もりくぼは、卑怯者です (雫。)
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もりくぼは、卑怯者です

もりくぼは、卑怯者です

 

1

 

……もりくぼは、卑怯者です。

 

……最後の最後まで逃げて、ほんとうの後悔を知った気がします。

 

まさか、事務所のみんなが最期に感じたのが、私に対する気苦労になるなんて。みんなに最期まで迷惑をかけて、その代償がこれなんて。

 

……普段から逃げていたもりくぼだけが、この通り助かってしまったのです。

 

でも、全然嬉しくないです……。むしろ、みんなと一緒に終わってた方が、もう逃げなくて良いようになれたかも知れないのかも……。

 

もりくぼは、地味で、臆病で、駄目な子で……よりにもよってそんなもりくぼだけが生き残って、もりくぼよりよっぽど強いはずのみんなが……。

 

……正直、このまま心に痛いのが刺さったままずっとなんて無理なんですけど。苦行なんてものじゃありません。……もう限界……。

 

……この尖ったガラス片。……もしこれが喉に刺さったら、もりくぼは、もう胸が痛いのは我慢しなくていいのかな……。

 

 

いつのまにか、冷たい感触が首筋にあるんですけど。

 

……ああ、どうして、もりくぼは、こんな時になって初めてこんな思い切りの良さを発揮しそうなんでしょう。

 

もりくぼが卑怯者だからでしょうか。

 

 

2

 

「どこ行った森久保ォ!」

 

「森久保ォ! もうすぐ出発だよ!」

 

……あの時、もりくぼは恥ずかしくて、責任重大な仕事が怖くなって、いつものように机の下に隠れてました。

 

「あぅー……無理……絶対無理ですよぉ。もりくぼが最後に滑ったら、全部台無しになるやつじゃない……むーりぃ……」

 

でも、いつもの部屋だとすぐに引きずり出されます。この日はたまたまいつもの部屋が補修作業中だったのもあって、下の階の机の下にいたのです。だからみんなは私を探すのに苦労してました。

 

「森久保の奴はあっちにいたか?」

 

「ううん、いなかったよ。そっちは?」

 

「気配も感じねぇ。あいつは殺気を消すのは上手いから……」

 

私を探していた今回の共演メンバーは、凛さんと拓海さんでした。それに、あとで小梅さんが合流する予定です。

 

凛さん、拓海さん。ビルの東口方面を見てみましょう。あっちは広くて隠れれるところも多い。と、プロデューサーの声もしました。

 

「わかった。やっぱりみんなで行った方がいいのかな? 喫茶店やバーもあって、入り組んでるところだけど」

 

「ああ、あいつは気配消してるから、分散するよりローラー作戦の方がいい。森久保ォ!」

 

プロデューサーさんが、二人を私と反対方向に連れて行きます。ああ、ここで私が声を出して呼び止めていたら、一緒に机の下に隠れられたかもしれなかったのに……。

 

地鳴りが響いたのは、その時でした。

 

「ぴえっ⁉︎」

 

まるで身体の芯を揺さぶるような轟きを感じた後、もりくぼの身体は左右に揺さぶられました。

 

「……ふぁ、ふぁひぃぃいい……! こ、怖いんですけど……!」

 

机の外に、まず机の上にあった書類が落ちて、続いて本棚や観葉植物が倒れて、そしてガラス窓が砕け散るようすが見えました。

 

「……やばい……やばくぼなんですけど……! こんな大きい地震……わひゃっ⁉︎」

 

一際大きい轟音と衝撃を感じると同時に、視界は暗くなりました。ついに天井が落ちてきて、机の周りを埋めたのです。

 

頭の真上で脳みそを震わすような衝撃も走ります。崩れてきた天井が机に当たってるんです。

 

「……無理……なんか、これじゃあとにかく全部むりくぼなんですけどぉ!」

 

もりくぼは頭を抱えて、目をきゅっと閉じて震えることしかできません。この時は、自分のことしか考えられませんでした。

 

 

3

 

……何時間経ったのかわかりません。ただ一つ言えたことは、もりくぼは凄くあっさり助かってしまったということです。

 

多分、もりくぼは気絶してました。もりくぼの意識は、眩しい光とともに復活したのです。

 

目を開けると、机の外には暗闇とコンクリートの代わりに、夕焼け空と緑色の人が見えました。

 

以前、大和亜季さんに教えてもらいました。これは陸上自衛隊の迷彩服3型です。もりくぼは、助けられたのです。

 

隠れていたもりくぼを見つけてくれたのは、プロデューサーさんじゃなかったのです。

 

私は、信玄さんと言うらしい自衛隊員に肩を貸してもらって、引き上げられます。もりくぼはほとんど無傷でした。揺れで机の脚にぶつけたところにアザがあるだけで、瓦礫からは机が守ってくれました。

 

……外の世界は、なんというか、無理でした。直視は無理です。

 

街のあちこちで火の手が上がっていて、遠くの方はともかく、地盤が弱かったらしい私の事務所周辺ではビルの三つに一つが崩れています。

 

私がいたビルは、事務所は全壊です。

 

「……ぷっ、ぷっ、ぷご……プロデューサーさんは⁉︎ 凛さんと拓海さんは⁉︎」

 

私は、しばらく呆気にとられてからようやくみんなのことを思い出しました。こんな時にまで噛むなんて、ほんとうにだめくぼです。

私は、さっきみんながいた東口方面に恐る恐る目を向けます。

 

……そこに人影はありませんでした。

 

……代わりに、瓦礫に真っ赤な染みがついてました。

 

「……ひっ⁉︎ あ、あぅ……しょ……しょの……あの、あっちにいた人は……?」

 

もりくぼの背中を、トレーニングで流すのとは全く違う冷たい汗が濡らします。

 

これまた恐る恐る信玄さんの方に顔を向けると、彼は残念そうな、困った顔をしました。

 

「……ああ、あっちはさっき既に捜索したが実は……」

「む、むーりぃぃぃいい!」

 

もりくぼは、信玄さんの言葉を遮って叫んでしまいました。自分の叫びすら耳に入らないほど強く耳を両手で塞ぎました。

 

「……むり、ぜったいに、ぜったいに無理なんですけどォ……」

 

言葉の続き、それが何なのかはもうわかっています。わかっていました。でも、理屈でわかってしまったからこそ、私は聞きたくありませんでした。断言からは逃げたかったのです。

 

何かを言いかけた信玄さんがどんなに困った顔をしたかは、目をつぶって地面にしゃがんだもりくぼにはわかりませんでした。

 

そのあと、信玄さんは他の被災者の捜索のためにもりくぼの側を離れなければならなくて、他の担当者に引き渡されたもりくぼは残酷な言葉の続きを聞かされることなく、改めて聞き直すことなく、逃げ切ることとなってしまいました。

 

 

4

 

自衛隊のトラックに引き渡されたもりくぼは、隣町の公民館に泊まりました。事務所が全壊したのはあの辺が埋立地で地盤が弱かったからで、他の場所はあそこまで酷くありません。隣町は避難所にちゃんと屋根がありました。

 

……でも、あの地震は電車が止まるには、携帯電話が通じにくくなるには十分だったわけで。もりくぼは当分、親のもとに帰ることにができなさそうでした。事務所の仲間も、学校の友達もいない、知らない人しかいない公民館で暮らすことになってしまいました。帰宅難民くぼです……。

 

……炊き出しとか、非常食とか、全然喉を通りません。二日目の夜になっても、水しか飲んでません。もりくぼを探してたみんなは、もうこの豚汁を食べることすらできないのです。お腹が空くのはもりくぼだけなのです。

 

もりくぼがみんなを呼んで一緒に机の下に隠れてたら、あるいはもりくぼがみんなのところに素直に行っていたら、みんなともりくぼは同じになれたはずなのです。もりくぼのせいで、みんないなくなってしまったのです。

 

……もりくぼだけが、いつも通りにお腹が空いて、いつも通りに眠くなってしまうのです。でも、みんなのことを思うと、そんな欲求に素直に答えるのも無理です。眠いのに身体が震えて眠れません。食べても吐いてしまいます。鏡を見ると、唇はぱりぱりに乾いてひび割れ、髪はぼさぼさになって、充血した目の下には隈、頰はコケて、鼻の毛鼻は黒ずんでいます。そんなもりくぼの顔は、青ざめていました。完全に、肉体的にも病みくぼです。

 

……もりくぼが逃げ続けた結果がこれです。もりくぼがプロデューサーさんたちの手を煩わせた代償がこれです。もりくぼは、今までの恥ずかしいとか怖いとか、そんなことがどうでもよくなるほどのモヤモヤとズキズキに胸の内を支配されてるのです……。

 

正直、これ以上この苦しみに耐えるのはむりくぼです。

 

……尖ったガラス片が、もりくぼの視界に入ります。

 

これを一思いに首に突き立てたら、もりくぼはこの苦しみから解放されるのでしょうか。プロデューサーさんたちと一緒になれるのでしょうか。

 

「……うぅ……あぅ……」

 

冷たいものが首筋の皮の中に入ってきて、中で熱い感触にかわります。

 

「ひ……んん……!」

 

首筋に液体の感触が現れます。目をつぶっていましたが、感触でそれがやがて手首にも伝わってくるのがわかりました。

 

「……む……む……むーりぃ‼︎」

 

でも、もりくぼはやっぱり決意などできませんでした。少しだけ血のついたガラス片が、公民館の床に落ちて私の心を代弁するように砕け散ります。

 

この局面に至ってもなお、もりくぼは肝心なところまできて怖くなってしまいます。生き残ってもだめくぼはだめくぼのままなのです。

 

「無理……やっぱり、これも無理ですよ……全部、何もかも無理……うぅ……あ……あぅ……」

 

もりくぼの泣き声を聞いて、他の避難民たちが何事かとこっちに視線を向けます。ステージの上のそれより遥かに痛い視線です。レインコートのフードで顔を隠してるけど、アイドルだとバレるかもしれません。でも、逃げ場はありません。視線でさらに涙を増やすことしかできません。

 

「森久保ォ!」

 

「探したよ、ここにいたんだね、乃々」

 

その時です。避難民たちのざわめきに混じって、聞き覚えのある呼び声が聞こえたのは。

 

 

5

 

「え……プロデューサーさん……? それに凛さんに拓海さんも……」

 

そこには、包帯でグルグルになった腕を吊って松葉杖をついたプロデューサーさんと、腕や額に包帯を巻いた拓海さん、そして絆創膏とガーゼを顔や手足に貼った凛さんがいました。

 

「……あぁ……小梅さんもいるってことはやっぱり幽霊ですか……もりくぼを呪い殺しに来たんですね……。……でも、それで楽になれるなら……」

 

「……いや……幽霊はあの子以外には、ここにいないよ?」

 

しかし、幽霊を司る人はそれを否定しました。

 

「え……でも、みんなあの時……ひっ⁉︎」

 

プロデューサーさんが金具の音を立てながら詰め寄ってきて、無事な方の手で私の肩を叩きます。思わず腰を抜かしてしまいましたが、それは確かな実体がありました。

 

口をぱくぱくして何も言えないもりくぼの前で、プロデューサーさんを筆頭にみんなが事の顛末を語ります。

 

あの時、みんなは私を探して東口方面に行ってましたが、予定通りならみんな屋内駐車場に行っていたはずでした。地震があった時、東口方面は酷く崩れたけど、バーや喫茶店にも身を隠せるものもあったお陰で、何とか助かったそうです。プロデューサーさんは凛さんを庇って重傷を負い、拓海さんは自力で身を隠して、自力で這い出て救助隊にプロデューサーさんたちの場所を教えたらしいです。

 

対して、本来私たちがいたはずの屋内駐車場はビルの中でも一番酷い被害を受けていて、一応掘り返す作業は継続しているけど、ビルの構造的にとても生存者は見込めないそうです。予定では、私たち以外に駐車場にいる人はいない可能性が高いようですが、逆に言えば予定通りなら私たちはみんな確実に即死していたということです。

 

そして、病院で治療を受けつつ情報を収集して、私がここに避難しているとわかったから、お医者さんの反対を押し切って迎えに来たとのことです。

 

「……と、いうわけなんだ」

 

「え、で、でも凛さん……一昨日もりくぼが見た時には、凄い血が……」

 

「血? ……ああ、それは多分、赤ワインの樽が破裂したのだと思う」

 

「わ、ワイン?」

 

「あれ、乃々は聞いてない? ほら、楓さんがPRしてるチリワインの大きい樽が一昨日の朝搬入されたって話。ちなみに、その楓さんもPRのために南米チリ共和国に行ってるから無事だよ」

 

「ていうか、あのワイン企画が力入れてるからかなりのアイドルが南米行ってるよなぁ、今。むしろ日本に残ってたアタシたちは売れ残りって訳かよ。あと残ってたのは亜季とかか」

 

「亜季さんからは今朝メールあったけど、たまたま屋外にいて大丈夫だったって。まあ、実は予備自衛官補だったから今は忙しいらしいけど……」

 

とりあえず、「さよならアンドロメダ」のメンバーとは誰もさよならしなくて良いようです。

 

他にも、ちひろさんは銀行に行ってて金庫に隠れられたから無傷だったりして、うちのプロダクションが出した犠牲者は奇跡的なレベルで少なかったようです。

 

「にしても、今回ばっかりは森久保に感謝だな。森久保を探してなかったら、アタシたちもみんな即死だった」

 

「まあ、ほんとうにタイミングが良かったよね。乃々がいた部屋もけっこう酷かったらしいし、乃々が机の下に隠れてて良かったよ」

 

「え……いや、もりくぼは別に……」

 

別にもりくぼは、みんなを助けるために隠れてたのではないのです。ただいつものように逃げてただけで……

 

「まあ、こういうのは捉え方次第だからね。私たちは現に、こうして助かってる乃々のお陰で。乃々が逃げてなければ、助からなかったことは確実だしさ。乃々も、この際そう思った方が自信持てるんじゃないかな」

 

と、凛さん。そういうものなんでしょうか。

 

「そうそう、ほんとうに場所もタイミングも良かったよ。森久保、やっぱりお前、地震を予知でもしてたんじゃねぇか? 小動物だし」

 

「うぅ……も、もりくぼはリスじゃないんですけど……」

 

そんな話をしていると、プロデューサーさんが何やら紙袋を渡してきました。中を見てみると、なんともりくぼのステージ衣装が入っています。

 

そしてこう言いました。もし良かったら気分転換に歌っておいで、と。

 

「……え、それはどういう……?」

 

「ああ、これはね、私たちの提案だったんだけどさ。ほら、例の千葉公演は延期になっちゃったけど、こんな時だからこそ私たちにやれることもあるんじゃないかって。本格的なステージは借りられないけど、校庭とか体育館でボランティアの公演ができないかなって」

 

「んで、森久保が沈んだ気分を上げるためにも、一刻も早く日常に戻るためにも、気が進んだら一緒にどうだ、って訳だ」

 

「えぇ……ひ、被災者の前で公演とか、責任重大じゃないですか……。もりくぼにはとても……」

 

いじめですよ、こんなの。もりくぼの顔を見て暗くなってしまう人とかいたらどうするんですか。

 

「そうか? むしろ、今の森久保は縁起が良い存在なんだぜ、机の下にいたお陰でみんた助かった」

 

「乃々はもっと、こんな時だからこそ自信持っていいと思う。いつも自信無いって言ってる乃々もこうして、私たちが来るまで二日もちゃんと耐えられたんだし、いつだってやれることはやってる。今回だって、乗り越えられるよ、この震災さえも」

 

「うぅ……そ、そんなに期待されると困ります……」

 

でも何だろう、さっきまでの胸の痛みとは対照的な温かな感触は。温かいだけじゃありません。みんなが生きてたことへの安心だけではなさそうです。なんだか、自分の中で、うずうずするものもあるんですけど、自分は、何かやりたいことがあるんでしょうか。

 

視線をプロデューサーさんに戻します。

怪我をしてるのに、もりくぼに手間をかけさせられているのに、穏やかな表情です。

 

それを見て、もりくぼの中の何かが吹っ切れました。

 

「……もう、こうなったらやけくぼなんですけどーッ!」

 

もりくぼは、器用にも衣装を受け取ると同時に、みんなに抱きついていました。



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