Fate/ School magics ~蒼銀の騎士~ (バルボロッサ)
しおりを挟む

第1章 世紀末魔法学園 入学編 ~V.S.キャスター~
1話


はじめまして、あるいはお久しぶりです。バルボロッサです。
何番煎じかよ、という魔法科高校の劣等生とFateのクロスオーバー作品についに手をつけてしまいました。おまけに北山雫ヒロイン。すみません、やっぱり彼女が一番劣等生のキャラで好きなんです。二番手は七草泉美ちゃん。本作品の物語は魔法科高校の世界観とFate/grand order時空を基本にしていますが、FGOは1.5部までを基に発進しておりますので、2部のストーリーからは乖離・矛盾が生じることもあるかと思いますが、あしからず。

それではよろしくお願いします。


 某年某月。21世紀末においても日本の首都である東京、そこからほど近い地理的関係にある港にて―――

 

「ハッハッハァッ! まずまずの収穫(お宝)じゃねぇか! なぁ、オイ!」 

 

 集められた数多くの少女を見下ろす男が上機嫌に笑っていた。

 白い顎髭の長い、老年に差し掛かっているといってもいい大柄の男は、しかしこの年代において些か時代に不似合いの装いをしている。

 船の船長を思わせる帽子とマント。腰に帯びているのはサーベルだろうか、細長い刀身を収めた鞘が吊られている。ここが港であることを考えれば適切な装いととれるのかもしれないが、時代が違う。

 中世ヨーロッパ、さらに言えば大航海時代の頃の船長が22世紀の日本に迷い込んできたかのような倒錯感があった。

 だが彼を見る者たち、従う者たちには、そんな彼の装いはこれ以上なく一致しているとしか見えなかった。

 まるでそうあるべきだと言うかのように。

 どれほどの時代が下り、世界が縮められようとも、偉大なる海を制覇した者としての威がそこにはあり、であるからして彼が船長の装いをしているのには何の不思議もなかった。

 

「――――」

 

 一方で、そんな彼に見下されているお宝 ―― 年若い少女たちは、皆一様に顔を伏せて光を失った瞳で顔を俯かせていた。

 腕には鎖、足首には鉄球が繋がれ、首には人権を否定するかのような首輪が嵌められており、少女たちの顔には一様に生気が感じられなかった。

 その様はまるで奴隷――人間性を認められず、輝かしい未来を奪われ、商品として、労働力として、そして犯され、孕まされ、弄ばれる運命にあるモノたちのよう。

 

 

 

 ――――なんで……私……――――

 

 日本有数の大実業家、北山潮と元Aランク魔法師、鳴瀬 ―― 北山紅音の愛娘である北山雫もそんな奴隷のような少女たちの中にいた。

 幼さの残る童顔。個人差によって不本意ながらも緩やかな成長期の肢体は凹凸に乏しい華奢なものだが、そんな彼女を男子と見紛うことは決してないだろう。

 優れた魔法師の血を引く証であるかのように整って、長じれば美しくなるであろう容姿は、今は愛らしいと評することができるもので、好きモノならずとも倫理や人権など無視して彼女を自由にしていいとすれば劣情を抱かない者はいないだろう。

 感情表現に乏しいとは周囲からよく言われるものの、その整った顔にはいつも以上に無表情となっている。拉致されたという現状を鑑みればありえないほどだ。

 

 まだ魔法を本格的に修めていない、魔法科高校にも通っていない中学生の身ではあっても、少女は魔法師の卵として優秀だった。

 魔法塾や中学校では幼馴染の少女と並んで敵などおらず、それが井の中の蛙であることを知ってはいても、同世代に彼女らに比肩する者などいるのかと疑うほどには優秀な血脈の魔法師の卵。

  事実、鎖を着けられている少女たちの中で、こうして反抗的な思考を僅かでも行えていることすら、二、三人ほどしかいない。

 

「こいつとか、へっへっへ、魔法師ってやつは美人になるように遺伝子弄られてるんでしたかねぇ」

 

 だが今、彼女には何の力もなかった。魔法塾では魔法科高校受験の為の知識や基礎理論の実践と簡単な実技程度しか学んでいない。勿論、優秀な母や、家人たちに倣って知識を取り入れてはいるが、“実戦”を経験したことなど無論ない。

 船長姿の男とは別の、チンピラのような下卑た男の無遠慮な手で顎を掴まれ、舌なめずりするようなニヤついた視線を向けられてもなすがまま。

 

「納品前に味見で愉しむくらいはありですよねぇ、ボス」

「――っ」

 

 顎を掴まれ無理やりに顔を向けさせられた雫は、嫌悪に顔を歪めるものの、それが彼女に出来る精一杯。

 

「まぁいいが。壊すなよ。クライアントはそいつらから魔法技能とやらの知識を搾り取った後に連中の優秀な種馬を宛てがって繁殖させるのがお望みだ。勝手にお前らの種をつけるなよ」

 

 船長姿の男は商品である彼女への“やりすぎ”は咎めても、部下の行い自体は掣肘しない。それが彼にとって、使い勝手のいい駒である部下への報酬でもあるのだから。

 

 かつて魔法師には優秀な血の交配によって優れた血統を開発するという目的から国際結婚が奨励されていたが、魔法が国力と強く結びつくにつれて各国政府は魔法師の海外流出を制限するために海外渡航そのものを厳しく制限するようになった。

 この国――日本の魔法師の技能水準は世界的に見て高いとされている。

 一方でアジアにおける近隣諸国、例えば大亜細亜連合などはその成立過程において著しく魔法力を損なっており、魔法後進国であるとの認識も否定することは難しい。

 ゆえにこそ、かの国は日本の優秀な魔法師を本人の意志に無関係に誘致すること―― つまりは拉致することも辞さない。どころか積極的に行っている。

 

 もっとも、優秀な魔法師であれば心底から無軌道にターゲットとするわけではない。

 かつて大陸にあり、今はすでに崩壊して大亜細亜連合に併合された大漢は、日本の十師族の一角、四葉家に手を出したがために壊滅させられたと言っても過言ではない。

 そのことから四葉はアンタッチャブルとして世界にその名を知らしめ、彼らはより秘密裏に、そして狡猾になった。

 

 

「へっへっへ。分かってますって」

 

 彼女たちの無抵抗は、魔法の術式補助演算機―― CADを奪われているからではない。彼女たちの両手首を拘束している錆び付いた鎖。嵌められた首輪。それら奴隷の証が彼女から魔法を、抵抗する力を奪い取っているのだ。

 

 ――なんとかしないと。なのに、ッッ――

 

 抵抗の意志を理性は訴えようとするはずなのに、少女の意志はまるで鎖で縛りつけられているかのように思考を麻痺させ、魔法演算領域を働かせない。それどころか泣き叫び悲鳴を上げることすらも叶わない。

 

 彼女たちは征服された者―― 奴隷なのだ。

 

 恐ろしくも頼りがいのあるボスの許可を得た男たちは、それぞれ手近な少女に手を伸ばした。雫に迫っていた男も許可がおりたことでその獣欲を露わにした。

 鎖で縛られた雫の両腕を頭の上に片手で持ち上げ、顔を背ける雫の首筋に舌を這わせ、もう片方の手で嫌らしく雫の華奢な肢体を撫で回す。

 

「ひっ!」

「まったく魔法師サマサマ! まさに黄金の国、ジパングだぜ!」

 

 コンキスタドール(征服者)

 略奪の開始を告げる錨。それを象徴する鎖につながれた彼女たちは、もはや魔法師ではなく、日本人でもなく、奴隷なのだ。

 “文明国”において価値を生み出す黄金と同じく、売り買いされ、消費される物品。

  肌を舐められるおぞましい感触に短く悲鳴を上げる雫。彼女だけではなく、部下たちの乱交を高みの見物しようとしている船長以外、全ての男がそれぞれに少女たちを食い物にしようとしていた。

 

 ギュッと閉じられた瞼の端から涙が零れる。

 

 ――助けてッ!――

 

 何者でもない何かに縋るように心の中で助けを求める雫。

 輝かしい未来が開けるはずの年若い魔法師の少女たちに絶望の帳が降りようとする、その時―――― 風が吹いた。

 

「ぐげっ!」「ぎゃっ!」「な、ぼぁっ!」

 

 その風は、少女たちにのしかかり乱暴しようとしていた獣の男たちを的確に殴打し、吹き飛ばした。

 

「アアン?」

 

 起きた異変に船長姿の髭男が、戦利品に酔いしれていたニヤけ顔から醒めて身を起こした。 

 

「そこまでだ、奴隷王」

 

 雫の体にのしかかっていた男も周囲の男たち同様に吹き飛ばされており、いつの間にか彼女の前に何者かが立っていた。

 

「――――――」

 

 囚われ、奴隷に封じられた少女は背を向けた立つ彼を見上げる。

 その後ろ姿はまるで彼女を守る騎士のようであり、下ろされた手は何か見えない物を握っていた。

 魔法と意志を封じられていても、想子(サイオン)に対する感受性まで封じられているわけではない。卵とはいえ優秀な魔法師の血を引く雫には、彼が握りしめている何かに先程の風が集っているように見えた。

 

「魔法師……じゃねぇな。この気配。…………サーヴァント、でもねぇ。なんだテメェ?」

 

 蒼の鎧下と銀の鎧を身に纏う騎士装束。その顔は黒のフードで隠されており、後ろからではその輪郭すらも知ることはできない。

 

「君を斬り伏せに来た者だ」

 

 だが、凛としたその声は、紛れもなく彼女たちを救いに来た、彼女たちの守り手――騎士の声であった。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 それは絶望の中にあって希望に縋ろうという魔法師の少女たちが生み出した貴い幻想(ノウブル・ファンタズム)だったのか。

 

 船長姿の男――奴隷王と呼ばれた存在は人ではなかった。だからこそ未熟とはいえ魔法技能を有している少女たちが拉致された。

 表向き魔法師は魔法師だからといって権力を持ってはいない。しかし魔法が国家の力を担いうることを権力者が知ってからは、力ある魔法師の家は権力とは無関係ではいられなくなった。世代を継いだ魔法師の家は裏から表に力を持つまでになっている。

 父から溺愛されている雫をはじめ、他にも幾人かの少女はそんな力ある名家の子女であり、優秀な魔法師の護衛をつけられていた。

 そんな護衛たちを、あの船長は軽々と打ち倒し、あるいは出し抜き、少女たちは奴隷へと堕とされつつあった。

 

 ゆえにこそ、そんな超常者であるコンキスタドールを相手に、魔法師でもなく、見えない武器を振るって圧倒する騎士は幻想に違いあるまい。

 

 大柄な船長姿の男に比べて騎士の体躯は小柄。矮躯といってもよく、未だ少年の身なのではと疑うほどだ。しかし、騎士の少年は超常の相手を遥かに凌駕している。

 コンキスタドールがサーベルだけでなく、銃を使って時に騎士を狙うが、騎士の身体能力はまるで魔法による自己加速術式の恩恵を受けているかのように、いやそれ以上の加速力と確かな身体制御をもって銃撃を躱す。

 

「くっ! 諦めて、たまるかよぉおお!!!!」 

 

 効果がないと見るや奴隷の少女――狙いやすい位置にいた雫を狙って銃弾を放つ。

 彼女の体には未だ奴隷の拘束具があり、その身に躱そうとする自由はなく、魔法も使えない今防ぐ術はない。例えあったとしてもこの銃撃は、ハイパワーライフルに匹敵あるいは凌駕する威力をもって、雫の護衛の魔法障壁をものともせずに打ち貫いた銃弾。今の彼女が万全であったとしても防ぐことはできないだろう。

 

 だがその凶弾が少女を害することはなかった。

 

 雫が自身に向かって銃弾が放たれたと認識するよりも早く、守り手である騎士が腕を振るうことによって旋風が吹き荒れ、風は不可視の盾となって少女を守る。

 隙きを見出すための破れかぶれの行いすらも、僅かな動揺すら騎士には与えなかった。そこには明確なる格の違いがあった。

 それは騎士が本来の形のサーヴァントではなく、もどきともいえる存在であったとしても覆すことのできない差であった。

 

 だがサーヴァント同士の戦いはそれだけでは決まらない。

 

「クソが! テメェがどこサマの英霊もどきかは知らねぇが、俺の行く手は阻ませねぇ! 新たな時代! 新たな世界! 新たな財宝! 新たな奴隷! 目指すべきお宝が俺を待っている!」

 

 人理に刻まれ座に在る英霊の象徴。

 人々の幻想が織りなし編まれた伝説の具現。

 

「見やがれ! これが航海の終局にして到達の第一歩! ――新天地探索航(サンタマリア・ドロップアンカー)!!!!」

 

 新大陸を“発見”し、数多の“財宝”を手に入れた(略奪した)、彼の最も有名な最初の航海の結実を表す宝具。

 サンタマリア号。

 その幻想から射出されたアンカーは、かの航海者にして虐殺者にして奴隷商人による略奪開始の号令。

 

 その幻想の一端によって魔法師たちの力を封じる征服者の鎖は――

 

「風王ッ!」

 

 荒れ狂う風によって一瞬の遅滞を許し、そして風の加護による即時移動は疑似瞬間移動を発動させたかのごとき素早さをもって征服者の懐へと侵入。

 振り抜かれた両腕の延長。見えざる斬撃が放たれ征服者の霊核に致命となる一撃を刻みつけた。

 

「がは……ク、ソが……あぁ、なんでだよ。俺のやってることと、テメェら英霊のやってきたことの、何が違う」

 

 致命傷となる一撃を受けた征服者の体がよろめき、怨嗟の叫びの代わりとでも言うかのように呻いた。

 

「望まれてクズどもを従えた騎士王サマと、望まれて奴隷を狩った俺と、どこに違いがあるってんだよぉ!」

 

 すでに血塗れのその体からは、加えて光の粒が漏れ出してきており、四肢の端は徐々に現実味を失いつつあった。

 

「あぁ、ああ! だが、俺は諦めねぇぞ! 俺を求める奴はどこにだって、いつの時代にだって必ずいる。それこそが“アイツ“の言う“主の御心”とやらだろうぜ。またぞろ喚ばれたときにゃあ、どんな金儲けを、どんなお宝の島を、探してやろうかねえ……。楽しみだ。あぁ、楽しみじゃねぇか……はは、は、ハッハッハー…………!」

 

 それは如何なる法によってなのか。

 見えざる斬撃に血飛沫を上げたかつてのコンキスタドールは光の粒子となって消えた。その死体も残さず。吹き散らした血の痕もない。雫たちの意志と自由を縛っていた首と手首の鎖も連鎖するようにして消えた。

 残されたのは吹き飛ばされたまま倒れている配下の男たちと、足首に嵌められているただの鉄鎖の足枷のみだ。

 

 鍵が見つかればいいが、見つからなければ壊すしかない。

 ただ今はCADもどこにあるか分からないため壊すことはできない。そして助けられた少女たちがホッと安堵できたのは僅かな時間のみ。

 あの恐ろしい征服者を惨殺したこの騎士が、果たして魔法師の、彼女たちの味方だとは限らないのだ。

 そうでなくとも今しがた彼女たちは男に乱暴されそうになった直後だ。

 暴力と獣欲とをまともに浴びせられた幼い少女たちが、力ある男に対して恐怖感を抱くのも仕方在るまい。

 フードで顔を隠した蒼銀の鎧の騎士が、ツカツカと雫へと歩み寄り、床に座る雫の足元に膝をつく。その伸ばされた手に恐怖を覚えたとしても無理のないことだろう。

 

 ギュッと身を縮ませた雫だが、騎士の手は雫にではなく、彼女の足首に嵌められている枷へと伸びて鉄製のそれを握りつぶした。

 

「え……?」

「大丈夫かい? 遅くなってすまない」

 

 魔法が発動したようには感じられなかった。

 だとすればこの騎士は握力のみで鉄の枷を握りつぶしたということだが、そんなはずはあるまい。

 遅くなったことを、恐怖を抱かせてしまったことを謝しながらも枷を足首から外す騎士の手つきは事も無げだ。バキ、バキとまるで脆い素材でできているかのように強引に破壊して外していく。

 

 すでにコンキスタドールの影響から外れ、自由意志と魔法力を取り戻してはいる雫は、間近にあるフードの中を恐々と覗き込んだ。

 フードの中にあったその顔には、隠れてなお鮮やかな金紗の髪に、澄んだ碧眼。片膝をつき雫を気遣うその姿は騎士であると同時に王子様然としてさえ見えた。

 

「貴方は……?」

「私? 私の名前は……」

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 ――ピピピピピ・・・・・――――

 

「…………ん」

 

 断続的に鳴ってその役目を果たそうとする機械的な音。目覚まし時計の音に雫は緩やかに意識を覚醒させた。

 寝ぼけ眼をこすりこすり、上体を起こすとそこは見慣れた自分の部屋のベッドの上。

 

「…………ユメ……?」

 

 まだ意識が覚醒しきっておらず、しかし目覚めてしまえば先程まで見ていた夢は淡く消えていく。

 

 ――――懐かしい夢を見ていた気がする。

 

 2年ほど前、雫は誘拐されたことがある。

 日本屈指の大実業家の娘であれば誘拐する理由としては十分ではあるのだが、あの時誘拐されたのは彼女が魔法の才を持っていたからだ。

 実業家である父、潮は魔法師ではなく常人だ。だが大恋愛の末に母、紅音と結婚したのだという。魔法師としてトップクラスの――十師族を除けばだが――才能とAランクという実戦レベルの魔法師としても稀有な能力を持つ紅音の、魔法師としての才能を受け継いだ雫を父は殊の外溺愛している。

 それを雫自身が実感しているし、だからといって魔法の才能を受け継がなかった弟が愛されていないというわけではない。雫としても自分を姉として慕ってくれる弟は可愛い。

 しかしあの時は、その才がゆえに誘拐された。

 誘拐の主犯は結局不明。だが目的――雫を始め、幾人かの魔法師の少女たちを売り払おうとしていた先は大陸にある隣国ではないか、というのは公然たる秘密だ。

 

 かの国と日本とは3年前に起こった沖縄海戦により宣戦布告なしの戦争状態に突入しており、その戦後、未だに講和条約も休戦協定も結ばれていない状態だ。

 誘拐犯たちは言ってみれば奴隷商人のような存在で、もしもあのまま雫が国外に連れ出されていれば、今頃無事には生活できていなかっただろう。

 

 あの時、自分を救ってくれたのは事後的には警察と十文字家、そして雫と同じように娘を誘拐された七草家があの拠点を突き止め、あわやというところで突入、犯人一派を拿捕し、逃亡を図ろうとした主犯のみ殺害したということになっていた。

 だがそれが真実でないことを雫は覚えている。

 

「……名前…………」

 

 いや、覚えているというのは正しくはない。

 靄のかかった記憶の断片の中で、自分は誰かに名前を尋ねた。

 鮮やかな金の髪と碧眼の誰か。

 だが確かに聞いたはずの名前が思いだせない。

 記憶にかかる靄をかき分けていこうとすると、淡い花が開いて花粉が飛散するのに紛れるように、記憶が飛散してしまうのだ。

 寝ぼけ眼のまま、コテンと首を傾げていた雫は、ふと目覚まし時計に目を向けて、そこに表示されている日付を見て今日がどういう日かを思い出した。

 

「あ……今日、入学式」

 

 今日は4月3日。国立魔法大学付属第一高校の入学式だ。

 北山雫はこの春、今日から魔法科高校の一科生になるのだ。同級生は今の時点では幼馴染の光井ほのかを知っているのみだが、果たしてどのような高校生活になるのか。

 ほのかの言うところでは、入試の時に物凄く綺麗な魔法を編み上げる人と、段違いの成績を見せていた人がいたらしいが……

 

「よし」

 

 とりあえず雫が今なすべきことは、ベッドから起きて、制服に着替えることだ。 

 

 

 

 これは未来を紡ぐための物語。

 過去から未来へ、未来から過去へ、失われ行く人理を守る戦い。

 

 

 




登場予定サーヴァントと最終決戦までは決まっているのですが、そこに至るまでのストーリーがまだ構成中のところがあったりしてます。劣等生のキャラとFateのキャラのパワーバランスが偏っているかと思いますが、設定のすり合わせ上のものですので、ご容赦ください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話

独自解釈やオリジナル設定、年代の変更などが含まれます。
FGO2部の展開によっては矛盾や原作乖離などがありますが、そういうものとしてお楽しみください。




 

 20××年.人類は一度消滅した。

 誰に知られることもなく、そしてその後に再び人類は存続しているが、たしかに一度消滅したのだ。

 

 いや、それは正しくはない。

 

 人理は一度、焼却されたのだ。神代に決別を告げた過去から、21世紀に至るまでの人理定礎が崩壊し、全ての人類史は一度焼却された。

 魔術王ソロモンを騙る存在によって誰に知られることもなく成された人理焼却という空前絶後の完全犯罪は、しかしその功績を知られることなく修復された。

 魔術を知らない人間にはその詳細を知らされることなく、しかし記憶の欠如という大きな違和感として残されはしたものの、22世紀となった今も人理は継続している。

 

 ただし、人理が継続しているということに比べれば、遥かに些細なことではあるが、記憶の欠如、それも1年にも及ぶ記憶が全人類規模である日からぽっかりなくなっているというのは、世界的に見てちょっとした不思議(ミステリー)どころの問題ではなかった。

 

 それこそ歴史の転換点として成り立つに十分たる事件へと発展した。

 

 本来魔術とは隠匿されるもので世界は異常を嫌うものではあるが、この事件を何事もないものとして処理することは魔術を管理し神秘を秘匿する魔術協会にも、全ての異端を消し去り神秘を管理する聖堂教会にも、そして一度破綻した世界にも不可能なことであった。

 結果、神秘の多くが露見した。

 無論それは、今まで知らなかったことを数多、知らなかった者たちが知ることになったということでの多くなのだが――――神秘の露見はまた別の問題を生み出した。

 

 そもそも、魔術は隠匿されるもの。神秘は秘匿されるもの。

 それは魔術や神秘とは信仰心を集めることによって力を得て、一般に知られることによって力を失うものだとされているからだ。

 つまり、魔術を知らなかった者たちが神秘側の現象を認知してしまい、それを解明しようという試みは、魔術を駆逐しようという行いに等しい。

 しかし無知であった彼らは、無知であるがゆえに知ることを望んだ。

 無論その動きが単発的、個人的な動きであれば魔術協会ないし聖堂教会による粛清によって人知れずなかったことになったであろう。

 だが人理を修復した、つまり世界を救ったのが科学と魔術を併せ持った組織であれば?

 魔術的な組織としてだけでなく、科学的な―― 一般社会としての立ち位置を有している組織であれば、秘匿を徹底できるであろうか。

 

 人理継続保障機関“フィニス・カルデア”。

 魔術協会の一角、時計塔の天文科、アニムスフィアの魔術師が主導し、国連の一機関としても認められているこの組織こそが、人理の修復という大偉業――グランドオーダーを成し遂げた救世主であったのだ。

 そもそもにおいて、魔術師は科学を嫌煙するものが常であり、科学は魔術を駆逐してしまう相容れないものであるはずであった。

 しかしながらカルデアでは両者の力が必要であった。

 魔術だけでは見えず、科学だけでは測れない世界を観測し、人類の決定的な破滅を防ぐ為の各国共同で成立された特務機関。

 疑似地球環境モデル・カルデアス。近未来観測レンズ・シバ。守護英霊召喚システム・フェイト。霊子演算装置・トリスメギストス。それらの装置は魔術だけでは十全に機能せず、科学だけでは役割を果たすことのできないものであった。

 そのためカルデアは国連という非魔術的かつ国際的な組織に認められ、世俗的なかかわりを結ぶことを必要としたのだ。

 結果として、カルデアは正しくその役割を全うし、人類史を継続させた。

 

 だがカルデアをもってしても、気づいたときにはすでに人理の焼却は行われた後であり、その先にあった目的が完遂する前に、どうにか人理定礎を復元させることに成功したに過ぎない。

 つまり、幾ばくかの爪痕を残してしまったのだ。

 

 世界を滅ぼすことのできる力であり、同時に未来を観測し現在を救うことができる技術。それが自分たちのものになればどれほど心強いだろう。

 各国は新たに知ることとなったその異能の解明に、こぞって乗り出した。それが本人たちの意図していることとは裏腹の、いかなる顛末を生むのかも知らずに…………

 

 …………結果として、魔術基盤はその多くが世界から失われた。

 ただし多くが、というのはすべてではなかった。

 解明に特に執着されたのは、いつの世でも世俗の長が求めるもの――軍事力に関わるものであった。そのため軍事的な転用が期待されやすい物理現象――即物的な破壊やそれに対応のできる異能が、ひときわ早く基盤を崩壊させられた。

 解明努力の初期において、当然ながら魔術師からの積極的な支援など得られるはずもなかった。むしろ断固として阻止すべき立場であり、しかし国家レベルのプロジェクトとして、それも大国まで含めて世界各国で沸き起こったその一大ムーブメントを止めることなどできなかった。それどころか積極的に阻止しようと動けば、それこそが“魔術”という異能の存在を証明することになるのだから。

 しかし国連という大きな枠組みにおいて、すでに歴然たる“結果”が提示されてしまっている以上、修正をはかることは困難であった。

 

 徐々に徐々に、魔術と神秘とは追い詰められていった。

 

 そして結末に向かって流れていく大河を前にして、魔術師たちのとった道は大きくは三つに分かれた。

 基盤の喪失とは無関係な系譜は領地に引きこもり、これまで同様の研鑽に努め、これまで以上に姿を消した。

 基盤が失われることに気づき、絶望した系譜は自らの魔術の終わりとして幕を下ろすことにして消えた。

 そして基盤が失われることに気づき、しかし新たなる在り様に希望を見出そうとあがいた系譜は、密かにこのムーブメントに助力した。

 勿論のこと、それにより魔術協会や聖堂教会により粛清の対象となり人知れず姿を消した系譜もあったが、魔術の大部分の喪失と神秘の衰退という流れは決定づけられ、その代わりに異能の解明は進められるという流れは止めようがなかった。

 

 最も多かったのは姿を消した魔術師の系譜だろう。

 彼らがその後どうなったかは分からない。もとより在るか無いかも定かではない世界で生きてきたような者達だ。多かった、というのは結果として魔術を管理する機関――魔術協会がその影響力の大部分を失ったからこそ、そういうだけで実際のところは分からない。

 

 新たなる流れに協力した魔術師は決して多くはなかったものの、新たなる時代へと向かう流れの結果として、“魔術”は別のものとして生まれ変わった。

 

 かつて、神代から人の世に下る際、世界の在り様は人の在り様に適した形に創り替わったという。

 後代の人は、神代の空気の中では生きていけず、世界そのものが変わったのだ。

 それは世界から幻想の種が消えたことにも表れているし、地表に残った数少ない神秘が息づく島ですらも、その後幾世紀かの後には滅びた。

 

 同じように、“魔術”という存在は新たなる時代では生きていけなくなってきていたのだろう。

 ただし、その流れの結果として生まれたのが“魔法”と名付けられることとなったのは、助力した魔術師たちにとってなんとも皮肉なことだろう。

 そうして新たに生まれることになったこの“魔法”を身に着けた異能者たちを、のちに“魔法技能師”あるいは“魔法師”と呼ぶこととなる。

 

 

 大きな変遷の流れ。

 しかし、この魔術基盤の大崩壊という未来を観測していた一派もたしかに存在した。

 そう、未来を観測し、人類史の継続を保障する機関、カルデアだ。

 

 カルデアは最後となるその観測結果において、世界に刻まれた魔術基盤のかつてない大崩壊が起こり、そして――――世界が終わる未来を観測した。

 

 カルデアの未来観測技術は科学と魔術によって成り立っている。

 魔術基盤の喪失はすなわち未来観測技術の喪失と同義でもあり、喪失していく基盤の中にそれも含まれていたのだ。

 失われ行く未来観測の力。

 その終焉の間際――それは奇しくもかつて英霊であることをやめた魔術王が、未来を見通す千里眼を失う際に見たのと同じ、世界の終焉の光景だった。

 

 語り継がれることのない真実において、かつてカルデアはただ一人の平凡な、そしてそれゆえにこそ尊く偉大なマスターと、数多の英霊たちの協力のもと、人理の修復を成し遂げた。それは20××年における人理焼却から、過去における人理定礎が崩壊したことによるものだった。

 過去の改竄にも等しい完全犯罪に対して、カルデアは対抗してみせた。

 現在から過去へ。

 しかし、彼らが観測した次なる”特異点”は未来であった。

 百年にも満たない後の未来において、人類史の灯火はカルデアスから失われ、その継続は行われなくなる。

 

 “特異点”――それは人理定礎を破却し、人類史の継続を危ぶませる転換点における異常。本来の道とは異なる未来。

 カルデアは、それがなぜ起こってしまうのかまでは見通すことができた。

 

 しかし、そこまで。

 もはや彼らには現在から断絶した未来に干渉する術はなく、終にはカルデアスやシバを始めとした事象観測装置も魔術の基盤崩壊に巻き込まれてその機能を失った。

 

 故にこそ、彼らにできたのはただ一つ。

 太古の昔、神代より始まるころより以前から人が行い続けてきた、人たればこその行い――――願い託すこと。

 

 観測した未来、特異点を解決する手段を遺し、それを未来の子らへと希望を託したのだ。

 

 そう。

 

 人理定礎の復元というグランドオーダーを完遂したマスターと、そして彼に寄り添い続けた護る者――デミ・サーヴァントの少女の子孫へと………………

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

「――――かくして今日から我々も現代魔術、もとい“魔法”の学び舎であるところの、魔法科高校へと足を踏み入れ、様々な出会いと別れの果てに輝かしくはならないだろう魔導の道を歩んでいくことになったりならなかったりするのである、まる」

 

 桜舞う季節。

 彼の国ではそれは出会いと別れの季節であるとされており、そんな路を歩いている二人。

 一人は先程から延々と喋り続けている少年。

 灰がかった髪は肩口まで伸びてふんわりと波打ち、瞳に稚気を湛えている。

 

「相変わらずよくそこまで舌が回るものだ、ケイ。それに誰に説明したんだ、今の?」

 

 もう一人は、そんな友人を呆れたように、あるいは諦めたように見ている少年。その髪の色はくすんだ金の色をしており、二人共に言えることだが顔立ちも日本人の一般からすると異国染みている。

 フランスかドイツ、あるいはイギリスあたりの血を濃く受けているのかもしれない。

 

「それはもう、僕の舌の廻りは、竜ですら呆れるほどだと、ほら、君はよく知っているだろう、明日香」

 

 それは誰のことを評した言葉であっただろう。

 目を細めて呆れたように睥睨するも、舌に潤滑油でも塗っているかのような勢いは止まらない。

 

「こうしてわざわざ君の名前を口にしたのも先ほどの説明も、今この場面を覗き見ているかもしれない、過去、あるいは未来の誰かさんに向けての紹介とプロローグだからさ。未来を見た結果、僕らは、というよりも君はここにあるんだ。“彼ら”がこの場面をまさに見ていたとしても、ほら、おかしくはないだろう? 後、僕の名前は圭。この国は言霊とやらの国なのだから、きちんと呼んでくれたまえ、明日香君」

「………………」

 

 むしろより一層滑らかにぺらぺらと廻る舌に、明日香と呼ばれた少年はため息をついた。

 そのやりとりは彼らの付き合いが長く、そして彼にとって友人のそんな舌はすでに諦めの境地に達しているもののようである。

 

「それにしてもこのエンブレム。これで八枚花弁の花冠だそうだよ? 二科生にはなくて、一科生にだけあるものらしいけど、よりによってこの僕につけられたのが、こんな無粋な花冠だというから呆れるほかないとは思わないかい? まぁ、僕の歩く道には必ず花がつきものだ。ともに歩む君に花の祝福があったのだからよしとするべきかな」

 

 圭の言葉に明日香は自身の着ている制服――国立魔法大学付属第一高校、そのブレザーには一科生を示す八枚花弁が咲いている。同様に圭の胸にも八枚花弁。

 優秀な魔法師を最も多く輩出しているエリート校である高等魔法教育機関の学徒である証であるが、彼らはともに魔法師とはいえない。

 

 

 21世紀初頭において世界に知られるようになった異能――のちに魔法と呼称されることになるそれは、元を辿れば“魔術”と呼ばれていたものを、より一般化したものだとされている。

 当時の魔術は限られた血統の者たちの中でもさらに限られた者しか扱えない異能であったらしいのだが、転換期において魔術はより汎在化することとなった。

 勿論、まったく素質のない者――魔術とは元々縁のない者たちがすぐに使えるようになるほど生易しいものではなく、当時から“明らかとなっていなかった”なんらかの要因によって使える素質のある者、素質のない者とは区別されてはいた。

 しかし魔術から魔法に転換することによって、魔術という一子相伝であった異能は、万人に向けてではないにしろ、より広く伝えていける技能へと変化した。

 

 そこにどのような葛藤や消え行くモノがあったのかは、魔法師は知らない。

 それを知る者たちの多くは魔術とともに消え去り、それを捨て去った一部の魔術師は古式魔法師と呼ばれる、魔法師の中でも歴史ある家系として生き残ることとなった。

 ただし、それはもはや魔術師としての家系ではなかった。

 魔術師とは……魔術の求める目的とは、魔法によって得られるものではなかったのだから。

 

 神秘がより一層弱まり、魔術基盤の多くが崩壊した。

 しかしそんな今世においても、古き魔術の神秘を宿す者たちはその数を大幅に減らしはしたものの“世界の表側”に居た。それこそが、魔法師(ウィザード)ではない、魔術師――“メイガス”。

 

 

 さて。今しがた軽口をたたき合っていた二人の少年、藤丸(・・)圭と獅子劫明日香。

 彼らはともにある魔術師の血脈に連なる者たち。現在において数少ない、世界に認知されているメイガスの家系の者たちだ。

 とはいえ、彼らもまた純粋たる血脈を重ねた、呪いにも似た宿業を背負った魔術師の家系ではない。

 だからこそ、古式魔法師と呼ばれる魔法師(ウィザード)でもないにもかかわらず、“魔法科”高校へと通うなどということができるわけだが…………

 

 

 

「ところであれは、誰を待っているものだと思う?」

 

 そんな彼らが通る予定の魔法科高校の門前に、巌のような巨漢が腕組みをして立っていた。

 

 服装こそ彼らと同じく魔法科高校のブレザーだが、その服の下にはそれこそ金剛力士もかくやと言わんばかりの筋肉が隆起している。

 この国(日本)に昔からある神秘組織――寺院(テンプル)では、ムキムキマッチョの天使(仁王)の像がその山門を守護しているという。神秘護る寺院とはある種の異界であり、山門というのは結界における出入り口でもある。

 同様に魔法という超常たる異能を学ぶこの学舎もまた、常界ならざる異界であると考えるのならば、あれもその一種といえる……ものではないだろう。

 なにせ知った顔だ。

 だいたい2年ほど前、とある事件の際にその事後処理を任せることとなったのをきっかけに、ある程度はつなぎをとっていた相手だ。滅びの際にあるとされる今の世の魔術師(メイガス)にとっても珍しい魔法科高校に通おうとする二人にとって、数少ない既知の魔法師のつながり。

 ただ、知った顔だからといってほっとできるかというとそうではない。

 未だ魔法師たちは魔術の全てをその内に取り込んだとは言い難く、すでに古式魔法師が魔術を捨てて絶えて久しく、現代の魔法師にとって魔術の血脈の発見と取り込みは、彼らが何故人類史から姿を消してしまったのかを知る手がかりになるかもしれないのだ。

 以前のそのきっかけになった事件に関しても、魔法師を目的とした“異常”による事件であったがために、彼らとかち合ってしまったに過ぎない。

 そして何よりも―――

 

「いやぁ、目立ってるねぇ、彼。たしかこの学校の会長だかなんだかをやっているんだっけ? このまますんなり正門をくぐり抜けられると思うかい、明日香? 多分、僕らもすっごく目立つことになるんじゃないかなぁ」 

「…………だろうね」

 

 目立っているのだ。

 あの仁王……もとい、十文字克人という人物は、なんというか、高校生離れした体格と風格を備えているようで、彼らと同じように魔法科高校の門を通ろうとしている新入生はおろか、在校生たちですら恐々としたように見ている。

 

 神秘の隠匿というのは魔術師にとっての性であり、すでに魔術基盤の大部分が崩壊してしまった今の世においても魔術師とは基本的に隠れるもの、あるいは溶け込むものだ。

 彼らが生粋の魔術師ではないとはいえ、あまり入学早々、というか入学式も終わっていない内から変に目立ちたいとも思わない。

 

「さて、どうする?」

「………………」

 

 圭に問われた明日香は一瞬、ちらりと視線を脇に滑らせた。

 異界における結界であれば、門以外からの侵入は多大なる報いを受けることになるが、ここは別に悪辣な魔術師や神秘によってこしらえられた異界ではない。

 厄介ごとの気配を感じ取ったのならば、壁を乗り越えるのもありではないかと考えがよぎるが。

 

「それは上手くないかな」

 

 幸いにもそれが実行に移されることはなかった。明日香の視線の動きから意図を読んだ圭が諦めたような半笑いを浮かべていた。

 

「魔法的にも科学的にもセキュリティが働いている。明日香ならこの程度を乗り越えることに問題はないけど、大人しく、正々堂々と門から入った方が厄介ごとは少なそうだ」

「……そうか」

 

 圭の言葉に明日香ははぁとため息をついて、改めて魔法科高校の門へと踏み出した。出来るなら、彼が別件で立っているのだという淡い期待をわずかにいだきながら。

 

「…………来たか」

「あちゃぁ」

 

 しかして予想通り。門まであと数歩というところまで来た時、腕組みをして厳しい顔を黙然として立っていた仁王像は、視線を確かに明日香と圭へと向けた。

 明日香の影に隠れて天を仰いでいる幼馴染に頬が引き攣りそうになるも、自分まで同じリアクションをするわけにもいくまい。それに待たれていたのならば仕方ない。

 

「お久しぶりです。十文字さん」

 

 魔術の血脈の果ては、新たな世代の魔法師へと出会う。

 仁王のごとくに門を守護していた魔法師は、肯定して頷くと組んでいた腕を解いて明日香たちへと歩み寄った。

 

 

 

 

 

「お前たちのような失われた古式魔法師、いや、魔術師だったな。魔術師が再び表舞台に現れたことで、学校も十師族も大騒ぎだったぞ」

 

 あのまま門のところで立ち話、では流石に他の生徒に迷惑がかかるだろうということで、二人は十文字克人とともに歩いていた。

 

「まあ、こちらにも色々と都合がありまして……」

「またあの時のような事件がらみか?」

 

 あの事件――それは2年前に起こった連続子女誘拐事件のことだ。

 拐われたのはいずれも魔法師の家の娘、あるいは素質をもつ娘ばかりで、その中には日本屈指の実業家の娘や十師族の家人すらも居たという。

 警察はもちろん、十師族の中でもとりわけ関東に強い地盤を持つ十文字家と七草家が事件解決に動き、実際に幾度かは犯人の一派と思しき者と遭遇していた。

 魔法が一般に認知されて以降、軍組織はもとより、警察機構にも対魔法師戦の用意は当然なされていた。そして十師族ともなれば日本国内では屈指の魔法集団であり、中でも七草家はその抱える魔法師の規模の大きさから筆頭の片割れとも目されており、一方で十文字家は一騎当千で知られる魔法師の家門であった。

 少なくとも賊と対峙しさえすれば、それが国家規模のバックアップでも受けていない限りおめおめと逃しはしないはずで、国内において彼らの情報網から逃れることなどできようはずもなかった。

 しかし、彼らでは事件を解決できなかった。

 

 正体不明の賊には、魔法が通用せず、かといって通常兵器も効果がなく、若い女性の魔法師が追手の中にいれば逆に捕らえて拉致されてしまうという異常事態となった。

 

「――――」

「あの事件の続き、というわけではありませんよ。十文字克人殿。何かが起こると分かっているわけでもない。僕らがここに来たのは魔術師を代表して、というわけでもありませんし」

 

 克人の懸念に答えようとした明日香の声に被せて圭が答えた。

 その顔は感情を押し包んだ笑顔。

 そしてその内容も別に偽りがあるわけではない。あの魔法師の拉致がどういった目的だったのかは、明日香たちよりもむしろ克人たちの方が詳しい。

 あの奴隷商人たちは魔法師を他国に売り捌こうとしていたのだ。そしてその取引先は隣国。三年前の宣戦布告なしの侵略行為から休戦条約も結んでいない―― つまり敵国だ。

 

「……まぁいい。無事に入学できたのなら何よりだ」

 

 何か思う所はあるのだろうが、深入りが危ういのは2年前の時点から分かり切ったことだ。なにせ彼らこそが、あの事件で魔法師が太刀打ち出来なかった存在を単独で打倒して見せたのだ。

 

 

 

 

 

 その後も少し話を続けたのち、明日香と圭は克人と別れて入学式の会場である講堂へと向かった。

 入学式へと向かう新入生二人の後姿を見送る克人の顔は険しい。元々厳めしく威圧感の強い克人がそんな顔をしていれば、多くの者は声をかけるどころか視認したところで回れ右をして迂回するだろう。

 

「あれが真由美の言っていたやつか」

 

 そんな克人に声をかけるのは、同格の者か、あるいは彼と同じ十師族の者くらいだろう。

 そして今、声をかけてきたのは、この“学校”において克人と並び称される三巨頭の一人、渡辺摩利――風紀委員長だった。

 優秀な魔法師の血統であることの表れである数字付きですらない百家支流の渡辺家と十師族の十文字家では本来同格ではないのだが、そこは彼女の性格もあるのだろう。

 

「渡辺か……七草が言っていたとはどういうことだ?」

 

 この風紀委員長が先ほどからこちらの、というよりも彼らの様子をうかがっているのには無論克人も、そしておそらく彼らも気づいていただろう。ただ予想と違って渡辺の顔には好奇心に満ちており、克人が抱いている彼らへの懸念などは感じられない。

 

「なに。あいつが真由美の妹が巻き込まれた事件で、救い出してくれた騎士様なんだろ。妹憧れの騎士様をしっかり見てやると真由美のやつ、はしゃいでいたからな」

 

 摩利の友人であり、この第一高校の生徒会長――七草真由美。彼女が今日の入学式の前から注目していたのがあの二人の内の一人、獅子劫明日香という新入生だ。

 あの事件の中身を知っているがゆえに、克人は魔術師(メイガス)という異端者への警戒から注目せざるを得ないのだが、事件のあらまし程度しか聞いていない摩利にとっては好奇心からの興味関心で愉しむことができるのだろう。

 

「それに風紀委員の部活連推薦枠に入れ込むんだろ」

「ああ。そのつもりだ」

 

 ただ好奇心に突き動かされての野次馬とはいえ、それでも彼女は風紀委員長。三巨頭の一人だ。

 克人が会頭を務める部活連、教職員、そして真由美が会長を務める生徒会。それぞれからの推薦によって構成される風紀委員は学校の自治による治安・風紀の維持を行う組織だ。ゆえに相応の責任感と腕っぷしが必要であり、そして必要に応じて魔法を使う必要もある。

 彼らが弱きを助ける騎士様だというのなら、それはうってつけの役だろう。

 それに、表舞台から姿を消した魔術を使ってもらう舞台を準備するのは、十師族的にも、日本の魔法協会の意向的にも適っている。

 少なくとも彼らの内のどちらかを取り入れたいところだ。

 

 

 

 ―――― 一方、そんなやり取りを向けられている新入生の少年たちは。

 

「ふむふむ。流石は我らが騎士王。女性たちの王子様。入学前から前途は明るそうだ」

「なんだそれは?」

 

 訳知り顔で首肯する圭に明日香は胡散臭いものを見る視線を向けた。

 いつも通りの薄っすらとした笑みをたたえる幼馴染には、時折千里眼でもあるのではないかと思えるような素振りを見せる時があるのだが……

 

「いやいや、お気になさらず。それらしく訳知り顔をしていた方が“らしい”だろ?」

 

 幸いなことにそんな目(千里眼)を持っていないことは幼馴染として、そして従兄弟としてもよく知っている。

 飄々と嘯く圭に明日香は眼光を厳しくした。

 

「まあまあ。気にしても仕方ないさ。それよりも入学式に行こうじゃないか」

 

 そろそろいい加減にしろと言われそうな雰囲気を察したのか、圭は切り替えを促し、いささかの不穏を覚えつつも、圭の思わせぶりは今に始まったことではないとため息をついた。

 

「ああ。そうだな。行くとしようか」

 

 

 

 

 

 圭と明日香が入学式の会場である講堂に入ると、まだ開始までは時間があるものの席は半ばほどまで埋まっていた。

 もっとも座席の指定はないらしくどこに座っても構わないのだが、軽くあたりを見回すと前の方には主に明日香たちと同じく八枚花弁を持つ生徒が座っており、後ろの方には花弁のない無地の生徒に分かれるように座っていた。

 

「たしか座席の指定や案内はなかったはずだけど……ケイ?」

 

 とりわけ一科二科の区分けにこだわるわけでもないので適当に空いている席を探そうとする明日香は、しかし先ほどまで傍にいたはずの圭の気配がないことに気づいた。

 そして少しぐるりと周囲を見回すと。

 

「こんにちは、レディ。君の隣の2席に、もしよければ僕と僕の友人を座らせてもらないかな?」

「はえっ!? れ、レディ!? えっと……」

 

 なにやら少女に声をかけていた。

 声をかけられているのは優れた魔法師によく見られる整った容姿のおさげの少女は、気障な話しかけられた方をして戸惑っており、友人だろうか、その隣に座っている少女へとちらちらと顔を向けて視線を泳がせている。

 

「おや? そちらの可愛らしいレディは貴女のご友人ですか? それはいい。丁度、僕も友人と来ていましてね」

 

 何を言っているのか。とりあえず何でもいいから可愛らしい女の子に声をかけたいだけではないのかと思えるが、実際2席が空いているところでもある。

 

「ケイ。まったく君は、目を離すとすぐに――」

「ほら。これが僕の友人さ」

 

 とりあえず軟派な、あるいは紳士的な声のかけられ方に慣れていなくて戸惑っている少女から困った友人を引き離そうと近づくと、圭が話しかけていた少女たちの顔がよく見えた。その娘の内の一人は――――――

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話

 

 国立魔法大学付属第一高校 ―― 魔法科高校は日本で9校しかない魔法師の養成高校の一つであり、その入学に求められる魔法力は時に“補欠”と評される二科生であっても高い。まして胸に八枚花弁を掲げた一科生であれば、学力水準的にも魔法力的にも国内トップレベルの素養があると認められたようなものだ。

 そんなエリート高校の入学式において

 

「こんにちは、レディ。君の隣の2席に、もしよければ僕と僕の友人を座らせてもらないかな?」

「はえっ!? れ、レディ!? えっと……」

 

 よもやこんな軽薄そうな声をかけられることになるとは自分も、そして直に声をかけられている友人――ほのかも思いもしなかっただろう。

 特に男性恐怖症というわけではないのに、ドギマギとしてこちらの様子をうかがっている。

 

「ど、どうしよう、雫?」

「おや? そちらの可愛らしいレディは貴女のご友人ですか? それはいい。丁度、僕も友人と来ていましてね」

 

 ほのかが小声で対応を尋ねてきたことで男子はこちらにも気づいたようで、紳士然とした、つまりは軽薄そうなニコニコとした笑顔を向けた。

 

「席は空いています。ご自由にどうぞ」

「えっと、ど、どうぞ」

 

 テンパって挙動不審になりかかっている幼馴染に代わって口を出すが、別に座席に指定があるわけでもないし、ほのかの隣の席に他の誰かが来る予定もない。

 

「うん。ありがとう。ところで――」

「ケイ」

 

 二人から許可を得た男子は丁寧にもお礼を述べ、そこに彼の友人だろうかくすんだ金髪の男子が名を呼んで近寄ってきた。

 

「まったく君は、目を離すとすぐに――」

「ほら。これが僕の友人さ」

 

 一昔前に優秀な魔法師の血統確立を目的として国際結婚が推奨された時期があったために、外国人の血を引く魔法師はままいる。実際この講堂をぐるりと見回せば黒ではない鮮やかな髪色をした新入生もおり、彼らもそういった家系なのだろう。

 

 ただ、その姿は――――――

 

「どうかしたのかい?」

 

 

 

 

 息が、止まったかのようだった。

 ふと見上げたその姿は強烈なデジャヴュをもたらし、雫の脳裏にないはずの記憶を揺らした。

 

 ――大丈夫かい? 遅くなってすまない――

 

 どこかで、その声を聞いた気がする。その姿を見上げた覚えがある。

 蒼銀の鎧を身に纏い、その手で振るわれるは風を唸らせる不可視の剣。

 それはいつかの夢に見たかもしれない光景。必ず彼女を守ると告げる騎士の背中。

 

「雫?」

「………………あなたの、名前は……?」

 

 唖然として目を開いている友人の態度を不審に思ったのだろう、ほのかの声が雫の意識をこの場に回帰させた。

 恐る恐る、といったように、あるいはすぐに消え失せてしまう宝石のような記憶へと慎重に手を伸ばすように、震える唇で雫は彼の名を尋ねた。

 

 その顔は霞む記憶の彼方、フードに隠された奥から垣間見た鮮やかな金髪碧眼。その碧眼は覗き見ると蒼色にも似て見え―――

 

「明日香。獅子劫明日香だ。よろしく」

 

「…………黒……?」

 

 しかし、今目の前に立っているのはくすんだ金髪に黒目の人。

 強烈なインパクトをもたらしたデジャヴュは、瞬く間に淡くはじけ、途端に止まっていたかのような時間が動き出す。

 気のせい。あるいはただの錯覚だ。

 

「?」

「なんでもない。北山雫です。こっちはほのか」

「み、光井ほのかです」

 

 雫の様子に明日香と名乗った男子も不思議そうな顔をしたが、雫は軽く首を振って幻想を追い出すと自分と友人の紹介を行った。

 

「しずくにほのか、か。うん。素敵な響きだね」

 

 それは何気なく紡がれる言葉で自然体。下心など感じない紳士さがあった。

 つきりと、どこかで何かが軋むような気がした。

 

「ちなみに僕は藤丸圭。よろしくね、雫ちゃんにほのかちゃん」

 

 ただ、続けられたもう一人の自己紹介に違和感はどこかへと消えてしまった。

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 入学の式自体はすんなりと、そしてそれなりに厳かに進行した。

 

「ほぉ~、彼女がこの学年の魔法師の主席か」

 

 分けても会場の注目を集めたのは学年主席の女生徒の答辞だった。

 長い髪は日本の古式ゆかしい魔法使いに則っているかのようにぬばたまの黒髪。容姿は非常に整っており、隣に座る雫やほのかもかなりのものだが、輪をかけて絶世の美少女と評してよいくらいだろう。

 実際、新入生の男子生徒の大部分は心を奪われたかのように彼女の姿に魅了され、隣のほのかもなにやら陶然として雫となにかを話している。

 

「ほのか、あの子だった?」

「うん、そうだよ、雫。入学試験のときからすごく目立ってて、まるでそこだけ空気が違うみたいで……カッコよかったんだよぉ!」

 

 そして女の子好きな自称紳士の友人も品定めするかのように主席の少女を見ている。ただ明日香にとっては学年主席という魔法師の少女の美しさよりも気にかかることがあった。

 

「それよりも、ケイ」

 

 そう――視線を向けられていることだ。

 それも直接的なものだけでなく魔法を介した視線。ただ漠然と視点があったというわけでなく、明確にこちらに焦点を合わせている。

 直接的な視線は主に教職員のあたりからも向けられているが、魔法的な視線は流石にどこからかまでは明日香には分からない。敵意が含まれていれば直感に引っ掛かるかもしれないがこれにはそんな感じはない。あるいは圭ならばそこまで解析できるかもしれないが……

 

「分かっているさ。何、この視線なら心配はいらない。熱烈な女性からの視線はどうあれ歓迎すべきものだからね」

 

 案の定、圭はこの監視魔術、もとい魔法の逆探知を美少女の品定めの片手間に終えているらしく、しかし何かをする気はないらしい。もっともそれが鼻歌混じりなのは案外この視線の主が美女だからなのかもしれない。

 

「どうしたの?」

 

 ただ、式の邪魔にならないように小声での会話だったが、何かが雫の興味を引いたらしく、小首を傾げてきた。

 ほとんど喜怒哀楽の表情を表していないその顔がどことなく不機嫌そうに思えるのが、聞かれた問いへの明日香の返事を遅らせた。

 

「いや……」

「ああ、明日香くんはあちらの美しいレディは何者かと気になっているようでね」

「ケイ!」

 

 その躊躇いに代わって圭が視線で舞台脇の席を示すと、少しだけ雫の眼差しに剣が宿ったように見えた。

 

 

 

 

 

 ――なんで私……イラついている?――

 

 雫は先程から自身の感じている苛立ちにも似たなにかに戸惑っていた。常であればクールだなどと評されることが多く、大好きな九校戦などを除けば自身でさえそう思っていたのに。

 軽薄そうに話しかけてきた一科生の新入生男子。その男子の友人だという男の子を見たときから心のどこかがざわついて感じる。

 それは先程瞼に映ったデジャヴュのせいかもしれない。そのデジャヴュを呼び起こした男の子と気障な言葉がまた雫の心をざわつかせ、彼が美少女に視線を送っていたときいてなぜか嫌な感じがした。

 もやもやとしたナニカを抱きつつも藤丸圭の言う美しいレディが気にかかり視線を向けた。

 舞台脇に席を設えられ座っているのは上級生の女子生徒だった。

 豊かな黒髪は腰ほどまであり、小柄だが決して幼児体型ではないその女子生徒は、新入生代表挨拶を行った女子と比べてタイプは違えどそう遜色ないほどの美少女といえる。

 

「あれは七草会長。十師族の七草家の人で一高の生徒会長だよ」

 

 美少女具合では雫やほのかにもいえることではあるが、それがもやもやとしたナニかを慰めることに繋がりはしない。

 

「なるほど、あれが七草家の……ありがとう、雫」

 

 まして先程咎めるような口調だった彼がにこやかな微笑みとともに告げた御礼は、少女の心のざわめきを大きくして、同時にモヤモヤも大きくした。

 

 

 

 

 ――あれが遠隔監視魔法を放っている魔法師……十師族の七草か――

 

 先程から、というよりもこの講堂に入った時から魔法でこちらを監視している相手が、以前わずかなり関わったこともある日本の魔法師集団のトップの係累であることから明日香はその少女をまっすぐ見返した。

 

 監視されているというのは不快感を覚えないではないが、彼らの来歴を考えれば無理からぬことだろう。

 強い眼光で見つめ返すと、監視されていることに気づいたというこちらの意図がわかったのか目を見張って驚き、苦笑い気味にこわばった微笑みを向け返してきた。

 その隣では圭がすぐ近くからじーっと明日香を見つめている少女の眼差しと、先程の会長どのの微笑みの意味を考えて意地悪そうに笑いをこらえていた。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 入学の式が終わると新入生たちは順次講堂から退席し、続いて行われるIDカードの交付手続きへと移った。

 いくつかの窓口に本人が赴いてその場で個人認証を行って学内用カードにデータを書き込むものだが、明日香や圭たちは比較的早めにその手続きを終えることができた。

 

「雫とほのかは何組だったんだい?」

 

 カードの受領と共に所属するクラスも開示されるため、一足先に手続きを終えた雫とほのかに問い掛けた。

 

「私とほのかはA組……貴方は?」

「いいね。僕もA組だ」

 

 明日香の答えに雫の顔に少しだけ笑みが浮かんだような気がした。それはつきあいの長いほのかが辛うじて分かるくらいの微細な変化ではあったが、ほのかには雫の機嫌がなんとなく浮上したように思えた。

 

「おっかしいなぁ。僕だけB組なのはどういうわけなんだい?」

 

 そして四人の中で一人だけ違うクラスとなった藤丸はぶちぶちと不満そうにしていた。

 

 この第一高校では一学年二百名の内、その半分の百名が一科生として教員からの魔法実技の個別指導を受けることができ、残り百名が二科生として教えられないことを前提として入学することとなる。

 この区別というか差別あるシステムの原因はそもそも魔法を教える側の教員が絶対的に不足しているという理由がある。いくら魔法が魔術に比べて広く開かれ汎用化したものといっても素質のあるなしまでは変わらない。魔術師に比べて魔法師の数は圧倒的に増えた(ものと思われる)が、魔法師の有用性は非常に広い。

 だからこそ魔法が国家規模で解明を推奨したのだし、とりわけ魔法師は軍関係への有用性が高い。そして魔法という技能の開発以降、それまでの世界大戦の抑止力であった核兵器はその汚染性、壊滅性から国際的に禁じられることとなった。

 そんな経緯から魔法師の力は国家の軍事力に直結するものとみなされるようになり、国立魔法大学の付属教育機関である魔法科高校には毎年百名以上の卒業生を魔法科大学および魔法技能専門高等訓練機関に輩出しなければならないというノルマがある。

 それは即ち他者を教導する魔法師の不足――魔法科高校の教員の不足という悪循環から脱却できないでいた。

 そして残念ながら魔法教育には“事故”が付き物であるのは魔法が魔術となっても完全にはなくすことはできない。

 もちろん魔術と比べて一般化した魔法はその運用の安全性は段違いであり、ましてノウハウの蓄積によって死亡事故や障害の残るような事故に至るのをほぼ根絶することができている。ただ事故によって心理的な傷害を負い、魔法の才能を失う事故は少なからず存在する。

 ノルマを満たすための生徒を確保しつつ、有望な一科生に欠員がでたときの穴埋めのための要員、それが二科生徒である。

 そのような経緯で創られた制度の為、一科生と二科生はクラスが明確に区分けされており、一科生はA~D組、二科生はE~H組となっている。そしてこのクラス分けは一科生の中にあっても基本的には変わることがない。

 

 なので三年間、圭だけが今日のこの四人の中では別のクラスになってしまうというのは疎外されているような気分にもなるだろう。

 あるいは、もしかすると“魔術師(メイガス)”という表に出ることのほとんどない希少存在を分散してなんらかの情報を拾い集めようという学校側の意図があるのかもしれないが…………

 ただ決められたクラス分けに文句をつけるほどではなく、入学初日にやるべきことを終わらせた彼らは、新入生総代に話しかけたいというほのかの希望に付き添って移動していた。

 ただ、絶世の美貌をもつ今期の新入生総代に話しかけたいと思うのはほのかばかりではなかった。

 

「うわぁ、会長と話し込んでるよ。しかもひどい人垣」

 

 先ほど見た覚えのある生徒会長と話し込んでおり、その周りを二重三重に取り囲んでいる。

 

「ミス・ほのか。こういう時は踏み込むべきだよ。遠巻きに見ているだけで変わることなど往々にしてない。なに、多少厚顔無恥を晒してでも知ってもらわなければ距離は詰められない」

「そうだけど……」

 

 取り囲んでいるのはほのかのような同性よりもむしろ男子が多い。

 ほのかをはじめ、多くの生徒が生徒会長と話し込んでいる総代に声をかけるのをためらっている――というよりも話しかけるべきではないだろう状況で、しかし女の子好きの悪戯好きは彼女をけしかける。

 それでもほのかは引っ込み思案な性格もあってかやはり一歩を踏み出すことはなかなかできないようで、一人の空気の読まない、もとい勇気ある男子生徒が生徒会長とのお話など知ったことかとばかりに総代に声をかけた。そしてそれをきっかけにして他の生徒たちもわいわいと彼女に近づき始めた。

 わいのわいのと次から次へと話しかけ、遠目に見ても総代の少女が困惑しているのが見て取れた。

 

「いくらなんでもああはなりたくないよ……」

「はっはっは」

「あ……司波さんが……」

 

 躊躇っているうちに(けしかけている圭は愉しんでいるようだが)総代の少女は生徒会長に何かを促されて歩き始めてしまった。

 波紋のように伝わってくる話によるとどうやら彼女はお兄さんと待ち合わせをしていて、そちらに向かうつもりらしいのだが………………

 

 

 

 

 

 

「ほのか、私たちも行こうか」

 

 移動する総代――司波深雪というらしいと人垣についていき遠巻きに見ていると彼女は幾人かの新入生と話し始め、そして会長と別れて校門へと向かっていった。

 彼女が待ち合わせしていたというお兄さんと思われるのは一人だけいた中背の男子生徒のことだろう。

 兄というからには上級生かと思いきや、漏れ伝わってくる話によると彼も新入生らしく、双子かあるいは年子なのだろう。

 

 ただヒソヒソと、というには大きな声で話されている内容によると主席の司波さんの兄は二科生、花なし(ウィード)らしく、劣等生の兄に対して同じ高校に入学して恥ずかしくないのかと眉をひそめている連中もいた。

 そして――――

 

 ――あれは…………――――

 

「……あの人だ………」

「え?」

「入試のときすごく無駄のない綺麗な魔法を使う人がいて……さすが魔法科高校だって思ったのよ。それが、なんでッ! 二科生(ウィード)なのよっ」

 

 主席の方の司波さんにうっとりと陶酔するほど入れ込んでいたほのかは、どうやら兄の方にも思う所があったらしく、差別的として禁止されているはずの蔑称を口にした。

 ただ魔法科高校のクラス分けは本来的に魔法師ではない明日香や圭には参考にはならない。

 明日香の“直感”はあの“劣等生”の新入生が危険な者に感じられた。それこそ――――“彼”がこの世界に在る原因へとつながるかもしれないほどに…………

 

「ふむ、そこらへんの話もじっくり聞きたいところだから、ほのかちゃん、雫ちゃん。よければこの後一緒にティータイムにでも行かないかい?」

 

 明日香の隣で女の子たちをお茶に誘っている圭のニコニコ顔はそれを察しているのかどうか。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 入学初日の夜――――

 

<ごめんね学校では取り乱して>

「ううん。ほのかすごく楽しみにしてたんだもんね」

 

 雫はお姫様が寝るような天蓋付きベッドの上に横になり、ほのかと通話していた。

 

<うん。勝手だとは思うんだけど、あんな魔法を編み上げる人が一科生じゃないなんて裏切られた気持ちっていうか……ゴメン。やっぱ勝手だよね>

 

 話の内容は今日の入学式での出会い――主席入学の司波深雪とその兄である人が劣等生であったこと。

 

 入学試験の時、ほのかは二人の桁違いの受験生を見たのだ。

 一人はまさに圧倒的。輝くばかりの魔法力と他を寄せ付けない発動速度、干渉強度、干渉規模。

 ほのかも雫も、ともに同じ地元出身でありどちらも周囲からは隔絶した魔法の素質と力を持っていた。それは周囲から浮いてしまうほどに圧倒的な才能であり、特に雫は2年前の誘拐事件で思うところがあったのか、さらに魔法の鍛錬に力を入れていたし、ほのかとてそこまでいかなくとも十分に訓練していた。

 魔法の発動速度と魔法式の構築規模であれば司波深雪が見せた魔法力はそんな雫に勝るとも劣らないレベルであったのだ。

 雫の苦手な細かな魔法の制御や複雑な魔法式の構築といった領域であればほのかは雫に勝てるかもしれないが、それでも司波深雪に勝てるビジョンは浮かばなかった。

 それほど司波深雪という魔法師は圧倒的だった。

 

 それに対してもう一人、彼女の兄であったあの人の作る魔法式はただ美しかった。

 “光井”であるほのかはその来歴から魔法の素養が十師族に次いで百家に並ぶほどに高い。ただし現代魔法の理論である4系統8種の分類が確立されて以降の、それに特化した形で“品種改良”された十師族や百家と違い、“光井”とはエレメンツ――――すなわち伝統的な属性である「地」「水」「風」「火」などの要素が魔法の分類とされていたころのアプローチによって作り上げられた魔法師の血統。その中でも光のエレメンツである“光井”は光振動に対して他の魔法師を寄せ付けない鋭敏な光に対する感受性を有している。

 ほのかの目には魔法式の余剰や無駄は光波のノイズとして見える。雫はもちろん司波深雪の魔法式にもそれは現れており、むしろ彼女たちは輝くほどの光波が見えて、それが彼女たちの魔法力の強さを表している。一方でほのかの目にも彼の魔法式にはまったくノイズが見られなかった。

 必要最小限。使用する魔法に必要なだけ、一切の無駄のない機能美。

 

 

「ううん。でも、そんなに綺麗だったんだね。なら…………分かるよ」

 

 激昂したほのかの取り乱し様。それだけ彼の魔法式の美しさに心奪われたのだろう。

 それは雫にも覚えがあった。

 絶望の淵で求めた希望。あの暗闇で見た碧の瞳のように、夢か幻であったとしても決して消えない宝石のごとき色。

 

 獅子刧明日香。

 彼の顔を見た瞬間、雫の脳裏にその宝石が色鮮やかに蘇った。

 見覚えのない(・・・・・・)彼の顔がそれを呼び起こしたのか、それとも彼の雰囲気が、佇まいが、なぜか夢に憧れるような騎士然と、あるいは王子様然としたものと重なったように感じたからかもしれない。

 

 だから、あの時は取り乱さなかったが、彼の瞳の色を見た瞬間、なぜかわからないけれど、言葉にできないけれど、何かが違うと感じたのだ。なぜか無性に、心がざわめいたのだ。

 それはあるいは、勝手に抱いた期待を裏切られた気持ちに、ほのかの気持ちに似ているのかもしれない。

 

<ありがとう、雫……地元では雫しかライバルがいなかったのに、司波さんには打ちのめされちゃったな。お兄さんは……まだよくわからないけど、世界は広いよね>

 

 

 

 






ひとまず3話まで連日投稿です。
内容的には劣等生よりもかなり優等生よりの展開になっています。
実は執筆していて気づいたのですが、しばらくは主人公(明日香)の影が薄いようです。戦闘が入り始めればきっと!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話

 ――――剣閃が奔り、空気を切り裂く。

 

 ニ閃、三閃。蒼銀の騎士が振るうは黄金の聖剣。

 鞘としていた風の加護を己が身に纏うことによって可能となる即時移動はもはや人間の反応速度を超えて擬似的な瞬間移動じみたものとなっており、吹き荒れる魔力を載せた剣戟は直撃すれば重装備の騎士ですら両断するであろう。

 

 しかし必殺の剣は相対する騎士の盾に受け流される。

 鎧はおろか盾ですら諸共に両断してのけるだろう剣は、恐るべき技量を備えた騎士によってその盾に傷一つつけることは叶わなかった。

 騎士の手に携えられた盾は身の丈ほどもある十字架型の盾。その中心には“円形の卓”。薄紫の髪は片目を隠しており、その身を覆う鎧は黒と紫。

 盾の騎士は受けるだけではなく、細身の剣を駆使して切りかかってくる。

 聖剣を振るう彼とは異なり風の加護を受けているわけでもない盾の騎士の動きは、彼からすると決して速くはない。だが技量と体技において隔絶たる練武の差があった。

 剣での斬撃、と見せて大盾での薙ぎ払い。

 

「――――――!!」

 

 吹き飛んでダメージを軽減することすら許さずに直撃したそれは、鎧を貫通して衝撃をその体に徹し、蒼銀の騎士の顔に苦悶を刻みつけた。

 激痛に風の加護が緩み、動きが止まる。

 体全体を回転させての大盾の一撃による追撃により、今度こそ蒼銀の騎士は吹き飛ばされ、10m以上の溝を地面に刻みつけたところでようやく停まった。

 

 ――うん。ここまでだね――

 

 蒼銀の鎧が光の粒子となって消え、世界に、あるいは脳裏に響いた“夢魔”の声がこの戦いの終わりを告げた。

 

 ――お疲れ様。どうだい、僕たちの王様の器は? まだまだ? 厳しいねぇ、ギャラハッド君は。まあ、王様と比べればね――

 

 ――君もお疲れ様。おや、まだやるつもりなのかい? まあまあ、今日のところはこのへんで。そうだねぇ、次はギャラハッド君と、そうだね、ランスロット卿の父子タッグなんてどうだい? えっ? ダメ? あはは、相変わらずだねぇ、ランスロット卿とは――

 

 ――それじゃあ、明日香君。君はそろそろ戻ろうか。さぁ、今日も1日頑張って……――

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 新学期。それも中学から高校へと学び舎の変わったばかりの教室の雰囲気はたとえそこが国内でも数少ない魔法師を養成するエリート高校であったとしても、普通の高校生とはそう変わりはないだろう。つまりは初めて出会い、クラスを共にすることとなったクラスメイトたちとの挨拶や自己紹介、春休み明けに再開した友人との会話を楽しむような時間だ。

 これまで優れた魔法師の卵として将来を嘱望されていたことにより周囲に溶け込めなかったこともある少年少女たちには、初めて同類に囲まれている環境というのは新鮮で、気分を高揚させている生徒も多い。

 むしろ昨日の入学式の前後に顔合わせと挨拶を済ませた生徒も多く、あるいは地元を同じくする数少ない友人知人と雑談を交わしていた。

 

「おはよう、雫、ほのか」

「おはよう、獅子劫君」「おはよう……明日香」

 

 明日香にとっては馴染みの圭が別クラスになったため、雫とほのかは昨日からのとはいえ数少ないこのクラスでの顔見知りだ。

 

 もっとも、くすんでいるとはいえナチュラルな金髪の明日香は、幾分周囲の視線を集めはした。魔法師の国際結婚が推奨され、血統の操作が自然な形あるいは“不自然”な形でなされたとはいえ、数世代もたてば日本人らしい面立ちへと収束していくものだし、整った容姿というのは魔法師の来歴を考えれば優れた魔法師のステータスといえなくもない。容姿と魔法師としての実力が完全にイコールではないとはいえ、明日香の整った容姿は特に女生徒を中心に目を引くものだし、そんな彼がこのクラスでも指折りの美少女たちへと親し気に話しかければ男子の注目も集めるだろう。

 そんな視線をものともせずに、昨日出会ったクラスメイトへと挨拶を交わした明日香は端末を操作して自らの座席を確認した。 

 

「席は……っと、雫の後ろの席か。うん、席運に恵まれたみたいだね。よろしく、雫」

 

  彼女の後ろの席であることを幸運だと、さらりと述べる彼の笑顔に雫はこくんと頷きのみを返した。

 やや素っ気ないように思える雫の態度を気にすることもなく、明日香は自分の席へと鞄を下ろし、椅子に座った。

 二人のやりとり、特に幼馴染の雫の態度にほんの少しほのかは違和感を覚えていた。

 獅子刧君と名字で呼んだ自分に対して明日香と名前で呼んだ雫。彼の馴れ馴れしさというか、外見にそぐう外国人らしい態度はほのかにとっては些かパーソナルスペースを圧迫される感があるが、雫の方はそうでもないらしい。

 昨日は自分のことで、というか憧れの人のことでいっぱいいっぱいであったから気づかなかったが、昨日からの様子を振り返るに、雫は彼のことをどこかで知っているような節がある。

 ただ彼の方はそうではないらしく、二人の距離感はどうにもチグハグな感じがした。

 そのことを二人に聞いてみようかと思ったほのかだが、その問いかけは口からでることはなかった。

 不意に、教室がざわめいたからだ。

 教室内の生徒が男女を問わず、新たに入室した生徒に注目した。

 

「おはようございます」

 

 お淑やかさを感じさせる清らかな声で挨拶とともに入室したのは、雫やほのかを上回る美貌の女生徒。今年の新入生の主席で、昨日の入学式でも答辞を行った司波深雪だ。

 

「司波さんだ、総代の」

「やっぱりこのクラスだったんだ」

 

 学年一位だからA組、という図式が当てはまるのかどうかは公開されていないが、A組に配されることとなった生徒たちにしれみればやはり飛びぬけて美しく優秀な彼女と同じクラスになれたことはそれだけで幸運なことだっただろう。

 一瞬にして、ほのかも他の多くのA組生徒たち、あるいは司波深雪が来るまでの登校途中に彼女を見かける幸運を得た生徒たち同様、心を奪われたかのようにぽわぁとなった。

 

 そんな周囲の態度や状況は、彼女ほどの美貌の持ち主であれば当たり前のことで慣れているのか、視線を集める彼女は気にした風もなく、明日香や他の生徒たちが入室してまず行ったのと同様、端末に視線を落として自らの席を確認した。

 A組の生徒の多くはその一挙一動作を熱に浮かされたような瞳で見つめ、そんな中彼女は視線を明日香やほのかの方へと移した。

 

「あぁ、司波さん。僕の後ろかな」

「えっ!」

 

 驚くほのかだが、アイウエオ順で座席が決められているのであれば獅子劫-司波なのだから席が前後する可能性は当然あるだろう。

 クラスの中で心奪われていない数少ない生徒である明日香や雫は、まあそういうこともあるかと司波深雪が自分たちの方へと歩いてくることを受け入れ、一方で昨日の様子からも司波さんに敬愛のような思いを抱いているのが分かるほのかは、その当人が自分の方に向かってくることが分かって明らかにおたたと動揺し始めた。

 

「あわわ」

 

 明日香や雫の席からは少し離れた場所に座席を配されたほのかは、朝の雑談として雫の席のところに来ており通路に立っていただけなのだが、だからこそ雫の後列に行くにはほのかとすれ違うこととなる。

 心構えの整う前に近づいてくる司波深雪に、ほのかはますますとテンパり、間近に迫った時、ニコリと微笑みがほのかに向けられた。

 

「はぅ………」

 

 それはただ自分の通り道近くに立っていたから社交辞令的なものであったのだろうが、女神のごとき笑顔を向けられたほのかはくらりとよろめき、通路のあいた司波さんはそのまま雫の二つ後ろ、つまり明日香の後ろの席へとカバンを降ろした。

 

「ほのか、自己紹介のチャンスだよ」

 

 くらりと倒れ掛かったほのかを支えつつ、耳元に顔をよせての囁きは、ほのかの意識を覚醒させた。間に明日香がおり、彼とは昨日からの知り合いであるとはいえ、まずは話しかけることこそが肝要。そして昨日な人垣に囲まれて近づくことすらできなかった彼女が、今日はこんなにも近くにいるのだから。

 挨拶ならば昨日空振りに終わったためにその分これ以上ないほどじっくりと考えてきた。エリート校である一高の一科生として、その主席に対するに恥ずかしくない挨拶をするのだ。ほのかは決意を固めて一歩を踏み出した。

 

「あ、あの司波ひゃん、ッッ!」

 

 そして噛んだ。

 気合を入れて両拳を握りしめ、その気合の入りように司波深雪は何事かと目をぱちくりとさせ、舌を咬んで涙目になり、そして恥ずかしさで耳まで赤くなって固まっているクラスメイトを見た。

 

「おはようございます、あの……」

 

 再起動が早かったのは司波深雪で、とりあえず何事もなかったように微笑みとともに出てきたのは定型的な挨拶。

 

「光井です! 光井ほのかです!」

 

 ほのかもなんとか再起動を果たし、想定からは随分と違ってしまったもののなんとか自己紹介を果たすことができた。

 社交辞令なしに一生懸命なその微笑ましい様子に、深雪は本心を隠すためではない微笑みを浮かべた。

 

「司波深雪です。光井さん仲良くしてくださいね」

「!! こちらこそ!」

 

 当初の目論見とは違う、けれどもだからこそ自然に言葉が出ていた。

 

「よかったね、ほのか」

「はぇ、雫。うん!」

 

 交友への第一歩を踏み出せたことで万感胸に迫って幸せそうなほのかに雫はひとまず祝福を述べ、自身も深雪へと向き直った。

 

「北山雫です。司波さん、お名前はかねがね。ほのかが司波さんのすっごいファンでよくうかがってます」

「ふぇっ!!?」

「……? すみません。どこかでお会いしたことありましたっけ?」

「試験会場で一緒だったみたいで、そこで一目ぼれしたそうですよ」

 

 女の子同士だからこそ言い合える会話だろう。ネタにされているほのかは恥ずかしそうに雫を止めようとしているが、そのおかげで深雪も含めてごく自然に歓談が楽しめるようになっていた。

 一方で会話の間に挟まれている形になった明日香は三人の、特にほのかの照れ具合などを見て面白そうに口元を隠して肩を震わせた。

 その様子に、人を間に挟んでいたことに今気がついたかのよう深雪は間の男子生徒へと顔を向けた。

 

「あ、ごめんなさい。貴方は……」

「獅子劫明日香です。初めまして、司波さん」

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 ――あれが現在に生きる魔術師(メイガス)……――

 

 自然な形で初対面の自己紹介をすることができただろう。

 オリエンテーションのためにやってきた指導教官の百舌谷の話を聞きながら、深雪は思考の片隅で目の前の座席に座る彼について考えていた。

 魔法がまだ魔法となる前、異能、超能力、あるいは魔術と呼ばれていたころ、その秘技を修めていた者たち。時代の波に呑まれたかのごとく消えていった数多の魔術師たち。

 “藤丸”家は現在も残っており、魔法師にも認知されている数少ない魔術師の家系だ。(無論、魔法師が知らないだけでまだ他にも多くの魔術師が生き残っている可能性は否定できないが)

 もっとも、知られているといってもそれは全ての魔法師にではない。日本においてはごく一部、百家本流の者たちや十師族だからこそ知り得ていることだ。

 2年前、 “藤丸”はそれまで隠棲するかのごとくにあったのを突如として方針転換して魔法師と接触した。彼らがそれを意図していたのかどうかは分からないが、結果として魔法師と彼ら“魔術師(メイガス)”が協力体制を敷いたことがあったのだ。

 東京を中心にして起こった魔法師子女誘拐事件。十文字家と七草家が全霊をもって解決にあたっていたこの事件は、しかし魔法師だけでは解決できなかった。このことは魔法師の頂点たる十師族の権威にも関わるため百家ですら知り得ない情報だ。

 魔法師の家門の中で、とりわけ数字をその名に関する一族の一部は“数字付き(ナンバーズ)”と呼ばれている。その中でもさらに一から十までの名を関する二十八の家柄から選出される日本最強の魔法師集団。それが十師族だ。

 深雪が普通の魔法師の家柄では知るはずのない事件、魔術師“藤丸”のことを知っているのは、他でもない、ある十師族の当主から聞いているためだ。

 十師族“四葉”。

 たまたま四の数字が名前に入っているだけの場合を除いて、“数字付き(ナンバーズ)”の家系の中に“四”は一つだけしか存在しない。

 当代における世界最強の魔法師の一人である四葉真夜を頂点に戴き、“兵器として開発された魔法師”の伝統を、最も忠実に守り続けている一族。触れてはならない者たち(アンタッチャブル)

 表には知られていないが、司波深雪は、そして彼女の兄は四葉の血族、それも直系である。

 そしてその当主であり叔母である四葉真夜から直々に今年同学年として入学してくる“魔術師(メイガス)”のことを聞いたのだ。

 四葉は十師族の中でも七草と並んで最有力と目されている一族だ。それだけに七草家が一騎当千の魔法師を抱える十文字家と組んでも事件を解決できなかったという事態を軽視していない。それを解決に導くために介入してきた“藤丸”のこともだ。

 藤丸圭と獅子刧明日香。

 彼らは幼馴染であると同時に従兄弟でもあるらしい。名前からするとBクラスとなった藤丸圭の方が主家で獅子刧はその分家のような存在なのではないかと推測できるが……そう、推測だ。

 世に恐れられる四葉の力は何も魔法戦闘力のみのことだけではない。数では七草に及ばないが、裏仕事を受け持つ分家や協力者など、諜報力においても十師族の中で抜きん出ているのだ。

 その四葉の諜報力をもってしても“魔術師(メイガス)”の内情、特に今になって表舞台に上がってきた理由を探ることはできなかった。

 近年になって、分かっている限りにおいては3年前の大亜細亜連合の沖縄侵攻と前後するあたりから彼らの活動が活発化しており、藤丸圭と獅子刧明日香の二人が日本のあちこちを移動しているとのことだ。

 当主からは“深雪”が彼らの探りを入れたり、敵対したりする必要はないとのことだが同じクラスになってしまえば、まして席が前後になってしまえばまったく関わりあいにならないというのは難しいだろう。それでなくとも、「学友なのですから仲良くなさってくださいな、深雪さん」という叔母からのお言葉と目の笑っていない微笑みをもらっているのだから。

 

 藤丸の方は分からないが、獅子刧明日香は深雪から見て、とりわけおかしなところがあるようには見えなかった。

 日本人離れした顔立ちとくすんだ金髪をしてはいるものの、魔法師であればその成り立ちから日本人以外の血が混ざっていても不思議ではないし、血統確立の過程で自然ではない要因が紛れ込んでいてもおかしくはない。魔術師(メイガス)が魔法師と同じとは限らないが、似たようなことをしていても不思議ではないだろう。

 

 

「ちょっといいですか、司波さん?」

 

 そこまで深く考えに沈み込んでいたわけではないが、指導教官による簡単なオリエンテーションは終わり、準備時間の後には各々の判断で校内の見学するもよし、あるいは実技授業の見学をして一科生の特権である先生のレクチャーを受けるもよしといった時間になった。

 深雪がクラスメイトとなった男子生徒から声をかけられたのは、準備時間になってすぐ、まだ席を立つこともしていない初動の前だ。

 

「なんでしょう?」

「司波さんはどちらをまわる予定ですか?」

 

 数名の男子生徒に机を囲まれて、その内の一人からドキドキを隠しもしない顔で尋ねられた深雪。

 

「私は先生について――」

「奇遇ですね! 僕もです! やっぱり一科なら引率してもらうほうですよね! 補欠と一緒の工作なんて行ってられませんよね」

「いえ、そういうわけでは……」

 

 男子生徒の反応は、深雪がどんな回答をしても第一声が“奇遇”にも決まっていたかのような食い気味な反応だった。しかも出て来る言葉と一緒に漏れているのは彼女の兄である二科生を小馬鹿にしたような言動。

 反感を覚えるものの初日からあまり目立って不和を招くようなこともできずに顔を曇らせそうになるも。

 

「だったらもう集合場所に急がないといけませんね!」

 

 そんな彼女に助け舟を出してくれる子がいた。

 男子に囲まれている深雪の、その間に強引に体を割り込ませて入ってきたのは、先程自己紹介をした光井ほのかだ。

 その強引さは、ほのかが今度こそ声をかけるガッツを出したのに加えて明らかに困惑している深雪を助ける意図もあったのだろう。

 

「そうですね、光井さん。行きましょうか」

 

 幸いとばかりに深雪はほのかについて席を立った。

 さしもの男子たちも、女子同士が仲良くしている間に割り込むことはできずに反応が遅れる。

 そしてガッツを出したほのかの友人、雫はほのかについて行くべく席を立ち、離れる前に後ろの席の明日香にも声をかけてみた。

 

「明日香はどうするの?」

 

 雫の問いに明日香はチラリと近くの男子生徒――深雪に置いてけぼりをくらって未練がましく後を追おうとしている人たちを見た。

 雫のこの問いはお誘いととることもできるし、雫とともに行けば先程挨拶したばかりの自分が帯同するくらいは許されるだろう。

 だがここで男子である自分がついていけば、彼らがまた司波深雪を取り囲む理由になる。

 

「僕はそうだね……校内を見て回りたいから、別行動をとらせてもらうことにするよ」

「……そう」

 

 明日香の視線からその答えはある程度推測できたのだろう。一見すると特に表情の変わることのない、クールなままの反応。

 その内心が、僅かばかり残念さを感じていたとしても仕方ないことであるし、隣のクラスに行った幼馴染が何かやらかさないかという懸念もある。

 

 

 その後、雫とわかれた明日香はひとまず隣のクラスに行って圭を見つけ出し、案の定女の子に声をかけて、その赤毛の女の子に偶然の出会いの喜びと運命的な愛を囁き始めようとするところに割り込むことになるのであった。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

「まったく、君というヤツは何をやっているんだ」

 

 校舎内を歩く魔術師二人。

 

「おいおい、無意識にやっている君と意図的にやっている僕。どちらも大差はないだろう? レディに甘い言葉を囁きかけるのを君に責められるいわれはないよ。君の方も雫ちゃんにほのかちゃんだっけ。かわいい子じゃないか」

 

 明日香は先ほど早速女の子へのアプローチに精を出している圭へと苦言を呈し、圭は圭で明日香に物申す。

 そのいいように、少しばかり思うところが無きにしも非ずなのか、明日香が眉根を寄せた。

 

「それなんだが……お前、あの子のことで何か隠してないか? 彼女は……」

 

 それは直感。彼女の――北山雫という少女を見たときからなんとなく抱いていた言語化できない感覚。

 彼女は自分を覚えている。

 そんなはずはないのに。そんな記憶があるはずがないのに……

 

「う~ん、やっぱり鋭い。そして鈍い」

 

 じとーと睨まれた圭はニコニコ笑顔で明日香の鈍いのか鋭いのかよく分からない直感を評した。

 

「ケイ」

「まぁまぁ。そんな大したことじゃないよ。それにほら、英霊となった探偵も言っていただろう。“自分の考えた正しいと得心できるまで、口外せずに熟慮する”。それでこそ真理に辿りつけるというものだよ。ワトソン君」

 

 再び呼びかけられた圭は、しかし明日香の直感に応えることなくはぐらかした。

 あからさまなそれに、明日香ははぁとため息をついた。この勿体ぶったことが好きな幼馴染の性分をよく知っているからだ。

 

「それに、こっちはこっちで下準備がいろいろあるのさ。話しかけてたあの子も少しばかり面白そうな経歴だし。情報収集は大切だよ」

 

 ただ、それは100%彼の愉悦のためにというわけでもないらしい。

 

「なにか視えたのかい?」

「いや。今のところは何も。けど、前にも言ったように、ここでの人間関係こそが、特異点の収束と解決につながることだけは、多分確かだ」

 

 魔法でも魔術でもない藤丸圭の“異能”。

 それがこの“未だ発現してない特異点”の解決につながるのだと、見通していた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話

 

 指導教官の解説を受けながらの授業、基礎魔法学と応用魔法学の二つを終えた雫たちは、兄が待っているという深雪の行動に合わせて食堂へと行こうとしていた。

 

「司波さん。お昼はどうされますか?」

 

 そしてやはり、そんな深雪の周りにわらわらと取り囲んでくる一科生のクラスメイトたち。

 

「学食に行くつもりですが……」

「ご一緒してもいいですか!」

「席が空いていれば……」

 

 深雪の反応がどことなく困りがちなのは、あのやり取りがあまり心地よいものではないのに加え、あれだけの人数で食堂に行ったとしても、結果的に彼女自身はお兄さんと昼食をとることになるから、その迷惑になることを考えてだろう。

 深雪は席が空いていればと言っているが、深雪の周りに座れる生徒の数は限られているし、彼女の中ではすでに待たせているお兄さんがいる。加えてお兄さんの方でも友人を連れてきていればもっと人数は少なくなってしまう。

 

「では埋まらないうちに急ぎましょう!」

 

 しかしそこは一科生の図々しさか、レクチャー前にも深雪に声をかけほのかに気勢を削がれて空回りした森崎が場を仕切るようにして深雪とその一行を食堂へと同行させた。

 

 

 

 

 食堂につくと、ある程度座席は埋まっていたが満員ではなく、集団で座れるようなテーブルも幾つかある、そんな状況であった。

 

「深雪ーっ! こっちだよー!」

「エリカ! 美月! お兄様!」

 

 ただ、やはりというか先に来ていた深雪のお兄さんも友人の連れがいるらしく、二科生の女の子二人と男子一人がすでにお兄さんと同じ席についていた。

 食堂のテーブルは基本的に6人がけで、4席が埋まっている。そこに深雪が座れば残り座席は1席。

 

「ほのか、私たち邪魔かも」

「雫もそう思う? 司波さんはお兄さんと一緒の方がいいもんね」

 

 後から来てどいてくれというわけにもいかないし、まして相手は深雪のお兄さんなのだ。本人の意志を無視してまで一緒に食べようといえるほど図々しくもないほのかや雫は、場を見てすぐに別席へと移ろうとした。

 移る前に、「じゃあ私たちはあっちで」と、この場の別行動を告げようとしたほのかと雫だが

 

「おいキミたち。ここの席を譲ってくれないか」

 

 残念ながら、そんな平穏な食事時間は出だしから許されはしなかった。

 

「!?」

 

 驚くことに森崎がそんなことを言い出したものだから、ほのかと雫はびっくりして切り出すタイミングを失ってしまった。

 驚いていないのはそんな図々しい申し出をした本人だけだと思いたいところだが、他の一科生の引かなそうな雰囲気を見るに彼らの共通見解らしい。

 

 言われた二科生の人たちもびっくりしているのに、そんな反応すら森崎や一科生たちには呆れた態度に映るらしく、森崎はため息をついて今更ながらの事実とばかりに続けた。

 

「ニ科は一科の“ただの補欠”だ。授業でも食堂でも、一科生が使いたいといえば席を譲るのが当然だろう?」

 

 二科生が補欠だというのは、たしかにこの学校の制度を考えればそう思えるものだ。だがだからといって施設使用の権利までもが一科生に優遇されるわけではない。

 森崎が口にし、ほかの一科生たちも当然とばかりに思っている“事実”は、彼らの幼稚な虚栄心から生み出されたものに過ぎず、礼節もなにもあったものではない。

 

「実力行使をしてもいいんだが、学内ではCADの使用は禁じられているからな」

 

 嘆息混じりにご高説して見下している森崎の言葉と態度に、深雪の雰囲気が剣呑になっており、同様とまではいかなくとも、ほのかの隣で何かが琴線に触れたのか雫がピクリと反応し、その場を去ろうとしていた体を反転させた。

 

「そういうわけだ。席を譲ってくれないか? 補欠くん」

 

 

 

 強者が弱者から一方的に搾取する。

 それは、日本屈指とも言われる大富豪である北山家の娘としては否定してはいけないのかもしれない。

 けれどもクラスメイトであるはずの彼のやり方は見ていて気持ちのよいものではないし、力の優越から相手の地位や存在までも見下すのは、いつかの記憶にある奴隷商人を思いだすようで嫌だった。

 

「雫……?」

 

 あまりの言い分に雫は一言口をはさもうと一歩踏み出そうとした。ほのかは表情こそ変わらないものの怒っているらしき幼馴染に気づいた。

 そして雫が森崎たちに口を開こうとした矢先に、

 

「よさないか。ここは彼らが先に座していた席だ」

 

 雫よりも先に物申した生徒がいた。

 先ほどの授業見学の際には別行動をとっていて居なかった明日香と圭。明日香は不快さと義憤に目をいからせており、一方で圭の方は騒ぎに突撃した明日香を面白そうにしながら傍らに立っている。

 校内を見回っていた彼らも、昼食時になったのを見計らって食堂にやってきたのだろう。

 

 

「なんだい、君は。たしか司波さんの前の席に座っていた……。別にかまわないだろ? こういうこと(一科生と二科生の上下関係)はきちんとけじめをつけなければならないのだから」

 

 明確に否定したにもかかわらず、森崎はやはり相手の心情を慮るつもりがないのかできないのか、彼の考えこそが一科生の共通認識だとばかりの言いようだ。

 だがそれで引き下がるのなら初めから口をはさんでいないだろう。

 

「仮に君たちが彼らよりも優っていると自認してその地位にいるのなら、なおのこと君たちはその身に負った責務を自覚するべきだ。少なくとも君たちのその横暴な振る舞いを肯定する理由はない」

 

 ただしそれはどちらが上かを否定するものではない。

 現時点において明日香には魔法師の優劣を判ずる方法はない。であればこの学校に入学した際の基準に則って一科生が二科生より優れた魔法師と見るのは間違いではない。

 そしてどれだけ取り繕おうとも、高校側の意図としては一科生のみが魔法実技を教える対象であり、二科生は勝手に学んで必要になったら取り立てるといった存在でしかないのだ。

 だがだからといって一科生の存在そのものが二科生より優れているといったものではないはずだし、それを理由に横暴を肯定しはしない。

 

 毅然と立つ明日香に森崎は気圧されるものを感じたのだろう。じりとわずかに足が引き退った。しかし立場的に引くわけにはいかないことを思い出したらしく、ぐっと睨みつけ返した。そして何よりも森崎を支えたのは同調者が多く、彼の認識上優れているのが彼らの側だということだろう。

 

「ウィードの―――」

「まあまあ。食事の席で荒事はやめようじゃないか」

「なんだお前は!」

「君に名乗るほどの者でもない。しがない花の魔術師さ。え~っと……一科生くん」

 

 数を恃みに奮起しなおそうとした森崎だったが、傍で愉快そうに見ていた圭がいきなり割り込んできたことで気勢を削がれた。

 ただA組の森崎にはB組の藤丸圭のことを知りはしないだろう。そしてその逆もまた。

 

「も、森崎だ!」

 

 ただ、森崎といえば、魔法師の間ではクイックドロウで有名な、特に護衛のスペシャリストとして知られる一門だ。百家や“数字付き”とまでは言わなくとも名のある魔法師の家系で、それは彼が一科生に属していることからも彼の優秀さが分かるというものだ。

 

「ああ、はいはい。落ち着いて落ち着いて。別に僕も彼も、君たちの一科生としての在り方にどうこう言うつもりはないよ。ただ君はもう少し客観的な視点を持つべきだと思ってね」

 

 対して、名乗られたにも関わらず彼の方は――たしか獅子刧明日香の友人の藤丸圭は、名乗り返すつもりはないらしく、ついでにそのなおざり態度は森崎の名前を覚える気もないようだ。

 そしてつい今しがた、アナタの友人は一科生の在り方について説いていましたが、という思いを雫は抱きはしたものの、ハラハラと成り行きを見守っているほのかの手前、口にはしなかった。

 そして友人君の弁はまだ続いていた、というか惨劇はむしろこの後であったことを知る。

 

「だってほら。君は彼女の、え~っと、そうだ、シヴァさんだ。そう、シヴァさんにいいところを見せたくて見栄を張っているんだろう? でもほら、客観的に見るとさっきの君は控えめに言っても格好良くない」

「なっ!!!」

 

 色々とツッコミどころはあった。

 まず司波さんの名前の発音が明らかにおかしかった。学年の主席であり総代としての挨拶も行った美貌の持ち主を忘れるはずはないだろうに、彼はもとより興味のなかったかのような様子だ。

 さらには言っていることも、なんだかおかしな方向に進もうとしており、先程とは別の導火線に火をつけようとしているように感じられる。

 

「あ、ごめん。違った。今の君も、どう見ても格好良くないの間違いだったよ」

 

 いや、喜々として火をつけていた。

 真っ赤になって司波さんの方をチラチラ伺っていた森崎は、その言葉に絶句し、ついでふるふると肩を震わせた。

 

「お前はっ! 僕を馬鹿にしているのか!」

 

 先程までとは別の理由で顔を真赤にしている。

 最初の指摘では、見栄と下心を気になるあの娘に暴露されたことによる羞恥で、今度のは明確に憤怒からだろう。

 

「いやいや。そんなつもりはないよ。馬鹿にするというのはつまり相手を不当に貶めることだろう? 僕はただ客観的な事実を提示しただけなのだから」

「こ、のっ……!!!」

 

 口の減らない、というかむしろ誰かあの口を閉じさせてくれと、彼の隣で額を抑えている明日香は思っていただろうし、元々はイチャモンの原因にされていたニ科生たちも、一科生たちの思わぬ内紛に呆気にとられていた。

 

「ケイ。君というやつは…………」

 

 頭痛を堪えるように嘆息とともに出てきた言葉は、もはや諦めにも似ていた。

 すでに森崎の怒りの矛先は二科生から彼らに向いており、そういう意味では一科と二科の諍いは仲裁できたと言えるが、平穏無事な仲裁とは到底言えないだろう。

 

「ははは。うん。何かマズったのかな。スマナイね、明日香」

 

 その笑顔はむしろ故意的だったのではないかと思わせる。

 最初に口を挟んだ明日香を振り返って謝ってはいるが、どう見ても最初よりも火種は燃えている。それも別方向に。

 

 森崎だけでなく、他の一科生の特に男子などは「補欠の肩をもつ気か!」とか「一科生の自覚がないのはどっちだ!」「それでも一科生か!」などと二人に詰め寄っている。

 ただほかの一科生から詰め寄られていても二人の表情や態度は毅然として変わらず、もとい圭に至ってはのほほんとして微笑みを絶やさない。

 その態度がまた森崎たちの勘気を招き、ここが食堂であることも忘れての雑言が飛び出し始めていた。

 

「言い合いのところ申し訳ないが……」

 

 そんな不毛な言い合いに、冷静さを保った声が、言葉ほどには申し訳無さを感じていなさそうにかけられた。

 

「なんだ、ウィード!」

 

 口を挟んだのはすっかり矛先がそれた二科生の、深雪の兄であり、激昂している森崎たちは怒気をそのままに本来学校側から禁止されている用語を使って怒鳴った。ただ残念ながらこの場には風紀委員やそれを気にする生徒会役員はおらず、仮に居たとしても半ば公然と認められているようなその蔑称を咎めることはできなかっただろう。

 雫やほのかも、矛先の逸れていたニ科生の彼が今更なんと言って口を挟むのかと思い。

 

「もう終わったので、失礼させてもらいたい」

 

 その理由は明白だった。

 元々彼と、二科生のもう一人の男子は食べ終わっていたかほとんどすぐに終わる状態だったのだ。

 残りの女子二人にしても、この雰囲気の中で食事を続ける気はないのか、多少残してはいるが、片付けを始めようとしている。

 とはいえ、一方的に詰め寄られてのこととはいえ、彼らのことに端を発した諍い(にしては別方向に噴火しているが)を前にして、臆面もなく撤退をしようとし、実際に口にする度胸はなかなかのものだろう。

 いや、あるいは騒動の発端であるがゆえにこの場を彼らが立ち去りさえすれば収まりがつくかと考えてのことかもしれないが。

 女の子の内の一人は勝手に喧嘩を始めた一科生に呆れたように冷たい眼差しを向けており、男子の方も同様だ。メガネをかけた女の子だけは少しだけおどおどとしているが、残る気はないだろう。

 呆気にとられたのは森崎たち一科生で、これは再び矛先をニ科生に向けかねないと雫やほのかが危惧を抱いたのも一瞬。

 

「おやおや、これは申し訳ない。特にお嬢さん方。食事とは心休まるのんびりとしたひとときであるべきなのに。そうだ! よければ今度はご一緒にランチをとるというのはいかがかな? 放課後のティータイムや、なんならディナーでも僕は一向に構わないけれどもね」

 

 ずいと森崎の前に身を乗り出してきたB組の彼が、森崎たちが暴発して罵詈雑言を吐き出そうとするのに先んじて口を開き、謝罪ついでになにやらニ科生の女子をナンパしようとしている。

 

 額を抑えていた明日香の顳顬に青筋が浮き出たように雫には見えた。

 ちなみに、残念ながら圭のナンパは冷たい視線を返されただけに終わったのであった…………

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 放課後――――

 

「風紀委員、ですか……」

 

 一校は生徒による自治・裁量権の比較的大きい高校であり、特に権限の大きい組織として3つの組織があげられる。すなわち七草真由美を会長とした生徒会、十文字克人を会頭とした部活連、そして渡辺摩利を委員長とした風紀委員。

 明日香と圭は十文字克人から呼び出しを受けて部活連本部へと出頭し、そこで説得を受けていた。

 

「そうだ。現職者の裁量で補充される生徒会と部活連とは異なり、風紀委員は教員、生徒会、部活連からの選任によって委員が補充される。部活連からはお前たち二人の内のどちらかを推薦したいと考えている」

 

 

 二人はお互いに視線を横に流して確認した。

 圭と明日香。風紀委員として適しているとすればおそらく明日香だろう。

 彼の能力は荒事向きで、性格的にも風紀を取り締まる側の人間だからだ。そして克人からの説明を聞く限り、彼が求めているのも明日香の風紀委員入りだろう。

 以前の事件で明日香の腕っぷしがたつこととおおよその性格は分かっているだろうから。

 だがそのような学校生活を送ることができなり理由が明日香にはあった。

 風紀を取り締まるということは自然、警邏などの任務を行うことになるのだろう。となれば放課後などに時間的な拘束を受けることとなる。

 

 それは困る。

 

 特に明日香にとって、高校生活を過ごすこと以上に大切なことがあるのだから。

 

「せっかくですが――」

「面白そうじゃないか、明日香。うん。是非受けるべきだよ」

 

 断りを入れようとした明日香に先んじて、大仰なそぶりの圭の言葉が被せられた。

 

「ほら、常々言っているだろう? 君はもう少し人と関わるべきだと」

「ケイ…………」

 

 薄っすらと微笑みを向ける圭に、明日香は苦虫を噛み潰した顔になった。

 果たすべき使命のある明日香が魔法科とはいえ高校へと通っているのは、それが圭や“彼”の願いだからだ。

 “異能”を身に宿し、人ならざる“彼”と同一となって、その使命にのみ准じる存在となるのではなく、この世界に生きる一人の人として在ってほしいという……。

 もっとも、魔法科高校を選んだのだってそれと関係があるといえばあるのだから使命第一なのには変わりはないが。

 

「だが“アレ”の探索をやめるわけにはいかない。これ以上時間をとられるわけには」

 

 それでも渋る様子を見せる明日香。その漏れ出た言葉に克人がピクリと反応を示した。

 

 ――――何かを探索している。

 それはこの数年で魔術師たる彼らが表舞台で活動を始めた理由だろうか。

 

「ふむ。よし! 分かりました。それじゃあ、それは僕が引き受けましょう」

「なっ!?」「む……?」

 

 追求するべきかと動こうとした克人だが、ぽんと手を打って提案を受け入れた圭に、少し意外だったのか克人は微かに眉を動かし、明日香は驚きを浮かべて圭を見た。

 

「君がやってどうするんだ!」

「まあまあ、案ずるより産むが易しというじゃないか。任せ給え明日香くん。僕は荒事は苦手ですけど、なぁに心配いりませんよ。これでも魔法と魔術なら明日香よりも僕の方が上ですから」

 

 対戦闘要員である明日香と違い、魔術師としては圭の方が優れている。もっといえば明日香の探知能力は特定のモノに関する場合を除いて高くない。そのため”アレ”の捜索には圭の力が必要不可欠なのだ。

 

 明日香はいつもの笑顔を浮かべている圭を見て眉を潜めた。

 彼の思惑がどういったところにあるのか。単純にいつものお節介で、明日香に人としての普通の生活を送らせたい一環なのか、それともここに関わりを深めることが、必要なことなのか。

 直感に優れていても未来を見通せるわけではない明日香には圭の思惑は分からない。

 

 ただ、こうなっては言っても聞きそうにないのはいつものことだし、そもそも口で彼に勝てるはずもない。

 仕方ないと、明日香はため息をついた。

 

「僕は君が、問題を起こさないかが心配だ」

「はっはっは! 何を言うんだい、明日香。僕は君の起こした問題を大きくしたことはあっても、自分から騒動を起こしたことはないよ。今日のお昼ご飯のときだって、ほら、首を突っ込んだのは明日香だろう?」

「君のおかげで高校生活二日目にしてクラスの男子の視線があれなんだが……」

 

 

 確かに、魔術師としては明日香よりも圭の方が数段どころか段違いに優れている……のだが、性格的にはなかなか歪んでいる。 

 今日の昼頃も元々は明日香が騒動に首を突っ込んだのがきっかけだがA組の何某と険悪化したのは圭が煽ったためと言えなくもない。

 幸いにも二科生の彼が冷静に応対してくれたおかげで物騒な展開にこそならなかったが、だからこそ明日香はクラスに戻ってから司波深雪の取り巻き男子連中に物騒な視線を受けることとなったとも言える。

 

「…………それは大丈夫なのか?」

 

 どちらかというと問題ごとに首を突っ込む明日香の性格こそ風紀委員向けと思えるので、騒動を大きくされるのは困りものだ。

 生徒会長の希望は、七草の妹を救出してくれた魔術師ということだから圭と明日香のどちらでも条件には合致している。

 

 もっとも、魔法師とはいえ高校生である生徒たちの自制心は、禁止されている差別用語が平然と呼称されている時点で推して知れる程度であるし、魔法師であるからこそもとより問題が物騒なものになりがちだ。

 そして取り締まる側の風紀委員が問題を大きくしてしまうというのは、往々にして見られる光景だということを考えると……ある意味適しているのかもしれなかった。

 

「ところで早速ですが、玄関口のあたりで揉めているようですけど」

「む?」「ん?」

 

 圭の言葉に克人と明日香が窓へと視線を向けて外を見た。

 今現在、玄関前でも何事か騒動が起こっているらしく、何やら騒がしい声が聞こえてきていた。

 ただ二人はおろか、圭の位置からも騒動の様子は見えないはずなのだが。

 

「ああ、生徒会長さんと風紀委員長さんのご登場とあれば、ふむ、よかったよかった」

「遠隔知覚魔法、いや、魔術か」

 

 生徒会長である七草真由美が得意とする魔法の一つにマルチスコープによる遠隔知覚魔法があるが、それと似たようなものなのだろう。魔法が発動しているようには見えないことから魔術によるものだとあたりをつけた克人に、圭は答えず微笑みだけを返した。

 図らずも、問題ごとを見つけることができるという風紀委員としての資質を示すことができたのであった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話

「何故お前がここにいる!」

 

 今年の首席入学である司波深雪、その兄である司波達也が風紀委員の本部へと踏み入れた際に彼を出迎えたのは同じ一年生の――もっともあちらにしてみれば同じとは言い難いだろうが――男子からの怒声だった。

 

「いや、それはいくらなんでも非常識だろう」

「あっはっは!」

 

 その横にいるこれまた同じ学年の男子がケラケラと腹を抱えて爆笑しているのを横目に達也は呆れ声でため息をついた。

 

 昨日、玄関口にて深雪や二科の友人とともに帰宅しようとした達也は、今現在怒声を上げた森崎をはじめとした一科生に遮られひと騒動起こしかけたのだった。

 風紀委員長や生徒会長にも目撃され、校則違反どころか法律違反すらも問われかねないところまで発展しかかった騒動は、しかし幸いにも達也が上手く取り成したことによって丸く収まった。

 ただし、一泡吹かせられた形になった(と森崎は思っているのだろう)プライドの高い一科生にとって、達也は苦々しい存在であると印象づいたことだろう。

 入室早々、理由も問わずに青筋浮かべて怒鳴り声を上げた森崎の態度が如実に示している。

 もっとも、達也がここにいるのは本人にとっては心ならずも上級生(それも副会長)と模擬戦をしてまで実力を証明した結果であって、生徒会から風紀委員に推薦された結果だ。

 ただでさえ面倒ごとの予感しかしない推薦結果だというのにいきなりこれではため息もつきたくなるだろう。

 

「なにぃ!!」 

 

 一方で森崎の方はそんな達也の態度を挑発ととったのだろう。今にもつかみかからんばかりの形相で詰め寄った。そして隣の少年――たしか食堂で森崎を挑発していた“魔術師”の彼はそれを止める気がないらしく、しかし達也に詰め寄る森崎の背後に立つ人物を見て、そそくさと退避していた。

 

「非常識なのはお前の方だ、司波!! 僕は教職員推薦枠で今日からこの風紀、いッ!!!」

 

 他の風紀委員の先輩方がいる前で森崎は背後に気づかずに達也に怒鳴り、その後頭部をスパーンとはたかれた。

 

「やかましいぞ、新入り!」

「ひっ、渡辺委員長!!?」

 

 ちゃっかりと退避した藤丸をよそに、背後に気づいていなかった森崎は振り返った真後ろに風紀委員長が立っているのを見て恐れおののいた。

 

「この集まりは風紀委員会の業務会議だ。ならこの場に風紀委員以外のやつがいる訳がないだろう」

「申し訳ありません!」

 

 昨日、玄関口での騒動の際に危うくしょっ引かれるところだったことを思えば、慄きも当然だろう。

 直立不動から頭を下げる森崎は、しかし横目で達也を睨みつけており、達也はため息をついた。

 

「はぁ……」

「いやぁ、初っ端から笑わせてもらったよ。え~と、たしかシヴァさんのお兄さんだったよね」

 

 入室時点からすでに風紀委員になってしまったことに疲れていそうな達也に、先ほどまで腹を抱えて笑っていた薄情者が、これ見よがしに目尻に涙を残したまま話しかけてきたのだから、あきれたものだろう。

 だが話しかけてきた人物が人物だけに、達也はそれに応じた。

 

「ああ。食堂であったな。司波達也だ」

「おや? 覚えていてくれたのかい。藤丸圭だ。気軽にケイとでも呼んでくれて構わないよ」

 

 すでに何人かの風紀委員を紹介されている達也だが、彼らは一科生二科生のことにあまり執着せずに実力があればいいといった態度であったが、圭はそれよりもさらに頓着のなさそうな態度で話しかけてきていた。

 それを見て森崎はまた忌々しそうな顔になっているが、さすがに先ほど叱責を受けたばかりで、本来は校則で禁止されている差別発言を、取り締まりの総本部でやらかすほど馬鹿ではなかったらしい。

 

 ニコニコ顔の同級生に、しかし達也はその笑顔がまるで違う価値観の生物を見るような目であることに気づいていた。

 なぜならば、この藤丸圭こそが魔法科高校における異端児。魔法の祖たる魔術を今に伝える魔術師(メイガス)なのだと、一般人ならざる彼は知っているから。

 

 

 

「全員揃ったな? そのままで聞いてくれ」

 

 達也の懸念や森崎の不満を他所に、メンバーが全員そろったころを確認した風紀委員長の渡辺摩利が一同を見回しながら会議をスタートした。

 

「今年もまたあのバカ騒ぎの一週間がやって来た。風紀委員会にとっては新年度最初の山場になる」

 

 このあたりは達也にとっては昨日聞いたばかりのことだ。

 この一校では部活動に対しても積極的な活動が行われており、魔法系競技、非魔法系競技問わずに多くの実績を残している。

 そして学校側もそれを推奨しているために毎年新入部員の勧誘は過激といってもいいほどに賑わしく行われる。

 

「この中には去年、調子にのって大騒ぎした者も、それを鎮めようとして更に騒ぎを大きくしてくれた者もいるが、今年こそは処分者を出さずとも済むよう、気を引き締めてあたってもらいたい。いいか、くれぐれも風紀委員が率先して騒ぎを起こすような真似はするなよ」

 

 通常の高校ならともかく、一校は魔法科高校だ。そのため勧誘時には魔法が飛び交う事態に発展することもある。本来は特に許可された時以外は魔法の使用も魔法演算補助具であるCADの携帯も認められていないが、部活動やそれに関連する成績をアップさせたい学校側は、この賑わしい勧誘行動を積極的には禁止していない。どころか入試成績上位者のリストが秘密裏に部活間で出回るなど推奨している節があるくらいで、デモンストレーションの必要もあることから勧誘期間中はCADの携行も許可されているのだ。

 そしてその毎年のバカ騒ぎでは、取り締まるはずの風紀委員が問題を大きくしてしまうという事態が往々にしてあるということも……。

 達也はちらりと藤丸圭を見た。

 食堂でのやりとりを見るに、森崎は問題ごとを起こすタイプだが藤丸圭は問題ごとを嬉々として大きくするタイプに思える。

 今も渡辺摩利の注意に対して心当たりのある上級生たちが目をそらしたのに対して藤丸は口笛でも吹きそうな、ワクワクとした感じを隠していない。

 もっとも、達也自身もまた騒動の種になるのだということは、今の本人が知るよしもない。

 

「今年は幸い、各部署からの推薦枠が充足した。紹介しよう。一Aの森崎駿と一Bの藤丸圭、そして一Eの司波達也だ。今日から早速、業務に携わってもらう」

 

 そんな不穏な新人に気づいているのかいないのか。摩利が新人三人を紹介した。

 

「役に立つんですか」

「ああ、心配するな。三人ともそれぞれお墨付きだ」

 

 生徒会副会長を模擬戦で倒した生徒会推薦枠の達也。早撃ち(クイックドロゥ)も森崎一門にして一科生で教職員推薦枠の森崎。部活連会頭の十文字克人推薦の藤丸。

 いずれも今の時点ではケチのつけるところはない……わけでもないが、お墨付きは確かだ。

 

「これより、最終打ち合わせを行う。巡回要領については前回まで打ち合わせのとおり。今更反対意見はないと思うが?」

 

 すでに毎年恒例のことで、新人の補充ができた時点で準備は整っているのだろう。打ち合わせといっても今更特に追加することもなく、確認程度にメンバーを見回した摩利。

 

「よろしい。では早速行動に移ってくれ。レコーダーを忘れるなよ。新入りの三人については私から説明する。他の者は出動!」

 

 

 

 

 

 風紀委員長の号令を受けて上級生の委員たちはそれぞれにCADを携行して巡回を開始し、新人の3人は彼女から簡単なレクチャーを受けた後に巡回へと出た。

 

「ところで先輩。これから私はどちらに連れて行かれるのでしょうか?」

 

 そしてその場で分かれた達也と森崎とは別に圭は風紀委員長に同行するように言われて連行されていた。

 

「真由美から連れてくるように言われていてな。生徒会室だ」

 

 風紀委員本部で分かれた達也と森崎は、風紀委員長のいる前では一応殊勝な態度をとっていたが、二人が離れた途端にまた森崎がなにやら達也に因縁をふっかけていたのを圭は見ていたし、あの大声では隣を歩く彼女も気づいているだろう。

 ただ一科生の無駄なプライドは斟酌するつもりがないのか呆れているのか、戻ることはなく連れ立って生徒会室へと向かっていた。

 

「なるほどなるほど。先輩との甘い逢瀬かと期待してしまいましたよ。いや残念残念」

 

 風紀委員の本部と生徒会室は業務で連携することも多い都合上なのか、直結しているのだがその短い道行きの合間ですら圭は上級生にしてこの学校の三巨頭の一人を呆れさせていた。

 向ける眼差しは白く、ピシッとした彼女の雰囲気と相まってなかなか鋭いものがあるのだが、圭はむしろ嬉しそうにも見えるくらいにニコニコ顔だ。

 

「君は随分と……いや、十文字から聞いていた話とだいぶ違うな」

 

 摩利が部活連会頭の十文字克人から聞いている情報によると、今年入ってくる魔術師(メイガス)の二人は、ある事件で彼や真由美の妹と出会ったことがあるらしく、率先して事件解決に協力して颯爽と真由美の妹を助け出した王子様かナイトかという人物像であった。

 だが軟派で愉快的な感じが漂っているこの新入生からは、残念ながらナイトや王子様という言葉は到底当てはまりそうにない。

 まして情報源はあの厳つい十文字克人なのだ。真由美の妹にしても王子様呼ばわりしているところからは夢見がちな感じがしないでもないが、それでも十師族の一員なのだ。世間知らずのお馬鹿さんなどでないのは知っている。

 

「ああ、それはたぶん明日香のことですね。ひょっとしてその真由美先輩が会いたいのも明日香の方では?」

「………… 一応、十文字から推薦のあった魔術師(メイガス)を連れてこいという話だ」

「それはなんともご愁傷様です」

 

 きっとそうなのだろう。

 入学式の日に十文字と話している二人の姿を思い出して、摩利は心中で一応真由美に謝っておいた。

 オーダーは叶えている。ただしそれが希望どおりでなかっただけのことだ。

 それとは別に、摩利としても魔術師(メイガス)というのは興味深い。

 彼女がその身に修めている魔法の祖たる魔術の継承者。

 転換期以降、長らく表舞台から姿を消してはいても、魔術師(メイガス)という存在にはある種神秘的な感じがある。

 どんな魔法を使うのか。どんな人物なのか。何を考えて表舞台に現れたのか。

 それらは政治的な思惑とはやや距離を置いている摩利にとっても心惹かれる関心の的であり、十師族の真由美や十文字、そして学校側にとってみればなおさらだろう。

 彼らをなるべく深く身内に囲うというのは学校側の思惑とも合致するところがある。

 二人一緒にさせておくよりも、二人をバラバラにさせておいた方が取り込みやすいという思惑と十文字克人が彼らと知り合いだから推薦枠を部活連のものとして使ったが、それがなければ教職員枠は森崎ではなく彼らの内のどちらかだったかもしれない。

 この軽薄な新人と一科二科の対立を無駄に煽りまくっているプライド高い新人のことを思えば、むしろ教職員枠でもう一人のやつを推薦しておいてくれればよかったのにと思わなくもない。

 

「ここが生徒会室だ。―――入るぞ、真由美」

 

 観察する間もなく白い目を向けている間に二人は生徒会室へと到着し、摩利はこの後友人がするだろうガックリ感を思って少しだけ悪いと思いつつ、ノックをして入室をうかがった。

 すぐに扉の向こうか入室を促す声が返ってきて、圭は生徒会室へと足を踏み入れた。

 

「いらっしゃい。ようこそ生徒会室へ。遠慮せずに入っていいわよ」

 

 奥から声をかけてきたのは生徒会長モードで猫を被った状態の七草真由美。

 

「連れてきたぞ、こいつがうちの新入りの一人――――藤丸だ」

 

 そしてそれ以外の生徒会役員は学内の巡回に出ているのか会計の三年生、市原鈴音のみがいた。

 

「私とは初めましてよね、藤丸 圭君。二年前は妹がお世話になったわ。父に代わって改めてお礼申し上げます。当校の生徒会長長、七草真由美よ」

 

 小悪魔的な魅了をもたらすかのごとき微笑み。それは今年の総代である深雪が入学するまで、この学校の男子の多くを魅了してきた当校きっての美女の微笑みで、たとえば生徒会副会長である服部がいたりすればクラリときた後で猛烈な顔で睨みつけていたことだろう。

 

「いや〜、どうもどうも。一昨日ぶりですね、七草生徒会長」

 

 その魔法ならざる魅了ある美女の微笑みに、女の子好きな態度を隠そうともしていなかった圭はしかし変わらぬ笑顔を貼り付けたように対応していた。

 だがそれよりも真由美が気になるのは、彼の挨拶。

 

「あら? 会うのは初めてだと思うのだけど……」

 

 彼と真由美とは今日が初対面。事件の後に対応したのは十文字家と七草家の当主が中心で、当時まだ魔法科高校に入学したばかりであった真由美は事件には関われていなかった。

 一昨日も確かに真由美はマルチスコープのスキルを使って彼と獅子刧明日香を観察していたけれど、式の忙しさやその後の生徒会としてのやることの多さから今日まで気になる彼らと話しはできていなかったはずなのに。

 

「いえいえ。入学式の最中にも熱い視線をくれていたじゃありませんか。まあ、直接の視線ではありませんでしたし、少しばかり視点が横にずれていたりした気もしますけど、貴女のお美しさの前では些細なこと。真由美嬢ほどの美女のお顔を忘れるなんてとんでもない。だからこそ、今日は会長の至宝の如き瞳を直に拝見することができて喜ばしい限りです」

 

 真由美のマルチスコープのスキルは、実体物を多面的に視ることのできる知覚系魔法であり、実際の視線を向けていなくとも、あるいは障害物の向こう側でも見ることができ、隠密性には優れている。アクティブスキルであるためあるいは魔法を発動していることは分かるだろう。だが発動していることが分かったとしても、どこを見ているかなど分かり様ハズもない。

 軟派な言葉に紛れ込んでいる意味に真由美はゾッとさせられた。

 彼は真由美がマルチスコープを使って彼の隣に座っていた人物を注視していたことを認識していたのであり、先程の言葉は「貴女の監視程度お見通しだ」と言っているのだから。

 

「なかなか性格が悪いわね。藤丸君?」

 

 これが魔法の祖たる魔術師の系譜。

 真由美は口元を引きつらせながらも、微笑み返した。

 

「おや? そんなこともありませんよ。これでも私は紳士で通しているつもりですから」

「紳士が会ってすぐの上級生に色目をつかうのか……」

 

 摩利は彼の異能に気づいているのかいないのか。彼のこの伊達男じみた態度の被害には既にあっているようだということは分かった。

 

「それは勿論。美しい花は愛で、美しいと褒め称えるもの、でなければ美しく咲く(女性)に対して失礼でしょう?」

「なぜ十文字はコイツを推薦したんだ……」

 

 いけしゃあしゃあと宣う新入生の歯の浮くようなセリフに摩利は深々とため息をついた。

 真由美もため息をついた。

 教職員枠の森崎もなかなかの問題児だが、こいつはこいつで頭の痛くなりそうな1年生だ。

 

「明日香にはやる事がありましてね。僕としては、愉しい学校生活を彼も送ってくれることを期待しているのですがね」

 

 ただ、そう言って微笑む藤丸圭は親友のことを本当に案じているようにも見えた。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 生徒会室を後にした藤丸は鼻歌でも歌いそうな足取りで校内を巡回していた。

 新入生の争奪戦たる部活動勧誘の期間は本来は禁止されているCADの携行が許されていることもあってそこかしこで魔法が発動しているし、新入生の取り合いや勧誘場所の取り合い、デモンストレーションのための時間のぶつかり合いなどで様々な騒動が起こる。

 普通に人の多い場所を巡回していれば、多かれ少なかれ騒動を目にすることにはなる。

 のんびりと歩いている圭が露骨にサボって人気のいないところを巡回しているかというと、そんなことはない。

 

「おや? あれは……」

 

 巡回するルートを考えていた圭の目が捉えたのは、同じく風紀委員となったはずの同級生――――司波達也だった。

 (森崎)と共に先に巡回に出ているはずの達也だが、今の彼は巡回をしているようには見えなかった。

 なにせ赤髪の美少女の手を引いて人気のない方に走っていっている姿だ。

 

「ふむ……」

 

 校舎の向こう側の死角になる部分に飛び込むように消えた二人を見て、圭は少し考え、胸元のレコーダーを確認して、愉しそうな方へと足を進めた。

 

 

 

 ――――藤丸には先祖から伝えられた使命がある。

 今の魔法師には伝わっていない魔術師としての使命――「 」への到達、ではない。

 元より藤丸という系譜は魔術師としてなら極めて浅い歴史の一族なのだ。だが人理に対して極めて重大な使命と知られざる功績を持つ一族。

 明日香の獅子刧というのも数代前に枝分かれしたに過ぎない分家というよりも親戚で、だからこそ明日香にも、使命を果たす力が宿った。

 だが、だからといって先祖も、その宿った者も、圭も、彼ら自身の人生を全て捨ててまで果たすことを望んだわけではない。明日香はなまじ適応しすぎてしまったために、彼の王の人を捨てた部分に影響されかけているが、圭はもっと愉しめばいいのにと考えている。

 人との関わりを。

 この瞬間にしか得られないものを。

 いわゆる青春の謳歌を。

 それは圭の楽天的で享楽的な性格から来ている、のではない。もはやこの世界、この時代は、一つの特異点《正史から外れた歴史》となりつつある。そしてその歪みの極点に至る場とでもいうのがこの魔法科高校を中心とした学校生活なのだ。

 ならばあれこれ街中を探して闇雲に走り回るより、学校生活を存分に謳歌した方がいいというものだ。――――

 

 そんなこんなで圭は面白いことになっていそうな人物の後をつけてみると、そこには期待していたものよりも、進んだ状態になっていた。

 

 

 ――おおっと、これは……――

 

 予想以上に愉しそうな事態に圭はニンマリとして声を抑えた。

 

 二人は既に立ち止まっていた。

 鍛えてあるからか、それとも大した距離を走ったわけではないからか、どちらも息を乱してはいなかった。

 

「エリカ。…………」

 

 先を行く達也が後をつける者に気づいたのか、それとも単に手を引く少女を気遣おうとしたのか、足を止めて後ろを振り向こうとした。

 振り向いた拍子に後を歩いてきた圭と視線があって、それよりも目の前の光景に視線が吸い寄せられた。

 

「っ、見るな!」

 

 何かを口にするよりも早く、少女のほうに視線を奪われそうになった達也に放たれた鋭い静止。

 後方の圭に気づいたわけではないだろう。あるいは普段であれば気配で気づいたかもしれないが、今の彼女には色々余裕がなかった。

 

 髪は酷く乱れており、緑色のブレザーは片側に大きくズレ、手には彼女自身の胸元を締めている筈のネクタイが握りしめられている。

 当然、ネクタイの抜き取られた制服の胸元ははだけるとまではいかずとも大胆なほどに開かれており、少女の方はなんとか抑えようと苦心していた。

 敢えて見たままの状況に推測を付け加えるとするならば彼女は何らかの軽い乱暴を受けてああも羞恥的な格好になっているように見える。

 

 そしてその姿を拝もうとした達也を静止した鋭い声。これで双方合意のもとでこの状況に陥ったという線は薄くなったようだ。

 

 

 

 ――よりにもよって、こんな時に……――

 

「達也くん。見た?」

 

 現実逃避的に、先程振り向きかけた際に見えた人物のことを考えていた達也だが、エリカからの恥じらいを含んだ声にモラトリアムが過ぎ去ったことを感じ取った。

 第三者にこの状況を見られていることを彼女に伝えるべきかどうかともの考えたが、今詰問されているこの状況でそれを切り出しても事態の解決にはならないだろう。

 そもそも平時のエリカであれば気づいていただろう存在に気づいていなさそうなことから、今の彼女が平常心ではないと分かる。

 

「見・た?」

 

 二度目の問いかけは先程よりも危険なシグナル。

 そして少女の身繕いは終わったことを察した達也は、危険な予兆を感じ取って、しぶしぶといった様子で再びエリカに振り向いた。

 離れたところにいる圭と視線があった。

 ひらひらと手を振りながら浮かべているのは微笑ましいものを見る(殴りたくなる)ような笑顔。

 幸いにも、エリカの方に視線を戻すと、彼女は乱れた着衣をきちんと整え直しており――つまりは断罪の準備はばっちりというわけだ。

 

「見えた。すまない」

 

 おとなしく謝罪をした達也。この件に関して、エリカの着衣が乱れたのは達也のせい、とは少しばかり言い難いのだが……。

 部活動勧誘を行う者たちの中でも、特に非魔法競技系の部活動にとって、エリカという陽性の美少女の存在は格好のマスコットのように映ったらしい。あるいは彼女という美少女とお近づきになるチャンスとも。男女問わずに勧誘員から誘われ、ベタベタとまとわりついてくるのは女子部員であったが、あまりの纏わりつき方にエリカが悲鳴をあげ、放置していた達也が強引に連れ出したのは少し経ってから。

 その結果、連れ出されたエリカは暑かったからという理由で制服の第一ボタンを外してネクタイを緩めていたせいもあって、見事に扇情的な格好に乱れてしまったわけだ。

 つまり、先程振り向いた際に正面の達也からはエリカのベージュのブラの際が見えてしまったわけで、そうするとやはり達也にも責任はあるだろう。

 

「ばかっ!」

 

 顔を真っ赤にしたエリカは怒声とともに達也の脛を蹴り飛ばし、クルリと背を向け――――――――圭の姿に気がついた。

 

 ふりふりと手を振ってくる一科生の風紀委員。それも食堂でなにやら軟派めいたことをほざいていた優男との遭遇。

 

「やあやあ、達也君とそのお友達だったね。偶然とはいえ逢い引きに立ち会うような形になってしまったのは、うん、双方にとって不幸(僕にとっては愉快)な出来事だったね」

 

 圭の立ち位置と距離からではエリカの下着や胸元までは見えなかっただろうが、やりとりを邪推するには十分すぎる情報を与えてしまっていた。

 

「なっ、逢い引き⁉ ちがっ!」

「それじゃあ任務に勤勉な風紀委員の僕は巡回に戻るけど、達也君はゆっくりしてくれたまえ」

 

 はぁ、と重い溜息をついた達也。エリカは圭のセリフに不穏なものを感じて顔を真赤にしており、その間に圭はゆうゆうと背を向けた。

 

「ああそうだ。生徒会の人たちも巡回に出ているようだから、万が一にもシヴァさんとは鉢合わせしない方がいいかと思うんだけど、どうだろうか?」

「なっ! ちょっと待て、藤丸」

 

 ついでに付け加えられた言葉に達也も一緒になってしばし、碌でなしの風紀委員を追いかけるハメになったのであった。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 魔法科高校から距離をおいた某所にて

 

「なるほど司波達也。……高い魔法力や高価で稀少なアンティナイトなしに魔法を無効化する技術を有しているとなると、これほど我々の計画に都合のいい人物はいない」

 

 魔法科高校の生徒の一人が、怪しげな人物へとその日得られた情報をもたらしていた。

 それは今日実際にあった不可解な事象。

 魔法力に優れるはずの一科生が魔法力に劣る二科生によって魔法を封じられ、地面に叩きつけられるという“事件”があったことについてだ。

 情報を伝えているのは胸元に八枚花のない――ウィードの三年生。

 

「決定的な証拠をつかむためには、キミ自身が仕掛けるしかないようだね……頼めるか?」

「はい」

 

 伝える者も受けている者も、今の時代には珍しい眼鏡をかけている。

 学生である方はともかく、情報を受けている方は仕草や白い衣服の佇まいもあってなにやら胡散臭い印象を受ける。だが伝える学生の方は彼のことを心底信頼しているかのようで、自身で後輩を襲撃しろという提案じみた命令に諾として従っている。

 

 彼の名前は司甲。剣道部の三年生主将であり、胸元にない八枚花弁が示すとおり二科生だ。

 情報を受けているのは彼の義理の兄である司一。

 反魔法活動を行っている政治結社“ブランシュ”の日本支部リーダーを任されている男だ。そして――――

 

「今のが義弟さんですか?」

 

 義弟の去った後、暗がりから悪魔が声を発するかのように問いかけてきた声があった。

 司一はその唐突さにビクッと驚き、それを隠すために眼鏡を手で押しやって誤魔化した。

 

「ああ。例の二科生の風紀委員に関する情報だ」

 

 “これ”はブランシュの、さらに上の上の、彼では話すことのできないほどに上の方から与えられた“使い魔”だ。

 恐れることはない。どれほど悪魔じみた存在であっても、所詮は“使い魔”なのだ。

 

「なるほどなるほど。くふふふふ。なかなかおもしろそうな情報ですよねぇ。でもでも、うふふふ、くはははは、はっはっはっは、っげほげほ」

 

 嗤いすぎて噎せている。それほどおかしな話をしていたわけではないはずなのに、なにがそれほどツボに嵌ったというのか。

 そもそも格好からして巫山戯て見えるこの“使い魔”の態度と、そんな“使い魔”に驚かされたことに司一は腹立たしくなって奥歯を軋ませた。

 

「魔法による評価を考慮しない魔法社会ですか。なんてツマラナイ。そんなもので本当に操られてしまうものなのですか?」

 

 “使い魔”の疑問はブランシュが掲げているお題目。その裏の目的を隠した表向きのもので、義弟のような愚か者を引き込むための綺麗事だ。

 

「無論だとも。人間ではないキミには分からないかもしれないがね。人間とは脆いものだ。魔法など所詮は一つの才能。だが持たざる者は持つ者に嫉妬する。持つ者であってもそれが劣った才であれば劣っているという事実から目を背けたくなる。人とは他者の足を引っ張りたくて仕方のない者なのさ。そして持っている者は他者を見下したくなる。だからこそ我々が付け入る隙が生じるのだよ」

 

 饒舌になったのは自身の立場を思い出して一層奮起したからか。

 ペラペラと語る彼の姿に“使い魔”はピエロのような笑顔を向けていた。

 

「ケヒヒヒ。ですがそうでない者もいるのでしょう? 愉しみですねぇ。そういう人が現れてくれるのが」

 

 彼は現在、この司一に仕えている“使い魔”だ。彼はそういう存在であり、生まれついての“使い魔”なのだ。

 “魔術”的な契約こそなされていないし、魔力の供給などはないが、そういう契約だ。

 だが彼にとって他者とは自身を愉快にさせてくれる面白おかしい人物のことだ。

 その意味でこの司一という男は十分にマスターだ。逆に彼の義弟のような安易に騙され流され、利用されてしまう存在というのは面白くない。

 

 彼にとって最高に愉快なこと――それは“使い魔”によって裏切られ、絶望に叩き込まれたマスターが破滅するときの姿なのだから。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話

一部の人物名で漢字が変更されていますが、誤字ではありません。陽の目を見ることがあるかはわかりませんが一応理由はあります。
温かい目で見ていただけると幸いです。




 今年度の新入生が魔法科高校への入学を果たした輝かしい(?)一週目はなんとかことなきを得て終わった。

 勿論、それは大事故がなかったということではあり、真実何事もなかったわけではない。

 例えば部活動勧誘は相変わらず過激で、初日から風紀委員による逮捕者が続出した。最も重大なものでは、剣道部と剣術部の諍いに端を発した騒動で、剣術部(魔法を用いた剣技を主体とした魔法系競技)の2年生エースが骨折した上で危険魔法使用の現行犯で風紀委員の某1年生に取り押さえられ、逆上した他の剣術部部員がその風紀委員に襲いかかるという事態があった。

 あるいは卒業した某部活動のOGが新入生の中でもトップクラスに優秀な少女2名を拉致まがいに勧誘して風紀委員長とデットヒートレースを繰り広げたりといったこともあった。

 

 ともあれ部活動勧誘週間中は、まだ新入生の慣らし期間も兼ねているらしく授業も本格的な実技などはなく、雫たちは勧誘の激しさに苦慮しながらも学校生活に慣れ始めていた。

 クラスには同世代で彼女やほのかを上回る魔法力を持つ初めての友人(深雪)がいて、なかなかに強引な勧誘がきっかけだったとはいえ遣り甲斐のある部活――SSボード・バイアスロン部への入部も決めた。

 そして他のクラスの友人もできた。深雪とその兄である達也との繋がりから2科生の柴田美月や千葉エリカ、西条レオンハルト。ほかにもBクラスの明智英美――エイミィなどとはかなり親しくなれた。

 特にエイミィとはとある目的のために最近放課後に一緒に行動することが多かった。

 

 そして放課後―――

 

「やっぱり私たちだけじゃ無理だったのかなあ」

 

 帰り道。魔法科高校の門を出るまでの途上で雫はほのかとエイミィとともにがっかりとした会話をしていた。

 反省会の内容は彼女たちが結成した少女探偵団としての残念な結果についてだ。

 

「でも卑怯なことがあったのは事実だし」

「襲った相手からなーんか嫌な感じがしたからそのまんまにはしたくないんだよね」

 

 彼女たち三人はこの数日、部活動勧誘に紛れて行われているとある行動について調査していた。すなわち風紀委員、司波達也に対する暴行未遂行為についての証拠集めだ。

 部活動勧誘週間が始まって早々、なかなかに強引な勧誘をOGから受けた雫とほのかはSSボード部への入部を決めた。同じく狩猟部へと入部を決めていたB組の明智英美(エイミィ・ゴールディ)とも知り合い、平穏ではないもののそれなりに充実した学校生活をスタートさせていたのだが、少々ならず見過ごせない事態を目撃してしまったのがきっかけ。

 ほのかの愛慕する深雪の兄である達也。

 二科生でありながら風紀委員となった彼は、活動初日から二年生でもトップクラスの剣術部のエースを倒したり、並み居る一科生たちを圧倒したりと大活躍をみせた。

 例年であれば、風紀を取り締まる職務の風紀委員は腕っ節に優れている必要があることから一科生のみが努めていた。つまり一科生が一科生を、もしくは二科生を取り締まる権限を持っていたのに対して、二科生が一科生を取り締まる権限を持っていなかった。勿論必要であれば一科生の風紀委員も一科生を取り締まっていたのだが、変に差別意識を有しているとそれは一方的に二科生が冷遇されているとも、一科生としての特権としても見ることができた。

 つまり二科生でありながら風紀委員に任じられ、力でもって一科生を圧倒することのできる達也は変な選民意識の根付いた一科生にとって明確に目障りだったのだ。

 結果、達也は職務中に魔法の暴発に見せた意図的な流れ弾を向けられまくった。

 雫やほのかが目撃したのは、そんな“不幸な”流れ弾を達也が事も無げに躱している場面だった。

 すぐに事情を察することができ、回避の様子からも達也がとても強いということはわかったのだが、万一でも達也が傷つくことがあれば深雪が悲しむということで、ほのかが心配し、エイミィが提案する形で始めたのが少女探偵団もどき。

 すなわち達也が意図的に職務を妨害されて魔法攻撃を受けている証拠を確保して生徒会ないし風紀委員会に通報するというものだった。

 そしてなんとか襲撃者の写真をとることに成功し、公益通報窓口を通じて匿名で連絡をすることができた。

 ただ問題はその結果があまり芳しくなかったようで、表立ってなんらかの処置が施されたように見えないこと。そして件の襲撃者が一科生でなく二科生であることや、写真そのものがあまり証拠としての有用性確かなものではなかったことに今更ながらに気がついてしまったのであった。

 魔法は写真には写らないし、撮った写真も魔法発動の瞬間ではなく襲撃後に達也から逃走していたときのもの。

 そんな写真を襲撃の証拠写真ですと匿名で提示されても、生徒会も風紀委員も動きようがあるまい。せいぜい襲撃犯の存在が確かになるくらいだが、それとて風紀委員の達也本人が襲撃されているのだから意味がない。かくして何をやっているんだかと自虐したところがほのかの冒頭の台詞だ。

 

「あっ!」

「えっ、何?」

 

 三人揃って、特にやる気に溢れていたほのかとエイミィがうなだれていたところ、不意に英美が声を上げ、つられてほのかも顔を上げた。

 

「あそこほら。剣道部の主将だよ」

 

 エイミィが見つけたのはほのかたちが目的した達也襲撃犯。非魔法系競技である剣道部の主将、司甲。彼女たちが達也に張り込みを行い目撃した顔から調べた結果得られた情報だった。

 

「あれ? でも今日剣道部は休みじゃないって教室で聞いたけど……」

「そうなの!?」

 

 この情報を得るためにほのかと雫は深雪に部活のかけもちを検討しているというデマを伝えるハメになってしまった。その甲斐あってこうして怪しげな犯人を突き止めるところまではできたわけだが……

 

「あやしい! なんかピンときた! ……ちょっとつけてみようか?」

 

 探偵気分にノリノリなエイミィからの尾行の提案。

 たしかに、二科生にも関わらず二科生の風紀委員である達也を襲撃している理由も不可解だし、部活のある日に主将ともなっている人が帰宅しているというのも何らかのコトを推測させられる。

 

「そう、だね。……気になるし」

 

 ほのかも同意を示した。彼女は控えめな性格をしているが、もとより達也の身を案じており、そういう時の彼女はなかなかに前のめりになることを幼馴染の雫は知っていた。

 

「わたしも異存はないよ」

 

 少し考えた雫も同様の意見を示した。

 本音を言えば、少しだけ不安はあった。けれども彼女もこの事件がどういう風に決着をつけられるのかは気になっていたから。

 

「じゃあ……」

 

 エイミィの言葉とともに少女探偵団の活動が再び幕を開いた。

 

 彼女たちは過信していた。

 一科生二科生の差別意識には染まっていないつもりで、けれども一科生として選ばれているという自負がたしかにあった。

 ほのかは雫とともに地元では匹敵する魔法師がおらず、深雪という強大な魔法力の持ち主を初めて見たばかりで、その彼女と同じクラスということは彼女の自負へとつながっていたから。

 エイミィとて同じ。彼女はとある外国の魔法師の名家の血統であり、人には言えないが秘奥をその身に宿していた。だからいよいよ土壇場となればなんとかなる自負があった。

 

 不安はあれども、そんな優秀な三人が揃っていれば、なんとかなる。そう楽観する過信が彼女たちにはあったのだった…………

 

 

 

 

 ――――――そんな彼女たちの様子を、校舎の窓から見下ろしている者がいた。

 

「ふ〜ん……」

 

 いつものように稚気をたたえた笑みを浮かべる藤丸圭だが、その瞳にはいつもは巧妙に隠している冷酷さにも似た酷薄な色が見えていた。

 見ている景色の中では、この学校での知り合いとなった雫とほのかが、彼と同じクラスの赤毛の少女とともにコソコソと動き始めている。

 その動き方はわかりやすく、視線を避けようという意図が見えており、おそらく前を行く眼鏡の男子生徒を尾行しているのだろう。

 男子生徒の方に見覚えはない。それに学校の外に行こうとしているということは、風紀委員としての任務の範疇からは外れる。

 

 だが、なんとなくの直感が圭にピリッとした何かを知らせていた。

 

 それが何かを知ろうとしても、この件に関して十分な情報が集まっていないからか“視”えてくるものはない。圭のそれは明日香の“直感”とは異なり、縁もゆかりもないところから未来を啓示されるものではない。

 考えても出てこないものは出てこない。切り替えようと顔を上げた圭は歩いてくる深雪を見つけて、口を開いた。

 

「やあ、シヴァさん。どこかに買い物でも行くのかい?」

 

 相変わらず不気味なほどに整った容姿だ。

 

「ええ。生徒会で発注ミスをしてしまって」

 

 男女の性別を別にすれば明日香もかなり整った容姿をしているし、七草会長や雫にほのか、優秀な魔法師たちも概して美貌の持ち主ではあるが、彼女のそれは異質なほどだ。

 圭は女の子が好きだが、それは基本的にいじり甲斐のある子が好きなのだ。この極めて異質な美貌の少女は下手に弄るとなかなかに恐ろしい事態に直結しそうなため、やや距離を置いている。

 ならば今声をかけたのはなぜかというと……思わず、というのが本音だ。

 

「そういえばシヴァさんはどこかの部活には入らないのかい? 雫やほのかは、SSボード部という部に入ったようだけど」

 

 圭の異能には情報収集が欠かせない。それは意識的に行う場合もあるが、大部分が無意識的に行われる。たまに無意識的に質問をしてしまうのも圭の癖で、だから普段から突拍子もない素振りを見せるようにしておいている。

 

「ええ。部活の掛け持ちも考えていると言っていたわ。私は今は生徒会で手いっぱいね」

 

 それがどこのピースに当てはまったのかは分からない。だが返された答えを聞いた瞬間、圭の眼にはここではないどこか、今ではない時間の光景がよぎっていた。

 

 ――――路地裏で

   対峙する氷の魔法師と ■■■■■――――

 ――――魔法は通じず、足元に倒れる3人の少女たち

   周囲を覆わんばかりに迫る■■を遮るための障壁を張ろうと腕を伸ばした深雪は、次の瞬間その腕を―――

 

「ッッ。な~るほど……」

「なにか?」

 

 なかなか鮮烈によぎった映像に、思わず片目を閉じてしまった圭。少しばかりおかしなリアクションをとっていたようで、深雪が小首を傾げて不思議そうに見ていた。

 

「いや、気をつけて行ってくるといいよ、うん。お兄さんと一緒に帰るなら寄り道はしないほうがいいね。特に路地裏にはね」

「? ええ」

 

 結局彼は、“視”た光景については触れずに深雪を送り出した。

 

 

 

 

「…………ふむ」

 

 止めはしなかった。

 圭が“視”た光景は現実のものではなく、確定した未来のものではない。彼女をしばらく足止めすれば恐らくあの光景は変わるだろうが、その場合足元に転がっていた知人の少女たち三人の未来はほぼ確定してしまうだろう。

 魔法も通じず、何もできず、■■■■■のなすがままとなる。

 あの■■■■■が何者かも分からないまま。

 幸いにも、圭には■■■■■の正体に心当たりがあり、あれこそが彼と明日香が探しているものの一つだと知ってはいる。ただし心当たりがあるからといって彼にどうこうできる相手でないこともよく知っている。

 故に圭は、おそらく街中で当て所なく探索活動を行っている相棒に知らせるべくコールした。

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 怪しさにピンときた司甲を尾行しているほのか達は、今のところ順調に彼の後をつけていた。

 

「何処まで行くんだろうね。そろそろ学校の監視システムの外に出るよ」

「そうだね……」

 

 もちろん彼女たちに尾行術の心得はないが、尾行対象の相手は特別、追跡者に気づいた素振りを見せておらず、そのことが彼女たちに尾行の成功を錯覚させていた。

 魔法科高校はその特性上魔法の検知システムがとりわけ強固であり、街中は街中で魔法の検知システムがあるが独立している。

 そして彼女たちは学校の監視システムの検知外、すなわち学校という一種治外法権の区画であり彼女たち自身を守るゆりかごでもある場から出ていた。

 

「家がこっちの方角なのかな?」

「いや……朝はキャビネットで登校してるのを見たから違うはずなんだよね」

 

 エイミィはどうやら相手の顔を知って以降、それとなく動向に目を配っていたらしく、登下校の方法まで知ることができた。

 だがだとすれば、家の方向とは別の方向に向かって歩いている今の目的は何なのか。これが襲撃グループの密会なり怪しげな企みの現場であれば尾行は大成功なのだが……。

 相手が日常的にとるはずとは異なる行動を行っているという情報を得ているのも、彼女たちの探偵気分を深めている一因だろう。

 

「なんか……ちょっとだけ不安かも」

 

 ほのかの漏らした不安。それは三人共に共通であった。

 漠然としたものではっきりと何かに恐怖しているわけでも、起こりうる未来を感じ取ったわけでもない。

 ただなんとなく、大きさの見えないこの事態が、二科生の風紀委員に対する単なる嫌がらせを超えた所にまで発展しそうな予感はあった。

 その予感は、ドキドキとした不安とワクワクとした期待とをもたらしており、追跡しているという高揚感は彼女たちから俯瞰的な視点を奪っていた。

 ゆえにそれに気づいたときには、すでに後手に回っているものだ。

 

「……どんどん人気のない方に向かってる」

 

 尾行に夢中になりすぎていることに遅まきながらも雫は気がついた。

 どこかに誘導されているのか、あるいは本当に何らかの陰謀めいた企みがあるからこそなのか。探偵ならざる彼女らにその判断をするのは難しい。

 言われて気づいたほのかやエイミィが大通りを振り返れば、入り込んだ路地裏は既に深く、大通りの賑やかさは遠くなっており、通りの喧噪が聞こえないほどの距離にあることを思い出して不安感が増した。

 このまま追跡を続行するかどうか。

 もしも何らかの企みに彼が加担しており、人気のない方向に向かっているのはアジト的な場所に向かっているとすればこの尾行は大成功だ。

 一方で、もしもすでにこの尾行が気づかれているのだとしたら、これはもしかすると誘導かもしれない……。

 

「待って。何か話してる?」

 

 尾行を続けるべきか、戻るべきか。逡巡したタイミングで、対象の司甲は足を止めた。

 周囲には人は見当たらないが彼の横顔では口元が動いており、何かに話しかけているように見える。

 音とは空気の振動で鼓膜を震わせる現象であるのだから、魔法ならばテレパシーのように言葉を届ける魔法も確かにある。あるいはそういった類の魔法で通話を行っているのか。 

 エイミィの言葉に、三人の判断はますます狂わされる。

 気づかれないように尾行しているために当然、会話の声は聞こえない。集音の魔法でも使っていれば別であったかもしれないが、人をつけることに不慣れな三人が思いつきはしなかった。

 そしてだからこそ、戻るという選択肢が頭から消え、対象の動きに合わせて足を止めてしまった。それは貴重な貴重な時間を逸するということであり―――――突如として対象が走った。

 

「気づかれた!?」

「わかんないけど、とにかく追うよ!」

 

 だっと、いきなり走りだしたことで尾行がバレていたことを悟る三人。

 だが同時に彼女らは今の今まで尾行者であり追跡者であったため、逃げ出した相手を追わなければという観念が咄嗟に思考を占めた。

 驚愕しているほのかを叱咤するようにエイミィが駆け出し、雫も後に続こうとした。

 相手は上級生とはいえ二科生という油断もあったのかもしれない。

 追いかけようと、追い詰めようとした三人の足元の影が不意に揺らいだ。

 

「ッ! 二人とも下!」

 

 それに真っ先に気が付いたのは雫だった。

 

「えっ?」「っっ!」

 

 だが追跡のために前だけを見ていたほのかやエイミィは反応が遅れた。突然の声に呆気にとられ、あろうことかその場で足を止めてしまった。

 その足元にある影が不気味に蠢き、まるで泥の中から這い出るかのように二次元的な影が立体感を帯びていく。

 

「げぎゃぎゃぎゃぎゃ!!!!」

 

 沸き起こるは異形。赤色の骨で形作られた骨人形があるのかも分からない発声器官から耳障りな声を発する。

 

「ひっ!」「な、なによコレ!!?」

 

 青ざめるほのかに戸惑うエイミィ。その中で雫の反応は早かった。

 

 ――骸骨!!? ッ、吹き飛ばす!――

 

 2年前に誘拐された経験から、理解できない危険事態への心構えが僅かなりとも備わっていたからだろう。

 襲われているという事実を認識するや、雫は反射的に左腕を胸元に引き上げるとともに、腕につけてある腕輪型のCADを起動。複雑な魔法式ではなく、まず速さを優先して、次にありったけの威力を込めて異形の骨人形に叩きつけた。

 速さ重視の単一系移動魔法。ただただ吹き飛ばすということのみを優先した魔法。

 

「きゃあああ!!!」

「ほのか! エイミィ! ッッ!」

 

 だがその反応ができたのは雫一人だけであった。

 見た目からして悍ましさと不可解を沸き起こらせる骨人形を前に、ほのかもエイミィも為す術なく腕を捕まれ地面に引き倒されていた。

 そして雫も、精緻な魔法式を構築するゆとりがなかったとはいえ、速さ重視の単一系魔法で、それゆえに加減なしに打ち込んだにも関わらず、骨人形はその骨の一つも損傷していなかった。 

 衝撃に一度バラバラになりはしたものの、まるでヒトガタの形を骨自体が覚えているかのように自動的に組み上がり立ち上がったのだ。

 

 ――ダメージがない!? 魔法が、効いてないッ!――

 

「なら!」

 

 ただ、相対するための体勢を整えるだけの時間はなんとか稼ぐことができた雫は、今度は先程よりも強力な魔法を放つべくCADに指を滑らせ、サイオンを注入し――――しかし魔法は放たれることなく視界が回転した。

 

「きゃぁ、ぁぐっっ!」

 

 それが地面に引き倒されたためだと気づいたのは、自身の体が固い地面に押し付けられたからだった。

 魔法発動の予兆は感じなかった。目前の異形とほのかたちのピンチに気を取られてはいても戦闘中だ。油断などしていなかったはずなのに。

 

「なにが、っ゛っ゛!!」

「おやおや、おやおやおやァ? なるほどなるほど、これが魔法というやつですかァ?」

 

 人を嘲弄することに慣れたかのような甲高い声。背中越しに聞こえてきたその声に、雫は体を起こそうと力を込めるも、CADのある左腕を背中側に捻りあげられ痛みに声をくぐもらせた。

 

「いやっ! いやぁあああ!!!」

「くっ! ほのか! っ゛っ゛」

 

 骨人形に仰向けに倒され、その眼前で動く髑髏にのしかかられているほのかの姿が目に写り、雫はなんとか魔法を使おうともがいた。

 しかし左腕は捻りあげられ、右腕も倒れた時に体の下敷きになるように巻き込まれている。そして後ろから聞こえてくる声の男は雫の小柄な体に膝を乗せて動きを封じていた。

 声の主は明らかに男。痛みによって魔法の演算を邪魔されているのに加え、ただでさえ小柄な雫の腕力では到底その状況を覆すことはできない。 

 

「あァそうです。そうですとも。魔法師ですから魔法をもって危急の事態を打破しようというのは当然のことですよねェ。悪魔に対しては(・・・・・・・)容赦なく、速やかに攻撃を加えなければいけませんよォ。効果があるかは知りませんけど」

 

 ――ッッ! 悪、魔!?――

 

 自らを悪魔と嘯く謎の男。その言葉は揶揄するようであり、明らかに余裕が感じられた。

 

「ところでワタクシ、実は平和主義者でして争いごとは大好物なんですよ! それでそれで、このような物を預かっておりまして、いかがです?」

 

 なんとか藻掻こうと足掻き、けれども地面からわずかも持ち上げられない雫の眼前に、紫色の手が差し伸べられた。その手は雫の体にのし掛かっている男のもので、その掌の上には一つの指輪が載せられていた。

 無骨に角張った、装飾的なものではない真鍮色の指輪。

 それが何か、理解しようとするよりも早く、ノイズが放たれた。

 

「ぃゃああああああ――――ッッ!!!!」

 

 今度の悲鳴は少女たち三人同時にあげられたものだった。

 

 ――なにっ! これはッッッ!!!――――

 

 ガラスを引っ掻いた音のような幻音が鼓膜を震わせ、魔法師の中枢でもある魔法演算領域を撹乱し、正常な体内の流れですらもかき乱されるような感覚。

 

「くひひひひひ! アンティナイトと言いましたかねェ。これでもう、アナタ方は魔法を使えないのでしょう?」

「アン、ティ、っ゛っ゛っ゛!!!!」

 

 稀少鉱石アンティナイト。それは高山型古代文明とされた一部の、西洋のものとは異なる独特な魔術文明を築いてきた地域で産出された鉱石。

 サイオンを注入することによってキャスト・ジャミングの効果を持つサイオンノイズを発振することのできるものであり、魔法式が対象物のエイドスに働きかけるのを妨害するキャスト・ジャミングは、魔法を殺す効果を持つ。

 魔法演算領域を脳内に持つ魔法師にとってキャスト・ジャミングのサイオンノイズを至近距離で浴びせられるのはノイズを脳内に叩き込まれるのに等しく、その発振力が強ければ強いほど苦痛を伴う。

 男のサイオン放出量はその意味で並外れているのだろう。

 魔法師ではない一般人レベルのサイオン保有者がアンティナイトを使っても魔法師の卵であるほのかたちは魔法を使うことができずに倒れていただろう。

 それをよりにもよってこの男はただ彼女たちを苦しめるためだけにアンティナイトを起動させた。そんなものを持ち出さずとも、拘束されている状態の雫には魔法を使うことはできなかっただろうに。

 殊に至近距離で強力な魔法阻害のノイズを浴びせ続けられている雫の苦悶は桁外れだった。脳漿に電流が流され掻き乱されて荒れ狂い、頭蓋が割れるような痛み。

 幼さの残る、けれども愛らしい容姿の少女が苦悶に歪むその表情に、男はゾクゾクと背筋を震わせた。

 

「ああイィイ顔です。そうです、その顔! そうだ! この指輪、アナタに差し上げようかと思います」

 

 甲高く外れた調子のテンションから一転、極めて平静な声に唐突に切り替わった。その内容、アンティナイトを今まさにそれによって苦しめられている相手に渡すという意味の分からない提案。その最中でもサイオンノイズの嵐は止むことなく続けられており、雫の理解を超えていた。

 そう、突然の襲撃者たるこの男の狂気は、雫たちの理解の範疇を超えていたのだ。

 

「これをアナタの体の中に埋め込んだらどうなるんでしょう? 魔法が使えなくなる? ずぅっと苦しみ悶えるその顔が見られる?」

「ッッぅっ!!! ぅあ゛ッッ!!!」

 

 グリグリと顔にアンティナイトの指輪が押し付けられる。

 冷たいはずの鉱石の温度は、しかし放たれるサイオンノイズの激しさによって眼球が沸騰するかのような激痛を雫にもたらし、呻きの声が漏れた。

 その様にますます男の顔は恍惚となった。

 

「さァ、どこから入れましょう? ご希望はありますか? 口から? それとも肛門から直接胎内に入れて差し上げましょうか。あァ、心臓に埋め込むというのはいかがですか? 胸を開いて肋骨を割り、お嬢さんの赫い赫い血が満ちる心臓にこの指輪を埋め込むというのはァ!!」

 

 悍ましき狂気そのものの提案に、しかし雫も、そして少女探偵団として団結し、三人一緒でならなんとかなると意気込んでいたほのかとエイミィの二人も手も足も出なかった。

 魔法の通じない異形の怪物。それどころか魔法そのものすらも封じられて体を押さえつけられ、逃げ出すことすらもできない。

 

「ケヒヒヒヒ。さあ、魔法師のお嬢さんの心臓はどんなイロをしているのでしょうねェ」

「ひっ! ぅぁっ――――!!」

「し、ずく……」

 

 男の指が苦悶に悶える雫の背中をなぞった。そこはちょうど心臓の真上に当たる部分。

 荒れ狂うサイオンノイズの奔流に脳を掻き乱される激痛の中、少女たちはただできることとして願うことしかできなかった。

 だがその願いを誰が叶えてくれるというのだろう。

 魔法の通じない異形。魔法を封じるアンティナイト。悍ましい狂気の存在。

 

 雫の背中に鋭いナイフのような刃先の感触が突きつけられた。制服を切り裂くつもりなのか、あるいはそのまま背中を裂くつもりなのか。

 

 ――誰かっ! 助けてッ!!――

 

 祈りの形は、かつての暗闇。あの“奴隷王”と呼ばれた男に拐われた絶望のときと同じ形となり、そして―――――

 

「ヒヒ……!!!! ヒャフぇゥぅッッ!!」

 

 いつかと、同じ疾風が吹いた。

 

 輝きを持つかのように流れてきた風が一閃。雫の背後に伸し掛かっていた男の胸元を切り裂き斬撃を刻みつけ、風が吹き流すかのようにサイオンノイズを蹴散らした。

 

「えっ………………」

 

 背中に伸し掛かっていた重みが消え、押し付けられていた地面から身を起こした雫は、眼前に立つ何者かの背を見た。

 蒼と銀の鎧装束に身を包む騎士の背中。

 フードに覆われ背を向けた状態ではその顔はおろか、髪の色すらも確かめることはできない。

 けれども、既視感はたしかにあった。

 “奴隷王”と向き合う騎士の姿。今も一足飛びに距離をとった男、まるでピエロか悪魔だというかのように主張している毒々しい紫白の男と相対していた。

 泡沫に消えそうになる夢の彼方で、たしかに名前を聞いたはずの誰かの姿が重なった。

 

 かつて彼女の窮地を救った蒼銀の騎士が、再び疾風と共に駆けつけた瞬間だった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8話

 

 

 銀の鎧を纏う蒼の騎士。不可視の武器を握りしめ、疾風とともに現れたその姿は、泡沫に消えようとする記憶にあって、それでも色鮮やかさを取り戻して見えた。

 

「貴方、は…………」

 

 いつかと同じ。倒れ伏す地面から呆然として見上げるも、やはりフードに隠された顔は見えない。

 けれども間違いなくこの騎士は救い手。

 理解不能の超常を相手に、雫を護ってくれた剣の騎士(セイバー)

 

「きゃぁ!」

「ほのか! エイミィ!」「!」

 

 忘我は一瞬だった。友の悲鳴に雫は意識を回帰させた。同時に現れた騎士の男は、右手に持つ見えない何かを振りかぶり、高速の連撃を放った。

 途端、ほのかとエイミィに襲いかかっていた赤い骨人形たちはバラバラに砕けて崩れ落ちる。

 

「な、なに……?」

 

 サイオンノイズの苦痛と異形の骨から解放されたほのかとエイミィは唖然としたまま雫と、その傍らに立つ騎士然とした男に目をやった。

 この自体の急転についていけない二人の口から呆然とした声が漏れ、雫は騎士の男に視線を戻そうとした。

 

「むっ!」

「え、きゃぁ!!!」

 

 その瞬間、傍らで立っていたはずの騎士の男が雫の眼前に迫っており、抵抗する間もなくその体が片手で抱き寄せられて悲鳴が漏れた。

 

「ヒャッホゥぅ!!!!」

 

 傷を負った悪魔じみた男の襲撃。男は片手に棘々しい大きな鋏のような形状をした凶器を振りかぶって蒼銀の騎士と雫に迫っており、寸前で気づいた彼が雫を左手で抱き寄せるとともに、右手に持つ不可視の武器で迎撃したのだ。

 片手で振るわれ、交わる斬撃。

 衝撃に目をつぶる雫だが、予想していたほどに衝撃はなく、再び流れる風を感じ、一拍遅れて着地したかのような衝撃を感じて目を開けた。

 

「あ……」

「………………」

 

 武器を打ち合わせた反動を利用したのか、蒼銀の騎士は雫を片手で抱き寄せた状態で悪魔じみた男から距離をとっていた。先程の遅れてきた軽い衝撃は文字通り着地したものだったのだろう。二人はほのかとエイミィの近くに移動していた。

 同時に、雫を片手に抱いているために、武器は片手で振るわれて迎撃したはずなのに、襲いかかってきた男は二人以上に吹き飛ばされて体勢を整えていた。

 蒼銀の騎士の腕がそっと雫の体を地面に下ろす。

 

「雫!」

「ほのか! エイミィ。怪我は――――」

 

 解放された雫にほのかとエイミィが駆け寄り、雫も二人の体にさっと目を走らせて大きな怪我が無いことを確認した。

 

「うふふ。うふふふふ。見つけた、見つけたぁ!!」

 

 無事を喜ぶにはまだ早く、ハッとして視線を向け直したのは、悪魔を名乗る男の理性の箍の外れたようなテンションの声が響いたからだ。

 

「な、なによアイツ!?」「ヒッ!」

 

 改めて襲撃してきた男を見ると、言動に沿うように狂気を感じさせる姿をしていた。

 白粉を塗りたくったかのように真っ白な肌。ピエロのような化粧。身に纏う衣装は毒々しい紫と赤を基調にしており、インナーは体にピッタリと張り付いている。

 怪人と、そう言っていい容貌に思わず悲鳴を上げるエイミィとほのか。

 

「…………」

 

 対してフードで顔を隠している蒼銀の騎士は、雫たちから距離をとるようにして前に数歩足を進め、そして見えない武器を構えた。

 見えない武器を携える騎士と、彼を見て見つけたと叫んだ怪人。

 

 ――見つけた……? アレは、あの人は、この人を探していた……?――

 

 雫は蒼銀の騎士の背を見つめる。

 無言で構えるその後姿は、彼女たちに「下がっているように」と告げているようであり、敢然として貴婦人を護る騎士であった。

 

 右足を一歩引き、見えない武器を掴む諸手を右下段に下げた構え。

 その構えは見る者に彼が剣を使う者――剣士であることを告げていた。

 

「ケヒヒヒヒ」

 

 鋏のような武器を持つ怪人は、ベロリとその刃先に舌を滑らせ、隙きを見せる。騎士はその誘いにはのらず、機が充溢するのを耐えている。 

 異形の怪物から解放されたとはいえ、ほのかたちはまだ危地から逃れたわけではない。見知らぬ二人の超常者の間に満ちるプレッシャーに冷たい汗が背中を流れる。

 

 

 

 蒼銀の騎士と悪魔を名乗る男。先程の撃ち合いでおおよその力量差は互いに掴んでいた。剣を振るう技量、接近戦の戦闘力では圧倒的に騎士の方が上回る。加えて先ほどの奇襲先制は皮一枚の差で回避されはしたものの傷を負わせている。

 背後に三人の護る相手がいたとしても、一人の敵を後ろに通さないだけの覚悟と自身はあった。

 だが膠着している。

 この悪魔じみた男――明らかにサーヴァントの気配を発している男は、間違いなく三騎士ではないと直感しているからだ。

 アサシンかキャスターか。あるいは狂気じみた言動からはバーサーカーという可能性もある。

 暗殺者(アサシン)魔術師(キャスター)だとすれば、注意すべきはやはり宝具だ。

 自身の耐魔力があればアサシンやキャスターの宝具であっても凌ぐことは十分に可能かもしれないが、後ろの三人の少女たちは別だ。それに効果次第では自身でも危ういかもしれない。

 先の先を制して斬り込むべきか。

 一人であればそれでもよかった。だが、今この場で優先すべきは、このサーヴァントを打倒することよりも、窮地に陥った彼女たちを救うこと。

 であれば確実に少女たちを護らなければならなかった。

 

 膠着は緊張を高める。

 その膠着を崩すなにか――介入の声は突然に訪れた。

 

「何をしているのです!」

 

 平時であれば聞き惚れるような声は、凍てつくような険を孕んでおり、誰であろうとその威に従うだろう。雫やほのかも思わず振り向いた。

 そして騎士と悪魔の二人は振り向く――などということはしなかった。

 その介入者が魔法師であったとしても、超常の存在たる彼らにはなんの障害にもなりはしないのだから。

 ただ二人は声を合図にして地を蹴り、互いに突貫し、交錯。

 見えざる剣と狂気の大鋏が刹那に重なり、一方に斬撃を刻みつけた。

 

「……………」

「………けひ」

 

 結果、悪魔を名乗る怪人は新たに傷をおって胸元から血を吹き出した。

 しかし致命傷とはならなかった。

 

「ッッ」

「ヒハハハハハハハ!!!!」

 

 一瞬の遅滞の後に歪な笑みを浮かべた怪人は地面を蹴って跳び上がり、ビルの壁を蹴って昇っていった。

 フードを被った蒼銀の騎士は、傷こそおっていないが、逃走を図った男を見上げ、すぐさま追跡するかを一瞬迷い、そして雫たちへと視線を移した。

 

 

 

 

 悪魔を名乗る怪人が傷を負って去り、残されたのは正体不明の蒼銀の騎士。その顔は深く被られたフードの奥にあってよく見えない。

 

「あ、み、深雪……」

 

 ほのかが夢見心地に虚脱したかのようにやってきた少女の名を口にした。

 その名前を聞いて、雫は逆に現実に回帰したような心地になった。

 掴もうとすると消えてしまう泡沫の夢。そこで見た蒼銀の騎士。それが目の前にいて、再び雫の危地を救ってくれたのだ。

 夢と現の境があやふやになっても無理はあるまい。

 だが深雪という確かに日常を共に過ごし、先程の非日常の危地に迷い込まなかった既知の声は、雫が確かに現実を目にしていることを教えてくれた。

 そう。夢幻の中に影を求めるかのような存在であった騎士が、実際にいるのだということも現実なのだと教えてくれた。

 

 

 一方で深雪にとって状況を咄嗟に把握するのは難しかった。

 土埃に汚れた制服やほのかたちの様子から、明らかに乱暴を受けようとしていた形跡は見られるが、それが先程逃亡したピエロのような怪人と目の前の鎧の男。どちらによるものなのかは一瞥では分からない。

 一見すると先程の怪人のほうが悪者に見えるが、だからといってこの眼の前の正体不明の鎧の男が善人かといえば、咄嗟には判断がつきかねる。

 深く被られたフードがために、その顔や表情を伺うこともできないのはその逡巡を深める一因だ。

 

「…………」

「あっ!」

 

 逡巡をよそに、蒼銀の騎士は少女たちの様子を確認すると、先程逃亡した怪人が消えた上空へと視線を向け、姿が消えたかのような速度で跳び上がった。

 先程の男と同様にビル壁を蹴って三角飛びを重ね、飛ぶようにして上空へと姿を消した。

 

 ――あの姿……あれは……“彼”は……――

 

 咄嗟に制止させる魔法を放つこともできた。

 それが通用したかどうかはともかく、あるいは深雪の干渉強度をもってすれば通用したのかもしれないが。

 だが攻撃を加えてもいいものかという逡巡がCADを操作する手を遅らせた。

 どれほどCADからの起動式の読み込みが早く、魔法発動速度に優れていようとも、CADを操作しなければ明確な魔法式は放てない。

 それに。“可能性”は兄から示唆されていた。

 2年前の事件で誘拐された十師族の魔法師の子供たちを救出した魔術師と騎士。あれがそうなのだと、直感できたのは漂う気配が只者ではなかったからというのもある。

 フードに隠されて顔は見えなかったが、背格好は紛れもなく同一のものであったというのも一つだ。

 鎧の男が先程していたように、深雪もまた逃亡した彼を追いかけるように視線だけをビルの上へと向けた。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

「…………参ったな」

 

 ビルの屋上へと跳び上がり、そしてビルからビルへと跳び移っていた蒼銀の騎士は、先程の遭遇を思い返していた。

 すでに彼女たちから追跡されるような距離ではないが、目的のサーヴァントは完全に見失ってしまっている。

 溜息をつくと、見計らっていたかのように端末が着信を告げた。

 

「ケイか」

<その様子だとちゃんと遭遇したみたいだね>

 

 着信の相手はともに捜索活動を行うはずの、けれども別行動をとった友のもの。

 着信のタイミングといい、その内容といい、まるで見ていたかのように彼の状況を把握していた。

 

「……取り逃がした」

<そうか。けど、相手の情報は得られたんだろう?>

 

 彼が捜索していたのはあの敵――この時代に現れるはずのない境界記録帯(ゴーストライナー)、サーヴァントたちだ。

 外見から真名を看破することはできないし、今回の遭遇では戦闘時間は僅かで宝具を使うこともなかった。

 けれども彼らには手札があった。

 

「ああ。霊基のパターンを照合すれば真名も分かるはずだ」

 

 過去に召喚された際の霊基グラフ。既にカルデアとしての魔術の多くを失ってはいても、科学的に記録されているそれらは“藤丸”の屋敷に保管されている。

 “藤丸”のマスターに召喚された記録がない、という可能性も無論あるが、“藤丸”に残された霊基グラフのパターンは膨大だ。

 彼らの先祖はそれだけ多くの英霊を召喚し、友誼を結び、あるいは主従となり、グランドオーダーを成し遂げた。

 その時のサーヴァントとあのサーヴァントは別の存在であり記憶の共有もされてはいないだろうが、真名が分かれば対策は立てられる。

 それに今回の遭遇戦は急なことではあったが突発的なものではなかった。

 あの路地裏でサーヴァントが人を襲うことが予期されていた。

 彼が溜息をつきたくなったのは、あの場で襲われていた娘たちが知っている者たちであったからだ。

 

「けれどケイ。あの場に居るのが彼女たちだとは聞いていなかったぞ」

<おや? そうだったかな。でも間に合ったんだろう。なら良かったじゃないか>

 

 反応からすると、圭はあの場で襲われるのが雫やほのかたちであることまで視ていたのだろう。

 流石に誘き出すために敢えて誘導したとまでは思いたくはないが、なんらかの思惑から彼に被害者の情報を伝えなかったというのは分かる。

 ――もっとも、本来あの場で襲われることになったのは三人ではなく四人になるところであったというのは、明日香には知る由のないことであったが……。

 

「それにしても雫の反応。ケイ。前の事件の時の記憶は本当にちゃんと処理したのか?」

 

 気になるのは、北山雫の反応。入学式で初めて会った時からそうだが、彼女には無い筈の記憶がある節があった。

 そう。二年前、明日香が打倒したライダーとの戦闘場面に巻き込まれたという記憶が。

 

 あの事件の後、関係者全員の記憶を改竄したわけではなかった。

 事件の被害者の中には日本の魔法師の頂点に君臨している十師族の子女も含まれており、事件解決のために彼らも全力を挙げていた。そのため十師族の関係者の記憶を改竄するのは流石に問題が大きかったからだ。

 だが魔法師ではあっても一般人であった北山雫やほかの多くの少女たちの記憶に関しては、事件を解決して彼女たちを救出したのは十師族だというように暗示をかけておいたはずなのだ。

 

<それはもう。けれど当時の僕もまだまだ未熟だったからね。それにほら。雫ちゃんは当時からかなり強い魔法師の素質を持っていたから。多少暗示の効きは緩かったかもしれないね>

 

 だが、故意かどうかはともかくその意図は分からないが、どうやら雫は圭の暗示の綻びから記憶を呼び覚ましつつあるらしい。

 

<言っておくけど故意に記憶を残したわけじゃないよ。彼女が僕の暗示を破ったのだとしたら、それは君との出会いがよほど鮮烈だったんだろうね>

 

 ――――思うところはある。

 

 逆巻く風が蒼銀の騎士のフードを取り去った。

 そこにあるのは眩い金紗の髪に宝玉のような碧眼。

 

<間違いなくここが特異点になる起点だ。明日香。僕たちが関わろうと関わるまいと、すでにこの事象は特異点になる。だからこそ、僕たちは魔法師たちと関わりを持つべきなんだ>

 

 彼こそは騎士王。

 人理を破却せんとする獣を刈るために時代を超え、世界を超え、そして今またこの世界に人の身を借りて現界した偉大なりし剣士(セイバー)

 その真名を………………

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 翌朝。考えるべきはいくらでもあった。

 果たすべき使命について。友であり身内である圭の言った言葉の意味。自らに宿る英霊のこと。昨日戦ったサーヴァントについて。この時代が特異点になるということについて……人理修復について。 

 けれども目下やることは日常通り学校へと行くこと。

 友人や“彼”が願うように日常を過ごす必要もあることは明日香も分かっている。

 彼が生まれたから“彼の英霊”が憑依したのか。それとも“彼”が憑依するために明日香が生まれたのか。因果は複雑で答えはでない。

 ただ彼に望まれているのは“藤丸”の使命だ。それは圭とて同じ。

 その圭がこの魔法学校で日常を送るべきだと言うのであれば…………

 

「やあ。おはよう、雫、ほのか」

 

 普通の高校生のような日常を送るのも悪くはないのかもしれない。

 

「あ、おはよう、獅子刧君」

「………………」

 

 登校した明日香は自身の席の前に座る雫とその隣でおしゃべりしているほのかへと挨拶をした。

 昨日襲われた影響が残ってはいないかと軽く観察してみるが、どうやらそれらしい徴候や怪我が残っている様子もない。

 おそらくやってきた司波さんがうまくなだめてくれたのだろう。

 挨拶を返してくればほのかに軽く手を挙げ、無言で見上げてくる雫に少し訝しみながらも横を通り過ぎて自分の席へと座ろうとした。

 後ろの席の司波さんはまだ来ていないようで席は空いている。

 

「……明日香」

「ん?」

 

 通り過ぎようとした明日香は、不意に立ち上がった雫に詰め寄られ、その顔を両手で挟み込まれた。

 

 

 

 

「……………」

 

 ――やっぱり。黒……だよね――

 

 無言で明日香に詰め寄った雫は、いきなり彼の顔を両手で触れて固定し、そして覗き込むようにして明日香の瞳を確認した。

 その色は黒。純黒というにはやや薄みがかって見えるが、どう見ても碧眼には見えない。

 髪の色だってそうだ。薄っすらと色づく記憶の中で、あの騎士は鮮やかな金紗の髪をしていた。フードを被っていたから髪型は分からないが、少なくとも明日香のくすんだ金髪よりも明るい色をしていた……はずだ。

 

 

 

 

 突然顔を両手で挟み込まれた明日香は流石に驚きを隠せなかった。

 北山雫は文句なく美少女だ。無感情的でやや幼さを残す容姿をしてはいるが、優秀な魔法師の例にもれず非常に整った容姿をしている。

 同じクラスに司波深雪という絶世の美少女がいるために落ち着いてはいるが、普通の学校ならば飛び抜けた美少女と評されるところだろう。

 

 そんな少女に吐息のかかるほどの至近距離から瞳を覗き込まれれば、普通の男子高校生ならば硬直もので、明日香であっても戸惑いは隠せなかった。

 

「え~っと、どうしたんだい、雫?」

 

 それでもなんとか問いかけた明日香は、両頬に添えられた雫の掌にそっと両手を重ねてやんわりと離れさそうと試みた。

 だがそれは一拍遅かった。

 

「あら? おはよう、雫。獅子刧くん。えっと、朝から大胆ね……?」

 

 それは傍から見れば大層大胆な行為をしているようにも見えただろう。 

 背丈の低い少女が背伸びがちになりながら男子の頬に両手を当て、自らの顔を至近距離に近づけている。見ようによってはキスをしようとしているようにも見えて、実際間近にいたほのかは顔を真っ赤にして口元に手を当てて絶句している。

 そして不幸なことに声をかけざるをえなかったのは、彼らの真後ろの席に位置していた深雪だ。

 流石に二人は慌てて飛び退るといった無様は見せず、雫がすっと両手を離して自らの席に戻ると明日香は流石に苦笑のようになりならがも微笑みを浮かべてそれを見送った。

 気づけばほのかだけでなく周囲のクラスメイトたちも顔を赤くしてドギマギしており、明日香がちらりと周囲を伺うと慌てて顔を背けて中断していたらしい会話を各々わざとらしく再開した。

 深雪は流石に礼節ある淑女らしい振る舞いで、固まっているほのかに下世話なものではない上品な微笑みを浮かべてから明日香の前を通って自らの席へと向かった。

 

「どうしたんだい、雫?」

 

 深雪が自分の席の後ろにある彼女の自席に座ったのを見計らって、明日香は先程の行為の理由を雫に尋ねた。

 無論のこと明日香は先程のアレがキスをせがんでの行為だとは流石に思っていない。

 間近にあった雫の瞳は、そんな浮ついた熱のあるものではなく、なにかを探るようにして明日香の瞳を覗き込んでいた。

 そして明日香にはそれに関する心当たりもあったからだ。

 

「…………明日香君。昨日は何かやってた?」

 

 先程の行為を客観的に思い返していたわけではないだろうが、明日香の問いに雫は少しの間を置いてから問いかけ返した。

 それは明日香自身、やはりと思うものであり、後ろで聞き耳をたてるでもなく聞こえてしまっていた深雪にとっても思うところある問いかけだった。

 

「昨日かい? 昨日は、街中で少し。探しモノがあってね。それを探していたよ」

 

 彼女の求めている答えはなんとなく予想がついていた。

 けれども明日香はあえてぼかすように、けれども偽りは交えずに答えた。

 

「探しモノ?」

「ああ。なんとか目星はついたけどね」

 

 

 

 

 

 明確に答えなかったのは、アレが特別彼女を救うために行ったわけではなかったというのが一つ。

 明日香にとってあの時の雫は、異常に巻き込まれた被害者でしかなく、他の誰かであっても関係なく救っただろう。

 だからもしも雫が昨日のことを、そしてかつてのことに記憶を縛られるようになっているのだとしたら、それは錯覚でしかない。

 それにあのことを話し出せばサーヴァントのことも話すことに繋がりかねず、話せば完全に巻き込むことにも繋がるだろう。飛躍しすぎかもしれないが、それでも明日香は無関係な魔法師の少女をサーヴァントなどという異常に関わらせたくはなかった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9話

 

 司波深雪が謎の怪人と騎士の戦いの現場に遭遇してから一週間。概ね平穏無事に過ごすことができていた学校生活は、その日授業後の騒音とともに破られた。

 

<全校生徒の皆さん!>

 

 音量調整に失敗して音割れした大音声がスピーカーを通して校舎全体に響き渡ったそんな台詞とともに告げられたのは、有志同盟を名乗る一団による放送室の占拠と学校における差別撤廃を目指すことの宣言であった。

 放送室の占拠騒動自体は風紀委員と生徒会によって速やかに鎮圧されたが、学校の生活改善については生徒会長である七草真由美もむしろ望むところであり、結局、有志同盟側とは翌々日に討論会を行うことで決着をみた。

  だがどうやら元々その“差別撤廃のための有志同盟”とやらは一高内に水面下でかなりの勢力を伸ばしていたらしく、翌日には校内のあちこち、主に二科生を対象にして有志同盟への参加を呼びかける声や差別撤廃についての演説が聞こえることとなった。

 彼らは一様に青と赤で縁取られた白いリストバンドをつけており、それは魔法能力による社会差別を根絶することを目的に活動する反魔法国際政治団体――ブランシュの下部組織であるエガリテの証であった。

 彼らの多くがその意味を知っていて隠す気がないのか、はたまたそのシンボルの意味を知らずにつけているのかは分からない。

 

 だが確実に平穏な学校生活は破綻しており、本来それを望んでいた者の一人である司波達也は、その日の夕食後、妹の深雪を連れてとある寺院を訪れていた。

 

「それで、今日は一体何の用かな?」

 

 二人を出迎えたのは墨染の衣を着た禿頭の男性。この九重寺の和尚、九重八雲だ。

 

「実は、師匠のお力で調べていただきたいことがありまして…………」

 

 そして司波達也の師匠――宗教の、ではなく体術の師匠でもある。

 忍術使い九重八雲。彼自身に言わせると由緒正しい“忍び”だ。

 魔術がフィクションや空想の産物ではなく実在すると確認され、魔法へと下ったのと時を同じくして、単なる体術や諜報技術のプロフェッショナルというだけではなく忍術もまた、魔法の一種であることが明らかになった。

 無論、空想上の忍術そのままというわけではないが、九重八雲は古式魔法の一分類とされる忍術を今に受け継ぐ“忍び”ではある。

 そのため彼の持つ諜報能力は四葉や“とある組織”のバックアップを受けることのできる達也の思いもよらぬ深度まで情報を探ることも可能だ。そして四葉や“組織”では互いに組織や集団としての柵や思惑、陰謀などがあるために利用できないこともあるため、体術のとはいえ師匠にあたる彼とのつながりは達也個人のものだ。

 無論、だからといって気安く頼むことができるといったものでもないのだが、今は四葉と“組織”――軍の顔色を窺うことよりも依頼がしやすい位置にあった。

 

 達也が八雲に依頼した情報とは、一つにはブランジュ――エガリテのメンバーであることを確実視した一校の三年生、司甲のことについてだった。

 彼は自ら国内のテロ組織に探りを入れて首を突っ込むほど勤労精神や愛国精神にあふれた魔法師ではないが、自らの平穏、ひいては愛妹の平穏が乱されかねないとなれば話は別だ。

 

 八雲の方も、彼は彼で縁を繋いだ要注意人物(司波達也)が関わる場所で曰くのある人物についての調べ情報を集めておくは、“忍び”を自認する彼にとっては、魚にとっての水と同じようなものなのだ。

 結果的に、達也の依頼は依頼してこれから調べる、といった時間をかけることもなく達成された。

 司甲。旧姓、鴨野甲。日本においては高名な古式魔法師――古くは陰陽師と呼ばれた賀茂氏の傍系にあたる血族。

 エガリテやブランジュとの関わりは、彼の母の再婚相手の連れ子である義理の兄が、ブランジュの日本支部リーダーを務めていることが判明した。

 

「甲くんが第一高校に入学したのは、この義理のおにいさんの意思が働いているんだろうね。多分、今回のようなことを目論んで、なんだろうけど……彼が具体的に何を企んでいるのか、までは分からない。……最近になってまともではない者が傍について、碌でもないことを企んでいる、あるいは企まされているようだけれどね」

 

 八雲の情報は、途中から確度の薄い――つまり情報を生業として生きる彼らが確信をもって告げられない程度にしか情報を収集できなかったということを意味するものとなっていた。

 

「まともではない。それは深雪が遭遇したという怪人のことでしょうか?」

 

 司甲を探っていた深雪の友人、北山雫や光井ほのかが、彼によって誘導された上に謎の怪人の襲撃を受けたのは深雪から聞いている。

 そしてその場に現れた騎士――二年前の魔法師子女誘拐事件を本当に解決した者と同一人物だと思われる魔術師が、獅子劫明日香だということも、別方面からの情報を収集分析した結果、確度の高いものとしてあたりをつけている。

 それらのことについても仕入れておきたい情報であった。

 

 だが、達也がそちらに話しを傾けた瞬間、八雲の瞳に鋭い光が宿った。

 普段の陽気で細められた瞳の、奥の奥にしまい込まれた刃のような光。それが一瞬とはいえ達也と深雪の前で露わになった。

 達也の反応に自身の自制しきれなかった反応が出てしまったことに気づいたのか、八雲はすぐに苦笑するような、いつもの、からは少し苦みのある行灯じみた笑みを浮かべた。

 

「ああ。深雪くんが遭遇した怪人。つまりはサーヴァントのことだね」

サーヴァント(奴隷)、ですか」

「どちらかというと使い魔の類だけれどね。魔法師ではなく、魔術師のね」

 

 達也の魔法についての知識は深い。

 彼はある欠陥を抱えているために特定の方面以外に関しての魔法能力が著しく限定されているため、魔法師としては欠陥品であり劣等生の烙印を押されている。その烙印を克服するために深く広い魔法の知識を得ようと努力したのだ。

 その結果、実技でこそ二科生であり劣等生である達也だが、理論や筆記では一科生はおろか首席である深雪すらも寄せ付けない圧倒的な入試成績をたたき出している。

 無論のこと、それは入試などという限られた時にしか使えない知識に限ったことではなく、より実践的な、あるいは実戦的な魔法の知識に関しても同様だ。

 その達也をしても、もはや過去へと消えいこうとしている魔術に関する知識は乏しい。ましてその魔術の知識の中でも、とりわけ特別な存在について彼が知らないのも無理はなかった。

 

「魔術師の使い魔…………」

 

 サーヴァント(奴隷)という呼称に反して、達也はその存在を警戒度の高いものとして記憶した。

 なぜならば、例の怪人と、そして騎士と遭遇した深雪が、悪寒を感じるほどに異質な存在だとそれらを直感したからだ。

 愛妹ゆえの贔屓目などなしに、深雪は同世代トップクラスの魔法師だと達也は見ている。素質的には世界最高クラスとなってもおかしくはない。

 その深雪があれらを“異質”で“異常”なもとと直感し、悪寒を覚えたのだ。

 それが単なる奴隷や使い魔などであるとは思えなかった。

 

「サーヴァントというのはね、英霊の一側面を召喚した存在だ。人類史に残った様々な英雄、偉業、概念。そういった()の記録を霊体として召喚したものが境界記録帯(ゴーストライナー)であり、サーヴァントだ」

 

 八雲の説明に達也は眉をひそめた。

 

「過去の英雄、つまり亡霊――心霊存在(Spiritual Being)を喚び出して使役するSB魔法の一種ですか?」

 

 死者は死者。

 死者の声を聞く、いわゆるイタコのような魔法も存在するにはするのだが、それは実際には情報を読み取っているに過ぎない。

 心霊存在(Spiritual Being)と呼ばれる現象もあるにはあるが、それは曖昧なもので、古式魔法においてSB魔法では隠密性の高く、現代魔法のような具体的ではない曖昧な命令式をこなすこともできる魔法などに活用されたりはする。

 だがそれは決して、深雪の説明のように確たる存在として人が触れ、自己意識のもとに人に襲い掛かるような存在ではない。

 深雪の話では怪人は雫たちに襲い掛かり、実際に触れ、そして狂気を孕んではいたものの言語を発して意思疎通が可能であったというのだ。

 八雲の説明と合わせて考えると、まるで亡霊や幽霊が実際に存在している、まさに前世紀における魔法の存在のようなおとぎ話じみたものなのだ。

 勿魔法の理論において想子(サイオン)霊子(プシオン)のように実際には目に見えず、しかし魔法師のみには感受できる情報体は存在する。

 想子(サイオン)霊子(プシオン)もともに超心理現象の次元に属する非物質粒子であり、想子(サイオン)は認識や思考結果を記録する情報素子、霊子(プシオン)は心霊存在の核を構成していると考えられてはいる。

 達也のとある異能はそれらを視ることのできるものではあるが、そんな彼をして今まで死者の亡霊などというものを視たことはなかった。

 それは彼が死者を見たことがないということでは決してない。

 彼の母はすでに鬼籍となっているし、非公式ながらも彼には参戦経験があった。そして四葉においても…………

 だが達也の理解はいささか拙速であり、過小評価であった。

 

「亡霊とは、言ってしまえばまあそうとも言えるかもしれないが、実態はそれよりも遥かに格上だ。本来サーヴァントは特殊な状況下においてのみ成り立つ儀式によって召喚されるはずの存在なのだけれど……深雪くんが遭遇して無事で居られたのは奇跡的だったかもしれない。それほどまでに英霊というのは、たとえそれが英霊本来の一側面にしか過ぎないとしても、その存在は人とは隔絶した存在だ」

 

 達也は驚きに目を瞠った。それは彼にとっては極めて珍しい反応で、唯一残されたものに対する数少ない人間的な反応であった。

 すなわち愛妹に関すること。

 深雪が危険な状態にあったということ。そして深雪をして無事でいられたのが奇跡とまで言われた相手のことだ。

 深雪が完璧無敵、などと思っているわけではもちろんない。

 そのための達也(ガーディアン)であり、彼の異能は常に深雪を守護するために割りふられている。

 たとえ多少離れていたとしても、深雪が命の危機に瀕する状態に陥るまでの間に達也が駆けつけることができるだけの状況を常に彼はとっていた。それは心がけや自信などではなく、彼の異能に許された範囲を把握しての合理的な行動であったはずなのだ。

 だがたしかに実際、2年前の事件で七草家の魔法師たちが誘拐された子女を救出するどころか返り討ちにあい、さらには拉致されてしまったという事実があった。

 更には一騎当千であるはずの十文字家、おそらく四葉の裏の仕事を行う魔法師立ちと比べても遜色のない彼らが最後まで誘拐犯を捕えることができず、魔術師(藤丸圭と獅子刧明日香)の介入する余地を生み出してしまったことからも分かる。

 すでに実際の戦場のみならず、暗闘さえも経験しているであろう魔法師たちが歯が立たなかった相手に、深雪や自分ならばあるいは……と考えるほど自信過剰に油断はできない。

 現状を鑑みるに、魔術師はともかくサーヴァント(英霊)は魔法師よりも格上の何かであることを認識する必要があった。

 

「あるいは達也くんにしても、深雪くんにしても、その時代の人間として比べれば彼らに匹敵するかもしれない。けれども英霊として世界に認められればそれはもう人間とは次元の違う存在だ。そうして呼び出されるサーヴァントは普通の人間では太刀打ちできるものじゃない。それがたとえ魔法師であったとしてもだ」

 

 無論、過去の英雄・英霊のすべてが、当時から今の達也や深雪よりも強かったはずはない。

 例えば日本の名のある武将・名将のような者たちであれば、いかに怪力無双だと英雄譚で語られようとも、魔法の使える達也たちが一方的に勝ち目がないというはずはない。

 魔法師の自己加速魔法は常人の速度を遥かに凌駕し、かつてのおとぎ話から脱却した魔法の発動速度は、英雄豪傑の振るう刃が届くよりも早く彼らを圧倒するだろう。

 だがそれらは、この世界・この次元で同一であったならばという条件でだ。

 ()に認められた英霊は人とは次元の異なる存在なのだ。

 

「魔術師、であっても、ですか……」

 

 達也の脳内では今フル回転でサーヴァントという規格外の使い魔に対抗するための方法を模索しているのだろう。常に鋭い瞳がさらに研ぎ澄まされたような眼光を帯びていた。

 一方でその横では兄の情報収集と思考に水を差すまいと口出しを控えてはいるものの、兄ですら適わないと言われたことに深雪が抗議を主張するかのように八雲に剣呑な眼差しを向けていた。

 そんな兄想いな深雪の眼光にたじろいだわけではないだろうが、沈思する達也に八雲は再度口を開いた。

 

「……達也くん。僕は忍び――忍術使いだ。君たちの言うところの古式魔法師という区分とは少し違うが、魔法よりも古い、いわば魔術の親戚の末裔といってもいい」

 

 忍びとは忍術を使うのみに非ず。

 魔法師は魔法が優秀なほど得てして魔法に依存しがちなことがまま見られる―― 一校でも1年一科生などに顕著に見られる――が、身体的な能力が介在する余地がないわけではない。

 

「君は体術における僕の弟子ではあるが、忍術を教えたことはこれまで一度もない」

 

 一般的な魔法行使能力に欠陥のある達也にとって体術でその欠陥を補うことはとりうる方策の一つである。そのために優れた体術を扱う忍び、その中でもマスタークラスとされる九重八雲に師事することは有用で、けれども達也が幾つもの柵から明かすことのできない秘密を多く持っているのと同様に、八雲もおいそれと忍術を教え広めることはなかった。

 

「魔術が今、ほとんど姿を消している理由を知っているかい?」

 

 強引に話題を転換されている、というよりも魔術についてのより深い知識を、しかし明かされる範囲の知識を教授しようとしてくれていることに達也はすぐさま気づいた。

 

 魔法とは魔術や超能力、忍術、陰陽術など前世紀には空想の産物とされていたものが実在するのだということを世界が知ることになったとある事件を切っ掛けに発展してきた素質ある者の力だ。

 そのある事件は歴史的には核ミサイルを用いたテロを、当時は空想の産物とされてきた異能をもって未然に防いだとされている。

 それによって異能の有用性と実在を認めた世界の各国政府がその開発と系統化に着手し、紆余曲折を経て今の現代魔法や世界のパワーバランスへとなった。

 その過程において、当然有力な情報源となったであろうはずの魔術を扱う者たちは、その多くが人知れず姿を消してしまい、今に残っている者たちも魔術を捨てて古式魔法師となっている。

 魔術や魔術師は世界の表舞台から姿を消した。

 そんな中現れた藤丸という魔術師の血統は、魔法師としての血統を古くから確立し、今の地位にある名家からすると疎ましくもあり、しかし彼らの持つ失われた異能を得るための貴重な情報源でもあり、実態不明な存在でもある。 

 達也の知識をもってしても、魔術がなぜ失われ、魔術師の大部分が姿を消したのかは分かっていない。

 だがそれをこの忍びは語る。

 

「魔術とはね、矛盾した存在なのさ」

「矛盾?」

「有名であればあるほど力が強くなり、知られれば知られるほど弱くなり消えてしまう。魔術のほとんどが滅んでしまったのは科学によって解明されてしまったからなのさ。神秘としての魔術は科学によって解明され、魔法(・・)になった」

 

  魔法は系統立てられた明確な式によって成り立つもので、そこに知名度などというものが入り込む余地はない。勿論よく知られている魔法学分野がよく研究されて洗練されるということはあるが、魔術における知名度や信仰といったものはそれとは全く別種の力源となる。

 

「要は神様なんかと同じさ。君は信じないだろうし、実は僕も信じてはいないけれど、昔は神様という存在は“あった”のさ」

 

 仏法に帰依する僧侶がそのようなことを言ってもいいのかとも思うが、九重寺は天台宗の末寺を標榜としている忍寺であって、仏を信仰しているところが“建前”である。達也も八雲の弟子ではあるが、それは天台宗に感銘を受けたなどということが理由やきっかけであるはずがなく、魔法学における非物質性の超常的生物を否定するとまでは言わないが、神を信じることはない。だが否定しても話は続かないため、達也はあえて八雲の話の腰を折ることもなく続けた。

 

「多くの人が崇め、敬い、信仰する対象としての神。けれどもやがて人は目に見えない神ではなく、目に見える者や存在に価値を置いていくようになった。つまり神秘が薄れ、神が消えたわけだ」

 

 宗教や神というのは、知られなければ消え行く存在だ。

 3つ目の世界大戦を経た今の世の中においてでさえも世界には宗教が存在し、神を信仰する者が大勢いる。だが古来より数多の土着信仰、宗教、思想、それらが存在し、人知れず、あるいは争いの結果、消えていった。

 それは神やその教えが広く、そして強く知られているからこそ力を持っているからではあるが、一方で伝説やおとぎ話のような神の降臨などは現在の現実において起こり得ない。

 勿論、戦略級と呼ばれるような魔法や、今は世界的に禁止されている核兵器などの大量破壊手段が使われれば、それこそ北欧神話に語られるようなラグナロク(終末戦争)じみたことは再現できるだろう。

 達也とてそんな悪魔じみた、世界を滅ぼしうる力を持ったイレギュラーな魔法師の一人ではあるのだから……

 ただ、神が存在すると信仰しても、誰しも神がこの世界に実在するとは考えない。

 

「だが完全になくなったわけじゃない。藤丸圭と獅子刧明日香。彼らは正真正銘、魔術を今に受け継ぐ者で、神秘に属する者たちだ」

 

 藤丸圭と獅子刧明日香が熱烈な信仰者ということではない。

 だが古来より魔法と宗教とは世界のどこにあっても密接な関わりがあった。

 日本では陰陽道や密教、神道などで用いられていた、いわゆる呪術が古式魔法へと変化したものである。

 中世欧州では魔女狩りとして宗教における異端を狩るために魔術魔法は徹底的に排除されたと言うが、魔女の烙印を押された者が真実、魔術師や魔法師のようなものであったかどうかはともかく、これも魔法と宗教の密接な関わりには違いない。

 さらに古く遡れば、日本にしろ古代文明にしろ、神への信仰とは王権とも関わりをもっており、その権威を象徴するものとして超常的な力が振るわれたとされることがある。

 それらが全て真実であったのかまやかしであったのかは、達也には分からないが、八雲の言を信じるとすれば、それらは全て神秘色濃い過去だからこそありえたことなのだ。

 ただそれとは別に気にかかるのは、八雲があの二人のことを達也が指摘するまでもなく知っていること。

 

「師匠は藤丸と獅子刧のことをご存知で?」

 

 尋ねると八雲はポリポリと頬を掻いた。珍しく口が滑ったとでも言いたげだが、そうではないだろう。そんな抜けたことをする人ではない。

 

「彼ら……“藤丸”圭くんの系譜とこの寺の来歴には少しばかり因果があってね。多分彼らはこの寺のことを知らないだろうし、所詮は剪定(・・)された出来事だ。ただ彼らが今になって表舞台に立ったということは、おそらくそういう(・・・・)ことなのだろうね……」

 

 八雲は苦笑しながら語るが、その後半は独り言のようなつぶやきめいていた。

 だがその独り言には達也でさえ、そして十師族でさえ知り得ない重大ななにかが含まれているようにも感じられ、達也は鋭く八雲を見つめた。

 

「師匠?」

「ん? ああ、ごめんごめん。僕から言えるのは、彼らの目的は君たちに敵対するものではないし、敵対してはいけないということだけだ」

 

 少し剣のある呼びかけに、物思いに耽りかかっていた八雲は気づいたように取り繕って見せた。

 

「ただ彼らの周囲には気をつけた方がいい。彼らの近くに居ればいいのか、それとも離れた方がいいのかは、僕にも分からないけどね」

 

 明確に彼らが敵であれば、あるいは在ることで凶災を招くというのならば近寄らなければいい。あるいは打ち倒せばいい。

 だがそうではないのだ。

 彼らは凶災を招くのではなく、凶災を鎮めるためにこそ招かれる。

 ゆえにその近くにあれば巻き込まれる。遠くにいればその手から零れ落ちる。

 “カルデアのマスター” ――かどうかは分からないが、サーヴァントらしき騎士がいるということはそうなのだろう―― 彼が来たということは、この世界、この時代はすでに特異点になっている、あるいはなりかかっているということだ。

 

「神秘はより強大な神秘の前に屈する―――神秘から切り離された魔法にしてもそれは同じだ。魔法が魔術から生み出されたものだというなら、魔法とて神秘とは無関係ではない」

 

 もしも彼らが対抗しようとしているのが英霊ならば、あるいは“災厄”ならば、それは人類の文明の産物をこそ飲み込むものだ。

 魔法が魔術に劣っているわけではない。魔法は魔術を基にして生み出された進化した力だ。物理的な干渉力は凡その魔術と比べて遥かに強力。それは揺るぎない事実ではある。

 だが魔法は神秘薄れた魔術の新たなる形とも言える。なればこそ威力という点においては勝っていようとも、神秘という面ではさらに弱くなっており、文明の発展に組み込まれてしまっている。

 

「神秘を纏う存在――英霊を相手に通常の魔法がどれほどの効果があるのかは……僕にも分からない。おそらくほとんどの魔法は通用しないと思うけれどね」

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――― 一つだけ、ではないが、八雲は語らなかったことがある。

 

 九重寺には墓がある。

 そこに遺体はなく、遺物もない。ただ無名の碑があるのみ。

 それは人の墓ではなく、ただ流れてきた物の碑だ。

 流れてきた時点ですでに壊れていたという。

 流れてきてすぐ、完全に機能を停止したという。

 けれどもそれがあるから、あったからこそ、九重寺は“忍び寺”なのだ。

 それはたしかに、特異な状況下であったからこそ、ではあるが座に刻まれた英霊。

 

 多分、達也も知らないだろう。

 達也が知っている事実は彼の兄弟子、つまり八雲の弟子の一人、門下の筆頭に彼の所属する国防軍の特殊な大隊――独立魔装大隊の隊長がいること。

 すなわち”大天狗” 風間(・・)玄信。

 たしかに彼は八雲の弟子ではあるけれど、風間こそが、九重寺が“忍び寺”であることの、意味そのものでもあるのだということ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10話

 

 公開討論会。

 一高に存在する一科二科制度に端を発する差別撤廃を目指すという有志同盟と生徒会――というよりも生徒会長との討論は、具体的な数字を伴う理路整然とした真由美の反論により、討論会というよりも演説会へと装いを変え始めていた。

 

「生徒の間に同盟の皆さんが指摘したような差別の意識が存在するのは否定しません。ただしそれは、固定化された優越感であり劣等感です。特権階級が自らの持つ特権を侵食されることを恐れる、その防衛本能から生まれ、制度化された差別とは性質が違います」

 

  元より有志同盟を名乗る者達の主張は、具体的な要求もなく、差別されているという意識のみのものでしかない。学校側の制度上たしかに一科二科の区分けはあるが、それは教員数の確保の問題など差別ではなく制度上のものでしかない。

 それよりも問題となっているのは、学校側で禁止している差別用語――ウィード(雑草)花冠(ブルーム)といった言葉――を使用して区別を差別とする意識こそがことの本質なのだと、真由美が演説して訴えていた。

 

「どうやらこちらの大勢は決まったようだな」

 

 すでに同盟の反論や主張は尻すぼみに消えており、生徒会や摩利の立場としては予定通りの進行になっている。

 

「しかし君がこちらの警備に名乗りを上げるとは思わなかったな」

 

 摩利は隣に腰掛けている魔術師、藤丸圭に率直な疑問をぶつけた。

 摩利や達也はこの講堂に詰めてはいるが、全ての風紀委員が討論会の場に来ているわけではない。そもそも彼女たちも討論に参加するためにここにいるわけではない。討論自体は生徒会長一人で十分だからだ。

 彼女たちがいる理由は風紀委員の役割そのもの、つまりは治安と風紀の維持だ。

 放送室の占拠をやらかした同盟だ。討論が彼らの思惑通りにいかなければ過激な手段に訴えることは容易に想像がつくし、なによりも同盟の母体であるエガリテ、ひいてはその後ろにいるブランシュは社会的差別の撤回をお題目にしている反魔法国際政治団体であり、様々な反魔法活動を行っている。その上、彼らの実態は大亜細亜連合に使嗾されたテロリストというのが公安や内情――つまり日本国政府の見解だ。

 討論会などという表の舞台に出てきた以上、こんな予定調和的に失敗するだろう討論会だけなどではなく、本命の活動――つまりテロ行為が予想されていた。

 実際、舞台の上で討論を一手に引き受けている真由美をはじめ、生徒会のメンバーこそ全員講堂にいるが、風紀委員のメンバーや部活連は講堂以外にも巡回に出ている。

 講堂の“戦力”はむしろ達也や摩利、副会長である服部や真由美がいる時点で十分すぎるほどだ。それ以外にも摩利の統率下にある上級生の風紀委員がいるのだから捕縛要因としての人手は十分。

 魔術師という魔法師とは違う立場の藤丸からすれば、むしろこの討論を聞くことに価値を見出してはいないように摩利は思えたのだ。

 

「ん~、まぁこの討論自体の方は、うん、講評は避けておいた方がいいかと思うんですけど。明日香とバラけておくと僕の配置はこっちになるんですよ」

「どういうことだ?」

 

 たしかに、摩利の言うようにこの討論会自体には圭は重い関心を抱いてはいない。

 “藤丸”は歴史ある魔術の家系ではない。勿論、魔術が魔法の基になっている以上、古式を除いて現在幅をきかせている魔法師の名家、例えば十師族などよりは古い歴史を有してはいる。

 しかし、今の“藤丸”家が魔術師として活動を始めたのは魔法についての研究がなされ始めた頃―――かの有名な世界的テロ未遂とされている事件の頃と一致する。

 家系としての目的も一般的な――というにはすでに多くの家系が消滅しているが――魔術師の家系の目的とは異なる。

 ゆえに魔術師としての価値観も、魔法師としての価値観も彼らには関係ないとも言える。

 それだけ魔術師という種に比べて“人”ではあるし、差別などに対して思うところはある。だが今現在講堂であるいは先日まで校内各所で繰り広げられていた彼らの主張はあまりにも幼稚で、彼にしてみれば美しくない。

 今日とて役割がなければ敢えて聞きに来ることもなかっただろう。

 

 実際、講堂に来ているのは全校生徒の半数ほどだ。それが多いか少ないかはともかく、同じ魔法師であってもそうなのだから、魔術師としての立場である圭からすればなおさらだ。明日香とてこの場には来ていない。

 だが講堂に真由美と摩利が居るように外の巡回警備には部活連会頭の十文字克人がいるのだ。防衛能力という点においては真由美や摩利よりも圧倒的に克人の方が上回るだろう。

 はぐらかすような圭に摩利は目つきを険しくした。

 

「どうやら討論会は終わったようですね」

 

 七草生徒会長の公約、生徒会に確かにある一科と二科を差別する制度を撤廃するという宣言に会場では満場の拍手が起こった。

 おそらくこの場で一科二科の壁を越えて会長の公約を受け入れたということではないだろう。人の意識はそう簡単には変わらない。今この場では真由美の可憐さと会長としての威厳とに、アイドルを観るような思いで感銘しただけだろう。

 ただ同盟の主張には確かに意味があった。生徒会長自らが差別意識の克服を主張し、公約として名言したのだ。同盟の表向きの目的である学内の差別をなくしていくきっかけにはなっただろう。……もっとも、それが彼らを裏から操っている者たちの望み通りかというと、決してそんなことはないのだが。

 

 圭は摩利の訝しい視線はそのままにして、座っていた椅子からよいしょと立ち上がった。

 それは次に起こりうる事態を読んでいたかのようなタイミングで、轟音が講堂に響き渡り、可憐な生徒会長の演説に陶酔していた生徒たちは爆発音に酔いが醒めたようにうろたえた。

 講堂に配置されていた風紀委員たちの動きは統率だっており、そして迅速だった。

 襲撃は予想されたもので、窓を割って投げ込まれたなんらかの榴弾は炸裂することすらも許されずに副会長の魔法で処理された上で巻き戻すように外へと放り返され、講堂内からの撹乱を企図していた同盟のメンバーは風紀委員によって取り押さえられ、外から防毒マスク着用の上で闖入してきた者たちは軒並み摩利の空気を操作する魔法を受けて昏倒した。

 

「では俺は、実技棟の様子を見てきます」

 

 講堂内での過激行為――テロが未遂に終わったことを確認した達也は、そう言って講堂を後にし、その共に深雪も駆けていった。

 襲撃してきた“人物”たちの狙いは、達也が向かった実技棟なのだろう。

 差別撤廃だなどと似非たお題目を掲げていても、その実態は外国の工作員。魔法が軍事力と直結する現代の国際事情と合わせて考えれはま、エガリテに取り込まれた生徒の方はともかく、テロリストたちの狙いは魔法大学系列のみで閲覧可能な非公開情報。

 達也はそれを守りに行ったのだろう。一方で圭はそれを追いはしなかった。

 圭が達也と深雪が実技棟へと赴くのを見送ったのみで自身も行かなかったのは、魔法の情報が魔法師ほど大切ではないというのもあるが、それ以上にこの場がまだ終わっていないというのが理由として大きい。

 

「さて、それじゃあ、僕も外には行きますか」

 

 圭は仕込んでいた杖を取り出すとともに、講堂の外へとゆるりと足を進めた。

 

「さあ。――――戦いの時間だ」

 

 魔術師、藤丸圭がここに居た理由。それが上空より轟音とともに舞い降りようとしていた。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 講堂を始め、校内にはすでに武装したテロリストが、ブランジュの工作員たちが陽動に実技棟や事務室のある校舎へと襲いかかり、秘匿情報の奪取を目的とした本命が図書館へと向かっていた。

 有志同盟による討論会参加という派手な動きに合わせて何か事を起こすと警戒していた生徒会や風紀委員、部活連などの生徒自治組織とは異なり、視点の異なる――つまり、所詮は子供である生徒同士の諍いだと見ていた大人たちの事前対策はないに等しいものであった。

 本来であれば魔法科学校には魔法実技を指導するために、魔法師が教師として常駐しており、特にその中でも最高レベルと目されている第一高校における教師陣ともなれば、魔法師としても一流ばかりのはずであり、戦力的には小国の軍隊にも引けを取らない程ではあった。だがだからこそ外部からここを襲撃するものなどあるはずがないとの油断があり、ゆえにこの襲撃に対しては後手に回っていた。

 

 もっとも、流石に貴重な品が多く保管管理されており、職員の詰めている事務室の対応は早く、襲撃による混乱からわずかな時間で迎撃態勢を整え、侵入者を撃退していた。

 一方で校内の敷地のあちこちでも散発的に武装テロリストによる襲撃が繰り広げられていた。

 

 

 

 ――――演習林付近。

 

「何あれ!」「実技棟から煙が上がってる!?」

 

 講堂での討論会には参加せず、部活動に精を出している生徒も大勢いた。

 雫やほのかたちが所属するSSボード・バイアスロン部もその一つで、彼女たちは先程学校の敷地内全体に響き渡るような轟音に驚き、そして実技棟から煙が上がっているのを見てパニックに陥りかけた。

 それを宥めたのはバイアスロン部の部長である五十嵐亜美だが、その彼女も端末を確認して爆発の原因を知り、顔を青ざめさせた。

 

「おおおお、落ち着いて聞いてね? と、当校は今、武装テロリストに襲われているわ!」

 

 混乱と動揺して声を震わせる部長。一転してその動揺が伝播するが、一度落ち着いたところだけに部員たちがパニックにまでは至らなかったのは幸いか。

 

「護身のために一時的に部活用CADの使用が許可されています。でもあくまで身を守るためだからね」

 

 魔法師である以上、生徒はそれぞれ自身のCADを有しているし、登下校や普段の生活中には携帯している。もっとも街中での魔法の使用は有事を除いて取締の対象になりがちではある。

 だが風紀委員や生徒会などの一部を除けば魔法科高校の生徒とはいえ校内でのCADの携帯は許可されていない。

 実技演習や部活動の際などは演習用や部活用のCADが貸与される。

 今部長をはじめ、彼女たちがもっているのは部活用の小銃型のCADであり、彼女たち個人用のCADは事務局に預けている。

 

 雫は自身の持っている小銃型のCADに目を落とした。そこに格納されている魔法式はSSボード・バイアスロンの競技に特化したものばかりだ。

 戦闘用でないとまでは言わないが、普段携帯しているCADほど安心感はない。もっとも、普段のCADがあるから無双の安心感があるというわけでもないが……

 先日襲ってきた怪人を思い出してCADを握る手に力が入った。

 あの時、雫の魔法は通用しなかった。

 異形の骨人形相手には足を止めることがせいぜいで、一度形を崩してもパズルが組み上がるように復活して意味をなさなかった。 

 そして怪人に対しては魔法を発動することすらも許されなかった。

 かつて誘拐されたときは、まだまだ幼かった。有力な魔法師であった母の手ほどきは受けてはいても、所詮は中学生の子供でしかない。だがあれから魔法を学び、母や護衛の魔法師を相手に戦いの練習だっていくらかはしたつもりだった。

 けれどもあの様では、果たして自分はどれだけ成長できたのだろう…………。

 雫の苦悩を砕いたのは至近で起こった爆発のような轟音だった。

 先程のような爆発の音とは違う。高高度から鉄塊を落としたような重低音が間近で響き、朦々とした土煙を巻き上げている。

 

「なに!?」

 

 驚きの声は誰しもが上げた。

 雫も、ほのかも、先程皆を落ち着けたばかりの部長でさえ今度こそ動揺した。

 薄れていく土煙の中に何かが居た。

 落下してきた物体――否、腕をひと振り、残っていた土煙を薙ぎ払って姿を現した。

 

「なっ!」「き、キャアアアア」

「ひっ!」「!」

 

 その異様に、バイアスロン部の女子生徒たちが悲鳴を上げた。

 僅か一週間でまたも異形の存在を目にすることとなったほのかの喉が恐怖で引きつって悲鳴をあげたのも無理からぬことで、雫もまた驚愕に目を見開いていた。

 

「おお、おお。開始から派手にやってるじゃねえか!」

 

 そしてその異形は、以前の異形――赤い骨人形とも違っていた。

 響き渡らせた轟音に違わぬ見上げるような巨躯。背には蝙蝠の如き、しかし巨躯に見合うサイズの翼。頭部には禍々しい角。そして体表の色は毒々しい黒紫。その面貌には凶悪な牙が天を衝くように生えている。

 その異形を一言で表すのならば――――そう、悪魔(・・)

 

「さぁて、悪魔のご登場だ! ハッハァ! いいねぇ! 戦場に獲物もたんまり! 略奪こそが戦場の愉しみ! 一番槍でいただくぜ!!」

 

 魔法と科学によって神秘の駆逐されたはずの21世紀に、悪魔(・・)が舞い降りたのだ。

 

「キャアアアア!!」

「くっ! ウチの部員に、手は出させない!」

 

 その異形――悪魔は明らかに好戦的で、文字通り牙を剥き出しにしてバイアスロン部の部員たちへと襲いかかった。

 部員たちの上げる悲鳴に、いち早く正気を取り戻した部長の五十嵐が勇ましく立ち向かい、CADを操作して魔法を発動させた。

 発動させる魔法は乱気流からの叩きつけ。人間相手であれば過剰防衛を引き起こす結果にも繋がりかねないほどに躊躇のない威力を込めた魔法であったが。

 

「あ~ん? なんだ今の? ああ。マスターの言ってた魔法ってやつか。こそべぇなぁ。そよ風が吹いてんのかと、思ったぜっ!!!」

「なっ!?」

 

 ゴウッ、という旋風を腕の一振りのみで蹴散らし、悪魔は凶悪な笑みで吠えた。

 自身のCADではなかった。咄嗟に組んだ魔法式であった。サイオンの注入が十分ではなかった。理由は色々あったとしても、ただひとつ明らかな事実として、最上級生である部長の魔法がこの悪魔にはまったく通用しなかったということだ。

 部員たちの顔が一様に恐怖に彩られ、

 

「ぅお! なんだぁ?」

 

 しかし諦めず、魔法を放った者がいた。

 

「部長! 早く逃げて!」

 

 雫である。前回の骨人形の時、そして先程の部長の魔法が通用しなかったと見るや、雫は直接的な衝撃破壊系の魔法ではなく、得意の振動系の魔法を使用した。

 それも悪魔本体にではなく、その足元を揺らすようにして。

 勿論、普段使いのCADならともかく、競技用のCADではそれほど大規模なものは用意されていない。

 けれども大規模な出力と発動速度に優れる雫は、手持ちの魔法式を最大限に活用して悪魔の足止めを試みたのだ。

 翼こそあるが、落下してきた悪魔は地面を踏んで移動しようとしていた。ならば悪魔自身になぜか魔法が通用しなくとも、地面に干渉すれば足くらいならば止られる。

 そう読んだ雫の狙いは当たっていたが、同時に悪手でもあった。

 

「テメェか! チビがっ!!!」

「ッッ」

 

 揺れはそれほど大きくはなかったが、うまく振動を干渉させあって共鳴させた振動は、ダメージを受けるほどではなくとも、鬱陶しさを感じる程度には悪魔の気を引いてしまったのだ。

 悪魔は“微妙に揺らされて”気分の悪くなる原因をつくっているのが雫だと見定め、苛立ったように吠えた。

 一気に地面を蹴って雫に接近。

 

 ――早い! 逃げ、れない! ――

 

 雫が気づいた時にはすでに巨体の悪魔は目の前で巨腕を振りかぶっていた。

 ほのかや部長の魔法は間に合わない。いかに古式魔法よりも発動速度に優れるとされる現代魔法でも、CADを操作しなければその速さもない。

 あの巨体の見た目に合わない速度は、彼女たちが魔法を発動するよりも早く、そして仮に発動したとしてもものともせずに雫へと拳を振り下ろす。

 コンマ数秒後には少女の小さな体は物言わぬ肉塊へと変じるだろう。

 少女の華奢で可憐な肢肉は無残に潰され、彼女の思いも、人生も、すべてを終わらせてしまう。――――その刹那、猛烈な風が背後から駆け抜け、振り下ろされた巨腕と激突した。

 

「!」「なぁっ!! テメェ!」

 

 激突の衝撃が広がり、けれども雫の前に立ち塞がったなにかは、決して、一歩たりとも災厄を少女のもとへと押し寄せさせはしなかった。

 雫の眼前で悪魔の巨大な腕を防ぎ止めているのは、見えない何かを盾にし、一高の制服に身を包んだ金髪の同級生。

 

「デーモン……いや、ホムンクルスか」

 

 その声は、その姿は、たしかに同じクラスの彼の姿。

 だがくすんでいたはずの金髪は輝くように鮮やかに。雫が見上げるほどには大きい背丈は、しかし悪魔に対しては見るからに小さく、比して細いその腕は、悪魔と激突しても小揺るぎもせず、睨み合う今も拮抗していた。

 

「こ、――な、がッッ」

 

 拮抗、どころか押し返した。

 駆けつけたばかりの不十分な体勢ではなく、地を踏みしめ、握りしめた不可視の武器を振り抜き、悪魔を弾き飛ばした。

 冗談のような体格差にもかかわらず、悪魔は地面に溝を刻みつけて押し飛ばされた。

 

「明日、香?」

 

 呆然と呟き紡がれた名前は、たしかに同じクラスの彼のもの。だが目の前に立つその背には既視感があった。

 右脚を一歩引き、見えない武器を右下段に構える斬りかかりの構え。

 それはかつて“奴隷王”を前に対峙した背中。怪人を前に立ちふさがった騎士。

 

 違うはずなのに。

 彼の目は黒色 / 碧眼 で。彼の髪はくすんだ金髪 / 鮮やかな金紗 のようで

 泡沫が弾ける度に否定されたデジャヴュが、今、たしかに実像を結んで立っていた。

 

 

 

 

 

 圭の予測では、今日襲撃してくるテロリストたちに合わせて明日香が遭遇したサーヴァントもまた襲撃をしてくるだろうとのことだった。そして“あの英霊”の伝承からするとデーモンかホムンクルスのどちらかを使役してくるとも。

 遊撃の役割を担った明日香が気づいた時にはすでに校内に敵ホムンクルスが落下しており、霊衣を纏って武装するのも惜しんでいち早く駆けつけたのは、遠目に見てもすでに襲いかかられそうになっているのを見たからだ。

 そのために霊衣で顔を隠すこともできず、鎧すら着ていない状態で敵と対面することになったが、間に合ってしまいさえすればホムンクルス相手に遅れをとるはずもなかった。

 魔力放出によって向上した膂力は容易く巨腕と切り結び、ホムンクルスの巨体を弾き飛ばす。霊基に宿り、先達と師によって鍛えられた武技はホムンクルスごときの猛威を寄せ付けはしない。

 隠していた顔を晒すことになってしまったが、それよりも襲われつつあった彼女に傷を負わせないことの方が重要だ。

 

「ハァッ!」

「――――な、がッッ!!!」

 

 吹き飛ばされて体勢を崩したホムンクルスに、得意の構えから追撃を繰り出す。体ごと高速回転しての斬撃は過たずホムンクルスを両断した。

 崩れ落ちる巨体は、地面に倒れ伏す間に光の粒子となって宙に消えていく。

 それを見下ろす明日香は、しかし別の場所でもいくつか闘争の気配が止むことなく続いているのを感じてすぐに顔を上げた。

 

 ――校内に入り込んだホムンクルスは二体か……――

 

 同時に念話も飛んできて、幾つかの場所の内、彼の方でも巨躯のホムンクルスが出ていることを知らされた。他の気配は恐らく単なる人による武装テロリストか魔法師がせいぜいだろう。

 前回の骨人形程度であれば、圭の魔術でもどうにか対応できるだろうが、先ほどデーモンもどきのホムンクルス相手では流石に足止めが精々だろう。

 おそらくあれは、“あのサーヴァント”の来歴に由来するホムンクルス。

 “三体の悪魔”の伝承の一体。

 ならばサーヴァントほどの力は持たなくとも、魔術師が、まして魔法師が対抗するには荷の重すぎる相手だ。

 

 圭がそうそう簡単に死ぬとは思わないが、一刻も早く駆けつける必要はある。

 足元に魔力を集中させて放出することにより、それこそロケットのような加速力をもって飛び出そうとした明日香は――

 

「待って!」

 

 必死さを感じさせる呼び止めの声に踏みとどまった。

 

 声に応じて振り向くと、遠巻きに見ている女生徒たちの姿が目に映った。

 魔法の通じなかった異形の化け物をあっという間に倒したのだ。彼女たちからしてみれば突然現れた明日香もまた、まともではない何かに見えたとしても咎められないだろう。

 だが呼び止めたのは彼女たちではなかった。

 普段クールな少女――雫が必死に手を伸ばし、また去っていこうとしていた明日香の袖を掴んでいた。

 

「雫」

 

 身長差から見上げるように覗きこんでくる雫の瞳は黒。そして彼女の目に映るのは輝くような碧眼。

 

「――やっぱり。2年前、私を助けてくれたのは、あなた?」

 

 言葉が途切れ途切れなのは、短い距離を駆けて追いすがったがゆえにではないだろう。ともすれば消えてしまいそうになるのではないかという泡沫の記憶を確かめながら、明確にビジョンを結んだ騎士たる彼に尋ねたのだろう。

 

「2年前……。雫、君は……」

 

 雫の問いに、明日香はやはり、という思いで瞠目し、苦しげに眉を曇らせた。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 雫が何度も浮かんでは消えてしまう泡沫の夢の如き記憶を、明日香は明確に覚えていた。

 2年前の事件。ライダーのサーヴァントとの戦いとは別に、あの戦いが明日香にとっても感慨を残す出来事であったからだ。

 

 あの事件よりも以前、“とある英霊”をその身に宿し、憑依融合することになった明日香は、当時自我の同一性に悩まされていた。

 英霊を憑依させるのは通常では不可能なことではあるが、前例はたしかにあった。

 無垢なる子供の魂と器に波長の近い英霊を降ろす。あるいは人工的に英霊の生前と同じ肉体を作り上げ、精神モデルを模倣することで、魂を引き寄せる器となす。

 明日香の場合も、そんな稀有な成功例と同様ではあった。

 だが本来英霊の魂というのは人間の魂とは比べ物にならないくらい膨大な霊核だ。

 過去の聖杯戦争で、あるいは今現在たる特異点で行われているように、クラスという器に一面を押し込めるのではなく、人の身に一側面とはいえ降ろす行為は、あまりにも格の違う中身を小さな器に押し込めるようなものだ。

 器に影響が出るのは当然で、元々器の中に入っていた明日香の魂や精神に影響を及ぼすのもまた当然だった。

 その一つとして、憑依融合して以降、明らかに自分の顔は変わったと明日香は分かっていた。激変したというほど急激に、唐突に、明らかに別人の顔になったわけではない。

 もしかしたら単に自分と“彼”の容姿が似ていて、それ以外にも憑依できる要素があったからこそ、“彼”は自分に宿ったのかもしれない。成長すれば元々明日香の容貌が“彼”に似たものになったのかもしれない。だが明日香自身が、その顔を見て変わっていると認識できてしまった。その精神も、会ったことのない高潔な騎士のそれに浸蝕されていくようで。

 “彼”という魂に塗りつぶされていく明日香という個。

 だとしたら自分は明日香としてこの世に生まれ、“彼”に成るのか。それとも“彼”が現界するための依代として自分は生まれたのか。

 この世界における自分という存在はなんなのか。“あの英霊”に塗りつぶされるためだけに生まれたのか。

 使命は理解している。受け入れている。果たしたいと思う。けれどもふとしたときに、自分という存在が分からなくなってしまっていた。

 

 そんな時に、あの事件が起こり、初めて意識して“彼”の力をサーヴァントに対して振るった。

 戦いの中で、より一層、自分の中の魂が“彼”に塗りつぶされるようだった。

 けれどもライダーを倒し、囚われていた人を助けた時、名前を聞かれたのだ。

 

 あの時、自分は、自分の口から、自分の名前が、明日香という名前が自然に出た。

 

 だから自分は“彼”ではなく、獅子刧明日香なのだと確立できた。

 強大な力を宿し、その力を使命のために振るっても、それは全て獅子刧明日香という自身が為すことなのだ。

 ありがとうと。あの時、少女は感謝したけれど、明日香の方こそ彼女に感謝したかった。

 

 魔術に関わることだから。十師族という影響力の強すぎる子は例外にして、雫の記憶も改竄する必要があると圭が提案した時、明日香はそれに反対しなかった。

 たとえ彼女に助けられた記憶がなくとも、もう自分は自分を見失わない。

 あんな化物じみた戦いを目撃した恐怖を引きずる必要なんてない。

 

 それでも彼女は思い出してしまった。

 圭の暗示に瑕疵があったのか、それとも意図的なものか、あるいは別のなにかの為にか……

 痛みを堪えるように眉を曇らせたのは僅かな時間だった。

 

「すまないが、今は話している時間がない。もう一体、ケイの方でも強力なホムンクルスが出ている」

 

 袖を掴む雫の手に自らの手を重ねて、明日香は傷つけないように細心の注意を払うようにして外した。

 躊躇いはある。

 けれども今は戦いの時だ。

 

 明日香の言葉に、雫はなぜそんなことが分かるのかとか、それでもと強硬に主張することはなかった。

 けれども瞳が訴え、不安に揺れていた。

 この時を逃せば、また自分の記憶は泡が弾けるようにして消えてしまうのではないかと。

 

「後で、必ず話す」

「…………」

「約束しよう」

 

 騎士の誇りにかけて……とは口にしない。それは“彼”のものであり、明日香は“彼”ではないのだから。

 それでもこの約束を違えるつもりはない。“彼”ではない、明日香自身の誓いなのだから。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11話

 

 ――――――講堂前。

 

「そぉ~れっ!」

 

 気の抜けたような掛け声とともに光弾が3つ、瞬時に手元に現れて渦を巻き、加速をつけて放たれる。

 その光弾が狙い撃つは先程別の場所で明日香が仕留めたのとはよく似たデーモンのような巨躯のホムンクルス。それは離れたところで大暴れしようとして鎮圧されたモノと同種のものであった。

 かのサーヴァントの伝承に由来する“三体の悪魔”の一体。

 

「う~ん。やっぱり効きが悪いなぁ」

 

 演算から放出までの速度こそ魔法に比べて劣っている今の圭の魔術だが、CADを操作していないことを差し引けばむしろ戦闘時においては魔法よりも出が早いかもしれない。

 その威力は見た目に不相応に高威力ではあるのだが、残念ながらこの相手には効果が薄かった。

 巨体を誇り、岩の巨人のようなホムンクルスに対してはまともに着弾してもさしたる脅威にはなっていない。

 だがそれでも、圭の魔術はまだダメージを与えているという点で攻撃していると言えた。

 

「実際、アレに対して有効なのはお前の魔術だけだ。なんとかならないのか!?」

 

 摩利は魔法を繰り出しながら、かなり焦っていた。

 先程から服部や風紀委員のメンバーをはじめ生徒たちが懸命に魔法を繰り出しているのだが、ほとんどの魔法は着弾する前に弾けて消えてしまっており、摩利や真由美、そして克人の魔法までもがほとんど効果を発揮していない。

 2年生ではトップクラスの魔法力と模擬戦の勝率を誇る副会長の服部。彼の放つ雷蛇の魔法はダメージを与えるどころか、しびれすらも感じておらず。

 三巨頭の一角でもある摩利は、講堂に最初に突入してきたガスマスクをしたテロリストのように、たとえ相手が防護対策を施していたとしても人間相手であれば気流操作によって意識混沌においやることができる。だが、あの巨体の敵相手には、そもそもあれが呼吸をしているのかも定かではなく、剣術を応用した攻撃は唸る豪腕を前に阻まれている。

 

 そしてもっとも生徒たちの意気をくじいたのは、克人が繰り出す多重の防壁魔法――魔法師や化学兵器、物理現象相手であれば鉄壁を誇ると名高き十文字家の防御魔法がデーモンの腕の一振りで容易く砕かれている光景だ。

 三巨頭が揃っていれば、いや、十文字克人一人がいるだけで、重武装した軍隊であっても近寄らせないとも思っていただけに、魔法師たちの受けている衝撃と困惑、そして恐怖は大きい。

 

「いや~、僕はほら、戦闘系ってガラじゃないじゃないですか。戦いながら魔術とか苦手なんですよ。呪文で舌噛むと危ないですし」

「っ! そんなこと、言ってる場合じゃないでしょう!」

 

 真由美が魔法を発動し、空気中の二酸化炭素を集めて作り出したドライアイスの雹を弾丸のように高速で打ち出していた。

 魔弾の射手。七草真由美が得意とする銃座そのものを作り出して多角的に銃弾を放って撃ち抜く魔法であり、彼女のマルチ・スコープと合わせれば複数の相手の視覚をつくことすらも可能な、実戦向きの魔法だ。

 だが、必殺のはずの真由美の魔法はデーモンの体表にかろうじて着弾するといった程度にしか効果がなく、あれに対してさしたる脅威とはなっていなかった。せいぜいがちょっと鬱陶しいといった程度だろう。

 たしかに大破壊力が売りの魔法ではないが、それでも人や魔法師相手では小隊規模、あるいは中隊規模ですら殲滅可能なだけの力を有しているはずなのに。

 

「これでも色々、よっと、準備はしたんですけどね」

 

 魔法師の生徒たちほど恐怖を感じてはおらず、相変わらずのほほんとした風を装ってはいるが魔術師もまた多少焦りはしていた。

 会話しながらではあるが、杖を地面に打ち付け、そこを起点に魔術を発動。地面に撒かれた種が急激に成長して蔓を伸ばし、巨体を捕え拘束する。

 

「流石にあのサイズは予想外。う~ん、呪文唱えるより殴った方が早いんですけど、いくら強化しても僕の細腕強化した程度じゃ、あれ。受け止めるだけで粉々ですよね」

 

 校内の巡回にかこつけて、この事態を予測して色々と下準備はしていた。

 だが、圭の予測ではあれほどの巨体に対する備えはしておらず、急成長させた花の蔓程度では巨腕が力任せに振り回されるだけで、ブチブチと引き千切られてしまっている。

 だがそれでも、デーモン相手に効果を発揮しているというだけ、魔法よりも魔術が有効ではあった。三巨頭や服部など一部の魔法師の放つ以外の魔法はそもそも効果を発揮する前にかき消されたように演算エラーを起こしていた。

 だからといって圭の魔術でアレを倒せるかというと別問題ではあるが……

 

「ならどうする!?」

「どうするもこうするも、実際問題、足止めと時間稼ぎくらいしかできることはないですよ。摩利先輩」

 

 実のところ、圭の予測では相手をするのはせいぜい骨人形のホムンクルス程度だと考えていた。

 彼の予測演算は、魔眼による未来視ではない。ゆえに起きた事象から高度に未来を推測するといったものでしかなく、実のところそれも完璧ではない。雫やほのかが襲われた時の状況から推測した対策を考えていた程度であり、アレ以上を予想はしても流石に今目の前にいるレベルのホムンクルスは予想外にすぎた。

 あの時の骨人形程度のサイズ・強度のホムンクルスであれば先程の植物による拘束で十分だし、手持ちの魔弾でも十分に効果を発揮しただろう。

 

「ぬぅ、っ!」

「時間稼ぎって、いつまで!?」

 

 真由美が叫ぶようにして尋ねた。

 克人が繰り出した攻撃性の高速多重移動防壁――ファランクスまでもが叩きつける端から砕かれてしまうのを見て、いよいよ危機感を強めたのだろう。

 ファランクスの真髄は一枚一枚の強度、というよりも多重多種類の防壁を高速かつ連続で繰り出すことができることにある。絶対不壊というものではないが、それでも攻撃に転じてなお効果がないとなれば歯噛みもするだろう。

 あの魔法は殺傷性ランクこそつけられてはいないが、本来直立戦車すらもスクラップにするだけの物理攻撃力があるはずなのだ。

 

「ぬがぁああ! 鬱陶しい! 潰してやる!」

「くっ!」

 

 ただ、それでも効果があったとすれば、次から次に眼前に迫ってくるファランクスに鬱陶しさを覚えさせたことだろう。足止め以上の効果がなくとも、流石に次から次に眼前に現れる薄壁は目障りで、この壁だけは叩き壊すのに僅かとはいえ時間が取られるのだから。

 足止めの効力ある攻撃を放ってくるのは圭も同じだが、間断なく押し寄せてくる分、目障りさは克人の方が上だったのだろう。

 それの主であるサーヴァントほど思考が複雑でなく、単純な思考能力しか与えられていないのも理由の一つだろう。

 デーモンは一番目障りなことをしてくる魔法師に、克人に狙いを定めて突進を開始した。

 秒間十以上、四系統八種の克人の魔法が物理障壁を含めて次々に繰り出され、デーモンへと激突して砕かれていく。

 

「くっ!」

「十文字くん!」「十文字、逃げろっ!」

 

 狙われた克人の危機に真由美と摩利が悲鳴まじりに叫ぶ。

 もはや逃げられる距離ではない。それだけあのデーモンの巨体は俊敏で、そして破壊的なのだ。

 振り上げた豪腕が迫撃砲のように克人へと墜ちる。

 

「それは勿論。―――――倒せる人が来るまでですよ」

 

 三巨頭の一角にして鎮圧の要である克人。その彼が圧殺されるのを目の前にして、なお落ち着きを失っていない圭の声。

 まさに克人の作り出す防壁を砕いて彼の巌のような体を潰さんとする、その瞬間。克人に向かって振り下ろされた腕が消えた。

 

「!」「!」

「十文字……なんだっ!」

 

 驚愕は襲われた克人のものであり、突然自身の腕が消えたデーモンのものでもあった。消えた腕は宙を舞い、そして巨腕の見た目を裏切らない衝撃音をたてて落下した。

 

 

「遅いよ、明日香。……武装はどうしたんだい?」

 

 弾丸の如く高速で飛来してきた騎士が、すれ違い様に腕を切り飛ばし、地面を削りながら着地した。その“倒せる”者に、魔術師が気軽に声をかけた。

 

「必要ない。――――すぐに終わらせる」

 

 不可視の武器を携える騎士。

 鮮やかな金紗の髪に澄んだ碧眼。魔法科高校の制服に身を包みながらも、異形を斬り伏せる剣士たる者の到着だ。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 それは瞬く間の出来事であった。

 

 三巨頭があれほどに苦戦し、恐怖をばらまいたデーモン、いや、ホムンクルスがほとんど何もできずに斬り伏せられた。

 飛来したのと同時に片腕を斬り飛ばし、嵐のような豪腕を相手に怯まず接近し、直撃すれば人など一撃で挽肉が如くなるだろう殴打を不可視の武器で弾き返し、返す腕で斬り払う。

 そして右下段からの一閃。それによって巨体は両断されて倒された。

 

「あれが……」

 

 真由美は妹から話には聞いていた。

 妹を救い出した王子様。

 捜索隊であった七草家の魔法師たちをあしらった船長姿の男。魔法さえ通じなかった恐るべき誘拐犯を圧倒し、斬り伏せた幻想のごとき騎士。

 だがその闘いを見るのは初めてで、まだ幼かった妹の幻想が盛り込まれたものだと思っていた。

 だがアレは違う。

 あれなるは貴い幻想が具現化したかのような存在。

 

 

 

「あれが魔術師、か……」

 

 摩利は真由美から話の触りを聞いてはいた。

 腕っ節が強く、魔法の基盤となった魔術を継承する魔術師(メイガス)たち。

 組織の協力なしに凶悪な誘拐犯を相手にするほどに正義感のあるやつらだと。

 風紀委員に入ったのは、真由美が言っていた、期待していたやつとは違って少し落胆し、入った魔術師の方が優秀だというからさらに落胆し、その彼ですら先程までデーモン相手に時間稼ぎしかできなかった。

 けれども遅れてやってきたそいつは、瞬く間にデーモンを斬り伏せた。

 

 その姿は以前見たときとは違っていた。

 くすんでいた金髪は鮮やかに輝くようで、離れて見ても黒かった瞳は宝玉のような碧眼に。

 

 その姿は、まさにおとぎ話の騎士のようであった。

 

 

 

 

 二体目のホムンクルスを討伐した明日香は、不可視の武器を持ったまま倒れ伏したホムンクルスを見下ろした。

 先程の一体目は処理を放置することもできなかったために核を砕いて消滅させたが、今度の一体は戦闘能力を奪うに留めた。

 無論、巨躯のホムンクルスは手足を切り飛ばしたところで、痛みを感じるわけでもなく、脅威的な兵器には違いないが、今この場には明日香もいるし圭もいる。

 対応が容易ならば少しでも情報を得るためにすぐには消滅させないのも一つの方法だろう。

 

「ケイ!」

「ほいほい、っと、人使いが荒いなぁ、ほんとに」

 

 もっとも、他の魔術師やサーヴァントが創り出したホムンクルスを介してその出処を探るような探知系の術式を明日香が使うことはできないので、そこは先程まで足止めに奮闘していた魔術師――藤丸圭の出番ではある。

 

「何をするつもりだ?」

 

 機能停止したと思しきデーモン(ホムンクルス)にやれやれとばかりに不用意そうに近づく圭に、克人が問いかけた。

 彼らが油断していることはないだろうが、あまりにも軽やかに近づく圭の足取りは、克人たちにとっての苦戦の後では不用心なものに見えた。

 

「魔術の逆探知ですよ。魔法師やら武装テロリストの人たちの方はともかく、これだけのホムンクルスとなれば、間違いなく術者の魔術の痕跡があるでしょうからね。居場所を探る重要な手がかりです」

「そんなことができるのか?」

 

 ここに達也がいれば、彼でもそれはできただろう。

 

「これだけのものだと呪詛返しはちょっと難しいですけど、機能停止したこいつ相手なら、発信元を探るくらいできるはずですから」

 

 圭の伸ばした手がホムンクルスの胴体に触れ、魔術を起動した。

 それはサイオンに対する感受性のある魔法師が見ても、何をしているかまでは分からなかっただろう。仮に魔法式を読み解くことの得意な魔法師がいたとしても、そもそも魔法式自体を構築するCADもないのだから。

 だが圭の起動させた魔術はホムンクルスへと潜りこみ、その来歴をつまびらかにしようとしていた。

 

「それでこれはいったい何だったの?」

 

 何かをしているというのは傍で見ていても分かるが、何をしているかまでは分からなかった真由美が、抑えきれない疑問を責務として尋ねた。

 彼女たちが懸命に足止めしたことで、生徒や校舎に対する被害こそなかったが、もしこんなものを複数体、ブランシュが保有しているとすれば、それは明らかに脅威であり、魔法科高校のみの問題ではなくなる。

 ブランシュは反魔法師団体であるのだから魔法師全体にとっての脅威であり、ひいては国に対しても脅威となりかねない。

 

 魔術を起動させて逆探知を仕掛けている圭だが、そういう魔術であれば片手間でもできるのだろう。閉じた片目にホムンクルスの情報を読み取り、開いた片目で現実を見ていた。

 

 

 ホムンクルスが鋳造された来歴、過去、造り手。それらの映像が流れ込んでくる。

 予想はあった。

 前回明日香が遭遇した際に得られた霊基のパターンはすでに照合してある。

 ゆえにあのサーヴァントの真名はすでに明らかだ。

 

 ――悪魔が来たぞ!!――

 

 そして配下となるホムンクルス―― デーモンを使役しているとすれば、それは伝承を紐解けばわかること。

 最悪の悪魔を自称する者。

 かの名高き―――名高くさせられた博士を悪の道に引きずり堕とそうとしたと言われる悪魔。

 その伝説を彩る戯曲“ファウスト”に語られた、彼の使役下にある“三体の悪魔”。すなわち―――

 

「ホムンクルスですよ。おそらくある伝承に基づいて―――ッッ!!!! 明日―――――」

 

 読み取る内容が過去から未来、つまり今に近づき、そして突如としてノイズが走った。

 

 ――紫色のサーヴァントの姿。伸ばされる手。体に施された仕掛け――

 

 瞬間、閉じていた片目を開いた圭はホムンクルスから手を離し、後ろへと跳ねようとし――――それよりも早く目の前のホムンクルスから閃光が溢れた。

 

 

 

 ―――――轟ッッ!!!!!

 猛烈な閃光とともに轟音を上げた爆発が、目の前で起こった。

 

「藤丸君! 獅子刧君!」

 

 爆心地――爆弾そのものとなったホムンクルスの傍には藤丸圭と獅子劫明日香の二人がまだ居て、あれを調べていたところだった。

 爆発を察知した瞬間、咄嗟に克人は防壁魔法を貼って自身と真由美や摩利たちを守った。

 幸いにも爆発は物理現象として発現しており、先ほどホムンクルスには破壊された防御魔法も、爆発を完全に防ぐことはできた。

 だがさしもの克人もあの一瞬で離れた所にいた二人にまで防御の魔法を放つことはできなかった。

 真由美の叫びが濛々と立ち込める爆発の煙へと吸い込まれ―――――彼女たちの横からドサッという音と、グエッというカエルの潰れたような声が聞こえた。

 真由美たちが視線を向けると、そこには爆発に至近距離で巻き込まれたはずの二人、圭と明日香がいた。

 

「ゲホゲホッ。明日香! もう少し持つところとか、力加減とか気を配ってくれないか! 急加速のGで僕の細首がもげるところだったよ!」

「咄嗟だったんだ。ちゃんと強化が間に合っているんだから大したことないだろう」

「いやいや! 君、限度があるって言葉を知っているかい!?」

 

 圭は明日香に襟元を持たれていて、手が離れるやせき込みながら首元をさすり、悪態をついていた。

 だがそれ以外には怪我らしい怪我は見当たらない。

 

「無事、のようだな、二人とも……」

 

 その姿に真由美はホッと胸をなでおろし、摩利も脱力したように肩をおろした。

 

「ええ、まあ。直前で感づいてくれた明日香が僕の首をもぎかけた以外は無事ですよ」

 

 爆発を察知したあの一瞬、圭は明日香に呼び掛けるのと同時におそらく引っ張られるだろう首元に硬化魔法に似た魔術か魔法をかけて保護したのだろう。

 だがたしかにあのホムンクルスの巨腕を弾き返すような剛力の持ち主に引っ張られればもげてもおかしくはないかもしれない。しかも爆発の瞬間を見ていた摩利たち、殊に知覚魔法に優れていて、あの瞬間にも発動させていた真由美ですらも認識できない速度で離脱した速度を考えれば、むしろよくもげなかったというべきか。

 

 圭の悪態と若干恨みがましい視線をよそに、明日香は明後日の方を向いており――

 

「獅子刧くん?」

「今の爆発。ここだけじゃない。他のところからも聞こえてきていたようです」

「なに!?」

 

 視線を逸らしていたのではなく、異なる爆心地を睨みつけていたのか。

 問いかけた真由美に対して口にした明日香の言葉に真由美は驚き、摩利と克人は慌てて指揮下にある部署の、各所に散らばっているはずの風紀委員と部活連の生徒たちに確認をとった。

 

「拘束していたテロリストたちが自爆しただと!?」

「なっ!!」

 

 そして返ってきた報告は彼女たちのみならず、明日香ですらも驚愕するものだった。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 各所に入り込んだ武装テロリストたち。

 その本命の目的が図書館にある秘匿情報にあったことは、この部隊を鎮圧した達也たちから報告があった。

 彼らは講堂に突入してきた第一陽動部隊が鎮圧された後、実技棟へと赴き、そこで図書館こそが彼らの本当の狙いであることを知って図書館の制圧へと出向いた。

 幸いというべきか、テロリストたちの目的が秘匿情報にあり、逆に襲撃してきたホムンクルスの目的が“魔法”にはなかったからか、本命の動きを担っていたのは魔法師やテロリストたちであった。

 達也や深雪、そして二科生ではあるものの“剣の魔法師”の異名持つ千葉家の令嬢、エリカの力量はテロリストやそれに与する学生程度であれば容易く鎮圧できるほどに魔法師として優れたものであり、秘匿情報が漏洩されることもなく、そしてテロリストたちを手引した2年生の女生徒も多少の怪我を負わせたものの無事捕縛することができた。

 そうしてテロリストたちの第一目的が失敗に終わり、風紀委員や部活連、そして教員たちの各所での活躍により軒並みテロ行為は鎮圧され、侵入してきた武装テロリスト、およびそれに助力していた生徒たちは捕縛され、事態は無事に決着を見た…………かに思われた。

 

 だが、講堂近くの戦いにおいて明日香が巨大ホムンクルスを撃破し、自爆を許してしまったのと同時に、すでに捕縛されていた武装テロリストたちもまた自爆していったのだ。

 それは周囲を巻き込むため、というよりも自爆そのものに意味があったかのようで、学校側の人的および物的被害はほとんどなかった。怪我をしたものも中にはいたが、警邏にあたっていた学生・教員はほとんどが魔法力に優れた者達で、概ねは防御魔法によって自己防衛あるいは近くの生徒を守ることができていた。ただし、それは眼前で血と肉の花火を見てしまったという精神的ショックを除けばの話だが。

 そしてもう一つ幸いなことに、テロリストたちを手引した生徒たちには、今のところ自爆者が現れていないことも、生徒たちに致命的なトラウマを植え付けずに済んだことだろう…………

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12話

 

 

 保健室―――

 

 襲撃が鎮圧され、残っていたテロリストたちも撤退あるいは自爆した後、克人や真由美、摩利たちはここを訪れていた。

 その他にも図書館でのテロリスト鎮圧に貢献した司波達也と深雪の兄妹や西条レオンハルト、千葉エリカ。そして克人たちに同行した明日香と圭の姿もあった。

 それは彼らが負傷したというわけではなく、とある治療中の生徒の事情聴取を兼ねてのものであった。

 生徒の名は壬生紗耶香。2年E組――つまりは二科の女生徒で、剣道部の女子エースでもあり…………この事件において図書館へテロリストが侵入することを手引した事件の中核メンバーでもあったからだ。

 図書館にて達也と深雪によって捕縛された――後に自爆した――他のメンバーたちとは異なり、彼女はエリカによって打破された。

 その際に如何なるやり取りがあったのかは圭や明日香には分からないが、今の彼女は憔悴こそしているが、憑き物が落ちたかのようではあった。すでにテロリストに加担する意志は消え去っており、今はエリカとの戦いによって受けた負傷のための治療中で、ベッドの上だ。

 

 魔法を併用した剣術部に対して、魔法を用いない非魔法系競技に分類される剣道部。

 それに属しているのは彼女が魔法に関して劣等生であると烙印を押された二科生であることと、純粋な剣技――殺人技術としての剣術から分かたれた人を活かす道である剣道を歩む者であるという証でもあった。

 そんな彼女がなぜこのような暴挙に与したかというと、それは彼女が劣等生の烙印を押されたことに起因していた。

 

 彼女は本来、陽の当たる道を歩む少女であった。

 2年前、中学時代には剣道の全国大会で準優勝するほどの腕前。深雪ほどではなくとも愛らしいと評することのできる容姿。マスコミによって彼女は剣道小町とまで言われるようになった。

 だがこの第一高校に入学してそれは変転してしまった。

 この学校では制度上の区別以上に、根深い魔法差別意識が根付いている。

 本来は日本トップクラスである第一高校に入学できるだけでもエリートの証左であるはずが、二科生という区別があるがゆえに魔法における劣等生の烙印を押されてしまう。そしてこの高校では普通の高校とは違って魔法力こそが第一に評価される。普通の高校生活において形成されていくだろう人間性や基礎学力などよりもとにかく魔法力。

 勿論全ての生徒がそんな歪んだ人間形成がされるわけではないが、入学したての一年生には特にその傾向が顕著で、そして希望に満ちて入学したばかりのころにそのような傷を負ってしまえば、その傷はじくじくと痛みを発し続ける。

 そんな中、思いを同じくすると近寄ってきた同じ剣道部の部長――司甲に誘われるままに魔法訓練サークルに入り、思想教育を受け、そしてエガリテのメンバーになった。

 真由美や摩理、克人らは衝撃を受けた。生徒会長と部活連会頭の立場としてはこの学内がそこまでエガリテの侵食を受けていたことに。そして摩利は、彼女こそが紗耶香が堕ちる決め手となっていたという告白に。

 

「いや、待ってくれ、壬生。それは誤解だ」

「えっ?」

「私は確か、あの時こう言ったんだ。“魔法を使わない純粋な剣術では私ではおまえの腕に敵わないから試合をするまでもない”と言ったはずだが

 

「えっ!?」「そんなっ!?」

 

 だがそれは誤解であった。

 

 剣術部の新入生向け演武を見て憧れをもった摩利に剣技の指導を願い出て、しかし二科生であることを理由に断られた。それが彼女の心を折る決め手となったはずなのに、しかし二人の認識の間には齟齬があった。

 その齟齬は僅かな言葉の違いで、しかし人の心を傷つけるには十分すぎるほどに残酷で、致命的だった。

 

「ケイ。あれは……」

 

 彼女たちのやりとりを少し離れた距離で聞いていた明日香は、隣で思案している圭に呼びかけた。

 あの二人の認識の違いは、些細な言葉の違いではあるが、それがこうまで強固に持続するとは思えない。摩利の言葉には紗耶香を貶める気持ちが全くなかったのだ。それが一年もの間、溶けるどころかより強固になっているのは、なにか別の要因が後押ししたと考えられた。

 

「催眠術。まあ暗示の一種だろうね。それが魔法か魔術か、あるいは純粋に誘導された結果かまでは分からないが……」

 

 誤解を固め、怨恨を深め、亀裂を決定的なものにする方法は様々だ。

 後押しする者がどういう手練手管によるかまでは調べてみないことにはさすがの圭も分からないが、何かの介入を疑うには十分だった。まして少なくとも一体、彼らにはその心当たりがある。

 高潔な魂を堕落させて貶める悪魔の囁き。道化の嗤い。

 かの有名な“戯曲”に語られる存在ならば、不安定な心の少女を変転させ、あの程度の誘導をかけることは容易いことだろう。

 

「じゃあ、あたしの誤解。だったんですか……? ……………なんだ、あたし、バカみたい……。勝手に先輩のこと誤解して、自分のこと、貶めて……。逆恨みで一年も無駄にして……」

 

 嗚咽が、室内に流れた。

 魔法という枷なしにエリカと剣を交えたことで剣士であった自分を取り戻し、きっかけであった摩利と落ち着いて話し合うことで誤解が解け、残されたのはテロに与したとう事実のみ。

 それは囚われていた恨みから解き放たれたばかりの少女には辛いもので――――

 

「無駄ではありません」

 

 紗耶香に声をかけたのは達也だった。

 

「エリカから聞きました。中学時代のあなたとは別人のように強くなっていたと。渡辺先輩を恨み鍛錬した一年は確かに悲しいものかもしれません。しかしその力はたしかに壬生先輩が自分で獲得した自分の力です。だから――――」

 

 彼は知っている。

 なんのために力を磨くのか。

 その意味すら知らず、何が自分に残されたものなのか、それさえも分からずにただただ鍛えてきた力。

 けれどもそれは結果的に本当に大事なもの、彼に唯一残された感情の向く先を守るために必要な力なのだと。

 だから、たとえどういう意味なのかを知らず、見失っていた結果だとしても

 

 ――――この一年は先輩にとって決して無駄ではなかったのです―――

 

 感情を交えずに、それがゆえに実直な達也の言葉は紗耶香の胸を衝いた。

 こみ上げてくるものが堪えきれない。

 

「……少し胸を借りていいかな」

 

 紗耶香はベッドの傍らの達也の胸に顔を(うず)めて嗚咽した。

 

「うっ、うう、うぁあああああ――――!!!」

 

 嗚咽は号泣に、少女の泣く声が室内に響いた。

 誰にも認められていないと自らを蔑んでいた少女は、しかし確かに彼女を認める者たちに囲まれていたのだ。

 それを思い出し、無駄だったと自ら断じてしまった一年すらも認めてくれる。それの悲しくもなんと嬉しかったことか。

 一年にも及ぶ歪みの果てに、ようやく自身を省みることができた少女の涙は―――――

 

「ぁく、くは!」

「壬生先輩?」

「くはは、きひ、キヒヒ、くぁっはっはっははははははは!!!!」

 

 ――道化の嗤いにかき消された。

 

「これはっ!」

「壬生!?」

 

 室内に流れていた悲喜の入り混じった号泣の声は、今や哄笑へと転じていた。

 その嗤い声は先程まで涙していた少女のものでは断じてなく、達也は壬生紗耶香の形をした何かから距離をとり、摩利たちは彼女の変貌に動揺して名を呼んだ。

 

「いや~。なかなか愉快な催し物ではありましたね、ええ。なんてお涙ちょうだいの物語! 悲しくて虚しくて、実にくだらない! 涙が溢れて仕方ありませんね、ええ、くヒヒヒヒ」

 

 その面貌は、陽性の愛らしさをもった少女の笑顔などではない。 

 先程までの悔恨を嘲弄して嗤う彼女は、先程までとは別の涙、すなわち笑いすぎによる涙を目尻に溜めていた。

 

「誰だ。お前は」

 

 一際動揺が大きいのはすれ違いの解けたばかりの摩利だろう。

 唖然として見ている光景が信じられないといった様子で言葉を漏らした。

 

「ダレ? ケヒヒヒ。私ですよ、えーと……ええ、覚えていないですけど、仕方ありませんよね。所詮は名も無き小娘Aですから! あひゃひゃひゃひゃひゃ!!!」

 

 摩利の問いに、紗耶香の姿をしたそれは歪んで捩じれた顔を向け、彼女とは全く違う口調で、今の彼女であれば決して言わないだろう、自らを貶める言葉を吐いた。

 

 紗耶香の明らかな異常に達也や克人たちが身構える。

 彼らの脳裏には、先ほどから洗脳という言葉がよぎっていた。

 僅かな勘違いを増悪し、固定化し、あたかも狂信者と同じように都合のいい駒として作り変える。そんな洗脳技術が、魔法であればできなくもないのだから。

 そして変装であればともかく、変身魔法などというものは魔法であっても不可能。

 光波干渉系あるいは精神干渉系の魔法によって幻惑させてあたかも変身しているかのように見せることであれば可能だが、イデアにアクセスすることで存在を認識することが可能な達也は、今目の前でベッドから立ち上がり、狂ったような笑い声をあげているのが紗耶香本人だと認識していた。

 ただし、その特異な瞳――精霊の眼(エレメンタル・サイト)には、そこになにか奇妙なものが重なりあっているのは見えた。だがそれが何なのか、広い魔法の知識を有する達也をもってしても分からなかった。

 

 この場での最善はひとまず取り押さえることか。

 達也と克人がそう判断したのも当然で――――その前に明日香が立った。

 

「巫山戯るな、キャスター。いや――――メフィスト・フェレス」

「えっ?」

 

 それは悪魔の名前。

 かの有名な戯曲“ファウスト”にも描かれた悪魔。“向上の努力を成す者”――ヨハン・ファウスト博士に囁きかけ、堕落の道へと誘う悪魔。

 魔法が世に出る前であれば空想・妄言・物語とされたものは、しかし魔法の世においては様々な解釈がなされている。

 悪魔もその一つで、存在を否定はされていない。だが、それはこうまで人格を持つものなのであろうか。

 魔法師であっても、古式魔法師であればもう少し何かが分かったかもしれない。

 

「おや? 私をご存知で。あぁ、有名ですもんねぇワタクシ。困ったものです。ファウスト博士の話は世界中で有名すぎて。死んでからも迷惑をかけるとは、本当に困った方です! くぷぷ。まぁ殺したの私なんですけどね」

 

 だが、まるであの物語が、結末こそ違えども本当にあったことのように、自身が体験したことのように語るこれは何なのか。

 果たして真実、悪魔“メフィスト・フェレス”なのか。

 饒舌に廻る舌は、この世の尽くを嘲弄しているかのようで、まさに道化の嗤いというに相応しい。

 

「なんのためにその少女の、魔法師の諍いに介入している」

 

 獅子刧明日香は紗耶香にとり憑いている、あるいは化けているこれがメフィスト・フェレスであるという確信を抱いているようで、冷徹な瞳、敵を見据える目で紗耶香を見た。

 

「おやおや。今話すことですか? せっかちですねぇ。デミ・サーヴァントさん」

 

 室内は張り詰めたような空気が流れている。

 まるで今にでも明日香が彼女に斬りかかるのではないかという緊張。

 

「ワタクシ小心者で、平和主義者ですので、貴方のような高潔な騎士サマに面と向かって来られると、メフィー怖くて怖くて…………早くしないとたくさんの人を愉快な感じにしてしまうかもしれませんねぇ。幸いここには大勢くだらない人がいますから」

 

 そんな中、笑うことのできるコレは、何なのか。

 それは自らの体ではなく、他者の口を借りているからこその余裕なのか。

 ――――いやそうではない。

 おそらくアレはそういうものなのだ。自らの命が秤にかかっていようとも、アレはその道化のごとき笑いをやめることはない。

 

「テロリストたちの本拠地を隠れ蓑にしているのか」

「おやおや、テロリストなんて呼び方を彼らに名づけるのはお可哀そうでしょう? 彼らこそ平等主義者にして博愛主義者! 魔法師という化物を駆逐する正義の魔法使いサマ(お馬鹿さん)! なのですから。ワタクシは彼らを真の平等者にして差し上げるだけですよぉ。みぃんな死ねば、まさに平等。彼らこそこれまさに平等の体現者!」 

 

 嘲笑うその言葉は決してテロリストたちを讃えるものではない。

 それどころか、すでに彼らを亡き者にする算段がついている、あるいはすでに…………

 

「ッ! なんて、ことを……」「外道がッ」

 

 真由美にとっても摩利にとってもテロリストたち(エガリテやブランシュ)は排除すべき敵ではある。だがこの敵は彼らにも増して忌むべき存在であり、唾棄すべき相手だ。

 だが―――――そう断じるにはまだ早すぎたことを、彼女たちは知る。

 

「そうそう、この少女も平等を求めて来ていましたねぇ」

「なっ!!!!!」

 

 その言葉に、一同は顔色を変えた。

 真由美たちの脳裏に閃光を瞬かせて爆発したデーモン型のホムンクルスがよぎる。

 ホムンクルスだけではない。校内に侵入した武装テロリストたちは、彼らの意志以外のものに干渉されて自爆して命を散らした。

 ならば、テロリストたちに取り込まれていた紗耶香だけが、それを仕掛けられていないという希望は、安易にすぎるというものであり――――

 

「さぁさぁ、お早くやって来ないと、この可哀想な可哀想な少女Aが見るも無残な臓物花火となってしまいますよぉ!!! アヒャヒャヒャヒャ ―――――――」

 

 明日香と圭も顔色を変え、彼らの目の前で、壬生紗耶香の姿をした道化が両腕を広げて大仰に叫んだ。

 そしてカクリと、文字通り糸の切れた人形のように紗耶香の体がくずおれた。

 狂った道化のごとき歪んだ笑みを浮かべていた顔は元の少女のものに戻り、瞳は閉じて意識を失っている。

 

「くっ!」

 

 完全にくずおれて床へと倒れる前に明日香が駆け寄りその体を抱きとめた。

 咄嗟の反応ではあったが、無論油断はしていない。いかにサーヴァントが暗示を介して操っていようとも、密着するほどの至近距離であろうとも、少女の身体能力で不意を突かれるほど気を抜いてはいない。

 だがそれは今のところは不要な心配であった。

 壬生紗耶香の顔は明らかに意識を失った者のそれであり、抱き留めた体は完全に脱力していた。

 明日香は険しい顔のまま紗耶香をベッドに寝かせなおし、圭へとアイコンタクトをとり、魔術師はそれを溜息で受け取った。

 魔術師同士の無言のやりとり。それは二人の間に念話のようなものが働いているわけではなく、ただ互いの付き合いの長さから、互いを知っていることからの無言の会話なのだ。

 

「行くつもりか。獅子刧、藤丸」

 

 二人のやりとりから察した克人が、峻烈な眼光をもって明日香と圭を見据えた。

 

「ええ、まあ。どうやら彼女の命を人質にとられていますし」

「完全に罠よ、獅子刧君。藤丸君」

「確かに、壬生の体内に仕掛けられているという爆弾を調べて解除するのを優先すべきだ」

 

 渋々といった圭の意見に、即座に真由美と摩利から反対意見が上がった。

 人質にとられているのは、紗耶香だけではなくここにはいないテロリストも同様だが、だからこそ彼女たちの立場からすれば、テロリストではなく生徒の身命をこそ守らなければならない。

 

「そっちは僕がやりますよ。爆弾の探知と、出来るのならば解呪」

 

 生徒会長と風紀委員長、二人の要望に対しては、魔術と魔法に巧みな圭が引き受けた。

 

「テロリストたちが自分の意志ではなく、遠隔で自爆させられたのなら、招待状を受け取っている以上、向かわないわけにはいきません」

「獅子刧君も……」 

 

 道化師からの招待状は受けた。

 その対価が一人の少女の、あるいはもっと大勢の者達の命であるというのなら、断固として立ち向かうべきだと、騎士の誇り(彼の中に宿る霊基が)が告げていた。

 

「それにこの手の呪詛は術者を倒すのが一番シンプルで確実性が高い。まぁ、少なくとも明日香が仕留めるまでは爆発しないように抑え込んでみせますよ」

 

 

 

 

 正体不明の怪人―――いや、藤丸圭(メイガス)の言を信じるのならばメフィスト・フェレスに爆弾を埋め込まれたという紗耶香。

 その体を精霊の眼(エレメンタル・サイト)で視た達也にも、残念ながら爆弾らしき物体は見つけられなかった。だが―――

 

 ――高密度の霊子(プシオン)が集中している所が、5箇所……これが藤丸圭の言う爆弾、か……?――

 

 イデアにアクセスした達也の眼には物質次元における爆弾を見つけることはできなかったが、情報次元におけるなんらかの超常的情報体の存在を認識できていた。

 

「ねぇ。本当にさっきのが“あの”メフィスト・フェレスなの?」

 

 おそらくこの場の皆が考えていただろう質問を真由美が口にした。

 それは達也も考えていたことで、しかしまったく信じていないというわけではなかった。

 

「伝説、というか戯曲の“ファウスト”に登場するメフィスト・フェレスとは多少違うかもしれないけど、ざっくり言うと伝承の基になったナニカの部分コピーといったところですね」

 

 先日師匠である九重八雲に聞いた情報ともそう大きくは逸脱していない。

 もっとも、“悪魔”と伝承される存在が、八雲の語った英霊に該当するとは思えないが。

 

「2年前、十文字克人先輩も遭遇したのと同種の存在ですよ」

「アレか!」

「十文字くん?」「知っているのか、十文字?」

 

 一層険しい顔つきとなった克人に、真由美と摩利が尋ねた。

 摩利はともかく、七草家は十文字家と同じ十師族。

 二人に違いがあるとすれば、単に七草家の令嬢であり、嫡子ではない真由美とは違い、克人は十師族の総領代理、あるは総領という立場にあることだ。

 2年前の魔法師子女連続誘拐事件。誘拐の危険性のある真由美は捜査には協力を許されずに保護され、一方で事件解決のために当時はまだ後継者の肩書でしかなかった克人もまた助力し、そしてあるいは遭遇したのかもしれない。

 

「サーヴァントと言ったか、藤丸? 伝説や物語にまで語られるようになった過去の英雄――英霊たちが形になったもの。いや、その一部……。いずれにしても2年前の事件では十文字も七草も、一体のアレに手玉に取られたのは事実だ」

「なにッ!?」「えっ!?」

 

 苦々しく顔を顰めた克人。それを知っていた真由美も顔を険しくし、十師族ではないためにそれを知らなかったのだろう摩利やエリカたちが驚きの表情になった。

 あの時、タイミング的に十文字家と七草家が突入する前に明日香たちは誘拐犯――ライダーのサーヴァントを撃破することができたが、全員に暗示をかけて記憶を改竄して雲隠れできるほどの時間は残されていなかった。

 結果、日本の魔法師の頂点に君臨する十師族と鉢合わせすることとなってしまった。流石に彼らほど影響力の強い魔法師たちに暗示をかけて記憶を改竄することは意義的にも難しく技術的にも当時の圭にも難しかった。

 そのためいくらかの情報を交換し、その中には誘拐犯の首領の正体――サーヴァントと呼ばれる存在についての説明もあった。

 無論のこと、現状それを再度この場で説明し直している時間はないが、十師族のニ家が共同で事にあたって解決できなかったというのは、一介の ――というには地位があるが――魔法科高校の生徒にできることではない。

 

「過去の英霊……そんなのを、本当に倒せるのか?」

「やってみなければ分からないというのが実情ですね。けれど倒さなければこの人を救う術はないね」

 

 レオの懸念は怖気づいたというよりも慎重さの現れだろう。事前に英霊について情報を収集していた達也とは違い、端的な説明を聞いて、レオやエリカは全てを理解できたわけではない。

 過去の英霊が蘇った存在。それが幽霊のような非物質的存在であっても、そうでないとしても、果たして伝説にまで語られるような存在を相手に討伐することが可能なのか。

 いっそ酷薄なほど冷静に告げる藤丸圭の言葉。沈鬱さが室内に流れ――――

 

「ならば倒そう」

 

 その空気を、獅子刧明日香は一刀両断に切って見せた。

 現状、克人が十文字家“総領”として号令を発し、東京近辺にある魔法師を急遽動員したとして、テロリストの殲滅とあの道化のサーヴァントを撃破できるかは未知数。ならばすでに同種を撃破したことのある明日香が協力してくれるのは克人としては願ってもないことで――――

 

「けど問題はどうやって彼らの居場所を探るかだねぇ」

「むぅ……」

 

 ただ続けられた圭の言葉に、明日香は沈黙で答えざるを得なかった。

 視線を克人に向けてみても、腕を組んだまま低い唸り声が漏れているのを見るに手がかりにはなりそうになり。

 だがそれも無理はない。

 一番の当事者であるテロリストたちは軒並み自爆してしまったし、仮に生きたまま捕縛できたとしても教師か警察に身柄が移されて彼らが尋問することはできなかっただろう。

 辛うじて尋問できたのが、テロに与した生徒たちだが、彼らがテロリストの本拠地を知っていたかというと怪しいだろう。

 公安や内情といった国の機関にすら目をつけられている連中が、末端として使い捨てに利用しようとした学生程度に本拠地を明かすはずはないのだから。

 

「それなら心当たりがあります」

 

 一同が驚きの視線を達也に向けた。

 彼らにしてみれば、達也は確かに優秀な風紀委員ではあるが、百家でもまして十師族でもない。エリカのように家の関係で警察権力とつながっているということもない一般家系のはずなのだから。

 そんな彼らがなぜテロリストのアジトに心当たりがあるのか。達也は問いかけるような視線には答えず、出入り口の扉を開いた。

 立っていたのは明日香や圭には馴染みのない人物で、しかし真由美たちには既知の人物であった。

 

「九重先生のお弟子さんの目をくらませようなんて虫がよすぎたわよね」

「スクールカウンセラーの小野先生?」「遥ちゃん!?」 

 

 驚いた声を上げたのはレオだ。 

 本来一科生に比べて教員との関わりの薄くなりがちな二科生だが、彼女――小野遥は例外的な人物であった。

 そのほんわかとした外見や雰囲気に学生からの人気の高いスクールカウンセラー。そんな彼女の登場に明日香と圭は意外そうに成り行きを見守った。

 

「単刀直入に聞きますが、先生はブランシュのアジトの場所を知っていますね?」

「……私にも守秘義務があるのだけど、生徒が自発的に知ってしまったならしょうがないわね」

 

 ここに来るまでになんらかのやりとりがあったのか。達也の心当たりというのは彼女のことなのだろう。問い質して入るが断定した言い方に、遥は少しだけ困ったような顔をつくった。

 

「ブランシュのアジトの場所を送るから地図を出してちょうだい」

 

 端末を介して提示された地図情報に座標データが送信されて位置が示された。

 

「近い……」

「というよりも目と鼻の先じゃねぇか!」「舐められたものね」

 

 そのあまりの近さ。

 学校から人の足でも一時間はかからないような距離にある位置にマーカーが示されていることに明日香は顔を顰め、レオとエリカは憤慨した。

 そこは街外れの丘陵地帯にこそ位置しているが、隠れ潜むというにはあまりに都市部に近い。

 

「環境テロリストの隠れ蓑であることが判明して夜逃げ同然に放棄された工場。ここを拠点にしていたのか」

 

 添付されたデータに記されている内容を考えても、およそ個人が単独で調べたものではないだろう。

 

「いやぁ、やっぱりバックアップに組織力があると違うねぇ。うん。明日香もそう思わないかい?」

 

 あまりにもあっさりと敵本拠地が見つかったことに、圭が嬉しそうに明日香に微笑みを向けた。

 その言葉には、何か別の示唆が含まれているのか、明日香は憮然とした表情で地図に視線を落としている。

 

「今まであなた達はどうやって探していたの?」

「それは当然、捜査の基本は足ですよ。怪しそうなところに出向いて歩いて、後は明日香の直感頼みですね」

 

 真由美の問いに対する圭の返答に、真由美をはじめ一同が呆れたような顔を揃って魔術師たちに向けた。

 よくもまあ、そんなアバウトな方法で、と思わなくもない。真由美や遥らは、彼ら魔術師が魔法の基となったという来歴を知っている。十師族や古式魔法師よりもなお古く、影に生きてきた魔術師の末裔。そんな彼らだからこそ、思いもよらない探索の魔術などというものがあるのかと思えば。

 だが実際にその方法で彼らは二年前の事件、サーヴァントの討伐に成功しているし、一週間前にも雫やほのかたちの危機に駆けつけることができたのだから、侮ることはできないだろう。

 

 

 

 

「十文字先輩はともかく、本当に君たちも来るつもりなのかい?」

 

 敵本拠地が判明して襲撃メンバーの選定を行った結果に、明日香は顔を顰めていた。

 

「当然でしょう!」「当たり前だぜ!」

 

 結局、テロリストのアジトには明日香と克人、そして達也と深雪のほかにもエリカとレオまでもが同行することになった。

 明日香としてはサーヴァントが自身に対する罠を仕掛けているところに魔法師とはいえ一般人を連れて行きたくはなかったのだが、克人の魔法師として、そして十師族の一人としての責務を出されては反対することは難しかった。

 この国の魔法絡みの事件においては、十師族こそがその管理を行う組織でもあるのだから。

 そして一人が同行するのであれば、なし崩し的に他の者の同行もまた否定しづらくなってしまう。

 レオやエリカは、元々血の気の多い性質でもあるのに加え、学校の学生を利用し、味方さえ爆弾に変えるような外道に対する義憤もあるのだろう。

 

 そして達也と深雪。彼らもまた思惑があってのことだ。

 

 ――彼らの周囲には気をつけた方がいい。彼らの近くに居ればいいのか、それとも離れた方がいいのかは、僕にも分からないけどね――

 

 そう曖昧に彼らに告げられた八雲の言葉。

 その真意は分からないが、いずれにしても早々に彼ら自身の目で見極める必要はある。

 魔術師という生き物を。獅子刧明日香と藤丸圭という人物たちを。

 

 一方で残されることになった真由美と摩利のどちらもが同行を願ってはいた。克人と同じく、彼女たちも生徒を危険に晒しながら自分たちは後方から指示だけ飛ばす、といった性格ではなく、それを是とするほど老獪でもない。

 だが彼女たちはこの学校の生徒会長であり、風紀委員長だ。部活連会頭の克人が前線に赴く以上、この学校の学生たちのトップ三人が揃って不在になるのは好ましくなく、校内に残党が残っている危険もまだある。

 加えて捕縛したテロリストたちが自爆したことにより精神的被害を受けた生徒たちもいるのだから。精神的安定のためにも彼女たちは残らざるを得ないだろう。

 

「さてと。それじゃあ僕もそろそろ彼女の方に取り掛かるとしよう」

 

 そして魔術師側でも残ることになったのは藤丸だ。

 敵サーヴァントに何らかの処置が施されたのだとしたら、それを解析解除できる可能性が僅かでもあるのは藤丸しかいなかった。

 少なくとも優秀な魔法師である真由美や克人には紗耶香に仕掛けられたなんらかの魔術・魔法を視ることはできなかったのだから。

 

 

 同行メンバーに顔を曇らせた明日香だが、圭がそれに関して口出ししない以上、論をもって諦めさせるのは無理だった。

 圭の方針も分からなくもない。彼は魔法師との関わりを深めたいのだろう。

 勿論、魔術を広めたいということではなく、この時代に起こりうるだろう“特異点”を解決するためには魔法師の協力が不可欠だと考えているからだ。

 

 気持ちを切り替えて、集団での討伐任務だと割り切ることにした明日香の背中越しに、圭から見送りの声がかけられた。

 

「そうそう明日香。君なら大丈夫だと思うけど、油断はしないでくれよ。無事に帰ってきて、話さないといけない約束があるんだろう?」

 

 相変わらず千里眼じみた予測演算である。

 話さなければならない相手。おそらく克人や真由美たち魔法師側にも今度こそ話をしなければならないだろう。

 だが彼らとは別に、話さなければならないのは、あの少女だ。

 そして――――

 

「ああ。君にも、問い詰めないといけないことがあるからね」

「おっと、藪蛇だったかな」

 

 問い詰めなければならないのは、この幼馴染にして従兄弟の魔術師も同様だ。

 圭の未来予測が確実なものでないことも、全てを見通せるわけでもないことも知ってはいる。けれども彼の力の全てを明日香も把握しているわけでもない。

 たとえ身内でも秘匿すべきものは隠す。それが魔術師。

 “藤丸”は魔術師らしい魔術師ではないけれど、この圭は異端で、それは魔術師としてみれば全うなのだから……というよりもこの秘匿癖は圭の悪癖だ。

 だが、圭と明日香が魔法科高校に入学して、その中に溶け込むことによって、サーヴァントの介入を誘発したとすれば、一高を巻き込み生徒に犠牲を出させるということを予測していながら戦略として組み込んでいたとしたら……

 

「君の心配事を先に解消するために言っておくと――――僕のせいではないよ」

 

 明日香の背中から明瞭な怒気を感じたのか、圭は彼にしては珍しく真摯な声で告げた。

 明日香が振り返ると、圭は既に紗耶香の方の検査に注力しており、その背中しか見えない。けれども彼が魔法師に、この学校の生徒に犠牲が出ないように戦っているということだけはわかった。

 ならばそれでいい。

 彼は国を守るために村を干上がらせることを是とする王ではない。

 明日香は魔術師としてではなく、この世界を、この世界に生きる人達を守るためにこそ、“彼”とともにあることを受け入れたのだから。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13話

 

 テロリストたち、そして“悪魔”メフィスト・フェレスの待つ敵アジトへの強襲には克人が用意した大型オフローダーに乗車して行うこととなった。

 明日香と克人、達也と深雪、そしてレオとエリカに加えて桐原という二年生が加わることになったのは明日香の表情をさらに憮然としたものにするのには十分だった。

 事情あっての同行ということで桐原本人は大層燃えているのだが、その事情とやらは一行に明かされていない。

 他の同行者たちにしても、深雪以外は明日香とは食堂で一度は会ったことがあった程度でお互いにそれほど話はしていない。

 簡単な自己紹介の後に道すがら行ったのは敵に対する情報交換だった。

 

 

「サーヴァント、英霊っつたか、アレは。具体的にはどうやって倒すんだ?」

 

 硬化魔法が得意だという西条レオは手甲のように武骨に前腕を覆う幅広で分厚いCADを装着している。

 剣の魔法師の二つ名を誇る千葉家の直系、千葉エリカは刻印のなされた特殊警棒型のCADを、剣術部エースの桐原武明は腕輪型のCADと刃引きされた刀を携えている。

 彼らはいずれも魔法を用いた荒事には自負があるのか、テロリストの鎮圧にも協力していたし、テロリストたちが自爆したという惨事を聞いてもこの強襲劇に足踏みしなかった。

 

「メフィスト・フェレスには僕があたります」

 

 だが十師族ですら対処できなかったというサーヴァントへの対策を尋ねたレオに対して、明日香は強圧的に応えた。

 それは彼の自信の表れでもあるのだが、同時に魔法師たちではサーヴァントに勝てないことが分かっているからだ。

 だが彼の意図が分かるだけに、明日香の答えにエリカはムッと顔を顰めた。彼女がこの場にいるのはテロリストに対する義憤のようなものもあるが、剣士として同じ剣士の壬生紗耶香を騙して操った者たちに対する怒りが大きい。

 そして彼女よりも憤怒を覚えている者もいた。 

 

「そいつは、壬生を洗脳したやつか?」

 

 克人が同行に加えた桐原だ。

 彼と明日香とは初対面だ。達也が風紀委員の活動初日に取り押さえたのが彼らしい。その彼がここにいる理由にはどうやら壬生紗耶香が絡んでいるようだが、詳しくは分からない。

 ただ怒りの感情を隠し切れずに内側から溢れさせているような彼を見るに、このままでは無理やりにでもメフィスト・フェレスに挑みかかりそうで明日香は強い口調のまま告げなければならなかった。

 

「相手は人を超えた英霊。魔法師であろうと、魔術師であろうと、サーヴァントは倒せません」

 

 サーヴァントという枠にはめられていたとしても英霊たる存在を相手にしては打倒するのは難しい。中には例外もあるであろうが、魔法という魔術よりもさらに神秘の薄れた文明技術によっては、魔術師のクラスたるキャスター相手に分が悪い。

 

「ふ〜ん。アンタだったら倒せるっていうの?」

 

 険のある声はエリカのものだ。

 サーヴァントという存在を直接見たことのない桐原も明日香の言い分には納得していないのがありありと見えたが、それにもまして、入学早々から一科二科などというくだらないやりとりや、優越感に浸っていた一科生を見てきたエリカにしてみれば、よく知らない一科生である明日香の言葉少なな説明は彼らと同じにも聞こえた。

 

「獅子劫は2年前にも一体、サーヴァントを倒している。サーヴァントは俺たち魔法師にとって未知の存在だ。壬生たちの命もかかっている。獅子劫に任せて俺たちはテロリストに専念するのが得策だ」

 

 助け舟を出したのは一度サーヴァントとの交戦経験のある克人からだ。

 そしてそれはたしかに正論で、エリカと桐原も不承不承ながらも引かざるを得なかった。

 捨て駒扱いどころか使い捨ての玩具扱いテロリストたちが辿った末路を思うに、壬生紗耶香のみならずエガリテの侵食を受けた他の生徒たちも爆弾にされていないとも限らない。

 

 やりとりを聞いていた達也も、彼にとっても未知の存在であるサーヴァントと戦うことのリスクを懸念していたため口を挟むことはなかった。

 

 ――確かに。師匠の話では通常の魔法攻撃は無効化される恐れがある。だが……――

 

 魔術師(明日香)に対抗手段があるというのであれば、それは達也や深雪たち(魔法師)にも不可能ではないのではないか。そのために必要なのは手段を知ること。

 達也の隣で兄を見つめる深雪も、兄であればたとえ相手が過去の英雄・怪物であろうとも倒すことは不可能ではないと信じていた。

 八雲の言を考えると、サーヴァントが出てきた場合彼らに任せた方がいいとも思えるが、一方で彼らのいないところでサーヴァントに遭遇する可能性も大いにありうる。実際、深雪は一度サーヴァントの戦闘場面に遭遇しているのだ。

 その時に対抗手段を知らないままでは命を落とす危険性もあり、それ以上に達也にとって大切な存在(深雪)を喪うことすらもありうる。

 そのために彼はあえてテロリストの殲滅戦に同行した。

 魔術師の、サーヴァントのことを知るために。もちろん、彼にとって身近にテロリストたちがいるという状況が彼らの日常の平穏を脅かす存在であるというのも理由の一つではある。

 

「あの時とは違って今回は迎撃の準備が予想されます。単独で乗り込むのならともかく、この人数でどう突入しますか?」

 

 メフィスト・フェレスの対応については明日香に一任することがひとまず決められ、しかし今回の殲滅戦ではテロリストたちへの対処も必要となる。彼らが果たしてメフィスト・フェレスの傀儡爆弾になっているのか、それとも狂信者としての反攻になるのかはまだ分からないが、明日香の言うように何らかの対処が求められることは確実だろう。

 

「突入については考えがある」

 

 それに対してハンドルを握る克人が一つの方策を提案した。

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 テロリストのアジトに乗り込む、といっても真正面からノコノコとアジトに入るほど無計画なわけではない。

 克人が提案した突入方法は、攻防一体となった方法で、しかし確実に侵入を察知される方法でもあった。

 

「パンツァー!!」

 

 レオの雄叫びにも似た声を認識したCADが魔法式の展開と構成を同時進行させてすぐさま魔法を発動。

 発動したのは、硬化魔法という物体の分子間の相対座標を固定させるという基本的な魔法だが、時速百キロ超で走行する大型オフローダーの車体全体を、衝突のタイミングに合わせて硬化するともなれば、かなり高度な技量と集中力が求められる。

 硬化魔法によって装甲車以上の破砕力を持つほどの大型車となる。

 それにより強襲突入を決行する計画だった。

 もとより挑発してきたのは向こうなのだ。こっそり侵入したとして知られるのは時間の問題どころか、迎撃態勢を整えているのは当然だろう。

 

 高速移動する大型の物体全体を硬化する魔法はそう長くは保たない。そもそも硬化魔法は狭いエリアに対して発動するのが基本となる魔法だ。

 シビアなタイミングを要求されるのは、翻せば連続発動も持続発動もできないということであり、それは硬化魔法に高い適正をもつレオだからこそできるものでもあり、意表をつくこともできる。

 しかし多大な集中力を要するもので―――

 

「!!!」「なっ!」

 

 克人の運転するオフローダーが、ブランシュのアジトと断定された廃工場の門扉を突き破った次の瞬間、フロントガラスへとナニカが激突した。

 冷静に観察する余裕があれば、それが人で、学者か法律家といった趣の外見をした痩せぎすの身体つきに伊達眼鏡をした男であることに気づいただろう。

 硬化魔法の施された時速百キロ超の大型車と激突した男は一瞬でその泣き崩れていた顔面を潰し、眼鏡の破片を顔面にめり込ませ、体の骨がぐずぐずになるほどの衝撃を受け―――

 

「レオ!」

「えっ、うおっ!!!」

 

 ―――爆発した。

 

 それは肉片が飛び散ったことを比喩するものではなく、体内に仕掛けられた爆弾が爆発したもの。一高に侵入した武装テロリストたちが辿った末路と同じ。

 多大な集中力を消耗して反応することもできなかったレオの首根っこをエリカが片手で引っ掴み、桐原を明日香が、深雪を達也がそれぞれ確保して、扉を蹴破らんばかりに(あるいは実際に蹴破り)車から飛び降りた。

 

「むんっ!!!」

 

 運転手を務めていた克人も素早く離脱しており、着地するのも待たずに爆発を遮るための、そして追撃を防ぐための防御魔法を展開。

 その判断は功を奏して、爆風と熱波に続いて降り注いだ銃弾の嵐から一同を守った。

 

「襲撃が読まれたか!」

 

 迎撃されることも考慮しての突入方法であったが、初手が銃撃程度であれば硬化魔法によって硬化されたオフローダーであれば防ぐこともできたであろう。

 だが高速突入してきた車に密着状態で爆発させるような手は予想外。よもや初手から人間爆弾を文字通り使い潰してくるというのは敵の外道さを甘く見積もりすぎていたといえるだろう。

 

 ――攻撃は銃弾のみ。なら……―――

 

「深雪。銃を黙らせてくれ」

「はい、お兄様!」

 

 精霊の眼(エレメンタル・サイト)によって襲撃者を視認した達也はすぐさま手を打つべく、それのできる者に指示を出した。

 達也の一声に反応した深雪が、広域に魔法を作用させる。

 放たれた魔法は振動減速系概念拡張魔法――“凍火(フリーズ・フレイム)”。分子の速度を減速させる、すなわち温度を下げる魔法だが応用として発火現象そのものを抑えることによって炸薬への点火を阻害し、銃火器を制圧することもできる。

 領域魔法が広がり、銃火器が沈黙する。

 ――――だが嵐のような銃声の沈黙は静寂を意味しない。

 

「はぁぁぁい! それではミナサマ! 世界の終わりの時間ですよォ!!!!」

 

 沈黙を嫌うかのように即座に狂声が響く。

 

「メフィスト・フェレス!!!!」

 

 誰何する間も、爆煙が晴れる間もなく、響き渡る道化の声に明日香が反応した。

 

 

 

 受け身をとった桐原からは既に手を離し、その右手には不可視の武器を持ち、身を包むのは一高の制服ではなく蒼と銀の鎧。

 

 力を開放した明日香はすぐさま魔力放出とともに地を蹴り、地面を爆ぜるようにして跳び出そうとした。

 くすんだ金髪は鮮やかに煌めき、黒の瞳は碧眼に輝いている。

 

 銃弾には神秘は宿っておらず、傀儡化しているかどうかはともかく銃手はテロリストだろう。ならばサーヴァント化した明日香ならば物の数ではない。

 

「ああ、ああ! せっかくの駒だったのによぉ! うちの主は豪快すぎていけねぇ! 駒ってのはもっと慎重に慎重に! 使い潰すならもっと大事なところで派手にいかねぇとなぁ!!!!」

 

 だがその前に舞い降り、道を塞いだのは三体目のデーモンタイプのホムンクルス。

 

 最初に戦ったのは戦場での略奪を象徴する悪魔――すなわち“早取屋”。

 二番目に戦ったのは戦争の凶暴性を象徴する悪魔――すなわち“喧嘩屋”

 そして三体目。物欲を象徴する悪魔――――すなわち“握り男”。

 かのファウストに記された、“悪魔”メフィスト・フェレスの使役する三人の手下の悪魔。

 

「邪魔だ! ―――ッ!」

 

 明日香は右手に持つ不可視の武器を一閃――――しようとして、寸前でその刃を軌道変更させた。

 剣が振るわれる軌跡の先に“握り男”が生身の人間を掲げたからだ。

 

 それはテロリストの一人。克人たちにとっては明確に敵で、しかし明日香にとって、明日香の中に宿る霊基にとっては片手間に切り捨てていい相手ではない。

 強引に剣閃を変えたことによる隙を狙ってテロリストたちが明日香へと飛びかかる。

 

 ――速い!?――

 

 その動きは生身の人間のものではない。加速魔法がかけられていたとしても、おそらくその反動により肉体の損傷を避け得ないほどの動き。

 そうでなくては隙が生じたとはいえ、デミ・サーヴァントの力を解放した明日香へと肉薄することはできまい。しかしそれは彼ら自身の意志によるものでないのは明白。

 

「うぁあああああッッ!」「いやだっ! いやだぁああああ!!」

「――――ッッ」

 

 魔術という異常によって肉体に介入されて強引に動かされている彼らの体の中身は最早全身複雑骨折の肉袋のようなものになっているのだろう。死にも至るほどの地獄の苦しみが彼らに襲いかかっており、さらには別の恐怖もあるのだろう。顔は涙でぐちゃぐちゃに歪んでおり、悲鳴を雄叫びのように上げている。

 

 逡巡している間はない。明日香が剣によって彼らを惨殺しなくとも、裁くために時間をかけても、彼らは一瞬後に爆散する。それがなくとも今の動きの反応によって死に至る。

 致死であることはすでに避けようもなく、ただ一瞬の今を生かされている。

 動揺しかかる明日香の心が、その中に宿る”霊基”の揺るぎない意志による訴えと反発しあう。

 テロリスト(爆弾)の手が明日香の体へと伸び――――突然、見えない壁に押しのけられて吹き飛んだ。

 

「なにっ!」

「そいつらは俺たちに任せろ、獅子刧!」

 

 援護の魔法を放ったのは克人。防御に用いるはずの防壁魔法を高速移動の要領で射出し、強固な攻性魔法へと転用してテロリストたちを吹き飛ばしたのだ。

 

「このっ! ちょろちょろと鬱陶しい!」

 

 彼以外にも、深雪の放つ魔法が驚く“握り男”に襲いかかった。

 驚くべきは敵を足止めしていることだろう。彼女の減速魔法――氷結の魔法は魔術にも匹敵するなにかがあるのか、流石に人間や魔法師相手にほどは効果を発揮していないが、ホムンクルス相手にはある程度の効果を及ぼしていた。

 そして達也は銃型のCADをテロリストたちに向けて引き金を引き、何らかの魔法を放ち、テロリストたちをダウンさせている。

 エリカやレオ、桐原もそれぞれの獲物や魔法を駆使してテロリストや“握り男”を牽制している。

 踏みとどまったのは一瞬、明日香は魔力放出によって推進力を得て飛び出し、敵本命――メフィスト・フェレスへと斬り込んだ。

 

 

 

 ――変化の魔法? いや……なんだアレは!?――

 

 精霊の眼(エレメンタル・サイト)によって今の明日香の姿を視ていた達也は、テロリストたちに向ける攻撃とは別の思考領域で違和感を捉えていた。

 確かに人間を相手にする時ほどにあのホムンクルスには魔法の効果が薄いものの、何らかの要因があるのか深雪や達也の魔法はまだ効果を保っていた。加えてあの“握り男”は“戦争男”や“早取男”に比べて直接戦闘能力が低いらしく傀儡爆弾としているテロリストたちをけしかける戦法をとっているのも大きい。

 テロリスト相手であればレオや桐原の魔法も有効。

 克人の魔法と深雪の振動減速系魔法によって“握り男”の足をとめ、そこに達也が分解魔法を放ってエリカが切り込む。それによってホムンクルス相手でも戦うことができていた。

 

 だからこそ達也は思考の一欠片を明日香たちに割くことができた。

 

 その明日香の様子は明らかに違っていた。

 古式魔法で言うところの精霊――Spiritual Beingであろうか。明日香の右手側には大量の情報体がブラックホールに吸い寄せられているかのように渦を巻いており、彼自身も異常な変貌を遂げていた。

 肉眼的には髪の色と、よく見れば瞳の色が変わっている程度だが、その中身はまるで別物――達也のイデアの世界にアクセスできる達也の精霊の眼(エレメンタル・サイト)をもってしても理解できない情報生命体と化している。

 そしてそれはまさしくあのサーヴァント――メフィスト・フェレスと同質の存在。

 内奥から尽きることなくサイオンを溢れさせ――どころか吹き荒れさせているかのような輝き。

 達也の知る中では深雪が最もサイオンの煌めき溢れる魔法師だが、彼らのそれは深雪と比較してなお人外といえる。

 あれだけサイオンを奔流のように纏わせていれば、並の魔法師ならばすぐにガス欠。サイオン量の多い達也や深雪でもあの状態で戦闘を行うことはできないだろう。ましてあれだけサイオンが吹き荒れていれば、魔法式の投射も妨げられ魔法を使えない。擬似的なキャスト・ジャミングのような状況となってしまう。

 それを応用して達也はアンティナイトなしでのキャスト・ジャミングを技としているが、彼らはまさにあるだけでキャスト・ジャミングのような効果をその身に宿しており、並の魔法どころか余程高位の魔法でも無効化されるだろう。

 

 それが激突すればどのような結果をもたらすのか。

 それをのんびりと眺めているほどの暇はない。

 あれらほどではなくとも、人間爆弾を指揮するホムンクルスとやらは魔法にとっても天敵であることが視てとれた。

 

 液体窒素すらも生み出すほどの極低温を発生させる深雪の魔法で氷漬けにされてもホムンクルスはその氷を破り、克人の鉄壁の魔法壁を受けても薙ぎ払っている。

 慣性制御魔法と加速魔法を駆使して一撃離脱を繰り返すエリカはなんとか捉え切られずに戦えているが、レオの硬化魔法や桐原の剣術では太刀打ちできないだろう。二人は傀儡状態のテロリストたちを殴り、あるいは叩きのめして戦闘不能状態に追い込んでいる。幸いにもまだ彼らが自爆前提の爆弾攻撃を仕掛けてはきていないが、近距離で受ければあの二人もただではすまないだろう。

 達也は銃型のCADをテロリストたちに構え、圧縮したサイオンを放って彼らにかかっている魔法、あるいは魔術の分解を試みた。

 

 達也の魔法演算領域は酷く歪つで偏りを持っている。

 精霊の眼(エレメンタル・サイト)という異能を持っているが、基本的に彼の魔法は2種類の魔法――すなわち分解と再成に関することに特化している。

 テロリストたちの体組織の一部を穿つことで意識をブラックアウトさせることもできるが、傀儡と化した彼らはそれでは止まらない。故に達也は彼らを操作している魔術・魔法及び体内に仕掛けられているらしい爆弾の分解を狙っていた。

 

「ひ、ひぃぃ……、か、体が動、がぼ!!」

「なんだ!? こいつら動きが」

 

 ――人体操作は分解可能か……だが、あのプシオンの塊は……――

 

「レオ! 桐原先輩! 操られているテロリストたちは解除可能です! ですが体内に爆弾が残っている恐れがあります!」

 

 操り人形状態から急に解放されて戸惑うテロリストたちを昏倒させつつも戸惑っていたレオと桐原に達也が注意を促した。

 それと同時に達也は人体分解魔法に切り替えてテロリストたちに放ち、彼らの意識を断ち切っていた。

 人のどこをどの程度分解すれば人体は動けなくなるか。それを達也は熟知している。そしてどのように人体を穿てば意識を保てずにブラックアウトするのかも。それは数多の実体験を踏まえての知識であり、彼には秘匿されてはいるものの従軍経験すらあり、一人や二人ではない数の殺人の経験すらある。

 

「なるほど。やるじゃねぇか、達也!」

 

 動きの止まったテロリストに一撃食らわして昏倒させたレオが獰猛な笑みを浮かべる。

 操作されていた彼らの動きは早く、なかなかに厄介だったのだ。彼の場合は自身に施した硬化魔法の鎧のお陰でダメージを負うことはなかったが、あの動きがなくなるだけでも段違いだ。

 レオと桐原は達也の援護を受けて次々にテロリストたちを仕留めていった。

 

 ――あとは、あのホムンクルス……くっ。獅子刧は……――

 

 ホムンクルスと対峙している克人と深雪、そしてエリカの方はなんとか膠着状態を作り出すことができていた。勿論、深雪への守護を怠る達也ではなく、意識の何割かは常にそちらに割いている。

 対象を分解する魔法を、秘匿を無視して放つことも試みはしたものの、テロリストたちにかけられている魔術あるいは魔法とは違い、あのホムンクルスを分解するには至らなかった。

 それは達也があのホムンクルス――つまり魔術の構造そのものを理解しきれていない、ということなのだろう。

 なれば防御手段の乏しい達也は、自爆攻撃に突っ込んでくるテロリストたちを掃討し、膠着している深雪や克人たちの状況を崩さないようにするのに動くべきだ。

 そして事態を好転させられるだろう明日香の方は、メフィスト・フェレスとの直接戦闘を展開していた。

 

 達也には九重八雲に師事していることから武術の経験もある。その彼からしても明日香とメフィストとの戦いは次元が違っていた。

 

 優勢なのは明日香だ。

 

 彼の持つ不可視の武器――精霊の眼(エレメンタル・サイト)では逆にプシオンやサイオン光が強すぎるそれは、大きさとしては剣といったところだろう。

 視える限りにおいては、魔法式や魔法の息継ぎなどが見られないことからなんらかの魔術なりで武器の不可視化を施しているものと考えられる。

 見えない武器というのは初見の相手に対しては大きなアドバンテージだが、それを抜きにしてもあの敵を相手にしている動きは超人的だ。

 加速魔法を用いれば確かに瞬間的にはあの身体速度を再現することはできるだろうが、明日香の動きは斬撃の鋭さも躱す時の反応性も含めて攻防の全てが魔法師のそれすらも上回っている。

 魔法師が同じことをしようとすれば、魔法の負荷に肉体が耐えられずに筋線維が千切れるか、関節が壊れるかだろう。あるいはあっという間にサイオン切れになるか、三半規管を始めとした感覚器官が激烈な加速に耐えきれずに自滅するか。

 いずれにしろ、あれほどの高速戦闘を行うにはまず、人間の知覚速度では足りるはずがない。

 たしかに魔法の中には知覚速度を向上させ、筋肉自身を操作することで人の動きを超えた動きを可能にする魔法も存在するだろうが、“アレ”がそんなものではないことは、視れば分かる。

 分かってしまった。

 両者とも超常の動きではある。だが幸いにもメフィストの扱う大鋏よりも明日香の剣技の方が勝っていた。

 不可視の剣と大鋏が打ち合うごとにメフィスト・フェレスは追い込まれている。その気になれば彼を一刀両断できるほどに。

 だがそれは達也が、魔法師が知らないからだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14話

 

 キャスターのサーヴァント、メフィスト・フェレスとの戦い。

 それは超常たる者同士の戦いでありながら、しかし白兵戦の技量においては圧倒的に明日香が上回っていた。

 魔力放出と風の精霊の加護による高速移動は、多少白兵戦技能を有していたとしてもキャスターなどに遅れを取ることは決してなく、風に包まれた不可視の刃は、たとえそれが二重の鞘による封印を施された上でも敵の大鋏を上回っている。

 

 

「流石は騎士サマ! それではコチラは――いかがですかぁ!!」

 

 戦闘にあって不必要な行為。大声と大仰な身振りを行う間隙。ただでさえ押されているメフィスト・フェレスにとっては致命的なはずのそれに対して、明日香は構えを変えて防御の姿勢に切り替えた。

 

「さぁぁってっ、御覧あれぇっ!!  微睡む爆弾(チクタク・ボゥム)! アヒャヒャハアアア!!!」

 

 微睡む爆弾(チクタク・ボム)

 そのワードをトリガーにして周囲一帯に爆弾が現出した。懐中時計と一体化した明らかに時限式の爆弾。だがそれは当然、ただ時限式であるのみならず、別の要因によっても起爆するのは明らか。

 

「っ、はぁッッ!!」

 

 明日香は気吹とともに右腕を一閃。荒れ狂うかのごとき旋風が巻き起こり、彼の周囲の爆弾を薙ぎ払って誘爆させた。

 

 ―――――それは明日香をして油断といえるだろう。

 

 彼が警戒していたのは敵の宝具。単なる武器、道具ではなく、その英霊を英霊たらしめている伝承(もの)

霊基の格では明日香の中に宿る英霊と比してメフィストの霊基は弱い。加えて高ランクの耐魔力――魔術や魔法に対する耐性を有していることからも魔術師や魔法師、そしてキャスターのサーヴァントとは相性がいい。

 

そんな相性の不利、力の多寡を覆す可能性があるのが宝具だ。

 

 “藤丸”のマスターが遺したデータによるとこの爆弾こそがメフィスト・フェレスの宝具。

 魔法師や魔術師からすれば規格外の魔術を行使できるキャスターのクラスだが、明日香に力を与える“霊基”の英霊は規格外ともいえる耐魔力の持ち主であり、風の精霊の加護をも有する今の明日香に対し、“今の”メフィストでは例え宝具によっても爆発でダメージを与えることは難しかった。

 

 だが、メフィストの爆弾が設置されたのは明日香の周囲のみではなかった。

 

「しまったっ!」 

 

 それは一瞬で、明日香を取り囲むのみならず克人たちの周りすらも取り囲んでいたのだ。  

 

「くっ! 全員不用意に動くな!」

 

 “握り男”の足止めを行っていた克人だが、しかし自分を含め仲間たちを取り囲むようにして突如として現れた爆弾に対して反応素早く、耐熱・耐物理防御の防御壁を展開。

 その展開速度、強度、規模は鉄壁の十文字家の名に相応しい仲間を守るための盾であり――――

 

 ――ッッ!? これは!!!――

 

「十文字会頭!!!」

 

 現れた爆弾を精霊の眼(エレメンタル・サイト)で視た達也だけが瞬時にそれに気が付いた。

 だがそれは明日香の反応をもってしても、サーヴァントとの戦闘中という状況下においてあまりにも致命的な遅さだった。

 

――――「がっ、―――――ッッ!!!!」――――

 

「なっっ!!?」

「か、会頭ッッ!!!!」

 

 口元を一層に歪めるメフィスト。明日香の聴覚が捉えたのは、背後で爆発する音と、肉が爆ぜる音。苦悶を必死にこらえ、けれども漏れ出るほどの苦痛を訴える克人の声。 そして動揺を露わにする桐原たちの悲鳴のような声だった。

 それを聞いて、明日香は咄嗟に振り向いてしまった。

 突き出した腕の肉がはじけ飛び、膝をつく巌のような巨体の姿と、周囲を守っていた防御魔法が消える光景。

 そして―――

 

「いやいや、いいですよねぇ。よそ見できるその余裕」

「ッッ――――!!!!」

 

 耳元でささやかれたように錯覚するほどに悪魔の声が聞こえた。

 首に、脇腹に、膝に、腕に、臓器に、悪魔のささやきをトリガーにしたようにして、明日香の体内に埋め込まれていた微睡む爆弾(チクタク・ボム)が、一斉に起爆して明日香を飲み込んだ。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 魔術師を吞み込んだ爆炎を背に立つは道化のサーヴァントとその配下たるホムンクルス(デーモン)

 

「会頭!!」

「ぐ、ぅ……く、ぉおおおあッッ!!!!」

 

 右腕の肉が弾け飛び、防御魔法を継続できないほどのダメージを受けて膝をついた克人。この場においては克人は彼らの上官の役どころであり、部下の役どころであるところの桐原が青ざめて動揺した声を上げて克人を呼ぶのを薄れいく意識でとらえ、克人はぎりぎりのところで魔法演算領域を働かせて傷口を焼いた。

 治療魔法が卓越しているのならばともかく、今この場にいる魔法師は一科生の克人と桐原、深雪を含めても治癒魔法に特化してはいないし、敵を前にして悠長に治療行為を行うゆとりもない。

 出血は著しく、すぐにでも止血しなければ完全に意識を手放すことになり、そのまま倒れ伏すだろう。

 明日香や達也がどう考えているかはともかく、この場における上官は克人だ。だからこそ彼が倒れるわけにはいかないという自負があった。

 だがそれは激痛を伴う行為であり、ただでさえ深手を負っている身だ。途切れかけていた意識が寸断し、すぐさま激痛によって覚醒する。

 さしもの克人も額から脂汗が流れ落ち、厳めしい顔が鬼気迫る形相に歪む。

 

「このチクタクくんが爆弾と思いましたか? おまぬけですねぇ」

「くっ!」

 

 防御と足止めの要であった克人が崩されたことで形勢は大きく傾いた。そしてそれだけではなく、人外の戦いを繰り広げていたサーヴァントが明日香という枷を外して立っているのだ。

 メフィストは克人たちが警戒した爆弾の一つを手元で弄び、手品のように消した。

 

「ただの見せかけですよぉ。本当の爆弾は、すでに貴方がたの体の中に設置済み。ククク。怖いですねぇ。爆発にはお気をつけください!!」

 

 爆弾を玩んでいた指が達也たちを指さす。

 達也はメフィストからは目を離さず、同時に精霊の眼(エレメンタル・サイト)によって情報次元における自分たちの情報を視て歯噛みした。

 

 ――いつの間に!?――

 

 彼らの情報体に巣食うようにして貼り付いている高密度のプシオン体。

 超心霊的存在であるプシオンが何をなすものなのか、それは達也にも分からないが、壬生沙耶香の体にもあったそれこそが、おそらくは爆弾。

 達也をしても、いつの間に爆弾が仕掛けられたのか分からなかったのだ。他の何かであればともかく、よりにもよって深雪の体にも爆弾と思しき情報体は仕掛けられている。

 油断していたはずはない。

 それこそ彼の知らない認識の死角から放たれたものとしか考えられなかった。

 

 ――くっ! こちらの解呪……いや。敵性体の排除を!――

 

 敵はこちらの知らない、感知領域の外から攻撃する手段と防御を持つサーヴァントとその配下のホムンクルス。

 達也には多くの柵からなる制約があるが、それらは彼にある唯一の激情―ー深雪のことに比べれば、いや、天秤に載せるべくもないことだ。

 四葉の秘匿も、国防軍の守秘も抑止にはなりえない。

 敵が悪魔と名乗るのであれば、彼もまた悪魔の力と呼ばれた力を振るうにためらいはない。

 

 達也の意識が切り替わり、その秘めたる力が解き放たれる――――

 

「さぁぁて、それでは次はどなたを面白おかしく、ごっ……?」

 

 放たれようとしたその時、メフィストの体からナニカが生えた。 

 

 

 メフィストの肉体を背後から貫いたのは見えない刃のようなもので、凶悪なる道化師の血を以てその刀身を暴いていた。

 

「がふ……ぉや、おゃ。頑丈ですねぇ。まったく」

「獅子刧!」

 

 メフィストに背後から致命となる刺突を与えたのは、先程爆弾の直撃を受けたはずの明日香。

 爆煙に包まれたことによる汚れこそ見られるものの、目に見える限りにおいて身体の欠損は見られず、今まさに“心臓”に一撃を受けたメフィストよりも戦闘能力を残しているように見えた。

 もっとも、あの道化師に“心臓”などというものがあればなのだが。

 一撃を受けたメフィストが苦悶し、動きを止めたこと様子からすると“心臓”に相当するものがあるのは間違いなさそうだが……

 

 

 

 

 宝具の直撃を受けたものの、それを目くらましにして明日香はメフィストの不意を撃つことに成功した。

 爆煙に紛れて“握り男”を両断するとともに、その断末魔をメフィストが察知するよりも早くその霊核に一撃を与えたのだ。

 

「マスターの居ない君の宝具では、私の耐魔力の方がわずかに上回ったようだな」

「その、ようですねぇ……」

 

 もしもこのキャスターが、()()()()()()()()()()()()()()()()()であれば、いかに明日香の耐魔力であっても宝具の直撃を受けて無事では済まなかっただろう。

 

 本来、サーヴァントはマスターとともにあってこそ、その距離が近くにあってこそその全力が発揮できる。

 サーヴァントとはこの世界、この時空には本来存在しないはずの境界記録帯(ゴーストライナー)。ゆえにこの世界に在るには、さらに特別な例を除けば、楔となるものが必要だ。

 だが()()()()()()()()()()()()()()()であるメフィスト・フェレスでは、その力を存分には発揮できない。

それは()()()()()()()()()()が、明日香はデミ・サーヴァントとして肉体というこの世界における強固な楔がある。無論のこと、メフィストにも召喚されるだけの楔はあるのだが、それはただの楔でしかなく、運用するための現世の力にはなりえない。

 

 その差が先ほどの直撃における明暗を分けたのだ。

 

「終わりだ。キャスター、メフィスト・フェレス」

 

 明日香の刃は確実にメフィストの霊核へと突き立てられている。人間における心臓に相当するサーヴァントにとっての霊核。それは人が血を全身に行き渡らせるように魔力を循環させるための基幹となる臓器。

 そこに刃が突き立てられった以上、形勢を逆転するに至る一手は最早無い。

 

「あぁ……ああ、そうですね。終わりですか。終わりですね。えぇ、ええ」

 

 だが―――――

 

「ですが、そう言えば、わたくし、思い出しました」

 

――――道化師は嗤った。

 

「今まで多くの方の生が、死に切り替わる瞬間の絶望の顔を見てきましたが、ワタクシ自身の腸を面白おかしくぶち撒けたことはなかった、と」

「なに? ッッ!!」

 

 血に濡れて刀身が暴かれた不可視の刃が掴まれた。

 傷つくことすら最早かまうことなく、その手を血塗れにして、否、自ら肉を抉らせて動きを止めた。

 

「キヒヒヒヒ。それでは最後の置き土産! 3,2,1! 微睡む爆弾(チクタク・ボゥム)!!!!」 

 

 メフィストの体に、そして不可視の刃に、明日香の体を覆うように微睡む爆弾(チクタク・ボム)を最大展開した。

 

「なっ―――――!!!!」

 

 サーヴァントは現界しているだけでも多大な魔力を消耗する。

 だが霊核に致命傷を受けたメフィストはすぐに消滅する。ゆえに現界を維持するために消費される魔力ですらも最後の足掻きに使うことができた。

 

「一度言って見たかったのですよ!!!  時よ、止まれぇ!!!!」

 

 最後となる宝具の真名解放は、先程の威力を大きく上回る、正真正銘の宝具としての威力を以て大爆発を起こした。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 ―――――自爆!!? アイツは!? ――――― 

 

 達也たちの目の前で起こった爆発の規模は、先ほどを遥かに上回っており重傷の身を押して防御魔法を展開した克人と耐熱障壁を展開した深雪の魔法がなければ彼らも巻きこまれていただろう。

 恐らくそうなれば魔法師である彼らであってもただでは済まなかったはず。ならばその直撃を至近で受けた魔術師は?

 アレが達也の識る条理の外側にある存在に近しい――サーヴァントと呼ばれる存在と類似していることは分かる。通常時であればともかく、あの状態であれば魔法すらも寄せ付けないだろう。だがそれがサーヴァントによるものならばどうだ。

 先ほどの爆発では目立った負傷が見られなかったが、今度の規模では――――

 

「すまないが、約束を破るわけにはいかない」

 

 流石に、達也も瞠目した。

 爆煙の中から現れた明日香は、流石に無傷ではないものの膝すらついておらず、まるで風を操っているかのように煙を吹き散らした。

 その姿、何らかの魔法・魔術、異能の存在を裏付けるような尋常ならざる耐久力を眼にして、達也の脳裏に奔る驚きのレベルが水準を超え、逆に平常心へと戻った。

 

 ――あれが、魔術師。獅子刧の力か……――

 

 ある事情から達也の精神は一定の振れ幅を超えることができない。 

 彼自身あまり動揺を顕にすること自体が少ないが、生まれ落ちて後に、彼の精神はそのように歪に形作られており、故にこそ動揺が一定幅を超えて冷静さを強制的に取り戻されるという事態に警戒心が際立った。

 

「大丈夫ですか、十文字先輩」

「俺の方は、ぐっ。お前の方は、大丈夫なのか?」

 

 ――果心居士の再来とも言われる忍術使いである九重八雲がサーヴァントという存在を魔法師であっても打倒できないだろう存在だと評した。

 

「ええ。危ういところではありましたが。それよりもその負傷。放っておけば腕を失いかねない。治癒魔法は?」

 

 だが明日香はそれを打倒した。それも文字家の総領である克人ですらも深手を負った敵の攻撃の直撃を2度も受け、それでも大きな傷は負っていない。

 魔法と魔術。そのどちらが上なのかはともかく、魔術では並み以上の力であってもあの獅子劫明日香を打倒するのは難しいのだ。

 ならば魔法ならば?

 達也であれば、深雪であれば、魔法師であれば、魔術師を、サーヴァントを、獅子劫明日香を上回ることはできるのか。

 

「いや。ぐっ。ひとまずこれで決着したのならば、十文字家の者を呼び後始末を行う。それでいいな、獅子劫」

「ええ、それは構いませんが…………」

 

 苦痛に顔を歪めながらも十師族としての責務を果たさんとする克人。その片腕はたしかに重傷ではあるが、現代の発達した再生医療をもってすれば特別な異能がなくとも十分に回復させることは可能だろう。

 

 深手を負った克人、それを心配する桐原やレオたち。その中で冷静さを保っているのはそのような精神構造体をしている達也と、強敵を打破して残心を崩してはいない明日香の二人。

 

「お兄様?」

「………………」

 

 ゆえにこそ、魔法師の中で達也だけがそれに気づいた。

 右手に握った拳銃型のCADを掲げて引き金を引く。拡張された視認領域におけるターゲットは、こちらに視線を向ける人間ではない存在。古式魔法に言うところの化生体――使い魔による監視の目。

 

「どうしたんだ、達也?」

「いや……………」

 

 彼の持つ特異な魔法によって監視の目を分解した達也だが、傍目には不自然な挙動にしか見えなかったことだろう。達也が何かをしたのがわかった魔法師は深雪のみで、レオは達也の不自然な挙動について尋ねてくるが、達也は言葉を濁し―――視線を明日香へと戻した。

 残心を崩しておらず、一戦後の不意打ちに対しても警戒を怠っていなかった明日香がふっと表情を和らげた。

 

 ―――気づかれた、か……?――

 

 精霊の眼(エレメンタル・サイト)による知覚とは別に、やはり達也同様に明日香もなんらかの知覚能力を有しているのか、気がついたようだ。

 達也が今の一瞬で監視の目を“消した”ことを。

 

 

 

 ――――実際のところ、明日香は直感で監視があることに気づいており、それが達也によって排除されたことにのみ気づいたのであって、どのような手段をもって排除したのかまでは分からなかった。

 ただ、達也にとって重きを置くのは獅子刧明日香が、サーヴァントという魔法師にとっても超常の存在を打破する力を持っており、達也とは別の知覚系能力を有しているのかもしれないという認識を得たことだった。

 

 

 




ついにFGO第2部が始まりました。
ちょこちょこと進めていますが、基本的には1.5部までのストーリーで進めていきたいと思いますので、よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15話

 

 

 

 一高を襲撃した武装テロリスト集団――ブランシュと、キャスターのサーヴァントとの戦いが決着した後始末は、主に克人の呼んだ十文字家の家人たちによってつけられた。

 テロリストの多くは爆弾にされて肉片となっており、ブランシュのリーダー、司一も既に亡かった。

 生き残っていた幾人かのテロリストたちは全て捕縛され、ブランシュ事件は解決を見た。

 十師族、十文字家が指揮をとったことから一般の生徒たちはそのように理解した。

 

 だが実際には指揮をとった克人は腕に深手を負い、その治療を受けていた。再生医療の発達した現代においては問題のない傷だが、悪くすれば隻腕となっていてもおかしくはないほどの深手。

 

「――――というのが、今回打倒した敵。そして2年前にも戦ったサーヴァントについてです」

 

 三巨頭の中でも十師族としての立場のある真由美と克人は、今回の事件の顛末において、魔術師についての情報を得ることを求められた。

 2年前に引き続き、国内最強の魔法師集団である十師族の魔法師を上回るやもしれない脅威を警戒するためにも必要なことである。

 事件翌日の放課後、別件で明日香とは別行動をとることとなった圭が真由美たちに情報提供のための話し合いを行っていた。

 

「メフィスト・フェレスにコロンブス……過去の英霊。そんなものを喚び出すことが可能だなんて…………」

 

 壬生紗耶香の体を傀儡としたメフィストと話はしたものの、真由美や摩利は直接はアレを見ていない。故に信じがたいことではあったが、十文字克人が片腕に重傷を負うほどの相手で、彼がこのようなことで偽りを述べるような性格ではないことはよく知っている。

 

「事実として、あれらには魔法が通用しなかった。騎乗兵(ライダー)魔術師(キャスター)、…………」

 

 克人にしてもアレがメフィスト・フェレスというのは信じがたいことではあるが、2年前のサーヴァント、クリストファー・コロンブスと戦ったことから名前ではなくその力こそは脅威であることを理解していた。

 そしてそれらに個別のコードネーム(通名)をつけられているということは、他にもいる可能性が示唆されているということだ。

 魔法の通用しない超人たち。それを打倒することができたのは彼らの知る限り明日香ただ一人。

 

「まったく、魔術というのはとんでもないな。過去に死んだ偉人すら蘇らせるとは」

 

 ため息まじりの摩利の言葉は、十師族である真由美と克人の方がより深刻に考えることだった。

 ただ、それはいささか誇大的に捉えすぎというものだ。

 

「まさか。魔術であったとしても死者は蘇らない。英霊の召喚は規格外の儀式魔術ですが、本人そのものを蘇生させるわけではありません。それに英霊召喚は、召喚することそのものも、そしてそれを運用するのも、多くの者の破滅を招きかねない禁忌に近い儀式です」

 

 “魔術”であったとしても、死者の蘇生はできない。

 サーヴァントの召喚というのも、英霊そのものを現界させることができないからこそ、あくまでも英霊の一側面のみをクラスという枠に当てはめることで擬似的に喚びだしているに過ぎない。

 

「英霊の召喚が儀式だというのなら、どうして魔術師たちはそんな儀式を始めたの? 英霊とまで呼ばれるような人たちを喚びだして、危険を犯してまで」

 

 真由美はその愛らしい顔を曇らせていた。

 十師族の魔法師とは、建前的には世俗の権力を持たない私的な集団ではある。だが、実際には魔法力は国家の軍事力と密接に関わりを持つし、その強大な力を恐れる権力者たちは多く、ゆえにこそ表裏において権力とは結びついているものだ。

 十師族、七草の長女――嫡子ではない――ともなれば、その辺りの黒いやりとり、たとえ周囲を危険に晒しても成すことがあるのは分かっている。分かっているだけに克人は眉根こそ寄せているが黙然としているが、真由美は嫡子ではないがゆえにか、まだしも一般人的な忌避感を示していた。

 

 この世界、この時代において、魔法師との協力は不可欠だろう。彼らの力は広くこの世界に馴染んでおり、今回の騒動でも彼らの情報力がなければあれほど迅速にキャスターを打破することはできなかった。

 だが一方で、魔術とは秘匿するもの。魔術師ならざる藤丸とはいえ、魔術を伝える家系の者である以上、秘匿すべきものもある。

 圭は魔術師として、そして使命持つ”藤丸”の者として、それに答える必要があった。 

 

「儀式の名前は聖杯戦争。元々は300年ほど前に日本の一地方都市で行われ始めた聖杯を巡る戦いに名を借りた魔術儀式が発端だったらしいですよ」

 

 それはある意味で始まり。

 “藤丸”家の戦いも、使命も、そこから始まったと言ってもいいのかもしれない。

 

「聖杯? それって聖遺物(レリック)の……?」

「ああ、そういえば……まぁ、聖遺物といえば聖遺物ですね。実態としては強大な魔力の集積装置のようなものですよ」

 

 小首をかしげる真由美に、圭はいささかのズレを認識しつつも正すべきときではないとした。

 現代魔法の概念においても聖遺物(レリック)というものはある。現代魔法のノウハウでは再現できないオーパーツ。

 その中には崩壊した魔術基盤によって意義をなくしたものもあれば、魔術協会の混乱によって流出して、意味もわからずに現代魔法師に受け継がれてしまったものもある。

 

「まあ実態はともかく、当時の冬木では、一般人には知られない裏側の戦いとして7騎のサーヴァントとそれを従える7人の魔術師による暗闘があったそうです」

「7騎も!?」

 

 驚愕の声を上げたのは真由美だが、それは克人も摩利にも同様のことだった。

 他にも幾人かはいると予想してはいたが、具体的な数を聞くと、彼らの厄介さを体験しただけに険しい顔にもなろう。

 

騎乗兵(ライダー)魔術師(キャスター)を始め、暗殺者(アサシン)狂戦士(バーサーカー)槍兵(ランサー)弓兵(アーチャー)、そして剣士(セイバー)。それぞれの英霊の伝承に応じて、そのクラスに当てはめる側面を降霊させて使役していたそうです」

 

 一括りに英霊といってもその伝承はあやふやなこともあれば複数の属性を持つこともある。

 

「ただ、使役される側のサーヴァントは一側面とはいえ英霊です。その性質によっては民間人に多大な被害を出すことを躊躇しない者もいれば魔術師に従うことを是としないサーヴァントも当然いたらしいです」

 

 召喚されたサーヴァントが召喚者を殺す。

 周囲に甚大な被害を与える。

 召喚者を籠絡して逆に従わせる。

 それらは今回の騒動においても見られたことで―――――かつての聖杯戦争においても見られたかも知れないこと。

 

「7人もの英霊を召喚して、一体その聖杯戦争の目的はなんだ? そしてなぜ今、それらのサーヴァントたちが召喚されている」

 

 どんどんと深刻な懸念ばかり増えてくる話に、克人は踏み込んだ。

 十師族としては、というよりも十師族の一部に今の話が伝われば、リスクを承知でサーヴァントを私物化しようとする動きが懸念されなくもない。

 すでに内々的にではあるが十師族十文字家の総領となっている克人にはその危険性が感じ取れていた。

 故にこそ、圭も危険性を伝えることを先行させ、克人はその意を汲んだ。

 強引にその術法を聞き出すことによるリスクよりも、魔術師と協調することでサーヴァントに対する備えをこそ知り、日本の魔法師に対して敵対行為を行っている者にこそ備えるべき。

 それが克人が下した判断だ。

 どのようにして行うのか(ハウダニット)ではなく、なぜ行うのか(ホワイダニット)

 

「さぁ?」

 

 ただ、残念ながら圭にもそれは答えられなかった。

 

「別に誤魔化しているわけではないですよ? 私たちは生粋の魔術師というわけじゃありませんから」

「どういうことだ? 藤丸家は魔術師の家系だろう?」

 

 ピクリと眉の上がった克人の反応に対する圭の弁明に、摩利たちが揃って首を傾げた。

 彼女たちにとって藤丸圭というのは絶えて久しい魔術を今に受け継ぐ唯一の家系であり、魔法史の転換期において闇に消えたその真相を知り得る存在だと目していたからだ。

 

「たしかに藤丸家は魔術を継ぐ家系ではありますけど、魔術師というわけではないんですよ。藤丸家が魔術師になったのだって精々この百年程度のことですし」

 

 ただ、圭にとって、藤丸にとってはその始まりからして彼らは魔術師ではなかった。

 だから魔術師の積み重ねてきた業の深さも、世界から消えた彼らの抱いていた「 」への妄執も、藤丸にはない。

 

「古式魔法師ならともかく、現代魔法師としては百年前といえばかなり長い歴史だと思うがな」

 

 現代魔法師がその歴史を歩み始めたのと、藤丸家が魔術師となったのはほぼ符合する。

 十師族はその成立過程において幾多の実験的魔法師たちの成果であるからして、名家と呼ばれる魔法師の家門においても百年を超える現代魔法師の家系はない。

 魔術師を捨てて魔法師となった古式魔法師であれば古い家系はあるが、彼らには最早魔術師であったころの名残はほとんどないといっていい。

 

「歴史の深さだけじゃありませんよ。目的そのものが魔術師ではないんですよ。

 藤丸家は魔術師というよりも魔術使い――ただ魔術を使う者であって、本来的な魔術師なんて生き物は、もうこの世界の表側にはほとんど生き残ってはいないんじゃないですかね…………多分」

 

 先史以前において、世界は神のモノであり、神と決別した時(古代ウルク)をもって世界は人のモノへと作り変えられ、神秘は薄れていった。

 それでも西暦以前の古代において、世界には神秘が色濃く残っていたが、やがて神秘が消え行くとともに魔術は弱体化し、幻想の種族は世界の裏側へと姿を消した。

 魔術師もまた同じ。

 彼らが滅びることはないだろう。彼らが積み重ねてきた妄念は魔術基盤が完全に失われる時、すなわち人がその体を不要と断じるときにまで在り続ける。

 けれども多くの基盤が喪われ、彼らの魔術をもっては“魔法”に、「 」に至ることはないのだと悟ったとき、彼らは世界から姿を消した。

 単に魔術師という生命としての種を終わらせたのかもしれないし、あるいは幻創種たちと同様に世界の裏側へと逝ってしまったのかもしれない。

 いずれにしろ、それらは“藤丸”が今に継がれていることとは関わらない。

 

「ちなみに、明日香にも言われたので弁明しておきますけど、私たちがこちら側に出てきたからサーヴァントが現れたわけではないですよ?」

 

 戦いの前に明日香が気づいた懸念。

 戦いの後、約束通り明日香は圭にそのことをみっちりと詰問した。

 圭ならば魔法科高校がサーヴァントによって襲撃されることを“予測”し得たかもしれない。

 圭のそれが万能ではないとは分かっているが、出来るだけに疑いはあった。

 魔法師たちに危機感を植え付けるために敢えて彼ら自身が魔法師たちの懐に現れ、そして“敵”を誘う。

 そんな未来を圭が創ることが出来たかも知れない。

 

 魔術師の争いに魔法師が巻き込まれたわけではない。

 そして圭はそれを知っていながら魔法科高校に入学し、魔法師たちを敢えて巻き込もうとした――わけではない。

 

「むしろ、魔法師がどこからか知った英霊召喚の儀式を利用しようとしている。あるいは利用されているのではないかと、私たちは考えています。そしてこういう事態に対処するためにこそ、明日香にはその力が宿ったのだと…………」

 

 圭が予測したのは――――“藤丸”に伝えられているのは、この時代、この世界が“特異点”になり得る事象であり、なればこそ、彼らの有無にかかわらずこの事象には異物(サーヴァント)が現れるのだと。

 

 人理定礎―――もしかするとこの時代は新たなる一つに数えられるものとなるのかもしれない。

 ただ、それはまだ語るには早すぎることだ。

 今の圭にできるのは、成立するかもしれない人理定礎を守るために―――――生きることでしかないのだ。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 圭が克人や真由美、摩利たち魔法師側の人間と話をしていたのと同じころ、明日香もまた同様の話を語っていた。

 語るといっても、明日香にとっても語れること、知っていることはそう多くはない。

 告げる相手は約束をした少女――北山雫だ。

 語る内容は、だからなぜ、彼女は助けられたのかということ。

 なぜ彼は北山雫という少女を助けたのかという理由。

 

「―――――僕は僕の目的のためにあのサーヴァント、奴隷王を討伐しただけだ。その過程で君を救うことがあったとしても、それは君が僕に感謝するものじゃない」

 

 彼女を心配して友人のほのかや深雪、そしてあの戦いの時に同行していた千葉エリカと西条レオンハルト、そして司波達也の姿もあった。

 あまりにも突き放した明日香の言い方に、雫と付き合いの長いほのかは息を呑み、

 エリカなどは明日香を睨むような眼差しを向けていた。

 

「私じゃなくても助けた?」

「ああ」

「そっか…………」

 

 白馬にこそ乗っていなくとも、その姿はまるでおとぎ話の王子様のようであった。

 絶体絶命のピンチに颯爽と駆けつけて助けてくれる騎士。

 その幻想を抱いたのは、きっと雫のみならず、2年前のあの時、彼に救われた少女たちの誰もが抱いた幻想だろう。

 だが、その本人はそれを否定する。

 あの戦いは、君を助けるための戦いではなく、自らの目的のためのものであったと。

 

 明日香にとって、それは真実だ。

 それに、確かに倒したのは彼だが、そこで振るわれた力は、“彼”のものだ。

 救われた少女がいて、その少女が幻想に囚われているのなら、それは否定すべきこと。

 明日香と“彼”とは、体を一つにはしていてもやはり違う人物だし、救われた彼女が求めたのは、獅子刧明日香という魔術師ではなく、“彼”という騎士なのだから。

 

 だから……………

 

「それでも、やっぱりありがとう。2年前も、それに昨日も、その前も、助けてくれたよね。私だけじゃなくて、他のみんなも。だから、ありがとう――――“明日香”」

 

 その言葉は―――“彼”に向けられたのではない、その言葉は、“彼”ではない明日香にとって、救いの言葉でもあった。

 

 ここにはいないはずの、消えてしまったはずの“彼”が、微笑みを浮かべたような、そんな気が、明日香にはした。

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 何処とも知れぬ暗闇の玉座に、一人の老人が座していた。

 白髪で幽鬼のごとき老人は、まさに糸の切れたかのごとくに虚脱して玉座にある。 

 

「…………キャスターは失敗しました」

 

 声を発したのは玉座の老人ではない。否、すでに彼の翁は搾り取られるだけの存在に成り果てている。

 玉座の隣に立つ男。聖職の衣に身を包んだ西洋人らしき人物こそが声の主だ。

 

「仕方ありませんね。所詮あれは異端の存在。主の恵みを否定せし、悪魔という堕落を象徴する存在なのですから」

 

 男の声は酷薄な語調で、消滅したキャスターとは陣営を同じくするはずなのに唾棄すべき存在として見なしていたのを隠していない。 

 対して、かの聖職者に対面せし者は、不和を感じさせる男の言葉を聞きながらも、嬉しそうに嘲笑っていた。

 

「いやいや、なかなかどうして。かのゲーテの記せしファウストに語られるメフィスト・フェレス。んン! やはり道化としてはいい役ぶりを見せてくれましたよ。異端を正すために立ち上がれども、そこには必ず犠牲が必要となる。いい教訓が得られたではありませんか!」

 

 聖職者とは違い、彼にとってはメフィストの消滅を含めて、結果には満足していた。

 なぜならそうでなくてはツマラナイ。

 ただ一度の暴動ごときを鎮圧した程度でハッピーエンドだなんて、そんなのは駄作もいいところ。

 

「ええ、そうですね、アサシン。やはり貴方とが一番話が合うようだ」

 

 互いの認識と感性にズレがあるのを認識しながら、けれども聖職者は相槌を返す。 

 なぜなら相手はアサシンのクラスにありながらも狂気を内包した暗殺者。まともな話が通じると思ってはいけない。

 

「物語には教訓が必要です! んン! 主の威光を示せし聖書も、それは数多の教訓から成っているのですから!」

 

「貴方の紡ぐ寓話と聖書を一緒にされたくはありませんが……全ては主の御心のままに。魔法などという異端の存在は、許されるべきではないのですよ」

 

 どこかズレたまま続けられる会話に、聖杯を手にせし悪逆のマスターは何も思わないのか? 

 否、もはや彼はただの楔。聖職者たる彼とその麾下にあるサーヴァントが現界するのに必要なだけの存在に成り果てているのだから。

 自らを追放した者達への恨み。それを奪った魔法師たちへの逆恨み。故国への、敵国への怨念。

 それらすべてを呑み込んで、すでに“裁定”は下ってしまったのだから。

 

「キャスターを倒したデミ・サーヴァントは、やはりかの騎士王の霊基を持つ者です」

「ほぉお。よもやメフィスト・フェレスごときにかの騎士王が聖剣の輝きを振るったと? んン、いえ、失礼。“裁定者(ルーラー)”の目を誤魔化せるはずもありませんでしたな」

 

 “裁定者(ルーラー)”。

 通常の聖杯戦争であれば召喚されるはずのない、7騎に属さないエクストラのクラス。

 そのクラススキル、真名看破をもってすれば、たとえ使い魔の視線越しでも、相手がデミ・サーヴァントであっても、宿る霊基の素性を暴くは容易い。

 

「残念です。かの騎士王は、敬虔な教徒であると伺っておりましたが……彼の持つ聖剣は、彼の存在は許されるべきではない。ならば、次は彼の出番かもしれませんね―――― ランサー」

 

 本来はありえないはずのクラスのサーヴァントの声に応じて、今また一人のサーヴァントが姿を現した。

 ランサーと、クラスの名で呼ばれた男の姿はまさに騎士。

 腰には剣を帯びつつも、それは飾りとして以上の意味をもたないのか、はたまた彼自身が剣を嫌っているのか、象徴のごとくに携える武器は槍。白と黒、二色に塗られた大きな槍。

 だが、そのランサーを象徴するより特徴的なのは右腕。

 そこには左腕にはつけられている鎧籠手はなく、また本来あるはずの生身の腕もない。あるのは血の通わぬ鉄の腕

 

「花と散る騎士道の終焉。騎士道の体現者たる彼に終焉をもたらすのに、彼ほどの適任はいないでしょう」

 

 伝承に曰く、彼の騎士王は偉大なりし騎士道を体現した九人の偉人の一人にも数えられ、諸説あるなかでは、とある教えに敬虔な教徒でもある。

 だがそれならば、知っているはずだ。

 奇跡とは唯一、只一人の存在にのみ許された御業なのだと。

 星の聖剣。そのようなものは、認められざる邪宝にすぎないのだと。

 すぐにでもその剣を折り、自らの神に許しを請うことこそが、騎士王に許された行為であるのだと。

 

 

 悔恨を思い出せ。絶望の内に座へと戻るがいい騎士王よ。

 汝の体現せし騎士道の、その成れの果てこそが、この騎士であるのだから。

 

 

 

 

 

    ―――第一章 Fin―――

 

 

 

 






 第一章vs.キャスター編終了です。
 最後にチラッと複数のサーヴァントを前出ししましたが、次章はv.s.アサシン&ランサー編となります。そしてさらにはなんと! あのサーヴァントが!!
 というわけで次回をお楽しみにしていただきたいのですが、次の章の開始までしばしお待ちください。FGOの第二章が始まってしまって……ではなくて、それもあるのですが、次の章の執筆がまだ途中だからです。二章のサーヴァント戦も大枠は考えているのですが、まだ九校戦そのものが手つかずです。一応明日香と圭がどうやって大会に絡むのかは決まっていますので、どの競技に絡むのかはお楽しみにお待ちください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2章 恐慌伝承舞台 九校戦編 ~v.s.ランサー&アサシン~
1話


お待ちいただいていた方は長らくお待たせしました。
第2章の開始となります。少々リアルの方が忙しく、書き溜めが進まなかったので、以前より投稿間隔がゆっくり目になりますが、コンスタントに投稿していきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。



 そこは戦場の跡地であった。

 表の人類史には決して刻まれることのない大戦の地。

 しかしそこにはもう痕跡はなかった。

 

 その戦場では数多のホムンクルスが武器を振るった。魔術を唱えた。

 巨大なゴーレムが、竜牙のゴーレムが、蟻のように群がり、一騎当千の英雄たちに蹴散らされた。

 しかしもはやその跡地はまっさらな平原となっており、かろうじて分かるのは地面を抉るように刻まれた爪痕――とある英雄たちの斬撃の痕くらいのものだろう。

 その英雄たちももはやこの世界にはない。

 

 そんな中を、一人の英雄(サーヴァント)が岩に腰かけていた。

 否、彼自身に言わせれば最早彼はサーヴァントとはいえないかもしれない。

 民のない王が王ではないように、マスターのいないサーヴァントはサーヴァントとは言えないのだから。

 本来、サーヴァントは楔であり魔力を供給するマスターが居なくては存在できない。召喚するのには特別な儀式や聖杯のようなものが必要だが、存在するだけならば、どでかい魔力タンクのような魔術師ならばなんとか維持できる。しかしマスターのいないサーヴァントはそれが受肉していない限り消滅は避けられない。あるいは世界が特異な事象下になければ……

 しかし彼にはマスターが居なかった。正しくは、“この世界にはもう”居ないであるのだが。

 

「よし、目的決まった!」

 

 この世界にマスターの居ないサーヴァントは、しかし確かにマスターとの繋がりを保っていた。

 騎士の装いに身を包む彼は、眺めていた地図を懐にしまうとピョンと座っていた岩から飛び降りて空を見上げた。

 

 世界の裏側に行ってしまったマスター。この世界の全ての人々から不死を奪っていってしまったマスター。邪竜となってしまったマスター。最後に、信じていると、頑張れと言ってくれた大好きなマスター。

 

 マスターは人を信じた。

 彼が、そして聖女が信じた人の未来を信じた。

 だから――――

 

「マスター! 空の彼方のボクのマスター! 見てるんだか見てないんだか、多分見てないと思うけど、ボクはここで誓うぞ! ボクは世界を変えられないし、人類を変革もできない! だけど、頑張る! 君の最後の命令(オーダー)通り、頑張るから! だから、のんびり待っててくれればいい!」

 

 空に向かってそう叫んだ彼は、地面を蹴って走り出し、世界を巡り――――そして世界を渡った。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 国立魔法大学付属第一高校。

 

 入学時の新入生歓迎という学生にとっての一騒動とエガリテおよびブランシュによるテロ騒動の後は、穏やかな学生生活を送ることのできていた魔法科高校の生徒たちは、次いで訪れる関門に今頭を悩ませ始めていた。 

 あるいはそんなモノ知ったことかという猛者も中にはいたが、日本でもトップクラスのエリート高校でもある一校の生徒においてはごく少数となるだろう。 

 常であれば魔法師の慣習とはいささか距離をおいている魔術師、藤丸圭と獅子刧明日香は、四月生まれの友人の誕生日を幾人かの友人たちで祝う会に招かれたりもしていたが、目下のところ―――

 

「だ~か~らっ! 四系統八種の系統魔法では冷却魔法や光魔法は振動系に分類されるんだよ」

「む? だが冷却魔法は温度情報の変換で光の魔法は視覚情報に干渉する魔法だろう。なら同じ系統なのはおかしいじゃないか」

 

 一生懸命頭を捻って魔法について覚えていた。

 

「君は考え方が古いんだよ……」

「む。僕だって温度が運動エネルギーの多寡によって起こる科学現象ということくらいは知っているさ。そして魔法という超常現象であったとしても物理的な法則に縛られているということも。だから分類するとすれば冷却魔法は減速魔法になるんじゃないか? 光だって波長の違いが色の違いになるんだろう? なら……何魔法なんだ?」

 

 といっても、主に勉強しているのは明日香の方で、圭の方はもっぱら明日香に対してレクチャーを行っているのであるが、頭を悩ませているのはお互い様だ。

 明日香は自分の知識――正確には明日香に宿る“彼の霊基”からもたらされる魔術 / 魔法に関する知識と現代魔法の知識、さらには“彼”の時代にはなかった現代科学の知識とが齟齬を起こしていて混乱しているし、圭の方はそんな友人にどうやって教えればいいものかと頭を抱えている。

 

「何をしてるの?」

 

 そんな二人にいつも通りの感情を伺わせづらい眼差しとともに雫が尋ねてきた。

 彼女から見れば、超常の悪魔や骸骨、サーヴァントを相手にあれほど勇敢に戦っていた彼と、魔術師という魔法師とはある種隔絶したような圭とが揃って図書館で頭を悩ませている光景が物珍しかったのだろう。

 雫に声をかけられて、これまた珍しく明日香はきまり悪そうな顔になり、一方で圭はいつもの笑顔を向けた。

 

「やぁ雫ちゃん。試験に向けて頭の固い友人に個人レッスンをしているのさ」

「試験勉強?」

 

 傍に寄って明日香の手元のディスプレイを覗き込むと、そこには必修科目である魔法学についてのテキストが開かれていた。

 魔法学校に入学して入るものの、彼らが本来は魔法師(ウィザード)ではなく魔術師(メイガス)という、古式魔法とも違う術理に生きる家系なのだということは、以前に聞いている。

 意外に感じたのは、魔法師ではない魔術師である彼らが、魔法のことで頭を悩ませているのに加え、サーヴァントとの戦いでも見せたように魔法師と比べても超常的な力を見せていたからだろう。

 雫が明日香の顔を覗き込むと、きまり悪そうにしている明日香が誤魔化すように視線を泳がせて頬を掻いた。

 

「定期試験まで残り10日ほどだからね」

「明日香はまぁ、なんというか、うん。頭が固いというか……入試でも魔法実技の成績が優遇されてないと危なかったというような感じでね」

 

 試験勉強に対する一般論的に頑張っていますと言い換えようという明日香の試みは、圭によってあっさりと暴露されていた。

 

「む……」

 

 案に脳筋(BBB)ゴリラですと言われているかのようで明日香は口をへの字に結んだが、たしかに実際のところ入試成績では筆記試験に比べて魔法実技の成績が圧倒的に優遇されており、壊滅、とまではいかなくとも芳しくなかった明日香の成績で一科生になれたのも実技成績が良かったからだ。

 

「圭くんは?」

「僕かい? 僕は優秀だからね。おかげでこうして明日香に教える程度には余裕があるわけだけど…………」

 

 飄々として応える圭だが、そのレッスンがあまりうまくいっているように思えないのは、二人揃って頭を抱えている様子を見れば分かる。

 

「…………」

「雫?」

 

 二人を見比べた雫は、明日香の隣の席を引くと無言で席に座り、自身もディスプレイを立ち上げた。

 

「試験勉強。私も付き合う」

「え?」

 

 表情の変化が乏しく大人びて見えるため淡々として見えるため、協力を申し出てくれているということを理解するのにワンテンポ、明日香の反応が遅れた。

 

「それは助かるよ! うん。さぁ、一緒に頑張ろうじゃないか」

 

 それは申し訳ないとか、自分のために時間を割かせるわけにはいかないとか、返す前に圭がニコニコとその申し出を受け入れてしまったものだから明日香としては言葉が続かない。

 実際、魔術師である圭は、魔法にこそ理解を示してはいるが考え方は魔術寄りで、どうしても魔法に対する造詣は深くない。

 そして雫は、同じクラスの深雪には劣るものの、友人のほのかともども学年でも指折りの成績優秀者として知られている。(ちなみに入試成績の上位者リストは新入生の部活勧誘期において密かに出回っており、それは学校側としても黙認状態である。)

 出遅れた明日香は雫が準備万端で教える体勢を整えて居るのをみて、申し訳無さを感じつつもその好意に甘えることにした。

 

「それじゃあ、よろしく頼むよ、雫」

「うん」

 

 

 

 

 ――――――わけなのだが。

 

「魔法と違って魔術というのは一子相伝でね。後継者以外が全く魔術を使えなくなるわけではないけど、代々積み重ねてきた魔術というのはほぼすべて後継者一人だけが継ぐものなんだ――明日香、それじゃ系統魔法じゃなくて、エレメンツの分類だよ」

 

「む。そうなのか」

「僕と明日香、藤丸家と獅子劫家っていうのは親戚でね。藤丸家が本家で獅子劫家が分家みたいなものさ。なもんで厳密には明日香は魔術を継いではいないんだ」

 

「そうなの? ――明日香、そこはエレメンツは魔法開発の初期に試みられた自然科学的な魔法解釈方法。あと、そっちの魔法式は順序が逆」

「え? ここかい?」

「そこ。二列目の式と三列目の式が逆――でも……」

 

「まあ、明日香と僕は少し特殊でね。特に彼の場合は継いできた魔術とは違っていてね。あとその歪んだ幾何学模様はなんだい、明日香?」

「いや、これは円形を描こうとして……」

 

 

 教師役が二人に増えればたしかに効率は増した。

 ただ明日香が一生懸命魔法について試験範囲をさらっている横で、圭は差し障りのない範囲での魔術レクチャーを雫に行っていて合間合間に二人して明日香にダメ出しをしてくるものだからたまったものではなかった。

 そんな授業形態になった発端は、まあ言ってみれば学年でも指折りの美少女である北山雫がそこにいて、紳士たる藤丸圭が会話を弾ませないわけにはいかないという妙な矜持を発揮したせいだ。

 それで行われた会話があからさまに口説きに走っている内容であれば雫も相手にはしなかったであろうが、なまじそれが明日香にも関わる、つまりは魔術や藤丸・獅子刧家のことだったものだから、話に食いついてしまい、このような事態になったのだった。

 

 なお、明日香に宿って力を貸す“彼”の霊基だが、その恩恵は事務処理作業や勉学的な知力にまでは力を貸してはくれない。

 それが元々の“彼”の能力に由来するものなのか、単にすでに霊基を譲り渡して明日香の中には居ないからなのかは分からないが…………

 

 白熱する二人の会話と指導の前に、明日香が白煙を上げるまでそう長くはかからなかった。

 

 

 

 

 

「さて、と。時間も時間だけれど、今日のところはこんなものかな」

 

 頭から湯気を立ち上らせていそうなほどにいろいろと詰め込んで机に撃沈している明日香の隣で、圭がディスプレイを落とした。

 

「ぅ……ぁあ。今日は付き合ってくれてありがとう、雫。君のおかげで随分と捗ったような気がするよ」

 

 のっそりと顔を上げた明日香は疲れた顔にぎこちない笑顔を貼り付けて雫に謝意を示した。

 感謝の言葉に雫は首を左右に振る。

 

 

 ―――感謝をしたいのは、やはり自分だ。

 助けてもらった恩返し、には程遠いが少しでも何か役に立つことができないかと、お礼を言えたあの時からずっと考えていたから。

 だから…………

 

「おやおや、獅子刧明日香ともあろう男が、レディの貴重な時間を浪費させて、礼の一言で終わらせるつもりかい? ここは騎士らしく行動で感謝を示すべきだと思うけれどね。ついでに僕にも」

「む。たしかにそうだな…………」

 

 ――のだが、ニマニマとした笑顔で圭が話をおかしな方向にもっていき、なにやら明日香も納得してしまっている。

 

「そんなの――」

「いや。すまないが、お礼をしたいけれど、なにをしたらいいのかすぐに思いつかない。だから僕にできることがあったら、なんでも言ってくれ」

 

 そんなものは不要だと、告げようとする雫にかぶる形で告げる明日香に、雫は言葉をつまらせた。

 

「なんでも?」

「ああ。出来る限りのことはしよう」

 

 これはお礼だからと、そう言ってしまえればよかったが、告げられた言葉があまりにも、そう、なんだか魅力的な響きを伴って聞こえて、雫は思わず反駁してしまった。

 

「なら…………」

 

 ただ、なんと告げようか。

 蠱惑的な響きを持ち過ぎていて、なんだか自分の理性とは違うところが口を動かしているようで、けれど今の勉強に釣り合うお願いごとは思い浮かばなかった。

 

 そう、これは試験勉強のお礼なのだ。

 なんでもと、そう言ってはくれていても、それに釣り合うお願いごとをやはりお願いするものなのだ。

 

 また一緒に勉強しよう? ――そうじゃない。

 一度うちに来て欲しい? ――たしかにそれは思うが、試験勉強で困っているというのに呼びつけるのか?

 他には、他には……………

 そう、定期試験―――それは単純に学業成績をつけるためだけのものではなく、この時期、この魔法科高校においては別の意味がある。

 だから――――

 

「試験……まずは試験、頑張って」

 

 思い当たったのは、この試験の“後”のこと。

 この試験の成績は、“あること”の選抜に考慮される。

 

「勿論。せっかく雫が教えてくれたんだ。それに応えてみせるとも」

「うん。お願い、だよ」

 

 今はまだこれがお願い。

 頑張ってくれればきっと………………

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 試験の日は瞬く間にやってきた。

 それはそれ以外の騒動(サーヴァントの発見と交戦)が特にない、平穏な日常であったからなのだが、入学当初に見られた明日香の切羽詰まったような闇雲な探索活動も鳴りを潜めていた。

 聖杯探索、そして敵サーヴァントの捜索がどうでもよくなったから、というのでは無論ない。

 圭の言うことを認めたからだ。

 つまりこの時代、この世界、この場所……あたりが特異点となりうる事象であり、情報もなしに闇雲に動き回っても見つからないものは見つからないのだと。

 むしろこの時代、この世界と深く関わる事こそが、護るべき世界の一員として過ごす事こそが、尊く、生ある人間として生きていくのに必要なのだと……。

 つまりは学校生活を一先ずは楽しむようにして溶け込み、過ごすことにしたわけだ。

 

「やったー!」

「一位の深雪は当然として、まぁ順当な結果だね」

「すごいな雫もほのかも、勿論深雪も」

 

 そしてその試験結果の公表日。

 歓喜に、あるいは悲嘆の声がそこかしこで聞こえていたが、明日香の近しい友人たちはもっぱら好成績を修めていた。

 理論・実技を合算した総合成績のトップには司波深雪。総合二位にはほのか、三位には雫がランクインしており、圭とかろうじて明日香も氏名公表の対象となる上位陣に名を連ねていた。

 理論のみの結果では、雫やほのか、圭とは異なり残念ながら明日香は氏名公表の対象となるほどの成績には至らなかったが、その代わりに実技においては一桁位。実技成績の方が比率が重く、かつそれは九校戦の選考基準になるところで稼げたのが大きかった。

 クラスの主に男子の中には理論の上位成績者に二科生の名がいくつもあることに不満を訴える者も多かった。なにせ理論一位からして二科生の司波達也で二位こそ深雪の名があるが、三位にはこれまた二科生の某の名前があるのだから。

 といっても、それは所詮ただの愚痴でしかなく、訴えたところで上位成績者の点数が下がるわけでも彼らの得点が上がるわけでもない見苦しいだけの行いだ。

 

「この成績だったら雫も私も、九校戦のメンバーに選ばれるよね!」

 

 前向きに定期試験の次に思いを馳せているほのか(第二位)の方がよほど有意義だろう。

 九校戦―――それは魔法科高校に所属する者、魔法師を志す者にとって憧れの舞台であり―――――

 

「九校戦? なんだいそれは?」

 

 明日香のその首を傾げてのその発言に、それを薄々予感していた雫は死んだ魚のような冷ややかな眼差しを向け、ほのかはぎょっとした顔になった。

 

 

 

 

 風紀委員会本部。

 そこには今、委員長である摩利と、なぜかそこで事務処理をやらされている(一緒にやっている、ではなく、本来は諸先輩方並びに目の前で椅子に腰掛けている風紀委員長がまとめておくべき書類までぶん投げられている)達也、そして特に達也を手伝うわけでもなく九校戦についてをまとめられたパンフレットを眺めている圭がいた。

 

「全国に9つある魔法科高校の対抗戦ですか。あぁ、なるほど、それでか……いやいや、ちょっとしたことですよ、うん」

 

 九校戦に関する情報――定期試験の成績によってメンバーが考慮されるということを聞いて思い当たる節のあった圭は、薄く口元に笑みを浮かべた。

 

 試験を頑張ってほしい、そう誰かさんにお願いした少女の狙いは、誰かさんに九校戦に出て欲しい、もっといえば一緒に出たい、といったところだったのだろう。

 

「ところで成績上位者から選ばれるということは今回の定期試験の結果で、おおよそ選抜メンバーは決まっているんですか?」

 

 なので、そこは是非とも愉快な感じになってくれていると、物語として面白い。そう言わんばかりに話している圭と、面倒見よく、というよりも事務処理作業から逃れる口実とばかりに話し込んでいる摩理を背に、達也は言いたいことを呑み込んで資料作りに励んでいた。

 

「ああ。女子では達也くんの妹も当然だが選ばれているし、男子では君と獅子刧くんも選抜されているぞ」

 

 達也が風紀委員に所属し始めたころの、この本部の整理されなさ具合や、伝統的に風紀委員会の引き継ぎがまともに行われていないということ、そして達也が事務処理に長けているということを知るや否やのぶん投げ具合からするに、風紀委員長である摩利の事務処理能力は推して知るべしといったところだろう。

 そして風紀委員に所属しているという口実でやってきたにもかかわらず、手伝いに関しては笑って誤魔化す藤丸圭にも、達也は早々に見切りをつけていた。

 引き継ぎが実際に行われるのは二ヶ月以上先のことで、達也一人でも時間に追われるということはないし、達也の処理能力からするとむしろ一人の方が早いかもしれない。

 

「おやおや、明日香も。いくつか競技があるようですが、どれに出るかは決まっているんですか?」

 

 話している内容に関しても、深雪が関わることになる以上興味がないわけではない。

 達也からして見ても深雪が選ばれないわけはないだろうし、単純に成績的な意味でも学年主席を選抜メンバーにしない理由はないだろう。

 それに加えて、基本的に秘匿されているはずの魔術師たちが高校生の魔法大会とはいえ大々的に行われるイベントに参加するのが意外だったというのもある(九校戦は一般―――非魔法師であるという意味の一般大衆向けにもテレビ放送されている)。

 

 達也は所要があって――過去における彼の夏休みは主に実家に関わる何かや実家やその他色々とやることがあって観戦に行ったことはないが、深雪は何度か直に観戦に赴いている。

 

「基本的に部活動に入っている者は部活連からの推薦になるな。あとは本人の魔法適正なんかを見てになるが。君の方はどれになるかはまだ分からないが、獅子刧の方はまず間違いなくモノリスコードに選ばれるだろうな」

 

 一応、事務処理を何もしない風紀委員長も、達也だけに仕事をさせているのが悪いとは思っているのか、圭が眺めているのと同じパンフレットを達也にも手渡してきた。

 それをどうもと受け取り、一段落ついた合間に達也も眺めることとした。

 行われる競技はバトルボード(波乗り)アイスピラーズブレイク(棒倒し)スピードシューティング(早撃ち)、クラウドボールがそれぞれ男子女子に分かれて行われ、男子のみのモノリスコードと女子のみのミラージバッドがある。それぞれ一年生のみの新人戦と本戦とが行われる。

 深雪が出るとすれば、その魔法特性から棒倒しの別名のアイスピラーズブレイクが有力だろう。

 

「へぇ~、モノリスコードですか、どれどれ……」

 

 そして獅子刧が出るだろうと思われるモノリスコードは、男子のみで行われるという開催意図から分かるように、直接攻撃こそ禁止されているもののかなり実戦に近い魔法競技だ。以前見たサーヴァントとの戦闘を見るに、あの力を対人戦闘で発揮することができるのであれば、魔法師といえど圧倒的だろう。

 

「……おや?」

「どうかしたか?」

「いえ、このルールだと、明日香がモノリスコードに出るのは難しそうですね」

「なに!?」

 

 ルールブックを確認していた圭の言葉に、摩利は目を剥いた。

 明日香がモノリスコードに出場すれば、絶対勝利は間違いなしと、それだけ確信していた計算が早々に崩れたのだから。 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話

 

 

 

 九校戦――正式名称を全国魔法科高校親善魔法競技大会。

 

 一年生のみ参加の新人戦と全学年が参加できる本戦とに分かれるその競技大会では、6つあるそれぞれの競技に割り振られた得点の合計で各校の順位付けがなされる。

 その中で、男子のみがエントリーできる競技であるモノリス・コードは男子三人が一チームとなって出場するチーム対抗戦で、得点配分が他の競技に比べて高い。

 新人戦の得点は本戦の半分であり、まだ入学して間もない一年生とはいえ、過去の九校戦――殊に現在の三年生が一年目の時などはやがて来るだろう最強世代の到来を予感させる見応えある戦いとなることもあり、スター誕生の瞬間を目の当たりにできるかもしれないという期待感もある。

 

 九校戦は魔法の視覚処理を施された上で一般の非魔法師も見ることのできるテレビ放送がされることもあり、魔法師非魔法師問わずにフリークが存在したりもする。

 ただし、例年富士の演習場南東エリアを舞台に行われるその大会には、政府関係者や魔法関係者のみならず、一般企業や海外からも大勢の観客と研究者とスカウトが来ることもあり、場所柄軍事施設とも近いため一般人が直接観戦することはなかなか難しい。

 

「………………」

「雫」

 

 北山雫は現在こそ魔法科高校の学生で、当事者となっているが、去年までは魔法科高校の入学を志す一般人でしかなく、しかし日本屈指の企業家の令嬢ということもあってその貴重な直接観戦を行うことができていた。

 そして鳥肌が立つほどの感動を覚える魔法競技の舞台にいつかは自分も立ちたいと思っていたし、特に彼女は熱烈なモノリス・コードのフリークであった。

 ――そこに泡沫の夢に出てきた誰かがいることを期待していたこともある。

 とても強い魔法戦闘技能士で、自分と同じくらいの年齢ならば、きっとモノリス・コードの舞台に立っているはずという希望も、心のどこかにあったのかもしれない。

 

 そして今年、その九校戦の舞台に自分が立つ権利を有し、同時にその本人もまた出場できるかもしれないと分かり、それならば彼が、自分が一番好きなモノリス・コードに出場して、きっと活躍すると、その夢想は残念ながら叶えられそうになかった。

 

「…………なに?」

 

 いつも通り平静を装った感情の起伏の乏しい表情を取り繕ってはいるが、その纏っている空気が不機嫌ですと告げる声。

 それは先ほど獅子劫明日香という魔術師の彼に、九校戦についての説明を熱く行ってからだ。

 より正確にはモノリス・コードへの出場の期待を打ち明け、そのルールを説明したところ、適正がなさそうだと言われたから。 

 

「モノリスコードの件は、すまない」

 

 彼が九校戦について知らなかったのは、まあ、百歩譲って仕方ない。

 雫が好きな九校戦だが、彼は魔法師ではなく魔術師。違う価値観の中で生きているというのだから、まあ仕方ないだろう。本当は仕方なくないけれども仕方ない。

 

 不満なのは、彼がモノリス・コードのルール上では十全の力が出せないことだ。

 モノリス・コードは競技の中では最も実戦に近い競技ではあるが、れっきとした魔法実技であり、武器の有無にかかわらず直接的な接触攻撃が禁止されているからだ。

 明日香の戦い方は、見えない魔法を操って相手を撃破する戦闘スタイルで一見すると非直接的な魔法攻撃を行っているようにも見える。

 だが実際には武器に魔法(魔術)をかけて不可視化させて振るっているれっきとした直接接触攻撃――白兵戦だ。

 それでは“仮にその力が発揮できたとしても”、ルールに抵触どころか、ぶっちぎりでルール違反だ。

 そしてルール内で適したタイプの便利な遠隔魔法能力は残念ながら明日香にはない。

 

 ということを、本人の口からカミングアウトされたわけだ。

 ちなみに同じことを風紀委員会の本部で圭が摩利に告げていたりする。

 

 確かに彼女から直接モノリス・コードで活躍して欲しいなどといったお願いをされたわけではない。

 だからこそ雫も直接は怒っていない。

 約束を破られたわけではないのだから。

 だが明日香はたしかに雫に対してお願いをきく約束をしたし、彼女はそれを望んでいた。

 それを叶えられないのは事実だ。

 だからこれは拗ねているだけ。それもひどく身勝手なわがまま。

 本当は感謝しなければならないのは自分の方で、彼からしてもらったことに比べれば自分が彼にしてあげられたことなんて本当に些細なことでしかないのに、彼の好意に甘えているだけ。

 

「けれども約束は違えない。絶対だ。選ばれた競技では必ず全力を尽くすことを誓おう」

 

 けれどもそう言ってくれる彼に甘えてしまいたくなる。

 

「騎士の誇り、いや、君に対して誓おう」

「…………わかった」

 

 真摯な瞳で、たわいのないことのはずの約束をまるで騎士が誓うように告げる彼の言葉を、雫は頷く以外に返す術がなかった。

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 九校戦に対する準備は一筋縄ではいかなかった。

 

 そもそも一高は教師からして実技偏重主義であり、魔法工学分野に対する造詣に浅さがあった。

 勿論教師の中には魔法大学から出向しているだけあって魔法学の特定分野においては比類ない知識をもつ教師もいるが、全体的にCAD分野に対する知識が浅かった。

 結果、それは生徒にも反映されているのか、一高にはCADの技術者が少ないという問題点を抱えていた。

 全国に九校ある魔法科高校にはそれぞれ特色がある。

 例えば尚武を掲げる三校は特に戦闘系の魔法実技に重きを置いているし、瀬戸内を本拠とする七校であれば海の異名を冠するように水上系の魔法を特技とした生徒が多い。そして九校の中で魔法工学のような理論的な分野に力を入れているのが第四高校であり、第一高校は全体的に優秀とされてはいるが、どちらかというと実技より。

 すなわち魔法工学系のエンジニアが少ない傾向があった。

 九校戦の出場メンバーはなにも魔法実技が卓越している者だけが選ばれるわけではない。

 競技出場選手に限ればたしかに魔法実技の優秀者から選ばれるのだが、九校戦ではCADのスペックに制限がかけられる。

 それは安全上の理由からでもあるし、公平性を担保する意味でもある。

 そして概して、九校戦で定められているCADのスペックは、それに選ばれるほど優秀な魔法師が持つCADと比べると低スペックな基準に定められており、そのために技術スタッフは低スペックのCADでいかに選手の技量を発揮させられるかの技量や戦略が問われる。

  だが競技出場選手がイコール自身のCADを自身で完全に調整できるかというとそうではなく、魔工技師の協力が必要となり、技師もまた当然学生が務めることになり、そのために技術スタッフも選定する必要がある。

 だがそういた魔工学的な技術理論よりも実際的な魔法の技術を重視する一高では技術スタッフが育ちにくい環境となっているらしい。

 つまり――――第一高校には技術スタッフに問題があったわけだ。

 

 

「―――最後に技術スタッフの紹介です。技術スタッフ、2-C五十里啓―――1-E司波達也」

 

 そんなこんなで、九校戦出場メンバーは一悶着の果てに発足式を迎えた。

 選手四十名、作戦スタッフ四名、技術スタッフ八名(内二名はプレゼンターで除外)、合計五十名が選抜メンバーで、彼らあるいは彼女らは、技術スタッフ、選手それぞれにユニフォームを着用しその襟元には選抜メンバーとしての証である徽章がつけられる。

 

 競技の出場者としてのメンバーにはこの発足式の司会進行を務めている深雪をはじめ、一年生からは雫やほのか、明日香や圭も選ばれていた。他にも圭と同じ風紀委員である森崎や圭と同じクラスの明智英美なども選ばれている。

 そして一悶着の原因ともなった司波達也は、一年生で(一科生二科生含めて)唯一、技術スタッフとして選ばれていた。

 その選ばれる過程では、それこそ彼が前例のない風紀委員となる際に決闘騒動を起こしたのに匹敵する騒動があったのだが、今現在誇らしげに達也の襟元に徽章つけている深雪には、この上なく名誉なことで、かつその名誉はお兄様には当然のものであるとでも思っていそうだ。

 全員が徽章を受け終えると――それはなんの順番的にか最後であった達也が深雪に徽章をつけられたタイミングで、観客の最前列に陣取っていた二科生の一部、達也の友人たちから拍手が送られ、それを皮切りにさせるために進行役の真由美や深雪も手を打ち、合わせてメンバー全員に対する拍手にすり替えさせて講堂へと広がった。

 

 

 

 

 そして発足式が終われば、それは同時にテスト明けでもあり、九校戦への準備期間でもあった。

 本職は魔術師であり魔法師ではないとはいえ、今は第一高校の生徒としてメンバーに選ばれた明日香や圭も、九校戦に向けて準備を進めている。

 

「……そんなものまで使う気になるなんてどういう心境の変化だい、明日香?」 

 

 今は明日香の出場競技の練習を圭が見ていた。

 魔法師であり魔術師である明日香だが、魔術や本来の戦い方をするのであれば魔法師的な準備は必要ない。

 だが今回の九校戦は魔法実技による対抗戦。

 使うのは魔法なのだから彼もその準備が必要であり、九校戦のレギュレーションに則ったCADの調整が必要となる。

 そして使用できる魔法も、基本的には殺傷ランクに制限がかけられたものとなる。

 CADの調整には非常に高度で専門的な知識と技能が必要だ。

 一科生としてやっていけてはいる明日香だが、魔法工学技師志望ではない他の多くの一科生と同じく自身でCADの調整を行うことは得手ではない。

 使う予定の魔法は幸いにもレギュレーションに引っ掛からないようにすることも可能なのだが、それを魔法に偽装してCADにぶち込むなどということは明日香の技能では到底不可能。

 そしておそらく並みの魔術師が居たとしても理解できないものであったとしても魔術絡みでもある以上、扱えるのは圭だけ。

 藤丸圭は自身も出場選手入りしてはいるが、同時に明日香と自身のCAD技術スタッフを兼ねていた。

 魔法式自体は公開されているものが多いが、魔法師であっても本当の手の内、秘匿術式というものは存在している。

 例えば十師族の固有とも呼べる魔法は魔法式自体が公開されていないことが多いし、その内実を知る者も少ない。それが古式魔法の術者に至っては特に術式を秘匿する傾向がある。

 そしてそれがゆえに魔法師であっても互いの魔法の術式を詮索することは公にはマナー違反となっている。

 そのため、ルール上は二競技まで選手登録を兼ねることが可能ではあっても、特に秘匿したいことの多い魔術師である二人は、両者とも一競技にしか登録をしていなかった。

 

「せっかくのお祭りなんだ。こういう時には全力で、というのがカルデア式だろう? それに約束もあるしね。モノリス・コードを君に任せる以上、選ばれた競技に関しては全力を尽くすのが僕の役目だ」

 

 圭が選抜されたのは本来は明日香を出場させる予定であったモノリス・コード。そして明日香が登録されたのは、圭の推薦によるバトル・ボード。波乗りの異名を取る九校戦唯一の水上競技だ。

 

「まぁ、確かに本気で君が乗りこなそうと思うなら“それ”くらいは必要になるのかもしれないけど……」

 

 彼の足元にあるボードは、どことなく見覚えのある青地に金のラインのサーフボード。

 流石に宝具そのものではないが、そもそも“彼”の霊基を受け継いでいる明日香は、“彼”同様に湖の精霊の加護を受けており、水中に転落するということはまずない。

 水上系の競技であれば明日香の適性はこの上なく高いだろう。

 

 “彼の息子”そっくりだよ。というのは、おそらく触れてはいけないタブーだろう。

 かつてのカルデアの霊基データ、“海辺の騎士王”とか“波上の叛逆騎士”とかを鑑みれば、こういうのもまぁ、ありえなくはないのかもしれない。

 それが今の“彼”の霊基を継承している明日香にとって自然なことなのかどうかはともかく……。

 

「僕の方はなんとか目途が立ちそうだが、君の方は大丈夫なのか?」

「モノリス・コードかい? ああ、そういえば雫ちゃんの好きな競技だったっけ」

 

 全力を尽くすことを誓い、実際にその準備を進めている明日香。

 一方で、圭の方は実技成績(一年男子では森崎に次いで第二位だった)を鑑みて最も得点の高いモノリス・コードの選手に選ばれたわけだが、森崎との相性は控えめに言っても良好とは言えない。

 1-Aの森崎駿と言えば、主に警護やSP職を生業とするクイックドロゥの森崎一門として有名で風紀委員を務めているほどの実力者だが、同時に一高ではガチガチの一科至上主義の急先鋒としても知られている。

 そんな森崎相手に圭(と不本意ながら明日香も)は二科生を庇うような発言をしたこともあるし、秘めていたかどうかは知らないが森崎君のとある女性に対する敬慕の心情を大暴露してしまったことがある。

 同じ風紀委員を務めていたとして仲がよいはずがない。

 まぁ、多分、二科生でありながら風紀委員として森崎以上に華々しい戦果(あるいは本人にとっては戦禍)を上げている達也よりかはマシな人間関係であるだろうが、五十歩百歩だろう。――あるいは目糞鼻糞を笑う、の方が適切な評だろうか。

 

「……大丈夫、うまくやるよ」

 

 九校戦唯一のチーム競技であるし、得点が最も高く、何よりも“彼女”が熱烈なフリークであるほどに入れ込んでいる競技であるからこそ、明日香は代役としてその選手に選ばれた圭の状況を気にかけている。

 彼は魔術師としても、魔法師の学生としてもそこそこ優秀だ。

 だが今年、九校戦には十師族の一角、一条家の御曹司であり、クリムゾンプリンスの異名を持つ魔法師が出場するという。

 その異名に相応する実力があるのは実戦証明済み(コンバットプルーブン)。三年前の沖縄海戦に呼応して行われた新ソビエト連邦による非公式の佐渡侵攻事件において、数多の敵を鮮血に沈めたことからつけられた異名だ。

 実戦を経験しているから強いなどというものでは一概には言えないが、少なくとも

 実践慣れしていることは間違いないし、単なる宣伝(プロパガンダ)で少年義勇兵だった未成年に異名がつけられたわけではないだろう。

 なによりも、日本における最強の魔法師集団を自負する十師族の直系だ。並みの新入生と思って侮れるものではないだろう。

 魔法の祖たる魔術師だから力がある、などということは決してない。むしろ単純な火力や日常性であれば魔術の多くよりも魔法の方が上だ。

 それよりも頭を悩ませるだろう要因は入学一週間経たない間に険悪化した森崎との関係を放置したことによるチームワークが果たしてまともに機能するのかということだろう。

 

 それと……………

 

「…………ところであれはいいのか?」

 

 もう一つ、最近――――ではなく入学後割とすぐから付けられている監視。それも人間のものではない視線が最近得に騒がしくなっていることだろう。

 

「別にいいんじゃないかな。まぁ最近特に忙しくなっているのは、大方君の加護の影響を視たからだろうけどね」

 

 視線の主は古式魔法において精霊と呼称される存在。

 精霊を介して明日香や圭の様子を観察している魔法師がいるのだ。

 それは魔法科高校にある魔術師(異端者)につけられた数多くの監視の一つに過ぎないが、精霊を使ってというのは珍しい。

 似たようなのは先のメフィスト戦の際に使い魔――現代魔法においては化成体と呼ばれる――を介していた視線があるが、これの出処はそう遠くない。

 だから、向こうから話しかけても来ないのであれば、その他の多くの監視と同じく、こちらからどうこうとする必要は、ない。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 校内某所。

 

 そこにはただ一人の魔法師のみが居た。

 すでに定期試験の結果発表まで終わった放課後であるとはいえ、一高に限らず魔法科高校ではどこも九校戦に向けて慌ただしい盛りだ。

 ゆえにこそその場所は不思議だと言えた。

 ただ一人の魔法師のみがそこにはいる。

 自らの視覚を遮断し、共鳴している精霊の知覚によりここではないどこかの視界を瞼の裏に映している。

 古式魔法による精霊喚起と感覚同調。

 本来は目を閉じる必要もないが、今はそれだけ視ている景色に集中しており、ここにある光景と混同することを避けたいのだろう。

 だがそれはとても無防備な状態。

 魔法を隠匿するのは魔術師の頃から続くマナーのようなもので現代魔法師にとっては自らの戦力、軍事力を秘匿するために魔法を隠匿することもあるが、そんな現代魔法師に比べても古式魔法師は自らの系譜の魔法を隠匿する傾向が強い。

 それは魔法師としてより魔術師に近かったことの名残なのかもしれないが、それはもはやただの独占欲のようなもの、自らの手の内を知られることを恐れるというものとなり果てている。

 そこにはなぜ魔術師が魔術を秘匿していたのかという理由までは伴われていない。だからこそ、このような誰が来るとも知れない場所で術を行使しているのだろう。

 もっとも、だからといって、何の対処もしていないわけではない。

 無秩序な魔法の行使、部活動や九校戦に向けての練習などのきちんとした目的のない魔法の行使は一応は校則でも法律でも禁止されている。

 それに無防備な状態を晒すことになるとも分かっているのだから備えはしておくのが常道。

 この一帯は今、常人が入って来られないように人除けの結界が敷かれている。

 その常人には魔法師も含まれており、特別鋭敏な感覚や直感のない魔法師ではなんとなくこちらには来たくなくなってしまう。

 魔法の行使を隠すために魔法の行使を行う矛盾の螺旋。

 そんな矛盾を抱えてまで彼が魔法を行使しているのは、別に単なる自己学習・研鑽のためなどではない。そんなこときちんと許可をとるなり部活動に入るなり、家に帰って行うなど、練習のための場所も環境も彼にはいくらでもある。

 彼の名前は吉田幹比古。

 百家などの現代魔法師としての名門ではないが、神道系の古式魔法を伝承する古い家系で、精霊魔法の名門だと言われる吉田家の直系だ。

 もっとも、そんな古式魔法の名門であっても、魔法師を名乗っているからには魔術に関してはもはや伝承が遺されていない。

 いや、そもそもにおいて吉田家が魔術師であったのかどうかも定かではない。

 吉田家は神道系を謳ってはいるものの、媒体に呪符も使うし陰陽道系の占術もこなす。その雑多な様相は宗派間の垣根が低く、積極的に多宗派の技術を取り入れたといえばいいのか、はたまた節操がないといえばいいのか。

 だから現代魔法師とは距離を置きがちな古式魔法師にあっても珍しく現代魔法師とも関わりがある。

 

 彼らが知る由もないことだが――――それらが示すのは、彼らが最早魔術師などというものではないということ。

 ただし、かの一門の目的に関しては、魔術師としての名残を残していた。

 とある精霊を、その源である“神霊”へと至る道を模索している。

 あるいはそれは魔術師たちが求めたナニカに近いのかもしれない、それ“が”目的ではないというところに、彼らはもはや魔術師ではないと言えた。

 

 

 そんな彼、吉田幹比古が学校というそのほか大勢がいる不用意な場所で人除けの結界を敷いてまで精霊を介した遠隔知覚魔法を行使して遠見しているのはとある二人。

 魔法師の世界では唯一存在が確かだと言われている生粋の魔術師の一族。

 魔法師の学び舎に飛び込んできた異端者 ――― 藤丸圭と獅子劫明日香の二人だ。

 

 ――精霊が、魔法の発動もなしに体に纏わりついている? あれは一体…………――

 

 精霊の知覚を借りて瞼の裏に映っている光景は、精霊魔法を得手とするはずの彼にとっても不思議な現象だった。

 吉田幹比古はかつて吉田家の神童とまで言われた天才だった。

 その才は自身を過信させある召喚事故を招くまであった。だがその事故以来、彼は魔法のスランプに陥ってしまっていた。

 自身の思う様に魔法が扱えない。

 リスクを承知でこのようなところで彼らを監視しているのも、一つには家の者たちにこそ見られたくないから。

 そして、魔法についての知識を貪欲に求めてなお、彼の求める答えが見つかっていない以上、彼らよりも永い歴史を持つ異端者たちに触れるのも一手だと考えたからだ。

 かつて魔術師であった古式の魔法師たちが捨て去った、あるいは捨てざるを得なかった何かならば、自身のこの問題を解決することがあるいはできるかもしれない。

 

 実際、彼らがどのような魔法、あるいは魔術を使っているのか幹比古にさえ分からないが、ボードと水を自在に操る彼には、まるで手足のように精霊たちが従っている。

 幹比古とてかつては神童とまで言われたのだ。精霊に対する操作性は、魔法のスランプに陥っていたとしても残されてはいる。

 だが彼の精霊使役はそんなものとはまるで別物だ。

 CADを操作している素振りも見えない。魔法式を読み込んでいる挙動すら見えない。まるでそれは……そう。精霊による加護を与えられているようではないだろうか?

 

 あれほどまでに精霊に愛されているかのような魔法師を他には知らない。

 神童であると思っていた頃の彼自身よりも、無論のこと彼の兄よりも、父よりも……………

 

 戦慄とも言える光景だった。

 精霊を使役する魔法を得手とするからこそ、何気ない、それこそ日常的に在るだけで精霊を支配下に置きその加護を我が物にする。

 それが彼方に在る魔術師――――獅子劫明日香。

 

 視界を彼方に。おそらく気づかれてはいる。あの魔術師たちはあまりにも異端に過ぎる。ここにある肉体があまりの戦慄に汗を抑えきれない。

 動揺が術を乱してしまいそうになる。

 簡単な共有知覚の魔法だ。そんなものですら乱すほどに堕ちてはいない。

 幹比古は動揺を抑え、魔術師たちの監視を継続しようと術を整えた。その瞬間だった―――― 

 

「吉田くん……?」

 

 その声には警戒の色はなく、忘我して漏れ出たような呟き。けれどもここにある肉体から意識を飛ばして彼方に集中し、無防備な状態を晒していた吉田にとっては咄嗟の脅威を感じさせるのには十分だった。

 

「誰だ!」

 

 それは条件反射に等しい誰何。

 堕ちたとはいえ、魔法の威力自体が衰えたとは思っていない。彼が思うように魔法を使えないと感じているのは魔法の発動速度においてだ。

 万全の状況で、十分な準備時間をかけて敷いたはずの人除けの結界だ。

 それを破って接近してきた相手が、それが単に迷い込んできただけの女子だとは考えられない。

 いやもっと根源的に、誰も来ないはずの場所で、見てはいないはずの術の行使を見られたこと、そして視ていた対象の未知数の大きさが、翻って彼に衝動的な恐怖と危機感をもたらした。

 押し寄せるその衝動に対して咄嗟にとった彼の行動は、攻撃だった。

 怒りと恐怖の感情に応じ、魔法式に呼び起こされた精霊が、その向かう先が誰なのかもわからずに襲い掛かる。

 

「きゃぁっ!」

 

 押し寄せる光の玉に、少女は悲鳴を上げた。そして――――――――

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 九校戦の本番が近づくにつれ、学校に居残りして競技に向けての準備を行う生徒は多くなっていた。

 そもそもが競技の選抜メンバーに選ばれるほどの生徒であれば、自主練習を怠るような魔法師たちではない。

 主に一年生女子の担当技術者となった達也と共に九校戦に向けての奥の手の特訓を行っていた雫も、その練習に熱が入って帰宅が遅くなっていた。

 

 学年三位(実技成績のみでは次席)の雫がメンバーとして選ばれたのは九校戦競技の中でもとりわけ魔法力の求められるアイスピラーズ・ブレイクとスピード・シューティング。

 達也の場合は、同じ一年生の中でも男子には特に一科生至上主義が多いために受け入れられなかった結果だが、雫としては彼が自分の出場二競技を担当してくれる技術者であるのはむしろ喜ばしいことであった。

 彼の技術力は高い。

 実家が富豪であり、雫を溺愛している父のおかげでCADの技術者には事欠かない。だがそんな技術者よりも達也の技術力は上回っており、この数日だけでも彼女の魔法力、魔法技術力は明らかに向上しているという自覚があった。

 

 それでも今現在、彼女が行っている特訓――雫と同じくアイスピラーズ・ブレイクに出場することが決まっている深雪に対抗するための奥の手のための特訓は雫にかなりの疲労感を与えていた。

 厳しい特訓は必要だが、過剰な疲労の蓄積は訓練効率の低下のみならず怪我の発生にもつながる。

 達也はそろそろ今日の練習を切り上げる頃合いかと、雫の疲労具合から思案しはじめていた。

 

「やぁ、お邪魔していいかい、雫、達也?」

 

 ひょっこりと彼女らの練習室に明日香が顔を出したのはそんな頃だった。

 明日香の来訪に、疲労して汗を拭っていた雫は驚いた表情となっていた。

 

「ああ。もう終わるところだが、どうかしたのか?」

 

 応えたのはびっくりしており、なにやら動揺している雫ではなく達也だった。

 雫が特訓をしていたのと同様、選抜メンバーに選ばれた多くの生徒たちはそれぞれに九校戦に向けた特訓を行っており、明日香がこの時間まで残っているのは多少意外感はあっても不思議ではない。

 ただ、基本的に魔法師にとって手の内となる魔法は詮索しないことがマナーであり、同じ選手とはいえ――作戦立案なども行うことになる技術スタッフならばともかく同じ選手であるからこそ他の選手の魔法や秘密特訓には関わらないものが多い。

 明日香の出る競技と雫の出場競技が被っているわけではないのでスパイ活動というわけではないだろうが、何をしに来たのかという疑問は当然のものだろう。

 

「そろそろ終わる頃かと思ってね。うん、ちょうどいい時間だったみたいだね。レディが一人で道を行くには遅い時間だ。よければ帰り道をご一緒させてもらえないかな、雫」

 

 それに対して明日香が申し出たのは帰り道のエスコート。

 申し込まれた雫は先程までよりも目をパチクリとさせて明日香を見ていた。

 

 ――ふむ…………――

 

 季節的にはすでに日の長い時期とはなっているが、既に外は暗い時間だ。

 だが正直なところ、達也には一高からの帰り道にエスコートが必要かといえばあまり必要性がないのではと思っていた。

 学校から雫の家への帰り道はおそらく他の多くの生徒と同じく一高からまっすぐの徒歩圏内にある駅からキャビネットに乗って最寄り駅まで行くことになるだろう。

 遅くなって不安ならば雫ほどの家ならば送迎に対しても十分な対応がなされるであろうし、駅までの短い徒歩の中では、変なことに首をツッコまなければ危ないこともそうそうないだろう。

 無論、これが深雪が一人で、というのならばまた論理的帰結は異なったであろうが、今日は雫のCADを調整するため同じアイスピラーズの出場選手である深雪とは日程をずらしている。そして深雪はもっと早い時間に家へと帰している。

 達也にとって離れていることが深雪を護衛する上で致命的なネックになるものではないので同列には語れないだろうが……

 ただ、深雪を家で一人にさせている、というのが達也の気分的にいいものではないのは確かだ。

 そしてこの後、後片付けと雫の帰宅準備が整うまで待っていればそれだけ達也が深雪の待つ家に帰宅する時間は遅くなる。

 

 雫の方もまんざらでもないらしく、達也は明日香の申し出に任せることとして支度を済ませてその日の特訓を終わらせた。

 そして明日香は前言通り、雫の支度が整うのを待って下校の道を同道した。

 

 

 

 

 校門から駅までの道のり。

 九校戦の準備の始まる前の普段であれば、雫はほのかや深雪、達也や友人たちと一緒に歩いたり、あるいは通学路の途上にあるアイネブリーゼという喫茶店に寄り道をしたりもする。

 その道を今、雫は明日香と共に歩いていた。

 クールで大人びた顔立ちの美少女である雫だが、体躯はほのかよりも全体的に小柄で高校生女子としては平均的でも男子として長身の部類に入る明日香と比べるとかなり小さい。

 必然、雫が明日香の顔を見ようと思うと見上げる形となる。

 

 その見上げた先にあるのは、かつて雫を助けてくれた騎士と同じものであり、けれども瞳の色、髪のくすみはあの時とは違う。

 ピンチに駆けつけてくれる騎士ではなく、同級生の獅子劫明日香。

 

 徒歩であったとしても駅までの距離はそれほど長くはない。駅からはキャビネットと呼ばれる二人乗りまたは四人乗りのリニア式小型車両に乗車して家の最寄り駅まで向かう。

 前世紀に主流であった移動手段の大型車両の電車とは異なり、痴漢や満員電車とは無縁にはなったし、プライベート空間の確保が優先されることとなった。

 キャビネットの中は肩が触れ合う程に狭いというわけではないし、心臓の鼓動が同乗者に聞こえるということも普通の聴力であれば当然ない。

 けれども雫は自分の心臓が少し弾んでいるのを感じていた。

 

「随分と特訓に熱が入っているみたいだね」

 

 何気ない会話は、弾む鼓動を少しだけ穏やかなものにしてくれるようだった。

 道々の話題は目下取り組み中である九校戦についてのことがほとんどであった。

 明日香が出場することになるバトル・ボード。圭が出場することになるモノリス・コード。そして雫が出場するのはスピード・シューティングとアイスピラーズ・ブレイク。中でもアイスピラーズ・ブレイクは唯一雫を上回る実技成績をたたき出した深雪が出場する競技の一つだ。

 

「うん。全力の深雪と戦えるチャンスだから」

 

 雫の魔法力は高い。

 サーヴァントのホムンクルスにこそ通用しなかったものの、実技成績学年次席の魔法力は伊達ではなく、彼女の得意とする振動系魔法は世界的にも高名だった母譲りで百家にも引けを取らないだろう。

 

 だがそんな雫をしても、司波深雪という魔法師は隔絶している。

 

 二年前、無力だった自分を助けてくれた明日香。その泡沫の理想に少しでも近づきたくて、並びたくて、雫は魔法力を磨いた。その結果、地元ではほのかと並んで敵なしとなり、そのほのかにしても魔法力だけならば上回るほどだった。

 けれども入試の時に見せた深雪の魔法力は、そんな雫を圧倒するほどだった。

 泡沫の理想ではなく、たしかに存在する目標。

 

 深雪は手強い。

 入試成績においても学年主席であるし、今回の試験の総合成績においても彼女は雫よりも数段上にいた。

 彼女を溺愛している兄の達也は、当然ながら深雪の技術者としても担当しているが、彼女だけに注力するのではなく、雫に対しても惜しみなく助力してくれている。

 それは達也が雫に授けた作戦ととっておきを思えば明らかだ。

 けれどもそれは相応に厳しい特訓を積むことが必要であるし、それでも勝てるかは分からない。

 分からないけれども、それでも雫は彼女に勝ちたいと思った。

 

 彼女を超えられれば、きっと理想(あの騎士)に近づける。

 そう思えるほどだった。だから―――――

 

「深雪ほどの魔法師に全力で勝負を挑める機会なんてそうない。だからもし、戦うことができたなら、今の私にできる全てを出し切って戦いたい」

 

 だから、深雪と戦いたい。深雪に勝ちたい。

 その姿を、彼に認めてもらいたい―――――

 

「そうか。雫、君は戦うことを選んだんだね。心に、剣を持つことを」

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話

 

 

 22世紀を目前にしたこの時代においても日本の首都である東京。その都心にほど近いところにある高級住宅街。立地的にそこには豪華な街並みが前世紀から並んでおり、その景色に溶け込むようにして建つ豪華な洋風の邸宅にかの屋敷はあった。

 七を冠する数字付き(ナンバーズ)の家系。十師族が成立して以降、一度もその座から堕ちたことのない名門―――― 七草家。

 

 その屋敷の一室である当主の書斎に七草家直系の長女である真由美は呼び出されていた。

 クラッシックな本棚と重厚なデスクと、背もたれの高い革張りの椅子が一脚置かれただけの、簡素な、けれども決して質素ではなく、むしろ威圧するかのような部屋。

 

「お父様、ご用件は何でしょうか?」

 

 前世紀後半のエリートビジネスマンを髣髴とさせる外見の、線の細そうな身体つきをした男性。彼女を呼びつけたのは父である七草弘一。七草家の現当主だ。

 

「なに。今年はお前の高校生活最後の年。一高の九校戦三連覇がかかっているのだろう?最近忙しそうにしていたようだからな。少し話をしてみたいと思ったまでだ」

 

 弘一の顔には右目の義眼を隠すための薄い色のついた伊達眼鏡がかけられており、外見こそ人当たりの良さそうな顔つきをしており、向けられる笑顔も言葉も、娘を気遣ういい父親然としている。 

 だが、真由美はそれが単なる外面だけのものであることをよく知っている。

 

 権謀術数。表の権力には関わらないというはずの十師族が、魔法協会よりも強大な発言権を有しているのは、その魔法力にある。

 そしてその魔法力を背景にした軍事貢献力、情報・諜報力、有形無形のそれらの力こそが、十師族の発言権の源であり、政治力にも関わっている。

 七草家は十師族の中でもとりわけそういったことに力が強く、弘一はそんな七草家のトップだ。

 見た目は狐だが、その本質は狸親父だと、真由美は思っている。

 そこには真由美の潔癖さや親に対する反抗心もあるだろう。

 ゆえに真由美の応対も実の父に対するものとしては寒々しいほどに硬いものだ。

 

「たしかにそうですが。今年の新入生は期待の新人たちです。自信を持って挑めます」

 

 ただ、その答え自体は真由美としても本心だ。

 1年生の成績上位者である北山雫や光井ほのかは数字付き(ナンバーズ)ではないもののそれに負けないくらいに高い魔法力を有しているし、彼女たち以外にもかなりの粒ぞろいばかりだ。そして学年主席の司波深雪に至っては上級生でも彼女に対抗できるものは少ないであろうと思わせられるほど。

 残念ながら二科生であり、実技成績の振るわないために競技メンバーには()()()()()()司波達也。彼に関しては学校の、ひいては公的な評価基準が即ち魔法師の魔法力を正しく評価しているわけではないということを表している証左のような人材だ。

 今回はなんとか彼を技術スタッフに組み込むことができたが、これがどのような結果を導くことになるのかは、真由美をしてもまだ分からない。

 そして、さらなるイレギュラー。魔術師、藤丸圭と獅子劫明日香の参加。

 正直、彼らは九校戦という表だった舞台には立たないかもしれないという懸念はあった。魔術師というのはそれほど魔法師にとって、そして十師族にとっても謎の多い存在だった。

 だが予想に反して彼らは九校戦の選抜メンバー入りに異を唱えなかった。

 魔術という魔法師の知らない未知にして秘奥の技術を開帳する気になったとは思わないが、だからこそ意外だった。

 彼らの――特に獅子劫明日香の戦闘能力を思い出すに、彼らの前向きな参加は決してマイナス要因にはならないだろう。それが例え、真由美たちの期待していた競技への参加でなかったとしてもだ。

 

 真由美の返答に弘一は顎に手をやり考える素振りを見せ、色眼鏡の奥にまったく笑っていない瞳をしたままで口元に笑みをつくった。

 

「期待の新人、か……ふむ。泉美を救ってくれた魔術師、そう、獅子劫といったかな。彼も九校戦のメンバーなのかな?」

 

 弘一の問いかけに真由美は眉を顰めそうになった。

 

 ――白々しい――

 

 そう吐き捨てたくなるほどだった。

 九校戦のメンバーはすでに外部に対しても公開されており、それは魔法科高校の生徒だけが知ることのできる情報に留まっていない。

 九校戦は一般公共放送ではなくて契約放送ではあるものの、魔法競技関連を多く取り扱っている番組ならば非魔法師であっても民間人であっても気軽に観ることができる。

 つまり機密事項でもなんでもない情報を、それが気になっている魔術師のことであり、知る気があるのならば七草家の当主の耳に入らないはずがないのだ。

 

 名前だって思い出そうとしてうろ覚えだったなんてことは絶対にない。

 この狸親父がそんな耄碌していないことは真由美がよく知っていた。

 彼が子供たちの中で一番甘い顔をするのは末娘であり、大人受けのする対応のできる泉美だ。家人の多くに加え、そもそも泉美が誘拐されたことは七草家にとっても忘れ難い恥辱だ。

 何よりもかつて婚約者を誘拐され、自身も片眼を失い、婚約破棄したことのある弘一にとっては、あの事件はある種のトラウマを抉るものだったのは間違いない。

 

 ならばそれを解決した外部の、それも魔法師ではなく魔術師に対して、その動向に関心を抱いていないはずがない。

 それは彼らが強力な戦力を保有しているだろうということもあるし、チャンスがあれば取り込んでその力を七草家のものにしたいという企みもあるだろう。 

 七草家は十師族の中でも四葉家と並んで抜きん出た家門だとされている。七草家がかつては三枝家――つまりは“七”ではなく“三”の数字付きとして研究機関にその成果を求めていながらも、後には別の力を求めて“七”に転じたというのは師補十八家、百家でもよく知られた事実である、当代の当主である弘一が、過去のいざこざもあって四葉家当主の真夜に対して複雑な感情を抱いているのもよく推測されることだ。

 アンタッチャブルとまで恐れられる四葉家に対して、その戦力を隙あらば削ぎ、対抗するための戦力を貪欲に求めているのを真由美はよく知っている。――無論真由美の知っている範囲を超えて弘一が謀略を巡らせているだろうことも。

 

「ええ、出ます。彼は新人戦のバトル・ボードに出場する予定です」

 

 どうせ知っているだろう情報であれば、敢えて隠すような子供じみた反抗をすることもない。真由美は肯定して、率直に彼の出場競技を述べた。

 本年度の九校戦唯一の水上競技。バトル・ボード(波乗り)

 

「ほう? モノリス・コードには出ないのかね?」

「モノリス・コードには彼の友人の藤丸君の方が出場する予定です」

 

 本来はモノリス・コードに出て欲しかった。

 それは克人と摩利を合わせた三巨頭の一致した意見でもあり、実際4月のブランシュとの騒動の際に見た戦闘能力は、非殺傷を絶対とする競技であっても破格のものだろう。

 ―――それが白兵戦、モノリス・コードにおけるルールに抵触してしまうものでなければ。

 

 先の戦いで獅子劫明日香は不可視の攻撃によってホムンクルスだという巨大悪魔やサーヴァントを撃破していたが、それはそういう魔法なのだと思っていた。

 そうであれば問題はなかったのだが、藤丸圭のいう所によると、あれは持っている武器(それが何なのかは言ってくれなかったが、振るい方などからはおそらく剣)を不可視化して直接斬りつけているだけであるとのこと。

 それでは直接攻撃を禁止するモノリス・コードのルールに反してしまい、それ以外でもルールに照らし合わせると獅子刧明日香はモノリス・コードに対してはさして適正が高くないとの結論に達してしまったのだ。

 その代わりに、彼には藤丸が推薦したこともあってバトル・ボードへの出場と、藤丸圭がモノリス・コードに出場する運びとなったわけだ。

 

「魔術師―――いや、()()の魔術師、藤丸か……」

 

 漏れ出たようにも聞こえる呟きは、果たして真由美に聞かせる意図があったのかなかったのか。

 何かのギミックでも仕込んでいるかのように色眼鏡が光を反射したように見え、陰影が弘一の目を真由美の視線から遮った。

 

 ――星見…………?――

 

 彼を呼称するのだろう意味で、その言葉は初耳だった。

 いつだったか、彼は自身のことを花の魔術師と呼称してはいたが、星見の魔術師などとは言っていなかった。

 そしてブランシュとの騒動のときも、使っていた魔術は光弾のような攻撃系の魔術と植物らしき蔓を使った拘束魔術。

 どちらかというと植物繋がりで花の、という方が合っているように思えるが…………

 

「真由美。お前から見て、あの二人はどのような人物だ?」

 

 ふと思った疑問への埋没は、弘一の問いかけに遮られた。

 それがこの呼び出しの本命の理由なのだろう。あの二人の魔術師たちについての所感。

 

 真由美はあの二人のことを思い返した。

 藤丸圭が操る魔術。真由美や摩利、そして克人の魔法でさえ寄せ付けなかった悪魔に対して有効打を与えることのできた異能。

 そして獅子劫明日香の圧倒的な力を――――

 

「……獅子劫くんについては、十文字家から報告のあった通りです。学校では生真面目な生徒、というように見えます。藤丸くんは…………」

 

 正直なところよく分からない、というのが本音だ。

 魔術と魔法。一体何が違うのか。CADを使わない超能力に近い異能、などという単純なものではない。

 そうであればきっと真由美たちの魔法だってあの悪魔には通用したはず。

 なのになぜ通用しなかったのか。

 魔法師とは違う彼らはなぜ魔法科高校にやってきたのか。彼はサーヴァントに対抗するためにやって来たとは言っていたが、そもそもなぜサーヴァントが現れるようになったかについては、彼は答えなかった。

 サーヴァントと明日香との戦いについては真由美は実際には目にすることがなかったが、十文字家からの情報提供があった。

 あの克人ですらも深手を負う程の相手を真っ向から斬り伏せた力は、2年と少し前に七草家を翻弄したサーヴァントとの戦いの苦い記憶を想起させるには十分だった。

 とはいえ、過去の英霊すらも圧倒する獅子劫明日香とは違って藤丸の魔術は戦力という点においては魔法師とはそう大きな違いがあるようには見えなかった。

 

「むしろ私は、藤丸君にも、底の知れない何かを感じます」

 

 ただ、彼はどこか違うものを見ている気がする。

 飄々として軽薄にも見える態度の中で、まるで未来を見通しているかのように酷薄にも思える何かが垣間見える、そんな気がするのだ。

 

「ふむ…………」

 

 顎に手を当てて思案する素振りをする弘一だが、真由美にはそれが本当に思索にふけっているのかフリなのかは判別がつかなかった。

 この狸親父はたとえ身内相手でさえそんな演技を手抜かりしない。

 そう―――――

 

「近々、お前か、あるいは香澄と泉美のいずれかを相手に、藤丸家に対して見合いを申し込むつもりだ」

「!」

 

 以前から心算していたであろうその計画を今決断したというように告げることも。

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 八月一日。

 少々の出発遅延があったものの、一高は()()()()()()()()()()九校戦の舞台となる富士の演習場南東エリア、その近くにあるホテルへと到着した。

 一般の民間人、それも高校生が宿泊するにはかなり豪華なホテル。だがそれに気後れを感じるような生徒は殆どいなかった。

 

「ついに来ちゃったね、九校戦。ドキドキする……!」

 

 2,3年生は昨年も経験したことであるし、1年生にしても九校戦のメンバーに選ばれるほどの魔法師であれば基本的に一般人とは言い難い。雫にしても日本屈指の大実業家のご令嬢だ。

 だからほのかがドキドキと高揚に弾む胸に手を当てているのも、ホテルへの気後れではなく、大舞台、初めての魔法競技大会への出場への意気込みからだ。

 

 この豪華なホテルも確かに豪華ではあるが民間用の5つ星ホテルというわけではない。軍の施設の一部であり、本来は視察の文官や会議のために来日した他国の高級士官とその随員を宿泊させる為のホテルであるためだ。

 九校戦は魔法実技を競い合うという競技特性上、そして魔法力が国家の軍事力と結びつくという性質上、九校戦で活躍した選手から軍人の道に進むものは多く、そのため軍としても優秀な実戦魔法師を確保するために九校戦に全面的に協力しているのだ。

 

「まずはこの後の懇親会だね。本戦は明後日、新人戦は5日後から」

 

 普段からクールな雫も、表情こそ大きくは変化していないものの、憧れの舞台を前にして意気は高い。

 

 本戦、新人戦とに分かれる九校戦は、本戦から始まって4日目から新人戦を挟み、9日目から本戦のミラージバッドとモノリス・コードが行われて10日目に終わる。

 その開会式も明後日からで明日一日は完全に休養日。最後の詰めを行ったり、選手は英気を養ったりする休養に当てられる。

 ちなみにこの日程は一高が東京の西外れという比較的近距離にあるからであり、小樽の八校や熊本の九校、四国の七校などの遠方の魔法科高校の学生たちはそれよりも一足先に現地入りしている。

 一高が乗車してきたのは選手が乗っていたバスと技術スタッフや大型機器などを積んだ作業車。選手である雫やほのか、真由美たちは自身の手荷物を持って移動を始めているが、男子選手の一部や技術スタッフが小型の工具などの荷物の積み下ろし作業などを行っている。

 

 その作業を手伝っている一人の男子生徒を視界に納めて、雫はふと気になって声をかけた。

 

「どうかしたの明日香?」

 

 バスの中では隣に座っていた明日香だ。

 

「いや……。なんでもないよ」

「……そう?」

 

 作業をしながら何か考え込んでいるようにも見えたのだが、雫が隣に立って見上げながら問いかけると微笑みを返した。

 その態度には何か懸念があるようにも見えなければ大会に向けた気負いもなくいつも通り。

 気にかかることはあってもそれは単なる違和感のようなものでしかなく、その時、ほのかやほかの1年女生徒たちから呼ばれてしまい、雫は少しだけ後ろ髪を引かれるようなものを感じつつもその場を後にした。

 見送る明日香の顔には雫が懸念したようなものは素振りも残ってはおらず

 

「それで。何を“直感”したんだい、明日香?」

 

 けれどもその彼に次いで声をかけてきた圭の言葉に微笑みを消した。

 “予測”による未来視が可能となる圭とは違い、明日香は戦闘に関する事柄に限って直感により未来の最善の選択手を手繰り寄せることができる。

 無論それにも限度があって、どう足掻いてもできないことはできないのだが、意識無意識下における膨大な情報の処理を要する圭の“予測”とは異なり、明日香のそれには縁もゆかりも必要としない。

 

「一瞬だけど、サーヴァントの気配を感じた……気がする」

 

 そしてサーヴァントの気配感知のレベルではただの魔術師である圭よりもデミ・サーヴァントである明日香の方が格段に上だ。

 

「いや。ただの勘だ。気のせいかもしれない」

 

 とはいえ、それは第六感。

 戦闘時ならばともかく、今回の感じたものの戦端が開かれなかったことからやや自信は薄い。だが――

 

「君の直感、だろ」

 

 圭はそう感じてはいなかった。

 魔術師は魔術師を知る。サーヴァントはサーヴァントを知る。

 デミとはいえサーヴァントの霊基を受けている明日香の感知能力は、それに特化しているものではないとはいえ、軽く見てよいものではない。

 

「この後は懇親会だけだ。明日も調整休暇で選手はミーティングもない。君にはCADの調整も必要ないだろう?」

 

 幸いにも明日香のCADの調整は術式の問題もあって圭が担当しているし、圭自身も技術者の手を煩わせることはない。その傾向は術式を秘匿することの多い古式魔法師にはよく見られることで、首脳陣にも不満を覚えても異は唱えられなかった。

 つまりは明日一日は完全に自由に使える時間というわけだ。

 

「……上手く誤魔化しておいてくれよ」

 

 問題は今日の懇親会。

 選手やスタッフは全員参加が原則となっていて、それは魔術師である二人も同様。むしろ魔法師ならざる異端の、そして魔法の祖たる魔術師という珍しさからも出ることは必須といっていいだろう。

 

「任せておきたまえ。口先三寸、魔術や剣なんかよりも得意中の得意さ」

 

 だから二人揃っていなくなるわけにはいかないが、藤丸家の代表である圭が居れば十分とまではいなくとも妥協点としてはありだろう。

 実際魔法師であってもなんだかんだ理由をつけて欠席をする生徒は多いらしく、400人を超える規模の選手・スタッフの中でも懇親会への参加者は300人から400人ほどだそうだ。

 

「…………訂正する。黙っておいてくれるだけでいいよ、ケイ」

 

 ただ、隠蔽を依頼する相手が相手だけに、戻ってきたときにどんな大事になっているかも分からないことには、不安を覚える。

 例えば女生徒とのデートの約束を大量に取り付けられていたりなど……直感や未来視などなくてもあり得そうすぎて不安だ。

 サムズアップして送り出そうとする幼馴染に明日香はため息交じりに返した。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

<なぜ一高のバスを襲わなかった、ランサー>

 

 片手に鉄の義腕をつけた男――ランサーが生身の左手に持つ携帯端末から不機嫌な声が流れてくる。

 明らかに叱責の声音を孕んでいる声に、しかし端末を介している男は飄々としている。 

 

「あのまま襲撃しても失敗に終わったからですよ」

 

 もっともそれはお互い様だ。

 一応形式上は彼、ランサーは端末の向こう側の男たちに雇われている立場、サーヴァントではある。そう、雇い主だ。連中は直接的にマスターではない。あくまでも傭兵としての対価に応じて従っているに過ぎず、通常のサーヴァント契約のように彼らから魔力供給を受けているわけでもなければ令呪による縛りがあるわけでもない。

 超常的な力を持つサーヴァントという式神に対して、雇い主の魔法師たちはあまりにも脆弱だ。対面した状態であれば威丈高に叱責などできないだろう。

 

「彼の直感は事戦闘に関することに限っては未来予知に等しいものですからね。無駄に資源を損ねて相手の警戒心を強める必要もないでしょう」

<くっ……しかし……>

 

 とはいえ雇い主には違いない。

 彼は騎士ではあり、契約をこそ大事にする。

 眼前に居ないからこそ強気に出られる雇い主たちを鼻で笑いながら、ランサーは丁重に応えた。

 ランサーの隣には意志のない男が立っている。本来の計画では一高のバスに対して自爆攻撃を行って死んでいるはずの魔法師の男だが、その特攻はランサーが事前に止めた。

 魔法師の子供たちを気にかけたわけでもこの魔法師の男の命を気遣ったわけでもなく、単に無駄だからだ。

 無駄死にした挙句、無用に警戒心を高めてしまっては逆効果だ。

 

 ――もっとも、騎士王にはこの程度の誤魔化しはきかないだろうがな――

 

「ひとまずはアサシンに処理を任せます。彼なら“上手く”やりますよ。それに大会は二日後からなのでしょう? なら大丈夫。なぁにお任せください。騎士の力ってやつをお見せしますよ」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話

 

 魔法を学ぶ大勢の子らが懇親会という名の鞘の当て合いを行っているころ。

 月下に二人の剣士が対峙していた。

 

「なるほど君が怪物か」

 

 その遭遇は必然といえるだろう。

 鮮やかな金色の髪。その顔に浮かぶは討つべき敵――ヴィランを前にした歓喜にも似た笑みが浮かんでいる。

 スラリと鞘から抜き出した剣は何処かの国の王権を示す黄金の剣。であれば、それを振るう主もまた何処かの国の王族――王子なのだろう。

 まるで何れかの御伽噺の王子様のように、騎士様のように、敢然と悪たる敵に立ち向かう。

 

 そして討たれるべき()()()()もまた武器を構えた。

 その剣は不可視。剣士と剣士、騎士と騎士の常道の戦ではあるまじきものと言えるかもしれない。だがそれも当然だろう。黄金の剣を構える剣士が王子にして騎士であるならば、その相手は討たれるべきヴィランなのだから、邪道にして邪悪。倒されるべく卑怯にも歯向かってくるのが物語の筋道だろう。 

 

「君が、サーヴァント、か……?」

「自らの武器を隠すか! 過去の亡霊を取り込みし卑屈なる異形の化物よ。我が王剣の血錆にしてくれよう! 来い! ()()()()()()()()()!!」

 

 見るからにセイバーであると主張するかのような敵を前にして、しかし明日香は不審を覚えていた。

 道中において感じた何かを追って捕捉した相手。あからさまに用意された敵と見えなくもないが、九校戦の会場近くで遭遇した以上、放置しておくことはできまい。

 

 相対する相手が構えているのもこれ見よがしに剣。ならば目の前のサーヴァントはセイバーということなのだろう。だが違和感がある。

 本当にこの相手は、サーヴァントなのか、という…………

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 懇親会と銘打たれたパーティは立食形式で行われ、無論高校生のパーティなのだからアルコールのない健全なパーティだ。ただし、二日後には各校の威信と自らの名誉をかけた競技が始まるのだから和やかなものとはいかず、魔法こそ飛び交わないものの前哨戦あるいはプレ開会式のようなものでもある。

 自然、上級生ならばともかく新人である1年生が和やかに話す相手は同校の仲間に限られていた。

 

 一校生の二科生として唯一、(一年生としてではなく全学年の二科生として)技術スタッフとなっている達也はとりわけ肩身の狭い状態ではあった。もっとも当人がそんな肩身の狭さを感じ取るだけの殊勝な性格かといえば、決してそうではないのだが。

 それでも同じ一校生の一年生男子から疎遠にされている状態では、殆ど話す相手はいない…………かと思いきや、彼は彼で会場内のメイドさんに話しかけていた。

 

「エリカ、どうしたんだ、その恰好?」

 

 訂正、丈の短いヴィクトリア調ドレス風味のメイドコスチュームに身を包んだ同学年の女生徒、千葉エリカと話をしていた。

 

「アルバイトよ!」

「なるほど、関係者とはこういうことか……」

「あっ、深雪に聞いたんだ? びっくりした?」

 

 メイド姿の彼女は大人びたメイクまでしていて普段の年相応に溌溂とした美少女のイメージから一転して、周囲のコンパニオンとも遜色ない美女に化けていた。

 

「それにしても……」

「ん? なぁに?」

「いや……」

 

 もっとも、それを率直に表現するようなことはさしもの達也も空気を読んで控えているが。

 

 

 この九校戦は軍用施設を間借りしており、懇親会にはホテルのスタッフや基地の応援なども借り出してはいるが、それだけでは賄いきれずにバイトらしき若者も幾人も雇っている。

 通常ならば魔法科高校の生徒とはいえ簡単には雇ってもらえないだろうが、そこは千葉家の息女。

 千葉家は師輔十八家に次ぐ位の家柄である百家本流。その中でもとりわけ白兵戦技の名門であり、体系化したその魔法剣技の技術をもって広く弟子をとっており、主に警察や陸軍などには特に千葉家の一門が所属しているため、軍や警察には顔が利くのだ。

 おそらく年若い彼女が友人付きで会場に紛れ込めているのはそのコネを利用したからだろう。

 

「ハイ。エリカ可愛い恰好をしているじゃない。関係者って、こういうことだったのね」

 

 そしてちょうどタイミングよく二人の会話に深雪も加わった。

 到着時に深雪はすでにエリカと会って話をしており、彼女の他にも美月やレオ、吉田幹比古という同じクラスの友人たちもやってきていることを聞いていた。

 

「そういうこと。ね、可愛いでしょ? 達也くんは何も言ってくれなかったけど」

 

 身体を左右に捻って、丈の短いスカートがフワリと広がり揺らして見せながら、エリカは不満げにそう言った。

 彼にしてみれば別に考えることがあって気が回らなかっただけのことだが、達也がなんと言うべきか返答に悩んでいるうちに、横からまた別の知り合いがやってきた。

 

「おやおやそれはよくない。うん。実によくない」

 

 口を挟んできたのはこの九校戦において二人だけ出場している魔術師の一人。藤丸圭だ。

 片手にはワイングラスを持つ姿はなかなかに様になってはおり、不思議と場慣れしている様子が窺えた(もっともグラスの中身は当然だがワインではなくノンアルコールのジュースだ)。

 

「こんな素敵なレディが愛らしく奉仕してくれる姿をしているんだ。美しく咲くレディは褒め称えるものさ。うん。実に愛らしい装いだとも、ミス・エリカ」

 

 その回る舌から紡がれている言葉には物怖じした様子も照れもない。

 

「それはどーも」

 

 ただ残念ながらというべきか、藤丸圭はエリカにとってそう言うことを言ってほしかった相手ではなく、第三者に過ぎない。それで照れや恥じらいを見せるエリカでもない。

 どちらかというと軽薄な態度に誰かさん(バカ兄貴)を連想したのか、冷めた目で圭を迎えていた。

 

「藤丸。獅子劫はどうしたんだ? 姿が見えないようだが」

 

 一方で、話題が自分から逸れた達也にとっての興味関心は彼の隣にだいたい居そうな人物がいないことだ。

 馴れ馴れしくメイドさん(エリカ)に近づいてするりと躱されている圭に達也が問いかけた。

 

「明日香かい? 彼はこういう場が苦手でね。どこかで壁の苔にでもなっているんじゃないかな」

 

 肩に回そうとして虚しく空を切った手をぷらぷらとさせながら圭が答えるも、その顔が面白くなさそうなのはエリカにお手付きしようとして避けられからなのか、このめんどくさそうな場からまんまとエスケープした明日香に向けたものか。

 

「おかげでいつもは小うるさいお目付け役がいないからね。うん。折角の懇親会(出会いの場)だ。美しい花々に是非と戯れたいものだね」

 

  エリカにあしらわれた直後にも関わらずのそのアグレッシブさは達也にも到底真似できそうになかった。…………もとい、美しい妹の前でそんなことを考える許しは降りようはずもなかった。

 ただし、女性の方からやってくるのではその限りではない……というものでもなかろう。

 

「ここにいたんですね、達也さん! 深雪」

「明日香は出ていないの?」

 

 冷めた視線を向けている深雪とエリカに代わって話しかけてきたのは雫とほのか。

 ほのかは達也と深雪の方に嬉しそうに声をかけ、共にやってきた雫は圭へと視線を向け、その隣に立っているのではないかと予想していた人物がいないことにわずから落胆の色を滲ませていた。

 

「おや、雫ちゃん。ふむ……。うん、でもまぁ問題ない。僕が居ればノープロブレムだろう?」

 

 自信満々、というよりも芝居気を感じさせる口調と身振りの圭に雫はクールを超えて冷え冷えとした視線を送るも、圭にはあまり通用していなさそうだ。

 一方でほのかは達也の衣装――まるで一科生のような八枚花弁の施された九校戦メンバーのブレザー姿を改めて褒めていた。

 本来は八枚花弁のない二科生の制服を身に纏う達也だが、この時ばかりは一高の代表が紋無しではしまらないからという理由と別にブレザーが用意されるという事態が急遽発生しており、それに関してはほのかのみならず深雪も大層喜びを表していたそうだ。(もっとも達也本人は借り物のブレザーにしっくりこないものを感じて窮屈さを増大させていたが)

 

「他のみんなは?」

「あそこよ」

 

 尋ねた深雪にほのかは彼方を指し示す。

 遠巻きに見ていながら、視線を向けられると慌てて目を反らす男子生徒の集団と同じところにいる一年女子たち。

 どうやら深雪の傍に近寄りたいと熱い視線を送りつつも、達也がいるために近づけなかったようだ。

 

「みんなきっと、達也さんにどう接したらいいのか戸惑っているんですよ」

 

 まるで番犬のようだと呆れる達也をほのかが一応は慰めのコメントをかけたが、達也としてももっともなことだと思っただろう。

 達也自身、二科生(劣等生)でありながら風紀委員になり、今は技術スタッフとして九校戦のメンバーになっている自分が、異端だと自覚している。それに加えて一緒に話をしているのは、正真正銘の“異端”(魔術師)、藤丸圭だ。

 知らぬ程度の者は達也に気後れし、知っている者は藤丸にも気後れするだろう。

 解決策としては歩み寄ること。向こうから声をかけづらくとも、所詮は同じクラスメイトで今はチームメイト。こちらから歩み寄って話しかけることで解決できる問題ではあるだろう。 

 

「バカバカしい。同じ一高生で、しかも今はチームメイトなのにね」

「千代田先輩」

 

 そう思っているのは達也だけではないらしく、吐き捨てるようにいったのは2年生の千代田花音だ。

 百家本流の数字付き(ナンバーズ)、地雷源の千代田家。

 彼女にとっては一科二科の問題などは現状で関わりになるようなものではなく、それよりも学校と自分の威信をかけた競技会を目の前にして、なおつまらないプライドに拘泥して実力者を見極められずグズグズしている輩が気にくわないのだろう。

 

「分かっていてもままならないのが人の心だよ、花音」

「それで許されるのは場合によりけりよ、啓」

 

 彼女の婚約者であり同じく百家本流の五十里啓がフォローの言葉をかけてもあっさり一蹴するほどだ。

 

「どちらも正論ですね。しかし、今はもっと簡単な解決方法がありますよ。深雪、皆の所へ行っておいで。チームワークは大切だからね」

 

 婚約者同士の痴話喧嘩のような言い合いを始めそうな雰囲気に、達也は早々と事態の収束を図る方向に舵を切ったらしく、渦中の深雪に対して微笑みかけて番犬としての役目を緩めることを提案した。

 事の問題は一高の一科生たちが深雪に話しかけたくても兄である達也がいるから話しかけられないことにある。ならば嫌われ者から深雪が離れて来てくれれば、彼らにとっては万々歳、というわけだ。

 

「ですがお兄様」

「後で部屋においで。俺のルームメイトは機材だから」

 

 無論のこと深雪がそんな有象無象の喜びを満たしてやる必要も許すはずもないのだが、それよりも兄の意向は重い。加えて“後で”(つまりはこの懇親会の終わった後の夜半の時間に)兄が待つ彼の部屋に行くというご褒美の響きは耳元に甘かった。

 やや後ろ髪を引かれる思いで、けれども確かにチームメイトとの交流も必要だとの理解を示して、深雪は兄に辞去する旨を告げて一校の生徒たちのもとへと歩み寄った。

 

「ふむ。それでは僕の方もご一緒させてもらおうかな」

 

 それに合わせて圭も達也のもとを後にした。

 そのタイミングは、別の方向からやってきている風紀委員長の姿を認めたのもあるし、どこか別のところに美しい(女の子)を見つけたせいでもあった。

 

 

 

 

 賑やかしいのは好きだ。

 猥雑に流れていく景色。様々な情報が目に映り、色々な未来を予感させてくれる。

 人の未来、魔法師の卵。

 この中にあって魔術師である自身は異端であることは分かっている。

 自分の役目は繋ぐこと。

 未来から過去を護るために過去からの使命を未来へと紡ぐ。

 この景色を、この世界を、剪定されるものへと堕とさないために、自分がここにいるのだと、眺める景色の中に多くの人が居ると再認できる。

 

 ――うん…………?――

 

 ふと、意識の端が何かを捉えた。

 

「あっ、あれ三高の一色愛梨さんだ」

「ホントだ! エクレール・アイリ!!」

 

 視線を向けた先には鮮やかな金髪の美少女、周囲の男子たちが羨望の眼差しで見つめ、お近づきになれないかと憧れる少女……ではない。

 

 ――彼女は…………――

 

 視線の先の少女も、近くの他校男子生徒から一色と呼ばれた少女も、とても整った容姿をしている――魔法師の成り立ちとして血の濃いであろう魔法師だ。

 

「あの……三高の一色さんですよね。よかったらお話でも……」

 

 興味が湧いて、二人連れの他校生が声をかけるのを眺めてみると。

 

「あなた十師族? 百家? 何かの優勝経験は?」

「へ? え、あ、いえ。特に、そういったものは……」

「話すだけ無駄ね。行きましょ」

 

 随分な塩対応で返答に詰まった二人の男子はあっという間にあしらわれていた。

 呆然とする二人の男子に背を向けて、美少女は友人だろう同じ三高の制服を着た二人の少女と共にその場を離れた。

 残された男子二人の唖然とする顔に哀愁が漂っている。

 

 声をかけてから彼女に話にならないと判断されるまで、その間30秒もかかっていない。

 人は第一印象が重要だとしても、美少女に焦がれた男子高校生にとってはなかなかにキツイ対応だろう。

 ただ、ツンケンとしたその在り様は…………そう、弄りがいがありそうに見えた。

 花のナンパ師、藤丸としても難攻不落を装う美少女へと声をかけねばならないね、という謎の義務感も沸き立って、圭は口元に笑みを浮かべると彼女へと歩み寄った。

 

「ははは、刺々しいね。レディ。けれども、うん。棘のある花だからこそ、美しいとも言えるかな」

 

 いつもどおりの笑顔でのコンタクト。

 気取った馴れ馴れしさを感じる男に、案の定、少女はギロリと剣のある視線を向けた。

 

「…………貴方は?」

 

 当然、誰何はあるだろう。

 近くの会話を聞いていて、おそらく彼女が魔法師としては(高校生魔法師としての二つ名をつけられるほどに)有名人であることや名前を分かってはいても、彼女の方はこの馴れ馴れしい男の名前に心当たりなどないのだから。

 

「おっと、これは失礼、ミス・愛梨。君の名前は先程、運命的にも聞かせていただいていてね。私の名前は藤丸圭。しがない花の魔術師さ」

 

 ただとりあえず、会話一言目にして背中を向けられることはなかったので、つかみは上々とばかりに大仰に自己紹介。

 

「魔術師“藤丸”、ッ! そう、貴方が……」

 

 “一色”。つまり一を関する数字付き(ナンバーズ)ならば、“藤丸”の名前には心当たりがあるだろう。愛梨の瞳が苛烈さを帯びた。

 

「おや、僕のことをご存じで。僕は十師族でも百家でも優勝経験があるわけでもないけれど、うん、君のような美しいレディの記憶に留められているというのは、実に喜ばしいね」

 

 ツンケン少女(一色愛梨)に先程、彼女自身が言っていたセリフを使って当てこすると、侮辱されたととったのだろうか。ただでさえキリっとしていた眦が釣り上がった。

 浮かべているスマイルも愛梨にしてみれば神経を逆撫でするかのような上から目線のような余裕じみたものが感じられる。

 

 

 愛梨の家門である“一色”は百家本流の中でも師補二十八家に位する名家だ。だが同じ“一”を冠する一条とは異なり十師族ではない。

 一条を蹴落としてなどという不毛な志向はないが、上昇志向は強い。

 師補二十八家たる“一色”の魔法師として、強い自負を有しており、この九校戦はそんな彼女の魔法力を見せつけるまたとない機会。その前々夜であるこの懇親会は、単にミーハー精神による親交を温める場ではない。

 名家の看板を背負う自分に有用な縁を紡ぐ場だ。

 “一色”の家名。エクレールの異名。自身の美貌。それらも紛れもなく自己の一部ではあるが、先程の有象無象のように見栄えと異名だけに惹かれてお近づきになりたい、などという自らの益になることも覇を競う間柄となる気概もない輩に割く時間はない。

 けれども彼は違う。

 魔法の祖たる魔術の系譜。

 謎に包まれた魔術の一門。そこと縁を紡ぐことは愛梨にとっても“一色”にとっても益となるだろう。

 けれどもそれがこんなにも軽佻浮薄に見える輩だとは…………

 

「ほうほう。お主が魔術師、藤丸か」

 

 失望が苛立ちに変わる。それを遮るようにして会話に入り込んできたのは古風な喋り方をする小柄な少女。

 ()()()()()()()()()()()()だ。

 

「へ〜。この時代に珍しい。僕と明日香以外では初めて見たな。君の名前をお聞きしても、レディ?」

 

 体型は小柄な上にかなりスレンダー。同系統の体型の(などと考えていることがバレると色々と怖い視線に晒されるが)雫と比べてもかなり小柄で、けれども髪は腰ほどまで伸ばされている。

 何よりも圭が気にかかったのは彼女の“目”だ。

 別に際立って目を引く色をしているわけでも虹彩異色(ヘテロクロミア)なわけでもなく、おそらくだが魔眼を有しているわけでもないだろう。

 

「儂は四十九院沓子。由緒正しい巫女の家系じゃ」

「なるほど…………うん。君のような愛らしい子に会えるのならここにいる意義があるものだね」

 

 けれども同じ気配を感じたのだ。

 自身の予測の未来視、あるいは明日香の直感。それに似た“何か(異能)”を彼女が持っている。

 魔法や魔術だけではない、同じ異能を有する者だからこそ、それが分かった。

 

 

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 一つの戦いを終えた明日香が人知れずホテルへと帰還を果たしていた。

 疲労はある。

 戦いの場においてはデミ・サーヴァントとしての力を振るえる明日香だが、常時その力を借り受けられるわけではない。

 無論、通常時でも膂力などは常人のそれとは異なる。

 けれども魔力の続く限り疲労を覚えないなどということはない。

 それなりの魔術師であれば魔力を循環させて疲労を軽減させることもできるが、明日香の魔術師としての技量ではとてもそんなことはできないし、何より今は一戦を終えて急いで戻ってきたばかりだ。

 体に感じる重怠さに吐息が漏れる。

 

「お疲れ様、明日香。どうだった?」

 

 そのタイミングを見計らっていたかのようにかけられる声。

 人知れず、のはずが、けれどもやはり彼の帰還を予測していた魔術師が、彼を待っていた。それを見てようやく戦場からの帰還を感じ取り、歩む力みを解いた。 

 

「ホムンクルス……いや、何かは分からないがサーヴァントに匹敵するレベルの何かと戦った」  

「カルデアのデータにあったシャドウ・サーヴァント。かい?」

「いや、シャドウではなかった。ただ……何らかの概念を内包していたように思う」

 

 戦いがあったことは当然分かっている。

 気になるのは明日香の言う存在が、以前一高へと襲撃してきたようなただのホムンクルスではないことだ。

 

 明日香の脳裏の回想されるのは、先ほどの戦いの相手。

 御伽噺にでてくるかのような金髪の王子。その力量はメフィストの召喚していた骨兵よりも強力でデーモンタイプのホムンクルスに勝るとも劣らない。

 振るっていた黄金の剣も、宝具とまではいかなくともなんらかの礼装であると思えるほどの概念を内包していた。

 

「ふむ……サーヴァントにも匹敵するほどの霊基を造り出していたのだとしたら、それはサーヴァントの宝具かスキルだろうね。クラスはキャスターかライダーのクラス、かな……?」

 

 サーヴァントは英霊の一側面に過ぎない。

 世界に認められた英霊の魂の質量は破格で、その全てを降臨し、かつ人の使役下に置くことなど不可能。

 その一側面こそがクラスであり、クラスごとに特性に偏りがある。

 そして宝具やスキルといった面に特化しているのがキャスターやライダーのクラスである。

 だが、キャスター(メフィスト・フェレス)ライダー(クリストファー・コロンブス)もすでに討滅している。

 通常の聖杯戦争であれば一度の儀式に召喚されるのは一クラス一騎。

 これがその通常を外れる異常であるとするなら、特異たる点へとすでに成っているのだとすれば…………今後の戦いは明日香というデミ・サーヴァント一騎でどうにかできるものではない。

 事態に推移に思考する圭は、同様に沈思する明日香を見やり、そして思索に囚われていても接近する気配を見逃しはしない二人は、ピクリと反応を示して話題を続けた。

 

「ああ、ところで明日香。どうやら魔法師の方でも一悶着あったようだよ」

「なにがあった?」

 

 魔術側の問題だけではなく、問題はなにも魔術師側でだけ起こっているわけではない。

 明日香が帰還した同時刻。ホテルの敷地の一角でもまた魔法師たちの諍い事があった。

 そう、それは軍の施設の一つでもあるこのホテルへの侵入を試みた敵対勢力を、とある一高の高校生二名が人知れず取り押さえた出来事―――― 

 

「驚かないで聞いてくれ明日香。このホテルには…………温泉がある」

「…………」

 

 ―――ではなく、ホテルの地階、秘境にて行われていたアヴァロンたる地での出来事。

 話の唐突な転移に明日香の眉が訝し気に顰められた。

 だがその不審な目には頓着せずに圭は告げる。彼が気づいたこの特異点(現代日本)における“異常”を。

 

「温泉だ! どうやら湯着なるものを着て入ることになるらしい。嘆かわしきかな。寒冷期として知られることとなった出来事のために、日本の古き良きマナーは喪われてしまったらしい」

「なん……だって……」

 

「それに巫女がいた。コスプレではなく生粋の巫女さんだ! 残念ながら巫女衣装ではなかったけれど……耳も尻尾も(どこぞのキャス狐では)なく、くノ一属性(どこぞのパライソで)もない純粋100%! きっと新年だけ(バイト感覚)じゃなくて家では着物・袴・和風の三点セットの巫女衣装に身を包んでいる大和撫子七変化。魔法師の交流会と侮っていたけどどうして中々。なぜ君は麗しいレディ集うあのヴァルハラにいなかったのか!」

「くっ!」

 

 驚きに彩られていた明日香の表情が苦悶に歪んだ。

 “藤丸”の系譜を省みれば、絶世の美女である巫女(ミコーンな)サーヴァントは居る。けれどもそれは座に刻まれるほどの、言ってみれば在り来たりな巫女ではなく、色物的な要素がある飛び抜けた英霊だ。

 だからこそ古式ゆかしい巫女さんというのは、逆にありがたみがあった。

 明日香にとっても、由来する霊基の来歴だけに純粋な巫女さんというのは物珍しく、見たいという思いがないと言えば嘘にならなくもないこともないかもしれない……。

 などという煮え切らない態度もとっているのも、二人ともすでに思考を切り替えているからだ。

 

「明日香!」

 

 上気した声に明日香と圭は今気が付いたかのように振り向いた。

 そこには湯上りらしく常よりも赤みの増した肌の少女たち。こちらへと小走りに駆けてくる雫と、その背後には九校戦の一年生女子メンバー。

 

「おっと、噂をすれば。獅子刧君。君にちょっと聞きたいことがあるんだが。君は雫のこと」

「スバル!」

 

 その中の一人、ボーイッシュな顔立ちに眼鏡をかけた少女、里美スバルが何かを尋ねようとして、それを雫が慌てた様子で遮った。

 

「なんだい?」

「なんでもない。それより懇親会、居なかったけど何してたの?」

「うん……あ、いや…………」

 

 尋ね返した明日香も強引に遮って、先ほどよりも顔を赤くした雫は話題を転換した。

 噂をすれば……ということはおそらく彼女たちの話題のネタにでもされたのであろうが、一体彼女たちの間でどんな話題にされたのか気にならなくもない。

 だが理由があったとはいえそれは魔術師としての事情だけに語るものでもなく、だとすれば選手のオープニングを兼ねた懇親会を無断欠席していることになるだけに、少しバツが悪い。

 どのように話題を変えるべきか、明日香には咄嗟に頭が回らず、背丈の違いの関係で見下ろすような形になった明日香が雫を見やると、上気してほんのりと桃色に色づくきめ細やかな肌が覗いていた。

 寒冷期ファッションで服装が前世紀よりもやや露出控えめがトレンドになっているとはいえ、夏の風呂上りだ。薄手のシャツは美少女の艶めいた香りを助長させるかのようで、目が合って小首を傾げる仕草を見て、明日香の思考に空白が出来た。 

 

「いやいや、残念ながら目的は不発に終わってしまったかな、明日香」 

 

 その空白を埋めるは明日香よりも弁の立つ圭の言葉。

 

「……なんのことだ」

 

 ハッとなったのを隠すように努めて平静のようにして圭へと振り返ると、ニコニコとした、あるいはニマニマとした笑み。

 

「ふふふ。湯上がりのレディたちというのは、朝露に濡れる花のように可憐じゃないかと、うん、今しがた明日香、が、話していてね」  

「えっ!?」

 

 風呂上がりの姿の想像。それをされていた方としていた方。

 雫は単に上気している以上に顔を赤くして明日香へと顔を向け、明日香はバッと背けて雫からの追及の視線から逃れようとした。

 

「あっはっは!」

「ちょっと待ちたまえ! 笑っているが君もだろう!? なんの話をしていたんだ君たちは!!」

 

 だが当然、それで誤魔化せるはずもなく二人揃って魔術師たちは魔法師の少女たちの追及を受けることになるのであった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話

 いよいよ全国魔法科高校親善魔法競技大会―― 九校戦の開幕の日。10日間にわたる熱い戦い。現在華々しく活躍するA級魔法師たちの多くも世に知られるようになったのはこの戦いの場からだ。

 この国の将来を担う魔法師の雛たちが富士山麓より飛び立つのを目撃できる貴重な場。

 

 ――――「使用魔法は全て可視化処理した特別放送でお送りします。興奮と感動のスペクタクル。若き魔法師たちによる華麗な競技を是非ご自宅でもご覧ください。チャンネルのご契約は今すぐスカイアイランドTVまで」―――

 

 空を往く飛行船が宣伝文句と共に開会式の様子を映し出しており、下を歩く人々は祭りの雰囲気に心を躍らせていた。

 

 そう――――祭り(カーニバル)だ。

 

 道々には様々なキッチンカーが屋台を出しており、観客席に赴く人々の足を止めさせ、ケバブにバーガー、クレープ、うどん……おいしそうな匂いが誘惑してくる。

 だがそれらの誘惑もなんのその、観客席は初日から超満員となっていた。

 そしてそんな彼らのお目当てはスピード・シューティング。そこに出場することになっている一高の才女。

 

「第一試技から真打登場か。渡辺先輩は第三レースだったな」

「はい」

 

 十師族の中でもきっての名門、七草家のご令嬢の試合は彼女の容姿や魔法力の高さ、そして最終学年であり今年度で九校戦での活躍が見納めということもあって多くの観客を惹き寄せていた。

 同じ高校の後輩である達也や深雪、そしてほのかや雫たちもこの大本命の試合を見に来ていた。

 勿論、観戦しているのは非魔法師の一般人よりも同じ魔法師、この九校戦で戦うことになる魔法科高校の生徒たちこそが、注視して見ていた。

 

「やぁやぁ、ご一緒させていただいてもいいかな。何分この通り、満員でよく見える席は限られているものでね」

 

 そしてそこにはこの会場で二人しかいない魔術師である圭と明日香も“先輩”である彼女のその試合を見に来ていた。

 観客席の全てが完全満員というわけでは流石にない。

 特に前列の方には空席もある。だが空中を拘束で飛ぶ標的を撃ち落とすというこの競技の特性上、フィールドに近い前列では状況を冷静に観ることはなかなかに難しく、“競技”に関心を持つ者たちは概して後列に陣取っている。

 

「ああ。別に構わない」

 

 明日香と圭もそちら側であり、達也たちの集団のところに空き席があれば知り合いだけに避ける理由もなく便乗させてもらったのであった。

 明日香と圭が腰掛けると達也や深雪、ほのかと雫といった九校戦参加者以外にもおり、数人の一高生が座っていた。

 4月の終わりごろ、ブランジュの騒動が解決した後で行われた達也の誕生日会でも同席していた柴田美月と千葉エリカだ。

 明日香に至ってはエリカとは共闘した間柄でもあり、それ以外の男子二人にも見覚えがあった。

 

「よろしく。レオと、そちらは初対面だったかな」

 

 ただし、挨拶を交わしたことのあるのはその内の一人、エリカ同様ブランジュの騒動の際に共闘した西条レオンハルトのみで、もう一人は言葉を交わすのは初めてだった。

 裏を感じさせない明日香の挨拶に幹比古は一瞬鼻白んだようになったが、その隣のあからさまに裏のありそうな笑顔を浮かべている圭を見て意を決したようだった。

 

「……吉田幹比古。名字で呼ばれるのは好きじゃないから幹比古でいいよ」

 

 たしかに面と面を合わせては初対面と言えるだろう。

 だが幹比古にとっては入学からこの数か月。精霊を介してずっと視ていた相手だけに気後れするのも無理はないだろう。

 

「初対面と言っても、そちらは随分と僕たちのことを知っているようだけれどね」

「やっぱり、気づいていたのか……」

 

 そしてそれを掘り返すのは圭。端的に告げてきた言葉は以前から幹比古の監視を気づいている上でのことだろうし、今の会話を疑問に思っていない素振りの明日香も気づいていたのだろう。

 

「古式魔法師の家のお知り合いですか?」

 

 ただ、幹比古と彼らの間に流れる微妙な空気感に気づいた美月がおっとりと首を傾げて尋ねてきた。

 

「あ、いや。彼らは古式魔法師じゃなくて」

 

 美月の問いかけは場の空気を感じたものではあるが、純粋に知らないからこそ出た問いだろう。だが魔術師と魔法師、殊に古式の魔法師との境界は難しい。

 そして知り合い、というのも説明しづらいところだ。

 なにせ幹比古にしてみれば気づかれていたとはいえ覗き見していた立場なのだから。

 

「そんなところだよ、ミス・美月。もっとも神道系の古式魔法の大家である吉田と比べれば藤丸なんて知っている人もほとんど居なくてね。家の繋がりなんて気にせずに自由を謳歌できるというわけさ。ところでどうだろう。ミス。よければちょっと抜け出してデートでも」

「ケイ!」

 

 そしてそれに乗っかり更には調子づく圭の、手を取りながらのナンパなセリフに幹比古は別の意味でどきりとし、明日香からは注意が入った。

 

「ははは。ちょっとした挨拶じゃないか。今はデートより会長さんの応援だろ。うん。もちろん分かっているとも。ああ、デートを受けてくれるというのならそれを優先するのも吝かではない……おっと、失礼。会長さん会長さん、エルフィン・スナイパー(妖精姫)か。う~ん。なかなか可憐だねぇ」

 

 明日香からの叱責に競技場へと視線を戻し、それでも余計な言葉の続く圭に呆れた眼差しが向けられる。

 だが圭の意見はどちらかというと会場では多数派なのかもしれない。観客席の最前列の方からは意欲的な熱視線が向けられており、だけではなく黄色い声援も飛び交っていた。ちなみに黄色いだけでなく野太い歓声も多い。

 

「まったく、これだからバカな男どもは」 

 

 軽薄そうな言葉を呟いて感心している圭やわざわざ最前列に詰め掛けている男どもに対してエリカは嘆かわしいとばかりに軽蔑の視線を投じていた。

 

 だがたしかに、真由美の装いはまるで近未来映画のヒロインのような可愛らしさと凛々しさがミックスされた雰囲気があり、男ならずとも一見の価値があるように思える。

 

「すごい人気ですよね。会長さんの同人誌を作っているファンもいるくらいですから」

「え!?」

「美月。貴女、そういう趣味が……」

「ええっ!? そそそんな趣味なんてありませんよっ! き、聞いた話ですっ!」

 

 エリカの言うバカな男どもをフォローするため、でもないだろうが美月のポロリと漏らしたセリフにエリカと深雪が大半は冗談で、そして一割くらいの本気を込めて訝しむと、美月は面白いくらいに動揺していた。

 

「始まるぞ」

 

 わたわたと慌てふためいていた美月と寸劇を繰り広げそうなエリカたちに一言、達也が告げると美月はハッとなって口を閉ざし、歓声を上げていた最前列の観客たちも静まりかえっていた。

 

 

 

 

 スピード・シューティングは5分間の競技時間の間に不規則に射出される百個のクレーを魔法射撃によって打ち抜く競技だ。

 真由美はこの競技の大本命に相応しい圧巻の射撃を見せつけ一つの取りこぼしもなく打ち砕いていた。

 

「あの距離での精密連続射撃。すごいな。アーチャーとしての能力なら僕では到底及ばないな」

 

 驚嘆の声が会場のあちこちから漏れ聞こえており、明日香も感嘆の眼差しを向けていた。

 

 スピード・シューティングの準々決勝からは紅白の対戦形式だが、今見ている予選では単独のスコアによって競われる。繰り返し行使される魔法の発動速度と精密性。対戦形式になってからは相手の領域干渉や魔法を上回る魔法力が要求される。

 真由美のとっている戦術は一つ一つのクレーを個別に撃ち落とすというもので精密性が高く要求される。

 非魔法競技におけるクレー射撃よりも目標までの距離は遠く、射出速度や回数も格段に多く速い。

 

「明日香はああいった精密遠距離攻撃は苦手だからねぇ。まぁ、とはいえあれは僕にもちょっと真似できそうにない。うん。やっぱり適材適所、ということだろうね」

 

 明日香にしても圭にしても、あのミドルレンジではあれほど高精度かつ連続性の高い射撃手段はない。

 

 

 

 ――遠隔精密魔法、という点では魔術よりも現代魔法に有利があるのか。いや、彼らの魔術特性、と考えるべきか……――

 

 へらへらとして見せている魔術師の様子に、けれども表情の一片も変えず競技場へと視線を向けたまま達也は先ほど圭が言っていたことの意味を考えていた。

 明日香の戦闘スタイルを思い返すと確かに彼は近接型。剣の千葉と同じ様に魔法剣技によるもので、それを考えれば明日香もエリカ同様に遠距離攻撃は得手ではないのかもしれない。

 そして古式魔法は現代魔法に比べて発動速度に不利があるのが一般的だ。

 魔術が古式魔法以前のものだというのなら、一概には言えないだろうが魔法の発動速度が現代魔法に比べて優れているものではないだろう。

 ブランジュが一高に襲撃してきた時の戦いでは、圭はCADなしに三巨頭と同等以上の戦いをしていたというが、それは敵のホムンクルスに物理攻撃や魔法が通じにくい特性があったのも理由の一端だ。

 CADを操作する作業がない分、たしかに切り替えは早いだろう。だがあの時の戦いでは圭もホムンクルスには有効打を与えられなかったという。

 

 敵と見据えての戦力分析ではない。

 

 ――彼らの目的は君たちに敵対するものではないし、敵対してはいけないということだけだ――

 

 達也にそう言ったのは古式魔法師でもある忍術遣い、九重八雲だ。

 だが達也は知る必要がある。

 彼らの力は自分たちの脅威となるのか。自分たちの力となるのか。

 

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 九校戦の初日は男子女子のスピード・シューティングとバトル・ボードが並行して開催される。

 注目は黄金世代と評される一高の三巨頭の出場競技だ。

 真由美の観戦を終えた観客の多く、そして達也や明日香たちもその三巨頭の試合、渡辺摩利の出場するバトル・ボードの観戦へと移動していた。

 明日香にしてもバトル・ボードは自身が出場する競技だけに、他の魔法師たちがどういった戦術でこの競技に挑むのかについての関心はあり、圭と共に観戦をした。

 レースは優勝候補とも呼ばれるのが頷ける圧巻の快走で摩利が勝利を収めた。

 常時複数の魔法を発動させるマルチキャストによる摩利の技量は高校生レベルを大きく凌駕しており、波を使った妨害戦術を行おうとした他校の選手が自爆するのも味方につけての快勝だった。

 

「さて、この後はどこを観戦するんだい?」

 

 目当てであった先輩の試合が終わってひと段落のついた圭たちだが、当然ながらまだ午前の競技は続いている。

 バトル・ボードであれば女子の予選が午前中だけであと一競技。スピード・シューティングの方では準々決勝が始まっている頃だろう。達也たちもその予定であったのだが

 

「この後はスピードシューティングの決勝トーナメントを観るつもりだ」

「ああ、真由美会長の試合か。うん。それじゃあ、司波君たちとはここで一旦お別れかな」

「見に行かないの?」

「男子のバトル・ボードも開催されているし、午後には男子のスピード・シューティングもあるからね。なるべく男子の選手も見ておきたいんだ」

 

 少し意外感を覚えたのは雫だけではあるまい。とりわけ見たい試合でなければ十師族七草家の令嬢の試合は何よりの注目の試合だ。

 他の選手の偵察というならまだしも、男子の試合を見たとしても彼らはこの大会では本戦の選手とあたることはないのだから。

 だが圭にとっては全力でなかったとしても、一度見た真由美の魔法よりも全く違う魔法師の魔法を見ることの意味の方が大きいだけのことだ。なにより、真由美の力も高校レベルを遥かに凌駕しているのだからして、決勝戦であったとしても、きっと真由美の本来の本気の魔法は見られないだろうから。

 

 

 結局その日の九校戦では大方の予想通りスピード・シューティングの女子部門で真由美が、そして男子部門においても一高が制した。

 予選の行われたバトル・ボードにおいても男女とも突破を果たす結果となった。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 午前の競技が終わった段階で、達也は友人たちと別れて高級士官用の客室を訪れていた。

 当然ながら、いくら演習場が九校戦用で魔法科高校生たちに開かれているとはいえ、佐官クラス以上が使用するような客室が開放されることはない。

 

「君が高校生の大会のCADエンジニアを務めるというのは、レベルが違いすぎてイカサマの様な気もするな」

「真田大尉。達也君だって歴とした高校生ですよ、ねぇ、達也くん?」

 

 彼がここを訪れているのは旧知の戦友……という概念が当てはまるかどうかは知らないが、彼が秘密裏に所属している軍属の友人(少なくとも今回はそういう名目だ)と会う約束をしていたからだ。

 

「そうですね。“シルバー”のことは一応秘密ですし」

 

 独立魔装大隊。

 “大天狗”の異名を持つ風間少佐と大隊の幹部たち。真田大尉、柳大尉、藤林少尉。

 そして達也もまた、軍属としての名を大黒竜也という。

 そのほかにも魔工技師としての名前として“トーラス・シルバー”という名もある。世界にも知られた高名な魔工技師だが、正確にはそのうちの“シルバー”を担っているのが達也だ。

 直近では現代魔法の三大難問と言われた飛行魔法を完成させた天才技術者として知られている。 

 

「ねぇ、選手としては出場しないの? 結構良い線いくと思うんだけど」

 

 彼ら、そして彼女は達也のそんな秘された肩書を知る者たちだ。加えて彼の出自――十師族の一角、世界最強の魔法師の一人と目される“夜の女王”を当主に戴く一族、四葉。

 魔法学校では劣等生に組されている達也が、世界でも数えるほどしかいない強大にして凶大な魔法師であることを知っている。

 

「藤林。たかが高校生の競技会だ。戦略級魔法師の出る幕ではない」

 

 戦略級魔法師。

 一度の発動で人口5万人クラス以上の都市や一艦隊を壊滅させることができる恐るべき魔法。それが戦略級魔法。

 世界の各国において対外的に公表されたその魔法師はわずかに13人――十三使徒とも呼ばれる国家公認戦略級魔法師であり、達也――大黒特尉は非公開の戦略級魔法師だ。

 無論のこと、そんな強大すぎる魔法が親善試合でも九校戦で使用できるはずもない。

 

「でも去年の大会では十師族の七草家や十文字家のAランク魔法が使用されたくらいですもの」

 

 藤林の言うように、単体で戦術級にも目されるほどの魔法師である十師族の魔法師がその力を振るっているのだから、戦略級魔法を使うことはできなくとも、“同じ十師族の一員”である達也が出場できないこともない、と見ることもできる。

 

「それに、今年の大会では一条家のクリムゾン・プリンスも出ていますし、一高でも随分と変わり種が出場しているじゃありませんか」

 

 加えて言えば、今年の九校戦の新人戦は一昨年、つまり七草真由美や十文字克人が初出場した年と同等か、内情を知る者たちにとってはそれ以上に魔窟のような年だ。

 新ソビエト連邦による非公式の佐渡侵攻事件に際して、“爆裂”の魔法をもって数多の敵兵を屠った実戦経験済みの魔法師。クリムゾン・プリンスの異名を持つ一条将輝。

 弱冠十三歳で仮説上の存在であった基本コードの一つ、加重系統プラスコードを発見した天才研究者。カーディナル・ジョージの異名をとる吉祥寺真紅郎。

 師輔二十八家の一つ、“エクレール・アイリ”とも呼ばれる一色愛梨。

 

 一高でも公開されてはいないものの達也や深雪といった十師族の魔法師がおり、加えて未知なる存在とも呼べる魔法師、否、魔術師が二人も参戦している。

 藤林がそれを示唆すると、場の空気がピンと張り詰めた。

 風間が、柳が、真田が、達也へと鋭い視線を向けていた。

 

「達也君。君はあの魔術師たちをどう見ている」

「どう、とは?」

 

 名目上では、達也はこの場に彼らの友人ということで呼ばれている。

 軍属としての大黒特尉は秘密にされるべき戦略級魔法師だからだ。だが、実際にはいろいろと告げるべき内容を告げ、釘を刺し、情報を仕入れるための場だ。

 “大天狗”風間玄信。達也が体術の稽古を受けている九重八雲の門下の筆頭でも忍術使い。古式の魔法に連なり、今軍属に身を置く彼も魔術師については知っている。けれどもすべてを知っているわけではない。

 

「彼らには国外の何らかの組織との繋がりがあると見られている」

 

 魔法とは強力な軍事力になりうるものだ。

 達也しかり、十師族や百家であっても、あるいはなくとも、兵器としての魔法力を求められる魔法師は、国によって海外との関わりを制限される。

 中には、ハーフやクォーターのように系譜に海外の者がいて繋がりがあるケースもあるが、特に強力な魔法師や希少な魔法を有する者は、自由に海外渡航することもできないし、移住は特に厳に管理される。

 

「藤林の調査でも彼らの両親が国内に居ないことが判明しているし、どうやら海外に資金源があるらしく、資金の流入が見られる」

 

 電子の魔女(エレクトロン・ソーサリス)の異名を持つ藤林は情報の収集、改竄などに特に秀でている。

 その彼女が調べ上げたことだ。彼らには日本の魔法師としては疑わしい点がある。

 

「魔法師の国外移住は制限されているはずですが」

「魔法師は、な。だが彼らは魔術師だ」

 

 真田の言うことはある意味ではもっともだ。

 魔術師の歴史は魔法師より古く、魔法師のルールが魔術師に適用されるいわれはない。

 

「詭弁でしょう。事実としてあの二人は魔法師として魔法科高校に在籍している」

 

 だがそれを達也はバッサリと、明確に断じた。

 たとえ彼らが魔術師であっても、今の彼らは魔法師という肩書を持ち、魔法を有する者という区分けがなされている。

 ならば魔術師であっても、古式魔法師と同じく現代に生きる魔法師であることに違いはない。

 

「だが彼らが魔術師と分かったのもこの数年のことだ。彼らの先代も魔術師であるのかどうかは調べられていない」

 

 ただし、あの二人が魔術師として、魔法師として明らかになったのがここ数年なのだから、それ以前の状態では彼らや、彼らの親族一門に関しては魔法師とは見なされていなかったとしてもおかしくはない。

 そして非魔法師でなければ、今でも移民や渡航は不可能ではない。

 

「藤林さんでも、ですか……」

「どうやら彼ら、重要な情報のやりとりには通信機器ではなく、なんらかの魔法的な、いえ、魔術的な手段を用いているようなのよ」

「流石の藤林でも未知の技術体系が相手では深入りできん」

 

 藤林は電気・電波信号に干渉する発散系、収束系、振動系魔法の使い手であり、有線・無線を問わず通信に介入する魔法を得意としている。そして現在進行形の通信のみならず、上書きされて消去された磁気・電子・光学記憶媒体のデータを再構築する特殊スキルまでもを有しており、そんな彼女がその気になれば特定されている個人の家庭に対してハッキングを仕掛けることはわけない。

 けれども彼らが現代的な情報通信手段、つまり電化製品を用いた情報のやりとりをせずに別の手段――例えば魔術による遠隔通信手段を持っていた場合、いくら電子を操作できる藤林でも情報を探るのは難しいだろう。

 そしてなにも情報を得る手段はハッキングだけとは限らない。

 

「したのですか」

 

 穏便に訪問して交渉することもできるだろうし、国外の不審な組織と繋がりが疑われるというのであれば、些かばかり強硬な手段で“交渉”することもあるだろう。

 実際、調査して分かりませんでした。で済むはずがない。

 独立魔装大隊は、国防陸軍第101旅団の旅団長である人物が、十師族という民間魔法戦力から独立した魔法戦力を備えることを目的とした実験部隊だ。

 十師族との繋がりの薄い、そして十師族でさえ解決できなかった魔法事件を独力で解決してみせた魔術師という戦力は是非とも確保しておきたい力だ。

 おそらくは十師族も、わずかでも繋がりのある十文字家や七草家から彼らにアプローチしようとしているだろう。

 

「できなかった、というべきだな」

「2年前の事件の後、秘密裏に交渉をもとうとしても彼らの屋敷に招き入れられなかったの」

 

 だが今のところ、十師族側も、国防軍側も彼らから技術を盗み出すようなことはできていない。

 今もって彼ら、魔術師は謎の存在だ。

 

「彼らと繋がりのある組織については分かっているのでしょうか?」

 

 達也からの質問に、真田たちは顔を見合わせ、そして風間がその組織の名前を口にした。

 

「……国連だ」

 

 それは前世紀から原型をもつ世界的な組織。

 魔法が世界に認知されるよりも前、明確に非魔法師たちが築き上げたはずの組織。三度の世界大戦を経て、今やその権威は失墜している。

 魔法師たちも国際魔法協会憲章に基づき国際魔法協会に属しているといえなくもない。けれどもそれは国連とは別の独立した組織であり、根本的に国家間の争い、魔法師の闘争に介入するという事はない。

 

「でも、調べた限り、国連に魔術師が携わっている部署は確立されていないはずだし、彼らの親族が務めている記録はないわ」

 

 表立っては明言されない国外の組織に組している。

 しかもそれらは魔法師にとってすら未知の技術を有しているとなれば、持たざる者にとっては邪推を働かせるには十分。

 そう、他ならぬ魔法師自身が、そうなのだから。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話

 九校戦四日目―――――。

 この日から本戦は一端の間を挟み一年生のみによる新人戦が行われる。行われる種目事態は本戦と同じで日程的にもほぼ同様の順番に行われる。

 即ち新人戦初日となる今日は早撃ちが午前は女子、午後は男子と予選から決勝までが行われ、同時並行して波乗りの予選が男子女子ともに一日通して行われる。

 

 現在の成績は第一高校がトップでその後を三校が追いかけ、三位以下は団子状態の混戦模様という状況だ。

 初日の快勝を経た二日目からは、なかなか一高の思惑通りにはいっていなかった。

 男女のピラーズ・ブレイクや女子クラウド・ボールで優勝し、そのほかのいくつかの競技でも好成績を収めはしているものの、最大のライバル校と目されている三校が男女のバトル・ボードで優勝するなど一高の成績を猛追しているのだ。

 

 なによりも想定外であったのが女子バトル・ボードの優勝本命であった摩利がなんと競技中のアクシデントにより負傷。加えて男子のクラウド・ボールも優勝確実とまではいわなくとも上位入賞が見込まれていた桐原が二回戦敗退となってしまったのだ。

 摩利の負傷については明日香も圭もその場には居合わせておらず、後に聞いたことではあるが、包帯を巻いた痛々しい姿――実際には魔法治療の結果痛みはそれほど残っていないらしいが――を見れば、摩利が今回の大会で選手としてもう一つの競技に出場することは難しいだろう。

 それにより優勝が見込まれていたもう一つの目玉競技――ミラージ・バッドに穴が開いてしまうという事態に陥った。

 摩利は優勝の大本命で、故にその補欠要員などは考えられていなかった。結果、彼女の代役として十分な力があり、ミラージ・バッドの練習を積んでいる深雪が新人戦から本戦へと急遽コンバートされるという事態になった。

 

 どうやら首脳陣の方では、摩利の被ったアクシデントに何らかの細工や陰謀が仕掛けられていることを危惧し、魔法式やCADに精通している達也に解析と調査を依頼しているようだが、どちらにも詳しくはない明日香や圭にはあずかり知らぬことだった。

 

 彼らにとって目下の役割は本日行われるバトル・ボードでの活躍と、午前中に行われるスピード・シューティングの女子競技に参加する友人の応援だ。

 

「ほのかさんと獅子劫さんはバトル・ボードの準備はいいんですか?」

 

 そんなわけで、明日香と圭は雫が出場する競技の観戦に来ており、幹比古や美月、ほのかや深雪、エリカやレオたちと同席していた。以前達也の誕生日会に同席したこともあり、見知らぬ仲ではないが、それでもやはり幹比古や美月と比べてあまり接点のない明日香と圭はレオの隣に座っている。

 問いかけは遅れてやって来た深雪に挨拶をした美月のものだ。ほのかと美月もあまり接点はないが、女子同士でもあるし、明日香とほのかは男女の別はあれど同じ競技に出場する選手だからまとめて問いかけたのだろう。

 

「だだだっ、大丈夫です。私は午後からだから!」

 

 美月の問いに緊張したように答えたのはほのかで、緊張を紛らわし切れずに責任感の強さから固くなっている。

 一方で明日香の方は、責任感の強さは劣らなくとも緊張はさして感じていないのか自然体だ。

 

「ああ、僕の方も問題ないよ。準備はできている。今はまず、雫の方を応援するだけさ」

 

 目下のところ、彼が気にかけているのはまさに今から出番となる雫の方だ。

 そもそも、明日香が九校戦に向けてやる気を出したのも雫の願いあってこそであり、その雫の目標も九校戦の舞台での戦いにあったのだ。試験での借りもある。応援しないわけにもいかないだろう。

 

「たしか雫ちゃんの担当技術者に達也がついているんだったね。彼は随分と魔法に精通しているようだし、楽しみだね、うん」

 

 それは理由は違えど藤丸圭にとっても同じ。浮世離れしていた明日香をこの世界の住人に戻してくれた、この時代の人との縁を紡ぐきっかけをくれた人と言える。

 加えて興味もある。

 雫に、というのもあるが、司波達也という劣等生の皮を被った異端者がどのような魔法を新たに見せるのかという事に対してだ。

 達也の魔法工学に対する知識と技能、CADの調整技能の高さは二科生でありながら九校戦のスタッフに抜擢されるほど。

 ただし、無駄に高い一科生のプライドからすべての選手に認められているわけではないが、現状、担当している一年女子の多くや首脳陣からは高評価だ。

 

「ええ、藤丸さん。お兄様と新しい魔法をずいぶんと練習していたけど、それがついにお披露目になるわ。きっと皆さん驚くんじゃないかしら」

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

「いよいよだな、雫」

「うん」

 

 試合開始直前の控室。雫のCADの最終調整を行った達也は、雫と共に簡単な会話を交わして適度に緊張感を和らげ、開幕の時を待っていた。

 

 準備は万端だ。

 

「よし、頑張れ!」

「うん!」

 

 出番前に送られた達也の声援を背に、雫は戦いの場へと立った。

 これまで観る立場であった自分が居た観客席に、これまで観られていた先輩魔法師たちのように自分は立ち、そして…………“彼”が居た。

 

 

 

 

 元々、雫は実技の得意なタイプの魔法師だ。

 同じ一科生のほのかはどちらかというと複雑な工程の魔法式も苦労することなく組み上げられる、言うなれば研究者タイプに比べると、実戦向きのスポーツ系魔法競技に向いている。

 九校戦に対しても並々ならぬ思い入れを抱いている。

 雫の魔法の才能を溺愛している父と、富豪である家のおかげで毎年のように九校戦を観戦に来ることができたのは、大きな影響を与えただろう。

 やはり実際に観て、そして今年からはその舞台に立つというのは、普段感情をあまり表に出さない雫に鳥肌が立つほどの衝動をもたらしてくれる。

 ただ、その中でもモノリス・コードには別の思い入れがある。

 2年前、定かならぬ記憶の中で(今は明日香だと分かっているが)、誰かに助けられてから、その幻影を探していた。

 意識に昇るか昇らないかの曖昧とした意志ではあったけれど、記憶の修正魔術を受けてもなお、彼を求めていたとも言える。

 年の頃は、多分自分と同じか、少し前後するくらい。そして何より魔法戦技あれほど卓越していれば、きっと九校戦に出て活躍するくらいの魔法師だろうから。

 彼は不可視の武器を、魔法を駆使して雫を護り、誘拐されていた少女たちを救い、敵を倒していた。十師族の人たちですらも、プロの警護を請け負う魔法師ですらも圧倒していた誘拐犯をだ。

 だから一番活躍しているとすればそれは、最も魔法戦闘に近いモノリス・コードをおいて他にはないと思っていた。

 

 喜ばしいことに、九校戦とは別の場所ではあったけれど、彼とまた会うことができて、残念なことに彼はモノリス・コードには出なかった。

 それでも、今は同じ場所に居て、同じ方向を向いて戦えている。

 

 そういえば…………以前ならば、泡沫に消えてしまっていたあの時の記憶が、今でははっきりと思い出せる。

 

 

 

 

 

 雫のスピード・シューティングは今までの選手とは趣きの異なる魔法を見せつけていた。

 

「うわっ、豪快」

 

 そうエリカが評するように、クレーは見た目にも派手に粉砕されていた。

 真由美のように一つ一つのクレーを狙撃して破壊するのではなく、クレーを移動魔法で操作してぶつけて破壊するのでもなく、エリアに入ってきたクレーが瞬時に粉砕されいる。

 

「もしかして有効エリア全域を魔法の作用領域に設定しているんですか?」

 

 そんな魔法の使い方をした魔法師はこれまでいなかった。

 観客席のどこかからはまるで機雷でも仕掛けられているのではないかと評する声も上がるほど、クレーはエリアを飛翔することを許されずに一つ残さず破砕されていく。

 

「そうですよ。雫は領域内に存在する固形物に振動波を与える魔法で標的を砕いているんです。内部に疎密波を発生させることで、固形物は部分的な膨張と収縮を繰り返して風化します。急加熱と急冷却を繰り返すと硬い岩でも脆くなって崩れてしまうのと同じ理屈ですね」

「より正確には得点有効エリア内にいくつか震源を設定して、固形物に振動波を与える仮想的な波動を発生させているのよ。魔法で直接に標的そのものを振動させるのではなく、標的に振動波を与える事象改変の領域を作り出しているの。震源から球形に広がった波動に標的が触れると、仮想的な振動波が標的内部で現実の振動波になって標的を崩壊させるという仕組みよ」

 

 誇らしげに魔法の仕組みを語るのはほのかと深雪。

 彼女たち二人は殊に達也への“理解度”が深く、感心して呆気にとられている美月へと丁寧に解説している。

 

「……という仕組みだそうだが、理解できているかい、明日香?」

「…………むぅ」

 

 その解説を脇で聞いている明日香は、圭に話を振られて顔を難しくした。

 魔術や超能力と呼ばれた異能から魔法へと移り変わる際に、理論はより精緻に、科学的に為った。そして信仰や神秘といった“非科学的”で“曖昧”なものは切り捨てられた。

 魔術師である圭もそうだが、“霊基”という神秘そのものを魔術の根幹に据えている明日香はより“時代遅れ”といえる。

 それでも魔法の評価基準においては優秀ではあるのだが、こういった理論においては粗が目立つ。

 

「理論だった魔術、魔法式は君の性質からは相性が悪いんだろうね、うん。力任せじゃいけないよ、明日香。それにしても――――」

 

 ――“あれ”が魔法工学技師としての司波達也の力、か……――

 

 程度の差こそあれ、どちらかというと雫も精緻な魔法制御よりも高い魔法力による大規模魔法の処理が得意なタイプだ。

 それを理解し、彼女の特性を伸ばすためのCADの調整、新しい魔法式の構築。

 ()()、今見えているこれだけではないだろうが、その能力が最早異能染みて傑出していることが圭には()()()()()

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

「すごいじゃない、達也くん! これは快挙よ!」

「……会長、落ち着いてください」

「あっ、ごめんごめん」

 

 午前の部の終わった正午。第一高校の天幕では歓喜に沸いてハイテンションな一高生徒会長が司波達也の背中をバシバシと叩いていた。

 新人戦女子スピード・シューティング部門では、一高が一位から三位までの上位を独占したことが真由美のテンションをおかしな感じにまで押し上げていた。

 

「でも、本当にすごい! 一、二、三位を独占するなんて!」

「……優勝したのも準優勝したのも三位に入ったのも全部選手で、俺ではありませんが」

 

 褒め称えられているのは選手たちもだが、同時に彼女たちの担当技術者でもある達也もだ。達也はCAD技術者として抜擢されたが、主に男子や上級生からの反発が強すぎて深雪やほのかの強い推挙により一年生女子を担当することになった。

 それがこのような結果――同一高校による上位独占を生んだのだ。 

 

「もちろん北山さんも明智さんも滝川さんもすごいわ! みんな、よくやってくれました」

「しかし、同時に君の功績も確かなものだ。間違いなく快挙だよ」

 

 真由美のみならず摩利も上機嫌というものだ。

 とりわけ優勝した雫に達也が用意したCADは高校レベルどころのものではなかった。

 照準補助システム連結型の汎用型CAD。

 本来、照準補助システムは格納できる魔法式の限定された特化型CADにのみ接続することのできるもので、構造的に汎用型CADには載せることのできないのが常識だった。

 世界的に見れば、そういった事例がないではないが、それはまさに最先端の研究。つまり実験的なものでしかなく、雫が見せたように実戦で耐えうる程の、まして高校生レベルとはいえ競技レベルで使用できるようなものではなかったはずなのだ。

 それを達也は可能にした。

 ただ雫の力を引き出すという目的のために、世界中の魔法工学技師を差し置くほどの成果を見せつけたのだ。

 そして他の二人にしても、彼が担当技術者であったからこそ、自身の本来の実力以上のものを引き出せたという感覚があった。

 対戦の組み合わせに多少の運もあったが、示された結果は歴然たるものだ。

 

 

 

 

 

「優勝おめでとう、雫」

「ありがとう」

 

 賑やかしかった一高作戦本部の天幕から出てきた雫は、外で待っていた明日香と会ってかけられた言葉に、普段起伏の乏しい表情をほころばせた。

 自己顕示欲がとりわけ強いとは自覚していないけれども、それでも憧れを抱いた彼に自分の魔法の力を、ここまでできるんだというところを大舞台で見せることができたのは嬉しかった。

 そして―――――

 

「今度は、明日香の番」

 

 舞台は違うけれど、同じ目的のために戦えるということ。それも憧れた九校戦の舞台で、彼がその力を見せてくれるという期待に、雫は胸を膨らませていた。

 

「ああ。任せてくれ。」

 

 少女の期待に、明日香は微笑みとともに自信ある言葉で応えた。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 同日午後。

 九校戦の会場となっている広大な富士演習場の南東エリアの中で、バトル・ボードの競技コースは、カーブを含めて全長三キロメートルの人工水路サーキットとして用意されている。それが男女二コース、同時開催される。

 他の会場に向かう際に水路サーキットの広いコースを迂回せずに済むように、バトル・ボードのコースは敷地の端の方に用意つくられており、この会場で遭遇するということはほぼこの競技の観戦のために来たと言っていい。

 

「藤丸君!」

「おや皆さまお揃いで」

 

 声をかけてきた真由美を筆頭に包帯の痕の痛々しい摩利、会頭である克人まで来ていて三巨頭がそろい踏みしているのはそれだけ魔術師の試合に注目しているからだろう。首脳部としても魔法師としても。

 他にも雫や美月、幹比古、レオやエリカの姿もあるが、一方でほのかや達也、深雪の姿がないのは達也がアドバイザー的な役割を行っているほのかの方、つまり女子バトル・ボードの方へと行っているからだろう。

 バトル・ボードの競技スケジュールでは、ボードの準備や水路の点検・修理のための時間を含めて一レース一時間で組まれている。

 明日香の出走順番は男子の2走目。ほのかの出走順位は女子の3走目で本日の最終レースで、競技自体が十五分程度で済むことを考えれば、雫たちはこちらが終わってから隣の女子競技場へと移動をするつもりなのだろう。

 

 ただ、それは観戦する立場からの話であり、選手であると同時に明日香のCAD調整者を兼ねているはずの圭が観客席にいるのには少々違和感がある。

 

「モニタールームに居なくていいの?」

 

 技術スタッフが関与できるのは試合の直前までで試合が始まってしまえばあとはもう助言もなにもできることはなくだだ選手を見守ることしかできない。

 試合間隔の短い早撃ちでは合間にCADの調整を行う必要があるが、波乗りの予選では一走しかしない。ゆえに選手のCADを調整したスタッフが、用意されているモニタールームに居ようと観客者席にどちらでもいいのだが、雫の質問はなんとなく明日香と圭との距離感の近さを見ているからだろう。

 見れば質問してきた雫だけでなく、真由美たち首脳陣も少し猜疑的な視線を圭に向けていた。

 

 魔術においてもそうだが、魔法師でも一門の秘奥である魔法式は独占するものだ。だからこそ他人の魔法式を詮索するのはマナー違反などという不文律があるわけだが、特に古式魔法師は術の秘匿を行う傾向が強い。

 魔術師である圭や明日香が他の技術スタッフ――上級生の一科生のサポートを受けなかったのも納得できる話だ。

 だからこそ、このように衆人環視の舞台で彼らが本気でやるかはかなり猜疑的に見ざるを得なかった(実際のところ、十師族である真由美や克人も、()()としては全力を尽くしているが、十師族の()()()()()を行使したことは九校戦では一度もない)。

 

「ただのポーズだよ」

「ポーズ?」

 

 雫の問いに対して、圭はいつも通りのゆるふわとした微笑みをたたえている。

 

「水上でこのルールなら明日香に負けはないよ。たとえどんなCADを使おうとね」

 

 そもそも魔術にはCADは必要ない。

 まして明日香の場合は宿る霊基そのものが神秘の塊、“魔法”のようなものだ。

 その彼が全力を尽くすというのなら、常勝不敗の騎士の王たる彼に負けはない。

 

「それは魔法ではなく魔術を使うということかい。レギュレーションとしては大丈夫なのか?」

 

 興味があるのは雫ばかりではない。古式の魔法師として、そして今スランプから多くを取り入れようとしている幹比古も、多大な興味を抱いている

 

「チェックは通りましたよ。もっとも、魔術でもないけれどね」

 

 水上コースに各選手が姿を現し始めていた。

 青地に金の模様が描かれたボードを相棒とする明日香もウェットスーツに身を包んで会場入りし、コールを終えて出走準備を整えてスタートラインへと並んだ。

 

 

「さぁ。それじゃあ行こうか!」

 

 

 ブザーが鳴り響く。用意(レディ)を意味する一回目。

 観客席が固唾を飲んで静まり返り、選手たちが初速を行うための体制に移り、魔法の発動を抑えつつもその構築準備を行う。

 一拍の間、そして――――――二回目のブザー。

 

 スタートの合図とともに各校の選手がダッシュを切り、観客席が一気に沸き立った。

 

「出遅れた!?」

 

 好スタートを切った各校の選手と対称に明日香の魔法発動は後れを取った。

 各校選抜された選手たちは滑らかな魔法の発動からボードを加速。その発動速度こそ魔法がかつての“異能”から進化した証でもあり、出遅れた魔術師を背後に一気に距離を離していき…………

 

「えっ?」

「なんだ?」

「これは、妨害、魔法……?」

 

 けれども差はそれ以上広がらなかった。

 各校の選手たちが懸命にボードを進めようと加速魔法、移動魔法を発動させるも、それを嘲笑うかのようにボードは進まない。

 ボードの乗る水面が猛烈な勢いで逆走をしているのだ。

 選手たちの魔法をものともしないほどの勢い。いや、それだけではない。

 選手たちも気づき始めていた。水路の水が猛烈な勢いで逆流することで、その水位が下がっていっていることに。

 その様子は水路上の選手よりも観客たちの方が分かっていた。なにせスタート後方に明らかな異変が生じているのだから。

 

「なんだ。水面が!?」

「ちょっと、まさか…………」

 

 摩利や真由美、のみならず観客たちが唖然とし始めていた。

 見る見るうちに選手たちの足元の水位が下がっており、水路の底がうかがえるほどになっている。なればこそ、押しのけられた水はどこかで水位を高めている。――つまりは波だ。

 それも摩利や真由美たち、九校戦を見てきた魔法師たちが唖然とするほどにでかい大波。 本戦の出場選手たちですら行わない、いや、行えないほどの規模。発生すれば全選手はおろか自身ですらも飲み込まれ押し流されるであろう一撃。それが選手たちの後方、スタートラインの後方、つまり出遅れた明日香のさらに後方に、まるで大蛇が鎌首をもたげるようにしている。

 

「さあ、()()()()()の出番だ」

 

 

 

 

 

 勢いよくスタートを切った選手たちは今困惑と混乱の中で懸命に魔法を発動させていた。

 

「くそっ! どうなってるんだ!?」

「加速魔法を全開にしてるんだぞ!」

 

 だがそれでも、彼らのボードが前へと進むことはできない。

 この競技では水面から跳躍して意図的にショートカットすることは認められていないため、一時的にジャンプする以外に着水した状態からは逃れられない。

 ボードを加速魔法や移動魔法で押し進めようとするも、猛烈な水流の勢いに逆らえない。水面に干渉して水流を改変しようとする選手もいたが、強固な事象の改変が先行されていて弾かれる。

 事象を改変する魔法は、その対象物・空間に事象改変が先行していた場合、それを上回る魔法干渉力が必要になる。

 水面に彼らの魔法干渉力が束になっても敵わないほどの強固な事象改変が行われているのだ。

 

「さぁ、いくぞっ!!!」

 

 それをなしているのは最後尾の明日香。彼の一声とともに大波が動き出す。

 先行していた選手たちが振り返り、そしてその顔が驚愕に染まった。

 

「なん、なっ!!!?」

 

 彼らの身長の倍……どころか3倍以上、10m越えの大波が迫る。

 その中腹には体勢を崩すことなく、大波を乗りこなすかのごとくにボードを走らせる魔術師。

 

 ――「逆巻く波濤の王様気分!(ブリドゥエン・チューブライディング)」!!!――

 

 選手たちが大波に飲まれる、押し流される。慌てて硬化魔法によってボードとの相対位置関係を硬化させてしがみつこうとするも、魔術によってなされたその大波を前には意味をなさない、というよりもボード諸共激流に飲まれて木の葉のように遊ばれている。

 ただ一人、大波を制するかのごとくにボードの上に立つ波濤の王様――明日香のみが水上を走っている。

 

 

 

 

「あっはっは!」

「…………なに、あれ?」

 

 波を操作して妨害と推進力を意図する魔法は、本戦でも見られることはある。

 今年であれば女子の本戦で四高の選手がスタートダッシュの際に後方の水面を爆破することで波を作って同じことをしようとしていた。だが、走行中に他者の妨害を行うのは本戦の選手であっても難しくボードを制御しきれずに自爆していた。

 明日香のやっている戦法もコンセプトとしては同じだ。大波を作り出すことで推進力にするとともに他の選手を攪乱する。

 だが大波の作り方が違う、というよりも規模が桁違いだった。

 水路全体の水を操作でもしているかのように大波の勢いと規模は衰えることはなく、直線を過ぎ、カーブにも差し掛かっている。

 大波に押されるだけではコースアウト間違いなしのスピードにもかかわらず、明日香は巧みにボードを操り、ロデオフリップよろしく華麗な回転によってコーナーをクリアしていた。

 

 

「よく落ちないわね」

「たしか四高の女子選手が同じ戦術をとっていたが、獅子劫の魔法は安定しているな。それに基礎的な技術も高い」

 

 並みいる選手たちの魔法を寄せ付けない干渉強度と干渉規模を見せつける明日香の力。そして華麗なるサーフテクニックに観客席の魔法師たちは感嘆を示していた。

 真由美や摩利から見ても、つまり本戦を戦う魔法師から見ても、明日香の魔法力と技量は圧倒的だった。

 

「いやぁ、明日香も本気だねぇ」

 

 夏のレースを駆け抜ける幼馴染の弾けっぷりに圭も愉快そうに観戦している。

 明日香が引っ張り出してきた礼装は……まぁ、代えがたい貴重な品ではあるのだが、他ならぬ彼の霊基が使っているのだから問題はないだろう。

 圭はちらりと隣に座る雫に目を向けた。彼女の希望するモノリス・コードには出場しなかったが、それでも九校戦のフリークである彼女にとって、圧倒的な“魔法”の力と技能をもって活躍する選手は視線を釘付けにするほどの格好良さがあった。

 一方でそんな明日香の“魔法”を別の視点で視ている者もいた。

 

「青い精霊が獅子劫さんの周りに集まっている……?」

「美月?」

 

 柴田美月の瞳が不思議な色合いを帯びて、他者とは違う光景にピントを合わせて明日香の“魔法”を視ていた。

 霊子放射光過敏症。

 魔法師にとっては当たり前に認識できる霊子だが、彼女のように視感覚において霊子に対して鋭敏すぎる感受性を有していると、その活動が光として見えすぎてしまう。

 それは霊子に対する感受性の強さであるが、メリットばかりではない。あまりにも強すぎる感受性は日常生活にも影響を及ぼしうる程で、彼女が魔法科高校に入学したのはその鋭すぎる感覚を抑える術を身につけるためであり、彼女がこの時代ではほとんど実用性の見出されない眼鏡を着用しているのも、特殊なレンズでその光を遮断する必要があるためだ。

 

 その彼女の超常を視る瞳が今、霊子光遮断(オーラ・カット・コーティング)レンズの眼鏡越しでなお、輝きを放ち明日香に群がる精霊を視ていた。

 

「へぇ。本当に目がいいね。アレが見えるのかい、ミス・美月」

 

 ゾクリと、その言葉に背筋に寒気が走った。

 それは触れてはいけないなにか、見てはいけない何かを見てしまったと感じさせるような声音。

 振り向くと魔法師ならざる“魔術師”が口元にだけ笑みを浮かべて美月の瞳を見ていた。

 

「ぁ…………」

 

 美月は、彼を、藤丸圭という一科生を知っている。

 初対面で、険悪な場の空気を読まずにナンパしてくるようなフランクな人だが、その彼が4月の騒動の際に三巨頭ですらも危うかった相手と渡り合うような魔法師だと聞いている。

 霊子(プシオン)は情動を形作っている粒子と考えられている。ゆえにこのように人の多い所では感受性の鋭さが災いして酔いのような症状をきたすことがある。

 その霊子の光が、目の前の“魔術師”からは見えなかった。

 まるで深淵の闇を覗きこむような、吸い込まれるような、それでいて覗き返されているような恐ろしさ。

 夏の、熱気あふれる九校戦会場の観客席であるにもかかわらず、急速に体温が失われていくかのような、喉の奥が乾きつくかのような感覚。

 

「ちょっと」

 

 覗きこむ深淵を断ち切ったのは聞き慣れた友人の声。

 険の帯びたエリカの声に美月はハッと我に返り、圭もふっと口元に笑みを浮かべて先ほどの雰囲気を霧散させた。

 美月の隣に座る幹比古も庇うように自らの体を割り込ませてきており、圭としても“悪ふざけ”はここまで。なんでもないとアピールしているように肩を竦めて視線を戻した。

 ひりつく様な雰囲気が失せたのは圭の方のみで、戸惑う美月と警戒を露わにするエリカと幹比古は置いてきぼりとなっている。

 

「まぁまぁ、それより藤丸君。獅子劫君のあれは精霊魔法を常時発動しているということ?」

 

 真由美がとりなすように話題を競技舞台の方へと戻した。

 ただそれは少々デリケートな、かつ大胆な踏み込みを孕んでもいる質問ではあった。

 通常魔法師同士であっても他者の魔法についての詮索はあまりよろしくないマナーとされている。それが家系の秘儀に属するような魔法であればなおさらだ。

 そして明日香や圭は魔法の中でも特に知られていない領域の魔術を使う者たちなのだから。

 興味関心は大きいが、詮索してもよいものではないだろう。

 

「いえ。デフォルトですよ。“彼”は精霊に好かれていますから」

 

 だが明日香の“アレ”は魔法でも魔術でもない。

 その本質に迫られるのはよくないが、この程度を知られる程度であれば最初から魔法科高校には入学していない。

 それよりも彼らと友好的なやりとりを続けている方が、精神的にも意義的にもありがたかった。

 

「精霊か。たしか古式魔法に精霊を使う魔法があったな……それで獅子劫は精霊を操る魔術が得意なのか?」

 

 摩利としても諸事情からエリカに敵意を向けられがちなので、この話題転換はありがたく、都合よくそれに乗っかった。

 古式の魔法はあまり一般的には知られていないが、摩利の家は傍系ではあるが魔法師としてよりも来歴が古い。それだけ古式所縁の魔法にもとっつきやすかった。

 

 そして一方で、その古式魔法の大家である幹比古にとっても、あの明日香の魔法は異常だった。

 

 ――精霊魔法? いや、あれはそんなものなのか? あれは……――

 

 吉田家は精霊に通じ、とある儀式――幹比古がかつての神童としての力を失った事故で目標とするように神霊を喚び出すことを目的としている。

 神霊は精霊魔法の最奥。あらゆる精霊を見抜き、そこにアクセスすることが神を視ることにもつながるのだという考えがある。

 であれば、まるで手足の如くに精霊を纏わせ、精霊に好かれているなどという彼は、それに近しい存在なのではないだろうか。

 そう。英霊とは…………

 

「詩的に表現するなら、そうだね、うん。精霊の加護、ってところかな」

 

 いくつかの思いと詮索を他所に、眼下の競技場では明日香が他の選手をまさに薙ぎ払って圧倒的な勝利を収めた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話

 

 

 一般の観客席からは隔離されたVIPの観覧席。そこに老人が居た。

 魔法界の大御所。今の十師族という序列を確立した立役者。九島烈。

 十師族の一角、九島家の元当主で、20年前までは世界最強の魔法師の一人として目されていた人物だ。

 今は当主としての座を息子に譲ってはいるものの、現在も国防軍魔法顧問の地位につき、“老師”として魔法師たちの崇敬を集めている老人。

 

「あれが魔術師――藤丸の分家の魔術か……」

 

 その彼が注目しているのは今大会初参加の―――九校戦以来始まって以来のという意味で初参加の、魔術師の出場した競技だった。

 

 獅子劫明日香。魔術師“藤丸”を本家とする、その分家だというのが、()()()()()()()()()情報だ。

 魔法師の家系において、古さ=強さではない。傍流が本流に勝ることもあるだろう。

 他ならぬ十師族そのものが、魔法が確立したたかだか100年にも満たない歴史しか有していないのだ。

 ただその新しさこそが魔法の強さでもある。

 これまでの人間が蓄えてきた科学の叡智。紡いできた異能の歴史。それらが折り重なって今の魔法が生まれたのだ。

 ならば最新の力である魔法は魔術などという過去を凌駕する……はず。

 なのにどうだ、魔術師は魔法師では解決できなかった事件を解決し、数多の魔法師から選ばれた精鋭をただ一つの“魔術”をもって呑み込んでいく。

 

 一体、魔法と魔術と何が違う。何が足りない。

 

 彼がこの世に生を受けた当初、まだ魔法は今の現代魔法程洗練されてはいなかった。

 魔術や超能力と言った異能からの過渡期だった。

 だが、過渡期ではあってもその繋がりは連続はしていない。

 気づいた時には、異能の存在は世界の全てが存在を認識していた。

 気づいた時には、魔術師という存在は世界から殆ど姿を消していた。

 まるで前世紀にゴシップ雑誌をにぎやかしたUMAやUFOのような存在。知っている者は数あれど、見た者、触れた者はいない。

 老師である九島烈をしても、魔術とは、魔術師とはそういった存在であった。在り方を変えて現代の魔法に生き延びている古式魔法とは違う。

 ミッシングリンクの存在。

 喪われたなにかが、決定的に魔法と魔術とを分けていた。

 

 歴史的には、終末思想による人類滅亡の預言を実現しようとした狂信者たちによる核兵器テロを、特殊な能力を持った者が“未然に”阻止したとされる事件こそが、魔法を生み出す端緒となった契機として知られている。

 だがそれは真実なのだろうか。

 そのような狂信者の、人の集団は居たのだろうか。

 あの変革(空白)は、人が為せるものだったのだろうか。

 

 世界が創り代わった世紀。その在り様の変化を識る者はいない。けれども誰もが知っている。

 

「星見の魔術師、藤丸家……」

 

 分からないならば埋めればいい。

 そのためのサンプルは、他でもない、自ら目の前に現れてくれたのだ。

 それも二人。

 

「深夜の息子といい、今回の九校戦はつくづくと――――」

 

 ただ、気がかりは魔術師のみではない。

 司波達也。

 兵器としての魔法師の在り方を今もって頑なに続けている師族。

 

 最早超常の力が世界の裏側を支配し続ける時代は疾うに過ぎ去り、国の在り方にまで関与するようになった現実の力、魔法は単なる軍事力――兵器ですらもない。

 人に溶け込んだ、人に帰属する力。

 それを拒む四葉家が日本の魔法師界の頂点に立つような事になれば、彼が築き上げた十師族をも上回る存在となってしまうのは、避けなければいけない。

 

 そう、たとえ疾うに過ぎ去った過去を食い物にしようが。

 過去は未来のためのもの(サーヴァント)なのだから。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 新人戦二日目の終わった夜。一高の選手たちが宿泊しているホテルの一室に数人の一年生女子がちょっとしたパーティを開いていた。

 

「では雫の“早撃ち(スピード・シューティング)”優勝とほのかの“波乗り(バトル・ボード)”予選通過を祝して――――かんぱ~い!!」

 

 集まっているのは今日一競技を終えた雫と予選を終えたほのか。明日からが本番となる深雪、エイミィとクラウド・ボール新人戦に出場する里見スバルと春日菜々美だ。

 

「雫、ほのか、おめでとう」

「ありがとう! まだこれからが本番だけどね」

「うん。私も気を抜かないようにしないと」

 

 少し早い祝杯にほのかも雫も兜の緒を引き締めるように言ってはいるが、持ち寄った菓子やお茶の誘惑は魅力的。

 それが些かばかり夜更けにはなっていても、耐え難いほどの甘味の誘惑に流されるには絶好の口実だ。

 騒ぐのが安眠の妨害になるほどには遅い時間ではないけれど、一般のホテルではないこともありやや慎ましやかな宴会は、けれども少女たちの話のネタに困ることはない。

 明日からの新人戦に対する自信を漲らせた抱負であったり、ここまでの一高女子新人戦の好成績についてを振り返るものであったりだ。

 

「そういえば、ピラーズは司波君が技術スタッフを担当してるんだっけ?」

 

 そう言ったのは、この中で唯一、その司波達也の調整するCADの恩恵を受けていない菜々美。

 

「そう。信頼できるよ」

「バトル・ボードのときの私のフラッシュも、達也さんが魔法式を構築してくれたの!」

 

 雫がいつも通りの平静とした調子で、ほのかはテンション高めの興奮した調子で、達也の技術者としての凄腕を評した。

 凄腕。そう、達也が技術者として九校戦に出陣したのは、真由美のCADにちょっとしたメンテナンスを行ったのを除けば今日が初陣と言っていい。

 だがすでに彼は他校からも注目の的だ。

 雫のスピード・シューティング優勝は、もちろん彼女自身の力を示した結果ではあるのだが、同時に彼が担当したエイミィや滝川によって上位独占することができたという事実からすれば、彼のもたらした貢献は明らか。

 ほのかのバトル・ボードにおける“奇策”や雫の新魔法やとっておきのCADなどは、彼失くしてはなかったほどだ。

 

「いいなぁ。あたしも司波君に担当してもらいたかった~」

「こらこら菜々美。その言い方は先輩に失礼だよ」

 

 菜々美の出番は明日のクラウド・ボールからだが、担当の技術者は別の、先輩女子だ。

 悪気はなかったが、スバルに指摘されて思い返せば確かに失礼なセリフだったと、菜々美は舌をペロッと出して反省した。

 深雪たちも菜々美に悪気があったのが分かっているのでそれに苦笑している。

 実際、深雪をはじめほのかも雫も、達也の腕前とそのもたらす恩恵の強大さが分かっているだけに、菜々美の言い分があながちおかしなものでないとも思っているのもある。

 

「バトル・ボードといえば、男子の方も凄かったみたいだね。獅子劫君が圧勝したそうじゃないか」

 

 あまりこの話題に固執すると先輩批判にも繋がりかねないため、スバルは話題を変えて活躍していた別の男子へと移した。

 今大会、華々しい女子の結果に比べて男子の状態は悪いとまでは言わないがパッとしない状態だった。

 圧倒的というほどではないが、優勝争いにも食い込めると思われていた桐原が、優勝候補であった三高の選手とぶつかって二回戦敗退したというのもあるし、本戦でまだ勝ち残っている選手などもなんとか、という評価も致し方ないような戦況だったのだ。

 新人戦男子への波及が懸念されたバトル・ボード初日は、けれども明日香の豪快な波乗り(ビックウェーブ)によってまさに押し流されたと言っていい。

 

「うん。凄かった」

 

 いの一番に反応したのは、その試合を観戦していた雫だ。

 

「普通、バトル・ボードの戦略では最初にリードを奪った方が有利だから多くは加速魔法でのスタートダッシュを切るものだけど、明日香は敢えて初手に波に干渉する大規模魔法を発動させていた。達也さんが考えたほのかの光魔法も、発動からシームレスに移動魔法に繋げられる極小の魔法式が芸術的だったけど、明日香の場合あれほどの大波を起こせば自爆する選手が大半。それを制した技術は目を見張るものがあるし、なによりも驚嘆すべきはあれほどの大規模な魔法式を持続させられる魔法力だと思う」

「ウ、ウン……」

 

 もとより九校戦に対して熱い思い入れがあり、その話ともなれば普段のクールさが鳴りをひそめるほどの入れ込みようだ。そのテンションの上がり方は、表情が普段からの起伏には乏しい分、文字通り雄弁に語っており、その熱さは思わずほのかがたじろぐほどだ。 

 深雪も苦笑して温かい眼差しを雫に向けており、菜々美とスバルも雫の変貌のような入れ込み具合に苦笑するほかない。

 

「雫はホント、あの獅子劫くんと仲良いよねー」

「…………そう、でも、ないよ」

 

 暴走気味だった雫だが、菜々美の言葉に我に返ったのか、恥ずかしそうに言葉を途切れさせた。

 途切れさせ、そして反芻した。獅子劫明日香は、彼とは、菜々美の言うように自分は仲の良い関係になれているのかと。

 

「たしかに、彼はなんていうか、こう、雫と藤丸君以外の人とは必要以上に関わらないようにしているように見えるね」

 

 同じ魔術師であるはずの藤丸圭とは異なり、スバルが言うように明日香はあまり交友関係を広げていない。

 部活などに入っていないのは、しなければならない役目があるからと言っていたが、同じ状況の圭はかなり積極的に学校に馴染んでいる。

 その中で雫は確かに明日香とは比較的話をする間柄だとは思うのだが、特別ではない。

 特別では、ないのだ。

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 九校戦5日目。この日は新人戦の二日目で男女のアイスピラーズ・ブレイクが2回戦まで一日かけて行われ、同時進行でクラウド・ボールの女子と男子がそれぞれ午前と午後に分かれて行われる。

 

 水上でのボード競技であるバトル・ボードや魔法球技の一種であるクラウド・ボール、ライフル射撃の魔法的発展競技であるスピード・シューティングなどとは異なり、アイスピラーズ・ブレイクは伝統的背景のない純粋に遠隔魔法のみでの戦いとなる。

 そのため選手の服装が一切影響しないこともあって、女子のピラーズ・ブレイクではファッションショーの様相を呈することがいつ頃からか見られるのが大概だ。

 服装に対する規制は唯一つ、公序良俗に反しないこと。

 ゆえに私服とほとんど変わらないスポーツウェアで出場する選手もいれば、エイミィのようにトラディッショナルな乗馬服スタイルで出ることもできるし―――今、舞台に立った雫も観客の目を惹く衣装であった。

 水色を基調として花模様のあしらわれた振り袖姿。ともすれば自己主張の控えめにも見える大人びてクールな面持ちを彩るように、振り袖に合わせた花弁の髪飾りが彼女の愛らしさを際立たせている。

 そんな艶姿に会場の観客、特に男性陣は感嘆の吐息をこぼした、かといえばそれは大多数ではない。

 アイスピラーズ・ブレイクは九校戦の中でも取り分け純粋魔法競技だけに魔法力の如何が問われやすく、優れた魔法力はそのまま軍事力に直結するのだ。

 軍事関係者や九校戦に関わる各校の選手は衣装の華やかさに目を惹かれても呆けて観るべき本題を見逃しはしない。

 

「いやぁ、華やかだねぇ。それに実に大和撫子な風景だ。氷の世界に咲く鮮やかな一凛の花というのも、うん。実に風情があるね」

「ああ。そうだな。あの装いは雫によく似合っている」

 

 圭と明日香も、雫の可愛らしい和装姿に注目してはいるし、彼女の競技の応援のために来ては居るのだが、軍関係者の青田買いでもライバル校の戦力調査という目的もないために比較的気楽なものだ。

 ついつい圭にあわせて軽口の出た明日香だが、隣に座る少女から興味深く探るような視線を向けられていることに気づいた。

 

「……なにかな? ミス・千葉」

 

 ニヤニヤとなにか悪だくみしているチェシャ猫のようなエリカ。

 なにか弄りがいのありそうな玩具を見つけた時のような顔に、あまりいい予感はしないもののその視線を向けられているのも注意の逸らされるもので、渋々と尋ねた。

 

「獅子劫くんって北山さんと付き合ってるの?」

「ふぇぇ!!?」

 

 案の定というか、爆弾のような発言をこの場でぶちまける彼女の言葉に、その隣に座っている美月の方が過剰に反応して周囲の視線を集めた。

 何事かと顔を向けてきた周囲の人たちの視線に美月は恥ずかしそうに身を縮こまらせてエリカを睨んだ。

 一方で逆側に座る圭は爆笑を堪えるようにして満面に愉快そうな顔を浮かべてこちらの成り行きを視ている。

 助け船は出そうになく、明日香はため息をついた。

 

「どうしてそういう話になったのかは分からないけれど、雫とは友人のつもりだよ」

「それよそれ! 他の人の名前を呼ぶときはミス・千葉とかなのに北山さんだけ名前呼びでしょ」

 

 率直なところを告げたつもりなのだが、そんな在り来り(テンプレート)な返答はエリカのお気に召した回答ではなかったらしい。

 どうなのだと追及される明日香にも、応えようもない答えであり、圧されている姿に圭はひとしきり肩を震わせて傍観してから口を挟んだ。

 

「いやー。明日香と雫ちゃんの関係は僕も気になるところではあるけれど、うん」

「ケイ!」

「そろそろ始まるよ」

 

 言葉につまる明日香にくっくっと肩を震わせていた圭がフィールドへと注意を向けさせた。

 明日香は圭に少しだけ睨みをきかせてから競技場へと視線を戻した。エリカも肩を竦めて、隣に座る美月の咎めるような視線に気づいて競技場へと視線を向けた。

 フィールドではいよいよ雫と相手、両選手の集中が高まり、スタートを合図するシグナルに赤い光が灯った。

 光の色が黄色に変わり―――そして青へと変わった。

 雫の指がコンソールを滑り、自陣12本の氷の柱を対象として魔法式を投射。わずかに遅れて相手からの魔法の干渉が雫の陣内に襲い掛かった。

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 この日一日、明日香と圭は平穏無事に観戦に終始できた。

 二人が観ていたのは主にアイスピラーズ・ブレイクで、とりわけ圧巻だったのは一高女子の司波深雪の氷炎地獄もかくやという魔法と三校男子の一条将輝による爆裂だった。

 モノリス・コードのような対人競技とは異なり、魔法の対象が氷柱であるアイスピラーズ・ブレイクでは魔法による殺傷ランクの制限がない。だからこそ軍事関係者なども注目の的であったのだが、二人の魔法は他の追随を許さないほどだった。

 十師族直系である一条は下馬評の段階で注目されていた。そして深雪の場合、本戦バトル・ボードでの摩利の事故を受けて、ミラージ・バットの本戦へと出場が変更されている。一年生で新人戦ではなく本戦へと出場するのは三高の一色愛梨に続いて二人目。そして一色は師補十八家の名門であり、その実力は高校以前の段階で高く評価されている。

 深雪への注目は、彼女が一色愛梨に匹敵する実力者だとみなされたからでもあり、優れた魔法師の証――整った容姿によるアイドル性もあってのことだ。

 そして実際、彼女の見せた魔法――氷炎地獄(インフェルノ)は凄まじいものであった。自陣エリアを極寒の大紅蓮地獄と化して守り、敵陣に灼熱の焦熱地獄をもたらして一切を焼き尽くす。新人戦とはいえ、九校戦に選ばれた他校の実力者相手にただの一つの氷柱を失うこともなく、どころか傷一つ負わせることなく、敵陣の氷柱を粉砕し尽くした魔法力は、見目の麗しさと相まって観客達を強烈に魅了した。

 

「やぁ雫。2回戦の勝利、おめでとう」

 

 ただそれ以外にも見応えのある、明日香にとってはむしろ大事な試合もあった。

 今、祝いの言葉を述べた少女の――先ほど本日最後の試合を終えて戦いの場での装いもそのままな雫の試合も、魔法に精通する玄人を唸らせる試合巧者かつ優れた魔法力を魅せつける試合であった。

 

「ありがとう、明日香」

 

 深雪のように相手に全くの反撃も許さずにとまではいかなかったが、例年の新人戦であれば間違いなく優勝候補筆頭。愛らしい和服姿と相まって多くのファンを獲得しただろうことは想像に難くない。

 

「うん。やっぱり間近で見てもその装いはすごく雫に似合っているね」

 

 試合が終わってすぐとはいえ、今日の競技日程はもうない。あとはホテルに戻って食事とCADおよび自身の調整くらいなのだから手早く着替えておいて何の問題もないはずなのに、それでもこの場で戦いの衣装を見せてくれたことも、どことなく嬉しかった。

 自分のこの特別な装いを見せることも含めて会いに来たはずが、いざ面と向かって褒められて雫の頬が微かに朱に染まった。

 

「明日は予選の最後と、決勝リーグだったね」

「うん」

 

 午前の一回戦、そして午後に行われた二回戦。そのいずれもを雫はじめ一高の出場選手三人は勝利した。

 残っている6人の中の三人が一高生。雫、エイミィ、そして司波深雪。

 二人は同じ一高生というだけでなく、交流のある友人だ。それだけに思う所は大きい。とりわけ深雪と戦えるチャンスというのは……

 

「明日香も明日は決勝だよね」

 

 そして明日香もまたバトル・ボードの準決勝、そして決勝戦。

 この戦いは使命に準じる戦いではない。世界を渡ってきた“彼”が果たすべき戦ではなく、魔法師ならざる魔術師である明日香にとっても、名誉をかけて争うべき舞台ではないかもしれない。

 

「ああ。必ず勝ってみせるよ」

 

 それでも負ける気は毛頭ない。

 この戦いの舞台に出ることを望んでくれた少女がいるのだから。 

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 新人戦四日目。

 雫をはじめとした一校の選手は午前の予選を突破し、大会史上初となる同一高校の選手による決勝リーグの独占という快挙をなした。

 それにより得点上はすでに決着し、大会委員会からは決勝リーグを行わずに同率優勝するという提案もなされた。

 一校の三人の内、エイミィは決勝リーグを棄権した。

 予選最終試合で三校の強敵、十七夜栞との戦いで魔法力と体力を使い切った彼女は疲労困憊で次の一戦を戦う力は残っていなかった。

 だがそれに対して雫は決勝を、深雪と戦う選択をした。

 

 

 ――とうとう、深雪に挑戦できる…………――

 

 第一高校に入るまで、彼女と同年代で彼女に勝る魔法師は身近にはいなかった。

 

 かつて誘拐され、明日香によって救い出されてから、彼女は実戦的な魔法の鍛錬にも力を入れるようになった。

 ほのかとはそれ以前からの付き合いで、身近で唯一、雫の魔法の才に拮抗する存在ではあったが、得意とする方向性の違いから実戦においては雫は同年代の魔法師の中で抜きん出ていたと言っていい。(ほのかは実戦でも有効な工程数の少ない魔法よりも、むしろ工程の複雑な、研究において特に有効な魔法の方が得意だ)

 思い上がりはなかったと思っていた。

 当時はまだ未熟だったとはいえ、大人の魔法師、そして十師族の魔法師ですらも凌駕する存在や騎士(明日香)が居るだろうことを思えば、慢心するような実力ではないと思っていたから。

 けれども第一高校に入って、やはり彼女はどこかで思い上がりがあったのだと気づいた。

 司波深雪。

 十師族でも、百家でもない、聞いたことのない家名。にもかかわらず彼女の魔法力は桁違いだった。

 魔法の処理速度は人間の限界に迫り、干渉強度は十師族に匹敵するほど、そしてキャパシティに至っては、Aランクの魔法(インフェルノ)すらも操れるほどだ。

 

 自分はまだ、“彼”に並び立てるほどの力もなく、あのときの自分の身を守れるほどには強くもない。

 それでも、おそらく同世代最強だろう魔法師の深雪に勝つことが出来たなら……もう少しだけ、勇気が持てるかもしれない。

 勇気。

 幼馴染のほのかが、遺伝系統的に他者に依存しがちな彼女だけれども、一人の男性を決めて一生懸命勇気を振り絞っているのを見て、彼女の相談に乗っているうちに、雫自身も踏み出すべきかと思うようになっていた。

 そのための勇気。

 

 しゅるりと、雫は試合着の衣装の袂を縛っていた襷を解いた。

 着ていた振袖ではあっても袂の小さめなものであったし、技術者の達也が「邪魔にならないか?」と気にしていたこともあって襷をしていたが、深雪との戦いでは外そうと思い立ったのだ。

 アイスピラーズ・ブレイクの試合は元々あまり動きの競技ではないから襷を外したとしても邪魔にはならない。

 それよりも自身の魔法力を十全に発揮するために、何にも縛られずに全力を出す、出し切りたいと思ったからだ。

 

 

 立ち向かうは自分を上回るだろう強敵にして友人。

 ここまでの成果のすべてを、ぶつけられる相手。

 

 左手首に内向きのコンソールタイプの汎用型CADを巻き、右袖の袂に()()()()CADを入れた。

 技術者兼作戦参謀である達也の提案によって身につけた新たなる戦法。

 二つのCADの同時操作という高難度技法をもって、雫は決勝の舞台へと臨んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8話

 満員の観客が注視する中、二人の魔法が激突していた。

 片や敵陣に炎獄をもたらし自陣を凍てつかせる氷炎地獄(インフェルノ)。片や大地を揺らし、氷柱を砕く地鳴り。

 雫は氷柱の温度改変を阻止する情報強化をもって自陣を守り、深雪は振動と運動を押させるエリア魔法によって雫が本命の共振破壊がその本領を発揮する前に鎮圧した。

 互角にも見える攻防は、深雪がじわりじわりと押していた。

 どちらの氷柱も一つたりとも欠けてはいないが、雫の共振破壊は完全にブロックされており、一方で深雪の熱波は雫の陣地覆っていた。

 氷柱にかけた情報強化の守りは、しかし熱波による空気加熱による物理現象からまでは氷柱を守り切れておらず、じわりじわりと溶け出していた。

 このままではジリ貧。

 故に攻防を大きく動かす一手は雫から放たれた。

 汎用型のCADを装着し、共振の魔法を放っている左手を右袖の袂に入れてすばやく抜き出す。

 手にしているのは小型の拳銃形態の特化型CAD。

 向かい合う深雪の驚愕する表情が見える。意識の外側では観客達も驚きに湧いていた。

 CADの2個持ち、同時操作。それは一つのCADを使ってマルチキャストすることよりも難易度の高い特異技能とも言われている。

 この九校戦でも同時操作を行える者はいるが、例えばそれは現代魔法と古式魔法であったり、あるいはイレギュラーの存在であったり。

 現代魔法の同時使用。それは九校戦を長年見てきた目の肥えた観客をして驚きに値するものであり、敬愛する兄の特異技法であるそれを目の当たりにした深雪の動揺も大きかった。

 格納されている魔法式は一種類。振動系魔法、フォノンメーザー。

 雫が得意とする大出力振動系の高難度魔法。超音波の振動数を量子化するレベルまで上げて熱戦とする魔法だ。

 熱戦は、これまで相手に傷一つ許さなかった深雪の陣地の氷柱に確かにダメージを刻みつけ――――しかしそれでも、深雪には届かなかった。

 深雪の次なる魔法によってフォノンメーザーはその量子レーザーに匹敵する運動エネルギーを失った。

 広域冷却魔法“ニブルヘイム”。領域内の物質を均質に冷却する魔法。その冷却域はダイヤモンドダストを、ドライアイス粒子を、そして時に液体窒素の霧すらをも含む大規模冷気塊を作り出して対象にぶつけるという使用法すらもある。

 雫は情報強化によって守りを固めようとするも、氷柱の温度改変を阻止する情報強化ではニブルヘイムによって液体窒素を生み出すことを止めることはできない。

 びっしりと霜のように氷柱に張り付いた液体窒素。

 それの意味に雫が気づいた時にはすでに遅く、深雪によって再び発動された氷炎地獄(インフェルノ)によって一気に気化された液体窒素は、爆発的な膨張をともなって氷柱を粉砕した。

 無慈悲なほどに圧倒的に、残酷なまでに明確な結末。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 この日、一高は大きな成績を叩き出した。

 新人戦の得点は本戦の半分とはいえ、女子バトル・ボード優勝、男子バトル・ボード優勝、女子アイスピラーズ・ブレイク上位独占。

 いずれもその成績を恥ずべき所などなく、真由美たち首脳陣にしてみれば小躍りしたくなる一日だっただろう。

 だが、トップの得点が優勝であったとして、そこに負けた者がいたというのもまた事実。上位独占ということは、全てに勝利することが(優勝)できなかった者もいるということなのだから。

 

「優勝おめでとう、明日香」

「ああ。ありがとう」

 

 部屋への道の途上で遭遇した雫から勝利の祝福を述べられた明日香は、けれどもそれに対する返事がワンテンポ遅れた。

 雫の成績は新人戦スピード・シューティング優勝にアイスピラーズ・ブレイク準優勝。誇るべき成績であり彼女が優等生であることは疑いの余地がない。だが続けて彼女に祝いの言葉を返すには、雫の顔はあまりに憂いを帯びて見えた。

 あるいは感情の起伏に乏しく見える雫の表情からは、その憂いを見紛う者もいるかもしれない。けれども明日香には雫の心のうちに悔しさが溢れているのを感じ取っていた。

 視線を受けて顔を俯かせた雫に、明日香は手を伸ばして頭を撫でた。

 アシンメトリーを飾る花の髪飾りを崩さないように優しく温かな手に誘われるように、雫は正面に立つ明日香の胸に顔をうずめた。

 

「勝ちたいって、思った」

 

 ゆっくりと、雫は抱え込む悔しさを滲ませる。

 

「今までで一番、誰かに勝ちたいって、そう思ってた」

 

 何が足りなかったのか。

 雫も深雪も、技術者は超高校級である司波達也。用意された術式もAランク魔法師にのみ公開されている高レベル魔法式。

 達也が深雪にのみ贔屓したということはない。それならば達也は雫にCADの二個持ちなど提案しなかっただろう。深雪との時間を削って、あれほど一生懸命に自分の練習に協力しなかっただろう。

 確かに、技術者(達也)に対する信頼が深雪に及びはしないだろう。

 CADの調整は技術者に内面を曝け出すようなものであるだけに、信頼関係が影響を及ぼすこともある。

 けれども達也に不信を覚えはしなかった。信頼できる技術者だ。

 勝ちたいという思い、これまでの努力が深雪に劣っていたとも思わない。

 

「でも、手も足も出なかった……」

 

 それでも結果は伴わなかった。

 つまり、純粋な魔法力の差。

 魔法の力、才能は平等ではない。かつての“異能”とは異なり汎用的になったとはいえ、魔法を扱える才能を持った人はわずかだ。

 その中でより実践的な魔法力を持つ魔法師はわずかで、多くは血統に依存している。

 だからこそ百家が、十師族という制度が、存在する。

 自分はそういった魔法の名家ではない。けれども深雪も同じはずで……なら、その差はどこにあったのだろう。

 

 伴わない結果なら、これまでの努力というものは……

 

 

「過程と結果はワンセットじゃない。それらは別のものだ」

 

 自身の胸元に顔をうずめ、ぎゅっと服を握りしめて震える雫の様子に、明日香は言葉をかけた。

 

「結果を出せない努力に意味はないと言うけれど。愚かしい詭弁だよ」

 

 その言葉は、考えるよりもどこかから流れてくるようで、もしかすると彼の中に宿っている“彼”も、かつてどこかの誰かにかけた言葉なのかもしれない。“彼”が抱いていた思いなのかもしれない。

 

「過程も結果も、それぞれが独立したヒトの意志だ。時には選ぶこと自体が答えになることだって、きっとある」

 

 けれども今、懸命な過程を経ても得られなかった結果に震える雫を見て、それは間違いなく明日香の口から紡がれていた。

 

「雫にとって、戦うという選択をしたことが他に代えがたい答えのはずだと、僕は思う」

 

 震えは、止まっていた。

 ただ雫の握りしめた手はそのままに、明日香はあやすように少女の頭を撫でた。

 

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 熱戦繰り広げられる九校戦会場から少し離れた場所にて

 

「か~っ!! 俺のケツでも舐めやがれってんだコンチクショウ!」

 

 携帯端末に映るTVでその戦いの様子を見ていた彼は、和服姿の少女の陣地にある氷柱が全て粉砕されるという結果に思わず悪態をついた。

 生身の左手で端末を持ち、義腕を額に当てて天を仰いだ。

 

「おやおや、卿のお賭けになった“牝馬”は2着ですか。それはそれはご愁傷様です」

 

 悪態をついている隻腕義手のランサーに、気配遮断を解除したアサシンが声をかけけた。

 

「なんだ、オタクは違うのかい?」

「んン。私は予選の結果から手堅く相手の氷の魔女(エルサ)にチップを積みましたから」

 

 悪態は賭け馬が負けたがため。賭けた額は契約者たちが取り扱っている額からすればそれはもう微々たるもので、けれどもこれから数日分の彼の飲み代がおけらになるくらいは懐を痛める。

 

「けっ、メルヒェン作家が手堅くとは夢や希望ってのは座にでも置いて来たのですかよ」

 

 そもそもとして、(ランサー)にしろ、話しかけてきたアサシンにしろ、金に意味はない。

 食事や休息などはさして意味をなさないし、元より彼らの身は泡沫の影法師。金を溜め込んで虚飾を彩っても詮無いことだ。

 

「いえいえ、私はメルヒェンなどというものの作家ではなく、んン、まぁいいでしょう。しかし、名にし負う決闘卿がそんな捨て鉢に賭け事に弱いとは、そちらこそ生前に置き忘れでもあるのでは?」

 

 サーヴァントは本来全盛期の姿で喚び出される。

 だが直接戦闘タイプではないかのアサシンにとっては活動さえできればどの姿であっても意味などなく、そしてかのランサーにとっては肉体的な全盛期(両腕がある頃)が英霊としての全盛期とは一致しないのだ。

 

「あいにくこちとらの運の悪さは折り紙つき(伝承由来)でね。も少しラック(LUC)が良けりゃぁ、こんな腕何ぞになってねぇてな話よ」

「あぁそうでしたね。んン。貴方のその腕も教訓でしたね」

「おうよ。王だの皇帝だのに仕える騎士の誉れなんざ、戦場じゃぁ役にたたねぇ愚図の言い訳ってな」

 

 だからこその隻腕。だからこその()()

 この腕こそは騎士の誇りだの誉れだなどという幻想に酔った結果だ。

 だからこそ彼は誇りある騎士を憎む。騎士道だなどという権威の都合のよい走狗を蔑む。

 騎士道を花と散らせなどしない。

 現実という汚濁に這いずり、生きることに醜くもがく、理想という名の鎧を剥けば、高潔の騎士ですらそうなのだと知らしめてやるのだ。

 

「しかしま、運が無いのは俺だけじゃあるめぇ。下馬評通りに進み過ぎちゃあ、胴元の一人負けだろうよ」

 

 とはいえ、目下の所、彼は騎士であっても傭兵でもある。なればその仕事の契約者の金払いについては何よりもまず気にせざるを得ないだろう。

 騎士の誉れが金にならないのと同様に、金の切れた雇い主など糞も同じなのだから。

 彼らの今の雇い主は、少々無謀な賭博の胴元を行っているらしい。

 九校戦の勝敗と順位を賭けてのもので、ランサーとアサシンも遊びで一枚噛みはしたものの、胴元たちの規模はかなり大きい。失敗すれば上納先の親組織に粛清されることになるらしい。

 だからこそ雇い主たちは九校戦に細工をして勝敗を操作、怪我人を出してでも優勝候補で客の多い一高を敗退させようと工作しようとしているのだ。

 

「んン、まぁそうですね」

 

 下手をすればドロップアウトや死人が出ようとも構わない。それは選手たちの運が悪かったからだろうと。それがクライアントたちのご要望だ。

 もっとも、アサシンにとってはランサーほどクライアントたちの金払いにも興味はない。彼にとってより重要なのは別にある。

 

「と言う訳でそろそろ私の出番と言う訳ですよ」

 

 ただし彼にとってもクライアントたちの意向は趣向に沿っている。

 物語の収集。それも教訓ある悲劇ならなおよい。

 

「まずは未来視の彼にはご退場いただきましょうか」

 

 けれども邪魔な者がいる。

 物語の登場人物は物語を俯瞰してはいけない。未来視などという異能は、教訓ある物語を阻害する要因でしかない。

 ならば排除しようではないか。

 物語をより悲劇的に、教訓ある物語として収集するために。

 

 

 

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 大会七日目、新人戦は四日目。この日から新人戦とはいえ、九校戦のメイン競技ともいえるモノリス・コードの予選が行われ、同時に女子の花形競技であるミラージ・バットも予選が始まった。

 軍関係者にとっては軍事力に直結しやすいモノリス・コードへの注目が強く、一般的な観客にとっては華やかなコスチュームなどでファンタジックなファッションショーの要素もあるミラージ・バットへの関心が高い。

 ミラージ・バットに出場する光井ほのかと里美スバルの担当技術者である達也はそちらの調整にかかりきりとなり、一方で深雪はモノリス・コードの観戦となった。九校戦の中でもモノリス・コードがもっとも好きな競技である雫もそちらの観戦をし、一校の選抜選手――藤丸圭や森崎駿の応援を行っていた。

 首脳陣である真由美や摩利たちも、魔術師のデビュー戦であるモノリス・コードを観戦に来ていた。

 

「やっぱり課題はチームワーク、か……」

「一試合目はなんとかなっていたし、次は四高だから取りこぼしはないだろうけど……」

 

 九つある魔法科高校はそれぞれに特色があり、その中で四高は工程の複雑な、いわゆる技術色の強い理論畑の魔法師を多く輩出する傾向がある。実戦的な魔法師がいないわけではないが今までに九校戦の優勝経験はない。

 今大会でも今のところ最下位の成績であり、予選トーナメントの一試合目でも黒星を刻んでいた。

 一高の選手たちにも問題がないわけではない。

 女子の好成績(とそれの立役者である二科生)を意識しすぎて空回り気味になっている男子の状態であったり、3人一チームで競うことになるモノリス・コードでのチームワークなどは一高の抱える大きな問題だ。

 三人とも魔法実技の成績を勘案して選抜されただけあって魔法力は高い。学年三席である森崎はクイック・ドロウの名門である森崎家の魔法師で家業のボディーガードを手伝っていたりと実戦経験のキャリアもある。

 同じく藤丸圭も魔法師ならざる魔術師ではあるが、その実戦力は目の当たりにしている。

 地力では四高に負けることはないだろうが、この二人の相性というか折り合いの悪さは首脳陣にとってなかなか頭が痛い。

 

「森崎はもう少し現実的な現状把握をしてほしいところだが」

「藤丸君も浮世離れした対応をするから、火に油よね」

 

 ガチガチの一科至上主義で、二科生で活躍する達也のことを頑なに認めない森崎は、風紀委員の上司である摩利としても悩みどころだ。

 彼らの初対面からしてなかなか険悪だったが、その後も溝が埋まることはなく、同じ風紀委員の所属になっても、見下していた森崎の思惑に反して実績を積み重ねる達也は、本人は意図していないが、森崎の悪感情を煽る結果となっている。

 そして今大会、技術スタッフでとはいえ、二科生でありながら唯一九校戦のメンバー入りをしている達也は、その担当競技――男子が敬遠したことによりすべてが女子競技――が無敗の結果を誇っているということに森崎はかなりのプレッシャーを覚えて自らを追い詰めている。

 そして、一方の藤丸もその溝を埋めるためのフォローをしているかというとなかなか難しい。

 明らかに喧嘩腰であったり対決姿勢を見せているのならば、上級生としてや風紀委員として注意のしようもあるが、藤丸圭は相手をそれとなく注意を行って窘めているように見せながらやんわりと相手を煽っており、それが意図してかどうかは一見すると分かりにくいが気づけば問題ごとを大きくしているとう困り種だ。

 彼の幼馴染であり親戚であるという獅子劫明日香がしょっちゅうため息をつきたくなるのも分かるというものだ。

 

 ともあれ会場では競技場のセレクトが終わり、一高と四高の両チームが準備に入っていた。

 モノリス・コードはいくつかのステージからランダムでバトルフィールドが選択されて戦うことになるのだが、今回は市街地フィールド。

 廃墟となったビルの中が両チームともスタート地点となり、敵チーム及び勝利条件であるモノリスの索敵と戦闘を行うことになる。

 

 

 

 

 首脳陣たちの頭を悩ませる藤丸圭が九校戦として魔法師の舞台に上っていたころ、一方で明日香は…………

 

「さぁて、それじゃあ聖杯戦争(決闘)を始めるとしますか、騎士王さんよ」

 

 騎士と相対していた。

 魔術師として、そしてデミ・サーヴァントとしてだ。

 すでに宿る霊基は活性化し、鮮やかな金髪と碧眼、騎士鎧に身を包み不可視の剣を携えた戦装束。

 対する敵が携える得物は槍。

 騎士らしく鎧に身を固めているものの、特に目を引くのはその右腕。もとよりエーテル体であるサーヴァントの身だが、そこにあるのは肉感による再現ではなく鈍色の鉄腕。

 

槍兵(ランサー)のサーヴァントか」

「さぁてどうだかねぇ。そういうオタクは分かりづらいねぇ。武器を隠すなんざ騎士の風上にも置けないとは思わねぇかい?」

 

 この騎士を捕捉したのはつい先ほど。これ見よがしなサーヴァントの気配を察知して九校戦会場の片隅、軍事演習場の人工林にかすめる場所でサーヴァントと対峙することとなったのだ。

 三騎士の一角。ランサーのサーヴァント。

 今までに明日香は四騎士のサーヴァントと戦い、彼らを下してきた。けれども今回対峙するのは三騎士。

 対魔力と高い白兵戦技能を有する騎士のサーヴァント。

 明日香に宿る霊基()の白兵戦技能はおそらく最強クラスのものだろう。だがその技能を明日香が十全に引き出せるかというと難しい。

 鍛錬はもちろん積んでいる。

 けれども夢の中で、夢魔である魔術師の導きのもと戦った本物の“騎士”との手合わせでは、まだ及第点を得ていない。

 彼の騎士たちは理想の騎士の具現であり、その力はまさに英雄。

 その“王”たる“彼”の霊基を宿し、その戦闘経験の影響も受けているとはいえ“彼”そのものではない。

 

 クリストファー・コロンブス(ライダー)メフィスト・フェレス(キャスター)。彼らとてサーヴァントである以上、強敵ではあったが、彼らと目の前のランサーとは他にも明確な違いがあった。

 明日香は……、いやカルデアの魔術師として、目の前のサーヴァントの真名を把握できていない点。

 数多の英霊と絆を結んだ藤丸に連なる彼にとっても、目の前のサーヴァントは未知の英霊であったのだ。

 それに対して如何なる手段からなのか、明日香は本来の英霊の姿とは異なるはずなのにそこに宿る霊基の素性を知られている。

 真名の露呈・看破はサーヴァントと対決する上で重要なファクターだ。

 ただし隻腕騎士の英霊となればある程度は絞られる。“彼”の旗下にある騎士にも隻腕で知られた騎士(ベティヴィエール)がいるが、であればほかならぬ明日香が分からないはずがない。

 注目すべきはランサーの持つ槍。

 英霊の持つ武具はそれが宝具となっているケースが多い。無論、それだけが有する宝具ではないだろうが、真名を看破する手掛かりにはなる。

 白黒二色塗りの槍には同じく白黒二色地の旗が巻かれている。

 

「偉大なりし騎士王サマの騎士道ってやつを、いっちょ後輩騎士に拝ませてくれやッ!!」

「――!!!」

 

 観察と対峙はそこまで。槍を手に突進してくるランサーに、明日香も不可視の剣を向けて剣戟の幕を上げた。

 

 

 

 

 モノリス・コード会場の廃墟ビルの中

 

「さてさて、それじゃあ今回も頑張っていきますか。ね、モリサキ君」

「……ふん。頑張るのは当然だ。勝たなければ、いや、優勝できなければ意味がない」

 

 プロテクション・スーツにヘルメットを被った姿は圭のセンスにも反するものではあるのだが、規定上それがモノリス・コードのスタンダードである以上仕方がない。

 諦めてせめてチームメイトに朗らかに話しかけるが、あまり友好的ではない顔と気負いすぎな返答が返って来て肩を竦めた。

 実際の所、森崎の魔法力は一科生に選ばれるだけのことはあるレベルだし、テクニックに関しては学年三位の成績だけあって一年生にしてはだが非常に高い。だがそれにしても十師族の直系である三校の一条将輝に対抗できるほどではない。

 魔法師は魔法の力によって現実を改変する。だがそれはそれとして、改変できるからこそ現実を正しく認識しておかなければならない。

 その意味で森崎は現実を正しく認められていない。あるいは魔法力の低さをテクニックで補っていると教師たちなどからは評されている。

 とはいえ、相手はここまで最下位の四高。

 首脳陣はまず取りこぼしはないだろうと楽観視している試合だし、だからこそ森崎たちにとっては無様を見せられない戦いだ。

 特に二科生や女子たちが活躍しすぎており、一方で男子の成績がふるっていない現状はプライドの高く一科至上主義の森崎には耐え難い。

 二科生の肩を持つ軽薄な魔法師である藤丸の力は、たしかに一科に相応したものであるし、先の試合でも十分な支援技術を見せたことから、魔法師としての力は認めよう。

 けれどもそれと相手の性格・人格を受け入れることとは別問題だ。

 性格的な問題として、森崎は藤丸圭が気にくわなかった。

 

 と、いうように思われていることは分かっているが、圭としても好みではない。

 弄りがいのあるのは好むところではあるのだが、如何せん森崎は男子だ。

 何が悲しくて男のツンツンキャラの好感度を上げてデレモード突入なんてルートを選ぶ必要があるだろうか――――いやない!

 そういうわけで、圭としてはこの競技ほどほどに、適度に、終わらせたいところではあった。

 ただし、それは明日香(相棒)の心情を無視すればの話だ。 

 モノリス・コードは、適正がかなえば明日香が是非とも出たかったであろう競技のはずだ。

 正確には彼が、というよりもモノリス・コードフリークの少女の期待に応えるために。その代わりに出場しているのだから、ここはいいところを見せるべき場所に他ならない。

 試合開始前に敵チームと直接会って挨拶、などができれば()()()()()情報を仕入れることもできたのだが、市街地ステージではお互いに見えない位置からのスタートになっており、相手チームの姿は目視していない。

 ――――そしてそれは圭にとって、致命的な条件不足であった。

 

 間もなく試合が始まる。

 姿は見えないがおそらくどこかの廃ビルに、こちらの陣営と同じようにモノリスが設置され、スタートの時を待っていることだろう。

 スタートの合図を前に魔法式を構築することはどの競技でもフライングになる。監視員とサイオン活動の機械的なチェックによってフライングは審判されるので、もしかすると魔法ならざる魔術であれば判定を潜り抜けられるかもしれない。

 ただそれでも、このような試合で出し抜くために魔術を使おうとは思わなかった。

 もちろん、試合開始よりも前に相手に会うことで自身のパッシブスキルである異能が相手の情報を見抜いてしまうのであればそれに越したことはなかったが。

 

 開始の合図まで残り20秒。

 圭の役割は遊撃及び支援。敵陣に攻撃を仕掛ける森崎のサポートという役回りだが、どちらかというと森崎とかち合わなかった敵が自陣モノリスに近づく前に排除するのがメインになっている。

 残り15秒。

 不意に、圭の右目に今とは別の光景が映る。

 

 ――――崩れ落ちる天井。魔法による防御は間に合わず、加えて加重系の系統魔法である破城鎚が襲い掛かり、その下にいる者たちを押しつぶす――――

 

「!! まず―――ッッ、二人ともビルから――」

 

 それはわずかに数秒先の未来。

 ここに至るまで未来視が発現しなかったのは、相手を見ていないという致命的な情報不足がゆえだろう。

 もしもここに居たのが明日香ならば、その直感によって別の未来を手繰り寄せたかもしれない。人ならざる、魔法師をも上回る身体能力によって二人を強引に引っ張ってビルから飛び降りることも可能だっただろう。

 

「なん、うわあああああっっ!!!!」

 

 だが圭では崩落を防ぐには間に合わず、けれども天井が森崎達を押しつぶすのには間に合うはずだった。

 

 ――「それはイケませんよ。魔術師(メイガス)」――

 

「!!?」

 

 そこに別の介入者が現れなければ。

 圭が未来を予測し、その未来に反応して見せたからこそ、その介入者は現れた。

 

 ――「この物語において、貴方は読者などではなく、踊り狂うヴィランの一人なのですから……」――

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9話

 

 不可視の剣と鉄腕のランサーが振るう槍が激突する。

 これまで明日香が打倒してきたサーヴァントはいずれも白兵戦技の逸話無き英霊たちだった。

 だがこのランサーは違う。

 譲り渡された霊基とその経験、不可視という武器の特性、夢の中にあっても鍛え続けた剣技をもってなお切り結び、押しきれなかった。

 そもそも、“彼”の霊基にある戦闘経験とは全てが“人”に対したものではない。大いなるモノ。巨獣。ヒトならざるモノ。“彼”の故国にあってはそれら幻想の種が跋扈し、民草や国を脅かしていた。

 対してランサーの武技は純粋に人との戦いによって磨かれた武技、人に向けることのみを想定した戦い方だ。

 霊格は“彼”の方が勝っていても、デミ・サーヴァントである明日香では十全には引き出せず、そしてサーヴァントとしてクラスに押し込められてしまったスキルは完全ではない。

 加えて、ランサーの戦いにもここで決着をつける意図が見られなかった。

 隙があれば吝かではないが、決着を引き延ばしつつ何かを待っている…………

 

「――!!」

「おっと、気づいたか」

 

 だからこそ、明日香は異変に気付いた。

 サーヴァントであればある程度の距離内にいるサーヴァントの気配を察知できる。

 

 ――サーヴァントの反応が、もう一騎。しかもこれは、ッッ!! ――

 

 だからこそこのランサーとの戦いに持ち込むことができたのだが、そのもう一騎は突然彼の感知範囲内に出現した。

 その場所は今、九校戦の競技、モノリス・コードが行われている場所だ。

 

「このフェーデは俺の勝ちってこった。あんたの“眼”、奪わせてもらったぜ」

「くっ!」

 

 それまで近接戦を行っていたランサーが一転、明日香から距離をとった。

 距離を詰めるべきか否か。

 戦場における直感は距離を詰めることを訴えかける。

 だが明日香としての彼は、その距離を詰めることを逡巡する。

 距離を詰めることはこの場での戦いの続行を意味する。

 今更もう一騎のサーヴァント所へ、襲われているであろう圭の所に行ったとして、如何にデミ・サーヴァントの超常的な脚力をもってしても、空間を跳躍でもしたとしても間に合わない。

 人がサーヴァントに対抗することはできない。

 それは明らかな事実で、こうしている一秒あれば圭が絶命するのに十分過ぎる。

 

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

 白い煙が、あたりの視界を遮っていた。

 

 10m先も見渡せないだろう白煙の中、彼らは意識の向きを揃えていた。

 決して視線の向きを揃えていたわけではない。

 一人はそちらに背を向けて精神を統一するかのようにしていたし、一人は太陽のような笑みで何一つ恥じることはないとでも言うかのようにそちらに視線を向けていたし、一人は眠っているのかどうかわからない眼をしている。

 

 

 ――きゃぁあああああああああ――

 

 

 そしてその意識の向きの先、理想城を護るが如く聳え立つ壁の向こうから、白煙を斬り裂いて悲鳴が聞こえた。

 

 ――「うふふ。この母に遠慮は無用ですよ、マスター。さぁさぁこちらに。母と一緒に」――

 ――「あぁ、旦那様(マスター)旦那様(マスター)。いけません。このようなところで。ですが、おっしゃっていただければわたくし、いつでも……♡」――

 ――「……マスター。一緒に温泉……♡」――

 

 悲鳴が……聞こえた。

 瞬間、彼らは勢いよく立ち上がった。

 身を覆っていたのは常在戦場の鎧ではなく、彼らの霊基()をも癒す湯。

 

「これは!」「女湯から聞こえるマスターの悲鳴!」「今こそ我ら円卓の騎士が馳せ参じる時!」

 

 下の霊基を隠すことなく立ち上がった彼らは、ただタオル一枚のみを手に、いや腰に、己がマスターのもとへと馳せ参じんとする。

 出遅れた騎士が一人、何かを叫んでいるが問題ない――いや、問題だ。

 騎士たるもの、何よりも(マスター)の危機に参じることこそが急務なのだから。

 それ以外は些末。

 そこが例え女湯であろうとも。

 そこに見目麗しき女性英霊が集っていても。

 そこに…………彼らの王が居たとしても。

 

「させるかぁ!!!」

 

 だが、立ち塞がるは彼らの同胞。

 過去においては叛逆の騎士として王に刃を向けたその騎士が、バスタオル一枚を鎧にし、王より簒奪した剣をかつての、そして今の同胞たちに向けた。

 

「なっ! そこをどきなさい、モードレッド卿!」

「どくかボケェ!」

 

 叛逆の騎士がその背に守るは、同胞の騎士たちにとっての遥かなりし理想郷(アヴァロン)

 今は()()困った事態になっているが、叛逆の騎士にとってはどうでもいい。

 それよりもこの騎士(アホども)をこの場より先に進ませないことこそが重要なのだ。

 なぜならそこには……

 

「あ、あの、モードレッド卿」

 

 百合のように可憐な声が名を呼んだ。

 その事実に、叛逆の騎士は得も言われぬ喜びをわずか覚えるが、今はその喜びを押し殺し、剣を握る手に力を込めて怒鳴り返した。

 

綺麗な方(リリィ)の父上はだぁってろ!!」

 

 おずおずと、浴場の方からこちらの様子をうかがおうとしていた少女騎士は叛逆の騎士からのドスのきいた声にビクリと体を震わせた。

 しかし少女騎士の方も折れはしない。叛逆の騎士が確たる思いを胸にその剣を握っているのと同じく、少女も言わねばならないことがあって口を挟んだのだから。

 

「い、いえ、モードレッド卿も女性ですし、その、(アルトリア)とモードレッド卿の体はその、ほぼ同一体形ですので、えっと」

「…………」

「は、恥ずかしいんです! モードレッド卿がタオル一枚でクラレントを振りかぶっていらっしゃると!」

「ごふっ!!!」

 

 リリィなセイバーの言葉はCriticalに突きささった。

 叛逆の騎士は吐血した。

 彼女が自分と同じ。彼女と自分に繋がりがある。それを他でもない彼女から言われたことに天上の鐘が鳴り響き渡るかのような至上の喜びをもたらしていた。

 

 生前であれば絶対にかけられることのなかった言葉。

 英霊となって後も、決してそのような言葉をかの王からかけられることはなかった。

 見るがいい同胞の騎士たちよ。いや、見るな。聞いていたか。天使と比するリリィの愛らしさを。

 

「―――――????」

 

 緩みそうになる顔をドヤ顔にまでは持ち直すと、けれども騎士たち(アホども)は揃って首を傾げていた。

 まるで異なる宇宙の真理での会話を聞いているかのように。純粋で、悪意なく、首を傾げている。

 

 いち早く一人の騎士が再起動を果たした。

 

「私は悲しい。草木も生えない平野を眺めることのなんと空虚なることか。その無意味さこそ私は物悲しい」

「…………」

 

 嘆きの騎士は語る。

 

「トリスタン卿の言、至極もっともです。いいですかモードレッド卿。例え貴公の体と王の御身が同じように悲しい平原であったとしても、我々の目的はそこにはないのです。ですので強く生きつつ、そこをどきなさい」

 

 太陽の騎士は語る。

 そして今一人、湖の騎士は…………

 

「こ、これは、違うんだ。言い訳をさせてくれ、マシュ! マシュゥ!!!!」

 

 今一人立ち塞がった盾の騎士から向けられるゴミを見る目に錯乱していた。

 

「上等だテメェら! 我は王に非ず! 彼の王の安らぎの為に、あらゆる敵(アホども)を駆逐する! 我が麗しき(クラレント)―――――」

 

 

 

 

 

 ――ちゅどーん!!――

 

 と、どこか遠くで豪快な音が響いて誇り高き円卓の騎士(バカども)が吹き飛んでいるのを見ていた。

 

「あッはッは。やっぱり彼らは面白い」

 

 彼ではない彼の口が動き、言葉を紡いでいる。

 

「それにこのカルデアもまったく飽きさせないね。……だから、うん、君がついつい覗きに来てしまう気持ちも分かるけど、それはいけないよ。君が人であることを望むのならね」

 

 告げているのは花の魔術師。

 彼の王に仕え、支え、鍛えた至高の魔術師。

 ここに来てはいけないと彼は言う。

 未来を夢見ることは人の権利だが、時を渡り遥かな過去を覗くのは、人の歩みを止めかねないから。

 夢を渡るのは、夢魔との混血である(カルデアのマスターも)花の魔術師の能力ではある(よくレムレムしている)けれど、本来君にはそんな力はないのだからと。

 

 ――「さぁ、お戻り、君の在るべき場所(時代)へと」――

 

 “彼”に重なるように見ていた視点が離れ、それまで自分の口を動かすかのようにしていた“彼”の姿を映し出す。

 

 陽射しを透かす虹色めいた長髪の魔術師。

 

「ほぅ。こんなところにも婦女の浴場を覗き見る、騎士にあるまじきゴミがいたか。マーリン」

 

 ――――そしてその後ろに居るバスタオル一枚を体に巻き付け、白馬に乗って槍を持つ獅子王のブタを見るような冷たい眼差し……………

 

「あ、いや、ちょっと待とうか、うん。具体的には僕の身の潔白を王様に訴えてから……」

「聖槍、抜錨―――」

 

 視点が遠のいていく。

 最早留まることは許さぬ(一刻も早く還らねばいろいろ危ない)と。

 

「ちょっとちょっと! 待とうか、アルトリア。それは僕に効く(無敵貫通)―――――」

ロンゴ(最果てにでも)―――ミニアド(失せろマーリン)ッッッ!!!!」

 

 捻じれる光が疾駆する光景。

 一直線に放たれた光の奔流が、空の彼方へと昇っていく。

 星とて撃ち落とす光。……そして撃ち落とされた花。

 

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 意識が浮上する。

 

「―――、ここ、は……」

 

 やけに思い瞼をなんとか開けて、けれどなぜかいつもより視界が狭い。

 体のあちこちからも異常を伝える痛みが訴えてきており体を起こすのも難しい。

 そこで圭は自身の右眼を何かが覆っているのだと気づいて、やたらと痛む重い腕を持ち上げて手を伸ばそうとした。

 

「触るなよ、ケイ」

「うん?」

 

 死角になっている右側には人がいた。声の主を間違えようはずもない。相棒だ。

 ただその気配に気づかないほど今の自分は消耗しているのだと分かった。

 仕方ないので首を傾けてそちらに左目を向けようとしたが、途端に激痛が走って諦めた。

 

「治療魔法を施してもらって再生途中だ。その眼帯を取ると眼球ごと剥がれるらしいぞ」

「おっとっと。それはまずい」

 

 伸ばしていた手も引っ込めて、ベッドの上に下ろすとそれだけで重労働を終えたかのような疲労感が襲ってきた。

 けれど少しでも体を動かしたことで、痛む体が自分に何が起こったのかを教えてくれて、多分どこかのベッドの上に来る前の出来事を思い出すことができた。

 崩落する廃ビルの天井、背後に突然現れたサーヴァントの襲撃。

 

「それでどういう事態なんだい?」

 

 ただ、分かるのは意識を失うまでだ。

 今の状況は分からない。自分が重傷でベッドの上でお世話になっていることは分かるのだが、ここがどこで、あれからどれくらい経ったのかが《視》えてこなかった。

 

「ケイ……?」

 

 自分の直感とは別に察しの良さが図抜けているはずの圭の問いかけに明日香の目元が険しくなった。

 

「僕も初めて知ったことだけどね、うん。どうやら片目だけでも封じられると僕の予測演算も封じられてしまうみたいだ」

 

 圭の未来視は予測の未来視。それは人が元々持つ識別能力、記憶能力が日常生活を過ごす上で取捨選択している情報までもを取り込んで高度な演算を行う結果に過ぎない。程度を問わなければ人が誰しも持つ能力を異能の域にまで為さしめたものだ。

 つまりその異能は視界の影響を強く受ける。

 片眼になり、視界から入る情報が制限されれば、そこから導き出される演算能力も減衰し、まして今は重傷を負って疲弊している状態だ。まともに未来視が働かなくなるもの無理はない。

 そして普段の圭の飛びぬけた察しの良さはそこから派生している推理力から来る。

 今の圭はそれらが著しく封じられているということ。

 

 ――あんたの“眼”、奪わせてもらったぜ――

 

「そういう、ことか……」

 

 ランサーのあの言葉は、単に(相棒)の目を奪ったというだけではない。

 明日香の探知能力はお世辞にも高くなく、圭の未来視や藤丸家に保管されている霊基グラフからの照合に大きく依存している。

 未知のサーヴァントを相手に、そして圭の未来視までもが封じられた状態というのは、まさに“眼”を封じられた状態ということだ。

 

 事情の把握できていなかった圭に説明を行い、二人は現状の確認を行った。

 明日香が対峙した槍持つサーヴァント。そして圭を襲撃したサーヴァント。

 

「隻腕、いや、鉄腕のランサーか……フェーデ、と言ったんだよね。彼は」

「ああ、すまない。ランサーだけでも仕留めておくべきだった」

 

 1対1の戦いであればおそらく、いや、本来のサーヴァントとしての力をもってすれば、間違いなくあのランサーを倒すことはできた。

 それができなかったのは他でもない明日香の力不足であり、戦闘を続行しなかった判断ミスである。

 あの時、どちらにしても圭の生死に関して明日香にできることがないのであれば、ランサーだけでも倒しておくべきであった。

 悔やむ思いはある。だが今はそれよりも相手の情報を整理する方が有用であり必要なことであった。

 そして英霊、サーヴァントの分析に関しては明日香よりも負傷してはいても圭の方が得手とするところ。

 明日香から聞き出したサーヴァントの外見、言葉、得物、武技などからその真名を推測していくことはできる。

 ランサーの姿は特徴的で、そして気になるワードも拾うことができた。

 

 

「フェーデはたしか中世初期頃から行われていた決闘の一種だ。日本で言うところの果し合いだけれど、10世紀以降は身代金や掠奪を行うための騎士たちによる口実に過ぎなくなった……」

 

 フェーデとは本来は自力救済のことを意味するもので、自己の権利を侵害された者が友人や氏族の協力を経て侵略者に対して武力的に対抗する法的権利のことだ。

 だが中世にあって身代金を積むことによってフェーデによる暴力沙汰を避けることが許される法律ができると、むしろそれを生業とする者たちが増え始めた。

 それはフランスやドイツなどで活躍した、いわゆる傭兵騎士などに多く見られ、それに対してフェーデを抑制しようという試みも11世紀には広がり始めた。

 有名なところでは、11世紀ころ神聖ローマ皇帝であるハインリヒ3世によりロートリンゲン公の継承に際して行った分割相続措置に対して不満の主張を行ったゴットフリート3世によるフェーデと、それを否定したことにまつわる“神の平和”運動がある。

 このフェーデは1495年に完全禁止となる法令が出されることになるが、それは制度末期にはフェーデを悪意的解釈することによる合法的な営利誘拐と身代金の要求などということが横行するようになったためだ。

 

「その二つの条件で英霊ともなると、真名はおそらく鉄腕のゲッツ、かな」

「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンか……」

 

 本来であれば事前に決闘状を送り、フェーデを行う日時・場所を定めて行われるはずの決闘も、とりあえず襲っておいて人質を獲れてから決闘状を送って身代金を要求する、などということが合法として常態化するようになっていた。

 そしてこの制度を最も悪用し、営利誘拐を繰り返したことで知られる者が、鉄腕の傭兵騎士、ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンだ

 

「彼は従来の領主的な騎士ではなく、フェーデを悪用することによって財産を築いた盗賊騎士として知られている」

 

 鉄腕ゲッツの生きた1500年頃とは、すなわち騎士が衰退していく時代でもあった。

 大砲などの銃火器が戦場で活躍するようになり、騎士の華ともいえる決闘は悪用される。かつて円卓の騎士やシャルルマーニュ十二勇士などに代表されていた騎士道は、もはや花と散ることもなく泥に塗れ、冒険と戦場に求める栄誉は地に堕ち、踏み荒らされていくような時代だ。

 特徴はたしかに一致する。

 だが気になる点がないではない。

 

「だが鉄腕のゲッツならクラスはセイバーにならないか? サーヴァントの身ならともかく、生前の彼が義手で槍を操れたとは思えないが」

 

 短槍であるのならばともかく、ランサーが所有していた槍は両手持ちだった。

 サーヴァントとして現界しているために、あの義手は生身と変わらない動きができているが、15、6世紀の技術力で両手持ちの槍をあそこまで自在に操れるほどの義手が作れたとは思えない。

 それならばむしろ、義手のギミックとして装着できるような剣などの方がよほど親和性の高い武器に思える。

 無論、彼の知る中で隻腕の槍遣いの伝承を持つ英雄がいないではない。だがそれは英雄が英雄らしい時代の物語。

 幻想が遠のき、英雄譚が最早書物の中にしか存在しないような時代の、中世以降の英雄が英霊となるほどの功績を打ち立てられたとは思えない。

 だがそれに対しての推測はある程度、圭にもあった。

 

「おそらく彼は君とは、君の中の霊基とは逆のタイプのサーヴァントだね」

 

 サーヴァントとして召喚されたときの英霊の現界の在り方は、大きく二種に分けられる。

 伝説、伝承とともに在ることで強化されている者。

 歴史上の実在が記録として確認されている場合は主にこちらに分類される。いかに勇猛果敢で無双を誇った将軍・騎士であったとしても、生来の能力は現実の範疇に収まるはずだからである。

 一方でクラスという鋳型に当てはめられたことによって()()()()()()()()()()()もいる。神話、伝説、伝承の住人。神代の大英雄や英雄譚に生きる英霊などだ。

 古代末期から中世前期のとある英雄譚に、数多の神秘とともにその存在を記された“彼”は後者に、中世盛期の時代に史実として活躍し、戯曲などで謡われもしたゲッツは前者に相当するだろう。

 つまり明日香に宿る“霊基”は生前の力からかなり制限を受けており、並みの人間や魔術師と比べれば膨大な魔力量を誇る明日香であったとしても、“彼”の生前の力には遠く及ばない。

 対してゲッツはおそらくサーヴァントになったことでその力を生前よりも強化されているのだろう。英霊としてふさわしい超常の力、クラス固有のスキル。三騎士の一角であるランサーであるならば対魔力ですら備えているだろう。

 ゆえに生前の彼が義手で両手持ちの槍を操れないだろうからという推測でランサーを否定することはできない。彼に槍に纏わる伝承があればそれでいいのだ。

 

「それに鉄腕のゲッツがセイバーとして召喚されることは、伝承通りならまずないだろうね」

 

 そしてゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンが隻腕となった伝承からも、セイバーとしての召喚を否定することはできる。

 

「彼の右腕は自分の剣で切り落とされたものだからだよ。そしてだからこそ、彼は騎士道を憎んでいると言ってもいい」

 

 ゲッツの右腕は決闘やその勝敗の代償において失われたものではない。彼の右腕はとある戦争に参加した際、砲撃を受けて失われたのだ。

 神聖ローマ皇帝であり最後の騎士とも謳われたマクシミリアン1世に組する陣営での参戦だった。彼はその戦争に鷲の紋章が描かれた帝国旗を結び付けた大槍を携えていたという。

 一説によると、大砲の玉がゲッツの持つ剣に当たり、その弾みで右腕を切り落としてしまったとも伝わる。

 であれば、彼が剣を持つクラスとしてではなく、ランサーとして召喚されることはあながち無理ならざる推理ではある。

 サーヴァントとは過去に生きる境界記録帯(ゴーストライナー)であり、その死因や弱点は、伝承に明記されていれば強固に、色濃く表れる。

 自分の持つ剣が自分を傷つける、などというのは弱点としては大きすぎるだろう。

 そして以降、彼の戦歴は一変する。

 騎士として参陣して名誉を求めるのではなく、フェーデを悪用した決闘と称する強盗、恐喝、追剥を繰り返す盗賊騎士に。

 

「彼は神秘の薄くなった時代の英霊だ。その意味でも君に宿る霊基とは違うけれど、決闘という局面においては彼の伝承はピカイチだ。なにせ彼は生粋の戦争屋にして決闘卿。その財産をフェーデによって築き、それを否定されたことで破滅した人物だ」

 

 戯曲ではロビン・フッドのごとき義賊、皇帝権力に抗い、民衆のリーダーとして農民戦争に立ち上がり失意の最後を迎える勇ましい英雄としても描かれていたが、史実において彼は争いと見れば首を突っ込まざるを得ない血の気の多い性格で、民のためなどではなく、金のためにひたすら戦ったと言われる。

 そして最後には首を突っ込んだ争いの責任をとらされて幽閉され、その解放の条件としてフェーデを行わないという宣誓書を書かされることになったという。

 

「それともう一騎のサーヴァントだけれど、多分ライダーやキャスターじゃない」

 

 警戒しなければならないのはランサーだけではない。

 

「直前まで君がサーヴァントの気配を感知できなかったことと言い、おそらくクラスはアサシンだ」

 

 魔術師とはいえ人の身でしかない圭にとっては、むしろもう一人のサーヴァントの方が厄介だ。

 アサシンのクラスには気配遮断のスキルがある。 

 その程度は生前の伝承に基づきはするものの、事前に察知することは極めて難しい。

 まして今の圭には未来視の能力を封じられている状態で、明日香も戦闘状態以外での気配察知・探索能力はむしろ低いくらいだ。

 その真名も把握できていないし、宝具や固有のスキルはおろか戦い方ですらわかっていない。

 ここ数日、明日香が幾度か消滅させたシャドウ・サーヴァントもどきのエネミーを生み出しているのが、あるいはアサシンのスキルか宝具かもしれないが、それが具体的にどういうものかは分からないし、それがいかなる伝承に基づくものなのかも分からない。

 アサシンといえば暗殺教団の教主であるハサン・サッバーハが代表的ではあるが、彼らはその顔を髑髏の面で覆っているのが特徴であり、圭を襲撃したサーヴァントはかすかにしか見ることができなかったが、髑髏の面はしていなかった。

 オリジナルである冬木の聖杯戦争においてはアサシンは19人いるとされたハサンのいずれかから召喚されるとのことだが、特異点においてはその限りではない。

 英霊となるほどに知名度のある暗殺者というのはそもそも暗殺者の定義として間違っているのであまりいないが、暗殺や殺人に縁のある偉人は多い。

 特異点における聖杯ではそんな英霊や反英雄もアサシンのクラスとして召喚することがあると、かつての記録には残っている。

 ただし、圭を蹴撃したのがマスター殺しを得意とするはずのアサシンだとすれば、おかしな点もある。

 

「それになんであの時、僕に止めを刺さなかったのかも分からない」

 

 圭が生きていることだ。

 魔術師であって神秘の塊であるサーヴァントに対抗することはできないし、神秘と隔絶し物理現象の改変に堕ちた魔法ではなおさら傷をつけることもできない。

 

「魔法師たちの目があったからじゃないのか?」

「それならそもそもあんな場所で襲撃をかけてはこないさ」

 

 魔術も暗殺も、本来は明るみにでることを嫌うものだ。圭の抵抗によって目立つ可能性が出てきてしまったために退いたという推測は、そもそもそんな目立つ可能性のある場所で襲撃してきた時点で破綻した推理である。

 気配を察知することもできずに背後をとられた時点で圭の命は終わっていたはずだ。

 

「ランサーが陽動で君を誘い、その間にアサシンが動く、共働体制にあったのは間違いないだろう。けれどアサシンには九校戦のあの舞台で、魔法師たちに見られている状態でかつ悟られないように事故に偽装し、選手と僕に試合続行不可能なダメージを与える必要があったというわけだ」

 

 ならそれは逆。

 圭を殺せなかったのではなく、殺さなかった。

 魔法師に見られることを嫌ったのではなく、事故として魔法師たちに見せる必要があった。

 その目的は――――――

 

「それは…………………ぁ゛~、だめだ。頭が回らない」

 

 残念ながらそこまで推測するには推理の材料も少なければ、予測演算の領域が消耗しすぎている。

 魔法によって負傷している現実を騙して再生治療を行ってはいるが、完全に定着するまでは体の機能は損傷の回復に回される。

 明日香に治癒魔法のスキルはないし、圭にしても礼装の補助があればともかく、九校戦会場にそんな礼装は持ってきていない。

 なにせ宿泊するホテルは軍事施設の一部なのだ。

 魔法師は軍の貴重な戦力であり、魔法師にしてみればその源流であり未だに解き明かされていない領域の力を有している魔術を手に入れるためには、室内清掃と称して子どもたちの部屋に入るくらいはしているだろう。

 わかりやすく魔術の痕跡を示すような礼装を持って来れるはずもない。

 

 これ以上の推測は迷走につながり、進展はしないだろう。

 明日香もそう判断し、詰めていた息を深く吐いた。

 

「女の子成分が足りないんだよ。そもそもなんで君はお見舞いに来るのに女の子を連れて来てくれなかったんだい。ほのかちゃんとかエイミィちゃんとかエリカちゃんとか、雫ちゃんまで連れてこないなんて」

「先程ミラージ・バッドの決勝が終わったところだ。出場していたか、応援していたかだ」

 

 必要性から、サーヴァントのことについて、目覚めた圭と話す必要があったので見舞いに来られても困るという事情は分かるがが、希望としては負傷して身も心もボロボロの状態ではベッドの脇に居てくれるのは可愛い女の子がいい。

 主張をバッサリと切り捨てられた圭は、はぁ~と深々とため息をついた。

 視界の開けている左目を動かして窓の外を見れば、すでに日は落ちて星が輝いている。

 新人戦のミラージ・バッドにはほのかとスバルが出場し、技術スタッフは達也、とくれば本戦出場に変更になった深雪はもちろん応援席にいるだろうし、雫もエイミィもエリカたちも友人の応援をしていることだろう。

 

「そういえばモノリス・コードはどうなったんだい?」

 

 雫の名前が出たことで思い出したが、彼が出場していたのは彼女が好きなモノリス・コードだ。勝敗を含めて予選がどうなったのかは仮にも選手としては一応は気にかけなければなるまい。

 

「ルール違反のフライングとレギュレーション違反ということで四高が失格。選手全員が負傷した一高を除いて予選が終わったところだ」

 

 サーヴァントの襲撃というおまけはあるが、表向きには(というか実際に)室内における破城槌の使用というレギュレーション違反と、試合開始前の先制攻撃およびそのための索敵行動を行っていたというのは競技的にも立派にルール違反だ。

 フライングを防ぐための運営スタッフは何をやっていたのかというのもあるが、とりわけ破城槌の方は、人の居る室内で使われた場合、魔法師の基準では殺傷ランクA―― 一度に多人数を殺害しうるレベル――とされており、明確なオーバーアタック、ルールの逸脱となる。

 

「君が代理選手の出場、なんてことにはならないのかい?」

 

 モノリス・コードは実践的な魔法競技だけに、競技中の負傷とそれによる棄権というのはままあることではある。だが今回の一高が被ったケースでは責任はフライングやレギュレーション違反を見抜けなかった運営と行った四高にある。

 ルールや競技遂行上、仕方ないと済ませられるものではなく、これを見過ごせば今後の不正――他校が共闘して強豪校を負傷退場させるなど――にも繋がりかねない。

 

「生徒会長たちが運営の方のかけあっていたようだけど、僕は呼ばれてはいないな。君が僕のことを”適正がない”と進言しておいたからだろう」

 

 本来、新人戦モノリス・コードの出場選手に控えはいない。けれども真由美や克人たちには何らかのアテがあるのだろう。

 ただしその中に明日香は含まれない。

 当初の選抜の段階で、圭から明日香にはモノリス・コードの適性がないと()()()()伝えてあるからだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10話

 

 

 草原のフィールド上空に16の圧縮空気弾の魔法式が描かれている。

 それは九校戦のレギュレーションからは逸脱しているレベルの殺傷力を有するもので、けれどもその標的になっている達也は迎撃に徹した。

 並の魔法師では一日掛けても絞り出せないほどの想子(サイオン)を圧縮し、彼を狙う魔法式を吹き飛ばしていく。

 間に合うと予測できたわけではない。むしろ達也の判断力はこの方法では間に合わないことが分かっていた。

 手段がないわけではない。ただそれはこのような場で見せるにはいかなかっただけのこと。

 その手段を見せることは、魔法科高校に居られなくなることを意味しており、達也自身はそれは別に構わないのだが、他でもない妹の願いのためにはそれはできないことなのだ。

 結果、迎撃は14発までしか間に合わず、達也は残り二発の直撃を受けた。

 

 ルール違反を察知していたのは、誰よりもそれを放った本人―― 一条将輝であり、審判も気づいていなかった。あるいはそれをスルーした。

 だが自覚があるからこそ、そしてここが血をまき散らす戦場ではなく競技の場であることから、そして彼の生真面目な性格から、隙が生まれた。

 

 二発とはいえ、一条の圧縮空気弾は相手に重傷を与えるレベルであり、事実、それを受けた達也は肋骨が折られ、門脈を損傷し、内臓に深刻な出血をきたしていた。

 次の瞬間、()()()達也が一条に迫り、右腕を突き出した。

 直接打撃は禁じられている。直接攻撃ではない。一条の顔を当たらないように通り過ぎた達也の右手が、フィンガースナップを鳴らし、増幅。

 会場に音響兵器のごとき破裂音が鳴り響いた。

 遠く、モニター越しに戦況を見ている観客たちまで思わず耳を塞ぐレベルの音。

 一条の耳から血が流れ、その体が崩れ落ちる。わずかに後れて、達也も膝をついた。

 

 

 そして残る戦いが動き出した。

 想定だにしなかった一条将輝の敗北に、彼のチームメイトにして親友の吉祥寺真紅郎は硬直し、隙を逃さず幹比古が仕掛けた。

 達也によって魔法式をスリムアップされた古式魔法の連撃が動揺の大きい吉祥寺を追い詰め、雷撃が彼を撃った。

 肋骨を折ってなお、力を振り絞った幹比古だが、健闘はそこまで。

 残りの一人を倒す力はなく、土砂を掘り起こす移動系魔法が放たれた。躱す体力も防ぐ魔法力も残っていない幹比古は、敗北を受け入れ―――けれども勝者は一高となった。

 先の段階で一条に不意を打たれて気を失っていたレオが意識を取り戻し、寸でのところで達也が開発した新型武装デバイスによって相手に一撃入れたのだ。

 それによって三高の選手は全て倒れ伏すことになり、その瞬間、一高のモノリス・コード優勝が決まった。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

「第一高校の優勝は最早確定的だ……」

「馬鹿な! 諦めると言うのか。それは座して死を待つということだぞ!」

 

 思惑通りであれば、本戦の半分とはいえ得点の高いモノリス・コードの敗退により一高の失墜となるところであったはずだ。

 だがその日、代理選手の出場した一高はよりにもよってモノリス・コードの優勝をさらってしまった。

 それは同時に新人戦の優勝を決定づけたもので、このままいけば最終合算成績においても一高の優勝となるだろう。

 それでは困る者たちがいた。

 

「このまま一高が優勝した場合、我々の負け分は一億ドルを超える。そんなことになれば……」

 

 九校戦の会場から遠く離れた某所で、円卓を囲み重苦しい空気の中、密談している彼ら。

 その周囲には物言わぬ道具と化した魔法師の男が数人。

 

「これだけの損失、楽には死ねんぞ。ただでさえ今回のプランは負けた場合の金額が大きすぎて本部が渋っていたのを、我々が無理を通したものだからな。良くて生殺しのジェネレーター、適性がなければブースター、あるいは……」

「この企画がなければ今期のノルマを達成できなかったとはいえ、少し強引すぎたか……」

 

 それは近い将来、彼らがなるかもしれない姿かもしれず、あるいは最近の上の動向次第ではそれすらも許されない可能性がある。

 彼らの下に派遣されているのは物言わぬ道具(ジェネレーター)だけではない。

 人ならざる異質な存在を思い出して彼らは身を震わせた。

 あれは人を超えた存在だ。

 過去の英雄などという存在。

 その栄養となるためだけに、生命力を奪われ続ける肉袋。

 果たしてそれは、精神を破壊されて命じられた魔法を行使するだけの存在(ジェネレータ)と、拷問の果てに脳髄だけを取り出されて道具(ブースター)となるのと、いずれがましな未来であろうか。

 いずれにしてもそのような未来などごめん被る。

 

「そんなことを言っている場合ではなかろう! こうなっては最早、連中に気を使っている場合ではない」

「そうとも! 最初から本命に負けてもらう予定で色々と手間をかけていたのだ。それをあの連中が横やりを入れて。今更出てきた魔術師などに躊躇する必要はない! 要は証拠を残さなければいいのだ! なんとでも言い訳は立つ。徹底的にやるべきだ!」

「明日のミラージ・バッドでは、一高選手の全員に途中で棄権してもらう。強制的にな」

「なぁに、運が良ければ死ぬことはあるまい。さもなくば、運が悪かったというだけだ」

 

 もとより、他者を踏み砕くことを咎めるような良心などない。

 たとえ未来ある子供が魔法を失おうが、命を失おうが、尊厳を失おうが、所詮それらはこの国の魔法師(道具)たちのこと。

 自分たちの富に、あるいは生きるための贄にすることに躊躇いなどない。

 

 

 

 

 

 

 

 九校戦会場にほど近い森の中。

 

「くくく、はははは! いや、まったくもって彼らは。つくづくと愛おしいクラウンだ」

 

 マスターではない契約者たちが、悪なる決定を下したことと、そのための指令を別の人員が受けたことにアサシンは嗤いをこらえきれなかった。

 まったく、彼らは自分たちのことを物語の主役だとでも思っているのだろうか?

 あのような企みをして、三流よろしく金のためだけに陰謀を巡らせ、挙句失敗すれば今度は身の保全のために慌てだす。

 主人公を苦しめるヴィランの役割も果たせない、精々が性悪な脇役。物語の始めに主人公に悪態をついてストーリーからはじき出される存在だろう。

 

「んン。さぁてこの物語はどこに向かうのでしょうねぇ」

 

 騎士王、ヒロイン、クィーン、イレギュラー、魔術師、クラウン、魔法師、ポーン、間諜、モブ、観客。

 物語を彩るキャストは様々で、きっと愉快な物語を描いてくれる。

 悲劇か喜劇か、人間模様か、恋愛譚か英雄譚か、そんなものはどれでもいい。

 物語は人の心を豊かにする。

 ならばそれに少しでも意義あるものをこそ組み込むべきだ。

 後悔や堕落、因果応報、勧善懲悪。ああしてはいけない、こうした方がいい。

 物語とは教訓を教えてくれるものであるべきなのだ。

 そんな物語をこそ、収集すべき価値がある。――――歪み伝えるものなのだ。

 

 前回の襲撃では大会という祭りが中断するほどの騒ぎ。人死を出すわけにはいかなかったので退いたが、今度は違う。

 盛大に、存分に、恐怖と教訓を子供たちに刻み付けようではないか。

 

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 九校戦9日目。

 新人戦の優勝自体は昨日すでに一高に決定している。だが本戦の結果はまだ確定ではなく、特に今日行われるミラージ・バッドは女子の花形競技で得点比率も高い。

 そして注目なのは1年生でありながら本戦に出場している選手が2人もいるという点だ。

 新人戦女子クラウド・ボールで活躍した一色愛梨とアイス・ピラーズで圧巻の魔法(インフェルノ)を見せた司波深雪。

 勿論、本戦に選ばれている他校の2,3年生を易々と打ち倒せるとは観客も他校生も思ってはいない。

 だが他でもない三高と一高の生徒たちは、自校の代表である彼女たちをよく知るがゆえに負けるはずがないと、どちらもが共に確信を抱いていた。

 

 

 

 

 ―――――悲鳴が上がった。

 それは第一試合が騒然とした結果に終わってしまった後の、第二試合に向けてのCADのレギュレーションチェックの時だった。

 九校戦の大会委員のテントという中立にして大会そのものを司る中枢の場所で突如として発生した暴行事件。

 その中心にいたのは今大会注目の的の一角となった一高の技術者、司波達也だった。

 CADのチェックの最中に、彼は突如としてチェックを行っていたスタッフを地面に引きずり倒し、殺意も露わに激怒していた。

 

「なめられたものだな。深雪が身に着ける物に細工をされて、この俺が気づかないと思ったか」

 

 彼によって地面に叩きつけられたスタッフは、胸を膝で押さえつけられる形で組み伏せられ、至近から鬼気迫る殺気を浴びせかけられ、ガチガチと恐怖に震えていた。

 

「検査装置を使って深雪のCADに何を紛れ込ませた?」

 

 達也が感知したのは異物の反応。

 ほかでもない、彼が調整し、深雪がこの後の試合で身に着け、使用するはずのCADにだ。

 

 指摘されたスタッフの顔が恐怖に加え絶望に染められた。 

 

「なるほど、この方法ならCADのソフト面に細工することもできるだろう。大会のレギュレーションに従うCADは検査装置のアクセスを拒むことができないからな」

 

 達也の殺意と殺気に、思わず気圧されていた周囲のスタッフたちも、達也を取り押さえようとしていたのが一転、その言葉に息を呑んだ。

 

「だがこの大会、今までの事故が全てお前一人の仕業というわけでもあるまい」

 

 断罪の時。

 

 騒ぎを聞いてやってきた九島烈――世界最巧の魔法師であり、この九校戦においても大きな影響力を持つ閣下が、達也の言を認め、検査を受けたCADに異物が紛れ込んでいるのを認めたことで、罪の発覚は決定的となった。

 有線回路を通して侵入し、電子機器から出力される電気信号に干渉して改竄し、その動作を狂わせる遅延発動式のSB魔法。現代魔法、あるいは古式魔法において“精霊”と呼ばれる非物質存在(Spiritual Being)を媒体とする魔法の一種で、電子金蚕と呼ばれるこの魔法はかつての戦時において広東軍――大陸の魔法師が用いてたもの。

 それはつまり、一高に対して行われようとしていた不正工作が大陸系の魔法師に繋がりのある者たちの仕業であり、これまで行われた妨害――新人戦モノリス・コードの森崎たちや本戦女子バトル・ボードにおける摩利が被ったこともまた、彼らの仕業であることが明らかになるのであった。

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

「バカな。電子金蚕を見抜くのみならず、飛行魔法だと、っ!」

 

 ミラージ・バッドの予選にて、彼ら――香港系国際犯罪シンジケート「無頭竜(ノーヘッド・ドラゴン)」の東日本総支部が仕掛けた一高(深雪)に対する妨害工作は失敗に終わった。

 彼らへの繋がりを示す術式が暴露された上に、協力者まで暴かれて捕らえられたという。

 もとより協力者とはいえ、この国の人間だ。使い捨てにすることに忌避があるわけでも戸惑いがあるわけでもないが、彼らにとって深刻なのは一高が予選を圧倒的な新魔法によって突破してしまったということだ。

 ミラージ・バッドは上空に設置されたランダムに発生する光源に触れることで得点するタイプの競技。つまり空を飛び続けることのできる魔法は、この競技においてあまりにも規格外にすぎる魔法(チート)なのだ。

 これまで、飛行魔法は加重系魔法の技術的三大難問と呼ばれるほどに、現代魔法では再現不可能なものだった。一部の古式魔法師やBS魔法師(先天的特異能力者)がかろうじて使うことのできる属人的な魔法であったために、九校戦でそれをルールとして明文化する必要がなかった。

 だがつい先月、その難問が突き崩される魔法界の革命が起こった。

 トーラス・シルバーなる研究者による飛行魔法の発表。

 ただそれは、まさに世界を揺るがせたニュースであり、最新技術にすぎた。その対策対応を高校の魔法競技会が本腰を入れて取り組むにはあまりに喫緊のニュースに過ぎた。

 ゆえにミラージ・バッドにおいてルールによる対策は行われず、けれど一高の選手はそんなルールの不文を文字通り飛び越えた。

 

「これで力を使い果たしてくれたのならいいのだが……」

 

 飛行魔法は極短時間における連続的な魔法行使が必要な魔法であり、長時間の飛行は魔法師に負担がかかる。

 現代魔法は、かつての古式魔法とは異なりCADの発達によりサイオンの保有量が一部の魔法を除き、あまり魔法力に影響しなくなってきた。

 そのため力を使い果たすということも考えられなくもないのだが、飛行魔法を使用したのは新人戦でインフェルノという超級の魔法を平然と行使した怪物のような一年生魔法師だ。

 これで体力を使い切って決勝で飛べなくなるなどと楽観にすぎる展望を期待するほど、彼らに後はなかった。

 

「どうすればいい。どうすれば……」

 

 最早手段は選んでいられない。 

 そう言った彼らだが、まだ選んでいない手はあった。

 

 それは………………

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 本戦ミラージ・バッド。その優勝は、運営本部を介して各校にリークされた飛行魔法によるフェアリーダンスによる争いの様相を呈し、けれども最も華麗に飛んだのは一高の司波深雪であった。

 圧倒的なサイオン量。まるで彼女のために調整されたかのような術式は、アイスピラーズ・ブレイクにおける荘厳にして神秘的ですらあった彼女の姿を、今度は可憐に舞う妖精女王(フェアリークィーン)のように演出してみせた。

 外野では悪あがきにしかならない騒動が、起こる前に鎮圧されるような事態もありはしたものの、クィーンの輝きをわずかなりとも曇らせることもできはしなかった。

 それにより翌日最終日の本戦モノリス・コードの結果を待たずに一高の総合優勝が決定した。

 それは九校戦の結果を賭博の対象にしていた者にとっては本命ど真ん中で期待通りの結果であり、翻ってそれを食い物にしようとしていた胴元にとってはまさに致命的な結果となった。

 

 胴元たち――粛清を待つばかりとなった無頭竜(ノーヘッド・ドラゴン)の東日本における幹部たちは、この結果を生み出すことになった立役者の高校生、司波達也への呪詛を吐きながら夜逃げの準備に勤しんでいた。

 だがどこへ逃げるというのだろう。

 彼らの上役である本部にこの結果を知られれば粛清されることは間違いなく、触れてはならない者(アンタッチャブル)の逆鱗に触れたからには悪魔の手が伸びるのは時間の問題で、そして……………

 

「さぁて、主役は怪物退治に向かいましたか」

 

 物語(悲劇)の収集家はすでに彼らの出番に幕が下り、主役の出番となったことを是としていた。

 

 司波達也が、彼が秘密裏に所属する軍と、公安の情報を得て無頭竜(ノーヘッド・ドラゴン)東日本総司令部の本拠がある横浜のグランドホテルへと向かっていた。

 特定の対象に向けるものを除いて、一定水準以上の感情の起伏のない達也にとって、その唯一 ――深雪に手を出そうとしたことは許せるものではない。

 そして彼にとって守護すべき対象である深雪と物理的に距離が隔てられることは、気分の問題を除けば、さして問題になるものではない……はずであった。

 

 それが彼の世界における情報から出した結論。

 神秘などという曖昧をこそぎ落してきた魔法の産物である彼の生きる世界。

 

 ゆえに、彼は読み違えた。

 物語の幕はまだ落ちるには早すぎた。

 

「それではこちらも、始めるとしましょうか」

 

 (アサシン)は手に持つ本を開いた。

 パラパラとめくれるページが一つの物語を指し示す。

 魔力の充填。

 周囲の空間がアサシンの魔力と本の力によって歪められていき、満たされていく魔力によって黒い靄が沸き起こり、何かを形作っていく。

 男の姿。

 黒かった靄は、形作られた人模様に色をつけていく。手には大きな笛。色とりどりの派手な服。

 

「Rattenfänger von Hameln。さぁあ、皆さま! ポッペンベルクに向かうとしましょう!!」

 

 アサシンの宣言とともに靄であった男は手にした笛を吹き鳴らした。

 富士の森に狂い鳴く笛の音色が狂宴の幕を開く。

 

 

 

 

 

 明日香は森の中を一人、疾駆していた。

 

 すでにデミ・サーヴァントへの変身――蒼銀の鎧を纏った姿に変わっており、足場と視界の悪い森の中を走る彼の脚力は音を置き去りにするほどだ。

 それでも彼は進む先から聞こえてくる笛の音を確かに知覚していた。

 デミ・サーヴァントとして聴力で、そしてそこに込められた禍々しい魔力を感知して。

 

 探索と行動指針立案のメインになるはずの圭のバックアップは今回はない。

 彼の負った怪我は、魔法による再生と本人治癒力を合わせても早々に戦場復帰、それも対サーヴァント戦に駆り出せるようなものではないからだ。

 もとより、“藤丸”の魔術師でしかない圭がサーヴァントとの戦いを正面切って行いはしないが、彼のサポートなしというのは戦局の推移を俯瞰できなくなるなどの不安要素ではある。

 今も強力な魔力反応――おそらく敵サーヴァントによる宝具の反応を感知して最短ルートを駆けているが、それが敵の罠や陽動であることは否定できない。

 だがそれでも一刻も早くこの魔力反応を止める必要があった。

 強力な対魔力を持つ明日香には効果はないが、魔力の込められたこの音色は何らかの精神干渉系の効果を有していることが感じられるからだ。

 英霊の宝具による精神干渉ともなれば、常人はもとより呪的防壁に関しては常人と大差ない魔法師にとっても非常に効果的だろう。

 効果範囲も非常に広い。

 まるで森全体、一つの街ですら覆うであろうほどの効果範囲を持っているようにすら感じる。

 具体的効果は分からないが、彼の既知のみならず大勢の無関係な人間が巻き込まれるのは必然で、明日香の魔術の技量では防壁を張り巡らせて守ることは不可能。サーヴァントの宝具が相手では負傷していない状態の圭でも難しいだろう。

 ゆえに明日香にできる最善は、この音波系精神干渉型宝具がその効果を発揮してしまう前に速やかに敵のサーヴァントを打破することだ。

 鉄腕のゲッツにこのような音についての逸話がないことを考えれば、この宝具を使っているのはもう一騎のアサシンだろう。

 アサシンの真に恐ろしい特性は、気配遮断によるマスターの暗殺。

 だが宝具を使用して居場所を晒しているような状況では、アサシンとしての特性は十分に発揮されようはずもなく、直接戦闘力でいえば間違いなく明日香の方が上回るはずだ。

 だが―――

 

「ッ! くっ……」

 

 前方に異なる気配を察知する。

 ルートの回避はできないだろう。決して感知能力の高くない明日香が気配をしたのであれば、同様に敵のサーヴァントもこちらを補足しているであろうから。

 そしてこのルートで鉢合わせたということは、すなわちそれは――――

 

「予想通り、このルートを通ると思ったぜ。なんせここは、戦場に向かう最短のルート。戦闘への直感に従うなら、このルートが最善だと判断するはずだからな」

 

 明日香の足止め、もしくは待ち伏せしていたということに他ならないからだ。

 

「ランサー…………」

 

 駆ける足を止めて、距離を置いてランサーと対峙した。

 すでにお互い武装はなされており、明日香も不可視の剣を構える。

 

「さぁて、フェーデの取り立てといこうか」

 

 明日香に出来るのは、この決闘卿を速やかに打破することをおいて他に無かった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11話

 昔々、あるところに一つの村がありました。

 そこに住んでいた人たちは一生懸命日々を働いて過ごす善良な人たちでした。

 しかし沢山の子供が笑いあい、大人たちがそれを微笑ましく思いながら生きていく村。

 けれどもその村の人々にはある悩み事がありました。

 村にたくさんのネズミが住み着いてしまったのです。

 ネズミたちは残飯をあさり、飽き足らず食料をあさり、衣服や家屋ですらも齧って台無しにしました。

 誰かどうにかしてくれれば、どんな報酬でも支払うのに。

 そう村の人々は思っていましたが、彼らにはそんな力はありませんでした。

 ところがある時、一人の男が村にやってきました。

 色とりどりのつぎはぎの服を着た男。

 男は大きな笛を持っていました。

 旅の楽師かと、村人たちは思いました。

 日々を一生懸命に働いている彼らからすれば、村から村に、町から町に、旅を続けて気ままに音を楽しみ生きるような男は、不誠実でろくでなしな人間でしかないとも思っていました。

 ところが男は村の住人に言いました。

「金貨を報酬としてくれるのなら、君たちを困らせているネズミを全部退治して見せよう」

 村の住人たちは困惑し、けれどもやってくれるのならばと了解しました。

 退治の依頼を受けた男は自分の持っていた笛を吹きだしました。

 すると不思議なことに、村中のネズミたちが一斉に集まり出しました。

 驚く村の人々たち。

 ネズミは笛を吹く男の後をついていき、川まで歩き、そして自分から川へと飛び込み始めました。

 そしてなんと、全てのネズミが川で溺れ死んでしまいました。

 善良な村の住人たちを困らせていたネズミは全滅しました。めでたしめでたし。

 ところがある村人がぽつりと言いました。

「なんて残酷やつだ」

 笛吹き男はそんな言葉には耳を貸さず、報酬を求めました。

 ところが善良に日々を生きる村の人たちは思いました。

 笛を吹いただけで自分たちが一生懸命に稼いだ金貨を持って行くなんておかしいと。

 口々に村の人たちがそれに賛同しました。

 笛吹き男は金貨をもらえませんでした。

「恐ろしいことが起こるぞ」

 笛吹き男は怒ってそう言い、村を出ていきました。

 やがて村人たちがネズミのことと、笛吹き男のことを忘れたころ、不思議な音色が、村人たちの寝静まった深夜に響きました。

 あの笛吹き男です。

 けれどこの村にはもうネズミはいません。笛の音に連れていかれるネズミは男がすべて川に沈めてしまいましたから。

 けれども不思議なことが起こりました。

 大人たちは誰一人として目覚めず気づかず、子供たちだけが笛の音につられて踊り出し、笛を吹く男についていき始めたのです。

 大人たちは誰も気づきません。

 

 そして100人の子供たちは誰一人として、戻ってきませんでした。

 

 それは昔々の一つのお話。

 男が集めた多くの話の一つの物語。

 

 

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

 

 

 

 笛の音に誘われて森の中を迷い歩く魔法師の子供たち。

 一高の制服、二高、三高……九校の学生たちが夜闇に覆われた森の中を歩いていた。

 大人の姿はない。

 九校戦のフィナーレ前夜における子供たちだけの秘密のパーティであろうか。

 いや、そのようなはずはない。

 彼ら、彼女たちの表情にはまるで夢を見ているかのごとくに生気がなく瞳は虚ろ。けれども足取りは一律で足場の悪く行く先の見えない森の中であるにもかかわらず、躓きこけることも木々にぶつかることもない。

 もっとも多少の枝葉に顔や皮膚を傷つけられる者は多いが、だがだからこそそんなかすり傷を誰もが気にもかけずに黙々と歩みを進めている光景は異様だった。

 先導にはつぎはぎのあるまだら模様の派手な服を着て、笛を吹き鳴らす男。

 

 そんな中に深雪もまた歩みを進めていた。

 己の意志ではない。

 彼女は、なすべきことのある最愛の兄を見送って、それを周りの皆に気づかれないようにして、そして彼の帰りを待っていたはずだった。

 達也がなすべきと定めたのは自分のため。自分を地に墜とそうとした者たちを誅戮するため。

 ―――自分の全てはお兄様のために―――

 それが彼女の根底にある想い。

 

「……、ここ、は……ッ!?」

 

 それまで周りの皆と同じく夢を見ていたかのようだった深雪が目を覚ました。

 周囲の景色は、彼女の記憶にある最後の景色、ホテルの部屋の内装とは明らかにことなる森の中。

 すぐに彼女は兄の姿を求めるが、どれだけ離れていたとしても感じられる彼の匂いが分からない。

 まるで異なる次元の壁にでも阻まれているかのごとくに隔たれている。

 

「オヤ? なかなか変わった毛色をお持ちの子供だ」

 

 状況理解の追い付かぬ深雪の耳に、聞き覚えのない男の声が届いた。

 それは意外感をたたえたもの。

 笛の音に自意識を眠らされているはずの子供が一人、目を覚ましたことに“笛吹き男”の奏者である男は意外感を覚えたのだろう。

 

「何者です!?」

 

 今の彼女は氷の魔法――振動系減速魔法を得意とする魔法師であるように見せているが、本来の彼女は精神に干渉することを得手とする魔法師の血を受けており、殊に凍結させる魔法を得意とするはずなのだ。

 現実の物理世界における氷結はあくまでも結果にすぎない。

 そして極めて強度な事象干渉力、精神により現実を改変する力を有しているからこそ、精神に干渉してくる魔法に対して抗うことができたのだろう。

 無論彼女に意識も記憶もなかったであろうが、ここに来るまでの間にも、彼女の心の中、精神世界ではかけられていた精神干渉系の細工に懸命に抗っていたのだ。

 

「ッッ! ほのか!? 雫、美月、エリカ!? 七草会長!?」

 

 だがそれは彼女のみの話。

 ほかの大勢の同級生や他校生たちは虚ろな顔で夢遊病のようにどこかへと歩みを進めていた。

 彼女の友人たちだけでなく七草真由美や渡辺摩利ら生徒会のメンバーもいれば、三高の生徒―― ミラージ・バッドで戦った一色愛梨や一条の姿もある。ほかの学校の生徒たちも多いが十文字克人の姿は見られない。

 深雪の呼びかけに対しても周囲の皆は反応を示さず、ほのかや雫まで聞こえていないかのように虚ろな表情で歩き続けている。

 

「これは、―――――くっ!!」

「ほぅ」

 

 現状の認識にまでは至っていないが、精神干渉系魔法による支配下にあるのだと気づいた深雪はCADを操作して領域一帯への干渉力を作用させた。

 強力な事象干渉力を発生させることで周囲のみんなにかけられている“魔法”を阻害しようとしたのだ。

 皆を操っているのがおそらくあの奇妙な感覚のする笛の音だとするならば、この精神干渉魔法は持続的なものではない。その推論の証となるかは分からないが、笛の音からはサーヴァントに対峙した時に感じた奇妙なサイオンのようなものが感じられる。そして笛吹き男は途切れさせることなく笛を吹き続けている。

 であれば、笛を吹くことを止めさせるか、あるいは一時的にでも音の干渉を遮ってしまえば魔法は解ける。

 それはある意味正しかった。

 ただの領域干渉ではなく、物理現象に干渉すら行ってしまうほどに強力な精神干渉系魔法の術者である深雪が行ったものだからこそ、意味があった。

 

「ふぇ……ここは、深雪?」

「え?」

「司波さん……? えっ!?」

 

 わずかに数人。深雪が全力をもって正気に戻すことができた領域の人数だ。

 精神干渉が魔法であるならばおそらく深雪のとった選択は最善手であっただろう。 

 だが行われていたのは神秘を基盤にした精神干渉。

 理解の及ばない領域(リソース)による力が、深雪の本来強大であるはずの力を大きく上回っていた。

 それでもほのかや雫、そして真由美は意識を取り戻すことができた。

 彼女たちの魔法に対する抵抗力が高かったというのも理由だろうが、深雪との物理的距離が近かったことも働いたのだろう。魔法は物理的な距離に影響しないとはいえ、魔法師の心を如実に反映するため、術者が物理的な認識に囚われていると距離に応じて減弱するのだ。

 意識を取り戻した真由美たちだが、先ほどの深雪と同様に周囲が森になっていることに気づいて混乱しており、けれども深雪がCADを構えて何者かと敵対している様子に気づいて、すぐに自分たちもCADに手を伸ばした。

 

「深雪さん、これは一体!?」

「分かりません。ですが―――」

 

 それでもすぐに加勢のために魔法を放たなかったのは、この場を深雪の領域干渉が覆っており、無暗に魔法を発動することで魔法の相克が起きることを案じたからだろう。

 幸いにも、男はこちらを興味深げに眺めているだけで、笛吹き男はただ笛を吹き続けて、彼女たち以外の生徒たちをどこかへと連れ去っていく。

 森の中、夜闇の中であり、その行き先がどこかは分からない。――いや、違う。深雪の干渉している領域から10歩も行かないところで、生徒たちはまるで闇に呑まれるかのように消えていた。

 異質な気配漂わせる男の所で、彼の手にしている本から溢れている闇に囚われるように、靄に包まれて消えていく。

 

「ひっ! なに、あれは」

 

 サーヴァントというもの直接見たことのなかったほのかが、その存在を見ただけで圧されて短く悲鳴を上げた。

 一見して分かる。

 魔法師でも、まして人間でもない。自分とは違う存在。格の、次元の、在り方の違う存在。

 感受性の高いほのかだからこそ、一目で()()()()()()()()()()()()隔絶しているものだと分かった。

 

「あれは……サーヴァント、っ!?」

「あれが――――ッ!」

 

 サーヴァントという存在を見たことのある雫や深雪は敵の正体が何に属する者であるかが分かっていた。分かってしまっていた。

 そして話にのみ聞いていた真由美も、圧されつつも闇を発する男を睨みつけていた。

 

「想定していた展開とは違うけれど、これはこれで面白い。僕には物語を0から創作する苦悩(面白さ)は知らないけれどね。ただ、お姫様が舞台に残っているのなら、その相手は決まっているだろう?」

 

 それに対してサーヴァントの男――アサシンは飄々としたものだ。

 彼が収集した“この”物語には、この展開はない。

 子供たちは誰一人として気づかぬ間に消えなくてはならない。

 けれども彼は演劇家ではないし、創作家でもない。彼自身の物語を描くことはなく、異なる物語を集め、手を加えることこそが彼の在り方。

 ゆえに彼はこの物語の展開に相応しい役者を喚び出した。

 

「もう一人……!」

「そんな……」

 

 月下に映える金髪碧眼のセイバー(主人公)

 華美な装飾の施された剣を携え、少女たちの危機に駆けつけた姿は、役どころが違うのであればまさに白馬に乗った王子様のごときであろう。

 ただし彼は彼女たちを救うために駆け付けたのではない。

 深雪と真由美は4月の事件でサーヴァントの作り出す使い魔のごときモノと戦っている。

 それらが自分たちの魔法とは異なる異能に依るものであり、魔法の効果が薄いことも覚えている。

 あの時は異形の姿(デーモン)で、今回は人型が2人という違いがあるが、一体相手に何人もの魔法師がかかって足止めがやっとであったのだ。

 まして今回はサーヴァントまでいる。

 サーヴァントの力が人の及ぶものでないことは雫も知っている。

 七草家や十文字家の係累である魔法師たちですらも、たった一人のサーヴァントにいいようにあしらわれたのだ。

 

 ――お兄様ッ!!!――

 

 深雪は心の中で彼女の守護者。彼女が敬愛する兄を呼んだ。

 彼は今、離れたところに居る。

 異常事態を感知すれば文字通り飛んでくることも、距離に囚われない彼の魔法が彼女を守護することもできる。

 だが果たしてこの状況で彼の護りはどれほどか。

 達也に対する鋭敏な()()を有するはずの深雪が、達也の守護を感じ取れないのだ。

 同様に達也が深雪の現状を感知できていない可能性はある。

 

 4月の事件で達也の分解の魔法はサーヴァントに対して有効な攻撃力とならなかった。以来、サーヴァントという物理現象、魔法現象を逸脱した超常的存在に対しての対抗策を達也が考え、新魔法として修得しようとしているのを深雪は知っている。

 けれども今の達也は遠く離れており、まだ修得に至っていない魔法を距離を超えて発動させてサーヴァントという強大な存在を消滅させることができるほどではない。

 

 一歩、剣持つ王子が深雪たちに近づく。

 彼女たちの魔法がどこまで効果があるのか分からない。けれど真由美も深雪も雫も、CADを構えて戦う意思を示した。

 王子が微笑む。

 それが無駄な抵抗だと知っているから。

 彼は姫を救う物語の王子(主役)であり、物語において王子に魔法が効果を示すはずはないのだから。

 そんな概念である存在だと真由美たちが認識していたわけではない。

 だが異質な存在感が彼女たち気圧しており――――

 

「いやいや。明日香より先に僕だけ到着とか、ちょっと勘弁してもらいたい展開だね、うん」

 

 それを打ち破り声をかけたのは傷だらけの魔術師。

 

「藤丸さん!?」

 

 右目に眼帯、頭部に包帯。見える箇所以外にも怪我を負っているだろう藤丸圭が木々の闇から姿を現した。

 サーヴァントの男と剣を持つ王子が魔術師に気圧された様子はないが、深雪たちの周囲は明らかに様子が変わった。

 彼女たちが安堵を覚えたというわけではなく、何らかの魔法的(魔術的)作用が及ぼされたらしく、深雪が何とか抵抗していた領域干渉にかかる負担が消えていた。

 

「重傷だったはずだけど、怪我は大丈夫なの、藤丸君?」

「ご心配いただきありがとうございます、七草会長。できればカッコつけたいところなんですけれど…………」

 

 ただ、その状態は明らかにベストコンディションからは程遠い。

 すでに軽く息が乱れており、額には暑さから来るのではない汗が浮かんでいる。

 

 現代魔法における治癒魔法とは、瞬時に健康状態を取り戻させるものではなく、魔法で一時的に世界を欺き、それを効果が持続するうちに何度も掛け直すことで偽りの治癒を世界に定着するものなのだ。無茶をしたり動き回ったりすれば治癒は遅れ、偽りの治癒は容易く剥がれ落ちる。

 治癒魔法とは別に、彼自身も治癒魔術を施してはいるが、そもそも藤丸家に継がれた魔術は大したことがない。

 異様な魔力を感知して、すでに明日香が居るものだという予測(期待)で、彼をサポートするために駆けてきた圭にとってはかなり予定外のことで、この時点でかなり負担が大きかった。

 少女たちの手前、安心させる言葉をかけたやりたいのはやまやまだが、余裕はない。

 

「魔術師ごときが、僕の前に立ち塞がるというのかい? この王子の前に!」

 

 なので余裕たっぷりにエネミーがウタってくれているのは時間稼ぎとしてありがたい。

 

「んン。そちらのデミ・サーヴァントが来ることに期待しているのですかね。無駄ですよ。今頃、彼はランサーとのフェーデ真っただ中。こちらに来られる余裕はありませんよ」

 

 アサシンにあるまじき男は外連味たっぷりにその存在感を主張している。

 もっとも、いくら直接戦闘能力の低いアサシンのサーヴァントとはいえ、魔法師や魔術師相手ではまず後れをとることはない。

 気配遮断を解除してこうも目立つ宝具を展開しているとなれば、舞台を整え幕を開いたということに他ならないのだろう。

 実際、未来視が封じられている状態の圭では明日香がいつここに来るかは分からない。

 すでに到着しているものと予想していたのも外れたばかりだ。

 頼みの明日香が別のところで戦闘中という情報に、真由美や雫の胸に絶望がよぎりそうになる。

 

「舐められたものだね」

 

 だが圭は苦し紛れではなく、口元に笑みを浮かべた。

 

「そちらこそ。いかに騎士王の霊基を有するとはいえ、たかだかデミ・サーヴァントの分際で、ランサーを容易く下せるとは低く見すぎですよ。もうご存知でしょうが、あのランサーは決闘卿。古臭いカビの生えた騎士道を後生大事にする騎士を下してきた傭兵騎士なのですから。それともあなたがサーヴァントを倒せるとでも? カルデアの魔術師さん?」

 

 たしかにそうだ。

 相手は三騎士の一角。ランサーのサーヴァント。

 短時間で倒しているとすれば、宝具の真名を解放でもしないかぎり難しく、今それをすることはできない。

 けれど圭は信じている。

 ここには彼が守るべき少女や、未来を紡ぐ者たちがおり、それを護るために彼は“運命”を受け入れ、剣を抜いたのだから。

 

「いいや。違う。明日香を、舐めすぎだと言ったんだ」

「―――ッ! なにっ!?」

 

 樹上から木々を裂いて落ちてきた蒼銀の騎士が不可視の剣を携えて圭の前に立った。

 

 ―― 明日香!! ――

 

 着地により舞い上がる木の葉と土の中に立つ騎士(明日香)の姿に叫びそうになりつつも、戦場の空気の中では声には出なかった。

 ただ圧倒的な信頼感と、安堵があった。

 幾度も駆けつけてくれた絶対の騎士。

 

 

 

 

「遅いよ、明日香。それに……」

 

 ただ、信頼に応えて、ではあるが圭の予想とは些かずれていた。

 それにこの短時間で宝具の解放なしにランサーを倒すことは流石に無理だったらしく、鉄腕のランサーも明日香を追ってこの戦場に駆け付けることになった。

 

「自分からここに誘ってきたんだ。2対1でも卑怯とは言わねぇよな、騎士王サマよぉ」

 

 無論、サーヴァントである明日香もランサーも息を乱しているというようなことはない。

 そして2対1。

 サーヴァントならざる圭や深雪たちはカウントされない。

 デミ・サーヴァントである明日香とランサー、アサシン。3騎ものサーヴァントがこの場に集っている。

 兵法通りであれば各個撃破を行うべきだ。

 初回にランサーを討ち損ねたことといい、合流されることを覚悟でこちらに来たことといい、大局など見れてはいない。

 “彼”ならばランサーを早々に打倒していただろう。

 騎士王ならば身内の犠牲を許容してでも、今後のためにサーヴァントを確実に倒せる方法(各個撃破)をとっていただろう。

 

「勿論だ。2人であろうと3人であろうと、彼女たちを傷つけはしない。斬り伏せて見せるとも」

「よく吠えたとも、デミ・サーヴァントなる怪物よ! 我が王剣の錆になるがよい!」

 

 彼が選んだのは、この世界の、この時代を生きる人を、見知った者たちを守る方策。

 それは近視眼的で後のことを考えない選択であるかもしれない。

 それでも、守るべき者を護る。

 

 王剣を持つ王子の横に並んでランサーがその槍を構える。

 明日香は右下段に不可視の剣を構え、地面を破裂させるほどの蹴り出しで突貫した。

 激突が衝撃波を伴う。

 ランサーとセイバー(明日香)。三騎士の霊基を持つ者同士の戦い。その速度は、超常の動きに慣れたつもりだった魔法師たちの目にも尋常ならざるもの。

 そしてさらには剣持つ王子もランサーに合わせて明日香を攻め立てる。

 

 

 

「どうなっているの!?」

 

 意識を取り戻してからのあまりの急転直下の展開は真由美たちを混乱させている。

 今目の前で繰り広げられているのは物語の中、英雄譚にしか存在しないかのような超人同士の剣戟乱舞なのだから。

 鉄腕の槍兵が放つ無数の突きは一刺が音を置き去りにして空を裂き、蒼銀の騎士は不可視の剣でそれらを薙ぎ払い、あるいは紙一重で躱している。

 魔法師が、それこそ剣の魔法師の異名を持つ千葉家の者であったとして、あれほどの動きのままで戦い続けられるものであろうか。――いや、常人であれば知覚速度を超えたあの動きに追従し続けられるはずもなく、音速をも超え、衝突のたびにソニックウーブを発生させるような動きに肉体がもつはずもない。

 しかも明日香は鉄腕の槍兵を相手にしつつ、さらには隙きを見て斬りかかってくる王子の相手もしているのだ。その力は彼ら二人よりはまだしも判別がつくレベルではあるが、それは魔法師の基準から見て、怪物と称されるほどのレベルだ。

 それを片手間で対処しつつ、さらに領域の分からない英霊とまで対峙している。

 書物の向こう、画面の彼方での光景ならば感嘆の光景、驚くべきと落ち着いていることもできるだろうが、現状は森の中で襲われて、いや誘拐されつつある只中なのだ。

 現状を認識し、対処するためにはまず情報が必要。

 真由美はヒステリック気味になりつつも、そして雫や深雪も激しく動揺しつつも圭に情報を求めた。

 

「敵の宝具に取り込まれたんですよ、まぁ明日香と僕は飛び込んだんですが」

 

 問われた圭だが、たしかに現状サーヴァント同士の戦いに参戦できてはいないが、ゆとりがあるわけではない。

 なにせ彼らが今いる場所は、九校戦会場となっている富士の軍事演習上の一角、その森の中、ではないのだ。

 空間が捩れ、概念が捻じれた世界。

 何かしらの結界に囚われた状態であり、それを展開しているのは間違いなくあのアサシンが持っている本。

 深雪や雫たちを攫ってきた笛吹き男の持っている笛も宝具の一種であろうが、宝具そのものではない。おそらくあの“笛吹き男”と”剣を持つ王子”。それらを生み出しているのがあの宝具の力であり、この空間の力なのだろう。

 

「宝具とは?」

 

 比較的冷静さを保っているのは深雪だ。

 兄との繋がりが感じ取れないという点では強い不安を覚えてはいるが、彼女の場合、明らかにしてはいない経験によるものが大きい。

 そして、たとえ自分の方が兄との繋がりを感じ取れなくとも、必ずきっと、お兄様は来てくれるという絶対の信頼感があるからだ。

 

「英霊の持つ伝承が具現化した概念(モノ)。英霊が英雄たりうる力の源……要は必殺魔法みたいなもんです!」

「では相手の正体も分かっているのですか?」

 

 ざっくりとした圭の説明ですべてを理解することはできないし、実際には理解できたとは言えない。

 ただ、4月の事件でサーヴァントや英霊については関わったことでその内容についてある程度は聞いている。

 英霊とは過去の存在、境界記録帯(ゴーストライナー)であり、その正体を看破することは英霊の特性を理解することに等しい。そこには弱点や突破口も含まれうる。

 

「いや。あっちのランサーは分かっているんだけどね。ホント、なんなんだこの宝具!? キャスターでもないのに、まるで固有結界だ」

 

 だがこの時代において唯一とも言える対サーヴァントの専門家である圭と明日香でも、未だあのサーヴァント(アサシン)の真名看破には至っていなかった。

 

 

 

 

 なんとか拮抗できている。そう評することができるのは明日香かランサーか、どちらの立場においてか。

 

「埒が明かねぇか。ま、それはそっちが言いたくなることだろうがねぇ」

「…………」

 

 鉄腕とも思えぬ精緻な動きと力強さ。

 加えて流石に決闘卿として史実に名を刻む騎士。

 神秘の失せた時代であり、不可視の武器など生前に対峙した経験などないはずなのに、すでに剣の間合いは掴まれてしまっている。

 それでもサーヴァントとしての霊格は明日香の方が上だ。

 神秘残るかの“島”で数多の神秘、巨獣を屠った英雄の霊格は、人の世に下って、人との戦争にのみ伝承を残す鉄腕ゲッツよりも格上。 

 それでも押しきれないのは、ランサー(鉄腕ゲッツ)だけでなく、アサシンの宝具の化身と推測できる剣士をも同時に相手しているからであり、既に多くの人質を取られ、すぐ近くに守るべき少女たちがいるからで…………。故に―――――

 

「アサシン!」

「ええ、分かっていますとも。んンッ!」

 

 敵が狙うべきアキレス腱もそこだ。

 ランサーの要請を先刻承知していたかの如く、アサシンの魔力が既に発動の準備を整えていた。 

 

 ―――くっ! 距離が―――――

 

 気配遮断を行ってはいないとはいえ、マスター殺しが得意なアサシンクラスのサーヴァントを敵にしているのだから警戒はしていた。だが白兵戦を挑んでくる二騎を相手にしていては、キャスターのような位置取りであったアサシンとは距離が遠い。

 

「舞台の上には怪物、騎士、魔術師、ヒロイン、そして王子! 仔らよ。残酷なる幻実を見よ(Kinder und Hausmärchen)! 眠りに誘え魔女の茨よ(Schlafende Schönheit)!!!」

 

 故にその発動は止められない。

 茨の壁が明日香と雫たちを隔て、その牙を剥いた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12話

 木々の生い茂る森の中を眠りに誘う棘を持つ茨が張り巡らされた。

 

 とある物語において魔女にかけられた百年の眠りによって生育したかのように鬱蒼と人の世を拒む眠りの茨。

 しかしその茨も約束された王子である彼の歩みだけは妨げない。

 

「さぁて、どうする騎士王サマよぉ」

 

 茨で囲まれた中、明日香と対峙しているのは鉄腕のランサー1騎のみ。

 もう1騎のアサシンの姿も、そして先程までランサーとともに明日香に剣を振るっていた剣士のエネミーもいない。

 

「――――!!!」

 

 今、この周囲には明日香以外にも人がいる。

 重症をおして駆けつけた圭と、アサシンによって拐かされた雫や深雪たち、そしてどこかへ囚われてしまった大勢の生徒(子供)たち。

 一対一で対峙しているという状況が何を示しているのか、思い至った瞬間、明日香は身を翻した。

 

「おっ!? 判断は早いがそいつは騎士王サマの直感じゃねぇよなぁ」

 

 至近にいるランサーは確かに脅威だが、それよりもただの人間に対してサーヴァントと、サーヴァントが創り出した敵性体が対峙しているだろうということの方が、遥かに脅威だった。

 

「―――――!!!」

 

 明日香は茨に対して不可視の剣を一閃。風の剣閃と化して茨を吹き飛ばし、道を開くとそこに飛び込んだ。

 茨はすぐさま再生し、明日香を絡み捕えんと迫り狂った。

 

 

 

 

「さぁて、これで怪物は追い払えた。待たせたね、僕のプリンセスたち」

「っ!」

 

 頼みの明日香とは分断された。

 自身の状態は右目の損傷をはじめ、肋骨や鎖骨の骨折、四肢の骨にも亀裂があり、それらを誤魔化していた治癒魔法はここに来るまでの無茶で殆ど剥がれている。

 なんとか自前の頼りにならない治癒魔術を施しはしたが、所詮それも礼装頼み。

 残る左目だけでは未来予測の演算などできはしないが、相手はサーヴァントの宝具によって生み出されたエネミーだ。

 自分の魔術が多少の効果を及ぼしはしても倒すことなど到底出来ないのは、キャスターのデーモンとの戦いで先刻承知済み。今回の”王子”はデーモンよりもおそらくレベルが高く、圭が通用するものでは到底ないだろう。

 

 ――すでに僕は眼中になし、か――

 

 叶うならばすぐにでも逃げたいところだ。

 後ろに守るべき少女たちがいなければ。

 

「茨と王子様、ね。なるほど童話の再現。それがアサシンの宝具の特性か」

 

 この茨を生み出すために、アサシンは宝具の真名を解放していた。

 メルヒェン――それは童話の一つの体系であり、童話の中で王子様が登場するのもまた王道的なストーリーだ。

 そう、誰もが彼を王子だと認識する。

 華美な装飾の剣。金髪碧眼の整った容貌に、自信に満ち溢れた立ち居振る舞い。

 姫を救い、悪を退け、ハッピーエンドを迎える王子(主役)

 

「うん? ははは、邪魔はしないでもらえるかな、魔術師くん」

 

 その王子にとってみれば、少女たちとの間に立ちふさがる(魔術師)明日香(怪物)は打倒されるべき物語の悪なのだろう。

 

「だそうですよ、お姫様方。僕としてはできれば逃げることをおすすめしたいところだけどね」

 

 当然、圭とてそう安々とエネミーに従うつもりはない。

 王子にとってはその存在が物語そのものなのであろうが、圭や明日香はそのモブキャラではない。

 ただ、明日香と分断された現状、圭だけでは彼女たちの身はおろか、自身すらも守れるかは怪しい。

 

「当校の生徒をはじめ大勢の人が誘拐されている状況で、私が逃げるわけにはいきません!」

 

 それは一高の生徒会長としての責務からか、それとも魔法師の中でも特権を得ている十師族の一員としての矜恃からか。

 真由美はCADを構え戦う意思を示した。

 それを受けてではないだろうが、雫も拳銃型の特化型CAD――アイスピラーズ・ブレイクのために習得したフォノンメーザーを使用するための構えをとり、深雪も手首に巻いたCADにサイオンを流して、いつでも魔法を発動できる状態だ。

 友人たちの戦おうとする姿を見て、怯みそうに、挫けそうになっていたほのかもCADを構えた。

 

 

 真由美の魔弾の射手が全方位からエネミーに集中砲火を浴びせかけ、雫がフォノンメーザーを最大出力で放つ。

 それらは対人魔法としては必殺のものであり、九校戦で人に対して行えばレギュレーション違反どころか死人を出すのが間違いないレベルだ。

 

「くっ!」

 

 だがそれらの魔法はまるでかき消されるように効果を発揮しない。

 金属の壁をも貫通するはずの熱線も、真由美の全方位からのドライアイスの射出弾も、それの二次的効果である二酸化炭素による追加効果も、魔法のすべてが王子には通用しない。

 

「なら、これではっ!」

 

 魔法的な現象はすべてがかき消されてしまう。

 それならばと深雪は大規模に物理現象を発生させるニブルヘイムを放った。

 雫のフォノンメーザーも真由美の魔弾の射手も、どちらも物理的に対象にダメージを与えようとする魔法だ。だが深雪のニブルヘイムであれば、対象は周囲の空間。

 男が魔法を無効化するとはいえ、空間そのものの事象改変を止められはしないはず。

 大規模冷気塊を生み出し、その極低温を持って凍結させれば―――

 

「そんなッ!」

 

 けれども深雪のニブルヘイムですら、その生み出す極低温の環境ですら、王子には意味をなさない。

 

「はっはっは! 僕に魔法が通じるはずはないだろう! 僕は物語の王子様だよ! 魔女は王子様によって魔法を破られ倒される! それが物語さ!」

 

 物語において王子(主役)が魔女の魔法で倒れることはない。

 それはストーリーを破綻させてしまうからであり、すなわちそういう概念的な存在だからだ。

 魔女(女性の魔法師)では概念的に効果が出せない。

 そして魔法ではなく魔術であったとしても、強大な神秘であるサーヴァントの宝具によって生み出された存在には、生半可な魔術であってはダメージを与えることは難しいだろう。

 メフィスト・フェレスの眷属のデーモンに対して仕込みを行っていた魔術ですら、足止め以上の効果がなかったのだ。仕込みもない今の圭の魔術では到底効果を及ぼしはしないだろう。

 ゆえに圭は遠距離から魔術で牽制代わりにでも攻撃することを却下し、持ってきていた杖に魔術を通して物質強化し、同時に自身の身体にも強化の魔術を駆動させて斬りかかった。

 

「舐められたものだね。魔術師風情の真似ごと剣術が王子に通用するはずがないだろう」

 

 だがそれは当然のごとく王子に受け止められる。

 メルヒェンにおいて、王子が幼少期から剣の鍛錬を積んでいたかどうかは描かれることがないかもしれないが、多くの場合、敵役を倒すのは剣で行われる。

 ゆえにアサシンの宝具によって生み出されたものでも、その特性は剣士(セイバー)のもの。

 

「そうかな? 世の中には王様に剣を教えた宮廷魔術師なんかもいるらしい、よっ!」

 

 ただ圭も知っている。

 かの騎士王を育て上げた魔術師は、魔術を唱えるよりも剣をとって戦う方が手っ取り早いと嘯くようなキャスターだった。

 もとより藤丸の魔術などたかが知れている。

 時間を稼ぐのなら、明らかに通用しない遠距離よりも、多少でも打ち合える接近戦だ。

 しかしその抵抗もまた、この舞台(物語)にあっては余りにも儚いものだった。

 

「邪魔だよ。魔術師」

「がぁあああああ―――――ッッッッ!!!!!!!!」

 

 たった一言。

 それだけで圭は絶叫を上げて倒れた。

 魔術で止痛を施していた傷ではない。

 まるで両足が燃えているかのような灼熱の激痛に、圭は立つこともできずに地に転がった。

 なにが、だとか、どうして、だとか、そんな理由を思考することもできないほどの激痛は、いっそ両足を切り落としてほしいとさえ願ってもおかしくはないほど。

 だがその両足は燃えてはいない。

 王子は地面に転がる圭を嘲笑うかのように見下すと、早々に興味を失ってその横を通り過ぎる。

 

「待、がああああああっっっ!!!!」

 

 王子の歩みを止めるような抵抗は灼熱の痛みの中ではできはしなかった。

 入れ替わりに彼を見下ろすのはアサシンのサーヴァント。

 

「王子様は姫を迎えてハッピーエンドを迎えるもの。そしてそれを邪魔する存在(意地悪継母)は焼けた鉄の靴を履かされ踊るもの。んン。さぁ、お姫様のハッピーエンドを見届けようじゃありませんか!」

「ッッ、~~~~~~~~!!!!」

 

 悲鳴があがった。

 通り過ぎた王子の方に顔を向けると、王子の周囲から出現している茨が四人の少女たちへと襲い掛かり、捕らえていた。

 

 

 

 

 

「きゃぁああああああ!!!!」

 

 抵抗は無論あった。

 雫もほのかも真由美もそれぞれの魔法で迫る茨を吹き飛ばそうとしたし、深雪は植物を凍り付かせる氷結の魔法で殲滅しようとした。

 けれどもそれらの魔法は神秘を切り捨てた物理現象に堕ちたものでしかなく、強大な神秘である宝具による茨に抗することはできなかった。

 

「ははは。悲鳴を上げる必要はないよ。それは君たちを傷つけるものじゃない。(王子様)との出会いを約束する祝福さ。少女はいつだって王子様との出会いを夢見るものだろう?」

 

 少女たちの四肢が眠りの茨によって絡み取られ、飲み込まれていく。

 

「くっ。これ、は……」

「精神干渉系魔法……!? だめ……」

 

 茨に捕らえられた真由美も雫もほのかも、そして深雪ですら抗いがたい誘惑に駆られ始めた。

 眠りの誘惑。

 思考は揺蕩いまとまらず、視界はぼやけて定かにならず、手足の力も感覚も曖昧なものとなって地に足がついているのか、それとも茨によって宙に持ち上げられているのか分からなくなっていく。

 

「さぁ、一番最初に眠るの(茨姫)は誰だい? 僕の可愛い子供を孕むオーロラは!!」

 

 舞台上の役者の如く少女たちの自我喪失を待つのは、“眠りについた姫”を愛する王子の出番。

 

「お兄さま……ッ」

 

 耳に届く不穏な言葉に、深雪は敬愛する兄を切望するが、それでどうにかなるほど茨の眠りは生易しいものではない。

 

「みゆ、…………………」

「ほのか、ぁ…………」

 

 深雪は瞼が落ちそうになるのを懸命にこらえ、最早限界を超えたほのかが脱力して眠りに堕ちた。

 親友の眠りに堕ちた姿に雫が懸命に呼びかけようとするも、その彼女の視界もブラックアウト寸前。

 彼女たちの傍へと眠りをほぐす(ネクロフィリアの)王子が歩み寄ろうと、それに抗う術はなく、全員がその意識を手放し―――

 

「はぁッッ!!!!」

「むっ! デミ・サーヴァント! ランサーは何を!?」

 

 その寸前で茨の壁を破ってきた明日香が少女たちを束縛していた茨の蔦を断ち切った。

 4人の体が解放されて地面に落ち、その衝撃で深雪や真由美は目を覚ました。

 

「ぅ、あす、か……。―――ッッ!!!」

 

 雫も辛うじて意識を取り戻し、けれどもその彼女が見たのは断ち切ったはずの蔦が高速で再生し、今度は明日香を捕らえようとしている光景だった。

 

「くっ! この茨は、ッ」

「だから悪手だ、つったろ?」

 

 片手で剣を振り抜いた直後の右腕がまず絡めとられた。すぐさまそれを引き戻して茨を引き剥がそうとするも茨の蔦は凄まじい勢いで腕を上っていき、さらには足元からも脚を絡めとる。

 遅れてやってきたランサーの言う通り、“直感”のスキルは勝利に導く最善の手段を手繰り寄せるものであり、その直感よりも少女たちを救おうと動いたことで、明日香の勝利は遠のき、危地へと踏み込んだ。

 単なる茨との力比べではない。茨からは触れたところから眠りに誘う毒の効果が明日香の体と脳を蝕もうとしてきており、明日香は対魔力を全開にしてそれを防がなければならなかった。 

 

「んン。さすがはあの英霊の霊基を宿す紛い物。なかなかの対魔力です」

 

 だがそれゆえに茨を引きちぎることに全魔力を回せない。

 一手遅れたことでどんどんと茨が明日香の体を覆っていき、眠りの毒は勢いを増していく。

 

「まったく、邪魔はしないでいただきたいですね。これは王子とプリンセスが結ばれる物語ですよ? 怪物を宿す野獣は冬の庭ですら死すべきものなのですから」

「くっ」

 

 描かれた結末に向かう物語は止められない。

 アサシンが執筆しているこの物語において、プリンセスたちの活動の時間はもう終わり、あとは別の人物たちにスポットライトがあたる時間なのだ。

 それはデミ・サーヴァント(怪物)の時間などでは決してない。

 一つは王子の活躍。

 姫が眠りつき、王子がそこに立ち会ったとなれば、行われることは一つであり、それでこそ姫はハッピーエンドを迎えるのだから。

 そしてそれとは別に、裏に潜ませるもう一つの結末。

 

「それにこの物語が与える教訓とは因果応報。例え悪に対してであっても、殺戮などという手段をとった魔法使いが絶望する物語なのですから」

 

 王子と姫が結ばれてハッピーエンド。それも一つの結末の在り方だが、“彼が収集した”物語はそれだけでは終わらない。

 物語において悲と喜とはともに在るべきものだというのが彼の物語なのだから。

 

「おいおい、それはどういうことだ。アサシンよぉ。ちょっと気になることを言ってねぇか?」

 

 だが物語の収集家であるアサシンの価値観と決闘卿であるランサーの価値観とは別の物であり、仲間であっても齟齬はあった。

 

「んン! おや、ランサー。困りますねぇ。彼をしっかりと抑えていただかないと。悪党どもを成敗した魔法使いが哀れにも姫の無残を見るシーンが台無しになってしまうじゃありませんか」

 

 彼らはサーヴァントとしてのではなく、あくまでも現世における金を介した契約のもと、と、ある者たちと関係を結んでいる。

 そこに魔力の供給はなく、通常のサーヴァントのような――令呪による縛りやパスはない。ゆえにランサーは気づかなかった。

 ここから遠く離れた場所で、雇用契約を結んだ主たちが死体すらも残さずにこの世から消えてしまっていたということに。

 

「アサシン。テメェまさか!」

 

 物語の収集家であるこのアサシンはそれを察知していた。というよりも、予定していたのだろう。

 

「んン。ええ、ランサー。貴方のパトロンは残念ながら業に塗れた死を迎えたのですよ」

「テメェ……」

 

 香港系国際シンジケート、無頭竜(ノーヘッド・ドラゴン)

 それが彼らが――ランサーが金で、そしてアサシンが物語の提供者として契約した者たちの組織。

 その中でも日本支部の幹部として存在していた彼ら自身はこの九校戦を賭けの対象とした胴元だった。

 だがノルマ達成のための強引な賭けの開催とオッズの設定、一高の一部生徒による下馬評以上の快進撃によって彼らは大敗を余儀なくされ、強引な介入と大規模殺戮によるうやむやを図ろうとした。

 そのいずれもがとある生徒(司波達也)その関係者(国防軍)とによって防がれてしまったのだが、その過程で彼らはアンタッチャブル(達也の逆鱗)に触れてしまった。結果、彼らは僅かな鬼火を残し、それも数秒ももたずにこの世から消えてしまった。

 だがそれらはアサシンにとって物語の一部。

 彼が収集する死の物語のほんの一幕。

 

「彼らはこの祭りを呪った! 己が欲望の、金の、栄誉の、保身のために、子供たちの未来を奪わんとした! ならば物語の主役に因果応報! 報いを受けて殺戮されるは教訓ある物語だ!」

 

 人を呪わば穴二つ。

 彼らが凄惨かどうかは知らないが殺害されることは物語として当然の“過程”。

 

「だがまだだ。まだ物語には続きがある」

 

 そう、“穴二つ”。

 

「悪党に報いを与えることを望んだ主人公もまた、悲劇を身に浴びるからこそ、教訓はより悲劇的に、残酷に、明確に子供たちに明示される!」

 

 子供たちに悪災をまき散らそうとして殺戮を受けたのだとしても、その殺戮者もまた殺害の咎を受けなければならない。

 それでなくては因果は巡らない。

 人を殺しては、呪ってはいけないということを刻み付ける教訓として未完成になってしまう。

 

「そう。彼が殺戮へと赴いた間に、彼が守らんと望んだはずの者たちが殺戮される。だが幸いにして姫は通りすがりの王子と恋に堕ち、彼の子を身篭り孕む」

 

 だから、殺戮者(司波達也)の居場所、最も大切な者(司波深雪)は、達也から失わなければならない。

 彼とは無関係な誰か(王子)によって孕まされ、奪われるという結末をもって。

 

 ある物語において、おばあさんの言いつけを守らなかった少女(赤ずきん)はおばあさん“の”干し肉を食べさせられた挙句、狼に食い殺されてしまう。

 ある物語において、継母の嫉妬を買った少女(白雪姫)は、毒を盛られて殺されて、ネクロフィリア(屍体愛好家)の王子に睡姦を受けて蘇生される。

 それらはハッピーエンドか?

 狼は猟師に殺され腸を引き裂かれる。

 王子と姫は結ばれて子をなすことになる。

 それは物語として一つの結末。

 王子と姫が結ばれたのであれば、それはハッピーエンドと言えるのかもしれない。

 あるいは――――――

 

「そう。まさに茨姫(オーロラ)のように! 髪長姫(ラプンツェル)のように!」

 

 睡姦されて孕まされた少女(オーロラ)通りがかりの王子に孕まされた少女(ラプンツェル)のように。

 物語においては王子と子と共に暮らす事となったプリンセスたちは、あたかもハッピーエンドであるかのように紡がれている。

 

「――!!  茨姫(オーロラ)に、髪長姫(ラプンツェル)。そうか、君の真名、宝具は―――」

 

 茨姫(オーロラ)髪長姫(ラプンツェル)

 それらは世界的に有名な童話のヒロイン。

 幾つもの出典、派生の物語を持ち、長く口伝として語り継がれていたそれらの説話は、けれども一つの童話集として形になって広く世界に知られるようになった。

 聖書に並ぶと言われるほどに広く読まれたその童話集は、多くの芸術家や魔術師にすら霊感という名のインスピレーションを与えたといわれるフォークロア。

 数多の伝承、説話、物語を収集した兄弟。

 

「――グリム童話か!!」

 

 ヤーコプとヴィルヘルムという二人の兄弟によって収集され、編纂された物語(メルヒェン集)

 ただ―――グリム童話の作者は兄弟ではあるが、アサシンは一人。――――兄であるのか、弟であるのか。

 いずれかは分からなくとも、手の内は大きく絞られた。

 

 剣を持つ王子様。人を襲う植物。笛を吹いて子供たちを誘う(ハーメルンの笛吹き)男。アサシンの宝具とは、すなわち物語の登場人物の再現。グリム童話の舞台の再演に他ならない。

 

 敵の真名を看破したことは大きなプラスだ。

 グリム兄弟のいずれかであるのならば、それは文系サーヴァント。戦闘タイプではないのは明らかで、年代的にも19世紀前後と纏う神秘は決して強大でもない。

 

 だが状況の不利を覆すには至らない。

 アサシン(グリム)が戦闘タイプではないにしても、ランサーがいるのだ。そしてさらにはアサシンの宝具(グリム童話)によって召喚された物語の登場人物(エネミー)も。

 

「まあいいさ。雇い主が先にくたばっちまうのもまた戦場じゃよくあることだ。要は金づるが尽きなきゃいいだけ。お前さんらの価値はどれくらいだ? フェーデでたんまり俺の金を返してもらえばいいんだよ!!」

 

 雇用関係は台無しにはなれども、この戦い自体はランサーにとって優位。ならば切り上げる理由はない。

 趣味と命令によって無頭竜(ノーヘッド・ドラゴン)の連中に肩入れをしたが、本来的に彼らは明日香たちの敵なのだ。

 ()()()()()()としても、ここでカルデアのデミ・サーヴァントを消滅させてしまうことは願ったりだろう。

 戦闘はまだ終わってはいない。

 たとえ敵の騎士が婦女子を守るために罠に飛び込み四肢を拘束されたとしても、誇り高い騎士ではなく、富をのみ求める盗賊騎士、傭兵騎士でゲッツ(ランサー)にしてみれば、絶好の好機でしかない。

 ランサーは槍を一転、茨に捕らえられて動きが制限されている明日香へと切り掛かった。

 

「ッッ!!!」

 

 両脚には茨の棘が食い込み、蔦が絡み、剣を持つ右手にも巻き付いている。

 茨が及ぼす睡魔に抗うための対魔力としてフル稼働している状態では、身体強化に魔力を割いて引きちぎることもできない。

 それをした瞬間、明日香は抗い難い睡魔に囚われ、集中が乱れればさらに、の悪循環へと陥るだろう。

 

「…………ほう。籠手で防ぐ、か」

 

 迫るランサーの槍に対して、明日香ができたのは唯一拘束の甘い左腕で防ぐこと。

 無論剣を持ち代えるだけの隙はなく、腕につけられた籠手で防ぐのが精いっぱいであった。

 ただの籠手ではなく、魔力で編まれた霊衣、武装の一つだ。

 生半可な武器と使い手であれば、刺突の一つを防ぐは容易いが、相手は決闘卿のランサー。

 

「ぐっ」

 

 槍の穂先が徐々に籠手を貫きはじめ、亀裂が広がっていく。

 なにより、この場にはランサーとの一対一ではないのだ。

 

「さて、それではこちらの幕はそろそろ下ろさせていただくとしましょうか」

 

 アサシン(グリム)が手に持つ本が今また新たな物語を開幕する。 

 

「ロストページ。隠匿された物語をお見せしよう」

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

 隠匿された物語―――消された童話。

 世に知られるグリム童話だが、その物語は兄弟が初版を発行した当初からいくつかの改変と削除が行われた過去を持つ。

 その多くは、グリム兄弟の内でも弟であるヴィルヘルム・グリムが担ったと言われている。

 本来のグリム童話の、その原点となる説話は土着の民謡やメルヒェンとして埋もれつつあった口承の物語であり、童話というには子供に向かれた内容ではない――粗野な文章のもの、残酷な結末のもの、凄惨な事件をもとにした物語も含まれていた。

 ヴィルヘルムは兄弟で出版したその童話集の、あまりにも救いのない残虐な内容に関する内容を改変し、場合によっては物語ごと消してしまった。

 兄弟の共同作業であったはずの物語の収集と童話の作成だが、その編集作業、当時の道徳観や価値観に合わせて行っていた作業の過程から、それらが合わなかった兄・ヤーコプは次第に手を引いていった。

 だが残酷な結末が故、凄惨な展開が故、それでこそ物語は読者・聴衆に対して歴然たる教訓を齎すのだ。

 だがその残酷さを否定するための変遷は他でもない共同執筆者、(ヴィルヘルム)の手によって主動されて行われた。

 そしてその変遷が故に、グリム童話は後代においてその内容の推測、邪推が数多行われている。

 その推測の中には作者であり、収集家であった兄弟の、特に消された残虐な物語を集めていた(ヤーコプ)の人間性が無辜なる怪物となってしまうほどに悍ましいものも多い。

 神秘は信仰する者が多く、それでいてその真理を知らぬ者が少ないほどに強固なものとなる。

 なればこそ、遠い過去に成立し、数多の邪推によって塗固され続けてしまいながら読まれ続けた物語は、在り方が歪められてしまってサーヴァントとして成立するほどに強固な怪物になってしまったのだろう。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

「さぁ、物語の舞台は整った! ローランドの恋人(継母を殺した魔女の娘)よ! 踊り狂って茨で死ね!! デミ・サーヴァント!!」

「―――――ッッ!!!!」

 

 昔々、あるところにある魔女が娘たちと住んでいた。

 一人は魔女の実娘、もう一人は継娘。

 ある時、とある願いから母親である魔女は継娘への殺意を抱き、ある夜にそれを実行に移した。

 けれども継娘はその殺意を知って、一計を案じ、魔女に実娘を殺害させて、家から逃げ出し恋人ローランドの所へ行ってしまう。

 そしてその逃亡劇の中で、継娘は追ってくる魔女を罠にかけた。

 自らを美しい花に変え(囮の娘を用意して)、茨の茂みに立たせ、ローランドをバイオリン弾きにした。

 やってきた魔女が花の美しさに見惚れて目的を忘れ、バイオリン弾きに花を手折っていいかと尋ねた。

 美しい花。

 それを手折る姿はあたかも一枚の絵画のように美しく、ならば相応しい音色を奏でて彩ろうとローランドは言った。

 茨の茂みに入った魔女は、継娘の魔法によって造られたバイオリンを弾き、魔女に踊りの魔法をかけた。

 茨の茂みの中で踊りの呪詛を受けた魔女は、自らの意志とは無関係に踊りはじめ、バイオリンのリズムが速くなればなるほど、激しく飛び跳ねる様に踊り続けた。

 その肌が茨に傷つき、裂かれ、血が飛び散り、瞳に刺さり、腸が引き裂かれても踊り狂い続けた。

 やがて魔女は倒れ、ローランドと継娘は国に帰った。 

 

 

 

 

 

 茨に飛び込んだ魔術師(怪物)が相手であるのなら、それを殺すは魔女の娘。

 

「茨の睡魔に抗した状態で、魔女を呪い殺した呪詛に抗し切れますかな!」

 

 茨から流し込まれる睡魔の呪詛とランサーの槍。二つに対して魔力と身体機能をフルに循環させて、それでも押し込まれつつある状況。

 そこに呪詛が上乗せされれば到底抗しきれない。

 

 継母を殺した魔女の娘(ローランドの恋人)を召喚するための魔法陣が明日香の足元に光り輝く。

 

 魔法師の少女たちはまだ睡魔から完全に抜け出しきれておらず朦朧としており、圭は継母を処刑する焼鉄の靴の魔法によって瀕死の状態。

 この状況では明日香の切り札を開放するには条件が整っていない。

 すべての状況が、明日香に絶対の死を齎すものとなっており、――――魔法陣からそれが現れた。

 

「!!!!」「なにっ!!!」

 

 喚び出されたはずの存在はローランドの恋人であり、魔女の娘であるはずだった。

 グリム童話の消された物語に描かれていた魔女を殺した娘。

 

 ―――――けれども現れたそれは、馬上槍(ランス)を振るい、ランサーへと斬りかかり、退けた。

 

「なんだ!? 誰だキサマは!!!」

 

 驚きは三騎のサーヴァントに与えられた。

 サーヴァントの中でも白兵戦に強い一騎であるランサーを吹き飛ばしたのだ。

 

「君、は…………」

 

 

 明日香の目の前で翻るは白のマント。裏地は赤く、包む体は華奢で、マントとともに三つ編みの長いピンクの髪も翻る。

 

「う~ん、事情はよく分からないけど、状況はなんとなく分かるかな」

 

 その“サーヴァント”が口を開く。

 快活な少女のようで、戦場であることを気にも留めないかのような明るい声。

 

 実際、そのサーヴァントは本当に事情が分かっていなかった。

 

 とある世界に居続けるには異物となってしまっており、世界を巡る旅の途中でたまたま開いた時空の歪みを見つけ、いつもの如く特に深く考えたりもせずに興味のままに飛び込んだだけだ。 

 そしてなんだか縁の微妙に繋がっているんだか繋がっていないんだか分からないけれど、なんとなく呼ばれたような気がして飛び出してきて、とりあえず女の子たちを守るためにピンチに陥ってそうなヤツが居たから味方しようと決めただけ。

 

「それに誰何されたのならば応えよう! 遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ!」

 

 それは自らを秘するはずの戦場にあって、名乗りを上げた。

 

「我が名はシャルルマーニュが十二勇士アストルフォ! 義理とかなにもないけれど、一手お相手仕る!」

 

 異聞(apocrypha)の大戦をくぐり抜けた奇跡の英雄――――アストルフォが、この世界に降り立った瞬間だった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13話

 彼はとある願望機(聖杯)を巡る戦いのために召喚され、その大戦を生き残った。

 英霊を召喚し、過去の英雄同士による戦い。

 冬木の大聖杯を強奪し、そして2つの陣営によって争い始められた聖杯大戦。

 きっかけにおける(冬木の)聖杯戦争と同じく、大戦においても召喚された英霊はあらゆる望みが叶う願望機を手にするために召喚された。

 本来、英霊とまで昇華された存在が、人の使役であるサーヴァントになるのにはそれ相応の理由があるものだ。

 第二の生を得て、生前成し得なかったことを成したい。生前の無念を晴らしたい。さらなる戦いに身を投じたい。過去を変えたい。手に入れたいなにかがある。

 ―――――だが、(黒のライダー)が召喚に応じたきっかけは、他の人にとってみれば些細なことで、彼自身も碌に覚えていない。

 

 たぶん理由を聞かれたら、二度目の生なんて面白そうだったからじゃない? とでも答えるだろう。

 彼は深く考えない。

 なにせ彼の物語において、理性が蒸発しているなどと書かれるようなヤツだ。

 彼は世界の全てが好きで、人間が好きで、自分が関わることで何かが変わるかもしれないし何も変わらないかもしれない。そんな世界が大好きだ。

 

 死者であるサーヴァントには寿命がない。

 戦いで霊核を破壊されたり、魔力が切れれば消えてしまうから、魔力を供給してくれるマスターの死や大本のシステムである聖杯がなくなればそれが寿命と言えるかもしれない。

 けれども黒のライダーには死すべき定めのマスターが居なかった。

 マスターはいる。

 彼を召喚したマスターではない。

 ちょっと勘弁してほしい性格をしていたそのマスターは死んでしまった。

 

 だから彼に魔力を供給してくれているのは別のマスター。

 大馬鹿野郎のホムンクルスで、人のことを信じることを決めて、人の願いを奪って彼方に逝ってしまったバカ(大好き)なマスター。

 時の彼方(世界の裏側)に逝ってしまったマスターは、そのために自身の体を邪竜に変えた。

 膨大な魔力を生み出し続ける竜の体と大聖杯。

 二つを持っているマスターの魔力は事実上底なしで、なので黒のライダーに供給されている魔力も尽きることはない。

 勿論、マスターが何らかの原因で死んでしまったり、黒のライダー自身の霊核が破壊されたりすれば死ぬだろう。

 なにせ彼―――アストルフォは弱い英霊だ。

 理性の蒸発したポンコツサーヴァント。

 ただ、英霊でもなければ英霊を倒すことは殆どできないし、時の彼方(世界の裏側)には時間の概念があるのかないのかわかんないようなところだから、きっとマスターは“聖女”が来ることをずっとずぅ~っと待っているのだろう。

 

 だからマスターの代わりに、アストルフォは戦いが終わってから世界を巡ろうと決めた。

 ただ存在するだけではなく、マスターの代わりに人の世に関わり、あらゆるものと関わりあって絡み合って、何が変えられるわけでもないかもしれないけれど、生きる目的を探していこうと決めた。

 今まで通りに、己の赴くままに。

 たとえ失敗しても、間違っても、それでも先の見えないトンネルのような世界を生きていこうと。

 マスターの最後のオーダー通り。

 

 いろいろな国を回った。

 時に歩いて、時に幻馬に乗って(土地の管理者の胃を壊して)

 

 ドイツ、フランス、インド、ギリシャ、イギリス、イタリア。大戦に関わった英雄たちの伝承色濃い地の巡礼。

 道に迷いつつも沢山の国を巡って……たぶんだからだろう。

 世界から“お前そろそろいい加減にしろよ”とでも言われたのかもしれない。

 

 気づいたら彼は世界の漂流者になっていた。

 

 彼ではないアストルフォ(座にある大本)の記録にも、そういった事例があるらしいことはある。

 剪定された事象に咲いた天元の花。獣を刈るために彼方より来る騎士王。

 彼らと同じく世界を流離う漂流者。

 なのだけれど、やっぱり彼はアストルフォだった。

 

 ふと、次元の狭間のどこかで呼ばれた気がした。

 

 ――――Rolandの恋人よ―――と。

 

 それは呼びかけた者にとっては彼のことではなかったのだけれども。

 なんとなく懐かしくなった。

 

 ――「いや、恋人じゃないんだけどなぁ」――

 

 とは、テレテレしながら言うことではないだろう。

 一応、今生の現界にあたって着ている霊衣がどこか可愛らしいものなのは、失恋したローランを慰めるため、という理由をつけているから間違いではないかもしれないが、恋人ではない……はず。

 とりあえず懐かしい名前を聞いた彼は、なんか繋がっていそうな召喚陣を見つけて、そこから出ていこうとしているよくわからないのを押しのけて、別の世界に飛び出した。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 闇を切り裂く黄金の剣と、魔法の馬上槍(ランス)とが激突し、火花を散らす。

 馬なしのライダーの体躯は華奢にも見え、明らかに体躯の異なる王剣の担い手と切り結べるようには見えない。

 だが馬上槍を振るう膂力は紛れもなくサーヴァントのそれで、宝具によって喚び出されたものとはいえ、サーヴァントならざる王子を上回っている。

 

「くそっ! この王子の物語が! 君のような者に阻まれるはずはない!!」

 

 “理不尽”に押されていることに、王子は激昂する。

 彼は物語の主人公。魔女を倒し、婦人を救い、子女を抱く王子様。

 であれば、魔女の娘として召喚された存在を打ち倒せない筈はなく、()()騎士などに負けるはずがない。

 物語の筋道を違う理不尽さ。けれどもそれも当然。

 

「残念! 僕も王子なんだよね、一応」

 

 なぜならば“彼”もまた王子。

 王位継承権など興味ないやと捨ててはしまったけれども、その身は間違いなく王子である。

 であれば、” 王子”としての特性。子女を抱き、魔女を倒すという概念には当てはまらない。

 

 

 

 

「シャルルマーニュの騎士だと! おいおい、どうなってんだこりゃ!?」

 

 あと僅かのところで、明日香の篭手を貫き砕き、その心臓を穿つことができたのに、それは突然現れたサーヴァント、もう1騎のライダーによって阻まれた。

 あれはアサシンが歪曲召喚しただけの存在のはず。

 英霊などではない。ただ物語の筋書き通りの概念しか内包していないはずの役者。

 けれどもあの役者を圧倒し、サーヴァントであるゲッツ(ランサー)の槍を弾き飛ばした力は間違いなくサーヴァントのものだ。

 動揺からランサーはライダーへと視線を、注意を向けてしまった

 その僅かな注意の逸れが、明日香に勝機を齎した。

 

「風よッ!」

「!?」

 

 剣に纏わせていた高密度の風の結界の一部を解除。

 明日香の宝具である不可視の剣だが、それは宝具の本来の姿ではない。

 強大すぎる“彼”の宝具への枷。有名すぎる宝具の姿を隠す鞘。

 可視光線を屈折させて不可視の結界とするほどに高密度の風は、わずかに一部であっても茨の拘束を粉砕するほどに荒れ狂った。

 反応素早く振り向いたランサーだが、その動きは不可視の剣の打ち込みを防ぐものとなった。

 

 ライダー(アストルフォ)アサシン(グリム)ランサー(ゲッツ)セイバー(明日香)

 2騎と2騎。合計4騎による異常の争いが闇の森にて幕を開いていた。

 

 

 

 

「藤丸君! 無事!?」

 

 意識と体の自由を取り戻すことのできた真由美たちは倒れている圭へと駆け寄った。

 あのピンクの髪の()()騎士が現れた時から、睡魔が薄らぎ動くことができるようになったのだ。

 そしてそれは圭も同じ。

 

「っ、くッ…………」

 

  ――グリムの結界の効果が弱まっている……?――

 

 灼熱の痛みはまだ止まってはいない。

 だがなんとか痛覚を遮断することで僅かばかり動くことができる程度には灼熱の鉄靴の効果が薄らいでいた。

 

「どうなっているの。サーヴァントが、もう一騎。あれは……味方なの?」

 

 真由美たちの震える声に、圭も顔を上げて戦況を見た。

 ランサー(鉄腕のゲッツ)と剣を交えつつ、アサシンの動向を睨む明日香。

 そして先ほどまではその戦いに加勢していた王子(エネミー)はピンクの髪のサーヴァント、アストルフォと一騎打ちをしている。

 明日香を利する味方の登場。

 それもこれまで相対する敵としてしか現れなかったサーヴァント、常人を超えた英霊が味方であるかのような動きをしていることは驚きだ。

 たしかに戦況は先ほどまでよりもずっといい。だが―――――

 

「カウンターのサーヴァントが召喚されたのか……ッッ」

「カウンター……?」

 

 だとすればそれは喜ばしいことではない。

 サーヴァントが世界から自然召喚されることなどない。あるとすれば、それは世界が悲鳴を上げているような状況。因果の狂った特異点(時の果て)

 世界が(アストルフォ)を呼んだのだとすれば、もはや明日香と圭だけでは特異点に至ることを止められなかったということに他ならない。

 だが、それでも―――

 

「サーヴァント2騎の今の状態なら――――」

 

 グリムの宝具の効果が弱まっているのはサーヴァント2騎を相手にしだしたことでか、それともアストルフォの宝具の効果によるものか。

 いずれにしてもグリム童話の効力が弱体化し、圭への灼鉄靴の影響が弱まった。そしてこれまでとは違いサーヴァントの数で拮抗したため、アサシンの直接的な注意は圭たちから逸れた。

 

 使うなら今しかない。

 倒れ伏していた圭は、なんとか身を起こして、片膝をついた。

 立ち上がるまでには至らない。

 脚にかけられた灼熱の幻痛は弱まってはいるものの、思考できるほどの意識を保つためには感覚遮断が必要で、立ち上がる程にはまだ使い物にはならない。

 しかも元々負傷していた傷は、魔法での誤魔化しも消えて開き、あるいは肋骨も折れている。

 現実の痛みと幻の痛み。

 片膝つきの状態でも激痛に苛まれる中、圭は懐から一枚のカードを取り出した。

 

「使わせてもらいます」

 

 それはかつての縁を具現化した絆の証。

 紡いだのは彼らではない。

 過去において、数多の英霊たちと絆を深めることのできた人類史上最も偉大なマスターのもの。

 たとえその子であろうとも孫であろうとも、彼らとの縁が継がれることはない。

 だが今この時だけは、縋ることを許してほしい。

 他でもない、この繋がりを持った“彼”を宿す者のために。

 

「王の話をするとしよう!」 

 

 

 

 

 

「ハァッッ!!!」

 

 斬撃は先ほどよりもはるかに鋭く重い。

 

「ちぃっ、魔力放出か! ははっ! 流石は化け物を相手にしてきた英雄サマ! 俺なんぞとは、格が違うってか、っらぁ!!!」

 

 魔力を載せて放たれる明日香の剣戟は通常のサーヴァントとしての膂力を更に押し上げている。

 

 “彼”は伝承において、そして使命において巨獣との戦いを幾度も行ってきた。

 巨獣を狩るための力は、対サーヴァント戦においても相手を圧倒し、ランサーを遥かに凌駕している。その力を今は全開に回している。

 アサシンとランサー、2騎分に回すリソースを今は目の前の敵に傾ける。

 突然現れたアストルフォ(ライダー)が本当に味方として信じていい存在かどうかは分からない。

 今はアサシンと、その宝具であるエネミーと戦ってくれているが、戦いが終わった後、あるいはこの戦いの最中ですら後ろからあの槍で貫かれるかもしれない。

 明確にこちらが召喚し、契約したサーヴァントではないのだから。

 けれどもきっと、あの人なら―――幾つもの時代、世界を救い、人の未来を取り戻すために戦ったあの人ならきっと、信じる。

 藤丸家(カルデア)に残された情報と伝承においてしか明日香はアストルフォを知らない。それにこのアストルフォはおそらく、カルデアにかつて召喚された彼とは別者だ。だから藤丸家とはなんの所縁もない。けれども―――

 生粋のトラブル製造業者にして理性蒸発者。善性に寄り添う奇跡の騎士――――アストルフォ。

 その善性を明日香も、そして圭も信じるしかない。

 しかしランサーも決闘卿として名を馳せた英雄。巧みに槍を用いて剣閃を捌く。魔力放出時のスペック(パラメーター)では明日香の方が上のはずだが、実戦経験値が明日香とは比べ物にならない。

 そして戦闘が長引けば不利になるのは明日香だった。

 彼の魔力容量は人としては破格で、デミ・サーヴァントの器となれたし、その力を幾許かは振るうことができるが、それでも限度はある。しかも今は魔力放出を全開にしている。

 魔力の回転が衰え、デミ・サーヴァントの出力が低下すればあっという間に形勢は逆転される。

 それを明日香もランサーも分かっており、けれども攻めきれなかった。

 まだあと一手が―――――

 

 ――「愛しき月影降り注ぐ、愛の遺せし箱庭よ」――

 

「むっ」

 

 ランサーが気づいた。

 それと同時に明日香も察知していた。

 

「君の物語に祝福を贈ろう。無垢との出会い。汝の求めし光は今ここに!」

 

 片膝立ちで地面に手をつき詠唱している圭。

 その手元には一枚のカード(切り札)

 

 それは詠唱、というよりも“騎士”の物語。

 亡国を救済せんとする亡霊が如き王ではなく、世界を救い、未来を護ることを誓った騎士の物語。

 

 

 宝具――英霊のみが担い手となりうるノウブル・ファンタズムではない。概念の込められた札―――概念礼装。

 

 アサシンとアストルフォも気が付いた。

 人の身に余る奇跡。

 きっかけは別にあるとはいえ、要求されるあまりの魔力に圭の身体の傷を誤魔化していたものが剥がれ落ちる。

 過剰な魔力を通している皮膚が裂け、血管が破裂する。

 けれども詠唱を止めはしない。

 

 彼の騎士王との縁結ぶ絆の証。

 

「概念礼装起動、疑似宝具展開

 

 

 ―――――光手向ける暖かなる君(ガーデン)!!」

 

 それはここではないどこか(別の並行線)での物語。

 

 ―――光に出会った。

 残酷な結末、滅びの物語に嘆き、慟哭した。けれどもそんな過去も礎となって明日へと繋がっていく。

 過去の滅びは決して無駄ではない。

 今を生きる誰かを遺している。

 世界の全てが救われてはいなくとも、救いの国は、救いの光は、明日はきっと近づいているのだと信じられる。

 なぜなら目の前に広がるのは―――母の遺した愛に包まれながら健やかに育ちゆく、きみという愛し子なのだから。

 

 

 世界に花が開き、光が満ちた。

 

「なにッ!!?」

 

 魔の茨は消え、花が咲き満ちる。

 愛しい子供を慈しむかのように優しい月明かりが降り注ぐ。

 

「これは!? 私の仔らよ。残酷なる幻実を見よ(Kinder- und Hausmärchen)の中で物語を紡ぐだと!!?」 

 

 恐訓の物語は温かな物語に。

 悲劇を紡ぐ世界は光満ちるガーデンに。

 

「藤丸君!? 貴方は……これは!?」

 

 世界そのものが書き換わるかのような現実改変は現代魔法の常識に当てはまれば異常。

 自らを花の魔術師と嘯く彼にふさわしい魔術景色の展開。だがその本質を魔法師は知るまい。

 ただ景色が変わっただけではない。“彼”のセイバーとそれに与するものへ加護を与える。

 

「貴様かっ! カルデアの魔術師ッ! 私の物語をッ!!!!」

 

 周囲の世界へと干渉し司っていたアサシンは自身の宝具の内部に異物が存在していることを感じ取り激怒した。

 これは彼が収集した物語ではない。

 自分の物語が他者によって改竄されることは彼にとって禁忌だ。

 無辜の怪物。

 グリム童話は他者によって物語を改竄され、その結果として多くの闇を広げることになったのだから、そんなものを許せるはずがない。

 アサシンの激昂に反応して王子が魔術師へと襲い掛かる。

 

「あっ、こらッ!! そっちはダメ、――――!!」

 

 アストルフォを無視しての突貫。

 ただでさえ負担の大きいこの概念行使を、アサシンの結界型宝具の内部で展開しているのはあまりにも身の丈に合わない魔術行使。

 わずかな時間でこのガーデンは花を散らして消滅するだろう。

 本来の担い手ではないがゆえにこの行使は無理に過ぎる。二度とこの概念を展開することもできなくなるだろう。

 そしてその行使すらも自由自在ではなく、動くこともできない。

 わずか一瞬の勝機のために全霊を賭ける。

 襲い掛かってくる王子(エネミー)をどうすることも圭にはできない。

 地面に縫い付けている概念礼装から手を離すことはできないし、そもそもそれだけの力も最早ない。でも――――

 

「明日香!!!」

 

 呼びかける声の先は、この絆の“彼”ではない。今、その恩恵を受けているのは明日香だ。かつてならば、この歪みは彼を押し潰してしまっただろう。

 けれども今は。

 この世界に生きる人々と縁を繋ぎ、守ろうとしている今の明日香ならば、耐えてくれるはずだ。

 襲い掛かるエネミーは高速で飛来してきた明日香の一刀によって両断された。

 

「ばか、な。この、王子、が…………」

 

 斬撃はさらに鋭く。

 ガーデンの加護を受けた明日香の剣はサーヴァントならぬエネミーに受けられるものではない。

 両断され、消滅していくエネミー(物語の王子)。アサシンはギシリと歯を噛んだ。

 

「まだだ!」 

 

 物語の破綻。

 けれどアサシンの物語(グリム童話)は一つだけではない。

 魔力を回し、宝具によるキャストの再召喚。

 

「物語はいくらでもある。私は―――」

「させないっ!」 

 

 だが物語の再演は叶わない。

 風を伴う魔力放出は瞬間移動じみた速度をもって距離を詰め、アサシンの腕を宝具ごと斬り飛ばした。

 

 物語が消えていく。

 紡がれるはずの物語(宝具)が宙を舞い、放れていく。

 

 

 

 

 

「ちぃっ!!! こいつは仕方ねぇ。ここは退かせてもらうぜ」

 

 明日香がエネミーとアサシンへと向かったのと同時に、その意図を直感で察したアストルフォはランサーと対峙していた。

 その足止め。

 伝承において巨人を倒したほどの逸話を持つアストルフォだが、同時にその功績の多くは彼の持つ魔法の武器(宝具)によるものだとも描かれている。 

 実際、ライダーとして現界している彼は、そのスペック(パラメーター)においては、十全な魔力供給を得ているにも関わらず低く、純粋な槍での戦いではランサーに勝てない。

 けれども明日香(セイバー)がアサシンを倒すまでのわずかな時間であれば十分。

 

「逃げるのかい。自分からフェーデを挑んでおいて?」

 

 戦況ははじめとは逆転。

 すでにアサシンは消滅し、彼が構築していた結界は揺らいで消滅していく。

 2対1での劣勢に立たされたのはランサーの方で、であれば彼にとってはこの戦場に留まる意味はない。

 

「はっ! フェーデってのは負けの目がなくなって初めて指定するもんなんだぜ、シャルルマーニュの騎士様。勝ち目がねぇなら挑まねぇ。これがフェーデで儲ける俺のやり方さ」

 

 彼が戦場、決闘の場(フェーデ)に挑むのは勝つときだけだ。

 正々堂々とした騎士としての戦いなどはいらない。この右腕とともに自分の手から離れていった。

 決闘とは富を生むためのものであり、勝つための状況が整ってから宣言するものであり、その目がないのならば逃げの一手しかない。

 それが彼の“騎士道”。 

 決闘卿、ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの戦いなのだから。

 

 アサシンが消滅したことで、彼の宝具(ハーメルンの笛吹男)によって誘われて囚われた子供たちが解放されつつある。

 この状況ではデミ・サーヴァント(明日香)の高速移動はできない。

 彼は勝利よりも周囲の人間たちの身を案じる。

 障害となる人間たちを蹴散らして駆けてもデミ・サーヴァントである彼の速度は衰えず、魔力放出を伴って駆ければランサーに追いつくことができるだろうが、蹴散らされた人間たちは肉塊になるだろう。

 それに概念礼装を無理矢理起動させた魔術師は力尽きて倒れ、それにより結界も解除されている。

 ランサーの逃走を阻む壁はない。

 

「させるか!」

 

 アストルフォは跳躍した。

 上空からランサーへと一撃を加えるつもりなのだろうが届きはすまい。

 ランサーがこの場を離脱する方が早く―――――しかし、ランサーは視界の端にそれを捉えた。

 大地を踏みしめ、不可視の剣を肩の高さに構える刺突の体勢。

 不可視とはいえ、幾合も打ち合ったことでおおよその間合いは把握している。到底届くはずのない距離。

 

 だがランサーはその口が動くのを見た。

 

「風よ、荒れ狂え」

 

 剣を不可視たらしめている風の瞬時開放―――――風王鉄槌(ストライク・エア)!!!

 風の刺突が、空を抉り裂き、ランサーへと飛来する。

 

「づっっ―――――!!!!」

 

 逃走の体勢から守りの体勢へと。足を止め、風の刺突を槍で受け止めたランサーは、その重い衝撃にうめき声を上げた。

 槍が軋む。支える鉄腕が悲鳴を上げる。

 

「てりゃぁーーー!!!!!」

「―――ッッ!!!」

 

 そこに上空から馬上槍の切っ先を向けて落下してくるライダー。

 風を受け止めているために槍は固定され、その切っ先を受け止めるものはない。

 

「がはっっっ!!!!!」

 

 槍はランサーの肩口から突き刺さり、霊核を砕いた。

 致命の一撃を受けたランサーの顔は、自身が消滅することを信じがたいものとして驚愕し、けれども結末は変わらない。

 

「くそが……。この俺が、くそっ」

 

 悪態をつきながら、ランサーが消滅していく。

 

 アサシンとランサー。

 一騎のサーヴァントの登場と共に二騎のサーヴァントが打倒されたのだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14話

 九校戦も大詰め、最終日となった。既に多くの競技は終了しており、今年の優勝校も確定している。

 それでも最終日の競技、男子モノリス・コードの本戦は目玉競技の一つであり、特に今年は十師族の直系、十文字克人の最後の出場年度であり、客席は満員。

 会場に来ている屋台やキッチンカーなどのイベント関連ショップも健在だ。

 

「ふんふんふ~ん♪ あーんむ。んん~~!」

 

 ケバブやカレー、バーガーなど各国の料理などが賑わいを見せており、ピンク髪の“少女”、の装いをしたサーヴァントがアイスを口に運んで満面の笑みを浮かべていた。

 カラフルな色合いのフレーバーが5段ほど盛られており、どれもがその形を崩してしまうのがもったいないほど可愛らしい。

 けれどもアイスは食べてこそ。

 口の中で溶けるアイスと果実の味わい。

 瞳から星でも飛び出そうなほどにおいしいと表現しており、ぴこぴこと両脚を動かしている。

 

 サーヴァント――― ライダー(アストルフォ)がここに来るまでに召喚されていたのは今からおよそ百年前。ただし中世の街並みが保存されていることで有名なトゥリファスだったため、(もちろんそれはそれで大いに楽しんだが)現代の日本で女子に大人気のナインティワンの九校戦会場限定フレーバーは彼の好みに非常に合致した。

 

「大丈夫、明日香?」

「ああ。問題ないよ……うん。問題ない……はぁ……」

 

 一方でその隣で些かぐったりとしているのは普段はきりっとしていて、疲れを露わにした姿の珍しい明日香。

 彼が疲弊しているのは昨晩のサーヴァントとの戦いが尾を引いているからではないかと、雫は心配そうに覗き込むが、疲弊の原因はそれとは別にある。

 すなわち身体的ではなく精神的な疲弊。

 現界してから一日で早速周囲(明日香と圭)を振り回し始めているライダーの自由奔放さにだ。

 ここに来るまでの間にもライダーは、パフェに始まりケーキにティラミス、フルーツ盛り合わせ、クレープ、ポップコーン、ぜんざい、プリンにマシュマロついでにマカロンと、目につくスイーツショップに次から次へと飛び込んで堪能している。

 ちなみにそのお代は全て明日香が支払っており、それはそれで頭の痛い問題だが、それよりも気になっているのは……

 

「そもそも君は騎士だろう。その恰好はどうなんだ?」

「うん? なにが?」

 

 アストルフォの装いだ。

 当然ながら、現界した時に纏っていた軽装の騎士鎧とミニスカートに白いマントでは、この九校戦会場でもうろつくには悪目立ちが過ぎる。

 そのため今は別の服装(霊衣)に着替えているのだが、それも現代のファッションセンスからすると些か目立つ。

 紫色のパーカーに丈の短めな白紫のストライプのシャツの裾からはつるりとしたお腹とおへそがむき出しになっている。黒のミニスカートの下にこそタイツを穿いて生肌の露出を控えてはいるが、他の多くの生徒たちが制服姿であることに比べると(選手ではなく応援のために来ているエリカや美月たちも制服だ)、かなりTPOに合っていないと言えるだろう。

 加えて言うならば、ライダーは登場初っ端に自己紹介がてら自らの真名を暴露しており、その真名をアストルフォ、シャルルマーニュ英雄譚に名高き十二勇士の一人―― つまりは騎士なのだ。

 

君のところの王様(シャルルマーニュ)は自分の騎士がそういう恰好をしていてなにか言わないのかい?」

 

 同じ、ではないが、騎士である“彼”の霊基を宿し、その影響を強く受けている明日香からすると、ライダーの装いは明らかにおかしい。

 なにがおかしいかというと、その指摘の意味を周囲があまり理解できていなそうなことが一層明日香を疲弊させる。

 

「別に服は着てるし……。うん、おかしなところはないじゃん」

「…………」

 

 そしてやはりというか、アストルフォにはそんな明日香の思いは通じてくれない。

 

「う~ん……あっ! どっかで会った(現界した)時に、たしか似合ってるって褒めてくれたよ♪」

「………………」

「これはその時のとは別で前に居たところで選んだやつなんだけど、可愛いだろ~。ほらほら、フードがウサミミなんだぜ! かわいいでしょ、ウサギ! ぴょんぴょーんって!」

 

 フードを被るとたしかにそこには紫色の可愛らしいウサミミが装着されている。

 フードと言えば明日香の霊衣にもついてはいるが、その用途は明らかに、というよりも絶対に違うと思いたい。

 

 アストルフォの行動が周囲の注目を集めるだけで、そしてそのどれもが「多少TPOにあってはいないが似合っているからまぁいっか」といったものであるだけに、明日香は一層の精神的疲労を感じただけで終わった。

 ちなみに、ここにはこの精神的疲労を共有してくれる圭はいない。

 先日の負傷が昨夜の戦いで悪化したから、というわけではなく、今頃圭の方は圭の方で魔法師のお偉方と会談を行って神経をすり減らしていることだろうからだ。

 

 

 

 

 アサシンとランサーの討伐。

 それはこの九校戦における一連の妨害工作の一つでもあった。

 初日と、そして9日目に達也が捕らえた侵入者と運営スタッフ(内通者)を尋問した結果、あの魔法師ならざる人外の存在も、彼らの関係者であることが分かった。

 魔法師誘拐事件の悪夢再び。

 前夜に人知れず騒動が起こったそれは、確かに大問題ではあった。

 だが最終日のモノリス・コードの出場選手に影響を及ぼすことはなかったため、競技はそのまま行われることとなった。

 運営役員の不正や妨害工作、犯罪組織の関与など、既に幾つもの騒動が明らかになっていた以上、表面上特に影響のなかった昨夜の事件を受けて競技が中止されるなどということは運営委員の面子にかけてないだろう。

 もっとも、十師族など一部の上層部でしか知られていないサーヴァントが関与しているということは、魔法師界の重鎮たちにとっては大きな問題で、魔法師たちの問題に魔術師が関与したのか、それとも魔術師同士の抗争に魔法師が巻き込まれたのかは大きな違いだ。

 

 そのための訊問、もしくは口裏合わせ、もしくは情報収集その他。

 どのような形に圭が落としどころを設定しているのかは明日香には分からないが、サーヴァントのこと、英霊のこと、魔術師のこと、そして魔法師ですら倒せないサーヴァントを打倒することのできる明日香(デミ・サーヴァント)のこと。隠しきれない情報の幾つかを提供することはやむを得まい。

 既に幾度か見せていることから深雪や雫たちにも明かすことになるだろうし、十師族の直系であるのだから真由美や克人たちに情報が開示されることもやむを得ないだろう。

 

 ただ、情報も大事だが、神秘を捨てた魔法師には、神秘の塊であるサーヴァントをどうこうすることはできないだろうから、情報よりもむしろどこにも属していないはぐれサーヴァントとしてこの世界に転がり出てきた黒のライダー(アストルフォ)の方が重要だ。

 魔法師たちはライダーを調べれば、今まで後手に回っていたことや失われた技術・知識について何かが手に入ると当然考えるだろう。それは今、魔法師と呼ばれている彼らがかつて魔術(神秘)を駆逐していったことに似ている。

 それがなにかを知らず、だからこそ知ることを望み、失うための手を伸ばす。とはいえ、今回は魔法師たちにとって堂々たる手掛かりである魔術師が目の前にいるのだ。多少なりとも選択肢はあるだろう。

 

 初めは明日香とアストルフォも魔術師と魔法師のお偉方との話し合いに同席していたのだが、なにせアストルフォだ(理性が蒸発している)

 魔法師たちにとってみれば是非とも手に入れて囲いたい実験材料でもあるアストルフォだが、その帰趨はアストルフォ自身の

 

 ――「ん~、僕のマスターとなんとなく似てるから君のところでいいや」――

 

 の一言で決定した。

 魔法師たちは最上級の使い魔だというライダーを懐柔しようとしていたし、マスターがいる(はぐれサーヴァントではない)ということに圭もかなり慌てていたが、宣言するやアストルフォは席を立った。

 サーヴァントはそもそも通常の物理攻撃が効かず、神秘のない魔法は物理現象と変わらない。さらに言えばサーヴァントとしてのアストルフォの対魔力は明日香にも匹敵するのだから、魔術も当然通用しない。

 当然ながら、英霊であるアストルフォの膂力に対して常人が腕力に訴えかけてどうにかできるものでもなく、つまりアストルフォをどうにかできる見込みがあるのは明日香だけだった。

 そのためアストルフォの監視というか監督というか手綱を握る役目は明日香にしかできず、アストルフォという英霊のことを知っている明日香や圭にしてみれば、アストルフォを野放しにすることは、未来視の力がまだ戻っていなくとも、トラブル乱立の未来しかない。

 ということで明日香はアストルフォのお守りとなり、圭は魔法師たちと話し合いを行っている。

 圭の体については魔法治療を再度施行してもらったため、絶対安静とまではいかないが、負傷は決して軽くはない。ただ魔法師としても強硬手段をとって圭を害そうとするほど厚顔でもなければ無謀でもないだろう。その点で圭の身の安全は特に心配はしていなかった。

 それよりも明日香が懸念しているのは…………

 

「さてと」

 

 魔術師との話し合いの方に思考を偏らせていた明日香だが、隣でナインティワンのアイスなどのスイーツに没頭して大人しくしていたアストルフォが行動を開始したことで意識をこちらに戻さざるを得なかった。

 

「それじゃあ、僕は次のお店を探しに行ってくるね」

 

 口元についたアイスの欠片をぺろりと舌で舐めとって宣言したアストルフォに、雫たちが「エッ!?」と驚いた。

 前日までにも大いに盛り上がる競技・試合が繰り広げられていたが、今日のこの締めの競技はまた別格だ。

 華やかさのあるミラージ・バッドなどとは違い、より実戦的な試合であり出場するのは十文字克人。軍関係者も他校生も大いに注目の試合だ。

 モノリス・コードのフリークである雫などは瞠目しており信じられないと言わんばかりだ。

 

「試合を見ないのですか?」

「え~だって、あんまり面白そうじゃないし」

 

 尋ねる深雪への返答も、彼女たちの価値観からするとまったく理解不明であった。

 しかし明日香は分からなくもないのか、それともアストルフォの突飛な行動に諦めが入っているのか、付き合うようで席を立った。

 

「面白くなさそう、ですか?」

「なんか勝ち負けが決まってそうな感じなんだもん。弱い者いじめは見るのもするのも気分よくないから」

 

 アストルフォは勿論魔法師の技量や実力を知っているわけではない。ただなんとなくだが、周りにいる観客も、出ている選手たちですらも、もう既に圧倒的な力の差があることを理解しており、その差をひっくり返すことを無理だと思っているのが分かる。

 如何にして恥にならない程度に善戦するか。

 戦う前から力では敵わないと知らしめる圧倒的な勝ち方ができるか。

 それを、あるいはそれほどの実力者の戦い方を楽しみにしていることを否定はしないが、自分がわざわざそれを観ようとも思わない。

 それよりもこの現代には楽しくて見るところがたくさんありそうだから。

 

 明日香としては、それも分かるが何よりもアストルフォを一人にしておく方が危険なので仕方なくアストルフォに合わせて席を立った。

 隣に座っていた雫から少し責めるような視線を向けられて、明日香は軽く肩を竦めた。

 

 

 

 

 

 

 雫たちのもの言いたげな視線を背に、観客席を後にした明日香は、相変わらずショッピングを気ままに楽しむアストルフォに付き添っていた。

 今はキッチンカーを覗きこんでケバブを注文しており、受け取ったそれにおいしそうにかぶりついている。

 そんなアストルフォにも問わねばならないことがあった。

 

「一応聞いておきたいんだが」

「あむ?」

「君のマスターについてだ」

「んぐんぐ」

 

 ケバブにかじりつきながらでは些かならず締まらない絵面だが、締まりそうなタイミングが見当たらないために仕方がない。

 ケバブを頬いっぱいにため込んで咀嚼しながらだが、話を聞く気はありそうなので明日香はそのまま話を続けた。

 彼が明日香と圭と行動を共にすると決めた理由について。

 明日香が、彼のマスターに似ているということについてだ。

 

「世界を漂流して召喚された君にマスターがいるはずはない」

 

 アストルフォは世界の漂流者だ。

 勿論この世界にもアストルフォという名の英雄の伝承・物語はあるが、サーヴァントとして確立している“この”アストルフォと縁を繋いだマスターが居るはずがない。

 

「なのに君は正式に契約の縛りがあるサーヴァントだ。十分な魔力の供給と確かな楔をもって現界している。それに君のマスターが僕に似ているというのはどういうことだ?」

「う~ん、そうして聞くと疑問だらけだねぇ」

 

 マスターが明日香に似ているとはどういう意味なのか。

 ただ単に顔が、雰囲気が似ているだけでこの気ままな英霊が行動に縛りをつけるはずがない。

 それが分かるくらいにはアストルフォという英霊についての知識はあった。

 つまりアストルフォは―――――

 

「マスターはいるよ。世界の裏側に行っちゃってもう会えないけど。それでも僕は彼のサーヴァントだ。彼の残した最後のオーダー、人の世界に関わり続けるって、決めたから」

「世界の裏側に行った?」

 

「うん。君と同じ。竜の力を持って、サーヴァントになることのできた、すっごいバカなやつだよ」

「―――!」

 

 明日香たちがアストルフォという英霊についてを知っているように、アストルフォは明日香の中に宿る霊基に当たりをつけていた。

 感の良さ。

 それに加えてアストルフォは明日香の中に“彼”と“同郷”の騎士にして王子であり、何よりも、彼のマスターは明日香の中にある“彼”と同様に竜の因子を持っている。

 そしてマスターと同じように、自分のことよりも世界を、世界に生きる人々を守ろうとする。

 

「君はこの世界を救うために戦うんだろ? なら僕もそれに力を貸す。よろしくね。僕の大先輩さん」

 

 だからアストルフォはこの世界にも関わろう。

 マスターが夢見る世界を、信じる人々を守るために。

 

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

 魔法師たちと魔術師とのモニター会議が終わり、四葉真夜は腰掛けていた椅子に深く沈みこみ、可憐な口元に手を当てた。

 思い返すのは先ほどのモニター会議の内容。

 九校戦会場となっているホテルの一室で行われたその会議にはこれまで十文字家と七草家のみとだけ辛うじて交流のあった魔術師・藤丸が出ていた。

 本来であれば十師族の会議は顔を突き合わせるのであるが、今回は相手が現在開催中の九校戦に出場している学生であるから呼びつけるわけにはいかず、急なことだったので十師族の総領たちが集うこともできなかったために、モニターでの緊急会議となってしまった。

 議題であったのは、一つは国外からの魔法師に対する脅威。今回の九校戦に妨害工作を行ってきていた香港系国際犯罪シンジケート、無頭竜のこと。

 そちらは主に九島家の前当主であり、会場に居合わせた九島烈が取り調べを行ったと報告がなされた。 

 むしろ本題は、またも脅威を示したサーヴァントなる存在。

 

「よろしかったのですか、奥様」

 

 声をかけたのは執事である葉山。会議への参加者は相手が相手だけに十師族の当主か、もしくは現在モノリス・コードに参加している十文字家の代理、そしてその場に居た七草真由美だけだ。

 だが幸いにもモニター会議であったことから会議の内容を聞くことはできた。

 

「達也殿からの報告では、魔法と魔術とは別物。純粋な干渉強度や干渉規模においては現時点ですべてではなくとも劣ってはいない。ですが魔術師・藤丸の言う通り、神秘なるものがサーヴァントとの戦いに必要であるのだとしたら、現れたサーヴァント、もしくはデミ・サーヴァントの開発は取り組むべきでは」

 

 サーヴァント。

 過去の英霊をクラスという枠に当てはめて召喚する魔術。

 

 デミ・サーヴァント。

 サーヴァントの霊基を憑依させてその力を奮う魔術。

 

 魔法でも死者の声を聞く、というようなことは死体に宿るプシオンなどを塑追することで疑似的には再現できる魔法師もいるにはいる。

 けれどもそれは無系統の魔法。精神干渉系に属するもので、それにしてもせいぜいが数日から長くとも数週間が限度だ。

 時間が経てば経つほどに情報は薄れていき、得られる声は掠れて消えていく。

 だが魔術では、年単位どころか何百年も前の死した者たちが肉体を持って戦うことができるという。

 

 クリストファー・コロンブス、メフィスト・フェレス、ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン、ヤーコプ・グリム。

 どれほどの過去を遡れるのかは分からないが、だからこそ強大な力であり兵器であるサーヴァントは脅威的で、翻ってそれは魅力的であった。 

 

「そうね。欲を言えば一体くらいは欲しかったところだけれど…………」

 

 これまでサーヴァントは敵であった。

 十師族の係累、あるいは直系の魔法師ですらも凌駕して寄せ付けない生きた兵器。

 

 だが今回、本人曰くのところ、「なんか転がり落ちてきた」というサーヴァント。

 シャルルマーニュ英雄譚にその名を刻むパラディン(聖騎士)―――― アストルフォ。

 彼はなんとこれまでのサーヴァントとは違い、日本の魔法師を守るために戦った。デミ・サーヴァントであるという獅子劫明日香や魔術師・藤丸圭と共に。

 

 正直なところ、サーヴァントよりもデミ・サーヴァントを()()した技術の方が欲しい。

 アストルフォだけでなく、かつてのキャスター(メフィスト)アサシン(グリム)の行動を見る限り、サーヴァントは魔法師にとって忠実な兵器にはなり得ない。

 それもそうだろう。

 軍事力として期待されている魔法師であっても自由意志があるのだ。

 それがかつて英雄とまで呼ばれた偉人であれば、なおさらに我がある。

 それよりも、ただの人間、魔法師(魔術師)にサーヴァントの力を宿すことができるのであればその方が遥かに使い勝手がいい。

 問題があるとすれば、今を生きる人間に別の人物の霊を宿すなどということの技術的な、そして人道的な問題だ。

 魔術で可能なものがどれだけ魔法でも可能なのかは分かっていない。そもそも“神秘”などというものからして曖昧模糊としているのだ。現代魔法の理論の根幹であるサイオンやプシオンですら明確に解明されたとは言い難い。

 加えて過去の霊を宿された人間の人格や存在がどうなるのかも分からないのだ。

 そう。

 獅子劫明日香という魔術師は、本当に生まれながらの彼なのか、それとも埋め込まれた何処かの英霊のものなのか、それとも全く別物なのか、分からないのだ。

 なぜそのようなことをと魔術師を咎めることはできた。

 けれどもそれを求めるのは十師族にとっても藪蛇になりかねなかった。

 十師族――魔法師の中でもエレメントや現在名門とされている一族の多くは、その成立過程において数多の実験が行われており、それには人道的観点から外れる人体実験も含まれている。

 過去の事例においては人の遺伝子に絶対服従の因子などというものを埋め込むことも実際に行われていたのだ。

 彼らは今の事態――――サーヴァントによる事件の対処のために準備していたと言われればそれまで。

 魔法師にとっても他者の、他家の魔法の追及はタブー視されているということで抗弁されれば技術を求めることは難しい。

 こちらの技術の全てを開帳することは厭うがそちらの技術の全てと目的の全てをつまびらかに、などということは圧倒的な力の差があってこそできるものなのだ。

 その力が魔法による武力によるものなのか、権力によるものなのか。

 彼らには国外の勢力との不穏な繋がりが匂わされているとの達也からの報告もあり、さらにはサーヴァントを魔法師が打破することは束になっても難しいという実績がある以上、力押しには難しい。

 けれども手掛かりはあり、チャンスはあるのだ。

 七草家には七草真由美が、十文字家には十文字克人が、そして四葉家には達也と深雪が、それぞれ彼らと深い関係を築くことのできる立場、同じ一高の生徒であるというめぐり合わせにいるのだ。

 親しくなれば、あるいは今後もなんらかの事件が起これば、さらなる情報を得ることはできる。

 ―――――そう。情報だ。

 世界から消えてしまった魔術師が今になって表舞台に姿を現した。

 そんな認識の時点で魔法師は魔術師に対して情報で後手に回っているのだ。

 今世紀の人類史に魔法の発展は不可分で、その発展の頂点に位置するのが十師族なのだ。秘匿されていることも無論多いが、情報戦で後手になっている以上、彼らがこちらのことをどこまで掴んでいるのかは分からないのだ。

 

「風使いの騎士の王様。…………葉山さん、少し調べてくださらない?」

 

 奇しくも、ということでもないだろう。

 知らざる脅威を目にした時、その対策のためにまず知ろうとするのは第一歩なのだから。

 極東最強の魔法師とされる四葉真夜。彼女が告げた言葉は、かつて彼女と婚約関係にあった男と同じものだった。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 10日間にわたる激闘を終えて、魔法科高校の生徒たちは緊張から解放され、彼らあるいは彼女たちは後夜祭合同パーティを楽しんでいた。

 途中幾つかの不幸な出来事や各校の勝敗における蟠りはあっても、彼らは若い男女だ。

 優れた魔法師には優れた容姿の者が多い。それは魔法師の成立過程として広く知られている通説で、実際、今大会で登場したスターであるところの司波深雪は絶世の美女といっていい。

 彼女以外にも七草真由美や渡辺摩利、雫やほのか。一高以外でも一色愛梨や一条将輝など美男美女が多い。

 開催期間中起こった騒動の中で魔法師的に最も重大問題であったサーヴァントによる拉致問題は、一部の生徒以外にとっては気づいた時には終わっていたことであり、大会運営にとってもほぼ寝耳に水の話。

 どこか他人事に捉えても仕方ないことであり、事実ほとんどよくわかっていなかった。(あるいはそれはアサシンの宝具の効果、あるいはそれが切れた結果によるものなのかもしれないが)

 ということで、若い彼ら彼女たちは緊張状態からの解放の反動も手伝ってフレンドリーな精神状態になり、パーティ会場で催されるダンスに興じていた。

 

 あの深雪(ブラコン)ですら、他校の男子生徒(一条将輝)とダンスを踊っていたし(深雪が達也にすすめられてだが)、達也は達也でほのかを始め幾人かの女性たちとダンスを踊っていた。

 

 明日香も、食事に興じるアストルフォの監視を一時的に圭に任せて雫とダンスを踊った。

 

 

 

 

 

 だから―――――――これはそんな温かな世界とは別のところで起こっていた出来事。

 

 

 ――カラン…………―――

 

 九校戦の会場から、日本からも遠く離れた地で、一つの戦いが繰り広げられ、そして終わっていた。

 力を失った手から剣が滑り落ちて硬質な音を立てた。

 

「ぐっ…………」

 

 傷つき剣を落としたのは紅い髪の少年の英霊。

 地に落ちた剣は主の魔力の消耗を表すかのように光の粒子となって消えていく。

 それに対峙していたのもまた、燃えるように赤い髪の男。野獣のように猛々しい目を持ち、威風堂々たる風貌を湛えた大剣士。

 

「残念でしたね。コサラの王」

 

 そしてもう一人。

 此度の聖杯戦争において“裁定者(ルーラー)”のエクストラクラスで現界を果たしたサーヴァントだ。

 

「貴方が本来の適性クラス―――私の見立てではアーチャーのクラス、本当の全盛期の姿で顕現していれば、彼に対してももう少し善戦されたのではないですか?」

 

 真名看破。ルーラーのクラスに与えられた特性であり、他のサーヴァントの真名を見破ることのできる力。

 それにより彼には決着を迎えた戦いの相手である彼が、とある地の王であることを看破していた。

 そしてその彼が、本来の来歴からすれば適していないクラスで現界しているということも。

 

「嘯くな、偽りの裁定者め! 余のこの霊基が未熟なのは百も承知。だが、この姿こそ、余が余の妃を全霊を賭けて求め続けた時のこの姿こそが、余の全盛期なのだ」

 

 だが倒された彼の王にとって、現界するクラスは重要な問題だ。

 本来であればたしかに彼はアーチャーとして現界していただろう。

 けれどもそれでは望むものを望めない。

 本来の全盛期の姿となってしまえば、聖杯によってすらも消すことのできない呪いを受け入れることとなってしまうのだ。

 完成された理想の王としてではなく、未熟でも愛する彼女を求めてがむしゃらに突き進んでいたときをこそ、彼は選ぶのだ。

 

「ふふっ。英雄の矜持とやらですか……くだらない。あぁ、実にくだらない! 異端とはいえ貴方も王であったのでしょう? 英霊となった身ならば己が結末も知っているはずです」

 

 その結果の敗北。その結果の(過去)

 今の姿の彼がいかに愛する妃を望んだとしても、過去(歴史)において彼は妃を捨てた。

 民衆の期待を裏切れず、結果として彼女を信じ切れずに失ったのが彼なのだ。

 

 死後なお続く永劫の呪い。だから―――――――

 

「いっそ貴方には貴方の願いを叶えて差し上げましょう」

 

 それは甘い毒。

 決して受け取ってはいけない伸ばされた手。

 

「貴方の願いは伴侶にまみえることなのでしょう? ならば会わせて差し上げましょう」

 

 だが選択の余地は与えられたなかった。

 地に膝をつくその足元から黒いなにかが彼を捕らえ、飲み込んでいく。

 

「これは!? やめよ! やめよッッ!!!!!」

 

 触れたところから、飲み込まれたところから彼という存在(霊基)が改変されていく。

 本来であれば一度召喚されたサーヴァントの霊基を改変することなどできるはずがない。それができるとすれば―――――――

 

「離別の呪い、でしたか? 共に喜びを分かち合えない。そんな貴方が、最愛の方と会えば、どうなるのでしょうね?」

 

「っっ―――――ぐぁあああああああああッッッ!!!!!!」

 

 飲み込まれていく。

 彼女への思い。

 14年もの戦いの果てに取り戻した彼女への想い。

 

 消えていく。

 消されていく。

 

 民衆の期待。あるべきと定められた運命。怨嗟の呪い。

 理想の君主。

 呑み込まれ、彼が願い、けれども厭う姿へと、少年王の姿が変質していく。

 

 

 

 少年王の絶叫が止んだ時、そこには少年だった王はいなかった。

 

「――――――。――――――」

 

「ほぅ、これは面白いではありませんか。生まれ変わられたご気分は如何ですか? コサラの王よ」

 

 それは運命を受け入れた王としての彼。すべてを忘れた神を内包した王の姿。

 

 

 

 

 

 

 

    ―――第二章 Fin―――

 

 

 

 

 






 第二章vs.ランサー&アサシン編終了です。
 九校戦の魔法師サイドの物語はほとんどが原作・劣等生や漫画の優等生のストーリーに沿っているので、ほとんどがダイジェストとしました。そのため一章よりも短くなってしまいましたが、当初構想していた書きたかった部分は書けたかと思います。
 次章は原作と同じくナンバリングタイトルではない夏休みと生徒会選挙について書こうと思います。二章の途中から章タイトルをつけていますが、実は次の章に「これだ!」というタイトルが浮かんでしまったのがそもそもの切っ掛けです。
 ですので次章予告のタイトルです。

 夢想迷走遊戯(前) 夏休み編 
 夢想迷走遊戯(後) ●●●●生徒会選挙編


 となります。
 書き溜めを行いますのでしばしお待ちください。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3章 夢想迷走遊戯 夏休み編
バカンス編 1話


お待たせしました。第3章 夏休み編の始まりです。
原作では5巻の夏休み編に相当する章になります。





 

 華やかで落ち着いた管弦の音が流れ、リズムに合わせて足が動く。

 繋いだ手は温かく、けれど少女の柔らかく小さな手とは違って大きくて固いのは彼が剣を振るい誰かを護る騎士だからか。

 身長差があるので見上げる形になっているが、脚の運びに淀みはない。

 見えない剣を振るうときの疾風迅雷のような苛烈な動きとは違う優美な動き。

 大富豪の令嬢である彼女は、良家の子女のマナーらしく社交ダンスも嗜んでいる。

 それが活きた経験は殆どなかったのだが、このような場で活きることになったのなら無駄ではなかったのだろう。

 手を繋ぐ彼は、少女がダンスを踊れないくらいで態度を変えるとは思わないが、滑らかな足運びで優美さを見せる彼と釣り合いがとれて見えるのは嬉しい。

 どちらかというと彼がこのような社交ダンスを踊れる事の方が、意外といえば意外だったかもしれない。

 思っていたことを顔に出したつもりはなかったが、それを見透かしたのか彼はくすりと口元に笑みを浮かべると、少しだけ強引に、けれども流れるようにして雫の手を引いてターンした。

 

 彼の胸元で、彼に腕を引かれるのはこれまでも何度かあった。

 ただそれは戦場で、少女を守るための動きであり、華やぐ社交ダンスの場ではない。

 そしてその時の彼はフードで顔を隠していた。

 その時の顔と今の顔は違う。

 戦場で敵と向かい合っている時と平時であるからというだけではない。

 少しくすんだ金色の髪。少し色の褪せた黒い瞳。

 これだけ近くから見つめてもやはり彼の顔立ちは整っている。

 この九校戦会場で、深雪と最初にダンスを踊っていた三高の一条将輝もプリンスと呼ばれるだけの美男子ではあるのだが、それに勝るとも劣らない。

 ただ、彼の顔を見つめるとドクンと胸のどこかで赤い実が弾けたような気持ちになるのは、なにも彼の顔が整っているからだけではない。

 きっとすべて。

 過去において彼女を守ってくれたからだけではなく、頼もしい力の持ち主だからだけではなく、懸命に誰かを護ろうと戦う姿がかっこいいからだけではない。

 きっと彼のすべてが、こうも少女の心をときめかすのかもしれない。

 

 やっぱり―――――

 少女は――――彼女は―――――北山雫は――――――

 

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 意識が浮上する。

 見ていた夢の心地よさに、もう少しと欲求が訴えかけるがそれとは裏腹に覚醒していき夢が遠のく。

 今日の夢は覚えていた。九校戦の時の閉会式典で明日香と踊っていたときのこと。

 まだ寝ぼけが解きほぐれない眼で自分の掌を見てみた。

 あの時彼とつないだ掌。

 あの時のことを思い出してドクドクと鼓動が早まるのは見ていた夢が鮮明だったからか。

 掌を心臓に当てて鼓動を感じ、落ち着かせるとベッドから降りて窓へと向かった。

 

「―――――ふぁ………………っぁ」

 

 雲一つのない晴天。女子友だちと買い物に行くにはいい天気だろう。

 大きく伸びをして、寝ている間に固まった体をほぐし、頭を覚醒させたところで今日の予定を思い出した。

 

「今日は買い物の日…………よし」

 

 今日は友人たち――ほのかや深雪、エリカや美月と共に水着を買いに行く約束の日なのだ。

 買い物に行くということに加えて、その目的を思い返して小さく拳を握った。

 

 水着の購入は残りの夏休み期間に友人たちと行く予定になっているバカンスのためだ。

 北山家が所有しているプライベートビーチ付きの別荘。

 小笠原の元無人島(さらに遡ればその前は有人島であったらしいが)に建てられた高級別荘は、資産家たちの近年のトレンドでもあるのだが、その中でも北山家の様にプライベートビーチ付きなのは富裕層の中でも一握りと珍しい。

 幼い頃からの付き合いであるほのかとは以前にもバカンスをその別荘で過ごしたことがあるが、今回は新たに一高でできた同級生の友人たちと一緒だ。

 その中にはほのかの想い人である達也と、そして明日香も来る。そして、目下最大の危機感を雫に与えている強敵もまた…………

 

 

 

 

 ――――――九校戦終了後のある日。

 

「海のある別荘、かい?」

「うん。だけど……忙しい、かな……?」

 

 外界との没交渉で知られている魔術師の館ということで通信自体が繋がるかどうか不安があったが、教えてもらえた連絡先はきっちりと目的の主を出してくれていた。

 現代において、一般家庭用に普及している通信システムでは相手の顔を見ながらのTV電話が当然のように標準仕様ではあるのだが、相手が異性間である場合や相手方の室内の様子を映さないように配慮した場合にはサウンドオンリーの通信というのも廃れてはおらず残っており、今回も相手方の顔は映していない。

 だから顔色とかは分からないのだがなんとなく通信越しに聞こえるその声が疲れているように感じて、雫の誘いの言葉を尻すぼみになった。

 

 先日行われた九校戦の疲れ……ではなく、最終日前日での2人のサーヴァントとの激闘が尾を引いているのか。

 明日香のサーヴァントとしての戦いを3度間近に見て、その度に助けられてきたが、彼があれほど危機に陥ったのは初めてだった。

 雫たちを助けるために敵の術中に飛び込み、打つ手のない窮地に陥った。

 幸いにも助力するサーヴァントが現れたことと、藤丸圭が切り札を切ったことで窮地を脱することができた。だが後で聞いた話によると、あの時藤丸圭が行った魔術行使―――概念礼装というらしいが、それは使い捨てで、もう一度発動することはできないらしい。

 あの時、倒れて意識消失するほどであった藤丸圭を見れば、いかにギリギリで薄氷の勝利であったかは雫にも分かる。

 そんな戦いを彼らはこれからも繰り返していくのかもしれない。

 だからこれは迷惑なことなのかもしれない。

 けれども……過酷な戦いをこれからも続けていくというのなら、せめて一時でも……

 

 そんな気遣いに悩める雫の懊悩は通信の向こうから聞こえる底抜けに明るい声にぶん投げられるようにしてぶち壊された。

 

「海? バカンス!? 別荘!? 行きたい行きたい! 僕も行きた~い!!!」

「ライダー!!!!」

 

 バカンス参加を叫ぶ声と明日香のやりとりに雫の眉がぴくりと反応した。

 先日の九校戦以来、彼らの家に居候している“少女”騎士。やはり彼らは一緒に暮らしているらしい。

 

 九校戦の際に召喚され、今現在、藤丸の家に滞在しているアストルフォ。

 藤丸圭と明日香とは同じ家に住んでいるのだという。可憐な少女が居候するには適切だとは思わないが、サーヴァントであるという事情からそうなったらしい。

 ()()を思い出すともやもやが強くなる。

 可憐で快活。少しアホの娘らしさがあるがそれがまた彼女の魅力に映る。

 年齢や幼い外見とは釣り合わず、感情表現に乏しいと言われる雫とは対照的。

 体型は雫よりもさらに幼児体型に見え、胸のサイズでは雫が勝っているだろう。けれども胸のサイズを主張すると他方面でいろいろと不都合が出てきそうだからやめておきたい。雫とて胸には自信がない。

 なによりも、彼女は強いのだ。

 彼と共に戦場で肩を並べられるほどに。背中を預け合えるほどに。

 雫が立つことのできない魔術師の戦い、サーヴァントとの戦いに彼女は立てる。

 

「っとすまない。誘ってくれるのは嬉しいのだけど、いいのかい? …………雫?」

 

 これまでにも彼女は自身の魔法力の不足は感じていた。

 周囲の同年代の魔法師と比べてではない。

 超常の存在を相手に剣を振るい戦う彼の姿を見て、それを支えたいという思いに対して、圧倒的に自分の力が隔絶しているから。

 けれども彼女は戦った。

 彼と共に戦えるほど、もしかすると彼以上に強く。

 理由は聞いた。

 真正のサーヴァントとデミ・サーヴァントの差。

 本来の意味で英霊であるアストルフォと比べて獅子劫明日香は現代に生きる人間だから。

 サーヴァントも英霊の全ての力を使えるわけではないらしいが、それでもただ霊基()を受け継いだだけのデミ・サーヴァントに比べれば、力の使い方、経験の蓄積――英雄としての覚悟と在り方そのものが違う。

 アストルフォという英霊は決して強い英雄ではないらしいが、それでも雫にしてみれば、魔法師にしてみればありえざるほどに強く、そして明日香にしてみてもこの上なく頼りになる強さを持ったサーヴァントだ。

 それが羨ましく、そしてどこかでほっとする。

 今まで、明日香はどこまで行っても雫たちとは違う存在なのかもしれないと、焦がれても仕方のない英雄なのかもしれないと思いかけていた。

 けれども真正のサーヴァントと比べれば、違うのだと分かった。

 

 雫の胸にもやもやが広がるのは、彼女は明日香の(正確には藤丸の)家を知らないのに、そこにアストルフォという“少女”は生活を共にしているからか。

 

 シャルルマーニュ十二勇士の一人、英雄アストルフォ。

 物語におけるシャルルマーニュ英雄譚に出てくる騎士の一人で歴史に当てはめるのであればカール大帝の時代、8世紀後半に活躍したことになる。

 魔法とは違い魔術では古ければ古いほど力が強く、今の魔術は殆ど力がないらしいとは藤丸圭から聞いた話だが、魔法師である雫にはよく理屈の分からない話だ。

 ただその法則に従えば、15、16世紀に生きたコロンブスや鉄腕ゲッツ、同じ時代の物語に名を登場させるメフィスト、さらに後の時代にくだるグリムなどよりもずっと古く―――つまり強い英霊である筈だ。

 

 明日香に宿っている英雄が誰なのかは知らない(通常英霊の名前――真名は隠すものらしい)。

 けれどもデミ・サーヴァントでありながらもコロンブスや鉄腕ゲッツを1対1では圧倒していたことから本来はとてつもなく強い英霊なのだろう。

 その英霊の正体をアストルフォはうっすらとだが察することができているらしい。それもまたもやもやとした妬心の種なのかもしれない。

 自分の知らない彼のことを、言われなくても察することのできる彼女が、肩を並べて走ることのできる彼女が、羨ましいのかもしれない。

 

「ぼ~くも~行~く~!!!! ダメだっていうなら泣いちゃうぞ! わんわん泣いて、そんでもってヒッポくんで飛び出しちゃうぞ!」

「ライダーッッッ!」

 

 騒がしい会話が通信の向こうから聞こえてきて、やりとりをしていた明日香の声が遠くなったのは、騒いでいるのを止めにいったからか―――――――

 

「いやいや、騒がしくてすまないね、雫ちゃん。聞いての通り、ちょっと色々事情があって、僕としても明日香にはバカンスでのんびりしてほしいんだけど、手が離せないのがいてね」

 

 明日香の代わりに通信には別の声、圭が出てきた。

 その奥ではドタバタフォーゥと騒がしさが通信機越しに聞こえ続けている。

 

 それは雫の知らない場所での、通信機越しでの今の彼の日常。

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

 あの後代わりに出てきた圭と話をつけたことで明日香と圭、そしてアストルフォが今回のバカンスに参加することとなった。

 もとより明日香のみならず友人たちというくくりで圭も呼ぶつもりだったので、九校戦の際に十師族たちとの取り決めで決められた監督下にあるアストルフォが来るのも想定の範囲内であったから別にそれは構わない。

 

 今回のバカンスは雫自身が友人たちと行きたいという思いがあるのだが、別の目的や思惑もあった。

 一つは雫の父親が娘の新しくできた友人や“気になる男子”に会いたいからというのがある。

 かつて雫が誘拐された事件においてそれを解決したのは十文字家と七草家。そういう暗示がかけられていたのはなにも雫だけではなかったのだが、今はその暗示から解放されている。

 魔術によるものは魔法による記憶改竄とは違うからなのか、雫の解放と同時に両親の記憶の修正も行われた。

 だからか父は彼らのことを気にかけるようになった。

 今回、父がバカンスに友人たちを別荘に招きなさいと提案したのは彼のことや、昔からもう一人の娘同然に可愛がっているほのかの想い人(達也)を見たいからだろう。

 

 そして別の目的として、そのほのかと達也の距離を近づけるというものがあった。

 雫の親友である光井ほのかは司波達也に好意を抱いている。

 それがいつからかというと多分入学試験の時か入学早々に達也やエリカたちと知り合うに至った騒ぎの時に庇ってもらったことからだろう。どちらにしろほぼ一目惚れと言っていい。

 ほのかの家系である光井は十師族や百家などのように数字付きではないが、魔法師としては古い家系に属する。

 エレメンツ。魔法の開発初期において、古式魔法に見られた伝統的な属性――火や風、あるいは水などといった分類に基づくアプローチが有効だと考えられていたころに行われた魔法の開発アプローチによって生み出された家系だ。

 この考え方とアプローチは後に4系統8種の体系が確立することによって中止されることになるのだが、当時はまだ有効だと考えられており、そして同時に未知の新技術、魔法に対する権力者の恐れが迷信的に強かった時代だ。

 なぜそれほどまでに権力者が魔法を恐れたのかの“理由”は定かではないが、けれども確かに物理現象自体を改変し、当時の科学力では視覚化することのできなかった魔法は暗殺などにはおあつらえ向きだっただろうし、であれば権力者が恐れたのも納得できる。

 けれども軍事力の開発のためには実用的な魔法の開発は必要であるとの二律背反から、研究者たちはエレメンツの遺伝子に主に対する絶対服従の因子を組み込むことを命じられて実行した。

 勿論、服従遺伝子は完全ではなかっただろうが、可能な限りの措置によって施されたそれは、現代においてもエレメンツの末裔に高い確率で他者に対する依存癖、あるいは忠誠心が見られる傾向にあることから一応の成功はしていたのだろう。

 つまりその末裔であるほのかにも他者に対する依存癖があるのだ。

 かつてはやや雫に対して見られていたかもしれないその癖は、けれども司波達也という、ほのかからして頼りがいのある男性の登場によって完全にそちらにシフトした。

 依存と忠誠、そこに乙女フィルターによる恋慕の情などが入り混じった状態が今のほのかだ。

 ただ一方で達也の方にほのかを受け入れる構えがあるかというと疑問符が付く。

 現状、達也の関心と大事は唯一人の妹、深雪に向いている。

 深雪も大切な友だちではあるのだが、彼女と達也とは血のつながった兄妹だ。

 大昔の異能者や貴族などは(あるいは魔術師もそうだったかもしれないが)、近親婚によって血を濃くすることで魔法力を高められるという迷信があったようだが、現代魔法と科学においては近親婚は百害あって一利なし。むしろ魔法力を損なう可能性が非常に高いとされている。

 それでなくとも兄妹の近親相姦など倫理的にもアウトだろう。

 であれば、ほのかを応援して達也との距離を縮める―― つまりは恋人関係にしようとすることは裏切りにはなるまい。

 別荘のある聟島列島は海に面しており、プライベートビーチもついている。季節的にも夏真っ盛りでつまり思う存分、水着アピールできるわけだ。

 

 そしてもう一つ。雫自身も、明日香と…………という想いもあった。

 少なくとも、ほのかに達也との距離を縮めてみないかと、今回のことを提案したときに、逆に彼女から指摘されるほどには、親友の目から見ても自分は彼に好意を抱いているらしい。

 だから彼の家(正確には従兄弟である藤丸家)に滞留しているアストルフォに危機感を抱く。 

 

「…………よし」

 

 とりあえず今日は水着を買いに行く日だ。

 ほのかが達也にアピールするための、そして自分が明日香にアピールするための。どうせならとびっきりの水着を、けれども自分らしいものを買いたい。

 買い物にはほのかだけではなく、都合のついた深雪やエリカ、美月たちも来るし、達也も荷物持ちとして来てくれるらしい。

 残念ながらそちらの方は明日香や圭との日程が合わず、アストルフォも来ない。

 世界を移動してきたばかりというアストルフォに水着があるのか疑問だが、本人曰くどうにかなるらしい。(そういえば九校戦のときも、現れた時の騎士姿ではなく私服だった)。

 

 

 ちなみに、買い物に行ったデパートでは案の定、周囲の注目を集めまくってひと騒動になりかけた。

 雫やほのか、エリカたちも十分以上の美少女だが、とりわけ絶世の美少女である深雪がいたからで、そんな彼女が水着を選んでいるのだから当然だろう。

 

 

 ともあれ、ほのかも雫も、来るべき日のための戦闘準備は整った。

 金曜日から日曜日にかけての二泊三日。

 向かうは小笠原にある聟島列島の媒島。

 

 いざ―――――夏休みバカンスの始まりだ。

 

 





昨年はスカディや水着BBに始まり弓王、アビィとお迎えできたのですが、エッチィ服装に釣られてぐっちゃんを回して爆死。そのあと新年迎えて邪ンヌをお迎えできてテンション持ち直した次第でした。
だからというわけではありませんが、前章から長く空いてしまいました。
魔法科サイドでは最近は亜夜子に浮気しつつあります。ロリ巨乳とか…………


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

バカンス編 2話

 魔術――――

 今は失われた異能。かつて世界を救った事件によって知られるようになったものの、その解明と共に消えていき、ついには現代の魔法にとって代わられた超常的な力。

 科学技術にしろ魔法技術にしろ、進歩というのは常に前へと、未来へと進むものである。

 古式魔法や現代魔法において有効ではないかと思われていた伝統的なエレメンツの考え方も、現代の魔法学に照らして考えればすでに効率的とはいえない。

 勿論、古式魔法師やエレメンツの魔法にも、四系統八種で区分される現代魔法とは異なる方向に優れたところはある。

 十師族の中には最先端の魔法技術だけに目を向けていただけではなく、古式の魔法を積極的に現代魔法に組み込もうとした試みもなされている。九島家を排出した第九研の当初のテーマでもあった。

 だがそれらでさえも、古式魔法と魔術の違いは分かっていない。

 

 現在においては藤丸という魔術師の家門のみが存在を確認されているが、他の魔術師一派がどうなったのかは誰も分かっていない。

 だが彼らと敵対的な存在。魔術によって生み出されたものがいる以上、彼ら以外にも魔術師が残っているのだろう。

 英霊召喚。サーヴァント。魔術によって過去の英雄を召喚し使役するという、まさに“魔法”のような行為。

 達也がその眼に宿る異能――精霊の眼(エレメンタル・サイト)をもってしても、その本質を見抜くことができない存在。

 本来、達也の知覚能力は彼が生来に有している魔法技能(分解と再成)の副産物であり、その視覚は物質界よりもむしろ情報界であるイデアにアクセスして存在を認識している。

 物質の材質などというものよりも深く、存在の視覚による認知。

 そのためある程度は過去に遡ることができる。だが、彼の再成の及ぶ範囲、彼の頭脳をもってしても遡ることのできる範囲はせいぜい1日程度が限度だ。

 過去への遡及に特化した能力ならばともかく、副産物である彼の“眼”での限界

 そのため、サーヴァントとして召喚されている英霊が本当に過去の人物や怪物などであれば(少なくとも達也が直接目にした一騎であるメフィスト・フェレスは、歴史上においてモデルとなった似た人物がいたとしてもあのままな実在の人物ではないだろう)、達也の精霊の眼であっても追いきれないのは無理からぬことだ。

 加えて言うならば、達也の精霊の眼は情報素子である想子(サイオン)を捉えることには長けているが、霊子(プシオン)を捉えることには長けていない。

 霊子(プシオン)は情動を形作っている粒子とも考えられているが、心霊存在の本体ではないかとも考えられている。心霊存在は過去においては幽霊や妖魔などと呼ばれていたもので、通常の非魔法師が認識することはできないのだが、霊子(プシオン)に対する感受性がある程度高い人間が目撃してしまった場合に、いないはずの存在を認識してしまうといったことが起こっていたのだ。

 サーヴァントというのが過去の亡霊の如き存在であるのならば、その本体は心霊存在とほぼ同等で、霊子(プシオン)により構成されていると仮説づけているのが、現時点での達也の予想だった。

 サーヴァントであるメフィスト・フェレス、デミ・サーヴァントである時の獅子劫明日香。どちらにも共通することとして、彼らを精霊の眼で見ようとするとイデアに高密度の霊子(プシオン)想子(サイオン)の塊が、それこそ太陽のように莫大な光の塊のように存在しているということだ。

 超高密度に霊子(プシオン)想子(サイオン)によって編まれた、あるいは纏った存在。それがサーヴァント。そうであるならば、彼らは存在するだけで超高等対抗魔法である術式解体(グラム・デモリッション)を纏っているようなものだ。 

 本来の術式解体は圧縮されたサイオンの塊を、通常の魔法式のようにイデアに投射することなく直接対象物にぶつけて爆発させ、起動式や魔法式といったサイオン情報体を吹き飛ばすというもので、達也のような並外れた大容量のサイオンを保有していなければ使うことができない代物だ。

 奇妙な符合というべきか、達也の同学年にはレンジ・ゼロの異名を持つことで有名な魔法師がいて、彼は体質的にサイオンを強固に引きつけてしまうため、接触型の術式解体で鎧のように身を守ることができる。

 いずれにしても、そんな対抗魔法を身に纏っているということは、サーヴァントにダメージを与えようとするならば、それ以上のサイオン流で攻撃するか、魔法ではなく物理的に直接攻撃を仕掛けるしかない。

 けれども彼らの身に纏うサイオン/プシオンの量は達也の行使できるサイオン量すらも上回っており、また存在そのものが心霊存在であるならば物理的攻撃そのものが通用しない。

 獅子劫明日香や藤丸圭は、サーヴァントはサーヴァントをもってしか倒せないと言っていたが、確かにもっともな話だろう。

 だが攻撃方法がまったくないかといえば、そうでもないはずだと達也は考えていた。

 確かに達也の膨大ともいえるサイオン量の合計であったとしても、サーヴァントそのものを吹き飛ばすことはできないだろうが、例えば術式解体で圧縮するサイオンの圧力をさらに高めて、徹甲弾のようにピンポイントでぶつければ…………。

 それはまだ仮説の段階で、実際に行う訳にはいくまい。

 現状、敵対的なサーヴァントは身近にはおらず、今のところ友好的な関係にある藤丸や獅子劫に、お前たちへの攻撃手段を確立させたいから的になってくれとは頼めまい。

 そういった心霊存在、古式の専門家としては同じクラスの吉田幹比古や体術の師匠である九重八雲がいるが、彼らですらサーヴァントに伍することはできないらしい。

 今のところは、師匠の作り出すサイオン情報体に対してサイオン徹甲弾(仮称)を作用させることをまず練習している段階だ。実際にサーヴァントに通用するのかは現状テスト不可能。

 だがそれでも、サーヴァントへの対抗策の確立は達也にとって急務のこととなった。

 精霊の眼はイデアの海にリンクすることによって、こと深雪に関しては事実上、千里眼のように距離の制限なく守護としての力を割くことができるはずだった。

 ともすれば妹に対するプライバシーの侵害ということにもなるそれは、けれども二人にあっては断ちがたい絆であり、万一深雪の事態に危機が迫れば、イデアを介して達也は悪意を捉え、その悪意の主を消滅させる魔法を持っていた。

 けれども九校戦の晩、達也は結界に囚われた深雪の危機に気づけなかった。彼女がサーヴァントという、魔法師に対しても強者足り得る存在の作り出した異空間で攫われ、尊厳を奪われようとしているときに、達也は怒りの情動による行動を起こしていた。

 達也にとって激情ともいえる感情の起伏は、唯一深雪に関する事柄においてのみ揺らされるものであり、その行動もまた、深雪に害なす存在を抹消するための行動ではあったのだが、だからといってその深雪を危機に晒してしまったのは痛恨の極みであった。

 達也にとって誤算だったのは、サーヴァントが精霊の眼を偽装するほどの隔離空間を、達也が気づく間もなく構築し、深雪を囚えてしまえたことだ。

 達也自身、魔法が絶対のものとは思っていない。

 強力な魔法師であっても、魔法障壁の展開されていないときに銃撃を受ければ、あるいは心臓を一突きにされれば死は免れない。

 再成という、現代の魔法における治癒魔法よりも格段に上位の回復魔法を――回帰魔法を持っている達也にとって致命に至る傷というのはなかなかにないことだが、奪われた尊厳や心の傷までは再成できない。

 もしもあの時、サーヴァントが狙っていたという行為。

 見知らぬ男に深雪が凌辱され、孕まされ、奪われていたとしたら、達也の精神はどうなっていたか分からない。

 達也の属する“本家”は達也のことを世界を破壊しうる存在として、危険視し、排除しようとしていた。

 それがまさに具現していた可能性すらある。

 達也が深雪の危機に気が付いたのは、無頭竜の日本支部幹部たちをこの世界から抹消し、帰途についていたまさにその時だった。

 それはこの世界に新たなサーヴァント――アストルフォと名乗ったあの英霊が召喚された時だった。

 彼によって、達也の精霊の眼を欺いていた隔離空間は綻びを見せ、まだイデアを介して深雪を補足することはできなかったものの、直感的に深雪の危機を感じ取ることができた。

 だがそこまでだった。

 魔法は距離を無視して作用を及ぼすことができる力だ。

 人間の認識力の関係で、通常の魔法師にとっては何らかの観測・照準補助がなければ視界に収まる範囲が精々の射程距離だが、達也にとって、そしてこと深雪に関しては、距離などという物質界における壁はないのだ。

 ただ―――そう、ただ達也の魔法がサーヴァントに通用しなかったということだ。

 距離に関係なく、達也の分解の魔法はサーヴァントを、英霊を、分解して消滅させることができなかった。

 自身の魔法――雲散霧消(ミスト・ディスパージョン)がサーヴァントに通用しない可能性は、メフィスト・フェレスというサーヴァントの時に分かっていたはずなのに。

 達也の対サーヴァント戦術はその時に間に合わなかった。

 達也には為すべきことが山積している。

 サーヴァントのことだけではなく、本家にしても、軍部にしても無条件に達也を庇護してくれるものではなく、達也の力による結びつきと、達也の力を恐れる結びつきとによって平衡を保っているに過ぎない。

 特に本家に関しては、なるべく早く、四葉の力から独立しても干渉されないだけの力を得る必要があった。

 それはサーヴァントに対するのとは別の力であり、達也の自由に関することだけに、深雪も望むことであった。

 それに魔法師全体の、深雪の魔法師としての自由を得るという目標もあった。

 強大な魔法師は軍事利用され、兵器のように消費されるという国家による現実がある以上、そこからの魔法師たちの解放、深雪の解放は直近のことだけを考えていてはいつまで経っても実現できないことで、それを解決する必要もあった。

 だから対サーヴァントに関しては、他に専門家がいる以上、深雪が深く関わらなければ、問題ないと思っていた。

 ―――――――甘えていた。

 

 結果、深雪を危機に晒した。深雪の守護を別の誰かに委ねてしまった。

 それは達也にとって存在理由(レーゾンデートル)を揺るがすに等しいこと。

 かつて、大亜連合の侵攻による沖縄防衛線で、彼は一度深雪を失いかけた。命の失われ行く深雪の姿を目の当たりにして我を失うほどの怒りに身を委ねた。

 結果、多くの敵兵を殺戮し、戦艦を沈め、摩醯首羅とまで呼ばれるほどに恐れられる存在と化した。

 

 力が欲しかった。

 

 その時にも思ったことだった。

 彼にとっては本当に大事なのは深雪だけだが、深雪が大事に思うものもまた、彼が守りたいと思うもの。

 沖縄防衛線では彼の力が足りなくて、大切な人を一人失った。

 

 今また、深雪を失っていたかもしれない、穢されていたかもしれないという恐怖に直面して、達也は一層強く思うようになった。 

 

 本家を――四葉家を凌駕し、軛から破壊することのできるだけの力とは別種。サーヴァントであろうと、過去の英雄であろうと、打倒し、消滅させることのできるだけの力が。

 

 深雪が雫とほのかから別荘へのバカンスに誘われ、達也も一緒にと誘われたのはそんな時だった。

 

 

 

 

 

「ふっ―――――ねッッッ、だぁああああ!!!!」

 

 元気のいい声が港に響く。

 

「うははぁっ! でっかぁーい!! 船だよ船! なにこれ戦船(いくさぶね)!? 戦船よりもでかいよね! すっごぉーい!!!」

 

 ぴょんぴょんと跳ねながら、くるくると動き回っているのはピンク髪を三つ編みにした少女のような姿をした騎士――アストルフォだが、「わぁ~い」とはしゃぐその姿はどう見ても子供の様にしか見えない。

 少なくとも魔法師たちを数多拉致し、それを救おうと立ち塞がった魔術師たちを窮地に陥れていたサーヴァントを撃破した英霊のようには見えない。

 その隣には、正確には先ほどまで隣に居て今は置いてけぼりをくらって疲れたように頭を抱えている二人はあれの監督者である魔術師だ。

 

「あれやりたいアレ! 舳先に立って両腕を広げるアレ!」

「やめてくれ。というか君はどれだけ元気なんだ」

 

 集合場所であった葉山のマリーナについて早々に駆けだし、停泊している北山家所有のクルーザーにはしゃぐアストルフォとは対称的にどこか既に疲れているようで、特に藤丸圭はどことなくやつれて見えるのは、他ならぬ達也の目からすれば気のせいではあるまい。

 

「明日香。……少し疲れてる?」

「まぁ……大丈夫だよ、雫。それよりも今日は誘ってくれてありがとう。ケイとアストルフォも」

 

 親しくない者からすれば無表情ともとれる顔に、親しい者にはわかる心配の色を覗かせて尋ねる雫に、明日香は礼を述べていた。

 

「九校戦の後、なにしてたの? あ、魔術師のお仕事とかで言えない事ならいいんだけど」

 

 連絡を取ったときにも感じたことだし、彼らは魔法師ではなく魔術師でもあるということから、成すべきことがあると知っている。だから今回のバカンスの誘いが、明日香たちにとっての余計な負担になっていないかと心配になったのだろう。

 

「いや。アストルフォが旅行に行きたいというからそれに付き合っていたというか。

 こちらに召喚される以前にいた場所で関わった人たちと縁のある場所を巡りたいと言い出してね。というよりもその旅の途中だったらしくて、関西の方に行ったんだ」

 

 ただ、それに対して明日香たちは、決して魔術的などうのこうので疲弊していたわけではなかった。

 

「関西?」

「ああ。別に魔術的な聖遺物があるとか、サーヴァントと戦いに行ったとか、そういうことは全くなくてね。ただ、そこから長崎の方にも行きたいというからなぜか四国を経由して九州に向かい、長崎に行ったかと思うと遊園地に行きたいと言い出してなぜか北海道に行き、温泉に入りたいからとこれまたなぜか関西に戻って……」

 

 疲弊の原因はあのサーヴァント(アストルフォ)

 彼の無軌道にして突発的行動に振り回された結果、日本のあちこちを行ったり来たりするはめになったのだ。

 現代の交通事情は、今世紀初頭よりも格段に向上しており、比べれば移動は快適、短時間にはなっている。

 だが九校戦から2週間。その間に日本全国を行き来して、加えて旅先で幾度も揉め事に首を突っ込み、あるいは騒動の種になっているアストルフォに付き合えば、圭にとっては体力的に、そして明日香にとっても精神的な疲労感が溜まるのはむべなるかな。

 その意味で、幾人かの友人と共にとはいえ、見知らぬ一般人たちに囲まれることのないプライベート空間、元無人島に行くというのは二人にとってもまさにバカンスで、ありがたいことだった。

 

 

 

 

 

 そしてそんな雫と明日香の会話を、達也も聞くとはなしに耳に入れていた。

 そこには気になることがいくつかあった。

 

 ――召喚される以前……?――

 

 シャルルマーニュ英雄譚にその名を刻む英雄アストルフォ。

 聖騎士(パラディン)の称号を持つともされるその騎士は、現代においても歴史古きヨーロッパの礎を築いたカール大帝(シャルルマーニュ)の旗下なる十二勇士の一人。

 イングランドの王子でありながらも大帝に騎士として仕え、巨人カリゴランテの討伐をはじめとして数多の冒険や戦場で武名を挙げた“彼”だが、英雄譚においては眉目秀麗なお調子者として描かれており、理性が蒸発しているとまで評されている能天気の美丈夫。

 その彼が召喚される以前、つまりは生前となれば時代はそれこそ中世以前、古代とも言えるほどに昔のはずだ。

 その時代にはすでに日本という国の形は成立していたかもしれないが、関西などという地域が区分けされていたとは思えない。にもかかわらず、召喚される以前に関わった人物と縁があるというのは奇妙なことだ。

 

 研究に鍛錬にと時間に余裕のない達也が今回のバカンスに参加することを決めたのは、一つには深雪が友人たちから誘われたという機会を不意にさせたくないという思いから。

 サーヴァントへの対抗手段を確立するための情報を得る機会。

 それに加えて、このアストルフォや獅子劫明日香を直接視ることができるからだ。

 

 ――――なのだが…………

 

「――――」

 

 視えなかった。

 苛立ちという感情の高ぶりは、一定を超えたところで凪ぐようにして消えたが、微かな残滓のようなものは残る。

 メフィスト・フェレスとも獅子刧明日香とも違う情報構成、ではなく、視えなかった。

 まるで情報の海に空白が生じているかのように。アレに対する知覚そのものが、拒絶されているかのように。

 ゆえに反応が遅れた。

 達也にとって珍しいことに、相手がこちらに視線を向けているという、その意識を捉えることが遅れてしまった。

 結果、達也は精霊の眼ではなく肉眼でアストルフォを注視して、真っ向からその視線を交えてしまった。

 

「――――ッッ」

 

 微笑み。

 イデアにアクセスして情報構造体を視ることのできる精霊の眼の隠密性は極めて高い。

 同じような知覚系の能力を有する魔法師、例えば七草真由美や柴田美月にすらもその眼を見破られたことはなかった。

 だがあのサーヴァント(アストルフォ)は達也の精霊の眼による知覚を阻害した。

 イデアに在るはずの情報すらも隠蔽して見せ、さらには気づいたのか感づいたのか、達也が視ていたことに、確かに気が付いたのだ。

 

 

 

 

「ライダー!」

 

 船に飛び乗ろうとしているアストルフォをいい加減止めようと強い口調で呼びかけた明日香だが、自分の方に向けられて、近づいてくる気配に振り向いた。

 そこには黒のジャケットを着た男性がいた。

 ビジネスの場、というにはやや方向性が異なるが、バカンスに同行するにはやや固い衣装。

 その男性には見覚えがあった。

 

「君が獅子劫明日香君、だね。私は北山潮、雫の父親だ。二年前は、君たちと満足に話すこともできなかったからね。今日、会うことができてよかった」

 

 北方潮のビジネスネームで知られる日本屈指の実業家。

 二年前の魔法師子女誘拐事件において娘を誘拐された彼は、それが解決した時に圭によって魔術的に事件に対する口止めを受けた。

 あの時はまだ魔術師が積極的に魔法師に関わっていいかどうか判断を先延ばしにしていた時期だった。

 彼らの()()()()を遂行するためにはこの世界の人々と関わる必要、この世界の人々の意志と力こそが必要であり、彼らが戦っているのはこの世界の人々の生を守るためにこそなのだから。

 けれど本来、魔術師は世界の表側で輝く存在ではなく、魔法師のように人々の生活に関わるべき存在ではない。

 結果として事件の当事者であった雫たちには偽りの記憶を暗示で植え付け、真相は魔法界に影響力の大きい十師族のみが知ることとなった。

 魔法と魔術は違うもの。

 世界の影に蠢き、最早裏側に行くべき魔術。

 魔術を駆逐して世界の新たなる光となって明暗を生み出し、人や国にとって欠くことのできない技能となった魔法。

 だが、もしもこの時代において彼らの“オーダー”を遂行するとしたら、それは魔術から分かたれた魔法が鍵となるはずだと推測したからだ。

 

 ただ、雫に限って言えば、明日香やサーヴァントとの再会というきっかけがあったとはいえ、彼女が自力で暗示を解いてしまったことからこれ以上は無意味と判断して両親の口止めの暗示もすでに解除されている。

 だからこそ、愛娘が気にかけているかつての恩人に、彼自身もまた会いたかったのだろう。

 ただ―――――

 

「君たちには娘を助けられた。今日は――――」

「本日は―――――」

 

 無礼を承知で、明日香は強引に北山潮の言葉を遮った。

 

()()としてお招きいただきありがとうございます」

 

 今日、ここに来ているのはかつて魔法師子女誘拐事件を解決した魔術師ではなく、魔法科高校の一生徒で、雫の友人。

 以前雫にも言ったことだが、攫われたのが北山雫だから、十師族だから、助けようとしたわけではない。

 サーヴァントの暗躍を知り、誰かの危機に気がついて、それを誅することこそが役目だったからこそ、明日香はコロンブス(ライダー)を討伐したのだ。

 救われた魔法師の子らと、それを理由にして恩を売りつけるつもりはない。

 明日香の態度は宣言であり、北山潮もそれを察した。

 察して、ため息をつきたくなった。

 今回のこの件、バカンスに彼を誘うという案について潮はまったく関わっていない。けれども同行するメンバーを聞いてまたとない機会だと思ったのだ。

 けれども彼らはそれを望んでいない。

 だから仕方がない。

 

「歓迎するよ、明日香君。娘の新しい友達の皆も。楽しんでいってくれたまえ。残念ながら私は用事があってもう行かなければならないが、自分の家と思ってくつろいでほしい」

 

 溺愛する娘の恩人としてではなく、ただ娘の友人として遇する。それだけが彼らに求められていることだと察したから。

 

 

 

 

「ふんふんふ~ん♪ よっ、ほっ」

 

 葉山のマリーナから別荘のある聟島列島まではおよそ九百キロ。

 流石というべきか。北山家所有のクルーザーは、そこそこ荒い波模様をものともせず、スタビライザーと揺動吸収システムのおかげで揺れも少なく快適な船旅を乗客たちに提供していた。

 とはいえ船上だ。陸上ほどには安定していない。

 甲板は全体が透明なドームで覆われているため、高速航行中でもミニのスカートが突風に煽られるといったラッキースケベ的展開は期待できない。

 

 だが、かといって船の上の細い手すりの上を、魔法による補助なしに渡っているのは生半なバランス感覚ではないだろう。(もしかするとエリカならばできるかもしれないが……)

 

 船の運転をすることを却下されたアストルフォは、それでもアストルフォらしい好奇心の旺盛さを発揮して色々とこのクルーザーと船旅を楽しんでいた。

 ただアストルフォからしてみれば少々の物足りなさはあった。

 せっかくの船旅なのに海風を感じられない。

 海上の揺れも、アストルフォが知っているよりもずっと凪いでいる。

 それはそれで、時代の移り変わりというか、アストルフォの頃とは文化の発達とでもいうものの違いが感じられて、それはそれで面白いのだが、やっぱり旅の醍醐味的なものの足りなさはある。

 ただし、それと手すりの上を平均台よろしくバランス遊びをしていることには関係はない。

 行程の半分ほどが過ぎ、別荘まではあと3時間ほど。

 クルーザー内の探索はとっくに終わっていて、暇つぶしにヒッポくんでも呼び出して毛繕いでもしようかと思う頃合いだった。

 ちなみにアストルフォの監督役兼保護者でもある魔術師二人は、流石に知り合いだらけの船の上ではアストルフォといえども問題の起こしようがないだろうと休息中である。

 なお、乗船早々アストルフォが船の運転ができるからしたいと主張したのには技術よりも法令順守の心を説いていて却下した。

 

 そんなこんななアストルフォは、近寄ってきた人の気配を感じて手すりから甲板へと飛び降りた。

 

「よっと! それで、どうしたの?」

 

 こちらの方を伺う気配、それ自体はかなり前から感じていた。

 それはサーヴァントであるアストルフォを伺うものであったり、過去の英霊という現代の魔法においてありえざる奇跡の具現を伺うものであったり、あるいはアストルフォ自身に話しかける決断を先送りにすべきか悩んでいるようなものであったりだ。

 

「この前は、貴方にも助けられたからお礼を言いたくて」

 

 話しかけてきたのは英霊やサーヴァントとしてではない、アストルフォに対してのもの。

 

「え~っと、この船の持ち主の子だよね。そんなの気にしなくてもいいよ。堕ちたものを討つのも僕たち英霊の役割なんだから」

 

 雫と、さらにその後ろには一緒にほのかもおどおどとしがちに付いてきていた。

 先の九校戦の最終日前日。この世界に召喚されたアストルフォは早々にサーヴァントとの戦闘に首を突っ込むこととなった。

 それは明日香や圭だけでなく雫やほのかを含めた多くの魔術師の子女たちを救うこととなった。

 魔法という超常の力ですらも通用しない神秘の存在。

 

「それで、何か聞きたいことでもあるの?」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

バカンス編 3話

 サーヴァント。

 それは雫にとって恐怖の対象とも言えた。一度は誘拐され、一度は圧倒的な力で殺されかけたのだ。ただ、明日香はサーヴァントの力を振るうことのできるデミ・サーヴァントという存在なのだと教えてもらった。

 だからこういうふうに、気軽に、とは言えないが、言葉を交わすことができるようなサーヴァントがいるとは思わなかった。

 

「僕が前に居たところ? トゥリファスだよ。え~と、そう! ルーマニアだ。うん、ルーマニア。ランサーの国」

 

 何でも彼はこの世界とは別の時間軸の世界、年代的にはおよそ100年ほど前に別の戦いのために召喚されたサーヴァントなのだそうだ。

 それでなんで日本の関西を知っていたのかという疑問を率直に尋ねてみると、元々、日本に限らずその時の戦いで出会った人たち、関わった人たちに所縁のある国とか地方とかを巡礼していたところで召喚されたということだ。

 一応、アストルフォという真名を聞いていたから今日までの間にアストルフォという英雄の物語――シャルルマーニュ英雄譚を調べたりもしたのだが、まさかこんなにかわいい姿をしているとは思わなかった。原典でも数多の浮名を流した美丈夫だということだが…………

 

「ん? 明日香のことどう思っているかって? ん~、僕のマスターに似てるとこがあるやつ、かな」

 

 サーヴァントには本来、召喚者であるマスターがいるものらしい。

 以前遭遇したサーヴァントたちはマスターを持たないはぐれサーヴァントというものらしいが、アストルフォさんにはマスターがいるらしい。

 

「一言でいうならばバカだね。バカ……うん、シャルとおんなじだ」

 

 ただそれも今はもう会えない遠い所に行ってしまったらしい。

 違う世界から渡ってきたから会えない、ということでもないらしい。

 シャル、というのは生前の知人か誰かのことなのだろうか? 

 それと彼、そしてマスターなる人物が揃ってバカだというのは気になる評価だ。

 だって同じだと言う、その時のアストルフォさんの目は、少しだけ、そう、どこかで愁いを帯びているようにも見えたから。

 

「この世界にも聖杯があって、今はなんだかおかしな事態になっている。だから僕もしばらくはここにいるよ」

 

 アストルフォさんがこの世界に呼ばれた理由、留まる理由を知ることが僅かなりともできただけでも、このバカンスの甲斐はあったかもしれない。

 勿論、ほのかのこととか、明日香のこととか、やりたいことはまだまだあるけれど、雫が懸念していた方向性で、この英霊が明日香たちと共にいる訳ではないのではないかと、そう、思えた。

 

「それはそれとして今を目一杯楽しむのはやめないけどね♪」

 

 そう言って八重歯を見せて笑うその顔は、伝承そのものであるように快活で明るいもので、()()()()()()()()()()どきりとさせられる魅力的な笑顔に見えた。

 

 

 

 

 雫とほのかがアストルフォと話し始めたのをきっかけに深雪やエリカたちも徐々に近寄るようになり、達也も遠巻きではなく自然な形での接触をアストルフォと取り始めた。

 彼にとって、相手の情報を分析することは深雪の護衛のために必須となるが、この相手にはそれができない。 

 サーヴァントという存在の情報はどれだけあっても必要にもかかわらずだ。

 殊に、宝具という脅威については早急に対策を要することだ。

 ブランシュの事件と九校戦での事件があったために明日香たちから齎されたその情報からは、宝具とは魔法師にとっての武装型CADのようなものなのかもしれないと推測している。もっと言えば、CADとは違い宝具とは聖遺物―――現代の魔法技術でも再現できない魔法が行使できるオーパーツだと達也は睨んでいる。

 英雄の伝承が具現化した結晶。現代の魔法科学の概念からすればひどく曖昧なものだが、そもそも聖遺物というもの自体が、そういった魔術的産物の名残(藤丸曰く、現代では殆どの魔術は消滅しているらしいが)だとすれば、“魔法”の概念からだけではその本質には迫れない。

 対策をとるためにも宝具というものをもっと知る必要があるのだが…………眼前の光景はそんな達也の思惑からすれば願ったりのはずなのだが、余所事のように思考してしまっているのは達也といえど現実逃避気味に考えたくなるときがあり、まさに今がそれだからなのかもしれない。

 

「どーだい、これが僕の相棒のヒッポ君」

 

 たとえば目の前に存在する非常識の塊。巨大な鷲の上半身に馬の下半身を持つ怪獣――ヒッポグリフが同じ船の上にいるなどはありえない光景なのではなかろうか。

 

「大丈夫かっ!? 今、宝具の発動に匹敵するほどの魔力を感じた、ん、だが…………ライダーッッッ!!!」

 

 現実逃避的に考えていたのは何も達也だけではなく、アストルフォ以外、呆気に取られていたのを覚醒させたのは、バタバタと駆けてくる音とドアを蹴破らんばかりに急いでやってきた明日香の怒鳴り声。

 

 少し遅れて圭が甲板についたときにはヒッポグリフを脇において明日香がアストルフォにガミガミと言い含めている状態であった。

 

 そもそも、英霊というのは過去の存在だ。

 つまりサーヴァントの正体が判明すれば、その英霊がどのように生き、どのように戦い、どのように死んだかの全てが何らかの形で記録に残っているものだ。

 それは弱点と呼べるものを明らかにするものであり、だからこそ明日香を含めて殆どのサーヴァントは自らの正体を隠すものなのだそうだ。

 達也の師匠である忍術遣いの九重八雲に曰く、魔術を含めた神秘とは正体を隠すことによって力をつける矛盾的な“存在しないもの”である。

 だから――――――

 

「なんでこんなところで宝具を展開しているんだ!? まさかとは思うけど、こっちの世界に来る前もそれで移動していたんじゃないだろうな!?」

 

 おそらくやっぱりきっと、なんでもない平時に宝具の一つであるらしい幻獣を召喚するのは魔術師にとっても非常識なことなのだろう。

 

「え~、せっかくのヴァカンスなんだから、ヒッポ君だってたまには海風にのんびりあたりたいよね~?」「ヒッポォ~…………」

 

 嘶くヒッポグリフの鳴き声が、ふさふさの首元に抱き着いているピンク髪の楽天的な代弁とは違いそうな気がするのは、きっと達也の気の迷いだろう。

 流石の達也でも幻獣はおろか動物の声を理解するスキルはない。

 

「えっと、触っても、平気なんでしょうか……?」

「触るのは、やめておいた方がいいかな、レディ・美月」

 

 ライオン程もある獣の姿に初めは退き気味だったみんなも、もふもふなヒッポグリフがアストルフォに抱き着かれても大人しくしているのを見て徐々に興味を示し出していた。

 

「ヒッポグリフは幻想の種であるグリフォンと馬との相の子だけれども、元々グリフォンの主食は馬と人だ」

 

 ただし、過剰に――普通の愛玩動物に触れるかの如く宝具である幻獣に触れようとするのだけは圭に止められていたが。

 

「捕食者と被捕食者の相の子。つまりありえざる幻馬、ということなんだけど、グリフォンの主食が馬と人なら、ヒッポグリフの主食は――――」

「むー。失礼だな。ヒッポ君は見境なしに人を食べたりなんかしないもん、ねー?」

 

 飼い主であるアストルフォの言葉に反応して、理解しているかのように嘶くヒッポグリフは、けれどもやっぱり主との意思疎通に齟齬があるように、達也には見えたのであった。

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

「眩しい光景だねぇ」

 

 ここにどこぞの円卓の騎士(ガウェインやランスロットら)がいればさぞや目の前の光景に騎士心をくすぐられたことだろう。

 

 派手な原色のワンピースを着たエリカ。大きな花のデザインがプリントされたワンピースの深雪。水玉模様のセパレートタイプの美月。ほのかもセパレートにパレオを巻いてそれぞれに抜群のプロポーションを披露している。

 少女たちはこの日のために準備したのであろう色とりどりの艶やかな水着に身を包んでいた。

 ただ、明日香が目を見張ったのはプロポーションで言えば他の少女たちよりも慎ましやかな姿にこそだった。

 薄緑色のセパレートの水着は、フリルを多用して少女らしさを演出しつつも少女の頼りなげな程に華奢な肢体を魅力的に演出している。

 ちなみに雫の別荘に到着早々にまた一悶着を意図せずして起こすことになったアストルフォは、パステルカラーの可愛らしいセパレートタイプの水着を着用している(これもどこかしらで縁を結んだ際に座に刻まれた霊衣なのだそうだが)。

 ちなみにアストルフォが起こした騒動というのは具体的には部屋割りで、絶対に手綱を握る役が必要だという認識から同部屋だと思っていた明日香と圭に対して、“異性”同士での部屋割りなど端から想定していなかった女性陣(これには達也たち男性陣も含めて)との見解の相違があったことに端を発するものだ。

 そこで少々重大なアストルフォについての誤解は――多分――解けたのだが、珍しいことに達也などはまだ彼の性別を疑っているらしい。

 

「明日香は泳いでこないのか?」

 

 そんな達也は今、ビーチパラソルの下で明日香と並んで女性陣たちの華やかさに目を癒していた。(少なくとも明日香は……)

 ちなみに他の男性陣は、海に向かって早々に飛び出していったアストルフォに引っ張られた圭。そしてアストルフォに張り合っているのか、負けじとばかりにサーヴァントの体力に遠泳で挑んでいるレオ。そしてそんなレオに引っ張られていった幹比古とそれぞれにはしゃいで(?)いる。

 

「……まぁ、ね。達也の方こそどうなんだい?」

 

 明日香としては、現時点ではとりわけ達也と二人、遊びもせずに話し込むことに意義があるわけではないのだが、諸事情故というものだ。

 問い返された達也がアストルフォの方に視線を向けるのは、ひょっとするとまだ彼の性別について疑うものがあるのかもしれない。

 探知系の魔法に不得手な明日香にはわからないが、もしかすると達也なりに何らかの探知系の術式でアストルフォを探ったのだろう。

 だとするとその猜疑もわからなくもない。

 なにせアストルフォには凡その魔術も、そして無論のこと魔法も通用しないのだから。

 本来、ライダーのクラスではセイバーなどの三騎士に比べて対魔力のクラススキルによる恩恵は薄いものなのだが、アストルフォには三騎士の中でも最優と謳われるセイバー並の対魔力がある。

 宝具“ルナ・ブレイクマニュアル(仮)”。

 所持しているだけであらゆる魔術を無効化することができるという宝具なのだが、なんでもアストルフォはそれによってステータスの改竄を行っている節がある、とは圭の見立てだ。

 その対魔力はAランク相当だと、藤丸家の記録にはあり、だとするとサーヴァントを含めても大体の魔術を無効化することができるだろう。なれば、魔術から下った魔法ではなおのこと、アストルフォの探知は難しいだろう。

 とはいえ、ここはバカンスの地。どこまでいってもギスギスを引きずっているのはホストである雫、ひいては北山家にも失礼なことだろう。

 

「お兄様。冷たくて気持ちいいですよ。せっかく海に来たのですから、泳ぎませんか?」

「そうですよ。パラソルの下にいるだけじゃ、勿体ないです」

 

 疑いにゆだりそうになっているかもしれない男二人の会話を遮ったのは、サウスブルーの光を浴びて、眩くも見えるレディたちからの軽やかな声。

 五人の水着姿の美少女たちが、間近から二人を楽し気な海へと誘っていた。

 

「明日香。明日香も一緒に泳がない?」

 

 二人が同じことを考えたかは分からないが、少なくとも明日香は驚きに目が離せなかった。

 寒冷期の名残がある現代の服飾マナーとして、あまり肌の露出のない体のラインが出にくい服装が主流となっている。

 普段見慣れた雫の一高制服姿もそうで、どちらかというとスレンダー、あるいは子供体型かと思われがちであったのだが、正面から覗き込むようにして尋ねてきた雫は腰を深く両手を膝についた姿勢で、その角度からは思っている以上…………

 

「そうだな、泳ぐか」

 

 決断が早かったのは達也。

 彼自身は海パンに七分袖のヨットパーカーを着ていたのだが、立ち上がって砂を払うと何気ない動作で五人の水着姿から視線を外してパーカーを脱いだ。

 鍛え上げられた肉体。筋肉の太さ自体はそれほどではないが、重々しいほどの密度ある筋肉は、彼が鍛え続けてきたことを示しており、またその鋼の様な肉体にはいくつもの傷跡が刻まれていた。

 その姿に動揺が走り、気まずい雰囲気となりかけるが、深雪が達也に対する想いの深さを見せつけて、それに負けじとほのかが積極性を出して達也の腕に抱き着いた。

 戸惑いつつも踏み出した友人の姿に、雫は「頑張れ、ほのか」と心の中でエールを送った。

 このバカンスの目的は彼女の後押しをするものでもあるのだから。そして雫自身の方は―――ぽん、と頭に手を置かれた。

 

「ありがとう、雫。でもまぁ、一人くらいは荷物を見ておいた方がいいから、うん、僕はいいかな」

 

 達也とは異なり、明日香の方はもとからパーカーの前を開けている。そこから覗く肉体は達也やレオと比べても逞しく引き締められている。

 ただ、激戦を繰り広げただろうはずなのに、不思議と達也とは違って目立った傷跡は見られなかった。

 そこに見蕩れかかった雫は、けれども先ほどの明日香の言葉を思い返して首を傾げた。

 

「荷物?」

 

 パラソルは常設されているものではなく、ここに来た時に設置したもので、たしかにその下に広げられたシートの上にはみんなの荷物が少しばかり置かれてはいる。

 ただそもそもここはプライベートビーチ、しかも北山家が所有する別荘島であり、当然ながら彼らと世話係のメイドたちを除けば人はいない。当然、荷物を盗まれる心配もないし、そもそも荷物といっても海から上がった時用のバスタオルや飲み物類とちょっとした遊具くらいしか荷物らしきものもない。

 にこりと笑みを浮かべている明日香の顔は、いつも通りに見えて……見えて?

 

「別に見張り番は必要ないと思うけど」

「あ~……うん。ほら! 風で飛ばされたりするかもしれないし」

 

 少しばかりの訝しみを覚えた雫の雰囲気を感じ取ったのだろうか。すぃ~と明日香の視線が逸らされた。

 ついでに言えば、明日香の応答自体がどことなくおかしな感じだ。

 なにかを隠している。

 

「…………」

「………………」

 

 雫がじぃ~明日香を見上げる。

 明日香は頑なに雫と視線を合わせようとせず、

 

「あの。もしかして、獅子刧さん、泳げないんですか?」

「え?」

 

 美月からの悪意のない問いかけ。

 思わぬ問いかけで、雫が振り向き、ぎくりと身を震わせた明日香の挙動は見逃された。

 曲者揃いの魔法科高校。このメンバーの中で、美月はかなり純朴だ。

 そんな彼女と不思議と馬が合うエリカは、美月の問いかけを時々彼女がやらかすピントのずれた質問だと思って笑い飛ばした。

 

「まさかぁ! 忘れたの美月。バトル・ボートの代表選手だったんだから、泳げないはずないでしょ」

 

 そう。先の九校戦。明日香の出場種目は首脳陣から期待されていたモノリス・コードではなく、今年の九校戦で唯一の水上競技であるバトル・ボード。

 ボードの上に乗っての競技であって、水中競技でないとはいえ、泳げない人物が出場するには九校戦は生易しくない。

 事実明日香は巧みなボード捌きと圧倒的な魔法力によって優勝していたのだから。

 

 そう。たしかに圧倒的だった。

 一度も落水することはなく、今回のバカンスで海に誘った時だって特におかしなところは(あのピンク髪のことを除けば)なかった。だから当然、泳ぐことに問題があろうはずはないと思っていたのだが。

 

「…………」

「…………明日香?」

 

 じ~っと見上げていると、その視線に根負けしたのか、うっと小さくうめいた。

 

「……泳げないわけではないよ、うん。ただ泳ぐ機会がなかったというか、泳ぐ必要がないというか。水中では剣を振るうことはないし、水上戦闘の備えはあるから」

 

 しどろもどろ、といった態で言い訳を繕っているように見えるのは、突かれた言葉が真実だからだろう。

 エリカや深雪は意外、というよりも驚いたような顔をしており、達也も興味深そうに明日香を視ている。

 

「もしかして、精霊の加護ですか?」

 

 達也の目でもって視ても、古式魔法でいう所の精霊の状態を視ることはできない。けれどもそれを見抜くことができる人物が一人。

 

「…………本当にいい目をしているね、キミは。いや、ケイが言ったのかな?」

「え、あ、すみません」

 

 はぁ、とため息交じりについた明日香の言葉に美月は余計なことを言ったことを自覚してわたわたとなった。

 

「別にいいさ」

 

 自嘲気味の微笑みは、魔術師という殊に守秘的な魔法技能を有する家門の秘匿技術だからだとでもいうかのような素振りとしてみたものの

 

「そうそう。全然問題ないことだよ。むしろそろそろ泳ぎを覚えるべきじゃないかと、僕は思うけどね」

 

 それはいつの間にやら戻ってきていた圭によって粉砕された。

 

「お風呂とかには入ってるんだし、セミアクティブなんじゃないの?」

「ぐっ!」

 

 ついでにアストルフォも。

 指摘どおり、水没することなく水の上を歩くことも可能な精霊の加護だが、それは全ての水を弾くものではない。

 シャワーを浴びることもできれば、雨にも濡れるし、湯船に浸かることもできるといったように、あくまでも水上を歩くことができるようになる加護だ。

 だからこそ泳ぐ機会はなかったし、水泳という技能を習得する必要性も感じなかったわけだ。

 あまり隙らしい隙を見せなかったこの同級生の、思わぬ弱点に、嗜虐心を掻き立てられたのかエリカが「はっは~ん」となにかを思いついたように顔をにんまりとさせた。

 

「それじゃ―――」

「それじゃあ、泳ぎ方。教えるから練習しよう?」

 

 口火を切ったのはほぼ同時。けれども言い切ったのは雫だった。

 エリカが提案しようとしたのも、泳ぎの練習だった。

 ただ、それはこの“面白い時間”における余興の一環としてであり、雫のそれとは少し違った。だからだろう、差し伸べられた手に明日香は少したじろぎ、ちらりと圭を見た。

 自分と同様の、より確かな使命を帯びてこの時代を生きる友人―――はニマニマと愉悦を眺める体勢に入っている。

 

「…………お手柔らかに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの後達也は深雪やほのかたちと海水浴を満喫しはじめ、一方で明日香はもがいていた。

 

「明日香は力だけで水流に対抗しすぎ。もっと体の力を抜いて」

「げほっ! いや、力抜くと。沈っ!」

 

 泳ぎ方を教えるといっても口で言ってどうにかなるものではない。雫の小さな手に引かれながら、ガボガボと海水の塩辛さに苦しめながら泳いで、というか溺れていた。;

 なんとかバタ足だけで水上をキープしようと、筋肉で固く重い両足をここぞとばかりに空回りさせている。

 バタ足が穏やかな波の水面を荒らしまくって、ブルドーザーによって彫り上げられた土塊のように水塊を跳ね上げていた。

 

「不思議。明日香、運動神経はいいのに」

 

 明日香の戦闘場面を見ているからというのもあるが、普通に学校の体育の授業などでの明日香の動きを知っているだけに、こうも泳ぎに苦労しているのを見るのは不思議な感覚だった。

 もっとも、明日香にしてみれば言い分はある。

 精霊の加護によってこれまで泳ぐ必要はなかったのだから息継ぎのやり方などわかるはずもない。

 それにどちらかというと明日香の身体運用は、デミ・サーヴァントの時も基本的に身体能力の強化だ。泳ぐといった行動は陸上での行動や戦闘行為とはまた違う身体運用を求められる。

 海水は塩水だけに普通の真水よりも体が浮きやすいとか、適度に体の力を抜けば浮きやすいとか、理論的に言われたところで、「人の体は水の上に浮くようにはできていない」としか今の明日香には答えられない有様だ。

 

「って! 手を放、ごぶぶ…………!!!!?」

 

 明日香の髪の色が金髪だからだろうか。

 生まれたてのヒヨコに頼られているかのような庇護欲と、普段の凛とした姿のギャップに愛らしさと意地悪心が沸き立った。

 少しばかり、引いていた手を放すと、ものの見事に明日香は沈没ならぬ潜水を開始した。

 おそらく力の入れる勝手が違っていて、しかも強すぎるのだろう。

 もがくように手をばたつかせて雫の手を探す明日香の手を取ると、少しばかり強く引かれてよろめきかける。

 

「あっ」

「! ぷはっ! ご、ごめっ、しず、ぐぼっ!!?」

 

 思わず咄嗟に力を籠めすぎてしまったことと、引いた手の感触から雫のよろめきを察知したのだろう。慌てて立ち上がろうとした明日香はしかしそのまま倒れてきた雫に巻き込まれて今度は仰向けに沈んだ。

 

「きゃっ! ご、ごめん、明日香」

「げほ、がほっ! 塩からっ! だい、じょうぶっ、げほっ! 僕の方こそ、ごめん」

 

 下敷きにしたときに、思いっきり胸を明日香の顔を押しつけることになってしまい、跳び跳ねるように立った雫。

 突如顔面に押し付けられたほんのりとした柔らかさを感じ取るゆとりは明日香にはなかったであろうし、今も塩水に噎せているところだが、ほとんど裸に近い状態で押し倒すような形になってしまった雫は普段のクールな表情を赤くしていた。

 不意に明日香は目の前の少女のそんな恥じらいの姿に気づいた。

 気づいて、ドキリとした。

 今日という日に初めて見た雫の水着姿。

 幼く華奢にも見えるその肢体は、けれども少女から女性へと移り行く儚さを秘めており――――

 

「いやぁ、水の中だっていうのに随分と熱いねぇ」

 

 はっと、我に返った明日香が飛び退いている姿を、離れた所から圭をはじめ、エリカやアストルフォたちがこちらを興味津々に見ていることに、直感持ちの明日香は気づいていなかった。

 

 

 結局その後、明日香がなんとかレベルではあるが泳げるようになったのは、流石の身体能力と言えたが、それでも慣れない体の使い方に加えてかなり海水を飲んだことでむせ返り、休憩を入れることとなった。

 その間にほのかの方のセッティングとして考えていた計略を発動して……少しの失敗と引き換えに達也とほのかの距離を縮めることに成功(?)したのであった。

 

 海でたっぷりと遊んだ後、夕食はバーベキューだった。

 少々のトラブルがあって、夕食前に達也とほのかがボートデートをしたりもしたが、その後のバーベキューは和気藹々としたものであった。

 達也との距離を少しでも縮めようと頑張るほのかは達也にあ~んと箸を差し出したりしていたし、ぱくぱくとブラックホールのような胃袋に食物を入れる明日香に対抗したレオがフードファイトをしたりとあったが、概ね平穏であった。

 その後もほのかが達也を連れ出してナイトデートをしたりもして、その結果が大成功とも玉砕ともいかないものではあったらしいが、ほのかにとってはそれは納得できる結果であったらしい。

 達也のことだから、ほのかに気を使ったわけではないのだろうが、きっと嘘をついて誤魔化すこともなく、なにか大事なことをほのかに教えてくれたのだろう。

 それはきっと、雫が深雪から聞いたあの兄妹の関係に関わることなのだろう。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

バカンス編 4話

 ――――――バカンス初日の夜。

 徹夜で遊び続けるにはいくら何でも昼間に遊びすぎたし、夕食もたっぷり食べた。

 そうでなくとも元々雫は夜にあまり強くない。

 それでも若さ故の元気さで少年少女たちはしばし健全な夜遊びを楽しんだが……。

 夜はゆっくりと更けていき、まだ数日間バカンスが続くこともあって、その日の休息の時間はやってきた。

 普段の雫の寝室は、それこそ富豪の溺愛された令嬢らしい寝室だが、この別荘の寝室もハウスキーパーの人や昼間に雫達が遊んでいる間にいろいろと準備してくれたメイドの黒沢さんたちによって綺麗に、快適に眠れるように整えられていた。

 スプリングのよく効いたベッド。ふかふかの布団、南の島でも過ごしやすい快適な室温調整機能のある寝室はきっと心地よい睡眠をもたらしてくれるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………ゆっくりと、微睡みから睡夢へと落ちていったはずの雫はふと風が頬を撫でるのを感じた。

 見回すとそこは、色とりどりの草花が咲き乱れるなだらかな平原だった。

 視界を遮るものはなにもなく、ぐるりとあたりを見渡すと蒼天と大地とが見晴るかす限り続いている。

 勿論だが、雫はこんなところに来た覚えはない。

 覚えているのは自分が北山家所有の別荘に友人たちを連れてやって来たこと。昼間にたっぷりと遊び、夜になってベッドに入ったこと。

 いくら日本有数の富豪の北山家とはいえ、別荘島がこんなにも地平線が見渡せるような平原のある島なわけがない。

 

 であればこれは夢なのだろうか?

 明晰夢というものがある。

 寝ている状態で見る、()()()()()()()()()夢のことだ。 

 夢というもの自体は、睡眠時の中でも脳だけは活動している状態――レム睡眠時に見るものなので、覚醒のタイミングで、起きてから夢を覚えていることもあるが、多くは意識されるものではない。

 偶さか、自分が夢を見ているという自覚があるときがあるというのは知っているが、これがそうなのだろうか。

 だとすれば今見ているこの花園の光景は、雫が潜在意識で処理しているものか、あるいはどこかで見た光景を脳がふっと思い出したにすぎないはずなのだが…………

 

 花園の景色に一つ。人が立っていた。

 質素ながらも仕立てのよいローブを纏った誰か。そんな誰かを、雫は見た覚えがなかった。

 

 雫が彼に気づいたのを見て、その男はフードの中の顔に笑みを浮かべた。

 

「グッナイッ! 恋に迷える少女よ。ようこそ羊のお兄さんの夢の世界へ!」

 

 それはどこかで、聞いた覚えのある声に似ていた。

 けれども知らない。

 ただ、どこか…………その姿は“彼”に似ているように思え――――――

 

「でもレム睡眠とは感心しないな! 朝から二度寝かい? それとも昼から? なんにせよもっと深度の深い眠りを提案するよ。だって、そうしないと私がお邪魔できないからね!」

 

 やっぱり気のせいかもしれない。

 “彼”が最初の印象と違って、はっちゃけたところがあるのは知っているが、これではどちらかというと“彼”の親戚の方だ。

 妙にリアルな明晰夢だからだろう。夢の中なのに思わず雫は問いかけてしまった。

 

「アナタは……?」

 

 これは夢、妄想のようなものでしかないはずなのに問いかけてしまったことに、自嘲するようなおかしさを感じた雫は、フードの奥にある顔がニンマリと悪戯好きな妖精(よからぬことを考え付いた時の藤丸圭)のような笑みを浮かべたことに気が付いた。

 違和感があった。

 

 ――――これは本当にただの夢?――――

 

「うんうん。いい質問だけどもう少し話しやすい所に行こうじゃないか。僕特性のクロロホルム魔術、“アルトリアお勉強の時間ですよ”さ」

「え? だれ……――――――」

 

 雫の胸に湧いた違和感と疑問を形にする前に、謎の不審人物(夢の男)のよく回る舌が()()を紡いだ。

 

「な~に、発がん性とか心配する必要はナンセンスだよ。だってこれは夢なんだから」

 

 夢の中であるはずなのに――――雫の意識が花に包まれるようにして沈んだ。

 

 

 

 

 ………………………

 

 

 

 

 次に起きたとき―――雫の意識上ではだが―――そこは何故かどこかの広間の中だった。

 今時珍しい石造りの建物だろうか。

 だがそれは豪華絢爛で、まるで人の手によるものとは思えない威光があった。

 ただ、どこか重い印象を受けるのはそんな建物の造りのせいばかりではないだろう。

 そしてそんな広間の中で、円形の卓を囲うようにして並んでいる13の椅子の一つに雫は腰かけていた。

 着ている衣服は記憶にある限り直前まで着用していた寝間着ではなく、一校の制服。

 

 混乱する雫の対面には先程の怪しげな夢の中の人物が座っていた。

 男はフードを外した。

 窓から差し込む光に透かされたような虹色の長髪。稚気に満ちた微笑み。

 やはり見覚えはない。強いて言えば、藤丸圭が見せている素振りに似て見えるが………

 

「さあさあ、ようこそヴィヴィアン。気になる彼の過去話が聞きたいって? そうかいそうかい。それなら話そうじゃないか! 彼の中に宿る“彼”の物語を。王の話をするとしよう」

 

 そして些かテンション高めに、戸惑い困惑する雫をよそに切り出し始めた。

 不思議なことに、目の前の男が口にした“彼”という代名詞だけは、戸惑うことなく“彼”だと思った。

 獅子劫明日香。

 現代に残る魔術師の一人。

 デミ・サーヴァントになるという魔術を持つ、雫の命の恩人。

 そして……………。

 普段であれば冷たい視線を向けて無視しただろう。

 おしゃべりな男は嫌いだ。

 どちらかというと実は藤丸圭も苦手な部類だ。

 けれども、“彼”の話をするという男の言葉に、呆気に取られていたのもあるが、雫はとくりと胸の鼓動が期待に跳ねたのを感じた。

 

 感じた、のだが…………

 

「星の内海、物見の(ウテナ)。楽園の端から君に聞かせよう」

 

 何かよく分からない、勿体ぶった出だしが始まった。

 気のせいか周囲に花が舞っているような気もし始めた。だがそんな幻想的(苛立つよう)な語り口調は―――

 

「君たちの物語は祝福に満ちていると。罪無き者のみ通るがいい――ガーデンオぶふフォウッッ!」

 

 どこからか現れた白いナニカによって文字通り蹴り飛ばされた。

 コークスクリューを加える感じで小さな全身を銃弾のように錐もみしながら飛んできたそれは、謎の魔術師の頬を手加減容赦なく痛撃して倒し、さらには小さな前足でぺしぺしと追撃している。

 

「何をするんだ! キャスパリーグ! この悪猫め!」

 

 たまらず叫ぶ魔術師にのしかかる、その小さな動物は――――

 

「フォウくん!? …………え?」

 

 違和感を覚えた。

 目の前の魔術師にぐりぐりと爪を立てているリスのようにも見える小動物。毛並みの色やどことなくの雰囲気は魔術師のそれに似ており、自分はそんな小動物を()()()()()()()()()

 なのに口をついて出てきた言葉。

 

「フォウ?」

 

 魔術師を痛めつけていたフォウは雫が戸惑っているのを見て首を傾げている。

 けれども知らない。

 自分は()()…………

 

「少しばかり時間軸がずれているみたいだね。でも問題ないさ。君にとって、この夢はもう少し先の未来で見ている夢だ」

 

 優しげな声が、聞こえた。

 混乱している頭を無理やり動かして、倒れていた魔術師を見ると、上半身を起こしてこちらに微笑んでいた。

 その声はどことなく明日香に似ているはずなのに、向けている微笑みはどこか、酷薄さを帯びて見えた。

 それは、そう……人がヒトでないものを見ているもののようで…………

 

「それに逆接だけれど、これで君はキャスパリーグと縁を結べた。もう少し先で初めて出会うときに必要なことだよ」

 

 よいしょと身を起こした魔術師は、なおも威嚇しているフォウくんの首根っこを抓み上げ、ぽいっと円卓の上に放り投げた。

 すたっと卓上に着地したフォウはそのまま一席の前に陣取り、魔術師もまた席に座り直した。

 

「さて! それでは“彼”の話をしよう!」

 

 そしてまた口調は楽し気なものに。

 事態の場を呑み込めない雫だが、妙に彼の話を聞いてみたくなっていた。

 

「おっほん。彼の女性遍歴に関するものだったね。うん、それはもう実に多彩なものだよ。何せ彼は騎士の中の騎士にして王。貴婦人方の憧れの騎士で白馬に乗った王子様。修業時代に“彼”ともう一人と、もう一人の私が一緒になって旅をしていた時は、それはもう随分と熱烈なものを向けられていたとも」

 

 そんな話ではなかったはず。という反論は残念ながら雫の口から出てこなかった。

 そんな間がなかったのもあるが、雫がイメージしていた彼について、遍歴、というほど女性との関わりが多いことにショックを受けたのもあるし、話され始めた“彼”というのと繋がらなかったのもあるからだ。

 

「下心のあるものから単なる純愛。愛欲、敬愛、愛慕、性欲。うん、私とサー・ケイもそりゃあ多少は色目を使って睦言を囁きはしたけれど彼の騎士道の結果程じゃないと思わないかい? 彼の行動は確かに善意からのもので、ご婦人方の受けもそりゃあよかったとも」

 

 じとっ、と雫の視線が温度を下げたのも無理はないだろう。

 印象通り、この口うるさい男はちゃらついたところがあって――――けれども“彼”と共に旅をしていた、というのは、不思議なことに出まかせなんかじゃないと、すとんと胸に落ちた。

 

「ともあれ数あるそれらが実を結ぶことはなかった。なにせ彼は人でなしだ」

フォウ、フォフォーウ(お前が言うな)!」

「まあそうだね。最終的に人でなしが私だけになってしまったのは、……まぁいいじゃないか。それよりも“彼”の話だ。人でなしの彼だけど実は結婚経験がある既婚者だ」

 

 合の手を入れるフォウと、次なる衝撃。

 彼と“彼”とは違うのだと、その時の雫はなぜか理解できていたから、胸の痛みは強くはなかった。

 ただ、それでもやはり少し衝撃はあった。

 

「もっともその結婚は彼にとってはそういうシステム(舞台装置)だったからだ。政略結婚ともいうね。なにせ彼は理想の王様だ。理想の王には理想の王妃が必要だろう? 貞淑にして聡明。見目麗しく可憐で楚々として王を支える内助の王妃。その点彼女は理想的だった」

 

 魔術師が語るのは“彼”の物語。

 “彼”の父が、国が、民衆が求め、魔術師が造り上げた“彼”――理想の王という英雄の物語。

 雫の視界に、円卓ではない景色が映る。

 可憐な少女。お姫様、というのはかくあるべきだと体現したかのような少女は、馬に乗り去り行く騎士の背を見送っていた。

 

「彼女は王と王妃の関係も理想のみで成立するものと確信していたし、理念の尊さだけが人間を結びつけるものだと信じ込んでいた。王を敬愛し、憧憬し、その生き方に倣おうと必死だった。なにせ“彼”が王としての道を歩み始めてから10年、陰ながらずっと“彼”を慕い続けていたのだからね」

 

 騎士の背を見送っていた少女は、いつの間にか雫自身となっており、今度はその視界に肩を並べる王と王妃の姿があった。

 かつてお姫様であった少女は、“彼”と釣り合う程の、一対の妃となってそこに立っていた。

 

「けれど、彼女は理想的を貫き通すにはあまりにも普通過ぎたんだね」

 

 その王妃が、悲嘆に暮れていた。

 帰らぬ“彼”を思う。激務と繰り返される戦、民の嘆きに心身を削るかのような“彼”の姿。その役に立とうとして、けれどもなんの役目も果たせない自分の無力。

 

「理想の王様、理想の王妃様。とくれば次に必要な()()()()は理想の騎士様だ。強く、麗しく、弱気を見捨てず、王に献身の忠節を誓い、貴婦人に愛を囁き護る最強無敵の理想の騎士。なればこそ、籠の鳥たる王妃が理想の騎士と情を交えるのは自然な流れだったのだろう」

 

 やがて雫は一人の騎士が、そっと王妃を眺めていて、次の光景ではその騎士が王妃の涙をすくっていた。

 

「結果的に、理想の王妃と理想の騎士。“彼”にとって代えがたい妻と友が国を滅ぼす引き金を引くことになってしまったわけだ」

 

 最後に見た光景は、幾人もの騎士たちが理想の騎士によって切り捨てられ、片腕に抱いた王妃を馬上に乗せて走り去っていく、そんな光景を見送っている“彼”の姿だった。

 思わず雫は、理想の騎士と王妃ではなく、“彼”の顔を見た。

 そこには雫の知る彼の表情はなかった。

 どこまでも無機物めいて、感情も心も持ち合わせていない。

 伴侶を奪われたばかりだというのに、あるいは処されようとしている最愛を救い出されたというのに、激情も安堵も、そこにはなかった。

 そう、まるで、“彼”は――――――

 

「うん? “彼”は王妃を愛していなかったのかって? 勿論愛していただろうとも。けれど愛を語らい睦事を交わすには当時の“彼”は多忙を極め、重責を担いすぎた。人々はより良い理想を王に求め、“彼”はそれを当然の事として受け入れ成し遂げようとし続けた」

 

 雫の傍らで魔術師は物語を紡いでいた。

 それは確かに、王の物語であった。

 

「彼にとって大切なのは傍らにあって輝く光などではなく、彼に不満をぶつけ石を投げつけるような、そんな一般の民衆の幸福だったのだから。その意味でも彼には人の心が分からなかったのかもしれないね」

 

 一切の私情を交えず。友であっても、伴侶であっても、そこに例外はなく、ただただ国と民衆の為の王としての姿があった。

 それはもはや人ではなく、王というよりも、全てを救う神の代弁者たらんとするかのようであった。

 ただし神は人を救わない。

 そんな“彼”だからこそ、きっと“彼”は人ではいられなかったのだろう。

 

「生前の彼の女性関係であれば後は“彼”の姉君だね。彼女もねぇ、うん、美しい女性ではあったんだけどねぇ。誰が悪かったといえば……私とウーサーになるのかな……?」

 

 そしてそんな王の姿を、憎悪をもって見つめる一人の女性。

 喪服の様なベールに覆われたその顔を伺うことはできないけれど、口元には笑みが――王の国の崩壊が始まっていくことへの喜悦が浮かんでいた。

 

「まぁ、ともかく本来ならば王を助けるはずの彼女は王を憎んで、叛逆の騎士を創り出し、最終的に王を死に追いやることに成功した。あぁ、そういえば違う世界の私も、アルトリアと同じで“彼”に勘違いの挙句に告白めいたものを受けたりしていたんだったかな? うん、まぁ、それはカウントしなくても構わないね。非人間と非人間がお互いにすれ違って、抱いたものを人間らしい感情に当てはめてしまった結果だ」

 

 そして雫が見ている場面も変わっていた。

 陽光が黄金色に輝く中、大船団が今にも出立の時を待っているかのようなそんな景色の中で、王と魔術師が何かを話していた。

 魔術師の言葉に肩を竦めて呆れた顔をした“彼”は、くすりと微笑み、何事かを魔術師に告げた。

 呆気にとられた魔術師は、次に困ったような顔になって言葉に詰まり、分かれの言葉を告げる機会を逸した。

 そして魔術師と王は、互いに背を向けた。

 王は船に乗り遠き戦場へ。

 魔術師はこの世界から逃げるようにして花園へと消えた。

 

「以上が“彼”の生前における女性遍歴の代表かな。けれども彼女たちはあくまでも理想の王様という幻想に縛られた“彼”に関わった人たちだ」

 

 それは遥かな過去において、今も紡がれる英雄譚の中で行間に埋められた物語。あるいは頁の狭間に消えた数行の出来事だろうか。

 

 やがて光景は別の時代を映した。

 

「悲劇の中で故国の救済に失敗した“彼”は奇跡を求め、死に瀕してなお抗い続けた。滅びゆく故国を救うための奇跡――――聖杯だ。“彼”は世界の守護者を騙る詐欺師まがいの抑止力の誘いに応じて聖杯を巡る争いに身を投じた」

 

 先程までよりもずっと現代に近いどこかの屋敷の中。

 

「時代を超え、国を超え、世界を超え、そして出会ったのが3人目の彼女だ」

 

 雫もよく知る蒼銀の鎧に身を包む“彼”が、一人の少女と契約を交わしていた。

 可憐な少女。今の雫と比べてさえなお幼いだろう。

 陽に透けるかの如くに柔らかな髪。

 淡く、透き通った色の瞳。

 それらは翠色のドレスが実によく彼女に映えていた。

 そう。まるで輝きに咲き誇る一輪の花の如くで、“彼”が少女を護る騎士なのだと言われれば、ああやっぱり、と符合する絵画の如き光景だった。

 

「彼女は……そうだね、彼女ほど一途に“彼”を想った女性はいなかっただろう」

 

 契約の証は少女の胸に。

 人形のように愛らしく、神々しいとさえ思える少女の、フリルにうずもれたドレスの胸元に羽を模したかのような紋章が浮かび上がっていた。

 騎士然として契約の文言を紡ぐ“彼”。対して見上げる少女の瞳は熱を帯びていたかのように潤んでいる。

 

 たぶん――少女のその胸に去来していただろう感情の名は恋というのだろう。

 

「彼女は生まれて初めて恋をした“彼”に全てを捧げようと決意し、実際にそうした」

 

 まるでデートに行くかのように夜の街(聖杯戦争)へと繰り出す二人。

 時に踊るようにして食事を作り、時に挑発めいて入浴を誘って照れた表情を見せ、時には共に食事をして睦言のように言葉を交わす。

 そのどの光景にも、少女の恋心が溢れていた。

 

「彼女は万能だった。“女の子の機能を持って生まれた神”。しかし恋を知ったことで“女の子になってしまった神の機能”となった少女」

 

 ――「あなたに聖杯をあげると、決めたの」――

 

 可憐な唇が恋を謳うようにして“彼”に告げている。

 

「彼の願いを叶えるために彼女あらゆる手を尽くそうとした」

 

 ――「あなたの願いを叶えてあげる。あなたが、●●●●を救えるように」――

 

 輝く瞳は美しさを伴い。

 

 ――「そのためなら、何だってできるし、何だってするわ」――

 

 ただ、少女は眩く、柔らかな微笑みを“彼”へとかたむける。

 

「その結果――――“彼”は一途な想いを向けてくれた彼女を一突きに刺殺した」

 

 そして雫が見たのは、無防備な少女の心臓を、背後から“彼”がその手にする黄金の剣で刺し貫いている光景だった。

 

「なん、で…………」

 

 それは信じがたい光景だった。

 だって少女をあんなにも献身的で、あんなにも一生懸命で、あんなにも“彼”に恋していたのに。

 

 ――「……ぃた。痛い。痛いわ。セイバー。すごく、痛い。ごめん、なさい。痛くて、あなたが何を言っているのか、分からない、の」――

 

「それが自身の願いを否定するものだと知りながらも“彼”は彼女を殺した。文字通りすべてを捧げてくれた彼女を、だ。

 聖杯を手にするためにあらゆる非道を為すことを決め、幾百人、幾千人の無辜の民を獣に捧げ、自身の妹すらも供物にしようとしていた彼女。

 なぜなら神の機能たる彼女は分かっていたからだ、“彼”の願い、滅びという結末の定められた故国を救うためには人理を崩壊させる必要があった。

 過去と現在、そして未来、人という種、文明を破壊し尽くした果てに、“彼”の願いの叶う余地があると。

 世界を喰らう女神(ポトニテアローン)。彼女を指してとある王様はそう評していたね」

 

 少女は死に逝く最後の一瞬まで、“彼”には笑顔を見せた。

 

 ――「大好きよ、セイバー」――

 

 

 

 英霊とは、生前において、あるいは神話や伝説の中で偉業を成し遂げ、功績が認められた英雄のことだという。その功績が信仰を生み、その信仰をもって精霊の領域にまで押し上げられた存在だと。

 そしてサーヴァントとして人の使い魔になるのは、そうなってまで叶えたい願いがあるのからだとも。

 

 あれほどの騎士である“彼”が、あれほどまでに“聖杯”を求めた“彼”が、なぜ彼女に対してこんな結末を与えたのか。

 雫には分からない。

 

「少しショッキングだったかな。うん。でも次が最後の四人目だ」

 

 咲き誇る花舞う月下の庭園の中で、一人の騎士と一人の少女が契約を果たそうとしていた。

 

「“彼”の迷いを断ち切らせてくれたのは、なんというか……うん。平凡な少女だった」

 

 平凡、とはいえ、魔術師の少女だ。

 けれども魔法師である雫からしてみれば今更だ。

 年のころは雫と同じくらいか。

 先ほどの少女の神の造形を思わせる姿からすればたしかに普通の少女だった。

 

「神の機能たる少女の妹。暖かな温もりを授けられた幼子。それは“彼”が守ろうとした、貴いと感じた人の営みの果てに得られた未来の形」

 

 けれどもそんな彼女だからこそ、“彼”は再び戦場へと舞い降りた。

 そんな彼女をこそ守るために、“彼”は血塗られた呪いの丘より先、眠りの地へと旅立つのではなく。

 

「過去と未来は確かに繋がっていて、失くしたもの、失ったものはあっても、過去は礎となって今へと続く。求めた場所は、此処にある。求めた明日は……そう、彼女であり、君なのだ」

 

 王ではなく、騎士として在ることを選んだのだ。

 

「そうして“彼”は聖杯(奇跡)を否定した。滅びを待つ国、血塗られた丘へと戻り、終わりを受け入れた。そうして座に召し上げられた彼は、けれども一つの業を負った。そう、“彼”に恋をして、“女の子になってしまった神の機能”。求め続ける彼女の想いが再び“彼”を戦場へと喚んだ」

 

 一瞬だけ――――何かが見えた。

 獣の王冠であることを示すかのような角を持つ何か。

 

 けれどもそれが何か分かる前に、目の前の光景は円卓の広間へと戻っていた。

 

「人理を守るための戦い。人理を崩壊させる獣との果てしない戦い。そうして“彼”はここにいる。いつか辿り着く場所へ至るために。確かに求めた明日を、彼女(君たち)を守るために…………」

 

 魔術師は読み聞かせていた本を閉じるかのように両手を合わせた。

 ポン、という音と共に広間も消え去り、最初の花園に雫は立っていた。

 いつの間にか、魔術師の姿もなく、フォウくんの姿もなかった。

 ただどこか遠くて近いところから、魔術師の声だけが夢のように語りかてきていた。

 

「うん。今日のところはこんなものかな」

 

 急速に視界が狭まっていく。

 ここは夢の中であるはずなのに、まるでこれから眠りに落ちていくかのようだ。

 

「この夢の中での出来事を君はきっと忘れてしまうけど、確かに君は“彼”を見た。彼の中にある“彼”。君が恋をするのは、愛情を抱いているのはどちらなのか、今のうちにちゃんと考えてごらん」

 

 もはや視界は暗転し、聞こえていた声も朧気。 

 ただ、その最後の言葉だけは、雫の胸の中に一匙の澱のように残された。

 

 

 ――――別れはいつだって唐突に訪れるものなのだから…………――――

 

 

 

 

 

 

 




バカンス編 完

ひとまず当初描きたかった部分は描けました。この夢の会合部分がどうしても書きたかったんですよね。
少し間をおくことになると思いますがまだまだ夏休みが続きます。
次回は最初の方からちらちらと影が見え隠れしているもう一人のヒロイン候補が登場予定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お見合い編 1話

 九校戦にバカンスに突発性多発的小旅行(アストルフォの気まぐれ)にと、例年とは別ベクトルで大忙しであった今年の夏休みも残りを数えるばかりとなったある日。

 

「まったく、なんで君はこんなに直前でこんな要件を切り出すんだ」

 

 明日香は魔法科高校の制服ではない、外出着を着用して相方である圭にぼやいていた。

 夏真っ盛りであるため長袖のジャケットではなく青色のベストを着用し、白のワイシャツの首元には細身のタイが締められている。

 この装いが窮屈だから文句をつけているわけではなく、これからこの格好で赴かなければならない要件のためだ。

 

「これでも気をつかったんだけどねぇ、うん。だってほら、あまり早くに言うとライダーから雫ちゃんたちに筒抜けになっちゃうだろ?」

「…………」

 

 その相方である圭も、明日香と同様に、彼よりも少しばかり華やかなネクタイで締めた格好だ。ただ装いがカジュアルでなくとも、よく回る舌の滑らかさは変わっておらず、明日香は眉を顰めた。

 

「まぁ、見目麗しい女性と仲良くおしゃべりできる機会だ。僕が君の立場になるのもやぶさかではないけれど、そこはほら。やっぱりフィアンセが既にいる身の上じゃ、お見合い相手としては不誠実だろう?」

 

()()()()()がいるのに女の子に色目を使って出会いの運命を囁くのはいいのかと、ツッコミたくなったが、それを言うとなんだか自身の中にある霊基に都合が悪い気がして明日香は口を噤んだ。

 

 そして二人が現在赴いている先。藤丸家が都心から離れたところにあるのに対して、都心にほど近い高級住宅街。そこに建つ一際存在感のある洋風の邸宅が今日の目的地だった。

 諸事情から藤丸の屋敷も敷地面積こそ大きいのだが、そこで生活している“人間”は極めて少ない。対してこちらの邸宅は幾人もの使用人が働いている上に敷地も広大だ。

 お見合いなのに会場が相手方の屋敷とはこれ如何に、と思わなくもないが、邸宅の豪華さを見るにそれほど大きな問題でもないのかもしれない。

 敷地入り口から屋敷に案内されるまでの道すがらというものがある時点でなんともはや。

 

 もっともそれは、一応魔術師としてある身からして、この屋敷の主が権謀術数が得意と噂に名高いことを考えれば、自身のテリトリーに招きこんだと見えなくもない。

 魔法師に魔術師の工房のような概念があるとは知らないが、この屋敷には相手方の身内の魔法師が大勢いるだろうし、勝手知ったる領域だ。

 

 明日香も圭も、自身の身の上が特殊であることは理解している。

 現代おいて世界の表側に残っている最後の魔術師──少なくとも魔法師たちの知る限りにおいては。

 そして魔法師たちでは打倒できない“神秘”の塊、サーヴァントを打倒する手段を現状で唯一持つ存在。それは一高で起こったブランジュの事件と、九校戦の裏側で行われた誘拐事件、そしてかつての魔法師子女誘拐事件を通してよく知っている。 

 

「ようこそお越しくださいました。当主に代わりましてまずはお礼申し上げます…………って、改まって言うのもなんだか気恥ずかしいわね。いらっしゃい、藤丸君、獅子劫君」

 

 黒く長い髪に添った黒のカジュアルドレスと黒に映えるのは太腿を大胆に出したダークレッドのフレアスカート。

 二人を迎えたのは学校の先輩にして一校の会長、七草真由美であった。

 

 

 

 

 事の起こりは昨日の晩。

 この日、明日香は一日かけて机の上で文書ファイルとにらめっこしていた。

 二十一世紀になっても長期休暇に夏休みの宿題という類の課題があるのはつきもので、学生の中には夏休み最後の一日に泣く泣く問題集やタイトルだけが撃ち込まれた文書ファイルに向かう姿はお馴染みのものだ。

 とはいっても明日香が取り組んでいたのは学校の課題ではない。

 九校戦の選抜メンバーは学校の威信をかけた大会への練習などもあったために課題が免除されている。

 明日香が取り組んでいたのは主に()()()()()()()()()()提出するための報告書だ。

 時折、暇を持て余したアストルフォをあしらい、とっとと同様の報告書の作成を終えて優雅さアピールをしてくる圭を邪険に扱い、ようやく終わりが見え始めた。

 そんな時に、圭から「手助けの借りに」と明日一日、外出に付き合うように言われたのだ。

 要件を尋ねると、さらりと「君のお見合いだよ」だなどと言うものだから、適当に相槌で流そうとしていた明日香は大いに慌てた。

 驚きと動揺。けれども既に明日香には逃げ道などなく、今日に至る。

 

 

 

 

 

 使用人から案内を引き継いだ真由美によって通されたのは豪奢な調度品に飾られた応接間だった。

 十師族というのは日本において魔法技能に特に優れた28の家系の中から、更に選ばれた10家だけが任期づきで選ばれる集団で、表の権力とは関わらないという建前があったはずじゃぁ……などということがぼんやりと頭の片隅に浮かんでくるが、それが単なる建前にすぎないのではないかというのはこの室内を見ただけでも邪推できてしまう。

 十師族は表の権力には関わらない。それが建前。けれども魔法の脅威に対抗するためにはその力は必要不可欠で、十師族はそれぞれに担当地域における魔法師がらみの事件や国外からの魔法師の侵入などを防衛している。

 そして七草家の担当地域は東京を含む関東地域。この首都一円に対して強大な地盤を築いている一族だ。

 

 応接間には案内をしてくれた真由美の他に3人の七草がいた。

 

「こうして直接会うのは初めてになるね。七草家当主の七草弘一だ」

 

 革張りのソファに腰掛けた二人に対して最初に挨拶を述べたのは真由美の父である七草家の当主。

 真由美が狸親父と呼称するだけあって(勿論二人は聞いたことはないが)浮かべている笑みは初見では親しみを感じさせ、けれどもその裏には信頼の置けないなにかがあった。

 

「今日はよく来てくれた。歓迎するよ、今を生きる魔術師、藤丸君、獅子劫君。お二人には以前から会って御礼を言いたいと思っていてね」

「こちらこそお招きに預かり恐縮です、七草のご当主殿」

 

 座った位置関係は瀟洒なデスクを挟んだ対面ではなく、コの字の形。

 明日香と圭の対面には真由美の他に二人の少女が腰かけていた。挨拶を交わす圭の隣で明日香は対面に座る二人の少女に目を向けた。

 

 黒と赤を基調とした大人な雰囲気を演出している真由美とは反対に、二人の少女は淡い色合い──レモンシフォン色のワンピースタイプのドレスを着ており、どちらかというと少女らしい華やかさと可憐さを演出していた。

 やや幼げに見えるほどに少女らしい、という演出がどういった趣向からなのか、あるいは七草家の当主殿が明日香と圭に対して得たどこかしらの情報からのプレゼンテーションの一環なのかは測りかねるが、確かに少女たちの演出方法として適切ではあった。

 深雪や雫、真由美の例にあるように優秀な魔法師というのは往々にして眉目秀麗なことが多い。

 イコール関係ではないにしろ、一種の目安にはなるものだと言われており、この二人の少女も客観的に見てかなりの美少女と言える。

 一人は肩にかかるくらいのストレートボブの少女で、髪飾りとして淡い色のリボンを前髪の一房につけており、ペールターコイズのサッシュリボンを細いウェストに巻き付けている。

 もう一人は逆の配色をしたサッシュリボンと、髪飾りの代わりに肩口にレースシフォンボレロを羽織っているショートカットの少女。

 どちらの少女もライムグリーンの色の瞳をした可愛らしい少女で、トランジスタグラマーな真由美と比較すると体格こそ華奢な印象を受けはするが、彼女とは別ベクトルで愛らしい少女たちだ。

 年齢的にもほとんど同じくらいに見え、あるいは、というよりも彼女たちが魔法師の間で噂に名高い“七草の双子”なのだろう。

 髪型に差異はあるが面差しはとてもよく似ている。

 ただ、浮かべている表情は対称的だ。

 髪飾りをつけた少女の方は熱を帯びたような潤んだ瞳を向けているが、ショートカットの少女の方は威嚇するような視線を向けてきており表情と相俟って勝気なボーイッシュな雰囲気が漂っていた。

 

「末娘の泉美だ。以前君たちに救ってもらったことがあってね。覚えているかな」

 

 まず紹介されたのは髪飾りのある少女。

 ぺこりと会釈した少女は緊張しているのか、明日香と目が合うと顔を真っ赤にして恥じらうように俯いた。

 七草の双子については、今回七草邸を訪れる前にある程度は調べていたし(主に圭が)、かつての魔法師子女誘拐事件で関わりを持った相手であることは認識していた。

 ただその顔がうろ覚えであったのは、あの時、彼女と会った時にはまだやるべきこと、コロンブスの討伐と他の魔法師たちの救助が急務だったからか。

 うすぼんやりとした印象しか記憶に残っていない明日香に反して、泉美の方はかなり思い入れのあるような視線を明日香に向けているが……。 

 

「それと、真由美は知っていると思うが、泉美の双子の姉の香澄」

 

 そんな末妹の姿に、真由美はあらあらとでも言うかのように笑みを浮かべ、香澄と紹介された少女は面白くなさそうに顔を険しくした。

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 ────2年前。 

 

 

 魔術などの異能の“発見”から魔法の創成、エレメントなどの過程を経て、現代魔法の理論は構築された。

 魔法技能が“なんらかの”遺伝的素質らしきものに依るものであることが判明してくると、国家が主導しての強制交配じみた行為や人工授精、遺伝子操作などが行われるようなこともあった。

 それらの暗中模索は、先達である魔術師たちの謎の消失や古式魔法師たちの知識の喪失といった不可解な現象があったが為なのだが、それらのミッシングリンクがなぜ起こったのかは未だに明らかにされていない。

 日本においてはその効率的な運用や発展のために十の魔法技能師研究所が設立され、それぞれのテーマに沿った魔法の開発が行われた。

 そして元々、七草は三枝──―つまり三の由来である魔法技能師開発第三研究所の最終実験体であったとされる。

 しかしその後に第七研究所に移管されたという経緯があり、両研究所の研究テーマであったのは“多種類多重魔法制御”や“対集団戦闘を念頭に置いた魔法”。

 結果、七草家は特定の不得意魔法のない“万能”の系譜として成立した。

 その“万能”さ、魔法師としての優秀さをして、七草家は現代の魔法師たちにとって知らぬ者のいないほどの名門となっている。

 十師族という制度ができてから一度も選外になったことがない、魔法師における名門中の名門。四葉と並び双璧とされるほどの一門。

 そして日本の魔法技術の水準は世界でもトップクラスとされる。

 つまり七草の一門は世界的に見ても魔法師のトップ集団に数えられる家柄だといっていいだろう。

 

「一番の収穫(お宝)はやっぱこいつだよな」

 

 だがそうは言っても、七草の名を持つ者すべてが現時点で高レベル魔法師というわけではない。

 そもそも世界的に見ても高水準である日本の魔法師に限って見ても、実用レベルの魔法を使用できるのは最も魔法力が顕在している(成長途上あるいは減衰前)とされる中高生時期でも年齢別の人口比でおよそ0.1%にしか過ぎず、事故や現実に対する強固な認識固定などにより魔法力を失うケースなどもあることから、成人後も実用レベルの魔法力を維持している者は年齢別で十万人に一人以下とごくわずかだと言われている。

 そしてその実用レベルの中でも、実戦に通用するレベルの高レベル魔法師ともなればさらに少ない。

 

「十師族のお嬢様だぜ」

 

 十師族ともなれば幼少期から魔法の修練には取り組んでいたりするが、高度な魔法技能の学修が始まるのは魔法科高校へと進学以降。

 中学生になるかならないかといった年齢の少女では、暴漢たちへの恐怖に身を震わせてしまうのも無理はないだろう。

 

「日本の化け物(魔法師)どものお姫さまとこんな形でお会いできるなんざ、まったく、おカシラさまさまだぜ」

 

 まして今の彼女──七草泉美には魔法を行使する力はおろか、身体を動かすための自由すらもないのだから。

 魔法師ですらも圧倒した白髪の髭男。彼によって嵌められた首輪は彼女から魔法の技能を行使する意志も、逃げ出そうとする意志も、抗う意思そのものを封じている。

 それでも流石は十師族の直系と言うべきか。

 ここにはいない他の少女や魔法師たちは彼女よりも上の年齢の婦女ばかりであるのだが、最も思考するだけの余分を残しているのが彼女だった。

 それが幸か不幸かと問えば、一概には決められまい。

 なにせ思考することはできても抗おうとすることそのものは計画することすらもできないのだから。

 他の魔法師たちが調教済み奴隷だとするのならば、泉美はまだ躾けがいのある、これから調教する余地のある奴隷だと言えた。

 故に、彼女だけは他の奴隷たちとは違って特別待遇を受けていた。

 

「十師族の、つってもまだガキ過ぎじゃねぇか?」

 

 他の魔法師の子女たちが今頃品定めをされている頃、反抗的な意識を辛うじて残す泉美は、数名の男たちに別室に連れてこられた。

 非魔法師から見て、十師族・七草というのは雲の上の存在。魔法師などという怪物たちを支配する超常者の家柄。

 それを自分たちが躾けられるのだ。

 

「へっへっへ。分かってねぇなぁ。だからこその楽しみ方があるんじゃねぇか」

 

 そして捕まえた他の魔法師たちと泉美との違いは、彼女の出自、確たる家柄の良さだけではない。

 

「よぉ、七草のお嬢様よぉ。このゼンリョーな一般民の俺たちに教えてもらいてぇんだけどよ」

 

 ──―もう初潮は来たのか教えちゃくれませんかねぇ──―

 

 年齢。捕らえられた魔法師たちの中で、泉美は最も若く、幼い年齢だったのだ。

 

 

 

 

 

 ゾッという怖気が泉美を襲った。

 魔法師とか、非魔法師などと関係なく、大の大人が、中学生になるかならないかの子供に不躾にしてよい質問ではない。

 なんでもない日常において突然なされた問いかけなら、赤面して怒りを顕にしただろう。

 

 だが今は、ニヤニヤと自分をモノのようにしか見ていない誘拐犯、いや、もはやこの規模は組織だ、そんな輩に拉致され囲まれている状態で、恐怖でいっぱいになった。

 怖くて、おぞましくて、十師族、七草の直系として情けなくとも体はガクガクと震えて固まってしまいそうになるのに、その問いかけと、答えろという圧力に、まるで魔法をかけられているかのように首が動こうとしてしまう。

 

 ──いや! いやぁ!! ──

 

 ゆっくりと、抵抗しようとする理性とは反対に、泉美の体は首を横に振ることで答えを返してしまった。

 即ちまだだ、と。

 その動きに、問いかけた男をはじめ、周りの男たちが口笛を吹いてそのことを囃し立てた。

 

 前世紀末頃、様々な生活や様式の変化から早まってきていた初潮──少女たちの初めての生理は、その後頭打ちとなって落ちつき、フリーセックス時代を経た後、地球規模の寒冷期による食糧事情の変化や気候変化などの要因により、むしろ少し遅まっていた。

 それも相まって、現在では結婚まで貞操を保つという観念が一般に広がっているだから、中学に上がる直前の泉美がまだ初潮を迎えていないのは決して平均と比べて遅いわけではない。

 未だ二次性徴を迎えておらず、乳房はまだ明らかな膨らみを持っていないし、体型も幼児体型と言われればその通りだ。

 だが双子の姉である香澄よりも、多少賢しらだと自認している泉美は、大人に好かれやすく、また少女としてよりらしい服装や立ち居振る舞いを心がけている。

 ただそれは泉美の賢しらさによるものだけでなく、彼女の性格的に貞淑さが心地よいからだ。

 そんな彼女にとって、自身の生理状況を暴かれるという羞恥は耐え難いほどだった。

 だが耐え難い、というのはこれからだった。

 

「な~るほど」

 

 仲間の質問の意図と、その答えが意味することを察しよく気づいてしまった誘拐犯たちの笑みが深まる。

 捕らえた魔法師の女たち──奴隷たちにはこの後の行く先、売り払い先が決められている。

 現在、世界的な傾向として、そして日本の魔法政策として、魔法師、特に高い魔法の才能を持つ者の渡航や海外結婚は著しく制限されている。

 異能から魔法への過渡期においては推奨されていた多人種との結婚は、しかし現代においては自国の軍事力の流出という観点から殆ど禁じられているといってもいい。

 ただそれは日本やUSNAのような魔法先進国にとっては良くても、魔法後進国や大亜連合のように古式的な魔法の技術を失ってしまった国にとっては足枷でしかない。

 そこで他国の優秀な魔法技術を、魔法師ごと掠奪するということがある。

 今回もそうだ。

 誘拐された少女たちは奴隷としてとある隣国に売り払われる。そしてそこで魔法の知識を供与させられ、優秀な魔法師の因子を持つ者は母胎として使われる。

 この少女は特にそうだ。

 日本の魔法師たちのトップ。それも一度も十師族の選外に落ちたことのないほどの名門・七草家直系の女だ。その胎に宿る才能は素晴らしいものとなるだろう。

 つまりこの少女はこの国に敵対する国家の魔法師を生み出すための孕み袋になる運命。

 だから本来ならば、魔法師でもない男たちの子種を植え付けてしまうわけにはいかないのだが………… 

 

「種着けはダメでも、着くところがなけりゃあ、種着けにゃならねぇよな」

「ってことはナカダシし放題じゃねぇか!!」

 

 今はまだ、孕む危険性がない、というのであれば、他の少女たちとは違っても別にいいではないか。

 男たちが喝采を叫び、獣性を露わにした。

 

 

 

 

 

「────!!!!!」

 

 悲鳴が、喉を裂いて出そうになる。

 ケダモノたちの会話が分かるほどには、泉美は勉学を積んでいた。

 

 それは皮肉的な運命なのか? 

 

 かつて十師族で、とある少女が誘拐されたことがあった。

 その少女は異国のとある魔法組織に拉致され、様々な凌辱を受け、生殖機能を喪い、心と体に大きな傷を負った。

 その少女の婚約者であったとある十師族の少年は、少女を守ろうとして片目を失い、少女の失ったものを知り、両家は二人の婚約関係を解消した。

 魔法師としての、特に十師族ともなれば、婚約とは両家の繋がりとより性質の良い魔法師を生み出すためのものであり、生殖機能を失った少女は婚姻の対象にはなりえなかったからだ。

 二人の間に愛情や好悪の感情がどれほどあったのかは知らない。

 けれども片目を失った少年は、当時からの再生医療の技術と魔法があれば瞳を再生出来たのにもかかわらず、自分だけが何も失わずにのうのうとは生きられないと、以来隻眼となって過ごしている。

 そして大人になって、少年だった大人──泉美の父親である七草弘一は別の女性と結婚して二男をもうけ、さらにその後妻との間に三女をもうけた。

 一方で生殖機能を失った少女は、その記憶をそのままに心を改竄されて、今も伴侶はなく、極東最強の魔法師として十師族のとある一門の頂点として君臨している。

 

 かつて婚約者(四葉真夜)をそうして失った(七草弘一)の子供が、また同じように奪われようとしている。

 

 泉美の心は、必死に抗おうとして、けれども“鎖”で自由を拘束された体は、まるで泉美に従ってくれない。

 

「これから先、一生ただの魔法師孕み袋になっちゃあ可哀想だからなぁ。俺らがお嬢ちゃんに女を教えてやるよ」

「そうそう。俺らは義務でお嬢ちゃんにいれたりしねぇよ。たっぷり可愛がって、ちゃぁんと愉しめるようにしてやるからな」

「────―。────―ッッッ」

 

 囃し立てる男たちの手が泉美の未発達な乳房に伸び、弄び始めた。

 泉美の脳は痛みを感じ、けれども体は意志とは裏腹に奴隷としての役割であるかのように男たちの悦ぶ敏感な反応をしてしまう。

 襟元を乱暴に引っ張られてボタンが弾け飛び、下着のキャミソールが露わになる。まだ芯の残る乳首が薄い下着の裏でピンと主張し始める。

 押し倒されて両脚を持たれ、心ばかりの抵抗をしようとしても乱雑に開脚を強いられ、スカートの奥の可愛らしいパンティを露わにされる

 

 ──―お父様ッ! お姉さまッ! ──― 

 

 自身の純潔を凌辱せんとする現実の拒絶と、抗えない絶望。

 泣き叫びたくとも泉美の口からは、塞がれているわけでもないのに声も出ない。

 獣たちの興奮した下半身はもはや隠すなと言わんばかりにテントを張って飛び出す時を今か今かと訴えており、迫りくる凌辱の時に対して、泉美ができるのは現実を拒むように固く目を閉じることしかできなかった。

 

 ──―誰かッ! 助けて!!!! ──―

 

 

 

 祈りの言葉は誰の耳にも届けられず、けれども何かが落下する音が部屋に響いた。

 

「あぁ!? なんだぁ!?」「ガキ?」

 

 目を閉ざしていた泉美には見えなかったが、男たちは天井にある通気口の蓋が落ち、そこから一人の子供が飛び降りるのを目にしていた。

 フード付きのコートで全身を隠すかのようなその子供は、次の瞬間男たちの視界から消えた。

 

「ぐぎゃぁ!!」「げはっ!」「な、ぎぃっ!!」

 

 恥辱の感覚が無慈悲に訪れることに絶望しようとしていた泉美の耳に届いたのは、先程まで愉悦の会話を交わしていた男たちの短い悲鳴だった。

 固く瞳を閉じていた泉美は、けれどもいつまでもおぞましい凌辱の感覚がその身に訪れないことに気づき、ゆっくりと目を開けた。

 

「え…………」

 

 目を開けて、まず入ってきたのはフード付きのコートを被った誰か。

 泉美の胸を弄んでいた男も、両手足を掴んでいた男たちも壁の方へと吹き飛ばされており、動く様子はない。

 立っている誰かは少年だろうか。

 床から見上げる形になっているため本来の身長はわからないが、大人の男性ほどには大きくはないように見える。

 その誰かが、泉美へと視線を向ける。

 

「あ……」

 

 先ほどまでの獣のような男たちとは違う澄んだ瞳。

 それは息を呑むほどに美しい碧色で、思わず泉美はその瞳を見つめた。

 

「その鎖は……宝具か。動きではなく自由を拘束しているのか」

 

 少年は感情などないかのような冷静な、冷酷な碧眼を泉美に、そしてその首元に嵌められている戒めへと向けていた。

 その言葉に、泉美ははっとして自分の姿を思い返した。

 上着のボタンがすべて壊され、下着のキャミソールが露出した状態。そのキャミソールも捲りあげられて胸元の危うい所まで見えかけており、何よりも危険なのは足元だ。

 両足が開脚させられていたため、その中心の最も恥ずかしい場所が丸見えの状態。

 幸いにも下着はまだ脱がされていなかったが、羞恥は強い。

 すぐに脚を閉じて視線から逃れたいが、思考に反して体は素早く動いてくれない。

 だが、その羞恥はその視線の主によって遮られた。

 

 ──え……? ──―

 

 泉美の体を隠すように布が被せられた。それは眼の前の誰かが先程まで着ていたもので、コートを脱いだことで顔が見えた。

 金髪碧眼。

 少年、といっていいだろう。日本人離れした容姿で、年齢は自分よりやや年上に見えるがそれほどは離れていなさそうだ。

 

「────。──―! ふぅ。……セイバー!」

 

 大声での呼びかけに、泉美だけでなく少年も気が付いたかのように振り向いた。

 金髪碧眼の彼に見惚れていた泉美は気づかなかったが、もう一人別の少年がいつの間にか室内に居た。

 今泉美の肢体を隠しているコートと同じものを羽織っており、顔を隠していたフードを上げて顔を露わにした。その顔はどこか苦々し気だ。

 

「どうやらこの子は連中にとって少し特別だったらしいね。情報だと魔法師の重要人物の家の子が誘拐されたらしいからその子かな。他の子たちはサーヴァントのところだ」

 

 そして口にするのはやはり泉美のことを気にかけたものではなく、同じく捕らわれている魔法師たちのこと。

 

「わかった」

「君の直感のおかげでこの子は助かったけど……明日香、前にサーヴァント化した時よりもキミ、かなり影響を受けてないかい?」

 

 交わされる会話の内容は泉美には分からない。

 

「サーヴァントとしての力が馴染んできているように感じる……。今は力を多く引き出せるのは好都合だ」

「気づいてないみたいだから言っておくけど、さっき、自分の名前に反応できなかったぜ?」

「…………」

「立場が立場だけに、使うなとは言わないし、言えないけど、霊格の違いに、君の自己境界が潰されかかっている。急激に引き出しすぎると、呑み込まれるよ」

 

 けれども彼らにとってそれは、少なくともどちらかにとっては苦々しい思いを抱かせるものだったのだろう。

 

「……それでも今は、敵のサーヴァントを討伐するのが優先事項だ」

 

 金髪碧眼の少年は、見上げる泉美に背を向けた。

 光の粒子がその体を覆ったかと見えた次の瞬間、少年は衣装を変えていた。

 蒼と銀の騎士鎧。

 フードを頭からかぶり、再び頭部を隠した少年はそうして名も告げずに戦場へと駆けていった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お見合い編 2話

 

 お見合い、といっても一人は高校の先輩で、よく話す親しい間柄というわけでもないが、いくつかの事件を共にした仲ではある。

 

「えっと、アストルフォさんって、男性だったの……?」

「シャルルマーニュ英雄譚でも男性でしたが」

「ん~っと、それはそう、なんだけど、ね……」

 

 ちなみに今は、明日香と三姉妹のみで、圭は互いの自己紹介が終わって早々に「後は若い者同士で」などという前世紀以前から使い古されていそうな(言いたかっただけな)テンプレート台詞を述べて七草家当主と別室に退いた。

 

「それにしても、藤丸君じゃなくて獅子劫君がこのお見合いを受けてくれるとは思わなかったわ」

 

 受けたわけではない、というのはこの場に来てしまっている以上、通用しない言い分だろう。

 実際、今回のこのお見合いは藤丸家(明日香含む)が十師族と縁戚関係になるつもりがあるかというと怪しいところがあるが、圭としては表の権力と強く関係性のある現代の魔法師とはいい関係を結んでおきたいところなのだ。

 前世紀までには存在があった魔術師は基本的に一般民衆の生活に溶け込んでこそいても、魔術を国家のためや民衆の生活のために使おうとはしなかった。

 魔術自体が科学技術といった近代以降の文明と相性が悪かったのもあるし、生活に役立てるなどといった発想がそもそも魔術的ではなかったためでもあるが、けれども彼らは権力とは巧妙な形で結びついていた。

 時に地元の名士として地脈を抑え、時に教会と接触を持ち、時には国家権力や国際連合とさえ関係を築いたこともある。

 だからこそ魔術がらみの事件があったときには街ぐるみ、国家ぐるみの隠蔽工作がなされることもあったし、とある国、とある警察機構においては魔術師(魔術使い)が一団を形成していた、なんてこともありえた。

 かくいう藤丸家も、とある超国家的組織に所縁のある魔術家系ではあるのだが……

 

「ケイには一応許嫁がいますからね」

「そうそれ! お返事をいただいた時に知ったのだけどそれがびっくりなのよね。彼って、その、そういうタイプじゃなさそうじゃない?」

 

 圭としては真由美ほどの美女と楽しくおしゃべりする機会は厭うものではないし、どちらかというと軟派を自認している。学校でもよく女の子を口説いている光景がお馴染みだ。

 だが、お見合いともなれば話は変わる。

 魔術師の家門として、()()()許嫁が決まっているという建前上、おおぴっらに十師族の魔法師とお見合いを受けるわけにはいかない。

 けれども同時に、この話を突っぱねるには七草家の影響力は大きすぎる。

 過去の経緯もあって明日香と圭が最も関わりのある十師族は間違いなく七草家と十文字家だ。逆の視点として、魔法師側にとっても今世界で唯一存在が確認されている魔術師との窓口となっているのがこの二家ということにもなる。

 魔術を捨て、魔法を選んだ古式魔法師とは異なり、失われた魔術がどういうものなのか、現存させている唯一の家門。

 近年ではサーヴァントという超常的な存在、魔法師をも凌駕し、一般人にさえ被害を齎しかねない危険な存在が跋扈してきていることや、魔術がそれすらも打倒できるほどの強力な戦力となるというのなら、国防を担う魔法師の一門としては是非とも味方に引き入れておきたい、留めておきたい存在だろう。

 そして十文字家には藤丸や獅子劫と婚姻関係を結べる直系の女性はいない。となれば残る窓口である七草家が乗り出してきたのもわからなくもない。

 そして圭としても、現代における魔法師との繋がりはなるべくなら悪化させず、良好な関係を結んでおきたいというのが実情なのだ。

 何故なら既に今が特異点になっていたのだとしても、そうでなくとも、この時代から先の未来を繋げていくためには、過去に遡ることこそが本懐であった魔術なのではなく、この時代の人間こそがそれを成せるのだから。

 

 ────―という尤もらしい台詞を、昨日急遽、「いやぁ、雫ちゃんたちとのバカンスの最中に切り出さなかった僕の英断に感謝してもらいたいねぇ」などという結びの言葉と共に言われたものだから、半ば愉しんでいるのだろう。

 ただし、それと同時に、カルデアの魔術師の一人として、魔法師たちと良好な関係性を築いておきたいというのも本音だろう。

 

「それで。どうかしら、明日香君? うちの妹たちは」

 

 思考は片隅に。

 今は何よりも見合いの場の華たるレディに集中しなければならないとは、彼自身も思っているし、どことはなしに霊基も訴えかけている様ではあった。

 

 好意的な視線と威嚇的な視線。

 このお見合いに先んじてというわけではないが、魔法界で大きな影響力を持つ七草家のことは当然ながら圭が調べていたし、魔法師ならぬ魔術師である彼らでも容易に多くの情報は仕入れられた。

 

「真由美先輩の妹さんたちのことは聞いたことがありましたが、こんなに可愛らしいレディたちとは知りませんでしたよ」

 

 そのうちの一つが彼女たちのことだ。

 “七草の双子”。

 十師族の直系であるから、周囲から期待される程の魔法師としての素質を有していることもあるが、泉美と香澄という双子の少女魔法師は、とりわけ珍しい、特異的とすら言える魔法特性を有していることからその名が知られている。

 とはいえ、それらの情報からでは実際に対面した時の反応までは予測することはできまい。

 

「うちの父の思惑っていうのもあるんだけど、特に泉美はあなたにずっと会いたがっていたのよね」

 

 今回、七草の当主である弘一はとにかく魔術師との繋がりを強くすることが第一目的で、三姉妹の誰と、見合い相手を指定はしない豪儀さを見せていた。

 現時点で同じ一高の先輩後輩関係にある真由美でも、かつての誘拐事件で関わりを持った泉美でも、好きに選んでくれて構わない、と。

 ただ三姉妹、少なくとも真由美としては今回のお見合いのメインは末妹の泉美であるようだ。

 社交辞令ではありそうだが、決して悪くはなさそうな感触に真由美は少し踏み込んで推してきた。

 

「まぁまぁ、それじゃあ二人で少しお庭の散策でもいかが?」

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 七草家の敷地面積は、散策を愉しむには十分で、陰ながら妹の逢瀬を覗き見ることのできるほどには広い。そして名家らしく目を楽しませる庭園や魔法の訓練施設など、初来訪の明日香に紹介しつつ話を繋げていくには容易いくらいだ。

 

「う~ん、まだ緊張してるわねぇ」

 

 離れたところから泉美と明日香を見守っているのは、別に明日香が(泉美)に対してよからぬことをするのではないかと危惧してのことではなく、興味心からだ。

 真由美から見て、泉美はよく言えば大人びた、悪く言えばおしゃまなところのある妹で、活発でボーイッシュな香澄よりも猫かぶりという点では自分に近い。

 ただ二人の妹は揃って真由美の恋愛事情に妹ながらのお節介を焼くような(あるいは監視を)ところがあり、真由美の方から妹の恋愛事情を眺めるのは新鮮なことでもあった。

 大人受けのするできた娘を演じるのがデフォルトの泉美だが、今、しおらしく淑女然として振る舞っているのは、そういった猫かぶりよりも憧れの“君”と会えたことによる緊張からだろうというのが見て取れた。

 真由美が泉美をメインのお見合い相手として定めているのは、いつも年齢より背伸びしがちな妹が、常々見せている恋する乙女としての思いを応援したいからというのがあるのだが、対してもう一人の妹である香澄の方は対極的だ。

 

「香澄ちゃんは泉美ちゃんの縁談には反対?」

 

 眉根を寄せて不機嫌さをアピールしている。

 かぶっている猫の数の多さなどは泉美が自分と近しいが、それは決して香澄と真由美に似ているところがないというものではない。どちらかというと父親への反発心などは香澄の方が真由美と似ている。

 泉美は良くも悪くも大人受けのする性格を演じる癖がつきすぎていて、逆に香澄は叛骨的なところがあるのだ。それは常々、(お嬢様らしくはないが)狸親父と父を評している真由美の性格とも近い。

 それがために、父などは泉美のことを末娘であることも相俟って、子供たちの中で最も気に入っている。

 真由美にしても、香澄も泉美も自分のことを慕ってくれる可愛い妹たちだ。

 

「だってアイツ! ……アイツ、他にも助けた女子にいい顔してるって…………」

「北山さんのこと? ほんとに、あなた達はどこでそういうの聞いてくるのよ」

 

 ただ、七草家の諜報部を私的に動かしでもしているのか、双子の妹たちはしばしば真由美の交友関係──特に一高において真由美と関係性の強い男子のことを把握しており、なにやら牽制紛いのこともやっているらしい。

 それが今回は彼のこと──どうやら北山雫の情報を仕入れてきた様だ。

 

「獅子劫君は真面目な人よ」

 

 少なくとも、というのは彼の相棒であり本家筋にあたるという彼の従兄弟の方はかなり無節操に女の子に声をかけているというのが真由美の認識だからだ。

 確かに、北山雫と彼との仲の良さは、お見合いを行う上で横恋慕になるのではという懸念がなくはない。

 明日香にとって北山さんは過去の関わりもあるからやや特別な扱いをしているようにも見えるが、けれども二人は交際しているわけではないようだし、なによりも過去のことを持ち出せば妹だって関わり始めた時期は同じ時期だ。

 それに北山さんの方は今年に入るまで明日香や魔術師関連のことを忘却していた。その間も想い続けていたというのであれば………………。

 

 

 

 

 

 ──―隣に立つ少女の姉二人の視線を感じながらも、少女に案内されながら七草の庭園を散策していた。

 

「来年は高校生、だったかな?」

「はい。私と、香澄ちゃんも一高が第一志望進路です」

 

 二人きりになって暫くの間緊張が抜けていないようであったが、彼女にとって見慣れた庭を散策するうちに落ち着きを取り戻した様で、今は自然な微笑みを明日香に向けている。

 真由美もそうだが、彼女も身長はあまり大きくはなく、細身なスタイルは年相応からはやや小柄と言っていいだろう。

 けれども淑女然とした佇まいは、むしろきっちりしているときの真由美以上に大和撫子と評することができるかもしれない。

 

「優秀そうだ」

 

 もちろん明日香は彼女の学業成績や魔法師としての能力を詳細に知っているわけではない。

 ある程度は圭が調べたので魔法師の中でも特異な能力──“七草の双子”と呼ばれるだけの能力を有しているのは知っている。

 それにあの真由美の妹なのだ。

 周囲からの期待もあるだろうし、それに応えようとする素直さはある様に見える。

 あとはお世辞も幾分。

 それは泉美も分かっているだろうが、それでも泉美は明日香からの評価に少し照れた様にはにかんだ。

 

 

 

 

 ────彼と以前に会ったのは、たった一度だけだった。

 吊り橋効果というものがあるのは知っている。

 危機的な状況、過度な緊張を伴うシチュエーションでは、早鐘を打つ胸の鼓動を恋と錯覚してしまうといったもの。

 双子の姉である香澄からはロマンチスト(少女趣味)だなどと言われるが、確かにそうなのかもしれない。

 危ういところを救ってくれた王子様に恋心を抱いて、会えもしない幾年月を想い過ごすなんてロマンチスト(少女趣味)でしかないだろう。

 七草家では現在、泉美たちの異母兄である長男の智一が結婚して既に七草の屋敷から離れて暮らしている。次男の孝次郎は未婚だが、長女の真由美の結婚相手として十文字家と五輪家が候補に挙げられている状態だ。(十文字家の相手というのは真由美の同級生である克人)

 姉である真由美がとても美しく、身内贔屓なしに見ても可愛いし、自分の容姿だって決して悪くはない。どちらかというとそれを武器にできるくらいだとは思っている。

 泉美自身、実際のところ、学校の同級生は先輩・後輩含めて、幾人もの男子から告白を受けたことはある。

 香澄などは幾人ものボーイフレンド(恋愛関係での彼氏ではなく、男友達という意味でだが)と親しくしており、泉美からしてみれば奔放、というよりも危うい感じがする。

 もっとも、香澄にしても、とりあえず付き合ってみればいいなどと嘯いてはいても、姉である真由美に付きまとう虫に対してはなかなかに敵対的なところを見るに、貞操観念はしっかりしているだろう。

 そのあたりは泉美も香澄も弁えている。

 今まで泉美が誰ともお付き合いしたことがないのは、別に十師族として日本魔法師界の責務などのためだけではない。

 

 一凪の風が、悪戯を仕掛けたかのように泉美の髪を撫で上げた。

 思わず歩みを止めて、髪飾りが崩れないように手で押さえた泉美の髪を、彼女の手よりもずっと大きな手が触れた。

 

「────覚えてらっしゃいますか、獅子劫様」

 

 優しい手のひら。けれども力強さを感じるその手に、泉美はかつてから抱いた思いを溢れさせた。

 

「初めてお会いした時のこと……いえ、貴方に救っていただいた時のこと。私は今でも鮮明に覚えています」

 

 引かれようとした手を、急いで止めた。

 先ほどまで社交辞令もあってか優し気だった黒の瞳が、すっと感情を色褪せさせたように感じて、泉美の意気地が崩折れそうになる。

 けれども泉美は意を決して見上げ続けた。

 この2年。幾度も会いたいと願って、けれども一度たりとも会おうとはしてくれなかった彼へと想いをぶつけるために。

 

「…………あの時のことがきっかけで、というならそれは僕に礼を言う必要はないよ」

 

 返された言葉は感情を交えていないかの如く冷たい。

 

「サーヴァントとしての(霊基)は過去の亡霊のようなものだ。生者が死者に心を残すべきじゃない」

 

 それは紛れもなく拒絶。

 泉美という個人を評するものではなく、だからこそ彼我の距離の遠さ、いや、最早隔絶と言える距離を感じた。

 

「それでも! わたくしは! ッッ」

 

 どうしてと。

 同じように貴方に救われた少女(北山雫)は貴方の傍に居るのに、どうして自分は駄目なのか。

 そう叫びたかった。

 けれども彼の瞳を見て、それは違うのだと思った。

 きっと別の誰かであっても、彼は魔法師の誰かと、生者と寄り添う気はないのだと、それが分かってしまい、泉美は声を詰まらせた。

 だからそれでも、たとえ今回会えて話ができたのが、父の思惑による、魔法師の為の、七草家のための政略結婚であったとしても、それでもかまわない。

 

「政略結婚として、というのなら残念ながらそちらにメリットがない」

 

 そんな泉美の想いは否定された。

 

「僕も圭も、次代に藤丸の魔術を残すつもりはない」

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

「ふむ。藤丸くん、私はね。魔術という、我々魔法師の源流にして未だ我らが届かない領域に手をかけた技術。それがこの世から失われるのは極めて残念でならないし、失ってはならないものだと思うのだが」

 

 お見合いに参加していないとはいえ圭が何もしていないわけではない。

 彼は彼で、七草家の当主との会談を行っていた。

 

「残念ながら、意見には相違があるようです。僕も明日香も、魔術を次の世代に継がせる気はありません」

 

 圭としては、今を生きる人としての自覚と在り方の薄い明日香が、今を生きる人たちと積極的に関わるようになるのは望ましい。

 これまであまり深い関わりにならないように婚姻関係や同盟関係その他の話を受けてこなかった圭が、今回このお見合い話を受ける気になったのは、明日香への懸念も一つだ。

 

 だが、それで魔術師・藤丸の使命を次代に繋げてしまうことだけはない。

 

「僕たちの役目は藤丸家の魔術をこの時代に終わらせることです。だから、魔術を解き明かしたいという貴方の願いを叶えることはできません」

 

 魔術師としての藤丸は当代で終わる。

 既に魔術師の殆どはこの世界の表側からは死に絶え、居なくなり、それでも藤丸が残っているのは当代における使命を果たさんがためだ。

 そのために魔法師との良好な関係、現代(イマ)を生きているということは必須だが、だからといって魔術の解明に助力することはできない。

 

 

「それは隠れ潜むことが魔術師としての在り方だからかな、藤丸君? だがそれでは矛盾していよう」

 

 七草弘一が藤丸家に婚約の話を持ち掛けてきたのは、彼が言うように魔術に興味があるからだろう。

 

「既に君たちは魔法師としても存在している。それが隠れ蓑だとしてもだ」

 

 七草家は十師族の中でも双璧を担う一門とみなされてこそいる強い魔法師の一族だ。

 だが、双璧の対を担っている十師族の一門。兵器としての魔法師を突き詰めている独自集団──四葉の戦力追及の意欲は驚異的だ。

 

「魔法が遺伝的な要因により受け継がれるものなのだから、魔術もそうなのだろう? 私はそうだと推測している。私は子供たちに魔法を残したい。残さなければならない。世界はもはや魔法を必要としているからだ」

 

 七草家としては、彼らが十文字家と組んでなお、打倒できなかったサーヴァントを打破するための力。未だ魔法師が手にできない“神秘”の力を取り込むことで、魔法師としての自分たちを発展させたいのと共に、戦闘魔法師として飛び抜けようとしている四葉を抑えたいのだ。

 だからそれは、一部では圭の思惑と重なり、けれども決定的に道が同じくはならない。

 

「そうですね。…………けれど魔法は魔術とは違う。そして僕たちの役目とも」

 

 魔法は既に世界に認められた存在だ。

 今はまだだが、日常を生きる利便性のためにも魔法は研究されつつあり、単なる軍事力としてだけの価値以外のものを人々(世界)は魔法に求めている。

 対して魔術は過去を目指すのがそもそも。そこに人の生活に役立てるなどという発想はないし、そもそも“藤丸”は真っ当な魔術師ではない。

 かつての、そしてあるいは世界の表裏のどこかに居るだろう魔術師であれば目指すべき“ ”は、藤丸にとって価値あるものではない。

 

「なら、君たちの役目とはなんなのかね」

「…………」

 

 問いかける七草弘一は長くを謀略に生きた男だ。その眼は、隻眼とはいえ若造の虚偽など必ず見抜かんとするもの。

 同時に野心を秘めたものだった。

 

 圭の眼は魔眼や千里眼ではない。

 確かに幾許かは未来を予測する真似事なんかもできるし、その関係で人の機微にも敏くはある。

 けれども経験としては所詮は若輩に過ぎない。

 相手の思惑を未来予測を利用した処理能力で見抜くことはできても、駆け引きの点では経験の少なさが如実に出てしまう。

 それに彼らの目的のためには、魔法師たちを、この世界に生きる人々に対して騙し、誤魔化すというのは、“カルデア”の魔術師としての道ではない。

 

「僕たちの役目は、時が来るまで“藤丸”の魔術師を残すことです」

 

 ただ、今は、まだ語る時ではないのだろう。

 事は重大で、あまりにも現実味のない、何処にでも何時の世でもありふれている出来事故に。

 

「ふむ。その“時”とは?」

「それは──────―」

 

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 七草家当主との会談が終わり、圭は明日香と合流した。

 

「おや、上手くいかなかったのかい、明日香?」

 

 明日香の雰囲気はいつもと同じで、つまりは恋愛関係には繋がらなさそうな空気。

 一方で見送りに来ている泉美の落ち込んだように憂いのある表情と、少し困ったような真由美の表情からは、色よい返事を明日香も返さなかっただろうことが見て取れた。

 

「ああ」

 

 答える明日香の淡々とした口調は、やはり個人としての圭の思惑(願い)通りにはいっていない事が窺える。

 それは明日香の、明日香としての人生を願って。

 その時が来たら、“藤丸”の魔術師としての使命が終わり、明日香の役目も終わった後、続いていく彼の人生が彩りある美しい物語になってほしくて。

 だから圭自身も、学校生活を楽しんでいるし、いわゆる青春を謳歌している。彼に敬慕を抱いている少女()との関係や、このお見合いを受けたのだってそれが理由。

 けれどもそれを明日香は望んでいなくて、いや、望もうとしていなくて────―

 

「獅子劫様」

 

 今回の企み(愉悦)は不首尾だったかと、そう考えた圭は、けれども声をかけてきた少女の、ハッとするほどに、誰か()にも感じた顔つきを見た。

 

「来年、一高でお待ちください。必ず、会いに行きますから」

「!」

 

 それは決意の言葉。

 魔法師として、十師族としての七草泉美は受け入れられなかった。

 だからそれは、十師族の直系としては、してはいけない決意なのかもしれない。

 

「私の想いはただの政略結婚だからではありません。だから、この想いは、私の自由ですよね」

 

 父はどう考えているのか、大人の思惑はどうなのか、それを伺ってきてばかりだった泉美にとって、あるいは初めてかもしれない、自分だけの、自分のための決意と宣言。

 

「だから言っただろ。上手くいかなかったようだね、って」

 

 花の如く可憐で勁い言葉に、明日香は呆気にとられ、圭は笑みを浮かべた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

生徒会選挙編 1話


*注意
今回、死にネタが満載となっています。原作キャラおよび作中生存キャラの死亡、カップリングの崩壊などがあります。残酷描写ありです。バットエンド直行、タイガー道場コースです。読み進められる方はご注意ください。





 

 

 ────―22世紀、某国────―

 

 とある大陸のとある国。人類の繁栄の象徴を詰め込んだような雑多な街。

 

 そこにポウと、一つの光が灯った。

 

 それを宙から見ている者がいれば、あまりの眩さに心を奪われていたかもしれない。

 古の詩人であれば松明を千、合わせたよりもなお明るいと評しただろう。

 しかし詩人たちはその輝きには美しさを讃える詩ではなく、畏怖、あるいは恐怖を覚えて口を噤んだだろう。

 宇宙からも見えるほどの輝き、大きさになったその光は、人類の進歩の象徴であるかのごとき巨大なその街を呑み込み────消えた。

 圧倒的な熱量と、喪失後の吹き荒れる嵐は唯の一人の生存者も許さずに瞬きと共に消えた。

 後に残されたのは抉り取られたかのような凄惨なクレーターと草木一つない大地。

 失われた質量を補うために、周囲の空間からなだれ込んできた空気は、それだけで大惨事を招くであろうハリケーンを発生させ、なにもなくなった大地をさらに蹂躙する。

 その日、()()()()、街が消えた。

 都市ひとつが丸々消えるほどの大破壊、それだけの熱量の発生は大陸の局部地域のみならず世界の気候にすら悪影響を及ぼすほどだ。

 だがもはや、世界の人々は()()()()()()()()に怯えてはいない。

 この大破壊は、既に幾つもの国で繰り返されてきたことなのだ。

 

 

 魔術や超能力──魔法の存在が認知されてからおおよそ100年。

 魔法師たちにとっては始まりの世紀とも呼べる21世紀を終えて、人類は滅亡の危機に瀕していた。

 無論のこと、これまでも滅亡の危機などというものはあった。ありふれていた。

 3度の世界大戦。核戦争(……)の危機。そうでなくとも熱帯雨林の伐採や枯渇などが起こればあっという間にその危機は訪れていただろうし、世界を生きる多くの人間が認識していなかっただけで、認識できなかっただけで、これまでも滅亡の危機、あるいは滅亡したことはあった。

 けれどもその度に人類はそれを回避してきた。乗り越えてきた。

 時に集合無意識の後押しによって、時にグランドオーダーの遂行によって。

 だが今回、それらは働かなかった。

 なぜならばそれは人類の意志。

 彼らが求めに求め続けてきた生き方、人類の在り方が、行き詰まりを迎え、今日という日を迎えてしまったからだ。

 USNA、新ソビエト連邦、大亜連合……そして日本。

 かつて科学力と魔法力によって世界を牽引していることを標榜していた各国は既に首都を含む有力な諸都市を崩壊させられ、有力な指導者たちも既になく、内紛によってその国に生きる正統なる国民などというものが存在しない状態だ。

 

 きっかけは、一人の少女の死だった。

 

 前世紀の初頭から再発見され、人類の繁栄を後押しすることを期待された異能──魔法。

 しかしそれは限られた才能を有した一部の者たちへのギフトだった。 

 新たなる人類(ニューエイジ)を自称する者たち、かつての呼び名、あるいは持たざる者たちからの呼び名を魔法師たちは、自らの魔法をそう捉えていた。

 

 世紀末を目前とするまで、魔法師と人類はなんとか共存できていた。

 

 魔法師の数が著しく少なかったこと。その成立過程において人為的な後付けや研究がなされ、造られてきたという経緯。そして国家が魔法を自国の軍事力として定めていたことがその共存の理由であった。

 無論、すれ違いや摩擦は多々あった。

 かつての魔女狩りのようにではなくとも、非魔法師の人類の中には自らが持たない異能を持つ魔法師を脅威として排斥することを目論んでいたし、そうでなくとも魔法師を消耗品のように扱うことを是とする者たちも多かった。

 特に後者は国家あるいは大企業の幹部や上層部に多く見られた傾向であった。

 社会に必要とされる希少スキルを有している魔法師たちは、その魔法技能を搾り取られるように過酷な労働環境に身を置くことと引き換えにするようにして一般社会人の平均年収以上の高所得を得ていた一方で、魔法技能を持ちながらも魔法とは無関係の職業に従事することしかできなかった予備役的な魔法師の存在もあり──むしろ多く──彼らは差別を抱えながら低賃金の貧困にあえいでいた。

 

 けれどもそれが続くと、あるいはそれは緩やかな速度ながらも、きっとより良い未来へと繋がっていくのだと、多くの者は考え、より良い未来を願っていた。

 

 きっかけは────ひとりの少女(司波深雪)の死。

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 ──―某所。

 二人の魔法師の男女が、灯の消えた室内、ベッドの上にその身を横たえていた。

 どちらの魔法師も青年期を迎え、今が最も肉体として充溢している時だろう

 二人は恋人か夫婦か。

 淫気の残る室内、女性の体には情事の痕が色濃く残っており、それだけに疲弊しているのか彼女は深く眠っている。

 そんな女魔法師を眺める男魔法師。

 引き締められた肢体はただの魔法師ではなく、彼が戦闘のできる魔法師であることを示唆している。

 二人の情事が無理やりの結果ではないことは、女魔法師の様子から窺える一方で、男魔法師の瞳は、熱烈な情事の後とは思えないほどに冷え冷えとしている。

 男の魔法師────彼の瞳は、かつて、すべてを見透かすかの如き瞳、物質界ではなく情報界にすらアクセスすることのできる瞳──精霊の眼であった。

 それはあるいは千里眼と、魔術的にも評することのできるかもしれない、そこに至ることができただろう瞳であった。

 だが今やその瞳は失われている。

 先日超長距離狙撃大規模殲滅魔法を発動させたのも、衛星照準を介してのものだった。

 

 男は──―司波達也は横たわる女に、壊れた瞳を向けながらも、その思考を過去へと回想させていた。

 

 

 

 ──────―なにが間違えていたのか。 

 

 

 彼にとって、大切なモノはただ一つだけであった。

 彼の一族によって激情を奪われ、執着を生み出す感情はただ一つのそれへとしか湧き起こらない。だから彼女を愛し、慈しみ、絶対の庇護の翼に包んでいたはずだった。

 だが喪った。

 熱の消えていく彼女の体に触れたのは二度目。

 一度目の時はまだ少年の時で、彼の異能が間に合った。だから取り戻せた。

 けれども二度目。

 絶対に起こさせはしないと、そう誓っていたはずの喪失は、あまりにも理不尽に起こってしまった。

 彼の異能──再成の魔法は24時間以内であれば、損傷であろうと欠損であろうと取り戻すことができた。

 ただしそれは、死という不可逆な変遷へと至らなければだ。

 それは神ならぬ身の限界。

 侵してはいけない、侵すことのできない領域。

 司波達也をして、失われた彼女の命を取り戻すことは終にできなかった。

 

 彼が感情を爆発させ、慟哭したのはただの一度。

 彼女の残された一部。首だけとなった彼女を抱きしめた時だけだ。

 

 

 地上を覆い尽くすかの如く侵蝕していく■■■■■■■。

 立ち向かうは片割れの魔術師を失ったデミ・サーヴァント(聖剣使い)

 魔法師たちはついぞ、魔術師たちと信頼関係を結ぶことができずにあの時を迎えてしまった。

 そのきっかけがなんだったのか──―あるいは、司波達也が精霊の瞳(エレメンタル・サイト)が壊れたあの時が、ターニングポイントであったのかもしれない。

 いずれにしても、もはや詮無いこと。

 既に世界は、世界の人々は、一人の悪魔によって剪定される事象へとなってしまったのだから。

 

 ■■■■■■■が現れたのは、突然の出来事ではなく、人類の自業自得と言えた。

 まず、かの大国はそれを恥部と捉えて独自に解決を図ろうとし、飲み込まれていった。

 星の名を冠する魔法師の部隊が投入され、戦略級魔法師ですらもその大規模破壊魔法を持って戦ったが、彼ら、そして彼女たちは泥に呑まれるように消えてしまった。

 ついに事態は世界の知る事となり、それよりも早くに知っていた者たちは満を持して、あるいは利を得るための時節を見定めて、あの“獣”を利用しようと企んだ。

 

 愚かなことだ。

 

 いち早く、事態の最初期からその危険性を訴えていた魔術師たちは、けれども魔法師との信頼関係を結べなかったことで動きを制限された。

 世界がその愚かさに気づいた時には、十三使徒と呼ばれる戦略級魔法師は半数となり、各国が秘匿した非公式の戦略級の使い手たちすらも、その多くが失われてからだった。

 事ここに至り、達也も参戦を余儀なくされた。といっても、達也自身、■■■■■■■と戦うことは終になかった。

 ■■■■■■■は取り込んだ魔法師を、その中でも強力な者たちを先兵として侵略の枝葉を広げていた。 

 戦場において、達也は汚染された模造神器を奮う戦略級魔法師の少女を●した。

 

 結末は魔術師の手でついた。──────―その命と引き換えに。

 聖剣の輝きをもって■■■■■■■は討ち滅ぼされ、魔術師という生物は完全に世界の表側から姿を消した。

 神秘の消滅。

 けれども達也にとって、その時にはもうどうでもいい事となっていた。

 戦いの最中で、彼の大切な者は失われてしまったのだから。

 

 

 そうして魔術師たちが消えて、世界は一応の救いを得て、引き換えのように彼の瞳の力はまた別の力を宿すようになった。

 後になって調べて分かったことだが、後天的に隻眼や盲目、あるいは四肢の欠損を生じさせることは、肉体的なハンデを生じさせる一方で魔術的には力を増加させる手法なのだという。

 

 だがその時にはもう、彼は決定的に壊れてしまっていた。あるいは世界は終わりを決定づけられていた。

 共に生きる者を失った彼には、世界の安寧や継続などどうでもよくなっていたのだから。

 むしろあの事態を招いた者たち、あの事態の後でも安穏として生きる者たち、続いていく世界が許せなかった。いや……違うのだろう。

 彼にはそんな激情などない。ないはずだった。

 彼の感情の極点は、ただ一人、彼女にのみ向けられるもので、それを失ったとき、彼の激情は止むことなく世界へと向けられることとなったのだ。

 

 彼はかつての友を、仲間と呼べたかもしれない者たちを、何人も●した。

 友ではなく、すでに単なる既知となってしまった者たち。

 彼らは、あるいは彼女たちは彼に、「気持ちは分からなくもない」と告げた。そして「でも……」と続けた。

 そんな言葉は必要なかった。

 必要だったのはただ一人だけだった。

 

 はじめに彼の前に立ったのは、かつての学び舎の先輩。

 十師族の一つの総領となった巌のような男、十文字克人は、人類の脅威となるであろう彼の前に立ち、殺すことを覚悟して戦った。

 あるいは克人こそが人類最後の砦だったのかもしれない。

 分解と再成のみに特化した達也にとって、多重防壁を即時連続発動することのできる克人は相性の悪い相手であり、克人の攻撃型ファランクスは、かつてであれば達也にとって脅威であった。

 だが達也の開発した新魔法──国際魔法協会によって禁じられている中性子線を用いた中性子砲(バリオンランス)をもってすれば勝敗は決定的であった。

 国際的な思惑などという、まさに“彼女”を殺したモノそのものを彼が今更意に介することなどありえない。放射能汚染など、もはや今更に過ぎる。

 彼は、そして彼にとって人類は、とうに汚染された唾棄すべきものであるのだから。

 中性子線による攻撃に対する防御は既に確立された技術であった。それだけに特化した中性子バリアは完璧で、だからこそそれを彼の魔法は分解した。

 そうして克人は中性子線によって腕を焼かれ、CADを失い、なす術なく達也によって焼却された。

 

 十師族の一人、十文字家の総領を●したことは日本の魔法師界にとって大きな衝撃を齎した。

 特に克人── 十文字家の役割は首都防衛。国家に対する砦とも言える魔法師であり、十師族内においては四葉と七草について三番手と見做されており、七草のように手駒を多く持っているわけではないことから一騎当千の魔法師でもあったのだ。

 

 十師族会議によって司波達也は抹殺すべき悪と定められ、彼を生んだ四葉家はその責務を求められた。

 四葉家に属するある魔法師は──―

 

「だから言ったのだ。彼は生きているべきではない」────と言った。

 

 また別の者は言った──―

 

「あの悪魔は存在してはならなかったのだ」──―と。

 

 彼にとって四葉家は、自身を、そして“彼女”を生み出した親族ではあった。

 だが“彼女”がいない今、どうでもよかった。

 関わってくるのであれば対処して、襲ってくるのであれば消すだけだ。

 だから彼は生家である一門を消し去った。

 極東最強と謳われた叔母ですらも、相性の関係から彼に対抗することはできずに消滅した。

 

 七草真由美を●した。

 あるいは、彼に対して微かな恋愛の情を、本人すら気づかぬうちに抱いていた彼女は、変わってしまったように見えた彼に止まってほしいと、戻ってほしいと、まだやり直せると訴えた。

 失ってしまった深雪のことを、彼女が本当にこんな貴方を望んだのかと、そう訴えた。

 故に達也は彼女の心臓に穴を穿ち、体の中で血が流れだしていきながら悶え苦しむ中で●した。

 やり直せるはずはない。

 彼の異能と言えるほどの魔法をもってしても、●という不可逆の再成は行えない。

 深雪が●んだ以上、最早やり直しも後戻りも、ありはしないのだ。

 

 真由美が●んで、その友であった渡辺摩利も●した。

 多様な魔法を駆使して真由美を援護しようとした彼女だが、唯一の“一”である彼の魔法には無力も同然であった。

 

 摩利が●んだことで、彼女を●されて怒りに呑まれ、義憤を覚え挑みかかってきた千葉修次を●した。

 3m以内の間合いであれば世界に十指に入るというその魔法剣技は流石で、彼も一度はCADを持つ腕を斬り落とされた。

 そして間髪入れずに心臓を穿たれた。

 だが●に至るまでの僅かな刹那があれば彼には十分だった。

 斬り落とされた腕と、取り落としてしまったCADの位置情報を再成することによりトリガーを引き、分解の魔法を放った。

 相打ち──―否、心臓を貫いた武装型CADごと敵を消滅させた彼は、己の意志や思考すらも凌駕する速度で行使された自動再成により致命傷はなかったことになり、残ったのは唯一人だけだった。

 

 一門の弟を殺された千葉寿和を●した。

 仲間を●された警察たちも消した。

 兄の仇として立ちふさがった千葉エリカも●した。

 最早魔に堕ちたのだと彼を評した吉田幹比古も●した。

 

 かつての彼の仲間──彼の力を利用することで枷をかけようとしていた独立魔装大隊の幾人かも●した。

 全てでなかったのは、これ以上の損害を受けて国防に影響をきたすわけにはいかないという上層部の判断であった。

 

 かつて仲間だった、友だった既知の悉くを鬼火に変えて、痕すらも残さずに消していく。

 

 ただ一人だけ、彼に付き添った者がいた。

 彼を絶対視していて、けれども理解していた。

 彼は変わってしまったわけではない。

 元からこうだったのだ。

 最初から、ただ一人だけを見ていて、ただ一人だけがいればそれで充分だったのだ。

 だからそれが無くなってしまえば後に残るものは何もなく、絶望したわけでもなく、ただ、何もなくなってしまっただけなのだ。

 寄り添うことを許したのに特別な理由はなかった。

 深雪の代わりを求めたわけでもないし、一度たりとも、そんな思いを抱いたことはない。

 ただ、都合がよかった。

 

 明日香たちが望んだのは、命を賭けて守りたかったのはこんな未来じゃなかったと、泣きながら言ってきた北山雫を、そのただ一人が──―北山雫の親友であった光井ほのかが焼き●した。

 

 

 

 そうして達也は今、自分の隣で眠るかつての少女──光井ほのかを見ていた。

 光井ほのかは決して司波深雪の代わりにはならない。代わりではない。

 それでも隣に置いているのは何故なのか。

 それは単なる気まぐれでもあり、利用価値があるからでもあり……。けれどもそこに愛情や情欲などはない。 

 かつての達也であれば、激情には至れないまでも情欲とも呼べる感情はあった。

 だがそれは深雪の喪失とともに完全に消えた。

 

 だから光井ほのかと共に歩いているのは……。

 

 かつてほのかが焼いた北山雫。

 彼女は獅子劫明日香を愛していなかったのだろうか……? 

 彼が聖剣の輝きを振るい、消えてしまって、二度とは戻らぬことを知った時、雫は涙を流した。

 そんな彼女をほのかは慰めていた。

 けれども結局、雫と達也のその後の歩みは違っていた。

 ほのかは達也と共に歩き、最も親しかった親友を焼いた。達也の前で涙を流すこともしなかった。

 

 ならきっと、いつの日か、ほのかは達也も…………

 

 それは恐れなのか、希望なのか。

 深雪のいないこの世界で、いまだに達也が生きているという絶望に対する。

 

 

 達也はすっと右手を彼女に向けた。

 その手は“デーモン・ライト”。

 全てを分解する、今や世界が恐れる摩醯首羅の御手。

 大自在天。

 今や司波達也の名は、神話に語られる破壊の最高神シバとも同義となっていた。

 その御業が、今や唯一人、神の傍に侍る光へと……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────── ぐだぐだ生徒会選挙編  開幕!!! 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

生徒会選挙編 2話

 

 

 魔法が使えたら……

 そんな他愛無い願いを抱くのはいつの世でも変わらない。それはいわゆる“魔法”が使えるようになった現代においても変わらない。

なぜなら他愛無く願う、その魔法とはつまりはデウスエクスマキナ──―あらゆる望みを強引に叶えるもののことだからだ。

 

??? : ノブノブォーン! 

 

「あばばば!!!」

 

 だがそんな魔法とは、つまるところ他のことを無慈悲に、理不尽に踏み潰すものと同義となる。

 

「くっ! アストルフォがやられた!」

 

 魔法力に卓越しているとされる魔法科高校の一科生であったとしても、叶わないことは数多ある。

 

 

「ここを通すわけにはいかない!」

 

??? : ノブゥ!? 

 

 現代に生きる数少ない──世界の表側ではほぼ唯一の魔術師、藤丸。その館にて戦いが起こっていた。

 マスター契約こそ行っていないものの、正規のマスターからの供給を受けているアストルフォはすでに倒れ、デミ・サーヴァントとしての力を解放している明日香すらも圧倒されている。

 

??? : ノブ、ノブブ! 

 

「ぐっ! ぐわぁあああああっ!」

 

 そしてついに、圭までもが敵の攻撃に打たれ、封鎖していた道が開かれてしまった。

 

「ケイッッ!!! ──―しまったっ!!」

 

??? : ノッブブノブブー! 

 

 人理の護り手。カルデア最後の魔術師たる二人は、その日………………敗北した。

 

 そしてそれは、世界崩壊(コラボイベント)序曲(はじまり)──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────―それは濃紺色の綺麗な夜であった。

 眺めているのは綺麗な夜空。

 東京という都会にあっては、前世紀のように排ガスによって濁って見えるということはないまでも、ビルや家屋の眩い明かりによって星の光は弱い。

 それでも夜の帳は深く……煩悶しため息をつく少女の苦悩の色を表しているようであった。

 

「はぁぁ…………」

 

 少女の名は中条あずさ。

 日本国内で屈指の魔法師育成のエリート校、国立魔法大学付属第一高校の、さらに優等生である一科に所属する2年生。

 入学時には主席の成績を収め、一年時より生徒会に所属する、現生徒会書記の魔法師の卵である。

 

 重い重いため息は先ほどから幾度も続いている。

 夏休みが終わってしまったから、ではない。学生の中には夏休みというアバンチュールを満喫し、課題が終わらずに自業自得の艱難によって泣く泣く補修を受けるということもあるだろうが、少なくとも一高では見られない光景だ。

 もちろん、あずさとてそうだ。

 学校の勉強が難しくて、とか恋煩いで、というわけでもない。

 

 夏休みが終わって、というのはあながち間違いではない。この時期、3年生はいよいよ受験あるいは卒業を控えてそれに向けての準備を始める。

 魔法科高校の卒業生の多くは魔法大学へと進学する。防衛大学校に進学する者もいるが、一高では年間100人の魔法大学への進学者が国策によってノルマとされており、そのための一科生でもある。

 現生徒会長である七草真由美も魔法大学への受験を控えている。

 彼女ほどの才女であり実績があれば、通常の高校ならば推薦によって軽々と大学へと進学できるだろうが、一高では大学進学の枠を確保するため伝統的に生徒会長は推薦を辞退することになっている。

 そうでなくとも、卒業してしまえば一高の生徒会長など続けられないのは当然のこと。

 つまり、一高では生徒会の代替わりが行われようとしているのだ。

 

「私が生徒会長なんて……無理だよぉ」

 

 あずさの悩みの原因はその代替わり、生徒会長候補筆頭になっているのがよりにもよって自分だということだ。

 

 一高では伝統的に生徒会役員になっていたものが生徒会長になる。さらに過去5年間は主席入学者が生徒会長を務めているのだ。

 癒着というか慣習ともなっているそれは、一科二科の差別にも通じるものでもあり、そんな因習をこそ現生徒会長の七草真由美は打破しようとしてきた。

 たとえば生徒会役員が一科生からしか選ばれないという規則の打破などだ。

 これについてはあずさ自身も、今では撤廃した方がいいとは思っている。

 それは単に、尊敬する真由美の方針だからというわけではなく、実務・実利的な面でだ。

 以前であれば、生徒会役員は一科生からしか選ばれないというのも仕方のないことというか、副会長の服部刑部ほど明確な選民的スタンスでこそなかったが、消極的な賛成、あるいは反対はしないというスタンスであった。

 教員による直接指導のある一科生に対して、個人での学習を余儀なくされる二科生は入学時であればともかく、1年が終わるころにはその魔法力に明確な差が生じている。

 それだけ個別指導の有無の差は大きく、加えて一科生・二科生という制度があるがために、二科生になった生徒は上昇的な意欲に乏しいことが多いのだ。

 差別は受ける側においてもその意識を根付かせる。

 ゆえに、二科生としても生徒会という一高を代表する立場に就ける者はいなかったし、であれば別に、反発を生んでまで制度自体を変える必要はないと思っていた。

 けれどもそうではないのだ。

 二科生とは、一科生とは、単に国際的な魔法力の基準に従って分けられているに過ぎず、二科生であっても優れた者、基準とは異なる魔法力に秀でた者がいるのだから。

 具体的にはとある1年二科生の尋常ではない事務能力や存在を知っているから。

 けれどもそんな真由美も、無論のことあずさも、生徒会長選挙については改善(あるいは改造)のための行動を起こそうとはしていない。企画もしていない。

 なぜなら自由で民主的な生徒会長選挙というものを過去には標榜した生徒会があったらしいのだが、それは重傷者が二桁に達した時点で取りやめになったという事実があるから。

 一高の生徒会長には大きな権限があり、卒業後もその経歴は高く評価される。そのことからその地位を目指す生徒は少なからずおり、同時にその者を推す派閥の形成なども活発なのだ。

 そして魔法という大きな力を持って完全な自制心を発揮できるほど、高校生という年頃は大人ではない。

 そんなこんなで、生徒会長選挙は生徒会が推す生徒会役員が新任投票、もしくは一騎打ち選挙によって選ばれることになっているのだ。

 今年度の2年生の生徒会役員は書記のあずさと副会長の服部刑部の二人。

 直近の成績では服部にトップを譲っているが、年間の成績的にはほとんど互角。役員にはなっていないが五十里啓というもう一名を加えて、あずさたち三人が僅差の状態が続いている。

 けれども入学時成績という一度しかない争いではあずさが主席なのだ。

 加えて、服部は副会長という会長職にもっとも近い役職ではあったのだが、次期部活連会頭へと立候補しようとしているらしい。

 部活連会頭と生徒会会長の兼務はできない。

 つまりは世代における主席入学者であるあずさは、慣習的には筆頭にして唯一の生徒会長候補なのだ。

 そんな成績的には優秀なあずさは、けれども生徒会長を務めあげる自信など欠片も持てなかった。

 なにせ現生徒会長がもはや伝説的な七草真由美なのだ。

 眉目秀麗。学内のみならず九校戦でも多くのファンを虜にした妖精姫(エルフィンスナイパー)であり、十師族の直系。彼女たちの世代は三巨頭を筆頭に、九校戦の三連覇という偉業を成し遂げたのだ。

 そんな跡を自分が継げるとは到底思えない。

 加えて言えば、自分の下の世代にだって劣等感を抱いている。

 司波深雪。

 1年生にして九校戦ミラージバット本戦に出場し、他を寄せ付けない圧倒的な飛行魔法で優勝した美女。

 来年の生徒会長は確実に彼女だろう。むしろ今年の生徒会長だって彼女でいいのではないか。

 もっと言えば、九校戦の活躍を見るに、一科二科などという縛りには囚われない方がいいのではないだろうか。具体的には司波達也という二科生などはまさに生徒会長にうってつけだろう。

 今年度九校戦で一高が優勝した立役者。反対意見のある中で秀でた技術力を見せて、二科生でありながら唯一、九校戦の技術スタッフに選ばれ、担当した競技すべてで勝利を収めた功労者。加えて突如として代役となったモノリス・コードでは、新人戦優勝候補のライバルでもあった三校のエース、十師族一条家の御曹司、クリムゾンプリンス、一条将輝を撃破するという大金星を成し遂げたイレギュラー。

 そしておそらく……その正体は……あずさの推測通りなら、世界的にも有名な天才CAD技術者(エンジニア)──― トーラス・シルバー。

 魔法師の演算キャパシティが許す限り何度でも魔法を発動できるようにした起動式──ループ・キャストの開発や他にもCAD分野における様々な革新的技術の実現、洗練され実用的なCADの開発、直近では加重系魔法の技術的三大難問の一つである汎用的な飛行魔法を実現し、現代魔法の扉をまた一つ開けることに成功している。

 憧れのトーラス・シルバー。

 その正体は謎とされるが、発表されたばかりの飛行魔法をあれだけ見事にCADに調整したことといい、高校生離れした超級の技術力といい、彼こそがトーラス・シルバーなのではないかという疑念は、九校戦の最中からよぎりはじめ、今でもその疑念は大きくなるばかりだ。

 さらに言えば、その胆力や事務能力、判断能力も高校生離れしており、生徒会長の真由美や部活連現会頭の十文字克人でさえも一目置き、その意見を積極的に尋ねることがある。

 達也自身は、トーラス・シルバーの事といい、積極的に自分を推していくタイプではないが、その妹である司波深雪は、兄を深く敬愛していて(傍で見ているこちらが恥ずかしくなるほど)、彼が生徒会長にでもなることをこの上なく喜ぶに違いない。

 それならばいいではないか。

 自分のように目立たない、十師族でも百家でもない家柄の、地味な自分なんかが生徒会長などという大役を担えるはずもない。

容姿だって、真由美や深雪、風紀委員長の渡辺摩利などと比べれば……比べるべくもない地味な容姿だ。

 

「はぁ……………………あ、流れ星?」

 

 重い溜息を、もう何度目か分からないほどに再びつき──そんなあずさの視界に一条の星が流れているのが見えた。

 流れ星に願いを、なんてロマンチックなことが一瞬頭をよぎるが、科学的にも現代魔法的にもそんなものは無意味だろう。

 現実問題として、この生徒会長問題を解決できるのは自分の決断だけで、真由美も摩利も、そして達也も深雪までもが、自分が生徒会長になるのだというスタンスで動こうとしているようなのだから。

 

「…………?」

 

 違和感は、その流れ星の軌跡を目で追えたことだろう。

 流れ星とはごく小さな宇宙塵や小石などが大気圏で燃え尽きた際に見られる現象で、わずか数秒足らずで消えてしまう宙の気まぐれで見られる現象だ。

 目で軌跡を追える、そのことに違和感を覚えるほどに星が流れ続けているとしたらそれは流れ星ではなく隕石だ。

 魔法によって地球付近にある小天体を地球に引き寄せる魔法なども一部研究されていたりもするようだが、そんな危険な魔法はまだ実用段階からは程遠い。

 それに隕石の落下ともなればニュースの一つや二つ流れていることだろう。

 だからあれは単なる目の錯覚。あるいは別の何かであろう。

 なによりもその隕石は──―

 

「ふぇ? …………ふぇええええええ!!?」

 

 あずさ目がけて軌道を変え、落下してきているのだから。

 

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

 一校の通学路は基本的に最寄り駅からの一本道となっている。

 第一高校前という、まさに一校の学生(および関係者)が利用するためのような駅名だが、一校には学生寮がないため、徒歩圏内の学生を除いてほぼすべての学生が利用していることになる。

 一般的に(非魔法師・魔法師問わず、どちらの観点からも)お嬢様に該当する北山雫だが、基本的には彼女も通学には駅を利用しており、同じ中学出身で比較的家の近いほのかと一緒に通学するのがデフォルトになっている。

 雫とほのかはSSボード部という同じ魔法競技系運動部に所属しているが、朝練なるものはなく、基本的に通学時間は他の多くの学生たちと大差ない時間だ。

 それだけに二人だけの通学路とはならず、時には友人であるエリカや美月、レオや幹比古、達也や深雪、あるいは明日香や圭たちとも通学時間が被ることがある。

 そして会えば挨拶はするし、同道してとりとめもない話題で通学路を歩みもする。

 通学路の途中には、彼女たち行きつけの喫茶店“アイネブリーゼ”をはじめ、様々な店も並んでいたりもするから、放課後のティータイムについてを話題にしたりもする。

 家の方角の関係で、だいたいは雫とほのかだけは別に、二科生のみんなが一緒の時間になることが多いのだが、この日は珍しいことに雫たちも時間が被っていた。それだけではなく、現生徒会長の真由美の姿もあった。

 もっとも、真由美の方は達也に向けて手を振って挨拶をしたりするが、ファンの多い会長のことだけに道すがら一緒に話しながらとはなりにくい。なってしまえば深雪にほのかに加えてエリカや雫と、学校でもトップクラスの美少女たちを侍らせているようで(レオと幹比古もいるのだが男女比率的に)、大いに嫉妬の視線を浴びることになっていただろう。

 もっとも────―

 

「居た!」

 

???? : 見つけたっ!!!! 

 

「?」

 

 もう少しで校門、というところで耳に入った声と猛烈な勢いで駆けてくる二人の姿に、周囲の視線は自然と集められた。

 サーヴァント化や魔法こそ使っていないが、時間ギリギリでもないのに全力疾走してくる明日香と圭の姿は目立っていた。

 その声に周囲の生徒は視線を向け、雫たちも足を止めて振り向いた。

 

「明日香? どうかした、ひゃっ!?」

「無事かい、雫!?」

 

 追いついた明日香にいきなり両肩をつかまれ、まじまじとその顔を寄せられた雫は小さく飛び跳ねるように体をびくつかせた。

 驚く雫や友人たちの視線を他所に、明日香は雫の体に何か異常がないのかを見つけようとしているかのように凝視する。

 さらには追いついてきた圭も息を整えながら深刻そうな顔つきで雫を視ている。

 なにやら事情がありそうだが、登校中の校門前だ。

 周囲の生徒たちも何事かと雫たちを見ており、両肩を捕まれ明日香にまじまじと見られていては、普段クールな雫でも顔から火が出るかのように恥ずかしい思いをすることとなっていた。

 止めようにもあまりにもいきなりというか、危機迫るというか、真剣な二人の様子に達也やレオ、エリカでさえも口を挟めていない。

 そんな羞恥の時間も、長くは続かず、ひとしきり観察し終えたのか、明日香はほっと安堵の息をついた。その様はとてもとても雫のことを心配していたようだ。

 

「無事、のようだね……よかった……本当に」

 

ぐだ丸K: ふむ。アレの好みにピッタリ当てはまるペタンコ胸具合を持つ恋する乙女といえば、雫ちゃんに他ならないと思ったんだけど。当てが外れたか……。ローティーンでも通用する魔法(ツルペタ)少女……一体誰なんだ……。

 

「…………」

 

 何やらおかしな、そして残念なことを言われた気がした。

 藤丸圭の表情は深刻そのものなのに、いつにもまして残念な感じだ。

 

「いや、無事ならいいんだ。でも気をつけてくれ。今、この街はおかしなことに巻き込まれつつある。それとケイのことは気にしないでくれ、今少しおかしくなっているんだ」

 

 雫はじめ、友人たちの白い目に気づいたのだろう。明日香はフォローにもならないコメントをしてさらっと流そうとしたのだが────

 

TSキシオーもどき: それにしても、心当たりが途絶えてしまった。アレの好みになりそうなロリっ娘魔法少女と言えるだけの器量を持った女の子といえば雫に違いないと思ったんだが……。

 

「…………明日香、その喋り方はどうしたの? それとそのおかしな考え」

 

 残念でおかしいのは藤丸圭だけではなくなっていた。

 

ぐだ丸K: あああああっ! 明日香! 大変だ! 君まで影響を受けているぞ! 

 

TSキシオーもどき: なんだって!? 

 

ぐだ丸K: なんてことだ! 明日香の対魔力と精神力すらも突破するほどにGUDAGUDA粒子が強まっているのか!? 

 

「ぐだぐだ?」

 

 これまで魔法師すらも圧倒する強大なサーヴァントを打倒してきた二人が、揃って崩れ落ちるように地面に膝をついた。

 

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 圭と明日香の陥っている状況は、彼らの状態(へんてこな言語出力)だけを見れば間の抜けた状態だが、彼ら曰く、街全体が巻き込まれつつあるものだという気になるワードがあった。

 

「────―ということで、事情を聞かせてもらえるかしら? 藤丸君、獅子劫君?」

 

 ニコっと見惚れるような微笑みを向けられた圭と明日香は、きまり悪そげにさっと視線を逸らした。

 だが視線を逸らせても、そこには別の視線。真由美だけではなく、生徒会室にはジト目を向けてくる雫をはじめ同席者がいた。

 

「一応、父からは貴方たちの事件解決に融通をきかせるように言われているのもあるわ。それに…………」

「あれだけ騒ぎになっていたんだ。そのまま授業に行ったのでは気まずいだろう」

 

 朝の騒動はそれなりの注目を集めてはいたが、今の時点ではまだ一部。落ち着いて話ができるということであの場にいた真由美はなんだかおかしくなっている魔術師二人と、関係のありそうな少女(北山雫)、そして事件によく巻き込まれる解決役兼アドバイザーとして達也を巻き込んで生徒会室に連れて来ていた。そして当然ながら達也がいれば深雪もいる。

 そこに摩利がいるのは学校の風紀を取り締まる者の責務というべきか生徒会長の親友がための巻き沿いというべきか。

 達也にしてみれば、魔術師がらみ、サーヴァントがらみの事件であるのであれば、この場にいるのは情報収集を行うのに都合がいい。けれども二人の様子(バカらしさ)を見る限りでは、この事件(?)はそう大事ではないだろう。

 普段であれば、明日香はともかく圭は飄々とした態度で事情を煙に巻くか、内々に解決しようと試みるだろう。

 だが既に事態は露見しており、なによりも雫を巻き込んでいる。

 明日香の心境は複雑なのか眉根を寄せて深刻な顔をしており、圭は深々と溜息をついて話はじめた。

 

ぐだ丸K: 実は昨日、この世界──この街にとある敵生体が出現して倒したんですが……その際にとある魔術礼装を街に放たれてしまったんです。

 

「魔術礼装?」

 

 言語出力がなにやらおかしな感じになっていて、いまいち真剣みに欠ける切り出しではあったが、その内容は達也にとっても耳を傾ける必要のあるものだった。

 

ぐだ丸K: 藤丸の屋敷には初代の魔術師が得た様々な魔術礼装──魔法師的に言えば特化型CADというか元レリックというか、そういうのがあるんです

 

 レリック、聖遺物。

 現代の魔法技術、科学技術をもってしても作成はおろか解析すらも満足にできないとされているオーパーツ。

 ものによってその効果は違うが、いずれにしても現代魔法ではなしえない事象を引き起こすこともあり、達也がまさに調べようと思っている事柄の一つでもあった。

 たとえば賢者の石、エリクシール、ムップ。呼び名は数あるが、錬金術で著名なレリックであるそれは、非金属を金属に変えることができるという。

 魔法学的な視点でそれを見ると、賢者の石はある種の触媒として働いており、魔法の効果を増幅、あるいは発動の魔法式そのものの役割を担っている。

 それはつまり、ある種のレリックには魔法式を保存しておくことが可能なのではないかということ。

 それは達也の魔法研究における目的。

 魔法師が兵器としての在り方から解放され、けれども人類の繁栄にとって不可欠な存在として生きていけるようになることに必要なパーツの一つだ。

 達也は魔法師の間で稀に研究題材とされるこれらレリックは、より大きな枠組みでとらえると魔術師、サーヴァントの宝具と同じなのではないかと推測していた。

 

ぐだ丸K: ただそれらは初代と絆を結んだ英霊たちの絆の証。他の何者であっても使うことはできないものなんです。

 

 一人の英霊の伝承が具現化したモノ。

 魔術師たちの言うところの魔力、達也の解釈ではプシオンにカテゴライズされる霊子構造体の一種を込めることで、特定の効果を発揮する武具、あるいは道具、触媒。それはまさにある種のレリックと同様の性質と言えた。

 

ぐだ丸K: そういった魔術礼装──絆礼装は基本的に個々では何の影響力もないんですけど、なにせ数が膨大で、おかげで藤丸の屋敷の敷地内は一種異界のようになっているんです。もちろん普段は結界で厳重に隔離されているのですけど…………

 

 それらが──―多くは力を失っているというが──数多く魔術師の館には所蔵されているという。

 本来、レリックというのは国家レベルの案件であることが多い。

 魔法師の魔法を阻害する作用のあるキャストジャミングに必要なアンティナイトも、レリックの一種であり、あちらは完全に軍事物資に該当する。

 魔法大学は研究機関としてレリックを研究することもあるが、その多くは出元を辿れば国家機関からの依頼であることがほとんどだ。そしてそれらの研究データのいくつかは魔法科高校においても閲覧することが可能となっている。

 達也が一高に所属している理由の一つでもある。

 

ぐだ丸K: 問題の魔術礼装はそういった収集されていたモノとは別物で、敵生体と一緒に突然現れたんです。おそらくは特異点として不確かになっている現世と、屋敷の異界の波長がおかしな感じで孔をつくったのだと思いますが……。

 

 圭としては、というよりも魔術師としては本来、自身の家の内情を話すのは望ましくない。

 それでも話してしまうのは現状の圭と明日香の状態がなかなかに困った状態になっているためだ。

 昨夜の戦いですでに圭はダメージ()を負っている。アストルフォもだ。

 そして昨夜の時点では明日香は敵を取り逃がしことしたがまだダメージ()を受けていなかった。だが、今朝になって影響が現れた。

 

ぐだ丸K: 現れた魔術礼装は、異なる世界を覗き込み、干渉する人工知能を有した魔術杖──────愉快型魔術礼装 カレイドステッキ、マジカルエメラルド!!!! 

 

「…………は?」

「えっと……藤丸君。ごめんなさい。なんだかあまり深刻じゃなさそうなワードが聞こえた気がしたのだけれど……」

 

ぐだ丸K: ステッキです。魔法少女が持つようなステッキ。いえ、違います。持ち主を魔法少女にしてしまう魔法のステッキです。

 

「…………………………」

 

 沈黙が痛いほどに生徒会室に降りていた。

 白い眼が魔術師・藤丸圭に向けられていた。

 






今回の発言形式のプチ変更はFox Tailの19話、20話の言語出力の変更を参考にしてみました。まぁ、あちらは電脳空間だからということですが。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

生徒会選挙編 3話

 

 時間軸とは、無数に枝分れした川のようなものだ。

 

()()()選択肢は無数にあり、枝分れする流れもまた無数にある。

 分かれ道を左に行くか右に行くか。些細な分岐によっても世界は分かれることがある。

 ただし、世界の流れは最も太い流れを進んでいき、それが今という時間に繋がっていると言われている。

 今の流れ(世界)とは異なる流れ(世界)────それを魔術的には並行世界という。別の可能性を描いた世界、パラレルワールド。

 たとえば夏休みのバカンスで違う水着を着ていた世界、なんていうのもあり得たかもしれない些細なパラレルワールドだが、場合(分岐)によっては大きく異なる世界を描くこともある。

 例えばこの場にいる麗しき魔法師の少女たちがアイドルとなっている世界。

 例えばフィギュアスケーターになっている世界。

 例えば魔法戦士になっている世界…………。

 合わせ鏡のように無数に展開した世界。

 3次元の存在である人間には通常、それを観測することはできないが、稀にその存在の片鱗を知覚することができる者が現れたりもする。

 千里眼や未来視といった特殊な魔眼もその一つだ。

 そして飛来した魔術礼装は、そんな並行世界を覗き見ることのできる魔術礼装なのだという。

 

「それで。その魔法少女のステッキとやらがどう危険なんだ?」

 

 圭の説明は(本人の現状を見ると些かシリアスさの足りないものの)、達也のような魔法師としても興味深い解釈であった。

 かつて魔法は魔術をはじめとした異能から分かたれたと言われている。

 けれどもその思想、理念など多くは失われてしまった。英霊の召喚やサーヴァントの契約、神秘という概念など失われてしまった最たるものだろう。

 

ぐだ丸K: カレイドステッキには人工の精霊が宿っているんですが、そいつは資質ある者と契約することで、並行世界から別の可能性を契約者に憑依することができるんです。

 

「契約者の資質というのは、魔術師ということか?」

 

 摩利や真由美としても、魔法少女のステッキ、などと言われると真剣みも失せるが、魔術の礼装と言われるのであれば、聞く耳も持てよう。

 以前、九校戦で窮地を切り抜けたのは圭の持っていた使()()()()の魔術礼装によるものでもあったというのだから。

 ともすればおかしな(ぐだぐだな)ノリに侵略されそうになる場を、けれども達也の普段と変わらぬ落ち着いた様子が引き締めていた。

 

ぐだ丸K: カレイドステッキの契約者である資質。それは……………………魔法少女になる資質のことです! 

 

「……………………」

 

 けれども残念ながら、どこまでいっても今日の藤丸圭は、そして獅子劫明日香は残念な感じであった。

 

ぐだ丸K: 魔法少女。それはつまり、ローティーンもしくは相応の見た目(ロリロリしさ)。キャラ立ちする性質を持つ者。そして恋する乙女のラブパワーをトリガーとして奴は契約を結ぼうとしてくるんです。

 

「…………………………………………」

 

 最も冷え冷えとした視線を向けているのは雫だろう。

 彼女だけではなく真由美や深雪も同様に白い目を向けており、摩利に至っては頭痛を覚えたのか額を抑えている。

 

ぐだ丸K: どうしよう、明日香! 全く深刻さが伝わっていないような気がする! 

 

TSキシオーもどき: いや、本当に危険な状態なんですよ? ステッキと契約したカレイドライナー(魔法少女)は平行世界から無限に魔力の供給を得られる。Aランク相当の魔術障壁、物理保護、治癒促進、身体強化が常にバフされていて、事実上魔法師はおろか魔術師でも傷一つつけられなくなる。……スペック的にはサーヴァントとすらも互角にやりあえてしまう存在になる。

 

「そんなに!?」

 

 サーヴァントとすらも互角。それはサーヴァントを知る魔法師としては驚きの朗報だろう。

 なにせ十師族の直轄部隊ですらも一蹴するほどの存在なのだから。

 そして事実として、昨晩は圭に加えてアストルフォまでもがやられて(残念になり)、明日香も討伐を果たせなかった。

 サーヴァントへの対抗策を模索している最中である達也にしても興味深い情報だ。────あまりにもふざけた与太話としか思えない契約条件に目をつぶればだが。

 

ぐだ丸K: それにその人工精霊の性格が最悪なんですよ。なにせ──―

TSキシオーもどき: ────、ケイ!!! 外だッ! 

 

「!」

 

 説明を遮り、明日香が突如として窓へと向かって駆けた。

 窓を開くとそこには校庭が見えて、生徒たちの姿が見えるはずなのだが、そこに──正確には空中に── 在らざる者の気配を感知したのだ。

 サーヴァントにも匹敵する濃密で膨大な魔力の気配。

 そう、そこに居るのは間違いなく逃亡していたカレイドステッキ。

 それと契約し(に憑りつかれ)た魔法少女。

 

「こんにちはぁ、真由美さん♪ あ、皆さんもお揃いですね」

 

 ルビー(銀髪赤目ロリ)サファイア(クールデレ)に続く新たなるマジカルステッキ(カレイドライナー)

 ロリロリしい童顔に雫を超えるツルペタのボディはまさにローティーン相当。

 

ぐだ丸K:あれはマジカルエメラルド! 

 

「あーちゃん!!?」「中条!!?」

 

 彼女の装いは一高の学生服でもなく、普段の彼女ならば決して着用することはなさそうな派手派手しいコスプレの様な装い。

 フリルの豊富なエメラルドグリーンの上衣は短く臍はおろか真白いお腹が下乳(ほぼない)の下部ほどまでしかない。

 揃いのミニスカートにはリボンがあしらわれており、なによりもその丈の長さでは滞空していると下から色々と丸見えであろうに、光影の魔法を駆使しているかのごとくに絶対領域を維持している。

 無垢にも見える魔性の笑みを浮かべるは第一高校の時期生徒会長候補筆頭である中条あずさであった。

 いつもあれば小動物めいて大人しい、一科生(優等生)にはそぐわない引っ込み思案さを見せる彼女の、あまりの変貌に真由美と摩利が驚愕している。

 むろん驚きを覚えているのは彼女たちだけではなく、同じ生徒会の深雪や達也も、そして副会長としてを知っている雫たちすらも驚き、あまりの(破廉恥な)姿に驚愕している。

 

ぐだ丸K: やはり契約者を既に得ていたか。このままではアレの放つGUDAGUDA粒子によって人理定礎、世界の法則がグダグダな感じに破壊されてしまう! 

 

「ぐだぐだな感じ!?」

「なんだそれは!?」

 

 驚きはあずさの姿にだけではなかった。

 いやもちろん、あずさのアレな魔法少女姿も驚きなのだが、それを見ての圭の言動も一同に驚愕を与えた。

 

ぐだ丸K: この世界を構築する絶対の法則。それをGUDAGUDA粒子はぐだぐだな感じ(台本形式)に書き換えてしまう! そう! 今まさに僕たちの在り様が書き換えられているように。そうなればこれまで積み上げてきた人理がぐだぐだな感じに崩壊されてしまって、なんだかんだぐだぐだな感じに世界は剪定されてしまう! ……かもしれない、多分。

 

「その説明が既にぐだぐだな感じなんだけど!?」 

 

TSキシオーもどき: 下がっていてください、七草会長。ここで止めて見せる! 世界の崩壊(台本形式への変換)などやらせるものか! 

 

「明日香!!?」

 

 ぐだぐだな説明を行う圭に思わずツッコミを入れている真由美を強引に窓から離し、風を纏うかのように蒼銀の霊衣へと姿を変えた。

 歴戦の英霊たちを斬り伏せてきた頼もしきデミ・サーヴァントの姿は、雫にとってなによりも頼もしい姿。

 

TSキシオーもどき: はぁあああッッッ!!!! 

 

 魔力放出による推進力によって弾丸の如く宙を翔ることができるが、それは自由自在にとまではいかない。

 現代魔法では既に魔法師が自由自在に空を飛ぶ術を手に入れているし、魔術であっても空を飛ぶ術がないわけではない。

 けれども対サーヴァント戦における高速戦闘においてその程度の飛行魔法では到底対抗することはできない。

 魔法少女は空を飛ぶものであるからして、カレイドライナーとなったあずさもまた空を自在に翔る。

 故に明日香はCADを使った飛行魔法は戦闘には取り入れていない。

 自在に空を翔る魔法少女が弾丸の如くに直線的に飛来してくる敵を避けることは容易く、当然明日香もそれは織り込み済み。

 魔力放出で空中に足場を固定し、すぐさま方向を転換。再度の爆発的放出で今度こそカレイドライナーを地に叩き落そうとした。

 

「野蛮ですねぇ」

 

 平時であれば童顔と言えるあずさは、けれどもその幼い(ロリな)外見に艶めいた笑みを浮かべた。

 妖艶ならぬ幼艶。

 

「見せてあげます!」

 

 翠緑のハート型のステッキ頭が膨大な魔力を異次空から取り寄せる。

 そしてなぜか無意味に挟まれるバンクシーン(お約束)がごとくにカラフルな虹色のシルエットがあずさの肢体をぴっちりぴったりに覆う。

 

TSキシオーもどき: これはっ!!? 

 

これが魔法少女の(1 hit!)

 

 振るわれたステッキから色とりどりにラヴリーな光が乱舞して中空で動きを止めさせられた明日香を包み込む。

 

全力全開(2 hit!!)! 胸がときめく、乙女のパワー(3 hit!!!)!!」

 

 光帯が次々に貫いていく。

 一撃一撃が本来のあずさでは有り得ないほどの魔力が込められており、明日香の強力な対魔力をものともせずに貫通している。

 

 

 そして光溢れんばかりの魔力は魔法少女の手元で一張の弓を形成。

 あずさはうっとりとした恍惚の表情でその弓を一撫でし、構えた。

 

マジカル☆(4 hit!!!!)────―エメラルド(梓弓堕銀必貫) !!!!」

 

TSキシオーもどき: ぐわぁ(Buster Down、)ああ(NP低下、)あああ(NP獲得量低下、)ああ(魅了スタン)!!! 

 

 真名解放。

 翠銀の矢が明日香の心臓を穿ち、空翔ける騎士を地に撃ち落とした。

 

ぐだ丸K: なっ! 宝具の真名解放だとっ!!! 

 

 それは紛れもなく宝具による一撃。

 宝具とは人の思いや願い、人間の幻想を骨子に作り上げられたノウブル・ファンタズム。

 ならば魔法少女という概念が形となった人々の想いの結晶が放ったそれは、確かに宝具に他ならない。

 

「そんなっ!! 明日香ッ!!!!」

 

 目の前の信じがたい光景に雫が悲鳴のように明日香の名を叫んだ。

 

 見てくれだけで言えば、あずさ(魔法少女)の姿はあまりにもふざけている。

 にもかかわらず、撃たれた明日香が立ちあがる様子はない。

 ライダー:クリストファー・コロンブスの宝具を捌き、キャスター:メフィスト・フェレスの宝具にも耐えた明日香が、魔法少女の前に屈したのだ。

 地に墜ちた明日香は、なんとか身を起こそうとするもその体はまったく自由が利かなくなっている。

 

「あっはっは! たかだかデミ(絆レベルの上がらない)サーヴァント(☆3配布鯖)の分際でこの私(コラボ鯖)に勝てると思っていたの? 甘すぎるわ! お汁粉にはちみつマシマシの生クリームを入れたみたいに甘々!」

 

 魔法少女の嘲弄の声。

 その笑みは小動物を思わせる中条あずさのものからはかけ離れている。

 

「いったい何が目的なんだ! 中条!」

 

 いつも見てきた後輩の見たこともない幼艶な顔に、彼女自身ではないと理解しつつも、それでも摩利は問わずにはいられなかった。

 

「目的ですか? くだらないことを尋ねるんですね。摩利さん」

 

 宙に浮かぶあずさが摩利を、真由美を、尊敬する先輩や後輩たちを見下ろしながら嘲るような眼を向けた。

 

 そう、くだらないことだ。 

 

「私、気づいたんです。この学校の生徒会長になるためになにが必要なのかなって」

 

 問いかけが、ではなく、その問いかけの内容が。

 その懊悩が今ではなんとくだらなく感じることだろう。

 答えはこんなにも明快で華やかで簡単だったのに。

 

「真由美さんは十師族の直系として、深雪さんは氷の女王として、この学校のみんなに、崇められているじゃないですか! だからこれが、私にも必要なことなんだって!」

 

 彼女には優等生としての自負はあった。

 全国でもトップの、九校戦でも最も優勝回数の多い一高に主席の成績で入学し、十師族の名門、七草の直系である真由美のもとで送る学生生活。

 入学後の成績でこそ、2位、3位の服部や五十里と争いはしても、魔法力や魔法についての知識は確実に入学当初よりも格段に向上している。

 そう言い切れるだけの研鑽を積んできたと言い切れる。

 けれどもそれで真由美のような生徒会長になれるかといえば絶対に無理だ。

 十師族ではない自分には真由美のような魔法力は得られないし、彼女が為してきた、そして為そうとしているような生徒たちの意識改革なんかできっこない。

 自分は周囲の人間を引っ張っていけるような、そんな人間ではないのだ。

 尊敬する先輩のようにだけではない。自分の一つ下にいるはずの深雪にだって、到底及ばない。

 ならば自分は? 

 自分はどんな魔法師になれるのだ。

 先輩にも後輩にも及ばない、それでどんな立派な魔法師になれるというのだ。

 

「私は魔法少女として、一高のみんなに崇められる! それが一高の生徒会長に必要なことなんです!」

 

 だからこそ、これが答えだ。

 真由美も深雪も、魔法少女に選ばれなかった。

 選ばれたのは自分。自分こそが魔法少女だ。

 衆生の願いの形の具現。夢と希望の担い手。

 

 あずさ(魔法少女)から広がる後光は遍く世界を照らし、常識を塗り替えていき────だがそれを阻みうるものがこの場には居た。

 

 

 ──“それ”は銃型の特化型CADに本人の意図せざる形で生成されたエネルギーを込めていた。

 照準は物理世界における存在のみだけではなく、情報次元に存在する閃光のごとき霊子構造体にも。焦点をずらして照準を当て、圧縮した想子を術式解体(グラム・デモリッション)の応用で、けれどもさらに絞って徹甲弾を射つようにして放つ。

 

 

 

「きゃあああ! 何するんですか! 達也さん!」

「!」

 

 驚きの声はあずさからのものだが、同様以上に驚きに目を見張ったのは圭だ。

 

ぐだ丸K: 今のはまさか、魔法でサーヴァントにダメージを与えたのか!!? 

 

 本来サーヴァントは霊体であり、神秘側の存在だ。

 魔術から分かたれたとはいえ、神秘を切り離してきた現代魔法は最早、物理現象の改変という事象を引き起こしているに過ぎない。

 なればこそ通常の魔法で霊体──それも高位の霊体であるサーヴァントにダメージを与えることなどできないのが道理だった。

 

「どうやら今の中条先輩は本来のサーヴァント、魔術的な存在よりも魔法よりのようですね。開発中の魔法の実験にはうってつけだ」

「くっ! 言ってくれますね。ですが流石です、達也さん」

 

 だがそれを良しとするわけにはいかない。

 達也にとってサーヴァントに対する対抗策は急務の案件だった。

 “想子徹甲弾(仮)”

 いまだ完成には至っていないが、通常のサーヴァントよりもこちらの世界に主軸を置いている今のあずさのような存在に対してであればある程度はダメージを通せるということが明らかとなった。

 達也の特異とする分解と再成の魔法には情報の理解が不可欠だと思っていた。

 だがそもそもにして、物質界の情報にイデアを介してアクセスして見透かすことのできる達也だが、ヒトのような有機生命体の構造のすべてを理解することはできていない。

 24時間であれば失われた四肢の欠損や瀕死の状態であったとしても蘇らせることのできる達也の異能も、この理解こそが端緒だと思っていた。

 だが果たしてそうだろうか。

 いわゆる生命の神秘とやらを達也は完全に理解しているとは思えない。

 事実として、たとえ精霊の瞳(エレメンタル・サイト)を用いたとしても、人間の持つ情報の膨大さ──過去から今に至るまでのすべての過程(プロセス)を見通すことはできない。

 ただ得られた幾つかの情報から処理できる範囲において整合性を合わせて推測しているに過ぎない。

 それを理解したと考え、その推測の及ばない領域である魔術や神秘を理解できていないと考えていた。

 だから魔術や神秘を別物だと捉え、彼の魔法はサーヴァントに通用せず、奴らの領域に隔離された深雪の存在を見失うという失態を犯した。

 発想が逆だったのだ。

 魔術が知らない領域にあるのではなく、自身の理解していた領域も、無限にある不知の領域にあるものなのだと再定義する。

 ならばヒトを分解して塵に変えることのできる達也の魔法で、サーヴァントにダメージを与えられない道理はないはずだ。

 そして一度当ててしまえば、達也の眼は今までよりも鮮明にサーヴァントの次元を認識できた。

 

ぐだ丸K: なんて奴だ。無意識に魔力を練り上げて込めたのか!? 突然変異の規格外にもほどがあるぞ! 

 

 例えるならそれは、何百光年、何千光年離れた宇宙から届く恒星の光だろうか。

 決して強くはない。けれどもそれは物理次元に表出している、いわば肉眼で見ている情報に過ぎない。

 実際にはその光は今よりも遥か過去のもの、此処から遥か彼方から届く強烈な光。

 

 いまのあずさ(カレイドライナー)の光は倒れている明日香よりもかなり強い。けれどもそれもまた表出的な情報に過ぎず、認識を深めた達也の瞳には、むしろ明日香の光にこそ底知れない次元の隔たりを予感できた。

 

 とはいえ未完成の想子徹甲弾(仮)の一撃で撃ち落とすことができるほどではないだろう。

 如何に達也の異能、理解の範囲が規格外とはいえ、達也が踏み込んだ土俵──神秘においては相手の方が上手だ。

 達也は構えるシルバーホーンに再び想子と霊子(意図せざる魔力)を込めた。

 狙いはあずさの肉体構造の情報体に潜む、内側の恒星の輝き──―その連絡路。

 おそらくそれこそが、圭が言っていた契約、その繋がりだろう。

 流石の達也といえども、今はまだサーヴァントの霊核に匹敵するほどの輝き自体を破壊することはできない。けれども連絡のみであれば、繋がりを断つこともできるはずだ。

 そう、これは魔法師によるサーヴァント打破の手段確立のための第一歩────────

 

シスコンバースト: 魔法でも通用するというのなら恐れるには足りない。愛らしい魔法少女というのであればなぜ深雪に憑依しなかったのか理解に苦しむが、いや、深雪がこんな破廉恥極まる残念な姿になるのを望んでいたわけではないのだが。勿論深雪なら理性が蒸発してしまいかねないほどに愛らしいに決まっているが! 

 

 脳裏を雑念がよぎった。

 おかしなことだ。

 達也には激情と呼べる感情の高ぶりはたった一つに対する事柄を除いて失われたはずなのに。

 雑念を振り払い、視界(理解)の深まった神秘宿す中条あずさにさらなる一撃を放とうとして────―愛妹の驚く(可愛らしい)顔を見ている自分に気が付いた。

 

「お、お兄様」

 

シスコンバースト:どうした、深雪? 

 

 深雪(愛妹)に向ける顔は戦闘の最中であろうとも凛々しいものに。人によっては強面の仏頂面とも評される顔に、彼女だけに向ける微笑みを浮かべて白い歯を見せつつ応えた。

 

「「……………………」」

 

 沈黙が流れた。

 残念空間を斬り裂く魔弾放つ魔弾の射手。そのシリアスな言動と振る舞いが、途端に残念空間に侵蝕されていった。

 

ぐだ丸K: なんてことだ! 達也君にまでGUDAGUDA粒子の影響が! 

 

TSキシオーもどき: バカな! GUDAGUDA粒子で残念になるのはサーヴァントか、それに近しい魔術師だけのはず! 

 

 驚愕。

 魅了スタン(ピヨッて動けない)状態の明日香ですらも思わず声を上げるほどに驚きの事態。

 サーヴァントでも魔術師でもない達也への影響の感染。

 それの意味することは────────── 

 答えはカレイド・エメラルド(諸悪の根源)が大笑と共に応えた。

 

「あっはっは! 甘いわねぇ! 極甘! ツインアーム・ビッグクランチ・フラペチーノみたいよ!」 

 

TSキシオーもどき: くっ! なんだか知らないけどすごく甘そうだということはわかる……。いや、そうじゃなくて、なぜ彼がGUDAGUDA粒子の影響に巻き込まれているんだ!? 

 

 ツッコミの切れが今一つテンポ遅れになっているのもきっとGUDAGUDA粒子の影響なのだろう。

 

「私は平行世界を管理する魔法使いによって作られた礼装! 高濃度GUDAGUDA圧縮粒子を全面開放すれば、極小の可能性未来であったとしても英霊に至る可能性があるのなら、その人物からサーヴァントになるかもしれないというグダグダな情報だけを呼び寄せてぐだぐだワールドに引き込むことが可能なのよ!」

 

ぐだ丸K&TSキシオーもどき: なっ!!!? 

 

「つまりお兄様は英雄になるお方!?」

「深雪! しっかりして! あんなへんてこなステッキの言うことを真に受けないで!?」

 

 驚愕するは魔術師二人だけではなかった。

 なにやら深雪はうっとりとして頬を染め、尊敬と愛慕の溢れた陶然とした眼差しを兄に向けており、隣にいた雫はそんなポンコツ化した友人の肩を揺さぶって意識を取り戻させようとしていた。

 がくがくと揺さぶられた衝撃が、深雪の脳を刺激したのか、彼女はハッと気が付き、口元を抑えた。

 

「つまりお兄様はサーヴァント(奴隷)!?」

「深雪さん!?」「なんの奴隷にするつもり!!?」

 

 真由美も雫も、この残念ワールドにあってGUDAGUDA粒子に影響されていないがために、その役どころは必然としてツッコミ役とならざるを得なかった。

 いつもは可愛い後輩をからかう渡辺摩利も、開いた口が塞がらない状況だ。

 

 

 

 

 

 

 

 そうして希望の芽(司波達也)魔法少女に屈し(残念になっ)た。

 

シスコンバースト: くっ………………

 

「お兄様!」「達也くん!!」

 

 取り込まれ(残念化し)てしまった達也にも、もはや魔法少女(カレイドライナー)を打倒することは不可能だった。

 蒼銀の騎士の剣は輝くこともなく、魔術師の舌は魔術を紡ぐために回ることもできない。

 

「そんな…………」

 

 全滅。真由美には眼前の状況をそう言い表すことしかできなかった。

 魔法少女は少女たちの夢の形。

 なればこそ、少女から女性へ、移り変わろうとしている真由美たちに打破できないのは自明(真理)だった。

 

ぐだ丸K: 明日香でも、達也くんでもダメなのか…………

 

 打破できる可能性があったのは、明日香(王子属性の騎士)達也(規格外主人公)、百歩譲って(死亡フラグを持つ名脇役)しかいなかったのだ。

 おそらく十文字克人ではだめだ。

 魔法少女という概念に対して、十文字克人(老け顔マッチョ)はあまりにも無力。

 それこそ物語序盤のクールでけちょんけちょんにやられる姿しかないだろう。

 魔法少女という概念(神秘)との闘いは、つまりは概念のぶつけあい。

 魔法少女を倒せるとしたらそれは──────魔法少女に他ならない! 

 

「シュナイデン!」

「きゃあああ! なに!」

 

 突如上空から飛来した純粋魔力の斬撃が、魔法少女(あずさのドレス)()ダメージを与えた(いいかんじにひん剥いた)

 

TSキシオーもどき: あれはッ! 

 

 肌色成分の多くなったあずさの方から視線をそらし、キラリと輝くその飛行者に一同は目を見開いた。

 

「見つけた」

「大人しくしなさーい! エメラルド!!」

 

 それはまさしく魔法少女。

 あずさ(体形だけロリ)とは違い、まさしく純潔の魔法少女。

 銀髪赤目で多分貴族的なファミリーネームとミドルネームを持っているけれど多分平凡な一般家庭のロリっ娘と、和服姿が似合うけれどもキャラ寝間着を愛好しているだろう黒髪で紅い瞳を失ったロリっ娘。

 

「でたわね────ロリっ娘魔法少女! イリヤ、美遊!」

 

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 国立魔法大学付属第一高等学校。通称一高。

 退任した前生徒会長に十師族直系の七草真由美を持ち、次期生徒会長は一人しかいないと衆目の一致する一学年に司波深雪を持つこの学校は今日も平和だ。

 それは暖かな、夏休みが終わって季節が夏から秋に移り変わり、まだまだ残暑が厳しくても──もっとも寒冷期以降、この表現はあまり適切ではないことの方が多いが──平和だった。

 それはもう、ほとんどすべての在校生が、教職員たちと一緒に白昼夢を見るくらいに平穏無事な一日だった。

 

 そんな平和な学校の、平和な象徴である生徒会室で、生徒会長となったあずさは目を覚ました。

 

「夢……?」

「あっ、そうだ、生徒会長に、なった……んだよ、ね……?」

 

 珍しいことに、いつもは完璧才女な深雪や、諸々の雑務をこなすために生徒会を訪れていた達也までもが夢見心地にうたた寝をしてしまうくらいに平穏で何事もない一日だった。

 

「…………?」

 

 ──気のせい……だな──

 

 24時間という限定こそあるが過去の情報にアクセスすることのできる達也は、わずかに覚えた違和感に、視界時間の遡行を行ってみたが、何事もない一日だった(ぐるぐる渦巻で見通せなかった)

 最近懸案だった中条あすさ生徒会長の就任だだこね事件は無事に解決し、全校生徒による一斉投票は何の問題もなく全会一致であずさの就任を可決した。

 今日の達也は、生徒会及びこれまた近々代替わりが行われる風紀委員の引継ぎ業務の代行サービスをなぜか行ういつもと変わらない一日だった。

 お騒がせ男筆頭である達也でもこうだったのだ。

 同じように騒ぎの中心にいることの多い魔術師たち、藤丸圭と獅子劫明日香も、いつもと変わらない平穏な一日を過ごしていた。

 彼らは自宅に極大トラブル製造機(アストルフォ)を抱えているが、今日という一日に限っていえば、何事もなかった。

 それはそうだろう。

 いかに稀代のトラブルメーカー(スカポンタンのアストルフォ)といえども、そうそう四六時中騒ぎばかり起こしているはずもないのだ。

 

 だから今日も一日平穏無事で、世は事もなし。

 

 

 

 

 

 

 

銀髪赤目ロリっ娘魔法少女: よかったのかなぁ……

 

 遥か眼下に今日も平穏無事な一日となった学校を見ながら魔法少女は、良心の葛藤から呟いた。

 見ようによらなくてもとっても破廉恥な恰好で、今のように空を飛んでいる姿を下から目撃されたらいろいろと羞恥に転げまわりそうな恰好をしているロリっ娘魔法少女にとって眼下の学校はまったく馴染みがない。というかこの世界そのものに馴染みがない。

 なにせ彼女は正真正銘、どこをとっても紛うごとなきごく普通の女の子だ。

 ちょっと銀髪赤目で名前が貴族っぽくて、留守がちな両親は謎の仕事をしていて、なぜか一般邸宅にメイドが二人も居て、ついでに血の繋がらない兄がいるけれど、ごくごく普通の小五女子だ。

 たとえ知り合いの赤いあくま的な人がイギリス魔法学校みたいなところから一時帰国していようと、異世界転移的なことに慣れっこになっていようと、詐欺師的な魔法のステッキに騙されて魔法少女をやっていようと、彼女自身は極々普通の女の子……たぶんきっと。  

 だからそんな、魔法少女をやっている普通の小五女子からしてみれば、魔法を教えているというファンタジックな学校──それも高校! ── なんて驚きもいいところだ。

 周囲の景色が現実的であるだけにより一層だ。

 

「仕方ありません。あのカオスにグダグダな感じを治めるにはルビーちゃんのぐるぐるポイズンとサファイアちゃんのマジカル洗脳を使うしかありませんでしたから」

状況(コラボイベント)さえ終了すれば、夢から醒めるようにしてマイルームで目を覚まします」

 

 彼女が持つ、デフォルメされた翼の生えたピンクな感じのマジカルステッキと、隣に浮かぶ親友が持っているマジカルステッキが、なんだかとってもメタい(ぐだぐだな)感じのことを言っているが、他にどうしようもないのもこれまた事実。

 彼女たちの役目は、異次元転移なんていうこれまたファンタジックなことをしでかしてしまったステッキ仲間を、人知れず世界に影響の出ないように回収することだったのだから。

 一応それは無事に回収できた。

 女子高生がちょっとあれな感じの魔法少女コスチュームになってアレな感じでやらかしちゃっていたのも、一応はどうにかでき(ぐだぐだな感じで誤魔化し)た。

 

 だからきっと、これで何も無問題。

 

「ところでイリヤ……」

 

銀髪赤目ロリっ娘魔法少女: なに、美遊? 

 

「…………感染してるよ」

 

銀髪赤目ロリっ娘魔法少女: ふええええええ~~~~!!!!??? 

 

 見知らぬ異世界の空に木霊した魔法少女の悲鳴が境界回廊に飲まれて消えた。

 

 

 

 

 

 







ぐだぐだの方たちは内容からタイトルを決定してしばらくしてから出演しないことに気が付きました。あとがきでぐだぐだな掛け合いシーンにご登場いただこうかとも思いましたが、本編に全く関係ないので泣く泣く(笑)全カットとなりました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4章Intro

 

「新宿ってところに行きたい!」

 

 それは唐突な ── いつもどおりの── アストルフォの気まぐれのような希望から始まった。

 

「……キャビネットの乗り方は覚えただろ、ライダー」

 

 乗り方、というのは勿論キャビネット──日本で運用されている一般的な公共交通機関である個型電車への乗り込み方だ。間違ってもそのクラス特性でもある乗りこなし方では決してない。

 このトラブル製造機を一人で街に歩かせることに不安を覚えないわけではないが、現世における生活を送っている明日香や圭としては学校に行く必要もある。

 魔術師やサーヴァントについて研究したいという魔法師たちからすると調べられる機会を少しでも増やしたいという思惑があったのだろうが、あのアストルフォに学校生活など送れようはずもない。

 そして世界の裏側にいるというマスターから絶えることのない魔力を供給されている彼が霊体化などという無粋な真似をして存在を隠すはずもない。当然ながら明日香や圭に、それを止める権利などあるはずもない。

 かくしてアストルフォは日中、実体化して第2の生を謳歌する権利を堂々と行使している。

 夏休みには遠出のために明日香と圭を日本全国に連れ回ったが、近隣程度であれば勝手気ままに街をぶらついて現代日本大いに楽しんでいる。

 にもかかわらず今回、東京都内を出歩くのに明日香たちに声をかけたのは────

 

「だってさだってさ! 新宿って、魔術髄液で魔術師になったチンピラが闊歩していて、そんなチンピラたちをオートマタがチンピラ狩りしていて、そんでそんで、首無し騎士(デュラハン)を乗せたおっきな狼が走り回る街なんでしょ?」

 

 どこかで仕入れたこの認識がためだ。

 

「そんな悪性隔絶魔境は知らない」

 

 通常、サーヴァントの大本である英霊は座と呼ばれる時間も空間も超越した概念にオリジナルがある。

 英霊という存在の一側面のみを、クラスという鋳型にコピーすることで召喚されているのがサーヴァントだ。

 座にある英霊には勿論生前の知識があるし、召喚にあたってその世界、時代における知識を行動に不都合のない範囲で聖杯から賦与される。

 だからこそサーヴァントは死後の自分に対する評価や後代の出来事についても認識している。

 だがサーヴァントとして現界した後の記憶についてはオリジナルと随時共有しているわけではない。

 座に戻った後に現界時に得られた記憶を持ち帰ることもある。ただしそれらは、座においては記録の一つでしかない。

 よほど大きな衝撃を与えた出来事。それこそその英霊の価値観そのものに影響を及ぼすほどの出会いや出来事であればまだしも、通常はただの記録は膨大な情報に押し流されて実態を伴わない単なる情報の一つとして処理される。

 これまで明日香たちが出会ったサーヴァントの中には、かつてカルデアに召喚された英霊と同じサーヴァントもいたが、彼らはカルデアに召喚されていた時の記憶、藤丸の初代魔術師と紡いだ絆はない。

 対してアストルフォの方は、この世界に来る前の世界──聖杯大戦から座には戻っておらず、そのままこちらの世界に転がり出てきているので、前の世界の記憶がある。

 そして本来座にある大本の記憶には未来も過去も関係なく、時空を超越して情報が蓄積されているため、今のアストルフォにもどこかでの残骸のような記録も有しているらしい。

 そして明日香も──―正確には明日香の中に宿る“彼”の霊基にも………………

 

 だからこそ、明日香は難色を示した。

 東京という土地については仕方がない。

 けれどもその中心地の一つ。因果絡まる彼の地。“異世界の騎士王”が変質した旅路を歩む端緒となった地は、彼ではない明日香にも二の足を踏ませていたから。

 ────の、だが。

 

「それじゃあいいもん。シズクとホノカにでも案内してもーらおっと♪」

「!? ちょっと待てライダー! 何故君が雫とほのかの連絡先を知っているんだ!?」

 

 結局は振り回されることとなるのであった。

 

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

 

 新宿。

 戦前──第三次世界大戦でもある二十年世界群発戦争よりも前の、魔法がまだあまり発達していなかった時代にはすでに超高層ビルや超高層マンションが立ち並び、繁華街やオフィス街、商業と文化の拠点ともなっていたこの街は、魔法が発達した今においても賑わいを見せている。

 駅から出て、というよりも駅の構内から既に、あたりを少し見回しただけで、この街の賑わいと華やかさには気が付くだろう。

 ただそんな華やかな街にあって、降り立った彼ら──―というよりも彼女たちは目立っていた。

 

 ベージュのリボンを黒髪のアクセントにした北山雫は、ロイヤルブルーの淡くも華やかなブラウスに白いミニのスカート。

 彼女だけではなく、ほのかや美月、エリカであっても一人でこの街を歩いていれば声をかけられること必定な美少女たちで、一緒に藤丸や明日香、レオがいなければナンパの対象となることであろう。

 ついでに述べるのであれば、すでに近くのショーウィンドウ──チョコを主力にした菓子店──に瞳を輝かせているアストルフォは、ピンクのオフショルダーに黒のインナー、紫の髪留めをアクセントにした見紛うこと無き美少女の姿である。

 

「達也と深雪も、休みの日にすまない」

「いいえ。アストルフォさんには以前のお礼もしたいと思っていましたから」

 

 とりわけ周囲の一目を集めているのは、彼女をおいて他ならないだろう。むしろ彼女ほど飛び抜けているとおいそれと声をかけるのも躊躇われるであろうが。

 

 本日は友人たちと一緒に新宿散策に来ていた。

 主にはアストルフォの気まぐれなのだが、雫や深雪たちにとっては以前、危ういところを助けてもらったお礼もあって案内がてらに誘いに乗ってくれたのだ。

 

「どこか行きたいところはありますか?」

 

 圭はともかく明日香は現代の新宿、特にアストルフォの好みそうなショッピング関係には詳しくない。

 そこのところ、魔法師とはいえ現役女子高生であり一般庶民の美月やほのかは慣れているだろう。そしてやや一般とは違って、いわゆるお嬢様である雫や深雪であっても今日来ている男連中に比べれば慣れている。

 

「んっとね。可愛い服があるところを見たいな♪」

 

 もはやアストルフォのこの返答に対してツッコム言葉を持てないのはあきらめの境地に達してしまったが故か。

 問いかけた美月とほのか、エリカたちが微笑ましく話を続けていることに違和感を覚えている達也がおかしいわけではきっとないはず。

 

 いわゆる集団デート、とも言えないが、夏休み中の水着購入イベントの時にはいなかった明日香や圭、アストルフォ。彼らがいる光景に雫はほんのりとしたものを感じ、けれども明日香の様子が少し違うことに気が付いた。

 

「アストルフォのことが気になるの?」

「雫。……いや、そういうことじゃないんだが……」

 

 いつもよりほんの僅か、難しい顔をしている明日香。

 以前もアストルフォの女装に苦言を呈していたことから、それで悩んでいるのかと思い尋ねてみるが、そうではないらしい。

 歯切れ悪く答える明日香に、雫は小首をかしげた。

 

 上目遣いに見上げてくる少女に、思わず苦笑を漏らし、なんでもないと微笑んで告げようとした明日香は、けれども懸念に引きずられて顔を曇らせた。

 

 世界の時間軸は無数に広がっている。

 中にはまったく違う時間軸を流れていく世界もあり、アストルフォが召喚された前の世界と今の世界、そして“彼”が召喚された世界と今の世界も、同じ時間の流れの上にはない。

 厳密にはそれらは異世界と呼べる関係性だろう。

 ましてかつてカルデアのマスターがレイシフトで訪れた特異点は時間の連続性の孤立した時の最果て。

 この(・・)新宿で聖杯戦争が行われたという記録はカルデアにはない。

 

 だからこの靄のような感情にもならない杞憂は、気に留めるべくもないもののはずだ。

 それは明日香自身が抱いているものではなく、すでにここには居ない、“彼”の巡る旅路の中でのほんのひとかけらに過ぎないのだから。

 だから────―

 

「気になるのなら行ってくればいいんじゃないか?」

「ケイ……」

 

 この(・・)新宿には何もない(・・・・)

 それは明日香が調査するまでもなくすでに十分に調べつくされた情報だ。

 圭の予測でもカルデアの調査でも、この新宿に聖杯が現れる予兆はなんら確認できなかった。

 

 だからこの新宿は、“彼”の召喚された新宿、世紀末からは連続していない。

 

「意味はないとしても……気になるんだろ?」

 

 それでも気にかかることがあるのは、この街が、この街で得た出会いが“彼”にとってあまりにも────―

 

 

 

 

 

「あれ? 明日香くんは一緒に行かないの?」

 

 短い謝罪の言葉とともに背を向けて離れていく明日香に、エリカたちは首を傾げた。

 今回の散策のメインはアストルフォの案内だが、一緒に来たのだからそのまま一緒に行動するものとばかり思っていたのだ。

 

「新宿には思う所が色々あってねぇ」

 

 肩をすくめる圭。

 感情の起伏に乏しい雫の瞳が少し陰って見えるのは気のせいではあるまい。

 

「魔術師の役目絡みか?」

 

 流れとしては唐突過ぎる別行動に、達也は少しだけ踏み込むように尋ねた。

 魔術師がらみの事件の危険性は既知のものだ。

 ただ、危険だから避ける、置いて行かれるといって納得できるような面子ではなく、達也にしてもすでにここまで来ているのであれば事情を説明されない方がむしろ危険だという考えもあった。

 

「そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるというか」

「はっきりしないわね」

 

 煙に巻いたような圭のそれは説明にもなっていない。

 エリカがムッとした顔をしているのも魔術師二人の排他的な態度が癪に触っているのだろう。

 

「特に楽しいことがあるわけでも、危険があるわけでもない、ただの意味のない確認作業。あるいは心の贅肉ってところかな」

 

 とはいえ、圭としては、今回の件に関しては魔法師である友人たちをのけ者にしているわけではない。

 単に明日香の個人的な事情。あるいは事情にもなっていない杞憂。

 まず間違いなく無駄足になるとわかっている、面白くもないことだからなのだが。

 

「ふ~ん。それ今やらなきゃいけないことなわけ?」

 

 少し強めの語調でエリカが追及してくるのは、あからさまに除け者にされている自分ということもあるが、目に見えて落ち込んでいそうな友人()がいるからだろう。

 エリカのような陽性の美少女に睨みつけられるというのもそれはそれで悪くはないが、気持ちを考えろとばかりに目配せされていれば肩をすくめざるを得ないだろう。

 

「これまで新宿には寄り付かないようにしていたみたいだから、丁度いい機会だよ」

 

 明日香と“彼”。

 同一ではないけれども、今の明日香の霊基は二つがほとんど融合している。

 だからこそ、“彼”がその死後にもっとも影響を受けた出会い、戦いの地であった新宿は、明日香にとっても、良きにしろ悪きにしろ強い心象影響を与えている。

 ただそれはやっぱり明日香自身の思いではないのだ。だから持て余してしまう。

 今回無理やりにでも新宿に来ることになったのは、それを克服するのにはちょうどいい機会だろう。

 もっとも、誘ったのはアストルフォとはいえせっかく来てくれた友人たちを放って単独行動しているのは褒められたものではないのは間違いないが。

 

「気になるのなら行ってみたらいいよ。別に危ないことはない。そこは保証するよ、うん」

 

 離れていった明日香を見つめていた雫に声をかけた。

 少し驚いたように振り向いた雫は、次いで確認するかのようにほのかたちに視線を向けた。

 ほのかと雫。

 親友二人は、だからこそ互いの想いの先を知っている。

 だからこその頷きの応え。

 雫は見えなくなりそうな遠い背中を追って足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 後ろから駆け足で追ってきた足音が隣に並ぶ。

 少しだけ息を弾ませ、表情はなんでもないことのように隣に並んだその少女を、明日香は少しの驚きを持って見下ろした。

 同年代の高校生男子としてはやや高身長の部類に入る明日香と、同年代の高校生女子としては小柄な雫とでは足のコンパスがかなり違う。

 歩くペースは違っていて、追いついた雫が隣に歩いていてもすぐに置いて行かれてしまいそうになる。

 

「君も物好きだね。楽しいショッピングとか、特に見るべきところはないんだけど」

 

 歩くペースを緩めながら────雫の歩くペースよりも心持ゆっくりと。

 それは少し駆けてきて息の弾む自分に気遣ってのことか。

 いつもの微笑みに少しだけ困った色を混ぜた明日香を雫は見上げた。

 

「いい。………………一緒にいたかったから……ダメ?」

 

 アストルフォの現代ショッピングに付き合う。

 それがほのかや深雪、雫たちの今日のプランではあったし、それはそれできっと楽しかっただろう。

 友人とのショッピングという経験がないではない。

 お嬢様ではある雫だが、ほのかと一緒に出掛けたことはあるし、バカンス前の水着新調の際にはみんなで達也やレオを振り回したのはいい思い出だ。

 そんな楽しそうな一日と今の自分の行動。天秤にかけることはしたくはないが、今は彼といたかった。

 

「………………それは断れないな」

 

 頬をかいて、少し照れたように。

 雫は明日香の隣を、彼にペースを合わせてもらいながら歩いた。

 

 

 

 

 

 

 およそ百年前。終末論に傾倒した宗教組織によって実行されようとしていた核兵器テロ。それを防ぎ、事件を未遂に終わらせたことで発覚した異能者たち。

 自分たち魔法師の原点(プロトタイプ)。今はもうほとんどが失われてしまった魔術という異能を、今に受け継ぐ数少ない家系。

 藤丸という幼馴染を親戚に持ち、自らは英霊と呼ばれる存在を身の内に宿して──―憑依させて、サーヴァントとしての超常の力を振るうことのできる魔術師。

 蒼と銀との鎧を纏い、不可視の剣と風を操って過去の英霊(サーヴァント)を斬り伏せる騎士。

 高校生としてはやや大人びていて、かと思えば男子高校生らしい茶目っ気を見せる。

 九校戦ではバトル・ボードに出場して、大波を作る魔法とボードの操縦技術をもっているのに、この夏まで泳ぐことができなかった。

 学校の成績は実技がよくて座学は低空飛行。不勉強だからではなく魔術(古式の魔法)の考え方から現代魔法の考え方にうまく適合できていないかららしい。

 女子に優しく、夏休み中には七草先輩の家とお見合いの話があったらしい。

 雫が知っている明日香のことはそんなところ。

 

 魔術師のことも、明日香のことも、再会して半年近くが経ってもまだまだ知らないことばかり。

 だから今回はそれを少しでも知ることのできる機会だから。 

 

 彼自身が言っていたことだが、雫から見てこの行いに何の意味があるのかは分からなかった。魔術的に意味があることなのか、そうでないのか。魔法師である彼女には分からなかった。

 だからできることは一緒に歩く。ただそれだけであった。

 あの輪の中から一人離れてしまった彼だが、それでも雫がついていくことを宣言し、実行すると気遣いをしてくれてはいる。

 歩くペース。何気ない会話。

 目的地はわからないが、それはただの散策のようでもあった。

 

 最初に赴いたのは新宿の繁華街にある一角。

 “どこか”への道を探しているようなそぶりで、結局どこにもその“どこか”に通じる道はなかったらしく、安堵したかのような苦笑をしていた。

 次に赴いたのは海岸だった──東京湾に面した一角だった。

 東京臨海副都心。

 雫は隣に立つ明日香とともに新宿から少し離れ埠頭から東京湾を横断するブリッジを臨む光景を眺めていた。

 

「ここに、なにかあるの?」

 

 こんなに穏やかな眺めではなかったが、そういえば雫が初めて明日香たちと出会った場所──彼らに助けられたのも湾岸に臨む場所だった。

 見える景色に、かつてのトラウマ(クリストファー・コロンブス)を連想したわけではない。

 ただ少しだけ──―散策のように繁華街を歩いていた時やここに来るまでよりも、少しだけ、この景色を眺める明日香の顔に険しいものがよぎったように感じたのだ。

 同じ景色を見ているはずなのに、そこに雫ではなく明日香が、別の何かを、かつてのサーヴァントとの死闘を視ているかのようで…………

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

「今の魔法が作られるよりも以前、魔術がまだこの世界の表側に合った最後の時代。この新宿を中心とした東京で聖杯を巡る戦い、聖杯戦争が行われていた世界線があったらしいんだ。ここではないどこかの世界。並行世界での出来事」

 

 明日香たちと別れた達也や圭たちは、アストルフォに振り回されつつもほのかや美月、エリカたちが主導してショッピングを楽しんでいた。

 もちろん、圭の役割は達也と一緒に女性陣たちの荷物持ちになることであり、アストルフォの自由気ままな食レポの財源になることであった。

 今は男性陣が入るには少々気後れする聖域──当然(?)だがアストルフォはその男性陣には含まれていない──に女性陣が入ってしまったため、男二人で休憩がてらの雑談を行っているところだ。

 

「明日香が経験した出来事ではないけれど、どうやら明日香の霊基には、その聖杯戦争に参加した英霊の記憶の名残があるようでね。それがちょっとした心残りになっているみたいなんだ」

 

 圭がこれを誰かに、魔法師に、それもよりにもよって達也に話しているのは、もしかしたら予感があったからかもしれない。

 未来を予測できるといっても、それは異能の類にまでは至っていない。

 啓示のように唐突で、確定することのできない揺蕩った未来の予測。

 魔法師 司波達也とこうして話すことは、もしかすると未来に繋がる事になるのかもしれないと、そう、漠然とした予感にもならないものがあるから。

 告げているのはこの世界とは違う異世界の出来事。

 明日香に力を与えた英霊の残照。

 

「つまり明日香が探しに行ったのは、新宿で行われた聖杯戦争の痕跡だよ」

「新宿にお前たちの言う、聖杯がある可能性があるということか?」

 

 それは達也としてはただの雑談では済まされない情報であった。

 サーヴァントというこの世界の異物を召喚できるオーパーツ。

 達也としては、サーヴァントなどという過去の亡霊を使役したいなどとは思わない。

 けれども他の魔法師、特に十師族や魔法師を国防の軍事力とみなしている者たちは望むだろう。

 今を生きる魔法師たちを損なうことなく、彼ら以上の力を自在に使役できるとしたら。

 現時点で判明している事実として、霊体であるサーヴァントは実体化していても通常兵器による物理攻撃が通用しない。そして“神秘”という魔法が魔術になる過程で切り捨てた曖昧とした力でしかダメージを通すことができない。

 それは魔術師ならざる魔法師でもサーヴァントにダメージを与えられないということ。

 そんな存在ならば、おそらく四葉の現当主──達也の叔母にして極東最強の魔女とも呼ばれる彼女が興味を抱くことだろう。

 彼女以外にも、七草や九島、国防軍。彼らはおそらく独自の調査を進めていることだろうし、魔術師たちとも接触を図っているに違いない。

 特に七草はサーヴァントの脅威を身をもって知っているだけに、それに対抗できる力を求めるのは必然だろう。

 

「勿論この新宿に聖杯はないよ。それは真っ先に探索した。だから本当に明日香のそれは杞憂にすぎない。ただ、それだけこの新宿で行われた出来事がサーヴァントとしての明日香の記憶に影響を及ぼした出来事だったんだろうね」

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 ──いいか、セイバー ──

 

 かつて、ここではないこの場所で、とある戦いが繰り広げられたことがあった。

 

 ──お前は正しい。東京の人々。本来なら俺たちにはまあ、関わりのない連中だけどな。それでも無辜の民たちだ。かつて俺たちが守った愛すべきあいつらと、何の違いもあるものか。俺はここまでだ。なあ、騎士の王。輝きの剣を栄光のままに振るう男よ──

 

 神威猛る古代の神王(ファラオ)。その宝具の一つである神獣、熱砂の獅子獣(スフィンクス)

 粉うことなき神代の生物にして、数多の伝説を有する劫火と暴風の概念の化身。

 不死の怪物たる獣たちを相手に、黄金の剣──星の聖剣を振るいそれらを打倒せしめた彼のセイバー(聖剣使い)は、東方の大英雄(アーチャー)北欧の戦乙女(ランサー)と共に、神王(ライダー)の宝具“光輝の大複合神殿(ラムセウム・テンティリス)”へ挑んだ。

 正真正銘のサーヴァント。

 明日香のようなデミ・サーヴァントではない。

 英霊の現身。

 それでもかの神王の力は強大で、戦いの果てに聖剣使いは傷つき、東方の大英雄は己が霊基と引き換えに東京を救った。

 大英雄の宝具解放による代償。偽りの身体が崩れいく中、大英雄は“彼”に尋ねた。

 

 ──お前は聖杯に何を願う? ──

 

 

 

 聖杯戦争の舞台、東京をそこに住まう幾万もの無辜の民と共に灰燼に帰すことを定めた神王。彼の神王は“彼”に命じた。

 

 ──世界を救え──

 

 それは今なお、おそらく世界の果てにおいてなお続く“彼”の使命。

 

 ──認めよう。余は神君であるが暴君の顔も持ち合わせるが故に、こうも醜く歪み果てた世界なぞはどうにも救いきれぬ。特に是なる当世、繁栄と消費をあまりに貪り過ぎている。我が豪腕を思うさま振るうには、あまりに頼りなかろうさ──

 

 その神威を振るわんとしたのは巨悪を討つため。

 世界を滅ぼす、人類の敵対者を屠るため。“彼女”を守る騎士であった“彼”を弑するため。

 星の輝く光。

 かつて葦の海を割った奇跡の光を目にして。

 

 ──故に、此処では貴様が救え、勇者よ──

 

 

 

 

 

 

「……………………」

 

 閉じていた目を開くと、そこに在りし日の決戦の名残はない。

 東京湾を横断するアクアラインは破壊されることなく今なお人々の脚となり、明日香ではない英霊をして不死身の怪物と評した神獣など影もない。

 

「サーヴァントというのは過去の存在。今に映し出された影法師に過ぎない。だからサーヴァントは夢を見ない。基本的に彼らは睡眠を必要ともしないしね」

 

 眠っている時に見る夢というのは、情報の整理や再現のためだとされる。

 古代においては夢を通してのお告げや神託、かなり後代においても夢占いなどが信じられていた時代もあるが、現代魔法が発展した現代ではもっと物理的な、生理学的な現象として位置付けられている。

 もっとも、魔法演算領域という無意識領域を働かせる魔法師においては、時折その無意識領域が夢に干渉するといった事例がないわけでもなく、それが魔法の再発見以前に生じていた睡眠時の怪奇現象の一部だとされているケースもある。

 しかし、今を生きているわけではないサーヴァント、英霊は夢を見ない。

 彼らがその目で耳で、五感で得た情報や感じた思いなどは現身であるサーヴァントの脳に蓄積されるのではなく、最終的には座に持ち帰って情報として処理される。

 だから人の見るような夢は見ない。

 明日香は影法師であるサーヴァントとは違い、今に肉体を持つデミ・サーヴァントなので、()()()()()が夢を見ることはある。

 あるいはどこぞの夢魔に導かれての夢。あるいは────

 

「それでも時折その繋がりを通してサーヴァントが夢を見せるとしたら、それはその英霊が経験した過去の記憶。ここは僕の中にいる霊基()がかつて召喚された聖杯戦争で経験した決戦の舞台だった場所なんだ」

 

 ここでの戦いがあったから、“彼”はその後も戦い続けている。

 東京を救い、世界を救い、そして今なお“獣”を追い続けている。

 神秘の薄れた現代において明日香がサーヴァントの力を奮うことができる──デミ・サーヴァントとして霊基を貸し与えられているのも、“彼”の使命の一端が明日香たちの目的と合致するためだ。

 

 かつての、ここではないどこかで行われたという聖杯戦争。

 それを雫は目にすることはできない。ただ明日香のこれまでのサーヴァントとの戦いからその苛烈さを想像することくらいだ。

 湾内は波も凪いでおり、この日常と同じように平穏を保っているように見える。

 けれども雫も知っている。

 その平穏の裏では、様々な事件や出来事が起きており、彼はサーヴァントという超常的な存在と戦っているのだということを知っている。

 

「みんなと合流する前に、もう一カ所だけ、見に行きたいところがあるのだけれど、いいかな?」

 

 

 

 

 

 もう一カ所、と明日香が向かった先は、新宿からほど近い住宅街であった。

 前世紀末ごろにはすでに多くの家々が立ち並んでいる。

 屋敷の大きさや外観から推測するに、雫の北山家ほどには裕福ではないが、一般家庭としては十分以上に高所得な家庭の人たちが住んでいそうだ。

 もちろん、そこにも東京湾同様、かつての聖杯戦争の名残を見せるものなどなく、魔術的痕跡もない。

 魔法師であることも、魔術師であることも関係のない長閑な平和な景色。

 ただただ普通の民家が続く、一般家庭が日々を暮らしている光景でしかない。

 やはり目的地は分からず、雫は明日香の様子を横目で見た。

 どこか緊張して、どこか愁いを秘めているような明日香。

 

 その歩調が乱れたのは、向かい側から二人の少女が歩いてきている姿を見た時だった。

 友人だろうか。明るい金髪の少女と黒髪の少女。

 どちらも翡翠のような色の瞳をしており、とても仲の良さそうな幼子たちだ。  

 花のほころぶような、見ていて微笑ましい金髪の少女も進路上で行違うこちらに気づいたようで、その視線が明日香の方に向いてハッとしたような興味深そうな顔になった。もう一人の気の弱そうな黒髪の少女は人見知りなのか、金髪の少女の背中に少し隠れるようなそぶりをとった。

 

 視線を向けられながら、けれども発する言葉はなくすれ違った。

 すれ違ってから、再び背後の方で二人で話す声が聞こえてきた。

 どうやら明日香が格好いいといった話をしているらしい。

 それも当然だろう。明日香の顔を見慣れている雫でさえ、こうして二人で隣り合って歩くとドキドキとするのだ。

 勿論それは容姿だけではないのだけれど。

 

「?」

「………………」

 

 ふと、明日香の顔に浮かんでいた不安のような色が消えていた。

 そして明日香は雫に顔を向けた。

 どこか物悲しそうで、どこか──遠くの何かに決別を告げたような、そんな寂しげな笑みだった。

 

「今日はありがとう、雫。ケイたちと、みんなと合流しようか」

「見に行きたいところはもういいの?」

 

 結局、彼が最後に見に行きたかった所というのは雫には分からなかった。

 

「ああ。いいんだ。…………いいんだ、もう」

 

 ただ、明日香の中で、なにかの整理はついたのだと、それだけは感じ取れたのだった。

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 一日の終わりは黄昏時へ。

 アストルフォの自由気ままな散策に付き合っていた深雪やほのかたちもくたくただ。

 彼らは彼らで鍛えているので身体的な疲労としてはさしてないだろう。

 だが、そこはアストルフォの真骨頂。周囲を騒動と混沌とに振り回すことにかけては定評があるというものだ。

 

 集合場所として指定した新宿に向かう道すがら。

 

「あっ! ほのか!」

 

 明日香と雫は荷物をたくさん持った達也と圭、そして深雪やほのかたちを見つけた。

 集合場所はまだ先だが、道が同じになるのであればそこまでバラバラに行く必要もない。

 雫の声で向こうも明日香たちに気づき、振り向いた。

 

 今日一日。

 雫は明日香と一緒に新宿を中心に街を歩いて、少しは彼のことが分かったような気がした。

 とても強く大きな力。

 英霊というその力は、きっと明日香自身の意識に、無意識に、とても大きな影響を与えている。

 自分のこととその英霊のこと。

 サーヴァントと戦って、雫の時のように人を助けようというのは明日香自身の思いでもあるけれど、おそらくその英霊の思いも重なっている。

 だから分からなくなる。

 自分が助けたいと思っているのかどうか。その思いが本当に自分のものなのか。

 

「明日香。……行こう?」

 

 だから雫は呼びかけよう。

 最初に会ったあの時に、教えてくれたその名前を。

 これからも何度でも。

 みんなのもとに行くのに、雫は明日香へと手を伸ばした。

 とても強くて、けれども消えてしまいそうな儚さのあるその不確かな手を掴むために。

 

 明日香もその手をとり────

 

「!? 雫! 下がって!」

「待って!」

 

 明日香とアストルフォが同時に、少女たちを背に押しやって前に出た。

 

「アストルフォ!?」

「サーヴァントの気配だ。みんなは下がって」

 

 圭の問いにアストルフォが答えた。

 その姿は今日これまでに見せてきた子供の様な無邪気な姿ではない、英霊として名を馳せた騎士としての姿。

 アストルフォと明日香の視線は互いを見ているようで、彼らの間にある一つの脇道に向けられていた。

 そこから感じられるのはか細い、けれども確かにサーヴァントの気配。

 

 ──こんなところで、ッッ! ──

 

 今の状況でサーヴァントと遭遇戦をするには周囲の一般人が近すぎる。

 雫達はもとより、こんな街中で宝具の展開でもされようものなら、神秘の隠匿どころではなく、そもそもどれほどの犠牲がでるかわかったものではない。

 明日香にも、そしてアストルフォにも緊張が走る。

 二人はどちらも探知能力に秀でたサーヴァントではない。けれどもこれだけ近くに来れば、いや、もっと早くに気づいてもおかしくはない。

 けれども気づかなかったのは、それほどまでにこのサーヴァントの気配があまりにも────

 

「!」

「なにっ!」 

 

 細道から現れたのは確かにサーヴァントだった。

 身の丈ほどもある弓を背に持ち、腰ほどにまである真紅の髪は、左右不揃いのように片側だけが括られている。

 サーヴァントに特有の、この時代にはないと分かる霊衣はボロボロに傷つき、一見して“彼女”が戦いに傷ついた者なのだと分かる。

 満身創痍の彼女も、この距離でようやくこちらに気づいたのだろう。小さなその顔を明日香に向けた。

 髪の色と同じく真紅の瞳。

 それが瞼に隠れ、ふらりと、少女の姿をしたそのサーヴァントが意識を失った。

 瞬間、アストルフォが、そして刹那に遅れて明日香が駆けた。

 サーヴァントとしての瞬発力をもって、少女が地面に倒れる寸前でアストルフォがその体を抱き留めた。

 

「この娘……サーヴァント、だよね?」

「ああ。それも、彼女は………………」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4章 異聞英雄大戦 横浜騒乱編 ~v.s. アーチャー(?)&セイバー&???~
1話


 

 

 輝きが視界を覆い尽くしていく。

 

 そこは戦場であった。

 

 無辜の民たちが逃げまどい、現代において力ある者と見做されている魔法師ですらも倒れ逝く戦場。

 戦端が開かれたのは、侵略された側からすれば突然のことであった。

 たしかに備えはなされていたが、それは他国との戦争を想定したものではなかった。 

 異国の侵略者たちが繰り出した直立戦車は奮戦する魔法師たちによって破壊され、けれどもそんな魔法ですらも通用しない超常すらも逸脱する神秘――サーヴァントたちが戦場にその武威を示すことになるなど、誰が予想しただろう。

 この世ならざる幻馬が空を翔け、次元すらも跳躍する幻馬を黒の輝きをもつ舟が追う。

 黒の靄に包まれた狂戦士が猛虎の雄たけびを吠え、大弓を繰る王妃が仲間と共に迎え撃つ。

 蒼銀と赤髪の騎士たちが振るう剣は、一振りごとに周囲を薙ぎ払い、大地を抉り、苛烈を極めていった。

 

 機械兵器と魔法、そしてサーヴァント。整えられた街は瞬く間に蹂躙されていき、破壊の跡を巻き散らす。

 そうした激闘の末、幾人ものサーヴァントがすでにこの戦場の中で倒れ、幾人もが消滅する苛烈な戦場に現れたその輝きは遍く地上を染めつくすかの如くだった。

 地上に現出する恒星の如き輝き。

 

「―――――――、」

 

 もはや目を開くことも難しくなるほどの輝きの中心には蒼銀の騎士。

 その姿を露わにした黄金の剣が、かつて松明を千合わせたよりもなお輝くと評された至高の聖剣が、暴力的なまでに彼の魔力を喰らい、その真の名が解き放たれる。

 

「――――――!!!!!」

 

 古の騎士たちの約定の下に解放された星の聖剣が、赤雷の降り注ぐ魔法師たちの戦場に、今―――――――採決を下す。

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

 とある豪邸の一室にて、少女の姿をした者がまどろみの中にあった。

 それは厳密な意味での睡眠ではない。

 睡眠とは脳と体の休養であり、生者が行う行動の一つ。死者が行うそれは一時の睡眠ではないのだから。

 そしてその意味で彼女は生者ではないのだから、睡眠とは呼べないだろう。ただ気を失っているだけ、あるいは心の整理をつけるための安らぎの時であるのかもしれない。

 

「………………………………、ッ」

 

 赤い髪の少女の可憐な顔が苦悶に歪む。

 同室で様子をうかがっていた雫とほのかが身を浮かし、タブレットで書籍を眺めていた明日香もタブレットを閉じて顔を上げた。

 雫とほのかの行動は少女への心配からだが、明日香は備えるためにここにいる。

 日本でも屈指の富豪である北山家。その愛娘である雫の寝室に今、明日香はいた。

 とはいえその目的は意識を失っているこの少女――いずこかの英霊であるこの少女の手当のためだ。

 

 新宿散策の最後に遭遇したサーヴァントであるこの赤髪の少女は、出会ったその瞬間に意識を失って倒れてしまった。

 それ以前に何者かと交戦をしたのか襲撃を受けたのか、いずれにしても少女の身体には負傷があちこちにあり、身に纏う霊衣にも破損が見られた。

 サーヴァントを良く知る圭と明日香としては、彼女の回復にしろ目覚めた後の対処にしろ、藤丸の屋敷に連れて行くのがもっとも安全で現実的だと考えていたのだが、それには待ったがかかった。

 なにせ相手はサーヴァントだとはいえ少女の姿をしているのだ。しかも気を失っており、サーヴァントだと証明できるのは(少々ならず奇異な装いをしてはいるが)魔術師である圭と明日香、それからアストルフォの証言でしかないのだ。

 アストルフォを入れたとしても男所帯である藤丸の屋敷に(しかも両家の親はどちらもいないらしい)気を失っている少女を連れ込むともなれば外聞が悪いどころではない。

 雫や深雪たち以外に目撃者をつくらなければと、そういう問題でもない。というか彼女たちに見られている時点で論外だ。

 勿論普通の病院に連れ込むことなどできるはずもないし、そもそも意味がない。

 協議の結果、迎えを呼べて表沙汰になりにくく、女性陣からの訝しみの視線がないという条件で北山家に運び込まれることとなった。

ほのかの家は一人暮らしで迎え入れても看病するだけのスペースがなく、エリカの家は警察関係者が大勢出入りしているしどちらかというと男所帯だ。そして深雪と達也の家も選択肢はなく、レオの家や一般家庭である美月の家を除外するとそこしか選択肢がなかったとも言える。

万一の保険として明日香が同行することとなり、そちらに対する保険としてほのかが同行するという、明日香にしてみれば頭の痛い結果となった。

 

「気がついた?」

「ここ、は……?」

 

 苦悶の声は目を覚ます前触れだったのだろう。

 うっすらと目を開けて、真紅の瞳を見せる少女に雫とほのかが安堵し、少女の方は現状にいささか混乱しているようだ。

 真紅の少女が二人の少女を認識し、それが魔術師でもない唯人であることを認め、ついで自身がいる室内を見回して、明日香を見つけた。

 ハッと気が付いた素振り。

 

「アーチャーのサーヴァントとお見受けします」

 

 行動は素早く、警戒の行動を起こされるよりも先手を打って明日香も声をかけた。

 遭遇時の状況から察するに、彼女は何某か、おそらくサーヴァントと交戦していたのだろう。そして気を失って、目を覚ましたら正体不明のサーヴァントが間近に控えている。

 警戒するには十分すぎるシチュエーションで、けれどもそれをさせると明日香としてはいろいろと困る。

 

「私はセイバーのクラスのデミ・サーヴァント。獅子劫明日香です」

 

 

 なので先手を打って、敵意のないことをアピールしておく必要がある。

 

「ここは彼女の屋敷で、気を失った貴女をひとまず看病するために場所を提供していただきましてね。魔術師ではない一般のお屋敷です。見ての通り、敵対するつもりはありませんので、できれば破壊はしないでいただけると助かります」

 

 元々は好戦的な性格ではないのだろう。明日香の対応に少女は手に集めていた魔力、おそらく武具の具現を中断し、ややの落ち着きを取り戻した。

 明日香よりも近くにいるのが、サーヴァントから見て無力にも等しい唯人だからというのもあるだろう。

 

「貴女の……?」

 

 そしてあらためて雫に目を向けた。

 間違いなくサーヴァントに所縁あるものではなく、神秘を操る者でもない。

 この世界に召喚されたサーヴァントであれば、召喚時にある程度の知識は付与されてはいる。

 実際に、全くことなる言語体系でありながら、会話の内容はつながっているし、現代においては“魔法”という技術が発展しつつあるということも知識として分かっている。

 だからサーヴァントの気配を宿す彼ならばともかく、サーヴァントからすれば無力同然の少女の方にこそ、今は驚きがあった。

 

「失礼しました。ありがとうございます。私の名はシータ。今回はアーチャーのクラスにて現界したサーヴァントです。お名前を教えてくださいますか?」

 

 言葉はすでに名乗った明日香ではなく雫たちに向けて。

 ただ、アーチャーがあっさりと真名をバラしたことに、明日香は驚きを感じて眉を動かしていた。 

 

「北山、雫です」

「光井ほのかです」

 

 名前を告げる。

 そのことの意味を深くは知らない二人は、サーヴァントという超常の存在、けれども儚いほどに可憐な少女の姿をした彼女の敵意を感じさせない様子と、しっかりとした受け答えに安堵しつつ名乗りを返した。

 

 

 

 

 

 覚醒直後の混乱でこそ危険はあったが、アーチャー:シータの性状はこれまで雫たちが遭遇したどのサーヴァントよりも穏やかなものだった。

 アーチャーのクラスで現界してはいても、本来の気質として戦闘タイプの英霊ではないし、肉体の年齢が雫たちと同年代から少し幼いころとして成立しているために、精神的にもそれに引かれているのだろう。

 そして危険さえなければ、室内は女子たちの寝室。そこにいつまでも居続けるのは明日香でも精神衛生上好ましくない。

 雫たちもアストルフォという前例からサーヴァントが危険なだけの存在ではないことを実感しており、そうなればあとは女子同士慣れたものだ。

 室内から退去して扉を閉めた明日香は、個人の邸宅にしては長い廊下の先から視線を感じて振り向いた。

立っていたのはメイド、あるいはハウスキーパーと呼ぶべきなのだろうが教育の行き届いた所作と制服からはむしろメイドという呼称を贈るべきだろう。

オートメーションロボに家事を任せることのできる昨今、家庭にメイドがいるというのは珍しいというべきか、それとも日本屈指の富豪の邸宅ともなればそれも当たり前だとみるべきか。

視線を向けると楚々として優雅な一礼をしているのは、声に出さずとも用があるからだろう。

ちらりと、閉めた扉を流し見て、その向こう側の気配が凪いだものであるのを視て、明日香はメイドの方に足を向けた。

 

 

誘われるままに足を運んだ先は客間だった。

そしてそこに居たのは夏のバカンスの際にわずかな時間だけ話したこの家の主。

 

 席を勧められて対面に座ると、メイドたちが澱みないタイミングで茶器を運んでくる。

 

「夏休み以来だね」

 

北山―― ビジネスネームを北方潮と名乗る雫の父だ。

ただの友人の関係であれば、男子が事前の約束もなしに訪れるには遅い時間だ。やり手の実業家として忙しい潮が対応することはないか、あるいは娘につく悪い虫への対応のためにであろう。

 

「ご迷惑をおかけしてすみません」

「いや、むしろ君とこうして話す口実ができてよかったよ。君は受けてはくれないだろうけれど、君に対してのお礼があの時だけのことで十分とは思っていないからね。今回のことも、雫が自身で決めたことなのだろう?」

 

 それでも彼自らが出迎えたのは、相手が娘のただの友人だからではない。

 金銭や感謝をまるで受け取ろうとしてくれなかった娘の恩人が、事情あってのこととはいえ訪ねてきたのだ。その訪問が厄介ごとと一緒だとしても。

 

「……不安ではないのですか」

「うん?」

「魔法師たちの協会から聞いているのでしょう? 私とかかわりを深くすればかつてのように雫は危険な目にあうかもしれない。今回もそうです」

 

 魔術師からの情報提供として七草家と十文字家を通してサーヴァントのことは秘密裡に伝えられている。

 本来魔術に絡むことは秘匿の義務があるが、特異点、あるいは異聞帯となりつつあるこの世界においては秘匿よりも魔法師たちの協力を得ることの方が意義が大きい。(ただ、藤丸家が開示できる魔術の知識などたがが知れているが。)

 雫の母親、潮の妻である北山紅音は軍事力として期待されている魔法師の中でもとりわけ高ランクであるA級魔法師だ。

十師族や魔法協会の役員というわけではないが、この国の魔法師としてはかなり貴重な存在といえるだけに、そしてそんな妻や優秀な魔法師でもある娘を溺愛している潮ならば魔法協会などから情報収集は怠っていないであろう。

実際、切り出されたその話の内容に潮は韜晦するのではなく、真剣な表情となった。

 

サーヴァントは魔法師では倒すことができない。

かつて雫が誘拐された折にも、魔法師の護衛は居た。けれどもサーヴァントはそれを容易に薙ぎ払い、容易く愛娘を攫って行った。

それはまじかにサーヴァントという存在を、良い面にしろ悪い面にしろ見る機会のある雫よりも、むしろ忘れ難きトラウマとして彼らの方にこそ残っているのだろう。

 潮は言葉を整理するためにか、気持ちを整理するためにか、一口、ティーカップに口をつけ、ややゆっくりとした動作で机に戻した。

 

「そうだね。本音を言えば、ああ、不安で仕方ないとも。妻は、あの娘を君に近づけるのにすら心配を抱いている」

 

 ここには同席していない雫の母。彼女は雫が明日香たち魔術師に近づくことに、率直に言って反対の立場なのだろう。

 魔法師としてのA級ライセンスというのは、当然ながら自身の魔法師としての優秀さを示すものではあるが、魔法が軍事力と直結している昨今、高ランクの魔法力というのは自身だけの問題には留まらない。留まれない。

兵器としての魔法師の在り方、それは人としての幸福の在り方とは相反するものでもある。

ゆえに自身が高ランクで、そしてそんな優秀な血を受けて、たしかな魔法力を示している娘の身を案じているのは母親として当然なのだろう。

そんな愛娘にさらなる危険を齎すであろう魔術師やサーヴァントという存在を遠ざけたく思うのも、仕方のないことだ。

けれども、それでも、潮がたしかに愛娘への愛情と心配とを抱いていながら、明日香が近くに在ることに明確な反意を示していない。

 

「だが、順序は間違えてはいけない。君と関わったから雫は危険な目にあったのではない。危険な目にあったから、君たちに助けられたのだ。それは感謝してもしきれない」

 

 それは筋が違うから。

 明日香たちと関わる前から、この世界は危険なことが数多くある。魔法師であればそれらの幾つかに対処する術を身に着けられるのと同時に別の危険に触れることになる。

 軍に出征を求められることもあるだろう。魔法力を生かした何らかの兵器や産業に組み込まれることもあるだろう。

 

「サーヴァントという存在については、ある程度は聞いている。彼らがまた雫や、妻に牙をむくことがないと言い切れはしない。それは君が関わっていようと、いまいとだ」

 

 これから先、雫が明日香の近くにいることで危険な目にあうかもしれない。

 けれどもかつてのように、明日香のいないところで、サーヴァントのような魔法師ですらも及ばない超常的な存在と出くわす可能性だってある。

 危険の可能性を上げればきりがなく、だからこそそれを避けようとすれば、それは雫の未来を奪って籠の中に閉じ込めてしまうものでしかないのだ。

 

「なら、雫が君の傍に居たいというのなら、私はそれを尊重したいと思う。おっと、君が、どう思っているのかは脇に置いておくとしてだけれどね」

 

 だから決めるのは親ではなく本人()

 もちろん可能な限りの、できうる限りの庇護と助力は今後も惜しむつもりはないが、あの至高の輝きを閉じ込めることなどあってはならない。

 そこに明日香が、憎からず娘のことを思い、関わってくれるのであれば、それを否定するつもりは潮にはない。

 

 明日香に雫を護る義務はない。

 彼と雫のつながりは、始まりは助けた者と助けられた者で、今も言葉にすれば同級生のクラスメイトで、ほかよりも多く話す機会のある親しい友人。

 彼にとって、ほかに護るための、救うための優先すべき使命は間違えることなくある。

 そのための“藤丸”の魔術。そのための力。そのためにこそ、“彼”はその霊基を明日香に与えてくれたのだから。

 

「護ります。必ず」

 

 だからこれは、使命のためではない。

 ただ護りたいと、この世界における一個の“明日への光”を護りたいと、そう思ったからこその、誓いの言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 東京から離れた某所にある繁華街。 

 その街にひっそりと設置されている井戸の端で一人の“サーヴァント”がずぶ濡れの男たちを出迎え、慇懃な笑顔をもって出迎えた。

 

「ようこそ皆様。まずは着替えてお寛ぎを」

 

 

 ずぶ濡れの彼らは大陸からの来客者。

 ここからほど近い埠頭の沖合で一線、この国の防人どもに襲撃を受け、そこから逃走してきたところだった。

 潜入という目的を持った者たちと警備という目的を持った者。襲撃を受けて逃走したのが彼らとは言え、目的を果たしたのがどちらかとうとここに辿り着いた以上、彼らが戦略的には現時点で勝者と言えた。

 だがこれは始まりに過ぎない。

 そう、大国としての国力に比して魔法後進国だなどと()()()()蔑まれている、奪われたものを取り戻すための始まり。

 

 だがそれは―――――

 

「いつから貴様は、周公瑾などというモノになったのだ?」

 

 始まりなのだろうか?

 

「方便ですよ。彼らにとってはその名前の方が都合がいいので」

 

 魔法師たちが彼の表向きの部下に案内されて行った後、 暗闇から声かけてきたのは、赤い髪をした偉丈夫。彼の()()()同輩たるサーヴァントだ。

 今はそのクラスを象徴する武具をもっていないが、それでも身に纏う覇気は溢れんばかり。

 先の魔法師たちが気づかなかったのは彼がその気配を隠していたからか、それとも皇帝たる彼の威を感じとるだけの感受性を失っているからか。

 もっとも、すべては仮初に過ぎない。

 神威の代行者だなどと名乗る不埒な(皇帝)

 サーヴァントとして現界を果たしている己が身ですらも。

 周公瑾。

 大亜連合の母体となったかつての国の、その悠久の歴史の中にその名を刻む英雄の名前。

 今のこの霊基は、完全なる自身のものではない。

 完全であるはずがない。

 救世主ならざる存在でありながら、主の御心に反する魔術などという邪術による仮初の復活など、あっていいはずがない。

 ゆえにこそ、()()()()()()

 全ては断罪のため。

 悪しきがはびこるこの醜悪なる現世を断罪するため。

 ゆえに今は使えるものはなんでも使おうではないか。

 傲岸不遜な剣帝であろうと、愚昧な農奴であろうが。

この国を侵さんとする輩も、この国にのさばっている輩も、いずれも神の御業ならざる邪術を崇拝する価値なき者どもにすぎないのだから。醜く相争って互いをむさぼる末路こそが相応しい。

 

「どうやらアーチャーが向こうの手に渡ったようですね」

「なんだ。アイツは仕留めそこなったのか」

 

 この剣帝は鋭い。

 こちらの思惑を見透かしたうえで、なお、こちらを利用するためにここにいるのだろう。

 

「どうやらまだ霊基がうまく馴染んでいないようですね」

「王を名乗る者が無様なことだ」

 

 彼の名は人類史に刻まれたものではなく、なればこそ人理の防人たるの役目もない。

 そして過去を消された存在であるからこそ、サーヴァントとしての約定もない。

 

「貴様のお遊びは俺には興味がない。せいぜい、お膳立てを整えることだな」

 

 剣帝の目的は“彼”。

 カルデアのマスターでも、魔術師でもなく、ただ一人――生前の因果宿すかの騎士のみが、彼を今世に招き留める理由。

 

 






FGO第2部もいよいよ5章がはじまりますね。
そして最近の主な出来事といえば、まずはLost Zeroがオフライン版になったことでしょうか。入手できなかったカードを閲覧できるので助かっていますが、今後追加されないので私は寂しい……(ボロロン)
あとはハロウィンが平成に置いて行かれたことと、なぜかサンバが消えてしまっていることでしょうか。
そしてなんと言ってもえっちゃん可愛い!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話

 

 国立魔法大学付属第一高校では先ごろ生徒会長の選挙――信任投票が行われ、生徒会長が選ばれた。それに伴い生徒会役員や風紀委員のメンバーにも新しい顔ぶれが見られるようになった。

 なった、のだが、学校における前生徒会長である七草真由美の重要性が減じたとするのは早合点といえる。

 生徒会長でなくなったとはいえ、十師族七草家の長女であることに変わりはなく、これまでの実績が消えるわけでもない。

 彼女は七草だから生徒会長になったわけではないが、学校側も彼女にはいろいろと遠慮と配慮を行っている。

 たとえば魔法師に対して好意的な施策を推進していこうとしている政治家の対応なども七草真由美がいたからこそ円滑に行われていたとう事情がある。

 世間は必ずしも好意的な印象だけを抱いているわけではない。非魔法師は魔法の力を肉眼で見ることはできず、その力の詳細についても理解はしていない。

 ゆえに目に見える武器もなく、突然に人を殺傷することもできる、あるいは人を思い通りに支配することもできる不気味な異能というのが非魔法師――特に反魔法師思想の人々に植え付けられる認識だ。

 そして一方で魔法の力を軍事力として捉えている政治家も多いことから、魔法師を人ではなくただの兵器として見做す風潮は決して政治家の中においても少数派ではない。

 そんな中で魔法師に対して好意的な政治家は貴重で重要だ。

 七草家は十師族として表立って政治権力とは関係をもたない立場ではあるが、特に魔法師がらみの事件において国防で重要な役割を負っている。であれば無関係のはずがない。

 そして真由美はその見目もよく、スター性もあり、政府の役人の中には彼女のファンのような人もいるのだ。

 

「父からもあなた達には極力便宜をはかるように言われているのだけれど……」

 

 なので学校側としても真由美の要望は無下にできないこともある。

 それが私事や彼女の価値観に基づくものであるのならば互いにわきまえるところだが、今回の件については学校側、もっといえば魔法師として求めている情報につながることだ。

 真由美は目の前に座る魔術師二人から野良のサーヴァントを保護したという事情の説明とその横に並ぶ初見の少女を見てため息をついた。

 

「…………はぁ……達也君といい貴方といい、本当に……」

 

 弓兵(アーチャー)のサーヴァント、本来の名前をシータというらしい少女は、自身を含めて(客観的な事実として)容姿の端麗な者が多い魔法科高校生と比べても、そして彼女の知る限り最も美人だと断言できる司波深雪と比較しても、遜色がないほどに可愛らしい娘だ。むしろ評するのならば神々しいといえるかもしれない。

 今日こうして話をするのに先んじて、明日香と圭たちが、というよりも北山家でサーヴァントを匿うことになったという連絡を受けている。

 それは余計な猜疑を減らすために必要でもあった。ただ、そのサーヴァントを七草家、あるいは十師族に渡すことは認めなかったが。

 サーヴァントは北山家が、そして北山家は獅子劫明日香が責任をもって保護することを魔術師・藤丸が宣言したのだ。

 夏休み中、真由美は明日香とお見合いをした。

 より正確には獅子劫明日香と七草家の三姉妹とで、特に末の妹である泉美とだ。

 結果は七草家としては残念な、つまりは結実しなかったわけだが、泉美の様子はむしろ弾みになったらしく、今までは単なる憧れであったのが目標、あるいは目的として明確になったかのようだった。

 だからそれ以来の初の対面が隣に絶世の美少女を添えてともなればため息の一つや二つ、つきたくもなる。

 

「なぜそこで達也と並べられるのかが分かりませんが、何かあったのですか?」

 

 ましてつい先ほどのことだが、同じように絶世の美少女をほとんど常に侍らせている男子(司波達也)から「先輩の据え膳なら、遠慮なくご馳走になります」という危ないセリフを密着できるほどの近距離でコメントされたところだ。

 泉美とのお見合いが不首尾に終わったのだから明日香が誰と付き合おうと口出しできるものではないのだが、それでも北山雫とのことといいこれでは……

 無論、それはあてこすられている側としてはわざとやっているわけではないのだろうが。

 

「いいえ、何でも。こほん。学校側を説得することはできると思います。正直、サーヴァントのことを知る機会、接する機会が得られるのはこちらとしても有難いですから」

 

 それは脇に置いておくとして、友好的なサーヴァントが自らこちらに歩み寄ってくれるというのであれば、それは好機というしかない。

 戦闘タイプではないサーヴァントと、その周囲の状況の保護のため、()()()()()()()()()()()()()()()という措置。

 第一高校は全国の魔法科高校の中でもとりわけ難関校であり、そこに入学するために多くの学生が努力を積み重ねて、それでも優劣をつけられてしまうような苦界ではある。

 そこにサーヴァントだから、十師族の命令だから、というだけでの特別措置ではほかの生徒たちはもとより学校側も納得はすまい。

 七草真由美にかなりの特別的配慮を行っている学校側も、彼女がただ十師族の子女だからというだけで特別待遇をしたわけではない。

 むしろ現校長は政治家や十師族、魔法協会に対しても、時に巖として意見をはねのけることのできる猛者だ。

 けれども今回、ことは魔法師全体にとっての益につながるかもしれない。

 サーヴァント ――――英霊。

 人を、魔法師を超えた超常の存在にして過去の偉人。魔法が切り捨ててきた神秘の具現。

 現代の魔法でも再現できない、まさに動くオーパーツ、聖遺物といっても過言ではない。

 魔法師としても、七草家としても、苦汁を飲まされた存在であり、だからこそその対抗策などを含めて彼らを解析したいと思うのは、魔法の研究者ならずとも思うことだ。

 真由美としては、人のように見える彼らを文字通り研究対象として扱おうとは思わないが、七草の当主である父や、軍部の研究者などであれば、あるいは十師族のいずこかであれば、彼ら彼女らを実験動物のように扱うことも辞さないだろう。

 それだけサーヴァントという存在は畏怖の対象であり、魅力のつまった存在なのだ。

 そんなサーヴァントが向こうからことらに敵意以外の在り方で近づいてきてくれているのだ。

 逃す手はないと、学校側も考えるであろう。

 現存し、魔法師たちと関わりをもとうとする唯一の魔術師である藤丸家が目を光らせている以上、無茶な真似はできないが、それでも学校内に囲うことができれば情報を得る機会も多くなる。

 実のところ、九校戦で友好的なサーヴァント(アストルフォ)が出現した時も、十師族の緊急会議で似たようなことは提案されていた。

 残念ながら、そちらは当のサーヴァントと、彼の気質・性格を鑑みた藤丸家に阻まれたが。

 今回は藤丸家からの申し出だ。

 サーヴァントを、そして魔法から失われた神秘を解析するための絶好の機会。

 逃す手はない。

 

「ただ、こっちからも明日香君にお願いがあるんだけど」

 

 そしてそれはそれとして、藤丸側からのお願い事を受けるのであれば、こちらとしてもその機会に縁の結びつきは強くしておきたい。

 貸し借りなし、ではなく持ちつ持たれつの関係を結んでいくために。

 頷かざるを得ないのは真由美の小悪魔的なウィンクに魅力を感じたからでは断じてないだろう。

 

 

 

 

 

     ✡  ✡  ✡

 

 

 

 第一高校のその日の登校風景は、いつもと違っていた。

 特に男子、時に女子の視線が一人の少女に集まっている。それはこの学校でこれまで、衆目の視線を一身に浴びていた氷雪の少女ではない。

 今年の4月に司波深雪が入学して以来、登校時に彼女の後光輝くかのごとき美貌に見惚れて歩みが滞るのはいつものことであったのだが、その日、衆目を集めていたのは一高の制服を身に纏う見慣れぬ少女だった。

 背丈は隣を歩く一科生 ――北山雫と同じくらいで、同年代である1年生の中で見るとやや小柄な部類だろう。体型も一緒に話している少女――光井ほのかと比べるとかなりスレンダー、というよりも北山雫同様に起伏に乏しいと評することのできる体型だ。

 だがその容姿は、彼女たちと仲よく話す司波深雪と比べてもなんら引けを取らない。

 

「なんだか、照れますね。みなさんに見られているようですが、当世のこの衣装。私が着ていてどこかおかしいところがあるのでしょうか?」

「ううん。大丈夫」

「よく似合っていますよ、シータさん」

 

 司波深雪が神々の作り出した美の細工だとするならば、その少女は神々の現身であるかのよう。

 左右二つにまとめられた赤い髪は腰ほどまでもながく、深雪とは別ベクトルで、けれども愛らしい面貌には、慣れない当世風に身を包んだ自らの装いに恥じらいの色を差している。

 

 藤丸圭と七草の、そして学校側との交渉の結果、サーヴァントの監視の保護という名目で用意されたのが特別編入生として今日から第一高校に通うことになったアーチャー:シータの姿だった。

 

「…………」

 

 少し距離をおいてアーチャーを監視している明日香は、この数日ですっかり仲よくなっている雫やほのかの姿に眉を寄せた。

 

 現状、藤丸のサーヴァントとしての戦力といえるのは明日香と漂流者のアストルフォだけであることを鑑みれば、友好的なサーヴァントであるシータ(アーチャー)の存在はありがたい。

 シータと敵対的な行動をとったサーヴァントの存在がある以上、シータを抱え込むということは襲撃の危険性を抱え込むことと同義ではあるが、そういった行動をとっているサーヴァントはそもそも敵である可能性の方が高い。

 むしろ知らぬ間に消滅させられていなかったのだから、戦力の補充の観点からは幸いといえた。

 もっとも、シータ自身にはアーチャーとして誇る武勇があるわけではないので戦闘系サーヴァントと比較した場合、戦力としては弱いことは否めない。

 ただ、明日香が顔をわずかにしかめたのは別の理由からだ。

 サーヴァントが生者と親し気に言葉を交わし、親交を深める。

 雫やほのかが魔術師であるならそれもよかった。魔術師であればサーヴァントに影響を受けようとも最終的には“使い魔”である彼女たちの結末を理解しているはずだから。

 だがそうではない。

 アーチャーはおそらく理解しているはずだ。

 サーヴァントは生者ではなく、死者。過去の影に過ぎない現身でしかないのだ。

 けれども雫たちは魔術師ではないがゆえに、そして魔法師としても、人の姿をしたものを人ではないと割り切ることのできるような魔法師でもないがゆえに―――――。

 苦々しい思いに、思索にふけり過ぎた。

 アーチャーは当然気づいていただろうが、少しばかり動きが鈍ったことで雫もまた明日香の姿に気が付いた。

 気が付いてしまったら、登校中に友人の姿を認めて素通りすることもできまい。まして仲の良い間柄であれば挨拶や話を交わすのは当然になる。

 だからアーチャーを連れた雫とほのかが明日香の方に歩み寄ってくるのも当然なのだろう。

 彼女たちは何事もないかのように明日香と挨拶を交わし、

 

「御勤めご苦労様です。獅子劫さま」

「…………」

 

 花咲くような微笑みとともにアーチャーも味方となったデミ・サーヴァントに挨拶をかわした。

 キャスタークラスとまではいかないだろうが、アーチャーのクラスはセイバーのクラスに比べて得意とする距離(レンジ)が広い。それだけに気配感知においては明日香よりもアーチャーの方が上だ。

 アーチャーを監視、保護できるだけのレンジに入れば当然、アーチャーの方も明日香に気が付いただろう。

 例えば門の前で視線を向けられるよりも前から。北山家の屋敷を出て護衛の目が届きにくくなるよりも前―――――最初の日以来、アーチャーを保護している北山家が危険にさらされないかの護衛の時から。

 それは北山潮との約束でもあり、自らに課した誓約のためでもある。

 

「おつとめ?」

 

 デミといはいえサーヴァントであるからこそ可能な連続活動時間の確保。

 小首をかしげながらモノ問いたげに見上げてくる雫に、明日香はわずかに険しくしかけていた表情を緩めた。

 

「いや、なんでもない。雫が気にすることじゃないよ」

 

 その回答は明日香にしてみれば、絶対に危険にさらさせはしないという思いからであったが、シータと明日香との間でのみ通じる会話と間柄のように感じられて、雫はほんの僅かむっと瞳に剣を宿した。

 それは付き合いの長く、雫の想いを知っているほのかだからわずかに気づくことができるくらいで、けれどもそんな二人のやりとりをもう一人の少女が察知して口元に手を当てていた。

 

 

 

 

 

 シータが所属することになったクラスは雫や明日香と同じAクラス。

 ただでさえ珍しい編入生という肩書に加えて深雪にも匹敵するほどに、けれども方向性の異なるエキゾチックな美少女の登場にクラスの男子、だけではなく女子も沸き立ち、休み時間ごとには多くの見物人が廊下にあふれかえっていた。

 直接取り囲まれて、とまではなっていないのは、雫とほのか、そして二人と仲のよい深雪が親し気に話をしていたからだろう。

 入学当初、その美貌から一科生に囲まれていた深雪も今では毎日取り囲まれているわけではない。もちろん、その美貌と人気はいささかたりとも衰えていないし―――むしろ九校戦を経て高まっているのだが、生徒会での活動があることや兄である二科生の異端児にして風紀委員の猛者、達也との仲の良すぎる関係性を見てのことでもある。

 位置づけとしては親しいクラスメイトの人気者というよりも、もはや神聖視された女神像といった立ち位置に近い。

 そんな深雪と、これまた劣らずの美少女が可憐に話をしているのだ。

 世に残る名画を鑑賞して感嘆の吐息をもたらしこそすれ、そこに飛び込んで絵画の美しさを損なわせる勇気ある行動をそうそうとれはすまい。

 

 

 

「しかしよく編入なんてできたよな」

 

 そんな1年一科生Aクラスの騒動も、二科生のE組ともなればやや静まっている。

 むろん、クラスの男子の多くは、そして女子も見物のために一科生側の廊下の方に行っている者もいるが、達也やエリカは一度彼女と遭遇しているし、美少女を拝むために押し合いへし合いの最中にすすんで飛び込むような性格もしていない。

 二人と一緒にレオや幹比古、美月もクラスに残っており、ただしレオも編入生として入ってきた少女――サーヴァントのことが気になっているようであった。

 

「転校生の例もほとんどないし、かなり異例のことみたいだね」

 

 そもそも、魔法師の絶対数の少ない、それも実用レベルに至る魔法技能を持つ者の少ない現代において、編入という制度自体がほとんど意味をなしていなかった。

 通常の学校においても編入のためには普通に入学するよりも高い学力を要求されるし、情報インフラや家庭内の家事についてもオートメーションロボが発達した現代では両親が引っ越しをしたから一緒に転校するというのは、特に自立志向の強い魔法科高校生ではまずない。

 高校近くで下宿をするか、魔法科高校によっては寮暮らしをするのが普通だ。

 よって一高でも転校生も編入生もかなり稀なできごとなのだ。

 レオの言葉に返す幹比古も、今では二科生である自らの立ち位置に劣等感を抱いてはいないが、九校戦以前はかつての神童と呼ばれていた時の自分と比較して鬱屈した思いを抱いていた。

 彼らは別として一科二科の差別が根強いこの学校で、いきなり編入生が、それも一科に入ってきたともなれば、二科生は意味の知らされていない理不尽さに憤り、一科生も戸惑いを隠せないだろう。

 

「七草先輩の、というよりも十師族と魔法師協会の意向もあってのことだろう。魔術師やサーヴァントを調査する絶好の機会だからな」

 

 達也としては美少女とやらの外見にはさして興味がないが、彼女の存在自体には大いに関心がある。

 明日香たちが彼女を保護した時、彼らは彼女のことをサーヴァントだと判断した。

 こうして身近に置いていることからも彼女がさして危険度の大きい、つまりは敵ではないのであろうが、それにしてもサーヴァントだ。

 七草家や十文字家の魔法師たちを圧倒し、達也自身も目の当たりにしたサーヴァントの圧倒的な力。

 九校戦の時には深雪の守護者という自らのアイデンティティと距離とは無関係に彼女を守護できるという自負を揺るがされた存在。

 彼としてもサーヴァントを調べること、調べられるということは大いに意義あることだし、十師族や魔法師協会としても同様だろう。

 そもそもとして、今は失われた魔術師たち(藤丸圭と獅子劫明日香)を一科生にしているのもそうだ。

 もちろん、現代の魔法師の優秀さを表す基準においても彼らが秀でているというのもあるであろうが、幾分かはその存在の付加的価値にある。

 魔術が魔法に変わったとき。それは今もってミッシングリンクとされている。

 魔法や魔術、超能力といった異能は、錬金術や占星術、歴術を例にすれば分かるように、中世以前においては科学と同義であった。

 だが近代になって以降、異能の存在は明確に否定されてきた。

 古代において神や魔術師が王権や支配者階級にあったのも、そういった理由付けがあった方がいいのだという見方がされてきたし、異能のいくつかは科学によって暴かれていた。

 ところが今から百年ほど前に、それが劇的に変わった。

 異能の存在は明確に肯定され、人類は現代魔法を生み出し、かつては神秘と呼ばれた存在を解明してきたつもりになった。

 だがそれでもなお、ミッシングリンクは埋まらない。

 それどころか、サーヴァントいう存在が出現するようになり、そしてそれらに現代魔法で対抗できないことが判明するにつれそのミッシングリンクの重要性は深まっている。

 何かがあるのだ。

 現代魔法が見落としてきた何か。そして人類史における欠落。魔術師たちの衰退を引き起こした何か。

 

「サーヴァント……。前のあのピエロみたいなやつと同じってことだよな?」

 

 達也と同様、レオとエリカは以前の、入学して間もなくのブランシュの事件の際にキャスターというクラスのサーヴァントの一騎、メフィスト・フェレスとの戦闘を目の当たりにしている。

 サーヴァントの力を有する明日香によって打倒されはしたものの、ブランジュ側に多大な死者をもたらし、十文字克人の片腕を爆発させて重傷を負わせたほどの存在だ。

 現代の再生医療と魔法治療の併用によって幸いにも克人の負傷は目立った後遺症もなく回復したが、あのまま戦闘が継続していればどうなったかは想像に難くない。

 そして先の九校戦では達也は現場に居合わせておらず、エリカたちも気づいてはいなかったがアサシンとランサーのサーヴァントによって危うく多数の魔法科高校生が誘拐されてしまうところだったのだ。

 メフィスト・フェレスにグリム、鉄腕ゲッツ。いずれも歴史の本を紐解けば、あるいは物語の本を読めばすぐに名前の出てくる存在ばかりだ。

 達也としては深刻な懸念材料だ。

 

「ところで俺はあんまり歴史って詳しくねぇんだがシータなんて英霊がいたのか?」

 

 ただレオとしては味方と位置付けられているサーヴァントの脅威を執拗に深くはとらえていない。

 深く考えすぎない楽天的な性格であるという面も多少はあるが、彼は決して馬鹿ではない。それよりも野性的な本能、直感のレベルでシータというサーヴァントの少女が自分たちに危機的な存在ではないと理解してのことだろう。

 

「おそらくインドの古代叙事詩、ラーマヤーナのシータだろう」

「ラーマヤーナ?」

 

 聞きなれない単語にレオだけでなくエリカや美月も首を傾げた。

 

「インドにおける理想的君主像であるラーマ王を主役にした冒険譚だ。シータというのはラーマ王の配偶者、王配として登場する人物だったはずだ」

 

 達也とてすべての神話体系、英雄譚を知っているわけではない。だがそれでも知っていたのは、一つにはインドというのはサンスクリット語など現代魔法においても確立されている古式魔法の体系の一つに数えられていることと、名前だけはすでに聞き及んでいたからだ。

 サーヴァントとは伝承などにおいてその名を知られる過去の存在だ。

 たしかに彼ら/彼女らは人を超越した存在なのだろう。だが、過去の存在であるだけに、伝承に記されているように得意とした戦い方や生き様、死に方などがわかることが多い。

 ならばサーヴァントの死に方などは、彼ら/彼女らの弱点につながることが多いのが道理だろう。

 それに得意とする得物や戦い方がわかれば対処のしやすさも上がるであろうし、英雄とまで呼ばれる存在ともなれば、なんらかしらの譲れない矜持を胸に秘めていることも多い。

 そこをつけばあるいは打倒することも、あるいは交渉することも可能かもしれない。

 ゆえに達也はサーヴァントの対策として、古今の伝承についても可能な限り調べるようにし、あの少女のサーヴァントの名前を聞いて以降はインドの叙事詩からも情報を仕入れて、対策をたてようとしたわけだ。

 

「王配、ってことは王女様ってことですか!?」

 

 思いもよらなかった少女の身分に美月が驚きの声をあげ、すぐにその大きな声で教室内の周囲から注目を集めてしまったことに恥ずかしそうに身を縮こまらせた。

 

「おそらく。ラーマヤーナという物語は、ラーマという王族が一度は国から追放され、魔王にさらわれた婚約者のシータを取り戻す冒険を描いたものだ」

「魔王って、ほんと物語なわけね」

 

 達也の説明にエリカが微妙な顔になった。

 理想的な君主像という固い説明であった叙事詩が、達也の要約した説明からでは子供向けのアニメーションかおとぎ話のようであったからだ。

 

 だが物語や冒険譚、殊に伝承の来歴が古いものほど簡単な説明にまとめてしまえば陳腐に響くことが多い。

 ここ最近調べることの多い、古今東西の有名な伝承――アーサー王物語やシグルドリーヴァ、モーセの十戒のような著名な物語などは特にそうだ。アレクサンダー大王やチンギスハン、あるいはアメリカ大陸の南北戦争などであればまた違うものもあるが、多くの伝承というのはえてして物語として語り継がれるように面白おかしく誇張されているものなのだ。

 現代の科学 ―― 現代魔法が実在している今でもおとぎ話とわかるようなものが当たり前のように文面に存在しており……………おそらくそれこそがサーヴァントのサーヴァントたる所以――――“神秘”とやらなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 編入生見たさの賑わいはお昼時になっても衰えてはいなかった。

 むしろ情報が伝達され、編入生の容姿が伝聞されたからか見学にくる男子生徒の比重が増えたほどだ。

 ただ、だからといって彼女たちが昼食に向かうのを取り囲むほどの野暮はしなかった。

 主に監視のためにつかず離れずの位置にいた明日香はお昼休みになって誰かに呼び出されたらしく、用事があるからと離れていき、雫とほのか、深雪は勝手の分からないシータを食堂へと案内していた。

 

「雫さまは獅子劫さまがお好きなのですね」

「!」

 

 シータからそっと尋ねられた雫は、感情の起伏に乏しいといわれがちな瞳に驚きを宿して見返した。

 

 シータとはいろいろな話――彼女がどういう来歴の人で、サーヴァントで、というのは話をして、ある程度は仲よくなれたと思う。

 ただ朝のやり取りのことがあって、ほんの少し、棘のように小骨のように、胸に突き刺さっていたものがあったのだが、それを当の本人から言われた形だ。

 雫の胸のうちをこっそりとした指摘したシータは、雫の驚く顔にふんわりとした微笑みを向けた。

 

「同じですから。もし私が、ラーマ様がほかの方と私にはわからないやりとりをされていたら、きっと雫さまと同じような目をしていたと思いますから」

 

 ラーマ、というのがシータとかかわりの深い英霊であることは聞いていた。

 サーヴァントというのはいわば英霊にとっての第二の生。生前に縁を結んだ関係性はそれとして、現世において縁を結んでいくものだと。

 

「シータさんは、そのラーマさんのことが?」

 

 聞いていて、けれどもあまり実感はできていなかった。

 だってシータという少女は雫から見てもとても可愛らしく、素敵で、そしてサーヴァントという存在であるがために明日香とともに肩を並べて戦うこともできる存在だから。

 うらやましく、そしてかすかに妬ましい。

 

「はい。大好きなんです。たとえもう二度と会うことができなくても、喜びを分かち合えることがないとしても、それでも大好きなの」

 

 その微笑みは淡く、花のほころぶように。

 だから雫には分からなかった。

 二度と会うことができない、それはただ単にサーヴァントという死後における離別がためなのではないのだと。

 知らなかった。

 日本においてあまり著名ではないラーマヤーナの伝承において、シータという王妃が辿った悲劇的な別離の結末を。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話

 

 ── ザシュ…………

 

 深々と廃部に突き刺さった弓矢は致命の一矢。

 眼前の敵を、自分にとっては同盟者たる猿王を追い詰めていた猜疑の偽王は、信じがたいと目を見開いた。

 あと僅かで仇敵たる兄を討ち果たせる、その間際での逆転劇であった。

 一方で自分に救いを求めた猿王もまた、安堵よりも驚愕が勝る顔で、息絶えようとしている弟を見据えた。

 猜疑から猿王を陥れた偽王の最後。

 その遺骸に奇声を発して偽王の妻である女が取りすがた。

 狂乱のごとき慟哭。

 兄に対しては猜疑の心を払うことのできなかった偽王でも、番たる彼女に対しては真摯な夫であったのだろう。

 発狂し、絶望の声を上げる女は、憎悪の瞳を向けた。同盟者の危機に背後からの不意打ちという一騎打ちへの冒涜を行った我へと。

 

 ── 卑怯者めっ!!  ──―

 

 怨嗟を告げる言の葉を女は紡いだ。

 

 ── 貴様は! たとえ后を取り戻すことができようようとも! 決してっ!! 断じて!! 共に喜びを分かち合うことはできない!! 猜疑の心が貴様を蝕む! たとえどのような奇跡が貴様に降りかかろうとも! 貴様は決して后と、その心において結ばれることはない! 未来永劫! 時の彼方の世界の最果てにおいてさえもっ! コサラの王に呪いあれ! 卑怯者の王に呪いあれ!!!!!! ──―

 

 哄笑が狂ったように呪いを紡ぐ。

 

 

 

 死後において、第二の生においてすらも続く呪い。如何なる奇跡、聖杯の恩寵によってすらも覆すことのできない呪い。

 

 あの時、14年もの歳月をかけて取り戻した愛妃を手放したあの選択は、たしかに民の声に耳を傾けざるをえなかった状況が故にとった選択だ。

 だが猜疑の偽王を討ったあの時に、あの呪いの言葉を受けたあの時に、きっとその心には猜疑の心が宿ることとなったのだろう。

 だから捨てた。

 その胎に我が子を宿した愛妃を。その胎の子が、おぞましい魔王の種であるという猜疑から逃れることができずに。

 だから失った。

 あの笑顔も、何よりも愛しいと思った彼女への心も。

 

 ゆえにこそ理想の王たるのだ。

 猜疑を呑み込み、私情を捨て去り、王たるの務めだけが、唯一彼が勝ち得たものなのだから。 

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 衝撃的な編入生の騒動も数日が経てば一応の鎮静化はもたらされるものだ。

 

 一科生においても異邦の美少女、シータの存在は一応は受け入れられて落ち着きを見せた。

 それは一つには彼女がよくそばにいるのが一高きっての美少女にして才媛である司波深雪であったこと(正確には彼女と最も親しい関係にある雫やほのかが一緒であったこと)。それから実技において彼女が偏ってこそいたものの飛び抜けて優秀な魔法力を示したためだ。

 これは学校側もいささか想定外ではあったようだ。

 サーヴァントというのが過去の、それもシータの来歴的に現代魔法成立よりも千年単位で過去の人物であるのだから、魔法の実技に関しては期待できないだろうと。

 無論、魔術とかかわりの深い存在であることから、なにかしら得られる情報があると期待しての編入措置ではあったのだが、現代の魔法力に照らしても一科生のトップクラスに勝るとも劣らない結果を見せつけられるとは思いもよらなかったようだ。

 具体的には現代魔法における魔法力を測る要素であるうちの干渉強度と演算規模において、一高の中でもトップクラスの優等生である深雪に匹敵する結果を示したのだ。

 それは一科生においても度肝を抜く結果であった。

 前期の成績として雫やほのか、森崎といったA組の生徒が総合成績および魔法実技において深雪に続いていたが、九校戦での戦いに示されたように魔法力に優れる雫と比較しても深雪の魔法力は桁外れなのだ。

 現代の魔法に適合していない古式魔法、それよりもさらに古い魔法の系統でありながら、これだけの適応を見せることはあらためて魔法師にサーヴァントの脅威を示唆するものと同時に、それらの存在を調査することの意義を再確認させるものだった。

 もっともサーヴァントであるシータにしてみれば、人の生活に溶け込むうえで、自身の出力を身近な人物に合わせた結果にすぎない。

 

 アーチャーのクラスにとって魔術/魔法は本来クラス外のスキルではあるのだが、英霊・シータにとっては無関係のものではない。

 魔法というのは日々進歩していくものだが、魔術とは過去においてその力を発揮したものだ。そして魔術に代表される、いや、神秘の堕ちた一つの形としての魔術は西暦以降、神秘の衰退とともに急速に力を弱めてしまったものなのだ。

 英霊ではなく英雄としてのシータの生前とされる年代は西暦以前。それも神と人とがまだ結びつきを強くもっていた時代だ。

 当時の人々とって神秘とは身近に存在するもので、のちに魔術と呼ばれることになる神秘の形の一つは、後代の魔術とは比べ物にならないくらいの強度を有していたとされる。

 ましてシータはその霊核に神性、文字通りの神秘を宿している。

 動くこと自体が強大で強固な神秘であるのだから、たとえそれが神秘を見失った魔法であっても、計測される干渉強度と干渉規模は並どころか特級品の魔法師と比べても比較にならないのは当然のことといえる。

 

 シータの実技は彼女の容姿による衝撃とはまた別に一校生たちに衝撃を与えたが、学校としても驚いてばかりはいられなかった。

 夏の九校戦に続く、魔法科高校の大イベントの時が、すぐそこまで迫ってきていたからだ。

 

 

 

 

 

「論文コンペ、ですか……?」

 

 前生徒会長と前風紀委員長、そして前部活連会頭から呼び出された明日香は、彼女たちから切り出された要件に疑問符を飛ばしていた。

 

「魔法協会主催で開かれる論文コンペが今月の末に横浜であるの。獅子劫君と藤丸君にはその警備に参加してもらいたいの」

 

 論文コンペというイベント自体は先日達也がそのプレゼンテーターのメンバーに選ばれたという報告を仲間内にしており、明日香も聞いている。

 正式名称は日本魔法協会主催“全国高校生魔法学論文コンペティション”。

 高校生の発表会と侮ることなかれ、たしかに全国と銘打ってはいるが魔法科高校自体が全国に9校しかないことから実質9校だけの対抗戦──九校戦の文系ver.というものではある。

 実際には全国の高校生を対象としたオープン参加ではあるのだが、過去に魔法科高校以外から予備選考を通過した例がないことから実質としては魔法科高校論文コンペだ。

 だが九校戦自体が軍部は有力企業などが注目するイベントなのだ。それに相当する論文コンペも、いやむしろ学術的価値としては注目度が大きい。

 明日香は知らないことだったが、論文コンペの優秀な成果については現代魔法学関係で最も権威があるといわれる学術雑誌に掲載されるほどだ。(ちなみにその雑誌は魔法科高校生であったとしても学生が読むにはやや敷居が高く、けれども達也や幹比古、そして雫などは定期購読している読者なのだそうだ)

 そのため例年、よからぬことを企む輩──データを盗み出して小遣い稼ぎをしようとする輩がいることから護衛の必要性が生じるのだそうだ。

 

「達也くんにも言ったことだが、論文コンペには“魔法大学関係者を除き非公開”の貴重な資料が使われるし、そのことは外部の者にも結構知られているからね。コンペの参加メンバーが産学スパイの標的になることも時々あることから、チームメンバの身辺警護なんかを風紀委員の有志が担当することになる」

「なるほど」

 

 摩利の説明に明日香は頷きながら、ちらりと圭の方を見た。

 相変わらず飄々とした態度だが、おそらくこれがアーチャーを編入させたことに対する“交換条件”なのだろう。

 

「藤丸。お前の方にはその身辺警護に参加してもらう」

「ええ構いませんよ。ちなみに参加メンバーというのは?」

 

 有志、というからには立候補制であるはずが、決定事項のように伝えてくることからもやはりそういうことなのだろう。

 

「メインの執筆者が元生徒会の市原だ。それからサブの執筆者として2年の五十里と、ああ、君たちも聞いているだろうが司波君が入っている」

「九校戦よりもかなり少ないんですね」

「まあな。だが機材のセッティングなどでかなり多くの部活がかかわるイベントでもある」

 

 プレゼンテーションなのだから当然とはいえるが、九校戦との大きな違いとして直接的な参加者は少ない。 

 ただし、実験用機器の作成やデータの収集、発表用デモ機の作成などでかなり多くの、特に文系の部活や人がかかわるのだそうだ。

 

「警備の人員というのはもう決まっているのですか?」

「本人たちからの希望で五十里には花音──今の風紀委員長が直々につくことになっている。市原には現会頭の服部と桐原がつくんだが……」

 

 警備の人員として出てきた名前で明日香が直接わかるのはブランシュの件で帯同していた桐原くらいだが、いずれも九校戦にも参加していたし名前はわかる。

 そしてそういう配置になっているのであればおそらく圭の配置になるのは。

 

「なるほどその人員配置なら僕は鈴音先輩の方ですかね」

「君がなぜ達也くんを選択肢に入れていないのかは大きく疑問だが…………」

 

 やはりという感じで明日香だけではなく摩利も溜息をついた。

 五十里と達也は男性で市原のみが女性。というのもあるし、風紀委員長である千代田花音というのは聞いた話によると五十里啓と非常に仲のいい(ラブラブな)許嫁なのだそうだ。

 そこに顔を出せば邪魔者扱いされて馬に蹴られそうというのが率直なところで、であれば紳士を自称する圭が護衛につく相手は決まっていたといえるだろう。

 

「まぁ、達也くんからは必要ないと言われているし、市原がメインだからな」

 

 市原も五十里も優れた魔法師ではあるが九校戦には技術者としての出場だった。それは達也も含めてのことではあるが、達也は選手としても実績を残している。

 二科生ではあるものの、その魔法戦闘力が非常に規格外であるのは九校戦で十師族の一人、クリムゾンプリンスの一条を倒したという実績。

 あれはルールのある魔法競技ではあったが、それでも十師族の一人を倒したことは魔法科高生のみならず日本の魔法協会にとっても大きな衝撃であったし、普段の風紀委委員の活動からしても単独で十分な戦闘力を有しているのは明らかだ。

 むしろ下手な護衛は足手まといといえよう。 

 加えて言うのであれば、達也のそばにはほぼ確実に深雪がいる。

 次期生徒会長を今から確実視される氷の女王。

 護衛として任じられていないが、あのブラコンの彼女の前で達也に襲い掛かろうとなどすれば、即座に氷像が一体もしくは複数体、出来上がるだけだろう。

 

「それから明日香君の方には共同警備隊に参加してもらいたい」

 

 そして圭の方は一応現役の風紀委員だが、明日香の方は風紀委員ではない。(部活強制の規則もないことからどの部にも所属していないが)

 身辺警護要因としても要請がなかったが、彼に対しても要請があるらしい。

 摩利から視線で促されたのが克人に明日香も視線を向けた。

 相変わらず巌のように強靭な風格を備えた元部活連会頭。

 

「共同警備隊?」

「うむ。会場の警備には魔法協会がプロを雇うことになるが、それとは別に九校が共同で組織する会場の警備隊のことだ。俺はその総隊長を務めることになっている」

 

 魔法協会が主催であることから会場の警備についてはプロが派遣されるが、魔法科高校生も十分に戦力としてカウントされることが多いのは九校戦に軍事関係者がいることからもわかること。

 今年度は十師族、十文字家の克人がいるためとりわけ強力だが、会場の警備に有志が募られるのも例年のことなのだそうだ。

 論文コンペの会場は京都と横浜で毎年交互に行われる。今年は横浜。東京からは近く警備に赴くのは難しくはない。

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 明日香と圭の参加が要請されているのは、通常の警備戦力に問題があるということではなく、ブランシュの件や九校戦の件を受けての万一の予防策ということであった。

 例年、いくつかの問題が起きるのは摩利たちの説明にもあった通りなのだが、今年の一高はやはり何かを持っているらしいと考えるのは、その翌日、達也と五十里が一高の学生らしき人物から監視を受けていることに気づき、ちょっとしたトラブルを起こしたためだ。

 騒動になりかけた主な原因は護衛についていた花音が事態を発展させかけてしまったためだが、それ以前に達也はちょっとしたところから警告を受けており、それを五十里や鈴音に伝えていたことも関係があった。

 

「うわぁ! すごい!!」

「シータさん、SSボード初めてなんですよね? それであれだけ当てられるなんてすごいです!」

 

 論文コンペに向かって主に文系の部活動ではその協力で忙しくなっていたりもする。

 例えば美術部ではリハーサルや発表時に使用する模型作りを手伝ったりしているし、克人を中心いうか頂点とする警備団の訓練が行われたりもするので、そのための炊き出しが行われたりもする。

 

「これでも弓には少し自信がありますから」

 

 もっとも、多くの運動系競技の部活動にとってはあまり大きく影響はしない。

 せいぜいが時節柄として生徒会や風紀委員の世代交代に倣うようにして3年生が引退していることくらいだろう。

 雫やほのかが入学時より所属しているSSボード・バイアスロン部では、彼女との縁故から編入生のシータが仮のような位置づけで入部してひとつの賑やかさを生み出していた。

 

「う~ん。シータさん、仮入部じゃなくて本格的に入部してみない? 実技成績がすごくいいって聞いてるから、多分すぐにでも争奪戦が始まっちゃうと思うし」

 

 新しく部長になった先輩が控えめな勢いながらもシータの入部を勧誘し始めた。

 

 入学当初、雫もほのかも新入部員勧誘の大攻勢にあった経験があり、今後シータに訪れるであろう大変さを思って苦笑いをした。

 一高の魔法競技系の種目では九校戦の代表メンバーを選定・育成する目的もあって入学成績の上位者リストが秘密裏に出回ることが黙認されている。

 主席入学で早々に生徒会入りが決まっていた深雪はそうではなかったが、入試成績がトップクラスの雫とほのかなどはかなり熱烈な、うんざりするくらいの勧誘を受けていたし、SSボード・バイアスロン部に入部することになったのも元を辿れば、部のOBによる拉致まがいの勧誘を受けた結果、雫が興味を示したのがきっかけだ。

 ほかにも成績だけではなく、たとえばエリカなどはその容姿からかなり激しい部活勧誘を受けたりもしていた。そのため深雪に並ぶほどの美少女で、しかも魔法力も高く、部活に所属していないシータはまさに絶好の獲物になることは当然予想されるもの。

 

 

 

 

 

 死者であるサーヴァントが今を生きる者たちに取り囲まれ、恥じらうように会話をし、その中で生きている光景。

 それを遠く離れたところから、サーヴァントの知覚力があるからこそ見える場所から明日香は眺め、ため息をついた。

 あのアーチャー(シータ)はずいぶんと現世に馴染んでいる。

 それはライダー(アストルフォ)にも言えることだが、サーヴァントとしての在り方としてずれているように思うのは明日香(彼の霊基)だけだろうか。

 細かな記録は残っていないが、たしかに寝物語に聞かされたかつてのカルデアの話では、そこに暮らしていたサーヴァントたちは、古の英霊というよりも、かのマスター(藤丸の初代)の朋友であり同盟者であり、ともに歩む仲間であったのだそうだ。

 だからこそかのマスターは数多の英霊たちと絆を結び、人理を修復し、人の未来を取り戻すことができた。

 そういうところでは、アーチャーやライダーのように現世の人々と親しむように在るのは間違いではないのかもしれないが…………。

 明日香は視線をめぐらし、敷地の外縁部に向けた。

 この学校の敷地には外塀に沿うようにして魔法の防除術式が張り巡らされているのだが、今日に限ってはずいぶんとそこが騒がしくなっている。

 この学校には高校といえども魔法大学へのアクセス端末があり、貴重な文献なども数多く所蔵していることから、常日頃より魔法技術を狙う輩の標的になっており、実際4月ごろにはブランシュの事件により過激なテログループが侵入していた。

 そこまでいかずとも普段であればちょっかいのような形で探りをいれてくるのをしばしば目にしていたが、今日はかなり執拗だ。

 術式に対する感受性が一般の魔法師よりも高い魔術師だけではなく、ここまでくると生徒の中にも気づいている者がいるだろうレベルだ。

 探りを入れているのはおそらく魔法師であろうが、そこに明日香たちの敵が隠れていないとも限らない。

 かつてのサーヴァントたちがそうであったように。

 克人たちからの要請である論文コンペの警備隊に所属することも、一応の予防策としてという話であったが、来る当日に向けて騒がしさを増している現状からは、嵐の予感のようなものが感じられる。

 それに単なる予防策としてだけでなく、より現実的な懸念としてサーヴァントの脅威は近づいているだろう。

 シータの存在。彼女自身は害意あるサーヴァントであるのだろうが、彼女の存在が危険を呼び寄せる──―明日香と同じく。

 今は平穏を保っているアーチャーだが、彼女は一度敵性サーヴァントに襲撃されているのだ。

 当然ながら明日香と圭は襲撃者の情報はシータから聞いていた。

 そして知っている。

 シータを襲撃したサーヴァントのクラス、そして真名を。

 シータと同じくアーチャーのクラスのサーヴァント。彼女を襲撃したサーヴァントは、ほかでもない。

 

「ラーマヤーナの英雄、ラーマ……」

 

 かのコサラの王にして、シータと霊基を同じくする()()()()、その人なのだ。

 

「…………ともに喜びを分かちあうことのできない離別の呪い、か……」

 

 藤丸家に残された記録では、かつて()()()()としてのラーマ()()が召喚された記録が残っている。

 ラーマは生前に受けた呪いからシータと霊基を共有している英霊だ。

 ゆえに本来ラーマが現界している限り、決してシータが召喚されることはない。

 死後においても縛られる決して出会うことのできない呪い。

 けれども同時に存在できないわけではないのだ。

 かつての記録にも両者が同時に存在していた記録はある。

 どちらか一方が相手を認識できない状態、霊基が不完全となっている状態、互いが喜びを分かち合うことのできない状態。

 その時に限り、両者は共存することができるのだという。

 本来のラーマ王が全盛期の、最も適したクラスで召喚された場合、そのクラスはアーチャークラスになると予想される。

 それだけラーマヤーナにおいて、ラーマは弓との関連が深い。

 かのシータ王妃との出会いの逸話にしても弓が登場し、離別の呪いを受けるきっかけになった騒乱においても弓が登場する。

 だがカルデアで召喚されたラーマ王子はセイバーのクラスであった。

 彼に剣の逸話がないわけではないが、弓に比べると本領ではない。

 それは王子としてのラーマの全盛期とは、王としての、肉体面や精神面における全盛期ではなく、攫われた片翼であるシータを狂おしいまでに求め続けた冒険の日々にあるからだ。

 それに本来のクラスであるアーチャーではなく、セイバーであれば、万に一つ、霊基を共有することなく出会える希望があるのではないか。そう儚く願ったからだそうだ。

 勿論、聖杯戦争において数多ある英霊の中からラーマが召喚される可能性自体が少なく、その中でもさらにラーマとシータがともに存在する可能性などほぼない。

 だがそれでも、ラーマ王子はシータを求めたのだ。

 だがそれほどまでに求めたシータをアーチャーであるラーマは傷つけた。

 シータを切り捨てたのだ。

 

「…………」

 

 ラーマヤーナにおいて、シータとラーマの物語は悲劇で終わる。

 14年もの冒険の末、魔王を倒して奪還したシータを、ラーマは王となって後に捨てることとなる。

 それは苦渋の決断であったのかもしれないが、王としての決断でもあった。

 ゆえに、本来の全盛期、王としての、アーチャーとしてのラーマであった方が、シータと共に存在する可能性はあったのであろう。

 ともに喜びを分かち合えない形において────すなわち敵対者として。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話

 

「達也さん、論文コンペの準備はもう終わったんですか?」

 

 論文コンペの準備もリハーサルを間近に控えるほどになってきては、達也もかなり時間をとられているため、そうそう友人たちと一緒に帰宅時間を合わせられることはなかった。

 

「ひと段落、というところかな。リハーサルとか発表に使う模型作りとかデモ用の術式の調整とか細々としたことは残っているが」

 

 だがこの日は久方ぶりに友人たちとの都合がつき、一緒に校門を出ていた。

 ほのかとしてはクラスが違うがゆえに達也とこうして肩を並べて歩くのも久方ぶりだ。

 

「大変そうねぇ。そういえば美月のところで模型作りを手伝ってるんだっけ?」

「あっ、うん、二年の先輩が。私は何もしていないんですけど……」

 

 テニス部の幽霊部員になっているエリカはともかく美術部に所属している美月は達也ほどとまではいかなくとも部として論文コンペへと助力しており、部の活動が忙しくなっている。

 

「たしか核融合──疑似的な太陽をつくって生活を豊かにしようとする試みなのですよね」

 

 そして今回の帰路がとりわけ珍しいのは、雫と行動を共にしているためにシータが同行していることだろう。

 遭遇時に挨拶することはできなかったが、あらためての初対面の挨拶は朝の登下校の際に会ったとき済ませており、レオ達も彼女のことはもう知っている。

 間近に見てみればなるほど、一科生や上級生たちが廊下に列をなして見物しにいくのもうなずける容姿をしている。

 

「大局的には、だけどね。核融合というのがわかるのか」

 

 達也にしてみても、整った容姿をしているとは思うが神々しいと評することのできる深雪を間近に見慣れているので臆することはない。

 むしろサーヴァントについての知識を得られる機会ということで不審にならないレベルでの会話を積極的に行っていた。

 勿論、だれにとって不審かと言えば、まずは最愛の妹にとってだが、それに加えて同行している魔術師たちから見てだ。

 

「そこらへんは召喚時に付与される聖杯の知識だね。サーヴァントは召喚に際して現代知識を付与されるものだから。ほら、彼女とかアストルフォとかが日本語をしゃべれているのもその恩恵だよ」

 

 今の時代、特に魔法師にとって自国のアイデンティティが昔とは異なるレベルで再確認されているからといって国際的な共用言語としての英語の存在感が薄れたわけではないが、いくらなんでも自然に日本語に変換されるような慣れ親しみ方もしていない。もちろんご令嬢としての教育を受けている雫や才女である深雪、達也などは英語での会話にも苦労しないし、一高では劣等生とされる二科生のレオやエリカ、幹比古たちにしても同様だ。そもそも一高の内部で比較すれば二科生が劣等生にカテゴライズされてしまうだけで、一高に入学できたということ自体、学力においても優秀なことの証左だ。

 

 だがたしかに、そういう意味でアストルフォやほかのこれまで出会ってきたサーヴァントたちがレオや達也たちにも聞きなれた言語を当然のようにしゃべっているのはおかしな話であった。

 コロンブスなどが喋っていた言語が英語でなかったのもそうだが、とりわけシータなどは古代インドの人物なのだ。英語などしゃべっているはずもないし、そもそも彼女が生きていた時代に英語も日本語もないだろう。

 それと同様、サーヴァントは現界するにあたって行動に不都合が生じないように現代の知識が与えられる。

 シータが核融合などというものを知っているのも、別に古代核戦争説の真偽などを問うまでもなく、そういう召喚システムだからだ。

 

 それらはわずかなものではあるが、貴重な──特に達也にとって──サーヴァントについての情報だった。

 

 ──やはり魔法の、いや、理論そのものが現代魔法とは異なる基盤として成立しているのか……? ──

 

 おとぎ話の魔法でもあるまいし基本的に現代魔法には自動翻訳魔法などというものはない。 

 基本的に魔法は永続するものではなく、終了コマンドが規定されるものだからだ。

 会話というピンポイントに作用させるというのであればできなくもないだろうが、そのような魔法式を開発して使用するくらいならば翻訳ツールを使用した方がずっと手軽で汎用性がある。

 達也は魔法師であり、周囲には大勢魔法師がいるが、人類全体を見渡せば彼らのような魔法師というのは圧倒的に少数派(マイノリティ)なのだから。

 

「明日香もそうなの?」

 

 雫が隣を歩く明日香に質問したことは達也も気にかかっていたことであり、自身が意図せずにこの会話を続けていくうえで都合がよかった。

 

「いや。僕は聖杯に喚ばれたサーヴァントじゃないから聖杯からの知識はないよ。僕の中にある霊基にまつわる知識のほんのわずかが夢のような形で時折流れこんでくるくらいさ」

「なるほど」「へ~」

 

 納得しているわけではないが、そういうものなのだろう。

 問題はどこまでの知識が与えられているのかだ。

 サーヴァント(シータ)とはまだほんの少し、自己紹介と道すがらの会話程度しか話をしていないが、それでも聖杯から与えられたという彼女の知識がどのようなものでも知っているというものではないことはうかがい知れる。

 だが、知られてはいけない秘密をもつ身(四葉の関係者)としては、その知識の範囲はもう少し明らかにしておきたい。

 

「チョッと寄って行かないか?」

 

 幸いにも会話自体は美月やほのかが続けてくれたおかげで、途切れておらずこの盛り上がりをまっすぐ駅に向かって終わらせるのももったいない。

 そんな立地として達也たちが御用達にしているカフェ、アイネブリーゼに差し掛かったこともあって達也がかけた誘いに

 

「賛成!」

「達也は明日からまた忙しくなりそうだしな」

「そうだね、少しお茶でも飲んで行こうか」

 

 エリカとレオと幹比古は少し積極的すぎると思える肯定を返した。

 会話を続けたいという思いと、尾行しながらこちらの会話を探っている何者かをやり過ごすのにちょうどいいという思いからだったのだが、前者はともかく後者についてはエリカたちにも思うところがあったようだ。

 

「えっと……」

 

 ただ、達也にとって肝心のシータがためらうようなそぶりを見せているのは少し思惑が外れていた。

 彼女は少し戸惑うように店と入店しようとしているエリカたちを見て、明日香の方をうかがうように振り返っている。

 幸いにも強引に達也たちが誘い文句を続ける必要はなかった。

 

「いいんじゃないか。雫とほのかちゃんも寄るんだろう?」

 

 下校途中の立ち寄りとう行為に、シータはいささか抵抗があるのか、伺うように見てきたシータに、明日香はため息をつきつつ応えた。

 それが正解だったのだろう。シータは嬉しそうに微笑むと雫ににこりと頷いてエリカたちに続いて入店した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 現世に実際の肉体を持つデミ・サーヴァントである明日香とは違い、本来のサーヴァントというのは基本的に幽体だ。

 そのためサーヴァントに本来的な意味での摂食行為は必要ではなく、食物からでは人と同じような意味でのエネルギー補給はできない。

 

「!」

 

 けれども一部を除いてサーヴァントに味覚がないということもなく、嗜好品としての意味合いとして飲食を行うことはできる。

 

「すごいです! 雫さまのお屋敷でいただいた料理も素晴らしいのですが、この白くて雲のような、そう、くりーむというのはすごく甘くて」

 

 入店時には遠慮がちであったシータは、エリカの悪戯心なのか親切心なのかの発露の結果であるバナナパフェ(メニュー表には不必要と思えるほどにもっと長い名前がついている)を前にして、そしておそるおそるスプーンですくって口に運んだ結果、瞳を輝かせて褒め称えた。

 

「ははは。そんなに美味しそうに言ってくれると作った甲斐があるよ」

 

 灰色の髭をきちんと手入れして整えているアイネブリーゼのマスターは、深雪に勝るとも劣らない可憐美少女に手放しでほめられて顔をほころばせた。

 この店のマスターは元々優男風のハンサムフェイスなのだが、そのことに何やらコンプレックスを抱いているらしく、達也たちから見て似合っていない髭を蓄えており、少しでも男らしく見えるように頑張っているらしかった。

 だがシータのお褒めの言葉にゆるんでいる顔は地がでていた。

 

 元々この店を愛用するようになったのは、この店の名前がドイツ語の微風を意味するもので、そのことにゲルマン系の流れを一部くんでいるレオが親近感を覚えたのきっかけではあるが、達也たちも常連となったのはこの店のマスターのいれるコーヒーそのほかの味のたしかさからだ。

 時代を超えたお姫様にも絶賛されている常連の店の一品に、それをおすすめしたエリカが「そうでしょそうでしょ」と大いに頷いている。

 女子は甘味が好きだというのは古今東西を超えて不変の真理なのだろうか。

 それはもちろん、西暦以前のインドに現代の生クリームほど暴力的な甘味があったとは思えない。せいぜいがバナナか果物が自生していたくらいであろう。

 だが彼女は聖杯とやらからの知識があるはずで、今の彼女の感激ぶりからすると知っている者の反応には思えない。

 

「そういうのは聖杯っていうものの知識にはないのか?」

「知識と体験というのは別物、ということだね。書物で知ったからといって食べ物を味わうことはできないだろう」

 

 やや無粋ともいえるレオの質問は当のサーヴァントではなく圭だった。

 彼の説明は魔術師ではない達也にしても理解できることだ。

 魔法におきかえたとしても、魔法式を知ったからといってその魔法を扱うことができないのと同様なのは、達也が身に染みて理解していることだからだ。

 とはいえそのような理論は甘味を堪能して花のように顔を綻ばせている可憐な少女とその笑顔に気分を良くしているマスターにとっては野暮以外なにものでもないだろう。

 

 

 達也や圭らは珈琲を、明日香は紅茶を、女性陣は互いに注文した甘味を堪能しながら放課後の雑談に興じていた。

 

「そういえば達也君たちは今度魔法論文のコンペティションに出るんだったかな。一年生なのに凄いねぇ」

 

 会話は彼らだけでなく、今日のようにアイネブリーゼの店内が貸し切りのような状態になっているとマスターが加わることもある程度には彼らもこの店の常連になっている。

 そして凄い、というのも満更お世辞だけでもないだろう。マスター自身は魔法の素質こそ持っていないが、魔法科高校の通学路に店を構えるだけあって魔法師の世界にかなり詳しいのだ。

 勿論それは、魔法であって魔術ではなく、圭や明日香は単なる魔法科高校生でしかなく、シータはスイーツを絶賛してくれた可愛らしい少女でしかないのだが。

 

「今年は横浜で開催される番だよね。会場がいつも通り国際会議場なら、実家のすぐ近くだ。山手の丘の中ほどにある“ロッテルバルト”って名前の喫茶店。時間があったら是非寄って、親父と僕とどっちのコーヒーが美味いか、忌憚のない意見を聞かせてくれると嬉しいな」

 

 近く迫ってきている論文コンペには出場者である達也や、護衛役になっている圭と警備隊に所属している明日香だけでなく、レオや幹比古、雫たちも勿論行くつもりだ。特に幹比古は九校戦の新人生モノリス・コードの代理出場の際に見せた才気と魔法力から警備隊の特訓にも参加することを養成されているほどだ。

 まぁ、論文コンペの最中にロッテルバルトに赴く時間はないだろうが、その帰りにでも寄ることはできるだろう。

 茶目っ気めかして宣伝を兼ねているマスターの言葉に素直に頷いているシータの様子は明日香から見て、そして達也から見ても純朴な少女でしかない。

 

 そうしてお茶会を楽しんでいると、ふとエリカが中身を一気に飲み干してソーサーに戻すとスッと立ち上がった。

 

「エリカちゃん」

「お花摘みに行ってくる」

 

 小首をかしげた美月にそう答えて軽い足取りで店の奥へ向かった。そしてタイミングを合わせたかのようにレオもポケットに手を入れて端末を取り出して確認した。

 

「おっと、わりい、電話だわ」

 

 着信があったかのようなそぶり。対応のためにか、レオは端末を片手に店から出ていく。

 明日香はそれを横目でみやり、圭も視線を彼に向けてピクリと反応し、何事もなく目を伏せた。

 

「……幹比古、何をやっているんだ?」

「んっ、チョッと忘れないうちにメモっとこうと思って……」

 

 そしてカウンターに座っている達也からは背中越しに小さめのスケッチブックのようなものを広げて何かを書いている幹比古に声をかけ、幹比古は筆ペンを動かしていた。

 

「熱心だねぇ」

 

 レオや美月らとは別のテーブルに座っていた明日香や雫からは見えていないが、圭には何かが視えたのだろう。

 やや呆れたような感心したかのようにつぶやき、けれども席を立とうという気はないらしい。

 魔法師たちと関わることを決めてから、魔法師たちに尾行されるというのはよくあることなのだが、今回の尾行はどうやら明日香たちというよりも別の狙いがあるらしい。

 どうせこの魔法師たちが屋敷の敷地に侵入することはできないだろうし、半ば異界化している屋敷に入ってきても迷子のアリスのようになってお帰りいただくことになるだけだ。

 この尾行者たちも、凶行的なものが目的ではないのだろう。そうであれば友人たちを巻き込むことはしないだろうという程度には圭のことは信用している。

 エリカたちにとってはそれでもうっとうしいものと、あるいは危険な徴候とでも捉えたのかもしれないが────

 

「!?」「!!」

「シータさん?」「どうした明日香?」

 

 不意に感じた気配、遠く離れた場所から生じたそれに、関わるつもりのなかった明日香とシータはほぼ同時に反応して立ち上がった。

 深雪と達也が少し意外そうに尋ねた。

 

 ──これは……──―

 

 明日香としても魔法師に対してどうこうするつもりはなかった。けれどもこれは別だ。今までに感知したことがないほどの遠地での《《サーヴァント》の気配。明日香の知覚範囲の外側。

 明らかにこちらを誘ってのことだろう。

 

「…………ケイ。ここを頼む」

 

 顔色の変わった明日香を見て、圭の目つきが険しくなり、達也の視線も一段深くを探るように鋭くなった。

 これがエリカたちが向かった魔法師たちと連携してのことではないだろう。関連があるにしては距離が離れすぎている。

 本来の聖杯戦争であれば夕方とは言え、このような往来の激しい時間に挑発行為など許されるものではない。

 けれどもこれは通常の聖杯戦争ではないのだ。

 そして最早現代に神秘を隠匿管理できるだけの魔術師はいない。

 

「明日香様。私も」

 

 向かう先にいるであろうサーヴァントを予想してか、シータが同行を願い出た。

 英雄ラーマと霊基を同じくするシータであれば、同等の性能が()()()()()()()()()()、彼女は大きな戦力となる。

 

「アーチャーもここに」

 

 けれども彼女を連れて行くわけにはいかない。

 明日香の、そして圭の予想が正しければ、シータは戦力であると同時に敵にとっても重要なキーなのだ。

 明日香は圭にアストルフォに連絡をとるように告げると、急ぎ店を後にした。

 幸いにもというものでもないが、魔法師の尾行者にエリカやレオたちが対処するために幹比古が敷いた人払いの結界らしきものが効果を発揮しているのか、店外には人通りが絶えていた。

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 明日香がこれ幸いと人通りの絶えた往来の、それでも裏通りに入ってからデミ・サーヴァントの力を発揮して跳躍移動を開始したころ、レオとエリカは一人の男と対峙していた。

 

「私はスパイではなくそれを阻止する立場だ。私は君たちの敵ではないし、私と君たちの間に利害の対立もない」

 

 ジロー・マーシャルと名乗った男は、言動の端々に日本人以外の来歴、おそらく欧米の組織所属を匂わせた。

 高校生の、それも一高においては劣等生に区分される二科生のレオとエリカだが、実践能力と度胸であれば並みの一科生どころか高校生離れしたものがあり、何らかのエージェントと思しき男を上回った。

 そうして追い込まれた風な状況になった男は、敵対的な素振りから一転して二人に弁明を始めていた。

 直前まで戦闘力で上回っていたからだろう。特にエリカは残心を怠るような無様はしていなかったつもりだが、それでも二対一(加えて幹比古の精霊魔法による援護付き)であったことと、上回っていたがために、そして目の前の男から言葉通り殺意も敵意も感じられなかったことから、次の行動に対する反応が一瞬遅れてしまった。

 

 何気ない素振りで取り出され、トリガーに指をかけられた状態で突き付けられた拳銃に、二人は硬直する。

 

「っ!」「てめぇ!」

 

 非魔法師からすれば銃やナイフのような凶器もなく人を殺せる魔法師は脅威みなされがちだが、だからといってどのような状況下においても拳銃のような武器が脅威にならないこととはならない。

 現代魔法の()()はたしかに魔法の発動速度だが、それでも攻撃する意思、状況に応じた適切な魔法の選択、CADの操作、起動式の読み込みなど、すでにトリガーを引ける状態にある拳銃を前にしては完全な対応がとれるとは限らない。

 そして肉体由来の強度が人並外れた頑丈なレオといえども、硬化魔法なしに銃撃を受けて致命傷とならないかはひどく分の悪い賭けになる。

 

「さっきこれを使わなかったのが私が敵ではない証拠ではないかね?」

「……単に銃の使用がまずかっただけでしょ。いろいろと手掛かりが残るから」

 

 二対一とはいえエリカもレオも一方が撃たれた隙に対処する、といった冷徹な対応をこの場で選べるほど達観していない。

 男の口ぶりは先ほどよりも余裕が生じ、そして敵対的でこそないが、行動は脅しだ。

 

「それもある。さて、必要なことは話したと思うが? そろそろ退散させていただきたいので、結界を解くよう、お仲間に言ってもらえないか」

 

 口調は軽いがそれは余裕からくるものだろう。ただし構えに隙は無く、ここから一手を打つにはリスクが高すぎた。

 もとよりエージェントの男にしてみれば、つい先ほどまで追いつめられるほどに高校生としては常識離れした ──魔法師であることを考慮しても── 戦闘力を有する二人を相手に隙など見せようはずもない。

 エリカとレオがジリッと答えに窮する間に、術を使って様子をうかがっていた幹比古が結界を解除した。

 

「ではこれにて失礼。ああそうだ。最後に一つ、助言をさせてもらおうか。身の回りにきをつけるよう、お仲間たちに伝えておいてくれたまえ。学校の中だからと言って、安心はしないように、と」

 

 そう言って男はポケットの内側から取り出した小さな缶をエリカたちの前方に放り投げた。エリカとレオが攻撃を警戒し飛び退ると、小さな爆発音とともに煙幕が張られ、そして煙が薄れたころには男の姿はなかった。

 

「くそっ!」

 

 レオが小さく悪態をつき、エリカも顔を険しくした。

 先ほど逃げた男は口では自分たちの味方であるなどと嘯いていたが、それが本当であるかなど分からない。

 むしろこそこそと自分たちの──おそらくは達也の後を尾けていたことからも敵でなくとも好意的な相手ではなかろう。

 

 ここ数日のことだが、達也が論文コンペの執筆グループに選ばれるのと時を同じくするかのように学校に対する怪しげなアプローチが増えている。

 幹比古は古式魔法師の視点から、古式の術式による式紙が校内への侵入を目論んでいると言い、美月は飛び抜けた異能視の瞳に監視者の存在を意図せずして感知していた。

 幹比古は術式が日本以外の、大陸系の古式魔法師によるものではないかと見做していたが、先ほどのエージェントは言っていたことが確かならば、彼はむしろ大陸系の魔法師と敵対関係にありそうだ。

 論文コンペが忙しい達也を気遣って片を付けようと考えていたエリカとレオ、そして幹比古だがそれが上手くいかなかった以上、みんなのところに合流するしかないだろう。

 エリカとレオは後ろ髪をひかれるように、アイネブリーゼに戻ろうとして────赤い髪の大男に気づいた。

 違和感。

 たしかに今、この通りは先ほどまで幹比古が遠隔で敷いていた人除けの結界が解除されていて、人がいることはおかしくない。────いや、早すぎる。

 レオとエリカの行動理由は尾行者の排除であったが、尾行者が一般人を装うことで犯罪者扱いされる懸念があったことから、人払いの結界は間違っても人に見られたり聞かれたりしないだけの十分な範囲を覆っていた。

 だがこの赤髪の大男は解除されてすぐにここに居た。タイミング的に人除けの結界が解除されてまっすぐにここに来たか、でなくば結界の影響を受けなかったかだ。しかも野性的直感力に優れているレオと剣士としての直感に長けたエリカに気づかれず。

 

「なるほど、これがヤツの旗下にある魔術師もどきどもか。────の騎士どもとは比べるべくもないな」

 

 傲岸な口調で、一科生が二科生を見下すように、それよりもはるかに高みから見下すかのようにエリカたち見下す男。

 

 ──なに、この男……こいつ……ッッ! ──

 

 体に震えが奔る。

 千葉の剣士としての直感が告げていた。

 圧倒的な力の具現たる存在。

 以前、メフィストというサーヴァントと戦っていた時の明日香を思わせる威圧感が自分たちの目の前にいる。

 隣のレオもまるで強大無比な野獣を目の前にして圧倒されているかのように青褪めている。

 男は何もしてこない。

 先ほどのエージェントと対面していた時のように拳銃を突き付けられれているわけでもなければ、その手に何か武器を持っているわけでもない。

 おそらく男にとってはエリカたちを威圧しているというものでもないだろう。佇まいにそのような素振りはなく、口調こそ傲岸だがそれは常にそのような在り方なのだろう。 

 ただその存在が圧倒的なのだ。

 

「竜の男に告げておけ──────お前の全てを俺が奪う」

 

 だがその姿がエリカたちの目の前で光の粒子となって消えた。

 

「消え、た……」

 

 あれほどの存在感の相手だ、目を離すはずもない。

 けれども強大なプレッシャーは霞のように消え、後には何も残っていない。

 それこそまるで幻か幽霊であったかのように唐突に消えてしまった。

 人払いの結界が解けたことで往来を歩く人の気配が遠くにあるだけだ。

 

 

 

 

 

 背中を流れ落ちた冷や汗の冷たさだけではなく薄気味の悪さを抱え、釈然としないまま、レオとともにアイネブリーゼに戻ってきたエリカは、まず圭に視線をやり、その近くに明日香の姿がないことを見て眉をしかめた。

 

「ミキ、視えてた?」

「? いや、ごめん。結界を解いてしまったから行方は追えてない」

「そっちじゃなくて」

 

 達也も幹比古も別のことがより気になっているようで歯切れが悪い。

 そして案の定、視覚共有で遠隔地の出来事を精霊を介して視ることのできる幹比古でも、先ほどの男のことは把握していないようだ。

 

 

「ねぇ、竜の男って、どういう意味か分かる?」

 

 赤髪の男が告げていた相手が誰のことかは分からないが、可能性が高いのは二人。

 多くのトラブルに愛されているかのような司波達也と魔術師である藤丸圭。

 

「どこでそれを!?」

 

 問いかけに反応したのは魔術師の方だ。

 ほのかや雫、シータでさえも問いかけの意味を理解できなかったようだが、圭は確かにそれを知っているらしい。

 

「やっぱり。さっきミキの結界が解除された後に、ううん、多分その前に現れてた赤いツンツン髪の男が言ってきたのよ」

 

 あの強大な存在感はエリカの知る限り魔術師に絡んだものである可能性が一番大きい。

 達也は達也で色々と謎な交流関係があるようなので可能性としてはあったが、この反応であれば間違いなく圭か明日香のことであったのだろう。

 

「赤い髪の…………」

「心当たりがあるのか、圭?」

 

 エリカのやり取りにレオも気づいたのだろう。

 

「いや。流石にそれだけだと分からないな。シータの方も察知できなかったということはおそらくサーヴァントとしての気配は何らかの方法で遮断していたようだし。けど…………」

 

 半ば独り言のように思案しながらの言葉は、否定ではあってもおそらくなにがしかの心当たりがあってのことだろう。

 

 以前魔術師たちは言っていた。

 サーヴァントは己の真名を秘するものだと。

 過去の境界記録帯(ゴーストライナー)であるサーヴァントはその真名が有名であればあるほど能力に補正を受けるが、同時にその来歴から弱点や戦い方などが丸わかりになってしまうリスクがある。

 シータなどは自己紹介で自分の名を告げてくれたが、それは彼女が戦いによって名を馳せた英霊でないのも一因だ。

 明日香の真名は雫でさえも聞いていない。

 なにせ明日香の武装、蒼銀の鎧はともかく宝具と思しき武器の方は戦い方から剣であるだろうと推測できるが透明不可視でどのような形状をしているのかは全く分からない。

 エリカの剣士としての眼で見れば、おおよその刃渡りやおそらく西洋騎士の戦い方ではないかと推測できるがそこまでだ。

 けれどもエリカが会ったという赤髪の大男。そして以前戦ったランサーも明日香の、正確には彼に力を貸し与えた英霊の真名を知っている節があった。

 

「やはり明日香の真名を知っているのか」

 

 それは敵に自分たちの情報が洩れているのか、あるいは“彼”に所縁ある英霊がいるからなのか。

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 次々と降り注ぐ死の顎を切り払い防ぐ。

 襲い来る一矢一矢はたとえ鋼鉄の裏に隠れ潜もうとも的確に心の臓を射抜き、霊核を破壊するであろう精密さと威力を誇っている。

 それが一呼吸の間に十ほど。

 

 ──これが本当の英霊。トップサーヴァントの力か……ッ! ──

 

 尋常の技ではなく、けれども驚くには値しない。

 この攻撃を行っているのは唯人ではなく、生半可な英霊でもないのだから。

 

 デミ・サーヴァントとして強化された視界の先より飛来する矢のさらに彼方の敵をにらみつける。

 弓兵(アーチャー)の英霊。古代インドはコサラの王。遍く満たす神たるヴィシュヌの化身。インドにおける二大叙事詩の一つにその名を燦然と轟かすアジア屈指の英雄ラーマ。

 不可視の剣を振るい迎撃している矢の数はすでに百を超えただろうか。

 一撃一撃が重い。貫通力においても、神秘においても。

 彼の力となっている霊基と同じく、そしてかつて下した三騎士の一角であったランサー(鉄腕のゲッツ)の槍ですら、これほどの重さは感じなかった。

 この距離では圧倒的に不利。このまま受け手に回れば、防いでいたとしても体力が削られ、あるいは撃ち漏らしが周囲に被害を与えかねない。

 

 ──だがッッ!! ──

 

 たしかにこれほどのサーヴァントと交戦した記録は明日香にはない。

 けれども日々の眠りの最中、底意地の悪い夢魔に導かれた最果ての夢の中で、彼は経験してきた。

 一呼吸に二十を超えるほどの弓弦の矢を。

 絶技たるをほしいままにする無窮の剣技を。

 聖盾の堅牢なるを。

 飛来した矢を迎撃するのに合わせて、足元に魔力を集中し────― 一気に放出する。

 

「!」

 

 敵アーチャーの驚愕の表情が一瞬にして視界に移り、刹那の瞬間に不可視の剣と敵の弓とが切り結ぶ。

 

「アーチャー、ラーマ。ここで討たせてもらう」

「■■■■■■■■■■」

 

 黒い何かに身を侵され、今にも崩れそうな霊基(カラダ)の敵を見据えた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話

 

 

「■■■■■■!!  ■■■■────―ッッッ!!!!」

 

 痛みがある。

 渇望に結び付いた理性は千々に途切れ、それでも求めていたものは黒に塗り潰されてナニカに成り果てている。

 

 それでも。

 

 それでも。

 

 それでも。

 

 その痛みはセイバーのデミ・サーヴァントによって傷つけられた霊基(カラダ)が発するものだけではない。

 無理やりに外付けされた神格によって圧し潰されて変質したはずの英雄の霊基(ココロ)の一部が訴えているのだろう。

 その痛みはカラダの傷が発するものとは比べ物にならない。

 失くしてはいけなかったはずのもの。

 無くしたくなかった、求め続けた、ラーマという英霊の根幹そのもの。

 けれども今の彼は彼女を求めているのではない。

 ただ欠けた霊基の一部として、力を取り戻すために、取り込むために必要だとしているだけだ。

 それが痛みを訴え続ける。

 そうではないのだ。

 そうであったはずがないのだと…………

 

「ふん。見苦しいものだ」

 

 喪われたナニカを訴えるかのように吠える英霊の残骸のような男を、赤い髪の偉丈夫が見下していた。

 

「おかしいですねぇ。本来の適正クラスとしての力を発揮すれば、あのセイバーに負けるはずはないと思ったのですが」

 

 そして英霊を残骸に貶めた裁定者が、欠片も惜しむような気配も見せずに首をひねって見せていた。

 事実として惜しくはないのだろう。

 たしかに戦力としてみれば、英霊ラーマは強大な戦力だ。

 だが善性の王子であるラーマと彼は反りが合うことはないだろう。事実としてラーマとして成立(現界)していた時には彼は敵であった。

 それを下したのはほかならぬ赤髪の偉丈夫であり、壊したのは裁定者だ。

 手駒にしても、それでもこの英霊は裁定者にとって認めがたき異端者であることに変わりはないのだろう。

 その点でいえば、偉丈夫もまた裁定者にとって異端者であろうが、異教において理想とされる王ほどではない。

 

「なに、構うまい。むしろ俺にとっては僥倖と言えよう。そこの出来損ないがこの体たらくなおかげで、俺はかの赤き竜と再び剣を交えられるのだからな」

 

 そして同陣営としたとはいえ、偉丈夫にとってもこの壊れたアーチャーは惜しむ手駒ではない。

 この世界にあるものは須らく彼方につながり、なればこそこの世界の全てはかの神祖に連なる君臨者である彼に属するものである。

 その彼をして、いや、死後の存在であるサーヴァントして存在している彼だからこそ、心躍り、欲するものはただ一つしかない。

 すなわち彼との、赤き竜との戦い。

 歴史のすべてから消失せしめられた彼に残るのは、ただ一つ、最後の戦い(物語)の続きしかないのだから。

 

「とは言いましても、すでに向こうにはセイバーだけではなくシャルルマーニュ十二勇士のパラディンとコサラの王妃の二騎を味方にしています」

 

 この剣帝の奔放さは忌々しいながらも知っている裁定者にとって、扱いづらいところであるのと同時に、ラーマ同様、操るための手綱でもある。

 

「ほう? 貴様はこの俺が、出来損ないの騎士や女風情に後れをとるとでも?」

「いえいえ。剣帝陛下のお力をもってすれば、砕くはたやすきこと。けれども、折角の騎士王との戦、邪魔はされたくはないでしょう?」

 

 騎士王へのこだわり。

 主の御業ならざる奇跡の真似事、聖剣などと嘯く邪剣を振るう異端者に、主と教え受けて子羊たちを迫害した愚か者の皇帝の連なり。

 潰しあってくれるのであればぜひとも共倒れしてもらいたいくらいだ。

 

「ですから、ええ。あなたには彼女たちをお相手していただきます。ラーマ王」

 

 そしてそれはこの異教の王も同じこと。

 

「奪われたくはないのでしょう? ほかの誰かの物になるくらいならば、自らが。誰にも、貴方の王妃を穢させはしない。それが貴方の役目なのです」

 

 教え、諭し、導き、破滅させる。

 従わぬ愚者を奴隷として働かせることは、裁定者である彼の得意とするところ。

 

「だから────────―本来の貴方に回帰するのですよ」

「──────!!! ──────!!!!!」

 

 与えられるは汚染された神格。

 神たる由来を有する英雄としてではなく、神たるの代行者としての在り方の完全なる王。

 

 

 わずかに残されたナニカへの渇望は、黒い闇に呑まれた。

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 失策だった。

 

 昨日身の回りで起きたいくつかの事件、戦闘に対して藤丸圭はそう感じていた。

 雫たちとシータ、人間とサーヴァントとの交友を見て明日香が何かしら思う所が変わるのではないかと期待してのことと、自分たちだけに向けてだけではない尾行者の存在があったことから達也たちと行動を共にしたわけだが、結果的にどうやらエリカとレオがサーヴァントと接触してしまったらしい。

 幸いにも向こうに交戦の意志がなかったからよかったものの、明日香が遠距離のサーヴァントの存在を認識させられたことは陽動だったのだろう。

 その明日香が対面したサーヴァントは深手を負わせることができたものの仕留めきることはできずに退かせるにとどまってしまった。

 相手はやはりシータとの因縁のある英霊、アーチャーのサーヴァント。

 本来シータとかの英霊の霊基が両立することはあり得ないのだが、おそらく敵対関係として存在していることで“離別の呪い”──ともに喜びを分かち合えない──を成立させているのだろう。

 

 敵のサーヴァントは二騎か、それ以上。

 前回のグリム(アサシン)ゲッツ(ランサー)も二騎同時だったが、今回の敵はあれ以上の難敵と考えて間違いないだろう。

 なにせコサラの王、ラーマといえば、円卓の騎士はおろか古代ローマよりも遥か昔、西暦以前のインドにおける理想の王だ。

 一般的に現代の日本ではそれほどメジャーな英雄ではないが、それでも古く神秘溢れる時代の英雄というだけで中世の騎士であったゲッツなどよりも遥かに強力だ。

 加えてエリカとレオが遭遇したという赤髪の大男だ。

 勿論それだけの情報では綺羅星ほども存在していた、あるいは存在するだろう英霊の中から特定することは困難どころか不可能だ。

 けれども明日香のことを──明日香に力を与えた英霊を知っていて、それと所縁がある英霊ともなれば、その成立した時代はおそらく古代── 円卓の騎士たちが活躍した時代もあり得る。

 

 幸いにも明日香が単独で敵アーチャーを撃退できたのは、おそらくシータがこちら側にいるためだろう。

 離別の呪いを回避して両立できていたとしても、霊基が不完全、不安定化してしまい弱体化しているのだ。

 それは逆にシータの方も戦う力に欠けているという面があるが、全盛期にして全開のラーマとぶつかることを考えればまだましだ。もしもシータの霊基が奪われてしまえば、その力は飛躍的に高まることが予想される。

 サーヴァントに対した時、圭には有効な戦力はほぼない。

 魔法師に比べればまだ有効なダメージを与えられるだろうが、微かな、サーヴァントにとってはそれこそ誤差のようなものだ。

 アサシンとライダーの時に使った概念礼装ももう効力を発揮することはなく、だからこそ圭は盤面を冷静に俯瞰して明日香という戦力を動かす役目を自らに課さなければならなかった。

 明日香の直感は本来であれば戦場において自らを有利に導くための高レベルなスキルだが、それは本来のレベルがあってこそだ。デミ・サーヴァントである彼はスキルのレベルにおいても不十分なのに加え、元々の“彼”に比べて判断力の基盤となるだけの経験に乏しい。

 ランサーとの戦いにおいてもその直感を逆に利用されたし、今回の陽動にしてもそうだ。

 圭の予測の未来視は十分な情報が集まっていないと発動できない。その十分不十分の量も圭自身には漫然としか分からない不確かなものだ。

 カルデアからの援護が事実上資金的なものに限られてしまっている以上、情報収集においてあてになるのは圭の予測の未来視と明日香の直感くらいだが、いずれも競り合い以上のスパンにおける戦術や戦略を定めるには頼りない。

 情報収集は圭の役割ではあるが、得手ではないのだから。

 

「スパイに利用されている学生からの情報収集、ですか……」

 

 なので昨日の今日で依頼されたその仕事に圭は普段魔法師たちにあまり見せない困り顔をしていた。

 

「ええ。藤丸くんの魔術はそういうのが得意だって以前言っていたわよね」

 

 まったく慌ただしいことだが、昨日尾行者と一戦やらかしたばかりだというのに、エリカとレオは今日もまた達也絡みで一悶着起こしたらしい。

 達也をはじめとした(正しくは市原先輩がメインなのだが)論文コンペのプレゼンター達は、本日校庭で常温プラズマ発生装置を使用したリハーサルを行ったのだが、その際に無線式のパスワードブレイカー(様々な認証システムを自動的に無効化し情報ファイルを盗み出す非合法なハッキングツール)を操作しようとしている不審者をエリカとレオ、そして壬生紗耶香と桐原武明が追跡することになり、これと小競り合いになった。

 不審者の名は平河千秋。

 二科生ながら一高に歴として在籍している一年生だ。

 彼女はハッキングツールだけでなく仕込み矢に催涙ガス、閃光弾とちょっと在学生が嫉妬に駆られて論文執筆者にちょっかいをかけたと言うには過激すぎる武装をしてエリカたちと交戦したのだ。

 幸いにも双方の被害としては桐原が催涙ガスをまともに浴びて悶絶したのとレオの勇猛果敢なタックルにより平河が気絶してしまったことくらいだった。

 その後もエリカとレオはひと騒動起こして風紀委員長の千代田花音に帰宅を促されたとのことだが、一方で負傷気絶した平河千秋は保健室にて意識を回復後、花音に簡単な事情聴取を受けたとのことだ。

 

 魔法を行使してはいないとはいえ非合法ツールの所持・使用未遂など校則どころか法律的にもアウトな行為を行った平河千秋に対して簡単な事情聴取の後に大学付属病院に搬送したのは、恩情というよりも彼女の言動が支離滅裂な ──洗脳の兆候の見られるものであったからだそうだ。

 

 ──「姉さんにも分からなかったんですよ。五十里先輩に分かるわけ無いじゃないですか。アイツだからあの仕掛けに気づくことができたんです。“あの人”だってそう言ってたわ。それなのにアイツは、自分には、妹には関係ないからって手を出さなかったんじゃないですか!」──

 

 平河千秋の姉である平河小春というのが彼女の暴挙に至った動機の源泉であるらしい。

 圭は預かり知らぬことだが3年生の平河小春というのは元々今回の論文コンペティションの執筆者の一人になる予定だったらしい。

 それが九校戦における事故以来、精神的に不調をきたし辞退するに至ったのだそうだ。

 その不調をきたす原因となった事故というのが、圭が新人戦モノリス・コードで負傷し入院している最中に起こった魔法不発の事件。それによって起こった出場選手──小早川先輩が魔法に対する不信から魔法技能を喪失してしまったのだ。

 現在、小早川先輩は魔法技能のリハビリを懸命に行っているが、順調とは言い難いらしい。

 魔術師である圭たちとは違い、魔法師、特に未成熟な雛鳥たちにとって魔法は容易く失われてしまうものなのだそうだ。

 その主な原因は自身の魔法に対する猜疑心。魔法という目に見えないあやふやな、どういう仕組みで働いているのかを確と理解できない力が、本当に自身の内からもたらされているのかというところに疑念を抱いてしまった魔法師は、その魔法力を失ってしまうらしい。

 九校戦における事故は、無頭竜による細工によってCADが改竄された結果だったが、魔法による、魔法が発動しなかったことによる恐怖体験を心的外傷(トラウマ)として刻み付けられた小早川先輩は魔法師として致命的な疵を負ってしまった。

 そしてその直後に同様の手口で改竄されかかった深雪のCADに気づき、阻止したのが達也だったのだ。

 結果として小早川先輩だけでなく彼女の担当技術者であった平河小春もまた悔恨と無力感とに囚われてしまったのだ。

 そしてそれが平河千秋の暴挙の原因だとか。

 だが、達也としては担当していた選手、しかも溺愛する妹のことであったから気づくことができたのであり、小早川先輩のCADに細工がなされていたことに気づかなかった、あるいは阻止できなかった責を彼に問うのであれば、それはあの時の技術スタッフ全員に帰するものである。

 だがそんな真っ当な論理は疑念に囚われた平河千秋には通じなかった。それはもはや思考誘導──洗脳されているのではないかと思えるほどだったという。

 

 最近では達也に尾行者がついたり、ホームクラックが仕掛けられたりといったこともあり、そして平河千秋の起こした暴挙(今日のことだけでなく、別の事案もあったらしい)が彼女一人で準備できるものではなかったことから、以前のブランジュのような組織の裏を疑うに至ったらしい。

 あの時も壬生紗耶香や司甲といった生徒たちが洗脳を受けて思考誘導されていた。

 

 ──「あんなに何でもできるクセに自分からは何もしようとしない……きっとそうして、無能な他人を嗤っているんだわ。本当は魔法だって自由に使えるクセに、わざと手を抜いて二科生になって、一科生も二科生も手当たり次第にプライドを踏み躙ってほくそ笑んでいるに違いないのよ、あの男は!」──

 

 平河千秋はそう言って憎悪と妄念を巻き散らしていたそうだ。

 そのコメントに一部、達也が自分からは何もしようとしない、であったりプライドを踏み躙っているというのには圭も客観的に見て否定しづらいところがあると思ったが、大部分は被害妄想染みていると感じた。

 

 真由美と摩利、そしてここにはいないが克人はそうした事情を踏まえて、論文コンペで忙しい達也ではなく、彼と同じく怪しげなトラブルに見舞われ慣れている圭に話を持ってきたのだろう。

 ただ、いくらなんでもほとんど見覚えのない相手の、又聞きした情報からだけでは限度がある。

 

「僕のはそれほど能動的に使えるものじゃないんですけどね」

「そうなの?」

「そういうのはどちらかというと明日香の直感の方に強みがあります。僕の方はあくまでも予測。必要な情報が収集されて初めて先のことを視るものですから」

 

 明日香の直感は縁もゆかりもないところから答えを漠然と導き出すものだが、圭の予測は途中の計算式と必要な項目を埋めなければ答えを導き出すことができない。

 どちらかというと圭は達也こそ千里眼じみたなにかの魔眼をもっているのではないかと考えている。

 

「その獅子劫くんの方は警備隊の訓練の方に行っているのよね」

「魔法の効かない常人離れした戦闘力のあいつに訓練の意味があるのか?」

 

 そしてここに明日香が居ないのは、彼が警備隊のメンバー、論文執筆者の護衛ではなく、論文会場の警備を担う各魔法科高校の自警団の一員として訓練を行っているからだ。

 同じく克人はその九校共同で組織された会場警備隊の総隊長を務めることになっており、模擬戦を行っているそうだ。

 

「一応は警備隊のメンバーになっていますからね。それに明日香は四六時中サーヴァントの力を出しているわけじゃないですよ。必要な時以外には節約していますし、生身の状態だと相応の戦闘力しかないというか、魔法に限ればいい訓練になっているんじゃないですかね」

 

 明日香が警備隊に入るのを承知したのはシータの件の交換条件であったというのもあるが、昨日の件を考えれば安全策として間違いではなかったということだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 相棒からはいい訓練になると言われた明日香だが、それは表現としてはやや控えめであった。

 

「────。────―ッ!」

 

 眼前に相対する魔法師が床を蹴って自身に迫った。

 魔法師の自己加速魔法による移動速度は、瞬間的にはサーヴァントの交戦速度に引けをとるものではない。

 勿論、魔力放出を前提にしたものであれば圧倒することもできるが、デミ・サーヴァントとしての力を解放していない今、明日香の身体能力は通常の魔法師と同じかやや劣るくらいだ。

 むしろ魔術師としても魔法師としてもそれほど大したことはない明日香にとっては九校戦で活躍できるほどの実力者相手ではかなりきつい。

 

 繰り出された正拳突きを今の得物である木刀で防ごうとした明日香は、その拳になんらかの魔法的作用が賦与されているのを視て瞬時に動きを変えた。

 明日香には魔法式を瞬時に読み解くスキルはないが、魔力の動きならぬサイオンの活性程度であれば見抜くこともできる。

 本来であれば打点を起点にして“加熱”の魔法式が作用するはずであった拳が空を貫く。まともに受けていれば得物への“魔法”の賦与が不得手な明日香では木刀を粉砕された上でダメージを受けていただろう。

 それを持ち前の直感で回避したのだ。

 けれどもその回避の成功に寸毫も余韻はなかった。自身の顔の真横を貫通した拳を避けたことを認識するよりも早く、さらに嫌な予感が背中に駆けのぼったのだ。

 次の瞬間、拳戟の軌道が直角に折れた。

 本来の拳打の起動からすればそんな体勢の攻撃であれば軽い威力にしかならないであろうが、サーヴァントではない状態の明日香にとってその裏拳は予想外の威力を伴っていた。

 ぎりぎりで木刀の柄を持ち上げて受け止めることができたが、体勢からは想像もつかない威力を伴っていた打撃に持ち手ごと木刀が吹き飛ばされそうになる。

 相手が今度こそ体勢を整えた追撃を放つ前に明日香は床を蹴って後退しようとして、けれども眼前の相手はまるでマリオネットのような不自然な動きによって明日香へと詰め寄っていた。

 間合いを引き離すことができなかった明日香が驚き、けれどもそれで身をこわばらせるのではなく、吹き飛ばされた威力を回転に変えて体を回し、反撃の一撃を振り切った。

 不自然な足さばきだが追尾してきた相手にはまともに交差しただろう回転の斬撃はけれどもぶつかる直前で再び不自然に相手が急停止したことで空振りに終わる。

 

「──―ッッ!」

 

 そして再び急激に動く体。

 腰だめからの掌底が、木刀を振り抜いた明日香に襲い掛かり、寸前でそれを察した明日香は体を引き戻し防御するのではなく、飛び込むように前転することでそれを回避した。

 相手もトリッキーな動きであったが、相手にとっても明日香の攻撃察知の速さは予想外だったようで、自身の攻撃が再び躱されたことに驚いているようであった。

 

「ほう。初見で十三束のセルフ・マリオネットを躱すとは。獅子劫やるな」

 

 明日香と相対しているのは明日香と同じく論文コンペの会場周辺警備の隊員となっている十三束鋼。圭と同じクラスの1年B組の一科生だ。

 そして二人の模擬試合の様子に感心した声を上げたのは九校合同としての警備隊の総隊長を担っている克人に代わり、第一高校警備部隊の指揮を執ることになっているのが風紀委員の二年生である沢木碧だ。

 勿論彼らのほかにも警備隊に参加している有志の一科生たちが訓練を行っている。

 責任者である沢木もずっと明日香と十三束の訓練を眺めているわけではないが、やはり関心は強い。

 なにせ十三束は沢木と同じマーシャル・マジック・アーツ部に所属しており、魔法を併用した徒手格闘術に長けているのを知っている。加えて百家の一角であり、レンジ・ゼロという異名を持つほどの魔法師だ。

 レンジ・ゼロは十三束の魔法師としては特異な、サイオンを身体から遠方に放つことができない体質に対する揶揄であるのと同時に、ゼロ距離においては無類の、それだけで一科生としての魔法力が認められるほどの強さを誇るという敬意が込められている異名なのだ。

 その体質は殊にマーシャル・マジック・アーツとは相性がよく、身体接触のある状態であれば相手の魔法を無効化できる最強の対抗魔法とされる術式解体を接触状態限定とはいえ使用することができるのだ。

 そんな魔法師殺しと言える十三束の相手が、十文字会頭直々の推薦により警備隊に入っている魔術師、獅子劫明日香なのだ。

 沢木はその名に数字を持つ数字付き(ナンバーズ)の家系でも百家でもないので、魔術師というのが古式魔法師とどう違うのかは知らない。認識としては古式魔法師よりも古い、魔法師たちの原典であるとうい程度のにしか知らない。

 けれどもこの三巨頭の一角である十文字克人が認めているのに加え、4月のブランシュの事件において校内に侵入したテロリストを三巨頭とともに撃滅したとも聞く。

 勿論伝聞だけで評価しているわけではないが、実際に今目の前で、沢木も認める実力派の後輩である十三束を相手に引けを取らない動きを見せているのだから、大したものだ。

 先ほど十三束が見せた変則的な動き、セルフ・マリオネットは武術の心得があり、身体の動きを読むことに長けた者にほどはまる彼の奥の手の奇術だ。術者の肉体を移動系魔法のみで動かすことで、人体の構造や力学上不可能な攻撃を繰り出すことができる。

 これに加えて接触型の術式解体を駆使する十三束の戦闘力は、拳が届く接近戦に関していえば校内でも屈指といえる。

 沢木の見たところ、獅子劫明日香の使う魔法は古式魔法ではどういうのか分からないが、昔ながらの魔法分類でいえば風系統の魔法、現代魔法でいえば収束系魔法を得意としているようだった。

 空気の密度を上手く操作しているのだろう。木刀に風を纏わせて斬撃の射程距離を増大させている。

 その攻撃だけでは十三束の接触型術式解体の鎧を突破することはできないのだが、やたらと勘がいいのか、十三束の攻撃を巧みにかわし、隙をつき、鋭い斬撃を放って反撃している。

 接触型術式解体の鎧は放出系の魔法に対しては無類の防御を発揮するが運動量のある攻撃──質量体による物理攻撃に対しては強い方という程度の防御力しかないのだ。

 とはいえセルフマリオネットを初見でああも躱すのは沢木でもなかなか難しい。今でこそ知っているので対策を練っているが、十三束の得意レンジである接近戦でいきなりあれをやられると一撃喰らってもおかしくはない。

 かなり実戦慣れしている様子が見えて非常に興味深い。

 

 

 

 

 

 

 

 警備隊に参加しているのは二年生が多い。

 魔法の戦闘力を買われての志願なので一科生ばかりなのは当然といえば当然なのだが、加えて九校戦などで魔法戦の実践経験が求められるからだ。

 一年生もいるにはいるが、二年生に比べるとやはりかなり少ない。

 残っているのは多くが二年生だけにお互いに顔見知りが多く、一年生の明日香は知った顔が少ない。そうでなくともあまり積極的に交友関係は広げていない身の上だ。

 模擬試合を行った十三束や観戦していた沢木などが興味を持ったようだった。

 

「実は獅子劫君には前から興味があったんだ。君の親戚の藤丸くんとは何度か話したことがあるから君のことを聞いていたからね」

「あぁ……えーっと、それはすまない」

 

 十三束のクラスはB組。明日香とは別のクラスだが、圭と同じクラスだ。

 普段のクラスでの彼の生活を報告しあったりはしないが、それでも明日香には圭の普段の行い自体を良く知っているので、クラスでどんな騒動に首を突っ込んだのかをおおよそ察したものだ。

 

「え? 別に謝られるようなことはないんだけど」

「いや、つい。ケイのことだから思わせぶりに意味のないことを仄めかして色々と問題を大きくしているのと思って」

 

 自分から騒動を起こしたとは思わない。

 どちらかというと騒動を起こすのは明日香の方が多く、けれどもその騒動を大事にかえるのは圭の得意技だ。

 もっとも最近はその十八番も、屋敷に居候するようになったトラブル製造機によってなりを顰めてはいるが。

 

「あはは。たしかに、そういう面がないとは言えないけど、そんなに心配するようなことはないよ。クラスだと明智さんとか、桜小路さんとかに……えーと、うん、とりあえず仲良くやってるよ」

「本当にすまない。あんなヤツで」

 

 やはりというかなんというか。仲良く、の前にとりあえずがついているのと、普段の行いを省みれば、やはり頭を悩ませておくべきであろう。

 

「いやいや。ホント、謝られるようなことはないんだ。むしろさっきも言ったようにおかげで君と話してみたくて」

 

 ただしそれとは別に、十三束が明日香と話をしたかったというのは本当らしい。

 明日香としては心当たりはない。

 こうして話しているのも今回警備隊の訓練に参加するという縁があったからだ。

 

 ただ、十三束の方は違ったらしい。

 

「僕は生まれつき魔法を遠くに作用させられなくてね。“核”が強固すぎてサイオンを強く引きつけ過ぎてしまうから、体から遠くにサイオンを離せられないんだ。…………君と同じように、ね」

 

 明日香と十三束の魔法師としての共通点。

 十三束もそうだが、実は明日香も自前の“魔法”では現代魔法師にとってポピュラーな技術である遠隔干渉系の魔法が苦手だ。

 それは十三束が言ったように、サイオンを引き付ける核が非常に強固であることに由来する。そのためサイオンによって自身から遠く離れた空間座標の情報を改変することが難しいのだ。

 明日香の場合、霊核──英霊である“彼”から譲り受けたものに影響を受けた彼自身のサーヴァントとしての核となっているからだが、その核は現代魔法でいう所のサイオンを暴食するかのように引き寄せて離さない。

 それは霊体であるサーヴァント──現代魔法に言い直せば物質次元に本来の存在を持たず、大量のプシオンの塊として情報次元に存在を持つ体を物質次元において成立するために必要な現象であるからだ。

 デミ・サーヴァントである明日香は物質次元にも肉体を持ってはいるが、サーヴァントとしての能力を発揮すれば同等の次元の存在となっているようなものだ。

 そのため魔法師として見ると、十三束と同様の状態──― つまり自分の体から離れた場所のサイオンに干渉することが苦手という性質になってしまうわけだ。

 

「だから九校戦の時の、あのバトルボードの波乗りはすごかったよ! 体から遠くに魔法を飛ばせなくても、ああいう使い方をすることもできるんだって」

 

 だが魔法師としての明日香に遠隔干渉の手段がないわけではない。

 たとえば接触している部分を起点にして連続的に周囲の対象物や空間に事象改変を引き起こす方法だ。

 その一つが九校戦の際の波乗り──逆巻く波濤の王様気分(ブリドゥエン・チューブライディング)。そして得意魔法に見えている不可視の風の剣も遠隔魔法ではなく接触型の延長戦にあるものだ。

 もっとも、あの波乗りも風の剣も、正確には半分以上は魔法ではなく、魔術でもないものに由来するものではあるのだが、それは魔法師にとっての特化型CADと同じようなものだろう。

 一応魔法師の明日香としては現代魔法における十三束の苦悩はあまり考えたことがないものであったが、十三束にとってはあの魔法は斬新なものに映ったらしい。

 ただいずれにしても遠距離攻撃手段というのは魔法式の定義の在り様次第ということに気づいたということなのだろう。

 

 どこかすがすがしくなったような十三束に、部活の先輩でもある沢木は微笑んだ。

 二年にして学内きっての武闘派とも評判のある沢木から見て、十三束鋼は優秀で見所はあるが鬱屈したところを捨てきれない悩ましい後輩だ。

 彼の呪いにも似た特性を考えれば無理からぬことだが。

 だがそんな十三束と同じような特性をもち、同じように魔法戦技に優れた後輩の存在が、十三束になにかしらいい影響を与えてくれていることを喜ばしく思っているようだ。

 

「しかし、獅子劫がヤルっていうのは俺も知ってたが。どうだ? 剣術部に入っていないようだし、我がマーシャル・マジック・アーツ部に入部してみるのは。それともやはり剣術部に興味があるのなら今からでも俺から桐原に紹介することもできるぞ?」

 

 ただ、残念なのはその彼──獅子劫明日香が現在のところ魔法競技、非魔法競技問わず部活に所属していないことだ。

 一高生なら一高の部活に所属して九校戦などに貢献すべき、とまで主張するほどの愛校家ではないが、もったいないと思うのは彼自身も魔法師であり武闘家であると考えているからか。

 

「いえ、部活は……今のところやらなければならないことがあるので」

「ふむ、そうか? それは残念だが……」

 

 剣にこだわるのなら剣術部に入ればいいし、剣でなくともあれだけ動けるのであればマーシャル・マジック・アーツを本格的に覚えればいい線いくだろうと沢木は見ていた。

 今回の訓練は部としてのものではないので強引な勧誘はマナー違反だが、残念に思うのは仕方のないこと。

 幸いにも気まずい空気が継続せずに済んだのは、訓練メンバーにはなかった華やかな声、差し入れ部隊の女性たちの声が体育館に響いたおかげといえた。 

 

「警備隊のみなさーん! お疲れ様です! お弁当持ってきました」

「おっと、ありがとう。よーし休憩! 差し入れが来たぞ! それじゃあ一応考えておいてくれたまえ、獅子劫くん」

 

 この場には総指揮の克人や服部部活連会頭もいないので、まとめ役となっているのは沢木だ。

 そのため沢木は格闘訓練の休憩を大声で指示すると獅子劫から離れていった。

 

 

 演習場の方で模擬戦闘(克人の訓練相手として十対一の模擬戦)や捕縛訓練を行っていた者たちの内の主に二年生もやって来て、明日香も一息入れることになった。

 

 ────のだが、差し入れ部隊のメンバーの中に見知った顔を見つけて、微妙な表情になってしまった。

 

「なにをやっているんだ、アーチャー?」

 

 一人は雫で、この差し入れ部隊は主に文科系クラブの一年生女子が中心となっているが、それ以外の運動部や先輩方も大勢参加しているのでそちらは不思議はない。不思議なのはそこに食事の必要のないサーヴァントであるシータが混ざっているからだ。

 

「差し入れです。雫さんとクラブの方々に誘われまして」

 

 彼女は雫やほのかとともにSSボード・バイアスロン部という部活に所属していたはずだが、どうやらうまく日常生活に溶け込めているようだ。

 サーヴァントには、あるいは重力軽減の魔法をこっそりと使用していれば関係ないが少女の細腕で持つには重すぎる大きさのケースにいっぱいのおにぎりやサンドイッチが入っていて、傾けて中身を見せるシータの姿は制服姿と相俟ってどう切り取っても魔法科高校の女子生徒にしか見えない。

 溶け込みすぎて、明日香としては頭痛がするほどだ。

 くすりと微笑むシータは悪戯が成功したかのように雫とアイコンタクトを交わし、ほかにも見知った顔の幹比古や美月などが勢いに呑み込まれるようにして隣り合って食事をはじめたこともあって、明日香も大人しく車座の中に腰掛けるようにして座った。

 その様子を見て、沢木は肩を竦めて苦笑し、十三束は呆気にとられたようだった。

 

 腰掛けた明日香は雫から手渡された弁当の包みを受け取るとお礼を述べて包みを開いた。

 炊き出しだけあって凝ったものではなく量を優先したようでおにぎりとお茶ではあったが、体力を消費した高校生男子たちには好評のようだ。

 周りの男子生徒たちも、特にそれが女子たちが作ってくれたということもあってか疲れを忘れたように食事を始めており、ところどころでは男女が仲良く話し合ったりもしていた。

 一部箇所では──―明日香の数少ない見慣れた友人二人のことだが──非常に初々しく見る者をほのぼのとさせるような甘酸っぱい青春的な雰囲気を醸し出し、女子生徒からは(生)温かく、そういうことに縁遠い武闘派系のむくつけき男子生徒からは殺意のこもっていそうな視線を受けたりしていた。

 もっともそれは明日香も同じようなものだろう。

 隣に腰掛け、明日香が受け取ったおにぎりを口に運ぶのをどこか不安そうに、あるいは期待をもっているかのような眼差しを向けている少女は、一年一科生の中でも成績トップグループ(つまりは司波深雪とその周囲)に属しているというだけではなく、可憐な少女なのだから。

 

「どうかな」

「うん。美味しい。鍛錬の合間にこんなに美味しいものが食べれるなんて初めての経験だよ」

 

 入っていたおにぎりは、手作り感のあるやや歪な形をしていた。ただそれは不格好というわけではなく、今時珍しくHAR(オートメーションロボ)によって作られたものではなく女子陣の手作りであるということなのだろう。

 

「おおげさ」

 

 それはあるいは雫本人が作ってくれたものなのか。

 彼女自身が告げたわけではないが、どことなくいつもより朱の差したような顔で呟いた。

 

「いや、本当だよ。訓練の後はいつもだいたいはキュケ…………いや、なんでもない。ありがとう、雫」

 

 そんなやり取りに、爆発すればいいのに、と実際に魔法を使えば爆発を起こせるだろう魔法師の卵たちが感想を抱いたかどうかは、定かではない。

 呪詛が込められているとしたらそれが発動するその前に、体育館の一角から「おおっ!」という控えめに隠そうとしながらも思わず期待に漏れ出てしまった声が上がったのだ。

 その声に反応して明日香と雫がそちらに視線を向けた時には、顔を真っ赤にした美月がなにやら転んだような体勢から、普段の彼女からは想像もできないような素早い動作で体勢を変え、それから羞恥に滲んだような悲鳴染みた声を上げながら体育館から駆け出していく姿があった。

 

「何ボウッと見てるの! 追いかけなさい、吉田君!」

「は、はいぃっ!!!」

 

 そしてさらに周囲の女子生徒から叱責を受けた幹比古が、これまた顔を真っ赤にしたまま駆けだしていき、美月の名前を呼びながら謝罪している声が遠くなっていった。

 

「?」

 

 その場面を見ていなかった明日香と雫はそろって首を傾げ、たまたまその場面を見ていたシータはくすりと微笑ましげに青春の一場面に笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話

アストルフォのCP解釈はアス→ジク←ジャンヌだと思っています。お姉ちゃんの恋人だから妹さんたちも興味津々だと思いますし、ブラちゃんとか王様とかが絡んできてもいいですよね!
なので本作におけるアストルフォにカップリング相手が登場することはないのである…………ないのである。


 

 目の前に置かれたのは山のように飾られたパンケーキ。

 フルーツや生クリームもふんだんに、そして可愛らしく盛り付けられており、カロリー的にはこれ一つで1日分の成人男性の平均的な摂取カロリーを軽く凌駕しているだろう。

 現代から見ての戦前(第三次世界大戦前)の日本においてはおもに若い女性たちにその見た目から人気であっただろう見栄えのするスイーツ。

 食の細い、あるいは僅かな体重の増減を気に掛ける女子であれば絶対に食べ切りはしないだろうその山は、今では信じがたいことに、ただその見栄えだけで注文する女子が後を絶たなかった時期があるとかないとか。

 医療が発展し肥満を薬で治療できるようになった現代でも、女子が体重をg単位で気に掛けることは特に珍しくもなく、したがってこのスイーツはどちらかというとカップル向け、もしくは複数の女子たちが分け合って楽しむような一品となっている。

 

「あ~んむ。ん~~♡♡ おいしー♡♡」

 

 そんな山のようなパンケーキにナイフを入れ、フォークで突き刺し口に運んでいるのは可愛らしい外見の少女(?)────アストルフォだった。

 同じ店内にいる周囲の客たちは華奢で可愛らしい見た目のピンク髪の少女が、とんでもない量のスイーツに一人チャレンジしている様にまず驚き、けれども物凄く幸せそうに甘味を謳歌している姿にほんわかとしていた。

 

 ライダーのサーヴァント、アストルフォ。現代において数少ない──もしかすると唯一の魔術師である藤丸家に滞在している()は、今現在、日本の東京という街を楽しんでいた。

 召喚された場所のあたりで開かれていた急増のショップ(屋台、あるいはショッピングカーというらしい)で食べることのできた食事やスイーツなどなども非常においしい物ばかりであったが、あれはやはりその場限りの祭の華。

 この国の首都で多くの人々──特に女性を魅了し続けるスイーツなどはアストルフォのここ最近のお気に入りだ。

 小柄な女子であれば過剰摂取となる量のクリームだろうと、体形変化の生じないサーヴァントの身の上では関係ない。(それを言えばそもそも十分な魔力供給を異界のマスターからほぼ無限に受けられるアストルフォにとっては食事を摂る必要そのものがないのだが)

 この山のようなパンケーキも今日のたべトルフォの最初のスイーツではない。

 ぶらり街歩き、かわいいもの探しのショッピングにおける発見の一つでしかない。

 もちろんお昼にもなっていない時刻では、これで今日のスイーツ戦果が終了などではなく、この後もまだまだ続くのは必然だ。

 

 アストルフォがこの第2の生を受けたのはここではない別の世界。今いるこの時代からするとおよそ100年と少しほど前のルーマニア(トゥリファス)だった。

 そこは中世から続く歴史ある街並みが売りの街で、賑わう人々やアストルフォの生前の時代からすると随分と進歩している食事などはとても楽しいものだった。

 ただやはりこの日本という国の、その首都の街並みや食事はアストルフォの好奇心をおおいに沸き立たせた。

 不満があるとすれば、トゥリファスの時には一緒に歩けた大好きなマスターが隣にいないことくらい。

 

「あむ。あーんむ♡ あむ」

 

 華奢で小柄な体にまるで魔法のように(ある意味ではまさにその通りなのだが)消えていく山のようなパンケーキ。

 楽しみは食事だけではない。

 今アストルフォが来ている服だって、とっても可愛らしいもので、トゥリファスから愛用している霊衣はそれはそれでいいのだけれど、ファッションを楽しむのも今のアストルフォの趣味の一つだ。

 今日は黒のへそ出しタンクトップに淡い空色のジャケットを羽織り、少々活動的に動き回りたい今日の気分からミニスカートはやめて赤のセイバーのような短めのパンツルックだ。足元はタイツを履いて絶対領域を演出し、好みのピンクのスニーカーでどこまでもだって行けるだろう。

 

 窓から外の景色に視線を向ければ、そこにはトゥリファスの時のように賑やかしい人通りがある。

 

「あむあむ。あー、んむ?」

 

 最後のイチゴを口に入れる直前、アストルフォは視界の端に映った光景に直感が反応した。

 

「んむんむんむ」

 

 口中の残りを咀嚼しながらそれらを目で追う。

 それは何気ない、日常でありふれた光景。仲の良い友人同士だろうか、明日香たちと同じくらいの年のころ合いの私服姿の少年たちが歩いている姿。

 ただしそのうちの一人は少年のような装いをした少女だ。

 まずまずの容姿の少女といえるだろう。

 原点の逸話において数々の浮名を流した伝説をもつアストルフォの審美眼だ。

 現代における魔術師もどき──魔法師というのは魔術師同様に血筋に大きく才能が依存するところがあるらしい。血筋がすべてではないが、とりわけこの国では十だが二十だかの家柄の魔法師が強い存在なのだそうだ。

 そして魔法師の外見の美醜は魔法師としての力量にある程度影響を受けるのだとか。

 そこらへんの真偽はどうでもいいし、アストルフォの記憶の中では多分月にでも行ってしまっているくらいの理解だ。

 アストルフォは明日香と違ってその保有スキルに“直感”を有してはいない。だが伝承に由来する“理性蒸発”のスキルを呪いじみたスキルとして保有しており、いくつかの面において同レベルの“直感”を上回る程度に未来を感じ取ることができる。

 漠然としたもので言葉にはならないが、強いて言うならなんか気になったというところだ。

 なのでその気になった感覚に従って注意を向けてみると、なんで気になったのかがわかった。

 邪心だ。

 先頭をきって歩いている少女は、周囲の男子たちを仲の良い友達と思っているかのようで、その隣を歩く男の子も中のよさそうな笑顔を浮かべて話をしている。

 けれども時折、二三歩遅れて歩いている数人の男子によくないなにかがよぎったような、そんな気がしたのだ。

 

 少女のことをアストルフォは知らない。

 どこの誰だとか、なんとなく魔術師もどきっぽい感じがするが、そうかどうかは知らない。

 心の琴線に触れたわけではない。理由を挙げればなんとなくだ。

 けれどアストルフォにとってそのなんとなくは、自分の歩み行く先をすこしだけ寄り道させるのに十分で、今までだってずっとそうして時に大冒険への扉を開いてきたのだ。

 それで月に行くなんていう貴重でわくわくな大冒険をしたし、それで樹木に変えられてしまったことだってあるけれど、そのなんとなくは理性蒸発したと謳われるアストルフォにとって行動を定める指針となりうる。

 

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

 

 最近の七草香澄は機嫌が悪かった。

 

 中学三年の10月というこの時期、高校受験を目前に控えた忙しくも大切な時期だ。

 志望先はもちろん姉が通っている魔法大学付属第一高校。

 大好きな姉が生徒会長をしている(正確には今はすでに引継ぎを終えた元会長だが)魔法を学ぶ上ではこの国で最高峰の進路だ。

 その関門は当然だが生易しいものではないのだが、十師族七草家の子女として恥じない程度には勉学も行ってきた香澄にとって当落を気に掛けるほどのものではない。

 来年には姉は卒業して魔法科高校からはいなくなってしまうけれど、彼女の名跡を汚すような入試成績をとるつもりは微塵もない。

 油断するつもりはないが、筆記よりも魔法力の優劣に配転の大きい一高の入試で自分を上回れるのは双子の妹の泉美くらいで、同年代で魔法力を比べれば十師族に同い年のやつはいないので可能性があるとすれば師補二十八家にいるかもしれないくらいだ。

 妹の泉美との魔法力の差はほぼ、というよりまったくないのであとは性格的なところが大きく、ただし座学面においてはその性格面が災いして一歩遅れているのが実情だ。

 そしてここ最近、香澄の機嫌を悪くしているのはその泉美のことがあるからだ。試験成績のことではない。正確には双子の妹の盲目的なほどの恋心が、香澄をいらだたせている。

 

 ────―獅子劫明日香。

 

 今からはだいたい3年前。誘拐された泉美を救出した王子様だ。

 少なくとも泉美はそう思っている。

 いささか以上に少女趣味で乙女チック(ロマンチスト)な思考の持ち主だと思っているが、ここ最近の入れ込みようは以前にも増している。

 それもこれも、泉美には甘い狸親父が魔術師との関係構築などと言う名目であの男とのお見合いなんてものを決行したからだ。

 十師族直系。日本の魔法師たちの頂点に立つ存在。その重みを自身が理解していると言い切れはしないだろう。

 けれども七草家で育ち、多くの部下や魔法師たちを従えている父を見て、あまり好きではないがその大変さは分かっているつもりだ。

 やり方が好きではないことが多いが、それでもその恩恵を受けて自分は育てられたし、魔法師として平均以上の、一高への入試にあたって主席が望めるほどの魔法力を備えているのだって自分自身の努力の賜物ではあるが、それも七草家に生まれた才能に支えられてのことだというのも知っている。

 魔法の才能とは平等なものではなく、持って生まれたものが大きいのだから。

 だからその魔法の名門としての地位をこの後も強めていきたいという父親の思惑は分からなくもない。

 けれどそれで納得できるかというと別の話だ。

 父の本音としては自分たち姉妹の内のどれでもよかったのかもしれないが、あのお見合いの主な対象が末妹の泉美であるのは察している。

 自分が候補になりたかったわけでは決してないし、むしろ大好きな姉が有無を言わさず結婚などということにならなかったのはむしろ良かった。

 なにせ獅子劫明日香というのは調べた限りにおいて碌でもないやつだ。

 誘拐された泉美をはじめ、あの時何人かの女の子たちを同時に救っていたのは確かだ。その場に七草家も十文字家も警察も間に合わなかった。

 けれどもその助けた女の子に手を出しているというのを聞いて生理的嫌悪感を抱いたし、風紀委員の就任要請に対して忙しいからと親戚のナンパ男をよこしたようなやつだ。

 実際に会ってみて、やっぱりどことなく気に食わないという思いを強くした。

 姉の婚約者候補である五輪家の長男のように頼りないわけではないだろう。十文字家の長男のように強面過ぎて繊細さにかけるという感じでもなかった。ただ、なんとなくこいつはきっと泉美を大切にしないと思った。

 粗暴な感じではない、むしろ逆。慇懃無礼とでもいうべきか、絶対に一線の内側に入ろうとすることを拒絶するタイプだと直感的に思ったのだ。

 自分が感じたということは泉美もおそらく感じただろう。

 それでも、それなのに、泉美はあのお見合い以来、一層入れ込みを見せるようになっている。

 それがなんだかおいて行かれたような気がして、それがなんだか苛立たしい。

 学校の男子との付き合いは泉美よりも香澄の方が盛んだ。それは付き合っているという意味のではないが、ボーイフレンドが幾人もいる。それに対して泉美は男子からの告白を全て断っている。

 意中の相手がすでにいるからと。

 恋人がいないのは姉も同じだが、姉の場合は七草の長女であり、父を除けば七草で最強の魔法師でもあるからおいそれとは決めることができない事情がある。

 自分と泉美はそこまで厳しくはない。 

 そんな中で、泉美のように一途に心を傾けられる相手がいるというのが、羨ましいかと聞かれればそうではないと答えるが、胸にしこりのようなものを感じずにはいられない。

 双子であるにもかかわらず、まるで自分だけが子供のままに取り残されているような気がする。

 受験本番を目前にしてこうして男友達連中と遊んでいるのもそういった鬱屈した者を発散させるための、受験勉強の合間の気晴らしだが……

 

「何のつもり!」

 

 人気のない路地裏にいつの間にか連れ込まれて友人としてではないだろう表情を向けられていれば苛立ちはさらに増すというものだ。

 

「いやぁ、もうすぐ卒業で香澄ちゃんとお別れじゃん」

「俺ら香澄ちゃんが行くような魔法高校になんて行けねぇし。思い出づくりだよ思いでづくり」

 

 これまで仲の良い男友達だと思っていた同級生たち。

 泉美からは「無頓着すぎて危なっかしすぎる」などと言われたこともあるし、ある程度自分に対して好意を抱いてくれているのだと思っていた。

 

 ──最悪…………──

 

 そんな彼らと楽しく休日を遊んでいたはずが、このありさまだ。

 彼らが何を目的にしているのか、自分をどうするつもりなのか、男女の機微に疎い自分にだって、この状況なら分かる。

 周りには一緒に来たはずの5人の男子たちに加えて見た覚えのない男も3人追加されている。

 男子たちの友だちだという彼らが来て、不用心に案内されるままに裏道に入ってしまったのが間違いだ。

 人通りから外れるや壁に追い込むようにして周囲を囲んできたのだ。

 

 

「ホントだったら香澄ちゃんよりも泉美ちゃんの方が性格的には好みなんだけどさぁ」

「あの娘はガードが固すぎてだめだけど香澄ちゃんならちょろくイケそうじゃん」

「顔だけならどっちも同じ顔してるしさ」

 

 ──最っ低! ──

 

 今世紀初頭と比較するなら、こと首都圏においては街内における監視システムはかなり発達している。とりわけ魔法師の存在、つまり物的証拠なしに容易く犯罪行為を行える魔法への警戒から魔法に対する監視システム──想子(サイオン)波感知レーダーは人に対する監視カメラよりカバー範囲が緻密だ。

 街内のどこにいても、それこそ魔法科高校の敷地内においても無許可での魔法はほぼ確実に感知される。

 そして魔法師と非魔法師の人口割合からすると自然な流れなのかもしれないが、される側にとっては理不尽なことに魔法師の非魔法師に対する魔法の行使はよほどのことがなければ正当化されない。

 世間の世論としても数が少なく、そして一般人よりも強大な力を持つ魔法師への風向きは常々悪い。

 軍事力として国防を担い、あるいは十師族のように他国の魔法師の脅威から国や人を守ろうとしても、それだけの力があるからこそ畏れられる。

 自衛権は一応、認められはするが、被害を受けてからでなければ悪者にされるのはこちらかもしれない。

 特に自分は七草の直系だ。このような事態になったことそのものが抜けた話であり、とりわけ強い力を持っていると見做されるだけに常々自重するように姉からも泉美からも言われている。

 果たしてこの状況ならば魔法を行使しても問題ないのか。 

 

「なんだったら俺ウィッグ持ってきたからこれで泉美ちゃんのコスプレさせるってのどうよ?」

「それいい! 記録とって今度泉美ちゃんにも見せようぜ」

 

 カッと頭に血が上った。

 元々泉美と比べてお淑やかさに欠けるというか短気だというところは自覚あるところではある。

 咄嗟に端末型のCADを取り出そうと腕を動かし、空振りに終わったことに愕然とした。

 

「なっ!」

「おいおい魔法師は人間を傷つけちゃいけねえんだろ」

「あっぶねぇな、掏っておいて正解だったぜ」

 

 今日は魔法師ではない友人も含めての遊びだったので、目に見えるところに携帯できるいつもの腕輪型のCADは持ってきていなかった。

 代わりに念のための自衛用に予備の携帯端末型を持ってきていたのだが、気もそぞろであったのと遊びであって気が抜けていたこともあり、掏られていたことに気が付かなかった。

 

「これがないと魔法師ってのは魔法を使えねえんだろ」

「魔法少女の魔法のステッキってか」

 

 CADはあくまでも魔法演算の補助装置だ。主体となるのは起動式の展開速度と魔法式の構築効率を向上させるものであって、魔法そのものを発動させるのに必須というわけではない。

 だが高速起動こそが現代魔法が古式魔法から発展した部分であり、それに最適化したCADがなければ複雑な魔法式は即座に展開できない。魔法演算領域に魔法式の構築を促す自己暗示の為に、発動に時間のかかる魔法詠唱が必要とならざるを得ない。

 この距離、状況でそれだけの時間は与えられない。男子たちが香澄の腕を取り、香澄にウィッグを被せてくる。

 その姿は目つきの鋭さこそ違えども、体型も、瞳の色も、顔立ちも、彼らの要望通りの美少女、七草泉美に瓜二つだ。

 

「思い出づくりに楽しもうぜ、()()ちゃん」

「ッッッ」

 

 悔しさに歯を食いしばる。

 泉美に比べて女の子らしさに欠けるというのならそうだろう。

 自分は泉美のようには振舞えない。ああいうのが男子の好みで、大人受けする振る舞いで、だから父も泉美には甘いのだと分かっていても、それはひどく窮屈で自分らしさのないものだから。

 だけど、それを友達と思っていた相手に否定されたくはなかった。

 男たちが香澄に迫る。

 

「はーい、ストーップ」

 

 その下卑た思惑を顔に浮かべていた男子たちの囲みの外から、場にそぐわない明るい声が響いた。

 

「あぁん? なんだテメェ」

 

 これからというところで邪魔をされた男たちが振り向いた。

 そこに居るのはピンクの髪の()()。華奢な体躯で、香澄よりも身長は大きいが、成長期にある男たちとはどっこいといったところ。魔法師の証であるCADを身に着けている様子もない。香澄から見ても少女は魔法師には見えなかった。

 

「今取り込み中なんだよ、その可愛い面ぼこぼこにされたくなきゃ」

 

 男たちもそう思ったのだろう。

 魔法師でもない華奢な少女一人、増えたところで何もできはしないだろう。

 ただ正義感からか乱入してきたこのお節介に気を取られて本命の得物である香澄をおろそかにしてはまずい。CADを奪っているとはいえ相手は化け物、魔法師なのだから。

 小柄な女一人、脅しつけるのはたやすいこと。

 香澄を囲んでいた男の一人が少女の前に威圧するように近づいて行った。

 こんな場に出てくるからには度胸はあるのだろうが、危険にすぎる行為。

 

「おい、やめろっ! その子に────」

 

 香澄が自らの危地を忘れて少女に逃げるように声を上げようとした瞬間、

 

「へぶらっ!」

 

 男が吹き飛んだ。まるで漫画のように縦に一回転し、宙返りしたあと顔面から地面にキスするように倒れた。

 

「え…………?」

 

 香澄も、そして男たちも唖然として、その光景を見た。

 華奢な少女がデコピン一発で人を吹き飛ばすという異常な光景を。

 

 

 

 

 

 

 

 アストルフォにとって少年が向けてきた敵意は、戦場において略奪を行うような不逞騎士が滲みだす毒々しいものではなく、児戯のようななものだった。

 だがこれから一人の少女を害そうという意思だけはくみ取れた。

 ぶちのめすためというよりも、多少懲らしめてやればいいかというくらいの思いで、軽く鼻っ面を撫でてやった程度なのだが、魔術師でもない只の人間にとってスキルを発動していなかったとしても“怪力”持ちの聖騎士(パラディン)の腕力は文字通り人外の領域であったのだろう。

 アストルフォのデコピン一発で漫画のように吹き飛び、轟沈した男子を見て、彼の仲間たちは青褪めた。

 

「て、てめえ、魔法師か!?」

「魔法師が人間に手ぇ出していいと思ってんのか!!」

 

 あんなものが見た目通りのデコピンで引き起こされるはずがない。

 少年たちの推量は眼前の現実を否定したいがためのものであったが、あながち間違いではない。

 

「え~、知らなーい。それに僕、魔術師でもないし」

 

 ただそれは魔法によるものではない。現代の魔法師が失ってしまった神秘によるもの。

 けれどもそれは関係ない。

 目の前に立つのはまさに化け物なのだから。

 

「それでどうするの?」

 

 少女の姿に見える化け物。

 その問いかけへの答えは男子たちにとっては一つだけだった。

 悲鳴のような声を上げて逃走することのみ。

 香澄から取り上げたCADもそれを持っていればこの化け物が追ってくる口実となると考えたのか、あるいは恐慌状態だったのか投げ捨てて、吹き飛んで失神している仲間も置いて一目散に逃げて行った。

 

 

 

 

 

「ダイジョーブ?」

 

 あの後、投げ捨てられたCADを回収した香澄は少女とともに場所を移動した。

 ひと気のない裏路地とはいえ騒ぎが起きれば不審に思う者もいるだろう。それに魔法師ではないというようなことを言ってはいたが、やはりあれは魔法を使ったとしか思えない。

 もしかするとサイオン監視レーダーに反応のかけらでも引っ掛かっている可能性がなくもないと思い、移動したのだ。

 場所を変え、緑地公園の一角に腰掛けた香澄は大きく息を吐いた。

 気晴らしに来たはずなのにひどく疲れた。 

 

「さっきはありがとう。キミは……魔法師、じゃない、んだよ、ね……?」

 

 落ち着いて少女を見直す。

 やはり魔法でも使わなければあんなこと──デコピン一発で男子を吹き飛ばすことができるようには思えない華奢な少女だ。

 

「あー、うん。僕は魔術とか使えないからね」

 

 染めているのでもなければ魔法師のように遺伝子調整でも受けていそうなピンクブロンドの髪。前髪に一房白のアクセントがあり、側頭部には黒のリボンがコントラストをつくっていてとても可愛らしい。

 僕、という少年染みた自称は香澄と同じだが、その装いや雰囲気は彼女とは別系統だった。

 ボーイッシュな服装で男子と間違えられそうな香澄の服装に対して、この少女はどこか男の娘らしさを出しながらもガーリーで可愛らしい。

 女の子らしさ、というのなら双子の妹の泉美や女性らしさなら姉の方が上だろう。けれども自分のチャームポイントをよく理解していて、それでいて自分を可愛らしく魅せることを忘れない。そんな女の子らしさが目の前の少女にはあった。

 だからだろう。

 

「助けてくれたことはありがとう。けどキミみたいな可愛らしい女の子が危ない真似、しちゃだめだろ」

 

 魔法師、特に十師族のような魔法師は表向き権力を持っていないとされるが、国防を担う軍事力であったり、七草家などは関東地方における守護を担っており、だからこそ権力とは無縁ではいられない。

 それによりいろいろな恩恵を受けていることは理解している。

 ノブレスオブリージュではないが、だからこそ父親は七草の力をより確かなものとするために色々なことをするし、姉の真由美が生徒会長として様々な活躍をしたのも力ある魔法師としての責務からだ。

 だから、こんな華奢な女の子が、という思いが香澄の口をついてでてしまったのだ。

 その言葉に言われた少女はきょとんとした顔になった。

 それもそうだろう。言った香澄がその少女に助けられたのだから。

 少女は言われた言葉の意味を理解しかねたかのようにきょとんとし、そして理解したのか笑いだした。

 

「あはははは! 君こそ、可愛い女の子じゃないか!」

「なっ! ボクは、これでも七草の魔法師だから」

 

 おかしそうに、感情のままに笑い出した少女の指摘に香澄は少し顔を赤くした。

 容姿だけならばそこそこ以上にイケているという自覚はある。なにせ毎日自分とそっくりの顔を持つ双子の妹を見ていて、先ほどの下種たちも学校の男子の多くも泉美のことをお姫様のように信奉している輩は多いのだから。

 けれどもまるで────そう、まるで紳士がお嬢様に自然とかけるように出てきたそれが、自分よりも可愛らしい女の子から言われたことに心が揺れたのだ。

 そこまで笑うかというほどに腹を抱えて笑っていた女の子は、香澄からの反発に笑うことをなんとか止めた。

 

「どこの生まれだとか、魔法師だとか、関係ないよ。僕には君は可愛い女の子にしか見えないな」

 

 そう言った可愛らしい少女は、けれどもどこか、香澄が見惚れるほどにかっこいい男の子ように見えてドキリとした。

 小柄な自分と比べれば身長こそ大きいが、同い年の男子たちよりも小柄な体躯で、自分たち以上だと思えるほどに可愛らしい顔をしていて、それを自覚しているような服装なのに、その姿はこれまで見てきた同年代の男よりもずっと男の子に見える。

 女の子らしさも、ボーイッシュさも、どちらもが自分よりも質として上回っているように思えてしまう。

 

「けど、あいつらの言う通り、ボクには双子の妹がいるんだけどね。泉美っていって、ボクとは違って女の子らしくて、大人からも好かれていて……」

 

 思わず口から洩れてしまう思い。

 付き合っていたボーイフレンドたちの劣情を知ってしまったからか、自分自身で自覚している以上に心が弱っているのかもしれない。

 こんな会ったばかりの女の子に自分のコンプレックスを吐露してしまうなんて。

 言われた方も困るだろう。

 こんなのはただの愚痴だ。とりとめもなく、意味もない。

 ピンク髪の少女はトスンと香澄の隣に座った。

 視線を向けて顔を合わせると、一点の曇りのないアメジストのような瞳がこちらを見つめていた。

 

「君は君だろ。君にとって気持ちのいい在り方が、今の君なら、それでいいじゃない。僕もまぁ、いろいろと他人からは言われることはあるけど、僕は気にしないよ。僕はいつでも可愛い僕でいたいだけだからね」

 

 にかっと笑った顔は太陽のような笑顔だ。

 他人からの視線などなにも気にしない。他人からどう思われているのかなど関係なく、ただ自分が気持ちのいい在り方。

 だから彼女はこんなにも眩しい。

 こんなにもかっこよく(かわいく)見える。

 

 とくん、と、胸の内のどこかでなにかが脈をうったように感じた。

 

「よし。それじゃあ、もう大丈夫そうだし。僕はこれで行くね」

 

 ぴょん、と跳びはねるように立ち上がった名も知れぬ少女に、香澄は思わず「あ……」と声を漏らした。

 

 引き留める言葉はけれども口から出てこない。

 きっとそんなものでこの少女を引き留めることはできないと、なんとなく分かってしまったから。

 

「ねぇ! キミ、名前は?」

 

 だから代わりに、香澄は名前を尋ねた。

 また会えるかどうか分からない少女に、どこかで出会えた時に今度は名前を呼ぶために。

 

「アストルフォ! 僕の名前はアストルフォさ!」

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 横浜某所────

 

「周先生、すっかりお世話になりました」

「いえいえ、そのようなことはありませんよ。陳卿」

 

 互いに遜るような言葉をかけつつも、どこか空虚なやりとり。

 それは彼らが互いに互いを利用していることを、どちらもが知っているからであろう。

 一人は軍人として、この国への侵攻の足掛かりを作るための態よく利用勝手のいい駒として。

 一人は、人ならざる視点から愚かしい人間を煽動するために。

 

「本国から艦艇を派遣すると連絡がありました。おかげで無事、次の作戦を遂行できる」

「それはそれは」

 

 軍人の名は陳祥山。先だって目の前の優男の手引きのもと、部下たちとともに潜入することに成功した大亜連合軍特殊工作部隊の隊長。

 彼らの目的は、この国の軍部が民間の研究者に委託したと思しき聖遺物(レリック)の確保、および有力な魔法情報や魔法師の確保──―戦略としてこの国の魔法力を削ぎ、自国の魔法力を向上させることにある。

 だが目下のところ、それらはうまくいっていない。

 この国の軍部からの漏洩情報をもとに、聖遺物がとある民間企業と高校生の手に渡ったと突き止めたまではよかった。だが強奪作戦はうまくいかず、ハッキングによって不安を煽ることはできたが、成果は上げられなかった。 

 

「ただ、一つ未解決な問題がありましてな。ご存知かもしれませんが、武運拙く副官が敵の手に落ちてしまいまして

「ああ。存じておりますとも。勝敗は時の運とはいえ、まさか呂将軍が……」

 

 加えて現地協力員を作り出すことには成功するも、その協力員たちは捉えられ、そこからの情報漏洩を阻止するために暗殺目的で派遣した魔法師が暗殺に失敗した上に捕縛されてしまったのだ。 

 本国から離れて潜入しているこの状況下では上官としてあまりに頭の痛い失態。

 一度目のターゲットであった小娘の方は目の前の男──周公瑾が手配した駒なのだが、こちらの足が付く懸念があった。そのために搬送された病院に襲撃をかけさせた。

 病院であれば暗殺も容易だろうと思われたが、予想外の遭遇、日本の魔法師の中でも屈指の近接戦闘の達人。幻刀鬼、あるいは幻影刀(イリュージョン・ブレード)と二つ名される千葉修次との戦いによって深手を負ってしまった。

 その時はなんとか敵にも手傷を負わせるとともに撤退することができたのだが、二度目の暗殺──男の方の現地協力員をターゲットにした時に捕まってしまった。

 

 だが捕まってしまった彼はただの使い捨ての駒にするには、今の大亜連合にとって大きな損失となるほどに強力な魔法師。

 対人近接戦闘において世界で十指に入ると称される大亜連合の白兵戦魔法師。(リュウ)剛虎《カンフウ》。

 可能ならば奪還するとともに、今度こそ本命の任務──日本の魔法情報の奪取を果たすべきだ。

 

「しかし、一度は敵に囚われる失態を曝したとはいえ、彼は我が国に必要な武人。もう一度だけ──―」

「陳卿。こちらからもお伺いしたいことがございます」

 

 こちらから使うことはあっても、相手から口を挟ませるつもりはなかった。

 利用しているだけなのだから、ただ相手の口車に合わせてこちらの望みを叶えさせるだけでよかった。

 だが目の前の男の言葉に、彼は言葉を止めた。

 

「もしかして呂将軍には古の武将の血が受け継がれているということはございませんか」

 

 それは今は何の関係もなさそうな問いかけ。

 たとえ古の猛将の系譜であろうともそれは数千年も前の話で、魔法の力などとは無縁にして対極の存在────―のはず。

 

「そう。三国に名を轟かせたかの有名な人中の勇将。飛将軍の」

 

 男は知っていた。

 その英霊がいかに強力なサーヴァントと為り得るか。

 

「であるのなら陳卿。こういう手はいかがでしょうか──────」

 

 毒のように染み入る言葉。

 それは今は失われたと、最後の魔術師たちが錯覚しているであろう奇跡。

 否、悪魔の所業にして、邪悪なる法。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話

 

 ここ数日の日常は表向き平穏なものだった。

 

 交友を深めていくシータと雫達に焼きもきしたり、見つからない謎のサーヴァントのことに頭を悩ませたり、現れないラーマに眉を顰めたりしつつも、論文コンペ前日まで明日香と圭は一応は平穏な日々を過ごしていた。

 明日香は警備隊の訓練に参加したり、圭は論文コンペのメイン執筆者の市原鈴音の護衛についていたりもしていたが、それは魔法師たちとのかかわりの中での日常。

 学校には連れて来れないトラブル製造機(アストルフォ)が、悠々自適に第2の生を謳歌して街に繰り出し、時にショッピングを楽しみ、時に喧嘩の野次馬をしたり、時に複数の男から暴行されそうになっている魔法師の女の子を助けたりと彼にとって退屈しない毎日を送ってはいても、そちらにも敵性サーヴァントは喰いついていない。

 

 もっともその間にも魔法師たちの方──主にトラブルに愛されている男、司波達也の周りではいくつかの出来事が起こっていたらしい。

 時に同じクラスのE(エリカ)R(レオ)が一緒に学校を休んだかと思えば早朝の登校早々に仲よく一緒に登校している場面を目撃したり(ちなみにEとRとは家が別方向のはず)、時に睡眠ガスを噴射して論文データを盗み出そうとした上級生を風紀委員長と一緒に捕まえたり(彼には睡眠ガスが通用しなかったらしい)などなどなど……。

 ほかにも達也自身の問題として、彼が密かに所持していたとある聖遺物(レリック)をめぐるひと悶着もあったようだが、それは明日香たちにも学校の行事にもかかわりはない。

 

 ともあれそんなトラブルに愛された男こと司波達也の方も、そして論文コンペの執筆者チームも少々の妨害(未遂)行為をものともせずにプレゼン準備を進めて完了していた。

 論文コンペ当日の一高のスケジュールは、八時に現地集合し、九時に開幕。その後、順次各校がプレゼンを行っていき、一高の出番は最後から二番目の午後三時から。ただしメイン発表者の鈴音は午後から会場入りすることになっており、達也と五十里は機器の見張り番とトラブルが会った際の応急処置に備えて早く赴くこととなっている。

 

 そして翌日に本番を控えた前日、リハーサルの予定されていた日に、圭は鈴原と服部(現部活連会頭)とともに病院を訪れていた。

 その目的は、先だってレオとエリカたちによって捕まえられた平河千秋の見舞いのためだ。

 捕縛の際、物騒な仕込み矢や催涙ガス、閃光弾などを使用したこともあってレオのタックルで気絶させられるほどの状態だったことや、洗脳の兆候や精神的な錯乱・衰弱などが見られること、そして二科生とはいえ魔法師であることから国立魔法大学付属立川病院に移されることとなった。

 ちなみに論文データを盗み出そうとした上級生の方は風紀委員長の千代田花音によって取り押さえられた後、八王子にある特別鑑別所(主に魔法技能を持つ未成年者の拘留、観護措置施設)の方に移送されている。

 病院と八王子鑑別所。そのどちらにも大亜連合の魔法師による襲撃が起こるという騒動が起こったが、それらは居合わせた魔法師によって迎撃されて何とか事なきを終えている。

 そんなこんなで、このお見舞いも本来は鈴音が一人で来たがっていたらしいのだが、色々と物騒な事件が起こっていることから周囲より護衛の必要性を強硬に主張されたため、鈴音は渋々と護衛役の一人である服部を同行させることを決めたのだが、真由美と摩利からさらに圭を追加されることとなったのである。

 

「失礼します」

「いらっしゃい、市原さん、それと藤丸くんね。そこに掛けてくれる?」

 

 鈴音の目的である平河千秋は病院の個室に入院していた。

 ベッドの上で上体を起こし、俯き加減にシーツに目を落とした姿勢でジッと座っている。少女は来訪者に無反応で、出迎えたのは付き添いとして様子を見に来ていた一高の保健医である安宿怜美だ。

 鈴音に続いて入室した圭はまず安宿に目をやった。おっとりほんわかとした声と雰囲気の美女といって差支えないだろう。

 

「先生、平河千秋さんは精神に疾患を生じているのですか?」

「いいえ。心的外傷性意思疎通障碍やそれに類する症状は見られないわ。もっとも“精神”を直接診察できない以上、健康だと断言することもできないけど」

「こちらの声が聞こえていれば十分です」

 

 彼女は、聞いたところによると生体放射を視覚的に捉えて肉体の異常個所を把握することのできる能力者だという。視るだけでそこらの病院にある精密検査機器より正確な診断を下すことができるというのだから驚きだ。────医療系に特化しているが能力としては圭に近しい。

 

「平河千秋さん、貴女のやり方では、司波君の気を引くことはできません。好意は無論のこと、敵意も悪意も引き出すことはできません。今の貴方は彼にとって、その他大勢の一人でしかありません」

「…………それが、どうしたって言うんですか」

 

 鈴音の言葉に、千秋が無気力ながらも反応を返しだした。

 

 今日というタイミングで鈴音が千秋を訪れたのは、純粋にお見舞いのためではない。

 どちらかというと勧誘。

 卒業していく三年生として、次代以降に不足している魔工技師の優秀な卵を発掘するためだ。

 平河千秋。彼女の姉、小春もまた優秀な魔工技師であり、九校戦の技術スタッフとして活躍してくれた。それだけに今の小春の状況は残念なものだ。

 だが千秋は二科生ながらも、魔法工学の筆記試験の分野に限っていえば、あの司波達也に次いで学年二位の成績を修めているのだ。

 達也への敵愾心から学校にとって愚かしい行動に走りこそしたが、むしろその力は学校のために使ってほしいというのが市原の狙いだ。

 とある特殊な(数字落ちの)経歴を持つ“市原”の家系である彼女は強い愛校心をもっており、次年度以降の魔工技師の不足に頭を悩ませていた。

 達也への敵愾心でも対抗心でも構わない。彼女の魔工技師としての資質を花開かせて上手く学校のために使ってもらいたい。

 そのために煽るような言葉を突き付けた。

 

 一方で圭が同行したのも狙いあってのことだ。

 圭の予測の未来視は情報が集まることで形を示す。だがその本質は高度な演算機能によりものだ。人がヒトであるにはもはや不要な情報処理の能力。視覚から得られた情報を棄てずに記録し、それらを元に半ば以上無意識化の演算領域において導き出した結果を映像という形で視ているものだ。

 ここ最近のサーヴァントとの遭遇状況を鑑みて、そしてこれまで撃破してきたサーヴァントがいずれも魔法師に絡む事件の只中にいたという状況から、今回の魔法師にとっての騒動にもサーヴァントが関係していることを疑ってのことだった。

 安宿が保健医として平河千秋を視たように、圭も彼女を視た。

 魔術の腕前はかつて存在していた魔術師らと比べると明確過ぎるほどに見劣りするが、それでも今の彼女に魔術的な洗脳処置はないだろうとみている。

 それよりもむしろ、魔術や魔法に依らない扇動・洗脳をこそ、受けているのではなかろうか。それこそ、英霊のスキルに匹敵するほどに頑強な扇動。

 確信に至れるほどの情報ではないが、微かに、根拠にならないほどのほんの些細な棘のような何かが、胸に刺さったのを圭は感じた。

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

 全国高校生魔法学論文コンペティション開催日当日。

 

「その恰好はどういうつもり、藤丸君?」

 

 会場警備隊ではなくプレゼンターの護衛役にはこれといった取りまとめの指揮官はいない。部活連の元会頭である十文字先輩は九校の合同警備隊の総指揮を任されているし、現会頭である服部先輩はメインプレゼンターの市原先輩の護衛役になっている。

 一方で生徒会は護衛や警備にはあまり関わっておらず、風紀委員は現委員長の千代田先輩が許嫁でもある五十里先輩の護衛になっている。元委員長の渡辺先輩が空いているといえばそうだが、今回の護衛役には志願していない。

 とはいえ、一高の最上級生として論文コンペに無関心というわけではなく、元生徒会長の七草先輩とともにちゃんと応援に来ている。

 かくいう事情から学校生徒たちも多く来ている論文会場に、学校の制服ではなくおまけに普段はかけてもいない伊達眼鏡を着用してきた不真面目な後輩に頭を痛めて苦言を呈する役目になったのは、現風紀委員会で一応直属の上司になっている千代田花音であった。

 

「いやぁ、一応警護も任されたのですが、うん、虫の知らせというか何というか。ほら、僕はプレゼンターというか参加者ではないので制服を着る義務はないじゃないですか」

 

 まったく悪びれもせずこの場では浮いた格好をしている藤丸圭。

 真由美や摩利もここにはいるのだが、すでに半ば引退状態であるため注意を現役の花音に任せるつもりであるようだ。

 ちなみに藤丸の服装は紫と緑のベストに縦のストライプの入ったシャツ。首元には明らかにおしゃれ目的に見える濃紺のネクタイを締めており、両腕は一応動きやすさを意識しているのかバンドで絞っている。

 

「まったく今年の後輩たちは……」

「まぁ、念のためですから。これも一応、制服の一種、とでも思ってください」

 

 飄々とした態度を崩さず悪びれない後輩に花音はため息をついた。

 どうやら合流する前に圭たちとは別の一年生(エリカやレオたち)と一悶着あったらしいが、圭にはあずかり知らないところだ。

 それに対して真由美は呆れた顔をしていたものの、圭の言葉に気になる部分を感じ取って眉をひそめた。

 ここ数日の周辺の動きはかなりきな臭い。 

 真由美は圭の耳元に顔を寄せると声を潜めて問いかけた。

 

「念のためって、その、魔術的な──サーヴァント絡みのこと?」

 

 思い浮かべるのは今現在一年生に籍をおいている華奢な少女のサーヴァント。

 今頃はいつもの一年生メンバーとともに会場入りしているころだろう。

 真由美が、というよりも学校側が真由美の推薦もあって編入生としてあのサーヴァントを受け入れたのは魔術についてを知り、サーヴァントという魔法師をも圧倒する超常の存在についての情報を探るためでもあった。

 それで分かったことは、戦闘状態になくともサーヴァントという存在は異常だということだ。

 古代、どころか西暦以前の叙事詩にその名を記す英霊シータ。武芸に関わる逸話はなく、魔術師藤丸曰く戦闘タイプではないということだが、十分以上に魔法師としての適性を示していた。

 今世紀になって生まれ、発展してきた現代魔法を西暦以前の英霊である彼女が知っていたはずがない。知っていたとしてもそれは魔術やそれ以前のものであって現代魔法ではない。現代魔法における国際的な評価基準は処理速度、演算規模、干渉強度とされる。彼女のそれは一高でも間違いなくトップである司波深雪クラス、いや、日本の魔法師の頂点である十師族と比較しても引けをとらないレベルであるところまでは知ることができた。

 無論それが彼女の全力かどうかは分からない。

 藤丸曰く、サーヴァントというのが神秘そのものであり、規格外の魔術/魔法の塊なのだ。ことに神秘の強い西暦以前の英霊であれば、たとえそれに類する逸話がなかったとしても、それこそ息をすることそのものが強大な魔法に匹敵するようなものなのだという。

 知れば知るほどサーヴァントの強大さが分かる。

 メフィストやコロンブス、鉄腕ゲッツにグリム。これまで見聞きしたサーヴァントがいかに恐ろしいものであったのか。

 その脅威が再び迫っているのかもしれない。──それも魔法師としての脅威とともに。

 

「まぁそれに備えてというのもありますけど……。先輩方はたしか訊問をされてきたとか。そちらの方で何か情報はありますか?」

 

 嫌な予感を感じているのは真由美や摩利だけではないということだ。

 すでに二人から司波達也にも情報は伝えてあるらしく、同様の内容を伝えられた。

 今日会場に来る前に八王子鑑別所にて摩利とともに関本勲という生徒の訊問を再度行ったのだが、その結果彼にもマインドコントロールの疑いがあることが判明したのだという。

 一高では教員推薦により風紀委員に在籍しているほどの優秀な一科生であったのだが、論文コンペを目前にして睡眠ガスにより達也を昏倒させた上でハッキングツールを使って資料を盗み出そうとしたのだ。

 元々、関本という生徒は理想主義的なところがあって魔法という発展途上の技術は世界で広く開示共有されてこそ進歩の道が拓けるというオープンリソース主義に傾倒したいたところがあったそうだ。

 だが現在、魔法技術が国の軍事力と密接にかかわるようになり、大国間に軍事的緊張が続いている情勢下では、その理想主義は夢想としか言えないものであった。

 マインドコントロール下にあって、その理想をキーとして刺激されているのか、彼は魔法科高校をはじめとした日本の最先端魔法技術を“魔法後進国”に開示するのだと自らの目的を語っていたらしい。

 その魔法後進国がどこだかは頑なに──おそらく催眠によるロックがかかっているのだろうが、明かせなかった。だが軍事力となりうる魔法技術が敵対的な魔法後進国とやらに流出すればどうなるか、国防に魔法力を利用することを考えたことのある魔法師たちならば分からないはずがない。 

 司波達也などは彼の理想を明確に間違っていると断じたそうだ。

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

<──ということらしいよ。魔法師の方は魔法師の方で騒がしい、というか、街の様子からすると間違いなくなにか起こりそうだね>

 

「視えたのか?」

 

<う~ん。どちらかというと漠然としたただの予想だね。情報が足りてないんだと思う。ははは…………。ただ、こちらが不足しているというよりも、こちらの情報が向こうに掴まれすぎている。僕の未来視も、それから君の真名は確実に知られているね>

 

「確かにな。十文字先輩も街の様子が殺気立っているのに気づいているようだし、単に論文コンペのせいというばかりではない、か」

 

 会場警備隊として圭たちよりも早くに会場入りしている明日香は、今は会場周辺の警備についている。

 真由美たちから得た情報を伝えるとどうやら警備隊の方でも警戒態勢のレベルが引き上げられているらしかった。つい先ほど、九校合同の総指揮をとっている十文字克人から警備隊各員に防弾チョッキの着用指令がでたこともそれを受けてのことだろう。

 現代魔法は古典的な魔法、古式魔法から速度という点において格段の進歩を遂げることに成功した。CADという補助装置を用いて起動式を呼び出すことで、銃器と対等のスピードでの発動と防御、あるいは攻撃が可能となった。

 だがそれはあくまでも対等であり、すでに銃を突きつけられている状態や奇襲的に先制攻撃を受けてしまえば魔法師であっても致命傷を負う。

 克人やある程度以上のレベルの魔法師であれば移動型の防御魔法をある程度持続させることで奇襲を防ぐこともできる。警備隊に所属しているほどの魔法師であればたとえ高校生であったとしてもできる者もいるだろう。

 だが実際には、いつ来るか分からない、来るかどうかも分からない敵襲に備えて防御魔法を常駐させておくことはできないし、できたとしても現代魔法においてそれはキャパシティの無駄遣いとしかならない。

 現代魔法では魔法の終了時間を発動時に規定する必要があり、魔法を間断なく継続させようとすれば定義破綻により発動しなくなってしまうのだ。飛行魔法や持続的な防御魔法などは終了時間を定義した上で、息継ぎのタイミングを重複させることなく発動しなおすことで魔法を持続させているに過ぎない。

 つまり、現代にあってもたとえ魔法師であったとしても拳銃は脅威足りえるのだ。そして攻撃と防御の関係はいたちごっこのように抜きつ抜かれつするもの。

 向かい合った状態であったとしても、防御魔法を打ち抜くハイパワーライフルなどの存在もある。防弾チョッキは奇襲を警戒してのことだ。

 明日香としても、デミ・サーヴァントの力を発揮すれば拳銃どころかハイパワーライフルであったとしても無効化するのは容易いが、明日香はあの力を人に対して向けるものではないと自戒している。

 なぜならこの世界の人々の善悪、騒乱に対してサーヴァントとして介入することは本来の目的を見失うことにつながってしまうから。

 この世界の、この時間軸における平穏ではなく、人理の継続のための戦い。

 それが明日香と圭の為すべきことであり、この世界において仮初(……)に居ついている場所を贔屓するためにあっては、それが剪定事象への引き金にならないと言えないからだ。

 

<ところで例の赤髪の男。アイツの情報は入ってきたかい?>

 

 ただしそれは相手がサーヴァントであるのならば別の話だ。

 そして向こうには明確に明日香を、その中に宿る霊基の真名を掴んでいる相手がいる。 それも敵意をもった存在が。

 

「………………いや」

 

 今はまだその姿を目にしていない。ゆえに赤髪の大男というだけでは綺羅星の数ほどいる英霊の中から正体を看破することは不可能だ。

 

<アストルフォには連絡手段を渡してある。彼の宝具ならこちらに駆けつけることもできるはずだからね。可能なら交戦状態に入る前に報せて欲しいところだけど……>

 

 後手に回らざるを得ないのは痛いところだ。

 真由美や摩利、そして克人が懸念している襲撃の予感。それは明日香も、そして圭も感じている。

 明日香の直感や圭の未来視のように、特定分野に優れた魔法師の予感は得てして未来予測に近いシュミレートを行うことができる。真由美たちの特化分野はそうではないが、彼らの経験と勘が騒乱の予感を告げているのだろう。

 

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

 全国から選りすぐられた魔法科高校の優秀な生徒たちによる論文コンペが始まったころ──────その会場からそう遠く離れていない某所。

 そこでは学びの雛鳥たちが日頃の成果を発揮しようとしている一方で、それを潰やすために“日頃の成果”を発揮せんとしている輩がいた。

 囚われの同胞を救出し、その同胞を捕えていた猿どもを殲滅し、そしてその仕上げとして、道士から齎された“秘術”によって、古の武将をその身に墜とせしめた。

 先ほどから響く咆哮は、本来の彼の猛虎の如き雄叫びではない。

 魂消える叫び。

 生まれてから片時も離れることはなく、侵されることのなかった不可侵たる己が心身に亀裂が入り、奪われようとしている絶叫。己よりも、人とは格の違う霊格に自身の魂が圧し潰され、塗り潰され、その窮屈な器に収まり切れぬほどのナニカが一瞬一瞬でその鍛えあがられた魔法師の器を破壊している。

 だがそれを指示した者、部下の命に対して責任を負うべき上官たる彼は、失われた秘術の再現ともいうべき奇跡を前に目を血走らせ、固唾を飲んでいた。

 

 ──これが成れば日本の魔法師などに後れをとらない。かつての恥辱、四葉への報復ですらも不可能ではなく、沖縄戦の悪夢、摩醯首羅でさえ敵ではなくなるに違いない──

 

 かつての異能・魔術が魔法と呼ばれるようになり、彼らの国や大陸においても神秘は消え失せた。

 消えたものと比較することはできない。

 ゆえに今の技術、魔法を発展させていくしかないが、彼らの国の魔法技術は壊滅的な打撃を被ってしまい、魔法後進国として転落してしまうような有様だ。

 軍事力であれば決してこのような矮小な島国一つ、取るに足りない。

 にもかかわらずだ。

 かつてたった一つの師族によって国の魔法師が半壊させられ、3年前の沖縄海戦では、圧倒的に有利なはずの奇襲作戦をたった一人の魔人によって覆された。

 軍隊や戦術・戦略すらも覆す圧倒的な魔法力。

 現代の魔法がかつての、魔法と呼ばれるようになったころの技術や威力に劣っているということは決してない。

 彼の国が誇る戦略級魔法師の力は、一撃で都市を破壊し、艦隊を薙ぎ払い、戦況を覆す。それは紛れもない事実で、現代において古式魔法と呼ばれる力にはないものだ。

 

 けれどもどうだ。今目の前で起ころうとしている奇跡は。

 

 彼自身も魔法師だ。見れば分かる。今生まれ出でようとしているのは、再誕しようとしているのは悠久の歴史ある彼らの国の神秘そのもの。

 神秘の失せた魔法では及ばない領域。

 

 倫理など破綻している。

 彼らは軍人であり、ここには戦争をしに来ているのだ。

 部下の命の一つ。それで数多の敵を駆逐し、目的を果たせるのなら────この軌跡を目の当たりにできるのであれば惜しくはない。

 

 奇跡の代償にできるほどの魔法師だからこそ、必要であったという言い訳は脳裏から消えていた。

 それを教唆した者の思惑通り、利用できるものを利用しているのだという全能感を抱いているのは、果たしてどちらであったのか………………

 

 

 

「醜悪な出来損ないを作るのが趣味とは随分と悪趣味なものだな、ルーラー」

 

 出来損ないのサーヴァント。サーヴァントの粗悪な模倣品。

 それを生み出そうとしている魔法師たちの歓喜を、サーヴァントである皇帝が酷薄な瞳で一瞥し、それを教唆した裁定者へと皮肉としてあてた。

 ルーラーというクラスは本来、聖杯戦争を正常に遂行させるための中立的な存在。ゆえに現世に対して何の望みも抱かず、如何なる勢力にも与しない英霊がそこに割り宛てられるという。

 けれどもこのルーラーはどうだ。

 己の信仰がために民草を煽り、唆し、争乱を巻き起こし、この壊れかけの世界を刈り取ろうとしている。

 だが然もありなん。

 死者たる英霊が現世に降臨すること自体、“正常”などではなく、ゆえにその力を以て争われる聖杯戦争なるもの自体が、“正常”な歴史などではないのだ。

 そも万能の願望器たる聖杯自体が、本来的な由来として中立ではなく、“特定の勢力”により利用されてきたものなのだから。

 いつの時代も、どのような場所であっても、中立などという勢力は存在しない。

 敵か味方か。利用される者か、利用できない者か。

 彼にとっても、そしてこのルーラーにとっても世界はそんな線引きによって分けられるものなのだから。

 そういう意味でも、彼はルーラーなのだろう。

 彼が争乱を引き起こしたのは、彼の我欲からではない。

 争乱において彼が何処かの勢力の一員であったことなどない。

 すべては愛すべき(愚かなる)隣人たちが、聖書の意味すらも理解できない仔羊(野蛮人)どもが、勝手に起こしていることに過ぎないのだから。 

 

「所詮は邪法に染まった異教徒。その為れの果てがあのようなものなのは仕方ありますまい。それに異教徒であるなら奴隷のようなもの、アレもかつての英雄の影を宿せたのですから本望でしょう」

「ああ。お前らはそうであろうともさ。皇帝たる俺であっても貴様らには手を焼かされたものだ」

 

 たとえ英霊の影であるサーヴァントの、その劣化した染みのような存在であったとしても、英霊と所縁ある器を依り代に、幾割、否、幾分、幾厘程度でもその神秘を宿せるとしたら、神秘の消えた魔法師に太刀打ちできるものではないだろう。

 処理できるとすれば、英霊の力を宿すあの者たち。

 この狂った世界を、未だ維持しようなどとする愚か者たちだけだ。

 

「いえいえ。私にも生前の反省があります。皇帝たる貴方と無為に争うことの愚は身に染みておりますとも、陛下。────―アーチャーとライダーをこれで封じられましょう。あとは陛下のご随意に」

「たかだか宗教家風情が傲岸だな。地上の神たる神威の代行者を駒とするか」

 

 果たすべき役割、盤上の駒は揃った。

 人理の焼却など大層な事を起こす必要はない。この壊れかけの世界を維持しようと足掻く者たちを消してしまえば、それだけでもう、このどうしようもなく狂った、邪法に塗れた世界は剪定されて消えるであろう。

 

「だがよかろう。今の俺にとって、国も民も、世界の行く末でさえ気に留めるものではない」

 

 そしてそんなルーラーの思惑は、この皇帝、セイバーには関心外のこと。

 歴史から、人理から、名を消された皇帝にとって、人理を継続させることに意義はない。

 求めるものはただ一つ。

 

「俺にとっての全てはあの谷の戦いの続き、赤き竜との戦いをおいて他にない。貴様の思惑どおり、精々踊ってやろう」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8話

 

 

 論文コンペ会場客席は各校それぞれの生徒が大勢いた。

 その中で雫やエリカらいつものメンバーも一高の集団の中でひと塊になって座っており、そこには雫たちに付き添ってシータの姿もある。

 どうやら近頃の物騒さ、特に達也の周りでちょっとした襲撃があったりしたことで警戒心が強まっているのか、エリカやレオなどは警備員でもないのにこっそりと得物を持ち込んでいつでもやる気満々といったように準備しているし、幹比古などは他校のプレゼン中にも探査用の精霊を放って感覚を同調させて周囲の警戒にあたっていた。

 エリカとレオはこの日に備えて、達也への協力のためにエリカの実家の剣術道場で泊まり込みの修業を行っていたらしい。

 コンペの開催前に関本や呂剛虎といった襲撃犯の捕縛がなされたことで、ここ最近達也の身の回りで起こっていた騒動の目は摘むことができたわけだが、それはそれとして何か不穏な気配というか予感のようなものを感じ取っているのだろう。

 来るかどうか分からない敵の襲来に備えるという、ある種不毛にも思える警戒を、けれども彼らは自主的に、不毛に感じることもなく続けている。

 その一方で、シータはこの高校生たちの魔法科高校学生による“文”の競い合いを大きな感心をもって見ていた。

 隣に座る雫からこの論文コンペの趣旨や今回のコンペでは魔法の基礎理論の一つを発見した三高の発表が最有力候補であることなど、そしてそれぞれの発表についての解説などを聞いていた。

 

 

 

 

 そして午後三時。残すところ注目株の三高と一高を残すのみとなり、一高のプレゼンテーションは予定通り始められた。

 舞台の上にはメインプレゼンターである鈴音が、ライトを浴び、その隣では五十里がデモンストレーションのための機器を操作、舞台袖では達也がCADのモニターと起動式の切り替えを行っている。

 

「核融合発電の実用化に何が必要となるのか。この点については前世紀より明らかにされています」

 

 一高のテーマは重力制御型熱核融合炉。

 

「一つは燃料となる重水素をプラズマ化し、反応に必要な時間、その状態を保つこと。この問題は放出系魔法によって既に解決されています。

 核融合発電を阻む主たる問題は、プラズマ化された原子核の電気的斥力に逆らって融合反応が起こる時間、原子核同士を接触させることにあります」

 

 それは先人たちが非魔法的な科学技術、魔法技術、様々な工夫によってなそうとしてきた夢のエネルギー技術。

 

「しかしこの問題は、効果的な方法が見つけられず、安定的な核融合反応を実現させるには至っていません。様々な理由がありますが、全ての問題は取り出そうとするエネルギーに対して融合可能距離における電気的斥力が大きすぎるという点にあります。──────―」

 

 

 ──―行われている演出だけを見るなら大げさな装置を使って大きな電球を光らせているだけ。語られている魔法科学技術は現代の知識を聖杯によって賦与されているサーヴァントの知識だけでは理解できるには至らない。

 サーヴァントに賦与される現代知識は、現代における行動が問題にならないようにされるためで、全ての知識を体得というレベルで備えさせるためのものではないのだ。

 

 ただし、舞台上で輝く光を生み出す、大規模な装置。そこに仕掛けられている技術は世界の最先端。

 物質界における世界のすべてを構成する粒を操る魔法。

 その光は太陽の光に比べるとあまりにも微か。星の外からどころかこの街の外にすら届くまい。

 けれどもそれは太陽の光と同じなのだ。

 微かな微かな、けれど人の、魔法師たちの夜明けを告げるための小さな小さな一歩。

 ループ・キャストを用いることで断続的な核融合反応を引き出し、エネルギーを生み出す魔法。

 

 

 

 

 

 会場に大きな拍手が響く。

 武の九校戦で不落の三年連続優勝を果たしたのに引き続き、文を象徴するこの論文コンペティションにおいても一高がやってくれたのだ。

 鈴音のプレゼンテーションは単に加重系魔法の技術的な三大難問の一つに一石を投じるだけのものではない。それであっても──トーラス・シルバーのループ・キャストと飛行魔法という技術革新があったといえど、高校生の域をはるかに超える内容の発表だったのだ。 

 魔法による熱核融合炉の実現は、現代の魔法師が兵器としての在り方だけではなく、人々の幸福や生活に欠かすことのできない、世界の一部となるための希望でもある。

 単に兵器や部品としてだけではなく、人として世界の人々とともに生きていくための技術。

 達也が鈴音に協力したのも、彼もまたこのコンセプトを抱いていた魔法師の一人であり、鈴音と同様、兵器としての在り方からの魔法師の解放を願う者だからだ。

 

「素晴らしいです。太陽を生み出す魔法。それはスーリヤ神様のご権能を現世に為すことと同義。その御力を争いではなく人の世のために振るわれようとするその御心、非常に尊く、気高いものだと思います」

 

 シータも拍手を打ちながら褒め称えた。

 彼女にとって、この研究や成果が魔法師たちにとってどういう意義をもたらすのかは関係がない。

 彼女は王配であり戦士の妻であった英霊だ。

 力ある者が戦士となり、兵器としての在り方を歩むこと自体は否定はしない。

 けれども彼女が感心したのは、人よりも強大な力を、より多くの人々に対して恩恵をもたらそうというものであったからだ。

 それは戦士というよりも王の考えであり、王の血脈を継ぐ者として、神の人柱の化身でもある彼女にとって、気に掛ける価値あるもの。

 雫やほのかはシータの称賛に大げさだとくすぐったそうにしているが、敬愛すべき兄が関わり、彼の志すコンセプトと同じこの実験が褒められることを誇らしく思っているように、うっとりとした微笑みを浮かべて拍手を送った。

 

 そしてそんな万雷の拍手が打ち鳴らされる会場を────―轟音と振動が揺るがした。

 

 

 

 

 

 

「なんだ…………?」

 

 会場周辺警備にあたって、会場外に出ていた明日香は、会場内での異変よりも一足早く、街での異変を目撃していた。

 横浜国際会議場から湾沿いの彼方の景色に黒煙が上がっているのが見えたのだ。

 

「明日香、あれは…………」

 

 鈴音の護衛役であった圭も鈴音が会場入りして真由美や摩利と行動を共にすることになったため、服部たちとともに会議場周辺警備へと回っており、圭は明日香と行動を共にしていた。

 嫌な予感と不穏な気配──―戦場の気配だ。

 明日香は戦士としての直感でそれを感じ取り、圭は街の気配と様子から漠然と捉えていた予測が間近に迫っていることを感じ取っていた。

 ただしその気配は今現在黒煙が立ち上っている方角からだけではない。

 

「────ッッ、ケイ!」

「ん、ぐぇっ!」

 

 だがその寸前で明日香が突然、圭の襟首を引っ張り会議場の建物内へ向けて駆けだした。

 いきなりの加速にムチ打ち気味につぶれた声が漏れたが、彼らが建物内へと入ったのとほぼ同時に、会議場の出入り口近辺に向けて榴弾(グレネード)が着弾しようとしていた。

 着弾。爆発の衝撃は明日香の咄嗟の行動に慣れた圭が反応素早く魔法による物理障壁を展開したことで防ぎ、二人は出入り口近くの太い柱の陰に身を隠した。

 

「襲撃!? くっ!」

 

 すでに二人とも警戒体勢から戦闘状態へと思考は切り替わっている。

 榴弾の爆風は粉塵を巻き散らし、視界を奪う。けれども振動音は建物を揺らし、会場内外の魔法師たちに敵襲を知らせたことだろう。

 だが襲撃者たちは巻き上げられた粉塵も収まらない内に、外装を強化した車で会場へと乗り付けており、そこから大型の銃を抱えた者たちが群がり寄り始めていた。

 

「嫌な感じがする。迂闊に出るなよ、ケイ」

 

 会議場周辺の警備にあたっていたのは高校生だけの九校合同警備隊だけでなく、プロの魔法師による警備もしっかりしている。

 彼らもさぼっているわけではなく、襲撃に対して素早く対応しCADを起動させて応戦しようとしていたが、襲撃者たちの方が先手をとっており、さらに備えをしていた。

 通常の銃やアサルトライフルの銃弾程度であれば魔法障壁で防ぐことができたのであろうが、敵の銃弾はやすやすとそれを貫通して魔法師たちに鮮血を巻き散らさせていた。

 

「魔法師対策の銃。なんて言ったかな、ああ、ハイパワーライフルかっ!」

 

 物理障壁に限らず魔法による非質量体型障壁の多くは物質的に防御しているというよりも運動量などの情報において論理的な防護力によって対象を保護している。そのため魔法障壁で防ぎきれる物的攻撃はほぼ完全に通すことがないが、一方で障壁の防御力を上回る攻撃に対しては減弱することもできずに定義破綻を起こしてしまう。

 ハイパワーライフルは魔法師の想定を遥かに上回る運動量によって無理やり障壁を貫通する対魔法師用の武器だ。高位の魔法師がその気になれば防ぐこともできるが、それだけの障壁を作り出せるのがそもそも並みの魔法師では難しいし、ただのライフルだと油断すれば高位の魔法師でも打ち抜かれ、普通の人間が受けるのと同じように致命傷を負う。

 圭の魔法師としての腕前は一応一科生になれるくらいなので、そこそこ優秀だが、本職の軍人魔法師と比べると大きく見劣りする。魔術師としても神秘のほとんど途絶えた現代においては魔法よりもできることは限られる。“神秘”が効果をもたらす場面ではまれば有用だが、今はまったくそうではない。

 明日香としても相手はサーヴァントでも魔術師でもない相手にサーヴァントの力を振るうことはできない。明日香に力を貸してくれた英霊は誇り高い騎士であり、目的に沿うからこそ力を与えてくれたのだ。その信頼を裏切ることはできないし、したくもない。

 必然、二人ともこの場では魔法師としての力で応戦せざるを得ないが、本職の魔法師たちですらこの突然の強襲と相手の武装に押されている。

 

「奇襲攻撃の割りに初手から攻撃が派手すぎる」

 

 相手は東アジア系の顔立ちで、色が不統一のハイネックセーターにジャンパーとカーゴパンツ状のズボンという装い。

 武装も粉塵が晴れて落ち着いて観察すれば、通常の突撃銃(アサルトライフル)と対魔法師用のハイパワーライフルが混在していた。

 そのせいでなまじアサルトライフルの銃撃を防げてしまうので油断してハイパワーライフルで打ち抜かれるという状況だ。

 襲撃側と警備隊の人数差もあちらの方が優勢だが、そもそも奇襲的に攻撃を仕掛けてきたのだから初手で広範囲に轟音を響かせる榴弾は悪手だ。

 だがそれもここに警備隊たちの眼を向けさせるためというのならまさにこれは初手。

 

「ああ、うん。おそらく陽動だろうけど、今の状況じゃここを抜け出すのは無理だね」

 

 問題は分かってはいても、ここは会議場の正面入り口にあり、襲撃側の方が優勢である以上、ここを堅守することは必要事項。

 指揮する立場にもサーヴァントの力で無双するわけにもいかない彼らにはこの現場を放棄して他の、本命の襲撃に対応することができないということだ。

 

 

 

 

 

 明日香たちの懸念は残念ながら杞憂とはなっていなかった。

 

「大人しくしろ。デバイスを外して床に置け!」

 

 コンペの進行では予定されていない異常な轟音や会場を揺るがす振動に浮足立っていた魔法科高校の学生たちは、その対応をとる間もなく襲撃者たちに銃を突きつけられていた。

 会場に侵入した襲撃者の数は六人。

 会場に集まったほどの大勢の魔法師がいれば制圧するには訳のない戦力差だが、それもすでに銃を向けられてしまっている状態では難しい。

 ステージ上では一高の次にプレゼン予定だった三高の生徒たちが、隙をつこうとCADを操作しようとした。彼らのプレゼンのテーマが対人攻撃に転用可能なものだったのだろうが、銃声一発、機先を制する威力誇示の銃弾は通常のライフルの威力を上回るハイパワーライフルであり、魔法師の雛鳥たちに無駄な抵抗の意志を制するには十分だった。

 如何に将来有望で優れた魔法師の学生といえども、すでに銃を突き付けられた状態で、しかも対魔法師用のハイパワーライフルで武装した相手に対してそれでも無傷で制圧できるほどの魔法師はそうそういない。

 この状況では互いが人質も同然であり、制圧しようと動けばすぐさま一人目の犠牲者となるだろう。

 

 シータは隣でほのかや雫たちを横目で見て、彼女たちを庇うように一歩前に出た。

 その動きを目ざとく見咎めた一人が彼女に銃を突きつけた。

 

「おい、大人しく──―」

「控えなさい。この場にあるは未来を拓かんとする気高き意志たち。斯様に無粋なもので穢すなどあってはなりません!」

 

 武装した男からの恫喝を遮り、凛とした声が会場に響く。

 その声は決して大きくも力強くもなかったが、優位な立場にいるはずの男たちが一瞬ひるむほどの何かがあった。

 魔法師であろうと穿つはずのハイパワーライフルを目の前に突き付けられていながら、まったくひるむことのなく見据えてくる強靭な意志と誇りの内包された瞳。

 華奢な少女の面貌はたしかに際立って可憐で美しく見える。

 だが襲撃者たちが気圧されたのは単なる容姿の美醜によるものだけではない。

 侵し難きなにか。

 それをあるいは人は神秘と呼ぶのか。

 ハイパワーライフルを突き付けていた男の喉がごくりと唾を飲み込んだ。

 砲身がぶれ、他の男たちの注意も一点に集められた。

 

 その隙を、司波達也は見逃さなかった。

 

 フラッシュキャストを用いた単一系移動魔法による加速を得て、一足跳びで間合いを詰めた達也は、右手を手刀の形にして、最も近くにいた敵──シータに銃口を向けていた男の腕目がけて振るった。

 

「なっ! ひっ、ぎゃっがっ」

 

 何の抵抗もないかの如く、達也の手刀はハイパワーライフルを持つ男の腕を切断した。鮮血が吹き上がり、激痛に男の口から悲鳴が迸る──―その直前に、達也の左拳が男の鳩尾にめり込んだ。

 

 視覚的な光景として、CADを使わなかったその一連の動きは、まるで魔法もなく、漫画のように素手で人体を容易に切断したかのように襲撃者たちには見えた。

 動揺が男たちに広がり、

 

「取り押さえろ!」

 

 その思考の間隙を見逃さず、舞台の両袖から共同警備隊のメンバーが一斉に魔法を放ち、残る襲撃者たちを一人残らず、反撃も許さずに捕縛した。

 

 

 

 会場への侵入者は捕縛したが、武装テロリストによる襲撃が会ったこと自体が過去にない異常事態であった。

 会場内警備の学生も、参加者も聴衆も騒然として右往左往していた。

 中には外部と連絡をとって状況確認しようとしている冷静な者もいたが、入手できた情報は状況がさらに悪いというものでしかなく、動揺が広がっている。

 慌てた様子がないのは血糊に汚れた達也とそれを魔法で消し去っている深雪の兄妹くらいだろう。

 そして荒事慣れしているという点でエリカやレオ、幹比古なども比較的動揺は少ない。なにより彼らはむしろこの状況が来ることを待ち構えていたといっていい。 

 ただ流石に私的な犯罪組織やテロリストでは到底用意できないレベルの武器を装備して攻めてくるとは予想を上回っていた。

 

「銃の前に身をさらすなんてあんたも無茶するわね」

 

 武闘派で高速接近戦に特化したエリカでもあの状況では全員を無傷で突破とはいかんともしがたかった。まして銃を向けられた状態で屈するつもりこそなかったが、敢えて身を晒そうとは思わない。

 エリカの呆きれ交じりの感心にシータは淡く苦笑した。

 魔法師であっても貫通し、容易に致命傷を与える武装であったとしても霊体であり物理攻撃の通用しないサーヴァントを傷つけられるとは思わない。

 もっとも、そうでなくとも王族としての来歴をもつゆえに、あの状況では肉体があったとしてもきっと同じことをしていたであろうが。

 

「サーヴァントに物理的な攻撃は通じませんから。それよりもこの事態は一体どうしたことなのでしょう?」

 

 ともあれ事態は非常に悪い。

 これが例年のごとくの恒例行事の在り方であるなどとは到底言えまい。

 

「相手の正体はともかく、敵性勢力なのは間違いない。最終目的は分からないがこいつらの第一の目的は優れた魔法技能を持つ生徒の殺傷、または拉致だろう」

 

 幾分事情を知っている達也にとっても、これほど大規模に、そして警備隊があっさりと突破を許したのは予想外であった。

 

「逃げ出すにしても追い返すにしても、まずは正面入り口の敵を片付けないとな」

 

 少し以上に嬉しそうにしているように見えるエリカにはあまりつっこみを入れず、当面の方針を伝えた。

 

「待ってろ、なんて言わないよね?」

 

 目を輝かせて、まるでこの危機的状況にわくわくしているかのようなエリカに、やはり達也は「嬉しそうだな」と余程指摘したくなったが、時間の浪費につながりかねないツッコミだけに、懸命な達也は首を振るだけにとどめた。

 

「別行動して突撃されるよりはマシか。藤丸たちが片付けているかもしれんがな」

 

 達也の言葉に深雪は勿論、エリカもレオも幹比古も、ほのかと美月、そして雫とシータも、向かう先は同じであった。

 

 

 

 

 

 

 正面出入口での武装勢力との交戦は襲撃側がやや勢いを増しつつもライフルと魔法の撃ち合いを激化させていた。

 奇襲の動揺はまだ醒めてはいないが、応戦しなければならないという義務感と正義感が警備の魔法師たちを奮い立たせていた。

 ただやはり障壁魔法すらも撃ち抜くハイパワーライフルと猛攻激しいアサルトライフルを混ぜ合わせた銃撃は、油断していなくとも魔法師たちを貫いていた。

 この状態になってしまえば、圭にできることはかなり限られる。

 圭の魔術は、克人や真由美たちですら通用しなかった神秘側の存在に対して多少の疵をつけることができたが、それは魔法師の魔法よりも威力があるからではない。

 単に相性の問題であり、威力や速射性、連射性といった物理的な攻撃力であれば現代兵器や現代魔法の方がよほど優れている。

 明日香としても、身を守るためには仕方ないので、いざとなれば躊躇うことはないが、問題はこの動きが正しい流れなのかの判別がつかない。どちらに味方するのが人理の防人としての在り方なのかの判断がつきかねていた。

 直感、というより、これまでの生活、友人たちの関わりかれすると、被襲撃者側につくべきだが、それが望まぬ未来への引き金にならないとは言えない。

 サーヴァントの力は強大で、だからこそ戸惑いがあった。

 

「うん? どうやら中の方は落ち着いたらしいね」

「なに?」

 

 だが幸いにも戦局は彼らの判断を待つことなく押し進められた。

 突如として銃撃の音が止まり、困惑の声が上がる。襲撃者たちは動揺しているのか、明らかに日本語ではない言葉で焦りを表している。

 

 振動減速系概念拡張魔法「凍火(フリーズ・フレイム)

 現代魔法で区分されるところの減速系魔法だが、それをこれだけの範囲に、そして多人数を相手に抵抗もなく展開できるほどの魔法師ともなれば数少ない。

 残存していたゲリラたちの銃器が一瞬で沈黙するや、間髪入れずに数人の学生たちが飛び出した。

 両手を手刀にして振るう達也は、まるでおとぎ話の武術の達人であるかのように、素手で人体を切り裂いていき、いつもの警棒を鍔のない脇差形態の武装一体型CADに持ち替えたエリカが、自己加速魔法で駆け抜けながら正確にゲリラの頸動脈を斬り裂いていった。

 

「達也、エリカ!」

 

 そして続く幹比古の声に飛び出した二人が左右に分かれ、幹比古から放たれる疾風(カマイタチ)が残るゲリラの皮膚を無残に引き裂いていった。

 鮮やかな手並みは、それまで圧倒され気味だった警備の魔法師たちが手を出す間もなく、一気に形成を傾け、ゲリラたちが撤退を始めるのに時間はかからなかった。

 

 

 

 撤退していくゲリラたちを、それまで押し込められていた警備の魔法師たちが追撃し、会議場から完全に追い出した。

 ゲリラたちの銃火器を沈黙させたのはやはり深雪であったらしく、その後の達也たちの追撃も鮮やかな手並みであった。

 だが周辺に残る惨状はほのかや美月にとっては衝撃が強いようではある。

 ただ現状はそんな彼女たちの心情に思いやって、というわけにはいかない状況。

 達也が何事か声をかけるとほのかはかなり意気を取り戻し、美月の方には幹比古が気遣いを見せていた。

 圭と明日香はゲリラの追撃を警備担当のプロの魔法師たちに任せ、達也たちの方へと歩み寄った。

 

「いやいや、助かったよ。流石にあの人数からの銃撃は僕の魔法の腕前だと厳しくてね」

 

 達也やエリカなどは疑わしげに圭を見るのは日ごろの行いのせいか。

 

「会場の方にも侵入があったようだから心配していたけど、無事でよかったよ」

 

 正面玄関口への派手な襲撃の陰に隠れての搦手は予想できていたし、達也やシータが居れば最悪の事態にはならないだろうとは思ってはいても、雫たちの無事な姿を見て明日香も安堵していた。

 ただ今は、無事の合流を悠長に喜んでいる時間も、達也たちの抱いた疑念を仲間内で追及している暇はない。 

 

「それで、これからどうすんだ?」

 

 口火を切ったのはレオ。

 空気を読まなかったのか切り替えが早いのか、この場ではそちらを優先させるべきだと達也も判断した。

 明日香と圭も、市街の方から不穏な気配を感じ取ってはいるが、それは所詮直感や気配という程度に過ぎない。

 

「情報が欲しい。予想外に大規模な事態が進行しているようだ。行き当たりばったりでは泥沼にはまり込むかもしれない」

 

 盤面の一局面においては有効だが、今は一局面ではなく大規模に展開しつつある盤面全体を俯瞰できなければならない状況だ。

 ただ、その情報が得られるであろう場所────魔法協会支部に行くにはすでに市街戦の真っ只中となっている戦場を駆け抜けていく必要がある。

 明日香や圭、そして達也やエリカ、レオ、幹比古たちならともかく、ほのかや雫、美月たちでは見るからに無理がある。

 

「VIP会議室を使ったら?」

 

 具体的な打開策の浮かばなかった達也たちに、雫が会議場の会場とは別の方向を指さしながら雫が提案した。

 

「雫? VIP会議室というのはなんだい?」

「閣僚級の政治家とか経済団体トップレベルの会合に使われる部屋だよ。たぶん大抵の情報にアクセスできるはず」

「そんな部屋があるのか?」

 

 さしもの達也もそれは知らなかったらしい。明日香の問いに答えたような会議室が利用できるのであれば、現在の状況を知ることもできるだろう。

 

「うん。一般には解放されていない会議室だから」

「よく知ってるね、そんなこと」

 

 実家が魔法剣術の権威である関係で軍や警察に顔のきくエリカでさえ、その存在は知らなかったらしく、少し顔を引き攣らせながら感心した様子で言った。

 

「暗証キーもアクセスコードも知ってるよ」

「小父様、雫を溺愛してるから」

 

 雫は少し恥ずかしそうで少し得意げに応え、ほのかも苦笑気味に付け加えた。

 父親からのいささか過剰な愛情に気恥ずかしさがあるのだろう。

 だが今はそれが有難い。

 経産界に大きく顔のきく“北方潮”が利用する部屋であれば、警察や沿岸防衛隊の通信も傍受可能なはず。

 

「なるほど。雫、案内してくれ」

 

 達也の言葉に雫は頷きを持って応えた。

 

 

 

 雫の先導によって達也たちは会場からの避難を始めつつある他校生をよそに、フロアの一室へと向かった。

 

「明日香?」

 

 ふと、その動きから遅れ、街の方を不穏な目つきで睨む明日香の様子に圭が呼びかけた。

 わずかに目つきを険しくした明日香だが、けれども今は些細な違和感のような感覚にかまけている時ではないと判断した。

 

「いや、なんでもない…………行こう」

 

 戦場の気配はまだ彼方。

 けれどもそれは予感、あるいは運命(fate)

 戦いの時(スワシィの谷)は刻一刻と───── 迫りつつあった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9話

 

「うわぉ。これはなかなか……」

 

 雫のアクセスコードを使って利用することのできたVIP会議室、そのモニターに受信した警察のマップデータは、思わず圭がほほを引き攣らせてしまうほどの状況となっていた。

 危険地域を示す赤の領域が海に面する一帯を微かなまばらを残して染めており、見ている間にも領域を広げている。

 特に進行が速いのは、初手でミサイル攻撃があったらしい埠頭周辺よりもむしろその内陸部から北上する勢力だろう。

 あたかも達也たちの居る国際会議場を包囲するように進行している。

 マップデータには敵勢力だけでなく、国防軍の動きが始まっていることも示されているものの、肝心の湾港部では主だった防衛網が組織されていない。

 今はまだ包囲網は狭まりきっておらず脱出の余地もあるだろうが、このままここに留まっていれば退路を断たれることになりかねない。

 

「改めて言わなくても分かっているだろうが、見ての通り、状況はかなり悪い。この辺りでグズグズしていたら国防軍の到着より早く敵に補足されてしまうだろう。だからといって、簡単には脱出できそうに無い。少なくとも陸路は難しいな。交通機関が動いていない」

「ってことは、海か?」

 

 マップデータから読み取れる情勢を達也が整理する。

 脱出ルートを提案するレオの質問に、達也が首を横に振った。

 

「それも望み薄だな。出動した船では全員を収容できないだろう」

 

 彼らは魔法師ではあるが、一応民間人という立場だ。

 現時点では自衛のために力を行使することはしても、軍隊規模の武装勢力に積極的に応戦しようとするほど無謀ではない。

 明日香と圭も、この時代を歪めるサーヴァントとの戦いであるのならともかく、国と国との争いに火の粉を振り払う以上の干渉をすることは許されていない。

 

「じゃあシェルターに避難する?」

「それが現実的だろうな。ここも頑丈に作られているとはいえ、建物自体を爆破されてはどうにもならない」

「じゃ、地下通路だね」

 

 幹比古の提案に達也は頷き、エリカが今にも駆けだしそうな勢いで促した。

 だがそれに対して達也は待ったをかけた。 

 

「いや、地下は止めた方がいい。上を行こう」

「えっ、何で? ……っと、そうか」

 

 陸上交通網は麻痺し、ゲリラの包囲網が狭まられている現状、陸路での脱出は難しいというのは達也自身が最初に確認したところだ。

 ふむ、と圭も地図を見直し気が付いたし、エリカも理由を説明する前に納得顔を見せた。

 ただそこまで読み取れなかったのだろう雫やほのかは理解が置いてきぼりになっており、雫からちらりと視線を向けられた明日香が答えた。

 

「最寄りのシェルターは駅のところにあるようだけど、この地図では出入り口と通路は一本道じゃない。他の入口から敵勢力が入って来ていた場合、地下という狭い空間での遭遇戦になる可能性があるからね」

 

 達也が懸念したのは地下での遭遇戦が起こることなのだろう。明日香の説明に雫もマップを見直して「あ」と気が付いた。

 

「避難の前に少し時間をもらえないか? デモ機のデータを処分しておきたい」

「あっ、そうだね。それが敵の目的かもしれないし」

 

 達也の懸念と提案に幹比古が頷き、全員が同意して移動した。

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 会場に戻った一行は途中で一度、克人たち警備隊と合流を果たした。

 だがその際、一部学生や民間人たちが中条あずさ生徒会長の指揮のもと、地下通路を通って避難していることを知り、その危険性を指摘すると、克人の指示により服部会頭と沢木碧がその援護に向かって別行動になるということがあった。

 そして会場では真由美や摩利に護衛された市原鈴音や五十里啓が達也と同じように各校のデモ機のデータを消去しようと考えて動いていた。 

 手分けしてデータの消去を行った後、一同は控室に集まり情報の共有と今後の方針を改めて定めることにしたのだった。

 

 

 控室には達也や圭、明日香たちに加えて真由美と摩利、鈴音、五十里と護衛として桐原と花音、壬生が集まっていた。

 

「さて、これからどうするか、だが」

 

 口火を切った摩利は、真由美へと目を向けた。

 達也たちとは別ルートで情報を収集していたのだろう。

 警察の情報を得ていた達也たちだが、十師族の情報網から得られたものなのか、真由美の得ている情報はさらに詳細なものであった。

 

「港内に侵入した敵艦は一隻。東京湾に他の敵艦は見当たらないそうよ。上陸した兵力の具体的な規模は分からないけど、海岸近くはほとんど敵に制圧されちゃってるみたいね。陸上交通網は完全にマヒ。こっちはゲリラの仕業じゃないかしら」

「あ~あ」

 

 エリカが不甲斐ないと言わんばかりにため息をついた。

 彼女の実家は剣の魔法師と異名をもつ千葉家だ。魔法を組み合わせた剣術による接近戦魔法のスペシャリストで、その関係上、軍や警察に門下生が多い。

 湾岸の警備隊の不甲斐なさが身内の不甲斐なさにも感じられたのだろう。

 

「彼らの目的は何でしょうか?」

 

 五十里の口にした疑問に、真由美が摩利と視線を交わしてから答えた。

 

「推測でしかないけど、横浜を狙ったということは、横浜にしか無いものが目的だったんじゃないかしら。厳密にいえば京都にもあるけど」

「魔法協会支部、ですか」

 

 真由美の答えを最後まで待たず、花音が口を挿む、せっかちな彼女の気質だが現状において話が早いのはいいことだ。

 

「正確には魔法協会のメインデータバンクね。重要なデータは京都と横浜で集中管理しているから。論文コンペに集まった学者や学生たちを狙っているって線も考えられるけど」

 

 真由美の言葉を聞きつつ圭は「ふむ」と顎に手を当てた。

 敵の狙いが魔法師たちのもつ機密情報であるのならば、彼らのとれる動きは多くなる。

 彼らとしては、襲撃される心当たり──シータがここにいて、決して敵に渡してはならないからだ。

 戦うにしても避難するにしても、狙われているとすれば共に行動することはできないし、迎撃のために連れていくこともなるべくならば避けたい。けれども戦い自体は避けることはできない。

 しかしこれが魔法師同士、そして現代の人間同士の争いであるのならば、話は別だ。

 彼らが魔術やサーヴァントの力をもって争いに介入することが、改変につながる可能性があることから戦いには介入しにくくなるが、達也たちはじめ、十師族の真由美ですらも避難を優先的に考えているのだ。

 明日香やシータの心情はともかく、ここで避難を選択してもおかしくはないし、むしろ選択すべき状況だ。

 

「避難船はいつ到着する?」

「沿岸防衛隊の輸送船はあと十分ほどで到着するそうよ。でも避難に集まった人数に対して、キャパが十分とは言えないみたい」

 

 摩利の確認に真由美が渋い顔で答えた。

 また端末に連絡のあった鈴音が別ルートで先に避難していたあずさたちの状況を伝える。

 

「シェルターに向かった中条さんたちの方は、残念ながら司波君の懸念が的中したようです。途中でゲリラに遭遇し、足止めを受けています。ただ敵の数も少ないらしく、もうすぐ駆逐できる、と中条さんから連絡がありました」

 

 地下も船も、危険の少ないルートは袋小路へとつながる。

 ここにいるメンバーの脱出ルートは限られており、どれも安全とは言い切れない。

 

「状況は聞いてもらったとおりだ。船の方はあいにくと乗れそうにない。こうなれば多少危険でも駅のシェルターに向かうしかない、とあたしは思うんだが、皆はどう思う?」

 

 けれども最悪の手はここへの籠城。

 このままここに留まれば救援が来る前に敵勢力に包囲されてしまうのは必然。

 そして軍や義勇軍の戦略上、このコンベンションセンターよりも魔法協会や各地シェルターなどの方が優先度が高い。

 留まるより動くべき。

 その決断は各々の裁量によるものではあるが、今から個別に動くよりも集団として意思を統一して動くべき。

 真由美や摩利が決断を示せばそれが集団の意思となりえるだろうが、彼女たちは下級生たちの意見も聞き入れるつもりらしく、達也たちの意見を伺った。

 いち早く花音が摩利への同意を示し、下級生たちもそれに続いて──────

 

 不穏に気づいたのは彼の隣に立つ深雪だった。

 

 避難の話をしているはずが、集団の輪にではなく、壁の方に視線を向けて、どこかを睨みつけている様子の達也に深雪が気づき、真由美が、そしてその気配を察して明日香と圭たちも気づいた。

 

「お兄様!?」「達也くん!?」

 

 次の瞬間、達也は訝し気な視線に対して何を告げることもなく唐突に銃型のCADを抜き、壁へと向けた。

 明日香と圭も、危険地帯ではあっても戦場ではなかったことからやや緩めていた緊張を一気に上げた。

 壁の向こう側に敵の気配はない。

 魔術で遠距離に狙っている危機でもない。

 ゆえに明日香には分からず、それが起こっているのは目視できない壁の向こうの、そのさらに向こうであったため圭にも視えなかった。

 しかしそれが視えた者が達也以外に一人いた。

 

「……今の、なに?」

 

 何かが起こったのは、()()()()()()達也の気配から皆が察することができた。

 何が起きたのか、それを視ることができたのは、知覚系魔法“マルチスコープ”による遠視のできる真由美だけだった。

 

 ただ、達也が行った行為。

 明日香には気配だけ分かった魔法の行使を視て、圭はもう一つの光景を視ていた。

 

 

 

 ────ここではないどこかで

 消えていく命、閃光に飲み込まれる船、抉り取られる大地

 それは人に許された、個人が振るうことを許された力なのだろうか

 古の詩人であれば松明を千、束ねたよりも明るくと評したかもしれない灼熱の光

 終焉の光にして、始まりを告げる狼煙の焔

 

 これより始まるのは時代の移り

 

 魔法と人との訣別

 

 

 そして──■■■■──―■■■■■■────―■■■■■

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

 

 

 

 

 ──────センテイノハジマリ────────────―

 

「ッ゛ッ゛!!」

「ケイ?」

 

 バチンッと、視界が弾ける。

 いつもであれば見通せる限りを大きく超えた、膨大な情報量の流入に未来を予測する瞳が灼熱を発するかのようだった。

 その痛苦はあるいは、垣間視えた光景がの凄惨さ故にか。

 聞きなれた友の声が圭の意識を遠い未来から今へと回帰させた。

 だが瞳は熱を帯び続けているかのよう。

 

 だが幸いにも何が起こったのか、達也のそれも圭の見たそれもその場で追求し、追及されることはなかった。 

 

「お待たせ」

 

 タイミングよく、あるいは悪く、入室してきた一人の女性に全員の視線が集まった。

 

「えっ? あ、もしかして、響子さん?」

「お久しぶりね、真由美さん」

 

 明日香にとって見覚えのないその女性は真由美の知り合いであるらしく、笑顔で挨拶してきた。

 

 

 

 

 圭が落ち着いていれば口笛を吹いて褒め称えていたであろうくらいには整ったルックスの持ち主であるその女性は、野戦用の軍服を纏っており、一人ではなくその後ろから壮年の男性を伴って入室してきた。

 

「特尉、情報統制は一時的に解除されています」

 

 圭の異変に気づいたのは明日香と、そしてシータくらいであったが、美女が達也に向けてそう口を開くころには平静を取り戻していた。

 彼女の隣に立つ壮年の男性が纏う軍服には少佐の階級章。

 そして女性の口ぶりはまるで────

 

「特尉というと、ああ、軍属だったのかい?」

 

 そう、まるで司波達也もまた、軍人であるかのような口ぶりではないか。

 

「司波?」

 

 外周の見回りに行っていた克人、そして桐原ももう一人の軍人に連れられてタイミングよく部屋へと入って来た。

 達也の顔からは困惑が消え、指先を伸ばした軍人式の敬礼で目の前の壮年の軍人へと応じた。軍人同士の敬礼でのやりとりを終えた男は、次いで遅れて入室してきた克人へと視線と足を向けた。

 

「国防陸軍少佐、風間玄信です」

「貴官があの風間少佐でいらっしゃいましたか。師族会議十文字家代表代理、十文字克人です」

 

 この場での魔法師の代表は克人だ。

 それは合同警備隊の総指揮という立場でもあるが、それ以上に十師族の一門の中でも直系、そして嫡男となるのが彼だからだ。

 実際、風間という軍人の自己紹介に対して、克人は魔法科高校での肩書ではなく十師族としての公的な肩書を名乗った。

 

 ──風間………………? ──

 

 克人は克人でその名前を知っていたようだが、明日香と圭は別の意味でその名前に表情をわずかに変えた。

 風の谷間に日々の糧を得る者たち。

 それは偶然かもしれない。

 よくある名前ではないが、日本に由来する以上、そういうことも偶々あるだろう。

 

 風間少佐はわずかに表情を歪めた二人にちらりと一瞬だけ視線を向け、そしてわざとらしくならない速さでぐるりと視線を巡らせた。あくまでもこれから始める話の前振りだという態にするためであったかのように。

 

「藤林、現在の状況をご説明して差し上げろ」

「はい。我が軍は現在、保土ヶ谷駐留部隊が侵攻軍と交戦中。また、鶴見と藤沢より各一個大隊が当地に急行しました。魔法協会関東支部も独自に義勇軍を編成し、自衛行動に入っています」

 

 美女──藤林響子というらしい彼女は風間少佐と同じ部隊なのか、上官からの指令に応じて現在の戦況を伝えた。

 戦力的にはゲリラとして潜入してきた敵方よりも多勢にはなる。だがそれまでの間にこの街、そして魔法師たちの拠点は壊滅を免れるかというところ。そうでなくとも多くの情報や人を奪われてしまえば戦略的には敵に負けてしまうことになる。

 

「ご苦労。さて、特尉。現下の特殊な状況を鑑み、別任務で保土ヶ谷に出動中だった我が隊も防衛に加わるよう、先ほど命令が下った。国防軍と組む規則に基づき、貴官にも出動を命じる。国防軍は皆さんに対し、特尉の地位について守秘義務を要求する。本件は国防軍秘密保護法に基づく措置であるとご理解されたい」

 

 厳めしい言葉と、重々しい口調。そして有無を言わさぬ視線の圧力により、途中で口を挿もうとした摩利も花音も、真由美でさえも抵抗を断念した。

 特尉というのは国際法上の軍人資格を持つ非正規の士官のことだ。

 軍人という特殊な権利、義務、職務に准じた者でなければ人を殺すことや軍事行動をとることは違法行為となる。

 けれども魔法師がすべて軍人となるわけではなく、まして未成年の学生を軍人として徴用するわけにはいかないだろう。そのための特別的な措置であり、司波達也にはそれだけの価値があるということの証左でもある。

 そして現状の混沌とした戦況で、少佐という地位にある軍人が来ていることからも軍属としての達也の価値が求められていることが分かる。

 ただ、彼の目的は今回においては達也だけではなかった。

 

「そして魔術師 藤丸殿、獅子劫殿」

「おや? こちらにも何か」

「君たちには協力を要請したい」

 

 意外、でもないのかもしれない。

 これまで何度か藤丸は魔術師として魔法師に協力する形となったことがあった。

 それは必ずしも魔法師のためではなく、彼らの目的のために関わる過程と結果に重なる部分があったにすぎない。

 けれどその重なりの中で、魔術師たちは魔法師ですらも圧倒した英霊を召喚し、倒し、異常を解決してきた。

 その情報は秘匿されてきたが、人の口に戸は立てられない。

 魔法師たちはかつて自分たちが切り離し、捨ててきた神秘を再び手に入れることを望み、魔術師の二人はなぜかこの期に及んでかかわりをもつようになってきた。

 前回のサーヴァントとの遭遇時、九校戦では多くの軍関係者も来ていた。

 サーヴァント絡みのことそのものは十師族との会談でことを終えたが、ランサーとアサシンは魔法師とも組んで暗躍していた。

 風間たちはその情報を得ていた。

 加えて“風間”自身が、英霊とはかかわりのある魔法師でもあった。

 彼自身に面識があるわけでも、魔術の心得や理解があるわけでもないけれど、九重寺の存在意義でもあった彼は、多少なり英霊と、サーヴァントを使役するマスターと儚い縁を持っている。

 ただ、今はそれは関係がない。

 

「現在の情勢は先ほどお伝えした通りだが、それに加えて敵勢力の中に白い猿型の化成体らしきものが多数確認されている。銃火器はおろか魔法の影響でさえも極めて効果が薄い。我々が知る従来の魔法とは異なる体系による攻撃だと推測されている」

 

 魔法師を含めた武装勢力以外にも存在する厄介な敵性体の存在。

 

「化成体?」

「現代魔法、じゃなくて古式魔法だったね。プシオン系のエネルギーを可視化させた使い魔というものだったかな」

 

 現代魔法に疎く、首を傾げる明日香に圭をフォローとして口を挿んだ。

 そしてその理解は、サーヴァントの正体だと達也があたりをつけている仮説に最も近いものでもある。

 化成体とは現代魔法の発展した日本ではあまり使われる類の魔法ではなく、主に古式魔法、特に国外の大陸系の魔法師が使うことの多い魔法だ。

 ただし可視化、実体化させたものであっても、それは見せかけ上だけの物にしかすぎず、サイオン粒子の塊を土台に、光の反射をコントロールする幻影魔法で姿を作り、物質に干渉する加重魔法・加速魔法・移動魔法、またはそれと同じ効果をもたらす力場で肉体をもっているように見せかける物でしかない。

 術の作用媒体を作り出し可視化、可触化することで、術式の動作を変更するコマンドがイメージしやすいという利点があるものの、魔法を無効化、あるいは通用しないというものではない。

 魔法式によって現実改変された事象であるのだから達也の“精霊の瞳”で見抜けるものでしかなく、それはサーヴァントの特徴とは一致しない。

 けれども“精霊の瞳”でサーヴァントやデミ・サーヴァントとなった明日香を見た時の特徴の一部は、たしかに化成体の魔法のように何らかの核を起点にサイオンやプシオンが形作っているのに似ている。

 

「そのとおりだ。そしてそれに加えてもう一つ、藤林」

「先日特尉、ならびに真由美さん、渡辺摩利さんによって捕縛された呂剛虎の移送が本日行われていました。現在の攻勢が始まるよりも以前のことです。ですが、その移送が襲撃を受け、呂剛虎には逃走、移送チームは全滅しました」

 

 藤林からのさらなる説明に、真由美と摩利が驚きの声を上げた。

 彼女たちは数日前、八王子鑑別所で関本勲を尋問するために訪れていた際に呂剛虎と遭遇し、これを撃退した。

 呂剛虎といえば、大亜連合の特殊工作員の中でも指折りの危険人物だ。

 最早戦争状態と言えるこの状況では、敵とてしても取り返すべき駒であるし、こちらとしても厄介な敵駒だ。

 だが藤林と風間がここでその情報を告げたのは、それが想定外の事態に進行しているため。

 

「そしてこれです」

 

 藤林が端末を操作し、モニターに何処かの戦況映像が映し出される。

 

「なん、だ、これは……」

 

 真由美はあまりにも凄惨な光景に口元を抑え、2度直接交戦した摩利はあまりの変貌と凄惨な映像に絶句した。

 映し出された映像の呂剛虎は言われなければ、摩利にも達也にさえも分からなかっただろう。

 たしかに大柄の体躯は彼の特徴ではあった。だがそれにしても精々が190㎝程度。ハンサムとは言えないまでも取り立てて醜悪な面貌ではなかったはずだ。

 それが容貌は大きく変化しており、まるで猛獣のように雄たけびを上げる猛虎のよう。古代の武将の鎧のようなものを纏っている体は一回りどころか、2メートルを楽々超えるほどの巨躯へと膨れ上がっている。

 そして大きな変化は、その巨躯の体を覆う黒い靄。

 魔法師たちが応戦しようと遠距離から放たれた魔法は、ことごとくが弾き消されるかのように通用せず、アサルトライフルなどの銃火器は防御障壁を張っているわけでもないのに無効化されている。

 巨躯の体長に見合う、その身長をすらも超える大型のハルバートらしき武器が一凪されれば、地面が剥がれ、岩塊となって魔法師たちに襲い掛かる。

 

「この黒い靄のようなものを纏った呂剛虎に対して銃器による物理攻撃ならびに魔法攻撃が通用せず、先行した部隊が壊滅状態にあります」

 

 魔法師も防御障壁を張っているのだろうが、飛ばされてくる岩塊でさえも易々とその障壁を貫通して魔法師たちをミンチにしており、まして直接その一凪を受けた人たちは原型が留めないほどに引き裂かれてしまっている。

 たしかに呂剛虎は強敵ではある。だが白兵戦において優れているとはいっても援護あってのもので、真由美や摩利、達也や千葉修次にも敗れたように、複数の魔法師でもって相対すれば決して倒せない敵ではなかった。

 だが今、映像に映る呂剛虎はだれがどう見ても止めようのない怪物であった。

 荒れ狂う破壊の権化。

 理不尽な災厄の具現。 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「この現象を我々は3年前の魔法師子女誘拐事件の主犯と同様の、サーヴァントの力によるものではないかと仮定した」

 

 風間は仮定したと告げたが、その語調は断定に近い。

 彼らもこれまでのサーヴァントによる事件については調べていたのだろう。

 

「たしかに。これは……現世の肉体を依り代にシャドウ・サーヴァントを憑依させているのか?」

「シャドウ・サーヴァント?」

 

 圭の呟きに真由美が首を傾げた。

 ちらりと明日香と視線を交わす。

 サーヴァントシステムを、神秘の絶えた現代の魔法で再現できるとは思わないが、あまり情報を露出しすぎるのは悪用を招く恐れがある。

 特にサーヴァントは必殺の兵器であるだけに、魔法を軍事力と結びつける現代の魔法師や軍人であれば兵器としての運用を、と考える輩は多いだろう。

 だがシャドウ・サーヴァントではあるが、すでに戦場にその姿があり猛威を振るってしまっている以上、ここで情報を出し渋るのはかえって協調路線に瑕疵をつけかねない。

 圭は言葉を選びつつ、シャドウ・サーヴァントについての情報を明かした。

 

「文字通りサーヴァントの影のようなものです。本来は特異な状況でもなければ存在を成立できない虚ろな存在ですが、おそらくあれは魔法師の肉体に憑依する形で楔にしているようです」

 

 サーヴァントが英霊の一側面、影のようなものであるとするなら、シャドウ・サーヴァントはさらにその影。本来の英霊からするとその残滓のようなものでしかない。

 だが神秘から切り離された現代の魔法で再現できるようなものではない。

 そもそも断絶された歴史を超えて、秘匿された術式を知っているはずがない。

 

「普通のサーヴァントよりも存在濃度は非常に薄いですが、その分存在に必要な魔力消費も少なくなります。だからこそ魔法師でも楔として成立しているのでしょうが……いくらなんでも無関係な人間を楔にして成立するのは無理がありすぎる。おそらく召喚されている英霊の影と楔になった魔法師の間に何かしらの縁があるのかもしれない」

 

 おそらく特異点となっているこの世界・時代であるなら他のサーヴァント同様に存在できていることそのものは不可能ではない。 

 だが風間少佐や摩利たちの反応からするとあれは実際の肉体を器にして成立している。

 デミ・シャドウ・サーヴァントとでもいうべき存在が。

 無垢な器であるならともかく、歴戦の魔法師が疑似サーヴァントとしてではなく英霊の一部を憑依させて無事で済むはずがない。

 

「あの魔法師についての情報はありますか?」

 

 疑似サーヴァントは聖杯に所縁のある者の中で最も英霊に適合する人物が選ばれるという。

 この時代の魔法儀式に聖杯戦争はないのだから、聖杯に所縁のある魔法師などいるわけがない。

 だとすれば別の所縁を辿って憑依の縁とした可能性が高い。

 

「大亜連合の特殊工作部隊に所属する戦闘魔法師、呂剛虎。特に近接での対人戦闘においては世界でもトップクラスの魔法師とされている、人食い虎の異名を持つ魔法師です」

 

 圭の質問に藤林がよく知られた敵の情報を開示した。

 魔法師としては鋼気功と呼ばれる古式に近しい術式を得意とする魔法師で、発動させれば文字通り鋼のように強靭な体を勇猛蛮神が如くに振るう恐るべき魔法師だが、今やその脅威は魔法師としてあったときとは比べ物にならないほどに跳ね上がっている。

 得られた情報を圭は反駁していく。

 大亜連合というのは戦前では中国と一般的に呼ばれていた大陸の国を母体としている。そしてその国は遡れば人類史有数の永さを誇る古代の文明へと連なる。

 古代中国。

 大陸にあって独自の神秘を有していた文明。

 神の時代が去り、神仙と呼ばれる独特な神霊たちの時代も遠く去ったころ、人による文明が発展していき、数多の英雄が殺し合いに明け暮れた文明があった。

 

「大亜連合……中華。呂剛虎……呂?」 

 

 中華の歴史において呂の姓を持つ英雄は多い。

 古くは周の国の大軍師 太公望も呂の名を持つ英雄だ。ほかにも秦の宰相 呂不韋、後漢末呉の将軍である呂蒙…………だが彼らはいずれも英雄と呼ぶに相応しい英傑だが、映像のような狂戦士が如き猛将とは結び付かない。

 中華にその名を轟かせる猛将で呂の姓をもつ者といえば────―

 

「呂布か!」

 

 該当しうる英霊の真名が思い当たり、圭はハッとなった。

 

「なに!?」

「呂布奉先。中華は三国志における無双の飛将軍です。召喚されるとしたら、アーチャーかライダーか……バーサーカー!」

 

 かつてカルデアにおいても召喚された過去のある天下無双、裏切りの英傑とも称された破壊の権化。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10話

 

バーサーカー(狂戦士)?」

 

 これまで魔法師たちは幾騎かのサーヴァントと遭遇してきた。

 ライダー(コロンブス)キャスター(メフィスト)アサシン(グリム)ランサー(ゲッツ)

 それらはいずれも過去の英霊としての姿であった。

 だが彼らが今回目にすることになったのは、それとは違う、魔法師の肉体を依り代にサーヴァントの紛い物へと変貌した異質の敵だ。

 首をかしげたのは真由美だけではなくこの場の魔法師たちすべてに共通するものだ。

 

「バーサーカーのクラスは、理性と引き換えに能力向上の恩恵を受けるクラスなんです。そのため純粋なスペックだけならほかのクラスで召喚されたサーヴァントよりも強力な場合が多い」

 

 魔術師の言葉通り、藤林の見せた映像の呂剛虎はバーサーカーという評がまさに適格だった。

 目につくもの、視界の中で動くものすべてが破壊の対象。

 こちらの兵や魔法師だけでなく、時折目に映ってしまった同陣営のゲリラすらも肉片に変えて荒れ狂っているようだ。

 戦術はなく、けれども戦略的な目標であるゴール(魔法協会)のことだけは見失っていないのか、立ち塞がるモノを薙ぎ払い、蹂躙して進撃している。

 

「けれど理性を失っているせいで生前の武技の多くは失われることが多い上、サーヴァントの最大戦力でもある宝具の解放もシャドウでしかないあの呂布にはできないでしょう」

「宝具は使えない、か……」

 

 達也が顎に手を当てて圭の言葉を反駁した。

 彼がサーヴァントの宝具を実際に目の当たりにしたのはキャスター(メフィスト)の爆弾宝具の時のみだ。だが精霊の瞳によりイデアを介して得られるはずの情報をすらアサシン(グリム)の宝具は遮断したことを忘れてはいない。

 どちらの時も、達也の想定を超えた“魔法”だった。

 それともあれも魔術であるのか。

 物質的な距離にかかわらず知覚できる精霊の瞳(エレメンタル・サイト)すらもすり抜ける力を内包するだけでなく、鉄壁を誇る十文字克人の魔法障壁をすり抜け、数多の魔法師たちを呑み込むほどの恐るべき力の具現。

 それが使えないというのは考慮すべき事態が一つ減ったという意味で喜ばしい。

 だがあの暴力の具現ともいうべき敵は、それが些細なことにしか思えない。実際問題として、あれは魔法も重火器も通用しない荒れ狂う颶風だ。

 

「それともう一つ。バーサーカーのクラスは能力値の向上と引き換えに大量の魔力を消費するクラスです。通常のサーヴァントでさえ、存在を維持するためにすら膨大な魔力が必要なのに、その上バーサーカーの戦闘を賄うだけの魔力を供給し続けられるわけがない」

「む。足止めをすべきだということか?」

 

 克人が唸るように厳めしく尋ねた。

 

「魔力というのは生命力と等価です。枯渇すれば死に至る。依り代になっているのが魔法師であったとしても遠からず自滅するはずです」

 

 現時点でもあの呂剛虎の前に立ったことでかなりの被害が出ている。

 それが自滅するものなのだとしたら、敢えて戦うよりも回避するのは戦術策として間違ってはない。

 

「藤丸。その遠からずと魔法協会への侵攻、どちらが先になると考える」

 

 ただしそれは敵の戦略的目標を考慮しなければの話。

 敵勢力の目的は魔法協会にある機密情報だ。

 魔法が軍事力となるということはその機密情報が敵の手に渡ることは、軍事力の流出と同義。

 それではここで被害を減らしたところで、未来の被害の拡大につながってしまっては意味がない。

 軍事・防衛上では異なるが、この場における魔法師の代表は十師族の直系である克人でもある。

 克人の問いかけに圭は少し思案して再び口を開いた。

 

「難しいところですね。普通なら魔法師を依り代にしていようと自滅の方が先でしょうけど、縁がある分、現界時間が長くなっている可能性があります」

 

 魔力とサイオンは近しい。

 魔術師が魔法師と呼ばれるようになって、その異能の行使にあたって必要とされるエネルギーが魔力からサイオンと呼ばれるように変わったからだ。

 現代の魔法師の概念ではサイオン量の多寡は評価されない項目となっている。

 CADにより展開の速度や起動式の展開が補助されるようになり、ひと昔前では重要視されたサイオン量は現在ではあまり重視されない。

 中には|術式解体グラム・デモリッション》のように大量のサイオンを圧縮する必要のある魔法も存在するが、それはどちらかというと対抗魔法。現代魔法における“魔法”というのはあくまでも現実を改変させる力のことだ。

 勿論、魔術と魔法が別物であるように、魔力とサイオンも別物だ。

 むしろ魔力は生命力に近い。

 ただ、圭の推測でも、そして達也の推測でも非魔法師に比べて魔法師ではサイオンが多く、そして魔力を精製するための源も非魔法師に比べれば多い。

 無論のこと、魔力を精製する鍛錬を行っているわけでも、その知識があるわけでもないので、魔術師に比べれば微々たるものだ。

 だが、今回はいささか事情が異なる。

 そもそもサーヴァントが存在の維持にさえ魔力を必要とするのは、サーヴァントが世界にとっての異物。現世には存在しないはずの霊体だからだ。

 だが現世の肉体を器にし、そこに縁という鎖を加味したこのシャドウ・サーヴァントは、おそらくほかのサーヴァントよりも消費される魔力、世界にみなされる異物感が小さい。

 ゆえに、呂剛虎がその命を枯らしきるよりも前に、敵の戦略的目標である魔法協会の陥落は先になってしまうだろう。

 

「我々は魔術師、藤丸殿ならびに獅子劫殿に対し、この敵勢力ならびに脅威の排除について協力を要請する」

 

 敵の戦略的目標は阻止しなければならない。

 そしてそのためには魔法師や軍だけでは被害が大きく、魔術師であればその被害を減らせる。

 何よりも、これは魔術師の利用価値を確かめる絶好の機会だ。

 軍──―殊に風間少佐の所属する独立魔装大隊は、日本の治安維持が十師族に依存していることを憂慮している組織だ。

 表向き十師族は公的権力と結びついてはいないことになっている。

 つまり十師族とは私的集団に過ぎない。

 けれども魔法師、特に外国からの敵性魔法師の脅威に対抗するには優れた魔法の力が必要で、その頂点に位置するのが十師族なのだ。

 十師族に組しておらず、けれども彼らでさえも手玉にとられるサーヴァントという存在。

 たしかに仕組みの解明されていない魔術は脅威でもある。だが同時にその力を軍に取り込むことができれば────―。

 

 

 それはかつて、人理修復という偉業を成し遂げた偉大なマスターが、けれども人の歴史に名を残すことも、その功績を残すこともなく消えたのと同じ理由。

 それでも何も手を打たないというのはなしだ。

 だってそれは違う。

 それは()()()()()()()()()の在り方ではない。

 

「まぁ、仕方ない。この状況では不干渉というわけにもいかないからね。ただ…………」

「ケイ。君はアストルフォと合流してあのシャドウ・サーヴァントの撃破に向かってくれ」

 

 協力の意思を示すかのように思われた圭だが、うかがうような視線を明日香に向けると、その彼からは真由美たちにとって予想外の言葉が指示された。

 

「僕はアーチャーとともにここに残る」

「だと思ったよ」

 

 真由美たちが驚き、風間少佐が眉根を寄せた一方で、圭はため息をついて理解を示した。

 

「獅子劫。あれは喫緊に対処すべき問題だと考えるが」

 

 明日香の圭に対する指示に対して、克人が口を差し挟む。

 記憶している限りでは2度。九校戦の事件を加えるならば3度。克人もサーヴァントが絡んだ事件に関係している。

 魔法師だけではサーヴァントに対抗できない。

 それは首都の防衛という役目をもつ十文字家の総領として遺憾なことではあるが、だからこそ事実としての彼我戦力を見誤るわけにはいかない。

 そして魔法師の頂点たる十師族だからこそ、魔法協会を陥とされるわけにはいかない。そここそが両軍における重要拠点だという認識なのだ。

 

 風間少佐の思惑や克人の指摘した懸念は明日香としても分かる。

 けれどももう一つの情報が彼の動きを制限せざるを得ない。

 

「市街地の広範囲に展開している白猿。あれはおそらく敵のアーチャーの宝具によるもの、そしてその狙いがおそらくこちらのアーチャーだからです」

「敵のアーチャーだと?」

 

 克人にとって予想外の情報にただでさえ厳めしい顔に険しさが増した。

 サーヴァントはサーヴァントをもってしか倒せない。

 かつてキャスター討伐の際にほかでもない明日香が言った言葉だ。

 シャドウとはいえ暴れ狂うサーヴァント一騎に魔法師たちが圧倒されつつある、今この戦況でさえ危ういのにそこにさらにもう一騎敵性サーヴァントの存在が示唆されたのだ。

 

「真名をラーマ。古代インドにおける理想の王とされるコサラの王。インド二大叙事詩の一つ、ラーマヤーナにその名を轟かす英霊。つまりシータの王配となる王様です」

 

 再びの驚きが場を覆う。

 視線がシータに集まる。そこに込められているのは猜疑。

 特に、行動を共にすることの多かった雫は、シータがそのラーマという英霊のことをどれだけ想っているのかも聞いたことがある。

 であれば、あるいはシータはラーマの側にいつついてもおかしくはない。

 

 むしろ、その彼と敵対しているような立ち位置にあることの方がおかしく、克人や達也は驚きを呑み込んでいた。

 特に達也の場合、彼の精神構造自体が驚愕とは無縁のものだけに平静を取り戻すのは早かった。

 

「相手の正体がわかっているのか」

「一度明日香が交戦し、撃退していてね。その時に深手を負わせているんだ。加えて言うなら、ほら、最初にシータ王妃と会った時、彼女を襲ったサーヴァントがそのアーチャーなんだ」

「えっ!?」

 

 雫たちの視線に耐え切れなくなって、ではないだろう。

 愛しい相手に、明確な敵意を向けられた時のことを思い出してか、シータは顔を曇らせていた。

 

「本来、シータとラーマという英霊は同時には現界できないはずなんですよ。離別の呪いといって、互いが互いを求める限り、決して会うことができない。英霊としては霊基を共有している状態なんです」

「え、でも……」

 

 説明が、矛盾している。

 今ここに、シータはいるのだから。それでは敵にラーマという英霊がいるはずはないのだ。

 けれど────―

 

「サーヴァントは基本的にその英霊の生前での全盛期の姿で召喚されます。ラーマの場合、召喚されるとすれば、ラーマヤーナで最も語られる攫われたシータ王妃を求める姿で召喚されます。けれど明日香が交戦したラーマは肉体的な全盛期、王として君臨していたころの姿でした」

 

 論文コンペの始まる前。誘い出される形で応じたラーマとの戦いで、明日香が目にしたラーマは藤丸家(カルデア)のデータにあるラーマの姿ではなかった。

 シータと同じはずの赤い緋色の髪は白くなり、面貌からは表情というものが消えていた。

 

「ラーマは14年間もの長きにわたってシータ王妃を求め続けましたが、ラーマヤーナにおいて最後にはシータ王妃を自ら追放してしまうことになります。────失礼、シータ王妃」

「いえ、事実ですから……」

 

 愛していても、お互いが想い合っていていたとしても別れることはある。

 世界にはそんなことがあることがわかっていても、まだ恋する少女であるほのかや雫には受け入れがたい。

 

「なん、で……」

 

 思わず口をついてでた言葉は雫のものだったのか、それともほのかのものだったのか。

 いずれにしてもこの場にいる少女たちにとっては受け入れがたいもの(過去)には違いない。

 

「王として君臨するがゆえに、王としての判断がゆえに、ラーマ王はその決断をすることになる。ラーマとシータがともに現界しているということは、一つにはラーマの霊基が王としての彼になっているからだと推測されます」

 

 圭の言葉に、軍人である風間少佐はもとより、重要な情報であることを理解している克人も、そして達也も心が揺れ動くことはなく、ただ必要な情報のみを拾っていく。

 

「ただし、それでもおそらくラーマの霊基は完全ではない。戦う力はかなり弱いとはいえ、こちらのシータに霊基の一部を分割している状態だからです。ラーマは完全な自分になるためにシータの霊基を取り込もうとするでしょう。そしてラーマの霊基が完全になってしまうと明日香でも手がつけられなくなってしまいます」

 

 ここで必要なのは、今現在の敵サーヴァントが万全ではなく、今ならばまだ明日香が倒せるということ。

 そして同時に、敵にこちらのサーヴァントが渡れば対抗手段がなくなるということだ。

 

「ラーマは日本ではマイナーですが、西暦以前の、数ある英雄の中でも最古に近い英霊です。しかも来歴からして神性持ちだ」

「神性持ち?」

「ラーマヤーナという叙事詩の大筋は魔王ラーヴァナに攫われたシータを奪い返しに行く叙事詩ですが、そもそもラーマという英雄は神々をだまして力を得た魔王(ラクシャーサ)ラーヴァナを倒すため、神々の願いを聞き届けたヴィシュヌ神が転生した現身だとされています」

 

 ラーマヤーナの物語については達也とて調べはした。

 けれどもあれはあまりにも“物語”過ぎる──―などと侮りはしない。

 かつて魔法という異能が御伽噺の類とされていたころ、忍者や魔法使いはファンタジーの住人であったのだ。

 錬金術における“賢者の石”然り、かつてのファンタジーの世界の住人の活躍は非魔法師からすればまさに“物語”だろう。

 けれども現代の魔法が発展している世界を鑑みれば、かつて御伽噺と科学的に切り捨てられてきたものの中には、異能の存在を含んでいたというのは十分にありうる。

 

 人々の伝承の中に生きた神や悪魔、魔王といった存在。

 科学的には証明されず、近代以降には存在そのものを否定された“神秘”。 

 

「ラーマが完全な霊基を有した場合、ヴィシュヌ神としての権能を持つ可能性がある。神秘というのはより古く強大な神秘に屈するものです。ただでさえ人類史の中でもとびきり古く強大な英雄なのに、英霊どころか神霊に至るだなんてことになれば手がつけられません」

「ちょ、ちょっと待って! 英霊というだけでも規格外なのに、神様って! そんなの……」

 

 克人や風間少佐たちは現状の敵の勢力を把握するために神秘や魔術など自身の領域の埒外にあるものをそういうものとして定義したようだが、なまじ魔術師と交流を深めようという方針を真に受けていた真由美にとってはすんなりと受け入れられるものではなかった。

 そして達也にとっては────―

 

「幹比古。古式魔法における奥義に神霊と接続するというものがあると聞いたが、同じことなのか分かるか?」

 

 手の届かなかった領域に手を届かせるキザハシのようであった。

 神霊──―以前一度だけ、達也は幹比古からそのことを聞いたことがあった。

 古式魔法の名門。神祇魔法の大家、吉田家。

 かつてその神童と呼ばれながらも、魔法事故によってその才を喪い、けれども現代魔法との融合を果たすことで取り戻した天才。

 その時の会話では、彼ではない彼女(柴田美月の瞳)の秘密を共有するためのものだった。

 あの時、幹比古は神霊という存在について言及していた。

 

「…………分からない。たしかに古式魔法の中でも、僕の扱う系統では神霊との接続、神霊の喚起は奥義とされるものだ」

 

 魔術と古式魔法は違うものだ。

 けれど現代魔法は魔術が失われのちに発展してきた技術なのに対して、古式魔法は魔術が存在していたころにも、その歴史を有する。

 それがなぜ変質してしまったのか。

 なぜ魔術から魔法へと転換したのか。

 それもまたミッシングリンクとして歴史から消え去ってしまっているが、現代魔法よりも古式魔法の方が魔術に近しいのはたしかだ。

 現代魔法は未来に対して発展していく技術であるのに対して、古式魔法の大部分は過去の天才たちが成立させ、隆盛を誇った過去がある。

 少なくとも、現代魔法には神に繋がる術法の探索、などという曖昧模糊とした目的は存在しない。あるのはよりよい魔法へと至るという未来に進むという目的だ。

 

「あくまでも僕の流派における魔法理論においては、だけれども、僕の考えでは神霊というのは膨大な想子情報体だ。人間の脳では処理できないほどの情報構造体。魔法に当てはめるると行使される規模や強度は比較にならない、それこそ現代魔法の戦略級魔法に匹敵するほどの力だって…………」

 

 かつて幹比古は竜神──―幹比古の流派における神霊の最上位へのアクセスを試み、その喚起を行おうとしたことがあった。

 結果、自分のキャパシティ、処理能力を大きく超える能力を吐き出し続けることを求められ、失敗に終わった。

 以後、達也と出逢い、問題を気づかされる時まで思うように魔法を行使できないジレンマを抱え込み、才を失うこととなった。

 今でこそ、その才覚は取り戻すことができたが、あの強大さを忘れたことはない。

 

「神霊クラスのサーヴァントであれば、一つの街を壊滅させるくらいはわけないでしょうね」

 

 幹比古(古式魔法師)の想い描く神霊と(魔術師)の示す神霊とは異なる。

 けれどもそれが人の領域を遥かに凌駕する存在であるということだけは一致している。

 そしてそれが破壊という力を振るった時の被害の甚大さも。

 

「本来、神霊がサーヴァントとして召喚されることはありません。元々サーヴァント一体であっても、必殺の兵器とされるくらいの力はあります。そんな普通の英霊であっても、圧倒的な霊格でサーヴァントのクラスに合わせて一側面として切り取っているものなのに、神霊クラスになると霊基が耐え切れないからです」

 

 存在しないはずのサーヴァント。そしてその上でさらに現界しえないはずの神霊。

 強大な力の具現であるからこそあり得るはずはない。

 けれども魔術師たちはそれがあるものとして動こうとしている。真由美に生じた疑問はこの場に集う魔法師たちの疑問でもあった。

 

「ならどうして……?」

 

 現界しえないはずの神霊系サーヴァントの召喚。それに対しては圭はある仮定があった。

 

「確かなことではありませんが、おそらく一つにはシータと霊基を分割しているからだと思います。完全な霊基を有してはいないから霊格を通常のサーヴァントクラスにまで落として現界することができている」

 

 神霊クラスのサーヴァントが成立した例がないわけではない。

 かつてカルデアでは幾柱かの神霊系サーヴァントが契約を結んだという記憶がある。

 ある神霊は別の英霊に相乗りする形で。

 ある神霊は疑似サーヴァントとして聖杯に所縁ある適正者に融合する形で。

 ある神霊は分霊にその身を分け与えることで霊格を制限して。

 

「それだけじゃないな」

 

 加えて、圭の予測に明日香が前回の交戦で得た所感からの予想を付け加えた。

 

「前回交戦したとき、あのアーチャーからは別の魔力を感じた。あれはおそらく……」

 

 歪な魔力。

 なにがしかの願いを受けて、無理やり拡げられた魔力。

 

「聖杯か…………ッ」

 

 明日香の予想に圭が顔を顰めた。

 聖杯。いつかの事件の顛末の時に聞いた覚えのある聖遺物の名称をここで再び聞くこととなり、真由美が「どういうこと?」と尋ねた。

 

「外部供給を受けているんですよ。おそらく本来召喚されるはずだった、あるいは召喚されていたラーマの霊基を後付けで拡張して変質させた。そのときに霊基の一部が分割してしまってシータが現界したのでしょう」

 

 霊基の分割させたことによりシータにはサーヴァントとして戦う力がほとんどない。けれどもその存在を成立できるだけのリソースは割かれている。

 それは英霊ラーマの咄嗟の退避行動であったのか、それとも単なる余剰の漏れ出たものにすぎないのか。ラーマではない彼らには分からない。あるいはラーマ自身にも分からないであろうが……

 

「理由はともかく、敵のアーチャーの狙いはこちらのアーチャーだ。そして渡すわけにはいかない」

 

 現状において重要なのは、シータが対サーヴァント戦においてさほど戦力にならずとも、敵の戦力に対して重要な鍵を握っているという点だ。

 だからこそ明日香は市街地線となるであろう呂布奉先との戦いには赴けない。

 

「シャドウ・サーヴァントの方を討つために市街地に向かうと、シータを奪いに来るラーマに挟撃された上、市街地で戦うことになり、かなりの被害がでるおそれがあります。それよりも臨海部に近いここで迎え討った方がいい、ということだね」

「バーサーカーの方はライダーとケイに任せる。肉体に依存したシャドウ・サーヴァント相手なら純粋なサーヴァントのライダーの敵じゃないはずだ」

 

 問題は強力なステータスを有するクラスであるバーサーカーの対処に当たるのが圭とアストルフォになってしまうことだ。

 ただサーヴァントとして召喚され、十全な魔力供給を得ているアストルフォはサーヴァントとしての力をフルに使える。

 それに対して呂布奉先はシャドウ・サーヴァントであるのに加えて魔力供給も十分ではないはずだ。

 明日香と圭の定めた方針は、軍属である風間少佐や魔法師としての損耗を第一とするのであれば彼らとは異なるものだ。

 戦略的な最重要拠点は魔法協会であり、自国の魔法という未来への戦力を敵に流出させないことが重要なのだからだ。けれども魔術師たちの方針は完全に違えるものではない。

 そして少なくとも魔術師たちの協力を得られるという点においては確約されたのだから。

 

「方針は定まりましたか? 特尉にはムーバル・スーツをトレーラーに準備してあります。急ぎましょう」

 

 克人を案内してきた軍服の男性が達也たちを戦場へと誘う。

 まだすべての情報について、特にこのような事態にでもならなければ得られないだろう魔術についての情報を得たいという思いはあれども、いつまでもここに留まっているわけにもいかない。

 明日香とシータはここに残ることを決めているが、達也たちはそれぞれの戦場に、真由美たちは包囲されつつあるこの戦場からの避難を行わなければならないのだから。

 

 

 

 

 同じ独立魔装大隊の真田に声をかけられた達也は、己に求められている役割を理解しつつけれども逡巡するように深雪を振り返った。

 彼にしては珍しいことに迷いがあった。

 サーヴァントが出現し、通常の魔法師では対処できないほどの何かがうろついている戦場で深雪から離れるというのは彼の使命としても心としても承服できない。

 けれどもここで彼が大黒竜也特尉として参陣しなければ防衛線はさらに押され、戦火が深雪にまで及ぶ可能性が高まる。

 彼女を置いてでも戦うべきか、それとも心に従って離れないでいるべきか。

 

 以前であればこうも迷いはしなかったであろう。

 彼の知覚、そして魔法は距離に隔てられることなく深雪の存在を知覚し、その危機を感じ取り、守護することができるという絶対の自負があったから。

 けれどもそれはサーヴァントという超常の存在の出現によって崩された。

 もしかしたら深雪を感じ取れなくなるかもしれない。

 自分の目の前であれば、触れ合ってさえいれば、深雪を見失うことはない。

 たとえその命が消え行く最後の一瞬であっても、彼の力が届きさえすれば取り戻せる。

 絶対に、何があろうと、何と引き換えになろうとも。

 

 けれども手の届かない距離がある。

 自分の知らないところで彼女が傷つくかもしれない。

 そんな、誰もが当然に抱きうる恐怖が今、達也の行動に迷いをもたらしていた。

 

「お兄様」

 

 達也の逡巡を定めたのは最愛の妹の決断であった。

 彼女の手が迷いなく、震えることもなく、達也の顔に伸ばされた。

 その手が優しく頬に添えられる。

 間近に美しい(かんばせ)が迫る。

 

 

 彼女とて離れがたい思いはある。

 けれども最も恐れているのは、自身の存在が達也の足手纏いになること。

 だからこそ深雪はその行為にありったけの想いを込めた。

 

 達也はそっと膝を折り、片膝をついた。

 深雪はそのまま腰を屈め、達也の額に口づける。

 目を灼くほどに激しい光の粒子が、達也の身体から沸き上がった。

 其れは魔法の源となる粒子。物理現象における光ではない。

 あるいはその光を目にした者は、その輝きを指して“神秘”とすら評するのかもしれない。

 ありえないほどに活性化した想子が、達也を取り巻き吹き荒れる。

 さながら嵐の王(ワイルドハント)のごとく。

 

「私は、大丈夫です。どうかご存分に」

 

 彼女の存在自体が達也にとって枷になる。

 それがこの上なく嬉しく、この上なくもどかしい。

 彼女にできるのはありったけの想いを込めて、せめて兄を見送ることだけだ。

 

 解き放たれた封印。

 しかし力を解放されたのは達也だけではなく深雪もだった。

 解放された達也と深雪の潜在的な能力は、あるいは神秘を宿しているかのようですらあった。

 旧い世界の神秘が消えていく今の世界で、けれども魔法という新たなる力の中にも、別の神秘が宿り始めようとしているのかもしれない。

 ────―それが人理にとっていいものか、悪いものかはともかく…………

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11話

 

 達也が国防軍の軍人に先導されていった後、克人や真由美たちも藤林響子の先導により会議場を出た。明日香もここに残るとはいえ屋内を戦場に選ぶつもりはない。

 そのため移動する圭たちを見送るような形になった。

 

「それでは藤丸殿。魔法協会関東支部まで楯岡軍曹と音羽伍長が帯同いたします」

 

 圭が向かうのはシャドウ・サーヴァント、呂布奉先の脅威が目前となっている魔法協会の関東支部。

 国際会議場から支部までは魔術や魔法で強化すれば10分ほどで到着する距離だが、今は街中が戦場になっている。

 そのため不要な損耗を避けるため、藤林は移動用のトレーラーを1台と二人の軍人を案内役としてつけることを提案した。

 

「ありがとうございます。ですがアストルフォが騎乗で向かって来ていますから途中までで構いません」

 

 ただその移動はアストルフォが合流すれば、彼の愛騎に任せた方が早いであろう。

 それに彼らとて戦場に対する覚悟はあるだろうが、無駄に犠牲を増やすつもりもないし、肉の壁にする予定もない。

 アストルフォとともに手早く対処する目算をたてていた圭だが、予想外の提案があった。

 

「藤丸。俺も同行しよう」

「十文字先輩?」

「支部を襲っているのはサーヴァントだけではあるまい。代理とはいえ俺は師族会議の一員だ。魔法協会の職員やそれを守護する者たちに対する責任を果たす義務がある」

 

 圭は渋い顔をしつつも克人の提案を受け入れざるを得なかった。

 

 対サーヴァントとしての戦力として考えるのであれば、克人といえどもあまり意味があるとは思えない。だが克人の提案は半ば予想の範囲のことではあったし、実際襲撃してきているのはサーヴァントだけではないだろう。

 サーヴァントを撃退するのはともかく、異国のとはいえ魔法師を相手にするのはいろいろな意味で危険だ。

 魔術と魔法は、向かう方向性が違うものなので、圭の腕前ではどちらにしても戦闘タイプの魔法師と戦うと対抗できないのだ。

 それにアストルフォを魔法師と戦わせるのも望ましくない。

 サーヴァントの本質は魂食いだ。

 一人殺せば殺人者だが100万人だと英雄だというのは誰が言ったことばであったか。

 英雄とは狂気に囚われやすい存在だ。

 だからこそサーヴァントのほとんどは、理性を失わせるバーサーカーへの適合がある。ましてアストルフォは理性の蒸発したサーヴァントだ。高潔な善性の強い騎士ではあるが、外的環境における倫理観が崩れれば狂戦士にもなり得てしまう。

 

 ため息をついて頷いた圭に明日香が声をかけた。

 

「頼むぞ、ケイ」

「こっちの心配よりも君の方だろう。こっちはシャドウだけど君の方はハイ・サーヴァントだ」

 

 万全のサーヴァントと協力して疑似シャドウ・サーヴァントに相対することになる圭よりも明日香の相手の方が遥かに強大ではある。

 

 

 魔法協会支部へと向かう圭と克人。残ることで戦場を定めた明日香とシータ。

 真由美たちは響子に護衛される形でシェルターに向かうことになっていた。

 将来有望で、現時点においても強力な力を有する魔法師とはいえ、真由美も摩利も、深雪たちも軍属ではなく己の身の安全を考えての行動を優先させたとしても非難されるものではあるまい。

 

 明日香の袖を、そっと小さな手が握りしめた

 振り向くと避難誘導される一団から離れた雫の黒い瞳が不安げに揺れながら見上げていた。

 

 

 

「明日香、大丈夫なの?」

 

 聞かされた敵の強大さ。

 これまでの敵は人の来歴に収まる者たちであった。

 メフィスト・フェレスこそ純粋な人のサーヴァントではなかったものの、それでもこれから明日香が立ち向かおうという相手とは違う。

 今度の相手は神の階に届きうる者。

 手が付けられなくなるとまで告げる相手と、今にも武装ゲリラたちが包囲しようとしているこの場に留まって闘おうというのだ。

 不安。

 

「大丈夫。仕留め損ねはしたが、一度勝った相手だ。霊基が不完全な今ならまだ勝てる。ラーマを討ったらすぐにシャドウ・サーヴァントの方に向かおう」

 

 くしゃりと明日香の手のひらが雫の髪を撫でた。

 大丈夫。いつもと変わりない温もり。

 身長差の関係で少し頭上から見おろす明日香の眼差しも、この非常時にあってもいつものように少し色の褪せた黒い瞳が────―

 

「明日香?」

 

 手が離れ、見上げた明日香は険しい顔つきで別の方向を睨んでいた。

 

 男が立っていた。

 さしておかしい装いではない。現代の文化レベルに合わせた設えの衣装。

 燃えるような赤い髪に大柄な体躯。克人と比べれば控え目な体型だが、服を着ていてもその肉体が引き締められているのは容易に見て取れた。

 なによりもその存在に気が付けば、むしろなぜ今の今まで、ここまで接近されるまで気づかなかったのか不思議なほどに存在感に満ち溢れた大男だった。

 

 その男には見覚えがあった。

 エリカとレオはいつか見た、圧倒的な威圧感を持つ男だと気づき、身構えようとした。

 戦場となったこのような場所にあれほど悠々とした態度の民間人がいるはずもない。まして男の持つ雰囲気は逃げ惑い、ここに来てしまった者のような弱弱しさを感じられなかった。

 克人や響子らは身構えようとした。

 だが──────

 

「久しいな。アルトゥールス」

 

 たった一言。

 赤髪の男から言葉が紡がれただけで、彼の気配を隠していた何かが消えたのか、あたり一帯を濃密な威圧が襲い掛かった。

 

「──────―ッァ」

 

 その重さは、戦いを知るエリカや克人ですら総毛立つほどで、戦う者ではないほのかや美月などにとっては呼吸の仕方を忘れさせるほどであった。

 

「ルキウス」

 

 魔法師たちを背に庇うように一歩、前にでた明日香。

 その声は先ほどまで雫に向けていたモノとは別人のように硬質だった。

 けれどもその声で、ほのかや美月たちはハッと我に返り、重苦しいながらも息の仕方を取り戻した。

 

 

 

 

 魔法師たちが突然現れた男の発する強大な圧に驚愕し、呑まれていたのとは別に明日香の内心も大きく動揺していた。

 彼が、というよりも彼の内にある霊基が訴えかけていた。

 

 在りし日の姿。その身に宿る霊基が覚えるかつての男とまったく変わらぬその姿。

 それはあり得ないはずの対峙。

 明日香の口から呟かれた名前に圭もまた驚愕した。

 

「ルキウス? ルキウス・ヒベリウス!!? バカな……」

 

 以前、エリカとレオから赤髪の大男と遭遇した話を聞かれたとき、明日香の真名が敵に把握されていることを感じたとき、脳裏をその名前がよぎらなかったわけではない。

 生前の“彼”と縁深い人物。

 そして味方ではなく、彼の王に敵対していたかもしれない人物について。

 けれども圭ではなく、明日香は聞いた容貌から真っ先に思い浮かんだ人物を明確に否定した。

 ──彼が召喚されることは有り得ない────と。

 

 英霊とは人類史──人理にその名を刻まれた存在だ。

 その存在が実在していたか、あるいは虚像の中にしか存在しないものかだとしても、歴史の中にその逸話、為した功績がなければ存在しない。

 だからこそ有り得ない。

 彼の英雄(……)こそは大陸最強なりし華の皇帝。

 神祖の築きし大帝国の繁栄とコロッセオの衰退を招き、数多ある諸王と魔術師、滅びゆく超常の存在たちを率いて侵略を試みた地上の神たる王。

 聖剣の輝きをもって、()()()()()姿()()()()()英霊ならざりし虚ろな英雄。

 

 だからこそ、彼がこの現世に召喚されることはあり得ない。

 

「これは貴様が仕向けた茶番か、ルキウス」

 

 だが事実として、皇帝はここに現界している。

 かつて聖剣を担いし円卓の騎士王の前に立ったのと同様、恐るべき敵として。

 

「これとは? ああ、このバカ騒ぎのことか。であれば魔術師モドキどもが騒ぎ立てているにすぎん。もっとも、この国が貴様の枷だというのであれば、滅ぼしてやるのも一興ではあろうがな」

 

 この国を守る魔法師としては激昂してもおかしくはない暴言。

 大言壮語にも聞こえるが、この男の口から言の葉に乗せられると、それがさもあり得る事実であるかのようであった。

 

「ならばなぜここに居る」

 

 存在し得ないはずの英霊の現界。

 明日香の瞳が褪せた黒色から碧眼へと変わりつつあるのは、心の揺れ動きが彼だけのものではなく、彼に宿る霊基が訴えかけているからか。

 

「知れたこと。────貴様だ。アルトゥールス」

 

 険しく敵を見据える明日香に対し、ルキウスと呼ばれた男は鋭い瞳に悦を宿して応えた。

 

「スワシィの谷での戦いは、コロッセオが廃れて以来、久しくない心躍る戦いであった。そしてそれが、俺に残る最後の時だ。他でもない、貴様が終わらせたのだ。この俺の時を。人類史そのものから」

「雪辱を果たすためにこの世界に仇なすか、ローマ皇帝たる君が」

「否だ。俺が求めるものは存在理由だ。歴史から俺の存在が消えた以上、残されているのは貴様との戦いの記録のみ。貴様を欲し、貴様の領土を侵し、亡ぼす。それだけが俺の望みだ」

 

 当初の作戦方針の中にはなかった新たなサーヴァントとの遭遇。

 この位置取りではサーヴァントの戦闘にもろに巻き込まれることになる。

 明日香は会話で注意を引きつつ移動して圭たちから距離を取っている。

 その隙になんとか動きを取り戻した圭は克人や藤林に視線を送った。

 彼らもこの状況はよくないことを感じているはずだ。

 

「獅子劫様」

「……すまない、アーチャー。君とともに戦うことは、できそうにない」

 

 シータとともにラーマに当たる。それが当初の作戦方針だった。

 だがそれはルキウス・ヒベリウスという強大なサーヴァントの出現によって崩壊しているといっていい。

 現状、明日香がとれるのは、ただ全霊をもってこの強敵に当たることのみ。

 

貴様の国(ブリテン)も亡びた。我がローマもまた亡びた。なれば俺が求め欲するものはただ一つ。貴様だ。アルトゥールス。貴様という星の光を、俺は落とす」

 

 皇帝の手に真紅の魔剣が握られた。

 その刀身に咲き乱れる百合の花を刻みし、花神フローラの加護を受けし、皇帝剣フロレント。

 切っ先がかつて己を消滅させた男と同じ顔を持つ男に向けられる。

 

 赤雷が落ち、皇帝の姿が戦装束へと変わる。

 疾風が吹き荒れ、デミ・サーヴァントの姿が顕現する。

 セイバーとセイバー。

 最優を誇るクラスに冠された剣士が対峙し────―

 

「はぁあああああ!!!!」

 

 咆哮とともに、不可視の剣を構えた明日香が、不敵な笑みを浮かべる剣帝に斬りかかった。

 

 

 

 

 

 

 目の前で始められたサーヴァント戦はこれまで雫が見てきた、記憶にあるどれよりも苛烈な剣戟だ。

 剣と剣とが打ち合うたびに衝撃が強風となって雫の小柄な体を吹き飛ばしそうになる。

 雫自身は魔法科高校の学生としては優等生で、魔法師として優秀な卵だという自負はあるけれども、彼と肩を並べて戦えると自惚れることなんかできはしない。

 それでもいつかは、少しでも、ほんのわずかでも────。アストルフォやシータと接するうちに強く想うようになってきたそんな考えは、けれどもこれまでとは比べ物にならないあのサーヴァントの存在感と戦いの激しさに崩れ落ちそうだった。

 彼女にできるのは圧力に心を潰されかかって血の気の失せて自失しかかっているほのかや美月らの意識を取り戻させることくらいだった。

 

 

「くそっ! 皇帝特権で気配遮断をしていたのか」

 

 圭は舌を打った。

 いくら明日香やシータの感知能力が高いとは言えないレベルであったとしても、ここまで接近されて気配に気づかなかったというのは、何らかのスキルでサーヴァントとしての気配が隠蔽されていたからだろう。

 本来気配遮断はアサシンクラスのサーヴァントのスキルで、セイバーのクラスのサーヴァントが保有していないわけではないが、あの強大なインパクトのある皇帝が保有しているスキルとしてはいささか理に合わない。

 おそらく皇帝特権のスキルを使って気配遮断相当のスキルを使っていたのだろう。

 だからこそこちらに存在が認識された時点でそれは解除された。

 もはや気配は隠すことなく、剣戟の衝撃と巻き散らされる存在の圧力だけで気がどうにかなってしまいそうなほどだ。

 

「すまない、アーチャー。ラーマには明日香と当たってもらう予定だったがその作戦は破棄せざるを得ない。なるべく早くアストルフォと合流してバーサーカーを倒すしかない」

 

 瓦解した作戦方針に拘泥することほど愚かしなことはない。

 圭の素早い方針転換

 

「ちょ、ちょっと待って! ここで先にアレを倒すべきじゃないの!? 今なら私たちだって──」

 

 花音が叫ぶように異を唱えた。

 それは勇気を振り絞っての、自らの魔法力における優等生としての義務感から生じたものであろうが、その声の震えは隠せていなかった。

 ただその思いは克人や真由美も同様であり、けれども克人たちが発言しなかったのは、以前にサーヴァントと明日香の戦いを間近で見た経験があったからだろう。

 あの時よりも遥かに強大な圧を感じさせる敵。

 

「バカ言うな!! すぐにここから離れるんだ!」

 

 ゆえに圭の返す言葉は決まり切っていた。

 

「見捨てていく気なのか!?」

 

 だが圭の決断はあのバカげた存在感を放つ恐ろしい怪物と戦っている明日香に押し付けて自分たちは退避するということ。

 達也の役に立つため、戦う場所を求めて刃を磨いていたレオやエリカにとっては殊更屈辱だったようで、さきほどまで息を詰めていた様子を一転させ、むしろ覚悟を抱いた戦場で気圧されていただけに、歯ぎしりせんばかりに気を吐いている。

 だが今回ばかりは、以前のキャスター討伐線の時とは違い、彼らの参戦を見過ごすわけにはいかなかった。

 

「あれは今までのサーヴァントとは格が違う! 正真正銘のトップ・サーヴァントだ! 魔術師だろうと魔法師だろうと、素の人間が太刀打ちできる相手じゃない! 援護どころか足手纏い、いや、それ以下だ!」

 

 普段の飄々とした態度とは異なる顔を持つことは、九校戦の時の戦いで真由美も知っていた。だが今、彼が見せる焦りの表情はこれまで以上にあの相手がヤバいということを訴えていた。

 何よりも真由美自身、幾度かサーヴァントという存在に触れているだけに、これまでよりも圧倒的に違う圧力を感じていた。

 生物としての根源的な恐怖。かつて人間が神にひれ伏し、怪物に恐怖し、英雄を畏怖したように。自己よりも圧倒的に霊格の異なる相手を前にして、無意識でだが神秘を感じ取り、呑まれているのであろう。

 克人が険しい顔つきのまま黙然とし、藤林も圭たちが高校生だからと意見を蔑ろにするつもりはないらしい。ちらりと主導する立場にいる三人が視線を交わし、代表して真由美が口を開いた。

 

「…………」

「……わかったわ。ここは一度────―」

 

 だが、その決断は轟音に遮られた。

 物理法則を無視したかのように地面と平行に吹き飛ばされた何かが、ビルへと激突した音だ。

 その音に反応して真由美たちが振り向くと、そこにはすでに戦いの光景はなくなっていた。

 

「えっ…………」

 

 視界の中に立っているのは赤髪の大剣士のみ。

 不可視の剣を振るっていた蒼銀の騎士はおらず、轟音のあった方向にはまるでトラックが突っ込んだのではと思うほどに破壊され、瓦礫と化した残骸があった。

 

「明日、香…………」

 

 雫の声は震えていた。

 これまで獅子劫明日香が対サーヴァント戦において真っ向勝負であれば敵を圧倒してきた。

 コロンブスの宝具を捌き、メフィストの宝具を耐え切った。そのいずれもを斬り伏せてきたし、ピンチに陥ったランサーとの戦いも、雫たちを守りながらの上にアサシンとの2対1の戦いであったからだ。

 その枷から解き放たれ、アストルフォという助力を得て2対2になってからは明確に相手を上回り打倒した。

 迅風のごとき剣閃。宝具の直撃に耐える対魔力。魔法師の自己加速魔法を上回る身体速度と制御。

 だが、それらが、今明確に上回られた。

 

「どうした、その程度か、アルトゥールス? サーヴァントになったからとてその腑抜けようはないな」

 

 かつての仇敵の霊基を有する男を蹴り飛ばしたルキウスは余裕をもって、一歩、残骸へと歩く。

 

 

「そうではないはずだ! 貴様の力はそんなものではなかろう!! 千の魔術師すらも凌駕する竜の心臓はどうした! 我が巨人の腕(ブラキウム・エクス・ジーガス)をさばいた剣技は! この俺を存在から焼き尽くした聖剣の輝きは!!!」

 

 かつてローマ皇帝たる己を歴史上から抹消するほどの力を示した相手(霊基)の体たらくにルキウスが檄した。

 その声で、茫然としていた雫の認識が現実に追いついたとき、彼女は叫んだ。

 

「明日香!」「ぬぅん!!!」

 

 ほぼ同時に、克人が魔法を発動して放った。

 十文字家が誇る鉄壁の魔法。その鉄壁を攻撃に転じた攻撃型ファランクス。

 多種多様、物理障壁を含んだその多重連続魔法はあらゆるものを押しつぶす魔鎚であり、魔法師相手であれば押しつぶされること必定の脅威となる。

 だが────―

 

「ああ。そういえばあの時も貴様の部下を幾人か遊んでやったのだったな」

「対魔力が高すぎる。アイツに魔法は通じません!」

「くっ」

 

 赤髪の大剣士はその脅威をものともせず、一瞥もせず歩みを止めなかった。

 サーヴァントに魔法の効果が薄いことは分かっていた。

 けれども以前の悪魔に対しては足止め程度の効果はあったのに、魔法が接触しているという感触はあったはずなのに、この敵に対してはそれすらもない。

 鉄壁たる十文字家の障壁魔法が紙ほどにも歩むための障害になれていない。

 その事実に、魔法師たちが唖然とした。

 

「なら。足場をやれっ、花音!」

「はいっ、摩利さん!」

 

 だからといって、まったくの無策というわけにはいかない。

 直接的な攻撃魔法では通じないとしても、その周囲の空間に対してであれば魔法は通用し、物理世界に干渉している以上は物理法則から完全に逃れることはできないはず。

 摩利の指示に花音が応えてCADを操作して千代田の得意魔法を放った。

 地雷原。

 地面に干渉して強力な振動を与えることにより効果範囲内の地上の物質を破壊する百家本流である“地雷源”千代田家が得意とする魔法だ。

 これならばあくまでも魔法が干渉しているのは周囲の空間に対してであり、サーヴァントに影響を与えるのは副次的・派生的効果に過ぎない。

 けれども──────

 

「そんな、まったくの無傷だなんて……」

 

 対物破壊能力に関して言えば、千代田花音の魔法はこの中でも抜きんでており、摩利をも上回るほどだ。

 だがそもそもサーヴァントに対しては物理的干渉すらも効果はなく、ルキウスの足元はには亀裂すらも入っていなかった。

 

 サーヴァントに対抗できるのはサーヴァントだけ。

 その言葉の意味を、魔法師たちは目の当たりにしていた。

 だからこそ、この場には一人のサーヴァントがまだいる。

 

 弓の英霊(アーチャー)、シータ。

 一高の制服を纏っていた彼女は、瞬きの間に霊衣を装着した。 

 緋色に輝く髪に映える白と赤の霊衣。手にはかつてラーマが婚約の証として自らの武威を示すために手に持った大弓。

 彼女自身に武勇の伝承はなくとも、その身はラーマと霊基を同じにするアーチャーのクラスの英霊。

 なればこそ、生前にその弓を弾いた伝承がなくとも、それはまさしく彼女の宝具たる武器であり、生身ではない英霊だからこそ、そこにつがえる矢は必要ではない。

 魔力で編んだ矢が一射五矢。ルキウスに襲いかかる。

 それはルキウスの生きた時代よりもさらに古い神秘を纏っており、だからこそルキウスにも届きうる。

 だがコロッセオ至高の剣帝の剣技は、武勇の誉れなき英霊の矢が通ることを許しはしない。

 斬撃の軌跡すら見せない一振りで五矢を撃ち落とした。

 

「くっ」

 

 だがそれは魔法師を気にも留めなかった剣帝が見せた明確な反応。

 セイバー(明日香)だけを見据えていた視線を気だるげに横に流し、歩み寄る足を止めた。

 

「だがブリテンの騎士どもと違って、現代の魔術師モドキ共の脆弱さはまさに虫けらとしか思えん。遊んでやるつもりで潰すことになるだろうが、まあ、その程度の者どもだ。質を考えれば、貴様の本気を引き出すためにはあの時よりも多い贄が必要となろう」

 

「────ッッッ!」

 

 視線が、向けられる。

 これまであのサーヴァントは、魔法師たちを見ていなかった。

 明日香だけを見ていた。

 あのサーヴァントの気配はこれまで会ったサーヴァントと比べて強大だというのは、錯覚だった。

 比べようもない。

 この剣帝の意識に留められた、ただそれだけで、エリカもレオも、先ほど攻撃を仕掛けた花音も摩利も、雫もほのかも、克人と真由美、軍属の藤林たちでさえも、死の恐怖(ヴィジョン)を見せつけられていた。

 あれこそは死神の具現。

 人たるの身では決して抗えない、災禍にして神威なのだと。

 

「それとも────王妃を部下に寝取られた腑抜けの貴様には女が犯されている様を見せつけてやった方がその気になるか?」

 

 剣帝の視線が、一人の少女に焦点を合わせた。

 手が震える。

 これまで彼女を護ってくれた“彼”。絶対の窮地に駆けつけてくれた明日香。

 その彼をいとも容易く撃ち破ってしまう相手に、玩具のごとくに目をつけられた。

 彼女が北山雫であるというアイデンティティにも、優れた魔法師であるという価値にも、一切興味はなく、ただ“彼”の力を引き出すための贄として。

 

 手が、脚が、心が震えて崩れ落ちそうになりながらも、それでも雫は震えを抑えて、拳銃型の特化型のCADを向けた。

 込められている起動式は雫が行使し得る魔法の中で最も殺傷能力の高い魔法。九校戦で達也の助力を経て獲得したフォノンメーザー。

 人体であろうと軽々と貫通しうる高度な振動系魔法が、このサーヴァントにさしたるどころか全くの脅威にはなり得ないことを理解していながら、その手に魔法を──剣をとることを無駄とはしなかった。したくなかった。

 

 かつて彼は言ったから。

 ──過程と結果はワンセットじゃない。それらは別のものだ──

 

 自分よりも強大な相手に、深雪に挑み、完敗した時の慰めの言葉ではあったけど。

 

 ──過程も結果も、それぞれが独立したヒトの意志だ。時には選ぶこと自体が答えになることだって、きっとある──

 

 戦うという選択をしたこと。それこそが代えがたい“答え”なのだと、明日香が言ってくれたから。

 

 だから────たとえ通用しないと、抗いようのないと分かっている相手にであっても、戦うという意思も選ばずに終わることだけは、したくない!! ──―

 

 雫の思いなどさしたるものともせず、剣帝は一歩、歩みを進める。

 圭とシータがそれぞれもつ杖と弓とに力を込めた。

 

「させない」

「!!」

 

 ──轟ッッッ!!! 

 

 一瞬早くルキウスが飛び退り、その居た空間を暴風の鉄槌が圧し潰した。

 

「ッ! 明日香!!」

 

 その声は雫が聞き違うはずもない明日香のもの。

 彼が激突し瓦礫とかしたビルへと視線を向けると、そこには果たして彼が立っていた。

 ただ、それは今まで雫が見たこともない姿だった。

 蒼銀の鎧はそのままに、けれども荒れ狂う暴風がその体から──剣から吹き荒れている。

 可視光線すらも屈折させ、その内に秘める宝具の姿を隠すほどに圧縮された風。それが紐解かれるようにほどけていき、その剣の姿を現す。

 光は此処に。輝きはその手に宿る。

 

 ──風王結界 解除──

 

「霊基再臨……」

 

 圭の呟きが思わず漏れた。

 それは明日香の膨大な魔力であってもおいそれとは成すことのできない再臨。

 眩い光は一瞬で、けれども輝きはあり続けた。

 これまで明日香の手に握られていた不可視の剣。その姿が魔法師たちの目に晒されていた。

 

「僕は“彼”ではない。…………だが、貴様がこの世界に仇なし、彼女たちを傷つけるつもりなら、聖剣の輝きをもて、斬り伏せてみせる」

 

 蒼銀の鎧を纏う金髪碧眼の騎士。

 その手にあるのは輝ける()()

 

「ふっ。…………くく……くはっ、はーっはっは! そうだ! その輝きだ! それでこそだ! アルトゥールス! 赤き竜! 聖剣遣い!!」

 

 明日香の姿が、雫たちの視界から消えた。

 ほぼ同時にルキウスが皇帝剣フロレントと明日香の聖剣とが激突し、その衝撃は空間を揺らす。 

 

「きゃあっ!!」「くっ!!」

 

 敷き固められた地面は割れ、一瞬遅れてから周囲へと放たれた圧力によおって雫や真由美たちも衝撃波に吹き飛ばされそうになる。

 先ほどまでの明日香が疾風を纏うが如くと評するのなら、今はさながら大嵐を纏うが如く。

 剣速のみならず移動速度そのものが瞬間移動めいた瞬足となり、打ち込む一撃一撃、ルキウスが迎え撃つ一合一合ごとに衝撃波が周囲に破壊を撒き散らす。

 振り抜かれた剣圧が、フロレントで防いだルキウスの体を上空へと吹き上げる。

 空中で体勢を整えようとするルキウスに対して、下段に構えられた明日香の聖剣が光り輝く。

 逆袈裟に切り上げた剣閃が飛翔し、宙空にあるルキウスを襲う。

 逃げ場のない空中での追撃、だがルキウスはその剣閃を斜めに弾くことで防御し、反動をつけて回転、ビルの壁面に着地すると、その壁面が陥没しビルごと吹き飛ばすほどの脚力をもって跳躍。

 切り上げの体勢からの残心をすぐさま引き戻し、上空からの撃ち下ろしの一撃を防いだ。

 今度は聖剣で防御した明日香の踏みしめる足元が陥没し、大地に亀裂が奔る。

 

 我が巨人の腕(ブラキウム・エクス・ジーガス)

 ルキウス・ヒベリウスの有する魔獣の膂力を発揮する強化のスキル。その一撃には重力と加速に加えて巨人に匹敵する。

 けれども明日香はそれを凌ぎ、切り返し、再び打ち合いを続ける。

 

「ッッ、明日香!!!」

 

 打ち合いは互角。だが周囲の魔法師は、魔術師であっても耐えられるものでは到底ない。圭の叫びを耳に捉えた明日香は、すぐさまその場を跳躍。

 高層ビルの壁面に()()()()()

 すぐさまルキウスがそれを追尾し、二人のサーヴァントが高速でビルを落下するように翔け昇る。

 ビルの壁面をあたかも大地のように足場にして剣劇が続き、蒼銀と真紅の光芒が軌跡を描くように上空へと昇っていった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12話

 

 

 天空へと昇っていく蒼と紅の軌跡は、神秘の絶えて久しいこの現代においても神秘的な光景で、魔法師たちは茫然としてそれを見上げた。

 だがそれに耽溺できる状況ではない。

 ルキウスは明日香とともに戦場を移動させたが、この近隣一帯がまだ武装勢力による戦場範囲なのだ。

 

「お兄様!」

「深雪、無事だな! 異常な気配が視えたが……状況はどうなっている、藤丸?」

 

 明日香たちが去って行ってすぐ、飛行魔法によって戦場に飛び立っていっていた達也が引き返し、合流。出立前には一高の制服姿であった彼は、独立魔装大隊という部隊の用意したムーバルスーツへと着替えていた。

 見た目はプロテクター付きライダースツのような外観に、着脱式のフルフェイスのヘルメットという黒一色の装いになっている。その中身はトーラス・シルバーが発表した新技術である飛行魔法を専用のCADに組み込み、防弾、耐熱、緩衝、対BC兵器の性能を有し、パワーアシスト機能をも組み込んだ現代の魔法師用の戦闘鎧といったものだ。

 彼が飛び立ち向かったはずの戦場から目的地を急遽変えて戻ってきたのは、彼の鋭敏な知覚──深雪に対する守護に危機が迫ったのを感じたからに他ならない。

 戻ってきた彼が視たのは、今までに感じたこともない密度のサイオンとプシオンの具現が蒼と紅の光となって高速でぶつかりながら離れていくところだった。

 戻ってきた達也のもとに深雪が駆け寄り、達也はその無事をしっかりと確認した。

 そうして状況を問われた藤丸は、端的にそれに答えると克人に向き直った。

 

「もう一体、敵にサーヴァントがいた! 十文字先輩! すぐにここから移動を!」

 

 急がなければならないのは、この場からの移動。

 当初の予定では、ここにシータがいるのを目的に敵のアーチャーをおびき寄せ、明日香とともに叩くという手はずだった。

 だがその明日香がルキウスと戦うことになってしまった以上、この場でのアーチャー討伐は難しい。

 

「分かった。だが当初の作戦方針は遂行できないだろう。どうするつもりだ?」

 

 それは魔術師ではない克人にもよくわかることで、だが無策ですぐに移動する前に方針を定め、明らかにしておくことは必要だった。

 もともとシータが移動することで街中でアーチャーやバーサーカーとの戦闘になることを忌避したのが先の作戦を立てた原因であるし、シータを敵の手に渡すわけにはいかないという前提は変わってはいない。

 

「まずはアストルフォと合流します。ライダーの宝具には高速移動が可能な乗騎がある。シータとともにバーサーカーを仕留めて一撃離脱で包囲網を突破できるはずです」

 

 現有戦力でアーチャー(ラーマ)を倒すことは不可能。

 仮に明日香がルキウスを討伐することができたとしても、そう手早くとはいかない。ましてあのルキウスは………………

 

「────―!?」

「いかがされましたか、お兄様?」

 

 だが現状は、ここで方針を再設定するほどのゆとりも、彼ら与えてはくれなかった。

 精霊の瞳(エレメンタル・サイト)の知覚により、認識した敵性体の存在。ほぼ同時に真由美もマルチスコープでそれを捉えていた。

 

「白い猿!?」

 

 高層ビルの外壁につかまりこちらをうかがう一匹の白猿。

 視線が合い、その猿はニヤリと笑みを浮かべた。

 

「スクリーヴァの白猿!? しまった! アーチャーの索敵スキルだっ!」

 

 それが何かに気が付いた圭の言葉が終わるよりも早く、それが敵だと認識した達也は拳銃型のCADを右手で抜いて、サイオンを圧縮していた。

 

 魔法は物理現象を改変させる技術だ。だがサーヴァントには物理攻撃が通用しない。

 達也の推察ではサーヴァントとは霊体──プシオンを核にした存在であるからだ。

 無論それだけでは説明できない諸々はあるが、基本的に霊体であるため通常の魔法攻撃は通用しない。

 だが霊子体だとしても物理事象に干渉しているのは実体を有していることから間違いがない。つまり情報次元を介して実世界に干渉しているのは間違いなく、ならばこちらも物理事象における実体ではなく、情報次元における対象に直接攻撃を作用させることができるはず。

 達也のその推測は魔術の“本質”であるところの“神秘”をブラックボックスとしているというところで確実性には欠けていた。だが“神秘”を“不可解”なものと捉えているがために、そして極々僅かであるものの、彼にも()()()()()ために、サーヴァントのスキルにより顕現している実霊体に対して効果を及ぼした。

 

「なっ! 達也、君は……」

 

 白猿が撃ち落とされる。

 圭が驚きに目を見張る。だが追及している暇はなかった。

 

「詮索している場合ではないぞ、藤丸。来るぞ!」

 

 達也はすでに視線を敵に見据えており、圭も市街地に視線を向けた。

 先ほどの白猿は斥候。

 そしてその目的がこちらのアーチャー(シータ)にあるのなら、ここに敵が集まってくるのは当然の流れ。

 市街地からは10体以上の白猿が姿を見せていた。

 

「くっ! アーチャー迎撃をっ!」

「承知いたしました!」

 

 先ほど、高位のサーヴァントであるルキウスには通用しなかったシータの弓矢だが、相手がスキルによるエネミーならば通用するはず。

 一射五矢に放たれた高速の矢が迫りくる白猿たちをめがけて降り注ぐ。

 けれどもそれは当たればの話だ。

 弓の武勇をもたざる弓の英霊、シータの技量では人以上の矢を放つことができても所詮そこまで。

 白猿たちの動きは素早く、遠距離からの射撃は容易く回避されてしまった。

 

 サーヴァントである以上、戦闘ができないわけではない。三騎士の一つ、アーチャーのクラスで召喚されているのんだからある程度は打ち合うことも可能だ。

 だがシータの攻撃レンジは中距離以上。射撃を回避されて近接戦闘であれば、スキルによるエネミー相手に一対一で倒すことはできても他者を守りながらという余裕はない。

 圭にとっても同じだ。

 むしろ一対一の戦闘力に欠ける分、より圭の立ち回りは分が悪い。

 ただし、そこにいるのは守られるばかりをよしとする者たちばかりではなかった。

 克人が攻性障壁を放ち押しつぶさんとする。それは白猿によって回避されるが矢よりも制圧面積が広い分、その回避運動は大きくなり接近を牽制していた。

 同様に真由美がドライ・ミーティアで、雫も九校戦での戦いを通じて習得したフォノンメーザーを使って迎え撃つ。

 そして中距離以内に接近してきた白猿に対しては、速度と白兵戦技に長けるエリカが真っ先に特殊警棒を手に切り込み、レオと桐原もそれぞれの得物を発動させた。

 エリカは今日の押しかけ警備のためにいつもの得物である警棒を鍔の無い脇差形態の武装一体型CADに持ち替えて、自己加速魔法で駆け抜けながら銀閃を振るっている。

 レオにしてもこの日のためにエリカの生家である千葉道場の門を通って殺傷性のある秘剣を会得してきていた。

 だが────―

 

「おおおおっ! ッッ!?」

「くっ、西条! こいつら────ッ」

 

 レオの会得した技は薄羽蜻蛉。カーボンナノチューブ製シートの刀身を完全平面上に硬化させることにより、どんな刀剣よりも鋭い刃となって敵を切断する必殺の剣閃。

 桐原の魔法もただでさえ殺傷性の高い高周波ブレードを真剣に発動させて振るっており、鉄であろうとも容易く切断するはずだ。

 だがそのいずれも、当たらない。

 レオは業で斬ることになるこの秘剣を修得するために一時とはいえ千葉家の門下となって修練を積んだし、桐原は言わずもがな。

 けれどもそんな彼らの技量よりも、英霊のスキルによって呼び出された白猿の技量が勝っていた。

 レオの剣閃が躱され、一撃を腹部に受ける。その一撃は得意の硬化魔法での防御を貫き、軽いとはいえないレオの体を吹き飛ばす。

 

「がはッ!!!  ぐ、ッ────」

「ッッ────―!」

 

 追撃を受ける寸前、エリカの剣閃がそれを遮るが、この中でもっとも白兵戦技に優れ、近接での速度を持つエリカですらも、白猿の速度を上回ることができていない。

 二人の危機に真由美が射座を生成して死角から白猿を狙い撃つ。

 そこでようやく白猿に攻撃が届くも、手に持つ武器によって易々と撃ち落とされる。

 

「くっ! 気をつけろ、みんな! こいつら、雑魚じゃない!」

「分かってる!」

 

 摩利の遅まきながらの注意にエリカが反射のように言い返す。

 言われずともこの白猿が十把一絡げに斬り捨てられるような容易い相手ではないのは、一合目で理解していた。

 一匹一匹、いや、一騎一騎がそれこそ魔法剣の大家である千葉家の、本家の魔法師以上の戦力を有している。

 回避しているということは魔法でも通用するのであろう。

 だが市街地で防衛にあたっている魔法師や防衛軍たちが苦戦しているのは純粋にその戦闘力が高いがゆえだ。

 独立魔装大隊の藤林は、真由美やエリカたちをただの高校生とは見なしていない。すでに十分な力をもった戦力だと考えていただけに、それを上回る敵戦力の高さは想定以上だった。

 ましてこの敵は、サーヴァント本体ではなく、ただのスキル。古式魔法での化成体のようなものに過ぎないのだ。

 

 ──魔術と魔法の違い、ではないのか──

 

 圭の魔術にしても同じこと。むしろ純粋に物理的な威力に乏しい分、より苦戦を強いられていた。魔法にはない“何か”を持つ魔術であれば、サーヴァントを打倒できるとまでは達也も考えていなかったが、圭のその苦戦は達也にしても想定をかなり下回っていた。

 対サーヴァントを想定した達也のサイオン徹甲弾も、現状では複数相手に作用させられるほどの習熟度には至っていない。まして相手の動きは早く、情報世界におけるターゲットの動きも速くては簡単には狙いがつけられない。

 

 ──必要なのは純粋な威力か、クリティカルな攻撃、それなら──────

 

「深雪! 連中の足を止めてくれ」

「はい、お兄様!」

 

 兄の指示に深雪が減速系魔法を展開し、白猿たちの動きを凍りつかせようとした。

 その氷結の魔法は今までの深雪の魔法よりもより洗練されていた。

 それは封印の解除によるもの。

 戦いに赴く前、深雪は達也の封印を解いた。彼の強大すぎる力、世界を滅ぼしうる破壊の力を抑えるために彼女たちの一族がかけた封印。

 そのために普段の深雪の魔法力は、一部が達也の封印のためにリソースが割かれている状態だったのだ。それでも飛び抜けた魔法力ではあったが、力の制御は完全ではなかった。

 達也の封印を解いたことにより、彼女自身の魔法力へのリソースもフルに使える状態になっている。

 速度に優れる白猿たちの足を止めるには効果的な魔法で、広範囲かつ適切に作用されたその魔法により白猿たちの体が氷結する─────かに思えた。

 

「さっすが深雪。────なっ!!?」

 

 動きの止まった敵を砕かんとエリカが攻勢に転じようとして、だがその刃は敵の毛にぎりぎり掠めるものとなった。

 

「そんな、深雪の魔法が利かないなんて!」

 

 深雪の魔法力の高さを、その威力を知る者ほど驚きは大きい。ほのかの驚きは、達也とて同様だった。

 

 ──速度は魔法師の自己加速魔法と同等クラス。その上、対魔法力は深雪の魔法をこうまで軽減するとは、ッ! ──

 

 今はまだ有効打を与えられる達也と多少なりと足止めができる深雪、シータと共闘している圭はただですら量に勝り、質においても同等以上である敵の勢力に押されつつあった。

 

 魔法師は現在の戦場において有用な戦力としてみなされている。

 かつて戦場における華であった騎士たちは銃火器の登場により衰退していった。

 人が人をより効率的に殺傷して、勝利するために弓矢から銃に、銃から魔法へ変わり、より遠距離から、より素早く、より大規模に、戦争は進化していった。

 現代魔法師はもっとも洗練された人間兵器といった側面もたしかに存在する。

 だがここにあるはそれを否定する存在だった。

 発動が高速化された魔法をかいくぐる猛者たち。

 真由美のドライ・ミーティアによる亜音速の多角的連続射撃をものともせず、克人のファランクスによる面制圧すらも躱す。

 

「くっ!? 」

「摩利! ────―ッ!」

 

 至近まで詰められた摩利の手元には今、武装型のデバイスはない。

 とっさに自己加速術式をかけた真由美が体当たりして、襲い掛かる白猿から距離をとるが、体勢が崩れては追撃に対処できない。

 だが敵がその追撃の体勢から動く前に、エリカの脇差が一閃を薙いだ。

 

「ぼさっとしてないで、さっさと立って!」

 

 思わぬ相手に庇われた形となった摩利が、数瞬状況を忘れて目をしばたいた。

 

 彼女とエリカの仲はあまりよくない。

 摩利がエリカの異母兄である次男の修次と恋仲であるためだ。

 だが同時に摩利は千葉門下において目録を受けており、一門でもある。なにより、家族の中でエリカが唯一慕っている次兄の恋人なのだ。

 複雑な心情を棚上げして、咄嗟に動いた体が摩利と真由美を救った。

 

「エリカ……──ッッッ!!」

 

 けれども咄嗟にとった行動に、エリカ自身が一瞬、動揺してしまったがゆえに、次のアクションが遅れた。 

 それは刹那の迷い。

 けれども同等以上の、そして歴戦の猛者を相手にして見せてはいけない隙だった。

 

「しまっ! ────―かはっ!」

 

 エリカの手から得物が弾き飛ばされ、押し倒された。

 地面に背中を打ち付けられて肺から空気が漏れ出た。

 エリカの戦闘力はこの中でも低くはない。

 むしろ達也が出会ったことのある魔法師の中で、もっとも高速近接戦闘が可能なのはエリカであるかもしれない(純粋な移動能力だけなら疑似瞬間移動が可能な者の方が上だが)。

 だがそれも得物を失い、地面に押さえつけられた状態では発揮できない。

 

 ──まずい! ──  

 

 魔法師はCADがなければ魔法が使えないわけではない。

 魔法を生み出す根源は完全には解明されてはいないが、魔法演算領域という無意識領域から起動式を書き起こす作業を高速化しているのがCADの役割に過ぎないので、起動自体はできる。

 けれども圧倒的に発動の速度は遅くなり、この強敵相手に実用に耐えられるものではない。

 達也が動揺したのはエリカが危機ということもあるが、戦力バランスが崩れることを危惧してのこと。

 現代魔法の発動が高速化しているとはいえ、魔法をかいくぐって白兵戦を仕掛けてくるような相手に対して、前線を支えられているのはエリカとレオ、桐原の中でもエリカの力が大きい。

 圭とシータはそれよりもさらに前で抑えてはいるが、だからこそこちらのフォローは難しい。そしてエリカが落ちれば、あとは歯の欠けた櫛がボロボロと崩れ落ちていくように壊滅していくだろう。

 白猿の手が、エリカの体を押さえつけ──────上から落ちてきた槍によって貫かれた。

 

「ギィ────―」

「え…………」

 

 たなびく白の外套。三つ編みにされたピンクの長髪。携えるは魔法の馬上槍。

 

「さぁて、ちょっと出遅れちゃったみたいだけど、行くぞぉ!」

 

 空から落ちて来て、一直線に敵を貫いたのは()()ライダー。アストルフォが魔法師たちの戦場に参戦した瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはまさに不条理の塊と言えた。

 伝承においてアストルフォという英霊は決して強い英雄としては描かれていない。

 シャルルマーニュ十二勇士においてはむしろ明確に弱い部類に属するとされている。

 けれども彼の聖騎士は巨人カリゴランテを倒した勇者にして数多の冒険を潜り抜けた正真正銘の英雄。

 

 ──これが純正のサーヴァントの力かっ! ──

 

 ライダーというのは文字通り騎乗兵。つまり騎馬にて勇名を馳せたという証であったはずであり、その本領は騎乗において発揮されるはずだ。実際、夏休みに達也がアストルフォに会った際に、彼の宝具としてヒッポグリフなる彼の愛騎を見せてもらった。

 けれど騎馬なく自らの脚で駆ける速度は魔法師の自己加速魔法に勝るとも劣らない速さ。

 むしろ加速という魔法の性質上、直線的な動きが多く、自然な身体の制御が困難な魔法以上に自然な高速戦闘。

 明日香のように魔法の後押しによって疑似瞬間移動染みた動きではなく、達也の眼に映る速度であるがために、その力の凄まじさがよくわかる。

 達也がかなりの消耗と引き換えに放つ魔弾によってなんとか倒していた白猿が、易々とその槍に貫かれる。シータや圭の攻撃を容易く躱していた白猿に軽々と追い付き、上回る槍捌きで蹴散らしていく。

 摩利が、真由美が、克人が、追い込まれつつあった白猿たちが瞬く間に一人の英雄によって駆逐されていった。

 

「助かった、アストルフォ」

 

 会議場前に集結していた白猿が駆逐されるまでそれほどの時間はかからなかった。

 

「すぐで悪いが、バーサーカーのシャドウが別のところで被害を出している。そちらの討伐を頼みたい」

 

 ただそれでも今の戦況の変化に対応するにはゆとりがあるとは言い難い。

 今この時も明日香はルキウス・ヒベリウスと戦っており、魔法協会支部に向けてシャドウ・バーサーカーが進撃を続けている。

 道行で合流する予定であったが、ここで合流できたのは幸いだった。

 アストルフォの宝具であれば軍用車で移動するよりも速くに空を翔けてバーサーカーのところに向かえる。

 

「バーサーカーかぁ。そっちもなんとかしたいのは山々なんだけど、ちょっと難しいかなぁ」

 

 だがここまで空を翔けてきたアストルフォは難しそうな顔をした。

 そのことに訝しみを覚えた一同は、空を見上げた。

 

「なんだ? 空から…………あれは!?」

 

 空に何かが鎮座していた。

 その姿は舟のようでもあり、けれども空に浮かぶその在り様はまさしく神秘。

 そして一騎の──いや、一柱のサーヴァントが見下ろしていた。

 

「なっ!? あれはまさか、ヴィマーナ!?」

 

 天翔ける戦車にして戦船。神々の乗機にして荘厳なる宮殿。大地を見下ろし、宇宙にすら至るという、“神が空を飛ぶための何か”。

 

「■■■■■■■───────ッッ■■■」

 

 なればこそ、そこに騎乗する者は英霊には収まらない。

 

「ラーマ、様…………」

「アーチャーのときと霊基が違う。あれはもう英霊クラスの霊格じゃない。紛れもない神霊────ハイ・サーヴァントだっ!」

 

 可能性としてはあった。

 ほかでもないシータを取り込むことによってそこに至る可能性があった。

 

 ──古代インドの神霊 ヴィシュヌ──

 

 ラーマというアヴァターラで顕現したトリムルティの一柱。

 

 通常──といってもそれ自体が異常なことではあるが、聖杯戦争において召喚されるのは英霊のクラスまでだ。

 魔術とは神秘を扱うものであり、英霊であっても破格の神秘だが、神霊ともなればそれ自体がまさに“神秘”なのだから、魔術で扱える範疇を超える。

 神おろしといったものもないではないが、英霊召喚システムによって神霊そのものを召喚するなど不可能だ。

 けれども稀に、神霊の霊基へと自身を昇華することのできる宝具やスキルを有する英霊もたしかに存在する。

 とある月の聖杯戦争においては、自身の霊基(リソース)の損壊を代償にすることでその重大なルール違反を為したサーヴァントもいた。

 

 つまり、リソースさえ確保できれば、聖杯召喚システムの隙間をついて神霊として顕現することは確かに可能。

 

「君たち、ここから離れて。アイツは僕が相手をする」

 

 ハイ・サーヴァントであるヴィシュヌ、トップ・サーバントであるルキウス。そのいずれも、ただのサーヴァントであるアストルフォの力を大きく上回っているのは間違いない。

 けれど、彼はその()()に臆することなく槍を構えて前に出た。

 

「アストルフォ。アレはエクストラクラス──── アルターエゴだ」

「だろうね。でもまぁ、なんとかなるでしょ」

 

 甲高い指笛が鳴らされ、幻馬が翔ける。

 その背にアストルフォが飛び乗ると、大きな翼を広げて羽ばたいた。

 

「頼むぞ、アストルフォ」

「任された──────いくぞ、ヒッポ君!」

 

 かつて王としてのラーマは最愛の妃であるシータを放逐した。

 14年もの歳月を求め続け、戦い続けて取り戻した彼女を、王としての責務から捨てた。

 古代において王とは神の代弁者。地上における神権の代行者。

 ことにヴィシュヌのアヴァターラであるラーマにはその側面が強い。

 ゆえに、ラーマならざるヴィシュヌには、ラクシュミーならざるシータは切り捨てる対象でしかなく、()()()()()()()()()()()()存在

 ヴィシュヌが今なおシータを求めるのは、その霊基(リソース)によって自身の霊基を補填するためにほかならない。

 

「シャルルマーニュ十二勇士、アストルフォ! 推して参る!!」

 

 なればこそ、この聖騎士(パラディン)は立ち向かおう。

 理性が蒸発しているからこそ臆することなく、されど善性に寄り添う騎士として、とびっきりシャルルマーニュ(かっこいい王様)の勇士として。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13話

 

 

 ヒッポグリフに騎乗して空に舞い上がったアストルフォに対して、ラーマ(ヴィシュヌ)は眉を顰めた。

 ()にとって見れば、人間も魔術師も英霊も違いはない。等しく自らとは位階を異にするものでしかない。

()()()にとって矮小な人など気に留めるべきではないのかもしれない。

 けれども“あれ”が立っていた所。立っていたその隣に、女がいた。

 求め続けた女。自分の隣に侍るべき女。求めて、願って、探し続けた彼女。

 なぜ彼女はそこに立っている。

 なぜ自分の隣に彼女はいない。

 彼女は、かのじょは、カノジョは! 

 ゆえにラーマ(ヴィシュヌ)は、向かってきたその男を相手に、穿つ魔弾を放った。

 

 

 

 

「うわぁっと! ────この程度!!」

 

 ヴィマーナの移動速度自体は流石は神の機乗足りえるが、幻馬たるヒッポグリフも負けてはいない。それよりもむしろアルターエゴから放たれる魔弾の方が厄介だった。

 この世ならざる幻馬(ヒッポグリフ)の力をフルに発揮すれば次元の跳躍によって回避の確実性は高まるし、攻撃範囲外から逃げ切ることも可能だろう。

 アストルフォはラーマ(ヴィシュヌ)を恐れてはいない。

 ハイ・サーヴァントの強大さは感じているし、アルターエゴに対しての相性の不利も理解している。

 そもそもアストルフォは宝具が多いという長所がある以外は、サーヴァントとして決して強くはない。宝具の性質として、魔術に対しては滅法アドバンテージがあるものの騎士、あるいは戦士に対しては地力で勝っている相手はそう多くない。

 マスターがこの世界にはいないとはいえ、彼からの無限にも等しい魔力供給は世界の裏側から滞りなく供給されており、出力的にも、アストルフォの宝具コスト的にはフルに使ったとしても問題はない。

 だがこの場には、戦いの戦場となっている空の真下では敵の目的であるシータがおり、守るべき者たちがいる。

 だから彼は自身が敵わない強大なサーヴァントであるこの敵に対して、引き付けるためにも絶対的な回避能力のあるヒッポグリフを少なくともこの場では発動することはダメだ。

 せめてこの場所から引き離さなくてはならず、そのために彼はヒッポグリフを敢えて実世界に存在させたまま騎馬戦を仕掛けている。

 その甲斐あってか、はたまた飛び上がってきたアストルフォになにか腹立たしいことでもあったのか、ラーマ(ヴィシュヌ)はシータの方よりもむしろアストルフォに敵意をむき出しにして誘いにのってきた。

 それはこちらとしても思惑通りなのだが────

 

「うわわっ! なんかちょっとバーサーカー入ってない!? すんごい怒ってるのは分かるんだけ、ど!!?」

 

 攻撃の苛烈さに、アストルフォは一目散にヒッポグリフを加速させて離脱をはかり、けれどもヴィマーナの推進力によって引き離せずに空のカーチェイスを演じることとなっていた。

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 当初、圭がもくろんでいた作戦方針は完全に瓦解している。

 シータとともにラーマに対するはずの明日香はセイバーのルキウス・ヒベリウスと交戦状態に突入しており、ラーマ自身はもはや霊基を神霊クラスに変質させたアルターエゴとなって空にあった。それに対抗できるのは同じく飛行系の騎乗宝具を有しているアストルフォしかいない。

 こちら側のサーヴァント戦力はこれで手詰まりとなり、協会に迫るバーサーカーに対するサーヴァントはいなかった。

 

「二人とも交戦に入ってしまったが、どうする、藤丸」

 

 問いかける克人自身は、退くことはできない。

 彼は十師族十文字家の一員であり、名目上は総領代理。事実上は総領である。そして十師族は建前上表の権力を融資はしていないが様々な便宜、特権を有しており、それはこういう時のためだともいえる。まして十文字家の役目は首都防衛。横浜という首都の目と鼻の先で異国の侵略者に組した超常的な敵性存在を認めながら、何もせずに逃げることはできない。

 彼自身は藤林らから車を借り受けてでも協会に赴くことは必然だが、ほかのみんな、まして魔法師よりも魔術師である藤丸はそうではない。

 彼らは国からなんらかの便宜を図られているわけではないのだ。

 

「武装勢力の戦力は西側、魔法師協会に向かっているのですね。…………ならアーチャーとともに北東方面に抜けます」

 

 ゆえに彼のこの決断──戦場からの離脱を責めることは克人にはできない。

 ただ厳めしい顔にさらに苦悩の皺が深くなることは隠しようがなかった。

 

「協会の方を見捨てるつもり!?」

「花音!」

 

 そして誰に強制されるわけでもなく、この非常事態において正義感から自らの魔法師としての力を活かそうと考えていた花音にとっては、敵前逃亡をしようという圭の主張はいささか多い血の気を逸らせるものだったようで、咎める声音に対して婚約者である五十里が慌てて止めていた。

 けれども彼とて千代田と同じく百家本流の直系。十師族の克人ほどではなくともこの状況に対して何かをしなければという思いはある。

 激昂している花音を一度黙らせた五十里は冷静になるように自分にも言い聞かせて圭を見据えた。その視線がやや険を帯びているのは仕方あるまい。

 

「藤丸君。協会では今も大勢の魔法師がサーヴァントに立ち向かっているんだ」

 

 五十里の言わんとしていることもわかる。

 実際、圭は先ほどまではバーサーカー討伐に協力することを承認していたのだ。明日香やアストルフォの助力が得られないとはいえ、何も魔法師たちは圭とシータに討伐の全てを押し付けようとしているわけではない。

 彼らのプライドとしても魔法師だけでは対処しきれないことを呑んだ上での助力要請なのだ。

 味方の数が減ったからという急な方針転換はエリカや真由美にも変節漢のように見えたのだろう。非難するような視線を感じつつも、圭は淡々と理由を告げた。

 

「バーサーカーは魔力消費の最も激しいクラスです。疑似シャドウとはいえ依り代にしているのが魔力量の少ない魔法師ならそう長くはもちません。放っておけば遠からず自滅する爆弾を相手に無理をしてまでまともに対処する必要はないでしょう」

 無理をしてまで対処する必要がない、という言葉はたしかに圭の言う通りなのかもしれない。

 それでも今も協会支部とそこにある重要な情報──この国の魔法を支えていくだろう価値あるものを守るために、命を懸けて戦っている人たちを分が悪くなったからと見捨てる決断をあっさりとしたことに嫌悪の心が抑えきれなかった。

 だが圭としてはこれ以上、議論を続ける気はなく、ましてここは危険な戦場のど真ん中であるからだろう、魔法師たちから背を向けた。

 離脱のために動こうとした圭は、けれども共に離脱させなければならないサーヴァント(シータ)が動かず、その顔にほの苦い微笑を浮かべていることに足を止めた。

 

「アーチャー?」

「私は行きます、藤丸」

 

 呼びかけに対する答えに、圭は顔を顰めた。

 

「確かにまともに対処する必要はないのでしょう。けれども犠牲はでる、でている。なら、放ってはおけない」

 

 シータは武勇の英霊ではない。

 その逸話において、魔王に攫われ、翻弄された一人の王女に過ぎない。

 けれども───────

 

「それがかつてラーマ様が盟友と認めたカルデアでしょう?」

「シータ。君は…………」

 

 圭が驚きに目を見開く。

 本来サーヴァントには別の時間、場所において召喚された時の記憶はない。

 正確には座に戻った時点で記録としては存在するのだが、そこから鋳造されたサーヴァントには影響を及ぼさない。

 例外があるとすれば、その記録が英霊の根幹にさえ影響を及ぼし得る奇跡のような出来事であった場合や、アストルフォのように霊基が座に戻らずに召喚されている場合。

 多くの場合、たとえ縁を結んだマスターとの記憶でさえも、再召喚されたサーヴァントというのは以前とは別人だ。

 ただ英霊の側においても例外はある。

 たとえば、その英霊が未来や過去を見通す千里眼の保有者であった場合、その英霊がたとえ実体験の伴わない記録でさえも救い上げる性質であった場合、たとえば────―

 けれどもシータの紡ぐ言葉はまるで彼女が、彼女の霊基が“彼ら”を知っているようだった。

 時の彼方での特異な時間での出来事、願い叶う奇跡を共有した者であったならば。

 

 

 

 

 ──お人よしの理論だな。あるいはそれが英雄とやらの性質、か……──

 

 シータの言葉を聞いて達也は他人事ながらそう感じていた。

 正直なところ、彼が藤丸圭の立場に立っていたならば、一顧だにせずに撤退を選んでいただろう。

 彼にはそもそも軍に協力する義務がない。

 達也が特尉として軍に所属しているのも、それが必要であったからであり、一族からすらも恐れられている彼の力が行使された時の正当な理由が必要であったからにすぎない。

 それも大切なもの(深雪)を守るという至上命題が前提にあり、今力を振るわなければ将来的により危機に直面する可能性が高いからという判断にすぎない。

 五十里や花音、真由美や克人のように選ばれた魔法師の一門に生まれたからこその責務など、天秤にかける対価ですらない。

 黙っているのは彼にとって藤丸たちが参戦した方が都合がいいからで、極論としてはどちらでもいい。

 藤丸の言う通り、遠からず呂剛虎が自爆するというのならば、相手をせずに一時撤退し、協会支部も破棄すればいいだけのことだ。あるいは捨て身の足止めを行っている魔法師たちを達也が()()()()というのも手だろう。

 

 

 

「けれど──―ッッ」

 

 圭が言い淀んだ。

 彼の眼にはある程度の先の未来を予測する力──未来視がある。

 ただしその自由度はそう高くはない。彼のそれは確定した未来を視る測定の未来視ではなく、数多の情報から可能性の高い未来を予測するものでしかないからだ。

 それで言うと多面体理論── 今回論文コンペに帯同している廿楽先生などが得意としている分野に近く、そうでなくとも魔術や魔法に依らない一般人の中にも稀に存在しうる程度でしかない。

 今回のこの事件についても心構えをしておくことができた程度で、あらかじめ芽を摘むなどというほどに未来を視れたわけではない。

 今もこの事件の結末までは視れていない。けれども視れた結末もある。

 だからこそ、現状の戦力で向かうわけにはいかない。

 何故なら────―。

 

 言い淀んだその先の言葉を、シータは察したのだろう。

 淡く微笑みを浮かべた。

 

「藤丸様。私は私の終わる時を他の誰にも委ねはしません。貴方であろうと、そしてたとえ、ラーマ様であったとしても」

 

 英雄の妃、シータの最後は悲惨であった、そう言えるのかもしれない。

 王位を継ぐはずであった夫は謀略によって森へと追われ、そこでさえ平穏にはならずに攫われてしまい、ようやく再会し取り戻せたはずの王妃としての位は民の猜疑と、よりにもよって夫の決断によって投げ捨てられてしまった。

 そうして最後には自ら破滅するために大地に身を投げることとなった。

 けれどもそれは彼女自身が選んだ最後。

 たとえその容姿が幼く儚げに見えようとも、彼女は紛れもなく英霊。

 理想の君主像と謳われるコサラの王の妃なのだ。

 

「~~~~~ッッ。ああ! 分かった! 分かったよ! 十文字先輩、藤林さん、車の運転を頼みます。バーサーカーを討ちに行きます」

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 国際会議場から地下道に避難していた第一高校生徒や職員、一般人たちの集団は、地下道に入り込んだ武装ゲリラに足止めを受けつつも、シェルターへと向かっていた。

 先導するのは一高の生徒会長の中条あずさなのは、各校の生徒たちはそれぞれに避難経路を選んで脱出を模索しているのと、会場が襲撃を受けたのが一高の発表の直後であった為、応援の生徒数がピークとなっていたのも一因だ。

 ただ、あずさには精神に干渉し大勢の人々を精神的に鎮静化させる魔法はあっても、攻撃的なあるいは防御における魔法は得手としていなかった。そのため武装ゲリラとの遭遇戦は部活連と風紀委員会から選抜された警備隊メンバーによる護衛と、十文字克人の指示により合流してくれた服部と沢木という一高きっての武闘派魔法師二名の奮戦の甲斐あってのものだった。

 彼らの魔法も万能ではなく、ゲリラが放つ銃弾の威力が魔法の事象改変力を上回ってしまえば途端に彼らは血塗れとなって倒れ伏していたし、避難してきた一般市民に紛れたゲリラからの不意打ちを受ける危険もあった。

 それでも地上において猛威を振るっていた、魔法の通じにくい白猿やサーヴァントが出現しなかっただけ幸運と言えたかもしれない。

 沢木の収束・移動系複合魔法“空気甲冑(エア・アーマー)”は彼の体術と組み合わされることによって鉄壁の守りと、後の戦による攻撃を無傷で実現することを可能としていた。

 彼が多重魔法(マルチ・キャスト)により自己加速魔法によって拳打を音速の域にまで引き上げて空気の層を打ち出してゲリラを薙ぎ払い、隙間をついて接近しようとする相手は十三束がマーシャル・マジック・アーツによって迎撃し、ついには撤退しようとする敵兵たちには服部が帯電した蒸気塊を投げつけることによって完全に敵を無力化することができた。

 そうしてあずさたちは地下シェルターのある桜木町駅地下の地下広間へと辿りついた。

 服部と沢木は道中での脱落者がいないかを確認していたし、同行していた廿楽や十三束は後背の通路を警戒し、周囲に敵兵の姿はなかった。

 シェルターに収容されたからといって敵の脅威が消えたわけではないのだが、ひとまず安全地帯に移動できたという安堵があった。

 戦闘に直接参加していなかったとはいえ、全員を無事に引き連れているという責任を感じていたあずさが、ひとまずのゴールを目前にしたことで彼女の任務が達成されたという気持ちもあり────

 

「皆さん、頭をかばって伏せてください!」

 

 廿楽が声を上げたのは、異変に気付いたというよりも彼の魔法特性上の予感が警鐘を鳴らしたからだろう。

 まるで上から隕石でも落ちたかのように何かが地下道の頑丈な天井を突き破って激突し、衝撃であずさたちの頭上の天井一帯が瞬く間に罅が広がった。

 息つく間もない瞬きの間の出来事で、悲鳴を上げようとした者もいたが、その声が音になるよりも早く地下通路が崩落した。

 

 

 

 崩落したはずのコンクリートの破片がアーチを作っていた。

 いかなる奇跡によるものか、コンクリート破片の大きな塊が円弧状に絡み合って互いの重量を支えており、通路にいたあずさを始め全員が潰されることもなくなんとか空間を保てていた。

 

「早く! そう長くはもたない」

 

 ポリヒドラ・ハンドル。廿楽の得意魔法であり、崩落する寸前に事態を察知した彼が、天井という構造物を幾つもの構成材料の集合体として認識することにより、岩塊に影響を与えてこの奇跡を演出したのだ。

 だがあくまでもこれは瓦礫で作られた即席のアーチ。彼自身が言うようにこれはそう長くは保たないだろう。

 動揺し動きの止まったあずさ。判断が早かった服部はすぐさま全員に避難を急ぐように指示しようとして────崩落が吹き飛ばされた。

 

「なっ! ────―獅子劫!?」

 

 生徒たちに飛ばそうとした指示は、驚きの声に代わった。

 風の鉄槌とでもいうべきか。魔法であれば偏倚解放のように指向性をもった空気の塊が黄金の光を伴って頭上の岩塊を薙ぎ飛ばしたのだ。

 それを成したのは現代の魔法師からすると時代錯誤とも思える騎士の鎧に身を包んだ獅子劫明日香だった。

 彼のあの姿を服部が直接目にしたことはこれまでなかった。

 けれども獅子劫明日香と藤丸圭の二人が魔法師ではなく、魔術師であるというのは副会長として生徒会の業務に携わっていた関係で多少は聞き及んでいる。

 それにブランジュによる襲撃事件の時に、まさに怪物としか言いようのない悪魔のような何かを──三巨頭すらも圧されていた化け物を易々と斬り伏せた姿は見ている。

 ただあの時は一高の制服姿で振るっていたのは不可視の得物だったが、今彼の手にあるのは、幅の広い装飾の施された西洋剣を手にしていた。

 遥か上空から叩きつけられたかのように窪んだクレーターの中心で体勢を整えたばかりといった姿。

 だが驚きをもって名を呼ぶ声に彼が応じる素振りはなく、険しく上を睨み────追ってきた何かからの攻撃をその剣で防いだ。

 

 

 

 

 

 

 地上で、時に空中で戦っていた明日香だが撃ち落とされる形で道路へと叩き落された。その威力はすさまじく、その層下に空洞──地下通路があったことから路面を砕き、崩落させて落下してしまった。

 切り結ぶ敵は明日香の中に宿る霊基()が訴える明確な敵。

 

 かつて円卓の主たる騎士王はローマの皇帝(シーザー)、ルキウス・ヒベリウスと剣を交え、殺し合った。

 その時、生前の騎士王には竜の心臓による強大な魔力炉心があり、無限にも等しい魔力を運用し、精霊の加護すらあった。対してルキウスには渓谷の魔力と数多の魔術師たちの魔術による加護、魔獣の力を以って赤き竜の化身に対抗して見せた。

 今ここにスワシィと同様の地の利はルキウスにはなく、かつて彼が従えた異形の軍勢の援護もなく当然魔術師たちの加護もない。

 けれども騎士王ならざる明日香の剣技ではルキウスのフロレントを捌くには十分ではなかった。

 剣技だけならばそうそう後れを取ってはいない。けれども相手はかつて大陸最強と謳われ、東方の猛者たちからすらも羅刹(ラクシャーサ)と恐れられた戦士。

 フロレントの空間を断ち切るほどの連撃を、もはや風王結界による隠蔽も解除してその姿を露わにした聖剣を以って打ち防ぐことできたとしても、この剣帝の業はそれだけではすまない。

 撓る蛇が如き蹴撃が明日香の予想外の意識の死角から打ち込まれ、蒼銀の鎧へと吸い込まれる。

 強大な魔力で編まれたはずの鎧が砕け、肺腑を貫くような衝撃に呼吸が止まり、吹き飛ばされる。

 けれども離れる一瞬、明日香はその手に握られた聖剣を斬り上げに一閃。

 聖剣の輝きを伴った風王の斬撃がカウンターにルキウスへと襲い掛かり、息を呑んだ剣帝は崩壊していく空間めがけて凄烈な気迫を込めてフロレントを振り下ろした。

 輝きの残滓と真紅の刃がぶつかり合い、衝撃が破裂する。

 蹴撃の衝撃による内腑の損傷を受けた一方で、相手は聖剣の斬撃により片腕を炭化させている。

 どちらの傷も只人であれば重傷だが、ルキウスの肉体は魔力によって形作られた半実体。そして明日香もまたデミ・サーヴァント化している今は魔力によって肉体の見かけ上の負傷はさしたるものではない。

 だが、戦いの痛みは確かに肉体に刻まれており、明日香の顔は戦いが始まって以来ずっと険しいままだ。

 一方のルキウスの顔には堪えきれない笑みが浮かんでおり、明日香にはそれがどうしようもなく悍ましいものにしか感じられなかった。

 

「はは、くははは! この笑みが気になるか。今世のアルトゥールス!」

 

 その表情の変化を鋭敏に感じ取ったのだろうルキウスが声に出して喜色を露わにした。

 

「やはり貴様は貴様だ! たとえ肉体は失われエーテルによる仮初の器であろうとも。戦場にあって“これを”悍ましく感じるその心はまさしく貴様のものだ!」

 

 なぜならば明日香が感じたその思いを、かつての戦場にあって、ほかでもない騎士王が指摘したものだから。

 

 ──皇帝よ、我らは命のやり取りをしている。自らの命ではなく、我らは数多の民の命をも背負って戦っている。愉しむな。笑うな。ルキウス、その哄笑はあまりにおぞましい──―

 

「かつて言ったはずだ。我ら王(皇帝)とは、天上におわす御方の代理者。あらゆる者の命は全て等しく、尊さも、惨さも、全てをこの手の中に。我らにはすべてが与えられ、何もかもが許される。我らこそが────―地上の神だ」

 

 両者の動きが止まり、それを隙と見たのだろう、魔法による雷撃がルキウスを襲った。

 

 現代の魔法師戦闘において呪文詠唱や儀式の省略による発動の高速化は、戦闘自体の速度を上げた。古の昔に行われた騎士と騎士との決闘のように互いが名乗りを上げ、互いの矜持を賭けた決闘など無価値と切り捨てた争いこそが現代の戦闘だ。

 戦闘の最中に言葉を交わすなど不要な隙を生むものでしかない。

 だからこそ、服部はその隙を見逃さずに、脅威となる敵に、たとえそれがサーヴァントという十師族ですらも寄せ付けない強大な敵に一矢を放ったのだ。

 だが────────

 

「余の語らいに水を差そうとはな。だが、雷を供する心意気は魔術師もどき風情にしては中々に気が利いているではないか」

「な──────」

 

 敵を撃ち痺れさせる雷撃は、けれども赤髪の剣士に僅かたりともダメージを与えることもできず、さらにはその雷電は消えず、真紅の刃に纏わりついた。

 それは服部が意図した魔法の挙動では有り得ない。

 現代魔法は明確にその効果の始まりと終わりの規定をせねばならず、服部の放った魔法は一瞬で敵を撃ち据える魔法のはず。

 魔法が乗っ取られた。そんなことが出来るのだとは今まで考えたこともなかった。

 だが事実として、刃に帯電した紫電は剣士の威を受けて赤雷へと転じ、どころか差し向けられた最初の魔法の威力よりも遥かに、比べようもなく強大になって明日香に牙を剥いた。

 

「───────ッッ」

 

 切先を引き右下段に構えた剣に風を纏わせる。

 剣を不可視化させるほどに膨大なインビジブル・エアはすでに解除され、剣は実体を現し、風王結界は明日香のスペックを引き上げるために回している。その幾割かを不可視化させるためではなく剣へと収束させ、聖剣の光とともに切り上げた。

 

 ───風王鉄槌 ストライク・エア!! ───

 

 赤雷と風の斬撃とが激突し、地下広間に超音波を発生させる。同時に衝撃は上へと跳ね上げられ、天井を突き破る。ただでさえ一部を崩落させていた天井に穴ができ、あずさを含めた避難者たちが悲鳴を上げてしゃがみ込む。

 

 この地下空洞でこれ以上戦闘を続けるのは、被害を増すばかり。

 明日香は落下してくる岩塊を蹴り、素早く地上へと駆け上って行った。

 ルキウスが追撃して来なければ魔法師たちの殺戮が繰り広げられていただろうが、読み通り、彼にとっては取るに足りない魔法師たちを弄ぶことよりも明日香との戦いをこそ望むルキウスもまた地上へと舞い戻って行った。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14話

 

 

 ──魔法協会関東支部へと向かうトレーラー車内にて。

 広々ゆったりというほどではないが、協会に赴くことを選択した克人たちを乗せてこれからの戦いを相談するほどの広さはあった。

 

「残念ながら、僕の魔術程度ではバーサーカー相手でも大したダメージソースにはならないと思います」

 

 魔法師としての戦力で見れば、克人も真由美も摩利も並の軍属魔法師を超える戦力になるだろう。達也は特尉として独立魔装大隊の切り札といえる存在だ。深雪も九校戦で示したようにA級の戦術級魔法を容易く使いこなし、今はその時にあった制限すらも解除されている状態だ。エリカもレオも幹比古も、二科生とはいえ実戦力としてはかなりのものだろう。  

 加えて今回の騒乱に対しての念のための保険をかけていたらしい藤林の思惑により、エリカの兄であり千葉一門の総領、千葉 寿和も同行し、エリカに彼女の本来の得物“大蛇丸”をもたらした。

 けれどもそれらはあくまでも一般の戦力、魔法師としての戦力で考えればだ。

 彼らが武装ゲリラとの戦線に加わることで、大なり小なり戦況を覆すことはできるであろうが、サーヴァントとの戦いとなれば別だ。

 魔法師の魔法ではサーヴァント相手に有効打となりえないというのは、これまでのサーヴァントとの戦いで明らかで、達也をもってしても、未だ解決には至っていない。

 サーヴァントには神秘のこもっていない魔法や重火器による物理的攻撃が通用しないという。

 それは克人や真由美が痛感したことであり、先ほどの戦いでエリカやレオ、摩利たちが改めて実感したことでもある。

 ただしそれは純正のサーヴァントであればの話だ。

 サーヴァントのスキルによって生み出された化生体には効果が減弱しているのか威力不足なのかはともかく辛うじて通じている。

 現在彼らが討伐に向かっている呂剛虎にしても、憑依しているのがシャドウ・サーヴァントであるからなのか、それとも魔法師を依り代にしているからなのかは定かではないが、魔法が完全に無効化されているわけではないらしいというのが、迎撃に当たっている軍からの情報だ。

 もっとも、重火器は通用しないし、魔法にしても掻き消えるように無効化されていないだけで碌にダメージを与えられているとは言えないらしい。と

 それゆえ敵の侵攻を止められはしないまでも遅滞させることはできているらしい。──―周囲の建物と兵とに大きな被害を受けながらではあるが。

 

 ここには魔術師である圭とサーヴァントであるシータがいるが、神秘の宿る魔術であっても現実的にサーヴァントに通用するレベルの魔術行使は圭にはできないし、霊基が完全ではない上、闘いの逸話を持たないシータではバーサーカー“呂布奉先”を単独で倒すことはできないだろう。

 

「なので、皆さんの魔法を一時的に引き上げます。具体的には礼装による魔術でシャドウ・バーサーカーの守りの概念を貫通する効果を付与します」

 

 ゆえにこそ圭がとれる現時点での最善は、魔法をサーヴァントにとっての有効打に変えることだ。

 

「それができるならなんでさっきの時にやらなかったんだ?」

 

 レオのそれは魔法師たちにとって当然の疑問であっただろう。

 ルキウスやラーマといったサーヴァントたちは確かに英霊として常人とは隔絶していたが、魔法さえ通じるのであれば対応することは多少なりできなくもない。

 

「いくつか理由はあるけど、一番の理由としては通用しないからだね。

 魔法の効果を引き上げるとは言ったけど、実際には魔法に神秘という色付けをしてサーヴァントにも通用できるようにするだけだ。

 “人”のサーヴァントであり、対魔力のクラススキルのないバーサーカーならそれでなんとか通用するだろうけど、“地属性”──― そもそも現代の魔術よりも格上の神秘の塊であるサーヴァントには基本魔術も通用しない。まして伝承を由来とするサーヴァントで、しかもとびっきりの対魔力を備えたあのセイバー(ルキウス)やハイ・サーヴァントであるラーマにはおそらく、というか間違いなく魔術や魔法そのものが無効化されるだろうね」

 

 現代において神秘は遥か彼方に置き去りにされ、“魔法”ですらも解き明かされた現代では魔術の力は極めて()()

 

「それに礼装による魔術は効果時間がかなり短い一方で、使えるのはこの戦闘の間でおそらく一回(1ターン)が限度。だからその効果時間内に確実にバーサーカーを撃破してほしい」

 

 なによりもこの魔術は、圭本来の魔術ではなく、礼装に付随した魔術によるもので、強力だがそう易々と何度も使えない。

 車内は緊張から喉を鳴らして唾を呑み込む音が聞こえるようだった。

 

「方法は分かった。それで、作戦はどうする、藤丸?」

 

 彼らが戦う戦場は着々と近づいおり、克人の問いかけに圭は「ふむ」と思案した。

 

「全員で一気に、といきたいところですが、今回の目的はバーサーカーの撃破よりも拠点防衛─── 協会支部の情報強奪の阻止ですよね。それなら──────―」

 

 

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

 

 

 魔法協会関東支部のある横浜ベイヒルズタワー。そこに向かう通り道は凄惨な破壊の痕をそこかしこに刻み付けられていた。

 

 黒い靄を纏う怪物染みた異形、あるいは異形染みた怪物か。

 立ち向かう魔法師たちは、魔法協会への道を守るために懸命にそれに立ち塞がろうとし────

 

「ひっ、ぅ、あああああッッッ!!!!!」

 

 グシャリと、肉塊が赤く弾けた。

 現代の魔法は科学兵器に対して万全に超越しているわけではないが、多くの点で優越していることが認められている。

 ここに集い、異国の侵略者に対抗しようというほどの魔法師ともなれば、己が魔法両区に相応の自負を持ち、それは公的に認められる魔法力の評価においても確かだ。

 けれどもそんな、一騎当千とはいかずとも超人的な魔法師たちが、その魔法が黒い靄の怪物にはまったく通用しない。

 放たれた攻撃魔法はその突進をわずかも鈍らせることができない──― 術者が潰された────

 防御のための魔法は紙くずほども威力を減じることができない──― 肉塊が破片となって飛び散った────

 

 振るわれる方天画戟はその物理的形状の範囲以上に破壊を巻き散らす。

 振るわれる度に魔法師たちが赤い肉塊となって散っていく。

 

 魔法協会支部に蓄積されている魔法研究の情報は断じて異国の手に渡してよいものではなく、戦場において命を賭けて守るべきものだ。

 そうでなくば、奪われたその技術をもって外夷は更なる力を得て、さらに大きな騒乱と破壊をもたらすに違いない。

 だからこそ守らなければならない。

 少なくとも十師族の魔法師たちが駆けつけてくれるまでは、国防軍が敵対勢力を排除してくれるまでは────

 けれども心が折れる。

 畏怖すら抱くほどに圧倒的な破壊の権化に。

 魔法師が置き去りにしてきたなにか、科学で制圧したはずの神秘こそが、まさにこの目の前の光景であるのか。

 立ち塞がっているのはすでに義勇兵の魔法師だけではなく、国防軍の装備をもった者たちもいる。

 耐える時は終わりを迎え、反攻の時に至ったはずなのに。

 

「ああああああああっっ──────」

 

 ぐしゃりと、また幾人もの魔法師たちが血肉を飛び散らせた。

 

 

 

 

 

 

 昏い、昏い、昏い────―

 周囲の世界のみならず、埋没する自己も暗闇の中、黒に染まっている。

 その中でただ、幾つか、朱が散らばっている。

 叫ぶ朱。吠える朱。飛び散る朱。

 最早、その朱を見るためだけの機能しかない視覚以外、五感はすでにない。

 触覚もなく、握っている感覚などとうになく、四肢を動かしている感覚もない。

 ただ目の前で朱が花火のように飛び散っていくだけだ。

 勿論のこと──────それを認識するだけの知性も理性も、何もかもが、呂剛虎という存在そのものが、すでに魂から押しつぶされて、塵の一欠けらだけが、狂乱の激流の中で翻弄され続けていた。

 

 敵意が降り注ぎ、それを撃ち払う。視界の中で、一際朱いナニカが、狂戦士の前に立ち塞がった。

 

 

 

 

 

「■■■■■■■■■■■■」

「くっ! 流石は中華最強の勇将。やはり私の弓では通じませんか」

 

 シータの放った弓矢は確実にバーサーカーの不意を打ったにもかかわらず、超速で振るわれた方天画戟によって捌かれた。

 狂化によって理性を失うバーサーカーのクラスでは、本来生前の武技は損なわれるはずだ。

 だが膨大な魔力消費と引き換えに得られるスペックは強大。

 シータのもつ武具、追想せし無双弓(ハラダヌ・ジャナカ)はシヴァ神によって授けられた力と勇気を試すための豪弓。そこから一弓五射に放たれた矢の威力は、込められた神秘からしても見た目どおりではない威力を持っていた。

 けれど呂布はそれを大した神秘もなく、劣化した生前の絶技と膂力のみでそれを事も無げに撃ち払ったのだ。

 シータの武勇では三国の無双たる飛将軍には通用しない。

 それは分かっていたことだ。だからこそここからが策だ。

 

「“礼装起動(プラグ・セット)”────“メジェドの眼!! ”」

「はぁあああッッッ!!!!」

「うおおおおおっ!!!」

 

 圭の魔術と同時にエリカと、わずかに後れてレオが斬りかかった。

 完全な死角からの攻撃。

 バーサーカーとして理性を失ったからこそ、眼前に立ち塞がった敵にのみ意識を奪われる狂戦士の特徴ゆえに生じた隙だ。

 生前の武技もない────はずなのに。

 

「なっ!」「こいつッ! この武器で、受け止めたッ!?」

 

 レオの薄羽蜻蛉とエリカの山津波。

 特にエリカの山津波は彼女の魔法の特性と相俟って超速加重の斬撃だ。

 それを二方面の死角から刹那の時間差でほぼ同時に受けておきながら、身の丈をも超える超重の方天画戟を高速に動かしてそれを防いでいた。

 咆哮。

 会心の一撃を超絶の技巧と膂力で受け止められたことによる衝撃に加えて、英雄ならざる人の身の心を揺さぶる威圧にエリカとレオの動きが固まり、方天画戟が振るわれようとした。

 

「■■■■■■■■■■■■!!!!!」

「エリカ、レオ!」「離れて!」

 

 その動の起こりを摩利の圧斬りと真由美の魔弾が打ち据えた。

 方天画戟が速度を得る僅かな一瞬。それはバーサーカーの膂力の前では僅かなものではあったが、起こりを崩されてしまえば方天画戟の威力はベクトルを逸らされた。

 

 

「ぬぅん!!!」

「■■■■■■■■──────ッッッ!!!!!」

 

 そしてその僅かな間隙にエリカとレオは隙間のような距離をとり、間髪に入り込んで克人の攻撃型ファランクスがバーサーカーを押しつぶさんとした。

 いずれの魔法も圭の魔術の付与によって確かにサーヴァントにその体に届いている。

 けれども相手は英霊。人類史にその名を刻んだ英雄であり、英傑が乱舞した後漢末の動乱においてさえ最強の武人と謳われた呂布奉先。

 克人が放つ瞬間無数の魔法障壁にその霊基(カラダ)を押し潰されても、得物を動かす隙間もない牢獄にあっても、ただ膂力のみで方天画戟を振るってファランクスを破壊した。

 圧倒的な破壊の猛威。

 それでも暴風の脚を止め、エリカとレオが距離を稼ぐことはできた。

 克人のファランクスが破られ、バーサーカーが駆けようとするその刹那、振動が空間ごとバーサーカーの体を襲った。

 

「■■■■■■!!!????」

 

 雫の魔法により空間に設置された機雷が破壊的な振動を発生させてバーサーカーの体を軋ませる。

 歪曲する空間は攻撃でもあり、動きを封じる牢獄でもあった。

 形ある障壁であれば魔法であったとしてもエーテルの鎧を纏ったサーヴァントであれば砕くのは容易い。雫のそれは魔法によって事象改変された物理現象であり、振動という形を持たない現象。故に方天画戟では砕くことはできず、バーサーカーは渾身の咆哮を放った。

 思考してのことではない。けれども音とは空気の振動であり、神秘の塊であるサーヴァントの放つ咆哮ともなれば魔法を砕くには十分。

 そしてそれは彼にとっても十分な時間をもたらした。

 

 

 

 

 

 

 

 目視において呂布奉先と目された敵は黒い靄を纏い、依り代となっている呂剛虎らしき姿は確認できない。

 達也が持つ精霊の眼(エレメンタル・サイト)ではさらに醜悪な様相を呈していた。

 どろどろに溶かされ、圧搾され、それでもなお消えることはできずに悲鳴を上げ続けているかのような残滓と、精霊の眼だからこそ見える情報の塊。

 そしてその情報の塊は現在における表層的なイデアではなく、多重多層的な、遥かな過去という膨大な厚みをもった情報。個体に依らないナニカ──― 現代魔法が斬り捨てた神秘、信仰とでもいうべきものを内包した存在。

 それはあるいは霊子情報体とでも言うべきものか。

 それこそが達也が理解しているサーヴァント。

 現代魔法はサーヴァントには通用しない。

 それは達也の異能とでも言うべき魔法を以てしてもだ。達也には想子を知覚することはできても霊子の構造を視る術はない。

 達也はそれを自身がサーヴァントのことを、魔術を、神秘を正確に理解できていないからだと考えていた。

 彼の異能は、精霊の眼(エレメンタル・サイト)によって構造体の情報を知ることによって対象を分解できるというものだと思っていたからだ。

 けれどもそうではない。

 彼が分解できるものは単一の分子構造体などに留まらない。人間という複雑な情報の塊ですらも分解できるのだ。だが、いかに達也の情報処理能力が卓越しているとはいっても37兆を超えるほどの細胞、それを構成している分子の配列、素粒子の羅列を刻々と変化している中で理解しきることなどできるはずがない。

 ゆえに達也が分解できるもの、理解していると考えていたものの本質は別にあるのだ。

 

 ──たとえ物理現象に囚われず、通常の魔法の通用しない幽体であることがサーヴァントの性質なのだとしても、()()は俺たちに物理的に干渉している。()()()()()()()()()に干渉するための想子情報を発生させるはず──

 

 ならばサーヴァントという理解の埒外の存在であろうとも、彼の認識の再定義によっては手の届きうる存在には違いないのだ。

 

 それは神秘を知らぬがゆえの、全てを解き明かし暴こうとするヒトという種のエゴが生み出した幻想でしかなかったが、奇しくも正しく的を射抜いている点もあった。

 

 ──俺という、いや、この世界に存在する構造体に干渉する、その起点、その繋がりを分解する!! ──―

 

 司波達也(摩醯首羅)の魔法は、神秘にも届きうる。

 

 ──“霊子干渉構造体分解魔法”発動!! ──

 

 狙うはサーヴァントという異物の本体と残滓として消えようとしている依り代の情報とをつなぐ連絡路。

 依り代たる呂剛虎が死に、楔を失えばサーヴァントは自滅すると藤丸圭は言った。

 まだ本来のサーヴァントには届かないだろう。それでも依り代という核に縛られたデミ・サーヴァントには通用しうる。

 

 

 

 

 

 

「■■■■■■■■■■■■!!!!!」

 

 達也が右手に構えたCAD── トライデントが彼の異能たる魔法を放った瞬間、それは情報の海を経由して呂布奉先を── 呂剛虎を穿った。 

 サーヴァントとしての情報とこの世界における器を繋ぐ架け橋を、素体を依り代たらしめている情報(神秘)を、達也の魔法が分解したのだ。

 絶叫が轟く。

 それは魂を擂り潰されて消え行かんとしていた呂剛虎のものか、それともこの世界から拒絶された呂布奉先のものか。

 魂消る叫びと評することが相応しい声は、達也の魔法が、魔法師の力が、確かにデミ・シャドウ・サーヴァントに届いたのだという証。

 けれども────

 

「■■、────■■■!!!!」

「まずい、シータ!」「!!」

 

 それは本来のシャドウ・サーヴァントであれば用いることのできない力。

 英霊が英霊たるの証──― ()()

 

 ──依り代から切り離されたその刹那を使って!? ──

 

 依り代から解放されたからこそ、放てる奇跡のような一瞬。

 バーサーカー、呂布奉先の宝具 「軍神五兵(ゴッドフォース)」。

 あらゆる武芸に秀でた天下無双の飛将軍が、とりわけ燦然と輝かせる武技。

 

 死の間際に放たれる弓がシータに襲い掛かり、対するシータにそれを防ぐ術はない。

 

礼装起動(プラグ・セット)──― オシリスの砂!!!!」

 

 その未来を視ていた圭が、残る魔力を礼装に叩き込み、魔術礼装──アトラス院にデフォルトされたもう一つの魔術を発動させた。

 

 オシリスの砂。

 

 それは魔術協会とならぶ巨人の穴倉とも評された蓄積と計測の学府──―アトラス院が“最強の魔術師”を目指して試作した魔術礼装に備わる最高の魔術。

 あらゆる未来を計算し、その先を掴み取る絶対策。

 ゆえにこそバーサーカー、呂布奉先の宝具といえど、その砂の壁を突破すること能わず。

 

「────―ぐっっ!! ぁぁあああああッッ!!!!」

「■■■■■■■■■■■■!!!!!」

 

 圭の魔術は礼装頼みの借り物であり、本来あるべきバックアップも今はない。

 かつて人理修復の旅路で人類最後のマスターが行使したほどの威力も神秘も望むべくもない。

 けれども対するサーヴァントもまた、劣化したシャドウを依り代に憑依させているに過ぎない。

 

 僅かな時を防ぎきれればいいのだ。

 呂布奉先が宝具を放つことはできたのは、依り代との連絡路を穿たれて、その霊核に不純物がなくなったから。

 だがだからこそ、その僅かな時を防ぎきれれば、魔力消費の大きいバーサーカーは現世に存在を継続できない。

 

 藤丸圭の魔力流出が限界に達し、その腕から力が失われる。口の端からは魔術回路の過活動によって損傷した内臓の影響で血が流れる。

 けれどもあと一歩。呂布奉先の放った無窮の弓矢は、紅の王妃を貫くに及ばず、武人の霊体はこの世界から消滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 達也が呂剛虎(呂布奉先)へと致命の一撃を手向け、その霊基を消滅させることに成功していたころ、彼らが守る魔法協会支部の中には魔法師が侵入を果たしていた。

 陳祥山。大亜連合軍特殊工作部隊隊長にして奇門遁甲の使い手。

 大陸の古式魔法なるその術により、彼は部下たちを撒き餌として敵対者たちの目をかいくぐり、協会支部内で歩みを進めていた。

 奇門遁甲は表には吉凶を占う術として知られるが、裏の顔として方位を操る魔法としての側面がある。術者の望む方向へ人々の認識を誘導する秘術。

 その魔法を使い、陳は敵の注意と警戒を部下たちに誘導し、自身は無警戒のままにここまでやってきた。

 日本の魔法師たちの研究の成果の集まる場所、魔法協会関東支部、その中枢。

 特殊工作部隊が密かにこの国に侵入し、部隊を展開したのも、一つには日本の魔法師を拉致するのも目的だが、本命はここに集積されたこの国に魔法研究の成果を奪うことにある。

 大亜連合はその成立過程において憎々しいことに古来の魔法技術の多くを失ってしまっている。この国のとある魔法師一族、不幸を齎す四葉(アンタッチャブル)との抗争によってだ。

 魔法の力が国の軍事力に直結するようになった現代だからこそ、国としての魔法力の低下は国力の低下につながり、大亜連合はUSNAや日本などから魔法後進国ともみなされてしまう。

 だからこそ奪い、取り戻すのだ。

 本来であれば、ここは何よりも厳重に警備されている場所。

 けれども今は、市街に展開した部隊の襲撃により混乱し、中でも切り札であるとっておきの人間爆弾は、周囲一帯のあらゆるものを薙ぎ払ってここに侵攻せんと見せていた

 ここまでもつはずもないのに。

 

 あれはまさしく爆弾だ。

 大亜連合から、いや、現代の魔法世界から失われた秘術、神秘をもって現世に蘇った古代の猛将、中華の誇る最強最悪の反骨の武将、呂布奉先。

 それが現代魔法師の中でもこと接近戦においては最強の一角に名を連ねるであろう呂剛虎と融合して暴れまわっているのだ。

 誰があれを止められるであろう。

 誰がアレを前にして命あることを許されるであろう。

 呂剛虎は陳にとって替えのない部下だ。

 友誼や情などからではない。他の雑兵ならいざ知らず、戦略級魔法師を除けば大亜連合において稀有な力を有する魔法師だからこそ、そう易々と失われていい魔法師ではない。

 

 ────―それなのになぜだというのだろう。

 

 陳は彼を生きる爆弾へと変えた。

 あの男の言うがままに、あの男の成すがままに。

 

 ──────仕方のないことなのだ。

 

 作戦を果たすためには必要な戦力だ。

 そうだ。呂剛虎は優秀だとは言え、一度捕まり、二度までも失敗を見せていた。

 その戦力を強化することのなにがいけない。

 喪われた神秘を僅かな時間とはいえ再現し、目にし、あまつさえその身に宿すことができたのだ。

 それのなにが間違いだというのだ。

 目的を果たすために、国のために、必要なことなのだ。

 なのに────―

 

 

 

「なるほど、これが奇門遁甲ですか、勉強になりました」

 

 陳の前に氷雪の女王が立っていた。

 なぜだというのだ。なにが間違っていたというのか。

 

 彼の足元が、周囲の壁が、空気が凍り付いていく。

 

「わたしも早くお兄様のもとへ馳せ参じなければなりまんので、あまり時間をおかけすることはできません。なので、しばしお休みください」

 

 心を奪われ凍りつくほどに見惚れるような可憐な笑みを浮かべた少女の魔法により、陳祥山の意識は闇に閉ざされ、その身体は凍り付いた。

 

 

 

 





2000万記念でようやく孔明先生をお迎えすることができ、その前にはローマ皇帝も来てくださいました。みんなでローマ!
前回の星4配布で来てくださったパイセンには申し訳ないのですが、幣カルデアには項羽様はおられません。ごめんねパイセン!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15話

 ──魔法協会支部に到着する前、トレーラーの車内にて────―

 

「……藤丸君。獅子劫君は、あの相手、ルキウスというサーヴァントに勝てるの?」

 

 これから先の戦いについての不安は勿論ある。だが同時に、すでに起こっている戦いの動向についても懸念は残されている。

 彼が容易く吹き飛ばされた姿を思い出したのだろう。真由美が不安げに魔術師に問いかけた。

 人の動きとも思えぬ領域での戦い。それは魔法でこそ到達できる果てであると思っていたのに、正真正銘のサーヴァントとの戦いを目の当たりにしてその考えは砕け散った。

 あれは人が敵うモノではない。

 ならばサーヴァントの力を有するとはいえ人の身である明日香がこれまで同様にあのルキウスというサーヴァントを倒せるのかを不安に思ってしまったとしても、アレを目にした以上、無理からぬことだ。

 雫も摩利も、レオも幹比古も、克人ですらもアレを目にした瞬間から、根源的な畏怖をぬぐい去れなくなっているのだ。

 車内の皆の不安を感じる。そしてそれは圭とて同様。

 

「かなり難しいでしょう」

「そんな!」

 

 懸念を否定できない圭の言葉に、声を上げた真由美だけでなく雫やほのか、深雪でさえ絶句した。

 声こそ上げなかったが克人や達也でさえも顔色を変えていた。 

 

「ルキウス・ヒベリウスというのはあまり覚えのない英雄だが、どういう英霊なんだ? 明日香はかなり詳しかったようだが」

 

 達也の問いかけ。

 博識な達也といえどもこの世全ての情報を網羅しているわけではない。サーヴァントとのかかわりがあってから古今東西の英雄についても調べてはいるものの、文明が発祥して以降ともなれば人類の歴史は5千年は超える。

 そんな歴史の中で綺羅星の数ほどもいる英雄や名を馳せた人物・怪物を網羅することはいかに達也とて時間の制限上難しい。

 そしてこれは一つの確信あっての問いかけだ。

 

「……明日香の、というよりもセイバーが生前戦った相手です。当時大陸最強と謳われた剣士にしてローマ皇帝」

 

 獅子劫明日香というデミ・サーヴァントの来歴に関わる情報。

 達也の認識ではサーヴァントは過去の亡霊だ。

 過去に死した存在だからこそ、その死にざまが分かり、対策が打てる可能性が高まる。ゆえにサーヴァントはその真名を隠すものだと魔術師は言った。

 明日香は厳密には異なるが、その力の根源は英霊のもの。

 ゆえに達也たち魔法師は誰一人として明日香の英霊としての真名を知らない。

 けれども明日香は刃を交える前から、そして敵もまた同じく互いの真名を知っていた。

 

「獅子劫は勝ったのか?」

「セイバーと明日香は別人ですよ、十文字先輩。明日香はデミ・サーヴァントでしかありませんから、明日香が勝ったわけでありません。ただ、セイバーはあの皇帝を宝具の一撃で打ち破り、歴史からすらも存在を消滅させた」

「歴史上から消したというのはどういう意味だ?」

 

 このような時とはいえ、いやこのような時だからこそサーヴァントの情報を得るまたとない機会。克人と達也から矢継ぎ早に質問がきた。

 圭としては明日香の真名を開陳するつもりはないが、自身の混乱を整理する意味でも口に出して言葉にしておきたかった。

 

「文字通りだよ。セイバーの聖剣の力によって人類史そのものから存在ごと抹消した。そしてだからこそ、本来の人類史ではあのルキウスが英霊として召喚されるはずはない」

 

「かなりイレギュラーな事態が起こっている、ということだな。藤丸、生前勝ったのなら獅子劫が勝つのは難しくないんじゃないのか?」

 

「克人さん、サーヴァント ──英霊については以前にもお伝えしましたが、その成り立ちは大きく2種類に分けられます」

 

 一つは生前の為した功績によってその死後、英霊に成るタイプ。コロンブスやグリム、鉄腕のゲッツらがこちらだ。

 彼らは生前からサーヴァント級の力を持っていたわけではないが、英霊となり、サーヴァントとして召喚されるにあたって、そのクラスに相応しいクラススキルとステータスを底上げされて召喚される。

 つまりこのタイプは生前よりも強くなるタイプの英霊といえる。

 

 そしてもう一つが生前から英雄として活躍し、その死後、英霊として世界に刻まれたタイプ。

 アストルフォやラーマ、ほかにも有名なところでは竜殺しの英雄ジークフリートのように英霊として世界──―座に刻まれ、英霊あるいはサーヴァントとして召喚される際に召喚されるクラスに応じて、力の一側面を切り分けられるタイプだ。

 

「つまりたとえば、アストルフォの場合、ライダーのクラスとして召喚されているので騎乗であるヒッポグリフや馬上槍といった宝具を有していますが、生前の伝承では剣、つまりセイバーとしての側面もあります。けれどあのアストルフォには剣の宝具がありません。同じように、このタイプの英霊は召喚された際に、生前よりも力や霊基が制限されているものなんです」

 

 魔法師にとってみればいずれのサーヴァントにしても、銃火器はおろか魔法も通用しない怪物であっても、同じサーヴァントであればそこに格の違いもあろう。

 自らの武器である剣を解放しただけで嵐のような風を巻き起こし、ただその剣を振るうだけで戦術級魔法にも匹敵するほどの破壊の爪牙と化す。

 だがそれが制限を掛けられた、本来の力に及ばない姿などと信じられるだろうか。

 

「そしてセイバーも、そしてルキウスも英霊としては後者になります。セイバーが生前所有していた宝具のほとんどを明日香は使うことはできません。それどころか明日香はデミ・サーヴァント。セイバーの霊基の一部を譲り受けているだけにすぎません。ルキウスは本来のセイバーにとっても容易ならざる英傑です。正直、今の明日香ではかなり厳しい」

 

 

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

 

 

 バーサーカーを迎撃するにあたり、藤丸たちはその作戦目的を明確化していた。

 一つは、これ以上バーサーカーの侵攻と被害を食い止めるため、可及的速やかにこれを討伐すること。それができない場合は足止めし、バーサーカーが魔力切れで自滅するまでの時間を稼ぐことだ。

 だがそれと同時に、というよりも本来の目的として、バーサーカーが侵攻している先、敵の戦術目標を挫く必要があった。

 すなわち魔法協会関東支部に集約されているデータベースを守ることだ。

 あそこまで目立つ進行をしているバーサーカーだ。あれを止めることは並大抵ではない魔法師であっても難しいとはいえ、あれだけに注意を割かれてしまえば陽動となりえる。

 克人たちとともにバーサーカーの迎撃に当たるのと同時に、達也の判断で深雪は魔法協会支部の中を守る役目についたのだった。

 そしてそのバックアップとして知覚能力に長ける美月と精霊を介した空間知覚のできる幹比古がつき、敵魔法師の認識阻害系統の魔法を無力化した。

 どうやら達也と深雪は以前から別口で認識阻害の魔法の術者に警戒するようにとの助言を受けていたらしい。

 深雪から藤林を介して達也に侵入者の迎撃と排除に成功したとの報告が入り、協会支部の前で達也によりバーサーカーの討伐が完了していた。

 もともと迎撃にあたっていた職員や魔法師たちはともかく、達也や克人たちは全員が無傷。

 とはいえバーサーカーが最後に放った戦術級とも思える威力の攻撃を防いだことで藤丸圭が大きく消耗している状況だ。

 

 魔術と魔法という違いはあるが、魔法において術者の能力を超えた魔法の行使は術者を蝕むことがしばしばある。

 達也と深雪の知人はそれで命を落としたことがあるし、克人に至ってはそれこそが十文字家の秘技にも関わるほどだ。

 まして魔法と違って魔術はより汎用的になる以前の技術。安全性においてセーフティが魔法よりも十全でないとしても不思議ではあるまい。

 

 今回、藤丸はサーヴァントの宝具の一撃をわずかとはいえ防ぐほどの魔術行使を行ったのだ。

 負荷は大きく、その体を流れた高圧の魔力流が内臓や血管の一部を傷つけた。

 あれが本来のサーヴァントによる宝具であれば到底耐えられなかっただろう。

 比較的神秘の薄い呂布奉先の対人宝具に絞られた一撃であったからこその防御成功だった。

 あれが対軍宝具クラスであれば、あるいはもっと神秘の強い伝承を有するサーヴァントの攻撃であれば、カルデアからのバックアップのない藤丸では耐えられなかったに違いない。

 

「大丈夫か、藤丸?」

「はぁはぁ、ごふっ、だい、じょうぶ、だ」

 

 克人の心配に応える藤丸だが、言葉ほどには無事な様子ではない。

 話す最中から咳き込み、その口元には血が滲んでいる、

 

「ちょっ、藤丸くん! 大丈夫じゃないわよね! 響子さん、すぐに救護の手配をお願いします」

 

 慌てた真由美が藤林に指示を飛ばそうとするが、それを藤丸が遮った。

 

「いや、そんな時間はない。すぐにここから離れるんだ!」

 

 口元の血を強引に拭い、崩れそうになる体を無理やりに立たせていた。

 

 藤丸圭の未来視は予測によるものだ。

 十分な情報がなければ発動しないし、それは半分以上が無意識的に行われるもの。意識的に予測を行うことは難しく、視えたとしても確定したものではない。

 何らかの因子の介入によって変わることもあるし、まして今回はサーヴァントという超常者たちが入り乱れた、これまでに圭が体験したことのない激戦なのだ。

 断片的で不確定な未来視であり、ここに至る過程こそ視えなかった。

 けれどもここはかの場所(未来視に視えた結末)

 だからこそ早くここから離れなければならない。

 あの未来視を実現させないために。

 バーサーカーが消滅し、そして──────

 

「ここは不味い。予測通りだともうすぐここが、ッッ!!」

 

 轟音が、上空から響いた。

 空への視界を遮り、まだ魔法協会支部から距離のある場所に建っていた高層のビルの一つが、その上階部分が吹き飛ばされて崩落していた。

 

「なっ、アストルフォ! それにあれはさっきのサーヴァント!」

 

 そして上空で高速機動戦闘を行っているのはヒッポグリフに騎乗したアストルフォとヴィマーナを駆るヴィシュヌ(ラーマ)

 空を翔る術を魔法師は得たが、彼らの飛翔速度は飛行魔法の比ではない。

 容易く亜音速を突破しており、アストルフォに至っては時折瞬間移動をしたかのように姿を消している。

 ただその高速機動による空戦はヴィシュヌに有利。

 攻撃手段が馬上槍のアストルフォに対してヴィシュヌはヴィマーナから光弾を放ち、アストルフォはそれを回避するので精一杯。

 ゆえにここまで追い込められたともいえる。

 ただヴィシュヌがここへと戦場を移したのは決して偶然ではない。

 半身に吸い寄せられるかのごとく、あるいは追い求め続けた彼女と引き寄せ合ったからなのか。

 

「────―!!」

 

 ヴィシュヌが視界の端にシータを捉え、シータもまた視線が交錯したことに気が付いた。

 ほぼ同時にアストルフォは自身が、遠ざけたはずの友だちたちのところにまで戦場を追い込まれてしまっていることに気づいた。

 

 ヴィシュヌの光弾の軌道がシータを、そして雫やほのかたちを捉えた。

 

 ──―しまった! ──

 

 魔法師たちはもとより、魔術師であっても、そしてAランク相当の対魔力を行使できるアストルフォといえども神霊サーヴァントの攻撃を防ぐことはできはしない。

 アストルフォであればヒッポグリフの力で回避することができる、事実アストルフォがここまで空中戦で渡り合えたのはそれによるおかげだ。けれどシータや魔法師たちではそれもできない。

 

「ッ、間に合え! ────―触れれば転倒(トラップ・オブ・アルガリア)!!!」

 

 アストルフォは回避しようとしていたヒッポグリフの手綱を操り、黄金の馬上槍を構えて光弾を放とうとしているヴィシュヌと正面からの真っ向勝負に打ってでた。

 アルターエゴ(ヴィシュヌ)宝具(ヴィマーナ)ライダー(アストルフォ)宝具(ランス)が真っ向からぶつかり合った。

 

「アストルフォ!」

 

 だがもとより先んじていたヴィシュヌに対して無理やりねじ込まんとしたアストルフォは、わずかに間に合わずに光弾を浴びた。

 華奢にも見える騎士の体が吹き飛ばされ、ヒッポグリフの姿が光の粒子となって消える。

 常人であれば到底助からない高度からの落下。

 サーヴァントの霊基であるからこそ無事だが、先の直撃、無傷とはいかない。

 倒れ伏したアストルフォの体は傷だらけで意識を失っていた。

 だがアストルフォとてただやられただけではなかった。

 トラップ・オブ・アルガリア。

 シャルルマーニュの伝承においてカタイの王子・アルガリアが愛用し、アストルフォが手に入れた魔法の馬上槍。その本質は貫くことではなく、敵を落馬させること。

 アストルフォの槍はヴィシュヌに対してわずかに掠った程度。けれどもそれで十分。宝具の力によりヴィシュヌの騎乗であるヴィマーナが消失する。

 

 神の騎乗(ヴィマーナ)から落とされたことが癪に障ったのか、ヴィシュヌが猛り吠え、止めを刺さんと剛弓を振り絞った。

 愛馬(ヒッポグリフ)を失い、自身大きく損傷したアストルフォにそれを避ける術はもはやなく、その危機を救ったのは蒼銀の斬撃。

 

「■■■■■■!!!!」

 

 

 

 

 

 直感に導かれて、あるいは決着の場へと引き寄せられるようにこの場にやって来ていた明日香はアストルフォの絶体絶命の危機にギリギリのタイミングで間に合い、ヴィシュヌのとどめとなる攻撃を防いだ。

 だがそれは彼自身の敵に対しては隙を見せる行為。

 

「俺との戦いの最中に余所見とは、舐められたものだな、アルトゥールス」

 

 声が聞こえた。デミ・サーヴァントとして常人より強化されたからではなく、その声が“彼”のものであるからか。

 巨人の怪力をもって振るわれる皇帝剣が迫る。

 

「ッッ────―」

 

 それでも咄嗟に聖剣で防御を試みるが、皇帝剣が纏う神秘を纏った赤雷が明日香の身体を焼く。

 セイバーとしての対魔力がダメージを防ごうとするが、明日香としての肉体は完全に電撃から逃れることはできない。

 霊体ではない実体を持つ筋肉が痺れ動きが鈍り────────

 

 

 

 

 

 

 

「明日香!!!!」

 

 ルキウスの斬撃によって血風とともに明日香は地に沈み、雫は悲鳴交じりの声を上げた。

 これまでとは違う。

 獅子劫明日香が、これまで雫や多くの魔法師の危機を救ってきた蒼銀の騎士が、今、目の前で、明確に、地に臥した。

 

 ──不味い! 不味い不味い不味い!! ──

 

 撃ち落とされたアストルフォは消滅こそしていないものの戦える状態(霊基)ではない。

 シャドウ・バーサーカーの討伐にこそ成功したものの、ここにはそれとは比較にならないレベルの敵、ハイ・サーヴァントであるヴィシュヌ(アルターエゴ)とトップ・サーヴァントであるルキウス・ヒベリウスが目の前に立っている。

 明日香までもが戦闘不能になってしまったのなら、魔法協会を守ることができた勝利も無意味になってしまうだろう。

 そしてこのままでは圭が視たあの光景が…………

 

「獅子劫様! アストルフォ様!!」

 

 常であれば鈴の音のような声が、危地にあって切迫した音となって戦場に響いた。

 

 

 シータが彼らの名前を呼んだのも無理からぬこと。

 戦術上の計算だけではなく、シータという英霊の性質として彼女は戦うものではないのだから。

 純粋に仲間としてあった者たちの傷ついた姿に、堪えきれなかったのだろう。

 二人の英霊の、男の名前を────―

 

 

 

 

 

 目の前で、彼女が名前を呼んだ。

 唯一の妃であるはずの彼女(シータ)(ラーマ)以外の男の名前を。

 

 彼は14年にも渡って彼女を求め続けた。親族によって王位後継の地位を奪われ、森に追放されても、たった一人寄り添い続けてくれた愛しい彼女。魔王(ラーヴァナ)によって奪われた彼女。

 幾度彼女の名前を呼んだだろう。幾十度彼女の名前を叫んだだろう。

 彼女の姿を思い描かなかった瞬間などない。彼女の温もりを忘れたことなど片時もない。

 それなのに、それなのに、それなのに。

 

 民は彼女の貞操を疑った。彼女の姦通を疑った。

 その胎に宿ったのが魔王の忌子だと疑った。

 

 その瞳が我以外を写すことなど許しがたい。

 

 その手が我以外の身体に触れるのが許しがたい。

 

 その声が我が名を呼ぶこと以外が許しがたい。 

 

 その存在が──────―許しがたい。

 

「シ────タァァァァ!!!!!!」

 

 許せない、許せない、許せない、許せない。

 認められない、認められない、認められない、認められない。

 

 彼女の存在が──────認められない。

 

 

 ──宝具 遍く悪徳を鎮征せし者(オーム・ナモ・ナーラヤナーヤ)──

 

 

 炎が燃え上がる。

 其はまさに神威の化身。太陽の具現が如き神滅の焔。

 かつて羅刹(ラーヴァナ)を焼き殺したとされる神炎が、特異に堕ちし世界を、自身を裏切った妻ごと焼き滅ぼさんと猛り、燃え狂った。

 

 

 

 

 

 その炎は我が身(王妃)の罪を問い、裁くためのもの。

 猛り狂うは妻に対する怒りか悲しみか、あるいはそれは自身に対するものなのか。

 

 正真正銘の神秘。神の力。

 それは深手を負った明日香の姿に動揺していた雫を含め、十師族の克人や真由美も、そして達也にさえも、この場に集う魔法師の全てが、この戦場に立つすべての魔法師が感じるほどに怖気を齎す異質な、そして強大すぎる力。

 

「ウソ、でしょ。こんなの、戦略級魔法クラスの想子(サイオン)波動よ…………」

 

 真由美の声は慄きに震えていた。

 魔法師は魔法的知覚力を持つがゆえに、いや、たとえなかったとしても、まるで太陽が顕現したかのようなこの尋常ならざる波動を視て平然とはできないだろう。

 今起ころうとしている現象、眼前の敵(ヴィシュヌ)のこの攻撃は魔法でいうところの戦略級魔法に匹敵するであろう。

 一度の発動で人口5万人クラス以上の都市や艦隊をすらも壊滅させることができる魔法。

 それが戦略級魔法だ。

 だがそれだけではない。

 これこそが神秘。

 人類の文明が発展とともに失い、魔法を手にする上で切り捨てたはずのもの。

 神話の再現。

 

 ──マテリアル・バーストクラスの攻撃、ッ! 宝具による大破壊攻撃。術式解散でも雲散霧消でも消去できないッ!!! ──

 

 達也は明晰な頭脳とリミッターを超えることのない冷徹な判断によってこの攻撃を防ぐことができないことを理解した。

 首都防衛の要たる鉄壁、十文字克人の防壁でアレを防ぐことは不可能。

 自分の魔法は元より防御に向くものではなく、だからこそ発動される魔法を消し去るか、あるいは発動前に術者を分解するしか手がない。

 けれども今目の前で発動しようとしている“魔法”──宝具は分解することができまい。同時にその術者も。

 呂布奉先(呂剛虎)を撃破し、サーヴァントにも通用する攻撃手段を得たといっても、あれは藤丸に言わせればデミ・シャドウ・サーヴァント。サーヴァントの劣化体を人間の体に憑依させた存在。だからこそ神秘は弱く、その存在密度もまた希薄。

 アレはそんな程度のものではないと分かってしまう。

 呂布奉先が今際の際に放った宝具の一撃でさえ、魔法師には防ぐことはできなかったであろう。

 辛うじて防ぐことのできた藤丸圭は、それがために満身創痍の状態で、再度同じことをできはすまい。

 まして藤丸の説明によれば、ヴィシュヌは呂布奉先などと比べ物にならないくらいほどの神秘を有する。

 西暦以前の時代の英霊、神秘残るどころか、神霊そのものによる神秘の行使。 

 アレを防ぎうるものなどこの時代にありはしない。アレをしのぐことのできる魔法を人類が手にすることはない。

 

「……………………雫さん。制服、お返しできなくてごめんなさい」

 

 怒り狂う神に立ち向かうように可憐な少女の姿をした英霊、シータが前にでた。

 いかに英霊、同じ霊基を共有するサーヴァントといえども、すでにヴィシュヌ(ラーマ)は神核を得て神霊へと至っている。

 そもそも伝承においてシータは魔王に攫われ、救けを待つばかりの儚い存在だ。

 その最期も、民に疎まれ、愛する夫に見捨てられ、地に還った。

 

 彼女の為すはその最期の逸話の再現。

 紅を基調としていた霊衣が高まる魔力、霊基の再臨に伴って光を帯びて白へと変わる。

 その姿は雫から見て、まるで祝福を受ける花嫁の如くに。

 

 己を焼かんとする神滅の焔に花嫁は微笑みを向ける。 

 

 たとえ喜びを分かち合えなくとも。

 たとえ民との天秤の末に切り捨てられようとも。

 たとえ憎悪を向けられようとも。

 

 ──それでも、私はあなたが好き。あなただけが、本当に、本当に大好きよ、ラーマ……──

 

「宝具展開 母なる大地よ、我が誓いを受け止めよ(グラニー・アーリンガン)

 

 貞潔なる祈りは大地に染みわたり、地の女神はそれに応える。

 疑念の焔はシータとともにラーマ自身を包み込み、裂かれた大地が覆いつくす。

 喜びも悦びも、決して共有できぬと知りながら、それでも出会えた奇跡を離さぬように。

 

「シータさん!!!」

 

 雫の叫びに一瞬だけ向けられた微笑み。焔と大地に消え逝くそれは、淡く花のように。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16話

 

 

 立ち昇る憤怒の焔を包み込んだ地母神の抱擁はさながら星がその内に火を納めるかのように。

 これまで魔法師たちが見てきたサーヴァントの宝具は驚異的ではあっても、神秘的とは思えなかった。

 けれどもシータとヴィシュヌ、二人の放った宝具はまさに英霊の神秘、戦場に散り行く華であった。

 

 けれどまだ終わりではない。

 

「異国異教の者とはいえ、古き国の王ともあろうものが、よもや伴侶ごときと終をともにするとはな。不甲斐ないとはこのことだ。まぁ、それは貴様にも言えたことだがな、アルトゥールス」

 

 まだ戦場の終局はここではない。

 

 

 

 敵性サーヴァントであったアルターエゴ(ヴィシュヌ)バーサーカー(呂布奉先)は撃破できた。けれどもこちらのサーヴァントであるアーチャー(シータ)は消滅し、ライダー(アストルフォ)セイバー(明日香)は倒れている。

 自らが打倒した明日香を見下ろすのはセイバー、ルキウス・ヒベリウス。

 彼のことを藤丸圭は古に滅びた国の皇帝にして、かつて大陸最強と呼ばれた剣帝と言った。

 事実その剣技と体技は黄金の剣を自在に振るう獅子劫明日香をすらも上回った。

 加えて魔法の通じない神秘の具現体。藤丸に言わせればサーヴァントの中でも別格の対魔力を有しているルキウスには魔術であっても通用しないのだそうだ。

 達也が新たに開発した新魔法であれば、サーヴァントにもダメージが与えられうるということだけは呂布奉先に通用したことで実証できた。

 けれどもあれは現実の肉体を持つデミ・シャドウ・サーヴァント。

 純正のサーヴァントにどこまで通じるかは不明。

 

「はぁあああああッッ!!!!」

 

 いち早く動きを取り戻したのはエリカと摩利。

 二人の魔法剣士はそれぞれの武装型CADを振るっていた。

 エリカは間に合わせの特殊警棒型ではなく本来の得物である大蛇丸によって放たれる千葉の秘剣“山津波”を超加速によって叩きつけた。加重系・慣性制御魔法であるその魔法は、自身と刀に掛かる慣性を極小化して敵に拘束接近し、インパクトの瞬間、消していた慣性を上乗せして放つ秘剣。無慣性状態のスピードの中でも一点のぶれなく刃筋立たせる極地ともいえる操刀技術、人の身にあっては極限クラスともいえる知覚速度、そして抜群の運動神経。それらが合わさってなせる業であり、先の奇襲の時とは違い、今度は最大威力を発揮できるだけの助走距離をとっていた。その威力たるや十トンを超えるほどの巨大なギロチンを空高くから落とした斬撃に等しい。

 同時に放たれた摩利の業は源氏の秘剣たるドウジ斬り。摩利にはエリカほどの速度はなく、高速での接近はできない。剣の腕前も千葉の門下では目録、印可であるエリカには格段に劣る。けれどもエリカにはない魔法技術があり、遠隔で振るわれた二刀の刃がエリカの“山津波”とタイミングを合わせて放たれる。

 いかに剣技に卓越していようとも、古に大陸最強を誇る剣帝であろうとも、防ぐことなどできはすまい。

 たとえ魔法が通じなくとも、武装一体型のCADはそれそのものが武器であり斬撃たりえる。

 魔法を無効化しようとも二人の斬撃を消し去ることはできず、二つの秘剣はたしかに剣帝ルキウスへと届いたかに見えた。

 けれど────―

 

「なっ!?」「──ッッッ!」

 

 エリカの大蛇丸と摩利の遠間の刃。この現実に確かに形を持ったそれらは触れたと見えた瞬間に、まるで飴細工を叩きつけたかのように砕け、破片となった

 二人の魔法剣士はそのどちらも十師族ほどの魔法は操れない。けれども剣技と組み合わせることで、その剣技を高めることで、自らの為せる中では至高ともいえる一撃となりえたのが、今の斬撃だったはずなのに、それらはセイバーのサーヴァントたる彼の身体に傷をつけるどころかわずかの停滞も作ることはできなかった。

 

 ──しまっ!! まず────― ──

 

 極大の山津波を放ったがゆえに、インパクトの瞬間に解放された慣性がエリカの脚を止めた。それは並みの剣士、魔法師にとってみればほんのわずかな躓きで、けれど剣帝にとってみれば、己が存在意義ともいえる一幕、赤き竜との戦いを遮る毛筋一本にも満たないノイズのようなもので、それは無造作に手で払わせるほどには気に障るできごとだった。

 けれどもその手にあるは皇帝剣フロレント。ルキウスにとって蠅蚊を払う程度の雑事は、エリカにとっては必死致命の斬撃に等しい。

 現代の魔法剣の達人であるエリカだからこそ感じる絶対的な死の予感。

 

「うおおおおおっっ!!!!」

 

 けれどその斬撃がエリカを斬り裂くことはなかった。

 エリカとほぼ同時、反応的には彼女よりも早く駆け出して、けれども移動速度の関係で出遅れていたレオが、攻撃の矛先を変え、手にある薄羽蜻蛉を捨てて、エリカへと突撃するように体当たりをしたのだ。

 

「がッ!!」「レオ!!!!」

 

 結果、ルキウスにとって何気なく振り払われた一撃はエリカではなくレオの背中を断ち割った。

 常人であれば即死。

 常人よりも強靭な肉体性能を誇るレオであっても、死を免れ得ない致命の傷。

 

 その光景を、魔法協会支部のあるビルから出てきた深雪が目撃した。

 致命傷を受けて倒れる友人(レオ)とその血に塗れて叫ぶエリカの姿。

 逆上し、激怒した彼女はCADを操作することもなく、魔法を展開した。兄の能力の一部を封印していたリソースを解放したことで、同じく解放された自らの力。最早神秘すらも内包しているかのごとくに世界を浸蝕する精神の氷結魔法。

 

 ──系統外・精神干渉魔法“コキュートス”──

 

 その力は魔法師にあって規格外(イレギュラー)

 魔術ではなく、魔法が、神秘を切り捨てたはずの現代最新の文化文明の結晶たるのその力がサーヴァントへと干渉を果たすほどだった。

 

「…………ほう。まがい物、造り物の魔術師(メイガス)もどき風情が」

 

 けれどいかに深雪の魔法が規格外であろうとも、相手はサーヴァントの中でもA級の力を有するローマ皇帝。最優を誇るセイバーの対魔力を突破できるものではない。

 かの剣帝こそすべてに通ずるローマの皇帝。

 古に従えた宮廷魔術師たちとて彼を傷つけることは能わなかったのだ。

 深雪の魔法は傷どころか剣帝の玉体に霜露をつけることもできはしなかった。けれども神秘の絶えた現代の魔術師もどきが、自身に干渉可能なほどの神秘を行使できるというのは蠅蚊以上にはルキウスの興味を引いた。

 向けられる側にとってはそれだけで絶対的な死を予感させるもの。

 ルキウスにしても自らの気を向けられ、崩折れそうになりながらそれでも眼差しを変えない女に少しばかりの面白味を感じた。

 

「ん?」

 

 ルキウスが感じたのは自らに迫る、現世界からの攻撃ではなく、情報世界からの攻撃。

 彼からしてみれば脅威というにはほど遠く、当たったところで対魔力に弾かれてダメージはない。けれども泡が弾けるほどには干渉してくるであろうそれを何気なく薙ぎ払った。

 強い敵意を向けてくるのは黒い鎧──当世風なのかルキウスにしてみれば奇異に映る黒一色のフルフェイスの鎧に身を包む男の魔術師もどき。

 

 

 

 

 達也の脳裏には先ほどから警鐘がうるさいほどに響いていた。

 人らしい感情の極点、激情の大部分を失っている達也にとって初めてというほどにかき鳴らされるそれは、かつて沖縄で深雪を失いかけた時のそれに似て、それよりも圧倒的に危機感を訴えている。

 現代の魔法師を依り代にした紛い物ではない純粋なサーヴァント。それもかつて対峙したメフィスト・フェレスなどよりも遥かに強大だというセイバー(剣士)のクラスなる敵。

 特大の警鐘が訴えているのは、自らの危機以上に深雪の危機。

 彼に深雪への注意を向けさせてはいけない。関心を向けさせてはならない。視線を向けさせなどしない。

 呂剛虎(シャドウ・デミ・サーヴァント)に通じた“霊子干渉構造体分解魔法”がそれだけでこの常識外れの亡霊を打倒できると考えるほど達也は自惚れてはいなかった。

 魔法を放つごとに達也は自らの認識の世界が深まっていくのを感じていた。

 有機物、無機物の構造を理解するのはもとより、人間の構造についても、魔法の構造についても理解できていた。深まった視界に視えているのはあるいは魔術にすら、神秘にすら到達しているのかもしれない。

 それを脳で理解しようとするのではなく、受け入れる。

 それだけで不思議とサーヴァントに対しても届くと、そう思えていた。

 けれどもこの敵にはどうだ。

 打つべき一手が思い浮かばない。脳が麻痺しているかのように思考が加速しない。

 先ほどの攻撃で干渉できたことにより、このサーヴァントの存在をより確かに知覚・認識できるようになった。

 だからこそ、より濃密に、絶対的な違いを感じた。

 何をすればこの敵を分解することができるのか/ 否、人間が干渉しうるモノではない。

 どうすればこの場を離脱、深雪を生かすことができるのか/ 否、今呼吸できているのはコレが乗り気でないだけ。

 

 神秘を捉える視界ではなく現実を見据える視野の端では、背中を断ち割られたレオが刻一刻と吐息を細めていっており、エリカが必死に呼びかけているのが見える。

 自分なら彼をまだ救える。だがそれでどうする。その後に待っているのは目の前の人を隔絶した神秘による蹂躙。

 レオの命を繋いだところで、わずか数秒の後にはこの場にいる全ての命はまとめて消し飛ばされるだろう。

 

 そんな予感を前に──────― 一筋の焔が駆けた。

 

 

 

 

 

 

「ぬっ! 貴様──────」

 

 打ち込まれた()の重さはルキウスすらも押し込めて後ずらせた。

 

 ──えっ────―!? ──

 

 たなびく髪は、すでに消えてしまったはずの彼女を想わせる真紅。 

 少女たちに見せるその背は、彼女のものよりもたくましく、彼女が最後に見せた純白の花嫁を思わせる姿と対。

 その手に携えるは彼の英雄が地上に生まれ落ちた瞬間より身に着けていた不滅の刃。あらゆる魔性を討ち滅ぼすための羅刹を穿つ不滅(ブラフマーストラ)

 

「よもやそのようなボロボロの霊基(カラダ)で、いや、廃棄物同然の死に体でまだ俺の前に立つか!」

「無論だ。そのためにこそ、余はここにいる。カルデアの者たちの道を途切れさせぬためにこそ、僕は、余を呼ぶ声に応えたのだ! 余の名はラーマ! 偉大なりしコサラの王だ!!」

 

 ヴィシュヌ(神霊)ならざるラーマ(英霊)

 その身は神霊回帰して在った霊基に比べれば未熟。王としての姿ではなく、王子として追放されていた時の姿であったことが何よりの証。

 けれどもラーマにとってはこの姿こそが英雄ラーマとしての全盛期。

 愛妃シータを一心に求め続けていたこの姿こそが、彼にとっての何にも代えがたい在りし日の記憶。

 

 

 

 

 

 突如として達也たちの眼前に立ち塞がり、窮地にあった彼らを救うかのようにルキウスと戦い始めたのはサーヴァントだろう。

 どことなくシータという英霊に似た面影を持つが彼女とは違い、手に持つ武器──宝具は剣。

 その名乗りはラーマ。

 伝承においてシータを王妃として、けれども追放した古代インドの英雄にして王。

 先ほどまで神霊サーヴァントとして自分たちと敵対していた存在だ。ルキウスと同じ陣営かどうかは確定ではないが、タイミング的にはそうだろう。

 だが今、彼らは敵対し戦っている。

 サーヴァント同士の戦い。

 紛れもなく一級品の英霊同士の戦い。

 

「レオ! このバカ! ふざけんじゃないわよ! レオ!!」

 

 思考は一瞬。動きを止めかけていた達也はエリカの必死に呼びかける声に振り向き、駆け寄った。

 レオの状態は致命傷一歩手前。サーヴァントの一撃を受けたダメージとしては軽いものなのかもしれないが、命の灯は風前に消え行く寸前だった。

 

「お兄様!」

 

 厳しい顔つきでレオの傍に立った達也。その隣に駆けた深雪は達也の右手にすがりついた。

 

 確かに感じる深雪の温もり。

 達也は彼女の意図することを即座に理解した。

 達也と違い深雪の感情は常人のそれと変わりない。

 魔法科高校でできた親しい友の命が消えることを良しとはしない。無論達也とてその感情は残されてはいるが、常人と同じとは言い難い。

 達也の手にはこの状態からでもレオを救う術がある。それは“彼の一族”からは機密として封じられている彼本来の魔法。

 けれども達也は頷き、左手に持っていたCADをレオへと向け、躊躇いなく引き金を引いた。

 

 ──エイドス変更履歴の遡及を開始。復元時点を確認………………復元開始──

 

 達也が司る“分解”と対を為すもう一つの魔法、“再成”。

 エイドスの変更履歴を遡り、負傷する直前の情報体(エイドス)を復元し、複写する。複写した情報体を魔法式として、エイドスに貼り付ける。怪我をした状態を記録している情報体を、怪我をする前の情報で上書きする。

 事象には情報が伴い、情報が事象を改変する。

 魔法の基本原理に従い、怪我をしたレオの肉体の状態改変が始まり、瞬きの間に終わった。

 

「ぅ……あれ? これ……」

「レオ。あんた…………」

 

 怪我をしなかった状態への復元、回帰。

 呆然とするレオと驚きに目を見張るエリカ。致命傷にも至るほどの傷はレオの体にすでになく、どころか傷跡は衣服にすらもなかった。

 怪我を治すのではなく、怪我を負った事実をこそ、無かったことにする。

 それは現代の魔法においても奇跡とすらもいえる御業であろう。

 無論何の代償もなく行使できる異能ではない。

 ゼロコンマ二秒。レオが致命傷となる傷を負ってから、回帰がなされるまでの時間。

 レオが感じていた文字通り死に至るほどの痛苦を、その刹那の時間に凝縮されて達也は追体験したのだ。

 表面上は魔法を行使する生体ロボットであるかのように魔法を放った達也の辛苦をほかの誰も感じ取れはしなかっただろう。

 彼を想う深雪以外は。

 彼女だけが達也の額ににじむ苦悶の痕を認めることができた。

 

 達也の受けた代償を知らぬ者たちにしてみればまさに奇跡の行使。

 十師族である真由美や克人にとってもそれは同じで、むしろ現代の魔法に卓越しているからこそ、そこから逸脱した異能への驚きは大きい。

 そしてその異能はどちらかというと藤丸圭の領分に寄っている。

 藤丸の理解においてもすでに神秘薄れた現代では大した魔術は行使できないはずなのに、まるであれでは彼が神秘そのものとなるようではない。

 

 ──回復? いや、あれは情報回帰か! あれはもう魔法というよりも……いや、それよりもあっちだ──―

 

 ただ、今はそれに驚いてばかりはいられない。

 

「カウンターのサーヴァント召喚!? いや、あれはアーチャー(シータ)の霊基を基点にした再召喚か!?」

 

 ルキウス・ヒベリウスと剣戟を繰り広げているのは本人の名乗りの通りセイバーのサーヴァント、真名をラーマであろう。

 かつての聖杯探索の旅路において、人類最後のマスターが協力を得た英霊。

 神霊(ヴィシュヌ)の霊基であったときに比べれば霊格こそ下がっているものの、それでも英霊としては一級の戦闘系サーヴァント。

 たしかに剣帝ルキウス・ヒベリウスとも渡り合えている。けれどもシータは自らの終わりを逸話とする宝具を展開させていた。シータと霊基を共有していたからこそ、ラーマは再現界することができたのだろうが、シータの霊基そのものが崩壊寸前だった。

 今のラーマの霊基(カラダ)もまた崩壊寸前のボロボロだ。

 いつ消滅してもおかしくはない。それこそアストルフォや明日香よりも霊基の損耗は著しいはずだ。

 猛攻は続かず、鍔迫り合いからの強烈な蹴撃を受けてラーマは吹き飛ばされた。

 圭の近くまで地に溝を刻みながら飛ばされたラーマは体勢を整えると油断なく剣を構えながら圭を流し見た。

 

「……そなた余の盟友の面影があるな。カルデアの係累の魔術師か」

 

 消耗は大きい。未だ現界を続けられているのはシータが齎してくれた奇跡のような猶予時間。

 

「このような事態だ。余と契約を交わすことはできるか?」

 

 この仮初の命が惜しいわけではない。

 ラーマにとってあのセイバー(ルキウス)はすでに一度自分を打ち破っている相手だ。

 だがマスターとの契約、魔力供給が得られればあるいは……

 

「すいません。僕は…………」

 

 けれどもすでに神秘は絶えて久しく。

 藤丸の魔術師にはそもそもサーヴァントの魔力を補えるだけの莫大な魔力など自前にはない。

 

「……よい。仕方あるまい。ならば時間を稼ごう。残念ながらさすがの余もこの霊基(カラダ)では長くはもつまいがな」

 

 ならばできることを為すだけ。

 敵わなくとも今は退くことはできない。ここで退いたとして、消滅は逃れようがないのだから。

 

 

 

 

 

 時間を稼ぐ。そのためにラーマは再びルキウスへと切り結んだ。

 激しく動くたびに、魔力の消費に加えて、崩壊寸前の霊基(カラダ)から魔力が漏れ出て崩壊が加速する。

 

「分からぬな。貴様は、俺とは違い人理にその名を刻む英霊。汎人類史のサーヴァントであろう。善なる英雄がこの世界の為に命を賭すか。この滅びに向かう世界のために! 人の選ぶ醜い末路のために!!」

 

 切り結ぶ剣の下、ルキウスが問いかける。

 そもそも汎人類史の英霊がこの世界を尊像するために力を振るう意義があるのかと。

 魔術の存在が公のものとなり、神秘が絶え、魔術基盤は崩壊し、魔法が人のモノとなった世界。

()()()()()()()()()()()

 魔術基盤とは世界に刻まれた呪いのようなものだ。

 人が人である限り残り続ける。人の世がある限り神秘が消えることはない。たとえ神への祈りが薄れようとも、どれだけ科学が魔術を駆逐しようとも。

 人が人である限り、基盤が完全に消えることはないのだから。

 

 けれどもこの世界では事実として魔術や超能力といった超常の存在が魔法という神秘から切り離されたものによって解き明かされたようになっている。

 文字通り神秘が駆逐されつくしてしまえば、神や精霊はもとより神霊も英霊も亡霊でさえも存在できないだろう。

 それはすなわち世界の力そのものが失われるということ。

 

「余にはこの世界が()()()()()()()は分からぬ」

 

 この世界が力ある未来を編纂していくものであるのか、それとも未来を剪定された事象となるのか。

 もしも剪定事象としての世界を継続させるために力を振るってしまっているとしたら、それは人理に仇成す者、汎人類史の敵。

 

「だが声が聞こえた。この世界が余を呼ぶ声に余は応えた!」

 

 けれどもこの世界は本来あり得ざる特異の事象を受けて悲鳴を上げた。

 ラーマはそれに応えたのだ。そしておそらく“あの”英霊も。 

 

「それに“僕”の中に戻ってしまったシータが教えてくれた。この世界で過ごした記憶を。この世界でもなお、紡がれた友との日常(未来)を!」

 

 人理の英雄たちは今を生きる者たちのために、未来のために戦い、走り続けたのだから。

 

「なればこそ、今はこの世界のためにこそ余は戦おう! たとえこの世界が()()()()()()()()へとつながるかも知れずとも、今はこの世界こそが編纂を許された事象であると信じて!!」

 

 彼方からの英雄たちは立ち上がり、剣を翳す。終わりを乗り越えようとする者のために。命の価値を、今も叫び続ける者たちのために。

 

 未来のありかを求める旅路を、ここに至る道を途切れさせないために。

 

 

 ラーマがヴィシュヌならざる英雄の腕を掲げる。

 翳すその剣の本来の姿は弓矢。ブラフマー神の力を宿し、ヴィシュヌの象徴たるチャクラム。

 羅刹王(ラクシャーサ)をすら屠った烈火の剣。

 

「月輪の剣、必滅の矢────」

 

 ラーマ(シータ)の霊核に亀裂が入る。

 足りない魔力を現界のための魔力から回しているからだ。

 対するルキウスもまた剣を掲げる。花神の加護を受けた皇帝剣に膨大過ぎる魔力が込められ振り切られる。 

 

「受けよ! 羅刹を穿つ不滅(ブラフマーストラ)!!」

 

 ラーマの全存在を賭けた最後の一撃が、赤雷と激突した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17話

 

 

 シータの霊基を代替にして現界したラーマ。彼が味方をしてくれるのはアストルフォと明日香が大ダメージを受けている現状、唯一といっていい戦力だ。

 まともな状態であればA級のサーヴァントであるルキウス相手でも渡り合うことのできる大英雄だろう。

 けれどもあの霊基の損傷具合ではラーマ自身が言っていたように勝機はあるまい。

 

「明日香! 明日香!! 大丈夫じゃないのは分かってる! けど起きてくれ! 明日香!!!」

 

 もしもここにいるのがカルデアのマスターであれば、ラーマと契約を交わし、勝機をつかむことができたかもしれない。令呪の力で明日香やアストルフォの霊基を修復することができたかもしれない。

 けれど圭にはカルデアの魔力的なバックアップはなく、令呪もない。

 明日香の状態も危険な状態だ。

 風王結界の解除と霊基再臨。魔術回路を全力で回し、後先考えない──―考えられないほどに魔力を消耗したはずだ。

 霊基の損傷だけでなく、明日香自身の肉体の損傷もある。

 明日香のもとに駆け寄ったのは圭だけではなく、隣には雫が平時なら感情の起伏に乏しい表情をあからさまにしている。

 

「明日香! ──―ッ!」

 

 その時、圭は彼やサーヴァントによるもの以外の魔力の動きを感知した。

 振り返ると達也が明日香に銃型のCADを向けている。その瞳は明日香を、明日香の構成要素を視透している。

 引き金が引かれ、再び発動する再成の魔法。

 レオの受けた傷に比べて明日香の肉体表面に見える傷は数こそ多いものの浅い。

 だからその効果はレオの時ほどには劇的ではないが、それでも目に見えて明日香の()()()()情報は回帰し、受けた損傷がなかったことになっていく。

 だが、その後の明日香の反応もまたレオの時とは異なり、それは達也や彼の力をよく知る深雪にとっては想定外なことに、その“眼”によって明日香を視た達也と予想していた圭にとってはやはりという思いだった。

 

「……達也か。すまない。助かった」

 

 緩慢に瞼を開けて意識を取り戻した明日香は、けれどレオの時とは違って鈍い動きで剣を支えにして立ち上がろうとした。

 呼吸はそれだけで激しく乱れており、戦える状態どころか満足に動ける状態に戻ったようにさえ見えない。それでも明日香は立ち上がると地に刺していた剣を抜き、宝具を激突させあう二騎のサーヴァントを見据えた。

 

「これでまだ戦える」

 

 その言葉が強がりなのは、魔術に関する知識のない雫たちでさえ分かった。

 達也の精霊の眼で視えたのは、明日香の肉体の情報構造と渦巻く莫大な想子。渦巻くそれは深く深く、サーヴァントを視てきたことで視通せる深度の深まった達也の眼をもってしても視通しきることのできない深淵なそれは、まさしく今戦っている二騎の英霊に通じるもの。

 達也の“再成”と“分解”に完全な認識は必要ない。そう理解して対象の幅は広がったが、達也の手応えとしてサーヴァントという神秘の塊の情報を読み切ることは達也をもってしても不可能だと漠然と理解できた。

 

「バカ言うな! 修復されているのは肉体的な表層情報だけだ」

 

 圭の言葉はそれを裏付けていた。

 人体構造という、すでに人智によって解体され、暴かれた神秘に対して、人の身である達也の“力”は及ぶが、人の身では到達できない神秘、切り捨てられ人理から喪われた神秘に対して達也の“力”が覆いつくすことはできない。

 今の明日香の身体(霊基)は、張りぼてのように修復されただけだ。

 古式魔法師の幹比古が術を以って明日香を視たとしても同じであっただろう。

 この世界に霊体を繋ぎ止めている肉の器そのものは修復されているが、その中身である霊体そのものが損耗している。

 物理法則から逸脱したサーヴァント同士の戦いにおいて、肉体的な損耗はさして影響がない。

 実世界の肉体をもつ明日香にはハンデとなり得るが、本質はサーヴァントとしての力、霊体の方だ。

 

 二騎のセイバーが互いの宝具をぶつけ合った結果、その趨勢が明らかとなっていた。

 どちらもがおそらく聖杯かそれに準じる力によって召喚されたサーヴァント。

 二騎の宝具は対人レベルではなく、対軍規模のレンジを見せていた。

 魔法に当てはめるとすれば戦術級。あれよりもさらに出力を上昇させることができるとすれば戦略級にさえ匹敵するかもしれない。

 けれども片や霊基も霊核も消滅寸前のラーマ、片や明日香との戦いの幕間にあって、魔術回路の回転(戦闘テンション)が天元突破しているルキウス。

 一方の霊基は赤雷によって光の残滓ごと消滅し、一方は無傷とまではいかずとも健在な姿を地に降り立たせた。

 

 うなじがピリピリとひりつくように警鐘を鳴らしている。

 彼我戦力は大きく離されている。

 事ここに至ってはもはやルキウスの打倒はおろか、あの敵から逃げおおせることも難しい。

 ルキウスの狙いが明日香の中にある英霊との戦いだとして、それならばほかの人間は逃げることも可能かもしれない。

 そうなれば確実に明日香は死に、サーヴァント戦力を喪った藤丸(カルデア)は詰みだ。藤丸(カルデア)だけではなく…………。

 

「今の君は霊基の損傷までは修復されていない。そんな状態で──―」

 

 それでもここで戦うよりは可能性を繋げられる。

 撤退を促そうとする圭の前に、剣を掲げた明日香が背を向けて立ち、遮った。

 

「この剣の重さは、誇りの重さだ」

 

 手にある聖剣こそが、明日香の──“彼”の宝具であることは知っている。

 

「僕がこの剣と(霊基)を託されたのは、未来への意思だ。けれど“彼”の敵が──ローマ皇帝(シーザー)が立ち塞がるというのなら、それを打ち破るのは僕の責務だ」

 

 これは生きるための戦いにはならないだろう。

 相手の力は己よりも遥かに強大で、ここに立っているのは常勝を謳う赤き竜たる騎士王ではないのだから。

 夢の中で、明日香はこれまで混血の夢魔の手ほどきを受けてきた。

 そして時には手引きにより幾人かの“騎士”の手ほどきを受けた。

 ただしその中に“彼の王”の義兄とされる“騎士”はいなかった。

 その理由を夢魔が教えてくれたことはないが、何となく理解している。

 あの人にとって、明日香の戦うための在り方は気にくわないものそのものだから。

 

 けれど退くことはできない。

 明日香は再び剣を構えた。

 ラーマを下したルキウスも、ようやくの戦いの機をここで終わらすつもりはないのだろう。見下したような笑みを変えずに大剣をアルトゥールスへと向ける。

 

 

 

 

 

 ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 目の前で繰り広げられているのはまさしく英雄譚の再現なのだろう。

 明日香の動きは雫たち魔法師から見ても、魔法剣士であるエリカから見ても戦えない状態には思えなかった。

 奔る剣閃は迅雷が如く速さと鋭さを持ち、鋼鉄の鎧はおろか現代の機械兵器ですらも瞬きの間に残骸へと屠ることだろう。

 在りし日の地にて、魔獣を屠り、竜を墜とし、巨人を討った伝説の英雄の戦い。

 剣が振るわれるごとに裂かれた空気が周囲の建物を斬り裂き、打ち合うごとに大地に亀裂が入る。

 ある時は剣をもって捌き、体術をもって躱す。

 凄まじい。

 国際会議場の前で戦っていた時よりも、ずっとずっと苛烈な戦い、人知を超えた動き。けれども雫は不安ともつかない感覚に押しつぶされそうだった。

 人の身を超えた動き。人の域を超えた力。

 それはまるで彼が人ではないことの証明のようではないか。

 

 音速を超える打ち合いが十合は続いた。

 もとより全開で魔力を回している明日香に余裕などなく、魔術回路も霊基(カラダ)も軋みを上げていた。

 その軋みが一瞬の遅滞を招き、それは剣帝にとっての隙となった。

 魔獣の怪力(ブラキウム・エクス・ジーガス)を発揮したルキウスに胸部を蹴り上げられた明日香は高層ビルの上階目掛けて弾丸の如くに吹き飛ばされ、体勢を整える間もなかった。

 眼下を見下ろし駆けあがってくるルキウスを迎撃しようと構えるも、それよりも速く上をとったルキウスによってベクトルを反転倍化させられたかのように今度は地に叩き落された。

 

「がっ! ……ぁぐ。く…………」

 

 明暗は分かたれた。

 赤き竜は地に堕ち、高層ビルの屋上にはルキウス(青き熊)が地を見下ろすように立つ。

 それが現代に現れた英雄同士の戦いの勝敗をそのまま表していた。

 

「決着の刻だな、アルトゥールス」

 

 ルキウス・ヒベリウスとてラーマの宝具を受けての連戦だ。無傷ではありえない。聖剣の斬撃を受けた左腕は半ば炭化しており、鎧にも無数の損傷を刻み込まれている。

 赤い髪の下からは(エーテル)を流し、けれどもその顔に浮かぶのは痛痒などではなく喜悦。瞳は爛々と輝いている。

 

「スワシィにおいて貴様は(ローマ)を討ち、ブリテンの守護者たる貴様の勝利はかの国に一時の平穏と栄光をもたらした。ならば、ここでの貴様の敗北は、その守護する世界の終焉と同義であろうよ」

 

 かつてブリテンの王であった“彼”は、彼の国への侵略を試みていた大陸の覇者、ルキウス・ヒベリウスと戦った。

 その時、“彼”はルキウスを打倒し、国を救った。

 神秘の廃退とともに荒廃し窮状深めていく彼の国において、大陸の皇国を打ち破った奇跡の王のもたらした勝利は民を慰めた。

 それが滅びゆく一時の平穏であろうとも、たしかに民草は希望をそこに見た。

 だからこそ、世界に在り得ざる英霊たるルキウスは、ここで“彼”を滅ぼす。その意味するところを成すために──────

 

 

 皇帝剣フロレントを掲げたルキウスを銃撃が襲った。魔法の障壁であろうと貫通するハイパワーライフル。

 だけではなく殺傷性ある魔法も放たれルキウスを撃った。

 高層ビルの屋上に立つルキウスに向かったそれらは、さらにその上空からのもの。

 

「あれは、独立魔装大隊の魔法師か!」

 

 その正体を克人が看破した。

 今、達也が身に着けている最先端の技術の粋を集めて作られた現代における魔法の鎧。飛行魔法を備えたムーバルスーツ。 

 それを身につけているのは魔法装備を主装備とした実験的旅団であり、達也を“大黒特尉”として戦場に召喚しようとした国防陸軍第101旅団の中でも、風間少佐が率いる独立魔装大隊だ。

 最先端魔法である飛行魔法を実践投入している彼らの移動力と奇襲力は、ゲリラはびこるこの戦場において大きな力を発揮していた。

 達也という切り札が、対サーヴァント戦というイレギュラーによって足止めを受けているにもかかわらず、戦線を維持し、近隣の駐屯地から援軍が来るまで持ちこたえることができたのは、彼らがこのゲリラ戦の最初期から防衛線に飛び回っていたおかげだ。

 暴れまわっていた白猿には魔法の効きにくいという不利はあったが、想定されていた以上ではなく、銃火器を併用することと、白猿たちが手の出せない飛行というメリットを最大限に生かして戦うことが出来ていた。

 本来であれば達也もそこに合流する予定ではあったが、彼はサーヴァントの強大な気配を、深雪の危機として知覚したため合流は極短い時間となってしまった。

 それでもこの戦場において絶大な力を発揮したのは軍人として、兵器としての魔法師の実験部隊としての面目躍如といったところか。

 この戦場に駆け付けたのも、切り札である達也がサーヴァント戦にとられていることを憂慮したのか、その援護のためか。それとも魔法協会支部という街中の重要拠点前で激戦が繰り広げられていることの事態を重く見たのか。

 いずれにしても、彼らはまだサーヴァントという強大な神秘の力を直には知らなかった。

 情報だけなら共有されてはいたが、サーヴァントと同系統の魔術によって生み出された使い魔を相手に、想定内の戦闘ができていたがための錯覚。

 

「なっ! 目標に効果ありません! 効果ありません!!」

「くっ、魔法も銃火器も防がれている!? いや、なんなんだアレは!?」

 

 魔法師の攻撃は、魔法も物理兵器もルキウスに影響を及ぼすことはない。

 まるで幻を相手に吠えたてているかのような無力。

 これが魔法障壁などによって防がれているというのであれば、まだしも希望がもてただろう。けれども軍属魔法師たちが初めて遭遇した正真正銘の、一級品のサーヴァントという存在には、自分たちの為す行為のすべてが無意味だと、眼前の光景とともに、その存在感によって知らしめられた。

 脳による理解ではない。

 魂の根幹、隔絶した霊格の違いによって、生物の本能として刻まれたかのように悟ってしまったのだ。

 

 ルキウスにとって自身に何ら効果のない魔弾をぶつけようと足掻く有象無象など、眼中になかった。平時であれば、あるいは戦場にあっても、王威を理解することのできない蠅蚊そのもの。たかってくることに煩わしさを覚え、ここに家臣がいれば、意を汲ませて散らさせることくらいは行うかもしれないが、皇帝自らが手を振るうまでもない。

 まして希求した闘いの決着を眼前にした今ではなおさらだ。

 剣帝がその手にある皇帝剣を掲げるのはたかる蠅蚊を追い散らすためではない。

 彼らは光に焦がれて焼かれるのみ。

 

我ら(ローマ)が神祖ロムルスは雷に消え昇天したという。ならば、ローマの皇帝たる俺が示すは神の神威にして神鳴る雷」

 

 刀身に咲き乱れる百合の紋様が魔力の帯びて炯々と輝き、赤雷を放つ。神威示す皇帝の赤雷はその余波だけで空を飛ぶ魔法師たちを撃ち落とした。

 それは皇帝自身にとっては歯牙にもかけない些事にすぎず、ゆえに魔法師たちは辛うじてギリギリ即死しないレベルの再起不能に近い重傷で済んだ。無論その状態で飛行魔法を継続することなどできはせず、飛行魔法のデバイスそのものも消し飛ばされていた。

 

「いかん!」

 

 落下する魔法師たちは咄嗟に克人が大部分を、零れ落ちた者たちを深雪がフォローして墜落死は避けられた。

 

 ──くっ! 彼らを救うことはできるが……このままではっ! ──

 

 迫り寄る死神の鎌は達也が続けざまに放った再成の魔法によって情報回帰することで肉体的損傷はなかったことになった。

 けれどもあくまでそれは致死でなければの話だ。

 今のは彼らにとっては領域の殲滅魔法に等しい攻撃範囲と威力であったが、剣を振り下ろしてもいない敵にしてみればただの余波でしかない。

 その目的は唯一人。

 そして繰り出す一撃によって蠅蚊がいくら巻き添えになり阿鼻叫喚の地獄が召喚されようとも知ったことではない。

 

 放たれた赤雷は先ほど魔法師たちを掠った程度のものではない。

 明確なる皇帝の意志により撃ち落とされる神威。

 頭上より放たれた赤雷の鮮光が、皇帝の威の及ぶ範囲に居たという理由から克人たちを呑み込んだ。

 

 

 

 直撃すればあらゆる命を絶つであろう赤雷の迫る凶悪な輝きに、雫は身をこわばらせて瞼をぎゅっと閉じた。

 彼女だけではなくほのかや真由美ですらも明確な死を予感した。

 克人は魔法障壁をもって抗おうとして、けれども赤雷は容易く障壁を粉砕して微かにも衰えることはない。

 再成と分解に特化した異能者である達也には防御の力はない。

 攻撃をうけたのちに再成によって修復するか、敵の攻撃に先んじて敵や攻撃そのものを分解するのが彼にとっての防御手段。

 だが敵の神秘は強大で雲散霧消(ミスト・ディスパーション)でさえも分解できない。ならばせめてと、達也は深雪を庇うように己が身体を盾にしようと彼女を抱き寄せた。

 

 神秘絶えた現代において、魔法師は辛うじて神秘へと繋がりをもつ人種だ。

 だからこそわかる。絶対的な死の具現。

 それを前にして、けれども皇帝の神威は少女たちを焼きはしなかった。

 

 赤雷の輝きとは異なる黄金の輝きが少女たちを守った。

 おそるおそる雫が目を開くと、傷だらけの明日香が輝きを強める剣を眼前に掲げて、光の壁で赤雷を押し留めていた。

 

 

「ッッ!!」

「聖剣の防御能力────いや、あれはまさか!」

 

 聖剣の力の発露による魔力放射を盾のようにして防ぐ。

 ルキウスの魔剣発動とそれにより雫たちが巻き込まれることを察知して彼女たちを守ろうとしたのだが、それだけでは防ぎきれないのは、聖剣を掲げる明日香自身が分かっていた。

 赤雷が徐々に聖剣の魔力を透徹し、明日香の肉体にある血を沸騰させようと熱を伝えてくる。

 半ば折れている左腕を無理やり持ち上げ、聖剣の柄を握った。

 

 聖剣を封印する()()()鞘の一つ、風王結界の役目は聖剣の姿を隠すだけではなく、魔力消費を抑える役目も兼ねている。

 明日香の魔力量は元々デミ・サーヴァントに適合できるほどに大きかったが、実際にデミ・サーヴァントとなって以降は規格外のものとなった。

 それでも戦いの中でこれほど長時間にわたり風王結界を解除しているのは明らかに限界を超えている。まして霊基の再臨まで行ったのだ。

 霊基の損傷が肉体の損傷とは一致しないとはいえ、達也に修復されたのは僥倖だった。

 戦闘には直接影響しないとはいえ、魔力を生み出す器が肉体なのだから、それが一時のこととはいえ修復されたことはわずかなりとも明日香の魔力を保たせることに繋がった。

 

 ただ、残存魔力では賭けになる。賭けというのもおこがましい自殺行為。 

 ただ、それでも──────―

 

十三拘束(シールサーティーン)円卓議決開始(ディシジョン・スタート)!」

「宝具の真名解放!!? よせっ、明日香ッッ!!!」

 

 残された最後の魔力を全力で聖剣へと託す。

 

 

 

 

 

 ケイの制止を叫ぶ声が聞こえる。

 それは遠く、か細い朧の彼方に去っていくかのようで────いや、掻き消えようとしているのは明日香自身の魂か精神であろう。

 

 

 

 ────────在りし日ノ記憶ヲ見タ。

 

 

 

 黄金の陽射しとともに国を出航した船は、血に煙る夕焼けとともに迎えられた。

 袂を分かったにも関わらず、駆けつけてくれることを約した友を待たず。

 幼き頃を共に育った義兄は、「それ見たことか」と毒づくように吐き捨てた。

 

 ──お前みたいなバカがいくら面倒みたって、連中はやりたいようにやって、勝手気ままに生きていくもんだ。やりたいなら〇〇〇〇〇〇にでもやらせてやりゃあいい。お前がケツを拭う必要なんざないだろ──

 

 いツだっタかアの人はソう言ッて、歩みヲ止めサせよウとシてイた。

 

 

 

 そノ通りダ。

 歩ミを止メてシマえバ楽ニなル。

 コンな思イをナゼジ分がすル必要ガあル? 

 

 

 

 コのテにあルチカラも、ナすべきネがイも、自ブンのもノナンてナにも無イ。

 

 

 

 

 ──貴様の愛する全てを俺は根絶やしにする。人も、国も、世界であってもだ! 何も要らない。王の座などどうでもいい! 俺は、ボクは、ワタシハ! 貴様が絶望しさえすればそれでいい。貴方の絶望に歪む顔をこそ! 私は愛そう! ア●●ー!!!!! ────

 

 

 

 ノゾムママニスレバイイ。

 コワレテシマエバイイ。

 スベテハオワッタコトダ。

 エイコウノクニハホウカイシ、ヒトビトハジダイノナミニキエ、ミライノヒカリハ────────

 

 

 

 

「明日香!!!」

 

 声ガ、聞こエる。

 圧し潰されて消えてしまいそうだった自分(獅子劫明日香)に染み込むような一滴の声。

 

 その声が力を取り戻させる。

 両手で握るのは黄金の剣。

 頭上で輝くは赤雷纏う古の皇帝。

 

「そうだ! それでこそだ!! 赤き竜! 聖剣使い!! 魔剣──―限定解除!!!」

 

 背に負うはこの時代(未来へ)の光。

 問い掛けるは十三の誇りの在り方、古く偉大な騎士たちの願いの形。

 

 星の聖剣は、人の世にあってただひとりの英雄のみが振るうにはあまりにも強大すぎる力。

 世界のテクスチャーすらも斬り裂きかねない神造兵装。

 星の外敵を両断せしめる剣。

 世界を救うために振るわれるべき最強の剣は、個人が手にする武装としてはあまりに強力に過ぎる。

 だからこそ、古き国の騎士王とその配下たる十二の騎士たちは厳格な法を聖剣そのものに定め、施したという。

 それこそ、聖剣の真なる刀身を覆い隠す第二の鞘。

 

 複数の誇りと使命を成し遂げられるであろう事態でのみ、聖剣は解放される。

 騎士王と十二の騎士たちが地上より消え去っても、この拘束は永遠に働き、現世に騎士たちが存在していなくとも、()()()聖剣使いがその解放を望めば、自動的に円卓議決が開始される。

 

 輝きは四度。

 

 議決を得るための半数どころか三分の一にも満たない票数。

 “彼ら”の王ではない明日香には、“彼ら”がどのような祈りを誇りの形としたのか、その全てを知りはしない。

 ただ、明日香は“彼”からこの霊基(カラダ)と力を譲り受けた。

 彼が果たさんとする願いを果たすために。

 ゆえにこそ──────

 

「是は────世界を救うための戦いである! 承認せよ!!!」

 

 その祈りの形に応えて、明日香の体を光が覆う。

 未だ確かならざりし救世の光。

 全ては遠き理想郷を求めて。

 

 ──「承認────― ()()()()」 ──―

 

 寄り添う女魔術師の声が聞こえた。

 輝きがまた一つ。

 手に在る聖剣が露わになり、その真なる姿の一端が開放される。

 明日香は聖剣の真なる名を叫ぶと同時に、黄金の剣を天に目掛けて振り上げた。

 

約束された(エクス)──────勝利の剣(カリバー)!!!!!」

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18話

 

 

 

 世界が光に埋め尽くされていた。

 眩く、温かい。

 神秘というのがどういうものなのか、魔法師である雫にはよくわからなかった。

 けれども今目の前に広がるこの輝きには、たしかに神秘的という言葉が相応しい。

 

 眩いばかりの黄金の光の奔流の向こうで、いないはずの女性が明日香を抱きしめているように見えた。

 光を弾いていながらも透き通るかのようなその女性(ひと)が誰なのかを雫は分からない。ただひどく愛おしそうな顔を明日香に向けていた。

 明日香の手にある装飾の剣が、光のほどけていくにつれて洗練された刃を露わにする。

 黄金の剣。

 

約束された(エクス)──────勝利の剣(カリバー)!!!!!」

 

 左下段に剣を構えた明日香が宝具の名前を声高らかに叫び、剣を振り上げた。

 

 輝きが遠く空の彼方へと去った。

 恐る恐る魔法師の少女たちが目を開けると、そこはすでに戦場ではなくなっていた。

 彼女たちを脅かさんとしていた赤雷は、ローマ皇帝とともに消滅しており、戦場のそこかしこに散っていた白猿たちも主の消滅により姿を消していた。

 極光が駆けた頭上の空は抜けるような蒼穹となっていた。

 光の残滓がわずかに降り注いだが、それはすぐに降り止んだ。

 

 

 

 

 

 エクスカリバー 

 その名は魔術の消えた現代において、今なお伝説や御伽噺に語られることのある古今で最も有名な聖剣の名前。

 昔々のイギリスで、岩より引き抜いた者を王として選んだ選定の剣であったか。

 目視ではその輝きに目を開け続けることが難しいほどの輝きだが、情報界(イデア)を視通す精霊の眼(エレメンタルサイト)では最早その光景は瞳を焼き、情報処理を行う脳髄をさえも焼き付きかねないほどだ。

 達也がそれ以上の精霊の眼の行使を断念していなければ実際にそうなっていたかもしれない。

 魔法の感受器官である“眼”を閉じても分かるほどの激流。

 一つの都市、艦隊を一撃で破壊するほどの威力の魔法。

 明日香がここまであの魔法を使わなかったのは、使えば敵だけでなく周囲一帯を巻きこむ、というよりも諸共に灰燼に帰すことになるからだからだろう。

 実際、魔法の輝きは成層圏を超えるほどまで届いたのが達也には視えた。

 極光の斬撃

 その進路上にあったものは全て──あの強大な敵性サーヴァントと、戦略級に匹敵するほどであった敵の魔法を諸共に消滅させた。

 つまり明日香もまた、戦略級魔法師に匹敵する魔術師だということだ。

 達也と同じく、たった一人で世界のバランスを崩すほどの逸脱者。

 

 

 

 

 ✡ ✡ ✡ ✡

 

 

 

 

「明日香!」

 

 その獅子劫明日香が倒れ、それを予期していたかのように藤丸圭が駆け寄っていた。 

 先ほどまで身を包んでいた蒼銀の鎧は消え、先ほどの眩いばかりの黄金の剣は光の粒子となってほどけて消えた。

 敵の攻撃を受けた様子ではなかった。にもかかわらず倒れたのは先ほどの戦略級魔法が獅子劫明日香の魔法演算領域に過剰な負荷を齎すものであったのか。

 焦った様子で明日香を診ている圭に事態の切迫を覚えたのだろう真由美が焦りを伝播されて尋ねた。

 

「どうしたの藤丸君!? 獅子劫君は、大丈夫なの!?」

「魔力の枯渇です! くそっ! 本当に枯渇寸前だぞっ!? 早く治療しないと間に合わなくなる!」

 

 圭の反応は余裕のないものであり、それはそれだけ明日香が危険な状態だということを意味していた。

 

「やっぱり聖剣を使ったんだね」

 

 悼むようにつぶやいたのはヴィシュヌの攻撃を受けて撃墜されたアストルフォ。彼もその有様は無傷とは言い難い状態であったものの、霊基全損だけは避けられたようで、傷だらけの体を押して立っていた。

 

「アストルフォ! 無事だったか。ヒッポグリフを出せるか? 早く明日香を屋敷に連れて行って回復処置をしないとヤバい」

 

 見るからに重傷のアストルフォの傍らには、同時に撃墜されたヒッポグリフの姿がない。

 宝具であるヒッポグリフはアストルフォであってもヴィシュヌの攻撃にはダメージが大きかったのだろう。だが宝具であるからこそ完全に消滅はしていないはずだ。

 この場から一刻も早く離脱するにはヒッポグリフの脚が一番早い。

 今の明日香はまだ呼吸こそあるものの、魔力がほとんど底をついている。

 魔力とは生命力とも同義。

 マスターやカルデアからのバックアップもなしの聖剣解放など、魔力が枯渇してもおかしくないレベルの魔力消費。

 アストルフォの霊基の損傷具合も危険だが、異世界のマスターから無限の魔力供給を受けている彼は、消滅さえしなければ回復もできる。だが魔力を自前でしか用意できない明日香はこのままでは生死に直結しかねない問題だ。

 

 その状態がどれほどの危機かは魔術師ではない魔法師の達也や雫たちには分からない。

 ただ達也の眼には、今の明日香は常人と大差なく視えた。

 あれほど眩かったサーヴァント特有の太陽のようなサイオン光の内包が視えない。ただ感触として消滅したわけではないのだけは、深雪からの封印が解除された今だからこそ感じ取ることが辛うじてできた。

 本来、達也の魔法に対する感受性は視覚に秀でているように、深雪の感受性は嗅覚と触覚に優れている。封印解除のつながりがあるからこそ、おそらく達也でも今の明日香の異常に触れることができたのだろう。 

 それを加味してみても、今の明日香の症状は魔法に当てはめるとよく似た症状を達也は知っていた。

 

「待て、藤丸。見たところ魔法演算領域のオーバーヒートに症状が似ているようだが治療できるのか?」

 

 十文字克人が口にしたのは魔法演算領域のオーバーヒート。

 達也と深雪の知人、母のガーディアンであった女性を喪った原因がそれであり、達也も症状が似ていることには気づいていた。

 あるいは魔法師にとってのオーバーヒートとは魔術師にとっての魔力枯渇と同じ原因であり、魔術師にとっては治癒可能な症状であるのか。

 

 この時の達也はまだ知らなかったが、克人がすぐに思い至ったのは、この症状が彼にとって──十文字家にとって魔法演算領域のオーバーヒートは馴染みある弊害であったからだ。

 そして十文字家にとってそれは不治の病。魔法師としての死に至る病であり、その治療方法は研究こそされているが、完全な解明には至っていない。

 達也の知る十師族の一門 ──― 四葉家にとってもそれは同じだ。

 四葉の魔法師にとっても過去同様の症例を発症した魔法師がおり、これについては研究されている。

 この症状が軽ければ治癒することも可能だが、症状が重ければ魔法師としての死だけではなく、実際に命を落とすこともあり得る。

 精神分野に特化した魔法師がこの場にいれば、症状を和らげることも可能かもしれないし、可能ならば今の獅子劫の症状を調べもできるだろう。

 だが実際には、今ここはまだ戦場の只中であり、四葉の魔法師たちはいない。

 そして今の明日香は、傍目には軽い症状ではない。 

 

「ここでは応急処置が精々です。でも藤丸の屋敷でならなんとか。なので早く移送しないと──―」

 

 残念ながら藤丸圭にとっても直ぐに治療という訳にはいかないらしいが、それでもこの状況から治療する術があるというのは、魔法師よりも歴史の古い魔術師ならではの知恵というものか。

 けれど、その動きが途中で止まったのは達也の背後に集うように軍人の魔法師たちが集まってきたからだろう。

 

「独立魔装大隊の風間さん、でしたね。すみませんが今は立て込んでいるのですがね」

 

 ルキウスの赤雷の宝具の余波によって撃墜された軍人魔法師たちだが致死一歩手前で、達也の再成が間に合ったため、見た目上は怪我も損傷もない姿で集っている。

 藤丸圭の声が警戒心を帯びているのは、彼ら(軍人魔法師)の纏う空気が、戦場の雰囲気としてだけでなく、ピリピリとしたものであるからだろう。

 

「ふむ。先のサーヴァントとの戦いは凄絶だった。私たちにとっても脅威としか言いようがない。倒してくれたことに感謝しよう。そしてその結果、獅子劫君が倒れたのだろう? 医療機関への輸送は我々に任せたまえ」

 

 風間少佐の申し出に、けれども藤丸圭は警戒心を解くのではなく、ちらりと獅子劫明日香を見ると庇うように立ち上がった。

 

「申し出は感謝します。ですが、たしか魔法演算領域のオーバーヒートというのは一般の病院でも魔法師の治療でも治すことのできないものなのでしょう。治療は屋敷で行います」

 

 藤丸圭の拒絶の言葉に風間少佐の表情は変わらなかったが、その部下の数名の顔が動き、警戒レベルが一段増した。

 風間少佐の申し出は、事態解決にあたってくれた義勇兵への感謝からくるものでは決してない。風間少佐の、というよりも軍の思惑としては、強力な兵器(サーヴァント)である明日香が動かなくなっている今のうちに確保したいのだろう。

 それは風間少佐の、という以上に緊張した面持ちの部下たちの様子と戦闘態勢そのものである体内のサイオンの活性下様子がなにより色濃く物語っていた。

 その内の一人に数えられているであろう達也ならずともそれは察することができるほどにあからさま。

 

「魔術師 藤丸圭、獅子劫明日香、抵抗せずおとなしく我々と来ていただきたい。市街地での戦略級魔法の使用の件もある。個人が私的に備えるには強大で危険すぎる力だ」

 

 風間少佐のその言葉に、藤丸は顔を顰め、真由美たちは不安そうな顔で成り行きを見ている。

 

「話が聞きたいというのなら後日、達也君にでも魔法協会にでも十師族にでも説明しよう。今は時間がないので、邪魔をしないでいただきたいのですが」

「いや、今、来ていただく。彼の治療もこちらで手配しよう」 

 

 魔法師では魔力をほぼ枯渇させている明日香の治療はできない。そのことを知るがゆえの圭の重ねての否定は、けれども魔法師側にとっては好都合。

 風間少佐は硬い声で告げると片手を上げた。それを受けて部下たちが緩やかに散会し、明日香と藤丸を取り囲む。

 

 一撃で艦隊を壊滅させ、大都市を灰燼帰すことのできる戦略級魔法は前世紀でいうところの戦略核兵器と同義だ。国家間の示威、抑止力として使われるほどの存在であり民間の一個人が有していていい戦力ではない。

 魔法師が属人的な技能である以上、戦略級魔法もまた一個人に属することが仕方ないとはいえ、そういった魔法師は軍もしくは国家に所属して管理されているのが常だ。

 他ならぬ達也自身が特尉という扱いで軍属の身となっている。

 たった一人で国家間の軍事バランス、世界の均衡を崩し得る存在。それが戦略級魔法師という存在なのだ。

 時に政略の道具となり、時に殺戮の道具ともなる。

 それにいつまでも甘んじているつもりは達也にはないが、今は達也といえども勝手にはできない。

 そしてそれは魔術師であっても同じだ。

 技術とは本来、年月とともに蓄積され進歩していくはずのものだ。

 魔法も同じで、かつての魔法よりも現代の魔法の方がその複雑さにおいても精密さにおいても、そして為しうる威力においても上回っている。

 そう言った意味では、かつての魔術よりも今の魔法の方が技術としては優れているはずだと、それが在るべきはずの理論だ。

 だが魔術には年月の進歩とは別のなにか、むしろ真逆の性質があると達也は感じている。

 サーヴァントの力、魔術師の力。今まで彼らが見せてきた力がすべてだとは思っていなかった。むしろ魔法にあるのだから魔術にも戦略級に匹敵する魔術があるとは思っていた。

 ただでさえサーヴァントという科学も魔法も超越したような存在を有しているのに、それに加えて都市や艦隊でさえも一撃で殲滅し得る力があるともなれば、警戒しないわけにはいかない。

 

 

 

 

 圭はちらりと視線を落とし、倒れている明日香を伺った。

 現状、到底明日香が動けるようになれる見込みはない。

 むしろまだ明日香の魂が存在していることすらも運がよかったといえるような状態なのだ。

 とるべき行動とそれが生み出す因果を考える。

 圭たちにとって、現代の魔法師との共闘は必須条件。

 これから起こるだろう災厄に立ち向かうためには、今この世界にある全てを動員して、それでもなお足りないであろうことがカルデアのかつての戦いから予想されている。

 けれどそれがために、明日香の力や魔術を取り込まれるわけにはいかない。

 すでに世界には魔術が生きていく余地がない。

 いまさら魔術を研究するなど文明を逆行させているのに等しい。

 サーヴァントの力を利用させたくない、というのは今更に過ぎ、カルデアに属する自分たちが言えたものではない、そんな権利はない。

 ただ少なくとも明日香は────────―

 

 

 

 

「アストルフォ。明日香を連れてヒッポグリフで離脱できるかい?」

 

 圭たちを囲む軍人たちがざわついた。

 ヒッポグリフ。

 魔法という存在が現実になった今においても、いや、むしろ異能が科学によって解き明かされつつある現代であるからこそ御伽噺の中でのみ語られるべきはずの幻想の獣。

 魔法師がようやく自由に空を翔る魔法を手に入れ、戦いに用いるようになったこの戦場で、あの獣を駆ったアストルフォは音速での空戦を行えるほどだった。

 サーヴァントに通常兵器も通常の魔法も効果がない以上、アレに乗って離脱されれば魔法師たちにそれを阻むのは難しいだろう。

 意識を失いサーヴァントとしての力の発揮どころか動くことすらない明日香を諸共に撃ち落とすのであれば、達也にとってそれは可能ではあるだろうが、それは軍の望むところではないだろう。

 外患誘致の嫌疑とは言っても、今のところ獅子劫明日香も藤丸圭も、魔法師に対しては敵対的ではなく、むしろサーヴァントに対する重要な情報源なのだから。

 

「ギリギリ一人だけなら。ヒッポくんもボロボロだから3人乗りは無理かな」

 

 アストルフォの体は霊体であり、十全の魔力があれば休息とは無関係に修復することができ、それは彼の宝具であるヒッポグリフも同じ。

 そして今は裏側に行ってしまったマスターからの魔力供給はほぼ無限にある。

 ただそれを取り入れて霊基を修復するにはある程度の時間が必要だ。

 ヴィシュヌの攻撃をまともに浴びたヒッポグリフは宝具であるがゆえに消滅こそしていないが、今はまだ完全な再召喚を行うことはできない。

 ただでさえチャリオットの無い状態では3人乗りは定員オーバー。

 

「ならいい、明日香を藤丸の屋敷へ。屋敷に戻れば、まだ回復する可能性がある」

「君はどうするんだい?」

 

 だから彼に託すのは剣。

 

「心配しなくてもいい。これでも僕は花の魔術師を自称しているからね。口八丁でけむに巻いてみせるさ」

 

 彼らにとって藤丸は明確な敵対者ではなく、情報源。

 あまりにも強大すぎる力(サーヴァント)を有していて、今はそれが機能しないからこその現状だ。

 ならばそこは藤丸圭にとっての舞台に他なるまい。

 

 

 

 

 

 ✡ ✡ ✡ ✡

 

 

 

 ──さて、どうするべきか…………──―

 

 風間少佐や柳大尉と藤丸たちが剣呑な対峙状態になっている中、達也は自らのスタンスを決めかねていた。

 達也としては身も心も軍人として国に捧げたつもりはないのだが、獅子劫明日香(サーヴァント)を脅威に感じているのは同じ。

 その能力を解析して対抗力を講じるチャンスがあるとすれば、たしかに今は絶好の機会と言える。

 まだゲリラとの戦闘が終結はしていないが、重要拠点である魔法協会支部周辺の敵勢力は排除し、ゲリラ側の主力であった白猿は敵性サーヴァントの消失とともに消えている。

 そしていつもであれば太陽の放つ熱量の如き情報の深淵によって明日香のサーヴァントとしての情報は解析ができなかったが、魔力の枯渇とやらが原因なのか、今の明日香は達也の精霊の眼(エレメンタルサイト)をもってすれば構成情報を読むこともマーカーを打ち込むことも可能な状態だった。

 サーヴァントへの対抗策は達也にとっても急務の課題。今回、サーヴァントにも通用する攻撃手段を講じることができたが完成したとは言い難い。

 デミ・シャドウ・サーヴァントという極めて劣化した存在相手にこそ通用したが、上級サーヴァントに対してはまったく通じなかった。通じる目途が立たなかった。

 だからこそ不意に訪れた誘惑は、その存在が強大であるからこそ耐え難い。

 軍としては、藤丸から魔術の情報を抜き出すか、あるいは強大なサーヴァントの力をコントロールできなければ安心しないだろう。

 だが藤丸たちがそれに素直に従うかというと別問題だ。

 事実、藤丸圭は風間少佐からの拘束──言い方こそ救護のための移送だが実態としては、明日香が見せた戦略級魔法の確保だろう──を受け入れがたく、反発の意思を示そうとしている。

 そしてどちらもまだ動きださないのは、それが魔術師と魔法師、あるいは軍との決裂の引き金になることをお互いに懸念しているがゆえだろう。

 だがそれもタイムリミットが迫る。

 藤丸圭の見立てではすぐに治療を開始しなければならないほどに明日香の状態は危機的なのだろうから。

 そして時間が限られているのは軍としても同じ。

 ゲリラ勢力による破壊活動はあらかた鎮静化しているとはいえ、まだ偽装揚陸艦をはじめとした敵勢力の駆逐には至っていないのだから。

 風間少佐の、というよりも101旅団の意向としては、ここで彼らが強硬な態度にでるのであれば、国外の定かならない勢力と関係があるらしいという情報を建前に、魔術師に干渉を強める公算なのだろうが。

 ただこれは敵対行動一歩手前。明日香が戦闘不能になり、アストルフォも重傷を負い、藤丸圭も消耗激しい状態は干渉するには好機だが、明らかに魔術師からの心証は悪くなり、以降の協力を得られなくなる可能性すらある強硬策。

 少なくとも信頼関係、信用には値しないだろう行為だ。

 

 達也としては、今その一手まで踏み込むべきかは決断しかねていた。

 もっとも、現在の達也は大黒特尉。軍属として風間少佐からの指示があれば、それが四葉の命令と衝突しない限り従うことになるだろう。

 そして今現在、四葉から達也に魔術師に対する介入についてはなんの指示も出ていない。

 

「待ってください!」

 

 行動を起こしたのは達也ではなかった。

 

「何かな、七草真由美嬢?」

「彼らは魔法協会支部を守るために奮戦してくれたのです。十師族七草として、その助力に対しての報いがこれでは道義にもとります」

 

 真由美が藤丸たちに肩入れするように口を挟んだのは七草が魔術師を取り込もうと画策しているから、というよりも純粋に真由美の気質からくる義侠心と正義感からだろうか。

 幼い、あるいは青いとでも評すればいいのか。

 達也からすれば真由美の言動と行動は時機を見逃していた。

 彼女の父である七草弘一であれば、あるいは同じ行動をしながらも藤丸たちに恩を売り、自分たちの側に取り込もうと言葉を弄しただろうが、真由美のそれは純粋に獅子劫と藤丸たちの行動に対する返礼のようなものだ。

 彼らの力は魔法師からしても軍事力からしても脅威的で、だからこそ獲れるときに獲りにいくべきで、独立魔装大隊の行動は、道義としては正しくなくとも、戦略的には正しい。

 それに真由美は七草弘一から聞いていないのかもしれないが、藤丸には密かに国外の組織勢力と繋がりを持っている疑惑がある。

 今日の騒乱の首謀者とはむしろ敵対関係にあるのかもしれないが、それすなわち国益に利するとは限らない。

 街中での戦略級魔法相当の破壊兵器の使用は口実ではあるが事実だ。それに対して国外組織との繋がり──外患誘致の準備罪は強力な拘引理由だが、そこまで口にしてしまうと引き返すことのできない関係まで駒を進めてしまう。

 風間少佐がそのことを口にしなかったのはそれがためと、物的証拠としても藤林少尉の電子調査能力をもってしても確信には至っていないからだろう。

 そして真由美を援護するかのように十文字克人もまた立った。

 

「彼らに事情を説明する意思があるというのなら、今この場は十師族十文字家が預かりましょう。事情の聴取が必要というのであれば、後日聴取した内容を共有します。それで如何か、風間少佐殿」

「…………いいでしょう」

 

 七草家と十文字家はともに首都周辺の関東地区を監視、守護する役割を帯びており、今回の騒乱においても、藤丸は彼らに助力していたといえる。

 十師族が表向き政治とは無縁であり、独立魔装大隊が十師族という私的な武力を有する集団から分離した魔法集団としての成立過程を有しているとはいえ、彼らを蔑ろにはできない。

 風間少佐は幾許かの逡巡を見せてから、眉間の皺をやや深めて十文字先輩の提案を呑んだ。

 

 

 十文字先輩と風間少佐は、まだいくつかの詰めの交渉を行っているが大勢は決着したと言っていいだろうことに、圭はホッと息をついた。

 先ほどは大見え切ってはみたものの、実際にはかなり厳しかったのが本音だ。

 圭は自身の魔法の腕前も魔術の腕前も一級品からは程遠いことを理解している。

 多少、特異的な能力として先を見ることが得意ではあるが、得てしてそれで問題を回避出来たことは少ない。その程度の能力なのだ。

 他に比較する魔術師は今この世界の表側にはいないので、そういう意味では魔術の腕は一級品と言っていいのかもしれないが、それで一線級の実践魔法師、しかも複数名相手に通用するようなものではない。

 そもそも神秘の濃淡を別にすれば、魔術よりも魔法の方が威力も利便性も遥かに上であるのは技術の進歩という点から見ても明らかで、圭自身それはよく分かっている。

 魔法科高校では優等生として一科生に属しているが、所詮学生レベル。目の前で展開している軍属魔法師たちを相手にできるほどではないし、“風間”の名前を持つこの指揮官魔法師をだまくらかすのは今の圭には難しかった。

 

「父がヘリを手配してくれていると連絡があったから、それに乗せて移送できる」

 

 雫から移動手段についての提案も有難かった。

 

「いやー、それは助かる。ヒッポくんもまだ十分に回復できてないから」

 

 いくらアストルフォが無限に等しい魔力の供給を受けられるらしいとはいっても、供給されるスピードと受容し利用できる速度はアストルフォの霊基に縛られ、それは決して大きくはないのだから。

 

「いいのかい、雫ちゃん?」

「うん、もちろん。だから今は明日香の手当てを」

 

 アストルフォが早々に雫の提案を受けている以上、最早移動手段は雫に頼らざるを得ないが、この状況下で頼ることで北山家に何らかの不利益をもたらさないかとの懸念だったが、それは雫のみならずヘリを手配した彼女の父も織り込み済みらしい。

 すでにヘリはこちらに向かっているとのことだ、それでもまだ今少しの時間がかかる。

 その間にと応急処置を行おうとした圭は、けれども“視線”に気づいて振り向いた。

 

 

 

 

 

 この場でのサーヴァントを巡る戦いは一応の決着がついた。だがまだ戦場全体では散発的になりつつも残党が抵抗しており、敵の部隊も撤退を開始しようとしているころだろう。

 克人とのやりとりを終えた風間少佐は、まずは部隊の者たちに指示を出していた。

 

「……特尉」

 

 そしてその指示に紛れて、風間少佐は物言う視線を達也に向けた。

 十文字家と七草家。十師族の大家である二家への配慮もあってこの場は引いたが、ただ黙って引き下がるつもりはないのだろう。

 “大黒特尉”に視線を向けたのは意図あってのこと。

 その意図するところは達也の利害関係とも一致している。

 サーヴァントの、獅子劫明日香の力の源泉を視る、あるいはマーキングして魔術師の本家への情報界からの調査を行う。

 これまで魔術師の館(藤丸家)は魔法的に、あるいは魔術的に隔絶されていた。

 電子の魔女たる藤林響子ですらもなぜか、電子界からの情報コントロールはできず、侵入を試みようとした魔法師、あるいは非魔法師も数多いたが、その内情は杳として知れなかった。

 けれども今、その主力たる獅子劫明日香は沈黙している。

 先ほど明日香を回復させようとして、藤丸曰く、肉体的な表層情報しか修復できなかった。

 達也の精霊の眼がサーヴァント(明日香)の本質にまだ届いていなかったのだ。

 けれども確かに階に手はかけた。

 魔弾をサーヴァントに干渉させる感触も得た。

 ならば、対魔力とやらが全く働いていないだろう今なら、獅子劫明日香のサーヴァントとしての情報を視ることも可能なはず。

 情報界からの解析。その視線を感知できるのは、深雪か、あるいは同じ瞳を持つ者だけのはず。

 

「意識のない相手の中を覗き見しよっていうのはあまりいい趣味とは言えないと思うけどね、達也くん」

 

 だが、魔術師はその視線を、感知した。

 

「何のことだ、藤丸」

「とぼけるつもりならそれでも構わないけど、君の魔眼で視えているということはこちらからも感知できるということくらいは想定していたのだろう」

 

 そう言って藤丸圭は上着のポケットから何かを取り出した。

 握りこぶしの中に収められたそれが何かを窺い知ることはできないが、達也の精霊の眼(エレメンタルサイト)対策なのだろうことは推測できた。

 しばし睨み合った末、退いたのは達也。

 イデアへの接続を閉ざし、視界を情報世界から現実世界へと映す。

 その違いまでは感知できたとは思わないが、達也の退いた様子に藤丸も握っていた何かをポケットに戻した。

 咎めるような視線が柳大尉から向けられているのが分かるし、風間少佐は流石に表情を変えていないが内心では同様だろう。

 

 この判断が正しいものなのかは未来を視通す千里眼を持たない達也には分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──―第四章 Fin──―

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5章intro
1話


 西暦2095年10月31日。

 西洋における文化圏のみならず、日本においてもハロウィンとして知られるこの日。

 あるいはこの日こそが、世界枝の転換点であったのだろうか。

 

 灼熱のハロウィン。

 一週間の後にはそう呼ばれるようになったこの日、世界は戦略級魔法の威力をまざまざと見せつけられることとなった。

 戦略級魔法とはそのランクが認知された時から、示威においてこそ威力を発揮する抑止の力と考えられていた。

 それは魔法師の成立意義とされたのが、核兵器という戦略級兵器が元々抑止兵器としての役割が大きかったことと、その濫用阻止をこそ自らの第一義として世界的な結びつきをもとうとしたからなのだ。

 

 だが数日前、日本の都市部において実戦の中で用いられた流れは、この日において全世界がその威力と危険性を再認識するに至った。

 横浜事変と称されることとなったあの事件の日に発動した戦略級相当の魔法が実際にはいくつあったのかは明らかとなっていない。

 乱戦の中で戦略級魔法の応酬が行われたとの報告もあったが、本来一撃で都市を壊滅させるほどの魔法を戦略級と称するのだ。それが一度ならず応酬すれば横浜のみならず関東圏が壊滅していてもおかしくはない。だが実際には横浜は武装勢力による破壊と市街戦の爪痕を残すのみで壊滅とまでは至っていない。

 あの日たしかに観測されたのは、成層圏にまで伸びる極光の輝きと相模灘沖で発現した中性子爆弾規模の爆発に似た何かの二つ。

 少なくともその二つの戦略級相当の魔法が都市を蹂躙しなかったのは、片や空へと向けて放たれたからであり、もう片方は撤退していく敵戦艦に対して海上にて放たれ消滅させたからに他らならない。

 ゆえに関東周辺にいた魔法師たち、優れたサイオン感受性を有する者たちであれば、通常の魔法行使ではありえないほどのサイオンの動きに対して何らかの反応を示したであろうが、非魔法師や世界はまだその脅威を知らなかった。

 

 

 その後日、世界は今度こそ戦略級魔法という禁断の力が解封されたことを知る。

 横浜事変に端を発した今回の騒乱は、その収束をもってしても終わらなかった。

 大陸半島からの大亜連合艦隊の出撃準備。

 奇襲的ゲリラ攻撃によって首都圏での混乱を招くとともに国家の軍事力と密接にかかわる魔法技術ならびに魔法師を奪取・拉致するだけではなく、その混乱に乗じる形で侵攻することも計画の内であったのか。

 敵初手における横浜での奇襲攻撃は、対応して素早く展開した独立魔装大隊や首都近郊の防衛軍、魔法師たちの義勇軍、そして民間からの協力者らによって失敗に終わらせることができた。

 だが先手を取られ続けているのは否めない。

 

「大黒特尉、準備はいいですか?」

「準備完了。衛星とのリンクも良好です」

 

 すでに動員を完了し出撃しようとしている大亜連合艦隊に対して、日本の海軍は横浜事変を受けて大慌てて動員を開始しているところだ。

 大亜連合と日本との間には第三次世界大戦以降、講和条約も休戦協定も結ばれていない。

 それは戦争状態が継続していると言えなくもない。

 少なくとも大亜連合側はその意図を隠すつもりはなく、これもその続きの再開にすぎなかったのだろう。

 数時間の後には敵海軍は国土への攻撃を開始できる位置まで侵攻し、対する防衛側の海上戦力の動員は間に合わない。動員が可能な陸と空の兵力だけでは苦戦は免れなかった。

 

「マテリアル・バースト、発動準備」

「準備完了」

 

 だが現代においては純粋物理な火力兵器によるだけの軍事力は、もはや国力を表すバロメーターになり得ない。

 

「マテリアル・バースト ──── 発動」

 

 上官である風間少佐の指令を受けて、彼は引き金を引いた。

 そこに想いはない。

 誇るべき武勇も、殺戮する敵に対する慈悲も、容赦も、憐憫も、憎悪も、人が人として相対するのであれば抱くはずのあらゆる想いを置き去りにして、古代インドにおける破壊神の名を二つ名された魔法師が破壊の魔法を発動させる。

 

 対馬要塞から海峡を越えて大陸の半島、鎮海軍港へと放たれた一撃の魔法は、太陽の具現と比喩されるほどの地獄をそこに顕現させた。

 計測不能の高熱が船体や基地のあらゆる金属を蒸発させて消し去り、音速を超えて広がった熱線と衝撃波と金属蒸気の噴流によって艦隊も港湾施設も消滅した。

 近くのモノも、人も、全てが蒸発した。少し離れたところにあったモノや人は爆発し、焼失した。

 全てが紙屑を燃やし尽くしたかのように焼滅した。

 その中には世界の軍事的バランスを崩しかねない要因、公的に認められた十三人の戦略級魔法師の一人までもが含まれていたが、その命すらも何の価値もないかのように燃え尽きたのだった。

 魔法を放った側の見解では民間人の居住する都市には影響を及ぼさなかったというのは、果たして不幸中の幸いと喜んでいいことだったのか。

 

 

 

 

 ✡ ✡ ✡ ✡

 

 

 ✡ ✡ ✡ ✡

 

 

 

 論文コンペの日から2週間が経過していた。

 横浜の国際会議場には、一高からコンペの関係者以外にも大勢の生徒が応援や聴衆として赴いていたが、幸いにも死者や行方不明者、目立った怪我を負った者はいなかった。

 会場での混乱を素早く治め、現生徒会長の中条あずさの指揮のもとに速やかに避難したこと。服部や沢木といった警備にも参加していた武闘派の生徒たちが、遭遇したゲリラを撃破したことなどが功を奏したのだろう。

 避難通路が崩落し、サーヴァントと遭遇するという危機的状況も一度はあったが、サーヴァントとしての力を振るった獅子劫明日香によって撃退されたとのこと。

 ただ怪我がなかったからといはいえ、突如として戦場に放り込まれたことで動揺は大きかった。とはいえ、学生たちの立ち直りが早かったのは彼らが魔法師であるからか。

 

「おはよう、ほのか、雫」

「おはよう、深雪」「おはよう」

 

 軍属としての籍を有することを明らかにした達也は数日、学校を欠席して、ほのかなど友人たちを心配させたが、一週間が経つ頃には復帰していた。その数日沈み込んだように沈鬱になっていた深雪も、今はすでに日常を取り戻したかのようだった。

 

「獅子劫君は、……まだ来ていないのね」

「…………うん」

 

 深雪がぐるりと教室を見回し、雫は目を伏せた。

 あの日、激しいサーヴァント戦を繰り広げた獅子劫明日香と藤丸圭は、日常へと回帰した今になってもまだ姿を見せていなかった。

 

 横浜事変において、セイバーのサーヴァント、ルキウス・ヒベリウスを死闘の末に光の剣で消滅させた明日香は、意識不明のまま北山家のヘリで移送した。

 その際も屋敷へは着陸する場所の問題から藤丸家へは行かなかった。魔術師としての二人に配慮したためであるが、そのため明日香がその後どうなったのかは、二人が学校に登校しておらず、連絡もないことから分かっていない。

 

 あるいはもう戻ってこないこともあり得るのかもしれない。

 

 古式魔法師にしても現代魔法師にしても、名家と評される家門は自身の情報を出し惜しむ。

 現代魔法の発展のために広く魔法式を公開し、研究している動きはあれど、こと家系における独自魔法や戦闘系にも応用の強い魔法は秘奥とされることが多い。

 他家の魔法を深く詮索しないというマナーがあるのもそれがためだ。

 ならば魔法師の源流たる魔術師が、現代において多くの情報を伝えずに消えた彼らだからこそ、情報を秘匿しようとするのは有り得ることだろう。

 以前、藤丸が魔術について行った説明によれば、魔術の源は神秘。

 多くの人が信じることにより力を増す一方で、多くの人に識られることで力を失う。

 そうして現代魔法がかつて超能力や魔術と呼ばれた異能の数々を解明していったことが、魔術師の衰退を招いたのだとも言っていた。

 だからこそ、こうして彼らが姿を見せなくなったのは、これ以上魔法師と関わることを止めたからだとも考えられる。

 自分を助けてくれた魔法使いが、自らの正体を知られたら去ってしまうというのは何のおとぎ話であったか。

 

「………………」

 

 日常の光景から空席となっているのは獅子劫明日香だけではない。日常になりつつあった中に、横浜事変で消えてしまった少女(シータ)の姿もまたない。

 暴走する神霊として雫たちのみならず横浜の街そのものすらも葬り去らんとした“(ヴィシュヌ)”に立ち向かって、その身をもって禊を明らかにするという来歴そのものを宝具として雫たちを、街を守った。

 鮮やかな赤い髪の、可憐な少女。

 友達になれたと思っていた。

 大昔の英雄譚の登場人物というのは、サーヴァントとして成立しているのだから知識としては知っていた。

 けれど実際に話して、触れ合うことのできた彼女は、等身大に感じていた彼女は、雫やほのか、深雪たちのように誰かに恋して、誰かを愛して一途にその心を捧げて一生懸命だった女の子だった。…………だったと思っていた。

 だから、淡い花のような微笑みを浮かべながら焔と大地に消え逝く彼女が、本当に数週間を共に過ごした英霊だということを、もう消えていなくなってしまったのだと、その喪失を納得できてはいない。

 

 最後に明日香を見た時の光景が目を閉じた雫の瞼に浮かぶ。

 鮮烈な輝きの向こうに立つ騎士の背中。

 赫光の雷を切り裂き呑み込む極光の輝き。

 そして倒れて意識を失う、今までに見たこともないほどに消耗した姿。

 あれが明日香と会えた最後の時であったかもしれない。

 シータ(英霊)と同様に明日香もまたサーヴァントとして力を振るえるのなら、彼もまた、ああして消えてしまうのかもしれない。

 そう思うと胸の奥が絞めつけられるようだった。

 あれが終わりであったなんて────―

 

「やぁやあ、久しぶりだね。雫ちゃん、ほのかちゃん、司波さん、といっても2週間ぶりほどだけど」

 

 何事もなかったかのように扉を開けて入ってきた声は、望む者の声ではなかった。

 だがその声の主はこの2週間音沙汰の無かった魔術師のもの。

 彼もまた、あの日の騒乱において強い疲弊を見せていた。

 

「2週間ぶりですね、藤丸さん。お加減の方はもうよろしいのですか?」

「どうも、司波さん。いやまぁ、僕の方は割と早く回復はできていたのだけどねぇ。ハロウィンのあれこれで色々と忙しくて……」

 

 ハロウィンの、という言葉に深雪は眉をぴくりと動かして反応した。

 魔術師・藤丸が酷く煤けたような雰囲気を漂わせているのは、魔法師や世間一般でも大きな話題になった“灼熱のハロウィン”が、魔術師である彼らにも騒乱をもたらしたということなのだろうか。

 

 祭事としての意味合いのあったハロウィンの意義は遠い昔、今世紀の初めごろに見られたバカ騒ぎ的なお祭り騒ぎをするという意味でのハロウィンも、世界的な群発戦争や寒冷期を経て後、自粛ムードが続いたことで昨今は落ち着きを見せていた。

 ただ今年に限って言えば、そして今後ハロウィンという用語は、あるいは魔法師にとって特異な意味を有することになるかもしれない。

 機械兵器やABC兵器に対する魔法の優越を決定づけた出来事の日、魔法師にとっての歴史の転換点と。

 

「いや、ほんと……タイヘンだったよ……ほんとに…………はろ…………」

 

 遠い遠い、虚無を見通すかの如く、感情が摩耗したかのような、死んだ魚のような目。

 灼熱のハロウィンのもたらしたものが、果たして魔法師ならぬ魔術師に対しても影響あることなのかは分からない。いや、むしろ世界の影であったはずの異能が世界的な軍事力の担い手になることで影響がないはずはないだろう。

 それを成した人物が誰かを深雪は知っている。

 歴史の表に、世間に報せることなどできないが、他ならぬ愛しの人こそが、その宿命の担い手に祀られてしまったのだから。

 

「藤丸。明日香は、無事、なの……?」

 

 一方で圭が遠い目をしている理由よりも気になることがある雫は、逸る気持ちを返ってくるかもしれない答えへの不安に圧し潰されそうになりながら尋ねた。

 相方である藤丸圭が来たのであれば、なにも言わずに彼ら二人が姿を隠すということはないのだろう。

 だが──────────―

 

「ああ、明日香かい。無事だよ、一応」

「一応って、どういうこと」

「気になるかい?」

 

 返ってきた答えはなんとも頼りない不安になるような答え。ただあっけらとした様子からは最悪の状態ではないのだろうとは思う。

 雫の表情は険しい。

 2週間が経ってなお、姿を見せたが圭だけだというのは明日香の状態が余ほどに悪いのではないかと不安にさせるから。 

 親友のほのかはそんな雫の様子を不安げに見守っている。

 そんな少女たちの様子に圭は苦笑すると胸ポケットから一切れの折りたたまれた紙を取り出して雫に差し出した。

 

「はいこれ」

 

 反射的に受け取ったそれは、手書きのメモ用紙。

 現代では書簡のやり取りの多くはメールで済まされるようになり、ちょっとした備忘録であっても携帯端末によるやり取りが主流となっている中で紙媒体というのはよほど重要なことか、でなければ古風なものだが見慣れないほどではない。

 記されていたのはどこかの住所。

 2週間前、思い浮かべた地図上では明日香たちを乗せたヘリを着陸させた場所に近いようだが。

 

「覚えたかい、雫ちゃん」

「……覚えたけど」

 

 そう言うと圭がパチンと指を鳴らし、瞬間、雫の手に在ったメモ用紙はまるで幻であったかのように花弁になって散った。

 まるで手品。

 それとも彼が常々嘯いている花の魔術師とやらを演じたものか。

 

「明日香だけど、まだちょっと本調子ではなくてね。お見舞いにでも来てくれたら安心できるんじゃないかな」

「お見舞い?」

「そ、お見舞い。今週の土曜日とかどうかな」

 

 それは魔術師から誘いの招待状。

 藤丸圭のにこりとした微笑みは胡散臭そうで、正直二の足を踏みそうになる。けれどもそれ以上に明日香のことが気にかかる。

 

 ──魔術師の館への招待状。それは…………──

 

 深雪には雫の手の中で花びらとなって消えた招待状の中身は見えなかった。

 

「ああそうそう、お見舞いなら、何人か知り合いが居ても問題はないけど、あまり大勢で来られるともてなしが十分できなくなってしまうからね。真由美先輩なんかも呼んでくれると、僕としては嬉しいね」

 

 

 

 

 






 魔術師たちの2週間の出来事・・・・・・・




 この国の年号が令和・平成とされた時代は遠く去り、21世紀もあと僅かな年月を残すこととなった。
 魔術、超能力、呪術、そういった異能の存在が暴かれ、白日の下に晒された。神秘の衰退はより一層のものとなり、かつて魔術師たちが追い求めた“魔法”はその意味すらも変えられて社会文明に投げ出された。

「えぇぇ………………………………」
「これは………………………………」

 かつて、カルデアのマスターは数多の時代を探索し、幾つもの人理定礎を修復してきた。
 それには魔術王と名乗った存在が仕組んだ特異点の解決に加えて、人理焼却の余波を受けて歪んだ自然に、あるいは不自然に発生した聖杯による微小特異点の修復もあった。

「なんというか……これは、なんというか……えぇぇ…………」

 歪んだマンションや夢中の監獄のような魔術王の使嗾によって成った微小の特異点だけではなく、どこからともなく聖杯を拾ってきたサーヴァントによって成立しかかった微小特異点をも、カルデアのマスターは修復のために駆けた。

「あの下の方の部分は逆さになったピラミッドだよな。たぶん初代の言伝にあったチェイテ城の怪だと思うけど、肝心のチェイテ城は上からも下からも圧し潰されて真っ二つになってるし」

 その話――――というより与太話だと思っていた昔話が事実であったことは、この日を以って体験によって確認できたわけだ。

「というか門だけ無事だけど明らかにチェイテ城と時代も様式も違うというか、あれは絶対に影の国とか異界につながってるよね。全部まとめておでんみたいに串刺しになってるけど串の部分のあれは最果ての塔? そもそも空中に浮かんでるあそこに行くのにどうすればいいかというか、チェイテ城(?)浮いてるし。あの下、あれもう明らかにファーストステージというか1面みたいに見えるんだけど」
「1面どころか8面くらいありそうだな」

 だが、平成に置いて行かれた分からの久々登場と言わんばかりの、盛りに盛っている成長具合というか壊れ具合はどういう訳か。

「初代はこれを2週間かそこらで踏破したという話だけど……どうする明日香?」
「どうするもこうするも……行くしかない。……んじゃないかなぁ……」

 まさか訪れる者(カルデアのマスター)が居なかった間もトンチキ具合に磨きをかけて待っていたとでも言うのだろうか。

「――――――――!! ――――――――!!!!」
「うん?」「げっ!!」

 果たしてその答えとばかりに叫ぶ声が、最新最後のカルデアの者たちを、容赦なく呑み込んでいった。




 2週間ほどレムレムやってました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話

 

 見上げるほどの高さの門の上には、都会には珍しいことに一羽の雀がこちらを見下ろしている。

 小鳥が「ちちゅん」と小首を傾げる様は、現代ではあまり見ない光景だけに物珍しい。

 とはいえ、それが日常からかけ離れた、不踏迷宮への入り口かといえば、そんなこともない。

 

「ここが獅子劫の、いや藤丸の屋敷か」

 

 閉ざされた門を前にしているのは雫や達也たちだけではなく、厳めしく門を見上げている十文字克人と七草真由美がここにいるのは、果たして藤丸圭の思惑通りなのか。

 雫は藤丸から見せられた招待状、覚えるやすぐに熱もなく燃えてしまった紙片を思い出す。その住所は間違いなくここ。

 

 真由美と克人は必要があったが、摩利や桐原たちは学年が違うことから遠慮し、同学年であっても美月は魔術師の館ということもあって気後れしたのか遠慮した。

 そのため今日来ているのは先輩二名と司波兄弟、そして雫と同行のほのか、そしてエリカと幹比古とレオの9名だ。些か多いが全員が横浜事変で藤丸と共に戦っていた者たちであり、この人数であれば、冗談めかして藤丸圭が言っていた大勢には該当しまい。

 

 招待状を受け取ったのは雫のみで、友人を、と言われてほのかと深雪が来るのは自然の流れであった。そして深雪が来るのならば達也が来るのも当然の理。

 それに加えて十文字先輩と七草先輩が来たのは、横浜事変の際の約束に基づいてのものだ。

 

 あの時、意識を喪失して重傷の状態となっていた明日香を一刻も早く藤丸の屋敷に連れていくため、真由美と克人が魔術師二人に対する責任のいくらかを持つと独立魔装大隊の軍人たちに宣言した。

 その事情聴取を行うつもりなのだろう。

 横浜の空を斬り裂いた極光の斬撃。あの時のサイオンの乱流、あの威力は、魔術と魔法の違いこそあれ戦略級魔法に相当する。

 戦略級魔法は国家間の軍事バランスを担う。

 そも、戦略級魔法とはその定義からして一度の発動で都市をも壊滅することができる魔法だ。先日の“灼熱のハロウィン”での大陸半島部での被害を見れば、その運用は個人ではなく国家によって担われるべきであるとの考えも的外れではなく、その責は到底個人で賄いきれるものではないのは明白。

 かつての核兵器がそうであったように戦略級魔法とは大国間の抑止的兵器としての使われ方をされてきた。

 魔法の成立過程として意味づけられているように、核兵器が禁じられて以降、強力な魔法師は国家にとって重要な戦力であり、兵器だ。

 その戦略級魔法を行使しうる者が国家の監視や監督から外れているというのは国家や軍にとってテロリストが野放しになっているのと同等か、それ以上の脅威であるとの見方も、仕方ないと言えなくもない。

 そんな戦略級“魔術師”を克人と真由美は十師族の魔法師として庇ったのだから、その監督に責任を持つのも分からなくもない。

 だが彼らが藤丸たちを庇ったのは彼らの個人的感情だけではなく、十師族として、これまでサーヴァントによる超常的な脅威を体験し、対処しようと試みてきた者として、今性急に藤丸(魔術師)たちを拘束しようとして敵対感情を煽るわけにはいかないとの思惑があるから。

 だからこそ、今度こそ事情を知るためにやってきた。

 横浜事変においてだけではなく、今この世界に脅威として現れてきているサーヴァントという存在が、なぜ現れ、藤丸たちは彼らと敵対し、あるいは共に戦っているのかの理由を知るために。

 

 ちゅん、とまた一羽の雀が門の上に降りてきた。

 

 前世紀の頃から、ブームが来ては去っていくような環境保全の影響で東京においても緑地はある程度回復しているが、首都機能を決して手放しはしない東京にあっては人口過密と偏重は解決されていない。

 古くから人は文明の発達とともに森を切り開き、生活圏を広げ、さらには自然を支配しようと試みてきた。だからこそ、人あるところでは本来の自然が回帰することはない。それは文明を手放すことと同義なのだから。

 藤丸たち曰く、魔術とは魔法や科学とは異なり、未来ではなく過去に向かうものだという。魔術は最早今の世界にあるべきものではなく、間もなく消え逝くものなのだ。

 であればこそ、この世界に残された魔術師の館が緑に囲まれているのは道理とも思えた。

 

 今また一羽の雀がやってきてその隣に降りた。

 そろって小さく鳴き、こちらを見下ろしているのは、よほど人馴れしているからか。

 門の向こうに見える敷地には緑が多く、屋敷を伺うことはできないが、それでも都心から隔絶しているわけではない。

 ただ何となく、こういう所もあったのかと、誰しも思うような隙間に存在していたかのような場所だ。

 敷地も、見たところ一般家庭に比べればかなり広い敷地のようだが、有数の富豪である北山家ほどではない。ただ、やはりどういうわけか木々の向こうにあるはずの屋敷を覗くことができないのだ。

 

「それで。インターフォンが見当たらないけど、勝手に入っていいの?」

「いや、エリカ。招待状があるとはいえ魔術師の館だ。不用意に入らないほうがいい、と思う」

 

 インターフォンも呼び出しボタンもついてはおらず、屋敷自体が見えないのだから呼びかけても聞こえはしないだろう。

 そもそも見舞いにきてそんな大声を出すというのもおかしな話だ。

 人を迎え入れる気のないことを表している門構えにエリカが呆れたように門に手をかけ、幹比古は少し慌ててそれを止めた。

 周囲には出入りを監視しているカメラのようなものもないので、どうやって来訪者のことを知るつもりなのかは分からないが、無断で侵入するのを避けたいのは達也も同じだった。

 

 現存する最後の魔術師、藤丸の館。

 

 軍などの国家権力、魔法協会、そして四葉をはじめとした十師族など魔術師と関わりをもとうとした者たちは多かった。

 それは彼らに対して好意的な近寄り方もあっただろうし、悪意的な近寄り方もあった。

 事実として達也もそうした情報収集が行われていることを知っている。

 あわよくばサーヴァントや魔術の情報を入手するだけに留まらず、そのものを手に入れようというアプローチ。おそらく関東での諜報活動を主として担う七草家も行っていたことだろう。

 そしてそれらの全てが、表の方法にしろ、裏の方法にしろ、意味をなさなかったことも知っている。

 

 人を惑わす迷宮、人呑む冥府の入り口、あるいは魔窟。入れば無事には戻れぬ不帰の魔境。

 だからこそ今回の招待は稀有なチャンスなのだ。

 血気に逸って侵入と見られるような真似は避けたい。

 どうすべきかと困惑している一同に倣うではなく、達也は携帯端末で直接藤丸にメッセージを飛ばそうとして──

 

「うん?」

 

 何かを見つけた。

 

 真由美たちが呼び出しボタンを探して目線の高さあたりに注意していたが、達也の視線は手に取った携帯端末に落としており、“それ”はそんな下方、門の隙間から這い出ようとしていた。

 

「どうしたの達也君?」

「いえ、七草先輩。アレを」

 

 達也の視線をおって真由美もそちらに視線を向けた。

 白い何かがいた。

 

「フォゥ。フォ────―ウん、きゅうッ!」

 

 隙間はその体のサイズギリギリで、ジタバタジタバタと前足をばたつかせていたそれは、一息に力を込めてすぽんと抜け出した。

 小柄な猫かあるいはリスか。

 ただしピンと尖った耳はウサギほどとまではいかないがリスや猫とは違う特徴。長毛の白い毛並みは不思議なことに光に透かすと虹色めいて見え、瞳はアメジストのような色合い。

 地面で擦った体をいまは「きゅうきゅう」言いながら毛繕いしており、胸元に巻かれた赤いリボンと背中の青いマントは、これが不思議な野良生物ではないのだと訴えているかのよう。

 

「フォウ?」

「……なんだこいつ?」

 

 見上げる瞳はつぶらで愛くるしいが、屋敷の敷地内からでてきたということはただの小動物ではあるまい。

 見たことのない小動物の姿にレオが発した問いは皆が抱いた疑問だろう。

 

「リス、かしら……達也くん分かる?」

「いえ、真由美先輩。俺も初めて見る生き物ですが……これは……幹比古、分かるか?」

 

 生徒会長でもあった真由美はつまり3年生の主席であり、それは魔法に関する知識量においても抜きんでていることを表している。そして達也は一年生ながら他のどの学年の生徒よりも、あるいは教師よりも知識に長けると評判の劣等生だ。一高の中でも取り分け知識量の多い二人ですらも見たことのない生き物。

 現代魔法に関することであれば達也は他の追随を許さないと言ってもいい。だがその知識がすべてではないことを知っている。

 

「化成体ではないようだけど魔法生命体、魔術師の使い魔の一種かな?」

 

 魔術とは現代魔法の原典であり、古式魔法の方がそれに近い。

 けれどもその間には明らかならざる断絶(ミッシングリンク)が存在しており、古式魔法としての大家である吉田家にも魔術についての知識はないに等しい。

 ただそれでも見慣れないこの生物が、通常の生命の営みの輪の外にいる存在であることだけは、薄っすらと、本当にうっすらとだが察することが出来た。

 ただ、それ以上を識ろうと手を伸ばすと、ちりっとうなじがささくれ立つような気がした。ただそれだけのこと。

 

 そんな無害で愛くるしい小動物は、向けられる視線に返すようにアメジスト色の瞳を向けて深雪を見て、真由美を見て、ほのかを見て、エリカを見て──―

 

「フォウ」

「え、きゃ!」

「雫!?」

 

 短く一声鳴くと雫の胸に跳び込むように跳ねて、驚いた雫が胸前に回した腕をよじ登り身体軽く肩に飛び乗った。

 

「この子……やっぱりこの子、明日香の……?」

 

 肩口ほどに伸びている雫の髪の裾野に頭を回して、すんすんと匂いを嗅いでいるような行動は、誰かを確かめているからか。

 こんな生き物は見たことはない。

 魔法であっても、魔法ではない生物としての知識としても、雫の記憶にはこの子のような生き物を見た覚えはなかった。

 時の彼方、夢の遠遥にて紡がれるのかもしれない縁は、今の雫には覚えのあるものではない。

 過去において、雫にはこの獣との縁はない。けれどここではない過去(未来)において、雫はすでに縁を繋いでいるという矛盾。

 

「フォゥフォウ!」

 

 一通り雫の肩口を愉しんだ小動物は飛び降りるととことこと門の前まで歩くと、雫たちを振り返りながら今度はてちてちと門を叩いた。

 

「入れってこと?」

「エリカ、気を付けて。それが藤丸の使い魔かどうかは分からないんだ。魔術師の館に無断で立ち入って無事に帰れた魔法師は居ないという話も────」

「フォウ!」

 

 誘われるように門扉を押そうとするエリカを諫めた幹比古の言葉は、誘う小動物に遮られたかのようだった。

 達也は幹比古の言葉が、誇張かどうかはともかく事実に近しいことを知っている。

 四葉本家に今日、魔術師の館を訪れることを報告した時、四葉分家の中でも諜報を担う黒羽家の、子飼いの諜報員が侵入を果たせなかったことや、達也が知る限りにおいてその道の最優のスペシャリストである九重寺の忍びたちですらもここへの侵入が果たせなかったという話を聞いている。

 

「なに言ってんのよミキ。一応私たちはお見舞いに来たんでしょ。ちゃんと招待状も受けてるんだから、無断じゃないでしょ」

 

 もっともエリカの言うことも一理あり、無断で屋敷の扉を開けているわけでもなく、そもそも敷地門扉に呼び出しすらもないのだから、そういうものともとれる。

 あっけらとしたエリカが門を押すと鍵はかかっていなかったのか、すんなりと開き、小動物はするりと敷地へと入った。

 

「フォウ」

 

 ただエリカとそれに続くレオを除いたメンバーが、後に続くか躊躇するのに小動物が振り返り、後に続けと言わんばかりに一声鳴いた。

 

「ここで待っててもしょうがないでしょ。玄関まで行けば出てくるわよ」

「といっても、ねぇ……十文字君?」

「千葉の言うことももっともだ。進むとしよう」

 

 エリカの言葉に、真由美は不安げな顔を克人に向けるが、厳めしく頷いて門を通った克人に続いて達也と深雪が中に入るのを見て、真由美はため息を一つついて皆に続き、戸惑っていた幹比古も意を決して足を踏み入れた。

 

「チュチュん?」

「チュンチュン」

「チュンチュチュン」

 

 扉が閉まり、その構えの上に止まって彼らを見送った雀は9匹ほどになっていた。

 

 

 

 

 

 ✡ ✡ ✡ ✡

 

 

 

「広いな」

 

 敷地に入り、小動物を先頭にしてしばらく歩いている克人たちだが、思った以上に、あるいは不思議なほどに敷地の中は広く見えた。

 なにせ入ってきた門がすでに見えなくなっているのにもかかわらず、屋敷はおろか建物の一つも見えず、まるで森の中にでもいるかのように草木しかあたりには見えないのだから。

 

「敷地面積からすればありえない景色です。おそらく何らかの魔法、いや、魔術がかかっているのではないでしょうか」

「お兄様、それは古式魔法の奇門遁甲のようなもの、ということでしょうか?」

「おそらく。だが幻影魔法の類のようなものにしては、()()()()()()()()()

 

 古式魔法、奇門遁甲。

 横浜事変の際に大亜連合の指揮官である魔法師が使っていた魔法で、方位を見失わせる魔法。

 魔法協会支部の建物への侵入に使われたそれを、深雪は美月と幹比古の助力を得て破ることに成功していたが、これはその時の術よりも奇怪な術に見えた。

 屋敷までの道筋が分からないのだから道に迷っているというのとは少し違うのかもしれないが、そもそも達也の言うように、都内にある敷地の屋敷としては藤丸家の敷地はかなり広いとはいえ、明らかに外から見た敷地面積の目測と中に入ってからの体感とがかけ離れすぎている。

 まるで本当に異界に迷い込んでしまったような気さえし始めていた。

 先導している白い獣は果たして実在するものなのか、夢幻のものなのか。その白く柔らかなモコモコの毛並みと揺れる尻尾が現実感を一層あやふやなものにしているかのようだ。

 

「あら? お客様?」 

「──!?」

 

 不意に声がかけられた。

 それは達也にとっても、そして克人やエリカたちにとってすら不意なこと。

 

「ふふふ。お客様がいらっしゃるなんて、本当に久しぶり。ねぇ、お茶会をしましょう?」

 

 振り向いた先にいたのはワンピースの黒いゴシックドレスに身を包んだ小さな少女だった。 

 腰ほどにも長い銀髪を三つ編みにして、頭には黒い帽子を被り、口元を手で隠して淑女らしく微笑んでいるが、その表情は無邪気な子供そのもの。

 

「お茶、会? えっと、あなたは藤丸くんの妹さん? 私は七草真由美。藤丸君から聞いていないかしら」

 

 顔立ちは圭とも明日香共に手は居ない。どちらかというと灰がかった髪色の圭と似ていると言えなくもないが、どちらかに妹がいるという話は今まで聞いたことがなかった。

 真由美の背丈も低いが少女の身長はなお低く、小学生といったところだろう。腰を屈めて目線の高さを合わせて話しかける真由美に、少女はキョトンとした顔になり首を傾げた。

 少女の目は小さな白い獣を捉えていた。

 

「あら……、そう。あなたたちは…………」

 

 あっ、と言う間もなく、少女は身を翻すと林の中に消えてしまった。

 

「なんだったんだ今の? 藤丸の妹か?」

「私が知るわけないでしょ。雫は? 明日香か藤丸圭に妹がいるって聞いたことある?」

「ううん。聞いたことない」

 

 樹木が生い茂っているという程ではないにもかかわらず、少女の姿が暗闇に消えるように見えなくなってしまったのは、やはりここが結界の中なのか、幻影魔法に彼らが囚われてしまっているからか。あるいは先ほどの少女の姿そのものが幻影魔法なのか。

 真由美と同じ予想を抱いたレオだが、その答えはなく、エリカの問いに対して雫も首を横に振った。

 

「フォウ!」 

 

 白い小動物が一声鳴き、再び先を促した。

 

 

 

 

 

 

 

 歩き始めた道行は先ほどまでと同じだったが、どことなくぎこちなさを、あるいは薄気味の悪さを感じていた。 

 魔術師の屋敷。

 たとえば魔法師の中でも十師族のそれは、すなわち魔法開発の途上期に国家により主導された研究成果の集積と同義であり、相応の設備を誇っている。

 特に悪名高い四葉などはその場所でさえ秘匿されているほどだ。魔法の開発というのはそれだけ秘匿性の高い研究成果であり、それは倫理に反するものである。

 あるいは魔術師の屋敷というのはそれに匹敵するものなのかもしれない。

 

 達也再び誰かの声を聞いたのは歩くのを再開してからほどなくで、その声はひどく蠱惑的に魔法師たちの耳に届いた。

 

「ふふふ。あかんなぁ、案内もおれへんのにフラフラとしとったら、あぶないえ? 彷徨い歩いとる鬼に、がぶぅと、いかれてまうかもしれへんよ?」

 

 今度は何だと、思い振り向いた達也が目にしたのは、耳の蕩けそうな声の主らしい少女だった。

 先ほどの少女とは異なる。

 背丈としては決して大きくはない。だがその声、その眼差し、立ち居振る舞い、それらが男女を問わず人を蕩けさせるかのような存在。

 蠱惑的な装い。

 片手に持つ大杯になみなみと注がれている透明な液体は酒精を孕んだ何かなのか。うっとりと見惚れるような動きで喉を蠢かせて大杯を傾けて飲む少女の笑み。

 

 知らず、一行の周囲には桃色がかった靄のようなものが、彼ら彼女らの思考を蕩けさせており────

 

「フォウ!」

「──―!!?」

 

 今までの鳴き声よりも険を帯びた固い鳴き声に、達也たちはハッと我に返った。

 桃色がかった靄のようだった思考がクリアになり、改めて少女を見た。

 

「なぁんや。残念。こわいこわい案内がついとったんか」

 

 先ほどまでの蠱惑的な声はそのままだが、その声音は興覚めしたかのように、先ほどよりも白けたようで、鬼の少女は姿を消した。

 

「えっ! 消えた……」

 

 妖艶な少女の姿は掻き消え、追おうとした真由美の手は宙をさまよった。

 

「おそらく霊体化、というやつだろう。だが今のは…………。魔術師の館に踏み入ろうとした輩が無事ではすまない、というのはあれのせい、か?」

 

 サーヴァントという存在は実体があるようにみえるが、基本的には霊体と呼ばれる存在であることは克人も藤丸たちに聞いて知っている。

 そしてあれから感じることができたのは、悪の性状。世に混沌を撒き散らし、人に害悪をなす気配。

 

「お兄様……」

「ああ。あれは……鬼、か?」

 

 少女の額には明確に人とは異なる特徴──すなわち2本の角があった。

 英霊とは伝承などにより人の思いの具象化したものであるという。ラーマやシータのように神話・英雄譚に語られるような存在からグリムのように近代において著名に知られ、人の口伝てにその在り様を語られるような存在。

 メフィスト・フェレスの襲撃の際には悪魔のようなものまでいたのだ。ここが日本なればこそ、鬼と呼ばれる存在が在ってもおかしくはないだろう。

 

 ただ達也にしろ、克人にしろ、あれにはかつて遭遇したサーヴァントと決定的に異なる違和感を覚えていた。

 すなわち、存在の希薄さ。

 サーヴァントに対峙した時にはいつも、圧し潰されるような圧迫さを感じていたはずが、先ほどの鬼やその前の少女からは気配を絶っているというよりも、存在そのものがあまり感じられなかったのだ。

 

 まるでこの道行きと同じく、其処(彼岸)にあって、其処(此岸)にはないもののように。

 

 

 

 

 

 

 白い小動物の先行きを再び追っていくと、今度は木々の向こうから鼻歌らしきものが聞こえてきた。

 ここには誰も来ないから、ここを訪なう者はいるはずがないから。

 他者には決して見せない内心をこっそりと楽しんでいるかのような鼻歌。

 

 木の迷路の先には花畑があった。

 一面の黄色い花。

 そこには少女が一人、鼻歌交じりに如雨露で水を遣っていた。

 慈しむように、懐かしむように。

 目深にかぶったフードの端から、長い金髪が風に遊ばれている。

 

「フン♪ フン♪ フ、ん? ………………」

 

 不意に少女の鼻歌が途切れた。見ればフードの少女は雫たちの視線に気づいたようで、唖然としてこちらを向いていた。

 その手にある如雨露から暫し、水が流れて、そして止まった。

 

「ぎゃわっ!!?!? なななっ! なんでここに普通の人間が来ているのだわ!?」

 

 愕然と、動揺が丸わかるような反応をしたフードの少女は慌てて身を翻した。

 

「待って!」

 

 今度こそ、と静止を呼びかける雫の声は風が吹き上げた黄色い花に遮られるようにして、少女の姿をかき消す。花畑に舞う黄色い花びらは不思議なことに達也の知覚すらも覆い隠すように舞い上がり、視界を遮る。

 

「────―まったく」

 

 ただ、その先には道なきの道ではなく、それまでとは異なる者があった。

 

「出迎えようと思ったら、こんなとこまで入って来て。魔術師の工房に随分と無防備な」

 

 灰がかった髪は風に踊り、稚気を湛えた口元はどこか冷ややかさを帯びている。

 

「まぁ、招待状を送ったのはこちらだ。ともかく今回は歓迎の意を示そうじゃないか。ようこそ魔法師のみなさん。久方ぶりの花の魔術師、藤ま「ドッフォ────ゥ!!!!」ぶふぉぅ!!!」

 

 見ようによっては苛っとするその顔に、白の小動物が容赦なく、コークスクリューが如くに全身に回転を加えて弾丸のように、その小さな手に在る肉球で藤丸圭の頬にぶちかました。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話

 

「やめろ! やめないか! キャスパリーグ! この見せかけだけの腹黒似非マスコットめっ!」

「フォウ! フォ、キュ!」

 

 ぺしぺしぺしぺしと、白の小動物は先ほどまでの大人しさをかなぐり捨てて、殴り倒した藤丸の顔に追撃を加え続けていた。

 

「覗き見クソ野郎はお互い様だろう! どうせそのもこもこで愛らしいフォルムでいたいけなレディを騙くらかして胸にでも飛び込んだんだろう! あイタッ! 彼女たちの感触を愉しんだのか! いたたたたッッ!! このっ、エロ猫め!!」

「フー、ファゥ! ファ、ッキュー!!!」

 

 小動物と同レベルの争いを繰り広げる魔術師の姿。

 敷地に入ってから異様な雰囲気続きであっただけに、そのあまりに風格のない姿に深雪は口元を手で覆い隠し、ほのかはわたわたとして真由美は呆気にとられ、エリカは冷めた目で魔術師を見下ろしている。

 

「まったく。久方ぶりに姿を見せたかと思ったら、何を考えているのやら」

「フォウ。ファウ!」

 

 不意をうたれて殴り倒された藤丸圭だが、流石にサイズが違いすぎる。ようやく身体を起して白モフの首根っこを掴み上げ、ぺいっと投げ捨てた。

 

「藤丸君、その白いのは君の使い魔じゃ、ない、のかい?」

「勿論違うとも、吉田幹比古君。あれは藤丸の初代がここに住み始めたころから巣食っている謎生物で屋敷の結界内部を自由に闊歩できる特権ナマモノさ」

 

 ひらりと着地した小動物は圭を睨み付けると身を翻し、たったと森の奥へと姿を消した。最後に一瞥、そのアメジストの瞳が雫たちを見たような気がした。

 

「さてと、改めてようこそ藤丸家に。歓迎が遅れたけれど無事で何より。屋敷はすぐそこだよ」

「えっ?」

 

起き上がり土を払う藤丸の言葉で、気づけばあたりには花畑も森もなくなっていた。

 和風なのか洋風なのか、あるいはいずことも分からない異国情緒をどことなく感じさせる建物。

 4段ほどの階段を玄関口に備え、その両脇にはなんだかおかしな石像を構えた屋敷―――少女たちの目的地である藤丸の屋敷がようやく目の前に現れたのだった。

 

 

 

 

 ✡ ✡ ✡ ✡

 

 

 

「明日香は屋敷の方で待たせているよ。一応ほら、お見舞いされる側だからね」

 

 藤丸圭が現れた、ということで期待した雫が辺りをうかがうのを止めて、家主が道を先導し始めると、あれほど長々と森の中を歩いたというのに、来た道には緑こそあれども雀のいない門扉が見えており、進路の先には屋敷が見えていた。

 ここまでの道のりがあれほど長かったのは、やはり敷地内にかけられた結界――奇門遁甲のようなものが発動していたらしく、すでにそれらが解除された道のりは実にあさりとしたものだ。

 

「ねえ藤丸君。たしか前に聞いた時、二人暮らしをしてるって聞いたのだけど、ここに来るまでに3人ほどいた女の子たちはどういう関係なの?」

 

「女の子? いえ、真由美先輩。僕の両親も明日香の両親も海外で働いていてここには僕と明日香、ああ、それと今はアストルフォしかいませんよ」

 

「ほかにもサーヴァントがいるのではないのか?」

 

「いませんよ、十文字先輩。前にもお伝えしたか思いますけどサーヴァントは召喚にも維持にも膨大なリソースが必要になるんです。マスターから供給を受けているアストルフォは例外みたいなもんです」

 

ここまでの道中で遭遇した謎の少女たち。彼女らのことを訝しむ真由美と克人の問いに対して、リソース不足を理由にして否定している藤丸圭だが、残念ながらその言葉には説得力が欠けていた。

 

「こらー! ナーサリー! ジャック! トナカイさん(マスター)に言いつけますよ!!」

 

 なにせ少女が三人、きゃーきゃーと楽しそうに走っており、達也たちの脇を追い越して屋敷に入っている光景が目の前を通り過ぎているのだから。

 

「…………あれはサーヴァントではないのか?」

 

 その中の一人は敷地に入って最初に目撃した少女で、残りの2名も中々に印象の残る装いだ。

 一人はボロボロの黒いマントを身に纏った銀髪の少女で顔にはつぎはぎのような手術跡が見え、もう一人は水着を着ているのだろうと思いたくなる露出度の少女で申し訳程度にもこもこのマントを肩口に羽織っているなんだかサンタ?となぜだか思いたくなる少女だった。

 少女、というよりもむしろ幼女と言うべきか。

 いずれも背丈は140cm前後といったところ。不法に屋敷に匿っているとなれば両手に縄がかかってもおかしくはあるまい。

 

「いいえ、十文字先輩それは違います。英霊ではありますがサーヴァントではありません。そうですね、サーヴァントの残滓のようなものです。直接的な干渉力はそれほど強くないです。ただ結界と組み合わさって色々と危険なこともあるので、離れてついていかないようにしてくださいね。一度離れると帰り道の安全は保証できないですから」

 

 いささか藤丸圭の弁明が早口になっているような気がするのは、おそらく気のせいだと思いたい。

 

 ――サーヴァントではないとは言うが、この敷地内限定で存在することのできる疑似的なサーヴァントと見るべきか――

 

 加えて懸念するのであれば、藤丸は不可能だとは言っていない。

 膨大なリソース、おそらく魔力というものを供給できるシステムさえあれば、おそらくサーヴァントを使役しておくことは可能なのだろう。

 事実としてアストルフォは現界しているし、聖杯とやらに喚ばれたサーヴァントたちが暗躍しているのだから。

 

「かつて魔術師としての藤丸の初代――僕と明日香の高祖父なんですけどね――彼は諸事情あって数多の英霊と契約を交わした。そしてここには昔召喚された英霊との絆の結晶、縁の強い因果がある。だから座にある記録が曖昧な英霊なんかが時々ひょっこり歩いていることがあるみたいなんですよ」

 

 日常にあって異常な世界を紡ぐ。それこそが魔術師というべきか。

 

「ところでこの石像については聞いてもいいものなの?」

 

 そしてこれみよがしに玄関脇に置かれた二体の石像。あまりにも目立ち、そして異質なソレに対してエリカが切り込んだ。

 達也も同じく、それを“視て”気にかかってはいた。

 

 ――なんだこれは? 素材が…………?? ―――

 

 竜か悪魔を象った物なのか、角と大きな尻尾がつけられている石像は、モデルが双子の少女を原型にしているようで左右でまったく同じ見た目をしている。唯一前に突き出した拳と構えだけが左右対称で異なるだけで、あとはスカートも関節のロボロボしさもまったく同じ、コンパチのような石像。

 ただしそれらはなぜか、サーヴァントを覗き視たのと同様に、分析することができなかった。

 達也の“精霊の眼”をもってしても覗き視ることができないもの。

 すなわち聖遺物(レリック)…………なのかもしれないが、石像の外見からは到底神秘さだとか歴史だとかは感じ取れない。

 まるで出来の悪いハロウィンの夢が置き忘れられてしまったかのような意味不明な石像たちだ。

 

「…………」

「ねぇってば。無言で通り過ぎるの? ちょっと」

 

 しばしそれに沈黙を返した圭の顔からは、すん、と表情が抜け落ち、エリカの問いかけ、同行者たちの疑問をそのままにして玄関の扉に手をかけた。

 むしろ玄関よりも門扉の方にこれを置いておいた方が人除けになるのでは、と思ってしまうのは達也ならずとも思わなくもない。

 

「まぁ、それはさておき」

「さておかないでよ」

「さておき。ようこそ、魔術師の館へ」

 

 

 

 ✡ ✡ ✡ ✡

 

 

 

 魔術師の館、というと想像するものは何だろう。

達也の家、山梨にある本家本邸ではなく東京にある方は、地下にこそ研究所としての性質を持つ工房があるが、それはまさに工房。現代魔法を研究することのできる機能はあるが、古式ゆかしいものではない。

本邸の方にしても魔法使いの工房というテンプレートの感はないが、現代魔法を開発・構築していく過程で設立した第四研究所の遺物を受け継いでいるだけあって研究から、ちょっとした軍隊の演習設備まで備えているようなところだ。

侵入者を惑わせる結界が敷かれているのはお互い様なのでとやかく言えたものではないが、来客を迎えるような意思がなさそうな本邸にしても見栄えを気にした調度品くらいはある。 

 藤丸の家は庭にこそおかしな結界があったようだが、屋敷自体はテンプレートな魔術師のイメージからは離れていた。

 玄関脇にあった石像も然りだが、収集意図のよくわからないものが多く、和洋折衷、どこを目指しているものなのか分からない物品が多く飾られている。

古美術品らしきものが飾られていたりもするのだが、稀にどう見ても拷問器具にしか見えないものがあったり、大きな瓢箪があったり、なぜだか屋内に大きな鐘が安置されていたりもするのはどういう目的なのだろうか(おそらく衝くことは目的にしていないのだろう、吊るされてはいない)。

 まさかこれ見よがしに魔術的な品物を配置していたりはしないだろうが、念のために“精霊の眼”で視ても、レリック(聖遺物)のような感じはしない。サイオンの気配も特になくサーヴァントらしき残滓はそれらには視られない。

 

 案内されて通された広間にはすでに来客をもてなす準備が丁度今終えられたかのようにセットされていた。人数が十分に席に座れるくらいに大きめの円卓の上に置かれたティーポッドとお茶請け。

そして、ラフな装いをした明日香がそこに居た。

 

「やぁ、圭が招待したと聞いたけど、わざわざすまない」

「明日香……」

 

 雫の声が震えるような吐息とともに漏れ出た。

 記憶に蘇るのは傷だらけの満身創痍の剣士の姿。

 だが、今の明日香には見た目上にはその痕跡は見られない。

 

「思ったよりも元気そうね。明日香君。本当は妹――泉美もすごく来たがっていたのよ?」

「ええまぁ。ご心配おかけしました。肉体的な損傷自体はすぐに回復しましたから。どちらかというと事後処理の方が大変で」

「事後処理?」「まあ、無事そうでよかったぜ」

 

 言葉通り思ったよりも無事な姿にホッとしたのだろう。ここには来させられなかった末妹の狼狽えぶりを思い返した笑みを浮かべている。

 ほのかやレオも安堵したかのように声をかける。ただ、真っ先に駆け寄った雫の瞳にはいまだに不安の色が宿っていた

 

「本当に?」

 

 猜疑というよりも不安の色濃い

 

「宝具という魔法を使って、シータさんは消えた。明日香は本当に大丈夫、なの……?」

 

 サーヴァントや魔術について幾らかの説明を聞いてはいても、雫たちは魔法師に過ぎない。目にした事実として、アーチャー・シータは、極大の神秘を具現化した自身の必殺技を発動させたことにより消滅し、明日香は瀕死寸前となって倒れた。

 それが宝具を発動したことによる代償なのか、それとも別の原因によるものなのかは分からない。

 大輪の華の如き業火に包まれ、儚い笑みと共に光の粒子となって消えてしまったシータの姿が思い出されて、不安が消えなかった。

 命のあらん限りを溢れさせたかのような極光を放ち倒れた明日香が、彼女と同じように消えてしまったのではないかと。それは今もなお残る。

 親しい友人でなければ無表情と見紛うことも多い雫の顔に、色濃い怯えと不安とを見た明日香は目を瞠り、そして表情を柔らかくした。 

 

「アーチャー、シータが開放した宝具は彼女自身の逸話を再現した伝承宝具だ。雫はラーマヤナにおけるシータの伝承は知っているかい?」

 

 魔法言語を学ぶ必要からサンスクリット語については多少の知識があるし、シータと関わっていたために多少は調べはしたが、日本においてインドの文学は決してメジャーではない。

 彼女が魔王に攫われ、長い年月の果てに伴侶であるラーマに助けられ、けれどもその最期が離別に終わってしまったことを概略的に知っているのみだ。

 

「彼女の場合、伝承において自らの命と引き換えにして自身の潔白を証明し、大地を裂いて地母神に身を捧げたという逸話があるんだ。英霊の中には時折そういったタイプの伝承に由来した宝具を持つ者があって、そういった宝具は、発動条件がサーヴァントの霊基と引き換えということもある。つまり特攻宝具といったところだね。僕の場合、魔力消費が桁違いに膨大で供給が追い付かなかったけど、そういった命を代償にした宝具とは違うよ」

 

 以前にも説明を受けたが宝具というのはサーヴァント—―英霊の伝承・逸話が具現化した神秘なのだという。単なる強力な武器やCAD、レリックのようなものではなく、英霊の生前の歩みそのもの。それゆえにサーヴァントのみが宝具を使える。

 シータ王妃の伝承における最期は悲劇に終わる。

 国に疎まれ、夫であるラーマによって追放され、それでも自らの貞淑を証明するために命を捨てた。

 その伝承を具現化したものが彼女の宝具なのであれば、確かにその発動は彼女の命と引き換えになるだろう。

 そしてその理屈であれば、明日香の――彼の英霊としての宝具は彼の生命そのものとは異なる。

 

「エクスカリバーって、言ってたよな。それってたしか、昔のイギリスの王様の剣、だっけか」

 

 レオですら、というと語弊があるが、魔術師との距離がもっとも遠く、おそらく神話・英雄譚を改めて調査することをしていないであろうレオでさえも知っているほどに有名な聖剣。

 それこそがデミ・サーヴァントとしての明日香の宝具。

 

 横浜事変の後、その後始末に出向く必要があった達也だが、その後、本家の方から謹慎を申し付けられていた間に情報については調べてあった。

 それ以前から世界的な英雄としていくつか候補として絞り込んでいた中でも大本命と言えるだろう剣に纏わる伝承を持つ英雄。

 

「アーサー王。古代イギリスの王の一人。円卓の騎士と()()()()()で有名な英雄だったな。エクスカリバーは彼が岩から引き抜いた王剣だという話だったと思うが……違うのか、明日香?」

 

 インドの英雄ラーマならともかく、アーサー王ともなれば調査前から一応名前くらいは知っていたが、達也が口にした内容に明日香は少し目を丸くしていた。

 

「少し違うかな。達也の言うのは、王を選定する岩の剣、カリバーンだね。エクスカリバーはカリバーンが折れた後、湖の乙女から授けられた聖剣だよ」

 

 正直その違いはよく分からない。

 だがその英霊を宿している身としてはこだわりがあるのだろう。

 

()()()()()、アーサー・ペンドラゴン。それが僕に霊基を譲り渡した英霊の真名だよ」

 

 現在は西EUに所属する国家の一つとなっているイギリスの、1500年以上前の国の王として、伝説と伝承の中に物語を残す騎士の王様。

 その英名はガウェイン、ランスロット、トリスタンといった円卓の騎士の名と共に、現代においてもなお語り継がれる世界で最も有名な英雄譚の一つ。

 調べた記憶を参照すれば、一説には不老であったり、竜の化身であるとも言われており、中世においては騎士道の理念を体現する9人の英雄である九偉人の一人にも数えられていたはずだ。

 かつての王にして、未来の王。

 その実在は伝説と伝承の中で確かなものであるかは定かではないが、紛れもなく神秘をその身に受けた英雄であろう。

 

「さて、十文字克人殿、七草真由美殿。先の戦場では貴方達の取り成しのおかげで危ういところを助けられました。藤丸家の魔術師として礼を述べます」

 

 パンと手を打って場の空気を換えた藤丸が改まった口調で述べた。

 

「約束通り、戦場で尋ねようとしていた質問にお答えしましょう」

 

十文字先輩はそちらに向き直って鷹揚に頷き、七草先輩もちらちらと視線を明日香に向けつつも向き直った。

 

 横浜の戦場で明日香が宝具を発動して敵のサーヴァントを討った後、一刻も早く戦場を離脱したい藤丸たちと、戦略級魔法の街中での無許可行使を理由に魔術師とサーヴァントを確保したい独立魔装大隊との衝突を取り持った際の約定。

 達也としてはあの状況下ではやむを得なかったであろうとは思う。

敵も戦略級の攻撃を仕掛けていたのだ。自衛の観点からも防衛の観点からも、あの時明日香が宝具を使っていなければ防ぐ術はなかった。

その意味で達也だけではなく深雪の命をも救ってくれた恩人とも言える。

そして()()()戦略級の力を秘めている者としても、戦いの場において己が力を行使したことに否やを唱えることの理不尽さも分かる。

 

だが世界の軍事バランスさえ変え得る戦略級魔法の使い手は、自身の力を行使することの責任が自分個人で負いきれるものではない。

だからこそ達也は独立魔装大隊に特尉の肩書で一応とはいえ所属しているし、()()()使()()()()()軍の統帥権の下で行ったものだ。

 まして独立魔装大隊の調査によれば、彼らには国外の勢力との繋がりがあることが示唆されている。

今回の横浜事変で侵攻してきた大亜連合とは別物で外患誘致の疑惑とまではいかないものだが、警戒せざるを得ない状況は深まったと言える。国家権力を用いて強引に適用すれば外患誘致罪に問うこともあり得るだろう。

そして明日香にはその戦略級としての力の前にサーヴァントという魔法師さえも凌駕する力がある。

それは軍人としても四葉としても、そして深雪を守るための力を得るためにも、何としても調査して手に入れなければならないものだ。

 あの時、道義と友誼から明日香たちを庇った十文字先輩や七草先輩にも、彼らが国外勢力に連なっていることは伝えてある。

 

「まず確認することがある。司波も聞いていたことだが、お前たちが戦場から離脱した後、風間少佐からは、お前たちに国外の勢力と通じている疑惑があることを聞いている。そして市街地での戦略級魔法の無許可使用についてだ」

 

 だからこそ、十師族の代表としてこの場に来ている、十文字家の総領としてはまずそれを確認しておかなければならないだろう。

 初耳だったのか、あの時明日香たちをヘリに乗せて帯同していた雫やほのかはぎょっとしている。

 明日香と藤丸の二人は、その質問が来ることも予想していたのか、ちらりと視線を交わし、藤丸が口を開くことを示し合わせたようだった。

 

「そうですね。それではまず僕たちの所属から明らかにしましょう。―――――僕と明日香は、人理継続保障機関カルデアという機関に所属する魔術師です」

 

 国外勢力との繋がりを否定しなかったことに七草先輩がぎゅっと唇を引き結んだ。十文字先輩の方は分かりにくいが、もとより巌のような雰囲気の重さが一段増したように感じられる。

 藤丸が口にしたのは聞きなれない固有名詞。

 その名称は四葉の諜報能力をもってしても恐らく掴んではいなかったのではないだろうか。

 

「それは魔術師たちの組織ということか」

 

 成立して100年足らずの魔法師にさえ、十師族や魔法協会のような組織があるのだ。それ以前から連綿と発展してきただろう魔術師にそのような組織がないはずがあるまい。

 

「正確には違います。カルデアは魔術と科学の枠を超えて国連主催で設立された特務機関です。その役割は人類の未来をより長く、より強く存在させるための観測所、でした」

 

 ―――――でした……?――――

 

「ちょ、ちょっと待って藤丸君!」

「はい? どうかしましたか真由美先輩」

 

 慌てたように七草先輩が口を挟んだのは、藤丸の説明があまりにも突拍子のないものに感じたからか。

 

「えっと、その、何というか……。人理継続というのがちょっと……。人類の未来を観測するっていうのは、魔法幾何学のアプローチのことなの?」

 

 現代魔法においても未来予測の技術とういのは重視されつつある。第一高校の教員である廿楽という先生は魔法大学でもその分野を研究していた魔法師だから馴染みが全くないというわけではない。

 だがそれは未だ研究分野というものであり、それをもって特務機関――それも国連が主催するような組織ができたなどというものは聞いたことがなかった。

 

「ああ、たしか現代魔法にも似たようものがありましたね。えっとたしか……」

「魔法幾何学の多面体理論だな。世界を単純な立体の集合として捉えるシステムにより、無限の相互作用が織り成す世界を、相互に作用する単純な多面体に抽象化することで、限られた情報から未来の事象をシュミレートするという魔法理論だ」

 

 藤丸も多少は聞き覚えがあるようだったが、やはり現代魔法について幅広い分野を詳細に理解しているわけではないらしく、言い淀んだそれを補足すると、藤丸と明日香が少し驚いた表情を見せた。(エリカやレオ、ほのかなども感心した様子を見せていたのは、彼女たちも知らなかったからだろう)

 

「ああ、なるほど。うん。カルデアの観測技術というのはそれに近いものでした。魔術だけでは見えない世界、科学だけでは測れない世界を、魔術と科学の両面から観測し、アプローチすることで人類が百年先の未来においても存在していることを保障していた」

 

 ――()()()()……?――

 

 魔法はもともと魔術から発展して成立したと言われている。その過程で失われたものもあるのであろうが、未来予測技術については失われつつも現代魔法の発展によって取り戻せた技術といったところか。

 藤丸の説明には気になるところがないでもないが、分からなくもない。

 

「おかしくないかしら? 以前、藤丸くんは魔術について少し話してくれたけど、魔術って科学と相性が悪いとか言ってなかったかしら?」

 

 藤丸はこれまで幾度か魔術に関する情報を七草先輩や十文字先輩を通して十師族側に提供している。そしてこの情報については達也も聞いていたし、同様の趣旨を九重八雲師匠からも聞いていた。

 

「その通りです。真由美さんたちには以前伝えましたが、科学やそれによる現代魔法が人の進歩、未来へと発展していくものだとすれば、魔術というのは過去に向かって発展していくものだと言われています。正直そこらへんは藤丸家が魔術師としては異質なのであまり詳しくありませんが、基本的には魔法と違って科学と魔術は相容れません」

 

「ん? どういうことだ?」

 

 ただその情報はここにいる全員の共通認識というわけではない。レオやエリカ、ほのかなどはその情報までは知らなかったらしい。

 

「魔術の力の源が神秘だからだよ。神秘は人の概念によって作られる。その概念を信じる者が多く、強固であるほどに力を増す一方で、その()()を解き明かし、識る者が多くなってしまうと力を失っていく。科学というのは目の前の現象を解き明かしていくものでしょう? だから魔術が人目に晒されると力が弱まってしまう。

それゆえかつて魔術は秘匿されるもので、神秘の隠匿は魔術師にとって最大級の掟()()()そうです」

 

 御伽噺の一説によると、魔女はその力を人に知られてしまうと魔力を失うと云われていた。現代魔法では勿論そんなこと程度では魔法力は失われないが、魔術では違った。

 だからこそ魔術師は世界から隠れてきた。

 

 だとしたら―――――

 

「さっきから聞いてるとさ。あんたの説明ってなんで過去形なの?」

 

 エリカの指摘は根幹を突いている。

 現在形ではなく過去形。今ここに藤丸と獅子劫という魔術師が、すでに魔術が存在しないかのように告げている矛盾。

 たしかに現在、日本国内のみならず世界でも、古式魔法師ではない、魔法発見以前からその術を継いでいるとされる真正の魔術師は藤丸と獅子劫の二家しか確認されていない。

 その二家にしても親戚関係であり、実質藤丸一家のみが現存する魔術師と見做されている。

 最初に発見されたはずの“最初の魔法師”。異能を以って世界の危機を救ったとされる魔法師の家系は、()()()()()()()()()()

 世界最強を自認するUSNAにも、多様な国家を内容している東西のEUにも、広大な国土を有する新ソビエト連邦にも、古来の古式魔法師を有する大亜細亜連合にも、そして日本にも、“始まりの魔法師”は存在しない。

 魔術・異能が発見され、魔法が成立するそのミッシングリンクは、今もって謎とされている現代魔法史の謎だ。

 

 そしてその答えが―――――‐

 

「現代に魔術師というのはもうほぼいないからだよ。魔術自体が世界から駆逐されたと言っていい」

 

 “始まりの魔法師”の家系の系譜と見做される唯一の魔術師からもたらされた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話

 

 

「事の発端は、今で言うところの“魔法の再発見”です」

 

 それは歴史の闇へと消えた、埋もれた真実の話。

 現代における魔法の成立と発展。それはきっと100年にも満たない過去において為された偉業こそが魔法の“始まり”なのだと、だれもが思っていた。

 

「現代魔法史ではカルト集団による核兵器テロを異能によって阻止したことが現代魔法の発見だと言われていますが、そもそも核兵器テロの阻止なんかで魔術や超能力の存在が明らかになるなんてことは有り得なかったんですよ」

 

 けれどもそうではなかったのだ。

 

「今の感覚だと分かりにくいですが、当時の常識では魔法や魔術、超能力は御伽噺の中の存在です。そんなものの実在は、夢見る子供でもなければ誰も信じていませんし、そもそもそんなオカルトな力がなくてもテロを防ぐことはできます。

 そして仮に魔術師が核兵器テロを止めたのだとしても、当時存在した魔術組織が魔術の存在を隠匿しなかったはずがありません」

 

 今に生きる世界唯一の魔術師だという彼の述べる過去の物語は、魔法師たちにとって呑み込みづらいものがあった。

 

 

 

 

 

 

 現代魔法師は国家にとって国益に結びつく存在だ。

 戦略級魔法師に限らず、魔法の軍事利用は現代の世界情勢において、重要な軍事力と見做されているからだ。

 だからこそ魔法師は国家に属することが求められる。

 達也が代表として来ている軍の理由の一つが、戦略級に相当する力を示した獅子劫明日香が、政府や軍の支配下にないということもある。

 ただ、各国の兵器としても用いられる魔法師だが、唯一世界全ての魔法師が共同すべきと定める事態がある。

 放射能などにより地球環境が回復不能なまでに汚染される兵器の使用や事態を実力で阻止するという目的だ。

 現代魔法の成立を鑑みて設立された国際魔法協会には、各国の魔法協会が加入しており、時に最前線で殺し合いを演じていたとしても、核兵器使用、地球規模の壊滅などの事態に対しては、その兆候が観測された時点で逃走を中止し、国の境を超えて事態の阻止に協力すると定められている。

 だから克人や真由美は、無意識に、かつての魔術師たちの組織にも、そういった“崇高な”理念はあったはずだと、思うまでもなく前提としてあったのだ。

 

「先ほども言いましたが魔術師にとって神秘の秘匿は絶対です。もしも魔術の存在が明らかになれば、魔術師としての死活問題だからです。個人の、ではありません。その魔術の系譜に連なる数百年、数千年の歴史そのものが無意味に途絶えることになるんです」

 

 けれどもそうではない。

 魔術と魔法は別物で、人類がその歴史を刻み始めてから連綿と続いた神秘を求める者たちの旅路は、他でもない。

 

「そして事実、現在魔術師のほぼすべては消えました。魔法の発見と発展が、魔術を駆逐したのです」

「なっ……そんな……」

 

 それを求めた魔法師たちによって途切れさせられたのだ。

 

「当時、魔術や超能力といった異能を解明しようと研究が進められたそうですが、その行いそのものが、神秘を暴き、魔術を駆逐する行いに他ならなかった」

 

 現代において、魔法とは────―

 四系統八種から成る系統魔法

 物質的な事象ではなく精神的な事象の操作や神霊存在とされるサイオン独立情報体を使役する系統外魔法

 対象のエイドスを書き換えるのではなくサイオンを操作する無系統魔法

 知覚器官外の超感覚を操る知覚系魔法

 

 これらに分類され、サイオンやプシオン、魔法式などによって説明づけられるであろうところまで()()()()()()()いる。

 そこにはかつて神などと呼ばれた存在に対する信仰・神秘はなく、純粋に理論として解き明かし、利用することが追及されてきた。

 

「結果として魔術をはじめとした異能は、そのほぼすべてが現代魔法に置き換えられて神秘を失ってしまったのです」

 

 神道系として古式魔法を伝承する、比較的古い家系である吉田家では、星降ろしの儀などの儀式や、神祇魔法のように精霊・神霊に関する儀式が今も続けられてはいる。

 けれどもそれに参加し、実際に神霊への接続を試みたことのある幹比古には、神霊というのは巨大な独立情報体だと認識している。

 人の処理限界、許容できる限界を超えた情報の渦こそが神霊の存在──そう認識している。

 かつて幹比古が自身の魔法力を喪失したと、()()していた頃、儀式で接続した存在は紛れもなく神霊──竜神であったと思っていた。

 自らのスペック、想定を超える存在に対して確かに畏怖し、神聖を感じ、その存在そのものを神秘に覆い隠した。

 だが、達也との会合を経て、幹比古はかつての“あれ”が、神秘ではなく、自身に理解できる、自分の手に余るだけの情報でしかなかったのだと折り合いをつけた。

 結果、幹比古は失っていた自信を取り戻し、魔法力を回復し、かつて吉田家の神童とまで言われた魔法師へと戻ることができた。

 それが過ちだったとは思わない。

 現代魔法において、古式魔法を含めても、理解不能の領域にあった“竜神”を畏れ、

 落ちこぼれ(二科生)になることに甘んじていた頃よりも、それを解き明かし、魔法を自在に操れると自信を取り戻した今の幹比古の方にこそ、成長があると認めるだろう。

 

 それが魔術と魔法の違い。

 

 これまで魔術と魔法とを比較して、不要なものを切り捨てて発展したのが魔法であるが、サーヴァントに対抗するためにはその切り捨てたものを解き明かす必要があると考えていたのだ。

 だが違った。

 その解き明かすという行為そのものが、切り捨てた神秘を得ることから遠ざかってしまう行いだったのだ。

 だが達也は戦闘系魔法師であると同時に研究者でもある。

 魔法の理論を解き明かし、構築し、改変し、時にそれを世界に知らしめてきたこともある。

 知るという行いは人の持つ欲求にして力だ。解き明かすという行為は、自身が力を手に入れるために必要であり、自らの力を確かにするものでもある。

 たしかに魔法の力は、現在完全に解明されているとは言い難い。その力の源がどこから来ているのかということも、ある程度の仮説はあれども実証されてはいない。

 だからこそ、不要と切り捨てはしても魔法の中にも神秘は内包されている。それは解体され、希釈され、もはや信仰とはいえないまでに薄弱としてしまったものだ。

 そして魔術や神秘という概念において、神秘はより強大な神秘に屈するという。

 神秘というものを解体してしまった魔法の中に、神秘の塊であるサーヴァントに対抗する手段を模索するというのは、矛盾の中に絶対の答えを見つけるようなものなのだろう。

 

 

 

 

 魔術師、藤丸圭が語るそれは、彼のアイデンティティ────魔術師という存在を絶滅させたことであるはずなのに他人事然としていた。

 それはもしかしたら、幾度か藤丸が語っていたように、藤丸家という魔術師の一門は、通常の魔術師とは違う在り方を是としてきたためかもしれない。

 

「それじゃあ、魔術の存在が明らかになった事件というのはなんだったの?」

 

 真由美の問いかける声がわずかに震えているのは、歴史の重大な真実を知ったから、というのもあるだろうが、それよりも魔法師としての根幹が揺らいでいるように感じたからだろう。

 十師族の直系であり才も責任感もある彼女や克人などは、意図してのことではなかったとはいえ魔法師が魔術師を滅ぼしたということに感じるところがあるのだろう。

 

 世界が異能の存在を認め、解き明かしたことが魔術の駆逐につながったというのであれば、そもそもなぜ魔術の存在が明らかになってしまったのか。

 魔術師たちは神秘の秘匿を旨としてきて、古代や中世において時にそれを信仰や神秘の中に取り入れることで、魔術を独占し守ってきたはずなのに。

 一体なにがあったというのか。

 

「カルデアは魔術と科学の両方の側面から、星の行く末、人理の継続を保障していました。

 だからこそ、魔術世界の組織でありながらも国連のように世界の表側の組織とも密接にかかわる必要があったのです。けれど同時に、それは魔術の存在を世界に広めてしまう危険性も内包していました。

 カルデアが、魔術世界が、魔術の存在を隠しきれなくなるほどとの事件──────それは人類史の消滅。西暦以前より起こった人類の歴史すべてが、焼却され、人類は一度滅亡したのです」

 

「え…………?」

 

 誰ともなく、呆然とした呟きが漏れた。

 達也でさえ、動揺が不自然な精神構造によって抑えられ、無表情として藤丸をまじまじとした視線を向けていた。

 

「人類の滅亡……それを魔術を使って防いだ?」

 

 人類の滅亡。そんなことは有り得ないと理屈では明らかだ。

 今も世界は続いていて、彼ら自身が今なお世界と共に存在しているのだから滅亡しているはずがない。

 かれども真由美の声に先ほどにもまして動揺があるのは、心のどこかで感じるなにかがあったからか。

 

「いえ、防げませんでした。遥かな過去、紀元前の時代から続いた歴史すべてが、20XX年の時点をもって一気に焼却され、人類史そのものが消滅してしまいました」

 

 人類が一度滅んでいた。

 

「カルデアではこれを人理焼却事件と呼んでいます」

 

 その事実を、魔術を受け継ぐ最後の魔術師が語った。

 

「ありえないわ! そんなこと。だって……」

「七草。落ち着け。真偽はともかく、まずは話を聞くために来たのだろう」

 

 先ほどの、魔法師が魔術を駆逐したということ以上の動揺に声を荒げた真由美を、克人が諫めた。

 だが、その彼にもやはり信じがたいといった表情だ。

 

 核兵器テロによる世界の破滅を防いだのが当時の御伽噺の中の存在であった魔術だというのが信じられたのが不自然ではないのであれば、一度世界が滅亡したというのを信じない理由はなかろう。

 

「人理焼却事件。事件の主犯は、紀元前の──―人類の文明のスタート地点から現代に至るまでのいくつかの重要なターニングポイントに爆弾を仕掛けたんです。

 時が来た瞬間、それが一斉に起爆し、人類史は崩壊した。過去から現在に至るまでが破壊されたのですから、現代にいた人類に打つ手はありません。完全犯罪成立です」

 

 これから結実する犯罪であれば対策や対抗のしようもあるだろう。

 だが過去においてすでに結実した犯罪を防止することはできない。それは過去の情報を読み取り再成することができる達也とて不可能だ。

 達也の力はあくまでも可逆的な事象を遡行できるにすぎない。死という不可逆な変化に対して蘇生という奇跡を起こせないし、過去を読み取る力もせいぜいが24時間が処理可能範囲の限界だ。

 

「そんな! 全人類の焼却なんて、そんなこと一体どうやって行ったっていうの!?」

 

 問題はそんな事態がなぜ、どのように引き起こされたのかということだ。

 元々の言い伝えでは、核兵器のテロによって世界が危機に瀕したということだった。

 現在では核兵器を含めた核分裂の使用は環境や人体への長期的な汚染の問題から()()()使われていない。

 魔法師の世界的に共通の責務が核兵器の使用阻止なのも、それが世界を滅ぼし得るものだと多くの人間が考えたからだ。

 だがそれは全人類の焼却とまではいかないはずだ。

 世界同時規模の核兵器テロであったとしても生存する者はいる。

 汚染を受けたとしてもすぐさまに死ぬわけではない。

 著しく人口の減少や文明の衰退を招くことにはなるだろうが、人類滅亡とまでは想定されない。

 それが危機ではなく、行われたというのであれば、それは核兵器テロなどという手法ではない。

 

「聖杯です」

 

 それはおそらく史上もっとも有名な聖遺物(レリック)の名前。

 サーヴァントを現界させている力の源としても説明されたものだ。

 

「あらゆる願いを叶える万能の願望機。その実態は超抜級の魔力炉心。犯人はその聖杯の力を使って過去の歴史を改竄したんです」

 

 サーヴァントは聖杯によって召喚され、その力を供給されているのだという。

 サーヴァントは過去の英霊、死者だ。その蘇生ではなくとも、ある意味では死者蘇生をも上回るほどの奇跡の術法。

 ならば過去に干渉することも不可能ではないということなのだろう。

 

「タイムパラドックスか」

 

 考えが口をついて出た。

 

「過去の改竄というのが実際にできるというのは俄かには信じがたいが、実際に過去が改変されたとなれば、タイムパラドックスが生じるはずだ」

「あー……と、達也くん。それってたしか本来生まれるはずの人が生まれなくなる、とかいうあれ?」

 

 エリカの問いに頷きをもって応えた。

 タイムパラドックス、あるいは本来の意味とは異なるが寓意的な意味でのバタフライエフェクトと捉えるべきか。

 小さな蝶の羽ばたきが、地球の裏側で竜巻を巻き起こす。

 歴史における小さな変化が巡り巡って後の歴史を大きく見出し、人類の滅亡につながったというべきか。

 タイムマシン、タイムトラベル、タイムパラドックス。いささかSF小説じみているし、いずれも現代魔法理論からは逸脱してしまうが、物理法則が時間に影響を及ぼすことはアインシュタインの頃から指摘されている。

 推測を口にして藤丸に確認するように視線を向けると、彼はゆるりと首を横に振った。

 

「いや。実際には多少の過去改変では未来はそうそう変わらないんだ」

「そうなのか?」

 

 残念ながら推測は当たってはいなかったらしい。

 隣に座る深雪が少しだけムッとした気配を漂わせているのを感じたが、口を挟もうとはしないのは、ことが事だけに深雪も情報を得ることが重要だと認識しているからだろう。

 

「そもそも人類史というのは魔術的には大きな川のようなもの、あるいは大きな木のようなものなんです。右を向くか左を向くか、そんな些細な違いもありますし、まったく違う歴史が進むケースもあります。人類史というのはいくつもの並行世界から成り立っていて、いくつもの枝分れがあり、最も太い幹を編纂事象といって、まぁ、今いるこの歴史だと思ってください」

 

 タイムパラドックスと同じく、パラレルワールドというものがSF小説で広く知られているが、そのようなものだろうか。

 その説の中には、たしかに些細な枝分かれ、川の支流に入り込んだとしても、その川幅が広ければ行きつく先は大海には違いない。

 

「現代の魔法的見地でもたしかにこの世界は見た目上の3次元、時間軸を含めた4次元上の世界ではなく、より高次元の世界に閉じ込められた次元の壁が存在するとされているが……魔術ではそれが実証されているのか?」

 

 現在達也は軍属ではあるが、どちらかというと知的好奇心を探求する研究者としての側面もある。その知識に照らせば余剰次元理論のように別の次元の存在を指摘している理論がある。

 ただそれらはあくまでも観測結果から齎され、実証された事実というよりも机上の論理である。それを実証する方法もあるとされるが、危険性やコスト面、倫理面などの観点から、物理科学的にも魔法学的にも実証には至っていないはずだ。

 達也が問いかけると藤丸は「ふむ」と口元に指をあてて少し考えてから、七草先輩の方を向いた。

 

「真由美先輩。アストルフォが現れた時のことを覚えていますか?」

 

 今は姿を見せていないが藤丸家を拠点にしているライダーのサーヴァント。

 現時点において魔法師にとって唯一味方としての振る舞いをしている貴重なサーヴァントで、魔法協会としても十師族としても、そして“四葉”としても、確保しておきたい存在だ。

 達也はあのサーヴァントが現れたという場面に居合わせることはできなかったが、その場面は敵性サーヴァント—──―アサシン(グリム)ランサー(ゲッツ)との交戦中に、アサシンの召喚陣に割り込む形での登場だったという。

 

「アストルフォは元々、別の世界のルーマニア。トゥリファスという地で行われた聖杯戦争の亜種──―聖杯大戦で召喚され、勝ち残ったサーヴァントです」

 

 聖杯戦争というのは、元々は日本のとある地方都市において行われていた魔術儀式だったのだという。そして藤丸の説明によるとその魔術儀式は魔術の再発見以前の時点において停止しており、勿論魔術自体が失われてからは行われるはずのない儀式だったのだという。

 それが今現在、より大規模な形で聖杯を探索する事件へとなってはいるのだが、──―ただ、彼の召喚された年代に、この世界のルーマニアで聖杯戦争が行われたという事実は歴史的にも魔術的にもなかったのだという。

 

「だからこそアストルフォはこの世界線とは別の時間軸から来たと言えます。

 話を戻します。基本原則として、仮に聖杯を使って過去を改竄したところで、歴史の復元力によって過去の事象は平均化される。人類そのものが滅びるなんていう結果にはならないんです。ある程度の誤差は同じ幹の中の筋の違いのようなもので、数多ある並行世界の全てが崩壊するなんていうことは起き得ません」

 

 あの時異なる選択肢をとっていれば……。そう思うことは個人としてはままあることだ。だが、それは大抵において個人の問題に帰結する。立場によってそれが組織レベルになることはあるが、国家レベルでさえ、それに左右されることは少ないだろう。

 

「ですがもし、改竄されたのが人類の歴史を決定づける究極のターニングポイントなら、話は別です」

「究極のターニングポイント?」

 

「終わるはずの戦争が終わらない。成功するはずの航海が成功しない。世紀の発明がなされない。成立するはずの国が成立しない。

 そんな“その過去が変わってしまえば人類の歴史が大きく狂ってしまう”という時代と場所が究極のターニングポイントで、魔術的にはそれを人理定礎と呼びます」

 

 そんな事態が果たして起こりうるのだろうか。

 ほのかやレオ、エリカたちはうまく呑み込めていないという反応を示していたが、達也は別のことを考えていた。

 

 魔法師の兵器として以外の価値を示すための道を作ろうとしている彼にとって、そして実際に世界を滅ぼしうる力を持つと言われて疎まれてきた彼。

 もしも彼がなんの制約も誓約もなく、自らの力を振るえば

 もしも彼の行っている研究が破綻に終わり、ただ力のみを戦闘に用いることを強いられれば────

 

「人理というのは人類をより長く、確かに、強く繁栄させるための理────人類の航海図のことです。人理定礎とは、人類史をより強固に支える礎であり、この積み重ねが、人類史をより長く、強く、確固たるものにしています。

 世界というのは有形、無形の力をもって、この人理定礎が確固たるものになるように後押ししています」

 

 世界というのは存外脆く、存外強固なものなのだという。

 魔法師たちが核兵器を用いた戦争を止めようという意思を同員しているものであったり、戦略級魔法師が無思慮に大量破壊を繰り返さない振る舞いを行うのも、それらは人が潜在下に持つ集合無意識から滲み出たものなのかもしれない。

 

「事件は聖杯の力でこの人理定礎を破壊することで人類史を土台から崩されたことで、人類の滅亡が確定してしまったのです」

 

 だが世界は終わってしまったのだという。

 地上に生きる数十億の命を、生きた何百億、何千億、無数に連なる命と集合無意識のすべてを焼却させて。

 

 だが今もまだ世界は続いている。

 解決した者たちがいたからだ。

 

「ただ、当時のカルデアはそれに対する備えをしていました。特殊な磁場と幾重にも張り巡らせた論理防壁。それによって世界で、いえ、()()()で唯一、存続を誤魔化せたようです」

 

 過去からの人類史の全てが焼却されたのだから、それはただその時において逃れたのではない。

 

「ですが、カルデアでも事件そのものを防ぐことはできませんでした。なにせ敵は過去からの侵略。気づいた時にはすべてが終わり、カルデアそのものも多大な被害を受けたそうです。生き残ったカルデアは人理焼却に対する対抗手段として、グランドオーダーを遂行しました」

 

「グランドオーダー?」

 

 そのワードは、おそらく彼ら──カルデアの魔術師にとって大きな意味のあるものなのだろう。

 

「人の未来を取り戻すための戦い。永きに渡る人類史を遡り、運命と戦い、抗うための聖杯探索です」

 

 過去の歴史そのものが改竄されて人類史が終わってしまったのだとしたら、それを解決する手段はやはり過去に干渉するしかない。

 

「人理定礎を破壊されたターニングポイントは、正常な時間軸から切り離された現実になる。これを特異点と言います。カルデアは残された最後のマスターを霊子的に変換することで特異点へと跳躍させ、聖杯を回収し、破壊される人理定礎の修復を行いました」

 

 ──特異点──

 

 それは藤丸や明日香が時折零していた言葉。この時代を指していると思われるワードで、であれば…………

 

「つまり魔術を使って過去へとタイムスリップし、事件を防いだということ?」

 

「いえ、真由美先輩。タイムスリップというのとは少し違います。当時のカルデアには、というか()()ではタイムスリップによって過去に遡行することはできません。

 それは有り得ざる奇跡の領分です。

 けれども正常な時間軸から切り離された特異点に対しては、特殊な手段を用いて跳躍することができたようです」

 

 過去の改竄、というのは本来、それだけ強固なものなのだろう。

 

「そして特異点において、原因を排除するための手段としてカルデアが準備していたのが、聖杯戦争における英霊召喚を基にした守護英霊召喚システム・フェイト。サーヴァントを召喚し、契約・使役するためのシステムでした」

 

 人類史における過去────特異点に介入するというまさに魔法のような術があったとしても、敵は究極のターニングポイントを破壊して人類史そのものを崩壊させるような怪物。

 魔法師、いや魔術師であろうともただの人にどうにかできる存在ではなかったということだろう。

 現に、今この時代においても、サーヴァントという存在にいいようにかき乱されているのだ。

 

 だからこそ恐ろしい。

 通常の時間軸とは異なるとはいえ、過去に介入し、人よりも遥かに強大なサーヴァントを従えることのできる術を持つ、魔術師という存在。

 

 国防軍も、十師族も、そして達也も、懸念はむしろ深まっていた。

 同時に、そのような力をもしも得ることができるのであれば────

 その端緒だけでも明かすことができるのであれば、それはどれほどの力となり得るのであろうか…………

 

「ただ、現在のカルデアにはそれらの機能は存在していません。魔術の崩壊とともに喪失しました」

 

 その懸念は、無為なものだと魔術師は告げる。

 すでに世界は魔術の存在を過去のものとし、その神秘のことごとくを解体して進んでいるのだからと。

 だが────―

 

「待て、藤丸。魔術が喪失したとは言うが、現にお前たち(魔術師)が残っているだろう。それにサーヴァントの召喚システムについては獅子劫という実例がいる以上、その説明には整合性がない」

 

 達也の指摘はした矛盾には十文字先輩たちも気づいていたのだろう。訝し気な視線を藤丸に向けている。

 魔術が失われ、カルデアの機能も喪われたというのは、藤丸という実例がある以上、否定できる説明なのだ。

 

「まず藤丸家というのは、元々は魔術師の家系ではありません。人理焼却事件の際に、マスターとしての適性────魔術師としての素養があるために巻き込まれた一般人が魔術師としての初代・藤丸です」

 

 魔術が明るみに出た事件の際に見いだされた魔術師の家系。

 なるほど、それでは現代の魔法師の来歴とはほぼ変わらない。

 むしろ古式魔法よりも浅い歴史と言えるかもしれない。古式魔法師はミッシングリンク──―藤丸の言う人理焼却事件で失伝しているものもあるが、基本的には異能の発見以前から存続しているものだと言われている。

 

「サーヴァントの召喚についてですが、アーサー王はカルデア式の英霊召喚によって召喚・契約された英霊ではありません。アストルフォ(ライダー)と同じで別の並行世界から移動してきたサーヴァント。何らかの原因で座という大本に還らず、現界し続けることになった英霊。漂流者ともいわれるタイプのサーヴァントです」

 

 以前の話では、メフィスト・フェレスや鉄腕のゲッツ、グリムらは聖杯によって召喚された

 

「そしてアストルフォの場合は聖杯大戦を勝ち抜いたのと、マスターから十分な魔力供給を受け続けているためですね」

 

 本来、サーヴァントというものは人類史における人の生きた影。時に聖杯と縁により現界を果たしたとしても、その役目の終わり、聖杯戦争の終結とともに聖杯からのバックアップを失うことで仮初の肉体である霊体を失い、座へと帰還する。

 だがアストルフォの場合、マスターが契約を破棄せず、聖杯を保有したまま世界の裏側に行ってしまったため、時間の経過や魔力不足で消滅することがなくなってしまったのだという。

 不滅ではないが、不老の存在。

 だが基本的に世界は異物を嫌うものであり、ましてアストルフォは過去に死した人の影。そういう存在は得てして世界からはじき出されてしまうもの。

 アストルフォがこの世界への現界を果たしたのはアサシンの宝具によって道がつながったがためだが、そもそも世界を渡ることになったのは、彼が次元跳躍の宝具、ヒッポグリフを持っているがためであり、また世界からはじき出される寸前でもあったのだという。

 

 そしてアーサー王の場合──────―

 

「元々、彼はある敵を追って世界を漂流していたんです。この世界にはその気配を察知して、漂出したのですが、その時にはまだ敵も本格的な行動をとっていなかったようです」

 

 ドリフトといって同じ次元世界に留まることを許されずにある程度の時間経過で漂流してしまうのだということが、カルデアの記録にはあった。

 そして彼が追いかけてきたという大いなる敵の存在。それこそが彼が明日香にデミ・サーヴァントという形で自らの力を託した理由でもある。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話

 

「アーサー王がサーヴァントとしてこの世界に留まらずにデミ・サーヴァントという形で明日香に力を託したのは、いずれ活動を開始するだろう敵に対抗するため、世界からはじき出されてしまう自身の力を残しておくための措置だったと聞いています。

 もっとも適合が可能な明日香が生まれていたのは、それ自体が世界の抑止力として後押しされた結果かもしれませんが……」

 

 鶏が先か、卵が先か。

 獅子劫明日香という魔術師が生まれたからこそ、アーサー王というトップクラスの英霊がその力を託してくれたのか、それともアーサー王がその力をこの世界に残すためにこそ、獅子劫明日香が生まれたのか、それは最後の魔術師である藤丸であっても分からない。

 

「人理定礎を修復するための旅路は厳しいものだったそうです」

 

 それは歴史そのものとの戦い。

 時代を超えた英雄、伝説との戦い。

 彼らは多くの犠牲を払いながらも各時代の特異点を修復し、聖遺物となる聖杯を回収し、黒幕となっていた敵を倒した。

 

 だが、大きな災害には大きな爪痕が残される。

 人理定礎そのものを揺るがすほどの大災厄であれば、何一つ問題が残されずに万事解決になどなりはしなかったのだ。

 

 残されたいくつかの問題の一つが事件解決までの時間。

 事件解決、人類史の奪還までにかかった時間はおよそ1年半。

 世界が焼滅し、外部からの援護の無い状態で、たった一人残されたマスターが為した偉業としてはおそらく最善のものだったはず。

 だがそれでも、経過した1年半はなかったことにはならなかったのだ。

 

「タイムスリップで事件を解決したのなら、時間経過は無視できるんじゃないの?」

 

「いえ、真由美先輩の言うタイムスリップとレイシフトとは違います。

 特異点という通常の時間軸から切り離された空間に存在させるためには、外部から常に観測し、その存在を証明し続けなければ容易く消滅してしまう危険なものです。つまりカルデアが特異点におけるマスターを観測できると定義したからこそマスターはレイシフトできたし、だからこそカルデアが観測した時間は通常通り経過してしまう」

 

 量子力学における巨視的非実在性の考え方によれば、存在とは観測者がいてこそ実在足りえるというものだ。

 カルデアにおけるレイシフトというのは、マスターという魔術師を外部から観測し続けることにより、異なる時空間────特異点における存在を証明していたものだった。

 であれば、たとえマスターが異なる時間を過ごしていたとしても、それを観測していた側が過ごした時間こそが、定義されるべき時間となってしまう。

 

「体感としての断続はなくとも、天体の運行を観測することや、詳細な検証を行えば時間に空白があったことは明白だ」

「達也君の言う通りです。魔術というのは本来秘匿されるもの。それまで魔術などの異能が露見しそうになった時には、魔術を管理する組織たちがあらゆる手段をもってそれを無いものとしてきました。

 けれど1年半の空白、それも全世界、全人類規模での空白なんて埋め切れるものじゃない。大問題の、誰にも説明できないミステリーの出来上がりです…………カルデアがなければですが」

 

 かつて魔法はおとぎ話の中の産物だと言われていた。

 だがそれは人類の歴史の中で見ればそうそう古いことではない。

 中世では魔女狩りとして ────当人たちがどれほど真実にそれを想っていたのかは分からないが──── 公然として魔法や魔術の存在が認知され、人の生き死にに関わっていた。

 科学的な証明──―科学への信仰が厚くなった近代以降だからこそ、魔術は空想を隠れ蓑にすることができたし、それでかつてはなんとかなっていた。

 

「カルデアは魔術組織であると同時に国連が主催して運営されていた組織です。

 レイシフトという手段も本来は国連が承認することで実行可能な切り札でした。──―勿論、人理焼却の時には、承認する国連もありませんでしたから、緊急避難として無断使用をせざるを得ませんでしたが────だからこそ人理が修復された後、その説明を行う必要がありました。

 結果、説明不可能な人類史の空白を埋めるための説明として、魔術の存在を公にせざるを得なくなりました」

 

 だが全人類規模で、魔術の存在抜きには説明できない事態が発生してしまった。

 気づいたら全人類が1年間、眠っていたなんてことガス爆発でも説明できないし、帳尻合わせをしようにも時間の経過を誤魔化すことはできない。

 結果、世界は魔術という異能──―とびっきりの違和感の存在を認知した上で、それ以外の“些細な”違和感をミッシングリンクの中に隠したのだ。

 だがそれは魔術の衰退とも同義であった。

 神秘が終わり、人の手に歴史の行く末が渡り、西暦(転換機)を経て、魔術は著しく衰退していた。それに加えてのことだ。

 人類という基盤そのものがあるからこそ、それは消えはしなかったが、魔術という神秘は認知され、解き明かされていき、変質した。

 魔術から魔法へ。

 かつての逆の名づけ。魔術師達にとっては回帰としての願望が、異なる在り様、駆逐の結末として迎えられた。

 

「現在のカルデアにはかつての未来観測技術はありません。勿論レイシフト技術も英霊召喚技術も。

 魔術としての基盤──力の源が衰退してしまったことによって、カルデアの技術の両輪、科学と魔術の内、魔術が機能しなくなってしまったからです。

 ですが、その力が失われる寸前、一つの未来を観測しました。

 百年後に人類史が存続していないという未来。そしてその原因が、この時代にあるということです」

 

 カルデアの未来観測の技術は、SF小説などで時折見られるアカシックレコード──―未来の時間をそのまま視るようなものではないのだそうだ。

 どちらかという藤丸圭の持つ予測の未来視に近い。

 そしてそれは異能に近いものであっても、明確に特異的というほどのものでもない。

 人が本来持ちうる予測の機能。

 自身が知る情報からの因果の帰結として、少し先の未来を予想するというもの。

 藤丸の未来視はそれが他人よりも鮮明に、そして長く先の結果まで読み解くことができるものなのだそうだ。

 カルデアが未来を、人類の百年先の継続を観測していたのも、直接的に人類を視ていたのではないそうだ。

 人の営み。

 火という人類が文明を発展させてきた原動力。その証である光が、魔術と科学とで疑似的に再現された地球の環境モデルにおいて百年先の状態でも観測できていたからこそ、それをもって人類史の継続の保証としていたのだそうだ。

 その光が観測できなかった。

 魔術が、未来観測の技術が喪われるよりも前に、ということは当時からして百年先の未来には少なくとも光を持つ人類の文明は継続できていないということになる。

 そして魔術という異能が再発見され、消滅してから今現在までに経過したのが百年に少し届かない時間。

 つまりかつてのカルデアなる組織の未来観測が正しければ、そう遠くない未来、いや、未来というほどにも遠くない先の時間で人類の文明が崩壊する事態が発生するということだ。

 

「この時代が特異点になる。その中心になるのが藤丸の初代が生まれたこの日本だということまでは突き止めたのです。そのため僕と明日香はこの時代での活動を開始し、その解決手段として魔法師と協力体制を求めました」

 

 だからこそ残された最後の魔術師たちは動き始めた。

 

「残念ながら正確に“いつ”、“どこで”その原因が発生するのかは分かっていません。ですが観測年代から逆算して2110年よりも以前。そしてアーサー王が現界したのもその推測を強めています」

 

 時代のターニングポイント、などというのは、後の歴史家たちが見分して、あるいはその時になって初めて分かるようなものだ。

 それが起こりうる、というだけでもかなり限定されていると思うべきだろう。

 

「アーサー王が座に戻らず世界を漂流しているのはある存在を追っているからなのだそうです。大いなる存在──────抑止の獣と呼ばれるモノです。カルデアがかつて解決した人理焼却事件を引き起こしたのも、その内の一体で、つまり人類史そのものを消滅寸前まで追い込んだほどの敵だ。

 抑止の獣というのは、人類悪──人類が乗り越えるべき必要悪であり、文明を喰らうモノとも言われている。

 神秘という観点では現代は過去に比べればないも同然なほどに希釈されている。けれど文明という点において有史以来発展を続け、ついには魔法という力まで解き明かしている。抑止の獣が顕現した場合、その被害の絶対数は過去を上回る規模になる。

 これは絶対に阻止しなければならないし、顕現してしまった場合、討伐しなければこの人類史に先はありません」

 

 

 

 

 

 ──ああ……だから明日香は…………──

 

 荒唐無稽ともいえる藤丸の説明だが、雫には思い当たる言葉があった。

 

 ──「是は、()()を救うための戦いである! 承認せよ!!!」────

 

 横浜の争乱の際、あまりにも強大な赤い髪の剣士を相手に、藤丸圭が制止するのも構わずに、明日香はそう言って宝具を発動させた。

 あの戦いは、たしかに苛烈ではあった。

 あれほどのサーヴァントが力をふるい続ければ、もしかしたら世界の危機、というものにつながるかもしれなかった。

 だがそうではなかったのだ。

 あの戦いは、二人がこれまでも続けてきた戦いこそが、世界を救うための戦いの一端だったのだ。

 

「ちょっといいか、藤丸」

 

 再び克人が口を開き、話へと入った。

 

「すでにサーヴァントの脅威は我々も把握している。そしてこれから起こり得る事態で齎されるであろう被害が全世界規模であるというのであれば、魔法師としても協力するのは当然の流れだ。

 だが協力を求めたというのであれば、なぜ今なのだ? もっと前から、九校戦の時でも、ブランジュの事件の時でも、もっと言えば魔法師の誘拐事件の時にでも言えたはずだ」

 

 荒唐無稽であっても、すでにサーヴァントという神秘が具現化し、争乱にかかわるほどの現実性を伴っている以上、魔術師の言葉を鵜呑みにするのは危険だが、すべてを疑ってかかるのは愚かでもある。

 だが、事態がここまで進むまで秘匿いていたのは、魔術の特性を鑑みても、いや、協力を求めるために動いていたという藤丸の説明と矛盾がある。

 

「どちらかというと魔法師側の受け入れる準備が整っていないと判断したから、という理由が大きいんですけどね。

 横浜よりも以前の事件だと直接的に被害にあっていたのは魔法師とは言っても子供でしたし、規模も小さかった。その時点で今の話をしたとしてもあまり真剣には受け止めてもらえなかったでしょう?」

 

 それに対する藤丸の理由は仕方のないことでもあった。

 一度世界が、人類が滅びていたなどという話は、恐らく事情の説明としてはあまりにナンセンスだ。

 無論のこと、将来有望な魔法師たちが数多害されるというのは決して安い事件ではない。だが、それが国家を超えた世界規模、人類規模の事件の端緒と言われて信じられるだろうか。

 かつての魔法師子女誘拐事件にしても、同様の事例が人の手によって行われたことがなかったわけではない。

 それは達也も、そして真由美もよく知っている。

 ブランジュの事件も九校戦の時の事件も、どちらも当事者であるからこそ重く受け止めていたが、果たしてそれで魔法師全体が信じるかというと難しかっただろう。

 

「十文字先輩、と達也君は最初に僕たちの所属、日本以外の組織とつながりがあることを懸念していたけれど、それでは困るんだ」

 

 あるいは軍部であれば、その利用価値を考慮して動いた可能性はあるが、それは藤丸たちの望む方向性とは異なる。

 事実、今もまだ彼らが事の深刻さを藤丸たちと同レベルで理解できているかといえば、決してそのようなことはない。

 

「特異点の修正、それも抑止の獣が関わるレベルになると、その時代の全てを動員してなお、届かないほどだとカルデアの記録にはある。だからこの時代の一番大きな戦力、つまり魔法師が国家という枠組みに帰属して争っている状態は非常にまずい。僕たちの目的は特異点の解決、人理の継続であって、別に日本という国の防衛ではないんだから」

 

 彼らは日本の魔法師としての席をもっていても、その前提にはカルデアという超国家的な組織における魔術師としての位置づけの方が重い。

 横浜の争乱にしても、彼らは大亜連合の侵略から日本を守るために参戦したのではなく、この世界における敵性サーヴァントの存在があったからこそ戦い、そしてあの宝具を解放したのだ。

 

 

「この時代の全てって、どういう相手なのよ。英霊なんてものが喚ばれてるんでしょ。別に魔法師が関わる必要あるの?」

 

 ただし、事態の大きさ、彼らの事情はエリカとて理解は難しくとも多少は納得したのだろう。

 自身の力も、十師族である十文字先輩や七草先輩の力すらも通用しなかった赤髪の大剣士(セイバー)。戦略級魔法に匹敵するほどの赤雷。

 そしてそれらを一振りの極光で薙ぎ払った明日香。

 彼らの力は魔法師の尋常すらも凌駕しており、魔法師が関与できる余地があるのだろうか。

 それに神秘はより強大な神秘によって屈する。サーヴァントはサーヴァンをもってしか倒せないと告げたのはほかでもない藤丸圭だ。

 魔法師はもとよりただの人間が、そのような事態において為せることがあるのか。

 

「そもそもサーヴァントというのはかつて在った人の影。その時代に生きる人を援けることはあっても、導く存在であってはならないというのが鉄則です。

 かつてのカルデア、初代の藤丸は人理修復の過程で何体かの抑止の獣を討伐したと記録にありますが、そのいずれも彼らは魔術師の力、サーヴァントの力だけで為したわけではありません。

 多くの“人”の協力、その時代時代のすべての力を結集して、なんとか乗り越えられたものなんです」

 

 その答えこそが、冠位指定──―グランドオーダー。

 だからこそ、彼らはこの時代、この世界における、力の顕現者たる魔法師たちに協力を求めるのだ。

 過去の遺物によるものだけではなく、過去から今に至ることによって生み出された者たちこそが、未来を切り開かなければならない。

 そうでなければ、人はただ過去を求め、過去に縋り、前へと進む力を失った朽ちた枝、枯れた川──―剪定事象へと陥ってしまうのだ。

 人理を守り、継続を保証するというのは、ただ過去の遺産によって守るだけではない。

 今を、そして未来を生きる人たちが、より強く、より確かに、より繁栄をもたらす川枝へと進むことなのだから。

 

 

 

 

 

 

 彼ら(カルデア)の所属と目的については話した。

 求められていた情報というのもあるが、それ以上に魔法師たちに知ってもらわなければならない情報でもあった。

 だがもう一つの求められている情報は違う。

 

「さて、十文字先輩と達也くんたちが聞きたがっていたのは、もう一つ、明日香が使った戦略級魔法 ──── 聖剣についてですよね」

 

 横浜事変において戦略級魔法の発動が確認された。

 一つは事件の直後に大陸半島部の一端を焼滅させた、グレートボムと呼ばれている魔法。

 シヴァの手翳が如き破壊の一撃。文字通り戦略的な意味合いをもって放たれたがゆえに、おそらくそれは日本の軍が主導した非公認戦略級魔法師の仕業だと目されている。

 だがもう一つは違う。

 事件の只中において放たれたそれは、相対する戦術級、いや、戦略級にも匹敵した雷の魔法ごと呑み込んだ極光の戦略級魔法。

 成層圏にまで到達し、宙を斬り裂いた斬撃。

 

 グレートボムが非公式ながら国軍主導で行われたように、国家間のバランスを崩すほどの戦略級魔法は基本的に国の管理下に置かれている。

 そうでなくともいくら空に向かってとはいえ、大都市圏のど真ん中で放たれていいような魔法ではない。

 国軍の代理としてきている達也にとっても、関東を守護する魔法師一門の総領である克人にとっても、看過できるものではない。

 

「ただ、魔法師にとっても他人の固有魔法は詮索しないというのがマナーなんでしたよね」

 

 だが本来、サーヴァントにとって真名や宝具というのは隠すもの。

 すでに敵に明日香の真名が露呈している節はあるが、だからといって軽々しく明日香の弱点にもつながる情報を暴露していい理由にはならない。

 

「なので明日香が継承している宝具について情報を開示する代わりに、こちらもいくつか質問させてください」

 

 だがそれを知ることが彼らの来訪目的であることも理解できるだけに、ここが妥協のライン。

 そして本来の魔術師であれば行ってはならない情報の開示を行ってまで彼らに協力を求めた理由の一つでもある。

 魔法師たちが明日香や藤丸の異能に脅威を抱いているのと同じく、圭たちもまた魔法師の力を脅威と考えているのだ。

 それは人理継続のための力となりうると同時に、人理を危うくする力にもなりえる。

 事実、半島端部を焼滅させたあの戦略級魔法は、純粋な威力だけみれば、横浜でヴィシュヌが放とうとした対城宝具級にも匹敵し、斬撃の延長である明日香の聖剣よりも広範囲に被害をもたらす。

 放たれる場所を間違えれば、あるいは狙えば、起こしてはならないものを目覚めさせる危険性とてある。

 

 

 藤丸の提案に対して、克人は思案を巡らせた。

 魔術が秘匿されるものである、というのは何度か伝えられたことであるし、現代において魔術のこと、サーヴァントのことを知る者は藤丸たちをおいてほぼいないとされている。

 藤丸の言う通り、本来、魔法師は他家の魔法を詮索するのはマナー違反とされている。

 他でもない十文字家をはじめとした十師族が、魔法を他家に秘匿する代表格でもあるのだ。

 飛行魔法やループキャストなど、世界に広められた魔法は勿論あるし、全ての魔法が秘匿されているわけではない。

 だが魔法が軍事力に直結する以上、それに類する技術をおいそれと他国に流出する危険を排除するのは必要なことだ。

 明かせない情報はあるが、自分たちが開示を求めているのはまさにそういう技術。

 表舞台に出ることすら稀有だった魔術師側が譲歩しているのなら、可能な限りその席を手放すべきではない。

 ちらりと七草に視線を向けると、彼女も同様に考えたのだろう、こくりと頷いた。

 

「ふむ…………いいだろう。答えられる範囲で、ということにはなるが、可能な限り応じよう」

「それはよかった。達也くんたちもそれでいいかい?」

 

 藤丸が克人たちとは別に司波に同意を求めたのは、彼が異なる立場────十師族ではなく軍属としての立場を持っているからだろう。

 お見舞いという態をとってはいるが、実体は軍への情報開示のため。

 

「わかった。俺の一存で答えられる範囲であれば応じよう」

 

 それに1年生ではあるが、司波の魔法への理解度は魔法科高校でも随一。1科生、3年生を凌駕し、十師族である七草や克人をも上回る。

 達也にしても、秘匿しなければならない情報がある以上、すべてを開示できないが、水を傾けられた以上、肯定しなければ席から外されることになりかねない。

 それは同時に魔法師との協力体制を否定することにつながる。

 先ほどの話がどこまで真実味のあることで、どこまで深刻な事態であるのか、まだ確定できないが、現状すでにサーヴァントという脅威が跋扈し、日本や達也たちに敵対的な勢力に与している以上、協力体制の維持は不可欠。

 ある程度の予防線をはりつつも認めた。

 達也の軍部での立場は特尉。

 ろくに情報開示を決定できる立場ではないし、()()()()ほとんど情報を知らされていないに等しい。

 明かせる軍事情報がほとんどない以上、魔法科高校の一生徒としての見識程度であれば、開示しても問題ないという判断だった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話

 

「僕がアーサー王から継承している宝具は全部で3つ。聖剣エクスカリバーとそれを封印する2つの鞘だ」

 

 魔術師側からも尋ねたいことがある、ということではあったが、かねての約定通り、明日香は自身の有する宝具の開示を告げた。

 もっとも、三種の宝具はいずれも雫たちの前で解放したこともあるものだから、その説明にすぎない。

 そして達也や克人たちが警戒し、話を聞く必要があるのが、彼の言う“聖剣”エクスカリバーだ。

 

「明日香が使う場合、エクスカリバーは宝具の基準でいえば、一撃で城塞を破壊できるクラス、対城宝具級になる。宝具のランクで言うとAランクオーバー。魔法師の基準でいえば戦略級魔法に当てはまるかな」

 

 宝具のランク、というものが魔法における殺傷性ランクと一致しているわけではないが、補足する説明によるとアストルフォが持つ宝具がだいたいCランクでヒッポグリフがBランクオーバーなのだとか。

 そして戦略級魔法に当てはまるということは達也たちが感じ、軍部が感知した脅威度はおおよそ正しく、一撃で艦隊を壊滅させることができる、という基準とも合致することだろう。

 

「ただ聖剣は普段ほかの二つの宝具で封印されています。

 一つは風王結界(インビジブル・エア)。聖剣の正体そのものを隠すための鞘で、元々はアーサー王の魔術師であるマーリンがかけた魔法なんです。この風王結界は魔力消費を抑える宝具でもあって、通常時はこれで正体を隠すのと同時に魔力消費を解放状態のだいたい10分の一くらいに抑えているんですよ」

 

 アーサー王の聖剣、エクスカリバー。その名はあまりにも有名だ。

 それは魔術が魔法に置き換わり、神秘が彼方へと去った現世においても聖剣として名高い。

 聖剣はもとより宝具────聖遺物すらほとんど見たことない雫であっても、風王結界を解除した明日香の剣には、有無を言わせない圧倒的な神秘を感じさせられた。

 一目見ればあれが聖剣なのだと、言われるまでもなく理解できるほどの神秘。

 あれほどの聖剣の担い手たる英霊ともなればその数は限られ、真名を看破することは難しくない。

 横浜で、ルキウス・ヒベリウスとの戦いにおけるまで明日香は、自身の武器を常に隠していた。

 とはいえそれは、サーヴァントの真名を隠し、弱点となりうる逸話を隠すためでもあったが、それよりも魔力消費量の節約という意味合いが大きかった。

 

「そしてもう一つが十三拘束(シールサーティン)。かつてアーサー王とともに戦った円卓の騎士たちが戦場に願う誇りの形、十三の祈りによって聖剣を封印するための鞘です」

 

 だがそれよりもさらに重要な拘束こそが聖剣の鞘たるアヴァロン。

 

「前回の聖剣の解放は不完全解放。過半数の条件を満たしていない状態での不十分な解放だったんですよ」

 

 あまりにも強大すぎる至高の幻想(ノーブル・ファンタズム)を封印するための騎士たちの祈り。

 

「あれで不十分!? それじゃあ、完全に解放されていたらどれほどの威力を発揮していたの……」

 

 驚きは真由美のものだけではない。

 感情に一定の天井を設けられている達也でさえ、驚きに目を瞠っていた。

 敵サーヴァントを跡形もなく撃破したあの時の一撃は、軌道衛星上にある軍事衛星からもその斬撃を見ることのできるほどのもので、生じたサイオンの余剰波はまさしく戦略級魔法そのものだった。

 一撃の破壊()()であれば達也自身が保有する“戦略級魔法”の最大出力時の方が上であろうが、その破壊の密度、何よりも対サーヴァントに通用するという点において、そして敵サーヴァントの戦略級魔法をも消し飛ばすほどの威力は、恐るべきものであったのだ。

 不十分な状態であったとしても軍が、そして国内外の魔法師が驚愕し、脅威を感じた。それがまださらに上があるのだとしたら、あるいは既存のあらゆる戦略級魔法──灼熱のハロウィンを生み出したあの一撃さえも上回る軍事的脅威となり得るのではないだろうか。

 

「完全に解放されていたら、まあよくて魔力枯渇で不発の上、即死。下手すればアーサー王の霊核に押しつぶされて明日香の魂が消滅していたでしょうね」

「え?」「なに?」

 

 だがその懸念を藤丸は別の角度から否定した。

 

「明日香自身の魔力量は元々、人類的には最上級クラスといえるけど、本来のアーサー王には遠く及ばない。彼の王の心臓はブリテンの竜そのもの。人の魔力量なんかとは比較にならない。そのアーサー王だからこそ、聖剣を担うことができたのであって、いくらその霊基を継承してはいても元が現代魔術師の明日香には担いきれるものではないんだ」

 

 現代魔法において魔力という概念はない。

 達也の推測ではサイオンがそれに置き換わる存在となっており、サイオン保有量が魔力量に相当するといえる。

 だが現代の魔法師はCADや魔法式・起動式の発展に伴い、サイオン保有量はとりわけ重要な評価項目とはなっていない。

 達也自身は、古典的な概念に基づく出生の来歴から現代においては規格外とも言えるサイオン保有量を有しているが、その達也と比較して()ても獅子劫明日香のサイオン保有量はずば抜けている。

 だがそんな明日香をしても、聖剣というものは、人が背負うにはあまりにも重い、あるいは尊すぎる幻想なのだろう。

 

「聖剣というものは本来、星を滅ぼしうる外敵を討つためにこそ振るわれるべき神造兵装です。人々が“こうであって欲しい”という願いの結晶。究極のラストファンタズム。

 それは人に対して振るわれるにはあまりに強大で、だからこそ円卓の騎士たちが、それを()()()()()()()戦場を定めるために、死後なお続く拘束を課しているんです」

 

 ────…………なんだ? 今の視線は…………────

 

 藤丸の言葉の合間、不意に明日香からの視線が強く、咎めるような険を帯びたことに達也は気がついた。

 けれどもそれは一瞬のこと。

 それについては頭の片隅で処理を回し、今は最後の魔術師の語る内容にこそ注意を払った。

 

「そもそも魔力というのは自然界に満ちるものと生命そのものであるものがあるけど、宝具や魔術の発動に使えるのは基本的に自分の体内を通したものだけだ。いくら明日香でも聖剣の完全開放なんてすれば、命どころか存在そのものとトレードオフになっても不思議じゃない」

 

 それは現代の魔法の考え方とも似ている。あるいはこのような考え方・理論・概念が根底にあったからこそ、現代の魔法理論においてもサイオンやプシオン、あるいはイデアの概念が確立されていっているのかもしれない。

 実際、宝具を解放した直後に倒れた明日香の状態を達也や克人は魔法演算領域のオーバーヒートに似た状態であると診た。そしてそれを指して藤丸は“魔力の枯渇”だと言った。

()()()()が枯渇すると魔法師は疲労困憊の状態となりそれ以上の魔法行使はできなくなり、身動きもとれないほどに疲弊する。

 それと魔法演算領域のオーバーヒートとは異なる症状であるからして、サイオンと魔力というのは = ではないのだろう。どちらかというとプシオン、あるいは古式の考え方からすると精気に近い概念なのかもしれない。

 

「というわけで明日香がもう一度、あの宝具を解放することはできません。十三拘束がどれだけ解除されるかわかりませんし、不完全解除でも死ななかったのが奇跡的なくらいですから」

 

 それは国家や軍、そして魔法師の立場からすれば安心すべきことと言える。

 あれほどの強大な力が国家の統制なしに野放しになっているということは、魔法師を軍事力と見做している者たちにとってみればあってはならないことであるし、魔法師にとってみても納得のいかない理不尽な脅威なのだから。

 だが────―

 

「明日香は、それを知っていたの? 知っていて、宝具を使ったの?」

 

 彼を心配する者からすれば、それは別の意味で理不尽で、安堵出来かねること。不安をもたらすもの。

 泣きそうな感情を堪えるような雫の声に、親友のほのかは何も言えずに心配そうな目を向け、明日香は表情を消した。

 

「当然だ」

「当然って! 明日香は、そんなの…………」

 

 明日香の端的な答えに、雫は普段の無表情さをかなぐり捨てて席を立った。

 以前、彼はサーヴァントとは過去の存在であり、自分もそんなサーヴァントとしての役割を果たしているのだということを言っていた。

 過去の存在。

 まるで自分は今を生きる人間ではないかのような表現は、力の発動が命を削ることを自覚していたからか。

 

「サーヴァントの力は人の身には余る奇跡だ。そしてその奇跡というのは無償では有り得ない」

 

 真由美でさえ唖然として口元を抑え、雫は睨むように明日香へと視線を向けている。

 雫の視線に込められているのは死のリスクを負ってまで宝具の解放を行ったことに対するものか、あるいは不安によるものか。

 明日香は敢えてそちらに視線を向けようとはせず、能面のように表情を消している。

 

 サーヴァントの力は強大だ。

 魔法師の魔法でさえ、それを持たない人たちにとってみれば恐れられているほどの力なのだ。サーヴァントの力はそんな魔法師すらも寄せ付けない力。通常兵器も化学兵器も、魔法でさえも通用しない存在。防ぐことさえできない破壊の力。それが戦略級の規模で繰り出されるのだ。

 それだけの力の存在はまさに奇跡と呼べるし、一個人が持てるものでもない。なればこそ、その力にリスクや対価があるのは当然ともいえる。

 

 だがそれは、人としての生にとって必ずしもあっていいものとも思えない。

 達也もまた人の身を超える、世界の安定を崩すことのできる力を有する者であり、意思もつ兵器と呼べる存在だ。そして魔法師ですらない常人にとってみれば、魔法師全体が兵器であり、達也は魔法師を──深雪を──兵器としての在り方から解き放ちたいと願っている。

 兵器であることを受け入れている明日香の在り方は、達也からしてみれば近くて遠い。そしておそらく、深雪にとっての達也と同じく、その身を案じる者──―雫からすれば、そんな在り方は受け入れ難いものなのだろう。

 

 雫の思いは人として真っ当で、真由美や幹比古も程度の差はあれども、魔術師たちの覚悟に言葉を失っていた。

 ただそれだけでは情報収集に来た意味を見失っている。

 

「獅子劫、拘束がどういう条件で解放されるのかは分かっているのか?」

「十文字君、それは……」

「七草、確認は必要だ。あれ以上の大規模破壊術式の発動条件。首都防衛を任とする十文字家としても、十師族としても聞く必要がある。軍としても同様のはずだな、司波」

 

 沈鬱を振り切り、重々しく問いかける克人に揺れは見られない。

 

「そうですね。戦略級魔法が国家の統制からも十師族の統制からも外れているとなれば、魔法の詮索がマナー違反、と言っている場合ではないでしょうね」

 

 同様に達也も、妹の深雪とは異なり揺れはない。

 もとより彼にそのような余分はなく、本家のためにも、そして彼のためにも情報を得ることは必要だからだ。

 真由美の方は克人ほどの割り切りが出来ていないようだが、明日香の方が雫の視線から逃れたいようだった。

 

 明日香と藤丸が何事か確認するように視線を交わしたのはわずかな時間で、おそらくテレパシーのようなもので会話していたわけではないだろう。あらかじめ、この流れが予想できていた、といったところか。

 

「僕が知る誓約は二つ ────アーサー王のものとベティヴィエール卿のものだけです。

 アーサー王の願い(拘束)は、自らの戦いが世界を救うための戦いであること。そしてベティビエール卿の願い(拘束)は、己よりも強大な者との戦いであること。ルキウスとの戦いではこの二つと、あと何らかの条件を3つ満たしていたようですが、それが何かは俺にも分かりません」

 

 ルキウス・ヒベリウスは明らかに明日香よりも、そしてあの場にいた何者よりも強かった。魔法も、軍の武装も通用せず、サーヴァントを屠ってきた明日香すらも凌駕する存在。

 花弁散らす大剣から放たれた赤雷は、その余波だけで克人の魔法障壁をないも同然に砕き、放たれれば少なくとも戦術級の上位、あるいは戦略級にも匹敵する破壊の爪痕を都市圏に刻み込み、市民も軍人も魔法師ももろともに消し去っていただろう。

 達也とて即死してしまえば再成することはできない。

 

「条件の分からないまま解放を強行したのか?」

 

 だが同時に明日香の宝具もまた、同等以上の脅威なのだ。

 赤雷を切り裂き、ルキウスを呑み込み、成層圏にまで届かせた究極の斬撃。それだけではなく、宝具解放に伴うリスクもまた、それは明日香にとって危険なものだった。

 条件を知らずに発動し、条件が満たされなければ発動しない。条件を満たし過ぎれば命を奪われる。

 現代魔法であれば失敗作の謗りを免れないほどに厳しい条件だ。

 

「円卓の騎士たちが王と定めているのはアーサー王であって、僕が認められている訳ではありませんから」

 

 それは明日香自身がよく理解しているのであろう。

 だが、制約は古の騎士たちの誇り。誉れある戦の在りよう。

 明日香がアーサー王の力を継いでいるとはいえ、彼らの心を得ているとは思わない。

 

「戦略級に匹敵する魔術、魔法を行使できるとなれば脅威に思われることは予想できますから、まぁ不安なのは理解できますが、カルデアが機能停止して魔力供給の目途がない以上、明日香にとっても次の発動はありません」

 

 かつてのカルデアではマスターという魔力供給機を通すことでカルデアから莫大な魔力をサーヴァントに供給できていた。無制限に、というわけではないが、いざという時の切り札として宝具を発動することができた。

 今のカルデアにはそれだけのバックアップを行うことはできないし、そもそも現代には明日香(サーヴァント)と契約できるマスター(魔術師)もいない。

 

「そして僕たちが聞きたいのも戦略級魔法についてです」

 

 魔術師たちは質問に答えた。彼らの来歴、目的、そして致命的ともなり得る彼らの戦力についてまでも。

 魔術から魔法へと下っても、秘奥を暴くという行いはマナー違反とされている。魔法ならぬ魔術の特性を鑑みれば、神秘の開示につながる彼らの応えはタブーを侵したと言えるだろう。

 それだけに、それを引き換えにした彼らの質問に克人は身構えた。

 

「グレートボム、とか呼ばれていますが、僕たちが聞きたいのは、灼熱のハロウィンとやらで大陸半島部で使われたあの戦略級魔法をどういう思いで撃ったのか、その考えを聞かせてください」

 

 魔術師の問いは、同等の価値、と言えるだろう。

 戦略級の魔術について尋ね、それに応えたのだ。戦略級の魔法について尋ねられるというのは等価交換として正しい。

 

「あれは国防の観点から見れば必要なことだった。

 軍があの状況で、あれほど都合のいい戦略級魔法を保有していることは俺たちも知らなかった。だがあの情勢下、軍の展開は大亜連合の艦隊展開に対して後手に回っていたと聞く。ただでさえ奇襲を受けた直後だ。艦隊が国土に迫っていれば甚大な被害を受けていただろう。そしてそうなればその後の日本の混乱は今の比ではなかったはずだ」

 

 ただ、克人の応えは幸か不幸か、彼にとって自らの手に余るものであり、彼の、というよりも国防軍としての思惑の説明にならざるを得ない。

 ただしそれは、あくまでも十文字克人が、軍に理解のある魔法師にすぎないからであり、かの魔法の行使者ではないが故。

 

「戦略上のことを聞いているわけではありません。あの魔法の担い手に、その手に持つ力の意味を聞きたい────―司波達也」

 

 藤丸の問いかけよりも硬い声音は明日香から達也へと向けられた。

 克人が応えたのは、彼が今回の訪問者たちを取り纏めるような地位にあるからだ。だが、圭はそもそも問いかけを軍や国家などの大きな組織に対して行ったわけではない。

 あの魔法の行使者へと問いかけたのだ。

 

「…………なんのことだ」

「言った通りだ。どういう思いであの魔法を放ったのか。その意思を答えてくれ」

 

 対する達也の応えは韜晦するもの。

 ただし、その表情は常よりも厳しい。司波達也は普段から愛想のよい振る舞いを行ってはないし、特定の一人に向けて以外には感情の発露が極めて乏しい。

 魔術師たちの質問へ応えた声音は、それまでが感情的と思えるほどに凍てついた、人らしい感情を排除したものだった。

 

「ちょ、ちょっと待って、明日香くん! それって、あのグレートボムの魔法保持者が達也くんってこと!?」

 

 真由美の戸惑った様子に、達也は情報があからさまに漏洩しているわけではないことを認めた。その隣に座る克人にも、声こそ上がらなかったものの驚きが見られる。

 関東を本拠とする十師族の二人、当主でなくとも十師族を代表してこの場にいる以上、二人が情報を持たされていなかったのだから、達也の情報が四葉の外に漏れたわけではないはずだ。

 

 ──情報交換の条件を俺にもつけたのはそういうことか──

 

 だとすればかまをかけているのか、魔術師としての情報網か、あるいは噂に聞く藤丸圭の未来視か、獅子劫明日香の直感か。

 

「十三使徒を除く戦略級魔法の保持者が非公開なのは、それが国の保有する戦力として重要な意義を持つからだ。俺の一存でそれに対する回答することはできない」

「それが君の答えか?」

 

 明日香の声音がまるで質量を伴っているかのように感じるのは錯覚だろうか。

 その瞳が黒から淡く碧眼になっているのを見るにアーサー王とやらが前面に出ているのかもしれない。

 それが聖剣の解放の影響が残っているからかどうかは達也にも分からない。

 

「言っている通りだ。戦略級の魔法の発動は文字通り軍の戦略上の意図。個人の思惑がどうであろうと、あの魔法の保有者が誰なのかも含めて俺個人が軽々しく口にできることではない」

 

 だがいずれにしても答えられることではない。軍属としても四葉としてもだ。

 

 

 

 

 軍人として、機密にあたるであろう“兵器”の情報をかたることができないというのは明日香にも理解はできる。

 だがそれでも達也の韜晦は納得できないものだった。

 

「アレを放つことに何の信条も、想いも、決意もなく、命じられることのみを理由にしているのだとすれば、それは危険なことだ」

 

 夢を通して見たアーサー王の記憶において、彼もまた決して美しいだけの騎士道を歩んできたわけではないことは識っている。

 敵を倒すために村を焼き、敵を殺し、国を守るために敢えて大陸へと撃って出て、聖剣を振るって皇帝を消滅させた。

 民を守るために最善を取るべきだという克人の理屈は分かる。

 それでも引けぬ一戦、戦場での誇りの形は輝くべきだ。

 そうでなければそれは戦闘ではなくただの蹂躙。

 騎士の、人の誇りを認めぬ凄惨な殺し合いにしかならないのだから。

 

 そんなものを守るためにアーサー王が力を貸してくれているとは思えない。

 そしてそれに加えて、人理を守る観点からも危険なことだ。

 

「少し落ち着きなよ明日香。君はちょっとアーサー王の影響を受けすぎだ。現代の魔法師に騎士道を求めても仕方ないだろう」

 

 激高しかかっている明日香を藤丸がまぁまぁと宥めた。

 

「達也君、勘違いさせていたら済まないけど、明日香の言い方はともかく、別にカルデアとしては、大規模破壊魔法を行使したことそのものを問題にする意図はないんだ」

 

 一気に険悪化していた二人を宥めるように圭が口を挟んだ。

 圭の言い分が確かであれば、明日香と彼は同じカルデアという組織に属してはいてもスタンスには違いがあるのかもしれない。──────―ふと、達也は違和感を覚えた。

 

 ──深雪……? ──

 

 隣に座る深雪の様子だ。

 知られてはいけない秘密を暴かれていることに隠すつもりもない怒気を露わに明日香を睨んでいる。

 常であれば魔法の暴走を起こして周囲に氷結を発生させていてもおかしくはない。だが今は凍気すら感じられない。

 

「だから深雪ちゃんも落ち着いてくれないかな。敷地内では外のように気軽に情報改変はできないだろうし、美女に睨まれるのも悪くはないけどね」

 

 圭のその言葉で深雪がハッとしたように自らのサイオンを確認している。常であれば感情の発露によって暴走し、凍結現象が発生するほどに深雪の干渉強度は桁外れだ。

 それは“とある”理由によって制御能力が制限されているからこその暴走だが、その深雪の感情の昂ぶりによっても魔法が暴走していない。

 館には多様な結界があり、半ば異界化しているとは藤丸の弁だが、異界であるからこそ、現世の情報世界を思いによって歪める魔法が、ここでは思うように発動しない。

 

 

「あの魔法だけれど、達也君の魔法の性質──分解と再成に特化していることを考えると、おそらく分解魔法によって何らかの破壊的なエネルギーに変換しているのではないかというのが、僕の見立てだ。多分物質そのものを────―おっと、魔法の詮索についてはマナー違反だったかな」

 

 視線に険が宿るのを感じるが、激する前に冷徹な思考が取り戻される。

 

 ──―嵌められた、いや、お膳立てに乗ったか──―

 

 他者の魔法を分析するのは達也の十八番だ。

 彼の魔法特性上、そして魔法への造詣の深さがそれを可能にしているが、圭のそれはおそらく達也の解析とは別口だろう。

 

 魔術師の秘術を問いに来たのだから自らの手の内を明かすのは等価交換としては正しいのかもしれない。

 だが、達也のそれは軍事的な機密でもあり、四葉の秘匿でもある。

 

「まあ理屈はともかく、あの魔法の性質と魔法に物理的な距離が影響しないということを併せると、あの魔法は文字通り世界を焼くこともできるのではないかな?」

 

 達也は自分の手がCAD /トライデントへと動こうとするのを理性で押し留める。

 圭はここでは外のように気軽に情報改変はできないと言ったが、それはどこまで魔法を阻害する効果があるのか。

 達也の精霊の眼(エレメンタル・サイト)は問題なく機能している。

 彼の魔法は情報改変を行う通常の魔法とは毛色が異なる。通常のキャストジャミングであれば達也の魔法は阻害されないが、それは深雪の魔法干渉力でも同じことが言える。

 

「その担い手が何らかの抑止的な判断に基づいてその力を行使しているのならいい。けどそれがないのであれば、経緯如何によっては行使を躊躇うことはない」

 

 これ以上、話を続けさせず、止めるべきか。その判断は────

 

「率直に言うと、人理焼却を目論んだ敵が仕込んだ保険。敵が仕込んだ最後のトリガーが達也君、君だと僕たちは睨んでいる」

 

 

 

 






次回はいよいよ、みんな大好き金髪碧眼のあの人が登場です。ユーモアを内包しつつもキリリとカッコいいあの人の活躍をご期待ください


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話

SAN値チェック入りまーす





 

 バンッ、と机を叩く音が響いた。

 円卓の上に深雪の御手が乗っており、その顔は今まで雫たちが見たこともないほどに怒りを湛えたものとなっている。

 

「それは、お兄様に対する侮辱ととらえます。藤丸君、獅子劫君、貴方方が世界を守る機関の一員だとしても、お兄様への侮辱は許しません」

 

 絶世ともいえる美貌は怒りを湛えてなお美しく、だからこそ凄絶な怒りを醸し出している。

 この屋敷を無秩序に護る結界によって魔法暴走の発露による氷結現象は起きてはいない。それでもその発する怒気だけで周囲を凍り付かせるのではないかと思わせるほどの威があった。

 世界を滅ぼす者の尖兵。

 魔術師たちが語っているのは、要するに達也をそう評しているのだ。

 そしてその評を深雪は聞いたことがあった、そんな視線を向けている気配を感じ取っていた。

 外ならぬ彼女たち兄妹を生み出した四葉家で。

 周りの者たちが 彼女を持て囃す / 彼を貶める

 周りの者たちの視線が告げている 彼女への称賛と羨望 / 彼への畏怖と恐惰 を

 物心ついたときからすでに、兄である達也は両親からも疎まれていた。亡き母は自らの業故に、侮蔑すべき父は自らの矮小さ故に、兄を蔑ろにする。

 だからこそ、魔術師達の評は、ようやく兄を認める者たちを得た場で、友人たちの前で、兄を拒否する彼らの言動は、深雪には許しがたい裏切りとも言えた。

 

 平時であれば世界を改変し浸蝕するほどの深雪の怒りに、エリカや真由美たちですらゾッと背筋を震わせた。

 それほどの怒りを受けて、けれども圭も明日香も平然としたものだ。

 

「司波達也という人格と個人の問題ではないよ。人理焼却事件だけれど、それを引き起こした方法は聖杯だけれど具体的には敵は遺伝子に呪いを刻み込んで担当する時代になったときにその呪いが発動するように仕込んでいたらしい。

 それまでは人理定礎を守護する側だった魔術師が一転して破壊工作を行った、なんて事例もある。能力と状況からすると達也君がその仕込み、おそらく最後の保険である可能性は極めて高いというのが予測演算の結果だ」

 

 二人は達也を危険視している。

 己の感情や倫理観を脇に置いて、顔も見えない相手を消滅させられる異質な精神。環境にさえ影響を及ぼし得るほどに強大な破壊の爪痕を刻み付けられる魔法力。時代を進め、星を開拓せんほどの頭脳。

 神秘が絶えた今の世界でなければ、あるいは今の世界であればこそ、最新の英霊に至れるだろうほどの逸脱者だと言える。

 

「仮に、俺がその事件の黒幕の仕込みだとして、お前たちは俺をどうするつもりだ」

 

 事実、達也はサーヴァントに通用し得る魔法を行使した。

 最も強力な対魔力を持つセイバーのクラスが相手であったからこそ痛撃とはならなかったが、神秘のない魔法で神秘の塊であるサーヴァントに影響を及ぼすことなど通常不可能だ。

 サーヴァントはサーヴァントを以てしか倒せない。

 藤丸の魔術でさえ、一線級のサーヴァントには通用しない。

 現代の魔法をもってサーヴァントに攻撃を入れられるとすれば、それは現代の魔法を基盤にして成り立った英霊に他ならない。

 けれど死後、座に招かれた存在でもない、今を生きる達也が英霊と同格になっているはずはないのだ。

 通用したとすれば、それは“特別な”星の力を宿しているから。

 “星の開拓者”

 英霊の中でも一握りの、あらゆる難行を不可能のまま実現可能にする逸脱者たちが持ちうるスキルだ。

 だからこそ――――

 

「勘違いさせたかもしれないけど、僕らは達也君、君に敵対するつもりはないよ」

 

 藤丸は司波達也に敵対はしない。

 圭の語調には言葉通り敵意というものが感じられない。明日香の方も、先ほどまでのやり取りの余韻があるのか厳しい顔をしているが、圭の言葉を否定するつもりはないのか、ふいと視線を外した。

 

 

 

「敵対行動をとった結果、仕込みが発動なんてことになったら本末転倒だ。それなら多少波乱万丈な人生であっても平穏無事に過ごしてもらって欲しいからね」

 

 かつてカルデアのマスターが成し遂げた聖杯探索は、過去の特異点の修復だった。

 過去であればこそ、本来の道筋が分かり、だからこそ特異点の原因である“異常”が浮き彫りとなっていた。

 だが今彼らが行っている聖杯探索においては、サーヴァントという超常存在が出現していることからも“異常”があるのは明らかだが、正しい道筋というものが分からない。そもそもそんなものが存在しているのかも定かではない。

 

「呪いの因子を刻み込まれていた人であっても、人理が乱れなければ、その因子を発芽させることなく時代を終えている。逆に彼らが人理の守護者側になっていたりもするんだ。

 特別な分岐。特別な存在があることで、呪いは発動せずに、人理定礎を危機に晒さずに済む。

 明日香のサーヴァントとしての力は基本的に対サーヴァント向きだからね。強力な現代魔法師の達也君やその周囲と敵対するのは得策とは言えないし、人理保障の観点からも避けるべきだ」

 

 たしかに司波達也という存在は、魔法科高校で、日本で、いや世界の魔法界にとってもイレギュラー染みている。

 けれどもそれが“本来の歴史”から逸脱したイレギュラーではなく、まさしく時代に選ばれたイレギュラー、時代を次代に導く選ばれた英雄であればこそとも言える。

 であれば、人類史をより強く、より強固に導く人理としては達也の存在はなくてはならないものと言える。

 

「人理定礎が揺らいで特異点になる、というのは単に大破壊が起きるだけではなくて、その時代で人理をより強く育たせる何かが失われた、ということでもある。そもそも、達也君のこれまでを考えると、本来、この先の時代への転換には司波達也という存在が必要だと僕たちは認識している」

 

 もしかしたらそれは、魔法というかつての歴史で否定され、けれども今の世界で再誕した新たなる力を、正しく発展させていくことなのかもしれない。

 あるいは―――― ()()()として、世界に混沌と破壊、狂乱と闘争を巻き起こすことで、世界に破壊と再生とを齎し、この星を清浄化するために必要なのかもしれないが…………

 

 いずれにしてもそれは、人類史にとって必要な流れだ。

 それが数多の悲劇を生むかもしれず、あるいは多くの幸いを世に齎すもののどちらなのかは分からない。

 

「だから僕たちとしては、達也君を排除しようとして下手に刺激するのでなく、むしろその安定と守護に協力するつもりだ。なにより、達也君の場合は、その特別な分岐、何が抑止力になっているかの目途はつくからね」

 

 もしも司波達也が、本来あるはずの英雄や反英雄としてではなく、“人類悪”として顕現するのであれば、選んではいけない分岐がある。

 

「お前たちが俺を守護する。それを信じろと?」

 

 達也からの不審の目は、藤丸の言動から虚実と真意を見抜こうとしているのだろう。

 情報界(イデア)にアクセスし、情報体や過去視を可能としている精霊の眼(エレメンタルサイト)であっても人の心理を完全に見抜くことはできない。

 そうでなくとも普段から藤丸の言動には疑わしいものも多い。

 この機において出鱈目や与太話であったとは思わないが、すんなりと他者の“庇護”や“好意”を受け入れて自分たちの営みの安寧を託す気はない。

 

「別に守護するために達也君の行動を制限するつもりも、干渉するつもりでもないよ。そんなことをして本来の人理が歪んで事象が剪定される、なんて方が問題だからね。単にこちらから積極的に敵対するつもりはない、ということだよ」

 

 魔法師との協力は必須。

 とりわけ強大な異能を有する司波達也との協調は重要度が高いものだが、だからといって軍属としての魔法師である彼に味方するのは、魔術師としてもサーヴァントとしても世界に悪影響を及ぼす。

 

「カルデアの使命を継ぐ者として僕たちが行うのは人理の継続。そのために為すべきはこの世界を改変しようとしているサーヴァントの補足と撃破、そのリソースになっている聖杯の確保、そして人類悪顕現の阻止だ」

 

 

 

 

 

 ✡ ✡ ✡ ✡

 

 

 

 ✡ ✡ ✡ ✡

 

 

 

 北米大陸――――かつて特異な記録点において、カルデアのマスターが神話の再現がごとき勇士たちとの戦いを駆け抜けた大地には、無論のことその痕跡は微塵も残されてはいない。

 戦前、アメリカ合衆国と呼ばれ、世界の導き手としての大国があったこの地には、今はカナダからメキシコ、パナマまでの諸国を併合した北アメリカ大陸合衆国――通称USNAが存在している。

 大戦やその後の群発戦争により世界平和の担い手としての役割は終ぞ幻想であったことが示されはしたが、それでも世界トップの超大国としての在り方は健在で、それは魔法が頭角を示してきた現代においても同様だ。

 だからこそ、太平洋を挟んでの隣国にあたる日本および朝鮮半島の南端において観察された大爆発は、かの国を震撼させたといっていい。

 局地戦ではなく、専制的防衛行動における軍事行動として、朝鮮半島における大亜連合の艦隊と軍事拠点を壊滅させ、公開されている戦略級魔法師である十三使徒の一人を屠った紛れもない戦略級魔法。

 その理論も内実も分からないという現状。

 魔法の発動と作用は理論上においては物理的な距離や障害物に左右されない。

 物理的な距離や障害物・遮蔽物の存在は発動する魔法師にとっての障害であって、それが内的あるいは補助的要因によってクリアされれば、たとえ地球の裏側であったとしても魔法を作用させることは可能と言われている。

 あの戦略級魔法――グレート・ボムと仮称した魔法は、明らかに日本側から発動され、日本海を挟んで朝鮮半島南端において作用した。

 日本とUSNAの物理的距離に比べれば格段に短距離といえるが、魔法の理論的に見た兵器としての区分で言えば、USNAの国土を標的にすることが不可能とは断定できない。

 であれば、それに対抗するための措置を講じることは必須であり、対抗措置構築のためには魔法の原理を知る必要がある。

 だが、世界最高水準の魔法技術を誇り、世界最強の魔法師部隊であるスターズを有するUSNAの研究者たちでさえも、かの魔法の断定には至らなかった。

 “おそらく”なんらかの質量体をエネルギーに変換することで、莫大な熱量を発生させたものと思われているが、既存の魔法では観測されたデータほど高効率でエネルギーを変換することはできなかったのだ。

 なんらかの―――USNAの魔法研究者たちが知らない―――魔法理論が存在している。

 そう見做さざるをえず、それは対抗策の構築に不備をもたらすことを示唆し、軍という力を有する者たちの上層部にとって特に危機感を煽ることとなった。(それに対して、日本国内において観測されたもう一つの戦略級相当の魔法については、光を集束・加速させることで運動量を増大させ、光の断層ともいえる現象を発生させる指向性のエネルギー兵器であり、減衰率から見ても、短い射程が予想される分、グレート・ボムに比べて脅威度は低いとみなされていた)

 彼らの焦燥は、未知の危険性から実行を躊躇していた実験を推し進めるほどに強かった。

 マイクロブラックホール生成・蒸発実験。

 それはUSNAの科学者たちにとっては淡い微かな希望に縋る思いで期待された実験だった。

 詳細の分からない質量・エネルギー変換現象の魔法理論。

 その手掛かりだけでも得られないか。

 魔法という、既知の物理法則を超えた枠組みにあるはずの法則を知るため。

 “ここ”とは異なる次元から、自分たちも知らないナニカがやってくるのではないか。

 それこそが、あの大破壊と殺戮を引き起こした魔法の原因なのではないか。

 あのまるで太陽のごとき現象の因果足りえるのではないか。

 

 それはまだ解き明かされていない知識(果実)への憧憬。淡く微かで、そして愚かしく危険な希望。

 訪れる災禍、齎される世界の危機を知らず、人類はそれへと手を伸ばしたのだった…………

 

 

 

 

 USNA テキサス州ダラス――――――

 

「止まりなさい、アルフレッド。フォーマルハウト中尉! 最早逃げ切れないのは分かっているはずです!」

 

 南部でも有数の大都市であるこの街の摩天楼の空を、ビルからビルへと跳び移り、追走劇を繰り広げる複数の魔法師たち。

 ある者は跳躍の魔法を使い、またある者は今年の夏に普及の始まったばかりの飛行魔法特化型CADを使用している。

 赤い髪の、目元を仮面で隠した少女と思しき魔法師が、逃走者の前に立ちはだかった。

 

「……なぜなのですか、フレディ。一等星のコードを与えられた貴方が、なぜ…………なぜ、あのような悍ましい事をしでかしたのです! フレディ!!」

 

 少女の声が詰問する口調から何かを堪える口調へと変わり、けれどもそれは決壊して泣き叫ぶような声へと変わった。

 足を止めた逃走者の口元から首筋、そして胸元へと広がる隠しようのない血の痕が、冷徹にあろうとした彼女の激情を揺り起こしたのだ。

 複数の仲間たちの一斉脱走。スターズ一等星アルフレッド・フォーマルハウト中尉による、仲間の惨殺。

 被害者の死体を見た。

 かつてフォーマルハウト中尉とともに任務にあたったこともあるスターズの構成員で、その死体は首元から胸元の肉が抉られ、肋骨が割り開かれ、心臓を抉り取られたものだった。

 殺害の場面に駆けつけた者は、フォーマルハウト中尉が抉り出した心臓を喰らっている姿を目撃。彼を彩る赤黒くなってしまった血痕は、被害者の返り血だ。

 人を殺す軍属の魔法師であっても、いや、魔法師であり軍人だからこそ、そこまで猟奇的なほどに死体を弄ぶようにはしない。

 

 罪は明らかで、問答の余地はない。

 それでも激情を抑えられずに問いかけたが、その答えが返ることはない。

 追手の魔法師がフォーマルハウト中尉の空間に領域魔法「ミラー・ケージ」を発動。一切の光を閉ざし、完全な闇の中へと拘束した。

 

「フォーマルハウト中尉、連邦軍刑法特別条項に基づくスターズ総隊長の権限により、貴方を処断します!」

 

 悲鳴の様な宣告。

 無明結界に閉じ込めたフォーマルハウト中尉に対して、仮面の少女――スターズ総隊長アンジー・シリウス少佐は自動拳銃を向けた。

 通常の銃火器であれば、魔法師は対処し得る。

 だが強力な情報強化により一切の魔法干渉が無効化された銃弾は、魔法力に劣る魔法師の領域を易々と突き破る。

 

 銃声と共に放たれた銃弾。身動きを封じられた魔法師の心臓へと吸い込まれるように到達した一撃は、過たず胸を穿ち、風穴を開けた。

 

 それで終わり。

 

 鉄の規律を誇るはずのスターズからの脱走兵。

 突如錯乱し、猟奇的な殺人を起こした仲間だった者の、その豹変の理由を知ることもなく、その死をもって終わる――――はずだった。

 

「3u?」

「え?」

 

 呆然とした呟きは隊員の誰のものだったのか。

 自らが齎した仲間の死。粛清の結末に瞑目し、目を伏せていたシリウスは呟きに顔をあげ、フォーマルハウト中尉を見た。

 

 胸に穿たれた穴。貫通し、背中の向こうに広がる夜闇すらも見通せるほどに空いた穴。

 

 流れるはずの血が流れていない。

 

「 3uq@。0qdkdyc@4i3ut@3eq! g@’fffffffffffffffff」

 

 理解不能な言葉。それは彼女の知る限り、どのような音声言語にも該当しないものだった。だが、彼が狂ったように哄笑をあげているのだけは理解できてしまう。

 

「ふれ、でぃ?」

 

 その言葉を契機にしたかのように、フレディ・フォーマルハウトの笑い声が止まる。

 そして――――――ずるり、と彼だったものが裏返った。

 

「ひっ!」

 

 スターズの総隊長として戦場にあるまじき声をあげてしまったことを省みるゆとりはない。その声を聞き咎めるはずの部下も同様だ。

 彼女が穿った致命の一撃、胸に空いた穴を基点にして、フレディ・フォーマルハウト()()()ものの中からドス黒いナニカが現れ、まさに裏返るとしか言いようのない転身を遂げたのだ。

 

「なっ―――ぁっ―――――」

「そ、そうたいちょう……あ、あれは一体―――――」

 

 意識に空隙が生じる。思考が空転する。恐怖が心身を囚らえる。

 

 その姿は異常だ。

 夜闇にあってなおドス黒い、まるで血に泥を混ぜ込んだような汚泥の体表。

 顔のあるはずの部分にはほぼ直角に傾いた大きな口だけがあり、四肢はまるで蜘蛛か昆虫のよう。精神を狂わせる異様。

 

「g@’ffffff! g@’ffffffffff! qea94? c4qea94?」

 

 その音は周囲の人間の正常を奪い、精神を虜囚に。

 USNAの優れた軍人であり卓越した魔法師として異常や異能に慣れたはずの彼ら彼女たちでさえ、精神の平衡が崩れ、脳が四肢へと電気的な信号を送ることを停止させてしまっていた。

 

「nw9bk3u。3ew.3uiui=4/94。<5nyu!!」

 

 彼女がハッと意識を取り戻したのは、視界の中から異形となったフレディが消えたことでだった。

 

 ぐじゅり、と彼女の耳に肉が潰れる音が聞こえる。―――振り向かなければ。

 

 むしゃむしゃ、と彼女の耳にナニカを食い千切る音が聞こえる。―――敵から目を離すなんてありえない。

 

 ぐじゅぐじゅ、と彼女の耳にナニカを咀嚼する音が聞こえる。――――振り向いて、CADを向けて、魔法を………………

 

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!!!!」

 

 

 

 悲鳴は、彼女が振り向いたのと同時だった。

 脱走兵フレディ捕縛のために行動していたスターズの一人が異形のフレディにむしゃぶりつかれ、それを眼前で目の当たりにした別の一人が精神の均衡を破綻して悲鳴を上げた。

 その悲鳴は周囲へ伝播し、選りすぐりの精鋭であるはずのスターズの魔法師が、戦術も協調もなく、ただ恐怖からCADを敵に向け、魔法を放とうとした。

 多重無作為に放たれた魔法は競合を起こして破綻し、そもそも魔法を顕現させられなかった。

 恐怖を義務感と責任感、そして怒りで糊塗した彼女が魔法を放ったのは、スターズ総隊長に抜擢されるほどに強力な彼女の魔法力であれば、魔法式で混沌した領域であっても強引に魔法を透せると信じたからだ。

 そう、それは判断ではない。思考でもない。逃避的に、自らの拠り所である魔法に、この場を打開できると救いを求めたにすぎなかった。

 

「なっ!?」 

「そんなっ! 総隊長の魔法が利かない!?」

 

 一度はフレディの体を貫通し、致命させた彼女の魔法が、異形と化した今のフレディにはまったく通用しなかった。

 スターズの仲間であった者の肉を口中で咀嚼し、手足と思しき四肢で千切り弄ぶソレの体には、まるで息を吹きかけた程度にも影響を発現しなかった。

 

 ―――コイツ、嗤ってッッ!――

 

 口だけの顔に表情というものが読み取れるとは思えない。だが彼女はフレディだったモノが嗤ったのを確かに見た。

 

 CADを掲げる手が震える。体を支える足が、地面に触れている感覚さえ希薄になったかのように思える。

 科学によって神秘を駆逐し、魔法という異能を手にした人類が忘れていた、根源的な恐怖。

 まさにそれを体現させたかのような存在。

 アンジー・シリウスとして見せていた赤い異装―――パレードの魔法が無自覚に解除され、少女としての姿――アンジェリーナ・シールズとしての姿をさらけ出していた。

 美少女と、普段であれば誰もがそう感じるその顔には、抗いようのない恐怖が浮かんでいる。

 周囲の仲間たちもCADを取り落とし、すでにまともに立てている者は総隊長であった。彼女だけだ。ほかの隊員たちはその場から逃げ出そうとして、それも叶わずに恐怖に震えて地に腰を落としている。

 恐怖に震えているのは彼女も同じ。立てているのも、ただ震える足が体をなんとか支えられているだけ。

 歯の根がかみ合わずにガチガチという音が鳴り、縋るように掲げるCADの照準はガタガタと揺れて定まらない。

 その足が闘争の立ち回りはおろか、逃走のために動くこともできはしない。

 

「qea94? s@4dqyw@rqea94? b@d@jykj-4f? c;q@:t@sl5k3uqkj-4f!」

 

 震える美少女に嗜虐心をそそられた、などという機能がソレにあったのかは分からない。だが異形は、恐怖に震える少女へと飛び掛かる。

 もはや魔法を発動するなどという選択肢すらも意識に上らず、無力な少女のように身を縮ませた彼女に――――

 

 

「g@ez!!?」

 

 

 何かがぶつかる音が聞こえた。

 恐怖の中に幻視した身を襲う痛みはなく、少女は恐る恐る目を開けて前を見た。

 

 白銀の鎧を身に纏う存在が、少女を守るように立っていた。

 掲げるは剣。

 

 弾き飛ばされた異形はダメージを負ったのか、緩慢な動きで現れた敵を見ている。

 夜闇の中にあって、くすぶるように輝くは金の髪。

 その姿は科学が発展した近代以降においては廃れてしまった装い。けれども現代が魔法という力を基に発展していくというのであれば、それもまた、あるべき姿なのかもしれない。

 眼前に立つ姿を現す者を表するのならば“騎士”。 

弱きを助け、強きを挫き、危機ある乙女を救う騎士。

 

「不夜の煌く摩天の下、太陽の輝きが届かずとも、清らかな乙女の助けとなるためならば、騎士として剣を振るうに否やはありません。太古の異形よ、円卓の騎士ガウェインがお相手いたしましょう」

 

 再誕せし最古の異形(新人類)を前に、円卓に連なりし剣の騎士が立ちはだかった。

 

 

 

 

    ―――Next 第五章―――

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。