍型が二隻とはいえ、十分な戦力であることには違いない。

 しかし、それが不必要な余裕を生むこともあるのだ。

 

 満が危惧する点もそこにある。

 

「余裕は侮りを生む。その侮りがあってもなお十全な戦力があればいいけれども、そうでないのなら少しマズイね」

 

「駆逐艦に沈められる軽巡というのは、さほど珍しくはないですね。とはいえ、この場合それが実際にならなければいいのだけど」

 

 多少の優位は侮り以上に油断を生む。それがなければ勝てるような戦いでも、だからこそ生んだ油断が枷となるのだ。

 

「まぁ何にせよ、僕には彼女たちに提言できることはなにもない。知識は赤城の役割とはいえ、情けなさは感じるね」

 

 嘆息。不甲斐ないと思うのは、敗北の油断を招く恐れのある艦娘達ではない。油断など当然のことだ。特にこの世界では無限に湧き続ける敵艦を打破していく必要がある以上、油断、つまりは“慢心できるほどの余裕”がなければそれこそ、人類は敗北を待つしか無いのである。

 

「知識は得ることができます。提督は優秀な人ですし、これからもその優秀さを発揮し続ければ、英雄とも呼ばれると思いますよ」

 

「張子の虎、かはたまた革命の指揮者か……どちらにせよ、それが無能の愚物でないことを祈るよ」

 

 何もできないのも、いいように権力者に扱われるのもまったくもってゴメンだ。しかし、今の無知な満にできることは、艦娘達を信じて帰投を待つだけだ。

 だからこそ、待っているだけの自分が誰かの足を引っ張るような無能になることだけは避け無くてはならない。

 

「今の僕は信じるだけだ。誰かを信じることのできる人間は、きっと無能ではないとおもうからね」

 

 沈黙、赤城は答えなかった。

 果たして彼女にとっての無能とは、必要のない存在とは一体何なのか、それがわからない以上満はそんな赤城の顔を、横から眺める他にない。

 

 ただ信じ、島風達の帰りを待つのと同じように――

 

 

 ♪

 

 

 接近するのは北上だ。駆逐艦イ級に対し、至近距離からの直撃を狙おうというのだ。弾は無限ではないし、外すつもりもない。とはいえ命中の精度も平凡であるところの北上は、一撃で沈めるために至近距離からのクリティカルという手段を選んだ。

 しかし敵艦も全くの無能というわけではない。接近する北上に対し、必殺の状況から主砲を放とうとしている。

 

 回避する必要はあるが、絶対ではない。耐え切ることは可能だろうし、それを耐えて接近してしまえば、あとは間近で主砲を叩きつけるだけだ。

 しかし、痛いのは嫌だ。だから避ける。艦娘は敵深海棲艦から打撃を受けて服が焦げ付くことはあるものの傷害はない。しかし、衝撃として体に残る痛みはあるのだ。

 

 故に避ける。だれだってそうするし、特に北上は痛いのが苦手だから、そうする。

 

 問題はどこに避けるか。屈んでも意味はないだろう、放物線を描いて飛んでくる砲弾を体を縮こませて避けようというのなら、正確な読みが必要になる。

 少し前の戦闘で島風がしていたように、当たらないことを前提に、被弾箇所を減らして回避する。そんな方法は北上には取れない。

 

「あんな優等生みたいなのはちょっとねー」

 

 自分がひねくれているということくらいわかっている。だから素直な駆逐艦は苦手だし、できることなら一緒に出撃はしたくない。

 けれども、それで仕事に対して手を抜かない程度には北上は真面目で、ひねくれている程度には、彼女の立ち振舞はトリッキーである。

 

「でも、トリックスターみたいなことは、できるよ!」

 

 吹き上がる爆煙。一瞬にして線条を閃かせる砲弾が見てからの回避ではどうしようもないタイミングで放つ。この厄介なところは、若干の距離差が、砲塔の向きを北上に察知させることができないという点だ。

 

 故に北上は発射されるより前に回避行動をとる。行うことは簡単だ。体を一瞬かがめてそして“飛び上がった”のだ。

 

 そう、屈んで回避するのではない。“飛んで”回避するのである。ただの軍艦ではない、人間としての戦闘駆動を本分とする艦娘だからこそ可能な芸当。砲弾は放物線上を描いて襲いかかる上、身をすくめての回避を防ぐため、下段を狙う事が多い。それを利用しての『跳躍回避』。

 

 それを見れば誰もがあぜんとすることだろう。通信は入らないものの、向こうに戦闘の音は聞こえてくる。もしかしたら提督達は察するかもしれない。

 

「できれば、怒られたくはないけどねー」

 

 言葉とともに、砲弾の上を駆け抜けるべく前方へ体をかしげさせる。そうして進む砲撃は――北上の足を掠めた。

 

「うぐぅっ!」

 

 衝撃、痛みではないものの勢いを削ぐようなダメージ。小破と判断するのが正しいだろう。しかし、それでも北上は止まらない。中破でもしない限り、戦闘に支障は生まれない!

 むしろ北上はその一撃を利用した。砲弾をけるかのように勢いを奪い取り、体を回転させたのだ。右手に添えられた『12.7cm連装砲』が、弧を描いて空を舞う。

 

 そして、

 

 それは駆逐艦イ級の真正面に、寸分たがわす据えられた。

 爆発はその直後――イ級をその火元として、音と炎が拡がった。

 

 

 龍田の側を、駆逐艦イ級が駆ける。にらみ合いの状況から、しびれを切らした深海棲艦のほうが動き出したのだ。

 動じない龍田。あくまで冷静にイ級を眺めている。細めた目を少しだけ見開いて、笑みに殺意を込めて敵を睨む。

 

 狙えば回避される位置で、イ級は龍田に向けて砲塔を向ける。

 近づけば逆に撃たれる。いくら動こうと、龍田は動かない。しかしその砲塔が、連装砲の兵器妖精がイ級を狙い続けているのだ。

 

 龍田は動かない。ハナから動く必要がないと踏んでいるのか、はたまた耐えるつもりでいるのか。いざイ級が砲撃を行えば、即座に回避行動をとりイ級に肉薄するのか。

 その真意をはかりかねたイ級が、こうして現在の膠着状態を生んでいるのだ。

 

 ――しかし、その間は時間にして十秒ほど。まったくもって長くはない。けれども、のしかかるようにその沈黙をイ級はモロに浴びた。精神に負担をかけた。イ級は思考する。故に迷い戸惑う。それが感情であるかはともかく、判断を鈍らせた機械のように、旋回を続ける他にないのだ。

 

 そこを、龍田は狙う。

 膠着した状況が油断をまねき、集中力を散漫にさせる。一度崩れてしまえば後は、それは動きまわるという行動のパターン化に現れる。

 龍田は決して時間を駆けて倒そうとしていたわけではない。

 

「さて、と……」

 

 島風が囮を買って出ているという状況は好ましくはないのだ。駆逐艦にいいようにさせる。というのは龍田のプライドに関わる。たとえそれが駆逐艦という種別分けから逸脱したようなトンデモ艦であってもだ。

 だからこそ、助太刀するべく龍田は動いた。

 

 そう、時間をかけるのが龍田の目的ではない。必要最小限の時間で、労せず敵を撃滅することが、龍田本来の狙いであるのだ。

 

 旋回するイ級が通る場所に射線を定める、“イ級を狙う主砲”とは別の砲塔。同じく主砲ではあるが、龍田は『12.7cm連装砲』を二対構えているのだ。

 片方に意識を取られ、もう片方を疎かにするイ級。そこを待っていたとばかりに龍田が狙う。

 

「島風ちゃんも待っているし、天龍ちゃんも心配だわ。だから――沈んで消えて、海に還ってちょうだいね?」

 

 片方の砲門を全弾照射。情け容赦のない一撃は解っていながらも不意を打たれるようにイ級を襲った。為す術もなく、イ級は沈むこととなる。

 

 

 天龍は自身が担当することとなる駆逐艦イ級を追っていた。その感情には多少の憤りがある。駆逐艦である島風に、軽巡を二隻も任せてしまったこと。それに対して――ではなく、あくまでそうせざるを得なかった自分自身に対してだ。

 

 軽巡洋艦、天龍型は特殊な艦艇だ。現行の軽巡艦娘のなかで最もその性能は低いと言っていい。なにせ拡張性がなく、また旧式であるのだ。

 これはもととなる別世界の日本海軍においてそうであった、というだけだが、それが天龍型のコンプレックスとなりかねないことは事実である。

 

 結果として天龍はどうしたか。周囲に自分を強くみせるようにした。挑発めいた行動も、あくまでただの見せかけである。

 本来の天龍とは、誰にも優しく気を使える少女なのだ。ただし、戦闘に対する熱意は素である。

 故に、だろうか。彼女の悪態が誰かに向くことはない。あくまで自身の至らないところを戒めるためのものだ。

 

 駆逐艦にせまる。距離を詰めながら同時に距離をとる。旋回するように近づくのは龍田の、周りを動き回るイ級と同様だ。違うのは、龍田が動かなかったその時と違い、天龍と駆逐艦イ級は双方が思うように動き回っているということだ。

 

 高速艦の艦娘における最大の特徴はその機動性の高さ。水上をさながらスケートでもするかのように駆けまわる姿は妖精と例える事もできるだろう。

 天龍の戦闘スタイルもまさしくそれ。

 島風の用に性能とセンスを掛けあわせた天才的なものではなく、北上のような見るものを唖然とさせるトリックスタイルでもない。ましてや龍田のように敵の心臓を“握りしめる”かのような戦闘もしない。

 

 あくまで、真っ向からの正面対決。

 戦うことは好きだ。しかし自分の性能は戦艦や重巡はおろか、後継である球磨型をハジメとした他の軽巡洋艦にすら届かない。

 それでも、小細工を弄するような戦い方を、身につけてきたことは一度もない。何にせよ、今の状況は天龍の適正的に向いていないのは確かだが。

 

 砲塔ブレる。動きまわる駆逐艦もまた、こちらを狙おうと主砲を向ける。海を割るように駆けて滑って、その照準から即座に離脱。自身の射程を敵に合わせる、

 同様に、イ級もまた主砲を移動させる。、

 動けば、動くほど状況が膠着する。それはイケナイ。島風が奮闘する状況で、戦闘を長引かせるわけには、行かない。

 

「色々と、覚悟決めていくしかねーか?」

 

 言葉にして確かめる。状況は簡単だ。駆逐艦を排除すればいい。しかしそのために、冒さなくてはいけない危険は間違いなくある。

 多少の硬直において、敵の隙を見ぬくことはできないとはっきりわかった。理解せざるを得なかった。もしかしたら、島風ならば一瞬の隙すら見逃さないのかもしれないが。

 

「考えても仕方ねぇか。俺は、俺のできることを最大限するだけだ!」

 

 少しだけ、胸に引っかかるものはある。しかしそれの正体を、なんとなくだが天龍は知っているから、気にすることなく突撃することにした。感傷なのだ。戦闘に必要のないものはきっぱり切り捨ててしまった方がいい。

 

 動き出した天龍。狙いをつけにくくなるよう、不規則な動きで持って接近する。しかし狙いをつけようと思えば、つけてしまえる位置に接近していくのだ。

 状況は、天龍が先に主砲を放つか、はたまた駆逐艦イ級が天龍の照準合わせよりも先に砲撃を行うかの勝負となっていた。

 

 結果は――

 

 激突。二つの炎が同時に上がった。




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、潜水艦に思いを馳せる皆さん、こんにちわ!

天龍は強がりで可愛いですね。思わず弄りたくなるのは、きっとその性能が軽巡としては控えめだからでしょう。
控えめだから強がる、本当は優しい女の子。天龍はきっとそんな艦娘です。
ただし、戦闘狂なのは素であるとも思います。

次回更新は9月22日、ヒトロクマルマル。第一部前半は後七話、なのです!


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『09 不穏の夕暮れ』

 同時に起きた二つの爆発。正確に言えば、ごくごく至近距離にて起きた、ゼロコンマ一秒の間も置かない連続爆発。

 

「どうした! 何があった! 今の爆発は二つ! 同時に二つが至近で、しかし同一でない場所から聞こえた。明らかに“被弾と直撃が同時”じゃないか!」

 

 満の怒号とも呼べる叫び。本人の思考は至って冷静だ。咎めるような口ぶりと、彼自身の少しばかり低音気味な、本来であれば安心感を抱くはずの声音がそうさせているのだ。

 

『北上だよー、こっちは小破だよ、まだまだ行けるんだけどね。でも天龍が中破した。まだまだ動けはするだろうけど、連戦はちょっと簡便ね』

 

 戦闘を終えたためだろう、行動を起こす直前に周囲を一度見渡していた、北上が天龍の様子を見ていたようだ。北上の小破は、別にいい。多少の損害があってもそうそう轟沈はありえないし、まだまだ十分戦えるだろう。

 

 しかし問題は天龍の中破、これはいけない。

 通信の向こう側から申し訳なさそうな声が聞こえてくる。

 

『天龍だ。すまねぇ、少しトチっちまった。あと少し――』『そういうのはいいから』

 

 遮ったのは北上だ。言い訳のような言葉を連ねようとした瞬間に、天龍ヘ向けて話しかけるのである。声の調子は、すこい優しげなものだった。

 

『別に誰も責めはしないと思うよー。ただ口数の多さは真剣さと反比例するからねー』

 

「天龍は下がって、周囲の警戒。……島風、そっちはどうかな」

 

 軽巡二隻と戦闘中の島風に対して、案じるように満が言葉を投げかける。向こうはといえば、戦闘中であるものの周囲の様子を難なく察知し、判断をしようとしているようだった。

 

『え? 天龍中破? ほんとに? って、あ、提督。こちら島風です。軽巡二隻のうち、一隻を中破させました』

 

 さらっと言ってのける島風。通常の艦艇ならば逃げるのに夢中で敵を攻撃し中破させることは通常できない。それを当たり前のようにやってのけた上で、“不満だ”とすら言う島風。

 

「よくやったね。他はどうだい? 龍田はどうしている?」

 

『龍田は無傷のはずです! さっきちらっと確認を……って、ちょ、何してるの!?』

 

 問いかけるのは、おそらく龍田。チラリと向けた視線が、大きく見開いたことだろう。満が言葉をかけるよりもはやく続けて島風が言う。

 

『あぁもう! ……龍田がこっちに突っ込んできました! 旗艦――無傷の方の軽巡に突撃してます!』

 

 

 ♪

 

 

「えっと、私は魚雷で中破してる方を落とします。……雷撃戦よーい!」

 

 切羽詰まったように島風が言う。言葉をかけるのは、現在雷撃戦ができない、つまりは魚雷が撃てない程に損耗している天龍以外の三隻。

 魚雷を構える北上には待てと視線で伝える。島風が落とし、龍田が無茶をして一隻落とす。北上が必要になるのは、龍田が落とせなかった時だ。

 

 島風は落とす。確実に。魚雷を構えて明らかに駆逐艦の射程ではないだろう距離からそれを放った。直撃――文句なしのクリティカル。爆煙を上げて軽巡が沈んでいく。

 

「ふーん」

 

 感心した様子の北上。沈めるつもりだという意思は受け取った。しかしさほど信用してはイなかったが、有言実行とは恐れ入る。現行最強の駆逐艦と呼ばれるだけの事はある、といったところか。

 

 そして、

 

「……なくていいから」

 

 ぽつりと、龍田の声が静まり返った周囲に響く。

 すでに浮かぶ艦は島風他第一艦隊と、沈黙する軽巡のみ。軽巡は攻めあぐねているのだろう。ゆらりと幽鬼のごとく迫る敵を如何にするべきか。

 

 まるで怨念のようなそれを、どうするべきか、と。

 

 島風の立ち位置からでは龍田の顔は横顔しか望めない。顔を伏せているために、その瞳を伺うことはできない。

 しかしそれでも、“ぞくり”と、体の何処かから、“何か”が這い出てくるのを島風は感じた。

 

「心配、しなくていいから」

 

 軽巡洋艦、天龍型の天龍と龍田は、満が元いた世界における史実においても、少しばかり特殊な生まれ方をした。一番艦の姉は天龍である、が先に竣工し、海に出たのは龍田なのだ。

 この世界でも、偶然ながらそれは同様だった。そして史実における彼女たちと、この世界で艦娘として生まれた天龍型の姉妹には、大きな違いがあった。

 

「天龍ちゃんは、何も心配しなくていいんだよ」

 

 ――それは周囲の環境だった。

 “軍艦”天龍と“軍艦”龍田が生まれたのは1919年。八八艦隊計画下においてのことであり、多くの軍艦が生まれ、そして沈んでいった日本最大の戦争、太平洋戦争の時点ではすでに旧式艦であった。それでもなお前線にたつ彼女の扱いは“古株”と呼ぶにふさわしいものだっただろう。

 だが、この世界では違う。現行の艦娘のほとんどは第二次大戦で活躍した軍艦が元となっている。つまり、その当時旧式であった天龍型はこの世界において“生まれながら旧式として”生まれてくるのだ。

 

「天龍ちゃんを悪く言う奴からも、天龍ちゃんを傷つけようとする奴からも、あらゆるものから守ってあげる」

 

 燃費の良さという利点から、比較的遠征用の水雷戦隊旗艦として重宝される彼女たちであるが、それでも建造当初の天龍型は、戦闘での活躍を期待されたのである。

 

 ――龍田の小さな怨嗟を聞き取れたのは、誰もいなかった。深海棲艦はたとえそれが聞こえていても、理解することはできないだろう。それに龍田は満達にすら聞こえないよう、言葉を漏らしていたのだから。

 

「だから、」

 

 龍田は少しだけ、加虐趣味の気がある。それは天龍の戦闘馬鹿のようなもので、単なる彼女の一面に過ぎない。

 しかし、それを彼女の本当にしなくてはならない環境があった。だから、彼女はあらゆる存在を敵に回してでも、大切な姉を。

 

「お前はここで、ごみくずのようにボロボロになって、二度とその怨念すらも上げられないほど徹底的に破壊されて――」

 

 天龍を、守らなければならないとおもったのだ。

 

 深海棲艦の魚雷が、必中となりうる距離にまで龍田は接近した。それほど龍田が近づくまで、軽巡ヘ級は身動きを取ることができなかった。

 真意をはかりかねていたから。そしてそれ以上に、得体のしれない感情を、龍田に対して感じていたから。

 

 敵の照準が龍田に合うということは、龍田も同様に的に照準を合わせたということ。

 ヘ級が魚雷を放てばすべてが終わる。龍田がダメージを受け、そしておそらくヘ級は沈む。たとえ沈まずとも、北上の魚雷を受ければそれで終わりだ。

 

 どうしようもない状況だったから、

 どうしようもないほどに、龍田の存在があったから。

 

 撃った。魚雷を、ほぼ龍田と同時に。

 ――そして見た視線を上げた龍田の瞳を。それは、莫大な殺意と、すこしばかりの悔しさでもってできていた。哀しい、眼をしていた。

 

 だから、と龍田は続ける。言葉を、軽巡に伝えるように、しかし誰にも聞こえないように。

 

 

「――――死ね」

 

 

 それから少しして、戦闘が終わった。南西諸島沖でのこの戦闘は、完全勝利と呼ぶことは到底できないものだった。

 

 

 ♪

 

 

 戦闘の結果、龍田は天龍と共に中破、北上はどちらかといえば中破よりでない小破。唯一無傷だったのは島風のみだ。とはいえ彼女にも出撃に拠る疲労がある。完全に万全とはいえない。

 

「……正直、何が何やら。これだけ艦隊が傷ついて果たしてこれは勝利なのかな」

 

 今までが順調だったが故の質問。味方が傷ついて、しかしそれを勝利といえるのか。満にはよく解らなかった。知識も、経験も足りていないのだ。

 

「文句なしの勝利ではありますよ。敵艦隊を殲滅できれば十分です」

 

 赤城の言葉を受けながら、司令室から伺える空を見上げる。日が傾いてきた。島風たちが帰ってくるのは夜頃になるだろうか、一息つくにはいいだろうと、なんとなく判じる。

 

「それに、どれだけ万全の体勢で出撃しようと、判断を見誤れば艦娘は沈む。ですから、」

 

「……たとえどれだけ大破しようとも、誰一人欠けず帰ってきた艦隊をねぎらうことが提督の仕事、か」

 

 かつて赤城から教えられた提督の心得、復唱しそして現状から理解を得てようやく心の奥にストンと落ちた。

 

「赤城はすごいな。僕は君がこうして側にいなければ、これから帰ってくる艦娘達に、何の言葉もかけられなかったかもしれない」

 

 ぽつりと漏れだした言葉。はっとしたように赤城が目を見開く。満はそれに気が付かなかったが、それでも何か、赤城の雰囲気が少し変わったように感じた。

 

 それから、

 

「……ありがとうございますね、提督」

 

 言葉を返した赤城は、笑っていた。とてもやさしくて、少しだけ嬉しそうな笑顔。鈍い満でもそれは解った。赤城の笑顔が、可愛かったから。

 

 司令室は沈黙する。

 気まずいからか、はたまたそれ以上の言葉が必要ないからか。

 

 空には甘いオレンジのような黄昏色が拡がって、雲は地平線の向こう側へと吸い込まれてゆく。日が沈めばきっとこの世界は昨日のものになってしまうだろう。たった一瞬しか無い夕暮れは、人を照らす心のあり方と和る。

 

 うつろいゆく感情は、一瞬のもの。一日のほんのひと時しか無い、しかもそうならない時すらある茜色の空は、幻想的だ。人の心を現すかのように。

 

 ――そんな沈黙を破ったのは、赤城に舞い込んだ一つの連絡だった。

 

「はい、なんでしょう」

 

 穏やかな声で応じた赤城。それがゆっくりと会話をつなげるにつれ少しばかりの焦燥を覚えるようになっていく。

 様子をみれば尋常でないことくらい解る。想定外の事態だろう。

 

「ですが現在私たちの鎮守府では軽巡三隻が損傷。戦力が低下しています」

 

 満の向かう視線は、赤城の焦りを覚えた表情に向く。

 報告を待つしか無い。会話の断片から、状況を把握するしか無い。

 

「私の出撃は……現在兵装が届いておりませんので不可能。そうなると、駆逐艦のみでの出撃となります」

 

 ――赤城の出撃不可。

 ――駆逐艦のみでの編成で出撃。

 

「重巡一隻がこちらに……それでも厳しいのでは。……いえ、そうですね、時間が稼げれば十分、戦術的勝利でも十二分ですか」

 

 重巡は確か、重巡洋艦という、軽巡よりも更に砲雷撃戦に特化した艦種。火力においては基本的に軽巡の上位互換といえばよいのだったか。

 駆逐艦六隻に、重巡一隻。しかも旗艦は島風となれば、今までのような敵であれば十分に殲滅が可能なはずだ。

 だというのに、赤城の出撃すら打診され、この戦力で厳しいと言われる艦種。駆逐艦、軽巡、重巡、雷巡、そして――――

 連想してすぐに思い浮かんだ。まったく確信など持ってはいないが、おそらくそれが正解なのだろう。

 

 直後に連絡が終わる。

 相手方の声が聞こえなくなって、赤城が一つ嘆息をする。緊張が解けた状況に、再び、しかも先ほど以上の緊張を要する案件ともなれば、無理もない。

 満も、一つ唾を飲み込んで赤城の言葉を待つ。

 

 一度眼を閉じて大きく息を吐きだして、それから赤城が言葉を投げかける。

 

「海軍本部より命令が下りました」

 

 たんたんと、事務的な口調。

 満に言葉はなく、赤城はそれから一拍おいてさらに続けた。

 

 満の推測と、赤城の言葉は一致していた。それもまったくもって最悪と言っていいような形で。

 

 

「――“戦艦”ル級が製油所地帯沿岸に出現、地上輸送ラインに出現とのこと。海上護衛作戦でもって、これを防衛、戦艦ル級を撃滅せよ――とのことです」

 

 

 艦隊決戦の花形。最強の火力を持つ海の支配者。戦艦。その一隻が満達の前に出現した。敵は戦艦、これまでのような、同格ないしは、格下の相手では決して無い。

 南雲満はこの瞬間、最初の大きな勝負どころを迎えていた。




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、祝日の後半戦に向けて意識を高める皆さん、こんにちわ!

例えばこんな天龍龍田。そして次回への引きでお送りしています。

次回更新は9月25日、ヒトロクマルマルにて。よい抜錨を!


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『10 製油所地帯防衛戦』

 艦隊決戦の主役。戦艦の出現は鎮守府全体を大いに忙しくさせた。旗艦として出撃した島風が北上達を置いて急遽一隻で帰投、休息に入る。北上たちは帰還次第順次ドッグに入渠と相成る。優先されるのは回復にさほど時間のかからない北上だ。

 

 同時に、翌朝出撃の防衛作戦が決行することとなった。出撃するのは旗艦島風、及び第六駆逐隊の駆逐艦四隻と、到着予定の重巡一隻だ。

 この目的は端的に言えば赤城の装備到着までの時間を稼ぐこと。秘書艦として鎮守府に配属され、出撃の予定が一ヶ月後となっていた赤城はそれに合わせて装備の準備をしていた。そのため現在は出撃することができず、この緊急事態においてそれを解決する必要が出てきた。

 

 島風達は戦艦を排し、製油所地帯から撤退させればそれで良い。加えて戦艦の到着は明日の昼ごろだそうだ。それまでに準備を終えればいいという状況は、多少の余裕はある。

 想定外でこそあれ、切羽詰まった危機ではない。それでもとにかく、末端にして戦闘の主力である満達の鎮守府は急な行動を要した。

 

「ただいま帰りました提督! おやすみなさい!」

 

 報告に来た島風がドアを開いてそのまま一言だけ言って去っていったのが印象的なほど、あらゆる人員がせわしなく鎮守府内を動き回っていた。

 満も赤城とともに南西諸島沖警備に要した資材やこれから必要となる資材に関する書類の確認に余念がない。

 

 島風の帰還から一時間ほど遅れ、北上他三隻も無事帰投した。報告に訪れたのは龍田と天龍の二人。北上はすでにドック入りしているようだ。

 

 司令室を訪れた二人は中破し、多少服装を乱していたのだが、朴念仁を持で行くデリカシー皆無人間の満はそれを完全にスルー、龍田の無茶などをひと通り説教すると、二人をドックに向かわせた。

 その間、彼の視線は二人の眼だけを見ていた。これが赤城の肢体であれば大分事情は違うのだろうが。

 

 ある程度の確認が終わり、今日の内にできる作業も凡そ終わった。そんな時だった。鎮守府に一人の艦娘が訪れたのは。

 

 司令室を訪れたその艦娘は、明日配属が予定されていた重巡洋艦。本来であれば早朝におとずれていたはずだというのに予定を前倒しし、日もくれて月が天頂に至ろうかという時刻での到着。にも関わらず彼女は優しげで表裏のない笑みを浮かべてその名を告げた。

 

 

「重巡洋艦、高雄型の二番艦愛宕です。覚えてくださいね? 提督!」

 

 

 ♪

 

 

 砲弾が暁の横をかすめる。小さなダメージだ。衝撃はどこか現実的でなく、気にすることなく暁は主砲を構える。

 

「てぇー!」

 

 振りぬくように放たれる12.7cm、勢い紛れの海を切り裂く弾丸が敵艦をえぐり飛び跳ねどこかへ消える。こちらも致命傷とはいかない。ギリギリ小破寸前程度のダメージ。少し遠くからの射程であったために手元がブレた、島風ならば外さないのだろうが――

 

「どいて!」

 

 思考した瞬間、噂に影が差すかのように島風の声が暁に向けて放たれた。即座にその場から飛び退く暁。その後を追うように、島風の主砲が先ほど暁の抉った敵駆逐ハ級を襲った。

 爆発、そして炎上。急所に大きな一撃をもらったために、ハ級が沈んでいったのだ。

 

 島風を見る。暁よりも更に後方から、明らかに片手間と言った様子で主砲を放ったのだ。なにせ移動中に主砲と視線だけを向けながら砲撃を行っている。今も彼女は移動をつづけ、次の目的に狙いを定めているようだった。

 振り向いた瞬間、ほとんど島風は移動していない。その時みた彼女の大きさと、駆逐艦の大きさはほぼ同等のようだった。

 

 敵わない、そう感じながらも手を止めず周囲の状況を確認する。

 現れた敵は敵の前衛艦隊。軽巡ヘ級一隻に駆逐ハ級が一隻とロ級が二隻。さすがにこれらを打破することは対して難しいことではない。

 気がつけば残っているのは、雷と電が二人がかりで落とそうとしている、最後の駆逐艦のみであったようだ。

 

 愛宕は一撃で敵旗艦を葬った。

 響が偶然か、はたまた必然か敵の駆逐を一隻開幕直後に沈め、残り三隻との対決となったそれは、どうやら雷撃戦を待つこともなく終了したようだ。

 

 大きな炎が吹き上がる音がして、最後の一隻が海の藻屑とかして消えてゆく。ひと息入れてその上で、暁は一度空を仰ぐのだった。

 

 

 ――第六駆逐隊、特Ⅲ型駆逐艦『暁』他四隻は、ごくごく平均的かつ優秀な駆逐艦である。その性能は島風に及ばないとは言わない程度の良好なもの。戦闘においては艦隊決戦の主役、戦艦や正規空母などの大型艦に一歩譲る感はあるものの、けしてそれらと共に戦場を駆け抜けることは不可能ではない。

 端的に言ってしまえば、磨けば光る艦娘である。

 

 しかし、それが現状の彼女たちに伴っているかといえば、残念ながらそうでもない。今回の戦闘においても、開幕で駆逐艦一隻を沈めた響はともかく、雷と電は二人がかりでの勝利、暁は多少の被弾を覚悟ではなった一撃も、敵を穿つには至らなかった。

 実験的な兵装を積んでいるという事情があるために、他の暁型よりも少しだけ性能が上の暁でさえ、だ。

 

「……少しだけ、考えてたことがあるのです」

 

 移動中は、第六駆逐隊を中央に、愛宕と島風がそれを挟む形で移動する。周囲に島等による影が生まれず潜水艦などの存在も確認できないため、海は比較的静かだ。暁達の小声に拠る会話が聞こえない程度、といったところか。

 島風と愛宕もぼんやりと移動しながら海か空を眺めているようで、暁達には意識を向けてはいない。

 

「きっと、島風ちゃんは私たち以上に厳しい戦場を、私たち以上に活躍して駆け抜けてきたと思うのです。それはセンスや性能なんていう基礎的なものだってあるとは思います。それでも、それ以上にきっとあの人は、運が良かったんだって、そう思います」

 

 どれだけ準備をしても、どれだけ万全の状態で戦っても、艦娘は沈む時は沈んでいく。それはたいてい、油断であったり、実力のみ誤りであったりするものだが、その中でも最も多い原因は、やはり運なのだ。

 幸運に恵まれれば生き残る。恵まれなければ、たとえどれだけ厳重に守りを固めても、あっけなく沈む。

 

「……私たちみたいな駆逐艦ならそうかもしれない。無能な提督が判断をミスすれば沈んだっておかしくない。でも、戦艦や空母みたいな、すごい人たちが、ふつう沈むなんて思えない!」

 

 雷の言葉も最もだ。最強とされる戦艦や、空母が沈むなんて状況はきっとだれだって想像できないものだろう。しかしそれは、ある種はっきりとした幻想でもあるのだ。

 

「知ってる雷?」

 

 割って入るように、響が雷に声をかける。

 

「これまでに大きな艦隊決戦は何度かあった。世界中で、二年に一度くらいは人類の進退を決める戦闘も置きている。それは誰もが知っている。けどね、そこで沈んだ艦娘の名前は、だれも知らないんだよ」

 

「え、それ、どういうこと?」

 

「単純な話、艦娘は大きな戦争があれば必ず一隻か二隻は沈む。ここの司令みたいによほど優秀な提督じゃない限り、功を焦って、無謀を選ぶ」

 

 その際沈んだ艦娘の名は伏せられる。沈んだことすら公表されない。そのほうが軍部にとって都合がいいためだ。深海棲艦との戦争が膠着化し、早幾年、世論の楽観的な感覚もようやく根付いてきたところで、末期感を煽る訳にはいかないのである。

 

「先代の駆逐艦暁も、駆逐艦雷も、駆逐艦電も、すべて沈んで除籍している。けれどもそれを、果たして誰が知っているんだい?」

 

 それは、暁達にとって初めて聞く、先代特Ⅲ型駆逐艦の終焉だった。先代の存在は聞いていた。響が彼女たちと交流を持っていることも知っていた。だからこそ、きっと何処かで生きているのだとばかり思っていた。

 衝撃が走る。明らかに雷の瞳が動揺し、揺れた。誰も知らない秘された事実。

 電は、そうではなかった。きっと予測はついていたのだろう。深海棲艦との戦争の歴史に詳しい彼女は、きっとある時を境に、先代電が戦史に登場しないことに気がついていたはずだ。そしてその意味を、理解できないほど彼女は愚かではない。

 

「……やっぱり、ね」

 

 そして暁は、そうやってやれやれ、と言った様子で嘆息する。なんとなくではあるがそんな気はしていた。別に難しいことではない。暁よりも遅くに雷として生まれ出た艦娘には、底に至るまでの時間が足りなかったのだ。

 

「私たちは、もっと強くなるべきだと思うわ、きっと。私は絶対に海の底には行きたくない。それに司令もそんなこと望んでないと思う」

 

「……今まで、いろいろな艦娘がいろいろな海戦で散っていったと思うのです。けれどもそれはきっと無駄ではなくて、私たちはそんな昔から繋いできたリレーを、一艦娘として、守っていかなきゃ行けないと思います」

 

 暁の言葉を継ぐように、しかし電は自分自身の言葉でそれを語った。知識を得ようとして、誰よりも好奇心旺盛な彼女らしい言葉だった。

 

「うふふ、なんだか電もそれらしい言葉を使うようになったじゃない。私ほどじゃないけど、立派なれでぃーになってきたんじゃない?」

 

「……そ、そうですか?」

 

 無い胸をはる暁に、少し気恥ずかしげな電。――響はそれを、少しだけ新鮮そうな眼でみていた。それから、帽子をめぶかにかぶってポツリとつぶやく。

 

「強くならなくちゃ、だね。暁、雷、電。私たちは、強くなるべきだと思う。でもね、私はそれなりに艦娘をしてきて、少し疑問に思うことがあるんだ」

 

 どうしたの? 雷が問いかける。

 

「これでも私は、いろいろな経験をしてきたつもりなんだ。その経験の中で、いろいろなことを知ってきたつもりなんだ。でも、それが正しいのかと時々思うこともある。知るって、臆病になるってことなんじゃないかと、時々思う」

 

 落とした視線の先に、揺れる水面が映る。どこまでも広がる海面は、自分自身が今立ち尽くす場所と、先をゆく島風が立つ位置にも、これから接敵するであろう戦艦ル級の存在する場所にもつながっているのだろう。

 それが、解る。わかってしまうから、揺れる水面が少し怖い。

 

 どれだけ今が、澄んで穏やかな海であろうと、嵐が暮れば濁り、そして荒れ狂うだろう。それを知ってしまえば、単なる青一色の世界でしかない海が、とても怖いものに感じられる。同じだ。今自分が立つ場所と、戦場が同一であるということは、少し怖い。

 

 ――先ほど響が語った話にも出てきた、戦争において人民は無知であることが好ましい。それはきっと、当の本人達にしてみれば全くもって愚かしい事なのだろうが、その愚かしさを最も露見させるのが、混乱だ。

 混乱は生まれるだけで人を醜くさせる。

 大きな変化を受け入れないことに拠る混乱も、自身の生活を乱されることに拠る混乱も、同じこと。自身の愚かさを理解できずに愚鈍だと何かを攻め立てる醜態を晒すよりは、ずっといい。

 

 変化は、前向きでなくてはならない。故に、その前向きを理解できるものから変化は訪れる。響たちは、そうなら無くてはならない。

 

 だが、恐ろしさがそれの邪魔をする。何よりも、自分自身の足を竦ませる。

 

「別にいいんじゃないかしら」

 

 暁は、言う。

 少しだけ前向きな、目線で空を見上げながら。地平線の向こうをじっと眺めるようにしながら言う。

 

「知らなければ良かったことを、知らずに後悔するより、知って後悔したいなんて、強くなくちゃいえない。――だから、強くなってそう言えるようにするの。今はそれで十分じゃないかしら」

 

「……うん」

 

 そんな暁の声に、一体響は何を考えただろう。“先代の”暁を知っているであろう響が、今の暁を前にして、果たしてどんなことを思うだろう。

 

 そしてそんな最中、雷はぼんやりと宙を眺めていた。何かを探すように雲を追い、意味が無いと諦めては別の雲に目を移す。

 

「強くならなくちゃ……」

 

 一度、ポツリと声が出た。それは彼女の中にあるひとつ限りの答えへの鍵。言葉に出して考える。答えはなにか、そもそも答えとは何なのか。

 

 分からない。

 だから、

 

「――強くならなくちゃ、か」

 

 もう一度だけ言葉にだして考えて、それから再び空を仰いだ。

 

 

 ♪

 

 

「敵艦見ゆ!」

 

 先頭を行く島風の叫び。轟砲のような威勢を伴って、海上中に響き渡り消えてゆく。敵もすでにこちらを視認していることだろう。

 見れば解る。戦艦一隻に、軽巡一隻と駆逐三隻。おとなしい構成ではあるものの間違いなく今までで最も度し難い強敵だ。

 

「手筈通りに、愛宕は戦艦のおもり、私は軽巡を落としてくるから、その間に、四隻がかりで軽巡と駆逐を殲滅して、できる!?」

 

「……やります!」

 

 島風の伝令に、勢い混じりに答える暁。すでに覚悟は決まっている。この一戦を経験のための場とするのだ。強くなるために、強く、そしてあらん限りにこの戦場を駆け抜けるために。

 

 それは他の駆逐艦、響達も同様だ。

 強くなるために勝つ。そのために真っ直ぐ前を見て全力で戦う。そう心に刻んだのだから。

 

「これより敵主力艦隊、及び敵戦艦の撃滅に入ります。厳しい戦いになるでしょうが、決して勝てない相手ではないと私は思います。皆さんの全力で、暁の水平線に勝利を刻みましょう!」

 

 どこか、演説のような感覚を思わせる島風の指揮。それは艦隊の艦娘と、そして通信機越しの提督や赤城にも伝わっていた。

 

『……幸運を祈る』

 

 満の声を端として、それぞれが一列に、単縦陣を組んで行動に移る。誰もが万全といえるだけの、気運を己に乗せていた。

 

 

 そして、

 

 

 “それ”に気が付かなかったのは、ごくごく不運な見落としでしかなかった。敵の能力を見誤っていたというよりも、敵ですらそれが当たることは想定していなかったような、一撃。躱すことも、認識することも不可能だった。

 

 勝利を必定とするべく臨む艦娘達、それに水を差すかのような一瞬の出来事だった。

 

 そう、

 

「……しまっ!」

 

 ――島風の、上空を見やっての一声。

 

「…………なっ!」

 

 ――目一杯瞳を見開いての、愛宕の瞠目。

 

 誰もが予想もし得なかった場所からの一撃。敵主力艦隊と、島風達第一艦隊の間には、島風が全力で進んでも数分を要する程度の距離があった。

 それを、誰が無視して砲撃するなどと思えよう。

 

 それは、空中に浮かぶ影と、鉄色の鉛球。

 

 

「――え?」

 

 

 雷の、どこか間の抜けた叫びと同時に起こった。

 

 ――爆発。閃光が、彼女の体を貫いたのである。

 放物線を描いて到達した戦艦の主砲が、何の対応を取ることもできなかった雷を、まるごと飲み込み、消し飛ばさんとばかりに爆煙を上げた。




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、日差しが弱くなったことにあんどする皆さん、こんにちわ!

製油所地帯防衛戦。
第一部前半の転にあたる今回は、いきなり波乱の幕開けです。

次回更新は9月28日、ヒトロクマルマルにて、良い抜錨を!


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『11 戦艦ル級』

「……被害を報告!」

 

 一瞬の間意識に浮かんだ無言の空白。さっと体中から体温が消えるのを感じ、それから即座に沸騰するほどの体温が湧き上がる。それは怒りか、はたまた冷えきった思考にくべられた薪か、満は怒りが薪であるのだと、そう判断した。

 

 通信機越しに叫んだ言葉、しかし返答はない。島風は何をしているのか、おそらくは状況の確認だろうが、一刻を争う事態は、それだけ自身の時間を引き伸ばさせる。

 返答が来るのに要した時間はほぼ五秒。

 

 しかし満には、その五秒が五分の空白にすら感じられた。

 

 再び開きかけた口を閉じる。赤城に向きかけた視線を元へと戻す。熱く煮えたぎる感覚がそうさせた。スマートに、あくまで真っ直ぐ思考を回転させる。余計な不安など、今の自分には必要ないのだ。

 

 そして、

 

 

『報告! 雷、大破!』

 

 

 安堵はできない。それでも満はその報告に、大きく息を吐き出していた。沈んではいない。それならば大丈夫。もとより、沈んでいないだろうことは解っていた。ただ何か見落としはないか、それだけが満の不安を煽っていたのだ。

 慢心や油断がなかろうと、ミスは必ずどこかで生まれる。それが“今”ではないか。そんな考えが、彼の思考をよぎったのである。

 

「……了解。よく聞いてくれ、これは赤城さんから聞いた話だが、艦娘が轟沈する条件は、主に精神的な疲労によるものとされている。特に連続出撃によって疲労した場合や、中破した状態で進撃したことに拠る疲労などが、原因とされる」

 

 逆に言えば、一度の戦闘の中でどれだけ被弾し、大破しようがその艦娘が沈むことはない。この戦闘の間、雷が轟沈することはありえないのだ。

 満が気にしていたのはそれ以外のこと、何かの見落としで轟沈する可能性があった場合、この一撃で雷は沈んでいたことになる。多少の不運はあったとはいえ、その際の責任は全て満にあるのだ。もし沈んでしまえば後悔してもしきれない。当然のことだ。

 

「雷は下がっていてくれ、念のため砲撃は許可するが……おそらくは当たらないだろう。残りの五隻で敵を殲滅! 三対三は少し厳しいかもしれないが、決して動じず、戦闘に臨んでくれ」

 

『了解!』

 

 島風の声、遅れて愛宕、さらに第六駆逐隊が続いた。思わぬ障害が発生したもののここからが戦闘開始、本当の正念場だ。

 誰もが意識を切り替える。満が視線を向けた先にいる赤城も、先ほど異常に顔つきを引き締めて、満を見て頷いた。

 

 頷き返し、そして一言。

 

「改めて、幸運を祈る!」

 

 言葉とともに、島風たちを送り出すのだった。

 

 

 ♪

 

 

 愛宕は重巡洋艦の一隻であり、その中でも高性能な部類にはいる優秀な艦娘だ。さすがに島風や赤城には及ばないものの、数年のキャリアを積んだ一流の強さを誇る艦娘である。

 とはいえそれでも、戦艦の相手というのは些か荷が重いのは事実だ。

 

 雷のこともある。意識がそちらに割かれるようなことはないが、多少の動揺は愛宕も覚えた。ありえないだろうという、理不尽に対する憤りもあった。

 

 そして、

 

「……まずい、かな」

 

 それを否定するほどに、戦艦ル級は強大だった。

 ル級は一度目の砲撃から二度目の砲撃まで、多少の間隔がある。それは他の戦艦クラスにも言えることだが、とにかくそれが、この状況におけるル級の弱点になる、はずだったのだ。

 

 しかし、それがそううまくも行かない。一発目、愛宕が放った一撃はル級に直撃した。しかし急所には当たらず大きなダメージとならなかったのである。

 無理もない。愛宕のはなった距離から急所を狙い撃てるのは、それこそ島風くらいなものだ。射程が本来の愛宕のそれよりも離れていたのである。

 

 焦りがあったかといえばあった、と答えることになるだろう。雷が大破した瞬間、嫌な考えが思考をよぎった。そして煙の中から現れた彼女は、服を燃え滓のように灰にして、ボロボロに焼け焦げていた。

 本人に残ったダメージはともかく、周囲からして“見ていられない”物があったことは間違いない。加えて、多少の恐怖を与えることにも繋がっただろう。

 

 結果として、大したダメージは入らなかった。しかしそれはあくまで距離が遠のいた要因だ。たとえ多少距離を遠くしていても、直撃していればダメージは通る。しかし今愛宕の目の前にいる存在は、まったくダメージを受けているように見えない。

 

 加えて、一発目の砲撃が終わったことにより戦艦ル級の砲撃はいよいよ持ってそのタイミングを不透明にさせる。愛宕もル級も、それぞれが主砲を構えて狙いをつけている。

 どちらかが放てば直後、もう片方が砲撃を行い、互いにダメージが届くことだろう。

 その時、愛宕の一撃がル級に痛打を与えるイメージが浮かばない。もしも目の前の存在が見た目以上にダメージを受けていて、それをこちらに示さない演技をすることでそのイメージが生まれているのだとすれば、敵はより一層強大だ。厄介な相手だ。

 

 何にせよ愛宕には、勝てるというイメージが浮かばなかった。浮かべ用がなかった。それがポツリと、己の弱みを言葉にしてしまう。

 

「全然、勝てそうにないかな」

 

 普段の自分からしてみれば、驚くほど弱気な発言だと思う。無責任な言葉だとも思う。決してそれは正しくない言葉だろう。

 

「なんだか、らしくもないなぁ。こんなこと」

 

 普段の愛宕は、戦艦や重巡洋艦とともに、もっと大きな海域で自分の仕事をこなすような戦闘が多かった。誰かを守ることや、無茶な戦闘に見を投じることもなかった。

 それをポツリと漏らす。

 漏らした上で、否定する。

 

 だからこそ、それを反転させて次に繋げるのだ。たとえどれだけ絶望的な状況であろうと、それをどこまでも自覚していようと、曲げない気持ちを顕にするために。

 

「……でも」

 

 そう、つなげる。

 

「私がこれから“守っていきたいと思う人”を守ろうって気持ちは、誰よりも強いつもりなんだから……っ!」

 

 雷を。必要のないことかもしれないが、島風を、そして暁達を自分が守るのだと、そう言い聞かせて、戦闘に臨む。

 

 自身の言葉を証明へと変えていくために。

 

 

 ♪

 

 

「Ураааааааа!」

 

 バンザイ、とその意味を持つロシア語。しかしそれはもはや、神に捧げる祈りか呪いの類だ。

 響の慟哭、それとともに放たれる主砲は駆逐艦ロ級を狙う。しかし、外した。一撃は本来狙うべき射線上をそれ、どこともしれぬ海の藻屑へ成り果てる。

 厳しげに潜めた眉が響の苦渋を端的に現す。

 

「っ……!」

 

 息を呑む音。それから続いて暁が勢い良く名乗りをあげる。

 

「どいて! もう一発叩きこむ!」

 

 響に対しての宣告と、それから砲撃。銃口から巻き上がる炎が爆発的な勢いを産んで主砲からの一撃を支える。

 放物線を描く砲弾が、退いた響の横を通りぬけ高速で空白を駆け抜けてゆく。

 

 回転する弾頭。音速に迫らんとする弾丸スピードが、静止する駆逐艦ロ級へと差し迫る。そうしてそれは、音、速度、風が貫いて、衝撃だけがロ級に残った。

 

「沈めた!」

 

 顔を晴れやかに輝かせる響、その視線に対して頷く暁。それぞれが周囲に意識を向け用として、直後。

 

 電の声が、響いた。

 

 

「――危ないのです!」

 

 

 それは、爆発と同時に起こった。

 え? と漏らしたのは暁だ。突然のことに、困惑と言った様子の言葉を漏らす。状況は認識していた、それに追い付けるほどに思考が回らなかったのだ。

 

 声は、やがてどこかへと消え去って、そして、

 

 響は、

 

「……、」

 

 

 愕然とした様子で、目の前で大破した電を眺めていた。

 

 

 かばったのだ。それは駆逐ロ級――二隻目だ――からの一撃。遠くからのものであったが、運悪く響がその射線上にいた。故に、電はその前に飛び出したのだ。響をかばうべく。

 砲撃を背中で受けて、影が差すように響の前に電はいた。

 天高く昇った太陽が煤に塗れ、服を焦がした電に降り注ぐ。響はその電の顔をしっかりと覗き込むことができなかった。

 

 影故に、認識することができなかったのだ。

 

 だが、笑っているのがわかった。

 

 かつての電。

 いまの電。それらが交錯するように、響の記憶の中で融け合っていく。――同じだ。今の瞬間と過去の記憶が、同一の記憶としてデジャヴする。しかし、デジャヴではない。気のせいではない。今眼の前で電は大破している。

 

 ――あの時、電は沈んでいるのだ。

 

 ぽかんと空いた口元を沿うように、響の涙が頬を伝って海へと消える。響の瞳の中から光がすぅっと消えてゆく。

 倒れゆく電。意識はあるのか、無いのか、伺えない。覗きこむことが、怖かった。

 

 それを響が受け止めるて、ぺたん、と海の上へと放す。一度波紋が拡がって、海の波にもまれて消えた。後は、そこに響だけが立っている。

 

「……響?」

 

 大破した電へ意識を向けながらも、響にロ級を任せ雷巡へ向かおうとしていた暁が問いかける。答えはない。ただポツリと、響が何かを言ったの暁の耳は捉えた。内容は、そう。

 

 “電を”。

 

 歯を食いしばってそれから大きく口を開け放つ。眼を上方へ、顔を上げて瞳に殺意を込めて、憎しみを込めてキッと睨みつける。

 

「私の、妹を――――」

 

 ぞくりと、暁の背筋を悪寒が奔った。

 それは、初めて見る妹艦の、“響”の何かを心底恨む怒りの眼だった。

 

 

「奪って、いくなあああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!」

 

 

 直後、響の足元の水が噴出する。響が高速で飛び出したのだ。四十ノットに迫らんかという彼女の最大船速、それをほぼゼロの状態から一気に開放したのである。

 慌てて暁が電を飛沫からかばい、そして改めて響の方へと視線を向ける。

 

 響は大いに瞳を揺らし、駆逐艦と衝突しかねないほどの勢いで接近し、そして、

 

 二回、爆発があった。連続して一度ずつ。その中心にいるのは響だった。彼女もまた雷と電のように大破し、戦闘能力を失った。

 

「響ぃ!」

 

 その叫びは、沈みかけた電の意識を浮上させる。もとより朦朧としてはいたが、それが一気に認識を周囲から得るほどにまで回復させたのだ。

 

 それが、さらなる悲劇を呼んだ。

 

 雷巡へ急ぎながらも、未熟故に意識を散らしてしまった暁が、

 

 

 敵雷巡、チ級の主砲による一撃を、土手っ腹から受けた。第六駆逐隊のすべてが、大破により戦闘続行能力を、失った。

 それらを電は、間近で見ていた。現実感のない夢の様な一瞬が、泡沫のように浮かんで、消えた。

 

 

 ♪

 

 

 雷はそれを遠くから、一人眺めているしかなかった。狙いをつけても、今の自分では敵に当てることはできても、駆逐艦イ級すら屠れないだろう。

 故に、ただ口惜しく、暁達が全滅するのを、眺めているしかなかった。

 

 その後の展開は非常に単純だ。軽巡ヘ級を二発できっちり沈めた島風がその場に到着。雷巡へと雷撃戦を仕掛けた。

 

「……悪いけど」

 

 静かな言葉とともに現れた島風は、さながらヒロインのピンチに駆けつけたヒーロー、そしてその感情は、あまりにも静かな、青い烈火のようにも思える怒りによって完成していた。

 

「私の目の前で、駆逐艦を沈める敵に容赦はできないから!」

 

 発射される雷巡と島風の魚雷。全く同じライン上を、少しだけずれて走る二つの必殺は、雷巡には直接クリーンヒットした。しかし島風は回避した。回避するにもあまりに厳しい距離だったにもかかわらず、迷うことなく体を捻り、最小限の動きで魚雷をいなした。

 

 結果、雷巡チ級は轟沈。戦艦を除く、すべての艦がこれで沈んだことになる。あとは、一隻だけ。

 

 戦艦ル級を残すのみとなった。

 

 

 ♪

 

 

 にらみ合いの末、愛宕はある作戦をとるに至った。その詳細は簡単。主砲を囮とするのである。行動は即座に移した。

 

 砲撃、愛宕はそれによる両者の開戦と同時に、行動を起こす。文字通り、行動したのだ。回避行動である。

 言葉にしてみればアタリマエのこと。愛宕の砲撃と同時に戦艦は主砲を放つ。それに合わせて回避を行うのなら、何らおかしなことは――ある。

 

 回避を行うにしても、まずは砲撃の行程をすべて終え無くてはならない。そしてその時には敵の砲撃もまた愛宕を襲っている。それが本来の状況だ。それを愛宕が覆したのである。

 砲撃と同時に回避を取ることによって。

 

 これにより何が起こるか。簡単だ、回避によって射線軸をずらせば、当然あらぬ方向へ砲弾は飛んで行く。それを承知した上で砲撃を行う事により、愛宕は戦艦ル級に砲撃を“行わせた”。

 

 状況を硬直させるストッパーとなっていた砲撃という手段を、実際に行わせるよう仕向けた。自身も砲撃を行ったことにより、一度の攻撃を捨てることとなるがそれでも、意味はある。

 

 戦艦は雷撃戦ができない。重巡にはできる。雷撃能力はさすがに駆逐艦や軽巡洋艦には届かないものの、それでも直接至近距離で魚雷を急所にぶち当てれば、戦艦ル級でもただでは済まないはず。

 

「……テェ――!」

 

 そう考えての一撃だった。

 放たれた魚雷から即座に愛宕は離脱。背を向けて距離をとった後、反転。

 

「やった!?」

 

 思わずそう言葉が口をついて出る。多少の疑問はあれど、そこで愛宕は勝利を確信していた。なにせ魚雷は一発ではない。すべての魚雷を戦艦へと叩きつけたのである。

 沈んだはずだ。爆発はした、あとはそれがル級の轟沈でさえあればいい。

 

 だが、

 

 状況はそうもうまく転ばない。

 

「……うそ、でしょ?」

 

 信じがたい光景がそこにあった。

 戦艦ル級は、未だ健在。砲雷撃戦と雷撃戦をおえ、ル級は戦闘海域を離脱しようとしていた。もしもこれを追うとなれば、間違いなく夜戦となるだろう。

 

 それを決めるのは提督だが、しかし。

 

「そんな、これ。夜戦をしても、私たちに倒せるかわからないわ」

 

 ポツリと、こんどこそ本当に、奮い立たせるための二の句すらなく、愛宕は心の底から弱音を吐いた。諦めるように、つぶやいた。

 

 見れば、暁達が大破している。このまま追撃を行うのは不可能だろう。勝てはしないのだ、この艦隊では、戦艦には一矢報いることすらできない。

 たとえ戦術的に見てそれが勝利であろうと、あと一歩で敵を殲滅するというほどの、大勝出会ったとしても、戦艦を倒すことは敵わない。

 

 それが、愛宕にはわかってしまった。

 解り、そして諦めてしまったのである。

 

 だが、

 

「……愛宕!」

 

 そうではないものも、一人いた。

 島風だ。

 

「暁達の様子を見てて! ちょっと衝撃で放心してるみたいだから、先に四人を連れて撤退してもいい!」

 

 何を言っているのだろう。疑問が浮かぶ。その島風の言葉には決して、自分自身のことが上げられていないのだ。

 

「あと一歩が欲しい時、どうしてもその一歩が続かないっていうのは、誰にだってあることなんだよね」

 

 ゆっくりと速度を落としながら、島風は大破した暁達第六駆逐隊の元へと向かう。一瞬だけ響に視線を向けて、それから何かを言いかけて、紡ぐ。

 誰もが下を向いていた。特に響はそれが顕著だ。暴走してしまった。――結果として戦果を上げても、あの場所で取り乱してしまったという事実が自分を責めたてる。島風はその理由を知っている。だが、だからこそ、他の第六駆逐隊メンバーにその理由は語らない。逆に一層つらそうな顔をして、しかしそれを見せないために背を向けて、語った。

 

「私にも覚えがある。あの時自分にも何かできていたんじゃないか、そう、自分自身を責め立てることだってある。その意味は、きっとあなた達とは違うのだろうけれどね」

 

 一瞬だけ、愛宕の視線を見た。

 

「――愛宕、それは正しい結論じゃない。私達はまだ戦える。それは私が証明する。最後の最後まで戦って敵を殲滅して、どんな形でも全員が生き残って帰れれば、それでいい」

 

 まだ、解らないかもしれない。まだ、勝てないと思ってしまうかもしれない。だが、きっとそれで終わるはずはないのだ。愛宕は、重巡洋艦――艦娘なのだから。

 

「あえていう、あなた達はそこで見ていて。後は全部私に任せて。これは、命令」

 

 ――見る。今度は電だ。誰かに重ねて彼女を見る。

 

「次に、私達全員で勝利するために、今は私一人が道を開く――この道は、かつて私以外の誰かが私に築いてくれた道。私があなた達へ、あなた達が誰かへ繋ぐ道!」

 

 続けて、言う。

 

 

「私はこれより、――単騎で夜戦に突入します!」

 

 

 それは、誰もが耳を疑うような、事だった。




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、そろそろ新米が恋しい皆さん、こんにちわ!

今回はイロイロ重要な回ですが、一つだけ。
響の慟哭は、いわゆる旧日本軍の万歳的なアレです。

次回更新は10月1日、ヒトロクマルマルにて、良い抜錨を。
※思うこともあるので島風の描写を更に追加しました。


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『12 夜天の決戦』

 無茶だ、とは誰も言わなかった。

 ただ満が一言、

 

『燃料、及び銃弾の残量は?』

 

 と問いかけ、それに対し島風が端的に。

 

「十分」

 

 と応えた。それ以上満がなにも言わなかったために、誰も言葉にすることができなかったのだ。ただ、少なくとも愛宕達は誰もが無茶だと思っていた。

 戦艦ル級は強大だ。島風が如何に駆逐艦としては最高峰の性能を持っているとしても、戦艦には敵わないだろうと、そう誰もが感じているというのに。

 

 満は、決して止めることをしなかった。

 

 しかし直後、島風が地平線に消えて少し、通信の向こうから赤城と満の会話が聞こえてきた。おそらくは“聞かせて”いるのだろう。

 

『良かったのですか? 単独での進撃という判断を下しても』

 

『良かったんだよ。……赤城、僕は他人の機敏には疎いが、行間を読むチカラはそれなりに在るつもりだぞ?』

 

 続けて、満が悠然とした声で言う。それは油断でも何でもない、確信だ。――信頼、とも言えるかもしれない。そうして紡がれる彼の言葉は、果たして愛宕達への説明出会ったのだろうか。

 おそらくは、否。その目的は、残された者達への、発破だったのではなかろうか。

 

『島風は僕に進撃するかと、問わなかった。代わりに有無を言わさず夜戦に突入すると宣言したんだ。それの意味するところは、』

 

 島風のいる場所は、今暁達や愛宕のいる場所とはあまりにも程遠いのだと。

 

『――必ず“勝って帰ってくる”っていう宣言さ。僕はそれを信じただけだよ』

 

 それを最後に、通信は途絶えた。結局満の言葉は、誰に向けたものかも判じれないまま、愛宕たちは海の上に、思索とともに残された。

 

 満の判断は理解が及んだ。しかし島風が愛宕を伴わず、一人で戦艦に挑む理由は解らずじまいだ。満自身は、自分に知識がないゆえに、“島風が判断した”という理由で、それを肯定したのだろうが。

 

 沈黙、誰もが思考しているのだろう。特に愛宕は、戦艦に手が出なかった歯がゆさ故か、ふdなんであれば柔和なのであろう表情を、少し苦々しいものに変えている。

 

 またしても――そう、言いたいのだと理解できたのは、おそらく戦史に詳しい電だけだっただろう。

 

 そんな中、響がぽつりと、言葉を漏らした。

 

「……やっぱり、島風だから、かな。島風は、大破した……大破していなくとも、駆逐艦だけの編成で、海を航行させたくなかったんだと思う」

 

 あぁ、と納得したように電が頷く。他の面々はピンとこなかったものの、後にかつての戦史を調べ、納得がいった。

 

「後は、“旗艦は沈まない”から。提督はああ言っていたけれど、島風は決してただ勝てるとは思っていないと思うよ? 無茶な特攻に見えるけど、島風の行動は、最善策だったんだ」

 

 沈む可能性のある僚艦を、絶対に沈まないであろう条件で帰投させる。沈まない旗艦は、単騎での決戦を決意する。

 満は島風の行動から蛮勇ではない選択を悟った。

 そして響は、島風の行動から、安全策という名の慎重を悟った。

 

「やっぱり、遠いなぁ……」

 

 響の言葉は彼女の記憶からくる言葉だ。しかしそれでも、この場にいる誰もが、それを意識せざるをえないのだった。

 

 

 ♪

 

 

 夜天の海は黒く染められ、しかし決して光を失ってはいない。月明かりが世界を照らし、現在はマダ周囲の状況を確認できる程度の薄暗さである。

 

 島風は一人、戦艦ル級と相対していた。

 

 見た限りでは外装にダメージは見られない。愛宕のダメージがすべてかすり傷のようなものだったか、はたまたそもそも全く効いてはいないのか。

 

 前者だろうと、島風は判断をつける。一撃目をほとんど外したに近いような小さなダメージで抑えられ、二撃目は捨てられた。この二撃がすべてクリーンヒットしていれば状況も大分違っただろうが、結局そうはならなかった。

 まぁ無理もない。戦艦をクリティカル二発で沈めるとなると、おそらく島風でも多少は手間取る。それが愛宕のような中堅どころの艦娘では、なおさらだ。

 

「さてと……改めまして」

 

 周囲を漂う連装砲を右手、左手に手繰り寄せ、更に首元に巻きつかせる。いつもの彼女のスタイルだ。前方に構えた『12.7cm連装砲』を勢い任せに横に振りぬく。

 体勢を落として、構えをとるのだ。

 

「――我、夜戦ニ突入ス!」

 

 吹き上がる飛沫。島風のそれは誰よりも高く上がり、そして速く消える。あらゆる高速艦を超越した世界最速の艦艇。島風は生まれ持つスピードを最大のものとして航行する。

 立ちふさがる戦艦は、島風の倍に近いほどの背丈を持つような、巨体。

 同じ人間のような形を取る存在ではあれ、多少いびつであるのが深海棲艦だ。戦艦ル級は巨躯である。この場合のいびつが、ル級のそれ。

 

「どこから生まれてどこへ消えるのか、そんなの私は知ったことじゃない。それでも、貴方はここから、消えていなくなってもらわなくちゃ困るのよ!」

 

 戦艦ル級は答えない。沈黙し、刮目し、鎮座する。島風を見つめたまま静止し続けているのだ。すでにお互い戦闘態勢に入り、島風はル級に接近している。

 機を待っているのだろう。愛宕の時のような硬直が狙いなのか、一撃必殺を狙っているのかは島風にとって些細な事では在るのだが。

 

 やがて島風は、直線的な進行から、回転する進行へと切り替える。戦艦ル級の周囲をぐるぐると回転、迫り始めたのだ。

 速度を落として、睨み合う。徐々に徐々にと近づいてゆく。当然、島風はル級の主砲をつきつけられ続けているが、島風もル級に三連主砲を構えている。

 

 ル級がその場で島風を追い三百六十度の円を描く。

 

 互いに、油断なく相手を睨みつけたまま、時間だけが流れた。

 

「……、」

 

 勢い紛れに飛び出した島風が、そのまま沈黙し膠着している。ル級はそれをただ眺めるだけだ。手も足も出ない状況は臨むところなのだろう。焦ればそれで勝負が決まる。それを見越しての待ちという選択なのだ。

 

 愛宕がそうであったように、焦りが無茶な奇策を生む。たとえできないことが冷静に考えれば明らかであっても、思考が鈍れば行動も狂う。重巡洋艦の愛宕でさえそうだったのだ。今、島風にのしかかる軋轢を考えれば、たとえどれだけ性能が良かろうと、駆逐艦でしかない島風など、ル級にとってはどうとでもなる相手だ。

 

 もはや勝敗は決しているも同然だ。ここから如何に島風が動こうと、ル級がそれに対応して主砲を放てばすべてが終わる。島風の射程距離では、どこかで無茶をしなくては戦艦ル級には届かない。

 土台無理な話なのだ。戦艦を駆逐艦が打倒するなど。

 

 とはいえ、それがわからない島風ではないだろうに、彼女は一切表情を揺らさない。ただル級を睨みつけて状況の一瞬を待っている。

 

 暗闇に満ちた夜の海は、まったくもって静かなものだ。島風の航行する音と、ル級が回転する音。他に聞こえるのは、波の揺れるごくごく当たり前の音しかない。

 だが、その静けさが彼女たちを煽っているかのようだった。今か今かと、待ちわびるように波の揺れがたてる音は強さを増す。

 

 ゆったりと流れていた時間が加速するように、波の音が激しさを増し、少しずつ、少しずつ一瞬のスタートを両者に認識させてゆく。

 やがて落とされる決戦の火蓋は、波が彼女たちに告げるようだった。

 

 

 そして、

 

 

 島風が、少しだけ航行速度を上げる。準備を始めるように、本当に少しだけ。しかしそれはル級にも知れていた。些細な変化だが逐一彼女を見続けていたル級にそれが見抜けないはずもない。即座に照準を合わせ直そうとした、その一瞬だった。

 

「……っらぁ!」

 

 爆発的に島風が速度を上げる。曲線を描くグラフのように、最高速まで一直線に振り切っていく。それがル級の照準を、狂わせた。

 

 ありえないはずなのだ。島風があそこまで爆発的に速度を上げるなど。一度速度を落とせば、更に上げるまで時間を要するのはアタリマエのこと、どれだけ彼女が身軽で加速力があろうと、それは変わらないはず。

 

 そう考えたル級。見落としは、彼女自身の行動にあった。

 島風のしたことは簡単だ。島風のことを“些細な変化を感じ取れるほどに逐一観察していた”ル級の、間隔を狂わせたのである。

 

 人間の怨念を元にしたル級は、基本的にその性能は人間のようなものである。思考回路こそ単純だが、認識能力はまさしく人間のそれ。

 当然、人間が見逃すような、ごく微細な変化を感じ取れるほど、彼女は敏感ではない。

 

 そこを島風が突いた。

 最初、最高速に至るまでに数秒を要するはずだった島風の速度は気がつけば少しの加速さえあれば一瞬で最高速に到達するほどまでになっていた。

 間隔が麻痺していたのである。

 

 ヒントは、ないではなかった。

 静けさに支配された海に、揺れる海面の音はよく響く。故に、本来であれば気がつくべきだったのだ。波の音が激しくなっていたことに。

 あれは単なる自然現象ではない。島風の行動によって引き起こされた人為的なものだったのだ。

 

 結果、ル級は島風を見失った。改めて発見し、照準を合わせようとしてももうダメだった。

 島風の動きはまさしく変幻自在だ。ただ回転し戦艦をかく乱しようとしているのではない。小刻みに速度を上下させ、更には前進と後退すら使い分ける。

 

 そうなってしまえば、島風を捉えることはもとより不可能。やもすれば、万全の状態で待ち構える戦艦ル級すら、島風はかく乱してしまえるのかもしれない。

 

 しかし、それを島風はしなかった。あくまで万全の状態で、最善の行動を彼女は取ったのである。混乱するル級を、意図的に作り上げたのだ。

 

 これが、戦艦と駆逐艦という性能差にあぐらを書いたル級と島風の決定的な違い。

 圧倒的なまでの実力を持つ、一鎮守府“主力艦隊旗艦”島風と、単なる“一戦艦”程度の性能しか持たない、戦艦ル級との凄まじいまでの格差。

 それが、この戦闘の上位と下位を決めたのだ。

 

 しかしそこまで実力差があろうとも、最後の一瞬を決めるのは両者の幸運である。

 

 不幸なことに、島風はその戦闘でミスとは言えない失敗をした。それは、ル級ががむしゃらに振り回した主砲が、ごく至近距離まで接近した島風を捉えたのである。

 全くもって偶然に、今まさに主砲を放とうと構える島風の直線上にル級は主砲を構えたのだ。

 

「なっ、しま――!」

 

 驚愕するが、もう遅い。島風を捉えた砲撃は、彼女に寸分違わず突き刺さるだろう。ル級は勝利を確信した。即座に砲弾を発射する。これで島風は、おしまいだ。

 

 

「――――なんて、ね」

 

 

 愕然とした島風の表情が、ル級の判断と同時に不敵な笑みへと変わる。まるで待っていましたとばかりに、彼女は構えた主砲を“振りかぶる”。

 それは愛宕のしたことと同じだ。ル級に主砲を無駄撃ちさせる。その上で、次の一撃を無防備な戦艦ル級へとたたきつけるのだ。

 

 足元をくるりと滑らせて、体を真横へと移動させる。不安定な体勢だが、海面の上に“浮き続ける”機能を持つ艦娘は、それを一切問題としない。

 ほぼゼロ距離で、島風はル級の主砲を見た。しかしル級の主砲が向けられた先に、島風はすでに存在してはいなかった。

 

 直後、爆破。

 

 茜色の煙と閃光が、少しだけ主砲から距離をとった島風を襲う。衝撃が体を包んだ。駆逐艦である自分の体に、戦艦の主砲は反動すらきつい。

 しかし、それ以上の問題はなにもなかった。

 

 もはや、島風を止める者は誰も居ない。

 

「島風のスピード、堪能いただけたかな?」

 

 囁きかけるように問う。答えはない。在るはずがない。島風は構わず主砲を向ける。12.7cm、構えられた左右の二門。

 

 寸分違わず、ル級を捉える。

 ル級は、動かなかった。その行動は果たして意地によるものか怨嗟によるものか、それを判断できるものはいない。

 

 爆発は、二度。

 島風の砲撃によって――起こった。

 

 それが、長い長い一日を終える、最後の砲撃となるのだった。

 

 

 ♪

 

 

 それから一ヶ月とさらに半月は、差して大きな出撃もなく過ぎた。満の鎮守府に配属された艦娘はそれぞれ自身の強化等に励み、来るその時を待っていたのだ。

 

 もとより、彼女たちがこの鎮守府に集められた最初の目的、それは南西諸島沖周辺で活発化していた深海棲艦の沈黙。

 その主力艦隊がある時期に現れることは想定されていたため、準備は入念に行われてきた。

 

 集大成としての艦隊決戦だ。

 

 作戦名、『南1号作戦』。

 南西諸島防衛ラインに出現が予測される敵主力艦隊を、鎮守府の最大戦力を持って打倒する。

 

 結果として、戦艦ル級の襲来はその前哨戦と相成った。それぞれの艦娘に大きな苦渋を残して。

 出撃できなかった軽巡洋艦。大破し戦線から離脱するしか無かった駆逐艦。島風に拠る戦艦の打倒に随伴できず、見守ることしかできなかった重巡洋艦。

 

 それぞれに、後悔は多々あるだろう。それが艦娘達への発破につながり、さらなる前進をもたらすのならば、それでいい。

 それこそが最善なのだと満は思う。

 

 刻一刻と迫る決戦の時。それぞれの思いは、一様に戦いへの熱意へと向いていた。

 

「……聞こえているかな、赤城さん」

 

 通信機越しに、満と赤城は会話をする。おそらくは初めてのことだ。普段ならば横に立って控えているはずの秘書艦が、今はいない。

 

『えぇ、聞こえていますよ』

 

「なら良かった。こちらの通信が届かないばかりに、判断を間違えてもらっては困るからね」

 

『お、言ってくれるね!』

 

 横から、割って入るように島風が言う。

 満は少しだけ不敵に笑うと、それに対して物怖じせず応える。

 

「僕は君たちの提督だ。すべての決定権は僕にある。僕はそのために、間違えるつもりはない。勝利だけを求めるつもりだ」

 

 通信の向こう側には、六隻が艦隊を組んでいるはずだ。

 軽巡、北上、天龍、龍田。

 重巡、愛宕。

 

 加えて旗艦の島風と――正規空母、赤城を加えて六隻の艦隊。丁度こうなるように、この鎮守府には配属が決まっていた。

 

 全力出撃。満を持して最強の空母、一航戦赤城が戦場に出るというわけだ。

 

「さぁ第一艦隊……いや」

 

 この名前は、おそらく今日初めて口にすることになる名だ。

 ある程度、内々のうちに赤城や島風と決定していたことではある。しかし、それをいざ名乗るとなると、少しだけ感慨深い物があった。

 

 海に沈んで、命を落とし、気がつけばこの世界で提督なんていうものになっていた。何の因果か仲間に恵まれ、ここまでやってくる事はできた。

 経験を積んで、果たして自分はどう変わっただろう。通信機の向こうで言葉を待つ赤城は、南雲満という人間をどう思うだろう。

 

 分からない、がそれでも、だ。

 

 これからも、きっと多くの戦場を満は艦娘達と駆け抜けることになる。その行き着く先がどうなるかは誰にもわからない。

 ただ、決して悪い結末にはならないはずだと、そう心に留めて。

 

 大切な人と、大切な世界を守りたい。それはきっと、死んでも変わらない、満が持つ彼なりのパーソナリティなのだから。

 

 

「南雲機動部隊、出撃!」

 

 

 高らかに宣言された言葉は、通信機を通じて海の向こうへ、世界中に広がる水平線へと、消えていく――――




ヒトロクマルマル。提督の皆さん、大分早くなってきた夜更けに寒さを感じる皆さん、こんにちわ!

ようやく、南雲機動部隊の名前を出すことができました。
とはいえ現在の状態が完成形ではないですけれども。まだ出てない艦種もいますしね。

次回更新は10月4日のヒトロクマルマルです、よい抜錨を!

PS.ご指摘がありましたので、支障がない程度に今回の単騎特攻の理由付けなどを記載しました。
なお、これ以上のフォローはすでにプロットがあるのです。今回のこれは前振りのような形になりました。


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『13 南雲機動部隊』

 島風他第一艦隊、改南雲機動部隊は出撃から少しして、ようやく敵艦隊と衝突した。もとより強力な敵主力艦隊との決戦を見越し、最小限の戦闘で行動するべく動いていたため、それが成功すればおそらくこれが敵主力艦隊を前にした前哨戦となるだろう。

 

 赤城の索敵によって敵艦発見に成功した機動部隊は直後、単縦陣で戦闘態勢に入り進撃する。緊張が高まるなか、開幕は赤城によって行われた。

 

「……よし、第一次攻撃隊、発艦!」

 

 宣言と同時。自身が持つ弓に矢をつがえる。矢の先端は航空機を催したものとなっており、中には兵器妖精が操縦を担当するべく控えている。

 

 敵艦隊へ。

 空母赤城から。

 

 開幕爆撃に拠る痛打を与えるべく構えられた線条の攻撃。

 一度だけ目を細め、遠くを見るようにして赤城が狙いを定める。もとより空中での飛行はかのうであるがそれでも、ここで狙いを外すつもりはない。

 確実に“討つ”そんな願掛けのような、赤城特有の動作だった。

 

 おそらく、かつての赤城を耳に聞く電であれば、目を輝かせたことだろう。それは赤城の癖のようなものだからだ。

 

 そして、風を切り裂き赤城の艦載機が射出、発艦した。

 衝撃によって赤城の長い黒髪がなびく。揺れる海の波間のように、風が薙いでそして消えていった。

 

 戦闘開始の合図。島風と北上が、それぞれ『12.7ミリ機銃』を構えた。

 『12.7ミリ機銃』は端的に言ってしまえば“対空のみ”を主眼においた兵装だ。今回出現が想定されているのは空母系の艦種だ。その艦種が放つ艦載機を撃ち落とすことで、少しでも被害を減らすのが目的である。

 兵装の中には火力を保った上で対空に特化する兵装も存在するが、それは島風と北上以外の艦娘が装備しているものである。

 

 これは単純に、戦闘スタイルによる兵装選択だ。

 島風は高速戦闘を得意とするためとにかく動いて数を撃ち放ったほうが強い。そして北上はそのトリッキーな戦闘スタイルから、ただ主砲を放つよりも、戦場を駆け抜けたほうが活躍が見込める。

 これらの点から、兵装の軽量化などを考えての選択となった。

 

 行ったのは満。彼が初めて下した、出撃と撤退あるいは入渠などの当たり前の行動以外の判断であったようだ。

 

 かくして戦闘は開始される。

 敵艦隊には軽空母――コストが正規空母よりも安い代わりに、性能が劣る空母だ。中には正規空母にせまるほどの火力を持つ軽空母も存在するが――が確認された。

 正規空母の姿はない。

 

 もとより、敵主力艦隊以外は島風達からしてみれば道端の雑魚も同然。勝たなくてはならない。それもできる限り被害を最小限にとどめた上で。

 

 戦闘は、島風たちの機銃、愛宕達が有する対空特化の高角連装砲による敵艦載機撃墜から、始まった。

 

 

 ♪

 

 

 一斉に弾丸が放たれる音が周囲から響く。十センチ以上の口径を持つ高角連装砲は主砲と同様に大きな発射の音を要するし、連続して響き渡る機銃の音は、海を揺らす振動のようだ。

 加えて、艦載機の爆撃も周囲に塗れて落ちて、音を大きく鳴り響かせる。

 

 世界が音で染め上げられて支配されたかのようだった。

 

 北上の耳元を通り過ぎる爆撃がある。辺りはしない。機銃で撃ち落とした艦載機の置き土産だ。それが偶然、移動した先で北上を見舞ったのである。

 無言でそれを見送ると、飛び出した島風に続いて後を追う。

 

 赤城の艦載機が空を過ぎ去るのが見えている。敵空母と同様に、赤城もまた開幕爆撃を終え、そして今は帰還するところだ。

 さすがに無傷とは言わないものの、明らかにこちらが撃墜した後に残った敵空母の数よりも圧倒的に多い。赤城が発艦させた数と、敵空母が襲来させた数は、ほぼ同数どころか、空母の数が多いせいか幾分敵のほうが数が多かったというのに。

 

 周囲を飛び交う艦載機は、完全に赤城たちに制空権をもたらしていた。

 

「さすがに練度が低いですね」

 

 とは、敵空母が放った艦載機を自身が装備していた高角連装砲で撃墜しながらの赤城の一言だ。他の艦娘がそれなりに砲撃を外していた――島風と北上は外すことが前提なので例外だ――というのに、彼女はすべての砲撃を艦載機に直撃させ、葬っていた。

 

「……敵艦見ゆ!」

 

 改めて、と言った様子で島風が言う。目視に拠る敵の確認が為されたために、本格的に戦闘行動を開始することとなる。

 そうして見えたのは、赤城によってもたらされた敵艦隊の惨状だった。

 

 軽空母二隻、ウチ旗艦ではない方が撃墜。

 重巡一隻は無傷。しかし駆逐艦二隻のウチ一隻が沈んだ。更にはもう一隻も、多少ながらのダメージが見受けられる。あまり変化はないが。

 

 とかく、こちらのダメージがせいぜい龍田と天龍がかすり傷を受けた程度だというのに、この被害は圧倒的だ。たった三隻対六隻の島風達。勝負など、見るまでもなく明らかだろう。

 それでも手を抜くつもりはさらさら無いが。

 

 最初の砲撃は最もこの中で射程の長い愛宕。主砲に拠る狙いをつけて、同一の艦種、重巡リ級を穿たんとする。

 砲撃は、一発。

 直後に、一発。

 

 リ級のそれと、愛宕のそれが交錯し、駆け抜けてゆく。

 即座に回避行動を取り、直撃は免れる。しかし自分にそれができた以上、敵にできない理由はない。重巡リ級には一撃が届かなかった。

 

 しかし、それはある程度想定済みのことだった。不意を打つ一発ではない。敵に同一のタイミングで返される危険はあった。しかし構わずそれをしたのは単純に、リ級の砲撃を終わらせたかったからに過ぎない。

 愛宕達は六隻いるのだ。リ級達は三隻しかいない。それはつまり、リ級の攻撃が終わってしまえば、敵の攻撃回数は残り二回。対し愛宕達には後五回の攻撃が残されている。

 

 その間に、最低でも中破までに持っていけばいい。雷撃戦を不可能なだけの打撃を与えれば、後は島風ないしは高い雷撃能力を持つ味方艦が沈めるだろう。同様に、駆逐艦は――おそらく難なく沈められるだろうが――最低でも中破させてしまえばいい。

 敵を殲滅する理由はない。あくまで敵主力艦隊の撃滅が今回の目的なのだ。

 

 統率を失った敵艦は、日常的な漸減作戦により殲滅される。湧き上がる敵にふたをするような形で対応し続けることで、今の膠着は生まれているのだ。

 

 とかく、それに応じて北上がまず動き出す。島風はほぼ無傷の駆逐艦を狙った。敵駆逐艦の射程外から、その精密な砲撃でもってなすすべもなく撃沈させるだろう。

 

 故に北上が狙うべきはどこか、赤城に空母との戦闘を行わせ、艦載機を無駄に浪費させるわけにもいくまい。天龍と龍田に後を任せる形で、軽空母へと砲塔を回頭させる。

 機銃を脇に構えて体を落とすと、速度を上げて前方へ進んだ。

 

 軽空母の姿が見える。艦載機が射出される。口元に浮かぶ黒点から、現れるように、鉤爪のような不気味な艦載機が発艦される。

 空に響く羽音が、北上の耳を叩いて抜ける。

 

「……うるさいなぁ」

 

 嘆息、同時に機銃を空中へと向ける。考えは在る。あの艦載機たちをやり過ごし、無防備な軽空母に一撃を叩きこむのだ。

 そのためにも、煩い飛行の雑音をかき消さなくてはならないだろう。

 

 構え、射出。

 連発して叩きつけるカーテンの如き弾幕が、広がり、間を置いて周囲を覆い尽くす。一箇所に連発しては、また別の箇所に連発。それを何度も、何度も何度も繰り返す。

 

 指揮者の奮う指揮棒のようなそれは、あらかた艦載機が回避行動を取るまで続いた。

 そこから間髪入れず、前方に構えた機銃を横に構えて体を極端にかがめる。水面と垂直になるような態勢でかけ出した少女は、そのまま空母が放つ艦載機の下を駆け抜けてゆく。

 

 蜘蛛の子を散らした上で、その空いた隙間を縫って駆け抜けてゆくのだ。相手はしない。通常行うように、回避して、回避して、回避し尽くすような戦法は、北上のトリックスタイルには似合わない。

 花形とすら言えるような可憐な舞は、島風の仕事だ。北上は、人を唖然とさせるような曲芸でもって敵を仕留める。それが“彼女にしかできない戦闘”だ。

 

 『12.7mm機銃』は、それぞれのスタイルに沿って配布されたシロモノだ。その中で、高性能とハイセンスによる正攻法の戦略を得意とする島風と、己の性能を最大限“犠牲にして”何かから逆行するような戦術を得意とする北上に、それが配布されたのは数奇なめぐり合わせといえるだろう。

 

「なんていうかな、甘い砂糖の中に隠し味として入れられた……」

 

 軽空母の目前にまで到達した彼女が、そのまま主砲を構えてつぶやく。甘味の花形と、それを支える曲芸師。

 とはいえ、サーカスの花形は、きっとその曲芸師なのだろうが。あいにくここは、命をチップに戦う戦場だ。

 

「――塩、みたいな」

 

 自分自身をそう例えて、それから更に砲撃を行う。

 

「ハッハッハ」

 

 マイペースが故に、少しばかり真剣味を感じられない、しかし本人にしてみれば最大限最高潮と言える笑い。そして、

 

「敵旗艦、討ち取ったりぃー!」

 

 調子に乗ってそんなことを言う。が、即座に主砲で殴りつけた敵軽空母の様子を見て嘆息する。

 

「ありゃ? まだ大破しただけ?」

 

 終わってはいない。空母は中破以上でその戦闘能力を喪うために、これで勝利はほぼ確定なのだが、些か不満だ。一撃で決めたと思ったそれが実は違った。多少、屈辱である。

 

 直後、龍田の主砲が軽空母を落として、旗艦ば沈んだ。沈めた龍田は、仕留めきれていないのに勝鬨を上げた北上へ冷たい目線を送っていたが。

 更に爆発。見れば残っていた駆逐艦が沈むのと、天龍の主砲から上がる硝煙が見える。どうやら島風達も似たようなことをしたらしい。

 

 開幕爆撃、そしてそこからの砲雷撃戦で四隻の敵艦を落とした。中には旗艦である軽空母もいる。その上で残すところは後一隻。

 重巡リ級を残すのみとなった。

 

 砲雷撃戦はクライマックス。リ級はすでに攻撃を終えている。北上も、島風も、愛宕も天龍も龍田も、だ。

 後一人、その場で攻撃を行っていない者がいる。その射程故に攻撃を行う順番が最後になっていたのだ。

 

 ――赤城だ。

 

 赤城が、残された重巡リ級を狙う。

 

 沈黙の直後、艦載機であるつがえられた矢が射出。そこから飛び立った鏃としての艦載機。水面を切り裂くように少し疾走って、それから一気に浮かび上がり直進する。

 重巡リ級には対空装備がない。せいぜい主砲を構える程度。

 

 魚雷は効かない、届くはずもない。回避行動は、取れるほど向こうが軟弱ではない。とても優秀な、艦載機とそれを操る妖精だ。

 

 リ級の目前までそれは迫った。

 目を見開いて、彼女はその一撃を待つ。果たしてそれは彼女本来の瞳、感情であっただろうか。当然回避はしようとした。しても無駄なほど艦載機の狙いは確実だった。

 

 爆裂。

 

 閃光とともに、リ級は海の藻屑へと、思念は還って消えていった。

 

 

 ♪

 

 

 凄まじい戦闘能力だと、感心する他ない。時として艦娘を中破に持って行かれ、撤退せざるをえないような敵の開幕爆撃を完璧に往なして、天龍と龍田のかすり傷という程度で済ませた。

 加えて自身の開幕爆撃は、敵艦隊の壊滅という、圧倒的戦果によってもたらされた。最後の一撃も、重巡リ級に回避すら許さない圧倒的なもの。

 全てが、赤城の圧倒的戦闘能力を持ってこその一撃であったと、誰もが見る。

 

 日本海軍を率いる一航戦に所属し、活躍してきた最強クラスの艦娘。その全容とも言えるものが今、満の鎮守府に置いて初めて明らかにされていた。

 

 彼女とともに戦場に出れば、誰もが負けるという意思を捨てる。戦意高揚としてこれほどまでに有用な人材もいない。

 

 

 ただし、

 

 

 負けるという意思を捨てることには、もう一つ意味がある。

 赤城の出撃する戦場は、激戦必死の海域だ。意味するところは、“負ける事ができない”という事実の存在である。負けたくない、という意思以上に、負けられないという現実が強いのだ。

 

「……いました。敵主力艦隊を捕捉!」

 

 赤城の宣言。

 それから直後、開幕爆撃が始まる。赤城という絶対的な切り札を持つ島風達南雲機動部隊。だれも赤城の敗北は想定していなかった。

 

 しかし、違った。

 

「……制空権喪失! 敵艦載機、きます!」

 

 赤城の叫びが衝撃を伴って周囲に伝わる。そうして現れた敵の爆撃をやり過ごし、大きなダメージは一切ない。

 せいぜい、天龍と龍田が小破した程度。戦闘行動に一切の問題は生じない。

 

 それでも、赤城の艦載機が“押し負けた”という事実は衝撃だった。

 しかし、それは無理もない事だった。

 

「――敵艦見ゆ!」

 

 島風の宣言とともに、目の前に拡がった光景に、艦娘達は愕然とした。

 

「……空母、“ヲ級”。人の姿を持つ、現行最強とされる正規空母!」

 

 天龍の叫び。彼女の言うとおり、空母ヲ級は人型に近い。異様な頭部のバケモノと白い素肌さえなければ、人間ないしは艦娘と呼んで差支えはないだろう。

 そんな存在が、そこにいる。空母ヲ級はイロハ順にて、ル級よりも後の号を冠する存在。その戦闘能力はル級を凌ぐと言われる。

 だが、天龍の叫びは、正規空母の出現によってもたらされたのではない。

 

 

 ――正規空母が“二隻”出現したということに対するものだった。




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、金曜日に沸き立つ皆さん、こんにちわ!

第一部前半戦もついにクライマックスなのです。
赤城さんは強くてカッコ良いお方……! ポーキサイトの女王とは呼ばせないのです!

次回更新は10月7日、ヒトロクマルマルにて、良い抜錨を!


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『14 思いかねてより』

 出現した敵艦船は六隻。

 空母ヲ級が二隻。

 重巡リ級が二隻。

 更に軽巡ヘ級一隻に駆逐ニ級一隻。

 

 厄介なのは当然空母二隻だ。赤城一隻に対して敵は二隻。想定のウチで最悪といったレベルの敵。無論、これを見越した上で対空に特化した装備を配布したのだが。

 それでも敵が強大なことは必定。空母と同様に重巡二隻というのも些か厳しい。

 

 激戦が、更に激戦で塗り固められるのは必至といえた。

 

 そんな中で、最初に動き出すのが重巡愛宕とその後ろに付く軽巡北上だ。長距離への砲撃を前提とした愛宕の主砲が、油断なく敵リ級を狙う。

 

「行きます!」

 

 突出し、攻撃を狙う。

 主砲と主砲の合間が長い、艦隊戦の基本とも言える戦法。敵の主砲を引きずり出そうというのだ。前回の軽空母を旗艦とした船団もそうではあるが、今回は、愛宕の主砲は狙えない。

 重巡が二隻存在していること、そして敵艦隊を“殲滅”することが目的であることが主な理由だ。

 

 お互い、駆逐艦や軽巡洋艦よりも重量のある艦艇同士、その動きはひたすら緩やかだ。そして、その後ろにつく軽巡ヘ級も、北上と同様に静かに後を追う。

 

 構えられた主砲。互いに敵を一直線に狙い、それを振り払うように小細工で身動きを取る。暫くは地味なにらみ合いが続いた。

 業を煮やしたわけでもないが、それでも状況に変化を与えるべく、愛宕が速度を最高速に切り替える。直後、敵も同様に行動を起こそうと考えたのだろう、それに対応して“軽巡”が動いた。

 

 同一艦種の重巡ではなく、軽巡――正確にはどちらも巡洋艦であることは変わりないが――に愛宕の相手をサせることにした。

 つまり、その後ろにつく北上を重巡リ級は狙っているのだ。

 

「なるほど……だったらなおさら、貴方にはそこから引いてもらわなくちゃいけないわね」

 

 少しだけ、いつもの柔和な物から、目を細めて剣呑なものへと変える。全速力で重巡リ級達とは距離を詰めず同一方向に動いていた愛宕が、そこで弧を描いて進路を変える。

 

「どきなさいっ!」

 

 一直線に軽巡へ向かった愛宕が。軽巡ヘ級自身が愛宕に近づいていたこともあり、相当な速度で違いに接近していく。

 真横、ほぼ数メートルの間合いしかないような超至近距離でもって交錯しようとし、愛宕が直前で更に速度を上げる。

 

 放とうとしていたヘ級の砲撃は空振りとなる。それがわかったからこそ、ヘ級も応じて速度を上げ、そして互いに後方へと突き抜けた直後。

 軽巡ヘ級が猛然とターンを行い振り返る。

 

 愛宕も同様。しかし間に合わない。小回りの聞くヘ級に、愛宕の速度は追いつくことができず、またターンした半円の円周も、軽巡ヘ級のそれよりも更に大きい。

 故に、ヘ級は愛宕に一撃を見舞うことができる、筈だった。回避しようのない一撃を愛宕へ放つ――筈だった。

 

 しかし、愛宕はそこで更に行動を起こす。

 回転しようとしていた自身の行動を即座にとりやめ、全くの別方向へ、“ヘ級を顧みることなく”全速力で移動し始めたのである。

 

 それは、一瞬の躊躇が存在していれば不可能なことだった。

 愛宕の空白を通り抜けるヘ級の主砲。振り返るだけの時間で、それは愛宕に直撃していたはずだった。しかし、愛宕は一目散に回避を敢行、当たらないという予感を確信としてヘ級の攻撃を避けてみせたのだ。

 

 そして、彼女は今ヘ級と交差し、戦闘開始の直前に深海棲艦達が在った場所に立っている。そしてリ級は、まだそのすぐ側にいるのだ。

 北上とのにらみ合いにより、膠着したままそこにいる。

 

 リ級は、側に愛宕の存在を感じても振り返ることはできなかった。北上がそれを許さなかったことに加えて、先ほどの砲撃。あれを“軽巡ヘ級が外した”と見るのではなく、“愛宕が外した”と見るしか無かったためだ。

 

 何にせよ、愛宕が回避して、リ級を二人がかりで狙っている以上、重巡リ級は完全に詰み。チェックメイトを宣告されているのだから。

 

 直後、北上が動いた。しかしリ級は動かない。動くことができない。動けば、その瞬間に愛宕が主砲を放つ。もう完全に勝利の芽を摘み取られたリ級。

 

 取ることのできた行動は、一つだけ。

 その場において高速で回転し、愛宕へ照準を合わせ直すこと。一瞬の間であれば、砲撃が可能であるかも知れない。愛宕を道連れにできれば、もう一隻のリ級が俄然動きやすくなる、はずなのだ。

 

 故に、動いた。

 そして主砲を愛宕に構えると同時に、その砲塔に愛宕の主砲を叩きこまれ、爆発四散。リ級は海の底へと沈んでいった。

 

 あとに残るは、軽巡ヘ級。主砲をウチ放ち、続く主砲はもう撃つことはないだろう。それでも、まだ取れる選択肢が残されていた。

 雷撃戦だ。

 

 同じく主砲を放ち無防備になった愛宕に、雷撃をいち早く叩きこむ。轟沈に至るかは怪しいところだが、最悪中破させれば、続く雷撃戦を愛宕は行うことができなくなる。

 それさえできれば。

 

 そう考えたからこそ、雷撃を構え、しかしそれが不発に終わることを知る。

 北上が割り込んできたのだ。

 

「そっこまでだよー!」

 

 間延びする声を精一杯張り上げて、己の主砲を軽巡ヘ級へと向ける。狙いをつけて、雷撃が放たれた直後に、軽巡へ級へ直撃を見舞った。

 

 轟沈し、それでも雷撃は放たれている。だが問題ない、すでに防御の体制をとってその場に突入していた北上にその一撃は、ちょっとのかすりダメージにしかならない。小破にもすら至らないようなものだ。

 

 かくして北上と愛宕が相手取った敵深海棲艦。重巡リ級と軽巡ヘ級は、為す術もなく轟沈した。多少のダメージも、ほとんど後には響かない小さなもの。

 完勝と、言い切るには十分な勝利だった。

 

「お疲れ様ねー」

 

「いやー、大変だったね」

 

 にひひ、とはにかみながら北上が愛宕のねぎらいに返答する。

 

「そうねぇ、でもやるじゃない。見直しちゃったわー」

 

「こっちこそ、随分思い切ったことするよねー」

 

 両者は共に独特の行動志向を持つ、マイペースな存在である。自然と波長は合うのだろう、お互いに優しげな声音で相手を称え。

 

「ねー」

 

「ねー」

 

 と、まるで何かを交信させるかのごとく笑い合うのだった。

 

 

 ♪

 

 

 重巡リ級の周囲を、軽巡ニ級が駆けまわる。まるで自分自身が壁になるかのように龍田と天龍の射線を邪魔し、天龍達自身も動き回っているために、狙いが定まらない状況は続いた。

 

「っち、ちょこまかちょこまかと! にわか雨にでも振られた気分だぜ!」

 

 威嚇するように、怒声を荒らげてはみるものの、無意味であるということくらい解る。

 とにかくまずはあの駆逐艦ニ級を片付けるか、重巡リ級を、駆逐艦ニ級の隙間をかいくぐり叩き潰すかのどちらかしか無い。

 

 幸い、現在こちらにも二隻の戦力がある。片方が駆逐艦ニ級の陽動とリ級の主砲を牽制すればよいだろう。そしてもう一隻で二級を撃沈、更にそこからもう一隻が接近しリ級の急所に砲弾を叩き込めば、おそらくリ級もただでは済まないはずだ。

 主砲だけでダメなら、二隻分の魚雷も在る。

 

「ッハ! そんな小粒の雨なんざ、今すぐ喰らい尽くしてやるからよ! そこになおって一列で待ちぼうけてな!」

 

 声を荒げながら、天龍の思考はどこまでもクリアに澄んでいく。無理もない、天龍の最も得意とする戦闘は集団戦。特に自分が旗艦となり水雷戦隊を率いるような、そんな戦いだ。

 そして今回は龍田との連携が求められる戦闘。水雷戦隊ほど自由には行かないだろうが、龍田ならば、こちらが間違っていない限り、ちゃんと思うように動いてくれるはずなのだ。

 

 単騎での決闘は、たとえ駆逐艦にも苦戦する。だが多対多の集団戦となれば、水を得た魚のように奮闘を始める。島風のような性能の無さと戦闘センスの欠如が、天龍にそんな指揮の才能を与えたのだろう。

 それに、単騎での獅子奮迅では、どうしても見栄えに限界がある。殺陣は確かに魅力的だが、天龍に取ってもっとも派手な戦闘は、あらゆる火砲が入り乱れる戦争なのだ。

 

「さぁ行くぞ龍田! 俺達の戦争をこいつらに……え?」

 

 長年共にいる姉妹にして相棒、龍田に声をかけようとして、しかし直後に、天龍は絶句することとなる。隣に立つ龍田の雰囲気が、あまりに普通ではなかったのだ。

 

「どうしてくれようかしら」

 

 ゾクリと、体中を這うような間隔。

 龍田の声が、天龍に対して向けたものではないとはっきりわかるというのに、天龍はそれを恐怖と感じた。なぜだと、それを疑問に思う間もない。

 殺意をにじませた声を発した龍田がそのまま、天龍の言葉も聞かずに飛び出したのである。

 

「一体どこから“潰して”上げたほうがいいかな。目? 心臓? それともその、黒光りする太い棒?」

 

「ま、たつっ……!」

 

 天龍が待ったをかける暇もなく、龍田は駆逐艦ニ級へと迫った。ニタァと三日月のような笑みを顔に貼り付けて、迫る姿は悪鬼のそれだ。

 駆逐艦に、恐怖と呼べる感情が在ったとすれば、そのまま身を翻し逃げ出していてもおかしくはない。

 

 直後、だった。

 龍田の体が真横に弾ける。砲弾の直撃、ではない。そんなもの、受けた様子は一切ない。おそらくは龍田自身が駆逐艦ニ級から離れるべく行動したのだ。

 しかし、それはあまりに無茶な駆動であった。

 

「ぅっ――――――――!!」

 

 咆哮は敵を討とうと殺意を主砲ににじませる龍田の叫び。しかし天龍にはそれが、悲鳴を上げた体中の痛みを、声にして逃がすためだと、すぐに分かった。

 

「待て龍田! 無茶をしてすすむんじゃねぇ! それ以上進めばリ級の砲撃をさけられないぞ!」

 

 なぜそんなことをする。なぜそんな行動をとる。

 冷静に思考すれば、無茶な突撃が必要のないことくらい解るはずだ。龍田とて、戦場を駆け抜けて来たのならばそれくらいわかって当然。

 

 そこまで考えて、天龍は悟った。愕然とするような事実。天龍は、龍田の行動を自分にとっての常識として考えていたのだ。

 加えて、龍田と共にした戦場が、以外の他少ないということも。しかも、そのほとんどが先の自身と龍田が中破したような個人同士での戦闘で、連携はこれが初めてである、ということも。

 

 龍田が、リ級に接近するような状態から、そのリ級をかく乱する動きへ変じる。主砲から自身を退かそうというのだ。

 集中を要するが、膠着を生めば多少は意識せずともそれは続けられるだろう。そう判断した時にはもう、天龍は龍田へ、思い切り叫び声をかけていた。

 

「龍田! なんでだ! なんでそんな無茶するんだよ! 必要ないだろ! なんで、なんでなんだよ!」

 

 思いの外、声を荒らげたもので、感情的であったのは誤算だったが。

 それでも、その声は龍田に届いた。ちらりと天龍の方を見て、それから向き直って応える。向き直る直前の彼女の表情は、どこか今にも泣き出しそうな――どこかで見たような顔だった。

 

「だって、だって! 天龍ちゃん無茶してるもの! そうやって強い言葉を使ってる時、天龍ちゃんは無茶してる。強がってるもの」

 

 ――続ける。

 

「だから、私は自分自身が強くなることにしたの。天龍ちゃんが周りからいじめられて、強がらなくてもいいように。悲しまなくてもいいように! 天龍ちゃんを守れるくらい、強く!」

 

 ――続ける。

 直後、龍田が体を大きく跳ねる。距離を無理やり詰めることで、虚を突いてリ級の懐に潜り込む。だが、ここまで駆逐艦ニ級を無視し続けてきたつけはあるだろう。

 

「私は、天龍ちゃんのたった一人の、家族なんだから――――ッッ!」

 

 速度を増して、迫る龍田。宙を切り裂き、空を駆け抜ける。“シュウチャク”という一瞬に、ただひたすら意思という燃料を燃やし、走り抜けて辿り着く。

 風が痕を追い、軌跡を描くように振るわれた主砲が、重巡リ級の隙を縫って向けられる。

 

 完全に、一瞬だけ時が死ぬ瞬間が、あった。

 

 

「ッッッッッッ、――ッテェェェェェ!!」

 

 

 砲弾が空白を呼び、重巡リ級に直撃し、終わる。沈みはしなかった。しかしモロに一撃を食らったリ級は大破。後はこれを、雷撃戦で沈めればいい。

 

「龍田……!」

 

 だが、問題はある。

 龍田はこの時点で駆逐艦の存在を放置していた。対処を諦めていたと言ってもいい。駆逐艦からの一撃で、大破などしようはずもないし、天龍ならば一撃で駆逐艦を沈めてくれるはずだ。そう、“押し付けて”龍田は無茶をしたのだ。

 

 悲痛な天龍の声が響いて直後。龍田は至近に気配を感じた。音はない、深海棲艦の潜む海に、音という概念は生まれない。

 

 それだけ、深く、深くあり続ける執念だ。

 

「俺は、」

 

 天龍の声も聞こえる。迷惑をかけるのは承知のうえだ。それでも、天龍が傷つくことはきっと無いだろう。うまくやれば、やってくれれば天龍は無傷で終わるだろう戦闘だ。

 “これまでのように”天龍はきがつかずにすむ。

 

 だが、違った。

 天龍は、龍田の思い通りには動かなかった。龍田自身が、天龍の思い通りに動かなかったように。

 

「……俺は、そんなつもりで強がってきたんじゃねぇ!」

 

 その声は、近くに在るはずの、深海棲艦から聞こえてきた。

 顔を上げて、周囲を見渡す。龍田に影が指していた。そしてそれは雲に拠るものではない。“人影”だ。

 

「天龍、ちゃん?」

 

 駆逐艦ニ級にはありえない、人の姿をしていないのだから。

 そこには――駆逐艦ニ級と龍田の間に、滑りこむように割り込む天龍の姿があった。主砲を構え、横滑りで龍田の前に躍り出る。

 

「俺は……」

 

 爆発。龍田に接近していた駆逐艦ニ級が弾き飛ばされるように後方へ吹き飛び、水上を滑っていった。見れば中破、龍田が砲撃を行ったのだろう。

 

「俺はさ、龍田に憧れてたんだ。強くて、まぁなんか怖いけどかっこいいしで、俺もなんとなく、そんな感じになりたかったんだろうな。性に合わなくて、こんなかんじになったけど」

 

 語るような、優しい声で天龍は言った。

 

「俺は別に、誰かの所為でこんな風になったんじゃない。龍田、お前のおかげでこう“なれた”んだ」

 

 思えば、天龍と龍田が、こうして本音を語り合うのは初めてだったのかも知れない。龍田はそれを押し隠していただろうし、天龍は今の今まで無茶だったのだ。

 怒りで冷静さを失っていたから、龍田はああして言葉を漏らした。そうでなければ、“いつもどおり”の関係で、天龍たちは終わっていたはずだ。

 

「俺達は、多分どこかでお互いのことを誤解してたんだよ。しかも、お互いのことをなんでも知った気になって、それを正そうとしなかった。……つい、さっきまではな」

 

 そっと、天龍が手を差し伸べる。どうやら龍田は、力が抜けてへたり込んでいたようだ。慌ててそれを受け取って、立ち上がる。

 周囲では少し動きがあったのだ。

 互いに背を向けあって、肩を預け合う。なんとなく自然に納まるようで、少し違う。ボタンを掛け違えたかのような小さな違和感が、天龍達にのしかかった。

 

 だが、それも、少しずつ溶けて消えてゆく。まるで氷がその姿を変えてゆくかのように。

 

「やっと上手く型に嵌った気分だ。自分の中にあるピース。割りと見落としが在ったみたいだな」

 

「そうねぇ、天龍ちゃんのこと、ずっと子どもみたいに見てたから、こうして背中合わせになると、大きくなったなって、思っちゃうわ」

 

 少しだけ咬み合わない会話。無理もない、今の今まで自分たちはそれすらもできていなかったのだから。

 

「さぁて、まずはこいつらを片付けようぜ。このままじゃうるさくて敵わねぇ」

 

 背中合わせになった天龍達の前方には、それぞれニ級とリ級が煙を上げて佇んでいる。死屍累々、今にも沈みそうでも、彼女たちにはまだ砲撃が一度ずつ残されている。

 だが、天龍達はそんなこと、歯牙にかけるつもりもない。

 

 もうすでに、勝利を確信しているのだから。

 

「そうね。そうしてそれで家に還って、一緒にお風呂に入りましょうか。きっと――気持ちいいわよぉ」

 

 裸の付き合いかと、天龍は笑う。

 そのとおりだと龍田は肯定し。

 

 それから、

 

 ――二つ飛沫が上がった。何かが沈む、ものだった。




ヒトロクマルマル。提督の皆さん、天龍に率いられたい駆逐艦の皆さん、こんにちわ!

鎮守府海域大ボスとの対決、対取り巻き戦をお送りしました。
残すはヲ級二隻となります。第一部前半も残すところあと一回、悔いのないように行きましょう!

次回更新は10月10日、ヒトロクマルマルにて、よい抜錨を!


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『15 空を赤城の色に塗る』

 赤城と空母ヲ級は、海上を低速で回遊しながらのにらみ合いで、戦闘をスタートさせた。赤城は弓につがえた矢を油断なくヲ級に向け、ヲ級は両手を据え置いた杖に体をあずけるようにして。

 

 沈黙は、お互いに焦りの無さを見せるに終わった。あくまで冷静に、あくまで沈着に、互いを見据えてそれを離さない。

 やがて動き出したのは、空母ヲ級の側面。何かが揺らいで蜃気楼のように空間を振動させる。波をうって現れたのは、空母ヲ級の艦載機。

 その数全三機、おそらくは艦戦に、艦爆に、艦攻の三種類。一つが高く飛び上がり赤城の視界から消えてなくなる。残りの二機はそれぞれ別の高さで赤城を見据え迫り来る。

 

 対して赤城も、その下方を縫うように、矢の先に存在している、艦載機を打ち出した。飛び上がり、水面をその風圧で切り裂き飛び上がった艦載機は、やがて空中に浮かぶ敵艦載機と並び、その横を駆け抜けてゆく。

 続けて発射されること五発。空中に、敵陣営と味方陣営、それぞれの艦載機が花を咲かせるように舞い踊る。

 

 移動速度を上げた空母ヲ級と赤城のそれぞれ真横に、艦載機の爆撃が殺到する。吹き上がる水面。柱となったその間を、駆け抜けるようにそれぞれが場所を互い違いに入れ変えて艦載機を放つ。

 

 空母ヲ級の手元に揺らぎが浮かんだ。

 赤城が手元で二の矢をつがえた。

 

 風をきる音がその後に聞こえ、更には機銃の音が静寂を戦場に書き換えてゆく。塗り替えてゆく。染め上げてゆく。

 

 艦載機が空中にXを描く。それらが回転し、反転し、三次元に向きを転換させる。機銃が待舞って、艦載機を直撃、直後の爆発とともに敵艦載機が泡沫の白に染まった海面へと真っ逆さまに墜ちていく。空母ヲ級と赤城の睨み合う丁度どまんなかに。それが海へと消えた瞬間、更に赤城が行動を起こす。

 

 続く矢を構えず高角連装砲を周囲に向ける。艦載機の撃墜を怖れ、敵の艦載機を封じる戦略に出たのだ。

 同時に空母ヲ級も両手で支えるようにしていた杖を、右手のみで構えてふるい、そこから更に艦載機が出撃する。

 全六機。三種の艦載機がそれぞれ二機ずつだ。

 

 赤城の高角連装砲が決して連続せず、しかし一定のリズムで断続的に爆発を巻き起こす。百発百中。“外す”という概念を失った必殺ほど恐ろしい物はない。

 彼女は絶対にはずさない。外すほどの経験不足が彼女にはないのだ。

 

 そうしてリズミカルに起きる爆発はさながら花火の五号玉。しかし、吹き上がる無機質な煙と飛び散る赤一色の火花では、些か地味であることは否めない。

 

 むしろそれを起こす花火師たる赤城とヲ級。海に端を揃える人型両名の軌道こそが、日本海軍の花形赤城の、まっとうな戦闘といえることだろう。

 無数に吹き上がる水飛沫。ジグザグに、小刻みに移動しながらその中を駆け抜け、一拍タメてから艦載機を放つ。

 

 上昇。飛行。そして爆撃は、新たな海原の柱。そうして、攻撃を終えた艦載機が帰還する。無事に一隻、赤城の元へと迫ってきた。

 赤城が体を横に傾けると、艦載機は突き出された型にある飛行甲板を滑って空間の中へと消える。ヲ級が生み出す揺らぎの後と同様に、残るものは何もなかった。

 

 ただし、赤城は艦載機を弓矢の矢として装填している。補給が終われば、再び飛び立つこととなるだろう。

 

 ここまで戦闘を繰り広げ、赤城もヲ級も激しく周囲を駆けまわった。イヤというほど艦載機も放った。それでも両者に大きなダメージはない。ここまで赤城がどちらかと言えば観察に回っていたこともあるが、それでも両者の練度が高かったという事による硬直であることは事実。

 

 燃料の続く限り、このまま戦闘を続けることはおそらく可能だ。それほどまでに敵は強く、赤城と同等に渡り合う。無論更に上の練度を持つ空母ヲ級と比べればその性能は低いものだが、それでも慢心し一撃を急所に貰えば、中破――空母にとって、中破とはすなわち戦闘不能である――してしまう可能性もある。

 

 よって、赤城は全力でもって空母ヲ級の撃滅を選択。

 これは島風も同様であるが、練度の高く、性能も他者から一線を画するものが同一性能の相手と戦う場合、最も重要視するのが練度とそこから取れる戦略である。

 

 正攻法でもって敵を欺き、勝利するのが赤城の流儀。叩き潰すべく、改めて新たな艦載機を弓につがえる。

 同時に、空中で舞う赤城の艦載機が、一斉に一方向へと飛び出した。縦横無尽の傍若無人が、ひとつの隊列を為して空母ヲ級へ伸し掛かる――!

 

 先ほどまでの無法地帯がまるで無かったことにでもサれたかのように、編隊を組んで飛行する赤城の艦載機は、まさしく空を支配した赤城色の獣。

 全てを赤城に染めた空は、その矛先を空母ヲ級へと定めて決める。

 

 空母ヲ級が振るった杖に合わせて、敵艦載機もそれを迎撃しようと動き出す。しかし練度が足りない。赤城へ加える一撃も、まるで標的を見ずに放つかのように外れ、飛沫へと変わる。

 対してヲ級へと向けられた爆撃は、彼女の体を少しずつ切り裂いて、ダメージへと変えてゆく。

 

 狙いを付ける空母ヲ級の艦載機をかいくぐるように、赤城の艦載機がふらふらと左右に揺れ始める。狙いを付けさせないのが目的だ。

 ヲ級の艦載機が作り上げた弾幕を、全て駆け抜け、抜き去ってゆく。撃墜される艦載機は一つとして無い。

 

 もはや、一航戦としての全力を顕にした赤城の艦載機に、ヲ級の艦載機は、到底敵う練度ではない。敵艦載機を全て置き去りにして、ヲ級に赤城の艦載機が殺到する。

 

 焦ったようにヲ級が杖を振るった。空間が歪み、現れる追加の艦載機、しかし――

 

「残念ね」

 

 それを見越していたのだろう。赤城が高角連装砲を構え、照射。空間から現れたばかりの艦載機が、爆発四散、海の底へと堕ちて行く。

 煙がもくもくと吹き上がり、一箇所を浮遊する灰雲となる。それを、切り裂き吹き飛ばして現れたのが、赤城の精鋭艦載機。

 

 電光石火さながらに、空母ヲ級の至近にまで到達したそれらは、爆撃。寸分違わず空母ヲ級を蜂の巣にする。

 

「本当に、……残念だわ」

 

 無慈悲に告げる一言に、しかし何の反応も許されることなく。空母ヲ級は爆煙を上げ、生まれでた海の中へと沈み消えてゆくのだった。

 

 

 ♪

 

 

「おっそーい!」

 

 島風の周囲を飛び回る空母ヲ級――旗艦だ――の艦載機。彼女を海の中へと“堕とす”ために狙いをつけている、わけではない。

 

 パラパラと、響き渡る軽く、しかし心臓に響く銃器の爆音。島風の機銃が周囲に張り巡らされていくのだ。

 そう、艦載機は島風を狙っているのではない。狙っていたのを撃ち落とされたのだ。

 

 湧き上がる艦載機。しかし島風は動じずに周囲をジグザグに駆けまわる。空母の周囲を旋回するように飛び回る艦載機が、彼女の行く手を阻むものの、それに怯む島風ではない。

 艦載機が墜落し、跳ね上がる水面を足場に飛び上がり、機銃を乱れ打ちしながらそして着水。割りこむように、回転する艦載機の渦に巻き込まれながら自身もヲ級へと近づいてゆく。

 

 降り注ぐ艦載機の一撃。体を落とし、右にずらして更に回転。速度を上げて状況をかき乱しながら回避する。

 

「アッハハ! 全然追いつけてないのね!」

 

 浮遊する艦載機を、置き去りにして追い抜いて、機銃で打ち抜き更に前進する。弾幕とかして三次元で襲いかかる空母ヲ級の艦載機を、水上に拠る二次元の移動のみで回避してゆく。

 島風には、襲いかかる艦載機がぬるく思える。そんな動体視力と、スピードの性能。

 どちらをも持って、機銃で弾幕をはり状況を切り開く。

 

「それに、赤城の艦載機は見てるだけで勝てる気しないけど、貴方のそれは少し異様に欠けると思うよ!」

 

 敗北など考えない。

 空母ヲ級と自身の距離。主砲を確実にぶち当て敵を落とせるような場所まで、少しずつ、少しずつ近づいてゆく。

 正面からではない。回転しながら、少しずつだ。

 

「しかも貴方の艦載機って遅いのね! 全然当たる気がしないんだから!」

 

 島風の叫びに呼応してだろうか、否、空母ヲ級が危険を感じ取ったのだろう。杖を振るって更に艦載機を出現させる。

 飛び上がり。そして島風を狙い。機銃の音と、飛行の羽音は更に勢いを増して周囲を襲った。

 

 もはや音が世界を支配するかのような状況で、島風だけが、悠然とその速度を海上に見せつける。

 

 島風の後方に回った爆撃機が、跳ね上がる飛沫を切り裂き出現した。しかし、それに気が付かないはずもない。だが、島風はそれに目をくれることさえ無かった。

 軽く体を揺れただけで回避は終わる。練度が甘い、この程度、回避できずして何がエースか、何が旗艦か。

 そう思えば、空母ヲ級はあまりに拙い。

 

 殺到した一発を、くぐり抜けて撃ち落とす。艦載機が機銃に見まわれ、爆撃は海面を突き貫いた。島風は、その隙間を踊るように駆け抜ける。

 

 空母ヲ級が更に激しく艦載機を飛ばす。島風のすることは、それを丁寧に一つ一つ、往なして潰して叩き“墜とす”ことだけだ。

 島風は沈まない。この一戦に全力を傾ける、南雲機動部隊の旗艦であるからだ。

 提督として着任し、それから不慣れながらも鎮守府を導く提督がいる。島風からみても彼は不格好で、不器用で、知識も経験も不足している。

 

 だが、彼は判断を間違えない。ここまで、間違えることなく島風を導いた。あの時――島風に戦艦との一騎打ちを許した時――語った彼の言葉は、島風だって知っている。

 だからこそ認めているのだ。一人の提督として、彼以上に自分と共にいれる提督はいないと。

 

 優秀な提督ならいた。思慮深い提督も、知識や経験が豊富な提督もいた。だが、満のような提督は誰一人としていなかった。

 彼のルーツは、きっとこの海の上にある。昔、共に艦隊を組んでいた艦娘を思い出す。敵すらも救いたいと語った彼女を、思い出す。

 

 いや、それは感傷か。

 すでに彼女はこの海の上にはいないのだ。海の下。どこまでも深い海の底で、きっと今も静かに眠っていることだろう。

 

 だからこそ、今は目の前の敵を沈める。

 それが島風のするべきことだ。満が島風に、求め続けることなのだ。

 

「求められるって……悪くないかもね――“ ”」

 

 かつての親友――とよべた関係の仲間――の名前を呼んで、それから満に思いを馳せる。それはきっと、友情とか愛情とか、そういったものを超越した、島風と満にしか許されない、絶対の信頼関係なのだろう。

 

「さぁ、だからさっさと沈んでよ! 沈むのくらいは、はやくたっていいんだよ!?」

 

 言葉とともに、いよいよ持って全速力でヲ級に突っ込む。艦載機の弾幕が濃くなってきたこと。少し不意をつくように全速力で直進すれば、ヲ級を射程範囲内に治められるであろうこと、それらを意識し、そして達成する。

 

 一種の賭けに近い行動であるが、島風は確信を持ってそれをした。空母ヲ級を仕留めるべく行動した。

 

 主砲を、構え。

 狙いを、つけ。

 

 最後に一撃を――ぶちかます。

 

「ッッッッケェ――――!!」

 

 周囲には、艦載機が押し寄せていた。島風を討つべく。ヲ級をその身を呈して守るべく。島風とヲ級の艦載機、どちらがその到達を先んじるか。

 それだけの勝負だった。

 

 それで全ての、決着がついた。

 

 

 ♪

 

 

 結局、終わってみれば、島風達に大きな損害は生まれなかった。せいぜいが島風の小破という結果程度。それもこれは、空母ヲ級を沈めた後に、それでも残っていた艦載機を避けて帰還するのが少し無茶だっただけだ。

 島風にしてみれば、これくらいのダメージで治めて当然なのである。

 

 北上や天龍、龍田はほぼ無傷の軽いダメージ。そして愛宕と、激戦を繰り広げた赤城もまた完全な無傷である。

 強力な艦隊であると目されていた南海諸島沖に出現した敵主力艦隊を、これほどまでに快勝で討ち果たしたのは、まさしく彼女たちの強さと言って良いだろう。

 

 かくして南雲機動部隊としての“初陣”とも呼ぶべき艦隊決戦『南1号作戦』は、大成功という結果を残すに至るのだった。

 

 

 その後、第六駆逐隊は開放された第二艦隊以降の遠征任務を主にシフトした。遠征専用の配属が為された艦娘も数人着任し、第三艦隊までが開放、そちらで忙しく動き回っている。

 天龍と龍田も、その低燃費を活かして第二艦隊などでの水雷戦隊旗艦を務めることが多くなった。戦闘事態には時折出撃の機会もある。仲睦まじく、そして抜群の連携を見せる姿は敵艦隊にとっては脅威であり、満たちにはとても頼もしい戦力だった。

 

 北上、愛宕は島風達とともに、南雲機動部隊を担う主力として活躍することになる。特に北上は重雷装艦への改装が近いために、ここ最近は忙しく動きまわっているようだ。

 

 主力艦隊との決戦も終わり、大きな戦争への参加もあまりない。観艦式も終えたことで、鎮守府としては周囲にその存在を認められつつ在るようだ。

 一部では、満の鎮守府に戦艦を配属させるかさせないかで、大きな議論となっているようだが、末端でしか無い満たちにその影響が出るはずもなく、平和な時間が流れていった。

 

 忙しくもただ流れていく日常。死と隣り合わせでも、敗滅と隣合わせではない、そんな世界。これまでがそうだったように、これからも、きっとそうであるのだろう。

 

 島風や赤城とは、日がな一日、何気ないことで語り合うことが増えたように満は思う。

 北上や愛宕もそれに加わることはあるし、天龍たちが何か問題とはいえない小さな騒動を持ち込むことも多々あった。

 

 流れていく日常を理解し、少しずつそれに順応し始める。もとより慣れるのは速い方だ。満は鎮守府の提督として、少しずつ一人前になっているのだろう。

 これからも幸せな日常が長く続けばいい、そう願うのは、今が幸せである証拠。きっと、悪いことではないだろう。

 水平線の向こうへと流れてゆく雲を、鎮守府の窓から眺めながら、満はふとそう考える。

 

 

 ――そうして、満がこの世界にやってきて、いつの間にか一年の時が、過ぎようとしていた。




ヒトロクマルマルにて、提督の皆さん、トレーナー志望の皆さん、こんにちわ!

今回で第一部前半、鎮守府海域は終了となります。
次回は南西諸島海域にて、一年後、もとい一ヶ月くらいしたらお会いしましょう、なのです。


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『16 高速戦艦』

 その日、南雲満の鎮守府は大いに忙しさを増していた。それは一年前の戦艦襲来以来と言える忙しさだった。とはいえ忙しく動きまわるスタップ及び妖精の中に、暗い顔をするものは誰一人としていない。むしろ、誰もが顔を前に向け、晴れがましそうにしていた。

 年に一度の祭り――というわけでもないが、今日な五十二日周期の境目である。それに加え、季節的にも、各所基地の配置換えなども行われる日であった。

 

 基本的に艦娘は同一の存在が生まれることはない。基地に所属できる艦娘には限りがある。それを見直し戦力の統制を図るのが配置換えの主な目的だ。

 特に満の鎮守府は主力艦隊は島風赤城を除けば戦力が凡庸で、一味物足りない。水雷戦隊として第二艦隊の旗艦を務めるはずの天龍龍田――彼女たち自身の性能も、軽巡としてはいまいちだ――を組み込まなければいけないのも問題だ。

 

 そこでこの配置転換では、主に主力艦隊の補強が行われることとなる。本来であれば、最低でも天龍と龍田どちらかが旗艦として第二艦隊に所属できればよいと、配置される艦娘は一人である予定だったのだが。

 事情が変わり、またその予定が建てられた当時とは、満の立ち位置も少し変わっていた。

 

 事の発端は今より一ヶ月ほど前。南西諸島沖の偵察などにあたる部隊が、その周囲に大きな深海棲艦の艦隊を確認した、ということを報告した。

 当然その対策はどこかの鎮守府ないしは基地に委ねられることとなるわけだが、そこで白羽の矢が立ったのは、南西諸島沖の海域に進出するための小航海路を守護していた満の鎮守府及び艦隊、というわけだ。

 

 ここで起きた問題は、偵察部隊が報告した敵艦の中に、通常の艦の上位種。いわゆるエリートとよばれる種類が混じっていたことだ。

 しかも、南西諸島深部に進出しようと思えば、さらにその上位種までも考慮しなければならないとのこと。――ここ最近、こういった上位種はほぼ観測されず、されても深海棲艦の本拠地とされる南方海域などでしか見られない。南西諸島周辺は深海棲艦の領域とはいえ、徹底した漸減と周辺海域の制圧による閉じ込めが為されている現在、主力艦隊は海域中心に籠城の構えを取っているはずなのだが。

 

 そういう時期は、一定期間ある。世界各地で吹き上がる深海棲艦のうち、数カ所が同時に、湯水のごとく湧き出ることが時たま。大抵の場合、主力艦隊を漸減し続ければ、いつかはそれも納まるのだが――難しい時期ではある。艦娘の轟沈も、避けては通れない道だろう。

 南西諸島海域の場合は、そういう難しい時期こそが、海域攻略の鍵となるものだった。南西諸島は敵主力艦隊以外のエリートは存在しない。それでもなおエリートが確認されるということは、それだけ戦力が分散しているということにほかならないのだ。

 

 敵艦隊を排除すべきという気運が高まる中で急先鋒とされた満及びその主力艦隊。当然現状ではさすがに過小戦力と判断した上層部は今回の配置転換で、予定されていた“軽空母”の配属と同時に、

 

 

 ――“戦艦”の配属を決定した。

 

 

 ♪

 

 

 鎮守府の一室、満の司令室には現在、島風と赤城、そして満に、二人の艦娘がいた。それ以外の艦娘は現在ここにはいないが、後々呼ばれるか、別の場所でその“二人の艦娘”と自己紹介を交わし合うことになるだろう。

 とはいえ、司令室の扉が現在は半開きになり、そこから幾つか視線が漏れている。軽く赤城が確認した程度では、天龍龍田に第六駆逐隊の姿が見える。

 おそらく暁達が興味を示し、天龍辺りがそれを煽ったのだろう。

 

 赤城も島風も、特に害はないのだから、と彼女たちを無視することにした。なお満はそもそも気付いてすらいない。

 

「……それじゃあ、二人に自己紹介をしてもらおうかな。まぁ、改めて、という形になるけど」

 

 満の言葉通り、すでに彼女たちの名は赤城から満に、本人たちの目の前で告げられている。彼女たちの経歴も、資料を通して多少は知っている。

 それを受けて一人の艦娘が前に出る。一度声の調子を確かめるように咳払いをしてから、はっきりと解る朗らかな笑顔で、言う。

 

「――軽空母、“龍驤”や。チャームポイントはこのサンバイザー、かっこええやろ!? せやろ?」

 

 パタパタと、後ろにしっぽが見えるかのような、元気のいい声。召喚型の空母射出を行う軽空母、龍驤だ。その姿は軽空母の中では特徴的と言えるが、割愛する。

 とにかく、今にも跳ね回りそうな少女だ。艦隊も更に賑やかになるだろう。

 

 艦娘は個性的な性格と立ち振舞をするため、赤城のように整然とした軍人“らしい”といえる仕事人は思いの外少ない。

 丁度横に立つ艦娘も、少し驚いたようにして、それから更に何やら難しい顔で腕組みをし始めた。完全に龍驤を意識してしまっている様子だ。

 

 島風は楽しそうに笑っている。赤城は気にした風もない。顔に出ていないだけだろうが、悪い感情を抱いたわけでもなさそうだ。

 

「あ、えっと……」

 

 もう一人の艦娘が少しだけ気恥ずかしげに声をあげ、そして、意を決したように瞳を意思の強いものへと変える。

 

「――金剛型一番艦、“金剛”デース! 特技は、帰国子女デス!」

 

 外国人のような独特のイントネーション。名乗りの通り、彼女が満の鎮守府に配属されることとなった戦艦、金剛である。

 史実においてはイギリス、ヴィッカース社で生まれた日本向けの超弩級戦艦。ようするに金剛の言う帰国子女とは、満の世界においてはそのとおりだが、別にこの世界では当てはまらない。

 彼女は日本の建造で生まれた純国産である。帰国子女は元となった戦艦金剛に引っ張られた性格だ。

 

「じゃあ、改めて名乗らせてもらおうかな? 島風と赤城は、僕の鎮守府の旗艦と秘書艦を務めている。有名人だから、知ってると思うけど。――僕の名は南雲満。君たちの司令としてこれからよろしく頼む」

 

「よろしくお願いしマース! なんだか物腰の柔らかそうな提督でよかったネ!」

 

 遠慮のない口調で金剛がいい、満の差し出した手を握る。がっちりと握手を交わした両者は、そのまま軽く笑い合う。直後に龍驤が乱入すると、三人は腕を重ねるようにして笑みを浮かべた。

 と、そこで龍驤が島風に視線を向け。

 

「お久しぶりやな~、島風。覚えとる? 昔同じ部隊にいたんやけど」

 

 声をかける。どうやら顔見知りのようだ。そこまで深い関係ではなさそうだが、言われた島風はどこかバツが悪そうにしている。

 

「え? もしかしてあの時の龍驤? ……沈んでなかったの?」

 

「阿呆! だれが沈むか。軽空母は確かに装甲はうっすいけど、沈めたら職を失うくらいには貴重な戦力なんやで?」

 

 ふむ、と満が頷く。赤城に聞いた話では現在進水している軽空母は六隻。はっきり言って正規空母や、戦艦よりも少ない。たしかにそれは軍を追われても文句は言えまい。

 とはいえ、戦力的には戦艦、正規空母を沈めるよりはいいのだろうが。

 

「いや、珍しいだけじゃん」

 

 とことん突き詰めてしまえば、島風の言うとおりなのだが。

 

「身もふたもないこというなや。っちゅうか」

 

 視線をそらす島風に、龍驤がすんすんと鼻を鳴らすようにしながら――まったくもって犬のようだ――近づく。

 

「あんた、随分目つきが穏やかになったような……てか、丸くなった?」

 

 ――なんとなく、分からないでもない。島風は言うまでもなく天才だ。龍驤の知る島風とは、ようするに天才としての島風なのだろう。

 その片鱗は、なんとなく満も知っている。

 

 とはいえ、本人的にはその頃のことはいわゆる黒歴史、触れられたくない過去なのだろう。視線をそらして半笑いになっている。

 

「いや、っていうかその、私にもイロイロあるんだよ。……イロイロと」

 

 実際その通りで、それは彼女の根幹を為していることではあろう。しかし、それとこれとは話が別。過去が恥ずかしいものであることには変わりないのだ。

 

「ま、ええんとちゃう? こうして鎮守府のエースしてるっちゅうことは、それだけ軍に認められたってことやろ。協調性が出るんはええことやで?」

 

 カラカラと笑って、ポンと島風の肩を叩く。なんとなく話の中心は彼女たちのようで、過去の話題で花を咲かせているようだ。というか、話の終わる様子がない。

 満は少しだけ苦笑気味にして、隣に立つ金剛を見る。

 

「ねぇ、……金剛」

 

「……なんデスか?」

 

「今日の主役って、君じゃなかったかな?」

 

「……畜生、持って行かれた。ってやつデスネ」

 

 ――それはマンガか何かのセリフだろうか。別にサブカル趣味はないものの、どこか聞き覚えのあるそれに、満は更に困った笑みを浮かべた。

 

 

 ♪

 

 

 軽空母はその数こそ少ないものの、戦力としては優秀な低燃費の戦力だ。制圧力はあるものの、正規空母の制圧力には当然劣るし、戦艦ほどの装甲もない。言うなれば、様々な局面で用意られる万能艦娘。轟沈の危険があるために、戦力を温存されることも多い戦艦空母に比べれば、格段に運用のしやすい戦力である。

 

 対して戦艦は、艦隊決戦の華とされ、またその容姿から民衆への人気も大きいまさしく旗艦と呼べる国の象徴だ。特に現在の連合艦隊――国の総合最大戦力とされる――旗艦の長門は、日本の誇りとされている。

 

 航空戦艦として活躍する艦娘四隻を含め、全十隻が現日本海軍に所属する艦娘だ。当然、それが配属される基地は、戦力の圧迫した最前線でもない限り、一流とされるものに限られる。

 今回満の鎮守府にやってきた金剛型は、中でも速力が駆逐艦などと同等とされる高速戦艦だ。現状それが何の意味があるかと言われれば、まぁまずないだろうが。

 

 とにかく、そんな戦艦を保有することとなった満の評価は、ここ最近大分上昇している様子だ。現状、轟沈させた艦娘はゼロ。一年と少しという期間で、中々優秀な実績である。

 提督という地位が狭き門の先にあるために、そこに着いた新人の提督は、プライドに塗れ無茶も多い。その過程で艦娘を轟沈させることもあるのだから、轟沈ゼロの、優秀な提督はそれだけで人材としては得難い物がある。

 それが認められたのだ。

 満達はそれを誇りとし、一丸となってこれから立ち向かうこととなる南西諸島海域に出現した深海棲艦の部隊を撃滅するべく、出撃することとなったのだ。

 

 

 ――が、しかし、問題が起こった。

 

 

 カムラン半島周辺に現れた深海棲艦機動部隊との闘いで、戦艦“金剛”が、中破したのである。

 

「うー、ごめんなさいネ。こんなはずじゃ無かったのに……」

 

 ぼやく金剛、しかし彼女を責めてもどうしようもない。そもそも彼女に対する重巡リ級の打撃を許したのは、敵艦隊を抑える役目を果たしていた島風や、艦載機での迎撃をしきれなかった赤城、龍驤の非でもある。

 元より鎮守府そのものが、そういったミスを気にしない雰囲気もあってか、誰も金剛に対して罵倒を浴びせることはなかった。

 

 ドッグに入渠し、一人布団に篭っている金剛も、少しだけ安堵し、そして意外に思っていた。満は若い。戦艦に対しての憧れだってあるだろうし、何より未熟だ。誰かの非を感情的に咎めることだって在るだろうに。

 

「なんだか不思議デス……今まで、こんなことはなかったネ」

 

 思えば、と過去を振り返って、思わずでた言葉だっただろう。それは金剛という艦娘が長い間、ずっと抱き続けてきた思いの発露であった。

 

 

「――おじゃまするよ」

 

 

 一人、眠りにつく金剛に来客があったのは、そんな時の事だった。思わず聞かれていたかと飛び上がった金剛の視線の先に、提督、南雲満の姿があった。

 

 

<>

 

 1

 

 

 ある鎮守府の工廠。建造妖精による建造の騒がしさが俄に増し、いよいよ最終工程に入ったようだった。建造はかなりの長時間に渡り、秘書艦であった艦娘が二度も、様子を見に来るほどであった。

 

 建造が長時間であるということは、それだけ高性能の艦娘が建造されるということであり、鎮守府全体で緊張が高まっている様子が、その秘書艦だけでなく、鎮守府全てから見て取れた。

 ――今回予定されているのは正規空母の建造。通常であればせいぜい軽空母の、それも軽空母は現行確認されている全てがすでに建造されているため、予備パーツの建造がせいぜいだ。

 

 故に、ある種の未知といえる正規空母の建造は、鎮守府の興奮を一身に集めていた。

 

 建造完了が司令室に届いたのが建造開始から幾度目かの明け方。司令室にいた全員が、即座に立ち上がり工廠へと急ぐこととなる。

 

 正規空母建造の知らせはすでに海軍全体に伝わっている。期待を寄せているのは決して鎮守府内部の人員だけではない。海軍全てが、報告を今か今かと待ちわびているのだ。

 どころか、国中が“その瞬間”を待ち遠しくしていた。“お言葉を頂いた”と言えば、その期待がいかなるものかわからない者はいないだろう。

 

 加えて言えば、この世界は深海棲艦との戦争が恒常的につづいているため、国家間での戦争と呼べるものは起こらない。艦娘は世界から歓迎される戦力であった。

 

 こうして、鎮守府全体から、海軍から、日本から、世界から望まれて、その正規空母は生まれた。

 

 

 ――後に数多の海戦を駆け抜け、伝説とも、英雄ともされる艦娘。冠するは旧日本海軍栄光の第一航空戦隊旗艦の名。

 

 正規空母、赤城は生まれた。




ヒトロクマルマル。第一部後半戦、南西諸島海域編スタートなのです!
提督の皆さん、こんにちわ!

ようやく始まりました。今回は番外編『正規空母・赤城』を文末に掲載してのお届けになります。
また、それにより平均文字数などが増えたことから、更新の間隔は四日ごとになります。
詳しくは後述。
そして、現在艦これはイベントの真っ最中! 提督の皆さんは行かような目標を立ててイベントに臨んだでしょうか。そして、その目標は達成できたでしょうか!
中の人提督は現在E6の真っ最中。武蔵さんの燃費に阿鼻叫喚も同時進行!

というわけで、次回更新は11月19日、ヒトロクマルマルにて、よい抜錨を!


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『17 栄華の寄る辺』

 入渠ドックは基本的に、艦娘の装備を修理するためのスペースが大きく取られ、艦娘自身の療養を取る場所は別に設けられている。大抵の場合艦娘は、整備の間鎮守府内の温泉に浸かるか、自室でゆっくりと休眠を取るのが普通だが、金剛はどうやら、自室で睡眠することを選んだようだ。

 

 とはいえ戦艦の装備は修復に時間がかかる。性急に装備を回復するための特殊な資材――高速修復材と呼ばれる――を投入しない限りは、基本的に数日間の休暇となるのだ。当然、睡眠することも、入浴することもあるだろうし、今がたまたま布団に潜っているだけだ。

 そこを狙って、訪問者が現れた。

 

 満である。

 普段の彼は、高速修復材節約のため、すきあらば艦娘をドッグに入れる。そのため中破以上で待ちぼうけを喰らう艦娘はそうそういない――例外は昨年の戦艦襲来の件だ。当時は高速修復材を常備していなかった上、事件が終息しても忙しさから彼女たちに関わる時間はなかった。

 

 しかし、今回の場合、出撃自体にはそれなりの猶予があるため、満はふと思い立ち、金剛の元を訪れたのである。

 

「元気がなさそうだね。……何か飲むかい?」

 

 お見舞い、というわけではないが、満はいくつかここに来るまでにペットボトルを買い込んでいる。金剛が何を好んでいるかなど、満は知らないし、踏み込んで聞くつもりもない。それでも、なんとなくこうして接することが、艦娘と自分をつなぐ正しい在り方に思えたのだ。

 

 別にそれがどうというわけでもない。ただ満はそれなりに人がよく、気遣いは苦手だが人を傷つけるような人間ではなかった。

 

「紅茶……ストレートティーをお願いしマース。ただのジュースデスけど、無いよりはマシネ」

 

「紅茶が好きなのか。君はどちらかと言うとイギリスからの帰国子女なのかな」

 

 金剛はイギリス製の戦艦だ。日本が世界と敵対する前の、日英間でそれなりの友好関係が築けていたこと、史実の中の彼女は生まれている。

 ペットボトルを袋の中から取り出し、手渡すと、金剛は起き上がりキャップをひねって開ける。小気味の良い音が響いて、そしてそのまま空白に消えた。

 

「飲まないの?」

 

「喉はそんなに乾いてないデスヨ。お話しながら、飲みます」

 

 そのために来たんでショウ? と小首を傾げる金剛に、満も苦笑してから適当に椅子へ座る。基本的に艦娘達の寮は間取りが変わらず、またこういった家具も変わらない。勝手知ったる、というわけでもないが、満は来客用の椅子に座ると、金剛と同じ目線で向かい合う。

 

「まぁそうだけどね、少し暇ができてしまって。困ったことに僕は建造の知識がないから、工廠に行っても赤城さんの邪魔にしかならないんだ」

 

「旗頭提督、デスか。大変デスネ」

 

 海軍内での別名、満をそう呼ぶものがいた。別に侮蔑しているわけではないが、物珍しさか、はたまた忌避感か、満はあまりよその人間には好かれない。

 艦娘は、さすがにそうでもないようだが。

 

「別に僕を慮ってくれるのは嬉しいけれど、今はやはり君のことかな。あまり無理はしないでおくれよ? 艦娘は戦うための精神を維持してこそだ。無茶は精神的な疲弊を呼ぶ。君たちに、傷つくために戦場に行ってもらいたくはない」

 

「それは……“戦艦”金剛に言うセリフではないと思いマース。別にいいですケド、私は戦艦なのデスヨ? 気を使われるより、栄華を当たり前と思ってくれた方がいいんデス」

 

 落ち込んだように顔を伏せる金剛の、真意を満は読み取れない。それでも言葉尻に浮かぶ意思は、どこか先入観からくる、当然という常識があるように思えてならない。

 絶望だとか、失望だとか、そういった抱え続けるにはあまりにも重すぎる訳ではない。ただ、少しばかり引きずるには重い感情。落胆、と呼ぶべきだろうか。

 

「……よくわかんないな」

 

 満の結論は、つまるところそれだ。金剛の浮かべる感情も、その背景も、満にはよく解らない。戦艦はすごい、確かにそれはそうだろう。だが、実感が無い。

 

「それは……ちょっとおかしいデス。提督の元いた世界では、戦艦は憧れではないのデスカ?」

 

 おかしい、そうだろうかとは思うが、きっとそうなのだろうとも思う。遠い所まで来た、文化の違いは、たとえ言葉が同じでも、世界が違えばあるのだろう。

 普段が馴染んでいる分、こうして直面すると、よく解らなくなってしまう。

 

「さて……昔はそうだったのかもしれないな。今も、そうかもしれない。けれども、僕はよくしらないよ。君のことも、君のもととなった船のことも」

 

 この世界に、世界を二分する戦争は起こらなかった。しかし、艦娘という異世界の残滓が、その歴史をこの世界に伝えることがある。

 提督として着任してから一年でその歴史も、少しだけ学んだ。

 

「まぁ何にせよ、僕の仕事は艦娘達と世界を守ることだ。そのために君たちには相応の期待をする。それでいいじゃないか」

 

 自然と――特に意識することもなく――満は金剛の頭をぽん、と撫でた。それは丁度、そこに偶然金剛がいたから。手を置くのにちょうどいい位置に、金剛の頭があったから、そんな気軽さだ。

 

 目を白黒させる金剛がいる。まるで予想もしていなかったという表情だが、当然満は読み取れない。そもそもコレが、よくある創作のいち場面であることすら気が付かないのだ。

 

「――ふふ」

 

 金剛は一度だけ、本当に楽しそうに照れた様子もなく笑う。

 今度は満がきょとんとする番だ。よくわからないが、笑われるようなことを言っただろうか、そんなふうに首を傾げる。

 

「提督は……面白い人、ですね」

 

 面白い人。

 なんていう評価を満は初めて聞いた。しかしどこかむず痒くなるような感覚と、頬を掻きたくなるような感覚。それを照れていると理解するには満は疎く、そして青いのだった。

 

 

 ♪

 

 

「敵艦見ユ!」

 

 島風がピッと敵を指し示す。戦闘開始の合図はそれで十分だ。直後に赤城と龍驤が、こぞって艦載機を繰り出す。

 赤城の射出とほぼ同時、龍驤の持つ飛行甲板を模した布が揺らめく。

 

 ――艦載機の発艦方法には二種類あり、弓を使った射出型と、龍驤のような呪術的な召喚型に別れる。また、他にもごく一部には艦載機を保存するボックスから艦載機を引き出すようなタイプも存在するようだ。基地型、とでも呼べばよいか。

 現在そのタイプの射出方法を取る艦娘は日本海軍には籍をおいていないが。

 

 とにかく。

 

「艦載機、発進!」

 

 ――赤城の弦を揺らすような声音と、

 

「出陣や、艦載機の皆、頼むで!」

 

 ――気合の入った龍驤の威勢のいい声音が響く。

 

 敵艦隊は戦艦ル級を旗艦とし、空母ヲ級一隻、軽空母ヌ級、重巡リ級。さらに駆逐ハ級二隻で構成されている。

 その中から、空母ヲ級と軽空母ヌ級の二隻が艦載機を射出する。それぞれ空母ヲ級が召喚型、ヌ級が“自分自身をボックスとした”基地型に近い。それぞれ、艦娘の側では珍しいとされる発艦方法であるというのは、ある種の対比か、またまた壮絶な皮肉か。

 

 とにかく、発艦する艦載機の数で言えば、正規空母として圧倒的な艦載機の数を誇る赤城有する島風達南雲機動部隊が優勢だ。

 

 完全に航空権をダッシュしたわけではないが、それでも一定の流れは掴んだようだ。

 空中を舞う艦載機が、真正面から行き交って、いくつかが煙を上げて墜落していく。操縦するのは不滅の兵器妖精であるため、母校に帰還し補給を行えばまた復活するため何ら問題はない。

 

 艦戦の機銃が空を切り裂き敵艦載機を撃ち貫く。ゆらめき、ジェットコースターの三百六十度回転のようなひねりを加えた前方への回転が、それを回避するもそれでも、一部はかわしきれずに墜ちてゆく。

 墜ちて行く数は明らかに敵艦隊の方が上だ。

 

 それだけ機動部隊へ向かう空母を減らした以上、大きなダメージは受けるはずもない。対空装備に特化した北上が、即座に機銃で敵を迎撃していく。

 みるみるうちに数を減らした艦載機は、結局のところろくな攻撃もできず、爆撃も魚雷もあさっての方向へ消えてゆくのだった。

 

 対する赤城と龍驤の艦載機はその活躍が顕著だ。

 

 流星の如く駆け抜けた、風を切り裂く一条は、そのまま重巡リ級、軽空母ヌ級に一撃を叩き込み、ヌ級を中破、リ級を大破にまで追い込む。駆逐ハ級は避けこそしたもののかなり危ない回避であり、実質偶然と呼べるものだった。

 

 ――そのまま両艦隊は一同に雁首を揃え、相まみえる。

 艦隊戦の始まりだ。

 

 

 まず長距離の射程を持つ金剛が、敵が接近するよりも早く主砲を叩き込む。吹き上がった方弾は、敵の旗艦。先頭を行く戦艦ル級に突き刺さる。

 直撃こそ避けたものの、その一撃でル級が大破。それでも、続く砲撃はル級の主砲だ。

 

「気をつけて! 狙われたら即座に回避!」

 

 島風の声がけと、主砲の炸裂する音は、ほぼ同時だった。内容自体は至極当然のものとはいえ、果たしてきちんと僚艦へと伝わっただろうか、確認するすべはない。

 それをする必要も、すぐに無くなる。

 

 砲弾の射線上にいるのは愛宕だ。すぐにそれを理解した愛宕は戦列を乱すように左右に揺れ、回避行動を取る。

 しかし、だ。ル級の砲撃は金剛の一撃が大きく痕になっている。本来であれば飛んでこないような場所に回避した愛宕、しかし彼女をあざ笑うかのようにその上方から、ル級の砲弾が襲いかかった。

 

「きゃあぁっ!」

 

 思わず、と言った様子の悲鳴。見れば丁度急所に直撃をもらったようで、服が焼け焦げ煙を上げている。中破であった。

 

「何よ、もう!」

 

 文句を垂れるようにしながらも、主砲を向けた先には重巡リ級がいる。たとえ中破しようとも、愛宕の機能全てが低下するわけではない。たとえ低下しても、相手はそれよりダメージを追ったリ級である。何ら問題は――存在しない。

 

 直線上、同方向に向かう両者の戦列。愛宕の一撃はリ級を寸分違わず狙い――リ級は回避行動を取ろうとした、“した”で行動は終了している――直撃。きっちり重巡の残りカスを、海に散らして還して見せた。

 

「――ありゃ」

 

 その横で、北上の砲撃が駆逐艦の上方をかすめる。視認しにくい人型サイズの深海棲艦は、時折こうした回避を行うことがある。無論艦娘も同様だ。当てにくい、故に当たらない。

 

「ちょっとー!」

 

 島風が口を挟みながら、中破したヌ級に主砲を直撃させる。放物線を描いた弾道は、中破したヌ級にはいささか回避し難いものがあった。

 

 爆発、炎上するヌ級を尻目に、赤城、龍驤が次々と艦載機を繰り出す。

 狙うは駆逐ハ級二隻。空を切り裂き白雲の痕を宙に残して、ただ直線上の一閃が広がる。爆発的な轟音は直後。ハ級に突き刺さり、黒煙を上げた。

 

「よっし」

 

「上々ね」

 

 敵空母の一撃を回避するように、前方に速度を上げた艦隊に追いつくべく、両者が高速で身体を動かす。艦載機からの魚雷が勢い任せにその後を貫いていった。

 

 残るは空母ヲ級と戦艦ル級。敵艦隊の主力二隻だ。最後に、二巡目の攻撃。島風と、そして戦艦金剛が動く。

 

 速度を更に増して動き出した両名の主砲が、ル級とヲ級にそれぞれ向かう。

 ル級の狙うのは島風。速度を増して、高速でル級に突撃を敢行する。一直線の戦列に、亀裂が生じる。稲妻の如き揺れの亀裂。島風の速度が勢い任せにル級の砲塔をかいくぐった。

 

 同時に、ヲ級ヘ向けられた金剛の主砲。『35.6cm連装砲』がその圧倒的な爆音を火花とともに巻き上げる。

 

 そして――

 

 

「――――バァァァアアアアアニング、ラァァアアアアアヴ!」

 

 

 それすらも上回るような鮮烈な咆哮。

 ――しん、と直後に生まれた空白は、

 

「……んふ?」

 

「ぬぁ?」

 

 愛宕の漏れるような吐息と北上の反応。

 

「……なんやて?」

 

「…………おや?」

 

 小首をかしげる龍驤と赤城。

 

 ――そして、

 

「――へ?」

 

 思わず振り返りながら、それでも主砲を直撃させて戦艦ル級を轟沈させた、島風の間の抜けた声音が飛び出した。

 

 一撃のもと、空母ヲ級が海へと沈み、もくもくと吹き上がる六つの黒煙と、主砲を構え“薙ぎ払え”と言わんばかりに右手を振るった金剛が立ち尽くしていた。

 

 

<>

 

 2

 

 

 赤城が生まれた鎮守府は、提督とその妻が切り盛りする鎮守府だった。提督が全指揮をとり、妻は食堂を運営する立場にあった。

 老齢の夫妻であったことと、提督自身が非常に優秀で名の知れた提督であったことから、正規空母赤城は、彼の預かるところとなった。

 

 当時そこに所属する艦娘は誰もが優しく、赤城を暖かく迎え入れてくれた。赤城自身も温和な性格であり、周囲との軋轢を生むことはなかった。

 

 戦闘面においても、赤城は正規空母としての実力を遺憾なく発揮する。当時、他の正規空母は五航戦と呼ばれる二隻の正規空母しかおらず、正規空母自体に対する期待が大いにあった。

 後に建造ラッシュで一航戦、二航戦の正規空母が建造されるまでの間、赤城は日本でたった三隻しか無い空母の一翼として、名を馳せることになる。

 

 ともかく、その活躍はめざましいものがあり、赤城は空母として期待された以上の仕事をこなし続けた。当時の彼女はとにかく仕事熱心な、ともすればワーカーホリックとすら言える働きぶり出会ったが、熟達の提督とその伴侶は、上手く赤城をコントロールして、彼女をいつでも最適な戦力としていた。

 

 そうして一年がたった頃だろうか、少しずつ太平洋周辺が騒がしさを増してきた。深海棲艦の動きが活発となり、若干前線に置かれていた赤城達の基地も、忙しく周辺海域を駆けまわることとなる。

 

 特に赤城はその基地の最高戦力であり、切り札として重要な海域にはことごとく参戦し、活躍を求められていたため、周囲の不安をよそに赤城は戦った。それが自身の役目であると信じていたからだ。

 

 しかし、思いむなしく彼女は日を追うごとに傷を増やし、ドッグに入る数も多くなっていた。闘いの激化と同時に彼女の精神自体も、大分疲れを生じていたためだ。

 さすがに戦闘を続ける気力を失えば、赤城も出撃の機会は減っていたが、本人はそれでも戦う意思を見せた。

 

 ――戦って、戦って、戦って、最後は艦娘として、戦いの中で沈み、消えていくのだと言わんばかりに。

 

 きっと提督の、“司令官は精密でなくてはならない。しかし銃を持つ者に人間の心がなければ、それは無差別に全てを破壊する兵器に変わってしまう”。という説得がなければ、最後までそうして、戦い、そして海に沈んだことだろう。

 

 そんなある時の事だった。司令官、及び赤城に辞令が下る。それは海軍本部への異動命令だった。

 

 しかし、それは単なる栄転ではない。日本海軍の勢力を結集し、日米合同の深海棲艦掃討作戦を実行するための、戦力整理だった――




ヒトロクマルマル。提督の皆さん、海の中からこんにちわ!

金剛さんの感情は、らーぶはらぶでも恋愛的ではないのです。一応。
そこら辺は金剛さんってばとても現実主義者なので、まぁおいおい。
さて、明日は定期メンテナンスなのです。戦艦改二は一体何御召艦なのでしょう。
豪奢になったヒエーさんを早く見たいものなのです。

次回更新は11月23日、ヒトロクマルマルにて、よい抜錨を!


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『18 無限檻』

 北上が、満を伴って工廠の倉庫を訪れたのは、日が暮れる少し前、夕暮れ時の少しだけ空が赤らんできた頃だ。

 

「ごめんね、わざわざ付いてきてもらっちゃって」

 

「いや、今は仕事が無いから構わないけれども、どうしたんだい? 珍しいじゃないか」

 

 倉庫の中はひんやりと、少しだけ涼しい。夏が始まろうとしているこの時期にこれは、どこか空間が隔絶されるような感覚を満は覚えた。

 別に複雑ではない倉庫の中は、なにやら複雑な機材が詰め込まれている。コンテナがいくつか積まれ、野ざらしにされる艦載機もいくつかあった。

 人間サイズの艦娘が使う機材であるため、その大きさはさほど無く、商品だなに陳列される模型のように満には思えてならなかった。

 

「いやねー、別に提督じゃなくてもいいんだけど、少し話を聞いてもらうなら、多分やっぱり提督なんだよね」

 

「……相談事か、ま、言ってみればいいんじゃないか? あまり参考にはならないだろうが」

 

「いやいや、割りと信頼してるよー」

 

 苦笑い気味に思い出すのは、だいぶ前の出撃以来、随分と提督に懐いた金剛の姿だ。何があったかは知らないが、少なくとも心を許すつもりになったらしい。

 恋愛感情までは端からみても判断はつかないが、それを含めても“好き”であると金剛は謳ってならない。それを見れば、果たして彼からどんな言葉が飛び出してくるのかと、北上は興味津々なわけだが。

 

「んー、どこまで話すべきかな。……全部、は無責任だよね。だったら……」

 

 少しだけ考える。満は自分に殊勝な提案ができるとも思えなかったため、黙っておくことにした。やがて答えに行き着いたか、北上はポンと両手を叩いて、

 

「話の流れで話してこう。という訳で提督、――あたしたちがどうやってできるか、知ってる?」

 

 “できる”造られるということではあるが、満の知る限りでは、彼女たちは建造というよりも、“召喚”という言葉のほうが正しいように思える。

 そしてその、満の認識は、決して間違ってはいないのだろう。

 

「……確か、建造に必要な資材を建造妖精に渡して、規定の時間任せるんだったか。中は基本不明だが、建造していない時の工廠を見た感じ、どうやら呪術的な儀式に近い、そうな」

 

「ついでに、装備建造用の工房も兼ねてるんだよね。定説だと、まず資材に見合った魂を呼び寄せて、そんでもってその魂に合わせた兵装の建造。この両行程を持って新たな艦娘の建造になるんだよね」

 

 なお、これらの魂はすでに建造されている現行の艦娘とは重複しないため、もしも重複する場合は魂が出現せず、代わりに兵装が召喚される。

 これら兵装に妖精を外装として付与することで、遠征などに参加させる“コピー艦”を運用することもできる。戦闘には向かないため、主力艦隊には用いられることはないが。

 

 開発もほぼ同様だ。こちらの場合は兵装と妖精が同時に現出する。建造とは違い手間などは発生しない。

 また、海域に出撃すると、時折艦娘の装備――出処は不明“とされている”。かつての赤城の説明から察するに、沈没した艦娘の兵装、ないしは深海棲艦の廃材であるようだ――をサルベージすることがある。これを改装し予備兵装とすることができる。艦娘が消失したままであれば、新たな魂を召喚することもできる。

 

「にしてもよく勉強してるね。赤城さんいなくてもいいんじゃないの?」

 

「最近は、あの人も出撃している事が多いからな、必要な知識は詰め込むが……それでも、僕は建造開発自体は赤城に丸投げしているから、この倉庫にどんな装備があるかは知らないよ」

 

 赤城が出撃回数を少しずつ増やしている以上、いつかは全ての提督業務が満に引き継がれてゆくのだろう。

 

「まぁ、提督がそんなんだからさ、ここの鎮守府は平和でいいよ。うん、すごくいい」

 

「“そんなん”とはひどい言い草だね」

 

「褒めてるんだよぉ」

 

 満の苦笑に、北上は楽しげに笑った。左右の髪を結ったおさげが感情を現すように震えて揺れた。

 

「ン……とね、あたしの兵装、もうすぐ改装できるんだよ。多分そう運用するようにこの兵装でここまで来たんだけどさ。――改装すると、あたしたちは重雷装艦っていう艦になる」

 

 ぽつり、ぽつりと漏れだした言葉が、やがて助走を付けるように固く、重いものへと変化していく。満でも解る。本題は、ここからだ。

 

「重雷装艦っていうのは、魚雷をたくさん積んでばばっと敵を撃滅する艦種なんだけど、それなりに強い艦種なんだよね。二隻しかいないけど、重宝される艦種だったんだ」

 

「二隻……? うちに来た君と、もう一人は?」

 

「大井っていうんだけど、まぁそれは今関係ないかな。でね、あたしの兵装なんだけど」

 

 一拍、おいた。

 おそらくそれが、北上の抱える思いの重量。吹き上がった沈黙の瞬間は、満の胸を訳も分からず締め付けた。

 

 

「――“今の”あたしは、こうして重雷装艦に改装されるのは、これが二度目なんだ」

 

 

 事務的に、淡々と言葉を北上は告げた。感情の押し殺した後が、泣きそうな瞳から伺える。

 その意味は、理解が及んだ。別に言葉の心理を受け止める必要はない。論理を展開すれば簡単なこと。

 ――北上はかつて、重雷装艦として名を馳せ、その兵装を運用したことがあり、しかし彼女はその兵装をすて、新たな、そして貧弱な兵装に見を包んでこの鎮守府にやってきた。

 その意味は? そこまで思考が及ぶよりも早く、その意味を北上は語り始める。

 

「あたしの昔いた鎮守府はね、それはそれはひどい鎮守府だった。提督が欲の塊みたいな人間で、艦娘が疲労しようと構わず出撃させて、たとえ艦娘が轟沈したとしても、その事実を握りつぶして無かったことにしたりしてたの」

 

「いや……さすがにそれは難しくないか? 軍だぞ? 普通の権力闘争ならともかく、そんな一個人がそんなこと……」

 

「良くも悪くも、深海棲艦との戦いは日常化していて、そういうことをする余裕があるんだ。やっていることは戦争なのにね」

 

 艦娘という戦力と、人材が同時に賄われる存在がいて、それがどうしても重用される。更に建造、整備等に人間という資源が必要ない以上、必然的に人の手は鎮守府の中では少なくなる。

 考えてみれば当然のことだ。その中で権力を持つ人間が、好き勝手するのは比較的容易で、そして露見することはたやすくない。

 

「その鎮守府であたしは大井っち……あたしの親友でもう一人の重雷装艦と一緒に、ほとんど寝る暇もなく出撃させられた。多分、あたしらが一番ひどい目にあってたんじゃないかな。轟沈する艦娘は、さすがにコピー艦だったから」

 

 ――コピーだったからこそ、露見が更に難しかった。声を上げられる艦娘は疲労で自分自身のことにしか意識が向かず、そうでない艦娘も、何かを口にだすことはできなかった。

 

「地獄だった――誰かがそこをそう評しているよ。あたしじゃないよ? もう一人でもない。誰かが、ね?」

 

「……君たちは――いや、それよりも。一つだけ聞いてもいいか?」

 

「うん、それなりに想像はつくし、話すつもりだったから」

 

 ――それでも、まさかそっちから聞いてくるとは思わなかったけど。北上はそう、嘆息気味につぶやこうとして、それを潰した。

 

「もう一人の重雷装艦、大井は“どうしている”んだ? 今は、一体、どこで、なにを?」

 

 息がつまるかのような、言葉の連続だった。

 問いかけるだけの満ですらそうなのであれば、果たして答えを持つ北上は? その少女の行く末を知る彼女はどうだ? 満でも、言い切ってしまったと思えるほどに、視線を下げた北上の顔は暗い。

 

「たぶん、あのまま出撃を続けていればどっかで限界がきて、どっちかが海に沈んでいたと思う。……その時、もう一人がどうなってるかは、正直よくわからないかな」

 

「沈みはしなかった。……外部からの手が入ったか。脳天気な君ですら嫌になったというなら、その人は――」

 

「もう、火薬は握らない生活をしてるよ。兵装も解体した、あの娘はもうここに帰ってくることはない」

 

 ――艦娘として、大井という少女は“死んだ”ということになる。轟沈し消失するでもなく、ただ戦うことをやめて消えていく。そんな泡沫のような結末を、彼女は望んだということだ。

 

 それが、北上の語った一連の結末。終着点であった。

 行き着いて、流れ着いて、溜息をつく。重苦しい雰囲気を吐き出すようにして、しかし結局それが払拭されること無く、北上は一度天井を仰いだ。

 

 倉庫は無骨な鉄色だ。ただ満の、提督としての制服だけが白く透き通るようである。

 

「なるほど、な。それで北上はどうすればいいと考えているんだ? 今、ここで僕にそれを話して、どうして行こうと考えてる?」

 

「……え? あはは、本当に提督はズバッと切り込んで聞いてくるね」

 

 きっと思いの行き違いは彼には無縁のことなのだろう。好かれるか、嫌われるか、極端な人なのだろうな、とどこか他人ごとのように北上は考えた。

 

「――よくわかんない、かな? なんとも言えないけど、それが語ることも憚りたいのか、それともただわかっていないだけなのか、それすらも、はっきりしてないよ」

 

 それでも北上は語った。するりと何かが口から滑りだして抜けていくかのように。北上は、提督のことは嫌いじゃない。満の少し無神経なところは、特に。

 

「となると……まったくもってわからないな。北上の答えがなければ、僕はどうしようもないんだよ」

 

 腕組みをして、あくまで真剣に満は言った。

 分からない。北上がどうすればいいのか、満には一切わからない。解るはずもないのだ。

 

 今度は北上がきょとんとする番だ。何せどうにも満の言うことははっきりと判断がつけづらい。一体どういう真意を持ってか、結論付けるのが難しい。

 

 では、何か。

 満の言葉は、一体どこへ向かうのだ?

 

 何が、

 

 何が、

 

 何が、――北上の思いを鎮めるという? 満にもわからないという、あまりにも複雑怪奇な少女の心を、果たしてどうして、だれがどのように変えるというのだ?

 

 疑問は当然。

 あくまで自然。

 

 だからこそ、満は言った。

 

 そこから続けて、満は言った。

 

 

 ――謳うように、軽口を。高らかに、宣言を。

 

 

「何せ、僕の鎮守府でそんなことは“ありえない”からね」

 

 さも当然のように。

 そうでなければおかしいというように。

 

 ただ、それだけの言葉で、言ってのけた。

 

「――あ」

 

 理解して、呆然とした北上の口から漏れたのは本当に小さな、たった一つの音色を伴った嘆息だった。

 

 やがて、降り始めて勢いを増す雨のように、北上はただただ朗らかに、ただただ楽しそうに、笑い始めた。

 

「アッハハハハハハハハ! なにそれ、なにそれなにそれ、なにそれっ!」

 

 ありえないと、否定するように。しかしその笑みが、否定したことそのものを更に上書きで否定してかき消すように、北上は心の底から盛大に笑った。

 

 笑って、

 

 笑って、

 

 笑い続けた。

 

「提督、頭おかしいでしょ!」

 

 思わず飛び出た北上の言葉。

 

「随分な言い草だね!?」

 

 訳も分からず、狼狽する満に、更に北上は追い打ちを続ける。

 

「いやいや、おかしくなくちゃ提督じゃないでしょ。おっかしいのー」

 

「おかしくはないだろ、僕は普通に、常識的に、人間的に考えているつもりだ」

 

「あっはは、それがまたまたおかしいってば」

 

「なにがさ!」

 

「なにがだよ」

 

「北上ィ!」

 

「提督ゥ!」

 

 もはや、取っ組み合いの喧嘩でも始まるかという威勢に、工廠から様子を覗きに来た妖精が思わずといった様子で扉から外へと逃げ出してゆく。

 訳も分からず、楽しげな北上に釣られて思わず笑みを浮かべる満に、北上は更に満足気な声を上げた。

 

 なんども、なんども、ただただ笑いあって、目的――倉庫に来た本来の目的は、重雷装艦に必要な、甲標的という装備だ――を思い出すのに、十分近い、時間を必要とするのだった。

 

 

<>

 

 3

 

 

 一人、海に佇む少女がいた。――おそらくは艦娘だろう、現代の日本にはそぐわない、どこか浮世離れした和装。空母だろうか、とあたりをつけて赤城は、その少女に声をかけた。

 

「あの、少しよろしいですか?」

 

 少女――見た目的には十代後半か、二十代といったところだろうが、基本的に艦娘は年を取らない――は、それに反応し振り返る。

 

「――何でしょう」

 

 どこか一本筋の通った、張りのある声だ。少しばかり冷たい印象を受けるものの、なんということはない、クールと言う言葉を使うには、彼女のような女性がふさわしいだろう。

 赤城から彼女に対しての第一印象は、どこか冷たそうな人。鋭い目つきが、一層それを強めていた。

 

「お恥ずかしながら、道に迷ってしまいまして。道を聞いてもよろしいでしょうか」

 

「……まさか、海軍本部へ行こうとしているのですか?」

 

 彼女も、どうやら赤城のことを艦娘であると理解した風だ。すぐに察しがついたのだろう。とはいえ、どことなく強い口調だ。聞いていて少し身構えてしまう。

 

「えぇ、えっと……道を聞いても?」

 

 伺うように、赤城は問いかけた。なんとなくではあるが、そうするのが正しいように感じられるのは、果たして勘違いなのだろうか。

 

「…………」

 

 加賀は、数瞬の間答えなかった。考える素振りはない。表情や仕草に出ていないだけなのかもしれないが、そうには決して見えなかった。

 

 そこから更に、赤城は数秒を数分に感じた。加賀はやがて、ふと気がついたように。

 

「……あら?」

 

 と、首を傾げる。

 

「もしかして、何か誤解をしていませんか? 別に、責めるつもりはないのだけれど」

 

「……そうですか?」

 

 思わず、と言った様子で赤城が問いかけた。それからハッとしてすぐさま謝罪をする。

 

「ごめんなさい、少し言葉を選んでいたわ。案内をするにしても、行き方を説明するにしても、どうしても長台詞が必要だから」

 

 困ったように、その時彼女は初めて笑った。ただの柔らかなものでも、怒りを隠したものでもなく。ただただ単純に、ふと漏れでたような小さな苦笑だった。

 

「変な人。同じ空母で、しかも貴方は正規空母でしょう? 別に私に気兼ねする必要もないのに」

 

「え? あぁいえその……」

 

「緊張しているの? 無理もないわ。でもそうね、それだったらもう少し、こうしていましょう?」

 

 話をしようと、彼女は誘った。同時にカツンと音を立てて歩を進め、赤城の横に並び立つ。案内をしようということだ。

 

「……赤城、といいます。艦娘、正規空母です」

 

「――加賀、貴方と同じ、正規空母として生まれた艦娘よ?」

 

 どこか淡々とした口調で、彼女――加賀はそうやって赤城を見つめた。赤城も少しだけ呆けたように、それに対して視線を返した。

 

 後に一航戦という呼び名のもと、日本どころか、世界に名を残すこととなる最強の正規空母コンビ。

 

 赤城。

 そして加賀。

 

 二人の初めての邂逅は、そんな、とても小さな、日常を切り取ったような会話の中に、生まれるのだった。




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、コンニチワ!

北上さまの可愛さはあの台詞に濃縮されるわけですが、それだけでなく、駆逐艦に対する台詞も彼女らしいですよね。
色々想像は及びますが、そこがいいわけなのです。

次回更新は11月27日、ヒトロクマルマル。よい抜錨を!


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『19 再生の在り処』

「それじゃあ提督、行きますね!」

 

 島風の声が海に高らかと響き渡る。

 島風だけではない、海に行くのは南雲機動部隊、つまり満の鎮守府における主力だ。人的資源がいささか乏しい鎮守府であるため、新たな作戦を実行し、戦線を推し進めるとなれば当然主力艦隊による全力出撃でなければありえない。

 

 金剛の中破や北上の改装など、時間と資源のとられる事象が重なったため、こうして全力で出撃するのは数ヶ月ぶりのことだ。当然その間は演習にも時間を費やした。練度は十分に上がっているはずだ。でなければこの作戦“柳輸送作戦”を実行したりはしない。

 というのも、この作戦で制圧する必要のあるパシー島を占領している戦力の中には、エリートと呼ばれる上位存在が確認されているためだ。

 

 エリート。それは深海棲艦の中において発生する突然変異とも呼べるもので、詳しくその全容が解明されているわけではないが、わかっていることは、全ての能力が一段階上のものに変じているということ、そしてそれらが出現するということは、それだけその海域に深海棲艦の戦力が集中しているということだ。

 ――満は、これらエリートは深海棲艦の性質が“海に沈んだ怨念が転生した姿”であるところから、“深海棲艦の怨念”から生まれたより強固な怨念を持った存在であると考えている。

 

 それが果たして正しいかはともかく、たとえ知っても意味のないことではあるが。

 

「それでは提督、行ってきますね?」

 

「故郷に錦を飾るのデース!」

 

 赤城が心配をかけないように、といった声音と、提督を一人にすることを心配するような声音を合わせた雰囲気で。

 金剛が、なんとはなしに浮かんだであろう言葉を高らかに呟いた。

 

「提督が安心できるよう、全力で敵を撃滅します」

 

「島風には負けへんで!」

 

 愛宕の柔らかい声が響いて、さらに龍驤がそれに続いた。

 さらにやんややんやと、その内容に反応した島風とのやりとりも、きっと無線機越しに届いているだろう。そうして、最後の一人だ。

 

 先ほど出撃の合図をしてから、随分と賑やかに艦娘たちは提督に声をかけていた。そこにある意思は、きっと満に向けたものだけではなく、もう一人、北上に向けたものでもあるだろう。

 

 気張るな、そう言っているのだ。

 

「――まぁ、そうだね。うん」

 

 出だしだけ、上ずって。なんとはなしに自分自身の緊張を自覚する。果たしてこの中で、誰が北上の過去を知った上で、こうして気遣ってくれているだろう。

 おそらくは、赤城かせいぜい島風くらい。だれもが、ただ感じ取って、そしてその上で何も言わずに、付き合ってくれているのだ。

 

 やがて言葉を一つ、二つ、三つかさねて、ようやく落ち着いた自分の心に、心にしかならない決着をつける。果たしてそれが、自分の中で何を変えたか。それはきっちり何も解らずに。

 

 ただ、口を開いて音を紡いだ。

 

「任せておいてよ、提督。……全部、全部だよ」

 

 

 ♪

 

 

 パシー島周辺に点在している敵艦隊の多くは輸送作戦を行うための輸送艦を伴った艦隊。通商破壊であればそれ相応の作戦をとることとなるが、結果としてそうなるということも多い海域だ。

 ただし、その敵艦隊自体が散発し、まとまりが無いため主力艦隊に辿り着くまでに一度の戦闘も起こらないということがありうると想定されている。

 

 事実、偶然見つけた資材――基本的に艦娘の消費する資材は海から拾い上げる。これは深海棲艦の廃材であるとされている――を回収して、そのままパシー島へと乗り込むことになった。

 

「敵艦見ユ! 重巡リ級二隻。雷巡チ級一隻、軽巡ヘ級一隻、駆逐ニ級二隻! 内リ級二隻とチ級一隻がエリート!」

 

 見据えた先の敵艦は、いささかその様相を変えていた。

 エリート。赤染の閃光をまとった、異様というよりも美麗を感じる威圧感。連なるように、横一列に並んでいる。

 

「回頭! ちゃんとしてる!? このまま単縦陣になるよう、斜めに切り込んで同航戦に持ち込むよ! 空母は艦載機構え!」

 

 その様子は、すでに赤城の艦載機“彩雲”によって伝えられていた。このまま進行すればT字不利での戦いが強いられる。敵への攻撃が分散され、夜戦にまで持ち込まなければ勝利が危うくなるだろう。

 当然それは島風達の望みではない。決して脅威的な敵ではないのだ。あくまで通常通り戦えば全滅もそこまで難しくない敵である。

 

「行きます!」

 

 斜めに身体をかしげながらも、全く問題のない様子で、ブレのない赤城の指先から、無数の艦載機が躍り出る。一発、二発、三発。怒涛のごとく敵を襲う。

 同時に、龍驤の飛行甲板もはためいた。

 

 敵艦隊を叩き潰すべく空を行く艦載機。敵に空母はいない。縦横無尽に飛び回る、空は赤城達の独擅場だ。

 

 降り注ぐ爆雷の嵐。無限にも思える火炎の煙は、駆逐ニ級二隻と、軽巡ヘ級一隻を何らくもなく海へと沈めた。

 

「ッシ、大分楽になるで!」

 

 龍驤は軽く握りこぶしを作ってガッツポーズをする。とはいえ楽になるとはいっても“大分”完全勝利も見えるだろうか、という程度。

 無論それでは、

 

「次、行くよ!」

 

 ――終わっていられない。

 

 北上が雷撃のために魚雷を構える。敵を穿つという目的のため、直線上に構えられた砲門。

 なれた手つきで構えられたそれは、何ら問題もなく、旗艦リ級を射程に捉えた。――一泊、砲撃が遅れる。それはテンポを崩すものではなく、テンポの中で最良が良に変わる程度のもの。

 

「全門、斉射ァッ――!」

 

 どこまでも北上は優秀な艦娘だ。数ヶ月どころか、数年近いブランクを持ってしても、正確に、迷い一つなく――ただ一回の感慨だけを加えて――撃ち放つ。

 

 爆発は、

 後を追うように続いた。

 

「すっごーい、この距離から当てた!」

 

「甲標的は中に妖精がいて、そこから更に魚雷を撃つんだよ。だからそこまで距離は関係ないかな」

 

 おそらく、重雷装艦という存在と、ないしは開幕で遠距離から魚雷を放つ艦娘と同時に出撃をしたことがないのだろう、島風が感心したように言う。

 北上はなんとでもない様子で、特に気にした風もなく言う。無関心で言えば、ようやく調子を取り戻してきたような感触だ。先ほど打った魚雷も、どことなく懐かしく、手に馴染む。

 

「悪くない……かな」

 

「むしろ、良かったと思うわよ? 旗艦をキッチリ落としたのだし、ね?」

 

 北上のつぶやきを、偶然愛宕が拾ったのだろう。そうやって返されると、少しばかり気恥ずかしい。聞かれたことそのものに加えて、返された内容も。

 

 長距離から、すでに金剛が主砲の狙いをつけている。もうここは戦いの場だ。あまり軽口も付けなくなる。気合を入れなおして、北上は意識を切り替えた。

 敵はすでに壊滅状態。残るエリート二隻を沈め、完全勝利で敵を殲滅するのだ――

 

 

 金剛の射程に追いすがろうと、重巡リ級が狙いをつけているのが金剛には見えた。しかし、接近を続けながらも両者の距離は思うよりも遠い。

 それこそ甲標的や艦載機のような特殊な兵装が、今敵には必要なのだろう。

 

「少し、甘いデス。私は戦艦金剛。貴方のような下賎な輩に、手出しさせるつもりはありません。そして、私の仲間たちにも――!」

 

 両者の主砲は、直線上にあるように思えて決定的に違う。それはその主砲の角度。前方に、ただ向ければ良い金剛と、前に突き出しても、突き出しても届かないリ級。仰角もまた、金剛の方が前を向き、すべての準備を終えていた。

 

「ハァアアアト、バァァニィィング!」

 

 声を砲撃の爆音に見合うほど張り上げて、金剛は敵を撃ち抜くべく主砲を放つ。抉るように空間を破壊し、放物線を描いた一撃は、爆発。リ級を大破にまで追い込む。

 

 ――リ級は即座に選択を切り替える。この状態で主砲を放ったとしても戦艦相手に大したダメージは見込めない。だとすれば、狙うべきは――? 装甲の薄い北上か空母。リ級が選んだのは隊列の前方を行く北上。

 同時に、雷巡チ級もまた、北上に砲塔を向けた。

 

「……ッ!」

 

 すぐさまそれを察知した北上の顔が、一瞬険しくなり、すぐさま元の物へと戻る。迫り来る砲弾はすでに発射されている。気を張ってもどうにもならないものはどうにもならない。

 リ級の放つことのできるギリギリの射程。二発の砲弾が迫るのだ。本命は二発目、健在のチ級による一撃である。

 

 雷巡はさほど火力のある艦種ではないがそれでも、同一の装甲の薄い重雷装艦程度なら、問題はない。腐っても、敵艦は深海棲艦のエリートなのだ。

 

 一発目。急速に速度を低下させる北上。前方にあがった飛沫に一瞥をくれた直後、瞳を凝らして敵艦を見据える。

 正確にはその上方。飛来する敵の砲弾。もはや回避には一切の余裕はない。直撃するか、なんとか身をかばって小破程度で済ませるか。

 

 ――北上は、

 

 

「……甘いよ!」

 

 

 その、どちらも取ることはなかった。

 人間としての身体を持ちながら、水上を行き、軍艦としての戦闘能力を有する。故に取りうる、通常では考えられない回避方法。

 それ以前に、人間でもある以上、考えても実行できないような方法。するならばむしろ、それは芸術の域といえるだろう。

 

 回転した。

 

 北上はその場で、舞うように、身体を思い切り滑らせたのだ。

 

 円を描くかのように、“体制を崩す”北上。数十センチの砲弾が、その横をまるで最初から空を切る射程であったかのように駆け抜けて行く。

 片手に添えられた身体を振り回す北上の後を追う主砲。

 

「イロイロまだ、全部に答えを出せたわけじゃない。でも、答えを出さなくても問題ない程度には、ここにいる自分が恵まれているから――あたしは、そのための居場所を、守ってやるんだ!」

 

 敵を、捉える。横殴りに叩きつけられるように急停止した回転は、そのままリ級へと砲塔を向ける。北上の瞳が、迷いから意思へ、意思から敵意へと変化する。

 

 彼女らしくないほどに声を張り上げて。

 彼女だからこそ持ちうる全ての言葉を紡いだ。

 

 北上の、絶叫が地平線の向こうへ、響き渡る――

 

 

「――――ッテェェェェ!!」

 

 

 一撃、それだけあれば十分だ。大破したリ級エリートをキッチリ一撃ぶち当てて轟沈させる。あとに残るのは、雷巡チ級。

 

「任せた!」

 

 すでに、その目前に島風がいた。

 北上の叫びを背中に受けて、真正面から、砲撃を恐れることすら無く連装砲を構え、島風が軽く笑む。

 

「これで、おっしまい!」

 

 一発。クリティカルの大破。

 二発。外すこと無く、キッチリチ級を轟沈させた。

 

 結局この海戦。

 誰一人としてダメージを負うこと無く、島風たちは勝利を海に刻むのだった。

 

 

 ♪

 

 

「と、言う訳で、本作戦における一切の被害はなし。完全勝利で敵深海棲艦“エリート”を撃破、帰投しました」

 

「ご苦労様、よくやってくれたね。特に北上は敵のエリートを二隻沈めてくれた。今回の一番は間違いなく君だろうね」

 

 赤城の報告を受けて、ねぎらうように満は言う。どことなく安堵が見えるのは、未だ彼が未熟であること、そして何より艦娘を思っているということだ。

 

 言葉を受けた北上が幾度か首肯し腕組みをする。

 

「ま、これが重雷装艦の実力ってやつよ」

 

 どこか鼻高々にしていうものの、それを島風が覗きこみ、からかうように笑んで言う。

 

「あっはは、すっごい安心したって顔してるね」

 

「……やっぱ、駆逐艦って、嫌い」

 

 茶々を入れられてげんなりした様子で北上が言う。島風は気にした様子もなく更に笑みを深めてパタパタとその場を去ってゆく。その後に龍驤と金剛が続き、三人は司令室を退出するようだ。

 龍驤と金剛は最後に「凄かった」と率直に北上へ告げると、両開きの扉を開け放ち部屋の外へと消えてゆく。

 

 更に、満と軽く言葉をかわし、何やら用を頼まれたらしい赤城がその後に部屋を出る。お疲れ様です、と最後に声をかけたのは、やはり北上であった。

 

「これからもお願いね?」

 

「あはは、任せてよ」

 

 当たり前のように言葉をかわし、愛宕も部屋を後にする。結局、北上は机に積まれた書類に手を付けようとする満とともに、司令室に取り残されることとなった。

 沈黙が流れる。満が北上に意識を向けていないこと、そしてそれに対してどこか北上が居心地の悪そうにしていることからそれは、どこか気まずいものとなっていた。

 無論、満はそんなことに察する節すらみせないが。

 

「あ、あのさ?」

 

「……ん? どうした、北上?」

 

 話があるのかと、ようやく北上が何やら言いたげにしていることに気がついたらしい。満がふと顔を上げる。しかしそもそもそれは、北上が声をかけたことから明白な事実だ。

 

「重雷装艦になったあたしは……どう思う?」

 

「いいんじゃないか? 開幕に攻め手が増えて制圧力が増した。その分他の艦娘が楽をできる。ありがたいことにね」

 

 あくまで一個人ではなく、提督としての答えに、北上はどこかがくりとうなだれる。別に期待していたわけではないが、こうも予想通りだとどこか呆れと共に心配が去来した。

 

「それに……」

 

「――ん?」

 

「北上も悩んでたんだろう? それがこうして重雷装艦になって解決したんならいいのだけど。どうにも単純な問題じゃなさそうだしさ」

 

 結局それも、提督という立場からの言葉だったかもしれない。しかしそれでも、満はなんでもない様子で、北上の予想に反し気遣うように言葉をかけた。

 

「……あははは、どうだろうね」

 

 それに対して北上は、あくまで曖昧な笑みを浮かべた。何かを返してもらえるとは思っても見なかったから、言葉に詰まったというのと、実際に語る言葉に迷ってしまったためだ。

 結局のところ、いまも北上は答えを出せそうにない。かつて隣にいた少女が今はいない。それは北上にとって、ずっと引きずっていかなければならない問題であるからだ。

 

 とはいえ、言葉を返せないわけでは、なかった。

 

「別に、全部の悩みが解決したわけじゃないし、解決することを、望んでいるわけでもない。あたしはこれからも悩んでいかなくちゃならないから。……でも、その悩み方も、少しだけ肩のこらないものになった、かもね?」

 

 つらつらと、漏れだすのは本音。

 今まで、語ることもできなかった自分の楔。北上はマイペースな少女だ。そしてそれゆえに“掴みどころ”がない。掴んでいるべき、何かもない。

 

 それでも、

 

「――だから、これだけは言わせて?」

 

 その時、北上は笑った。

 普段のような笑みではない、誰かに見せるような笑みでもない。純粋に、子どものような無垢な笑み。そして少しだけ、それが自分に似合わないという思いもあるだろう。

 

 

「……ありがとねっ!」

 

 

 気恥ずかしさに、困ったような。

 嬉しさに、手放しでそれを表現するような。

 

 優しくて、そして少しだけ幼い。そんな小さくて、まっすぐで、いつまでも心にとどまり続けるような笑みを、北上は浮かべた。

 

 

<>

 

 4

 

 

「それでは、自己紹介をしてくれたまえ。これから背中を預ける仲になるのだから、まずは印象を悪くさせないように、頼むぞ?」

 

 ――そんな、老年の提督がかけた言葉を皮切りに、集められた六人の艦娘は互いに視線を向け合って互いの顔を見る。

 最初に口を開いたのは、黒染めの髪が特徴的な凛とした少しだけキツ目の雰囲気を受ける女性。

 

「長門型一番艦、長門だ。普段は聯合艦隊旗艦を務めるが、このたびは日米連合軍旗艦を務めることとなる。おそらくさほど問題はないと思うが、あまり緊張せずに接してくれると助かる」

 

 長門型は日本の誇る現行最強の戦艦だ。史実においてはビックセブン――当時世界最強とされた七隻の戦艦の一隻とされ、その時の日本の象徴であった。

 この世界の日本においても同様で、建造当初から日本の聯合艦隊旗艦として象徴的な扱いを受けている。

 

 そのためかどうにも駆逐艦や軽巡洋艦などの艦種の艦娘からは萎縮される傾向が長門にはあるようだ。仕方ないといえば仕方ないが、それはどこか寂しそうに見える長門に対し、言えることではないだろう。

 

「同じく長門型、二番艦の陸奥よ。短くて長い付き合いになるでしょうけれど、これからよろしくお願いするわね?」

 

 この艦隊は、ミッドウェイに出現しつつある大量の深海棲艦を撃滅するための主力艦隊だ。よってその作戦が終了となれば解散である。が、それを成すためにこれから過ごすこととなる時間は密度のある忙しい時間になるだろう。

 短いが、長い。そしてその長さと同等の信頼関係もまた、必要となるのだ。

 

「航空母艦、蒼龍です。一航戦の方には劣りますが、正規空母としての実力を発揮できるよう、がんばります」

 

 一航戦、というのはこの場合、史実――赤城や加賀のもととなった世界における彼女たちの呼び名を、そのまま尊称として使用しているのだ。いわば二つ名、ないしは通称とされる。実際に彼女たちが一航戦に所属しているわけではない。

 これはニ航戦の蒼龍、そしてもう一人の正規空母である彼女も同様だ。

 

「飛龍です、皆さんのお役に立てるよう、精一杯がんばりますね?」

 

 ここに立つ面々は、海軍本部にて聯合艦隊旗艦を務める長門とその相棒を務める陸奥、本部直属第一艦隊の旗艦である加賀の三名を除けば全員が初対面だ。

 それぞれが思い思いに言葉をかわす。

 これから命を預ける相手、探りこむように、身を委ねるように、六人の会話はそのまま続いた。




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、コンニチワ!

北上さまが詰まったお話でした。
この作品に於ける彼女の魅力を、あらん限り尽くせたのではないでしょうか。

次回更新は12月1日、ヒトロクマルマルです。良い抜錨を!


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『20 あるがまま、行くがまま』

「――勝手は! ――榛名が! ――――許しません!」

 

 鳴り渡る爆音は、夜の空に新たな雲をひとつ浮かべる。連続でそれが流れて、赤い閃光は並んで二つ。“高速戦艦”榛名が放つ『35.6cm』。

 

 叩きつけられるのは、愛宕。

 鮮烈に衝撃が前方から後方に叩きつけられ、ぐらりとその体が揺れた。

 無論、現在は演習であり、使用される砲弾は全て特殊な処理が為された擬似砲弾。敵艦の主砲などによって伴う衝撃などはなく、あくまで破損の度合いを判定するためのもの。

 通称擬似破信弾などと呼ばれるが、これによりダメージを受けた場合、それに見合ったダメージ具合が判定され、判定された値によって、一時的に艦娘の兵装及び速力などが低下する。

 

 この場合、愛宕は大破、ぎりぎり戦闘継続能力が認められ轟沈判定とはならなかったものの、満足の行く戦闘能力はすでに失われていた。

 

「……ぅく」

 

 思わずこぼすのは、衝撃に拠る呻きと、感情からくる敗北感。もはや自分が砲撃を行うことはないだろう。榛名の一撃は、この夜戦における最後の一花だったのだから。

 

「これで決めさせてもらいますヨ、榛名!」

 

 戦場に響き渡る戦艦、金剛の声。勝利宣言であり、それはなんら間違いでもなく、必然的な結論なのだから。

 

 ゆっくりと回転する砲塔は、正しく榛名へと向けられる。即座に身体を反転させ回避行動に取る榛名であるが、回避するにも状況が悪すぎる。いくら回避しようとも、その先を狙うだけで、榛名は大破に陥るのだから。

 

 直後、二連の砲撃。叩きつけられ吹き上がる火花は、やがて夜にとける黒煙へと変わりどことも知れぬ夜天のどこかへ消えていった。

 

 

 ♪

 

 

 某月某日。それは高速戦艦榛名を要する水上打撃部隊との演習における一場面であった。敵編成は旗艦榛名に重巡洋艦二隻と軽巡二隻に軽空母一隻の艦隊。満の主力艦隊、南雲機動部隊との戦闘の結果、昼間の戦闘は敵軽巡二隻、重巡一隻、軽空母一隻の轟沈判定。

 更に南雲機動部隊の空母二隻が中破という形になった。――いくら赤城といえども、砲戦能力がない状態で戦艦の射程に入れば、ダメージは免れ得ない。無論、今後の満たちの改善点の一つである。

 

 そして夜戦、残る重巡一隻を島風が砲撃で轟沈判定。そして最後、すでに小破していたものの、十分に戦闘継続能力を有していた榛名による主砲二連撃。

 結果、愛宕が大破。轟沈判定がでなかったことは、純粋な幸運であったと言える。

 

 最後に金剛の一撃で榛名が轟沈判定を受けたため、この演習は満達南雲機動部隊の勝利となった。

 

 演習相手となった提督との歓談を終え、満は自身の鎮守府に帰還していた。今回は相手側から満に申し込まれた演習であり、海域は満達の鎮守府のすぐ近くであったのだ。

 一夜中の会話は思いの外実りが多く、だいぶ長くまで話し込んでしまった。まぁ困るのは諸処の事情から響から逃げまわる島風くらいだろう。むしろ金剛などは久々に顔を合わせた姉妹艦の榛名と一日中語り明かす算段らしい。

 

「あ、提督ー」

 

 北上の声だ。相手側の提督が宿泊している施設から、司令室は大分離れるうえ、徒歩での移動は外部を経由しなくてはならない。丁度満達が邂逅したのは、鎮守府の一角である波止場においてであった。

 

「おはようございます、司令」

 

 夜戦まで演習が持つこんだことにより、相手提督との歓談も夜が白むまで続いていた。一夜明け、現在は大体日の出前、ということになる。

 

「あぁおはよう。今から寮に帰るところかい? 大変だね」

 

「司令こそ、一日中お仕事で、お疲れ様です。それに、もっと大変なのは秘書艦の赤城さんですし」

 

「まぁそうだろうね。あぁそうそう、あとで赤城を見かけたら司令室に来るように言ってもらえるかい? 多分もう司令室にいると思うけど、一応ね」

 

 分かりました、と北上の少し間の抜けた言葉に、満はすこしばかり苦笑しながら、それじゃあと手を上げてその場を離れようとする。

 が、しかし。

 続けざまに北上が言った。

 

「そういえば、愛宕っちが何か用事があるみたいよ? ちょっと今の仕事が終わってからでいいから、付き合ってくれる?」

 

「……ん?」

 

 少しばかり、虚を突かれたように声を漏らした満。何もおかしなことはない。しかしもう一つ、ポカンとした声があった。

 

「…………え?」

 

 用事がある、とされた愛宕自身が、まるでそれを“聞いていない”とばかりに声を漏らしたのである。続けざま、今度は湧き上がるように、悲鳴のような愛宕の声が響き渡った。

 

 

「えぇぇ!?」

 

 

 ♪

 

 

 結局、あれよあれよという間に北上によって愛宕と満が午後の空いた時間に、ふたりきりになるということになってしまった。

 そうしていると、どうやら愛宕には思い当たる節があるようだが、当然満にそれが解るはずもない。

 

 首をひねりながらもその場を後にし、赤城との会話を終えた後、書類の整理をしていたり遠征帰りの天龍達を往なしていると、いつの間にやら昼は過ぎ、約束の時間になっていた。

 売店から買って持ち込んだ昼食――サンドイッチ一つに1.5リットルのペットボトル一本だ。ペットボトルは基本艦娘が司令室に襲来した場合の飲み物であったり、赤城との兼用であったりする――を食しながら時間を潰していると、司令室の扉が叩かれた。

 

「どうぞ」

 

 満の声がけに、失礼しますという愛宕の返答が帰ってきた。

 扉がゆっくりと開かれて、兵装を外した愛宕が現れる。波止場で邂逅したときは、まだ兵装はつけていたが、メンテナンスの意味もある、整備妖精にあずけてきたのだろう。

 

「おじゃましますね? ごめんなさい、時間をとらせてしまって」

 

「愛宕が謝ることじゃないさ。北上が勝手にやったことだろう? あとで個人的に言っておくよ」

 

 空気は読めないが行間は読めるのが満だ。愛宕の反応が、最終的にそういった答えに行き着くのである。

 

「でも、何か語ることはあるんだろう? でなければここには来ないだろうし……っと」

 

 言いながら、立ち上がり部屋の隅に放置されている椅子を取りに行く。基本的に報告は立ちっぱなしで行う上、数分で済むため、椅子は必要ない。時折赤城が長時間作業を必要にする場合必要になる程度だ。

 ソファを設置しようとは考えているが、中々タイミングがなく予定のままだ。

 

「座ってくれ、ゆっくり話そうじゃないか」

 

 一瞬沈黙、何かを覚悟するように、愛宕は頷いた。

 

 

「――前の鎮守府で、私はなんというか、不相応、でした」

 

 愛宕は生まれてから今年で二年の艦娘だ。前の鎮守府でほぼ一年、そして現在の鎮守府で一年と少しだ。

 新人、という程ではないが、それでもその活動時期は暁達に毛が生えた程度でしか無い。

 加えて愛宕の言う不相応には重巡洋艦という艦種が、戦艦の代替品とされていることにも由来する。それは、史実における一幕であったが。

 

「もともと、重巡洋艦としては優秀な性能があるのですけど、それが別に戦艦に匹敵するわけでもないのです」

 

 この世界における資材の枯渇はありえない。無論それは艦娘に限った話だが、彼女たちの資材はすべて“深海棲艦の廃材”から賄われているためだ。深海棲艦の消滅がありえないことを鑑みても、マッチポンプという他にないが。

 故に、戦艦を運用することができる基地に、重巡洋艦というのはいささか肩身が狭い。

 

「主力艦が不足している僕の鎮守府でそれはそうとは思わないけどね」

 

 満の鎮守府は、鎮守府と名は付くものの稼働したばかりでいささか規模が小さい。通常の鎮守府で艦隊が二つしか無いというのはいささか不足だ。

 

「昔は大きな鎮守府にいましたから、それに、そうでなくとも私は、少し特別扱いでしたね」

 

「……何故だい?」

 

「それが、さっぱりわからないんです。私が建造された少し後に、私のことで少し取り決めが合ったみたいです」

 

「なるほど、あとで赤城に聞いてみるよ」

 

 その当時の愛宕は、まったくもって過保護に扱われていたという。その意味するところはきっと、過保護にしていた艦娘たちにもわかるまい。

 少し考えて、満は思考を整理する。愛宕の過去は、いささか奇妙なものだ。戦力としては優秀でも、ひとつの歯車としかならない重巡洋艦。それに対して過保護な鎮守府。

 しかし、それが満の鎮守府に受け継がれることはなかった。そして取り決めがあり、愛宕はひとつの身の振り方が決定していた。

 

 いくつかの点。結ばれてゆく線、浮かび上がる絵図の意味するところは――

 

「……なぁ愛宕、君は自分に、なにか特別な才能はあると思うかい?」

 

「才能、ですか?」

 

 満は無言で首肯する。愛宕は即座に考えて、しかしそのまま否定する。パッと浮かばなければ、それはきっと考えた答えになってしまうからだ。

 

「ない、と思います」

 

「――原因はそこ、かな?」

 

 小声でポツリと呟いた言葉。愛宕はそれに、え? と小さく問い返す。

 

「いや、なんでもないよ。多分、愛宕は気にしすぎてるんだ。君は優しく、人に頼られやすい性格をしていると僕は思う。甘えたくなる、といえばいいかな?」

 

 単純な印象ではあるが、満は愛宕から母性を感じることが幾度かあった。彼女はそういう少女なのだと、なんとはなしに思うことがあった。

 目立つ行動ではない、行動を支える基幹から感じ取れるのだ。

 

「心配しなくとも、不足があれば僕が補う、他の仲間たちだっていい。君は、君なりの在り方をここで見つけていけばいいのさ」

 

「……ふふ、甘い言葉がお上手ですね、提督」

 

 満の言葉は、気休め程度のそれではあったが、しかしそれでも愛宕に冗談を言わせる程度には余裕を持たせることに成功したようだ。

 

「いやぁ、それはなんというか……うん、褒め言葉として受け取っておくよ」

 

「うふふ」

 

 少し気恥ずかしさもあってか、思い当たる節もあってか、満はポリポリと頬をかき、ごまかすように苦笑した。愛宕も、そこまでそれを責め立てるわけではない。

 二人の困ったような笑みと吐息が司令室にこぼれ、そうしている内に、会話は終わった。

 

 

 ♪

 

 

「……つまり、だよ赤城。愛宕はこの鎮守府に来ることが最初から決まっていたんだ」

 

「そうは言いますが、一体誰が? そのような裁量を持つ人間はほとんどいませんよ? 歴戦の艦娘であれば、多少は融通が聞くと思いますけれども」

 

 いくつかの点をつなぎあわせて、見えてくることがひとつある。それは愛宕が最初から、満の鎮守府へ行くことが決まっているということだ。

 これは、かつての鎮守府で轟沈させないよう気を使われているというのに、満の鎮守府にそれが受け継がれなかった点、そして過保護であったことすら報告が無い点から明白だ。

 

「わからないけれど、愛宕でなければならない理由があった。おそらく僕は彼女の一個人としての才能――島風で言えば戦闘センスのようなもの――に起因していると思う」

 

「それが愛宕の“過保護”の原因を見いだせない理由、ですか」

 

「まぁそうだね。……愛宕のことは気になるけれど、それに関しては赤城に任せるよ、二つくらいお願いをしていいかな?」

 

 内一つは、戦闘センスのない満では、愛宕の才能を見いだせないために、赤城にそれを依頼するというもの、そしてもう一つは、愛宕をこの鎮守府に配属するよう融通しただれかの正体だ。こちらは片手間でもよいので、赤城にやるように頼む。――だけではなく、自分でも手を付けることにした。

 

「じゃあ……赤城。南雲機動部隊、出撃するよ?」

 

 今この瞬間、赤城がこの場所――司令室――にいる理由はひとつ、出撃の承認を満から得るためだ。元より予定にそって行われる出撃であるため、形式的なものではあるが、形式を失っては軍としての体裁が失われる。疎かにする訳にはいかない。

 

「愛宕のこと、よろしく頼む。多分彼女は、今もまだ悩んでいるだろうから。……面目ない限りだよ。彼女に対することを、断定できない自分が」

 

「おまかせください。それに、提督が悪いわけではありません。あくまでこれは、彼女とそれを取り巻く世界の問題なのですから」

 

 ――愛宕は、出撃の一週間ほど前に改造が終わり、新たに4つ目の兵装を装備することが可能となった。それだけではなく、性能もある程度向上している。

 この海域、戦闘の主役は愛宕といってよいかもしれない。

 ただし、すべての結果は未だ海の向こうに眠っているのだが――

 

 

 満は、海を行く彼女たちの、あらゆる感情に思いを馳せて、一人司令室に佇むのだった。

 

 

<>

 

 5

 

 

「そういえば――」

 

 ある日の昼下がり、ふと思い立ったという風に赤城が加賀に問いかける。今は昼食、赤城も加賀も、山盛りになったラーメンを相手に格闘している。

 醤油色のスープはラー油の光沢が湖面を揺らし、黄色の麺を輝かせている。匂いをかげば、そのままラーメンの味わいすら味わえるような感覚を覚える。

 一口すするたびに、さっぱりとした麺の生地とは裏腹に、こってりと麺に吸い付いて、ラーメンの味を完成させている。

 

「五航戦の方たちは、この艦隊には所属しないのですか?」

 

「いえ、しませんよ」

 

 即答だった。

 ちゅるちゅると、下品にならないように麺を啜って、すました顔で加賀がそれを味わっている。ちょうど麺を口に入れる直前で、邪魔にならないようにすれば即答しかなかったというのもあれが、それでもその速度を見る限り、よほど触れて欲しくないように見える。

 

「さすがに正規空母全ては使えませんか。金剛型の人たちも、ここに集められてはいませんものね」

 

「伊勢型や扶桑型もですよ。それに、航空戦艦や高速船艦は火力に難がありますから。火力の必要な作戦には向きません」

 

 ただし、高速船艦は、駆逐艦などを率いての高速編成を行えるし、航空戦艦には他の戦艦にはない圧倒的な制圧力を有している。

 適材適所というわけだ。

 

「そういう意味では、私たちがここに集められたことも必然ですね。気を張らなくては」

 

「そうかしら」

 

 さほど興味が無いと言った様子でそれに答える。

 

「別に口でならなんとでも言えるわ。それに、あまり気を張りすぎても身体に毒です」

 

「いいえ、気を持って事に当たらなければ、きっと悔いが残ります。やるなら徹底的に、やらなくては行けません」

 

 あくまで赤城はそう語り、しかし加賀はどうでもよさげに麺をすする。音を立てすぎるのはいけない。しかし最低限のすする音を立てるのは、麺を食べる上でのマナーであろう。

 赤城はといえば、そもそも音を立てる主義ではないようだ。徹底的にそれを排そうとしているのが見受けられる。

 

「ふぅん」

 

 加賀はじっと赤城の顔を見る。きょとんとした赤城の表情がすぐそばに見ることができた。急に食べるのをやめて顔を近づけた加賀の行動を不思議に思っているのだ。

 

 そして、

 

 

 唐突に、加賀の頬が風船のように膨らんだ。

 

 

「んぐっ!?」

 

 思わず口に服でいた水を吹き出しそうになったのだろう、慌てて吹き出さないように飲み込んで、むせた様子で赤城がごほごほと咳をする。

 

「な。な、なな!」

 

 そんな赤城の様子を、くつくつと笑いながら見る加賀。

 

「一体なんなんですか!」

 

 食堂中に響き渡らないか、というほどの絶叫が響き渡る。

 

「いえ、気分です」

 

「気分でこんなことされるのですか!?」

 

「ほら、あまりそんなに怒ってはいけません。赤城さんは知的な人なのですから、恥部は食欲だけにしないと」

 

「人のことが言えますか!?」

 

 赤城も加賀も、周囲が軽く引くレベルの大食漢である。今まで赤城は、それを自覚する素振りはなかったものの、こうしてここ数日は加賀にそれをからかわれ、どうにも恥じらいが生まれてきているようだ。

 ただし、遠慮はない模様だ。

 

「まったく、赤城さんはほんとうにもう」

 

「どういう意味ですか!」

 

 やんややんや、そうして二人の会話は、食堂中の注目を集めながら続いていくのだった。

 

 

 そうして――赤城と加賀の愉快な会話が食堂を席巻するなか、それを見る衆人の中には、長門型二隻、長門と陸奥の姿もあった。

 

「ふふ、楽しそうね」

 

 元より、多少フランクな性格である陸奥が、特に咎める様子もなく笑う。

 

「まったく、食堂は第三者も使うのだから、他人の目のひとつは気にしてもらいたいものだな」

 

「そうはいうけど、貴方も少し楽しそうよ?」

 

 長門の言葉に、陸奥が指摘をする。言葉はどこか咎める様子だが、その声音も表情も穏やかで、表情には何やら“嬉しい”といった感情も見られた。

 昼食としているスパゲッティにフォークを絡めながら、長門は穏やかに目を閉じて言う。

 

「赤城はワーカーホリックだからな、加賀が上手く毒抜きをしてくれていて助かるのは事実だ。自分に加賀の矛先が向けられるのは少し御免被りたいが」

 

 ――正規空母、加賀は知的でクールな印象からは信じられないほど、洒落を好む性格である。しかも平常の冷静な雰囲気を崩さず人をからかうものだから質が悪い。

 ただし、仕事にそれは持ち込まない。長門もそうだが、そういう性分なのだ。今は笑みを浮かべる長門も、楽しそうに赤城をからかう加賀も、いざ戦場に立てば、笑み一つ浮かべず冷徹に敵を撃滅するのだ。

 

「陸奥やニ航戦のように、余裕を戦場に持ち込めるならいいが、赤城はどうにもそれがない。今回の戦場が、彼女の自負となればよいのだが」

 

 現在計画されているミッドウェイ作戦は、その規模の大きさから十年に一度クラスの大作戦とされている。当然その戦場を駆け抜けた艦娘は英雄とされる上、それが正規空母となれば、文字通り日本国民の“全て”を背負うこととなるだろう。

 

「ふぅん。……懸念といえば、もう一つあるのよね」

 

「提督のことか?」

 

「…………そうよ」

 

 即座に指摘されたことに、しかし大声で語るには忍びないのだろう、陸奥は小声でそれを肯定した。長門もそれに合わせて声のボリュームを落として会話をする。

 

「優秀な提督だな。海軍内のいたるところに、彼を慕う者が入る」

 

「早くに出世の道から外れて最前線という名前の僻地に引きこもっちゃったから、慕ってるのはたいてい老年の水兵だけどね」

 

 特に、出世など気にすること無く、若いものには負けないと言わんばかりに現場を縦横無尽に駆けまわる大ベテランからは、特に。

 

「まぁ、確かに気になるのは解らなくもないがな。今まで最前線で艦隊を率いてきた提督に、大艦隊を指揮するだけの技量があるか、といったところか」

 

「……そうなるわね」

 

 気にし過ぎだとは思うがな、長門はスパゲッティを飲み込みながら、そう語る。

 

「大艦隊を率いるのは米国の提督だ。彼はあくまで日本海軍主力艦隊――つまり私たち六隻を率いるだけだよ。それなら、正規空母の運用経験もある、問題はないだろうさ」

 

 それに、そもそもそんなことを現場の長門達が気にする必要もない。彼女たちはあくまで敵を撃破する艦娘でしかない。

 

「だが、解らんでもないな。……赤城はまだ私たちが共に戦ったことのないタイプ、よくある差異の一つだが、――あの提督は、どこか怖いのだ」

 

「貴方が、そういうふうに人を形容することがあるなんてね」

 

 陸奥が嘆息する。

 しかし、その言葉は否定ではない。肯定だ。提督は穏やかで、老人らしい物腰の提督だ。だが、時折怖気が走るほど、機械のような評定をすることがある。

 

 その意味を、長門と陸奥は図りかねていた。

 

「分からない物は分からない、が……あまり未知のままでいて欲しいわけではないな」

 

 考えても、どうしようもない。しかしいつか、何かのきっかけがあればいい。そう結論に至るしかない両名。

 

 ――しかし、結局のところ彼女たちは最後まで、“最後の瞬間”まで、その意味に気がつくことはなかったのだった。

 そうして幾日かの時間がすぎる。

 

 太平洋制海権争奪戦争。

 日米合同の大戦略が、始まろうとしていた。




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、コンニチワ!

愛宕編。今回も北上編と同じく二話分でお届けいたします。
艦これで愛宕といえば、おっとりお姉さんキャラな訳ですが、ウチの愛宕はまだまだ実戦なれしていなかったりするわけです。
割りと歴戦の艦娘が多い南雲機動部隊においては、一番の成長株と言えるでしょう。

次回更新は12月5日、ヒトロクマルマルにて、良い抜錨を!


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『21 生まれでたもの』

 誰かが妬ましいか、と聞かれれば、そうではないと自分は答えるだろう。

 別に他人と自分を相対評価したいわけでは決して無い。重巡洋艦であること、愛宕という艦として生まれたこと、それらに不満があるわけではない。

 自分は自分だし、それを否定する理由もない。

 

 ただ自分には何もすることができないという事実が、少しだけ、本当に少しだけ心に響いてしまうだけだ。

 それは戦艦ル級とこの鎮守府で初めて相対した時もそうだ。

 戦艦榛名に、一撃で大破まで持って行かれたこともそうだ。

 かつての鎮守府でのことも、そう。

 

 愛宕という存在は、誰かに思われて存在している。その誰かは愛宕には分からないし、誰も愛宕に教えてくれない。

 当たり前だ。ほとんどの人間が知らないのだから、かつての鎮守府で指揮をとっていた提督に話を聞くのも、なんとなく忍びない。あそこは忙しいところだったし、一年して、中々タイミングを見出すのも難しい。

 

 あの鎮守府の工廠で愛宕が生まれて、早二年。今年で三年目に突入し艦娘としても十分一流の域に達している。すでに改装も決まり、これからさらに愛宕はそのチカラを発揮することができるだろう。

 しかしそれは、長く艦娘として生きた少女には当然訪れるべきことだ。生き残るのは偶然に近く、幸運に等しい。

 

 もしも艦娘の運命を、女神が気まぐれに選んでいるのだとすれば、それはひどい傲慢であるとは思う。けれども、だからといって愛宕にどうすることもできず、そうでなければ轟沈する艦娘は生まれない。

 

 そう、愛宕には、さして何かができる訳ではない。

 

 相談を持ちかけた時満は、愛宕に対して特別な才能の有無を問いかけた。愛宕はそれをすぐにないと答えたし、いくら考えても思いつくことはなかった。

 北上も、答えを持ちあわせてはいないようだ。

 

 ――北上といえば、一年と少し前の南西諸島沖へ進出するための制海権をかけた艦隊決戦で共闘して以来、彼女とはそれなり以上の付き合いが続いている。

 親友、というほどではないにしろ、友人、と呼ぶには少し不足な程度に、両者の関係は親密だ。現在の状況を借りて関係を表すならそれは“ルームメイト”ということになるのだろう。

 とはいえ、艦隊の練度があがりそれぞれの連携が密になった現在は、その関係は主に私的なものになっているのだが。

 

 その北上は、果たして何か愛宕について解ることはあるだろうか。短い付き合いではない、しかし全てが丸裸になるほどの付き合いでもない。

 解ろうと、解らずと、北上はなんとも言えない独特の笑みで愛宕を励ましてくれるのだろうが。

 

 気の利いた、優しい友人だ。少しマイペースでずぼらなところが玉に瑕だが、戦闘においても重雷装艦として活躍し、主力としての責務を全うしている。

 この鎮守府は、善い場所だ。島風も、赤城も周囲を纏め、それぞれの長所を活かして戦場に執務にと動き回っている、

 金剛は日本が誇る高速戦艦であり、満に明確な好意を抱いているのだろうが、どこか一線を引いている感のある、素敵で不思議で、無敵の少女だ。

 龍驤も、そんな金剛や島風と共に鎮守府を駆けまわっているのをよく見かける。この三人は基本のテンションが多少ハイなためかよく共にいる。ローテンションの北上と愛宕が共にいるのとは対照的だ。

 

 天龍と龍田、第六駆逐隊の面々もいる。この鎮守府は、とても心地が良い場所だ。轟沈が今まで一度もないのも、当然ではあるが最高だ。提督として満が優秀な証拠といえる。

 

 ――こんな場所で、自分は一体何ができるだろう。ただ彼女たちを眺めて笑顔でいるだけ? それは、少し寂しい。輪に入れないことも、輪が遠く感じられることも、全て。

 

 だから愛宕は奮起する。

 仲間のために、自分のために。

 

 まずは、艦娘としての愛宕ではない、少女として、人間としての愛宕ができることを、己に可能な、最善の行動を――

 

 

 ♪

 

 

 海を切り裂き、海面が飛沫を上げる。

 六隻の艦娘と同様に浮かぶ六隻の深海棲艦。それぞれが同航戦で、青を挟んで相対している。にらみ合いというよりはそれは、砲撃を始める前の一瞬の沈黙に近い。

 

 両者はそれぞれ、開幕爆撃及び雷撃で、多少のダメージを負っている。

 敵主力艦隊の構成は空母ヲ級“エリート”が一隻、通常ヲ級が一隻。戦艦ル級が一隻、重巡リ級が二隻に駆逐ニ級が一隻だ。

 この内龍驤の爆撃が突き刺さりル級がかすり傷程度のダメージ、そして赤城の爆撃でニ級が大破直前の中破だ。

 対して島風達南雲機動部隊は、島風が通常ヲ級にかすり傷を負わされ、エリートの一撃で龍驤が小破にならない程度のダメージだ。

 

 加えて北上と愛宕も、ここに来る前の戦闘で少しばかりのダメージを負っている。しかし、これは龍驤のそれよりも小さい損傷で、行動に支障は殆ど無いと言ってよい。

 

「――砲雷撃戦、始めるよ!」

 

 ル級の射程、金剛の射程。両者がそれぞれ敵艦を狙う。互いに目視で認識することも難しいこの距離で、狙いを付けられる射程を持つのは彼女たちのみ。ル級は金剛を狙い、金剛はヲ級エリートを狙った。

 

 放たれる砲火。閃光を伴った朱色の線条は敵艦隊を焼きつくすべく空を走る。雨あられ、隙間を見出すことも困難な砲撃の群れが、敵と味方をそれぞれ襲った。

 

 降り注ぐ砲丸の隙間に身体を潜り込ませるように、身体を揺らして遠心力を得る、回転し、即座に向きを切り替えのだ。

 目的は一つではない、ヲ級エリートの回避行動により、射線上からヲ級エリートが消えた。まるで掻き消えるように、高速で前方へ飛び出したのである。

 

 向きを変え、新たに狙うは空母ヲ級通常形態。金切り声の通り過ぎる音を聞きながら、金剛の砲塔が揺らめいた。爆発――炎上。ヲ級に一撃が突き刺さる。

 

 爆発音は、それから聞こえた。

 

 リ級と愛宕、それぞれが敵艦隊を射程に捉え、砲戦を交える。

 

 海面に突き刺さった弾丸が水柱を作り、それがお互いの射程を短くするにしたがって吹き上がる。敵リ級のみならず、ニ級も、そして愛宕のみならず、北上、そして島風も主砲に赤と灰色を垂らした。

 北上の耳元を砲弾の閃光がかすめる。音速で叩きつけられる暴力じみた爆音が、北上は思わず耳を押さえる。体を屈め、続く砲弾を回避した彼女が、切り返すように主砲を弾幕の一部としてばら撒いた。

 吹き上がった煙が、その後方を駆け抜ける。艦隊の左手側に吹き抜けて、そして空白の海へと消えていった。

 

 風が愛宕を揺らし、その髪をはためかせる。足元に砲撃が突き刺さり水しぶきがあがる。幾つもの跳ね上がった海水が愛宕を切り裂き、吸い付き、海へと還る。その中の幾つかが、突如として飛び出た主砲の爆発に、吹き飛ばされて掻き消える。

 

 その横、赤城と龍驤がそれぞれ艦載機を構える。龍驤は召喚型の飛行甲板を、赤城は弓矢型の艦載機の切っ先を。

 

 戦場の空に、赤城達の刃が舞った。

 

 すでに通常ヲ級が轟沈しているため、残る敵はヲ級エリート一隻、とはいえそれはこの南西諸島海域にて初めて会敵した大型艦種のエリートである。

 当然、その強さは語るまでもなく、ヲ級の比ではない。

 

 今、これを沈める必要はないだろう。南雲機動部隊本来の目的は南西諸島海域への進出。制海権の奪取である。戦術的に勝利といえる状態で敵艦隊を撤退に追い込めば。それは十分な勝利と言えた。

 しかし、ここでヲ級エリートから逃げる訳にはいかない。かつての赤城はそうであったが、ヲ級エリートは強大な壁ではあるが、敵が潜む海域のの深部に進むにつれて、その壁は必ず超えなくてはならない壁に変わる。

 今ここで逃そうと、いつか戦う必要があるのだ。

 

 それを、今、この状態で越えていくことが、まず第一の前進と言える。

 

 空を舞う爆撃機、艦戦の制空権をくぐり抜けるように、ヲ級のそばを目指し飛行する。

 機銃が舞った。リ級エリートだ。それだけではない、艦戦も艦爆を叩き落とそうと奮戦している。それでも、その艦載機が向かう先は変わらない。

 

 そこに、ヲ級エリートの艦載機が殺到した。揺れ動く艦爆、振り払おうとするも、それが正確に務まらない。艦爆は数機で隊をなしていた。隊列が、異様なほど大きく乱れる。

 

 それでも、エリート艦載機は何ら問題なくそれに吸い付く。艦爆一機が、海へと消えた。

 

「なんちゅーアホな練度。せやけど……ここで振りきればこっちの勝ちや! 赤城、頼むで!」

 

 ――任せろと、言葉は決して聞こえなかった。しかし、即座に龍驤の感覚に答えが映る。赤城の艦戦がヲ級エリートの艦戦を貫くように交差した。直後爆発、それは全てヲ級エリートのものだった。

 

 制空権を確保、ヲ級エリートが即座に回避行動を取ろうとするが、遅い。すでに上空には龍驤艦爆隊が到着している――!

 

 蒼の世界を切り裂く刃がそこにある。駆け抜け、上方から下方。急降下爆撃で迫る一撃がヲ級に一斉に降り注いだ。

 

 爆発音、二度、三度、ヲ級エリートに突き刺さる。

 

「――ヲ級エリート小破! 中破目前、これなら戦艦の一発で沈むで!」

 

 たった今、赤城の艦戦のサポートを受けて攻撃を叩きつけた龍驤が、金剛に向けてそう叫ぶ。一発で沈める。そのために、必要な準備はもう行った。

 

「はいネ! 提督への想いと、こないだ補給した榛名分を全部込めて、もう一発行くヨ!」

 

 その横、後方の赤城が最前列の島風に言葉を向ける。

 

「ル級を大破“させます”。島風はサポートを!」

 

「オッケー、止めは任せて!」

 

 そうして大型を赤城や金剛らが駆逐するなか、北上達もまた動きを見せる。

 

「駆逐撃破、後は重巡二隻だよ!」

 

 愛宕の砲塔から煙が上がっていた。少しだけ微笑むように頷くと、そのままその砲塔を愛宕が回転させた。

 

 

 ――ここまで南雲機動部隊は至って順調に戦闘を進めていた。後はヲ級の艦爆、ないしは艦攻が一撃を加えるか――加えたとしても大打撃には至らないだろうが――ル級の砲撃が急所に突き刺さるかのどちらかでしか反撃の方法は残されていない。

 優勢の島風達艦隊と、劣勢のヲ級エリート達艦隊。

 

 その状況を覆すべく、重巡リ級うち一隻が行動を起こし、回頭を始めた。

 

「……え!?」

 

 愛宕が思わず叫び声を上げる。驚愕、茫然とするかのような言葉の音色に、北上がすかさず発破を入れた。

 

「止まらないで愛宕っち!」

 

「え、えぇ、わかってるわ」

 

 即座に冷静さを取り戻したものの、状況は変わらない。互いに単縦陣で構え、同航戦を行っていた艦隊のうち、リ級が隊列を唐突に見だしたのだ。

 通常ならばありえない。しかし、状況は上手く彼女に味方している。

 

 金剛、龍驤、赤城といった打撃力の主力が、現状ヲ級エリート等敵艦の主力に向いている。良くも悪くもリ級はノーマーク、行動を阻害する枷がなかった。

 だからこそ動いた。そしてその狙いは明瞭だ。

 

「まさか、左舷に乗り込んで乱戦に持ち込むつもり……!?」

 

 はっとしたように愛宕がつぶやく。

 要は単純なことだ。現在南雲機動部隊の右舷に敵艦隊がいる。しかし左舷にも艦隊がいれば、挟み撃ちの様相を取ることができる。

 どちらにも意識を向けることはできないし、そうした場合、必然的に乱戦となる。

 

 焼け石に水ではある。しかし、決して効果が無いわけではない。結局のところ、敗北必至の状況における特攻のようなものだが、それでも、敵艦隊が上手く対応しなければ、万に一でも勝機は見える。

 

「中々、奇抜な選択肢してくれるね!」

 

 北上が主砲を叩きつけるように放ちながら、怒号混じりに叫ぶ。しかし放たれた主砲はリ級に回避され、海に水柱となって掻き消える。

 

 深海棲艦は非常に単純な思考能力をしている。突飛な奇策は通常生まれ得ない――ように思える。がしかし実際のところ、彼女たちの思考能力は初心者のそれと言える。定石の定まったゲームで初心者がありえない選択をするのと同様、彼女たちはありえない選択で艦娘を翻弄することが稀にある。

 

 ただし、これは個体規模であり、それらが数百、数千と集まった艦隊の頭脳は、思いの外合理的な手法を取ることが多い。ミッドウェイ海戦でもそうであるし、大きな海戦の中には、深海棲艦の思惑があることがほとんどだ。

 

 一瞬の判断。何をしようにも、このまま通す訳にはいかない、しかし敵は北上の主砲を回避した。そうでなくとも、すでに金剛達に弾が流れかねない位置にいる。

 

(何か、位置を特定してそこに撃てれば――)

 

 思考し、一瞬、ぱっと光が灯るように発想が浮かぶ。

 

 行動までに、数瞬の間すらなかった。

 

「――北上さん! お願い!」

 

 軽く振り返り北上に告げる。一瞬、呆けた顔が覗いたものの、受けた北上も即座に理解した様子で頷く、彼女はトリックタイプの戦闘スタイルを持つ、理解に時間はかからない。

 ただし、それでもその発想はなかったと言わんばかりに、愛宕に呆れた眼を向けていた。

 

 対して、

 

「何してるの!?」

 

 愛宕と重巡リ級、“接近していく”両者に島風が声をかける、彼女は愛宕が何をしようとしているのか、理解すらしていない様子だ。

 彼女はとにかく正統派のスタイルを得意とする、理解できないのが当然と言えた。

 

 身をかがめるようにして、速度をあげてゆく愛宕、重巡リ級が刻一刻と迫る。海を掻く音、風を切る音。

 気がつけば、手のひらほどのだったはずの黒が、目前に、覆い尽くすように広がっていた。

 重巡リ級が警戒を強める。愛宕の目的が超至近距離からの砲撃であるというのならわかりやすい。それを回避する事に集中していれば、他にリ級を穿てる砲弾はない。愛宕が壁になってくれるのだ。

 

 一瞬だけの交錯。視線と視線が、睨み合うようにぶつかった。

 愛宕がそうであるように、リ級には艦娘を鎮めようという殺意があった。貫くような、気配であった。

 

 そして、

 

 愛宕は主砲を――構えない。

 

 深海棲艦でなければ、声が漏れていたことだろう。

 止まらないのだ。愛宕が、衝突すら構わないという様子で、回避も不可能な状況で、さらに愛宕は“加速”した。

 

 ぶつかる。そう思考した時にはリ級の身体は動いていた。思考回路が単純故の即断即決、それがリ級を救った。――それが愛宕の狙いだということも気づかずに。

 

 そも、この状況でリ級が取れる選択肢は限られる。愛宕を回避するために前進する勢いをそのまま移して、回転するように弧を描く他にない。愛宕の前方を通って、右舷から左舷へ突き抜けるのだ。

 前方でも、後方でもいい、しかし勢いのついたリ級は、愛宕の左舷に回るしかない。そしてその位置は、愛宕のほぼ真横で固定される。

 

 だが、そこに据えられた主砲がある。

 待ちわびていたように、北上が黒煙を吹き上げる。

 

 そう、愛宕の狙いはこれ。回避できない状況を作り出し、北上、そして即座に主砲を構えた愛宕で狙う。回避のできない状況は、仕組まれていたと気付いてももう遅い。

 

 爆発は二度にわたって拡がった。響き渡って、海を震わせた。

 

 

 ♪

 

 

 たった一人の鎮守府司令室。赤城が出撃を行うようになって、一年と少し、大分静かな個室にも慣れてきた。

 満はその中で、先ほど行われたばかりの戦闘に思いを馳せる。

 

「なんとなくわかったけれども、なるほどこれは、中々厄介で愉快な素質だ」

 

 戦闘自体は初めて進出する海域の主力艦隊とはいえ、それなりに練度の上がった艦隊での殲滅戦だ。さほど面倒なことではない。

 ただ特筆するべきは敵艦隊の取った突飛な行動と、それに対する愛宕の対処。

 

「自分の損傷を怖れない。というのは、まぁあくまで合理的な判断の一つだろうけれど――」

 

 “中破”ないしは“大破”で戦闘に突入しない限り艦娘は沈むことはない。戦意高揚による一種の補正といえよう。それ故、愛宕の行動は別に無茶ではあっても無謀ではない。

 その上で、損傷の危険を怖れず取った作戦を、実行しうる素質。これがおそらく、愛宕がこの艦隊に来ることを決定づけた才能というわけだ。

 

 満の“厄介だ”というのはその才能自体に対してではない。厄介なのは言うなれば“戦術的な”才能が“戦略的に”艦隊行動として行われる可能性だ。

 一体誰が、満の鎮守府に対する方針を描いたかは知らないが、愛宕と北上のペアを見るに、必ずこの鎮守府を思い描いた者がいるはずで、その人物は、よっぽど聡明であるということになる。

 

「まぁ、今はいいか」

 

 ともかく、愛宕の才はなんとなくわかった。

 

「今はそれを喜ばないと、ね」

 

 喜ばしくないはずがない。だから、少しだけ笑みを浮かべて、満は見慣れた天井を仰いだ。

 

 

<>

 

 6

 

 

 朝、ヒトマルマルマル。作戦はすでに決行されていた。後に「ミッドウェイ海戦」として世界に知られることとなる作戦は、日の登りきろうとしている時間に始まった。

 とはいえ、長門たちは未だ所定の港を出ていない。

 ここから、戦いの舞台となるミッドウェイに到達するまで、ほぼ数時間の猶予が在った。むろんその猶予は全て移動に費やされることとなるが。

 

 この作戦の肝は、米軍主導で行われる敵艦隊の漸減作戦だ。現在ミッドウェイにはおぞましいほどの――それこそ、米軍の総戦力に匹敵するほどの艦隊が押し寄せている。

 無論それらは米軍のそれとは練度が雲泥の差ほどあるために、米軍が投入する戦力は総戦力のおよそ六割ほどだ。それでも、これが殲滅されれば米軍は壊滅、太平洋の制海権は全て深海棲艦に奪われることとなる。

 

 さすがにそこまで追い詰められることはないだろうがしかし、もしも日本が作戦をミスすれば、この「ミッドウェイ海戦」は決着に数年を要する泥沼の持久戦となることは想像に難くない。

 作戦の核は米軍にある。しかし、戦力の核は日本の主力艦隊。特に長門達六隻にあるのだ。

 

「……それでは、これより私たちは戦闘区域に入る。激しい戦いとなるだろう。皆、心してかかって欲しい」

 

 長門の演説めいた言葉に、日本の水雷戦隊全ての艦娘が、一斉に返事を返す。

 整然と組まれた隊列は日本軍の練度を示し、美しいという他にない。

 

 手を振り上げ戦線を鼓舞する長門の横では、加賀と陸奥がじゃまにならない程度の声で会話を行っていた。

 

「それで、やはり提督は戦線の後方で指揮を取るというのですか?」

 

「ええ、前例はないでもないけど、それにしてもその前例は、通信機器の性能が悪かった数十年前よ? 現代で、それをする必要性は考えられないわ」

 

 今より数十年も前は、戦線の最後部で、提督が軍艦――艦娘ではない、鋼鉄の、文字通り“船”だ――に乗艦し、指揮を執るということもあった。

 しかしそれは通信機器の性能が悪かった時代において、情報の伝達に齟齬を生じさせない措置だ。

 

 ミッドウェイ海戦が行われた時代は、すでにインターネットなどが確立されており、情報もまったくミス無く伝達することができる。

 

「まったく、骨董品そのものとしか言えない軍艦を持ちだして、一体何をするつもりかしら」

 

 現代にも、商船を護衛する軍艦は存在する。深海棲艦に直接打は与えられないものの、視界を利用する彼女たちに、護衛艦は煙幕や光で対応をする。

 しかし、この時提督が持ちだしたのは数十年前まで利用されていたいわゆる戦艦だ。骨董品という形容はただしく、そうとしか言い用のない代物である。何せ動くことが奇跡とすらされているのだ。

 

「そうですね、……示威行動、というのはどうです?」

 

「意味が無いわね」

 

「では、砲戦で一戦交えるというのは?」

 

「あの戦艦、主砲なんかはもう取っ払われてるわよ? それに通常の兵器は深海棲艦に通用しないわ」

 

 加賀はそれからつらつらと合っているはずもない推論を幾つも並べ立てるが、ことごとく陸奥に否定される。もとより加賀もそれが正解だとは考えていないのだろう。特に感慨もなく最終的にはお手上げだと結論を出した。

 

「……ねぇ」

 

 しかし、陸奥は少しばかり訝しげな声で加賀に更に問いかける。

 

「何か隠し事してない?」

 

 ――と。

 対する加賀はあくまですまし顔で、

 

「いいえ」

 

 と即座に否定した。表情は揺るがない。こういう時に、嘘を付いているかどうか、そう判断するときの材料すら、加賀は与えないのだ。

 沈黙は肯定と言えないことはないが、加賀はそもそも否定自体はしている。断定するには、その否定によどみがなさすぎた。

 

「……はぁ、わかったわ。貴方は何も知らない、そういうことね」

 

「そういうことにしておいて下さい」

 

 加賀は何かを知っている。しかしその何かを引き出すための土俵に陸奥は立てなかった。これが仇とならなければよいのだが。

 ――そう嘆息気味に思考する陸奥の、少し薄暗い心境とは裏腹に、空は雲ひとつ生まれない蒼の快天が広がっていた。

 

 

 『ミッドウェイ海戦』の作戦的な主役は間違いなく米軍であった。何せ敵戦力のほぼ九割を引き受け、殲滅作戦を展開するのだ。しかし、残り一割を日本軍水雷戦隊が、そして敵主力を日本軍主力艦隊が叩く手筈となっている。つまり、作戦という記録的な主役は米軍が担い、艦隊決戦という記憶的な主役は日本軍であったのだ。

 

 これは日本軍の艦娘が“練度”を武器にしていたのに対し、米軍は“数”を武器にしていたことに起因する。無論、全体的な軍としての練度は間違いなく米軍が上だが、個々の技術、いわば達人的な戦闘能力は世界において日本に比肩する国がほとんどないとされる程のものだった。

 

 戦術的に見れば、日本は強固であるが、戦略的に見れば日本は脆弱だ。それを補うように、戦術的に無難な強さを持ち、世界最強の戦略的戦闘能力を持つ米軍がそれに味方した。

 この海戦はいわばそういった体裁なのである。

 

 かくして始まった海戦は、全体で見れば終始日米軍の優勢に進んだ。当然といえば当然だ。何せ敵の戦力が日米軍と張り合うのに、最低でも三倍の戦力が必要だ。無論、エリートを超える種別にあたる“フラグシップ”の戦艦であれば、日米軍の戦艦とも渡り合えるだろうが、そんなものは本当に戦力の中心にいるだけだ。しかも、二桁には届かないだろう。

 

『第一駆逐艦隊、砲雷撃戦に入るのです!』

 

『第二水上打撃艦隊、砲雷撃戦始め!』

 

『敵艦見ユ! 第三機動艦隊、これより戦闘を開始します!』

 

 旗艦、長門の元に無数の宣言が絶え間なく響き渡る。米軍の開いた道程を、日本軍が突き進み、水雷戦隊が道を作っているのだ。

 

「まもなく、敵主力艦隊へ到達する。気を張れ、とはあえて言わない。勝つぞ、それだけを心にとどめておいてくれ」

 

 長門の言葉に、おそらくは無線の向こうでそれを聞いている艦娘達も同意する。長門他五隻、全員の顔を見比べて、それから満足気に長門は頷いた。

 

 

「――――敵艦見ユ!」

 

 

 宣言。

 

 見えたのは、戦艦ル級フラグシップ二隻。ル級エリート二隻。そして空母ヲ級エリート二隻。

 

「行くぞ、暁の水平線に勝利を刻め!」

 

 天へ、海へ、敵艦へ。

 

 長門の咆哮が、砲閃の轟砲とともに響き渡った。




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、コンニチワ!

今回で南西諸島周辺海域は2-3、オリョール海域までをクリア。
ここまで駆け足でしたが、実際のところ第一部後半はこれで半分ないしは3分の1が終了になります。
次回からは夏の暑さに負けないよう(!)冷気マシマシでお届けします。

次回更新は12月9日、ヒトロクマルマルにて、良い抜錨を!


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『22 間宮納涼祭』

 この世界における軍隊の作戦行動は主に五十二日七周期で一年を回転させている。

 三百六十五日を七周期でわけた場合、五十ニ日づつに割ることができるのだ。――がしかし、そうした場合一日の余剰が生まれる。

 

 この一日は一切の作戦行動が行われないため、全ての執務等も停止し、完全な休日に充てられることになっている。このの休日をいつ取るかは各基地の裁量に任されているが、満達の鎮守府は夏の真っ盛りに取ることが決められている。

 

 この休日は満たちの鎮守府には、ある単語に置いて呼ばれる。

 

 “間宮納涼祭”――と。

 

 給糧艦『間宮』という艦娘に食糧を供給することを目的とした艦艇であるところの間宮を、鎮守府に呼び、そのアイスを振る舞ってもらうことがメインのイベントだ。

 とはいえ間宮は一人しかいない上、あらゆる基地でひっぱりだこの存在である。そのため、間宮だけでなく食堂のスタッフが総動員して作ったものを自由に食べることができる、というイベントだ。

 ここに来て間もない満に対し、某艦娘がこのイベントをゴリ押しして以降、某秘書艦の強烈なプッシュもあってか、今後も恒例になると目されている。

 

 今日は納涼祭当日。

 

 仕事ない司令室は現在ひとりきりで閑散としている。普段であれば島風や他の艦娘達が様子を見に来ることもあるが、今日はそういう様子もない。

 ここで自分がこうしているのは、書き物が煮詰まったための気分転換だ、別に私室に戻っても問題はない。

 

 納涼祭といえば、と去年のことを思い出す。何やら島風が鎮守府中を逃げまわっているためかなり遅くになったが、当時のメンバー一同で写真をとったのだ。その時の写真立てが司令室のデスクに飾られている。中央に座る満とその左後ろに赤城。右に島風と、そして広がるように他の面々が写っている。

 今年は龍驤と金剛が加わって、賑やかな写真となるだろう。

 

「あ、こちらにいらっしゃったのですね?」

 

 書物をしていた手を止めて見上げると、司令室の扉を開けて入室する間宮と呼ばれる女性の姿が目に入る。アイスを携え柔らかな笑みを浮かべていた。

 

「お一ついかがですか?」

 

「いえ、ご遠慮します」

 

 そう言うと、再び書き物に目を落とす。間宮が困ったように笑むと、それから再び退出していった。もったいないことをしたかと思うが、気にするようでもないかと一人納得する。

 

 陽は凡そ天に届こうかというところ。

 

 夏は未だ終わる気配はない。今日はいい一日になるだろうと、どこか他人ごとのように考えた。

 

 

 ♪

 

 

 満が司令室を出ると、廊下にいた赤城と相対した。どうやら向こうは移動中だったようで、会釈をすると入り口そばに留まる。

 ちらりと視線を手元に落とすが、すぐに気にした様子もなく赤城は満と向き合った。

 

「こちらにいたのですね、満さん」

 

 なんだかむず痒いような名で呼ばれて、思わず頬を掻く、むず痒いというよりも不思議、といったほうが近い感覚だろう。普段が提督としか呼ばれないだけに、公私を分けて呼んでいるとはいえ、名前で呼ばれるのは新鮮味がある。

 

「僕を探していたの?」

 

「それもありますが、少しアイスをいただこうかと。間宮さんを知りませんか?」

 

「あー、彼女はもう帰ってしまったよ。納涼祭はここ以外でもやるからね」

 

 そうですか、と赤城は残念そうに言う。

 しゅんとした様子であったが、すぐに切り替えると、満に小さな疑問を投げかける。

 

「満さんはどうして司令室に? 今日は仕事もありませんし、用もないのでは?」

 

「うーん、私室よりこっちのほうがいいと思ったんだ。だからちょっとね」

 

 簡単に理由を話すと、赤城も納得した様子だった。

 幾つか言葉をかわして、それから赤城と別れる。短い時間であったが、中身は充実したものであった。

 

 

 ♪

 

 

 満が外に出ると、日が照り始め夏の陽気が周囲を圧し始めている頃だった。これから食堂に向かおうとも思ったが、なんとはなしに足を波止場に向ける。

 中々に侘しい場所に造られた交通網“だけ”は整備されている鎮守府で、心を休められるような絶景は、大海原の水平線だけだ。ふと気が向けば、よく満はそこで時間を潰していた。

 退屈が静寂を求めるのだろう。ただ喧騒に身を任せるよりも、ひとりきりの静けさを楽しんだほうが、よっぽど生産的と言える。

 

 少し、センチメンタリズムに満ちた詩人のようにも思えて気恥ずかしいが。

 

 提督としてこの世界にやってきてもう一年と半分以上が過ぎようとしている。どうやらこの体は艦娘と同様に――暫くの間かどうかは、今はマダ分からないが――年を取らないようだ。

 初めてこの世界にやってきた時と同じ目線で、海は満の視界に入ってくる。

 

 ただ、見えているものは大分変わった。海の向こうに深海棲艦や別の国が“在る”ということもなんとなく実感するようになってきた。

 この世界における南雲満が、南雲満であるということも。提督として、自分ができる最良と呼べることも、見えてきた。

 

 知識をつけるという目標ができた。

 深海棲艦のこと、南雲機動部隊のこと、鎮守府のこと、艦娘のこと。知るべきことはごまんとある。数えきれないくらい、とても。

 

 

「おーい、提督ー!」

 

 

 ふと、聞こえてきた声に意識を浮上させる。日はだいぶ照ってきているが、さほど時間が経ったようには思えない。ほんの数分、自分自身を精神に埋没させていたようだった。

 

「あー、天龍かい?」

 

 振り返りながら声の主に当たりをつける。見れば天龍だけでなく龍田も、そして第六駆逐隊の姿もあった。――ただし、響の姿はない。

 最近は遠征の帰りに、この顔ぶれを眺めることの違和感もなくなってきた。天龍の水雷戦隊旗艦としての指揮力は天才的であるし、龍田は人心掌握に長けるようだ。まぁ、掌握されているのは暁達なのだが。

 

「おう、天龍以下第二艦隊、一人をのぞいて全員集合だ」

 

「ははは、なんだか堅苦しいな。今日くらいはゆっくりしてもいいんだよ?」

 

「こういうのは形が大事って言うじゃない! 私たちも一人前の艦娘なんだから、こういうところはしっかりしないと行けないのよ」

 

 暁が、したり顔でそんな風に言う。

 が、しかしそれに雷が苦笑気味に言う。

 

「だったらまず、敬語を上手く使うところからやらないと、形からになってないんじゃない?」

 

「もう、雷は揚げ足をとりすぎよ。それに、敬語なら私だって使えないわけじゃない、です、し」

 

 別に普段の口調から敬語が飛び出さないことはないが、大人のまね事のようなものであり、正しい敬語が使われているかといえばそうでもない。

 そも、大人ですら正しい敬語など怪しいものだが。

 

「そういえば、響はどうしたの? このメンバーに響がいないのは少し珍しいけれど」

 

 どちらかと言えば受動的な響が、自主的に行動を起こしているということだろうか、答えたのは電だ。暁と雷が未だに言い合いをしていて、手が開いていたのが電のみだったのだ。

 

「えっと、さっき急に島風さんを見つけて、連れ立っていっちゃったのです……お話、をするみたいです」

 

 そこはかとなく胡散臭い表現であるが、とにかく電のいう“お話”をするために今はここにいないらしい。さっきというのがいつかは知らないが、それほど前ではないだろう。

 

「島風の奴、ついに捕まったか。油断したか? らしくない」

 

「さすがに年貢の納めどきだと思ったんじゃないですか? もう、だいぶ響ちゃんに行動パターン読まれてたみたいだしぃ」

 

 満の苦笑に龍田が合わせる。

 ここ最近は見慣れた光景であったが、どうやらついに決着がついたらしい。

 というのも去年の納涼祭前後から、響と島風の間で何やら逃走劇が繰り広げられていたのだ。何やら響が島風に話があるらしいが、島風がノリ気でないのだ。

 

 第一艦隊と第二艦隊は業務が違うため中々休暇が咬み合わない。時折噛み合ったと思えば、そのたびに島風と響は同じように逃走と追走を繰り返していた。ようやく、といった感想が鎮守府全体のものだろう。

 

「それでさ、……ほら暁、お前が渡すんだろ? いつまで言い争ってるんだ」

 

 パンパンと天龍がなだめるように手をたたきながら言う。渡す、と言われて満が目を向けると、どうやら暁は何やら袋を抱えているようだった。

 両手にぎゅっと抱きしめて、至極大事そうに抱えている。――そのせいか、今は暁が駄々をこねる子どものようにしか見えないが。

 

「だって、雷がこっちのクサイところをついてくるんだもの!」

 

「私は暁が立派になってほしいだけよ!」

 

 端から見れば子どもの言い争いのような微笑ましさもあるが、それでもどちらかと言えば雷の方が一枚上手だ。と、いうよりも、世話好きということもあるだろうが雷は、こういう時妙に世話を焼きがちだ。

 響曰く、母親のよう。

 

「……つーか、クサイところってなんだ。痛いところだろ。野球か?」

 

 突っ込むようにしながら、しかし楽しげに天龍は笑った。

 

「まったく、そんなんじゃいつになっても一人前のレディーってのにはなれねぇな。大変なんだぜ、一人前ってのはさ」

 

「な、何を言ってるのかしら? わ、私は一人前の女の子、立派なレディーウーマンなのよ」

 

 無い胸を張る暁。しかし天龍に声をかけられて一応気を取り直したようだ。とことこと波止場の際に立つ満の横に並ぶと、振り返った満に、はい、と手に持った袋を手渡す。

 その表情はどこか堅い。

 

「というわけで司令官、本日はお日柄もよくなのです……って、長ったらしいわ」

 

 ぽつぽつと言葉を並べようとして、しかしすぐに引っ込める。改めて、といた様子で、今度はくったくのない笑みを浮かべると……

 

「一年間お疲れ様です! 私たちはあんまり司令の助けにはならなかったかもしれないけど、それでも司令がすっごく頑張ってたのは知ってます。だから、はい、お礼……かな?」

 

 そう言って、ぐいっと袋を差し出した。

 満は少しだけ呆けた顔をして驚くと、すぐに気を取り直して笑みを浮かべる。自然と意図せず漏れたものだ。すぐに気がついたものが、気に留めることはしなかった。

 

「ありがとう、えっと、開けてもいいかい?」

 

「むしろ開けてほしいかな。ちょっと不思議なプレゼントだし」

 

 後ろから、龍田が答える。天龍と雷が、苦笑して電が恥ずかしそうにしているのが見えた。暁は全く気にした様子もない。

 

「じゃあ……と、……………なるほど」

 

 蝶結びになったリボンを優しく解いて、袋を広げて出てきたのは、幾つもの紐が輪を成して出来上がった、首飾りのようなものだった。

 不思議だというのは、解る。だがまぁ、これが何故こうなったのか、わからないわけではない。

 

「これは……ミサンガをつなげたんだね」

 

 言いながら、袋を更に漁ると、更に一つのミサンガが出てきた。小さなものなので、一緒に入っているとこちらは気が付かないかもしれない。

 

「最初は電が一人で作ってたのを俺が手伝ったんだけどよ、いつの間にか暁が一心不乱に作り続けてな、どうしようもなくなったんで繋げたんだ」

 

 ふんす、と暁がえばっている。満はそれに苦笑して、電に向けてありがとう、と告げる。少しだけ気恥ずかしそうにして俯いた電は、どういたしまして、とそれに返した。

 

「さすがに、首飾りは司令室に飾っておいたほうがいいかな。写真と一緒にしておくよ。ミサンガは……付けておこうかな。ありがとう、大切にするよ」

 

 ミサンガを大切にしても意味は無いだろうが、それでも無碍に扱うつもりはない。そういえば、と満はミサンガに気を使いながら腕を組み、

 

「願い事、どうしようかな?」

 

 ふむ、とそれに対して全員が思考に沈む。暫くは沈黙が続いて、それから天龍がポツリと、言葉を漏らした。

 

「――“一人前”の提督になる。なんてのはどうだ?」

 

 満の顔つきがはっとしたようなものに変わる。

 

「……一人前、か」

 

 感慨深げにそう呟いて、満はそれから一つ頷いた。

 

「うん。それがいい、すごく――いいね」

 

「じゃあ決定ね! 司令も頑張らなきゃダメよ?」

 

 ピシっと人差し指を突きつける暁、見上げるようなそれは、雷のような慈愛はない。それでも、とても真っ直ぐで、汚れのないものであることはすぐに分かった。

 笑みを少しだけキリッとしまるものに変えて、満は力強く頷いた。

 

「……あぁ、任せてくれ」

 

 満の言葉に、その場にいる全員が、満足そうに同意するのだった。

 

 

<>

 

 7

 

 

 互いの弾幕が空を駆け抜ける。長門の横を、ル級エリートの放つ砲弾が駆け抜けた。海に絶え間なく飛沫が上がる。主砲の突き刺さる盛大なものに、機銃の突き刺さる控えめなもの。

 そして艦載機の墜落する直線的なもの。

 

 正規空母四隻を有する日本海軍主力艦隊は、遊々と制空権を奪取、開幕爆撃は、日本側は無傷、敵側はル級エリート二隻の小破により終了となった。

 小破、とはいっても戦闘続行は十分可能だ。そしてその主砲を直接受ければ、当然長門や陸奥といえどもただではすまないだろう。

 

「陸奥、押し負けるな! 弾幕を張り敵の砲撃からなんとか持ちこたえてくれ! 私たちが持ちこたえれば後は空母連中がなんとかする!」

 

「言われなくても! でも、一発を貰えば厳しいのは貴方も同じよ? わかってるのよね、長門!」

 

 互いを叩き合う様に言葉を交わす長門と陸奥。激しい言葉の応酬は、全くの無駄にも見えるがそうではない。彼女たちは声から互いの位置を把握し、上手く距離をとってコンビネーションを発揮している。

 しかもそれだけが目的ではない、互いを鼓舞する意味も、この言葉の全力投球には篭っているのだ。受け取った側は、相手に負けて入られないと奮起する。それが彼女たちのやり方だった。

 

 

 砲撃のやりとりを敵と行う長門達の後方で、空母四隻、特に赤城と加賀は身を寄せ合って的を絞り、敵の砲撃をやり過ごしていた。

 

 現在、空の支配は赤城達にある。しかしそこから戦艦ル級達を撃滅するための決定打を見いだせていないのは事実であった。

 無論、敵の抵抗が瓦解するのは時間の問題で、それを行うための詰めを現在は必死に行っている最中なのだが。

 

「このままでは長門さん達が瓦解しかねません。赤城さん、第二次攻撃隊、発艦しますよ?」

 

「わかっています。今――行け!」

 

 引き絞った弓から、艦上攻撃機“天山”が連続して発艦される。同時に帰還した艦戦、“零式艦戦52型”が肩にかかった飛行甲板を駆け抜け空気に溶けて消えてゆく。

 艦戦が補充された矢筒から、しかし取り出すのは艦上爆撃機“彗星”。天山と彗星からなる敵艦撃滅を目的とした攻撃部隊が、空を切り裂き駆けてゆく。

 

 機銃が、その隙間を貫いた。対空のため装備されたル級の副砲は、今すぐにでも艦載機を押し返そうと空を覆い奮戦している。

 しかし、いかんせん精度の悪いそれは、艦載機の撃墜には至らない。

 

 時折航空機を掠めても、さほど問題はなく、装甲が剥げ落ちる程度。赤城達の艦載機は止まらない。

 

 直後、加賀の艦攻がル級エリートを貫き――ル級はあえなく轟沈。そしてもう一隻のエリートも、飛龍の艦爆による一撃で大破炎上、正常な戦闘続行能力を失った。

 

 ここまでは、想定通り。長門たちは、順調に艦隊決戦を優勢のまま進めていた。




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、コンニチワ!

夏の暑い日にピッタリなお話なのです!
……ツッコミ待ちじゃないですよ?

次回更新は12月13日、ヒトロクマルマルです、良い抜錨を!


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『23 “先代”電』

 不思議な沈黙が両者の間で続いていた。

 気まずくはあるが、居づらくはない。冷たくはないが、その暖かさはどこか遠回りである。言うなれば、反目しあう者同士の信頼、といったところか。

 なんとも言えないといえばその通りであるが、それが意識中を駆けまわるほどではなく、両者は、言葉を探るように手元のコップに視線を落としていた。

 

 場所は、島風の私室。ベッドに腰掛けて、二人はいる。

 

 島風と響、両者はそんな時間を、凡そ三十分も続けていただろうか。

 その間に何度か、島風は口を開こうとして、そのたびに噤んだ。大きく深呼吸をして、そうして何かを口にしようとするものの、最終的に勢いが足らず、尻すぼみになる。

 幾度も、幾度も、そんなことを繰り返していた。

 

 響は何もせずに黙りこんでいる。言葉を口にしようとはしていない。誘ったのは響とはいえ、逃げたのは島風である。口を開くべきは島風であった。

 

 やがて、ようやく決心がついたのだろう。大きくいきを吸い込んで島風は言葉に色を持たせようと――した。

 

「あ、あの!」

 

 ただし、

 

 

「『……ふぅん? 貴方が響? 電とは随分違うのね。まぁ駆逐艦として自分の仕事を全うしてよね』」

 

 

「――ってちょっとぉ!?」

 

 響が“島風のものまね”で遮って、それは中断となった。なお、さほど似てはいなかった。

 

「何いきなりヒトの触れてほしくない過去でチクチクしてきてんの!?」

 

「もどかしいから、少し気持ちを入れ替えてあげようと思ったんだよ。タイミングが悪かったけどね」

 

 苦笑しながら――というよりも、意地の悪い笑みを噛み殺しながら――響は言う。あからさまに馬鹿にしたような目を隠してはいないが、今の島風にそれを指摘する余裕はない。

 

「完全に狙ってたよね! わざとだよね!? ずるっこだよね!」

 

 反則だ、なんだと島風は言う。

 そんな島風を余所目に響は立ち上がり、ふと目についた本棚に近づく。その中の一冊を手に取ると、おもむろにその中身を読み始めた。

 本に目をくれたまま、再びベッドに腰掛けた。

 

「聞いてよぉ!」

 

 言いながら即座に響の持つ本を覗き見る島風は、響が手にとった本――というよりもそれは、バインダーに纏められたファイルなのだが――の中身を理解して思わず「おぅ!」と声を上げた。

 マズイ、と思うものの、響はその中身をすでに見てしまった。もう手遅れだ。

 

 本のタイトルは「速力アップ1」、丁寧な字によって手書きされたそれは、主に速力向上を目的とした艦艇の整備方法を事細かに記したもので、基本的には雑多なメモといった感だが、他人に読まれることを想定しているのだろう、一つ一つわかりにくいであろう部分には注釈が為されている。

 自分のためであり、いつかこれを読むかもしれない誰かのための内容であった。これを纏めたのが誰であるか、今更語る必要もないだろう。

 

「昔は他人のことなんて気にしない、我が道を行く我儘放題だった天才艦娘島風が、随分と秀才になっちゃったね」

 

「わ、私にも思うところはあるんです! 響も随分こまっしゃくれて、昔みたいに気弱じゃなくなってるよね」

 

「――駆逐艦としての強さはともかく?」

 

 続けるように、響は島風が思ってもいなかったような言葉を口にする。しかし、すんなりと島風が“続けていたかもしれない”と納得するような言葉だ。

 かつての自分がそうであったのだから、さもありなん。

 

 とはいえ、

 

「駆逐艦だろうと、戦艦だろうと、私が旗艦である限り、全員同じ場所に帰るんだから、いまさらそんなこと言わないよ」

 

 “かつて”がそうであったのならば、今もまたそうであると言えるはずもない。響はそれもそうだと軽く笑んで、それから少しだけ寂しげに言う。

 

「やっぱり、変わったね。昔とは大違いだ。電がいなくなって、随分変わった」

 

 ぽつりと漏らしたそれは、きっとひとりごとのようなものだったのだろう。すぐに気を取り直した風に顔を上げ、島風に向けて声をかける。

 

「同じ鎮守府に一年以上もいながら、会話ができなかったからこそ――させてくれなかったからこそ、改めて言うよ?」

 

「それは、ごめんなさいって。だって、気持ちの整理がまだついてないから……」

 

 もじもじと、視線を逸らすのは、島風らしくないといえばらしくないかもしれない。だが、それも長く続くわけではなかった。

 

 

「――久しぶり、島風」

 

「……うん、久しぶり、響」

 

 

 言葉を口にしたその時にはもう、かつての郷愁と、今への憂いに満ちた、響と同じように、真剣な表情へと島風は変わっていた。

 

 

 ♪

 

 

 島風と響。両者の間に共通して登場する“電”は現在同じ鎮守府に所属する第六駆逐隊の“電”ではない。

 数多の海戦をくぐり抜け、伝説的な逸話をいくつも残した駆逐艦、“先代”電のことを指す。

 

 “先代”電。そして島風と響。三者は同じ基地に所属していたかつての同僚であった。――ただし、電と島風は第一艦隊所属の主力艦娘、大して響は建造直後に配属されたばかりの、遠征や演習などを目的とした艦娘という違いはあったが。

 またそれもあってか、島風と響はさほど会話を交わすような関係でもなかった。むしろ龍驤の方が、孤立しがちな当時の島風に対し、色々とおせっかいを焼いていたのだ。

 

 かつての島風はワンオフの性能を持つ優秀な駆逐艦であり、他者とは一線を画す存在だった。天才であるという自覚からか高慢で、歯に衣着せない態度も多く、周りとはいつも衝突ばかりだった。

 とはいえ、むしろそんな島風を心配するものも多かった。そもそもワンオフとはいっても、所詮は駆逐艦だ。それにその頃は夜戦とはいえ戦艦を落とすようなとんでも戦闘能力は有していなかったため、無理をしていると取られることも多かった。

 

 中でも特に島風を気にかけていたのが当時から有名だった駆逐艦“電”であった。

 先代の電はそのあまりに荒唐無稽な戦果から、現在はもはや神格化の域にすら達していたが、当時を知る艦娘からしてみれば、それはあまりに滑稽で、無知と言える。

 

「昔から、電は色々なことに走り回ってたよね。自分の鎮守府だけじゃなくて、他所まで出張って時にはその基地の不正を暴いたり!」

 

「何だかドラマの主人公のようだよ。そう考えると、直に彼女を見てこなかった人たちが、彼女を神格化するのもわかるけどね」

 

 一年と、少し以上。再開して、結局会話を交わすこともなく時間が過ぎて、ようやく言葉を紡ぎ始めた時に、最初に出てきたのは思い出話であった。

 特に同じ海域に出撃することもなかった島風と響は、鎮守府内でのことが共通の記憶だ。大抵の場合、それはかつての島風に対する愚痴であったが。

 

「特にあの時のことは酷かったよね。龍驤や電にまで迷惑をかけた。……今にして思えば、なんであんなことしちゃったんだろ、ってすっごく疑問」

 

「疑問に思えるなら、それでもいいさ。島風の中で当然が変わったんだ。当然じゃないことは、理解できないこと、おかしな事なんだから、ね」

 

 なだめるように、響が言う。当時、もっとも傷つけられたのは自分である。元より電と比べられるような雰囲気が在った上、それを感じさせる筆頭が島風であった。悩みもしたし、恨みもした。とはいえ、昔の話だ。

 

「……ごめんね? 上手くは言えないけど、反省してる」

 

 言葉だけではきっと、伝わらないこともある。これだってそうだ。どれだけ謝罪しようと、“やってしまった”過去は取り繕うことができない。目を背けることは、できない。

 何のおかしな事もない、アタリマエのこと。

 

「いいよ、いまさらそんなこと言われても、困る。それに……謝らなくちゃ行けないのは私の方だと思うし」

 

「うぅん、そんなことはない! アレは……いや、アレは、正直よく“わかってない”んだし」

 

 ――“事故でしかなかった”そう言おうとして、堰き止める。そうやって口にしてはいけない。きっと昔には、そんな言葉に響は何度も傷つけられてきたはずなのだ。

 

「……やっぱり、うまく言えないや。響、私ね、ついさっきまで自分がどうして響から逃げるか、よくわかってなかったの」

 

 諦めるようにして、島風は自身が腰掛けていたベッドに見を預けると、ぼんやりとした視線を天井にむけて、それから続けた。

 

「最初は昔の自分のことで気まずかったからだと思ってた。実際それもあるけど、けどそれだけじゃない気もした。響から逃げるうちに、それがどんどん強くなった。――やっと解った。ついさっきね」

 

「……一体、何で?」

 

 促すように、響は言う。

 言わなければならないと、そう思った。促さなくてはならない、と。

 

「――電のこと。整理が、ついてなかったんだろうなぁ」

 

 投げやりな口調で、苦笑するように島風は言った。そんな言葉に反応してか、島風と同じように響もベッドヘ倒れこむ。

 ぽすんと、気の抜ける音が響いた。

 

 間が抜ける、感覚があった。

 暫くの空白が続いて、それから改めて島風が言う。

 

「響が悪いとかじゃなくてさ、……響に対して、何を言えばいいのかわからないんだよね」

 

 電はもうここにはいない。次代の電にその意志は引き継がれ、必死にに“今代”電は前に進もうと努力している。彼女は昔を振り返ることを好む。電という、名前の重みも理解していることだろう。今は単なる駆逐艦でも、いつかは伝説となった電のように、そう思われ、思っている。

 

 島風も、響もそれには同感だ。しかし、今の電に対して答えは出せても、“昔の”電に対して答えは出せそうにもない。

 何度も悩んで、何度も考えた。そのたびに一応の答えは出して、納得もした。しかし、すぐに何処か違うような気がしてならなくなった。違和感は、ずっと拭うことができなかった。

 

「強いて言うなら……さ、――どうして電は沈んだの?」

 

「……あの時と、まったく同じことを聞くんだね」

 

 苦笑して響は言った。当時は泣きそうな顔をして、今は困ったような顔をして。昔と、今では、大いにその感情は違う。響も、島風も、それは同様だ。

 

 ――思い思いの形で、二人は成長を遂げてきた。島風は天才という孤高を捨てて、秀才としての努力を積んだ。響にしても、決して当時のままではいられない。

 ただ、電のことだけが停滞している。“先代”電は過去の話だ。しかし、その過去は、未だ島風たちの枷となっているのだ。

 

 その原因すら解らず、ただもがくように、助けを求めるように暗い海をさまよっている。

 

 足で勢いをつけて響が立ち上がった。

 

「昔だったら、その時のことは“話せなかった”。でも今は“話すことがない”。それが答えだよ島風。――今日は、ここまでにしようか」

 

「……そうだね。ありがと、随分と有意義な時間だったわ」

 

 二人は少しだけ、晴れがましそうに微笑むと、肩を並べて部屋を後にする。――出口に手をかけた直後、ベッドに置きっぱなしにされている本――『速力アップ1』――に響が気付き。そそくさと本棚に戻す。

 彼女たちが出て行った部屋に風が吹く。響が見て、少し“変わったな”と思わせる整頓された家具の配置。無言の室内は、しかし言葉以上に雄弁に、今の島風を表しているのであった。

 

 

<>

 

 8

 

 

 状況が動き出したのは飛龍がル級エリートを他意は炎上させた直後。砲撃戦を続けていた陸奥の真横を、陸奥を掠めてル級フラグシップの副砲が通りすぎてゆく。

 

「ッ!」

 

 思わず声を上げそうになるのを抑え、代わりに陸奥は主砲による砲撃で返した。長門の声が直後に響く。

 

「……! 大丈夫か!?」

 

「問題ないわ、掠っただけよ」

 

 文字通り、掠めただけ。一度受けた程度では小破にもいたらないような小さな傷だ。むろん三度も、四度も受けていれば小破に至るだろうが、連続で軽い被弾を繰り返す可能性よりも、直撃を一度もらう可能性の方が十分に高い。

 

 しかしこれで、ここまで無傷で戦闘を推し進めていた長門達に、初めてダメージが通った。完全優勢の均衡が、少しずつ傾き始めているのだ。

 

「オオオォオオ!」

 

 主砲の炸裂音に負けじと、長門の弩声が響き渡った。

 放たれた主砲。徹甲弾は空母ヲ級エリートを貫いた。爆発が後方へ駆け抜け、ヲ級が体制を崩し倒れてゆく。海に沈み、再び浮上することはなかった。

 

「三隻撃沈!」

 

 蒼龍の艦載機に撃滅されたすでに大破していたル級を含めて、陸奥が叫ぶ。伝える先は、海をゆく日本海軍司令部――つまり提督だ。

 

「行きます!」

 

 そうして後方、赤城の艦載機が陸奥の左方上空を駆け抜ける。超高硬度で襲いかかる艦上爆撃機、全六機。

 編隊を成して雲を切り裂く六翼刃。切り裂くのは、決して白の空白だけではない。

 

 ル級フラグシップ二隻の対空砲が空を駆け抜ける中、不規則に揺れる六対の羽はやがてル級上空を駆け抜けてゆく。

 

 降り注ぐ爆雷。狙うは空母ヲ級エリート、最後の一隻。

 

 機械音のような独特の降下音。日本が誇る正規空母第三号。赤城が操る高い練度の艦上爆撃機。それが、空母ヲ級を海に落とした。

 

「……! 空を完全に潰した。このまま落とすぞ。陸奥、主砲構え!」

 

「言われなくとも」

 

 互いに、背中合わせにするようにしながら、主砲を一箇所に集中させる。狙うは残る戦艦ル級フラグシップ。

 敵の砲塔が紅に染まる。海を揺らして飛び跳ねるル級の主砲は――しかし、長門と陸奥の横を駆け抜けた。

 

「――ッテェえええええ!」

 

 

 ――――かくして、ミッドウェイ海戦において主力とされた艦隊は殲滅された。この一瞬、長門達の立つ海に、静寂が瞬く間に広がることとなる。

 

 

「やりましたね!」

 

「当然といえば、当然ですね」

 

 蒼龍と飛龍。二隻の空母が軽く笑みを交わし合う。

 

「さすがに、数年に一度の大作戦とはいえ、これだけの戦力を集めれば問題といえる問題は起こらないわよね」

 

 うんうん、と頷きながら日本の総力とも言える戦艦、長門型二隻と正規空母四隻の勇姿を眺め、蒼龍が言う。

 それに異論はないのだろう、飛龍もしたり顔でいる。

 

「……了解した。そちらに被害はないのだな? ……轟沈ゼロか、米軍の方は? ……空母が大破した? いつものことだろう」

 

 通信機越しの長門の声が、少し遠くから聞こえてくる。現在の轟沈はゼロ。ここまでの大規模な作戦において、それはあまりに一方的な大勝利だ。

 

「はい、了解しました。警戒は怠らず、無事に全員帰投しますわ」

 

 陸奥の通信は、おそらく提督へ向けたものだろう。長門は各日本軍艦隊に向けたもの。これはおそらく、聯合艦隊において長門が旗艦、陸奥が秘書艦を務めていた頃からの役割分担なのだろう。

 

 赤城と加賀は、いつもの様に漫才をしている。とはいえ加賀がさほど警戒を解いていないためだろう、いつものキレはなさそうだ。

 

 

 ――この時、実質的に伏兵を警戒していたのは加賀と、その加賀と出撃前に会話を交わした、陸奥程度のものだった。しかし、その陸奥でさえ、提督との会話に気を取られ、実質的に対応が可能だったのは、加賀だけだったといえるだろう。

 

 だから、

 

 長門達日本海軍主力艦隊は、“それ”に対応することができなかった。元よりそれは、加賀ですら反応に遅れてしまう自体だったのだ。

 原因は加賀が電探を装備していなかったというただそれだけのものだがしかし、結果としてそれが、ひとつの致命的な事態を起こす。

 

 烈火。

 

 閃光。

 

 それは、戦艦ル級フラグシップの砲撃だった。

 ――しかし、決して長門達が仕留め損なったのではない。

 

 戦艦ル級は“現れた”のだ。

 

 突如として、海の底から浮き上がるかのように、何もない海上の一角から、二隻のル級フラグシップが姿を見せた。




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、こんにちわ!

島風ちゃんは悪い子からいい子になったのです。
いいか悪いかは、ともかくとして。

次回更新は12月17日、ヒトロクマルマルにて、良い抜錨を!


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『24 艦を背負った少女たち』

 食堂には、多くのスタッフ――大半は妖精であるが――が詰めかけている。鎮守府全体をカバーしてあまりあるテーブルと椅子を要するはずの食堂も、今日に限っては狭苦しく、機能を行使するのが困難に思えた。

 とはいえ、それは昼時の本当に混んでいる時間だけで、大抵の場合スタッフは――艦娘や満を含め――思い思いの場所で歓談などを楽しんでいるため、比較的空いている。

 

 意図的に混雑を避けた満も、そんな空いた食堂で昼食を楽しむものの一人だ。空いているとはいっても、それを狙って訪れる者はいるため、一定の人員はいまだここにいる。

 その多くは食堂を切り盛りするスタッフのようだ。軽く労って、バイキング形式の食事を楽しむ。

 

 食堂のバイキングにはほぼすべての食が揃っていると言っても過言ではないが、満はその中空サラダ、それにかけるドレッシング、唐揚げ、スープと、どことなく朝食風のチョイスを選んだ。無論白米もセットにして、だ。

 

「うむ、サラダが美味しいね。悪くない」

 

 シャキリとした歯ごたえと、みずみずしさを持つキャベツや人参等が山盛りになったサラダ。少し酸味のあるドレッシングが絡まり、口を通り過ぎるのに違和感のない食感が魅力だ。

 

「あら、あらあら。美味しそうですね、提督」

 

「唐揚げちょうだーい」

 

 ヒョイッと、二、三個載せられた唐揚げの一つが箸に取り上げられて、そのまま言葉の主の口元に持っていかれる。見上げると、北上が美味しそうに頬を緩ませていた。

 目尻が下がり、トロンとした表情で、ほくほくと唐揚げの熱さを楽しむ。

 

「新しいのが出たてなんだねー、おいしー」

 

「……文句を言ってもいいかい?」

 

「ダメだよ」

 

 キリッとあからさまな北上のドヤ顔に、満の頬が何度かぴくつく。と、そんな北上の頭に、隣に立つ愛宕の手刀が襲いかかった。

 

「あいだっ!」

 

「ダメですよー、いくら食べ放題だからって、ヒトのをとったらマナー違反です」

 

 いいながら、ニコニコと優しげな笑みを浮かべる愛宕には、どことなく母性を感じることもできるのだが、しかし足元にうずくまる北上の様子を見ていると、そうは言えない。

 

「ぉぉぉぉおおお」

 

 と、地獄のような唸り声を上げる北上。どうやらほとんど下限なしに叩きつけられたようだ。遠慮がなければ痛みが大きいのは当然である。

 満は嘆息し、それから北上がテーブルに乗せた皿に目を移した。

 

「はぁ。じゃあこのサイコロステーキ、これ一つ貰っていいかな?」

 

「あ、うん、いいよ。ごめんね?」

 

 ちらりと満を見上げて、愛想笑いをする北上。満は全く気にした様子もなくサイコロステーキを一つとると、口に運んでその味を楽しむ。

 柔らかい感触だ。あまり熱心に焼かない焼き方だったのだろう。広がるのは肉汁とそれによく絡められたタレの甘味だ。

 

「うまいな、次はこれも貰ってこよう」

 

「あ、北上さん。私も一ついいかしら?」

 

「愛宕っちはいいよー。提督はもうだめだけど」

 

「別にいらないよ。というか、早く座ったらどうだい?」

 

 言いながらも、結局愛宕は手を付けないようだ。あとで自分の分を取りに行くのだろう。北上はよっと吐息を漏らしながら立ち上がり、そのまま椅子に腰掛ける。背もたれに体を預けて、勢い良く伸びをした。

 

「いつもお疲れ様。こういう場でしかいう機会がないけれど、助かっているよ、とてもね」

 

「いえいえ、それにいつも気にかけてもらっていますし、提督の助けに慣れているのであれば、私たちはそれで満足です」

 

 満の言葉に、愛宕は遠慮がちに微笑んで返した。北上がその横から、満を覗きこむようにしてちゃちゃを入れる。

 現在満の横に愛宕、さらにその横に北上というふうに、一列で同じ方向を向きながら三人は食事をしていた。

 

「ちょっと方向性が気障だけどね」

 

「……いやいや」

 

 自覚はないが、そんなふうに言われる筋合いはないはずだ。一瞬金剛の顔が脳裏をよぎったが、すぐにかき消してなかったコトにする。

 

「でもさ、提督のお陰でこっちはかなり助かってるのは事実なんだよね。なんていうか、雰囲気がいい」

 

「気を使わなくて済む、というのは組織の中では難しいですからね」

 

 艦娘は実際に戦闘を行う、他に替えのない特別な存在だ。彼女たちはある程度であれば好き勝手に振る舞うことが可能だ。しかし、好き勝手にできるよう“気を使われている”というのは、存外普通の人間からしてみれば居心地のいいものではない。

 たとえそれが、比較的我の強い艦娘であっても、だ。

 

「それもあるけど、やっぱり“普通に”起きて“普通に”食べて“普通に”出撃ができる。これって割りと貴重だよ?」

 

 功を焦れば無茶が生まれる。轟沈の危険は高まり、艦娘の疲労がたまる。それを考えてみても、満という存在が如何に提督として的確で、優秀であるかは、轟沈ゼロの鎮守府という実績が証明している。程よく知識がなく、程よく思慮がある。一介の少年ではあるものの、満は一人の提督であった。

 まるで、それこそ作為的であるとすら言えるかのように。

 

「だからその、これからも提督のために頑張っちゃうからね、見ててよ!」

 

「うふふ、私もです」

 

 会話の間にも、食事の口は止まっていなかった。元よりのんびりと食事を楽しむつもりだった満はともかく、北上と愛宕はこれから共に向かうところがあるようだ。鎮守府の外に出るのかもしれない。そこらへんは、彼女たちの考え次第だ。

 特に聞いてみようというつもりもない。

 

「じゃあ、失礼いたしますね」

 

「まったねー」

 

 二人は軽く満に手を振って、満が手を振り返したのを確認してから背を向けてその場をあとにする。そうして一人になってから満は、自分が笑んでいることに初めて気がついた。

 

 

 ♪

 

 

 元より満は一度の食事で全てを終わらせるつもりはなかった。夕食にも食べることはできるが、その前に、腹を一度満たしておく算段であった。

 そんなわけで二度目は、サイコロステーキなど、一口サイズの物をふんだんにとり、さらには主食すらとらない、完全に味見目的の選択。栄養バランスなど、溝に捨てたと言わんばかりであった。

 

 そうして満がテーブルにとった食事を追いた直後、それを見計らったかのように、金剛が満の元へ飛び込んできた。

 

「HI! 提督! 元気にしてマスカー!?」

 

「うぉぁ!」

 

 艦娘の身体能力は、海の上以外では人間のそれと同様であるが、それでもほぼ全力疾走の勢いをそのままに身体に飛びつかれては、もはやその衝撃は凶器のごときソレと化す。

 思わずと言った様子で声を上げて、それから思い切り体を揺らして衝撃を逃した。

 

「危ないじゃないか金剛! ……一人で来たのか?」

 

「いいえ、今日は龍驤と一緒デース! 本当は島風も一緒したかったデスが、何やら取り込み中のご様子……!」

 

「龍驤か……ん?」

 

 言われて、しかし周囲に龍驤の姿はない。遠くに――具体的に言うと食事を取っている最中かと――いるのかと、目を向けてみると、どうやら一人ぽつんと取り残されているようだ。

 けれど、そんな龍驤であるが、何やら様子がおかしい。意図は受け取れないものの、なにやら視線をあちこちに泳がせて、そわそわしているようだ。

 

「……彼女は何をしているんだ?」

 

「わっからないんデスかー? そうですか! では、乙女心の分からない提督に、龍驤、やっちゃってクダサーイ!」

 

 金剛が、抱きついていた満の身体から離れて言う。しかし、その仕草は満を指し示すかのようだ。指標を向ける、といったところか。

 

「――え?」

 

 直後、呆けた満の胸元に、龍驤が勢い良く飛び込んできた。弾丸の如きタックル。危ない声が満から上がった。

 どうやら、金剛の真似がしたかったらしい。

 

 

「……それで、ふたりともまだ食事が済んでいなかったのかい?」

 

「せやで、ほんまやったら島風見つけて、早めに食うつもりやったんやけど、全然見つからんくて、結局こうして二人で寂しくお食事や」

 

「提督がいたからモーマンタイですけどネ!」

 

 いささか古臭い日本語を操りながら、金剛が笑う。

 

「あ、そういえば提督。月が綺麗ですネー」

 

「……ごめんね」

 

「あぅ、これで十八連敗なのデース」

 

 提督を愛していると、金剛は口癖のように言う。そうして十八度告白し、十八度玉砕しているのだ。

 

「それにしたって提督、何で金剛の誘い受けへんの? ちょっと煩いのは認めるにしろ、悪い子やないやろ」

 

「ひ、一言余計なのでーす。余計なものは無いのニ!」

 

「成長途中やし! た、退役したら伸びるやろ、まだせーへんけどなっ!」

 

 ジト目気味に金剛へと盛大なツッコミを入れる。そして、空気を切り替えるように満へと視線を向け、龍驤は一言、それで、と言葉を催促してきた。

 できればその話題は避けたかったのだが、満は向けられた視線から逃げるようにして顔を逸らして、苦笑い気味にそっぽを向いた。

 

「あー、いや、その、あはは」

 

「……あーうん、別に言わんでええで」

 

 納得したように嘆息すると、今度は金剛の方へと視線を向け、さらに龍驤は質問を続ける。

 

「それで金剛の方は? 提督に脈ないことくらいわかるんとちゃうの? はよう諦めとけば、ダメージ少なかったんとちゃう?」

 

 恋愛とか、よーわからんけどと言いながら、思考に吹けるようにに龍驤は問いかける。

 

「ふふ、LOァVEを知らない子猫ちゃんの質問に、答える意義はないのデース! とはいえ、せっかくなので応えて差し上げましょう」

 

 ある胸を誇るように、金剛はふんぞり返って得意気に言う。失恋直後の様子ではないが、そも十八連敗中であるがゆえ、もはや失恋という概念はとうの昔に捨てていた。

 

「ほぉーう、いうやないか。ソレやったら聞こうやないの、そのLAVEパワーとやらを!」

 

 売り言葉に買い言葉、龍驤が挑発するようにくってかかった。満は仲裁しようとも考えたが、出てくる言葉がLAVEは洗うという意味だ、しか無かったため、やむなくソレを諦めた。

 食堂の一角で、金剛と龍驤。世界を守る兵器を操る、唯一無二の艦娘であるところの二人が真っ向から睨みをきかせていた。

 

「いいですか、LOVEは世界を救うのデス。それが親愛であれ、恋愛であれ、LOVEである以上、乙女の原動力にならない道理はありまセン! ……まぁ、私のLOVEが親愛に寄っているのは、否定しませんけれど」

 

 続けて、言う。

 

「それに提督は……私を戦艦としてではなく、何より女性としてでもなく、“艦娘”として私を扱ってくれマシタ。気遣い、責務を任せてくれマシタ。そこに、一切の期待はなかったのですヨ!」

 

 思い返してみる。数カ月前のことだ。金剛と初めて対等に話をした時、金剛が自分を愛しているというようになった時――艦娘として、相応の期待をしている。満はそういった。

 本来の意味での期待は、きっと一方的な言葉だ。誰かから誰かへ向けた押し付けの言葉。満はソレを、提督としての立場を前提としていった。前提があれば言葉の意味も変わってくる。

 

 この場合、期待という言葉は、信頼という意味に置き換わるのだ。鈍い満でも、ようやく金剛が提督に対して愛、特に親愛を送る理由は理解できた。

 

 恋、というほどではないにしろ、それは金剛にとって、満に“信頼”を送るに足る言葉だったのだ。そしてそこに愛、そして恋を絡めたのはきっと金剛が――

 

「そして艦娘は、LOVEを知らない存在です。生まれは恋のない海。HOPEを持って生まれた私たちは、期待こそされ、信頼はされない。提督でもないかぎり。バット、そんな提督はたいていの場合私たちの肉体的な年齢とくらべて一回りも、二回りも年を重ねているネ」

 

「ホープ……希望? なんなの、それ」

 

 独特のイントネーションでもって、しかしポツリと漏れた言葉とともに龍驤がきょとんとした顔で小首をかしげる。

 

「そのままのフィールを感じるのネ、まぁ艦娘を続けていればそのうち解ることなのデス」

 

「ふぅん……」

 

 横目で聞きながら、満は気にしたふうもなく食事に没頭する。暗黙の了解を、わざわざ言葉にする理由はない。満がそれを知っているのは、暗黙でいられない事情があったからだ。

 

「まぁなんというか、提督はとってもとってもGREATでLOVELYな人デス! それに……提督として、一流の手腕を発揮していますから」

 

「……一流? そうかな」

 

 満がふと、耳聡くそれに反応した。その声音は、否定的でも肯定的でもない。純粋に、金剛の評価を求めているようであった。

 

「そりゃそやろ、一年半提督として活動し、誰一人として艦娘を沈めていないのは提督の判断あってこそ、や」

 

 反応したのは龍驤だ。満に対していくつか評価の対象はあるだろうが、行き着くところはその判断力だ。知識はない、素人でありながら、一流と言われるほどの執務は眼を見張るものだ。

 無論、知識はないことはマイナスである。知識でもって判断を下すことは、いうなれば一人前の条件なのだから。

 

「こんなに若くて、しかも一流。超優良物件な提督ネ!」

 

 若い提督は功に走り、二流とされることが多い。重要な拠点を任されることはまず無いし、通常の場合――水雷戦隊を率いるような艦長という地位――でも、任せるのは不安を覚えるものが多い。

 そんな中で、正確な判断を下し、老齢のごとき提督として活躍する満はそれだけで評価の対象であった。

 

「……でも、一流だけじゃダメなんだよね」

 

 ――ぽつり、と。

 誰に告げるでも無く漏らした言葉。

 

 満は、それを噛み締め、食事とともに喉の奥へと押し込んでいった。

 

 

<>

 

 9

 

 

 何事だ、長門はその言葉を必死に抑えた。今は、今はそう狼狽えるべきではない。優秀な艦娘として、艦隊の旗艦として、狼狽することはできなかった。

 

「被害を報告!」

 

「陸奥、蒼龍が小破!」

 

「立て直すぞ、各艦回頭!」

 

 陸奥の答えに返し、長門達が動き出す。日本海軍主力艦隊の前方に現れたのは二隻のル級フラグシップ。二隻が横並びに長門達を見ている。つまり長門達は現在T字戦の、しかも不利な状況に置かれているのである。

 

 本来であれば、それは彩雲による偵察で防げる自体のはずだった。彩雲は飛龍が積んでいるのは間違いない。つまり、ル級は彩雲が有効にならないほど突然に、そして近距離から“現出”した。

 

 これだけ近距離であれば、回頭しようとしても意味は無い。長門の狙いは海域からの脱出だ。わざわざフラグシップ相手に、通りの悪いT字戦不利で戦う理由はない。

 

 しかし、長門の考えを押しつぶすように、ル級の第二射が襲いかかる。

 

「……! 第二射が速すぎる! これじゃ回避が間に合わない!」

 

 降り注ぐ砲弾の雨。斜めに、艦娘をスライスするかのような角度でそれは襲った。風をきる音は無数に広がる。長門達は、絶体絶命の状況にいた。

 

「……グッ!」

 

 単縦陣ですすむ場合、当然旗艦として先頭を行く長門は特に損害をこうむることとなる。それを避けようとすればそれこそ陣形を変更する必要があるし、それは今、この状況では敵わない。

 飛来した砲弾が長門の身体をかすめる。貫いたのではない。右肩辺りに激突し、そしてはじけて海へ消えていった。

 

 風に揺らめく灰色の煙が長門の肩から吹き上がる。

 

「大丈夫!?」

 

「こんなもの、小破にも至らんさ!」

 

 砲弾の煙は未だ噴出しているものの、それだけだ。痛みは残るだろうが、性能を低下させることはない。構わず長門は前を進んだ。

 

「被害担当艦を変わります! これ以上、戦艦の長門さんを消耗させるわけには!」

 

 すでに小破していた蒼龍が後方で言う。こちらは機能こそさほど低下していないものの、中破寸前だ。あと二度も砲撃を掠めれば、それだけでもう空母としての戦闘能力を失いかねない。

 

「ダメだ。空母の装甲でル級の一撃をもろに喰らえばそのまま轟沈しかねん! それに、もしも次があった場合、貴様が大破していれば轟沈の可能性がある。それはなんとしてでも避けなければならない!」

 

 言葉を交わしながらも、足は留めない。しかし、それでもル級の砲撃は未だやまない。このままでは、長門達が全滅するのも時間の問題に思えた。

 

「……主砲、構え!」

 

 陸奥の掛け声。このまま手をこまねいている訳にはいかない。蒼龍と問答を繰り広げていた陸奥もそれは例外ではなく、二隻の戦艦が一斉に敵艦ル級に照準をあわせる。

 

 その時だった。

 

 

『待て!』

 

 

 通信機越しの声。

 

「――提督!?」

 

 赤城の困惑が、その声の主を晒した。突如として響き渡るそれに、しかし長門達は躊躇わず従う。戸惑いは、彼女たちを止めうる感情では決して無い。

 

『このまま主砲を放たず十秒待て! 赤城達は発艦用意!』

 

 老練な提督の声が、しかしこの時は咆哮に満ちたものに変わっていた。穏やかだが、しかしそれゆえに静寂の思考を持つ司令の言葉に、赤城達は即座に従う。

 

「攻撃隊、発艦!」

 

 弓矢式の鏃から放たれる無数の艦載機。空母の存在しないこの空に、艦戦の居場所はありはしない。あくまで徹底的に、敵戦艦ル級を撃滅するべく空へ羽ばたく。

 

『――7! 6! 5!』

 

 連続して響き渡るカウントダウン。何かを感じ取るのは、おそらくここにいる全員がそうだろう。しかし、その何かを理解しているのは、おそらく加賀だけだった。

 そしてその加賀も、黙して語らず。

 

 ――不可能だったのだ。語れなかった。語ろうとしても、それは恐ろしいほど、時間が足りないのであった。

 

『3! 2! 1!』

 

 “それ”に気づくものは誰もいなかった。音は砲撃戦と移動の音にかき消され、電探に“それ”は映らない。しかも艦娘達の視界は、空とル級に向けられている。

 

 気づこうとしても、それを可能とする材料が何一つ、少女たちには存在しなかった。当然、フラグシップ戦艦ル級にも、だ。

 そして、

 

 

『――0!』

 

 

 提督の声とほぼ同時に、一隻の軍艦が、敵の砲撃から艦娘達をかばうべく、飛び出してきた。

 

 

「な、何事だ!?」

 

「もともと、ここにたどり着くつもりだったのですよ、提督の戦艦は」

 

 長門の困惑に、即座に加賀が返答する。

 簡単に行ってしまえば、捨て石だ。ル級の砲撃は、艦娘達には有用であるが、人間由来の素材に対しては、爆発炎上はしない。つまり、高速で飛来するただの鉄でしかない。

 逆にこちらからの砲撃を制限し、軍艦の砲撃はル級に一切通らないため、空から敵を叩くための空母が少ない日本では、むしろ非効率とされることが多いが、空母を多く有する米軍などでは有用な戦術だ。

 

 ただし、これには大量の鉄を無駄にしなければならないため、あまり使用される戦術ではない。そして、使用される場合、捨て石とされる軍艦は、無人の遠隔操作であることがほとんどなのだ。

 

「何を考えている! あそこには提督だけではない、乗員だっているはずだ!」

 

「死んでも構わないと、そう決めているのですよ、自分自身で」

 

「止められなかったのか!? わかっていたのだろう!」

 

「確信がありませんでした。それに、私が言ってもどうにもなりません」

 

 止められるはずもないだろう。むしろ、止めれば作戦が露見する危険があったために、加賀はこの艦隊から外される可能性もあった。それは加賀の望むところではない。

 

『――聞こえているか、赤城』

 

「……提、督? まさか、その戦艦に乗っているのですか?」

 

 長門と加賀の会話をよそに、状況は切迫し、急変している。

 赤城の表情が、蒼白に染まっていた。

 

「は、速くその艦から脱出してください。私たちが護衛します。乗員の方たちも、提督も、全員……」

 

『ならん、私は死ぬためにここに来た。……もう、残すものが何もないのだよ、ここで沈まねば、私は無為に死を迎えねばならなくなる』

 

「無為の死? 生きてきた証が、何かに残らなくてはならないのですか!? そのために、貴方は海に沈むというのですか!? それに……」

 

 赤城の口から、それが漏れたのは、果たして提督に対する言葉だっただろうか。かつて自分に向けられた、死を迎合してはならないという言葉。それを語った提督が今、自ら死を選ぼうとしている。意味のある死を。――戦いの中での、死を。

 

『人は、誰かから忘れられたその時が、つまり死ぬ、という時なのだ。名を残し、人生に意を持たせなければ、その人間は、何の価値もなく消えてゆくのだよ』

 

 ――そして、それの意味するところは、提督に、何かを残せる人間がいないということでもある。人間が未来に己を標すには、血族か、記録のどちらかにしかない。

 

『……赤城には言っていなかったな。私の妻は、元より先の長くない体だった。もって数年、ちょうど私たちがこちらに転属されることまでだろう、と』

 

「……え?」

 

『赤城には心配をかけないように、内緒にしておいてくれ。そう頼まれた。済まないね、今まで語ることができなくて』

 

 衝撃だった。

 秘密にしていたこともそうだ。しかしそれ以上に、その秘密を今ここで語ることもまた、衝撃だった。

 理解できてしまうのだ、赤城には。

 その言葉の意味が。

 

『……赤城、君はこれから先、艦娘として色々なことを感じていくだろう。どうかそれを無為にしないで欲しい。幻想に、帰さないで欲しい』

 

「――待って、下さい」

 

 艦載機の舞う音がする。すでに賽は投げられた。ル級たちは砲撃を通すことのできない戦艦を打撃だけで轟沈させることに必死で、艦載機を振り払う暇すら無い。しかし、高速で叩きつけられるそれは骨董品の戦艦にはいささかきつく、轟沈も時間の問題だ。

 

 そんな中で。

 

「お願いです……」

 

 赤城の声だけが、

 

 

「……まって、まって、お願いだから」

 

 

 ただ虚しく響き渡る。

 

『赤城、艦娘は人だ。人として生きることのできる、十代半ばの少女だ。しかし、提督は違う。いつまでも最善を、最良を選び続けなければならない』

 

 提督のそれは、果たしていかなる思いを添えたものか。まるで遺言のように、告げられるそれは、まったくもってその通り、別れを語るものでしかない。

 

 ――すでに、数百メートルの船影を誇るかつての軍艦は、煙を上げ海に沈もうとしている。しかし、それが最後の仕事であると言わんばかりに、未だその姿を保とうと海に浮かんでいる。

 本来であれば、戦艦はル級を轟沈するまでの時間を稼げない筈だった。だというのに、今にもル級は沈もうとしている。応急修理要員などいるはずもなく、戦艦をただ“動かす”だけの最低限の人員しかいないはずの艦が、未だその姿を保っている。

 

 沈まず、己が勇姿を世界に示す。

 

「――提督!」

 

『案ずるな長門。私とともにいるのは、私と同じように老い先短い老兵だ。軍に、迷惑をかけるようなことはないだろう』

 

「だがっ!」

 

 反論し、しかし次が続かない。わかっている。死を覚悟した人間に、そんな言葉何の意味もないということくらい。

 

『……いいか、赤城。覚えておいてくれ』

 

 ――沈みゆく艦の、最後の艦長。

 提督として、一軍人として。

 

 生きてきたものが最後に水平線へ刻む勇姿。

 

 

『――――私は機械である。常に精密な動作が必要な、ちっぽけな歯車である』

 

 

 暁に染まった黒山は、やがて、空へ溶けて消えてゆく――




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、こんにちわ!

金剛さんはいくお……もとい、アラサーなの(艦齢的に)は、ここだけの秘密なのです。
また、番外編に対して色々言うことのある人に対しては、私もそう思うのです、とだけ言っておきます。

次回更新は12月21日、ヒトロクマルマルにて、良い抜錨を!


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『25 半人前の一流提督』

「それじゃあ、いただきましょうか」

 

「そうだね、いただきます」

 

 赤城と、それから満の声、窓越しに日が差した、司令室に二人の会話が広がる。それから少し沈黙が合って、広がるのは感嘆をこめた溜息であった。

 

「あぁ……おいしい」

 

「そうですね」

 

 二人が口にしているのは、いわゆる『間宮のアイス』だ。日本海軍の士気の源とも言われる絶品の氷菓。あまりに人気が有るためにあらゆる基地――どころか一個艦隊までも――を動きまわり、中々満の鎮守府に訪れる機会はない。

 今回それが実現したのは、この間宮納涼祭が他の基地と協議の末開催されたためだ。

 あまりに人気が有るため、そもそも真夏に開催出来たのは幸運という他ない。なお協議とはいうが、決定方法はくじびきである。

 

 去年は初夏の頃に開催されたこの鎮守府における納涼祭は、好評では合ったものの、満足の行くものではなかった。無論、納涼祭はいわゆる“定番”であるため、それらは満足不満足は、風物詩の範疇ではあったが。

 

 白の山脈、山頂には添え物のように葉が置かれ、ひんやりとした温度はスプーン越しの手のひらにも伝わってくる。冷気は空へ、司令室の無骨な天井へと消えていった。

 

 程よく溶けかけの氷菓子は、スプーンを差し込むことでたらりと皿へ汁を垂らして、雪融け水のようにそれが拡がってゆく。

 柔らかな感触は、スプーンだけではない。舌にそれを載せた時にこそ進化を発揮する。爽やかに広がるアイスは、甘味よりも先にひんやりとした冷たさを告げる。舌が凍りつくかのような感触。溶けて消えてゆく氷は、喉を潤し下っていった。

 甘味は、その実感のようにあとに残る。純粋な、バニラ味の菓子は雪融けの終わった春を告げるかのように、温かみを持って舌に残った。

 

「よく冷えた糖分だ。あとに残る感じが心地いい。爽やかなのに、それ以上に味を感じる。あぁ、僕はアイスを食べているんだね」

 

 満の率直な感想に、隣に座る赤城も素直に頷く。

 現在、満達は執務用の机にはいない。司令室に備え付けられた、喫茶店のテラスに並ぶような白色のテーブル。同じ白の椅子に、それぞれひとりずつかけているのだ。

 普段であれば金剛がいつの間にか持ち込んだティーセットが近くにあるのだが、今日は隅に追いやられている。

 

「それにしても赤城、たったこれだけのアイスで君は足りるのかい? もっと頼んだ方がいいんじゃあ」

 

「いいのですよ。……初めて、提督から――私を初めて率いた提督のことです――いただいた想い出の菓子なので、がっつくのは少し、想い出を汚してしまう気がするのです」

 

「……ふぅん」

 

 とはいえ、赤城の食べるスピードはゆっくりと味わうタイプの満とは比べ用がない。すでに、解けたアイスに染まった底が思いの外見えていた。

 

 そうしてそれも、あっという間に終わってしまうと、最後に丁寧にそこの融けたアイスを掬い上げ、ゆっくり口の中で楽しむ。

 惜しげにスプーンを口元から話すと、いつもより柔和な笑みで、赤城は淡い嘆息をした。

 

「……、」

 

 それを、満は無言で見つめる。何と言ったら良いだろうか、満のそれは、果たして普段の彼とは違う瞳に思えた。

 

「どうかいたしましたか?」

 

 ふと、赤城がそれに気が付き問いかける。なんでもないよ、と満は返そうとして、しかしふと目線を落とす。

 

「――一口、食べるかい?」

 

 何気ない問いかけだったかもしれない。そうではなかったかもしれない。自分でも思わずといったふうに飛び出した言葉に満は内心驚きながら、しかし努めて笑ってみせた。

 赤城は、

 

「食べます」

 

 一も二もなく応えて返し、二つ返事で頷いた。

 

「……ん」

 

 差し出されたスプーンにいざ、と勢い紛れに食いついて、その冷たさを赤城は堪能しているようだ。満の頬に、朱が指していたことは、きっと彼女は気が付かない。

 

「あぁ……美味しい」

 

 敬語も、気遣う言葉も何一つ無く、赤城の口から本音が漏れた。満に向けたものではない。それがわかっていても、なんとなくそれを満はうれしく感じるのである。

 

「それで……赤城が始めて指揮下に入った提督、か。どんな提督だったの?」

 

「誰からも慕われる、優しい提督でした。普段はとても寡黙で、けれども良く艦娘たちのことを見ているんです。それに、堅い信念のある提督でした」

 

「信念……か。それは艦娘を沈めない、とか。無茶をさせないとか、そういうものではなくて?」

 

「はい。それはきっと決意というのではないですか? だとすれば違います。決意は、誰にだってできますから」

 

 決意は、誰にだってできる。明日をもっと良い日にしようと考えて、決意して。しかしそれを実行できるかは話は別だ。一瞬前にしないと誓ったことを、いつまでも続けられるはずもない。

 それくらい、決意は弱く、脆いものだった。

 

 ではどうか、満に果たして決意はあるか。あるに決まっている。提督としてしなければならないことをする。そんな決意を胸に満は邁進し、道を歩いてきたはずだ。

 しかし、それ以上に今の彼には、信念と呼べるものはない。決意を信念と確かめたのは、きっと信念が自分にないとわかっていたからだろう。

 

「それに……そうやって決意した提督は、とても弱いのではないですか? 自身のミスで艦娘を沈めてしまった時、心を真っ直ぐいられますか?」

 

 ――海の上で戦う少女たちは、戦場にいながら、しかし存外に“死ににくい”存在である。提督が判断を間違えなければ、いつまでも艦隊は運用できる。

 だからこそ、死なせないという決意はいかにも凡庸で、単なる一つの思いでしかない。

 

 アタリマエのことなのだ。誰もがそれをしなくてはならず、続け無くてはならない。そしてそれを心の根に据えてしまった者は、もしも艦娘が沈んでしまった時、平常でなどいられない。

 

「結果、意思が狂い提督を辞する人は多くいます。時にどのような犠牲を払おうと、勝利をもぎ取る執念、いかなる災いが見舞おうと、ただ一人立ち続ける信念。それを持って、人は初めて司令を“一人前”と認めるのです」

 

「……犠牲は、得るものを計算できなければ払えない。得を判断するのは知識。損を判断するのもまた知識。そして、信念を持つための行動指針、その土台を作るのもまた――知識」

 

 すなわち赤城がいうところの“一人前”は、提督として必要なもの。“一人前”と呼ばれるための条件。知識であると言っているのだ。

 一つ頷いて、赤城は言葉を引き継ぐ。

 

「それらを持っての一人前。……けっして決意という世迷い言が、提督の素質を決めることはありません」

 

「それは……!」

 

 反論する。その尻声は自然と強さを増していた。胸のつかえるような思いはきっと、赤城の言葉でも、その中身でもなく、それを納得できてしまう自分に向けたものだろう。

 

「それは、つまり、提督として一人前に慣れない軟弱者は、そんな軟弱者の決意には、価値なんてない、――ということですか!?」

 

「有り体に言えば、そうです」

 

 その一言は、一切のよどみもなく。ためらいもなく。感傷もなく。決められたプログラムのようにあくまで淡々と、決め付けるように、言い放たれた。

 

「でも――」

 

 言葉を返そうとして、しかし続かないことにすぐ、満は気がついた。反論できない。反論するような材料が、無い。

 一年半という時間の中で、満は提督としてあらゆることを学んできた。そう言い張ることはできる。しかし、赤城の持つその三倍以上の経験と知識は、それをはねのけるに十分なほどだった。

 

「――――ですが、提督としての素質を測る物差しは、決してそれだけではありません」

 

 それこそ、人の性質がひとつの方向性では測れない立方体であるのと同じようなものだと、赤城は言う。

 

「結果を、残しているのであれば話は別です。結果を残し続ける限り、それは周囲の評価となります。すなわちそれは、“一流”と呼ばれるものです」

 

「一流……」

 

「提督、貴方はこれまで、多くの海戦をくぐり抜け、戦艦を賜るに至りました。今やこの鎮守府は南西諸島沖を巡る戦いに於ける主力です」

 

 黙りこくる満に、赤城はさらに言葉を続けた。

 諭すように、繰り返すように。

 

「かのレイ沖海戦で奪われた制海権も、ようやくこちらの手に収まろうとしている。それを為したのは提督、貴方なのですよ」

 

「それは……」

 

「一流とは、つまりそういうことです。誰もが認める事を為す。為し続ける。結果をそのまま信頼にするだけの実力を持つことが、一流。それは間違いなく、一人前と呼ばれる領域とは別の話です」

 

「――まったく君は、人をおだてるのが本当に上手いね。下げて上げる。こっちの気持ちは君の手のひらか」

 

 言い切った赤城の言葉に、体中にたまった我慢を吐き出すように、満は大きく吐息を漏らした。膿のように沈殿した感情が、急速に冷却されていくのを感じる。

 

「艦隊旗艦というものは、得てしてそういうものです。ここ最近は……この鎮守府に来る前の間は、後方で味方の鼓舞と制圧殲滅が主な仕事でしたから」

 

 誰かを思い出すように、赤城は言った。――だれか、この場合それは艦娘で、きっとその中でも日本の中心に座する、聯合艦隊旗艦。名を、長門といったか。

 満はこの世界にきてその名を知った。かつての日本の象徴であり、今この世界における、日本の全てであることを、初めて知った。

 

「半人前の一流提督、か。だとすればもっと僕は知識を得るべきだ。君の言うように、英雄の如き戦果をもたらす一流はきっと素晴らしいものだろうけれど、同時に大きな慢心にもなる」

 

 ただ結果に信頼を寄せられるのであれば、それはきっと、大きな挫折を呼び込むだろう。信頼を失い、破滅する時が来るだろう。その時、“ソレ”が半人前の提督であれば、もはや価値などどこにもない。見捨てられるのが、関の山だ。

 

 狂ってしまうのが、関の山。

 

「そんなものに、僕はなりたいとは思わない。だとすれば、だ。犠牲を必要とするに――最も必要な物は何だと思う? 赤城」

 

 満はそうして、赤城に問いかけた。一人前の提督に必要なもの、犠牲を得てでも何かをつかむ執念。それを、行うに足る条件を、赤城に問いかけた。

 答えはなかった。一瞬の間、その直後にすかさず満は言葉を続けたからだ。

 

「――勝利だよ。そして、勝利は結果だ。僕はそれこそが、提督に必要な物だと考える。勝利を得るために犠牲がいるなら、僕には勝利を見届ける、“義務”があるんだ」

 

 一度でも犠牲を払ってしまえば、それはつまり信頼の失墜に変わる。だが、それでもなお犠牲を選んだ人間には、その犠牲の行く先を見届ける義務がある。そう、そのために、たとえ醜くとも、提督としての居場所にしがみつく、必要がある。

 だからこそ知識は、失った信頼を、最低限の信用で補うチカラとなるのだ。満のたどり着いた結論とは、つまりそこに在る。

 

 繰り返すように、満は言った。

 最後を“飾る”ように、満は言った。

 

 

「提督はすなわち、獣だ。常に執念のごとく結果を欲する、化け物じみた狼だ」

 

 

 それは満にとって、提督の有する執念であり、満が心に決めた信念でもあった。

 

「今はまだ、僕がそれを体現できるとは限らない。だから赤城、僕を助けてくれ。僕に必要なあらゆる全ては、きっと僕ではなく君に在る。僕のすべてを支える――一時の歯車となってくれ」

 

 知識は、吸収することができる。そしてその知識の源は、きっと赤城だ。歴戦の艦娘として、下手な提督以上の経験と、知識を持つ彼女であれば、それは間違いなく“適う”ことだ。

 

 かつてその手元を離れるまで、支えとなる存在になってほしい。満は赤城にそれを求めた。一人と一人の関係以上に、提督と秘書艦。その関係を含めて。

 

「――、」

 

 赤城は、それにただ沈黙で返した。

 

 一瞬の肯定も否定も含まない沈黙。

 

 しかし赤城はこの時、今まで見せたこともない。

 

 

 ――とても呆けた、顔をしていた。

 

 

 それから、

 

「……はい、分かりました」

 

 赤城は、

 

 とても、とても嬉しそうな顔をして、とても、柔らかい笑みを浮かべて、何の曇もない笑顔で、そういった。

 

 空に流れる青の風。

 ――クスクスと、楽しげな少女の声が司令室に拡がった、気がした。

 

 

<>

 

 10

 

 

 ル級が海に沈んで、赤城達は帰路についていた。

 空に戦闘を思わせる焔の朱はどこにもない。ただ、暁光にそまった白雲のすぎる空は、静かで、どこまでも冷たい。

 全員が、言葉をなくし仕事に励んでいた。

 

 赤城もそして長門も、それを疎かにすることはなかった。

 

「……少しだけ、考えていたことがあります」

 

 久しく続いた沈黙を破ったのは、加賀だった。先ほどのことなど無かったかのように――否、先ほどのことを極力おもいだすことがないように努めて言った。

 

「あそこで現れた戦艦ル級。あれが深海棲艦の狙いだったのではないですか?」

 

「……どういうこと?」

 

 飛龍が、空をゆく彩雲の様子を確かめながら問いかける。加賀はひとつそれに応えるように頷いてから、言葉を続ける。

 

「これだけの大規模な戦力をこのミッドウェイに投入した意味です。おかしいとは思いませんか? 今回の戦闘、あのル級を除けば完全に人間勢力のワンサイドゲーム。深海棲艦は戦力を無駄に投入したとしか思えません」

 

 とはいえ、深海棲艦の戦力に枯渇はない。どれだけ駆逐しようと延々と湧き続けるのが彼女たちだ。また、その思考回路も、よくわかっていない部分が多い。

 

「単純に、飽和した戦力を切り捨てるためじゃないのですか?」

 

「確かに深海棲艦に情はありませんが、だからといってそれはないでしょう。だとすればこんな海の一角ではなく、もっと敵の本拠地に襲いかかったほうが敵を削れるはずです」

 

「そうですねぇ……なるほど、それであのル級、ですか」

 

 飛龍も納得がいったように頷く。

 深海棲艦は海の怨念によって生まれる。その怨念は外の世界からやってくるが、別にこちらの世界でも構わないのだ。よって、恨みを持ってこの世界の海に沈めば深海棲艦になる。逆に一切の恨みもなければ艦娘となることもあるが、それは余談だ。

 

 つまるところ、あの時突如として出現した戦艦ル級は、“深海棲艦の恨み”から生まれた深海棲艦というわけだ。

 

「……一応、兵装は無事か確かめておきましょう。嫌な予感がします」

 

「そうですね、……赤城さんをお願い、蒼龍には私から言っておきます」

 

 この時、海は至って静かであった。しかしその静寂を、当然だと思うものはいなかった。

 ――長門も、陸奥も。

 蒼龍も、飛龍も。

 そして加賀も、赤城も。

 

 しかし、

 

 

 誰もこの時、深海棲艦の本当の目的を、理解しているものはいなかった。

 

 

「……! 電探に反応、さっきのル級と同じで、かなり突然の反応ね。東西南に軽巡を旗艦とした水雷戦隊が大量出現……突破するのに大破艦がでるわ」

 

「やはり、か。となると本命は北……か」

 

 陸奥の言葉に長門が反応する。加賀達もまた、それぞれ艦載機を構え、弓に番える。

 

「赤城さん、行きますよ」

 

「……えぇ」

 

 そうして数秒。水雷戦隊の姿はなく、未だ沈黙は広がっている。それが破られる時が来た。出現したのは小さな米粒、遠くにいくつかの船影が見えた。

 数は――六。

 

「出たわ! 反応は空母ヲ級“フラグシップ”二隻。そして……反応なし!?」

 

 電探は決して現代のような性能の良いものではない。彼女たちは現実における七十年近く前の存在であるのと同じように、電探の性能もまた、およそ七十年前のものなのだ。

 しかし、それでも決して何の遮りもない大海原で、反応がないなどあるはずもない。

 

 考えられる原因は、電探が反応しているのは深海棲艦の“パターン”であるということ。

 

 つまり、

 

「……なるほどな、深海棲艦の本当の狙いはこれか。おかしいとは思っていたが、なるほどこれなら納得だ。何せこいつは“後につながる”」

 

「現行の命名法則により、とりあえずということで名付けるわね、船影の大きさからして、最低でも戦艦クラス、加えて、空母六隻で艦隊を組む深海棲艦の例は今まで無いことから、あれは戦艦」

 

 長門のぼやき、陸奥の嘆息。

 陸奥の言葉を、長門が継ぐ。

 

「出現、……反応は空母ヲ級フラグシップ。そして――――」

 

 カシャリと、視界の前にレンズが用意される。敵を覗きこむための、簡易的なものだ。映るのは、どこかゆったりとした袖が流れるセーラー服。

 青白い顔に、黄金じみた色に染められた瞳の発光。

 

 “フラグシップ”を現す身体的特徴を持つ。

 つまり、

 

 

「“新種”戦艦――タ級、フラグシップ四隻!!」




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、こんにちわ!

言うまでもなく、今回は本作品の転換期なのです。

次回更新は12月25日、ヒトロクマルマルにて、良い抜錨を!


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『26 平行直線の空』

 夏が終わろうとしている。満はひんやりと冷えた資料庫で、一人いくつかの本の山を築きあげていた。内容は全て艦娘――軍に関わるもので、特に中心は歴史書と、それから教導に使われるテキストだ。

 教導本の内容はある程度の“土台”を想定した上での内容だ。ある程度カリキュラムが進んだ上で使用されるのだろうが、満は気にすることもなく読み進めている。

 その位は、すでに彼も修めているということだ。

 

 一人の時間は、心地よくもあり寂しくもある。自分の心境をなんとでも心表すことはできるだろうが、考えてしまえる以上、それが満にとって気が散ってしまうということにつながりかねない。

 誰かとの会話が欲しいわけではない、気が散らない程度に、自然な人の騒音が欲しいのだ。

 

 かつての世界に置いて、自分は単なる一人でしかなかったし、人並み程度の生活をしていた。思い返してみれば、可もなく不可もなく、といったところか。

 それを鑑みて、今の自分は急転直下な人生を歩んでいるといえるだろうが、自然と馴染んでいる自分がいる。今の自分にも、昔の自分にも、満はそれなり以上に満足し、そして後悔していないのだ。

 

 そうなると、一体どうして自分なのか、と意識が及んでしまうことも無理は無いだろう。

 

 偶然自分だったから? それもあるだろう。自分でなければ行けなかったから? それもあるのではないか。もしもこの世界に、満を導いた存在がいるのなら、いつかは問いかけてみたいことだ。

 

「……と、思考が脱線しすぎたかな?」

 

 頭のなかに、教導本の内容は入り込んできている。わかりやすく伝えることが目的の本なのだから、理解できることが当然ではあるが、内容が内容でなければ、退屈になってしまうことだったかもしれない。

 

「いや、意識が別のことに浮かんだのであれば、ソレは退屈ってことか。勉強は退屈だからな、たとえどれだけ好きな事でも、退屈なことは集中力が必要になってしまう」

 

 退屈なこと、は一種のカテゴリだ。ソレに対する個人の印象にかかわらず、集中することで体力を使う、体力を使えば疲労が溜まる。何も嫌いなことだけではない、好きなことでも、理解に時間の要する複雑なことは、理解するだけで集中が必要になるだろう。

 

 麻雀というゲームがある。これは運要素の大きいギャンブルであるが、それを突き詰めると確率を制御するための理論を追求するゲームとなる。当然、その確率をはじき出すための思考は集中力が必要で、どれだけ麻雀が好きでも、それを投げ出してしまう者もいるだろう。

 

 好きであるか、嫌いであるか、などは関係ない。ロジックを組み上げるということは、全く関係ないようにも思えるパーツを、いくつもいくつも拾い上げ、そして引き出していくことなのだ。

 

「ふぅん。何や難しいんね、考えるって」

 

「あたりまえじゃないか、何せ――って、龍驤? 何でこんなところにいるんだい?」

 

 声をかけられて、後ろに人がいることに気がついた。声の主が誰かは解る。大きく伸びをして、椅子に持たれかけながら振り返る。

 覗きこむような龍驤の顔が、すぐそこに在った。

 

「うわ! 顔近っ!」

 

「え? あぁごめん」

 

 驚いたように顔を引っ込める龍驤に苦笑しながら詫て、よっと吐息に力を込めて起き上がる。ソレに合わせるように龍驤が後ろから横に回って、背の低い資料庫に一つしか無いテーブルに、よっと勢い良く寄りかかった。

 

「んーとね、ちょっと新しい装備貰ったから、その整備方法を調べにきたんよ。整備するのは妖精やけど、方向性きめるのはウチやしね」

 

 妖精はいわゆる水兵としての役割を持つが、それを指揮するのは艦娘か、提督だ。大抵の場合各艦ごとに整備や何かの方針は別れ、その指示に従って妖精は駆けまわることとなる。

 

「あー、確か15.5cm三連装副砲だったか? そういえば、空母は砲撃をしないが、なんで副砲を積むんだ? キミや……あと確か別の基地の祥鳳あたりも装備してなかったか?」

 

 別の基地、というのはだいぶ前に演習の相手を努めた高速戦艦榛名を要する基地だ。演習に空母はボーキサイトの消費が激しいため使われることがないので、実際にあったことはないが。

 

「なぁに? ウチという空母がありながら、祥鳳に浮気? いい御身分やん」

 

「いや、いやいやいや、空母とかそういうのは関係ないだろう!」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべる龍驤に、慌てて満は弁明を入れる。空母というところに反応するところがまた露骨だ。龍驤の笑みが更に増して――そしてすぐにからからと快活なものに変わる。

 

「あはは、金剛の時もそうやけど、キミってホントわっかりやすいなぁ」

 

「悪かったね!」

 

 言いながら、山積みにされていた教導本の中を漁る。その中に、装備にかんするあれこれのような内容があるのではなかろうかと期待したのだ。

 それを見遣った龍驤が、得意気に胸を張って答える。張るものなどないが。

 

「んとね? 艦娘には本兵装と追加兵装があるんよ。本兵装はウチが普段持ってる布とか、島風の連装砲みたいなアレな? それに、色々海で戦うための機能がついとるんやね」

 

 曰く、それには海に浮くための機能などの他に、何の兵装もなくとも砲撃を行う機能もあるらしい。主に兵装の中で、土台であるとされるものだ。

 

「で、追加兵装。一番わかり易いんは主砲やね。12.7cm連装砲とか、あとウチがここに来る前に使ったっちゅう対空機銃や対空砲とか、そういう機能を“付与”するんよ。見た目に変化が無いのはそのせいやね」

 

 龍驤のような、召喚型と呼ばれる空母射出方法に見られるように、艦娘にはいわゆるオカルト的な要素がついてくる。艦娘の存在そのものがオカルトなのだから当然だ。

 

「で、その機能の中にはいわゆる射程を付与するものもある。一番わかり易いのは戦艦やね。46cmっちゅうとんでも砲を載せると、射程が長距離から“超”長距離になるんよ」

 

「超……!? なんだかすごいね」

 

「すごいやろー? まぁでも、実際砲撃戦は開幕爆撃や開幕雷撃のあとなんは変わらんし、戦艦が最初に砲撃始めるのも変わらんから、あんま意味ないんやけどね」

 

 とはいえ、それは戦艦同士の殴り合いで“ない”場合の話だ。超長距離射程の戦艦は、長距離射程の戦艦に先制攻撃が可能となるアドバンテージがあるのだから、無駄ではない。むしろかなり有効な手札だ。

 

「で、ここがポイントなんやけど、砲撃戦の空母の射程ってすんごく短いんよ、駆逐艦と同じくらいやねん。けど、ここに副砲を追加で乗せると少し変わるん。副砲には中距離射程っちゅう機能があるから、空母は中距離から砲撃戦に加われるんや」

 

 そうなると、短距離の駆逐艦を砲撃すらさせず殲滅することができるし、場合によっては同じ中距離射程の、重巡や軽巡のような相手に対して先制で攻撃することが可能になるのだ。

 

「なるほど、ね。……あぁなるほどわかったぞ。龍驤、キミの艦載数はかなり少なかったね? となると、“火力”という機能を持つ副砲を載せて、艦載機の火力を上げるということかい?」

 

「そーいうこと。艦載数が少ないと制空権に関わるねん。とはいえ、無いよりマシ程度じゃ戦力として心もとないから、艦載機そのものの練度を上げることで対応するんや」

 

 言うなれば差別化。これは軽空母であるならば大抵の空母が考えることで、その中でも特に有効なのが龍驤であるのだ。

 

「追加できる兵装に限界があるのと同じで、艦載数ってスロットが割り振られてるんよ、そのスロットがウチの場合一つだけ正規空母並なんやね」

 

「赤城並か……話だけ聞くとすごいな」

 

「ま、艦載数が減るから、空が少し寂しくなるんやけどね」

 

 謙遜するように言う龍驤の言葉には、すこしばかりの“惜しみ”とでも呼ぶべきものが在った。悔しいわけではない、後に引くものでもない。ただほんのちょっぴり寂しくて、ほんのちょっぴり勿体無いと思う感情。

 

 その感情を、なんとなく満も理解できた。

 空を舞う艦載機の姿を見たものならば、誰だって感じることだろう。直接眺めたことはまだないが、何度も映像として、満はその美しさを知っている。

 

 圧巻なのだ。空が全て艦載機の緑に埋め尽くされるような。その飛行機雲が、幾つもの絵空事を作り上げるような。

 ちっぽけな粒と、開け広げな青。切り裂いて生まれた雲と、元より空に描かれた雲。手のひらに世界の全てを映し込むように、瞳に全てがうつりこんでくる。

 

「それは確かに……本当に、惜しい」

 

 返した満の言葉は、責めるでも、咎めるでもなく、慰めるでもない。ただ純粋な同意の言葉。――何も知らない少年は、己の考えを語りたがる。しかし、少しでも知ってしまった人間は、そうは行かない。

 そこに、自分の感情を移入してしまうからだ。

 

「……あはは、提督も少しはわかってきたやん」

 

「でも、それだけ広い空をキミの艦載機は飛びまわれるんだね。自由な青を翔ける翼だ。ある意味、羨ましいよ」

 

「――お?」

 

 続けざまに放たれた満の言葉に、龍驤はまんまると目を見開いた。意外そうな、そして少しだけ嬉しそうな顔。それはすぐに、何かを懐かしむような笑みに変わった。

 

「おぉぉ? 珍しいこと言うやん。そーいう言うん、キミで二人目よ?」

 

「二人目? 僕以外にも、そうやって言う人がいるのかい?」

 

「そやね。人っていうか、艦娘なんやけど、面白い人やったで。駆逐艦なんやけど、ウチより先輩やねん」

 

 なんでも五年以上も前線や秘書艦などを努めたベテランだったそうだ。龍驤がそれ以上を語ることはなかった。理由は推して知るべし。そうしてふと、満は島風と龍驤が同一の鎮守府にいたということを思い出す。島風も、その駆逐艦の事を知っているだろうか。

 

 調べれば解ることだ。島風に聞かずとも、むしろ島風のほうが、その艦娘との交流があったかもしれない。同じ艦種で、しかも島風は優秀。そしてその艦娘も、秘書艦などを務める優秀な艦娘、接点がないと考えるほうがおかしいだろう。

 

「やっぱこうしたって、赤城や加賀――正規空母に敵わないってことくらいウチも解ってるんよ。どころか、軽空母の中でもウチってあんま性能よう無いねん」

 

「……艦娘という存在ほど、誰かと自分の相対評価が馬鹿馬鹿しいこともないけどね」

 

 元より軍艦は、それを想定された上で建造されているのだ。特に艦種の違う者同士の性能差は、優劣以前に役割の問題だ。同艦種であっても、運用方法の違いは個性。戦力であることは変わらない。

 

「うんまーでも、それがウチのルーツみたいなもんやから。羨ましいって気持ち、忘れないほうがいいって言われたんよ」

 

「……なるほど、ね。僕もそこまでは考えが及ばなかったかな。――あぁ、すまないね? 時間をとらせてしまったようだ」

 

 話をしていると、時間を忘れてしまうことが多く在る。今回もそうだったようだ。時計の針が、大きくブレて、時間を刻んでしまっている。

 言われて龍驤は慌てたように苦笑して、いやいやと手を振って否定する。

 

「こっちは今休憩中で、時間ならいくらでもあるんからええんよ。むしろ、こっちが提督の邪魔しちゃったみたいで、ごめんなさいです」

 

「むしろ、退屈気味なところにちょうど息抜きができてよかったよ。空気の入れ替えを兼ねて何かつまむものを探しに行っていたら、もっと時間がかかっていただろうし、手軽に気分転換ができてありがたいくらいだ」

 

 同じように満も苦笑すると、ふたりはそれを楽しそうな笑みに変えた。何をしているのかと、滑稽さにおかしくなってしまったのだ。

 

「それに、収穫も色々在った。……やはり、一人でいるのは好かないな。資料は僕が運ぶよ、一緒に資料庫を出よう」

 

「ふぅん? 親切やね。さんきゅーさんや」

 

 資料室にはそもそも、資料を取りに行くのが億劫だからと籠ったのだ。それよりも、もっと良い方法が見つかったのなら、手間を割くのもやぶさかではない。

 

 ふたりで伴って資料室を出る。

 やがてその間の話題も、艦娘に関わることから、もっと俗物的な、日常的なことへと変化していく。

 

「さて、今日の夕飯は何にしようかな」

 

「皆で食べるんがええんとちゃう?」

 

「そうだね、誘ってみようか。遠征組が出かけているのが残念だけどね」

 

 どこまでも続く、途切れのない風が、穏やかに、静かに、満たちのそばを、鎮守府を流れて溶けていった。

 

 

<>

 

 11

 

 

「――開幕爆撃用意。単横陣で当たれ!」

 

「単横陣? それじゃあ砲戦の火力に期待できないわ!」

 

 長門の宣言に、陸奥が即座に反論をする。単横陣は回避及び対潜を目的とした陣形だ、火力が必要となる艦隊決戦には不向きといえる。

 

「元より砲戦に期待はしていない。そもそも敵の火力は未知数だ。……我々の第一目的は、この海域の突破とする。単横陣で回避を狙い制空権を確保、イニシアチブを取る」

 

 敵空母はヲ級フラグシップとはいえその数は二隻。歴戦の空母四隻を要する艦隊であれば、制空権の確保は難しくはない。

 問題は、その間を如何に切り抜けるか。砲戦でのダメージは期待できないし、敵の一撃をもろに受ける訳にはいかない。ル級フラグシップですら一撃中破もありうるというのに、タ級フラグシップはそれ以上が確定、そしてその行く先は完全に未知数だ。

 

「――回頭!」

 

 敵艦と、長門達との間には十分な距離がある。ほぼ目前に出現したル級二隻とは違い、現在の状況は十分に陣形を変更する余地があった。

 長門の掛け声に合わせ、六隻は陣を張る。

 

 敵艦を討ち果たすのではない。敵艦の隙間を縫って切り抜けるために、行動を起こすのだ。東西南に無数の水雷戦隊が配置され、敵艦隊を突破するには、たった六隻しか配置されていない北ヘ向かう他に方法はない。

 たとえそれが敵の狙いであるとしても、長門達はそうするしかないのだ。

 

 赤城、加賀、蒼龍、飛龍。四隻の鏃が一つの方向を一斉に向く。整然と並んだそれらは、やがて、空を切り裂き飛翔する――!

 

 ほぼ同刻、空母ヲ級、フラグシップ二隻もまた空中を飛び上がり赤城達の艦載機へと襲いかかる。

 空が幾つもの直線でまみれた。

 雲が掻き消えた青のキャンパスに、飛行機雲がぐちゃぐちゃの絵空事を描くのだ。

 

 閃く銃口。無数の機銃が敵艦戦を狙い、襲いかかり降り注ぐ。その練度は先ほどのエリートヲ級が持つものの比ではない。百戦錬磨、敵知らずの無敵艦隊を思わせる、圧倒的なまでのそれ。

 邂逅が、すなわち死にすらつながる死神の鎌。

 

 振り上げられた断頭台の刃が、赤城達に突きつけられていた。

 

「っぐ、火力が今までの比ではない。掠っただけで小破しかねんぞ!」

 

「そうは言っても、避けるしかないじゃない。このまま続けていても、全員がまとめて海に消えてしまうわよ」

 

 ちらりと空を見上げながら、自分の不甲斐なさを呪うように長門が言う。

 空を掻き切るのは何も艦載機だけではなく、タ級達の砲撃もまた、絶え間なく長門と陸奥を襲っていた。

 

「っぐ――!」

 

「大丈夫!?」

 

 思わずと言った様子で呻いた長門に、陸奥がすぐさま視線を向ける。傷はない、しかしそれが見たとおりとは限らないのだ。

 

「――いや、掠めただけだ。耳元を、な。少し、音に耳をやられかけたが、それだけだ」

 

「そう、気をつけてよね!」

 

 右手をふるい、主砲を撃ち放つ陸奥の狙う先は、しかしタ級達には届かない。どこか上の空を駆け抜けて、空白の海へ、消えてゆく。

 そうでなくとも、一撃が通らないのだ。単横陣の弊害である。

 

 風が空を貫いて、海面を駆け抜け消えてゆく。長門の轟砲が、それに対するべくかき鳴らされる。赤の線条は、二筋。片方は長門の右横を掠め――もう片方は戦艦タ級の右腕に弾かれる。

 

「やったか!?」

 

「全然効いてないのを見てからそういうのやめてくれる!?」

 

 陸奥のツッコミに苦笑しながら、しかしマズイなと心底を震わせる。現在、長門達の火力が非常に通りにくい状況とはいえ、この装甲は異常だ。とにかく堅い、攻撃の一切を通じなくさせてしまうほどに。

 

「とはいえ……押し負けるなよ? 私たちが沈めば、後は無防備に空母を晒す他はない」

 

「言われなくとも、一隻沈めればいいんでしょ?」

 

 敵戦艦の練度は、せいぜい長門達の一歩下といったところか。無論、それ以前に長門達には連戦による疲労と資源の消費という問題が在る。加えて、すでに陸奥と蒼龍は小破すらしているのだ。

 

「さぁ、戦艦タ級の横を抜けるぞ。――この長門に続けェ!」

 

 目前、すぐそばに主砲が迫っているのを長門は知っている。目視でもってそれを回避、前進を続ける艦隊の、最前列をゆくように身体を前のめりにさせる。

 直後には、長門の身体は最大船速へと変じていた。

 

 高速戦艦ほどの出力は持ちあわせていないにしろ、長門の速力は戦艦として、十二分な水準を保っている。少なくとも、速力高速とされる加賀にすら、さほど劣らないチカラを持っていた。

 

 それを、

 

 遺憾なく発揮して、前に出る。

 

「ハハハ、当たらないぞ! 所詮は新人のペーペーか! 笑いものにすらならないな!」

 

 挑発じみた声、しかし対応するのはあくまで機械じかけのような砲撃だ。隙間なく埋められたように思える主砲の群れ。けれども、長門にそれがあたることは一切無く、どういうわけか、タ級と長門の距離は少しずつ縮められいた。

 単調なのである。思考力の低さが仇となるわけだ。

 とにかく弾幕をはることしか脳のない深海棲艦に、歴戦の長門を捉えることは不可能だ。――決して。

 

「……この距離では」

 

 対する長門の狙いは単純だ。単横陣という回避に特化した陣形。そして敵陣を突破するべく、直接その陣に突っ込むという選択。そこから発生する、一定の状況。

 

 超至近距離での、戦艦同士の殴り合い。

 

 阻む空には――四隻の空母が艦載機を配備していた。二隻程度のフラグシップで、それを打ち破れるはずもない。

 

「――――その自慢の主砲も当たるまい!」

 

 副砲。長門に備え付けられた中距離砲『15.5cm三連装砲(副砲)』が、寸分違わずタ級を捉える。火力の低さは、しかし、距離という絶対的なアドバンテージによって、覆される。

 タ級の、艦娘のような身体が揺らめいた。当然のように彼女にも、副砲と呼ばれるものは備えられている。

 

 しかし、

 

「遅い、遅い遅い遅い! 何もかもが、遅い!」

 

 タ級の稲妻のごとき瞳が揺らめいて、直後。長門の副砲は一切の慈悲もなく、彼女を違えて、そして――――沈めた。

 

 爆音、一つではない。

 隣では陸奥が同様に、副砲でタ級を沈めている。

 

 ――その上空、蒼龍と飛龍の艦載機が駆け抜ける。艦戦の機銃が赤い火花をいくつも散らし、花火のごとく拡がって消える。

 幾つもの黒煙が吹き上がり海へと消えてゆく。

 

 十数もあったニ航戦の航空隊はすでに壊滅寸前。激戦の疲れが、ここに来て目に見える形となった。それでもなお前に進もうとして、そして海へと散っていく艦戦。空を支配するこれら飛行機が、列をなしてヲ級フラグシップを狙う。

 目指すはこの空の支配権。翼がプロペラの如く回転し、その勢いが往々に増す。

 

 直線、そして爆発炎上。空から海へ、役目を終えた妖精の操る艦載機が、墜ちていく。

 それでも、蒼龍と飛龍は一切眩むこと無く笑みを浮かべる。

 

「空は――海へ、そのチカラを届けることはできないかもしれない!」

 

「けれども、それが一つであるとは限らない!」

 

 蒼龍が叫び、飛龍が引き継ぐ、そうして両者は背を合わせ、勝ち誇るように宣言する。

 

「上は――果たして見ていたかしら?」

 

 二人の声が唱和して、直後。二つの爆撃が、ヲ級フラグシップ一隻を襲った。同時、蒼龍飛龍、二隻の横を艦載機が駆け抜ける。敵空母のモノ。しかしそれは煙を伴い、海へと墜ちて、消えていった。

 

 一隻の空母で、四隻の空母を押しとどめられるはずもない。制空権は赤城達に偏ろうとしていた。




メリークリスマス! 以上です。あ、今日外出予定がある人はあとで軍法会議なのです。

次回更新は12月29日、ヒトロクマルマルにて。よいクリスマスを!


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『27 覇道を行く』

 人気の少ない食堂は、元より人員の少ない満の鎮守府における日常風景の一つだ。更に、それぞれの役割ごとに休憩時間などが大きく変わるため、別々の仕事をこなす人間が、ブッキングしにくいのも人の少ない理由だ。

 基本的にごくごく例外――満の鎮守府はこの例外にあたる――を除いて、赤字での経営になりがちではあるが、近くにコンビニ――どころか人の住む集落すらない基地もある。食堂にはそれなり以上の補助が出ている。

 

 ちなみに、ごく例外とは、主に某空母がいる鎮守府である。

 

「提督ー、こっち開いてますよー! 早く早くゥ!」

 

 食堂に入った満の姿を見つけた島風が、勢い良く右手を振り上げる。どうやらすでに食堂での注文は済ましているようだ。手元には湯気が吹き上がるようにしている。

 黄色味がかった麺の光沢が、満の視界にまで光って見えた。

 その隣にはすでに龍驤がスタンバっていて、こちらに満達が来るのを待っているようだった。ちなみに龍驤は麻婆丼を頼んだようだ。

 

「さて、じゃあ僕達も早く注文をすまそう、そろそろ金剛や北上達も来るだろうしね」

 

 隣に立つ赤城に、そうやって声をかける。龍驤と会話をして以降、全員で食事をする機会はなかなか持てなかったが、今日、ようやくそれがかなったのだ。

 というのも、全員の手がそれなりに開いていたことに加え、どうしても全員で集まる必要があったからだ。とはいえ、遠征メンバーはタイミングが合わなかったので後日、ということになる。

 手には薄い、しかし多少の膨らみを持つ封筒。それを示すように島風たちへ返事をすると、赤城を伴って券売機に急いだ。

 

 二人でカレーを頼んで席に着くと、ちょうど金剛がやってきたところだった。大げさに笑みを浮かべて手をふって、料理を頼んでからやってくる。即座に提督の右隣に座る。左隣は赤城がすでに陣取っている。島風は真正面だ。

 

「さて、じゃあ早速だけど、開けようか」

 

 最後にやってきた北上と愛宕が並んで座り、全員がそこに集まる。満は手にしていた封筒を早速開封した。中から、満達が映った写真が飛び出してきた。

 

 集合写真である。小さなはがきサイズのモノが人数分――遠征メンバーを含む――と大きなものがひとつだ。前回も同じように中に入っていた。全員に身体的な変化はないため、一年前とさほど変わったようには見えないが、それでも大きく雰囲気は変化している。

 その違いは、龍驤、そして金剛が加わったことだ。

 

 金剛は満の――現在と同じように右隣でポーズを取っているし、その横に島風、龍驤がいる。赤城は左隣、前回よりも少しだけ前にいる。

 後は前回と同じような位置に全員が立ち、並んでいる。ただその表情は、若干の緊張が見られた前年よりもずっと、穏やかなものになっている。

 

「YEAH!! とってもヴェリィ良く撮れてるのネ! それに戦艦と空母が一緒に並ぶなんて一生モノのレアショットデース!」

 

 誇るように、金剛は言う。誰も気にする様子はないのだが、それでも、だからこそ、金剛は誇らしげに言うのだ。“誇れるからこそ”誇るのである。

 

「来年にはまた、こうやって撮るだろうけどね。戦力的にこれ以上艦娘が増えることもなさそうだし、構成だって同じじゃないか?」

 

「そうとは限りませんよ。これからも、気を引き締めて行かないとダメです」

 

 叱るように、赤城は言った。満は少しそれに困ったようにしながらも、優しげに笑みを浮かべて頷いた。

 

「当然だよ。これまでも、これからも、僕の艦隊は不沈艦隊でなければならないんだからね」

 

「せっかくここまで誰も沈めて来なかったんですから、やっぱりずっとそのままの方がいいですよね?」

 

 愛宕が、同意するように言った。満には誰も沈ませて来なかったという信頼と、実績がある。それは満を提督として認める誰しもの指標であるのだから、揺るがすわけには行かない。

 誰もがそれを当然と理解していた。だからこそ前向きに、今の満を鼓舞するのである。

 

「それにしても、納涼祭、良かったわぁ。ちょうど真夏のどまんなかやったのもそうやけど、料理がまた絶品で……!」

 

 写真を見ている内に思い出してきてしまったのだろう、龍驤が卑しい笑みを浮かべて思わず涎を垂らしそうになる。

 

「とっても素敵な一日でしたネ! こんなにCOOLでブラヴォーな一日は、中々体験できないんデス。来年がこれから楽しみね!」

 

 ねー、と島風に飛びついて金剛が言う。あいも変わらずオーバーなリアクションだ。北上と愛宕、それから満から苦笑が漏れた。

 

「……、」

 

 そうして耳のようなリボンを揺らす島風は、しかし無言のままラーメンを一人で啜っている。考え事をしているようで、周囲の声など耳に入っていないかのようだ。

 先ほどまで――満が封筒を開くまではいつもどおりであったのに、今は食事にも集中できていないようで、その速度は明らかに遅い。

 

「どうかしましたカー? 辛気臭いと幸せがESCAPEですヨ?」

 

「逃げるのは溜息と同時だと思うけどなー。まぁ、うーん。なんというか……」

 

「何か気になるんかいな」

 

「そう! 気になるの! 何なんだろ……あぁもう! 全然出てこない、あと少しなのにィ!!」

 

 首元をひっかきながら、むがー、と島風は吠えた。感情が行く先を失ったのだろう。思考が、迷い道に引っかかってしまったのだ。

 

「気負い過ぎじゃないか? 次の戦闘が大規模なものになるのは確実だ。あまり気を入れすぎても良い結果は得られないぞ?」

 

「それは……そうなんですけど」

 

 いたずらを咎められた子どものように、島風はどこか納得がいかない、と言った様子で答える。無理はないかと満は考えるものの、島風の言う“何か”が気になるのもまた事実。

 ふと視線を向けて、赤城へと声をかける。終始無言であった彼女は、どうやらカレーを味わって、楽しむように食べているようだ。最近の彼女は、二杯、三杯と繰り返し注文を取ることはあるものの、その食事の速度はゆっくりだ。秋も近いからだろうか、去年は――よく思い出せない。今年と同じように味わっていた気もするし、いつもどおりであった気もする。

 

「……どう思う? 赤城」

 

 ふと、その言葉を受けて手を止める。スプーンを机において、そうですね、と神妙な面持ちで少しだけ思考を回転させたようだ。

 

「今まで、島風は大きな艦隊決戦の“総旗艦”を務めたことはありませんから、無理もないのでは?」

 

「それもあるけど……っていうか多分それだけど、それだけじゃない気も……あぁ、多分それ! それ以上はわかんない!」

 

 赤城の言葉に、島風がやけになったと言った風で答える。無理もない、どう悩んでも答えが出ないのだ。ここまで出なければ、つまりもう二度と浮かんでくることはない考え、ということになる。何かのキッカケでも無い限り。

 

「きっとそのうち思い出すわ。あまり得意気には言えないけれど、よくあることですものね」

 

 慰めるような愛宕に、北上が笑いながら同意する。北上は、そも思い出せない島風を、からかうような笑みであったが。

 

「何にせよ次だよ次。あのレイ沖で奪われた私たちの南西諸島が、ようやく帰ってきそうなんだから。それを成すのは私たち。――南雲機動部隊なんだ」

 

 まとめるように、北上が言う。笑みをからかうものから挑発的なものへと変えて。

 

 南西諸島海域。マリア海戦。レイ沖海戦で奪われた日本、そして世界の制海権。かつて失った栄光を、取り戻すべく立ち上がる。

 島風。

 金剛。

 龍驤。

 北上。

 愛宕。

 そして――赤城。

 

 戦艦一隻に空母一隻。一つの基地に配備された戦力として見て、十分すぎるほどのものだ。そこに高い練度を誇る島風や龍驤のような歴戦の艦娘に、独特の高い戦闘センスを持つ北上と愛宕。これほどの精鋭、他にあるとすれば北方海域の防衛における主翼を担う、高速戦艦“榛名”要する北の警備府程度だろう。

 

「まぁ、それはそうだろう。南西諸島海域最後の戦いだ。これに勝って、僕達は僕達の、目指す栄光を勝ち取ろうじゃないか」

 

「……そうだね、うん。これは祝杯。勝つための、前祝いかな?」

 

 島風が、気を取り直したといった風に言う。

 

「じゃあ、僕達の前途と、日本海軍の栄光を祈って、乾杯でもするかい?」

 

「提督ー、あたし等ジュース無いんだけど」

 

 北上の抗議。満も当然だといったふうに苦笑し頷き。

 

「僕もだよ」

 

 と返した。

 

 賑やかに、言葉をかわす満たちを他所に、もくもくと赤城はカレーを味わっていた。何かを考えるようにしながらも、しかしそれを言葉にすることはない。必要がないと判断しているのか、何か思うところがあるというのか。

 

「――だから、赤城」

 

 そんな赤城の様子に気付いてか、気付いていないのか。満が彼女に意識を引き上げるように、言葉を投げて渡した。

 

 一拍、言葉を置いた。

 意思を深く直線に向けるように、少しの祈りを込めて言葉に替える。

 

「この南西諸島での戦いが終わったら、キミに話したいことがある。できることなら聞いて欲しいのだけど、いいかな?」

 

 一気にまくし立てるように、満は言った。一度でも詰まってしまえば、もう言葉に出来ないからだと、そう考えたのだ。

 周囲が、それであっという間に色めき立つ。金剛がムァーッ! と大きな声を上げた。

 

「――――、」

 

 対する赤城は、食事の手を止めて無言でうつむく。何かを言い出そうとして、しかし止める。その様子を、満は見て取れたものの――どうこうすることはできなかった。

 そんな満だからこそ、気づくことなどありえない話だった。

 

 その場にいる誰もがそうであるように、満もまた、雰囲気に飲まれていたと言えるだろう。――誰も、気がつくことはなかった。

 

 

 一瞬。本当にごく些細な瞬間。赤城の瞳が満へ向けて揺れているということを――

 

 

<>

 

 12

 

 

 順調に状況を勧めているように思える長門達。しかし、それは一瞬の幻想でしか無く、完全な一進一退と呼ぶべき状況が続いていた。

 タ級二隻が轟沈したとはいえ、戦艦の“真横を通り過ぎる”という無茶を越えて無謀な選択は、前衛の長門と陸奥に、相応の被害をもたらしていた。

 すでに小破していた陸奥は大破、戦闘続行を困難とし、長門も小破、それもギリギリ踏みとどまったような、中破寸前の小破である。

 

 さらに、もう一隻のヲ級フラグシップは、制空権を得た加賀の一撃で沈められたものの、それと刺し違えるようにヲ級の艦載機が蒼龍と飛龍を遅い、制空権の確保にほぼすべての艦載機を消費していた両名は、為す術もなく飛行甲板を大破、空母としての戦闘継続能力を失っている。

 

 最後に赤城、タ級を狙った彼女の一撃は、しかし致命傷には至らず、それを小破させるに留まる。

 

「やはり抜けるには……厳しいか!」

 

「わかってても言わないでよそういうこと! ……あぁもう、なんで打てないのよ、ちょっと、ちょっとぉ!」

 

 第三砲塔が爆破、炎上したために、砲戦火力を失った陸奥の愚痴が、海にこぼれて砲撃に掻き消え消える。間近に迫ったタ級に、歯噛みするようにしてその横を駆け抜ける。

 

「とはいえ、あの水雷戦隊の群れを突破するのは無理な話だったぞ? 何せ電探が一色に染まるからな」

 

 長門のそれは、通信機越しに周囲へ届くことはない。あくまで陸奥へ向けたものだ。戦場に戯言を持ち込むのは長門の仕事ではない。

 幾つもの長門の言葉は、陸奥個人に向けたもので、大破した陸奥を鼓舞し、意思を薄弱させないためのものであった。

 

「――長門さん!」

 

 その時、赤城の声が後方から響いた。

 

「加賀さんが中破しました! これで、戦闘継続を持つ空母は、私一人となります」

 

「何ッ!?」

 

 ――加賀は、長門がいくども戦場を共にする、それ相応に信頼を置く戦友だ。全幅の信頼を置く陸奥についで、長門がその手腕を買っている艦娘でもある。

 

「……あと少しだ。こらえろ赤城! ここを抜ければ我々の勝利だ!」

 

 長門の声が響く。すでに大勢は決した。ミッドウェイの制海権は深海棲艦に奪われることとなるだろう。しかし、この戦いで“生まれた”深海棲艦と“結集した”深海棲艦の数は、前者のほうが圧倒的に少ない。

 タ級というイレギュラーはあるものの、奪還することは容易であろう――と、この当時は考えられていた――そのために、それを為す主戦力となる、長門達は必ず陸に帰らなければならない。

 

 そう考え、声にこもるチカラは増し、しかしそれに水を指すように、赤城の言葉が続けざまに放たれる。

 

「――殿を私が努めます。各艦がこの海域を脱出するまで戦闘、その後、私も可能であれば離脱します」

 

「……なっ!?」

 

「何を行っている!」

 

 陸奥の絶句と、長門の恫喝が続いた。赤城はつまり、囮となりこの場に立つ二隻のタ級を自分一人で受け持とうというのだ。

 

「現状、もっとも継戦が期待できるのは、一番被害が少ない私です! それに、どちらにしろこの状況はジリ貧です。私たちはこのまま相手に一撃を加える事もできず、追い込まれているではないですか!」

 

「しかし……」

 

「誰かがやらなくてはならないことです。そしてそれを最も可能とするのが私です」

 

「だが、それならば轟沈の可能性がない旗艦である私が――!」

 

「貴方が……! 聯合艦隊旗艦が、大破し、誰一人無傷な艦がなく帰還することは、日本のプライドが許さないのです! 深海棲艦どころか、世界から日本を食い物にさせるおつもりですか!?」

 

 沈黙、長門の言葉は喉の奥で淡く広がし、しかし飛び上がること無く胸底へと消えていった。後には海と、砲撃と、艦載機の舞う音だけが響く。

 長門の表情がはっとしたものから、何度も眉を揺らし。百面相のように変異していく。一度、二度、開けようとした口は、やがて真一文字へと変わっていった。

 

 赤城の放った艦載機が、赤城の上空から、長門の上空へと駆け抜ける。その先の、タ級を沈めるという目的を持って。

 その音が、空白にぽつんとひとつ響く。

 

「……全艦、全速前進! 誰も沈むな! これは命令だ! 誰も、沈むなぁぁあ!!」

 

 はい。

 帰ってきた声音の数を、長門は数えることが、できなかった。




ヒトロクマルマル。提督の皆さんこんにちわ。

来年もまた良い年でありますように。
次回更新は来年、1月2日ヒトロクマルマルより。良い抜錨を!


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『28 あ号艦隊決戦その1』

 南西諸島周辺の海域は、日本にとっても、深海棲艦にとっても重要な地域であることは語るまでもない。かのミッドウェイは、現在深海棲艦の超巨大艦隊が存在するとされ、そこへたどり着くための重要な足がかりが、南西諸島海域とされているのだ。

 そして、現在北方海域からのみ航行できるとされるアメリカ大陸への、もう一つの航路を作るという意味もある。

 

 現在南西諸島沖には非常に細い、敵艦隊の航路の隙間とされる部分を塗った渡航ルートがある。これはレイ沖海戦以前からなんとか死守してきた日本の虎の子であり、前年に満がコレを防衛するべく空母ヲ級と初めて会敵したこともある。

 

 今回の作戦は簡単だ。この航路を南雲機動部隊がとり、敵艦隊の主力をおびき寄せる。敵は沖ノ島周辺に陣を張っているとされ、その周囲を空母一隻に戦艦一隻という大規模な艦隊で横切れば、無視する事はできないだろう。

 要するに、全面的な正面衝突である。

 

 これに奇策じみた戦略は用いない。これまでの出撃で、十分策略としては手を打ってきているのだ。オリョール海周辺の通商破壊を始め、これまでの出撃は沖ノ島周辺の主力艦隊を“浮き彫り”にさせるための戦闘だ。

 無論、それでも彼女たちには、そんな包囲網を突破するための戦力があるのだろう。しかしそうであっても、南雲機動部隊がそこを叩けば応戦せざるをえないほど、彼女たちには後がない。

 

 だからこそ、何の策もなく叩くのだ。全力で、全開で、相手に何の策も用いる隙を与えず。徹底的に、壊滅的に。

 

「皆、聞こえているかい? これは僕達が始めて経験することになる総力戦となる。そのために必要なことは全て行ってきた。後は出せるチカラの全てを振り絞って、あらん限りの全霊を持って、敵艦隊を撃滅するだけだ」

 

 司令室。虚空に向かって、海の向こうの仲間たちに向かって、島風たちへ声をかける。それは決してがなり立てるようなものではなかった。

 ただ心の底を震わせるように、胸の奥底に鎮められた、烈火の魂を吹き上げさせるように。

 

 対する島風達もそれははっきり認識しているようで、返す言葉も、重く、力を“纏わせた”ものになった。

 

『任せてください提督。私が――島風が、提督に勝利をお届けしますから』

 

『ウチらにまかせておけば全部問題ナッシングやで。おまかせあれ、や』

 

 島風と龍驤の声が聞こえる。複数の無線から、声が重なって聞こえた。すぐ近くに彼女たちがいるのだろう。同時に金剛が、大声を張り上げて満に思いをぶつけてきた。

 

『コレが最後になるからもう一度言いまスッ! 提督、大好きデース!!』

 

 “最後になる”その意味に、悲壮なことなど何一つ無い。その真意は、推して知るべし。

 

『愛宕っち、コレが終わったら、ちょっと会って欲ほしい人がいるんだ。だから、絶対に生きて帰ろうね』

 

『そうね。わかっているわ北上さん。それに、提督や皆と共にいれるこの居場所を、守るのが私の役目です』

 

 北上の言う“会ってほしい人”。きっと、すでに艦娘としての役目を終えた、“もう一隻の”重雷装艦の少女であろう。大井といったか――艦娘としての名前と、人間としての名前が同一であるかどうかはよくわからないのだが。

 慣例上、艦娘としての名前をある程度受け継ぐと、戦艦榛名要する北の警備府司令が言っていた。大井という苗字はそこまで珍しくもないだろうから、大井某といったところか。

 

「じゃあ、任せるよ赤城。勝利を頼む」

 

 最後に――満は促すように赤城へと言葉をかけた。

 待っていたと言わんばかりに、即座に赤城が答える。

 

 ただ一息に。

 

『赤城――行きます』

 

 そう一言を。

 

 満に、告げた。

 

 

 ♪

 

 

 引き絞られる弓。はためく布。

 赤城と、そして龍驤の手元から幾つもの艦載機が飛び立ってゆく。

 

「第一次攻撃隊、全機発艦!」

 

「赤城はんの後につづいてや。上から一気に叩きつけい!」

 

 空をかき乱すロケットのような、直線上に打ち上がる艦載機。引きずり周囲に残されていく残響は、やがて海に溶け、艦娘達の駆動音に掻き消える。

 

 海が白の泡に染まり、青く染まった己を忘れてしまうかのようだ。島風を始め艦娘たちが、列を成して敵艦に接近する。

 敵艦隊の内訳は、重巡リ級エリート。雷巡チ級エリート。雷巡チ級二隻、駆逐ハ級二隻。

 

 南西諸島周辺を統括する主力艦隊に属する一遊撃部隊といったところか。敵艦隊は待ち構えるでもなく、南雲機動部隊とここで衝突したことは、ある種の偶然であろう。

 ただし、この周囲には警備任務に付く艦隊が多く点在しているため、この周辺で一戦を交えることは、ある程度想定されたものだった。

 

「さー、二十射線の酸素魚雷、二回行くよ!」

 

 北上の言葉の直後、空を切り裂く龍驤の爆撃が、敵艦隊主力、リ級エリートの砲塔を叩いた。噴煙を上げるリ級エリート。副砲による火力に寄って補正された高い練度を誇る艦爆は、容赦なく敵旗艦を爆撃――轟沈に追い込む。

 

「やっりぃ! 一番星、もろたで!」

 

「それを言うなら一等星じゃない? いや、それもなんか違うかな」

 

 島風の茶々入れ。航空戦から砲撃戦へと移行する一瞬の間。龍驤の顔が少しだけほころんだ。しかし即座に、きつく眉を結んだ表情に変わる。

 

 北上の魚雷はチ級無印のうち、一隻を沈めた。そして駆逐ニ級一隻を、赤城が。残るは駆逐ニ級一隻と、チ級、エリート無印各一隻。

 

 砲撃戦開始直後、金剛の砲塔が唸りを上げる。地獄の隔壁を粉々に粉砕するかのような轟砲だ。死を招く。敵の死を、無慈悲な鉄槌を、駆逐ニ級に申し渡すのだ。

 砲火はひとつではなかった。幾重にも重なり、中距離の射程に入れば、愛宕、そして北上が後に続く。

 

 返す刀の如きチ級二隻の砲撃。赤く染められた空中は、そのまま駆け抜け、どことも知れぬ海へと消える。

 同時にチ級の船体が揺れた。不規則に、幽鬼のごとく。そのすぐ後を追うように、北上の主砲がチ級が先ほどまでいた場所を跳ね上げ、振り上げ、飛沫の柱を作り上げる。

 

「あぁもうごちゃごちゃと! 雷巡ってこんなすごかったっけ!?」

 

「自画自賛もそのくらいにしないと、逆に自分がやられちゃうわよ?」

 

 北上達の愚痴もそうではあるが、とにかく一撃が決まらない。湯水のごとく注がれる砲撃の群れを、チ級は“接近しながら”回避しているのだ。つまるところ狙いは単純。金剛達の射程が届かない場所、超至近距離から敵艦隊を殴ろうというのである。

 

「あぁう! 外れマシタネ! 次弾、装填間に合いまセン!」

 

 副砲に拠る一撃が、チ級エリートの右舷をかすめた。轟沈には至らない。どころか、それは損傷ですらない。金剛の言葉に、若干の焦りが含まれた。

 

 直後、そのエリート後方から爆煙があがる。無印チ級を愛宕が仕留めたのだ。しかし、それと同時にエリートを狙った北上の砲撃は横にそれ、駆け抜け消える。あとに残るのはもう、一人だけ。

 そう、島風だ。

 彼女の身体が右方に大きくそれる。回避するための、ほぼ全速力だ。

 

「この距離なら!」

 

 両者の主砲が大きくブレた、爆発を伴い、海に幾重にも渡る波を作り上げる。しかし双方の一撃は狙いをつけた相手の横を駆け抜けていった。お互い、外したのである。

 島風がそうであったように、チ級もまた回避のための行動をとっていた。高速で旋回する両者には、狙いのつけようなど無かったのである。

 

 360度、円を描くように距離をとった両者は、やがてチ級が速力を低下させたことにより、遠く離れて行く。チ級が狙いを変えたのだ。後方に交代するように、速度を極限まで落とし、対応する。

 

 狙いはすでに割れていた。この場で、島風を差し置いてチ級が狙うような、速度の遅く装甲の薄い艦など一つしかない。

 島風の声が、大きく張り上げ海に響き渡る。

 

「――龍驤ッ!」

 

 友人、そして僚艦たる少女の名を呼び振り返る。

 状況は大詰めを迎えている。龍驤と、そしてチ級エリート。だれかが主砲を放つよりも、このどちらかが行動を起こす方が、きっと速いだろう。

 どちらにせよ、チ級はこれで轟沈する。その時、彼女が果たして島風達に何を残すか。

 

 それが、この一瞬で決まる。

 

 島風が、金剛が、龍驤へと即座に振り返る。北上が、そして愛宕が装填の終わらぬ主砲の砲塔へ、目線を落として歯噛みする。

 赤城は、見定めるように龍驤を見ていた。しかし、艦載機を伴う弓には、すでに新たな矢がつがえられていた。

 

 ただ、龍驤だけがチ級を見ている。まっすぐと、揺れぬ瞳で。

 

「残念やけど」

 

 チ級はすでに主砲を龍驤へと向けている。島風達も同様だ。しかし彼女たちの砲撃がチ級に届くよりも前に、チ級の主砲は火花を散らすことだろう。

 どちらにせよ、この場で行動できるのは、チ級が狙う、軽空母龍驤――のみ。

 

 その彼女が、大きく右手を振り上げた。人差し指を天に突き上げ。つぶやく。繰り返すように。

 

「――本当に、残念やけどさ」

 

 くるりと、その指が円を描く。

 そして、

 

「キミの攻撃“ウチ”には全然、届かへんよ」

 

 ――――龍驤は空母だ。その本質は空にあり、艦載機にある。つまり、単なる発着点に過ぎない彼女は本当の“艦娘”としての――兵器としての本体ではなく。単なる媒体の一つに過ぎない。

 だからこそ、“届かない”。龍驤を狙うチ級の一撃は、ほんとうの意味では、一切龍驤に届いていない。そも、彼女のチカラが、チ級に砲撃を、許すことすらしていない。

 

 最初から、想定していたのだ。チ級が、中距離射程、つまり愛宕達の射程に入った時点で狙いは定めていた。それが今この瞬間まで行われなかったのは、龍驤が手を下すまでもなく、だれかの砲撃でチ級が沈む。そんな可能性が大いに存在していたからだ。

 

 ――そして、その人差し指が、断頭台のように振り下ろされる。

 

 誰よりも早く、誰もの砲撃よりも遅く、降り注いだ爆撃はチ級を襲い、海の中へと――還していった。

 

 

 ♪

 

 

 一戦目終了後、島風達は北東へと進路を取った。直進するように、敵主力艦隊へと向かうのだ。続く会敵は戦艦ル級一隻を伴う水上打撃艦隊。

 その内訳はル級一隻、重巡リ級二隻に軽巡ト級エリート一隻。駆逐ハ級エリート二隻だ。

 

 内エリート軍団。ハ級二隻は龍驤及び赤城の空爆により轟沈。そしてト級エリートも北上の雷撃により、轟沈。残るは無印、今まで相手をしてきた雑魚と、さほどその面容は差異のないものだった。

 

 そして、

 

「ふふふ、撃ち合いなら負けませんネー!」

 

 砲撃戦。金剛の轟砲が海にたたきつけられる。水紋は幾重にも重なり、もはや海はその青を忘れてしまったかのようだ。

 戦艦ル級周辺に烈火の閃光が駆け抜けてゆく。聴覚を切り裂く音はル級ではない、その周辺島風たちへと届いていた。

 

「オップス! あんまり危ない砲撃なナンセンスヨー!」

 

 直後、ル級の轟砲を見て取った金剛が、一気に右方へ旋回する。巨大な換装が即座に回頭。金剛の在った先をル級の主砲が駆け抜けていった。

 一瞬の判断だ。避けてから、通り抜けるまでコンマ一秒。思考が緩慢であれば、そも気づくことすらできなかった一撃。だが、金剛は避けた。

 

「戦艦が避けた? スッゴーイ!」

 

 島風の感嘆が海域に響く。直後その島風が右手を横に振るって照準をあわせる。発破。――直撃したのは重巡リ級。一気に装甲を貫くと、そのまま海へと沈めてしまう。

 すでに北上、愛宕が大破に追い込んでいた物を、ダメ押しとばかりに島風が決めた。

 

 残るは二隻――戦艦ル級と重巡リ級。そのうち、ル級は金剛の主砲を少なからず貰っている。小破と言ったところか。

 

 そして残るリ級も――

 

「後はよろしく、一航戦!」

 

 独特の訛り、龍驤だ。飛行甲板がはためき吹き上がる人型の艦載機。直後に妖精が現出。まっさらの式神は艦上爆撃機『彗星』へと姿を変じる。

 高速。島風の横を当たり前のように駆け抜けて、そのまま空中へと姿を消す。対空が弱いこの部隊に、それを追う力はない。

 直後、悠々とリ級の直上を取った艦爆が、一息に爆撃を叩き込む。一発で中破に追い込まれた。そして、

 

「――決めます」

 

 赤城の声。

 一直線にリ級へ向かった艦攻『天山』が、リ級に止めを叩き込む。

 

 これで残るは、ル級一隻。

 

「オーライ! 後は全部任せるネ! 一撃で全部決めちゃいマス!」

 

 砲撃の止んだ一瞬の空白、金剛の勝利宣言が響き渡る。海に彼女を邪魔するものはいない。ル級も、敵艦隊も、そして島風達も邪魔をしない。長距離のそのまた先。金剛の狙う砲塔が一直線にル級を穿つ。

 直線上に、それが“合った”。

 

「全砲門――! ファイア!」

 

 爆煙が上がるのに、時間は一切かからなかった。

 

 

 ♪

 

 

「ここまでは、なんだかんだ順調ねー。このまま何もないといいんだけど」

 

 洋上の北上。隣に立つ愛宕へ向けてのんきに言葉を一つ漏らした。今現在のところ戦闘はない、この海域に突入しすでに二回砲撃を構えて、そしてそのどちらもほとんど無傷で突破している。

 とはいえ、そうとは行かないことくらい、北上だって理解している。

 

「偵察からの報告です。この先、フラグシップクラスが確認されました。そちらはできることなら迂回して周りましょう」

 

「了解。赤城はこれからもよろしくね?」

 

 偵察を、と言うまでもないことを省略し、語った島風に赤城は返さない。真剣な表情を見て取った島風もそれ以上は言葉をかけなかった。

 

「にしても、随分静かな海やね。ひと泳ぎしたいくらいや」

 

「それは自分の通った後を見て言ったほうがいいんじゃないかな?」

 

 島風が言いながら振り返れば、艦娘達にさんざんかき回された海が、青さを失い果てていた。波のように広がるそれは、どこかミルクのように透き通っている。

 

「泡吹で海が真っ白ネー! ちょっとエッチな感じデス」

 

『……何を言っているんだキミは』

 

 満の呆れが、無線越しに聞こえてくる。言ってる本人が頬を赤らめているような風だ。人生経験はそれなりに豊富だろうに、まぁ兵器として戦場を駆けまわっているのであればさもありなん、というところか。

 

 ――そこに、

 

 

 赤城の轟くような声が海を震わせた。

 

 

「……敵影確認!? 帰還して、状況を報告!」

 

 それは、妖精に対しての言葉だっただろう。しかし、唐突に飛び出した危険信号に島風達の表情が険しくなる。

 無線越し、満の声が、そこに続いた。

 

『全艦戦闘配備! 敵艦隊を撃滅せよ――!』

 

 

<>

 

 13

 

 

 一人、海に赤城は立っている。

 振り絞った弓の弦から、最後の艦載機が空へと舞った。後はおそらく、もう誰も帰ってくることはないだろう。妖精は不滅だ。たとえ海に艦載機が墜落しても、それを駆る妖精は、偶然漂流しどこかにたどり着くという可能性がある限り元より所属する港に帰港する。

 だからこそ、その生死を一切気にすること無く、全ての艦載機を空に浮かべた。

 

 後は、その練度を信じる他にない。

 

 離脱しようと全速で後方をゆく赤城は、これでようやく回避に専念することが可能となる。後方から迫るタ級の砲火が一層強さをました――ような気がした。

 

 空に、そして海に向けられた砲塔が、艦載機と、赤城を狙う。

 それに対し赤城は何度も振り返り、砲弾の向かう位置を確認しながら離脱を続けた。

 

 思考の片隅に、数分前までの状況が鮮烈に蘇る。中破した加賀と、赤城の会話。

 

『――赤城さん。待って』

 

 中破し、その衝撃に耐えているであろう加賀から、溢れるように言葉が漏れた。その一瞬、加賀に痛みによる苦渋に歪んだ表情はなく、唖然とした様子で、しかしまっすぐに赤城を見つめた瞳とともに、それがあった。

 

『行かないで下さい。これ以上の犠牲は必要ありません。私たちは、まだ……』

 

『それは、できません。加賀さん、ごめんなさい。少しだけ我儘を言わせて』

 

 我儘と、赤城は加賀にそう言った。赤城の判断は決して間違ったものではない。このタ級達が猛威を振るう激戦の地から、抜け出すためには囮が必要で、それは長門であってはならない。

 日本の心を、こんなところで、置き去りにすることはできないのだ。

 

『――それから、ありがとうございます』

 

 あくまで正面から加賀の瞳を受け返した赤城の言葉に、反論できる者は誰も居ない。だからこそ赤城は一人、タ級達との追討戦を演じていた。

 

「……必ず沈める。ここで、私の敵を、作るわけにはいきません」

 

 その瞳は、殺意――覚悟によって塗り固められた純粋培養の敵意――によって彩られていた。

 

 艦載機が駆ける

 空は青く、しかし朱に染まり藍に変わろうとしている。水平線の向こうにはどこまでもまばゆい黄金の如き暁が十字を描き現出していた。

 

 その十字、縦の一文字と艦載機の直前がリンクして、緑の翼を赤にすり替える。

 

 十数に及ぶ艦爆と艦攻の攻撃隊。それら幾つかが、タ級の対空砲火によって爆発、海へと散る。

 降り注ぐ爆撃と爆発音。赤城に耳元をそれらが、そしてタ級の砲弾が貫いていく。

 

 タ級の人間を失った意思なき瞳が、映すは果たして恨みかつらみか、はたまた赤城の艦攻か。二隻のタ級が、全ての砲門を全開にし周囲へ構える。

 駆動音が無数に鳴り渡り、一斉に、一同に介し、振り上げる。その中に、赤城へ向けられた物も、いくつかあった。

 

 クライマックスだ。全てが終わり、海へと還る時が来た。

 

 爆発、そして――

 

 

「――提督」

 

 

 ぽつりと、赤城の声が響く。

 

「なぜ、貴方は私に意味のある死は、無意味だと説いたのですか?」

 

 世界が無音に変じたような、そんな感覚であった。

 幾つもの致死的火力を持った一撃が赤城を襲う。艦載機を襲う。しかし、それら全てが必殺を持って赤城に殺到するはずもない。海が無数の柱によって跳ね上がり、荒れ狂い、踊り狂う。

 

 その中の幾つかが、赤城を襲った。艦載機をたたき落とした。残り幾ばくもない赤城の全てが無に帰り、海へと還る。

 

「なぜ、貴方は私の目の前で、意味のある死をもとめたのですか?」

 

 身をかがめるようにして、回避する。降り注ぐ弾幕を、身を躍らせるようにして身体を回転させて回避する。くるくると、くるくると。

 

 ただ、どこかに迷い、戸惑うように。

 

「わかりません。私には何も。何が正しいのか、何が間違っているのか――何も」

 

 対空砲火の火中を抜けて、艦爆が飛び上がり、降り注ぐ。

 

 ――タ級へ、

 彗星が――

 

 ――天から、

 海上へ――

 

 ――雲を切り裂き、

 爆音を伴って――

 

 直上、タ級の元へ殺到するように、

 衝撃、海が空がそして誰かが――

 

 爆発を、理解して観測する。

 

 それは三つだ。

 

 同時に起こった。

 

 タ級ウチ一隻の砲弾。そして赤城が二隻を狙う同時爆撃。

 

 気がつけば、赤城の目の前には砲弾が迫っていた。迷路を駆け抜けるように走りぬけ、そして行き着く先に、それがある。

 行き止まり。出口のない迷路であることは、最初から赤城は知っていた。

 

 

「提督……」

 

 

 繰り返すような言葉は音に飲まれて、元より消え去りそうな細さで在ったことすら忘れて、どこにも届かない海の向こうへ、消えていった。

 

 

 赤城はその一撃で大破した。

 後一瞬、タ級の轟沈が早ければ、そう悔やむことは可能であろうが、しかし結局後の祭り、そしてそも、ここまで回避が続けられたことそのものが奇跡であったのだ。

 刺し違える形とはいえ、タ級二隻を赤城が轟沈したことも。

 

 赤城は海に倒れこむように、失った浮力もあってか、半身を海に沈めながら浮かんでいた。立ち上がろうにも、そうするだけの気力がもう、赤城には存在していないのだ。

 

 もはや五本の指で数えられるほどに数を減らした赤城の艦載機が、敵影を見つけたと感覚に対して報告を告げる。

 再び敵の水雷戦隊が浮かび上がったのだ。先ほどまで三方を囲んでいたものではない。新たに浮かび上がったものである。

 

「まだ、最後にこんな隠し球を……」

 

 その数は、思わず赤城がそう漏らしてしまうのもうなずけるほど。少なくとも、先ほど赤城達を囲んでいた水雷戦隊のウチ、一方のみと比べた場合なら遜色が一切ないほどだ。つまり、これを抜けようと思えば大破するのは免れず、もしもそうでないというのなら、それこそ天才的なセンスで、砲撃を全て回避するしか無い。

 今の赤城には、全て不可能なシロモノだ。

 

「でも良かった……これで全部、打ち止め見たいね」

 

 しかし、それはつまり、敵艦隊にはもう、タ級を生み出すチカラはないということだ。水雷戦隊とはつまり、重巡すら生み出せないという意味でも在る。赤城がここで沈む以外に、被害が生まれることはないだろう。

 

「提督……答えは、わかりません。何も、何もかも。でも、もうどうでもいいんです」

 

 何もかもが海に溶けるような感覚。そばに敵艦が浮かび、逃げられないという事実の理解と、現実への絶望。それはきっと――

 

「――――あぁ。これが、沈むという感覚なのですね」

 

 砲撃の音が聞こえる。

 耳をかすめる。身体をかすめる。もう、後は残されていないだろう。何せ、赤城はもう、一歩もその場から動けないのだから。

 

 赤城は誰にも望まれて生まれ。望まれるがままに戦場をかけた。

 それは一つや二つではなく、大海戦も、今回のように中核を担うものではなかったにしろ、主力の一つとして参加したことも在った。

 

 栄光の空母、正規空母赤城。

 

 決して長い人生ではなかった。提督のような経験も、長門のような栄誉も得ることはできなかっただろう。それでも、きっとここで自分が失われることは、誰もの記憶に残るだろう。

 

 意味のある死。

 提督が、最後に求めたもの。それが、赤城が最初に求めていたもの。

 

 

 ――本当にそうなのかは、もう誰にも、解ることはない。

 

 

 ただ在るのは、

 

 

 海と、

 

 

 空と、

 

 

 空を掻き切る、艦載機。

 

 

 ――――だけ、

 

 

 のはず、

 

 

 だった。

 

 

「――さん。赤城さん! 聞こえていますか!?」

 

 

 聞こえるはずもない声。しかし、赤城はしかとそれを聞いた。幼い、年端もいかぬ少女の声だ。戦場には場違いであり、そしてこの一瞬には、特に場違いとも言える。

 

 それでも、事実だ。

 

 目を見開いた先に、彼女はいた。

 ――姿に、見覚えはない。しかし、声には聞き覚えが在る。誰かの通信越しに聞いた声だ。そう、たしか数時間前――

 

 

「第一駆逐艦隊旗艦、“電”。正規空母赤城をこの海域から救出するべく、ただいまこちらに到着しました!」




提督の皆さん、あけましておめでとうございます!

第一部最終決戦。どどんと四話構成となっております。

次回更新は1月6日、ヒトロクマルマルにて、良い抜錨を。


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『29 あ号艦隊決戦その2』

 海は静まり返り、島風達は言葉を失っていた。意識して、言葉を戦場から排除していた。戦闘開始を告げる満の宣言から直後、緊張状態は続いていた。

 陣形は単縦陣。言うまでもなく敵艦を殲滅することを前提とした陣形であり、攻めの形。

 

 一糸乱れぬ隊列は、島風たちの高い練度を示している。

 少し身体をずらして斜めに傾きながら一直線に並んだ姿は、ある種の美しさを感じさせる。それはどこか無機質な機能美であるのだが、少女と換装のアンバランス、そして少女自身の見目麗しい容姿が、美しさを存分に引き立てているようだった。

 

「――敵艦隊、来ないね」

 

 そうしている内に、しびれを切らしたように島風が言う。

 さほど珍しくもないことだ。偵察機が敵艦隊の進行方向を間違えたか、誤報が伝わってきたか。赤城の艦載機が持つ練度を考えれば、前者である可能性が高いだろう。

 

『長距離での偵察を連続で強いられるから、多少の疲労は避けられないか。赤城の疲労がそのまま艦載機に伝わっているんだろうね、島風もそうだろう?』

 

「博識ですね……まぁ、戦意高揚のタイミングがないですしね、私も赤城も」

 

 精神的な面が大きく航行に影響する艦娘は、戦闘での活躍がそのままモチベーションにつながることがままにある。今回特に大きく活躍したのは龍驤と金剛であるから、赤城に疲労回復のタイミングはない。

 とはいえ、旗艦は精神的な疲労が少ないから、島風と赤城を比べると、島風の方がまだ余裕はあるのだが。

 

「もともとここは敵艦隊との会敵予想区域やしね、ちょっと判断ミスっちゃったんよ」

 

 分析するように龍驤が言う。

 折しも、といったところか、どちらにせよここで敵艦隊を誤認することは何らおかしくはない、ということだ。

 

「……? どうかしましたカ? お二人とも」

 

 そこで金剛がふと気がついたように北上と愛宕へ問いかける。両者ともに、少しだけ難しそうな顔をして何かを考えているようだった。

 

「え? いや、私たちにはなんにも異論はないよー? ね? 愛宕っち」

 

「え? え、えぇ、そうですねぇ。私も特にいうことはないです」

 

 きっとそれは、本人にとっても感じることのほうが不可解な違和感だったのだろう。すかさずそう返した時には、もう小骨が引っかかるような感覚は消え失せていた。

 

 故に、言葉に出てくることはなかった。

 ――果たして赤城がミスをしたのは、そんな小さな疲労だけが理由だったのか、と。

 

 

 ♪

 

 

「敵艦見ユ! 旗艦重巡リ級“フラグシップ”!!」

 

 わかってはいたことだ。考慮していたからこそ島風の声は重く、そして海へと響く。赤城の偵察機からの報告。無論今回は誤報でもなんでもない正真正銘の結論。

 結果として島風達は、初めての“フラグシップ”級との交戦と相成った。

 

 フラグシップ。エリートが深海棲艦の怨念から作られたとするなら、フラグシップはその中でも特に大きな怨念を持った深海棲艦の集合体によって作られた文字通り“旗艦”。それは艦隊としての旗ではなく、“深海棲艦としての”旗であるといえる。

 

「全機発艦。攻撃開始――!」

 

 龍驤の声が空白に響く。直後、赤城の放った矢が艦載機に変じ、海へと身を躍らせる。

 

「続いてや!」

 

 白紙の“ヒトカタ”いわゆる式神と飛ばれるそれは、龍驤の右手に吹き上がる通称『勅令“代行”霊』から――青を伴う焔、言うなれば人魂というのが近いだろうか――現出、飛行甲板を滑りだす。単なる一枚の紙、水兵の風に棚めく甲板を、滑るように“飛び上がるように”立体を伴って艦載機へと変じるのが、召喚型空母の発艦方法だ。

 基地型や赤城のようなタイプと比べると、一層に“オカルト”を感じる発艦方法は、艦娘の尋常ならざる力を感じさせる片鱗といえた。

 

 とはいえ、最終的な艦載機の行き着く姿は同一だ。赤城の零戦52型と天山。そして龍驤の彗星が、一斉に敵のない空を、切り裂くように駆け抜けてゆく。

 

 行き着くところを語ってしまえば、それは敵艦隊に多大な被害を与えた。

 敵艦隊、構成は旗艦重巡リ級フラグシップ。ほかはチ級エリート三隻。そして駆逐ニ級二隻だ。駆逐はどちらも無印である。

 

 旗艦が重巡であるとはいえ、エリート三隻にフラグシップ一隻。そして駆逐級最強とされるニ級が投入されていることを考えれば、その艦隊は深海棲艦艦隊においても、そうとうな精鋭部隊であるといえる。

 その深海棲艦艦隊を、赤城達は三隻沈めた。チ級エリート二隻、そしてニ級一隻。

 

「魚雷、一気に行くよお!」

 

 北上の右手――右舷が振るわれそこから数多の魚雷が飛び出してゆく。狙うは重巡リ級――フラグシップ。放り投げるように海へと身を投げた魚雷が白の泡吹を跡におき、駆け抜けるように通り過ぎてゆく。

 

「ッテェェェエッッ!」

 

 海にすべらせる右足を大きく広げ、襲いかかる獣のように前傾になる北上。しかしその威勢とは裏腹に、リ級は即座に身体を反転、回頭し雷撃から逃れる。

 

 避けられた。認識するよりも早く、北上は速度を上げて前方へ進む。島風たちが前に進むのだ。艦列を乱す訳にはいかない。

 

「砲雷撃戦、始めるからね!」

 

「砲門構え……シューッ!」

 

 金剛の身が、空間が、何度もブレて異様に震える。戦艦の長距離砲撃が、リ級を捉え――しかし右舷周辺へと着弾、水柱を跳ね上げるに留まる。

 そこから襲う衝撃は、いわゆる至近弾と呼ばれるソレ。一撃では何ら効果は現れない。けれども、続く一撃がリ級を襲う。その時リ級は、至近弾に揺さぶられ装甲を薄くしている――!

 

「行くわよ、ッテェ!」

 

 愛宕の一撃。フラグシップの装甲は、艦種のそれを軽く凌駕する。同じ重巡の一撃を難なくいなす力を持っている。しかしそれでも、直撃すれば十分なほどに打撃は与えられる。金剛が、その下地を作ったのだ。

 

「直撃確認! 中破まで行ったかな?」

 

 残った駆逐ニ級を砲撃で轟沈させながら、様子を確かめた北上が言う。見れば解ることだが、愛宕に対するねぎらいに近い声がけといったところか。

 ここまでは、順調。しかしリ級達も反撃は行っている。

 

 旗艦、島風の上方を駆け抜けた一撃が、左舷から島風を襲う。吹き上がった水の幕に、思わずと言った様子で島風が顔をしかめる。返し、振りぬくように連装砲を向けると、勢い任せに主砲をうちはなった。

 

「やってくれるじゃん? 全力でお返ししてあげる!」

 

 駆け抜ける砲火の烈閃。一つではない。雷巡チ級と重なるように、交差し、お互いの右舷を狙う。

 

「当たらないよ、全然私に、あなたの速度は追いつけないんだから!」

 

 すでに距離は中距離を過ぎ、短距離での砲戦に切り替わろうとしている。両者の距離はもはや何キロあるだろうか。

 続けざまに、島風が砲撃を行う。狙うはチ級。一度目を外した――ゆえの二撃目。

 

「残り二隻、まとめてどっちも落としたげる!」

 

「合わせろって? 無茶言うやん島風!」

 

 はためくのは、島風のスカートか、龍驤の飛行甲板か。両者の間で轟くような声音での会話が繰り広げられる。砲撃は未だ周囲を襲っているのだ。

 海を叩いて飛沫を跳ねさせ、その中を、揺らめくように島風達が駆け抜けてゆく。

 

 言葉をかけた島風が、何かに気が付き急速に左へ身体をずらす。急激に速度を失った島風は、滑るように左方へ動く。

 

「やってくれるじゃん!」

 

 返し刀に砲撃を行い、チ級へと執拗に攻撃を重ねる島風と、それから艦載機を飛ばす龍驤、どちらも視線をお互いに向けて、頷き合って視線を戻す。

 

「落ちてまえ、“フラグシップ”ッッ!」

 

 リ級の副砲が艦載機に向けられる。視線が、陽炎を伴う黄金の瞳がゆらめき、殺気のごとき意思を込めて睨む。直線上に、リ級と龍驤の艦載機がつながった。

 

 空と、海。

 

 上と、下。

 

 睨み合う両者はしかし、身体をずらし逸れてゆく。相反する両者。しかしその跡を上方に狙いをつけた副砲が、赤く染まった熱を伴って消えた。

 そこから漏れた黒煙がリ級の船体を追いかける。

 続けざま、主砲が龍驤へと向けられた。

 

「避けて!」

 

「問題あらへん……よっ!」

 

 飛行甲板を伴って、龍驤が右方向へそれる。

 空白が生まれる。龍驤のすぐそばに、リ級の砲撃が感じられるのだ。相手の攻撃を“見てから避ける”。技術を持つ艦娘であれば、さしたる難易度では決してない。そしてそれは“ある艦娘”が得意としていたことだ。

 島風も、そして龍驤も、彼女からそのコツというものを伝授されている。

 

 特別、この二人が回避に対して才能を有しているのだ。同等といえるのは、十年以上艦娘として戦場を駆ける古参、金剛程度のものだろう。

 ゆっくりと、時間が流れるような感覚だと、龍驤は感じる。死を近くに感じるのだ。どうしようもなく、恐怖がそれを起こしているのである。

 

 恐怖。そう、恐怖。

 しかし足がすくんでいる訳ではない。龍驤の瞳はまっすぐ愚直に前を見て、龍驤の身体は踊るように舞い狂う。

 一発目、前方に迫る物を避けた。そこまではフラグシップも理解していた。だから、次がある。龍驤もまたそれはわかっていた。

 

 目前に迫っている。回避するには時間が足りない。だからこそ、龍驤は身体を砲弾と水平になるよう半回転させる。

 倒れこむように、身体を傾けさせるのだ。

 

 人だからこそできる回避がある。

 艦娘だからこそできる回避もある。そのどちらをも使いこなしてこそ、艦娘として一流の、戦い方を身につけたといえるのだ。そう、言われた。

 

 速度は優に音を超える。気がつけば人が置き去りにされる世界。そこに、艦娘としての感覚を持ち込んだ。迫る。迫る。迫る。慈悲もなく、死は龍驤へと襲う。

 島風が、ちらりと龍驤へ向いた。すでに砲塔はチ級を捉えている。外すことはない、そう結論が付けられるのだ。

 

 それでも、それだからこそ島風は龍驤を見た。心配そうに、少しだけ。

 その時に――龍驤と弾丸は交差した。胸元を、滑るように。それ以上体を反らせることは不可能に思える場所を、通過していった。直後、大丈夫だと示すべく右手を振り上げる。島風は純粋に子供らしい笑みを浮かべ、それに応えて一つ頷いた。

 

「ッテェェェェ!」

 

「落とせェェェ!」

 

 島風と、龍驤と、二人の声が唱和する。

 リ級の副砲を避けて、飛び上がった艦爆『彗星』。そして島風が雷巡チ級に放つ、必殺の主砲。爆撃の音は、同時に響いた。

 

 否応なく、チ級エリートと、最強のクラス“フラフシップ”を冠する重巡リ級に、無慈悲なほど絶対的に、唖然とするほど必殺的に、それらは同時に敵を貫いた――

 

 

 ♪

 

 

 激戦必至の海域を抜け、三連戦を終えた島風達に、しかし息をつく暇はない。この先に、敵深海棲艦の主力が待ち構えていることは端から明白であるからだ。

 誰もが理解している。これは厳しい戦いになる。これまでの順風ではすまないだろうということくらい。

 

 先頭を行く島風は、その瞳を闘志に揺らしていた。彼女がそうでなくては艦隊は成り立たない。旗艦はだれよりも真っ直ぐ敵を見て、負けを認めない精神こそが求められるのである。

 

 言うまでもなく島風は駆逐艦で、艦種としてはこの中で最もこの海域に適していない。しかし、闘いに向ける精神と、それを成り立たせる経験は、この中でも十分に光る物を持っている。

 

 “旗艦”であるのだから、当然だ。

 これから相手をするのがフラグシップ――深海棲艦の象徴であるというのなら、自分もまたこの艦隊の精神の象徴となろう。

 

 提督と、島風と、そして仲間たちと。

 あらゆる歯車が咬み合ってこその“南雲機動部隊”だ。

 

 仲間たちもそれをよくわかっている。だからこそ、艦種としての、艦隊における己の役割を確実にこなす。本当に、優秀な艦娘が集まっていると、島風は仲間たちを見て思うのだ。

 

 で、あるならば。

 己はその先端でなければならない。フロイトラインでなければ、ならないのだ。

 

 そうすることで、南雲機動部隊は――黎明を迎える。

 スタートラインに、立つことを許される。

 

 一つ、大きく息を吸い込む。自然と瞳は細められ、さらに意識はシャープに変じる。目を見開いた先に、“それ”が居ることはすでに知れていた。

 意識を込めて、その名を告げた。

 

 

「――“南雲機動部隊”旗艦、島風! 敵艦隊主力を捕捉。これより全力で、これを撃滅します!」

 

 

 ――否という返事は、かえってくることなどありえなかった。

 

 

 <>

 

 14

 

 

 電。五年前の彼女は、現在の電とは存在そのものが違う、いわゆる先代にあたる。先代“電”。ミッドウェイ海戦から五年後の時間軸において、その名を知らないものはいないだろう。

 彼女はこのミッドウェイ海戦時第一駆逐隊を引きていた。それを為したのは、それほまでに彼女が優秀であったということだが、この一瞬、ミッドウェイ海戦において彼女が伝説と化すまで、知名度はさほどなかったのである。

 

 歴史的に見て、このミッドウェイ海戦は日米軍の戦術的勝利であり、深海棲艦の戦略的勝利とされる。制海権を奪取するための戦争ではあったが、敵艦隊の半分以上を漸減してもなお、戦力を削りきれなかったこと、戦艦タ級出現を止められなかったことなどが戦略的敗北の主な理由とされる。

 

 その後もレイ海戦。マリア海戦と、戦略的に敗北を重ねた日本軍は、徐々に南方諸島周辺海域の制海権を失うこととなるのだが、それは余談と言うものだ。

 

 ともかく、このミッドウェイ海戦。日米軍と深海棲艦の戦いに於ける終盤で、主力の一隻、正規空母赤城が敵本陣で取り残される結果に至った。

 それに対して日本軍は救出を試みようとしたものの、突如として現れた大量の水雷戦隊を撃滅することに追われ、行動が遅れた。

 ここで行動を起こせたのは第一駆逐隊という、小さな戦力一つのみであった。

 

 通常ならば、駆逐艦のみで構成された、そもそも艦隊とすら認められず、一個の軍艦としか認められないような遊撃部隊に、戦果など求めているはずもない。

 第一駆逐隊は水雷戦隊の中でも特に優秀な艦が集められているが、それでも、長門達をはじめとする日本の主力艦隊が突破を不可能と断言する場所に、身を投じられるはずもない。

 

 ただ一人、旗艦“電”を除いては。

 後に“稀代の幸運艦”とも、“無敵の駆逐艦”ともされる彼女は、海域を脱出してきた長門達の護衛を艦隊に所属していた駆逐艦に任せ、自身は三桁に及ぶかと思われるほどのの敵艦が浮かぶ鉄の地獄に身を躍らせた。

 

 その上で、何ら一切の傷すらなく、赤城の元へとたどり着いたのである。

 

「……どういう、ことですか?」

 

「どうもこうもないのです。早くここを脱出しましょう。立てますよね?」

 

 相手は、正規空母だ。日本に六隻しかいない栄光の存在。それにいっさい臆した風もなく、電は赤城を引き上げる。身体の半身を海につけていた赤城は、その状態で、電の肩に抱えられた。

 

 どうして? 何故? そんな疑問は、浮かびはしたものの口元へは届かない。気にするべきことではないと、理解したためだ。ここまで来ることができるなら、その理由くらいすぐに分かる。それくらいを考える思考力は、今の赤城にも残っていたようだ。

 

「それでは帰還します。このまま、背負った方がいいですか?」

 

 その必要はない、そう答えようとして、しかし口に力が入らない。いな、身体にチカラをコメられない。気力は、未だ赤城に火を灯していない。

 

「……ごめんなさい、お願いします」

 

「おまかせあれ、なのです」

 

 それから、砲戦が吹きすさぶ海域を、電は赤城を伴って脱出した。電のとった行動は、赤城の理解にも及ばないことだ。何しろ“何もしていない”のである。電が行くのは、砲撃の合間を塗っての決死の脱出劇ではない。

 まるでそこには最初から何もなかったかのように、電の周囲にぽつんと隙間が空くのである。

 

「深海棲艦は電探を装備してはいません。ですので目視による敵艦の発見が主となるわけですが、実はこの目視をする深海棲艦の感覚というのは人の感覚以上に曖昧なのです」

 

 いいながら、電はポケットから深海棲艦の残骸を取り出した。あまりに気安く持ち出したそれに、思わず赤城は目を白黒させる。

 どうやらそれはバラバラになった駆逐艦のようであり、よくよく見れば目にしたことがある。通常の艦娘には伏せられているはずだが、それは加工前の鋼材だ。電がそれを持っているのかまでは、よくわからない。

 

 ともかくそれで、敵艦は電達を“深海棲艦”だと誤認しているようだ。確かに艦娘と深海棲艦のルーツは同じだが、少し複雑な心持ちである。

 

「加えて、彼女たちは機械的でもあり、ある一定のパターンを持って行動します。そこを上手く誘導すれば、こうして砲撃の隙間が生まれるのですよ」

 

「それが可能である、と?」

 

「普通の艦娘には、おすすめしない方法なのです」

 

 パターンはそれでも数百に及ぶため、全てを記憶するか、ないしは察知の方法がなければならないと電は言う。それができる自分は普通ではないとでも言うかのようだが、駆逐艦でありながら深海棲艦と艦娘の秘密を知っているというのは、明らかに普通ではないことが自明の理だ。

 

 そこで、沈黙が降りた。

 このまま進めば、無事にこの海域を脱出できるであろう。一度諦めた自分の命に、再び焔が灯るのだ。なんとも複雑で、不思議な心持ちである。

 それは同時に、提督のことも在るのだろうと、赤城はココロの何処かで考えた。

 

 そんな時だった。

 電が、再び赤城へ向けて口を開く。

 

「何が正しいのか、何が正しくないのか。そんなもの、自分で決めないと単なる人づてなのです。誰かから教えてもらうことや、誰かに助けてもらうことなんて、山のようにあります」

 

 電の視線の先には深海棲艦がいる。電に狙いをつけ、しかし何かに気がついたようにその砲塔を揺らすと、慌てて取り下げ別の方向を向く。

 電に向けられたものだけではない。深海棲艦から深海棲艦へ向けられたものも同様だ。

 

「生きていくことは助けられることと同義で、そうやって積み重なった助け合いが、結果として生きていくことになります。意義なんて誰も求めていないのです。ただ必要だから、助けていくだけ。生きていくことに意味は無いのです。ただ、正しさを決めるということを除いては」

 

 よっと、肩で支える赤城を一度背負い直す。海に沈んだ両足が、少し浮かんで、また元に戻っていった。

 

「正しいこと、間違っていること、それはどちらにしろ自分で決めるしかありません。別に自分で決めなくてもいいですけれど、誰かの答えをカンニングすることはできません。だから、一体どんな選択をするにしろ、ソレは自分でなければならないと思います。これだけは、心にとどめておいて下さい」

 

 ――なぜ、そんな話をするのだろう。赤城の疑問はそこにあった。しかし、それは赤城が死を覚悟した時、真っ先に浮かんだ思考だった。提督へ向けた言葉、それと電の言葉がリンクして、思考を駆け回らざるをえなくなる。

 

「さぁ、もうすぐこの地獄のような海域を抜けるのです。港に帰りましょう。大切な人が、待っているのではないですか?」

 

 死地で別れてしまった加賀は、戻ってきた自分を叱るだろうか。無残な姿を嘆くだろうか。そして、提督は、そう考えて、意味のないことだと頭を振る。

 どちらにせよ、赤城はこの海域を抜ける。ミッドウェイ海戦の最後を、生きたまま、見届ける。

 

 すでに、周囲を囲む水雷戦隊の姿はない。砲戦の音は響いているのに、それも今は些か静かなものだ。

 

「そうですね。……本当に、もう疲れてしまいました。今はもう、全部を放り出してゆっくりしてしまいたいです」

 

 海色の藍に染まった空を見上げながら、星を見つけて赤城は嘆息する。轟沈を間近にしてしまったことに拠る心労。それだけではない、提督のことも、先に行かせてしまった加賀のことも在る。本当に、疲れる一日だった。

 それを受け取るように、電は明るく顔をほころばせ――

 

「あはは、電みたいな駆逐艦ならともかく、赤城さんはちょっとむずかしいと思うのです。でも、安心してもいいですよ? もう、あの地獄はここに――ありませんから」

 

 ――一人の人間らしい、笑顔を浮かべた。

 

 

 ――長い、長い1日が終わった。

 ミッドウェイ海戦が終わり、制海権は深海棲艦に奪取されたこととなる。しかし、戦果をみればその勝敗は一目瞭然。だれも赤城達を責め立てることはしないだろう。

 だからこそ、思いと、砲撃と、煙の匂いが色濃く残るこの海域は、とても深く、重苦しい場所だった。

 

 一つの大戦略を終えた艦娘達は、それぞれの基地に帰還することなる。赤城のような例外をのぞいて、それから数週間の後、日本海軍はミッドウェイ海戦以前の状態を、保つに至るのであった――

 




ヒトロクマルマル、提督の皆さんこんにちわ!

電、大活躍、なのです! です。

次回更新は1月10日、ヒトロクマルマルにて、良い抜錨を。


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『30 あ号艦隊決戦その3』

 戦艦ル級フラグシップ。

 戦艦ル級エリート三隻。

 駆逐二級エリート二隻。

 

 敵艦隊主力を構成する艦種の概要である。言葉にするだけで目眩がしてくるような戦艦の群れは、見間違いなどありえない。

 現実だ。南雲機動部隊がこうして直面する最初にして最大の山場。南西諸島は日本だけではない。オーストラリア、他オセアニアの諸国が明日、この海に出ることが叶うかどうかの一戦であるのだ。

 

 敗北は許されない。この場合、撤退は敗北ではない。敗走は完全な敗北ではない。ここで島風達が求められるのは、確実にこの艦隊を撃滅すること。全てを排しこの海域の制海権をもぎ取らない限り、戦術的な勝敗の有無すら、決定する土俵に彼女たちは立てない。

 同時に提督であるところの南雲満は、彼女たちの進退を決定する権限がある。この戦闘の結末に、勝敗という端的なあとがきを加えるのだ。

 

 一人、ぽつりと取り残された司令室。無線の向こうから、島風達の声は聞こえてくる。しかし、戦闘中の彼女たちに満へ声をかける余裕はないし、素人である満に何かを求めているはずもない。

 ゆえにこそ、今の彼には戦いの行方を座して待つ他にない。

 

 出来るだけのことはした。そも、島風達がこれまで作り上げてきた連勝の山は、この戦いに勝利を想像させるに十分だ。

 今の自分には、足りないものが多すぎる。それを少しでも補うために、これから前に進む必要がある。この戦いは、それを為すためのものだ。だからこそ、負ける訳にはいかない。

 

 絶対に、負けられない。

 

 おそらくは――そう一言付ける必要もないだろうが――どの艦娘とてその意思は同様だ。この海域を攻略することで、自分たちは一つ前に進む。

 それぞれにはそれぞれの迷いがあって、悩みがある。満はそれを多少なりとも知ってはいるが、推し量ることは出来ない。それでも、こうして前に進んでいくことで、解決しなくてはならない、解決が不可能ではなく、困難と呼べる時が来るのだろう。

 

「南雲機動部隊……か。島風、よろしく頼むよ」

 

 旗艦に向けての、たった一言。聞こえることはない。こちらからの通信は切っているのだから。必要としなければ、その通信が再び満の手で始まることはない。

 

 ふと、思い立って窓から空を見上げる。

 決して悪い天気ではない。雲は目立つものの、陽の光も、直接満の司令室へと届いている。十分だ。この陽気なら――島風達へ満の思いも、届けることができる。かもしれない。

 

 

 ♪

 

 

 龍驤の右手が振り上げられる。その手には、布状の飛行甲板が握られている。数十ノットの風にあおられたそれは、はためき空に対して水平に変わる。

 その上空を、艦載機が舞い、それぞれ合わせて着陸していく。そこに一切の無駄はない。飛行甲板に着艦すると同時、白紙の紙へと変じていくのだ。

 

 龍驤の艦娘としての感覚が、妖精から攻撃の報告を受け取る。内容は戦艦の対空砲火で散った艦載機の詳細と、敵の被害報告であった。

 仲間たちへ告げるのは後者のみ。現状、問題が出るほど艦載機は撃墜されていない。

 

「敵艦! 駆逐二級二隻を狙うも小破至らず。また、敵旗艦、戦艦ル級フラグシップを赤城の艦載機が狙うも、一撃すら通らず!」

 

「――そんな!」

 

 思わず声を上げたのは、愛宕だ。無理もない、赤城といえば日本の象徴、六隻の正規空母が一翼である。その一撃が通らないなど、敵は如何程までに強固であるのか。

 考えるには、頭が痛すぎる問題だ。

 

「今は気にしないで行こう! それより北上は魚雷用意、直ぐに一発叩き込んでね!」

 

「あいあーい!」

 

 島風の掛け声に北上が応えた。即座に魚雷を敵旗艦、ル級フラグシップへと向ける。何度か咆哮を修正しながら、北上は渋面で愚痴るように、ぽつりと零した。

 

「これは、マズイねー。あんま攻撃通らないかも」

 

「やっぱり、このまま進むと反航戦か」

 

 同意するように島風が言った。それに気が散るからと北上が視線で言って、即座に魚雷の発射に移る。正確には甲標的、魚雷を発射するための小さな船だ。

 

「ィッケェ!」

 

 発射音にかき消されながら、それでも北上は声を震わせた。そして――

 

「ごめん! 外した!」

 

「ちょっとー!?」

 

 島風の声が海に響く。ル級に届かないまでも、それは艦隊全てに轟いて、しかし振り払うように島風は意識を切り替えた。

 

「ともかく、このまま考えられる方法は二つ、だね」

 

 現在、このまま進めばル級達と島風達は交差して会敵する。先ほど島風が述べた通り、反航戦となるのだ。

 反航戦の特徴は、お互いが艦を並べて戦闘を行う、いわゆる同航戦とは異なり、すれ違いざまの戦闘であるために、戦闘時間が短くお互いに及ぶ被害が少ない。

 ここまで島風達は全ての戦闘を同航戦で行ってきたが、それとは違い今回は一瞬の打ち合いが前提となる。

 

 そこで取れる選択は、島風の言う通り二つ。

 

 まず、このまま戦闘を行い、即座にこの海域を離脱すること、つまり昼の戦闘を少ない被害でやり過ごし、夜の戦闘で敵艦隊を撃滅するか。

 しかし、これにはあまりにも問題点が多い。まず、敵戦力と味方戦力を比べた場合、明らかに敵艦隊の方が夜戦に向いているためだ。これは、空母が夜戦では一切行動を起こせないという点を鑑みれば、説明するまでもないだろう。

 

 そしてもうひとつは、まず反航戦で行き違い、“全力で反転”その後敵艦隊に追いつき同航戦でもう一度戦闘を挑む、というものだ。

 夜戦火力が足りなければ、昼の火力で敵を圧倒しようというのだ。とはいえ、問題点が多いというのはこちらも同様だ。まず、そもそも前提として昼の火力すら島風達は劣るのだ。戦艦四隻という、ミッドウェイクラスの海域に出撃するのでなければ運用の難しいはずの艦隊が相手だ。通常の艦隊である島風達には、少しばかり荷が重い。

 加えて、ここまでの連戦で弾薬の残りが心もとない。夜戦に突入することを考えれば、ここで反転による再戦などをすれば、夜戦に必要な弾が無くなってしまう。

 

 そこで――と、提案をしたのは愛宕であった。いつも細めている瞳を大きく見開き、何かを考えるようにしながら、つらつらと言葉を選び始める。

 

「状況を意図して作成しましょう。こちらが夜戦に持ち込むのが有利か、はたまた昼戦をもう一度するだけの意義があるのかを条件付けします」

 

 即座にそれを理解したのだろう。北上が補足するように言う。今は、とにかく時間がない。情報の共有が可能であれば、即座に行う。

 

「つまり、駆逐艦二隻の撃墜を夜戦突入の条件とするの?」

 

「そう、夜戦に突入すれば私も北上さんも、それに島風ちゃんだって有効な打撃を持ちますし、メリットも多い。こちらの被害状況と、前提として作った条件をある程度査定して、その場で判断します」

 

 被害が多ければ反転、戦意高揚による轟沈回避の状態で、多少無茶でももう一度戦闘を挑む。夜戦は昼戦と同一戦闘のはずではあるが、それを証明するデータは現状海軍にはない。

 

『……それは、僕ではなく赤城の方がいいな。被害の報告すら面倒だろう。迅速に頼むぞ』

 

 即座に、満が判断を決めて告げた。それは満の無知という理由もあるが何より、そこで判断が最も早くできるのは、艦列最後尾で戦況を見極められる赤城しかいない。

 

「――――分かりました」

 

 そこまで、ひたすら無言を貫いていた彼女が口を開く。決意に満ちたような、いつもよりも低い声。満は一拍だけおいて、次の言葉を口にする。

 

『頼むよ、みんな。僕達に――勝利を』

 

「ラジャ! それじゃあ行っくよ! 砲雷撃戦。はっじめ!」

 

 ――直後、オーダーを受けた金剛の砲撃が、勢い盛んに、敵艦隊へと向けられた。

 

 

 戦闘開始直後から、状況は拮抗といってよい状態にある。敵戦艦、ル級エリートの一撃が愛宕の右肩をかすめ、駆け抜ける。小破には至らないものの、至近弾以上のダメージが換装に伝わる。

 

 一発で、これか。

 衝撃は痛みには変わらない。ただ鈍く残り、それは痛みというよりも重しを載せられたような感覚だ。鈍痛という意味では痛みでも間違ってはいないのだろうが。

 ともかく、艦娘が“沈む”というのはつまり、この重しに精神が耐えられなくなったということなのだろう。

 

 慣れる、ということはないのだろう。往々にして、歴戦の艦娘が沈むという話は、さほど珍しい話ではない。この重みを耐えられるほどに精神が鈍っているというのなら、それはもはや機械のような、不沈艦の誕生だ。

 

 ありえないといえばその通り。そも、それほどまでに精神を疲労させれば、本来であれば疲労の“下限”が上がり、無傷の状態ですら轟沈の可能性すら生まれる。つまり、慣れたのではない、痛みなど分からないほどに、“すり減った”のである。

 

 愛宕は若い艦娘だ。見た目で言えば島風や、北上とはだいぶ年の離れているように思えるが、実際はその島風、北上等の方がよほど年を経ている。

 慣れては行けないということを解った上で、実践できる、若葉マークのドライバーといったところか。

 

 故に、前に出る。痛みを知る艦娘よりも、自分のほうがよっぽど、その資格があるはずだ。

 

「テェー!」

 

 行き交う艦隊の、前方に設置するかのように砲塔を構え、放った。降り注いだ一介の鉛は、ル級の独特なフォルム、つまるところ左右の手に備えられた換装を兼ねた装甲板に突き刺さる。

 フラグシップ、旗艦の黄金色を帯びたボディに、黒い炭と煙がこびりつく――が。

 

「……効いてない!?」

 

 急所にねじ込んだ、ではないにしろ十分直撃といえるレベルの一撃、であるはずだ。それをこうもやすやすと、跳ね除けるようにするというのだ。

 異常。愛宕の息を呑む音は、おそらく無線を通じて、周囲に伝わった。

 

 直後。

 

「何しよるんや! 足とめんと、前向きィ!」

 

 後方、ちょうど一つ後ろに居る龍驤から、激が飛んだ。言うまでもなくそれは叱咤に近いものであり、愛宕を急かすためのもの。

 だが、それが愛宕には良い刺激となる。声と同時に、前方に一つの影を感じ等。ル級エリート三隻の内、最後方からの一撃が、愛宕を襲う。

 

 慌てて身を逸らすと、先ほどまで愛宕がいたすぐそこの後方。龍驤の目前で水柱が上がった。中学生程度の、小柄な龍驤はそれに覆われ、愛宕の視界から消える。

 声をかける間もなかった。

 続いて、意識を向けている暇もなかった。返すように副砲を放つ。何度も、何度も。空に、一文字の閃光が列を成してキャンパスを駆け巡った。

 

「……っ!」

 

 副砲が、今度はエリートの至近弾として着弾する。しかし、効き目はない。その前方、ル級フラグシップに向けて、金剛が砲撃を構えているのが見える。

 ほぼ同時に、後方から柱をぶち抜いて龍驤が躍り出る。右手の飛行甲板が風になびいて、そこから艦載機が飛び出す。すでに宙を舞い始めている者もいた。

 ――掻き切った水が、キラキラと空の光に照らされ輝き、どこへともなく、消えていった。

 

「っけェ! 艦載機――!」

 

「全砲門、あらん限りにスタンバイ!」

 

 声が連続するように鳴り渡る。その言葉は、ある種の勧告だ。本命は艦載機――駆逐艦ニ級エリートを狙う、龍驤である。金剛のしていることは、そのサポート。対空火力を持つ戦艦の意識をそらし、攻撃を完遂させる手助けをすること、そして、自身の砲撃で敵艦隊の隊列を乱し、ニ級エリートに一撃を叩き込む隙を生み出すこと。

 この昼戦で戦艦エリートと、戦艦フラグシップを落とせる可能性は零に等しい。そもそも、有効な打撃が金剛の砲撃のみなのだ。夜戦か、ないしは反転しての連続戦闘でもない限り、まず、火力が足りない。

 

「ファイア!」

 

 金剛の砲撃が、二度響いた。主砲がル級フラグシップに迫り――一つは外す。もう一つは、至近弾。避けられた。攻撃の瞬間にル級の身体は不規則に揺らめいていた。海の波以上に、そうなるようル級が身体を揺らしているために起こる事態だ。

 不気味、不可思議、そう評するのが正しい手合。何せ深海棲艦は、得体のしれない怨念どもの群れなのだから。無機物よりも生物、人間の思念に近いそれらは、憎悪か、はたまた執念か、何がしかのマイナス感情が蠢き、悪夢のような不協和音を奏でる。

 

 フラグシップとは、不協和音が創りだした、不快と不快の集合体なのである。

 故に、強固。その意思は、金剛達歴戦の艦娘が持つ、大義の感情よりもなおもって、厄介。荒唐無稽とすら言えた。

 

「――通らないネ!」

 

 数が必要なことくらいはだれだって解る。反航戦ではろくな砲撃の機会がない。敵の攻撃も、些かか細く、そして味方の弾幕にも、力がない。

 金剛の砲撃が残した痕は、フラグシップの放つ異様な圧力、黄金と化す煌きの帯に飲まれて消える。光ではない、深海棲艦が持つ特有な陽の光の反射だ。

 

 例外は、龍驤だけだ。彼女の手元から放たれて、空を駆ける艦載機編隊は、今も変わらず、空に在る。

 

 ただし軽空母の龍驤では火力が足りないためフラグシップに風穴を開けるチカラはないが。

 

 だからこそ龍驤の狙いは駆逐ニ級だ。戦艦ル級に対しては、対空火力が余りあるために難しい。しかし、一切対空砲撃ができない駆逐ニ級にであれば、一発で必殺のモノとなる。

 

 とはいえ、ル級の砲塔が空を向いている。赤く染められた熱が、艦爆『彗星』の左方に吹き上がる。否、彗星は避けたのだ。弧を描き、身を歪めて、円を描いて。

 

 高度を上げる。超高高度。雲の切れ間に、白の線が埋もれた。

 

「イッケェェ――――ッッ!」

 

 ここまでくれば、もはや対空は意味を成さない。一瞬の合間にニ級を強襲しそして離脱すればそれで状況は完璧だ。

 そう、それだけならば。

 

「……龍驤さん!」

 

 愛宕の声が響いた。訳は聞くまでもない。彼女の隣を、砲弾が駆け抜けた。ちょうど、龍驤の方向へ。それだけではない、愛宕をすり抜け、龍驤へ、降り注ぐように鉛の雨が集中している。

 左右にも、上下にも、余りあるほどに、四隻の戦艦が砲撃を集中させていた。

 

「――解っとるよ」

 

 ソレは果たして、誰に向けた言葉だったか。愛宕に、ではあるだろう。しかし、愛宕の“何に”対してであったか。語るには、その一言はあまりにも、“含み”がありすぎた。

 

「ウチがやることは、これで終わっとるからね!」

 

 言葉とともに爆発の雲に龍驤はまみれた。金剛も、北上も振り返ることはない。それを見るのは、最後列赤城と、振り返る愛宕、そして一瞬だけ視線を向けて沈黙する、島風の三人。残る二隻はためらうことなく砲塔を回転させた。

 

 愛宕もそれに続く。煙から飛び出す龍驤の姿は見なかった。ただ、海を踏み抜く独特の、浮力を伴った衝撃が愛宕に伝わってきた。

 

 直後、その龍驤の艦爆が、勢い任せにニ級へ爆撃を敢行する。

 

 金切り声が宙を裂き、そのままニ級は火を吹き上げて真っ二つに切断される。

 

 ――それで、終わりだろうか。

 否、それでは決して終わらない。

 

 わざわざ中破にまで追い込まれたのだ。一隻で満足するのは、気概が足りないと龍驤は考える。一つではない――二つだ。

 

 駆逐ニ級エリートを、全て落とす。

 

 すでに賽は投げられた。宙に浮き上がる龍驤の牙、それがひとつであるわけではない。ここまで連戦を続け、それでも残ったいくつかの艦載機、それらが一斉に飛び立ち、空に居る。

 

 ニ級を落とすには、十分だ。

 

『――よっし! 撤収するよ、これでこの戦闘は十分だからね!』

 

 島風の声が無線を越して響く。でなければ届かないのだ。戦場であるということもそうだが、今その瞬間に、二隻目のニ級エリートが、海の中へ埋もれていくのだから。

 

『さあこれで全部の準備は整った。思い残すところはない!? あったら夜に、持ち越しだけどね!』

 

 一拍、置いて。

 続けた。

 

 

『夜戦、突入!』

 

 

 ♪

 

 

 島風達からの連絡が途切れて――夜戦への突入が決行されてから少し、満は先ほどまで食べていた飯が入った皿を机に投げ出して、椅子に体重を預ける。

 今現在そこには人がいた。満と、そして間宮である。

 

「ありがとうございます。わざわざ夕食を用意していただいて」

 

「長丁場ですからね。それに、もののついでという奴です」

 

 給糧艦『間宮』。日本中を飛び回る特殊な艦種の艦娘である。現在は満の鎮守府に寄港し、司令室を訪れていた。その理由は満に夕食を届けるため――ではなく、別の基地へ移動するための補給であるらしい。

 時期さえ合えば、士気を上げるために氷菓を振る舞うことも考えられているのだが、現在は主力が出撃中であるため、甘味を味わえるのはこれから彼女を護衛することになる第二艦隊の面々だ。

 

「それともう一つ、気になることが在るのですがよろしいですか?」

 

 これもまた、“もののついで”というものだろう。ふと思い出した、という様子で問いかける。

 

「構いませんよ。これから少し気が休まらない時間が続きますからね、どうしても――話し相手が恋しくなります」

 

 すでに夜戦は開始されている。向こうからの声は届くが、満からの声に、耳を傾ける余裕があるものはいないだろう。

 

「心中お察しいたします」

 

 軽く微笑んで、間宮が返した。人好きのする笑みだ。満でもなければ、思わず息を呑んでしまうかもしれない。元より彼女は、相応に美麗な容姿である。

 

「それで――」

 

「話というのはですね、間宮納涼祭のことなのですが」

 

 続ける。

 そして、それを聞いた満の顔が、見る見るうちに驚愕に変わる。

 

 呆然のようなものを、伴った。

 

「赤城さんがこちらで何か作業をしていましたよね?」

 

「……え?」

 

 ありえない、事だった。思わず問い返した満に、今度は間宮がポカンとしたようだ。

 

「いやえっと、納涼祭の最中は一切仕事はしないようにしているんだ。前日までに必要な作業は全て終了させて、最悪出撃の必要が出ても、あとは出るだけという準備だけはして。……書類も全て片付けてあるから……僕に話しの来ない書類が、残っているはずもないよ?」

 

「でしたら……いえ、それは言いのです。おそらくは個人的な手紙などでしょうから」

 

「そうだね、彼女はよくここを利用しているし、気分転換に司令室で手紙を書くこともなくはない。でも……」

 

 言いかけて、しかし口をつぐむ。気分転換が必要な手紙、というのは不可解だが、間宮の言葉には次がある。本題が片付いていないのだ。

 

「その時、少し様子が“不可解”だったのです。具体的に言えば、赤城さんはどうしてか“私がアイスを勧めても断った”のです」

 

「……まさか」

 

 ――心当たりは、在る。

 あの日、まず満は“赤城と共に間宮の氷菓子を堪能した”。そこで一人前と一流の話を二人でしたわけだが、ともかく。

 その後席を立った満が外に出ると、第二艦隊の艦娘達からミサンガをプレゼントされ、そして帰ってきて首飾り状になった方を去年の納涼祭で撮った写真の横に飾った。今も、今年の納涼祭の写真と去年の写真の間に丸められて置かれている。

 そうして外に出て、赤城と会話し、別れた。その後は昼食を金剛や北上等と食べて、それで終わりだ。

 

 おそらくは、満が席を立った後に間宮が訪れたのだろう。そうして、アイスを食べる事を断った。不思議に思いながら間宮はそこを後にして、そのままだ。

 とにかく忙しい彼女は、満に声をかける間もなかった。

 

 納涼祭からこれまで、赤城と言葉をかわして、その様子を近くで見て、今にして思えば違和感に思えるようなことが多くあった。

 一人前と一流に関する会話も。

 あ号艦隊決戦直前の、あの食事での赤城の様子も。

 

 そして、あの時の赤城の言葉も。

 

 

『――――赤城、行きます』

 

 

 行きます? 行ってきますではなく? 通常ならばともかく、赤城からしてみれば違和感の在る物言いだ。まるで、帰るという意思を放棄したような。

 

 間宮が去ってから、ずっとそんなことを考えていた。本来ならば気にするほどのこともない違和感かもしれない。だが、気にかけてしまえば、それはもはや不安としかならない。間宮は対してそれを重大だとは考えていないようだった。

 無論、それが本来は正しい。大食漢な赤城がその時に限って食事を拒絶した。それだけで終了することだ。――しかし、満にはそれがあまりに不穏なことに思えた。

 

 思い上がりであればいい。赤城を想うあまり、向こうの考えを勘違いした愚かな男であればいい。満が一人で恥をかくだけだ。

 

 だがもしも、そうではなかったとすれば?

 その満の思い上がりが、思い上がりではなく、本当の本当に、赤城にとっての転機だったとすれば、満は、あの会話で赤城の引き金を引いたことになる。

 イヤ、それは単なる契機であって、満自体が問題ではない。だがもしも、満の思うことを赤城が思っているのだとすれば――

 

 満が“一人前”になるために、必要なことを学び始めた時、まずかの『ミッドウェイ海戦』のことを知った。それが世界を変革させるほどの激戦であったことも、知った。その中で赤城が果たした役割も。

 そこで、赤城が満の思う通りのことを考えたのだとすれば、

 思い違い――そう、満の鈍い感情察知能力による勘違いであれば問題は解決する。何の問題はないのだから、解決したも同様だ。

 

 だが、どうしても満は最後の不安の一欠を拭えなかった。

 

 

『こちらにいたのですね、満さん』

 

 

 あの時、満にかけてもらった赤城の言葉。

 

 それが満の楔となってしこりとなって、心に残り続ける。不安として、在り続ける。

 

 

 ――その時だった。

 

 

 一つの通信が、赤城の声が、久々に満の耳へと届いた。

 

 

 <>

 

 15

 

 

 激戦から数年。赤城は第一航空戦隊と命名された日本海軍直属機動部隊の旗艦として活躍していた。相棒には加賀を据え、レイ沖海戦、マリア沖海戦を駆け抜け、そして戦果を上げた。

 

 とはいえ、長門を除く全艦が中破以上の大損害を受けたミッドウェイ海戦のトラウマもあってか、大抵の場合赤城が活躍したのは後方の制圧。大きな艦隊決戦の舞台ではなかった。

 当然ソレは、加賀にとっても同様である。

 

 しかし、結果としてそれが赤城にとっての休暇となった。正しいことと、間違っていることを決める。ある種電や、提督の宿題とも呼べるそれに、結論を出すこともできるようになった。

 

 ――戦いを終えて、無傷ではなくとも、生きて帰ってきた赤城に、加賀は鬼のような形相で噛み付いた。なぜあんな無茶をしたのかと、生きているからこそかけられる言葉を、あらん限り持ちうる限り。

 

 長門や陸奥からも責められたし、蒼龍や飛龍は、あまりのことに泣きだしてしまった。

 長かった一日の終わりは、夜に拡がった満天の星空と、数多の仲間が迎え入れてくれた。

 

 提督と、それからその妻の墓参りにも行った。誘いは提督の遺書の中にも記されていて、彼を惜しむ多くの軍人とともに、赤城は静かに黙祷を捧げた。

 

 激しくも、静かな一日が過ぎていくようだった。

 

 あれから五年、悩んで、悩んで、悩み続けて、そうして赤城はそこにいる。これから赤城は異世界からの来訪者である一人の少年を導き、一人前の提督としていくこととなる。

 

 それは赤城の願いでもあり、誰かに望まれたことでもあった。

 

 名前はそう、なんと言ったか――起き上がろうとしている提督の名を思い出しながら、これからのことに赤城は思いを馳せる。

 

 五年で、色々とけじめがついた。

 

 正しいことと間違っていること、その自分なりの結論と、そしてその行く先。電も、提督も、答えを出してくれる相手はもういない。

 それが正しいと、赤城は思うことにした。

 

 一度は、覚悟を決めて死を待った。その死は、誰かが赤城に与えたものだった。それはきっと提督で、赤城はその感情を疲弊させた。

 長い間無茶をして、その無茶が、提督という父のような存在を、失ったことで露呈したのだろう。それを振り払う方法などあるものか、すくなくとも現世には無い。

 

 そう、赤城は――




 ――次回更新、1月14日、ヒトロクマルマルにて。


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『31 あの空の果て』

 夜の帳が降りる頃、海の世界は反転を開始する。青に染まり狂っていたはずの水平線が、行き場を失い崩壊を始める。融け合うように、歪みあうように。

 さながらソレは、海が世界の全てとなったかのようだ。天も地も、それら二つがつながる先も、あらゆるものが黒に濡れた海となる。――海没。月の光だけが世界を照らし、星の光だけが道標となる。

 

「探照灯でも照らさないと、相手の居場所も分からないネ!」

 

 金剛の愚痴とも冗談とも取れない声が海に消える。そんなことをすればもはやその艦は的にしかならない。旗艦の島風ですら、それは渋るだろう。

 とはいえ、それが夜戦というものだ。久しく突入していないせいで、感覚を忘れがちになっているが。

 

 ともかく、戦闘開始だ。夜の海を回遊する敵艦隊の後方から、一気に追いつき砲撃を打ち込む。空母が完全な置物である以上、砲撃が分散されるという優位を除けば、敵艦隊と島風達の戦力は五分と五分。

 ここですべてが決まる。それを明らかとするためのこの夜戦だ。

 

 想定の未来を現実に変える。そのために、一刻の猶予もない。静けさだけが支配する海に、島風の声が響いた。

 

「我、夜戦に突入す!」

 

 

 ♪

 

 

 後方から敵艦隊を奇襲する関係上、第一に狙うのは敵の最後尾、つまりル級エリートとなる。しかし島風は、それをあえてしなかった。自身が艦列より離れ先行、まず敵艦隊の頭に出る。ル級フラグシップを狙うのだ。

 先ほどの金剛が行った“探照灯”ではないが、それは電探を持つ金剛達が、上手く距離感を測るための目印だ。同時に、敵艦隊の一撃を一度吸う、誘蛾灯の役割もある。

 

 ここでル級を沈め、更には敵の最後尾を残る三隻が一気に叩くための最低条件。

 つまり、これが島風の仕事だ。

 

 黒の視界にぽつんと浮かぶ何がしか。ル級達であることは、ここまで彼女たちを追ってきた島風ならば解る。後方、龍驤や金剛達に手を降って先行を開始した島風は、直後から最高速への加速を始める。

 

 夜の舞台を得意とする駆逐艦として、ここで引くという選択肢はない。

 

 連装砲、右手に伴う主砲を確かめて音を殺して――戦艦ル級の気を引くような音を出さないよう気をつけながら、それでも十分な速度で、敵を襲う。

 

 風が自分を通りぬけ、置き去りにされる感覚。島風はそれを知っている。海は、自分の感覚を引き出してくれる場所。生まれてから、今の瞬間まで、駆け抜け続けてきた場所。

 

「それを、たかだかバケモノごときに邪魔されるなんて、ゴメンなの!」

 

 音にはならなかったが、それでもその気迫は十分な声量だったと言えるだろう。その時にはすでに、島風は敵艦隊の中央にいた。

 声が合図になったわけではない、その直後、ル級が不自然に揺れる海面を見とがめた。最後尾のエリート戦艦が、敵の襲来に気がついたのである。

 

 ――雨の嵐が、始まった。

 

 情け容赦なく、音という音を殺しきるような圧倒的爆音。爆撃、全てが島風に集中する。身体を逸らした。最低限の動き。全てが島風を狙っているわけではないのだから、狙う一撃だけを焦点に、避けた。

 ル級の砲塔には、夜間での発射時に発生する火花を極力相手に察知させないような工夫がなされている。これは金剛達の砲塔も同様であるが、光が周囲にあふれると、それだけで敵に自身を悟らせてしまうのだ。

 

 だからこそ、火花を頼りに島風は動かない。彼女が目で追っているのは砲閃の軌跡。こちらに向かう物があれば回避に動くし、その周囲にあるものを、島風は目ざとく見つける。

 ――“煙”だ。

 

 夏の夜空に浮かぶ花火を眺めた事があるだろうか。花火大会において連続で打ち上げが行われる場合、その直前に火を吐いた痕、つまり“煙”が花火に照らされて浮かび上がることがある。

 花火の場合、それは光に満ちた夜空を邪魔する障害物だが、夜戦の場合は、それが敵の砲塔から放たれている以上、近くに敵が存在するという目印となるのだ。

 

 海での戦闘が、人と人型同士という、障害物の極端に少ない状況においてのみ効果を発揮する、艦娘と深海棲艦特有の敵艦隊判別方法だ。

 そしてそれを深海棲艦が行う習性はない。つまり、この方法が島風が戦場で戦艦四隻相手に持ちうる、絶対的なアドバンテージなのだ。

 

 駆け抜ける。この方法は長期戦に向かない、止めどなく吹き上がる煙がやがて周囲全てを覆うために。硝煙の匂いが、こびりつくように鼻をツンと刺した。

 もはや速度を抑える必要はない。あらん限りの枷を解放し、あらん限りの速度で前をゆく。島風を拘束するものは、何もない。

 

 南雲機動部隊が本格的に陽の目を見てから、速度を活かす機会はぐんと減った。艦隊単位での行動が主となったのだ。独断専行は艦隊の乱れを招く。昔の高慢な島風ならばともかく、今の島風にそれを行う意思はない。

 

 だからこそこの場で無理なく最速で動くことは、まったく彼女を縛らなかった。身体の軽さを自覚する。速度を持った自分は、こんなにも強く在ったのか。

 

 ――弱くなったのかもしれない。電――先代の――を失って、それから少しずつ艦隊を乱さない行動を身につけた。しかしそれは、駆逐艦としての島風の性能を極端に落としてしまうものではなかったか。だとすれば、島風は一体、どうして何を目標にすればいい?

 分からない。分からないが、とかく、今はこうして好きに動ける。最高の戦場で、戦える。

 

「それだけは、否定できないことだよね」

 

 正しさも、間違いも、全てを放り出して海をゆく。誰かは逃避と呼ぶだろうか。分からない。わからないからこそ、今は戦うしかない。

 

「電……どうだろ、一体何が、正しいんだろうね」

 

 “――あなたの選ぶことが、正しさなのです”。幻聴が聞こえた。島風にとっての電は親友だ。そう、電が語ることくらい解る。

 

「さぁ、さっそく私の一仕上げだよ!」

 

 砲塔を向けた。狙うは旗艦、フラグシップ戦艦ル級。

 

 だが、そこに島風は、ある事を悟る。吹き上がる煙が、その在り処を告げるのだ。――つまり、島風を狙い、一直線にフラグシップル級の砲塔が向けられている。外さない状態で、狙いを絞っている。

 

「ヤバッ!」

 

 即座に身体を横へ逸らす。危ない領域だ。回避は難しいかもしれない。最高速で動いている以上、移動もそうそう楽ではないのだ。

 勢い紛れに、進路を変える。急げ、急げ、焦燥が募る。回避か、激突か、もはや状況は、切迫していた。

 

「んっのォ!」

 

 前に差し出した右手を、空をかくようにしてなぎ払う。加速を得ていた島風に、それは単なる気休めではあるものの、やらないよりはましか、やらなければ前は見えないか。

 ――ル級、フラグシップの轟砲が、躊躇わず、とどまらずに飛び出した。

 

 空気がねじれ、えぐれ、かき乱される。暗く塗られた空白の海上、即座にその結論までが訪れる。

 島風の、横を、それは通り過ぎた。

 

 外した。思うよりも早く、島風が超々至近距離へと、手を伸ばし、到達する。

 逃さない。考えるより、“速かった”。

 

「……ダメだね」

 

 一言、声をかけたのは果たして、何を思ってのことだろうか。考えるまでもない、単なる掛け声。自身に活を入れるような、勢い任せの戦場の咆哮。

 

「全ッ然、ダメダメダメダメダメだよ――ッ!」

 

 この時、島風は始めて砲撃を行う。砲火行き交う戦場の中、島風の上方に黒と同一の煙が上がった。

 そして、

 

 

「HEY! おまたせましたネ! 夜戦突入、レディGO!」

 

 

 金剛の声が無線越し、そして海上越しに島風へ届いた。爆発し吹き上がる戦艦ル級フラグシップ。そして“それ”に連装砲を突きつけ、硝煙を匂わせる島風。状況は決していた。

 即座にその場を離脱、回避行動を取りながら金剛達に近づく島風。

 

 艦隊決戦の夜の巻、第二ラウンドのスタートだ。

 

 周囲が加速度的に戦場へ傾く中、赤城が吹き上がるかつてのフラグシップル級を、油断なく睨みつけるように視線を鋭くさせた。

 

 

 金剛はがむしゃらに、連打するように砲撃を叩き込む。

 吹き上がるのは主に副砲の一撃だ。主砲は連続して放つものではない。それでも、生み出される砲火の群れはニ咆哮。つまり敵艦隊と味方艦隊双方が弾幕と呼べるほどの砲弾を飛び交わしていた。

 

 ――どこからか、巻き上がった飛沫がほほに張り付く。煙の濃い匂いに、一瞬だけ塩の香りが混じって消える。直後、金剛が睨みつける視線の先を向いた砲塔が、周囲を轟かせ、かき乱したのだ。

 

 ぐわんぐわんと感覚が揺れる。海の揺れと、世界の揺れ、それだけではないだろう。戦場にいるという自分の感覚が、頭を割るかのように揺れている。

 たまったものではない。慣れるようなものではない。そも、慣れるように金剛はこの感覚を作り上げているわけではないのだ。

 

 あくまで戦場に立つ自分を異質であると認識するための独特の認識が生み出すのである。これは間違ってなどいない、正しく金剛が、戦場で常に感じてきた感覚だ。

 

 十年以上だろうか、長い間戦場にいてそれでもなお“慣れない”ための方策。戦艦として、彼女は長く戦場に居る必要があった。

 戦艦として、一心に期待を集める。期待を“背負わされる”。そんな中で生み出した金剛なりの戦場に自身を置き続ける術。それがこの感覚だ。身につけた当初はブレがあり、時には辛さを感じるものも在ったが、それでもだいぶ最近はマシになってきた。

 それはきっと満のおかげだろう。彼の言葉が、人柄が金剛に想いを与えてくれるのだ。

 

 そんな満へ向ける感情は、自分自身は愛だというがきっとそうではないだろう。おそらくは親愛、家族としての愛。なぜなら満へ感じる最も大きな金剛の感情は“親近感”と呼ばれるものなのだから。

 ありがたい限り。この感覚は忘れずに今の自分は夢をみる。やすらぎの夢を、誰かのために砲撃をする夢を――!

 

「ファイア――!」

 

 狙うは艦列最後尾。戦艦ル級エリート。当然だ。自在に速度を操る島風でもないこの艦隊は、未だ敵艦隊へ完全に追いついた訳ではない。少しのズレがある。よって、集中的に砲戦を向けるのは、もっとも手近で、狙いやすい最後尾だ。

 

 艦隊の二列目にあたる金剛だけではない、三列目、四列目に並んだ愛宕、北上も砲撃を開始している。覆うような、弾幕だ。

 見惚れるようだと少しだけ考えて振り払う。必要ない思考だ。無論、同時展開する戦闘用の思考は存在するわけだが――

 

 冷静さを保つための金剛が動かしている俯瞰思考が横道に逸れた時、北上と愛宕の砲弾が、同時にル級へ突き刺さったように見えた。爆煙を拭きあげる。つまり、姿が明るみに出たというわけだ。

 煙を見るという島風のような方法は取れない。金剛は長年の感覚からある程度あたりを付けられるが、北上や愛宕はそうも行かないだろう。

 結果として、これが金剛達への福音となる。

 

 それなりには解るとはいえ、完全には解るわけではなかった感覚の砲撃をやめ、即座に砲塔を回転させ弾道を修正する。この速さはさすがに歴戦の艦娘と言ったところか、一切のよどみなく金剛は砲撃を放つ。

 

 一度、外した。

 少しだけ、修正する。これは完全に手先の問題だ。一ミリのズレが、砲撃を外す。金剛のソレを間近で見ていた愛宕が砲塔を更に前方のル級へと修正する。

 意味するところは、もはや次は必要ないという、宣告。

 

 金剛の意図を理解し、それを即座に行動に移すのだ。

 

 愛宕は若い。この中で、三年も艦娘として行動していないのは彼女だけだ。ほとんどの艦娘が五年近い間戦線を駆け抜けるベテランである。特に大ベテランであるところの金剛からみて彼女は未だ未熟だ。しかし、誰よりも才能に溢れていると言える。

 特にこういった時での察しの良さは随一で、頭の回転、特に戦術策略のたぐいは、彼女の十八番だ。

 

 まだまだこれから、だからこそ前に進んで欲しい。これは――自分が、彼女のために道を切り拓く一撃。――否、彼女だけではない。満や、南雲機動部隊の皆が、前に進むための一撃。

 

「――ハァァァアアアアトッッ!」

 

 砲撃に負けないような心胆を震わせる声で、告げる。

 戦艦ル級に対する――チェックメイトの一言を!

 

 

「バァァァァニィイイイイイイイイイン!」

 

 

 膨れ上がるように、言う。

 たたきつけるように、爆音が響いた。

 

 

 残るは、ル級エリートが二隻。すでに旗艦を轟沈させ、ほぼ勝利が確定するなか、いよいよ戦闘は大詰めに差し掛かっていた。

 二隻のウチ後方、現在の島風達に近い側の戦艦ル級に全艦娘の砲火が殺到する。もはや弾丸の潮流と化したそれは、ル級エリートの身体を幾度も抉る。

 

 現実における駆逐艦や重巡等とは違い、オカルトに近い存在である艦娘は、夜戦においては特殊な火力の強化が行われる。それは主砲に魚雷、副砲などの装備を全て一斉に、ひとつの砲撃に集約させるかのようなものだ。

 それが在る限り、夜の戦いで、駆逐艦が戦艦に致命打を与えるなど、常識の光景に成り下がる。

 

 無論それは出処を同じくする深海棲艦も同様であるが、夜戦の場合、戦艦は火力の集約を行えない。行おうにも、集約する魚雷火力が存在しないのだ。

 

 故に、一撃一撃が致命打と化した島風達の砲撃に、ル級は為す術もない。返す刀の主砲も海へそれ、金剛が身を寄せて回避する。

 だがそうだとしても、ル級が単なる的で終わるはずがない。

 ありえないのだ、そのような事態。

 

 沈まない。

 ル級は未だ、健在である。――一発が決定打となる状況で、回避に全霊をつぎ込み、実をすり減らして直撃からダメージを遠ざける。もはやそれは、亡霊の如き執念であった。ただそこに“在る”ためだけの存在は、それだけを存在理由に、無茶無謀に染まった回避行を敢行する。

 避けられるものではない、だが、避ける。もはや両手に備えられた装甲は、無残に引き剥がされていくつかの砲塔がむき出しになっている。

 

 それでも、耐えた。

 ただ生にすがりつくという、あまりに矮小な存在理由を果たすために。

 

 だからこそそれが、最後の深海棲艦の活路であり、反撃の糸口となる。

 砲撃を集中させるということは、もう片方の深海棲艦を御座なりにするということだ。速攻による電撃戦であればそれはなんら影響を持たなかったであろうが、もう遅い。

 島風達は、執念の塊に時間をとられすぎた。もう一つの執念。戦艦ル級エリートが主砲を島風へと向ける。

 

 わかってはいた。そうなるということくらい。

 覚悟はしていても次に起こる状況は変わらない。莫大な衝撃を想い島風は歯を食いしばる。それが意味を成すことなど無いということも知らず。

 

「――北上さん!」

 

 突如として、愛宕の声が海域に響き渡った。

 島風を狙うル級の主砲を察知したのだろう。だが、その意図は――? 汲み取ったのは、愛宕の後方に立つ北上だけ。つまり、それは“奇策”というべきものだ。

 

 全体においても高速で前進する艦隊。しかし、それを追い抜くように愛宕は全力で全身を開始する。狙いは単純。自身の存在によって敵艦隊を釘付けにする、それだけだ。

 

 ――否、それは単なる事象のオマケにすぎない。愛宕の狙いはそこにはない。ただ“守れたからついでに守った”という程度のもの。

 そう、龍驤が中破など気にすることなく攻撃を選んだように、誰もが勝利のために、それ相応の無茶をするように。

 愛宕にとってはこれが、自分にできる精一杯の無茶だったのだ。

 

「愛宕――!?」

 

 後方から島風の声がする。気にすることはない。砲塔は、すでに敵を向いている。この距離ならば。

 

「大破でもしない限り、外れるなんてありえないんだから……ッ!」

 

 戦艦ル級の砲撃は、重巡の装甲を貫くことはありえない。現状で、ル級が愛宕達に一撃を通すチカラはない。それが、すでに中破寸前の、ル級エリートであれば尚更だ。

 そして、愛宕が狙うのは、無傷で佇む前方のル級。

 

 砲塔全てを一列に並べる。愛宕が放つ最大火力。重巡の、夜における特殊なブーストは、戦艦の装甲など、豆腐のように打ち砕く。

 爆発は、二度起きた。一つは愛宕を包み込み、一つはそこから吹き上がる黒煙を切り払い、海上に身を躍らせた。

 

 直後、それに北上が続く。金剛の至近弾が戦艦ル級に中破を叩き込んだのを夜目に刻み込んだ北上は、愛宕と同様艦列を離れる。

 狙うは超至近距離からの砲撃。

 重雷装巡洋艦の、特大全門魚雷攻撃。

 

「愛宕っちはこれからもっと強くなる。島風や、龍驤、金剛に赤城。そして私の栄光のために! アンタ達はここで沈め!」

 

 普段の彼女らしからぬ声。

 今、この場所に居るということの実感と、喜びと、そして希望と。これから先、どんなことが北上の身に訪れるかは知れない。それでも、かつて、あの地獄のような基地でもう一人の重雷装艦と肩を並べて縮こまっていた時よりも、それはずっといい未来のはずだ。

 

「この栄光を怨念で塗り替えるんじゃないよ! これは、私たちの希望が生まれるために存在するんだ!」

 

 この日、この時、この瞬間。

 南雲機動部隊の黎明のために。

 

 戦艦ル級は、海へと帰る。

 

 北上の魚雷は外れない。外れるような距離で解き放たない。

 爆裂し、炸裂し、激烈が、黒の世界を覆い尽くした――

 

 

 ♪

 

 

 こうして、南西諸島周辺を支配していた深海棲艦艦隊は壊滅した。南雲機動部隊の活躍に寄って、一つの航路が切り開かれたのだ。

 それはここ数年戦線を後退させていた日本海軍の福音となるだろうし、それにより、次なる狙いも、はっきりしてくることだろう。

 

 誰もがその一瞬は勝利に浮かれた。

 だからこそ、気付くものはただ一人しかいなかった。その一瞬を、頑なに待ち続けた、在る一人の艦娘を除いては。

 

 ――南雲機動部隊の黎明は終わった。

 機動部隊は、誰もが認める艦隊になった。ゆえにこそ、これから始まるのは、激闘だ。ただただ先の見えない、戦争と呼ぶべき戦争だ。

 

 それは、通信。

 

 たった一つの通信から始まる。

 

 赤城から満へ向けた、本当に小さな一つの言葉。それが戦いの火蓋を切る。

 

 

 そう、

 

 

 たった一言。

 

 

 ――――――、

 

 

 ――――満さん。

 

 

 ――――――、

 

 

 ――――ごめんなさい。

 

 

 ――――――と。

 

 

 ――こうして、

 

 南雲機動部隊の、長い長い、戦いの日々がここからはじまる。

 

 

 <>

 

 16

 

 

 ――――赤城は、海に沈むことを選んだ。




――――第二部「南雲機動部隊の凱旋」――――

二月下旬連載再開予定
Coming Soon...


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-第二部 南雲機動部隊の凱旋-
『00 戦後』


 在る年の某月某日。その年の秋が老け、終わりを告げようとしている頃――一航戦と呼ばれ、日本が誇る正規空母赤城は轟沈した。

 戦闘中、轟沈したと思われていた戦艦ル級フラグシップの一撃を受け轟沈。

 

 それは誰の目から見ても明らかな提督の失策であり、失態であった。弁解の余地も一切なく提督――南雲満はやり玉に挙げられる。

 

 

 はずだった。

 

 

 本来であれば問題の責任を全て背負わなければならないはずの満が、しかしその責をあくまで“一端”とされるほど、その出来事は衝撃を持って海軍を駆け巡った。

 

 内容は単純だ。

 赤城の轟沈に対し、海軍上層部の一部が“赤城自身と”合意していたということだ。

 イレギュラー的に満が鎮守府に着任することが決定――言い換えれば認識された時点で――赤城は一部の影響力を持つ海軍の人間と接触を持ち、轟沈を前提として、赤城を配備することを了解していた。

 

 言ってしまえば彼等が赤城を沈めたようなもの。赤城に沈む意思が合ったとはいえ、それを否定することはできない。

 

 赤城自身が海に還る事を選んだのは簡単だ。艦娘は海に還ることで、一切の怨念を持たなければ新たに艦娘として転生するのである。

 そうでなくとも、轟沈した艦娘の装備は、新たに引き上げることが可能であるのだ。艦娘が出撃するということの中には、轟沈した艦娘の換装をサルベージするという意味も存在するのである。

 

 解体し、新たに建造するよりもそれは簡単で、彼等はそれを、肯定し促進することを望んでいた。

 艦娘は兵器である。そんな兵器に、わざわざ退役後の金をつぎ込むのは非効率極まりない。――兵器は兵器らしく、“使われていれば良い”のだ。

 

 外道の考えでは在る。しかし、一定の支持があるのは確かだ。対外的にはともかく、内外的な海軍内部ではそういった声は小さくない。

 結局のところは自尊心の問題だ。娘子どもに世界を守らせて、自分はただふんぞり返っているだけ、不甲斐なさがやがて八つ当たりのように艦娘へ向くことはよくあることだ。

 

 ただし、この考えを持つ人間のほとんどは七年ほど前に一掃されているため、赤城と取り決めをしたのはその当時一掃されることのなかった極少数の人間だけなのだが。

 

 それでもその少数は大きな影響力を海軍に対して持っていたし、そんな彼らが“満を提督とすることに反対していた”ことも事実である。

 

 明らかにしてしまえばその構図は簡単に理解ができる。

 

 約二年前、赤城は一部の海軍上層部と密約を交わした。それは赤城が海に沈むという内容であり、それぞれが狙いあっての事だった。

 上層部側は赤城が轟沈すれば満を排除する大義名分を手にする事ができる。赤城は精神的疲労から開放される。少なくとも両者はそういった認識で約定を交わしていた。

 

 しかし、それは赤城の策であり、彼女の轟沈直後、一人の艦娘によってその事実が明るみになってしまった。

 その艦娘とはかつての同僚、一航戦加賀であり、彼女と赤城は日頃から手紙のやり取りをしていた。この時代に文通など時代錯誤も良い所だったが、それには情報の流出を守るという意味があったのだ。

 加賀に対する赤城の手紙は、海軍上層部の暗躍を指し示す多くのヒントがあり、そのヒントを“赤城の轟沈”という結果で悟った加賀は、即座に証拠を入手――赤城が保管していた――白日のもとに晒した。

 

 結果、満に対するバッシングはある程度消滅することになる。バッシングする側がそのままバッシングの対象になるのだ。

 

 とはいえ、満に対して何のお咎めも無かったかといえばそんなことはなく、彼は北の警備府、今回の件で加賀に手を貸した長年の友である提督の下、北の警備府副司令という立場に“左遷”させられることとなった。

 ただし、その際満の鎮守府はそのまま存続、その司令は北の警備府提督が担うこととなるが、実質的な運営指揮は満となった。

 

 これは満自身がそうするべく行動した結果で、満の鎮守府と北の警備府は実質的に合同で指揮が取られることとなる。

 狙いは単純で、提督としての知識が乏しい満が北の警備府から教導を受けるというものだ。

 

 何も不思議な話ではない。満は一人でも十分に一人前の知恵を手に入れることはできるだろう。その程度に彼は優秀で、否定しようのないものだ。

 しかし、だからといって誰かに教えを請わず、もくもくと一人で知識を蓄えるような非効率をするほど、彼の心情は特殊ではなかった。

 

 プライド以上に上昇志向が高く、上昇志向以上に完璧主義が多く見られる。少なくとも満はそうだ。最善を、最善を、その場その場で求めるのは、彼の一種のあり方である。

 

 まさしく激動であった。満が北の警備府に“左遷”されることが決定し、事態に一定の鎮静が見られるまでおよそ一ヶ月。満はほぼ出撃をせず、事態解決に奔走していた。

 

 

 ――ここに、感情を持ち込むべきではないだろう。

 

 彼らの感情は秘されるべきものだ。満だけではない、親友を失った加賀も、そして北の警備府提督にとっても、それは思うことがあまりにも大きかった。

 事態の落着に走り回っていた満が決してそれだけを思い続けていたはずがない。

 

 親友からのヒントを元に、真実を曝け出した加賀が、それだけを想いに糾弾を行ったはずがない。

 

 失われてしまったもの。赤城という正規空母を喪失したことは、誰からも惜しまれる事実である。そして同時に、赤城という女性がこの世から失せてしまったことは、満たちにとって小さくない楔となるのだ。

 

 それを単なる一つの事象として語る事はできない。

 語るべきではない。

 

 全ての物事に終わりはある。しかしその終わりが、今である必要はなかった。ただ、それだけのこと。

 

 そして、語るべきことは何もそれだけではない。艦娘達のことだ。一連の騒動が終結し、満が精力的に提督としての経験を積み始めるに連れ、半分ほど麻痺していた鎮守府も元通りの機能でもって再開された。

 

 違いは、赤城の不在に拠る資料の滞りであったが、全力出撃のない現状で、それは大きな問題とならなかった。

 時間だけなら腐るほどあるのだ。満がそうであるように、全員少しずつ、前に進もうとしていた。

 

 目新しい変化があったのは龍驤だ。大規模な改造が行われ、追加兵装のスロットを一つ増やすことに相成った。

 他にも金剛も、改造はすでに行われているものの、前々から行われていた近代化改修がついに終了、完全な状態に至った。なお、今後さらなる改造が行われる可能性もある。

 

 また、愛宕の近代化改修も大幅に進み、北上の追加改造も決定している。

 

 更には鎮守府正面海域の哨戒も本格的に開始され、それに際し第六駆逐隊の面々も随時改造が行われた。現在では相当に練度も向上し、演習を目的とした遠征であれば、旗艦を任せられるほどだ。

 これはすなわち第六駆逐隊が第三艦隊以降の旗艦を務める事が可能になるということであり、近い将来、暁達はそれぞれ別の基地に配属され、艦隊の旗艦などを行うようになることだろう。

 

 ――あ号艦隊決戦、通称『沖ノ島海戦』から三年。かのミッドウェイ海戦からは、すでに十年の月日が経とうとしていた。

 満達はそれぞれの思いを胸に抱えて、前に進むことを選んだ。

 

 そうしてこのたび、満達は西方海域への進出を決定。同時期、かねてより北の警備府が守護していた北方海域に出現する深海棲艦が活性化の兆しを見せる。

 この三年、大きな海戦と呼べる海戦を満達が経験することはなかった。しかしこの脈動により、大きく波は蠢き始める。

 

 新たな戦いが、幕を開けようとしていた。

 

 

 ♪

 

 

 超高高度飛行用旅客機――主に、この世界の翼を担う飛行機は、ほぼすべてが超高高度、大気圏直近ほどに上昇し、飛行することに特化している。これは深海棲艦の制空権から逃れるためで、彼女たちは通常の戦闘機しか空の武器を持たない。この旅客機はその領域を避けて通るため、この世界独自に発展した技術であった。

 

 少なくとも、必要に駆られ開発されたそれは、かつての満世界の旅客機以上に高性能だ。

 

 かくして、そこから降り立つ者が入る。白の制服は、日本海軍特有の者。三年前は多少癖のある髪をそのままさらけ出していた頭上に、今は海軍指定の軍帽が収まっている。

 三年という歳月を持っても、彼に肉体的な変化はない。当然といえば当然のことで、彼は軍艦、この世界に於ける艦娘と同様、その姿を艦齢によってしか変化させない。

 三十年か、四十年か、生きていけば彼の人間ではない部分の機能が停止、人間として成長することができるようになるだろうが、今の彼に変化はない。

 しかし、どこかその顔立ちは三年前とは違っている。理由は『眼』だ。彼の目つきは、三年前とは比べ物にならないほどチカラに満ちている。

 

 

 ――南雲満。提督としてそれなり以上の経験を積んだことが、彼に少しだけ成長と呼べるものを加えていた。

 

 

 伴って、旅客機から降り立つ者が入る。

 二名。どちらも目を引く容姿の少女と女性だ。満の後ろから、それを追い抜くように駆け抜ける少女、島風と、更にその後ろから満に並ぶ女性、愛宕だ。

 この組み合わせは中々珍しいものがあるが、今回はこれで問題ない。

 

 現在満達は北に警備府にやってきている。

 目的は単純で、今日は北の警備府司令が席を外しているために、代理で警備府の運営を行うためだ。これは通常であれば異例のことだが、満が“一応”“名ばかりとは言え”“形式的には”この警備府の副司令であるため、そこまで珍しいことではない。

 

 満の鎮守府はかなり日本の南方にあるため、頻繁に北と南を行き来することは、中々負担では在るのだが。

 

「とーっちゃく!」

 

 島風が楽しげに言う。彼女と愛宕がここに来るのは、単純にその必要があったからだ。今回の目的は北方海域一部、モーレイ海の哨戒。現在主力艦である軽巡二隻が提督に連れ添い警備府を離れているため、主力艦隊を形成するための援軍が必要だったのだ。

 

「こらこら、あんまりはしゃぐのは良くありませんよ」

 

「具体的な例を出さないのは言葉の説得力を欠くんじゃない?」

 

 愛宕の言葉に、島風はなんとはなしに反論する。

 

「落ち着きが無いのは少し印象が悪いわ、あなたは私たちの旗艦なんだから。それに――」

 

「……うわわぁ!?」

 

 続けようとして、しかし島風がそれを遮るように声を上げた。直後、思い切り鈍い音が響き渡る。はしゃぎまわっていた島風が体制を崩し、ひっくり返ってしまったのだ。

 

「――そこ、凍ってるわよ?」

 

「先に行ってよー!」

 

 島風の抗議に、愛宕はあらあらとふんわりした笑みを浮かべる。しかしその実表情は笑みによって覆われ仮面のようだ。艦娘としての経験を積み、どうも最近はそう言った振る舞いが板についてきた。ついてしまった。

 

 満は軽く嘆息し、島風を引き起こすと、手に持っていたコートを手渡す。支給品で、今現在愛宕が着ているものと同様のガウンコート。

 

「そもそも、その姿でここはキツイ物があると思うけれどね、まったく」

 

 咎めるようではないものの、コートを渡す手はお座なりだ。真正面からそれを島風も受け、「わぷっ」と思わず声を上げた。

 

「えー……? ってさむ、なにこれ、超サムイ!」

 

「当たり前だ。今は冬の間近だぞ」

 

 いそいそとコートを着こみながら島風は満の横に並び、三人は連れ立って進むことになる。空港から海の港までは距離がある。送迎の車が外に来ているはずだ。

 

 高高度飛行の飛行機は、軍の所有物であるため、中には島風達の換装も詰め込まれている。それを改めて受け取り外にでる。

 今はまだ長期休暇の時期ではないため人通りは少ないが、無いわけではない。この中から人を探すのは手間のかかる作業と言える。

 

 すでに幾度か似たような事をしているので、満は慣れたものであるが。

 

 三人がそれぞれに人通りをかき分け――というよりも、島風達はそれなりに名の知れた艦娘だ、周囲が勝手に道を開ける――やがてたどり着いた先に、どうやら自分たちを待っている者がいるようだった。

 

 顔はもはや見知ったものだ。

 顔を合わせれば、すぐに互いが目的の人物であると知れた。

 

「――南雲提督!」

 

 軽やかな女性の声。彼女にとって満は副司令という立場ではあるが、色々な事情が重なり、これが楽だからとそう呼ばれている。

 やはり“彼女”がいつものように満を待っているようだ。

 

 それもそう、援軍に金剛がいない理由。

 “彼女”は秘書艦を務めるが、同時に艦隊の切り札でもあるのだ。よって、基本的には出撃の予定がある場合、軽巡二隻が秘書艦を代行するのである。

 

「やぁ、待たせたね」

 

 満が軽く手を上げてそれに答える。

 愛宕と島風もそれぞれ仕草で挨拶をして、さらに満が告げた。

 

 

「――榛名」

 

 

 金剛型の三番艦。日本が誇る四隻の高速戦艦のうち一翼にして、北の警備府旗艦。

 

 “榛名”。

 

 それがその少女の名前であった。




本再開は2月17日ヒトロクマルマルとなります。


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『01 榛名』

 戦艦榛名。

 金剛の妹にして、北の警備府が虎の子。満が北の警備府に足蹴よく通うようになって以降、彼女とはそれなりの付き合いがあった。

 とはいえ金剛のように――最近は、どこかよそよそしさが目立つが――濃密なスキンシップを取っているわけでもなく、ごくごく通常の、いうなれば親しい同僚程度の付き合いが続いていた。

 

 提督と艦娘の関係は、上司と部下かといえばそうでもなく、艦娘は戦闘員である部下と同時に、日本の戦力を担う守護者でもあるのだ。

 指示する側とされる側。

 守られる側と守る側。

 これらが相殺しあって、満の場合、大体が対等の関係で結ばれるようになっていた。――ちなみに通常の提督は、ここに年上と年下という関係が混ざるため、提督の方が目上に扱われることが多い。

 

「それでですね、お聞きになっているとは思いますが、軽巡の五十鈴さんが転属になって、新しい軽巡洋艦が配備されることになりました。今度ご挨拶に伺うと思いますので、よろしくお願いします」

 

 事務的なことではあるが、榛名の優しい物腰もあってか、それはさほど堅苦しくはない。満も満足気に頷くと、少しばかり笑みを浮かべてそれに応えた。

 

「あぁ、了解した。五十鈴も壮健でやってくれればいいけれどね」

 

「大丈夫ですよ、あの子は強い子ですから、きっと優秀な軽巡洋艦になってくれます」

 

 後に五十鈴は二度目の改装が決定、軽巡の中でもトップクラスの対潜能力を有する対潜のプロとなるわけだが、それはまだ先の話だ。

 

「それともう一人、祥鳳さんと入れ替わりで入ってきた艦娘がいるんでしたっけ?」

 

 愛宕が、更に追加するように問いかける。榛名はくるりと愛宕へ向いて――現在、満達は警備府に到着、司令室に向かっていた――ニカリとはにかんだ。

 

「そうなんですよ。軽空母の人が入れ替わりになったんです。素直ないい子ですよ?」

 

「楽しみだわ、どんな艦娘なのでしょう」

 

 華やかな笑みで応えて、歩を進める。現在島風はここにいない。警備府到着直後に飛び出して、すでに司令室へ到着しているはずだ。

 

「では、早速ですが今回の哨戒について簡単にお話させていただきます。よろしいですか?」

 

 ――唐突に、というほどではなかったが、さらっと話題を切り替えて榛名が言う。満としてもそれに否はないと首肯する。愛宕は無言だ。最近の彼女は、どこかかぼんやりとしているものの、その思考を見透かすことが難しくなっている。

 端からあきらめている満には、さして関係のないことではあるが。

 

「北方海域に深海棲艦の大艦隊発生の兆候あり、大いに警戒されたしとのこと。西方海域進出戦が控えるこの時期に、あまりうれしい事態ではないですね」

 

「西方海域は各地に点在する艦隊の各個撃破が基本的な方針だから、それほど難しいことではない。作戦に支障はきたさないさ」

 

 北方海域は現在、日本――ひいては人類側が制海権を有する海域の一つだ。常に警戒がされ、北の警備府は主に北方海域の守護を目的として設置されたのだ。

 そこに深海棲艦の部隊が侵攻してきた。南西諸島沖が奪取されたことにより、北を手に入れる事を目標としてきたか、はたまた何かの前哨戦か。

 

「詳しい敵の戦略はともかくとして、まずは目の前の敵だな。モーレイ海周辺に出現したのだったかね? 各艦に即座に出撃可能となるよう連絡しておいてくれ」

 

「了解しました。それでは――」

 

「あぁ、出撃準備ができ次第司令室に集合。そこで詳しい話をしよう。特に、軽空母の艦娘には至急司令室へ来るよう通達するよう、頼むよ」

 

 続けて、満は榛名に問いかける。

 

「そうだ、改めてその軽空母の子の名前を教えてくれるかな? こちらでも確かめてきたが、記憶というのは曖昧だからね」

 

「そうですね。その子は――」

 

 駆け出そうと身体を反転させ、その態勢で満の言葉に耳を傾けていた榛名が満の方へ身体を向ける。

 一拍、間を置いてそれから、満とそれから愛宕に、その少女の名を告げた。

 

 

「――祥鳳型二番艦、瑞鳳です」

 

 

 ♪

 

 

 軽空母、瑞鳳。

 確か史実において軍縮条約の関係から即座に空母に改造可能な艦の建造計画にそって設計された『高崎』が全身にある空母であったはずだ。ちなみに祥鳳は『剣崎』である。

 こちらの世界ではなんとミッドウェイ以前から現役で活躍する大ベテランの一人だったはずだ。なんでも榛名とは同世代だとか。

 

「そういうわけですから、よろしくお願いします。えーっと」

 

「南雲だよ。基本的に、僕は南の鎮守府を預かっているからね、呼び方が複雑なんだ」

 

「あはは、何だか少し不思議ですね?」

 

 小柄な姿は軽空母らしいとも言えるが、一応の姉にあたる祥鳳は、どちらかと言えば長身ではあるので、単純に彼女の特徴なのだろう。

 

「提督ではあるから、南雲提督が妥当だろう。名前負けの感が拭えないけれどもね」

 

 それを言ってしまえば南雲機動部隊に関しても、名前負けはその通りなのだろうが、それはそれだ。そもそも、正規空母四隻という大盤振る舞い艦隊と、この世界における一基地の主力艦隊を同一視してはいけない。

 

「さて……榛名、地図を出してくれるか?」

 

 挨拶を交わせば、後は出撃の準備だ。作戦会議というほど上等なものではないだろうが、ある程度の話はしておくべきだ。

 司令室の本棚に押し込められたA4サイズの本。表装の薄さは雑誌のようだが、正確な地図だ。パラパラとそれをめくり、北方海域の地図を持ち出す。

 同時に黒いボールペンを取り出すと、ペン先を取り出さずに日本の横線を平行にして描く。

 

「まず前提として、現在この北方海域は現在僕達人類側に制海権がある」

 

「南の戦闘が激化しているぶん、こちらが手薄になっていることもあって、ここ十年大きな戦闘はありませんでした。哨戒も、楽だったのですけどね」

 

 榛名が苦笑気味に語る。満もそれに合わせるように音のもれない笑みを浮かべると、見開きの内右ページ、東側を丸く描いて示す。

 ほぼ右ページ全てを大雑把に円で囲む。特に意識もせず、だ。

 

「そして現在、この辺りに敵の戦力が集中している……とされている。また主力艦隊が駐留しているとすればこの左端だろう。どうしても米国が大西洋に意識を向けている分、守りが手薄になっているようだ」

 

 深海棲艦は絶えることなく、世界のあらゆる海域を闊歩しているのだ。たとえ世界の米国といえど、そうそう全てに注力できるわけではない。

 

「今回僕達が哨戒をするのはモーレイ海。北方海域の入り口も入り口だ。定例でしてるものだからな、そこまで危険な出撃はできない」

 

 無論、そこに強力な部隊が進行しているということはすなわち、北方海域に大艦隊が出現したという意味だ。危険であることを懸念する以上に、そこまで行けば十分という意味合いもある。

 最低限、あくまでこれは最低限の出撃なのだ。

 

「旗艦は島風、それ以降の並びは順に瑞鳳、榛名、愛宕、そして――」

 

 ちらり、と視線を向ける。この北の警備府には主力艦隊として戦艦一隻、軽巡二隻、軽空母一隻、そして重巡二隻を保有している。

 今、満が意識するのはこの内の重巡二隻。

 

 どちらも、顔ぶれは配置転換前と変更されていない。見知った顔だ。

 

「――“青葉”、最後に“利根”とする」

 

 重巡洋艦。青葉型一番艦青葉。そして利根型一番艦利根。それぞれネームシップである。両者は即座にきれいな敬礼をして。

 

「はーい! 青葉、任されました!」

 

「うむ、吾輩が殿を努めてみせるぞ!」

 

 勢い紛れに返事を返す。

 良い返事だと、満足気に満は大げさな首肯をする。

 

「ふふふ、やはり吾輩が索敵をしなければ戦闘は始まらんな。腕がなるぞ」

 

「もう、イヤですねーお利根さん。索敵は瑞鳳ちゃんがやってくれますって」

 

 自慢気な利根の言葉に、青葉は笑顔で反論する。声の調子はテンポ良く、会話好きの軽口といったところか。

 しかし、利根としてはそれは中々どうして感情をくすぐる物があったらしい。即座に食いつくと、激しい剣幕で青葉に詰め寄る。

 

「ええい! 索敵と言えば吾輩じゃろうが! 索敵せずして何が利根か。吾輩を愚弄するか? 良いぞ、決闘だ!」

 

 ビシィ! と、突然指を突きつけるのは青葉――と瑞鳳。どうやら青葉の言葉に琴線が触れて、その対象は瑞鳳にも及ぶらしい。

 

「えぇ!? わ、私ですか!?」

 

 思わずのことに加えて、瑞鳳自身、どちらかといえばおとなしい性分だ。わたわたとして青葉と利根を交互に見やる姿は、ある種、小動物的と言える。

 

 即座に言葉を返すのは青葉だ。キラキラした笑みは、瑞鳳のような人懐っこさはあるものの、青葉には遠慮というものがない。

 

「いえいえー、むしろ私、お利根さんのこと尊敬してるんですぅ! 索敵がお得意なお利根さんなら、当然砲雷撃戦もお得意ですよね!」

 

「お? う、うむ」

 

 機関銃の如くまくし立てる言葉は、おだてるようであれ利根を賞賛するものには変わらない。怒りに近い感情と、急に湧いて出た気恥ずかしさ。複雑な二つの感情螺旋から、利根はなんとも言えない微妙な笑みで、頬をかいた。

 

「さぁさ、張り切ってまいりましょーぅ! 青葉、お利根さんのいいとこ見てみたーい!」

 

「……うむ! フハハハハ! 任せろ青葉、吾輩こそが北の警備府主力重巡! 青葉よ、ついてこい!」

 

 大げさな高笑い。利根もギアが上がってきた――以上に、青葉に完全に乗せられている。現在利根は青葉に背を向けて彼女を連れ立つようにしているが、とうの青葉はしたり顔で黒い笑みを浮かべている。

 

「え、えっと、あのう、えっと、そのー」

 

 置いてけぼりにされているのは当然、瑞鳳だ。展開は急転直下、利根もちょろいというレベルではない。

 新参者で、しかもいきなり絡まれたのだから戸惑うのは当然だ。

 

「て、提督ー」

 

「あまり気負わない方がいいぞ? うん、気負わない方がいい」

 

 軽く腕時計で時間を確かめていた満に、助けを求めるとにべもない返事が帰ってきた。端的に言えば、時間にはまだ余裕はある。好きにさせていてもいいだろう、と言ったところか。

 完全に投げている。この三年間、満は提督としてのスキルを高める傍ら、スルースキルも向上させていたようだ。

 

「は、榛名さん?」

 

「はい、瑞鳳さんも大丈夫ですよ!」

 

 続けて助けを求めた艦隊旗艦は、まるでなんでもないかのように笑みを浮かべる。ニコニコと、慈愛の笑みだ。

 

「え、えっと……」

 

 島風は――つつ、と距離を取っている。関わりたくない、という意味合いだろう。そして最後の一人、柔和な笑みは榛名に近い。愛宕だ。不思議とそこを感じさせない大物そうな笑み。

 期待を込めて、愛宕に声をかけた。

 

「え、えっと――」

 

「うふふ」

 

 ダメだ。

 何だか分からないが、この人はだめだ。直感が告げる。嫌悪感とはまた違う、関わることに焦燥を覚えるような雰囲気。

 なんと言えばよいのだろう。身も蓋もない話を言ってしまえば、きっとこの人も島風と同様なのだろうが。ツツっと視線を逸らす、こちらから頼りたく無くなってしまうような島風に対し、愛宕は真逆だ。

 頼らせようとしない。協力はしても、依存はしない――と。

 

 いやいや違う。これは違う。間違いない、この愛宕という重巡は――“なんとなくシリアスな雰囲気”を醸しだしてギャグ空間の瑞鳳から隔絶されようとしている――!

 

「フッフッフ、瑞鳳よ。見ておれ、この吾輩が! 重巡洋艦利根が! 必ずや最高の勝利を届けて見せようぞ!」

 

 ――絡まれている!

 いつの間にか、利根がすぐそばに居る。チラリと青葉をみると、視線が合った。“メンゴ”? ふざけるな。

 

 気が重い。

 驚くほど気が重い。

 

 多分、悪い人ではない。悪い場所ではない。何せ提督はとても親身で信頼のおける人だ。その提督が副司令として信を置く南雲満という少年も、優秀であると聞き及んでいる。

 

 だからこそ、これから自分は大変な思いをしながらこの艦隊に馴染んでいくのだろうな、と瑞鳳は予感せざるを得なかった。

 この間顔を合わせたばかりの軽巡二隻も、中々どうして“むつかしい”艦娘だ。

 

 ――ふと、提督――――満と顔が向き合った。申し訳無さそうな顔が、瑞鳳の感情を感じ取ったのか、やわらかなものへと変わる。

 

 

 北方海域に出現の兆しを見せる深海棲艦の大艦隊。そして同時に、満たちは西方海域への進出が決定されていた。

 新たな風、新たな始まり。

 

 戦いが再び、激化しようとしていた。




次回更新は明日ヒトロクマルマルとなります。


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『02 会敵』

 吹き上がる黒煙。一つではない。およそ五つの塊から、幾つもの煙が噴出している。海上にて、島風を始めとする北方海域哨戒艦隊は、けたたまし爆音をその海に響き渡らせていた。

 

「ハーッハッハッハ! ヌルい、ヌルいぞ吾輩の“的”!」

 

 敵であり、的。

 利根の言葉は三味線のようなものではあるが、決して“ふかして”居るわけではない。敵の編成は旗艦重巡リ級エリートとその随伴艦に同リ級エリート。

 軽巡ト級エリートと雷巡チ級エリート。そして駆逐ロ級エリートが二隻。決して強敵と言うほどのものでもない。

 

 戦艦を要する島風達にとってみれば、何というでもない敵。ただし――

 

「何でこんなところにエリートなんて湧いてるんですかねぇ!」

 

 言葉の後を追うように、それは僚艦のリ級エリートに突きつけられた主砲が震える。青葉の主砲は敵を狙い、その前方、至近弾として見舞われる。

 

 ――そう、通常北方海域に出現する敵はせいぜいが無印の戦艦ル級。エリートのように一段階無印とは上の敵が、そうポンポン飛び出してくるはずもない。

 

「次は当てますよぉ!」

 

「当てるのが当然じゃ、気張れ青葉!」

 

「言われなくとも!」

 

 青葉と利根。両者の主砲が“同時”に音を立て爆煙を上げる。飛び出した砲弾は、弧を描き、寸分違わず敵へと向かう。

 回避の間はない。リ級の視線がぐん、とブレた。二つの弾丸を一種の傍観を伴ってか、しかし視線を外すこと無く睨み続ける。

 

 直後、リ級エリートもまた主砲を放った。遅れること数秒。砲弾が交差し、駆け抜けてゆく。

 

「ほれ来たぞ!」

 

「あいあいさー!」

 

 言葉を交わし合って、両者が勢い良く左右にブレる。青葉の左舷、利根の右舷で水が爆発的な噴出を見せる。両者が海上を走り去った後、降り注いだリ級の一撃が、天に届くかというほどの柱を打ち立てた。

 

 とはいえ、これで僚艦のリ級エリートが海に沈んだ。青葉と利根は軽く視線を交わして笑みを浮かべると、即座に艦列を正し先をゆく島風達の後を追う。

 

「ヒュー! やるじゃん!」

 

 軽く身体を反転させながら――進行の向きは変わらず。艦娘の進退は艦船の進退。多少人間らしい挙動はあれ、艦娘は船だ――島風が手を叩いて笑む。

 

「まだ終わってませんよ!」

 

 瑞鳳が咎めるように言う。島風は即座に身を翻し砲塔を構えると――

 

「わかってますよ! っとぉ!」

 

 狙うは重巡リ級エリート。旗艦だ。すでにこれまでの戦闘で、敵艦隊に残るはかのリ級のみとなった。

 島風の砲塔がリ級を向いた、直後。リ級が唸る。まさしくそれは鉄の咆哮といったところか。切り払うかのような風刃の耳鳴りが、島風を、そして瑞鳳を襲う。

 

 島風の体が揺れた。否、ブレた。

 最速四十ノットオーバー。世界最速とされる駆逐艦の全速力に、機関部が轟々と響き渡る我鳴声を上げた。

 

 姿勢を前傾にして、身体を落としてリ級に島風が接近する。

 視線と視線。お互いの瞳の色すら移りこむかというほどの至近距離で、リ級エリートと島風は邂逅していた。

 

 主砲を並べ、もはや一瞬の余地もなく――爆煙が、二つ、否三つ。ほとんど同時に、吹き上がった。

 

 弾けるように吹き飛ぶ島風。その姿は、黒の煙を追っている。

 

「島風ッ!」

 

 思わず、と言った様子で瑞鳳が声を上げる。同時に矢筒から、即座に屋を番え構えると、リ級を狙い水平線に平行を保つ。

 

 息を呑むようにして、リ級を見た。

 仕留める、確実に。もはや殺気にすら至ろうかという瑞鳳の視線は、弓引かれた弦が切り裂き、リ級へ寸分違わず向けられている。

 

 そして言葉を、島風へ向けて告げた。

 

 

「――倒しきれてないじゃない!」

 

 

 島風は、黒の硝煙を伴ってはぜた。当然だ、あの至近距離で躱さなければそれはイコール直撃である。

 リ級は動こうとした。しかし間に合わなかった。島風と同様の瞬発力は、彼女の体躯から生み出されない。

 

「ゴッメーン! トドメお願い!」

 

 先の一撃でリ級は一発大破、炎上している。ここに一撃を叩き込めば戦闘は終了だ。そしてそれは、瑞鳳のこの警備府における初陣の終了を意味している。

 

「大口叩くなら、沈めるのが義務でしょ!?」

 

 文句を島風に向けて言い放ち、更に瑞鳳は一言加えた。

 

「だからこれで――」

 

 一拍、戦場に、否応なく空白が生まれた。吹き上がる煙、リ級の赤い瞳だけが揺らめいて、陽炎めいて、ただそこに在る。

 

 瑞鳳は、一息を持って、それを終焉に向かわせた。

 

「――おしまい!」

 

 言葉に違わず。飛び出した強気な艦載機は、水上を切り裂くように滑空、浮かび上がると水面に、跡を残すように航空雷撃の足跡が駆け抜けて――飛び散らかるように水を噴出。はじけ飛んだリ級の換装が、彼女もろとも海の底へと沈んでいった。

 

 

 ♪

 

 

「ご苦労、それではこのまま進撃してくれ」

 

 無線機越しに満が指示を出すと、艦娘達は勢い良く返事をくれた。思わず漏れそうになる嘆息を殺して、満は続ける。

 

「いいか? この哨戒は帰還が必須条件だ。わざわざこんなところでむざむざ轟沈するんじゃないぞ?」

 

『南雲提督は心配性さんですね』

 

 榛名の、軽口とも取れる言葉に同じような口調で、そうでもないさと返して連絡を切る。半ば一方的ではあるが、誰も咎めるものはいない。そもそも、戦闘中の艦娘と提督は物理的にも精神的にも隔絶された場所にいるのだ。

 よって満が通信を切ったとして、気付くものはいない。気付いている余裕のある艦娘は、海にいない。

 

 この警備府で、提督として必要な物を幾つも学んだ。それを学び始めて三年が経った。ここからが正念場だ。

 

 北方海域に、西方海域。どちらも激しい戦いが待ち受けていることだろう。気を引き締めなければならないのはきっと自分の方だ。

 何せ艦娘はすでに覚悟を完了している。それこそ“自分が沈む”覚悟だって――

 

「……いや、それは余計な思考だな」

 

 頭を振って意識を切り替える。

 ともかく今はこの海域の哨戒だ。北方海域は穏やかな海で、特に強力な深海棲艦がこれまでに確認されたことはない。せいぜいがエリートの駆逐艦。それも、エリートが出てくる艦隊が、敵艦隊の主力であった。

 

 しかし、この艦隊は明らかに違う。そもそもの交戦経緯からして、敵がまず島風達を捕捉。奇襲を仕掛けたのだ。おそらく目的は哨戒。そう、主力艦隊ではない。

 エリート重巡二隻を要してもなお、それは主力ではない。

 

 青葉や利根の言うとおり、そもそもそんなエリート重巡が、主力でないことはこの北方海域にとって異様なことだ。

 このまま進めば、敵の機動部隊か、ないしは侵攻艦隊の主力と鉢合わせることになるだろう。

 

 

 ――島風からの報告が入ったのは、それから相当の時間を要してのことだった。

 

 

『報告! 敵侵攻艦隊を発見、これより戦闘海域に突入することが予測されますよ!』

 

 威勢のいい声は、なるほど聞き慣れた声だ。島風を旗艦とした理由は多くあるが、やはり彼女が旗艦であることは満にとて腑に落ちる。

 

「敵の詳細は?」

 

『ル級戦艦二隻、フラグシップ及びエリート各一隻。駆逐ニ級エリート二隻。ワ級輸送艦エリート一隻。そして旗艦はヲ級空母のフラグシップです!』

 

「――ヲ級フラグシップ!? ……何かおかしな点はないか?」

 

『おかしな点? って何ですか?』

 

 不可思議、と言った様子で島風が問いかける。当然だ、そのヲ級におかしな点など何もない。そもそも、ほぼ全てのヲ級は同一の容姿、同一の装備をしている。どこにおかしな要素を介在させる余地があるというのか。

 

「ないんだな?」

 

 改めて問いかけ、しかし返答はない。ならば無いのだろうと結論付けて、満は更に言葉を並べた。

 

「では、単縦陣を取れ、必ず敵艦隊を殲滅させろ、撃ち漏らしはないようにな」

 

『了解!』

 

 島風の言葉が返されてくる。これで良い、何もできなかった三年前から対して変わらず、そもそも満に取れる選択肢などさほど多くない。

 基本的に戦闘は、まずそもそもからして艦娘達のものだ。撃った撃たれたは彼女たちの領分。

 

 ならば満は――? 引き金を引けばいい。かつて引けなかった引き金を、今は引くことができるトリガーを、一思いに引く。

 勝利のため。暁の水平線に、己が証を刻むため。

 

『空爆終わり――! 被害報告ーっ!』

 

『青葉、一発貰っちゃいました!』

 

『航行に支障は!?』

 

『ありません、小破至らず戦闘続行可能です!』

 

「敵被害は!」

 

 満がそこで問いかける。

 

『敵ワ級エリート小破とちょっとフラグシップ戦艦にかすめただけです。ごめんなさい、制空権取られないようにするので精一杯で』

 

「そんなものだ、あまり気負うなよ」

 

 瑞鳳の答えに返すと、即座に島風がそこへ加わった。話の内容は次に移っていた。

 

『このまま進むと反航戦になります。ごめん提督、殲滅は無理そう!』

 

「後方に切り込んで反転、同航戦に持ち込んでくれ。昼の内に殲滅したい」

 

 満の言うことは単純だ。敵の最後尾、輸送ワ級の後ろを抜け反転、右舷から切り込み左舷に周り、同航戦での火力で打ち勝つ。その際ポイントは反転の際、火力を一つの艦に集中させることだ。こうすることで効果的に敵に火力をぶつけることができる。

 反航戦時における切り返しの方法としては一般的なもので、島風も即座に理解が及ぶ。

 

『ちょっと難しいですけどやってみます!』

 

 そうして島風は同意したものの、その言葉通り、言ってもそれは単純で明快ではあるものの、容易ではない。

 そもそもの話、島風達はさほど連携を積んでいない艦隊で、特に瑞鳳に至ってはこの艦隊での戦闘行動はこれが初めてのこと。本当の本当に、これが処女航海の新人ではないとはいえ、連携に不安は残る。

 

 とはいえ否やはない。島風は難しいがやるといった。満はやれと命令した。そこに、否定が入る信頼関係を、両者は築いてはいない。

 

「もしも殲滅しきれなかった場合は間違いなく夜戦に突入するものと思ってくれ、ただし艦隊が壊滅した場合は島風に夜戦突入の判断を任せる」

 

 夜戦に突入すれば、敵に大きな打撃を与えることができる。しかし、もしも攻撃が不可能なほどこちらが大破に持ち込まれていれば、夜戦に突入したとしても一方的に打撃を受けるのは島風達だ。

 艦隊が大打撃を受けた際の夜戦突入判断は、戦闘センスの高い島風に任せる。針に糸を通すような見極めは、わざわざ門外漢の満が下すよりも、プロフェッショナルの島風に任せたほうが良い。

 これは、その判断だ。

 

『了解! でも、見た感じ敵もそんなに強くないし、私の判断は必要ないと思うよ!』

 

「それは頼もしいな。しかし、先ほど宣言通りに敵を沈められなかったのはどこの誰かな?」

 

『……最近の提督、口ばっかりうまくなってるからキラーイ』

 

「言う前に砲塔を動かせ。もう会敵区域に入るぞ」

 

 ――頭の中に地図を描く。

 今、島風達は敵と会敵する直前に居る。空爆は終えた、開幕に雷撃を行う艦はない。お互いに、一触即発の状態で接近している。

 射程にさえ入ればすぐにでも砲撃の音が無線越しに満に伝わってくるだろう。

 

 想像上の地図の上で、一刻の猶予もなく砲撃戦が開始しようとされている。映像という形で戦況を知ることのできない満は、こうして想像による世界観の創造によって、情報を統制、シミュレーションしていくのだ。

 二次元空間戦闘。北の警備府提督は、そう呼んでいた。

 

「改めて言う。コレは哨戒だ。しかしこの戦闘における目的は殲滅だ。一隻たりとて逃すな。もしも逃せば、それは次の艦隊の“餌”になる。沈めて叩き潰すのが重要だ」

 

『フフフ、最近の提督は何だか物騒になりましたね』

 

 横合いから言葉が入る。愛宕だ。果たして賞賛しているのかあざけっているのか。どちらにせよ彼女の声音はそれを推測させない。

 ただ、それでも彼女は悪性ではない。ならば、その声に嫌味は一つとしてないはずだ。

 

「――島風、頼むぞ」

 

『了解! 榛名、砲撃構え!』

 

『お任せ下さい!』

 

 激戦ではある。しかし苦戦ではない。

 

 けれどもこれは満達の苦闘が始まる、最初の戦い。誰もがこの先、楽な戦いは想像しないことだろう。

 だからこそ全員が意識を込めて島風の声を待った。

 

 

 満が命じ、島風が放つ、その言葉を。

 

 

 一拍、空白が合って。

 

『砲雷撃戦。入ります!』

 

 

 青の空色に、島風の声が響き渡った。




次回更新は明日ヒトロクマルマルとなります。


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『03 緒戦』

 海を滑るのは、何も艦娘と深海棲艦だけではない。瑞鳳の弓から放たれた艦上攻撃機『天山』は一瞬の間、海を撫でるように滑空し、空へと浮かび上がる。

 生み出された風が海を切り裂いてか、その跡に白い軌跡が残った。乱戦入り乱れる海の上、第二次攻撃隊が空を翔けるのである。

 

 島風の号令の下、第一陣を切ったのは当然といえば当然か、戦艦榛名。此度の非定期配置転換により新たに配備された主砲『41cm連装砲』が、怒涛のごとく唸りを上げる。

 ――非定期、つまりは大海戦を想定した段階的戦力の整理。十年前のミッドウェイ。そしてかのレイ沖、マリア沖に準ずるものだ。

 

 そうして放たれた41cm全門斉射。跳ね上がった水中はエリートル級の眼前とその後方。一撃目のそれは想定よりル級に近い。つまり、続くニ撃の修正は容易であるということだ。

 全身する自身の推進に力を込めて、榛名は更に距離を修正。二度目の砲撃を行う。

 

 直後、跳ね上がったエリートル級の艦橋。爆発し炎上して舞い上がり、叩き落とされるは――水底だ。

 

「ル級エリート大破炎上を確認! 見る限り応急処置は不可能、ほぼ轟沈と見ていいと思います!」

 

「了解!」

 

 榛名の報告を即座に受け取り、島風は更に速度を上げる。最大船速。そのまま敵陣へ乗り込み最後方へ切り込む。

 タイミングは全て島風へと委ねられていた。

 

 ――その直後だった。瑞鳳の艦載機が海原へと飛び出したのは。声もなく艦載機を見送った瑞鳳は、その狙いが駆逐ニ級エリートにあることを確認する。

 

 直後、先ほど放たれた榛名の主砲もかくやと言うほどの爆音。轟いたのは敵戦艦、ル級が放つ主砲の炸裂音。

 しかし同時に、また別の種の爆発が吹き上がった。ル級エリートの主砲が爆発四散したのである。端的に言えば、ねじ曲がった主砲を無理に行使仕様とした結果、砲弾が砲塔内部で炸裂したのである。

 

 ル級エリートがほぼ自沈。しかし同時に、ル級フラグシップの砲撃が見舞われる。狙うは後方、重巡青葉。

 

「わ、わわわ! 狙われてますよーっ!」

 

「避けろ馬鹿者!」

 

 慌ただしく身を躍らせる青葉に、利根がすかさず声を浴びせた。怒りではなく、気付けのような声音であった。

 

「無茶言わないでくださいよう!」

 

 すでに回避は行っている。しかし、重巡は重武装。当然それだけ船速は墜ちる。それこそ島風のように、自由気ままな回避は不可能。

 

 不自由な身体を踊らせて、何とか降り注ぐ主砲を回避した。喝采のように吹き上がる水柱も、勢いを失くし何処かへと消え去る。

 下手くそなタップダンスのように揺れ動いていた青葉の身体も、ようやくどうにか、そこで静けさを得た。

 

 嘆息が漏れる。

 

「ふぃー、避け切りました」

 

 だが、

 

「避けてないわ、バカタレぇ!」

 

 直後、今度こそ怒りの混じった利根の言葉に、青葉はふと顔を上げた。――眼前に、ル級の主砲は迫っていた。

 

「あぇ?」

 

 悲鳴を上げる暇もなく、主砲は青葉に突き刺さり――否、青葉の極至近。鼻先三寸ほどの間近に着弾、吹き上がった水の爆裂に、青葉の身体は今度こそ宙を舞った。

 

「うきゃああああああああああッ!」

 

 直撃ではない、しかし直撃と言っても良いほどにその一撃は衝撃を伴った。青葉が悲鳴を上げるのも無理は無い。

 

「し、至近弾ですぅ! 小破、小破ですよう!」

 

「だからぼさっとするな阿呆青葉!」

 

 降り注いだ水に濡れた髪をぶるぶると振るって露払いをし、しかし残る潮の匂いに辟易する青葉に、利根は更に言葉をかける。

 そして、

 

「この――! 良くも青葉を! 青葉の仇!」

 

「死んでませんってば!」

 

 失礼な事を言い放ちながら主砲を向ける。狙いは正確ではない。しかし、正確過ぎる必要はない。

 吹き上がる朱の閃烈。音は連続して二度――光の瞬きに遅れて響いた。

 

 直撃――しかし、小破にすら至らない。何せ敵はフラグシップ。深海棲艦の、集大成の集大成――!

 

「って、何ちゃっかり装甲の薄いヲ級の方狙ってるんですか!」

 

 とはいえ、狙いはヲ級、空母である。空母の装甲などたかが知れたもの、やりようによっては軽巡洋艦ですら装甲は抜ける。

 ただし、轟沈にまでは至らないだろうが。

 

「反航戦なんだから、まずは露払いからしましょうよ! この後艦列ひっくり返して追討戦なんですよ!?」

 

「ええい、よりにもよってなんで青葉にそんなことを言われなくてはならんのだ!」

 

「私でなくたってだれでも言いますよ! というか青葉も主砲で敵を狙っちゃいます!」

 

 直後、青葉も主砲を幾度か奏でた。こちらも直撃――狙いはル級。戦艦である。

 

「よっし沈めた!」

 

「――って、轟沈寸前のエリートではないか! 死体蹴りなど、名誉在る日本海軍所属艦のすることか!?」

 

「名誉で飯は食えません!」

 

「食えるわっ!」

 

 ――あくまで意地汚い文屋の如きパパラッチ精神。しかし、実際のところ名誉で飯は食える。利根の言うとおり、日本海軍の聯合艦隊旗艦は名誉で暮らしを得ているのだ。

 無論、その名誉に見合う実力は有するが。

 

 もはや戦場でのことなど眼中にないかのような言い争いだ。端から聞いている瑞鳳がちらりと視線をむけて、諦めて攻撃に立ち返るほどに、今の青葉達は周囲が見えていないように思える。

 危うい、実に危うい。もはやそれは、艦隊の穴にしか思えないようなものだった。

 

 当然敵は狙う、青葉と利根を。

 狙わないはずもない。何せ彼女たちは深海棲艦なのだから――そう。

 

 艦載機の音が響いた。もはや諦めといった様子で瑞鳳が目をそらす。しかし他に動きを見せるものはいない。

 断頭台で死を待つように、それは青葉と利根を切り裂くモノとなる。深海棲艦。空母ヲ級フラグシップは、疑わなかった。

 

 確信を持って勝利を。

 確定を持って栄光を。

 

 沈めるのだ、青葉と利根両名を。恨みが、憎しみが、ヲ級フラグシップを構成する全てであるのだから――

 

 

 ――直後。

 

 

 青葉と利根の口元が、

 もはや滑稽とすら思えるほど、三日月に歪んだ。

 

「ふっふっふ」

 

 青葉の声、思いの外高音の、どこか気の抜ける声に思える。天真爛漫とはまさしく彼女を指す言葉だ。

 

「――――ハーッハッハッハッハ!」

 

 それとは対照的に、利根の声には自信の程がにじみ出て聞こえる。しかし、決して低音の厳しいものではない。

 あくまで少女らしい声を利根はしていた。

 

「かかったなバカ空母!」

 

「かかりましたねアホツインテール!」

 

 言葉の尻に、青葉は(鋼鉄)と付け加える。でないと利根に睨まれる。もはや言いがかりもいいところではあるが、ヲ級のクリーチャー染みた頭のそれは、ある種ツインテールに見えなくもない。

 まず絶対に意図しなければ見えないが。

 

 直後、青葉と利根の換装が爆音に震えた。しかし、主砲ほどのチカラはない。それは『12cm30連装噴進砲』いわゆる対空ロケットランチャーで、通称ロサ弾と呼ばれるロケットを三十連発する兵器だ。分類上は対空機銃である。

 連続で鳴り響く艦載機と噴進砲の兵器的サウンドトラックは、優雅とは言いがたい、しかしチカラに満ち溢れた青葉達の声をバックに奏でられる。

 

「誘えば来る! これが深海棲艦のいいところですねお利根さん!」

 

「しかも艦載機の練度は低いと来たぞバカ青葉!」

 

 ハッハッハと、高笑い混じりの言葉のドッジボールは、絶え間なく吹き荒れる艦載機の爆破嵐に、三十連装のロケットランチャーは唸りを上げる。吹き上がるのはまさしく弾幕の如く。入り乱れる敵艦載機の、急所を貫き炎上に持ち込む。

 どれだけ機体が揺らめいたとして、その怒涛の対空火砲に対抗する術はない。空のあちこちで、火の手があがる。もはやそこは空と空の戦闘フィールドではない。海が空を蹂躙する、スクリーンの一幕だ。

 

「これぞ七面鳥撃ちだな」

 

「マリアナを思い出しますねぇ」

 

 言いたい放題の利根と青葉、しかし七面鳥の逸話を残したのは米国海軍だ。この世界におけるマリア海戦でも、青葉たちは別に七面鳥撃ちをしているわけではない。

 

「さぁ、瑞鳳よ! 空は我々が開いたぞ! よもやこれで、飛べないとは言うまいなぁ!」

 

「もしも飛ばせなかったら、ぎゅっとしてドカーンしちゃいますからね! 第三砲塔が!」

 

 ――突然、自身の名を上げられた瑞鳳は大いに戸惑う。だが、理解した。理解したからこそ、瑞鳳は己の身体から余計なチカラが抜けていくのを感じた。

 この艦隊、もっとも無理が“ある”のは誰か。言うまでもない、これまで一度として組んだことのない面子と艦列を並べる瑞鳳だ。

 

 島風や愛宕は、別の艦隊に属するとはいえ、これまで何度も利根や青葉たちと連携を取ったことが在るはずで、自分にはそれがない。

 彼女の義姉――祥鳳は、こんなハチャメチャな艦の居る艦隊で、戦っていた。それも、瑞鳳の背中を押す。

 

「――余計なお世話よ!」

 

 声は、自然と飛び出していた。三度目の発艦。狙うは、駆逐ニ級である必要はないだろう。利根の一撃で小破寸前まで持っていった空母ヲ級、フラグシップに一撃を叩きこむ。

 

「それに、私に第三砲塔なんて――――」

 

 ギリギリ目一杯まで引き絞られた弦が、奏でるように振り払われる。発艦の音は響かない。音もなく瑞鳳の艦載機は空へ、向かう。

 

「ついて、無いんだからァァァァァアアアアッッ!!」

 

 ル級フラグシップの対空火砲が揺らめくように弾幕を描く。すでに島風達とヲ級始め深海棲艦艦隊は背中合わせに艦隊を交差させている。

 浮き上がった直後には、紅い米粒が、波のように広がり――はじけていた。

 

「うふふ」

 

 同時に、海に潜むような声が届いた。後方、愛宕で間違いないはずだ。互いに駆け抜ける数十ノットの世界において、それはある種異様に映る。

 

 視線を向ける。――すでに艦隊は入り乱れ、戦艦フラグシップの真横を榛名が駆け抜ける。砲撃はない、準備が整っていないのだ。お互い、ただ視線だけをぶつけて駆け抜ける。

 

 すでに、利根も青葉も主砲を斉射している。島風はまだだが、彼女は超至近から輸送ワ級を狙うはずだ。それが最も効率的なのだ。

 瑞鳳は言うに及ばず、そして残るは――愛宕、重巡愛宕だけが、未だ主砲の一撃を残している。

 正確には、敵の駆逐二級もであるが、それを意識するものはいない。

 

「こんなの、如何かしら」

 

 嫌にその声ははっきりと聞こえた。――否、耳に残った。それほどその後の光景は、瑞鳳にとって衝撃的であった。

 何せ――

 

 

 ――交錯の一瞬、愛宕は戦艦ル級、フラグシップの装甲を抜いたのである。主砲が炸裂、直撃、爆炎を吹き上げた。

 

 

「そんなっ! 相手は戦艦ですよ! それもフラグシップの!」

 

「あら、あなたがそんなこと言うなんて。ありがとう、感謝しているわよ?」

 

 瑞鳳の叫びに直後、愛宕から返答があった。――しかし、ありがとう? わけがわからない。一体どこに、愛宕から瑞鳳へ、感謝の意が生まれてくると――

 

「え?」

 

 そこまで思考し、思い至る。一つだけ心当たりがある。ル級は愛宕の一撃で中破した。しかしそれ以前に攻撃を受けたことはない。愛宕が装甲を抜ける理由がない。

 ただひとつの攻撃だけを除いては。

 

 ――開幕爆敵。瑞鳳が少しばかり与えた傷が、ル級フラグシップにはあったはずだ。当然その場所は装甲が傷つき薄くなっているはず。

 

 はず、だ。

 

 だがそうだとして――今、愛宕はなんと言った? 違う。――何を、した?

 

「そんな! まさか当てたっていうの!? その、“小さな傷”を。針に糸を通すかのように!?」

 

 振り返る。今度こそ、体全体が反転した。榛名は何も言わない。その表情は驚愕ではないにしろ、どこか呆れに近い。――意味するところはつまり、“やりかねない”。

 そして愛宕は、どうか。笑むだけだ。ただおっとりとした笑みを浮かべて、おっとり刀で速度を増している。

 

「――ちょっと、よそ見しないでよ!」

 

 判断に時間はかけられなかった。島風から声がかけられる。瑞鳳は艦列の二番目にある艦。つまり、島風からの要件は、切り返しを始めるということだ。即座に身体を翻し島風の後を追う。

 彼女の身体が、大きく傾ぐのが見えた。瑞鳳も合わせ、タイミングをみて斜め前方へ切り込む。

 ここはもはや日頃の修練と感覚の問題。島風は理想的な流線型を描いた。教科書的とも言える。そしてそのお手本を、参考にできない瑞鳳ではない。

 

 風がゆらめき、抵抗に変わるのを瑞鳳は感じた。重力が、バランス感覚が激烈に瑞鳳を揺さぶる。身体を抑えるので精一杯、砲撃に意識を向けることはほとんど不可能だ。

 これは瑞鳳が無茶な回頭をしているということもあるが、空母の瑞鳳に、砲撃に必要なスキルは必要がないのだ。

 

 しかし、無理な態勢で、できることがないというのは視線的な余裕を生む、状況を確認する余地がある。

 

 見れば、島風はほとんど身体を逸らさず完璧といって良い回頭をしていた。すでに進路は後方、ワ級と平行に向いている。後はそのワ級を沈めるだけだ。

 

 砲撃が待った。おそらくは榛名の副砲と、島風の主砲。

 ワ級を直接仕留めようというのだろう。榛名の一撃が至近弾として突き刺さり、ワ級に最も近い最前列、島風の主砲がワ級を包み爆発した。

 

 これで、残るは駆逐ニ級エリート一隻と、中破のフラグシップ級二隻。

 

 揺らめくフラグシップの主砲は、艦隊を狙い放たれていた。しかし、振るう轟砲にチカラはない。砲塔が大破したか、無いしは何がしかチカラを失う要因でもあったか。

 

 どちらにせよ、もはや敵艦隊に島風たちと砲火を交えるチカラはない。榛名の至近に、息絶え絶えといった様子のル級が砲撃を着弾させる。しかし続かない。――返し刀に放たれた、榛名の一撃が空白を切り裂いた。

 黒が、吹き上がるように生まれでる。

 

 直後、駆逐ニ級エリートを、青葉と利根がそれぞれ一発ずつ、叩き込み轟沈へ追い込んだ。

 残るは中破、ヲ級フラグシップ。

 

 艦載機が飛び上がる。最後のあがきか、刹那の無茶か。その数は、もはやかつてを語るまでもない。

 十は、浮かんでいないだろう、決して。

 

 それも、瑞鳳が放つ艦戦による機銃で火の手を上げ、海へと散る。落とされた爆撃も、もはやどこか知れぬ海へきえ、島風たちは、その吹き上がった水滴だけを身体に浴びた。

 直後、二度爆発が起きる。

 

 一つは瑞鳳の艦攻が、ヲ級に一撃を突き刺す音。もう一つは、愛宕の主砲が唸りを上げる音。

 

 大破、炎上。もはや死体蹴りでしかないだろう。それでも、最後の一手は旗艦島風、彼女に託された。

 

『――島風!』

 

 どこからそれを予測していたのか、島風自身が行動を起こすよりも早く、空白から満の声が響き渡った。

 これだ――かつての彼と、今の彼。

 

 大きな違いが、そこにある。

 

「言われなくとも、これで決めますよ! てーとく!」

 

 最後の一手。

 島風が駆け抜ける。――チェックメイトの一言に、かかった時間は極薄であった。




次回更新は明日、ヒトロクマルマルとなります。


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『04 潜水』

 北方海域がきな臭さを増す中で、西方海域への進出作戦は計画通り実行されることとなった。これは、現在西と北以外に大きな戦線がなく、また南がおとなしいために。余裕をもって艦隊を送り出せるというのが大きい。西を攻めている間に北がどうこうなろうと、それをカバーするだけの余力は、日本海軍には残されていた。

 そこで、日本海軍、及び満達南雲機動部隊が所属する鎮守府は西方海域攻略を開始、まずはその緒戦。『ジャム島攻略作戦』が開始されようとしていた。

 

 西方海域のこれまで満達が攻略してきた海域との違いは、戦線が広域に渡るということだ。単純な話、戦闘をする場所は一箇所に限られず、このジャム島を攻略の後、カレー洋、リランカ島と、戦線を拡大していく必要があるのだ。

 

「今回相手取るのは敵東方艦隊の本当にごく一部、フラグシップすら確認されない末端の艦隊だ」

 

 満の言葉だ。

 

「しかし、このジャム島を攻略することは、つづくカレー洋攻略のための足がかりを作るという意味では重要だ。カレー洋、及びその次に侵攻するリランカ島には、東方艦隊の主力が駐泊している。まず、これを順次叩く」

 

 続ける。

 

「ジャム島は攻略においては要所だが、おそらくそこに用意できる戦力は無かったのだろうな、ジャム島の敵は囮だ。敵がここを攻めた時点で守備を放棄、反転してカレー洋の主力と合流するだろう。僕達はジャム島を攻略、電撃的にそのカレー洋主力艦隊を叩く。ここまではいいかな?」

 

「はい。……敵艦隊はあくまで囮です。戦艦を持ち出すのは過剰戦力では?」

 

「それを言ったら愛宕、僕達が三年前の戦いで投入していた艦隊は割りと過剰戦力だぞ? 今は艦隊に余裕がある。使える以上使うのが礼儀だ」

 

「それもそうですね……では続いて、本作戦の最終目標は?」

 

 愛宕が間髪入れず続けた質問に、満は一瞬だけ空白を差し込んで、口を重く結んだようにしながら、続けた。

 

「――深海墓場の奪還。東方艦隊の中枢戦力は“深海墓場”カスガダマ島にあると目されている。当然、それ相応の戦力は必要になるだろう」

 

「……深海墓場!?」

 

 島風が、驚愕するように反芻し、問いかける。それに満は、わかっているという風に頷いて、回答する。

 

「あぁそうだ。それ相応の戦力とはつまり、大艦巨砲主義的な強力艦であり、――対潜能力を持つ水雷戦隊でもある。そして深海墓場、カスガダマ島は――」

 

 その名を口にすることを、満は一切ためらわなかった。島風と、龍驤がそれぞれ息を呑むのを理解した上で、淡々と、平然と、わかりきったように、それを伝えた。

 

 

「すでに歴史の名となった伝説の駆逐艦――先代“電”の眠る場所でもある」

 

 

 ♪

 

 

 伝説の駆逐艦、電。その功績はかのミッドウェイにて、轟沈が不可避とされていた正規空母を救出したことから始まり、あらゆる面に渡る。時には駆逐隊の旗艦として成功確率数%とされた遠征を成功に導き。時には大海戦に参加、フラグシップ渦巻く海域を抜け、敵主力を一騎打ちで討ち果たし。

 歴史に名を残す、という点では約七十年前の海を賭けた駆逐艦雪風や、その雪風が沈んだ海戦を唯一生き残った駆逐艦時雨などが話題に上がるが、それと同様以上の知名度を、この先代“電”にはあった。

 

 その電が、沈んだ場所が深海墓場、カスガダマ島。

 数多の海戦を駆け抜けた伝説の駆逐艦は、なんということのない輸送任務の最中、――潜水艦の一撃から同型駆逐艦、響をかばい轟沈。

 あまりにも、あっけない幕切れでこの世界から姿を消した。

 

 彼女のその最後を語るのに、艦娘である以上、沈むときは沈むのだから当然だという者もいれば、彼女があのような場所で沈むのはありえないと言う者もいる。これは、彼女を実際に知っている、いないにかかわらず、一定数あらゆる層に存在しているのだ。

 満はといえば、警備府司令の言う『あの子はただで沈むような子じゃない』という言葉を支持している。つまりこのどちらにも属さない。ただしこれは極少数派、一部の艦娘と軍の上層部が語るだけ。

 

 これは満の艦隊においても、その意見は別れる。金剛や愛宕は少数派であり、それ以外は龍驤が後者、北上と島風が前者といった風であった。

 

 そして今日――西方海域攻略のため、対潜要因として派遣された北の軽巡洋艦二隻、うち一隻は、後者に属する。

 名を木曾。――彼女は龍驤や島風と共に、電と同じ艦隊に属していた軽巡洋艦であった。

 

 

 ♪

 

 

「周囲敵影なし、それじゃあ進撃するよ」

 

 島風が、音頭を取るように声をかける。洋上、西の風は日本の秋暮とは大いに感触を違える。そもそも、日本の南に位置する満の鎮守府と、北に位置する警備府の間でも、ずいぶん気候に違いが生じるのだが。

 

「おまかせあれ、潜水艦なら任せてよね!」

 

 軽快な声音。――軽巡洋艦夕張、北の警備府においては古参であり、榛名と共に秘書艦を務める優秀な艦娘だ。軽巡としては癖が強く、対潜には強いが、その速力の遅さと装甲の薄さは、改造を施した駆逐艦と同等、無いに等しいというわけだ。

 

『それじゃあ、気をつけて行ってくださいね? 特に金剛さんは修復費高いんですから』

 

「善処しマース!」

 

 無線機越しに、愛宕は金剛へと声をかけた。金剛はといえば気のない返事だ。わかっているから気にするなと言いたいのだろう。そしてそれは慢心ではなく、単純な事実である。

 

 ――対潜のため北の警備府から軽巡洋艦二隻が配属され、結果として一人飽和した艦隊から、愛宕が抜けて、現在の艦隊メンバーは旗艦島風、そして順に金剛、北上、木曾、夕張、そして龍驤となる。龍驤のような空母を前方に配置するか後方に配置するかは、その時の作戦と提督のセンスが問われる。今回は対潜を優先し、軽巡洋艦及び重雷装艦を前方に配置した形だ。

 それにともなって、通常時の火力担当は金剛となる。対潜だけを優先するのならば金剛は六番眼に配置されるが、今回は潜水艦以外との戦闘も想定されるためこの配置となる。

 

 なお、愛宕は対潜要員ではないために艦隊から外された、という側面もあるが、大体の理由はそこにはない。彼女が艦隊からはずれた最大の理由は北の警備府から二隻以上艦娘が派遣された場合、愛宕が艦隊から外されることが定例となっているためだ。

 ここ最近、愛宕は艦隊の艦娘としてだけでなく、あることをするようになった。それは秘書艦。提督をサポートする役職だ。

 

 この三年でその実力を開花させた愛宕は、戦闘だけでなく、提督のスケジュール管理等秘書業務、そして作戦立案などを行う軍師としても活動するようになった。

 曰く、――才能はあったが、ここまで化けるとは。総意であった。

 

「じゃあ、改めて出撃します! 私に続いて!」

 

 島風が声をかける。金剛へ、そして北上へ――だが、そこでふと島風の視線が止まった。木曾へ向けて、少しだけなんとも言えない表情を浮かべるとそれに木曾が気付いたことで、即座に視線を外す。逃げるようなそれで、そのまま身体を翻した。

 

「……、」

 

 木曾は、一瞬睨みつけるように島風を見たが、すぐにどこかバツの悪そうな顔をしてそっぽを向く。その表情は島風のそれと大差がない。どちらも何かを言いたげで、しかし言い出せない、そう言った顔で背を向けあった。

 

 周囲に口を挟むものはいない。ただ一人、龍驤だけは口を開きかけて、しかし言葉がないのだろう、すぐにそれを噤んで終えた。

 

 海の波が艦娘達の航跡に染まる。西方海域攻略作戦の緒戦、ジャム島攻略作戦はかくして幕を開けるのだった。

 

 

 ♪

 

 

「それにしても……」

 

 司令室の一室。すでに通信を終えた満が愛宕に声をかける。戦闘が始まるまで、彼らはここで待機する必要がある。少なくともその間、ある程度気を張り詰めた上で、時間を潰さなくてはならないのだ。

 すでに幾年も海を駆けまわってきた艦隊の司令は、程よい気の抜き方というものを理解していた。ようは洋上で暇をつぶす海兵たちと同様だ。自覚を疎かにしない程度に、他のことに意識を向ければそれでいい。

 

「本当に良かったのか? アレで」

 

 すでに選択してしまったことを後悔するのは提督の仕事ではないが、満という一個人として、それは大いに疑問を残す。疑問の余地があるからではない、そもそも疑問を浮かべようがないから疑問となるのだ。

 つまるところ、それは人間関係の問題であった。満が最も苦手とする分野だ。

 

「さすがに連携に支障が出るだろう。そうなった時、引き返していては資源の無駄だぞ?」

 

 目下話題となるのは、主に島風と木曾のことだ。満としては関係に不和があると満ですら解るような者同士を戦場に向かわせるのはいかがなものかと考える。

 

『――木曾だ。俺は俺の仕事をする。少なくとも、誰も沈ませはしない』

 

 初めてこの鎮守府を訪れた時、木曾は“島風を注視して”そう言った。何がしかの意識を持った上で、彼女を排そうと言うのだろう。

 否、木曾は島風から露骨に“避けたがっていた”。排そうというのではない、自分自身がいなくなってしまいたい、と同時に島風の事を必要以上に気にかけている、避けたいのに避けたくもないという、そういった二律背反的考えを木曾は持っている。――と、満は愛宕から聞かされた。

 

「んー、それはそうなのですけど、でも島風さんと木曾さんって似てるのよね」

 

「……似てる?」

 

「えぇ、二人ともすっごく優秀なの。聞くところによると、木曾ちゃんはここに来る前、海軍本部にいたんですって、第二艦隊の旗艦として」

 

 ――海軍本部の第二艦隊といえば、通称第二水雷戦隊と呼ばれる水雷戦隊の花形だ。要するに最も練度の高い駆逐艦が集まる場所で、島風達のいた鎮守府に来る前の、先代電もそこに所属していたはずだ。

 その旗艦ともなれば――艦種は違うが、練度の高い駆逐隊をまとめるための能力を彼女は有しているということになる。

 

「優秀さにおいても、そして弱さの面に置いても、この二人ってにてると思うの。……昔、島風さんが第二艦隊の響さんから一年以上逃げ回っていたことは、覚えてますよね?」

 

「当時の名物みたいなものだからね。……あぁなるほど、つまり島風は苦境が目の前にあった時、それから“逃げる”タイプだって言いたいのかな?」

 

 逃げる。そう、逃げ足の早さが島風の原点だ。先代の電が沈んだ後、島風はかつての自分を顧みてそれを触れたくない過去とした。はたから見れば自分はそうとうなわがまま娘なのだ。目をそらしたくなるのも無理はない。そうして島風は、自分の優秀さにあぐらをかくこと無く、優秀であろうとした。

 ――それはきっと、もう二度と大切な親友を失うという現実を直視したくないという、逃げの感情から生まれているのだろう。

 

 そう、愛宕は語った。

 

「それは木曾さんにも言えるんです。そんな二人を平時で何とかしようと思ったら、きっと一年じゃ足りません。その間不安な連携を残す訳にはいかない。これはショック療法です。叩けば治るというのなら、叩かないと行けないんですよ、誰かが」

 

「……この場合、それは本人でなくてはならない、か。だから愛宕は他の艦娘に、“木曾と島風の事を口出しするな”と言ったんだね?」

 

「正確には、口出ししない以上に有効な方法があるのなら、その限りではないですよ。私だってこれが最善だとは思いませんもの」

 

 ――けれども、だれも反対の意見を述べるものはいなかった。満にとってもそれは反対のしようがないことではある。だからこそ改めて問いかけた。愛宕の言葉に、論理的正論性を求める必要があったのだ。

 

 両者の会話はこれで途切れた。そうして島風達からの通信。敵艦隊と接敵したというものだった。

 

 ただしそれは軽巡ヘ級フラグシップ一隻とエリート二隻。そして駆逐ニ級一隻と駆逐ロ級二隻どちらもエリートという、身も蓋もない言い方をしてしまえば道端の雑魚。一時間もかからずに殲滅が完了すると、満は即座に進撃を命令した。

 

 それから更に数刻。

 

「……ここからですよ、提督」

 

「あぁ、おそらくそろそろ出てくる頃合いだろうな。それに、このショック療法は、僕が艦娘を沈める判断をしないという前提の元に成り立っている。……誰も沈ませはしないさ、だれも、ね」

 

 一度だけ軍帽を眼深に被る。その意思を愛宕は読み取った上で見なかったことにした。それから、島風たちの入電を待つ。

 “そろそろ出てくる”――何が? 簡単だ。

 

 

『ソナー反応ッ! 来ます、潜水艦隊。数は五。全て潜水艦です――!』

 

 

 潜水艦カ級。エリートを旗艦とした潜水艦隊。満達が潜水艦と相対することはこれが初めてだ。

 

「爆雷用意! 順次投射! 飽和攻撃で敵を殲滅しろ!」

 

 その意思を込めて、満の雄叫びがこだまする――




次回更新は明日、ヒトロクマルマルです。


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『05 爆雷』

 潜水艦。海の中を駆け、時には駆逐艦を、時には軽巡を、時には空母すらも轟沈させるスナイパー。史実における第二次大戦時の潜水艦は、現在のイメージされる潜水艦というものよりも、『潜ることのできる船』、可潜艦というのが実際のところだ。

 とはいえ、大日本帝国海軍はこの潜水艦に多くの艦を沈められ、艦娘の中にも、潜水艦を苦手だと感じる艦娘は多い。島風の報告を聞いた金剛は露骨に嫌そうな顔をして縮こまっている――役割の関係上、彼女は潜水艦には無力だ。その上、史実における戦艦金剛は潜水艦に沈められている――逆に我が意を得たりとは、軽巡洋艦夕張だ。

 

 いかにも楽しげに笑みを浮かべて、彼女の両舷に出現したアーム上の兵器――爆雷投射機だ――を愛おしげに撫で回している。両舷に拡がるそれはKのような形をしているため『K砲』と呼ばれる通称を持っている。

 どちらかと言えば軽巡の中でも中堅どころに入る夕張の性能は、追加可能兵装四という、他の軽巡には無い特徴で補われている。状況によってその装備は変更されるわけだが、中でも対潜水艦戦闘に使われる装備を搭載することで、彼女は対潜の鬼へと変わる。

 その姿はまさしく獲物を前にする鬼神の如く。直後、爆雷投射機のアームが跳ね上がり、爆雷が音を立てて山を描いた。

 

「ッケェ!」

 

 航空爆弾と同様の形状を有する『三式爆雷』が弧を描いて空から海へと落とされる。一度吹き上がったそれは勢い良く海底の潜水艦を狙うのだ。元はドラム缶式の物を使用していたのだが、降下速度が遅くなかなか成果を挙げないため、このような形に改良されたのが今の爆雷だ。

 

 爆雷は簡単に言えば時限式の機雷で、敵の位置を察知した上で、その敵が移動する先に爆雷を投射、潜水艦を撃滅するための装備だ。当然、これだけでは何ら意味は無い。これを数撃ちゃあたるの要領で投げ込むことが、まず対潜の基本。

 そして、そこにもう一つ、別の装備を利用することが対潜のもう一つの基本だ。

 

 夕張の顔のすぐそばに、何やら無骨なモニターが出現する。但しそれは近未来的なモニターオンリーのシロモノではなく、いわゆるブラウン管テレビのような箱型の物。

 そこに、“ソナー”によって反応した敵の姿が映し出される。

 兵装の名は『三式水中探信儀』、いわゆるアクティブソナーと呼ばれるたぐいのもので、こちらが放った超音波の反響を元に。敵の居場所を察知する兵器。

 

 それによれば、夕張のはなった爆雷は数秒後敵に着弾、問題なく敵を轟沈できるはずだ。無論、敵が避けなければの話だが。

 

「島風ー! そっちは大丈夫!?」

 

 前方、行き交う形で遭遇した敵潜水艦隊は、当然最前に立つ島風がまず接敵することになる。

 

「……梯形陣で反航戦になってるから、ちょうど相手が私達の足元を抜けてくみたい。嫌な感じ……」

 

「それは、そうね。じゃあ、このまま殲滅してやりましょう?」

 

 別の艦隊に所属する艦娘同士とはいえ、島風と夕張はそれなりに会話が多い。続けて、身体を反転させながら後方、もう一人の対潜要員へと意識を向ける。

 

「……えっと、木曾、でいい?」

 

「あぁ、構わないぞ」

 

 少しだけ遠慮がちな夕張の問いかけに、木曾は頷いた。潜水艦が反応するソナーを敵意満面に睨みつけながら、片手間のようにそれに同意した。

 

「旗艦のカ級エリートは私が何とかするから、島風と一緒に他のをよろしく」

 

 この中で最も対潜能力が高いのは追加兵装に三式ソナーを二つ積んでいる夕張だ。

 

「エリートクラスなら俺でも十分に駆逐できる。……役割分担はいらない。相手は潜水艦だ。全部落としてしまえばいいだろう」

 

 その語気は強い。夕張はしょうがないと嘆息し、爆雷を構えた。そもそも潜水艦という艦種が特殊な形態を持つ。その意味は大きい。戦闘においても、意識の上においてもだ。つまり、他の艦種とは違う認識を、艦娘達はここに潜水艦へ抱いている。それはつまり、憎しみと言って、しまってもいい。

 ソナーに浮かぶ点は五――まだ、敵は誰も沈んでいない。

 

 ――潜水艦との戦闘は甚だ地味だ。しかし、潜水艦との邂逅は、うってつけな悲劇の舞台だ。かつて読んだそんな言葉を反芻し、夕張はココロの奥底で沈殿しきった何かをこぼした。

 木曾が悪いではない、島風が悪いではない。自分が悪いではない。ただ、潜水艦という存在が、あまりに大きく意識を集中するというだけのこと。

 

 振りかぶって、飛び上がった爆雷が水しぶきを上げて海を叩く。

 

「沈め、沈んでしまえ潜水艦!」

 

 後方、木曾の声が肉声で響き渡った。即座に夕張の右舷前方へ向け、流線型のそれが降り注ぐ。鉛色の味気ない無骨な流星群が、金属音を尾ひれに変えて、海に爆発的な芸術を作り出す。

 

「――うぁ?」

 

 直後、北上の前方で水中が浮かんだ。何かが、それに伴って衝撃へ変わる。それだけだ。北上が濡れネズミになったものの、他に変化はない。端的に言えば、潜水艦の魚雷。

 

「セーフ!?」

 

「セーフ!」

 

 夕張の問いかけに、北上は心底驚いた顔で頷いた。一体どの段階で魚雷を放っていたというのだ? 狙いを定めたところで、本来であれば当たり用がないのだ。前方からすれ違う敵艦に、魚雷を当てるのは至難の業。

 そもそも、雷跡が残るはずなのだ。魚雷は線をを残して海を這う。突如として空間に出現することなど、ありえない。

 

 ならば、何か。

 

「木曾、爆雷投げすぎだってば!」

 

「だが! 潜水艦が撃滅できていないぞ!」

 

 ――原因は二つ。正し、それは要因であり根本的な理由としては、一つ。爆雷の投射が過剰であるために、その水柱がうまい具合に雷跡をかくしてしまったのだ。

 

「こっちのこと考えてくれないかな……」

 

「で、でも!」

 

 北上の言葉に島風が即座に反論しようとして、しかし詰まらせる。原因、つまり過剰な投射は木曾と島風に拠るものだ。一応、投げるだけという様子で手当たり次第に投げていた北上と、ソナーを用いて手堅く狙いを定めていた夕張の投射数は少ない。

 前者は狙いがつけられないことを考えて、後者はそもそも必要がなかった。

 

 ――結果として、過剰な爆雷は北上を救った。しかし、その過剰な爆雷が原因で、北上は窮地に陥ったのだ。皮肉、といえばその通りではあるだろうが、

 

「……なぁ、ちょっとええ?」

 

 後方、龍驤がおそるおそると言った様子で問いかける。声の先はおそらくちょうど前方にいて、現在の状況で最も声をはりあげているであろう夕張だ。

 どこか遠慮がちだが、しかし同時に焦りも見える。声を出すことに躊躇いはないのだろう。遠慮は要するに、内容そのものが由来しているのだ。

 

「ん。なぁに?」

 

 振り返る。爆雷を構えながら、ソナーを注視しながら。残念ながら未だ敵潜水艦は全て沈めたわけではない。故に、爆雷を投射する手を夕張は緩めていないわけだが――

 そんな折、通信が途絶えていたはずの満の声が通信機越しに響く。

 

『島風! 今すぐその海域を離脱しろ、潜水艦は一切気にしなくていい。最大船速で離脱することだけを考える!』

 

「ちょ! いきなり何言ってるの? 潜水艦は沈んでないんだよ? それなのに逃げるとか、鴨にしてくれって言ってるようなものじゃないですか! 私達にシネって言うんですか!?」

 

『そうじゃない! だが説明している時間もない。これは命令だ。繰り返す、これは命令だ。今すぐこの海域を離脱しろ!』

 

「でも、」

 

「――でもも何もあるかい! ウチは帰らせてもらうで!」

 

 突如として、龍驤が大声を発して速度を上げた。当然前方にいる夕張もそれに押されるように速度を上げる。

 

「何をしている龍驤! まだ敵が残っているんだぞ!?」

 

 木曾の声。不服そうにしながらも、夕張を避けるわけにも行かず、押されて速度を上げる。根は真面目なのだ。――少なくとも、今は行き過ぎているという他にないが。

 

 

『……シャラップ!』

 

 

 ――無線機を使用したのだろう。耳に響くほどの大音量で、金剛の声が周囲をかき鳴らした。無線機に耳を傾けていた北上が思わず呻いて飛び上がる。龍驤は何かに気がついている。そしてそれは金剛も同様なのだろう。鋭い声は、彼女の存在を海に示した。

 忘れがちだが、彼女はもう十五年近くものあいだ、世界中の海で敵を蹴散らしてきた歴戦の艦娘なのだ。それは新米を多少脱したところでしかない満の言葉以上に重く――それどころか、反論する艦娘の誰よりも強く、周囲を圧した。

 

 さすがに、金剛の雄叫びを受けて反論できる者もいない。島風がしぶしぶといった様子で速度を上げると、全速力でもって艦隊は戦場を駆け抜けていった――

 

「……それで、」

 

 数分程度しただろうか、夕張が再び振り返って龍驤に問いかける。先ほどは満の命令で中断された。そしてようやく一息ついたという様子の龍驤を見て、問題ないだろうと声をかけたのだ。

 

「一体何だったのかしら。さっきのあなた、どうみても普通じゃなかったし」

 

「あーうん、いまさら何やけどな」

 

 前置きをして、言う。先ほどまでは必死だったのだ。しかし、後になればそれはぶり返して恥ずかしさに変わる。

 

「ウチな。あそこで北上はんの前で魚雷が爆発したの、偶然やないと思うねん」

 

「え? いや、それはさすがに偶然でしょう。どう考えてもあの潜水艦。とんでもない距離から魚雷を撃っていたはずだし。まぁそういうことが無いわけじゃないとは思うけど、でも、結局そういうのは、偶然でしか片付けようがないでしょう?」

 

「あ、うん。それはそうなんやけど。っていうか、別にそれが偶然ではないとは思わへんねん。ちょっち違くてな? 魚雷が“北上はんにあたること”やなくて、魚雷が“機雷にぶつかって爆発すること”が偶然やないって思うのん」

 

「……あっ」

 

 夕張も、そこに至ってようやく気がつく。無理もない、夕張の本分はデータの取り扱いだ。手先の器用さであればこの中で適うものはいなくても、発想の多様さで勝てる相手は、あまりいない。

 一つの技術に慣れすぎたエンジニアが、その技術以外の発想を浮かびにくいのと同様だ。

 

 そしてあの場でそれに気がつけたのは龍驤と金剛、それから北上だ。何も北上はただ無線に気を取られていたのではない。気を取る必要があると判断したからこそ集中して周囲の声に耳を傾けていたのだ。

 

「――つまり、魚雷は機雷に偶然ぶつかったっていう前提が間違ってるの?」

 

「うん、せやから要するに……」

 

 声はそこで途切れた。否、続いてはいた。しかし聞きとりようがなかったのだ。“それ”は容易に世界から音を消し去った。夕張の声も、龍驤の声も、もはや届かないところまで連れて行かれ、消失した。

 

 そう、魚雷がぶつかったのは偶然ではない。では、どういうことか。――簡単だ。

 

 

 爆発。連続して吹き上がる水柱。下から上へ、その瞬間西方海域の大海原に地から生まれた滝が天を昇った。

 

 

「……っ! 一体何ごとだ! 島風ぇ!」

 

「潜水艦全五隻ロスト、今ので沈んだってことね」

 

 木曾の声に、すでにわかりきっていたことではあるものの、それを明らかにするように夕張は告げる。――直後、今の今まで展開されていたソナーも爆雷投射機も、まるで最初から無かったかのようにどこへともなく消え失せた。

 

 簡単なこと。――魚雷は偶然爆発したのではない。“魚雷がどこかで衝突し、激突するほど機雷が投げ込まれていた”のだ。

 龍驤達が憂慮したのはこれだ。魚雷の勢いも合ったとはいえ、北上を覆い尽くすほどの水しぶきがあの時あがった。それだけ多くの爆雷があの海の中に点在していた。何かにぶつかり一斉にそれが爆発すれば、海の一角を覆い尽くすほどの衝撃になる。

 

 過剰過ぎたのだ。原因は明白、爆雷をところかまわず投げ入れ続けた島風と木曾である。

 

『別に今は咎めるつもりはない。進撃してくれ島風。敵艦隊主力はすぐそこにいるからな』

 

「は、はい……」

 

 肩を落として、島風が了承した。――精彩を欠く。島風は南雲機動部隊、鎮守府所属の第一艦隊旗艦であるのだ。それなのに、この有り様。どうにも、上手く行かない。

 木曾もまた同様だ。栄光の第二水雷戦隊旗艦が、このざまだ。だが、島風以上に木曾は落胆が大きい、島風以上に彼女は感情に意識を任せていたようにも見える。

 

 ――龍驤は、そんな後ろ姿をふと、見た。寂しげだ。決して彼女はミスのおおい艦娘ではない。それは同じ基地に所属していたころから変わらない。優秀な艦娘なのだ。潜水艦を相手にしても、本来ならばこんな風にはならないはずだ。

 原因は間違いなく島風だろう。無理もない、“アレ”を気にするなというのはムリだろう。だが、声はかけられない。あの時、声をかけられなかった自分に、いまさら何かをいう資格はないだろう。

 

「……“役立たず”の自分に、木曾はんにかけられる声なんてあるわけ、ないやん」

 

「――ん? どうかしたの?」

 

「あ、あぁ何でもないで」

 

 幸い、この艦隊には経験豊富な金剛もいれば、最近やたらと頭角を現してきた愛宕もいる。問題は起きるだろうが、解決する人材にはことかかない。

 

 意識を切り替えて、龍驤は続く主力艦隊との決戦に備えるのだった。

 

 

 ♪

 

 

『敵主力艦隊撃滅……これより帰投します』

 

 無線越しの声に。満は了解と返して通信を切る。

 

「……拍子抜けだな」

 

「拍子抜けですねえ」

 

 愛宕が同意した。無理もない、主力艦隊とはいっても、結局は残りカスだったのだろう。敵旗艦は重巡リ級フラグシップ。戦艦も正規空母もいない艦隊が待ち構えていた。

 当然今更島風達の相手になるほどでもない。あっという間に殲滅が完了、ジャム島攻略作戦はこれにて終了と相成った。

 

「それにしても、いきなり問題が起こったな」

 

「起こりましたねー。でも、大体どんな感じか解りましたし、次くらいにはなんとかなるんじゃないかしら」

 

「だといいけれどもね」

 

 しかし……と満は帽子のつばを弄りながら嘆息する。深々と腰掛けに身を投げ出し、天井を眺めながら、ぼんやりとした調子で言った。

 

「木曾はまぁ何とかなるんだろうが、何だか気になるな」

 

「島風さんですか? うぅん」

 

「どうした?」

 

「いえ、提督でもこのくらいなら解るんですね」

 

「どういうことだ?」

 

「どうということはないです。ただ島風ちゃんの場合、これは一人で考えるか、もっと近しい立場の人が何とかしないと」

 

 ――問題は深い、愛宕は大げさにため息を付いて、肩を揺らす。満は興味なさげに“それ”から目線を外すと、

 

「僕じゃあダメなのか?」

 

「ダメだと思います。……少なくとも、島風さんの過去を直接見た人でないと」

 

「そうなると……龍驤、より響の方がいいか? 同じ艦種だしな」

 

「あら鋭い。それかもしくは、駆逐艦の娘と一緒にするのがいいと思います。でも、今はあまり気にする必要もないわね。まずは木曾さんとの事をどうにかしないと、本人も気が付かないとおもいますし」

 

 木曾との事。満はそれを改めて口の中で転がした。思考は愛宕との会話からも離れ、どこか深い海へと沈んでゆく。

 

 潜水艦が潜むような、大きな大きな海の底へ――



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『06 木曾』

 木曾の知るある艦娘は言った。理想に現実は追いつかないが、現実に理想は追い付いてくる。その当時、木曾はその意味を全く理解できなかった。今も、理解できずにいる。

 

 確かに理想と現実の違いに苦しむなんてよくあることだ。理想を抱えて何かの世界に飛び込んだ人間だって、数年もしない内に理想というものは砕け散るものだ。

 理想を持ったまま人間は成長しない。理想を捨てて現実を受け入れることを、人は大人になると呼ぶのだ。

 

 だが、現実に理想が追いつくとはどういうことか。理想は先行する未来への天望だ。現実は今と過去にあるが、理想は未来にしかない。どうやったって、理想というものは現実に追いつくはずもない。

 ならばそれはつまり目標ということかといえばそうでもないようだ。訪れた現実を前にして理想を方向転換する、という話でもないらしい。

 

 とはいえ、自分には関係ないことだろうと、当時の木曾はそんな艦娘の言葉を切って捨てた。今もそれに後悔はない。そもそも自分に何故彼女がそんな言葉を残したもわからないのだから、後悔のしようがない。

 

 それでも、わかったことがある。自分には関係ない。そんな思いは、結局のところ幻想に過ぎず、――要するに木曾は“慢心”していたのだと。

 

 少なくとも、木曾はある理想を信じていたのだ。妄信していたと言ってもいい。だがそれは、木曾に言葉をかけた艦娘が轟沈するその時まで、気がつけなかったというだけの話。

 

 かの駆逐艦、先代の電は不滅であるのだと、心の何処かで妄信していた。今の自分の居場所が、駆逐艦電によって作られたこの空間が崩れ落ちるなど、これっぽっちも、思ってはいなかったのだ。

 少なくとも、木曾はそう考えるほどその空間が好きで、また絶対性を感じていたのだ。

 

 ――たとえそれが、誰に対してであろうと。

 

 

 ♪

 

 

 K字型の爆雷投射機が、唸りを上げて空へと跳ね上がる。落石の後、噴出した飛沫の如く。飛び上がった爆雷は、寸分違わず狙い定められた場所へと向かう。

 木曾の顔が凶悪に歪んだ。一点を、ただひとつだけを思いへ向けて、見据える。

 

「沈めッ! シズメェェッッ!!」

 

 直後、怒涛を伴う水柱の噴出が、数多の方向へと吹きすさぶ。

 

 爆発したのは、夕張のソナーが正しければ、すでに大破に置かれていた潜水艦。北上の一撃を受けた無印の潜水カ級。

 ままにあることだ。ままにならないことだ。

 

 歯噛みする。夕張に届いてくる木曾の声はあまりに悲痛が篭っているのだ。聞いていられない。耳をふさいでしまいたい。だのに、世界はそれを許さない。

 

 木曾のそれは無茶が大いに含まれている。しなくてもいいことを彼女はしている。だが、しなくてはならないほど彼女は今、困り果てているのだ。

 島風との間に何が合ったのかは知らない。自分に何か言えることもない。せめて、せめて少しでも早く、この二人の状況に変化が訪れることを祈る。

 

 爆雷を振るう投射機が、唸りを上げて左右に吹き上げられた。

 

「……左舷! 魚雷来てる!」

 

 直後、島風が大いに船体を揺らして、狙い定められた雷跡から自身を引き剥がす。艦隊を切り裂いた白の泡吹が、どこかへ散って消えてゆく。

 

「この! 我が艦隊に手を出すな! 潜水艦風情が!」

 

「敵残り三。無理はしないで! 後一隻落とせれば私達の勝利なんだから!」

 

 言いながらも、夕張は勢い紛れに爆雷を振るった。艦隊戦において、六隻の艦隊を相手にする場合、四隻落とせば凡そ勝利と呼ぶことができる。完全とは言わないまでも、双方の優位性がそこに明らかにされるのだ。

 

「それじゃあ結局、敵の潜水艦を落としきれない! 落としきれなかったら、潜水艦は残ったまんまなんだよ!?」

 

「そりゃあそうだけど、っていうか、まったくもってその通りなんだけどさ」

 

 そういう話ではないだろう。たしかにそれは正論だ。しかし、正論は人の意志で時にたやすく曲げられる。理不尽だ。そして夕張は、その理不尽を自分の中で感じざるを得ない。

 ――声を上げたいのに、声を上げられない。その感覚を夕張は味合わされているのだ。

 

「そんなことをしても結局意味は――いえ、いいデス。とにかくこの海域を離脱しましょう! 長居は無用! 潜水艦隊など振り切るのがベターデス!」

 

「だがベストではない!」

 

「一つのベストにかまけている時間はありません。それはいついかなる時も同様デース」

 

「なら――」

 

 木曾の反論へ、金剛は即座に遮った。声など、聞くまでもなく理解しているように、自身の言葉を乗せた。

 

「一つのベストは、ベターで補えるのデース、ならばそれをベストに変えるのは、結局のところ個人のスキル次第ではないデスか?」

 

 金剛の言葉は彼女らしくどこか軽く、しかしそれゆえに毒気がない。金剛の言いたいことは簡単だ。そこまで言うのなら、自分のチカラでやってみせればいい。離脱するまではベストは作れる――そのベストを、作れるのならば文句の一つも金剛は聞く。だができないのならば、最初から無駄口を叩く必要はない。

 要するにそういうことだ。金剛自体に木曾を責め立てる理由がない以上、金剛は木曾に言葉をかける。あくまで優しげに、叱咤することなく激励してみせる。

 

 それができるのが金剛だ。伊達に日本海軍の最古参というわけではない。

 

「……ッ! いいだろうやってやるさ!」

 

 その言葉にようやく少しは冷静さを取り戻したのだろう、ニヒルに笑みを浮かべて木曾が肯定する。

 一度だけ両手を顔に張り手して、そのまま振り上げるように爆雷の軌跡を描く。狙い通りにたたきつけられた爆雷が、海へゆっくりと消えていった。

 

「島風!」

 

 最後方、龍驤が島風へ向けて声をかける。離脱を促すそれに、一瞬ためらってから島風は頷く。

 

「撤収するよ! 同時に潜水艦を撃滅。一隻だってこいつらを、残してなんかやるものか!」

 

 言いながら、島風の振り上げた爆雷が海の深淵へと呑み込まれかき消されてゆく。そして――

 

 

 ――島風達は無傷で戦闘を終了。敵艦隊を壊滅させ、海域を離脱。戦果は旗艦ある潜水ヨ級を除く全深海棲艦の撃滅。

 判定の必要もなく、島風達の勝利となった。

 

 

 ♪

 

 

 ――カレー洋制圧戦。

 “深海墓場”カスガダマに近づくにつれ、敵の戦力が強大になると同時に、ある傾向が見えてくる。それはカレー洋周辺には多くの資源回収地帯があるということだ。これは何もカレー洋だけの話ではなく、西方海域には何かと資源を手に入れられるポイントが多い。

 これは要するに、“深海墓場”と呼ばれるカスガダマの特性とも呼べるものだ。

 

 ――“深海墓場”とは。

 

 簡単に言えば、敵の深海棲艦が轟沈した後、海に攫われ行き着くポイントである。その訳には諸説あるが、このカスガダマこそ、深海棲艦の元となる怨念が最初に通る場所なのである、というのが現在の定説だ。

 つまり、一度沈んだ深海棲艦は新たなコア、行動原理である異世海の怨念を求めここに惹き寄せられるというわけだ。

 また、艦娘達に使用される資材の元は、こういった深海棲艦の廃材だ。それを回収加工することで、艦娘は海上でも行動が可能となるわけだ。

 

 こういった別世界と何がしかの交信を行うとされるポイントはこの世界にもいくつかあるが、そのほとんどが深海棲艦の本拠地とされている。その中で唯一、人類が拠点とすることができたのがこの場所、カスガダマだ。

 結果としてカスガダマは重要な資源採掘地帯となり、また深海棲艦がたどり着くことから付いた名が――

 

 ――深海墓場、というわけだ。

 

 現在、その深海墓場は深海棲艦の手中にある。これは何も非常事態というわけではなく、何年かに一度、敵の攻撃が激しくなった際にカスガダマがその標的とされることはよくあることなのだ。

 今回はある非常事態もあってか、カスガダマを守護していた艦娘達はむざむざ西方海域を明け渡すほか無かったわけだが、その奪還のため、白羽の矢が立ったのが満達というわけだ。

 

 そうしてこれは西方海域進出作戦の第二戦。カレー洋制圧戦だ。作戦の要旨はごくごく単純、ストレートに突っ込んで、ボスを殴って敵を追い払う。それだけだ。

 ただし、コレに加えてここはカスガダマ沖周辺。豊富な資源地帯を確保することも目的となる。

 

 ルートとしてはカレー洋中央の資源地帯がうちどちらかを通り、直線的にボスの元へ向かう方法か、迂回して敵艦隊をよこなぐりにする方法だ。

 奇をてらい、迂回することは場合によっては間違いではない、しかし今回の場合正解は直線ルートだ。理由は簡単。そちらのほうが戦闘回数が少ないのである。

 

 迂回して、資源も確保できず戦闘も増えるのではあまりに無駄が多すぎる。結果、今回の進撃で奇策は必要を為さず、ストレートな進撃作戦が取られることとなった。

 

 面子は前回と変わらず、旗艦島風に金剛、北上、龍驤。そして北の警備府から木曾と夕張だ。

 

 ジャム島攻略作戦と同様のメンバーで出撃した島風たちは、何ら問題もなく進撃、カレー洋をニンゲンの手へと取り戻す――はずだった。

 

 問題は先の潜水艦隊との戦闘から少し、敵主力艦隊を目前にした、空母機動部隊との戦闘で起こった。

 

 

 ♪

 

 

 ――ありえない。心の何処かで誰かが告げた。

 ――ありえない。自分を見る誰かの瞳がそう告げていた。

 

 愕然としながら島風は、ありえないと考えてから改めて、自身の状況を認識した。認識してからもう一度、繰り返すように思考した。

 

 こんなはずはない、と。

 

 痛み。そう、これは痛みだ。衝撃に揺さぶられた感覚と、同時に吹き上がる体中を襲う痛み。その痛みは、ただ痛みとして島風を襲っているわけではない。

 

 心の痛みだ。自分の中で生まれた、心の臓をかきむしるかのような激痛。意識すらおぼつかないほどの悲鳴に、しかしそれだけではない。

 感じるのだ。

 もがきを、無色の海に引きずり込まれ、意識すら、思考すら溶かされるような痛み。

 

 それは、口元にまでせり上がった記憶が、最後何かに引っかかり、結局でてこないもどかしさ。その痛みは、そう、

 

 

 ――“解らない”という痛み。

 

 

 島風は、大破した。

 そんな折、彼女はどうしようもない感覚を覚えたのだ。痛みと喉元をかきむしりたくなるようなもどかしさ。わけのわからないまま何かに答えをぶつけたがって、しかしその矛先が見いだせない、そんな痛み。

 

 本来ならば、回避できるはずだった。無数の集中砲火の中であれ、致命傷を負うような艦娘では島風はない。どんな一撃も回避する。回避した上で敵を撃滅する。それが“できる”のが本来の島風なのだ。

 今も、そんな島風と変わらない、はずなのに。

 

 いったい何が間違っていたのか。

 いったい何処で間違えたのか。解らない。何故ならば答えがないからだ。運が向いていない、といえばそれはそのとおりなのだろう。

 

「――し、島風ェェェッッッッ!」

 

 木曾の絶叫が海域に響く。爆撃の雨あられ、無数の爆撃と艦載機が飛び交う海の上で、しかし彼女の言葉ははっきり島風に届いた。

 

 今の島風には、木曾の状態は解らない。確認するすべはない。それでも、木曾が一体どんな行動を起こそうとしているか、島風にはなんとなくではあるが、理解できた。

 

「待って、来ちゃダメッ!」

 

 ――だが、その声は木曾に届くことはなく。

 

 海をそのまま震わせる爆音。島風の耳は、襲いかかったそれを、認識するに苦痛が伴うのだった。

 

 

 ♪

 

 

『撤退だ』

 

 満の言葉は簡潔であり、そして端的であった。

 

「……解り、ました」

 

 島風は一瞬躊躇いを覚えながらも頷く。理解していた。このまま進撃しても勝てない。自分の中にある違和感と、この艦隊が抱える不和。それをどうにかしない限りは。せめてどちらか片方は――

 

「待て! まだ俺は戦える! それに島風は旗艦だ。轟沈の危険は――」

 

『……木曾』

 

 反論しようとした木曾に、満は名を呼んで止めた。続けて、諭すように言葉をかける。

 

『君が何かしらの問題を抱えていることは理解している。それを僕に話してくれ。言い方は厳しいが、これは命令だ。拒否権はない』

 

「――俺はッ!」

 

『繰り返す。これは命令だ。――問題は起こってしまった。である以上、僕は行動を起こす義務と権利がある。たとえ愛宕に止められたとしても、君の言葉を聞かなければならない』

 

「……、」

 

『…………島風、入渠のさい高速修復剤は使用するな。ゆっくり休んで、意識を切り替えておけ』

 

「分かりました。……艦隊帰投」

 

 島風が身を翻し、満の待つ鎮守府へと足を向けた。心配そうな金剛がそれに続き、北上が呆けたようにしながらそれを追った。夕張、木曾がそれぞれ動き出し、最後に龍驤が一瞬敵主力艦隊が待ち構える先を見て、そして船体を動かし始める。

 

 島風が大破していた。そのために艦隊の移動速度は著しく低下していた。しかし、その速度はあまりに遅く――そして遅いと感じる理由は、決して島風が大破していたという理由だけではないように、思えた。

 

 

 ――最後尾、龍驤は一人決意を固める。木曾と島風、二人が“こう”なってしまった原因に、少なからず自分が関わっている。そう、決めつけた。実際にそうであったとして、そうでなかったとして、それはどうでもいい。

 だが、自分が原因であるのなら、解決のために動かなくてはない――義務感は生まれる。

 

 龍驤の思い。そして木曾や島風の感情。それらをカレー洋へ置き去りにして、南雲機動部隊は、カレー洋制圧戦、最初の出撃を終えた。



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『07 過去』

「うんまぁ、別に君を責め立てようってわけでもないし、あまり気負わないでほしいな」

 

 ――話しづらいことを矢継ぎ早に問い詰めることになるけど。そんな必要のない言葉は飲み込んで、満は木曾に席に座るよう促した。

 

「説教をするのはあの人の仕事だ。僕は単純に君のチカラになれればと思う」

 

「……はい」

 

 言ってしまえば、適材適所。もともと満は誰かを叱るということが向いていないのだ。叱られ慣れていないというのがまずあるが、そもそも説教は彼の得意分野ではない。

 飴と鞭ではないが、満の担当はいわゆる飴。精一杯艦娘の事を慮ればいいと、彼は考えている。

 

 決して安っぽくはない、しかし厭味になり過ぎない程度のシンプルなデザインのティーカップを木曾が受け取る。それを見た満が、

 

「安物だけど、ごめんね?」

 

 と言う。そうして恐る恐ると言った様子で中に入った紅茶を飲み下す。やがてこくこくと、半分ほども飲んだだろうか。ようやく落ち着いて、木曾は一言ポツリと漏らした。

 

「……本当に安物だな」

 

 市販のストレートティー、いわゆるアフタヌーンの紅茶というアレだった。手作りですらない。もはや単なるジュースだ。

 そんな木曾の一言に思わず満が吹き出す。楽しげに笑う彼に、木曾も毒気が抜けたように肩の力を少しだけ抜いた。

 

 本当に、この少年――提督ではあるが、同時に彼は高校生ほどの年齢だ。青臭いといえばそのとおりなのかもしれないが、そもそも木曾達艦娘は実年齢で言えば一桁未満だ。あまり人のことは言えない。

 ――この少年は、木曾を責め立てる様子はないらしい。

 

「人がいい……いや、人が悪いな、本当に」

 

 苦笑した木曾。――それは呆れを多分に含んだものではあったが、満が初めて見た、木曾の笑みだった。

 

「あはは。まぁそれが僕の役割だから。それに、キツイことは言わないが。キツイことは、聞くよ」

 

 きっぱりと、はっきりと、何ら物怖じもせず満は言った。まっすぐ木曾の瞳を見つめて、言葉を待つように、それから口をつぐんだ。

 一瞬、ほんの一瞬だけ揺れた木曾の瞳。しかし即座にそれは見つめ返す瞳に代わって、南雲満と、軽巡洋艦木曾は、ようやく対等に、ようやく何の垣根もなく、言葉をかわす土台にたった。

 

 沈黙はさほど長くはない。体感も、決して長いとはいえなかった。木曾は、少しの躊躇いを持って、言葉を選び始める。

 

「…………わかってはいるさ」

 

 ――軽巡木曾。日本海軍が誇る第二水雷戦隊の元旗艦にして、現在は北の警備府所属。人間の基準で言えばそれは左遷と言えるかもしれないが、艦娘は人でも在り、兵器でもある。兵器は自分の居場所に不満を持たない。艦娘は、そのチカラを振るう場所は選ばないのだ。

 そんな彼女が建造されたのは、ある基地の工廠だった。

 

「俺と島風は、同じ艦隊の所属だった。あいつは駆逐艦としては破格の性能を誇るエリートとして、俺は……どうだろうな。客観的に見ても、それなりに期待されていたのは確かだが、ともかくお互い、それなりに期待される立場にあったんだ」

 

 よくわからんと、木曾は肩をすくめた。建造された彼女はそのまま建造された基地に配属され、そしてその基地を出た後、第二水雷戦隊の旗艦を務めた。つまり、基地に所属していた段階で、彼女はそれ相応に優秀な艦娘だったのだ。

 

「俺は期待に答えようとしてな、よく島風と張り合っていた。ずいぶん厳しい言葉をぶつけられたな。……思えば、アレは結局子どもの喧嘩みたいなもので、俺も島風も、幼かったってことなんだろうな」

 

「艦種を超えて競い合う仲間か、いいじゃないか。嫌いじゃない。……おそらく原因だろう僕が言うのも何だが、ウチの艦隊は皆仲がいいからね。言ってしまうと、張り合いがない」

 

 木曾にとっては、島風と張り合うことが日常だった。島風の態度はわがまま放題のエリート風を蒸す生意気ばかりであったが、それ以上に、そんな生意気な少女と、――悔しいことに実力の伴ったその少女と、張り合うことがどうしようもなく“楽しかった”。

 

「俺と島風がガキみたいに言い合って、それを龍驤と重巡の艦娘がたしなめるんだ。で、それを楽しそうに遠目から、旗艦の戦艦とあいつが見てるんだよ」

 

「あいつ……」

 

 ぽつりと、満はそれだけ呟いて、ふと手を伸ばして自身の紅茶を飲み下す。言葉を幾つか同時に飲み込み、それから混ぜあわせて、一つを選ぶ。

 そうして、問いかけた。

 

「……先代の、電のことだね?」

 

 ――一瞬だけ、木曾は呆けた顔をして。

 

「あぁ」

 

 そう、端的に頷いた。

 

 先代の電。伝説と呼ばれた駆逐艦。――その名を確かめた満の中で、急速に一つの答えが浮かび上がってゆく。木曾と島風。両者の間に立つ誰か。それは間違いなく先代の電だ。島風にとって先代の電はとても大きな存在である。

 わがまま放題だった少女が、一つ前に進んで今の、優等生な島風になった。そのキッカケは、間違いなく先代の電にある。

 

 先代の電が、轟沈したことにある。

 

「全てはそこに行き着く……か」

 

「俺にとっても、島風にとっても、先代の電はあまりに“大きすぎた”んだ。沈むなんてこと、端から考えられないくらい。沈んだことを、今でも信じられないくらい」

 

 要するに、発端は先代電。彼女に起因し、彼女に帰結する。

 

「本当に、あの艦娘は……」

 

「……ん? どうかしたか?」

 

「いや、何でもない」

 

 ひとりごとは、どうやら木曾にまで届いてしまったようだった。別に聞かれて困るようなことではないが、突っ込まれては困ることだ。そもそも、木曾と満の間に、電という存在はあまり必要ない。

 

「――改めて、此処から先は厳しいことを聞くと思う。嫌だとは言わせないが、心して欲しい」

 

 そうして、改まったように満が木曾へ言葉をかけた。――しかし、再び木曾の瞳が揺れることはない。あくまで真っ直ぐ、満と相対していた。

 

「……南雲提督」

 

「なんだい?」

 

 続く言葉は、なんとなくわかる。鈍い満であっても、因果的に今の木曾が何を思っているか、なんとなくではあるが理解できる。

 それでも、わからないといった風に問いかけた。木曾は、少しだけニヒルに笑みを浮かべて、満を見る瞳を細めた。

 

「あまり俺を見くびらないでくれ。……ここまで話をして、いまさら止まれるほど俺は臆病じゃないんだ」

 

「そうか。じゃあ聞く。木曾、先代電が轟沈した時、君と島風の間に、何があったんだ――?」

 

 過去へと振り返る。未来へと背を向けて、かつての栄光をその体に浴びる。それは、今自分が手に持っているものとは別種のものだ。

 木曾の言葉は、満をその世界へと誘ってゆく。

 

 

 ♪

 

 

 先代の電が轟沈した当初、島風は同じ海域――カスガダマで資源の輸送任務についていた艦娘、響にことの詳細を問い詰めていた。

 それはその事実に動揺した島風の、ある種失態のようなものだった。とはいえその時のことは、島風と響の間で、それなりの情感を持って和解が為されている。

 

 そもそも過去のことだ。両者間が納得しているのなら、いまさらその二人のことに、木曾が何かを言うはずもない。満も、特にそこへ言及することはなかった。

 

 両者の間に生じた溝は、ごくごく単純なこと。響を問い詰めた島風を、木曾は龍驤とともに諌めた。しかし、その時木曾は、思ってもないことを口に出してしまったのだ。

 

 ――思ってもない、というのはある意味木曾の希望なのかもしれない。木曾にとってその時の事を感情をもって思い出すことは、不可能だったのだ。

 あくまで客観的なこととして、木曾はその事実を淡々と述べる。

 

 普段のような言い争いが、電の轟沈という事実でもって必要以上に暴走し、龍驤では止めようもないような事態に至っていた。当時、旗艦の戦艦は雑事に忙殺されていたため往なすことはできず、そもそもそれを、先代電以外に、止める力があったかといえば、首を傾げざるをえないだろう。

 

 そうして行き着いた先。木曾は島風にある言葉を投げかけた。それは誰もの心に楔としてのこり、今に至る。

 

「――どう、しようも無い。“役立たず”じゃあないか!」

 

 半ば自身に向けた言葉だっただろう。しかし、島風に対しても向けてしまった言葉であることに違いはない。

 木曾はそれを悔やんでいる。電の事を上手く呑み込めなかったあの時に、それを島風にぶつけてしまったことを悔やんでいる。

 

 ようは、そこに全てが行き着く。

 潜水艦に対し異様に執念を燃やすことも、“どう”することもできない“役立たず”ではないことを証明するため。それ以上に、島風を先代の電と重ねて、島風の轟沈を恐れているのだ。

 

 島風が、自分のわがままを収めて、優等生となったように。

 木曾は、自分の中の役立たずを殺し、優秀であろうとした。

 

 先代電への想いを胸に、それぞれは前へ進もうとしていた。

 

 

 ♪

 

 

「まぁ、島風もそうやろうけど。……ウチにとっても、やっぱ電はんは大きかったんよ」

 

 ――かつて、島風と響がそうしていたように。島風の部屋には、今、龍驤が訪れていた。数年前、響と会話を交わしたように、同じベッドに腰掛けて、二人は肩を並べ合う。

 

「空を舞うウチの編隊は、ちょっとさびしい。けど、小さな小さな編隊が舞う空は、とんでもなくって素敵なんやって……初めてウチにそう言ってくれたのは、電はんやった」

 

「やっぱりそれが、龍驤にとっての“空”なんだ」

 

「せや。ウチの空は大きな空や。身体がちっこい分、いっぱい飛んで、いっぱい走れる。そんな空が、ウチの描く空なんや」

 

 直線的に伸ばした右腕を、揺らめかして回遊させる。楽しげに手を揺らす龍驤を、島風は横目に、眩しそうに眺めた。

 そうしてしばらくして、龍驤はその手を引っ込めて倒れこむように後方へ体重をかけると、憂いを持ってため息をこぼした。

 

 染みこむように沈黙が広がって、その後ようやく、龍驤達は本題へと入った。

 

「――木曾と島風のこと、やっぱウチになにか言う資格なんてないって、思ったん」

 

 龍驤には、あの時の木曾の言葉が重く、突き刺さっていた。ちょっとやそっとじゃ抜けない楔として――五年もその言葉を、忘れずにいたのだ。

 

「ウチかてやっぱ、――役立たずなんやから、って」

 

「……、」

 

 少しだけ、息を呑むように島風は言葉をつまらせた。出てくる言葉が何もない、かける言葉が浮かばない。何かを言わなくてはならないという焦燥だけが先行し、龍驤に向ける意思には、重みがない。

 それでも、譲れない一線があった。退いてなならない一瞬があった。島風はそれを間違えない。彼女の意思は、重みの消失程度でためらっていられるほど軟ではない。

 

 島風は駆逐艦、艦娘だ。彼女が持ちうる鋼鉄の魂は、今は南雲機動部隊とともにある。

 

 ――龍驤が言葉を続けようとした。

 

「せやから、」

 

 それを、

 

「――まって!」

 

 後も先も考えること無く。

 

 即座に言葉で、遮った。

 

「違う! そうじゃない! そうじゃないよ!」

 

 一度、言ってしまえばそれで良かった。

 言葉は後から追いついた。島風の速度に、寄り添うように二の句は継いだ。

 

「龍驤は役立たずなんかじゃない! そもそもアレは、私がいつも木曾にひどいことを言っていたからであって、誰も気にするようなことじゃ……」

 

「いや、でも木曾かていつもの調子が、あの時は止められんくて、それが気に病んで今が……ん?」

 

「気に病んでって、そんなこと木曾がする必要……あれ?」

 

 マシンガンのごとく会話のやり取りを繰り広げようとしていた――少なくとも言わずして両者はそのつもりだった――はずの島風と龍驤が、急ブレーキでそれを止める。

 違和感。

 そう、違和感だ。なんとも言えない小骨が刺さるような感覚に、思わず二人は難しそうに眉をひそめる。

 

「……あれ?」

 

「……ううん?」

 

 二人揃って首を傾げて、振り子のように左右にそれを揺らし続ける。そんな様子を何分も、何度も何度も繰り返し続けた。やがて答えにたどり着くまでに、島風たちはどうにも言い切れない感覚を伴って、それこそ広大な海のごとく拡がる疑問をこねくり回し続けるのだった。



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『08 背中』

『木曾さんは、きっと何かを間違えていたわけではないと思います』

 

 ――それは、出撃の直前に秘書艦、愛宕が木曾へ向けて放った一言だ。

 

『ただ、それはボタンを掛け違えてしまったかのように、何かがすれ違ってしまったのではないかしら。……少なくとも、それは間違いではない。間違いがあるとしたらそれは――』

 

 ――それ以上は、愛宕は続けることはなかった。

 ただニコリと笑って、木曾の背を押すように艦隊の出撃を見送った。晴れやかな空を、そのままキャンパスに描き写したかのような透き通る笑みは、木曾の心底を打ち、海にその体を預けるまでの間、愛宕がかけた言葉とともに、木曾を釘付けにするのだ。

 

 今、木曾も島風も、同じ海の上にいる。これまで交錯することすら無かった少女たちが、交差どころか、列を並べて艦隊を組んでいる。

 不思議なものだ。

 

 木曾にとって、島風は決して嫌な相手ではなかった。けれども、心底“上でありたい”と思う相手であった。それは純粋なライバルというよりも不和な感情が大きく会って、敵対しあう者同士よりも、奇妙な友情を感じていた。

 強いて言うなら、宿敵。加えて言うなら――戦友。

 

 それが崩れてしまったのは何時のことだろう。

 無論、先代の電が轟沈してしまった、かの日からであることは間違いない。しかし、そこから止まってしまった二人の時間は決して動かせないものではなかったはずだ。

 

 だが、いつの日にか滞ってしまった。

 木曾と島風が“すれ違っている”のはきっと、時間がそうさせてしまったからだ。時間により分かたれた二人は、それ相応に変化した。

 木曾は第二水雷戦隊の旗艦、エリート中のエリート。

 島風は南雲機動部隊――正規空母すら席をおいていた艦隊の旗艦、いわばエース。

 

 ぶっきらぼうで不器用な少女は軍人らしい軍人に成長し、わがままで不器用な少女は優等生らしい優等生へと変化した。

 

「――敵艦見ユ! このまま薦めば、おそらくT字有利で戦闘に入ります!」

 

『単縦陣で戦闘配備、敵艦隊を撃滅せよ』

 

「了解!」

 

 すでに直列していた艦隊の全ての艦娘が一挙に満へ返事を返した。前方の島風から大きな飛沫があがる。急速にスピードを上げた彼女に追いつくべく、各々艦娘達も、徐々に速度をトップスピードに近づけてゆく。

 水を掻き切った前方の飛沫が、木曾の元へ届いた気がした。艦娘達の距離はそれほど近いわけではない。ただ、そんな“気がした”だけだ。

 

 それはきっと、島風のものなのだろうと木曾は勝手に決めつけた。

 

 

 ♪

 

 

 潜水艦隊との戦闘を切り抜け二戦目。一度撤退を余儀なくされた海域において、島風達は再びかの艦隊と相まみえた。正確には、編成され直した敵艦隊と。

 砲撃は、瑞鳳の航空機が空を舞った後、始まった。たたきつけられた艦爆と艦攻の絨毯爆撃は、しかし敵艦隊をほとんど穿つことはない。わかりきっていることだ。敵は空母機動部隊。たかだか一つの空母でもって放たれる戦力では、そうそう複数空母の編隊は崩せない。

 

 あくまで、最初の爆撃は牽制。せいぜいが脇の駆逐艦を穿てれば良いというほどのもの。むしろ本命は二の太刀雷撃。重雷装巡洋艦――北上の、開幕雷撃が敵に向けて放たれるのだ。

 

 飛沫が吹き上がった。敵の軽巡ホ級に着弾、直後船体が真っ二つに避けた敵艦は、そのまま海の底へと消え去っていった。

 

「っし!」

 

 軽くガッツポーズをして見せて、北上は即座に続く三の太刀――砲撃戦のための主砲を構えた。

 

 ――戦闘はほぼ一方的といえた。そも、前回の戦闘でダメージを負ったのは運悪く一撃をまともに浴びた島風と、無茶をした木曾の両名。

 少なくとも後者に関しては普段通り――南雲機動部隊としての活動だけを見れば、普段以上の動きのキレで、木曾は敵艦を狙い撃っている。

 

 その木曾の表情はどこか堅い。まだ何かを胸に抱えている様子だ。しかし、それでも戦闘における調子は取り戻しつつある。絶好調と言えるレベルにまで、彼女は仕上がっているよだった。

 あらゆる水雷戦隊の中にあって“最高”と呼ばれた第二水雷戦隊、その旗艦であった木曾。つまり彼女は言い換えれば――日本最強の軽巡。少なくとも旗艦としては、彼女と並び立つ艦娘はそうそういない。

 

 T字有利状態という追い風があったにしても、終わってみれば島風達は、一切損害を被ることもなく、敵機動部隊を殲滅した。完膚なきまでに――決定的に、南雲機動部隊は勝利した。

 

 そして、進撃。

 続くは敵の最深部。東方艦隊――主力郡が、その一つ目。

 

 万事際しなし。しかし、一つだけ気がかりが木曾にはあった。

 戦闘中、敵空母ヲ級が放った艦爆が、島風を穿とうと空を駆けていた。それは単純に、目に止まったのが島風で、そしてそれを木曾がそう認識したからこそ、そう決めつけたのだ。

 

 だが、それがよくわからない。要するに、何故木曾が島風に対する攻撃であるか、それすら判断できない状況で木曾はその攻撃を島風へ向けたものだと判断した。

 即座に対空火器でそれを迎撃、回避のまもなくその直撃を受けた敵の艦載機は空中にて黒煙混じりの花火を上げて、そのままあらぬ方向へとそれて消えた。

 

 そのまま意識もせず砲撃戦へと木曾は舞い戻る。身を翻し、迫り来るいくつかの砲弾をやり過ごした。だが、その最中であってもまだ、木曾は先ほどの艦載機に意識を奪われていた。

 

 もしもアレを落としていなかったら、取り返しのつかないことになっていたのでは? そうでなくとも非常に“面倒”なことになっていた可能性はある。どうしてか、そんな思いが拭えなかったのだ。

 

 拭えぬまま戦闘は終わり、木曾はその不可解と、元よりあった島風への複雑な胸中を綯い交ぜにし、続く主力艦隊と決戦へ赴く事になる――

 

 

 ♪

 

 

 海は驚くほど風を逸していた。波の無い洋上というのは、あまりに異様な光景だ。ただ島風達の描く航跡だけが、泡を描き道を作る。

 さながら純白シルクのロードといった様相であるが、描くは無骨な艦娘の装備だ。幻想的な過去の世界に思いを寄せるようなものではない。そも、シルクを運ぶからシルクロードなわけで、シルクで作られた道でもないが。

 

 益対の無いことを思考しながらも、島風の胸中には未だ支え棒が突き刺さっている。感情は、“どう”するべくもなくそこにある。島風の手におえないほど。

 

 直後、己の口は敵艦見ユとそう告げた。正確には瑞鳳の偵察機が告げた情報であるが、報告は島風の役目だ。それは今までも、そして島風が南雲機動部隊の旗艦であるかぎり変わらないだろう。

 

『――島風』

 

 声が聞こえた。個人の会話ということだろう。接敵までに少しの時間がある。それを利用して木曾が無線機越しに話しかけてきたのだった。

 

『あの時のことはすまなかった。……いや違うな、あの時のことを引きずってばかりいて、すまなかった』

 

 ふと、島風は幻想を見た。イメージの中に、木曾が現れた。

 ふたりきりの海。今は昼で、空も海も青に染まっているけれど、島風の心のなかは黒墨の一色だ。そこに、木曾がポツンと立ち尽くしている。

 

 風を切る前傾姿勢から、立ち尽くすような態勢へ切り替える。とはいえそれで船速が変わるほど島風は全速力ではないわけだから、周囲に意識されることはない。意識されるほど、島風に変化はない。

 

「……うん、ありがとう。実は龍驤と話をしていて気がついたんだけどね、木曾、貴方と私の相手に対する感情って、すれ違っていたんだね」

 

『――どうも、そうらしいな。こうもすんなり受け入れられるとは思わなかった。でも、腑に落ちた。何だな俺達――こんなに不毛なことを今まで引きずっていたのか』

 

 すれ違いは、不毛だ。お互いに言葉を交わせばすぐに関係を修復できるのに、すれ違いがそれをさせなくする。そして、すれ違いによって生まれた不和の時間が、ながければ長くなるほど、勘違いはあまりに大きく、取り返しの付かないものになる。

 

 少なくとも、木曾と島風にとってはそうだった。誰かの力を借りなければ状況は解決しないほど、ネジ曲がっていた。

 木曾は言う。――こんなに単純なことだったのに、と。

 

『なぁ島風。お前の背中は、遠いな。後ろから見ていて、遠くまで来たのだと実感する。“すごく”なったよ、お前』

 

 ふと、イメージの中の木曾が、島風の胸元に手を載せた。それはごくごく自然な動作で、二人の距離感を測るようであった。

 決して近くはない。だが、手を伸ばせない距離ではない。言い換えてしまえば“手を伸ばさなくては届かない”距離。

 

『だから……小さいな。お前が小さいよ。……これならすぐにでも追いつけそうだ』

 

 彼女は、何かをたぐり寄せるように島風へ言った。引き寄せるように、語りかけた。

 

「……もうすぐ接敵するよ。まずは敵の主力を叩く。付いてきて」

 

『委細承知!』

 

 跳ね上がった水が連なって、ひとつの淡い弧を描く。敵艦隊は、すぐそこまで迫っていた。

 

 

 ♪

 

 

「撃ち抜けッ!」

 

 敵編成は戦艦ル級フラグシップを旗艦とし、空母ヲ級フラグシップ、そして重巡リ級エリートと軽巡ト級エリート。そして駆逐ロ級エリート二隻。

 

 その後方、ト級エリートを狙い定めた木曾の主砲が、木曾の背中、右手側から振るうように煙を跳ねさせた。

 瞳が、衝撃に振り回されるビー玉の如く周囲を転がる。視界がブレにブレ、揺れに揺れ、飛び交う砲弾を追いかける。

 迫る致死はいくつもあった。その中から幾つかの、己に迫る致死を判じて動く。体がぶれた。一瞬のこと速度の緩急が異様なほど揺れた。

 

「あまいな、甘いなアマイナあまぃなぁ!」

 

 降り注ぐ弾丸。黒のカーテンが襲う死を木曾はその中に身を躍らせて、その中をかき分け突き抜け、振り切るように滑り行く。

 即興の逆流滝、朽ち果てた神殿跡。やがて消え行く柱があれど、その直後その場所に、三度砲弾が突き刺さる。

 

「がむしゃらな砲撃だ。さながら児戯……! 違うなぁ、砲撃はそうじゃないそうじゃないんだよ俺の敵!」

 

 その砲弾。ほぼすべては木曾が狙う軽巡ト級エリートからの一撃。一部は他艦艇の流れ弾という風であるが――

 届かない。軽巡ト級はミステイク。間違いを犯し続けているのだ。そう、届かない。がむしゃらに砲弾を押し付けて、あたったとしてそれが何だという。それは、所詮ラッキーパンチというものだ。

 

 意味が無い。到底それでは意味が無い。

 

 木曾の砲塔が回転を始める。唸りを上げて狙いを付ける。ほんの小さな左回転。直後――吹き上がった一撃は敵ト級エリートの至近にたたきつけられる。

 あふれた飛沫の衝撃と破裂した砲弾の破片がト級エリートをえぐり、切り傷を刻み込む。

 

 至近弾。正確にはそれは、先ほどト級エリートに放った砲弾から距離を修正して放つ“夾叉弾”だ。一つでは仕留めない。余裕を持って続けて二つ。そしてまとめて三つ目で落とす。

 

 一度で当てることはない。必要ないのであるそのような幸運。――それが兵、それが歴戦というものだ。

 

「さぁ沈め……お前は海に、必要ない!」

 

 ようやく、ここまで来た。

 三発で木曾は軽巡ト級を沈めた。二の太刀いらず、どころか、必殺すら必要ない。ただ薙ぎ払う一振りだけで持って、ト級はなすすべもなく沈んだ。当然のように木曾は続く敵へ意識を向けた。

 

 ようやく、木曾は感覚を取り戻しつつある。

 水雷戦隊の旗艦としての仕事と、艦隊決戦を行う主力艦隊の随伴艦では、役割は大きく違えられるだろうが、それでも木曾は天性のセンスでもって戦いを進める。

 もう、無茶はない。

 木曾は本来の調子を取り戻していた。島風との会話で、彼女の中で踏ん切りがついたのだ。

 

 結局のところ、単なる行き違い。言葉のたり無さと、それに伴わない思いの反発。愛宕は言った。島風が悪いのではない。木曾が悪いのではない。

 

「まったく……面倒な置き土産をしてくれたものだ」

 

 そう、この面倒な状況に、悪者がいるとすれば――

 

「電の奴め、本当に最後の最期まで、厄介な奴だよあいつは」

 

 ――先代の電。彼女が沈んだことが悪いのだ。木曾はそんな思いを込めて、一人ごちる。それは彼女の中で、電の轟沈に対して、そういった思いを持てるようになったということである。

 

 見れば金剛の主砲が空母ヲ級フラグシップに炸裂していた。

 戦闘は終わる。つつがなく、南雲機動部隊の勝利でだ。先の戦闘で、大破したということが信じられない程、一方的に、徹底的に。

 

 直後、降り注ぐ龍驤の爆撃。その一撃は、戦いの終了を続けるには、十分すぎるほどに十分であった。

 

 

 ♪

 

 

「――木曾?」

 

 龍驤がふと、気がついたように木曾へ向けて声をかける。すでに帰投を始めた洋上。戦いを終えた海は、そのあまりある穏やかさを持ってなお、抱えきれない静寂であふれていた。

 

「……なんだ?」

 

「…………久しぶりやね」

 

「あぁ……本当に、久しぶりだな」

 

 もう、何年ぶりになるだろう。おそらくは七年ほどの歳月、言葉をかわすことのなかったかつての戦友とようやく木曾は言葉をかわした。

 続きはない、ただ二人並んで海を滑って、どこに続くとも知れない雲のない空を見上げている。

 

「今度、島風を誘って飲まないか?」

 

「あはは、魅力的な誘いやね。ウチお酒呑めへんからジュースやけど、いい?」

 

「島風だってそうだろうさ」

 

 ――違いない、二人は軽く笑い合った。龍驤と木曾、互いに遠慮をしていたわけではない、それでも会話の機会がなかった両者はようやくここで、お互いの時間を近づけることに成功したのだ。

 

『――そういえば木曾、山口さんが君に話があるそうだ。こってり絞られてくるんだね』

 

 ふと、満が無線機越しにそんなことを言ってきた。山口とは、北の警備府司令、一応満の上司にあたり、木曾達の指揮官である。

 

「ははは、それは怖いな。ひ……提督のお叱りは長いからなぁ、昔から」

 

 口調は全く怯えを見せず、むしろ楽しげに木曾は語った。

 やっと、掛け違えていたボタンは外れた。それが果たして正しく直されたのか、それともそのままなのかは木曾には解らない。それでも、今が悪い状態でないことは確かなのだと、晴れやかな顔で、そう思う――



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『09 悪友』

「のう、青葉よ」

 

「なんですか? 利根さん」

 

 重巡青葉と重巡利根。北の警備府に古くから籍を置く艦娘両名は、なんともヒトコトでは言い表しにくい関係であった。

 両者は親友でもあり、同じ重巡として競い合う者同士でもあり、その姿は、家族のようにも、姉妹のようにも、恋人のようにすら見えるのだ。無論、恋人というわけではないし、せいぜいが誰かをからかうためにその“ふり”をするという程度のもの。

 

「思ったのだが、お前さん、最近太ってきていないか?」

 

「嫌だなぁ利根さん。ぶん殴りますよ? じゃなくて、私達艦娘の体型が、変化するわけ無いじゃないですか」

 

 そんな両者の関係を、最も的確に表すのなら、――もっとも、端的に表そうとするのなら、きっと、

 

 

 ――悪友、というのが正しいのだろう。

 

 

「まぁそうは言うがな、それを言ったら青葉、いま我々が食べているのは何だ? 食事じゃないか」

 

「そうですね、利根さんのカロリーがやばそうなピザに、私のヘルシーな天ぷらうどんです」

 

 利根のそれは、いわゆる四種のチーズピザと呼ばれる、チーズにチーズを重ねがけし、さらにそれをチーズで蓋をして、そこにチーズをトッピングする、チーズ究極体とでも言うかのような代物だ。

 

 見れば、利根は円盤になっていたピザのすでに半分を胃に収め、したり顔で舌なめずりをする。とろけるようなチーズが、そのまま口元から喉へ流れ落ちてゆくのだ。チーズ独特の“濃ゆい”味わいが、下を楽しませたまま、リズムの良い感触に変わり喉元を通りすぎてゆく。

 同時に、弾力を持ってチーズの染み込んだふわふわの生地が舌を踊る。一噛みするだけで、チーズの味がピザ生地と融け合い、いじらしいほどやわらかな味が激流のごとく襲い掛かってくる。

 

「っっっんーっ! 旨い! こいつはな青葉、トンデモカロリーの乙女の敵だ。だが、吾輩達は乙女ではない、艦娘だ。乙女ではないのだから、いくら食べても問題はないのだ」

 

「貴方は肥満症のピザにでもなるつもりですか。……いえいえ、そうはなりませんがね、では利根さん、こういった食事を消化する私達の器官は一体何です?」

 

 ふむ、と手を止めて利根は思考にふける。そういえばその通りだ。艦娘は艦娘であるかぎり体型が変化することはない。成長することもないし、そうであればそもそも食事によって得られるエネルギーを得る必要がないのだから、食事は必要ないはずだ。

 

「疑問だな。青葉よ、お前は答えを知っているのか?」

 

「利根さんは私達艦娘のレントゲン写真というものを見たことはありますか?」

 

「いや、無いぞ?」

 

「私は昔提督に見せてもらった事があるのですけれどね、実は私達、中身は空洞なのですよ」

 

 ――提督、とはこの場合北の警備府司令、山口のことだ。満の場合は苗字が提督の前に付く。これが満の鎮守府に行けば逆転することになるわけだ。

 

「さもありなん、吾輩達艦娘は魂の存在だ。陰陽寮の奴らにして言わせれば、私達は意思を持つ式神そのものらしいな」

 

「正確には“神”そのものですよ。式神の“式”は彼らが神を扱う上でのプログラムですから、私達艦娘は“神”そのもの、かつては信仰の対象であったわけですからね」

 

「さながら――神定娘。神と定められた娘、言い換えて艦艇娘」

 

「略して艦娘。って所ですね」

 

 神であったのが艦娘で、艦娘とは人類とはまた別の存在であるとも言えるが、人ではないと呼ぶには、些か人と密着しすぎている。

 

「……神、か。なるほどな。そういうことならつまり、さながら食事は貢物か。それなら話は簡単だな。神への捧げ物は捧げた者の腹の中へ消える。この場合、捧げた側は世界というわけか」

 

「とはいえ、どうやら換装などの維持にもいくらか使われているようですね。艦娘が食事をする文化が無かった頃よりも、換装の寿命は長いそうです」

 

 かつて、艦娘は人ではなかった。正確には今も人ではないが、かつての艦娘は“神”であったのだ。故に、艦娘は人と同様に食事を食べるということはなかった。元より必要はなかったのだ。

 しかし、近代以降、“魔導工学”の発達と、艦娘という存在が研究対象になり始めると、思うの他、艦娘は人間に近い存在であると認識されるようになり始めた。

 

 結果として、艦娘と人間の関係は、現在のような軍隊の関係に落ち着き、今日までそれは一切崩れること無く続いている。

 とはいえ、一般市民にとって艦娘はやはり憧れの対象で、その眼差しは史実の軍人ヘ向けられるものでもあり、信仰の対象に向けられるものでもあった。

 

「ふむ……今と昔、どちらが良いかなど考えるのは野暮というものだが、青葉よ、お主は神であった艦娘と、軍属である艦娘、どちらが良いと思う?」

 

「どっちでもいいんじゃないですか? でも、強いていうならやっぱり軍隊でしょうか。……んぐ。こうして、食事ができないのはやはり寂しいですからね」

 

 つるつると、音を立てながら天ぷらうどんの麺をすすっていく。出しの効いた汁をよく啜っている、コシの強い良い麺だ。

 

「美味しいです。すごく。食べるというのは……言うなら私達が人間である証拠を示すということ。今更、私達は神なんです、ていっても、誰も信じてはくれないでしょう?」

 

「信じないさ。少なくともウチの提督や、南雲の提督なんかはそれがよく解っている。“身にしみている”からな」

 

 満は人間として扱われてはいるが、その実は艦娘としての機能を持たない艦娘の同存在だ。そして北の司令山口という軍人も、艦娘が人であることを文字通り“身にしみて”理解している。

 

「だがな青葉よ、我々艦娘は人ではない。正確には、人類と吾輩達との間には、思いの外溝というものがあるのだよ」

 

 促すように、利根は言った。青葉から、一つの論を引き出そうというのだろう。

 

「人を解するには客観は要らない。あるのは己の主観だけでいい。――思うのですがね、利根さん」

 

「何だ?」

 

「人って、主観で生きるモノだと思うんです。例えば大衆受けする映画をつまらないという人はいる。でも、それを批判する上で、“客観的に否定する言葉はない”んですよ?」

 

 ――つまらない。

 ――面白くない。

 ――見劣りする。

 どれもこれも主観によって生まれる言葉だ。それはまた逆もしかり。どれだけ自分が面白いと思うものでも、決してそれは客観的な言葉ではない。

 たとえ客観的に“改善点”を指摘したとして、その改善を面白いと思うかどうかは個人の主観、決してその指摘は絶対の正解とはなりえない。

 

 青葉はそうして、利根の言葉を否定する。あくまで、ごくごく当然の反証として、――理解している。ここで利根が引き下がる相手ではないということくらい。

 さすがにおだててしまえば完全に手玉を取ることはできるだろうが、それをするには“理由”があまりにも足りなかった。

 

「だからこそ、我々と人類を決定づけるのは主観による隣人感覚だと吾輩は言いたいのだ」

 

「と、言いますと?」

 

「人は我々を神ではないと知った。そこから生まれたのはなんだ? 親近感だよ。今まで異人だった存在が、その位階を取り替えたことにより、大きくその距離を近くした。人の認識を変革させるほどに」

 

 そうして生まれるのが、利根の言う“隣人感覚”の錯覚だ。単純に言えば、テレビの向こう側の人間に感情移入し、まるで自分が彼らと親しいかのような感覚。

 

「そういう場合、我々の人格など人類には関係はない。結局吾輩達は、彼らにとっては娯楽に必要な玩具なのだ」

 

「ならば、神の方がよかったと?」

 

「そんなわけがなかろう。吾輩とて食事ができんのは論外だ。それに吾輩には意思というものがある。誰が何を言おうと吾輩は重巡利根であるのだ」

 

「まぁ、そこに行き着きますよね。人であることと人でないことなんて、言ってしまえば些細な違いなわけですから」

 

 ――加えていれば、そもそも青葉や利根にとって、艦娘が神であった時代など歴史の産物、実際に知り用はないし実感しようもない。

 

「そもそも、今も昔も我々が良い立場にいないことは事実なのだ。かつて吾輩は人ではなかった。しかし、今は人として見ていない者もいる。この違いは大きいぞ?」

 

「摩擦ですねぇ。まぁ我々はどう見積もっても全うではないですし。それこそテレビの向こうのスターと同じですよ。自由がない」

 

 望む、望まないにかかわらず、生まれてしまった以上はその役割に艦娘は縛られる。

 

「では青葉よ、我々艦娘にとって――幸せとは何だ?」

 

 艦娘の立場も、存在意義も、その生き方も解った。材料は揃った、そう言い換えてもいい。つまり、後に控えるは大本命、たったひとつの純粋な問い。

 幸せとは何か。

 

 ここまでの会話はそこに帰結する。

 事実とその相対的な感覚のあり方、神であるか軍人であるか。では、そのどちらがより正しいのか。幸福とは? 不幸とは? 利根は青葉に投げかける。

 

「――ありません」

 

 即答であった。

 青葉の答えは幸福の否定。

 

「そもそも幸福というのは主観的評価ですが、本人の主観がどれだけ幸福に満ちていても、周囲がそうとは思ってくれないのです」

 

「……まぁ、我々は短命だからな須らく」

 

 結局の所艦娘の不幸は、自身が死と隣合わせであるという事実にある。どれだけ花形の存在であろうと、どれだけ人々に想われようと、その行き着く先は多くの場合死だ。もしくは、戦えないほどに心を痛めつけられるかの、どちらか。

 

「死したものは、誰もが不幸であると私は思いますよ、死とは平等で、そして絶対的に不幸なのです。滅びの美学なんて言葉はありますがね、滅びは負ですよ正しくない」

 

「正しくない、か。言い得て妙だな。まぁ吾輩も、死を美しいと思う感性は持ってはいないのだが……」

 

 一瞬、沈黙があった。

 思う所はひとつだろう。轟沈した艦娘といえば、ここ数年で名の聞く艦娘はただ一人。そしてその一人は、青葉達の立場では口を出しかねる。

 

 

「――ましてや、自分自身から死を望むなど、馬鹿げているわよね」

 

 

 ふと、隣から声が聞こえた。話に集中していた青葉達は、その女性の接近に気がつけなかったのだ。

 姿は青葉や利根より幾つか年上。ローティーンとはいかないが、童顔故か年齢を感じさせない顔つきをしていた。

 

「ひ……提督!?」

 

 思わず浮かべようとした名前を言い直して、即座に青葉は言い直す。利根も危うくその名を口にしそうになったが、口をつぐんでそれを止める。

 

 青葉達の司令官、北の警備府をまとめる提督だ。

 

「あら、面白い話をしていたから、すこし私も混ぜてもらおうと思ったんだけど、だめだった?」

 

「い、いえいえ全然そんなことはないですよ!」

 

 急な出現に思わず焦ってしまっただけで、別に青葉も利根もそれを否定するつもりはない。大仰に声を大にするようなないようではないが、こそこそと誰かにはばかるような内容ではない。

 ――そもそも、利根に取っても、青葉にとってもこれは単なるたわ言の応酬なのだ。事実、彼女たちは一切感情を言葉に乗せず、単なる雑談として会話を為していた。

 

「後ろめたい、というわけではないですけれど、あまり関心はしないわね。少なくとも南雲さんを前にして話せることではないです」

 

「それはまぁ、そうですけれど」

 

「でも、彼も本心から同意する話ですね。……彼にとって、“アレ”は今でも無念ですから」

 

 直接言葉に出すことはない。そも、出すには山口にとって、“アレ”はあまりに彼女の心情を叩き過ぎる。満を例に上げるのも、結局のところ意識をそこにずらすためだ。

 

「……ただ、やっぱりあの人はひどい人です。加賀さんを置いていっちゃうのもそうだけれど、若い男を拐かして、勝手に自分で袖にしちゃうんだから」

 

 それでも漏れ出す感情はあったのだろう、思わずと言った様子で本音が零れる。

 

「それは……不謹慎ですけれど、なかなか面白そうな話ですね!」

 

「あの人のことは、まぁそれなりに吾輩達も解っているつもりだ。しかし、彼奴のことは――あの人とともにいた彼奴の情景は、なかなか想像がつかなんだ」

 

「聞かせてくださいよ、提督! あの人と提督の馴れ初めとか!」

 

「馴れ初めは……少しいいすぎね」

 

 ポリポリともち肌を掻きながら、山口は苦笑して嘆息する。見れば二人は、前のめり気味になって山口へと顔を近づけている。こういった時の彼女たちの息の合い方はもはや伝統芸能のレベルだ。

 戦闘でもこれと同程度の連携を見せるのだが、その場合彼女たちは無駄口を叩くので、見ていてハラハラしてしまう。

 

「……まぁ、そうね。三年前、初めて会った彼は“若かった”でも、それだけだったの。なんていうのかな、“自分”っていうものが定まり切ってなかった」

 

 ――無理もない、当時の彼は提督歴一年と少しの若輩であり、確固たる信念を持たない子どもであったのだから。

 

「けれど、今彼を評するなら……そう、“剣”かしら」

 

「――剣」

 

「そう、直線的で堅い剣。見違えたわね、本当に」

 

 ようやく、人間として地に足がついたのだと、山口は言う。三年という年月、そして“あの”事件。彼を変える要因は幾つもあった。

 

「……だが、どうにもそれは危うく見えるぞ? なぁ提督よ。結局、なの字はなんだ……大丈夫なのか? その“剣”と化して」

 

「――さぁ? それは私が決めるものではないから、どうにも」

 

「どうにもって……また曖昧ですね」

 

 まだ、彼は終着点を見つけたわけではない。いくらでも、彼の有り様は変化する。それは山口にも、利根にも青葉にも手助けはできても手を出すことはできない。

 

 結論はきっと、そこにあるということだろう。

 幸福も、不幸も、今はまだ見えはしない。志半ばで倒れるかもしれず、本懐を遂げ大往生するかもしれず。

 

 そう利根と青葉の会話を帰結させ、山口は一言「いただきます」とつぶやくのだった。



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『10 空母』

 ふわりと、龍驤の目の前を白紙の紙――艦載機の元となるヒトガタだ――が浮かび上がった。風に揺れるように何度かパタパタとはためくと、それがやがて神童の如き小刻みに変わる。

 そうして先端、頭のほうから緑色の艦載機に変じたそれは、勢い良く室内を飛び回る。

 

「ちょ、あぶないでしょ! やめてよぉ」

 

 とたんに、横から一人の少女の声が響いた。軽空母“瑞鳳”。北の警備府に所属する祥鳳型の二番艦だ。

 彼女の言うとおり、ここは狭い――一般人からしてみれば十分かもしれないが――艦娘の私室だ。その中を時速数百キロオーバーの艦載機を飛ばすのは自殺行為でしかない。

 とはいえ今は試運転――艦載機にはよく見れば妖精が登場していない。簡単にいえば現在は龍驤が自分の手で直接艦載機を操作しているのだ。

 

「安心しーや、これ、ラジコンみたいなもんやし、速度も勢いもでとらんよ?」

 

「それでも、艦載機って兵器じゃない。あぶないって思うでしょ普通」

 

 そうだろうか、龍驤は首を傾げながらも操作をやめる様子はない。これは結局のところ両者の発艦方法の相違からくる認識の違いが原因だ。

 瑞鳳は弓を使っての射出、龍驤は式神を召喚するタイプ。手順の複雑さが大いに違う。

 

「呪い的に扱ってるだけやから、これは兵器よか魔道具とかそういった方がええんやけどね」

 

「兵器でしょ……まったくもう」

 

 いいながら、瑞鳳は手元で中断していた艦載機の整備を再開する。そう、両名が何をしているかといえばごくごく単純だ。艦載機を手入れしているのである。

 

 本来こういった整備は全て専門の妖精が行うのだが、空母という艦種は艦載機という特殊な兵装を用いるため、専用の整備というものが必要になる。

 簡単にいえば、戦闘中に汚れた艦載機を綺麗にするのである。

 

 とはいえその艦載機も消耗品であるため、一度に清掃する数は少ない。その整備は基本的に趣味の領域であるのだが、日本の空母はマメな性格の空母が多いため、手入れを欠かすものはいない。

 なお、正規空母はとにかく数が多いため、手入れが滞りがちなのだと北の警備府司令が言っていた。

 

「それで、瑞鳳はんが北の方に来てだいぶ立つわけやけど、どう?」

 

「どう、って?」

 

 人差し指を口元に当て、ぼんやりとした風に瑞鳳は首を傾げる。

 

「あぁんもう、鈍いやっちゃな。北の警備府は慣れたんかいな」

 

 そう言われて、かしげた首を反対側に揺らすと、こんどは「んー」と口に出して思考を展開し始めた。

 どう、と言われてもピンと来るものではないのだろう。思考は一分ほどか、思いの外長く続いた。その瑞鳳の上空を、なんとはなしに飛ばしていた龍驤の艦載機が回転する。

 

 やがてまとまったのだろう、口を開いた途端、その艦載機は下のヒトガタにすり替わると、ふらふらと、しかし滑るように龍驤の手元へと収まっていった。

 

「……賑やかな所、かな?」

 

「まぁそうなるやろなぁ。あそこ、むっちゃ賑やかし多いし」

 

 ウチのとこは三人くらいやしな。と、自分、島風、金剛を思い浮かべながらぼんやりとつぶやく。と、そこで突如として手元のヒトガタが立ち上がる。一本足で器用に直立するそれは、やがて龍驤の手のひらをくるくるとコマのように回り始めた。

 不意にそんな光景が展開したからか、思わず吹き出しそうになった瑞鳳は、しかし口元を抑えてそれをこらえる。

 

 そして、返答するようにまた、口火を切った。

 

「あの重巡コンビはいうまでもないでしょ? それに、夕張も仕事は真面目なんだけど、たまにこっちのことからかってくるのよね……」

 

 夕張は、なんといえば言いのだろう、言葉にしがたいタイプの人間ではあるが、強いていうならば“仕事人”であり”趣味人”である、というのが正しいだろう。

 何せ仕事イコール趣味な人間だ。趣味は機械いじりにサブカルチャー。アニメやマンガなどの趣味に始まり、楽器の演奏やスポーツなどもひと通りこなす。

 中でも本命はミリタリーと歴史系であり、今代の電とは話が合うことも多々。

 

 そんな豊富な知識をよういて、知識面から提督をサポートするのが夕張の仕事だ。実際、こういった艦娘の機能面に造形の深い艦娘というのは貴重で、夕張は利根青葉、そして主力の榛名とともに北の警備府の古参である。

 

「実務が得意な木曾や、その前任の五十鈴なんかとは相性がいいんだけどね。どうも私とは相性が悪くて……」

 

 第二水雷戦隊の旗艦を務めた木曾もそうだが、五十鈴は過去に有力な艦隊をいくつも渡り歩いた実力派だ。現在は木曾に代わり第二水雷戦隊の旗艦となっている。言うなれば優秀な指揮官に恵まれたために、その実力を伸ばすことができた、というのが五十鈴という艦娘である。

 

「あー、なんや解るで。昔夕張の部屋行ったことあるんやけど、全然掃除されてないんよね。趣味と仕事以外はどうでもいいって感じで」

 

「そうそう。しかも本人的にはアレが最善みたいで、下手に掃除すると何処に何があるかわからなくなるからって掃除させてくれないし」

 

 瑞鳳は損な性格だ。真面目ではあるが少し内向的。そうでなくとも世話焼きで他人の雑な部分は嫌でも目に入ってきてしまうのだろう。

 

「艦娘は自由人も多いから、特にベテランクラスになると」

 

「そのくせ、艦隊運動をすると異様に連携が取れるっていうんだから、実力って平等じゃないわよねぇ」

 

「いやいや、瑞鳳はんってばミッドウェイ以前から海軍にいる重鎮やん。確か霧島の姉さんと同世代なんやっけ?」

 

 ――少しだけ、情感を持って龍驤は霧島――金剛型四番艦。末女にあたる巡洋戦艦の名を挙げた。

 因みに、北の警備府旗艦であるところの榛名ともほぼ同日だ。――皮肉なことに、この世界においても金剛型の三番艦と四番艦は同日に竣工されることとなるのだ。

 

「うん、霧島とは同じ艦隊にいたこともあるから、たまに一緒に食事に行ったりするかな。というか、普通の軽空母だったら私だってもう退役してるってば」

 

「まぁ、瑞鳳はんはなかなか次が建造されへんからな。そこら辺は戦艦正規空母と事情は同じなんやな」

 

「そうそう、私って軽空母としての性能は下から数えたほうが早いし、普通だったらだれだってお役御免したいわよ」

 

 自分も、自分ではない誰かも、瑞鳳はそれをなんという風もなく言った。“そうではない”からあくまで戯言のように言えるのだろう。

 軽空母瑞鳳はとにかく建造報告が稀な艦娘の一人だ。それは決して性能が問題なのではなく、建造しようしてもできない、そんな希少性が先行する艦娘は思いの外少なくない。

 

 夕張も、確かその一人だったはずだ。

 

「そもそも私みたいに希少性だけが高い艦娘よりも、もっと建造されるべき艦娘は多いと思うの。たとえば正規空母とか――あ」

 

 つらつらと零れる愚痴を気ままに、垂れ流すだけ垂れ流したところで、瑞鳳はふと我に返ったように声を止める。

 別にその内容事態が問題だったわけではなく、このまま愚痴を続けていれば、ある事を話題にしかねないと気付いたためだ。

 

「……ごめんなさい」

 

「あー、いや、うん。なんていうか……別にええと思うで?」

 

 瑞鳳がふと思い至った。思い至って“しまった”正規空母は、そもそもこの鎮守府に所属していたのだ。

 

「三年も立てば、みんな当時のことは忘れてまうん。いいか悪いかはともかく、最近はうちの提督も、たまに彼女の存在は会話に匂わせたりするんやで?」

 

「そうなの……?」

 

「名前は、皆ださへんのやけどね。そらウチらかて思う所はあるやん? 提督がどうこう以前に、そもそもウチらが勝手に遠慮しとる感じ」

 

「そっか……」

 

「でもまぁ、皆言いたいことはありますねん。多分、あの人の事よく知ってる瑞鳳はんも同じこと思うとるやろうけど」

 

 嘆息気味に言って、龍驤は瑞鳳を見た。すっかり艦載機の整備する手を止めた瑞鳳は、龍驤と同じ瞳をしていた。

 

「――なんでそんな選択をしたんだろう、って」

 

 同意するように口に出し、それから二人は沈黙する。視線から瑞鳳の手が止まっているということに気がついたのもあるし、そもそも会話がここで途切れてしまったこともある。

 

 それから数分の沈黙をおいて、ふと思い出したように、龍驤が瑞鳳へ向けて問いかけた。

 

「そういえば、瑞鳳はん的に、こっちの提督ってどんな感じなん?」

 

「私的に……? うぅん、ちょっと印象が薄いかなぁ。うちの提督だったらよく知ってるんだけど」

 

 とはいえ、久々に会ったらなかなかの鬼教官ぶりに驚いたと、瑞鳳は苦笑交じりに言う。龍驤も、「なかなか想像はつかへんよね」と同意して微笑した。

 

「まぁ強いて言うなら……印象通りじゃない、かな?」

 

「印象通りじゃない? ……よう解らへんな。印象聞いて印象通りじゃないってのは」

 

「んー、海軍の中で、やっぱり南雲提督って特殊な立ち位置なのよね。言うなら、遠巻きに遠ざけられてる感じ? 腫れ物を扱うっていうのが近いのかな」

 

「……まぁ、あの人の来歴はよーわからんけど」

 

「ん、そうじゃなくて……あぁこれはダメかな。とにかく、年齢的には十六半ばくらい……今はもう実年齢は成人しているはずだけど、それでも今の海軍の“若い”上層部よりよっぽど“若い”」

 

 そもそも、未成年の将校などありえるはずもないのだ。それが複雑な――瑞鳳が言い淀んだ“異世界から来訪する”という方法で訪れるなど前代未聞。まさしく神の思し召しとでも言うかのようだ。

 それだけではない。若いというのはそれだけで意識が“柔らかい”時期だ。自分に現実味がない。世界が色褪せて“見えてしまう”時期。

 

 年をとって色あせたのなら、それはきっとその人間の責任だろうが。青春を送る若者の世界が色褪せるのは、青年にとってその世界があまりにも広く、実感がわかないからだ。

 

「なんとなくだけど、地に足がついてないんじゃないかって印象は、ずっとむかしから持っていたの」

 

「でも、違った?」

 

「実際にあってみるとね、――多分あの人がいたから、あの人のアレがあったからなんだろうけど、全然印象と違ったの」

 

 あくまでそれ自体、第一印象だけどね、と瑞鳳は苦笑する。とはいえ十数年もの間戦場を駆け抜けてきた彼女の眼は本物だ。

 とはいえ、経験に基づく観察眼であるため、利根や青葉のように、一見ではその本質を見抜きにくいタイプは、彼女にとっては難敵だ。利根達に思うところがあるのは、何も瑞鳳が真面目だから、だけが理由ではない。

 

「まぁ、確かに提督もずいぶん変わったわ。……すごい“眼”をするようになった。語る言葉も、断定的になった気ぃするわ」

 

「それがああも変化する。……良いか悪いかは、まだ判断がつかないけれど、すごいなぁ“思いの力”って」

 

「思いは人を変革するんやね。すっごいわ、革命やん」

 

 思いがあったから、南雲満という少年は、一つ前に進むことになったのだ。進んだ先はきっと闇。何も見えない何も照らさない、そんな場所ではあろうけど、決してそれを、人は間違っているとは言わないはずだ。

 

「……なんやね、瑞鳳はんってそういうん好きなん?」

 

「まぁねぇ。なんていうか、夢があるっていうのが好きなのよね。先代の電しかり、あの人しかり。六十年前の大戦とか、私好きなの」

 

「六十年前の大戦、かぁ。世界の存亡を賭けた大決戦。そしてその決戦を生き抜いた駆逐艦時雨……当時の日本海軍聯合艦隊旗艦武蔵に、武蔵と運命を共にする随伴艦雪風……まぁ、浪漫やね」

 

 南方海域の先の先。鉄の沈む海域。アイアンボトムサウンドと呼ばれるそこを舞台に繰り広げられた、世界対深海棲艦の大決戦。

 武蔵とはその当時の日本の象徴であった。雪風は、そんな彼女が最も信頼を寄せた駆逐艦。“伝説”と呼ばれていた。“幸運”と呼ばれていた。

 さながら、あの駆逐艦“先代”電のように。

 

 ――先代“電”と、同一に。

 

「浪漫って大切だと思うのよね。感情移入っていうの? “思い入れ”は人を少しだけ強固にする。多分、人を人たらしめるのって、そういう思いに対する何か何じゃないかな」

 

 ――人を人たらしめる。そう言って、瑞鳳は脳裏に深海棲艦を思い浮かべた。深海棲艦を深海棲艦たらしめるのは生き物の憎しみだ。逆に、艦娘が艦娘であるということは、ごくごく純粋な、何かを守りたいという気持ちが艦娘なのである。

 ならば、艦娘と人の違いはなんだろう。人は誰かのために強くなる。何かへの思いで強くなる。艦娘はそれと一体何が違うというのだろう。

 

 とはいえそれを言葉にすることはない。金剛や榛名達が相手ならばともかく、龍驤相手に話すことではないのだ。

 

「ん~~っ!」

 

 思い切り身体を伸ばして、瑞鳳は身体にいつの間にか溜まっていた感覚を吐き出す。思いの外、長く会話に没頭してしまったようだ。

 

「それじゃあ、また整備しましょうか?」

 

「せやね」

 

 かくして両名は、それぞれ必要な艦載機の整備に再び舞い戻るのだった……



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『11 演習』

「つまりさ、どっちにせよこの艦隊はそのうち解体が決まってる。機動部隊の主力だっていつまで今の体勢が続くかなんてわかんねぇだろ。だったらやるべきことは艦隊の連携を高めることじゃなくて、個々の艦娘の練度をあげられるだけ上げるべきだろ」

 

「うーん、そうはいっても、今のところこの第二艦隊はあの娘たちの連携で成り立ってるから、やっぱり艦隊の練度そのものを上げるべきじゃないかなぁ。山口さんのところの不知火ちゃんみたいに、一人でなんでもできるわけじゃないんだし……」

 

「ならなおさら個々の練度が重要だろ。龍田は今のことを気にしすぎだ。それでその先、練度が足りないなんてことになったら悲惨だぞ?」

 

「そうはいっても、今を何とかしないことにはその先はないわぁ。天龍ちゃんの言うことは最もだけど、今を何とかしないと、その先なんて来ないのよ?」

 

 そこは北の警備府にある一室。用途は主に作戦会議に使用する会議室。しかしそこで南の鎮守府所属、しかも実質合同で艦隊が運用される南雲機動部隊の所属ではない天龍と龍田が会議を行うのは、ある種異様な光景と言えた。

 議題は単純。南の鎮守府第二艦隊に所属する暁型四隻に対する今後の指導方針だ。

 

 暁型の四隻は、随分練度は高くなった。一流とされる島風とくらべても、多少の見劣りはあれど、数年前の対戦艦ル級戦のように遅れをとる事態にはならないだろう。

 しかし、完璧ではないところがネックではある。例えば島風や、北の警備府第二艦隊を仕切る駆逐艦、不知火と比べると練度は若干劣るし、近代化改修も完璧ではない。

 

 それでも見劣りがしない最もの理由は、暁達は高い連携がであるという点だろう。さすがに同じ特Ⅲ型の姉妹同士ということもあってか、四者は非常に親密な仲を築いている。

 そんじょそこらの艦隊では、手も足も出ない連携がこの四人の持ち味だ。

 

 とはいえ練度の高い駆逐艦はそれだけで貴重だ。装甲が貧弱で、また建造が容易である駆逐艦はとにかく入れ替わりが激しい。十年近く活動し続けている島風のような者は異端であり、そうはいないのだ。

 また、言ってしまえば性能が見劣りする駆逐艦は精神的にも負担が多く、生き残りはしても精神的に退役せざるを得ない場合もある。

 

「にしても、ほんとに時間がねーんだよな。……個々の練度か艦隊の練度か。どちらを取るにしても、片方は切り捨てなきゃいけねぇ」

 

 天龍の言うとおり、現在満の鎮守府が有する第二艦隊はすでに解体が決定している。高い練度を得た駆逐艦は、小基地の第二艦隊旗艦として、練度の低い駆逐艦の教導や遠征任務の旗艦を務めることとなる。

 

 先ほど名が挙がった不知火がこの“練度の高い駆逐艦”だ。北の警備府は警備府とはいえ主力艦隊以外の層は薄く、水雷戦隊を率いる軽巡は、主力艦隊の軽巡が務めることになる。そうでない場合は、駆逐艦が旗艦の駆逐隊を組む。

 そういうわけで今回の場合、水雷戦隊を組んでの演習をこの北の警備府周辺で行った。

 

 参加したのは旗艦天龍と第六駆逐隊、そして数合わせの島風だ。これは北の警備府第二艦隊には不知火をあわせ五隻の駆逐艦がいるため、それら全員を出撃させるためには、駆逐艦をもう一隻数合わせとして参加させる必要があった。

 

 そういうわけで出てきた問題。正確には、検討せずにはいられない問題を、ようやく検討に移して、天龍と龍田は議論を闘わせていた。

 

 そのために会議室を借りているわけだが、何も会議室は天龍龍田だけが使用するわけではない。

 だいぶ煮詰まってきた会議も、ようやく変化が訪れるはずなのだ。――そろそろ。

 

 

「――失礼する」

 

 

 外部からの存在を投入するという、至極明確な変革によって。

 

 海軍式のお固い敬礼とともに、一人の少女が入室してくる。北の警備府所属、軽巡木曾だ。後方には同じく軽巡夕張を伴っていた。

 

「はぁい、元気?」

 

「おいこら夕張、一応今は仕事中だ。もう少しまじめにしたらどうだ?」

 

「そんなこと言ったって、私達は艦娘よ。別にそこら辺を意識する必要なんて無いと思うわ」

 

 キチッとした厳格な木曾に、ラフな風の夕張はある種デコボココンビとも言えるが、口数の遣り合いに遠慮のようなものは見られない。

 両者は同じ艦隊に所属してまだ日は短い。それでも、だいぶ打ち解けてきたということだろう。瞳には、互いを信頼する様が見て取れた。

 

「おぅ、さっきはご苦労さん」

 

 天龍がさほど真面目ではない敬礼で木曾に挨拶をする。隣の龍田は真面目に敬礼こそしているものの、浮かべる笑みがそれをあまり真面目にはさせていない。

 

「だいぶ喧々諤々なようだな。先ほどまで整然としていた会議室がこのざまか」

 

 木曾が冗談交じりに周囲を見渡しながら言う。現在会議室は天龍と龍田が広げた資料に塗れ、それは床にまで侵食している。加えて会議室の左方に備え付けられたホワイトボードは、両者が書き連ねた文章と、思考がまとまらない間に意識せず書かれた落書きで一杯になっていた。

 

「あらあら」

 

 夕張がニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべて天龍を見る。些か恥ずかしさがこみ上げてきたのだろう。天龍は頬を染めてそっぽを向いた。

 

「もう、天龍ちゃんったらぁ」

 

「……お前はこっち側だろう龍田」

 

 いつの間にか天龍に積を押し付けようとしていた龍田に睨みを効かせつつ、天龍は資料をまとめて整理にかかる。

 ついでに、と言わんばかりに、先程までの会議の内容を手短に木曾達へと告げた。

 

「何だ、お前ともあろうものがそんなことを悩んでいたのか」

 

「……あれ? なんか妙に評価高いな。俺、天下の第二水雷戦隊元旗艦に認められるようなことしたか?」

 

 木曾の返答は思ってもみないことだった。天龍からしてみれば、まさか軽巡の最高峰から認められるなど、思っても見なかったことだ。

 

「まあ、無理もないんじゃない? その天下の軽巡様率いる艦隊に、練度の差はあったとはいえ勝ったんだから」

 

 夕張が言う。曰く、そもそも先の演習、勝利したのは天龍率いる艦隊であったが。そもそも木曾が負けるということは誰も想定していなかったのだ。

 少なくとも、天龍本人を除いては。

 

「いやいや、アレだけ練度の差があったんだ、勝てない方がおかしいだろ」

 

 天龍は苦笑気味に、弁明するように語った。彼女からしてみれば、まさかあそこまで追い詰められるとは思わなかったのだ。おかげでだいぶ艦隊の弱点は見えてきたが、それ自体は想定してはいなかったのである。

 

「……なるほど、わかったぞ。天龍、お前天才の類だな?」

 

「そうねぇ、天龍ちゃんってば、普通やってもできないことを当たり前のようにやっちゃうから」

 

 話は思わぬ方向に転がった。とはいえ、天龍からしてみれば訳がわからないだろうが、それはその通りだ。

 天龍には水雷戦隊旗艦における天賦の才能がある。本人からしてみればアタリマエのこと――異様なセンスの下導き出された指揮能力は、並みの軽巡の比ではない。

 

 若干才能が地味であるために下を見られがちではあるのだが、それでも解るものには解る。天龍は艦娘としては別格のセンスを持つのだと。

 それこそ、かのミッドウェイ海戦で窮地の赤城を救った先代電のように。

 

 因みに龍田は木曾と同系統の人種だ。理詰め派。知識でセンスの有無をやりくりしているのである。とはいえ、暁達に対する方針事態は、木曾と龍田では隔たりがあるようだが。

 

「ようは、どっちもできるように俺達指導者が指導してやればいいんだよ。少なくとも俺ならそうする。そもそも、俺と戦隊を組むなら最低限、俺についてこれるくらいにはなってもらわないとな」

 

「うっわー」

 

 思わず夕張はドン引きした。完全に木曾のそれは鬼教官のそれである。理にかなっているといえばかなっているが、それはそのまま、艦娘を壊す危険性もある。

 それをしないためには多くの経験と知識が必要になるわけで、これはこれで、天龍の天才性と同じく木曾でなければ不可能な話だ。

 

「ま、冗談はさておき。強いて言うなら俺自身は個々の練度を上げるべきだと考えるな。個々の練度が連携のクオリティも上がる。加えて今後のためになるのは……さすがにいまさら言う必要もないか」

 

「うぅん。でもぉ、やっぱり個々の練度があがったとしても、それを連携に組み入れるにはちょっとラグがあると思うの。全体の練度を上げることで、個々の練度もそれに併せて成長する、っていうのはダメかなぁ」

 

 龍田が腕組みをして、即座にそれに反論をする。

 

「それは間違ってない。……が、段階が遅すぎるな。そもそも、これからお前らのとこの駆逐艦は一人前の仕事が求められるようになる。それは責任がつきまとう。今までのようには行かないぞ?」

 

 それに対して木曾は即座に返した。彼女の中ではすでに会話の行く末が見えているのだろう、回答も一切よどみがない。この手の問題は、昔から水雷戦隊と深い関わりがあった木曾には、大きな問題であったのだろう。

 

「要するに、失敗ができないんだよ。今、お前が有している責任が、そのままあの駆逐艦達に移行する。解るだろ? 失敗しないためには、もしくは失敗を修正するためには迅速な判断が必要だ。そのための経験は、個々が積んでいくしか無いんだよ」

 

「……そっかー」

 

 今の暁型は、誰かが失敗をしてもそれをフォローすることができる者が多くいる。天龍龍田はそうであるし、同じ駆逐艦ですら、フォローのために奔走するだけの実力があった。

 

「ありがとう。だいぶすっきりしたわぁ。そっか、今とこれからのあの子達の環境。変わっちゃうんだよね」

 

「艦娘は、“成長”っていう最もわかりやすい身体的変化がない分実感しにくいけど、世界ってものは逐一変わっていくものなのよね。いつまでも同じではいられないんじゃないかな」

 

 夕張が、フォローするように龍田へ言った。実感しにくい変化。それはそれこそ南雲満のように劇的でもなければ、理解が及ばないほど、艦娘は変化に疎いのである。

 

 ただ、木曾はそれを良く理解していた。変化がないなどありえない。今の日常が永遠であるはずはない。そのことを、この中で木曾は最もよく、“身にしみて”理解していた。

 フォローを入れることのできた夕張はそのことに思考が行き着いたのだろう。

 

「――それともう一つ。こっちはできれば提督達もいる場所で話をしたいんだが」

 

 そうして木曾は、すでに片付いた話を他所にどけるようにして、続く話題を切り出してきた。

 

「うちの提督はあいにくお出かけ中なのよね。南雲さんと一緒に、何か本部の方へ働きかけをしてるみたい」

 

 受け取るように夕張が言って、天龍が嘆息気味にそれへ返答した。

 

「またかよ。それ、確か三年前からずっとやってるよな。今まで良い返事なかっただろ。今回もじゃないのか?」

 

「……そうかしら。確かに本部への働きかけは三年前から何度もやってるけど、今回はちょっと事情がちがうしぃ」

 

 龍田が待ったをかけるように否定する。事情が違う。端的に言って現在の、西方海域攻略作戦と、不穏な北方海域のことを指しているのは明白だ。

 

「そうなると今回はわからないわよね。今までと状況が違う分、一杯手札もあるだろうし、もしも要望が通れば――」

 

「……来るんだろうなぁ、“あの人”」

 

 すっかりげんなりした様子で木曾が話を締めた。どうにも、その声音には幾つかの感情が見え透ける。どれもいい思い出は無いようで、その表情は非常に重苦しい。

 

「まぁ、俺らには関係ないけどな」

 

 天龍はそんな木曾の様子がおかしいのだろう、目一杯笑みを浮かべてそう言い切った。“あの人”が来るのはどう考えても、未だ埋まらない南雲機動部隊の六番目だろう。第二艦隊の天龍と龍田には、別基地の主力艦隊である木曾や夕張以上に縁遠い話だ。

 

「……関係無いといえば、そもそもこの話も関係ないんだけどな」

 

 木曾は気を取り直そうとそんな風に行って、さらに続ける。

 

「話ってのは、島風のことだ」

 

「あぁ……」

 

 天龍が納得の言った様子でそれに応える。正確には、納得がいかざるをえないと言った様子で。

 木曾はそれでも、一拍間を置いてから言った。とても面倒そうに、それこそ先ほど“あの人”にむけた感情以上の情感でもって。

 

 

「――どうもあいつ、スランプに陥ってるみたいだ」

 

 

 ――――と。



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『12 撤退』

「面倒なことになったな」

 

「……そーだね」

 

 超高高度、宇宙の中とすら言えるのではないかという場所で、ぽつりと呟いた満の言葉へ島風は胡乱げに同意した。

 現在この旅客機の中には、島風と満。そして第六駆逐隊の面々が搭乗している。向かう先は北の警備府、目的は演習や交流会などではない。出撃だ。

 

 うつらうつらと、第六駆逐隊メンバーはそれぞれ船を漕いでいた。無理もない、夜遅くにたたき起こされ、現在時刻は夜の四時ほどなのだから。

 

 とはいえ、島風の憂鬱げな表情は、それが由来というわけではないようだ。また、暁型四姉妹のなかで、唯一響だけは目を覚まし、満と島風の様子を確かめていた。

 

「確認するぞ。現在、北の警備府が守護する北方海域に突如として深海棲艦の大艦隊が出現、キス島周辺を包囲した」

 

「で、今は山口提督が出払っているから、代理として提督が北の警備府の指揮を代行するっていうわけだね?」

 

「まぁ、僕達だからこそできる荒業だな。本来であれば山口さんが急いで帰ってくることになるんだが、僕が副司令である以上、基地としての機能は保たれているんだ」

 

 正確には、絶対にここで山口が取って帰るわけには行かないため用事があるに、変則的に満がその代行を務める必要があったのだ。

 とはいえそれは、一応の機密であるため島風達には明かさない。ただし、こういったことは須らく基地内での噂の的となるわけで、島風達も把握はしているわけだが。

 

「で、本題はやっぱりキス島を包囲した敵の大艦隊だよね?」

 

 思いがけず突如として現れた敵艦隊に、満達は辟易しながらもその対応を想起する。難物なのだ、実のところこれが。単なる敵艦隊であればよかったのだが、今回はひとつオプションが付く。

 

「そうだな。敵の大艦隊は戦力で言えば東方艦隊主力級。殲滅するのはさほど難しくはない」

 

「難しくはないけど、そうすると包囲されたキス島が危ないよね」

 

 そうなのだ。

 キス島を包囲した敵深海棲艦は、今にもキス島に攻撃を仕掛けようとしている。その状態で停止したまま、にらみ合いが今も続いているはずだ。

 

「敵の狙いはキス島を叩くことでこちらの艦隊をおびき寄せることだな。あそこには小さいながら基地がある。そしてあそこは、僕達人類の大事な拠点の一つでもある」

 

「殲滅せざるを得ないよね。でも、そうすると今度はキス島に実際に攻撃が加えられる、か」

 

 簡単に言えば、人質を取っての立てこもりだ。ただしその誘拐作戦は非常に用意周到で、誘拐された対象は政府の要人である、というような状況。

 単なる強盗の類ではない。人類のアキレス腱に手をかける、急所を突くような一手だ。

 

「このままキス島を放置した場合。僕達はアルフォンシーノ方面への足がかりを失い、更に多くの犠牲者を出す。……その中には、艦娘だっている」

 

「北の警備府から遠征に出ていた第二艦隊。……系四名の艦娘がキス島で足止めを喰っている、と」

 

 遠征の内容は、何の事はない長距離練習航海。きな臭い北方海域の哨戒を“演習する”ことを目的にした遠征だ。

 しかし、それが裏目になり、ちょうど敵艦隊決起のタイミングに重なった。あくまで偶然だ。深海棲艦に、空気を読むという機能はない。

 

「そこで、僕らは一計を案じる。まず、北の警備府主力艦隊を利用し敵艦隊とのにらみ合いをする。敵も馬鹿ではない。威圧してきただけの敵に反応してキス島を攻撃することはしないし、向こうから打って出てくることもない」

 

 かくして膠着状態は生まれる。むしろそれは彼女たちにとって望むことだろう。膠着すればするほどキス島の基地は食糧を失い、勝手に自滅してくれるのだから。

 そこに付け入る隙がある、と満達は考えるのだ。

 

「膠着すれば、意識はそちらに向けざるを得ない。その間に敵艦隊の手薄な部分を叩く。できれば戦闘は行いたくはないが、敵の警戒が厳重である以上、最低限の戦闘で切り抜けることが目的だ」

 

「人を載せる船を運ぶってなると、どうしても目立ちますしね。でも、敵艦隊を出し抜いてキス島に付けば撤退は、駆逐艦とはいえ十隻の艦娘で護衛できるし、問題はキス島に付くこと、ってことかな」

 

「そうなるね。そしてそこがポイント――キス島に進入する艦娘は極力意識を集めてはならない。そこで今回は艦隊全てを駆逐艦で編成する、“駆逐隊”を結成する」

 

 後に『キス島撤退作戦』と呼ばれることになるこの作戦。もっとも特異であった点は主力艦隊があくまで囮であること、そしてその本命は駆逐隊であるということだ。

 

「当然ながら敵は空母戦艦を多数有する強力な機動部隊だ。戦闘になればこちらは圧倒的に不利。全ての戦闘を避け、敵の懐に切り込むことが必要になる」

 

「そうだね……」

 

「僕ができることは全てする。だが、これは指揮官の才能以上に、現場の判断が重要だ。……皆、もう起きているだろう? 話は聞いたか? まもなく空港に到着する。気を引き締めてくれ。おそらくこれが、君たち第六駆逐隊にとって、最初で最後の大作戦となるだろう」

 

 畳み掛けるように、満は演説を締めくくる。眼を覚ましていたのは響だけではない。話の最中か、話し始めかに暁達も目を覚まし、声にならない声で意思を疎通させささやき合っている。

 

「……僕は少しだけ寝る。付いたら起こしてくれ」

 

「りょうかーい」

 

 長く行動していたために、満も疲れがあったのだろう。大きく欠伸を一つして瞳を閉じた。

 

 北の警備府到着まで後一時間ほど。作戦開始まで――一日は、無い。

 

 

 ♪

 

 

「――駆逐艦、不知火です。よろしくお願いしたします」

 

 陽炎型の二番艦、不知火は優秀な駆逐艦である。若干思考が保守的で、また攻撃性が強い性格は周囲と不和を呼びやすいものの、指導者、リーダーとしてはカリスマもあり、評価は高い。

 また、個人の練度としても、トンデモ駆逐艦島風には及ばずとも、入れ替わりの激しい駆逐艦の中でも、五年以上前線ないしは駆逐隊旗艦として活躍を続けるベテランだ。

 

「南雲満だ。知って入ると思うが改めて、今日は君たちの臨時の指揮官となる」

 

「存じ上げております。――不知火は今直ぐにでも出撃可能です。ご命令あらば」

 

「あぁうん。まずは島風達の準備が終了してからだ」

 

 不知火は現在、この北の警備府に残っている唯一の駆逐艦だ。本来であれば彼女は第二艦隊の旗艦であるのだが、今回の任務は“彼女がいない場合において”駆逐艦達が行動するという体での遠征だったのだ。

 結果として主力クラスの駆逐艦が艦隊に残っているというのは、まさしく不幸中の幸いと呼ぶべきものではあったが。

 

「……島風、ですか」

 

 苦々しい顔で不知火がつぶやく。こんな時に限って目ざとくそれに気がついた満が、即座にそれを問いかける。

 

「なにか気になることがあるかい?」

 

「いえ、私が愚慮することではありませんが。今、島風は調子が悪いのではないですか?」

 

「――スランプ、か」

 

 報告は聞いている。実際に思い当たる事もある。とはいえ、なかなか満に取っては想像もつかないことだ。島風がよもやスランプなど。

 

「先の演習、真っ先に大破、戦闘継続能力を失ったのは島風だと聞いている。本来であれば、最後まで無傷でいるのが当然だというのに、だ」

 

 先の演習。木曾と天龍を旗艦として行った水雷戦隊同士の実戦演習だ。最終的に天龍達の勝利に終わったが、そこで最も最初に被害を被ったのは島風である。

 

「スランプ、というよりも、機運が向いていないというのが近いではないでしょうか。流れがない、ツキが逸している、と言いましょうか」

 

 不知火曰く、島風が被弾したのはいわばラッキーパンチであり、島風事態に積はないという。問題は、それがここ最近、こういった事態が頻発しているということだ。

 

「……そういえば、そんなことは幾つかあったな。確か、木曾と島風の間で色々あった時に、島風はそんな風に大破していた」

 

「あぁ……」

 

 意識できないのも無理は無い。当時の島風達は相応に無茶が目立ったし、その中で大破したのは、彼女そのものに原因があるように思えたのだ。

 

「原因はやはり本人の意識的な問題かなぁ。こればかりは、こちらが何かをできるということもないから、時間が解決することを祈るしかないかな」

 

「とはいえ、今はそれでは問題です。……提案ですが、旗艦は島風にしていただけませんか?」

 

「元よりそのつもりだが……まぁ、そういう考えもあるか」

 

 要するに、不安要素は危険が少ない旗艦に任せるということだ。酷ではあるが、満の方針とそれは一致する。島風の旗艦は確定だ。

 

「――失礼します」

 

 島風の声だ。準備が終わったのだろう、他の暁型艦娘を含め、兵装を携え入室してくる。

 

「よく来たね。改めて作戦の確認をする。質問があればその都度聞いてくれ」

 

「了解!」

 

 それぞれが思い思いに返答をして、作戦は開始直前、最後の調整段階であった。

 

 

 ♪

 

 

 誰かに言われるまでもなく、自分がスランプにあることくらい理解している。ままならない状態にあることくらいわかってはいる。

 だが、何も手を打てないまま今に来ている。周囲も、それを理解した上で、手が出しにくいのだろう、静観の構えを取っている。

 

 それはありがたくも在り、困ったことではある。手が出せないということは、それだけ島風が誰かが指導や口出しできる練度ではないということだ。

 自覚はある。要するに頭打ちなのだ。一流であり一人前であり、それは自負であり事実である。

 

 一人前であるということは良いことに思える。しかしその実、それは“伸びしろがない”ということと同意であるのだ。

 

 伸びしろがないのに行き詰まってしまったのでは、問題は一向に解決しないことは明白で、そもそもその“伸びしろがない”ことがスランプの大体の原因であることは明確なのだ。

 言ってしまえば、ままならない。“どうしようもないこと”が島風を襲いすぎる。

 

 ままならない感情は、島風を負の連鎖に突き落とす。決着をつけようがないのだ己のこころと。何せこころを正す術を島風は失っているのだから。

 

 ならばどうすれば良い。答えは簡単だ外部に正解を求めればいい。しかし、外部は島風を救えない。木曾ですら、満ですらそれは同じ。根本的に言ってダメなのだ。島風は孤独である。前に進むにしても停滞するにしても、彼女はそれを孤独なまま為してきた。今更、誰かを頼る術など身につくはずもない。

 それで良かったのだ、今までは。島風を助ける力はいくらでもあった。だが、今はない。今は彼女を助ける答えが何処にもないのである。

 

 行き着いてしまえば、後は転がり落ちるだけ。それは嫌が王にも理解した。理解せねばならず、理解したまま動けずにいる。それがこのざまだ。落ちて、転げて、ずり“堕ちて”。

 一体何処へ行くというのか。もはや島風には、前にも後ろにも道はないというのに。

 

 

『――島風』

 

 無線機越しに、満の声が響いた。彼にとって島風とはどんな存在だろう。彼は島風を救わない。それは信頼かはたまた無力か。

 

『こちらは準備完了だ、いつでも出れるぞ島風』

 

 木曾の声もする。彼女との間にあった不和はほぐれた。島風が彼女へ対する思いを向けて、またその逆もあった。しかしそれらは同一であるように思えて全く違った。すれ違いの末、両者はそれを正した。

 救われたのは、きっと木曾の方だ。木曾は島風へ放った言葉を悔やんでいた。島風が気にもかけていなかった言葉を引きずっていた。

 思い返せば、それは気にかけて当然の言葉ではあったが。

 

「……そうだね、出よう」

 

『――何か考え事をしていたのか?』

 

 見透かされたような気分だった。実際、見透かされていた。木曾の心配症な、どこか疑り深いような声を受けて、島風は愛想笑いを浮かべようとしてやめた。

 意味が無いことくらい、自分がいちばん解っているのだ。

 

「…………うん」

 

『今更俺が何かを言うことでもないが、島風。――お前は思ったよりも大したことがないらしいぞ?』

 

「……なにそれ」

 

 よくわからない物言いだ。ただ、どこか引っかかる。何か忘れてしまっているような、何か、見落としているかのような。

 

「でも、ありがと」

 

 例は言う。

 わけは解らずとも、それだけは言えた。

 

 

「何か、見つけられる気がする」

 

 

 足が止まってしまったというのなら、道が前にも後ろにもないというのなら、きっとその原因がどこかにあるはずだ。

 島風はそれを理解した。理解して、よくわからないまま木曾へそう言った。

 

『――できれば、こんな大事なときに見つけに行かなくてもいいとは思うが、行って来い島風。お前のいう何かとやらを、見つけてくるんだ』

 

 満の呆れと気負いの混じった言葉は、命令として島風の耳にすんなり入ってきた。満もまた、彼なりに島風を後押ししている。変わるには、きっと自分自身が必要だ。

 

 見落としてしまったはずの何か。未だ見つからない、薄膜の何か。

 

 本来、自分がそれを有していたのか、はたまたこれから手に入れるのかさえ解らない。それでも――きっと、悪いものではないはずだ。

 

「島風、出撃します――!」

 

 思いはまだ言葉には乗らない。それでも、前に進むしか無い。

 

 

 島風の、大事な何かを賭けた戦いが、始まろうとしていた――



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『13 決死』

 大きな船団を護衛するという任務は、本来遠征に関わる任務だ。出撃し、敵を撃滅するのが行動の原動力にある島風には、ある意味これが、初めての遠征ということになるかもしれない。

 とはいえ秀才島風にしてみれば、その程度、予習していないはずもない。経験的にわからないことも、不知火であればフォローもできる。島風の役割は司令塔なのだ。実働は不知火に任せ、むしろそのフォローをするつもりでいた。

 

 現在島風達は船団の周辺を輪形陣で護衛して進撃している。とはいえこれは必要ないといえば必要のない潜水艦警戒であり、実際に敵艦隊が出現すれば、艦娘達は船団を離れ囮として敵艦隊に接近することになる。

 

 深海棲艦の敵は艦娘だ。向こうはそれに妄執が如きこだわりを見せる。よって船団を取り囲むよりも、敵艦隊をおびき寄せる囮として行動するのが効果的、というのが船団護衛の基本だ。

 

 ただし、例外は船団が艦娘の使用する補給資材が存在する場合だ。深海棲艦の判断基準は艦娘とそれに類するもの、つまり自分自身であるため、それに付随する資材は攻撃の対象だ。

 

 今回の場合、キス島基地に十分な資材が存在するため、船団は人と兵糧のみが乗せられている。深海棲艦にとっては船団の優先基準が非常に低くなるのだ。

 

 とはいえそれが、敵に見つからないこととイコールなはずがない。見つかることが問題なのではない。敵に今回の作戦の要旨を察知されることが問題なのだ。

 敵は戦略的にはともかく、戦術的には非常に練度が低いというところがポイントだ。彼女たちにとって、島風をハジメとする今回の駆逐隊は、船団護衛のための艦隊でしかないのだ。

 

 加えて、駆逐艦の利点は全艦種最大ノットでの航行が可能であるという点。速度の遅い軽巡以降の艦種を艦隊に含む場合、島風達に追い付くことは不可能だ。

 であるため、敵が今回の作戦の意図を理解したとして、艦隊の旗艦に情報がたどり着くより前に、少なくともキス島へ辿り着くことは容易というわけだ。

 

 深海棲艦に、人間ほど高度な情報伝達機能はない。

 

 

「――おいでなさいましたね」

 

 

 洋上、ぽつりと不知火が言う。彼女は艦隊の最前列にて、島風とともに前方を監視している。島風は気が付かなかったが――無理もない、不知火には広範囲を策敵できる電探を備えているのだ。島風は追加兵装を全てに魚雷を載せている――不知火はどうやら敵を察知したようだ。

 

「数五。おそらくは水雷戦隊です。殲滅しましょう」

 

「ヨーソロー。じゃあ不知火はここで待機。周辺警戒を続けて。五隻なら、私と暁型だけで十分だから」

 

「旗艦軽巡はフラグシップである可能性があります。ご注意を」

 

 島風の判断に否と言うつもりは不知火にはない。元より、敵に情報が伝わる前に殲滅するのであれば、それが結局最善なのだ。

 

「聞いてた!? 単縦陣で行くから、全員配置について!」

 

「了解!」

 

 威勢のよい暁と雷の声が島風へ伝わってきた。元より彼女たちの方が響と電よりも位置が近いということもあるが、暁型の元気担当はこの二人だ。

 

「これより敵艦隊との戦闘に入ります!」

 

 直後――島風の周囲に彼女の主兵装、連装砲としての装備妖精が出現、待機を始める。彼女の手元で踊るそれは空中を駆け、手のひらによって操作される操り人形だ。飛行能力はないが、島風の近くに居る限り、彼女の思うがままに操作される。

 

 直後、身体を極端に折り曲げて、発進のための“タメ”を島風が作る。最大船側四十ノットオーバー。艦船最速の激烈が、十分な余力を伴って噴出を始める――!

 

 

 ♪

 

 

 軽巡ホ級フラグシップ

 更に駆逐ロ級二隻に駆逐ハ級二隻。戦力としては思った以上に大したことのない顔ぶれだ。軽巡はともかくとして駆逐にエリート以上のクラスがいないというのは、もはや島風達にとってはボーナスゲームに等しい。

 

 開戦直後、島風の主砲が幾度にわたって唸った。同航戦、狙いを定めるのは最後尾のロ級である。

 

 炸裂、海に一つでは済まない柱があがった。

 揺れ動くロ級。船体の小ささから、降り注ぐ天井のようであったはずの砲撃からことごとくロ級はすり抜けた。

 猛烈な勢いに小山とかした海に跳ね上げられながら、ロ級は艦隊の後方、電へと主砲を向ける。

 

「はわわ!」

 

 それに気がついた電ではあったが、意識をロ級へ“向けすぎる”ことはない。あくまで攻撃の一つとして状況を俯瞰し、他敵艦の砲撃が無いと見るや、狙い定めた敵の照準を狂わせるべく速度を急速に緩める。

 その場で滑るように回転しながら主砲を構えた電は、自身の至近に到達した駆逐ロ級の砲撃など一切気にせず返す刀の砲撃で応じた。

 

 ロ級とてそれくらいは予想している。即座に船体を回頭する形で砲撃の難を逃れると、続けざまに今度は魚雷を放とうと船体を動かそうとし、そして。

 

 ――雷のはなった主砲が直撃、一撃にして船体を真っ二つにして海の藻屑とかしてしまった。

 

「甘いのよ! こっちは電が一度攻撃してるんだから!?」

 

 それを見てから、砲撃を修正し雷は主砲を放ったのである。視線を見たのだ。電の一挙手一投足を観察すれば、その狙い位は読み取れる。あとは外れたところから狙いを修正し、敵を穿つのだ。

 

 思わず感嘆するのは島風だ。やはり、見違えるほど連携の練度が上がっている。彼女たちは艦娘としての分類上姉妹であり、満の鎮守府第二艦隊として、五年ほどの間ともに修練を積み上げてきた仲間なのだ。

 その連携は、端から見ていても美しさに思わず見惚れてしまう。

 

 直後、降り注ぐ敵艦艇の主砲と魚雷をことごとく避け切りながら、島風は続けざまに主砲を振るう。周囲を縦横無尽にかける三種類の大きさを持つ連装砲は、大忙しで眼を回していた。

 

 島風の弾幕をバッグに、暁と響も動きを見せる。

 敵の砲塔が響を向いた。二隻のウチ、残ったロ級が響を狙う。しかし、それを許さないのが暁だ。主砲でロ級を散らし、敵の攻撃を集中させない。

 ――回避をしながら砲撃を行う余裕のある艦など、敵には一切存在しない。そんな練度がないのだ。フラグシップのホ級ならともかく。

 

 しかしホ級は島風にご執心。他の艦娘と砲火を交えることはない。

 

 であればロ級の一撃は封殺されるも同然。弾幕が暁達と比べて明白に少ない以上、敵を押し切るには十分だ。

 

 お互い、最初は五隻と五隻の均衡から戦闘を始めた。しかし、練度の差が露呈すれば両者の大勢は一瞬にして決する。

 誰もが意識するまでもなく、この戦闘は島風達有利でもって進もうとしていた。

 

 暁の一撃が駆け抜けてロ級を横切りその退路を封鎖していく。一度でも至近弾があれば、夾叉弾、そして直撃弾と順をおって行くのが戦闘の基本。島風は先の一撃でおよそ敵の距離を掴んだ。後は、それを沈めるだけでいい。

 

「行くわよ! 響、続いて!」

 

「合点……」

 

 静かな返答であった。響は暁の射線を沿うように砲塔を回転させる。一度、爆音。二度、爆発。ロ級は直撃弾を二度受けた。暁の一撃は直撃箇所の都合、装甲を抜くには至らなかったが次はない、響がロ級を沈めたのである。

 

 二隻轟沈。すでにホ級等水雷戦隊には島風達を撃滅するすべはなかった。それでも、彼女たちとてこのまま無に帰す訳にはいかない。

 大艦隊との合流を急ぐか、少しでも敵の戦力を削るか。――選択は後者だ。ここはキス島包囲艦隊においても端の端。こんな場所から急いでも、島風達と戦える艦隊が周囲にいない。そもそも意識をキス島と敵の本体から外してまで、救援してくれる艦隊がいくつある。

 あるわけがない。であるならば、いっそ無茶を承知で、敵艦隊の撃滅を目指す他にない。

 

 大方の予想通り、敵艦隊は島風達を討つべくこの場を死地と決したようだ。いよいよ持って砲撃の勢いは増した。

 高速で島風達を撹乱する軌道を描きながら、砲撃を放つ。受動的な回避ではない、敵に砲撃をさせないための、攻撃的且つ能動的な回避行動。

 

 同時に、敵深海棲艦は単純ながら、効果的な戦略を持ちだした。端的に言えば、一隻の艦娘への集中砲火だ。

 

 狙いは幸か不幸か――世界最速艦、島風。ただし彼女は現在本調子ではない。一抹の不安が島風をよぎる。

 

「……しょうがない! かかってきてよ!」

 

 それでもやらない訳にはいかない。暁達がハ級に狙いを定めたと見るや、島風は意識を切り替えてホ級フラグシップに集中する。

 

 ホ級の砲撃は苛烈のヒトコト。この中で唯一の軽巡であるだけでなく、フラグシップ、他艦艇と一線を画する戦闘能力があることは間違いない。

 

 島風達の武器は練度だ。単なる塵芥の集でしかない敵艦隊を撃滅するのがその練度。艦娘と深海棲艦を隔絶する明確な壁、それが経験なのだ。

 

 ホ級の砲弾が海面を切り裂き白の爆裂を作り上げる。跳ね上がる海水を小型の連装砲妖精で振り払いながら、幾度にもわたって主砲が唸りを上げる。さながらステップを踏むかのように水上を揺らめく島風は、耳元を通り過ぎる砲弾に、顔をしかめた。

 苦ではない。回避事態はさして面倒ではない。それでも、どこか焦燥感が島風を締め付ける。胸の圧迫感は、いよいよ無視できないものへ変じた。

 

 気がつく。ホ級は距離を詰めてきている。お互いの砲火はどうしようもなく勢いを増していた。狙いは明白空と海――砲撃戦と、雷撃戦を同時に交える至近格闘戦。

 

「……やらせないよ!」

 

 現状、不安要素が増えれば増えるほど、島風から余裕が消える。スランプであるのだ、それを更に加速させるなどまさしく愚の骨頂でしか無い。

 

 島風の後方に備え付けられた酸素魚雷が一斉に解き放たれる。島風の左右にわかれた魚雷発射管は、即座にその様をなし海へと魚雷を放り出す。

 

 勢いを持った黒影の雷跡は、ホ級へ向けて放たれる。しかし、接近したとはいえ、まだ雷撃戦にはずいぶん遠い位置に両者は居る。これで当たればラッキーパンチ。島風の狙いはホ級の牽制だ。

 

 直後、爆発がひとつ聞こえた。ハ級に対し一撃が炸裂、誰かが戦果を獲得したか。とはいえ、未だ島風に対する砲撃の手は緩まない。無論それは、砲撃の大部分がホ級に拠るものであるということもあるのだろうが。

 

 ついにしびれを切らしたか、ホ級は即座にスピードを上げ、島風へと接近する。魚雷はホ級をかすめる事無く消えた。続く一撃は遠い、ここをチャンスと見て取ったか。

 

「……っ!」

 

 浅慮、ではないにしろ、判断を見誤ったことは間違いない。ホ級に一斉掃射のチャンスを与えた。おそらくホ級はここで島風の魚雷がどうあれ突撃を止めなかっただろう。

 やぶれかぶれと言えばその通り。だが、それゆえに一般的な思考から、ホ級は行動方針がずれている。島風の弱みはそこといえる。彼女は特に、敵が劣勢に立たされた時の不意な行動に弱い。

 島風は秀才なのだ。理詰めで行動する様子は、木曾のそれに近い。似たもの同士ということだ。

 

 よって、現在は想定以上の窮地にある。ただでさえ不調であるのに、それに輪をかけるかのように、島風のウィークポイントを敵が突いてくる。

 

 判断、判断、判断。

 考え無くてはならない、思考を止めてはならない。だというのに、“思考しろ”という思考だけに意識が取られ、まともな選択はくだせそうにない。

 迷った、永遠ほど。逡巡した、一瞬ほど。

 

 島風はそうして、答えを選ぶ。

 

 

「――皆、ホ級を狙って! 私がハ級を潰す!」

 

 

 答えは、委ねること。他人に自分を委ねた。暁型四隻に自分を託した。

 即座に砲塔が回転した。島風だけではない、暁も、響も、雷も、電も、併せて砲撃の先をホ級ヘ向ける。

 

 状況を完全に理解していたわけではないだろう。それでも、行動できない状況で無かったはずはない。それをそのまま、当然のように為してみせたのだ。

 ホ級の放つ一斉掃射直前、奇しくもほとんど同じような形で放たれた連撃がホ級を襲う。

 

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 四つ。

 

 ――立て続けに爆発したホ級の激震。やがて海の藻屑ヘ消えるそれ。そうして締めくくりとばかりに放った島風の一撃はハ級を捉え、轟沈ヘ持ち込む。

 

 かくして戦闘は、終了した。

 

 

 ♪

 

 

「――お疲れ様です」

 

 戦闘中の島風達から離れていた不知火が帰還した。声をかけるのは島風だ。理由は単純。五隻の中でもっとも島風から疲れを見て取ったのだ。

 

「お疲れ様、そっちも大変だったでしょ!」

 

「そうですね。ですが敵影は無し、安心してよいかと」

 

 暁の言葉に、あくまで不知火は冷静に返した。少しだけ関心したように電が嘆息する。自身の部下が危険な状況にいる、それでも冷静な胆力は、これから部下を持つことになるだろう電は見習わなくてはならない。

 

「すごいのです。……なんだか、お姉さんって感じなのです!」

 

「……そうかしら? いえ、普段は自分で言うのもアレですけれど、厳しい指導をしていますから、そういった風に見られると……こそばゆいですね」

 

「電! ちょっと何私達のことを無視してるのよ!」

 

 雷からのやじがとび、電が苦笑するように困り顔になる。

 戦闘を終えたことで艦隊は多少、精神的な弛緩を見たようであった。

 

「……」

 

「大丈夫かい?」

 

 難しい顔をする島風に、響が気がついて声をかける。目聡いというよりも、この中で最も島風を理解しているのは間違いなく響であるのだ。

 

「……大丈夫じゃない、かも」

 

「ふふ。聞いたこっちが言うのもなんだけど、似合わないよ、島風が弱音なんて」

 

「でも……」

 

 いい渋る島風に、困ったように微笑んだ響は、そのまま何とも言えない風に表情を曖昧にさせ、続けて考えるようにして言葉を選んだ。

 

「そうだね、まぁ気にすることもない。多分、島風ができることは、全部出来ていると思うよ?」

 

 島風にできること、艦隊の指揮に戦闘。

 

「できてる……かぁ」

 

「難しく考えるよりも、考える事をやめて結論だけだせればそれでいいんだろうけどね」

 

 少しだけ人事ばかりに、響は嘆息してから意識を次の戦闘へ向ける。

 

「……ここから、多分厳しくなる。気をつけていこう」

 

 そんな、島風の言葉を耳に入れながら。

 

 

 ――続く戦闘、それは島風の言葉通り、厳しいものとなる。

 

 

「暁ッ!」

 

 雷の声が周囲に響き渡った。即座に顔つきを変えた暁が船体を思い切りそらして、“それ”を躱した。

 すでに周囲は戦闘警戒に入っている。島風達だけではない、不知火も艦列にいた。更にその奥に、護衛対象である船団が構えている。

 

「――皮肉にも、かな」

 

 島風は言う。不知火がそれに対して問いかけるように視線を向けると、島風は重々しく嘆息をしてから、言った。

 

「昔、私と第六駆逐隊に一人加えて出撃した時があるんだ。その時、雷は不意の一撃で大破してる。今度はその雷が、暁を救った」

 

「……それは皮肉ではなく、必然というものですよ」

 

「そうかな?」

 

「――艦娘は成長します。精神的に、実力的に」

 

 言葉を終えて、島風達は先頭にうつった。

 

 視界の奥。敵艦隊には――かつて島風達が相対した、“戦艦ル級”のエリートクラスが、佇んでいる――――



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『14 前進』

 戦艦ル級エリート。ついに姿を表した敵艦隊主力が一翼。その強さは、もはや語るべくもなく。その異様さは、もはや目にするだけでも明らかだ。

 僚艦は重巡リ級二隻に軽巡ト級一隻。そして駆逐ハ級二隻。全てエリートクラスによる構成である。

 

 思い出されるはかつて戦艦ル級と島風を旗艦とした艦隊が初めて相対したあの時。かつてエリートクラス一つなかった艦隊が、今度は全てがエリートという、一つ弩級を増した凄みで持って、島風達に狙いをつけている。

 

「戦闘は出来る限り回避。複縦陣で艦隊を組んで、片方は戦艦達をやり過ごす事に専念。片方は船団護衛に専念!」

 

「分け方は!?」

 

「いつものように!」

 

 雷の問に、端的に島風は答えた。いつもの通り、明白な答えだ。それにそって、暁と響が島風の後方に、雷と電が不知火の後方に回った。

 

「……では、戦艦はこの不知火にまかせていただきましょうか」

 

 きゅっと、手袋をはめ直して鋭い眼光で戦艦ル級を睨みつけると、不知火はそんな風に表明した。島風も首肯してそれに同意する。

 

「お願い。くれぐれも気をつけて、戦艦ル級の一発で大破なんてことになったら、守れる自信、今の私にはないよ」

 

「そちらこそ。旗艦が大破しては士気に関わります。くれぐれもご自愛を」

 

 多少刺のある会話を、しかし一切の刺を含まずに飛ばし合い、島風達はふた手に別れた。

 

「――では、不知火の本領、お見せいたしましょうか」

 

 あくまで、それは静かな声。ただ瞳だけはもはや人に向けるそれではない。殺意、敵意、そして隠しようもない威圧。駆逐艦不知火、その“威容”でもって、その力を露わにしようとしていた。

 

 

 ♪

 

 

 ル級を狙うのではない。あくまでル級達を逃れ、船団を無事にキス島へ送り届けるのが島風達の目的だ。その上で、この戦闘はある方法で持って行われる。

 

 不知火は敵重巡、リ級へと砲撃の手を向けた。真正面から入れ違うようにル級の艦隊へ接近する不知火達艦隊の左舷は、そのまま切り込んでいく。

 逆に島風達右舷は船団をその場から引き離すようにル級艦隊から距離を取り、不知火達との間に大きな間隔が生まれた。

 

 放火とともに不知火達は魚雷も同時に解き放つ。狙いは敵艦隊を半壊させること、そして自身は傷つかないことだ。

 

 そこでリ級である。重巡は戦艦が運用できないような資源状況においては、戦闘の主力となりうる戦力である。つまり、そこを崩せば無視できないダメージが生まれるというわけだ。

 だからこそ、不知火及び暁と響はここを突く。

 

 飽和しかねないほどの射撃が一度にリ級を襲えば、さしものリ級でも耐え切れるはずがない。しかも、魚雷までが彼女をくらい尽くそうというのでは、エリートというクラスも型なしだ。

 魚雷はそのすさまじい火力でもって、やりようによっては空母や戦艦すらもこれを受けて海に帰すこともある。

 

 だからこそ、それらが一隻の敵艦に向けば、大きな損害は必至。一隻でも深海棲艦が艦娘を中破に追い込めばそれも違うだろうが、それを不知火がさせない。

 

 目前にせまる砲弾を、足元を行き交う魚雷を、巧みに風穴をあけるようにすり抜けているそれは、まさしく歴戦。暁達は、その後を追うように海上を滑っていった。

 

 ついに魚雷がリ級を捉える。回頭する暇もなく、リ級を覆うように水が氷山の如くリ級を貫いた。

 何とか無事を保ったリ級ではあるが、それでも継戦能力を失って、大破状態で艦隊から後方に遅れる事になる。

 

 ――この戦闘。そもそも敵にメリットと呼べるものはない。獲物である艦娘はたかだか駆逐艦の六隻。大物といえる空母戦艦は現在主力艦隊とのにらみ合い真っ最中だ。

 

 よって、ここで重巡リ級を失う理由はない。艦隊を離れたリ級に寄り添うように、駆逐艦ハ級が後を追った。

 これを追わない。敵に戦闘のメリットがないのと同様、島風達にもメリットがない。そこで行われるのがこの方法。無視できない戦力、リ級を大破に追い込み戦闘から離脱させる。後を考えて駆逐艦をその護衛につけるのであれば、二隻の艦艇を戦闘から追い出すことが可能になるのだ。

 

 ここまで数分、ほとんど時間はかかっていなかった。鮮やかなまでに鮮やか過ぎる手管。直後、不知火は――吠えた。

 

「次! 後一隻叩きます!」

 

 否やはない。暁も、そして響もまた不知火の後に続き、リ級へと砲塔を回転させる。

 

 

 ――片や、その後方とも言える場所で戦闘の行く末を見守る島風達。息を呑むようにしながら、半壊させられる敵艦隊を見ていた。

 さきほどのリ級一隻目に続き、二隻目をも即座に大破へと追い込む不知火の手腕。その後ろに続く暁達も、通常以上に身体の動きが良いように思えた。

 

「……いつも、以上?」

 

 そこまで考えて、島風はある違和感に行き着く。それはそう、通常以上という言葉の意味。――“通常”とは何だ? 何が通常? そうだ、その通り。島風は今まで、駆逐艦の全力戦闘など、目にする機会はなかったではないか。

 隣に先代の電がいる時も、それからこの間の演習も、自分のことで手一杯で、観察をする余裕などなかったではないか?

 

 

 ――自分は、一体何を持ってそれを通常と定義するのだ?

 

 

「……何も、ないじゃん」

 

 駆逐艦島風は、駆逐艦でありながらその扱いは軽巡、重巡のそれに近く、求められるのは主力としての戦闘能力であった。駆逐艦としての能力など、誰一人として求められていないのである。

 だから、今まで島風は自分を軽巡、重巡、はたまた戦艦とすら比べていた。それでよかったのだ、少なくともごく最近までは。

 

 それでは“行きつけなくなった”のが今の自分ではないのか? 遠くを見すぎて、目の前が見えなくなっていたのではないか?

 

 

『今更俺が何かを言うことでもないが、島風。――お前は思ったよりも大したことがないらしいぞ?』

 

 

 そこまで思考して、木曾の言葉が島風の脳裏をよぎった。そこから止めどなく、止まり用がなく木曾の言葉が襲い掛かってくる。

 さながら幾つもの“栓”が引きぬかれていくかのように。

 

 

『なぁ島風。お前の背中は、遠いな。後ろから見ていて、遠くまで来たのだと実感する。“すごく”なったよ、お前』

 

 

 

『だから……小さいな。お前が小さいよ。……これならすぐにでも追いつけそうだ』

 

 

 思い返せば、随分綱渡りな言葉選びだと島風は思う。当時、自覚はしていなくとも島風はスランプだった。そこに、かけてはならない言葉があまりに多くあった。

 もしも木曾が“強くなった”だとか、ただ“背中が遠ざかった”のだとでも言えば、島風は自身の感情に、無意識に牙を打ち込まれることになっただろう。

 

 だが、木曾は間違えなかった。正しく等しく言葉を選び、行き着くところまで島風を導いた。

 

「……感謝しても、しきれないなぁ」

 

 島風にとって、木曾は隣にいる幾つもの艦娘の一人だった。自分と彼女たちはイコールであった。だが、実際は違った。島風と軽巡が、イコールで結ばれるはずがないのだ。

 駆逐艦なのである、島風は。巡洋艦や戦艦などと比べられるはずもない。

 

「比べるべきは――見つめるべきは、駆逐艦だよね、やっぱり」

 

 気がつけば、島風は食い入るように不知火の戦闘に没入していた。魅入られているとも言って良い。

 

「それに……きっと、一人きりでもだめなんだろうな」

 

 不知火の戦闘は、暁達を導くものだった。自身は司令塔として、そしてそれでも“足りない部分”があることを自覚し、一人で全てをこなそうとしない。どちらかと言えば木曾もそうなのだろう。自分にカリスマを与え、それを要いて艦娘を引っ張る。

 島風のそれは、きっと一人で何かをこなし、完璧であろうとするものだ。だが、それでは艦隊が成り立たない。完璧であるうちはともかく、島風が崩れてしまった場合、フォローが飛んでくることはない。

 

 今まではそれでもよかった。だが、これからもそうで良いはずがない。西方海域も、いま北方海域に出現する敵も強大だ。これまでの敵の比ではない。

 だからこそ、島風はここで立ち返る必要がある。

 

 ――意識の外ではあった。それでも、先の戦闘で、島風は頼るということをした。“任せる”ことは慣れている。だが、誰かを“頼った”ことは、あれが初めてではなかったか。

 

「……うん、多分できる。私はきっと“優秀”だから。やろうと思えば、直ぐにでも」

 

 不知火達に動きがあった。軽巡ト級を轟沈させ、戦闘を続行させる意思がル級のみになった時点で、ル級は大破したリ級を伴い、この海域を離脱するものだと誰もが思っていた。

 しかし、そうはならなかった。ル級は全速力で不知火達を振りきった直後、船体を回頭、大きく迂回し、今度は島風達の側に“切り込んできた”のだ。

 

「――よしっ!」

 

 パンッ! と一つ頬を叩き、そのまま身体をル級ヘ向ける。揺らめく連装砲が一度に一点を狙い定める。魚雷が海へと、発射管を向ける。

 

「私は島風! 艦隊“旗艦”! たとえそれが戦艦であろうが空母であろうが、一緒に戦う艦娘がいる限り――」

 

 チラリ、と僚艦、雷と電を見る。島風の意思を汲み取ったか、意思の強い瞳で首肯して返す。島風も満足気に頷くと、暁、不知火、そして響にも同じようにする。

 同一の返事を受け取ると、満を持して声を張り上げる。

 

 

「――負けませんよっ!!」

 

 

 戦艦ル級を相手取った、“新生”島風の戦闘が始まった。

 

 

 ♪

 

 

 回転する。砲撃が入り乱れ、しかしル級のみを狙ってその足元で水柱がはじけ飛ぶ。かつてのように、あの時の夜戦のように。

 

 だが、違いはひとつ――大きな大きなひとつがある。

 

 島風の後方から轟いた爆音が、そのままル級に突き刺さる。直撃だ、小さくはあるが、確かな一撃だ。

 だれが放ったかは解らない。それでも、意味が無い一つではない。

 

 ル級が動きを止めた。それを見てから島風は即座に回転をやめ前進に切り替える。同時に幾つもの魚雷が島風から放たれた。

 艦隊決戦能力が高い島風の魚雷は、重雷装艦を除けば艦娘に置いても最強クラスの高い雷撃能力を誇る。酸素魚雷といえば帝国海軍が開発した世界の常識をはるかに超えるトンデモ魚雷であるが、その中でも島風の五連装酸素魚雷は最高性能を誇る魚雷である。

 

 当たればたまったものではない。即時回頭で魚雷から自身を逸らしながら、ル級は己の主砲を盛大にかき鳴らし、島風を狙う。

 だが、たかだか一隻の主砲程度で、島風が捉えられるはずもない。史実からして、敵の主たる攻撃に一度として捉えられることもなかったのだ。

 

 こと回避に関してこの島風、碌な道理で攻撃を見舞われるはずもない。もはやル級は眼前。――かつての光景と、今の光景。なぞらえるには、相違点が多すぎた――!

 

「ッッラエエエエエエエエエエエエ!!」

 

 三門、艦娘らしい武器としての挙動。全てが同一方向へ、同一の地点へ向けて真正面に添えられた。迫る。超至近からル級を穿つ。

 ――刹那、ル級の瞳が赤く吠えた。主砲が、黒煙を伴ってル級を赤く照らしたのだ。この距離、外すには、あまりに状況がル級に向いていた。

 

 それでも、躱す。

 

 ――島風は、避ける。

 

 ル級が放った砲撃を沿うように、撫で切るように身を反らし、身体を一回転させていく。砲塔が、広げられた雨傘のように、円を描いた。

 

「もらう!」

 

 即座、急停止。あっという間もなく速度を落とした島風が、ル級に、添えるように主砲を放つ。ノータイム、構えた直後にはもう、火花は散ってル級を包み込んでいた。

 

 爆炎。だが、ル級はそこで沈まない。

 両腕の盾。主砲と呼ばれるそれを犠牲にしてもなお、彼女は完全に健在であった。

 

「――貰うよ、轟沈させる。でもね、貴方は少し見誤ってる。貰うのは私じゃない」

 

 島風は、余裕たっぷりに言葉を連ねた。身体は身動き一つせず、ル級とは未だにらみ合いを続けている。この距離で、ル級が砲撃を行えばひとたまりもないことはわかりきっているというのに。

 それでも、動かなかった。

 否、動けなかった。

 ――なぜならば、そこから動けば島風は、“仲間の”雷撃にさらされることになるのだから。

 

 

「“私達が”――なんだから!」

 

 

 直接耳元で鉄鋼同士を高速で叩きつけるような爆音。連続五つ連なって、ル級エリートを飲み込んだ。島風が誘導し、避け得ぬ状況で雷撃が、戦艦ル級へ叩きこまれた。五発も魚雷を受ければさしもの戦艦とてひとたまりでは済まない。

 ところどころを黒墨に染められた敵戦艦は、その艤装を悲鳴のように唸らせて、それでも島風に対し最後のあがきを見せようとした。

 

「……ありがと、敵に言うことじゃないけど。貴方のお陰でちょっとは前に進めそう。……貴方だけのおかげじゃないけどね」

 

 その言葉を追うように、放たれた魚雷で持ってこの戦闘は終了した。これは同時に、島風達の大きな戦闘が全て終了したことを意味する――

 

 

 ♪

 

 

 その後、キス島を包囲する艦隊と最後の戦闘を行ったものの、せいぜいが軽巡程度というこの艦隊は、もはや島風達の敵ではなかった。終わってみれば決死の撤退作戦とはいえ、ほとんど無傷で島風達は切り抜けたのである。

 

 島風達がキス島の人員を収容し、包囲網を突破した時点で、敵艦隊は北の警備府主力艦隊によって殲滅された。数時間に及ぶにらみ合いでしびれを切らしたのだろう、木曾の活躍は獅子奮迅の名にふさわしく、鬼神のごとく戦果をあげていた。

 

 かくして不穏に満ちた北方海域での戦闘は終了。しかしこれにより、敵艦隊はいよいよその本体を垣間見えさせた。特にアルフォンシーノ周辺はすでに制海権を奪われ、盛大にきな臭さをましているという。

 東方艦隊のもう一翼との決戦を控える西方海域も併せて、島風達の奮闘はまだまだ終わりそうにない。

 

 それでも、状況は一定の進展を見た。島風のスランプ脱出は、大いに艦隊の活力となることだろう。

 

 南の鎮守府に帰投する飛行機の中、島風はぼんやりと外の景色を眺めていた。高度数万メートル、大気圏すれすれか、それより飛び出しているのか、知識のない島風には一向に興味のないことではあるが、とにか宙は黒に染まっている。そこは、もはや青ですら無い空と海から隔絶された場所であるのだ。

 

「どうだった?」

 

「……どう、って?」

 

 隣でゆったりとくつろいでいる満の言葉を、なんとはなしに問い返す。意味はわかるが、思考がおぼつかない。眠いのだ、少なくとも今は。

 

「島風は随分と遠くばかりを見ているようだった。木曾に教えてもらったが、駆逐艦の戦闘という根本的なものを見落としていたそうじゃないか、よくそれで戦えていたな」

 

「……見落としてたんじゃなくて、忘れてたんですよ。木曾と根本的なことは同じじゃないかな」

 

「――先代電の置き土産、か?」

 

「やっぱり……そうなるかなぁ。あの時置いてきちゃった忘れ物を、ようやく私は取り戻したんだと思います。……それでも、あの時の私は、やっぱり恥ずかしいんですけど」

 

 あれも、これも先代の電のせい。すさまじい黒幕ぶりだと、二人口をそろえて苦笑する。

 

「なぁ島風、お前は本当にあの電がただ沈んだと思うか?」

 

「……どういう意味ですか?」

 

「なんでもない、忘れてくれ」

 

 ――そんな風に会話は途切れて、そうして飛行機は空を行く。これから先訪れることを免れない、多くの困難へ向けて。



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『15 加賀』

 空は青く澄み渡っていた。陽の光は青に染まって白にすり替わり、照りつけるようでその本質を逸している。晴天は青、だが空は白。艦載機を飛ばすには――良い空だ。

 

 その日、満の鎮守府に一台の車がやってきた。高級感のあるスポーツカー。おそらくは個人の所有物だろう、その後部座席が開き一人の女性が姿を見せる。

 意思のある瞳はまさしく人を射抜くかのようそれは強さであると同時に、頑なさであるようにも思えた。しかしその表情は薄いながらどこか柔らかく、暖かな春にふさわしいかのように思えた。

 

 春、鎮守府においてその意味するところは配置転換だ。満の鎮守府は南雲機動部隊が完成を見てから久しくその戦力を入れ替えてはいないが、あちこちで戦力が入れ替わり、新たな連携に四苦八苦している艦隊も少なくはない。

 このたびは、それは南雲機動部隊にも言えた。しかし、満達の場合、少し状況が違う。新たに配属される艦娘との連携がうまく行かないというわけがないだろう。

 

 鎮守府にやってきた新たな艦娘、降り立った女性の名は――加賀。かつてかの正規空母とともに一航戦と呼ばれ、日本の正規空母のエースと言っても良い存在。

 正規空母を喪失してから三年。ついに南雲機動部隊は、再びかつての姿を取り戻そうとしていた――

 

 

 ♪

 

 

「正規空母、加賀です。機動部隊の主力として全力を尽くさせていただきます。短い付き合いにはなるでしょうけれど、よろしくお願いするわ」

 

 加賀。加賀型の一番艦であり、もとは戦艦であった物を空母として改装した改装空母の一種である。この世界においては最初から空母として建造されているが、そもそも史実においても彼女の活躍は空母としてのそれだ。

 

「ワーオ……」

 

 思わず、と言った様子で金剛が嘆息した。現在ここは鎮守府司令室。南雲機動部隊に所属する全ての艦娘が集合していた。なお、第二艦隊は含まれない。

 

「ほんとに、来るんだ……」

 

 島風も、それには同意といった様子で唖然としている。空母といえば日本に六隻、現在は五隻しか存在しない希少な艦種。しかも、その中でも現役で前線を駆け抜けているのは五航戦と二航戦の蒼龍系三隻。

 

 ただでさえ出し惜しみされる正規空母を、ひとつの艦隊が所有するなど前代未聞。それも、満の鎮守府となればそもそもありえない話だ。

 

「まぁ、彼女は割りと特殊な経緯でこの鎮守府に配属されることになった。詳しくは軍機に関わるので詳細は明かせないが、まぁ短い付き合いなのは確かだ」

 

「短い付き合いって、短期的に貸し出されたってこと?」

 

 島風が最もな質問をする。詳細が明かせないならそこを突くつもりはないが、短い付き合いというのは些か疑問だ。

 

「実際に短期的かはともかく、僕自身はさほど長い時間ではないだろうと考えている。北か、はたまた西か、彼女の目的が今戦闘を展開している海域でヒットすればそれで終了だ」

 

「もしも、南に進出することになれば数年はお世話になるかも知れませんが」

 

「南って……そんな所まで、私達が出張るの?」

 

 のんきな口調で、北上は辟易したように言う。南ともなれば現在深海棲艦の主力が展開する海域の中でも、特にそれが集中している場所の一つだ。

 太平洋日本海側で言えばここが最大の戦闘が予想される場所だ。因みにアメリカ側はハワイである。

 

「まぁ実際、都会の真ん中で草の根をかき分けるのは大変な作業でしょうし、どうにもこうにもねぇー」

 

「そない大変な作業を……まぁ、それやったら加賀はんが来るのも道理、かいな」

 

 おおよそ事情を理解しているらしい愛宕の言葉に嘆息するのは龍驤だ。この場で何かを理解しているのは、おそらく愛宕と、もしかしたら金剛くらいか。

 金剛は驚きはしたものの、正規空母が来ること事態には興味がなさそうにしているが。

 

「愛宕、喋りすぎだ。まぁそういう訳でな、よろしく頼む――加賀」

 

「はい。よろしくおねがいしますね、提督」

 

 最後に二人はそうして握手をして、そのときの会話は終了となった。

 

 

 ♪

 

 

 廊下、かつて南雲機動部隊には同じ正規空母がいたとはいえ、なかなか日本海軍の重鎮に話しかけるのは勇気がいるというもの、加賀の隣に立つは金剛、同じく日本の主力である戦艦金剛のみが彼女とともに廊下を歩いていた。

 

「噂には聞いていましたが、まさか本当にこんな所に来るなんて、久ぶりデース、加賀」

 

「こちらこそ、お久しぶりですね、金剛さん」

 

 加賀は建造から十年ほどの艦娘、金剛は十五年は艦娘をしているベテランだ。

 

「そもさん、すでに前線から退いていた加賀が、またもバトルフィールドで本格的にスタンバイする日が来るとは、この金剛、感激で胸いっぱいデース」

 

「いえ、別に私はあの娘と違って、本格的に提督としての地位に付いたわけではないですから。本所属は日本海軍第一艦隊よ」

 

「第一艦隊はご隠居の集まりデス。確かに有事となれば皆も全力を尽くすでしょうが、基本的に暇なことには変わりないネー?」

 

「それを言えば、艦娘最年長の金剛さんこそ、そろそろ隠居の時期では?」

 

「またそんなこと言うー! 加賀のポイズンは健在ネー!」

 

 ケラケラと楽しげに笑いながら、久方ぶりの邂逅を金剛は喜んでいるようだった。加賀もまんざらではない、相手は敬愛すべき最古参の艦娘だ。ともに在る時の安心感は、かつての相棒と背中を合わせた時に劣るものではないだろう。

 

「それに――」

 

 そうして金剛は、ふと歩を緩めて恥ずかしげにうつむく。どこか上ずったようであり、寂しさを隠そうとするようであり、アンニュイ、と言うのがきっと正しいのだろう。

 

「私は――戦艦金剛は、南雲機動部隊最期の日まで、提督とともに在ると心に決めていマス。いつの日か、私達が終わりを迎えるその日まで」

 

「……金剛さん」

 

「提督は、すごい人ネ。折れない、曲がらない、ただひたすらに前を見る。……加賀も知っているでショウ? 提督は、そういう人デス」

 

 少しずつ、気恥ずかしさが勝ってきたのであろう、うつむき顔を、今度は困ったように頬を掻くものへと変えた。少し遠慮がちではあるが、前を向いて金剛はそう言った。

 

「あら……確か、提督と貴方の馴れ初めは、“提督らしくない”提督を、面白く思ったからでは?」

 

「それも在るネー。エイジ重ねると、やっぱり艦娘はウィークが多くなるデス。だから私は提督にやられた訳だけどー。でも、今も一緒にいたいと思うのは、提督を知ったからデスよー?」

 

 金剛の百面相は止まらない。とてもとても悲しそうな笑みで、精一杯のつよがりで、それでも歳を重ねた艦娘は、人として、精一杯の“強み”を見せる。

 

「あの時、提督ヴェリーヴェリーサドンリィデス。金剛もとってもバッドでした。でも、気がつけば提督はいつもの提督で、いつも以上の提督でした」

 

「……“あの時”、ね」

 

 加賀にも覚えがある。それは――加賀と提督、南雲満が始めて顔を合わせた時であり、“彼女”が沈んだ時でもあった。

 

「できることなら、提督を悪く言わないで下さい。無理な話とは思うけれど、それでも一人の恋する乙女の願い、加賀は聞いてくれまセンカ?」

 

 ――恋する乙女って。そんな感傷染みた言葉は飲み込んだ。それは金剛に向けるにはあまりに不的確であり、不適切であった。

 提督の原動力を、今彼が在る姿の原点を金剛は知っているはずだというのに、金剛は――そんな原点の彼を好きになってしまったのだ。

 

 ――何が戦艦だ。何が最古参の艦娘だ。彼女は、単なる齢十五ほどの少女である。だが、同時に艦娘として気高い精神を持つ、一人の女性でもある。

 

 結局、罪なのはあの女性だ。あの艦娘だ。彼女が全てを動かしている。まるで黒幕ではないか、――勝手に沈んで、勝手に思い想われて、本当に……

 

 

「勝手な人……」

 

 

「……パードゥン?」

 

「いえ、なんでもないわ」

 

 加賀は、居直るようにそう言った。そうして改めて、すまし顔で金剛に返す。

 

「――今更、です。私と提督の付き合いは、もう三年以上、そろそろ四年になるのです。今更、そんなことを言われても、はいそうですねとしか言えません」

 

「……サンキュウ、ヴェリーマッチです」

 

 堅苦しい礼でもって金剛は返した。深々と礼をして、顔を一度覆い隠して――それから彼女が顔を上げた時、そこには晴れやかで、まっすぐで、けれどもとても見てはいられない――寂しげな笑顔が浮かんでいた。

 

 

 ♪

 

 

 一目見た時から、惹かれる物は多くあった。だが、その時は突然放り出された世界に適応することに手一杯で、彼女を意識し続けることはできなかった。

 

 ――ある日、ある時、ある世界。一人の少年が誰かを救って海に身を投げ出した。正確に言えば、少年は誰かを救い、救った後に襲った衝撃に、一人海へ突き飛ばされたのである。誰もが助かったと思った瞬間、それを奪うように災厄は襲いかかった。

 その少年の名は南雲満と言った。

 

 南雲満という少年は、普通とは言いがたい程度に大人びてはいるが、大人とは言い切れない何処にでもいる少年であった。何も不可思議なことではない、満はそれ相応にまっすぐで、それ相応に純白であった。

 

 言い方を変えれば純朴で、言い方を悪くすれば単純なお人好し。だが、それでも日本人らしからぬ胆力と、直線的な芯の強さが彼には在った。

 適応力、と言い換えてもいい。環境変化への柔軟性は彼の非凡と言って良い。

 

 かくして彼は新たな世界に転生し、提督という地位に付いた。運命のいたずらか、はたまた誰かの願い故か。

 

 そうしてその世界で初めてであったのが一人の女性であった。最初は自分を導いてくれる恩師、親身になってくれる存在として、――やがて、心惹かれる一人の女性として、満は彼女を想うようになった。

 

 気がつけば、と言って良いだろう。本当にいつの間にか、何か大きな転機があるわけでもなく、心に留められたワンシーンがあるわけでもなく、いつの間にか愛するようになっていた。

 最初は、彼女の隣にいる資格を求めようとした。彼女の言う一人前に満はなろうとしたのだ。

 

 

 だってそうだろう? 愛しているのだから、愛してしまったのだから。釣り合いが取れないのでは、それでは自分に納得ができないではないか。

 

 

 誰かに褒めて欲しかったわけではない。誰かに認めて欲しかったわけではない。それはエゴ、少年らしい彼のエゴ。ちっぽけで、貧弱で、乏しい思いから生まれた、それでも絶対的で、無敵で素敵な彼の心だ。

 そんな心で、彼は前に進もうとした。青臭くて、けれども決して嫌味ったらしくはなくて。きっとそれを、青春と人は呼ぶのだろう。

 

 

 ――――だが、

 

 

 そうはならなかった。

 愛する女性を彼は失った。その女性の最後の言葉は、満が聞いた。ごめんなさいと、そんな言葉で謝って、勝手にこの世界からいなくなってしまった。

 

 彼の中から失われてしまった感覚はもはや言葉では選べなかった。想像を絶する――人の死によって生まれる喪失は、その一瞬でなければわからないのだ。一瞬である、刹那でしか無い、人は忘れてしまうのだから、その喪失感すらやがては記憶に埋もれて消えてしまう。

 

 嫌だ。

 それだけは絶対に。

 絶対に嫌なのだ、南雲満は。

 

 満が彼女を喪って初めて覚えた感情は、喪失感を“忘れたくない”という執念であった。忘れてしまえば全て“終わってしまう”過去は“終わってしまったこと”。そうなれば、人は過去を思い出す他にない。

 

 

 だから、彼は“喪わない”ことを選んだ。彼は、全てを取り戻すことにした。

 

 

 ♪

 

 

 その日、南雲満は夢を見た。

 

 大切な一人の女性の夢。となりにいる彼女の顔はぼやけていた。どれだけ近づこうとしても近づけず、ただただぼんやりと、その姿をにじませて満から遠ざかっていこうとしていた。

 

 彼女は何かを言おうとしているように思えた。しかし、開かれた口から声音が響くことはなかった。どれだけ思い出そうとしても、満はその声を思い出せなかった。

 

 どうしても。

 

 ――どうしても。

 

 

 ――――どうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしても。

 

 

 思い出すことが、できなかったのだ。

 

 

 ――だから、



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『16 爆撃』

 加賀の編隊が、龍驤の攻撃隊を伴って空を飛び立った。五十オーバーの、それこそ軽空母とは桁違いにもほどがある艦載数を誇る正規空母は、それ一つで空を支配するほどの猛者だ。

 敵に正規空母が存在しない限り、戦闘はほぼ一方的といって構わない。

 

 ――此度の戦闘。向かうは北方海域の深部、アルフォンシーノ。この戦闘最大の要点は、南雲機動部隊が攻略を行うという点だ。

 理由は二つ。まず対北方海域の主力艦隊である榛名旗艦の北警備府艦隊を温存するため。これ自体はあくまで対外的な理由で、本来の理由ではない。そういった側面もある、というだけだ。

 そしてもう一つ。これが本作戦を南雲機動部隊のみで行う理由。ようは加賀との連携を確かめるためだ。

 

 今回の戦闘はさして大掛かりなものではない。あくまで敵艦隊を撃滅するための強襲偵察。アルフォンシーノ及び北方海域を奪還するための前哨戦だ。

 目的は無印偵察によって判明した敵泊地の存在、及び場所を確定させること。そしてその泊地を守る敵前衛艦隊に風穴を開けることだ。

 

 その緒戦。相対したのは艦隊の前衛を担当する水上打撃部隊。軽巡ヘ級フラグシップを旗艦とし、重巡リ級エリートを含む高速艦隊だ。

 残る編成はト級エリート一隻、雷巡チ級エリート一隻。そして駆逐ロ級エリート二隻だ。

 

 かくして加賀の先制爆撃から始まる戦闘は、そのまま加賀の空爆によって彩られる。 風を切る艦載機が、そのまま身を翻し敵の対空攻撃を避けて行く。空に白のスイングが生まれた。空を切り裂き、下方から振り上げるように――

 

 狙い定めるは空からの魚雷。浮遊を伴って投下されたそれは、リ級エリート、ロ級エリートをそれぞれ狙った。

 回頭。――リ級エリートはその練度故か、即座に雷跡に気が付きそれを始める。しかしロ級は遅れた。魚雷の一撃をモロに受け、そのまま海の藻屑と消えてゆく。

 

 リ級エリートは直撃を避けた。回避した艦首へかすめるように着弾。漏れだすように水が着弾箇所から溢れだした。

 

 そうしてそれが第一撃であることに気がつくこともなく――リ級は北上の先制雷撃を受け、海へと再び、帰して行く。

 

「全砲門! ファイア! 加賀の後を追いかけるネ!」

 

 声を荒げる金剛。歴戦の戦艦が、後輩の空母に遅れをってなるものか。一つ、続けて二つ。必然的に放たれたそれは、立て続けに軽巡ト級周辺へと迫る。やがて距離を至近にまで近づけたそれは、夾叉を挟まずト級に直撃した。

 

「“喰わせて”貰うわ」

 

 ――愛宕がその後に続いた。放火の苛烈は戦艦には及ばずとも、その一撃はとにかく的確。一瞬にしてヘ級フラグシップは至近弾を喰らい、続く一撃を諸に食らった。

 それでも大破ではあったが、北上がキッチリ沈めて残るはチ級一隻とロ級一隻。

 

「行っきますよー!」

 

 龍驤の爆撃が何処かへ逸れ、そこからさらに島風の砲撃。狙うはロ級。二隻のウチ片割れの駆逐艦。

 

 幾つかの砲弾が島風を狙う。しかしそれが島風に届きうるはずもなく、変え姿なにあえなく轟沈。敵はここまで何一つ戦果を残せてはいない。

 ――どころか敵をかすめてすらいないのだ。もしも次の機会があれば、それも覆るのかも知れないが。

 

 だがしかし、最後に控えるは南雲機動部隊に新たに着任した正規空母。もはや“次”の機会は無いのである。

 

 空を飛び立った艦載機『流星』と『彗星』。もはや敵を狙うに遮るものはない。火砲を切り裂き、空には浮かぶ艦載機もない。ただただ直線的な飛行。音がひこうき雲のように追いすがり――

 

 チ級は、音を立てて爆発四散。海の底へと向かい墜つ。

 

 

 ♪

 

 

 その後、渦潮に襲われる災難に見舞われたものの、電探を装備した愛宕、金剛の存在も在ってか損害は軽微、そのまま直進することとなる。

 

 その間艦隊は必要なこと――渦潮の報告などだ――を除けば、おおよそ無言で行動を取っていた。特に話をする必要が無かったことはそうではあるが、それ以上に、加賀を除く艦娘全員が、どこか感触を確かめるように一人心地であったのだ。

 先の戦闘、圧勝と言って良いそれは、加賀の先制爆撃が必須であった。そして最後に残った一隻を沈めたのは加賀である、その時、南雲機動部隊の艦娘は異様なほどの安心感を抱いていたのである。

 

 問題ない、これで戦闘は自分たちの勝利だと、だれもが確信していた。それは加賀への信頼以上に、南雲機動部隊が本来あるべき姿をようやく取り戻したから、というのが大きいのだろう。

 島風を始め、正規空母に預ける信頼は誰もが重い。金剛も、愛宕も北上も、龍驤も。

 

 

「――報告。敵艦隊を発見したわ。先制して叩きます。許可を」

 

 

 加賀はなんというふうでも無く言った。

 電探も影響しない遠方の敵艦隊を発見した。その編成すらも彼女の偵察機は誰もへ告げる。

 空母ヲ級フラグシップを旗艦に、エリートヲ級とヌ級エリートを中心とした空母機動部隊。ル級エリートに軽巡ト級エリートとニ級エリートが一隻ずつ。

 

『あぁ、完膚なきまでに叩き潰せ、加賀。――島風』

 

「了解! これより戦闘海域に入ります。総員戦闘準備! よーそろ!」

 

 単縦陣で艦列を組んだ島風達。加賀はその後方で、矢筒から艦載機を取り出す。鏃が変じたそれを和弓に構え引き絞り、瞳の向ける先へと羽ばたかせる。

 

 一瞬、滑空するように海へと飛び出した艦載機のプロペラが即座に回転を始め跡を残して一枚刃に変わる。

 速度を載せた艦載機が発艦し海へと駆け出し空へその身を溶かし行く。

 

 開戦の合図。誰の言葉もなく、加賀のその艦載機で持って、発せられた。

 

 

 ♪

 

 

 さしもの加賀と言えど、正規空母二隻を要する敵艦隊に、制空権を確保するということは難しい。しかし、それで制空権を奪われるかといえば、そんなことも全くない。

 艦載機の配分を握る、通常の艦娘以上に重要な追加スロット。そのうち最大の艦載数を誇るスロットに制空権に関わる艦戦『紫電改二』を搭載。残りのスロットに『彗星』、『流星』、『彩雲』を積んでいる。

 その采配を見れば分かる通り、加賀はそもそも制空権を確保するつもりはない。

 

 これは最大艦載数を持つスロットに『彗星』を配し、残りのスロットに『15.5cm副砲』を追加している龍驤も同様。

 現状、敵味方の装甲が厚いため、一撃の火力が分散しがちな開幕爆撃はさほど重視せず、個々を狙う戦闘中の爆撃に重点を置くことの方が懸命だ。

 

 だからこそその一点に集中した加賀と龍驤の一撃は重い。徹底的な破壊を伴う絶大的な練度がその武器だ。

 

 ――艦載機が空をかける。加賀の艦戦『紫電改二』。その後方には敵方の艦戦。取ったと意思はなくとも考えただろう。戦果のチャンス、後は当てれば、後は墜とせばそれでよい。

 

 だが、そうはならなかった。

 

 加賀の艦載機は消失した。敵の艦戦の目前から、いつの間にか姿を消した。消えたのではない、翻ったのだ。後方に敵艦載機の存在を悟った加賀の『紫電改二』。それは必然。加賀の艦載機にはそれほどの練度があった。

 一瞬にして両者の優劣が入れ替わる。後方への宙返り一回転、後方から狙うは加賀艦載機、狙われるは敵艦載機。

 

 やがて、敵の艦戦から火の手が上がる。加賀の艦載機から機銃が見舞われたのだ。

 

 直後、その艦載機の元へ朱の一閃が殺到する。機銃だ。敵艦戦が狙いを定めたのだろう。必殺の勢いで持って加賀の艦載機に襲いかかった。

 だが『紫電改二』は冷静だ。一瞬にしてその場を滑空離脱、高速で敵艦戦を振り切りにかかる。――両者の高低差がこれを助けた。下方から狙う敵艦載機は、降下し速度を稼ぐ『紫電改二』に追いつけない。

 

 あっという間に、戦場から加賀の艦載機は消え失せていた。

 

 堕ちてゆく艦載機がないではない。けれども、墜とす艦載機の数がそれを圧倒するのである。状況は加賀達に傾く。空は、加賀とそれに連なる者たちの所有物であるのだ。

 

 

 ――空がそうであるように、海もまた、艦娘達の側に傾こうとしていた。

 

 すでにト級とニ級。随伴の二隻は海へと消えていた。

 空が未だに敵艦載機を殲滅しきれていないため、黒――敵の艦載機の象徴色だ――によって染切られている。それでも海は、もはや戦艦一隻での弾幕では、押し切られてしまうほどに傾いていた。

 

 対空防御は必要だ。現在も、『10cm高角連装砲』有する島風と北上がそれを空に向け撃ち放っている。

 

 空を舞う艦爆艦攻。だが、それに向けられた対空火砲も一つではない。海を駆け抜け、飛び上がり、艦載機を食い散らかそうとする

 

「まだまだ! 落とせるだけ落とす! 付いてきてよ雷巡!」

 

「駆逐が吠えるんじゃないよぉ」

 

 叩き込まれる敵の爆撃。自身の近く、真正面に爆撃が襲った。島風は思わず身体を屈め、返すように続く砲撃の装填を待つ。

 

「ファイアァ!」

 

 つんざく激音をかき鳴らし、空へ向け破壊を奏でる対空砲。艦載機は狂ったようにその場で踊った。火を上げて、何もない黒の海へと沈み消え果てる。

 

「濡れたじゃない!」

 

「いや、さすがに遅いと思うけど」

 

 思いの外冷静な北上のツッコミが飛んだ。ふんすと鼻息を荒らげる島風は、構わず主砲を勢い紛れにばらまいていく。

 

 愛宕と金剛。戦艦ル級エリートを二隻がかりで抑えこんでいる。正確には“封殺している”。敵戦艦ル級は二隻の一撃を一人で回避、往なし続け泣けばならないのである。もはや戦艦は、満足に弾幕をばらまくこともできないでいた。

 頼みは空母三隻の爆撃であった。――だが、愛宕にも金剛にすらも届かない。届かせなかった。加賀が、敵空母の進撃を引き止めていた。

 

 もはやル級は金剛と愛宕を捌ききれずにいた。至近弾がひたすらに周囲を襲う、夾叉弾が生まれた。ル級はもはや進退も極まる。――回避に可能も不可能もなかった。回避を思考した瞬間、ル級は金剛の砲弾をその身に受けていた。

 

 戦艦はぐらりとその身体をかしげた。もはや垂直な運動すら不可能な状況。それでも、砲撃の手を止めることはなかった。元より彼女は空母を護衛するための艦艇だ。

 彼女の後方に空母がある。装甲で言えば、戦艦などの比ではない。

 

「その意義やよし、かしら」

 

「否定はしないデース。そうしなければならないのは、ファイアウォッチングよりも明らかネ!」

 

 だが、落とす。金剛も愛宕も、その意思を明らかに砲撃の手を緩めない。

 ――かしげた戦艦の砲塔から放たれた、それでも愛宕に“届いた”一撃が頬をかすめるように海を這い、掻き消える。

 

 後方に噴流を始める。かき鳴らされた風の荒れ場は、愛宕の髪を何度も撫で上げ、彼女の服を前方にはためかせた。

 

「でも――これでおしまい!」

 

 戦艦ル級に回避を行う余裕はなかった。数ノットも出せないのではないかという状況で、置物と化した固定砲台は、しかし愛宕、金剛を捉えること無く――沈み、消え散った。

 

 そうして、もはや残るは空母三隻。護衛もなく、敵艦隊への砲撃も、対空火砲と加賀の艦戦に少しずつ削り落とされてゆく。

 もはや、敵に対する打撃力は消失していた。

 

 龍驤の爆撃が、空母ヲ級の頭部、甲板を模した射出器官へ直撃する。怪物じみたそれは禿げ上がり、もはや原型を伴っているはずもなかった。

 

「よぅし!」

 

「やりました。――私が第三次攻撃隊を発艦させた後、艦爆を収容して下さい。これ以上の攻撃は過剰です」

 

「せやね、了解ですー!」

 

 加賀にふと声をかけられて、少しだけ声を上ずらせながらも龍驤は答えた。正規空母にこうして戦闘中、声をかけられるのは果たしていつ以来になるだろう。感情が、少しだけ複雑に向くのを感じた。

 

 そんな龍驤とは裏腹に、空を占拠していた加賀の艦載機は、置き土産のように爆雷を投射しながらとんぼ返りする。数列の編隊は一糸乱れぬ隊列となり、それそのものが芸術といえる域にまで昇華していた。

 加賀の収容が終了すると同時、新たな艦載機が空に飛び出す。連続し速射する姿は淀みなく、歪みない。

 

 ――後には、帰り際の一撃を受け轟沈に至るヌ級空母と第三次攻撃隊の爆撃を受ける無傷のヲ級であった。

 

「……ふぅ、お疲れさんやね」

 

 帰還した艦載機を全て飛行甲板で受け止めて、一足先に戦闘を終了した龍驤は、嘆息気味に一つこぼした。

 それから空を見て、一色に染まった緑の視界に思わず息を呑んだのである。

 

「――うっそ、これさっきとは全然別の隊やよね。ぱないわ、ウチとはそもそも領域が違う」

 

 ――加賀はここ十数年で建造された日本の正規空母全六隻の内、もっとも艦載数が高い。艦載数は空母の性能を決めるもっとも重要な要素と言っても良い。

 ある種それは、彼女が日本最強の空母である、という意味を有していた。

 

 

 正規空母加賀、彼女が敵を殲滅するにも、少しの時間はかからなかった。圧倒。圧迫。圧殺。全てにおいて決定的であった加賀の全力。

 再建された南雲機動部隊に、もはや穴といえるものはない。進撃を続ける島風達。強襲偵察も、いよいよ大詰めを迎えようとしていた。



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『17 碧天』

 龍驤から見ても、誰から見ても、加賀の技量は、正規空母として最高クラスのものだ。艦娘としての性能というものもあるが、何より経験は、現在も現役で活躍する五航戦コンビに次いで高い。

 幾多もの海戦を主力として経験し、若干後方に下がりがちであった相方とくらべても、比ではないほどの戦果を残した日本海軍切っての名うて。

 

 艦娘には個々特有の強さというものがあるのは、龍驤もよく知っている。水雷戦隊旗艦としてはトップクラスである木曾や五十鈴。駆逐艦でありながら水上打撃部隊の主力一翼や機動部隊の旗艦を務める島風のような存在もいる。

 

 では龍驤はどうだろう。龍驤は軽空母だ。空母というものはその能力にかぎらず重要な戦力であり重宝される人材だ。よって、加賀と龍驤を相対評価するのは、些か無粋で無知とも言える。

 とはいえそれは他人が、とくに空母の事を全て同じとしか見れないような新参者が語ること。適材適所以前の問題であるのだ。そもそも空母は数が少なく貴重であり、軽空母であろうが正規空母であろうが、戦場を駆け回らなくてはならないのである。

 

 だから評価に意味は無い。――他人の評価は、だ。だが個人の“龍驤個人”の評価であれば話は変わってくる。

 

 誰かが下した客観的な評価など意味はなくとも、自分自身が下した主観的な評価は、“悪い方に”龍驤を導いてしまう。

 さらに言えば、それは誰かが否定したとしても、一度思ってしまえばそのまま評価として残り続けるのだ。もはや呪いのような自負と言っても良い。

 

 誰かが意味のないことだと言うだろう。そのとおりだ。

 誰かが気に病むなということだろう。そのとおりだ。

 

 ――だが、そのとおりに思えないのが人間だ。個々の価値観。個々の主義主張というものはそれだけ絶対的なもので、それを変革しようと思うなら、“よほど弱っている相手に”今まででは“考えもしなかった価値観”をぶつけるしか方法はない。

 どちらかではだめなのだ。弱っている相手に甘言を並べてもそれはもはや宗教の洗脳みたいなもので、考えもしなかった価値観は大抵の場合、自身の価値観とは相反するものであり、逆に反発を呼ぶ。

 

 龍驤にとって、加賀はとても大きな存在であり、そしてどうやったってかなわない相手でもあった。

 ただ、それがあまりに大きな問題であったかといえばそうでない。島風のようにスランプを引き起こす火種かといえば、否であると誰もが応えることだろう。

 

 ――そんなもの、だれだって持っている劣等感なのだ。たとえそういった感覚を持っていたとして、それが原因で失敗を重ねる者はそうはいないだろう。

 絶対にいないとは言わないが、それは少数であり、龍驤は多数側の人間であった。劣等感を持ってはいる。だがそれを自分の中でどうにかこうにか理屈をつけて、今日を生きていることに疑いは持たない。

 

 龍驤とは、そういう少女だ。――そして、どうやったって勝てない相手に、“別の部分で勝つ”という方法も、龍驤はよくわかっていた。

 

 他人と自分を比較して評価したとしても、それが正しいはずはない。他人が自分自身と同一であることなどありえないのだから、艦娘というのは特にそれが顕著だ。駆逐艦であったとしても、軽巡であったとしても、重巡でも戦艦でも空母でも、“違うのだから”比べることに意味は無い。

 

 龍驤の場合、それは空に思いを馳せることがそうであった。――龍驤の空は、広くそしてどこまでも碧い。“碧天”が龍驤の世界であった。

 かつて、あの少女が語ってくれた言葉。駆逐艦でありながら、全く駆逐艦でないかのような振る舞いをする少女。

 

 先代の電は言った。龍驤の空は、どこまでも飛び続けることのできる空であると。

 

 龍驤は自由なのだ。

 ――どこまでも、どこまでも。

 

 

 自由で、あるのだ。

 

 

 ♪

 

 

「……はい、データは持ち帰り次第報告します。はい……では」

 

 加賀の声が何処へ響くこともなく消えてゆく。どうやら個人的な回線で誰かと話をしているようだ。相手は満か、はたまた山口か。

 そこへ、島風の叫び声が轟く。

 

「報告! 報告されていた敵の主力艦隊の一部と思われる艦隊を発見。これより戦闘に入ります」

 

『編成は?』

 

「空母ヲ級、フラグシップエリート各一隻。戦艦ル級フラグシップに、軽巡ヘ級フラグシップ、そして駆逐二級エリート二隻!」

 

『機動部隊か……』

 

 島風と満の会話が、無線機越しに周囲へ伝わる。状況は緊迫していた。いよいよ敵艦隊主力との決戦である。強行偵察とはいえ、相対してしまったものは全て撃破する。敵の戦力を削ぐという意味でも、ここで後退の二文字は無い。

 

「どうしますかー?」

 

『空母は全て殲滅しろ。僚艦は最悪見逃してもいいが、ル級は最低でも中破だな。基本的に深海棲艦に打撃を与えて見逃しても、あまり大きな効果は見込めないがな……』

 

「まぁ全部落とせば関係無いといえば無いですし、この際全部やっちゃいましょうよ!」

 

『僕は最低ラインを言っているんだ。できることをやれと言っているわけではないんだぞ? そのくらいは解っているさ』

 

 満は単にできなくてはならないラインを語っている。そこを譲ってしまえば敗北なのだと、そう島風に言っているのだ。

 

「わかってますよ! 提督の考えてることくらい、手に取るように解ります」

 

『ほう、それは面白いな。では、僕が今何を考えているか解るか?』

 

 楽しげな満の声が無線機から飛び込んできた。戦闘開始まで少しばかり余裕がある。経験上、満もそれがわかってきたのだ。

 島風は一瞬だけ逡巡すると、即座に手を叩いてひらめいたように答えを返す。

 

「島風は相変わらず凛々しいな!」

 

『今日の夕食は何にしよう、だ馬鹿者』

 

「あーずるい! こっちが海の上で寂しくもそもそするだけなのに!」

 

 言ってから、二人は楽しげに笑みを漏らした。周囲からも忍び笑いが聞こえてくる。どうやら加賀ですら可笑しそうに口元を抑えているようだ。そもそも彼女はジョークを解する性格である。

 ガス抜きの重要性は身を持って理解していた。

 

「ほな、直掩機飛ばすでー!」

 

 そうしてから、加賀が艦載機を構えたのに龍驤が気がついたのだろう。自身も飛行甲板をはためかせ、紙束の如き艦載機の“種”を緑色の両翼に変じさせていく。

 一瞬にして浮かび上がる様はさながら歴戦の刃。まさしく、龍驤はすでにベテランの域に達しはじめた空母であった。

 

 だが、それ以上の存在が今、南雲機動部隊にはいる。正規空母加賀は、経験も場数も知識も何もかも、龍驤を上回る先達である。

 それでも、各艦のやるべきことは変わらない。加賀は淀まず発艦を終える龍驤を視界に認め、“認めた”ように頷いてから矢を引き絞った。

 

 振動する弦に押し出され、龍驤の後を追うように、加賀は艦載機を空へと並べた。

 

 

 ♪

 

 

 金剛の咆哮。そして加賀と龍驤の第二次攻撃隊が奏でる二重奏が、開戦の幕を開ける序曲となった。

 火蓋が切って落とされると同時、金剛とル級が砲閃を交え、遠距離からの殴り合いを演じることとなる。周囲を飛び交う艦攻の魚雷を機銃で往なし、合間にル級を金剛が狙う。

 

 三十ノットほどの高速で旋回し、敵の魚雷を即座にやり過ごしつつ放つ一撃は、激しい上空爆撃のためか精彩に欠く。とはいえそれは敵方も同様ではあるのだが、結果として生まれた膠着状態は解消されること無く、両者は互いに、重巡クラスの間合いへ入った。

 

 狙い定めるは『20.3cm連装砲』。有するは重巡愛宕に雷巡北上。軽巡の改装艦である北上の間合いが、重巡クラスに準ずるというのは些か不思議ではあるが、同じ『20.3cm』を装備出来てしまう以上致し方ない。

 そもそも、重巡と軽巡を分ける差など甚だ意味のないものなのだ。それは雷装特化の重雷装艦にも言える。

 

 そして、北上の兵装はこの『20.3cm』の他に基本兵装の『甲標的』と『10cm高角連装砲』があるが、彼女の今回の役目はあくまで対艦砲撃である。

 訳は明白。先の戦闘にて会敵したものよりも空母の数は少ない、北上を対艦砲撃に割く余裕が十二分に生まれたのだ。

 

 よって今回、対空火器を振り回すのは島風の役目だ。現在その島風は、気合紛れに敵の艦戦を吹き飛ばしている。主砲の対空砲ともなれば、その威力は折り紙つきだ。

 

 現在、島風達の役割は明白であった。金剛は敵戦艦との殴り合いを演じ、戦艦を釘付けにする。もしも可能であればその撃滅も任せられていた。

 そして北上と愛宕は敵の空母を護衛する水上艦の殲滅である。軽巡ヘ級を始め、敵の軽巡以下艦種は数が少なくない。

 

 空母を撃破する場合、考えられる方法は三つ。

 一つは高い魚雷火力を誇る島風、北上による雷撃。二つは加賀と龍驤による空からの爆撃。三つ目は金剛による主砲火力だ。

 この内一つ目と二つ目が、敵の小型艦艇の護衛によって妨害されてしまうのである。

 

 戦艦一隻を押さえつけ、金剛が実質自身の戦闘能力を犠牲にしているため、敵に有効な一撃は与えられそうにはない。そこで、個々が邪魔な敵を排除することで、別の艦娘が攻撃を行うのに有効であるのだ。

 島風の主砲による対空攻撃然り、各艦娘の機銃しかり、空の敵は目下最大の邪魔者であった。加賀と龍驤もまた、それに対し全力で持ってその撃滅にあたるのであった。

 

 

 ――前方を行く加賀の艦載機、艦戦『紫電改二』が急激に揺らめいた。直後龍驤艦爆『彗星』の視界から消え去った加賀の艦戦は、破裂し炎を噴出させる敵艦載機を伴って再び龍驤の艦爆の元へと現れた。

 一瞬の出来事、前方に集中しているということも在って、龍驤の艦載機はそれを確認することすら不可能であった。

 

 負けてなるものかと速度を挙げた『彗星』が『紫電改二』の前方にでる。狙うは空母ヲ級。まずは僚艦エリートだ。

 そこに、敵艦戦が襲いかかった。前方から現れた機銃の群れを、即座に下方へ滑空するようにして回避する。直後、援護とばかりに加賀の『紫電改二』が敵に機銃を見舞った。駆け抜けの攻防。さながら決闘のワンシーンであるかのようなそれは、『紫電改二』の勝利で幕を閉じる。敵は火の手が上がった部分から翼が断裂、一瞬機体全てが裂け飛び、それから大きな爆発を伴って消え失せる。

 

 滑空によって稼いだスピードの元、龍驤はヲ級上空を取った。高高度からの急降下。それによって生まれる刹那の音速。爆雷を投射した時点でその場を離脱、後の尾を引くように、爆雷は滑空、ヲ級に突き刺さった。

 

 懸命に振りかざされた機銃の合間を飛び抜いて、『彗星』は再び空へ舞い戻る。みればヲ級の甲板に炸裂した一撃が、彼女を中破に追い込んでいた。もはや飛行甲板は使用不可、艦載機の発着艦困難だ。

 

「もう一度!」

 

 加賀の『紫電改二』、そして艦攻艦爆を背に受けて、龍驤の艦載機が空を舞う。自信たっぷりの言葉と笑みに、加賀がその背中をじっと見つめるようにしていた。

 視線に気が付かずとも、龍驤はより一層気を引き締めて続くヲ級フラグシップを狙う。

 

 獲物は大きく、そして絶大。龍驤の手腕が試されようとしていた。

 

 

 そのころ海上では、ル級フラグシップから大きな黒煙が舞い上がっていた。金剛の砲撃が、いよいよ彼女をとらえたのである。対する金剛は至近弾がせいぜいといった被弾状況であり、至近弾が金剛を襲った直後、金剛のほうがカウンターの如くル級に直撃弾を叩きつけたのである。

 ル級は主砲を大きく炎上、もはや砲撃能力は大きく減衰、ゼロとは言わないまでも、砲撃自体は困難と言っても良いほどであった。

 

 それでも、ル級は主砲の砲塔が破裂することも恐れず、島風達に最後の砲撃を敢行しようとしていた。

 狙いは艦隊後方――――軽空母龍驤。

 

 

 艦載機の行末を見守りながら、その砲撃を龍驤はキッチリ把握していた。大方装甲の薄く、島風ほどの速度もでない自分を狙ったのであろう。よくあることだ。軽空母というのは戦略的に重要な価値を持つ分、狙われやすく、また狙われた場合、直撃弾を食らって中破など、全く珍しくなどないことだ。

 

 故に、身体はすでに動いていた。――後方でそれを眺めていた加賀が、思わず感嘆してしまうほどスムーズな動作で、砲撃の狙いから逸れ、回避を完了させた。

 

 ――直後、更に敵の艦攻艦爆が龍驤を狙う。ヲ級エリートの中破で警戒を高めたか、無数の魚雷と爆雷が、ばら撒かれるように機銃の渦を貫き避けきり殺到する。

 

 それでも、龍驤は臆さない。

 臆す理由がないというのもある。だが、彼女は今の自分に、それ相応の歓びを感じていた。この空を艦載機が飛ぶということ。加賀の援護を受け、島風の支援を受け、しかしこの手で、敵艦隊に風穴を開けるということ。

 

 その一瞬が、龍驤にとってはあまりに“嬉しい”。

 

「――何や、人気もんやね、ウチ」

 

 あくまで自然に、あくまで笑顔で、

 

 勝ち誇るように、

 

 

「でも、人気すぎるのも、考えもんや」

 

 

 ――そう、言った。

 

 

 直後、ヲ級フラグシップが龍驤の爆撃を受けた。

 結果は大破である。甲板どころか、自信を維持する機能へと爆発炎上。艦載機が持つ爆雷の誘爆を伴い、もはや轟沈は秒読みといった所まで、追い込まれることになる。

 

 そしてそこに、軽巡ヘ級を始めとする護衛郡を葬り去った愛宕、北上、そして島風の魚雷が、炎上する空母二隻へとどめを刺すべく襲いかかった。

 

 もはや結論すらも明らかに、新生南雲機動部隊は勝利した。

 加賀が配備されてから最初の大海戦。その戦闘を、ほぼ完勝と言って良い戦果で満の艦隊は――幕を下ろしたのであった。



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『18 邂逅』

 北の海からこちら変わって西の海域。作戦内容も強行偵察から本格的な敵の撃滅へと大きく入れ替わる。メンバーは変わらず新生南雲機動部隊。北に西にとめまぐるしいほどではあるが、今後の北方海域決戦を考えた場合、実戦での練度向上は必須だ。

 

 というのも北方海域決戦の特殊な作戦内容に、その真意があるわけだが、それが明かされるのはまだ少し先の話。

 

 さて、現在南雲機動部隊は洋上にあった。すでにリランカ島への攻撃を目的とした作戦は決行されていた。

 今回の目的はリランカ島周辺を母港とする敵艦隊を直接叩くこと。東方艦隊主力一群。二翼による万全の構えを誇る東方艦隊であったが、すでにその一翼はカレー洋での戦闘で撃滅、このリランカ島艦隊を残すのみとなっていた。

 

 ここを破ればあとに残るはカスガダマ、東方艦隊中枢戦力である。現在、決死の偵察により、その主力は今までにない大型空母、通称“装甲空母鬼”であるとされ、満達の心胆を震わせるものであった。

 だからこそ、ここでの敗北は絶対に許されない。どのような形であれ勝利を得る必要が南雲機動部隊にはあった。

 

 かくして展開された敵艦隊に風穴を明け進撃を始める島風達。すでに潜水艦隊二つを撃破した彼女たちは、敵主力の目前にまで差し掛かっていた――

 

 

 ♪

 

 

 戦闘開始前、洋上にて思いを馳せる者がいた。北上である。彼女はこの戦闘から少し前、ある転機を自身にもたらしていた。

 というのもこれまで会いに行く機会のなかったかつての親友、もう一人の重雷装艦であった少女に、久方ぶりの再開を果たしたのである。

 

 目的は、現在の友人である愛宕を、彼女と引き合わせるため。本来であれば南西諸島攻略直後にそれを予定していたのであるが、思わぬ事態に鎮守府全体が慌ただしくなり時間が取れずじまいであったのだ。

 その後も、なかなか丁度いい機会がなく、結局ズレにズレこんで、この時期まで音沙汰を失くしてしまっていたのだ。

 

 とはいえ、ようやく踏ん切りがついたこともあって、北上は愛宕を伴ってかつての戦友に会いに行くことにした。――具体的なきっかけはそう、南雲機動部隊が新生したために、ようやく意思が固まったのだ。

 

 数年ぶりに邂逅した件の少女は、一回り大きくなっていた。成長していた――心身共に、北上とは少なくとも手のひらが空を切る程度の身長差が生まれていた。

 そしてその雰囲気も、どこか大人びたものへと変わり、少女は女性へと変貌を遂げていた。元より大人びた雰囲気を有してはいたものの、数年の差は、様変わりと呼ぶには十分なほどであった。

 

 それでも、彼女の本質が変わったわけではなく、再開した彼女はかつてと同じように北上に接してくれた。それは北上も同様だ。再開する数分前まで昔のように振る舞えるかと肝を冷やしていたというのに、飛び出してきた言葉は、思うほど以上にいつものとおりであったのだ。

 

 北上も、そして戦友であった少女も変わった。彼女は一回り大人になっていたものの、それは北上とて同様なのだ。むしろ、戦場という命のやり取りをするシビアな場所を行く北上の方が、顔つきは大人びていると彼女は言った。

 けれども――精悍な顔つきとなった北上。優しげな笑みを帯びた彼女。その違いは、両者が歩いてきた人生の、その大きな違いを物語っていた。

 

 ――結局のところ、思いを馳せる北上の胸の底には、そんな実感が渦巻いていたのだ。

 

 生き様の違いは、それだけで誰かと自分の間に大きな差というものを生じさせる。意思の衝突しあう者同士は、それが明白に浮かび上がるのだけれども、逆に、寄り添うように人生を歩んできた親友同士は、その“差”というものが実感しにくい。

 北上にという少女は、人間としてはそれなり以上に図太い少女だ。そしてそれ以上に聡い少女だ。――数年来の親友と、数年ぶりの再開をして、多くのことを彼女は悟った。そうして感じた最も大きなことは、自分自身と親友の差。

 

 人と邂逅ということは、それだけ何かに気がつくということだ。北上にとって今回それは、彼女と北上の“数年の違い”であり、そして――自分自身へのわだかまりであった。

 

 北上と彼女の再開には、愛宕も付き添う形になった。むしろ、本来はそれが目的であったのだ。――そして、実際にはそれそのものが本筋であったことは間違いない。

 それでも北上が、その邂逅で最も多く突きつけられたのは違いと自分自身のこと。

 

 それを証明するように、北上の意識にもっとも象徴的に留められていたのは、親友が愛宕に向けたある言葉。

 

 

『――“北上”さんは、まだ“終わって”いませんから。絶対に目を離さないで下さいね?』

 

 

「――さん?」

 

 その意味するところは、解らないではない。だからこそ北上は自身の未だ終わらない“かつて”に気がついたのだ。だからこそ、北上は複雑な思いをさらに重ねるようにからませているのだ。さながら、雁字搦めにされるかのように。

 

「北上さん?」

 

 それは――自身の名を呼ぶ声。懐かしいものではない、聞き慣れたもの。即座に北上は意識を浮上させた。

 

「あぁ……愛宕っち。ごめん、何?」

 

「報告、敵艦隊見ユ。ですって」

 

「編成は?」

 

「全然聞いてなかったのね? もう」

 

 ――戦闘開始の時刻は刻一刻と迫っている。北上も、そこまで言われて、いよいよ準備を急ぐのであった。

 敵編成。フラグシップヲ級を旗艦とし、エリートヌ級二隻。軽巡ヘ級と、駆逐ハ級それぞれエリート。そして――

 

「ソナーに反応。……潜水艦、かぁ」

 

「提督曰く、無視しろですって」

 

「そうはいってもねぇ、ま、私の本命は魚雷だから、砲撃戦の間は潜水艦警戒すればいいんだよね?」

 

「まぁ細部は裁量に任せるとは言われたわ。考えるに、最善は北上さんが潜水艦に気をつけて、島風ちゃんがそのサポート。他は敵艦隊の撃滅、じゃないかな?」

 

 だよねぇ――そう肯定し、北上は愛宕との会話を打ち切った。同時に、先ほどから続けていた親友、元重雷装艦“大井”の事から意識を逸し、戦闘へと集中する。

 

「じゃあ――」

 

 片舷二十門。全てを薙ぎ払って余りある超雷装火力を誇る北上の魚雷が、今にも発射せんとばかりに、戦闘開始を待ちわびていた。

 

「やっちゃいましょうか……!」

 

 

 ♪

 

 

 飛び去っていった艦載機を見送って、北上もまた特殊潜航艇、通称『甲標的』を発艦させる。狙いは敵空母、ヌ級エリート。

 敵空母機動部隊はその主戦力全てが空母である。よって、その一つを最低でも中破に追い込むことが、北上の仕事であった。

 

 甲標的、かつても握った己の相棒とも呼べる兵器は、かつて以上にしっくりと手中に収まっていた。それは、前進とも言えるし、前進であるからこそ、かつてのことが浮き彫りになるとも言える。

 

 思い返してみても、理解してみても不可思議なものだ。“過去”とは――こんなにも、自分自身にこびりつくものであったか?

 

 まったくもって、厄介なものだ。――ままならないものだ。過去というのは、人生というものは……!

 

「いや、そこまで行くとちょっと哲学的すぎるかな?」

 

「なぁに?」

 

「なんでもなぁい!」

 

 愛宕の問いかけに誤魔化すように返して――そんなこと、彼女にはきっと意味は無いのだろうけれど――北上は愛想笑いで表情を向ける。

 即座にそれを無表情な、どこか遠くを見るようなものへ変えて、甲標的からの報告、及び目視での確認を待つ。

 

 その瞬きの後、ヌ級の底からけたたましい音が衝撃を伴って現れる。直撃だ。特にそれへ意識を向けることもなく、

 

「砲雷撃戦、ヨーイ!」

 

 金剛の開幕宣言でもって、砲弾のやり取りが始まる。すかさず北上に、敵艦隊の砲撃が迫った。そのほとんどは乱れるように周囲へばらまかれたものであり、北上だけではない、愛宕に後方の龍驤と加賀にまで矛先を向けているようであった。

 ――ただし、そもそも軽巡程度の火力では装甲を抜けない金剛と、その奥に陣取り狙いがつけられない島風は別だ。

 

 そのうちの一つが、まぐれあたりのように北上を襲った。それでも、さして苦労もなく北上は回避する。――次弾はない。あたるとすら思っていなかったのだろう。すでに砲塔は別の艦娘へと向けられていた。

 

 彼女等は、空母からの艦載機を機銃と高角連装砲でやり過ごしながら、本体である空母そのものを叩こうとしている。

 島風が潜水艦探しに躍起になっていることもあってか、その攻勢は苛烈ではないものの、艦載機からの爆撃を絡めた二重攻撃を受ける敵空母は、進退窮まる様子であった。

 

 北上はソナーに意識を傾ける。潜水艦の反応はない。北上のソナーはさして高性能というわけでもないが、余程のことがなければ魚雷の射程に入った潜水艦を見逃すはずもない。

 おそらくは、どこか遠くに潜んでいる。目的は――? この混戦で潜水艦が暴れ回らない理由はない。何せ島風達は単縦陣を組んでいるのだ。対潜警戒など、ほとんど無いと言っても過言ではない。

 

 それでも潜水艦が接近してこないということは、対潜警戒にあたっている北上を警戒しているか、または別の目的が存在するか。

 ――後者であろうと当たりをつける。敵にそもそも特別誰かを警戒するという選択肢があるわけがない。前者であれば北上でなくとも警戒はするはずで、そういう状況はたいていの場合、艦隊そのものが潜水艦を獲物としてみている。

 

 となれば、何が敵潜水艦の狙いであるか。

 

「……狙撃、かな?」

 

 声に出して合点が行った。即座に周囲の海に意識を向ける。大量の砲弾で、上空に向きがちな意識、そこを突くのであれば、単純な手ではあるが有効だ。――そして深海棲艦の戦法は、得てしてそういう単純なものが多い――!

 

「愛宕っち!」

 

 即座にそばにいる友人にして戦友。重巡愛宕へ喚呼する。

 

「雷跡に気をつけて! 狙いはでたらめだろうけど、万が一って事がある!」

 

「……そういうこと。了解! 金剛さん達に伝えて!」

 

「よーそろ!」

 

 瞬時に北上の意図を理解するのは、やはり愛宕の才能とでも言うべきか。彼女は、どういうわけか奇想天外な思考が得意だ。そして、言葉少なな会話の中から、人の真理を読み取ることも。

 北上と、それはある意味とても似ていた。だが、決定的に少し違った。

 

 愛宕は百戦錬磨の軍師であり――北上は熟練の兵士であったのだ。

 

「――というわけだから、警戒よろしく!」

 

「おーう、島風には伝えマスが、私の警戒はできれば北上がプリーズデース!」

 

 金剛からは、ある種警護と呼ぶべき依頼がなされた。信頼である。金剛が北上に命を預けるとすら言っているのだ。

 

 一つ大袈裟なほどに大仰に頷いて、北上は意識をソナーと海面へと集中させた。

 

 

 そこからは、戦闘はほぼ一方的に進んでいった。軽巡と駆逐は愛宕、及び龍驤によって沈められ、軽空母ヌ級も加賀によって轟沈した。

 更には旗艦、フラグシップヲ級も中破、戦闘はほぼ大勢を決していた。

 

 しかし、その間にも、北上の読み通り、デタラメな方向とはいえ、潜水艦の魚雷は周囲を行き交っていた。

 それらは北上から愛宕、そして各艦へ伝わり南雲機動部隊に必要以上の警戒が生まれた。そしてその警戒は、決して無駄になることはなく――

 

 

「雷跡! 金剛に直撃するコースだよ!」

 

 

 北上の声が、いよいよ持って多少の焦りとともに金剛へ向けられた。まさしく危機一髪。一瞬でも発見が遅れていれば、金剛はその魚雷を受け、無視できない程度の損害を受けていただろう。

 戦闘には支障をきたすことはなくとも、万が一それが原因で金剛を喪失することとなれば、北上は一生後悔することになっていたはずだ。

 

 だが、そうはならなかった。

 

「――回頭!」

 

 報告を受けてからの金剛は迅速であった。高速戦艦としての特性を大いに利用し、即座にその魚雷を回避、やがて何処へともなく消えてゆく雷跡を見送った。

 

『よし、島風! 金剛を誘導しろ、このまま戦闘海域を離脱するんだ』

 

「よーそろぉ!」

 

 島風が満の指示に則り戦闘を終了させ、空母ヲ級への魚雷を置き土産にその場を離脱し始める。金剛を始め、北上達もその後にしたがった。もはやこの海域にいる意味はない。

 

 

 結局。四隻の敵艦を轟沈、敵旗艦空母ヲ級フラグシップを中破に追い込み、この戦闘は完全ではないものの、島風たちの勝利となった。

 

 

 ♪

 

 

 ――世の中は、面白いくらい“つながり”合っているのだと、北上はそう感じる時がある。それは誰もが持つ当たり前の感覚であり、たまたま、“今”が北上にとってそうであったというだけの話。

 

 まさか、誰かがぽつりとそう言った。

 

 北上であった。口元から、漏れること無く、噛み殺すようにぽつりと小さく、呟いたのだ。

 

 ――まさか、自分が過去のトラウマについて考えている時に、このような敵と遭遇することになるとは。

 

「提督は――これが始めてでしたっけ?」

 

 島風が、あえてと言った様子で軽口を叩く。自身を奮い立たせるという意味もあるだろう、しかしその多くは艦隊全て、更には無線の向こうの提督へ、気を使ってのものだった。

 

『……話には、聞いていたけどね』

 

 満は、どこか緊張した様子で答えた。

 彼はこの場にいるわけではない。しかし、まるでこの場にいるのと同様の緊張感を有しているかのようであった。

 

「日本海軍のトラウマ――ミッドウェイの悪魔」

 

 多くの呼び名で“それ”は呼ばれていた。

 

 その様相は、まさしく“悪魔”とすら言える。一見容姿端麗な少女のようでいて、しかし青白い肌は人間味を一切消失している。バケモノ、それではぬるい。“悪魔”の化身がそこに鎮座している。

 たなびくように、“彼女”の服の袖が風に揺れはためいた。その後を追うように黄色の光が瞳から漏れだし、溢れだし、流れる。

 

 

 戦艦タ級――――フラグシップ。

 

 

 かつて、東の海にその存在を形成し、マリア沖、レイ沖。――多くの大海戦で日本海軍を苦しめた、現行最強の敵戦艦。

 

 東方主力艦隊。

 フラグシップタ級を旗艦とし、僚艦には同じくタ級フラグシップ。そして重巡リ級エリート。軽巡ホ級フラグシップ。駆逐ハ級エリート二隻の水上打撃部隊。

 

 超弩級の艦隊が、舌なめずりをして南雲機動部隊を待ちかねていた――



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『19 激烈』

 戦艦タ級。かくして相対した人類最大の敵、日本の宿敵とも言って良い強者に、南雲機動部隊は戦慄した。これまでとはひとつ次元の違う脅威を肌に浴びていたのだ。

 なかでも加賀の反応は絶大であった。鋭い瞳といよいよ持って一層敵意に細め。タ級へ言葉無くとも多弁なまでに極大な意思をぶつけていた。

 

 敵意、ある種執念と呼ぶべき憎悪。加賀の心理は烈火に燃えていた。赤くその胴を熱に委ねた剣が如く。まさしく加賀は殺意を尖らせた赤熱の死。身を焦がす火輪であった。

 

 だが、同時に徹底して冷静を通し、あくまで暴走することはない。加賀の精神は、非常に高高度において安定し、極限にまで及ぶ集中を生み出していた。

 

『敵空母がいない以上、加賀、龍驤――蜂の巣にしてやれ』

 

「心得ています」

 

「ラジャーやでぇ!」

 

 加賀の冷えきった声と共に、龍驤の気合が十分に入った声が合わさった。対照的とも言える両者ではあるが、戦意の高さは折り紙つきだ。

 

『金剛はそのサポート、砲撃で敵を釘付けにし、空母をタ級から守るんだ』

 

「イエース! お任せくだサーイ!」

 

『他はリ級以下を頼む。適時最善と思う行動を取ってくれ。それと――島風』

 

「何ですかぁ?」

 

 島風は、満の言葉に兵装の調子を確かめながら返答する。作業中であることもあってか、非常におざなりな声の調子であった。

 

『そろそろ七面鳥撃ちも飽きただろう。……敵の艦艇、思う存分喰ってもいいぞ』

 

 ――それが、一瞬にして変化する。

 

「ホントですか!? 全部!?」

 

『あぁ全部だ。――おかわりはないがな』

 

「おまかせあれですよ! 提督!」

 

 満からの通信はそこで途切れ、各自は各々の準備を進めながら戦闘開始を待っていた。まず航空爆撃、そして開幕雷撃に、それから金剛の砲撃で戦闘は始まる。

 タ級は強大だ。しかし、決して不滅の敵でないことはこれまでの多くの海戦が証明している。タ級との交戦が証明している。

 

 何も気負うことはない。通常通りであれば十分に勝利が見れる相手。――しかし、故に気負いが生まれないはずもない。相手は相応以上の大物なのだ。

 それを“喰える”ともなれば、戦意が高揚しないはずもない。

 

「そーいうわけだからさ、愛宕っち。……全力でぶっ潰してさしあげましょうよ」

 

「異論、ないわぁ」

 

 それは愛宕にしろ――北上にしろ、島風達誰にしろ変わらない。勝って帰る、それだけだ。

 

 

 ♪

 

 

「全門――てぇー!」

 

 金剛の主砲が、タ級ヘ向けられ放たれた。ついに、周囲に幾つもの水柱が浮かび始める。序盤、艦隊は互いに様子見のように状況が停滞した。――砲撃の手は止まなかったものの、至近弾、夾叉弾が生まれること無く、愛宕達の間合いへと戦闘は推移した。

 

 続きざま、ようやく第一次攻撃隊を収容した、龍驤と加賀が第二次攻撃隊を空へと飛ばす。いよいよ持って、戦場は鉛色の騒音をはらみ始めた。

 

「――愛宕っち、とりあえず全部、薙ぎ払っちゃおっか」

 

「今日はいつもよりやる気満々ね、北上さん。でも、それもいいと思うわ。――思うように、やるのが正解だと思うもの」

 

 思うように。ふと愛宕の言ったその言葉を噛み砕きながら、ばら撒くように北上は主砲を震わせ弾丸を放った。

 

 タ級の砲弾が、それと交差するように北上に迫る。一撃必殺、呑み込まれればひとたまりもない火力である。

 

「……回頭!」

 

 一列の単縦陣から、すこしだけ北上は逸れた。艦列を離れ、一人、少しだけ接近した場所から、敵艦隊を見やる。

 

「この距離なら……!」

 

 当てられる。そう踏んだ北上は魚雷を片舷全門を敵艦隊に向け、しかし即座にその体勢のまま後退した。距離が近い、イコール敵艦隊の砲撃も勢いを増すのである。少なくとも、狙いをつけやすくなるのだ。だから、単純な深海棲艦どもは、嬉々として北上を狙うだろう。

 

「っとと!」

 

 気がつけば、どうやら無茶をしそうになっていたのだと反省する。何もしてはならないわけではないが、必要がないのなら面倒だからしない。それもまた北上である。

 

 必要のない無茶よりも必要な無茶を。――むしろ、無茶はするに限るとも、北上は思うのであるが。

 

 その北上をかばうように、愛宕が自身を全面に押し出て敵軽巡を狙う。連続して海に投げ入れられた愛宕の砲弾は、やがて至近、夾叉――さながら階梯を駆け上がるように段階を置いて、軽巡への直撃にたどり着く。

 

「あっりがと!」

 

「もうちょっと行くわよぉ!」

 

 続けざま、愛宕と北上は敵駆逐へと砲塔を回転させる。未だタ級が健在である以上、北上達の役目は雑魚狩りだ。

 

 

「ファッキン! お化けのくせに生意気ネー!」

 

 そして主戦場。金剛は二隻の戦艦タ級を、航空機の助けを借りながらいなしつつ、それでも空けられない風穴に、思わず悪態をつきながらも、絶え間なく砲弾を解き放ち、あまねく弾幕を作り上げる。

 

「そんなこと言ったって、金剛が落とさないから行けないんじゃん!」

 

 島風がそんな金剛の悪態を即座に否定する。同時に重巡リ級へ砲弾をばら撒き、更には迫るタ級の砲撃を連続してかわし続ける。

 彼女の役割は遊撃、特に軽巡以下への砲撃であるのだが、艦列の関係上、常に島風は敵戦艦タ級に狙われている。――それでも、それら全てを至近弾すら無く回避し続けるのが、島風が島風たる所以であるのだが。

 

「リアライズがナッシグンですよ島風。私が文句を言う時に、私の落ち度など一切無視するのがアダルトというものデス!」

 

「じゃあいいから、重巡沈めてくれる!? 私が合図のあるまでタ級の砲撃回避とリ級への砲撃に専念!」

 

 島風に、何か考えがあるのだろう。金剛は合点が行ったように――別に実際に合点が行ったわけではないが――頷くと、大仰に胸を張って笑顔を見せた。

 

「そうと決まればとくとこの目に焼き付けるデース! 全砲門、改めてファイア!」

 

 砲塔が独特の機械音を伴って回転。そのまま炸裂、リ級へと砲撃が向けられた。弾幕の趨勢が目に見えるほどの変化を見せる。薙ぎ払うように向きを変えたそれは、リ級そのものを覆い尽くすかというほどの数で持って海面を叩き、水柱を置き土産に消えてゆく。

 

 直後、チャンスと見たかタ級の砲塔が全て金剛へ向けられた。自分自身が狙われていないのならば、敵を狙うことに集中ができるというものだ。

 ちょうどその時、加賀と龍驤は第二次攻撃隊を引っ込めていた。龍驤は加賀の編隊が交代するまでの間、空に艦載機を漂わせていたものの、それも援護のない状態でタ級に近づけることはできない。手の空いたタ級の機銃が、猛烈に龍驤の艦爆を追い立てていた。

 

 金剛が砲撃の手を実質休めたことで、両者の均衡が崩れ始める。タ級の砲撃は一層苛烈を増した。金剛の周囲に至近弾が幾つも突き刺さる。夾叉弾に持ち込まれなかったのは、金剛がそれを想定し回避に専念していたたわものか。

 

 ――そんな状況を他所に、島風は主砲の装填を確認すると、周囲を一度見回してから身体を落とし体制を整えた。

 途中、ちらりと駆逐二隻を追い立てる北上達が視界にうつった。思う所はないではない。――これから島風がすることは、いかにも彼女たち好みであったからだ。

 

「島風、いっきまーす!」

 

 掛け声とともに飛び出した彼女は、彗星のごとく海面をかける。大げさな半円形の移動が、さながら幻惑の蝶であるかのようだ。

 速度四十ノットオーバー。時速にして七十キロを優に超える最大船速が、遺憾なくその海に島風の名を轟かせる。

 

 疾如島風。風と化した彼女を、捉えられるものなどいない。――否、誰も彼女に気がつくことはなく、敵艦隊の左舷側にいたはずの島風は、右舷側へと回りこんでいた。

 

 そこから、タ級に突っ込むように“前進する”。

 ――島風の狙いはこうだ。まず、金剛にリ級を任せ、それによって生まれる隙をタ級に狙わせる。その間に手の空いた島風は最大船速で先行迂回。敵の右舷に回りこむ。そして文字通り敵艦隊に“切り込む”のだ。

 

 左舷のみに注力しているタ級二隻が、右舷に回った島風に気がつくはずもなく、彼女はタ級とタ級の隙間に、まんまと入り込むことに成功した。

 

「ッッケェ――――!」

 

 咆哮。共に、『10cm高角連装砲』としての機能をもつ二門の連装砲妖精が、唸りを上げて砲弾を飛ばす。至近どころか、懐から放たれたそれが、直撃とともに黒煙を吹上、島風の姿を隠す。

 気がついた時にはすでに遅い。タ級は砲塔を島風へ向けようとして、失敗する。このまま狙えば同士討ちになるということもあるが、直後。

 

 

 ――数発の魚雷が、まとめて二隻のタ級に叩きこまれた。

 

 

 そして、離脱。

 ――タ級は未だ健在であった。しかし中破、戦闘継続能力を極端に低下させている。放った砲弾も島風を捉えることはなく、駆け抜け自身の艦隊へと帰還した島風は、満を持してといった風で金剛に宣言する。

 

「――今だよ! タ級二隻、まとめて喰い散らかしちゃってよね!」

 

 思わず、眼を白黒させていた金剛であったが、そう言われてしまえばすかさず意識はタ級へと向く。

 

「オゥイエース! あんなの、全部的みたいなものデース!」

 

 砲塔は即座に回転。すでに中破したタ級へと向けられていた。――なお、結局リ級を沈めることは叶わなかったが、直後その場を通り過ぎた加賀の第三次攻撃隊が、置き土産のごとく放った爆撃で、リ級は海の底へと還っていった。

 

「全ほうもーん、ファイア!」

 

 もはやタ級も敵ではない。穿ちやすい体の良い的だ。金剛の砲弾は寸分違わずタ級に着弾し――直後、北上達によって鎮められた駆逐二隻も併せて、敵は全滅。

 

 ――戦闘は、南雲機動部隊の勝利で終了した。

 

 

 ♪

 

 

「アッハハ、島風ってば、おっかしー」

 

 北上の愉快な声が海域に響き渡った。とはいえ、戦闘終了後の艦列など考えてすらいないうえ、無線も入っていないような状態で、それが聞き届けられるのは隣にいる愛宕しかいない。

 

「もう、今は帰投中とはいえ、気を抜くのはだめよー? いつ敵が襲ってくるかわからないんだから」

 

「そうはいってもねー。実際警戒はしてるわけだし、その上で笑ってるわけだし?」

 

 北上の目前には、潜水艦警戒のソナーが浮かんでいる。このソナーは個人の趣向によって機能以外の全て、つまり外装は自由に変更できるのであるが、北上の場合は魚雷を模した携帯端末である。

 

「敵潜水艦、ソナーに反応な~し。って!」

 

「まぁ、それはそうだけどねぇ」

 

 愛宕も、何もまじめに北上を咎めているわけではない。一種の社交辞令のようなもので、一度そうやって納得してしまえば、もはやそれ以上小言を重ねるつもりはなかった。

 対して、北上はどこかしみじみとした様子で本来の話題に回帰した。

 

「それにしてもさ、なんていうか島風、変わったよね?」

 

「そうねぇ……変わった、というのもそうだけど、らしくなったって感じかしら」

 

 ――らしくなった。そういえば、そうなのかもしれない。

 南雲機動部隊の旗艦は島風だ。それは、満の鎮守府が始動した時から変わらない。そしてその上で、島風は多くの仕事をしてきた。戦果を残してきた。

 

 だがそれも、いまいち物足りないものが在ったことは否めない。駆逐艦であるのだ、当然といえば当然であるが――彼女の駆逐艦とは思えない戦果が、そもそも周囲に彼女が駆逐艦であるという認識を薄れさせていた。

 

 駆逐艦の本分は艦隊決戦にはないのだ。島風は艦隊決戦仕様の高性能駆逐艦ではあるが、駆逐艦であることに変わりはない。

 

「……しっくりきた、って言っても同じじゃないかしら」

 

「らしくなった島風は、しっくり来た。まぁ、そんな感じかもねー」

 

 二人は、そんなふうにまとめて頷きあった。――北上の本題は、そこからだ。可笑しさを隠しきれずに笑みを浮かべていた顔を、どこか憂いのある、アンニュイなモノへと差し替えた。

 

「……島風も、皆も、少しずつ変わって行くんだよね」

 

「…………そうね」

 

 否定は、できなかった。自覚はあるのだ。この三年間、南雲機動部隊に所属してから、もっとも変化したのは愛宕自身であるということに。

 

「何だか、私だけが取り残されてる気がするんだよね。――私だけがこの艦隊で、“しっくり来てないんじゃないか”って思うんだよね」

 

 “あの事件”から三年。あ号艦隊決戦から三年。満は変わった。金剛も、少しだけその雰囲気を変えたように思える。島風も、どうやらかのキス島撤退作戦で、一皮向けて見せたらしい。龍驤も、そして――愛宕も。

 

 特に愛宕の変化は目覚ましい。代理という形ではあるが秘書艦を務めるようになり、本来の才能であった“策士”としての才能を開花。今の彼女にかかれば、どんな敵も物の数ではないと認識してしまうほどだ。

 

 もうそこに、自分を頼りないと思っていた愛宕はいない。――未だ何も変わっていない北上とは、大違いだ。

 

「――、」

 

 一瞬、愛宕は黙りこくって、それゆえに静寂が生まれる。北上はそんな愛宕の瞳を覗きこんだ。とても透明で、とても真っ直ぐ前を見ていた。

 

 

「――――そんなことは、あるんじゃないかしら」

 

 

 愛宕の返答は、そんな少し予想とはずれたものだった。

 

「北上さんは私達“変化している側”との間に差を感じている。――これは勝手な想像だけれど、北上さんは、すでに“変化できないくらい”変化してしまったんじゃなかしら」

 

「変化、しきってる? 私が?」

 

 まさか――親友、大井は言ったのだ。まだ北上は終わってはいない。終わっていないというのなら、未だ変化の余地が、成長の余地があるのではないか?

 

「……あの人は言ったわ、北上さんはまだ“終わっていない”って」

 

 そのとおりだ。そして、であるなればこそ、北上は――

 

 

「つまりそれって、終わる余地がない、ってことじゃない?」

 

 

 言われて、はたと気がついた。そうだ、――知っている。北上は知っている。“終わる余地がなかった”艦娘を。一人だけ、知っている。

 

「……色々なことに疲れてしまった“あの人”と、北上さんはよく似ている。でも、決して同じではないと思うの」

 

「――終わってしまった“あの人”と、終わってない、私の違い?」

 

「そう、北上さんはやっぱり強いから、もう一度だけ、前に向きたいっていう気持ちがある。……あの人には、それが無かったみたいだけれど」

 

 良い、悪いにかかわらず。北上がそうであり、かつて南雲機動部隊に身を置いていた正規空母が、そうであった。

 その違い。

 

「前を向きたい、気持ちかぁ」

 

 実感はない。けれども、否定しようはない。――あの虚しさを、全てを失いたくなる虚無感を、北上は知っている。全てを投げ出してしまいたくなる感覚を、北上は知っている。

 ならば、

 

「できるかな――」

 

「……、」

 

 愛宕は、答えなかった。それは、北上がこれから決めることであるからだ。

 

 

「あの人みたいに、この気持を精算することが」

 

 

 そう言った北上の顔は、どこか前向きで晴れやかで――

 

「――できれば、あの人みたいな終わり方は、私はしてほしくはないけれどね」

 

 愛宕はそんな横顔を眩しげに眺めながら、一言、付け加えるようにするのであった。



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『20 装甲』

 その日、南雲満は珍しく、出撃前に司令室を離れ、軍港の海の入口へとやってきていた。目的は単純で、此度の出撃を行う艦隊を、一目直に見るためだ。

 というのも、今回のカスガダマ沖海戦は激戦である。何せ西を制覇している敵艦隊の中枢と直接殴り合いを演じるのだから。そのため、戦力は過剰といえるほど過剰となっていた。

 

 普段であれば司令室籠もりの満も、今日に限っては特別だ。此度の南雲機動部隊は大艦隊。それも、日本海軍主力級と言っても良いほどであるからだ。

 隣には愛宕がいた。秘書官としての役目ということもあるが、彼女もまた海に立つ勇壮な仲間達に興味が有るようだ。なんだかんだ言って彼女はまだベテランにさしかかろうかという中堅。南雲機動部隊の中では最も新参である。若い、とも言える。

 

「ほぉー」

 

 そんなわけであってか、両名は波止場から海を切り裂き出港する南雲機動部隊を垣間見たわけであったが、さすがにそれは圧巻としか言いようのないものであった。

 ――現在時刻、明朝マルナナマルマル。これより鎮守府を出立した南雲機動部隊は、敵大艦隊、東方艦隊中枢を叩く算段だ。

 そんな彼らの行末が行幸であることを示すかのように、朝焼けの日差しが彼女たちを照らしていた。水平線の彼女たちから、手前側に伸びる勇姿は、見るものを圧倒させるには十分だ。

 

「これは……司令室で見るより、一際、ですね」

 

「全くだな。……艦艇というものは、見るものに圧迫と威圧を与える。それは、艦娘という存在でも変わらないのだろう」

 

 満の言うことは最もであった。

 何せ旗艦、島風は最速の駆逐艦。言うまでもなく南雲機動部隊の顔だ。そして同じく南雲機動部隊の顔でもある戦艦金剛。そして北の警備府が主力――榛名。

 高速戦艦姉妹がここに、数年ぶりの揃い踏みであった。

 そして、それだけではない。歴戦の艦娘。――この中では榛名と並ぶベテランである軽空母瑞鳳。更には日本最強の空母、加賀。

 

 そこに先日改装を終えたばかりの重雷装艦、北上を加え、南雲機動部隊及び北の警備府聯合艦隊は、現時点における最高戦力で持って、カスガダマの敵を撃滅するため出撃するのだ。

 

 ともすればそれは日本海軍第一艦隊とすら見間違うほどの戦力。この世界に転生して五年。間もないといえば間もない時間で彼女たち艦艇娘に惹かれていった満にとって、この浪漫は筆舌しがたい感覚であった。

 それは、艦娘としてはまだまだ若い愛宕も同様である。

 

「提督は、そういった艦艇を見たことがおありなのですか?」

 

 意外といえば意外だ。満はそもそもごくごく平凡な日本で生まれ、戦争等に関わることもなく育ってきたはずだ。何がしかの観光でそういった場所を訪れる機会でもあったというのだろうか。

 だが、満の答えは違った。彼は少しだけ恥ずかしげにしながら、事の真相を明かす。

 

「この間ね。しかも、あれでもまだ大戦当時の大戦艦級には及ばないのだとか」

 

 そう言われて納得がいった。彼が言っているのはこの世界でのことだ。となれば、その目的は愛宕にとっては明白である。

 

「そうねぇ」

 

 なんとはなしに頷いて、愛宕は再び思い巡らせる世界へと帰っていった。――ふと、満の瞳に、金剛が手を降っているのがうつった。どうやら、見送りに来たこちらに気がついたらしい。

 

「気をつけていけよー!」

 

 おそらく声は聞こえないだろう。満も、聞こえると思っているわけではない。それでも、声をかけずに入られなかった。それだけこの艦隊は絶大であるからだ。

 ――同時に、このカスガダマ沖海戦は前哨戦、こんな所で躓いて欲しくない、という思いもまた、あるのだった。

 

 

 ♪

 

 

 かくして期待を背負い港を出撃した島風以下機動部隊は、西方海域、カスガダマを目指し進撃を開始。道中幾つかの地で休憩をはさみながらも、予定通りの時刻に、カスガダマの端、戦闘開始領域まで到達した。

 

 戦闘開始は昼半ば、ヒトヨンマルマル。島風達が最初に相対したのは戦艦ル級を旗艦とする敵前衛艦隊。

 

 戦いの火蓋はここに切って落とされた。緒戦、ル級の至近弾に北上が肝を冷やすという場面もあったものの、ほぼ損害を出さず勝利。島風達は進撃を続ける。

 そして第二戦。潜水艦の哨戒とぶつかった島風等は、これを単横陣で警戒突破。こちらも損害を出すこと無く、敵潜水艦三隻を轟沈。一隻を中破に持ち込んだ。完勝とは言いがたいが、被害が出なかったことは大きな勝利と言える。

 

 そして第三戦。敵空母機動部隊と島風等は激突。ここでは空母加賀、空母瑞鳳両名が映えた。敵ヲ級二隻のうち一隻を即座に海に還すと、制空権を確保、戦闘を一方的な形で進めた。

 結局これまた敵に手を出させる暇もなく、気がついてみれば、小破すらでないまま戦闘は終了。まさしく快進撃であった。

 

 

 ――そして。

 

 

 “そこ”には、もはや要塞としか形容しようがない深海棲艦が、待ち受けているのであった。

 眉目秀麗。真白の肌はさながら遊郭の女であるかのような、まさしく“魔性”。このよのものではないかのように思える。一結びの髪が海風にたなびき、前傾の姿勢とその瞳は、敵を射殺すかのようだ。

 

 しかし、異形。人の姿を彼女はしていた。しかし、彼女が人でないことは端から見て明らかだ。

 彼女の下半身は、偉業のそれにそまっていた。深海棲艦らしい黒の化生は、更に死を伴う幾つもの砲塔をもって、艦娘を喰らい尽くすべくその瞬間を待っている。

 

 ――通称、“装甲空母鬼”。本来の命名規則を伴わない、通常の深海棲艦とは完全に一線を画するワンオフ型超弩級空母。

 空母ではある。しかし、その飛行甲板を模したと思われる“口部”には機銃とは思えない口径の砲塔が備わり、さらに“彼女”の後方にも、全四門の単装砲が鎮座している。

 

「思うに、あの砲塔、単装砲ですけれど、口径こっちの『41cm』と大差なくないデスカー!?」

 

「変なこと言ってないで、直ぐに戦闘開始ですよ!」

 

 金剛の雄叫びがこだまする。榛名はそれをたしなめながら、装甲空母鬼の異様を目の当たりにしていた。声もどことなく緊張が見える。

 らしくないといえばらしくないが、あくまでそれは声だけだ。表情は、いつもどおりの榛名である。

 

「――行きます!」

 

「全部まとめて叩き潰してやるネー!」

 

 金剛姉妹、数年ぶりの共同戦線。懐かしさを感じつつも戦意十分。南雲機動部隊は、装甲空母鬼との戦闘を開始させた――

 

 

 ♪

 

 

 敵編成。

 旗艦、装甲空母鬼。

 戦艦タ級エリート。

 軽空母ヌ級エリート。

 輸送ワ級エリートに。

 駆逐ロ級フラグシップ各二隻。

 

 戦況は、開始早々混迷の色を見せていた。

 

「ちょっとー! 駆逐艦のくせにすばしっこいんだけど!」

 

 島風の声が、波にもまれて消えてゆく。駆逐ロ級がフラグシップは高速であった。そも駆逐艦とは全艦種最大速度を誇るのであるがため、島風のそれは戯言にも程があるのだが、とまれ、敵駆逐艦も恐ろしいほどの回避性能であった。

 二隻の駆逐艦が島風を狙う。対して島風は一隻で駆逐ロ級二隻を相手取っている。

 輪形陣を組んだ敵艦隊の端と端を、高速で撹乱するべく動き回っていた。

 

 敵の外周を、回転するように島風達は回る。ただし、島風のみは艦列を離れ、一人敵駆逐を釘付けにしていた。太極を左右するわけではないが、憂いを断つためである。

 

「ちょちょ! 輸送艦のくせに撃ってこないでよ!」

 

 北上が焦りを見せながら、ばら撒かれた輸送ワ級の砲撃を回避し続ける。そもさんワ級の攻撃は大した火力でもないのだが、装甲の薄い北上には無視できないシロモノだ。これが原因で、タ級の攻撃を中破で持ちこたえられないということにでもなったら目も当てられない。

 

「――あんまり、無茶はしたくないんだけど」

 

 言いながらも、瑞鳳は無数の艦載機を空へと浮かべていた。ここまで消失した分を除けばほぼ全機。加賀にも負けじと放っているのである。

 狙いは明らかだ。瑞鳳は装甲が薄い、装甲の厚い加賀よりも先に中破になる可能性は高い。故に、先に飛ばして、たとえ艦載機を消耗してでも、と全力方向に傾いているのである。

 

 空は、装甲空母鬼の艦載機が待っていた。決して大群ではない。だが、恐ろしいほどの練度であり、おそらく空母ヲ級二隻分に比肩しうるのではないか。

 

「……っ! 次!」

 

 瑞鳳の一群が、装甲空母鬼の艦載機一群に背後を取られた。またたく間の惨劇、“すべて”の艦載機が即座に火の手を上げ散る。もしも搭乗者が妖精でなければ、果たしてどれほどの人命が喪失したことか。

 

 空は完全に劣性で膠着していた。空母鬼をいかんともしがたいのである。その高い装甲は僚艦であるタ級エリートにも引けをとらない。

 ――金剛の砲弾が、今まさに着弾した。しかし、それは彼女を貫きもせず、単なる煤とかして海へ消えた。返す刀の砲弾が金剛を遅い、至近弾。――金剛、小破であった。

 

「下がって下さい! お姉さま!」

 

「ノー! ここで下がったらせっかくの直撃弾が!」

 

「装填間に合いません! 装甲空母鬼は全弾をばらまいていない! 次は夾叉弾です。避け切れません!」

 

 榛名の懇願に近い進言もあってか、金剛は一度自身をひかせた。変わるように榛名が砲撃、直撃とは行かないものの、のろまな装甲空母鬼をその場から遠ざけた。

 

 輪形陣で周囲に散った艦隊は、それもあってか足が遅い。タ級ですら速力低であるのに、そこに図体のでかい装甲空母、もはや身動きなどとれようもない。

 対するは南雲機動部隊。速力高速で固めた艦隊は、縦横無尽にその周囲を駆けた。

 

 とはいえ、それがアドバンテージであるかといえば、あまりそうとは言えないものがある。空母鬼の装甲が非常に絶対的であるのだ。

 金剛の直撃弾ですら小破にいたらないその装甲、もはやどの艦娘が砲弾を直撃させようが意味が無い。であれば魚雷は――? 通るだろうが、そもそも輪形陣を取られては、虎の子の魚雷も装甲空母鬼に届かない。

 

 手詰まりとも言えた。

 空も、海も、あまり良くない空気で、膠着が生まれていた。

 

 当然、誰も手を打たないはずはない。

 

『金剛、榛名は装甲空母鬼から離れて、駆逐艦二隻を何とかしてくれ! 島風の支援をすれば、後は勝手に島風がなんとかしてくれるはずだ!』

 

 満が、割って入るように通信を入れた。

 

『瑞鳳と加賀は装甲空母の艦載機に惑わされるな! 軽空母ヌ級をたたけ、空の鬼からノイズを蹴散らすんだ』

 

「――了解!」

 

 瑞鳳が即座にそれに応答する。続けて、ワ級を相手取っている北上以外の艦娘からも、続々と了承が入った。

 

『とにかく、あの空母と脇のタ級を浮き彫りにしないことには状況も変わらない。現状の膠着も長く続くはずもない。――終わればこちらが窮地に陥る。なんとしても、現状打破は急務である!』

 

 状況は完全に切迫していた。このまま戦闘が長引けば、消耗した南雲機動部隊が押し込まれる。とにかく空の状況が一方的であるのだ。決して空から押しきれないわけではない、だが、このままではいずれ無茶が出る。それだけは間違いない。

 

 加賀の艦載機――第二次攻撃隊が収容されていく。加賀の左舷に展開された水平線の飛行甲板。そこをめまぐるしく艦載機が着陸し、妖精たちがその収容を急いでいる。

 

 続きざまに発艦した加賀の攻撃編隊は、軽空母ヌ級に狙いを定め、一目散に駆け抜けてゆく。

 

 金剛達も動きを見せた。――榛名との短い会話で、支援射撃は一度と決めた。タ級と装甲空母の砲撃弾幕は、絶対に無視できない。それを無視してまで駆逐艦を狙えるのは一度だけ。

 仕留め切れずとも良い――一度でもロ級が金剛達に意識を取られれば、島風が仕留める。その手の“仕事”は島風の領分なのだ。

 

 戦況は、次なる状態へと変化を見せ始めた。敵は強大なれど、決して無敵の要塞ではない。攻略可能な代物なのだ。

 それに、何も悪い報告だけが重なるわけではない。

 

 満が指示を出した直後、北上が報告を上げた。

 

「敵ワ級を仕留めましたよー! 私は魚雷ばらまいてタ級狙います! 近づくから支援よろしく!」

 

 それは戦艦群及び空母郡へと向けられたものであったが、これでとにかく北上の手が空いた。彼女は艦隊決戦能力の高い高火力艦。――この膠着に風穴が生まれれば、そこから一気に敵を押し込めるだけのポテンシャルがある。

 

 さながら戦場はシーソーゲームの様相。なれど、決して南雲機動部隊に不利が偏るわけではない。

 激戦の行方や、いかに――



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『21 金剛』

 榛名には、今少しだけ悩みごとがある。小さくはないが、けれどもとても個人的なことだ。というのも、それは悩みの種が彼女の姉にあたる高速戦艦、金剛の個人的な悩みであるからだ。

 

 姉妹、とはいえ実際に同じ母から生まれてきたわけではなく、艦艇として同じクラスをもって生まれてきた、いわゆる同型艦。榛名が金剛のことをお姉さまという呼び方で呼んでいるのは、結局それがしっくり来るからでしか無い。

 貴重な戦艦ということもあり、金剛と榛名はどちらかといえば姉妹間の交流などあってないようなものであるのだが、それでもここ最近、基地間の交流が持たれるようになると、自然と金剛と榛名も顔を合わせる機会は大きくなった。

 

 そうしていると、気がつくことがある。あまり交流のなかったころと、交流の多い今、その違いから気がついたことではなく、もっと根本的な、明確な違いが金剛に訪れたのである。

 理由は直ぐに解った。それはとても単純で、とても真っ直ぐで、そして少しだけ寂しい、そんな感覚を思わせるものだった。

 

 

 恋である。それも、相手には意中の人がいる横恋慕。

 

 

 もともと、その人のことを金剛は好きであったのだという。それでも、その恋心は本物ではなく、面白いと興味を持って、アプローチをかけるようなものであった。

 ――それが、その意中の人に起こった変化が、金剛を大いに締め付けることになる。確かに前を向いた彼はとても魅力的で、希望ではなく実際を語り始めた彼の瞳は透き通るように直線的ではあったのだけど。

 

 だからこそ、そんな彼に惹かれる金剛が、榛名にはあまりにもの寂しくて叶わない。横恋慕なのだ。叶わない恋なのだ。それでも、“好きになってしまった”のだから救いようがない。長い艦娘生活で、初めて会ったような手合。とても頼もしくて、思わず好きになってしまった人。

 

 北の警備府司令、山口は言っていた。

 金剛は、本質的には一人がちで、本質的には寂しがりやなのであると。――確かに彼女は賑やかで明るい人であるけれど、だからこそ一人でいるのを嫌う傾向がある。

 少なくとも、それがきっと彼女のあり方で、寂しさを埋めてくれる人は、きっとあの提督であったのだろうけれども。

 

 それが榛名の今の悩みだ。結局、単なるひとりよがりな悩みではあるかもしれない。それでも、金剛が、自分が敬愛する姉の一人が、悩んでいるのは何だか、こっちまで胸が苦しいように思うのだ。

 

 

 ――そんな姉と、今榛名は行動を共にしている。カスガダマ沖海戦。海の潮風の中にいる金剛を、この時初めて榛名は感じた。

 

 

 ♪

 

 

 加賀の大編隊が空を行く。高高度から敵の頭上を駆け抜ける。無論、それを無視する装甲空母鬼ではない。むしろ、それに気を取られるほど、全戦力をそちらに集中させる。――それほど、加賀の編隊は強大であった。

 無視できないというのもあるが、頭上での圧迫感は、装甲空母鬼に嫌悪を与えたか。

 

 とまれ、それが加賀達の狙いであった。狙いは軽空母ヌ級。そこに殺到するは瑞鳳の航空隊。加賀の編隊に狙いを定めた空母鬼艦載機を尻目に、その合間を縫ってヌ級本体へと何機かの航空機が殺到した。

 気がついた時にはもう遅い、幾つもの爆撃が空から、航空魚雷が海から、二方向がヌ級を狙う。回頭、――魚雷のいくつかを避けた所で避けきれなかった魚雷に捕まり、更には爆雷の餌食となった。

 

 敵艦隊、輸送艦ワ級エリートに続き、軽空母ヌ級が轟沈となった。

 

 はっとした時にはもう遅い。装甲空母が一瞬気を取られたように艦載機を動揺させる。そこを加賀が押し込んだ。幾つかの空母鬼艦載機が海へと散った。――だが、装甲空母鬼もまた強敵であるのだろう。そこで一気に情勢は傾かなかった。どころか、再び空は均衡を生み出し始めていた。

 原因は軽空母ヌ級の艦載機だ。瑞鳳の航空隊はヌ級艦載機をすべて無視してヌ級を落とした。が、ためにヌ級の艦載機のうち、空にあった分はほぼ無傷で残った。これらが装甲空母鬼の艦載機に味方したのだ。ヌ級が沈んだ以上、彼女たちの指揮は装甲空母鬼が引き継ぐこととなるのである。

 

 更に、空母鬼の反撃は終わらなかった。続けざまに艦載機を発艦させたのである。超弩級クラスの性能あってか、はたまた深海棲艦の特殊な発艦方法は、着艦までもを有利にするのか。もはや空母鬼の大変態は、加賀の艦載機の数を大いに上回っていた。

 しかも、更に悪いことに、ヌ級を葬った瑞鳳の航空隊が、新たに発艦した装甲空母鬼の艦載機に襲撃を受け、全滅。塵も残さず海へと帰った。

 

 そして直後、航空隊の一部が瑞鳳に到達。あっと思った時には遅かった。無数の爆雷が瑞鳳を遅い――炸裂。

 瑞鳳、中破であった。中破した空母は戦闘継続能力を失う。金剛の小破は先にあったとはいえ、南雲機動部隊における最初の大打撃。そして最初の喪失と言えた。

 

「ッッぅぅぅぅううううッ!」

 

 痛みは伴わない。だが、衝撃は体中を打ち、激痛にも似た圧迫が瑞鳳の身体を締め付けた。十数年と戦場にいて、やはりこれは慣れない。さらに中破ともなれば外装、服も大きく削げ落ちる。

 もはや逃避気味の思考が、人に見せるものではないな、と愚痴をこぼした。

 

「編隊は加賀に合流! 加賀の艦載機もだいぶ減ってるから、収容は加賀に任せておけばいい。後を気にせず、存分にやっちゃって!」

 

「なかなか勝手なものいいですね」

 

 加賀のやじが後方から飛んだ。無茶を言うなと言いたくはなるが、それはお互い様というものだ。むしろ、無茶しかないのが戦場というものだ。

 お互いに、わかりきったようにそれ以上の言葉はなく、瑞鳳は回避に専念する。

 

「では後は、任せていただきましょう。すべて――」

 

 ヌ級を瑞鳳が叩き潰したのだ。負けてなどいられない。ここで退いては、正規空母の名折れというもの。

 加賀の力強い瞳に、さらに一つ炎が灯った。

 

 

 空が激戦の様相を呈するのに対し、海もいよいよ敵の弾幕は金剛、榛名を捉えようとしていた。とはいえすぐではない。逆に金剛達も敵戦艦を捉えうるのだ、一瞬のラッキーパンチが懸念されるとはいえ、こちらもまた膠着と言えた。

 

「榛名ッ!」

 

 その折、金剛が榛名に檄を飛ばした。背中を押すという意味合いもあったが、それは同時に合図でもある。

 

 金剛と榛名。両名は示し合わせて砲弾をタ級へ向けて撃ち放った。無論装甲空母鬼は無視できないが、空母のついでに火力が付いた装甲空母鬼よりも戦艦であるタ級の方がよっぽど無視できない。これで轟沈できるのであればそれが最善なのだ。

 とはいえ、タ級には至近弾でとどまった。目眩ましには十分であるが、戦艦二隻の砲撃としては物足りない。

 

 しかし、そのままタ級を狙い続ける訳にはいかない。本命はロ級フラグシップ撃滅を行う島風の支援。即座に砲弾を再装填、数分にも及ぶかという感覚的時間を要した後、射撃。

 

「てー!」

 

 榛名の声が勢いまさしく轟いた。ロ級の周囲に、降って湧いた戦艦の砲弾。大慌てであった。即座に回避行動にうつったものの、至近弾は炸裂を伴ってロ級をかすめる。直撃はなかったものの、ロ級フラグシップ二隻はそこに釘付けとされた。

 

「ナーウ!」

 

 金剛の声が島風に一瞬を告げる。島風はニィと口元を歪めて飛び出した。ロ級は島風によって集められ、ひとまとめとされており、狙うには絶好の的であった。

 戦艦の砲撃は二度、三度に渡った。その間に幾つもの砲弾がばらまかれたわけであるが、ロ級はその場を動けなかった。しかし、島風はその間を縫った。縫って切り裂き、ロ級二隻に肉薄する。

 

 電光石火、刹那さながらの出来事であった。電撃の如く海を裂き駆け抜けた島風はロ級を超至近で捉える。駆逐艦の砲弾が、戦艦に及ぶのではないかという距離。そこから放たれた砲弾では、さしものフラグシップクラスとてひとたまりもない。

 爆発は二つ上がった。同時にその場を離脱していく島風、ガッツポーズを見せびらかして金剛達に勝利を告げる。

 

「イエース!」

 

 金剛もまた同じようにガッツポーズをして、そのまま降り注ぐタ級の砲弾をかいくぐった。装甲空母鬼の砲撃もある。

 戦闘は激しかれども、決してお互いに状況が変化しないわけではない。空では瑞鳳がやられ、加賀は一人奮闘している。海はといえば、すでに僚艦のほとんどを沈め、状況は艦娘側に傾いていた。

 

 とはいえ。空が崩れれば海は一網打尽だ。戦艦だけでは、空母に蜂の巣にされるが関の山。できることなら、空が均衡を保っている間に海を何とかする必要がある。

 次なるシークエンスは、間髪入れず訪れた。

 

 

 動きを見せるのは重雷装艦、北上である。さらなる改装で、随分と装いも変化した彼女は、自慢の魚雷を空に輝かせ、タ級へと狙いをつけている。

 

「そういうわけだから、援護よろしく――!」

 

 無線越しに、金剛榛名、そして島風を交えた会話を終えた。会話には数分も要さない。そんな余裕すら艦隊には無いのだ。加賀がいつまで持つかわからない以上、即断即決は必要不可欠なのだ。

 

 ――スタート。金剛と榛名、及びその影に隠れる形で加賀と瑞鳳が右舷から敵艦隊に切り込む。最前列である金剛に、タ級と空母鬼の砲弾が集中した。同時に、空母鬼の艦載機も加賀攻撃隊の追撃を振り切り金剛に迫る。

 一瞬、艦隊が大いに乱れた。金剛の動きが鈍り、そこに突き刺さるはずだった砲弾が霰のごとく叩きつけられる。

 

 その後即座に速度を通常に戻した金剛が、お返しとばかりに砲弾を放った。榛名が後に続く。砲弾はタ級に集中した。回避には一切のブレもなく、タ級は砲弾をくぐり抜ける。空母鬼との間に炸裂するように放り込まれた弾丸によって、ちょうど両者の間に溝が生まれた。

 待っていましたとばかりに、島風が動く。

 

 疾風迅雷の奇襲であった。まず二発、魚雷をタ級へ向け放ち、そのまま前進。タ級は雷跡に気が付き急速回頭。通り過ぎた魚雷はどことも知れぬ場所に消えた。

 同時に襲った榛名達の砲撃も振り切り、タ級は砲弾を金剛にかえしてから周囲を見遣った。どれだけ高速でも、魚雷の発射地点から消え失せられる時間差ではない。

 島風はすぐに発見された。ちょうど金剛達とは反対側、挟撃するようにタ級及び空母鬼へと迫っていた。

 

 すかさず再装填された主砲をタ級は轟かせる。しかし、島風は冷静であった。砲弾の軌跡を見やるや否や、その届かない場所へ最大船速。回避行動を取る。

 同時に前進。タ級の目前へと迫る。――その時、横合いから島風は砲弾を殴りつけられた。正確には、間近に迫ったそれを体をそらし危機一髪で回避、同時にその勢いに吹き飛ばされ後方へとはじき出された。

 

 装甲空母鬼である。間一髪の所で彼女はタ級の窮地を救った。少なくとも、そう見えた。たとえ実際にはそれが、単純に接近した敵への対処という無感情なものだったとしても。

 

 だが、それがタ級に致命的な隙を与えた。だれでもなく、彼女を救った装甲空母鬼が、だ。――空母鬼も、そしてタ級もこの一瞬金剛達から視線を逸らしていた。一瞬の間砲撃が止んでいたということが理由ではある。しかし、失策だ。

 

 気が付かなかったのだ。寄り添うように艦列を組んでいる金剛達の奥。待ち構えるように――北上が金剛達が通りすぎるのを待ってから魚雷を発射したということを。

 

 

 一瞬、タ級を見遣った空母鬼の目の前で、タ級は魚雷に呑まれ、炸裂する水の破砕に巻き込まれ、跡形もなく文字通り“消え失せた”。

 

 

 そこへ、ありとあらゆる砲撃が空母鬼を襲う。金剛達が再装填を終え砲撃を再開した。同時に、復帰した島風もまた、放ちきっていなかった三門の魚雷をすべて撃ち尽くす。

 

 ――列を成して襲いかかる魚雷を回頭、すれ違うように空母鬼は躱した。

 

 ――点在し、空白を塗りつぶすように襲いかかる砲弾を、それでも合間を縫って空母鬼は躱した。

 

 だが、そこまでだった。返しの砲撃は金剛に届きすらせず、続く砲撃が装甲空母鬼へ炸裂。それでも、耐えた。両脇に備え付けられた人間のものとは思えない、しかし人間型の巨大な腕。それを盾に、何とか空母鬼は小破でとどまった。

 そうしてふと、異音。装甲空母鬼はハッとして翻る。そこには島風がいた。間数メートル。回避にも身体の動き用がない状況で――衝撃、これで中破。

 

 同時に島風へと襲いかかった黒墨の爆風が彼女の姿を覆い隠す。直後、それは飛び出した島風の尾を引き、かき乱されて消え失せる。

 

 そうして、最後。トドメを飾るは――

 

 

「……今です!」

 

 

 正規空母、加賀。

 空母鬼の中破で編隊に乱れが生じたか、ともかくその隙を見逃しはしなかった。急降下、敵編隊を振りきった後、その艦爆は空へと掻き消え、雲間に消えた。

 

 狙い定めた空爆。加賀は一撃を逃さなかった。

 

 ――甲高い急降下爆撃特有の音響。思わず、と言った様子で、装甲空母鬼が空を見上げた。間に合わない。気がついた時にはもう遅い。

 

 

 爆撃の鉄槌は――一直線に装甲空母鬼を貫いた。

 

 

 戦闘終了。

 金剛の小破、瑞鳳の中破と、万全であったはずの艦隊に空いた風穴を無視はできない。それでも、カスガダマ沖海戦“一回目”の戦闘は、かくして終了を迎えたのである。



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『22 告白(裏)』

「……南雲機動部隊?」

 

 ――南雲機動部隊。かつての世界、史実においては日本最強、どころか世界最強ですらあった空母機動部隊。

 

「はい、私の装備が到着したことで、この艦隊は正式に空母機動部隊として完成しました」

 

 黒髪、少しだけ透き通るような糸紡ぎ。ロングのストレートは、飾らないが、その分楚々として、それそのものがひとつの宝石であるかのようだ。

 ――彼女と、満の身長はほぼ同程度であった。満が低身長だったのではない。彼女が高身長だったのだ。

 

「空母機動部隊、か。……よくわからないな、それはすごいものなのかい?」

 

 満はあくまで無知で彼女に問いかけた。すると、温厚な彼女にしては珍しく、少しだけむっとしたような表情で、ジトッと満を睨みつけた。

 多少冗談めかしたようではある。けれども、彼女の迫力に、満は思わず圧倒されるのだ。

 

「すごいものです。何せ空母――正規空母とは日本に六隻しかない貴重な艦種です。その内の一隻が参画する艦隊ともなれば、空母機動部隊は名乗らなければならないのです」

 

「……はは、それはまた。あーなんていうか、ごめんなさい」

 

「わかればよろしいのです」

 

 そういってから、剣呑な視線を彼女は引っ込めて、それから優しげに笑みを浮かべた。ふと、気が緩んだようでもある。

 

「それで――? 南雲機動部隊というのは、その通称かな?」

 

「その通りです。南雲、というのは提督の苗字でありますが、同時に史実におけるある提督の名でもあります」

 

 ――南雲忠一。奇しくも満と同姓である、日本海軍の提督であった。歴史に名を残すほどの人物である。よくわからないが、史実と同じ名を冠するというのは、満としても悪い気はしない。

 

「へぇ……南雲、か。僕はその名前に、ふさわしい提督になれるかな?」

 

「どうでしょう。でも、なれないなんてことは無いと思います。提督は、まだまだ前に進むことができますから」

 

 ――彼女は、満を決して否定することはしなかった。希望を語る彼を、側でただ見守っていた。だからこそ、満はその希望を信じ続けることができたのだろう。

 信じた希望を、自身の手で終わらせるその日まで。希望以外の何かでもって――前を見据えるその日まで。

 

「これは南雲機動部隊の栄光をこの手にする、という意味でもあり、同時に提督が道を間違えないよう、という戒めでもあります」

 

「戒め――?」

 

「そうです。史実において南雲機動部隊は多くの慢心によって壊滅しました。同じ轍を提督が踏まないように、と」

 

 つらつらと言葉を並べ立てる彼女は、凛として、整然として、南雲満の前にある。――思わず見惚れてしまいそうなほど、彼女の姿は満の意識を大いに掴んだ。

 

 

 ――それが恋であるということに気がつくのは、もう少し先の話。

 

 

「……それは言いな! 実にいい。南雲機動部隊か……」

 

 今はただ、右も左もわからぬままどことも知れぬ世界に放り込まれて、それでも一人の女性に救われた、少年が一人、救った女性と共にいる――

 

 

 ♪

 

 

 カスガダマでの戦闘を終えたものの、それ自体は単なる前哨戦である。カスガダマには未だ多くの深海棲艦が潜んでいた。それと同時に、装甲空母鬼が再びカスガダマを奪取したのである。

 復活した、ということでもあり、そしてそれは想定されていたことでもある。何せ装甲空母鬼という変種が出現するほど深海棲艦の発生源である怨念が吹き溜まっている海域だ。一度では済まないことくらい、だれでも解ることではあったのだ。

 

 かくして、それから数度の海戦が行われた。そのたびに少なからず被害はでたものの、そのたびに南雲機動部隊は装甲空母鬼を撃破、海域から“嫌な気配”はそのたびに抜けていった。

 

 おそらく次が最後になるであろうという前哨戦を終えた夜のこと、金剛は一人夜風に当たっていた。正確には一人ではない、一人であろうとしたのだが、直ぐに姉妹艦である榛名が金剛に気が付き、その側にやってきていた。

 

 波止場に腰掛けて、海を物憂げに眺める様はさながら深窓の令嬢ではあるが、彼女は生来の賑やかしだ。榛名に気がつくと、即座に憂いを帯びた顔を引っ込め、笑みを浮かべて応対する。

 

「オー、榛名、どういたしましたカ?」

 

「お姉さま、こんなところにいたのですね? そろそろ夏になろうかというところではありますが、夜は寒いです。体が冷えてしまいます」

 

 寂しげな長女を気遣ってのことだろう。榛名は開口一番そう告げた。とはいえ、金剛を無理にその場から引き剥がすつもりもないらしく、金剛の横にペタン、と座り込んだのであった。

 

「そうは言いますが、私はヴェリーヴェリーストロングな艦娘デース。そう簡単にヒエーてなどいられまセーン!」

 

「艦娘が冷気に強いのは換装があるときだけです!」

 

 パッと、詰め寄るように榛名は言った。思わず気圧されたのだろう、苦笑気味に金剛は弁解する。

 

「ソーリーソーリー、艦娘も無敵ではありませんからね、精進精進ー」

 

 とはいえ、そう言って誤魔化すには、そも自分の感情がそれをさせてくれなかったのだろう、直ぐに金剛はまたもの寂しげな顔をして、言った。

 

「……少しだけ、このままにさせてくだサーイ。直ぐに戻りますから」

 

 風邪をひくなら、自分一人でもいいだろう。そうやって金剛は、から笑いをしてみせた。榛名は一瞬表情を歪ませて、それから決意を決めたように瞳を鋭くした。

 

「嫌です」

 

「……え?」

 

「私も一緒にいます。おねえさまが寝るまで一緒にいます。だから、嫌です」

 

 思わぬ答えだったのだろう。金剛は、榛名に言い切られてからもまたしばらく目を瞬かせていた。その間、あっけにとられたような表情で、口はずっと開けっ放しだ。

 そうしてから、ようやく浮かべた笑みは、普段の彼女らしくはない、それでも先ほどのから笑いよりはずっと自然な笑みだった。

 

「榛名は、悪い娘デース」

 

「ふふ、榛名を悪い娘にしたお姉さまは、もっと悪い娘だと思います」

 

「それもそうでしたー」

 

 二人揃ってすごく悪い子だと、互いに含むように笑いあった。

 

 そうしてから、少しだけ空白が夜に溶け込んだ。海面は闇に濡れ、水平線の向こうには手を伸ばしても届かない、小さくて丸い月。黒ずんだ空を照らす白肌。

 

 辺り全てにばらまかれた星々と、それに照らされ少しだけその存在を示す雲。もはや幻想としか言えない世界で、金剛と、榛名は二人きり。肩を並べ合って、それを眺めた。

 

 やがて、話を切り出したのはやはりというべきか、金剛であった。

 

「……私は提督が好きです。山口提督ではないです。私の提督が、デス」

 

 最後だけ、戸惑うように言葉を濁らせて、彼女はぼんやりと、一人の少年――一人の男の事を思い浮かべた。

 

「ただ、提督はやっぱり私を見てくれるわけではありません。……辛いというわけではないデス。ただ、それでも良いという自分と、それじゃ我慢できないという自分がいる、それだけデース」

 

 ままならない感情。というのは、何事にもあるもので、まさしく金剛はそれだ。割り切れないのではない。割り切ったからこそ、辛い。割り切ったのに未練を感じる自分が、あさましく思えてしまうのだ。

 

「それは、別におかしなことではないのでは? ……ごめんなさい、榛名にはお姉さまを助けられそうにないです」

 

 榛名には、かけられる言葉が無いように思えた。金剛が答えをだすしか無い問題を、榛名はどうすることもできない。

 そもそも、艦娘にしろ、提督にしろ、榛名の周りには心の強い者が多い。榛名が何かを言う前に、一人で完結してしまう者がほとんどだ。そして――金剛もそうだ。

 

「榛名には、なんでもいいから話を聞いて欲しいのデース。不幸自慢ですから、同情してくれないと、それはとってもサッドデス」

 

「お姉さま……」

 

「ふふ、金剛はとっても悲しいのデース。バッドでバッドで、ヴェリーバッドで……」

 

 金剛は、右手をかざして空を仰いだ。月影は手を焦がし、金剛の瞳は青に揺れ、どことなくきらめいて見える。

 

「でも、やっぱり好きになっちゃうって、感情って、一人じゃ全然どうしようもないネ」

 

 それはきっと、金剛の本当の本当に、心の底から漏れだした本音なのだろう。金剛と榛名の付き合いは決して短くない。それでも、その短くない付き合いの中で、ここまで金剛が意思を露わにするのは、初めてのような気がした。

 

「好きになって、どうしようもなくなって、そうやって思うデース。好きになることは理由があってなるんじゃなくて、“好きになっちゃう”から好きになるんだって」

 

 語る彼女は、どこまでも一人の少女であって、いつまでも一人の恋する乙女であるのだ。金剛はその瞳を揺らめかせていた。意図したものではないだろう。意識してそれを抑えることだってできないだろう。

 そういうものだ、人間というものは。

 

「別に誰かのためって言う訳じゃないデース。ただ自分のために、ただその人を愛していたいから……浅ましいかもしれませんネ。でも、好きネ。ラブデス。好きになって、好きで、好きで、好きで好きで好きで仕方ない。愛したくてたまらない」

 

 それだけ思いを込めて、それだけ願いを溜めていたとして、それでも、それでもやはり金剛は――

 

 

「それでも――ダメだったネー」

 

 

 金剛は、彼の愛する人を知っている。とても真っ直ぐで、とても強くて――そしてとっても、自分勝手な人だ。

 

「私も、それは知ってます。それだけは知っています。南雲提督のことも、あの人のことも榛名はよくわかりません、それでも、それだけは知っています」

 

「――勝手な人デース。でも、提督はそんな彼女を好きになったのデース。……そして、そんな提督は、彼女がいたから提督であれたのだと思いマース」

 

 金剛は思う。金剛は満が、“面白い”存在であったころに出会った。それより前は、きっと“つまらない”存在であったはずだ。彼女が導いていなければ、満は何もできずに“頓挫”していたのだから。

 自分自身、“金剛”に、それと同じことができるとは思えなかった。その一点において、金剛と彼女の間には差が生まれている。どうしようもない差。埋めようのない溝が。

 

「だから……」

 

 金剛は、そこで詰まった。――事の次第はすでに満から聞いている。彼がここまで歩いてこれたのは、ある一つの事実があったからだ。

 それを榛名が知っているのかと、ふと口を噤んで考えた。榛名は北の警備府旗艦であり、金剛と同じある事実を知る艦娘である。

 

 深海棲艦の源流と、艦娘の源流が同一であるという事実。だからこそ、これから満がしようとしていることは、きっと榛名も知っているのだろう。

 だが、知らなければそれは問題だ。ここで、金剛が語るべきことではない。

 

 ――そんな金剛の様子を察したのだろう。榛名はだから――と、続けるように言った。

 

 

「やはり、南雲提督は――いえ、南雲提督“達”は、“あの人”を救おうとしているのですか?」

 

 

 ――きっと、それはこの時、初めて明確に口にされたことなのだろう。金剛も、それを口にした榛名自身も、明確に意識を切り替えて、顔を見合わせた。

 

「こっちの提督とそっちの提督――決して、単なる師弟関係を築くために手を取り合ったわけでは無いのデース」

 

「そうですよね……結局のところ、こちらの提督にそれをする“利点”は結局無いわけですし」

 

 それは、当たり前といえば当たり前のことなのだ。南雲提督と山口提督は、現在師弟関係のような形で連携を取り合っている。

 だが、それは山口の心情を考えれば些か不自然だ。そして、そもそも“彼女”と親密であった加賀が、まさか南雲満の味方をするだろうか。しかも、南雲機動部隊に配属されるなど、状況がそれを許しても、加賀の心がそれを許すかどうか。

 

 だというのに加賀は言った。――気にしていない。満と加賀の関係は、彼女が沈んだ時からだ。

 

 山口と、加賀と、南雲満――三者を結びつけたのは、ある一つの目的だったのだろう。それがそう、彼女――南雲満の想い人を救うということ。

 

「提督に、フォトグラフは見せてもらいました。……時は来たのだと思います」

 

「――救えるのでしょうか」

 

「……考えはある、と。であるなら、きっと救えないことはないと思いマース」

 

 二人は、そうして会話を一度中断させた。――それから金剛は何度か口を開こうとして、そのたびに失敗させた。

 大きく何度も深呼吸をして、ようやく次を口元から運び出した時には、すでに数分も時間が立っていた。

 

「私は――あの人を救いたい。たとえそれがどれだけ自分を苦しめるとしても。だから榛名……」

 

 一拍。

 

 

「――私に、力を貸して下さい」

 

 

 言葉とともに漏れだした何か。榛名は金剛の顔を見ることはしなかった。ただただ俯いて、何かをこらえるように――一言、ハイ、とだけ答えた。



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『23 決戦』

 別に、南雲満の事を責め立てるつもりは加賀には無かった。そもそも、その時は轟沈した親友の事で頭がいっぱいで、彼女を轟沈させた提督のことなど一切意識を向け用もなかった。

 

 嫌悪はなかったものの、それ自体は決して良いことではなく、むしろ消沈した人間は、悪意よりも無関心のほうがよっぽど心境を打つものがあったはずだ。

 だからこそ、加賀はあえて意識を向けなかったという面もある。ただ、それでも話を聞く必要があったから――加賀は南雲の元へと向かった。早朝、まだ南雲機動部隊の主力も戻らない頃のことだった。

 

 話ができるだろうか、と考えた。彼女が沈んで直ぐのことである。南雲自身、錯乱し正気ではないのではないか。

 知りもしない人間を――正確には、伝聞でしか知らない人間が、なぜ錯乱しているとかんがえるのか、自分でも解らなかった。ただ、そんな可能性もあるのだろうと思考の片隅で考えた。

 

 だが、思いの外素直に、彼は加賀を受け入れて、司令室へと通した。だがそこで、加賀は思わず目を見張る光景を見る。

 

 そこは、本来整然と清掃がなされた司令室であったのだろう。その証拠に部屋の隅の本棚にある本は、丁寧に分類がなされて置かれている。しかし、その司令室の中身は見るに耐えないものだった。

 何せそこら中にありとあらゆる資料、及び本が散乱しているのだから。

 

 デスクでは、二台ほどのパソコンが同時に稼働され、今も電源が付いたままになっている。掃除をする暇もなかったのだろう。中央のテーブルとそこに行くための道だけが周囲の雑多なモノをどけられて片付けられていた。

 ――おそらくその資料のほとんどは資料庫から持ちだされてきたのだろう。部屋の隅には、台車が一台放置されている。

 

 必要なものだけを整理して、再び作業に戻っていたのだろう、南雲満はパソコンの向こう側にいた。

 加賀が入室したのを確認し立ち上がる。――その時の満の姿が、加賀は今でも脳裏にこびりついていた。

 

 その時の彼は、激しく資料庫と司令室を行き来していたこともあってか、上着を脱ぎ捨てていた。ラフなTシャツのまま、艦娘、それも日本を代表するとは思えないほどよれよれの野暮な姿で、目には隈ができていた。加賀が彼女の轟沈を知ってからここに来るまで、すでに一日は経過している。――その間、一睡もしていないだろうことは明白だ。

 

 息を呑んだ。

 彼は、それでも何とか取り繕うとしたのだろう、薄ら笑いに近い作り笑顔で加賀を歓迎した。明らかに水分すら補給していないのではないかという枯れた声で、今にもその場に倒れそうなほど。

 

 自身の用事すら忘れ、加賀は彼に何をしているのかと問いかけた。すぐに答えは帰ってきた。

 同時、揺らめいた。もはや瞳を開けていることも億劫であったのだろう彼の眼が、見開かれた。決して正気とは思えなかった。――しかし、狂っているとも、思えなかった。

 

 

 ――あの人を救う方法を探している。いいところに来た、手伝ってくれ。

 

 

 ――――と。

 

 

 圧倒された。

 もはや言葉すら消し去るほどの気負いに、圧倒された。だが、そこでただ呆然としている加賀ではなかった。ただし――彼女の心境は一瞬にして変化していた。

 南雲満の事をどうでもいい――? いいや、そんなことはない。“こいつ”――“彼”の力は絶対に必要不可欠だ。そしてその“彼”が言うのなら――

 

 ――轟沈した艦娘を救う方法は、今のところ存在しないわ。ただもしも、彼女に報いたいというのなら、私のいうことを聞きなさい。

 

 彼は答えた。

 

 ――君のいうことを聞くのもいいが、まずは情報をくれ。彼女を救えないことは解っている。今必要なのは君の存在ではない、君がくれる情報だ。

 

 彼は理解していた。加賀がここに来た目的を。おそらくだが、彼女が轟沈した時点でそのからくりを理解していたのであろう。

 加賀はそれに応えた。持ち込んだファイルを、パソコンを横にのけた彼の前に差し出す。中には、予てより文通を行っていた加賀が、彼女から受け取った手紙のほとんどが収められている。

 

 ただ、一枚だけこのファイルの中にはいれられていない手紙があった。本来ならば帰り際に置いて帰ろうと思っていたのだが、状況が変わった。これは、また今回の件が一段落してからだ。

 

 ――わかってはいると思うけど、彼女を救うには貴方は今の地位にしがみつく必要がある。……そのための“切り札”がここにあるわ。

 

 それが、正規空母加賀、そして南雲機動部隊司令、南雲満の初めての邂逅であった。

 ――状況はこの時を持って回り始める。ある一つの意思を共にして。

 

 

 ♪

 

 

 加賀は南雲機動部隊の仲間たち、そして北の警備府司令と共に北方海域の海にいた。目的は、北方海域に出現した敵艦隊の撃滅。――北方海域艦隊決戦。

 

 ついにその時は来た。否、“やって”来た。

 問題が起きたのだ。敵は南雲と山口が想定していた以上の戦力を出現させた。本来であれば二艦隊もあれば十分だろうという予想であった戦力が、その数割増しで襲いかかったのである。

 

 ――特殊な作戦である、北方海域艦隊決戦の要旨を説明しよう。

 まず、この艦隊決戦はひとつの艦隊で行われない。南雲機動部隊と北の警備府第一艦隊合同の作戦である。

 行うことは極単純。二艦隊が同時に出撃し、二方向から敵艦隊を襲撃、どちらか一つを敵中枢艦隊に送り届け、敵を殲滅する。

 

 ここでポイントとなるのは同時出撃という特殊なスタイルだ。本来、出撃はひとつの艦隊が行い、もしも同時に出撃する場合は、どちらかが支援のみを目的とした艦隊になるはずだ。しかし、今回の場合はそうではなく、主力級の艦隊が二つ、それぞれ敵艦隊との戦闘を目的に海域に突入するという点が特殊であり、異様である。

 

 そしてここに、今回はさらに別の事情も存在する。それは敵艦隊の漸減が作戦の主旨であるということだ。

 今回出現した敵艦隊は、南雲達の想定を超えた。よって、どうやっても二艦隊程度では敵を殲滅することが不可能である。そこで南雲達は考えた、敵を漸減し時間を稼ぐのだ。そして、こういった不測の事態に対する頼もしい味方が日本海軍にはいる。

 

 ――主力艦隊、海軍本部第一艦隊である。彼女たちを迎え入れることで、不足した戦力は、容易に補えるのである。

 

 とはいえ、彼女たちの到着には数日を要する。誰もが必要なこととは理解できるが、それでも日本海軍の顔を動かすともなれば、それ相応の根回しが必要になる。しかも今回は、ある要請が山口からなされているのだ。

 そういうわけで今回の目的は敵主力艦隊の撃滅ではない。取り巻きを徹底的に削ぎ落とすことに作戦の主眼がある。

 

 本来であれば、可能ならば敵を撃滅することも目標となるのだろうが、今回はある事情からそれはなされない。正確には、南雲や山口が求めていないのだ。

 

 かくして出撃した南雲機動部隊は、緒戦。敵の哨戒艦隊と激突した。

 重巡リ級フラグシップを主軸とした敵艦隊。とりわけ意識するのは旗艦を含めたフラグシップとエリートのリ級コンビ。

 

 しかし、的に空母郡が存在しないという事実は非常に南雲機動部隊にとっては優位を作りやすい状況であった。結果、敵艦隊は加賀と龍驤の空母コンビによって壊滅、もはや勝負にすらならなかった。

 

 途中、起死回生を狙ってかリ級二隻が龍驤を狙ったものの、反航戦では狙う時間もさして用意することはできない。さっさと龍驤の反撃を受けリ級は轟沈。勝負にすらならないのであった。

 とはいえ、それは敵が御しやすいレベルであったからだ。ここは敵の主力が集中するのである。前衛にも戦艦は存在しうる。――続く戦闘。進撃していた南雲機動部隊を待ちかねていたのは、戦艦ル級二隻を含む敵前衛艦隊。

 

 二隻だ。片方はフラグシップ、片方はエリートである。更には空母ヲ級エリートが一隻――もしも、ヲ級がフラグシップクラスであれば、敵の主力艦隊と見間違うレベル。

 

 

「――どうするの!? 空母何とかしないと戦艦に近づけないよ!」

 

 敵の艦載機はほとんどがル級の直掩機であった。敵は加賀の練度と、龍驤攻撃隊という無視できない存在を考慮してか、空で勝負をかけることはしなかった。

 島風の叫びは最もだ。敵はあくまで防衛に専念する以上、加賀達では戦艦に手出しのしようがない。

 

「上はダメです。下をなんとかして下さい」

 

「空母をってこと!? 了解!」

 

 ――加賀はあくまで言葉少なであった。それでも島風はしっかりそれを補完し、了承すると動きを見せる。

 愛宕、北上もそれに呼応した。島風は敵軽巡――どららもフラグシップである――の内、軽巡ヘ級に狙いを付ける。たとえフラグシップとはいえ、軽巡程度の装甲ならば、島風の火力でも抜ける。

 

「北上はヘ級をよろしく、愛宕はハ級エリート! そっこーでね!」

 

「ウチがサポートするから、気負わず行くんやでー!」

 

 龍驤が付け加えた。島風含む三隻が敵を討つ、その撃ち漏らしは龍驤が仕留める。かくして話はまとまった。戦艦の相手を完全に金剛へ押し付け、島風は無数の砲弾をホ級へばら撒く。

 

 連打であった。その速度で敵の砲撃を寄せ付けず、かといって自分は正確無比な射撃でホ級を追い詰める。それは北上も同様であったか。

 どちらが速いかのタイムアタックと化した砲弾の打ち合いは、やがてヘ級への直撃弾と相成った。とはいえ一発では終わらない。中破、そして続けざまの一撃で――轟沈。

 

 

「――提督ゥー!」

 

 

 金剛の悲鳴がその瞬間、轟いた。思わずそちらを向きたくなる衝動を、島風は必死に抑える。意識をかけている場合ではないのだ。――そんな余裕、どこにもない。

 

『被害は!?』

 

「小破ネー! まだまだ行けるけど、ちょっと痛いデース!」

 

 ほっと、胸をなでおろす自分が心のどこかにいた。全員がそうだろう。安堵のこもった何がしかを、その瞬間覚えたはずだ。

 

「私が金剛さんのサポートに回るわ! 空母ヲ級をお願い!」

 

 すでにハ級を轟沈していた愛宕が島風と北上に言う。二人は即座にそれにうなずき、軽く視線を交わしてそれから砲塔を回転させる。

 

 自身を狙う敵に気がついたのだろう。ヲ級の艦載機、ル級直掩の一部が島風達へ向けて飛び出す。

 だが、それを許す愛宕と金剛ではなかった。上方を飛んだ艦載機を機銃の餌食とする。元のヲ級がエリートということもあってか練度は高くはない、あっという間に火の手を上げたそれらは、ほとんどその場で四散するか、ないしは止める間もなく海の中へと消えてゆく。

 

 そして島風が、主砲と魚雷を、ぶちまけられるだけぶちまける。ヲ級はその間を右往左往し、島風は更にそれを追い立てる。直ぐに魚雷は使いきったが、十分だった。本命、北上はすでに、ヲ級へ狙いを定めている。

 ――ヲ級の元へ、北上が即座に潜り込む。狙いは単純、魚雷を絶対にはずさないためだ。加えて、そこまで行けば島風の援護はもう必要ない。

 

 結局、ヲ級が轟沈した時点で敵は連携を逸し、加賀の編隊に殲滅させられた。ル級二隻も龍驤の爆撃、及び金剛の砲撃によって海に帰った。

 金剛の小破はあったものの、全体としては大きな被害もなく、南雲機動部隊は進撃した。

 続く戦闘は激戦が予想される。――敵中枢艦隊防衛網。つまり、敵主力前の前哨戦だ。

 

 

 ♪

 

 

 南雲機動部隊。かつて、自身の相棒が名づけた艦隊に所属して、加賀は久方ぶりに実戦に出た。実のところ、彼女は最近、前線に出ることがなかったのである。

 

 これはある艦娘――現在は艦娘は休業中であるが――から、“提督にならないか”と誘われたからだ。

 何も珍しいことはない。艦娘は、特に秘書艦を経験した艦娘は提督としての業務のいくつかを受け持つことがある。これは秘書艦と提督の連携によってその内容が変わってくるのだが、とりわけ加賀は秘書艦として提督の仕事の代役を務めることが多かった。第一艦隊の提督が変更されてからは、大体秘書艦をしている。

 提督自身が老齢ということもあってか、提督としての業務のうち半分は加賀の担当である。結果、ある知り合いが言った。それが提督にならないかという提案。

 

 加賀は悩みながらも、それを受け入れた。すでに提督としての道を歩んでいたある空母艦娘の後輩として、そのうち、その空母艦娘と同様に、出撃よりも指揮をすることの方が多くなるのだろうと、ぼんやりと考えていた。

 

 よって、加賀にはそれなりのブランクがあった。――それでも、一切問題は起こらなかった。満の指揮力というのもあるのかもしれないが、それ以上にこの艦隊が、空母との連携に慣れていたということが大きいだろう。

 

 ――やはりここは、“あの人”が所属していた艦隊なのだ。鎮守府のいたるところに、その気配というものが見て取れた。

 “彼女”が作り上げ、そして満と艦娘達が育て上げた場所。

 

 改めて思う。ここは悪くない、決して悪くない居場所である、と。そして同時に――どうしてあの人は、そんな居場所からいなくなってしまったのだろう、と。

 

「……必ず、助けます」

 

 ――だから待っていて下さい。私の大切な、唯一無二の親友。

 言葉は、飲み込んでかき消した。



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『24 真実』

 差し出された手紙を、満はしげしげと見つめた。表、裏とめくり眺めて、そうしてその筆跡から、手紙を書いたのが誰であるのか、直ぐに察した。

 

「これはまさか――?」

 

 そのとおりだと、それを差し出した主――加賀はいつもどおりのクールな無表情で頷いた。現在二人は日本海軍本部にある艦娘寮。その中の加賀の私室だ。話に他者を介したくないということで、二人きりでここにいるのだ。

 長門か陸奥あたりに見られれば、何を言ってからかわれるか解ったものではないわけだが、致し方がないと加賀は嘆息した。

 

「その通りです。……“あれ”を見たのであれば知っていると思いますが、私とあの人はあの人が貴方の艦隊に配属されてから、こうして文通を続けてきました」

 

 その目的は、電子媒体ではない方法で、ある事実を加賀に伝えるためのものであったのだが――

 

「これはつまり、そういった目的で書かれていない手紙、ということか? ……彼女がそんなものを書くのか?」

 

 満の言うことはいささか彼女に失礼であるかのように思える。しかし、実際そうなのだ、あくまで彼女は必要なことを必要なだけしかしない。

 例外があるとすれば、それは食事のことである。

 

「……私もそう思います。ですが、それでも実際に、あの人は一度だけ――この一通だけ、本来書く必要のないことを書いている。不思議に思ったのだけれども、その意図は当時は意識できなかったの」

 

 赤城の手紙はあくまで自然体であったから、彼女が沈むまで一つの事実に気がつくことができなかったように、この手紙が異質であることも、気がつくことはできなかったのだ。

 

「手紙の内容事態は、それの一つ前の手紙に対する返答だった。けれども、これひとつを単体で見た場合、ある事実を彼女は語っている」

 

「……事実?」

 

「読めば解るわ」

 

 ――加賀は、そうとしか語らなかった。手紙を自分で読み返すこともなく、ただ味気なく満に渡して、それっきりであった。その時は満も、加賀のそういった態度を訝しんでいたのであるが、結論から言えば、それは決して無理からぬことであったのだ。

 

 問題は“彼女”の手紙にあった。内容が内容だったのだ。加賀は読み返したくもないだろう。――とはいえそれは決して悪い意味ではなく、ある純然たる、特殊な理由からくるものだった。

 

 加賀と別れ、一人その手紙を読んだ時、満はいやというほどそれを理解することになる。ただし、彼の反応は加賀とは違い、――時折、何かがあるたびにその手紙を開き、見返し、意識を整えるために使った。

 ――要するに、そういう内容なのだ。加賀は、読み返すたびに気恥ずかしい内容に悶絶するのであった。

 

 

 ♪

 

 

「ウェイ」

 

 金剛の口元から、ふと意図せず言葉がこぼれ落ちた。

 

「ウェイウェイ」

 

 それはすかさず、彼女らしい言葉の羅列に変わり、彼女の感情を非常にわかりやすく表した。――無理もない、その光景は金剛でなくとも――金剛ですら、狼狽してしまう光景であるのだから。

 

 

「ウェイウェイウェイウェイ! ちょっと待ってくだサーイ! 戦艦四隻は何が何でもあんまりデース!」

 

 

 そう、そうであるのだ。

 敵中枢艦隊防衛網へと到達した南雲機動部隊を待ち受けていたのは、戦艦ル級。フラフシップ級二隻、エリート級二隻、系四隻。そして僚艦には軽巡ホ級と駆逐ハ級。それぞれフラグシップ。

 その威容は、かのミッドウェイ海戦とは言わずとも、並の海戦ではそれ自体が主力といえるほどの戦力であった。カスガダマの戦力を鑑みても、こちらのほうがよっぽど脅威なのである。

 

 装甲空母鬼は一隻の超弩級艦であるが、こちらは四隻の弩級艦。たとえ性能差があろうと、数で勝るのであればこちらのほうがよっぽどまずい。何せ即大破級の攻撃が弾幕となって襲ってくるのだ。

 金剛と榛名の二人がかりで抑えていたカスガダマ海戦とはわけが違う。最悪、全員大破で帰還し、資源を湯水のごとく浪費することも考え無くてはならない。

 

『とにかく、高火力攻撃の機会ある金剛、加賀、龍驤の三人を他の艦が守るんだ。おそらく今回はここで撤退だろうから後の事は考えなくてもいい、夜戦まで考慮に入れて敵艦隊を殲滅しろ!』

 

「無茶……でもないですよね。やらないと、次来た時が困るんだから」

 

 島風が、気を取り直すように満の指示に同意する。

 

「最悪私が盾になる。金剛は絶対に死守! 龍驤と加賀は……まぁ守れるだけ守って!」

 

 金剛は夜戦にも絶大な火力を持ちうる戦艦だ。対して空母である龍驤、加賀の両名は夜戦には参加できない。島風が多少おざなりになるのもそれはそれで道理で、むしろ、夜戦可能な艦を守るという意味で、戦闘後半には彼女たちが被害担当艦になる必要もある。

 

 要はバランス。戦況の揺れ動きによって生まれる役割の変更を、各々の艦娘が正確に見極める必要があった。

 あまりに難物のように思える。全体の戦局すら把握が難しい状態になるだろうことは必至、しかし求められるのはその更にもう一つ上の段階、戦局を掌握しながら“負ける”必要がある。

 

 正確には勝利だ。しかし、全力で一切余力を残すこと無くここで戦うことは、間違いなく島風達の負けなのである。

 それでも、やるしかないのだ。今回の目的は、その敗北なのだから。

 

 敵艦隊を圧倒し屈服させることは簡単だ。しかし、そこに全力を尽くしてしまえば、島風達は“落とし所”が作れなくなる。ただ勝利することよりも、“より良く負ける”ことの方が困難なのは、戦争の歴史が語っている。何せ、相手も自分も納得できる条件を作る必要があるのだから。

 

「全艦、行くよ! まずはここを何とかする!」

 

 空に浮かんだ龍驤と加賀の航空機。北上から飛び出した甲標的。そして砲塔を回転させ的に狙いを付ける島風達。

 状況は、彼女の言葉の直後、――一斉に動き始めた時間を持って、めまぐるしく変動を始める。

 

 北上の雷撃は駆逐ハ級へと向かった。――直前に、軽巡ホ級が空爆によって中破に追い込まれている。そしてハ級も北上によって沈められる。互いに一直線に並んだ艦隊。その姿が、開始早々変化を見せたのであった。

 

 同航戦である。島風と、敵旗艦戦艦ル級フラグシップの視線が交錯した。黄色の光を伴う敵に意思と思えるものはなく、島風は即座に視線を外し、意識を敵の戦力そのものへ向けた。

 

 ――砲撃戦が始まる。金剛の砲弾が連続して炸裂し、そしてそのまま敵ル級へと降り注ぐ。うち、一つが直撃、ラッキーパンチであった。しかし所詮は単なる幸運。敵ル級の主砲がひとつひしゃげるにとどまる。

 敵の砲撃が始まったと見ると、島風は明確に船体を傾け、全体を先導しながら通常以上の速度で敵艦隊に接近する。

 

 理由は簡単、ル級の砲撃は砲撃戦が開始した時点で飛んできているのである。――どれだけ近づこうと、襲いかかる砲弾の数にさほど変化はないのである。

 

 敵ル級に先んじる形で、愛宕の砲弾が中破のホ級へ襲いかかった。直撃、そして海へと還る。これで敵は四隻。――しかし、実態は決して島風達の優勢とはいえないのである。残る四隻はすべて戦艦、たかだか軽巡駆逐を葬った所で、敵の戦力に変化などないのである。

 

 幾つもの弾丸が行き交った。――狙いは、金剛へと集中していた。先の直撃もあるだろうが、戦艦の砲撃は敵にとっても致命的、その程度ならば深海棲艦とて解る。

 

 一瞬、島風の視界が揺らめく、向けられた先は、金剛を挟んで、加賀。――それを察知した加賀は瞬時に意図を理解して肯定する。

 言葉すら無く覚悟を決めた島風は、艦列を離脱、さすがに敵の砲撃が無視できない距離まで接近する。超至近。お互いに狙われれば直撃は免れない。

 

 それを承知のうえで、島風は敵の砲撃を引きつけようとした。敵としても島風は無視できない位置にいる。それを理解した上で、島風は更に挑発するように幾つかの砲弾を、すべてのル級に当てていった。

 

 どれもこれも、せいぜい敵の装甲をえぐる程度のもの、二発、三発と続けば小破にもなろうが、たかだか一発程度で、戦艦ル級の超装甲が果たしてどうにかなるものか。

 どうにもなる、はずがない。

 

 けれども、撃った。あくまでル級を引きつけるために。

 結果、弾幕は島風を蜂の巣にした。蜂の巣にするべく、襲いかかった。――一つ一つには隙間がある。直撃するのはせいぜい一発。それでも、一発は確実に受ける状況であった。

 

「――ふふん!」

 

 そこで、“待ちわびるように”島風は笑みを浮かべる。同時に、背部の魚雷発射管が、駆動音を伴って両舷に展開される。

 

 直後――爆炎が島風を襲った。熱は換装によってカットされる。それでも、異臭は彼女を襲う。衝撃は、島風に自身の中破を知らせた。

 だが、問題はない。――本命はそこにない。すでに賽は投げられた。投げたのは、自身であり、投げたものは、魚雷だ。

 

 中破の直前、島風は魚雷を全門発射。砲弾の直撃によって揺れる水面から、魚雷の雷跡は掻き消え、その行方は敵深海棲艦には視認されない。

 それでも、当たるかどうかは未知数であった。発射の直前まで敵に魚雷を察知させない必要があった。そのため、発射はかなり乱暴だ。

 

 事実、いくつかは自身の起動を勘違いし、あらぬ所で作動している。そして結局敵に直撃するものはひとつもなかった。

 しかし幸運か、はたまた数による必然か勘違いをした魚雷の一部が、敵ル級フラグシップ――僚艦の方だ、旗艦ではない――の目前で炸裂した。これにより、幾つもの破片がル級を襲い、同時に猛烈に水をかき分けて天上へと至ろうとする。

 破片そのものはル級に致命的な傷を与えることはかなわない。それでも、それらは非常にわかりやすい、ル級に対する目眩ましになる。――ル級の視界は、一つしかないのだ。

 

「――行きます」

 

 島風の後を引き継いで、加賀の航空隊が敵を襲った。機銃をがむしゃらに撃ち放っても、日本トップクラスの練度を誇る加賀の編隊を捉えられるはずもない。

 直後、加賀により、ようやく敵戦艦のうち一隻が海へと沈んだ。代償は島風の中破。しかし、最低限の代償で済んだのは確かだ。もしも大破にでもなっていたら、島風は夜戦での戦闘能力を失っていた。

 

 ――現状、島風は厳しい状況にあるものの、それでも、少しだけ戦況は南雲機動部隊に傾いた。

 そしてそれを窮地と取ったか、敵艦隊も起死回生を狙うべく金剛への砲火を集中させた。もはや敵艦を集中してどうにかしないことには押し切られると判断したか、それとも――

 

「ともかく! ……全部まとめてかかってきなサーイ! 叩き潰してあげるデース!」

 

 もはや進退は窮まった。金剛は自身のいかんともしがたい状況を理解していた。状況は終盤に差し掛かりつつある。島風等の助力を受ける時ではなくなったのだ。小破の金剛が夜戦火力を発揮するよりも、中破の島風に任せたほうが有意義である。

 ならば、わざわざ自分をかばってもらって、その後に沈められるかどうかすら解らない賭けに出るよりも、ここは――

 

「……確実に一つ、沈めマース。たとえ私がどうなろうとも……!」

 

 ――別に、轟沈するつもりはさらさら無い。どうなろうとも、大破しようとも、金剛は敵艦隊を道連れにする。

 

 最低でも大破。夜戦での戦闘能力を、削ぎ落とす――!

 

 直後、愛宕の砲弾が金剛の一撃で主砲を飛ばされた方の敵ル級エリートを穿った。直撃ではない、至近弾。だが、このまま放置する訳にはいかない弾丸だ、ル級の動きが激しさをました。

 同時に愛宕へ意識を取られたのが見て取れる。金剛は即座にチャンスと見た。

 愛宕は狙ってそれを為したのだろう。心のなかで彼女に礼を言って、そのまま金剛は、島風と同様に艦隊の陣形を乱す。

 

 敵の砲火は即座に集中した。島風以上に、金剛は大物だ。だが、金剛も敵を“喰う”つもりで接近を選んだ。ル級と、刺し違えるのだ。

 

「――ファイアァ!」

 

 エリート一隻が、これで沈んだ。

 ここまで来れば、もはや戦局の大勢は明らかであった。金剛のあとに続くように龍驤の艦爆がル級エリートを狙う。機銃の掃射は苛烈であったが、加賀の編隊が敵ル級すべての対空を一瞬引き寄せ、その隙を龍驤が突いた。これで、ル級エリートが全滅。

 

 だが、ここからがル級フラグシップの大粘りであった。すでに金剛が中破したことで敵ル級を抑えるには、弾幕が明らかに足りなくなっていることもあってか、ル級は縦横無尽に砲撃を振るった。

 結果、それらは空母郡へと襲いかかる。直撃は、加賀と龍驤がそれぞれ受けた。

 

 これにより、加賀は何とか小破で持ちこたえたものの、龍驤が大破。戦闘継続能力を失った。

 

 けれども――

 

「ふぃー……間に合ったかな?」

 

 遅い。何もかもが、遅い。

 

「魚雷――全部ぶちまけちゃうからね?」

 

 最後は北上が飾った。片舷二十門。目にするだけでもその超大さが理解できるほどの過剰火力が旗艦、ル級フラグシップを襲う。

 ル級に回避の術など無かった。――ご丁寧なことに、何処をとっても北上の魚雷は、彼女に三箇所着弾するのである。

 

 島風達は、もはや完全に敵艦隊への“チェックメイト”を突きつけたのであった。

 

 

 ♪

 

 

「戦闘終了ー! さすがにやばいからこれから帰投します!」

 

『了解。因みに山口さんの所は家具箱(大)を回収したそうだ。これより帰還するとこの事』

 

 島風と満の会話。回線を通じて艦隊へとそれが伝わる。すでに疲労困憊であった島風達、互いに会話はなく、島風は気を休めるように満へと言葉を並び立てた。

 

「ここまでやれば十分ですよね。……でも、やっぱりトンデモないですよコレ」

 

『そのとおりだな、まさか僕も戦艦四隻をこの艦隊で相手取ることになるとは思わなかった』

 

 他愛もない会話。

 

 ――しかし、

 

 ――――それを遮るように、“何かが”

 

 ――――――――通り過ぎるように、

 

 

「――――サイ」

 

 

 囁いた。

 

「……ん? 何かいいました?」

 

 小首を傾げ、満及び周囲の艦娘に問いかける島風。帰ってきた答えは明瞭。

 

『何を言っているんだ?』

 

 満の言葉が総意であった。――だが、島風は確かに何かを聞いていた。少なくとも、彼女はそれを間違えない。

 

 直後、さらに“それ”は続いたのだ。

 

 

「――ゴメンナサイ」

 

 

 今度こそ、誰もがその声を聞いた。

 バッと、その場にいる艦娘すべてが一斉に声の方を向いた。無線機越し――

 

『…………、』

 

 南雲満だけが、沈黙した。――否、明確な何かをつまらせて絶句していた。彼は言葉にならない声を叫びあげているのだ。

 

「――ゴメンナサイ。――ゴメンナサイ」

 

「……どういうことですか?」

 

 目の前にいる“それ”は、明らかに人の様相ではなかった。深海棲艦と同様にも思えるが、彼女たちには彼女たちなりの“生気”というものがある。

 だが、“それ”にはない。

 

 無理もない。

 

 ――それはまさしく、島風達にとっては亡霊であった。その姿は、亡霊としか思えなかった。

 

「……おそらく、“念現象”と呼ばれるオカルト現象の一つでしょう」

 

 加賀が、明確な理由をもってそれを応えた。

 “念現象”。そも、オカルト現象とはつまり、魔術的、呪術的な“科学を伴わない”現象であり、この世界に置いては、一部の地域、一部の状況においては“一般的に”発生しうる状況だ。

 とりわけこの“念現象”は何かの思いを具現化する現象だ。その場にいない存在が、その場にいるかのように視認され、言葉を発する。大抵の場合、その言葉は意味のない何がしかの羅列であるのだが、

 

「――ゴメンナサイ。――ゴメンナサイ。――ゴメンナサイ」

 

 “それ”は明らかに、誰かに対しての謝罪を繰り返していた。

 こういった意識の具現は、無いわけではない。それを行うための魔術的な方法だって存在している。だが、この場合重要なのはそこではない。

 

 

 ――今、そこに“彼女”がいるということだ。

 

 

 彼女は、死装束とでも評すべき白の衣装に身を包み、その髪色を本来の黒から白へと変色させていた。“胸当て”はかつての黒を保っているが、それ以外はすべて、生を感じさせない白の死である。

 異質であるといえばもうひとつ。彼女の左右の肩には、明らかに“深海棲艦”と同様のものと思われる異形が存在している。バケモノのような黒と、口。さながら空母ヲ級の頭上のそれに近い。ただし形状は縦長――明らかに、飛行甲板を模したものであることが解る。

 

 瞳は、うつむき島風達には読み取れない。ただ、正気でないだろうことはとうの昔に知れていた。

 

「……そんな、嘘でしょ」

 

 島風の言葉が、うわ言のようにどこかへ漏れ、消えた。

 

「なん、何でや、なんで――」

 

 龍驤の狼狽は明らかであった。言葉も、呂律が回らないように定まらない。

 

 そんな両名が、完全に停止した。

 再起動は、その直後。

 

 島風はその名を呼んだ。いままでずっと、“あの人”だとか“彼女”だとかいう呼び方がされ続けてきた、ある一人の女性の名を。

 

 一度支えかけて、一度顔をうつむかせて、それから、睨みつけるように、怒鳴りつけるように、訳もわからず――泣き叫ぶように。

 

 ただ純粋に、呼びかけた。

 

 

「――何で、こんな所にいるの! ――――“赤城”ッッ!!」



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『25 深海』

 加賀さんへ。

 最近は随分と暑くなって参りました。決してそれが不快というわけではありませんが、今は間宮納涼祭の最中ということもあってか、氷菓子が恋しくて仕方がありません。加賀さんの所はどうでしょう。こちらは随分南に位置していることもあってか暑さはなかなか無視ができません。

 

 それでは本題ですが。前回の手紙に対する返信ということで書かせていただきます。先日おっしゃられていた我が基地の提督の話ですが。まずはどこから語りましょう。少し特殊な事情はありますけれど、それ事態は有名なので、書かなくてもいいですよね? では、まずはあの人のことを簡単ながら、あくまで主観にもとづいて語ろうと思います。彼は若い提督です。これは良い面もありますが、基本的には悪く言うと青臭いということですから、あまり良いことだけではありません。ただ、幸いな事に彼は思いの外思慮深い方です。若いながらも考えを持ち、多くの希望を持っている。決して悪い傾向ではないと思います。彼自身、どこかその幼さを理解していることもあるのでしょうが、非常に前向きな態度でこちらのいうことを聞き入れ、また取り入れ自身の知恵にしています。子を育てる、いえ、この場合は教え子を育てるというのでしょうか、ともかく新鮮な感覚です。私自身、秘書艦としてはまだまだ未熟ですからね。

 

 ですが、少し気になる点もあります。それは、彼が少しばかりまっすぐすぎる所です。これは私に対してだけではないですが、信頼の方法がとにかく直接的です。言葉がどこか気が多いというか、気を持たせすぎるような言動が目立ちます。彼を慕う艦娘は決して少なくはないですが、その分少しだけ心配です。彼を想う艦娘は気が気でなくってしょうがないのではないでしょうか。私も少し心配です。そういう意味ではないですが。

 

 客観的に見れば、彼はとても優秀な提督であると言えます。今のところ轟沈艦が無く、一流でありますし、その精神も犠牲をためらわず勝利に拘れる強い精神です。まだまだ未熟な面は多いですが、それはこれから少しずつ改善されていくことでしょう。

 

 それでは、短いながらもここで筆を置かせていただこうと思います。これとは直接関係はないですが、せっかくですのでお聞きしたいのですが、そちらの生活は如何でしょう。提督を目指す以上、普通の艦娘とは一線を画すと思います。できれば、普段の加賀さんの日常をお聞きしたいです。

 

 ――赤城。

 

 

 ♪

 

 

「……これが、赤城が書いた手紙の中で唯一、加賀への“ヒント”じゃなかった手紙なの?」

 

「あぁそうだ。……他人に見られると気恥ずかしい内容だけれどもね」

 

 夜の帳も、いよいよもってその姿を暗がりに変え、人の視界を塞いでいる。曇天ということもあってか、月明かりや星明かりが一切望めないこの夜に、外にでるのは些か意味を逸しているように思えた。

 ただ、島風も満も、なんとは無しに外にいた。司令室でするような話か、二人きりでするような話か判断に迷い、とりあえずということで外に出た。

 

「――“赤城”を、提督は救いたいんだよね?」

 

 早速、直球で島風は本題に飛び込んだ。――あの海でみた亡霊は、間違いなく赤城であった。何故あんな姿で、何故あんな所にいるのかは知らないが、察するに、どうやら今の赤城は、深海棲艦であるらしい。

 

「……そうだ」

 

 満は、一拍置いてそれを肯定した。改めて、という思いがあるのだろう。満がこうして赤城に対する思いを露わにすることは、本当に久しぶりのことであった。

 

「じゃあ応えて、“アレ”は何?」

 

「念現象だ。そしてその本体は間違いなく――深海棲艦、“赤城”だ」

 

 その時の島風には、薄々感づいていた、ある事実が脳裏をよぎっていた。深海棲艦と艦娘の関係だ。今まで、確信には至らなかったものの、島風の思考は、それが正しいのだと何度も告げた。

 

「艦娘には、艦としての記憶がある。それは別世界の戦争の歴史で、私達はそれを元に生まれてきた――どこから?」

 

「……、」

 

 満は沈黙していた。島風はすでに答えを持っているとわかっていたからだ。必要のない会話を、挟むつもりは一切なかった。

 

「――海から、だよね。私達が生まれる場所は海しか無い。そして、還る場所も“艦娘”が“艦娘”のまま生を終えるのは、海しかない」

 

 陸で一生を終えるということは、人間になるということで、艦娘は陸では一切死にようがない。生命活動事態が行われていないのだから、当然だ。

 

「じゃあ、深海棲艦がくるのは、どこから? ――それも、海。私達が何度も何度も深海棲艦を沈めても、復活するのは、海から無限にあいつらが襲ってくるから」

 

 そして、

 

「その源は、私達と同じ“別の世界”なんだ。……私のように“島風”っていう根本を持つこと無く、そして何かを守りたいという気持ちを持つこと無く生まれた存在、それが深海棲艦。……提督、答えて」

 

 一言、そこで区切った。意図せず、彼女の意識が紡ぐことを拒んだ。

 だが、それでも言った。感情を持って、その問いを言い切った。

 

 

「私達と深海棲艦は、“同じもの”なの?」

 

 

 満は、島風を見た。あくまでその意味を問いかけるように、真剣な眼差しだ。怯えはない。あくまでまっすぐ満を見ている。

 

「……そうだ」

 

 肯定した。しない理由がどこにもなかった。

 

「正確には、“そうかもしれない”だがな。日本海軍は――否、世界は、深海棲艦と艦娘の同一性を断言したわけではない」

 

 公的には、そうなっているというだけの話で、決して誰もそれ以外の可能性は考えてなどいない。ただ、内容が内容であるために、隠した上で、ある程度の予防線を配置しているのだ。

 

「そっか……そうなんだ」

 

 島風は、至極納得したように頷く。彼女には、驚愕も落胆も無かった。ただ納得していた。その程度のことだった、少なくとも島風には。

 

「じゃあもう一つ。なんでタダの怨念集合体でしか無いはずの深海棲艦は、赤城の姿を取ったの。――これってつまり、“赤城”単体が、深海棲艦になったように思えるのだけど」

 

 ――島風は、深海棲艦というものの特性をすでにほとんど理解していた。それ故に、ある疑問があったのだ。深海棲艦は無限に湧き出てくる。その根源である“何がしか”への怨嗟は、一つ一つは小さなものでしか無い。

 だからこそ、赤城という“怨念”が、一つの個体を保つことは、“ありえない”事に思える。

 

 

「そして加えて、一緒に答えて下さい。――赤城は、救えるの?」

 

 

 畳み掛けるように、島風は満を睨みつけるようにした。

 

「目処はある。結論から行けばそこだな。そしてもう一つ、あいつがこんな風に出現した原因は、だいたい二つほどの要因がある。ひとつは装甲空母鬼と同じ原理だ」

 

「空母鬼……? そもそもあれって、どういう原理で出てくるんですか?」

 

 島風の疑問は最もだ。何故、通常の命名法則を伴わない深海棲艦が存在するのか。なぜ、それらは通常の命名法則とは外れて名前が付けられるのか。

 

「原因は、装甲空母鬼はそれそのものがひとつの怨念であるために、通常の深海棲艦とは発生の方法が違うからなんだよな」

 

「え? 違うの?」

 

 そもそも、それを説明するには、この世界に怨念がやってくる方法を説明する必要がある。怨念は世界のある海の一点に存在する門のようなものから流れだし、世界中に散らばり、深海棲艦となる。要するに、海に流されることで門の中から飛び出した怨念は“散っていって”しまうのだ。

 

 かくして散ってしまった怨念のうち、幾つかの塊が各地で深海棲艦として覚醒、行動を開始する。コレ事態に明確な理由は今のところ解明されていないが、世界の原理なのだろう、というのが定説だ。とても大雑把に言ってしまえば、朝が来て、夜になるのと同じことなのである。

 だが、それらとは別に門の側には飛び出したばかりの怨念が非常に高密度で密集している。これらは基本的に一つの塊として扱われ――

 

「寄り固まった怨念が、特殊艦種、いわゆる鬼種やなんだと呼ばれる艦種を生み出すんだよ」

 

「……なんだ?」

 

「あぁそれは今は関係ない……まぁ、多分北方海域に湧いた連中が想定以上だったことは無関係じゃないから、そのうち話すけどな」

 

 閑話休題。満は続けてもう一つ、“艦娘”でもなければ“深海棲艦”でもない存在の例を上げる。この世界に辿り着いた意思でありながら、どちらに偏ることもなく、ただ生への渇望を望んだ存在。

 

 そう、

 

 

「――僕だ。艦娘でも、深海棲艦でもない、全く別の転生存在だ」

 

 

 ――南雲満のことだ。

 

「……え? ちょっと待ってくださいよ、それって!」

 

 満は、生を望んでこの世界に来た。その事実事態に島風は狼狽したのではない。その事実の“意味する所”に、気がついたのだ。

 彼は生を望み渇く。その意味は――

 

「提督の、赤城を――“大切な人を”救い出したいっていう渇望は、そこから来ているんですか?」

 

 満の姿は、とにかく前に進む提督に思えた。だが――その根底には、ある一つの心情があった。満は、――きっと誰にも吐露することはなかったのだろう。それこそ、赤城にこそ。

 ただし、彼女の場合は、そもそも赤城が生きていた時、満がその心境を自覚していなかったことにあるが。

 

「そうだ。……どうも僕は、僕にとって大切な人、仲間、友人、家族――そして“僕自身”が喪われることが、絶対に許せない人間らしい」

 

 続ける。

 

「だってそうだろう? おかしなことか? 昨日まで隣にいたはずの人が、喪われることに、その顔を見れなくなることに、――耐えられなくなることが」

 

 満は――頭上、ここ数年で被り始めた軍帽を、目元まで勢い良く押し込める。――きっとその軍帽は、彼の中に生まれた自覚であったのだろう。自身の立場、そしてやるべきことの象徴であったのだ。

 

 だから、彼は少しだけ、笑みを見せて言う。

 

 

「だから――救うことにした。あの人を」

 

 

 島風は、沈黙で応えた。それは、絶句と言い換えても同意である。

 

「話を戻そう。彼女がああなったのは、彼女の念があまりに強大であったためだ。だから、装甲空母鬼と同じように“特殊”な形で現出、そしてもしも、その念がバラバラな思いであれば、きっと霧散して彼女は消え去っていただろうな。――だが、そうならなかったのは、彼女の思いが一点に集中していたからだ」

 

 ――つまり、赤城は一つのことを、ただただ思い続けていたために、あの姿で復活を遂げたのだ。

 

「……提督は、それを確信していたの?」

 

「いくつか方法は考えていた。あいつの換装をサルベージし、それに思念を“引き戻させる”とか、な。ただ、それらが必要なく、一番単純な方法で現れたんだ。幸いなことに」

 

 前振りのように、島風は問いかけた。満は、それを何でもないように応える。続けざま――島風は、本題を切り出した。

 

「じゃあ提督は……赤城を“救いたい”の?」

 

 その意味は大きく最初の“救うつもりか”という意図とは異なっていた。島風はそれをどうしても聞かなくてはならなかった。ここ数年の満を間近で見てきたからこそ、あるひとつの意思を引き出す必要があった。

 それは、満の覚悟である。

 

「――島風」

 

 案の定、

 

 

「……僕は、希望という言葉が嫌いだ」

 

 

 満は、そう返した。

 

「僕は何かを“したい”とか、何かで“あればいい”という言葉を使わないようにしている。……他人が使うならばともかく、自分が言うことを考えると、虫唾が奔る」

 

「――提督」

 

「島風、僕は決めたんだ。勝利を得るために犠牲がいるなら、その犠牲なんてもの“踏みにじってでも”僕は――僕が決めた結末にたどり着く」

 

 いいか、と――繰り返すように、満は続けた。

 

 

「僕にあるのは、願望でも、欲望でも、希望でもない。渇望だ――飢えているんだよ、僕は」

 

 

 かつて、満には愛した人がいた。

 その人は満に多くの知識と知恵を与えた。満に多くの手助けを与えた。――わけもわからぬまま、提督という地位に付いた彼にとっては、愛した人――赤城こそが、“希望”であったのだ。

 

 

 だが、その希望は潰えた。よりにもよって、その愛した人の手によって。

 

 

 今の満には希望はない、大望はない。少年のように、ただあこがれを眺める感情はない。――ただ、自身の思いを信念とし、一人立つ男が、そこにいた。



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『26 棲艦』

 島風との話を終えて、それでも満は一人空を眺めていた。いつかこの曇天が晴れる気がして――今日は満月なのだ。できることなら、この月は眺めたい。空を見に外へ出たのに、それがこの曇天では、些か不満が募る。

 

 ふと、気配がした。誰だろうこんな時間に、一応今は消灯時間だ。満もそうではあるのだが、こんな時間に外を出歩くのは関心しない。

 

 

「司令、こんな所にいたのですね」

 

 

 一瞬瞳を細くした。この声は聞き覚えがある。ある艦娘の声だ。ただ彼女とその姉妹は思いの外声が似通っているので、判断を間違えてはいけない。

 

「……電、か?」

 

「そうですよ司令。電です!」

 

 見れば、換装を解除した見知った少女。第六駆逐隊の制服に身を包んだ電がいた。何故、とは問いかけない。問いかけても、意味は無いような気がした。

 

「……電だな?」

 

「…………? 疑り深い司令ですねぇ。あ、そうなのですよ、電なのです」

 

「それは知っているさ。……電なのか、そうか」

 

 満は感傷を持ってそれを受け入れた。もう彼は理解していた何故ここに“彼女”が姿を現したのか、その訳を。

 

「なのです」

 

 すました顔で、彼女は繰り返し言った。あくまで自分の存在を誇示するように。

 

「……、」

 

 げんなりした様子でそんな電を眺めながら、嘆息してその様子を吐き出す。もはや気に留めないことにした。今更、彼女のことなどどうでもいい。

 

「司令……ぁ、官さんはどういう方法で赤城さんを助けるおつもりですか?」

 

 単刀直入。本題に入るのは早かった。満もそれに対して、即座に問い返す。

 

「……君はどう想う?」

 

「やはり、赤城さんの全武装解除が先決であるとおもいます。深海棲艦は単純ですから、戦闘が続行できなくなった場合、手持ち無沙汰が顔に出ますからね」

 

 ――つまるところ、その間、彼女たちは外からの言葉に耳を傾ける。実証をする者がいなかったために、仮説のまま終ってはいるが、それ自体は思いの外有力な仮説だ。

 やることがなくなったために、思考回路が単純な彼女達は、他の言葉を聞くことしかやることがなくなる。他の艦がまだ生きていれば、その盾となるべく撹乱に動くのかもしれないが。

 

「全部の艦を沈めた上で、赤城さんの武装をすべて破壊します。空に飛ぶ艦載機は加賀さんに任せて、本体を中破に追い込むのは龍驤さんの仕事ですね」

 

「全体の殲滅は金剛、愛宕、北上に任せればいい。島風はそのサポートと龍驤の護衛だな。なるほど、うまく役割がまとまっている」

 

 いえいえ、と電は謙遜するようにした。満は、改めてぶり返した嘆息を隠すことはなく、更には咳払いまでして、彼女に対して呆れを伝えた。

 

「なぁ……彼女を救うに必要なのは、やはりそういうことなのか?」

 

「そういうことなの、です。赤城さんは自身未練を一切無くし、この世界における特性を利用しました。守りたいという思いから、再び“赤城”として転生するつもりでした。そのために数年間を費やし、何度も何度も自分自身に言い聞かせ、そして海へと還った」

 

 ……はず、だった。

 しかし実際にはそうはならなかった。なぜなら赤城には、言い聞かせても言い聞かせてもどうにもならない感情を抱いてしまっていたのだから。

 それも最悪なことに、自分が沈む本当に少し前に。

 

「……そうかぁ」

 

 すこしだけそっぽを向いて、暗がりとはいえ相手に伝わりかねない表情を満は押し隠した。押し隠さなくてはならなかった。

 

「未練があったから、ああいう形で赤城さんは転生しました。ですが、今の彼女は正確には提督と同様の存在、深海棲艦及び艦娘の特性を有した、“人間ではない人間”です」

 

 だからこそ、そこに付け入る隙がある。付け入る、というのは少し妙な表現ではあるが、まさしくそうなのだ。赤城の感情に生まれた隙。それがあったからこそ、彼女は人間に近い形で生まれ変わった。

 

「今は深海棲艦に近い特性ではありますが、同時に彼女には人間としての部分もある。だからこそ――彼女に言葉さえ通じれば、彼女は深海棲艦としての部分を、彼女の“人という感情”が艦娘としての部分に変換できる」

 

「――そのためには、やはり武装を解除、戦闘能力を削ぎ落とす。そうすることで、“話を聞くしか無い状況”を作る必要がある、か」

 

「そうです、そしてそこからは……提督、貴方の出番、なのです」

 

 だよなぁ――と、今度こそ浮ついた声音で、満は呟いた。直ぐに電の視線に気がついたが、即座に表情を引き締めて、話をそらすためにある質問を投げかける。

 

「……なぁ、あの人を止めることはできなかったのか?」

 

 気がついていたのであれば、止めるチャンスはあったはずなのだ。それでも止めなかったのだとしたら、何故止めなかったのか、どうしても、その“仮定”――という建前で――問いかける必要があった。

 

「……必要がないのでは? 赤城さんの選択は、赤城さんのものです。それは絶対に否定しようがないでしょう。人の思いというものは、否定できるものではないですよ」

 

「……そうした選択を“否定したい”という気持ちも」

 

「同様です」

 

 信念は、絶対に否定しようのない無敵の“芯”だ。もしもそれに相対するものがあるというのなら、それは結局全く別の信念である必要がある。

 ようは正義の反対はまた別の正義、というやつだ。信念あるものは正義でもあり悪でもある。だからこそ、その反対に成り立つのは正義でもあるし悪でもある。絶対的な正義と呼べるものが、またその逆が――一体どれだけあるというだろう。

 

 深海棲艦は世界の敵だ。世界は彼女たちを共通の悪として団結している。だが、そんな深海棲艦にも、決して悲哀というなの正義がないではない。同情というなの善がないではない。逆に、それに対する世界そのものは、無慈悲な悪とも捉えられる。

 

 

 だからこそ、否定はできない。赤城の思いを、赤城の願いを、信念なきものが、否定することは絶対にできない。

 

 

「意外といえば――意外だな。“君”は、僕とよく似ていると思っていたのに」

 

「“私”はあなたとは確かに似たもの同士ですけれど、全く鏡合わせというわけではないです。信念の違いは絶対にある。例えば、貴方は自分の結果こそが第一です」

 

 自身が考える結果を手に入れるためならば、犠牲すらもねじ伏せる。満の言葉に希望形はない。あるのはただその帰着へとたどり着く意思。

 それが南雲満がたどり着いた信念だ。希望だけを抱き続けてきた少年が、それらを捨て去って選んだ結果だ。

 

 だが、それがすべて正しいとは限らない。信念が似ているからこそ、“彼女”には解る。その違いが、近いようで正反対。言うなれば背中を合わせた者同士だからこそ解る、願いの違い。

 

「――けれども、それは基本的に短期的な、極力“希望”を排したもの。現実主義とも言えますが、貴方は超短期決戦向きなわけです。目的を簡略化することで、結果への到達を極限まで効率化する」

 

「もしも最終的な結果に辿り着いたら、燃え尽きる……ってことかな? まぁそれはそうだろうが、それなら次の目的がアレばいい。――目的がなくとも、生きていけるのが人間だ。むしろ、目的に情熱をかけるのは、人生に一瞬あればいい」

 

 ――つまらなくなるだろう。目的ばかりの人生では。人には、息抜きというものが必要なのだ。それは、まさしく道理ではある。

 

「そうです。そうですけれど、私の場合は違います。私は未来予測による次なる到達点への明確化が必要であるのだと考えています。要するに、常に次の目標を見据えるのです」

 

 対する“彼女”は、目標をどのような形であれ持ち続ける必要があると言う。それもまた、道理だ。腑抜けた人間が行き着くところは破滅か、虚無か、どちらにせよ刺激的とは言いがたい。

 

 ――両者の意見はそこに平行線を敷いた。どちらに譲るでもなく、そこで決着がついたのである。相対する以上、必要であれば譲らない。そもそも、譲る必要すら感じられない。あくまで考えなのだから。――付きあわせて揺れ動く、それもまた信念であろうが、揺らがないことも、信念だ。

 

「結果のみが確定化されていればいい。そこへ行き着く経過はすべて曖昧で――流動的であるのが私です。ただ、波が個である以上、大きくその姿は変えないのですけれど」

 

 たとえ波がどれだけ激しかれども、それが“波”であるという概念は、絶対に揺らぐことはないだろう。“彼女”はそこに行き着いたのだ。それが彼女の生き様であったのだ。

 

 ――満と彼女。両者は、互いに大きな溝を感じた。単純に、絶対に相容れない経験の違い。善し悪しではなく、ただただそこに溝があるのだという実感。

 

「は――はは」

 

「ふふ……ふふふ」

 

 やがていつの間にか、満達は大いに笑い声をあげていた。楽しげに、あくまでひたすらに大笑いをした。コレ以上と無いほどで、これほどまでに無いことだった。

 

「ッハハハハ!! 本当に、楽しいな。こんなに笑ったことはいつ以来だろう。最近はずっと仕事にかかりきりだったからなぁ」

 

 それから、二人は他愛もないことを延々と歓談し続けた。語ることはいくらでもあった。一度の会話では語り尽くせないくらい。

 時間はどれほど経っただろう。長くも思えて、しかし短くも思えた。少なくとも、感覚と実際は一致していないのだろうと、満は思う。そういうものだ、と納得もしながら。

 

「なぁ――」

 

 ふと、空を見上げてかれは問いかけた。別段真剣味を帯びるわけでもなく、ただ、決してただの軽口というわけではなく。

 

「……結局、空は晴れなかったな」

 

 ずっと待っていたのに。言外にそう含ませて、未だ雲に覆われた空を眺めた。明かりのないこの鎮守府ならば、晴れていればどんな星だって望めるはずだというのに、結局星は雲に隠れたままであり、満に姿を見せてはくれない。

 

「不安ですか?」

 

「それが希望に直結するなら否と答える。直結しないのであれば、是と答えるだろうな」

 

 強情ですね――と、彼女はあくまで楽しげに笑った。もはや満も意地である。結局のところ、不安なんてものは、絶対になくなりはしないというのに。

 

「誰だって不安です。私だって、すべてがうまくいくかはやってみないと解らない。いつだって胸がドキドキでいっぱいです」

 

 たとえ自分の信念が、どれだけ正しいものだったとして、絶対に“穴”、つまり隙と呼べる部分はある。それがなければ、つまりその信念を持つものは、それこそ“神”ということになってしまう。

 だから、いつだって人は不安でしょうがない。だから、人はいつだって前を向くのだ、不安から逃れるために。

 

「それでも、一つだけ言えることがありますよ」

 

「ほう……それは何だ?」

 

「司令だって知ってるくせに、そういうことを聞くんですね。いいですよ、教えて差し上げます」

 

 電はその場から立ち上がり、満の後方へ回る。両手を広げ大にして、どこかの誰かに、どこかの空に宣言するようにする。

 

「私は、いろんな空を知っています。だから、この空の先も知っている。“七十年も”空を見上げ続けてきましたから。どんな空だって知っていますよ。――その上で、いいます」

 

 満は、少しだけ何かを言いたげにして、それからやはり諦めて足を引き寄せて振り返る。波止場の崖に足をかけていたのだ。

 

「私達は生きています。生き続けています。だから、これから先の未来を、なんとなくであるから知っている。この空のことだって、私達は知っているんです」

 

 それは、彼女の語る未来であった。理想であり、現実となる、彼女は理想主義者であった。だが、その理想は未来の予測であり、予測は、叶えられるためにある。

 

 満は曇天の空と、それによって染められた黒の水平線に背を向けて、ただ目の前にいる電を見る。そして彼女は、満とその先にある暗闇を睨みつける。

 自信たっぷりに、挑戦的な笑みを引き連れて。

 

 

「あの空は、絶対にいつか晴れるんですよ!」

 

 

 それから、

 

「――どうです? なかなかロマンチックだったでしょう。司令の悩みの大部分は消え去ったのではないですか? 目の前に丁度いい手本というものがありますからね」

 

「……ハハ、どうだろうな」

 

 そんな彼女の様子がおかしくて、満はまた笑った。今度は、彼女の方は笑わなかった。極大の自信があったのだろう。それに笑みを返されて、急に狼狽したようにして――ふと、あることを思い出す。

 

「……なのです」

 

 そんな彼女の様子が、可笑しく、そして胸に淀んでいたわだかまりの幾つかが消えたのを自覚して、満はもう一度、楽しげに声を上げるのだった。



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『27 赤城』

 島風達南雲機動部隊から少し後方。振り返れば“それ”はある。

 対深海棲艦用護衛艦。多くの“防衛網のみ”を搭載した自身を守り、要人を送り届けることにのみ特化した護衛艦である。各種科学的なレーダー、迎撃兵器の他に、魔術防壁等を完備した魔導と科学の結集である。

 今回の作戦には、ある特別な要旨があった。それが指揮官の海域突入である。これは複数艦隊の同じ指揮という問題に対し、混乱を起こさないためのもので、この護衛艦はそのために建造されたと言っても過言ではない新鋭艦であった。

 

 第一艦隊、及び南雲機動部隊の指揮官がそれぞれ乗り込んでいる。

 

「それでは、やま……じゃなかった、飛龍、長門、よろしく頼む」

 

『あぁ、問題なく任されよう』

 

『同じくですよ!』

 

 ――北の警備府司令、山口は不在だ。そもそも、彼女にこのような仰々しいものは必要ない。そしてこの北方海域艦隊決戦には、思わぬ助っ人がやってきていた。

 

 本来であれば、第一艦隊から派遣されてくるのは長門を旗艦とする水上打撃部隊。軽空母が一隻いるが、彼女の主な目的は防空だ。つまり、本格的な空母はこの海戦に参加しないはずだった。すでに南雲機動部隊に所属している加賀を除いては。

 

 だが、

 

『飛龍ー、まだー?』

 

 無線機の向こう。満もよく知らない女性の声が聞こえる。――彼女の名は蒼龍。今回、飛龍とともに北の警備府艦隊に参加する。

 ちなみに、これにより軽巡二隻は留守番だ。潜水艦が哨戒していないため残念ながら当然と言える。

 

 この海戦には、本筋とはあまり関係はないものの、それなりに意味のある事項がひとつあった。それはここ最近、出撃機会のなかった正規空母の一隻、飛龍が久方ぶりに出陣するのである。

 それもあってかかつての相棒、二航戦である蒼龍が参戦を希望した。根回しのされていないことで少しもめたが、最終的にこうして北の警備府艦隊に参画することが決定した。

 

「……改めて、頼む。僕に力を貸してくれ。――必ずあの人を救い出す。そのための力を貸してくれ」

 

 ――満はそれを、無線を切った上で言った。加賀も、飛龍も、蒼龍も、そして長門とこの戦いに第一艦隊僚艦として参加する陸奥も、赤城を救うという意思は一致している。

 とはいえ、それが海軍の意思であるとは限らない。赤城を沈めた上で、兵装だけをサルベージ、新たな“赤城”を召喚すればよいという層もいる。

 

 必要なのは既成事実。もうすでに救ってしまったという点だ。今回の作戦の結果、奇跡的に赤城を救ってしまった。そういう事実が必要なのである。そのため、赤城を救うという作戦の骨子は、極力明言をしない必要があった。

 

 

 ♪

 

 

 ――まとわりつくように、駆逐ロ級が満の乗る護衛艦に襲いかかる。島風達が撃ち漏らしたのだ。逃げた先に目についたから襲った。艦娘を優先する彼女たち深海棲艦ではあるが、海の上にあるものは、大概彼女たちの獲物だ。

 

「砲撃よーい!」

 

 この艦の艦長。四十半ばの男性が声を荒げる。こうして、海の上や何やらで、実際に働く海兵というものは、なかなか満には縁遠い存在だ。護衛艦に乗る、ということ事態が人生において初の経験である。

 そもそも、艦娘を運用する人間と、実際の船を運用する人間は、土台が別にあるのである。同じ海軍の上司と部下という関係であるが、満には彼らが自分とは全く違う世界にいるように思えてならない。

 

 そういうものなのだろう、と一人考えを締めた。実際に世界が違う以上、何を言ってもしかたがないことだ。

 

「――テー!」

 

 直後、艦が大いに震えた。さすがにそれはデカブツの砲撃といったところか、とはいえそれは実際の所は機銃のそれに近い乱打であったのだが。

 ――ミサイルなどの現代兵器もこの護衛艦は備えている。だが、大抵の場合それらが使用されることはなく、こうして機銃等で“追い返す”のがせいぜいだ。

 単純にミサイルは一発が高く付くのである。

 

 加えて――

 

 機銃がロ級に着弾した。勢い良くロ級の身体が弾かれる。しかしそれまでだ。これはたとえミサイルでも変わらない。――魔導的な処理のなされない砲弾は、どれだけ撃っても敵に対する牽制にしかなりえない。

 直後、――護衛艦に弾き飛ばされ、薙ぎ払われたロ級に、島風の砲弾が炸裂する。音を立てて船体は真っ二つ、そのまま灰燼に帰した。

 

 この違いだ。艦娘が行うすべての攻撃は深海棲艦への特効となる。その事実がある以上、護衛艦はあくまで“自身”を護衛するしかないのである。

 

 だが、それでも、

 

「っし!」

 

 艦長が、年甲斐もなくといった風にガッツポーズをする。目の前で沈んだ駆逐ロ級、その戦果を、彼は我が事のように喜んでいる。それはどの海兵も同様だ。

 

 例外は満であるが、彼の場合は間近で爆発四散したロ級の有り様に、驚愕と、若干の興奮を覚えているために、その様子に同調できないという話だ。

 だが、やがてその様子に気が付き、満はなんとなく、誇らしく思う自分を自覚せざるをえないのだった。

 

 

 ♪

 

 

 現在、三つにわかれた艦隊はそれぞれ第一艦隊が北から、そして北の警備府艦隊が南から進撃。南雲機動部隊は中央を突破する手はずである。

 これには戦略的にはもっともな、しかし結局のところ南雲機動部隊を敵中枢に送り届けるという本音のこもった理由があるわけだが、割愛する。

 

 かくして分岐した艦隊は、やがて敵主力艦隊近くにて再合流する。そして島風達は、先日の戦闘で戦艦四隻と邂逅した海域へと到達しようとしていた。

 

「加賀、敵はいるか?」

 

『……先日と同様、戦艦四隻の編成です』

 

「それは……」

 

 ――まずいな、と誰もが思った。このままでは満達がその戦艦達と会敵することになる。それはどうしたって避けたい。満には、目的がある。誰もが、その目的のために動いている。

 

「……迂回しよう。敵艦隊の周囲を迂回、戦闘を出来る限り遅延させる」

 

 よろしいのか、と周囲の海兵達が問いかけてくる。彼らは満の真意をしらない。そも、赤城があの敵の向こうにいることをしらない。

 

「戦闘の必要はある。だが、僕達が戦闘をするべきじゃない。敵中枢艦隊は偵察を聞く限りこの艦隊より弱い」

 

 ――そして、今回の艦隊で最も戦力が低いのは、間違いなく南雲機動部隊なのだ。艦隊決戦火力の高い雷巡がいるとはいえ、装甲は非常に薄い。こういった打撃力のある艦隊は非常に相性が悪いのだ。

 

 

『――なら、こちらにその相手、任せてくれない?』

 

 

 飛龍からの通信であった。割って入るように彼女は声をかける。直後――加賀の通信だ。

 

「偵察隊から報告よ、北の警備府艦隊が現在戦艦四隻を含む敵中枢艦隊防衛網と戦闘を開始とのこと」

 

「ありがたい。聞いたか、敵艦隊はスルーして敵の一番深い所に突っ込むぞ」

 

『こちら長門だ! 渦潮にまきこまれたー。どうにも抜け出せそうにないー』

 

 直後、長門からも通信が入る。どうにも棒読みが否めないが、実際に指摘されても彼女はどこ吹く風のはずだ。

 

『……っておい提督! さすがにねたふりをするのはよせ! この渦潮洒落にならん!』

 

 ――無線機から少し離れたところで怒号が聞こえた。思わず苦笑してしまう。第一艦隊の提督はかつてミッドウェイ海戦を指揮した提督の同期だ。

 この海戦前、彼には“あいつの倅を頼む”と言われた。

 彼からは、それだけであった。

 

『あぁー、南雲! 陸奥から、そして私から伝言だ』

 

『こっちも蒼龍と私から。頑張ってね、南雲提督!』

 

 同時に、二人の声はそれから唱和した示し合わせたように、

 

 

『――赤城を、頼む』

 

 

 と。

 

「あぁ、任せてくれ。僕達が必ず救う。――行くぞ島風」

 

『はい!』

 

「このまま進めば、敵艦隊の主力と激突する。……迷うなよ」

 

『今更そんなこと、言わないでよね!』

 

「あぁ――」

 

 長門達――かつてのミッドウェイ海戦を赤城とともに戦った艦娘が見送って、加賀と、そして南雲機動部隊は、ついにその時を迎える。

 

 

「――迎えに行くぞ、赤城を!」

 

 

 満の宣言。

 空は、こんなにも青く、太陽は世界に照りつけている――――

 

 

 ♪

 

 

 赤城との邂逅は、思いの外あっさりと、そして淡白であった。赤城自身に発する言葉がないのだから当然といえば当然か。

 

 かくして敵艦隊、赤城――現在の彼女は空母ヲ級フラグシップとしての特性を有しているようだ。――そして僚艦ヲ級フラグシップ、戦艦ル級フラグシップにエリート各一隻。脇には軽巡ホ級フラグシップと雷巡チ級エリートの姿もある。

 おそらくは前衛を戦艦が努め、そのサポートをこの泊地艦隊が行う、と言ったところか。全く無駄のない連携――を模しているのだろう。

 

 開始早々、北上の雷撃が敵ル級エリートへと突き刺さる。爆裂、大破直前の中破であった。――そこにすかさず二連撃。金剛の主砲がル級エリートを貫く。

 まず一隻、敵の高い打撃力を削いだ。

 

「よくやった! 金剛はル級フラグシップを抑えつけろ! 加賀が脇のヲ級をどかすまで待つか、そのまま沈めるんだ!」

 

『了解でーす!』

 

「北上は島風と同様に防空に専念! 一応こっちのことも気にかけてくれよ!」

 

『あいあいー』

 

 一度目の役割をこなした両名にすかさず指示を下し、そして満は本命の様子を見やる。空、加賀と龍驤の航空隊だ。

 

「空はどうだ!」

 

『さすがに赤城さん、制空権を譲ってくれそうにはありません。ですが――』

 

「何のために新鋭の艦戦“烈風”を二つもスロット割いて載せたと思っている。……やってしまえ! 全部叩き落としてやるんだ」

 

『……承知しています』

 

 力強い声が帰ってきた。加賀の頼もしさは、並みの艦娘ではどうやったって辿りつけないところにある。凄み、とでも呼ぶべきものだ。

 

「あぁ、必ず勝て。――愛宕!」

 

『報告しまーす。敵チ級を轟沈。今はホ級を追いかけてるわぁ』

 

 最後、愛宕には軽巡以下の掃除を頼んでいる。すでにチ級を沈めたというのは、さすが愛宕と呼ぶべき手腕であろう。舌を巻くほどではある。本当に、昔の彼女とは見違えるほど、強くなった。

 

 ――と、直後に敵の艦載機が幾つかもれて飛んでくる。護衛艦に狙いを定めたようだ。――しかし、即座に護衛艦の対空火器によって叩き落とされた。

 人間サイズの艦娘を相手にする以上、その艦載機は小粒であるのだが、人間サイドとて何も手をこまねいているわけではない。高いホーミング性能により、数機の艦載機程度では、護衛艦に近づくことすら適わない。

 

 とはいえそれが、あくまでこの艦が新造艦であるから、ということもあるのだが。

 

「……はぁ」

 

 そこまで来て、戦況は圧倒的に南雲機動部隊へ傾いていることが明白となった。敵の僚艦であるヲ級かル級、フラグシップクラスのどちらかを落とせば、確実に戦闘は収束へ向かう。――その時は、すぐそこまで来ている。

 そう、考えた時だった。

 

 

『ヲ級轟沈、やりました』

 

『ル級、仕留めてやったネー!』

 

 

 報告は、どちらも同時に訪れた。その時は来たのだ。否が応でも満は理解させられた。もはや、彼に退路など何処にもない。

 

「……さて」

 

 ――どちらに? 立ち上がったとき、そう聞かれた。返す。

 

「敵艦隊の旗艦以外の殲滅、及びすでに空中にある艦載機が撃滅されたら、敵旗艦にできるだけこの船を近づけてくれないか?」

 

 海兵たちは、おおよその事情を理解していた。さすがに、目の前にかの正規空母赤城と思しき深海棲艦がいるというのであれば、何か事情があると察するのが普通だ。

 わけは解らずとも、きっと意味が無いわけではないだろうと、それにはすかさず了承をした。

 

「……聞こえるか龍驤」

 

『はいな、空の艦載機は大体始末してるで、加賀はんが』

 

「よし。……やってやれ」

 

 もとより、そういう決定であった。赤城を中破に追い込み戦闘継続能力を逸しさせる。護衛艦が赤城に接近するためにこれが必要なことは、誰の目にも明らかである。

 予定通り、その役目は龍驤に託された。加賀ではなく、――あくまでそういう役割なのだ。最初から定められたように、この南雲機動部隊は編成されていた。

 

『……了解。待っててな、赤城はん』

 

 そして――愛宕からの報告。敵ホ級フラグシップを仕留めた。更に、加賀からの報告――艦載機は全滅した。 

 

 

 とどめは、音が満にそれを告げた。艦長室からも、爆撃によって跳ね上がった水柱はよく見えた。

 

 

 ここからが本番だ。

 満は、一度目を伏せて、それから両手で頬にカツを入れなおし、――足を外へと向ける。向かう先は――赤城の前。満が求めた、一人の女性の前。



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『28 告白(表)』

「――赤城」

 

 呼んだ。

 

「……赤城」

 

 名を、呼んだ。

 

「赤城。赤城。赤城」

 

 繰り返し、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も――何度も。

 

「赤城」

 

 確かめるように、その名を呼んだ。

 数年ぶりに呼びかけるその名は、思った以上に彼の心にしっくりと落ち着いた。――数年ぶりに見た赤城の姿は、思った以上に、昔のままであった。

 

「よかった。ここまで来て、かける言葉が出てこないんじゃないかと思ったぞ。……久しぶりだな、赤城」

 

 船の上から、海に浮かぶ赤城に目をやる。彼女は、もはや身動き一つ取らず立ち尽くしていた。ただ、目は合わせなかった。どこか俯くように、虚ろな視点を鬱屈とさせた表情とともに海へと投げていた。

 

「言ったよな。……あの戦いが終わったら、話があるって。この際だ、単刀直入に言うぞ」

 

 かつて、赤城に向けた言葉。それは思い返してみればあまりに気恥ずかしいものではあったが、もはやそれを気にする余裕は、満には無いのだった。

 

 

「好きだ、赤城」

 

 

 嘘偽りなく、あまりに飾らない一言であった。

 

 “赤城”が、ゆらりと、幽鬼のごとく生の感じられない瞳を向ける。深海棲艦のフラグシップ級に則する黄色の瞳。

 

「愛している。君と一生を共にしたいくらいに」

 

 続ける。

 

「ひと目見たとき、君の姿に見惚れ惹かれた」

 

 続ける。

 

「やがて言葉を交わして、君の心に魅惚れ惹かれた」

 

 ――続ける。

 

「君の黒髪が好きだ。君のスラリとした体躯が好きだ」

 

 ――――続ける。

 

「君の優しい声音が好きだ。君の揺れない瞳が好きだ」

 

 ――――――――続ける。

 

「君の飾らない言葉が好きだ。君の示してくれる道が好きだ」

 

 続ける。続ける。続ける。続ける。続ける。続ける。続ける。続ける。

 

「――君が僕に見せてくれたすべての表情がたまらなく愛おしい」

 

 そうして、

 

「知っているか赤城。僕は君によって導かれたんだ。君は多くのことを僕に教えてくれた。君は多くのことで僕を救ってくれた。だから――」

 

 そうして。

 

 

「君は僕の――希望だったんだ」

 

 

 一度、そこまで一息も入れず言い切った。

 

 赤城は、微動だにせず立ち尽くし、それをただ聞いていた。黄色の帯を伴った瞳が揺れる。――その光が、揺らめいたように思えた。震えるように。

 

「……」

 

 ――――

 

 沈黙であった。

 おそらく、十秒ほど。たっぷり赤城と満は視線を向け合った。満は特にそこへ意思を向けることはなく、ただ確かめるように、赤城を見た。

 そして、その瞳をゆっくりと閉じると、身を乗り出していた艦種の先から、一度身を引いて、それから大きく周囲の空気を吸い込んでゆく。

 

 そして、

 

 

「――こっちを見ろ。僕は、ここにいる!!」

 

 

 あらん限り、普段の彼からは想像もつかないほどの轟きを伴って、砲撃にすら負けないと言わんばかりの声量が、振動を生んだ。

 

 赤城は、答えること無く、ただそれを聞いていた。フラグシップを称する瞳の光が、淡く広がり、彼女の白味が刺した頬へ拡がる。

 

「僕は変わったぞ。この三年、三年だ! 三年の間、前に進み続けてきた。これは事実だ。僕の思い込みでもなんでもなければ、誰かのおべっかでもない」

 

 胸元に手を寄せて、もう片方の手を大げさに広げて、

 

「これが僕の三年だ。これが君が救った僕の姿だ。誇れ赤城。僕は、今もなおこの海に手を伸ばしている――!」

 

 一つ、そこまで言ってまた息を吐き出す。

 同時に、胸元の手を、もう片方の手と同様に広げた。

 

「なぁ……赤城、君の瞳に、世界はどんな色で映っているんだ? 僕は、どんな色で映っているんだ? ――南雲機動部隊は、どうだ?」

 

 もう一度、満は赤城の元へと身体を近づける。

 

「無だとは言わせない。モノクロだとは言わせない。セピアだとは言わせない。ありえない、ありえないんだそんなこと。でなければ、君がそんな姿になる理由がない」

 

 瞳は、絶えず赤城へと向けられている。赤城の瞳を、赤城の姿を、掴んで離さず、ずっとずっと。

 

「解っているんだろ? だから応えろ。赤城、僕の言葉に応えるんだ」

 

 ならば、赤城は――?

 

「君は――そこにいるんだろう?」

 

 満は畳み掛けるように言葉を連ねた。

 

 そして――

 

「……赤城! 僕は、君を見つけたぞ! そこにいる君を見つけたぞ! 君が迷っていることも、君が悩んでいることも。君のすべてを、君の行く末を見つけたぞ!」

 

 

 ――ようやくそこで、満は彼女に手を伸ばした。

 

 

 求めるように、言葉を重ねた。

 

「僕はここにいる! 君はそこにいる。もう、僕らを隔てるものは何もない。君の悩みも、君の迷いも、全部僕が、かき分け君の前にいる!」

 

 海の上と、海の上。

 赤城も、満も、もはやその間にあるものを認識することはできなかった。

 

「君には帰る場所がある。君が作った。僕が育てた。僕達の鎮守府に、二人で」

 

 もはや、満を引き止めるものはいなかった。

 身体をかがめて、バネのように引き絞って――

 

 

「――共に帰るぞッ!」

 

 

 島風が、思わず声を上げてその姿を見送った。

 

 加賀が、目を見開いてその光景を視界に収めた。

 

 

「僕とともに来い――――」

 

 

 そう、南雲満は、

 

 

「――赤城ィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッッッ!!」

 

 

 飛び出した。

 

 

 海へと向けて、

 

 

 ――赤城へと向けて。

 

 

 三年前、かぶると決めた軍帽が、どこかへと飛び、消え去ってゆく。

 

 

 思い切り跳躍した彼は、そのまま赤城の元へと覆いかぶさるように飛びついて――そして、抱きついてその身体を確かめる。

 

「あぁ――温かい」

 

 掻き寄せるように、その身体にしがみつく。

 

「赤城だ。君はあの時と変わらない――何一つ変わらない、僕の知っている赤城だ」

 

 ――、

 

「待たせたな、赤城。やっと君に辿り着いた。やっと――見つけた」

 

 ――――、

 

「はは、気がついているか?」

 

 

 ――――――――赤城の身体が、少しずつ、朱が増してゆく。それはまさしく、人の生きている鼓動に似ていた。生きている人の肌色に似ていた。

 

 

「君は今――」

 

 

 赤城は、今――

 

 

「泣いているんだぞ?」

 

 

 涙を、流している。

 

 

 腕が、動いた。

 

 身体が、動いた。

 

 ただ一言を伝えたかった。

 

 ただ彼の顔を見たかった。

 

 だから、

 

 

 ――赤城は、

 

 

「満さん」

 

 

 彼の名を、呼んだ。

 

 

 途端に、彼女の世界は、彼女の姿は、見違えた。

 

 ――白の髪色は烏の濡羽色。

 ――白の装束は朱と白のツーカラー。

 ――黄色を伴う白の瞳は、黒の、光が宿った瞳に変わった。

 ――黒塗りの換装も、本来の赤城のものである甲板と、矢筒へと変わる。

 

「満さん。満さん。満さん」

 

 呼んだ。

 

「……満さん」

 

 名を、呼んだ。

 

「――満さん」

 

 繰り返し、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も――何度も。

 

 そして、

 

「……ここに、いるんですね」

 

 そう、言った。

 

「その前に――」

 

 対して、

 

「――一つ、いうことがあるだろ?」

 

 僕はどっちでもいいけどな、そう続けて、そして待つ。赤城の言葉を。

 

 

「……赤城。ただいま、もどりました――!」

 

 

「…………あぁ、おかえり、赤城」

 

 

 それから二人は、寄り添うように言葉を交わす。

 

「満さん……私は、とても嫌な女です。だって、貴方を愛してしまったことを、間違いだったと、後悔していたのですから」

 

「……知った事か、赤城。僕は君を好きになったんだ。君を愛してしまったんだ。全てをもって、君の全てを愛しているんだ。今更そんなことを言ったって」

 

 もう、止まらない。満は、留まることなく、ここまで走り抜けてきたのだ。今更、赤城がそんな風に思っていたって、その愛を、止めることは絶対にない。

 

 

「――僕はもう、君を絶対に離さない」

 

 

「……はい」

 

「――――あぁ、赤城」

 

「……はい、満さん」

 

「僕はダメだな、軍人ではあっても、武人ではない」

 

「そうですね……私には、満さんは十六と少しの、幼い少年に見えます」

 

 帽子を脱いだ彼の表情は、どことなくあどけない少年に思えた。その背丈も、その顔つきも、三年前と変わっていないのだから、当然だ。

 

「あぁ……赤城、僕は君にしがみつこうとするのに、どうにも疲れてしまったみたいだ」

 

 ようやく安心したように、満の手から力が抜けた。続けて込めることは、少しばかり難しそうに思えた。

 

「ご安心を――これからは私が、ずっと貴方を支えます。共に在って、共に歩いて、貴方の隣で、ずっと……」

 

 だから、赤城は言う。

 証明のように、そっと告げた。

 

 

「――愛しています。満さん」

 

 

 ♪

 

 

 かくして、北方海域艦隊決戦は終息した。

 すべて、ぶちまけるだけぶちまけて、出せるものをすべて出しきって、――かくして赤城は――正規空母赤城として、再び満の鎮守府に所属することになった。

 

 コレ事態は満や各艦娘、そしてかの第一艦隊提督の根回しなどが合わさった結果である。そして同時に、それはある一つの事実を表しているのだ。

 

「……そういうわけだ。私達第一艦隊は後処理でもう少しこちらに残る。それにしても、本当にすごかったなアレは」

 

 長門が、呆れ気味に嘆息してみせる。ただ、その表情は明らかに会話の主、赤城をからかっていることは明白だ。

 

「――愛しています。か、私もいつか誰かに囁いてみたいものだな」

 

「……怒りますよ、長門さん」

 

「はは、馬に蹴られないうちに、私は退散するとしよう。では、一足先にハネムーンを楽しむといい」

 

 黒髪を揺らし、踵を返して右手を振って、長門はその場を後にする。去り際に残した言葉に、赤城は思わず顔を真っ赤にさせて、口をわなわなと震わせていた。

 

 

「それでは――今までありがとうございました、山口“龍飛(たつひ)”提督」

 

「ええ、こちらこそ。……南雲満提督。貴方はこれで北の警備府副司令という立場から退き、貴方の鎮守府の総司令一本に切り替わる。その意味をよく覚えておいて」

 

「……今度貴方の力を借りる時は、きっと世界の危機だと思いますよ。だからその時はよろしくお願いします」

 

「……ふふ。解っているわ、任せてよね!」

 

 山口は、その癖のあるショートヘアを風になびかせて、華やかな笑顔で満を見送る。――満と赤城は横並びだ。二人の背中には移動用の旅客機がある。山口と長門――そしてもう一人はその見送り。

 島風達はすでに旅客機へと乗り込んでいた。そして山口達も、満と赤城の元を離れる。

 

 

「では――加賀さん」

 

 

 赤城が、最後の一人の名を呼んだ。

 

「……お幸せに」

 

「――貴方も長門さんみたいなことを言うのですか!?」

 

 ぽつりと零した加賀の発言に、赤城は猛烈な反応を示してみせた。隣にいる満が、思わず吹き出してしまうほどに。

 

「……こほん」

 

 慌てて咳払いをしようとして――

 

「……っ! けほ、けほ……む、むせ」

 

「大丈夫か? 赤城」

 

 むせた。

 直ぐに満が背中を撫でて落ち着かせ、改めて、もう一度赤城は咳払いをした。

 

「そういうわけで、加賀さんはまた第一艦隊に戻るのですよね?」

 

「提督修行に戻るともいいます。第一艦隊は換装置き場でもありますから、……もしかしたら、先日の海戦が、私の最後の出撃になるかもしれません」

 

「それは無いんじゃないか? 山口提督みたく、また戦場に立つことはあるだろう。なにせ戦える提督だぞ? 戦力的にコレほど有効なカードはないだろう」

 

 それもそうかと、加賀は頷く。

 

「……そうですね。では、どうしようかしら。私は赤城に、一言こら、と怒るべきなのでしょうか」

 

「ははは、それで赤城が反省するわけないだろう。皆そうだが、大概頑固だからな」

 

 即答であった。

 ならば、加賀は腕組みをして考えこむ。

 

「そんなに悩む必要はないんじゃないか? 今、かける言葉は、そうないだろう」

 

「だから悩んでいるのよ、提督。……でも、そうね」

 

 ――どうやら決定したようだ。加賀は、居直った様子で赤城に向く。ちらりと満を見てから、改めて赤城に向き直る。

 

「……いってらっしゃい、赤城さん」

 

「――、」

 

 赤城は、一拍して。

 

 

「――いってきます」

 

 

 そう、応えた。



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『29 回顧』

 赤城が帰還した記念は、ちょうど重なった間宮納涼祭を合わせることにした。そのほうが効率的だというのが大体の意見であるし。そもそも小さな宴会を一度開いて、そのあと間宮納涼祭を迎えるよりもずっと、豪華なものにできることは火を見るより明らかだ。

 しかも、鎮守府の予算に手を付けて合法的に散財ができるのだから、効率的というよりも、あくどいというのがだいぶ正しい。

 

 満も赤城もそんなこと気にしているふうではない。とはいえ、両者ともに、この間宮納涼祭を満喫しているのではあるが。 

 どころか。

 

 間宮納涼祭は、南雲満と赤城によって、蹂躙されようとしていた。

 

「ほら赤城、おかわりだ。たくさん食べろよ!」

 

 ――勢い良く、赤城の目の前に並べられたカレーが運ばれてゆく。大盛りを、ハイペースではあるが一口一口味わうように下していく。

 大口を開けて勢い良く食べた後、その口を隠すように抑えるのが特徴的といえば特徴的だ。

 

「あ、赤城さんが! 食堂を蹂躙している!」

 

 それをちょうどやってきて見つけた暁が衝撃を受け叫ぶ。どこ吹く風で赤城は食事を堪能していた。

 

「……すごい。とてつもない早食いなのに、とてつもない大食いなのに、すごく美味しそうに見える」

 

 ちょうど第六駆逐隊が天龍、龍田を伴って食堂を訪れたのだ。戦慄の響が丁寧に解説をする。

 

「一口一口が、こちらの食欲すら引き出すほど豪快に、軽快に呑み込まれてゆく。だけれどもその表情は今にも蕩けそうなほどで、何度も何度も噛んで飲み込む。これが、赤城さん……これが、南雲機動部隊のエース!」

 

 もはや感嘆と呼んでも差支えのない表情で、雷は思わずといった様子で言葉を並び立てる。――どうやらそこで、赤城は第六駆逐隊プラス軽巡ズに気がついたようだ。

 食べている所を観察されていることにも気がついたのだろう、はっとしたように口を抑えてぷるぷる震えている。

 

 

「司令官さんを見て下さいなのです。……とっても幸せそう。食事をしている赤城さんが好きで好きでしかたがないのです!」

 

 

 ――結論は、まぁそこに行き着くだろう。

 直後、赤城がばっと立ち上がった。カレーがのった盆を両手に抱えて、明らかに頬に朱をさしてその場から逃亡を図る――!

 

「――島風!」

 

 すっと、満は右手を構えた。直後に島風がその背後に現れる。まさしく神速。音すら立てず、どことも知れぬ場所から――正確には食堂の何処ぞから――現出したのだ。

 直後指を鳴らして、彼女に是の合図をする。島風は、高速でもって赤城に飛びかかる。

 

 律儀に盆を横のテーブルに置いて、ようやく食べたカレーを飲み込んで赤城が暴れだす。

 

「止めないで下さい! 止めないで下さい!」

 

「ふふ、にがさないよー」

 

 そんな三人の様子を、天龍は嘆息気味に見遣る。

 

「……赤城と司令官はともかく、なんだって島風はあんなに楽しそうなんだ?」

 

 隣の龍田はおかしそうにそれを見て微笑んだ。いつもの彼女よりも、その顔つきは幾分か柔らかい。

 

「だって、あんな風に三人が楽しそうにするのって、本当に久しぶりじゃない? 島風だって懐かしいのよ、だってあの娘、南雲機動部隊の旗艦だし、ね?」

 

「なるほどなぁ……だったら、こうしようか」

 

 ぽん、と手を叩いて納得した天龍は、そのまま何度か手を叩いて、第六駆逐隊の面々に促すように声をかける。

 

「よし、じゃあお前らも赤城に甘えてこい、存分にだ」

 

 即座に、思いの外ノリのいい雷が飛び出した。それに釣られてか、電が続く。一拍遅れてその後に響。そして、

 

「……なんだかお子様っぽいわ」

 

 そうやってそっぽを向いていた暁も、響が赤城に向かっていったこともあってか、慌てたようにその後を追った。

 

「あはははー!」

 

「何だか楽しそうだねー」

 

 ちょうどそこに、北上がアイスを手にやってきた。コーン型のアイスを、ぺろりと下でなめとる。

 

「楽しいわよー!」

 

 ぶんぶんと暁が手を降って見せる。なんだかんだ、こういうことが一番好きなのは暁なのだ。赤城に全員でまとわりついて――ちょうどそこで、暁の身体が赤城に持ち上げられる。きゃぁ、と可愛らしい声が食堂に響いた。

 

「いやー、あたしにはついていけそうにないっすわ」

 

「……お前、まだ駆逐艦嫌い治ってなかったのかよ」

 

 ずっと島風といるものだから、治ったものだとばかり、天龍はジト目で北上を睨みつけた。

 

「いやねー、こないだ大井っちのとこ行ったんだけど。……トラウマになった」

 

「……お、おう」

 

 その顔は、生気を失っていた。何があったのか、聞くべきではないのだろう。きっと体中を蹂躙され、精魂尽き果てたのだ。

 

「でも、さすがにそのくらい小さい子と駆逐艦の娘達じゃあそもそも成長が違うかんじよ?」

 

 どうかしら、と龍田が言った。

 

「いやぁ、むしろこまっしゃくれる方がいやかな。なんだかんだ言って小学校にも上がってない頃の子どもは素直だから」

 

「……あらあら、結局北上さんも小さな娘はきらいじゃないのねー」

 

「何さ」

 

「なんでもないわぁ」

 

 からからと笑って、北上の視線から逃げるように龍田はその場を後にした。向かう先は赤城と島風と第六駆逐隊の元。

 

「……北上さん“も”ねぇ」

 

 さすがに、それ以上は何かを言う気にもならず、諦めてアイスの攻略に映る。

 

 

「――ぱんぱかぱーん」

 

 

 愛宕であった。北上にのしかかるように抱きついてくる。さながら暁たちのように、ただどちらかと言えば彼女の声音は、からかうような色が強いのだが。

 

「もう愛宕っちまで、何するのさー」

 

「うふふ、楽しそうなことは、やっぱり皆で楽しまないとね」

 

 楽しみきれてないのではないか、と。それこそ余計なお世話というものだ。――違う、北上は愛宕がそんなに良い友人でないことを思い出した。

 ようするに、愛宕は自分が楽しそうなことを楽しみたい、と言っているのだ。

 

「……はは、とりあえずご飯食べよー」

 

 すでにアイスは半ばを終えていた。コーンの台が見え始めている。それまでなめて消費していたアイスを勢い良く口の中へ放り込むと、北上はその場を後にした。

 

「皆楽しそうやねー」

 

「私もとっても楽しいデース」

 

 愛宕の元を訪れたのは、龍驤と金剛。それぞれ、この基地に所属する艦娘としては最後の到着である。手には両者共にアイスがある。龍驤のそれは、もうコーンの欠片しかないのだが。

 

「何が楽しそうって、提督が一番楽しそうやね」

 

「……ああいう提督も、素敵デース」

 

「いやいや流石にもう諦めなアカンて。金剛はんも飽きへんなー」

 

 今の金剛のパーソナリティに、満はすでに刻み込まれているのだろう。彼はもう金剛に振り向くことはない。それでもなお金剛が彼を見続けているのは、それがもはや金剛であるからだ。

 

「まぁ、恋に生き抜くっていうのは素敵な生き方だとは思うけれどね。……私は大丈夫だと思うわ、それが金剛さんの選んだことだから」

 

「……別に、うちが気にしてもしゃーないし。うちはうちで、立派なお婿さんをいつか見つけるんやけどな」

 

 もしも望むことがあるとするならば、

 ――その時、

 

「……その時、提督がお前のようなやつに龍驤はやらん。とか、言ってくれたら……それが幸せやないかな」

 

 南雲満と、南雲機動部隊の艦娘達。それぞれの思いの交差はひとつの形だけではない。

 

「それはちょっと……イメージわかないかなぁ」

 

「ま、どっちかってーとそういうのは今の第一艦隊提督はんの方なんやけどな」

 

 ――第一艦隊提督。彼はかのミッドウェイ海戦を指揮した司令の同期であり、かつて、伝説の駆逐艦、電や島風、龍驤、木曾等が所属していた艦隊の提督であった。満と同様に、龍驤にとって馴染み深い相手。

 言うなれば、満は龍驤にとって兄弟であり、かの提督は父である、と言ったところか。

 

「懐かしいなぁ。全部懐かしいわ。霧島の姐さんとか、今何してるんやろ」

 

「会いに行ってみればいいんじゃないデスカー? 過去を振り返るのも、立派な人間としての役目デース!」

 

 私も一緒に会いに行ってあげマース! と金剛は笑った。

 

「おーい、愛宕っち! 龍驤! 金剛!」

 

 と、そこに北上が踵を返したようにやってきた。後ろには、天龍と龍田、そして第六駆逐隊に島風を伴った赤城に満――ほぼすべての鎮守府における主要な人物が勢揃していた。

 

「あら、北上さん。食事はいいの?」

 

「いいの、あとで食べるしねー」

 

 なにやら満達の間で話が進んだようだ。何事かとは思うが、とはいえこれだけのメンバーが揃っているのだ、大体の予想は付く。

 

「それで、何をするのデース?」

 

「記念写真だって! 久々に撮ろうって提督が」

 

 金剛の問いかけに、島風の答えはシンプルだった。かつて、赤城がいた頃は取られていた写真。結局二枚しか無かったけれど、ともかくそれは、赤城が沈んでから今の今まで、行われてこなかったことだ。

 

「全員でうつった記念写真と、南雲機動部隊だけのもの。第二艦隊オンリーに、他にも色々条件をつけてな。写真事態はすでに頼んである決定事項だったわけだが、ま、どんな者がいいかはおいおい考えようじゃないか」

 

「おー、なっつかしいなぁ。……そういえば、思い返してみると一年前と二年前で、だいぶ変化があったんよね」

 

「……ほう、変化?」

 

 興味深げに、満は龍驤に質問をした。帰ってきたのは呆れ気味の嘆息である。

 

「あいっかわらず鈍い提督やねー。ええ? 一年目と二年目のな」

 

 そこで、龍驤はちらりと赤城を見てから、満の耳元に寄った。満が耳を傾けると、こっそりと小さな声音で教えてくれた。

 

「赤城はん。あとで見比べてみ? 立ってる位置が変わってるで。うちも赤城はんが沈んでから気がついたんやけど、あの時にはもう、赤城はんの気持ちは提督に傾いてたわけや」

 

「……へぇ」

 

 関心した様子であった。気が付きもしなかったのだろう。龍驤の言葉を変われば、満はその点に関しては今も“あいも変わらず”だ。

 

「ま、当然っちゃ当然なんやけど。だってその頃に提督のこと好きになってなかったら、いつ提督を好きになるねん」

 

「まあそれもそうだな」

 

 そうして、赤城に聞かれていたらまずいと、赤城の顔色を伺いながら龍驤から離れる。幸い、どこか訝しげではあるがその内容にまでは意識が向いていないようだ。

 

「それじゃあ行こうか皆。写真をとったら今度は全員で食べれるだけ食べよう。今日は、何をどれだけ食べていいと予算をつけているからね」

 

 ふふ、と笑む満の顔は、なんとも言えない影をともなった。周囲が、思わず零すように笑みを浮かべる。

 

「じゃあいこっか、愛宕っち」

 

「どういう風にうつろうかしら、北上さん」

 

 ――笑い合う愛宕と北上。マイペース同士、同じシンパシーによって繋がれたのであろう絆。

 

「おい、お前ら喰う前に腹空かせとけよ、今日のごちそうはマジで旨いからな」

 

「あ、私ステーキ食べたいの! 今日は朝からバイキングだけど、全然飽きないわ!」

 

 天龍が豪華に笑いながらいうと、暁がそれに反応した。そこに龍田と他の第六駆逐隊メンバーが加わり、第二艦隊は今日も和気あいあいとしている。

 

「ちょっと、金剛に龍驤、おっそーい!」

 

「いや、勝手に走りだしておそい言うてもな」

 

「でも、それが島風デース。プリーズウェイ! 今行きますよ、島風!」

 

 島風に、金剛に、龍驤。かしましい少女たちはそれぞれ自分らしい笑みを浮かべた。誰もがそうであるように、彼女たちも笑っているのだ。

 

 そして、

 

 赤城と満。二人が横に寄り添って並ぶ。

 

「……本当に、思えば遠くまで来たものだ。世界一つを超えて、更にその先に進んで、僕は君と、君たちとともにいる。――なぁ赤城」

 

「なんでしょう、満さん」

 

「皆で囲む飯は、旨いだろう。――――おかわりはいるか?」

 

 

「はい、ぜひとも」

 

 

 赤城の答えに、満は満足そうに頷いた。

 それから、ふと思い立ったのだろう。手を赤城へ差し出して――その手に生まれた感触を感じ取りながら、満は赤城を伴った。

 

 南雲機動部隊は、それぞれの歩みを共にして、前方へ、そしてその先へ歩み続ける。

 

 満と、赤城と、そして多くの艦娘と。幾つもの願い、思い、それらを引き連れた旅は、もうすぐ終わりを迎えようとしている。

 

 今はただそれが――旅の終わりが、幸福な結末であることを、願うばかりだ。



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『30 復古』

 ――これが、南雲機動部隊の総仕上げ。

 カスガダマ沖海戦最終戦である。北方海域艦隊決戦は、カスガダマから日本海軍の目を逸らす囮でもあった。というのも、本来北方海域にはあれほどの戦力が集中することは想定されていなかった。

 想定外の事が起こった原因は、間違いなくカスガダマ沖にある。深海棲艦の総意は、あの場所で何かをしたがっていたのだ。だから、そこから人類の目線を別の場所に向けさせる必要があり、その向けさせた場所が、かの北方海域であったのだ。

 

 ちょうどその場所に集結していた艦隊に、更に追加で戦力を創造し、人間サイドに必要以上の労力を要させた。

 結果、カスガダマ沖は、実質あちら側に取り返されることとなる。

 

 とはいえ、それでもあの場所に溜まっていた怨念の類は、だいぶ払ったことは事実。結局のところカスガダマでのそれは、深海棲艦側の悪あがきといる。

 

 しかし、深海棲艦の悪あがきが人類に致命を与えることなど、往々にしてよくあることだ。具体的な事例で言えば、かのミッドウェイ海戦においてタ級二隻を道連れにする形で赤城が沈めたあと、出現した敵深海棲艦は、辺りに溜まった怨念の残りカスだった。

 それでも、赤城は十分沈みうる状況をつくりだしたのだから、その悪あがきは無視できないものがある。

 

 そして同様に、このカスガダマ沖の悪あがきも、決して無視のしようがないものであった。

 

 

 命名“装甲空母姫”。鬼種の上位にあたる特殊命名法則最上位に位置する艦種。それが姫だ。

 

 

 カスガダマに突如として出現した姫種。当然、それは北方海域に日本海軍を釘付けにすることによって時間を稼ぎ、出現のための準備を整えたのだ。

 結果、そこには西方海域に座する東方艦隊の、最終形態があると目された。

 

 かくして、南雲機動部隊の長い長い戦いは、ここに終止符が打たれることとなる。この先に新たな戦いが待っているとして、それらはこの戦いには連続しない。

 手繰り寄せたカーテンコールは手のひらの上。南雲満のそばにある。

 

 

 ♪

 

 

 点在する雲と、白の陽光に照らされた青天。――空はよし。

 陽を反射して青を映す、波は決して膝元を超えることはない。――海はよし。

 ――何者も、南雲機動部隊を阻むことはかなわない。この日、彼女達は鎮守府を立つ。

 

「……それじゃあ、そっこーで勝ってきますからね、提督!」

 

 旗艦、島風。――『10cm広角連装砲』二門に、『三式水中探信儀』を装備した。主に対空火砲と対潜警戒に特化している。駆逐艦としての理想的な配分だ。

 

「スペシャルな戦果こそ、私が提督にお届けするべきプレゼンツデース!」

 

 僚艦、戦艦金剛である。ついに配備された『46cm三連装砲』と、『15.5cm三連装副砲』、そして『32号』、『14号』各種電探を装備している。

 

「ぱんぱかぱーん。南雲機動部隊出撃の日です!」

 

 重巡愛宕。『20.3cm連装砲』と『15.5副砲』、そして『三式弾』と『21号電探』を与えられていた。

 

「ま、全部あたしに任せちゃっても、いいんだよ?」

 

 重雷装艦北上。『甲標的』に島風と同じく『10cm』二門を追加兵装とした。重雷装艦としての基本兵装だけでも、十分な火力を有しているのだ。

 

「よっしゃー! ウチが大活躍したるで!」

 

 軽空母龍驤。その特徴的な装備配分は、最大スロットを除きすべてのスロットに『15.5cm副砲』、そして最大スロットには艦攻『流星改』が装備されていた。

 

 ――そして。

 

 

「正規空母赤城。出ます」

 

 

 ――兵装は、最大スロットに艦戦『烈風』。他、艦攻『流星改』及び『彗星』を装備。最小スロットには偵察機『彩雲』が搭載されていた。

 

 名を、赤城。南雲機動部隊の中核にして、象徴たる日本切っての正規空母。

 

『いいか。これが最後の戦いだ。勝て、勝利以外を僕は認めない。必ず勝って、僕のもとまで戻ってこい、いいな?』

 

 南雲満。提督である彼の言葉に、否を唱えるモノはない。

 

 ならば――

 

 

『南雲機動部隊、出撃せよ!』

 

 

 満の言葉は、無線機越しに、海の向こう決戦の地へと続いた。

 

 

 ♪

 

 

 後方には赤城。――南雲機動部隊は、久方ぶりにその感覚を思い出していた。そう、これが南雲機動部隊なのだ。

 加賀においても言えることだが、最後尾に付く空母の存在は、前方の艦娘達を後押ししてくれる。空を守るというその頼もしさのみならず、その空母が歴戦であればあるほど、艦隊は絶対感を覚えるのである。

 

 しかし、だ。

 

「ふふふ」

 

「いかが致しましたカー?」

 

 島風が楽しげに肩を揺らして、金剛が不思議そうに尋ねる。帰ってきた答えは、当然といえば当然か、赤城のことであった。

 

「昔は、ずっと赤城は心理的に手を伸ばせない場所にいるんだろうな、って思ってたんだけど、やっぱり三年って、違うんだね」

 

 ――今は、全然遠くない。赤城が、直ぐそばに感じられる。

 

「三年前の私はさ、赤城が何かをしようとしていても、気がつくことができなかった。喉元にまで来ていたのにね。何だかいやな感じを赤城に覚えていたのにね」

 

「……それは、むしろ覚える島風の方がすごいのでは? 加賀も、提督だって気が付かなかったのデースヨ?」

 

 三年前。赤城が一度沈む前、赤城の様子を不審がっていたのは、間違いなく島風だけだった。

 

「まぁそれに関してはさ、こっちも一日の長があるわけだし」

 

「オゥ……なるほどデース」

 

 思い浮かべるは一人の少女。かつての艦娘、沈みゆく親友。――島風には、赤城の姿は既視感にうつったのだろう。

 とはいえ、答えを出せなかったのだから意味は無い。その違和感というのも、龍驤は気が付かなかった、島風は気がついた。そんな少しの違いでしかない。

 

「――ともかく、さ。帰ってきたんだね、私達」

 

「そうデース。これが本来の私達、本来の南雲ですヨ?」

 

「じゃぁまぁ……」

 

 ふふん、と得意気にして、島風は続ける。

 

 

「南雲機動部隊、ここに在り……っと!」

 

 

 そして、

 ――直後。

 

「敵艦隊を発見! 旗艦フラグシップ戦艦ル級。続けて報告します。雷巡チ級二隻、軽巡ホ級、駆逐イ級二隻。すべてエリートクラスとのこと」

 

「……っし、了解! 単縦陣を取って切り込むよ! 戦艦の相手は戦艦に任せる! 私はその護衛、他は僚艦を散らすように!」

 

 すかさず島風の指揮が飛ぶ。ここ最近、この役割は島風と満の両者が行うようになっていた。ただ、今回に関しては完全に島風の裁量に任せるとのことだ。

 必要であるならともかく――少なくとも、今の南雲機動部隊に満の言葉は必要ないだろう。

 

『さぁ復古の時だ。……全力で! 敵を殲滅してやろうじゃないか!』

 

 満の声がけはその程度。

 かくして少女達は、戦闘海域へと突入する。

 

 

 ♪

 

 

 ――海の上だ。こうして戦闘にでるのは、これが三年ぶりの事になる。赤城は、自分自身が初陣をした時のことを思い出す。

 期待を持って生まれた正規空母。赤城を迎えた提督は、優しくも厳しい人だった。確かその時かけてもらった言葉は――

 

 ――必ず生きて帰って来い、だったか。

 

『――――赤城』

 

 そんなことを考えている時に限って、満からの通信が入る。あわててそれに返事をすると、満は、

 

 

『必ず“勝って”帰って来い。いいな?』

 

 

「……、」

 

 思わず、苦笑してしまった。

 赤城が惹かれたのは、こんな満だ。どんなことをしてでも生きる。ただ、その生き様は無様であってはならない。犠牲の上にでも勝利を求める獣。それがかつて赤城に語った満の目指す提督。

 

 ――赤城という艦娘の価値観を、根底から覆されたかのようだった。無理もない、彼女に今まで、そんな話をする人間はいなかった。せいぜい、間接的に彼女の父親とも言えるあの提督が語った信念を垣間見ただけ。

 知らず知らずのうちに、赤城という艦娘は思考を停止させていたのだ。だからこそ、満の言葉は衝撃でしかなかった。

 

 ただ、それでも赤城は止まれなかった。自身の思考は停止していた。それでも、それはその思考が“信念”として完成していたからだ。赤城のしようとしていたことは、結局のところ、極端な見方をすれば“圧倒的に正しい”のである。

 だれもがその信念を否定するという障害はあるものの、だ。

 

 かくして、赤城は満の言葉に返答を返す。それは、いくつもの思いが重なりあって、もうその芯を、覗き見ることはできなくなっていた。

 

「……必ずや、暁の水平線に、勝利を刻んで見せましょう!」

 

 同時、背中の矢筒から艦載機を取り出す。正確には取り出した瞬間、それは鏃を艦載機へと変じたのである。

 艦戦『烈風』。空を切り裂く南雲機動部隊の“翼”。

 

 

「第一次攻撃隊、発艦してください!」

 

 

 引き絞った弓から放たれた翼は、一瞬の滑空の後、碧の世界へ身を投げ出した。

 

 直後、後を追った『彗星』、『流星改』は一斉に編隊をなし、空は赤城の緑でうめつくされる。敵に空母はいない。――そこは赤城の独擅場だ。

 

「では……露払いと参りましょう」

 

 赤城の艦載機は猛烈な機銃に襲われた。整然とした隊列が乱れ、それぞれ思うがままに掻き消えてゆく。

 翼が斜めに傾げ、一気に高度を落とし艦攻『流星改』が突撃する。直後、その下部から魚雷が飛び出した。そして同時。気がつけば『彗星』は何処かへと掻き消え、空には『流星改』と『烈風』のみが残っていた。

 そう――直上。

 

 四散は同時であった。狙いは駆逐イ級エリート。駆逐艦では最弱であるイ級を、赤城はもはや歯牙にも欠けず、屠った。

 

 直後。北上の甲標的が敵に魚雷を叩き込む。狙う先は雷巡チ級エリート。こちらも一撃で轟沈であった。

 同航戦で相対した両者は、一瞬にしてその戦力差を倍とした。

 そも、脅威的と言える打撃力は戦艦ル級にしか存在しない以上、南雲機動部隊にとってこの前衛艦隊は、もはや振ってわいた煤の煙程でしかない。

 むせるかもしれない、その程度。

 

「ふふ、やぁってやるネー!」

 

 金剛が砲撃を轟かした。敵艦隊へ放つ超弩級クラスの艦砲射撃。弾幕の行き交いはル級周辺に、至近弾が到達したことでル級が後退し、金剛の優勢となる。

 

 島風もそのサポートに務めた。砲撃が熾烈さを増せば増すほど、金剛と島風の物量がル級を追い詰めるのだ。――やがて、小破。目に見えるダメージも増加していく。

 

 露払いも即座に完了しようとしていた。愛宕の砲撃が敵ホ級エリートを仕留める。北上との連携攻撃。チ級を牽制しつつ、理詰めのようにホ級の周辺に弾幕をばら撒き、至近弾、夾叉弾、直撃と続いた。

 残るチ級も、牽制に拠る至近弾と、そして龍驤から発艦した『流星改』の魚雷攻撃が炸裂する――!

 

「赤城はんに負けるんやないで! 見せたれど根性! やったれ大往生!」

 

 ――にぃ。三日月の笑みは、人懐っこい彼女の気風と合わさり、警戒なリズムのようにすら思えてくる。

 

「大往生は、敵さんの方なんやけどッ!」

 

 爆発。

 炎上。――そして、撃沈。飛行甲板を手にしていない右手で、引き寄せるように拳を握りしめた。

 一丁上がりだ。

 

 ――そして。

 

 

「……第二次攻撃隊、発艦はじめ」

 

 

 赤城の、第二射。

 狙いはもはや死に体と化した戦艦ル級フラグシップ。――かつて、自身を沈めたものとは別個体ではある。だが、それでも因縁の相手であることもまた確か。

 ル級フラグシップには、思いの外、嫌な思い出がいくつかあるのだ。

 

 それを踏み越えていく意味でも、赤城は弓を力一杯引き絞り、解き放つ。

 

 駆け抜けた。機銃がその後を追い、やがて機体はル級へ翻る。

 艦爆と艦攻、二つの攻撃が、ル級をまとめて襲い――直後、叩きこまれた。幾つもの黒煙が朱々と燃え盛る火災を伴い拡がる。一瞬、ル級の身体が傾いで、――そして両腕の主砲が半ば切断。引きちぎられて海へと飛び散る。

 同時に吹き出る煙はさながら彼女の血であるかのようだ。かくして、因縁の相手、ル級フラグシップは海へと消し去られた。

 

 

「……完全勝利、戦闘、終了です」

 

 

 物語る赤城の宣言。

 ――それはさながら、南雲機動部隊、復古を告げる鐘であるのかもしれない。



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『31 狙撃』

 人のようではあった。

 白の肌に、黒の装甲が融合し、交じり合い、“嵌めこまれた”かのような怪物。見るものを美しいと思わせるほどの容姿も、無骨はバケモノの黒鉄が、グチャグチャにそれを歪めて、人としての形を逸しさせていた。

 

 もはや、“それら”は人と呼ぶにはおこがましい、だが、彼女の場合、装甲空母鬼の独特な異形としての容姿以上に、“兵器に取り込まれた”感が強い。

 さながら、彼女は艦娘を飲み込んだ数多の怨念の成れの果て。

 

 

 還りたい。

 

 

 かつてのあの海へ還りたい。

 

 

 あの思いを、果たせなかった願いを果たしたい。

 

 

 ――しかし、そんな怨念共の願いは叶うことはない。願いはやがて呪いへと変じる。その呪いは、人類を苦しめる癌でしかない。

 あくまで美麗な少女にも思えるそれは、結局――人間たちの敵でしかないのだ。

 

 

 名を、装甲空母姫。人々が敵とする深海棲艦のある一つの極地点。

 

 

 南雲機動部隊が長い旅の末に行き着いた――最後の敵でもあった。

 

 

 ――そして。

 

「……なんですか、あれ」

 

 異様。装甲空母姫はもはや人としての存在を成し得ない。しかし、その装甲空母姫は想定されていたものではある。息を呑む姿ではあれ、艦娘達には覚悟があった。目の前の存在をありのままに受け入れる覚悟が。

 だからこそ、その疑問は装甲空母姫には向けられない。

 島風の問いかけは、その側を浮遊する幾つかの物体に向けられていた。

 

「……おそらくは、浮遊要塞。言うなればアレは装甲空母姫の一部といえるかと」

 

「浮遊、要塞」

 

 赤染めの白煙が、装甲空母姫を取り巻き、その“球体”を存在することを明らかにしていた。そう、球体が空に浮遊している。彼女を守る盾のように。

 

「どちらにせよ撃退以外に方法はないデース……ッ!」

 

 金剛の声が急激に窄められる。見えたのだ、装甲空母姫から、無数の艦載機が飛び立つさまを。

 

「……戦闘開始! 絶対に、物量で負ける訳にはいかない。敵は五隻……その意味を考えれば少し気は重いけれど、だからこそ、決して勝てない相手じゃない。確実に――つぶしに行こう!」

 

 敵編成――装甲空母姫及び浮遊要塞各二隻。そして駆逐ニ級エリート二隻。未確認ではあるが、おそらくは潜水ヨ級フラグシップ一隻。

 

 ――戦闘、開始である。

 

 

 ♪

 

 

 空、快晴。ならば、その空に映えるは艦載機のひこうき雲か。赤城の艦戦『烈風』がその翼をはためかせて、敵艦載機へと掴みかかり挑みかかっていく。

 挑発のように機銃が舞った。直後、敵の編隊に超高速で切り込んで行く。

 

 真っ二つにそれらは割れた。後を負う艦戦、散り散りになり、周囲を警戒しながらも艦娘たちへと飛びつく艦爆及び艦攻。中には、更に飛びかかってきた後続の赤城隊艦戦との空中戦を繰り広げるモノもいる。

 視界に収めきれぬほどの大空に、火花の混じった黒煙が雲に交わってキャンパスを鉛色に塗り替える。

 

 それらは、見上げてしまえばもはや単なるフォトグラフでしかない。別世界、島風達には、今目の前の敵がいる。

 

 だが、まずは航空戦だ。

 

「……ソナー反応なし、やっぱり、近くにはいない。遠くから狙ってるのか、無音で潜行してソナーに探知させないようにしているのか」

 

 島風の声が、冷静な観察の元に難しげにうめき声を上げる。どちらにせよ、敵潜水艦は未だその姿を見せない。

 このままもしも潜水艦を撃滅しきれず夜戦に突入した場合、当然その脅威が艦隊を襲う。夜の対潜戦闘など、まったくもって考えたくもない。

 

 だからこそ、ここで敵を撃滅する必要がある。敵は強大なれども、決して無敵の艦隊ではない。故に、今なのだ。

 

「……とにかく、今は対空してよね!」

 

 北上から声が飛んだ。島風も、それはあくまで理解している。だからこそ、こうしてソナーを展開したまま、主砲を空へと仰角を修正しているのではないか。

 すでに敵艦載機は目前にまで迫り、事態は急を要していた。猛烈な艦載機の群れ、赤城が取り逃したというのもある――見過ごすしかなかったというのが実際だ。

 

 無限ではないにしろ、おびただしいほどの黒の点。その中を駆けずり回る赤城はよくやっている。なにせ、三倍近い艦戦に対し、それでも制空権を明け渡さないのだから。

 けれどもしかし、どうにもならないものもある。

 もはや目前、窮地は艦隊を襲っていた。

 

「……てぇー!」

 

 ――虎の子の三式弾。愛宕が放つ子弾が、数多のごとく駆けまわる。幾つもの艦爆が、艦攻が、その翼をもがれ丸裸となる。

 

 さながら蜂の巣にされた艦載機達が、火の手を上げて狂い散る。降り注ぐ黒鉄の光景は、もはや躯の霰。

 さしたる成果を残せぬまま幾つもの艦載機が散り、だが艦娘達の火の手を駆け抜けるものもいた。接近、狙いは直線上――重雷装艦北上。

 

「……っまず」

 

 魚雷、一発目を躱した。

 爆雷――放たれるより先に『10cm』が炸裂、海へ帰す。

 そこへすかさず続く魚雷。あわや――奇跡的にそれは北上の目前で爆発した。魚雷の位置が浅すぎたのだ。それでも、幸運は続かない。

 

 ――次は、直上からだ。

 

「――――――――ッッッッッッ!!」

 

 

 爆破。

 

 

 北上の服が黒煙にまみれた。チリチリと身体が焼かれる感覚を感じる。みれば、魚雷艦のほとんどは使いものにならない状態で、ひしゃげている。よくもまぁ、誘爆で自身が沈まなかったものだ。

 幸運は成った。最終的に、北上は自身の命を海に沈めることはなかった。だが、彼女自慢の魚雷はもう、その用を成さなくなっている。

 

「北上さん!」

 

「――ダメ! 愛宕っちは対空に専念。なぁに大丈夫。あたしの役目はこの主砲にもある。……たとえ中破でも、露払いくらいならできるんだからさ」

 

 ――幸い、敵の僚艦は駆逐艦。たとえ中破の北上であっても、主砲が無事なら沈められる。これまた不幸中の幸いに、北上の主砲は何ら問題なく、運用が可能であるようだ。

 

「それに……」

 

 身体は軽い。船速は最大ではならずとも、まだ、動く。

 北上は、健在だ。

 

 

「あたしだって、ただでやられてやるもんか!」

 

 

 直後、爆沈。

 ――駆逐ニ級エリートであった。北上の甲標的は、この激戦の状態であっても役目を果たした。それは言葉ではなく、海戦の事実が物語っている。

 

「まぁ、北上さんはただじゃ転んでくれないわよね――ッ!」

 

 ポツリと漏らした愛宕の表情が突如歪む。ほぼ同時、島風が急速に速度を上げて状況に変化を見せた。

 

「島風ちゃん――!」

 

「わかってるって……!」

 

 雷跡であった。駆け抜けるように、島風の側を駆け抜け消える。当然、狙撃手、ヨ級フラグシップの一撃である。

 刹那の出来事であった。袖振り合うは一生の終幕か、――狙い定めたヨ級フラグシップは嫌に正確な狙撃を為した。ならばその存在は決して遠くとはいえないはずだ。

 

「……反応なし。どういうことなの!? けどまぁ、狙いから、位置は探れるはず……爆雷戦、いくよ!」

 

 即座に、島風の両舷に爆雷投射機が出現する。

 狙い定めるは、雷跡の向こう側。

 

「さぁ砲撃戦だ。――一気に近づいて近接で殴る。こっちが押し切ってやるんだから!」

 

「――オーライ! まとめて蹴散らしてやるデース!」

 

 金剛が応えた。仰角を改めて敵艦隊へとその主砲を奏で始める。敵装甲空母姫も、“空母”であることなどお構いなしの射程で持って、金剛へと“回答”を見せる。

 

「全砲門! ――ファイア!」

 

 一度、二度。すべての砲撃が一拍の間を置いて連発された。

 

 

 海が騒がしさを増す。同時に、空もまたその激戦を加速させ、混迷の一途をたどるのである。

 

「すんません! 敵に全然近づけんくて、このままやと航空隊が全滅してまう!」

 

 もはや絶体絶命。龍驤は空を駆けまわることすらできずにいた。同じ敵艦攻撃を行う艦爆に比べ、圧倒的に低空を飛行する艦攻『流星改』、その特性上、制空権の薄い現状では十二分な性能は望めない。

 八方ふさがりであった。このまま接近の手を緩めれば、間違いなく敵艦船は赤城隊をおそう。それでは駄目だ意味が無い。龍驤の役目は囮誘導。――でなければ、単なる二十四の艦載機からなる隊でしかない龍驤がこの海戦に参加する意味が無い。

 

 今また、龍驤の艦載機が海へと落ちる。すでになれたものとはいえ、墜ちて行く翼は龍驤の心を締め付ける。悲鳴を上げて、のたうちまわりたくなる衝動を必死に抑える。

 

「……ごめんなさい龍驤さん、嫌な役目を押し付けてしまうかもしれません」

 

 帰ってきた答えは、決して色よいものではない。

 赤城とて、龍驤とて解っているのだ。このままではジリ貧。空単体で敵を何とかすると考えるなら、何か一手が必要なのは確かであった。

 

「でも、今は編隊を退かせて、龍驤さんは回避行動に専念してください!」

 

 ――だが、続く言葉は龍驤の予想とは少し違った。いや、正反対と呼べるものであった。むしろ、そのほうが龍驤にとって望むべくはないのである。

 即座に、反論するべく語気を荒らげた。

 

「せやけど! そんなことしたら赤城はんの航空隊が――!」

 

「――――耐えます」

 

 即答であった。

 赤城は言うのだ。龍驤を犠牲とせず、この空の戦いを維持してみせると。艦隊を守りぬいてみせると。

 

「絶対に耐えます。龍驤さん、信じて下さい。……私から言えるのはそれだけです」

 

「……けど、」

 

 まだ、龍驤はためらった。ためらわなくてはならなかった。それは、きっと赤城の無茶であるからだ。――どうしても、それだけはさせたくなかった。

 それでも、

 

 

「――早くしなさい! 私の言うことが聞けませんか? 正規空母赤城の言葉を、貴方は無視するというの!?」

 

 

「――ッ!」

 

 反転した。振り返り、赤城を見やる。

 視線は、もはや殺意すらも混じっていた。これが――赤城の瞳だ。すべてを晒して敵を穿つ、全力全開の赤城の姿だ。

 圧倒であった。

 呼吸という概念すらが龍驤から欠如して、その姿に釘付けにされるのを感じた。だが、その瞬間は長くはなかった。せいぜい、一秒にも見たない瞬きである。

 

「……早く!」

 

 再三再四。

 赤城の言葉は強烈だった。龍驤はもはやそれを聞かない術はない。耳をふさいだ両手の隙間から、彼女は意思を叩き込んでくるのだ。もう、艦載機を退かせない理由はなかった。

 

「ごめん!」

 

 赤城の言葉に負けないほどの力を込めて叫んで、龍驤の声は海を叩いた。無線はすでに閉じていた。それなのに、島風の視線が龍驤を追っていた。

 着々と、艦載機が龍驤の元へ帰還する。

 

 かくして、ここからが正念場だ。

 赤城の艦戦『烈風』が、けたたましい駆動音を引き連れて、追いかけ回す敵艦戦を振りきった。そらに、無数の白雲が散る。

 

 

 連続三つ。金剛の周囲を装甲空母姫の砲弾が襲う。

 爆風であった。もはやただ着弾しただけのハズレ弾であるという事実がまやかしに変わるほどの威圧。理解した。この一撃は、そんじょそこらの戦艦タ級フラグシップなど、容易に凌駕しうる火力がある。

 

「シッッッ! こんなことなら、もっと提督装甲をプラスしておくのでしたネ!」

 

 もはや自分でも訳の分からない言葉を叫び回しながら、金剛の砲撃は返す刀で振り回される。一撃、二撃。

 しかし、そのどれもが至近にすら至らなかった。

 

 互いに洋上を駆けまわり、敵の輪形陣が金剛の砲撃を阻む。周囲を回転するように単縦陣で駆けまわるのは先のカスガダマ沖海戦前哨戦と同様。しかし、敵の機動力は装甲空母鬼を旗艦とする艦隊の数倍はあった。砲撃が、届かないだけではない、砲撃の先に、敵の艦隊がいてくれない。

 ――そして、浮遊要塞の砲撃である。おそらく、火力でいえば重巡程度のものはある。まちがいなく、コレを島風辺りが受けたらただでは済まない。

 

 弾幕が、無数であることは容易に理解が及ぶ。一つを潰した所で、全てを叩き潰すことにはならない。

 一度返せば、その倍の数、金剛に砲撃が向けられる。飛沫が上がった。その距離も、だんだんと至近に近づいていく。

 

 もしも、装甲空母姫の砲撃が直撃すれば、金剛ですらどうなるか解ったものではない。空が何とかしてくれるなら良いが、空は龍驤を引っ込め、完全に持久戦の構え。

 ――頼りになるのは、結局海だ。

 

 せめて、駆逐ニ級を追いかけ回す愛宕が役目を果たしてくれれば。

 せめて、潜水ヨ級を追う島風達が狙撃手の尻尾を掴んでくれれば。

 

 わからなくなる。だが、敵がそれを黙って見過ごしてくれるはずはない。――結局のところ、これは総力戦なのだ。

 敵を全滅するには、何がしかの犠牲なくては完遂されない。

 

 もはや幾度とすら分からなくなる砲撃の音をかき鳴らし、金剛は敵装甲空母姫を狙う。直後、金剛の至近に砲撃が及んだ。――おそらくは、浮遊要塞のもの。

 

 

 ――まずい。心の警鐘がすべてを持ってそれを鳴らした。

 

 

 押されている。間違いなく。島風達は――南雲機動部隊は、もはやこのままではどうにもならないほどの苦境に立たされていた。

 

 そんな彼女たちをあざ笑うかのように、スナイパーは海の底で続く魚雷の装填を終える。

 

 ――魚雷装填、よーい。

 

 見上げる空には、黒丸の月と呼ぶべきものが、浮かび上がっているのだった。



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『32 姫鬼』

 直感した。

 その瞬間、島風は即座に自身を回頭、見えた雷跡を回避する。沿うようにそれは通り過ぎ、まさしく危機一髪――肝を冷やしたのは、島風だけではないだろう。

 

 潜水ヨ級であった。そも、この場で島風を轟沈しうるのは装甲空母姫の砲撃でも、航空爆撃でもない。不意を打っての潜水艦による雷撃しかありえない。

 全体の戦況は明らかに南雲機動部隊の不利だ。しかし、島風単体を見れば、装甲空母姫の砲撃など物の数でしかない。回避にこまるものではなく、あくまで敵の潜水艦を叩き潰すことが島風の急務であるのだ。

 

 ――しかし、この雷撃でさらに状況は混迷した。

 島風は、どうにも読めない状況を歯噛みし、目前のソナーを親の敵が如く睨みつける。

 

「……なんで!?」

 

 ありえない。それならそうとソナーが告げるはずなのに。

 しかし、ソナーに反応はない。相変わらず、敵潜水艦は姿を見せない。だが、それは絶対におかしい。起こりうるはずがないのだ。

 

「今の雷跡、間違いなく“さっき”の雷撃とは別の位置から打ってきてる。――じゃあ、一体何処に潜水ヨ級がいるっていうの!? いないじゃん! これじゃあ……!」

 

「――これじゃあまるで、ただ潜水ヨ級なんて存在は“ありえない”とでも?」

 

 同じく対潜にあたっていた北上が、その言葉を引き継いで嘆息を付く。悪態でもあった。もはやありえないまでに、潜水ヨ級フラグシップは、この海域から消え失せている。

 

 存在がない。

 ――まさしく、亡霊。水底の悪鬼、艦娘を喰らう怨嗟の招き。

 

「そんなわけないじゃん。……間違いなく潜水ヨ級はこの海域にいる。でなければ、こんな正確な雷撃ありえない」

 

「――わかってる! それでも、解らないから困ってるんじゃん。それとも、北上はどこに潜水ヨ級がいるか解るっての!?」

 

「……さぁ」

 

 答えは、非常に端的であった。思わず感情を荒らげた島風が、勢い任せに爆雷を雷跡の先に投下する。

 当然、フラグシップヨ級を捉えることはかなわない。

 

「でも、検討が付かないわけじゃない」

 

「じゃあ何処に! 何処にあのバケモノスナイパーがいるっていうの!?」

 

「……ここ」

 

 ――北上が指し示したのは、真下。つまり北上の足元。今度こそ、島風の沸点を、怒りが完全に飛び越えたかと、その表情がこわばった。

 だが、予想に反し、島風は言葉ひとつ向けず、北上の足元を睨みつけている。

 

「…………」

 

「ピンと来たでしょ。まーどちらにせよ、この状況を全部ひっくり返さないことには潜水艦は仕留められない」

 

 向けた指先を今度は上空にたてて、くるくると回転させる。そして――ピッと、それを敵、装甲空母姫及び浮遊要塞につきつける。

 

「まずは、“アレ”を仕留めるよ。これは多分、他も同じことを考えてるはずだから」

 

 ――仕留められるはず、北上は、そう会話を締めくくった。

 

 

 状況に変化が見られた。愛宕の砲撃が敵駆逐艦を仕留めた。これでようやく、敵はその一翼を失ったことになる。

 

「――愛宕! 危ないネー!」

 

 直後、金剛の雄叫びであった。愛宕を狙う敵艦攻。もはや回避しきれない位置に、その魚雷がある。即座に回頭――しかしかわしきれず、愛宕の視界がぐらりと揺れた。

 それでも、

 

「……大丈夫、です。損害は軽微、小破で何とかとどまりました」

 

 愛宕は努めて冷静に言った。あくまでコレは想定内だ。無茶をすれば、空から狙われることは必至。愛宕は三式弾を装備しているのだ。敵にとっては間違いなく最悪の存在。そして、事実艦攻が無視できない位置から攻撃を仕掛けた。

 それでも愛宕は構わずニ級エリートを仕留めた。もとより、中破にまで至るダメージを貰うつもりはなかったのだ。

 

「安心しマシタ。でも、やっぱりこっちはファイアが届かないデース!」

 

「ゴメンナサイ金剛さん、私は対空に専念します」

 

 愛宕からの報告。金剛は笑んでそれに応えた。

 

「ノーノー! 問題ナッシーン! そもそも、この状況は、愛宕が対空に回っても変わらない。……根底から、全部盤上を覆さなくてはなりまセーン!」

 

 金剛の言うとおりであった。愛宕の三式弾は敵艦載機に対して有効ではある。しかし、そのあまりある数から、焼け石に水であることもまた確か。三式弾とて無限に放ち続けられるわけではない、隙間が開けば、そこから敵が風穴を広げ襲い掛かってくる。

 一進一退など、もはや言って入られないほど追い詰められた状況。突破口は、誰かの無茶以外に存在しない。

 

「――金剛さん。浮遊要塞を落として下さい。現状こちらにとって一番邪魔で、かつ排除しやすいのはあの浮遊要塞です」

 

 赤城の通信であった。砲撃の手を休めず、それでも金剛は腕組みをして思考を回転させる。ちょうど襲いかかった砲弾をやり過ごすために体を捻り、ついには身体そのものを回転させ始めた。

 

「まぁ……そっちにシャープネスがベターですか」

 

 赤城の言うことはあくまで通りだ。故に、提案としては否定のしようがない。しかし、ならば具体案は? そこに金剛は行き着いた。行き着かざるを得なかった。

 

「ふーむむ。何か考えはありマースか?」

 

「えぇ。まずですね――」

 

 かくして、赤城からの提案で、浮遊要塞二隻を沈めるための作戦が決行されることとなる。とはいえ、これで沈めるのはおそらく一隻。

 ならばもう一隻は?

 

「――ねぇ」

 

 もう一隻も、確実に仕留める必要があった。それは、声を上げた両名に、特に言える。

 

「……私達に、囮をさせてくれない?」

 

 北上が声をかけ、島風が引き継いだ。対潜警戒に当たっていた両名が、そこで手を挙げ提案したのだ。

 

 

 今だ健在の深海棲艦――装甲空母姫。そしてその護衛を務めるは、彼女の一部とも言える浮遊要塞。周囲をけたたましい音を立てて回遊し、周囲の水を跳ね上げている。

 それら浮遊要塞が交差し、そしてまた離れていく。さながら、地球の周りを回転し続ける、月であるかのようだった。

 

 島風達は、まず北上と島風が艦列を飛び出した。もはや単なる艦隊戦では戦闘が立ち行かなくなっている。それと同時に、浮遊要塞があるとはいえ、もはや一つの艦艇でしかない装甲空母姫は艦隊行動に囚われないバケモノだ。

 お互いに、教科書をかなぐり捨てて殴りあう必要がある。島風と北上はそのための遊撃だ。事実、敵の砲撃は二又に裂けた。

 

「……行くよ! 無事でいてよね!」

 

 北上は中破していた。すでに船速も最大のものは出せなくなっている。せいぜい金剛に遅れない程度しかないギリギリの高速機動。

 

「まっかせておくれー」

 

 あくまで気の抜けたのんきな声で北上は応じた。島風相手に、わざわざ真面目になってやるつもりはない、と。

 

 直後、島風が勢い良く水面を蹴りあげた。正確には、それほどの勢いで飛沫が増した。最大船速。――フルスロットルである。

 

 敵の動きは明確であった。敵は一人はぐれた北上を狙った。狙わない理由がない。彼女はまさしく獲物でしかないのだから。

 それでも、北上は回避した。空はもはや気にしている余裕はない。そこは赤城に任せるしか無い。――しかし、それがあるからこそためらわず海に北上は集中できる。それこそ南雲機動部隊が築き上げた連携というものだ。

 

 浮遊要塞二つの砲撃は北上を襲った。だが、速度を出しきれないとは思えないほどの勢いで、北上は海をかき分け、水の柱をすり抜けてゆく。

 

 同時、島風もまた水上を駆けた。船体を傾げ、身体中にその圧迫を刻みこむ。風が、己を溶かすのだ。自分自身という存在に風という概念が付加されるかのようだ。風雲であった。快速であった。

 島風は、その全速を大いに楽しんでもいる。

 

 回転――北上を見遣った。明らかに無理をしている。言い出して、止めはした。それでも止まらないだろうし、なにより島風の言葉を北上は聞こうとしない。正論が苦手というのもあるが、島風と北上の信頼は、言葉を伴っては成立しない。

 

 だから、急いだ。反転から、接近。島風は前に進んだ。後退はない。彼女の先には――装甲空母姫。

 近接する。ただ、無心。己が槍を、無意味な錆としないため。

 一閃。主砲が噴いた。激烈を持って空中を闊歩するそれは、浮遊要塞を捉える。至近であった。

 

 独楽が如く浮遊要塞が旋回する。当然、その砲撃は滞る。島風が更に近づいた。もはや肉薄とすら呼べる距離までつけていく。

 苛烈がその刹那を襲った。ありとあらゆる装甲空母姫の砲塔が島風を向いた。一発――散らすように放った。事実島風は散った。消え去るように、その場を逃げおおせた。

 

 もはや島風は無視することが能わない。浮遊要塞がそちらを向いた。あからさまに島風を睨んで、砲撃を放つ。

 周辺を低姿勢で疾駆する跡を、尾を引くようにすがった。やがてそれは島風に追いつく、彼女の身体が異様に揺らめく。ブレるようにジグザグに走行しながらも、続く砲撃を浮遊要塞へと返す。

 

 物量で後を追う浮遊要塞。反撃の島風は一発一発が異様に正確だ。そして、当たらない。数多に及ぶ弾幕を、島風はことごとく交わす。その圧倒的速力とセンスでもってだ。

 もはや彼女を蜂の巣にすることすら不可能だ。

 浮遊要塞を、完全に島風は手玉に取っていた。

 

 ――そして、その浮遊要塞を狙うものが一人。愛宕だ。北上が作り、そして島風が広げたこの隙を、絶対に逃すことはできない。

 横では、金剛が砲撃の傍ら、電探を要いた対空射撃に躍起となっている。敵の弾幕が薄くなったこともあって、愛宕は狙われることもない、それもこれも、仲間である水上艦達のおかげだ。

 

 空には空の戦いがある。海には海の、であれば、海の戦いに幕を引くのは自分だ。

 

「……すごい、島風ちゃん。こっちを気にして砲撃で相手を誘導してる。ありがとう、もう少しで照準が合うわ」

 

「島風が奮闘しているのも、北上が無理を通しているのも、ぜ~んぶ愛宕のためネ!」

 

 やっちゃえ、と金剛は言う。――最初からそのつもりだ。

 

「仰角……照準、よし。――打ち方始め」

 

 漏れでた言葉は、愛宕自身すらも信じられないほど冷たいもの。自分自身からあらゆる感情を凍りつかせたかのような、不思議な感覚だった。

 だが、悪くない。

 

 直後――鉄火が空白を激震させた。

 

 衝撃にたたきつけられた弾丸は、寸分違わず敵、浮遊要塞へと向かい着弾。すでに島風の至近弾によって多少装甲を削がれていたことも加わって、その一撃は、もはや浮遊要塞に原型を残すことすら許さなかった。

 

 そして、その仇をとるかの散った浮遊要塞の上に立つもう一つの浮遊要塞。切り返しの砲撃であった。だが、そんなもの、わざわざ貰ってやるつもりもない。

 砲撃は、どことも知れぬ場所へと掻き消えていった。

 

 

 ようやく、敵艦載機のカーテンが、和らいだことを赤城は実感した。海が浮遊要塞を落としたのだろう。それだけで直接空の敵が減るわけではないが、母艦を失った艦載機が暴走。それを仕留めるだけで、目に見えて赤城の負担は減った。

 

 だが、それでもまだ終わらない。敵の艦載機による編隊は崩せない。鉄の圧力が一方的なまでの蹂躙に転じることができないのは、やはり赤城の尽力あってのことなのだ。

 

「……龍驤さん」

 

 声を向ける。空には赤城の艦載機のみが浮かんでいる。龍驤は虎の子だ。――そして、出し惜しみをした以上、全力を解放する場所が必ずある。

 それが、ここだ。

 

「――やってしまってください!」

 

「……はいな!」

 

 風が、飛行甲板をはためかせる。龍驤の右手、勅令玉が、空中に淡い蒼の閃きを描く。するりと、上方から抜け出たヒトガタが、艦載機へと変質した。

 

 艦攻『流星改』。発艦である。

 

 

「……攻撃隊、いてもうたれぇ!」

 

 

 咆哮。

 喉を震わせ、腹の底から溢れでた龍驤の咆哮。いよいよ、その航空隊が出撃する。

 

 同時、赤城の編隊が、敵のど真ん中へと突撃してゆく。それはもはや無謀と呼ぶほかない。自身の回避など一切考えもしない、ただ敵を討ち果たすことのみを思考する。

 妖精が操る艦載機だからこそ出来る方法。艦載機でなければできない方法。捨て身の特攻であった。

 

 史実における神風特攻と同様、それは“対策されなければ”大いに意味を持つ攻撃だ。違いは、その対価に命を必要とするか否か。

 

 切り裂いた。文字通り敵編隊を。ズタズタになった艦戦が、海に散り消えてゆく。一つではない。一つに対し、赤城は二つ。

 圧倒的な消費の速度であった。もはや、一個編隊を維持するのがやっとなほどに、赤城の艦載機はすり減ってゆく。

 

 構わない、そのための龍驤だ。

 

 空中格闘戦の渦中を、龍驤の艦載機が下をすり抜け駆けてゆく。艦攻ゆえの低空飛行。必要であることと、有用性がようやくここで一致した。

 

 赤城の狙いはあまりに単純だ。まず、敵艦隊に自身の編隊で直接切り込み、挑発をして切り抜ける。追ってくるのであればよし、追ってこないのであれば反転、そして再び挑発ないしは格闘戦をして去ってゆく。

 完全な陽動である。そして、作戦の要はその陽動のみであった。単純な策ではある。どころかそれはもはや正攻法と同義。だからこそ、赤城の理念があった。それが赤城の戦い方というものだ。

 

 ――故に、龍驤が骨子だ。

 飛空艇独特の滑空のような飛行。狙うは敵、浮遊要塞残る一つ。満を持して、数多の航空魚雷が投下される。

 

 もはや退路は断たれていた。空と海、二方向に意識を取られた浮遊要塞は、もはや身動きひとつ取ることもできず――

 

 

 ――爆散した。

 

 

 そして、残るは二隻。

 未だその存在もしれぬ潜水艦ヨ級。そして――装甲空母姫。

 

 けれども、ここまで進めたのは島風と、そして北上の意思も含めてのこと。彼女たち本来の役目は、潜水ヨ級の撃滅である。――そして、そのときは来た。

 

「――一体全体、ヨ級は何処へ消えたのかって考えた時」

 

「そもそも、存在はしているんだから消えるはずもない。ならいったい何処に潜水艦はいるんでしょーねー」

 

 いることは確定している。その前提さえあれば、答えにたどり着くことはそれほど難しくはない。わざわざこんな弩級クラスの艦隊に、潜水ヨ級が存在する理由。利点と言い換えても良い。

 どこに、その在処があるか。

 

「そしてその利点こそが、ヨ級フラグシップの居場所を示してるってわけ」

 

「じゃあ、何処に言ったか……考えて、直ぐにわかったね。それは――下」

 

 北上の、下。島風の下。解説する方は解った風に言うが、それ自体はまったくもって理解の及ばないシロモノだ。

 察することができるのは、経験から答えを導き出せる赤城と、もとより奇策を得意とする愛宕くらいなもの。

 

 同時に、北上達は爆雷を投射する。――それが解答であった。

 

 ニィと、北上達が意地の悪い笑みを浮かべる。

 

 

「“浮遊要塞の下”」

 

 

 両者は同時に、そう言った。

 

 ――そう、浮遊要塞の下。ソナーは正式には『三式水中音波探信儀』、海中の音をブラウン管の機械が感知し、居場所を知らせる。

 だが、それを誤魔化すことは決して不可能ではないだろう。

 

 潜水艦ヨ級フラグシップはソナーを誤魔化すために、異音を立てて回旋する浮遊要塞の真下、それもほとんど触れるか触れないかの位置を航行していたのだろう。

 浮遊要塞はその特殊な形状の関係から、潜行している艦と接触することはありえない。だからこそ、ほとんど水面ギリギリと呼べる部分で、ソナーをごまかせる場所で、ヨ級は身を潜めることができた。

 

 ――思えば、浮遊要塞のうち一つを沈めた時、そこへ仇を取るように現れたもう一隻は、決して仇を取るために近づいたのではない、取り残された潜水ヨ級を回収するために近づいたのだ。

 そこに答えがあった。浮遊要塞という、機械の常識を根底から叩き潰すような存在在ってこその奇策。時に、人類の盲点をついて襲いかかるその戦闘方法こそ、深海棲艦が脅威として人類を脅かし続ける原動力でもあった。

 

 とはいえ、これほどの奇天烈極まりない策は、ここが“深海墓場”カスガダマ――世界と世界の交点であり、深海棲艦の“中枢”であるからこそ、生まれたものなのだろうが。

 

「だからこそ、解ったんだよねー。――あんたら人間舐めすぎじゃん?」

 

 北上の爆雷。

 ――島風の爆雷。逃げるヨ級、追い上げる爆雷。すでにソナーはヨ級を捉えていた、逃がさない、逃させはしない。

 

「奇策っていうのはね、頭のいいバカにやってこそ意味があるんだよ! 頭の悪い天才と、頭のいい天才にやったって、そんなの全然、意味ないんだから!」

 

 ヨ級が逃げるは、装甲空母姫の元。そこへ辿り着けば、また先程までのように隠れ蓑を作れると踏んだのであろう。だが、それは甘い。あまりにも甘い。

 もはや浮き彫りにされたヨ級に、逃げおおせるという選択肢はない。

 

 

「――沈め! 弱虫!」

 

 

 直後――轟沈。

 だが、ヨ級が残したものはそれだけではなかった。――装甲空母姫の視界を、爆雷の柱が覆ったのである。金剛が消え失せた。海から自身を狙える最大火力を、よりにもよって見失ったのである。

 

「フッフッフ――!」

 

 金剛は、いた。

 

 消え去った柱の跡。両者を繋ぐ道が作られていた。

 飛沫が陽の光にきらめいて、金剛の姿をいやというほど照らしだす。さながら閃光。金剛は、光を伴い“姫”を狙う――!

 

 

「ショーゥタイムネー!」

 

 

 激震。

 確実に撃ちぬいた。硝煙と、火薬の手応えが、金剛に主砲の直撃を告げた――



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『33 渦中』

「やった!?」

 

 島風の声が歓喜とともに響き渡る。装甲空母姫は煙と水の爆発にまみれた。彼女の姿を、覆い隠した。とはいえ、直撃だ。島風が飛び上がるのも無理はない。

 

「いえ、まだでしょう」

 

 だが、即座に赤城は否定した。この程度で終わる相手なら、まさか一隻で戦艦も空母も用意せずこの場に現れるはずもない。

 島風もそれに気が付き、瞳を鋭く細くした。見えてくるのは、混沌に覆われた装甲空母姫の行方。

 

 ――健在であった。

 

 明らかに装甲を煤が覆っていたものの、それでもまだ目立った損傷は見受けられない。せいぜいが小破といったところか。

 

「シット! やっぱり一発じゃこの程度ですか!」

 

 金剛が言う。手応えはあった。しかし直撃したのは一つだけ、それ以外も、至近という程ではなかったはずだ。

 だが、脅威である。直撃をものともしない、かすり傷程度であるとあざ笑うかのような、そんな様子は――畏怖すらも、抱きかねないような様相だ。

 

「でも、ここまで来たんだから、後はあいつを包囲圧殺、押し潰せば勝てる。最悪夜戦にでも持ち込んでしまえばこっちのものなんだから」

 

 それでも、最終的に行き着く所はすでに決定的だ。空も海も、もはや装甲空母姫に押しとどめる術はない。手足とも呼ぶべき浮遊要塞を失ったのだ。であるなら、彼女の終末ももはや目前と言える。

 

 ここが正念場だ。まだ気は抜けない。それでも、勝利は確実に見えている。

 だからこそ、その手のひらに力が宿る。あとは押し切るだけ、ここまでくれば、もはやこの海は南雲機動部隊のものだ。

 

「さぁ、最後の仕上げ。沈めるよ――装甲空母姫を!」

 

 艦列を離れていた島風と北上が帰還する。装甲空母姫の砲撃は、その一瞬に限っては停止していた。再装填中に砲撃を受けて手間取っているのか、空に気を取られているのか、どちらにせよ、これはチャンスだ。

 

 ――ここまで、本当に長かった。南雲機動部隊は設立し、活動し、そうしてここに、その一つの節目を迎える。彼女たちの戦いが、その旅が、ここに最初の終劇を迎えるというのだ。

 肩の荷が下りる、というわけでもないが、息を付くことができるのは確かだった。

 

「……提督?」

 

 ゆっくりと、島風達が動き出す。空の殲滅はもはや時間の問題。装甲空母姫も、決して無敵の装甲を有してはいない。島風達が牽制し、金剛の主砲と、赤城ないしは龍驤の攻撃で、戦闘は終了する。

 その一瞬、提督はなにかを告げるかと島風は考えたのだが、開いているはずの通信から言葉はない。

 

『――――』

 

 沈黙、していた。

 首を傾げながらも、砲塔は回転させる。狙いは空母姫。――狙いよし、打ち方準備、いつでも完了だ。

 

「……テー!」

 

 宣言。そして――

 

 

『……ッ! 全員後退しろ! “呑み込まれる”ぞ――!』

 

 

 直後、満の声。

 疑問に思う暇すら無く、島風達は理解した。視界に映る光景が、否が応でも理解を及ばさせたのだ。

 

「――かいとぉっっっ!」

 

 島風の喚声。だが、遅い。

 

 

 そして、あまりにもいともたやすく、小さな円を指で“引き伸ばすように”――渦が装甲空母姫を、覆った。

 

 

 渦潮である。突如としてそれが周囲を多い現出した。

 

『――おかしいとは思ってたんだ。こいつらは間違いなくミッドウェイクラスの戦略的意味があるはずなんだ。それが、単なる姫種ひとつで終わるはずがない』

 

 無線機の向こうから愕然とした風の満の声が響く。ただその口調だけは饒舌で、すらすらと言葉を絞り出していく。

 

『深海棲艦が、いびつな形で――それこそあの浮遊要塞のように、“艦艇”としてですらなく出現している。それが、莫大な勢いを伴って海中で渦を作っているんだろう』

 

 怨嗟、深海棲艦の源流であるそれが、周囲には湯水の如く散らばっている。それらは、さながら水槽に染み込んだ墨のように、辺りへ散って広がっていく。後は、それらが深海棲艦の一部として現出、盛大に海をかき回せばいい。

 

 当然、ほとんど沈没しているようなものだから、それらは直ぐに機能を停止する。だがここはカスガダマ、“墓場”と呼ばれるほどの怨念が固まっている場所。

 補給ならば、無限と呼べるほど存在している。

 

 さながらそれは――

 

 

『――世界を破壊する怨嗟の渦』

 

 

 世界を、破壊する。

 満の言葉が、島風達に衝撃を与えた。今も装甲空母姫の渦潮は猛烈な速度で広がっている、すでに島風達は巻き込まれた。――もしもこれが、際限なく世界に広がり続けるのだとしたら。

 

「提督……何が、戦略級? こんなの、それこそ世界そのものを何とかしかねないじゃない!」

 

 誰がそんなものを予想できただろう。深海棲艦は人類の敵だ。しかし、人類の生存を脅かしているわけではない。あくまで、処理に難儀する害獣でしかないはずなのだ。

 それが、世界を破壊する? ――笑わせるな、それでは本当に、深海棲艦が人類の天敵となるではないか。

 

『おそらくだけど、あの装甲空母姫こそがそれを行っているんだ。これは世界そのものに甚大な影響を与えかねない。――だが、その根源はあくまで“アレ”なんだよ』

 

「――なんで、何のために!」

 

『――決まっているだろう。……僕達に、負けたくなんかないからだ』

 

 絶句した。

 そんなことのために、世界は脅威にさらされなければならない? ふざけるな、それこそ絶対に、認められるはずがない。

 

「……全員! 状況を報告!」

 

 島風は、比較的無事であった。最速で四十ノットを越す出力は伊達ではない。しかも軽い船体はさほど大きなエネルギーを渦潮から受けない。

 それは金剛も同様だ。

 

「こっちは問題ナッシーンです!」

 

 彼女の場合、莫大な重量を要する船体を動かすだけの出力が、ほとんど無傷で維持されている。島風とは対照的ではあるが、問題はない。

 

「こちらもです」

 

 そして、赤城にも言えることだ。金剛と同様、船体を前に進めるための出力は、そこらの巡洋艦をはるかに上回る。

 だが、問題があった。

 

「……こっちは、大丈夫じゃないです」

 

 愛宕だ。小破している彼女は、おそらく機関にもダメージが言っているのだろう。このまま行けば、間違いなく海へと呑み込まれる。

 だが、それよりも窮地に立たされている者もいる。当然それは、

 

「っっぐ、ぅぅぅううううううううううッッッ!」

 

 北上だ。もはや返答すらできないほど、彼女はその船体を揺さぶっていた。中破して、さらには浮遊要塞を沈める囮として無茶までした。――その船体に及ぶダメージは、計り知れない。

 だが、もう一人、この場に問題がある者もいた。

 

「こっち、全然アカン!」

 

 ――龍驤だ。

 彼女の場合、その船体が問題なのだ。非常に特殊な構造をしている彼女の船体は、大きな揺れに非常に弱い。渦潮に巻き込まれれば、何とか船体を維持することがやっとだ。しかしそれでも、大きく身体がブレ、飛行甲板がどこかへ飛んでいってしまいそうなほどだ。

 

 凶報は、止まらない。

 

 

「……新たな艦載機、多数――発艦は装甲空母姫から!」

 

 

 赤城が金切り声を上げた。もはや彼女ですら、この場では平静を保ててはいなかった。否、耐えてはいた、しかしいつ、何によって決壊するかもわからないほど、彼女は――そして南雲機動部隊は危うい立ち位置にいる。

 

「……と、とにかく! ウチの艦載機はまたしまう。このままやと、こっちは完全に全滅や!」

 

「ですが、そんな体勢で着艦など無謀です! 一体何機海に沈むか――」

 

 赤城が反論した。龍驤の言うことは最もであるが、それでも、そもそもその着艦事態が不可能では、どうすることもできないのだ。

 

「それでも! このままやと、あの艦載機等全部が燃料切れてまう。もう時間がないねん! 全部海に沈むくらいやったら、回収出来るだけ、するしかないやん!」

 

 そうなのだ。龍驤の艦載機はすでに燃料が乏しくなっていた。これでは、もはや空に浮かび続けていることすら危うい。

 ならば、ここは一度艦載機を飛行甲板にしまわないければならない。

 

 それ以上は赤城も言葉は挟みようがなかった。進退は窮まっている。渦潮がもたらす圧迫が、赤城の身体を苛み続けていた。――今はいいかもしれない、しかしいずれ、これに呑み込まれたら――

 

「それだけは、沈むのだけは絶対にノーセンキュー! とにかく、やるしかありまセーン」

 

「――でも、どうやって! こっちは渦潮のせいで録に砲撃すらできないんだよ?」

 

 そう、そうなのだ。現在出力をこの渦に対応させるために全力を傾けて入るが、もはやあまりに猛烈である振動により、照準すら島風達は合わせられないのだ。

 だというのに敵の砲撃は今も続いている。もはや敵の砲撃が直撃することは時間の問題。刻一刻と、その瞬間は近づいているのだ。

 

「……金剛さん、まさか貴方は――!」

 

「赤城、金剛は一体何を……って、ちょっとまって、金剛が何かするつもりなの!?」

 

 赤城の言葉、それに反応してようやく、島風は合点が行った。金剛のしようとしていること、その意味を理解せざるを得なかったのだ。

 

「今この状況を打開しうる方法はおおまかに三つ。一つは赤城もしくは龍驤がエアーから装甲空母姫を沈める事」

 

「……ごめんなさい、それは不可能です」

 

 ――現状、敵の全空力が空にあった。もはや出し惜しみはないということだろう。それは先ほどまで浮遊要塞を併せて赤城を抑えていた時とほぼ同様。つまり、実質的に空の支配は敵にあるということだ。

 押し込まれないことだけが、せめてもの幸運。

 そして龍驤もまた、揺れる船体を相手に苦闘を続けている。空は、完全に機能を停止していると言って間違いはないのである。

 

 だからこそ、この場で動きを見せることができるのは、二人だけ。

 

「だったら――だったら私が何とかする! 接近して敵を撃つ、それくらい、この島風ならいくらだって」

 

「……でも、火力が足りまセーン。見ていたでしょう? 相手はこちらの全力ファイアを喰らっても、まだピンピンなのデスよ?」

 

「それでも、それだって――!」

 

 島風は、実に惜しい。彼女であればこの渦潮であっても自由に動きまわる事ができるだろう。渦潮の流れにのれば、砲撃だって可能だ。

 だが火力が足りない。島風では装甲空母姫を落とすには至らない。

 

 攻めて後一発。空からでもいい、海からでもいい、装甲空母姫に直撃を与えていれば――

 

 だが、言っても遅い。それはナンセンスというべきものだ。

 

「――やってやります。この私が、戦艦金剛が――装甲空母姫を道連れにしてでも」

 

 となれば、残るは金剛――空母姫をどうにかできるのは、もはや彼女しかいないのだ。

 確かに、砲撃はできないかもしれない。しかし、流れに乗ってしまえば、流れに逆らうことをやめてしまえば。

 ――自由に砲塔も、照準も合わせることができるのだ。

 

 そして後は、それを叩きつければいい。超至近まで接近し敵を討つ。渦潮の流れで通常以上の速度を生み出す金剛ならば、不可能ということはないだろう。

 だが、だからこそ――

 

「無茶だよ! だってそんなことしたら金剛が――」

 

「――心配ナッシーン! 私は沈みません。この心に、燃え続ける愛がある限り!」

 

 もしも、失敗すれば、その時は金剛は確実に沈む。もはやどうやったって手の施しようもないほど完全に、海の藻屑とかして消える。

 そうでなくとも、この渦潮の中で砲撃が可能な距離まで接近すれば、相手の着弾による余波がある。それが金剛を襲えば、ただで済むとは限らない。

 

「それに。……もうこれしかありません。話をしている暇はない。だから」

 

 金剛は、無線をそこで切った。相手からの通信を遮断して、自身も肉声のみで周囲に声を伝えて――伝わるはずもない距離なのに、それでも金剛の意図は、読み取れた。

 

 

 ――提督に、愛していますと、伝えて下さい。

 

 

 そして彼女の姿は――渦潮に呑まれ、消えてゆく。掻き消えると言ってよいほどの速度で、金剛はその場を離脱した。

 

「――ッ! 金剛――――!」

 

 叫びは、しかし彼女には届かない。島風が手を伸ばす。当然のようにその先には金剛がいて、手は虚空を空振って――そんな彼女たちを引き裂くように、装甲空母姫の砲弾が、両者の中央に突き刺さった。

 

 ――激烈な水の勢いの先に金剛が消え去ってゆく。

 

 けれども、それだけですべてが終わることはなかった。

 

 

「――ぁっ」

 

 

 北上の、声だった。

 

「――北上さん!?」

 

「……ごめん、愛宕っち、提督、皆――」

 

 

 爆音。

 

 

「あたしもう、持ちそうにないや」

 

 

 ついに耐えかねた機関が、爆発。そして炎上。中破で踏みとどまっていた北上は、しかし自身の負荷によって大破へと至った。これではもう、満足に機関を動かすこともできない。

 爆炎の先――北上が、もはや立っていることすらままならず、ゆっくりと倒れ伏していく。

 

「あ、あぁ……あぁぁああああああああああああ!!」

 

 動き出したい。今にも身体をそちらへ向けたい。そんな愛宕の姿を、渦潮が引き止めた。身動き一つままならず、愛宕はそれを見送るしか無い。

 ただ、のばそうとした手は異様に細く感じられた。愛宕には、驚くほど北上の姿が――小さく見えた。

 

 そして――

 

 もう一人。

 

 

「龍驤さん――!」

 

 

 赤城の絶叫。

 押し込めきれなかった。赤城が敵艦載機を自身の艦隊へと向かわせてしまった。それだけではない。気がついた――今、装甲空母姫の砲塔が向いている先にいる艦娘を。

 

 そう、龍驤だ。

 

 未だ着艦に苦しむ彼女を、奈落の底へと突き落とすべく、砲塔が、そして敵艦載機が向けられている。

 

「……あかん、アカンて」

 

 解った。解ってしまった、もはやそれは、避けようがない対処しようがない。

 

 

 ――金剛が、死を覚悟して前に進んだ。

 

 

 ――北上が、耐え切れず船体を爆破炎上した。

 

 

 ――龍驤が、どうしようもない状況で装甲空母姫の餌食にされようとしている。

 

 

 もはや蠢きだした大いなる渦はとめることはかなわず。――渦中の少女たちは、翻弄されるがまま、その渦に呑み込まれてしまったのだ。

 誰が悪いではない。ただそこに生まれ出た“禍津”。

 

 悪鬼、装甲空母姫。彼女はただ笑うように、その一瞬を、全てを飲み込む瞬間を待望しているのであった――



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『34 行末』

 かくして“それ”は成った。大方予想していたとおり、暴虐なる悪鬼は世界を飲み込もうと手ぐすねを引いている。

 賽は投げられた。もはや時間の進みは止め用がなく、少女たちはその時間の渦に呑み込まれようとしている。

 

 もはや一刻の猶予もない。だからこそ、その時は来た。絶体絶命の窮地、これをひっくり返すとなれば、それこそ“盤外”から駒を持ち出すしかない。

 

 禁じ手だ。誰もが考えもしないことだろう。誰もが想定もしなかった状況だろう。だからこそ、すべてはここに終息する。

 

 ミッドウェイ海戦から始まり、マリア沖、レイ沖――南西諸島“沖ノ島海戦”。キス島撤退戦。第一次カスガダマ沖海戦。北方海域艦隊決戦。

 すべての行末がここに決する。

 

 長かった戦いが帰結する。

 

 だからこそ、思いを込めて手を伸ばす。暗く、そして何もない海の底。瞳を開いているのか、閉じているのかすらわからない暗闇の中に、ただ自分自身という存在だけがある。ここは、つまりそういう場所だ。

 伸ばした先に、何かが宿る。“恨めしい”。――“海の上に在る者が恨めしい”。それらは一つではない。千、万、億、兆。

 

 幾つも、幾つも幾つも幾つも幾つも。

 “恨めしい”と。“憎らしい”と。声が重なり、耳を貫く。果たして正気とは思えないほど、狂気を伴ってその世界はある。

 

 ――地獄といえた。

 ――無間地獄だと、言えた。

 

 解っている。死んでしまったのだから無理はない、行きたかったのだから仕方ない。それでも一言言うならば――“やかましい”。

 

 どうでもいい、わざわざ自分を構わないでほしいものだ。

 

 

 さぁ、始めよう。ここからが――

 

 

『――――、』

 

 思考を止めた。

 何かが聞こえたように思えたのだ。聞き覚えのある声、忘れるはずもない、彼とは少し前に、会話を交わしたばかりであるのだ。

 

 だからこそ、耳を疑った。

 

『聞こえているんだろう?』

 

 ――話しかけている先は、間違いない、あまりにもあまりであるが、間違えようもない。何故ならば、彼が語るのだ。呼びかけるのだ、その名前を。

 本当に、少しばかりの意思を込めて。

 

 

『――――――――“電”』

 

 

 海に“在る”かつて自分自身であった艦名を、呼んだ。

 

 ――ニィ、と口元が緩むのを感じた。よもや自分の存在を、気取るものがいるなど考えもしなかった。

 

『君は、この瞬間を待っていたはずだ。知っていたはずだ。ならば、君が何とかしろ。これは君の――戦いの行末であるんだぞ?』

 

 そう、そうだ。

 解っているではないか、彼は――南雲満という青年は。

 

『全てを終わらせる時だ。姿を見せろ、“電”』

 

 ――眠りについていた身体中に力を込める。そう、“その時は来た”。満の言葉、そして返す自身の言葉、それらは同時。唱和した。

 

 

『さぁ、始めよう。ここからが――――反撃の時だ』

 

 

 ♪

 

 

 何を言っているのかと、島風は思考を複雑に揺らした。急に満が声をかけた先は、島風でも、金剛でも、北上でも、愛宕でも、龍驤でも、――赤城でもない。

 ありえない存在に、矛先を向けたのだ。

 

「……何を?」

 

 ――何を言っている? 電? 彼女がこんな所にいるはずもない。

 誰もがそう考えた。誰もがそう疑わなかった。島風は、満の正気を、思わず確かめるような心持ちを抱いたのだ。

 

 ――だが、違った。

 

 最初に動きを見せたのは龍驤だった。

 

 

 気がついた。即座に回避運動に移る。一切のよどみもなく、気がついたことは幸運、しかしそこから先は、彼女の実力あってこそだった。

 

 

 間一髪、砲撃も、航空爆撃も避けきったのだ。そして愛宕も、我に返ったように飛び出して、倒れた北上を抱き起こして状態を確かめる。大丈夫だ、これでもう、彼女が沈む心配はない。

 信じられないことだった。――先ほどまで島風たちを支配していたはずの渦潮が、延々と広がり続けていたそれが、シン――と静まり返り、海は平静と化している。

 

「何……で」

 

 今度こそ、あらゆる疑問が島風を支配していた。満に対する疑いも、何もかもを忘れ果て、ただその現象が、島風のすべてを覆い尽くしていた。

 

 

「――怨念一つ一つに“干渉”しました。深海棲艦はあれで、中枢は共通していますから、深海棲艦と同じシステムに干渉できるこの海の底からならば、容易にこの状況はひっくり返せます」

 

 

 言葉が、聞こえた。

 ――懐かしい声だと、そう思った。信じられない声だと、そう思った。

 同時に、突拍子もなく、とても懐かしい、姿を見た。

 

 その髪も、その姿も、その瞳も、よく覚えている。ただ、声だけは聞かなければ思い出せなかった。島風が覚えている原因である少女と、その声は少しだけトーンが違うようであったからだ。

 

 口にする。

 ――感情はきっと、今にも溢れてしまいそうな“歓喜”であったのだと、後に思い返してみて解る。その時は、もう訳も分からずその名前を、呼ぶしか無かったのだ。

 

 

「――――電?」

 

 

「……はい、そう“なのです”。正確には“先代の”という冠詞がつきますけれど」

 

 

 海の上、彼女は突如として現れた。

 “先代”の電。間違えようもない、かつてあの少女が持っていた“雰囲気”と、今目の前にいる電が有する雰囲気は、酷似している。

 そして突如として現れた――その意味も、今ならばだいぶ、察しがつく。

 

「……まさか、“念現象”デースか?」

 

 金剛が、恐る恐るという風に問いかけた。彼女はといえば、未だに装甲空母姫の周囲を旋回、敵の砲撃をひきつけている。渦潮が消え、金剛は無視できない存在に変わったのだ。

 

「そうですね。これはその応用です。もう少し体系に沿ったオカルトですけど」

 

「ですが、先代の“電”はすでに轟沈したはず。――ありえません、余程のことがなければそんなこと!」

 

 言うは赤城だ。彼女自身がそもそも轟沈から復活した艦娘であるが――だからこそ、解るのだ。一度沈んでしまえば艦娘の魂は散ってしまう。後はその散った魂が、怨念に変わるのを待つ他ない。

 だというのに――電は沈んでいる。既に次代の電も存在している。それでもなお彼女がそこに“在る”には、訳が必要だ。

 

「あれ? 前にもいいませんでしたっけ? ほら、深海棲艦には“自分と似たような存在”を仲間と誤認する性質が在るって」

 

 ――はっとする。

 思い出した。たしかにそんなことをミッドウェイ海戦で初めて相対した“電”は言っていた。――駆逐艦の残骸を赤城に見せてそれを実践してみせた。

 そう、それと同じことだ。海の中にいる彼女は深海棲艦と誤認されている。思念だけが、暗い海の中にいる感覚を赤城は知っていた。おそらくは――満もそれを感じていただろう。あの中に、“電”は沈んでからずっと存在し続けていたのだ。

 

「とはいえまぁ、よっぽど人の話を聞かないか、“私みたいに”慣れっこじゃないと、周りの声に発狂して結局深海棲艦になってしまうんですけれどもね」

 

「……なっ!」

 

 突如として、電の身体が異様にぶれた。接続が不安定なるような、砂嵐の如きブレ。同時に、声も大きく変質する。

 姿が、二重に重なっているようだった。

 

 ――電は慣れっこ、と言った。自分は“海に沈みなれている”と。その意味することは何だ? ――彼女は本来、電ではなかったのだ。彼女は沈み、生まれ変わるたびに新たな艦娘となった。電も、その一つに過ぎない。

 

 ならば、その源流は?

 

「幸運でした。――まさか南方で沈んだと思っていた私の換装が、こんな所にまで流れ着いていたわけですから」

 

 ――“七十年前”と、あの時。

 満と会話した時の“電”はそういった。その意味するところは――

 

 もしも、もしもだ。それが例えば――数十年も昔にあった大戦。世界の行末を左右しうる戦いの当事者であったとすれば?

 今の時代に、伝説として名を残す艦娘であったとすれば? ――同じなのだ、電と。伝説と呼ばれ、幸運と呼ばれ、無敵と呼ばれた駆逐艦、先代“電”と。

 

 その少女は、同一なのだ。

 

 その姿が今にも切り替わろうとしている。その直前、声を上げる者がいた。

 島風である。

 

「……電!」

 

「――島風、お久しぶりです」

 

「電、なんだよね?」

 

「はい、そうですよ。先代の電、“なのです”」

 

 ――その声は、明らかに震えていた。今にも、何かを決壊させてしまいそうなほど。

 

「何で、沈んだの!? 何で、勝手にいなくなったの!? 何で私を……置いていったの」

 

 もう、聞いていられないほど、彼女の心は弱っていた。無理もない、信じられないことが幾つも起こったのだ。そしてその“信じられないこと”が、あまりに島風を震わせてしまうのだ。――歓喜という感情で。

 

「私にはやらなくてはならないことがあったの。それに、島風には、私が知っている頃よりもずっと、大きくなって貰わなくちゃ行けなかった。……島風の成長に、私は少し邪魔だから」

 

「――そのために、沈んだの!? 沈むって、怖いことでしょ!? 寂しいことでしょ!? なのに、何の躊躇いもなく沈めるの? 無事だってわかってるって、そんなの言い訳にならないよ!?」

 

 ――電は言ったのだ。慣れっこでなければ発狂し、深海棲艦へ落ちていってしまうと。つまり沈めば、おどろおどろしいほどの狂気にさいなまれるというのに、それでも電は沈むというのだ。

 誰かのために――今、この時のために。

 

「それが……私のやり方なのです。黙っていてゴメンナサイ。――私のこと、幻滅しましたか?」

 

 電という存在は――その根源にあるものは、見方を変えればあまりにドライで、そしてそして不躾だ。仲間たちを、ある種駒のように利用して、時には自分の命すら投げ出す。

 

 

 ――あの“夜”。満の前に現れた“先代の”電が語った彼女の理想は、そういう理想だ。

 

 

「……バッカ」

 

 島風は――

 

 

「そんなわけ、無いじゃん」

 

 

 ――泣いている。泣いて、怒って、それでも心の底から、喜んでいる。

 

 親友なのだ。電は、大切な仲間なのだ。たとえ彼女が“どうしようと”島風の中で、それは変わらない。

 

 

「――おかえり」

 

 

「……ただいま」

 

 

 それが、“先代”電の、電としての最後の言葉だった。切り替わる。入れ替わるように現れる。

 ――七十年前の大戦で、当時敵の中枢がいた最深部に突入した艦娘は一人を残して轟沈している。そしてそれは時雨という名の駆逐艦で、沈んだのは当時の連合艦隊旗艦武蔵とその相棒雪風とて例外ではなかった。

 だが、何故時雨という艦娘は生き残ったのだ? 誰もが死した激戦の中で、何故? 生き残ったのが“雪風”でも“武蔵”でもなく、なんでもない一駆逐艦でしかなかった“時雨”なのだ? ――雪風は確かに武蔵に信頼されていた。だが、時雨にはそんなことは一切ない。つまりそれは、時雨が単なる駆逐艦でしか無かったことを示している。

 

 だが、時雨は生き残った。――その、意味するところは、時雨という存在を、“電”という存在に置き換えればすぐに分かる。

 

 そう、駆逐艦が特別だったのではない。その駆逐艦に宿った魂が、特別だったのだ。

 

 

「改めて、お初お目にかかります。陽炎型八番艦“雪風”です」

 

 

 彼女は、南雲機動部隊に対し、そういって挨拶をした。

 ――伝説の駆逐艦。数十年前の大戦を生き残った、“時雨”に最終的に宿っていた魂であり――幸運艦雪風、その人である。

 

 

 ♪

 

 

 “先代”電――改、雪風の活躍により世界を飲み込むほどの渦は消え去った。そう、残る敵はあとひとつ――深海棲艦特殊艦艇“装甲空母姫”。

 

『さぁ、これがクライマックスだ。これで決めるぞ、いいな、島風』

 

「――任せて下さい」

 

 信じられないほど、今の島風には気力が満ち満ちていた。――もう、雪風は海の上にはいない。だが、彼女はあくまで海の中で行動する必要があるから海の上に現れることができないのであり、今もまだ生きている。

 ――この戦いが終われば、換装のサルベージを行うことができるだろう。それが解っているからこそ、島風は勢いを感情に載せた。

 

 やる気が、でないはずがなかった。

 

「まぁ、色々ありましたけれど、これでフィニーッシュ? んんんー……その通りデースッ!!」

 

 ぱっと、金剛が諸手を上げて見せる。こちらもまた、気合十分。

 

「北上さんは、私がお守りします。……もしも沈んだら、あの人に悪いですしね」

 

「よろしくねー」

 

 愛宕は、北上を背負い意気込んでいる。彼女は大破した北上の護衛と、対空防備、その三式弾を大いに活用することになるだろう。

 

「……ふふ」

 

 龍驤は、一人おかしげに笑った。――自分の知っている“伝説”と呼ばれた駆逐艦は、本当なもっとすさまじい“伝説”の持ち主だった。それが、嬉しくて仕方ない。

 まるで自分のことのように、喜んでいた。

 

「――提督」

 

『赤城、後は君たちにすべてを託す、思い切りやってやれ。終止符を、打ち込んでやるんだ』

 

「了解!」

 

 赤城は、少しだけ勇気を満から受け取った。別にどうしても必要というわけでもない。ただ、それが在るだけで、赤城は自分が無敵になったかのような感覚を覚えるのだ。

 

『さぁ引導を渡せ、この世界の行末に、ひとつの証を刻んでやれ――――南雲機動部隊ッッ!』

 

 

「――はい!」

 

 

 島風の応答。そして、艦隊は動き出す。――否、島風のみが、装甲空母姫に向けて飛び出した。最後を飾る一撃。それは島風の手によって行われる。

 

 同時に空がにわかに騒がしさをます。龍驤の艦載機が再び発艦した。そして敵艦載機と同様に、赤城の艦載機が出し惜しみなく投入される。

 混沌と化す空中戦。そこに赤城達の狙いがあった。

 

 発艦した赤城編隊のウチ、空爆『彗星』が急降下爆撃のため列を離れ飛び立つ。そして、『烈風』及び『流星改』が、猛烈な勢いで比較的低空の空を走り抜ける。

 

 狙いは先ほど同様、敵の挑発。だが、同じ海戦の中で二度も策が通用するほど深海棲艦も愚かではない。だからこそ、搦手という概念が存在するのだ。

 

 先の本命、龍驤攻撃隊が、無茶とも言える特攻を敢行する。それを見過ごす装甲空母姫ではなかった。即座に機銃。そして艦戦が龍驤の『流星改』を狙い打つ。

 

 混戦が生まれた。敵艦載機を撃滅スべく突撃を行う赤城の艦戦及び、敵に突撃を行う龍驤のと赤城の艦攻。三者がそれぞれの位置から装甲空母姫編隊をかき乱す。

 荒れに荒れた。もはやそれぞれ、敵味方を認識するしか無いほど、状況は乱れきっていた。

 

 

 そして――海。

 

 飛び出した島風の砲撃が装甲空母姫をかすめる。回避行動でそれを装甲空母姫は往なす。砲撃は、金剛達へ向け無くてはならない。この場の最大火力は、やはり金剛なのだ。

 

 ――だが、島風はあえて挑発するように、いくども装甲空母姫に砲撃を続けた。それは挑発という意味合いもあっただろうが、無視できない位置に自分が存在していることを教える意味合いもあった。

 砲撃の手を緩めれば金剛に押し切られる。かと言って回避行動にのみ専念することはできない。速度は島風の方が上。――つまり、いつかは追いつかれ、直撃を受ける。

 

 艦載機はつかえない。あまりの膠着状態で、手を出すことができないのだ。

 とはいえ、それはある意味チャンスとも言えた。装甲空母姫の機銃はもはや意味を為していない。あまりの混戦具合に、放てば自身の艦載機すら巻き込んでしまうのだ。

 ということは、だ。使えなくなった機銃は、自由に振り回すことができる。火力は無いに等しいが、島風への牽制には使える。あまりに近づくのであれば、これで蜂の巣にしてしまえばいい。

 

 ようは、それは島風の狙いと同様だ。――超至近であれば、どれだけ火力の低い一撃でも、十分な殺傷力を得る。この場合、島風の攻撃そのものがそれに辺り、装甲空母姫の機銃が同様であった。

 

 絶え間なく音を立て、機銃がついに火を噴いた。慌てて島風が回頭する。円を描くように船体を動かして、迂回するように接近を試みる。

 だが、機銃は隙間なく弾幕を作る。これでは装甲空母姫に接近することが不可能だ。――それでも、手はある。島風は、一瞬距離を取り、そして構えた。

 

 狙いは簡単。金剛の援護を受けること。狙い通りであった。金剛は島風の意図を確実に理解している。そう、島風の目前、装甲空母姫から島風を覆うように、砲弾が突き刺さったのである。

 

 かくして、装甲空母姫の視界から島風は消え失せた。

 ここから現れるとすれば三択。左右か、中央か。ほとんど直感であった。――装甲空母姫は、その中から中央を選択する。

 島風は、必ず水柱を突き破り現れる、と。

 

 須らくそれは正解であった。島風は装甲空母姫の予想通り、水柱を蹴破って現れた。だが、装甲空母姫の予測に反し、彼女は蜂の巣にはならなかった。

 問題は、その体勢にある。彼女はほとんど体勢を横にして、倒れこんで突き進んできたのである。これでは、本来頭を狙うはずだった一撃が、意味を成さなくなる。そして、島風は装甲空母姫の機銃を“すり抜けた”。

 

 そのまま機銃の射線から外れるように横にそれ、更に追いすがる機銃すらも回避して島風は接近する。体制を立て直し、それでも当たらないようギリギリまで体を丸め。

 ――そして、

 

 

「――届いた!」

 

 

 そう、つぶやいた。

 

 

 ――その頃、上空では混迷を極める格闘戦が繰り広げられていた。編み玉の如くもつれ合った艦載機。その中を“通り抜ける”艦載機がいた。

 

 誰も、それを意識することはできなかった。気がついたとしても、誰かが追っているだろうと思うしか無かった。それほど、余裕がなかったのだ。

 

 だが、違う。通り抜けた艦載機は南雲機動部隊の“本命”だ。そう――飛び立ち始めた直後、赤城の編隊から抜けた艦爆『彗星』の一群。狙うはひとつ――装甲空母姫だ。

 

 

 直上から、狙う。

 

 

 ――金剛が、北上が、愛宕が、龍驤が。

 その姿を見送った。

 

 赤城が、そして島風が、最後の一撃に意識を詰める。

 

 

 赤城のそれを含めて島風が代弁するように――――

 

 

「いっッッケェェェェェェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!」

 

 

 咆哮が、轟いた。

 そうして、ありとあらゆる島風の武装が、主砲が、魚雷が――そしてそれとは別に、赤城の艦爆が。一斉に、装甲空母姫を――貫いた。

 爆発。

 

 

 ――、

 

 

 直撃は、島風の耳をハジケされるかのような爆音を伴った。黒煙が装甲空母姫の前進から溢れ――

 そして煙が晴れる。

 

 超至近から一撃を受けても、装甲空母姫は決して身動ぎはしなかった。ただ押されるようにぐらりと揺れ、そのままだ。

 

 ぐん、と瞳が目一杯島風へと向けられる。射殺すかのような瞳。けれども、それだけだった。

 怖くないとばかりに島風がニィっと口元を歪める。

 

 爆発が、もう一度起こった。

 

 

 ――今度こそ、それが装甲空母姫の終焉だ。

 

 

 軋みを上げて沈みゆく彼女を島風は見送る。戦いの終わりと呼ぶには、あまりに上出来過ぎるかもしれない。

 だが、島風には実感があった。これで終ったのだ。

 

 

 ――長い長い戦い。南雲満がこの世界に転生し、戦って、戦って、悩んでまた戦って、辿り着いた一つの結末。

 

 

 かくしてカスガダマ沖海戦は集結した。

 各々の思いと、各々の成長をその証とし、――一つの収穫を、その戦利品とした。



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『南雲機動部隊の凱旋』

 ――これはひとつの昔話。

 在る所に、一人の少女が裕福な家庭に生まれた。少女は何不自由ない生活を送ったが、しかし、何一つ自由のない生活を送った。将来、彼女は親の選んだ家に嫁入りし、言われたままに人生を過ごすことになる。

 少女はそれが少しだけ嫌だった。別にわがまま放題というわけでもなく、ごくごくおとなしい少女であったからこそ、命令に従うだけの自分に、どこか嫌気が差していた。

 

 そんなある日、彼女はある艦娘と出会う。当時、艦娘は日本の誇り、象徴そのものであった。出会ったのはその中の一人、“聯合艦隊旗艦”武蔵。当時、少女はその名前すら知らなかった。必要がなかったからだ。

 数奇な偶然から邂逅した両者は、それから何度も交流を持った。その中で、少女は自分自身に誇りを持ち、戦場という場所で華々しく戦う艦娘に、どうしようもない憧れを抱いた。武蔵はそんな少女の芯の強さを見ぬいたか、とりわけ少女の事を気に入った様だった。そして、あるモノを少女に渡した。

 

「――それが、深海棲艦の残骸、か?」

 

「そうです。その後私達の棲む港が深海棲艦の襲撃を受け、それを皮切りにあの大戦が火蓋を切るわけですが――」

 

 その際、雪風――少女は一度死亡した。海に呑まれて、抗うすべもなく。――だが、深海棲艦の廃材を手にしていたことで、彼女は一時的に深海棲艦の狂気から逃れることができた。

 

「本当に数分の間でしたけれど、私はその間、がむしゃらに動きまわって――この換装を見つけた」

 

 それは、保存されていた軍港が破壊されたことで海の中へ紛れ込んだのか、はたまた流れに流れ、その場所に辿り着いたのか。

 

「……それが、駆逐艦雪風のルーツ、か」

 

「激動、といえばそうなのでしょうけれど……まぁそういうことです。そして私は雪風となって、初めて“自分で考える権利”を手に入れたんです」

 

 それはまた、今の時代では考えもつかないことだ。満は良くも悪くも自分で考え、行動し、邁進し続けた。

 そのたどり着いた結果が、今という時間にある。

 だからこそ、考えを止めるということはしなかった。雪風とは、対極であると言えるはずだ。

 

「そうして今回、雪風――当時は“電”であった君は、カスガダマでの異変を察知し、それを解決することを計画した」

 

「はい、そのために多くの策を弄しました。今にも勝手に沈みそうだった赤城さんを助けたり、その方向性を貴方の元へ誘導したり――島風達に手を出したりもしました」

 

 南雲機動部隊は、ある種この雪風が作り上げた部隊だ。島風、赤城、龍驤に多大な影響を与え、北上の元いた基地を解体し、南雲機動部隊に割り振るよう、愛宕と併せて持ちかけた。

 そして――

 

「異界との門に近いあのカスガダマから、自分のおメガネに適う“魂”を君は引き寄せた。……少し聞きたいんだが、どうやって僕をこの地位に付けたんだ?」

 

 満がこの世界に訪れたことは決して偶然などではなかった。雪風が、こうして目的を果たすために、満をわざわざ呼び寄せたのだ。

 しかし、それは解る。だが、だからといって偶然“提督”という地位に付くはずもない。

 

「それ自体は別に難しくはないですよ、ようは世界そのものを書き換えるわけですから、その指向性は私が要望したとおりになります」

 

「すべて、雪風の思うがままというわけか」

 

「そうでもないですよ」

 

 満の嘆息を、以外にも雪風は否定した。

 ほう、と興味深げに促した満に、雪風は応えた。

 

 ――とても、優しげな笑みで。

 ――とても、嬉しそうな声で。

 

「……私の誤算はひとつだけ。それは、響を救えたこと、ですよ」

 

 いつの日か、電はカスガダマの海に沈むつもりであった。

 ただ、それが潜水艦から響を守って、という結末にするつもりは毛頭なかったのだ。だからこそ、それだけは雪風――“先代”電のたった一つの誤算。

 

 嬉しい誤算だ。

 

 ――そして結局のところ、何かをした結果、満が提督になったのではなく、最初から満が提督になるよう、この世界に雪風は引き寄せたのだ。

 

「これが、この世界をめぐる、貴方の旅の真相、すべてです。つまり雪風は、黒幕さんな訳です!」

 

 そう、雪風は楽しそうに笑った。

 これが、カスガダマ沖海戦の後、配属された雪風と満の会話。

 

 雪風は南雲機動部隊に配属された。新鋭の駆逐艦ではあるものの、恐ろしいほどの練度を有する天才として、多少有名になっている。

 

「そうだ雪風、お前はこれから――どうするんだ?」

 

 さて、

 

「……それは、まぁ未来になってから考えます」

 

 

 ――それでは、南雲機動部隊の、これからの話しをしよう。

 

 

 ♪

 

 

 カスガダマ沖で勝利したことにより、満の名声は大きく高まった。結果、数年後に隠遁の決まっている現行第一艦隊提督の後継に、という声が少なからず生まれてきている。とはいえ、それはまだ大分先の話だ。

 その前に、幾つかの海戦で経験と実績を、という声のほうが大きい。

 

 満自身、第一艦隊総司令という、今の自分よりも明らかに一つ上の地位は、少し気後れがしてしまう。

 

 また、南雲機動部隊そのものにも大きな変化が見られた。

 まず第二艦隊だ。既に決まっていたことではあるが、本格的に現行の第二艦隊は解体、旗艦天龍と新たに新設される第三艦隊の旗艦となる雷以外は、他の基地への転属が決定した。

 

「……今後のことぉ? うーん、私は大丈夫だけど、天龍ちゃんがちょっと心配かなぁ」

 

「んだぁ? そもそも俺より水雷戦隊を率いるのが下手な龍田のほうが俺としちゃあ心配だぜ? 頼むから変な事故を起こさないでくれよ?」

 

 天龍はどちらかと言えば相変わらず。龍田は、どこか不安があるようだ。それでも、彼女たちは今後も優秀な水雷戦隊旗艦として、働きまわることだろう。

 

 そして、第六駆逐隊はといえば――

 

「こうして暁は、レディとして認められるってわけよね! ……でも、やっぱり皆と離れるのはいやだよぉ」

 

「……私もよー!」

 

 暁と、雷が、そんな風に抱き合って泣きだしてしまった。全員、どこか子供らしい部分があるとはいえ、一人前の駆逐艦であることは間違いない。

 

「……そうそう、私は新しく改装されることが決まったんだ。名前まで変わるらしい、確かロシア語で――信頼できる、だったかな?」

 

「はわわ、響ちゃんがロシアの娘になっちゃうのです!」

 

 こちらもこちらで、いつもどおりといえばいつもどおり。ただ、この慌ただしさがもうすぐ見納めというのは、どこか寂しい風にも思えた。

 

 とはいえまぁ――天龍が言う。

 

「別に何処に行ったって、この第二艦隊は永遠だ。それだけは、忘れんなよ?」

 

 いつになく可愛らしい――どこか泣きそうな声ではあったが、つまりはきっと、そういうことなのだろう。

 

 

 そして、北の警備府。

 

「ワハハー! この利根さまのお通りじゃ! そこのけそこのけ御馬が通る!」

 

「わー、お利根さんかっこいい! お利根さん超ラブリー!」

 

 利根と青葉はいつもどおりだ。愉快な利根とその仲間たち。不知火曰く、部下の駆逐艦が真似をするから控えてほしい、とのことだ。

 普段であれば鎮守府が愉快になる関係上、黙認されることが多いのだが、今日ばかりはそうもいかない。

 

「ねぇあなた達――ちょっとうるさいわ?」

 

 ――榛名と同期にあたる歴戦の軽空母、その殺気が存分にこもった一言であった。即座に利根青葉が萎縮し、涙目になる。

 どうにも、随分と瑞鳳も、艦隊に馴染んだようだ。既に、利根と青葉の制御法はほとんど理解していた。

 

 そして、そことは別室。メンバーは夕張に、木曾、そして第二艦隊旗艦、不知火。

 

「あの、不知火は一体何故ここへ呼び出されたのでしょう」

 

「まぁまぁ、ゆっくりしていってくれよな」

 

「それじゃあ、今日の講義を始めるわね」

 

 ――げ、と漏れた。そこにいたのは、今にも長話を始めますというふうの気力満タンな夕張であった。つまるところ、不知火は木曾の道連れとしてここまで連れて来られたのである。

 

 また、司令室。

 

「ふふ、今日もいい天気ですね提督。……おや? その手紙は何ですか?」

 

「加賀さんからよ。……そろそろ提督になれそうですって。まずはどこかの基地の福司令として赴任するらしいけれど、うちに来るといいわね」

 

 北の警備府旗艦榛名と、元空母にして提督の山口龍飛。二人は楽しげに司令室にて歓談していた。彼女たちの日常が激動に変わるのは、まだ先の話だ。

 

「PS.長門と陸奥は相変わらずです。……すごく疲れた筆跡で書いてあるわ」

 

 山口のそんな声が、平和な警備府へと響いた。

 

 

 そして――南雲機動部隊。

 

 

 戦艦金剛。歴戦にして最古参の、日本海軍所属戦艦。

 

「……これから? ですか? ふふ、金剛はずっと提督とともにありますヨー」

 

 ただ、と続ける。

 

「もうそろそろ、私の“後継”が建造されるかもしれまセーン。そうしたら、きっと私は……いえ、何でもないデースよ?」

 

 そうして微笑んだ少女は、どこか寂しさを浮かべているように思えた。

 

 

 日本に一隻どころか世界にただ一隻しかいない重雷装艦、北上。

 

「そうそう、大井っちがまた遊びに来いってうるさくてさー。今度はできれば南雲機動部隊の皆で行きたいな。次の艦隊休息日、施設への訪問とかどう?」

 

 そして、

 

「あたしのこと? あはは、まぁいつもどおりだよ。まだまだ色々あるけど、それも全部、いつもどおりにしかならないなぁ」

 

 北上は、まだ答えにたどり着いたわけではない。答えは、その道の先には無いのかもしれない。ただ、彼女はそれずブレず前に進んでいく。自分が選んだ道だ、責任をもってその上を歩いて歩いて生き抜いて、生ききってしまうのが、いいのかもしれない。

 

 

 重巡愛宕。この艦隊の新参にして、成長株。

 

「うふふ。まぁそれは上の意向っていうのがありますし……まだわかりませんね」

 

 小首を傾げながら、愛宕は言う。

 

「でもやっぱり、南雲機動部隊は私が一番大切にしたい場所。もうちょっと、この部隊にいたい、かな?」

 

 愛宕はこの艦隊で建造されたのではないにしろ、この艦隊に所属してから大きく成長した。だからこそ、大きな思いがあることは、想像に難くないのだ。

 

 

 軽空母龍驤。この艦隊が機動部隊たる所以、空を支配する一翼だ。

 

「今後ー? そんなこと言うても、機動部隊にウチみたいな空母は必須やし、今後もなにも、全然変わらないんとちゃう?」

 

 そう言って、しかし自分から否定する。

 

「あーでもやっぱり、ウチ、そんなん全然考えたこともあらへんかったわ。……ごめん、やっぱ何も思いつかへん」

 

 てへへ、と頬を掻きながら、少女は子供らしく照れながら笑った。

 

 

 そして、

 

「今後のこと? 提督も、変なこと聞くんだね!」

 

 島風。

 

「まぁそうはいっても、なるようにしかならないんじゃない?」

 

 駆逐艦にして――

 

「私達は私達なんだから。私も提督も、それから仲間たちもね」

 

 南雲機動部隊の旗艦だ。

 

「これから、いろんなことが起こるとは思うよ。でも、悪いようにはならないんじゃないかな。確証なんて全然ないけど。私達はあの戦いを切り抜けた――だから、」

 

 不敵に、島風は笑う。彼女と初めて出会った時のように、自身に満ちた声で持って、

 

 

「南雲機動部隊は、――私達が凱旋する限り、永遠なんですよ!」

 

 

 高らかと宣言してみせた。

 

 

 ♪

 

 

「……や、こんな所にいたのか――赤城」

 

「満さん……いえ少し、風にあたっていまして」

 

 そこは、鎮守府の港。波止場である。

 

「ここは風にあたるにはいい場所だ。ただ、潮風だから髪を痛めないように気をつけろよ?」

 

「ふふ、艦娘には不要な心配ですよ」

 

 冗談めかした満の言葉に、赤城は同じく冗談めかしてわざわざ生真面目に返す。そのほうが、赤城らしいといえるだろう。

 

「それで、どのような用でしょう」

 

「……これから――――」

 

 言いかけて、止めた。

 赤城の表情を見れば、彼女が何をいいたいのは明らかだ。まだまだ満は、色々と未熟な面はあるものの、少なくとも赤城のことに関してだけは、言葉にせずとも理解が及ぶようになっていた。

 

 島風達は、からかうように、大きな進歩だというのだが。

 

「あぁいや、なんでもない」

 

 苦笑して話を打ち切った。言葉など必要なくとも、もう満と赤城は分かり合えるのだ。

 

 

 ――これからも、多くのことが南雲機動部隊に起こるだろう。そして、それには多くの思いと信念がつきまとうことだろう。

 

 それらを否定することはできない。それらは理解することしかできないのだ。理解した上で思う、それこそが人と人が思いを交わすということであり、だからこそ対極にある人間の思考も理解することができるのだ。

 

 この世界には、多くの思念、思想、思考があって、それと同じ数の人間がいる。思いは数多、海へと散って、そして個という存在を作る。

 

 深海棲艦が、怨念という思いを引き連れるのであれば、艦娘は、人類は、信念という思いを引き連れる。引き連れて、行く。

 

 この世界の理は、そんな思いの顕現であると――満は思う。

 

 ――空に暁光が差し込んでいる。

 

 

「なぁ――赤城、……好きだぞ」

 

 

 二人が見やる太陽は、海に光を散りばめて、そして光は数多に別れ、世界を照らし続けているのだろう。

 

 

「……私もです。――満さん」

 

 

 きっとそういう陽光こそが、信念と呼ぶべき代物なのだ。

 

 

 ――――誰かが願い、そして光へ手をかざすように。今日もまた、世界は誰かの思いを刻みつづける。

 

 

 だれでもある誰かが、この世界に語りかけるのだ。

 戦いが終わり、南雲満は勝利を刻んだ。多くの信念、多くの人。辿り着く先は、ひとつの結末。そう、それは端的にもって表される。

 

 

 ――南雲機動部隊の凱旋、と。

 

 

 ――これは、水平線の向こう側、海に沈んだ魂が辿り着く、ひとつの世界の物語。

 少年と、艦娘達と、海の敵。

 

 

 ――――願いを巡る、物語。

 

 

『艦隊これくしょん -南雲機動部隊の凱旋-』

 

 fin.




南雲機動部隊の凱旋、これにて完結でございます!
途中、何度かの休憩をはさみつつ、これまでお付き合いいただき誠に感謝であります。

南雲満と、赤城と、南雲機動部隊。それぞれの信念を巡る物語はここまで。
きっといつまでも続いていく彼らの戦いの結末が、凱旋であることを願って。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

よろしければ、本作全体の感想などをいただければ、至極幸いにございます。
それでは、またどこか、別のお話でお会いすることができれば光栄です。


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