赤ずきんたちとオオカミさんの絶望打破 (樹影)
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第一章
序:これは私たちが絶望を味わう物語だ


 

 この世には絶望が溢れている。

 これは否応のない、厳然たる事実だ。

 

 例えば家族や親しい人間との死別。

 これは誰もがいつかは味わうだろう絶望で、味わうことがないのならそれはそれで境遇そのものがある意味絶望だろう。

 ……いや、これは半分自虐だったか。

 そのつもりはなかったが。

 

 例えば誰かに裏切られた時。

 こちらはそうそうないかもしれないが、だからこそその時の絶望は凄まじいだろう。

 相手を信頼していればしているほどにそれは強い。

 ……まぁ、私たちの稼業じゃ割とよくある話でもあるのだが。

 いかん、説得力がなくなってきた。

 

 それはさておき。

 もっと軽く、解りやすく、共感が得られやすいだろう例えを出してやる。

 猛烈に腹が痛くなったのに中々トイレに入れないときだ。

 正直、誰もが一度は経験があるだろうと思う。

 ……とはいえ、例えが汚いな。

 申し訳ない。

 

 そしてどう足掻いても抗えないのは、私たちの人生の終わりだ。

 つまり、死。

 どれだけ言葉を飾ろうが、それがどうしようもなく逃げ場のない絶望であることは間違いないだろう。

 

 大きな絶望から小さな絶望まで。

 そして最後の最後に来る特大の絶望。

 多種多様色取り取りに存在するそれらはまるで墓前に供えるために育てられた花畑のようだ。

 

 私たちはそれらに塗れて、味わいながらそれでも最期まで生きている。

 なんのため、は人によるだろう。

 だが、どうやって、は大体共通している。

 絶望より、強いナニカが己を動かす源になり得るからだ。

 そうすることで、人は絶望に染まりきらずに生きていける。

 それが正負のどちらのモノであれ。

 

 例えば、親の死に絶望した者が伴侶や子の存在に支えられるように。

 例えば、誰かに裏切られて絶望した者が復讐心に突き動かされるように。

 例えば、腹を下した者が世間体や衛生面や自己の尊厳やらその他諸々を守るために必死に耐えるように。

 

 

 

 ―――例えば、

 

「う、ぉお……あぁ、ダルい……」

 

 どこぞの駄犬がそんな寝言を抜かしながら人のファーストキスを奪い腐りやがった絶望に対し、

 

「ヒトのファーストキス奪っておいてどういう言い草しやがってやがるこの駄犬がァアアアアアアアアアアアッ!!!!!」

「グギャァアアアアアアアアアアアアーーーーーッ!!!!?」

 

 乙女の正しき怒りを以って、全力全開の殺意と共に拳を振るうように。

 …………百万回生まれ変わろうが許さんぞこの駄犬。

 

 

 

***

 

 

 

 これは私たちが絶望を味わう物語だ。

 そして、絶望だけでは終わらない物語だ。

 

 

 




 完全新作第一話です。
 あとがきは本日更新分の最新話に纏めてするのでよろしくです。


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1:世界は一度滅びている

 

 

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 

 息を切らせながら、一人の少女が駆けている。

 少女はフードのついた赤いコートを羽織り、被ったフードは少しダブついていて頭巾のようにも見える。

 コートの下は少々奇異な出で立ちで、体に密着しているような赤を基調とした軟質素材のスーツだった。

 頭巾からこぼれている二房の髪は輝く金色で、緩く縦に巻かれている。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 

 そんな彼女の周りには大木という表現でさえ可愛らしく感じてしまうほどの巨木が乱立している。

 仮に切り倒し、その断面に立てばこの少女が十人ほどいて漸く端まで到達するか。

 そんな規模の木々が幾つも幾つも天に向かって伸び、枝葉を伸ばして空を蓋するように塞いでいる。

 中には、別の木々が蔦の用に絡みついて伸びているのも珍しくない。

 

 そんな天衝く威容を、しかし少女は一瞬たりとも気を取られることはない。

 理由は二つ。

 一つ、この世界ではそんな巨木など珍しくもなんともないため。

 二つ、単純に今はそんなことに気を取られている暇などないからだ。

 

「はぁっ、はぁっ……ぐっ!!」

 

 少女が歯を食いしばって加速する。

 その直後。

 

 

 

―――ゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!

 

 

 

 乱立する巨木をそのまま横倒しにしたような何かが唸りとも雄叫びともつかない轟音と共に追走していく。

 それは周囲の木々を掠るたびにそのまま削り取りながら少女を追い詰めていく。

 その本体は確かに木によってできていたが、少し離れて見ればそれがうねりながら爆走しているのが解っただろう。

 巨木がそのまま命を与えられて蛇にでも転じたかのような有様だ。

 触れるものを削り、下にあるものを潰し、前にあるものを砕きながら突き進む様はまさしく災害である。

 

「あぁもぅ、しつこい!!」

 

 愚痴りながら、彼女は足を緩めずにちらりと後ろを振り返る。

 こちらに向けている断面は、しかし切り株のような年輪ではなく、空洞の入り口だ。

 だが、それは決して足を踏み入れられるようなものではない。

 なぜなら、その内側は巨大な杭か棘のようなものがびっしりと生え、ざわざわと不気味に蠕動しているからだ。

 形状だけ見るならば、ヤツメウナギの口腔に近いだろう。

 

(あんなのに飲み込まれたら、スーツやコートの防刃なんて何の役にも立ちやしない!!

 速攻で挽肉どころか血生臭いスムージーになっちゃうわよ!!)

 

 少女は巨木ヤツメウナギから逃れるため、更に力を込める。

 いや、正確には【魔力】をだ。

 

「ふっ……!」

 

 呼気と共に全身にそれを巡らせれば、身に纏うスーツに走るラインが輝きを帯びる。

 同時に、彼女の挙動の一つ一つの鋭さが増していく。

 必然、疾走の速度も向上する。

 

 彼女の肢体に吸い付くように纏っている赤いスーツは、彼女の魔力を動力源としてその動きをアシストし、身体能力を向上させることができる。

 つまり一種のパワードスーツである。

 しかし通常時はそこまで劇的な効果を得るほどの機能はなく、魔力をさらに多く注ぎ込むことでようやくそれに応じた性能を発揮する。

 だがそれは体力の消耗を加速させるため、下手をすれば自滅しかねない行為でもある。

 

 だから少女は覚悟を決め、追跡者との決着を着けることにした。

 

 彼女は左腰に取り付けた籠のようなポシェットから何かを取り出す。

 小瓶だ。

 マニキュアなどの化粧品に使われていそうな小さな小瓶。

 リンゴを象っているそれを、指に挟んで三つほど持ち上げる。

 色は透明が二つ、黄色が一つ。

 彼女は手に持ったそれに、スーツと同じく魔力を込める。

 すると、小瓶は俄かに輝きを持ち始め、

 

「フッ……!!」

 

 まず、黄色を上へ放り投げた。

 それは巨木ヤツメウナギに飲み込まれる寸前、輝きを強めると一気に弾ける。

 そうして生まれた閃光が、辺りを真っ白に染め上げて包み込んでいく。

 

 だが、目でものを見ているとは思えないこの巨木の化け物。

 まっとうな生き物ですらないだろうこれに目くらましの閃光なぞ意味があるのだろうか。

 そんな疑問に対し、答えは明確にはじき出される。

 

 ドゴォオオオオオオッ!!!、という轟音とともに、巨木ヤツメウナギが見当違いの方へ突進して、別の木へ激突したのだ。

 

 仕組みは簡単。

 先の閃光弾は光の形をした魔力を爆発的に拡散させるもの。

 物理的な破壊力は存在せず、光の持続力もないがその代わり二つの利点が存在する。

 一つは光量、単純な光の強さ。

 ほんの一瞬だけである代わりに、至近で見ればショックで気絶させかねないほどの光を相手に叩きつける。

 もう一つは、拡散した魔力そのもの。

 これは魔力によって駆動するものへ干渉する働きを持っている。

 さすがにここまで巨大なモノを止めるほどの出力はないが、むき出しだろうこちらを察知するための感覚器を誤作動させるくらいは容易い。

 

 目標を見失った巨木ヤツメウナギは頭を突っ込んだ木の幹をバリバリと抉りながら再起動を果たし、すぐに標的を察知する。

 もし、仮にもう少し動物的な意思が存在していたら、そこで戸惑いを得ていただろう。

 なぜなら、ほんの少し見失っていた間に標的が二つに増えていたのだ。

 それも、増援が現れたのではなく、今まで追っていた少女がそのままそっくり分裂したかのように増えたのだ。

 二人の少女は、巨木ヤツメウナギがその身と同じくらいの大きさの木を貪っている間に、その木を回り込むようにそれぞれ別の方向へ走り去ろうとしていた。

 

 直後、巨木ヤツメウナギが動き出す。

 もとより自意識なぞ存在しない代物、標的が増えようが何だろうが残らず噛み砕くだけがそれの存在意義だ。

 

 別々の方向に逃げようとも関係ない。

 うねるように……否、文字通りうねりながら森の中を縫って進むと、まず手近な一人を飲み込み、そのまま真正面から回り込むようにもう一人も餌食にした。

 

 繰り返すことになるが、これに自意識の類はない。

 だからこそ、飲み込んだものに違和感があっても、自身を損傷させない限りは異常と感知することはないのだ。

 故に―――

 

「―――見つけた!!」

 

 ―――飲み込んだものが、中身のない偽物であっても何もしないし出来ないのだ。

 

 飲み込まれた囮を尻目に、本物の少女が姿を現す。

 正確には、羽織っていたコートに流し込んでいた魔力を止め、迷彩機能をストップしたのだ。

 その彼女がいるのは、先程まで巨木ヤツメウナギが頭を突っ込んでいた木、その上部から突き出ている太い枝の一本の上。

 次の瞬間、彼女はナイフを両手で振り下ろすように構え、コートを翻しながら飛び降りた。

 

「だぁああああああああああああっ!!!」

 

 やけに勇ましい声と共にナイフを突き立てた先は、巨木ヤツメウナギの上、その一部分にはめ込まれた石だ。

 少女の刃は狙い過たず、一撃でそれを貫き、砕き散らした。

 その結果がもたらす影響は、即座に現れる。

 

―――ミシミシミシベキベキバキバキャボキガシャァッ!!!!!!!

 

 先程まで、先端の口腔が掠めるすべてのものを噛み砕きながら森の中を自在にうねっていたその巨体のあちこちから、砕けていくような異音が鳴り響く。

 否、ようなではない。

 実際に破砕しているのだ。

 巨木の体をうねらせ動かすための中枢が破壊されたことで、魔力によって動かされていたものが元の木へと戻り、不自然にかかった力がそのものを崩壊させているのだ。

 加え、突進そのものの勢いも死んではおらず、その身を砕きながら最後の疾走を続けている。

 

「く、ぅうううううううううっ!!」

 

 それを仕留めた少女が、突き刺した刃に縋りつく形で必死にそれに耐える。

 もし崩壊が彼女のいるところに及べば振り落とされかねない状況の中、断末魔のような惰性がついに終わりを迎える。

 今までとは別の大木にまともに衝突したのだ。

 地を揺さぶるほどの衝撃が走り、そしてそれが治まって漸く少女は肩の力を抜いた。

 

「はぁ~……助かっ」

 

 直後、少女の体が弾き飛ばされる。

 狙撃だ。

 彼女は左肩を中心に強い衝撃と痛みを感じながら、呻く間もなく落下していく。

 

 その視界の端で、先程まで自分がいた場所に幾つもの木の杭が突き刺さっていくのを見た。

 どうやら背後の木肌がめくり上がり、出来損ないのトラバサミのように襲い掛かろうとしていたらしい。

 

「ぐべっ!?」

 

 それだけ認識したところで、地面に落着する。

 巨木ヤツメウナギが耕したおかげか、落ちた土は柔らかい。

 が、だからと言って痛みがないわけではない。

 

「~~~っ!! ソニアァアアアアアアッ!! もうちょっとやり方ってモンないの!?」

 

 少女は存外元気よく立ち上がると、気炎をまき散らす。

 それを山彦のように響かせて、沈黙が続くこと数拍。

 

『―――そんだけ元気なら無事なようだね。 なによりだよ、アカネ』

 

 赤い頭巾(フード)の内側で、そんな声が響く。

 少女が耳に着けた魔力駆動の通信装置だ。

 ソニアと呼ばれた声の主は、猛る少女……アカネに対してどこか飄々とした調子を見せている。

 

「っ、まっさき言うことはそれかしら?」

『君こそ、命の恩人に言うことがそれかい?

 最後っ屁で穴だらけになる方が良かったっていうなら別だけど』

『~~~っ! ええその通りね、ありがとうございましたっ!!』

 

 半ばヤケになるような調子で言い放つと、アカネは勢いづけて立ち上がる。

 体に着いた土や木くずを払い落とすと、打って変わって落ち着いた様子で尋ねる。

 

「ねぇ、他に罠が起動した様子は?」

『……………いや、こっちから見た感じだとその様子はなさそうだけど……

 もう少し進んでみないと何とも言えないね』

「そりゃそうね」

 

 言って、アカネは改めて巨木ヤツメウナギの作った轍をなぞるように歩き出す。

 来た道を戻る、のではない。

 むしろ、先程までが強制的に後退させられていたのだ。

 その理由は。

 

「さて、あんだけのモノが罠として置かれてたほどの【遺跡】。

 どれほどのモンか見せてもらおうじゃない」

 

 

 

***

 

 

 

 世界は一度滅びている。

 唐突ではあるが、これは事実だ。

 

 昔、今の老人が赤ん坊だった頃まではこの世界には魔法とそれを応用した魔導技術で栄華を極めていた。

 だが、それは想像以上に最悪の形で衰退することとなった。

 

 大地を流れる魔力の流れ……一般に地脈と呼ばれるこれが突然暴走。

 その影響は地上の植物に現れ、急激な成長と変異を促した。

 結果、地表の殆どは巨木の群れによって構成された樹海に覆われ、人々の生活圏はそれを何とか切り開いた場所かさもなくば一際巨大な類の樹木の上に移り変わっていった。

 その時の混乱により多くの技術は衰退、或いは喪失していくこととなった。

 

 文明崩壊による世界の滅亡……これを【樹海災禍(カラミテイロスト)】と呼び、それ以前の魔導文明を【遺失時代(ロストエイジ)】と名付けられた。

 

 【樹海災禍】によって木々に呑まれた地表には、【遺失時代】の施設が残されていることが多い。

 そういう【遺跡】を探索し、残された技術やその産物を回収することを生業とずる者たちがいた。

 

 【遺失物狩り(ロストハンター)】……それが、滅びた後の世界―――【樹海時代(アフターロスト)】で【遺失時代】を糧として生きる者たちの呼び名である。

 

 物語は、そんな【遺失物狩り】を生業とする少女……アカネのある仕事から始まる。




 連続投稿の二つ目です。
 あとがきは本日更新分の最後でやりますのでよろしくです。


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2:そう、ファーストキスだった

 

 

 

 巨木ヤツメウナギが護っていたのは木々に絡みつかれ、絞られるように潰れかけているある建物だった。

 表面は蔦や浸食した木の枝などが生い茂り、元の建物としての形は殆どわからない。

 あちこちが歪み、ひび割れているがその原因となった木々そのものが新たな支えとなって辛うじて建物としての態を保っていた。

 

 その入り口、扉らしきものが壊れて吹き曝しとなっている場所の前にアカネはもう一人の少女と共に立っていた。

 男装と見まがうばかりのズボン姿にコートを纏い、やや癖のあるセミロングの茶髪を揺らしながらライフルを担いでいる。

 その衣装を緑色で統一したこの少女こそ、ソニアだ。

 

 アカネは目を細めて見上げながら、呆れたように呟く。

 

「案の定、ボロボロね」

「ボロボロじゃない遺跡の方が珍しいだろ」

「そりゃそうね」

 

 言いつつ、アカネは右の袖を捲る。

 そこから覗くのは、衣装に合わせたような黒と赤で彩られた手甲だ。

 腕を覆う装甲を操作して、右の拳を覆うナックルガードを引き出す。

 そして左手で籠型のポシェットから小瓶を一つ取り出す。

 黄色のそれを右拳の先端に取り付けながら、遺跡の中へと潜っていく。

 ソニアも並んでそれに続く。

 当然ながら内部に光はなく、少し先からはほとんど何も見えない状態だ。

 

「んっ」

 

 と、ナックルガードに取り付けた小瓶が光を放ち始める。

 それほど広い範囲まで照らせるほどではないが、アカネからすれば安物のランプよりも使い勝手のいい照明だ。

 床や壁へと光を向けながら、二人は慎重に先へ先へと進んでいく。

 

「やっぱり中は酷いモノね……」

「あんなものが仕掛けられてたから、手付かずだったはずなんだがね」

 

 言いあう二人の目に映るのは、内部にまで浸食した木の根や枝によって拉げ、或いは砕けた内部だ。

 廊下や部屋は言うに及ばず、家具だか備品だかわからない棚のようなものまで無事であるものは少ない。

 辛うじて原形を保っていても、めぼしいものがあるようには見えない。

 

「依頼できたけど……こりゃ、今回は空振りかね」

 

 ソニアの言葉にアカネは勘弁してくれと言葉に出さず愚痴る。

 あそこまで必死に走り回って命を懸けたのだ。

 それで何もなしじゃあ割に合わないにもほどがある。

 具体的にはその後のやけ食いまで入れて大散財になってしまう。

 だが、この稼業だとままあることなだけに、アカネは既にげんなりとしながら幾度目かの部屋を覗き込む。

 

「……………………ふぅん」

 

 途端、雰囲気が変わる。

 眼を細め、獲物を見つけて飛びかかる寸前のネコ科のような空気を纏わせ始める。

 

「アカネ?」

 

 ソニアが訝し気に尋ねるのを余所に、アカネは新たにもう一つの黄色の小瓶を取り出すと、今度は手の中で魔力を籠らせて小瓶を光らせる。

 そしてソニアに振り向くと、それを彼女に手渡す。

 

「ちょっとここでそれ持ってて。 なるべく高くね」

「―――了解」

 

 言いつつ、ソニアはやや細長く伸びている入れ口のところを持つと、そのまま逆さにして腕ごと高く掲げる。

 淡い光が部屋を照らす中、アカネは拳を光らせながら奥へと進んでいく。

 そして隅の方まで照らしていくと納得いったかのように頷いた。

 

「やっぱりね。 ここだけ根の浸食が異様に少ないわ」

 

 そして所々の床をつま先でコンコンと軽くけるようにしていくと、ある場所で音が変わった。

 しゃがみ、その周りの床を調べれば開閉しそうな作りになっていることが解った。

 次いで、壁の方を調べればすぐにカバーに覆われたスイッチの類を発見する。

 

「スイッチだけ、パスワードとかいらないのか。

 これ、罠の類じゃあるまいね?」

「さぁね」

 

 軽く答えつつ、アカネは内心でその可能性は低いと感じていた。

 それは勘によるものも大きかったが、外にあった巨木ヤツメウナギのような存在が遺跡内に居なかったことも理由の一つだった。

 恐らく、この遺跡となった施設を日常的に利用する者達の邪魔にならないようにしているためだろう。

 とはいえ、ここから先は明らかに毛色が違う。

 警戒を強めるに越したことはなかった。

 

 スイッチを操作すれば、床はあっさりと開いて下りの階段が現れる。

 その様子に、アカネがスッと目を細める。

 

「……この仕掛けは問題なく動く、か」

 

 道中、幾つかほかの部屋も調べたが、照明などのスイッチと思われるものは操作しても変化はなかった。

 対して、この仕掛けは問題なく動いている。

 これが意味するのは、この辺りの部分だけ動力が生きているということと、仕掛けが正常に動くほどここだけ木々の浸食を受けないほどに頑丈に作られているということだ。

 

「さ、行くわよ」

「了解」

 

 虎口に飛び込むような気分で、二人はゆっくりと階段を下りていく。

 それぞれ明かりは手にしていたが、床に埋め込まれた照明が淡い光を放っていたため、足元が危ぶまれることはなかった。

 また、やはり木の根などが突き出ているということはなく、埃などが積もってはいたが外観や階上の惨状が嘘のように整っていた。

 

「これは案外期待できるかもね」

 

 アカネは警戒を強めつつも、しかしそれ以上にこの先に待つモノに期待を募らせずにはいられない。

 苦労させられた挙句、空振りだったかもしれないというところにこの展開、そうなってしまうのもさもありなんといった具合だろう。

 

 そのまま進むこと暫く。

 辿り着いた先には、暗闇が広がっていた。

 

 何かの装置があるのか、所々小さな光を発しているものはあるが、全貌が確認できるほどではない。

 アカネとソニアは出入り口付近の壁を調べて、スイッチを見つける。

 それを押せば、案の定照明に明かりが灯った。

 

「っ、これって」

「うぉ」

 

 瞬間、二人が息を呑む。

 照明の眩しさに目が慣れた直後、二人が目の当たりにしたのは巨大な結晶体だ。

 透き通った茶褐色に染まったそれは、上質の琥珀のように見える。

 その琥珀の周りには、何らかの器具が取り付けられ、そこから伸びるケーブルが周囲の装置の群れに繋がっている。

 

 だが、二人が言葉を失った原因は、そのさらに奥にあった。

 そう、琥珀の内部……そこに納まった何か。

 より正確に言えば―――『何者か』。

 

「………男?」

 

 ソニアの言う通り、琥珀の中には男が固められていた。

 歳は見た目通りなら二人と同じくらいだろうか。

 目の伏せられた顔つきは精悍で、一糸まとわぬ体は細身ながらも筋肉質だ。

 そんな、ある種の芸術品のようなものを目の当たりにして、二人は同時に呟いた。

 

「「趣味悪い」」

 

 どうやら彼女たちの美的センス的にはそぐわないらしい。

 まぁ、生々しい人体が結晶の中に閉じ込められているのを見たら当然の反応かもしれないが。

 しばらくそれを見上げていた二人だったが、そろそろ部屋の中を探してみようと思ったところで違和感に気付く。

 

「―――ん?」

「なぁ、なにか音が聞こえないか?」

 

 二人が同時に気付いたのは、耳朶を叩く小さくも高い音だった。

 まるでとても小さな穴から風が鋭く噴き出しているようなその音は、段々とその存在感を大きくしていた。

 と、それが途切れる。

 直後、周囲の機械がブン!!と一斉に活発な反応を見せる。

 

「な、なに!?」

「気を付けろっ!!」

 

 事態の急変にアカネは左手をポシェットに突っ込みながらナックルガードに包まれた拳を掲げ、ソニアは銃を油断なく構える。

 しかしそんなことはお構いなしといった具合に、変化はさらに続いていく。

 

「っ!? 琥珀が!?」

「振動している……いや、溶けてる!?」

 

 二人の目の前で、青年を内包した琥珀が小刻みに振動し、結露のようにポタポタと雫を垂らしている。

 よく見れば、内部はもっと液状化が進んでいるのか、青年の口元辺りからゴポリと気泡が漏れる。

 そう、まるで息を吐いたかのように―――

 

「待って。 まさかコイツ生きてるの!?」

 

 アカネが信じられないように叫んだ直後だった。

 ついに琥珀がひび割れ、砕け散ったのだ。

 

「キャァッ!?」

「うぅっ!!」

 

 思わず腕で顔を庇いながら身を引かせる二人。

 飛び散った琥珀は濡れそぼった床に軽い音を立てて落ちると、そのままなおも溶けていく。

 そうして周囲の装置もおとなしくなった頃には、一面琥珀だったヌルヌルの液体に塗れた床に倒れたまま身動き一つ取らない青年の姿が。

 

「納まったのか?」

「………」

 

 ソニアが呆然と呟く中、アカネがゆっくりと青年に近付いていく。

 

「アカネ!?」

「なにがなんだかわからないけど、調べないわけにはいかないでしょう」

 

 言いながら、アカネは膝が濡れるのもお構いなしに青年の傍に膝をつくと、うつぶせに倒れている彼の体をひっくり返しながら抱き起す。

 と、濡れそぼった茶色の前髪の奥にある両目が、その瞼をびくびくと動かしている。

 目が覚めるか、そう思った彼女の前でついにその目が開かれる。

 

「う……」

「っ!」

 

 呻きながら、青年がこちらと目を合わせる。

 その瞳に、思わずアカネは息を呑んだ。

 金だ。

 磨かれた黄金のように煌きながら、それでいてどこまでも透き通ったその輝きに思わず見惚れてしまいそうになる。

 

「うぅ……ぉ……」

 

 と、青年がこちらを見ながら何事かを言おうとしている。

 思考に空白ができていたアカネは、そのことに思わず身を乗り出してしまった。

 

 そして、それがアカネにとっては最大級の失敗だった。

 

 瞬間、青年はアカネがいる方とは逆側の、自由が利く左腕をゆらりと持ち上げて彼女の右肩を掴んだ。

 そして、

 

「う、ぉお……あぁ、ダルい……」

 

 そんなことを言いながら、おもむろにその唇をアカネのものと重ねたのだ。

 

「……………………………………………………………………………………………………………………、っ!????」

 

 突然のことにアカネの思考が停止し、そして一瞬にして暴走する。

 助け起こした青年に、いきなり唇を奪われたのだ。

 平静でいられないのは当然と言えば当然であるが、それ以上に。

 

(あ、ふぇ、ほぇ? あたし、これ、はじめ、て……うぇえっ!?)

 

 そう、ファーストキスだった。

 16年間、特に意識したことなどないがそれでも守ってきた唇の操をいきなり蹂躙される理不尽。

 が、それだけでは終わらなかった。

 

「―――っ!!?」

 

 突如、アカネは強烈な脱力感を覚える。

 そしてその原因にすぐさま思い至る。

 

(コ、イツ……あたしの魔力を吸い取って―――!!)

 

 まずい、と思うよりも先に青年が唇を放し、同時にアカネが思わず膝を落としてしまう。

 

「くっ……!!」

「アカネ!?」

 

 様子がおかしいことに気付いたソニアが声を上げるが、それを尻目に青年が気だるげに身を起こす。

 彼は首に手を当ててグキグキと鳴らしながら呻くように呟く。

 

 

「あー、まぁまぁか。 まだマシってってトコだが」

 

 

 瞬間、遠くなりつつあったアカネの意識が繋ぎ止められる。

 否、正確には無理矢理踏みとどまった。

 

「ギ……」

 

 奥歯を噛みしめながら、震える手でポシェットに手を突っ込み、小瓶を二つほど取り出す。

 

「ガ……」

 

 のろのろとそれをナックルガードに取り付けながら、その思考はある一つの感情一色に染められていた。

 即ち、怒り。

 震えながらもゆらりと立ち上がったその姿に、ソニアが肩を震わせ身を竦ませる。

 それをなんだと思ったのか、男が気だるげな様子を隠そうともしないまま口を開く。

 

「いや、そんな顔すんなって。 別になんもする気はないさ」

 

 僅かにふらつきながらそう言う青年から、ソニアは距離を取ろうとする。

 その反応に、青年は思わず溜息を吐く。

 

「おいおい、いくら何でもその反応はちょっと傷付くぜ?

 ……って、あ~、裸だからか。 こいつは失敬」

 

 冗談めかして笑う青年だが、ソニアが距離を取るのは彼を警戒しているというのも当然あるが、それだけではない。

 単純に、これから起こることに巻き込まれたくないからだ。

 

「―――オイ」

「ん? …………っ!?」

 

 背後から聞こえた地を這うような声に、青年はゆっくりと振り返る。

 瞬間、思わず息を呑んだ。

 

 そこには、ふらつきながらも拳を輝かせて立つアカネの姿が。

 伏せられた顔がゆっくりと上げられると同時に輝いていた拳……正確にはそこに取り付けられていた小瓶が弾け、バチバチと電撃を迸らせながら輝きを増していた。

 その稲光に照らされたアカネの形相は、控えめに言っても悪鬼のそれだ。

 

 彼女は雷光を纏った拳を振り上げ、体を揺らしながらも力強く一歩を踏みしめる。

 

「ヒトのファーストキス奪っておいてどういう言い草しやがってやがるこの駄犬がァアアアアアアアアアアアッ!!!!!」

「グギャァアアアアアアアアアアアアーーーーーッ!!!!?」

 

 乙女の満腔の怒りと共に放たれた一撃は、青年のみぞおちに吸い込まれてその衝撃と雷撃を余すところなく堪能させた。

 そしてわずかに浮いた青年の体が大の字に倒れると同時に、

 

「あ……」

 

 なけなしの魔力を体力と気力もろとも使い切ったアカネもまた大の字になって倒れ伏した。

 そうして見事なまでに一方的なダブルノックアウトの惨状を前に、ソニアは呆然と呟いた。

 

「………これ、あたしにどうしろっていうんだ?」

 

 彼女にとっては非常に残念なことに、それに答えられる者はいなかった。




 連続投稿三つ目です。
 あとがきはこの次で。


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夢現:オオカミ

 夢を見る。

 響く声の聞き覚えさえ、定かではない。

 

 

 

***

 

 

 

 

 ―――さて、唐突ではあるけれど、オオカミの話をしましょうか。

 なに、狼の生態について講釈するわけじゃないわ。

 正直、そちらのほうは大して知らないし。

 今回のお話は、お伽噺のオオカミについてよ。

 

 オオカミ、といえばいろんなお伽噺に出てくるわね。

 例えば、赤い頭巾を被った少女を襲うお話。

 例えば、子豚の三兄弟を襲うお話。

 例えば、七兄弟の子ヤギを襲うお話

 例えば、嘘つきの少年を襲うお話。

 どれも、オオカミは襲い掛かる悪役として描かれ、そして大抵は成敗される。

 

 では、オオカミとは一体なにかしら?

 きっと答えは無数に出てくるでしょけど、ここでは一つの解釈を披露させてもらうわ。

 

 オオカミとは、主人公にとっての不幸であり災禍であり試練であり理不尽であり、とどのつまりは絶望の象徴といえるのではないかしら。

 赤い頭巾の少女は祖母と共に飲み込まれ、狩人が居なければそのまま死んでいた。

 子豚の三兄弟は末っ子が機転を利かせなければ仲良く食べられていた。

 子ヤギの七兄弟も末っ子がたまたま見つからなかったからこそ彼らの母は助けることができた。

 嘘つきの少年に至ってはどこまで言っても自業自得だから助けが現れることもなかった。

 どれも形は違えど、主人公やその周囲を飲み込む、問答無用の災害に等しいもの。

 ならばオオカミが退治されることは、“絶望は打破できるもの”という希望を現わしているのかしら?

 

 いえ、違う―――むしろその逆。

 

 だって、オオカミ(ぜつぼう)を退治できたのは結局はただの幸運。

 赤い頭巾の少女も、子豚の三兄弟も、七兄弟の子ヤギも、みんな『めでたしめでたし』で締めくくれたのは、たまたまオオカミ(ぜつぼう)を跳ねのける『ナニか』に恵まれただけの話だもの。

 嘘つきの少年だって、運が悪かったからオオカミ(ぜつぼう)が現実に現れたのだし。

 つまりは、オオカミ(ぜつぼう)に勝つことなんて、決してできはしないということよ。

 ……物語の都合、と言ってしまえばそれだけだけどね。

 

 だからオオカミ(ぜつぼう)に出会って、それを払う『ナニか』にも恵まれなかったとき。

 もしそれでもオオカミ(ぜつぼう)に勝てるとすれば、それはきっとオオカミよりさらに強いモノ。

 オオカミ(ぜつぼう)を凌駕する別のオオカミ(ぜつぼう)なのではないかしら。

 

 ―――と、今日はこの辺で。

 それじゃあ、また別の夢で逢いましょう。

 

 

 

***

 

 

 

 夢から覚める。

 夢中のことなど覚えていない。




 というわけで、完全新作オリジナル、連載開始させていただきました。
 ……近いうちにやるとか言って、ここまで遅くなってしまってすいません。

 とりあえず、現状書き溜めはそれなりに溜まっているので、様子を見つつ時間が空いたら投稿していきます。
 一応、『小説家になろう様』と『ハーメルン』様の双方で投稿する形になりますので、内容に差はありませんがどちらもよろしくお願いします。

 さて、舞台は魔法ありな世界の文明崩壊後。
 しかも樹海に覆われた世界っていういろんな意味で大雑把な世界。
 どのくらい大雑把かというと、まだあんまり決めてない部分も結構あるくらい大雑把(笑)
 そんな世界で出会ったアカネと青年。
 割と最悪だけど少女漫画とかだと割と使い古されてそうな出会いから始まる彼らがどんな物語を紡いでいくか。
 温かく見守っていただければいいかなと思っています。
 ただ、この作品の根底の一つに『絶望』というのがあります。
 といっても、あまりダークにはならないかもしれないので、読み手が肩透かしにならないようこちらも頑張っていこうと思います。

 それでは、この辺で。
 次話からは、アカネの仲間も登場しますよ!!
 ……ただし、主人公の青年の名前はしばらく出てこないという……(震え声)


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3:つまるところ青年は牢の中に放り込まれていた

 

 

 

「―――うっ、うぅ?」

 

 軽い頭痛を覚えながら、目覚めたアカネの瞳に映ったのは見覚えのある天井だ。

 

「……医務室?」

 

 気怠い体と重い頭をなんとか持ち上げて起き上がる。

 抱えるように額に手を当て、思考を再起動させていく。

 

(なんか夢見てたような? というか、なにしてたっけ?)

 

 と、すぐ傍に見知った顔が座っていることに気付いた。

 ソニアだ。

 

「目が覚めてなによりだよ」

 

 言葉のわりに、声音と視線はやけに冷たい。

 何故かと考えて、急速に記憶が再生されていく。

 その中に腹立たしいものがあったがそれはさておいて、状況を整理しながら答えを導き出す。

 原因は明白だった。

 

「―――もしかして、運んでくれたのソニア?」

「罠らしい罠が中になくって本当に良かったよ」

 

 乾いた笑いと共に突き刺さる言葉に、アカネは身を小さくする。

 

「………………………………ごめんなさい。 それとありがとう」

「……はぁ。 まぁいいさ。

 実際、言うほど手間はかかってないしね。

 この船も、キミを抱えて外に出たときには遺跡の前に来てたし」

 

 ソニアが言っていたように、今二人がいるのはアカネが拠点として使っている魔導飛空艇の医務室だ。

 あの巨木ヤツメウナギを排除できたために遺跡の前まで直接乗り付けることができたらしい。

 

「コムギやエルにも謝っときなよ?

 特にコムギは本当に心配してたからね」

「わかった……っと!?」

 

 言いつつ、ベッドから降りようとして膝から崩れそうになる。

 想像以上に足に力が入らない。

 床に転げる前に、咄嗟にソニアが支えてくる。

 

「気を付けなよ。 体力消耗してたところに魔力吸われて、挙句に残った魔力振り絞って攻撃したんだ。

 そりゃフラフラにならない方がおかしいさ」

「ごめん……っと、そうだ!?」

 

 再び謝ると同時、アカネがある存在を思い出して声を上げる。

 支えていたために至近にそれを受けたソニアが首を仰け反らせる。

 

「あ、重ね重ねゴメン……それより、あの男はどうなったの?」

「あの男なら今は牢に入れてるよ。 素性が解らないからね」

「そう……」

「………唇奪った相手だから、情が沸いたかい?」

「ハァ?」

「ゴメン、ゼロ距離でガチ殺意込めた視線ヤメテ。 素直に怖い」

 

 幼子に向けたら確実にトラウマになる眼差しをソニアに放ったアカネは、それを収めるとこう言った。

 

「―――話をしに行くわ。 連れてって」

 

 

 

***

 

 

 

「どーしたもんかね、これは」

 

 そう呟くのは一人の幼い少女だ。

 薄紫のロングヘアに白衣を纏い、掛けた眼鏡の奥に知性と冷徹さを同居させた眼差しを放つその身は、しかし異様に小柄だ。

 ともすれば、十代前半かそれ以下に見える。

 彼女は用意した椅子に腰掛けて、背もたれの方を両足で挟みながらその上に顎を乗せる。

 

 少女の視線の先にあるのは腰回りにシーツを巻かれた青年だ。

 手首には縄が巻かれ、その上で転がされて動かない。

 どうやら意識を失っているらしい。

 少女と青年の間にあるのは薄いオレンジ色の壁で、時折砂嵐かさざ波のように表面が揺れる。

 それは魔力で構成される壁で、つまるところ青年は牢の中に放り込まれていた。

 

 白衣の少女の隣に立っているのは、深みのある青味がかった黒髪を二つに分け、それぞれを毛先近くで纏めた小麦色の肌の少女だ。

 こちらは十代半ばといったところか。

 肉感的な肢体をアオザイにも似たゆったりとした薄桃色の服に包み、白衣の少女のそれと比べかなり大きめの丸眼鏡の奥は不安げに目じりが下がっている。

 

「えと、大丈夫なんですか? この人?」

「それはどっちの意味で? こいつの体が大丈夫なのか、それともこいつがここにいてアタシらが大丈夫なのか?」

「………一応両方で」

 

 少し逡巡してからの問いに、白衣の少女は溜め息交じりに答える。

 

「前者についてはざっとしか診てないけど問題なし。 どうやらキスした相手から魔力を奪える妙な力があるようだが、不調があったとしてもそれで治癒したのかもしれない。

 まぁ、起きて話を聞かないとどうにもね。

 後者についても以下同文。 まぁ、警戒するに越したことはないんじゃない?」

「オイオイ、心配しなくてもなんもしねえよ」

 

 と、壁の向こうから馴れ馴れしい声が響く。

 音を遮る機能はないのか、思いのほか鮮明だ。

 

 白衣の少女の目が据わり、もう片方の少女が「ひ!」と声を上げて身を引かせる。

 そんな二人の視線の先で、シーツ一枚の青年が身を起こす。

 

「その反応はさすがに傷付くぜ?」

 

 そう言う青年の顔には、なにが面白いのかニヤついた笑顔が張り付いている。

 白衣の少女が、無表情で切り出す。

 

「面倒なのでサクサク尋ねるが……まず、アンタの名前は」

「覚えてねぇ」

「なんであそこに居た?」

「覚えてねぇ」

「あの遺跡……施設の目的は?」

「知らねぇ」

「君が入っていた装置は何だ?」

「こっちが知りてぇな」

 

 矢継ぎ早な質問に対する即答は、結局どれも求める情報は欠片もなかった。

 その問答ともいえない問答の結果に白衣の少女は眉間を揉み、当の青年はハハハと笑っていた。

 そこに不安げな様子はない。

 と、白衣の少女へもう一人の少女が耳打ちしてくる。

 

「もしかして……記憶喪失ってやつでしょうか?」

「コイツの言葉を信用するならな」

「本当だって、嘘は言ってねぇよ」

 

 パタパタと縛られたままの手を振りながら言う青年の姿を、しかし白衣の少女は冷めた視線で見据える。

 

「悪いが、性犯罪の現行犯の言葉に対する信用は皆無でね」

「人聞きが悪いな」

「目覚めた直後に初対面の少女に強制チュー」

「うわー言い訳できねぇ」

 

 まいったな、と言いながら大仰に顔に手を当てる様子は、そこらのチンピラとさほど変わりはないように見える。

 白衣の少女は、そこにこそ最大の違和感を感じ取る。

 

「……キミが本当に何も覚えていないというなら、もう少し取り乱してもおかしくないだろう?

 正直、下手な芝居を打っていると言われた方が自然だよ」

「あー、そういうもんかー?」

 

 青年は納得したようなしてないような様子で牢の低い天井を仰ぎ、しかしすぐに顔を戻す。

 

「でもな、実際問題あんまり気になんねぇんだよ。

 もしかしたら、ろくでもなさ過ぎて未練もなんもないのかも知んねぇな」

 

 ケラケラと笑う青年には、確かに未練もなにもなさそうに見える。

 と、今度は小麦色の少女が尋ねる。

 

「あ、あの! 覚えてることは本当に何もないんですか?」

「ん? あー、そうだなぁ……」

 

 青年はそこでいやらしく底意地の悪い顔を彼女に向けた。

 

「一晩、こっちで一緒に眠ってくれたら思い出せるかも?」

「ふぇ?」

「おい」

 

 青年の言葉に、小麦色の少女が戸惑う横で白衣の少女が底冷えする声を放つ。

 その声音も視線も、幼く見える体躯に似つかわしくないものだ。

 彼女は汚い虫を見てしまったような眼差しで青年を見下ろす。

 

「あまり調子に乗るなよ? その牢の内側、酸素濃度くらいは操作できるんだぞ」

「うへぇ、怖いなこの嬢ちゃん」

 

 青年は降参、と言いたげに両手を上にする。

 もっとも両手が縛られているので不格好なものだが。

 そして溜息を一つ漏らし、白衣の少女を真正面から見据える。

 

「覚えてることね……そうだな、とりあえずは一つだけ」

 

 そこで一拍開け、静かにその言葉を口にする。

 

「―――黒い髪の女。 それだけはなんか頭の中にこびりついている、気がする」

 

 と言っても、顔はあまりわからないけどな……とそんなことをやはり笑いながら青年は言った。

 と、その時。

 

「唯一覚えてるのが女の事とか……発情期なのかしらこの駄犬は」

 

 とげとげしさを隠そうともしない声音で、アカネが介入してきた。

 彼女はソニアに付き添われながら牢の前に立つ。

 

「ア、アカネちゃん! もう大丈夫なの?」

「ええ。 心配かけてゴメン、コムギ」

 

 心配げに声をかけてきた小麦色の肌の少女……コムギにアカネは微笑みかける。

 ほっと胸を撫で下ろすコムギをよそに、今度は白衣の少女のほうへ向き直る。

 

「で、エル。 なにかわかったことは?」

「なぁ~んにも。 お手上げ」

 

 袖を捲った両手を上げながら、エルという名らしい少女は降参するかのように両手を上げる。

 それに対し、アカネは思わず深々と溜息を吐く。

 

「……ソニア、あそこに他に目ぼしいものは?」

「倒れた君達を運ぶのを優先してたから細かくは見てないけど……多分、ないかな?」

 

 それを聞いて、ついに崩れ落ちる。

 コムギが慌てて駆け寄るが、アカネは頭を抱えて唸っている。

 

「あぁ~……あんな苦労した挙句に収穫したのが駄犬一匹なんて……

 くたびれもうけじゃない……」

「げ、元気出してください、アカネさん!! それに元々ラプンツェルさんの依頼だったんですから、報酬はそこから出るじゃないですか」

 

 コムギの励ましに、よろよろと立ち上がるアカネ。

 その肩をがっくりと落としている姿に、青年が気安く声をかける。

 

「ハハハ、元気出せよ」

「テメェのせぇだろうがぁっ!!!!!」

「うぉっと」

 

 途端、激昂したアカネがオレンジ色の魔力壁に直蹴りを食らわせる。

 ゴン!、という音と共に波紋が広がるが、思わず仰け反った青年に届くことはない。

 むしろ蹴りを放ったアカネの方が体をぐらりと傾けかけ、寸でのところでなんとか踏みとどまった。

 

「お、と」

「ああ、ダメですよ、アカネさん!! まだ体に力入んないのに無茶しちゃ!!」

「ぬぐぅ……」

 

 コムギが慌てて支えると、アカネはバツが悪そうな顔で唸りつつ青年を睨む。

 その視線を受けて、青年はやはりヘラヘラと笑っている。

 その態度が、なおさらアカネの神経を逆なでしていた。

 と、そんな二人のやり取りを見ながらエルが思い出したように手を打つ。

 

「そうだ、もう一つ訊きたいことがあったんだ」

「ん? なんだ?」

 

 訊き返す青年が彼女を見れば、先程の虫を見る目が嘘だったかのように興味に瞳を輝かせていた。

 それこそ新しいおもちゃでも手に入れたかのような表情で、こちらのほうが年相応に見える。

 ここで初めて青年の表情にヘラヘラとした笑み以外の苦いものが混じる。

 どうやら本能的に彼女の視線に危機感を覚えたようだ。

 

「アカネと口付けして、そこから魔力を奪ったんだよな。

 ……どうしてそんなことができた? そんな芸当、できる奴がいるなんて初めて知ったぞ」

 

 そう、エルの興味はそこにあった。

 

 魔法およびそれを利用した技術で作られた物品を使用する上で消費されるエネルギー、【魔力】。

 その発生源は人間を含めいろいろとあるし、それを貯めておくタンクのような技術も存在する。

 だが、人間が直接他者の魔力を吸収し、摂取するというのは聞いたことはない。

 或いはそう言った魔法は存在するかもしれないが、この青年の場合はそれを使ったとは考えにくい。

 つまり、彼は自身の持つ能力としてそういう芸当ができるということなのだ。

 一端の研究者としては知的好奇心を刺激されて興奮せざるを得ない事柄だ。

 

 しかし、それに対する青年の反応はキョトンとしたものだ。

 想定外だったと言わんばかりの素の表情を見せている。

 

「―――え? 普通はできないもんなのか? ああいうの」

「出来てたまるかあんなこと」

 

 アカネはそう言って、思い出してしまったのか顔を盛大に赤くしていく。

 意識してしまった苛立ちを隠すように、フンと盛大に鼻を鳴らして顔を逸らした。

 その様子に、さしもの青年もからかったりすることを自重した。

 或いはいっぱしに罪悪感でも抱いてしまったか。

 

「………それも解らない、か。 ふむ」

 

 一方でエルは青年をまじまじと眺めながら考え込むように顎に手をやる。

 青年から見れば仕草がいちいち外見年齢と噛み合っていないので違和感が甚だしいのだが、周りは慣れているのか特に気にした様子はない。

 寧ろ、青年を警戒するのに忙しいといった様子だ。

 

「となると、個人的にはいろいろと調べたいところなんだが……」

「悪いけど、あんまり時間はかけられないわよ? 一緒に居たくないってのもあるけど、一応コレが依頼の品ってことになるんだから」

「わかってるよ。 まぁ、元々解剖とかはあんまりする気はないからいいんだけどさ」

「おい、あんまりってことは多少はする気あったのか」

 

 青年がげんなりとした表情で半目になると、エルは肩を竦めて「どうだろうね?」ととぼけて見せる。

 正直、怖いのであまり追求したくはない。

 それもあって、彼は話題を変えることにした。

 

「ところで、さっきから依頼とか言ってるが、俺をこれからどうするつもりなんだ?」

「―――フン、本当だったらこのまま放って捨てたいところだけど……まぁ、渡すべき相手の所まではそのままでいてもらうわ」

「そのまま……ってことは、こん中か?」

 

 若干イヤそうな顔で問い直せば、アカネは何を当たり前なことをと言わんばかりに眇めて見せる。

 彼女はつま先で牢を隔てる魔力の壁をトントンと蹴りながら吐き捨てるように言い放つ。

 

「アンタみたいな駄犬、表に出せるわけないでしょ? それとも、オイタ出来ないように去勢してやりましょうか?」

「アハハ……やめてくださいしんでしまいます」

「なら、そのまま大人しくしていなさいな」

 

 青年は苦笑いを青く染めながら懇願する。

 流石に男としてご臨終するのは真っ平なようだ。

 アカネはそんな青年の様子に多少は溜飲が下がったのか、鼻で笑って言い捨てる。

 そしてそのまま、まだややふらつく足取りで踵を返していく。

 

「それじゃ、この後のことは向こうで話し合いましょ」

「ま、そうだな」

 

 エルがアカネの言葉にうなずきながら続く。

 コムギとソニアも同様だ。

 背を向けて去っていく少女たちに、青年は慌てて声をかける。

 

「ちょ、ホントにこのままか、俺?」

「気が向いたら食事くらいは出してあげるから大人しくしてなさい」

 

 振り向きもせずそう言い捨てて、アカネたちはその場を後にした。

 ガチャン、と閉められた金属製の扉を不満げに眺めたまま、青年はポツリと呟く。

 

「……ずっとこれ一枚か」

 

 言いつつ見下ろす彼の視界には、腰に巻かれた真白いシーツが彼の動きに合わせて揺れていた。




 というわけで、アカネの仲間のエルとコムギが登場です。
 ロリクールとややむっちりな気弱系です。
 あとはラプンツェルという名前も出てきましたが、彼女の登場は結構先になります。

 気づいた方もいるかもしれませんが、この作品の登場人物には童話をモチーフにした人が多いです。
 ラプンツェルとか、そのままですしね。
 エルとコムギが何の童話モチーフなのか、わからなかったらいろいろ推理してみるも面白いかもしれません。

 それでは、今回はこの辺で。


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4:それでは、銃火による歓待を始めよう

 

 

 

「さて……目が覚めてすぐあそこ行ったから聞いてないんだけど、今この船はどこにあるの?」

 

 改めて集まった飛空艇のブリッジで、アカネは皆に尋ねた。

 陽が落ちたのか、広く見渡せる窓の外は漆黒に覆われている。

 

「あの遺跡のすぐ近くだよ。

 どうやらあの罠は大掛かりな分、数は存在してなかったみたいでね。

 お陰ですぐ上を漂っても平気だよ」

「そう。 まぁ、あれを潰すのには苦労したものね。

 ………苦労したんだけどね………」

 

 エルの答えに、アカネは先の修羅場を思い出し、そしてその結果に再び消沈する。

 彼女からしてみれば徒労なだけで終わるよりも性質が悪かった。

 それに対し、コムギやソニアが慰めるよりも前にエルがパンパンと高らかに手を叩く。

 いちいち落ち込まれては埒が明かないからだ。

 

「話進めるよ。 いいね?

 ソニアの話じゃ、他に目ぼしいものはなかったってことらしいけど、アンタやあの男を運び出すのに苦労したから、実際はまだ調べきれてないところもあるかもしれない。

 だから、明日はラプンツェルの所に戻る前にもう一度あそこに入って調べるってのもありだと思うけど、どうよ?」

「やるわ」

 

 アカネは即答した。

 ブワッ、と勢いよく頭を跳ね上げながらの応答は、傍にいたソニアと小麦が驚いて身を引かせる程の勢いだ。

 その目には、ギラギラとした光とじっとりとした執念が入り混じっていた。

 

「こうなったら意地でもあの大立ち回りとファーストキス分の収穫を持って帰らないと割に合わない所の話じゃないわ」

「……別に一回かそこらチュッチュされた程度で気にしないでもいいだろうに」

「ナニカイッタ?」

「いやなにも」

 

 獲物を狩るモノの眼光を向けられ、即座に目を逸らすエル。

 気に恐ろしきは乙女の純情か。

 傍にいるコムギとソニアの二人も苦笑を浮かべるしかない。

 それはさておきと、アカネは気を取り直して話を戻す。

 

「ともあれ、今日はもう遅いしあたしも本調子じゃない。

 今日はこのまま休んで、調べるのは明日にするよ。

 異論はないね?」

 

 無言で肯定を示す面々に、アカネはようやく満足げに頷く。

 

「それじゃ、この場はいったん解散―――」

 

 瞬間、アカネの言葉を遮るように、ブリッジが白く染まる。

 正確には、扇のように半円を描きながら配置された窓から真白い閃光が差し込んできたのだ。

 

「―――つっ!?」

「きゃぁっ!!?」

「くっ!?」

「ぅっ!?」

 

 四者四様に呻きながら身を固くする。

 そうしながら、アカネの脳裏に警鐘が鳴り響く。

 

(これは、照明弾……ということは!?)

 

 薄く開けた眼の、ぼやける視界の中で光の中を黒い影が横切るのを確かに見た。

 その直後。

 

『オォォォオラァァアアッ、聞こえるかメス共ぉおおおおっ!!』

 

 野卑の塊としか思えない、そんな大音声がビリビリと響いてくる。

 予想が当たったことに、アカネは忌々しく舌打ちする。

 

「っ、【ハイエナ】かっ!!?」

 

 【ハイエナ】。

 それは彼女たち遺失物狩りの中でも最も卑しく忌まわしい在り様の者たちの総称。

 彼らはその名のとおり、他の遺失物狩りから戦果を略奪することを良しとする集団だ。

 無論、生業故に同業他者とかち合うことはままある。

 結果として競争になり、場合によっては正面から激突することも珍しくはない。

 だがそれは遺跡の中、まだ誰も手に入れていない遺失物に対してだ。

 だからこそ他の者が発見し、入手した遺失物を遺跡の外で奪う行いはもっとも恥ずべき行いであるとされている。

 もしそれが当然のように横行すれば、遺失物狩りは賊徒野盗の類であると括られてしまってもおかしくないからだ。

 故に明文化こそされてはいないものの、やってはいけない絶対の禁忌として暗黙の内に掟とされている。

 

 だが、そんな唾棄すべき真似を恒常的に行う者たちもいる。

 それがハイエナだ。

 彼らはそんな集団であるが故に、実際に盗賊として手配されている者らも少なくない。

 

「【セブン】、連中の数と正体、把握できるか?」

『人造飛馬(ペガサス)の数は六機、内五機が二人乗りです。

 使用機種、確認できる装備、この一帯での目撃情報などを総合した結果、敵は【黒狼鬼】の構成員かと思われます』

 

 目を擦りながら尋ねたエルに答えたのは、彼女たちの乗る飛空艇【クロック・ゴート】を統括する人工精霊(メインシステム)だ。

 セブンと名付けられたそれは少女のような、しかしガラス越しのような独特の声質で無機質に索敵結果を報告する。

 

 ちなみに【人造飛馬(ペガサス)】とはこの世界における移動手段の一つで、魔力で駆動して浮かぶ一人ないし二人乗りの機械だ。

 跨って操縦するそれらは遺失物狩りのみならず民間にも広く流通している。

 

「チィッ、特にヤバいクソどもじゃないの!」

 

 舌打ちと共にアカネが踵を返して、しかし足を縺れかける。

 その身をコムギが慌てて支える。

 

「あ、アカネさん!! だめですよ、病み上がりでしょ!!」

「別段病気だったわけじゃないから大丈夫よ!!」

「いや、ダメだろ」

 

 即座にダメ出しをするエルに、アカネはキッと眦を上げた視線を浴びせる。

 

「なら、どうするのよ? 現実問題、あいつらの後ろには本隊もいるはずよ?

 ここから逃げるにしても、飛び回ってるハエを追い払わなきゃ」

「む、それは……」

 

 エルは思わず言い淀んでしまう。

 基本、頭脳労働担当であるが故に戦闘関連に関しては強くは言えない立場だ。

 これに関してはコムギも同じで、彼女は戦闘ができないわけではないが、どちらかと言えばサポート寄りの立ち位置だ。

 何より、現状では場所も相手も悪く、今回の戦いでは役に立つとは言い難い。

 それを自覚して、今の彼女は唇を噛んで口を噤むことしかできなかった。

 

 現実問題、この船が攻め落とされればアカネを出し渋る意味はない。

 だが同時に、船医を兼任している身としてはこのまま送り出すことを良しとはできなかった。

 第一。

 

「だが、お前の魔力だってロクに回復していないだろう?

 ただでさえ消耗していたところに魔力を根こそぎ取られたんだ。

 疲労感だって生半可なものじゃないだろう?」

 

 そう、今の彼女は戦うだけの地力が足りない状態だ。

 青年に奪われた魔力も巨木ヤツメウナギを沈黙させるために使った体力も、ほんの少し眠っていただけでは補えない。

 

「そんなお前が出たところで、あいつらを追い払えるのか!?」

「でも!」

「あたしが出るよ」

 

 言い争いを中断させたのは、間に入ったソニアだった。

 そんな彼女に、二人は目を見開く。

 

「ソニア、でも貴女は」

「雇われの外様、でも向こうには関係ないしね」

 

 肩を竦めるソニア。

 今自身が言っていたように、実は彼女はアカネたちのチームの一員ではなく、今回の仕事に合わせて雇われただけの立場だ。

 とはいえ、似たように仕事を共にしたことはすでに何度かあり、正式なメンバーとして勧誘したのも一度や二度ではないのだが、今回に至っても袖にされ続けている。

 そんな気心の知れた客人に、エルは苦い顔を浮かべつつも頭を下げる。

 

「―――すまん、手を貸してくれ」

「ああ、報酬はもちろん弾んでもらうけどね」

「それじゃあたしも」

「アカネはここにいて、邪魔」

「ぐっ」

 

 にべもなく言い放たれると、言葉を詰まらせる。

 流石にアカネも同じく戦闘要員であるソニアに拒まれれば聞かざるを得ないらしい。

 アカネも、足を引っ張ればそれこそ元も子もないと解っているのか、今度は大人しく従った。

 その様子に、エルもコムギも胸を撫で下ろす。

 と、そんな彼女たちを尻目にソニアは踵を返してブリッジを後にしていく。

 その去り際、一言を残していく。

 

「まぁ、出航しつつ出来れるだけサポートを頼むよ?

 実際、一人じゃちょっときつそうだからね」

「ああ。 セブン!!」

『了解。 既にエンジンは滞空モードから起動モードへと準備を終えるところです。

 いつでもどうぞ』

「アカネ」

 

 視線を投げかけるエルに、アカネはコクリと頷き、そして強い眼差しと共に宣言する。

 

「アンカー解除。 ―――【クロック・ゴート】、出航!!」

 

 

 

***

 

 

 

「あん?」

 

 人造飛馬を駆っていた男の一人が怪訝な表情を浮かべる。

 周囲を飛び交う男たちの風体は装甲服や簡素な皮鎧、ジャケットなどどこか統一感に欠けていたが全体的に黒を基調としており、さらに首元に巻いている黒い布が彼らを同じ集団としての共通の印象を与えていた。

 それが巨大な飛空艇に纏わりつく様は闇に溶け込む悪鬼の集団のような悪夢めいた錯覚を覚える。

 

 男の視線の先、獲物として狙っている連中の飛空艇が重低音の駆動音を響かせる。

 

「チッ、動き出す気か」

 

 舌打ちが早いか、男が羊の頭を象った船首から離れていく。

 見逃す気はないが、動き出す動きに巻き込まれる気は毛頭なかった。

 

 飛行艇の形状は帆を畳んだ帆船を、一足の巨大なハイヒールが挟んでいるような形状をしている。

 ハイヒールのつま先部分には可動式の砲塔が付いており、半球状の台座から二連装の砲口が突き出ているものが二つずつ存在している。

 男の目の前でハイヒールの踵のような部分が稼働し、その先端を後方へと向けていく。

 同時に、フィィィ!、と耳に刺さるような鋭い男が空気を震わせていく。

 ハイヒール……飛行艇のエンジンユニットが本格的に起動し始めたのだ。

 

「テメェら、やれ!!」

 

 男が他の機体に指示を出す。

 森の中を行くならサイズの小さい自分たちの方が圧倒的に早く、取り逃がすことはまずないだろう。

 しかし、面倒は少ないほど良い。

 指示を受けた他の男たちが船首側から見て右側のユニットへと殺到する。

 狙いは後方、ハイヒールのピンにも似たメインスラスターだ。

 

 二人乗りのうち、二機ほどが攻撃態勢に移る。

 後部座席の者が肩に担いでいるのは細長い瓢箪のような円柱だ。

 それは魔力式のロケットランチャーで、前部の弾体の種類を変えることによって様々な効果を発揮する安価で単純な構造のありふれた武装だ。

 今回は恐らくもっともオーソドックスな炸裂弾頭だろう。

 二人は示し合わせるかのようにほぼ同時にその矛先をエンジンに向け―――放つ前に爆散した。

 

「はっ!?」

 

 立て続けに火の花へと変わり果てた四人の仲間の散り様に、指示をした男が船の方を注視する。

 そして、見つけた。

 甲板の上、深い緑に染まったコートを風にはためかせながらライフルを構える女の姿を。

 

「テメェかぁっ!?」

 

 言いつつ襲い掛かるのは別の人造飛馬に乗っていた二人だ。

 前に座る方はハンドルを握って加速させ、後ろに座っている者は手斧を構えている。

 それは刃こそついているものの、切れ味というものはほとんど無い叩き切るだけの鈍器に近い安物だ。

 だが、それだけにその勢いで殴り掛かれば凄惨な結果が待っているだろう。

 

「フッ」

 

 しかし、緑の女は吐息一つ漏らし、左手でライフルを保持しつつ右手で拳銃を抜き放つ。

 直後、存外に軽い音と強い光が続けざまに二回。

 その結果は操縦手の額と人造飛馬の加速器を正確に貫く形で現れる。

 乗り手とバランスを一気に失った人造飛馬は大きく軌道を逸らしつつ不規則に揺れ、盛大に捩じるような軌道で墜落していく。

 

「あ、おぉあああああああああああああああああああっ!!」

 

 その背に乗っていた二人は片や物言わぬまま、片や絶叫を断末魔として残しながら振り落とされて暗い地の底へ落ちていく。

 そんな仲間の最期を、しかし他の者は見届けもしない。

 目を逸らせば次は自分たちがそうなるかもしれないと解っているからだ。

 事実、この場の戦力は既に半減している。

 否応なしに警戒は強まる。

 そうして警戒して距離を保っていたその時、飛行艇がいよいよもって動き出す。

 中空を浮かんでいただけの状態から徐々に、しかしあっという間に速度を上げて進み始める。

 

「ちぃっ」

 

 その様子に、指示役らしき男が舌打ちする。

 こうなる前に動けなくしておきたかったのだが、こうなれば致し方がない。

 

「てめぇら!! 墜とされねぇように回り込め!!」

 

 言うなり、その男を含めた全員が弧というよりも螺旋と言ったほうが良いような軌道で飛空艇へと迫る。

 その甲板で、愛銃の重みを確かめながらソニアは呟く。

 

「さて、半数にはできたけどできればこのまま」

『申し訳ありません、ソニア。 敵の増援を確認しました。

 数は最低5。 さらに増える可能性あり』

「……いけるわけないか」

 

 はあ、と溜息を洩らし、右手を水平に上げ、引き金を引く。

 銃越しに銃弾に込められた魔力が、炸薬と反応して緑色のマズルフラッシュが閃く。

 

「ぎゃばっ!?」

 

 瞬間、下方からせり上がってきた人造飛馬の乗り手の首を横から穿つ。

 そのままその機体はバランスを崩しながら遠ざかっていく。

 その一部始終に全く視線を向けないまま、ソニアは目を鋭くして集中する。

 

「しょうがない。 ―――いつも通り、死なない程度に頑張ろう」

 

 言いつつ、ライフルをスリングで担いで固定し、左手にも拳銃を構える。

 おもてなしの準備は万端。

 それでは、銃火による歓待を始めよう。

 

 

 

***

 

 

 

 その頃、牢にいた青年は立て続けに響く音にピクリと体を震わせる。。

 そして暇だから転がしていた身を起こし、胡坐をかいて中空へ顔を向ける。

 別段、透視ができるわけでも千里眼を持っているわけでもない。

 そもそも、身を起こしていながら今の彼は瞳を閉じたままだ。

 と、彼はおもむろに息を細く細く吐き出していく。

 

「―――なんだろうな」

 

 ふと、誰に聞かせるでもなく呟く。

 その声は、静かなながらも何かを抑えつけているようにどこか苦しげでさえある。

 

 ………否、やはりそれは間違いだ。

 何故なら。

 

「妙に、躰が疼くぜ」

 

 彼は今、昂っているからだ。

 どうしようもなく吊り上がる口角からは、牙が覗き、鈍い光を返している。

 心なしか、アカネたちと会話していた時よりも長く鋭くなっているように見えるのは気のせいか。

 

 そしてゆっくりと開かれるその瞳は―――明らかに、淡い黄金の光を灯していた。




 というわけで四話目です。
 ソニアさんはあれです、アカネたちにとっては準レギュラー的存在ですね。
 人造飛馬に関してはSF作品で出てくるエアバイク的なものを思い浮かべてくれればありがたいかと。
 さて、次回から対ハイエナ集団【黒狼鬼】戦。
 皆さんに楽しんでいただければありがたいです。

 それでは、この辺で。


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5:絶望が、寒気を伴って総身を覆っていく

 

 

 

「ちぃっ!! わらわらと……羽虫みたいなヤツら!!」

 

 愚痴りながら、ソニアは両手の銃から弾丸を放ち続ける。

 クロック・ゴートが森の木々の合間を縫うように進む中、彼女は甲板の上で孤軍奮闘していた。

 それに対し、人造飛馬を駆る男たちは縦横無尽に宙を駆けながら飛空艇や彼女に攻撃を仕掛けている。

 

 賊を迎撃しているのは彼女だけではない。

 飛空艇の方からも、迎撃のための兵装を展開している。

 船の周囲を漂う白い風船のような代物がそれだ。

 淡く輝くそれは魔力の塊でできた機雷のようなもので、接触すれば大きな衝撃と音で空中の敵を叩き落すというものだ。

 直接の殺傷力はたいして高くないが、人造飛馬にとっては十分に脅威と言える。

 事実、ソニアの銃撃に追い込まれて接触した何人かは墜落の憂き目にあっている。

 

 だがしかし、状況は好転するどころか劣勢であると言っていい。

 理由は簡単、減る以上に増えているからだ。

 最初のように飛空艇に致命傷を与えかねない相手は優先的に墜としているが、そうする間にそれ以外の者たちに距離を詰められる。

 甲板には、攻撃を受けた痕跡が生々しく刻まれていた。

 

「ヒャァアアアアアアアアッ!!」

「ちっ!」

 

 奇声のような雄叫びと共にソニアに突撃する人造飛馬を、彼女は軽やかに躱す。

 だが、それを狙っていたかのように別の二機が上から銃撃を浴びせる。

 

「くぅっ!?」

 

 コートの端を持ち、魔力を流しながらはためかせ、翻す。

 すると、コートは淡い緑の光を纏いながら魔力の壁を張り巡らせる。

 銃撃は硬い音を奏でて弾かれた。

 が、その下のソニアは苦痛に歯を食いしばっている。

 

(さっきよりも衝撃が……クソ、魔力がもたないか!)

 

 内心でも歯噛みしつつ、ソニアは少しでも衝撃を逃がすように体を回し、その勢いで銃口を向けて射ち放つ。

 放たれた二発の緑弾は込められた魔力によって立て続けに騎手と銃手を諸共に貫いていく。

 

 だが、落ちていく姿が見えなくなるよりも前に更に敵の手が迫る。

 倍返しだと言わんばかりに四機が四方から襲ってくるのを見て、

 

「~~っ、ああーっ!! 鬱陶しい!!!」

 

 苛立ちと共に舞うようにくるりと回り、一瞬で全てに銃弾を浴びせる。

 それらは全て狙い通りに賊を墜としていくが、すぐさま下から追加が浮かび上がってくる。

 まるで、撃ち落とした相手が亡者のように蘇ってきたような錯覚さえ覚える。

 ソニアは苛立ちに任せて先ほど以上に大きな舌打ちをする。

 

「っとにキリがない!!!」

『ソニア、悪いけどもう少し気張ってくれ!! 開けたところに出たら一気に加速できる!!』

「気軽に言ってくれる、ねっ!!」

 

 突撃してきた一機をスレスレで躱す。

 そのすれ違いざまに跨っている二人のこめかみを弾丸で風通しを良くしておいた。

 ハンドル捌きに意思を失った人造飛馬は、グラグラと進路をブレさせて暴走し、それに運悪く別の一機が衝突して大破する。

 

「ぎあっ!!」

 

 悲鳴は短く。

 すぐに置き去りに遠くなっていく。

 

「ラッキー……だけど」

 

 周囲を飛び回る人造飛馬はまだまだいる。

 ソニアは乱れ始めた息をなんとか整えつつ、両手の銃を構える。

 

 彼女は攻撃と防御、双方に魔力を使っている。

 また、自身の体にも魔力を巡らせることでアカネのスーツほどではないにしろ身体能力を強化している。

 だがそれは単純に動き回るよりも遥かに消耗が激しいことを意味していた。

 

(耐えきれなくなったら終わり、か。 ……まったく)

「割に合わない仕事になったね!!」

 

 自らの声で気合を入れて、二丁拳銃を握る手に力を籠める。

 と、その横合いから一機が突撃してくた。

 反射的にハンドルを握っている男の額を穿つが、その後ろにいた男は人造飛馬から飛び降りて甲板の上に転がる。

 そしてそのまま獣のように這いつくばった状態からソニアに飛びかかった。

 

「まずっ!?」

 

 疲労もあってか、迎撃は間に合わず組伏される。

 男の左手と右膝で肩を抑えつけられ、腕を上げることができない。

 男は歯を剥いて理性をかなぐり捨てたような笑みを浮かべると、腰の後ろから手斧を引き抜く。

 

「ぎ、ひ。 ひひひひひぃっ!! もぉらったぁっ!!」

 

 男は心底嬉しそうに、手斧を振り上げて――――

 

 

「ドキくされ、この■■■■っ!!」

 

 

 ――――聞くに堪えないスラングともに、その頭が横から蹴り飛ばされる。

 

「なっ!?」

 

 ソニアの目の前で、男が狂笑を浮かべたまま首を真横に曲げて、その勢いのまま身を横に投げ出し、甲板からも落ちていく。

 男が消えた先、ソニアを見下ろしているのは腰に両手を当てて勇ましく立っている赤い少女。

 

「アカネ!? どうして……」

「どうしてもなにも、このままじゃどの道アウトでしょうが!

 ―――反対はさせないわよ」

 

 言って、差し伸べられたアカネの手を、ソニアは苦笑と共に掴む。

 

「まったく……まぁ、それしかないか」

「助けられたんだからもうちょっと言い様はないの?

 まぁいいけどさ」

 

 そうしてソニアが身を起こすと、二人は同時に前を見据える。

 周囲に蠅が集るかの如く飛び回る賊どもの黒い影。

 それらを見据えながら、二人の少女はそれぞれ赤と緑のコートを傍目かせて翻す。

 

 雄々しく立つ二人の少女の姿に、指揮役の男は舌打ちと共に声を張る。

 

「テメェら! 一気に潰すぞぉっ!!」

 

 次の瞬間、指揮役の男ともども全ての人造飛馬が殺到する。

 そのままなら、アカネとソニアの二人は多勢に押されて一気に挽肉にされるだろう。

 だが、その事態を前にアカネが不敵に笑う。

 

「あら、親切ね。 おかげで一気に掃除がはかどるわ!!」

 

 そう言って構えた銃から撃ち出された弾丸はしかし男たちの誰にも掠らない。

 いや、最初から狙い撃ってなどいなかった。

 その目的は、次の瞬間に現れる。

 

「あン?」

 

 人造飛馬を駆る男たちの中心辺りで、炸裂音と共に弾が弾ける。

 瞬間、その場に現れたのは黒い球体だ。

 光を飲み込むような夜闇よりもなお暗いそれは、現れると同時に吸い込むような風を発生させる。

 

 ―――否、正確には黒い球体に空気を含めた全てが吸い寄せられている。

 即ち『引力』、魔法による人工的かつ小型のブラックホールだ。

 それ自体には人間を直接潰すような力はない。

 だが、範囲内の物体を否応なしに引き寄せるだけの力はある。

 

「なぁっ!?」

「う、うあああっ!?」

「なんだこ、ぁ、く、くるなぁっ!?」

「ぎゃあああっ!!」

 

 人造飛馬の男たちが悲鳴を上げ、或いは衝突と共に砕け散る。

 進行のベクトルを強制的にずらされ、制御ができなくなったのだ。

 自分たちがいるすぐ近くに重力の塊を作られればそれも当然の結果だろう。

 衝突を免れた者たちも、出力を上げてどうにかバランスを保ちながら留まるのが精いっぱいといったところだ。

 

 さて、ところでこうしている間にも飛行艇は進んでいるわけだが、そこへ立ち止まって団子になっている障害物があったらどうなるだろうか?

 

「―――――あ?」

 

 指揮の男が顔を挙げれば、飛行艇のマストが眼前に迫っていた。

 さらに運の悪いことに、帆を張るための太い支柱が横に広がっている十字の部分だ。

 両腕を左右に広げた巨人のようなそれを避ける術は今の彼には一つもない。

 

「あ」

 

 瞬く間に、マストとの距離は縮まる。

 その頃には他の男たちも間近に迫ったマストの存在に気付くが、呆然と動きを止めるに留まっている。

 突然の事態に、思考そのものも停止してしまっているのだ。

 

 だが、真っ先に気付いていた指揮の男だけが現状を認識して盛大に顔を恐怖に歪めていく。

 

「あ、ああ……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 

 次の瞬間、轟音と共に賊どもが跳ね飛ばされ、ついでのように黒い魔力塊も砕き散らされていた。

 ほとんどの賊が地に堕ちる中、指揮を執っていた男が甲板にその身を叩きつけられる。

 

「ギッ、アガ、ガガァハッ!!」

 

 最早、苦悶の呻きにしても壊れかけているような有様で男はのたうち回る。

 そんな状態だから、彼は自身に近付く二つの足音に反応することはできなかった。

 

「ググ、ガハ……ぁあ?」

 

 ガクガクと震えながら、その目が見上げるのは彼の今生での最期の光景。

 

「あ…………」

 

 それは二人の少女。

 片や、風に赤のコートを翻しながら冷ややかにこちらを見下ろす金髪の少女。

 片や、同じように緑のコートを揺らしながら無感情な眼差しでこちらに銃口を向ける茶髪の少女。

 ここにきて、初めてその麗しさに目を奪われる。

 そして、

 

「じゃあね」

 

 直後に、全てが閉ざされた。

 

 

 

***

 

 

 

「―――これで一応なんとかなったかしら?」

「まぁ、増援はもうなさそうだね」

 

 甲板に残ったゴミを叩き落して、二人は揃って腰を下ろした。

 へたり込んだという方が正しいかもしれない。

 互いに背を支え合うような形で、深く息を吐く。

 

「あぁ~、しんどかった」

「アカネは無茶しすぎだよ。 魔力もロクに残ってないのに」

「うっさい、そのおかげでなんとかなったでしょ」

『二人とも、安心するにはまだちょっと早いでしょ』

 

 力なく笑い合う二人の耳に、ブリッジからの通信が入る。

 エルの指摘通り、今まで群がっていたのは黒狼鬼の兵隊で、この先にはその本体が待ち構えているかもしれないのだ。

 

「―――さて、もうひと踏ん張りかな」

「やれやれ……割に合わない仕事受けちゃったなぁ」

 

 軽口のように言いあう二人だが、その眼差しは厳しい。

 現在のコンディションで、これ以上の戦闘はできれば避けたいところだ。

 そのためにも。

 

「エル、セブン、森を抜けたら全速力で上空へ。

 そのまま逃げ切るわよ」

『『了解』』

 

 覚悟を決めつつ、立ち上がるとほぼ同時に森の出口が見える。

 そうして木々の合間をすり抜けたその瞬間のことだ。

 

 加速しかけた飛行艇の速度が、一気に落ちる。

 否、正確には引っ張られるようにガクンと止められた。

 

「なぁっ!?」

「うぁっ!!」

 

 いきなりの制動になんとか倒れ込まずに踏みとどまれたのは行幸だった。

 アカネは気持ちの悪い振動を続ける甲板を駆け、縁からエンジンユニットを眺める。

 すると、見覚えのないモノが月光に煌いていた。

 

「………糸?」

 

 

 見れば、幾重にも絡みついた糸が森の木々から伸びて繋がっていた。

 あたかもいくつもの枝の間に糸を掛け、獲物を捕らえる蜘蛛の巣のように。

 どうやらこれが原因で文字通り縫い留められているらしい。

 と、コムギから悲鳴じみた通信がつながる。

 

『アカネさん、エンジンに負荷が! このままじゃ壊れちゃいます!!』

「待って! すぐになんとか」

「アカネ!!」

「っ、こんどはな―――」

 

 ソニアの叫びに、通信もそこそこに振り返ったアカネが動きを止めた。

 その呆然と見開かれた視線の先。

 船の右舷から近づいてくる巨大な影に、彼女の思考と体は停止した。

 

 それは、船首に黒い狼の頭の意匠が施された船だった。

 大きさはざっとアカネたちの船の二倍以上。

 牙を剥く獣面の口からは、主砲らしき砲口が奥に鬼火のようなぬめった光をゆらりと灯していた。

 その周りには、先程とは別の人造飛馬が何騎も飛び交っていた。

 

 これが本隊。

 ハイエナ集団、『黒狼鬼』の移動拠点にして主力である。

 

『―――あー、役に立たんゴミの処理をありがとう』

 

 響いてきたのは、年嵩の男の声だ。

 セリフだけならば親し気ともいえる。

 だが込められている感情は昏く、そして悍ましく感じられるものだ。

 そも、あれだけの部下をゴミと称して死を悼まない、その在り方からして怖気の奔る感性だ。

 

『お礼に、降参して『お姫さま』ご要望のお宝を譲れば命は保証するとも。

 少なくとも飽きない内はな』

 

 言うなり、同じ場にいるだろう男の仲間たちの下卑た笑い声が幾重にも重なって響く。

 アカネは歯噛みしつつブリッジと通信を繋げようとする。

 

「エル! セブン! 拘束は振り切れない!?」

『じ……ざざ………じじ、ざざざざざざざざざ!!』

 

 しかし、返ってきたのは掻き毟るようなノイズだけだ。

 どうやら、ジャミングまで仕掛けているらしい。

 その事実に歯噛みしつつ、アカネは改めて黒狼の船を睨みつける。

 その様が見えていたのか、下卑た声がさらに夜空に響き渡る。

 

『あー、そういえばジャミングで通信は届かないんだったか。

 そいつぁうっかりしてたな』

 

 ならば仕方ない、と前置いて。

 

『―――助かりたきゃ、今すぐその場で跪け。

 なんなら、ストリップでもしてからやってくれてもいいんだぜ?』

 

 愉悦を隠しきれないその言葉に、アカネは完全に固まった。

 絶望が、寒気を伴って総身を覆っていく。

 そんな錯覚が彼女の心身を侵していた。

 

 

 

***

 

 

 

 

 ―――本音を言えば、本当に助かるなら土下座でも何でもしたいくらいだった。

 けれど、それはできなかった。

 意味がないと解かっていたからだ。

 

 こいつらは、ハイエナ。

 初めから奪うことありきで、約束を守るような律義さがあればそもこんな事に身を窶してなどいないだろう。

 何より、差し向けて散った部下たちに対して言い草からその人格が見て取れる。

 

 言うとおりに―――それこそ裸になったところで、こいつらは嬉々としてこちらを撃ち、その上でこちらを陵辱しつくし、略奪しつくすだけだ。

 何故なら、こいつらはそういう風に生きてきた……そういう風にしか生きられない、掲げた象徴どおりの獣の集団なのだから。

 だからそんな無意味なことをする気にはなれなかったし……何より、こいつらに見せる最期の姿がそんな無様なものになることの方が耐えられない。

 

 ギリ、という音が鳴ってから、初めて自分が奥歯を欠けそうなほどに噛みしめていることに気付く。

 そこへ誰かがこちらの肩を叩いてきた。

 言わずもがな、それは。

 

「ソニア」

「アカネ―――言うとおりにするかい?」

「貴女から死にたい?」

「だろうね」

 

 割と本気の殺意を彼女にぶつける。

 彼女もその返しを予想していたのか、緊張感もないように肩を竦めて見せる。

 その飄々とした態度は強がりなのか素なのかよくわからない。

 ただ、彼女とて今の状況はよくわかっているのだろう、それを思うと巻き込んでしまったことは申し訳なく思う。

 だから、これだけは提案することにした。

 

「ソニア、アタシが暴れるからアンタは可能なら脱出していいわよ?」

「出来ればそうしたいけどさ……できそうにないんだよね」

 

 それはこちらへの義理などではなく、事実として不可能という意味だ。

 巨大な飛空艇に人造飛馬の群れ。

 よしんば船が墜ちたときに無傷であったとしても、逃げ切ることはまず不可能だろう。

 それでも一縷の望みをかけて逃げるというならその意思を尊重するつもりだったが、彼女にその気はないらしい。

 

 ならば残る選択肢は一つだけだ。

 相手は人面獣心という言葉にすら値しない汚濁のような匪賊の群れ。

 それへの対処は駆除しかない。

 たとえそれが、自分たちを噛み砕くものだとしても。

 

「―――悪いけど、最後まで付き合ってもらうわよ」

「やれやれ」

 

 屈してしまいそうな膝に力を入れ、引きつる口角を無理やり笑みの形に釣り上げる。

 そんな私を見て、ソニアはいつもの調子を崩さず苦笑を浮かべる。

 そして同時に見上げるのは、黒狼の船。

 それ自体が化け物に見える威容を睨みながら、私たちは同時に銃口を跳ね上げた。

 そして―――。

 

 

「いやぁ……なんか盛り上がってるなぁ、オイ」

 

 

 聞き覚えのある声とともに、首に腕が巻きついて抱き寄せられる。

 

「…………………………………………は?」

 

 固めた決意と闘志に冷や水を掛けられ、思わず呆ける。

 一拍の後、油の差してない機械のような動きで横を見れば、そこには見たくもない顔があった。

 さらにその向こうには、同じように首をかき抱かれているソニアの姿が。

 その表情は常と違い驚きに目を丸くしている。

 私と彼女に挟まれる形で、元凶は笑っていた。

 

 そう。

 私が受けた依頼の目的。

 目の前のケダモノ共が狙っている代物。

 私の唇の操を奪いやがった罪で牢にぶち込んでいた不届き者。

 名前も知らない青年が、何故かそこにいた。

 

「俺も混ぁぜて?」

 

 その糞野郎は、何故だかそんな戯言をヌかしながら片目を瞑った笑みを極至近距離で私に向けた。

 

 

 その時の私は、そいつの金色の瞳が淡い輝きを放ちつつあったことにまだ気づいてはいなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 これは私たちが絶望を味わう物語だ。

 そして、絶望だけでは終わらない物語だ。

 

 これは、私たちが絶望を乗り越える物語だ。

 

 

 

 






 というわけで、ソニアさんとアカネさん大活躍回です。

 冷静に考えると集団から襲われまくって船を孤軍奮闘で守り切るとかマジすげぇな……(他人事
 そして本当に危ないときに出待ちしたかのごとく颯爽と助けに入るアカネさんマジヒーロー。

 『黒狼鬼』の面々に関しては特に深く考えずとにかく下種くて分かりやすい畜生系悪党を意識して書いてます。
 ぶっちゃけいっちゃうとモヒカン的なサムシング。

 さて、次回はいよいよ主人公(名称不明)の大活躍!
 楽しみにしていただければ幸いです。


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6:対峙する、オオカミと狼

 

 

 

「―――で、いきなり出てきて何言ってるの? 死ぬの? 殺すわ」

「オイオイオイ、最後断定形になってますよお嬢さん」

 

 アカネは害虫を見るような目でシーツ一枚を腰に巻いている青年を見下ろしている。

 当の彼はというと、アカネに足蹴にされている真っ最中だった。

 そんな二人に、ソニアは思わず苦笑と共に溜息をもらす。

 

「あのさ、覚悟決めたところにいきなり出てきてブチ切れたのは解るけど、そこら辺にしといたほうがいいじゃないかな」

 

 その言葉が聞こえたわけではないだろうが、黒狼の船から声が落ちてきた。

 その調子は先ほどと比べればずっと低い。

 

『………オイ、随分と楽しそうじゃねぇか。 舐めてんのか?』

「ちょっと、なんか向こうもご機嫌斜めになってるよ?」

「あん? いっそこのバカ差し出そうか?

 一応これが狙いでしょ?」

「えー、できれば勘弁してほしいねそいつは」

 

 ぐりぐりとなおも足蹴にされ続けながらもヘラヘラと肩を竦める青年。

 アカネは本気で差し出してやろうかとも思ったが、無意味だろうからやめておいた。

 どの道、それでこちらを見逃す気はないだろう。

 その程度の義理堅さがあったらハイエナなどやってはいない。

 欲が向くままに奪いつくすからのハイエナであり、だからこそ彼らは市井からも同業からも等しく忌み嫌われているのだ。

 なにより、向こうも聞く耳はないようだ。

 

『ハッ。 まだイチャつきやがるか。 見せつけてくれるじゃねぇか』

「おい今なんつった!? ド頭ぶち抜いてやるから降りてこいやオラァッ!!」

「アッハッハ、照れるなよブゲェ!? み、鳩尾を踵でグリングリンするのは勘弁してくださオゲェッ!!?」

「……アカネ、向こうは絶対聞こえてないから。

 というか、汚いことになったらボクは掃除しないからね」

『………本当にいい度胸だな、オイ』

 

 瞬間、ブチリと何かが切れる音がスピーカーから聞こえた気がした。

 血管か堪忍袋の緒かは知らないが、至る結果は同じだろう。

 

『―――もういい。 全員くたばれゴミクズども。 生き残ってたら楽しんでやるよ』

 

 言うなり、艦首の巨大な砲の光が強まっていく。

 どうやら主砲を撃つようだ。

 

「って、マジ!? あいつらこいつが狙いじゃないの!!?」

「もしかして、ラプンツェルからの依頼ってことは知ってるけど、ナニがかは知らないんじゃ……」

「てことは俺じゃ盾にもならないってことね。 ふーん」

 

 青年は緊張感の欠片もない声で呟きながら、アカネの下から這い出て立ち上がった。

 そしてコリをほぐすように背伸びをし、背筋を伸ばして肩や首を回すと、僅かに身を沈める。

 

「それじゃ―――征きますか」

「て、アンタなにを……?」

 

 その時、アカネはようやく気付いた。

 彼の瞳、その金色の輝きが少しずつ強く光を放ち始めていることを。

 そして。

 

「ふ―――!!」

 

 ダンッ!!、と甲板を強く踏み込み、青年は疾走を開始する。

 そしてその勢いのまま手すりに足を掛け、

 

「ィイヤッハァアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 掛け声も威勢良く、今にも溢れ出しそうなほどに光を湛えた黒狼の艦首砲口へと大跳躍をかける。

 その一連の動きは素早く、そして跳躍も生身の人間とは思えないほどのものだ。

 あっという間に砲口の射線上へ到達する。

 

「なっ!?」

 

 アカネは青年の身体能力にも驚いたが、それ以上に彼の行動に愕然とする。

 まさかあのままこちらの盾になるつもりか。

 だがあの大砲、大の男一人分の肉の盾でどうにかなるようなものではないだろう。

 砲撃を逸らすこともできずに砕け散りながら焼滅するのが関の山だ。

 そしてそれはあちらが一番よくわかっているのだろう。

 その証拠に、彼らは一切躊躇わなかった。

 

『やれ』

 

 直後、轟音と閃光が目の前で迸り、目と耳を一時的に麻痺させた。

 

「くぅっ!!?」

「ぐっ!!?」

 

 アカネとソニアは思わず腕で顔を庇いながら身を固くする。

 そして数秒が経ち……自分たちが、その数秒を知覚していることに気付く。

 主砲が放たれたのに、己の身に何も起きていないということだ。

 

(……? 一体、なにが………?)

 

 アカネはゆっくりと身構えを解きながら閉じた瞼をこじ開ける。

 すると、真っ先に目に映ったのは先ほどと同じ黒鬼を模した巨大な船首だ。

 いや、正確に言うとその主砲で、そこからは光が失われていた。

 どうやら確かに発射されたようだ。

 

「なら、なんでなんともないの……?」

 

 思わず自分の体を見下ろし、異常がなかったため更には周囲を見渡す。

 そして、ふと上を見上げ―――固まった。

 

「………………………………え?」

 

 眼を見開き、驚愕したアカネ。

 その彼女の視線の先には、

 

「オイオイ、なかなかの乗り心地じゃねぇか」

 

 光り輝く球体の上に、右足だけで立って両腕を広げる青年の姿があった。

 満月を背にするその姿は、逆光に陰りながらもその金色の瞳だけが爛々と輝いていた。

 

「………………………………はい?」

『………………………………あん?』

 

 ソニアとスピーカーから漏れる外道の声が困惑の響きまで重なる。

 それも当然だろう、数秒前と現在の間が根こそぎ削り取られたかのように経緯が見えない。

 だがアカネは、青年に魔力を奪われたことがある彼女は、信じられないまま行われた事実を口にする。

 

「―――相手の砲弾……その魔力の塊を自分のものとして支配下に置いたの?」

 

 そんなバカな、と言った本人が強く思う。

 仮にあの青年が魔力を直接操作する能力を持っていたとしよう。

 それならば自分から魔力を奪うことも、魔力性の牢の壁を無効化できても不思議ではない。

 そして放たれた砲弾が実弾ではなく純粋な魔力の塊なら理論上は可能だろう。

 だが、砲弾として射ち放たれる魔力塊を受け止めて支配下に置いて足場にするなど、人間の反応速度でできるものではない。

 そもそも、そんな発想自体出てくるものなのか。

 

 だが、心で否定しても目は確かに現実を映していた。

 青年は光球の上で月を背に腕を大きく広げ、口角を牙を見せる笑みに変えながら大きく喉をさらすように天を仰ぐ。

 

 

「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――ッ!!!!」

 

 

 響くのは、叫びでも哄笑でもない―――遠吠えだ。

 牙を剥き、爪を晒し、瞳を輝かせ、月下に吠える。

 その姿に、アカネは否応なしにある存在を彷彿とさせられた。

 

「……………オオカミ?」

 

 この瞬間。

 遍く魔力を己が眷属とする、金眼の人狼が産声を上げた。

 

 

 

***

 

 

 

 未だ名を思い出せない青年は、満月の下でこれ以上ない高揚感に浸っていた。

 或いは、全能感ともいうべきか。

 そのくせ、躰は痒みにも似た強い疼きを得ている。

 牙が、爪が、四肢が、それぞれ別の意志を得ているように暴れたいと駄々をこねていた。

 

「ハ、ハハハッ」

 

 思わず、意味のない笑いがこみ上げる。

 それをどう見たのか、船から苛立ちと焦りの込められた叫び声が木霊する。

 

『―――なにやってやがる野郎ども、とっととそのイカレをぶち殺せぇっ!!!』

 

 瞬間、弾かれるように漂っていた人造飛馬の男たちが青年に躍り掛かる。

 後部座席の人間が手に手に銃に手斧にと凶器を携えて月光に煌かせている。

 その不気味な輝きと、ギラギラとした殺意を前にして、青年はしかしどこまでも楽しげだ。

 

「ハハハ、ハハハハハハハハ、アハハハハハハハハ!!!」

 

 獲物を前にした獣とはしゃいで遊ぶ子供を足したような様相で無邪気に笑う。

 瞬間、足蹴にしている魔力塊を操作し、急降下する。

 その軌道は人造飛馬たちの間を通り過ぎる形だ。

 その軌道に近くにいた何騎かが、装甲の一部を通り過ぎざまに裂かれていく。

 

「なぁっ!」

「こいつ!!」

 

 すれ違う形になった騎手たちが振り返ろうとして、しかしその内の何騎かが叶わずに失速する。

 

「う、お? おおおああああっ!?」

「ちょ、まっ、あ、あああああああっ!!」

 

 

 訳も分からないまま、絶望に染まった悲鳴を上げながら落ちていく。

 その光景に、ある者が気付いた。

 落ちたのは皆、装甲を傷つけられた人造飛馬だ。

 

「あの野郎……動力部から直接魔力を奪ってるのか!?」

 

 それが正解とでも言うように、逸って攻撃を仕掛けてきた一騎に対し、悠々とそれを回避しつつ傍から見てわかるように人造飛馬の装甲を裂いていく。

 途端、機体からすべての光が消え去り、ただの金属の塊に変わる。

 操作できなくなったまま、残った慣性だけで宙を滑り、そのまま放物線を描いて落下していく。

 

「た、助けてくれぇええええええっ!!?」

 

 懇願の叫びに、しかし目を向ける者はいない。

 残った者たちは、全員このあらゆる意味で異様な男に釘付けになっている。

 不敵な笑みと共にこちらをねめあげる青年に、舌打ちとともに誰かが叫ぶ。

 

「アイツに近寄るな!! 遠間からハチの巣にしてやれ!!」

 

 その言葉に触発され、一斉に銃器を構えようとするがそれすらも今の青年には遅かった。

 大きく広げられた青年の両腕。

 その手には淡い光が纏われていた。

 放出させ、装甲のように鎧った魔力の結晶だ。

 それが人造飛馬の装甲を傷つけた正体であり、同時に仲間の人造飛馬から奪った魔力も混ざっているなどと気付けた者は果たしていただろうか。

 

「返す、ぜ!!」

 

 交差させる形で、勢いよく腕を振る。

 その動きによって、手に纏っていた魔力が形を変えて放たれる。

 腕の振り、指の軌跡に合わせた、歪な三日月のような形だ。

 その数、十……ちょうど指の数と同じである。

 

「―――え?」

 

 複雑に交差し、網の目に様になった光の線を目の当たりにした男たちの呆けた声がかすかに聞こえる。

 傍から見れば、それは蜘蛛の巣にに自ら飛び込んでいく羽虫のようでもあったか。

 直後に巻き起こったのは阿鼻叫喚と酸鼻な血の雨だ。

 

 

『『『ぎゃぁああああああああああああああああああああ!!』』』

 

 

 悲鳴が幾重にも重なり、辺り一面に轟いていく。

 

 ある者は腕を深々と裂かれ、身を支えきれずに振り落とされた。

 ある者は両目を奪われて前後不覚となり、他の者に衝突して砕け散った。

 ある者は首から噴水のように血を噴き出し、打ち上げられた魚のように口をパクパクとさせながら見当違いの方向へ飛んで行った。

 中には額の半ばから上を切り落とされた者もいる。

 空に描かれた地獄絵図に、流石のアカネとソニアも顔を引き攣らせた。

 

「うわ、えっぐ……めちゃくちゃじゃない」

「あはは……これはまた」

 

 一方でそれを生み出した張本人と言えば、追ってきた賊が軒並み戦闘不能になったのを見届けて、次の行動へと移った。

 黒い狼を象った船首を持つ巨大な飛空艇……そちらへと、急降下を始めたのだ。

 

「返す、ぜ!!」

 

 青年は足に敷いた魔力塊を操作し、形状と性質を変化させる。

 凝縮し、螺旋のような流動を持たせて蹴り出すように射出したのだ。

 蹴りだされたそれは、捻じれながら細く尖り一直線に墜落していく。

 その先にあるのは飛空艇の艦橋だ。

 魔力塊はその装甲を突き破り、内部へと着弾する。

 

 その一拍後、内側からの爆発で艦橋の窓が砕け、窓枠周囲の装甲がめくれ上がった。

 

 『ザザ、ガガガガガ、ビィイイイイイイイイ――――ッ!!!』

 

 スピーカーから、大音量の不協和音がかき鳴らされ、アカネとソニアが思わず耳を抑える。。

 発信源が破壊されたことでノイズを引き起こしているのだ。

 それを生んだ青年は、爆発が生んだ熱気と上昇気流を受けながら、

 

「お邪魔しまーす、と」

 

 軽い言葉とともに、己が魔力塊をぶち込んで作った穴に飛び込んでいった。

 

 

 

***

 

 

 

 黒狼鬼の艦橋内は控えめに言って地獄だった。

 魔力塊の直撃で死ねた者はまだ幸運だ。

 中には手指や四肢を欠けさせたまま呻いている者すらいる。

 その中心に降り立った青年は、内部覆う黒煙に軽くせき込む。

 

「ケホ、こいつはひどいな」

 

 張本人でありながら、いけしゃあしゃあと宣った青年は、目を細めながら見回した。

 目的は、この集団の頭目だ。

 しかし、煙りのせいなのか姿は見えない。

 というか、よく考えたらどういう見た目なのか知らなかった。

 青年は溜息一つ吐いて足元に転がっていた構成員の襟首をつかんで持ち上げる。

 

「ヒぃ!?」

 

 見れば、意識ははっきりしているのかこちらを見て盛大に顔を引きつらせていた。

 ケガのほうも大したことなく、かすり傷のようだ。

 

「なあ? オタクらの頭ってどいつ?」

 

 問うて、構成員は答えられないままふと視線を青年の後ろへと移す。

 瞬間、青年は振り返るでもなく手に荷物を掴んだままその場から飛び退く。

 直後に響くのは、青年の立っていた場所を破壊しつくす轟音だ。

 青年は着地と同時に持っていた荷物を前に掲げる。

 

「ぎゃばぁ!?」

 

 途端に響くのは、肉が砕けて飛び散る生々しい音に、肉の盾となった構成員の断末魔だ。

 あ、と声を上げて青年がそれを覗けば、自身が襟首を掴んで掲げた構成員は胴体を中心に体の前面を大きく損傷させられて事切れていた。

 

「あー、悪い」

 

 咄嗟に身代わりにしてしまったことに対し、もはや意味のない謝罪をしてその手を放す。

 軽い調子の言葉そのままに、扱いもぞんざいだ。

 そうして改めて前を見据えれば、そこには自身の仲間……否、部下を弑した男の姿があった。

 

「―――好き勝手やってくれたじゃねぇか、ゴミクズがよ」

 

 忌々し気に呟いたその姿は、なるほど名が体を表しているかのように狼と鬼の中間のような様相だ。

 手足など体の要所に纏った鋼の外殻も、顔面と頭部を覆う一対の角をあしらった鉄仮面も、黒く染められている。

 鉄仮面の顔は牙を剥いた狼を象っており、装着者の怒りを代弁しているようにも見える。

 その手に持っているのは大きく分厚い斧刃を太い砲身に括り付けた異形の火器だ。

 構成員の傷から見るに、射撃武器としての分類は散弾銃か。

 いや、口径の大きさから言えば砲といったほうが正しいかもしれない。

 砲口から硝煙を名残とくゆらせながら、黒狼鬼は装甲の下の両眼を憎悪と殺意にぎらつかせていた。

 それを一身に受け止めながら、しかし青年は涼しげに笑う。

 

「なるほど、頭はアンタか」

 

 言いながら、ゆらりと魔力を煌かせた爪を掲げる。

 その表情が、さらに楽し気に笑みを深められていく。

 

 対峙する、オオカミと狼。

 その決着をもって、今宵の惨劇に幕が引かれようとしていた。

 

 




 というわけで、青年VS黒狼鬼の前半戦。
 ゲームで言うと今回がステージで、次回からがボス戦という感じですかね。

 さっそく無双っぽく活躍してる青年ですが、これにもちゃんと欠点というか、弱点というか、少なくとも魔力相手なら問答無用でなんでもありってわけじゃなかったりします。
 そこら辺のヒントというか片鱗は今までの話にもあったりします。
 まあ、この手の能力には割と定番な気もしますが。

 ……で、ここでちょっとだけ裏話。
 というか、オオカミだオオカミだ言ってて、本当に狼男になると思ってた方、すいません。
 狼とか半獣人にはなりません。
 ぶっちゃけこれ書いてるとき割とぎりぎりまで迷った要素の一つなんですが、書いてて『狼になる必要あるの?』ということを考えると、死に技能になってしまいそうだったので、狼への変身はボツになりました。

 と、そんなところで今回はこの辺で。
 また次回もよろしくお付き合い願います。


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7:これはこれで、狂気的な在り様だった

 

 

 

「―――っと、これでラスト!」

 

 腰に命綱を巻いたアカネが船に絡みついていたワイヤーをナイフで断ち切る。

 クロック・ゴートを束縛していた柵を全て取り払い、額の汗を拭っていると耳朶を通信が叩いた。

 どうやらジャミングも効果を失ったらしい。

 

「エル? コムギ? セブン? そっちは大丈夫?」

『ああ、なんとかね。 そっちもワイヤー掃除ご苦労様』

『ぶ、無事みたいで何よりですぅ』

『アカネ様、当機はすぐにでも再発進が可能な状態です。 急ぎお戻りを』

 

 帰ってきた返事に、アカネは内心で安堵を得た。

 この様子ならとりあえず大事には至っていなかったようだ。

 まあ、一番危なかったのは表にいた自分たちであるのは理解しているのだが。

 

「ありがとう。 でも、出発はちょっと待っててくれるかしら?」

『―――あの男か?』

「ええ」

 

 言いつつ、アカネは【黒狼鬼】の船を見上げる。

 環境があるらしい場所からは黒煙が立ち上っている。

 先ほどまで見ていた出来事が夢でないのなら、あの青年はあそこにいるのだろう。

 

『やはりファーストキスの相手は気になるか?』

「ひん剥いて甲板から逆さにつるされたいって意味?」

『やばいな、これ声がマジだ』

 

 通信越しに静かな怒気をたたきつけられ、エルが参ったような苦笑を上げる。

 それに意識を割くこともなく、アカネは青年がいるだろう煙の出どころへと視線を向ける。

 そうしてしばらく見上げた後、彼女は改めてエルに話しかける。

 

「ねえ、ちょっとお願いがあるんだけど」

 

 

 

***

 

 

 

 瓦礫と炎と煙で彩られたブリッジは、さらに血と肉によって地獄絵図の有様を強めていた。

 

「ガアアァッ!!」

「ハハハハハハ!!」

 

 怒号と共に斧を振るう黒鬼に、それを笑いながら避けつつ爪を振るう青年。

 その余波で散るのは、傷ついて転がる黒狼鬼の部下だ。

 

「ぎゃあああああ!!」

「ひ、ひっ、ひぃいいいいいいい!」

「か、頭! 待っゲブゥッ!?」

 

 青年が避けた一撃が死に体で転がっていた者にとどめを刺し、逃げようと這いずっていた者を叩き潰し、許しを乞うていた者を一顧だにせず撃ち砕く。

 そしてそれを為している彼らの頭目は、しかしなに一つ気にも留めない。

 黒狼鬼の頭にあるのは、もはや青年への殺意と憎悪だけであり、彼をすり潰すまでは他の何がどうなろうとも気にも留めることはない。

 有体に言ってしまえば、完全に狂ってしまっていた。

 

 文字通りの狂戦士と化した黒狼鬼の暴虐に、対する青年は喜色満面といった様相だ。

 己を屠らんとする暴威への恐怖も、その煽りで散っていく命に対する憐憫もありはしない。

 これはこれで、狂気的な在り様だった。

 

「ええと、こういうときなんて言うんだっけ? ―――ああ、『鬼さんこちら』か。

 いや、狼っぽい感じもあるから……『ワンちゃん、こちら』か? ハハハ!」

「クソがぁ!!」

 

 青年の嘲弄じみた物言いに、黒狼鬼が更に猛って斧砲の刃を振るう。

 それで散るのは彼の部下たちだ。

 振り下ろされ叩きつけられた先、薙ぎ払ったその軌道、砲口から飛び出した散弾の射線上。

 それぞれが届く範囲にいる者のことごとくが物言わぬ肉片へと変えられていく。

 例外は青年だけで、彼は自信を狙う攻撃を避け続け、その合間に黒狼鬼へと一撃を見舞っている。

 しかし黒狼鬼の纏う装甲は抜けないのか、傷を付けることは叶わなかった。

 だが青年はそれを承知の上で、敢えて挑発するかのようにわざとらしくも大げさに爪を振るう。

 それが余計に黒狼鬼を猛り狂わせていた。

 

「ガァア!!」

 

 吠えながら斧砲を振るった先は、瓦礫の山だ。

 岩のような建材の破片と鉄材が砕かれながら青年のいるほうへとばら撒かれる。

 

「うわっと、あぶねぇ」

 

 しかしやはり当たらない。

 素直な感想かもしれぬその言葉も、今は挑発にしか聞き取れない。

 故に、黒狼鬼の怒りと憎悪は更に滾ることとなり、

 

「クソが!! クソがクソがクソがクソがクソガキがあああああああ!!!」

 

 雄叫びじみた怨嗟と共に、なおもその斧砲を振り回す。

 薙ぎ払いも散弾の砲撃も悉く避けられるが、その怒りの裏側で黒狼鬼は冷静な思考を頭の片隅でしていた。

 

(このガキ、わけのわからん力だが……)

 

 眼前で攻撃を回避し続ける青年を見ながら、その姿をつぶさに観察し―――装甲の下の口元を笑みの形に歪める。

 なぜかと言えば、正気を見出したのだ。

 

(こいつの攻撃は俺の装甲を抜けねえ。 つまり受けるところさえ間違えなきゃ怖くはねえってことだ。

 そして……)

 

 勢いよく振り下ろし、瓦礫に埋もれた先端を跳ね上げる動きでその瓦礫自体を打ち上げる。

 青年はそれをバックステップで回避するが、

 

「くっ!?」

 

 いくつかが、青年の体の表面を引っ掻ける。

 それはかすり傷ほどしかできない微々たるものだが、その事実に黒狼鬼は愉悦の笑みをとうとう隠し切れなくなる。

 

「ギヒ、ヒハ! とうとう喰らったなぁ、オイ!!」

 

 再度の振り下ろしを、青年はこともなく避けて見せる。

 黒狼鬼のみせた態度に、呆れたような色を混ぜてため息をついた。

 

「オイオイ……ちょっと掠っただけで大喜びとか、ちょっとばっかし小さすぎるぜ?」

「ああ、そうだなぁ……それじゃあ」

 

 と、黒狼鬼は先ほどまで以上に力強く踏み込んだ。

 一瞬のうちに間合いを詰め、振り上げた凶器を青年へと振り下ろす。

 

「ハッ、繰り返しだって……」

 

 既に見飽きている攻撃を笑って避ける青年、しかしその視界の端に黒い影が映る。

 

「な―――!?」

 

 驚愕に目を張るも一瞬、それは青年の頬に突き刺さり、彼の体を大きく吹き飛ばす。

 一方で、今度こそ黒狼鬼はけたたましい哄笑を廃墟じみたブリッジに響かせる。

 

「ギャハハハハハハハ―――!! これくらいなら盛大に笑かせてもらうぜぇ―――!!!」

 

 黒狼鬼は青年を吹き飛ばした自身の拳を掲げ、勝ち誇るようにはしゃぐ。

 青年のほうはというと、上体を起こして横合いに赤い唾を吐き捨てる。

 黒狼鬼を鋭く睨みつけながら、青年はしかし笑って見せる。

 

「………だからよ、ちっとばっかし喰らったくらいでいちいち喜んでんじゃねえって言ってるんだよ。 気持ち悪ィ」

 

 青年に言いざまに対し、黒狼鬼は鼻を鳴らす。

 そして彼を見下しながら、指差し言い放つ。

 

「わかってねえな? 俺が何でテメェに攻撃当てられたと思う?」

 

 その問いかけに、青年は答えない。

 だが、おそらくそれは自覚しているはずだろう。

 黒狼鬼は教えるためではなく、敗北を突きつけてやるためだけにその答えを明らかにする。

 

「テメェの動きも、攻撃も、魔力ありきの強化前提だ。 ……それが切れかけてんだよ。 だから―――」

 

 斧砲を跳ね上げ、その砲口を向ける。

 青年は一瞬早く横跳びに退き、間一髪のところでまき散らされた散弾を避けきる。

 だが、

 

「オラ!」

「ぐがっ!!」

 

 黒鬼が蹴り上げた瓦礫が彼の顔面を強打する。

 顔から跳ね上げられるように転がされ、身を起こしてみれば右のこめかみから血を川のように流していた。

 よく見れば青年の体に流れる汗の量は増え、息もだいぶ荒くなっている。

 それは黒狼鬼の推測が正しいことを如実に証明してしまっていた。

 

「それが無くなれば、テメェはただの……」

「くっ!」

 

 呻きながら青年の左手が燐光を纏った手刀となって放たれる。

 黒狼鬼はそれを軽く払いのけると、

 

「……鈍間でひ弱なクソガキだ」

 

 斧砲の太い砲身で青年の胴を横薙ぎに払う。

 わき腹から痛烈な一撃を見舞われ、吹き飛んだ青年は瓦礫まみれの床に転がりながら腹を抑えて悶える。

 その無様さに、黒狼鬼はひと際けたたましい笑い声をあげる。

 

「ギャハハハハハハハハハ――――!! ざまあねェなああああああ!!」

 

 嘲いながら青年を踏みつけようと近付き、右足を持ち上げる黒鬼。

 その時、蹲っていた青年が一瞬にして身を翻す。

 その速度は魔力が漲っていた時と遜色はない。

 故に黒狼鬼がその速さに反応することはできず、青年が振りかぶった手刀は光を散らしながらまっすぐ黒狼鬼の喉笛へと吸い込まれていく。

 そして、そして―――

 

 

「――――なぁ? 気は済んだか?」

 

 

 ―――何ら痛痒を感じさせない声で、黒狼鬼が青年に尋ねる。

 青年の手刀は、喉を覆う装甲で完全に受け止められていた。

 無言で目を見開く青年を、黒狼鬼は前髪を掴んで持ち上げる。

 細い繊維が千切れる音を聞きながら、青年は間近で黒鬼の目を見た。

 鉄の面の奥にある輝きは、愉悦に染まってひどく醜い。

 

「ざぁんねんだったなぁ? ここは薄いと思ってたようだが……そういう考えのやつのために一番防御を固めてあんだよ」

 

 喉仏をさらすように首を反りながら、黒狼鬼は幼子に語り掛けるような言い草で青年を嘲う。

 その脳裏で、彼はこの後どうこの青年を料理してやるかを考えていた。

 

 斧砲で手足を落としてやるか、いやそれならば踏み砕いたほうが苦しいだろう。

 そのあとは時間をかけてゆっくりと腹を裂き、肋を圧し折り、目鼻を抉って愉しもう。

 ああ、その前に芋虫にした男の前であの女どもを嬲るというのも素晴らしい。

 そんな酸鼻極まる未来図を描いていたその時だった。

 

「――――ハッ」

 

 その思考に冷や水を浴びせるがごとく、鼻で笑う呼気が至近から届く。

 言わずもがな、今この手で吊り下げている青年からだ。

 ヤケにでもなったのか、そう聞こうとした寸前に、

 

 

「そうか、じゃあこっちをもらうぜ?」

 

 

 ズン、という衝撃が己の体に走ったことを黒狼鬼は感じた。

 疑問に思い、ゆっくりと体を見下ろせば―――

 

「―――は?」

 

 ―――青年の右手が、装甲を破って黒狼鬼の胸板の内側へと埋まっていた。




 青年ピンチ!?……と思いきやなこの展開。
 どういうことかは次回にて。
 ……わりとひどい理由ではありますが。


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8:月光に照らされた大輪の華が咲いている

 

 

 胸を貫かれた事実に、黒狼鬼の思考は完全に停止していた。

 現実逃避という形ですら動かない。

 だが、それも強い違和感を伴う激痛で無理やり呼び戻された。

 文字通り心臓を掴まれ、絞られたのだ。

 

「ギィ! ガァアアアアアアアアアアアアアアアア――――!!!」

 

 喉よ張り裂けよといわんばかりの絶叫。

 直後に、鉄の面の向こうから血が溢れ、喉の装甲を滝のように流れていく。

 手にしていた斧砲は、とうに床に転がっていた。

 

「お、おば……ばん、なんべ……」

「あぁー、なに言ってっか分かんねぇけど、なんでってことか?

 簡単だよ。 わざわざ近くに吊り下げてくれたからな、残った力全部集めてぶち抜いただけさ」

 

 なるほど、確かに簡単な理屈だ。

 だが、同時に不可解だ。

 どうして。

 どうして?

 

「どうじ……ずぐ……?」

「あん? ナニ言ってるかわからねぇよ」

「ごべばぁっ!!」

 

 ぐじゅり、と体の内側で肉のポンプが捩じられる。

 途端に赤黒い血が再び喉を伝う。

 見えないが、おそらく装甲の内側は口と胸から溢れた血で染まりきっているだろう。

 その証左に、すでに足元には大きな血溜まりができつつある。

 

 衝撃と激痛と失血で薄れていく意識の中、形にできなかった疑問がよぎる。

 どうして。

 どうしてこいつは、最初からそれをしなかったのか。

 いやそうでなくても、こちらの胸を貫く機会はいくらでもあったということだ。

 なぜなら魔力を著しく消費した現状で、残った魔力を集中して装甲を貫いたのだ。

 もっと余力のある状態ならば、それだけの威力を速度を乗せた一撃で見舞うことだってできたはずだ。

 そうすれば、とうの昔に自分は終わっていた。

 なのになぜ?

 自身を殺すことへの恨みも己の死への恐れも忘れて、黒狼鬼の最期の思考はその疑問に埋め尽くされる。

 そしてその答えは、今際の際にもたらされた。

 

 

「まあいいや。 ―――じゃあな、それなりに楽しかったぜ」

 

 

 そんな言葉の直後、黒狼鬼の心臓は握り潰された。

 そうして脳が完全に沈黙するまでに、彼はようやく理解した。

 

 ―――ああ、こいつは楽しんでいたんだ。

 

 自分もこいつを追い詰めていたと思った時はそれを心から愉しんでいた。

 だが、こいつは己の劣勢すらも楽しんでいたのか。

 まるで子供が遊ぶとき、勝っても負けても無邪気に笑っているかのように。

 

 その答えを得た黒狼鬼は、だからこそそんな相手と遭遇した不運も、戦ってしまった後悔も抱く間もなく息絶えた。

 それが理不尽に暴虐の限りを尽くし、そして理不尽に命を散らす羽目になった彼への報いとなったか、或いは救いとなったか。

 もはや誰も疑問に思うことすらない。

 

 

 

***

 

 

 

 青年が骸と化した黒狼鬼から腕を引き抜くと、黒狼鬼の体は一切の抵抗なく倒れて動かない。

 青年はそれに頓着することなく、赤黒く染まりきった右手を苦い顔で振って少しでも血を落とそうとする。

 派手に血が飛び散るが、それでもべったりとこびりついた鮮血は青年の右手を赤いグローブでも嵌めたかのような有様にしている。

 仕方なし、しゃがみこんで黒狼鬼の腿のあたりの装甲に覆われていない服の部分に擦り付けるように血を拭っていると、急に耳障りな音が聞こえてきた。

 警報だ。

 どこぞのスピーカーから響いているらしいそれは、次いで合成されたらしい音声で告げてくる。

 

『当艦の所有者の生体反応の消失を確認しました。 これより当艦は設定されていた条件に則り、自爆します。

 乗組員の皆さまは、至急脱出してください。 自爆まで、あと十五分です。

 繰り返します……』

「おいおい、マジかよ」

 

 どうやら自分のモノは文字通り死んでも他人に渡したくはなかったらしい。

 強欲もここまでくれば清々しいものがあるかもしれない。

 それはさておき、青年も一刻も早く脱出しなければいけないが、少々問題があった。

 少しばかり消耗が激しすぎたのだ。

 しかも今いるのは船の最奥ともいえるブリッジだ。

 今のコンディションでは窓から飛び降りて出るのもおぼつかず、かといって通路から脱出しようにも内部の構造を知っているはずもない。

 さてどうするか、青年は自答する。

 残った力をどうにか振り絞って窓から飛び降りるか。

 半分以上を運に任せて船の中を駆けていくか。

 どちらの道も一か八かの賭けになるが、どちらに賭けるべきなのか。

 決めあぐねていた、その時だった。

 

「―――へえ。 倒しちゃったのね、ソイツ」

 

 鈴のような声は、爆発の影響で吹き抜けになったブリッジの窓の外から聞こえた。

 それに対し、青年は気づいたように振り返る。

 

「―――っ」

 

 瞬間、息をのんだ。

 ブリッジの外……なにが支えるでもない中空に、月光に照らされた大輪の華が咲いている。

 否、それはスラスターから魔力を光の粒として撒く、大型の人造飛馬とそれに跨る主だ。

 曲線を帯びて全体に配され、纏わされている装甲は深紅に染まり、同じ色を持つ後部の大型スラスターはまさしく翼のようだ。

 ハンドルを握りながらこちらを怜悧に睨むアカネもまた、機体と同じ色の衣装に身を包んでいる。

 風防のゴーグルをずらして、幼さの残る美貌をこちらに向けている。

 頭巾のような赤いコートのフードは下ろされ、輝く金髪がさらさらと風に流れてたなびいていた。

 金と赤は互いの色彩を引き立て、調和を生み出していた。

 総じて至上の芸術のような美しさであり、自身が暴れまわってまき散らさせた鮮血とはあまりにもかけ離れている。

 その華やかさと艶やかさは、炎のような激しさと華のような麗しさを併せ持ったものであり、いっそ幻想的ですらあった。

 

「……」

 

 月夜でなお陰ることのない煌きに、青年は言葉を失い、見惚れていた。

 目覚めてからこちら、徹底して己が楽しむことを優先していた彼は、ここで初めてそうではないなにかに心を揺さぶられていた。

 だが、そんな機微などアカネからすれば知ったことではない。

 彼女は押し黙る青年に、訝し気に首を傾げるだけだ。

 

「なに、どうかしたの?」

「あ、いや……ってか、なんでここに?」

「決まってるでしょう」

 

 アカネは、不機嫌さを隠しもせずに愛機の後部を顎で示す。

 乗れと、そういう意味だ。

 

「アンタを連れて行かなきゃ、報酬が出ないの。

 ―――つまり、アンタは私のモノなのよ」

 

 その言い切りに、青年は呆気に取られたあと「ハッ」と笑みを浮かべる。

 そうして腕を組んで頷きながら、ニヤニヤと笑みを浮かべる。

 

「そっかそっか。 俺はお前のモノなのか」

「……ちょっと、なに考えてるか知らないけど気色悪いわよ」

「ハハハ! ひでぇなオイ」

 

 頬を引きつらせるアカネに、青年は何がおかしいのか盛大に笑い始める。

 と、その時、スピーカーが追加の警報をかき鳴らしつつアナウンスを流し始める。

 

『自爆まで残り五分。 自爆まで残り五分。 乗組員は至急脱出してください。 繰り返します……』

「―――――――――は?」

 

 今度はアカネが呆気に取られた表情を浮かべる番になった。

 その隙にと、青年がアカネの人造飛馬に飛び乗り、足を付けた衝撃で機体が揺さぶられた。

 体ごと頭を揺らされて、アカネの意識が引き戻される。

 直後、すさまじい剣幕で彼女は後ろを振り返る。

 

「ちょっと!! 自爆ってどういうことよ自爆って!?」

「いやぁ、文句はくたばった奴に言ってくれよ。 あれだ、不可抗力ってやつだよ」

 

 至近からの怒気にも飄々としている青年に、アカネは歯噛みする。

 だが、黒狼鬼の船が轟音と共に激しく揺れたことにそれどころではないとハンドルを握りしめる。

 眦を釣り上げた両眼をゴーグルの下に隠しながら、スロットルを開ける。

 

「あぁーもうー!! 後でぶん殴るからねアンタ!!」

「ハハハ、そいつは勘弁!!」

 

 言い合いながら、最大出力全速全開でその場を後にする。

 その最中に、通信を開いてクロック・ゴートにその場から離れるように指示を出す。

 そうして彼女たちがその場から離れてからもしばらく、それこそ獣の唸り声ともつかないような音が黒狼鬼の巨大船から響き続けていたが、唐突にピタリと止んだ。

 その落差の静寂は、それこそ無音と錯覚させるものだ。

 

 直後、それら全てを破壊しつくすような轟音と業火と衝撃が周囲一帯に広がった。

 

 まずは一瞬、夜闇を文字通り塗りつぶす白い光が一瞬で席巻し、次に紅蓮が広がりながら天を衝く。

 刹那においての色彩の変化は、あたかも紙を広げてそこにインクをぶちまけるかのようだ。

 だが、耳どころか全身を叩く轟音と衝撃はそんな感傷を抱く暇さえ与えない。

 

「くぅ!!」

「うおっと!?」

 

 すでに巨大な船の全貌が見えるほどに離れていながら、その崩壊の余波にアカネと青年は人造飛馬ごと揺さぶられる。

 それでも何とか立て直し、ホバリングで静止して振り返る。

 先ほどまで威容を晒していた黒い巨体はどこにもなく、地獄のような火の海が遠めに広がっているのがわかる。

 

「………って、森の近くだけど燃え広がっちゃうかしら?」

「そうは言ってもどうしようもないだろ」

 

 事実その通りだ。

 アカネたちにはクロック・ゴートの装備まで含めてもあの大火を消す術はないし、ついでに言うならそこまでの苦労をする義理もない。

 黒狼鬼を撃退したためなので原因といえなくもないかもしれないが、それこそ不可抗力と正当防衛の結果なので責任まで負えるものではない。

 なのでできることといえば、このまま延焼もなく早々に鎮火してくれることを祈るのみだ。

 

 アカネがその結論で自身に納得を得ていると、ふと眼下で動く影があることに気付いた。

 ゴーグルの側面を操作し、拡大してみれば溢れてこぼれそうなほど荷物を満載にした車両だ。

 乗っている人間も何人か見えたが、いずれも野卑な風貌で、見るからに堅気の人間ではない。

 どうやら黒狼鬼の生き残りが積めるだけの物資を積んで脱出していたらしい。

 その目敏さと生き汚さには感服を禁じ得ない。

 ついでに、それを見つけた己の幸運への感謝も。

 

「……イヤだけど、振り落とされたくなかったら捕まってなさいよ?」

「ん? ―――おおぅ!?」

 

 青年が訝しむ間もなく、アカネの操縦によって赤い人造飛馬が弧を描きながら急降下する。

 そうして必死に走る貨物車両と並走するまでは、一分とかからない。

 

 アカネは運転席の側へ寄せると、そのドアをガンガンと蹴り上げて運転手の意識をこちらに向けさせる。

 顔中を冷や汗でびっしょりにしていた運転手は、こちらに視線を向けた途端、盛大に表情を歪めた。

 

「ギャアアアアアアアアア!!」

 

 運転手は盛大に叫びながらブレーキを踏み、車を横滑りさせて地面をタイヤで削りながら制止する。

 アカネは結果として車両を追い越しながら、尻を振るように方向転換して向かい合わせに停止した。

 彼女は弾である小瓶をすでに装填した銃を運転手の男に向ける。

 すると運転手は抵抗する気など微塵もないかのように両手を上げて顎をがくがくと震わせていた。

 それは同乗していた他の面々も同じだったようで、何人かの男たちが車両から降りてくるが、皆一様に地に足を付ける前から両手を上げている。

 

「て、抵抗する気はねぇ!! 許してくれ!!!」

「か、か、頭をぶっ殺しちまうような奴とやりあうつもりなんざこれっぽっちもねぇよ!!」

 

 恐怖のためか、呂律の回らない口で懇願する男たち。

 どうやら、アカネというより青年のほうを恐れているようだ。

 

 人造飛馬のライトが照らす前で並んで万歳をしている彼らを睥睨して、アカネは強く言い放つ。

 

「………とりあえず、迷惑料としてお金になりそうなものは置いていってもらうわ。

 慈悲として食料と車はそのままにしてあげる」

 

 まんま有り様が逆転したかのような要求に、しかし男たちに拒否権はない。

 そもそも、襲い掛かってきた相手から逆に物資を奪うというのは、この業界では合法以前に当然の権利だ。

 まして生殺与奪を握っている相手に否やを言うほどの胆力があるような輩なら、もっと真っ当に生きているだろう。

 あるいは早々に脱出している辺り、もともと非戦闘員に近い役割だったのかもしれない。

 と、アカネは思いついたかのように「そうだ」と付け加えた。

 そして後ろに乗っている青年を顎で示すと、一言告げる。

 

「こいつに合うサイズの服一式、適当によこしなさい」




 というわけで、黒狼鬼戦、決着です。
 苦戦の原因が舐めプとか最悪ですね。
 次回で第一章が終了です。
 お楽しみに。

 あらすじ、ちょっと修正してみました。


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9:かくして、赤ずきんはオオカミと出会った

 

 

 

 黒狼鬼の送り火が概ね鎮火したのは未明になってのことだ。

 幸いというべきか、森に燃え広がることはなく何本かの小ぶりな木々が黒く焦げた程度だ。

 やはり樹海災禍の賜物は伊達ではないということか。

 

 燃え残った残骸についてだが、これをアカネたちが漁ることはなかった。

 というのも、元々が大きな船だったために原型は割としっかり残ってはいるのだが、それゆえに内部にはまだ熱が溜まり、未だに黒煙が所々で細く立ち昇っているのだ。

 さらに言えば、青年との戦闘と自爆の逃げ遅れで死んだ者たちが転がっているだろう中から死肉を啄むような真似は流石に憚られた。

 苦労させられた分については、生き残りから徴収した分で補填できたというのも大きい。

 

 さて、身を休める時間も挟み、日も完全に昇りきった頃合い。

 当初の予定通りに青年が眠っていた遺跡へと戻ったアカネたちは、しかし愕然とした表情を浮かべざるを得なかった。

 その理由は。

 

「なんで崩れてるのよ」

 

 そう、アカネが呟いた通り、昨日まで大樹に侵食されながらも確かに存在していた遺跡が、今は無残な瓦礫の山を晒しているのだ。

 元々が廃墟のような外観ではあったが、それでも昨日の今日でこうなってしまうとは予想だにしていなかった。

 

「もしかして、昨日の戦闘で?」

「いや、それは考えにくいな。 本格的に戦い始めたのはここから少し離れた場所だし、一番派手にやりあったのなんざ森の出口辺りだ」

 

 コムギの言葉に、エルがそう答えつつ屈みこんで足元の瓦礫を一つ拾い上げてみる。

 しかしどうやら何かおかしなところがあったわけでもないようで、すぐに放り投げてしまった。

 一方のアカネは固まっていた後で、盛大に肩を落として溜息を吐いた。

 

「たぶん、このバカを連れ出したのがスイッチだったんでしょうね」

 

 顔を上げないまま、隣に立っている青年を指さす。

 その身には、黒鬼火の生き残りから頂戴した装束を纏っている。

 全体的に黒く、ところどころにビスのような装飾が施され、更にはわざとらしい破れや由来不明のシミが散りばめられた素晴らしく趣味の悪い出で立ちである。

 そんな中で、額の傷に張られた白いガーゼが素敵に輝いていた。

 どこに出しても恥ずかしい三下チンピラファッションだ。

 

 それはさておき、この惨状では青年が眠っていた地下室の入り口を掘り起こすのは難しいだろう。

 なにより、原因を考えればその地下室自体も崩れている可能性が高い。

 

 元々、なにか目ぼしいものがあれば儲けもの程度の考えではあった。

 それでもそれ以前の段階でご破算にされてしまうと徒労感が凄まじい。

 黒狼鬼の残党から慰謝料代わりに多少の金品は徴収したが、それはそれとして落胆は禁じ得ない。

 と、その時だ。

 項垂れるアカネの横を一つの影が横切った。

 

「ん?」

 

 力ない所作で顔を上げれば、青年が瓦礫の山に足を掛けるところだった。

 その歩みに迷いのようなものは見受けられない。

 

「ちょっと、アンタなにしてんの?」

「いや、なんかな」

 

 言いつつ、青年は砕けた建材の破片を踏みしめながら進んでいく。

 アカネはしばらくその背を眺めていたが、やがて足跡をなぞるように続いていく。

 

「ア、アカネさん! 危ないですよ!?」

「みんなはそこで待ってて」

 

 コムギの言葉もよそに、アカネもズンズンと足場の悪い中を突き進んでいく。

 足を取られかけながらもどうにか転ばずに済みながら歩けば、青年がある物の前で立ち止まっている背が見えた。

 彼は眼前に聳え立つそれを静かに見上げている。

 

「って、なにこれ?」

 

 横に並んだアカネの前に立つそれは、巨大な黒い板だった。

 高さは青年よりも頭二つ分ほど高く、幅はアカネが両腕を広げた程度。

 表面はつるりと非常に滑らかで、顔を近づければ僅かに己の顔が映るほどだ。

 見た感じの材質は石とも金属ともつかない。

 周囲が瓦礫の山なのに対し、この板とその周囲だけは小奇麗なままで、まるで後からここに設置したかのようだ。

 そのどこか墓標を想起させる外観に、アカネは眉をひそめてそれを眺める。

 

「どうみても怪しいわね。 他になにか……ん?」

 

 視線を上下させて観察していたアカネは、板を支える台座部分にある物を見つけた。

 文字だ。

 板と同質だろう台座の中央部分に、ある一文が刻まれている。

 アカネはそれを目で追って、意図することなく口に出す。

 

「―――『To the Wolf(オオカミへささぐ)』?」

 

 と、その時、青年が板へと一歩前へ踏み出す。

 それに気づいたアカネは、思わず彼へ手を伸ばした。

 

「ちょっと、なにを―――」

 

 青年の肩に手をかけるアカネ。

 しかし青年の手は、すでに板の表面に触れていた。

 

 瞬間、ビシリと音を立てながら板の表面を光が奔る。

 それは青年が手を触れた場所から幾筋も同時に放たれ、複雑な文様のような軌道を描いている。

 

「な……」

 

 アカネが驚く間もなく、今度は板が崩れていく。

 それはひび割れるというものではなく、砂よりも細かい粒となって形を失っていくというものだ。

 さらさらと地に落ちていくそれは灰のようにきめ細かく、僅かな風にも乗って宙へと散っていった。

 

「アンタ、一体何したの!?」

「いや、触っただけだぜ?」

 

 そんな会話をしている間に、板は完全に崩れ去ってしまった。

 そうして後に残ったものに、アカネは眉を寄せる。

 

「これって……剣、よね」

 

 それは一振りの黒い剣だった。

 大きさは当然というべきか、板に丁度納まるほどで、材質も見た目は同じもののように感じる。

 幅も広めで、板を基準として考えれば半分ほどだ。

 柄頭から切っ先までの大きさは青年と同じか、やや大きいほど。

 形状は両刃の西洋剣で、鍔もなく一見すると柄まで一体の成型のようにも見える。

 だがよく見ればいくつかのパーツで構成されているようで、もしかしたら存外に複雑な構造なのかもしれない。

 柄と刀身の比率は約1:2でほどで、そこからも解る通り剣にしては柄が異様に長い。

 青年の手でも、両手持ちどころかその二倍はあるだろう。

 刀身のほうは刃というには武骨に過ぎ、切れ味そのものはさほど良さそうには見えない。

 だが、左右どちらの刃にも六角形を半分に折って張り付けたような文様が三つずつ彫りこまれている。

 刃のほうから見れば、細長い六角形が縦に三つ連なっている様に目に映るだろう。

 さらに柄頭からは剣と同じ黒い鎖が伸びており、剣そのものに蛇のように巻き付いている。

 

「へぇ……」

 

 出てきた異様な威容に思わず目を細める青年。

 と、支えを失ったためか剣はこちら側へと倒れこんできた。

 

「うわ」

「っと」

 

 アカネは飛び退き、青年は僅かに下がって右手を翳す。

 その右手に倒れこむ勢いのままに剣の柄が飛び込み、納まる。

 青年はそれを握りしめると、しばらく重さを確かめるように支え、

 

「フッ」

 

 腕の振りと指運で持ち替え、片手で構えた。

 その切っ先は揺れることなくピタリと前へ向けられてる。

 青年は手にした剣を改めて眺めると、左手でも柄を握りしめる。

 やはり両手でも盛大に柄が余るが、長大な刃はそれで十分に釣り合いが取れて見える。

 青年はスゥ、と短く息を吸い、

 

「フン!」

 

 眼前の塵の山を今度こそ千々に散らしつくし、その奥の瓦礫の塊に振り下ろす。

 刃が岩塊に食い込む音は思いのほか鈍く、それが幾重にも連なって響き渡る。

 青年の胸ほどまで積まれたその山を、轟音と共に二子山へと変貌させた。

 

「―――悪くねぇな」

 

 ガラガラと叩き割った山から瓦礫が雪崩れる中、青年は掲げた剣をまじまじと眺めながら満足げに呟く。

 その背に投げつけられるのは、アカネからの呆れたような一言だ。

 

「新しいオモチャは楽しかしら、『オオカミさん』?」

 

 その呼びかけに、青年は思わず弾かれるように振り返る。

 

「『オオカミさん』? オレのことか?」

「ええ。 最初、『To the Wolf』って書かれてたじゃない。

 それをアンタが受け取るなら、つまりアンタが『オオカミ』ってことじゃないの?」

 

 問い返せば、アカネは投げやりな口調で適当に、そしてどうでもよさげに答える。

 だが、それを聞いた青年はなにかを考えるように黙り込む。

 その様子に、どうしたのかとけげんな表情を浮かべるアカネ。

 と、青年は頷きながら笑って自身へ空いた左の親指で己の胸を指す。

 

 

「―――よっしゃ、それじゃあ今日から俺は【オオカミ】だ!!」

「………………………………………はぁ?」

 

 

 胸を張る青年……オオカミに、アカネは思わず呆気に取られる。

 どうやら自分の言ったあのたった一言で己の名を決めてしまったらしい。

 

「いやちょっと……本気?」

「おう!!」

 

 余りにもストレートすぎるその命名に、さすがに思うところがあるのかアカネが待ったを掛けに行く。

 しかし、当の本人はすでに乗り気で、このまま本当に【オオカミ】を名乗って生きていくつもりのようだ。

 己の名を決めたためかやけにはしゃいでいるその様子に、引き金を引いたともいえるアカネは思わず頭痛を覚える。

 

「ねぇ、なんでそんなにテンション高いのよ?」

「そりゃな。 お前が付けてくれたようなもんだしな」

「……は?」

 

 オオカミの返しに、思わず首を傾げる。

 それがいったいどうして理由になるのか、全く理解できない。

 アカネは目が半眼になっていくのを自覚しながら、バカらしいと思いつつもオオカミに尋ねてみた。

 

「アンタさぁ……まさかあたしに惚れたとか言わないでしょうね?」

 

 さすがにいくらなんでもそれはないだろう、そう思って問うと、彼は予想外の動きをした。

 いや、正確には予想外に動きをピタリと止めたのだ。

 そうしてオオカミはアカネをまじまじと眺め、その視線に彼女は僅かに身動ぎする。

 

「な、なによ?」

「………あーそっかぁ。 これってそういうやつなのか?」

「だからなにがよ?」

 

 と、後ろからいくつかの足音が聞こえてきた。

 横目で見ると、ソニアやコムギ、コムギに背負われているエルがこちらに向かってきているのが見えた。

 どうやらオオカミが試し切りした時の轟音で駆けつけてきたようだ。

 そんな彼女たちのことなどお構いなく、オオカミは大声で宣言した。

 

 

「アカネ、だったよな。 多分、お前の言う通りだ。

 ―――お前に惚れた! だからこれからよろしくな!!」

 

 

 その瞬間、彼の目の前のアカネも、すぐ近くまで来ていた彼女の仲間たちも、一様に呆然と静止した。

 そして十秒過ぎ、二十秒過ぎ、三十秒ほどが過ぎたところで、

 

「「「「は………はぁああああああああああああああああ!?」」」」

 

 声を重ねて、驚愕に喉を震わせた。

 彼女たちを奏した張本人は、しかし楽し気にどこか誇らしげに子供のような無邪気な笑みを浮かべていた。

 

 

 

***

 

 

 

 かくして、赤ずきん(ヒロイン)はオオカミと出会った。

 その旅路の果てが如何なるものかはまだ誰も知らない。

 確かなのはこれは絶望の物語であり、しかしそれだけでは終わらないということだけだ。

 

 賑やかな声のすぐ近くで、白く小さな花が幾つも連なった一輪の野萵苣(のぢしや)が風に揺れている。

 それはまるで、彼らを微笑ましく見守っているようだった。

 

 

 

 




 というわけで、『赤ずきんたちとオオカミさんの絶望打破』の第一章、これにて幕です。

 最後の最後で主人公の名前が決定しました!
 ……正直、どういう名前にするかはだいぶ悩みました。
 それでいろいろ考えた結果、「もうシンプルに『オオカミ』でいっか」という結論に達しました。

 オオカミは最後に武器手に入れましたが、それがどんな代物なのかは次章以降をお楽しみに。
 ……早く活躍させたい。

 さて、次に投稿する簡単な人物紹介を挟んで次の章に行くのですが、ほぼ書き溜めが尽きたためしばらく間を置くことになるかと思います。
 出来上がり次第随時あげていくつもりなので、これからもお付き合いしていただければ幸いか。

 それでは、今回はこの辺で。
 またお会いしましょう。


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主要人物紹介(第一章時点)

【アカネ】

 

 年齢16歳(推測)、セミロングの金髪は前左右へ流れる二房だけが緩く縦にロールされている。

 身長はやや低めで発育は控えめ。

 

 魔力で駆動するボディースーツ型のパワーアシストスーツにフード付きの真っ赤な防弾コートが仕事着。

 右手にはナックルダスターを展開できる手甲を装備していて、これと右腿の大型ナイフ、右腰の中折れ式の小型グレネードガンが主な武器。

 さらに自身で調合した特殊な薬品を特製のリンゴ型小瓶に詰め、左腰の籠型ポーチに複数種類を仕舞っている。

 これはアカネの魔力に反応し、様々な効果を発揮する。

 使用時は直接手に持って投げたり、グレネードガンで撃ちだしたりする他、ナイフやナックルダスターに装着することも可能。

 

 エル、コムギを構成員とした遺失物狩り(ロストハンター)のチームリーダーであり、その評判は新進気鋭といった所。

 身体能力はそれなりに高く、スーツの機能と本人の研鑽もあって格闘戦も可能。

 小瓶を利用した変則的な戦法を含め、総合的な戦闘能力はかなり高い。

 体術と道具を組み合わせ、近~中距離を間合いとした非常に応用力の高い戦術を使用し、戦闘以外でもその能力を発揮するオールラウンダー。

 

 

 愛機の人造飛馬(ペガサス)は高出力の大型機で、特製のチューンが施されている。

 また、彼女の趣味で外装は真っ赤に染められている。

 (ちなみに人造飛馬で劇中のような通常出力下の航空飛行をするタイプは基本的に遺失物狩りなどの荒事に携わる人間くらいしか使わない)

 

 孤児であり、詳しい出自は不明。

 本人も大して気にしていないが、聞き流すかどうかはその時の機嫌次第。

 

 恋愛経験は皆無だが、序盤でいきなりファーストキスを(魔力のついでに)奪われた。

 その後、その相手の心を(全く欲しくないのに)奪う。

 

 

 

***

 

 

 

 

【オオカミ】

 

 年齢不明、出自不明、正体不明の三拍子に記憶までなくなっていた訳判らずの青年。

 首にかかる程度の襟足の短い茶髪に金色の瞳。

 体つきは細身ながらも筋肉質で、身長は高め。

 

 アカネたちが入った遺跡の地下で謎の装置に囲まれた琥珀のような物体の中で眠っていたが、すべてが瓦礫の中に埋もれてしまったので詳細不明。

 過去への手掛かりは遺跡が崩れた以上、彼の記憶に唯一残っている『黒い髪の女』だけであるが、彼本人がそれらに興味も頓着も示していないため、現状ではあまり意味がない。

 

 起き抜けにアカネからファーストキスと魔力を奪い、黒狼鬼の主砲から放たれた魔力の砲弾に乗ってこれを操り、終いにはすれ違いざまに傷つけた人造飛馬から動力の魔力を奪い、更にはそれを刃のように変形して放つなど、魔力を直接的に操り、隷属させるような能力を持つ。

 だが青年本人は違和感なく本能的にこれを行使しており、どういった理屈で行いどのような理由で行えるようになったのかはやはり一切不明。

 

 好戦的というよりも享楽的であり、どこまでも楽しむために行動している。

 しかし、そこへアカネという新たな判断基準ができ、それがどういう行動に繋がっていくかはまだわからない。

 

 遺跡の跡地から長大な黒い剣とオオカミという名を手に入れたが、前者についてはどのような代物かはまだ解かってはいない。

 ただ、なにやら仕掛けがありそうなことは確かである。

 

 アカネの唇を奪い、アカネに心奪われた男。

 

 

 

***

 

 

 

【エル】

 

 年齢は十代前半で薄紫のロングヘアにメガネ。

 身長はアカネ以上に低く、体型は年相応以下に幼い。

 

 アカネのチームでは医者と技術者と操船など主に後方支援を担当している。

 しかし操船などは船自体のシステムが優秀なため、専らは医者や分析がメイン。

 

 幼い容姿に似合わない頭脳と能力、感性と判断基準の持ち主。

 

 

 

 

***

 

 

 

【コムギ】

 

 アカネと同年代で、深みのある青味がかった黒髪を二つに分けて毛先近くでそれぞれ纏め、名前通りの小麦色の肌を持つ。

 顔にはエルと比べて大きめの丸眼鏡を掛け、薄桃色のゆったりとしたアオザイ調の服を纏っている。

 肉感的でややむっちりとした体型。

 

 性格はやや引っ込み思案だが優しく思いやりがある。

 アカネのチームにおける良心的存在。

 

 突出した能力は持たないが、割と何でもある程度こなせるので必要なところの補佐に入るのが常。

 どちらかといえばエルの助手的な役割のほうが多い。

 

 実は現状、オオカミに対する警戒心は一番強い。

 

 

 

***

 

 

 

【セブン】

 

 アカネたちのホームである飛空艇『クロック・ゴート』の機能を統括する人工精霊(メインシステム)。

 人格の性別設定は女性。

 

 アカネたちのように少人数のチームで飛空艇を運用する場合、彼女のような固有の人格を持つ人工精霊を用いて運用することで負担を軽減する場合もそれなりに多い。

 ただしそれは『クロック・ゴート』のような比較的小型~準中型あたりまでの大きさの船に限定され、黒狼鬼のような大型船の場合には固有の人格を持たない簡易な管制システムを用いている場合がほとんどである。

 これは大型船の場合は人工精霊での自動制御には限界があるので、固有人格を持つほどの人工精霊を導入する理由が乏しいため。

 

 実は『クロック・ゴート』のロールアウト自体が日が浅いために、彼女の情緒もまだ成長途上であったりする。

 

 

 

***

 

 

 

【ソニア】

 

 アカネたちのチームの一員ではなく、外様の雇われ要員。

 年齢は18歳で、茶色でやや癖のある髪質のセミロングに、男装のような緑色のズボン姿に同色のコートを羽織っている。

 また、コートは魔力を流すことで実弾にも耐えうる防御力を発揮する特別製。

 

 外見も中性的なら口調もどこかボーイッシュな少女。

 ただし肉付きはコムギにやや劣る程度で、少なくともアカネよりかはある。

 

 武器は魔力の籠もった弾丸を放つライフルと二丁拳銃。

 ライフルによる狙撃から二丁拳銃による乱戦まで幅広い戦法を駆使する辺りは武装と間合いは対称的ながらもアカネとどこか似通った部分がある。

 そのためかどうかは知らないが、アカネとは非常に気が合い、何度も仕事を共にしている。

 アカネからは正式なチームの一員にと勧誘されているが、のらりくらりと躱している。

 誘いを受けない理由は黙して語らず。

 

 昏倒したアカネとオオカミを運んだり黒狼鬼の雑魚と戦ったり、今回の件で一番苦労したのは間違いなく彼女。




 というわけで、第一章での登場人物紹介です。
 現状で判明している情報に若干の補足を付けている程度ですね。

 というわけで、これにて第一章は本当におしまい。
 しばらく時間を戴くかもしれませんが、次回からの第二章をお待ちくださいませ。
 ……うん、読者増えてほしいなあ……あと感想欲しい(切実


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第二章
10:反応はない、まるで屍のようだ


 

 

 

 文明崩壊後、巨大な樹木の群れに覆われた世界【樹海時代(アフターロスト)】で前時代の遺物を探し出す【遺失物狩り(ロストハンター)】を生業とする少女、【アカネ】。

 彼女はある依頼から仲間たちと共に訪れた遺跡の中で、一人の青年と出会う。

 地下の装置の中で眠り続けていた彼は、起き抜けにアカネの魔力をファーストキスと共に奪ってしまう。

 その後、青年を保護(というか捕縛)したアカネたちが青年に尋ねる(というか尋問)も、彼は自身のことを何一つ覚えてはいなかった。

 とりあえずは依頼は果たしたとして、あとはもう一度遺跡を浚うかと話し合っていた彼女たちに、突如としてハイエナ集団【黒狼鬼】が襲い掛かる。

 死力を尽くし抗うも、彼我の戦力の差は文字通り絶望的だった。

 万事休すかと思われたその時、牢の中にいたはずの青年が颯爽と現れ、なんと【黒狼鬼】のボスを討ち取ってしまう。

 その後、夜が明けたアカネたちと青年は遺跡へと戻ってみたがそこはすでに瓦礫の山であった。

 しかし、青年はその瓦礫の山の中で一振りの長大な黒い剣と、そしてアカネの言葉から【オオカミ】という名を手に入れる。

 彼はアカネにこう告げた。

 

「―――お前に惚れた! だからこれからよろしくな!!」

 

 さて、そんなオオカミはというと……

 

「…………………あれ? なんで閉じ込められてるの?」

 

 貨物室の大型コンテナの中に詰め込まれていた。

 情けというべきか、明かりと毛布といくつかの保存食もセットで放り込まれている。

 ちなみに剣のほうは別の所に保管されていた。

 とどのつまり、文字通りのお荷物扱いである。

 

 

 

***

 

 

 

「ああいう扱いでいいのかい? 彼」

 

 ブリッジで頬杖ついているアカネに振り返らないままエルが尋ねる。

 エルはコンソールに埋め込まれている水晶に手を翳しながら、水晶盤(モニター)の表示を目で追っている。

 控えめに言ってもなかなかに忙しそうだ。

 それに対し、アカネは機嫌が悪そうに座っているだけで、いかにも暇そうである。

 

「問題ある?」

「問題はないさ。 だからただ『いいのか?』と訊いているだけで」

 

 エルの笑みを含んだ言葉に、アカネは大きく鼻を鳴らす。

 

「いいもなにも、怪しすぎて胡散臭すぎていろんな意味で危険すぎるっていう三重苦をそのままにしておけるわけないでしょ」

「それだけ?」

「他にも言ってほしい? 愚痴と文句ならいくらでも言ってあげるわよ」

「さすがにそれは勘弁だね」

 

 そう言って、エルは今度こそ仕事に没頭する。

 そんな彼女の背ににフン、と鼻を鳴らしたその時、今度はコムギとソニアがブリッジに入ってきた。

 二人は手にお盆を抱えていて、コムギの方には焼きたての香ばしい芳香を振りまく焼き菓子が、ソニアの方には紅茶やコーヒーの注がれたカップがそれぞれ乗っていた。

 

「二人とも、お茶とお菓子の用意ができたのでどうぞ」

「アカネも、ブスっとしてないで少しは機嫌なおしなよ」

 

 ソニアが言いながらアカネの頬杖の隣に紅茶のカップを添える。

 手を休めて椅子ごと振り返ったエルにはコーヒーを手渡した。

 口頭でセブンに操船制御を指示するのも忘れない。

 さらに小麦から焼き菓子が配られ、場はちょっとしたティータイムへと移行していく。

 

「それで、オオカミだっけ? 彼は結局どうするのさ」

「………ソニア、アンタもか」

 

 コーヒーのカップを傾ける友人に、アカネはげんなりとして表情を隠さない。

 だが、いくらそんな表情を向けられても彼女たちの好奇心が消え失せるわけではない。

 いつの世も、それこそ文明が崩壊しようが世界が樹海に沈もうが色恋沙汰が絡んで乙女のテンションが上がらないはずがないのである。

 

「どうすもこうするも、予定通りラプンツェルに引き渡して報酬もらってはいおしまい。

 骨休めしたら次の仕事に出発シンコー、問題ある?」

「問題はないけど、ねぇ」

 

 含みを持たせるような末尾に、いよいよアカネの苛立ちが燃え上がりそうになる。

 それに気づいたコムギが、慌ててある疑問を口にする。

 

「で、でもでも、ラプンツェルさんの依頼って、あの人を連れていくんでいいんですかね?」

 

 と、その言葉で上げかけたアカネの腰が再び落ちる。

 それはアカネ自身も一度考えていたことだ。

 

 元々、彼女たちが受けた依頼は非常にざっくりとしていたもので、要点だけかいつまめば『怪しい遺跡があるのでそこに潜って出てきたものを持ってきてくれ』というものだった。

 そんな曖昧な依頼を受けるのかという話が出てきそうだが、どうということはない。

 この業界で遺跡がらみの依頼などそのくらいざっくりしたもののほうが多い。

 というより、明確に『こういうものがある』とわかっている遺跡なんて言うのは、大抵がすでに遺跡発見時に回収されているものなのだ。

 結局のところ、依頼として出てくる遺跡というのは何らかの理由で内部が判然としないか、見つけたばかりでこれから調査の手を入れるかのどちらかに大別される。

 今回の依頼は前者に相当し、あの巨木ヤツメウナギの存在が調査の手を阻んでいたのが理由だった。

 それをどうにかこうにかして、ついでにいらんトラブルにも巻き込まれて出てきた結果があのオオカミとついでに黒い剣なのだ。

 

「いまさら言ってもしょうがないでしょ。 もう遺跡は潰れてるんだし、出てきたものを渡してそれで今回はおしまいよ。

 ついでに、あの剣もね」

「まあ、実際問題あの遺跡で一番きな臭いのは間違いなく彼だしね。

 ラプンツェルがその後どうするかは別問題さ」

「……わかってるなら、なんであんなこと訊いてくるのよ」

 

 再び眦を釣り上げる金髪の赤い少女に、緑と薄紫の二人の少女は顔を見合わせる。

 その表情には、状況を面白がるような笑みが浮かんでいる。

 

「いやぁ、それはねぇ」

「こんな状況でもないと、こうして落ち着いてからかえないしねぇ」

「よぅし……そのケンカ買っ、た、あ……」

 

 ついに堪忍袋の緒が切れて立ち上がった瞬間、アカネは急に力を失って浮かせた腰をストンと椅子に落としてしまった。

 それに慌ててコムギが駆け寄る。

 

「ちょ、大丈夫ですかアカネちゃん!?」

「ぐ、くぅ……おのれ、体の調子が戻っていれば……」

 

 そう、現在のアカネは絶賛不調中だった。

 原因は言わずもがな、先の戦闘での消耗である。

 元々、魔力が底をついていた状態から無理やり戦闘に参加して、更には人造飛馬まで引っ張り出したのだ。

 しばらくは場のテンションやら何やらで忘れることができていたが、そのツケは後になってから一気に噴き出た。

 今の彼女は普通に歩いて生活するくらいならばぎりぎり何とかなる程度で、激しい運動は全くできない状態になっていた。

 無理をしようとすれば先ほどのように崩れ落ちる羽目になり、下手をすればその場で失神してもおかしくないという状態だ。

 本来なら部屋で休んでいたほうが良いのだろうが、それでも彼女はこの場に来ていた。

 もしかしたら一人でいたら何か溜め込んでしまうものがあるのかもしれない。

 

 ちなみに消耗といえばソニアもだいぶ消耗していたが、今はアカネよりかは回復している。

 やはりアカネの場合は限界以上に魔力や体力を使用したことのが災いしたらしい。

 それはさておき、アカネの肩を支えるコムギは珍しくメガネの奥の眦を釣り上げる。

 

「お二人とも!! アカネちゃんをからかうのはそのくらいにしてください!!

 今はあんまり無理させちゃダメなんですから!!」

「コムギ……」

 

 自分のために憤ってくれる優しい少女の姿に思わず涙腺が緩みそうになる。

 叱られている二人も、さすがにバツが悪いのか申し訳なさそうに肩をすくめている。

 そしてコムギはさらに続ける。

 

「大体アカネちゃんをからかうのなんて体調関係なくなんやかんやでいつものやってるじゃないですか!?

 だったら無理させちゃいけない時くらい控えめにしてください!!」

 

 アカネは声もなく今度こそ崩れ落ちた。

 ぶっちゃけ、コムギの言い分を要約すると『からかうんなら後で存分にヤレ』である。

 感動を覚えたところにこの落差は精神的なショックがいささか強すぎたらしい。

 

「あれ? アカネちゃん!? どうしたの!?」

 

 アカネの様子に気付いたらしいコムギが慌てて彼女の身をゆする。

 反応はない、まるで屍のようだ。

 そのやり取りに、ソニアとエルの二人が頬を引きつらせる。

 

「えげつないね」

「狙ったわけじゃないから、なおさらな」

 

 と、ちょうどその時だ。

 ブリッジ内を甲高いアラーム音が席巻する。

 耳朶を鋭く刺激するそれに、アカネを含めた皆が顔を上げた直後、セブンが一同に告げた。

 

『皆さま、ラプンツェルの領域内に入りました。

 自動認証完了―――間もなく到着する予定です』

 

 言い終わるよりも前に、窓の外が一瞬にして白い靄に覆われる。

 そしてそれは瞬く間に晴れ、視界が元の色彩を戻していく。

 すると、今までなかった……否、見えていなかったモノが進行方向の先に現れる。

 

「……相変わらずアホみたいにデカいわねぇ」

 

 力なく呟くアカネの目に映るのは巨大な……あまりにも、あまりにも巨大すぎる樹木だ。

 まだかなり離れているだろう距離でも全容を視界に収めることは叶わず、天辺は雲を突き抜けた更に先へと伸びている。

 その威容は、この樹こそが空を……否、世界を支えているのだと言われても納得してしまいそうなほどだ。

 

 周りに見える小さな点々はおそらく飛空艇だろう。

 事実、こうして進んでいる最中にもこちらと同じような船とひっきりなしにすれ違っている。

 様々な船が行き交う中、クロック・ゴートはまっすぐその樹へと向かっていく。

 

 

 ―――その大樹の名は『ラプンツェル』。

 遺失物狩りの元締めであり、現在の世界にて最も栄華を極めている樹上都市である。

 

 

 






 というわけで、新章開始です。
 しばらくは日常パートが続きます。

 それでは、また明日。

 天然こそが時として最も残酷で恐ろしい……


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11:それら全てを、その一言が静止させた

 

 

 『樹上都市』などと謳われているものの、ラプンツェルの生活圏はその天辺に留まらない。

 むしろ文字通りの雲上の領域にある頂上部がどのようなものなのか、知っている者のほうが少ないのが実情だ。

 なので主だった施設は下手な大木よりも立派な枝の上か、或いは広大な空間が広がる洞(うろ)の内部に建設されている。

 クロック・ゴートが入港したのは、そんな洞の一つの中に存在する飛空艇用の港だ。

 人工精霊のセブンはラプンツェル側からのガイドに従い、割り当てられたドックへと己が身を収めていく。

 そうして完全に停止すれば、整備用のクレーンが左右から延びてきた。

 同時に、甲板へ港と繋がるタラップが接続される。

 タラップを渡って、数人の男女が港に降り立つ。

 アカネたちだ。

 

「アカネちゃん、大丈夫ですか?」

「平気よ。 まだ本調子とはいかないけれど、歩いて動く分には問題ないわ」

 

 心配げなコムギに小さく笑ってそう答えるアカネは、コートこそそのままだがその下はミニスカートタイプのワンピースだ。

 すらりとした足が動くたび、スカートがふわりと揺れる。

 続くように降りていくのは、変わらぬ格好の少女たちとチンピラにしか見えない青年だ。

 青年のほうは拘束こそされていないが、その手は空になっている。

 そして青年と同じく、今回の仕事の収穫である黒い剣はというと。

 

「コムギ、本当に重くないか?」

「はい。 大丈夫ですよ、びっくりするくらい軽いです」

 

 エルの問いに、コムギは笑顔で布に包まれた大きな包みをわずかに掲げて見せる。

 その中身こそがオオカミがその名を得た時に手に入れた黒い剣だ。

 中身を知ればすわコムギが見た目に反した剛力の持ち主かと認識してしまいそうになる光景だが、実のところは会話の通り彼女でも持てるくらい軽いというだけの話だった。

 

「けど、これ何でできてるんですかね? 軽いのは確かだけど、だからと言って脆かったりするわけじゃなさそうですし」

「むしろかなり頑丈なようではあるけれどね。 ま、重さがないんじゃ武器としてはあまり役に立ちそうにないけれど」

 

 ソニアの言うとおり、剣のような武器の場合は重さというのは非常に重要だ。

 単純な話、武器の重さは振り回したときの威力に直結する。

 同じ速さで攻撃を繰り出すなら、軽い木の棒よりも重い鉄の棒のほうがより威力は高いのは子供でも分かる事実だ。

 素材の耐久性でも差は出てくるが、質量と威力が比例するのは常識といえる。

 当然ながら扱えないほどの重量になれば意味はないが、逆に非力なコムギでも軽々と持ち上げられてしまうほどでは武器としては失格だろう。

 刃物としての切れ味が鈍いならばなおのことだ。

 そんな会話を聞くともなしに耳に入れて、アカネはふと心の中だけで首を傾げる。

 

(……あれ? でもその剣でコイツはあの瓦礫の山をブチ割ったのよね?)

 

 それだけオオカミの膂力がすごかったということなのか。

 アカネはふと彼のほうに振り向く。

 一方の本人は、物珍しそうにきょろきょろと首を巡らせて周囲を眺めている。

 特に、上のほうが気になるのか視線は斜め上を旋回している。

 

「なに見てるの、アンタ」

「ん? ああ、樹の中なのにやけに明るいなと思って」

 

 オオカミの言うとおり、ドック内は光で満たされている。

 しかも日の光と同じく暖かで柔らかい明かりだ。

 その疑問に、アカネが投げやり気味に答える。

 

「外の枝葉が受けた日の光を内部で循環させて照射してるって話よ。

 一部は夜間や非常用として貯蔵してもいるらしいわ」

「へぇー。 なるほどねー」

「……あんまりわかってないでしょ」

「とりあえず、すごそうなのは解った」

 

 嘯くオオカミは、すぐ近くの壁に光を放つ結晶があるのが見えた。

 どうやら同じようなものがたくさんあって空間に光を満たしているようだ。

 眩しくてよくは解らないが、もしかしたらこの樹の樹液が固まったものだろうか。

 

「二人とも、なにしてるのさ。 迎えが来たよ」

 

 ソニアの言葉に二人が同時に振り向けば、港と樹の内部を繋ぐ出入り口のところに一人の男が立っていた。

 年齢は四十代半ばといった所か。

 背はオオカミよりも若干低い程度で、さほど高くも低くもないといった所か。

 纏っているのはここの制服であろうか、時折横を通り過ぎる者と似た格好をしている。

 他の者は青なのに対し、こちらは黒が基調で、しかし所々が寄れていてどうにも草臥れたような印象を受ける。

 やや皺の目立つ口元と眼鏡の向こうは柔和な笑みを浮かんでいる。

 

「これはこれは。 皆さん、お疲れ様です」

「ええ。 そちらこそわざわざお出迎えご苦労様、ミヤザさん」

 

 にこやかに手を振る男に、アカネが小さく会釈する。

 年嵩の相手だが、その口調はどこか気安い。

 それだけ気心が知れいている相手ということか。

 

「皆さん無事なようでなによりです。 なにせ黒狼鬼と衝突してこれを降したと聞きましたからね。

 いやぁ、最初は耳を疑いましたよ」

「……相変わらず、長い耳をお持ちのようね。 あのお姫様は」

 

 労うような口調のミヤザに対し、アカネの声が若干低くなる。

 かの連中との戦いはすでに数日は経過しているとはいえ、その関りを吹聴した覚えはない。

 まして文明が一度崩壊した後の情報網は決して迅速なものではないのだ。

 にもかかわらず、自分たちがそいつらを一網打尽にしたことまで把握している。

 彼我の規模の差を考えれば与太話にもならないだろうそれを、事実として認識している時点でなるほど驚愕に値する。

 

 にわかに鋭くなったアカネの視線に、ミヤザは笑みを苦笑に変えて後ろ頭を掻いた。

 本人的には世間話のつもりだったのかもしれない。

 

「いやぁ、あまり怖い顔をしないでくれると嬉しいんですがね~。

 ………ところで、そちらの男性は?」

 

 話題を逸らすためか、オオカミに注目するミヤザ。

 アカネは溜息を噛み殺しながら、これが今回の依頼品だと説明しようとして、

 

「俺はオオカミってんだ。 こいつに惚れてるからよろしく!!」

 

 その前に爆弾を投下された。

 は?とこちらの表情が呆けるよりも先にミヤザの顔が驚愕に染まる。

 ちなみにコムギは困ったような表情を浮かべ、エルとソニアは愉し気な笑みを浮かべていく。

 

「やや! よもやアカネさんにそのようなお相手ができるとは……!?

 いやぁ、実におめでたい!」

「いや違うわよ!? というか何気にひどいこと言ってるわねこのオッサン!」

 

 アカネはオオカミの脛を蹴って黙らせながら、ミヤザに詰め寄る。

 成人男性として標準的な上背を持つミヤザ相手だと、小柄なアカネが詰め寄ると必然的に背伸びをする形になる。

 それだけならば親子のようにも見えるだろうが、今回はそこから更にネクタイを掴んで引き寄せるというのがプラスされている。

 すると、途端にうだつの上がらないオッサンを不良少女がカツアゲしている構図へと変貌していた。

 しかしアカネは客観的にどう見えるかなどお構いなしに、ミヤザの鼻先に指先を突きつけながらガンを飛ばしている。

 

「いい? 私とこのチンピラはそんな関係じゃない!! わかった?

 ―――わかったって言いなさいよ、オラ!!」

「は、はい! わかりました!」

「いや、どっちかっていうとアンタのがチンピラっぽいけどな」

 

 エルの鋭い突っ込みは、幸いにもアカネには聞こえていなかったようだ。

 顔を引きつらせて笑うミヤザの返事に、満足したアカネは「よろしい」と満足してネクタイから手を離す。

 それと同時に、回復しきっていないからだが崩れかけるが、何とか踏みとどまる。

 どうやら自身の消耗も忘れてしまうほどだったようだ。

 一方で解放されたミヤザは、冷や汗をこめかみから垂らしながら首を擦っている。

 そんな彼に、アカネは脛をさすっているオオカミを指さす。

 

「コイツがお姫様のご所望の品よ。 ついでにコムギの持ってるモノもね」

「お、おや……そうでしたか。 これは失礼を」

「ていうか、アンタ実はわかってて言ってなかった?」

「いえいえそんなことは……ではこちらへ」

 

 そうして背を向けるミヤザだったが、ふと「ああ、忘れていました」と呟き、再び振り返ってようやく立ち上がったオオカミに歩み寄る。

 「ん?」と首を傾げるオオカミに、ミヤザは先ほどと同じように柔和な笑顔で右手を差し出す。

 

「遺失物狩りを統括する『ラプンツェル協会』のミヤザというものです。

 以後、お見知りおきを」

 

 

 

***

 

 

 

「そういえばよ」

「……なによ」

 

 オオカミの独り言じみた問いに、アカネが不承不承に反応する。

 面倒だが、無視すれば振り向くまで延々と話しかけてきそうだから相手をするしかないのだ。

 

 彼女たちが今いるのは、エレベーターの中だ。

 これも証明と同じくこの樹によって構成されたものなのか、四方の壁は木材によって構成されている。

 もしかしたら、持ち上げるためのワイヤーやギアも樹でできているのかもしれない。

 個室としてはさほど広くはないが、エレベーターとしては割と大型の密室内で一同は僅かな振動を足裏に感じながら直立していた。

 

「ラプンツェルって、この樹……街?国?、とにかくここの名前じゃなかったっけ?」

「元々は協会の名前が元になってたのよ。 それが規模が大きくなるにつれて拠点にしていたこの樹上都市の名前そのものになったの」

「ふ~ん」

 

 アカネの説明にオオカミは頷くもどこか気の抜けた感じだ。

 それを訝しげに思っていると、オオカミは頭を掻きながらさらに続ける。

 

「いや、ここに来るまでのアカネたちの言い草だと、なんだか人の名前みたいだったからよ」

 

 と、ちょうどその時にエレベーターが動きを止める。

 タイミングよく止まったようだ。

 ドアがスライドして開くと同時に、一同はそこから歩み出る。

 

「「止まれ」」

 

 途端、鋭い声が降り注ぐ。

 見上げれば、並び立つ二つの巨大な柱の上それぞれに人が立っていた。

 まず真っ先に目に入る特徴は、

 

「……同じ顔?」

 

 そう、オオカミが呟いたとおり、二人は鏡合わせのように非常に似通った顔立ちをしていた。

 流れるように長く、肩を越して伸びる白銀の髪。

 刃のように鋭く、精緻な彫刻のように奇跡じみた比率で整っている目鼻立ち。

 それでもよく見ればまったくというわけではないのは、性別による差だろうか。

 右の柱に立っているのは男、左の柱には女で、いずれも二十歳ほどの若々しい外見をしている。

 だが、纏っている空気がそれを感じさせない。

 他者を寄せ付けんとする排他的な拒絶、だからこそ近付いた者を推し量らんとする冷徹な観察眼。

 そしてそれらの根底にある機械じみた使命感が、彼らを年経た彫像のような畏怖を周囲に振りまいていた。

 

 表情を変えないまま、男のほうが口を開く。

 

「ミヤザ、それにアカネたちか」

「はい、お二方ともお疲れ様で……」

「アンタらのお姫様の依頼、こなしてきたわ。

 そこを通してもらうわよ」

 

 ミヤザの言葉を遮り、アカネが居丈高に声を響かせる。

 しかし、今度は女のほうが柱から飛び降り、彼らの行く手を阻んでしまう。

 

「どういうつもりよ?」

「見ない顔もいるようだな? それに、その包み……中身はなんだ?」

 

 アカネを無視し、彼女の視線はオオカミとコムギの持つ大きな荷物へと注がれる。

 そんな彼女をアカネは苛立たし気に睨みつけるが、当の女性はそんなことなど欠片も気にしない。

 視線を受けている二人はというと、オオカミのほうは威圧など知らんとばかりに降りてきた女性と柱の上に立ち続けている青年を交互に見ている。

 一方のコムギはやや顔を青くして、手の中にある物を覆う布を解き始める。

 そうして出てくるのは長大な黒い剣だ。

 同じ顔の二人の目が同時に鋭くなる。

 

「得体のしれない者、武具を持つ者、そのどちらもここから先に通す訳には行かない。

 ―――疾く、立ち去れ」

「………は?」

 

 いきなりの言い草に、アカネの声が一気に低くなる。

 目は据わり、溢れる怒気の証左のように拳が固く握られる。

 いささか沸点が低すぎる感もあるが、今回のオオカミ絡みの仕事はそれだけストレスがあったということでもある。

 さらに言えば、彼女は不当な理由を盾に上から目線で物事を強いられることに我慢がならない性質でもあった。

 アカネからすれば、自分たちのほうが正当だからだ。

 

「アンタらねぇ、こいつとコムギの持ってる剣はアンタらのお姫様が持って来いってあたしたちに依頼したモンなの!

 それ持ってきて門前払いとかどういう了見よ!?」

「知らん。 私たちはあの方の害になりうる可能性を持つモノをここから先に通さんだけだ」

「っの、融通の利かない……!!」

 

 苛立ち、奥歯を鳴らして睨みつける。

 すると女性の目が俄かに鋭くなり、両の腰に収められている剣の柄に手がかけられる。

 同時に、柱の上にいる青年のほうがどこから取り出したのか一本の槍を鋭い風切り音と共に構える。

 

「へぇ……」

 

 それに対し、真っ先に反応を示したのはオオカミだ。

 彼は男女とは違い、楽し気といった風に目を細めると口の端を牙を見せつけるように持ち上げて笑う。

 ミシリと筋肉を漲らせ、僅かに腰を落とせば、女性も青年も更に警戒を強めていく。

 まさに一触即発といった空気に、コムギはおろおろと涙目になり、エルは深い溜息と共に肩を落とし、ソニアは我関せずとばかりにじりじりと距離を置き始め、ミヤザは顔に冷や汗を垂らしながらもどうにか場を収めようと前に出ようとする。

 そして中心にいるアカネはそんな後ろの様子など気付いてもいないかのように更に噛みつかんと一歩前に踏み出して、

 

『―――ルーゼン、ルテレ。 そこまでにしなさいな』

 

 それら全てを、その一言が静止させた。

 それは決して大声ではないのにどこまでも響いていくような、涼やかな声音だった。

 聞こえてきたのは柱に挟まれた通路の最奥、戸が無くとも中を伺わせぬ闇が扉のように視線を遮るその更に向こう側からだ。

 その声に、行く手を阻んでいた二人の男女は勿論、つられる形で臨戦態勢に入っていたオオカミさえもその戦意を散らされる。

 対し、アカネだけは怒気もそのままに鼻を鳴らす。

 

「聞こえてるでしょ!! アンタの依頼、達成してきたからとっとと確認してほしいんだけど」

『ええ、もちろん。 そんなわけだから、二人ともその子たちを通してちょうだい』

「………わかりました」

 

 どうやら声の主こそ彼らの仕えている相手らしい。

 女性……ルテレは不満げではあるものの主命に頭を垂れる。

 ただし、それだけでは引き下がらない。

 

「その代わりに……ミヤザ、その剣はお前が持っていろ」

「ああ、はい。 了解です。

 ………そんなわけで失礼しますね、コムギさん」

「あ、は、はい」

 

 まずは信用できる相手に武器を預けさせるということだろう。

 ミヤザもその辺りの意図を瞬時に把握し、コムギも逆らう理由はないのでそれに従った。

 そしてもう一人、ある意味で剣よりも不確定な者についてだ。

 

「そしてそこの男、お前はここに」

『だめよ。 その子もちゃんと通して』

「な!?」

『その子に会うのも目的なのだから。

 それに、頼んだ依頼は私がちゃんと確認しないとね』

 

 しかしそれは瞬時に主に阻まれた。

 さすがにそれには抗議せんとばかりにルテレが振り返るが、彼女が声を発するよりも先に正論を返されてしまう。

 納得できないといった様子の女性に、しかし響いてくるのはクスクスという小さな笑い声だ。

 

『フフ、心配しないで。 ……アカネは今、ヤンチャができる状態じゃないでしょう?』

 

 その指摘に、アカネは苛立ち交じりに舌打ちするだけだ。

 それは自身の不調を見抜かれたためか、それとも暗に自分が足手まといだと言われたことに対するものか。

 続く声は、まるで幼い子供に語り掛けるようなものだ。

 

『そんな状態の彼女を、困らせてしまうようなことはしないでしょう?

 ―――ねぇ、オオカミさん?』

「………おう」

 

 返事をするオオカミは、先ほどが嘘のように大人しい。

 自分自身でもそれが不思議なのか、表情にはわずかな困惑が浮かんでいる。

 

『そういうわけだから、みんなを通してちょうだいな』

「……わかりました」

『ありがとう。 良い子ね』

 

 改めて了解を示したルテレに、奥からの声は楽しげに礼を告げる。

 そうして奥に一礼をすると、ルテレは自身の立っていた柱のほうへと身を寄せ、道を開ける。

 一同はそれでようやく先へと進んでいく。

 

 さほど大きくもない出入り口を潜ると、そこはかなり広い空間のようだった。

 まず大きな照明は中心部のみを照らすものだけで、出入り口とは結構な距離が置かれているのか照らされているものが何なのかそこからではよく見えない。

 また天井の高さを示すかのように上を見上げても中心を照らす光源はよく解からなかった。

 ただ、なんとなくドームのような構造になっている様に思える。

 床には光の線のようなものがまるで根のように張り巡らされている。

 よく見れば線は床に刻まれた溝で、そこを細長い光るなにかが通っているようだ。

 中心部の強い光と床の仄かな明かりが、それ以外の闇を深いものとして判然としないものにしていた。

 ただ、床に走る光の線から見ると、この空間は平原のようにだだっ広く、そして何も物を置いていないことがなんとなく識別できた。

 

 アカネを先頭に、面々は照らされている中央へと歩き出す。

 足音は先ほどよりもよく響き、この場の広さを聴覚でも示していた。

 と、途中でアカネがオオカミに語り掛ける。

 

「アンタ、たしかさっき『ラプンツェルを人の名だと思っていた』って言ったわよね」

「ん? おう」

「ラプンツェルって名前には、三つの意味があるの」

 

 一つは、この巨大な樹上都市。

 もう一つは、遺失物狩りの統括協会。

 そして―――最後の一つは。

 

「先の二つの名前のもととなった存在。

 この樹上都市の主にして、統括協会の最高責任者」

 

 と、歩みが止まる。

 遥かな高みから照らされる、それの前に辿り着いたのだ。

 

 それは―――彼女は、椅子どころか敷物一つすら使わず、この広大な床の中心で静かに座していた。

 なにより目を引くのはその金髪で、それは文字通りどこまでも長く伸びていた。

 僅かに波打つそれは、床へ垂れてそこに刻まれた溝を通り、さらに遠くまで延びていく。

 そう、床を走る光の線こそ彼女の髪だった。

 次に目に入るのは両眼……正確には、それを塞ぐもの。

 片方につき三つ、小さな鈴のついたピアスによって彼女の両眼は上下の瞼を縫い留められて封じられている。

 その痛々しさは、目鼻立ちが整っているからこそ尚も凄惨に目に映る。

 身に纏うのは豪奢ながらも擦り切れ、裾や袖口がほつれて破けたドレス。

 元の色彩はどうだったのか、今はくすんで輝きを失っている。

 年の頃はさて幾つだろうか。

 一見すれば少女のようにも見えるが、ともすれば木乃伊もかくやとばかりに乾き果てた老人かとも思える。

 

 雲よりも高い場所にある、奈落の底のような場所で、虜囚のように身動きが取れず、物を見ることもできないはずの彼女は、しかしそんなことなど気にしてもいないかのように朗らかに微笑む。

 

 

「そちらの方には初めましてになりますね。

 ―――私の名は、【ラプンツェル】。 どうか、よろしくお願いね」

 

 

 僅かに首を傾げれば、瞼の鈴がシャランと小さく歌う。

 共に響く声は先ほどと同じく涼やかで優し気。

 浮かんだ表情は、封ぜられた両目のことを加味しても朗らかで温かい。

 だというのに、オオカミはなぜか一瞬だけ背筋に冷たいなにかが走るのを感じていた。




 新キャラ続々出まくりです。

 実は当初の予定では案内役は双子のどちらかでした。
 ですが、ふと「あれ、オッサン成分足りなくね?」と思い、ミヤザさんが登場となりました。
 立ち位置としては協会とアカネの繋ぎ役みたいなところですね。
 受付役とか中間管理職的存在と言っても可。

 ラプンツェルに関しては、まだあんまり語れるところはなかったり。
 ただ、出番は少ないけど物語の根底に存在したりしなかったりします。

 それでは、この辺で。
 次回の更新時期は未定ですが、お待ちいただけたら幸いです。


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12:瞼の鈴を歌わせながらラプンツェルがコテンと小首を傾げる

 

 

 

「ふふ……無事に戻ってきてくれて嬉しいわ、アカネ」

「あっそ」

 

 座したまま、閉じた両眼でこちらを見上げるラプンツェルに、アカネの反応はいかにも素っ気ない。

 そんな彼女にラプンツェルは、あらあらとさほど困ってもいないように右手を頬にあてる。

 

「あの二人のことで怒っちゃったかしら?

 ごめんなさいね。 少し心配性なだけで、悪いコたちじゃないのよ」

「そんなのはどうでもいいわよ。 ……とっとと仕事を終わらせましょ」

 

 アカネはそう言って、オオカミに目配せでこちらに来るよう促す。

 オオカミはしかし逡巡して、アカネとラプンツェルを交互に見る。

 と、眼の見えないはずのラプンツェルが彼の視線に気づいたかのように微笑みかける。

 

「こちらに来てもらえるかしら?」

 

 その呼びかけに、それでもオオカミは動かない。

 むしろ微かに腰を落として彼女を見据えている。

 それは見ようによってはラプンツェルという人物に怯えているかのようだった。

 ………或いは、本当に。

 

「おめでとう」

 

 ふと、オオカミに向けてラプンツェルがそう言った。

 唐突な祝福の言葉に一同がそろって怪訝な表情を浮かべる。

 しかしそんなことなど文字通り見えていないかのように、彼女はオオカミへとまっすぐに言い放つ。

 

 

「―――これで、貴方は恐れを……【恐怖】の一端を学べたのね」

 

 

 その言葉に、オオカミは今度こそ本当に怯え畏れて飛びずさる。

 同時に、傍らにいたミヤザの手から剣を奪い―――

 

「おっと」

「うっ!?」

 

 ―――叶わず、手を空振らせて体勢を崩す。

 床に足裏を滑らせながら、ギリギリ転ばない程度でその身を静止する。

 ミヤザを見るオオカミの表情は予想外の驚きに染まっていた。

 対するミヤザは先ほどと同じように困ったような苦笑を浮かべている。

 平然としている辺り、どうやらただの冴えない中年男性ではないようだ。

 そんな二人に向けてか、ラプンツェルが可笑し気にクスクスと笑った。

 それに合わせて瞼の鈴もシャラシャラと鳴っている。

 

「ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったのだけれど」

 

 しかし、そんなあどけない様子にもオオカミは警戒しか抱けない。

 いよいよこめかみに冷や汗を一筋流すほど、彼の内心の緊張は高まっていた。

 と、その時だ。

 

「オイ」

「きゃ」

 

 アカネが、おもむろにラプンツェルの額をピンと指ではじく。

 勢い強めだったのか、ラプンツェルは存外に可愛らしい悲鳴と共に首を小さく仰け反らせる。

 それに対するアカネの眼差しはひどく据わってやさぐれている。

 

「いらんことでいらん時間を延々と使わないでくれるかしら。

 こっちはとっとと終わらせてゆっくり休みたいのよ」

「……フフフ、ごめんなさい。

 そちらの貴方も、本当に何もしないから来てくれるかしら」

 

 気まずげに笑って、ラプンツェルは改めてこちらを手招きする。

 アカネの行動からか、それともラプンツェル自身が意識しているのか、先ほどのような緊張感は霧散している。

 オオカミは僅かに逡巡して、ゆっくりと彼女のもとへ歩み寄っていく。

 

「………なんか、野良犬を手懐けてるみたいだな」

「尻尾が生えてたら丸めてそうだな、アレ」

「ふ、二人とも失礼ですよ」

 

 そんな会話が聞こえるが、オオカミ本人は頓着せずにラプンツェルの傍までたどり着く。

 と、ラプンツェルがツイとオオカミの頬にその両手を当てる。

 その手はなにかを確かめるように、彼の輪郭をなぞっている。

 頬を撫でると同時に、親指の腹が鼻筋や瞼にも触れる。

 

「むぅ」

 

 オオカミはそのことに擽ったさと煩わしさをない交ぜにした表情を浮かべるが、それでもとりあえずは大人しくしていた。

 

「……これ、あれだよな。 ワンコがいやいやだけどとりあえず大人しく撫でさせてやるてきな」

「ああ、そういうのって調子乗るといきなりキレて吠えかかってくるんだよな」

「あの、ここで変に会長に危害が加えられますと、外のお二人がお怒りになって色々大変なことになってしまうのですが……」

 

 そんな会話が後ろで静かに繰り広げられたが、オオカミは不満げではあるものの大人しい。

 やがてどちらが慣れたのか、オオカミの体から少しずつ力が抜けていく。

 彼の体から緊張が抜けきるのと、ラプンツェルの手が引かれるのはほぼ同時だった。

 

「―――ありがとう。 もういいいわ」

 

 終わってみれば、外野の心配は杞憂ですんだ。

 ミヤザはそのことに胸を撫でおろす。

 その一方で、アカネは不機嫌な表情のまま、今度はコムギのの持つ包みへと視線を向ける。

 

「一応、そっちの剣も同じところから出てきたものだけど」

「そうね……一応、見せてくれるかしら」

「は、はい」

 

 言われ、コムギがやや慌てつつラプンツェルへと寄っていく。

 重さは大したことはないとはいえ、それなりに大きさはあるので抱えたまま身を沈めるのにやや四苦八苦する。

 どうにか角度を調整しつつしゃがみこみ、包みの一部を解くように開けて刀身の一部を露出させる。

 

「切れ味は良くないですけど、気を付けてください」

「ええ、気遣ってくれてありがとう」

 

 言って、黒く硬質な表面に指先を滑らせる。

 と、一撫でしてすぐに手を引っ込めてしまった。

 

「なるほどね……面白いものを見つけたわね」

「それだけでナニかわかるの?」

「さぁ、どうかしら」

 

 嘯くように楽し気に笑う妖しげな姫君に、アカネが隠すつもりもなく思い切り舌打ちを響かせる。

 傍らのコムギがオロオロと慌てるが、ラプンツェルに気にした様子はない。

 最早そのことで改めて苛立つのも馬鹿らしくなったアカネは、早々に話を切り上げんと本題に移る。

 

「ともかく。 依頼はこれで達成ってことでいいわね」

「ええ、よくってよ。 ―――ミヤザ」

「はい」

 

 と、前に出たミヤザが剣を脇に挟んでから二人に差し出したのは、懐から取り出した一枚の紙だ。

 それは依頼の達成を確認する書類で、上三分の一に依頼の内容、真ん中に報酬について書かれており、そして下段に依頼主と依頼を請け負った者の双方が名前を書くスペースがある。

 書類は樹脂でできたボードに固定されており、ボードにはペンと赤いインクの染みた朱肉収められたケースが備え付けられていた。

 

 まずラプンツェルがそれを受け取り、瞼が塞がっているのか疑わしいほど自然で澱みのない手つきでサインをする。

 そしてケースの蓋を開けて右の親指を朱肉に押し付け、自身のサインの隣に拇印を刻む。

 次にアカネが書類を受け取ると、ガリガリと荒々しくペンを走らせ、インクを付けた親指をドンと叩きつける。

 最後にミヤザに返された書類には、美しく刻まれた上司の名と、ややワイルドに踊っている顔なじみの名前、そして双方の右親指の指紋がしっかりと記されている。

 

「はい、依頼の達成を確認しました。

 ―――改めて、お疲れ様です。 報酬は後ほどしっかりと振り込ませていただきます」

「ええ、お願い。 ……はあ~、これでようやく肩の荷が降ろせたってことね」

「ふふ、ほんとうにお疲れ様」

 

 アカネは深い溜息と共に肩をぐりぐりと回して首を鳴らす。

 ラプンツェルはそんな彼女を微笑んで労うが、当のアカネは見向きもしない。

 先ほどから一貫して礼儀を知らない振る舞いをしているアカネだが、立場で言うなら上であろうラプンツェルはその無礼を一顧だにしない。

 その辺りに、仕事上の関係以外の何かがあることを伺わせる。

 もっとも、それが良好なものか険悪なものかは傍目では判断がつかないが。

 

 「さてと」と呟き、ラプンツェルが両の掌をポンと打ち鳴らす。

 

「早速だけど、次のお仕事の依頼をさせてほしいのだけれど」

「………………………は?」

 

 ちょうど踵を返そうとしていたアカネが動きを止め、信じられないといった様子でラプンツェルを見る。

 ニコニコと微笑むラプンツェルに驚愕の目を剥けるのは、コムギやエル、ソニアの三人も同じだった。

 

「ちょっとまって……ねぇ、お姫様?

 アタシたちたったいま仕事を終えたばかりなの」

「ええ、相手をしてたから知ってるわ。 依頼人だし」

「そうよね。 それとアタシたちはここで引き籠ってるアンタと違って思いっきり跳んだり跳ねたり駆けまわったりしてたの」

「ええ、報告を聞いてたから知ってるわ」

「そうよね。 ………つまり、アタシたち思いっきり疲れてるの。 ぶっちゃけ無理したら冗談抜きで倒れそうなくらい」

「ええ―――触れてなくても、空気から伝わる感じでなんとなく解かるわ」

 

 しれっと言い放つラプンツェルに、アカネは必至で自身に冷静になるよう呼び掛ける。

 別段、目の前の女を殴り飛ばすのを躊躇しているわけではない。

 そうした場合、外にいる二人が怒り心頭に殴りこんでくるだろうことを気にしているわけではない。

 ここで理性のタガを外して盛大にブチ切れた場合、それだけで憤死してしまいかねないと思ったからだ。

 そんな彼女の様子を見越してか、瞼の鈴を歌わせながらラプンツェルがコテンと小首を傾げる。

 

「ふふふ……心配しなくても、そういう今すぐ動いてとかそういう類の依頼ではないわ。

 ただ、期間としては長期になるでしょうけれど」

「…………もういいわ。 ほら、さっさと言いなさいよ」

 

 アカネは諦めと開き直りを半々にした態度で溜息をつく。

 それに対し、ラプンツェルは僅かに佇まいを直して表情を引き締める。

 

「アカネ。 これから先の仕事に、そこのオオカミさんを同行させてほしいの」

「――――はあ?」

 

 言ってることの意味を図りかねて、思わずアカネが間の抜けた表情になる。

 言葉の意味が解らないのではない。

 その意図が把握できないのだ。

 なぜなら、彼女が言っていることはつまり。

 

「それって……コイツを仲間にしろってこと? アタシたちの!?」

「そう取ってくれて構わないわ。

 そしてその為の費用を、定期的にあなた達に提供するわ。

 もちろん、依頼も含めて多めにね」

 

 と、ここで彼女たちへと踏み出す者が居た。

 エルだ。

 彼女はアカネの隣に立つと、彼女を手で制止しつつさらに一歩前に出る。

 

「お話に割り込ませていただきますが、それはつまりオオカミを私たちの所へ派遣するという形になるのでしょうか?」

「派遣、とは少し違うかしらね。 彼、協会の職員というわけではないし」

「……なら傭兵として彼を雇い、それを私たちの所に回すということで?」

「そうねぇ、それが一番近いかしら」

 

 なるほど、とエルは頷く。

 と、そこへ再びミヤザが近づく。

 彼が再び懐に手を伸ばし、取り出したのは先ほどとは違う書類の挟まれたボードだ。

 それに対し、ラプンツェル以外の面々は「いったい服の内側はどうなっているんだろうか?」と素朴な疑問を抱えたが、あまり関係のないことだ。

 

「彼の派遣に対する依頼の契約書がこちらです。

 諸々の条件なども記載されているのでお読み下さい」

「………成程、最初から予定通りだったっていうわけね」

 

 アカネが睨むが、ミヤザもラプンツェルも笑って返すばかりだ。

 アカネはあきらめてエルが受け取った書類を彼女の肩越しに目を通していく。

 一通りしっかり読み終えて、まずはエルが開口一番、

 

「―――私としては反対する理由はないな」

 

 賛成を表明する。

 それに対し、アカネは露骨に嫌そうな表情を浮かべ、二人の後ろでコムギは驚きつつ不安げに眉根を寄せていた。

 エルは横のアカネに対し、肩をすくめて見せる。

 

「考えてもみろ。 諸々の諸経費が追加でかかることを考慮してもこれだけの金額が継続してもらえるなんぞそうはないだろう。

 ただでさえ基本は根無し草なんだ。 安定した収入に魅力を感じないとは言わせないぞ」

「それは、そうかもしれないけど」

 

 言い淀むあたり、アカネもエルの理屈に頷ける部分があるのだろう。

 アウトローにとってお金は文字通り生命線なのだ。

 無論、それだけに囚われても命とりなのだが。

 

 と、アカネはちらりと後ろを振り向く。

 他の者の意見も聞きたいのだろう。

 それで真っ先に口を開いたのはコムギではなく、その隣のソニアだ。

 といっても、彼女は肩を竦めながら困ったように笑ってみせている。

 

「ちなみに、あたしはこの問題にはノータッチだ。

 この場にこうしているけど、あくまでもあたしは雇われだからね」

「ぐ……」

 

 正論に言葉を詰まらせるアカネ。

 そのまま滑るように視線をずらせば、コムギと目が合った。

 彼女は自身への視線にビクンと身を竦ませると、おずおずと意見を出していく。

 

「え、えっと……正直、私はあまり賛成できません。

 よく解からない男の人が一緒だと、怖いですし」

 

 それは予想したいた通りの言葉で、それだけならただの反対意見だ。

 だが、彼女は「けれど」と続ける。

 

「入れることで、私たちにメリットがあるのも解りますし、感情だけで判断してい良いってわけでもないことは解ります。

 だから……どちらの結論でも、反対はしません」

 

 最後はまっすぐな視線と共にそう締めくくる。

 存外の意志の強さを垣間見たためか、オオカミの彼女を見る目は驚きが混じっている。

 一方で、押し黙るアカネにラプンツェルがシャランと鈴を鳴らしながら首を傾げる。

 

「さぁ、意見は出し切ったわね。 あとは貴女の判断よ」

「―――わかってるわよ」

 

 諦めではなく、決意を滲ませるアカネ。

 その様に、一同が固唾を飲んで見守りはじめる。

 彼女は「フン」と両腕を組んで、皆を睥睨する。

 そして力強い眼差しで力強く言葉を放った。

 

「決めたわ―――答えは、『保留』よ」

 

 瞬間、予想外の答えに場の空気が一気に弛緩した。

 

 

 

 

 






 注意しないと各キャラの一人称や口調を間違えそうになることがたまにあります。
 特にソニアは注意しないと気づけばボクっ子になりそうになる……(汗)

 ちなみに、しばらくは日常パートが続く予定。
 何事も下準備は大切ですよね。


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13:塞眼延髪の姫君が歌うように口遊む

 

 

 

 アカネの発言に、ラプンツェルはあらあらと可愛らしく小首を傾げ、エルが頭痛をこらえるようにこめかみを揉みながら右手を突き出して待ったをかける。

 

「なぁ、アカネ。 いま『保留』って言ったか?」

「ええ、『保留』よ。 言い方が気にくわないなら『仮採用』にしましょうか?」

「『仮採用』、ですか」

 

 今度はコムギにアカネが頷く。

 

「あなたも言ったとおり、感情だけで判断するのもよろしくないわ。

 そしてエルの言うとおり、アタシたちみたいなのにとって定期的に得られる資金というのはとても魅力的よ。

 けど、だからと言っていきなり『はいそうですか』と受け入れるにはわからないことが多すぎるわ」

 

 そう、そもそも彼女たちとオオカミは出会ってからほとんど時間が経っていない。

 特異な能力と逸脱した戦闘能力、そして何よりも突飛に過ぎるその出会いから忘れかけていたが、現状では仲間にするしない以前の問題だ。

 人となりは必ずしも悪党とは言えないようだが、細かいところまでは知らない。

 そもそもその能力だって、どこまでできるものなのか全く把握できていないのだ。

 

「だから現状ではソイツを仲間にすることを確約できない。

 ………だから、まずは期間を置いてその間の働きで判断するわ」

「―――まぁ、妥当だね」

 

 ふむ、と唸りながらソニアが頷く。

 立場的に外様であるためか、声の調子はどうにも気軽だ。

 彼女はコテンと首を傾げながら皮肉気な笑みを浮かべる。

 

「しかし、てっきりあたしは速攻で断るもんだと思ったんだけどね。

 ………愛の力、かい?」

「というわけで、いい?」

 

 アカネは完全に無視してオオカミにビシリと指を突きつけた。

 オオカミはキョトンとした表情で見つめ返す。

 

「アンタはこれからウチでこき使うことになったから。

 真面目にやんなきゃとっとと出て行ってもらうし、おかしな真似したら空からポイ捨てさせてもらうわ。

 そのつもりでね」

 

 物騒な宣言と共に彼へと歩み寄り、その胸元を突きながら彼の顔を見上げるアカネ。

 無言なオオカミに、アカネはずいっと顔を近づけて睨みつける。

 

「い・い・か・し・ら? 返事!」

「オ、オウ!!」

 

 オオカミが、思わず仰け反りながら声を上ずらせる。

 と、そんなやり取りがツボに入ったのか、ラプンツェルがシャラシャラと鈴を鳴らしながら肩を震わせる。

 

「フフ、じゃあ話は纏まったということで。 ミヤザ」

「はい。 今のお話に合わせて、書類の内容を一部変更しておきました。 ご覧ください」

 

 振り返ったアカネはミヤザからボードを受け取って書類を熟読し始める。

 この稼業において、契約とは重要なものだ。

 提示された条件を頭に叩き込むのは最低ラインで、そこから考えられる問題などを想定するまでは基本である。

 その辺りを怠るような者は未熟以前に早晩姿を消すことになるのが関の山だ。

 

 と、アカネは書類に穴が開きそうなほど目を通すと、サインするでなく傍にいるオオカミへと突きつける。

 

「お?」

「アンタもちゃんと読んでおきなさい。 自分のことなんだから」

 

 言われ、大人しく受け取って目を通し始める。

 そうして黙りこくって読みふけること暫く、アカネがふと不安になる。

 

「………ねぇ、アンタ字が読めないとかってオチはないわよね?」

「ん? いや、ちゃんと読めてるぜ」

 

 言いつつ、オオカミは面をあげて手にしている書類のボードを掲げて見せる。

 

「要するに、アカネの言葉には従って、アカネたちに悪い事したらその時点で殺されてもしょうがないってことだろ?」

「その言い方だとアタシがまるで暴君みたいになるんだけど?」

「フフ……実際はもう少しあなたにも優しいですよ、オオカミさん」

 

 割り込んできたラプンツェルの言葉に、びくりと身を竦ませる。

 どうやらまだ苦手意識は強いらしい。

 それに気にした様子もなく、立てた右の人差し指を揺らしながら教師のように告げていく。

 

「まず、あなたには雇用主である私や私の依頼であなたを預けるアカネの指示に従う義務があります。

 けど、これはあくまでも業務に必要な範疇でありあなたの心身を脅かすもの、プライベートを徒に侵すもの、犯罪を示唆するものに従う必要はありません。

 ………要は理不尽なことは無視して構わないということです」

 

 そこで、中指を立てる。

 興が乗っているのか、その様子は実に楽しげだ。

 

「次に、あなたが無意味かつ理不尽に暴力を振るったり罪を犯したりした場合、アカネたちは彼女たちの判断であなたを拘束ないし処断することができます。

 しかしかといってアカネたちがこれを盾にあなたに行動を強制したり脅迫することは許されていません。

 つまり、悪い事をしたらお仕置きされるけど、お仕置きを盾に言うことを聞かせようとしたらアカネたちがお仕置きされるということですね」

 

 フン、とつまらなそうにアカネが鼻を鳴らす。

 それは目論見を外されたという意味合いではなく、そんなことをするつもりは毛頭ないという意味でだ。

 むしろそんなことをするように見えるのかと、腹立たしく思っているように見える。

 一方でオオカミは警戒を半分忘れて興味津々に聞き入っている。

 どうやらラプンツェルの教え方は存外にわかりやすいらしい。

 そんな相反する二人の反応に口元の笑みを深めつつ、ラプンツェルは三つ目の指を立てる。

 

「最後に、あなたへ支払われる賃金について。

 この依頼に関して、私たちはあなたがアカネと共にいる限りアカネへ報酬を払い続けます。

 けれど、その中にはあなたへの給金も含まれているわ。

 そしてそれを基本給として、アカネが請け負った仕事での働きに応じてアカネはあなたに報酬を払う義務が生じます。

 ただし、十分な働きができなかった場合や、著しい不利益をもたらした場合にはペナルティとして依頼の報酬は勿論、基本給のほうも払う義務が消失します」

「まあ、結局は『働かざるもの食うべからず』と、そういうことですな。

 ちゃんと働かないと、お金がもらえないのは当たり前ってことです」

 

 ミヤザの締めくくりに、オオカミは「ほーん」と適当な声を上げる。

 注意事項に関してはこんなところで、纏めてしまえばごくごく当たり前のことばかりだ。

 

「うし、大体わかった。 それでいいぜ」

「………だ、そうよ。 あたしも概ね異論はないわ」

 

 笑みを浮かべて頷いて見せるオオカミは、手にしていたボードを一旦ミヤザへ返した。

 アカネの方は冷めた表情で了承を表す。

 その上で、「それで」と続ける。

 

「見極めの期間のほうだけど……」

「そうね……ひと月からふた月ほどといった所でどうかしら?」

「ふむ……まぁ、そのくらいかしらね。

 ただ、その間にデカい依頼を受けた場合は、その依頼での働きで期間よりもはやく判断するってことで構わないかしら?」

「短くなる分には構わないけど、理由があるかしら?」

 

 その質問に、アカネはわざとらしく肩を竦めてみせる。

 

「簡単な話よ。 いざって時に役に立たないのを長々と置いておく理由なんてないでしょ?」

「……まあ、道理ね」

 

 ラプンツェルも納得したように頷く。

 と、ミヤザのほうへ再び顔を向ければ、彼はボード上の書類にペンを走らせているところだった。

 軽やかな手つきでそれを終えると、改めてアカネへと差し出す。

 

「今の会話の部分を更に付け加えました。 ご確認ください」

 

 アカネは加筆された部分に目を通し、次いでもう一度全体を黙して読み上げてから、先ほどの書類と同じようにサインと拇印を記す。

 次に手渡されたラプンツェルも、目は見えていないだろうが文字をなぞるように指を滑らせる。

 まるでそれで読めているかのように時折頷いていると、やはり達筆にサインを記し親指を押し付けた。

 最後に、ミヤザがそれを受け取って双方のサインと拇印の存在をしかと確認する。

 

「―――はい、双方の同意を協会員ミヤザが確認いたしました」

「これで、オオカミさんはあなた達のお仲間ってことね」

「あくまでも暫定だけどね」

 

 念を押すようにそう言って、アカネは踵を返した。

 用は終わったとばかりに今度こそ出口へと歩を進めていく。

 

「達成した方の報酬はいつも通りに。 ……これからのほうの前払い分は、そっちに任せるわ」

 

 やはり疲労がつらいのか、足取りが若干ふらついているように見える。

 その背に真っ先に続いたのはオオカミで、次いでコムギにエル、そしてソニアが肩を竦めながらその場を後にしていく。

 と、その背中にミヤザが声をかける。

 

「こちらの剣ですが、わたくし共の方でお調べしてから、問題がないようなら改めてそちらのオオカミさんにお渡しいたしますので」

「あー、好きにして」

 

 アカネは振り返りもせずにどうでもよさげにそう返す。

 実際、自分が使うものではないからあまり興味がわかないのかもしれない。

 そんな彼女らを、ラプンツェルはシャランと鈴を鳴らしながら手を振って見送る。

 

「ええ、お疲れ様。 今度はお仕事抜きで遊びに来てくれると嬉しいのだけれど」

 

 そんな要望を、アカネは扉を潜る直前、やはり振り向かないまま鼻で笑いながらこう答えた。

 

「真っ平ごめんよ」

 

 

 

***

 

 

 

 遠く、小さくなっていった少女たちの背が、出入り口の向こうに消えていったのをミヤザは無言で見届けた。

 足音の反響もその余韻も消えた静寂の中で、ミヤザは軽く溜息をつく。

 異様に軽い長大な得物で、布ごしにトントンと肩を叩く。

 

「よろしかったので?」

「なにがかしら?」

「彼をこのままアカネさんにお預けすることです」

「ああ、それだったら問題ないわ」

 

 ラプンツェルは行儀悪く片膝を立てる形で足を崩す。

 そして立てた膝に肘を乗せ、頬杖をついた。

 そんな何気ない所作も、現実味の薄いこの姫君がやれば何処までも妖しい美しさが存在している。

 付き合いの長いミヤザからすれば、それには美しさよりも恐ろしさこそを強く感じた。

 そんな部下の反応を知らぬふりをして、彼女は嘯く。

 

「だって、最初からその予定だったもの」

 

 もしこの場にアカネがいたら、疲労もなにも無視してラプンツェルを殴り飛ばしていただろう。

 むしろそれだけでは済まなかったかもしれない。

 なぜなら、それは、

 

「………やはり、あの遺跡になにがあったのか……いえ、誰が居たのか、全て知っておられたんですね?」

「さあ、どうかしら」

 

 すっとぼけて見せる主の姿に、ミヤザは疲労を吐き出さんばかりに先ほどよりも深い溜息をつく。

 そこには由緒正しい中間管理職の悲哀がにじみ出ていた。

 それを無視して、姫君は歌うように言葉を紡ぐ。

 その妖しさは、囚われているというより封じられているという方が正しく感じられるものだ。

 彼女は虚空に手を伸ばし、まるでそこにある絵本を開くように手指を躍らせる。

 

「さあ、表紙は捲られたわ。

 ここから物語は始まるの。

 なら、言うべき言葉はただ一つ―――」

 

 そして。

 塞眼延髪の姫君が歌うように口遊む。

 

 

「―――『はじまりはじまり』」

 

 

 それは無垢な童女のように、どこまでも無邪気で、そして残酷な響きを持っていた。

 

 

 

***

 

 

 

 重ねて言おう。

 これは絶望の物語だ。

 どうあっても、彼女たちはそれに向き合うことになる。

 

 

 

 




 なんだか、これが第一章のシメのほうがよかったような終わりになってしまった……(汗
 ちなみにオオカミがサインしていないのは、あくまでもこの契約で初めてラプンツェルの名で彼の身分が保証されるって形になるためです。
 つまり、契約前の状態だと自分でサインしてどうこうって立場じゃないってことですね。


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