其は正義を手放し偽悪を掴む (災禍の壺)
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第一話

主人公の名前はカタルパ・ガーデン。
使用〈エンブリオ〉は【絶対裁姫 アストライア】。TYPEはメイデンwithアームズ。
リリース直後の<Infinite Dendrogram>に彼は降り立ち、物語は緩やかに始まって行く。
……全編訂正加筆。今更気付いたよこんちくしょう。


 誰かがそれを、自由、と言ったのかもしれない。

 誰かが、君は自由だ、と言ったのかもしれない。

 或いは、それらを言ったのは自分だったかもしれない。

 答えは無いし、目の前の「それ」が正答を言ってくれるとは思っていない。

 答えはするだろうが、自分が導き出せる答えの範疇を出ない。

 

「それでも、応えてほしいもんだよな」

 

 だから、その「独り言」に答える者はいない。

 例えここがゲームでも。<Infinite Dendrogram>の世界でも。

 

□■□

 

 彼、PN(プレイヤーネーム)「カタルパ・ガーデン」が<Infinite Dendrogram>を始めたのは、リリース直後の事だった。

 宣伝文句に釣られたのもあるだろう。だが、一因は彼がこの世界、俗に言うリアルに失望していたからだろう。

 別に就職出来なかった、とか受験に失敗した、とかでは無い。寧ろ充実していたと言えるだろう。

 だからこそ彼は、その充実に飽きてしまった。持たざる者からすれば羨ましい限りだが、そんなものは彼には関係ない。勝手に与えられて、勝手に充実させられて。一時的な満足感は確かにあった。あるにはあるが、続かなかった。

 『与えられた自由』は、彼の欲する自由では無かった。仮に誰かが求めた自由の理想系にして理想形であったとしても、その誰かが自分でない限り、彼が満足する事は無い。

 

「それでも、僕は追い求めたいんだ」

 

 そう言って、手に取った。<Infinite Dendrogram(異世界)>への切符を。

 

□■□

 

『まさか、お前、庭原(にわはら)じゃねぇよな』

 

 ゲーム開始早々、聞き覚えのある声にかけられた「彼」、本名庭原 梓(にわはら あずさ)は振り返った。

 

 声が着ぐるみからしたのは、何かの間違いだろうか?

 

 リアルでも知り合いである筈の彼は、戦隊モノに出演していたりしたからそういうプレイスタイルなら仕方ないな、と思ったが……。

 

『リアルと同じ顔にするなよ。俺みたいに後々困るぞ』

 

 まぁ、俺は俺のせいじゃねぇんだけどな、と着ぐるみは語る。

 

「まさかとは思うが、シュウなのか?」

 

 ガーデンは戸惑いながら、聞き覚えのある声の主を言い当てる。それに対して着ぐるみは頷いた。

 それで、ようやっとガーデンは納得した。彼、椋鳥 修一はリアルではとても有名な人だ。リアルと同じ顔立ちにしていたら、「よく真似出来てるなー」となるより、「マジ修一だぁ!!」となるに決まっている。

 

「そのご忠告は有難く聞くが、今更だし、僕は別に、君のように騒がれる人間じゃないよ?」

 

 と、ガーデンは苦笑する。

 

『本人が一番気付いてなけりゃ世話ねーな。後、ここでの俺はシュウ・スターリングだから、実名では呼ぶなよ』

 

 ニックネームがシュウだから大丈夫じゃないかな、とガーデンは思ったが、それは言わない事にした。

 

「にしても本名のまんまじゃないか。英訳って……あ、僕も同じだったな、それは」

 

 思えば庭だからガーデンで、梓だからカタルパだ。実名からPNにしているのは自分も同じだ。あまり人の事を言えたタチでは無い。

 

『それで、お前もやり始めたのか、<Infinite Dendrogram>』

「ああ。面白そう(、、、、)だったからね」

『……そうか。で、どうだ。一緒にクエストにでも行かないか?』

 

 自分がリリース直後に始めて今ここだ。シュウも恐らく初心者だろう。……初心者なのに安くはなさそうな着ぐるみを着ている。多分無一文だろう。だからこれは、お誘いがてらの生活費稼ぎなのではなかろうか、とガーデンは推理した。強ち間違いではない推論だった。ガーデンの知る限りでは無いが。

 

「いいよ。僕も初心者だからね。『自由』を売り文句にしたゲームだ。どれ程自由なのかは、この街を出ないと分からない、よね」

『あぁ。序に言うが俺は素手でしか戦えない。素寒貧だからな』

「リアルチートは<Infinite Dendrogram>に引き継げるのかな?使えるなら大丈夫なんじゃない?」

 

 ガーデンの言うリアルチートは、シュウ・スターリングでは無く椋鳥 修一が持つ運動能力の事だ。そういったものが使えるなら、素手でも大して苦労しないだろう。

 

『さっき動いたら普通だった。多分使える』

「勝ち確だ。有難い」

『俺ばっかに頼んなよ……』

 

 それもそうだね、とガーデンは軽口を叩く。そうして、二人揃って街を出ていく。

 初期装備の貴族と着ぐるみが並んで歩く様は、異質だった。

 

□■□

 

 そうして、ゲーム内で2日が経過した。ソロでクマ装備無双やってるシュウは〈エンブリオ〉が孵化し、第一形態である《ストレングス・キャノン》を――鈍器にしている。スキルが使いづらいらしく、それなら殴った方が早いとの事。

 対するガーデンも〈エンブリオ〉が孵化し、片手剣だったので早速戦闘で使用している。

 

『俺の〈エンブリオ〉はバルドルらしいクマー』

「バルドル?あぁ、あの神話の。……クマ?まぁいいや。

僕のは……アストライア、だってさ」

『アストライア?正義の女神?』

「みたいだね」

 

 そう言ってガーデンは己が手に持つ武器、アストライアに目を向ける。

 

「カテゴリーってのがあるみたいで、『メイデンwithアームズ』なんだってさ」

『ん?メイデン?』

「そう、メイデン」

乙女(メイデン)?』

「そう、処女(メイデン)

 

 少し食い違った表現をしている事に互いは気付かず、その『メイデン』とは何なのか、と議題は移った。

 

『人型になれるって事クマ?』

「どうなんだろうね。アストライアが女神の名前だから、って事なのかもしれないよ?」

『はー、だとするとバルドルは男の神の名前の筈だから呼び方になんか付く筈……そういうの何もねークマー』

「んん?なんでだ?メイデンって何で付いてんだ?」

 

 ――刹那。

 ガーデンの手元から武器、アストライアが消失した。

 

『っ!?』

「――っ!」

 

 失われた後に警戒しても仕方がない。と、誰もが思ったし、二人も思っただろう。だが、二人は『そんな事』には驚いていなかった。

 いや抑、『そんな事』は起きていない。だから、彼らの驚きは、他にある。

 

「ふむ、君が私の〈マスター〉か。私はアストライア。【絶対裁姫 アストライア】だ。隣の熊は……お友達なのだったな。記憶との差異が凄いな、これは」

 

 二人は、絶句していた。

 何が起こったか、なら想像に難くない。

 『武器が人型になった』という予想は立てていたのだから。だが、本当になるとそれはそれで驚くものなのだ。

 

「あー……この先すっごい面白く(、、、)なりそうじゃない?シュウ」

『面白いと言うよりは、ヤバくなりそうだクマー』

「既に御二方は色々と面白いと思うのだが。そこに私が加わってしまって良いのか?」

 

 ……こうして、二人プラス一名による討伐クエストが始まる。

 

 

 後の世にて、メイデンはこの世界を「完全にゲームと思っていない」人間の〈エンブリオ〉が持つとされるが、何故彼が、カタルパ・ガーデンがメイデンのマスターになったのか……それは、最初に語ってしまった事であり、誰にも分からない心の奥底の「何か」のせいなのだ。



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第二話

  カタルパ・ガーデンが何故メイデンのマスターになったのか、については、先ず彼、庭原 梓のリアルでの話を語らなければならないだろう。

  彼は、『与えられた自由』の中に居た。それは恐らく、彼がリアルに生まれ落ちる前から決められていた事だ。

  庭原家は、そう畏まって言う程の名家では無い。それでも、世界の裏側、本来見える筈のない世界では、名が知れていた。

  昔から、庭原家は奴隷商人であった。日本で奴隷制度が廃されて尚、その名は未だリアルの裏でよく耳にする。

  それは活動場所が外国だからでもあり、日本でも陰ながら行っているからでもある。

 そして、その家の長男として、名家と扱うならば嫡男として。庭原 梓は産まれた。「自己」を持つより早く、鞭の持ち方を教わり、数字を学ぶより早く、人の生き死にを学んだ。

 そしてまた、彼は愛されていた。親に、そして周りに。だからまた、彼も周りを愛していた。兄弟も居らず、親戚も居ない梓にとって、両親や周りの奴隷商達は心の許せる人間だったのだ。例え、その胸の内がドス黒くても。

 そしてある日。本当に突然だった。

 

「お前には兄弟がいた」

 

  父がそう語り始めたのは。

  梓は目を輝かせた。奴隷商や両親は確かに心の許せる人であったが、奴隷では無い下の存在、或いは対等な存在がいると言うのは、梓にとってこれ以上無い喜びだった。

  社会生活を経験させよう、と言われて通っていた学校の職員や生徒の全員が(、、、)奴隷であった事は知っていた。だから生徒や教師と距離を置いていた。

  そんな中、本当に対等な存在が、現れたと言う。

 しかし、梓は、気付いてしまう。

  父親が、「いた」と過去形で(、、、、)語っていた事に。

  それに気付ける程度には、梓は聡かった。そして、それが何を意味するのか、梓は本能的に、或いは経験から、分かってしまった。

 そしてまた、次ぐように思い出すのだ。自分が産まれて暫く経った時に、梓の母親に向けて(、、、、、、、、)「ごめんなさい、許してくださいお母さん(、、、、)」と繰り返し、売られていった少年少女がいた事を。

 

「もしかして、お父さん……は……」

 

  実の子を売ったのですか、と問おうとした。だからこそ。

 

「そうだ」

 

  その一言は意外では無く、尚更、痛烈に梓の心に突き刺さった。

 

「まぁ、今となっては大して必要無いが、いい金額になったよ」

 

  お前のように優秀であれば良かったのだが、と続ける声を、もう梓は聞いていない。聞こえても、それは通り抜けていくばかり。

 

 ――それ以来、リアルの世界は、彼にはモノクロに映るようになった。

 

  それが、彼が7歳の時の物語である。親が継がせようとしているものが手が後ろに回るような仕事であった為、一体何が法律に違反するのか、どうやったらそうなるか、を熟知していた彼は、いつかあの時の兄弟を救おうと、あの父を許すまいと、その時誓った。

 それ故に彼は、悪に埋もれながら、何よりも善であろうとした。正義であろうとした。

 この世の全ての悪を許してはならない、と一種の使命感が、彼を支配した。

 そして、彼が16になった頃、彼の視界に、色が付いた。

 目の前の光景は、それ程までに衝撃的だった。

 右足を負傷していた青年が、その右足で対戦相手の顎を蹴り抜いたのだ。それは偶然見に来ていたアンクラの学生世界大会の決勝戦。椋鳥 修一選手が対戦相手であるグレゴリー・アシモフ・カイゼル選手の意識を刈り取った。その美技に、梓は見蕩れた。その右足の負傷が交通事故から弟を守った事によるものだったという話――梓からすれば武勇伝のようなものだった――を聞いてから、梓の視界の彩りは増した。

 世界には絶望していたが、その絶望の中でも、希望は確かにあったのだ。そう、梓が知った瞬間だった。

 

「貴方は、その……本当に凄いな」

 

 彼だけが色付いて見える世界の中、梓は修一に声をかけた。修一は流石に痛むのだろう、余裕の無い表情で、それでも快活に梓に受け答えをしていた。

 修一と梓の仲はここから始まるのだが、それは後々にしておこう。

 それから梓は色とりどりの世界を見る事になる。絶望一色だった世界でも、修一のように輝かしい人間は沢山いたのだ。それは、奴隷などと言う人間を見ていては一生分からなかっただろう。その点で、梓は家出をして(、、、、、)正解だった。鮮やかな世界は、失われた筈の自由を見ているようで、彼に満足感を与えさせた。

 それでも、根はどうしようも無かった。彼の父が最低である事を。そんな父に対する復讐心がある事を。人の命を、梓自身がどうとも思っていない事を。

 そしてまた、数年が経ち。梓は<Infinite Dendrogram>を手に取る。

 どうしようも無い自身と、世界からの逃避であったのかもしれない。或いは、寧ろ、自身の改変の為だったのかもしれない。

 チェシャなるAIが担当したキャラメイク。自身の姿をそのままアバターにした。「どこか西洋の貴族みたいだねー」とチェシャには言われたが、茶色い眼や黒髪は西洋の印象を受けなかった為、世辞なのだろうと流して――本当に黒髪茶眼でありながら西洋貴族のようだったのだが――彼はアルター王国上空から落下して行く。

 そうして、庭原 梓の――カタルパ・ガーデンの〈マスター〉としての生活が始まったのだ。貫くべき正義を抱いたまま。かの父に向けた復讐心を、抱いたまま。

 

□■□

 

『で、カタルパ?俺はもう何が何だか分からないんだが……』

「安心しとけ。僕にもさっぱりだ」

 

 色付いた世界の中、ガーデンは嘆息する。【絶対裁姫 アストライア】と名乗ったメイデンwithアームズのカテゴリーを持つ少女を、目の前に立たせたまま。

 少女は白いワンピースを着用しており、肌も白く身の丈は百五十程。灰色の眼をしていて、無造作に伸びた銀髪が腰まで届いている。

 ハッキリ言って、とても白かった。銀などがあろうと、印象として白かったのだ。

 そんな白い少女を前に、着ぐるみと貴族はゴニョゴニョ何か話し合っていた。

 

「ふむ、詳しい自己紹介は後々の方がいいのかな、主人(マスター)

 

 アストライアが目を向けた先には、シュウとガーデンで受けたクエストの対象モンスターがいた。

 何か話し合うならば、今この場所でするよりも、クエストを終わらせて街でする方が安全だ。

 シュウとガーデンは瞬時にそれを理解して、クエストを再開した。

 

□■□

 

 【絶対裁姫 アストライア】が武器となった時、それは十字架と片手剣を合わせたようなデザインをしていた。柄には鎖が巻き付かれており、それは正義やの神と称されるアストライアの持ち物、天秤から来ているのだろう。

 使用可能スキルは『秤は意図せずして釣り合う(アンコンシアス・フラット)』と言うらしいが、それの効果がバグったように読めない。そしてまた、使えない。

 ガーデンは使用条件があるのだろう、と解読を諦めた。

 それは正しい判断であり――そして、このスキルは彼に変化を与える事になる。

 

□■□

 

 クエストを無事終えて、二人足す一人は、今後の事を話し合う為に何処か良い場所は無いか探していた。

 

「…………な、なぁ、アストライア」

「どうした、主人。私の事はニックネームを付けて呼んでくれて構わないよ?」

 

 そう胸を張る――その身長にしては、大きい部類に入るものを持っていた。何がとは言わないが――アストライアに、ガーデンとシュウはガックリと肩を落とした。

 

『何なんだ、お前の〈エンブリオ〉。変わり者すぎるクマー』

「こっちのセリフだよ、シュウ。僕のせいじゃない、と思うよ?」

 

 街の中、シュウとガーデンの後ろを律儀に付いて行くアストライアに、投げかけたい疑問は山ほどあった。

 メイデンって何なんだ、とか。〈エンブリオ〉についての疑問が、ガーデンにはあった。勿論、シュウにも少なからず。

 先程も二人ならではのやり取りをしている際にアストライアがインターセプトして来て、そのやり取りに則ったツッコミを加えていた。

 

『矢張りお前の記憶か何かを継いでいるみたいだクマー』

「みたいだよね……」

 

 自分から言う事は無いが、ガーデン――つまり梓――は、勘が冴えている。少ない情報から結論を見出す事は多々ある。

 だが、それも限りがある。ただの正体不明を相手に結論を見出せる程、チート染みてはいない。チートなのは隣にいるシュウの技能である。

「さてさて、私の事情でクマさんにはお帰り頂いて、だ」

「え、なんで?」

『え……お前こそ何故だクマ』

「……え?何、僕がおかしいの?」

 

 それに、シュウとアストライアが頷いた。

 

「私は〈エンブリオ〉。主人がプライバシーを語らないのは仕方ない事のようだけれど、私は言わば切り札、ジョーカーだ。他の人には極力情報を与えたくない……と言うより、この辺りの事は常識じゃないかな?」

 

 それにシュウが頷き同調する。

 自分の〈エンブリオ〉に教えられ、親友も味方にはなってくれない。ガーデンは疎外感を感じざるを得なかった。

 そのままシュウは『お二人で仲良クマー』などと言い残して去っていった。うまいこと言ったつもりか、とツッコミたかったが、それはアストライアがしていた。

 

「やっぱり、僕の心、というか考えが分かるみたいだな、アストライア」

「だからアストライアは長いから略しておくれよ、主人。

で、答えはイエス、だ。悟る事が出来る、ってわけじゃないけどね。

ふふん、ロリっ子に心を読まれるなんて、嬉しいだろ?」

 

 その口調でロリと名乗るか――身長や仕草、外見は確かにそれっぽかった――とは思ったが、抑嬉しくなかったガーデンは逸れた話を戻す事に専念した。

 

「それはシュウのバルドルでも可能なのか?」

「分からないね。これがメイデンならでは、なのかはよく私も理解していないのだよ」

 

 そう言って肩を落とす仕草に、ガーデンは不覚にもドキッとした。

 

(いやいや、自分の分身にドキッとしてどうすんだよ)

 

 落ち着きを取り戻すのに大して時間はかからなかったが、この動揺はアストライアに伝わっていたようで、アストライアも笑っているようで恥ずかしがっているような複雑な表情をしていた。

「あー……まぁ、いいか、もう。

さて、君のニックネーム、か……。

アス……アスト?トライア…トライ?いやいや……中々難しいな、これ」

 

 ガーデンは思案する。自分の名前を英訳してPNにしていたからと言って、アストライアも同じようにする訳には行かない。多分和訳したら司るもの的に「正義」とか「審判」とかになってしまう。女性にニックネームを付けるという事を経験してこなかった――奴隷には番号をつけていたが、それをする訳にも行くまい――ガーデンは、本当に、一生で一番悩んだ。

 

「ライア?」

「ライアーだと嘘つきみたいで良くないね」

 

 それはゲームを後ろに付け加えるんじゃなかったかな、と心の中でそっと呟く。

 

「じゃあ何が良いんだよ。逆さまにしてアイラとか?」

「っ……良いな、それ。私はアイラ。アストライアのアイラだ。良いネーミングセンスじゃないか、主人」

 

 それで満足したらしい、アストライア改めアイラはコロコロ笑った。

一段落ついたので、今度はガーデンの番だ。

 

「じゃあアイラ。僕の事も何かニックネームで呼んでくれないか?いつまでも主人ってのは、落ち着かない」

「ふ、む……。主人は主人だからと言えど、不快ならば直さねば。

思い浮かぶ候補も少ないし、今はカタルパで良いかな?」

 

 まぁ、いいかな、とガーデン――カタルパは肯いた。

 そうして。カタルパとアイラの物語が、二人で一人の物語が、漸く始まる。

 

「羨ましいな、ぼっちなのにぼっちじゃねぇとか」

 

弟は誘えなかったが、旧友を誘えたのだから一人では無いだろうが、シュウ・スターリングは一人、着ぐるみで石畳を踏んだ。



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第三話

  TYPE:メイデン。

 〈エンブリオ〉のレアカテゴリーの一つ。神話や説話に出てくる女性の名前を持ち、〈エンブリオ〉でありながら人として生活出来る、希少種。共通して《紋章偽装》のスキルを持つ事が可能で〈マスター〉と誤認させる事が可能(とは言え、看破系スキルで破れるが)。

 そのTYPEの〈エンブリオ〉を持つ〈マスター〉は共通して「<Infinite Dendrogram>をゲームだと(何処かで)思っていない」らしい。若しくは「リアルでの人の命と、<Infinite Dendrogram>での〈ティアン〉の命を当価値と考えている」らしい。

 庭原 梓は何方かと言えば後者である。確かに、<Infinite Dendrogram>はゲームなのだろう。しかしそれでも、「現実(リアル)での人の命が無価値である。そしてまた、仮想空間(バーチャル)の人、〈ティアン〉の命もまた、無価値である」と、梓は考えている。

  それ故に、悲しい内情ではあるが、現実と仮想空間での人の命を当価値と考えてしまっているが故に。

 庭原 梓は、メイデンの〈エンブリオ〉の〈マスター〉になった。

 それと。付け加えるように一つ。TYPEメイデンの〈エンブリオ〉は総じて(条件はあるが)強者打破(ジャイアントキリング)系の能力になりやすい。

 さて一体、【絶対裁姫 アストライア】という〈エンブリオ〉は、どのような強者に対して能力を発揮すると言うのだろう。

 それはまだ、誰にも分からない事だ。

 

□■□

 

 気怠いながら、惰眠を貪りたいという欲求と戦いながらも。庭原 梓は――カタルパ・ガーデンは三日連続で(、、、、、)<Infinite Dendrogram>にログインしていた。一度の休みもなく、だ。

 

「……カタルパ」

 

 アストライア――アイラは知っている。現実が仮想空間の三分の一の速度で時間が進んでいる事を。

 三日間ここにいれば、向こう(リアル)では一日経過している事を。

 つまりこの主人(マスター)、カタルパ・ガーデンは貫徹をしていらっしゃる訳だ。

 

「流石に空腹やら睡眠不足やらが表示されるのではないのか?」

「……そうだね」

 

 と言うか表示されているね、とカタルパは微笑を浮かべる。それでもログアウトする気は無いらしい。装備を一新したので――とは言え、まだ初級装備だが――性能をテストしている。

 職業にも就き、ジョブが【会計士(アカウンテット)】となっている。本人はその職に満足している。街のクリスタルに触れたら就けたのだ。

 【会計士】は商人系統下級職だ。同系統には【商人(マーチェント)】などが存在する。クリスタルに触れた際それも選択肢にあったが、選んだのは【会計士】だった。無論、非戦闘職である。

 

「いやいや。流石にマズいのでは無いか?眠らないなど。

その……私事ではあるが、な?〈マスター〉に倒れられるのは、嫌なのだ」

 

 少女が心の底からカタルパを心配している事を悟った梓は、仕方ないなと言い残してログアウトした。

 その時のアイラは、心做しか笑っているように見えた。

 

□■□

 

 気怠いながら、惰眠を貪りたいという欲求と戦いながらも。庭原 梓は目を覚ました。先程とは似て非なる感覚。真なる目覚め、だ。然れどそれは一時的なもので、本来の眠気がその後襲ってきた。それに必死の抵抗をしながら、ベッドを降りて、リビングへ歩いていく。

 一人暮らし故に、いつ起きても、誰にも迷惑がられない。例え目を覚ましたのが深夜であっても。家出したのは間違いだったかもしれないが、こうした平穏な暮らしは正解だったと思っている。

 ニュースは<Infinite Dendrogram>が凄い!みたいな事を延々と続けていて、正直見る気もしなかった。

 ネットも似たような騒ぎをしていたし、〈DIN〉なる組織が<Infinite Dendrogram>の情報を流していたが、それも見る気にはならなかった。

 【会計士】カタルパ・ガーデンの情報が出る訳もない。何せまだ何もしていないからだ。貴重な(らしい)メイデンの〈エンブリオ〉の所持者ではあっても、実績が無いため知れ渡る機会は無い。況してや【会計士】という非戦闘職。知名度が高いわけがない。……と言うか、そんな騒がれても困るのだが。

 非常食という印象が拭えない食料を口に放る。<Infinite Dendrogram>では決して味わう事の無い味――この後、もっと酷いものを<Infinite Dendrogram>で食す事になるのだが、それはまた別の話だ――だった。

 睡眠……はしようと思えばする程度。いざ寝ようと思うと中々寝付けないものなのだ。だから梓は、寝ようとせずに<Infinite Dendrogram>へ向かおうとした、が。

 

「……こんなに早いと、あの子が心配するか」

 

 自分の分身でしか無いはずの少女の姿が浮かんだ。何故か、と問われても、恐らく本人ですら分からない。ただ、結果的に浮かんでいて、それ故に梓は布団に潜り、目を瞑ったのだった。

 

「さて、と……」

 

 たっぷり9時間寝た――梓にとっての「たっぷり」であり、個人差はある――梓は、改めて9時間前と同じように専用のデバイスを付ける。

 リンクスタート!と言えば恐らく別のVRMMOの世界へ行く事だろうが、接続を確認し、起動するだけでいい。

 梓はカタルパ・ガーデンとなって、今一度<Infinite Dendrogram>へと飛翔する――

 

□■□

 

「やぁ、カーター」

「カーターって誰だよ」

 

 出会い頭アイラに俗称(ニックネーム)で呼ばれて困惑したが、確かにカタルパって言いづらいよな、と自身で納得した。

 

「きちんと寝たみたいだね。感心感心」

「君は僕の母親か何かか……」

 

 尤も、梓の母親を梓は母親と思っていない故に、母親とは何かを良く知らないのだが。

 9時間も、つまりゲーム内でいう27時間もログインしなかった為に寝たと判断したらしい。それは正しい事だ。だがそれは、27時間分のロスをしていた事に他ならない。

 

「さぁさ、レベル上げだぞ、カーター。〈エンブリオ〉には第7形態までの進化があるからな!私もまだまだ強くなって、カーターの力になれるというものだ!」

「レベリング、ね……露骨な説明ありがとよ、誰への配慮かは知らんが」

 

 勿論君への配慮さ、とアイラは笑う。知っている事を言うなよ、とカタルパは苦笑する。

 未だ<Infinite Dendrogram>の世界には謎が多い。何せリアルでも2日程しか経過していない。実質的なゲームクリアが存在しないゲーム故、明確な攻略法も存在しない。

 このゲームの売り文句である『自由』の下に好き勝手やって、何か見つけたら報告する程度でいい。

 だから、だからこそ。

 ――自由過ぎる輩が少なからず現れるのが、困り物である。

 

「うわぁぁっ!!」

 

 街中で(、、、)その悲鳴を聞き、カタルパとアイラは何事かと駆け出す。街中にモンスターが出現する事は先ずない。

 だが、モンスターよりタチの悪いものが現れる事はある。

 

PK(プレイヤーキラー)か!!」

「っ……下衆め!」

 

 アイラがアストライアとなり、カタルパの右手に収まる。

 十字架を象った片手剣は、容易く突き刺さった。

  ――PKの被害者の〈マスター〉に。

 

「っ!てめぇ!!」

 

 〈マスター〉を盾にした事を察したカタルパとアイラはPKに席巻する。

 被害者の方の〈マスター〉はまだHPが0になっていないらしく、光の塵になっていない――光の塵になる事は、モンスターを倒して知った事だ。アイラが〈マスター〉もそうなると教えてくれた――ようで、宝石のようなものが埋め込まれた左手で這いずっている。

  そして、PK。PNは『ミル(キー)』と言う女性らしい。手に持つはアイラと同じTYPE:アームズの〈エンブリオ〉のようだ。手斧のような形状をしている。

 カタルパは、或いはアイラは、若しくは庭原 梓は。その行為を、プレイヤーキラーを、許すつもりは毛頭ない。目の前の輩が誰かは知らないが、いくら『自由』が取り柄のゲームとは言え、『これ』は許されない。殺す自由、殺される自由。そんなものがあったって、お天道様か、梓自身が許さない。

「――死んじゃえ!」

 

 PK、ミル鍵が斧を振り下ろす。カタルパはそれを容易くいなし、隙だらけのミル鍵の体に蹴りを入れた。

 吹き飛ぶミル鍵。然れどそれは、彼女の思惑通りだった。

 ――吹き飛んだ先に、先程の〈マスター〉がいた。

 錐揉み回転をしながらミル鍵はその〈マスター〉に接近する。そんな状態で斧を振るえば、あっという間にミンチだろう。そうなる前に光の塵と化すかもしれない。

 〈DIN〉の情報の一部に、死ぬとリアルで24時間ログイン出来なくなると書かれていた。

 カタルパは、それを良しとしない。それを受け入れない。モンスターとの戦闘ならば、致し方ないとも思える。それは殺し殺される関係なのだから。それはP V P(プレイヤーバーサスプレイヤー)でも同じ事が言えてしまう。が、梓はそうは思っていない。

 プレイヤーとモンスターは、違うじゃないか、と。そんな理屈にもならない理屈を押し通す。

 今カタルパが追いかけた所で間に合わない。〈マスター〉はミンチにされるだろう。それでも。それを良しとしないカタルパは――梓は。そして、彼の〈エンブリオ〉である【絶対裁姫 アストライア】は。

 

「『《秤は意図せずして釣り合う(アンコンシアス・フラット)》』」

 

 そう告げて。ミル鍵の横を並走した(、、、、、、、、、、)

 

□■□

 

「な、なぁ!?」

 

 ミル鍵はあんぐりと口を開ける。初級装備で防御力がそう高くないミル鍵は、【絶対裁姫 アストライア】の装備補正で攻撃力が強化されている状態での一撃を喰らっていた為、HPに余裕は無い。もう一度食らえば、間違いなくデスペナルティだ。

 PKを、「モンスターを狩るより儲かるから」という理由で始めたミル鍵は、1人目を狩ろうとしたこの瞬間、化け物に出会った。西洋貴族のような風貌で、燕尾服を着て、鎖の巻き付いた片手剣を振るう、〈マスター〉に。

 逃げなければ、とは思わなかった。何故なら逃げられないから。今この速度は彼に蹴られた分と自らが飛んだ分を加算して出しているに過ぎない。立ち止まれば今のミル鍵よりAGIが高くなっているだろう目の前の〈マスター〉が己を容易く殺すだろう。

 況してや、仮に逃げられたとしても、顔を隠すような装備はしていない為、次に出会った時に殺されてしまう。

 だから、ミル鍵は、狙っていた〈マスター〉では無く、目の前の〈マスター〉、カタルパ・ガーデンを殺さ(キルし)なければいけない。

 

「《脚は無くとも速くはあり(トップスピード・ランニング)》!!」

 

 ミル鍵は自身の〈エンブリオ〉、【上半怪異 テケテケ】のスキルを発動した。一時的にSTRとAGIを上昇させ、数秒間だけ空中歩行を可能にするスキル。第1形態でありながら、その効果は破格であった。条件として足を地に付けていないという条件があるのだが。

 空中で二段ジャンプのように跳ねたミル鍵は、相手の後ろをとった。

 

(決める……!!)

 

 そう決心して、手斧を振るった。

 そして。

 

 カタルパが、空を蹴ってミル鍵の更に後ろに回った。

 

「え……?」

 

 もう、ミル鍵が何かを発する事は無い。首の上下で体が別れて、光の塵に成ろうとしているのだから。

 

□■□

 

 《秤は意図せずして釣り合う》は、或る意味自強化系統のスキルだ。

 『自分以外にかけられているステータス変動の内、強化されている分を写し取り、自身に付与する』という効果。そしてそれは、一部の運動エネルギーや装備補正も対象になる。

 蹴り飛ばされていた運動エネルギーと彼女の装備補正を写し取り、カタルパはミル鍵と並走したのだ。何せ加算されたのだから、自らのAGIを足せば容易に追い付く。そしてまた、《脚は無くとも速くはあり》も、STRとAGIを上昇させ、空中歩行をバフとして付与するスキル。

 1分というタイムリミットが《秤は意図せずして釣り合う》にはあったが、そのバフの量は充分過ぎたのだ。

 強化されたミル鍵の補正をパクって、空中歩行して首を狩る。カタルパのやった事はそれだけだ。

 そしてまた、その対象がいなかった故に、彼はこの間使えなかった。

 

「悪と判断された相手にのみ使用可能なスキルって……」

「面目無いが、正義の味方みたいで良いではないか、カーター」

 

 『自由』なら、せめてスキルぐらい自由に選ばせて欲しかった。強いスキルではあったが、いかんせん使い勝手が悪い。PKという悪を見たが故に使えたようなものだ。暗殺とかだった場合、使う暇が無い。

 まぁ、それでも無いよりはマシか、と。カタルパは立ち上がり、人型になったアイラに笑う。

 

「あ、それで、大丈夫ですか」

 

 序の用事、みたいな感覚でカタルパは襲われていた〈マスター〉に駆け寄る。

 

「ありがとう、ございます……」

 

 マスターなのに、やけに気弱だった。PNは『アルカ・トレス』と言うらしい。アルカトラズみてぇだ、とは言わなかった。

 その気弱な〈マスター〉、アルカは、ペコペコと何度もお礼を言いながら、ログアウトしていった。クエストが終わって、街を歩いていたら襲われたのだと語っていた。

 

「あの子の〈エンブリオ〉はどうなるんだろうね、カーター」

「誰一人として同じ〈エンブリオ〉を持つ者はいない、んだろ?予想するだけ無駄な気がするよ」

 

 その意見は正しい。〈エンブリオ〉は〈マスター〉と連動している。〈マスター〉の内面を反映して〈エンブリオ〉が生まれる。そんな中同じ〈エンブリオ〉が生まれるという事は、〈マスター〉同士の内面が全く同じという事だ。それは、現実的に有り得ない話なのだ。

 だからカタルパに分かるのは、バルドルでもテケテケでも――アストライアでも無い事くらいだ。

 

「俺のアイラを誰かも使えるってのは、な」

「お、『俺の』などと言わないでくれ!恥ずかしいじゃないか!」

 

 その可愛らしい態度に、堪らずカタルパは赤面した。

 

「意外と可愛い面があるのな」

「意外ととは何か!私はオールウェイズ可愛いじゃないか!貴重なメイデンで!プリティーで!カーターもメロメロじゃないか!」

「全部虚偽なんですがー」

「何を言うか!」

 

 お仕置きしてやる!と叫んで拳で頭をグリグリされた――正式名称を知らない――カタルパは、「それ」に少し懐かしさを感じていた。




《秤は意図せずして釣り合う》
  自身が悪事を視認する事で(若しくは特定の条件達成)その対象を選択して発動するスキル。
  1分間だけ対象にかけられているバフ、一部の運動エネルギー、装備補正によるステータスや状態異常欄の変動全てを写し取り、その内強化されている分を自身に加算するスキル。
  発動中であれば、途中でされたバフも加算される。
 ストック制でストックは最大2。12時間に1つストックが増える。連続使用も一応は可能な為、ストックを一気に2つ使うのであれば2分間相手のステータスを加算出来る。


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第四話

  誰かの為の正義は無い。あったのであれば、それは正義と呼ぶに足るものではない。人を守るのは正義であれど、誰かの為に振り翳すそれは、正義ではない。そして、そんな空っぽな正義で倒せる悪は、偽悪でしかない。

 カタルパ・ガーデンが掲げるのは正義ではない。これを正義と呼ぶには、あまりにも悪に浸かりすぎていた。悪を見たからそれを反面教師にして正義を掲げている。そこに間違いは無いし、そこには彼なりの(、、、、)正しさが存在する。だからこそ、彼は少なからず毒された部分を持っている。外見では分からない彼の内面が、殆どその汚毒に塗れている事を、カタルパは知らない。そう、カタルパは(、、、、、)

 

□■□

 

 【会計士】としての仕事が身につき始めたのは、ゲーム開始からリアルで1週間経った頃だった。

 クエストが多種多様で、【会計士】系列のみが受けられるクエストなども存在していた。カタルパは現在、それを着実にこなしていた。

  延々と書類に書かれている数字を計算し、文面が正しいかどうかを算出するというもの。非戦闘職である【会計士】には『高速演算』というスキルが存在し、スキルレベルを上げれば計算速度が上昇する。それは凡百計算に使用する事が可能で、理系の高校、大学を進んできた梓には大変有用なスキルだった。

 

「違うゲームとかだったら一定時間待つかミニゲームで終わるんだろうな、こういうの」

『そう言うな、カーター。それに、こうして苦労しないと、仕事をしたと言えまい』

「ミニゲームでも仕事をした達成感はあると思うんだがな……」

 

 ならこれは数字を打ち込むミニゲームかな、とアイラに言われて、それなら出来るかもな、とカタルパは笑む。

  <Infinite Dendrogram>が発売して、リアルで1週間。カタルパはそろそろ【会計士】のジョブレベルがMAXになろうとしていた。

  そして。ログイン時間は120時間に及ぶ。168時間ある内、120時間だ。24時間という時間の内、3分の1程を睡眠などに費やす『常識人』であれば、このペースは「え?」となるが、廃人からすればそれは当たり前と流せるような事だった。あまりに瑣末な事だった。

  そして。このような計算するだけのクエストを、80時間程行っている。120時間中の80時間だ。プレイ時間の半分以上をこの作業に回している訳だ。<Infinite Dendrogram>での時間では240時間、10日に及ぶ。

  非戦闘職は戦闘でレベルを上げるよりもこうした職に向いた作業をしている方が上がりやすい。実際にやってみて比較した結果がそれである。

  況してや、カタルパには相棒かつ働き手(アストライア)がいる。1人で2人分の仕事を行うのは造作もない、と考えていた。記憶をアストライアが継いでいる事も知っていた訳だし、倍速で進むなら楽なものだと考えていた。だが。

 

「なぁ、カーター。何故こんな方法で計算が出来るのだ?」

 

  アイラは頭に浮かんだ計算式――カタルパが脳裏に浮かべているものだ――を紙に書き取る。

 それは、Excelで使われていそうな計算式だった。IFやらSUMやらROUNDDOWNやら、多種多様だった。

 

「なんでこんなやり方でそこまで正確に計算出来る?私には理解出来ないよ」

 

 いくら過去が分かろうと、いくら思考が読めようと。考える間もなく反射で、Excelでやるような計算をしているカタルパに、アイラはついていけていなかった。解き方は分かるが、運用方法が分からない感覚。公式だけ覚えたって、100%の理解をした訳ではないのだ。

 カタルパが狙っていた1人で2人的な作戦はしかし、他ならない彼の才能のせいで瓦解していた。

 だが逆に、カタルパはこの方法以外を知らない。数学で満点を取ってきた方法もこれ以外に存在しなかったし、日常や、或いは『あの時』ですら、彼はこの計算方法以外を使用しなかった。

  カタルパにとって、「1+1」は難しい。だが、A1とB1にそれぞれ1と記載されている状態での「=SUM(A1:B1)」の答えが2である事は即座に分かる。

  誰もがそれを理解不能だと答えるが、カタルパ…庭原 梓にとっては、「1+1」をそのまま計算出来てしまう方が理解し難い事なのだ。

  或る意味で馬鹿であり、或る意味で天才。

  そして、彼にとって、もう有る意味のない才能だ。

 

□■□

 

  どうやら中途で眠ってしまっていたらしいカタルパは、斜陽が差し込む室内で目を覚ました。

  横には計算済の書類が積まれていて、机を挟んで向かい合うアイラが終わらせたのだと察した。辺りには計算用紙らしきものが散乱としていて、アイラがExcel関数を覚えようとした痕跡が見て取れる(内容を見る限り得られてはいないようだが)。

 それにカタルパはクスリと笑ってから、その部屋を出る。

 

「ありがとな。態々こんな簡単なクエスト出してくれて」

 

 そして、今回の依頼をしたリリアーナ・グランドリアに礼を言う。未だ若い彼女が、何故このようなクエストを出したのかは分からない。もしかしたら彼女の父であるラングレイ・グランドリアからのクエストなのかもしれない。彼は超級職と呼ばれる【天騎士】で、王国最強の騎士。

  カタルパは今回、何かしらメリットがあるかもな、とこのクエストを受けた。何せ彼女の父はアルター王国最強、である。その内何かあるに違いない、と少し『ハズレた』考えを脳内で展開する。

「ありがとうございました、カタルパさん」

 

 NPCと呼ばれる存在であれ、〈ティアン〉には意思がある。それこそ、本当の人間のように。

  リリアーナが感謝したのは、クエストそのものの事であり、あまりに出来の良すぎる計算結果に対してでもあった。

  ここ数日、つまり10日程。ただ書類の数字を計算し続けるというつまらないクエストをカタルパはやってくれた。誰もやる事の無かったクエストをやってくれた事への感謝をし(誰もやっていなかった間、ノロノロとリリアーナ達〈ティアン〉が進めていた)、そして何よりその正確性に対して感謝をした。

 

「私個人としては、このまま貴方にはこのクエストをやり続けて欲しいのですが……」

「そうさせるには、〈マスター〉に触れさせたくない情報が多過ぎる、だろ?」

 

 リリアーナは静かに頷く。カタルパがやって来たのは、誰でもやれるような計算。そう、誰もが見ても構わないような情報を見て行う計算だ。そこには王国が隠したいような情報は無い。驚くほどに、何1つ。

 では逆に、隠したいもの(じょうほう)はどうする?

  答えはシンプル。クエストに出さない、隠す、だ。

  それをリリアーナ達王国側は実行しているに過ぎない。それは安全策とかの、それ以前の問題。

  カタルパは、そう言った隠したい情報を「バラしても構わない」と思われない程度の存在だった。

  そしてそれを、カタルパは良い事だと思っている。カタルパが今迄行って来た事はこのクエストくらいのもの。クエストを行い続けていた程度で隠したい情報を公開させるような国なら、多分カタルパでなくても信用出来ないだろう。

  まあ、流石にその国を滅ぼそうと思うには、誰もが戦力を欠いていた。最近、シュウ・スターリングの〈エンブリオ〉、バルドルが第2段階になったらしいが、7ある内の2に過ぎない。未だ遠い道程の半ばにすら立てていない。国を敵に回すなど、それでは到底敵わない。

  無論、非戦闘職街道驀地(まっしぐら)なカタルパも、例外ではない。《秤は意図せずして釣り合う》を使った所で、それは装備補正を含めたプラスのステータス補正を映すに過ぎない。自身のステータスが相手の元々のステータスを下回っていた場合、加算しても届かない。目の前のリリアーナという少女にも、恐らくカタルパは勝利出来ない。それに、悪人に対してしか使えないスキルだ。目の前の全良な少女には使えない。

  彼に力は無い。正義を掲げる事は出来ても、それを補強するような力は存在しない。そしてまた、センススキルが計算能力しか無いからと言って、この世界で強さの高みへ登ろうとしなかった。

  カタルパ・ガーデンは【会計士】。それ以上でも以下でも、それ以外でもない。非戦闘職。商人系統下級職。

  【商人】ではなく【会計士】。売る事ではなく、計算する事に重きを置いた職業。本当に、それだけだ。

 

「では、また」

「……アイラさんを置いていかないであげて下さい」

 

 リリアーナは嘆息する。カタルパは素で忘れていた。てっきり左手に戻っているものと思っていたのだ。勘違い甚だしい。先程寝ている姿を見たばかりだと言うのに。

  部屋に戻るとまだアイラは眠っていた。寝息をたて、未だ覚める様子は無い。

  カタルパはそっとアイラに近付き、顔を彼女の耳に寄せる。

 

「早く覚めなきゃ悪戯するぞ?」

 

 そのセリフに、眠っているアイラでは無く、リリアーナが赤面した(抑、眠りながら反応出来るものか)。……一体リリアーナは何を想像したのだろう、とカタルパは思ったが、年頃の少女はそういう所にヤケに機微な所がある為、触れないであげる事にした。

 

「な、な……何を……」

「ふむ、起きない、と」

 

 カタルパはリリアーナを居ない者として扱い、アイラを抱え上げる。お姫様抱っこの形で。

 

「ではまた。今度は俺に直接クエスト出しに来て下さいよ」

「会えたら、そうしたい、です……」

 

 リリアーナが先程からこちらを直視して来ない。まぁ、自分でもやるのは恥ずかしいと思っている事をやっているのだ。この中で最も恥じらっていない者は、お姫様抱っこをされているアイラなのだろう。知らぬが仏、である。

  カタルパは起こさないようにゆっくりと去って行く。翌日の悲劇の前の静けさは、恐らくこの辺りで終わっていたのだろう。



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第五話

追記。
ほんの少し、修正を加えました。意味は……後々のためです。


 眼前の誰か(奴隷)が望んだ事。願った事。希った事。祈った事。

 その全てを、誰かが聞く理由は、何処にも無い。

 目の前で叫ばれようと、聞く理由は無いのだ。

 それでも。庭原 梓は聞き届けた。

 理由は無かったが、聞かなければならないという使命感があった。

 それでも、聞き届けただけだった。

 目の前で失われた命を、救う事は出来なかった。

 さて、そこで質問だ、と誰かが彼に言った。

 今迄で何度、このような事を繰り返して来たのか、と。

 彼は答えた。それは途方も無い数、という程では無いが、少なくもない数だった。

 その答えに、その誰かが満足した訳ではない。彼の隣に立つその誰かは、そう聞いて、彼がどういった心の動きを見せるかを、見たかっただけなのだ。

 悪趣味だ、と梓は笑う。全く以てその通りだ、と誰かは答える。

 怒りか、或いは全く違う感情からか、隣にいる誰かを殴る。それだけで、そこにあった鏡は割れた。

 

□■□

 

 商人系統下級職【会計士】のレベルがカンストしたので、カタルパはアルテアのクリスタルに触れて商人系統上級職【演算士(オペレーター)】になった。なる為の条件は面倒ではあったが、難しい訳では無かった。計算問題とかがあったのは、数検的なものと流しておこう。

 何はともあれ、カタルパ・ガーデンは上級職に就いた。一部の〈ティアン〉や、闘技場がある都市、ギデオンにいる【猫神】という職業の〈マスター〉。彼ら超級職に追い付くにはまだ遠くても、こうしていれば何れ辿り着けるだろう、と、カタルパは確信していた。非戦闘職と戦闘職という圧倒的過ぎる格差があるにせよ、超級職という枠組みからは外れていない。悩みの種はどういう条件で、どのようにすれば超級職とやらになれるかだが、それは喫緊の課題では無かった為に頭から弾かれた。

 

「――ター。カーター。聞いているのか?」

「ん?あ、すまない。聞いていなかった」

 

 カタルパは瞬きを何回かしてから、自身の思念を一旦置いて、アイラの話に耳を傾けた。

 何を話していたか、或いはこれから何を話すのか、カタルパは知らない。アイラの口から何が発せられるのか、されていたのか、知らない。

 だからこそ、彼にとって初耳の、彼女からすれば何度も言っていたその情報を。カタルパは意外すぎて真に受ける事が出来なかった。

 

「カーターが上級職になったのと同様、私は第2形態になったようだ」

 

 そんな、たった一文で纏められた文章さえ、信じられなかった。

 信じられないが故に、アルテアのクリスタルの前にいたカタルパは、周りも驚く程叫んだ。

 

□■□

 

 メイデンの状態からアイラは武器(アームズ)の形へ変貌する。

 【絶対裁姫 アストライア】の第2形態は弩弓の形をしていた。弩弓の部分のみの、矢の無い弩だった。弩弓とは、かつて中国辺りで使用された武器で、日本で伝わる所謂和弓とは差異がある。

 これ、何で矢が何処にもねぇんだ?と疑念を抱くが、先ずはアイラの説明を聞く事にした。と言うか、それしかなかった。

『私の第2形態、弩弓は、装備補正こそ高くないが、カーターにとっては貴重な遠距離武器となるな。

 この形態だと《秤は意図せずして釣り合う》を使用出来ないようだ』

「へぇ、そりゃ大変だな」

 

 ステータスの上昇が使える遠距離武器、なんてのはあまりに酷い性能だろうから、相手側としては嬉しい処置だろう。

 ――余談ではあるが、何故弩弓なのかと問われれば、意訳が「Cross Bow」だからと答えざるを得ない。十字であれば(クロスしていりゃ)それでいいのか、と問われたら勿論そうだ、と答えるしかない。

 

「遠距離武器、と言われても、俺の場合これを使う機会は無さそうだな」

『だが新たなスキルがこの形態で使えるようになっているぞ?まぁ、以前のように、読めない使えないスキルだが』

「それでもなぁ……」

 

 そう言うのも無理は無い。戦う意思が言う程無いからだ。確かに今の所十字の片手剣に弩弓と攻撃出来る武器ばかりになっているが、ステータスや職も、戦う為のそれではない。

 ――それでも、『非戦闘』へと進んでいく〈マスター〉を、アイラという〈エンブリオ〉は辛うじて『戦闘』の域に収めているのかもしれない。

 唯一あったスキルも戦う際に使用するようなアクティブスキルである事も関係するのだろう。

 

『矢は存在しない。現状は、な。引き絞り、懸刀を引く際には自動的に装填されている。何処から装填されるのかは、生憎分かりそうにないな』

 

 懸刀とは、引き金の事だ。

 

「へぇ。自動で、ね。んで、どういう弦と翼なんだ、これは」

 

 弩弓は弓と同じように、張力が武器の威力に関係する。張力が強ければ、弩弓の威力は上がる。代わりにその弦を張る事が難しくなる。それ故に、威力に秀でていると速射が出来ない。カタルパが暗に言っているのはそこだ。『威力重視にしたか、速射重視にしたか』だ。

 

『速射重視故に威力は大して。カーターの力でも楽に撃てるようにはなっている。まぁ、それでも力を殆ど入れずに出来る訳ではないが』

 

 力を入れずに出来るなら、張力も高が知れている。

 

(俺に合わせてくれたって事だろうけど、STRが低すぎる、って事だよな……)

 

 カタルパも、少しだけ現状を変えようという意思があった、らしい。

 試しに1度、弦を張る。本当に何処からとも無く矢が現れた。人がいない事を確認し、懸刀を引くとそのまま矢は射出された。速度はあるが、威力はあまり、といった感想だ。

 

「まあ、大方予想通り、だな。もういいぞ」

 

 カタルパは人型に戻るよう告げる。アイラもそれに応じる――事は無かった。

 

「アイラ?」

『……構えろ、主人』

 

 アイラが、カーターと呼ばなかった事に、カタルパは気付いた。それは、少しでも漏洩する情報を削る為の行為だと思ったが、自分が言っていては意味が無い。

 ただ単に、本気で警戒していただけだ。俗称で呼ぶ事を忘れる程に。

 アイラ…【絶対裁姫 アストライア】に《敵感知》などという便利なスキルは搭載されていない。《不意打ち防御》なんて利便性のあるスキルも持っていない。何も無い(、、、、)

 それでも、何かが来る、と分かった。

 

「え、そんなに警戒されるー?警戒しない警戒しない」

 

 現れたのは、〈マスター〉、だった……?

 人ではある。それは分かる。年齢は十代なのだろうが、何かこう、説明し難い何か、母性的なものを感じる。恐らくキャラメイクで若くしたのだろう、と予想を立てられる。

 〈ティアン〉では無い。それも左手の甲を見れば分かる。

 ただどうしようも無く、ヤバかった。

 何が。分からない。何故か。分からない。

 説明のしようがない「ヤバさ」というものを、カタルパとアイラは感じ取っていた。それでも、警戒しないと言われたのでほんの少しだけ緩め、鵜呑みにしてはいないので懸刀に指をかける。再装填された矢で倒せるとは思っていないが、牽制にはなるだろう、程度に思って。

 

「別に私は戦わないわよ。戦う意思は、持つだけ無駄ねー。それに、貴方の『それ』じゃ勝てないでしょー」

 

 笑う〈マスター〉。『それ』とは果たして、〈エンブリオ〉であるアイラの事か、〈マスター〉であるカタルパの事か。或いは――その双方か。

 どれであれ、どうやら勝ち目は無いらしい、と悟ったカタルパは、懸刀から指を離す。

 

「物分りがいいと助かるわー」

「貴女は母親か何かか……」

 

 それにその言い方だと、『物分りの悪い奴』がいるように聞こえる。知り合いにいるのだろうか。

 少し落ち着きを取り戻してから改めて見れば、整った顔立ちをしている。まあ、関係ない事だが。

 

「私はアリスン、宜しくねー」

「アリス……ン?え、言い間違いとかではなく?」

「うん、そうよー、アリスン」

「そう、なのか。僕はカタルパ・ガーデンだ。宜しく?」

 

 宜しく出来ない気がしたのは、恐らくカタルパのせいではない。

 アリスと入力しようとして間違えたのだろうか、とかすら思っている。

 胡散臭い。とても胡散臭い。〈マスター〉なのは分かるが、それ以外が分からない(、、、、、、、、、、)

 とてつもなく、『踏み入れてはならない場所』に踏み入れている気がしてならなかった。

 

(…………アリスン、ね)

 

 宜しくは出来なさそうだと言うのに、これからも何かありそうだ。

 2人握手を交わそうと思い左手を差し出した――――刹那。

 

「――やっぱり貴方、危険ね」

 

 先程の、のほほんとした会話をしていた者とは思えない声がした。

 カタルパが掴んだのは、アリスンの手では無く【ジェム】だった。

 カタルパは、【ジェム】という存在をまだ知らない。と言うか、多くの〈マスター〉がまだ知らないだろう。

 だからそれが、何なのかは知らない。

 それが、《ホワイトランス》が込められている【ジェム-《ホワイトランス》】である事など、尚のこと。

 分からなかった、それ故に。

 彼女が自分を殺しに来ている事が分かった故に。

 【ジェム】を天に放り投げ、大して高くないAGIで後ろに跳ぶ。そして弩弓を構えて。

 

「『《不平等の元描く平行線(アンフェア・イズ・フェア)》!』」

 

 未だ完全に理解していないスキルの名を、口にした。

 放り投げられようと【ジェム】は既に起動している。受ける術は無い。そう確信していた(、、、、)アリスンは、無駄な足掻きだと思っていた(、、、、、)

 

 ――過去形で語るという事は、今はそうでないという事。では、目の前の光景は、アリスンに何を思わせただろう。

 

 カンストしているとはいえ、それは下級職。況してや非戦闘職。HPも3桁に届くかどうかと言ったところ。《ホワイトランス》を受けるにあたり、ENDもHPも、或いはLUCも不足している。いや、足りないどころの騒ぎではない。アリスンのそれはオーバーキル過ぎる。耐える耐えないの問題じゃない。最早形が残るか残らないか、という問題である。

 ……それなのに、カタルパに諦めるような素振りは無い。

 

(彼の頭、どうなっているのかしら)

 

 と、アリスンは心の中でそっと呟く。

 彼女が彼を殺そうとした理由は1つしかない。

 カタルパ・ガーデンという〈マスター〉が、危険だったから。彼の頭はおかしい。考えている事が常人のそれとは少々……いや大分異なっている。これ以上会話していると喋っていない事を察されそうだったのだ。

 ……これはカタルパが知る事では無いが、〈マスター〉至上主義であるアリスン――■■■は《ホワイトランス》を選んだ理由に今ある手段の中で最も速く殺せるから、というものがあった。

 痛覚はONにしていないのは知っていた(、、、、、)が、出来る限り苦しませないように、という彼女なりの『配慮』である。

 そして。待ち侘びたとばかりに《ホワイトランス》は打ち出された。

 それは彼のAGIを軽々しく越える速度で打ち出され、ENDを値の上で(、、、、)越え、それで与えられるダメージは彼のHPを越え、容赦なく貫く。

 

 ――だがしかし、彼は、そこに立っていた。

 

 アリスンは大して驚かない。何が起きたか、を理解していたからだ。また、脳裏に浮かべていた《不平等の元描く平行線》に対する推測は、正しかった。

 

「本当に、〈マスター〉って凄いわね」

 

 耐えられた、と言えどHPは底をつきかけている。状態異常欄にも【左腕欠損】や【出血】等等、立っているどころか生きていておかしいレベルの状態だ。カタルパ自身、意識が朦朧としていた。それでも、まだ死んではいなかったが。現実は残酷である。

 

 出血多量により、デスペナルティを食らう程度には。




《不平等の元描く平行線》については……次回で


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第六話

アイラのキャラが定まらない今日この頃。


■ 庭原 梓の視点の話

 

 先ず見たのは、灰色。と言うか、先ずも何も灰色。白と黒と、その中間色のみ。変に混ざって全部灰色に見えてくる。微妙な違いはあるんだろうけど、灰色の近似色って感じだ。

 彩られた世界、はあるにはあるだろう。だが所詮、それは一部のみだ。自分の生きる世界……特に自分が生きているこの場所に、そんな『輝かしいもの』は存在しない。

 左手に"鎖の巻かれた十字架"の紋章は無い。彼女、【絶対裁姫 アストライア】が『此処』に居ない事を示している。だからこそ、その手もモノクロに映る。

 モノクロの天井、モノクロの部屋、モノクロの家。

 見渡せば見渡す程に、明暗の付いた白と黒が視界に映った。

 「えー、左手に見えますは、モノクロなリビングに御座います。本当は青系で彩られた鮮やかなリビングなんですけどねー。

そして右手に見えますは、モノクロな寝室に御座います。こちらは緑を基調とした部屋になっている筈ですー。昭和のテレビよろしく白黒ですねー。<Infinite Dendrogram>にログインする為の媒体も有りますねぇ」

 なんてつまらない観光案内をされているようだ。

 鏡を見れば……自分とよく似た灰色の『誰か』がいらっしゃった。

 自分なのは理解している。色の無い、この部屋と同じモノクロ。自分に『輝かしいもの』が無い何よりの証だ。

 〈DIN〉のサイトを見る気にもならない。ログイン出来ない事を態々確認するつもりも無い。<Infinite Dendrogram>に今触れてしまうと、待てなくなってしまう。待つしかないのに、足掻いてしまう。

 だからと言って、何か、他にする事も存在しない。

 別に、<Infinite Dendrogram>が大切だ、なんて思った事は殆ど無い。無くなっても構わない、と思っていた筈だ。

 それなのに、この喪失感は何なのだろう。

 

「僕にとって、<Infinite Dendrogram(あのゲーム)>は何だったんだろう……」

 

 考えて答えが出てくるならば、そんなに嬉しい事は無い。けれど、出る気配は無い。

 また、答える声は無い。いつも隣にいた、『もう1人の自分』。

 自分と異なる意見を出してくれた、異なる見解を示してくれた彼女は、ここには居ない。

 きっと彼女にこの事を話したら、僕が思いも寄らない考えを言ってくれるに違いない。彼女はそういう人だ。〈エンブリオ〉っていう枠組みでは無く、彼女は【絶対裁姫 アストライア】、アイラという、僕にとってかけがえのない……大切な、人なんだ。

 そうして、そうする事で漸く僕は気付くのだ。

 

 ――彼女が、自分と『違った』事に。

 

 〈エンブリオ〉が自分(マスター)の分身だと言われているからって、自分と同じな訳が無い。少し考えれば分かる事だろうに、今の今まで気付いていなかった。なんと愚かしい事か。

 

(アイラに会いたいと思うのは、強欲なのだろうか……)

 

 まだ暫くログインは出来ない。だからこそ、彼女が愛おしい。

 そして、ようやっと僕の意識は<Infinite Dendrogram>に移った。

 

「そう言えば……アリスン、だったか。なんで急に殺しに来たのか……」

 

 生憎、それの答えは出ている。知られたくないから、だ。

 僕が何かに気付きそうだったから、口封じでは無いが、知られる前に殺した、のだろう。

 『知ってからでは遅い』何かを知られる前に、殺したのだろう。

 自分で言うのも何だが、勘はいい方だと思っている。彼女の言動から何かを察する事は、不可能じゃない。今回はそう言った、(或る意味の)口封じの意味が込められていた事を、死の間際に察したのだ。

 

「となると問題は逆に、察されそうだって事を、何故アリスンが気付けたか、になるのか」

 

 僕の勘の良さを人間離れなどと言い表すなら、彼女のそれも人間離れしている。母性的な人だったからな。母は何でも知っている、と言うが、そういう事なのだろうか。まあ、僕に母親はもういないんだけれどさ。

 そうこう考えている内にもう1時間経過していた。残り23時間。

 短いようで、まだ長い。

 と言うか再ログインした時にまたアリスンが殺しに来たらどうしようか。リスキルなんてもんじゃねぇ。

 

「……取り敢えず、何しようか」

 

 電話……する相手がいない。態々シュウにかけてゲームを中断させるのも気が引ける。

 友達もいるけど、何を話そうか、ってなると話題に困ってしまう。

 

 ――噂をすれば影、と言おうか。

 

 携帯が鳴った。着信が来た。相手は……ああ、天羽(あもう)じゃないか。

 天羽と言うのは僕の数少ない異性の友人の1人(同性も少ない)だ。高校時代からの関係で、大人になった今でも連絡を取り合ったり酒を酌み交わす仲だ(お互いあまり飲めないけれど)。

 そういやもう僕も25か……。もうシュウに出会ったのは10年くらい前なんだな(シュウは現在26だった筈だ。同学年ではあったらしいが、僕が早生まれの為年齢がズレている)。

 おっと。着信を無視してしまうところだった。久々に友の声を聞こうじゃないか。あわよくば、相談相手になってもらおう。

 

「もしもし」

『あ、梓?おひさー!元気してるー?死んでないー?』

「死ぬか阿呆!」

 

 妙にハイテンションだな…。何かいい事でもあったのだろうか。

 ……と言うか、ゲーム内で死んだよ、などとジョークでも言うべきだったか(ジョークではなく真実だが)。

 

『あのさ、梓が発売日に買ったって言ってたゲームあったじゃん!』

「ああ、<Infinite Dendrogram>な」

 

 確かに発売日に買って「現実逃避に行ってきます」とか言っておきながらグラフィックとか凄すぎ!って自慢してたな。記憶に新しい……って、1週間程度前の事じゃねぇか。

 

『私も買ったんだけどね!いやー、思った以上に楽しかったの!』

「……そっか。それは、良かったよ」

 

 自分が始めた理由は兎も角、天羽が始めた理由が僕ってのは、中々に嬉しいものがある。布教、とは少し違うけどな。

 

『でもさ、プレイヤーを倒すのって難しいね!』

 

 おっと?雲行きが怪しくなって……ってか、なんか、嫌な予感がする。

 

『私の〈エンブリオ〉でピョンピョン跳ねて戦うんだけどさ、1回目は真似されて倒されちゃって……』

 

 ……へぇ、真似、か。ナンカイヤナヨカンガスルヨー。

 

『2回目もぶった斬られちゃってさ。今ログイン出来ないんだよねー』

「……一応聞こう。天羽、PNは何だ?」

『ん?『ミル鍵』だけど』

「…………そう、か」

 

 ……悪い予感程、的中するのがこの世界の悪い所だと思う。

 さて、正しい事を言うべきか否か。その内<Infinite Dendrogram>内で会おうとか言われて、会ったらリベンジマッチ開始、とかシャレにならん。なら、早めに言おうかな。

 

「多分だけど、お前を(キル)したの、1回目は僕だ」

『え?そーなの?』

「PNはカタルパ・ガーデン。いや、名乗ってなかったな、そう言えば」

『へー…………へー』

 

 因みに、何故僕がミル鍵の名前などが分かったのかと言うと、【会計士】のジョブには《看破》があるからだ。アイテムの売値等が分かれば会計に応用出来るから、だとか何とか。後《暗視》があった。夜でも文字見るからね、この職業。今は【演算士】だけど。

 さて、携帯の向こうの天羽の反応がおかしくなってきた。怒っているのだろうか?

 

『そっかー。梓が私を……。梓が私の初めてなんだね』

「おい、その言い方に悪意を感じるぞ」

 

 なんか気持ち悪い。友人が気持ち悪い。ゲーム内で着ぐるみ着てる友人とか宗教やってる友人とか、電話の向こうで気持ち悪い事言ってる友人とか僕の周り気持ち悪い奴しかいねぇ!……僕も気持ち悪い奴の1人なんだけどな。類友とか言った奴はぶん殴る。

 

『てへ。

ま、殺されちゃったのは、仕方ないよね。だって『自由』が売り文句なんだもん。殺す自由と、殺される自由があっていいと思う』

「…………」

 

 その自由を、僕はあのゲームで言う自由だとは思いたくない。けれど、僕の言っている事の方が我儘なんだろう。彼女の言っている事の方が、周りの人間は納得するんだろう。

 

『まぁ、暴論だよね。

それに勝てないし。流石にもうPKはやめようかなーなんて思ってるよ』

「……因みに、戦績を聞いても?」

『2戦2敗!』

「少なすぎるのと、諦めるの早すぎな気がする」

 

 聞いて呆れるわ。抑PK向いてねぇんだよ、お前。

 天羽は根は優しいんだが、如何せん楽をしたがりだ。金策に困ったら稼ぎのいい方へいい方へと行きたがる。今回はモンスター狩るよりプレイヤー狩る方が稼げるんじゃ…とか思ったんだろう。

 その後、24時間ログイン出来ない方が結果的に損なんじゃないか、と考えたに違いない。まあ、それでPKをやめてくれるなら、こちらとしては嬉しい限りだ。

 

『ねぇ、今度一緒にクエスト行かない?私あと23時間くらいで再ログイン出来るからさ、待ち合わせて』

「あー……あぁ、いいぜ」

 

 無理に断る必要も無い。それに、アイラと話し合う時間は、天羽と一緒にクエストに行ってからでいいだろう。

 1人より、2人の方が稼ぎがいいもんね、とか言う本音があるんだろうが、触れないでやる僕は超絶優しい。

 

「で、天羽」

『どったの、カタルパ・ガーデンさん』

「……お前、後23時間何するんだ?」

 

 少しイラッとしたが、俺の聞きたい事の為にその怒りは抑えておこう。後23時間、と言うのは、奇しくも僕とほぼ同じ時間だ。

 彼女の過ごし方を参考にしてみようじゃないか。

 

『うーん、そーねー』

 

 と、言う声が、ヤケに近くから聞こえた気がした。そりゃ携帯から聞こえる訳だから近いでしょーよ、ってなるけれど、そうじゃない。それとは別で、近くから聞こえたのだ。

 ……まさか!

 

 ――ノックの音がした。

 

「取り敢えずお邪魔しよーかな、ってね」

「帰れ……と言っても帰らな……なんで当たり前のように鍵開けてんだお前」

 

 合鍵を渡した覚えは無いのに、スススっと家に入ってきた天羽。不法侵入で訴えていいか?

 携帯を置いて、リビングのテーブルに2人向かい合って掛ける。

 それから前置きもなく、天羽と僕は語り出した。

 天羽は<Infinite Dendrogram>での自分の〈エンブリオ〉、【上半怪異 テケテケ】の事を語っていた。元敵であった僕に、スキルの事や、攻撃力の事、使い勝手の事とか色々と話してくれた。

 僕も自分の〈エンブリオ〉、【絶対裁姫 アストライア】の話をしていた。珍しいメイデンの〈エンブリオ〉である事、相手にかけられているバフをパクれる事、そして。

 

「僕の〈エンブリオ〉の第2スキルは《不平等の元描く平行線》と言ってな……」

 

 新しいスキルの事も、話していた。

 目の前にいるのは確かに、過去の敵、ミル鍵なのだろう。

 だけれども、今目の前にいるのは天羽(あもう) 叶多(かなた)であって、PKミル鍵では無い。そしてもう、ミル鍵自身、PKでは無い。

 これから旅の仲間になるかもしれない相手を前に、無駄な隠し事をする意味が無い。多分それは、天羽が先に気付いていた事だろうけど。

 

「自身が受けるダメージが発生した際、自身のENDでは無く別のステータスで肩代わりして計算させるスキルなんだ」

『…………どゆこと?』

「つまりだな。AGIが200、ENDが100あったとしよう」

 

 そのステータスは、【演算士】を得た今の僕のステータスの近似値だ。

 

「その状態で《発生ダメージ-END》でダメージを受ける攻撃が発生した。発生ダメージは250。さぁどうなる」

「250-100で150ダメージ受ける、ってなるよね?」

「そうだな。でも《不平等の元描く平行線》を使うと、そのENDの値に他のステータスの値を代入出来る」

「って事は今回AGIを代入すれば50ダメージにまで軽減出来ますよって事ね」

「って事だ。今んところはダメージを受ける際にしか使ってねぇから攻撃時に使えんのかは分からん。ただ防御面に関しては殆どの攻撃がさっきの計算みてぇなの使うからな。使うタイミングはあると思う」

 

 実際、あの光る槍の攻撃を耐えたのはこのスキルがあったから。あまりにもギリギリだったけどな。ENDの欄に一番高かったAGI入れたらああなった。もっとあったら死ななかっただろう(その場合、アリスンが次の案で僕をデスペナルティにさせた事だろう)。

 

「私は第2形態になってもスキルで上がるステータスが上昇したくらいだったよー」

「僕みたいに広いとそういう上昇値とかが低い傾向にあると思うからそっちはそっちでいいと思うぞ。上昇するステータスも、空中歩行可能時間も伸びた筈だ」

 

 それを僕がやろうとすると、効果時間延長か、代入時に倍率補正がかかるくらいだろうな。

 

「あー、あと21時間だねー」

「逆に言うと2時間も話し込んでたのか。……腹減ったか?」

 

 僕は彼女の茶色い目(、、、、、、、)を見ながら言う。

 天羽は二つ返事で頷いて、朝……昼食を待つ。気付いたら朝じゃなくて昼だった。ゲーマーあるあるかもしれないが、初めて経験したよ。多分。

 

「楽しみだね、再ログイン」

「あー、そうだ、な」

「どったの、返答がなんか曖昧だけど」

 

 こういう時、恐らく僕以上に天羽は聡い。

 

「アイラに謝るべきかな、ってさ」

 

 もう天羽には、僕が自分の〈エンブリオ〉をアイラと呼んでいる事は伝えている。後々の為だ。

 だからそこにつっかかりはせず、本題の方に気を向けた。

 

「謝らない方がいいよ」

 

 天羽は、優しくそう言った。

 

「だって今、アイラちゃんは罪悪感感じてるもん。〈マスター〉が死んじゃったのは自分が弱いせいだー、って」

「あいつは悪くない!僕が……弱かったから」

「梓も弱かった。アイラちゃんも弱かった。どちらが悪いか、なんて誰にも分からないよ。それを理解するには、多分そのアリスンって人は強すぎた。為す術もなくやられちゃ、何が敗因なのかも分からないじゃん。弱かったからって、全部片付いちゃうじゃん。そこに、何の悪さがあるのさ。

だから梓も、アイラちゃんも、弱かったけど、悪くは無かったと思うよ」

「……そういうもんなのか?」

「そーゆーもんなんだよ」

 

 天羽はニカッと笑った。童顔なのもあり、高校生が笑みを浮かべているようだった。

 本人の前では言わないが、な。言うと怒るんだよ、高校生とは何事かー!と。若く見られる事を良しと思わない、らしい。

 それから僕と天羽は昼食を頂いた。面倒くさかったけどな、2人分作るとか。

 

「楽しみだね、梓」

「ああ、そうだな」

 

 最後まで自分がデスペナになった事は言わず、僕達は時が経つのを待った。

 時が経つのを楽しみだと思ったのは、久し振りな気がした。




《不平等の元描く平行線》
自身のステータスを用いた判定全てに使用可能。使用可能制限、使用範囲などの指定は一切無し。第2形態でのみ使用可能なアクティブスキル。
ステータスを用いた計算の際に、その計算で本来使わないステータスの値を代入する事が出来るスキル。自身が受けるダメージ判定の際にはENDの代わりにEND以外のステータスであるHP、MP、SP、STR、AGI、DEX、LUCの何れかを当て嵌める事が可能。
特化職であれば、当て嵌める数値を極大化させる事が可能。ステータスを偏らせても似たような事が出来るが、【会計士】と【演算士】という非戦闘職の為、大きな値の代入は出来ない。

追記。
また、計算時に常時マニュアルで数値を入力する必要がある為(常時ウラノスの必殺スキル状態)、常人がやれば頭がパンクする。

↓カタルパ・ガーデンの現在のステータス。( )内は装備品込のステータス……と言えど装備補正がアイラ以外に無い為、END等への補正が無い。
HP:98
MP:102
SP:63
STR:93(+76)
AGI:184(+51)
END:86
DEX:100
LUC:80

後、『ミル鍵』の名前に意味は無いです。天羽 叶多の名前とは何もかかってない。ただアナグラムで「キルミー(Kill me)」になるだけ。


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第七話

 1日と言うのは、意外にも過ごしてみれば長く感じない。

 「あー、なんかもう終わってたなー」等と言ってお終いだ。

 3日と言うのは、短いようで長い。

 待とうと過ぎようと「すっげー長ぇなぁ」と思う程度だ。

 前者は、庭原 梓の心情だ。

 後者は、カタルパ・ガーデンの心情だ。

 であれば。そうであるならば。

 『庭原 梓(カタルパ・ガーデン)』とは違う彼女(アストライア)は、何を思うだろう。

 

□■□

 

 降り立ったのは、見慣れた情景の中の一コマ。

 新しい仲間であるミル鍵と共に、カタルパ・ガーデンは24時間ぶりに、この世界でいう72時間ぶりに、<Infinite Dendrogram>の地を踏んだ。

 大して飲めない酒を2人で煽り、へべれけになってテーブルに突っ伏して、寝たのに気付かず「後10分で再ログイン可能だ!」「うそん!」等と焦っていたのは、誰も知らない話。

 天羽が隣室だったので、アルテアのクリスタル前(セーブポイントであり、デスペナになった2人のリスポーン地点)に集まるよう話してから、隣室同士で同時にログインした。

 そんな小話、裏話も、ログインをした2人が立つ『この世界』の話では無い。

 そう、だからここでは、『この世界』での話をしよう。

 

□■□

 

「…………ただいま」

 

 着いて早々、カタルパの目の前には真白な少女がいた。

 ミル鍵も久々に見る、梓も1日ぶりに見る、【絶対裁姫 アストライア】、愛称が「アイラ」の少女だ。

 

「…………ようこそ、<Infinite Dendrogram>の世界へ。

私は【絶対裁姫 アストライア】……君の、君だけの〈エンブリオ〉だ……私は、君という存在の、分身で、苦楽を共に分かち合う……仲間だ……」

 

 その、セリフに――拙く、心の脆さが露呈してしまっているそのセリフに、カタルパは咄嗟に何かを返せなかった。

 アイラは、ログインしていなかった間の記憶を、つまり天羽と梓の会話の記憶を梓から継いでいる。

 元から知っていた梓の勘違いが消えた事は、とても嬉しかった。天羽が自身の本心を言い当てた事には驚かされたが、漸く、梓は梓なりの正解に辿り着けたのだろう、と。そう確信していた。

 だから、自分がどうやって、そして何を言えばいいのか分からなかった。分かった彼を、称えるべきか。変わった彼を、褒めるべきか。変わらなかった、変われなかった自分を……嘲るべきか。

 でも、どれも不正解だろう、と読心していたアイラは分かっていた。

 それ故に、上がっていた候補は全部却下された。だから、心の思うまま、自分が思うまま、紡ごうにも上手く紡げない、拙い……それでも、『伝わる』言葉を、ありのままカタルパに伝えた。

 その本心の吐露は、鈍い彼にも伝わったらしい。動揺したのが分かった。アイラは安堵した。

 

「……ありがとう、アイラ。やっぱお前は俺だけの〈エンブリオ〉だ。

それに、凄いな、天羽も。言った通りだ。お前に悟られたみてぇでちょいとゾクッとするけどな」

 

 ……褒める際に違う女性と一緒にして褒めるという失態をしていたが。況してや、それを良くないと思ったのが2人共であった事には、カタルパ、つまり梓は一生気付かないのだろう。

 

「まあ、いつもの事だからいーけど」

 

 天羽……ミル鍵は嘆息する。長年の付き合いは、彼女に何を思わせたのだろうか。彼女に対しては読心を使えないアイラ……と当の本人、カタルパは分からない。

 

「にしても、PKが実は知り合いだった、なんてね。

流石にカーターは顔をリアルと同じにしているそうだから分かったのでは?」

「もっともなんだけどねー、ほら、やっぱ目とか合わせちゃうと殺しづらいじゃん?だから積極的に見なかったんだよね。今見たら梓以外の何者でもないんだけど。燕尾服はファンタジーなこの世界に於いては『無いわー』ってなるけど、梓ってこういう人だし」

「見ていたらあの時に貴女がデスペナルティになる事も無かった、と言う事なのか。これは貴女の落ち度と見るべきか、カーターが知り合いだと気付かなかった事を鈍感だったと評するべきか……後者だろうな」

「まさか。俺に何か落ち度があんのかよ。リアルとアバターが違い過ぎて間違い探しどころじゃねぇぞ。どうやって気付けってんだよ」

 

 カタルパは容赦の無い発言をする。それにまた、二人揃って嘆息するのだった。その理由もまた、カタルパは気付かない。或いは、そう嘆息された事にさえ。

 何故ならば、と問われるならば、彼が愛を知らないからだ、と答えよう。愛無き者の〈エンブリオ〉が、乙女とは笑わせる。TYPE:メイデンであり、乙女座のルーツ(となったとされる。ペルセポネという説もある)、『アストライア』とは、皮肉なものだ。

 

「あ、そーだ、梓。ギデオン行かない?」

 

 ミル鍵にそう誘われて、アイラとカタルパは見合わせる。「いきなり何を言ってんだ」と心の中で揃って呟くが如く。

 

「ギデオンには闘技場ってとこがあってね!プレイヤー同士で闘えるんだよ!」

「PKやめたと思ったらそれか!」

 

 因みに。PVN(プレイヤーバーサスノンプレイヤー)NVN(ノンプレイヤーバーサスノンプレイヤー)も可能だが、今の〈マスター〉が闘技場に出るような〈ティアン〉と闘うには、まだ彼らは弱すぎた。

 

「で、その闘技場とかギデオンとかって何処にあるんだよ。地名だろ?アルテアじゃねぇんだろ?どーせこっから遠いんだろ?」

「遠いっちゃ遠いけど、Lv51以上のみが参加出来るって言ってんだから、道中何があったって、今の梓のLvなら死ぬ事はないでしょ」

「なぁ、その『Lv51以上のみが参加可能』ってさ、本来戦闘職に向けて言ってるよなぁ?

俺は確かに51には辿り着けているけどさ、HPとか『低すぎワロタ』ってなるぜ?」

「モーマンタイ。私も大体そんなだから。職業も【兇手】だから」

「おい、それ戦闘職っぽくないか」

「暗殺者系統上級職だよ」

「戦闘職じゃねーか」

 

 加えて言えば。Lv51以上で無ければならない理由は別に、そこまで辿り着く為に必要なLv、という事では無いのだが……それはお互いに知る由もない。

 

「それにさ、梓は非戦闘職だろうと戦闘職の私に勝ってるじゃん。その枠組みは、梓に於いては無意味だよ」

「それでも嫌だ。闘いたくないで御座る」

「働きたくない、みたいに言わないでくれる?

 アイラちゃんも飽きて梓の左手に戻っちゃってんじゃん」

「それお前のせいじゃね?九分九厘お前のせいじゃね?」

「まっさかー」

『まさか』

「えぇ……」

 

 悪事や悪意は自覚が無ければ尚危険だ。悪気は無い、然れど人を殺す、などと宣う輩がいれば、梓で無くとも精神に異常があるのかと考える事だろう。

 天羽は梓程では無かったが、近しいものではあった。

 庭原 梓が『壊れている』なら。

 天羽 叶多は『狂っている』のだ。

 一歩間違えたら(、、、、、、、)イカれた奴。踏み外していないからおかしい奴。天羽 叶多とは、そういう人間だった。

 庭原 梓が生活環境で精神が壊れたなら。

 天羽 叶多は生まれた時から狂っていた。

 いずれ語るだろうから今はここで締めるが、天羽 叶多とは、と問われたならば。

 彼女を知る誰もが『狂人』と称える事を、覚えておいて頂こう。

 

「さ、行こっか」

「話聞いてたか?行かねぇよ?」

「じゃあ賭けしよう。四五六賽を振って1、2、3が出たらペアでゴー。4、5、6が出たら2人でゴー。どうよ?」

「……何一つ『いいよ』と返せる点が無い件について」

 

 抑、四五六賽。

 抑、1から6のどれが出ても結末が変わらない(1、2、3は出ないが)。

 

「初めから『2人で行きたい』と言えばいいものを」

 

 カタルパは同じくらいの身長のミル鍵の頭に手を乗せた(2人共、リアルと身長は同じに設定しているので、リアルでの身長差もほぼ無い)。

 それは、庭原 梓が天羽 叶多の頭を撫でているようだった。

 ――実際には、リアルと変わらない風貌だが燕尾服を着たカタルパが、身長以外原型の残っていない金髪紅眼の盗賊(何処と無く、フェ○トのよう)、ミル鍵を撫でていた。

 

「梓ー、天然ジゴロとか呼ばれた事ないー?」

「お前になら何度か」

「…………鈍いなー」

 

 その言葉は何故か、「鈍い」と言われたのに鋭く梓の心に突き刺さった。心做しか、紋章の中でアイラも同調している気がした。

 

「面倒だな……行きたくねぇ」

「そうゆー事言わないの。嫌と言っても引き摺って行くからね」

「おいおい、この世界のモットーとも言える自由は何処行った」

「梓に限っては存在しませーん」

「おい待て、あんま強く言い返せねぇ!あ、ちょっ、マジで引き摺んな!STR高っ!いや違ぇ、これセンススキルだ!」

 

 ズルズルと、引き摺られていくメイデンの〈マスター〉は。

 引き攣った笑みを浮かべながら、この先起こるであろう悲劇を察して、空を見る。

 

『楽しみだな、カーター』

 

 そんな声が聞こえたのは、きっと気のせいじゃない。だから。

 

「……そーだな」

 

 ミル鍵……天羽に聞こえないようにそっと、呟いた。

 

 

 そうして。これより始まるは。否、既に始まっているこれは。

 後の超級、"不平等(アンフェア)"カタルパ・ガーデンの物語。

 計算スキル特化型超級職【■■】となる、カタルパ・ガーデンの物語。

 まだ、誰も語れぬ物語――――



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第八話

■過去:天羽 叶多

 

 梓はとても危なっかしい人。

 高校生の私が梓に抱いた第一印象は、そんなだった気がする。

 庭原 梓という人は、人としての条件を満たしていながら、『ヒト』じゃなかった。

 死んだ魚の目、とはまた違う目をしてた。

 凄く空っぽ。絶望していない、けれど希望も無い、そんな目。何もかもが平坦に見えてしまっているに違いない。私はそう思った。

 強ち間違いでもないその推理は、けれど結果、空回りに終わった。

 何度席替えしようと隣同士だった私は、梓へ毎日挨拶をしたのだ、が。

 

「話しかけないでくれないかな、天羽さん」

 

 高校生にあるまじき、とは言わないけれど、とてもよそよそしい彼に、誰もが距離を置いた。

 めげない事で知れた私も、これには困った(距離を置いた訳ではない事がポイント。流石私、めげない)。こういう人(、、、、、)は例外無く、不可侵領域が存在してしまう。そこに触れる、近付く者には容赦しない。私にすらある不可侵領域、きっと彼には、私よりも、他の誰よりも大きな領域を持ってしまっている。それこそ、日常にまで侵食してしまう程、大きなもの。

 例えば……そう、家族関係、とか。

 

□■□

 

 彼が学校に来る日というのは、まちまち。

 1週間連続で休む事もあれば、1ヶ月近く休まない時もある(毎日来るのが本来普通なんだろうけど)。

 私は皆勤賞だったから、隣の席の子が休んだり来たりしているのは、とても居心地の良いものでは無かった。いつも隣の子と話していたい、とは思っていたの(まぁ、会話してくれるかは、 別問題だったけどね)。

 

「おはよ、庭原君!」

「……おはよう、天羽さん」

 

 梓が私に挨拶を返してくれたのは、夏休みが終わったある日の事。

 梓の目に、小さな火種のような光が、灯っていた頃の事。

 相変わらず私を見る目と周りを見る目は変わっていなかったけれど、梓の持っていた新聞記事の切れ端に『椋鳥 修一』って人が書かれていたのは見た。多分、その人が梓に火を付けたんだ。本音を言えば、その役割は私がやりたかった。けれどきっと、それは傲慢だ。許されざる事だ。それに私がそう望んでいても、梓の心に火が付いたかどうかは定かじゃない。

 胸中に渦巻く「何か」は決して私にとって快いものでは無かったけど、梓が少しづつ『良くなって』いるなら、それで良かった。

 私の心が、どんなに傷付く事になっても。

 

□■□

 

 高校生活も半ばに差し迫った頃には、梓の目は他の人とさして変わらない輝きを放っていた。

 

「それでさ、シュウが言ってたんだよ、『可能性はいつだって、お前の意思と共にある。

極僅かな、ゼロが幾つも並んだ小数点の彼方であろうと……可能性は必ずあるんだよ。

可能性がないってのは、望む未来を掴むことを諦めちまうことさ。

お前の意思が諦めず、未来を望んで選択する限り、例え小数点の彼方でも可能性は消えない』ってさ。

弟にも言ったことあるらしいんだけど、なんかの主人公みてぇなセリフだよな。……馬鹿馬鹿しいとは微塵も思わねぇ、思えねぇよ」

 

 語る内容は、大体椋鳥 修一さんの事だけどね。でも、方法はどうあれ、快復はしているみたいだから、良いのかな、うん。

 でも、可能性はいつだって、お前の意思と共にある、ね。

 いい……セリフだね。本当に、そう思う。

 ……その時の私は、気付いていたんだ。

 そう思う心と、また別の心があった事。

 梓が他の人とさして変わらない輝きを放っていた事に反比例するように、心が荒んでいっていた私は、一体この思いを「何」と形容したんだろう。

 今の私なら、「怒り」や「妬み」と言ったことだろう。或いは、梓に向ける思いを「恋心」とも、形容しただろう。けれど過去の私は、今尚狂っているけれど、それよりも狂っていた過去の私は。

 一体、何と形容したんだろう。

 

□■□

 

 梓は友達で居てくれた。

 この事はとても大切だ。

 梓は優しく居てくれた。

 この事はとても有難い。

 梓は友達で居てくれた。

 それが私の心を蝕んだ。

 梓は優しく居てくれた。

 それが実は苦しかった。

 

 私という人間は、恋心をこじらせた乙女だった。そう、だった。過去形。

 元から狂っていた、なんて自負しておきながら、狂う事を何処か恐れて。或いは畏れて。今の私を過去の私が見たら、「マトモ」と言うんだ、きっと。でも私からしたら、過去の私の方が――梓の前での私の方が、「マトモ」だったよ。

 庭原 梓という人の前では、ただの少女で居たかったんだから。

 強欲で、傲慢で、嫉妬していて。

 ……うん、馬鹿馬鹿しいね。

 救いようがないよ、こんなの。

 どうしてこういう()のこういうところ(性格)は、快復の兆しを見せないんだろう、ね。

 

■現在:天羽 叶多

 

 ズルズルと。私は梓を引き摺って行く。

 <Infinite Dendrogram>の世界での私、ミル鍵は、この世界での梓、カタルパ・ガーデンを引き摺って行く。

 延々と。永遠に。

 街を出ようという頃になって漸く立ち上がった梓は、いつもより不機嫌そうに見えた。当然だよね。

 

「やれやれ、とは言わない。言えない。

いつもの事だしな、これは。

確かにふざけんなとか言いたい事はあるけどよ、そういう時ってのは大抵、お前が何か隠し事をしている時、だろ?

ったく、いい加減分かってきちまったじゃねぇか」

 

 ……何を言ってるんだろ、梓は。私に隠し事なんか、無いよ。

 そういう事をセリフとして言えない辺り、図星を突かれているのかな。

 私の、隠し事、ね。

 

「どれの事、だろうね」

「…………さぁ?」

 

 ギデオンまでの道のりはまだ遠く、徒歩で行くにはまだかかる。これ以上2人に会話は無い。勿論、梓の左手の紋章から3人目が出る事もない。

 だから、私と梓は、風の吹く音だけを耳にして、前に進んだ。

 

□■□

 

 楽しい時間は早く過ぎるもの。

 気付けば私と梓はギデオンに辿り着いていた。

 

「なんだろ。あれみてぇ、ピザ」

「そう言われたらそう、かも?」

 

 街の形を地図で見ると、確かにピザみたいだった。街の中央に配置された古代ローマのものを彷彿とさせる闘技場は、ピザで言う真イカかな、或いはオリーブ。

 

「で、僕もお前も闘技場には参戦出来るわけね。観客とかじゃダメなのか?」

「んー、まぁ、最初はいいんじゃない?」

『おいおい、来たなら闘えクマ』

「なんなら僕と闘うかい?」

 

 何か、会話にインターセプトして来た2人がいる……。

 クマの着ぐるみと、何だろ、「持ってる中で一番装備補正が高いのを選びました」みたいなチグハグ装備の人。

 

「お、シュウ。どうして此処に……その隣のチグハグも含めて」

 

 どうやら、片方は梓の知り合い、らしい。

 

『フィガ公は俺のダチクマ。【剛闘士】のフィガロだクマ』

「【剛闘士】、ね。よろしく。僕はカタルパ・ガーデン。ジョブは【演算士】だ」

「【演算士】?計算系統上級職の?」

「そうだけど?」

『……闘技場に出ない事をオススメしてやる』

 

 何だろ、この置いてけぼり感。フィガロさん?はごく自然に話に入っているみただけど、私の弾かれた感はどうしよ。

 

「で、そちらの方は君の知り合いかな?」

「ああ、俺の……何だろ、友人?のミル鍵」

『疑問形な事に疑問を抱かざるを得ないクマ』

 

 あ、なんか漸く出番が来たみたい。

 

「私はミル鍵です。あず……カタルパの彼女だよ!」

「違う」

「親友だよ!」

「……強ち間違いじゃない」

 

 うん、ゴリ押しは出来たっぽい。初っ端から踏み外した感否めないけど!

 こういう時の反応がフィガロさんは分からないのに、着ぐるみごしなのに引いてるのが分かるんだけど……不思議だよ、シュウさん。

 

『お前、おかしな奴が周りに居たんだな』

「僕の周りにはクマの着ぐるみ着てるおかしい奴とかいんだよ」

「シュウの事だね」

『おい、フィガ公とカーター。てめぇら纏めてぶっ潰すから闘技場行こうぜ』

「僕をカーターと呼んでいいのは」

『私だけだぞ、シュウ』

『俺をシュウと呼んでいいのも数少ないクマ』

 

 息ピッタリの二人組。ああ、遂にアイラちゃんまで追加されちゃったよ……。

 出会いは突然に。なのにラブコメの気配は無い。

 【兇手】に【剛闘士】に【破壊者】に【演算士】……。見事にバラバラ!なんて感心するべきなのかな。

 こんなになるなら、闘技場なんか来るんじゃなかったよ……なんで?

 なんで私は梓と居たいんだろ?

 ……ま、いっか。

 

「んー!吹っ切れた!

カタルパ!行こう!闘いが私達を待ってるよ!」

「やめろ!さっきシュウが言ってたろ!出ない事をオススメするって!」

「知らなーい」

『言ってないクマ』

「シュウ!貴様ぁ!」

「僕も1回非戦闘職とやってみたいな」

『おうおう、ボコってやるといいクマ』

「シュウ!裏切り者が!」

『まあ、死なないのだろ?私は構わないぞ』

「酷使してやろうアイラ!」

『足腰立たなくなるまでなんて、何を言い出すんだカーター!』

「お前も何言ってんだよ!そんな事言ってねぇよ!?

ここに助け舟は無いのか!?

着ぐるみと戦闘狂とキチガイしかいねぇ!相棒も相棒で抜けていやがる!」

 

 救いがないのがいつも通りってのが梓だよね。

 まあ、多分キチガイが私なんだろーけどね。

 

「っ……仕方ねぇなぁ!やりゃいいんだろやりゃぁ!」

『そうだな、行くぞ、カーター!』

『ボコってやるクマ』

「楽しみだね、シュウ」

「んー……私も行くかな!【兇手】ミル鍵、行っきまーす!」

 

 ワイワイ騒ぐ5人組(1人片手剣状態)。

 その後の【超闘士】、【破壊王】、【狂騒姫】……そして、【数神】の物語。

 私達の物語は、まだ続いて行くみたい。




あまりに今更ですが。【上半怪異 テケテケ】のスキルについての説明。
《脚は無くとも速くはあり》
自身のAGIとSTRを上昇させ、一定時間空中歩行が可能になる。
その空中歩行の方法は《風蹄》とほぼ同じ。MPをこちらでは消費しない。
特に使用回数などの制限は無く、発動に一定のSPを消費する程度。とは言え、発動条件に「地に足が付いていない」事がある。物理的に、である。1回「ピョン」と跳べばいいので難しい話では無い。
第1段階では強化時間は30秒。
第2段階で45秒に伸びた。また、強化されるステータス補正も段階が進んだ際に上昇した。

オリキャラだからか、特化型にしては中々強い補正。……天羽 叶多の内面が反映されている、と思って頂ければ。


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第九話

なんかUAが徐々に増えてて驚きました。皆様のお陰です。
感謝感謝です。


 曇天は現実の事で、晴天はこの世界での事。

 それでも、庭原 梓――カタルパ・ガーデンの心は曇っていた。

 

「そりゃ、勝てねぇって……」

 

 闘技場、そこはプレイヤー達が切磋琢磨する場所。

 では果たして、そこに『悪』などというものが存在するのだろうか?

 《秤は意図せずして釣り合う》の効果が発揮されなかったのは、梓にとっては予想外だった。

 結界によってデスペナにならないと言えど、殺す事に代わりはないのだから使えるだろう、と高を括っていた。

 ……現実は、ただの3桁ステータス(一部に至っては2桁である)で闘う非戦闘職の姿があっただけだ。

 観客の誰もが『なんで闘ってんだアイツ』と冷たい目を向けていた。

 

「うん、まぁ、お疲れ様?」

 

 ミル鍵――天羽 叶多もフォローしきれない。

 

『弱すぎるクマ……予想外クマ……』

「……ミル鍵さんは彼にキルされたんじゃ?」

 

 シュウは呆れ、フィガロもフィガロで疑わざるを得ない。《秤は意図せずして釣り合う》を使わなければ雑魚以外の何者でも無いカタルパに殺されるなんて、ミル鍵が弱いのか?と思ったが、フィガロはミル鍵と決闘し、中々強かったという印象を受けていた。殺られるとは思えない。

 実際、フィガロは《秤は意図せずして釣り合う》の効果を知っている(シュウは『素ステが低けりゃ釣り合いすらしねぇだろうけどな』と辛辣な感想を言っていた。実際その通りだが)し、使い方も知っている。

 

(悪、って何だろうね)

 

 悪に対する特攻、とは言わないが、悪に強いとは、どういう事か(「かくとう」や「むし」、「フェアリー」という事ではない)。

 悪とは何か。それに対して強くなる、カタルパ・ガーデンとは何者か。

 フィガロの疑念は尽きない。

 

「やっぱ駄目だわ。今日は帰る」

「ん?なに、ログアウト?……1人で?」

 

 ミル鍵は首を傾げ……90°近く曲がったが、傾げた。

 

「あー、いや……そうだな。1人で冒険、かな?所謂ソロプレイだ」

『ソロプレイ?お前がそういうのに……そういや拘る奴だったクマ』

「ソロプレイはオススメするよ」

 

 シュウは納得し、フィガロは推奨した。ミル鍵も同調した。男3人揃えば文殊の知恵、では無い。ただ、ミル鍵は反論が意味を成さないと踏んで、同調しただけだった。

 まあ、そんな事はカタルパには全く関係ない。3人を置いて、闘技場を後にした。

 

『いきなりどうしたんだ?あいつらしくないクマ。頭打ったかどうかしたクマ?』

「闘技場で負けた事による傷心、かな?」

「仲はいいのに容赦は無いんだ、二人とも」

 

 ミル鍵は「今から暫くこの二人のブレーキになんなきゃいけないのか」と、空を仰いだ。

 

□■□

 

 以前のように、繰り返し言っておこう。【絶対裁姫 アストライア】に、《感知》などのスキルは存在しない。けれども。

 ――――感覚的か、はたまた別の理由か、分かってしまう(、、、、、、、)。何が、とは言わないが。

 分かってしまうから、それを教えられたカタルパは、町を出た森林にまで来ていた。

 

ここらでいいかな(、、、、、、、、)

 

 カタルパは第1段階の【絶対裁姫 アストライア】――片手剣のアイラを持ちながら、突如そう言い放ち、振り返った。

 果たしてそこに居たのは。

 

「……まあ、そうなる。英雄叙事詩(ヒロイック)というものは総じて、神か何かが主人公に困難を与えたがるからな。『振り返った事が間違いだった』と気付くのは、手遅れになってからだ」

 

 ――化物だった。怪物だった。

 成人男性の体躯ではあるが、様々な化物が混じっている、キメラのような印象を受ける『何か』。そんなモノが居た。眼鏡が辛うじて人と断定出来る材料となってはいたが、焼け石に水感が否めなかった。

 

「……アリスンかと思った」

「私はあいつの代理だ、と言っておこうか。まあどうあれ、物語は進める必要があり、苦戦や苦難を与えるのは私では無い(、、、、、、、、、、、、、、、、)

 

 代理?だとか、苦難?などと問う暇は無かった。

 

 突如放たれた斬撃を、受けなくてはならなかったから。

 

 カタルパは、振り返った事を後悔したが、アイラのお陰で助かった。片手剣がその斬撃を放った爪のようなものと鍔迫り合いをしている。

 それが意味するのはアイラで相手の攻撃をちゃんと受け止めたという事だ。カタルパの貧弱ステータスで、である。

 ただ、アリスンの代理(名前は分からない)が動いていない。ならこの攻撃は?と思いモンスターが視界に映る。なら、モンスター召喚系のスキルか何かで喚ばれたのか?とカタルパは《看破》を使用した。

すると。

 

 【五里霧虫 ミスティック】という名前が見えた。

 

 その表記は〈エンブリオ〉のそれと似ていて。

 その姿形は〈マスター〉のような人型で。

 それで尚、モンスターでしかないモノだった。

 4本ある後ろ足。前足は蟷螂のように鋭い。顔もガスマスクと虫の顔を無闇矢鱈に混ぜ合わせたようだ。

 

「さあ、お前が闘うのは〈UBM〉。私では無い、『お前に苦戦や苦難を与える者』」

「……ユニーク……ボスモンスター……!!」

「Ma……Maaaaaaaaaah!!!」

 

 〈UBM〉、【五里霧虫 ミスティック】が咆哮し、戦闘は何の前触れも無く始まった。

 

□■□

 

 そう言えば、とカタルパは思案する。

 かつて(とは言えつい最近だが)、シュウとフィガロが協力して〈UBM〉と呼ばれるモンスターを倒したと言っていた。

 それを思い出し、やれやれと首を振る。

 曰く、「あいつらから引き離す為にこうしたのに、結局あいつらの方が詳しい事だった」と。

 

(二人がかりでようやっと倒せたモンスターと同等の相手にソロプレイで立ち向かう、か。この非戦闘職の貧弱野郎が、か)

 

 生憎、『モンスターがプレイヤーを狩る』限りは梓の語る『悪』に抵触しない。ティアンが襲われない限りは、《秤は意図せずして釣り合う》も機能しない。《不平等の元描く平行線》も3桁ステータスしか写せない。

 何より。

 

「Maaaaaah!!」

「……こいつ、デバッファーじゃねぇか」

「ほう?早いな、予想以上に。まあ、それまでだが」

 

 男が化物の見た目で醜く笑う。見ればカタルパのステータスは減少の傾向を見せていた。

 辺りに霧が立ち込めている。どうやらそれが【五里霧虫 ミスティック】という〈UBM〉の能力らしい。霧を発生させ、霧の中の相手のステータスを減少させる、そんな能力。

 

「お前は、僕を知っているな?その上で、対策を取ってきた。写し取られないよう、代入されても構わないよう……この〈UBM〉を創りやがったな?」

「否定はしない。寧ろ正しい。そうだとも。私が創った。あいつがお前を危険視する理由を私は知らない。だが、お前を殺さなければならない使命感がある。何故かは知らないが。

情報はある。であれば対策を打つのは『容易い』」

「いや……ボスモンスター創るのが容易いとか何言ってんだお前」

 

 創れるなら、殺せるという事じゃないか、と。カタルパは冷や汗を流す。

 ……シュウによると、〈UBM〉を倒すとそのモンスターに因んだ装備品が貰える、らしい。

 目の前の化物は、それを創る事を容易だと言った。作成者であるなら、倒し方も熟知している事だろう。なら、その報酬とやらも目の前の化物は――――

 然し乍ら、カタルパの《看破》は化物に対して正常に作動していない。キメラのような見た目からか、はたまた別の理由か。

 それ故にカタルパは、その化物も〈UBM〉と断定した。〈UBM〉を創る〈UBM〉なのだと、誤認した(、、、、)

 

「さて、そろそろ耐えられなくなった筈だ。【ミスティック】の霧は他の〈マスター〉やティアンが入れないようにする結界の役割も果たす。

お前が勝てる見込みは、万に一つすら有りはしない」

「Maaaaaaaaaah!!!」

「ぐっ……!」

 

 化物は語る。現状を打破する方法が今は無い事を。

 そう、化物は語ったのだ。

 今は(、、)無い事を。

 ならば。彼が打てる新たなる手は?

 無い。

 では、彼()が打てる新たなる手は?

 ――有るには有る。

 そして。その結論に辿り着き、カタルパは開口する。

 

「アイラ。お前が今の今まで喋らなかったのは、『近い』からだな?」

『…………』

「何を、話している」

 

 化物は思わず問い質し、【ミスティック】を止めた。これから何が起こるのか、気になったから――これから起こり得る、英雄叙事詩(ヒロイック)を、見る為に。

 

「アイラ、僕は……いや、『俺は』、裁かなくちゃならない」

 

 それは、プレイヤー、庭原 梓の言葉では無かった。

 それは、〈マスター〉、カタルパ・ガーデンの言葉だった。

 

「僕は、目の前のこれを悪とは断定しない。『モンスターがプレイヤーを狩る』だけだから」

『…………』

「だが『俺』は、これですら悪と断定する。無慈悲に、無尽蔵に悪を蔓延させるのは良くない事だ。

俺にのみ特攻が働くような〈UBM〉を態々創ったそうだ。それは他のプレイヤーにも当てはまってしまうかもしれない。シュウが、フィガロが、ミル鍵が……まだ見ぬプレイヤー達が一方的に虐殺されるような世界になるかもしれない」

『…………』

 

 カタルパが語っているのは、IFの話。確証なんてのは何処にも無い、伽藍堂の理論。

 

「俺はそれを許さない。悪が蔓延る世界を許さない。

『これ』は『僕』が抱いた使命感で――」

『これは、私達がやらねばならない、という危機感の元行う、断罪だ』

 

 アイラの声が聞こえたと同時、膨大なリソースが蠢くのを、化物――ジャバウォックは感じた。

 今まで蓄えてきた己がリソースを、この時の為だけに使い切ろうとする、愚者の行動を見た。

 【絶対裁姫 アストライア】と、その〈マスター〉、カタルパ・ガーデンの、愚かしくも勇ましい、希望を見た。

 

 ――これは、プレイヤーの中で初めて第3段階に到達した――

 

『■■■起動、断罪の旗を掲げよ。その旗は道を示し、其の首を撥ね飛ばす』

 

 ――それ故にリリース開始時に始めた者の中で最後に第4段階に到達する――愚者と嘘つきの物語。

 

「Maaaaaaaaaaaah!!!」

【Form shift――】

 

 【ミスティック】が振るった凶爪は、然れど届かず――

 

【――Cross Flag】

 

 十字架に塞き止められた。

 それは、十字架。「Flag」と名乗っておきながら、その旗は鎖によって十字架に固定されている。石突は無く、旗頭も無い。

 正しく『十字架(Cross)(Flag)』ではあったが、誰もが『何かが違う』と訴える事だろう。

 旗が旗の役割果たせてねぇよ、と。だがそれでも。

 それは十字架と旗であり、それ故に『Cross Flag』だった。

 鎖が巻き付いているからか、振り回せば棍のようだった。

 爪を弾き、一撃を叩き込み、攻撃を受け止める。

 非戦闘職ならざる動きではあったが、特にステータスの変化も無ければスキルを発動している様子も無い。ならあれは、彼の、庭原 梓の戦おうとする意思の権化。闘おうとするのではなく、蔓延る悪に対しての危機感が、戦おうとする意思が、彼を動かしていた。

 ジャバウォックはそれを全て悟り、無意識の内にその戦闘の観客となっていた。

 デバフを受けながらも、逸話級であれど〈UBM〉と比肩する非戦闘職の〈マスター〉。

 これは、後に語られるべきものだ、と。

 ジャバウォックは直感した。

 そして。

 ――その時は、来た。

 愚者と嘘つきが、英雄になる瞬間が。英雄叙事詩を刻む瞬間が!!

 

「――鎖は解かれ、世界は一度、我が蒼に染まる」

『人が仰ぎ見、また見下ろした世界を此処に』

「『闇を祓う光を此処に』」

 

 詠唱のように、二人は詩を紡ぐ。

 【ミスティック】の爪は届かない。それはこれまでも。そして、これからも。

 鎖が解かれて、表面が蒼一色、裏面がシマウマのような白と黒の縞模様の旗がたなびく。

 

「『《揺らめく蒼天の旗(アズール・フラッグ)》!!』」

 

 その紡がれた詩が放たれると同時、晴天の空を写すように、世界は蒼に染まり――――

 

 次いで、白と黒に彩られた。




(庭原)「一体《揺らめく蒼天の旗》の能力とは何なのか!!……次回ですね分かります」
(天羽)「世界を一度蒼に染めた意味……」
(庭原)「……なんでだろうな」
(アイラ)「それ以上はネタバレだぞ、カーター」


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第十話

『Player』ではなく『Prayer』になっていますが誤字じゃないです。
逆だった。


 その世界は、ほんの一瞬だけ蒼かった。

 ラピスラズリを散りばめたように。青空が地上にまで侵食したように。

 

 次の瞬間、翻ったかのように世界はモノクロになった。

 古い写真を見ているかのようなモノクロは、現実の、庭原 梓の見ている日常の写しのようだ。

 

 この世界で、庭原 梓はモノクロを見ていない(元から白黒だったものを除く)。だと言うのに、初めて見るモノクロは、自分で作り上げたものだった。

 

 さてここで。

 庭原 梓が何故現実で殆どのものが白黒に映るのかを覚えているだろうか。

 明確な答えは提示されていないが、『光』を失ったから、と言える。

 そして、梓は初めてこの世界で『光』を失った。いや、見失った、と言い換えようか。

 庭原 梓は見失った。『光』を。その光の正体を、有耶無耶にしたまま。

 

「僕は、見失ってしまった」

「だから今度は、俺達が」

『私達が、見つけようじゃないか』

「『庭原 梓(Prayer)の光を』」

 

 だからこそ、カタルパ・ガーデンは――――

 

□■□

 

 白いパレットに、鉛筆で描いたような、()()でキッパリ別れた世界に。

 カタルパ・ガーデンと、【五里霧虫 ミスティック】と、ジャバウォックは立っていた。

 

「行くぞ、【ミスティック】」

「Ma……Maah?」

 

 【ミスティック】は何が起きたのか分からないのだろう、突っ立っていた。何をすればいいのか、手を拱いているようにも見える。

 そんなのはお構い無しに、第3形態(Cross Flag)をカタルパは【ミスティック】に向ける。

 しかし、それを向けただけだった。

 先程まで五分五分だった。どうせ攻撃するのだろうが【ミスティック】のENDであれば、多少のダメージは負うだろう、と。死にはしないだろう、と。ジャバウォックは軽視した。

 何もしていなかった【ミスティック】も、唐突に放たれた閃光を受けた。

 

 そして、【ミスティック】のHPが尽きた。

 

「Ma、Maah――――!?」

「何、だと!?」

 

 ジャバウォックは傍観を止め、【ミスティック】に手を伸ばした――しかし、思いとどまった。

 ここで英雄叙事詩が中断される事を、不本意ながらジャバウォック自身が望まなかったからだ。

 彼を倒したい、だが英雄叙事詩は見たい。その葛藤の末、後者が勝ったのだ。

 然しそれでも、疑問は未だ払拭されていない。

 いや、「何故か」の答えは1つしか無いから分かっている。

 問題は、その疑問というのは、それの内容なのだから。

 

「《揺らめく蒼天の旗》、か。ハンプティダンプティもロクな〈エンブリオ〉を創らんな。……ああ、私もロクな〈UBM〉を創らんか」

 

 序に言えばロクな〈マスター〉を創らん奴も……いや、あれはプレイヤーのせいか、とジャバウォックはほくそ笑む。それは、化物に埋もれた人間性の発露でもあった。

 そしてまた、分からないなら分からないでいい、と断じた。どうあれ、ジャバウォックは【ミスティック】の救済を諦めた。

 HPが尽きた【ミスティック】は蘇生可能時間を過ぎ、光の塵へと化していく。

 

「……おい、化物」

「その化物とは私の事か?そう言えば名乗っていなかったか。私はジャバウォックと言う。〈UBM〉を創る、云わば運営だ」

「……運、営?」

「この世界は<Infinite Dendrogram>と言うのだろう?私達は云わば、そこの運営だ。管理AIと呼び称されるものだ」

「へぇ……そんな存在が態々『俺』を殺しに、ね」

「アリスが警戒し過ぎなのだろうがな」

「アリスンが、ねぇ」

「ん?……あぁ、そうか。そうだな。アリスンだったな。ああ。そのアリスンが警戒しているからこそ、私は今回差し向けたのだが……」

 

 チラリとカタルパと目を合わせ、逸らす。

 完全に消滅した【ミスティック】の跡を見て、ジャバウォックは話題を取り敢えず切り替える事にした。

 

「で、一体何なんだ。【ミスティック】を一撃で屠った《揺らめく蒼天の旗》とは」

「運営なら知ってるだろ」

「生憎、私の管轄では無い」

「……成程、チェシャとかアリスンとか、あの辺も運営で、それぞれ役割があるのか」

「察しが良いな。寧ろ良すぎる。だからアリスンはお前を殺そうとしているのかもしれないが」

「なんとも物騒な運営がいるもんだ。

このスキル、《揺らめく蒼天の旗》については……アイラが知っている。俺はそれに合わせて行動したに過ぎない。だから、聞きたいならアイラに聞いてくれ」

「そうか。では、聞かせてくれるのか?私に。況してやいきなり『運営です』等と言ってきた私のセリフを鵜呑みにし、信用して、教えてくれる、というのか?」

『カーターが望むなら。私は今のカーターに釣り合う者では無い。そういった選択はカーターに選ばせる』

「釣り合う釣り合わないとか言うな。お前は俺だけの〈エンブリオ〉なんだから」

『以前と同じようで、全く違うセリフに身震いするよ。梓では無くカタルパ・ガーデンとしての、『君』だけの〈エンブリオ〉か……おや?私は『梓』の際にも言われているぞ?二人の内どちらが私の〈マスター〉に……?』

「だぁぁっ!混乱すんな!後回し…には確かに出来ない話題だが!」

『まあ、どちらも君で、どちらも私の〈マスター〉だ、という事だ。大丈夫だとも』

「……ならいいけどさ。で、アイラ。説明しちまっていいのか?」

『構わんよ。元から隠しきれるものではないからな』

「……夫婦漫才のようだな」

 

 尤も、実物は見た事が無いが、とジャバウォックは続けた。

 【絶対裁姫 アストライア】が十字架の状態から人の形に成る。

 アイラとしてその地に降り立ち、ジャバウォックに一礼した。

 

「お初にお目にかかる。私は【絶対裁姫 アストライア】。《秤は意図せずして釣り合う》と《不平等の元描く平行線》に続き《揺らめく蒼天の旗》を得たメイデンwithアームズの〈エンブリオ〉だ」

「そうか。私はジャバウォック。管理AI4号、〈UBM〉担当。

 さて、挨拶はこれくらいでいいか?気になる事はすぐに聞きたい性質でね」

 

 眼鏡では無く、その奥を光らせてジャバウォックが問う。

 燕尾服を纏ったカタルパと、鎖を腰に巻いた白いワンピース姿のアイラは互いに見合わせ、頷いてからこう、切り出した。

 

「俺達のスキル、《揺らめく蒼天の旗》は」

「今回の敵、【ミスティック】を殺す際の最適解のようなスキルだった」

 

 最適解、という響きにジャバウォックは眉をひそめた。元々カタルパ・ガーデンを殺す為に生まれた存在が、カウンターのように特攻を受けるとは何事か、と。まあ、■■■の存在を知ってはいたのだから、それ程不思議だとは思わなかったが。

 

「一度、世界は蒼に染まり」

「範囲内の全てのステータスをリストアップする」

「そして、世界は白黒になり」

「範囲内にあったステータスの内最も高い数値を攻撃力として対象の相手一体に叩き込む」

「……最も高い数値?」

 

 ジャバウォックは首を傾げた。

 つまりだ。デバッファーが相手だったからそのデバフを受けない数値を切り出し、相手に叩き付けるスキルだと言う。

 まあ確かにデバッファーに対しての適正ではある。最適解で無いにせよ。おかしなチートスキルではあるにせよ。

 然し乍ら、【ミスティック】の霧のせいで近くにはカタルパと【ミスティック】くらいしかいなかった筈――――そこで。答えに辿り着く。

 

「まさか、私のステータスを、叩き込んだのか?」

「正解」

 

 ジャバウォックは唖然とした。他力本願にも程がある。《秤は意図せずして釣り合う》も今回の《揺らめく蒼天の旗》も。他力本願すぎる。《不平等の元描く平行線》だって自身だけでは3桁ステータスしか写せない。あまりにも、一人だけでは、貧弱すぎる。

 他力本願でありながら、強者打破(ジャイアントキリング)の〈エンブリオ〉など、前代未聞だ。

 だが、理由はなんとなく分かる。

 彼らは『正義』だとか『善』だとか、そういうワードに執着しているように見える。

 正義であろうと、善であろうとしている。

 そしてその正義や善は。1人が語るだけでは成り立たない。

 複数人が語って初めて『それ』に昇華するのだ。

 個人が語る分にはただの理論でしか無い。共感者や同調する者が現れなくては、正義は正義足りえない。善は善足りえない。

 他力本願と嘆くならば、『正義』などという概念がその時点で他力本願なのだ、その派生の果てとも言える彼を、そう卑下する意味は無い。彼が産まれるより遥か昔に、その概念が他力本願の塊だったのだから。

 それ故に、この他力本願は、そういう意味で正しいと判断出来る。

 それに、相手を利用して勝つ、など昨今の英雄叙事詩では見ないものじゃないか。

 ジャバウォックは化物の身で笑った。高らかに笑った。そこに嘲りは無く、素直な称賛の気持ちがあった。

 

「素晴らしい……素晴らしい!!

私はお前を気に入ったぞ、カタルパ・ガーデン。何よりも弱者になろうとしながら、強さも追い求めるその姿勢!

弱者は弱者故に強者を打破する(ジャイアントキリング)』というその理念!面白いじゃないか!」

 

 ジャバウォックは叫ぶ。その叫びに森はざわめき、鳥達は逃げるように飛び立つ。

 そして、燕尾服の青年とワンピースの少女は。

 『お前もその倒される強者だ』と言外で語っていた。

 それにジャバウォックは気付かない。或いは気付いていて無視しているのかもしれない。

 

「では、また(、、)会おうじゃないか」

「次は〈UBM〉なんてオマケはいらねぇからな?」

「……そうか。ではちゃんと一人で来よう。

いや、或いは有り得るかもしれんな。『我が半身』と来る、という事が」

 

 意味深な言葉を言い残し、ジャバウォックは森の奥へ消えて行く。

 そして、取り残されたカタルパに、何処からかアナウンスが流れた。

 

【〈UBM〉【五里霧虫 ミスティック】が討伐されました】

【MVPを選出します】

【【カタルパ・ガーデン】がMVPに選出されました】

【【カタルパ・ガーデン】にMVP特典【霧中手甲 ミスティック】を贈与します】

 

「【霧中手甲】?」

「ほう、MVPとな。凄いじゃないか、カーター」

 

 MVPになったと言うのに、二人は何処吹く風と言ったような雰囲気だった。実感が湧かないせいだろう。

 

「取り敢えず、喜ぶべきなのか?」

「べき、なのだろうな」

「じゃあ……有難う、アイラ」

「こちらこそ有難う、カタルパ(、、、、)

「ん……なんかむず痒い」

「そういう事を言ってくれるな。こちらも恥ずかしい」

 

 会話に夢中で【霧中手甲 ミスティック】を忘れていた二人がその存在を認識するのは、その手に実際に収まってからだった。

 

■或る管理AI達の話

 

 そこは、基本的にプレイヤーが介入出来ない場所。運営限定で入れるような場所(運営以外が入れない、という訳ではない)。

 ジャバウォックが倒された〈UBM〉の情報の中に【五里霧虫 ミスティック】の情報が追加されているのを確認したと同時。

 

「ねー、結局殺し損ねてたみたいだけど、どうしたのかしら?」

 

 アリスンがジャバウォックにそう問いかけた。そこには失敗を咎めようとする思いは微塵も見受けられない。

 

「そう、だな。私は彼をとても気に入った。真に求める英雄叙事詩足りえないのは承知の上だが、それでも期待する価値はある。そんな人間だった」

「貴方がそう言うのは珍しいわねー」

「そうか?バンダースナッチなどと同じにするな、と言いたいが」

「他と比べちゃダメよー」

 

 いつもアリスン――アリスののほほんとしたような口調には出鼻をくじかれる。と言うか、こちらのペースが乱される。

 彼女は〈マスター〉至上主義。厳密に〈マスター〉でないジャバウォック達を、果たして彼女はどう受け取っているのだろうか。

 少なくとも。

 

「貴方自身が殺しに行った時は、止めるつもりだったけどー」

 

 ……カタルパ・ガーデンの方が、彼女の中ではジャバウォックより上らしい。

 と言うか殺せと言っておきながら殺しに行った際に止めるとは何事か。

 愚痴のような意見はあったが、どうせマトモな会話にならない。大体の事柄を〈マスター〉中心で考えるような奴なのだから、ジャバウォック自身と〈マスター〉を天秤に乗せていてはどう足掻いても後者に軍配が上がってしまう。

 彼女は彼女で、ああ見えてカタルパ・ガーデンという〈マスター〉を気に入っているのだ。

 

「あわよくば、いつか〈SUBM〉と戦ってほしいものだな」

「死んじゃうわよー?」

「大丈夫だろう。【五行滅尽】以外は彼にとって、庭原 梓では無くカタルパ・ガーデンにとって、悪の筈だからな」

 

 もうそれで、アリスとの会話を切り上げたジャバウォックは、ごちゃ混ぜの体躯で何処かへ去って行く。

 アリスン改めアリスは、それを後ろから見るだけだ。

 

「楽しみねー、これからが」

 

 どうせならイベントをやってもらおうかしらー、などと言って、スキップ(のような動き)でアリスも消えた。

 後にはもう、誰も残されていなかった。




《揺らめく蒼天の旗》
『蒼の世界』
一定範囲内の全ての「ステータス表記が可能な物質」からステータス情報を抜き取り、最も高い数値を記録する。また、発動した瞬間のステータスの為、『一瞬だけ50万になり後は10万程度』という相手に対して50万になった瞬間に発動すれば50万という数値を記録する。
発動時間は一秒。その一秒の間に数値が変動し、一秒を切っても尚上昇していた場合、効果が切れた瞬間での最大数値を記録する。

『白黒世界』
『悪』である対象一体を選択し、『蒼の世界』で読み取った数値の中で最も大きな数値を攻撃力扱いして相手に叩き込む。
十字架を向けた方向に居れば大体当たる。必中では無い。また防御力無視は無いので相手のENDによる引き算は行われる。

『蒼の世界』→『白黒世界』となる。一度『蒼の世界』を発動すれば『白黒世界』に移行しなければならない。もう一度『蒼の世界』でスキャンする事は出来ない。
ストック制。最大で一つ。溜まる時間は脅威の『72時間に一つ』。まあ、効果的にはそれが妥当かもしれないが(発動した後デスペナになれば戻って来た時に再発動出来るが、それはそれ)。

別に【ミスティック】に対する最適解では無く、本当はそのバックにいたジャバウォックという『悪』、もとい『巨悪』に対しての強者打破だったのだが、【ミスティック】も『悪』には成り得た為(正義を倒すという『悪』。とのこと)、今回は完全に飛び火を食らった形。

(庭原)「見ろこのチートスキル!」
(天羽)「これ、何気にすごくない?」
(アイラ)「三日に一度故、使い所は選ぶがな」
(庭原)「連戦の時とか超迷うだろうな」
(天羽)「現在のシュウさんのステータス記録したらSTR20万だからなー……ダメージが酷い事になりそう」
(庭原)「そもそもシュウがいる時点で酷い事になりそう」


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第十一話

 UAの微妙だけど確実で着実な増えっぷりにスーパーハイテンションでございます。
 作者を気持ち悪いと罵ったりするのは構いませんが物語を嫌わないで下さいまし。
 あと感想などはご自由に。


 二人は会議し結局、【霧中手甲 ミスティック】を装備してみた。

 〈UBM〉を倒した報酬、MVP特典【霧中手甲 ミスティック】。

 譲渡は不可能らしく、勿論人型となったアイラにカタルパが渡す事も出来なかった。手渡しは出来ても、装備させる事は出来なかった。

 

「アイラ以外に初めて装備補正のある装備だ……」

「何故装備補正の無い燕尾服を着続ける……」

 

 何故なのか!と、アイラは叫ぶ。カタルパは「分からない奴には分からない。燕尾服の素晴らしさは」と宥めた(宥める事が出来ていない)。

 実際、彼は燕尾服という服に憧れていたのだが、現実で着る機会が殆ど無かったのだ。それは、庭原 梓の立場上の都合とも言えただろう。幼い頃も、今現在も。

 

「効果……《霧生成》?【ミスティック】の出してたあの霧かな?」

「MPを使用するようだから使用はまた今度にして……中々上がるENDが高いな。ただの手甲だろう?」

「やっぱ特典だからかな?倒すのが難しい筈だろうからそんな易々と持てるもんじゃねぇだろうけどな」

 

 この時の梓は、自分が"不平等"という二つ名と共に"〈UBM〉狩り"と呼ばれる事になるなど知る由もなかった。

 

「おっと。そう言えば、そろそろログアウトする時間になってしまったのではないか、カーター」

「ん?ああ、そうだな。気付かなかった」

「前々からの予定だったとはいえ、ミル鍵には何と言おうか……」

「リアルで話付けとく。お前じゃ無理だしな」

「ははっ、辛辣じゃないか、カーター」

「そう、だな」

 

 それきり、特に会話と言える会話も無く、30秒が経過し、カタルパはログアウトする。

 

「では。『またね』」

「……ああ。また会おう」

 

 最後にそう、言葉を交わして。

 

□■□

 

 媒体を外して、梓は明暗のみで存在が別離されている世界を縫うように歩き始めた。着替える服は少なくなかったが、何色なのかハッキリ分からない為、特に執着する必要は無い。その為に奇抜なファッションになるのだが(あまりに奇抜すぎて1回ファッション誌から色々と聞かれた)。

 白い扉を開けば青空が(、、、)広がっている。無論、マンションの隙間から見える限りではあるが。

 エレベーターで降りてマンションを出ると、混凝土の道が延々と続き、灰色のビル群が建ち並ぶ。

 色盲でも無いのに色を失った梓ではあったが、別段この世界を生きづらいと思った覚えは無い。彼の目で見るまでもなく、この世界からは色が剥奪されているようなものなのだから。

 まだ、『光』は見えない。<Infinite Dendrogram>が美しすぎた事もあるだろう。この世界が、あの世界に比べて見劣りするからなのだろう。

 幾許か歩く人も、白いシャツに黒いスーツ。色を失う前と後で、変わりはない。

 最寄りの駅も白黒。《揺らめく蒼天の旗》を起動した時のようだ。まあ、あれと違って元のカラフルな世界に戻る事は無いのだが。

 

「あ、いたいた。時間通りだね」

「元からそのつもりだったからな」

 

 声をかけられて振り返る。今回梓は、待ち合わせの為にログアウトしてきたのだ。ただの知り合いとの待ち合わせだったならば、「用事がある」などと誤魔化して<Infinite Dendrogram>をやり続けていた事だろう。

 つまりこの待ち合わせは、今の梓にとってゲームより大切だったという訳だ。それ故に、とまでは言えないが、モノクロームな世界で、「彼」だけ浮きだって見えた。

 中性的な見た目、西洋に見られる白い肌。流れるような黒髪は、女子で言うボブヘアーというやつだ。袖の短い服を着ており、二の腕が顕になっている。

 下もショートパンツと、女子も着そうなファッションだった(天羽は着ない。基本彼女は様々なカラーバリエーションのあるワンピース一択だ)。

 

「時間通りなのはいつもだね、アズール」

「いい加減、梓と呼んでくれて構わないぞ、カデナ?」

 

 梓は嘆息する。目の前の少年、カデナ・パルメール(名前だけだと少女のよう。だが男だ)は梓を『アズール』と呼ぶ。

 《揺らめく蒼天の旗》の読みが《アズール・フラッグ》なのはここが由来なんじゃないだろうか、ともう一つ梓は嘆息した。

 パルメールを見下ろしながら(身長的に梓の方が高いのだ。その差10センチ程)、今日待ち合わせた理由を想起する。

 

「なんだったっけ、買い物かなんかだったか?」

「……相っ変わらずの記憶力だね、アズールは」

「お前がいつから流暢な日本語を話せるようになったかも覚えとらん」

「酷い!アズールは酷い人だ!もしかして僕が男なのも忘れて……!」

「いや流石にそこは。忘れてたら襲ってる可能性があるし」

「……そういうのは公共の場で言わない事をオススメしたいな」

「それな。で、映画見に行く訳なのだが、何見るわけ?」

「結局覚えてるの!?時々アズールが分からないよ!」

「安心しとけ、僕もお前がどこ生まれか分からない」

「えー……」

「さ、公開時間が近いぞスペイン人」

「もう!もう、アズールはぁ!」

 

 結局全てを覚えていて、知っていた梓に弄ばれていたのだと気付いたパルメールは、力の篭っていない拳をお見舞いした。梓はゲームと同じような貧弱な人間ではあったが、その攻撃を痛いとは、思わなかった。

 

□■□

 

「そう言えば、さ。今話題になってるゲームあるじゃん」

「……あるなー」

 

 映画館内、況してや映画の上映中に突如、パルメールはそう切り出してきた。

 梓は嫌な予感がして、と言うかデジャヴュを感じて、冷や汗を流す。あれ、天羽の時もこんなんじゃなかったか?と目が泳ぐ。

 

「僕もやってみたいんだ」

「いいんじゃないか?『自由』……の為に、さ」

「あー、違った。違ったよアズール」

「……?」

 

 梓は「何を言っているのか分からない」というような反応をした。

 自由の為に、という所を否定したのだろうか?ならばパルメールが言っている「ゲーム」は<Infinite Dendrogram>では無いという事。勘違いだったという事。

 

(あー、そういう事。だが<Infinite Dendrogram>くらいに今話題になっているゲームって何だ?)

 

 梓はそこまで思考したが、今思えば<Infinite Dendrogram>発売以来ずっと<Infinite Dendrogram>の情報に梓は浸かっていた。他のゲームに手を出す事はおろか、調べる事すらしていなかった。

 であれば、この先話されるであろう話題についていけない。

 

「違くて、もうやってるんだよ、<Infinite Dendrogram>!」

 

 然し乍ら、パルメールのセリフは予想を大きく越えた。

 

「は、はぁぁっ!?」

 

 映画館ではお静かに、という暗黙の了解を破り、梓は思わず声を上げてしまう。周りの「黙れ小僧」と言うかのような、刺すような視線は痛かったが、平謝りしておいた。

 で、だ。つまるところパルメールの言う「違った」とは「やってみたい」という所に対してだったのだ。

 

「ホントさ、最初は怖かったんだよ。クエスト終わって帰ろうとしたら他の〈プレイヤー〉に襲われちゃってさ」

「へぇー、へぇー…………??」

 

 またおかしな予感がした。デジャヴュだ。これは既視感がある何かだ、と梓は天羽の一件を思い出す。

 そうだ……いつだって、世界は、広いようで狭いのだ。

 

「誰だっけ?なんか燕尾服みたいな服の人が助けてくれたんだよ。それ以来殆どログイン出来てなかったからお礼言えなくて。あのさ、アズール。その人を探すのに協力してくれない?どうせやってるんでしょ、<Infinite Dendrogram>」

「助けてくれた奴が【カタルパ・ガーデン】というPNで、助けられた奴が【アルカ・トレス】というPNなのであれば、見つけるのは容易い」

「あれ?僕が【アルカ・トレス】っていうPNだって、言ったっけ?」

「いいや。ただ、世界が狭いにも程があるな、と思っただけだ」

 

 ここに来て伏線にならねぇ伏線の回収とは見事な手際だぞ神様、と屋内で空を仰ぐ。

 そう言えば居たなー、そんな人(アルカ・トレス)、と。

 あの一件に於いて、助けられた人間、助けた人間、襲った人間。誰もが関係者であった(パルメールと天羽の仲も良い)。

 これを……運命と呼ぶのなら。あまりにも小さい。

 範囲的な意味でも、意味合いとしての意味でも。

 けれど後の大きな波紋になる事を、三人組のクランになったりする事を、梓は知らないのだ。

 

□■□

 

 梓とパルメールは映画館を揃って出た。梓はもう、映画の内容など殆ど覚えていない。抑、何を見たかすら覚えていない。それ程までパルメール――【アルカ・トレス】の話が強烈だった。

 

「じゃあ、ギデオンって場所に行けばいいんだね?」

「ああ。そしたら俺と……お前を殺そうとしてたミル鍵、つまり天羽がいるから」

「え?アマハが僕を襲ったの?……世界って狭いんだねー。知り合い3人でその配役が埋まるんだから」

「狭すぎて広く感じる、不思議」

 

 それも、ゲームならではかもな、と二人は笑った。アマハ、とは言わずともがな天羽の事である。

 映画鑑賞後の買い物も済ませ、パルメールは駅構内に消えて行く。

 梓も一人で帰路につく。白黒の道でも、迷う事は無い。

 

「僕が守ったのが、カデナだったとは……『俺』も中々、正義の味方が板についてきたじゃないか」

 

 知り合いを守るのは、正義の味方だよな、と思ったが、その為に知り合いを殺しているな、と思い、あまりいい気はしなかった。

 道中、耳に入った言葉に、梓は不意に立ち止まってしまった。

 

「あいつ、さっき女の子と歩いてたぞ」

「フラれたのか?てかあいつ大人だろ?馴れ初めとかどーなんだろ」

 

 男二人の会話、だったのだろう。生憎一緒に歩いていたのも男だ、と。若しくは普通に別れて帰ってるだけだ、と答えたかったが、振り返ったところで声の主は分からない。抑モノクロな世界で大して人間の区別は付かない。白黒でも人の存在くらい分かるだろう、と言われてもそういう事ではない(、、、、、、、、、)

 白黒で、一人一人顔の造形が違っても、『色付いていない』限り、梓にとっては同じなのだ。だから、その人々と自分は、同じなのだ。

そんなわけでその言葉だけが届き、姿は映らない。

 そしてまた、その言葉に対する回答、つまり『馴れ初め』を知っていながらも、梓はそれを口にしようとは思わなかった。

 今の彼が、きっと泣いてしまうから。

 世界の「理不尽」に、彼が押し潰されてしまうから。

 帰宅し、部屋に籠る。媒体片手に、梓はすぐに<Infinite Dendrogram>の世界に行かなかった。

 想起されるのは『或る日々』で、過去の日常で、忌むべき異常だ。

 人間は嫌いじゃない。けれど、梓は。自分という存在が、血族が嫌いだ。この世界は理不尽じゃない。人間が自分自身で首を絞めているだけだ。

 けれど、少なからず他者から締められる人間はいる。

 パルメールはその1人だった(、、、、、、、、、、、、、)

 だから(、、、)パルメールは、梓を好いている。

 だがそんな梓を、梓は嫌いだ。

 少し力を入れた所で、媒体にヒビは入らない。

 非力さが嫌いだ。力がある事が憎い。

 ずる賢い所が嫌いだ。権力を振りかざす者が憎い。

 「憎い」と、自分自身に、或いは誰かに憎まれるくらいなら、嫌われる方がマシだ、と。

 梓は一人、<Infinite Dendrogram>へと向かうのだった。




(作者)「オリキャラの中で一番の常識人(になる予定)のカデナ・パルメールがログインしましたー」
(天羽)「 ҉*\( 'ω' )/*҉ おめ 」
(アイラ)「ライバル現る!」
(庭原)「だが男だ」
(天羽)「┌(┌^o^)┐枠だね」
(庭原)「違う」
(天羽)「てかアイラちゃん、私がライバル扱いされてないんだけど」
(アイラ)「え、ライ……バル?」
(天羽)「ヒロインに虐められたー!」
(庭原)「(これ、常識人が居ないから一番常識人っぽいよって事じゃないか?)」
(作者)「君のような勘のいいガキは嫌いだよ」


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第十二話

 最早番外編。
 過去編。
 過去談。
 飛ばしても構わないくらいだ。


■ 誰かの話

 

 痛みが傷みである内は、まだ正常だった。

 痛みが傷みで無くなって、「嗚呼、また殴られた」と思う辺りになって入口だ。

 その痛みや傷みを受け入れるようになって異常だ。

 痛みや傷みを欲してしまうようになったらお終いだ。

 ……そう言えば、■■ ■という人の世界は白黒になったんだってさ。

 色盲なのかな?と思ったけど、違うらしい。

 この世界で希望を失ったせいで、『光』が無いものが、色が失われたように見える、らしい。

 どういう事?と問う機会は残念ながらない訳で。でもそのお話を聞く限り、「僕達」と同じで、異常な人なんだろう。お終いじゃなくて良かったね、と心のどこかで呟いた。

 

「■■■、来い」

 

 黒い服装の人に呼ばれたから、行くしかない(、、、、、、)

 ここが何処なのかは知らないし、どんな場所なのかも知らないし、■■ ■って人が誰なのかも結局知らない。序に■■■っていう僕の名前(らしい)の意味も、知らない。分からない。と言うか本能的に、『分かりたくない』。

 分からない事は怖い事だけど、『それら』を知る事よりは、怖くなかった。

 

「■■■には、■■■に出て貰うからな」

 

 何を言っているのかを雰囲気で察して、即座にSoy repugnante.(嫌です)と答えたかったけれど、僕の立場上、そんな事は出来ない。

 で、なんだっけ?■■■って何処?

 なんて、分からなくても聞き返せない。

 それもまた、分かりたくない事だから。

 僕が分からない理由は、いくつかある。

 一つは前々から言っている通り、分かりたくないから。

 二つは……と言ってもこっちが大元かな。

 言語が違う。

 僕の話す母国語と全く違う。似通ってすらいない。なんだっけこの国?ジパングだったっけ?

 まぁ、どうでもいいか。

 気にする事は無い。気にかける事は無い。

 痛くなければ。傷みがなければ。傷みが、痛みが無いなら、支障はない。異常だったけれど、支障はない。

 ……死んだ。殺された。それも情など無い殺し方で。そうして死んだ身内と同じ末路を辿らないなら、それでいい。ガキだから見逃された、とかどうでもいい。復讐とかもする気が起きない。

 ただ、死ななければ。

 ただ、生きていれば。

 それで、良かった。何もかも。そのままで。

 

□■□

 

 誰も彼もが彼の下だった。

 彼と言っても、もう若さなんてのは何処にもないような、おじさんだったけれど。

 見た目は4、50代の日本人(ジャポニーズ)だったのに、中身……精神がそれを軽く越えている。もう一世紀分はあるんじゃないかな、精神年齢。

 名前は、ニワハラ エンジュって言うらしい。カンジで書くとどうなるのかは知らない。ただ、僕を痛めつける奴らが「エンジュさん」とか「エンジュのダンナ」と言っていたりしていたのを、覚えていただけ。

 そんな中、「ニワハラのオンゾウシ」と呼ばれる子がいる、って事を聞いた。

 「オンゾウシ」っていうのが何なのかは知らなかったけど、同じ「ニワハラ」なのだから、あのおじさんと似通った人なんだろう、と思った。そう、思っていた。

 

 その「オンゾウシ」と呼ばれていた子を見た時、僕達と同じだ、と思った。僕達『奴隷』と一緒だ、と思った。いや、もしかすると僕達未満かもしれない、とすら。エンジュのおじさんとは、全く、全然、似ていなかった。寧ろ僕達に似ていた。

 彼は、生きる希望を何処にも見出していないような目をしていた。

ジャポニーズの基準じゃないけど、Estudiantes de secundaria(中学生)くらいかな、そんな彼は、生きる希望を見出していない僕達みたいな底辺の人間より下だった。僕達が底辺なら、彼は最底辺だったんだ。

 

「御曹司、いかがなされたのですか?」

「……話しかけるな、鬱陶しい。あとそう呼ぶな」

「ですが御曹司、貴方はいずれお父様のご意思を継いで――」

「継ぐ訳ないだろっ!!

何故僕が継がなきゃいけない!

僕以外に選択肢があった筈なのに(、、、、、、、、、、、、、、、)!!

それ(、、)を切り捨てたのはテメェらだろうがっ!!」

「っ……ですが、それはお父様のご意思――」

「無関係な訳もねぇよ」

 

 オンゾウシは酷く荒れていた。上に立つ者は上に立つ者で、楽は出来ていないらしい。

 当時の僕は、そう思うに留まった。

 

□■□

 

 オンゾウシが16になったのを切っ掛けにしてか、僕の生きてきたこの世界(箱庭)は、少しづつ変わっているように感じられた。

 第一に、傷みが無くなった。それどころか治療が始まったりしている。オンゾウシの意思だからな、なんて言っていたりしていたけれど、やっている黒い服装の男達は、心做しか喜んでいるように見えた。ジパングではツンデレと言うらしい事を、後から知った(あいつらに対してその単語を使うな、とも言われたけど)。

 オンゾウシの意思とは?と疑問を覚えたけれど、僕が会いたいと言ったって聞いてもらえないのは分かっている。質問したいと言っても伝わらない(、、、、、)事も熟知している。

 

「お前は言葉がわからんからな……扱いがその分大変だ」

 

 残念ながら、僕はその言葉の意味が分からない。ごめんね、黒服の人。

 

□■□

 

 そうして次にオンゾウシに会ったのは、オンゾウシが17になった頃だった。

 その時の彼の目は、種火のような小さなものではあったけど、光が有った。けれど、あまりにも小さい火だ。風が吹けば消えるような、小さな火。それなのにその火は燃え盛っている。

 その目と、僕の目があった時、運命の歯車は奇怪な音を鳴らしながら、回り始めたのを、僕は後々知るんだ。

 

「お前、名前は?」

 

 オンゾウシが、僕に問いかけた、のだろう。生憎日本語は分からないんだよなぁ、なんて、思っただけだったんだけど。

 

「ああ、日本語が分からないのか。黒髪だからって日本人とは限らない、か。ならEnglish?German?Spanish?」

「っ……S、Spanish……」

 

 僕は聞き逃さなかった。彼がちゃんと、僕の母国語を知っていて、それを選択肢に出した事を。いや、なんと問うたのかは知らない。ただ、母国語の名前を言われたから、途端に反応してしまっただけ。「スペイン人」って言ったのかもしれないけれど、この時の僕は「スペイン語」だと、そう確信を持って訳していた。

 

「えっと……¿Averiguar con esto?(これで分かるか?)

「っ!¡Sí!(うん!)

Vale(オーケー)……¿Cuál es el nombre?(名前は何だ?)

 

 名前を聞かれたけれど、どう答えよう。元の名前は「捨てた」らしいから、ここで呼ばれていた名前にしよう。

 

「クサ、リ……」

「鎖?クサリって呼ばれてる奴隷ってのはお前か……。

なら……お前はCadena(カデナ)だ」

¿De la cadena?(鎖?)

「Sí.」

 

 スペイン語での会話は、ここでするのは初めてで、話す事は、えっと……4才だったかな?以来だ。Cadenaは、日本語で鎖を意味するスペイン語だ。僕にぴったり、と言うわけだ。

 

「よし、カデナ。後は任せろ。僕はお前を見捨てない。それどころか救ってやる」

「?」

「あー、分かんねぇのか。でもいい。だって、『分かりたくない』ってなんねぇだろ?」

 

 何を言っているのかは分からなかったけど、何を言いたいのかは分かった僕は、コクコクと頷く。

 

「オーケー。言質はとった(、、、、、、)

 

 そう言って、彼は笑った。

 

■カデナ・パルメールの話

 

 それから何日経ったのかは分からない。随分と前に、時間の感覚は無くなっていたから。

 それでも、変革しているのだけは、何となく理解出来た。

 痛みは無い。悲鳴も無い。それでも、確かに、「エンジュ」という人は焦っていた。困っていた。……詰んでいた。

 この世界と言うのは理不尽らしく、僕が望んでいなくても、復讐はさせるらしい。

 その頃にはオンゾウシに教えて貰ったから、だけど日本語を少しだけ知っていたので、会話を理解出来ていた。

 

「僕は、クサリを放つ」

「…………そうか。元よりこの職。いずれ来るとは思っていたさ。唯一の誤算、或いは失態は、お前を残した事だよ、梓」

「ならそれはあんたの誤算だ親父。俺だけを残した、あんたの誤算で、あんたの失態だ」

「そう、だな」

 

 そのエンジュの返し方は、アズサに似ていた。嫌っていても、親子なんだな、とほんの少しだけ思っていた。

 本人に言ったら、怒りそうだけどね。

 

□■□

 

 その日、ある奴隷商人の一派が壊滅した。内部抗争によるものだと言う。政府にも関わっている者がいた為、公表はされなかった。

 奴隷は皆役割を「渡され」、普通の人間として生きていくそうだ。

 かく言う僕も例外では無く、『カデナ』という名前以外僕には無い。

 

「あ?苗字ならあるぞ?何せ元々の名前とかの情報はあるからなー」

 

 え、あるの?……でも、僕はアズサから貰った「カデナ」という名前を気に入っていた。

 

「そうか。なら改名手続きの関係上、下の名前を変える事になるだろうから、元の苗字と合わせて……」

 

 アズサは書類を作り上げていく。僕はただ見るだけだった。

 

「うし、出来た。……作るのに手間がかからなかった原因が『元から用意されていたから』とは……あの親父は……これだから……」

 

 最後の言葉は聞き取れなかったけれど、アズサが渡してきた紙には、『僕』の情報が文字になっていた。

 

「カデナ・パルメール……?」

「そ。それがお前。良かったな。お前の自由は、これから始まる」

 

 自由……自由、って何?

 

「自由は、この世界の何処にも無い」

 

 無いの?無いのに始まるの?

 

「何処にも無いけれど、絶対に在るもので、存在するもので、意外にも身近にあって、不可視で不可解だからこそ、どうしても、持っているのに求めてしまう」

 

 在るから、始まるの?

 

「求めて、求めて、求めて。その最果てに『元から持っていた』と気付いて、漸く始まる。

お前は、若しくは僕は、今この瞬間にそれに気付いた。

だから、始まる。

始めたくなくても、終わると分かっていても。

未来の為とか、誰かの為とか、大義名分をでっち上げて。

始めなくちゃならねぇ(、、、、、、、、、、)

 

 アズサはそれ以降、何も喋らずに、無言で立ち上がって部屋を出て行った。

 

「御曹司はああ見えて、優しい人です。俺達にすら優しい。

いつか、会う時があったら、宜しく言ってやって下さい」

 

 ん?黒服さん、僕は、アズサと一緒じゃないの?

 

「残念ですが、今共に行動する訳には行きません。俺達も然り。

警察は、厄介ですからね。旦那が殆どの罪を被るでしょうが、何が飛び火するか分からない。

俺達に出来る事は、あんたら元奴隷の保護と、御曹司にかかる火の粉を払う事。

まあ、安心して下せぇ。いずれ会えますって」

 

 黒服さんは、サングラスの奥の視線を優しくして、笑顔を作った。

 結局、根っからの悪人なんて、居ないみたいだよ、アズサ。

 

「さて、行きましょか」

 

 連れられて、外に出た。いつ以来だっただろう。

 

 ――空が、蒼いと思ったのは。

 

 蒼い。とても蒼い。雲一つ無い晴天の眩しさは、僕の目を焼くようだ。

 

「いい色……アズール……」

「アズール?」

「蒼って、事です。これを見せてくれたのは、アズサなんですよね」

「えぇ、そうですね。御曹司があんな事しなきゃ、今でも奴隷の人生ってのは変わらなかったでしょうから」

「なんで、そうしたんだろうね」

「さぁ、なんでで御座いましょ。意外にも、あんたにこういう景色を見せたかったから、かもしれませんぜ」

「なら、この蒼はアズサだ。アズサはアズールだ」

「アズサがアズール……名前とかかっているんですね」

 

 黒服さんは、サングラスを外して笑った。

 

「いやー、やっぱこの服だと暑い!」

「脱いで、いいの?」

「いいんすよ、これでお役御免!硬っ苦しい事は無し!

 うん、俺は葉桐!あんたは?」

 

 僕は、作られた僕ではあるけれど、大切な人が作ってくれた僕で、笑って答えた。

 

「僕は、カデナ。カデナ・パルメール。アズールに救われた、罪のない羊さ」

 

 そうして、僕の物語は、自由は、始まるんだ。




(カデナ)「恥ずかしいね、過去談って」
(庭原)(やっぱ┌(┌^o^)┐枠なんじゃなかろうか)
(天羽)「葉桐って誰なの?」
(庭原)「黒服。元働き手。SPみてぇな服装してた」
(天羽)「今はどうしてんの?」
(カデナ)「同居中だよ」
(天羽)「成程。因みに私達とゲーム内で合流する予定は?」
(作者)「無いです」


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第十三話

 前回までのあらすじ。

 <Infinite Dendrogram>というゲームは『自由』を売りにしていた。

 

 主人公、庭原 梓は【カタルパ・ガーデン】として<Infinite Dendrogram>の世界に踏み入れ、【絶対裁姫 アストライア】という〈エンブリオ〉と共に様々な冒険をする。

 

 ある日、<Infinite Dendrogram>の世界でカタルパ・ガーデンはPKに出逢い、【絶対裁姫 アストライア】の記念すべき第1スキル、《秤は意図せずして釣り合う》を使用し、それを対処した。

 

 後日、<Infinite Dendrogram>の管理AI、アリス(この時はアリスンと名乗っていたが)に襲われ、【絶対裁姫 アストライア】の第2スキル《不平等の元描く平行線》で応戦しようとするもキルされ、ログイン出来なくなった。

 

 再ログインを待つ梓の元に友人、天羽 叶多がやって来る。

 なんと天羽も<Infinite Dendrogram>のプレイヤーであり、しかもカタルパが先日倒したPK、ミル鍵だったのだ。

 PKから足を洗うと言った天羽の言葉を信じ、梓は共に行動する事を誓う(実際には誓っていないが)。

 

 天羽の過去談にて、梓の世界がモノクロになった原因と現在が少しづつ見えてきた。

 彼が失ったという『光』とは、果たして。

 

 天羽の誘いに乗り決闘都市ギデオンに着いたカタルパは、気配を察知したアイラに警告されて街を離れる。離れた先で〈UBM〉【五里霧虫 ミスティック】と管理AI、ジャバウォックに出逢う。

 

 苦戦の果てに第3段階に進化した【絶対裁姫 アストライア】の第3スキル《揺らめく蒼天の旗》により【五里霧虫 ミスティック】の討伐に成功、【霧中手甲 ミスティック】を贈与される。ジャバウォックは「また来る」と言い残し、消えていった。

 

 闘技場には行かなかったがギデオンにいたままのカタルパはリアルでの待ち合わせがあった事をアイラに指摘される。

 待ち合わせの相手はカデナ・パルメール。友人、とは言えない関係ではあったが、親しい人間ではあった。

 そのカデナも、<Infinite Dendrogram>をやっていると梓に告げる。「PKされそうになったところを燕尾服の人が助けてくれた」と言う。その燕尾服のプレイヤーに心当たりどころか本人であると告白し、梓はパーティーにカデナを加えるのだった。

 

 カデナの過去談にて、梓が奴隷商人の御曹司であった事、カデナが元奴隷であった事、カデナという名前は梓に貰った事など、様々な事柄が明かされ、現実の梓の物語は殆ど、終わった形となった。

 

 であれば、この世界(リアル)で語る事なしと言うならば。

 徐々こちらの世界(<Infinite Dendrogram>)の話をしよう。

 未だ見えぬ到達点。然れどゴールは決まっている。

 これは【数神(ザ・ナンバー)】の物語。

 "不平等"で"〈UBM〉狩り"で〈超級エンブリオ〉を所持し危険なスキルを多々持つ〈マスター〉、カタルパ・ガーデンの物語。

 

□■□

 

「アルカ・トレス!合流しました!今日から宜しくです!」

「……カデナ君だったのかー、悪い事したなー……」

「僕的には反省してくれりゃそれでいいや」

『待つクマ。え、なに?お前ら全員知り合いで?1回のPKに於いて、襲った奴と襲われた奴と助けた奴って関係クマ?

……どういう事クマ。どんな確率クマ』

「「「さぁ?運命の悪戯?」」」

『時々お前らが分からんクマ……』

「私としてはシュウが一番分からないがな。同率一位はカーター」

 

 決闘都市ギデオンにて、遂にアルカ・トレスが合流した。

 これでカタルパのパーティーは(フィガロとシュウを含めて)5人となった。1パーティーの最大メンバー数が6人なので、そろそろ限界である。パーティーメンバーには含まれないアイラを含めるなら、もう6人いる訳だ。

 

「では、何かしらのパーティーでも開くか、手伝え、カーター」

「あいあい、大体任せたぜ。アイラ、シュウ」

『任せろクマ』

 

 アイラが口火を切って各自パーティーの準備を始める事になった。アルカが合流出来るのはゲーム内時間で1日程かかると言われた為、皆それなりの準備はもうしていた。

 フィガロはリアルの都合でお休みだ(病院がどうだとか)。

 人付き合いが何だかんだ良いシュウは、初めましてながらもうアルカと打ち解けていた。

 

(こうして見る限りは、ただのマスコットだな、こりゃ)

 

 カタルパは一人、薄ら笑みを浮かべるのだった。脳内で算盤を弾き、『シュウ・スターリングマスコット化計画』を企てる。儲けものだ、と薄ら笑みは段々と下卑た笑みになって行く。

 

(カーターがキモい……)

 

 思っている事を理解出来る隣人の存在も忘れて。

 

□■□

 

「ひゃあ美味いっ!!」

「大袈裟な……とは言わねぇ!アルカ!もっと食え!俺も食う!」

「二人とも……行儀が悪い!」

「カーターは自重せい!」

「ぐっ!」

「ごっ!」

 

 アルカとカタルパがすごい勢いで並べられた食材を平らげ、ミル鍵とアイラが制裁を加えた。アルカにミル鍵が、カタルパにアイラがそれぞれ加えた図である。

 

『自由過ぎる夫と鬼嫁のやり取りクマ』

「はぁ?私は梓ラブ勢だよ!アルカは前菜にすらならないよ!」

「メインヒロインなわけだから当然ではないか」

『意見を統一させろクマ。あとミル鍵もミル鍵で自重しろクマ』

「僕は圏外でいいよー。てか良かったよー」

「俺もこの話から弾いてくれると助かる」

「カーターは引っ込んで」

「梓と話をさせてね?」

「逃げ道を的確に塞ぐヒロイン(仮)……何故僕だけなのか!」

『容姿と性格、もっと見直せ。あとスペック』

「お前が言うなよ、クマ着ぐるみ」

 

 ……いつの間にか歓迎会では無くなっていたが、貸切にしていたこの状況下に於いて、それにツッコミを入れる人間はいなかった。

 ……仮にここに誰か居ても、燕尾服の紳士、それにべったりくっ付いているいかにも「盗人です」と言っているような服装な女性、それを引き剥がそうとしている鎖の巻かれた白いワンピースの少女、それを和やかな目で見ている美少年、極めつけにクマの着ぐるみ。こんなアブノーマルなメンツに「普通じゃない!」とツッコミを入れる事が出来るだろうか、いや出来ない。

 

「にしてもシュウのメシが美味い!」

『これでも加減したクマ。本気でやるとヤバいクマ』

「お前の高スペックはどうにかしろ」

『お前が言うなクマ』

 

 シュウとカタルパは、いつも通りの会話を楽しむ。彼らがリアルで会った時の会話も、大抵こんなものだ。どちらもどちらのハイスペックを知るが故に、どちらも褒め称える。

 

「んん?加減したってどういう事です?」

 

 そこで、アルカがシュウのセリフに食い付いた。

 

ここ(<Infinite Dendrogram>)の食材は美味い。だから俺が作るともっと美味くなる。

てか美味くなりすぎて食った奴がヤバい』

「あー、そう言えば」

「知っているのか、カーター!」

「ああ、こいつは高スペックを超えたハイパースペックの持ち主。作った料理は凡百(あらゆる)人間の舌を唸らせる!」

「へー……もう凄すぎて何が何だかよく分からないなぁ……」

 

 ミル鍵が遠い目をしていた。「敵わんなぁ」とでも言うかのような目だった。

 アイラも「私も欲しいな、ハイスペック」と、ハイスペックなスキルの持ち主のくせに思っていた。

 対してアルカは。

 

(美味しいなぁ……)

 

 特に何も思っておらず、何も気にしていなかった。無意識に箸が進んでいた。

 恐らく、それが一番幸せだっただろう。

 ――だがそれも、幸せを感じられる場合に限られる。

 

「中々じゃないか、シュウ・スターリング」

 

 突如、6人目が現れては、感じられる幸せも感じられなくなる。

 その6人目に、カタルパは目を見張る。

 

「っ!ジャバ、ウォック……!!」

 

 成人男性のような体躯にこれでもかと獣や化け物のパーツを無造作に、然れど完成するように押し込めて作ったようなカタチをした何か。

 <Infinite Dendrogram>の管理AIが一体、ジャバウォックがそこにいた。

 知り合いであったのはシュウとカタルパ、アイラのみ。後の二人は初対面であった為、その見た目の異様さに驚き、距離を置いた。

 

『何用だ、ジャバウォック』

「そう警戒するな、シュウ・スターリング。カタルパ・ガーデンも同様だ。私が一人でノコノコと戦いに来たとでも?」

「ここがギデオンじゃなきゃ思ったかもしれない」

「私の場合はどうあれ思っていただろうな」

「ははっ、辛辣な〈エンブリオ〉じゃないか。マスターの顔が見てみたい……嗚呼、納得した」

「おい、何を理解したんだ。聞こうじゃねぇか」

『落ち着け。……用があるのは俺達ではなく梓一人か。飯を食いに来た、って訳でもねぇんだろ?』

「あぁ、そうだった。私とした事が本題を忘れる所だった」

 

 ジャバウォックは態とらしく自身の身体を手で撫でさする。傍から見たらそうとしか捉えられない状況だが、話の流れからして何かを取り出そうとしているらしい。

 その間にカタルパとシュウはジャバウォックについて取り敢えずの説明をアルカとミル鍵にしていた。二人とも「よく分からない」といった表情をしていたものの、今出来る説明はそれ以上無かった。またそれ以上の情報を二人は持ち合わせていなかった。

 そして視線を再びジャバウォックに向けると、漸く見つけたらしい、刀を抜くような流れる手捌きで一枚の紙を取り出した。

 

「……それは?【契約書】か?」

 

 カタルパが問う。それは【契約書】と呼ばれるアイテム。スクロールの一種と思えば想像しやすいだろう。類似品として【誓約書】が存在する。

 ただ、【誓約書】は国家間で使われる為、このタイミングならば出したとしても【契約書】だ。

 

「あぁ、【契約書】だ。だが気になるのはこのアイテムそのもの、では無いだろう?カタルパ・ガーデン」

「ああ、そうだな」

『……内容、だな』

 

 シュウも遊びなどでは無いと察知してか、先程から語尾がおかしくない。何せ目の前にいるのはジャバウォック。この世界を創った一員。況してや〈UBM〉担当。

 怒らせたりすればどうなるか(、、、、、)、想像が出来ない。難くない、のでは無い。シュウですら『出来ない』。

 それは〈UBM〉が超特殊なモンスターである事に起因する。つまり、何が起こるか分からないのだ。

 つまりパルプ○テ。箱の中身は何だろな、よりも悪質なのは確実だが。

 

「なに、至ってシンプル。

或る〈UBM〉を討伐して欲しいだけだ」

「『……何だと?』」

 

 カタルパとシュウが見事にハモった。

 

□■□

 

 完全に置いてけぼりになっていたアルカとミル鍵にも分かるように、ジャバウォックはゆっくりと、且つ丁寧に説明をした。

 曰く、自身が管理していた〈UBM〉の内一体が逃げ出した、と。

 曰く、自身が倒す訳には行かない〈UBM〉である、と。

 曰く、お前達ならば死んでも構わない(、、、、、、、、、、、、、、)、と。

 付け加えて「特にカタルパ・ガーデンは死んでいい」と言ったのは、ジャバウォックの性質をよく示せていると思う。

 

「成程?だが討伐させていいのか?〈UBM〉、なんだろ?」

「構わんさ。他の、より多くのマスターに被害が出る前に討伐しなければならない。だが私達が倒す訳には行かない。それはゲームの趣旨からズレるから、と言っておこう。

まあ、兎に角、私達が打てる最善はこれなのだ」

『なら、【契約書】の内容は何だ』

「報酬を私が増量する事。MVP特典は無理だが、それ以外ならば増やした上で分配、いや、本来の報酬を人数分用意させてもいい。

差し出がましいかもしれないが、私が完成させる前に逃げ出した〈UBM〉だ。どうしようと構わない。今更どうこうする価値すらない(、、、、、、)

 

 そう語るジャバウォックの語調は強かった。そこには明確な怒りが発露していた。〈UBM〉は己が手で完成されるべき、という思想なのだろう。

 〈UBM〉に登録したのに、完成したのはその後、とは数奇なものだが、管理AIとて完璧では無い。抜け目はあるだろう。

 カタルパ達は心の中で決断した。また、結団した。

 それは、他の誰かの為、という大義名分を得たからかもしれない。

 それでも、それが彼らにとっての――カタルパ・ガーデンにどっての正義に成り得るならば、それでいい。

 

「それで、討伐対象は?」

 

 カタルパが聞くと、ジャバウォックは重々しく口を開き、名を告げる。

 

「【シュプレヒコール】……【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】だ」

 

 (今迄で、と限定はするが)最悪の、〈UBM〉の名を。




【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】。
 シュプレヒコールとは。
 舞台で、一団がひとつの台詞を合唱する形式で進行する形式の演劇。シュプレヒコール劇のこと。
 ドイツ語の Sprechchor(英語: speaking choir からsprechen(スピーキング、話すなどを意味する独語)・choir(コーラス又は合唱団を意味する英語)に由来しており、「ドイツ語から日本語への借用」の一つである。シュプレヒコールは「集団で同じ言葉を繰り返す」のが特徴であり、「~やめろ」、「~しろ」、「~せよ」などの命令形のフレーズが多くを占めている。(wiki引用)
 今回は、デモなどで言われる方の意味、ではない方の意味で使われています。


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第十四話

 【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】は、誰の目にも届かぬ場所で一人、嘆いていた。

 逃げ出した事はもう覚えていない。怖かった思い出など残っていない。残留思念など何も無い。誰にも届かない怨嗟の声(シュプレヒコール)を、延々と唄うだけ。

 

 ――(アナタ)に絶望を

 

 ――(アナタ)に苦難を

 

 ――(アナタ)に苦痛を

 

 ――(アナタ)と怨嗟の合唱を

 

 人の心、人の手足、人の顔。紛れもなくそれは少女であった。

 少女は、ブツブツと、矢継ぎ早に、誰も居ないのに言葉を発する。

 

「痛い痛い痛い痛い恐い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い辛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い苦しい痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い怖い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いから――――助けて、ねぇ?」

 

 少女は、【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】は、逃げ出したこの場所で、誰かを待っていた。宝石のような涙を流して、自分の肩を抱いて。小さく縮こまって、カタカタと震えて。

 孤独に慣れて、馴れて――成れてしまう前に、『誰か』を、一人で。

 

■カタルパ・ガーデン

 

「3日、経ったな」

「ああ、そうだな」

 

 【五里霧虫 ミスティック】の戦いから3日。つまり《揺らめく蒼天の旗》が再使用可能になった俺は、カデナと天羽、シュウと共にジャバウォックに言われるがまま、【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】の討伐に向かっていた。

 ジャバウォックに拠ると、【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】は、ギデオンから少し離れた《サウダーデ森林》という場所にいるそうだ。

 亜竜以下の弱いモンスター(それでも俺よりは強いが)しかいない事で闘技場に行きたい新人に人気の狩場だそう、なのだが。

 今はそこが、封鎖されている。〈UBM〉が出た事は公表されていない。ただ、何かのイベントなのだろう、と思われていた。

 そして、その森林の入口には、人がいた。

 闘技場のランキングで1位に君臨する王者――ゲーム開始時の時点で(、、、、、、、、、、)第6段階の〈エンブリオ〉を所持していた事から、運営側の者と思われる――【猫神(ザ・リンクス)】トム・キャットがそこには居た。

 

「話は聞いてるよー」

 

 頭に猫を乗せているトムは軽い口調で――何処かで聞き覚えのある口調で――俺達を顔パスした。

 

「他のプレイヤーなら通さないけど、ジャバウォックが言ってたからね。ホント、態とらしくてありゃしないよ」

「あー……あんたあれか。チェシャか」

「そうだよ?

にしても不思議だね。アリスが言ってたんだよ、『(カタルパ)に隠し事は通じないから始めから情報は公開しておいて』って。

まあ、序に他の人も知っちゃう事にはなるかもしれないけれど、口外はしないでしょ?」

 

 文末が疑問形であったにも関わらず、俺達は首を横に振れなかった。口外してはならないと言われたかのような、そんな錯覚すら受けた。

 質問だった筈なのに、命令のようでしかなかった。俺達は首を縦に振る事で、悪寒を振り払った。

 にしても、アリスンがねぇ?あの人は、一体何を考えているんだ?俺のことが好きなの?

 

『新たなるライバル出現の予感』

「黙ってろ」

 

 シュウも辺りを見回すばかりで、話に介入しようとしない。事を理解しきれていないカデナと天羽も何を言えばいいのか分からないといった感じだ。

 

「僕の事も、アリス達の事も、ご内密に、だよ?」

「ああ、口外しないと誓おう」

 

 そう言わなければ、どうなっていた事か。てかあんたら、アリスンって言いづらいからって「ン」を抜くなよ。この間ジャバウォックも抜いて言ってたぞ。人の名前は間違えんな、失礼だから。

 

「で、何だっけ……そうそう、【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】。

僕がこの森林を封鎖しているから誰も出入り出来ていない。

彼女(、、)はこの中に居るし、誰もこの中に立ち入ってはいない。君達が受けるべき試練だから、と言う訳じゃないけど……なにせ、あのジャバウォックが頼んだ事だ。真相はあの化けの皮の中だけど、それが剥がれる事を、こっそり期待しておくよ。

じゃあ……4人……〈エンブリオ〉含めて5人?ご案内ー」

 

 たった一人でこの巨大な森林を封鎖していたと言う。驚きである、なんて事はこの際些事だ。俺達が森林の中に入っていくのを、チェシャ――トムは、何かを言いたげに、然れど静かに見送った。

 

□■□

 

 森林の中はあまりにも暗く、夜なのかと誤認させる。

 アイラも第2(弩弓の)形態になっており、強襲されないように4人でそれぞれの方角を警戒している。

 

「それで、シュウはさっきからどうした?キョロキョロと辺りを見回して」

『いや、ジャバウォックの事だ、これも罠なんじやねぇかと思ってな』

 

 ……そういやその線を考えていなかったな。

 いや、警戒していなかった訳ではない筈なんだ。ただ、無意識の内にその選択肢を除外してしまっていたんだ。

 

『森が暗すぎる。やっぱあいつの罠だったみてぇだな』

「いやいや、〈UBM〉のせいだろ?」

『その〈UBM〉を創っている奴はどいつだよ』

「…………成程」

 

 つまり、〈UBM〉を餌に俺達を釣ったのではなく、〈UBM〉そのもので釣った、と言う訳、か?

 だが、だがしかし。それはあいつにメリットが無い。抑死んでも構わないと言ってはいたが、俺達はそれで三日間この世界から居なくなるだけだ。

 それだけの為に態々ここまで大規模に仕掛けるだろうか?初心者を育てる為の場所を封鎖して、闘技場の王者を引っ張り出して、それで三日間居ないだけ?……あまりにも、釣り合わない。

 警戒はしていた、それでも。

 性質が悪くても、俺は何処かで、ジャバウォックを信用していたのだ。

 いくら疑おうと、何処かで、きっと。

 例えそれで裏切られようと許してしまえる程に、信用していたのだ。

 

『……カーター』

「あぁ。分かってる。それとこれとが、別問題な事は」

 

 そんな、「信じている」奴が出してきた、云わばクエスト。伝説級〈UBM〉、【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】を倒すクエスト。

 俺達に任せたあいつの為にも、頑張って――――

 

「――――痛いよぉ」

 

 突然、子供の声が、耳に届いた。

 

「……?」

 

 初めは、幻聴のようで。

 

「――――苦しいよぉ」

 

 段々と近付く音に、俺達は助けに行かず、警戒し始めた(、、、、、、)

 トムは言った。「誰も出入り出来ていない」と。

 元から居た事を除き、ここに子供が居る事は、有り得ない。こんな悲鳴をあげる子供が、〈UBM〉のいるこの場所で、生き残れる訳がない。

 

「怖いよぉ、恐いよぉ……」

 

 警戒態勢に入った俺達に、尚も声は近付く。

 そして。

 

「痛いよぉ」

「怖いよぉ」

「苦しいよぉ」

「恐いよぉ」

「ねぇ……助けてよぉ」

 

 四面楚歌のように、悲鳴で唄い出した。

 

「っ!!」

『広範囲攻撃かっ!?』

 

 先ず動いたのは、シュウだった。自身の〈エンブリオ〉、バルドルを第2形態で装着し、全方位に向けて掃射した。

 それでも、その悲鳴の合唱は止む気配を見せない。また、俺達のHPが減る気配も無い。遠距離攻撃が弩弓しかない俺も、無闇矢鱈に矢を放つが、変化は無い。

 その内、天羽が片膝を付いた。

 

「どうした!」

「いや、なんか……気持ち悪い」

 

 《看破》で見れば天羽のステータスの状態異常欄に見慣れないバッドステータス、《酩酊》(酔っ払うバッドステータスだろうか?)の表記があった。九分九厘、【シュプレヒコール】によるものだ。

 アルカが回復職だと言うので一旦任せて、状況把握に移る。

 先程からシュウが弾を打ち込んだ場所は数瞬ではあるが声が止んでいる。であれば、可能性はいくつかに絞られる。

 

 一。数体で一つの〈UBM〉。自己再生か分裂といった能力で補充して常に俺達を包囲している可能性。

 

 二。一体だが俺達を囲える〈UBM〉。【ミスティック】の霧のように不定形である可能性や、この森全体がもう〈UBM〉の領域である可能性。

 

 三。その他。『マスターのモンスター版』と語られるのが〈UBM〉。故に想像出来ない「何かしら」をしている可能性。

 

 三であれば絶望的だが、打ち込みゃ止んだ。幻聴という線は無い。三である可能性も、恐らく無い。そうだったなら、俺達は為す術なくやられる筈だから。

 打ち込んだ場所を《看破》で見ても、【シュプレヒコール】の情報は開示されない。森を見ても、声がする場所を見ても。少女の声が延々と聞こえるだけ。

 終ぞ「助けて」の一点張りになった。

 

「助けて」「助けて」「助けて」「助けて」「助けて」「助けて」「助けて」「助けて」「助けて」「助けて」「助けて」「助けて」「助けて」「助けて」「助けて」「助けて」「助けて」「助けて」

 

 流石に、聞くに耐えない。

 けれども俺の、否、僕の過去が、その単語を聞き逃す事を許さない。

……そう言えば。

 

「ジャバウォックは、俺にこれの討伐を頼んだな」

『カーター?いきなり、どうした?』

 

 何故だろう。何故だと思う?

 これはまだ悪じゃない。《秤は意図せずして釣り合う》は使えない。見えないから《揺らめく蒼天の旗》を打てない。《不平等の元描く平行線》もまだ貧弱なステータスしか写せない。

 それなのに何故、悪になる前のこれ(、、、、、、、、)の討伐を、()に頼んだのだろう。

 

『カーター。これはまさか、君だけが受けるクエストとして創られたと言うのか?』

「あくまで予想だ。ソロプレイヤーのみが挑戦出来るクエスト、とかあっても良くね?」

 

 その俺とアイラの会話を聞いていたシュウは、有り得る話だ、と頷いた。

 現状どうしようもない。予想を立てるだけ立てて何もしないのは、愚の骨頂だ。だから動くしか、やるしかない。

 抑不思議なのだ。天羽よりデバフに耐性が無い俺が、《酩酊》を受けない事が。

 これが俺対〈UBM〉にする為の前座だと言うならば。

 喜んでやってやろう。俺より強いシュウではなく、俺が。僕が。

 【契約書】をよく読まなかった事が誤算だったな。見ていれば、答えを導き出せたかもしれなかった。それも、挑戦前に。

 後の祭り、後悔先に立たず。

 俺が今から為すべき事に変化は生じない。

 アイラを紋章内に収め、カデナに言って天羽をシュウに担がせ、一旦森を出て、パーティーも解散させてもらう。危険だと思ったら直ぐに逃げるし、仮に死んだらあっち(リアル)から連絡するとだけ告げて、待つこと1分弱。

 森が、ざわめいた。

 そして、また唄い出した。

 

「一人だけ……」

「一人きり……」

「私と同じ……?」

「『それ』はアナタじゃないけどアナタだからいいよ……?」

 

 シュプレヒコールでは無い声。それでも、首筋をナイフで撫でられているような錯覚を覚える、危険な声。

 

「生きて」「死んで」「生きて」「死んで」

「何の為に?」「何の為に?」

「私は、痛いの、嫌い」

「苦しいの、嫌い」

「辛いの、嫌い」

「恐いの、嫌い」

「怖いの、嫌い」

「みんな、嫌い」

「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」

 

「――――死んじゃえ」

 

 少女の本音のようなものが、垣間見えたと同時。

 少女は姿を現した。

 人の心、人の手足、人の顔。正しく少女。それだけならばロリコンはお縄にかかるだろう。その前に罠にかかるだろう。

 然れど彼女を人間と形容してはならない。

 特に、その列挙の中で挙げていない、胴体(、、)を。

 人のソレと、呼んではならない。

 

「助けて?死んで?生きて?嫌い?」

 

 マジで腹から声を出す(、、、、、、、)奴を、俺は初めて見たよ。

 蜘蛛のように膨らんだ腹部に彫られたように浮かぶいくつもの口は、酷く、醜く歪んでいる。

 

「「「「「「「「「「「「助けて」」」」」」」」」」」」

 

 そんな事、望んでいないかのように。




【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】
伝説級〈UBM〉。
通常時は人の形すらとっておらず、不定形。
その間出来る事は《酩酊》を付与させる事が出来る唄声を披露する事だけ。口になる部位を擬似的に生成している為、攻撃された場合は一時的ではあるが、声が止む。《酩酊》を付与させる確率は相手が多ければ多い程高く、相手のパーティーメンバー欄の下から上へとかかっていく(クエスト当時、カタルパ達のメンバーはカタルパ、シュウ、アルカ、ミル鍵の順だった為、ミル鍵が最初にかかった。アルカのお祝いの際に一旦パーティーを解散していた事が裏目に出た。何故そうしてしまったのか)。この状態では《看破》も使えず、またHPも減らない為に倒せない。
戦闘形態になる為には『相手が1パーティーのみで範囲内(今回でいうサウダーデ森林)にいる事』、『パーティーメンバーが1名である事』の双方をクリアしている必要がある。
クリアしてしまえば魑魅魍魎。人の心と人の手足と人の顔を持ち合わせ、蜘蛛の腹のように膨らんだ腹部にいくつもの人の口を浮かび上がらせている悪鬼羅刹となる。どうやって立っているのか原理は不明だが、少女のようなか細い脚で、しっかりと二足歩行をする。

(天羽)「キモいぃっ!!」
(カデナ)「どうやって可愛らしい声を出してたんだろ?」
(庭原)「(カデナも常識人枠では無いな、こりゃ)」


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第十五話

(???)「さぁ、始まる」
(庭原)「…………」
(???)「昨今の物語の主人公のようじゃないか、カタルパ・ガーデン」
(庭原)「…………」
(???)「では皆様ごゆるりと。いつの時代の主人公も、初志貫徹するもの。カタルパは少し……ええ、少し、寄り道するだけですとも」

UA3000突破。ご愛読感謝です。


■カタルパ・ガーデン

 

 その一言を聞く度に、一瞬立ち止まってしまう。

 その一言を聞く度に、耐え難い痛みが心に走る。

 

『助けて?』

 

 だから、それを言わないでくれ。

 

『助けて』

 

 だから、本当に、言わないでくれよ。

 殺しづらい(、、、、、)

 意味の無い言葉の羅列、意思の有る言葉の羅列。それだけが、たったそれだけの言葉が、俺を締め付けて止まない。

 未だ《看破》は意味を成さず。

 《秤は意図せずして釣り合う》も使えず。

 《不平等の元描く平行線》も役に立たず。

 《揺らめく蒼天の旗》も効くかどうか分からない。

 ただ、相手の攻撃がピョンと跳んでから押し潰すというシンプルなものしかなく、躱しやすい事と、俺の攻撃でも当たり、まぁ、そこそこ、効いているのが感覚的に分かるのは、救いか。

 ただ……まだ、な気がする。

 こいつの本性は、まだ、見えていない。そんな気がする。

 

『助ケテ』

 

 少しづつ、ダメージが入ったからか、『変わっていく』声。

 「助けて」は、なにもお願いの言葉では無い。

 頼むのであれば、「助けて下さい」と言うだろ、普通?

 だから、あれの「助けて」は、願ってなんかいない。

 それは、奇しくもと言うべきか、だからこそと言うべきか、【シュプレヒコール】の名に起因する。

 『シュプレヒコール』で語られる命題は、殆どが命令形だ。

 「~しろ」とか、「~せよ」とかそういうの。

 とどのつまり、彼女が語っているのは懇願では無い。命令だ。

 「助けて下さい」では無く、「助けなさい」とか、「助けろ」とか、そういう意味なのだ。

 だから俺は助けない。

 それなのに、僕は救おうとしている。

 矛盾しているような、そうでも無いような。

 あやふやで、不明瞭な感覚。此処に立っているのはカタルパ・ガーデン(Player)なのに、動かしているのは庭原 梓(Prayer)のような、不可思議で、不可解な感覚。

 助けてと言った【シュプレヒコール】の言葉に応えようとする自分と、払い除けようとする自分。どちらも自分であるならば、真の意志はどちらだ?どちらが真の()なんだ?

 自ら縛って、それ故に絡まったこの心情を、残念ながら【シュプレヒコール】は欠片程度も理解してくれない。

 ただ、あちらがしたのは問題提起で、それに悩んでいるのも、解答する事を拱いているのも自分なのだから、当然とも言える。

 

『――Die(死んでしまえ)

 

 【シュプレヒコール】のHPが半分を切ったと感覚的に理解したと同時(我ながら、こんな持久戦をよく出来たものだ。まあ、相手の攻撃が単調だった(、、、)からこその結果だが)、【シュプレヒコール】が変わった(、、、、)

 

Dance(踊れ)

 

 突如、それこそ糸で吊られた操り人形のように、【シュプレヒコール】の行動パターンに変化が生じた。

 餌を食べる時の鯉のように全ての口をパクパクと開閉させて、頭部は泣き叫ぶ。

 彼女は自ら、「蜘蛛の糸」を、断ち切ったのだ。

 そして、『踊れ』と命令したその通りに。俺は踊らなければならなくなった。

 それは連撃。隙のない、とまでは行かないが回転しながら腹の口で噛みちぎりに来るそれを、俺は咄嗟に受ける事が出来ず、自由に動き回れない森の中を、糸を縫うように逃げた。

 

「流石に、ソロプレイは無理があったか、な……」

『それでも、主人(カーター)にクエストを出した意味がある筈、なのだろう?』

「あぁ、そりゃな。きっと、あってくれる筈だよ」

 

 逃げ回る内にポーションが尽きた。どうやったら俺が死ぬのか、分かってしまったかのように。俺は幽鬼のような足取りをしていた。それは、千鳥足よりも不安定で、それでも直立はしていた。

 それでも、『生きよう』としていた。

 死にたくない。そりゃそうだ。誰だって死ぬのは恐いんだから。

 だから、なのだろう。俺が手を拱いているのは。

 だから、なのだろう。僕が救おうとしているのは。

 彼女はずっと、「恐い」と。「怖い」と。「死ぬのが嫌だ」と、叫んでいたのだから。

 命を失う事が、恐いのだ。俺と同じで。

 なら目の前の化け物(彼女)と俺に差異は有るのか?

 ティアンとマスターの差異は〈エンブリオ〉の有無に在るとか言うけどさ、有ったら何なんだ?無かったら何なんだ?

 生きているという共通項で括ってりゃ差異なんかねぇだろ?

 だからさ。彼女だって、生きているじゃないか。差異なんか、存在していないじゃないか。

 そんなに線引きしたいのか?そんなに区別しなければならないのか?

 俺は恐い。『僕』は恐い。その線引きにそれ程までに執着してしまう人間が。そして恐らくそれ以上に、目の前に迫っている『死』が恐い。

 だが矢張り、それ以上に、それを玩び、嘲る世界が恐い。否、憎い。

 

「人の命を何だと思っているんだ」

 

 俺は、その問いかけを、誰にでもなく、世界にぶつけていた。

 返答は無い。それでも俺は訴えることを止めない。

 現実逃避(逃げ出)した事が悪いのか?死を恐れる事が悪いのか?死を哀れむ事が、悲しむ事が悪なのか?

 金の為に生きて何が悪い?

 人の為に生きて何が悪い?

 誰かの為に生きて何が悪い?

 

 ――初めから、『其処』には何も無かった。

 

 そうだとも。『答えなどありゃしない』。

 だから、行き場のない怒りなど無い。何せぶつける先は、眼下に広がっているのだから。

 

Down(落ちろ)

 

 【シュプレヒコール】が全身を捻り、弾丸のように突っ込んで来た。風船のように膨らんでいる腹部が当たれば、恐らく俺は死ぬだろう。

 アイラが新たなる可能性を掴む確率は、0だ。

 だから俺は、今有る手段を以てして、彼女をこの世界の呪縛から救い出さなければならない。

 ……可哀想な事に、【シュプレヒコール】は今居る場所が森の中の何処かを知らない。

 だからこそ、俺は()を救える。最低な方法で。

 

『「――《揺らめく蒼天の旗(アズール・フラッグ)》」』

 

 森の碧も、空の蒼も、地の土も、或いは、あの子に纏う恐怖さえ。蒼く、蒼く、染まっていく。

 その蒼の一部は森を抜け、外を染めた。

 

『「白黒世界」』

 

 蒼が一瞬にして白く染まり、加筆していくように黒くなる。

 あの子に纒わり付く黒は、他よりヤケに黒かった。

 それでも。俺はそれを祓う為に。()の為に。

 ()を殺すのだ。

 光弾は打ち出され、漸く使えた《看破》は、纒わり付く黒を全て祓っていた。

 【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】の、その劇の、幕引きを光が告げる。

 『蒼の世界』の範囲内にいたトムの(、、、)ステータスの最高数値を打ち込まれた化け物が、終わる。

 そして、その《看破》で見続けて、俺は思考していた仮定が正しい事を確信する。

 

 問。結局、彼女は何者か。

 

 答え。アンデッドの少女に取り巻く有象無象(アンデッド)

 

 問。【怨嗟共鳴シュプレヒコール】とは。

 

 答え。【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】という最弱級の〈UBM〉にアンデッドが依り憑いた集合体。

 

 本当に。本当に、救われない。

 どうして、倒す事が、殺す事が救いになってしまうのだろうか。

 殺すしか手段を持たなかった己のせいか。

 そういう手段しか与えさせないように創ったジャバウォックのせいか。

 それとも。

 

『討伐、おめでとう……カーター』

 

 アイラは俺の考えを全て理解しながらも、何も言おうとはしなかった。貶す事が無ければ、同情する事も無かった。

 ただ、頽れた俺の、その頭を、撫でるだけだ。

 それが今はどうしようもなく、嬉しかった。

 燕尾服を土で汚し、洟で汚し、涙で濡らした。握り締められた、何も掴めず、無骨な【霧中手甲】が装備された拳は、怒りの矛先(この星)を叩く。

 

「……ちくしょう、ちくしょう…………っ!!」

 

 救いたかったのだ。〈UBM〉だからとか、そういう所を抜きにして。

 だって、だってそうじゃないか。

 俺は、彼女と一対一で向き合った時に、気付いていたじゃないかよ。

 いつだって、「助けて」と言っていたのは、命令してきていたのは、腹の口(、、、)だったじゃないか……!!

 あの子(、、、)はいつだって、涙を流して、何も言わずに、俺に言っていたんだ。

 「痛い」の中に紛れ込んで見えなくなった「恐い」が!「怖い」が!「苦しい」が!「辛い」が!

 俺には、届いていたじゃないかよ……!!

 命令の中の懇願に、気付いてやれていたじゃないかよ……!!

 それなのに……それなのに。

 俺は、殺す事しか出来なかった。守りたかったのに。それなのに。一度も君を、救おうとはしなかったんだ。

 

【〈UBM〉【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】が討伐されました】

【MVPを選出します】

【【カタルパ・ガーデン】がMVPに選出されました】

【【カタルパ・ガーデン】にMVP特典【共鳴怨刀 シュプレヒコール】を贈与します】

 

 無神経に、アナウンスが鳴り響く。滂沱の涙はその音をかき消し、目の前の【共鳴怨刀 シュプレヒコール】もその涙で隠してしまった。

 でもそれが、俺の悲しみが、今は救いだった。

 だって、それを聞いてしまったら。それを見てしまったら。

 俺は、救えなかった現実に直面しなくちゃいけないから。

 現実逃避だ、あぁ、そうだとも。

 現実逃避してこのゲームに来て、ここでも現実逃避したら、何処に向かえばいいのだろう。

 カタルパ・ガーデンは救われない。

 庭原 梓は救えなかった。

 その現実だけが、今の俺を殺してしまいそうだ。

 

 後に人々は語る。『メイデンのTYPEの〈エンブリオ〉を持つマスターは、この世界をゲームだと思っていないか、この世界の命の価値と現実での命の価値を等価値だと考えている』と。また、人々は語る。『メイデンの〈エンブリオ〉は危機感の産物である』と。

 

 俺は、恐らく。現実の命の価値よりも、この世界の命の価値の方が上なんじゃないだろうか、と思っている。確信も確証も無い。けれど現実の人間がこうなった(死んだ)って、俺は同じリアクションをしてやれない。

 それは、救いたいと思ったからかもしれない。あの子を、【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】という少女を救おうと、庭原 梓が産まれて初めて決心したから、なのかもしれない。

 危機感……そんなもん、ねぇよ。ある訳無い。俺にそんな御大層な物がある訳無い。

 それなのに、僕は持ってしまっているのだ。双方の世界(リアルとゲーム)に対して、どうしようもない危機感が。

 本当に、本当に。

 

(俺達)生命(総て)を、何だと思っていやがるっ!!」

 

 天に、地に、見えぬ海に。俺は吠える。慟哭する。

 森はその悲しみを受け取ったのだろうか、風に揺れて、光を木の葉で隠す。

 

「生命の代弁者、か。全ての命を数えながら。命だ、と等しく数えておきながら、その数えた命をどうもしないとは。

怠惰だな、カーター。

あらゆる生命(敵と味方)を等価値にしてしまっては、君の善は何処へ行くのだ。君が屠るべき悪は何処にいるのだ」

 

 俺は、そのアイラの問いに、地を指した。【シュプレヒコール】で地を刺した。

 

「成程。君にとっての終着点は、そこか」

 

 血涙でも出るんじゃなかろうかという程の涙は、もう出ない。

 ただ、俺の眼の炎は、これ以上無く猛っていた。

 

 そうして、カタルパ・ガーデン(庭原 梓)の迷走は始まる。




【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】
 本体は腹の口などではなく、ただの少女。腹部は他のアンデッドが集い一体化した為に膨らんだ。あとはただの少女である。それ故に攻撃手段がその腹部によるプレスなど、腹部での攻撃しか無い。
 非戦闘時の霧のような状態は、腹に纒わり付くアンデッドであり、その間本体である少女は霧に深く包まれて如何なる感知も効かない。
 その間は如何なる攻撃も通用しないが、戦闘状態になると腹のアンデッドの集合体は本体とHPがリンクする為、腹のアンデッド群を攻撃しても本体にダメージが入る。
 本体は無垢な少女のアンデッドであり、生前からアンデッドやら死霊やらを「集めやすい」体質だった。
 死後アンデッドになってもその体質が残っていた為、アンデッドに取り憑かれてしまった。
 ジャバウォックはそれを確認し、本体である少女の意思を尊重し、少女の意思でコントロール出来るよう調整していたのだが、アンデッドがそれに反対(当然の帰結であるように思われるが)し、ジャバウォックの管轄を外れる。
 あくまで外れたのは纒わり付くアンデッドであり【シュプレヒコール】本人では無かったのだが、この調子ではまた反対されてイタチごっこの為、ジャバウォックは放棄した。
 性質は悪いが、倫理観が欠乏している訳では無いジャバウォックは、【シュプレヒコール】本人を救おうとしていた訳だ。
 結果、「救えない」事実をカタルパに教え、「救われない」現実をカタルパに教える事となった。
 救いたい対象を眼前に置きながら、決して救えない〈UBM〉。
 世界派のプレイヤーにとっては、精神的にくる〈UBM〉。


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第■話

 伏せ字多いけど、気にしないで下さい(懇願)。
 追記。
 訂正しました。順番が違った。


■或る未来の話。〈DIN〉ギデオン支部屋上

 

 其処には、3人の〈マスター〉が居た。厳密にはどうであれ(、、、、、)

 

「なぁ、あれは結局どうなるんだ?」

 

 3人の内の1人が問いかける。

 

「僕は知らないよ」

「私も〜」

 

 3人の内の、残った2人が答える。

 3人の内の1人、カタルパ・ガーデンは地平線の果てに居る何かを見据える。

 3人の内の2人、「双子社長」は自身の役目を果たしている。

 

「知らない?ならまたジャバウォックかよ。あいつ以外いねぇけどさ。クイーンは有り得ないし。……相変わらず性質が悪い」

「性格の悪さ、だったら」

「貴方も同じなんだけどね〜」

 

 失礼な、とカタルパは苦笑いするが、否定はしなかった。自覚している証拠だ。

 そうして3人は揃って、地平線の向こうを見る。

 

「……もうそろそろ、【三極竜】が」

「蹂躙を始めるよ〜」

「最初に〈SUBM〉と対峙するのは……あの位置だと〈バビロニア戦闘団〉か。ご愁傷様。

因みに■■■■■■兄妹。誰が勝つ?……あれは誰なら倒せる?」

「挑戦者が1人だけ、なら」

「貴方くらい〜」

「数人いるなら」

「フィガロは有り得ないの〜」

「おい、抑ソロプレイでフィガロじゃねぇなら複数プレイでも無理じゃねぇか」

 

 そう肩をすくめるカタルパ。自分なら倒せる、と言われたのに、動く気配は無い。物理的にも、精神的にも。

 

「貴方の《秤は意図せずして釣り合う》で写し取れるでしょ〜?」

「且つ君の《■■■■■■(アストライア)》なら倒せる」

 

 2人は目も合わせず支部の屋上で作業を続ける。それでも2人の息の合ったセリフの継ぎ方は、正直驚く。カタルパは、左手の甲をチラリと見てから、2人のセリフの続きを待った。

 

「「それでも、我々はそう易易と倒される事を望まない」」

「……ああ、知っている」

 

 カタルパは特に気にする風もなく、〈DIN〉ギデオン支部の屋上から、【三極竜 グローリア】の行く末を見る。とても遠く、点のように小さい(どころか「見えない」と言っても差し支え無い)グローリアを、3人は傍観していた。

 3人の内2人は『参加するわけには行かず』、1人は『参加してはならない』。

 〈UBM〉を討伐しないでほしい、と。カタルパは言われているから。

 〈SUBM〉も〈UBM〉だ。彼女達(、、、)の望みを、カタルパは破らない。望んだのは目の前の彼らなのだ、と。カタルパはまた、双子社長を見つめる。

 

「まあ、僕らとしては」

「倒されるのも面白いかな〜なんて思うんだけど〜」

「それでジャバウォックが怒るのは明白だ」

「怒らせるのは面倒なの〜」

「バンダースナッチも意味ねぇしな。

ったく。あの進化バカはどうしてあぁも……」

「バカならさ」

「私達の目の前にも1人〜」

「…………うっせぇ」

 

 カタルパはバツが悪そうに双子社長に向けていた視線をグローリアに向ける。先程から双子社長と往復している視線は、誰とも交錯しない。

 

「にしても。お前らでも不確定か」

「……何がかな」

「内容によっては〜」

「落ち着け。ただ単に、『アルテアが安全かどうか』分からなかったんだなって事だ。

俺が来る事を察しておきながらアルテアの支部ではなくここ(ギデオン)の支部を選んだのは、俺をデスペナにしたくないから、だろ?」

「「……回答を拒否しよう」」

「……そうかい」

 

 それ以降は、お互い何も話さなかった。ただ戦闘の開始を、待った。絶望の始まりを。一方的な虐殺を。

 ――カタルパは、待つ事しかできない。

 待たなければ、【三極竜】を倒してしまう恐れがあるから。

 《秤は意図せずして釣り合う(アンコンシアス・フラット)》も。

 《不平等の元描く平行線(アンフェア・イズ・フェア)》も。

 《揺らめく蒼天の旗(アズール・フラッグ)》も。

 《■■■■■■■■■(コンシアス・フラット)》も。

 《■■■■■■■■■■■》も。

 そして《■■■■■■(アストライア)》も。

 全てが、【三極竜】を殺し得る必殺の技。

 ……だからこそ、もう〈UBM〉を殺さないでくれと、ジャバウォック自身にも言われたのだが。

 

「非戦闘職だからいいと思うんだがな」

「問題は非戦闘職なのに、という所だよ」

「戦闘職の超級と並ぶ程じゃバランスブレイカーなの〜」

 

 それもそうか、とカタルパは頷く。

 カタルパは非戦闘職でありながら、〈エンブリオ〉と絶大なシナジーを生み、結果戦闘職より戦闘職染みた非戦闘職になった。

 計算スキル特化型超級職【数神(ザ・ナンバー)】。

 数値改竄や計算速度の上昇など多彩なスキルを操る化物。

 本来、【演算士】も【会計士】も、そして【数神】も、AGI特化職である。

 AGIは運動速度だけでなく、思考速度にも働く。

 超速で計算させる為の高AGI。計算以外させるつもりが無いからこその低スペック。

 それが売りだった、が。

 カタルパ・ガーデンの【絶対裁姫 アストライア】がそれをぶち壊してしまった。

 非戦闘へ進む職業に相反するように戦闘へ引き摺りこんだ鎖は、カタルパを化物にしていた。

 高AGI故の超速移動。王国最速までは残念ながら至らなかったが、五指に入る程度には速かった。相手のバフを写し取る《秤は意図せずして釣り合う》から【絶対裁姫 アストライア】の全てのスキルを同時発動出来るようになった第7形態で放つ《不平等の元描く平行線》のコンボは、計算時のみ、下手をすれば30万を超えるAGIを代入させる。

 カタルパ・ガーデンは、〈マスター〉にして〈イレギュラー〉のようなものだった。

 双子社長、或いはジャバウォック、或いは■■■はそんな彼を危険視している。バランスブレイカーではあるが、『それ』として機能した事は一度もないという事実には少し、彼ら彼女らは安堵していたが。

 

「君が態々ここに来た理由は」

「話し相手と観戦場所が必要だったからでしょ〜?」

「勿論」

「「■■■もロクな〈マスター〉を創らないな」」

アリスンに(、、、、、)謝れ」

 

 そうして3人による観戦の元――――始まるのだった。

 その物語は、彼が介入する余地のない、誰かが語る物語――――



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設定集

 カタルパ・ガーデンの精神崩壊のその前に!
 一区切りとして設定集放出!
 つっても今更すぎるお話とかあるんですよねぇ……。逆に未出の話とかもあるんですよねぇ。
 この設定集を区切りに新たなる話が進む……と良いですね。

 これは『<Infinite Dendrogram>Wiki』の書き方を参考にしています(参考にしているだけ)。それなのにキャラ紹介の後に原作っぽい会話が有りますが、許して下さい。

 追記。
 本編で《サドンデス(突然の死)》ってのが出たんで修正。被ったらアカンわな。


『カタルパ・ガーデン』

本名:庭原 梓

年齢:25

メインジョブ:【演算士(オペレーター)

サブジョブ:【会計士(アカウンテット)

ジョブレベル:20(合計70)

備考:"不平等(アンフェア)"、"〈U(ユニーク)B(ボス)M(モンスター)〉ハンター"略してモンス○ーハンター。

奴隷商人の息子という「は?」となる立ち位置の主人公。

正義、或いは善という単語、概念に固執している。

悪を許さないという正義の味方染みた性格。

特に、『殺す』事に関して強い忌避感を抱いており、殺す事と殺される事を嫌っている。例外として殺人鬼を殺す事は気にかけない。

現在、【シュプレヒコール】を救えなかった(、、、、、、)事に傷心中。

リアル:(一応)公務員。役所務めではあるが、本人曰く「今は仕事が無い」との事。

センススキル:計算能力

ネーミングの由来:名前の英訳。

所有エンブリオ:【絶対裁姫 アストライア】

TYPE:メイデンwithアームズ

到達形態:Ⅲ

紋章:鎖の巻かれた十字架

 

(双子兄)「現在、病みにして闇ルート驀地」

(双子妹)「御一人様御案内~」

(庭原)「……うっせぇ。てか何処行かす気だっての……」

 

【絶対裁姫 アストライア】

〈マスター〉:カタルパ・ガーデン

TYPE:メイデンwithアームズ

到達形態:Ⅲ

能力特性:絶対裁定(ジャッジ)&公平公正(フェア)

所持スキル:《秤は意図せずして釣り合う(アンコンシアス・フラット)》《不平等の元描く平行線(アンフェア・イズ・フェア)》《揺らめく蒼天の旗(アズール・フラッグ)

備考:後の超級エンブリオ。その際にはTYPEがメイデンwithウェポン・カリキュレーターになっている(設定)。

白いロリっ子。ワンピースの腰の所には鎖が巻かれている。ベルト代わりらしい。

メインヒロインの筈の人。梓ラブ勢その一、の筈の人。

それもこれも作者がラブコメとかしたくないから、などとは言えない。

まあ、オリキャラ同士のラブコメとか需要無いからネ!求められたらやるけど!

相性的に【殺人姫】に特攻がある。が、一分の間に今の【殺人姫】を殺しきる事は出来ない為、その特攻はあってないようなものとなった。【殺人王】になら勝てる。

(一応存在している)食癖:マスター(カタルパ)と同じものしか食べない。

 

(庭原)「食癖……そうだったのか。いや、なんかレストランとかでも同じの頼むなぁ、と思ってたから、納得」

(アイラ)「私に最も近しい者が理解していなかった、だと!?」

(双子兄)「鈍さはお揃いか」

(双子妹)「仲良しこよしなの~」

(庭原&アイラ)「「それ程でも……」」

(天羽)(……イラッ)

 

『ミル鍵』

本名:天羽 叶多

年齢:25

メインジョブ:【兇手】

サブジョブ:【暗殺者】

ジョブレベル:25(合計75)

備考:後の【狂騒姫(ノイズ・クイーン)】(???系統超級職)。

暗殺者の職をとっていたのはPKしようとしていたからで、後々一からビルドし直すという、本当は常識がある人。梓ラブ勢その二。

梓の前限定でキャラを「演じている」節があり、カデナ曰く「被っていたのは猫だけれど剥がれたのは化けの皮どころじゃない」。

恐らく一番血気盛んな人。

リアル:元学校の先生。もう辞めた。現在無職。

ネーミングの由来:特に無し。気分。

所有エンブリオ:【上半怪異 テケテケ】

TYPE:アームズ→ウェポン(【狂騒姫】になった時点での状態)

到達形態:Ⅲ→Ⅵ(【狂騒姫】になった時点での状態)

紋章:上半身しか無い女の子

 

(双子兄)「血気盛ん?」

(庭原)「そうだぜ」

(双子妹)「一番なの~?」

(庭原)「そうなんじゃね?」

(双子)((何故疑問形……?))

 

【上半怪異 テケテケ】

TYPE:アームズ→ウェポン

到達形態:Ⅲ→Ⅵ

能力特性:一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)

所持スキル:《脚は無くとも速くはあり(トップスピード・ランニング)

備考:個人的に好きなエンブリオ。自作しておきながら何だけども。

特にトップ(上体の)スピード(速さ)とか、気に入っている。勿論トップスピード(最高速)とかかっているけれど。

第6形態になった際、形が手斧から鎌になっている。……どんどん本来のテケテケに近付いている。

 

(作者)「スキルが……気に入っています」

(双子兄)「……LS・エルゴ・スム」

(作者)「ネーミングセンスと言うならそれもマジで凄いよね」

 

『アルカ・トレス』

本名:カデナ・パルメール

年齢:17

メインジョブ:【司教】

サブジョブ:【司祭】【付与術師】

ジョブレベル:10(合計68)

備考:一番の常識人。常に燕尾服で、鎖巻いてる少女連れて歩く病んだ人や、暗殺者やったりしながら狙撃手やってたりビルドの組み直ししか最近してないアズコン(梓コンプレックス)の人とか、着ぐるみ男とか、一回戦闘中に恥部を晒そうとしたチグハグ男とかの中ではマトモ。

実態は「常識すら無い」が。

干渉しない、感情の無いような人間。

遊戯派とは言い難く、然れど世界派とも言い難いプレイヤー。

リアル:学生。不登校気味。虐められている(本当は可愛がられている)からだそうだ。

ネーミングの由来:監獄として(公園になったりインディアンに占拠されたりしたが)有名なアメリカの『アルカトラズ』から。

アルカトラズのトレース()という意味合い。

所有エンブリオ:【平生宝樹 イグドラシル】

TYPE:テリトリー系列

到達形態:IV

ゲームで3番目に早く第4形態になったそうな。

紋章:9個の小円

 

(双子兄)「常識人とは(哲学)」

(双子妹)「存在しない幻想だったの~」

(庭原)「否定出来ない!」

 

【平生宝樹 イグドラシル】

TYPE:テリトリー系列

到達形態:IV

能力特性:味方強化(バフ)&敵弱体化(デバフ)

所持スキル:《森羅万傷(フレンドリーファイア)》《森輪破壊(メイキング)》《森剣勝負(フェアプレイ)

備考:ゲーム用語と「森羅万象」「森林破壊」「真剣勝負」という四字熟語を元にした四字熟語(最早熟語では無いが)が(ミス)マッチしたスキル名。フェアプレイはゲーム用語では無いかもしれないが、サッカーの試合(ゲーム)とかでフェアプレイを心がけているそうだから問題ない。

 

(双子兄)「いつの間にか最後か」

(双子妹)「本編未登場なのに設定が豊富~」

(双子)「「我々の出番も増やして貰いたいな」」

(庭原)「本編に言え。若しくは原作で出してもらえ」




 未登場のやつとか未発表の情報とか有りすぎて笑える(笑い事では無い)。
 まぁ、投稿が亀じゃなくても物語の進行は亀ですからね、仕方ないですね(仕方なくない)。
 メイデンや一部の〈エンブリオ〉の食癖は、私のオリキャラの中では【絶対裁姫 アストライア】しかありません。鎌とかテリトリーがどうやって食うんだ、って話ですがね。
 オリキャラ故にフリーダムな所が多いですが、二次創作だからと許して下さい。
 てか随分と放ったらかしでいた設定なので誤字とか確認してません。すみません。


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―Epilogue And Prolog―

 次回から、話の展開の方向は変わります。
 いや、主人公の意識が変わります。と、そう言うべきですかね。


 あの時から、つまり【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】が討伐されてから、長くも短い時が経った。ジャバウォックは、「倒したのがカタルパ一人なら、一人で受け取りに来い。まあ、出会えればの話だが」と言い残し、彼らの元を去っていた。

 その当の本人、カタルパ・ガーデンは森林を出て以来、心を閉ざしたかのように王城で計算のクエストをし続けていた。

 それこそ『何かで』盲目になったかのように。

 生きる意味を我武者羅に探し続けているかのように。

 彼女を殺してしまった事に対する贖罪をするかのように。

 殺してしまった事に対する、合理的な理由を探すかのように。

 或いは誰からか送られてくるであろう救いを求めているかのように。

 彼は計算する。

 その手は止まらない。けれど、彼自身は立ち止まっている。

 永久に停滞している。それは彼自身が望んだ事であり、彼以外の誰一人とて、望んでいない事。

 ただ、誰一人望んでいない事を、カタルパ・ガーデン自身が気付いていない。

 だから彼は止まらない。その手を止めない。止める事を望まれていても。止めてはならない、と自らに言い聞かせて。

 例え、自身の分身(〈エンブリオ〉)に望まれていなくても。

 

□■□

 

 カタルパの『闇』は、彼がログアウトしても変わらなかった。

 恐らくデスペナになったところで、変わる事は無いだろう。

 それに対し、アイラは嘆息し、シュウも着ぐるみでありながら眉根を寄せ、フィガロは目を細め、ミル鍵とアルカは目を疑った。

 誰もが知る「カタルパ・ガーデン」という像から、或いは現実での「庭原 梓」という存在から、今の彼はそれ程までにかけ離れていた。

 或る意味で、第3の彼と言えただろう。第3の彼はそれ故に、違っていた。庭原 梓より目は冥い。カタルパ・ガーデンより根が深い。歪んでいて、とても見にくくて、醜い。

 誰の目にも等しく、今の彼は幽鬼に見える。

 彼に出逢おうと、出逢うまいと、誰も、何も変わらない。会話にすらならないから。逢う事に、誰も何の意味も見い出せないから。

 なにせ彼の目は、何も見てはいないのだから。

 なにせ彼の言の葉は、何も語ろうとしていないのだから。

 虚空すら見つめていない。頭の中の幻想にしか囚われていない。物語を進める気すらないとでも言うかのような、幽鬼。

 幽鬼(亡き者)を幻視する幽鬼(バケモノ)

 何処にも響かなかったシュプレヒコール(魂の叫び)が……今更になって、彼の中で響いている事を、誰もが知っていた。

 勿論……彼の分身、【絶対裁姫 アストライア】さえも。

 そして、彼女だけが知っていた。

 今、彼女を蝕む邪毒が在る事を。

 今、彼女が少しづつ、変容している事を。

 彼でもなく、誰でもなく。

 彼の影響で変質している事を、彼女だけが、知っていた。

 

□■□

 

【メインジョブが商人系統上級職の状態でクエスト内での計算に於ける正答回数が1000000回を突破しました】

【計算スキル特化型超級職【数神】になる為のクエストが解放されました】

【特定のクリスタルに触れてクエストを受注して下さい】

 

 独特のアナウンスが王城の一室に鳴り響いた。

 聞いていたのは彼と、アイラだけだった。

 超級職、と聞いて、アイラは手を止めた。ゲームに於ける頂点とも言えるものを、開始一ヶ月で得たと言うのだ。……本来、【演算士】の上位互換が出ると思うのだが、そこには目を瞑っておこう。

 それでも、彼は手を止める気配は無い。

 勿論、アイラが代理で受けに行く事も出来ない。

 解放されただけで、彼が動こうとしない限り、【数神】の席は空いたままだ。

 この時期、つまりゲーム発売から一ヶ月近く経った状態でこの域まで達するには、彼程の計算能力と、それを活かせる環境が無ければ辿り着けない。つまり、彼以外現状誰も居ない。

 それを知ってか、いや、知らなくても、彼は動かない。

 

 ――計算している間だけは、何も考えなくていい。

 

 かつて、シュウ・スターリングに向けて、カタルパ・ガーデンはそう語った。

 彼が今、計算し続けている理由は、計算を止めようとしない理由は、それを聞いてからは明確だ。

 止めてしまえば、考えなくてはならないから。

 止めてしまえば、思い出してしまうから。

 それでも、先程からペンは圧し折れている。考えて(、、、)しまっている証拠だ。

 それが無くとも、アイラは分かっているが。

 混沌とした胸の内が。とっくの昔に堤防を破壊し、溢れ出した濁流が。彼の為人を知っているから尚更、アイラが見るそれは痛ましいものだった。

 ……それなのに、彼はまだ、彼として居る。

 常人であれば、精神崩壊を起こしているだろうに。

 ……いや、とアイラは頭を振る。

 

(元より、狂って、壊れていたのか。崩壊する場所が無い程に、崩れ落ちていたのかな。

なら、そんな主人が求める正解は、何故こんな(、、、)形をしているのだろうね?)

 

 そんな人間から、こんなマトモな〈エンブリオ〉が生まれたのか。自分でマトモと語るのは間違いだったかもしれないが、折れたペンが転がるこの場には、アイラと、彼しか居ない。

 一体誰が、物申す事が出来ただろう。

 そして、気が付いているのは、彼女だけだが。

 【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】を討伐したのは、カタルパ・ガーデンがゲームを始めてから約2週間経った時の事だ。

 そして今、ゲームが発売されてから一ヶ月が経過している。

 であれば実に2週間強の間、彼は只管にペンを手に取っていた。ペンだこはログアウトすれば消えていたが、計算していないその間、彼は考えてしまっていたのだろう。精神的な苦痛が見て取れた。

 時たま、彼は計算しながら肩から提げている刀を見る。肩からショルダーバッグのように提げられたその刀は、伝説級〈UBM〉【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】を討伐して手に入れたMVP特典【共鳴怨刀 シュプレヒコール】である。

 鞘も柄もない、抜き身の刀。布でぐるぐる巻きにしても、今の彼にはその刀そのものが映っているに違いない。

 恐らく彼は、刀に浮かび上がっている波紋の形一つ一つすら覚えているのだろう。

 日本刀。西洋が元である【シュプレヒコール】の設定から離れたような日本刀は、怨嗟というものは「曲がったもの」だ、「歪んだもの」だ、と。そう言おうとしているのだろう。刀は剣と違い、反っているから。曲がっているから。

 そしてその「曲がったもの」「歪んだもの」に囚われている彼は。或いはそれそのものに成り果ててしまおうとしている彼は。

 何処に、辿り着くのだろうか。

 

 ――正義の味方になろうとして、守れなかった事を嘆く。

 

 これだけを書き記せば、まるで物語の主人公のようではないか。

 遠くない未来で新たなる希望を見出す物語のようではないか。

 然し乍ら、彼に限っては、そうはならない。

 彼に手を差し伸べる者が……居るが、居るには居るが、彼を救う人間は、居ないからだ。

 抑、庭原 梓という人間を中心にしたこの人間関係に於いて、マトモな人間がいなかった。彼を救い得る人間など、いなかった。

 だから、彼女は、手を差し伸べる事を、選んだ。救う事では無く、差し伸べる事を、選んだ。

 

「カーター」

 

 短く、彼女は呼びかけた。

 それでいい。それだけでいい。必要以上の言葉は必要無い。

 必要以上に彼を妨げては、また彼は闇に歩を進める。立ち止まったまま、迷走して行く。堤防を壊した濁流が、また溢れ返ってしまう。

 

「……どうした」

 

 手は止まっていない、それでも返答はした。

 器用な彼に、アイラは語りかける。

 

「君は、何になりたい?」

「そう、だな。正義の味方じゃない何か、かな」

「……その心は?」

 

 少し考えてから答えたカタルパに、アイラは畳み掛けるように質問を重ねた。それは、答えを知りきった、質問だった。

 

「正義の味方は、物語の主人公は、挫折するクセに、立ち直る。根本的な解決をさせないまま、開き直る(、、、、)

俺はそれにはなりたくないから。

……俺だって、分かってはいるんだぜ?もうあの子を救えないって。いや、元から、救う事なんか出来なかった事なんて、知りきっていたんだ。

俺の手から、元から零れ落ちていたんだ。

でも俺は、それすら掬おうとしていた。救おうとしていた。

そんな事(、、、、)は分かっているさ。

ただ、ただ……」

 

 カタルパは吃る。何か言いあぐねていたが、アイラには分かっていた。何を思っているのか、何を言いたいのか、何故それを、態々言葉にしようとしているのか。

 結局、カタルパ・ガーデンは、庭原 梓は、子供だったのだ。

 現実を、あるがままの姿をそのまま受け止める事が出来ない、子供だったのだ。

 そういう(、、、、)人間が多かったから、かのアストライアは……とアイラは思案したが、彼女と自分は違うと断じて、改めてその『子供』を見た。

 幼くはない。稚くもない。拙くもない。それでも何故か、子供だと思えてならない。

 

「私は、【絶対裁姫 アストライア】と言う。メイデンwithアームズの〈エンブリオ〉。乙女座であるとされるアストライアの名を冠し、この地に、カタルパ・ガーデンの半身として生まれ落ちた。

君の正義と悪の境界線を定める存在として。

君が悪を裁く為の道具として。

私は居る。

……さて。君はどうだ?カーター」

「それは、俺への質問、って事でいいのか?

それとも、『僕』への質問って事でいいのか?」

「どちらにもしている質問だよ、カーター。

私は知りたいからね。思うだけではなく、言葉にしなくては、水の泡のように、全て儚く消えてしまうだろう?」

 

 なら、とカタルパは口を開く。

 そうして並べた言葉の羅列に、アイラは目を見開いた。

 そうして、それに対して、アイラは応えた。

 

「なら私は、君のそれを叶える道具となろう。

何せ私は、君の〈エンブリオ〉だからな」

「……いいのか?」

「ああ。いいとも」

 

 彼女は、使徒(アポストル)では無い。それでも、それに似た意思は存在していた。カタルパの持つものがどうしようもなく『危機感』と呼べてしまうものであり、『使命感』と呼べてしまうものであるから、なのかもしれない。

 それでも、そうでなくても。

 彼女は彼の、手足になろうと、そう誓ったのだった。

 

 彼女は初めてカタルパに、優しい嘘をついたのだった。



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第十六話

 何本目かになるペンが圧し折れた。

 そこで彼はようやっと手を止め、現状を見る。

 鏡の向こうには、白黒の(、、、)自分、カタルパ・ガーデンでもあり、同じ顔をしている庭原 梓の顔が、映っていた。

 ……やつれた顔だ。

 とても人前に出られるような顔では無い。

 それでも、今はどうしようもない。ログアウトして、再ログインすれば顔は戻る。けれども、またこうなる事が分かってしまう。だから、それは諦めざるを得ない。

 この状況を打開する策は……有るには有る。

 けれどそれは、求めているだけで、手を伸ばした所で届かない願いで、叶わない願いで、適わない事なのだ。

 こういう時に限って、アイラは彼を救ってくれない。

 ……いや、と彼は首を横に振る。

 救わないのでは無い。見捨てた訳でも無く、救う事を、態と選んでいないのだ。

 「どうしたら救えるか」を理解しているから、自分がその役にならないように徹している。

 彼女は彼の救世主になろうとしていないのだ。

 一度足りとも、一瞬足りとも、彼女は、彼を救おうとはしなかった。

 それどころか、彼がこうして迷走する事を、助長している。

 

『なら私は、君のそれを叶える道具となろう。

何せ私は、君の〈エンブリオ〉だからな』

 

 そう、アイラは語っていた。

 であれば、カタルパの意思を理解した上で、彼女は救わず、彼がそれを求める事を許し、彼の手に何も残らない事を、望んでいるように……見えてしまう。

 ……いや、と彼は再度首を振る。

 それは、「自分の〈エンブリオ〉に限ってそれはない」という意味では無い。寧ろ彼は、そうである事を何処かで、きっと望んでいるのだから。

 だから今のは、ただ、迷いを払っただけ。

 だから、彼の目で猛る焔は、輝かしくなど――無い筈なのだ。

 

■【絶対裁姫 アストライア】

 

 人の気の無くなった王城の一室には、ただ一人。私だけが取り残されていた。

 彼はまだ、ログアウトしていない。

 だが、彼が何処に居るかを、私は知らない。

 彼の心が読める筈の私が、だ。

 混沌とし過ぎていて、読めない。彼の理解者であったつもりでいた私はもう、理解出来なくなっていた。

 その動揺で、カタカタと身が震える。

 頭で分かる事。『アレはダメだ』という事。

 救う救わないの問題では無くなったかのように思える。

 アレは、人の心では無い、と。

 アレは、彼の本性では無い筈だ、と。

 私は、震えるしか無かった。他に、何が出来ただろう。

 況してやその、取り返しの付かない幽鬼の誕生に関与したのが、私の一言であったなど、信じたくもないのだ。

 それでも、カタルパはあの一言で変わった。

 ああ、変わった。変わってしまったとも。

 結果的に悪い方向へ、変わってしまったとも。

 

「どうして、どうして私は……!!」

 

 嗚咽が混じったその声を、聞き届ける者は居ない。

 私が彼を支えているから、彼が後押しを得たから……彼は、進んでしまった。私が、後押しをしてしまった。

 

 ――断崖絶壁に、突き落としてしまった。

 

 私は、嘘を吐いていたんだ。ずっと、嘘を吐いていたんだ。

 とても、彼には言えない嘘だ。

 なにせ、それは烏滸がましい。

 彼は私を家族として見ていた。私はそれが嬉しかった、筈なのに(、、、、)

 それに甘えて、それに縋って、そのまま引き摺って、いつの間にか突き落としていた。

 それ以上を願った私の強欲は、いつの間にか彼を突き落としていた。

 傲慢だったのかもしれない。今となっては分からない。

 けれど、彼が望んでいたんだ。私が彼を救わない事を。

 だから、私はカタルパを救わなかった。

 自分自身に、嘘を吐いて。

 どうしようもない、嘘を吐いて。

 鎖が地を擦る。けれどそれを、気にする心の余裕が無い。

 

 ――――いつか、アイラを武器として(、、、、、)必要ない世界に、なるといいな

 

 そう、彼はいつだったか、私に言ってくれた。

 私は、それに応えたい、と思っていた。

 けれど、第3段階まで来てみて、どうだ?

 私は結局、カタルパを『戦闘』に縛り付けているではないか。

 私が《揺らめく蒼天の旗》などというスキルを得たから……カタルパは壊れてしまったではないか。

 他の誰かが【シュプレヒコール】を倒しただろう。けれどそれの方が、彼にとっては幸せだったのでは?

 彼が殺したから、カタルパは罪悪感で押し潰されそうになっている。だから、私が、こんな力を持っていなければ……良かったのではないか?

 

「罪深い。実に罪深いよ。私の罪は測り知れないよ。

……それなのに……何を裁けると言うのかな?私如きに裁かれる物があるのかな?

悪かな?私以外の罪人かな?

……ねぇ、それなら、私は、誰が裁いてくれるのかな?

教えておくれ……カーター……」

 

 矢張り、答える声は、何処にも無い。

 私を裁く為に鎌を持つ者も、裁く為の裁判を開く者も、苦言を呈する者も、誰一人。

 彼の心を理解出来る者がいるのに――私を理解出来る者が、何処にも居ないせいだ。

 カタルパの擦り切れた心に呼応するように、私も擦り切れてしまいそうだ。

 そのせいか、最近、よく「第4段階」のエンブリオの話を聞くのに、私はここに停滞している。

 フィガロも、シュウも、読心した限りではミルキー()もアルカも第4段階だそうじゃないか(どうやら、【シュプレヒコール】と戦う際には既にアルカは第4段階だったらしいが)。

 ……一体、どうして私達2人は立ち止まっているのだろうね。

 誰もが自由で、誰もが我儘で、誰もが身勝手だ。

 それがこの世界で、それがこの遊戯だ。

 誰も、何も間違いでは無い。何故なら自由だから。

 どう生きようと間違いでは無い。

 痛覚をONにして自殺する奴がいても。

 リスポーンキルを繰り返す奴がいても。

 魂を賭ける奴がいても。

 どうしようとも、誤りは無い。過ちがあっても、それでも。

 何故なら……彼らは自由だから。

 だから、間違いでは無い。

 NPCのような(、、、、)ものに、感情移入していたって。

 だから、カタルパは間違ってない。

 私もそれを否定したら、もう誰もカタルパを信じてくれない。

 混沌としていても、私だけは彼の味方でなくてはならない。

 正義の味方は一人であってはならない。

 いつでも、隣に仲間が居なくてはならない。

 願わくば、私が彼の手に収まるのでは無く。

 彼の隣に、立てる事を――――

 

□■□

 

 いつから、眠ってしまっていたのだろうか?

 目覚めると、眠る前と変わらない部屋だった。

 斜陽が転がるペンを一つ一つ橙に染めていて、もう少しでそれらが暗闇に包まれる事を示唆していた。

 起き上がると、パサッと何かが落ちた。

 

「……布……毛布、かな?」

 

 手触りが良い。

 毛皮か何かを使った毛布なのだろう。……暖かい。

 それは、私の温もりとは、少しだけ、違った。

 なら、誰の……なのだろう?

 

「カーター?」

 

 ……流石に居ない。

 彼が何処に行ったのかは知らないけれど、私がここにいたままなら、まだログアウトしていないのだろう。

 かれこれ……リアルで16時間くらいのログインかな。

 お疲れ様。

 私の思いは彼には読まれない。

 だから好き勝手させてもらおう。

 彼だけが自由なのは不公平だ。

 私も、私如きでも、自由を求めさせてもらおうか。

 彼の道具にはなりたい。

 けれどそれは、アームズのエンブリオとして、では無い。

 彼と寄り添いあえる者としての自由を。

 彼と戦える、そんな自由を。

 

「色恋沙汰では無いが……許してくれよ?カーター」

 

 温もりが――私に「近い」誰かの温もりが残った毛布に包まって。

 一人、私は三度彼がここに戻ってくるのを、待つのだ。

 私だけが、彼を此処で待つのだ。

 いつも。

 或いはいつまでも。

 ミルキーでもなく、アルカでもない。

 私が、カタルパだけのエンブリオが。

 乙女が。処女(メイデン)が。

 一人で彼を、待ってあげるのだ。

 何処に居るかは知らないけれど、何をしているのかは読むまでもなく察せる彼を、待つのだ。

 

□■□

 

 徐々、カタルパは私のいるこの部屋の扉を開ける。

 ガチャリという音を態とらしくたてて、ゆっくり開くのだ。

 

「ただいま」

「あぁ、おかえり、カーター」

 

 まだ第3段階である私と、【数神】になる事に成功したカタルパの物語が、始まってくれると信じて。



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第十七話

 問、カタルパは、何処へ行くのでしょうか。
 答、カタルパは、何処にも行けないのです。

 問、彼の最果ては何処でしょうか。
 答、今居る場所、ですかねぇ…。


【この問いに答えよ】

 

 何処からか響く電子音声が、或るクエストを受けたカタルパに、重々しく鳴り響いた。

 そのクエストとは勿論、【数神】になる為のクエストである。

 文面上だけならば、カタルパの心に響く事は先ず無い。

 ただ、カタルパの脳内には、そのセリフが指す『問い』とは違う『問い』が、浮かんでいた。けれどそれも、直ぐに雲散霧消する。代わりに、『悩み』が浮かんできた。

 考えている事は上手く言葉に出来ない。混沌としている脳内の何を感知したのか、アイラも変わってしまった。

 まだあれなら、嫌われた方が良かった。

 あの子は、カタルパと違って、正直過ぎるから。例えカタルパが間違えていても、カタルパの『正しさ』で物事を考えてしまっているから。彼女自身の意識よりも、カタルパの意思を尊重しているフシがあるから。

 

「だから俺は、あの子を何度でも傷つけてしまう」

 

 カタルパの勘違い(、、、)は直らない。

 遠い過去にした忘れ物のように、いつか勘違いだった事すら忘れて、固定観念として定着して、彼と彼女の歯車はどんどんズレていく。

 だがそれは、この先の物語。喫緊の課題は、そんな事じゃない。

 

「さて……為すべき事は一つ……なのだろうか」

 

 机と椅子、紙とペン。空中に浮かぶ光文字。

 光文字で表示された問いは、電卓を取り出そうと計算し切れない。

 それもそうか、と一人納得し、頷く。電卓(チートツール)使って超級職とか、つまらないしな、と。

 ログアウト出来なくなっているのは、一度この問題を見てからログアウトし、答えを知ってから解く事をさせない為、だろう。

 加えて、挑戦権は一人一回。この空間を出れば、もう二度とこの問題は解けない。それどころか、【数神】になる事も叶わない。

 商人系統超級職ではなく先に計算スキル特化型超級職が出てきたのには驚いたが、内訳はこういう事だったらしい。

 『誰でも気軽にどうぞ!なれるかどうかは別問題だがな!!』

 そんなとこか。

 気軽に、と言う割に正当回数1000000回という制約があるが。

 まぁ、連続正解回数じゃないだけ、マシか。

 

「さて……さてさて。さてさてさてさて」

 

 コキコキと指を鳴らす。首が曲がる。目が見開かれる。

 それは、カタルパの『臨戦態勢』を意味している。

 そうする事で意識が切り替わり、亜音速で移動するように、超速で思考を開始する。

 だが、止まる。

 一目見て、分かってしまったのだから。

 さて、問題文を改めて、或いは初めて、見てみよう。

 

【単連結な3次元閉多様体は3次元球面 S³に同相である。】

 

 この説明文で内容を理解出来た者は素晴らしい。

 斯く言うカタルパも理解は出来た。問題文とその意図だけなら。

 この問いは、これを証明すればいいのだという事は。

 

 ――ミレニアム懸賞問題の一つ、ポアンカレ予想を解けという事は。

 

 ミレニアム懸賞問題については各自で調べて頂くとして。

 ポアンカレ予想はその中で、2040年代現在に至るまでで、唯一(、、)証明されている問題だ。

 だから、【数神】になれない訳では無い。

 サーストンの幾何学予想を解決させ、発展させて解くという問題。リッチフローを使えるか否かがキモとなる。

 まぁ、ここまで言って「何言ってんだこいつ」となる事だろう。それは正しい(、、、、、、)

 

 これは、数学の専門家が解く事を諦める難問である。

 

 彼は計算能力がある。けれど、それでも本来届かない。

 計算出来るだけで、この懸賞問題を全て解ける訳が無いのだ。

 何せこのポアンカレ予想。解いたら日本円にして約1億円の報酬があるのだ。

 学者達がその額を懸けた。序に誇りやら何やらも懸けた事だろう。『自分には解けない。代わりに解いてくれ』と言う、その意味がお分かりだろうか?

 そうだとも。問いを作っておきながら、解かせる気など無いのだ。或いは、同士を作ろうとしているのだ。

 ……さて、話を戻そう。

 つまりこのクエストを攻略し【数神】になるには、グリゴリー・ペレルマンが解いた方法を記憶しているか、同じ方法で解く事が『前提条件』となっているのだ。

 然し乍ら、カタルパはグリゴリー・ペレルマンの行った通りの解き方を覚えていないし、ポアンカレ予想は知っていたが、抑の解き方を知らなかった。

 だが、彼はそこから逃げ出さなかった。

 それは、愚行では無い。

 風車に挑むドン・キホーテのようでありながら、魔王に立ち向かう勇者のようであった。

 

「成程……滾るな」

 

 その時の彼は、計算していた。どうしようもない程に。今迄とは比較にならない程に。アイラと別れて一時間、その瞬間から始まったこの超速の思考。

 前回、カタルパがアイラの元に帰るのにリアルで16時間程。

 ゲーム内換算で48時間。その内一時間(往復なのでプラス一時間)が移動時間。つまり彼は、結果として46時間の連続思考をしていた事になる。

 彼のAGIからすれば、体感的にはもっと長かった事だろう。

 そんな長い時間、思考していられるだろうか。途中で「お腹が空いたな」とか「眠いな」とか、思ってしまわないだろうか。

 そういう事が、彼にもあったかもしれない。けれどこの時に限って、彼には無かった。様々なものが、欠けていたから。欠如していたから。今この場に於いて、欠場していたから。

 意思は潰えていた。

 意味は消えていた。

 意義は失せていた。

 無駄なものを可能な限り廃したそれ故に。その手は止まらない。

 次々と数字や文字を書き連ねるその手は、解ききるまで止まらない。

 もう彼は立ち止まらない。

 自分の進む先が、例えどんな場所であっても。

 失墜に堕落を重ねた、負の連鎖が続こうとも。

 カタルパはもう、立ち止まらない。

 断崖絶壁に落ちたその後の逆転劇を、始めるだけなのだから。

 

□■□

 

 態々解き方を教えるつもりも無い。

 約46時間の激闘の末、解いた、とだけ、言っておこう。

 

【クエストが攻略されました】

【【カタルパ・ガーデン】に計算スキル特化型超級職【数神】のジョブを贈与します】

【これにより、他のプレイヤーに出されていた同クエストが破棄されます】

【今から10秒後にクリスタルの前へ転送されます】

 

 アナウンスは相変わらず無機質で、もう少し可愛げがあってもいいと思った。

 その10秒すら、今のカタルパには長く感じられた。

 解かれた問題はもう、この場で、誰にも見られる事は無い。

 「と言うかこれ、他の懸賞問題だったらどーすんだ?」と思ったのは、きっとカタルパだけでは無い。

 「唯一解かれているから、別にいいよね、これで」と誰か(、、)が悪ふざけで、面白半分で作ったジョブとクエストである事など、恐らく誰も分からない。この場で解いたカタルパですら分からないと言うのだから。

 

「ともあれ、クエストクリア、か」

 

 そうして、クリスタルの前に転送されて、漸く、彼は思い至った。

 

「……なんで俺は、【数神】になろうとしたんだ?」

 

 と。そしてそれは、【数神】になった事で跳ね上がったAGIによる思考により、一瞬で答えに辿り着いた。

 

「……あー、そっか。守る為の力、なのか」

 

 カタルパは、【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】を倒している。それのMVP特典【共鳴怨刀 シュプレヒコール】は今も彼の肩から提げられている。

 触れて、一つ嘆息する。

 彼女はもう救えない。過去の事象の改変など出来ないから。けれど彼女のような境遇に会う人をこれ以上増やしたくない。

 過去を教訓に、未来を救う。

 

 ……結局彼は、物語の主人公が通るような道を、誤って(、、、)通っていたのだ。

 

 かつて自身の求めていた解答を、もう求めていない事に、漸く気付いた。

 だから空白であるべきその解答欄には――自分からすれば間違いではあったが――答えが、記述されていた。誰かが、丸を付けてくれるような、幼く、稚く、拙い解答が。

 ただ純粋に、非戦闘職でありながら、力を求めた最果てに。解答を終えて、開き直った(、、、、、)最果てに。

 カタルパ・ガーデンは【数神】になった。

 この道が正しいのか否か、そんなものは彼自身にも分からない。

 けれども、【シュプレヒコール】を思っての事ならば、間違いでは無い筈だ。

 【シュプレヒコール】の事は考えていた。だがカタルパは一度も、彼女の立場に立って物事を考えた事は無かった。

 そこに立って、初めて気付く事があるのだと、知らなかった。

 殺す事が、救いであった事に。一度も「殺さないで」と、彼女が言わなかった事に、気付けるのだ。そして、カタルパはそれに、気付いたのだ。

 彼は彼だけで答えに辿り着き、開き直った。自身が忌避していた解答に辿り着いてしまった。そして、それでいいと思えてしまった。

 それは、現実逃避のようでいて、全く違うもの。

 これはただ単に、新たな一歩を踏み出しただけだ。

 それに呼応するように、提げていた布が揺らいだ。

 

「……どうしたもんか」

 

 色彩豊かな世界は、こうも眩しいものなのか、と日光を手で遮り、青空を隙間から覗く。

 陽光に反射して輝いたその目には、黒い燕尾服と相まって、輝かしい焔が確かに灯っていた。

 種火のような小さな焔が、強く灯っていた。

 

□■□

 

 王城に戻りカタルパは、アイラに語った。

 ポアンカレ予想を解いた事。【数神】になった事。

 そしてその中に、アイラへの感謝があった。

 辿り着けたのはアイラのお陰だ、と告げた。ありがとう、と。

 アイラはなんとも言えないような表情を浮かべながら、何もしていないが、こちらこそありがとう、と返した。

 読心出来るアイラからすれば――出来るようになった彼女からすれば、カタルパのしていた話の9割近くを既に知っていた訳だが、それでも新鮮だった。快いもので、心が洗われるようだった。

 間違えて、間違えて、間違いを重ねた。二人はもう、正しい道には戻れない、筈だった。

 だがカタルパは、間違いに間違いを重ねる内に、一周していた。

 また元に、戻って来ていた。歩むべき道へ、進むべき道へ。

 ならばこれで、良いのだ。

 間違えた最果てに正しさに触れられたならば。それで良いのだ。

 一周する間に変質し、ズレて行った彼女を置いて、一人で進んでいけば、それで。

 誰も彼もが(、、、、、)幸せな、ハッピーエンドではないか。

 物語の主人公が(、、、、、、、)求めるようなハッピーエンドが、訪れたではないか。

 

 だからこそ、物語の主人公では無く、正義の味方では無いカタルパは。

 どう(間違え)ればそこに辿り着くかを、知らぬまま。

 

「じゃ、行こうぜ、アイラ。また、間違え(冒険し)に」

「……?どういう、事かな、カーター?」

 

 その道を、何度でも踏み外す。




計算スキル特化型超級職【数神】
 《高速演算》や《思考能力加速》など、計算する事に重きを置いた超級職。
 ポアンカレ予想を解かなければいけないという鬼畜なクエストではあるが、そのクエストには制限時間が存在しない。
 ログアウト出来ない為、クエストを諦める(つまり【数神】になる事を諦める)事で外に出られるという意味不明クエストである。
 AGI特化になっており、そこは【兎神】にステの割り振りが良く似ている。
 因みに【数神】のレベルが1の状態での今現在のカタルパのAGIは6000程。他のステは3桁を彷徨っている。


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第十八話

 彼は語った。己が成功を。

 彼女は語った。己が成長を。

 カタルパ・ガーデンは、結果的にハッピーエンドに辿り着いた。

 アフターストーリーはまだ無い。

 何故ならまだ、終わっていないからだ。

 彼は、これから踏み外さなければならない。

 正答から、間違えなければならない。

 踏み外してしまった自分の分身と、共に歩む為に。

 それが、彼の望んだ自由なのだから。

 曰く、『正義の味方は一人であってはならない』。

 曰く、『隣に仲間が居なければならない』。

 それは奇しくも、【絶対裁姫 アストライア】が語った事と、同じ事。

 そうして膨れた自意識は、妄執を孕んで迷走し続ける。

 誰よりも正しいエンブリオの『使い方』は。

 誰よりも間違った、マスターの『生き方』だった。

 彼が正しければ彼女は間違い、彼が間違えば彼女は正しい。

 いつまでたっても、彼らは望む結末に至らない。正気と狂気の天秤が釣り合う事は無い。

 正しく"不平等"。後の彼らの二つ名であり、戦い方を指し示す言葉であり、彼らそのものを指す言葉でもあった。

 互いに互いの隣を目指す余り、その歩幅は決して揃わない。すれ違い、行き違い、食い違い、互いに違える。

 【絶対裁姫 アストライア】がメイデンのエンブリオでなければ、こんな事にはならなかっただろう。だが事実、危機感故のメイデン(アストライア)は、彼の事を思ってしまう。もう、心を読む事すらしていない。すればお互いのズレが直るのに、意識してしていない。

 だから彼らは、いつまでも"不平等"なのだ。

 

□■□

 

 そんな彼らを、見ている者「達」が居た。

 その内の一人、クマの着ぐるみを着たプレイヤー、シュウ・スターリングは他の面子に重々しく告げる。

 

『どうするクマ?あいつはこのまんまだと……戻らないぞ』

「そうねー、リアルだとそんな素振り無いけどね、梓は。

けどまぁ、『カタルパ・ガーデン』の時点で『もう一人の僕っ!!』感はあるけどさぁ」

 

 着ぐるみに返答したのは麻布を被った誰か。《看破》で見ればすぐにミル鍵の名が見えるだろう。

 ……どうやら、【兇手】を止めて、またビルドし直しているらしい。

 

「まぁ、アズールらしいっちゃらしいんですけどね」

「今の彼なら、いい闘いが出来そうだね」

『自重しろフィガ公』

 

 のほほんとした雰囲気でマイペースに語るアルカ・トレス、(この時点で既に)チグハグ装備のフィガロ。

 カタルパを見つめる面子は、その四名だった。

 どうにかしたいシュウとミルキー(もうこっちで呼ばれる方が多い)、そのままでも構わないアルカとフィガロ(フィガロはこの場合、どちら側でもないとも言えるし、アルカもどうでもいいと考えている)。

 対立こそまだしていないが、『意識の違い』は後々のズレに繋がる。

 ……それで既にズレている二人を、全員が知っている訳だが。

 ゲームを経て人が変わる事は、無くは無い。

 ゲームで人生が変わる人間も、居るには居る。

 だからあれは、その一例だ、と。

 頭で理解しているつもりでも、理解し切れていない。否、何処かでそれを、否定したいのだ。

 このゲームのせいで現実の庭原 梓が変わる事を、椋鳥 修一と天羽 叶多は許したくないのだ。

 ヴィンセント・マイヤーズとカデナ・パルメールはそう思っていないようだが。

 ともあれ、彼らは遠からず行動を起こす。

 思っていなくとも協力的ではある二人と、積極的な二人の計四名で。

 目的は一つ。掲げるは矯正。

 

『壊れた機械(ヤツ)は、叩いて直すのが定石クマ』

「ガツンと一発やってやらなきゃね!」

「……何でだろう。間違っていると言わなきゃいけない気がする」

「大丈夫じゃないかな?アズールならきっと耐えられるだろうし」

 

 一致団結は、していなくとも。

 

□■□

 

「で、決闘、ね。

【救命のブローチ】なんつー便利アイテムがあるのか。凄いなこの世界は」

 

 カタルパは彼らに誘われて、町外れに来ていた。

 今回の『多対一』は厳密には決闘ではない為、ギデオンの闘技場は使用出来ない。

 その為に、代案として【救命のブローチ】というアイテムの破壊を以て勝敗を決める決闘を行おうと言うのだ。

 闘技場の報酬などで稼いだ四人がそれぞれ一つ、そしてカタルパにも一つ用意したそうな。ドロップアイテムではあるが、店でも買えるらしい。買える程度の金はクエストの報酬で貯まっていたので、後で買っておこう、とカタルパは頷く。

 

 彼らは目で語る。全ては、この日の為に、と。

 カタルパが王城に篭っている間、彼らは闘技場等で鍛えてきたのだ。

 彼らがカタルパ達に負ける道理は、無いのだ。

 況してや四対一(フィガロがいる為、一対一と三対一になるが)だ。

 数でも、質でも、勿論エンブリオの力量差でも。その中で何一つ、カタルパが勝っている道理は無いのだから。

 だから彼らは、カタルパの強さに、目を見張る事になる。

 

□■□

 

『んじゃ、先ずは……フィガ公、行くか?』

「いや、僕よりも……」

「私が行くよ」

 

 フィガロが促し、一歩。カタルパの元へ麻布を被ったミルキーが近付く。

 話し合いの末、カタルパは4連戦をする事になった。

 彼らの目的を知っていて、何処かでそれに期待していたカタルパは、その話から降りる事をしなかった。

 乗らない訳には行かない。乗らなければ、自分が『逃げ出した』事になるから。もう現実逃避は、したくないから。

 負ける訳には行かない。負けてしまえば分かるから(、、、、、)

 だからこのお話は、カタルパの自業自得である。

 手の内を極力明かさずに、なんて事は出来ない。手の内なら、以前からミルキーには話しているのだから。

 いや、ミルキーどころではない。あのメンバー全員に話して回っていたようなものだ。ただ……それも、【シュプレヒコール】戦までではあるが。

 

「行くよ、梓」

「……そうか、来い」

 

 カタルパはいつもの燕尾服。左手には第2段階の【絶対裁姫 アストライア】が装備されており、右手には【共鳴怨刀 シュプレヒコール】を持っている。そしてその両の手には【霧中手甲 ミスティック】が当て嵌められている。

 ミルキーは麻布を剥ぎ、AGI重視の軽装備を顕にした。金属と布によるアーマーだ。手に持つのは第4段階になった【上半怪異 テケテケ】である。そして職業は、【蛮戦士】。長い黒髪が、彼女の左目を覆い隠す。

 そのまま二人は見合い、そして合図も無く。

 

「『《不平等の元描く平行線(アンフェア・イズ・フェア)》!』」

「《轢かれた脚は此処に(テケテケ)》!」

 

 激突した。パッシブスキルなのに叫んだ者と、いきなり必殺スキルを叫んだ者が、激突したのだ。

 

□■□

 

 第一に、誰もが思った。「いきなり必殺スキルだと?況してやそれ(、、)は、大丈夫なのか?」と。

 彼女は答えた。「勿論さ」と。答えになっていない、解答だった。

 代わりにその答えを、行動で示した。AGIの数値、「6000」を写し取り一撃必殺を放ち得るカタルパの攻撃を、彼女は腕で弾いた。

 左手の爪が地に食い込み、自身のAGIだけでは出せないような速度で駆ける。

 その速度で打ち出される一撃は、AGIの値をENDに代入させたカタルパでも耐えきれなかった。

 踊るように地を走り、舞う。それは、それだけを聞けば、美しいのかもしれない。

 けれども、その場の誰も彼もが、そうは思わなかった。

 何事にも無頓着なアルカでさえ、直視していなかった。

 カタルパも、目を逸らしたかった。けれど、目を逸らす事は、出来なかった。

 

 ――彼女には、下半身が存在していなかった。

 

 《看破》が使えるカタルパは、彼女のステータス欄を確認しながら、【出血】【下半身切断】という、二つの状態異常を、見逃さなかった。

 彼女の下半身が無い。だが、何処に在るかは知っている。

 

 発動時、自らで断ち切った下半身は、今も彼女の立っていた場所に転がっているから。

 

 この化け物のような速さも、攻撃力も。下半身を断ち切ったからだと推測するのは、あまりにも容易だった。

 STRとAGIのみを限界まで引き上げる。下半身などという()は捨てて。ただ速く、強く。一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)を繰り返す。

 その為の《轢かれた脚は此処に》……なのだ。

 【出血】していては、HPは減っていく。況してや彼女は今、今回定めた『決闘』に於いてルール破りである行為を行っている。

 《看破》を使えるカタルパには分かる。

 何処にも【救命のブローチ】が装備されていない事が。

 だから、此処で殺しては、デスペナになる。

 PKではない者を殺す事を(ミルキーに関しては「元」なので、今の彼に於いては彼女は悪でも無い)、カタルパはしたくない(、、、、、)

 心理の裏をかいた、いい作戦である。然し。

 彼にも、負けられない理由がある。

 ここで負けたら、気付いてしまうから。気付いたら、もう踏み外せない(、、、、、、、、)事が、分かっているから。

 だからカタルパは。カタルパとアストライアは。

 全力に、全力で返す。

 

【Form Shift――Cross Balance】

 

 弩弓から、天秤に(、、、)姿を変えて。カタルパがそれを左手で持って。

 

「『《感情は一、論理は全(コンシアス・フラット)》』」

 

 【絶対裁姫 アストライア】の第4スキル(、、、、、)を、発動して。




《轢かれた脚は此処に》(テケテケ)
 自身の下半身を【上半怪異 テケテケ】で切断する事により発動出来る、意味不明な必殺スキル。
 下半身を切断する為、【出血】【下半身切断】の状態異常は逃れられない。
 STRとAGIを有り得ない程上昇させる。
 発動中はあらゆる回復が無効になる為(【救命のブローチ】や【身代わり龍鱗】なども発動しない)、ミルキーは装備していなかった。【死兵】のスキルも使えない……どころか使用中は他のスキルが使用出来ない為、自分が出血多量でデスペナになる事は確約されている。
 自殺スキル。死ぬまで解除も出来ない。
 『一撃で殺せば離脱の必要は無い』という、一撃離脱理論に於ける曲解。

(天羽)「行くよ!」
(カデナ)「『逝くよ』の間違いかな?」
(ジャバウォック)「何故曲解を好むんだお前達は」

 《感情は一、論理は全》については、矢張り次回へ回されるのです。


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第十九話

 揺らぐ心の奥底を、抉り返して。

 天羽 叶多は庭原 梓に思いの丈を『ぶつける』。

 比喩は無い。

 手斧に込めて、ぶつけている。

 《轢かれた脚は此処に》によるリミットは後一分程。

 その一分の間に、終わらせる必要がある。

 否、終わらせざるを得ない。

 終わらせなければ、死ぬから。

 ミルキーに下半身は無い。

 ペナルティでは無い。発動条件だ。

 下半身をぶった斬るという摩訶不思議な条件で、その代償に見合った(……見合っているのか?)AGIとSTRの補正を受ける。

 言葉にすればそれだけである。それだけで……それしか無い。

 何一つ、特殊な効果は無い。

 究極の一撃離脱の為には、特殊効果に割くリソースを少しでもAGIとSTRの上方修正に回した方がいい。

 【上半怪異 テケテケ】は、とても効率的なエンブリオだった。

 北海道の室蘭が発祥とされるテケテケの伝承が、下半身が無いという伝承が、キッチリ受け継がれている、という面を見れば『良い』のだろうが、死人になる辺りまで受け継ぐ必要は、何処にあっただろう。

 下半身を切り落としてしまったので、下半身の装備補正は受けられない。まあ、所詮微々たるものなのだが。

 ミルキーの手斧は、カタルパに届くだろう。

 だが果たして、ミルキーの『思い』は、カタルパに届くだろうか?

 答えは、神のみぞ知る。

 

□■□

 

 《感情は一、論理は全》と唱えたカタルパに、一瞬ミルキーは驚き、その手を止めた(つまり立ち止まった)。

 が、自分に時間が残されていないからだろう、その停止も一瞬で、また左手に力を込め、地を抉り、駆けようとした。

 然し乍ら、彼女はその時、不正解を引き当てていた。

 様子見すらせずに突っ込むのは、愚策だったのだ。

 

 ――目の前にカタルパが振り翳す【共鳴怨刀 シュプレヒコール】が迫っていれば、尚更。

 

「っ!?」

 

 ワンテンポ反応が遅れて、そこで初めて回避行動を取る。

 だがそのワンテンポが命取りである事を、その場の誰もが理解していた。況してや相手は、高AGIを保持するカタルパなのだから。

 

(けれど、《不平等の元描く平行線》は使えない筈!3桁ステータスなら耐えられる!)

 

 そう高を括り(、、、、)油断した(、、、、)

 それが、それだけが、彼女の敗因である。

 

「――――え」

 

 心の臓を抉る刀に、ミルキーは目を見開いた。

 回避行動はとった筈だ。剣筋から外れた筈だ。

 幾つかの事実を列挙するが、それでも、目の前の事実もまた、揺るがない。

 そして、HPが一瞬で尽きた事を感覚的に理解する。

 

 その一撃に、《不平等の元描く平行線》が使用されていた事を、悟る。速過ぎて、自分の認識速度を越えた一撃が放たれた事にも、気付けた。

 

「どう、して……?」

「これは、【共鳴怨刀 シュプレヒコール】の効果でな。こいつはに使用したパッシブかアクティブのスキルを一度だけストックして使える。ストックした後にスキルを使っても更新はされない。ストックしたスキルのみもう一度だけ使えるようになり、使った後はまたストック出来るようになる。但し、条件があった場合は発動出来ない。俺の場合は《不平等の元描く平行線》をストックした訳だが、あれは第2段階でしか今の所使えないだけで、第2段階でしか使えない、という『条件』は無いからストックして使えた。

スキル名は《音信共鳴(ハウリング)》と言う」

 

 つまり【シュプレヒコール】は、カタルパが直前に使用していた《不平等の元描く平行線》を《音信共鳴》で一度だけ使用した、という事らしい。一度だけ、この一撃にだけ、6000もの数値を攻撃力に代入したのだ。それでは耐えられない。

 

「でも、躱せた、筈でしょ……?」

 

 ミルキーは第2の疑問、何故当たったのか、を問うた。

 答えは出ていたが、内容が無い。

 

「勿論それは、《感情は一、論理は全》の効果だ」

 

 時間はもう、残されていない。

 機械的に話していたその長々とした説明も、無駄に語らない為だったのだろう。

 今のカタルパはもう、迷わない。

 殺す事が救いになる状況ならば、殺す事を躊躇わない。

 そうしなければ、救いたい者すら救えなくなってしまうから。

 だからカタルパは、ミルキーを殺す事に、躊躇しなかった。

 それは今迄の彼からすれば不正解であり、今の彼からすれば正解の事。己が正解を書き換えた、或る意味の成長だった。

 そう、成長。

 カタルパも、アイラも(、、、、)、成長したのだ。

 【絶対裁姫 アストライア】も、第4段階になったのだ。

 ゲーム発売から約一ヶ月。初期勢と呼ばれる者達は今で言う『ガチ勢』なる者が殆どで、(辞めた者を除けば)大体の初期勢が既に第4段階になっていた。

 そう考えればとても遅い。

 だがそれは、■■■を使い暫く進化する筈の無かった状況からすれば、とても早いものではあるのだが……それは、今語れる事ではない。

 光の塵が、虚空へと消えて行く。

 天秤から人型に姿を変えたアイラは、カタルパの見ていない方のミルキー……残された下半身が塵になって行くのを、見ていた。

 

「何故切り離してしまったのか」

「テケテケ、だからじゃないかな?ミルキーらしい、とは私は思わないけれど、ね」

 

 カタルパはもう跡形も無くなったミルキーの居た場所を見つめながら、ボヤくように喋る。

 アイラは、言いようのない居心地の悪さを感じていた。

 一体何故感じるのかは、分からない。けれど、その事実だけが、胸中に蠢いていた。

 

『取り敢えず、ミルキーが俺達の定めたルールに反していたから、今回は俺達の反則負けクマ』

「残念だねぇ。僕ならアズールを殺せたかもしれないのに」

「そうだね。僕が初めにやるべきだったよ」

 

 アルカとフィガロは少し的外れな意見を言っているが、シュウが取り纏めている。……これで、お開きにするつもりらしい。それは、今のカタルパを誰も殺せないと勘づいたから、だろうか。

 

『まあ、あれだ。違反はあったが、これだけはやらせろ』

 

 シュウは着ぐるみの拳を深く握り締め、カタルパの頭をぶった。カタルパは脳が揺れ、ピヨっ(混乱し)た。

 

「な、にを……?」

『間違えたい奴に行う矯正クマ』

「…………そーかい」

 

 揺れた脳でも、言いたい事は分かった。

 去って行くシュウを、アルカを、フィガロを。カタルパは見送る。

 逃げなかった、負けなかった事実を抱いて。

 アイラと手を取り合って、二人で街へ戻って行く。

 また人を殺したという事実とその残骸を、微かに残して。

 

□■□

 

 【数神】。

 意味不明なジョブだな、とカタルパは一人、王城で呟く。いつもクエストをそこで受けていた為、最早その場所が彼の定位置となっていた。王国の誰もそれを不思議に思わなくなったのは、感覚の麻痺なのだろうか。

 ジャバウォックに会い、報酬を受け取って来たのだが(偶然アルテアに居た。それを偶然と呼ぶべきかは、さておき)、序に幾つか質問もして来たのだ。

 その一つに、『超級職である【神】とは?』と聞いた。

 対し、ジャバウォックは簡潔に答えた。

 

『超級職の中でスキルの方面に特化したもの、の筈だ』

 

 と。『筈だ』とは、曖昧ではなかろうか?と感想を抱いたが、別に管轄じゃないのだから仕方ない、と納得。

 

「スキル……スキルねぇ?」

 

 一応今持っているスキルを確認するが、『計算スキル特化』と呼ばれる【数神】のそれを活かせるスキルは数える程しか無い。元から計算スキルなんてものは、そう多くないのだ。

 後は【数神】になった際に得たスキルくらいだ。

 スキル名は……《強制演算》。

 効果を見ずとも内容を察せるのは、救いと言うべきか否か。何せ『強制』である。……過程を省いて結果を得る、のような……そんな感じがした。『ロクなもんじゃねぇんだろうな』と思ったのは、カタルパだけではないと、期待したい。

 ともあれ、使う気も起きないので、心の奥底辺りに閉まっておこう、と。カタルパは椅子の背にもたれ掛かる。そして無言でアイラがその上に座る。

 カタルパが椅子となっている感じだ。

 仲睦まじい関係に見えるかもしれないが、そう密着している彼らはもう、すれ違っているのだ。違っているのだ。

 触れ合っていながら、噛み合ってはいない。

 それでも、互いにそれを何処か、受け入れてしまっている。噛み合っていない事を、『噛み合わない』事を。……今の彼らが、噛み合ってはいけない事を。

 世界の理であろうと反旗を翻すであろう彼らが、唯一受け入れた理不尽であった。

 触れ合う肌の温もりが、伝わっているのに、二人の食い違っている感情は、或いはその感傷は、互いに干渉しない。

 

「カー……ター?」

「どうした?アイラ」

 

 灯火の消えた目が、静かにアイラを見つめる。

 汚れの無い灰の目が、静かにカタルパを見つめる。

 見つめあっている筈なのに、その視線は交錯していない。

 アイラはその灰の目を(しばたた)かせて、欠伸をする。

 

「居るのかどうか、分かっていたくて、少しね。

眠くなってしまって。私は……少し、だけ…………」

 

 その先の言葉は、紡がれ無かった。彼女が眠くなったからだろう。

 眠る為に紋章の中へ消えて行くのを、カタルパはただ、見ているだけだった。

 

「……【数神】。《感情は一、論理は全》。【絶対裁姫 アストライア】。【共鳴怨刀 シュプレヒコール】。

やれやれ。……どうして世界は、俺に疑念を抱かせたがる?」

 

 そこに、自分を付け加える事はしなかった。

 それは、彼の頭脳を持ってしても、終わりのない話だから。

 ……【霧中手甲 ミスティック】も加えられていないが、それは特に疑念を抱かせるものでは無かったので除外されている。

 

「じゃあ一つ、賭けてみるかな……いや、ダメか。

なら、どうしてみようか……」

 

 そうして、一人。背もたれに寄りかかる。

 一人でやるような事が何も無い事に、久々に気付いたカタルパは、少しだけ、窓の外を見遣った。

 そして、顔を顰めた。

 それは、その理由は。

 

「なんで、来んのかなぁ……」

 

 訪れた非日常を、告げられた日常の終了を、嘆く為。

 

「――アイラ」

「んん?……どーしたカーター……むにゅ」

 

 嗚呼、悪い事したなぁ、と一人反省する。寝ぼけ眼のまま、何が起きたかを理解して第4形態になってくれる辺り、優しいな、とは思ったが。

 

「《感情は一、論理は全(コンシアス・フラット)》」

 

 唱え、駆け出す。手の周りだけ強化されてきた装備品の数々は、計算する為には手が大事だから、などという生易しい理由なのだろうか、と何度も考えてきたが、答えが出るはずも無い。

 だから放置したまま今日まで至る。至ったまま、今日も放置し、明日へ繋ぐのだろう。

 6000ものAGIで駆け出す。

 超音速起動には届かないが、遅くはない。

 そのまま、街の外へ。

 森の中へ。あの時の――【五里霧虫 ミスティック】と戦った時のような、森の中へ。

 ジャバウォックは、性質が悪い。それなのに、気にかけてはくれているらしく、カタルパを強くしようとしている……らしい。それもこれも、未だカタルパがジャバウォックの為人(ひととなり)を理解していない為だ。

 『非戦闘極まれり。そんな者が活躍する物語。詐欺師でも構わないが、お前のような輩が主人公なのも、良いとは思わないか?』

 そんな事を言っていた。その意思の表れとして、一つ。

 『適当な時に〈UBM〉を放出する。一人で狩れ。その時が来たら、時と場所は告げてやる』

 と、ジャバウォックは言っていた。

 今が『その時』だ。

 上昇して行く(、、、、、、)AGIで木々の隙間を縫う。

 そして立ち止まった時には、そのAGIは8000近くまでになっていた。

 それが……《感情は一、論理は全》の能力である。

 ただ、漠然としていて理解しづらいだろう。

 その為、説明しようとするとこうなる。

 『感情を代償に、ステータスを上昇させるスキル』と。

 だから、今の彼は酷く、ヤケに落ち着いている。

 正気も狂気も無い。とても機械的な、成長を遂げていた(、、、、、、、、)

 

「さぁ、始めよう」

 

 興奮は見られない。嘆息も無い。無表情且つ無感情。

 それでも、今迄で最も、カタルパ・ガーデン(庭原 梓)らしかった。




《感情は一、論理は全》
 コンシアス・フラット。
 第1スキルである《秤は意図せずして釣り合う》と名前だけは対極を成すスキル。
 感情(『考える』上で不必要と断じられたもの、らしい)を一時的に消失させ、それを代償にステータスに補正をかけるスキル。
 「あれしたい」「これしたい」などの欲望や「死にたくない」などの願望なども消失させられる。
 故に、発動中は無意識の怪物となる。
 意識的に無意識と無表情と無感情を作り出すスキル。
 パッシブスキルである為、これも本来唱える必要は無い。
 だが唱えるのは、【共鳴怨刀 シュプレヒコール】にストックさせる為である。
 とは言え、《感情は一、論理は全》の使用中にそのストックを使う事は無いが(感情という有限のものを代償とする為、二重に発動する意味が無い)。
 ■■■による進化では無かったが、今の彼に必要なスキルだった。何せ今の彼には、『無駄が多いから』だ。
 これによる感情の消失を、彼自身、そして作者は『成長』と語っているが、倫理的に本当にそうかと言われると、少々首を傾げる問題である。

(アイラ)「深まる『私』の謎」
(ジャバウォック)「強者打破とは」
(アイラ)「ちゃんと打破しているじゃないか。ちゃんと、強者を」
(ジャバウォック)(……『悪』の打破では無いのか?)


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第二十話

 始めよう、と意気込んだまでは、良かった、が。

 何も始まらなかった。

 始まると同時に、否、始まる前に、終わっていたから。

 どういう事か。それは。

 

「教えるとは言っていた、が。『俺だけにしか倒せない』とか、『俺にしか知れない〈UBM〉だ』とは、言ってなかったな」

 

 カタルパより早く、速く、ジャバウォックの教えた〈UBM〉を狩るという事だ。

 AGI8000で駆けたカタルパより速く出逢い、到着より速く狩る事。

 そしてそれを実行したのは、カタルパがよく知る人物だった。

 

「アルカ……」

「おはよう、アズール。良い朝だね」

「……昼過ぎどころか日は沈みかけているんだが」

「あぁ、ごめんね?

で、誰だっけ?」

「黄昏時とボケるには、さっき俺を呼んだしなぁ。言い逃れは先ず出来ねぇだろ」

「んー、そっか。そうだね、そうだよね。

僕は嘘つき(、、、、、)……だからね」

 

 噛み合っているようで、噛み合っていない会話。

 その噛み合わなさは、カタルパとアイラのコンビ以上だ。

 干渉しない、感情の無い人間。

 アルカ・トレスはマトモなプレイヤーであり、リアルであるカデナ・パルメールもマトモな人間である。

 精神に異常をきたすなど、今時珍しくもあるまい(、、、、、、、、、、)?という暴論の元ではあるが。

 況してや、彼の過去や周りの人間を鑑みれば尚更。

 彼がマトモに見えて仕方がない。

 いや、今となってはフィガロがいるか。格好こそアレだが、彼の方がよっぽどマトモである。

 ここで言う『マトモ』が何を指してマトモか否かを断じているかは口外しないにしても。

 

「それで、もう倒しちまったって事でいいのか?」

「うんうん、そうだね。あまり苦労はしなかったね」

 

 嘘つけ、とカタルパは内心で毒づく。

 アルカのジョブは【司祭】やら【司教】やら、魔法職にして回復職。森の木々は何一つ傷ついていない。ここまで状態を保ちながら倒したと言うのだから。

 相手に森を傷つけさせずに(、、、、、、、、、、、、)倒すなんて、カタルパにも出来ない芸当だろうから。

 だが、アルカ――カデナは、そこまで森林というものを大事にする人間だっただろうか、とふとカタルパは思案した。

 《感情は一、論理は全》を解除していた為余計な思考も混じったが、そうでなくとも答えは出ない。

 幾ら考えたところで、他人の思考なんて分かる訳ないのだから。

 

「そうそうアズール」

「……ん?どうした」

 

 答えながらも何か、言い様の無い『何か』を感じて、カタルパは一歩退く。

 説明は出来ない。だが、良くないモノだ。良くない何かを、感じ取ってしまっている。

 そう言えば(、、、、、)、と。カタルパは頭に左手を置く。

 そのまま掻き毟り、溜息をついた。

 

「〈UBM〉、倒したんだったな……」

 

 倒したのは、恐らくアルカ一人。ならばMVP特典もアルカが受け取っている筈だ。

 戦った〈UBM〉が何なのかも、そのMVP特典が何なのかも、知る由もない事だ。

 だから(、、、)マズい。

 カタルパの手を覆う手甲も、肩から提げている刀も特殊な力を持っているMVP特典。

 アルカが入手したMVP特典が、ただの武具である訳がない。

 

「どうしたの、アズール?

化け物を見るような目をして(、、、、、、、、、、、、、)

 

 正しく、その通りだ。心の中で、呟いた。

 いや、具体的に言うなら、今手に入れたであろうMVP特典に向けた目だった、筈だ。

 この良くない何かの正体は、それである、筈だ。

 何もかもが、推測。

 だから、最悪のケースも考えてしまう。

 例えば、精神汚染系列のMVP特典を手に入れたというケース。

 この場合、アルカが壊れる、若しくは操られるの二択だろう。

 問題はそちらでは無い。もう一つの『最悪のケース』だ。

 MVP特典の内容を理解した上で使いこなし、その上で、正しい手順を踏んで、彼自身が『良くないモノ』と化しているケース。

 そしてまた、この世界というものは変なところで残酷だ。

 

「アズール、僕はさ、新しい力を得たんだ。今なら守れるし、今ならやれる。さっきはほら、ミルキーがルール違反しちゃって台無しになったけどさ、ここならやれるよ。僕とアズールで。僕の独壇場で。大丈夫、僕しかもう、アズールを殺さないから」

 

 ――想定した最悪を、実現させる程度には。

 アルカの首が曲がる。

 傾げてなどいない(、、、、、、、、)

 曲がる。曲がる。

 そしてアルカとカタルパの目が合う。

 見れば彼の目が、左目が、碧に変色していた。

 カタルパは、それが何故なのか《看破》を使って理解した。

 

「【直光義眼 ゲイザー】……?」

「あれ?アズールには分かるの?」

 

 分かるの、と問われても、名前しか分かっていないカタルパはどう返していいか戸惑うしかない。

 直光……光線か何かでも発射するのか?目からビーム的なやつか?と予想するしか無い。

 どうあれ、それが『良くないモノ』の正体で、アルカが『良くないモノ』になってしまった正体なのは、何となく察した。

 カタルパに、『それ』をどうにかする権利は無い。義務も無い。

 プレイヤーは自由なのだから。狂おうが壊れようがどうなろうが、自由の範囲内。誰一人として、それに干渉する必要性は無い。

 感情を向ける必要は無い。

 だからこそ(、、、、、)、アルカ・トレスはマトモな(、、、、)プレイヤーなのだ。

 干渉しないから。感情が無いように見えるから。

 見え透いた嘘も無い。

 お世辞や暴論も無い。

 ただ状況を判断し、それに対する事を述べる、《感情は一、論理は全》を使っている時のカタルパと同じくらいに機械的なプレイヤー。それがアルカ・トレスというプレイヤーの本質であり、カデナ・パルメールという人間の本性だ。

 そういう人間であると前々から知っていたカタルパは、梓は。

 直す必要性が無い事を理解した上で、【共鳴怨刀 シュプレヒコール】を手に持った。義務も権利も無かったが、義理があったから。

 

「僕と戦ってくれるの!アズール!!」

「あぁ。やってやろう」

 

 ――お前の為なら、悪になろう。

 そんな胸の内が、聞こえてくるようだった。

 

□■□

 

「《霧生成》」

 

 カタルパが、【霧中手甲 ミスティック】から霧を生み出した。MPを払って霧を生むこのスキルは、両の手で放つと霧の生成量が倍になる(無論、MPの消費量も倍になる)。目くらましでしかない。だが、現状に於いては良策である。

 何せ互いに真の実力を知らない。カタルパはあの時、《感情は一、論理は全》の能力を説明しなかった。故にアルカにはそれが分からない。加えて第4形態(Cross Balance)の実態も知らない。

 だがカタルパは、アルカのエンブリオが【平生宝樹 イグドラシル】という名前である事と、TYPEがテリトリーである事、木々を操る力があるという事くらいしか知らない。加えて今は、あのMVP特典、【直光義眼 ゲイザー】の能力も知らない。

 情報量的にはカタルパが不利だ。

 だが、ステータスに於いてはカタルパがアルカに勝る。

 それによって、歪な均衡が生まれていた。

 カタルパはその高ステを活かしスキルを殆ど使わずに第3形態(Cross Flag)の【絶対裁姫 アストライア】を振るう。

 アルカは【平生宝樹 イグドラシル】を使い、辺りに生える木々を操っている。

 その木々を操るスキルが《森輪破壊(メイキング)》と呼ばれるスキルだとは、カタルパは知らないが。

 その内、カタルパは第1形態(Cross Sword)に変えて、木々を切り裂き始めた。

 それにより、少しづつ、均衡は崩れていく――ように思えた。

 ガキンッ!!

 突如、先程までは切り裂けていた木が、カタルパの振るった刃を止めた。それが《森羅万傷(フレンドリーファイア)》というスキルによるものだとは、カタルパは知らないが。

 

「なっ!?」

「やっぱり耐えられるようになるよねぇ」

 

 その言い回しからして、アルカが何かをしたのは確実だ。

 そして、止められた事による反動で、刃が弾かれる。

 その勢いに乗せられ、空中でカタルパはバランスを崩す。

 どんなに素早くとも、空中では足の踏み場が無い。

 光り輝く【直光義眼 ゲイザー】の光線を、避ける事は叶わない。

 

「《ピアッシング・レイ》!」

 

 一直線に突き抜ける一筋の閃光。

 それこそ直行する光、直光である。

 遥か彼方を目指すような、ただ伸びて行く閃光。

 高速で、光速で。それはカタルパを穿とうとする。

 今の【絶対裁姫 アストライア】は第1形態。つまりスキルは《秤は意図せずして釣り合う》しか使えない。

 今から形態を変えるのは間に合わない。だからそれ(、、)が、最適解。

 

「『《秤は意図せずして釣り合う(アンコンシアス・フラット)》!』」

 

 第1スキルを叫び、PKをしようとしているアルカのステータスを写し取る。

 つい先程、いきなり木が斬撃を受け止めた時に、カタルパは目星を付けていた。

 あれは、木という非生物が、END等のステータス補正を(、、、、、、、、)受けたと、予想した。

 実際その通りで、《森羅万傷(フレンドリーファイア)》は自身が操っている木々にHP以外の自身のステータスを与える代わりに、それらが受けるダメージと同じダメージを受けるというスキル。

 《森輪破壊(メイキング)》は【イグドラシル】展開中の半径100メートルの間の木々を一体のモンスターとして扱い、発動中テイムモンスター扱いするスキル。木々の種類が違おうと一体として扱われ、その量に関係なく従属キャパシティが0として扱われる。ただ、その状態ではただの木々でしかない為、《ガードナー獣戦士理論》は役に立たない。

 もう一つ、《森剣勝負(フェアプレイ)》というスキルもあったが、それに関してはまだアルカが使いこなせていないので、今はこれが全力だった。

 そんなスキルの内容は、カタルパは存じ上げていない事だろう。

然れどその行動には、一切の迷いが無い。

 ENDが上がった為に《ピアッシング・レイ》をモロに喰らいながら耐えたカタルパは、両手に夫々装備した剣と刀を振るう。

 空中のカタルパを捕縛しようと伸ばされた幹は、細切れにされて地に落ちた。

 

(おかしいな。……僕のステータス補正はEND中心。アズールが使った《秤は意図せずして釣り合う》じゃ《森羅万傷》を使った僕の【イグドラシル】の防御を越えられるとは思わないんだけど)

 

 写し取られた事は問題では無い。斬られた事が問題だ。補正を与えてENDが高い木が、ぶった斬られたのが問題だ。

 形態は未だ第1形態だ。高AGIを《不平等の元描く平行線》でSTRに写して叩き込んでいるのなら、まだ分かる。

 けれどもそんな素振りは無い――そして、気付く。

 彼の行動が、とても単調である事に。

 解りやすく言ってしまおう。

 とても機械的で(、、、、)あった事に、アルカは気付いた。

 そして、思い出す。

 彼の左手に握られている【アストライア】――では無く!

 右手に握られている――【共鳴怨刀 シュプレヒコール】の存在を!

 

「ハ、《音信共鳴(ハウリング)》!?」

 

 そう言えばあったな、と。

 そしてカタルパがここへ来る際に、《感情は一、論理は全》を使っていたな、と。

 点と点が結ばれて、結末を得た。

 アルカ・トレスの敗北という、結末を。

 【イグドラシル】は味方を強化する。

 キャパシティ0の、『木』という仲間を強化する。

 【イグドラシル】は敵を弱体化させる。

 (今回は使わなかったが)《森剣勝負》の効果で、弱体化させる。

 【アストライア】も、【イグドラシル】も第4形態のエンブリオである。

 それでも、こんなに差が出るか(雲泥の差じゃないか)、と。

 アルカは空を仰ぐ。

 森の中心部とあって、【ゲイザー】を倒した時には空など見えなかったが、今はもう、青空が広がっているのが地上から展望出来る。

 斬り裂いたのはカタルパであったが、こんな景色を作った一因は、どうしようもなく、間違いなく自分なのだ、とアルカは落涙する。

 その涙すら、今は拭えない。誰一人。何一つ。

 辺り一帯を不毛の地として、カタルパは第3形態(Cross Flag)をアルカに向ける。

 鎖が解かれ、空と同じような蒼をした面とシマウマのような白黒の縞模様が描かれた面、その前者がアルカの目に映る。

 

「『《揺らめく蒼天の旗(アズール・フラッグ)》』」

 

 一瞬、空に浮かんだかのような一面の蒼に覆われて、地が空と一体化する。

 だがそれも、瞬きの内に白と黒に変貌する。

 白と黒による縞模様は、ペトラ・サンクタの手法で表される紋章学でのアズール(アジュールとも)。

 何処までも蒼く、彼の根源は何処まで行ってもモノクロだ。

 

(救えないんだなぁ……僕なんかじゃ)

 

 誰も頷かない、否定もしない。反対も賛成も無い。

 それでも、感情を失くした顔でただアルカを見つめるカタルパを、義眼は映す。

 刹那、光の塵が、風で揺らいだ。




《音信共鳴》
 直前という限定は無く、事前に使っていたスキルをストックしておく事で、一度限りではあるがそのスキルを再発動できるスキル。
 使いようによってはカタルパの場合、72時間のリキャストがある《揺らめく蒼天の旗》をこれでストックする事で二回発動出来るようになる。一度ストックし、使ったスキルと同じスキルは24時間ストック出来ない為、使い時や使い方を選ぶ必要はある(それでもリキャストに72時間かかる《揺らめく蒼天の旗》はあまりデメリットが無いように思えるが)。

《森輪破壊》
 オブジェクト扱いされている(←ここ重要)樹木を半径100メートル以内でサーチし、それを従属キャパシティ0のモンスター扱いで操るスキル。本文でも語っていた事だが、ただの木々である為獣戦士理論的なものに活かす事は出来ない。
 また、現在の(《森剣勝負》を使わない――使いこなせていない)【平生宝樹 イグドラシル】には植物を生み出すスキルが無い為、必然的に森の中などでしか使えないし戦えない。

《森羅万傷》
 《森輪破壊》で操っている樹木に自身のHP以外のステータスを写させるスキル。代償としてHPリンクが張られ、樹木がダメージを受けるとアルカ本人にもそれと同じダメージが入る。END重視のステ振りにしている為、防御面が強化される事になる。
 最早謎スキルである。

《森剣勝負》
 本文未登場。相手のHPを吸い取り、それを養分として植物を種子から育て上げるスキル。また、HPを吸い取る際に相手の攻撃力を減少させる事が出来る。吸い取るHPが多ければ多い程大きく成長する。吸い取る為には直接手で触れている事が条件で、且つ吸い取る量は秒毎に0.01%程である。
 仮に木を60年分育てようとすると必要な養分(HP)は約6000。一秒吸い取ってそこまでする為には相手のHPが60000000ぐらいある事になる。【ゲイザー】を倒した際にはこのスキルを使っていたが、種子は他所から仕入れてくる必要がある為、本人はあまり使いたくないらしい。カタルパが来た時に木々にダメージが入っていなかったのは、《森剣勝負》で育てた木々が生い茂っていたから。元々あった分は【ゲイザー】との戦闘で絶えている。

(庭原)「何がフェアプレイだよ。アンフェア過ぎるわ」
(ジャバウォック)「中々に酷いな。……と言うか私としては何故【ゲイザー】の存在を感知したのかが気になるのだが……」
(カデナ)「ウンメイノー」
(庭原)「おい馬鹿やめろ」

【ゲイザー】【直光義眼 ゲイザー】
本文では公開されていないが名は【直光魔眼 ゲイザー】であった。
魔法攻撃に耐性があり、物理もあまり通さないという防御寄りの〈UBM〉だったが、HPドレインへの耐性は無かった為、アルカに敗北した。
MVP特典は瞳孔が碧の色をした義眼。《看破》が使えるようになるのと、《ピアッシング・レイ》が使えるようになる。ステータス補正は無い(これ、カタルパに必要だったか?と思わせてくれる)。

《ピアッシング・レイ》
特に説明は無い。MPを払って光線を放つ。威力は消費MPに比例する。それくらいである。


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第二十一話

 恐らく。もう誰一人として『正義』を翳せない。

 翳すにはあまりにも曖昧で、不明瞭で、『視えない』。

 云わば概念であるそれは、手に持つ事も、振り翳す事も叶わない。

 自由の前に、正義も悪も、或いはその中間でさえも、存在しなかった。

 羽目を外せば監獄行きにはなるものの、それもまた、監獄に行く自由と言い表せてしまう。

 何もかも、自由。

 正義を語る自由、振り翳す自由、そして屠る自由。

 悪もまた然り。

 如何なるものも例外では無い。

 果てに『自由を語る自由』なんてものが現れ始める。

 何だそれは、と。ゲシュタルト崩壊待ったなしな話も。

 『ゲシュタルト崩壊を起こす自由』などと言われて、幕を引く。

 ――本当に、全てが自由ならば、だが。

 

□■□

 

 ざわめく音すら絶えて、その中で一人、カタルパは佇む。

 【シュプレヒコール】が手から零れ、地に突き刺さる。

 肩で息をしながら、決着が付いたのを確認する。

 光の塵は何処かへ消えた。《揺らめく蒼天の旗》も正常に発動した。

 だから、終わった筈だ。

 そればかりは、計算しなくても分かる。

 

『お疲れのようだね、カーター』

「そう、だな。確かに疲れた」

 

 土の上に座り込む。燕尾服が汚れる事になるが、構わなかった。

 肉体的な疲労より、精神的な疲労の方が来ていたのだろう。目頭を押さえ、深く嘆息する。

 

「何が『自由』だ……」

 

 自由ならば、何故正義を振り翳す自由を『自由に』使わせてくれないのか。この手で繰り返してきたものは、PKと、狩り(ハンティング)。血と殺しに塗れた正義など、最早彼の求めた正義では無い。

 必要以上に、執拗に。名も無き邪毒がカタルパを蝕む。

 アイラが人型に戻り、隣に座り込んだ。彼女もまた、真白なワンピースを土で汚した。

 また、無垢な目がカタルパを見ていた。

 カタルパは見合わせないようにしながら立ち上がり、土を払った。今の状態で会話をしていると、心が保ちそうになかったからだ。

 心を読む事はしなかったが、それを察知したアイラは、カタルパの左手の甲へと消えて行く。

 【霧中手甲】は地味に、左手の紋章の部分だけ空いているのだが、まあ、今は関係ない話だ。

 

「……強く、ならなくちゃ、な」

 

 それは、誰かに向けた嘆きのようであって、独り言のようでもあった。呟きのようであり、懺悔のようでもあり。

 何れであっても、返答は無いのだけれども。

 決心は付いた。また一周して、リトライが始まる。庭原 梓では無い、カタルパ・ガーデンが前に進む。

 前途多難であったとしても。断崖絶壁であったとしても。

 ただ只管に、前へ。進んで行く。

 その道の最果てを、二人で目指して。

 

□■□

 

 刀と剣。剣と刀。十字架を模した片手剣と柄も鞘も無い抜き身の刀。【絶対裁姫 アストライア】と【共鳴怨刀 シュプレヒコール】。

 上手い言い方を探せば、『両手に花』も間違ってはいないだろう。

 

「ここに居たか」

 

 アルテアのレストラン内、二人が向かい合って座るテーブル席に、カタルパとアイラは向かい合っていた。

 その横から、異形が話しかけてきた。

 人型のキメラ……だろうか、一言で言うならば。

 一言に、無理矢理収めるならば、だが。

 人型と言えど胴と手足と顔の部分があると分かるだけであり、乱暴に動物や怪物のあれやこれを付けただけ、のように見える。とは言え成人男性がモデルなのは流石に分かる。

 そんな姿をしているのが、この世界の管理AIが一人、ジャバウォックなのであった。

 

「なんの用だ、ジャ――バさん」

「……あぁ、成程。アリスンと同じ要領か。

それで、私の不手際でお前が〈UBM〉を倒し損ねたそうじゃないか」

「まぁ、うん。そうだな。けど不手際って言うか、予想外、だろ?」

「その通りではあるんだが、な」

 

 納得行かないらしい。これでも、自分の言った事には責任を感じるタイプなようだ。与えた獲物を横取りされた事に、苛立ちを覚えているようでもあったが。

 カタルパに優しくしようとしている、という点に間違いは無いようだが。

 

「私からは詫びとして、これを渡しておこう」

 

 そう言って彼が置いたのは、地図だった。

 一点のみが赤く染められた、地図だった。それを態とカタルパにだけ見えるように置いた。

 

「……おい嘘だろ?」

「いや、別に目的地にいるのは〈UBM〉では無いぞ?」

 

 その言葉に、カタルパとアイラ――そして周りの客が安堵した。

 盗み聞きしていたのがカタルパにバレたが、彼らが動く気配は無い。

 彼らは寧ろそれでいいと言わんばかりに、会話を続けた。

 

「これは、超級職のお前でも難しいだろう」

「況してや俺達二人だけの時に言ったって事は、ソロで行かせたい理由があるんだろ?」

「フッ、察しが良くて助かる。これは元より二人以上のプレイヤーが同時に参加出来ない」

「参加?ダンジョンか何かか?」

 

 対してジャバウォックは瞼を閉じた。黙秘である。

 その行動に、辺りが騒然とした。

 

「超級が行っても難しい……」

「ソロオンリーだってよ……!」

「新しいクエストか……?」

 

 誰一人、ジャバウォックの見た目に触れず(今となっては『そういうコスもあるよね』と流されている風はある)、勝手に自論を述べている。勿論、カタルパなら大丈夫かな、なんて微塵も思っていない。それどころかその報酬を奪おうとしてさえいる。

 なんと欲深い人間達なのだろう。

 ――なんと人間らしい人間達なのだろう。

 カタルパは(まばた)きを一つした。一秒、たっぷりと時間をかけて。

 それですら、今のカタルパには10倍以上の時の長さが感じられていた。高AGIのなせる技だ。

 そうして続けて、嘆息。ジャバウォックとアイラに目配せをしてから、『それ』は唐突に、彼らの方から始まった。

 

「「「詳しい話、聞かせてくれよ」」」

 

 誰から、とも言う必要は無い。ただ、周りにいた三人の誰もが、言っただけなのだ。

 なんとも強欲な人間達だ。

 先ず動いたのはそのプレイヤー達では無く、アイラだった。

 これでもアイラは、そこそこのステータスを持っている。それはカタルパが王城に篭っている間にシュウやフィガロと特訓をしていたからだ。

 

「相手が一歩先を行くならば、私は三手先を読むだけ(、、)だ」

「ぐふっ!」

 

 男が一人、アイラの掌底で昏倒する。

 

「騒がしくしか出来んのか。況してや奪おうなど……烏滸がましい」

「がぁっ!!」

 

 怪物の腕で武器を構えた男を叩きのめす。

 

「……まぁ、そうなるわな」

「……へ?」

 

 一瞬にして、残っていたプレイヤーの腕が、宙に跳ねる。カタルパの右手には、血が滴った【共鳴怨刀】が握られていた。

 ほんの一瞬の事だった。目を逸らしていた内に終わってしまうような、短過ぎる物語だった。

 

「「「な……んで……っ!?」」」

「動きを読まれたから」

「お前が弱かったから」

「俺より遅かったから」

 

 各々が各々の理由で、殺さずに、無力化させたのだった。

 そのままカタルパは、勘定をしてレストランを出ていった。

 残されたプレイヤーに大丈夫ですか?と声をかける者も居たし、治す者もいた(腕の切断に関してはどうしようも無かったが)。

 それもまた、このゲームの掲げた『自由』である。

 カタルパの憎んだ、誰もが知る『自由』――である。

 

□■□

 

 地図で示された場所は、アルテアからはそう遠くなかった。現に今、彼らはそこに立っている。

 

「《ノズ森林》……ね」

 

 そこは、初心者向けの狩場として有名な、《ノズ森林》と呼ばれる場所だった。……決して、ダンジョンなどでは無い。

 黙秘したのは、こんな初心者向けの狩場では、聞いていた輩がこぞって来る可能性があったからでもあったのだ。

 カタルパは『あれも優しさだったのか』と何処かで納得し、疑念を顕にする。

 

「で?こんな場所にどんな〈UBM〉を仕掛けた?」

「……私とて、何時も何時も〈UBM〉がらみだと骨が折れるのだが。

後、言っておくが、私はお前にそこまで倒されると迷惑だぞ?」

「自分から誘っておいて?」

「あれらは構わん。私がデザインした失敗作の内の幾つかだ。だが無闇矢鱈に他の〈UBM〉を狩るなよ?今のお前はこの国でも数少ない超級職。少なくとも他の有象無象よりは強い。

 そうだな、そういう事に関してはエンブリオが第7形態に至った時に、〈超級エンブリオ〉になった時に、もう少し『深い』話をしてやろう。

 兎も角。今はあれ(、、)を開けてこい」

 

 失敗作と聞いて、「【シュプレヒコール】もか?」と問いたかった心を抑えつけて、指差した方角を目で追う。

 ジャバウォックが指差したのは、森林のド真ん中、切り株の上に乗った球だった。

 いや、よく見れば球の丁度半分に割れ目のようなものがあり、黒と赤に塗れながら『S』と書かれているのが辛うじて分かる。

 どうやらガチャとかで見る、あのカプセルらしい。

 然し、カタルパの疑問はその形では無かった。

 

「この禍々しい色は何だ?」

「危険なアイテムが入っている、という事を意味している」

「は?」

「……文句はマッドハッターにでも言え」

「いやおかしいだろ。なんでこれが詫びの品なんだよ」

 

 ジャバウォックが態とらしく目を逸らす。

 ジャバウォックが〈UBM〉担当であるように、アイテム担当はどうやら「不思議の国のアリス」のマッドハッター(本人では無いだろうが)らしい、とジャバウォックの心中を察し、文句を言っても無駄かと諦めてカプセルを開く。

 開けられるのはカプセル故に一人だけ。確かに、これに二人以上は参加出来ない。

 そして、その中身は。

 

「本か?カプセルの中から本?……えっと?【幻想魔導書 ネクロノミコン】……何これ」

「……〈UBM〉の……MVP特典、だな」

「……詳しい話を聞こうか」

「すまないな、無理だ。だが文句はマッドハッターに言ってくれ」

 

 ジャバウォックが頭痛を覚えながらも説明するに、カプセルは、街のガチャで手に入るらしい。Sに行けば行く程中身が良くなるシステム。そして、持ち主の居なくなったMVP特典は時たまこうしてガチャの景品になるそうだ。主にマッドハッターという管理AIの気分で。

 

「あぁ……居たな。数百年前に【虚構魔導 ネクロノミコン】という〈UBM〉が居て……倒されている。

そのカプセルも気分で一度回してみたら出てきたのだが、禍々しい色をしていたので『どうせなら詫びとしてお前にやろう』と……」

「理由も内容も裏話も下らねぇな。てか最早押し付けじゃねぇか」

「……半分私に、半分をマッドハッターに怒りをぶつけろ。……まぁいい。所詮は戯れ言だ。

にしてもこうしてお前の手元にくる可能性があった、とはな」

 

 遠くを見るジャバウォックに、カタルパは嘆息する。

 

「『お前の』って言うよりお前の、だろ?」

「そうだな。違いない」

「カーター、カーター。結局それは何なのだ?」

「ん?あー、そう、だな……」

 

 アイラに言われるがまま、カタルパは《看破》で見てみるが……。

 

「ん?……よく分からん」

「効果は……何だったかな。私と言えど全ては覚えていないようだ」

「お前も全知全能とは行かないよな。なら帰ってから見てみるよ。……今日はあんがとさん?」

「あぁ、そうだな。結果としては礼になったからな」

 

 ジャバウォックは満足そうに、何処か不機嫌そうに去っていく。

 『結果としては』という所が突っかかって少し逡巡したカタルパは。

 

「まさか、カプセルの中身によっては死ぬ事もあるって事か?」

 

 ジャバウォックの魂胆を一発で当てて、返答のない内に舌打ちした。

 アイラも作り笑いをするしかない。

 

「……やっぱあいつはタチが悪い」

「私もあの『悪さ』は否定しないぞ」

 

 けど、嫌いになれないな。そうカタルパは続けた。

 俗に言う悪友のような関係が、二人には成り立っていたのかもしれない。

 だがそれは、今の彼ら以外に知る由もない話である。

 

 こうしてカタルパは、【霧中手甲 ミスティック】、【共鳴怨刀 シュプレヒコール】に続き【幻想魔導書 ネクロノミコン】という三つ目のMVP特典を得たのだった。ジャバウォックの導きにより得たその三つのMVP特典は、カタルパを未来に導くのだ。

 めでたくないめでたくない。

 何せ今回彼が手に入れたのは、(まさ)しく異質であったのだから。




【霧中手甲 ミスティック】
 ENDやDEXへの補正が高く、マスター用になのか、左手の甲の部分が開いているMVP特典。
 代わりにスキルが《霧生成》のみである。 《看破》等が効かなくなる、認識阻害の霧である。消費MPに比例して生成される霧が増える。両手から放出すれば生成量も消費量も倍である。
 霧の出し方は『ディスティニーガ○ダム』を想起すればいい。


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第二十二話

 笑った。

 人外の身で。

 確かにそれは、嗤った。

 笑う、嗤う、呵う、哂う。呵呵大笑でこそ無いが、確かにそれは、嗤っているのだ。

 では果たして、それ(、、)は何なのだろうか。

 一体ソレは、何者なのだろうか?

 何者でも無い。仮に名付けるならば。『幻想』だろう。

 強いて言えば、空っぽ、空虚、虚無――『虚構』。

 

『ようこそ、我の中へ』

 

 其処は何処でも無い。何も描かれていないキャンバスのように、白いだけ。其処にソレが居るだけ。

 ソレは、未だに嗤い続ける。『幻想』は、嗤い続ける。

 

『いやまさか。本当に来るとはな。

ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ』

 

 何も面白いモノは無い。

 何も面白いコトは無い。

 それでも、理由が無くとも、ソレは嗤う。

 

『我は、幻想。幻想の魔導書』

 

 ギョロリ、と。魚の眼のように、カメレオンの眼のように、『幻想』の眼がこちらを見る。

 こちらがちゃんと見えているのかも、定かでは無いが。

 

『我は貴公が、或いは誰かが、或いは我自身が、ネクロノミコンと呼んだ(、、、)モノ。それの――忘れ物だ。

忘れ物、そうだ、忘れモノだ。忘れたモノであり、忘れられたモノでもあるのが、我だ。

不可思議だ。不可解だ。なんともまぁ……面白い。

ケタ、ケタケタ。ケタケタケタケタ』

 

 【幻想魔導書 ネクロノミコン】は、嗤う。

 何故こうなったか、という問いに対する回答の為に、一先ず過去に戻って話をしよう。

 

□■□

 

 王城の一室。最早自室と言っても良いのではないかと思えてしまう場所。カタルパとアイラは並んで座り、【幻想魔導書】を開いていた。

 

《合言葉は、『Let us in?』》

 

 【幻想魔導書】の一頁目には、そんな事が書かれていた。

 《看破》では見えなかったモノは、全てここにあった。

 そこに、誰かの為の物語は記載されていない。

 ただ、己が何なのかを語る『モノ』がいるだけだ。

 

《鍵は、貴方の心に有り》

 

 空っぽの言葉の羅列が、延々と続いている。

 

《人が死を忘れぬように》

《人が死を恐れぬように》

《此れに死を残そう》

《見える者に、眠りを》

《今一度、世界は幻想に包まれる》

《その合言葉は『Let us in?』》

 

 何度もそれは、ソレを言わせようとしている。

 

「……どうする、カーター」

「まぁ、先ずは言ってみようか」

 

 そうして二人は、声を揃える。

 

「「Let us in?」」

 

 そして返答は、何処にも無かった暗闇から。

 

『OK.……And then there were none.』

 

 そして、誰もいなくなった。

 

「カタルパさーん……あれ?何処か行っちゃったんですかね……?」

 

 故、リリアーナがそこに来たところで、本が一冊取り残されているだけなのだ。

 その状況での唯一の幸運と言える事は、リリアーナがその本を読まなかった事に他ならない。

 

□■□

 

 斯くして、カタルパとアイラは、【幻想魔導書 ネクロノミコン】の自己紹介を聞いた。ケタケタと嗤うそれは、恐らく〈UBM〉時代の姿だろう。

 枯れ木を元としたような姿だ。

 枝分かれした先に悪魔の羽らしきものが幾つも生えている。

 幹の所々に眼が埋め込まれていて、赤青黄と様々な色をしている。

 実に気味が悪い。気色悪くもある。

 

『さて、我が新たなるマスターとなった貴公の名を聞こう』

 

 ……洒落では、無いと思う。気付いていないか、気付いていても無視しているかだろう。カタルパは言われた通りに自己紹介をしてやる。

 

「俺はカタルパ・ガーデン。こっちは俺のエンブリオのアイラ」

『エンブリオ……そうか、そこまで時が経っていたか』

 

 何か沁々思う事があるのだろうか、【ネクロノミコン】は目を細め、ポツリポツリと、雨粒が数滴落ちるように、突如語り出した。

 

『我が居た時代に、そんなものは数少ない「レアモノ」だった。いや、それですら……まぁいい。それは我では語りきれぬ事だ。

マスター……それにエンブリオ、か。

これは運命か?はたまた宿命か?

嗚呼、物語は何処まで狂えば我を安息の地へと誘うのか……ケタケタケタケタ』

 

 ミュージカルみてぇだ、とカタルパは感想を言った。最後に至ってはポエムのようだ。

 【ネクロノミコン】は尚も、独り言のようにその演目を続けた。

 演目、と言ってカタルパは一瞬だけ、【シュプレヒコール】を連想したが、直ぐに記憶の奥底に仕舞いこむように、忘れた。

 

「それで、俺達はどうしてこうなっている?」

『合言葉を言ったのは貴公等だ。我はそれに回答した迄』

And then there were none(そして、誰もいなくなった)ねぇ……アガサ・クリスティかよ」

 

 アガサ・クリスティなのであれば原題通り、『And Then There Were None』と単語の頭が大文字になるのだが……まぁ、台詞故に間違いでは無いだろう。

 

「じゃあなんでお前はここに俺達を取り込んだ?」

『ケタケタ、それは愚問というものだ。U・N・オーエンを探す為だ』

「……どうやったら出られる?」

『ケタケタ、それも愚問だ。10人のインディアンを越えれば、だ』

「…………それ、確か最後の一人も自殺してなかったか?」

『ケタケタ、そう言うなマスター。況してやそこのエンブリオとマスターは一心同体であろう?最後の一人、などにはなるまい』

 

 『そして、誰もいなくなった』に於いてU・N・オーエンは結局居ないし、島に取り残された10人も、全員が死んでいる。最後の一人は自殺。それ故の『そして、誰もいなくなった』だ。

 真犯人は……ネタバレになるから伏せる。良い物語ではある。

 ……そこで漸く、脱線している事に気付いた。

 

「って違う。そんな世界観は関係ないだろ。

お前の名は【ネクロノミコン】、なんだよな?あの(、、)架空の魔書なんだよな?」

『是認。我が新たなるマスターは物知りだな。

魔導書に記された奥義の影響により魔導書そのものに邪悪なる生命が宿ったモノ。

それが我の前の我。世界で13番目に認定型〈UBM〉に成ったモノ。

それこそが【虚構魔導 ネクロノミコン】である』

 

 その出自の方法は確かに、本来のネクロノミコン通りだった。

 時を越える等の能力を有する魔書として登場していたが、そこまで再現出来ているのかは不明だ。

 「死者の掟の表象あるいは絵」という意味を有する魔書である。

 詳しくはラヴクラフトの記した物語を読んで戴こうか。

 

「まぁ今回はそんな昔話を聞きに来たんじゃなくて、お前の能力とかが知りたくて来たんだよ」

『そうか、それは少し哀しいな。だが、我がマスターが望む事であれば、それを叶えるのは吝かでは無い。

コホン。我が能力の真髄は魔法の学習(、、、、、)にある。

一度喰らった魔法を記憶し、能力を把握する。二度目はそれを活かして被害を軽減する。そしてまた、一度目で記憶し切れなかった情報を記憶する。

延々と記憶し続ける事により、同じものを喰らえば喰らう程に耐性が付いていく。

百回程喰らえば殆ど効かなくなる。逆に我がその魔法を使う事も、百回程記憶したのであれば十全だ。

……【虚構魔導】であった頃の我は残念ながら戦士系統職と出会ってしまってな。

能力をそいつの前で活かしきる事なく【虚構魔導】は絶命した。

特典となった後も、倒した者が倒した者だった故に、使われる事は無かった。無論使えなくは無かったのだが、使おうとしなかった。寧ろ置物扱いだったな。「鍋敷きに使えんじゃね?」とか言われた時は流石に殺意を覚えた』

 

 淡々と語るそれに、怒りが込められていたのを、カタルパは聞き逃さなかったが、今触れる事ではない、と続けるよう促す。アイラは聞き飽きたのか寝ていた。

 

『そんな奴でも、命はそう永くないらしくてな。

生き永らえる術を我は持っていたが、彼は……貴公の先代は、それを使う事を良しとしなかった。

「天命は全うした。今更何を思い残すか」などとほざいて、勝手に死におった。

本当に、バカで、直情的で、鉄砲玉で、どうしようも無く真っ直ぐで…………輝かしい人間であったよ。

……貴公にそれらを求めてはいないさ。我はもう、見たいだけ見た。もっと見ようとは流石に思わない。

それは強欲だ。人で無い我が持つ罪としては、最も愚かしいモノの一つだ』

 

 枯れ木が、風か何かで揺れた。

 

『だから我は、貴公に期待しない』

 

 それに、カタルパの心が、揺れた。

 

『我を道具として使え。これだけは誓え。

絶対に、期待させるな(、、、、、、)

 

 それは、独白。枯れ木が願ったのは、生命としてのリスタートでは無かった。道具としてのリトライだった。

 怒りを覚えていた筈なのに、それに満足していたのだ。満たされていたのだ。

 だから、彼は新天地を望まない。停滞を望んだ。

 それは、【ネクロノミコン】の目の前にいる、彼らと同じだった。

 停滞を望む者が一人増えた。それ故に停滞三人組となった。

 「停滞している者が三人……来るぞ、遊○!!」なんて事にはならないが、これで尚更、停滞が加速する(、、、、、、、)

 

「いいぜ、期待させないでやるよ」

『それを胸を張って言えるのは可笑しな事だぞ、マスター』

「可笑しくて結構。お前はまだ知らないだろうが、停滞する事に関して俺達の右に出る者は居ねぇよ」

『ケタケタ、ダメになる事に期待してしまいそうだ』

「そんな事すら期待させねぇでやるから……期待しろ、じゃなくて……失望しとけ、か?」

『希望を持たなければ失望もしないが、ね』

 

 枯れ木の枝とカタルパの腕が手を組み交わす。

 それが条件だったのか、或いは【ネクロノミコン】が元の場所へ返そうとしたのか、カタルパとアイラがそれを機にその場から消える。

 そしてまた、嗤う【ネクロノミコン】も消えた。最後のそれは、呵呵大笑足り得るものだった。

 そうして、そして、誰もいなくなった(And Then There Were None)

 

□■□

 

「あれ、カタルパさん、何処に行っていたんですか?」

 

 リリアーナ・グランドリアは先程は居なかったカタルパ達を見て疑問符を浮かべた。少し席を外していただけだったのだろうか、と首を傾げた。

 

「いや、まぁ……少し昔話を聞きに、ね」

「御老人にでも会って来たんですか?」

「そんな所かな。それで、リリアーナは何故ここに?」

「あ、そうでした。新しくクエストの為の書類を渡しておこうかと思いまして」

「……そういや【数神】になってからは初めてかもな、クエスト」

「凄いですよね。その調子なら本当に国政並の物を任せてもいいと思うんですが……」

「俺をそんなお偉いさんみたいにしちまっていいのか、ってなるよな」

「そうなんですよね……」

 

 リリアーナは本気でしょんぼりとしている。仕事が楽になる、という事よりも、ただ単に有能な人が活躍しないのはおかしい、という感じだ。

 リリアーナが紙を渡す為に一旦ここを去る。

 ちっぽけな数の神は、机に置かれた【幻想魔導書】の一頁目を開く。

 

《合言葉は、『Let us in?(私達が入ってもいいですか?)』》

 

 いつかそれを、彼女達に言える時が来るといいな、と心から願って。




【幻想魔導書 ネクロノミコン】
 能力は『魔法の学習』。
 持っている能力はそれしか無い。ステータス補正も無い。
 だが、無限に強くなる可能性を秘めた、異質なMVP特典。
 魔法を『喰らえば喰らう程』であり、『使えば使う程』、では無い。
 持ち主がどんなジョブに就いていても学習して記憶した魔法はストックされているので、剣士なのに魔法が打てる、なんて事も可能。
 ただデメリットとして、魔法の威力や効果を記憶するだけなので、『魔法を発動する為に必要なMP』を絶対に記憶しない。その為【ネクロノミコン】が記憶した魔法を発動する際に消費するMPが本来のものに比べて異様に多くなる。
 また、(時代的に)後々現れる【ガルドランダ】と同じで、意思を持つMVP特典でもある。それは【ネクロノミコン】では無く、本来のネクロノミコンの伝承に起因しているフシがある為である。その点でも異質と呼べる。

(庭原)「アガサ・クリスティ読ませようとしたりラヴクラフト読ませようとしたり……何、作者って読書家?」
(作者)「神話とか説話が大好きなだけだし」
(庭原)「ガン○ムは……?」
(作者)「ノーコメントで」
(庭原)「あと【幻想魔導書】って、【唯我六尊】に相性悪くなんの?」
(作者)「いや?この世界での【アルハザード】はネクロノミコンの著者では無く、著者を喰った怪物という扱いらしいので、直接的な関わりは無いんで関係ない」


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第二十三話

■カタルパ・ガーデン

 

 人間は――いや、全てじゃないからそこは訂正しよう。

 プレイヤーは、死に疎い。

 死ぬ事に、殺す事に、これ以上無く疎い。

 リアルでは無いものがここにはありふれているから、だから自然と価値観も現実のそれから離れて行く。

 それ故の疎さ。逆に過敏になったものは……何だろうな。それこそ釣り合っていない気がしてならない。

 けれど、NPC(ティアン)にとっては、ここが自分達で言う『現実(リアル)』なのだ。

 だから、この世界での価値観が、そのまま反映されてしまう。

 マスターは不死で、自分達が死に得るという、不平等というものが、常識とされてしまう。

 それは、その不平等は……ダメだと、思うんだ。

 だが、哀しい事だが、俺には、或いは誰にも、どうする事も出来ない事なのだ。

 ……もしかしたら、どうにかする事は、出来るのかもしれない。どうにか出来てしまうのかもしれない。

 けれども俺は、或いは僕は、それを既に放棄している。世界が救済を放棄したように。

 だから俺は、願うだけに留まる。

 いつか。いつかで構わないから――その不平等に、平等が訪れてほしい、と。

 

□■□

 

 最近、アイラがよく寝る。

 寝る子は育つ、とは言うが、いくらなんでも寝すぎだと思う。

 思えばアルカの時と言い【ネクロノミコン】との会話の時と言い眠り過ぎている気がしてならない。

 と言うかエンブリオって寝るのか?

 周りに人の形をとっているエンブリオが居ない為に、何一つ参考資料が無いのが実状だ。

 

『――本来、それは良い事なのでは?急な展開に着いて来られない、というデメリットはあるかもしれんが、悪い事ではあるまい?』

 

 脳内にガンガン響くこの声は、言わずともがな【幻想魔導書 ネクロノミコン】のものだ。

 持ち物として保有しているだけで【ネクロノミコン】に視界情報が共有され、この脳内での会話(テレパシー?)が行えるようになる。

 【ネクロノミコン】の最初の数頁の内のどこかに書いてあった。

今となっては慣れたものだが、もしかして前の持ち主が「鍋敷きに使おう」とか言ってたのってこういう事に対する仕返しじゃないよな?

 ……まぁ、過去は過去、か。

 現在は過去の断片が断続して出来たものであり、その実態は連続している。そう、錯覚させている。

 ……こいつの声は催馬楽のように聞いていたくなるようなものでは無いので、シャットアウトしたいのも山々なんだが、方法を知らないのでどうしようも無い。

 

『それで、現在のその【絶対裁姫】は何処に?』

「紋章内で睡眠中」

『……本当に寝続けているのだな。何気に凄い事では?

その内「寝過ぎて眠い」などと言い出しそうで怖いな』

「お前はアイラの保護者か」

『……義父ではあるかもしれんな』

「その家族構成くっそ気になるんだけども」

『我が父。その息子がマスター。妻が【絶対裁姫】。マスター達の子供に【怨嗟共鳴】を置いて、ペットに【五里霧虫】だな』

「……聞いた俺がバカだった」

 

 こいつロクな事考えてねぇ。本という存在の時点で「偏り」があるのは薄々勘づいていたつもりだったんだが、こいつは予想の斜め上を行くな。行かないで欲しかった。

 

「仕方ないか。本にとやかく言うのはお門違いだしな」

『おっと?マスターから我を見下すような意見が』

「言ってないと思う」

『そうか?我が直感は軽く未来予測染みている事で有名なのだぞ?』

「どの業界で有名なんだっての……。

それでさ、ネクロ」

『愛称にしては愚直だな。許すが。

どうしたね、マスター。まさか【絶対裁姫】のスリーサイズを調べろと?』

「誰がそんな事言ったよ?あ?

違くてさ、アイラが眠る理由になんとなくでいいから見当って付かないか?」

『ふ、む……。抑メイデンのエンブリオに出会うのが初めて故に参考となるものはほぼ無い』

 

 矢張り、ネクロでもそうか。……てかネクロには『何』が記載されているんだ?物知りな所があったりすんのは、なんでだ?

 

『だがまぁ、進化の為の準備だ、と思えば、合点は行く』

「進化?まさか第5段階になろうとしてるってのか?」

『可能性の話だ。だが仮にそうなのであれば……早すぎる』

「……まだゲーム初めて1ヶ月だが、皆4段階目まで行ってたりするぜ?」

『ん?あぁ、他の(、、)奴らならばそれで問題は無い。

問題は貴公のエンブリオがメイデンであるのにも関わらず――使った筈なのにも関わらずその他の奴らと同じ速度を保っている事が問題なのだ』

「……詳しく、聞かせてくれるか?」

『是認。

メイデンのエンブリオは――アポストルもそうだが、他のエンブリオとは違い■■■という機能を保持している。

曰く、己の望む進化を遂げる。

曰く、その場に於ける最適解となる。

曰く、使えば次の進化はとても遠くなる。

故に「リソースの前借り」とも言われはする。

……理解しようとするなよ?真理に触れて良い事など何一つ存在しない。言えと言われたから言ったまでであって、それ以上は互いに求めていない。そうだろう、マスター?』

「…………そう、だな」

 

 短く答える事しか出来なかった。

 ネクロがあまりに物知りであった事に対する驚きはそんなに大きくなかった。

 

『とは言え、書かれている事を復唱するだけのものだ。厳密には我もまた、「何も知らない」』

「それでも、それは知識、なんじゃねぇのか?」

『知識の 法則が 乱れる!』

「グランドクロスってこの世界だとスキルにあったような……?」

 

 てかなんでこいつは知ってんだよ。

 色々とネタをぶっ混むな、困るから。

 何?こいつ、まじナニモン?

 

「益々お前が分からない……」

『我としても何故マスターがネタに食いついてこれるかが気になるな』

「……なんでだろーな」

 

 多分、公務員として働いていた時に同僚が話してたからだと思う。同僚が……何だっけ、ニコ○コ動画?の配信された年に生まれたとか言ってて……そのせいでネタに詳しいとか言ってて……。そんなだったな。教えこまれたんだった。懐かしい思い出だ。

 

「……お前と話していると脱線するから怖いな。

それで、だ。うん。何を話していたのか遡る必要があるけど……そう、アイラ。

つまり、だ。第5段階が近い可能性があるって事でいいのか?」

『まぁ、極論は、な。真実がどうかはさておき。悪い事で無いのであれば、それで良いのでは?』

「そうなんだけどさ。それこそ極論じゃないか?そんな事で良い悪いの判断は出来ない」

 

 そう、そんなものでは、出来ない。彼女の定めた善悪が、それで判断出来ないように。

 成長は、本来不可逆だ。

 だからそれは、過去に戻れなくなるという、悪い点を持っている。

 停滞を望んでいた筈の俺達は、そのつもりで、全速力で進歩していたらしい。

 【数神】になった俺のように。

 第5段階になろうとしているアイラのように。

 進化も退化もしない停滞を望んでいた筈なのに。

 俺達は不可逆のレールに乗っかって、二人三脚をしていた。

 もう、あの時の俺達を懐かしむ事しか出来ない。

 仮に俺がビルドを組み直し、また一からスタートしようにも、アイラは無理だ。彼女が第1段階まで戻る事は出来ない。無限の可能性を秘めていたって、もうその可能性に方向性が持たれているならば、そこからの脱線は出来ない。

 絶対裁定(ジャッジ)&公平公正(フェア)

 アイラは自身の能力をそう呼んでいた。

 《秤は意図せずして釣り合う(アンコンシアス・フラット)》が。

 《不平等の元描く平行線(アンフェア・イズ・フェア)》が。

 《揺らめく蒼天の旗(アズール・フラッグ)》が。

 《感情は一、論理は全(コンシアス・フラット)》が。

 一体どんな『絶対裁定』を、或いは『公平公正』を含んでいるかは知らない。けれどその枠から逸脱していない事を知っている。

 

『……一つ、一つだけ疑問があるのだが、良いかね?』

「聞こうか。どうした」

『彼女は【絶対裁姫】、なのだろう?』

「【絶対裁姫 アストライア】、そう言ってくれたけど……それが?」

『ふむ……言葉の綾かも知れないが、それは何を裁く?』

「……は?」

『言い換えようか?

それは【絶対『に』裁く姫】なのか、【絶対『を』裁く姫】なのか……どちらだね?という事だよ』

「……なる、ほど……?」

 

 どういう事を言いたいのかは分かったが、それが何だと言うのだろうか。ネクロのその疑問は俺の新たな疑問を呼んでいた。

 

『些細な事だ。貴公が気にかける理由は無いに等しい。だが、だがなマスター。

そういう食い違いが、認識の齟齬が、孰れ大きな溝になってからでは遅いのだ。

絶対『に』裁く姫ならば、それは執念の塊だ。裁くと決めたらどうなろうとも裁ききる、それが根底になる。

逆に絶対『を』裁く姫ならば、それは叛逆の塊だ。絶対……つまり不変の理を裁く……壊そう、と言っているのだから。故に『100%』を破壊する概念が根底になる。

無論破壊だけではないだろうが、所詮そんなものは些事でしか無い』

 

 枯れ木が軋むような音がした。

 俺はまだ、明確な答えが見い出せず、このタイミングで停滞している。

 

『マスター。別に答えを今すぐ導き出せとは言っていない。だが、これに対して無知のままでは……詰むぞ?』

「詰む?」

『あぁ。行き詰まり、詰む。停滞すら出来なくなる(、、、、、、、、)

 

 その言葉だけが、胸の内で反響する。

 

『この世界は、間違いを望んでいない』

 

 それが、結論とでも言うかのように。ネクロは俺に言い放つ。

 

『正義を手放し偽悪を掴んでいては……尚更』

 

 最後の一言だけ、俺にも聞こえないようにして。



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第二十四話

(作者)「番外的なやつです」
(庭原)「無い伏線を張っていくスタイル」


■???

 

 今更になって。

 少年は、死を恐れた。

 どうあっても、時の流れというものは不可逆で、死から逃れる事は出来ない。

 だからそれは、誰もが行ってきた現実逃避だ。

 例外は無い。

 そんなものは何処にも無い。

 だからこそ、逃げ道が無い。

 掲げた理想は何処にも行けず、遠くない内に雲散霧消する。

 人間は生まれながらにして五里霧中なのだ。真っ直ぐ進んでいる確証など無い。それどころか、『正しい』のか否かもまた、不明瞭だ。

 それによる不安は精神的な苦痛となって、漏れ出す声は怨嗟となる。孰れ至る所で響き、合唱(シュプレヒコール)となり、共鳴する。

 それは、哀しい事では無かろうか。

 始まる前から、それは詰んでいると言うのだ。

 始まると同時に投了。そんな将棋見た事が無い。

 だが、盤の上では『有り得ない』現象が、現実で起きている。

 事実は小説よりも奇なり、とはよく言うが、ここまで奇妙なものなのだろうか?それこそ、幻想のようだ。

 ある筈の無い魔導書(ネクロノミコン)を探す冒険譚のようだ。

 とても、とても。おかしな話になっている。

 誰がこんな物語のシナリオを書いているのだろうか。会ってみたいものだ、が……。

 その当事者(シナリオライター)が、一番困っているという現状は、どうしたものか。

 当事者でありながら被害者とは、一体。

 

『面白くないものだ。自由を唄うと選択肢が多過ぎて敵わんな』

 

 ゲームのように(、、、、、、、)ある程度選択肢があった方が、余程いい。

 壊れれば救われるなら、狂えば救われるなら、誰もが壊れて狂うだろう。

 だが、救われる為の選択肢、などという都合の良いものは無い。自ずから探し当てなければならない。

 無限の選択肢の中で。

 有限の時間の中で。

 だからこそ、なのか。それとも、だけれども、なのか。

 矢張り、とも言えるし奇しくも、とも言えるそんな中で、カタルパ・ガーデンは停滞を望みながら前へ進んで行くのだ。

 そうして彼は今日も、彼女の嘘に気付かないのだろう。

 (いや)、変質しては、嘘でも無くなるのか。

 嘘から出たまこと、になるのか。

 ……なってしまうのか(、、、、、、、、)

 【絶対『に』裁く姫】は、【絶対『を』裁く姫】になった。

 言葉にするなら、それだけだ。

 それはどういう事なのか、についてはつい先日誰かが述べた通りなのだ。

 『絶対裁定(アブソリュート・ジャッジ)』が、『絶対裁定(ジ・アブソリュート・イズ・ジャッジド)』になっただけ。

 まぁ、英語にすると、大分変わったのが分かるんだが。

 兎も角だ。【絶対裁姫】は変質した。

 嘘に嘘を重ねて真実に仕立てあげた。

 それは、彼に嘘をついたという事実から逃げ出した最果て。

 現実逃避の結果そうなったに過ぎない。

 人間で無くとも、現実逃避をする時代になった、と言うわけだ。笑える話だ。

 況してや現代に於いては、現実逃避した『行き先』がある。

 リアルでいうゲームがそうだ。

 そこには逃げ道があるのだ。

 然し乍ら此方は先程、逃げ道が無い、と言った。

 何故ならここは彼等が語る(、、、、、)ゲームだから。

 逃げ道であり、『行き先』だから。

 ここ(ゲーム)で逃避するという事は、彼等はまたリアルに逆戻りしなければならない、というループを指し示してしまうから。

 まぁ、ここまで語っておきながら言うのは何だが、問題はそこでは無い(、、、、、、、、、)

 問題は、ゲームの中のリアル。

 つまり、この世界(ゲーム)がリアルである者達だ。

 この世界以外に、逃げ道が無い。

 行き先が無い。

 蹂躙されるのを今か今かと待っている、哀れな子羊。

 そんな、ティアンと呼ばれる存在に、逃げ道は有るのだろうか。

 死は逃げか?

 化け物に成り果てるのが逃げか?

 果たして、彼等に『逃げる』という選択肢が、あるのだろうか?

 或いは、選べるのだろうか?

 救いは、有るのだろうか?

 答えを知っている筈の者は、知らぬ存ぜぬを貫き通した。

 ならばこれは、誰も知れない物語。

 未来はあまりにも不明瞭。それこそ五里霧中。

 人々はあまりにも悲観的。それ故の怨嗟共鳴。

 現実逃避など常套手段。その為の幻想魔導書。

 はて……何故カタルパ・ガーデンは運命に導かれているかのように歩を進めるのだろうか。

 迷ってはいる。宵と宵の狭間を彷徨っているようにしか見えない。『善い』に酔っているようにしか見えない。

 それは、必ずしも悪い事では無いのだが……どうしてか、今の彼が翳すと悪に見えてしまう。

 それは彼が偽悪を身に纏っているからだろう。

 それは彼が、掴める正義を悉く手放し、掴む価値の無い偽悪を掴んでいるからだろう。

 救いは正義、か。死こそが救い、か。

 そんな下らない理論を打ち立てなければ、平生を保てないのだろうか?

 ……実に意地汚いな、此方は。

 人が悲観的だと言いながら、最も悲観していのは此方ではないか。

 いや、然れども、〈終焉〉を越え得ない者に、どう希望を持てと言うのだろうか。希望を見出すべき者達に、希望を見出す価値が無いからこうなったのだろうが、それでもだ。

 〈終焉〉の為の駒に、エンブリオ、マスター、或いは化身はなり得ない。

 この世界の人類史のイレギュラーは、些か多過ぎる。

 間引く必要は無いが、毒しているのは事実だ。

 此方が動く理由は無い……か?

 本当に?此方が腰を上げる必要は、無いのか?

 このまま傍観を続けて出る幕を失うのは、よろしくないのではなかろうか?

 ……とは言えど。今更此方が動く事など、出来はしないのだが、ね。

 ではほんの少し、待ってみようか。

 希望を持って、見てみよう。

 それこそ、空から日本を見てみよう、とでも言うかのように。

 俯瞰して見ようか?

 まぁどうあれ、暫くはカタルパ・ガーデンを見る事になりそうだが。

 

□■□

 

 そう言えば、だが。〈UBM〉と呼ばれるものがあるそうな。

 ユニーク・ボス・モンスター、だったか。あの獣が言っていたな。

 獣も何故雑用に甘んじるのか分からんな。

 ……最も分からんのは冒涜か。

 して〈UBM〉、か。生まれながらにしてそうである者もいれば、後々認められてそうなる者もいるそうじゃないか。

 今更前者である後者であると語るのは無意味なのだろうが、な。

 ……気に食わんな。

 この世界はアレを〈終焉(ゲームオーバー)〉と言うのだろう?

 終焉、つまりは終末だ。終着点、ターミナルだ。

 であればさしずめ、此方はその為の布石、なのだろうな。

 否、若しくは全く関係が無いかもしれない。

 本当にそうなのであれば、哀しい事だが。

 今更悲観する事でも無いか。

 悲観する為の精神が、摩耗し過ぎた。疲弊し過ぎた。

 今更『人の心』とやらを解るには、遅過ぎる。今更己を理解するには、己の全容を、此方は理解していなさすぎる。

 で、なんだったか。あのキメラのような化身が呼んだ此方の名は……嗚呼、そうだったな。

 

『【七亡乱波 ギャラルホルン】、だったな。意外や意外、覚えているものじゃないか』

 

 ……はて、どう笑うのだったか。

 口角を上げるのだったか?あと目元を『優しく』……?

 分からんな。

 遂に笑い方を忘れたか。如何せん使う機会が無かったからな、仕方ない。

 化身との付き合いは長いが……あれだ、席を奪われてからは、化身と話す機会も減っておったな。尚更か。

 最近は獣が来たりはしていたが、現状確認でしか無かっただろうしな。

 そう言えば、獣が此方を〈イレギュラー〉などと呼んだ事もあったが、一体何の意味があるのだ?例外とは、果たして?

 ……分からんな。

 だが、あの時誘われたのだから成ってみたかったな。

 

 ――――〈SUBM〉とやらに。




【七亡乱波 ギャラルホルン】
 種族は???
 口振り的には〈SUBM〉のなり損ない。現在はイレギュラー……らしい。
 果たしてその実態は。
 乱波は喇叭とかかっている、らしい。
 元ネタは言わずともがな、終末の為の喇叭、ギャラルホルン。


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第二十五話

 立ち位置は変わってない。

 けれど、距離感は変わってしまった。

 向かい合っても、見つめあっても、交わりはしない。

 それこそ、見えているのに、別の世界に互いが立っているかのような。

 カタルパとアイラの立ち位置は正にそれであり、お互いにそれを、どうにかしようとしている、らしい。

 だが、それですら些事になる事がある。

 例えば、単純に。

 

 それどころでは無くなった時、だ。

 

□■□

 

 久々に、カタルパ達は一堂に会した。

 【数神】カタルパと、【破壊者】シュウと、【剛闘士】フィガロと、【司教】アルカと、【夜行狩人】(また変えたらしい)ミル鍵。その五人が、ギデオンの闘技場前に集った。

 妙に殺気立っており、カタルパに至っては既に剣と刀を手にしている。

 此処は、前述の通りギデオンの闘技場である。

 此度、彼等は総当たり戦を行う。

 つまり、一対一対一対一対一。

 唯一笑みを浮かべているミルキーも、どす黒い『何か』が蠢いている。

 シュウが誘い、全員が快諾した此度の決闘は、カタルパにとってはストレス発散でしか無い。現実逃避の延長線でしか無い。イベントがあったら、逃げる為に食らいつくのが、今のカタルパなのだった。

 ……そうであったとしても、友と競えると言うのは、良いものだと思っているのも、確かだが。

 

『んじゃま、行くワン』

 

 【すーぱーきぐるみしりーず ふぇいうる】を見に纏ったシュウに続くように、五人は闘技場の中へと消えて行く。

 

 天空に居た、遺物にして異物なるモノは、それを静かに見降ろしていた。

 

□■□

 

「じゃあ、行くよ」

「来い、フィガロ!」

 

 開始早々【旋嵐斧 フルゴール】を振るうフィガロの一撃は予想以上に重く、二刀では受け止めるのがやっとだった。

 返した【シュプレヒコール】の斬撃は、【フルゴール】の刃に堰き止められる。

 両者、互角の戦いである。

 それをシュウ達は、観客として眺めていた。

 

「フィガロさんは闘技場のランカーだったよね?」

『一位まではまだまだだが、そうだワン』

「それと互角の『非戦闘職』って何者って話よねー」

「アズールファイトー」

 

 辺りは彼等以上に騒然としている。

 それもその筈だろう。

 闘技場のランカーと、無名の非戦闘職が互角に戦っているのだから。無名の戦闘職ならば、まだ分かったかもしれないが。

 その騒めきすら置き去りにして、二人は刃を交える。

 

「《揺らめく蒼天の旗》!!」

「《攻性斬撃結界》」

「っ!《音信共鳴》、《揺らめく蒼天の旗》!」

「――疾っ!!」

「外れた――【Form shift Cross Balance】

《感情は一、論理は全》!」

 

 そこで、結界内の状況が変転、見辛くなるアクシデントが起き、ほんの数瞬、闘技場の結界がブレる。

 処理が追い付き、中が映し出された時には、既にカタルパは敗していた。

 

「あらー……残念だなー」

「ミルキー、もしかして賭けてた?」

「いんや?でもまぁ、期待はしてたよね」

 

 AGI特化――カタルパに追い付く(、、、、、、、、、)為に今のビルドになっているミルキーは、そのブレの中で一部始終を見ていた。

 感情を失った事を逆手に取り、フィガロは態と罠を仕掛けた。

 感情を失う故に、カタルパは読み合いをしない。つまり、相手の行動に一々対処をしてしまう。

 そこを突かれた。

 

「ま、フィガちゃんの作戦勝ちかなぁ」

『だがあいつ、本気じゃなかったワン』

「あ、シュウもそう思う?

……最近、アイラちゃんと【シュプレヒコール】しか使ってない気がすんのよね。縛りプレイのつもりかな」

「僕の時は【ミスティック】使ってたけどね」

「『…………そう』」

 

 そういう事言いたいんじゃないんだけどな、そう心の中で二人は呟く。

 矢張りデスペナ明けだろうと、アルカは何処かズレていた。

 

□■□

 

『てな訳で、行くワン』

「かかってこいや!今の私は誰にも負けないから!」

 

 次はシュウ対ミルキー。カタルパとフィガロは観客となり、先程までシュウ達がいた場所に腰掛けていた。

 

「【破壊者】対【夜行狩人】ね……ミルキーのあのビルドは何なんだ、迷走か?以前は【蛮戦士】か何かだったろ?」

「いや、なんか組むだけ組んで後で『こっちの方がAGI上がるな』って感じで組み替えてるんだって」

「なんでそこまでAGIに拘るんだ……?」

「……アズール、鈍感って何か知ってる?」

「いや、生憎?」

「……そう。

 ……あ、アズールの隣にも居たよ鈍感さん」

「?」

 

 どうやらアルカは、この状況ではツッコミになってしまうらしい。中々釣り合いの取れた関係である。

 

「なんかあそこ楽しそう」

『おいちゃんと戦え』

 

 先程からシュウの砲撃をヒラリと躱し続けているミルキーは、もう弾道が見えているのかシュウを見ずに余所見をしていた。

 それに怒ったのか、シュウは自ら近付き接近戦を仕掛けるも、【テケテケ】の攻撃は侮れず、決定打を打てないままでいた。

 そしてまたミルキーも、砲撃を掻い潜り斬りかかりに行く事も、シュウの技量と弾幕のスキをついて一撃を与える事も出来なかった為、【バルドル】の弾薬が尽きるか、ミルキーがスタミナ切れを起こすかしないと終わらない持久戦になった。

 

 ――それを中断させるかのように。

 不意に、『それ』は降ってきた。

 闘技場の結界すら無視して。決闘すら無視して。

 その落下地点にある、人の命すら、無視して。

 

□■□

 

 ズズンッ!!

 巨大な氷柱のようなものが、天から地に突き刺さったのを、カタルパは視認した。落下地点は闘技場の真ん中……つまり現在、シュウとミルキーが戦っていた場所である。

 結界が一瞬にして消え失せ、其処は一時的に『闘技場ではなくなった』。

 何が起きたか分からないのは、なにもカタルパだけでは無い。

 シュウとミルキーの決闘に見入っていた誰もが、同様の疑問を抱いたのだから。

 ミルキーがやった訳ではあるまい。シュウも出来るとは思えない。

 だが、第三者が『これ』を行えるのか?と。

 そして信じたくない事かもしれないが、可能なのだ。

 遥か上空、天空に位置する()物には、可能なのだ。

 それを、その場にいた数少ない超級であったカタルパは、見た。

 

 それは、幾つもの宝石の塊のようだった。

 

 完全な球のもの、原石のようなもの、様々な宝石と称されるそれをばら撒き、宙に浮かせたような、そんな姿だった。

 カタルパは一万m近いその距離を気にせず、《看破》を使用する。

 同じように上空を見ていたトム・キャットと、同じ言葉を同じタイミングで口にする。

 

「「【七亡乱波 ギャラルホルン】……」」

 

 絶望の歯車が、歪な音をたてて回り始めた瞬間だった。

 

□■□

 

『嗚呼、落ちてしまった。

些か己の身というものは扱いが難しいな。

あの時の話に乗って調整されるべき……だったのか?』

 

 空を飛ぶ鳥すらその域にはいない。そんな中、薄い空気の中で、確かに【ギャラルホルン】は喋った。

 飛行機が同じ高さを飛ぶような場所で。一人。

 宝石の塊は空間的に七つの突起を持っていて、夫々が虹の7色を模していた。

 それらの中心であろう位置に、透明な球の宝石がある。

 それが、本体。厳密には、その中に容れられた今は見えない生命体。それが【七亡乱波 ギャラルホルン】である。

 種族はエレメンタル。

 能力は《宝玉精製》と《???》と《???》。

 先の氷柱のような宝石は、《宝玉精製》で造り出していたものを落としてしまったに過ぎない。

 本来あれをカットしコーティングする事でレンズのようにし、あの闘技場を見ようとしていたのだが(本来する必要の無い事ではあるのだが)、うっかり落としてしまった、らしい。

 

『……闘技場内、2名死亡(ロスト)。残り467名。内1名が視察対象。残り466名中183名がティアン、残りはマスター。

では、283名をリストアップし、殲滅可能対象に指定。

何かしらの抵抗を確認し次第、行動に移る。

対し183名のティアンの安全保護を確約する』

 

 【ギャラルホルン】は球を煌めかせ、眼下に広がる街を見降ろす。

殺さないでおくのは184人。それ以外は殺して構わない。

 既にシュウ・スターリングというマスターとミル鍵というマスターは死亡(ロスト)した。

 空中庭園のような化け物は、ゆっくりとその高度を下げていく。

 

『では、間近で見てみようか。カタルパ・ガーデンという存在を』

 

 己が好奇心の為に、殺戮を行いながら。

 

 そうして視点は、再び地上に移る。

 流石に降りてきては、上を見れば見えてしまう。

 闘技場よりも大きな宝石群、【ギャラルホルン】の姿が。

 それにより、ティアンは愚か、本来倒そうと血気盛んになる筈のマスターまで逃げ始めた。

 敵わない、と本能的に察知したのだろうか。運良く【ギャラルホルン】も『マスターを積極的に殺す』とは言っていない。どころか『ティアンを殺さない』と言っている(地上に声は届いていないが)。ティアンと共に逃げ回っていれば、死ぬ心配は恐らく無いだろう。

 既に死んだ二人は、勿論例外として扱われるが。

 陽光を反射して煌めきながら降りるその姿は、天使が舞い降りてきたかのように見えるかもしれない。

 だが事実は違う。

 その例えを継いで言うならば、悪魔なのだ。

 目的も何もかもが不明なまま降りてきた、化け物なのだ。

 だが、それを眼前に、逃げない者達が居た。

 一人はフィガロ。

 周りに『仲間』がいるものの、戦いたいという欲が顕著に表れている。

 一人はトム。

 旧知の者に、問うべき事を問う為に。

 一人はアルカ。

 それはただの、空気の読めなさ故に。

 そして。

 一人は、否、二人は。

 カタルパ・ガーデンと、【絶対裁姫 アストライア】。

 彼等は、己が使命である、『裁定』の為に。

 

 理不尽を前に、四人のマスターと一人の姫が逃げなかった。

 それは、傍から見れば愚行極まりない。

 然れど、一人を除き、彼等にそのような意見を受け付ける耳は無い。否、今の彼等を、そう呼んではならない。

 逃げ惑う人々の為に闘う、そう見れば言える筈がない。

 それでも愚者と言うのは、些か“不平等”ではなかろうか。

 真に愚者なのは、それを言う人間なのだろうから。

 

「知らせなくていいのか、管理人」

「大丈夫ー、もう知らせてあるから」

 

 トムは己の目を指差す。それはつまり、アリスが見ている、という事だ。その内増援が来る可能性があるという事だ。

 空から石と石の擦れる音が鳴る。キリキリと不協和音が鳴り響き、カタルパは顔を顰めた。

 

「んじゃま、初仕事だ。行くぜ、ネクロ」

『了解。

……然しマスター、あれに勝つ気か?』

「そうしなくちゃ、正義じゃねぇだろ?」

『――流石狂人』

 

 【幻想魔導書 ネクロノミコン】をアクセサリー枠で(、、、、、、、、)装備し、二刀を構える。

 アルカは援護に徹するようで、一旦距離を置いた。

 二人のランカーと一人の非戦闘職。

 然れど二人の超級と一人の上級。

 彼等三人は一斉に、宝石群に向けて駆け出した。




《宝玉精製》
 時間をかけて己のリソースを素材に宝石を造る。
 色や形などを【ギャラルホルン】は自在に操る事が出来る為、本来カット&コーティングを必要とせずにレンズのようなものは造れる。
 ただ、形まで精密に指定すると多大なリソースを使用する為、カット&コーティングをした方がリソース的な意味では効率が良い。


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第二十六話

「……ほう?」

 

 アリスからの連絡を受けたジャバウォックは、一旦『仕事』から目を離した。

 

「【七亡乱波】か……。確かにアレは〈UBM〉でも〈イレギュラー〉でも〈SUBM〉でも無い。だだのボスモンスターだ。

だがアレを倒して何も無い、と言うのは宜しくないかもしれないな。

レドキングは何をしていた?奴の空間に封じていたのではないのか?そんな不満は挙げたらキリがないか。

アリス、先ずは傍観に徹しろ。アレは積極的に戦闘を行う性格では無い。宝石を落としたのも、何かの事故である可能性が高い」

 

 ジャバウォックは【七亡乱波】の性格を理解した上で落ち着いた風を装って話すも、返ってきた言葉で声を失った。

 

「なっ……もう戦闘が?

…………チェシャが、だと?何を考えて……何、お前が言ったのか?

……あぁ。確かに倒す倒さないのどちらにせよ、放置するのが最も危険だ。だがな、【七亡乱波】は好戦的な性格では無い、筈だ。穏便に済ませられるのならばそうしろ。

【無限空間】をすり抜けた理由、すり抜けてまでギデオンに向かった理由。不明点は多い。

情報が足りない。アリス、〈DIN〉のダムとディーには連絡をしたか?

……そうか。ドーマウスも、か。ふむ、彼等の出した結論ならば、反論するつもりも無い。

分かった。後は出来る限りこちらで対処する」

 

 【テレパシーカフス】での連絡を切り、ジャバウォックは嘆息する。

 

「【七亡乱波】……【七曜統率】とは違うにせよ、『何者でもない』のは問題か。チェシャが度々分隊で話しに行っていたそうだが……何も無かったのか?今回こうして出てくる理由が、一つも無かったのか?」

 

 疑問は尽きない。それも、答えが出ないから増える一方だ。

 そしてまた、【テレパシーカフス】でチェシャから連絡が来る。

 

『ちょっと助けてくれないかなー?』

「助ける、とは?」

『いやー、なんかカタルパ君に用があるみたいな事言っててさー』

「カタルパ?……何故【無限空間】の影響下で情報遮断があった筈なのにカタルパ・ガーデンを【七亡乱波】が知っている?」

『僕が話した事があるかもー』

「…………嘘だろう?

まさかそんな、『知的好奇心』なんてものに、【無限空間】が?」

『いや、抑レドキングは関係ないよー。

ダンジョン内に入ってはいたけどそれは“監獄”じゃないしー』

「はぁ?」

 

 それこそ顎でも外れたかのように口を開き、ジャバウォックは呆れる。

 

「あの化け物に対して、そんな処置しかしていない、だと……?」

『君が言ったんじゃないか、【ギャラルホルン】は好戦的な性格じゃないから、ってさ』

「限度がある……好戦的で無いだけで『戦わない』などとは1度も……分かった、私が悪かった。

だが……どうするか。

仮に今〈UBM〉に指定して、プレイヤーの戦意が上がったとしても……今のプレイヤーに倒せる相手では無い」

 

 それは、どうしようもなく現状が詰んでいる原因である。

 カタルパ達にとって、【ギャラルホルン】は強過ぎる。

 チェシャ――トムでも一人では先ず勝てない。……仮に“獣の化身”となったとしても、だ。

 ジャバウォックならば一人で倒せるだろうが、彼等が倒してしまうのは宜しくない。

 

「私が“デザイン”したのであれば、ある程度弱体化させただろうに……自然発生であの強さなのは、何かがおかしい」

 

 それこそ、部分的な能力は【竜王】達――〈イレギュラー〉に匹敵する。

 唯一の救いは、突出した性能があり、それだけが〈イレギュラー〉級だという事だ。

 他は伝説級〈UBM〉程だろう。

 だがそれが問題だ。

 その突出した性能が、今の彼等に対しては強過ぎる。

 過剰な力の前に、何処まで足掻けるか……。

 ジャバウォックは未だ見えぬ先を見て、再び嘆息した。

 

「だが、まぁ、有難い事でもある。

【邪神】を守るガーディアンという話もあったが、本当は何なのだろうな。

まぁ、仮にそうなのであれば、倒されるのは本望なのだが。なのだが……倒せるのか?カタルパ・ガーデン」

 

 虚空の果て、一人の【神】を、ジャバウォックは思う。

 間違いに間違いを重ねて、何よりも正しくなった、青年を。

 

□■□

 

 突如トムが八人に分身して驚いたが、カタルパは酷く冷静に魔法を放っていた。

 左手には天秤。右手には刀。両手に嵌めるは手甲。そして宙に浮く魔導書。

 着用している燕尾服が、その場の雰囲気から浮いている。

 だが、そんな事を《感情は一、論理は全》発動中の彼は、一度も考えたりはしない。

 皿に何も乗っていない天秤がカタルパの動きで揺れ、左舷にも右舷にも傾く。

 魔導書から放たれる魔法は《ファイヤーボール》の一つのみ。下級の火属性魔法である。

 カタルパは計測している。七つの突起状の宝石と一つの球状の宝石が特徴的なその物体に何発も当てている。

 別の場所に、別の角度に当てている。

 それは、弱点を探す為。同じ魔法でも、確かに効果は誤差的な範囲であれど変わっている。

 その事実が、今のカタルパを突き動かしている。

 フィガロはアルカの隣で観戦している。ソロでなければ戦えないからだ。

 実質トムとカタルパの共闘状態である(アルカのサポートこそあれ)。

 《感情は一、論理は全》を解除し、意思を取り戻したカタルパは、アイラを天秤から弩弓に姿を変えさせた。

 《不平等の元描く平行線》を発動し、一時的に強く、堅くなる。その状態で、カタルパはネクロに目をやる。

 

「――与ダメを%で言え」

『突起から夫々言おう。0.0000001%、0.002%、0.00000004%、0.0000000003%、0.0000006%、0.000004%、0.0000000000003%だ。中央の球体に至ってはダメージが無い』

「第二の突起に攻撃集中。MPなら好きなだけ持ってけ」

『了解。節約はするが、残り300発程だろうな』

「なら0.6%は削れるな」

『希望論だな、マスター。やってみるが、ね!』

 

 《ファイヤーボール》を【ネクロノミコン】が乱射する。第二の突起とカタルパが仮称した橙色の宝石にヒットする。

 

『……ほう、此方にその程度の魔法でダメージを……いや待て。其方は魔法職だったか?』

「それこそ魔法、だろ?」

 

 【ギャラルホルン】の戯言に、カタルパは答えた。

 

『……少しだけ、面白そうだ。

何故絶望していないか不思議な程だ』

「そりゃ希望を持ってねぇからな」

『成程。失望すらしないと。実に面白い。

では此方も少し、遊んで(、、、)やろう』

 

 刹那、トムの分身の内七つが弾け散った。

 

「っ!?」

「なに、が……!!」

『摩訶不思議な事が起こる……魔法のようだろう?』

「てめぇ……タチが悪い」

 

 トムが残った一人でアルカ達の辺りまで引き下がる。

 フィガロもそれを見て、敵わないと悟ったらしい。

 逃げている人々の誘導に移った。

 地上まで降りてきた【ギャラルホルン】が何をしたのかは分からない。だが最低限、トムですら殺し得る何かだ。

 トム七人が光の塵に消え、その存在が宝石と化したとでも言うかのように七つの宝石が落ちる。

 

「成程な……空気中に散布しているのか?」

『いかにも。成程、どれ程愚者かと思っていたが、中々に賢者ではないか』

「生憎、愚者のまんまだよ!」

 

 空気中に見えないほど小さな宝石を《宝玉精製》で生み出し、プレイヤーの体内で結晶化させているようだ。

 そんな詳しい事はカタルパには分からないが、原理は理解していた。

 そういう理解力も、【ギャラルホルン】からすれば魔法のようである。

 

『愚者のまま……か。それでいて、その手のモノは嘘つきだな』

『確かに、正直であった事の方が少ないね』

「え、マジで?」

 

 戦闘中である事を忘れてしまいそうな程の、気の抜けた会話。

 先程から尖った宝石を生み出して攻撃する事しかしていない【ギャラルホルン】と、意味の無いような《ファイヤーボール》の連射を行い回避行動をとり続けるカタルパ。

 ただ、カタルパに余裕は無い。一度でも当たれば、それで恐らく死ぬから。

 対して【ギャラルホルン】は慢心している。《ファイヤーボール》程度では、死ぬ可能性が無いからだ。

 

『それで、一体いつ其方は逆転劇をするかね?』

「無論」

『今から』

『ほぅ?良かろう。やってみたまえ』

 

 透明な球が煌めく。【ギャラルホルン】は、「其方が何をしても受け止めてやる」とでも言うかのようだ。そんな意思が見て取れる。

 

「……なぁ、アイラ。目は覚めて(、、、、、)いるんだろう?」

『そうだな、カーター。パッチリだ』

「そうか。そりゃいい」

『だが、進化では無いよ』

「それでもいいさ。進歩であるならば」

『私は嘘つきなんだぞ?信じていいのか?』

「だってそれは、自分に嘘を吐いているって事であって俺に対して、じゃないだろ」

『君はどこまで私を知っているのかな?』

「――どこまでも」

『貪欲だな』

「まだ強欲さ」

 

 互いに笑い合う。

 魔導書が消え、刀は仕舞われ、弩弓は十字剣に姿を変える。

 何が始まるのかと【ギャラルホルン】は期待の目を向けている。

 

「生憎、これは魔法ですら無い」

『だが、如何なる魔法も凌駕する』

「何故ならそれは」

「『愚者と嘘つきの物語だから』」

 

 全てが水墨画のように染まる。

 七つの突起も夫々差異が無くなる程に。

 

「『《愚者と嘘つき(アストライア)》』」

 

 誰かの何かを、否定するように染め上がる。




《愚者と嘘つき》
 【絶対裁姫 アストライア】の必殺スキル。
 「Ass」と「Liar」。
 つまり、洒落である。
 「Ass」は「馬鹿」とかそういう意味だが、本作品では「愚者」として扱う。まぁ、「Fool」では無い。
 詳細不明。
 何よりも間違いであろうとした末に正しくあった者達の、終着点。


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第二十七話

■或るリアルの日常の一コマ

 

「やっはろー、梓」

「アズール、来たよー」

「おう、待ってなかった」

 

 或る街のファミレスに、庭原 梓と、天羽 叶多と、カデナ・パルメールは集っていた。

 本来はオフ会的な意味もあったのだろうが、そんな意思が梓にあったかどうかは怪しい。

 日本国内に居ないフィガロことヴィンセントと、ファミレスに居ては衆目を浴びるシュウこと修一はこの場に集まっていない。当然と言えば当然である。

 

「それで?早速だけど話を聞こうかな」

「お前が【ギャラルホルン】に殺された後の事、だな」

「あれかー……うん、僕は何も語れない(、、、、、、)からなぁ」

 

 叶多に促されるまま、梓はカタルパの事を語り始めた。

 自分の事なのに、他人事のように。

 最近の事なのに、昔話を語るかのように。

  庭原 梓(Prayer)は、カタルパ(Player)を語り始めた。

 

□■□

 

  確かにカタルパは、必殺スキルを発動していた。

 だが、景色が変転した以外に、何の変化も無いように感じられた。

 それでも、これで【ギャラルホルン】を殺し得る事だけは、確信していた。

 相手のプラス値を写し取る《秤は意図せずして釣り合う》も。

 自身のステータスをコピーする《不平等の元描く平行線》も。

 範囲内のステータス最高値を攻撃力にしてダメージを与える《揺らめく蒼天の旗》も。

  思考を代償にステータスを上昇させる《感情は一、論理は全》も。

 全てがステータスに纏わるものだったから。

 ステータスという不可視の情報で戦ってきたから、目に見えないだけで不安になる事は何も無かった。

 敢えて自身のステータスを確認するような事も無かったが、その確証の無いまま、眼前の【ギャラルホルン】に向かっていった。現実に刃向かっていった。

 会話は無い。何故なら必要無いから。

 十字架を模したような片手剣が握られているだけで、魔導書も刀も持たれてはいない。

 

 その片手剣は、何の合図も無くカタルパの手によって放り投げられ、見事な放物線を描いた。

 

 は?

 という返答も無い。驚きの声も無い。

 それは【ギャラルホルン】から発せられる事も無ければ、『観客』から発せられる事も無く、また予想を越えていきなり投げられた【アストライア】からも無かった。

 ただそういう応答をするよりも、驚愕が勝っただけの事、という事にしておこう。

  ただそうやって放物線を描いた片手剣は、【ギャラルホルン】の突起にカツンと当たった。

  本来、誰もその事象には何も思わない事だろう。寧ろ「自棄糞か?」とすら思える。

 だが、その突起が()なのかは、カタルパと【ギャラルホルン】だけが完璧に解していた。

 

  ソレは、三百発もの《ファイヤーボール》が当たった、カタルパが『第二の突起』と称した場所だった。

 

 それが何を意味するかを理解しているのはカタルパとアイラだけだ。

 これでどうなるかを知らないのは、【ギャラルホルン】だけ(、、)だ。

 そうして【ギャラルホルン】の『虹』は、橙色を失った。

 砕け散った橙色の宝石が地に落ちる前に、失色した世界は色付いた。

 

『ぐっ……オォォォォ……Ohhhhhhhhhhhhhhh!!!!!!』

 

 宝石の化け物は、そこで初めて化け物としての産声をあげた。

 

『――《Crystal Stooooooooorm!!!!!》』

 

  《Crystal Storm》。

 その水晶の嵐は、宝石を精製し放つ、圧倒的な質量と威力を以て抹殺する、【ギャラルホルン】のスキル。

 かつての【ギャラルホルン】が使用し、あまりの残虐性に自らで封をしたスキル。蓋をして、見ぬ振りをして、忘れようとしたスキル。

 カタルパに向けては、オーバーキルにしかならないと察するのはいとも容易い行為であり、それは、放ってから気付いた事だった。

 けれども所詮カタルパは死んでも戻ってくる方の人間。

  また出逢える(、、、、、、)と、己が行いを肯定した。

  それは間違いじゃ無い。

 だが、敵わない相手にまた逢おうという気力があるかどうかは、相手次第である。話し合う云々を前に、逃げ出してしまう恐れだってある。

 その点に於いてはカタルパはその心配をする必要が無い人間であり。

 ――抑、別れない相手であった。

 

「《音信共鳴》、《感情は一、論理は全》。

《学習魔法・宝玉精製》」

 

 迷い無く、自身の感情を犠牲にし、それに釣り合う(、、、、)能力変動を得、まだ数回しか見ていないスキルを、無理矢理魔導書に使わせた。

 魔法の学習によるスキルのコピーは、【ネクロノミコン】は百回程で使えると言っていたが、それはあくまで喰らってきた通りの威力で、という話である。

 無理矢理でも使うだけならば、一度でも学習させれば充分だ。

 運が良い所は《宝玉精製》がスキルでありながら魔法であった事と、最初にシュウ達を殺した宝石を見ただけで、《宝玉精製》を一度は学習出来た事、その後も何度か学習出来た事、だろう。

 幾つもの偶然が重なり、一つの必然が生まれた。

  《Crystal Storm》を、結果カタルパは受け切った。

  だが耐えただけであり、最早満身創痍であった。

  感情を失っていようと、痛覚を失った訳では無い(それはカタルパが痛覚をONにしていた事に他ならないが)。苦痛に顔が歪んでいた。痛いと思う感情は無くとも、痛覚が残っている証左である。

 それでもカタルパは、一歩も退く事は無かった。血の滴る身で、揺れる視線で、死を前に震える足で、カタカタと音が鳴る刀を、宙に浮く魔導書を引き連れて、引き摺って、いつ死ぬかも分からないその身は、前に進んだ。

 そこに来て漸く、アルカの回復が始まった。

 それは、あまりに遅過ぎる対応ではあったが、カタルパからすれば当たり前の事でもあった。

 何せ、アルカの目には、世界が白黒に染まった後の記憶というものは、突然(、、)【ギャラルホルン】の橙色の突起が砕け散る光景しか記憶に存在していないのだから。

 

 それが、《愚者と嘘つき》の効果の一つ。

 発動中は、時の流れが対象を除き酷く遅くなる。

  瞬きの内に、対象が一年の時を過ごせる程に、遅くなる。

  故に、アルカはカタルパが片手剣をぶん投げた事など、知らない。

  それはトムですら知れない事象。

 カタルパと【アストライア】と【ギャラルホルン】と【ネクロノミコン】――アリスも含めておこう――以外、知る事が出来ない。

 その時間が元に戻った中のカタルパの一歩は、ただの一歩でしかない。

 ただの一歩だ。何か意味がある訳でも無い、有り触れた一歩だ。

 それでもアルカはそれを止めてはならないと思い、【ギャラルホルン】は尚更殺さねばならないと決意した。

 が、突起が七つ無い状態で万全を発揮出来ない【ギャラルホルン】は、その一歩から逃げるように宙に浮かび上がった。

 

『Fuuuuuum……一旦、退かせてもらうぞ、カタルパ・ガーデン。

此方が「こう」なるのは、久しい。 使い方が分からぬ。

安心しておけ。其方は孰れまた逢う。此方が逢いに行く時に、誰かに殺されていなければ』

 

 誰もそれを、逃げだとは思わなかった。カタルパの勝利だとは思わなかった。

 ただお互いが生き残った事を、誰もが認識しただけだ。

 命からがら、と言うにはあまりにもギリギリ過ぎたが。

 アルカの回復が無ければ、【失血】か何かしらで死んでしまいそうな程に。

 本来殺すつもりで放たれた《Crystal Storm》を耐えておきながらそう言うのは、【ギャラルホルン】を見下している感はあるが。

 死ななかった事は幸運か、はたまた後の不幸の為の種か。

 カタルパの黒い眼が、離れて行く【ギャラルホルン】を睨みつける。

 それが、カタルパ・ガーデンと【七亡乱破 ギャラルホルン】の出会いであり――カタルパ・ガーデンと【零点回帰 ギャラルホルン】の再開の前日譚となるものだった。

 

□■□

 

 と、客観的視点で昔話を終えた梓は、ティーカップに残った紅茶を一気に啜った。

 

「――まぁ、語るならこんなだよ」

「ウ○ワームか、ザ・○ールドか。 その《愚者と嘘つき》って、結局何なわけ?」

「ん……内緒」

「必殺スキルだもんね」

「ちょっと待って、私だけ公表してない?」

「そりゃうっかりだな。

……個人的には下半身ぶった斬るってどんな神経してんだってなるが」

「別に?だって下半身斬れるだけだよ?《脚は無くとも速くはあり》で空中移動出来るし、脚なんかなくたって別段私自身は困らないし。

他の人なら慌てふためくだろうけどね」

「……お前の精神がよく分からん」

「「(アズール)が言わない」」

 

 ――こうしてデスペナによるログイン制限中の叶多と、『何も見ていない観客』のカデナと、Player(Prayer)である梓の日常は、騒がしくとも過ぎて行く。

  然れど、仮想であれ現実であれ、平和とは得てして続かないものである事を知っている梓は、二人に見えないよう、聞こえないように、嘆息した。

 己の道程を見返しながら、他者とは違う道程を見て、一つ。

 

 こんな道でも頑張ったんだ、と言いたい訳では無い。

 こんな道しか通れなかったんだ、と嘆きたい訳では無い。

 そんな道でもよくやったんだね、と褒められれたい訳では無い。

 お疲れ様、と言われたい訳では無い。

 

 そんな道程を見て、そしてその先を想像して、二つ。

 零れた溜息は、モノクロの世界に溶けていった。




《愚者と嘘つき》
 白黒になっている間、自身と対象以外の時の流れが酷く遅くなる。
 また、【アストライア】が触れた場所がとある条件を満たしていた場合、その場所を強制的に破壊するという隠れた効果を持つ。
 ただ、部位的な破壊となる為、今回の【ギャラルホルン】戦のように幾つもの部位に別れていた場合、それで殺しきる事は出来ない。
 スキルの内容の理解が【虚構魔導書】の《ファイヤーボール》を限界数使用した以降の出来事であった為、そうでなければまた違う結末を迎えていたかもしれない。


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第二十八話

 いつからだろうか、庭原 梓はゲームを楽しんで(、、、、)はいなかった。

 遊戯を、娯楽を、そうと捉えなくなっていた。

 それを、天羽 叶多は悲しんでいない。

 それを、カデナ・パルメールは悲しんでいない。

 悲しむと言うのは、一種の同情だから。

 梓は、ソレを悔やんだ事など無かった。だから同情するのは、お門違いで、寧ろ怒らせる結果になる。

 この件に於いて、カデナに至っては何も思っていない、という事実があるのだが、『悲しんでいない』という事に代わりは無いので、触れないでおこう。

 

 まだ、【ギャラルホルン】の件から一日が経過していない。天羽が再びミルキーとしてあの世界に降り立つ事はまだ出来ない。

 言葉に出来ない感情が、言葉にしたくない感傷が、言葉にしてはならない干渉が、夫々の胸中で渦巻いたまま、その一日を、浪費して行く。

 夫々の方向へ、と語りながら、三人四脚をして行く――

 

□■□

 

 死にたくない、と誰かは願った。

 死んでも構わない、と誰かは語った。

 そこは自由を語る事が許された世界で、死が終わりでは無い世界だった。

 そこは少なくとも、リアルでは無い。

 自由が無く、死が終わりだと定義されるリアルの事ではない。

 

 だがそのリアルで自由な人間は確かに居るし、逆にあの世界で自由じゃない人間だっている。

 それもまた、自由を手放す自由だったりするのかもしれない。

 自由を手放すと言っておきながら、自由を求めているのかもしれない。

 

 そういう点で、或いは全く違う観点で、カデナ・パルメールは愚かであり、天羽 叶多は考え無しだった。

 自由というものを求める為に縛られる、自由という終着点の為に遠ざかる、という矛盾にも似たその行動は、正当ではない筈だ。

 正当ではないのに、正統に彼等は突き進んでいる。

 それに、梓が気付く気配は無い。成功者が語れるのは成功譚であり、決して失敗談では無いからだ。経験していない事は、語れないし、気付かない。だから梓は、正しい青年は、誤った彼等が誤っている事に気付かない。

 

「【平生宝樹】……平生ってなんだっけ」

「普段、とか常日頃、とか。日常とか」

「じゃあ、日常の宝樹?」

「日常になった宝樹、の方が正確かもな。確か……世界を支える木、だったか、イグドラシルは」

 

 天羽がショッピングモールで服を選んでいる間、梓とカデナの二人は店外のソファに腰掛けていた。

 ファミレスの後ここに来たはいいが、ショッピングモールはヤケに広く、あまり来た事のない二人は天羽に誘導されていた。

 とは言え流石にレディースの服の店に入る勇気は無かったし、そこまで常識知らずでも無かった二人は、店内に消えていった天羽が再び出てくるのを待っている。

 その際、不意に問うてきたカデナに、上の空で梓は返答していた。

 

 イグドラシル……ユグドラシルとも呼ばれるそれは、北欧神話に出てくる架空の木である。

 九つの世界を内包しており、世界樹、或いは宇宙樹と呼ばれる木。

 世界を支える、縁の下の力持ち的な存在だ。

 

 店内にまだ居る彼女のエンブリオは民間伝承。

 カデナの隣の彼のエンブリオは正義の神様。

 梓の隣の彼のエンブリオは世界樹。

 どうしても天羽のソレが見劣りしてしまいそうだ。

 神話に挟まれた民間伝承。浮いて見えるのも仕方ない。だが恐らく、その中で最も使用者にとって恐ろしいエンブリオと言える。

 彼女は全く気にしていないが、あれの必殺スキルは発動条件として下半身をぶった斬るのだ。

 流血は止まらない。足で歩く事はできない。痛覚をONにしていたら痛みで動く事すらままならないだろう。

 その点に於いて、いくらステータスの上昇があるとは言えど、その必殺スキルは『釣り合ってない』。

 彼女が気にしていないから、という理由は、理由にはなってくれそうにない。

 死を免れないスキル。自殺特攻というジャンル。アホか、ありふれているじゃないか、と梓は鼻で笑う。メガ○テであれ、フレ○ドライブであれ、あれらも自殺特攻と言えるじゃないか、と。

 HP全て尽きるまで、下半身の無いまま特攻し続ける精神は梓には分からないが、自殺特攻というジャンルに於ける行き過ぎた一例なのだろう、と受け取っておいた。

 雑談をしている内に見て回ったらしく、天羽が店から出てくる。

 

「ん、なんか面白そーな話題」

「別に?互いのエンブリオの事語ったりしてただけだ」

「私だけ毎回情報アド少なくない?」

「お前そういうの気にする性格じゃないだろ」

「まーね。防御はそれ以上の攻撃でねじ伏せるし、強者も強大な一撃で押し潰すからね」

「殺られる前に殺るっつー理論は生憎理解に苦しむ」

「ははっ、僕も無理」

「理解して欲しいなんて思っていないからね。それに、そんな理解なら出来ない方が幸せでしょ?」

「ああ、一理ある」

 

 ……(アズール)よりも『踏み外している』のは、実は天羽(カナタ)なのでは無いだろうか、と密かに疑念を抱いたカデナは、言うと論争が始まりそうだったので言わない事にした。

 感情論の入る余地が無い、未来を見越した、実に機械的な理論である。

 空気を読んだつもりは無いが結果としては最高点をあげられる程に読めていた。

 流石は(?)彼らの中で一番の常識人である。結果論ではあるが。

 

「さて……あと何時間?」

「8時間くらい?」

「なら後は寝て待てばOKか」

「……あー、そーですねー」

「?」

 

 矢張り、精神的には天羽が踏み外していて、道徳的には、或いは人心的には梓が踏み外しているのだな、とカデナは堂々と嘆息した。

 

「そら見ろ、お前の傲慢な態度にカデナも溜息ついてんぞ!」

「いやいや、梓の鈍感さにだって!」

 

 今となっては、カデナのそれの答えは「痴話喧嘩も程々に」だが、それには誰も気付かない。

 

「仕方ねぇ、時間潰しに行くか」

「「……何処に?」」

 

 二人の問いに、梓は笑わずに、

 

「墓参り」

 

 盛り上がっていたテンションを氷点下まで下げるかのように、答えたのだった。

 

□■□

 

 或る寺の隣にある墓地。その角に三人は居た。

 目の前に在る墓石には、「庭原」の文字は刻まれていない。勿論「天羽」の文字も、「パルメール(スペル表記だろうが)」の文字も無い。

 何も刻まれていない(、、、、、、、、、)

 であるならば、そこに眠るのは無名の人物なのだろうか。

 仮にそう問われたならば、三人は嫌々頷くだろう。

 無名では無かった筈の、無名になってしまった人間を思い、頷くだろう。

 奥歯を噛み締めて歯軋りしながら、掌に爪が食い込む程に拳を握り締めながら、頷いてしまうのだろう。

 彼等はそれ程優しく、現実はそれ程厳しかった。

 誰かの決意を拾い上げたのは確かに梓だが、それをばら撒くように落としたのは、紛れもなく現実だ。

 現実である限り、残酷なそれは常に牙をむき続ける。

 ゲームとは違って。

 それが、ゲームとの決定的な差異であると、そう『思っていた』梓は、墓の前で手をすり合わせながら歯噛みした。

 今こうして弔っている『誰か』は、決してゲームの中で出会ってきたティアンとは違う。

 だが、ティアンと同じように死に、同じように戻って来ない。同じように弔い、同じように悲しみ、同じように嘆く。

 何も間違えていないこの事が、遊戯派にとっては間違いだろう。

 ゲームの中と外を同一視するこの考えは、誰かにとっては悪だろう。

 だが、彼の横で彼と同じように手をすり合わせる悪友は、違う。

 だから彼等は希う。

 『誰か』がちゃんと、弔われる事を。あわよくば、それと同じように庭原 梓が救われる事を。努力が報われる事を。

 誰もが願える事を、誰も望まない形で、叶う事を。

 

□■□

 

 斜陽が彼等の影を細長く伸ばし、橙に染め上げる。

 空の東は既に仄暗い蒼をしていて、これから真闇が訪れる事が、嫌でも分かってしまうような蒼だ。

 あと数刻で天羽 叶多は違う天羽 叶多になって、この斜陽とは違う陽光を浴びる事だろう。

 微笑ましい事この上ない。

 だが、梓の唇は、少しも曲がっていない。

 横一文字に引かれたように、直線を描いている。

 

「……見づらい」

 

 酷く不愉快な様子を少しも隠そうとせず、梓は細めた目で確かに、今にも沈もうとしている太陽を睨んでいる。

 

「……アズール」

「……梓」

 

 色盲では無い、とは梓本人の談だが、二人は知っている。

 

 本当に彼の目に映る景色が、色を失っている事を。

 

 色盲では無い、とは梓だけが語っている事であり、現実は。彼は色盲なのである。

 そう文字にするなら簡単だろう。だが言葉にするのは難しい。

 何せあちら(ゲーム)の世界の《真偽判定》ですら、梓が色盲でない事を語る事に、嘘と言わないのだから。

 欺いているのではなく、偽りを真実と思っているだけ。

 庭原 梓の視界は、確かにあの時、7歳のあの時に、失色しているのだ。

 梓は殆どの景色がモノクロで、興味を持った者は色付いて見えると言っているが……事実は違う。

 その色付きさえ、彼が想像で補っているに過ぎない。

 椋鳥 修一については失色してから出会っているが、その妄想、或いは想像により色に関して誤りは無かった。

 そうして、色盲だったのにも関わらず、それを知っている者が公言せず、指摘しなかった為に今の今まで、恐らくこれからでさえ、彼は色盲である事を知らずに生きていくのだろう。

 例えこの世界で色盲であろうと、あの世界では全てが色付く。彩豊かな世界になる。

 どうしようもなく、どこまでも、愚かで、拙くて、救いようがない。

 尚更この勘違いは加速することだろう。彼にとって視界が色付くのは興味があるから。あのゲームは常に梓の興味をひいている。

 だから彼があの世界で大半の時を過ごす限り、気付く事は無いだろう。

 現実はあまりにも残酷だ。あの世界は対してあまりにも魅力的だ。

だが、あの世界の自由に慣れた時、慣れてしまった時、この世界で語られていた自由は、果たしてどうなるのだろう。

 それは流石に、誰も知れない物語だ。

 知らないという事が、どれ程愚かしくとも。




現実の庭原 梓。
 黒目で黒髪。
 奴隷商人の息子という過去を持つが、今となっては無いに等しい程。
 身長はその時代の平均程であり、身体的特徴は特に無い。
 色盲。
 勇者に必要な三要素、智力、武力、勇気の内、智力がある。
 何処ぞの「きょうだい」が心·技·体ならば、彼等は智・武・勇らしい。
 思考能力は人類に於いてはずば抜けて高いが、それを人心の理解の為には欠片も回さない、或る意味で怠惰な青年。
 また想像力や創造力が豊かで、色盲の中色を付ける事が可能な程(現実の色盲の人がそういう事が出来るのかは、知りません)。


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第二十九話

「やっぱ落ち着くなぁ、この場所」

 

 夜。天羽は現実世界から仮想世界に降り立った。

 時の流れとは存外短いものだ。1日、など彼女にとっては瞬き一つと大差ない。

 それは誇張し過ぎだが、時は過ぎれば短く感じるし、待つにしても矢張り短いものなのだ。

 それが天羽 叶多が捉える『時間』というものである。<Infinite Dendrogram>の世界の時間の流れが現実に比べて早かろうと遅かろうと、大差ない。三倍速だろうと、大差ない。

 それが彼女に於けるこの、或いは全ての『世界』の立ち位置だ。あっても無くても構わないし、それでは何も変わらない。

 現実が仮想になろうと、仮にこの仮想も現実の一種だろうと。何も。

 そんな変化で変わって行くのはどうせ上辺(ミル鍵)だけ。中身(じぶん)は変わらない。

 上から新しいレイヤー(じぶん)を重ねて誤魔化しているだけ。

 その根底にあるドス黒い汚泥は、今は見えないだけ。地層のように、ミルフィーユのように重なって、その汚泥を隠しているだけ。

 いつかそれが表面に噴出した時、きっと誰もが見限るだろう。

 ――一人を、除いて。

 レイヤーを一枚一枚剥がして底を見て、それでも変わらなかった人が、たった一人だけ。

 何度死のうと変わらない彼女は、その一人の隣に居る為に、歩き始めた。

 

□■□

 

 この世界は、闘いがある。

 故に、と言うか矢張り、と言うか少なからず最強というものがある。一例を挙げるなら――目の前に居る人物を紹介した方が早い。

 

「魔法最強、【大賢者】……」

「…………」

 

 何も語らず微笑むその人は、魔法最強と謳われる【大賢者】である。

 名前が【大賢者】なのではなくジョブが【大賢者】だ。然し誰も彼もが彼を【大賢者】と呼ぶ。

 かく言うカタルパも、【大賢者】としか呼ばない。

 《看破》で名前を見る事も適わないのだから。

 王国の宮廷魔術師だとか、王国の知恵袋だとか、二つ名のようなものもあるが、矢張り一番しっくりくるのは【大賢者】という呼び名だろう。

 

 本来、王城内にマスターの居場所は無い。

 それは未だ王国がマスターに対して排他的な態度を何処となくとっているからで、加えて王国の第一王女がマスターという存在を遠ざけようとしているからである。

 然し【大賢者】はそんな中、カタルパを王城に招き入れた一人だ。

 ステータスやスキル、はたまたエンブリオまで様々な、そして綿密な調査(カタルパ的には試験のようだった)を行ってから、だったが。

 それは今思えばマスターの情報を仕入れる為にそうされたのだろう。または、王城内で『何か』をしようとした時、すぐさま対策を打てるようにする為、か。

 情報というものは不可視なものが多いながら大きなアドバンテージだ。

 『裏切り』の情報一つで滅んだ国があるように、たかが情報と侮る事は出来ない。

 今、カタルパは人質を取られているも同然という訳だが、互いにそれを気にした事は無い。

 故に今もこうして、向かい合ったり出来る程度には、良好な関係が保てている、と言えるだろう。そんな【大賢者】も、人である事に代わりはない。故に手に負えない分を今迄カタルパは消費して来た。計算クエストの実態は、それである。

 その礼に来たのか、はたまた別の理由で来たのかは、今のカタルパには分からない。【大賢者】は視線や動作で何かを伝える訳でもなく、また何かを発する事もしていないから。

 一回「これ程の有名人な訳だし、王族レベルの待遇されててもおかしくはない」と推理し廊下の端に避けたりもしたのだが、そんな事しなくていい、と手で示された。

 たから今は向かい合っているだけだ。

 廊下のど真ん中で。

 ――そう言えば、真ん中に居るのに誰も文句を言わない……どころか人通りが無いな、とカタルパは不意に思った。

 【大賢者】を注視していた為の見落としだった。

 ならこの人通りの少なさは、【大賢者】の仕業か、と少しづつ段階を踏んでいく。

 こういう推理は一段飛ばしが出来ないから厄介だ。だがその分確実だ。カタルパはそれを、嫌っていて好いている。

 過程を嫌い、結果を好いている。

 そうして辿り着いた結論は、最初と同じように【大賢者】の仕業というものだった。

 

「どうして人が居ないのか、は説明させて貰えるの……です、か?」

「…………」

 

 敬語を使うべきかを今更悩み、百点満点とは言えない敬語の使用に落ち着いたその発言に、【大賢者】はにこやかに頷く。

 【大賢者】がスナップすると、何か辺りで光が弾け飛んだ。

 火花のようなものが廊下一帯でパチッと光った。

 それだけで、遠くから雑踏が近付いてくるのが分かった。

 

「で、なんでそんな事をしたんですかね」

「…………」

 

 流石にそれには、【大賢者】は答えず、かぶりを振った。

 態々人払いの空間を形成したのに、解除したのだ。本来語りたい事があるならば、解除しない内に語る事だろう。

 それなのに語らないという事は、言外に目的があったに違いない。

 今の今まで静観した、その意味が。

 それを察知出来る程、カタルパは天才的では無い。

 だから『?』を浮かべたまま、促されるまま、「じゃあ、また」とだけ告げて、先程火花が散っていた廊下を渡っていく。

 後からの刺すような視線は消えず、カタルパは振り返る事すら、恐れた。

 

□■□

 

 城壁が遠い。そんな気がした。

 一歩進んだ。【大賢者】はもう後ろを振り向いても居ない。

 二歩進んだ。火花が散った廊下を抜けている事を確認した。

 三歩進んで、膝が頽れた。

 睨みつけられたような、錯覚に襲われた。

 アレはそんな目では無かったと、カタルパ自身がよく分かっているのに。

 アレはどちらかと言うと、観察するような目だ。

 表面だけでは無く、内面までを舐め回すような目だ。

 それは、宛ら品定めのようでもあった。

 少しづつ、全てを数値化するかのようなあの視線に、カタルパは吐き気がした。

 それは、カタルパが【大賢者】を殺せる確率を調べているかのようでもあり、カタルパがこの国に対して尽くせる忠誠度を見ているかのようでもあり、カタルパ自身の有用性を見ているかのようでもでもあった。

 それは、どれも可能性の話でしか無い。

 いや、可能性だったとしても、あまりにも低いものだ。

 小数点以下何桁か分からない程の、あまりに低い可能性。

 だが、そんな可能性を列挙しておかなければ受け入れられないものだった。

 あの目は、誰にも向けられた事の無い目だった。

 経験が無いから、推理して行くしかない。一段飛ばしをせずに、少しづつ、考えていくしかない。

 だが見られていたという事実に対する恐怖が、正常に考えさせてくれなかった。

 視線が痛かった。射抜かれるようだった。そんな目で、一体何を見ようとしていたのだろうか。

 

「……あぁ、そう言えば」

 

 うってつけが、あったな、とカタルパは顔を上げる。

 今迄一度も使った事の無かったスキルだったが。

 《強制演算》というものが、あったじゃないか。

 

「――《強制演算》」

 

 それは、スキル詳細を一切読まなかった、カタルパの失態である。

 

「――――痛ってぇ!!!!」

 

 脳に針を何本も刺したような痛みが、突然カタルパを襲った。

 

 《強制演算》は、強制的に結果を算出するスキルである。

 纏めるとそれまでだ。代償や条件を言わなければ、本当にそれだけでいい。

 条件は、「考えていけば結果的には分かる」情報である事。

 つまりずっと考えていれば、孰れは答えに辿り着けるもの、に限定される訳だ。証明不可能な計算に関しては使えない、という事だ(使えない、という事は証明出来ない事を逆説的に証明する訳だが)。

 今回の「【大賢者】はカタルパの何を見ていたか」も正常に思考を働かせてこそいなかったが、あのまま考え続けていれば、結論に辿り着けるものだった、という訳だ。

 そうして、強制的に結果を算出した。

 よって代償。これについては現在カタルパが喰らっている通りだ。

 脳への激痛。それだけだ。

 強制的に導き出した事により減った、『考える時間』に比例して、その痛みは増大する。

 《強制演算》とは、そんなスキルだ。

 そんな事を微塵も知らなかったカタルパは、いきなりの激痛に悶えた。

 今回省略された思考時間は、脅威の28秒。短いようだが、彼の高ステを以てその時間である。

 ただの人間だったら、一日以上かかっていたかもしれない(人心を理解出来ないカタルパだからこその長時間だったかもしれない)。

 そんな時間分の頭痛である。常人であれば先ず耐えられないだろう痛みが、奔っていた。

 

 折角出した答えも、その痛みのせいで忘れてしまった。

 カタルパはもう、《強制演算(これ)》を使わない、と決心したのだった。……形だけ。

 だからカタルパは、結局知らない。

 知った事を、忘れたから。

 掴んだモノを、手放したから。

 それは――悲しい事に、彼にとっての日常なのだった。

 

 そうして、ゲームの中でも、そうじゃなくても。

 彼の一日は、そうして浪費されて行くのだった。




( °壺°)「シリアスみたいな話が続いてますが」
( °壺°)「作者がこういうのしか書けないからかもね」
(庭原)「何その顔」
( °壺°)「作者で御座い」
(庭原)「原作っぽくしなくていいのに。
……シリアスオンリー」
( °壺°)「そう言われましても……御免なさい」


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第三十話

 恐怖から逃げるように、カタルパはアイラと並んで、城壁の外に出た。

 

「……カーター?」

「ん?あ、あぁ、すまん」

 

 突然アイラに呼ばれたカタルパは、辺りを見回した。

 アイラが隣に居るのは分かっているが、それでも見回していた。

 その不審な行動に、アイラは疑問符を浮かべるばかりだが、それにも構っていられない。

 それ程までに、カタルパは精神的に追い詰められていたと言えるだろう。【大賢者】との会合は、それ程影響していた。

 何が怖いのかが分からないのが怖い。

 それが心中で茨の棘のように、幾千の剣のように、突き刺さって抉ってぐちゃぐちゃにしてしまいそうで、狂ってしまいそうだ。

 正常な思考で、冷静な判断で、己に生まれた狂気を見ているようだ。実際、それは恐怖以外の何者でも無いのだが。

 

「……ゲームのキャラが(、、、、、、、、)精神攻撃、かよ……精神攻撃は基本とかほざいてんじゃねぇぞ……」

「……カー、ター」

 

 《強制演算》の頭痛は引いたのに、頭を抑える。冷めた、それでいて覚めた思考が加速する。

 今、カタルパは【大賢者】に立ち向かっているのだ。心理戦、或いは頭脳戦をもってして、【大賢者】に立ち向かっている。

 敵わない。それは彼自身がよく理解している筈だ。

 構わない。そう、不安や恐怖をかなぐり捨てた。

 

「アイラ、行こう。……極力人が居ない所がいい」

「……カーター。乙女にそういう事を軽々しく言うのは止めた方がいいと思うよ」

「っ……あー、その、そういう意味じゃあ無い、から」

「知っているとも。……知っている、よ、うん」

 

 「考える際に「邪魔者」は少ない方がいいから」と言うべきだった。

 赤面しながらも、少しだけ、ほんの少しだけガッカリした様子を見せたのは気の所為だろうと断じて、カタルパは歩き始める。

 

 また、一から一歩を、踏み出し始める。

 

□■□

 

 そう言えば、と、カタルパはふと、鍛冶屋の前で立ち止まった。

 

「抜き身の刀持ってったら、鞘とか作ってくれんのかなぁ……」

「む?矢張りあれだと扱いづらいのか?」

「流石にね。【シュプレヒコール】もアイテムボックス入りっ放しってのも嫌だろうし。

俺に鞘とかそういうのを作るスキルがあれば良かったが、そういうスキルも、センススキル……だっけ?も無いし」

「……へぇ?」

 

 本当に突然の発言に、アイラは驚いていた。先程まで頭を抑えて何か考え事をしていた人間の台詞だろうか。そうだと頷くにはヤケに開き直っていて、ソレとコレが繋がっているような感じがしない。

 考えを続けている。だが周りが見えている。そして周りを見た上で並列して思考している。

 いや、それとも【大賢者】とやらに仕返しをする為に、そういう手入れのようなものが必要なのだろうか。

 どちらにせよ、今のアイラに引き止める理由は無い。

 入店する事に躊躇いは無かった。

 

「「……あー……」」

「いらっしゃ……あー」

 

 カタルパとアイラがユニゾンし、店員も同じような反応を返した。

 なにせその店員は何を隠そう、ミルキーだったのだから。

 何で居るんだという問を当然ながら二人は抱いたし、デートの邪魔になったかなとミルキーは店の奥に消えようとする。

 

「いや、何で居るんだよ、ミルキー」

「え?ここで働いてるからだけど?」

「働……何で」

「AGIは大して上がらないけどDEXとか上がりやすいから。やっぱ非戦闘職とかもいいね、面白い(、、、)し」

 

 メンバー中、最もこの世界をゲームとして(、、、、、、)楽しんでいるミルキーらしい理由だった。

 《看破》で見れば確かに、【鍛冶師】の文字がある。

 迷走でもなく趣味に走ったか、とカタルパは口角を上げた。決して嘲りなどは無い笑みだった。

 店の奥に行こうとしていたその足をクルリと返し、ミルキーは、それにほら、と続ける。

 

「リアルで出来ない事、いっぱいやってみたいじゃん?」

 

 彼女にとっては、きっとこの世界は夢が叶う場所なのだろう。現実で夢見るだけだった事をする為の場所なのだろう。

 その考えが、眩しい。

 本当にそれをしてしまう行動力は、素晴らしい。

 ああ、そう言えば、と。またカタルパは思い出すように。

 

「俺も、正義の味方にはなりたくなかったんだよなぁ」

「……?」

「…………」

 

 ミルキーは首を傾げたが、アイラは俯いた。

 第1スキル、《秤は意図せずして釣り合う(アンコンシアス・フラット)》が発現した時、アイラはそれの発動条件から「正義の味方みたい」と言っていた。

 いつだったか、カタルパは「正義の味方じゃない何か」になりたいと言っていた。

 正義の味方は開き直るから、と。

 根本的な解決をしないから、と。

 

 あの時、カタルパは、梓は(こいねが)った。

 救世主がいらなくなる世界を、希った。

 そんな事も、そんな事ですら、今となっては、もう――

 

「それでさ、ミルキー。今日は鞘を作って貰いたくて来たんだけどさ、何かそういうのって作れるのか?」

「鞘?あ、【シュプレヒコール】の。

どーしよ、(こしらえ)とか面倒だなぁ」

「おい店員」

「嘘嘘、冗談。まぁ、色々工程あって面倒なのはホントだよ?

じゃあ……そうねー……素材の調達はそっちでやってよ。そしたら作ってあげるから」

「へぇ?そんなんでいいのか?」

「お友達だし?」

「お友達価格ってやつか……?」

 

 彼女の中で作られていく想像上の鞘に必要なものは、十種類程度あった。その全てをリストアップし、それが記された紙をカタルパに差し出した。

 

「……案外、鞘ってパーツ多いのな」

「まぁ、白鞘とかだったら楽なんだけどねー」

 

 そうはしなかった、と。意匠を凝らすつもりらしい。

 カタルパはまだ見えない完成品を楽しみにしながら、素材集めに行ってみる事にした。

 ……カタルパは気付いていないが、ミルキーの働く店の殆どの品は、西洋剣である。

 それなのに直ぐにリストアップ出来たのは、リアルでミルキーが知識として知っていたからか、或いは経験か何かで見慣れていた(、、、、、、)からなのだが……。

 それに気付いたアイラは、カタルパという人間と同等に、ミルキーという人間が、天羽 叶多が分からなくなっていた。

 

□■□

 

 半分近くの素材は王国内で買い回れば集まりそうなものだった。

 然しと言うか矢張りと言うか、全てが揃う訳では無かった。

 足りないものは、外で調達するしか無く……。

 

「必然的に、ダンジョン等に行く必要が出るわな。他の街でも構わんが、如何せん遠いし」

「心底嫌いなんだね、ダンジョンが」

「戦うのが、少しねぇ……」

 

 嫌になったよ、と。非戦闘職は言い放つ。

 今迄戦ってきた非戦闘職は、そう愚痴る。

 一つも戦闘を行う為のジョブが無い非戦闘職は、溜息を吐いたのだ。

 逆に、よく今の今まで戦えてきたものだ、とアイラは思う。

 彼女は一応アームズのエンブリオ故、カタルパが勇気のある人、傷つくことを恐れない人、猪突猛進、バカ、人情家、熱血漢の内の何れかである可能性が高いのだが、さてどれに当て嵌るのか、とアイラもアイラなりの思考を加速させる。

 最近ネットの話に出てくる『エンブリオ診断』なるものは、この世界にも流れて来ている。

 それぞれのTYPEが、そのマスターの内面に左右される……とか何とか。

 

「バカでも無い、猪突猛進でも無い、勇気……無いな。傷つくのも嫌だし熱血漢でも無い。

……人情家……まぁ、一番妥当かな」

「アイラ?」

「ん?あ、あぁ、すまない、考え事を少し、ね」

「ふーん?あんま集中し過ぎんなよ?」

「私は同じ言葉をカーターに向けたい所だよ」

 

 違いない、とカタルパは笑う。たまらずアイラも苦笑した。

 そんな二人は、忘れている。そこが街の外である事を。

 だから、三人目が指摘して、二人を現実に引き戻した。

 

『――マスター。及び(つがい)

「番じゃな――いやそれでもいいぞ!」

「良くねぇ。……で何だネクロ。冗談混じりに話せる事か?」

 

 その問いに、本の中の枯れ木が満面の笑みを浮かべた。

 見えない枯れ木が、見えない笑みを浮かべた。

 浮かべて、戻して、答えた。

 

『否。断じて否だマスター。

我が……(幻想魔導書)ではない(虚構魔導)が知っていたであろう存在が迫っている』

「【虚構魔導】が?……〈UBM〉が、だと?況してやそりゃ、数百年前の産物じゃねぇか」

『ああ、語弊があったな。訂正しよう。

ネクロノミコンという概念が(、、、)知っていそうな輩が迫っている、と告げよう』

「概念?……………………おい、嘘だろ」

 

 それが指し示してくれるのは、残念ながら、奇しくも一つ。

 

「神話の化け物とか笑いもんになんねぇよ……」

 

 神話の化け物(神様)を連れながら、毒づく。

 

「『クトゥルフ神話』とか……俺詳しく無いんだけどなぁ?」

 

 それは、カタルパが【■■■■ ■■■■■■】に出逢う、数秒前の事。

 巨大な(あぎと)が目の前に現れる、ほんの前触れのようなもの。

 カタルパが臓物を散らす、数分前の事なのだ。




( °壺°)「言うて作者も詳しくないです。クトゥルフ神話」
( °壺°)「TRPGとかも未経験」
( °壺°)「知識は……『這いよれ!ニャル○さん』とかから仕入れたもんが大半」
( °壺°)「後は最近の遊○王ですかね。あと少々の本とネットの知識」
( °壺°)「クトゥルフ神話に関してはにわか感が否めない」


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第三十一話

 人か、或いは獣か。血の色で区別が付かなくなったその骸達により、一山が築かれていた。

 ソレを積み上げ、またその上で胡座をかくように佇む存在は、地と海を見下ろした。

 だがいつまで経っても、天は見上げるばかりだ。届く気配は無い。

 空を飛ぶ機能は有していない。

 だから、手を伸ばす。人の腕とは違う、歪な触腕が伸びて行く。それでも、かの天は未だ遠い。

 誰かが隣合って見上げる事こそ無かったが、誰もが見上げる天に見下ろされて。その天上から降る陽光に照らされて。

 その禍々しい姿は明るみに出る。

 巨大で触腕があり、象のような長い鼻が備わっていて、蛸のような目を持ち、半ば不定形で、可塑性があり、その肌は鱗と皺に覆われている……ソレは、そんな存在だった。

 

『Lu…………Lu…………』

 

 謳うように、嘶く。

 一定のリズムで、動かずに、その音に寄せられる全てに死を与える。

 空から降りてきた鳥が、突如速度を上げて自由落下を始めた。

 べシャッ。

 勢いに耐えきれず、小さなその身が弾け飛ぶ。

 

『Lu…………Lu…………』

 

 自身が這いずって鳥を山に押し込み、それは山の一部になって行く。

 また少し、骸の山が盛り上がった。

 

『Lu…………Ah…………』

 

 【死屍類涙 ■■■■■■】は、少しそれを憂いた。

 また殺してしまった、と。

 本人は殺すつもりは無いし、こうして山を築くつもりも、毛頭無かったのだ。

 それでも謳うし、屍は例外なく山の一部にしている。そうなってしまっている。

 それを、何時から築いていただろう。

 それに、何時から気付いていただろう。

 人でないソレは、嘆いている。

 その筈なのに、その声は謳っているように聞こえてしまう。

 ほら――そのせいでまた――誰かが――

 

「あぁー……あいつ?」

『そのようだが……直視は厳禁だぞ、マスター』

『良くない気配……ボスモンスターかな?』

 

 呑気に、来た。

 

□■□

 

 ネクロが『迫っている』と言ったのに。『寄せられた』のはカタルパだった。

 然しそれは、どちらも正しい。

 【死屍類涙 ■■■■■■】は声で寄せ、屍に迫るモノ。

 声で寄せられたのがカタルパならば、幽鬼(カタルパ)に迫ったのが【■■■■■■】である。

 間違いは、無い。

 既に死した存在と誤認し、【死屍類涙】はカタルパを押し込もうと触腕を伸ばす。

 それを、蛸の足をぶつ切りにするが如く、カタルパは十字剣で切り裂いた。

 ――麻布で目隠しをして。

 

「……当たったか?……まったく、見たら死ぬって何だよ……」

『あぁ。我が奴を見る分には何も無いし、我を介して視界共有で見れば貴公も普通に見えよう。

見てはならない〈UBM〉というのは、些かおかしな話ではあるが』

「『やっぱ〈UBM〉なのか』」

 

 アイラとカタルパはハモるが、それにつっこめる程ネクロに余裕は無い。

 視界共有が本来不可逆行為だから、可能にさせる事が大変だからでもあり、何より攻撃が止まないからだ。出来ない訳ではない、と言ったのが不覚だった。

 

「■■■■■■?ネクロ、それは本当か?

確か伝承上見ちゃいけない……だったか。

無理ゲーっぽいが……それでも戦わなきゃいけないんだろ?なら手段は選んでいられない」

 

 そう言われて、コレ以外の手段を、与えてやる事が出来ようか。

 カタルパよりは賢くないネクロは、ソレ以外の選択肢を与えてやれなかった。

 【ネクロノミコン】は怠惰なのだろうか。

 カタルパは勤勉なのだろうか。

 

 結論は、そのどちらでもない。逆でもない。

 故に結末は、いつも悲惨なものでしかない。

 

 ――スパンッ。

 

 魔導書と、人の右腕が宙に舞う。

 それは都合良く、屍の山が弾け飛んだ訳ではない。

 

『――カーター!?』

『マス、ター……っ!!』

 

 斯くして、視界共有は解かれる。

 麻布がはらりと落ちて、黒き双眸は前を見る。

 悪夢を直視する。

 現実に直面する。

 其れが悪夢だ。

 之が現実だ。

 

 カタルパ・ガーデンが、【死屍類涙 ガタノトーア】を直視する。

 【死屍類涙 ガタノトーア】という現実がカタルパに直面する。

 

 さて、知っているだろうか。

 ガタノトーア、またはガタノゾーアと呼ばれるクトゥルフ神話の伝承上の化け物を。

 

 曰く、ユゴス星の生物が崇拝し、彼らと共に地球にやって来た神性である。

 

 曰く、ガタノトーアを崇拝する教団が存在し、毎年12名の若い戦士と12名の娘を生贄にしていた。

 

 曰く、姿を一目見たものは肌が石化してしまうが、脳だけは半永久的に生き続ける。

 

 曰く、曰く、曰く、曰く、曰く、曰く、曰く、曰く。

 

 嗚呼、どうしてここまで伝承に満ち満ちているのだろうか。

 

 化け物だから。見てはならないモノだから。怪異だから。魑魅魍魎だから。悪鬼羅刹だから。

 

 【死屍類涙 ガタノトーア】を、カタルパが見てしまったから。

 

 メデューサに見られたように固まってしまったその血肉を、ゆっくりと、顎が迫って――――

 

□■□

 

「あー…………あー…………」

 

 そうして、彼は目覚めた。

 モノクロな世界で。

 曖昧な自己で。

 庭原 梓は目覚めた。

 

「あれ……勝つの無理だろ…………」

 

 どうしてか、彼等三人は最近、全員で揃う事が叶っていない。

 半分はカタルパが殺していた事もあるが、今回は例外中の例外だろう。

 〈UBM〉に出会ったのは偶然だが、あぁして死ぬのは、相性的に必然だった。

 

 アレはつまり「見ずに殺せ」と言っている訳だ。

 ゲーマーのプレイにある「目隠しプレイ」でしかないのだ。

 今回のような視界共有など、例外でしか無い。

 直視し、石化した。

 脳だけを生かすという話ではあったが、それは神話のガタノトーアであり、<Infinite Dendrogram>のガタノトーアは違う。

 石化させ、そのまま殺す。

 正に「射殺す」訳だ。

 

「そう言や、直に見なきゃいい訳か。

だとすると……【ゲイザー】は大丈夫か」

 

 ……つまり今の彼が知る事では無いが、AR・I・CAであったりエミリオであったり、そういう抜け口はあるようだ。

 シュウなどは逆に、「目隠しするだけだろ?ヌルゲークマ」などと言いそうなものだが。

 その点は、神話に於けるガタノトーアとの相違点と言える。

 ガタノトーアではあるが、矢張り完全模倣とは行かないようで。

 ……完璧など無い。絶対など「絶対ない」。

 まるで、この世界(リアル)のよう。

 右腕に触れて、有る事を梓は認識する。膝を曲げて、動く事を認識する。たったそれだけなのに、冷や汗が頬を伝った。

 石化しても尚、噛み砕かれる感触があった。

 理不尽を前に、自分の精神が擦り切れそうだ。

 アレの対処について、助力を仰ごうにも仰ぐべき者が居ない。

 それは、アレが〈UBM〉である事に起因する。

 MVP特典を求めて、プレイヤー同士の闘争が引き起こされる危険性がある。それは梓の望むところではない。倒すべきなのは〈UBM〉であって、マスターでは無いはず、なのだから。

 どうしたものかと携帯を開き(こんなご時世なのにも関わらず、梓はガラパゴス携帯である)、秒毎に変動する文字盤を目で追う。

 またつまらぬ時に死んでしまったと自虐し、想起し始める。

 来るべき翌日の――【死屍類涙 ガタノトーア】との再戦の為に。

 一。之は前提。

 見てはならない。

 目を合わせてはならないのではない。見られてはならないのではない。

 こちらがそれを直に、視界上で確認してはならない。

 【ガタノトーア】という存在を見てはならない。

 視界共有等によって映される『情報』ならばいい。だが『存在』はダメだ。

 二。之も前提。

 教えてはならない。

 それはレースになる事を恐れて、などの綺麗事を全て取っぱらった上での事。

 だって、復讐したいだろ?

 という、どうしようもないエゴ。

 やられたらやり返す、たったそれだけ。

 三。またまた前提。

 食らってはならない。

 一撃で腕が飛んだ。MVP特典である【幻想魔導書】も半分に裂かれた。攻撃力は高い。

 一の「見てはならない」と噛み合せると、勝率は低い。

 元より低いが、なお低くなる。

 序に言えばそこそこ速い。何せカタルパのAGIを前にしても、右腕をもぎ取ったのだから。

 

「…………さて」

 

 前提だらけのお話。偶然と必然で塗り固められた出逢いと別れ。

 【共鳴怨刀】の鞘は未だ出来ず――【死屍類涙】を倒す目処は未だたっていない。

 か細い糸を手繰って無理矢理繋いだ。

 だから後は綱渡りだ。命知らずの、何の見返りも……特典さえ無ければ本当に何の見返りも無い、綱渡り。

 願わくば――あちらで72時間が経つ前に、【死屍類涙】が倒されない事を――

 梓は微睡む事すら無かったのに、その眼を瞑った。

 

□■□

 

 死んでいた筈の骸が自身の腕を斬った。また、取り込もうとしたら光の塵になった。

 死んでいた、というのが勘違いだった、と【ガタノトーア】は結論付ける。

 だが、光の塵と化した事。これについては納得行かない。

 殺したのに、取り込む屍が無いからだ。

 そこで【ガタノトーア】は、殺そうとしていた事、取り込もうとしていた事に気付き、己を恥じた。

 殺したいんじゃない。山を築きたいんじゃない。

 そう言い聞かせる。そう約束する。

 昔から知っている、約束の為のお呪い。

 

『Uh…………Ah…………Naaaaaaaaaaaaaaaaah』

 

 思いを、歌にして、天に聞かせる事。

 血の匂いがするその醜い口から、どうしてそんな美声が出るのだろうか。

 そう問える輩は居ない。

 パキパキ、と凍りつくように、また石像が生まれた。

 触腕はそれを大事そうに抱え、運び、山に落とした。

 すると石化が解けて、人の姿にソレは舞い戻る。

 然し人としては、石化した時点で死んでいる。

 

 ――嗚呼そうだ、これは弔いなのだ。

 

 正当性を見つけて、【ガタノトーア】は喜ぶ。

 

『La……La……Naaah♪』

 

 喜びの歌を、謳う。

 一小節毎に、ボトリボトリと鳥が落ちる。

 それをまた、優しく抱えて、山の一部にしてあげる。

 慈愛に満ちた歌声が。等しく死を与えて行く。

 歌唱のお代は、貴方の命で、と言わんばかりに。

 また一人、一人。一つ。

 一つしか無い命の搾取が始まる。

 否。略奪が、始まる。




【死屍類涙 ガタノトーア】
伝説級〈UBM〉。
種族は魔獣。
主な能力は生命吸収。
見たら死ぬ。
そのせいか、ステータスは低い。
……カタルパを容易く殺しているが、ステータスは低い。そして弱い。
見てはならないモノ。
本人がそれをどう思っているかは、さておき。

( °壺°)「見たら石化するだけなので、仮に《石化無効》なんてのがあるならば、見たって平気。石化した後噛み砕いて殺すだけのクソ雑魚〈UBM〉」
(庭原)「クソ雑魚とは」


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第三十二話

( °壺°)「今回は全くゲームに関係ない話」
(庭原)「今回『も』な」


 それは、夢の中。夢だと分かりきった、摩訶不思議な世界。

 梓と誰か。仄暗い部屋の中、二人は向かい合う。

 その中間には8×8の盤があり、黒と白の駒が配置されている。

 それはチェス盤だ。

 対立するその駒の黒側に梓は座った。

 では、梓より目上という事になる白側に座っている者は一体誰なのだろう。

 

「……何用か」

「さぁ?こうして遊びに来ただけ……かもしれない」

 

 白側の『誰か』の問いに、ヘラヘラと梓は返す。

 これを夢だと知っているから。

 現実では無いと、確信しているから。

 

「何処だ、此処は」

「さぁ?夢かもしれないし、記憶かもしれない。少なくとも僕はあんたとこうしてチェスなんてやった事は無いから……やっぱ夢なんだろうな」

 

 そら、そっちの番だろ、と梓は促す。

 チェスは基本的に白が先手だ。『誰か』が一手進めなければ、梓も進むに進めない。

 渋々、そんな様子で、無表情のままではあったが、『誰か』はポーンを前に進めた。

 梓もポーンを進める。

 互いに勝利も敗北も考えず、盤面は進展して行く。

 

「やっぱ、あんたらしい進め方だな」

 

 その途中、梓が見たのは盤面だ。盤面でしか無い。それなのに、その言葉は確かに、その面前の『誰か』に向けられている。

 戦い方から、人の内面を察した、らしい。

 奪おうとするかのような、略奪者――最早侵略者とも呼べる攻め方に、梓は嘲笑う。

 勝利も敗北も意識していない、無意識下で、そんな侵略を行っているのだから。それこそ『誰か』が、そんな攻め方、生き方に心略されているかのように。

 そう言えば、と。梓はそこで対面する『誰か』を見た。

 梓とは似て似つかない隈のある黒い眼。肩辺りで切りそろえられ、髪型だけを見れば女子と見紛うような黒髪。

 枯れ木のように細い腕、血の色を感じさせない程に青白い肌。その肌の上に黒いスーツを身に纏った男性。

 夢の中だと言うのに、ヤケにリアルだ。それは、その姿を梓が何度も見てきたから。それ以外の『誰か』の顔を知らないから。

 記憶に焼き付けられている顔しか浮かべないその『誰か』は、梓の視線と交錯しないように、態と目を逸らしているようにさえ思える程に、盤面のみを見つめている。

 昏い目だ。そんな目を向けられたら、梓も黙ってはいられなかっただろう。だから今は、そうやって交錯しない事が、嬉しかった。

 

「……何故、打たない」

「ん?あ、あぁ、すまんな」

 

 『誰か』を見ていたせいで、盤面から目を逸らしていた。

 梓は改めて――酷い盤面を見る。

 こちらが勝とうとしていないからか……混沌としていた。

 何故そこに黒の駒が、と素人もツッコミたくなるような状況だった。

 6種類の駒が、バラバラに配置されている。

 法則性も、統一性も、存在しない。

 そこに動かせたから、という理由だけで、動かしたような配置だった。

 現実でやったら「やる気あるのか?」と言われる事請け合いである。

 梓は、まだ動かしていなかったルークとキングでキャスリンクをする。

 それを見て、『誰か』は溜息をつき、白いキングを持ち、砕いた(、、、)

 それこそ、氷塊を砕くように。

 盤面から白いキングが消失し、強制的にチェスが終わる。

 

「ここまで来て……二人零和有限確定完全情報ゲームに、本気を出すな、梓」

 

 『誰か』は砕かれた駒の欠片を見ながら、梓の全てを嘲笑った。

 『ゲームに本気を出すなよ』、と。カタルパの全てを否定した。

 そんな事は言っていないのに、そう言われた気がした。

 

「……さて、梓。

私が何故此処に居るのか、説明を願おうか。

何故このような夢の中に居るのか。何故、お前が私と出会おうとしたのか」

 

 『誰か』は、夢の中の存在でしかないのに、虚像なのに、梓よりも『人間として』、そこに存在していた。

 

「知るか。だからもう黙れよ……■■ ■」

 

 ……名前を、呼んだ。

 呼んでしまった。唾棄すべき名を。忌避すべき名を。

 梓は、夢が覚めてくれないかと願った。

 ここは夢であるのに、現実と同じように、残酷だった。

 悪夢程、中々覚めず、また、覚めた後も深く脳裏に刻まれるものだ。

 その残酷性だけは、現実と夢の残酷性だけは、梓は幼い頃から知ってしまっている。

 何せその『幼い頃』を作り上げたのは、目の前の人間である。

 つまり。

 

 ――目の前の人間は、庭原 (えんじゅ)。梓の、父親だ。

 

 しつこいようだが、これは夢の中の物語だ。現実には反映されない筈の、梓しか居ないモノローグ。

 空想上の人物に、梓は腹を立てている。

 そんなものは、誤っているのに。

 そんな事で、過っているのに。

 腹を立てて、怒りで手に爪がくい込んでいる。

 夢の中なのに、『痛い』。

 痛むのだ。

 痛い。それは、肉体的なモノばかりでは無い。もっと……手なんかよりも、痛むモノがある。それが痛くて仕方ない。

 それは、触れられない。だからその痛みの元の近く……左胸に、手を当てるだけだった。

 爪がくい込む握り拳のまま、当てている。

 血涙が出るのではないかと思える程に、怒りて狂ってしまいそうな程に、梓ではない何かが、暴れ出してしまいそうだ。

 今怒っているのは、間違いなくカタルパだ。

 いや、カタルパを間接的に蔑まれた事に対して、梓が怒っているのかもしれないが。

 自分で作り上げた『キャラ』を、否定されたから、怒っているようにも見える。

 だが、そんなものとは比にならない程の怒り。

 夢の中故に、現実ではない故に。空想であるが故に。

 其処に立てるのは、梓だけとは限らない。

 こうして目の前に父親を立たせる事も可能だし――

 自身の立ち位置にカタルパが立っていても、何ら不思議はない。

 

「記憶の断片と夢の中でチェスとか俺は嫌だね」

 

 カタルパは吐き捨てる。

 目の前の『誰か』に何かしらの思いを抱いているのは梓であって、カタルパからすれば初対面の相手に過ぎない。

 庭原 梓という人間の生き方のみを真似してカタルパ・ガーデンがいるならば、本当に初対面だっただろう。

 今の彼は醜くも、初対面を『演じている』に過ぎない。愚かではあるが……此処が現実でない以上、現実逃避には、なってくれなかった。

 カタルパが梓ではない故に、遠慮なく、躊躇なく唾棄すべきモノを唾棄し、忌避すべきモノを忌避した。

 梓よりも力があるカタルパであれば、夢の中という事もあり、『誰か』を跡形すら残さずに『どうにかする』事は容易だった。

 

「……胸糞悪い」

 

 それは、カタルパのセリフか、梓のセリフか。

 モノローグにそれを問える者は居らず、また、本人達にも、分かっていない事だった。

 

□■□

 

 気付けば、夢から覚めていた。

 つい最近の墓参りに行った際、父親の墓に(、、、、、)参らなかったから恨まれたのか、と梓は目頭を抑える。

 序に、どころかあの時のアレの隣がそうだったのに、梓は意識的に、無意識的であれど、向かわなかった。

 例え永遠に父親が眠っていようと、過去は変わってくれないから。梓が嫌っていた人間()のまま、死んでいったから。

 彼が変わらない限り、梓の父親に対する対応も変わらない。

 変わらなかったからこそ、梓も変わらない。

 ――梓の不変を求める性質が、仮にここが源流だったとしても。

 梓は、敢えて変わらない。あちらが変わらないからこちらも変わらない。たったそれだけの事。

 世界が変わらないから、自分も変わらない。たった……それだけの事なのだ。

 

「あと……8時間、か」

 

 逆算すれば16時間近く眠っていた、という事らしい。チェスをして、対戦相手を殺した……夢の中でした事は精々そんなものだ。16時間は経過していないように思える。

 時の流れは現実と夢の中で違うのだろうか?<Infinite Dendrogram>と現実の時の流れが違うように。

 まぁ、今更そこに因果関係があったところで、梓はどうもしないのだが。だからそれは、頭にふと浮かんだ疑問、でしか無い。

 携帯の着信音が突如鳴り出し、「おぉう?」とおかしな声をあげた梓は、その相手が天羽だったので呼吸して落ち着いてからボタンを押した。

 

「もしもし?」

『もしもーし?梓ー?』

「どうしたんだ、急に」

『ゲームに居なかったからさ。どったの?素材集めしてたんじゃないの?』

「集めてたんだが、死んだ」

『……え、何、PK?』

「いや……事故」

『<Infinite Dendrogram>で事故?まぁ車とかだってギデオンにはあるけどさぁ……ちゃんと本当の事話してよね』

「真実を言っているつもりなんだがなぁ……」

 

 〈UBM(事故)〉に()った。

 何も、嘘は言っていない。

 そのまま当たり障りの無い話を続けて(勿論、〈UBM〉なんて単語は一度も出さなかった。死んだ場所も、だが)、電話を切る。

 どうやら天羽は素材がどれ程集まったか、不足していればこちらで揃えようか、という事を聞きたかったそうなのだが、その辺は梓がゲームに再ログインしてから、という事で先延ばしにしておいた。

 プレイヤーは死んだらアイテムとかをボックスから落とす事がある、という話を聞いていたので、未だ持っているか確証が無いまま話を進めるのは宜しくないと判断したからでもある。

 先程まで眠っていたベッドに今度は腰掛ける。お、ねだん以上なところで買い揃えたベッドは、少し軋むような音をたてて梓を支えた。

 携帯を操作して、アラームをセット。腰掛けていたベッドに横たわる。

 ……だが、もう一眠りしようとして、またあの夢だったらどうしようか。

 そう思い、寝巻きから着替える。

 気分転換、ストレス発散。

 そんなものは外に求めてはいないが、時間つぶしにはなる筈だ、と。

 踵を鳴らして扉を開けた。すると。

 

 誰かが、居た。



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第三十三話

( °壺°)「話が今回は難しい。自分でもそう思った」
( °壺°)「でもそうしなくちゃ、この人を語れなかったのです」
( °壺°)「本当にすまない」


 黒色の外套(梓にはそう見える)を身に纏った誰かが、そこには居た。顔色も窺えない、謎の人物。

 『誰か』と目の前の誰かは違う。

 それは分かりきっているのに、似ている点をどこかで探している自分がいる。

 間違い探しならば、見た目だけで何箇所違いがある事か。

 名前とか、不可視の情報まで違う筈だ。それなのに、矢張りあんな夢を見たからだろう、一秒を一秒にしか出来ない世界で、考え込む。

 

「……今、目が覚めたようですね、お早うございます」

 

 初対面の人間に寝起きだという事を知られたのは別に恥ずかしいとは思わなかった。それどころか偽りの優しさをぶつけられている気がして、快いものを感じなかった。

 その不快感を隠すように、平べったい笑みを浮かべて梓は応答する。

 

「まぁ、寝起きだ、な。

それで、どうして此処に?

僕の記憶に間違いが無ければ初目なんだが」

「えぇ、初めて会います。こうして会う、のであれば。

私は……そう、ですね……」

 

 その、「そうですね」の言い方に、少し眉を上げた梓は、言い淀む彼女――男ではない、と断定した――に、本心を打ち明ける。

 

「――質問を変えたい。

……何者だ、お前は」

 

 正体不明は、ゲームの中(シュウ・スターリング)だけで充分だ。

 現実に、そこまで意味不明な人間は居なくていい。

 それに、ここに来たのだから梓を知っている筈だ。それなのに梓は彼女を知らない。

 それは、不公平だ。

 だから、釣り合わせる為に、情報というアドバンテージを、打ち消す。

 

「私は、貴方を知っています。厳密には過去の貴方、それと――」

 

 彼女は、呟くように続けた。

 

あの世界(<Infinite Dendrogram>)での貴方、を」

 

 聞き捨てならない一言を。

 

□■□

 

 梓は彼女を知らない。けれど彼女は梓とカタルパを知っている。

 ゲームで出会い、その後リアルでカタルパが梓である事を知ったとでも言うのだろうか。

 ……逆、かもしれない。

 つまりリアルの梓を先に知り、その後カタルパというアバターの存在が梓である事を、或いは梓がカタルパという名でプレイしている事を知った――可能性だけなら、こちらの方がある。

 だがどちらにせよ、梓と<Infinite Dendrogram>を知らなければ知り得ない情報。

 尚更、出処が気になる。と言うか、彼女の正体について、彼女は未だ触れていない。

 ひた隠しにしたがっているようだが、こちら側としてはそうも行かない。

 

「ああ、申し遅れました。私は狩谷(かりや) 松斎(しょうさい)と言いまして。

如何なる世界でも探偵をやっています、よ」

「……探偵?」

 

 部屋に招き入れ、即席の紅茶を提供し、梓と松斎は向かい合うように着席していた。

 梓は現代となっては退廃した用語を聞いて、首を傾げた。

 彼女、松斎の語る自己は、彼女が梓を知っているという事実の理由にはなる。なるが……それでも怪しい。

 今更になって、梓は目の前の人間を怪しいと思った。思う前に家に上げている時点で、相手が盗人であった場合手遅れなのだが。

 運良く相手は探偵(?)。その心配はなさそうだ。探偵であるという事を鵜呑みにしている辺り、梓は本当は騙されやすいのかもしれない。

 ともあれ、梓の前にいる、未だ外套を羽織り、フードを目深に被り、外見の情報を梓に殆ど与えていない松斎という女性は、『敵』ではないらしい。

 

「抑の……経緯を、順を追って聞きたい。

先ず、何処で僕を知ったか、だが」

 

 それについては、自分でも何となくの検討は付いている。松斎が知っているのは「過去の自分」だ、と言っていたのだから。

 

「勿論、過去に起きたあの奴隷商の事件から、ですね。

国が隠すような事件。知っている人間は少なく、語った者は『不思議と』遠くない内に死んでいます。

私は調査中、貴方の名前を聞いたのです。いくらひた隠しにしていても、庭原 槐の名前は隠しきれない。

そして、解決させた張本人、庭原 梓の名前も、ね」

 

 成程。遠くない内に『不思議と』死んでいるという事実は聴き逃さなかったが、ここで敢えて脱線する必要は無い。

 つまり『あの事件』からここまで辿り着いた訳、か。

 梓はその結論に至るまでに、一秒とかけなかった。サルでもわかるだろうし、と独り言を脳内で呟く。

 

「分かった。『あの事件』を知っている時点で只者じゃないのは、な。だから次に行こう。何で僕が【カタルパ・ガーデン】である事を知っているのか、だけど」

「人相書……と言うか聞いていた顔と瓜二つ過ぎたんで。

偶然にしては出来すぎで、庭原 梓という人間がどんな人間か(、、、、、、)を知っているなら瓜二つの顔で正義の味方ごっこ(、、、)はしない。

なら、本人である可能性が高い。

あのゲーム、本人の姿形をアバターに出来るんでしょう?

なら、正義の味方が正義の味方ごっこをしている、そう結論付けるのが妥当、じゃないですか」

「…………そう、だな」

 

 胸の内の怒りを、梓は発露させない。

 コレはカタルパの怒りだ。

 怒りの代弁をするのは、『あの時』だけで充分。

 今、例え自身のアバターであっても、代弁する気はない。否、してはならない。

 今目の前にいるのは、情報源。このままペラペラと話させた方が、後々楽になるのは必至。

 耐えろ、耐えろ。

 夢の中と同じように握り拳を作って、梓は話を進めるよう促す。

 

「探偵らしい推理、って事にしておこう。間違いは無い。事実だ。正義の味方ごっこ(、、、)だとも」

 

 ――自虐をして、少しでも怒りを消しながら。

 

「その上で聞きたい事があるんだが」

 

 ――能はない。だから爪は隠さない。

 

「何の理由があって()の前に立った」

 

 ――一々爪の出し入れをしていては、狩り損なうから。

 

「オー怖。そんなに怒らないで下さいよ。何に怒っているのかは、大体予想が付きますけど」

「そうか。態と怒らせて平静を欠かせるのはいい策だ。探偵なんかやめて策士になるといい」

「今時儲かりそうにない職業……」

「俺……庭原 梓や『あの事件』を追う方が余っ程儲からないと思うが」

「これは最後まで解き明かせば一儲け出来ますよ。

いいですか、カタルパさん(、、、、、、)

 

 一人称が変わった事から演じている(カタルパでいる)事を見抜いた松斎は、言葉を一瞬選んで、望んで――

 

「これは、ゲームなんですよ(、、、、、、、、)

 

 ――逆鱗に、触れた。

 

□■□

 

 その言葉を聞き終えるのと、()が松斎の胸ぐらを掴むのは、ほぼ同時だった。

 

「ゲーム……ゲームだと?

いいか、『あの時』に人間は死んでいる。死んだら蘇るゲームとは違う!」

「<Infinite Dendrogram>の世界のティアンと、この世界の人間は同じでしょう?」

「っ……!」

 

 その価値観を、否定出来ない。

 それはカタルパ・ガーデンというマスターのエンブリオがメイデンである理由なのだから。

 この世界の人間の命と、あの世界のティアンの命を、『等しく無価値』と断じてしまったのは、梓本人なのだから。

 断じた以上、ティアンと人間が違うという事を言えない。

 口先だけであっても、言えない。

 

「死んだら蘇らない。私だって国に隠れてコソコソ調べてますから、バレたらゲームオーバーです。だからこそ、楽しい(、、、)でしょ?」

「お前は……お前はっ!!」

 

 狂っている!

 そう言いたい。

 壊れている!

 そう叫びたい。

 だのに、あの世界でゲームを楽しいと言っていた彼女が頭にチラつくせいで、それを言葉に出来ない。

 本当に、あの世界といいこの世界といい……。

 

(俺達)生命(総て)を、何だと思っていやがる」

「自分だけ特別扱いは駄目ですよ、庭原さん。

貴方自身が壊れて、狂っているからって。他者のそれを否定しちゃ。

それに、私程度の『狂い』で、『壊れ』で、『狂い』や『壊れ』を語られたくないんでしょう?

だってもっと狂っている人を自分以外に知っていて、もっと壊れている人も知っているんですもん、ね?」

 

 そう言われて、即座に天羽とカデナが思い浮かぶ辺り、図星なのかもしれない。

 だからこそ、梓は止まれない。

 この人間だけは、ダメだ、と。

 生かして返してはいけない。否定して、根本から叩き直さなきゃいけない、と。

 義務感という焦燥に駆られて、梓は、梓は。

 

「……悪いが、今日は帰ってくれ」

 

 逃げた。

 否、彼からすれば逃げではなかっただろう。

 

「まだ、時間はありますよ?」

「……それでもだ。僕は……俺は、お前と話したい事なんか無い。

『あの事件』の事も、それ以外も。

早く失せろ。気が変わる前に。

出来れば二度と現れるな。この世界でもあの世界でも。

……早く消えてくれ」

 

 松斎も今日はお暇しましょ、と鉄扉を開けた。

 扉が閉まれば、梓は一人だ。一人と一人を内包した、一人だ。

 

 梓は知っているのだ。こういう(、、、、)人間を。

 そういう人間に対する応対の方法を知らないから、こうして今は突き放す事しか出来ない。

 誰であろうと、そういう人間に対する処置は、それしか無い、それしか知らない。

 ――そうして誰かを断崖絶壁に突き落としたのは、他ならぬ梓だが。

 これは逃げではない。そう言い聞かせて、正当性を保つ。

 だから短く、結論付ける。

 自称探偵、狩谷 松斎を、庭原 梓は、カタルパ・ガーデンは嫌っている。

 そうしなければ、保てなかったから。



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第三十四話

( °壺°)「病んだ?」
( ✕✝︎)「……かもな」
( °壺°)「……(梓の割にアイコンが厨二っぽいなぁ)でもまぁ、ここから始まります」
( ✕✝︎)「新しい物語が?」
( °壺°)「半分正解。半分不正解」
( ✕✝︎)「は?……まぁ、答えは本文で……出るよな?」


 何度も何度も頭を殴られたような痛みが、梓を襲う。

 だがそれは、比喩では無かった。

 梓は今、テーブルに頭をぶつけている。何度も謝るかのように、ヘッドバンキングのように上下させて、額をぶつける。ドンッ、ドンッと鈍い音が何度も響き、白黒の部屋で谺響(こだま)する。

 薄茶色だった机には血が滲み、赤黒く変色している。

 そうしてまで、忘れたい。

 そうしてまで、拒否したい。

 認めたくない。足掻きたい。

 現実にまだ、歯向かいたい。

 【ギャラルホルン】との戦いの時、カタルパ・ガーデンは自身を『強欲』だと言ったが。仮にそうならば梓はアイラが言った通り、『傲慢』だ。

 己の安寧の為に、如何なるモノも(ないがし)ろに出来る。

 梓はその権利を有し、また行使した。

 (さげす)んで、(あざけ)って、見下して、虐げて、蹴落として。

 自分自身を正当化させる為だけに、今も何かを蔑ろにしようとしている。

 その何かの正体を掴んでいるから、梓はそれを否定する。

 狩谷 松斎など知らないな、と。そう結論付けなければならない。

 だが実際にそう上手く行く筈も無く。

 忘れようとする程に強く、深く、記憶に刻み込まれてしまう。

 忘れられる、なんて奇跡は起きない。

 梓は奇跡を起こす人間であり、願う人間では無いから。

 誰かに奇跡を見せる事は出来ても、願う事は無い。

 救う事があっても、救われる事は無いのだから。

 

「…………はぁ」

 

 忘れられない、という()(きた)りな結論に辿り着いて、漸く梓は自傷行為を止めた。

 軟膏を探しに、椅子から立ち上がる。千鳥足のような覚束無い足取りで、一歩を着実に踏み出す。

 フラつくのは何も、血を流した事に因る貧血では無い。そんな目に見える理由があるんじゃない。

 大切にしてきた何かが、崩れたからだ。

 目に入れても痛くない程に愛でてきた『何か』が、(くず)れたからだ。

 それは、正義感であったかもしれない。

 悪を誅する正義の味方である事に、誇りを持っていたのかもしれない。

 今更、何れを抱いていようとも……今となっては、崩れてしまった今となっては、意味を成さなくなった。

 手放したのではなく、奪われたのではなく、零れ落ちたのでもない。どれでも無い。けれども残っていない。

 大切なモノが、欠落し、欠如し、欠損し、欠陥し、欠点になった。

 ソレを拾い上げる事はもう、出来そうにない。

 そうと分かった途端。

 

 ――平静が、音を立てて崩れた。

 

 足に力が入らなくなり、容易くその身は(くずお)れた。

 呼吸が荒い。視界が揺れる。

 平生が、唐突に終わりを告げた。梓に何かの終わりを突き付けた。

 混沌が、吐き気を催すような不快感が、梓を取り巻く。

 下半身が石になったように停止し、その動かないという現象が、上半にまで昇ろうとしているかのようだ。

 潰えた希望に縋って、自分がずり落ちて行くのを感じる。

 何も感じなくなり、緩やかな怠惰が、梓を慰めるように優しく、労わるように慎ましく、始まる。

 再ログインまで後7時間。それすら待てず、梓は眼前の痛み無き世界に浸る。

 不思議と、恐れは無い。

 

 松斎の言葉に惑わされ、自虐に走り、その上で壊された何か。その何かを失った痛みを、感じなくなった事への安堵は、梓に究極の停滞を与えた。

 

「……ぁ……あぁ……」

 

 痛みは無い。絶望も無い。

 代わりに悦楽も希望も無い。

 それでも、悪化する事は無い。

 ――良化する事も、無いのに。

 7時間は、長過ぎた。

 絶望するには、短過ぎた。

 

 止まってしまおう。止めてしまおう。

 

 今更誰も、咎めない。

 

 今まで、頑張ったと思うのだ。

 

 ジャバウォックに散々振り回された気がするが超級職になったりしたし。

 

 闘技場で全敗したりしたけど〈UBM〉だって狩った。

 

 ――もう、充分じゃないか。

 

 …………庭原 梓がダメでも、カタルパはこんなに頑張ったじゃないか。

 

「…………それ、でも」

 

 認めてくれないだろうなぁ、と口から零れた。

 今の僕の心の内を読んだら悲しむだろうなぁ、と嗚咽が漏れる。

 【シュプレヒコール】を救えなかった事実に脱線したのはカタルパで、絶望したのは梓だった。

 カタルパは守りたいと思ったモノを守れず、梓は救いたいと思ったモノを救えなかった。

 彼等が脱線と停滞と絶望を繰り返したのは、それが理由だ。

 

 守りたいモノ、救いたいモノが、無くなってしまったからだ。

 

 今は、その空欄に、自然と名前を入れられる。

 自分と並走する少女の名を、刻み込める。

 彼女の為に。その為だけに。

 力を行使出来ると、そう誓える。

 松斎にズタズタにされた精神は、まだ治ってなどいない。

 けれど梓は立ち上がる。額から垂れた血を舐め取り、不気味な笑みを浮かべられる。

 ズタズタにされたのはあくまで梓の精神だ、と開き直る。

 まだ此処に、カタルパ・ガーデンは存在する。

 

「正義の味方ごっこなら、本当の正義の味方になりゃいいだけだ」

 

 暴論だった。曲論にして極論だった。

 それでも、誰もがそれを正当と認める。或いは、正論と頷く。

 

 保てなかったから、崩れた。

 崩れたモノはどうしようもない。覆水盆に返らず、という奴だ。

 だから、新しくこの手に抱えよう。

 守りたいモノを、救いたいモノを。

 どんなに小さくても。

 この手だって、小さくて、大きなモノは抱え切れないから。

 人一人の手を繋ぐくらいしか、出来そうにないから。

 

「待ってろ、アイラ」

 

 後、7時間。長過ぎた時間が、矢張り長過ぎると実感するようになった頃。彼は初めて、あの世界を楽しみにした。

 

□■□

 

 闇という病みに終止符を打って、梓は秒針が一周するのを今か今かと待ち望んでいる。

 時計と睨めっこをしていたら、後一分を切った。

 何かを忘れている気がするが、大丈夫だろう。

 媒体を被り、再ログイン可能時間が減っていくのを見続ける。

 この一秒が、ヤケに長い。この世界の一秒は、どんなに早くても一秒にしかならないのに。

 ふざけ半分で「リンクスタート!」と言ってみる。

 

 深い微睡みの中に落ちるように、梓はカタルパに変容して行く。

 何も変わらないまま、変貌して行く――――

 

□■□

 

 かれこれ、二回目の死だ。

 アリスに殺された1回目、そして【ガタノトーア】に殺された2回目……。

 

「あ、そういや忘れてた」

 

 空欄を埋めようとするが余り、他のモノを見逃していた。

 直ぐにカタルパは現在地を確認して、【ガタノトーア】の居た場所へ向かおうとする。

 

「待ってほしい、カーター」

 

 それを、守りたいモノ(アストライア)に阻まれた。

 

「なんだ、アイラ」

「何か……あったのか?」

 

 アイラは読心が出来るにも関わらず、それをしない。だから実際に何があったのかを、知らない。

 知ろうとはしているが、それは彼の口から語られるべきだと考えている。

 カタルパでありながら、今のカタルパはその割にイキイキとしているように見える。

 それは成長……では無い。最早進化だ。

 一歩進んだ、という進歩では無く、幾つも進んだ果てに化けた、という進化だ。

 何れにせよそれは、彼が後退しなかった事を意味する。

 それは、彼にとっては良い事の筈だ。

 自分にとっても良い事の筈だ。

 アイラは含羞(はにか)む。

 正義の味方『ごっこ』が終わりを告げる事を、信じた。

 嘘が本当になれば、嘘つきも正直者になれる筈だ。

 《愚者と嘘つき》……それが、《愚者と正直者》……いや。

 

「《正義の味方と正直者》……なのかな」

 

 ここから始まるのは、終わりなき正義の物語。

 愚者が正義の味方になる物語。

 嘘つきが正直者になる物語。

 救いようのない世界で、救いようのない二人が手を繋いで共に歩む物語。

 それに後押しされて、リアルで一歩踏み出す……そんな物語。




( °壺°)「成長過程が回りくどいなぁ……」
( ✕✝︎)「表現が難しいなぁ……」
( °壺°)「……文才では無いので」

( °壺°)「そして!」
( ✕✝︎)「お陰様でUA6000突破です」
( ✕✝︎)「上げた話が多いからじゃね?」
( °壺°)「企画倒れせずに続いたからですから……多分。ともあれ!」
( ✕✝︎)( °壺°)「ありがとうございます!これからも宜しくお願いします!」


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第三十五話

■カタルパ・ガーデン

 

 拝啓、過去の自分へ。

 何故こうしたんだ。

 何故これ以外無かったんだ。

 どうして態々、この選択肢を選んだのか。

 どうして態々、これを肯定したのだろうか。

 確かに傲慢だ。

 だが……いや、だからこそ罪だ。

 傲慢故に、見下したが故に、直視などしていなかった、俺の罪だ。

 これ以外を見落とした、罪なんだ。なら今から精算しよう。庭原 梓の罪を、カタルパ・ガーデンが。

 

□■□

 

 そこが何処なのか、俺達は敢えて説明しない。する必要が無いからだ。自分の死んだ場所と同じ場所に立ち、生きている事を実感する、というのは、中々に皮肉が効いていると思う。

 今から始まるのは憎い思いで行う醜いリベンジマッチ。観客の居ない復讐戦。

 

「ネクロ、状況は?俺が見えているものと実際の風景に誤差は?」

『皆無だマスター。前方に【死屍類涙 ガタノトーア】が見えることだろう』

「……個人的にはまだ倒されてなかった事に驚いているよ」

 

 視界に歪な山とその上に鎮座する化け物――【死屍類涙 ガタノトーア】が見える。心做しか山が前回より盛り上がっているように思える。気のせいならそれでいいが、そんな訳はないだろう。小鳥一羽飛ばない空は、それを示唆している。

 ……さて。歓談と言うか独り言は終わりだ。

 

「攻略開始だ、アイラ、ネクロ」

『初撃必殺だ、行くぞカーター』

『一撃必殺だ、やるぞマスター』

「『『《揺らめく蒼天の旗(アズール・フラッグ)》』』」

『Lu……Ahhhhhhhhhhhhhhhh!!!!!!!』

 

 俺達が唱えると同時、【ガタノトーア】は叫んだ。それだけのようだが《ヒート・ジャベリン》を使ったのは即座に学習したネクロに看破されている。

 なにこいつ、【紅蓮術師】かよ。俺を殺せる物理攻撃力を持っておきながら魔法使えんの?凄いな【ガタノトーア】。超かっけぇ。

 《揺らめく蒼天の旗》は説明した事があるように、必中ではない。最高数値を攻撃力に変換した光弾を十字架の先から放つスキル。光弾を放つってのは、初出か?

 まぁともあれ、打ち出すという物理的な行動な訳で。……つまり『相殺』が可能という訳で。

だがそうして相殺する事を俺は、最善だとは思わない。

 悪手だとも思わないが、な。

 

「重ねろ、《音信共鳴》」

 

 相殺を目的とするなら、同程度の威力の技をぶつけるだけでいい。それだけならば、な。

 今回のように、2発放たれた時、一発分では相殺し切れる筈もない。

 まだ相殺したいなら……2発打つんだな。

 斯くして抵抗虚しく【ガタノトーア】は《揺らめく蒼天の旗》を喰らって倒れ――

 

「……あれ?」

 

 ――無かった。

 どころか中途半端にHPを残したせいで怒らせてしまった。モ○ハンのように。部位破壊は出来なさそうだが。

 

『Es……caaaaaaaaaaaaaaaape!!!』

 

 エスケープ?逃げる、免れる、逃走……何れにせよ俺と戦いたくないらしい。

 逃がす訳ねぇだろ、害『悪』が。

 屍の山は底が見えず、何が埋もれているのかは分からない。だが人の腕らしきものや鳥のようなもの等等が詰まった、グロ画像の類に含まれるようなモノだった。

 そうなるからには、そうなるような事をしている。

 屍の山が築かれているなら、築く為の材料が必要で、尚且つ殺し取り込む必要がある。

 プレイヤーなら、マスターなら死んだら光の塵だ。取り込む屍が無い。なら、あの腕は?あの骸は果たして、何だ?

 答えは単純。ティアンだ。

 死んだら蘇らない、人間だ。

 ――俺は、モンスターがプレイヤーを殺す事を悪だとは思わない。『どうせ』死んでも蘇るし、殺し殺される関係が見事に成り立っているからだ。

 だが、今回のようなケースは違う。殺しているのはティアンで、且つあれは虐殺だ。

 一方的な蹂躙で、戻らない生命の略奪だ。

 略奪愛などとほざくなら当然ふざけるな、と言わせてもらうし、救済などと騙るなら同じ事を(、、、、)してやろう。

 

『カーター?怖い顔をしているぞ』

「そう、かもな」

 

 そりゃ純粋に「殺したい」なんて思っているしな。マトモな表情と心象をしている訳が無い。

 個人的には、それを「おかしい」と思ってくれた事に……そう思う事を異常だと判断してくれた事に、感謝している。

 だが「ありがとう」を言うのは、まだ早い。

 少なくとも目の前の奴は倒さなきゃな。

 

「仕切り直しだ、【ガタノトーア】。俺達の協力プレイでぶっ飛ばす」

『一心同体のパートナーと道具と一緒に協力プレイ……一人協力プレイというパワーワード』

 

 ……そう言われるとなんかおかしいかもな。

 いや、ネクロに関しては俺とは違うから、ネクロと俺の協力プレイって事にすれば間違いは無い……だろう。

 協力プレイ出来るゲームでソロプレイをする寂しさは、何となく分かっている、つもりだから。

 そういう意味では、目の前の〈UBM〉は独りぼっちと言える。ソロプレイヤーと言える。

 マスターを正義と見た時に悪になるモノ、それが〈UBM〉。そんな事を誰かが言っていた気がする。

 なら、アレは正しく、独りぼっちのプレイヤー。

 ……そういうのを見ると、俺は恵まれているんだな、と思う。

 仮にアイラが居なくても、ネクロも居なくても、独りぼっちでは、無いのだから。

 蟠りの無い人間が、少なくとも2人、居るから。

 それでも、それで尚、上を目指すのはきっと強欲だろう。それは、嘗て自分が語った通りだ。全てを見下す傲慢では無く、全てを得ようとする強欲。全てを妬む事もなく、全てを思わぬ事もなく、全てに色めく事もなく、全てを食らう事もなく、全てに怒る事もない。

 ただの強欲。だがそれは、人ならば持っていて当然のモノだ。

 その点、【ガタノトーア】はその何れも持っていない。全人類の救済、というのを強欲と称えるならそれまでだが。

 人ならば持っていて当然のモノを、【ガタノトーア】は持ち合わせていない。だからあいつは人じゃない。

 人じゃないから、俺達は躊躇なく剣を向ける事が出来る。

 

 

『Lu……Ahhh!!』

「洒落臭ぇっ!!」

 

 触腕と十字剣が激突する。次いで新たな触腕と抜き身の刀が激突した。

 【ガタノトーア】の一撃は、速くて強い。だが、受けられない訳では無い。打つ手がない訳では無い。

 それに、今はモン○ンで言う怒り状態。マトモな思考が出来ているとは考えづらい。直情的になればなる程に――読みやすい。

 

「疾っ!!」

『《ファイヤーボール》』

 

 ネクロの弱小な魔法がいい具合の目眩しにもなっている。敵の眼前で爆破させれば、光と煙で俺達の姿が見えなくなる。その隙に死角に回るが……そろそろマズイな。

 ネクロが疲労し始めた。牽制と視界共有を同時に行うのは、意外も何もなく大変だろう。

 俺からの頼み、という事もあり断れなかったのだろう。俺は上司になったらろくな人間にならないな。社長とかになったら確実にその会社はブラック企業と化すだろうな。

 さて。そろそろ材料は揃った筈だ。……別に、【シュプレヒコール】の鞘の、では無い。分かっているけど、念の為。こうして真剣味を無くさないと、冷静にモノを殺せる人間になってしまうからな。

 

「スー……ハー……」

 

 呼吸を整える。今から行うのは、自傷行為だ。自分で自分を傷つける、覚悟を決める。

 その間【ガタノトーア】の攻撃は全てネクロに捌いてもらう。《ファイヤーボール》の相殺が何処まで通用するかは賭けだが、触腕一本は一発で相殺出来るようだ。なら任せよう。

 ……やりますか。

 

「――――《強制演算》」

 

 自分で知りたい情報を思い浮かべる。その答えが出ると同時。

 

「――――ってぇ!!」

 

 慣れ親しむ事の無いであろう激痛が、脳を襲った。

 だが、前回に比べて痛む程ではない。前回が酷かったのか、今回が軽度だったのかは定かでは無いが、取り敢えずは大丈夫だ。立っていられている。痛みで震える事も無い。

 まだ、前に進める。

 

【Form Shift――Cross Balance】

 

「『《感情は一、論理は全(コンシアス・フラット)》』」

 

 痛いと『思う』のもまた感情。

 それを無くしてステータスに回す。

 実際、脳に痛覚はないらしい。ならこの激痛はなんだという話にはなるが、それを今考える余裕は無い。と言うか、こんな脱線した事を考えている暇はない。

 答えは出た。後は実行するだけだ。

 

『Laaaaaaaaaaaaaa!!』

「遅い」

 

 【ガタノトーア】が何かをするより早く、刀がその血肉に突き刺さる。悲鳴をあげさせるより早く、天秤から十字剣に形を変えたアイラが刺さる。反撃を許すより早く、《音信共鳴》で《感情は一、論理は全》を再発動させる。触腕の攻撃が届くより早く、その射程から俺は外れ、唱える。

 

「《秤は意図せずして釣り合う(アンコンシアス・フラット)》」

 

 ティアンを殺したなら、お前は悪だ。悪なら俺は、写し取れる。

 【ガタノトーア】はもう、為す術が無くなった。どうしようもなく、詰んだ。

 その触腕がもう届く事は無い。【ガタノトーア】の命はもう、一分と無いから。秒針が一周するより早く、二刀を以て引き裂かれるから。

 

「セイッバァァァァァァァッ!!」

『Na……Naaaaaaaah!?』

 

 最後の――最期のスキルを使う事無く、二刀に両断された【ガタノトーア】は、屍の山と共に、光の塵となって行く。

 《感情は一、論理は全》を解除し、数十秒ぶりの痛みに生きている事を実感した。痛い……痛いと思えるから、生きている。

 痛いから生きているのでは無い。痛いと思えるから生きていると言えるのだ。痛いと思える正常な感性と、痛みを痛みと認識出来る肉体があるが故に、生きていると言えるのだ。

 痛みを求める時点で人としては正常では無いし、痛みを与えたいと思う時点で正常からは外れている。

 求めない、与えない。そうした正常があるからこそ、痛みに関わらず、そういった『正常』があるからこそ、この世界は正常でいられる。

 俺が見てきたのは異常ばかりだったから、物差しがズレている。

 そういった事の『正しい』判断は、そういったものの裁定は、俺がやる必要は無い。

 俺の隣に立ってくれる、天秤の女の子にやらせればいい。……ヒモかな?

 ……まぁ、まぁ。無駄な思考はあったけれども。

 

「リベンジマッチ成功、だな」

 

 アナウンスが鳴っていたが、あまり聞いてはいなかった。報酬とかを二の次と認識していたからかもしれない。……そこまで復讐したいとは思っていなかった筈なんだがな。

 鳴り終わり、俺の手元にはMVP特典らしき物が残された。

 

「【片眼魔鏡 ガタノトーア】……これ、モノクルってやつだよな」

 

 手元にあったのは眼鏡の片っぽしかないやつ。中世ヨーロッパとかにありそうなやつ。片眼鏡、モノクルとも呼ばれる物だ。

 ……なんか、執事っぽさ増してきてね?と思ったが、そのモノクルを持つ手甲だけが、否定してくれていた。




【片眼魔鏡 ガタノトーア】
 モノクルの形状をしていて、装備者に状態異常耐性を持たせる。
 また、スキルとして《■■■■》があり、〈UBM〉期の【ガタノトーア】を想起させる。
 ……ステータス補正が存在しない。

( °壺°)「【ネクロノミコン】と同じ、ステータス補正の無いMVP特典です。耐性を持たせるのであって無効じゃないのがミソ」
( ✕✝︎)「まぁ、俺は非戦闘職だからな。関係ない」
( °壺°)「なら何故MVP特典をそんなに持っているんですかねぇ……」


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第三十六話

( °壺°)「都合上1時間ズレました」
( °壺°)「申し訳ない」


 燕尾服に片眼鏡(モノクル)は、『執事っぽさ』に於いてシナジーを生む。

 そんな冗談を抜きにして、カタルパは【片眼魔鏡 ガタノトーア】という片眼鏡のMVP特典を入手した。

 左目に付けるもののようで、装備すると左目だけ遠くまでハッキリ見えるようになった。少し気持ち悪くなって、即座にスコープ機能をオフにしたのは、間違いではないだろう。

 【ガタノトーア】を倒す事、というこのゲームにまた帰ってきた目的の一つは達成出来た。次は勿論、【ガタノトーア】にトドメを刺した功労者、【シュプレヒコール】の鞘の素材集めだ。

 

「収集しないとな。でも、半分くらいはもう揃ってる訳だし、もう半分くらいもカルディナとかで買えそうだし」

『さらりと他国へ行く事を口にしたな。確か、良くも悪くも金でどうにかなる国、だったか?』

「ぶっちゃけちゃえばそう。けどまぁ、そこにいるマスターの皆が皆そうだとは、流石に思っちゃいねぇけど」

 

 だが、その国風に慣れた人間な訳だから、あまり期待は出来ない。そればかりは期待のしようもないな、と毒を吐く。

 慣れは、毒だ。常識が移ろい往くのを理解出来ぬまま差し変わる。変化を変化と思わない。少なくともカタルパは、それを「毒」だと認識している。「悪」でないにせよ。

 …………その毒を、誰に向けて吐いているのかを、カタルパは言わなかったものの、どこか体験を元に語っているようなリアリティある毒に、アイラとネクロは咄嗟に答える事が出来なかった。

 理解されないのは辛いな、と胸の内で零して、カタルパの脚はギデオンでもアルテアでもない方向へと向けられていた。

 追従する二人(?)は、何処か遠くの空でも見るような目をしていた。それは少なくとも、今のカタルパには向けられていなかった。

 

□■□

 

 月が顔を出す頃、カタルパ達は王国ではない、(自分達的には)未開の地に辿り着いていた。

 カルディナと呼ばれる、文字通りの異国である。

 その異国の地に、二人と一つは降り立ったのだ。

 抑えていても心が踊る。未開、不明。なんともワクワクするワードじゃないか。子供の頃、心のキャンバスに描いた、不思議な世界を練り歩くようではないか。

 少なくとも、彼等は「不思議」を恐れてはいなかった。寧ろ楽しんでいたと言える。

 ……然し乍ら彼等は「鏡」を恐れている。己を見る事を恐れているのかもしれないし、反転してしまった世界、というものを恐れているのかもしれない。

 何処までも、正直で、嘘つきな彼等は、その恐れを隠して、未知に踏み出した――のだが。

 

「本当に……金でどうにかなっちまうんだな」

「未だタチの悪い冗談であってくれと私は願っているよ」

『利点且つ欠点だな、それは。

一概に悪いとも言えず、然れど良いとも言えず』

 

 街のカフェでアイラと対面で座りながら愚痴る。

 個人的に驚いたのは「一見さんお断り」という看板を立て掛けていたにも関わらず裏で金を払うと入れた所。

 何の為にその看板を掛けているのか、と問えば勿論「金の為」と答えてくれる事だろう。

 素材が揃ったのは嬉しい限りだが、こうも思った。

 『なんか、違くね?』と。

 達成感が無いのか、それとも手段的に喜べないのか。

 

「余っていた金の消費祭でしかねぇ……」

 

 カタルパは燕尾服以来、買い物という買い物を行っていない(食事等は例外として)。それ故、今回の【シュプレヒコール】の鞘の素材集めは、いい買い物である。クエストは行ってきたのに、消費を殆どしてこなかった。持ち過ぎたリルの消費にはなるが、なんと言うか、満足出来る消費の方法では無かった。

 ギャンブルでスった、というのよりも或る意味でタチが悪い。

 それでも、揃いはしたのだ、とカタルパは席を立とうとして。

 

「あ、ああ……悪い」

「構わないさ。私が遅いだけだからな」

 

 一人で考え事をしていると、どうも周りが見えない。カタルパはまだ食べ終えていないアイラを置いていこうとしてしまっていた事に気付き、詫びる。アイラももう慣れたのか、平べったい笑みを浮かべていた。

 その笑みに、少し不愉快な思いをしたモノがいた。

 

『マスター。それにブライド』

「ブライド……bride(花嫁)?」

「私か?」

『勿論。

さて、話が逸れる前に。英訳してくれ。『私達が入ってもいいですか?』』

「「……『Let us in?』

……あ」」

 

 その言葉が何を意味するかを、二人とも失念していた。

 そして。

 

『OK……And then there were none(そして、誰もいなくなった).』

 

 本の中に、二人は消えた。

 

□■□

 

『言うまで気付かなかったのは最近使用していなかったから許そう。

だが、だが、だ。

ここに来た理由が分からないようならば、許しはしない』

 

 吾子(あこ)に説教をする父親のように、正座して座る二人の前に枯れ木は佇む。

 もし彼が人であったなら、青筋が幾つ立っていた事か。

 そう、明確に。今のネクロ……【ネクロノミコン】は怒っているのだ。ケタケタと笑いもせずに。

 トリガーはアイラの笑顔だろう、二人は視線を交わす。問題は、どうしてそれ如きで(、、、、、)怒ったのか、だ。

 そればかりは二人には分からなかった。

 それは彼等における日常であり、平常であり、通常なのだから。――なってしまったのだから。

 だから、日常に口出しされる事を、彼等は意外だ、としか思わなかった。他所は他所、家は家。そんな理論があるからこそ、そうした『日常』は自由なのでは、というのが彼等二人の持論である。

 実際、アイラが遅い理由にはアイラの食癖が関わっているのもあるが、性差もある訳で。

 ふむ、確かに。『日常』という枠組みを外してみれば、おかしいのかもしれない。それでも、そこまで怒る事だろうか?カタルパはつい首を傾げてしまう。

 

『マスター。『日常』とは緩い洗脳であり、優しい毒だ。

気付かぬ間にそれのせいで死に至る。

淑女が食べ終わる事すら待てないのか、執事のような格好でありながら、少女一人待てないのか』

「い、いや…………」

 

 枯れ木が揺れる。怒涛の如くその怒りを散らすネクロに、カタルパはあからさまに焦っている。

次いで枯れ木はその正面を「少女」に向けた。

 

『貴公も貴公だブライド!

少しばかり我儘を言ったらどうだ?待ってくれの一言も言えんのか?

まさかとは思うが烏滸がましいなどと思っていないだろうな』

「そ、そんな事は……」

 

 後ろの方は内緒話のように小さくなり、遂には聞こえなくなる。それでは否定出来ていないのは明白。

 枯れ木はその身を更に揺らし、怒りを発露する。

 

『貴公等は!

我より人でありながら!

我より人を愚弄するか!

冒涜か?……否、最早それは冒涜ですら無いぞ?

どうして『自由』があるのに!

そうして前に進む足と、そうして前を見据える眼と、そうして掴み取る為の腕を持ちながら!

それ等を怠るとは何だ!

ブライドが心を読まないのは何故だ、マスター!』

「……それ、は……」

『ならばブライド!

何故マスターはこうして前を向けているのか、知っているか!』

「……いや……」

『あぁそうだろう、そうだろうとも!

貴公等は対面して座る。だが、座っているだけではないか!

語る事無し、笑い合う事も無し、食べさせ合う事も無し……一体何の為に向かい合っているのだ!』

「「…………」」

 

 あの日、初めてここで出会った時の、ケタケタとした笑い声は、何処からも聞こえない。

 カタルパとアイラの眼には、その笑い声と同じ声で怒鳴る、人の心を語る〈UBM〉が、映っていた。

 魔法の学習しかしない筈の〈UBM〉が、二人より人を語っていた。

 それに圧倒されながらも、二人は再び見合わせる。

 困惑の表情を浮かべる二人であったが、不思議と先程のような視線を交してはいない。

 お互いの意思を、真っ直ぐにぶつけようとする、純粋な気持ちがあるだけだった。

 それに、【ネクロノミコン】は笑った。

 

『――ケタ』

 

 小さく、嗤った。

 ――二人の祝福を、祝うかのように。

 

□■□

 

 それは別に、どちらから語り出す事は無かった。目と目が合った時に、既にこの結論は出ていたのかもしれない。

 

『……跳躍し過ぎだとは、流石に思うがな』

 

 ネクロがそう零すのも無理は無い。

 このカルディナで二人が最後に買ったものは、婚約指輪(エンゲージリング)だったのだから。

 確か、とネクロは想起する。流石に調べずに分かるものは自身に記載されていなくても分かる。

 プレイヤー、地球から来た〈マスター〉の中で、〈ティアン〉と結婚した者がいる、らしい。後の【剣王】然り。

 だが、これは初ではなかろうか、とネクロは思考する。

 魔法の学習しかしない筈の〈UBM〉が、思考する。

 無から人を生み出す、錬金術ですら出来ない事を仕出かす『人間(魔法)』の学習をする〈UBM〉が、思考する。

 噫、面白くなりそうだ、と。

 

『取り敢えずは、おめでとう。正直に向かい合えとは言ったが、互いに愛の告白をするとは思わなんだ』

「うっせー。それに、さ。俺はアイラのお陰で変われたんだ。命の恩人ってポジションでもいいくらいだぜ」

「そんな立場には立てないよ、カーター。言っただろう?

正義の味方の、隣に居られれば充分だ」

『……ご馳走様でした』

 

 なんだ、甘い。ネクロは何かを噛み潰す。口は無いし、味覚も無い。それでも、その甘さは何処からか広がってきて、そしてそれでいて、何一つ不快に思わせるものが無かった。

 

 【カタルパ・ガーデン】と【絶対裁姫 アストライア】。

 馬鹿げた話ではあるものの、世界で(恐らく)、初の〈マスター〉とその〈エンブリオ〉からなる、夫婦の誕生である。

 

「まぁまずは帰って刀の整備でも」

「その後は同じものでも食べようか」

『……噫』

 

 そういう幸せな話の前に、ヤバい人(ミル鍵)とかおかしい人(アルカ・トレス)とかの問題はどうするのだろう、と。

 【ネクロノミコン】はそっと、ため息をついた。



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資料集 その一

( ✕✝︎)「「アイラの事が 好きだ」と俺が 言ったから 四月十九日は アイラ記念日」
( °壺°)「……取り敢えず俵さんに謝ってこようか」
( °壺°)「今回は設定集とは微妙に違う、資料集になります。名前の由来に絞ったので、そういう意味では設定集でもありますが」
( °壺°)「誤字とかあったらすみません」


カタルパ・ガーデン/庭原 梓

 原作の椋鳥姉弟が心·技·体の三位一体ならば、と対抗するように造られた智・武・勇(智力・武力・勇気)という異色の三位一体(キングダムセブンフラッ○スは全く関係無いです)。その内の「智」、智力担当が梓である。

 「梓」は印刷関係の用語に深く関わっていて、そこからの連想で本→知識→智力となった。

 智・武・勇のコンセプトよりもこちらが早いという謎。普通逆じゃね?なんてツッコミは知らない。

 最近はその智力を活かしている機会が少ない。

 

【絶対裁姫 アストライア】

TYPEはメイデンwithアームズ。

 ギリシャ神話の正義の女神、アストライアから。正義の女神で天秤の女神、かつ乙女座の伝承に則っている。

 このエンブリオにした理由は、誰よりも正義であろうとする在り方にして生き方が噛み合っていた為。

 カタルパに付けられた愛称、「アイラ」は、I LOVE YOUから来ている。よくある当て字で「愛羅武勇」が存在し、梓が智力担当の為「武・勇」を持たない事から「愛羅」だけが残り、「アイラ」という名前になった。

 実際、いつこの二人くっつけようか、というのは初めから考えてはいました。……それなのに設定集の時にラブコメさせないとか言ってましたがねぇ。

 強者打破(ジャイアントキリング)については、未だ伏せさせて頂きます。

 

 ステータス補正。

 HP補正:G

 MP補正:G

 SP補正:G

 STR補正:E

 AGI補正:D

 END補正:F

 DEX補正:F

 LUC補正:G

 

 装備補正。

 STR:40

 AGI:14

 

【霧中手甲 ミスティック】

 【五里霧虫 ミスティック】のMVP特典。ディスティ○ーガンダムの腕のような形状で、左手の甲のみ空いている。

 装備補正、END:30、DEX:25

 保有スキル:《霧生成》

 

【共鳴怨刀 シュプレヒコール】

 【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】のMVP特典。鞘も柄も存在しない、抜き身の刀。

 ステータス補正、STR:20

 保有スキル:《音信共鳴(ハウリング)

 

【幻想魔導書 ネクロノミコン】

 【虚構魔導 ネクロノミコン】のMVP特典。魔法の学習という能力を持つ、黒い表紙の魔導書。

 ステータス補正無し。

 保有スキル:《魔法学習》

 

【片眼魔鏡 ガタノトーア】

 【死屍類涙 ガタノトーア】のMVP特典。左目に付ける片眼鏡。

 ステータス補正、DEX:10

 保有スキル:《視力強化(スコープ)》、《■■■■》

 

ミル鍵/天羽 叶多

 智・武・勇のコンセプトの武力担当。本名の由来は「あかさたな」から。超適当。「もう」についてはプレイヤーネーム「ミル鍵」が「ミルキー」と読め、「牛かな?」と思ったから。

 

【上半怪異 テケテケ】

 TYPEはウェポン。北海道室蘭を発祥とする「テケテケ」の伝承から。

 このエンブリオにした理由は下半身を失っても尚生き続けようとする執念深さが見事にベストマッチしていた為。

 実際、テケテケは怪異では無いらしく、伝承の限りではまだ生きていたらしい(無論、その後死亡したそうだが)。

 

 ステータス補正。

 HP補正:G

 MP補正:G

 SP補正:G

 STR補正:C

 AGI補正:E

 END補正:G

 DEX補正:G

 LUC補正:G

 

 装備補正。

 STR:40

 AGI:30

 

アルカ・トレス/カデナ・パルメール

 智・武・勇のコンセプトの勇気担当。本名は鎖のスペイン語「カデナ」と、実在する苗字「パルメ」の(誤)変換。

 プレイヤーネームについては以前語った通り。

 勇気があると言うより、恐れない、というだけ。退かないから進むしかないだけ。

 勇気と言えない勇気の持ち主。その究極系にして終着点。ハイブリッドにしてハイエンド。エンブリオではなくプレイヤーがそうなのは、おかしな話だが。

 

【平生宝樹 イグドラシル】

 TYPEはテリトリー。北欧神話に出てくる九つの世界を内包する木、イグドラシル(またはユグドラシル)から。

 このエンブリオにした理由は世界が変わっても変わらないモノを持っている為。カデナの場合は自己である。

 木々を操る能力、及び味方強化(バフ)敵弱体化(デバフ)は本来の【イグドラシル】の能力の一端でしか無く、まだまだ伸び代が存在する。

 

 ステータス補正。

 HP補正:F

 MP補正:F

 SP補正:E

 STR補正:F

 AGI補正:G

 END補正:D

 DEX補正:E

 LUC補正:F

 

 装備補正。

 END:40

 DEX:10

 

【直光義眼 ゲイザー】

 【直光魔眼 ゲイザー】のMVP特典。義眼。

 ステータス補正無し。

 保有スキル:《看破》、《ピアッシング・レイ》




( °壺°)「と、まぁ。伏線を張っていくスタイルな訳で」
( ✕✝︎)「あなたが生まれなければ、この世に生まれなかったものがある」
( ✕✝︎)「きっとその伏線にも、この物語にも、意味がある……筈さ」
( °壺°)「そこはハッキリ言って欲しかった。アミューズメン○メディア総合学院のネタを使うなら、尚更」


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第三十七話

■カタルパ・ガーデン

 

 誰かの幸せを、願っていた気がする。

 けれどそれはもう、過去の出来事なのだ。今は、今となっては、違うものになってしまった。

 

 そうやって誰かに手を差し伸べるのは、自分が幸せになってからにしよう。

 

 そう思ったから、すり変わっていた。

 そう思ったから、今は幸せだ。

 こんな自分でも、幸せなんだ。そうなれたんだ。成れたから、その内それに慣れて、馴れて、成れの果てに成り果てる。

 それが、自分にはお似合いだ。そしてまたそれを、悲しいとも、虚しいとも思わない。寧ろそれに、安堵する。

 もうこの道を、一人で歩く事は無いのだから。

 

□■□

 

 何処が好きなのかと聞かれたら、どう答えたものか。悩みに悩んで、「全部」などと答えてしまいかねない。

 特筆するなら、「笑顔が可愛いところ」とか、「健気なところ」とか答えそうだ。

 惚気話に聞こえるかもしれない。実際そうなんだろうけど。

 けれど真剣に考えてこれなんだ。仕方ない。

 嫌いなところを一つ挙げるより早く、好きなところを十挙げる方が早い自信がある。

 目を瞑れば必ずと言っていい程にアイラの姿が浮かぶ。

 

「……幸せだな」

「……死んだら?(キル)してあげよっか?」

「なんでだよ」

 

 ……そう言えば、まだミルキーに説明している途中だった。

 俺は【霧中手甲】の装備を解除して、左薬指を露わにする。それに対してミルキーはあからさまに嫌そうな面をして来たが、敢えて無視する。

 そろそろ限界だろうけど、暫く付き合わせよう。……我ながら最低だな、とは思ったが、別にミルキーも俺が好きな訳じゃないから、恋バナに付き合わせる、程度だろう。

 己がエンブリオを嫁にするという偏愛(じゅんあい)は、どうやらミルキーには理解出来ないらしい。

 どことなく、「それじゃない」感は否めないが。

 

「あー、それで、鞘って出来たのか?」

「話題転換下手ね。

それと。そんなに早く出来る訳ないじゃん。

装備作成には時間がかかるものなのよ、戦国アス○零みたいに」

「かからないやつもあった気がすんだけどなぁ……」

 

 しかし、それを選んだかミルキーよ。ちょいとマイナーな気がするんだが……まぁいいか。

 時間を聞くとあと7時間程だと言う。現実だと2時間ちょいか。ログアウトしてしまってもいいんだが、今はアイラとの時間を大切にしたいな。

 そう考えたところでミルキーがタイミングよくしかめっ面をした。

 エスパーなのか、それとも俺が分かりやすいだけなのか……果たして。

 まぁ、俺にはきっと関係ない。そう、思う。

 

□■□

 

 さて、アイラは現在何処に居るのだろうか。

 先程までミルキーの居た鍛冶屋にいたものの、その際アイラは鍛冶屋にも、勿論俺の紋章の中にも居なかった。

 その為、現在何処に居るのか分からない。1度ログアウトして即座に再ログインすれば俺の隣に現れる事だろうが、それは違う気がする(、、、、、、)

 何が違うのかは分からないが、直感のようなものだろう、きっと。

 だから、何も知らないまま街を歩くしか無い。

 ネクロに助言を乞おうとしたが、何も答えてくれない。

 いや、答えようとしていない、が正解か。

 

『正直に答える必要も、正当を述べる必要も、どこにも無い。そうだろう?マスター』

「そうかもしれないが……このまま会えないのは……」

『成程?マスターらしい理由だ。

だが我は答えない。我が答えるまでもなく、答えは存在しているからだ。

いや、少し語弊があるな。教える教えない以前に、貴公は答えを識っている。だから教える意味が無い』

 

 ……ネクロは何を言っているんだ。

 少し、彼の言葉に則り考えてみよう。

 此処はアルテア。俺が知っている場所は王城に街のクリスタル、カフェテラスに先の鍛冶屋。後は〈墓標迷宮〉ぐらいだな。

 選択肢から虱潰しにしていく必要がある訳だが、些か面倒だな。それを可能にしてしまうAGIを所持しているのが我ながら誇らしく、憎たらしいが。

 では先ずは、街のクリスタルに行ってみよう。

 王城は、最後で。

 

『未だ【大賢者】が恐ろしいか、マスター』

「そりゃあな。俺にだって怖いものはあるっての」

『カタルパ特攻、【大賢者】』

「シャレにならんなぁ」

 

 街のクリスタルは見晴らしがいい所にあるので(ってか、全部態とらしく見晴らしがいいよなぁ)、直ぐにアイラが居ない事が分かった。問題はここ以外の何処に居るのかである。

 一人で迷宮に居るとは考えづらい。……以前一人でこっそり篭っていたらしく、それ故に今《紋章偽装》を持っているが……まぁ、それは関係ないか。

 仮に紋章があろうと、俺がアイラを見間違う筈が無いしな。

 

「次は……消去法的にカフェテラスか」

『あぁ、以前三人で集まったりしていた場所か』

「アイラもちゃんと入れろよ。四人、だからな」

『了解した、マスター』

 

 クリスタルからはそう遠くないので、直ぐに着いた。店にちょっと入ってアイラが居るかどうかを聞くだけの簡単な作業な為、これまた直ぐに居ない事が判明。

 ……残ってしまった。行きたくない場所第一位に、行かなければならなくなってしまった。

 アイラには会いたいが、【大賢者】には逢いたくない。

 この葛藤は、誰が理解してくれるのだろう。

 

『解答などないっ…!』

「黙れっ…!さえずるな…!大物ぶるな…!」

 

 お前とのやりとり楽しすぎる……暇潰しとしては最適解じゃないかな、ネクロとの会話。

 ……ホント、救いの無い人生だったから、こういう所でしか希望を見い出せなくなっちまってる……。ひどい…!ひどすぎるっ…!

 嘆こうと足掻きで。歩いていれば着いてしまう訳で。

 

「俺達は、また何度も間違え始めるんだな」

『我も纏めて一括りにするな、マスター。虫唾が走る』

「意外と辛辣だな、その一言」

 

 ネタが欠けらも無い分、尚更。

 ここはアレだ、ネクロじゃなく腹を括って、【大賢者】に遭わない事に賭けるしかない。

 勝率は低い。何せあの【大賢者】だからな。俺が王城に入った瞬間「ようこそ!」と歓迎して来かねない。来んな。

 それでも、やるしかない!

 

「『倍プッシュだ…!』」

 

 勝てばいいのだからな!

 王城の脅威はハッキリ言って【大賢者】以外に無い。俺が王城に入る事を不審がる人間は居なくなったし(機嫌を損ねる人はいる)、俺が向かう先なんてあの部屋しか無い。

 俺のプレイ時間の内、半分以上居たであろうあの部屋。

 

「よ、アイラ」

「来ると思っていたよ、カーター」

 

 文字が散々書き連ねられた紙が散乱し、折れたペンが転がる部屋。

 通称『計算部屋』。たった今名付けた。

 本当に、なんでだろう。散乱した白黒の紙の上に立つだけで、どうしてああも目の前に居る白い少女が目立つのだろう。どうしてここまで映えるのだろう。

 

 どうしてこんなにも、美しいと思ってしまうのだろう。

 

 愛だったか、恋だったか、は人を盲目にする、とはよく言ったものだが、今ならそれも信じられる気がする。

 だって俺はこんなにも、アイラに夢中なんだから。

 いや、少し違うかもしれない。こんなにも、アイラを見ていて――こんなにも、アイラを愛しているのだから。

 

「あー……やっぱ尊い。待って、ちょっと待ってて。死にそう」

「……何故……」

『…………甘い』

 

 ちょっと黙ってろネクロ。

 もう、なんでだろうな。好きだと気付けたからなのか、もう何もかも好きになっちまう。

 

「私は残念ながらアームズのエンブリオ。君にペンだこを作らせるよりも、至る所を傷だらけにしてしまうかもしれない」

「そりゃ、もうなってるっての」

「それでも、君は私が好きなのかな、主人(マスター)

「戦いは……嫌いじゃ、なくなったよ。

んでもってアイラの事は……初めっから大好きだ」

「っ……もう一回、言ってくれないか?」

「俺は……アイラを…………だぁっ!恥ずい!恥ずくて言えねぇ!」

「……むぅ」

『……ヘタレめ』

 

 本当に黙ってろネクロ。何ページか纏めてホッチキスで留めるぞ。

 もう、ダメだ。羞恥で死ねる。恥ずかしくてデスペナとか一生の笑いものだぜ?あー、あーヤバい。いや別にさ、欲情とか、そういうのでは無いんだぜ?けどさ、何だろうな、愛しているってのは理解出来るって言うかさ。分かれ。もう説明すんのも恥ずかしい。

 

「まぁ、そんなカーターが、私は好きだよ」

「……ちょっと煩悩祓いに迷宮行ってくる」

『……ヘタレ迷走』

 

 矢張り、ネクロは黙るべきだ、と最後まで思った。

 

□■□

 

 そこに、俺は居なかった。

 そこに居たのは【大賢者】と■■■■■。

 二人とも笑っていて、俺がその二人に気付いていたら恥ずかしくて死んでいただろう。

 

「……笑ってはいけませんよ?」

「笑わないですよ。微笑ましいじゃないですか」

「そうですね」

 

 その会話は永久に、俺に届く事は無い。

 だからそんな会話に、気が付かないまま。

 俺はいつまでも、この幸せを守り抜いていく。




( °壺°)「(ッカーンッ!)甘ーいっ!」
( ✕✝︎)「やべぇ恥ずい」
( °壺°)「ちゃんとこれから、彼は正義の味方です。正義の女神の、味方なのですから」
( °壺°)「『其は正義(いつわり)を手放し偽悪(まこと)を掴む』ようになってくれそうです」
( ✕✝︎)「……ん?ちょっと?」
( °壺°)「ではではまた次回ー」


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第三十八話

 人間は(すべ)て、救われないのではなく、『救われたいと思っていない』。

 救われない、悲劇のヒロインを『演じていたい』だけ。

 そこから救い出す、王子様を夢見ているだけ。

 そんな乙女チックな願望を、実際誰もが抱いている。

 誰もが何かを演じて、誰もが何かを夢見ている。

 ここで重要なのは、救われないのであって報われない訳では無いという点だろう。

 報われる、という単語は「努力は必ず報われる」等と言ったもので聞いた事がある筈だ。「一矢報いる」等でも構わない。

 報われる、という事は何かしら行動を起こしている、という事だ。努力するのであれ、一矢報いようとするのであれ。行動しなければ、それらは上部だけのモノに成り果てる。行動しないならば、「そうしたい」と願うだけなのだ。それでは叶わない。それでは適わない。そんなものでは敵わない。

 そうしない為に、彼等彼女等は行動するのだ。それが無駄な足掻きだろうと、それが蛮勇が元のモノだろうと。そうであろうと――何もしないよりは、賢明な判断だと思われる。

 チェスや将棋で一手も打たないも同義。

 双六で賽を振らないのと同義。

 そんな事よりは、最悪の一手だろうと、振り出しに戻ろうと、行動すべきだろう。

 庭原 梓――カタルパ・ガーデンは、それらを全て理解した上で、偶然か必然か、悪手を打たず今日(こんにち)までのうのうと生きている。

 救われたいと思わなかったから。報われたいと思ったから。願うだけ、祈るだけの人生を見て(、、)、意味を見出さなかったから。

 罪の上に成り立った自身に、意味を見出さなければならないと、使命感を抱いているから。

 

 ――――こんな自分に、危機感を抱いているから、カタルパは――――

 

□■□

 

「なぁ、アイラ。この世界がチェスだとしたら、俺の立ち位置は、何処だと思う?」

 

 ある日カタルパは、本当に突然そう言った。

 【ネクロノミコン】の頁を捲る手を止め、アイラ――【絶対裁姫 アストライア】は、『計算部屋』にてカタルパと視線を交わした。

 時々、と言うかいつも、と言うか、彼は例え話やら夢の中やら、現実ではない事に関して、よくチェスを引き出している気がする。

 それ故に、その例えは或る意味で「カタルパらしい」。

 

「チェス……なら、矢張りキングでは?」

「残念。それに、それだと俺はアイラをクイーンにしちまいそうだ」

 

 外されている【霧中手甲】から、婚約指輪(エンゲージリング)が陽光を反射する。

 アイラは今一度考え直し、どれなら当て嵌るかを、推理する。

 

「私を守る、という意味でナイト」

「不正解」

「智力を以て場を制するビショップ」

「違うな」

「盾となり矛となる、王の懐刀、ルークか?」

「勿論違う」

「……ポーン?」

「いいや?」

「え……まさかクイーンなのか?」

 

 消去法でそれしか残っておらず、アイラは驚愕の表情で問いかけ――

 

「違う」

 

 その表情を、一段階、引き上げた。

 上記の駒以外に駒は無いはずだ。

 アイラと、諦観していた筈のネクロは答えを聞こうとズズイッとカタルパに近寄る。

 少し逡巡してから、特に重々しくもなく、ニヘラッと笑ってカタルパは答えた。

 

「正解は、指し手(プレイヤー)

「『……イラッ』」

 

 そう言われればそうか、と納得出来てしまう自分がいるのが尚更イラッとくる。

 

 だが、それは……彼一人では、何も出来ない事を示唆している。

 

 チェスのプレイヤーである為には、対戦相手が居なければいけないのだから。

 それは別に、アイラを対戦相手にしようとしている訳ではないだろう。

 一歩も動かない、唯一の『駒』。

 チェスで勝つ為に必要な、7種目の『駒』。

 それでいて、他の6種が無ければ、『何も出来ない駒』。

 それを、果たして彼は意図的に言ったのだろうか。

 仮に無意識で言っているのであれば……皮肉もいいところだ。

 

『まぁ、どちらであっても、マスターらしくはある』

「どちらでなくとも、カーターらしくはある」

 

 二人は妙に納得した顔で、カタルパを見直した。

 そこまで考えていなかったカタルパは、それに少し、歯痒い思いをするのだった。

 

□■□

 

 時を同じくしながら別の場所にて、アルカ・トレスは一人、アルテアの街を練り歩いていた。

 何の目的も無く、ふらついていた。

 目的を探すでも無く、何かしらの考えがある訳でも無く、放浪していた。

 その一歩に迷いはない。

 その一歩に恐れはない。

 止まること無く、義眼だけがギョロリと動く。

 片目だけが正面を向き、義眼がカメレオンの如くギョロギョロ蠢く。

 その義眼が目を止めたのは、木。

 【イグドラシル】の操作対象でもある、何処にでも生えているような木々であった。

 アルカ・トレスは無意識で歩いていたが、【ゲイザー】は違った。

 アルカに空間把握能力は無い。加えて記憶力も良いとは言えない。

 そういう事は、そういう事に長けたモノに任せればいい。

 最低限、アルカはそう思っている。寄り添う事を、寄り掛かる事を悪だとは思っていない。

 だから【ゲイザー】に頼る事を、頼りきる事を、悪いとは微塵も思っていない。

 更に付け加えるなら、ギョロギョロと動くその目の気味悪さについても、特に何も思っていない。だから周りからどれ程薄気味悪がられたとしても、何も思ってはいないのだ。

 暫く歩いて、アルカはふと立ち止まった。

 それは、街を見終えたからではない。

 

 木々が――風も無いのに揺らいだ為だ。

 

 言い表せぬ気配を感じたのだろうか、木々が揺らいだのだ。

 だが、〈UBM〉とか、PKとか、そういうただのヤバい奴と判断出来るものに対して揺らいだのではない。

 ただのプレイヤーだ。そのプレイヤーの気配を感じて、木々は揺れたのだ。

 

 恐怖で、揺れたのだ。

 

 では、ソレは何なのだろうか?

 ただのプレイヤーでありながら、オブジェクトに恐怖を与えるモノとは、何なのだろうか?

 

「やだなぁ、そんなに恐れないで下さいよ。

私はただの弱小プレイヤー。貴方にすら敵わないクソザコナメクジ様なので、あまり警戒しないで欲しいです、ね」

 

 立っていたのは……一言では形容出来ない、誰かだった。

 クソザコナメクジと自虐しておきながら、その呼び方に「様」を付ける辺り、自虐するつもりが無いらしい。

 アルカは両の目をそちらに向けて、《看破》を使用する。

 

「……【セムロフ・クコーレフス】?」

「はい、そんな名前でやらせてもらってます、よ」

 

 読み方はそうであったが、スペルで『Semloh・Kcolrehs』書かれていた為、逆さに読むと『Sherlock・Holmes』……シャーロック・ホームズなのは明白であった。

 知りたくもない元ネタを知ったところで、アルカは改めてセムロフを見る。

 元ネタ(ホームズ)とは違い、身長はそう高くなく、鼻も高くない。だが、性別はそこからだと判断出来ない。

 探偵服はよく似合っているとは思ったが、寧ろ態と似せているように見えた。

 探偵服が似合うようにカスタマイズされたような、そんな姿だった。

 パイプでも咥えれば、正しく、といったかのような或る意味理想的な探偵。

 だからこそ、胡散臭い。

 平たいどころか笑みすら浮かべず、感情の無い顔で、アルカは前を見る。

 職業は【探偵】、そして【詐欺師】。

 何ともまぁミスマッチという名のベストマッチを出してしまったものだ。

 歪だと言うのに、おかしいと思うのに、それは見事に完成している。

 それもまた、気味悪いものではあったが。

 気味悪い視線の動きをしていた者と、気味悪いキャラメイクの者が、今こうして対峙している訳だが……アルカにとって偶然であろうこれは、相手方、セムロフからすれば必然以外の何物でもなかった。

 ここまで来ればもうお分かりだろう。

 

「私は現実でもゲームでも探偵をやっております。

……庭原 梓さんについて、何かお話し頂ける事は、ありませんか?」

 

 このセムロフというプレイヤーが、狩谷 松斎である事など。

 そんな事を、欠片も知らないアルカは。

 

「面倒くさそうなものに巻き込まれたなぁ……」

 

 単純に嘆き、諍いの種を撒いた。

 そこには何も、比喩は無かった。

 

「《全森全霊(エクストラステージ)》」

 

 序に言えば、躊躇と呼べるものすら、無かった。

 刹那、再び風も無いのに木々が揺らいだ。




( ✕✝︎)「てめぇかぁっ!!」
( ✕✝︎)「ベストマッチすんならUSBとやってろ探偵!」
( °壺°)「やめたらネタに走るの……」


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第三十九話

( °壺°)「ヤバいポカをやらかしていたので直しました。すみませんでした」


 【平生宝樹 イグドラシル】の能力を、完全に把握していた者は、世界広しと言えどハンプティ・ダンプティくらいのものだろう。

 つまり、アルカ・トレスは、知らなかったのだ。

 “万死の化身”以外知らなかった能力。であれば、現在知られている味方強化(バフ)敵弱体化(デバフ)は、【平生宝樹 イグドラシル】の能力でありながら、そうではない、という事になる。

 それが結論付ける事は――

 

□■□

 

 上記の理論が過去形で語られているならば、現在。【平生宝樹 イグドラシル】の真の能力を知る者はハンプティ・ダンプティだけではないという事だ。

 然すれば、誰が……等と、愚問を抱く者は流石に居るまい。

 

 【イグドラシル】はテリトリー系列のエンブリオ。TYPE:ルールで無い限り、その権能の効果は広範囲に及ぶ。

 【イグドラシル】は領域内の植物オブジェクトを我がものにし、それを強化させたり、領域内の敵を弱体化させたりする事が出来る。

 

 ――本当に、それだけなのだろうか?

 

 アルカはある日、そう思った。

 自分から言うことではないかもしれないが、アルカはこれと言って、自然というものを意識した事は無い。大切にしようとも、破壊しようとも、思った事は無い。

 だのに、何故か植物を操るエンブリオを有している。

 己の写し身と騙られるエンブリオがそう(、、)なのであれば、己はそう(、、)なのだろうか。

 その自問に、首を横に振る事で自答した。

 なにせあまりにも、似ていないから。

 非生物(厳密には違うとしても)を大切にする、なんて思想はアルカ、そしてカデナには存在しない。

 それでも【イグドラシル】は植物を我がものとする。味方とする。

 なら、その正答は?

 その、答えは――

 

□■□

 

「その答えは、人間範疇生物と、非人間範疇生物で無く、非生命でもないモノと、共に戦う事」

 

 人間範疇生物(ティアンやマスター)でも無く、非人間範疇生物(モンスター)でも無い、然れど生物ではあるモノと、共闘する能力。

 奴隷という、人権を剥奪された身でありながらも人間であり続けた、カデナらしいエンブリオ。

 それこそが、【平生宝樹 イグドラシル】。

 自分の同類と共闘する能力だった、と言う訳だが……その線引きは曖昧である。

 例えばペットと共闘出来るのか、という点だが、そこは出来ない。

 制約か何かで、植物に限定されているようだ。

 ともあれ、それは共闘。であればそれらは仲間、味方である。

 だからこそ味方強化(バフ)で強化出来るのだ。

 生物では無いが、生命ではあるモノを支配する権能。五界に於ける植物界の頂点に君臨するであろう権能。

 それが【平生宝樹 イグドラシル】の能力特性、《支配権能(コントローラー)》。

 支配領域内は【イグドラシル】の言わば「領地」であり、その支配下にある国民(植物)の幸福を第一とし、外より来る外敵に対して殲滅戦を行う。

 【イグドラシル】の発動と共に、そこは元々戦場であるにも関わらず、新たなる戦場と化すのだ。

 珍妙な能力である。誰もがそう思い、無論アルカもそのように感じた。だがそれ以上に、良かった(、、、、)と。そう、感じた。

 

 彼は、心の奥底で、不安を感じていた。

 自分に比べて、カタルパ・ガーデンというプレイヤーは強すぎる。

 非戦闘職である事を差し引いても、それでも。

 アルカが【司教】である事を差し引いても、それでも。

 

 アレ()はどの世界に於いても埒外で、場違いで、究極的に規格外のモノだった。

 

 残念ながらと言うか、なんと言うか。カデナ・パルメールは、ソレに憧れている。近付こうとしていて、並ぼうとしている。正義の味方の隣に立とうとしている。

 夢を見るのは自由ではあるのだが、その夢は些か、他者から見れば歪んでいた。

 幼心に見るような夢は、彼には無かったが故に。

 成熟した精神で、マトモな判断で、カデナ・パルメールは庭原 梓に追い付こうとしていた。

 或いは彼は、もう気付いているのかもしれない。己の夢が歪んでいる事に。普通、平常――平生とはかけ離れている事に。だがそれでも、恐らく止まらないだろう。止まらなかったから、今尚彼はこの夢を掲げるのだから。

 この世界のカタルパは強過ぎたが――あまりにも、「正義の味方」として生きるには、楽すぎる強さを持っていたが――アルカに、そんな強さは無かった、かに思えた。

 此度【イグドラシル】が力を解放した事により、アルカは強くなった。

 それにより、追い付けるかもしれない、という希望が生じた。

 

 それが禍々しいモノだという事に、彼自身はどれ程勘づいているのだろうか――

 

「……おかしな能力だ。そしてそれをエンブリオとして使う貴方は、れっきとした狂人じゃないです、か」

 

 少なくとも眼前に立つ気味悪い【探偵】は、勘づいていた。

 

 因みに【探偵】……セムロフのエンブリオは【真理解答 マジックミラー】という。

 片面が鏡で片面からは向こうが見えるという、あのマジックミラー……ではない。

 かの「白雪姫(Snow White)」で王妃が「鏡よ鏡」から始まるあのセリフを言った、あの鏡である。

 手鏡の形状をしており、戦闘に関する補正は特に無い。また、【探偵】と【詐欺師】も非戦闘職であり、更にセムロフに戦闘用の装備は無い。

 つまりこのまま戦闘へと移行した場合、確実にデスペナになる。

 装備を持たないのは、【探偵】としてあまり武器を持ちたくないという心理と、戦闘になった際にステータス的に負けるしかないという事から。それと、探偵業の為に武器を持っていると警戒されるという点も含める事が出来よう。

 様々な理由から、セムロフは無防備であり、またアルカは臨戦態勢である。

 

「あの、戦う気は無いんですが……?」

「いや、アズールに近寄る悪い虫は払う、とかミルキーなら言いそうだし。実際僕もそうするし。

アズールの事を教える権利も義務も、義理もありゃしないし、ね。

だから、君が真実を知るより早く――!」

 

 《全森全霊》が発動し、辺り一帯の樹木が龍にでもなったかのようにうねり、枝先がセムロフを捉えた。

 決め台詞のように吐かれたセリフに対し無論、セムロフはそうなるしかないだろう。

 

 ――そうなる事しか、出来ない筈だっただろう。

 

「《壁にかかった(マジック)――」

 

 ――相手が、本当にただの【探偵】で、【詐欺師】であるならば、に限った話だが。

 

「――魔法の鏡(ミラー)》!」

 

 《全森全霊》による植物の猛攻が始まるその刹那の内に、この戦闘に於いて完全敗北しておきながら、セムロフ・クコーレフスは、確かに、微かな勝利を、掴んだ。




《全森全霊》
 【平生宝樹 イグドラシル】の第4スキル。
 範囲内の(かなり纏めて)植物界に在る物体を操るスキル。
 種や根でも残っていればそこから成体を生み出すなど、幅広く、強力なスキル。
 性質上不毛の地では使えず、植物の種類によって様々な点が違う為、アルカですら使いこなすのは本来不可能。
 だが現在、アルカは正常に使用可能である。


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第四十話

( °壺°)「今日はこどもの日!」
( °壺°)「なら、或る子供の話をしましょうか」
( ✕✝︎)「このタイミングで?しかも番外編でもなく?」
( °壺°)「そうです」


 それは或る意味で、昔話なのだろう。一昔前のような物語で、だからこそ「昔」の物語なのだろう。

 なので語り始めは、あの定型句としておこう。

 むかしむかし、あるところに――

 

□■□

 

 日本から遠く離れた国に、裕福な家庭があった。

 

「お父さんお母さん、家族は苗字が同じなんじゃないの?」

 

 そこには、何事にも疑問を抱く少女が居た。その少女はいつも首を傾げる事ばかりしていて、学校の先生にも「質問ばかりしていないで、少しは自分で考えなさい」と言われていた。

 

「そうだね。でも、お前は知らなくていいのさ。名前なんて人それぞれなんだからな。お前は名前よりも、その美しい黒髪を大切にしていればいい」

 

 誤魔化すように父親は言っていたが、長い黒髪を褒められて、少女は笑顔になった。

 そう。最近は、同じ事をずっと疑問に思っている。それは、少女の父親、そして母親の苗字が、彼女の苗字と違う、という事。母親と父親の苗字も違うのだが、自分の苗字はそのどちらでもない、云わば第三の苗字なのだ。

 夫婦別姓、というのは聞いた事があるからまだ分かる。だが子供と違う、というのはどういう事なのだろうか。分からない。

 少女の家はとても裕福で、よく学校のクラスメイト(友達ではない)から「きっとヤベぇ事してんだぜ、お前のとーちゃんかーちゃん!」などと言われていた。それを鵜呑みにするつもりは無いが、もしかしたら、と頭の片隅にはソレが存在していた。幼い少女の心に、当たり前のように。

 「ヤベぇ事」の結果、自分が居るのではなかろうかという、理論が。

 少女の居た家庭は裕福であった。それは先程言った通りだ。家は広く、近侍も居て、庭も噴水があったり植物園があったりと文句はない。

 

 だが、それなのに、とても寂しかった。

 

 近侍も大人ばかりで、少女――つまり子供――が持つ無邪気さ、というものに、いつも振り回されていてばかりだ。同調して遊べるような人間は、その家には一人も居なかった。

 裕福でありながら、近侍も居ながら、少女は何処か、孤独であった。

 それでいて、学校でも孤独であろうとするのだから救えなかった。学校にいる人間(こども)は、自分の周りに居た人間(おとな)に比べて、馬鹿や阿呆にしか見えなかったからだ。

 それを、当たり前だとは認識しなかった。それを、受け入れる事は無かった。馬鹿や阿呆でもいいか、と妥協する事も無かった。

 長い黒髪は腰にまで届き、いつしかそれは他者を拒む壁のようになっていた。

 そうして彼女は、公私共に孤独で、だから彼女は一人で、真実に辿り着いてしまった。

 

□■□

 

「矢張りいつか伝えするべきでは無いでしょうか、お嬢様がこの家の者ではない、と――」

 

 その声は、いつも彼女の近侍を勤めている人間の声。

 時間は、本来彼女が眠っている筈の午前二時。

 場所は、彼女がいつも立ち寄らない筈の両親の部屋の扉の前。

 本来居るべきでは無かったが為に、本来聞く筈の無かった事を、彼女は耳にした。

 

 ナニヲイッテイルノダロウ。

 

 そう思えたなら、どれ程幸福だっただろうか。

 しかし彼女は聡く、また賢かった。大人に囲まれて育ったが故に、言われた事を素直に受け止めてしまっていた。子供ならば持っている筈の柔軟さなど、とうに置いてきていた。

 だから酷く冷静でいた。

 だから残酷な結論に、いとも容易く辿り着いた。

「きっとヤベぇ事してんだぜ、お前のとーちゃんかーちゃん!」

 そんな台詞が、今更になって反響してきた。

「質問ばかりしていないで、少しは自分で考えなさい」

 そんな台詞が、今更になって彼女の中で反芻された。

 

「お嬢様は、まだ知らないのでしょう?」

「えぇ、そうね。アレはまだ、知らないわ」

 

 氷よりは暖かく、然れど人の温もりよりは冷たい声。聞き慣れなかったが、大方母親の声だ。

 その声が、自分を「娘」や「私の子」などとは呼ばず、「アレ」と呼んだ事を、彼女の耳は都合良く聴き逃してはくれなかった。

 

「大丈夫だ。どうせ知ったところで何も出来はしない。

第一、ここ以外に居場所が無いじゃないか。あの子の背には、まだ残っているのだから」

「…………ですが」

 

 人を見てなどいないような、見下したような、それでいてとても下卑た声がした。これまた聞き慣れてはいなかったが、間違いなく父親の声だ。母親とは対称的に「あの子」と呼んでいた事を聞き逃さず、また自分の背に何かがあると仄めかした事を、聴き逃さなかった。

 そして、「ここ以外に居場所が無い」というフレーズも。耳に残る下卑た声と共に、記憶した。

 近侍が狼狽し、閉口した。それを切っ掛けに両親は嘆息し、「仕事があるんだ」「明日の準備をしなくちゃね」と夫々言い残して、咄嗟に隠れた彼女にも気付かず、その部屋を後にした。

 いや、仮に彼女と目を合わせていたとしても、彼らは何ら変わりのない対応をしていたのだろう。

 

 眠気覚ましに歩いていたら、眠気なんてものは雲散霧消してしまった。

 瞼を擦る。また瞼が重くなったからではない。視界を覆う涙を拭う為だ。

 もう、分かりたくないのに、結論は出ているのだ。証明したら後戻りなんか出来ないのに、それをしようと歩き出す。

 何かとの別れが近い事を、薄々察しながら。

 

□■□

 

 奴隷制度、というものを、恐らく彼女はその時になって初めて知った。

 歴史上の出来事としては知っていたのかもしれないが、とうの昔に廃止された制度。今こうして見る事など、普通はないだろう。

 だが、少し調べればすぐに見つかった。

 

「『ニワハラグループ』……?」

 

 親に隠れてノートPCを開くと、すぐにそれは見つかった。

 自分の背中を写真に撮って、そこに刻まれていたのと同じような模様(、、、、、、、)を探していたら、すぐに。

 その模様は、日本にある企業、『ニワハラグループ』のロゴと同じであった。

 親日家でもない両親が、態々娘にそんな一企業のロゴを焼印(、、)でいれるだろうか?心酔しているようでもないのに、いれるだろうか?

 だから、踏み入れた。

 その企業の、大き過ぎる闇に。

 

「どういう、こと……」

 

 奴隷、というワードが何度もそのページには書かれていた。

 企業が裏で人身売買をしていた事。表向きでさえ違法な物を売っていた事がある事。

 社会の最奥に潜む、最重要機密だろう情報に、彼女は触れていた。

 何故自身のいる家の、共用で使われているパスワードでここまで来れたのかは、露ほども理解してはいないけれど。いや、これですら、恐らくは理解していた。理解していて、理解していて――拒んでいたのだろう。

 そうして分かった事は、無かった。これはもう、分かっていた事を再確認しただけなのだろうから。今更理解しきっただけなのだろうから。

 世界では、最も残酷な理論が現実になる事を、再確認しただけだろう。

 

「そう、私は……人未満だったのね」

 

 自分が奴隷であった事を、人生で初めて認識した。人身売買されてここに来た事を、認識した。

 常人であれば先ずしないだろう貴重な経験だ。だが、それがプラスの経験値になる訳がない。

 目頭を抑える。このままでは、目の前の画面すら見れなくなってしまう。

「そうだね。でも、お前は知らなくていいのさ。名前なんて人それぞれなんだからな。お前は名前よりも、その美しい黒髪を大切にしていればいい」

 その父親の言葉の真意を、今漸く、理解した。

 名前に意識を持って行かせなかったのは、コレに気付かせせない為。それでも改名させなかったのは、自分達が人未満のモノを保有しているという優越感に浸りたかった為。

 自慢だった黒髪を褒めてくれたのだって、この背中の模様を少しでも隠す為。

 体を洗うのも着替えをするのも、近侍が行ってきたのも、この理論を確固たるものにする。

 近侍が嘆いたのは、その苦痛に耐えられなくなった為だと言うのも。

 

 結局。「ここ以外に居場所が無い」と言っておきながら、ここにすら、人としての(、、、、、)彼女の居場所は、無かったのだ。

 

 彼女は徹底的に調べあげた。『ニワハラグループ』への復讐なんて、これっぽっちも考えてなどいなかった。

 考え無しに、これを全て公にしなければ、自分に居場所が無いと思い込んだが故に。

 どうして自分に居場所が無いのか。どうしてそうやって奪った奴には居場所があるのか。

 子供の頃から何一つ変わっていない、何事にも疑問抱く彼女は、また一つ、一つと、醜い疑問を抱いていく。

 人身売買が発覚して、大きく報道されなかったが解決した事を知った。政府に揉み消された事を知った。

 たった一人の少年から、御曹司であった少年が発端で解決した事を知った。

 

「絶対に……絶対に……!!」

 

 嘆くその声は、近侍にすら届かない。孤独な彼女は、誰かに向けて嘆いてはいなかった。

 強いて言うのであれば、居るのであれば――神か、現実だろう。

 

「私の、居場所を……!」

 

□■□

 

 彼女に過去の記憶は無い。

 熱された鉄を背に押し付けられた記憶など存在しない。

 薄汚れたボロ衣を着ていた記憶など存在しない。

 だが確かに彼女は奴隷だったのだ。

 人身売買の果てにあの家に辿り着いたとしても、裕福な家庭で暮らして過去を忘れたのだとしても、その過去は変容しない。

 そしてまた、その全てを、彼女は不信に思わなかった。

 有り得ない筈の前提事象(、、、、、、、、、、、)を、受け入れていた。

 

□■□

 

 そんな彼女は、ある日出会った。

 大学生の時だった。

 そこは自身の住んでいた家からは遠く離れていて、また何度も見た国名の場所だった。「世界を見たい」と形だけの両親に懇願して来た大学で、見れば我を忘れて暴れ狂うような名前の人間に、出会った。

 

 解決者。歴史の闇を屠った者。政府を敵に回した筈なのに、未だのうのうと、飄々と生き続けている者。居場所を奪った身でありながら、居場所があり、そこに立ち続けている者。

 

 ニワハラ アズサに、出逢ったのだ。




( °壺°)「少女から彼女へ……一体誰なんだろう」
( ✕✝︎)「かつてこのまでヌルい推理ゲームがあっただろうか、いやない。あるわけない」


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第四十一話

( °壺°)「分かりきっているとは思いますが」
( °壺°)「このお話は狩谷 松斎の物語で御座います」


 当然のように、そこに居た。

 ここに至るまでに、血反吐を吐いた覚えがある。

 だのに、ソレは悠然とそこに突っ立っている。

 同じ場所に立つまでの過程が、あまりにも違うというのに。何故今、ここで、こうして、同じ場所に、立っているのだろうか?

 憤怒の炎が身を焦がす。

 怒りの業火が心を焼いた。

 それでも、その一歩を踏み出す事は無かった。復讐が、力による復讐が、何も生まない事を、熟知していたから。

 握るその拳を、振り下ろす事はせず、ただ睨みつけて、その場を去った。

 最後まで、こちらと目を合わせる事が無かった事は、彼女にとっては嬉しい事であった。

 それだけは、今ここで、言い切らなければならない事だった。

 

□■□

 

 ズキズキと痛むのは心なのだろうか。それとも肉体なのだろうか。

 どちらも、痛んでいない筈なのに、耐えかねる痛みが、確かに彼女を蝕んでいた。

 忘却しようとした過去が、存在していない過去が、存在証明を行い、彼女に叛逆する。

 彼女は思い出さない、思い出せない、思い出す物が無い、という三重苦に苦しめられながら、吐血しそうな程咳き込んだ。

 

「まだ……まだ……で、す……から」

 

 まだ、復讐の「ふ」の字すらやってない、と鼓舞する。

 

「…………復讐?……なんで……?」

 

 自分でも分からない問いに着いた時、反射的に彼女はそれを拒絶し、結果――

 

「ちょっ、ショーちゃん!?」

 

 出会って間もない友人の声が聞こえた気がして、そのまま彼女の視界は、暗転した。

 

□■□

 

「……なんで、この世界はこうも卑屈かねぇ」

 

 男の声が聞こえた気がして、彼女は白いベッドから身を起こした。

しかし、そこには女性の保健医しかいなかった。男なんて、何処にも居なかった。幻聴だったのだろうか、と耳を疑った。まさかニワハラが居るのではと思い辺りを警戒し……気付く。

 

「私、アイツの声、知らない……」

 

 恨もうにも、彼女はまだ、彼を知らなさ過ぎた。

 今この瞬間に復讐が成功したところで、それはあちらからすれば「まだ」、八つ当たりの域だろう。だから、調べなくてはならない。アレを。アイツを。ニワハラ アズサの、その全てを。

 外堀を埋めて、逃げ道を封じて、助け舟を沈めて、蜘蛛の糸をちょんぎって、そうしてから、復讐するのだ。

 

「……なんでだろ」

 

 今更になって、彼にソレ(復讐)をして……それで、何の意味があるのか。

 寧ろ彼は、自分の立場を奴隷(アレ)から人間へと押し上げた、恩人的な何かではないのだろうか?

 

「まさ、か」

 

 その結論に腑に落ちないのは何故か、恩人ではない何かとして見たかったのは何故か、彼女は全く考えなかった。

 

□■□

 

 そんな、四年間のストーカー染みた観察(大学生活)により(最早ストーカーであったかもしれない)、彼女が得た情報はノート五十冊分程になっていた。

 『庭原 梓検定』なんてものがあれば、一級を一発で取れる程度に(そんな検定があった場合、同じく一級を取れる人間はあと二人しかいないだろう。加えて本人か)。

 知った。見知った。彼に於いて知らないものは、精々他者に向ける思いと、彼自身の思い、くらいのものだろう。

 

「それでもまだ、足りな、い」

 

 まだ外堀は残っていて、逃げ道はある。

 埋めなければ。封じなければ。

 先ず己を偽ろう。名を変えて、職を変えて、何もかもを変えて。

 彼の知らない自分で、彼を知る自分で。

 必ず――――

 

□■□

 

 時は経ち、現在に至る。

 かつての名を捨て、刈谷 松斎となった彼女は、媒体を取り外して、嘆息した。

 まだ、外堀は埋めきれていない。

 新しい逃げ道が、生まれたからだ。

 イタチごっこのようにも思えるが、最果てがある事も知っている。

 

「逃がしませ、ん……から」

 

 セムロフ・クコーレフスは、まだ止まる事を知らない。

 刈谷 松斎はまだ、止まってはならないのだから。

 ああ、何故。何故。

 

「…………ここまで復讐に執着するのでしょうか、ね」

 

 きっと、嫉妬や憤怒といったものでは説明がつかない、何かのせいだろう。

 まぁ、ただ。少なくとも。足掛かりは得たのだ。

 そうして彼女は、一冊のノートを開く。

 

「…………」

 

 新しく、文字が書き連ねられていく。

 彼ならば、「コレ」に対してどう対応するだろうか。

 彼ならば、「コレ」をどうしようとするだろうか。

 予想しなくては。脳内のシミュレーション回数が異常に増えていく。

 

 ――彼女は知らない。

 

 それは最早、復讐心によるものではない事を。

 彼女は知らない。

 これを、何と呼ぶのかを。

 

「待っていて下さい、庭原 梓……カタルパ・ガーデンも……!」

 

 何処まで迷走すれば彼女の終着点があるのか、それは彼女にすら分からない。

 或いは、その終着点の有無さえ。誰にも分からないのだ。

 始まりが有れば、終わりが在る。

 それは定理ではなく、定義だ。

 であれば、始まり無きものの、終わりは、果たして。

 

□■□

 

 自己紹介が事故紹介になってしまう彼女は、中身の無い復讐劇に身を費やしている。中身は無いが、意味はある筈だと。そう信じて。

 彼については反吐が出る程嫌っているが、過去を鑑みれば出るのは血反吐かもしれない。また、彼女の過去と彼女の現在は連続しているようでいて断絶していて、直結はしていない。それは彼女という存在が今と過去で分かたれているからであり、二分されているからであり、決して別人になったと言う訳では無い。いや、或る意味では別人になったのだろう。

 

 ――なって、しまったのだろう。

 

 ドラマチックな逆転劇が、起こり得ない事を知っている。だが、だからこそ足掻く。醜く足掻く。

 復讐心はある。だがやりたいのは復讐ではない、という矛盾。

 やりたいのは復讐ではないが、結果としてやるのは復讐以外の何物でもない、という矛盾。

 自分の内で蠢く、この内包されている復讐心は、復讐以外の選択肢を、消し去ってしまったのだろう。

 

「……悲しい事です、ね」

 

 考えを一変させるべく、リセットさせるべく――リセットした所で、結局この結論に辿り着くのがオチだが――彼女は鏡の前に立った。

 鏡で見た彼女自身の姿は、少なくとも以前庭原に会う際に見ていた顔とは似ても似つかないものであった。

 隈が出来ていて、酷く(やつ)れている。

 彼がマトモでないように、彼女もマトモではなくなってしまったらしい。

 世界が彼女を見捨てたように。正解もまた、彼女の手から零れ落ちた。

 

「復讐、ね……」

 

 それをして、或いはそれをする事で、何が残り、何を証明するのだろうか。

 それは何年も抱いてきた疑問だ。

 答えの出なかった難題だ。

 答えを出す事を諦めたのかもしれないし、その答えを悟って答えを出さないように無意識に考えていないのかもしれない。

 どちらにせよ、或いはそのどちらで無いにせよ、今の彼女の内に、正解は無い。

 だから鏡は、そんな伽藍堂な彼女を映す。

 狩谷 松斎という女性を、醜く描き出す。

 嫌ってはいない。憎んではいない。恨んでもいない。

 それなのに胸中で燻る復讐心に、身を焼かれた彼女を。

 

 再ログイン可能まで残り17時間。

 自称探偵――その実、『ニワハラグループ』の奴隷事件専門探偵――狩谷 松斎は、鏡の奥の人物を、キッと睨みつける。

 

「……絶対に、居場所を奪ってやるんだから……待ってなさい、庭原 梓」

 

 「復讐心」が、復讐心でない事を理解せずに。

 ただ、彼を同類にしたいだけなのだ、と。分かり合える者が欲しいのだ、と。そんな自分の心理すら、理解せずに。

 彼女は、忸怩たる思いなど欠片も持たず、ただ、只管に。

 

 自分の外堀すら、埋めていった。

 

 そんな事にすら、欠片も気付かずに。

 

「お腹空いたな……何か、食べるもの、あったっけ?」

 

 狩谷松斎は、踏み外した事にすら気付かず、また踏み外す。

 彼が間違えを正す中、何度も、何度でも、間違い続ける。

 それが――狩谷 松斎なのだ。

 未だ騙されている(、、、、、、、)事に気付かない、未だ無垢であり続けている少女(彼女)

 それだけが、狩谷 松斎の証明である。

 もう、彼女の中には、『終わりよければすべてよし』の精神しか、残ってはいないのだ。




( °壺°)「本名、桐谷(きりや) 晶子(しょうこ)
( °壺°)「名を偽ったと言う割に、面影は強く残っております」


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第四十二話

■カタルパ・ガーデン

 

 そのマスは、確かにただのマスなんだ。普通に進めて、普通に居られる、そんな有り触れた双六のマスだった筈なんだ。

 今はそのマスが、たまらなく恐ろしい。

 分からない事が分かったら、このマスに着いてしまうだろう。

 だから俺は、分からない事すら分からない事に――はせず。

 

 ちゃんと、理解して行きたい。

 

□■□

 

 木々がざわつくとか木々がざわめくだとかそう言った表現が少なからず存在する。

 だからと言って木々が生物のように蠢くのは、いかがなものかと思う。トレント、だったか?そういうのが西洋にいた気はするが……。

 兎も角、【平生宝樹 イグドラシル】は正しい終着点に逢着したらしい。目出度い事だろうが、個人的には勝負を挑まれそうで。胸中はヤケに複雑だ。

 それでも、城の中から木々が龍のように動いているのが見えたから向かってしまうのは心配性の発露か、もしかすると俺の、ありもしない善性なのかもしれない。ただ気になるからってのも、間違いではないだろうけど。

 アイラはもう以心伝心したかのように天秤の(第4)形態になっている。

 

「『《感情は一、論理は全》』」

 

 感情的から最も遠く、論理的に最も近くなって、俺とアイラ、そしてネクロは王城を飛び出す。

 嗚呼、本当に、俺は愚者なのだろう。

 先の理論のままなら、俺は死地へ向かっているともとれてしまうのだから。

 なのに進むのは、そうではない可能性を、希望を、信じているからなのだろう。

 ……少し感情的になったな。回す(、、)か。

 再び落ち着きを取り戻した俺は、その角を曲がればアルカに出会える位置に来て、不意にその足を止めた。

 

 俺曰く、不可解である、と。

 

 何が算出したのか、イマイチ要領を得ない理論。だが、最高レベルに論理的な思考をしている状態の俺が、意味の無い理論を打ち出す筈が無い。なら、無意識に視界に捉えたモノ、意識的に視界に入れているモノのどれかに、原因がある、筈だ。

 その上で俺は、「曲がり角を曲がってはならない」と、結論付けた、筈だ。

 「曲がったら戻れない」「引き返すなら今しかない」「見たらもう、突っ込むしかなくなる」

 五月蝿いばかりの警鐘。

 俺と同じ声で叫んでいる。

 そんな警鐘が、今は何故か、感情を失った筈なのに、煩わしく思えた。だからつい、口にしてしまう。

 

「『黙っていろ、有象無象』」

 

 運悪くユニゾンした俺とアイラの声に、脳内の警鐘が停止した。

 論理的なのは悪くないが、なりすぎるのも宜しくないらしい。回した(、、、)のが原因なのは火を見るより明らかであり、今後はそういった境界を見極める必要があるだろう。

 

 だがそれも、分水嶺を越える前に出来れば、の話だ。

 

 警鐘を無視して、感情的に、そんな考え事をしていたからだろう。

 曲がり角を、曲がっていたのは。

 絶望に、出逢ったのは。

 奇しくも警鐘は正しく、今回の俺達は、間違っていたのだった。

 

 こんな道でも頑張ったんだ、と言いたい訳では無い。

 こんな道しか通れなかったんだ、と嘆きたい訳では無い。

 そんな道でもよくやったんだね、と褒められれたい訳では無い。

 お疲れ様、と言われたい訳では無い。

 

 きっと、それだけの、人生だったと思う。

 

『久しい。とても。此方と、其方が、出逢うのは』

 

 だから今は死が、怖くなかった。

 そんな俺だから、少しは考えるべきだった。

 何故王城を出てから今迄に、一度も木の龍が現れなかったのかを。

 戦う理由が消えたから?真逆。

 アルカ・トレスは脅威が消えたからといって即座に警戒を解く奴じゃない。仮に相手を殺しても、何かしらのスキルを疑って暴れさせる筈だ。

 だから考えるべきだった。

 

 王城からここに来るまでに、アルカが死んでいる可能性を。

 

『さて……【司教】の次は【神】か。とは言え、職に関しては以前とそう変わりはしていないか』

 

 その言葉の意味は分からない。

 抑、久しいと言われたが、何者かが分からない。

 

 ソレは、宝石に彩られたただの人だった。

 眼や髪が陽光を浴びてこれでもかと輝きを放つ。宝石が当て嵌められているのだろう。

 

 ――――宝石?

 ――――宝玉……?

 

 俺は今、最悪の結論を、得た。

 

 であれば俺は今、最凶の敵を、見ているのだ。

 

 誰もが。遥か遠くで見ていた【大賢者】さえもが。

 

 何故ここに貴様が居る、と。

 

 目を見開いた。

 これが真面目にタチの悪い悪夢であれば良かったのに。

 現実は、また俺に、俺ごときに、牙を向いた。オーバーキルにも、程がある。

 こんな俺に、何故ここまでするのだろうか。酷いなぁ、世界とか、運命とか、そういうのは。

 

 《看破》で見れば、すぐ様にその正体は察せた。察せてしまった。

 懐かしい名が、懐かしからぬ化物となって。俺の眼前に、この国に。再び。

 

「【零点回帰 ギャラルホルン】」

『良き名であろう?』

「……冗談キツいぞ、てめぇ……」

 

 ここに、こうして揃う理由に、セムロフ・クコーレフスは全く関係ない。偶然という悪戯が重なり合って、折り重なって。最悪の物語を紡いでいるに過ぎない。

 だから、ここで血肉を晒す事に、きっと。

 

 ――――深い意味は、無いのだ。

 

■庭原 梓

 

 屍を晒したのだろう。瞬時に、テレポーテーションしたかのように、僕はモノクロの部屋にいた。

 殺された筈だと言うのに、どうやって死んだかも定かではないとは。いや、それどころか、未だ死んだ事すら朧気ですらある。

 おかしな話だ。

 それに、街中に突如、化物が現れるなど前代未……いや意外にあったな。

 流石に街でも話題になるなり何かになるだろうし、〈DIN〉にも何かしらの情報が上がっている事だろう。

 【七亡乱波 ギャラルホルン】改め【零点回帰 ギャラルホルン】。

 アイラと意思疎通を図るよりも、ネクロが警戒し出すよりも早く、会話をしていたのにも関わらず、僕達は為す術もなく、散ったのだ。

 或いは、彼が戦闘行動に入らなければ相手も戦闘行動に準ずる行為が行えない、といった摩訶不思議な能力が働いていた可能性もある。

 理由や原理はあるのだろうが、今の僕には何故あそこに突如現れたのかは不明だ。僕を殺す為、ならば王城に現れた方が早い筈だし、何かしらの理由があるなら尚更、あの場所にパッと現れた説明がつかない。

 何かしらの制約?もしくは召喚?仮にそうだったとしても、ならば新たなる疑問が生じるだろう?

 

「誰があんな化物召喚出来んだ……ってな」

 

 先ず間違いなく【七亡乱波】の時よりは強化されている事だろう。

 名を変えるというのはどういう事なのか、或いはどういう原理なのか、そんなものは分からん。理解不能だ。

 数少ない「分かるモノ」は、何かに因ってあの場所に呼び出された可能性が高い、という事。

 〈DIN〉も見てみたが、これといって重要な事は書かれていなかった。どころか、彼と戦ったという記録が存在していなかった。

 有り得ない。僕を殺したあの化物は、その他の何一つ殺していないというのだ。今のところ、ではあるが。

 条件がある、と見るべきだろう。あの場所に一瞬で現れた代償として、特定の敵以外と戦闘行為を行う事が出来ない、みたいな。

 

「さて、どの仮定が正しいとしても。アルカは殺した筈だ。なら……カデナに連絡しておこう」

 

 やられたらやり返す。その理論は、【ガタノトーア】の時にも言った気がする。その時との相違点は、協力しようとしているところだろうか。

 倒したいのではない。だが倒すしかない。

 はてこの理論、何処かで語ったか?全く同じでないにせよ、似たような理論を何処かで……気の所為か。

 さて、探偵のように話を進めるなら、疑問は四つ。

 

 一つ。【七亡乱波】から【零点回帰】になった原因は何か。

 二つ。なって、それでどうなる?

 三つ。未だに〈DIN〉で戦闘行為があったと報告されないのは何故?

 四つ。【ギャラルホルン】が何故あの場所に現れたのか。

 

 こんなとこか。三つ目と四つ目に関しては、【七亡乱波 ギャラルホルン】と戦った者としか戦えない、という可能性がある。であれど、あんな宝石の塊のような人間、キャラメイクでも作れるとは思えない。装備品と見るよりも、そういうエネミーと見ると思う。ならば尚更、戦ったという記録が無いのは気がかりだ。〈DIN〉が噛んでいる可能性も否定はしきれないが、それは流石にないと思う。

 さて、過去か何かの精算でも行うのだろうか、リベンジマッチが連続した訳だ。

 

 十字架は、他に課す罪ではなく、己が背負う物である。

 

 少し、勘違いさせていた事を、正していかないと。

 (カタルパ)はまた、愚者で嘘つきになる。

 

「にしても、こうして落ち着いて考えるのが、死んだ後ってのは後の祭りも甚だしいな」

 

 あの世界だったら、二人も騒がしいのがいるから出来ない、というのはあるにせよ。勿論その二人というのは、勇気の少年の事ではなく、武力の女性の事でもない。

 強いて言うなら僕は智力の人間ではないと思うのだが、な。まぁ、いいだろう。

 

「リベンジマッチ、ね。そりゃまた……復讐染みているじゃねぇか」

 

 何を思って言っているのかは、この際伏せるにせよ。

 

 残り二十三時間三十八分。

 『俺』の物語はまだ、『〜完〜』と銘打たれるには、早いらしい。



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第四十三話

( °壺°)「最近、度々訂正しています。第二十話辺りまでの訂正は段落替え目的です。殆どは」


 歪な形で噛み合った歯車は、(ゆが)んだ音を立てて崩れ落ちるのが関の山である。

 であれば、【零点回帰 ギャラルホルン】が再びカタルパ・ガーデンに出逢ってしまった今回の事件も、(ひず)んだ結末を迎える事だろう。

 叫び、唄い出し、鳴り響き、響き渡る。

 そんなギャラルホルンの伝承が歪なまま幕を閉じるのだろう。

 キリ○ト教に於けるラッパを吹く天使、というものも似たような位置取りをしており、度々ギャラルホルンと混同される。

 【ギャラルホルン】とはその実、北欧神話と聖書の物語の混合体であり、ラグナロクの前触れ、或いはラグナロクの為の鏑矢のような存在である。

 

 であるならば、【零点回帰 ギャラルホルン】が現れた事により、何の幕が上がるのだろうか?或いは、何が終わりを迎えるのだろうか?

 

 第零の〈SUBM〉擬き(、、)

 〈UBM〉でもただのボスモンスターでもない、〈イレギュラー〉……でもない、矢張り何者でもないモノ。

 

 それの降臨により、何が、始まろうと言うのだろう。何が、終わろうとしているのだろう。

 それはまだ、神ですら存ぜぬ事だ。

 

□■□

 

 逆転の為に、一手も違えてはならないカタルパ――つまり梓は、記憶から引き摺り出した【七亡乱波 ギャラルホルン】の情報を可能な限りピックアップし、嘆息した。

 

「七つの突起は無い。中央の球も無い。スキルは残っていると仮定して……それと『俺』を殺した方法も解明しなくちゃなぁ……」

 

 もう少し逃げ回るなり何なりすれば情報は得られただろうに、現在、【七亡乱波】の情報がちらりほらりと有っても、【零点回帰】の情報は無きに等しいものだった。

 情報アドバンテージは近現代に於いては重要である。

 それを顕著に従っているのは、成長と言えるだろう。

 

「その点に関しちゃ、【七亡乱波】の時も最後の最後まで《Crystal Storm》を封じていた訳だから、成長ってのよりは再確認だわな」

 

 現在、梓が最も警戒しているスキルの一つがそれである。

 圧倒的な質量を以て眼前の全てを粉砕する脅威のスキル、《Crystal Storm》。

 嘗ては満身創痍ながら耐えたものの、今回出逢った場所が街中である事も考慮すると、使わせないのが前提である。自分が耐えても、街が耐えられない。……街を人質にとられたら、万策尽きる訳だ。それは第一話のウルト○マンメビウスのようですらある。あれとはかなり違うが。

 ともあれ、逆転の手段が、今は不足している。それも一つ二つでは無い。大量に。

 猫の手も借りたいとはまさにこの事であり、だからと言って管理AIであるチェシャの手を借りるのはやり過ぎだと思っている。

 いや、この際に限って言えば、チェシャを借りてきただけでは、恐らく【ギャラルホルン】には敵わないだろうが。

 それもこれも前回、《宝玉精製》に因ってトム・キャットの分身術(厳密にはどうなのだろう?)が破られているからだ。

 脳裏に浮かぶ敗北のイメージ。今浮かべている戦局の中に、一つも勝利は存在していないのだ。

 綱渡りの筈だ。それなのに、霞の向こうで見えやしない。或いは、向こう岸に綱が渡ってすらいない。

 それなのにまだ、詰んではいない。

 運命はまだ、酷な事に、庭原 梓に奇跡を起こすよう強要してくる。

 

「逃げるのも手だ。だがその場合、王国内で『何』を仕出かすか分かったもんじゃない。

かと言って、対策がポンと打てる相手じゃない。

それなのにまだ、蜘蛛の糸は切れていないと来た」

 

 悪質な世界に、梓は歯噛みする。反逆しようとは思わない。だが食らいつかなければ、擦り切れてしまう。自己が摩耗してしまう。

 世界の部品(歯車)になった時、成り果てたその時、人間としての生命は、どうしようもなく終わっているのだから。

 だが、いつかはそうなる。人間とはそういう生き物だ。

 だからこれは、無駄な足掻きでしか無い。勇者、英雄……正義の味方。

 そういうモノを創り出そうとしている世界に、梓は足掻いているだけだ。

 不毛だが、エンドレスである。

 世界はその意思を曲げる事は無いし、梓も梓で意固地に反旗を翻し続けるのだから。

 タウリンが1000mg入っていそうな栄養ドリンクを一気に煽り、覚めた意識でパソコンを睨み、悩む。

 一体いつ、手を打つかを。

 

 ――一体いつ、真実を彼女に話し、引き入れるのか、を。

 

□■□

 

 人間は、世界の部品になる運命である。

 それに抗う事は無意味な事であり、また必然的に、その人間が生きづらい世の中になってしまう。反旗を翻す者にまで、世界という機構は優しくない。

 庭原 梓の先人(、、)は、先人であるが故に、先人と呼ばれるに足る為に、世界に抗う人間であった。それこそ、庭原 梓が庭原 梓である為に創られたかのような、そんな人間だった。

 

 化物のような、人間であった。

 

 その人間に、梓のようなドラマチックな過去は存在していない。

 その人間は、梓が経験したような、絶望するような過去は体験していない。

 そういった過去は(、、、)、その人間の半生には存在していなかった。そう、半生には。

 だが彼の一生を紐解くと、どうしても現れる。梓のものよりも、ある種、酷な運命が。つまるところ、過去には無く、『その先』に有るのだ。未来という、不確定要素の塊の中に。その大海の中に、埋もれているのだ。

 無重力の空間に放り出されたかのような、「どうしようもなさ」が、読み取れるその人間の一生は。

 

 庭原 槐と銘打たれる事で、始まり――――

 

□■□

 

『え?【零点回帰】?

……ふーん、アレが、また……ねぇ?でも今んとこ情報無さげだし、今から戻って確認してくるけど……多分、何も起こらないと思うよ?』

「お前が死ななきゃそれでいい。仮に死ぬなら、それは出来るだけ早い方がいい」

『酷いセリフなんだけど……中々に合理的だから困るんだよなぁ』

 

 携帯の奥の声の主が嘆息した。恋を飛ばして愛に生きる梓にとって、恋心は知らぬ存ぜぬ物であり、恋する乙女の純情など、これまた理解不能な物である。

 だからこそ、いつも通り天羽 叶多の心情は空転し――

 

「まぁあれだ。ありがとな。

極力、死ぬなよ。嫌だから」

 

 いつもそういう『無駄な一言』に、救われる。

 社交辞令のようなセリフだったのだろうが、それでも、火に薪を焚べる程度の役割は果たした。

 

『ふっふーん!天羽さんに、任せなさい!』

「……一気に任せたくなくなってきたな」

 

 心情が空転する理由に、自分自身が関している事には、天羽は気付きそうにない。

 そういう心の機微にすら気付かない梓は別れの言葉を口にし、電話を切る。

 

「さて、先ず一手」

 

 《強制演算》は無く、この世界の一秒は一秒である。そんな有限の中、そんな幽玄の中、梓は未来を視るかのように、梓は虚空を見る。

 

「残りは……二十手くらいか?」

 

 誰かさんがやっていたように、梓も外堀を埋めていくのは得意だ。

 梓は籠城を好まない。この場合、【零点回帰 ギャラルホルン】に対し持久戦を行う、という事を好まない。

 どうせやるならば、有終の美を飾りたいのが、庭原 梓という人間、なのかもしれない。

 梓はまだ、その終わりを迎えるには、早過ぎる。だからまだ、足掻く。

 携帯の電話帳から、見知った名前に電話をかける。

 

「さて、いきなりだがこれはちょいと……賭け、だな」

 

 それは杞憂に終わり果たして、それはワンコールで繋がった。

 梓は一拍空けてから、口を開く。

 

「よぉ。グランドマスター(、、、、、、、、)。お前の知恵っつーか、頭脳を貸して欲しい。同じだって?まぁ、気にすんな。

生憎報酬は無いから断ってもいいが……いいのか?完璧な慈善事業だぞ?

…………あー、成程?

それが『対価』、って訳か。

……そう、だな。まぁ、それくらいならいいかな?

あぁ、あぁ。頼んだ。打つ時(、、、)になったら、宜しく。多分ねぇけど。じゃ」

 

 電話の相手、梓が『グランドマスター』と呼んだその何某は、梓の頼みを快諾したようだ。

 梓もそれさえ出来れば満足である。対価が生じたものの、微々たるものだ。

 

「さて?これで何手進められる?………ふむ。

生憎、チェックメイトはまだ遠い、が……それでも」

 

 これで勝ち目は生じた。

 後はそれを完遂する為の『武力』と……その一手を実行する、その『勇気』である。

 どちらも、梓には欠乏しているものだ。だが代わりに、持っている者を知っている。

 その二人はもう、行動に移している。まぁ、あの世界で行動に移しているのは、『武力』の方だが。

 

「おっと?噂をすれば……早いな」

 

 『グランドマスター』の電話を切った後、入れ替わるようにメールを受信した。

 液晶画面につらつらと……要約するに、実際に会って話したい、みたいな内容の文書が、そこにはあった。

 

「てな訳で来ちゃったYO!」

「帰れと言っても帰らんのだろうなぁ…」

 

 言わずもがな、メールの送信者は天羽である。

 口では帰れと言っておきながら行動に移さないのは、ここからが重要である事を、誰よりも理解出来ているから。

 

「さて、それで?話を聞こう」

「うん、そうだね。ちゃんと話すから、よく聞いてね」

 

 そんな、態とらしいタメを作って、一呼吸置いてから、天羽は梓に語り出した。

 

「アレはね梓、どうやらギャラルホルン(、、、、、、、)みたいなの」

 

 意味不明な、その話を。



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第四十四話

( ✕✝︎)「また分かりづらい物語だなぁ」
( °壺°)「刈谷 松斎のせい」
( ✕✝︎)「お前のせいじゃね?」
( ✕✝︎)つ) °壺°)<理不尽!


■刈谷 松斎

 

 何故こうなったのでしょう?

 何故……私は。

 桐谷(きりや) 晶子(しょうこ)は……貴方を許してしまうのでしょう?

 答えは……きっと、ずっと空欄のままで……それなのに、同じ問題を貴方が解いたなら、埋まってしまう。

 私にないものを持っている貴方は、埋めれてしまう。

 貴方にないものを、何一つ持っていない私では、理解できない解答で。

 

□■□

 

 私……セムロフという私のアバターが死んでから一時間してからの事。

 家のチャイムの音に、私は読んでいた本から顔を上げました。

 此処は私の家で、つまり自称探偵である為の事務所で、私が日本に置いている唯一の拠点です。……まぁ、外国にも一つ、ある事にはある、というのが実状ではありますが……私はアレを自分の家だとか、アソコを故郷だとか、全く思いたくないので……矢張り、私の居場所と言える居場所は、ここだけなのでしょう。

 この時の私は、寝不足だったり、ゲーム内で死んだ事もあったり、決定出来た(、、、、、)事に浮かれたりしていたのか、少しポワポワしていた所もありました。

 迂闊、だったのでしょう。

 

「よぉ、自称探偵」

 

 扉の向こうには、あの庭原 梓が居たのですから。

 私がソレを視認してから扉を閉めるという行動に移るまで、さほど時間を要しませんでした。

 バタンッと閉め、鍵をかけ、チェーンもしておきます。

 そうしてから、荒らげていた呼吸を少しづつ抑えて……冷静になり、また混乱しました。

 私は、前回庭原 梓と出会った時、彼にとって最悪のセリフを再三再四唱えていた筈です。怨恨織り交ぜた暴言は、彼に「二度と会いたくない」と思わせた……筈なのです。

 きっと誰もが、「なら復讐に来たんだよ」と思い、また口にするでしょう、この展開には。

 なのに、なのに……未だ、扉の覗き穴の向こうの彼は……笑っているのです。

 それも()がありそうな、怖い笑みではなく、友達と会った時に浮かべるような、明るい笑みなのです。

 吐き気がして、それをグッと堪えて、深呼吸を常時心がけるかのように、数秒をかけて一呼吸を繰り返しました。

 そして、覚悟を決めた私は、鍵やらチェーンやらを解除して、重い、とても重い(、、)……扉を開けました。

 

「やっぱ、出てきてくれると思ったよ」

「あ、貴方が……私の何を……!」

 

 自分の気持ちを抑えていないと、この手が自然に彼の首へ伸びていきそうで……私はそれを抑えるのが精一杯でした。

 それに、今のセリフに腹立ったのもあるでしょう。本当に、私の何を知っているつもりで、この人は話しているのでしょうかね。

 

「いや、何も?何も知らないから、これから知るんだぜ?」

「…………は?」

 

 その時の私はきっと、写真で撮られたら数日間はネタにされるぐらいの呆けた顔をしていた事でしょう。それぐらい、呆気にとられました。

 それなのに彼は、表情一つ崩していません。それが、社交辞令や巧言令色の類ではない事の何よりの証拠です。晶子だけに。

 そういう駄洒落を脳内で唱えなければならない程、私は混乱していました。でもまぁ、唱えたからと言って、落ち着く訳でも無かったのですが。

 

「第一、怒ったのは『俺』で、馬鹿にされたのも『俺』だ。

決して僕ではない。だから『俺』の事に僕が怒るのは筋違い。

それに、な?仕返しするならするで、あっちで出来る。ここでやる事じゃあない。

いやはや?『俺』を怒らせたまでは良かったが、それでは僕の逆鱗には触れていない。もうちょい考えなくちゃな」

「……そうですか」

 

 多分この人は、冷やかしとかが効かない人だ。嫌味が通じない人だ。初めて知りました。後でメモしておきましょう。

 この人は、間接的に庭原 梓を責めた事に、気付いていないようです。

 カタルパ・ガーデンを愚弄しましたが、それは間接的に、『それを動かしているプレイヤー』に言っていた訳なのですが……あぁ、そうか。

 『死んだら蘇らない』『だからこそ、楽しい(、、、)でしょ?』

 そういう嘘を吐いたのは、他ならない私でしたね。

 中身の無い空虚なセリフなら……内側には、心には届かない。カタルパ・ガーデンには届いても、その内面に居る庭原 梓という存在に、その言葉は、届いてくれないのですね。

 演技力、足りなかったかな?

 

「それで、だ。カデナに色々と聞いてきたんだが」

「カデナ……あぁ、あの木の龍の」

「そ。あいつから聞いたんだが……もしかするとお前のエンブリオ、【マジックミラー】は……」

 

 庭原さんは、未だに結論付いていないようなその理論を、拙いながら口にしました。苦虫を噛み潰したような表情であったのに、その目には、確信めいた何かが、ありました。

 

「質問に対する回答……解答を以て、『定義的に決定付ける能力』だな?」

 

 ……その時の私は無言と無表情を装いましたが、内心、冷や汗が止まりませんでしたよ。

 この人、私よりも探偵向いてません?

 

□■□

 

 その後、特に重要でもなさそうに、庭原さんは仮定を論理付けて説明し出しました。ただ一度、自分ではない者が見聞きした情報を基に、正当を説明し始めたのです。

 

「先ず、《壁にかかった魔法の鏡》だったか?

それの効果はまぁ、【マジックミラー】なんだから分かるわな。

脳内で質問を一つすれば、それの解答が分かる。

多分文にするだけなら、それだけだ。違うか?」

「さぁ、どうでしょう?」

 

 はぐらかしはしましたが、百点満点の説明に正直ドン引きです。

 彼は、一体『何』を知っているのでしょうか。

 

「問題はそこにある。そこにしかない。

原典、『Snow White』に於いて、『世界で最も美しい者は誰か』という女王の問いに対して、魔法の鏡の回答が『白雪姫である』だった。

だから(、、、)女王は白雪姫を殺す事を決意した。

分かるか?鏡の回答に因って、女王の中で『世界で最も美しい者は白雪姫である』と定義されてしまった。

鏡の回答一つで、人間一人の考えが、丸っきり変わった訳だ。

…………で。

【マジックミラー】はそこを模倣している、と僕は踏んだ。あんたが死んだ後に都合良く(、、、、、、、、、)、【零点回帰 ギャラルホルン】は降臨した。

だからあんたの質問は……こうだったんじゃないか?

『私が死んだ後に、私以上にカタルパ・ガーデンを殺したいと思っている存在(、、)が居るとした場合、それは私が死んだ場所に現れるか、カタルパ・ガーデンの目の前に現れるか、どっち(、、、)?』

……ってな。

あんたはこうして二択にする事で、勝った(、、、)のさ。アルカ・トレスを殺した後にカタルパ・ガーデンをソレが殺す、若しくは直にカタルパ・ガーデンを殺す、その二択以外存在出来なくなった(、、、、、、、、、)んだからな。

いや、裏をかいたいい質問だったと思うぜ?居るとしたら、と念を押す事で『それ以外』という選択肢を封じたんだからな。そう、【マジックミラー】の回答は複数しかない。

一。『貴方以上に殺したいと思う存在が無かった為に、回答を拒否します』

二。『カタルパ・ガーデンの目の前に現れます』

三。『貴方の死んだ場所に現れます』

この三択。だが、実質二択(、、、、)

居るとしたら、と仮定したせいだ。

居ないなら(、、、、、)現れるようにしてしまえばいい(、、、、、、、、、、、、、、)……ってな。

【七亡乱波 ギャラルホルン】が【零点回帰 ギャラルホルン】になったのは、そのせいだ。

あいつが現れた事に、セムロフ・クコーレフスは関係なかった。あったのは【マジックミラー】であり……変質(、、)出来る程のリソースを蓄えていた【ギャラルホルン】本体だ」

「長文ご苦労です。

……残念ですが満点ですね。腹立たしい。一度でそこまで考察出来るんですか?」

「まぁ、な。個人的には今の長ったらしい説明を、ちゃんと聞いていた事に驚きだ」

「そりゃ自分の事ですし、ね」

「……自分の(、、、)?」

「……いえ、何も」

 

 失言しましたね。……それにしても、どうしてこうも正鵠を射るのでしょう?正答を得るのでしょう?

 確かに、特異な事は起きたでしょう。ですが、それだけの筈。

 【マジックミラー】という名を残した事、それの副次効果……あったのは、それぐらいじゃないですか。

 何者(、、)なの、庭原 梓、貴方は本当に……!

 

「さて、ここまできて何だがセムロフ・クコーレフス。

世界の裏をかいて理不尽を定義する(、、、、、、、、)探偵」

「…………何でしょうか、カタルパ・ガーデン」

 

 完敗です。探偵としても、策士としても。いや、流石に名前と副次効果のみで正答を得るのは、どうかしてると思いますよ?

 推理能力とか……きっと、そういう次元の話じゃ、ないんでしょうね。

 

「【零点回帰 ギャラルホルン】を追い返す。手伝え」

「……追い返す、だけなんですか?」

「討伐出来ない。これは『俺達』の結論だ」

 

 その『俺達』というのが、カタルパ・ガーデンと、庭原 梓と、あと誰なのか(、、、、、、)は分かりかねますが、どうやら、真剣に考えてソレ、なようです。

 ……まぁ、自分で蒔いた種ですから。

 それ程までに強力な存在が呼び出せるとは、夢にも思いませんでしたが、ね。

 

「そんで……そうだな、追い返せたら……話してやろう。全部を」

 

 その聞き逃せない一言に、マスコミばりに食いつくのは、私の性分でした。或いは、私の本能でした。

 

「全部、とは?」

「全部だ。答えられる限り、その全てを。

お前の知りたい、或る企業の過去でも」

「っ!!…………乗り、ましょう。私は……ソレが欲しいのですから」

「復讐じゃない事に、素直に感謝だ」

 

 何を言っているのでしょうか、私の目的は貴方への復讐でしかなく…………なら、なんでその相手から情報提供されようとしているのでしょう?何故それを快諾しているのでしょう?

 

……どうして?

 

 嗚呼、まだ私は。

 何事にも、疑問を抱いているようです。




( ✕✝︎)「次回、『対決、ギャラルホルン!』」
( °壺°)「の、予定です」
( ✕✝︎)「次回、『カタルパ・ガーデン大勝利!希望の未来へレディ・ゴーッ!!』」
( °壺°)「Gガンはマジで許さん……」


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第四十五話

 綴った物語の、終焉は無い。

 それは、用意していなかったから、だろう。ここまで来る筈じゃ無かった(、、、、、、、、、、、、、)のだろう。

 誰かはそう語る。

 その誰かの名は、無い。

 いや、失われたのだ。

 

 そんな誰かの書いた、『今日』を延々と記した物語。俗に日記と呼ばれるそれには、終焉が無い。当然だ。終わらぬ毎日を淡々と描くモノこそが、日記であるのだから。

 そんな誰かの日記は今、庭原 梓の家の本棚に、ひっそりと、辞書の類に挟まれながら、並んでいる。

 

□■□

 

 先ず語ろうか、と。梓は刈谷に一方的に言った。

 何を、とも何故、とも言わせず、庭原は態と話の観点をゲームに移した。

 

「先ず、お前が呼んだのは【零点回帰 ギャラルホルン】と呼ばれるモンスターだ」

「【零点回帰】……えぇ、先程も何度か名前に出していましたね。

【七亡乱波】から進化した、んでしたっけ」

「そ。んでまぁ、それが問題なんだがな」

 

 ――多くの取捨を繰り返してきた梓にとって、理不尽とは大敵だ。

 その道を強制的に捨てさせる、大敵なのだ。

 ……尤も。彼の行ってきた取捨は、命に関わるものも多かったのだが。自他のどちらの命なのかは、言わないにせよ。

 取り敢えず、と梓は己が脳内の逸れた話を修正する。

 引き入れる事には成功した。問題はその先、どう戦わせるか、だ。

 生憎今回の戦いでは、盾役が意味を成さない。況してやそれが、285人(、、、、)でないなら尚更。

 【七亡乱波 ギャラルホルン】は、チェシャやジャバウォックが〈イレギュラー〉と呼ばず(梓はそれを聞いていないが)、〈UBM〉とも呼ばなかった、異形にして異質の存在。

 

 ――『何者でもないモノ』。

 ――故に『何者にもなれるモノ』。

 

 その最早何とでも言えてしまう理論は、【零点回帰 ギャラルホルン】になった現在でも引き継がれている、らしい。

 

「どうやら【七亡乱波】から変質(、、)した際に、『闘技場に居た者以外のマスター、ティアンでは存在を感知出来ない』という制約が課せられたらしいんだ」

「へぇ……待って下さい庭原さん。私では敵わないのでは?」

「それこそまさか。だってお前、現実だろうと仮想だろうと()のストーカーじゃねぇか」

「おやぁ?分かってました?」

「あぁ。だからあの時お前は、あの闘技場に居た筈だぜ。かの邪智暴虐な化け物を、見た筈だ」

「なんか、ラストで勇者が赤面しそうですね、その表現」

「そうなるのは精々フィガロだな」

 

 一呼吸置く事で、それを話の区切りにした梓は、真剣な眼差しで刈谷を見つめた。……仮に見つめられた相手が天羽であったなら、恋に落ちていただろう。……既に落ちていたか。

 刈谷もその眼差しが真剣味を帯びている事から、ムードが変わった事を察知する。

 

「ミルキーの調べではあの時闘技場に居たマスターは285名。

つまり、それ以外のマスターは【零点回帰】の存在を知()ない」

「知れない?知らないではなく?

……それが制約……ならそれの目的は、正義の味方を正義の味方たらしめる為……!」

「お前は都合良く、『自分より俺を殺したい存在』を願った。

だから【零点回帰 ギャラルホルン】は、『俺』を殺す為だけの存在といっても過言ではなくなった。

……そういう意味での救いは、『俺』以外の284名がアレを認知出来る事、かもな」

 

 だがまぁ、と梓は遠い目をしている。

 

「知れないのは、アレがギャラルホルンだから(、、、、、、、、、、)だろうけどな」

「ギャラルホルン……だから(、、、)?」

 

 その言い回しに疑念を抱いた刈谷は、それこそ石橋を叩いて渡るように、梓に問いかけた。何せ今回の場合、自分が踏み外すと死ぬのだ。仮想の自分であれど、自分で蒔いた種で死ぬのは、笑えない。

 

「気付けよ。僕はさっきから、【ギャラルホルン】とは言ってないんだぜ?」

 

 耳にする言葉としては同じだが、「ギャラルホルン」と「【ギャラルホルン】」では、似て非なる意味を保有する。

 それに気付いた刈谷は、みるみるうちに青ざめた。

 

「待って下さい、それだと……『終末』……ラグナロクが来ませんか?」

「さぁな。流石に今の所そこまでは分からない。だが確かに、ラグナロクが来てもおかしくはない。

それと、答えがチョイとズレている。いいか?

ギャラルホルンはラグナロクを告げる喇叭だ。

だがな?

『ラグナロクを信じていない人間にはただの喇叭の音にしか聞こえない』喇叭なんだよ」

「…………?」

「分かりづらかったか?

【ギャラルホルン】は【ギャラルホルン】を知らない人間……存在を信じていない人間には、ただの『何か』としか認識されないんだよ。

あれ程闘技場をぶち壊しておきながら、〈DIN〉にも情報は載っていたのに……それなのに、末路まで信じたのはあの場にいた285名のマスターだけだった。

だから、あいつの事を認識出来るのは『俺達』しか居ない。

それに、殆どのマスターは見たと言っても逃げ回りながらで、倒せる可能性は皆無だ。今回に限っては本当の意味で、『俺達しか居ない』」

「…………なる、ほど」

 

 梓とよく似た反応をしながら、梓には劣る推理能力(本人は梓のソレを『推理能力』と呼んでいない為、劣る優るの次元では考えていない)で、思考する。策略家でこそ無いが、外堀を埋めるのは彼女の十八番だ。

 やがて、幾つかの結論を算出した。

 梓が天羽から語られた、『ギャラルホルン(、、、、、、、)みたい』と語ったその話を、そっくりそのまましただけで、刈谷にスイッチが入ったらしい。梓は少し口角を上げて、人間の可能性とやらに――自分達が勝利する可能性とやらに、感謝した。

 序に理不尽な現実に毒を吐いた訳だが……そこには目を瞑って頂こう。

 

 そうして、刈谷は作戦を語った。

 

 正義を裁定する、智力ある者。

 正確に殲滅する、武力ある者。

 正直に暴走する、勇気ある者。

 そして。

 正答を獲得する、疑心ある者。

 その全員が集まり初めて完成する、作戦を。

 

□■□

 

「……あぁ、そうだ。だからそっちはそっちで準備を……は?なんだって?」

 

 刈谷の居た事務所を後にして、早速天羽に経過報告を行った梓は、現在唯一あちらで準備を進める事が出来る存在が、準備を進めない(、、、、、、、)と言った事に、驚きを隠せずにいた。

 

『あのね梓……悪いんだけど、私は行かなくちゃいけないの。

大丈夫、完成はしてる(、、、、、、)

それに下準備も済んでる。

だから……待ってて(、、、、)

 

 彼女から頼み事とは珍しい、と梓は純粋に思った。天羽は昔から、梓に『追いつこう』としているようだった。勉強であれ、運動であれ、何であれ。

 梓は追いつこうとしている、という事には気付いていた。……何故なのか、については、一考の余地すら無かったのだろう、結論付いてすらいない。

 だから天羽がこちらに頼ってくる、という行為を、にわかに信じられなかった。それはある種の懇願なのだから。

 待ち合わせに必ず時間通りに来る梓に敵対して更に五分前に天羽が来ていた……なんて事を思い出しながら、微笑む。

 恐らくそういう意味で初めて、天羽 叶多は庭原 梓を待たせる(、、、、)

 

「OK、何があるのかは知らないが……待ってる(、、、、)

『待たせた!』

「そんな任せた、みたいに言わなくても……」

 

 日常が、そんな所から崩落した。いつも通り、というものが瓦解した。ならこれから訪れるのは、ソレとは違う、別の日常。

 いや……、と梓は首を横に振る。

 

「日常ならざる日常……正しく非日常、か」

 

 今は待つ。刈谷 松斎の参戦と、天羽 叶多の再登場と、カデナ・パルメールの再戦を。

 庭原 梓の、裁定の時間は、矢張り時間通りに始まるのだ。

 

「何せ僕は、時間通りに来る男だからな」

 

□■□

 

 そうして、そして。

 三人が、アルテアのクリスタル前に集った。予めアルカやミルキーに話していなければ、ここが【零点回帰】とは全く関係の無い戦場と化していただろう。主に木々の暴虐により。

 

「まぁ、協力するならいいよ」

 

 いつも通りの感情を伺わせない声で――その実感情など込めていないのだが――アルカが言い放つ。セムロフも無言で頷く。

 

「それでセムロフ。可能か(、、、)?」

「愚問ですよ、カタルパ・ガーデン。それより、もう一人居るのでは?」

「あいつは途中参加。……どうせやるべき事はやってそれ(、、)なんだ。今は行くしかない」

 

 散歩等をしている暇はないし、勿論こうして雑談している暇もない。

 カタルパ――梓が『グランドマスター』から得た助言は幾つかある。それを実行する為には、一分一秒が惜しい。ミルキーを待っている暇は、残念ながら無いのだ。

 

「よぉ、会いに来たぜ」

『……そうか。愛に生きたか』

「誰がンな事を言ってたよ……」

 

 中々に気が削がれる会話で、カタルパは思わず嘆息する。

 以前の、カタルパとアイラとネクロの会話から、人間性、なんていう不確かなものを得たのかもしれない。流石『何者にもなれるモノ』である。

 

「んじゃまぁ、始めましょーか。

――――セムロフ!」

「えぇ!《壁にかかった魔法の鏡(マジックミラー)》!」

 

 そうセムロフが叫んだ刹那、彼等四人は、王国から姿を消した。



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第四十六話

( °壺°)「これから大体日曜更新にしようと思っています」
( °壺°)「読んで下さる皆様に多大な御迷惑をおかけします」
( °壺°)「ただ、日曜以外にも更新する時はありますのでご了承ください」


■カタルパ・ガーデン

 

 フワリとした、無重力に似た感覚がした。無重力なんか経験した事無いんだけどな。ジェットコースターが最高点に達した時のような、タワーオ○テラーのラストのような……そんな感覚。

 さて。さてさて。

 コキコキと指を鳴らす。首が曲がる。目が見開かれる。

 いつ以来かの、『臨戦態勢』。

 もしかして、前回やったのって、【数神】になる時じゃ……?

 それはつまり、俺がこうして『戦おう』と思った事が、それ以来無かったという事を示唆している訳で……まぁ、態と間違えようとしていた日々だったのだ。あった方がどうかしている。……それは逆説的に、今の俺は間違えようとしていないという事を意味するのだが。

 

「一瞬の旅が、終わりますよ」

「ん?あ、あぁ、分かった」

 

 ジェットコースターだろうとタワーオ○テラーだろうと終わりはある。

 これから無限に落ちていくような、そんな気持ち悪さを最後に錯覚して、俺達はその地に立った。

 その場所は残念ながら、これと言った名前が無い。見知った場所を挙げて説明するなら……〈ノズ森林〉が最も近くにある辺鄙な場所、かな。草原のような場所。だがこれと言った特徴の無い場所。

 ともあれそこは、俺達が望んだ場所である。

 対【零点回帰 ギャラルホルン】の為の、云わば専用ステージだ。

 ……まぁ、勝てるかどうかは、別問題なんだけどな。

 勝てるかどうかは別問題だったとしても、やらなくちゃいけないというのは、どうしようもない。

 眼前の【ギャラルホルン】が周りを見回し、(恐らく)罠が無い事を確認した。

 

『何故、其方はこの場所を選んだ』

「何も無いから、かな。いやまぁ、とある友人がここにしろ、と言ってきたからなんだが」

『……そうか。此方が干渉出来ぬ別世界の事のようだな。

これでは……遠い、な』

 

 何が遠いのかを公言しなかったものの、その目はアルテアの地を見ている……ように見えた。

 人の形を得た事で、人らしさ、なんてものを得たのだろうか。

 

「カタルパさん、足りません(、、、、、)が、それでもいいんですか?」

「構わない。俺達でも……まぁ、追い出せる。足りる(、、、)と倒せる可能性も出てくるが……それもまた低い。

足りる(、、、)ってのはただ、あいつを追い払える可能性が上がるってだけだ。

……さてアルカ、出来たか?」

「勿論」

 

 ここまでの会話が、ただの時間稼ぎであった事に、【ギャラルホルン】は気付いていたようだ。

 だから、先手は同時に打たれた。

 

「《森輪破壊(メイキング)》」

『《宝玉精製》』

 

 土中から天を掴む腕のように、木の龍が何頭も姿を現し、その天からはバベルの塔を打ち砕いた雷のように、何本もの氷柱……のような水晶が半径百メートル程の円を描くように突き刺さった。

 ステージは【イグドラシル】によって造り上げられ、それの限界は、【ギャラルホルン】により定められた。

 そこで、【ギャラルホルン】はとても悲しげに……人間の『哀しみ』と似たような感情を表に出して、ぽそりと呟いた。

 

『とても、脆いな』

 

 何が、とは言わなかった。

 【イグドラシル】の木々に言ったのかもしれないし、或いは何か、俺達とは全く関係の無いものに向けられたのかもしれない、そんな一言。

 俺達はその一言の重み、というものに息を飲んだ。

 何を意味するかは分からないのに、聴き逃してはならない、と、そう確信したのだ。

 いやはや……【七亡乱波】から【零点回帰】になって、本当に人間性ってのを得たんじゃないのか?

 

『カーター、そろそろ来るぞ』

「総員、作戦通りに」

「「了解」」

 

 総員と言っても三人しか居ないけどな、なんて冷やかしは飛ばない。

 アルカは木々に隠れるように。セムロフは流動する木々に乗って。俺はその木々を駆け巡って。

 その直径二百メートルの世界は、木々の迷路。全くの別世界。

 流石はテリトリーのハイエンド……TYPE:ワールドだ。

 つい最近の事ではあるのだが、アルカのエンブリオ、【平生宝樹 イグドラシル】は第5形態に到達し、スキル等の強化に加え、TYPEが変わった(セムロフを殺した時には既にそうだったらしい)。

 内外干渉に於ける定義がああだこうだ言ってはいたが、専門的な知識が必要そうなので半ば聞き流していた。結論だけ言うに、その内外干渉の定義によって、ワールドと、もう一つのハイエンドに達する事が出来るそうで。

 テリトリーとは文字通り領域。それの内外となるならば、『己の』内か、外か。

 なら今回は『外』だったのだろう。だから世界(ワールド)ね。なら内なら(ルール)か?

 あぁ、ホント。戦いの最中だってのに、俺は無駄な考えが多いなぁ……。思えば前回【ギャラルホルン】と戦った時も、《愚者と嘘つき(アストライア)》を使う前にこんな、気の抜けるような会話をしていた気が……。

 

『そこがカーターのいい所さ。シリアスブレイクというやつだね!』

「それ世間一般ではKYって言うんだぜ?」

『マスターの周りにはそういう人間ばかりでは?』

 

 ……否定出来んなぁ。

 

『それで……来るようだが』

「もうちょいギャグっぽく行けないもんかねぇ!」

 

 合図も無く飛んできた宝石の弾丸を、十字剣で弾く。木々をいとも容易く貫いた弾丸。その弾道を追えば、必然的に俺と【ギャラルホルン】の目が合った。

 その瞬間は一秒と満たなかったが、あの宝石人間にはその僅かな時間でも充分過ぎただろう。

 

『《宝玉精製》』

 

 《Crystal Storm》で無かったのを安堵しながら――流石に、開始早々終わらせに来る程、『楽しみ』を理解していない奴だとは思っちゃいないが――それでも暴力的な水晶の雨を、【イグドラシル】が育てた植物を足場や盾にして、縦横無尽に躱す。

 今回アルカはこの《森輪破壊》によるステージメイクを専門にやって貰っている。一応【付与術師】による補助もしてくれているが、そちらは今回の主な役割では無い。

 セムロフもセムロフで【マジックミラー】が壊れているので(、、、、、、、)、カウントと、行動の観測などの援護役になっている。

 アルカによるステージメイクを除けば、これは実質俺対【ギャラルホルン】の一対一なのだ。タイマンはらせて貰うぜ。

 

『まったく、煩わしい』

「こちらとしても、なんで襲ってきたんだー、とか聞きたい事が山ほどあるんだが?」

『それについては、分からん。ただ使命感や義務感、そういったものが此方を駆り立て、変質させたのは事実だ』

「駆り立て……変質?」

 

 なぁ……まさかそれ、さ……。

 

「セムロフのせいじゃね?」

『彼女以上にカーターを殺したい奴がどうの、だったっけ?

……納得』

 

 つまりこれは、セムロフが引き起こした【ギャラルホルン】の暴走って訳か!納得!

 

「ふざけんじゃねぇぞクソ探偵!」

 

 遠くから「ごめんなさーい」と平謝りが返ってきた。後でなんとかしなくては。

 後で、と暴走を止める事を最重要事項に出来た辺り、感情的では無くなったみたいだな、俺は。

 

 そう言えば。

 

「アイラ」

『何かなカーター』

 

 水晶弾を躱しながら、またいつもの気の抜けた会話をする。

 

「一度目に死を見た時、アイラは都合良く成長した」

『見た時……あぁ、そうだね』

「一度目に死にたくないと思った時、溜め込んだ力が放たれた」

『死にたくない……そう、だったっけ?』

「そうだったよ。

一度目に正しい道を歩んだ時、一緒にアイラは歩いてくれた」

『……カーター、君は何を……』

「俺のエンブリオが成長する時、それは決まって何かが始まる時だった。

死を見た時、弩弓はそれを弔うのだ。

死にたくないと思った時、旗は活路を示すのだ。

正しい道を歩んだ時、天秤はその公平を保証するのだ。

なら、今は?

正義の味方になる時(、、、、、、、、、)()が俺達をどうする(、、、、)?」

『カーター、君は……悪い人だね。

私のそういった成長を見透かすような事をしないでおくれよ。君の裏をかけない』

「そういう策略で、俺に勝てるとでも?」

『勝つよ。何せ私は、君のエンブリオ(子ども)なんだからね』

 

 こんな会話が、水晶弾の合間を縫って交わされていた事を、【ギャラルホルン】は認識していなかった。

 だから奴が認識したのは、精々、アイラが力を解放した際に発せられた、尋常じゃない程のリソースの流れのみだろう。

 

『何事……と言うよりは、其方に何者、と問う方が余程良い気がするな』

「残念だな、それの答えは、随分とありきたりの事なんだ」

 

 木の龍が、雲が裂けるように水晶のステージの端に寄る。アルカに告げた、手筈通りだ。

 確信があったのだから、後は実行するしかない。そうだろ?

 

 そうして造られた闘技場(、、、)には、二人の化け物が立っていた。

 片や宝石の化け物。陽光を四方八方に乱反射させて煌めく、〈終末〉の喇叭。

 片や正義の化け物。鎖を巻き付け、引き摺り、またそれに巻かれている(、、、、、、)、正義の味方。

 

【Form Shift――Cross Chain】

『第5形態……成程、これは少々……手古摺るな』

 

 観客と言える観客のいない闘技場で、俺達は開始の合図も無く激突した。

 空から決闘を見下ろす者も、この時に限っては居なかった。




【絶対裁姫 アストライア】の第5形態
 絶対『を』裁く姫にして絶対『に』裁く姫。
 剣、弓、旗、秤。そして遂に鎖となった。
 形状は何本もの鎖であり、そのどれもが自在に動く。
 仮にではあるが、カタルパが【紅蓮鎖獄の看守】を入手したら酷いことになる。


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第四十七話

「――おやおや、これは恐ろしい。闇に照らされ、光に陰り、宵に目覚め、暁に眠る。

人とは呼べないな、ここまで来てしまっては。

なら……矢張り人外としての名を受けるのが妥当であろうよ。君は。

……ん?私?私か……。確かに名乗ってすらいなかったね。必要かね?私の名前が。聞き、覚えるという事象が、必要不可欠かね?

……良かろう、一度しか言わないからよく聞きたまえ、少年兵。

私の、名前は――――」

 

□■□

 

(っ……?今の、記憶は……カーターの、なのか?)

 

 対峙する二人。その傍らに鎖となり巻き付く少女、【絶対裁姫 アストライア】は、突如聞こえた謎の声に、ゾッとした。

 然れどそれが幻聴であった事は現状を鑑みれば明らかであり……仮にカタルパの過去であるならば、深入りする必要は無い。

 そんな事に一々気をかけている暇はないのだから。彼女も彼も、成さねばならない事があるのだから。

 そう覚悟を決めた時、【ギャラルホルン】が動いた。カタルパを囲み、覆い隠すかのように、水晶の槍を《宝玉精製》で生み出したのだ。

 

「――――」

 

 それらに目を向ける事も無く、カタルパはその足を、前に進めた。

 

『…………』

 

 それに呼応し、アイラは入力された事を行うだけの機械のような動きで、全ての水晶の槍を弾いた。

 宝石同士が擦れる甲高い耳障りな音が鳴り響いたが、それにすら構わずカタルパはゆっくり【ギャラルホルン】に接近して行く。

 一歩、それだけを踏み出す度に、【ギャラルホルン】の対応は過剰とも呼べる程に過激になって行く。

 それもその筈だろう。今の【ギャラルホルン】は、カタルパを殺したいと思うその責務感に拠り動いているのだから。或る意味で、その意志に動かされているのだから。

 

『っ……《宝玉精製》』

 

 それで尚、《Crystal Storm》を使わない辺り、意思か何か(、、)は残っているらしいが。

 鎖の結界。そう呼ぶべき【絶対裁姫 アストライア】の第5形態は、水晶の暴流を前にしても崩れる事は無く、細いその鉄鎖でどうして人の体積の数倍もある水晶の塊を砕けるのか理解しかねる。

 だが、【ギャラルホルン】は勘づいていた。

 

『新たな……スキルか』

 

 ご名答、ともご明察とも返ってこず、カタルパ・ガーデンという鎖の化け物はその歩を緩めない。

 ゆっくり、数秒で一歩進める程度のペースであったというのに、そうして進める度に過剰な対応があったと言うのに、いつしか手を伸ばせば届いてしまう程に、二人は近付いていた。

 

『何者になったのだ、其方は』

「…………」

 

 鎖に巻かれて、その姿は見えづらくなっている。目を合わせられたのが奇跡としか言いようがない程に。

 【ギャラルホルン】の顔は引き攣っている。何処でそんな人間性を得たのだろうか。

 対してカタルパの顔は無表情である。何処で人間性を棄てたのだろうか。

 

『……何時、スキルを使った』

 

 経験則ではあるが、カタルパはスキルの発動の際、スキル名を叫んでいた覚えがある。【シュプレヒコール】を持っていないから叫ぶ必要が無くなった……のかもしれないが、最早癖とも呼べるそれを、この時だけとっ払えるものだろうか?

 疑問はある。疑念は尽きない。

 それでも目の前の事実の否定や拒絶はしない。

 自分が何故か「殺したい」と思っている事や、「殺される」事から、【ギャラルホルン】は逃げなかった。現実逃避でカタルパがこの世界に来たというならば、矢張り【ギャラルホルン】は、彼の対極に位置する化け物であった。

 

 ――今この瞬間に限っては、化け物対化け物でしかなく、そこには、何の差異も無かった。

 

 ――ここに来て初めて、彼らは対等に対峙したのだ。

 

 ――宝石の化け物と鎖の化け物は、同じ土俵に立ったのだ。

 

『とうだ、カタルパ・ガーデン。

其処(、、)に立った感想は』

「――――」

 

 矢張り、返答は無い。化け物故に人語を解さない、などと言う理由では無さそうな……そう、これは――空虚だ。虚構ではなく、空虚なのだ。

 有るのに無い。無いが在る。存在はしているが、存在しているだけの、伽藍堂。

 鎖に巻かれた中身は、空っぽであったとさ。

 そんな二流の物語のオチのような、そんな存在が、今のカタルパ・ガーデンであった。

 アルカもセムロフも、何か現実成らざるモノを見るかのような目で戦場を見ていた。

 

「何者……いえ、()ですか、あれは」

「なんだろーね。……あの時の僕も、あんなだったのかなぁ」

 

 答えながら片目を手で抑えるアルカ。『あの時』と言うのは、どうやら【直光義眼 ゲイザー】の時の事のようだ。

 セムロフも、化け物から目を背けるように、手鏡の柄を見た。柄しかない、手鏡を。

 

「……まだ(、、)、みたいですね。カタルパさんには、もっと頑張っていただきたいですね」

「そうだね。

……それはそうと、僕は君に復讐するべきなの?」

「……何故それを私に問うのです?」

「いや、僕を倒したのはアレであって君じゃないんだよなぁ、と思って。でも君が結果としては僕を倒していて、さ。

僕は君を殺す勇気がある。

この作戦に迷わず乗っかる勇気があった。

それでも、僕には、それしかない(、、、、、、)

誰かに預けたみたいに。階段の途中に置いてきたみたいに。

今のアズールが空っぽなら、僕は完成していないパズルみたいだよ」

「……なら、自分でご決断ください。まぁ、今殺してしまうと、カタルパさんの作戦が台無しになりますが」

「なら全部終わってからでいいや」

 

 随分とあっさりした回答だったが、セムロフは眉根を潜めた。

 

(終わってから、ですか。

今回は『追い出す』のであって倒す事が目的ではない。

なら……この一連の【ギャラルホルン】事件は、何を以てして、『全部が終わる』と認識されるのでしょう。

……流石に、そこまでノータリンでは無いですよね、アルカ・トレス?)

 

 蔑むような視線を向けるも、アルカがそれに反応する気配は無い。

 そんな間の抜けた観客席の一幕は、突如鳴り響いた爆音に遮られた。

 

□■□

 

 その爆音は、耳元で鳴らされた爆竹のようであった。

 その爆音は『闘技場』の中央で鳴ったにも関わらず、目を見開き驚きを示したのは【ギャラルホルン】であり、それに最も警戒したのは、カタルパだった。

 つまりその爆音は、二人の所為ではないのだ。

 では、その主は――――

 

「んー……到着!

ひとっ跳び(、、、、、)って言っても、着地の事は考えてなかったわねー!」

 

 ――その、少女にしては顔が整っており、女性と言うには幼さが残るプレイヤーは――

 

『其方は……ミルキーか?』

「大正解ー、ミルキー様だよ!」

『…………有り得ない』

 

 その「有り得ない」は、ミルキー自身の台詞に対してである。

 『ひとっ跳びって言っても、着地の事は考えてなかったわねー!』

 此処まで、何処から来たのかは知らないが一度の跳躍で来たのだと言う。

 この『闘技場』に。

 木の龍に囲まれ、天を衝く程の高さの水晶の柱があるこの『闘技場』に。

 たかだか一度の跳躍で、来てしまったのだと言う――!!

 

 いつだったか、現実で、カデナ・パルメールは天羽 叶多の事を「梓よりも『踏み外している』」と判断した事があった。

 強ちそれは間違っていない。

 それは天羽 叶多のアバター、ミル鍵の必殺スキルを挙げれば分かるだろう。

 そういう意味で語るのであれば《轢かれた脚は此処に(テケテケ)》は、天羽 叶多という人間の、人間性の権化である。

 相手を殺せるなら、その結果の為の手段は選ばない。

 相手の首を飛ばせるなら、己が脚など惜しくない。

 殺せるなら死んでも構わない(、、、、、、、、、、、、、)

 そんな人間性の、権化。

 智(知)武勇の武担当、天羽 叶多の、権化である。

 

『何故此処に来れた……否、そうではない。此方の質問はそんなもの(、、、、、)ではない』

 

 宝石の柱を越えてきた事を、「マスターなのであれば不可能と断ずる事も出来まい」と結論を下した【ギャラルホルン】は新たな疑問をぶつける。

 

『何なのだ、今の其方は……!』

「私は……そーね、今の貴方に則って言うなら化け物だろーし、今の梓に則って言うなら、多分」

 

 そう言って、決めポーズでも取るかのように、上半身のみの彼女は、手鎌を掲げて笑った。

 

「正義の味方、だよん♪」

 

 【数神】対【零点回帰】の戦いに、【狂騒姫】が割り込んできた、瞬間だった。



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第四十八話

「――こんな筈では無かったのだ。

こうなる筈では無かったのだ。

何処で踏み違えたのだ?

何処で見誤ったのだ?

他の誰かの妨害か?

自身の怠慢と傲慢か?

何が引き金となり、私を穿った?

…………嗚呼、成程。

お前か、梓」

 

 誰かが、言った。

 彼の目の前で、誰かは言った。

 その言葉を、結の言葉として。

 

 対して、弱々しく――外見も、内面も――脆弱な彼は、独白した。

 

「僕は、それを否定したいんだ」

 

 彼女に、そう独白したのだ。

 

「悪になりたくない、って事?」

 

 まだ社会と言える社会を知らぬ彼女は、そう問う事しか出来なかった。

 稚い少女のような、そんな質問を、する事しか。

 

「それもある。

けど、それ以前に――」

 

 その時の彼の顔は、今尚彼女の、天羽 叶多の、心のアルバムの最前にある。

 

「――僕は、そんな悪を創った世界を、多分許しちゃいけないんだ。

いや……ちょっと違う。

僕はこんな世界を、認めなきゃいけない。こんな……掃き溜めのような世界を。善と悪の境界のないまま混沌だけが蔓延した世界を――是正しなくちゃ、いけない」

 

 ただの、一介の高校生が。

 『世界を憂う』、そんな表情をした事は。

 今尚、忘れられるものには、なってくれていなかった。

 

 誰かの言葉を引用するでもなく、自分の言葉で世界を憂いた彼が今、人間性を忘却したならば。

 あの『憂い』の為に。この、或いはあの『世界』の為に。取り戻さなければならない。

 

 ――それは、天羽 叶多という存在に刻まれている、数少ない『何か』なのだ。たとえそれが、どんな終焉を迎えるのであっても。

 それだけが、天羽 叶多を証明するのだから。

 

□■□

 

 相も変わらず無表情無対応を貫いたカタルパを尻目に、ミルキーと【ギャラルホルン】は相対していた。

 【狂騒姫】と、【零点回帰】が、である。

 かつて、【零点回帰】が【七亡乱波】であった頃、出逢う前に決着が付いた、あの時の【夜行狩人】ではない。

 

虚構系統多種職業混成派生超級職(、、、、、、、、、、、、、、、)、【狂騒姫(ノイズ・クイーン)】……だったか』

「……何それ?」

『現状最も職業の中で名の長い職業故に頭の片隅に置いていた程度だが……よもや、実際に見る事があるとはな。此方の運命とは些か、悪戯好きなようだ』

「ふーん?初耳」

『いや……其方は最も知っているべきだろう……』

「そーかな?別に私は転職しまくってたらこうなった(、、、、、)だけだし。

何だっけ?確か……【転職回数が一定回数に達しました】的なアナウンスが来て……それで、ねぇ?」

『転職回数……?成程、だから多種職業混成派生、か。となると転職するだけではそうなれない訳で……成程成程。其方は数奇な運命を辿るのがお好きなようだ』

「うん、大好き。だって梓と同じよーな道だもん」

『そうか。

《宝玉精製》』

 

 その会話という隙を、【ギャラルホルン】は逃さない。

 だがそのような小手先の、見え透いた罠は、今の彼女には通用しなかった。

 

「よっ、と」

 

 ほんの一振り、手鎌を振るっただけで、幾本もの槍が打ち砕かれ、霰のように地に降り注いだ。

 それに【ギャラルホルン】は驚きもせず、黙々と次の手を打った。

 

『使わない、とは言っていない。そうだろう、勇者達』

「勇者と正義の味方は、微妙に違うけどね」

『そうなのか?

塵になれば等しかろうに。

《Crystal Storm》』

 

 人間性は得ていた。だが、それは必ずしも理性を得た(、、、、、)事にはならない。

 水晶に囲われた闘技場。確かにここならば、ソレを放っても問題は無い。恐らく、そういう考えはしていただろう。何も、無計画に放つ訳では無いだろう。

 まぁ、そうであったとしても、彼ら彼女らを殺し得る最悪の方法ではあるのだが。

 

 ――だったの、だが。

 

「《五体投地結界》」

『何?……聞いた話では其方はそう(、、)なっている間はスキルを使えない筈では――』

「さぁ?《アストロガード》」

 

 何故必殺スキル(テケテケ)の事を知っているのかは言及せずに、ミルキーはスキルを重ねていく。

 

『【僧兵】系統に【鎧巨人】……成程』

 

 《Crystal Storm》を耐えきったミルキーを見て、【ギャラルホルン】は嘆息した。

 

『それと』

 

 《宝玉精製》で剣を創り、返す手で後に振る。

 ガキンッ、と鈍い音が鳴り響き、奇襲の主、カタルパが鎖を踊らせながら距離をとる。

 

(《Crystal Storm》を読んだ……?まさか……。あれは此方の最も危険なスキルである、と誤認させて(、、、、、)いたのだから、躱してカウンターを狙う等と言う発想は……否。

いたのだったな。カタルパ以外の策士が、この世界ではない世界に)

 

 【ギャラルホルン】はそこで初めて――恐らく生涯で初めて――戦慄した。

 然しそこに恐れは無い。

 寧ろそれとは別――否、逆の感情が、表に出ていた。

 

面白い(、、、)

 

 それは確かに人間性の発露の証左であったし、人間と呼ばれるその生命の定義枠に収まった、とも言えるだろう。

 なのであれば彼は人間だ。

 或いは、【零点回帰 ギャラルホルン】というエンブリオ(、、、、、)を使用する――

 

 ――マスターだ。

 

 刹那。

 鎖の化け物が、変質した。

 

□■□

 

 最早昔話ではあるが、カタルパにはある持論がある。

 曰く、『モンスターがプレイヤーを狩るのは構わないが、プレイヤーがプレイヤーを殺したりしてはならない』、と。

 それにも勿論モンスターが行う虐殺であったり、テイムモンスターでもないモンスターの虐待であったりと例外の『悪』は存在する。

 彼はモンスターがプレイヤーを殺す事を悪とは言わない。

 だから彼はモンスターに対して《秤は意図せずして釣り合う》を使用しない――使用出来ない。

 

 だと言うのに。

 

『おやこんな所に』

悪人が(、、、)

 

 鎖の化け物が、まともに喋った。

 一体でありながら、会話をして。

 一人でありながら、二人として。

 正義の味方が、喋った。

 

「残念ながら、この状態だとな」

『新たなスキルがない代わりに、第一と第四を使える、というメリットがあってね』

「『《秤は意図せずして釣り合う(アンコンシアス・フラット)》』」

 

□■□

 

 【絶対裁姫 アストライア】は、第1形態から第4形態に至る迄、必殺スキルを除き四つのスキルを会得している。

 そしてまた、剣、弓、旗、秤の何れに於いても、夫々の形態で一つのスキルしか発動出来ない。

 剣であれば《秤は意図せずして釣り合う(アンコンシアス・フラット)》で固定され。

 弓であれば《不平等の元描く平行線(アンフェア・イズ・フェア)》で固定され。

 旗であれば《揺らめく蒼天の旗(アズール・フラッグ)》で固定され。

 秤であれば《感情は一、論理は全(コンシアス・フラット)》で固定されている。

 別の形態のスキルを使う為に今使っているスキルを解除しなければならなかったという欠点を、【絶対裁姫 アストライア】は抱えていた(【共鳴怨刀 シュプレヒコール】の入手でそれは解消されてはいたものの)。

 今回、彼女は鎖となった。

 鎖とは、縛り付けるものであり、また繋ぎ止めるものである。

 カタルパ・ガーデンを戦闘に縛り付けるものであり、カタルパ・ガーデンを戦場に繋ぎ止めるものである。

 今回の変質――第4形態から第5形態への進化には、実は彼女とは全く関係の無いモノが関係している。

 此度、ミルキーに強化を頼む為に、【共鳴怨刀】をカタルパ・ガーデンは一時的に手放した。

 つまり、カタルパ・ガーデンを縛り付ける、いわば楔が、一つ失われたのだ。このままでは、【共鳴怨刀】無しでは、縛り付けられない。一つしかない、楔が消えたのだから。

 ともなれば、(本来必要性などこれっぽっちも無いというのに)鎖だけでカタルパ・ガーデンを縛らなければならない。

 だから彼女は鎖になった(、、、、、、、、、、、)

 彼女が武器だから。

 戦闘がなくなれば、武器の必要性もなくなるから。

 己が存在証明の為に縛り付ける。

 カタルパ・ガーデンのアルターエゴとして。

 智の方向へ進むなら、武と勇は捨てている。だから責めて、武だけでも。

 【共鳴怨刀】の時と同じように、ミル鍵がカタルパ・ガーデンから離れても良いように。

 【絶対裁姫 アストライア】とカタルパ・ガーデンだけになったとしても。

 彼女に存在意義が存在しているようにする為に。

 

 彼女は気付いていない。そんな行動理念でカタルパ・ガーデンを戦闘に縛り付けておいていると言うのに。

 

 世界で二人だけになったら、戦闘が起こらない事に。

 

 だから、鎖の化け物は、化け物であった。

 正義の味方且つ、化け物であった。



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第四十九話

( °壺°)「申し訳ございません!日曜に投稿と自分で言っておきながら!」
( ✕✝︎)「因みに。理由は?」
( °壺°)「『とじとも』ってあるやろ?」
( ✕✝︎)「ハイ、もういい。皆様、誠に申し訳ない」
( °壺°)「すみませんでした」
( ✕✝︎)「次そういうのあったらゲーム消そうぜ」
( °壺°)「シンデマウ……」


 ソレは近く、またとても遠い。

 昔のようで、それでいて今のような物語。

 いや、そうじゃない。

 コレは昔から、今尚続く物語なのだ。今尚続くから、どちらでもあるように思え、またどちらでもないように感じられるのだ。

 

 コレを諦められるなら。

 コレを締められるなら。

 今すぐにでもそうしただろう。

 

 けれど、未だそうしないのは、きっと――

 

□■□

 

 意外な事は、何も無かった。

 ただスキルを発動しただけなのだから。

 だがそれでも、いやだからこそ、セムロフ・クコーレフスは驚きを隠せなかった。隠そうともしていなかったが。

 対マスタースキルを、今、カタルパは、マスターではない化け物に使わなかったか、と。その問いを彼本人にぶつけたかったからだ。

 脳内で警報が鳴り響く。それは警戒というよりは、それよりももっと悪質な何かを告げる警報。疑心……とも違う、けれど安心する事の無いものを告げる、そしてまた鳴り止む事の無い警報。

 アレは今、前提を否定したのだ。悪とは本来、人のみが持ち得るモノだ。それを本来持たない化け物に、つまり人外に、使った。つまり自分の設定を改変したのだ。それは、改悪であったかもしれないというのに。

 

 厳密には《秤は意図せずして釣り合う》は対マスタースキルではなく対悪スキルである為否定はしていないが――善悪の判断を人外は基本行えない為、一概にセムロフの理念を否定する事は出来なかっただろう。

 

 恐らくそれを、カタルパ自身が否定する事も無かっただろうし、【絶対裁姫 アストライア】が否定する事も無かっただろう。

 結局、正義はいつでも、正しいとは限らないのだから――悪の方が正しい時ですらあるのだから尚更――カタルパ達は否定しなかっただろう。

 正義の味方であって、正義そのものであって、彼等が目指したのは『正しい何か』では無い。

 正義の味方という抽象的なものであれば、それで居られれば、それだけで良かったのだから。

 

「それでも、彼の正義は根底から覆されてしまう、筈じゃないですか」

 

 セムロフの苦言に、アルカも苦々しい表情をしながら答えた。

 

「けれど多分、それでもアズール達は満足だよ。

だって悪を倒せれば、正義でいられるんだもん。それで、いいんだもん。

だから、躊躇なくあの、以前の自分からしたら間違ってるような正義を翳すよ。アズール達はそういう人だよ。

そういう人だから……なのに……」

 

 最後の方は、セムロフの耳には届かず、またセムロフも言及もしなかった。言い方からして過去の事であろうと察したからであり、過去の事ならば、この後知れる事だ(、、、、、、、、)と、思ったからだった。

 

 ――この、未だ絶望的である現状に於いて勝利を確信した事に、この探偵はその時、気付けてはいなかった。

 

 万来の喝采は無く、凡百の理すら、これこの瞬間に至っては尊主されていないようにさえ見える空間で。

 宝石で造られた終末の喇叭と。

 鎖に巻かれた正義の味方と。

 上半だけの狂騒の怪異がいた。

 自由取り巻くこの世界に於いて、これ程までに或る意味自由な輩も早々居るまい。

 そう思わせる程に、彼等は『普通』の枠から逸脱しており、個性というものが強調され過ぎていた。

 個性豊かな面子、と言うのは本来、こういうものを指すのだろう、とでも言うかのようだ。

 まぁ、こんな存在を『個性豊か』という概念に於ける模範解答にしたがる者も居るまい。

 人外。埒外。例外。

 誰も彼も、何かから外れた者達だから。

 『人』という観念から外れた宝石の化け物。

 『埒』という境界から逸れた鎖の化け物。

 『例』という事象からズレた上半の化け物。

 そこに普通は無く、寧ろ『異常』と呼ばれるべきものが並んでいた。

 

 その様に恐怖をセムロフが覚えていた頃、戦場では、目にも止まらぬ猛攻が繰り広げられていた。

 

□■□

 

「《学習魔法・紅炎之槍(ヒートジャベリン)》」

 

 炎の槍が、魔本から射出され、宝石の壁に阻まれる。

 豪雨のように降り注ぐ透明な水晶の槍は、鎖が弾き、また一方は上半のみという体積の小ささを活かして躱す。

 まさに一進一退。二対一を以てして拮抗していた。

 鎖の化け物の周りを、月のように周回する魔本、【ネクロノミコン】は、この状況の異質さに、圧倒されていた。

 嘗ての【七亡乱波】から、弱体化はしていない、寧ろ強化されている筈の【零点回帰】を前に、何故二人程度で拮抗出来るのか、と。

 確かにそこには【ネクロノミコン】自身の協力があったりはする。だが、それでも。

 本来釣り合う可能性の無い天秤が、何故かこれこの時に限り、釣り合っているのだ。

 それを、運命と呼ぶならば。

 なんとも幸運に見舞われたものだ、と思う……が。

 

(そんな、甘い幻想の通りなのか?嗚呼、我以外の常識ある者が、もう一体居れば……!)

 

 拭えない不安は、この戦場には不要。それどころか足でまといだ。

 仮に【ネクロノミコン】が人であったなら、何粒もの冷や汗が頬を伝い、顎から地に落ちていただろう。

 焦燥。猜疑心。正の感情とも言えず、されど負の感情とも言えず。そんなものを内包しながら、【ネクロノミコン】はまた、学習した魔法を放つ。

 それを引き金に。撃鉄が落とされるように、【零点回帰】が動いた。

 

『《Crystal Storm》』

 

 再び放たれた、彼の使い得る最強の攻撃スキル(、、、、、)。最早これでは殺せない事を確信している【ギャラルホルン】は、《Crystal Storm》を放つのに、最早何の躊躇いも無かった。

 ミルキーは先程と同じように、《五体投地結界》と《アストロガード》を同時に発動した。

 然し今回は、先程範囲から外れていたカタルパが、範囲内に居る。

 【ギャラルホルン】は、カタルパがどう対処するかを見るためだけに今、こうして放ったのであった。

 カタルパは落ち着いた様子でミルキーに向けて右手を差し出すと、次の瞬間、その手に刀が握られた。

 ミルキーが渡したソレは、鞘や細かな装飾を見るだけで様々な意匠が凝らされているのが分かる、外見だけで名刀と断じても構わない程の作品だった。

 暗い赤を基調とした鞘に、金糸で施された刺繍。柄もそれに見合うように、されど派手では無い装飾が施されている。

 一応、ソレの存在を【ギャラルホルン】は認知している。

 何故ならば、ここ一ヶ月程、【ギャラルホルン】は天から全てを(、、、)見ていたのだから。

 

『久しいな、【シュプレヒコール】』

「ご名答。それと、忘れていたが。新たなスキル、とかいうのについては不正解だったな」

 

 今更、第5形態になった際の応答を引っ張り出す辺り、カタルパに真剣味はないように思われる。

 だがそれも、一瞬の事。今の会話の内に、宝石の嵐はカタルパの眼前にまで迫っていた。

 

(感情戻したら(、、、、、、)すぐコレか。返答も遅くて困る。全部預けたのは間違いだったなぁ。

さて……)

 

「《怨嗟の感染(シュプレヒコール)》」

 

 サラリと。

 【シュプレヒコール】の固有スキルを発動させ。

 

「《架空の魔書(ネクロノミコン)》」

 

 更に【ネクロノミコン】の固有スキルを重ねた。

 そして自身も鎖を鎧のように纏わせた。

 直後に起こった爆音。然れど二人ともケロリとした様子だった。最早、それに【ギャラルホルン】も驚きはしなかった。

 

 ……後に夫々のスキルの効果を知ったミルキーは語る。『耐えられて当然じゃないか』と。

 

□■□

 

 そこにあったのは未知だった。天から見下ろしているだけでは見れない、人の内と同じ、未知だった。

 【ギャラルホルン】は戦慄した。

 あの時。以前対決したあの時に、彼はこんなスキルを有していなかった。

 思えば彼はいつもそうだ。

 自分を含めた誰かの死を経験して、意識して、成長して行く。

 人を殺した経験から第2形態になった事に始まり、殺される事を危惧して第3形態となり、人を殺して成長する事になり第4形態となり、正義の為に殺し必殺スキルを得、此度。

 アルカ・トレスの死か、【ギャラルホルン】自身に殺される事への感情か、若しくはそのどれでもない何かに因って、第5形態へと化した。

 そしてまた、成長したのは何も、エンブリオだけではない。今回に限っては、彼がよく使うMVP特典の二大巨頭、【共鳴怨刀 シュプレヒコール】と【幻想魔導書 ネクロノミコン】が成長し、固有スキルの発動を可能とするまでに至った。

 《怨嗟の感染(シュプレヒコール)》と《架空の魔書(ネクロノミコン)》。

 どのような効果かは分からなかったが、同時に発動すれば《Crystal Storm》すら耐え得るスキル……その為、発動されては【ギャラルホルン】に一撃で決着を付ける方法は無い。

 これでは持久戦は必至である。

 まぁ、そうなればMPやSPに余裕の無い彼等の方が先に根が折れるだろうが。

 それでも拭えぬ死の恐怖。ありもしない、だが感じるそれは、未知というものへの恐怖であり、別にカタルパやミルキーに向けられたものではない。

 それが一層、恐怖を加速させる。

 誰かが『停滞を加速させていた』ように。明確な解答が無いが故に。

 

 ――そして、しばしば。

 

 恐怖は、その者に異変を起こさせる。

 恐怖そのもの、或いはそれを与えるものから生き残る術を画策するという行動の――その真逆。

 つまり、思考の放棄である。

 

『《Crystal Storm・Another》』

 

 それは、たった今創作されたモノ。

 だから敢えて名を付けるならば、そうなった。

 生きる術の画策、その最果てに、矢張り殺さざるを得ない事を理解したのか?

 

 否である。

 

 未知であるならば、既知になるまで使わせればいい(、、、、、、、)

 今この瞬間この場に。また、碌な思考能力を有していない化け物が一人、増えた。曲解にして、この場に於ける、模範解答であった。

 

「成程……再発目当てか」

 

 あっさりと目的を看破し、カタルパはミルキーに目配せをする。

 ミルキーはそれだけで察し、一度頷いてから化け物二体から距離をとり、人工林の中へと消えて行く。

 

『いいのか、マスター。彼女は退る必要は無いのでは?寧ろ再攻撃が遅れるだけでは……?』

「いいんだネクロ。これは初めから(、、、、)一対一なんだから。それに……」

 

 【ネクロノミコン】の心配も尤もではあったが、杞憂であった。

 鎖のエンブリオが、十字架を模した片手剣に変貌する。

 それに、ネクロは(無いが表現として)目を見開いた。

 

『マスター、まさか……!』

「もうお開きだから、な。

坊や、良い子だねんねしな……ってな」

 

 左手に刀、右手に剣を握る。攻守を入れ替えたいなら盾を取れ。

 

 これより始まるは強者打破。

 ――鎖で与えたダメージは計1000程。プラスで魔法もあったが塵ほどである。そして、鎖の一撃で与えたダメージは1。【ギャラルホルン】のENDは高すぎたのだろう。

 さて。そうすると、どうだろう?

 

 嘗ての事を鑑みると、どうなるだろう?

 

 その、答えは。強いて言うなら――

 

「『《愚者と嘘つき(アストライア)》』」

 

 ――()のみぞ知る、のだろう。



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第五十話

( °壺°)「一部の設定集などを除けば、これが五十話目です」
( ✕✝︎)「第■話、設定集、Epilogue and Prolog、そして資料集 その一、か。随分と長旅だな」
( °壺°)「でもまだ半分くらいですね」
( ✕✝︎)「読者の皆、もう暫く長旅に付き合ってくれ」



 形骸化した正義。

 それでも翳すのは些か愚者性が高くはなかろうか。

 それでも翳す事に、何か思う事は無いのか、いや、あるだろう。

 あるのに……無いという事にしているのだろう。

 

【《学習魔法・紅炎之槍》の記憶を消去】

【シークエンスコンプリート】

【【実在虚構 ヨグソトース】を召喚します】

 

 《架空の魔書(ネクロノミコン)》が正常に起動し、記憶していた魔法が消えた。記憶が消えるという再びの感覚に、【ネクロノミコン】は人外でありながら顰めっ面をした。

 そして、失った記憶をリソースとして――《実在する虚構》、《そのもの》、そうクトゥルフ神話で語られる神性――【実在虚構 ヨグソトース】を召喚するのが、《架空の魔書》の効果である。

 【ヨグソトース】は居るが居ない、存在しないが存在する神性。そしてその存在性故、絶対的な防御を誇る。

 カタルパがケロリとしていたのはこのスキルのお陰である。

 なら、もう一つ(、、、、)は?

 

【過去のログから《揺らめく蒼天の旗(アズール・フラッグ)》をサルベージ】

ストックさせます(、、、、、、、、)

 

 それが、《怨嗟の感染(シュプレヒコール)》の効果。

 今迄【共鳴怨刀】が《音信共鳴(ハウリング)》で発動してきたスキルを、一つストックしていなくても使えるスキル。

 

 どちらもデメリットは存在する。

 《架空の魔書》は前述の通り、《魔法学習》で得た記憶をスキル一つ分消去する。それをリソースにする為、多くその魔法を記憶していればしている分だけ【ヨグソトース】を呼び出す時間が長くなる。

 《怨嗟の感染》では、一度この効果で使ったスキルは七日間の間《音信共鳴》でもストック出来ない事。

 では、最後。

 

『悪は頽れる運命にあり』

「人の敷く世に善悪の境界無し」

『然れど今、【刻印(、、)】刻まれし真の悪に、神罰を下す』

 

 こちら(アストライア)は、どうだろう?

 必殺スキル。嘗て、【七亡乱波 ギャラルホルン】の橙色の突起を破壊した、最大最強のスキル。

 ――ここで攻撃(、、)スキルと呼ばない事に、果たして意味はあるのか。

 きっとそこにも、意味はあるのだろう。

 言葉が通じなければ武力を取り出す事に、罪悪感を抱く必要は無い。それは必然的な行為なのだから。だから、それを悪とは呼ばない。言葉を交わさずに武力を行使するのが悪である。それ故に、カタルパのコレは正義で居られる。言葉を交わせる相手と言葉を交わし、その後で武力を行使するのだから。

 いや、この場合行使しているのはあちらであり、こちらではないか。

 今カタルパは、防御を《架空の魔書》で喚ばれる【ヨグソトース】に任せ、《怨嗟の感染》と《愚者と嘘つき》による攻撃を謀っている。

 それを仮に【ギャラルホルン】が読んでいたとしても、《架空の魔書》と《怨嗟の感染》、そして《愚者と嘘つき》の能力を知らない彼の者が、十全な対策を取れる訳が無い。

 結果。

 

 【ヨグソトース】の前に宝石の嵐は無意味であり――旗の一撃の前に水晶の盾は無力であり。

 

 既に刻まれている刻印を払う事は出来ず、その罪を祓う事は出来ず。

 

「『《愚者と嘘つき(アストライア)》』」

『っ、《退廃来る(ギャラル)――

 

 その一撃を止める事は、不可能であった。

 

□■□

 

 《愚者と嘘つき(アストライア)》。

 その能力は二つある。一つは、『スキルを保持している限り、全ての攻撃で発生したダメージの発生回数分の【刻印】を相手に刻みつける』という能力。

 【刻印】は状態異常として扱われるが、それは【宿酔】や【凍結】、【呪縛】などとは違い、状態異常欄には記載されない。

 遊○王のカウンターや、プ○メモの+10/+10コインのようなもので、どんどん盛られていくものだからだろう。

 そして、《愚者と嘘つき》のもう一つの効果は。

 『発動時、【刻印】のある敵への攻撃に【刻印】の数分攻撃力補正をかける』という能力。

 【七亡乱波】戦に於いて、【刻印】は【ネクロノミコン】の放った《ファイヤーボール》により、【刻印】は【七亡乱波 ギャラルホルン】に300程刻まれていた。

 攻撃力補正率は【刻印】一つにつき1%。300も刻まれた【ギャラルホルン】に対し、+300%の補正がかけられていたという訳……ではない(、、、、)

 正しくは、【刻印】の数だけ、『1.01をかけていく』事になる。

 その為、【刻印】が50あるだけでも、+50%であれば100のダメージは150になるだけだが、164.4…まで上がる。

 この14.5(四捨五入した)は、誤差とあしらわれるかもしれないが、60あれば誤差は21.7に。70で30.7になる。

 そしてこの誤差は、ダメージではなく攻撃力にかかる為、攻撃力が1000あれば誤差は10倍になっている訳だし、10000あれば……言うまでもない。そして、ここでSTRと言っていない点にも注視すべきなのだが……この際言わなくてもよいだろう。

 ダメージが1でも入るなら、鎖による圧倒的手数を以て『悪を屠る』。

 “獣の化身”にも似た理論は、彼等の到達点であった。

 チェシャ――【無限■■ ■■■■■■】の辿り着いた理論は、偶然的にも、【絶対裁姫 アストライア】と同じであった、と言うのだ。

 その過程、そして末路は違うにしても、同族。

 【零点回帰 ギャラルホルン】は、カタルパ・ガーデンと対峙していてその実、トム・キャットと対峙しているも同義であったのだ。本来は全然同義ではないが。

 

 斯くして、斬撃が宝石の体に到達する。

 ゆっくり、ゆっくりと。然れど豆腐を切るかのようにすらりと。

 宝石の肉体が、分かたれていくのを【ギャラルホルン】は感じた。

 

(成程、これが走馬灯か)

 

 死の間際、世界がゆっくり動くように見え、過去の事を垣間見る、人間が経験する事象(、、、、、、、、、)

 【ギャラルホルン】は矢張り、人間性を得ていたのだ。

 

(だから……だから、負けるのだ)

 

 人間性を持つなら、人間と同義である。悪人なら殺せるカタルパが、こうして殺す訳だ。

 

(なら、せめてもの、餞に――)

 

 【ギャラルホルン】が、既に二つに別れた口で唱える。二分された顔面で、しっかりと対象を捉える。

 一世一代の、大勝負。

 人と人の戦いに、相応しくはない大勝負。

 けれども。

 

 化け物と化け物の戦いには、相応しかろう。

 

『《退廃来る終末の嵐(ギャラルホルン)》』

 

 宝石の一つ一つが、個性を放つように陽光を乱反射し、地上に第二の太陽が生まれる。

 その太陽はミルキーを吹き飛ばし、その内に【ギャラルホルン】とカタルパを飲み込んだ。

 天地鳴動。地を抉り、木々を裂き、囲っていた水晶を取り込み肥大化する。

 

溜まったら(、、、、、)すぐこれですか!

恨みますよカタルパさんっ……!

《壁にかかった魔法の鏡》!」

 

 その肥大化の過程で、宝石の乱舞に飲み込まれそうになったアルカ・トレスとセムロフ・クコーレフスがミルキーと共に虚空へと消える。

 『私達が生き残るなら、街の中かこの攻撃の範囲外か、どちら(、、、)?』と問い、範囲外へと消えたのだ。

 だがその『私達』に、カタルパ・ガーデンは含まれていなかった。

 今尚、宝石の太陽の中、二人で一体に対峙していたのだから。

 

「何のつもりだ、【ギャラルホルン】」

『無論、此方が生きていた事の証を、遺す為に』

「『生きていた』とか『遺す』とかほざくなよ化け物が」

『ならば其方も、「正義の味方」などと名乗らない方が良い。あれは人間しかなれない職だ』

『戯けめ!カーターの記憶の中には人間じゃない正義の味方とかいたぞ!』

「アイラ、多分そういう事じゃない。

……まぁ、分かっちゃいるよ。俺の正義はもう、正答ではない事くらいは」

 

 それでも、とカタルパは続けた。

 

「俺は、こんな正義しか翳せない」

 

 そんでもって、と更に続ける。

 

「こんな正義でしか、護れないものがあった。

こんな正義でしか、救えないひとがいた」

 

 過去形である事に、既に光の塵となり始めた【ギャラルホルン】は気付かない。

 

「何より……こんなものを正義って呼んでくれた、護りたいもの(アストライア)がいる」

 

 その目は、優しかった。

 正義の味方ではなく、娘を思いやる父親のような目。

 流石の【ギャラルホルン】も、それには気付いた。

 

(成程。一対一ではなく、あの【狂騒姫】との二対一でもなく。

彼と彼女の、二対一、或いは三対一であったか。

勝てぬな、それは。

一人であろうとした、此方では)

 

 パキン、と罅割れる音が鳴り、そこから更に塵へと化していく。

 

『此方は、〈UBM〉ではないらしい』

「そうか」

『それ故、此方を倒したという証拠が無い』

「……そうか?」

『違うのか?』

『遺ると思うよ。人を殺した(、、、、、)罪を背負って。

私達は生きていくから』

「だから心配するな」

「『そのまま朽ちろ、終末の喇叭』」

『……そうさせて、もらおう』

 

 最後……否、最期に、胸部辺りの透明な球状の宝石を煌めかせて。

 収縮する第二の太陽ごと、【零点回帰 ギャラルホルン】は、その名の通り、零に回帰したのだった――




《架空の魔書》
 【幻想魔導書 ネクロノミコン】のスキル。学習していた魔法の記憶をリソースとして、【実在虚構 ヨグソトース】を召喚する。一度に複数の記憶をリソースとする事も可能だが、学習した魔法の記憶しかリソースに出来ないという欠点もある。

【実在虚構 ヨグソトース】
 クトゥルフ神話に登場する神性の名を冠する、触手の化け物。
 存在と非存在のどちらでもあり、どちらでもないという究極の混沌であり、全ての存在を否定し、また全ての非存在を否定する。その為、一切の攻撃が通用しない。
 現状、《架空の魔書》以外での召喚は不可能。

《怨嗟の感染》
 【怨嗟連鎖 シュプレヒコール】のスキル。
 《音信共鳴》で一度でも模倣した事があるスキルを、強制的にストックさせる。《音信共鳴》で事前にストックしていたスキルが上書きされる為、そうすると《怨嗟の感染》と《音信共鳴》二つのデメリットにより、二つのスキルが【シュプレヒコール】による再発動が不可能になる。
 強制的にストックさせる事による負荷か、24時間同スキルをストック不可という制約があり、また《音信共鳴》によるデメリットでストック出来ないスキルをストックさせる事は出来ない。

《愚者と嘘つき》
 【絶対裁姫 アストライア】の必殺スキル。
 このスキルを保持している限り、全ての攻撃にダメージ発生時に【刻印】を刻みつける能力を付与する。
 そしてスキルを発動すると【刻印】の数だけ攻撃力補正がかかる一撃を放つ。その一撃はどんな一撃でもいい。
 最大火力は勿論、【刻印】を大量に刻んだ上で、このスキルと共に《揺らめく蒼天の旗》をぶち込む事である。

( ✕✝︎)「……待て、ちょっと待て。【シュプレヒコール】の名前が誤字って――」
( °壺°)「ではまた次回ー」


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第五十一話

( °壺°)「9000UA突破ありがとうございます」
( ✕✝︎)「当初の予定より長編化したこの物語を、今後とも宜しく」


■ ???

 

 ()は、宝石を愛していた。別に宝石商では無かったし、そういったものと縁のある、富んだ人間(、、)では無かった。

 それでも、時折その目で見た輝きは、買ってもいないのに一生物であった。

 ヘマタイトの黒い照りが好きだった。

 ルビーの紅には何度目を奪われた事か。

 水晶の、透明でいて、然れど見通せないあの煌めきは、心が洗われるようだった。

 彼は、宝石を愛していた。だが、その生涯に於いて、それらを手にする事は殆ど無かった。

 けれども、見ていられればそれで満足であった彼に、不満は無かった。寧ろ、手が届かないからこそ、眺めていられるのだ、と。

 

 そして彼は、宝石を愛していたが故に、それを装飾品として身に付けていた人々を、酷く嫌っていた。

 美しいモノを、汚らわしいモノが身に付けている。

 豚に真珠とはこの事だ、と彼は何度も鼻で笑った。

 けれど彼が思う『汚らわしいモノ』であればそうである程、ソレは多くの美しいモノを身に付けていたのだから中々に皮肉が効いていた。

 

「間違っているよ。宝石は眺めるものだ。そうして自分の醜い部分を覆い隠す為にあるんじゃない」

 

 その言葉を、何度飲み込んだ事か。

 貴族()に。富豪()に。()に。

 何度言いかけた事か。

 そうして口にしなかった事は、きっと優しさ……なのだろう。

 そう、信じなければ。人間の善性を信じなければ。

 性善説を唱えなければ。宝石の煌めきに拐かされて、彼は人ではなくなってしまうだろうから。

 性善説と性悪説。それらは対極でありながら、結末は同じである。

 人は生まれながらにして善性を持つから、それを活かす事を唱える性善説。

 人は生まれながらにして悪性を持つから、それを乗り越える事を唱える性悪説。

 逆であり、鏡写しであり、その道は一本道である。

 だからこの場合彼がどちらを唱えていても問題は無かった。

 問題があったのは、彼ではなく、性善説や性悪説を唱える唱えないに関わらず悪であった、周りの人間()共だろう。

 彼の、無いに等しいかもしれない程度に持っていた優しさを、その豚共は欠片も所有してはいなかったのだから。

 持てない者は、美しく。

 持つ者は、醜かった。

 それだけを知って。それだけを記して。

 それのみを印として。

 

 彼は終わり、また始まった。

 

□■□

 

 目覚めた時、一言で言うなればそれは、別世界であった。

 自分の記憶しているものとは違う自分で始まる新たな人生。

 『成程これが異世界転生か』と当時は暢気に考えていた。

 形を得て、生を得て。

 人から化け物になった彼は、いつしか。

 【七亡乱波 ギャラルホルン】と名を変えて、人の片鱗を失った。

 

 そうして、人の片鱗を失って。【零点回帰 ギャラルホルン】へと変質してからは、どうだろう?

 

 『人らしさ』。そんなものを、得たのだと、彼の敵は言った。

 ……本来、持っていた筈の、ソレ。

 自分自身が、過去を忘れていたから、彼は『終わる』その時まで、ソレを思い出す事は無く、感慨にふける事も無かった。

 『人らしさ』を再び持っても、人の記憶や、過去や、存在した理由さえ、何一つ。覚えてなどいなかった。

 だからそれを、悲しむ事さえ。

 

 【零点回帰 ギャラルホルン】には、出来なかった。

 

 斯くして宝石は慟哭する。狂気は、初めからその内に満ちていた。今更フィンブルしたところで、元より値は0である。今「狂い出す」事は、有り得ない。

 今更、何を恐れよう。何を嫌がろう。何を哀れみ、何を愛そう?寧ろ……其方を此方に引き摺り込んでしまえば、終わらせてしまえば。零に回帰させてしまえば。

 

 ――その方が、『幸せ』ではなかろうか?

 

 そうして宝石の手は伸びる。

 虚無へ、絶望へ。己が経験しなかったであろう極地まで――そして。そうして。

 その手は、一人の正義の味方に切り落とされて。

 今となっては、虚空を掴む事すら、無くなった。

 空を切って、人の手ではなくなった手は、霞すら掴めなくなった。

 そうしてそのまま、【零点回帰 ギャラルホルン】は、亡くなった。

 だが、満足はしていただろう、と。後に正義の味方は語った。

 

■ジャバウォック

 

 それを、私は〈UBM〉には認定していなかった。

 だから、ヤツを倒したところで、彼はMVP特典を入手する事は出来ない。

 残念ながら……彼は、倒したという経験のみを、或いは少しのアイテムを残して、【零点回帰 ギャラルホルン】との物語を終える事になった。

 ……と、感慨にふけていると、ステータスメッセージが来た。この場合、理由は一つしか存在しない。

 

【……ジャバウォック】

 

 ……とは言え、突然どうしたのだろうか、珍しい。態々、ダッチェス自身から連絡が来るなど。

 

「どうしたのかね、態々」

 

 思った事をそのまま口に出す。こんな状況で連絡を寄越したのであれば、恐らく【零点回帰 ギャラルホルン】関連……視界情報をコントロールするダッチェスの事だ、カタルパ・ガーデンに何かあったのかもしれない。

 ……こういう時に連絡を寄越すべきなのはプレイヤーの事なのだからアリスであるべきでは……と思いはするのだが、あいつがするとは思えない。マスター至上主義の事だ。私に連絡する事などある筈も無い。やれやれ、だからダッチェスが忙殺されるのではないだろうか?

 

【アレは……なに?】

「アレ、とは?

……いや、待て……確認したいモノがある」

 

 情報の更新が発生し、不意に見る。まさか、と思ってしまった。

 そしてまた、こうした嫌な予感というものは、的中する確率が高い。何故こういうところは、私達では操作出来ないのだろうか?

 

 そうして、果たして、私は【終点晶楔 ギャラルホルン】の文字を見た。

 

「な……バカ、な……!!」

 

 有り得ない。〈UBM〉ではないのに、自身の名を遺す、MVP特典のような武具が、ある、だと……!?

 再三再四確認するも、〈UBM〉のリストにあの水晶の化け物は存在しない。私が認定した覚えは無いし、リメイクした覚えも無いし、クイーンがやるとも思えない。矢張り有り得ない。今の所〈UBM〉を創りあげるエンブリオの情報も無い。

 ならば、あの楔は何だ?

 

「ダッチェス、何故アレがあるのか、視界情報から分かるか?」

【分かったから……連絡した……】

「流石だ。それで、何故?」

【【零点回帰 ギャラルホルン】の……最期の……】

「最期?あぁ、《退廃来る終末の嵐(ギャラルホルン)》か」

【その……スキルのせい】

 

 相変わらずステータスメッセージのみで会話にはなっていないが(あちらの多忙は知っているので責める事は無いが)、言いたい事は何となく察した。

 【終点晶楔 ギャラルホルン】はMVP特典ではなく、【ギャラルホルン】の名を冠するだけの、武具だと言うのだろう。

 ならば。

 

「《退廃来る終末の嵐(ギャラルホルン)》は、攻撃スキルではない、のか?」

【そうみたい。カタルパの見ていた情報からだと……水晶全てが消え去ったら透明な球状の宝石が砕けて……それでその中から(、、、、、)

「あの楔が『産まれた』、と」

 

 産まれた、という表現だと人間味が過ぎるが、ことこれに限ってはいいだろう。アレは、人間であろうとした元人間なのだから。

 

【取り敢えず……教えた、から……】

「すまんな。後はこちらに任せてくれたまえ」

【……他の仕事も?】

「それは出来かねる」

 

 最後に冗談めいたセリフを残し、ダッチェスとの会話が終了する。

 流石に、ユーザーが増えれば増える程忙殺される、というのは、凄まじいものだな。

 ……序に、強い者が居れば居る程忙殺される者もいるが。環境整備とは、厄介なのだな。

 

「さて、これらはクイーンに話をつけるとして……新しいモノに着手するか」

 

 私は少し、浮き足立つような感覚を覚えながら、我が半身が蠢くのを聞きながら、いつもの仕事にとりかかった。

 

■カタルパ・ガーデン

 

 そこには、楔があった。いや、取り残されていた。いやいや、取り『遺されていた』。

 死んだ筈の奴は、その楔を遺していった。

 あの水晶の嵐は、全てを破壊する為のものではなく、云わば工房のようなもので、その内部で『作品』を精製するのが《退廃来る終末の嵐》の本来のスキルのようだ。

 楔。

 鎖が外れぬように打ち込む釘のようなもの。聖釘と似通ったもの。

 ソレは、水晶で出来た、真っ直ぐとした、美しい、剣のような楔だった。

 

「【終点晶楔 ギャラルホルン】……MVP特典ではないけれど、あいつの名が銘打たれているのか」

『最高傑作、と言うことかもしれないね、カーター』

 

 そうかもな、と返す前に少し考えた。

 確かに、これ程綺麗な水晶は見た事がない。リアルでも、勿論【ギャラルホルン】と戦ってきた今まででも。あの中央にあった、【零点回帰】になって胸部にあったあの透明な球状の宝石。あれのような美しさだ。

 生憎宝石商とかではないし、鑑定士でもないから真価は分からない。

 ……本当に怖いのは、MVP特典じゃないから盗まれる可能性がある事だよな。

 あいつの形見とも呼べるコレを、盗まれる訳には行かないよな。

 

「なら、楔と言っているのだから、私が持っておこうか?」

「……成程」

 

 確かに、【強奪王】か何かはアイテムボックスから盗みとるとか言ってたしな、シュウが。

 アイテムボックスから盗めても、エンブリオからは盗めない……かもしれない。

 怖くはあるが、俺が持つよりは確実に安全だ。

 だから大丈夫。俺よりも、彼女の方が。

 

 ――――『楔』を、正しく扱える筈だ。

 

 きっと。否、確実に。

 

 ……だから。大丈夫な……筈だ。

 俺が死のうと。誰が死のうと。その楔が、アイラという鎖が、俺の正義を証明してくれる……筈だ。

 

「さぁ異臭を放ち来る。キミの影を喰い。恐怖のパレードが来る。キミの名の元に。

……だったかな」

「……なんなの、その不吉な言葉は」

「歌詞だよ。ちゃんとした、な」

「……?」

 

 この状況で言うことでは無かっただろうが、つい思い浮かべてしまった歌詞を、口ずさむ。

 ……多分そういうのを『フラグ』とか言うんだろうな、と後々思いはするのだが。

 そんな事に聡かったら、俺はこんな厄介な人生を送ってないと思った。

 

「さて、俺は一旦……と言うより暫く、か?いや、少しの間だな。

ゲームから離れるから。後は頼んだ」

「何を頼まれたらいいのか分からないけれど了解だよ。……セムロフの事だね?」

「終わったら、って言ったからな」

 

 後ろ手に手を振り、ログアウトを選択する。

 ――後ろ手に手を振ると、分からない事が幾つかある。

 

 その一。彼女の表情。指輪のついた左手で手を振っているのは何となく察せるが、どんな表情でその手を振っているのか分からない。

 その二。彼女の感情。笑顔でいるのは何となく察せるが、どんな感情で佇んでいるのか分からない。

 振り返れば、分かる筈なのに。

 怖くなった訳じゃない。また来れば、また会える。

 そんな当たり前が、俺を怠惰にさせていた。

 様々な事で、俺は怠惰になっていた。

 傲慢で、強欲で、怠惰になっていた。




【終点晶楔 ギャラルホルン】
 MVP特典ではない。【零点回帰 ギャラルホルン】の遺作。
 現在詳細不明。

《退廃来る終末の嵐》
 【零点回帰 ギャラルホルン】のスキル。《宝玉精製》、《Crystal Storm》に続く、元々《???》と称されていたスキル。
 第二の太陽を宝石によって創りあげ、その内部を工房とし、宝石を創り出す能力。
 《宝玉精製》では自身の食べてきた(吸収してきた)宝石をリソースとして利用出来るが、このスキルでは自身の肉体……【ギャラルホルン】自身をリソースとして創り出す為、自殺スキルである。
 最高傑作と言うのなら、それはもう、それが【ギャラルホルン】と言える。「最高」、ならば、【ギャラルホルン】が己を何処かへ残せたりはしないのだから。遺せるか否かは、別として。


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第五十二話

 取り敢えず。人外の人間、カタルパ・ガーデンと人間だった人外、【零点回帰 ギャラルホルン】の物語は幕を下ろした。

 

 吟遊詩人達はこれを物語にはしないだろう。何せ見ていない。見ていないものは流石に創作で補えるその限度を超越している。故に、最早完全な創作でしか語り得ない、彼等彼女等(AssとLiar)の物語。

 

 そんな、そんな在り来りとは真反対な物語に、今宵終止符は打たれたのだ。

 【五里霧虫 ミスティック】は雲散霧消し。

 【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】は喝采に呑まれ。

 【死屍類涙 ガタノトーア】は瞳を閉じ。

 【零点回帰 ギャラルホルン】は地に墜ちた。

 めでたしめでたし。

 

 三体の〈UBM〉と、一体の化け物の云わば討伐譚。

 カタルパ・ガーデンと、【絶対裁姫 アストライア】の冒険譚。

 【幻想魔導書 ネクロノミコン】やミル鍵やアルカ・トレス、そしてセムロフ・クコーレフス、シュウ・スターリングにフィガロなどの脇役(スパイス)を添えて。

 ハッピーエンドとも、バッドエンドとも取れるような――恐らくバッドエンドと捉える者は居ないだろうが――そんなトゥルーエンドを迎えた。

 いや、事これに限り、未だ終わりを迎えていないようだ。

 まだ、この所謂《【ギャラルホルン】編》は、終止符を打たれていないのだ。

 

□■□

 

「では、見させて貰います」

「構わん。言った通りだからな」

 

 庭原 梓の自宅にて。

 その家主と向かい合うように、狩谷 松斎は立っていた。そのまま、睨みつけていた。

 頁を捲る手は止まない。

 彼を睨んでいた目も、もう文字を追う事しかしていない。

 視界の端にすら捉えない。スパコンのようなスピードで、狩谷は真実を追っていく。

 

「敢えて聞きますが、虚偽は無いんですよね?」

「それは流石に無い。僕とアイツと……彼等に誓おう」

 

 アイツ、と言うのは恐らく、あの主犯だろう。彼等、と言うのは間違いなく元奴隷の方々だ。

 私に誓いますか、と。逡巡したのを悟ったかのように、タイミング良く(狩谷からすればタイミング悪く)、梓はニヤリと笑った。

 それこそ、『その勘違い(、、、)、正してやるよ』と言っているかのように。

 良い気がしなかったのは、言うまでもない。

 

□■□

 

 半日程が経過して。

 そこには全てが既読のものとなった資料が積み上げられており。

 そこには、案の定。

 

 絶望の淵に居るような雰囲気を醸し出す、狩谷 松斎が居た。

 

「まだ……無いんですか……!」

「僕が知り得ている全てがそこにある。逆に、それ以外は無い。

だからな、狩谷。

お前がウチの奴隷であった(、、、、、、、、、、、、)、なんて事実は無いんだよ」

 

 その一言は、狩谷を突き落とした。

 カタルパ・ガーデンが【絶対裁姫 アストライア】に断崖絶壁に突き落とされたのと同じように、庭原 梓は此度、狩谷 松斎を断崖絶壁に突き落とした。

 

「なら……本当に私は何者なんですか……!」

「僕達が社会の裏方、脱法ならば……お前のそれは、比喩無き違法だよ。

プラスアルファ……僕達の名を借りたらしいじゃないか」

 

 つまり。狩谷 松斎は『ニワハラグループ』とは全く関係の無い所で奴隷と化していたのだ。

 一応黙認されていた『ニワハラグループ』のそれとは違うなら、表向きも裏向きも許されはしない違法である(だからとは言え、『ニワハラグループ』の所業は許されるものではないが)。

 

「だから、次はこっちの番な(、、、、、、、、)?」

「…………え?」

「お前が何処から来たか(、、、、、、、)、調べさせてくんね?」

 

 それは正に、悪魔の微笑み。

 絶望という地獄に垂らされた、蜘蛛の糸。

 擦り切れそうな精神で、摩耗しきった精神で、正常な判断は下せず。

 大した思考もせずに、子供のように泣きじゃくりながら、狩谷は頷いた。

 尚、その時『お願いします』みたいな事を言っていたそうだが、洟や涙に塗れて正常に発音出来ていなかったので、そのセリフは割愛させて頂く。

 信じられない、と何度言っていたかは知らないが、最も残酷な結論が、大抵真実なのだから、この世界はタチが悪い。

 梓は、ただ純粋に、そう思った。

 

□■□

 

「成程ねー……こりゃ久々に葉桐達の出番かもな……」

 

 デスク上に浮かぶ情報の濁流。

 それを見て梓は嘆息する。

 葉桐、と言うのは十二話に出てきたカデナと共に生活している黒服である。

 ゲーム内で(、、、、、)合流する予定は無かった。嘘は()いていない。

 下らない。実に下らない。

 この世界は――今のもそうだが――嘘ばかりだ。

 虚偽、嘘偽り、偽物――偽善。

 真実や信実というものは、ありふれていながら、信憑性は無い。

 狩谷に見せていたあの情報だって、100%真実とは限らない。梓も嘘を吐いているつもりはないが、『アイツ』が何か隠していた可能性は高いし、漁られた際に失われたものがあるかもしれない。

 けれども、狩谷は年齢的に梓より下でありながら、梓の記憶の中に狩谷が居ない、というのが本来おかしいのだ。

 だから、『初目だった』時点で、梓は狩谷がウチの奴隷では無い事を、看破していた。

 梓は、記憶力が良いから。

 流石は智力の化け物である。……ゲーム内では鎖の化け物で、現実では智力の化け物、という、(つくづく)不正を重ねたような歪な人間である。

 化け物――『埒』という境界から逸れた鎖の化け物――のようで、矢張りそれはカタルパ・ガーデンであり、庭原 梓ではない為、違う……然れども、その違いは最早誤差の範囲内であり、庭原 梓という人間をあんな鎖に巻かれた正義の味方と捉えても、特に問題は無い。

 カタカタ、とキーボードを叩く音が密室内で反響する。その部屋はブルーライトに照らされ、今にも梓に『真似事』の真実を吐露してしまいそうだった。

 

 ところで。頭の良さと賢さはイコールではない。

 知識がある者と、それを活用する者。文面にするだけでも、なんとなく違いが分かるだろう。

 梓は本来、前者である。

 賢いだけの、考えない葦……それはただの葦だろうが。

 本来前者であるならば。

 現在は後者なのだろう。

 考える葦。そうして漸く、人間である。ならば、梓は嘗て人間未満であったのだろうか?

 答えは、否。

 人間『以降』が、「考える」事を得て、人間に『墜ちた』のだ。

 

 庭原 梓は、成功作だった。だから庭原家の人間として生き残ったのだ。

 7歳の時に考える事を放棄し、彼は人『以降』になり。

 16歳の時に『墜ちた』。

 

 この時の梓は、どちらかと言うと人『以降』の側だったと言える。

 それは、過去の、人間に希望を見出していなかった頃と、今の心情が合致しているからかもしれない。

 無意識に、今の梓は考える事を放棄していた。

 考えるという思考を。

 狩谷を思いやる心情を。

 悲しいと思う感情を。

 放棄していた。

 それこそ《感情は一、論理は全》を発動させたカタルパのように。

 

「…………あった」

 

 ディスプレイの向こう側、見つけたその名を深く刻んで。

 復讐劇は、何故か。復讐される側が、終わらせるのだった。

 

□■□

 

「ハロー、閉塞な世界(ディストピア)

 

 扉を蹴破り、地下に下りると案の定。二十年間……いや、それ以上、だろう。

 『真似事』の続きが、見られた。

 『ニワハラグループ』が崩壊した今だからこそ、あの焼印はやってないようだが――抑、『ニワハラグループ』の奴隷にそんな事をした事実は無いのだが――結局、そういった事、或いは事業、或いは概念。そういったものは、殲滅出来ても、壊滅は出来ても。全滅は、出来ないのだ。

 国家が認めた奴隷商、ニワハラグループ。

 そのポストになろうとしている、とも言えた。

 

「下らねぇ」

 

 それを、梓は一蹴する。

 因みにこの間ずっと、その『真似事』企業からの質問攻めは続いていたのだが、梓の耳には届いていなかった。それどころか、

 

「おい、そいつ……庭原家の……アレじゃね?」

「馬鹿な……御曹司な訳ねぇだろ!」

 

 真実を否定し始める始末。

 

「下らねぇ」

 

 梓は、その浅はかな思考を嘲った。

 今、隣に鎖の少女が居たのなら、すぐさま十字架の剣に姿を変えさせて、切り刻む事だろう。

 しかしそこは紳士、庭原 梓。

 少女に汚れ役を任せない。

 ……何処と無く『それじゃない』感は否めないが、カタルパ・ガーデンを知る者が梓以外に居なかったので、どうでもいい事だろう。

 序に、この後この『真似事』の主犯がどうなるか、など。

 

 ――どうでもいい事だろう?



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第五十三話

■狩谷 松斎

 

 真実を知って、そして全てを「終わらせてきた」彼の話を聞いて、私は項垂れていました。

 恐らく、「そういうもの」だったのでしょう、世界というものは。

 程よい優しさに満ちていて。快い怠惰が待ち受けていて。そんな甘やかなもので、絶望をコーティングしているのでしょう。

 ……まぁ、どうであっても、誰も咎めはしないでしょう。咎める事は出来ないでしょう。

 初めから、「そういうもの」だったのですから。

 

「バカ言うなよ、被害者が」

 

 ボーッとしていると、上がっていた何かをたたき落とすような彼の声がしました。

 いえ、本当は絶望に塗れたこの世界から救い上げる言葉だった、筈なのですが。ひねくれ者の私は、その言葉をありのまま受け入れる事が出来ませんでした。

 すると。

 

「違ぇか。

被害者面すんなよ(、、、、、、、、)、桐谷 晶子」

 

 その言葉で、スっと現実に引き戻されました。

 嘗て、私が態と、言葉を選んで彼の逆鱗に触れたのと同じように。

 それこそ意趣返しのように。彼もまた、私をこうして現実に引き戻す術として、逆鱗に触れたのです。

 ……あと、今のでお分かりかと思いますが、彼はもう私の実名を知っています。そりゃ、調査するのに偽名では進みませんからね。

 閑話休題(それはどうでもいい)

 逆鱗に触れられて黙っていられる程、私は聖人ではありません。己が過去に関しては、それこそ別次元の執念があります。

 つまり私は、私の過去に限って、平常ではいられないのです。

 触れられたくない過去。加工は出来なくても脚色は出来る、禍根を残すような過去。

 

「ですが……まぁ。私の復讐がお門違いであった事には謝りますし、『終わらせてきた』事には感謝します」

「ん、そうだな。

それで……どうするんだ?」

「……?何がです?」

「そりゃ、『この後』だろうよ」

 

 ナニヲイッテイルンダロウ?

 

「お前は……多分だけど、僕や今は無きグループへの復讐だけで動いてきたと思う。生きてきたんだと思う。

それが終わってしまった今、お前は何を核として生きていくんだ?」

 

 それは、考えた事すらない、盲点でした。

 今迄の私なら、復讐を遂げた後に自殺なり何なりしたと思うのですが(追っている事件が事件でしたので、裏で殺される、なんて事も有り得た訳ですけれど)、生憎、その必要性すら、今は感じられなくなっていました。未練でもあるのでしょうか?

 

「私は……何をして、生きていけばいいんですか?」

「生憎、そりゃ僕の課題でもあるんだよなぁ。

行き当たりばったりな僕の生き方は、君のその言い分に対して解を見い出せないでいる」

 

 きっぱりと、「自分にも分からない」と切り捨てた彼は……私と同じでありながら、全く違うものでした。

 彼は、停滞しているつもりで、誰よりも進んでいるのです。停滞している私と違って。……いえ、彼は……『停滞する為に進んでいる』。

 いつか、立ち止まらなければならない時の為に、進んでいるのです。

 矛盾はしていない。けれど、成り立っている訳でもない。

 …………本当に、歪な人。

 

「まぁ?お前が生きる意味を見失おうと、僕の知った事では無いんだけどな。それでも……ほっとけないしな。

ただ……僕と同じにはなるなよ、とだけ言っておこうか」

 

 抜けた調子で、彼は言いました。

 生きる意味が無くとも構わない、と婉曲的に。それでも庭原 梓のようにはなるな、と直接的に。

 彼の生き方を、私は真似る事は無いでしょう。

 けれども、まぁ。

 似たような生き方、くらいなら。私にも、きっと。

 

 今は精々、笑って見送るくらいしか、出来ませんけど、ね。

 

■庭原 梓

 

 狩谷 松斎と別れて、僕は颯爽と帰宅――しなかった。

 別に寄りたい所があった訳じゃない。どうせならとっとと帰って、アイラに会いに行きたい。

 でも、何かに呼び止められた気がして。……それこそ何かのゲームのイベントが発生したかのように。

 現実で僕は、「そうしたもの」に遭遇した、のかもしれない。

 まだ何も起きていないから、僕の勘違いとかで済ませられる。

 けれども僕の直感か何かが、気のせいではない事を主張していた。

 

「そうして、誰かと出会うなら、出逢うならば……運命なんだろうけど」

 

 態といつもは通らない道を通ったり、態とゆっくり歩いたり、横道に逸れたり、裏道を覗いてみたり。

 傍から見たら可笑しな踊りにでも見えただろう。

 そうとは知りながらダンス&ダンスをするのだから、僕は信じたがりだ。

 

 そうしてそのまま、誰にも会わず、ただ時間の浪費をして、自宅の扉の前に僕は立ったのだ。

 なら、その運命の出会いはゲームの中での事なのかもしれない。

 そんな確信はしていないし、猜疑心満々だし、序に言えばまだ放浪みたいな散歩をしていたい。ただ、そういう気分だったのかもしれない。

 本当に一人で居られるのは、ゲームではなく、孤独なリアルだけなのだ。いや、孤独では無いんだけども。

 それでもこうして。

 天羽 叶多やカデナ・パルメール、椋鳥 修一(シュウと歩ける事なんか絶対にないけど)と共に歩かず、隣にアイラも立たせず、空中に魔導書を浮かべず。一人で、歩く。

 だから『私がいるじゃないか』、と鎖の少女の声がする訳もなく。

 『我を忘れるな』、と魔導書の声が響く事も無い。

 

「あ、梓じゃん」

 

 あるのはきっと、何の変哲もない、孤独を壊してくれるご都合主義な日常だ。

 

「よぉ、どうしたんだ?」

 

 孤独の終わり。日常の始まり。或いは新たな物語の為の幕間。

 ここにいる僕達は、【数神】と【狂騒姫】ではなく、カタルパ・ガーデンとミル鍵でもなく、ただの庭原 梓と、ただの天羽 叶多だ。

 それは変わりようのない事実で。変わってはならない事象。

 案外僕は、そういったものを守りたかったのかもしれない。いや、僕だけじゃなく、『俺』も。

 

「ちょっと、怖い顔してるよ?大丈夫?結婚する?」

「急に何言い出してんだてめぇ。大丈夫だがしねぇよ」

「あ、じゃあ――」

「揉まない」

 

 ネタは分かるから振るな。

 そしてもう振るな。どうせフるのは分かってんだろ?

 まぁ……ずっと一人で帰るよりは、お前と居た方がマシだろうけどさ。

 

「ねぇねぇ梓ー、帰ったらまた行くんでしょー?」

「まぁ、そりゃあな。こっちでの用も済んだし」

「……なんかあったの?

もしかしてあの時居た探偵さんの事?」

「あぁ。セムロフ・クコーレフスっつー【探偵】」

「その人とリアルで会ったって事?」

「そうだぜ?」

「男?女?」

「なんでそっから聞くし」

「別にいいじゃん。気になっただけだし。ゲームだと女の子だったけど、リアルも一緒だったの?」

「そうだな。リアルも女性だったよ」

「ふーん……元から知り合いだったの?」

 

 ん……天羽とは高校からの仲。つまり……大学も同じである。

 となると、大学が同じである狩谷の事を言うべきか?下手したら『狩谷?あー、あの子ねー』とか言ってきそう。

 女子同士の繋がりは縦にも横にも広いと言う。学年が違っても繋がっている可能性がある。言わないでおこう。

 序に、狩谷から質問されても、ミル鍵が天羽である事は隠しておこう。……あいつはこっちを知ってそうだけどなぁ。

 

「で、どうなのさ。隠しておきたいって事は知り合い?

知り合いだと……後輩?」

 

 お前は探偵かよ。今んとこ正解だよ畜生。

 

「誰だろ……後輩に片っ端から聞くかなー」

「……リスト見せてくれよ」

「いーけど?」

 

 狩谷はあの時はまだ「桐谷 晶子」だった筈。あいうえお順で並べられていたリストの、3番目にその名前は記載されていた。……あるやんけ。3番目に「き」があるって事は後輩とか全員と繋がってる事は無いみたいだが……あるのかー。てか狩谷の事だ。俺の情報を引き出す為に天羽と繋がっていた可能性がある。てか有り得る。いや、最早ほぼ確定。

 うーむ……まぁ、隠し事をする意味もないか。

 

「実は知り合いです、ハイ」

「ふーん、今名前あったんだ」

 

 ……僕は『まだ』そこまで言ってませんが。

 

「視線的に……桐谷ちゃん?」

「ナニヲイッテイルンダロウ」

「梓、隠し事苦手ね」

 

 別にバレても何もないじゃん、と後々気付き、どころか知ってた方が楽だな、と自白するのは、もう少し後の事だ。

 そんな、下らない、当たり障りない日常は、当たり前のように過ぎていった。

 矢張り幸福はもう、この世界の何処にもない。




( °壺°)「《【ギャラルホルン】編》、完」
( °壺°)「……嘘です。もうちょい続きます」


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第五十四話

( °壺°)「今回から少し、変わります」
( ✕✝︎)「何が?」
( °壺°)「何かが」


 天秤は、何時でも傾いていた。

 それを等しくさせるのは、生憎梓の仕事ではなく、然れどアイラの仕事でもない。

 その天秤にかけられているそのものが、動くべきである。

 然し乍ら、庭原 梓――カタルパ・ガーデンは、正義感故かその天秤を故意に傾ける。

 アアルの門の天秤ですら、傾けに行くかもしれない程。

 

 運命の敵対者。世界の叛逆者。

 そんな不倶戴天の敵が、最も正義である世界。

 それが現在の<Infinite Dendrogram>である。

 

□■□

 

 正義の味方が世界の敵である。

 それは決して――悪、と言う事ではない。

 寧ろ、世界が悪である可能性を考慮するべきだ。

 そしてまた、カタルパ・ガーデンは、正義の味方であって、無敵のヒーローでは無い。

 向かうところ『敵無し』の、無敵のヒーローでは、決して。

 なれなくて。なりたくなくて。

 それなのに周りは『成れ』と馴れ馴れしくて。

 そんな環境にも慣れて。

 

「成程、自分からなろうとはしないのか」

 

 恐らくそれが、そこが。

 庭原 梓の分岐点。常人でなくなる為の分水嶺。

 人を無価値と思う、その始点。

 

□■□

 

 全てを救い上げた後で良かった。

 青年であった梓は、確かにそう感じた。己の成長を、退廃を、そう評価した。

 父を越える前にこう(、、)なっていたら、きっと梓は今ここにいる事すら有り得なかっただろう。

 正義の味方になろうとする事さえ、<Infinite Dendrogram>を始める事さえ、無かっただろう。

 全ての終わったエピローグで良かったと。

 庭原 梓は、そう、酷評し、かの夢世界に旅立った。

 

■少し未来で、今になる話

 

『今宵、<Infinite Dendrogram>はマスターの時間軸でリリースから半年を迎える。

つまり此方では一年半、と言うことだ。

矢張り、月日は人を成長させる。魔導書である我も例外では無い。

個人的には、ブライドが未だ第5形態である事に苦言を呈したい所だが……まぁ、無礼講のようなものと言うことで。

まぁ挨拶も程々に、乾杯』

「「乾杯」」

 

 何故か、【幻想魔導書 ネクロノミコン】が仕切っている宴会。

 しかもその席にはアイラとカタルパしか居ない始末。

 宴会じゃねぇ、これいつもの光景だよ。

 そんな周りの声も聞こえず、三人(二人と一つ)は、そのいつも通りの一日に、特別性を持たせていた。

 

『序と言うよりは本題であるが、今日は貴公らが夫婦になって丁度三百日である。目出度い』

 

 そりゃ目出度ぇな!途端周りが拍手し始めた。

 随分と馴れ馴れしい感覚に疑問を抱いたカタルパは、振り向く。

 そこには嘗て、アイラに掌底をされたり、ジャバウォックに叩きのめされたり、右腕を切り飛ばされたりした者達……【ネクロノミコン】に出逢う前、レストランで会った者達。

 馴れ馴れしい態度に納得し、また切り刻もうかと【怨嗟連鎖】に手をかけた。

 

 ――その瞬間。

 

 そのレストランに居た誰もが臨戦態勢を取り、カタルパとアイラを睨みつけた。

 

「…………?」

「……皆、どうしたのだ?」

 

 カタルパも、アイラも分かってはいない。【怨嗟連鎖】に手をかけただけで過剰では、と思ったが、即座に理由に勘付く。勘付かせられる。

 

 刀から、右手が離れない事に。またその刀から、歪なまでの殺気が放たれている事にも。

 

「……あれ?」

 

 見れば、アイラの物とは全く違う、鎖が右手に。

 暗い赤を基調とした鞘の、金糸が施された刺繍から、同じ色の、鎖が。

 怨嗟が、連鎖する、刀。

 連なる()の、刀。

 刀であり、鎖である、武具。刀であった物に、鎖の要素が組み込まれた武具。それが、【怨嗟連鎖(  、、) シュプレヒコール】――!!

 

「……マジか」

 

 その右手を縛った鎖は、そのまま刀を引き抜くように動き――

 

「全員逃げろぉっ!!」

 

 引き抜いて放たれた斬撃が、取り返しの付かない程度にレストランを破壊した。

 

□■□

 

 その一撃で満足したのか、その一撃を放って鎖は解かれた。

 その後もいけしゃあしゃあと宴会を続ける訳にも行かず、三人はすごすごと立ち去っていた。

 破壊の傷痕は深く残っている。弁償代はとんでもなかったが、まぁ払えた(暫く貧乏生活にはなるが)。そしてまた、殺された者が居なかったのは幸運であった。居たならば、もっと惨事になっていただろう。

 

『……いやはや。暴走、か?

碌な事にならんな、貴公は』

「いや、今回は俺は悪くねぇだろ。寧ろこの場合、ミルキーが何かやらかした可能性だってあるが……それもねぇか。なら……何かしらの条件、とか?」

 

 シンプルな推理ゲームが始まる。問題は【怨嗟連鎖 シュプレヒコール】について。

 とは言え、製作者に聞くのが一番なのは明白な訳で、一行は現在、彼女を探しているのだった。

 

「呪いとかそういう系統か?

今手をかけても刀が抜かれる気配は無いし、人がいるのが発動条件って訳でもないみたいだ」

『今貴公、サラリと大量殺人事件未遂しなかったか』

「まさか。で、アイラはどう思う?」

「以前出会った者が居たから……なのだろうか?

確かカーターは以前、【共鳴怨刀】であのレストランにいた者を斬ったのだから……それが関連しているのかもしれない」

「『怨嗟』が『連鎖』する刀…この場合の怨嗟って、何なんだ?」

 

 少しづつ、一歩づつ、着実に、答えへと向かうカタルパ。

 歩兵やポーンが一歩づつ進むように、ゆっくりと、進んで行く。

 

「怨嗟の定義…恨み嘆く事…恨み…怨み。

あいつは俺を恨んでいた(、、、、、、、、、、、)?」

 

 ハッとするカタルパ。そりゃそうだろう。腕を切り落とした張本人が目の前で結婚記念日やらを祝っているのだ。

 妬みは兎も角、なんでヘラヘラしてやがる、といった恨みに似た感情が無い訳が無い。

 ならば此度の破壊は、その恨みを連鎖させる為に。他の者達へも、カタルパへの恨みを持たせる為に。

 『正義の味方が恨まれる』事により、何か【怨嗟連鎖】にとって有益な事があるが故に……。

 

「だとすると……だ。

恨まれる事で強くなる。

若しくは怨嗟を連鎖させる事で強くなる。

この二択だな」

「前者だった場合、正義の味方が恨まれて強くなるという、ダークヒーローもおっかなびっくりなお話になるんだね」

『笑い話で済めばいいが……その場合、強者を打ち倒す為に多くの者に恨まれる必要が生まれ…倒せたとしても、その恨みを延々と背負わねばならん。

最早それは、正義の味方とは言えんぞ……』

 

 恨まれる宿業を背負った正義の味方など……誰も正義の味方とは呼ぶまい。否、呼べまい。敵を倒した所で、世界を救った所で、浴びせられるのは怨嗟の声。

 無限に繋がり、無限に連なる。

 繋がり連なり、連鎖する。

 鎖は彼等を取り囲む。

 縛りあげ、吊し上げ、十字架にかける(、、、、、、、)

 正義の味方にあるまじき、最期となるだろう。

 だからと言って、【ネクロノミコン】よりも付き合いの長いこの刀を、態々鞘を拵えて貰ったこの刀を、使わないなんて事も、有り得ない。

 ならこの欠点を、課題を、乗り越えるしか、無い。

 

 可能性の内、どちらであっても結果は同じだ。カタルパが恨まれる。それだけだ。

 恨まれるか恨まれないか(オール・オア・ナッシング)

 元より天秤を傾ける者。運命の敵対者の時点で、神には恨まれる事だろう。

 【数神】が、(同属)に恨まれる事を嘆くとは、と二人は苦笑した。いや、別の観点に関しても、【幻想魔導書 ネクロノミコン】と【絶対裁姫 アストライア】は、苦笑した。

 抑彼は、『正義の味方』になりたくなかった筈なのに。

 なぁなぁで生きてきた、奔流に流されて、それに身を任せてきた彼は、いつの間にか『正義の味方』になってしまっていた。だが、まだそこから、『なりたくない』という意思があれば、ならなくて済んだ筈なのに。

 だが今の彼は、『正義の味方』だ。

 

 『正義』の、『味方』だ。決して、『誰か』の、『味方』ではない。

 その筈だったのに(、、、、、、、、)――

 

「んぁ?梓じゃーん、やっほー」

「お、噂をすれば」

 

 そんな時にミル鍵に出会えたのは幸運だっただろう。

 カタルパはすぐに事情を話し、ミルキーも唸り出した。

 

「鎖なんて仕様追加してないんだけど……何かの条件なんじゃない?」

「俺もそう思った。鎖が何処からか湧いてくる妖刀……って感じなんだが、実際どうなんだ、【怨嗟連鎖】の能力は……」

「んー、《鑑定眼》」

 

 ミルキーは虚構系統多種職業混成派生超級職【狂騒姫(ノイズ・クイーン)】だ。

 【狂騒姫】ならではの固有スキルは《混沌こそ全を産む(マザー・オブ・カオス)》。

 職業の変更等により使えなくなっている全スキルを50%程度の状態で使えるようにするスキル。また、《轢かれた脚は此処に》の発動中であっても、これによりスキルを発動する事が出来るようになる。

 つまり現在の彼女は下半身が無い状態でも様々なスキルを発動させる事が出来るのだ。

 下級職6つに上級職2つが器の本来の限界。それ以外にない職であれど、一度覚えたスキルを弱体化させた状態で使用出来るチートスキル。

 色々と制約か何かはあるらしいが、「情報アドバンテージって大事なんでしょ?」と言われ、詳しい事はカタルパも知らない。

 

「…………ふーん……成程ねぇ」

「何か分かったのか?」

「先ず、そうね。

第一に、これは私のせいじゃないわ。寧ろそういう犯人探しをするなら、アイラちゃんが犯人、って感じ?」

「え、私?」

「そう、ユー」

 

 何を言っているのか分からない、と言った顔のカタルパとアイラ、そしてネクロの為に、噛み砕いてミルキーは説明しようとする。

 

「アイラちゃんが第5形態になった際に……なのかは厳密には不明だけど、少なからず、【怨嗟連鎖】が【怨嗟連鎖】として固定されたのはそのタイミング。

名ばかりだった【怨嗟連鎖】が形を得たのは、鎖という明確な、縛り付け固定させる物を見た瞬間だと思うわ。私が作り上げた時に、こんなステータスやスキルじゃなかったもの。

それで……仮定については前者ね。具体的には、ヘイトに応じてステータス上昇、みたい。

それについては元来の煽りスキルがあるからプラスされるだろうけど、問題は範囲指定が無い事(、、、、、、、、)

「範囲指定?どういう……まさか」

「そのまさか。受けたヘイトが消えない限り、無限の距離を以てそのヘイトは継続される。ヘイトを集める限り無限に強くなれる。

それが《怨嗟の感染》とは別のスキル……らしいんだけど、名前が無い」

「……もう別次元過ぎて訳わかんねぇぞ」

「私もよ。確かに拵えてた時に『完成していない』と思ったけれど、まさかこんな形で完成するなんて……」

 

 何が起きてもおかしくはない世界で、彼等は今、一つの未知に立ち止まる。一つの道で立ち止まる。

 それも、今迄通っていた筈の道で。

 明確に、【シュプレヒコール】について、言及してこなかったが故の。必然的な通過点。

 これは、通過点にして特異点。

 誰かが、つまりカタルパが見過ごした、変化点。

 今宵これより始まるは、終末の喇叭が吹き荒れたその後。

 ほんの少しの幕間。

 刀と手甲と魔導書の、ほんの小さな物語。




【怨嗟連鎖 シュプレヒコール】の物語

 名前が変わった謎と、新たなスキルについて。
 見飽きた筈の、使い慣れた筈の刀が、少しだけ牙を向く物語。


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第五十五話

( °壺°)「待たせましたな」
( ✕✝︎)「大丈夫、待ってない」
( °壺°)「……どういう意味ですかねぇ…」
( °壺°)「そして、暫くこの、リリース後から半年経った『少し未来』の話が続きます」


■カタルパ・ガーデン

 

 言いたい事は沢山あった。

 言えない事が沢山あった。

 だから言える事は何も無かった。

 

 天秤はいつも傾いているが、そのどちらの皿にも、物は乗っている。

 俺はその天秤を操作して、公平を保とうとしている。

 だがそれは、不正だ。

 (いびつ)(ゆが)んだ正義の味方が、天秤を故意に操作しようとしている。

 片方の皿に、何かを乗せて付加価値を付けて、無理矢理にでも、無価値に価値を見出した。

 この世界の人命に、価値を俺は見出した。

 

『おいおい、お前は無価値を見出したんじゃなかったのか』

「……いいや、それは『僕』の事だ」

 

 瓜二つで、同一人物のようで、差異がある。

 そこには、確かにある。名前以外に、カタルパ・ガーデンと庭原 梓には、どうしようもない、あまりにもハッキリとした径庭がある。

 

 俺は、【絶対裁姫 アストライア】を手に入れたその瞬間は、まだ庭原 梓だった。

 だからあの時の俺は、人の命を無価値と思っていた。この世界もあの世界も。人命に意味を見出してはいなかった。

 その天秤は、釣り合っていた。だから彼女は危機感の産物であり、TYPE:メイデンだった。

 

 現在、俺は人に価値を見出していて。現在、『僕』は無価値を見出していた。

 今、その天秤は釣り合っていない。

 一人の中に、二つの思想が入り交じっていて。

 ぐちゃぐちゃで。ごちゃ混ぜで。

 俺は。

 間違いを犯して、正義を掴む。

 『僕』が正しいから。それに対立する俺は、間違いだから。『僕』がヒーロー(英雄)なら、俺は正義の味方(偽善者)だ。二項対立していて、彼方が正義だと言うならば、此方は悪……性悪説に倣えば、矢張り偽善なのだ。

 いや……その偽善という正義すら、過程に過ぎない。

 俺は、その正義を糧に、其の正義を手放し偽悪を掴む。

 悪ではあるが、正義でもある、偽善であり偽悪であるモノ。それが俺。

 

 鎖の化け物。

 鎖が化けた獣。

 有限である、鎖と。

 無限である、意志を以て。

 また俺は、道を違える。

 刀と手甲と魔導書の物語は、その誤りと過ちの、精算に過ぎない。

 

■□■

 

 俺が2体目の〈UBM〉を倒して得た刀、【怨嗟連鎖 シュプレヒコール】。

 俺がまだ、シュウ達と一緒に切磋琢磨していた頃に――今でも闘技場で闘いはするけど――倒した、伝説級〈UBM〉【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】のMVP特典。

 厳密に言うと、MVP特典は【共鳴怨刀 シュプレヒコール】であり、【怨嗟連鎖 シュプレヒコール】はそれの強化形態――若しくは進化形態――だ。

 どうしようもない俺が、どうしようもなくなった原因。それが【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】だ、と言える。俺が【数神】になった一因であり、俺が“不平等(アンフェア)”と呼ばれるようになった一因だ。俺が、間違えて、間違えて、間違えに間違いを重ねて、正しくなった、根源だ。

 【怨嗟連鎖 シュプレヒコール】は《音信共鳴(ハウリング)》と《怨嗟の感染(シュプレヒコール)》という二つのスキルを有し、つい最近、事件を起こした刀である。

 と言うか、それが此度の本題だ。

 刀から鎖が放たれたのは、新たなるスキルなのかと思ったが、スキルの欄に追加要素は無く、相変わらず第3のスキルとして《???》が存在するだけ。その《???》が今回の騒動の正体なのかもしれないが、ミルキーの《鑑定眼》をそう易易とすり抜けられるとは思っていない。

 それは俺が【怨嗟連鎖 シュプレヒコール】を甘く見ているからであり、ミルキーを信頼しているからだ。

 だから俺は、見落としていた。

 【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】と名乗っていた(、、、、、、)のは、果たして何なのかを。

 

□■□

 

 結局、俺は何も分からぬまま、アイラと共に日常というものを繰り広げるだけだった。再び【怨嗟連鎖】が暴走する可能性も勿論考慮はしていたけれども、どうやらそれは杞憂だったらしい。とは言え、またあの客に出会った時に暴走しないとは限らないから、解決するまであの店には行けそうにないが。

 危険が露骨に待ち受けているのに、実態が見えない。

 そこには、得体の知れない恐怖があるだけ。俺の所有物に、他ならぬ俺が恐怖しているだけ。

 連なり、繋がり、鎖のようになった怨嗟。

 一人きりでは、怨嗟になり得ず――

 

「一人きりでは『怨嗟になり得ない』……?」

「……カーター?」

「アイラ……俺達は酷い見落としをしていたぜ……!」

『どういう事だ、マスター』

 

 俺は、たった今作り上げた、仮定だらけの推論を述べる。

 

「【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】は……厳密には一人じゃなかったじゃないか!」

「…………あ」

『……?』

 

 【シュプレヒコール】戦当時に居なかったネクロは分からなかったみたいだが、アイラは勘づいた。

 そう。【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】と呼ばれる(、、、、)〈UBM〉は、一体しか居ない。だが、俺達が倒した【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】という存在は……一人ではなかった。

 アレはアンデッドにアンデッドが纏わりついた化け物。

 ソレを倒して得たMVP特典、【怨嗟連鎖 シュプレヒコール】は、あの時の彼女の能力、『アンデッド等の怨念を纏う能力』が、移ったと思われる。『怨みを集める能力』等に変化したのかは不明だ。

 〈UBM〉の特性をMVP特典は色濃く継いでいる、というジャバウォックの言を信じるならだが、これが最も信憑性の高い理論だろう。

 

「怨念が集う刀、【怨嗟連鎖】……ならば、その鎖の正体も、そのアンデッドなのかな?」

「かもしれない。

ただ……分かった所で発動条件が分からない。

そればかりは、二の轍を踏んじゃいけねぇ。だから……推理を進めなくちゃいけねぇってのに……」

『その先、か。

ならばマスターにブライドよ』

 

 そのネクロの問いかけというか誘いに、俺達は一瞬だけ、過去の何かを思い出しそうになった。

 

『英訳してくれないか?』

「「もういい。『Let us in?』」」

 

 そう言えば、あったなそんなの、なんて。

 俺とアイラは、街中にも関わらず魔書の中に姿を消した。

 

□■□

 

「てか、来たはいいが時間の流れとかってどうなってんだ、ここ?」

『この世界はマスターのいた元々の世界より3倍時間が早く進み、この魔書の世界では更に3倍。計9倍である』

「まじか凄いな!」

『――なんて事はなく、精々落ち着いて考えられるくらいだ』

「おい。……まぁ、それでもいいよ、今更だ。

……問題は、お前が此処に呼んだ意味だ。周りに誰も居ないからといって、それは精々【怨嗟連鎖】の暴走を抑えるくらいだ」

『安心したまえ。それ以上の効果を期待出来る。まぁ、『解けば』分かるさ。

――《議題記す偽題の琴(カーヌーン)》』

 

 訳の分からないスキルをネクロ自身が唱えるや否や、その枯木を中心に、文字の羅列が現れた。

 それは、英語でも、日本語でもなく……言ってみれば未知の言語だった。

 自慢ではないが、俺は大抵の言語は解しているし、話せる。

 そんな俺が未知としか答えられない言語……創作言語に近しいそれは、云わば暗号だった。

 

『さて、始めようか。なに、貴公なら「一瞬で」終わる筈だろう?』

 

 挑発的にネクロが笑う。最近、この枯木も感情表現が豊かになってきた気がする。……こいつの場合は、『魔法』と『人間』を学習するのだから、当然と言えるが。こいつじゃない(【ギャラルホルン】の)場合は、俺にはさっぱりだ。

 

 これは、翻訳ではなく、解読だ。そこの違いはハッキリしている。それが、難易度がどれ程違うのかを物語っている。

 そしてネクロが態々《議題記す偽題の琴》という新たなスキルを使った理由は、必ずある筈。

 俺はそれに応えなくちゃいけない。

 だからこれに答えなくちゃいけない。

 それは俺の義務だ。

 意味を見出すのは。価値を見出すのは。

 『俺』の、義務なんだ。



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第五十六話

■カタルパ・ガーデン

 

 解読するのは困難だろう、とネクロは言った。

 翻訳ではなく、解読と言った。まぁ、それだけで、それ以降も、それ未満も、ありゃしないんだけれども。

 確かに眼前の文字列は初見であり、不可解であり、不可思議だ。整合性は無さそうだが、法則性はありそうな記号の羅列に、俺は目を(しばたた)かせるだけだった。

 でもそれらは、諦める理由にはなってくれない。

 手を休める理由にも、目を逸らす理由にも、なってはくれなかった。手を止めた時の辛うじての理由付けくらいにしかならなかった。

 それは何かが、俺が怠惰である事を許そうとしていないかのように。勤勉であれと主張するように。

 それは何かが、俺が傲慢である事を助長するかのように。

 

 時の歯車は廻り、見えない鎖が俺を此処に容赦なく縛り付ける。

 逃げたりはしないのに、逃がすまいと締め付ける。

 手帳に文字の規則性を記していく。着実に、確実に、前に進む為に。

 中途で止まったりはしなかった。『解読』と言うからには、ナンセンス文学であっていい筈がないのだから。

 果たして、ものの十数分で、解読そのものには成功した。

 

 解読されたその文字が、更なる暗号となっている事に気付いたのは、その時になってからだった。

 

□■□

 

「クリアさせる気あんのかネクロ…」

『すまないが、これでも配慮はしている。一つ暗号を解く回数を減らしているのだからな』

「エグいっつーかタチが悪いな、そりゃ」

『性格が悪い奴が何か言っているな……』

「あ?」

「まぁまぁ、私からすればどちらも悪いよ。と言うか、そう言った会話に聞き覚えが……まぁいいか。

ネクロの方には厳密には非があるとも言えないようだし……?」

『まぁ、な。我も独自に解読はしていたが、マスターに見せたそれが限界だ。暗号を一段階解いて、それを見せるのが精一杯だった』

「ほー……そうそう、それでネクロ。『これ』は結局何なんだ?」

 

 俺は漸く手帳からネクロに視線を移し、ちゃんとした会話を始めた。片手間にする会話ではないしな。

 《議題記す偽題の琴(カーヌーン)》とネクロが呼んでいたこのスキルは、一連のこの『【シュプレヒコール】事件』の手掛かりになると俺は踏んでいる。

 

『これはスキルの解読を行うスキルだ。

発動の為の条件は三つ。

一つ。対象のスキルがマスター……つまりカタルパ・ガーデンの所有物のスキルである事。

二つ。対象のスキルが《???》であり、所持者本人が『現状』解読不能である事。

三つ。その情報の開示を、そのアイテム本人(、、)その上層部(、、、、、)が許可する事』

「本人か……上層部?」

『貴公もよく知る管理AIと呼ばれる存在だよ。それ以外にも権限持ちはいるようだがね』

 

 アイテムの管理AIと言うと…ネクロの出たガチャの件でジャバウォックが言っていたマッドハッター……だろうか?多分そうだろう。

 ジャバウォックは『鏡』なのに、マッドハッターは『不思議』である。どうやらどちらでもあるらしい。真実は(中身が)どうであれ。

 あのジャバウォックの頭を悩ませていたのがマッドハッターであるのだから、常人であるとは思えない。MVP特典をガチャの景品にするくらいなのだから、流石に俺よりマトモではあるまい。

 なら、許可したのは……『彼女』本人、という事になるのだろう。あの有象無象というオチはない筈だ。

 つまりネクロは俺の知らない内に【シュプレヒコール】から許可を貰って《議題記す偽題の琴》を使用した訳か。

 カーヌーン……確か、ネクロノミコンという魔導書が登場したお話……だったか?

 ……この世界にクトゥルフ神話があるとは思えないが、そういう来歴はちゃんとしているんだな。……ゲームだから当然、というべきか?にしては……そのリソースがデカすぎやしないか?

 なんと言うか……輸入して来た感がある。

 この世界に本来存在しなかった情報を輸入して活用している。そのせいで魔法とエンブリオ、そして〈UBM〉が混在している、そんな気がする。

 まぁ、それは今語る事では無いな。

 それよか解読だ解読。

 ――解読したその文字列がそのままスキル名とかに訳されているのは有難いな。

 

「スキル名、《延々鎖城(フレーズ・ヴァルトブルク)》……か。

だが妙だな……ヴァルトブルクって……城って付いているし、あのヴァルトブルク城だろ……?

なんでこの世界にある筈のないものを参考に出来るんだ……?」

 

 ヴァルトブルク城はドイツに実在する城だ。

 シュプレヒコールはドイツ語が由来となっているからそういう意味で関連性はあると言えるが……それでも、この世界にない『ヴァルトブルク城』と『ドイツ語』という概念を関連付ける事が、この世界で可能なのか?(序に、『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』というドイツのオペラがあり、そこからシュプレヒコールに関連付けた可能性すらある)

 『ゲームだから』、と割り切れる問題か?

 

 ……あぁ、また脱線した。

 それはまた、追追……いずれ触れる事だろう。俺がこうした問題に対して、無関係でいられるとは到底思えないから。その時になったら、また考えるとしよう。

 今は解読した《延々鎖城》そのものの方が重要だ。

 

「ヘイト値に応じてステータス上昇……は予想通り。

鎖は……やっぱあの有象無象共のせいか。

ヘイトが1でもある奴に対して、更にヘイト値を高める行動を行うのか……成程、道理であいつに……」

 

 レストランのあいつ、まだ俺の事根に持ってたのか。説明通りだと、俺にヘイト値があったからこそ、《延々鎖城》はあいつのヘイトを高める行動をとったのだし。

 やれやれ……いや、これ俺のせいか。巡り巡って俺に返ってきただけか。高める行動、な訳だから今回の件で更にあいつに嫌われた訳か……今更気にするような事じゃないな。

 

「問題は、スキルのON/OFFだよな……」

 

 仮に切れないのなら、とんだ呪いのスキルだ。この装備は呪われています、なんて表記でもされるんじゃないだろうな……アンデッドが鎖を動かしているようだから、ある意味呪いの武器だけどさ。

 幸い――それも、不幸中の――スキルを一時的に封印する事が可能だった。

 とは言え一時的だ。リミッターでしかない。爆発すると分かっている爆弾を、それでも抱えているに等しい。

 解除していたら、多分セムロフにも使ってしまうだろう。

 かと言って常時封印出来る訳ではないようで、1時間封印していた場合2時間封印出来ない、といったように、倍の時間……しかもログアウト中はカウントされない……封印出来なくなるようだ。ここぞという時だけ封印して、極力解放しておこう……。

 最大封印時間は24時間。つまり使用後は最大で二日も再封印出来なくなる訳だ。この封印の厄介な所は何秒封印していたからこの後何秒使えません、的なものではなくて、先にどれ程封印しておくかを決めなければならない所だ。使い勝手悪いなぁ……。

 思えば《揺らめく蒼天の旗(アズール・フラッグ)》だってリキャストタイムが72時間だったし、意外と俺は使い勝手の悪いスキルに好かれているのかもしれない。全く嬉しくない。喜ばしくもないし良くもない。

 《秤は意図せずして釣り合う(アンコンシアス・フラット)》も悪人にしか使えないし。

 《不平等の元描く平行線(アンフェア・イズ・フェア)》も自分のステータスしか代入出来ないし。

 《感情は一、論理は全(コンシアス・フラット)》だって感情を失うから無闇矢鱈な特攻しか出来なくなるし。

 究極的には《愚者と嘘つき(アストライア)》さえも、第5形態が解放されるまでは連撃しないと殆ど意味を成さないスキルだったからな。

 

 さて……。解決したし、戻るか。

 

「ネクロ、戻してくれ」

『了解し……た……が……?』

「……?どうした?」

『外でミルキーが何か騒いでいる……ようなのだが』

「なら気にする事は無いな、内容にもよるが」

『恐らく無関係では無いかと。盗み聞いた所、貴公の名が出ている』

「面倒事に巻き込まれるのは嫌なんだがなぁ……」

「『奇遇だ』」

「アイラは兎も角ネクロもか……?」

 

 何となく心にくるなぁ……。

 いや今はそれはいい。ミルキーが騒いでいる……のはまぁ、仕方ない。【狂騒姫(ノイズ・クイーン)】だからな、なんて洒落た意味合いではなく、あいつの素の性格的に。

 暴れ回っているのではない点が救いだ。あいつの今の本気は、俺では止められないからな。悪人でない時点で、【絶対裁姫 アストライア】の能力は半減されるも同然なのだから(そのせいで闘技場に於いて勝率は一割と二割を行ったり来たりしている。お陰で一時期『サンドバックの神』とか呼ばれてた)、彼女は益々止められない。興奮しているようで、道端に落ちている【幻想魔導書】にも気付いていないらしい。

 

「それは不幸中の幸いって事にするが……実際どうなんだ?内容を知らないと対応に困るんだが……」

『予め知っている状態で行くのは危険だ。彼女自身から話を伺う事を推奨する』

「それもそうか」

 

 変に疑心を持たれて暴れられるよりは、その方がマシだ。問題児を手懐けるのは、難しいようだ。

 

「…………」

「どうしたんだ、アイラ?」

「いや、久々に心を読んで少し後悔したな、と」

「え……まさか離婚!?」

『久々に貴公等が夫婦である事を認識したぞ』

「お前は常日頃からアイラを『ブライド』呼びしてんだろ!?」

『いや、なんかこう……日常と化していて、意識など到底――』

「確かに、私も指輪をしている間しかカーターと夫婦関係ではないのだな、と思ってしまうよ」

「アイラ?四六時中付けてるよね、指輪?つまりそれ四六時中思ってるよね?」

 

 近頃、扱いに慣れてきたのか、二人のツッコミ役と化している俺は、その場から逃げるように、新たな修羅場に突入するのだった。




延々鎖城(フレーズ・ヴァルトブルク)
 【怨嗟連鎖 シュプレヒコール】第三の能力。
 対象にこちらへのヘイトがある場合、そのヘイト値を上昇させるように自動的に働くシステムのようなスキル。
 ただ、ヘイトを高めるスキルではない為、上がらない場合もある。
 また、ヘイト値の合計に比例してステータスが上昇する。こちらがオマケに聞こえるが、本来こちらがこのスキルの主である。

( °壺°)「ドイツオペラ『タンホイザー』と『シュプレヒコール劇』には直接的な関わりはありません。勘違いさせたらすみません」
( °壺°)「ただ単にドイツと聞いてヴァルトブルク城が出てきただけなんです……別に『フレズベルク』とかで調べて類似でかかったりしたから知った、とかそういう訳ではないのですよ?」
( ✕✝︎)「墓穴を掘るな」

( °壺°)「あと、ネクロが解読は一瞬だ、みたいな事を言っていたのには《強制演算》があったから、という理由があります。結局使いませんでしたけどね」
( ✕✝︎)「頭痛は嫌でござる」


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第五十七話

■カタルパ・ガーデン

 

 《延々鎖城(フレーズ・ヴァルトブルク)》。

 【怨嗟連鎖 シュプレヒコール】第3の能力。

 詳しい事は前に言った通りであり、今更語る事は無い。

 

 と言うか、今語るべき事は別にある。

 天羽 叶多……『ミル鍵』の事である。

 つまりは【狂騒姫】の事であり、俺の仲間……仲間?……の、事である。

 こんなイカれた世界の中で、本当の愛を探して――いた人。

 さて、その世界とは、『どちら』なのやら……。

 

□■□

 

「ん?あ、梓じゃん、オッスオッス」

「女々しくねぇ挨拶だな……」

 

 チラリとミルキーは俺の後ろの魔導書を見た。それだけで、どうやら察したらしい。

 

「ん……事情はどんくらい知ってる?」

「残念ながら全く。こちとら『あの中』で【シュプレヒコール】に関する情報の解読してたからな……」

「OK、無知蒙昧なキッズにミルキーちゃんが説明してあげましょう」

 

 コホン、と態とらしい咳払いを一つして、ミルキーは語り出した。てか俺はキッズなのか……?

 

「私ってほら、通常時は下半身がくっついてるじゃない?」

「いきなり《轢かれた脚は此処に(テケテケ)》の話かよ……」

「うん。

で、ね。斬ったら私の下半分って光の塵になるでしょ?それは暫くは残るんだけどさ……そのぶった斬られた下半分見て卒倒しちゃった人がいるらしくてさー、怒られちゃったんだよねー」

「あー……成程なー……自業自得じゃねぇか」

「そうだけどさ、今時下半身だけあったって驚く人って少なくない?」

「今お前自身で『居ない』と言わなかった時点でお前が悪い事は確定したよ」

 

 割と下らない話だった。それこそ【シュプレヒコール】の事を切り上げてまで聞くようなものではなかった。

 

「で、お話は麻薬を打ったように変わるんだけどさ」

「普通に『打って変わって』って言えよ」

「【シュプレヒコール】のあの鎖の件、話が進んだ訳でしょ?始終を聞かせてよ」

「あぁ、いいぜ」

 

 下らない話のお代として、俺は《延々鎖城(フレーズ・ヴァルトブルク)》の話をしていた。

 しかし、ミルキーが目を付けたのはそこではなかった。

 

「ふーん……《議題記す偽題の琴(カーヌーン)》……ね。

梓はさ、そのスキルの有用性について、どんくらい理解してる?」

「有用性?いや……言うて……」

 

 話が変わっている事には目を瞑るとして――それこそ打って変わって、だ――いきなり有用性の話とはどういう要件だ?

 

「考えなよ、梓。

許可制であれど、所有物に限定されたとしても、スキルの解明はとても貴重で有用なスキルよ?

そもそも人って生き物は未知を嫌うわ。それを既知に出来るスキルなんて、喉から手が出る程に欲しいと思われても仕方ないのよ?」

「そんなに有用か?あんま実感が湧かないんだけど」

「そうね……例え話でいいなら、あれよ。梓が以前やったっていうミレニアム問題。あれ全部解けるかもしんないって感じ」

「そりゃ……凄いな……」

 

 呆然とするしかなかった。それ程までに、気付いていなかっただけで《議題記す偽題の琴(カーヌーン)》というスキルは、(言い方が悪いが)使えるスキルだったのだ。

 

『まぁ、その為の許可が面倒なのだが……それを貴公等が知る由もない。今はそれで構わないし、そのような扱いも妥当であろう。

だがな狂騒の姫。

我はもう道具では無い。

カタルパ・ガーデンを主とする道具ではない。

今の我はカタルパ・ガーデンに仕える者。

従者であり、駒では無い。

努々忘れるな、そして違えるな。

我を「仲間」と呼んだマスターの為の存在を愚弄するならば――』

「そりゃ、俺はそいつをぶっ飛ばすわな」

 

 仲間って呼んだ事あったかなぁ……なんて考えるのは不毛だろうか。

 いや、不要なのだろう。

 俺とアイラが並び立って歩く。その傍らに魔導書一冊浮かんでいたって、俺達は気にしない。寧ろ丁度良い調律師だ。俺達の間違いを、暴走を、抑えてくれる調整役。

 確かにそれは、道具では成し得ない。俺の、俺達の仲間じゃないと、成し得ない。

 

「はっはーん、成程ね……そういう感じ……なら、ネクロ君がそのスキルを使える理由は……《魔法の学習》……っていうやつのせいかな?」

『……その辺りはご想像にお任せしよう』

 

 ……そうか。ネクロは『魔法(人間)』を学習するんだったな。俺やミルキー、フラグマン師から、学ぶ。何を、かは分からないが、本来マスターが成長して行く事で開示されるスキルを事前に知れると言うのは……そういう事(、、、、、)なのだろうか。

 

「これが、魔導書の精算か?」

『……?』

「どったの梓」

「あー……いや、なんでもない」

 

 仮にそうだとするなら……後は手甲か。いや、まだ刀の精算が完全に済んだとは言えないし、油断は禁物だな。

 それに……今迄の精算ってのは、俺が勝手に考えているだけだしな……。

 杞憂である事を祈ろう。

 

「ま、いいでしょう。ネクロ君のお話はこれにて。

私のお話も自業自得って事でいいわ」

「元からそうだったろ」

「はいはい。

じゃあ後に残った御刀のお話でもしましょうか」

「そうだな……そう言やお前には発動しないんだな、『これ』」

「ん?その《延々鎖城》って私みたいな人に対して発動するの?」

「ん……そうとも言えるしそうじゃないとも……状況から察するにお前は『そうじゃない』方の人間らしいんだが……?

そこんとこどうなんだ、ネクロ」

『さぁな。それは記載されている情報には記されていない。

――それよりもマスター、徐々気付いてくれないかね……?此方から言うまでもない事だと思っていたら中々踏み入れないのでこちらから言わせてもらうぞ……?』

「どうした?」

『貴公の嫁がマズい、としか』

「は?」

「えっと……仕方ない、梓!」

「あ――あぁ、分かってる」

「「Let us in?」」

『OK.……And then there were none!!』

 

 苦しみながらのそのネクロの詠唱に、少しだけ不安を掻き立てられて。

 俺は再び、本の世界へと旅立った。今度は幼馴染を連れて、未知の空間に飛び込んだ。

 

□■□

 

 【幻想魔導書 ネクロノミコン】に、この『Let us in?』の合言葉を用いるスキルは存在しない。

 だったらそれは何なんだ、という話になる。答えは特性である《魔法の学習》だろう。

 人間という魔法に於いては、俺達は先生であり実験台だ。

 つまりは学習する材料だ。

 ……だがそう考えると、ネクロはいつの日か人の形をとる事が可能という事に……?

 まぁいい。それはいい。

 

『さて、マスターと御客人、悪いがどうにかしてくれないか?』

 

 問題は。問題点は、そこなんかじゃない。

 問題なのは――

 

 アイラの鎖が、ネクロを縛り上げているこの光景だ。

 

 ネクロは元々の本体である【虚構魔導 ネクロノミコン】をこの本の世界で顕現させる事が出来る。

 その本体が、枯れ木のようなその身が、今鎖によって自由を奪われているのだ。

 

「アイラ……?」

「――カーター、か?」

「あ……?あぁ……そう、だ……が……」

 

 俺はカタルパだが、アイラはアイラじゃない(、、、、、、、)みたいだった。

 

「すまない、カーター」

 

 するとアイラは、ぎこちない動きで、だが確かな動きで、自身の首を指差した。それこそ、自分では差したくないのだと言うかのように、ぎこちない動きで。それこそ、こうしなければならないのだという、確かな動きで。

 

「梓……冗談とかじゃ……ないよね?」

「…………」

 

 ミルキーの言葉にも受け答え出来ず、俺はただ、己が首を指差したアイラを見つめるばかりだ。

 見つめるだけで何かが変わる訳じゃないのに、その指差された白い滑らかな首から、目が離れない。

 俺はただ、目を離さずに、その首の上にある口から、言葉が発されるのを、待っているのだ。

 

「私を殺してくれないか?」

 

 俺をまた(、、)断崖絶壁に突き落とす一言を、待っていたのだ。



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第五十八話

( °壺°)「喜べ、10000UA突破だぞ」
( ✕✝︎)「9000UA突破が五十一話だから……大分早かった訳だ」
( °壺°)「この長々しい物語を読んで下さり誠にありがとうございます」


「………………ったく…………」

 

 媒体を外し、カタルパのいた世界から舞い戻った庭原 梓は、嘆息した。

 

「【ギャラルホルン】の奴……そんなに僕に期待してたって事かよ……」

 

 毒づきながら、その口は笑みを浮かべていた。

 好敵手を見つけた時のような、明るい笑みを。

 

□■□

 

 少しだけ時を巻き戻そう。丁度アイラが己が首を指差す辺りまで。

 

「私を殺してくれないか?」

 

 その問いに、残念ながらカタルパは応えられなかった。

 愛すべき者をこの手で討て、とは一体何の冗談か。

 そもそも殺さねばならない理由が無い。

 だが、カタルパの目は良い。視力が、ではなく、着眼点が。

 何故そうしなければならないのか、に気付く程度には。

 

「タチが悪い……悪過ぎる……」

「生憎だがカーター(、、、、)。悪は其方(、、)だろ?」

 

 アイラの詰るようなセリフは、カタルパを逆撫でた。

 あいつ(、、、)は今、ほざきやがった、と。

 

「――アイラの顔で、アイラの口で、アイラの姿で、アイラを乗っ取って!

なんでてめぇが出できやがる、【ギャラルホルン】ッ!!」

 

 それこそ怨嗟の声だった。

 彼の口から発せられたのは、怒号であり罵声。無垢を穢す嬌声――心からの悲鳴。

 愛する者が。相棒が。

 何故、最も嫌うべき、忌むべき、唾棄すべき者になっているのだろうか。

 何処ですり変わり、入れ替わってしまったのだろうか。何時、如何様にして――は分かっている――それこそ5W1Hで語ってもいいのかもしれない。

 目の前の怨敵、宿敵を、カタルパ・ガーデンという存在は許容しない。況してやそれが、愛する者を乗っ取っているとなれば尚のこと。

 どうしても、目の前に居るのが彼女なので、過剰な毒を吐き出せない。

 彼女を笑う言葉は吐けず。

 己を汚す言葉も吐けない。

 今この瞬間のカタルパ・ガーデンは、きっと誰よりも弱かった。

 それは、戦闘スタイルがどんな時でも【絶対裁姫 アストライア】が中心だったから――でもあるだろうがそうではない。そういう意味ではない。

 カタルパの支えが、無くなったからだ。

 【幻想魔導書 ネクロノミコン】は脇役であり、カタルパ・ガーデンという正義の味方(偽善者)の片棒を担ぐ事は出来ない。

 支えになれるのは、アイラだけだった。

 それこそ、『人という字は』から始まるあの綺麗事のように。アイラはカタルパを支えていたのだ。

 

 カタルパは、その二画目を失って倒れた。

 

 膝から頽れ、項垂れた。

 神に命でも差し出すかのように。

 俯いて、掌を上にして。

 だが、まだだった。

 彼の目は、【片眼魔鏡 ガタノトーア】を装着した左目は、(うろ)のように黒い右目は、伽藍堂な彼の目は、間違いなくアイラを見据えていた。

 そして。

 

「――《型呑永愛(ガタノトーア)》」

 

 左の虚が、本の世界を侵食した。

 

□■□

 

 その視線の先にいた【絶対裁姫 アストライア】及び【終点晶楔 ギャラルホルン】は、ほんの一瞬。瞬きにも満たない時間、静止していた。それこそメデューサと目を合わせて固まったかのように。

 その刹那、本の世界にいた彼女達は精神世界と言うべき場所に立っていた。

 

『其方は……正義の味方、なのか?』

「あぁ、カーターは何処までもそうだよ」

『では……其れはどのような正義だ』

「この世界の理不尽に対する叛逆。世界に対する不倶戴天となる事による絶対的な『絶対敵』。

それがカーターの正義……だと、私は思っているよ」

『そうか……此方の考える正義とは、似ていながらも異なるな。

矢張りまだ、其方の肉体は借り受けるしかない』

 

 その精神世界で、彼女と楔は向かい合い、相対していた。カタルパのように毒を吐くのではなく、ただ言葉を交わした。

 議題は『正義について』。どちらも違う正義を持つが故に、相対しながら敵対していた。

 

「待ってほしい、【ギャラルホルン】。なら、君の言う正義とは何なんだ?」

『理不尽に『打ち勝つ』力。ただ歯向かうのではなく、結果を導き出せる絶対的な力。

偽善ではない、真の善。

其方が持ち得ぬ、誠の善だ』

 

 会話が止まる。【ギャラルホルン】の言う正義を、カタルパが持てない事を知っているから。

 仮に彼が持とうと努力をしても――『届かない』事を知っているから。

 彼女は口を噤むしかなかった。

 その時点で、何処か諦めがあったのだろう。

 再び……そして完全に。【絶対裁姫 アストライア】という存在は、【終点晶楔 ギャラルホルン】に呑まれた。

 

□■□

 

 《型呑永愛(ガタノトーア)》。【片眼魔鏡 ガタノトーア】のスキル。効果は『一秒だけ視界内の対象を石化させる』というもの。対象は一つしか取れず、また一秒しか保てない為、奇襲に使うのも難しい。

 だが、その一秒が、カタルパとアイラの物理的距離を詰める最適解であったのは、偶発的必然だった。

 

「アイッラァッ!」

 

 燕尾服の青年が白銀の少女に手を伸ばす。

 その右手には無骨な手甲が嵌められていて、それが握り拳だったなら、殴り飛ばしでもするのかと思える程に凶悪なデザインだ。

 所々に昆虫を想起させる装飾がされており、腕を守る部分は甲虫などの背中の外郭にそっくりだった。

 

 一秒が経過。

 

 止まっていた世界が動き出す。

 まだ、手の届く範囲に彼女は居ない。

 

「届けぇっ!」

 

 操られている。届いたところで、何も変わらないかもしれない。けれどまだ、彼女の意思があったから、戻せる手段もある筈だ、と。

 希望論を掲げるのは、最早カタルパの十八番だった。

 

 しかし、そうして伸ばされた右手は、白く細い、美しい左手に払われた。

 

「えっ……?」

「煩わしいぞ、正義の味方」

 

 少女の口から発せられたのは、年季を感じさせる言葉。老人のような語り方は、不思議と何かを想起させる。

 

「此方が少し止まっていれば不用意に近づくなど……其方は何だ?

正義の味方などではなく、怠惰の使者か?」

 

 また、奴は逆鱗に触れてきた。態々、届きにくい場所にまで手を伸ばして。伸ばせなかった、『届かなかった』カタルパとは違って。

 

「【ギャラルホルン】ッ……てめぇ……《怨嗟の感染(シュプレヒコール)》!」

 

 怒髪天を衝く。カタルパはすぐさま【怨嗟連鎖】を引き抜き、《揺らめく蒼天の旗(アズール・フラッグ)》を装填(ストック)しようとした――が。

 

 ストックできるスキル候補の中に、《揺らめく蒼天の旗》は無かった。

 制約は一度でも《音信共鳴》で模倣し、発動している事だけの筈。

 そこに、『現在所持していない武器のスキルはストックできない』なんて制約は、無かった筈――!!

 しかしそこで、原因がそこではない事に気付く。

 

(違う……姿がアイラだから、本能的に忌避してるんだ……)

 

 宿敵であろうと、下卑た笑みを浮かべていようと、それは【絶対裁姫 アストライア】以外の何者でもない。彼に愛する者を殺す勇気は無い為、無意識にリミッターをかけてしまっているのだ。

 チャンスはあっても、それを選び取る勇気が無かった。自身の掲げる正義の為に愛を捨てる事が、カタルパには出来なかった。

 それは、その正義が正解でないからなのかもしれない。愛を捨てる程のものではないからかもしれない。

 正義感はあっても、正義ではなかった。それが、カタルパなのかもしれない。

 

「何故に、其方はそのような、中途半端な正義なのかね」

 

 【ギャラルホルン】はアイラの姿で、目を細めてカタルパを見る。それは敵同士の態度ではなく……教師と生徒のような立ち位置だった。

 

「俺は……正義の味方になりたい。英雄にはなれなくてもいい。それは『僕』の役割だ。

掲げているだけの正義なのも、アイラくらいしか守れない矮小な正義である事も知っている。

それでも、俺は――」

「待って、梓」

 

 突然の横槍に、カタルパは止まった。

 彼を梓と呼ぶのは、今この場には一人しかいない。その一人、ミルキーは、丁度アイラとカタルパの間に割り込むように立った。

 

「梓はそんな小さな正義でも、胸張って掲げてたじゃん。掲げてただけじゃなくて、ちゃんと実行出来てたでしょ?

正義の味方じゃん。充分に、立派に。偽善だけどさ、そんなの性悪説からしたら当然でしょ?

今更ヘコむ事なんかない。

カタルパ・ガーデンは正義の味方だって私が保証する。

それに梓が『悪』だって認めるのは、別にアイラちゃんを傷付けた場合だけって訳じゃないでしょ?」

 

 それは、《秤は意図せずして釣り合う(アンコンシアス・フラット)》が既に証明している『悪』の基準。

 PKや大量虐殺など、確かにその範囲は、アイラのみではない。寧ろ範囲は無制限であり、矮小でも狭小でもない。

 

「でも……それらは全て事が起こってからだ。

正義の味方は抑止力。

後手の俺は、それじゃない。

だから――」

「失敗しない人なんていないわ。

それに、後手だって重ねて行けばちゃんとした抑止力にはなれる筈よ。

後は……貴方次第じゃないの?

正義の味方になりたいっていう、意思じゃないの?」

 

 何故そこまでミルキーは――天羽 叶多は、カタルパ・ガーデンに肩入れしてくれるのだろう。

 空虚な、姑息な言葉だ。

 なのに、胸から溢れ出る思いは何なのだろう。

 

「庭原 梓とカタルパ・ガーデンを比較する必要なんてない。

庭原 梓は英雄で、カタルパ・ガーデンは正義の味方。住む世界が違うのよ。

それに……そんなに現実での『庭原 梓』に執着する必要って、ないでしょ?カタルパ・ガーデンっていう存在は、庭原 梓に出逢った事は無いわ。だから、そんな英雄を前に『自分なんて』って卑下する必要は無い。もっと胸張りなよ。

 

――正義の味方が胸張らないで、誰が前を向いて生きて行けんのよ!

 

自分の思う正義が絶対的な『正義』じゃん!

正義の敵は別の正義!なら他人の掲げるやつは敵!

自分のが絶対!それじゃダメ?

そんなに他人のと比較してヘコみたいならお好きにどうぞ!

でもそれなら貴方の正義は置いてって。

私達が梓に着いて行くのはその正義があるから。その正義が無くなるなら、あっちの梓もこっちの梓も、少なくとも私は見捨てて行く。

もっと胸張りなよ、梓。

私は、そういう梓が好きだもん」

 

 突然の告白に、一瞬だけ《型呑永愛》を喰らったかのようにカタルパが停止する。

 

「この世界じゃもうダメだけど?

私は貴方が好きだもん。諦めたら、そこで試合終了だもん。

正義の味方が好きなんじゃない。私は梓が好きなんだ!

だから、とっととこれを終わらせて、ログアウトして答えを聞くわ!」

「いや……今ここで回答しても――」

「んなの華がないじゃん!

取り敢えず【終点晶楔 ギャラルホルン】をアイラちゃんから引き剥がすよ!」

「……それで、対話が出来なくなると困る。

まだ少しだけ待ってくれ。

なぁ、【ギャラルホルン】」

「……何かね?」

 

 ミルキーの横をすり抜け、アイラを乗っ取って笑う【ギャラルホルン】に、カタルパは詰め寄る。

 

「お前の正義、教えてくれよ。

敵対するだけが正義じゃない筈だ。

ヒーローだって、最後は団結するんだぜ?

お前の語る正義の味方に、俺はなれるんじゃないか?」

 

 提案するその姿は、悪魔のようだった。

 片眼鏡が反射し左目を隠したが、右目に燃える意思が左目にも宿されている事は明白だった。

 【ギャラルホルン】はまだ、明かしていない。己の掲げる正義の何たるかを。

 自分だけ明かしながら其方が明かさないのは『不公平』だと考えたのだろう。実にカタルパらしい。

 【ギャラルホルン】もそれには呆れ、また感心し、口を開く。

 

「教えておこう、此方の掲げる正義を」

 

 【終点晶楔】に成り果てた【ギャラルホルン】は語る。【絶対裁姫 アストライア】の姿で、彼女の掲げるものとは違う正義を。




【終点晶楔 ギャラルホルン】

 【零点回帰 ギャラルホルン】の成れの果て。鎖に纏わりついた楔。マスターを殺し、ティアンを殺さなかった化け物の終点。
 カタルパ・ガーデンよりも正義であり、ゲームとしては悪である滑稽な存在の最果て。正義の味方になる為の、なる為だけにある一里塚。


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第五十九話

( °壺°)「まーた下らん理論の超展開だよ」
( ✕✝︎)「そんなもんだろこの作品は、最早」


 庭原 梓は街道を歩いていた。

 ありふれた道だ。何かしらの伝承がある訳でもない、本当にどこにでもあるような道。

 そんな道を、一歩一歩踏みしめて歩く。

 【ギャラルホルン】に言われてあの場所からログアウトして、梓はある場所に向かっていた。

 その目的地の事を考えれば、今にも引き返したい思いでいっぱいなのだが……引き返せない理由も、無いでも無い。

 言葉は通じても、話が通じないモノがある。

 【ギャラルホルン】は言葉も話も通じる奴だった。

 これから梓が出会おうとしているのは、言葉も話も通じていた者。

 通じていた筈の者。

 誰よりも近く、また遠い者。

 未だ死んでいない方の肉親。つまり、庭原 梓の母親である。

 

□■□

 

 庭原 椿。旧姓洞木(うつろぎ) 椿(つばき)

 梓を二十四で産み、梓を育てた肉親。

 しかし決して、彼女は善人ではない。勿論、梓からしても。

 思い返せば分かるが、梓がきょうだいが売られている事が分かったのは、きょうだいが「ごめんなさい、許してくださいお母さん」と言っていたからである。

 お父さんではなく、お母さん。

 きょうだいが父ではなく母に嘆いたのは、売り捌いた当人が父ではなく母であったから。

 『ニワハラグループ』は胸糞悪い事に、夫婦を中心に奴隷業を営んでいた……という訳だ。

 故人である父と同じように、母も悪人。そこから生まれた正義の味方……とは、些かバロールの孫、太陽神ルーの物語染みていて嘲笑を誘う。ルーの祖母は悪人では無かったから、こちらの方がよりタチが悪いが。

 そんな、悪人の棲む場所に、今から梓は向かうのだ。魔性か魔女の棲む魔境。

 足取りが重いのも、頷ける。

 しかしそれでも辿り着いてしまうのだ。庭原 梓の実家(『ニワハラグループ』本社では勿論ない)である和風の屋敷に。江戸時代であれば、大商人の家か何かと勘違いされたであろう大きさだ。

 梓はチャイムを鳴らし、返答を聞き、扉に手をかけ、ゆっくりと開ける。

 

「――お帰りなさい、梓」

 

 本能的に安堵してしまう声が、彼を呼んだ。彼の名を読んだ(、、、)

 現在、歳は四十九。そろそろ人生半ばである。

 しかし梓の目にはあの日と変わらない母親の姿があった。

 穏やかな笑みを浮かべる母親。それに対して笑みを返せないのは、梓か捻くれ者だからなのか、それとも。

 モノクロの中、綺麗に着色された(、、、、、)母親は、あの日のままだ。少なくとも、梓にはそう見えている。

 梓は幻視するのではなく、着色するだけだ。実際に見えているものに塗り絵のように色を付けるのみであり、実際の姿形を偽らせる事は出来ない。ならば、矢張り目の前の彼女は魔性なのだろう。現代風に言い換えれば、美魔女、と言ったところか。

 彼女と彼の会話は、さながらドッジボールだった。具体的には、椿の投げたボールを、梓が叩き落としているのだが。

 そしてまた、梓の投げるボールは、彼女には届いていない。近くにいるのに、梓は態と遠くに投げているような感覚。

 何の為に来たのかを梓は言わず、何の為に来たのかを椿は問えなかった。

 進展しない会話イベント。

 どちらかが痺れを切らす訳でもなく、ただ淡々と、ただそこに居るだけの時間が過ぎてゆく。

 

「私を、まだ許していないのね、梓」

「逆に何を許せってんだよ」

「いいえ、逆よ。許さない事が正しいんだから。今の貴方は正しいわ。

貴方みたいな子が私の子で良かったわ」

「その『私の子』ってのは、僕以外にも居たと思うんですがねぇ?」

「いいえ、貴方だけよ。私の子足り得る資格を持っていたのは」

「……胸糞悪い」

 

 それが、その場で行われた最初で最後の会話だった。

 相対していた梓はもう、その家を出ていた。

 

□■□

 

 庭原 椿は、壊れていた。

 それが、それだけが今回の一件を経て、梓が学んだ事だ。

 言うなれば悪意無き悪。悪と理解していながらも――それを実行していながらも――悪人であるとは認識していない悪人。無垢な悪(イノセントイヴィル)

 必要最低限の会話すら望めない。よく庭原 槐は彼女を妻にしたものだ。そしてまた……よくそんな親からこんな子供が産まれたものだ。

 鳶が鷹を生んだのか……それとも鷹が鳶を生んだのか……。

 悪人と善人(カタルパでもある梓を善人とするのは抵抗があるが)。どちらが鳶で、どちらかが鷹なのだろうか?

 どちらであっても、その家族は相容れない。同じ檻に獅子と虎を放るようなものだ。反りが合わない。

 カタルパは正義の味方。梓は英雄。棲み分けが為されている分、母親への対応も、『二人』で違う。

 カタルパは排斥しようとし、梓は傍観しようとする。

 そこが正義の味方と英雄の差異であるならば、そのままである限り、カタルパも梓も変わらない。

 

「それでも、決別は出来た」

 

 僕は英雄になれてしまった、と。心の中で呟いた梓は。

 カタルパに改めて、英雄にならないように言い聞かせた。

 

□■□

 

 今となっては有名な話だ。

 正義が成り立つ為には、悪が必要である事など。つまり必要悪。

 正義の敵は別の正義。だがそれは、悪が無い時限定の話だ。明確な悪意と悪が存在しない場合のみ成り立つ方程式だ。戦隊モノも、初めは正義同士で敵対こそすれ、強大な敵を前に共闘する事は最早十八番、定番である。

 梓は自宅の鍵を開けて、スタスタと入っていく。

 媒体を被り、直ぐに飛んで行く。庭原 梓としてではなく、一人のプレイヤー、【絶対裁姫 アストライア】のマスター、カタルパ・ガーデンとして。

 

 まだ、呪いは残されているのだから。

 

□■□

 

「来たか。では答えを聞こう、正義の味方」

 

 相変わらず、【絶対裁姫 アストライア】の姿と声で【終点晶楔 ギャラルホルン】は語る。

 

「いやはや……悪の有無ってのは酷いもんだな」

「そうだ。この世界にも明確な悪は存在しない。其方が英雄で居られたのは、そんな中で明確な悪を発見出来たからだ。

さてこの世界はどうだろう?其方は自由を売り文句にしているのだったか。つまり、だ。この世界で明確な悪を翳して跋扈している者が居なければ其方は英雄足りえない。

正義と対立出来るのは、正義だけではない。

己が正義と思って行動する悪行程救えないものはない。

其方は学べた筈だ。悪とは…………正義の履行の為に必要な悪とは何たるかを」

「……そう、だな」

「その上で、此方の提示する者も、此の者と同じように、守護して欲しい」

「出来ないと言った場合は?」

「其方の望まぬ展開を提供しよう」

「それ、懇願とかじゃなくて、脅迫って言うんだぜ」

 

 やれやれ、とカタルパは首を振る。手のジェスチャー付きで呆れる素振りをする。元より、カタルパはその依頼を蹴るつもりは無い。

 だから見に行ったのだ。未だ健在の、庭原 梓にとっての不倶戴天を。

 極力道化を装って、大袈裟な身振り手振りをトッピングして、カタルパは街中で宣言する。【ギャラルホルン】が宣言した事を復唱するように。

 アルテアの街に、たった今、どうしようもない正義の味方が誕生する。英雄に成れず、正義の味方に成ろうともしていなかった正義の味方が、爆誕する。

 

「いいぜ、やってやろうじゃねぇか!

俺は、カタルパ・ガーデンは!世界が大嫌いな世界の守護者だ!

今更アイラ以外に『一つ』守る物が増えたって、構うもんかよ!」

 

 問、救える物には限りがある。その中で救う物を選べ。

 答、全部。

 屁理屈のような、捻じ曲がった理論。だが、それこそ今更だった。

 カタルパがこれまで、曲解以外の、在り来りの解答を出した事など無かったのだから。

 

「それでいいの、梓?」

「それ以外無いだろ、叶多」

 

 この世界で今、初めてカタルパはミルキーを「叶多」と呼んだ。

 なら今そこに居る人間(プレイヤー)は――

 

「今更だ……今更じゃないか……救いたいと思ったモノを、救えなかった事が、()にあるもんかよ……」

「……成程、確かに曲解だ。

結局これでは、目的は果たせぬではないか……まぁ、それもまた、今更か。

其方に期待した時点で、取り返しなど付きはしないのだから」

 

 そんな言葉を遺して、アイラの身から楔が落ちる。

 

「あまりに守る物が矮小な正義……。

この世界を守りたかった【ギャラルホルン】と、この世界に反旗を翻したカーター……そもそも、折り合いなんか付けられなかった筈なのに……何故こうなったのだろうね……」

 

 アイラの呟きは、カタルパにもミルキーにも届かない。届けさせるつもりも無かったが。

 世界を嫌うだけ。唾棄すべきものだと言い張るだけ。向天吐唾までする必要は無い。どころか、嫌う為にこの世界はこの世界でなくてはならない。程よい理不尽に溢れていなければならない。『有り得ない』が跳梁跋扈していなくてはならない。

 それを保つ為には、調整役が必要だ。

 

 世界を嫌う為に世界を守るのだ。

 

 それが、カタルパの出した解答。

 【ギャラルホルン】は、世界を守りたかった。

 

『此方にも嫌うものはある。唾棄すべきものがある。死ねと思う程の者が居る。

だが実際に死んでしまったなら、何故死んだと嘆くのだ。

死ねと思う事が出来るのは、対象が生きているからだ。

此方の正義は、そうした感情や思考の為に、現状を維持する事だ。

守りたいもの全てを守る為に、その土台を守る事。

喧嘩出来るように、貶しあえるように、讃えあえるように。

全てその命と――この世界あってこそだ。特に、この世界に元から生き住まう者達にとっては、大切だ』

 

 【ギャラルホルン】が語ったそれは、惚れ惚れするような理論だった。世界を守るのは目的ではなく、目的の為の手段である、と。

 目的の為に世界を守る。世界平和の為に何かしらを守るのではなく、だ。

 確かに偽善(正義)だ。

 結局のところ、私利私欲の為に世界を守ろう、と言っているのだから。

 カタルパがなってしまうであろう正義の味方が守る対象としては、これ以上ない程だ。

 結局はアイラを守りたい。

 アイラと共に生きる為にはこの世界はなくてはならないものだ。

 だから世界も守る。

 三段論法染みているが、これ程私利私欲に塗れた偽善者も早々居るまい。

 そんな偽善を、カタルパは高らかに宣言した。

 【絶対裁姫 アストライア】を第3形態にして、カタルパは振った。

 

「いいぜ……いいぜ!

俺は正義の味方に成り果てよう!

成って馴れて慣れてやろう!

……畜生、なりたくなんか無かったのになぁ!」

 

 一体いつからだっただろう。正義の味方になろうとしていたのは。

 少なくとも、【シュプレヒコール】を倒した時ではない。

 ならばきっと、彼は――

 

『さて、末永く頼むぞ所有者よ』

「……主人、マスター……そして所有者か。それら全てが俺を指すんだな」

『……?カーター?』

 

 心配そうなアイラの呼びかけに、カタルパは、態と快活に笑ってみせた。

 

面白い(、、、)……面白いじゃねぇか!不可能に挑むのは、そりゃ楽しい(、、、)よなぁ!」

 

 今、面白いと。楽しいとカタルパは言った。ゲームを楽しんでいなかった筈の者が。遊戯を、娯楽を、そうと捉えていなかった筈の者が。

 ならば矢張り今この瞬間、彼はゲームをそうと捉えなくなったのだ。

 世界を守るゲームだとは、捉えなかったのだ。

 

 それは、正義の味方としては正しかった。

 カタルパ・ガーデンとしても、庭原 梓としても、正しかった。

 正義感だけの怪物では、ここで初めてなくなったのだ。

 だからここから、鎖の化け物ではなく、ただの【数神】カタルパ・ガーデンの物語は、真の意味で開始する。




庭原 椿(洞木 椿)

 梓にとっての悪人その二。悪人であり大罪人。許されざる者。
 魔性であり、化け物であり、或る意味では魔女でもある者。
 悪を悪と認識しながら、それを行う己を悪人だとは思わない者。
 悪を知りながらそれで尚、悪を識らない者。
 梓にとっての不倶戴天。世界にとっての必要悪。


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第六十話

 実際問題、世界を守るというのは、無理難題である。

 人一人に対して、この世界は些か大きすぎる。

 エンブリオによっては結果は変わったのかもしれないが、世界を守るエンブリオなど見たことも聞いたこともない。

 少なくとも、そんなエンブリオは、カタルパからは発現しない。

 本質としてカタルパは世界を守ろうとはしていなかった。

 また、誰かや何かを守ろうという発想も無かった。

 それが故のTYPE:メイデンwithアームズである。

 根底にあったのは守護ではなく、攻撃だ。あったのは厳選と裁定だ。束縛と、拘束と、緊縛と――無駄と無益だ。

 そこに、守ろうという意思は無い。

 それがこうなったのは、そうして生まれた、カタルパ自身の攻撃性のせいだ。

 なんとも皮肉な話だ。今の彼は、傷つける為の道具を守ろうとしている。傷つける為の道具を、囲って捕らえて閉じ込めている。

 そこにあるのは最早、偽善ですらなく――――

 

 独善だ。

 

□■□

 

「あれ?アイラちゃんは?」

 

 前回、告白めいたセリフを吐いたミルキーが、王城の(最早カタルパの自室と化した)俗称『計算部屋』に、カタルパに会いに来ていた。

 

「アイラは……アイラは(、、、、)此処に居ようとはしてたけど、『一度地上からこの街を見るのも面白いかもしれない』とか言われちゃあな」

「あー……ギャランちゃんか」

「なんか……ドゥ、と付け足したくなるが……まぁいいか。

今更だろ?あいつは【零点回帰】の時に地上から見れた筈なのにさ。個人的にはアイラの意思を乗っ取るのはやめて欲しいんだが……俺が『先輩』に上から目線ってのはな」

「所有者なのに後輩……訳わかんない」

 

 もっともだ、とカタルパは書類から目を離して苦笑する。

 アルテアの街の人々には、既に鎖の少女の存在は知れている。痴れ者の従者として、ではなく、一種のマスコットとして。《紋章偽装》でマスターとして見えてしまうが。

 それが今は中身が違うと来た。マスコットと思って近付いたら一人称が『此方』と言う意味不明な化け物がいる訳だ。ドッキリか何かと勘違いする輩が居るかもしれない。

 

「さて……刀、魔書、楔……次の精算は手甲か単眼鏡か……」

「精算?……次って言うのは……【ミスティック】か【ガタノトーア】かって……益々何のこと?」

 

 ミルキーはわざとらしく首を傾げる。カタルパは部屋の虚空を――誰かの定位置であった場所を――チラリと見てから、己が手を見下ろした。

 

「アイラは心を読まないが……積極的に『読まない』ようにしているが……俺は今、凄く怖いんだ」

「……怖い?」

「あぁ。とてもではないが、自分では使いこなせそうにない力が、ポンポン渡されている気がしてならない。

この手に嵌められている手甲だってそうだ。

俺に見合っていない。

それは俺が非戦闘職だって事を差し引いても、だ。

この刀もそうだ。そこの魔書はまだいいだろう。だがこの単眼鏡は?果てにアイラの持つ楔はどうだ?

俺なんかに使われる程の物か?

このままだと、俺は確実に使い潰す。使いこなす事なんか無い。それこそネクロみたいに、次代に持ち越す為のステップなのかもしれない」

 

 そう言うカタルパは酷く落ち着いている――ように見える。

 不満……ではないようだ。だが不服そうではある。それは世界の意味不明な、自分に優しいという『理不尽』に対する、困惑だった。

 

「世界は何故か、俺にこんなにも与えたがる。このままでは多分、俺はMVP特典に塗れた化け物に成り果てるだろう。

どうなっていやがるとは思わないが、これに対する代償が、いつか来そうで怖い。どうなって、とは思わないが、どうして、とは思うんだ。

だから精算。俺の傲慢を、強欲を、磨り潰して、すり減らしてくれる拷問だ。強くなりそうな俺を、暴走というリミッターを分かりやすくチラつかせて抑え込む。

【怨嗟連鎖】はいい例だ。暴走する、というリミッターを説明するに於いて、《延々鎖城》は本当に分かりやすい一例だ。

【終点晶楔】もアイラを乗っ取るといういい暴走の例が。

【幻想魔導書】は感情の明確な発露。『俺の元から離れるかもしれない』という暴走……暴走か、これは?ただの巣立ちな気が……。

まぁ、取り敢えず、だ。

俺は今確かに、その代償を目の当たりにしている。だから、次に来そうなのは、この手甲か、この単眼鏡か……なんじゃねぇか、と俺は踏んでいる」

「暴走の危険性があるアイテムを多く有する【数神】……梓はホントーに変わり者ね」

最たる例(テケテケ)を持つ者に言われるのは心外だな」

 

 自己愛、と言うにはカタルパのそれは他者に向いている。

 どうしようもなく、どうこうしようもなく、カタルパのその語り方は、カタルパという存在がなくなる事で、『【絶対裁姫 アストライア】が消失する事』を危惧している。それだけを忌避していて、その為にその他を廃している。

 カタルパ・ガーデンが、カタルパ・ガーデンの為に動いていないのだ。

 確かに一心同体。確かに呉越同舟。

 然れど結末は二心別体であり、呉越別舟。

 カタルパがアイラの為に行動する理由は、相手が夫婦だからでは、ないだろう。

 愛の為にではなく、アイラの為にではなく、カタルパは。

 

「自分の為にアイラちゃんを守ってる感があるよね」

 

 そう、ミルキーは唱えた。

 的確に、明確に。的を射て、明るみに出していた。

 化け物を化け物と言い切った。

 カタルパは、態とらしく目を逸らす。

 

 回答拒否である。

 

 ミルキーは肩を竦めた。

 ネクロも部屋の端で嘆息する。

 

『我も、或いは彼女ですら、既に知っている事だよ、来訪者。

……時たま思うのだが、来訪者は中々に、マスターの事となると聡いな』

「そりゃ、梓の事は何年も見てるからね」

『……それは……中々に恐ろしいセリフだ。

なんと言うだったか……あの、スニーキングではなく……』

「ストーキング、の事か?」

『それだ』

 

 それだ、ではないだろう。

 カタルパは心の中で呟いた。

 目の前で、ストーカー認定された奴が一人。しかも、自分のストーカーと来たものだ。

 どう敷き詰めても、どう突き詰めても、カタルパにとっては悪ではないが、善ではない。

 天羽 叶多は残念ながら、庭原 梓にとってそういう存在だ。

 ミルキーは、カタルパにとってはそういう存在だ。

 

「でもまぁ、そういうのも腐れ縁と言うか、長々と続くもんなんだよな」

 

 そう語る目は何処か遠い。当たり前を奇跡と語るカタルパは、その当たり前が他者とは違う。

 誰かの語ってくれる「当たり前」はどうしても、自分にとっての「当たり前」と完全一致はしてくれない。違うからこそ、折り合いをつけて、折衷案を求めて共通の「当たり前」、つまり「常識」にしていく。

 庭原 梓、天羽 叶多、カデナ・パルメールは重大な欠陥があり、その「当たり前」が他者とは一線を画す為(しかも、驚くべき事にその3人でもそれぞれ方向性が違う)、折り合いなど付けられず、折衷案など存在しない。

 どうしても、釣り合わない。

 此方が音を上げる事は有り得ない為に、必然的に彼方が折れる。

 つまり彼らは、他者の「当たり前」を捻じ曲げてしまうのだ。

 ぐにゃぐにゃに。ぐちゃぐちゃに。

 己の価値が捻じ曲がっているから、それに当て嵌めようとした他者の「当たり前」も捻じ曲げてしまう。

 ――それもまた、無垢な悪(イノセント・イヴィル)。いや、無意識な悪、だろうか。かの第一スキルと同じように、意図していない。意識していない。そこに意思が、意志がない。だからそこに意味を見い出せない。意味を見い出す意義も無い。

 

 ――最も悪足り得る者は、己を悪と認識しない者。

 

 さて、ならばカタルパは。悪ではないのだろうか。

 

□■□

 

 積極的に距離を置くと、人との関係は消極的なものとなる。

 孤独を引き連れて、【絶対裁姫 アストライア】は街道を練り歩いていた。厳密に言えば、【絶対裁姫 アストライア】の肉体を乗っ取った、【終点晶楔 ギャラルホルン】なのだが。

 ギャラルホルンは本当に、練り歩くだけだった。アストライアの身体を借りて破壊や略奪の限りを尽くすでもなく、姦計を働くでもなく、人々の日常をすり抜けるように、歩くだけだった。

 そこに、どんな意図があるかは分からない。肉体を共有するアイラにさえ。

 共有しているのが肉体だけであり、精神まで共有していないが故の結果である。

 そういう意味では、アイラとカタルパは精神も繋がっている、と言える。一方的な以心伝心こそあれ。

 

「……ふむ。もう満足だ、鎖の。

其方に肉体を返上しよう」

 

 アイラがフッと微笑んだと思えば、瞬時に顰めっ面になった。肉体の主導権が移ったのだ。

 

「……何がしたかったのだ……?」

 

 そんな鎖の少女の質問に、水晶の楔は答えなかった。

 だが、ギャラルホルンの視点で世界を見ていたアイラは、何かを探すように歩いていたのだけは分かった。

 それ以外は、闇の中である。

 

「よく分からないやつだな……」

 

 それはカーターも同じか、と笑って歩き始める。

 その足取りは積極的に距離を置くような歩き方ではなく、寧ろ友好的で。真っ直ぐに王城へと伸びていった。



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第六十一話

( °壺°)「日常会」


■カタルパ・ガーデン

 

 弱さを、それでも「弱さじゃない」と言える強さが欲しかった。

 それは傲慢且つ強欲なんだが、正義の味方って、大体そうじゃないか?

 そんな事を言っていると、俺の中では『正義の味方=傲慢且つ強欲』みたいな方程式が成り立っている、と認識されかねないから深くは語らないけども。

 世界を守る正義の味方。さて、何が『世界』の対象なのだろう。

 土地かもしれないし、人かもしれない。文明というデカいものを世界とするなら、両方守らなきゃいけない訳だし。

 だがまぁ……この世界の人間に価値を見出したから『僕』でなくなったのが俺だ。人くらいは守ってやろう。

 左手の甲に浮かぶ鎖の巻きついた十字架を見ながら、鎖の少女の姿を借りている化け物を思い浮かべる。

 

「正義の敵が正義なら……その別の正義は何を守りたいんだろうな」

 

 独り呟いた言葉は、何処にも届かない。

 

□■□

 

 アイラが部屋に戻ってくる少し前に、入れ替わるようにミルキーは出て行った。

 だから今は、いつも通りの三人だ。

 机を挟んで対面する俺とアイラ。机の端に浮かぶネクロ。壁に立て掛けられた【シュプレヒコール】。装備されている【ガタノトーア】と【ミスティック】。そしてアイラが腰の鎖の端に着けた【ギャラルホルン】。

 俺達には全く関係の無い資料。

 それだけがここにある。

 俺とアイラが計算している間、世界は無音に感じられ、その間も確かに目の前から暖かさを感じる。

 そんな中、その静寂を静かに打ち破る者が来たのだ。

 

『居るか、カタルパ』

 

 返答をしてから扉を開けると、そこに居たのは『僕』が『僕』である元凶――つまり俺が俺である元凶――である、シュウ・スターリングだった。

 

『正義の味方になれたクマ?』

 

 いつも通りの馬鹿げたクマ言葉の着ぐるみは、その空っぽの目で確かに俺の本質を見通していた。

 

「あぁ、なれそうだよ」

 

 冗談半分で返す。シュウも冗談なのは理解している為、信じる事も無ければ突っ込む事も無い。

 そしてまた、俺達三人の中に、割り込もうともしなかった。俺達三人に於ける第四者。立ち位置に於ける第三者。シュウはそれに、なりきっていた。

 なりきる……その言葉で不意に、俺はシュウの過去を思い出した。シュウが画面の向こう側で正義の味方をやっていた頃の事だ。

 

「そういやシュウ。あの……戦隊モノの六人目をやってた時さ、一体『何』が正義だったんだ?」

 

 どう伝えようか迷った挙句、普通に聞いてみる事にした俺は、改めてクマの着ぐるみに視線を向ける。

 

『さぁな。

……少なくともお前の望む答えじゃねぇだろうよ』

「……そうかい」

 

 残念ながらその答えは、『俺の正義と或る意味で相容れない正義』である事を示唆しているんだが……流石にそれくらいはシュウも理解しているか。理解しておきながら言ったのか。言わずとも分かるだろう、みたいな『信頼』がある気がして、気に入らないな、それは。

 

 自分への信頼――つまり自信――があまり無いから、卑下しているのは確かだけど。だからって周りからの信頼に快い返答が出来ないのは、俺のせいだけではないだろう。

 

 誰も明確に同じ正義を翳せない。ある男が女を守ろうとする正義と、その女が男を守ろうとする正義。相互的なその守護は、同じではない。或いは、そのどちらも『双方を守護する』という、『同じ正義』があるかもしれない。然しそれでも、どちらも同時に双方を守護する事は出来ず――寧ろ守ろうとする余りどちらも身を呈して傷つくだろう――結末として、全く違わない正義、という訳ではない。

 正義の敵が別の正義だと言うのなら、この世界は相容れないものに溢れている。

 

 ――それでも、俺には同じ者がいる。

 

 そのせいで、俺は正義の味方でいられる。

 

 ――正義は一人では翳せない。

 

 だから俺達は、正義を翳せる。

 俺達だけが……真の正義なんだ。

 

 正義の味方にはなりたくなかったが、どうせなるならとことんやってやる。

 不意に、アイラが微笑んでいるのが見えた。何の意味が込められているのかはこちらからは察せられないけど、悪い意味じゃないと思った。

 

『ま、お前が悩もうが振り切ろうが俺には関係のない事だ……って事で切り離すクマ。

本題に移るがカタルパ。それ(、、)は大丈夫なんだな?』

 

 シュウの言う『それ』とは【終点晶楔 ギャラルホルン】の事だろう。俺は首肯してから、ある程度の説明をしておく。

 

「一応、俺とコイツで折り合いは付けた。

暴走の危険性は無くはないが、首輪は付いている」

『俺が聞きたいのは、その首輪をちゃんと持てるのか、だぞ』

「犬を飼いたいガキへのセリフじゃあるまいし。

大丈夫だ。ちょっとは信頼してくれよ」

『……分かったが、そういうセリフは自分自身と向き合ってからにしろよ、正義の味方』

 

 それだけを残して去って行くシュウは、こちらの反論を許さない。或いは、追いかける事さえ。

 扉が閉まる。それをただ見送る事しか出来ない俺は、別に怠惰ではないだろう。誰だって、図星を突かれた時は硬直してしまうものだ。

 

「自分と、ね……」

 

 そうして向き合うべきなのは、鏡に映る俺自身の事なのか。

 それとも――

 

 目を向けた相手は、目が合ったと同時にまた微笑んだ。

 

□■□

 

 一段落ついて、席を立った。

 もう魔導書は何も言わない。過去のように何故待たないのか、などと言及しない。それは、諦めがついたからじゃない。

 ちゃんと、今はもう着いて来るから。鎖の少女が、俺の隣に。

 昼時ともなれば、街は賑わいを見せる。タイムセールを始める店もしばしば見られる。俺達はその通りを観光客のように見回しながら、目的の場所へと向かっていく。不意に、雑談のようにネクロが喋った。

 

『狂騒の姫君に破壊の王……数の神……いやはや、そう聞くと錚々たる面々だな、マスター』

「そうかね?俺が浮いてるように思えるんだが……」

『同類だろう、貴公等は』

「いやー……どうだかなー……」

 

 個人的にはあのストーカー上半身だけお化けとか万能着ぐるみヒーローとかと比べられたくないと言うか……。

 

「……カーター、鎖に雁字搦めの正義の味方が居るのをご存知かな?」

「いや……それだと逆に同類扱いはどうなんだろ……」

 

 それは逆の意味で、その枠に入らない。あいつらはそれ程の化け物性と呼べる物を有しているわけじゃない。

 ミルキーに関しては微妙に『入っている』けれど、シュウは完全に、そうした『外れたモノ』から外れている。

 俺みたいな埒外ではなく、ミルキーみたいな例外でもない。

 普通。常識。

 あの【バルドル】を見る限りそうは思えないかもしれないが、俺よりも芯が通っていて、誰よりもマトモだ。

 

「マトモ……普通、常識……さて、そうしたものは誰が定義したんだろうか……」

 

 その独り言に、態と二人は答えない。回答を待っていた訳じゃないからいいんだが。

 解答は、元から分かっていたから。

 俺が定義して、俺が枠を作って、俺が枠を超えた。それだけなのだから。

 

 鎖に巻かれた正義の味方。ケムに巻かれるよりはマシだ、と開き直った。いつからだっただろう。そう開き直ったのは。いや……それを言うならばもっと前から俺は、そうして開き直ってきた。反旗を翻したのは初めから。挫折したのは中途で何度もあった。ではその度に開き直れたのは、何故だ?

 何度も同じような壁に激突して落ち込んだ。落ちぶれた。理不尽だとか、世の理だとか。自分の力が絶対に及ばないような敵だった。なのに俺は、どうしてまだ続けていられるのだろうか。

 エキセントリックな精神をしている訳ではない。勿論、これだって、とうに解答は得ている。得ていながら、態とらしく考えているのだ。

 

「カーター、着いたぞ?」

「ん?あぁ、もう着いたのか。考え事をしていると早いな……」

『轢かれなくて良かったな』

「ハハッ、現実じゃあるまいし」

『我からすれば、此処こそが現実だがね』

「……そういう意味では、皇国が戦車とか造ってた訳だから、轢かれない事も無くはないな……」

 

 なんで立ち直れたか、なんて。分かりきっているじゃないか。

 それでも、考えてしまうのは。

 こんなにも、今が愛おしくて、失うのが怖いからだろう。



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第六十二話

 その甘さは、砂糖のようだった。甘いと分かっていても、いずれは波のように引いていく、有限の甘さ。幽玄のような甘さ。

 珈琲の中に入れてしまえば、直ぐその闇に溶けていってしまうような、苦味(苦痛)を和らげる事しか出来ないささやかな甘さ。珈琲の色を変える事すら出来ない、ただ甘味(情愛)を追加するだけのフレーバー。

 あの闇をどうにかしたいなら、砂糖ではなく、白い白いミルクになるべきだったのに。

 その甘さは、ミルクの甘さではなく、間違いなくシュガースティック、或いは角砂糖のそれなのだ。

 それが、その甘さこそが――【絶対裁姫 アストライア】だった。そうだったのだ。そうだった――筈だったのだ。

 

□■□

 

 いつからだっただろうか。

 カタルパの掲げる正義が、カタルパと【アストライア】の、二人だけのものではなくなったのは。厳密には違うのだろうが、本質は同じ正義を、あの上半身怪異や木龍使いが掲げている。

 ――実に、腹立たしい。

 【アストライア】は胸の内の怒りを、日々煩わしく思っていた。

 怒る事が無意味と分かっていながら、それがやめられなかった。

 怒っていると思っている自分を、日々煩わしく思っていた。

 

『其方の内面はその外面と違い、いやはや中々に黒いではないか』

 

 その思いを見透かして、最近は水晶が話しかけるようになった。

 あの楔だ。宿敵であった筈の、仲間だ。

 【アストライア】は行き場のない憤りを、水晶にぶつける事にした。

 それは最早、恒例行事となっていた。

 

「相変わらず君は戯言しか言えないんだね」

『まさか。的を射た虚実ではないか』

「虚実……?なら今のそれはどちらなんだい?どちらと言っても信じはしないけれど」

『信頼性が無いな』

「元々敵対関係であったのに今更じゃないか」

『…………敵対関係、か。それについては、未だ継続中と言えようが』

 

 そればかりは苦笑するしかなかった。カタルパの掲げる正義が、あくまでも『二人だけのもの』である限り、その『二人』に含まれないこの水晶は――勿論、その定義により魔導書も――別の正義を掲げる、『二人』の敵なのだから。

 正義の敵は、別の正義だ。だから『二人』とその他は、相容れない。元より二人だけの世界に何かを介入させる気は【アストライア】には無かったが。

 拒絶。断絶。彼女の鎖は、彼を取り巻くだけで、そこで途絶えている。他を縛る為ではなく、彼を逃がさない為に(、、、、、、、)縛っている。矢張りそこに、その他諸々は一切関わらない。【アストライア】の中で、世界は自分とカタルパ、その二つの要素で満たされていた。それもその筈だ。相手は生みの親なのだから。

 ……いや、仮に他者に創られたのだとしても彼女の、【アストライア】としての内面は恐らく、変わりはしないだろう。こんな内面だからこそ、彼女は【アストライア】と銘打たれたのだろうから。

 

『兎角、正義とは千変万化であり、千差万別でもある。元より相容れない。そこについては此方も一線を引いている。

そこで同調も強調もする心算は無い。無論、これ以上敵対する心算も無いが。

此方はもう、其方の精神に干渉する程度の力しか残されていない。少なくとも其方の正義の上塗りは出来ない。其方の正義に嫌々付き従うのがようやっとだ。

それはあの手甲も、鎖の刀も、魔導書も、単眼鏡も同じだろうが、な』

「構わないよ、そんなの。私とカーター以外の事を、気にしている暇なんて永遠に来ないからね」

 

 サラリと、仲間である筈の存在を切り捨てるのは、流石と言うべきなのか、非情と言うべきなのか。どちらにせよ、最早彼女の中にマトモな『仲間意識』たるものは無い。

 デジタル思考のような0(その他)1(カタルパ)の理論。水晶は思わず身震いした。……身震いする身は無かったが。

 狂っている。それは今更ながらの感想であり、いつであっても、彼等彼女等には驚く程にしっくり来る言葉だった。

 

□■□

 

「アイラ?」

 

 目的地に辿り着いたと同時、ほんの短い間、アイラが直立不動だった事を、カタルパはその時初めて気にかけた。彼にしては、遅かった。いつも彼女の事を考えていそうな彼が、彼女の異変を数秒であれ放っておくなど。

 それこそ異変である。カタルパ・ガーデンとは異なり、以前のそれとは変わっている。

 それがカタルパだと言うのなら。

 そうして千変万化していく事がカタルパの正しさなら。

 その時点で、食い違っている。

 水晶は不意に瞑目した。……する目が無いが。

 本当にそうならば、本当に彼が変わってしまったと言うのなら。彼女は何処に向かえば良いのだろうか。

 彼女が辛うじて正常で居られるのは(マトモでは無い)、カタルパと寄り添うように生きているからだ。それこそ『人』と言う字の成り立ちのように。

 彼女はまだ、独り立ちするには早すぎるのだ。狂った理論を掲げようが強大な力を持っていようが彼女はまだ、幼いのだから。

 

(そうした事を考えてしまうのは、此方が世話焼きだから、なのだろうか)

 

 水晶の楔は思案する。

 鎖が所有者を縛るものだと言うのなら、楔はその鎖を打ち付ける。そして所有者はその楔を引き抜く。

 それは、蛙と蛇と蛞蝓の三角関係が如く、三竦みとなっていた。

 化け物が化け物を縛り、化け物が化け物を打ち付け、化け物が化け物を引き抜く。

 

 世界がまた、通常に一瞬一瞬を重ねる。その一瞬の隙に行った逡巡を、【ギャラルホルン】は語らない。

 数瞬のカタルパの放心も、数瞬のアイラの長考も、一瞬の【ギャラルホルン】の思考も。

 繋がっていながら、語ることは無い。

 驚くべき事は、それでも尚繋がってはいる事なのだろう。切れてしまいそうなのに切れない腐り縁――鎖縁――なのだろう。

 それを運命と呼ぶのなら、些か言葉遊びが過ぎる。

 正義という概念に取り憑かれた彼等は、まだその見えないモノの形を追い求めている。或いは、それが納まる器になろうとしている。

 どちらも愚行だ。それを考える事もまた愚考だ。

 だがそうして、愚かしい事が彼等の存在証明に成り得るのなら、尚更彼等は愚考と愚行を重ねる。

 二層の『愚か』で出来たミルフィーユが、彼等自身が目的地に辿り着く足掛かりになるのならば、尚更。

 

 ――――それこそ、無限に(、、、)罪重ね、積み重ねる。

 それを正義と盲信し、妄信して猛進するだろう。

 襷は託されるモノで、鎖は縛り付けるモノ。二つのモノが、庭原 梓を雁字搦めにしていたとしても。

 更に【アストライア】の鎖で、梓と同じカタルパ・ガーデンが縛られていたとしても。身動が取れなくなっても。彼等彼女等の正義は、決して揺るがない。

 寧ろ動けないからこそ、その正義が不動のものとなる。なんともまぁ、摩訶不思議なお話である。

 だが所詮は結果的に(、、、、)正義に傾いただけの事なのだ。そうした一挙手一投足が、偶然的にも正義の側へと向かっただけなのだ。

 ただそれだけで、それこそが全てだった。

 それが、矮小で狭小で僅少な、正義だったのだ。

 

□■□

 

 辿り着いた場所は、よくミルキーが居る店……とされる場所だった。あの自由奔放な娘が、特定の場所に入り浸るとは到底思えなかったカタルパは、半信半疑のまま扉に手をかけた。

 今日そこに来た目的は幾つかあるが、筆頭は【ギャラルホルン】の件だ。【終点晶楔 ギャラルホルン】本人は多分そのままでもいいんだろうが、楔が剥き出しになっていて、鎖を繋ぐ箇所すら無いのは推奨出来ない。

 カタルパがそう告げた時、アイラが

 

「推奨出来ないのか……水晶だけに?」

 

 などと言っていたのはここだけの話だ。

 【ギャラルホルン】もそれ以上文句を垂れたりはしなかった。所有者に対する忠誠、だと信じたい。

 

「いらっしゃい」

 

 見た目四十程の男の店主がカタルパに定型句を言う。カタルパは会釈してからその店主に切り出した。

 

「ミルキーって奴はいますか?」

「あぁ、居るよ。今日も奥の席に居る」

 

 大して大きくないその喫茶店の奥の席は、外の光が遮られる位置にあり、暗視ゴーグルのようなものが無ければそこに誰かが座っているのかさえ分からない。

 店主はもうコーヒーカップをナプキンで撫でている。もうカタルパに関わる心算は無いらしい。いや……何処と無く『関わりたくない』という意思を感じた。カタルパは初対面だろうから、必然的に、消去法でミルキーのせいだ。

 カタルパは嘆息し、序に落胆しておいた。いや、安心したのだろう。

 何処に行っても、彼女の普遍性は不変だったのだから。

 

「大分暗いね、カーター」

「まぁ、豆電球で照らしてるだけみたいだしな」

 

 二人でその席に行くと、暗がりの中で見慣れた姿を見つける事が出来た。

 

「やっほー梓。それにアイラちゃんも」

「よぉ、相変わらず」

「今日は下半身は……あるみたいだね」

「何処を気にしているんだアイラは……」

 

 テーブルの下からアイラがミルキーを覗く。今回はちゃんと脚を視認出来たらしい。

 以前は別の場所で待ち合わせた際、急いで来たからという理由で上半身のみで来た事があった。亜音速で上半身が迫る光景は何度経験しても慣れない。数日に一度闘技場でカタルパとミルキーは手合わせをするのだが、カタルパの勝率が悪いのは(相変わらずの『悪』に関する定義の事もあるが)その上半身オンリースタイルのせいでもある。

 

「見ちゃいやん」

「キモい声を出すな」

 

 下半身が付いている事を聞いてか、店主が安堵していた。……多分、以前ここで下半身を切り落とした事があったのだろう。カタルパは店主の苦労を垣間見た気がした。その喫茶店の勤務と関係の無い苦労を。

 チラリと目を向けた先、店主の左手に紋章を見た。気にかける程では無いが、彼をティアンだと思っていたカタルパは無意識に眉を上げた。それから、視線をミルキーに移した。ミルキーは眉を上げたのを見たのか、少しキョトンとしていた。

 

「ん?……どったの梓」

「いや……なんでもない」

 

 さぁ、建設的な話をしよう、と梓は密談を開始する。

 議題は【終点晶楔 ギャラルホルン】について。

 

 今日もそうして、泡沫の夢が過ぎていくのだった。



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第六十三話

( °壺°)「新しい展開の為の布石デス」
( °壺°)「なので今回は短め」


 光が途絶えた。

 月に影が差すように、灯がいずれ消えてしまうように。

 泡沫の夢は、幸せな悪夢は、必ず覚めてしまう。

 

「どーしてこーなるかなー」

 

 ミルキーが頭を搔く。上半身だけの身で器用な事だ。

 彼女の眼前には、正体不明の化け物と、鎖の化け物が居た。

 正体不明の化け物。名はクロノス・クラウンと言った。

 こんな事なら出掛けるんじゃなかった、とミルキーは思案する。まだその化け物がこちらを襲わない内に、出来る限りの思考をする。

 このままでは、二人とも敗北してしまう。

 どうすればあの鎖の化け物を連れて逃げられるのか。

 ミルキーは策を練るのが精一杯だった。

 

□■□

 

 至極単純に言えば、【ギャラルホルン】の装飾をミルキーが行う事は出来なかった。技術的な問題もあったが何よりも、

 

『此方は怪異に修繕される身では無い』

 

 などと本人が拒否した事が原因だろう。それでミルキーのやる気も削がれた。

 

「じゃあ、技術大国行こうよ、技術大国」

 

 技術大国……と言うのは、言わずもがなドライフ皇国の事だろう。

 当時の王国と皇国は戦争も起こらず比較的安全だった為、ミルキーも気安く語っていた。

 

「ドライフか……何も無いといいんだが」

 

 ――このアルテアにも、“最弱最悪”の名は届いている。天下のマッドサイエンティストに出会っても、何も無いと良いのだが。いやそも、出会わない方が、良いのだが。何か難癖を付けられて酷い目に逢うのは避けたい所だ。

 だがこの心配は、意味を成さなかった、と言える。

 これは全てが終わったからこそ言えた事なのだが、それに関しては杞憂だった。

 問題はもっと違う所だ。『最悪』が【大教授】で、『最強』が【獣王】若しくは【魔将軍】であると言うのなら、(【魔将軍】は煽り耐性的な問題で『最強』ではないと思うが)カタルパのような人間の極めるところである、『最速』は誰なのか。今まで散々『そうしたもの』と関わってきたカタルパが、勘づかない筈が無かったというのに。

 実際、カタルパはこの王国で『最速』を目指す者達とは何度か出会っている。

 かの【抜刀神】、カシミヤとも闘技場で何度か手合わせしている。まぁ、結果は悲惨なものだったが。

 そうしていたから、何処か慣れていたのだろう。故に見落とした。

 【兎神】……聞けば大体察せた筈なのに。見れば理解出来た筈なのに。

 カタルパ・ガーデンは、見落とした。

 

□■□

 

 皇国には知り合いが居るのか、とカタルパはミルキーに問うた。ミルキーははぐらかすばかりで、答えようとしなかった。

 何か隠したい事があるのだろう。

 知りたいという好奇心よりも、『親しき仲にも礼儀あり』の精神が勝ったカタルパは、それ以上問うことをやめた。

 ただ、ミルキーが今度会わせてくれるらしいので、期待はしていた。

 

「お前は各業界に踏み入れはするから、顔が広いんだな」

「でもセンススキルとかは無いから付け焼き刃だし、やっぱり本職には敵わないよ」

 

 そう自虐するミルキーを横目に、カタルパはカチャリと刀を鳴らした。

 それはミルキーの作品であり、スキル《延々鎖城》が追加され、それ故に『刀の精算』が発生した鎖という刀。楔にもなる刀。【怨嗟連鎖 シュプレヒコール】。

 もっと胸を張ってもいいと思うのだが、ミルキーは決して自慢しない。それは、『してはならない』という意識の表れであるようにも感じられた。少なくともカタルパはそう認識した。

 自分の行いを『真似事』と断じているからか……それとも、何か、『造る』事とは全く違う目的、手段、理由があるのか……。

 

(どうであっても、俺は引き止める権利が無い)

 

 彼女の進む先が奈落であろうと、彼は止めない。寧ろ押してやるだろう。奈落に落ちる事よりも、ミルキーは進めなくなる事を恐れる人間だから。

 誰よりも、何よりも停滞を望むのはカタルパ・ガーデンだけであり、誰よりも、何よりも前進を望むのがミルキーである。

 

「楽しそうだね、二人とも」

 

 それに則れば、誰よりも、何よりも不変を望むのが、アルカ・トレスなのであった。

 

「よう、アルカ」

「どったのー急に」

「いや、見かけたから挨拶に、くらいだよ」

「別にそんなに距離を置く必要は無くないか」

「そうだけど、僕にも予定はあるからね。

僕が僕のやりたい事をする為には、一人でいた方が都合がいいんだよ」

 

 そういうのもあるか、とカタルパとミルキーは頷いた。

 こうしてみると、カタルパとミルキーを夫婦と見、アルカを子と見る家族に見えなくもない。

 

『カーター?』

「……え、何その不機嫌な声」

 

 最早八つ当たりか理不尽としか言い様がないアイラの声に、カタルパはたじろぐ。

 アイラも本気でそう思っていた訳ではないのだろう、その不満そうな声も聞こえなくなった。

 

 一行はアルカと別れ、ゆっくりとドライフ皇国に向かっていく。

 

 ゆっくり、ゆっくり。

 

 停滞と前進を交互に繰り返すように。

 

 奈落へと、向かっていく。



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第六十四話

( °壺°)「そうそう!前話が何故か土曜に公開されてたんですよ!」
( °壺°)「九分九厘こっちの投稿日の確認ミスなんですけどね!?」
( ✕✝︎)「誠に申し訳ございません。何度目だろうねそういううっかりミス」


 暗闇の中、カタルパはミルキーを抱えて駆けていた。

 

「まったく……世話が焼ける」

 

 抱えられているミルキーは喋らない。

 抱えられている事実を前に興奮して気絶した――訳ではない。

 彼女のHPゲージは、残り1割を切っていて、今は気を失っていた。

 であれば、カタルパが抱えたから気を失ったと言うよりも、気を失ったからカタルパが抱えた、という方が正しいのだろう。

 アイラの鎖により、カタルパがミルキーを抱える負担は軽減されている。が、0ではない。走れば走る程に息が切れていく。元より筋力や持久力に自信が無いカタルパだ。当然の事だろう。

 ただ、疲労の原因はそれだけではない。

 

 カタルパ達は今、明確に逃げている(、、、、、)のだから。

 それは今も継続中だ。カタルパの高いAGIをもってしても、未だに。

 その逃走劇を、皇国中央部から国境である辺境まで繰り広げていた。

 逃げられない相手から、逃げようとしていた。

 ――それは物理的に逃げきれない、という事でしかない。ただ単にカタルパのAGIよりも、相手のAGIの方が圧倒的に高かっただけの事だ。AGIが5桁に到達した現在のカタルパは、超音速で活動する事が出来る。

 その超音速が、逃げきれないのならば、相手も超音速であることは自明の理。

 それでも……。

 

「AGI特化じゃねぇと今の俺に追い付くのってムズくね……?」

 

 それも非戦闘職であるが故の高AGIを有するカタルパだ。並大抵の戦闘職のAGIでは、簡単には追い付けない筈なのだ。(勿論、何処ぞの【抜刀神】は除外されている)

 時刻は間もなく日付が変わる頃。草木は眠らずとも人々は眠る頃だ。……現実では午前8時頃だから、マスターは活発的かもしれないが。

 その活発的なマスターの一人かもしれないが、いきなりミルキーを瀕死にさせた輩だ。危険極まりない。危険人物、という括りだとカタルパもミルキーも入る為、危険人物とは言わないでおいたのは、カタルパに自虐癖が無い為だ。

 

「ミルキー……起きねぇよな」

『起きたら走らせたいね。……それよりもカーター、逃げる算段はついたのかい?』

「いや……全く。悪人認定は出来るだろうから一分は逃げれるんだろうが……その先だよ。一分経ったその後だよ。ここまで追っかけてくる奴だ。この後も延々とミルキーを襲いにかかるかもしれない。それこそここでデスペナにしても、だ」

 

 そこは厄介な所である。一度程度のデスペナルティで引き下がってくれるなら、元より不意打ち――いや、自己紹介やら何やら程度はしていたが――強襲と言って差し支えないそれを、しなかっただろう。

 それ以前に、今のカタルパで、あれを倒し、デスペナルティにする事は不可能だろう。不可能に近い、よりはハッキリと不可能と言える程度の確率だった。

 ミルキーのHPを意識外からの不意打ちであれ9割持って行ったのだ。対象がカタルパであったのなら、気付く間もなくお陀仏だ。

 ミルキーを殺し得る戦闘能力と、カタルパに追い付ける程のAGIを有する敵。――正々堂々、なんて言葉を有さない、挨拶からの殺人への移行の速さ。挨拶し、確認。そして刹那の内に奴は金属製の靴――ブーツのように見えた――でミルキーを比喩なく蹴り抜いた。

 この時期であれば、マスターもそれ程強い輩がいるかもしれない。もっと初期であれば、トムのような管理AIの仕業だと思えたのだが……。

 

(いや、それにしたってミルキーを襲う理由が無いか。アリスの仕業だったとしても、ジャバウォックであったとしても……先に俺を狙う筈だ)

 

 無論、ジャバウォックがこれ以上カタルパに〈UBM〉を自分から(、、、、)けしかける事は無いだろう、と既に察していたが。

 であれば、何者(、、)なのだろうか。

 皇国のマスターか……それとも未知の敵か。

 前者であれ後者であれ、足りないのは情報だ。序に戦力。今のカタルパ達では、先ず太刀打ち出来ないだろう。

 

 追いかけて来ているのはミルキーと戦う為……ならば、カタルパが生き残る為に成すべき事は、ミルキーを置いて逃げる事だった。だが……。

 

「やっぱそういうのって、出来ないよなぁ!」

 

 それは、正義の味方を志しているから――ではない。もっと根本的な何かだ。その何かに何という呼称を付ければいいのかはカタルパは知らないが、今はただ、見殺しには出来ない、という感情を筆頭に置くことでそれを考える事を拒んでいた。

 カタルパが振り向くと同時、無人であった街道に人影が出来た。

 初めからそこに居たかのように。いつでもそこに居ないかのように。浮ついた『正義の味方(カタルパ・ガーデン)』と同じで、虚構(フィクション)染みた存在だった。

 

「なんで襲うのか、ってのは聞いてもいいのか?」

「なんで答えなくちゃいけないの?」

 

 カシミヤと同じくらいだろうか……それほどの幼さに見える少年が、カタルパのその問いに応答した。兎の耳を生やしているのは、明確な違いか。

 

「そこのミルキーさんは第6形態に辿り着いた。だから戦う。それに……早く終わらせるに限るんだよ」

「うっわぁ、訳わかんねぇ。アイラ、翻訳頼める?」

『ハハッ、カーターに分からないものが私に分かるものか。マスターである事は分かったが、それ以外が不明だぞ……?』

「よし、逃げるか」

「逃がさないよ」

 

 踵を返し、逃げる為に少年に背を向けたカタルパは、次の瞬間。

 

 ――少年の目の前に(、、、、、、、)、立っていた。

 

「『…………は?』」

 

 未だ起きないミルキーを置いて、正義の味方と鎖は、驚いたその表情のまま、世界から消失した。ミルキーよりも低いENDとHPで、同じ一撃に耐えられる筈もなかったのだ。

 

「正義の味方……だっけ。いいね、暇そうで(、、、、)

 

 と言ってから。取り残された狂騒の姫もまた、当初の目的通りに殺された。残りの1割も、9割と同じように、蹴り抜いて持って行った。

 殺された、という事実だけがそこには残された。

 数の神と狂騒の姫が死んだ痕跡だけが、そこには残された。

 後にはもう、その少年の姿すら取り残されてはいなかった。

 

□■□

 

 本来彼等は、【終点晶楔 ギャラルホルン】の改修を頼みに皇国に来ていた筈だ。

 だがその目的を果たすより早く、彼等は王国に、しかも三日後に舞い戻る。

 これでは、永久に改修は出来ない。行く度に、殺されて、戻される。それでは永久に辿り着けない。それこそ、アキレスと亀のように。

 永久に、【ギャラルホルン】はこのままである。

 終末の喇叭は、それ以上でもそれ以下でもないものに叩き落とされた。変える為には、あの少年を倒さなければならない。

 打倒し、乗り越えるのが妥当なのだ。

 だがそれは、非現実的だ。トライアンドエラーを繰り返せる程、カタルパは暇ではない(、、、、、)

 ベッドの上で盛大な舌打ちをした梓は、既に鳴り響いている携帯に手を伸ばす。

 

「何者だあいつは」

『知る訳ないじゃん……てか、どんな姿だったかも見てないわよ……』

「なんつーか、ウサミミ生やしたクソガキだったぞ」

『見た目は当てにならないでしょ……特に【抜刀神】見ちゃったら尚更』

「それはセンススキルもあるから不問」

 

 とりとめのない会話から本題に入るのは、最早恒例。二人は何が起きたかを可能な限り相手に伝えた。

 

 微妙にキャストタイムのある自動防御スキルが発動する直前に(、、、)一撃を貰った事。

 自動反撃のスキルが当たる瞬間にはその地点に居なかった事。

 そして、カタルパのAGIよりも高い事。

 

『臨戦態勢にほんの一瞬だけ入ったのは見えたのよ。でもそれだけ(、、、、)。瞬きより速く、あいつは私の横っ腹に一撃当てたわ』

「俺もそんなだな……気付いたらそこに居た。俺が死んだ時も、後ろに居たはずなのに目の前にいやがった」

『なら、私達が認識出来ないレベルの高AGIを有していながら、そこそこに高いSTRもあるって事ね』

「一撃で死ななかった所を見ると、そんな感じだな」

『まぁ?梓ならワンパンだろうけど?』

「言ってくれるな」

 

 ガチャリ、と鍵を渡していない筈なのに扉が開く。梓は電話の向こう側からも同じ音が聞こえたのを合図に切った。

 自然視線は扉に向く。天羽 叶多の来訪である。

 

「作戦、どうする?」

「戦わずして逃げる…………事が出来たら、どんくらい幸せかねぇ。一度改修してやるって言ったのにしねぇのは、沽券に関わる」

「梓らしいねぇ」

「言ってろ。兎に角、【ギャラルホルン】にしてやると言ったからには、やってやる。とことん足掻くさ。あいつの正体とか何も知らねぇが……いつもの事だ。俺の攻略は、現実(ここ)から始まるのさ」

 

 二人で一つのパソコンの画面を覗き込む。

 コキコキと指を鳴らす。首が曲がる。目が見開かれる。

 矢張り梓は、その状態(臨戦態勢)がお気に入りなのだろう。

 

「さぁ、攻略開始だ」

 

 子供のような笑みを浮かべて、智将が進軍を異世界にて開始した。



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第六十五話

( °壺°)「そろそろこの物語も終幕を迎えそうですね!」
( ✕✝︎)「え?…………え?今のこの状況を見て何処にその要素が?」
( °壺°)「めっさあるやろ」


 今回の事件――事件以外の何とも呼べない殺人現象――の解決、或いは解消に際し、庭原 梓は初めから明確な答えを提示出来ていた。

 『何もしない』、『どうもしない』、『諦める』……そういった、感情論からはかけ離れた解答を得、既に天羽 叶多にも提示していた。

 天羽 叶多は渋々、嫌々ながらも頷いた。今回の件については、二人とも圧倒的に実力不足だったのだ。

 死んだ後に調べてみれば、あのウサ耳の少年の情報はすぐに掴めた。

 

 【兎神】クロノ・クラウン。

 

 もう梓は、その名を見るだけで何となく察していた。【猫神】という具体例を、トム・キャットという事例を確認していたからだ。

 各国に一人づついるのかどうかは定かではないものの、エンブリオが第6段階で停止しているような、ゲーム開始当初から居た(、、、、、、、、、、、)マスターは、何人か居ると見ていいのだろう。これで2件目なのだ。二度あることは三度ある。強いて言えば街で出会ったアリスや、おびき出されて出会ったジャバウォックのあの姿も、よく見ていなかっただけで【神】シリーズの内の一つを有するマスターであったのかもしれない。

 

だからこそ(、、、、、)僕は、トムやジャバウォックにも頼まない。それでいて【ギャラルホルン】は改修してやる」

「……どうやって?」

 

 天羽の問いかけに、梓は不吉な笑みを浮かべる。

 それは無邪気とは程遠い、邪智に塗れた笑顔だった。

 

「釣り餌なら、あるんだよな」

 

 ――少なくともその発言は、正義の味方はしないだろう。

 そう、胸の内で天羽は呟いた。

 

□■□

 

 何度目かの死。何度目にもなる死。物語が進む度に、或いは進む為に、彼は死ぬ。

 死地に飛び込む無謀は、無限の螺旋を描いて止まない。

 永遠に。

 永久に。

 何度も何度も、彼は繋げた綱を断ち切る。

 綱渡りが出来ないのは当然である。

 此度は鎖ごと、その綱は金属製のブーツに断ち切られた。

 後悔は無い。無念も無い。だが、目的を果たせなかった事に未練はある。

 ただ一度決めた事が、外的要因よって阻まれた事に、不満もあった。

 【(化け物)】に【(化け物)】の成長が阻まれた。

 兎は数を数えない。

 数を数える兎など、それはもう兎ではあるまい。

 兎のような、化け物だ。

 先、神を化け物と呼んだのはそういう意味合いもあったのだろう。

 何せ、かの【兎神】の正体は――

 

 ――兎角人理からは逸れている、神なのだから。

 

 ……それに関しては、『鎖の少女も(化け物)だろうが』という意見もあるだろうが、そこは黙殺する。

 

□■□

 

 何度も何度も言う事だが、1日と言うものは、待つには長い。だのに過ぎてみればあっという間と来る。それは人間の価値観や感覚の問題でしかない。待ち遠しいから待っているのではなく、待っているからこそ待ち遠しいのだから。

 【兎神】クロノ・クラウンについて、講じるべき対策は何も無い。

 梓――カタルパ・ガーデンが講じるべき策など、一つも。

 或いは、『無策』という策なのかもしれない。奇策にも程があるだろうが。そう騙るのであれば、そろそろ梓の頭はイカれてきたのだろう。(最初からイカれていた可能性もあるが)

 仮にそうなら、頭のネジとやらが幾本か外れたに違いない。それも、重要なものだけ狙ったように。

 人心が無くなっていないと良いが。

 

 ともあれ、梓と叶多は大して広げないテーブルにこれでもかと資料を乗せていく。一番下に敷かれているのはパソコンで何枚にも分けて印刷した王国と皇国の国境付近の地図だ。

 その上に掲示板に書き込まれていた【兎神】の情報、その辺りの地形の情報、出現モンスターの情報等々、様々なものが広げられていた。

 中途で加わったカデナを含め、三人は今、そう大きくないテーブルを囲んでいた。

 今回策が必要なのはカタルパではない。寧ろ目の前にいる天羽 叶多(ミルキー)カデナ・パルメール(アルカ・トレス)である。

 カタルパを襲わないのであれば大団円のベストなハッピーエンドではあるが、先ずミルキーが狙われるのは確実だ。ミルキーはその皇国に居ると言う相手の、現実での連絡先を知らなければ、あの世界での連絡も出来ない。改修の為には、直に会うしかない。極度の人見知りらしく、カタルパ単独で行く訳にも行かない為、必然的にミルキーを守らねばならない。

 つまり、所有者であるカタルパが死んではならず、交渉人でありながら狙われているミルキーも死んではならない。

 必然的に、この三人の中で死ねる者はアルカことカデナのみとなる。

 驚くべき事に、カデナ・パルメールはつい最近第6形態に到達し、云わばリーチの状態となった。

 この三人の中で未だ第5形態なのは、カタルパ(庭原 梓)だけである。

 

「俺よりミルキーを狙う理由は、エンブリオの形態の段階が問題だと俺は思った訳」

 

 カタルパは資料を指差した。それには今迄【兎神】にPKされたプレイヤーのリストがあった。

 

「一部例外こそあれ、殆どが皇国にいた第6形態のエンブリオ所有者だ。その例外ってのも、多分僕みたいに巻き添えか、守ろうとしたかだと思う」

 

 ふむ、と二人は頷く。

 

「つまり僕が生き餌になって」

「その隙に私と梓が目的地まで直行すればいの?」

「いや、まさか」

 

 二人の導き出した案に、梓は首を横に振った。

 あの【兎神】について考慮すべきは戦闘力そのものではなく、あまりに高すぎる(と予想される)AGIである。

 

「カデナが盾やったって限度がある。タゲ取りが万全かと言われれば首を捻るぜ。そも、予想が正しいなら叶多だって狙われる訳だからな」

 

 寧ろそっちが本題だろう、と梓は続けた。

 ならどうすればよいのか、二人は顔を見合わせて考える。しかし智武勇のそれぞれに特化しているような人格の彼等が、その他者の領域に踏み入れられるような資格は無い。今回で言うならば、梓の智略に、カデナと天羽は届かない。届くだなんて、微塵も思っちゃいないが。

 だが分からないなりに考える事は出来る。足りないのなら二人で、という所までは良かったが、所詮は模倣。一を幾つ集めようと、究極の一には届かない。三人寄らば文殊の知恵と言えども、それ以上の力を有するのが、究極の一である。

 梓は、智略に於ける究極の一は、勇気と武力を有する彼と彼女に問いかける。

 

「俺の作った策に乗る気はあるか?」

 

 長年の付き合いで、答えなど分かりきっていたと言うのに。

 『こういうのは言葉にするのが大事だから』と彼は後々語る。

 その言葉は然し、この場に向けて放たれた言葉ではないのだが、それは今は関係ないだろう。

 

「「いいよ、乗ってあげる」」

 

 二人の顔には笑が浮かび、この先が待ち遠しいとでも言いたげな表情をしていた。

 梓は、カタルパの分身として、あまりにも広く、それでいて狭いこの世界で、暗躍を開始した。

 

□■□

 

「何故、ここに来たのです?」

 

 口ではそう言いながらスっと紅茶を差し出す辺り、この探偵社の主である狩谷 松斎は庭原 梓に慣れた(馴れた)のだろう。

 それに、質問の解答は分かりきっていた。今は離れているが、どうせあのデンドロの事だろう、と狩谷は察していた。

 語られた話は矢張りデンドロに関するお話であり、虫のいい事に協力の依頼であった。

 【ギャラルホルン】の件についてはこちらにも非こそあれ、今回は完璧な慈善事業である。【ギャラルホルン】の件の延長線だと言われればぐうの音も出ないが、梓にそう切り出してくる気配はない。

 であればご丁重にお断りしよう、と狩谷が息を吸い込む。と同時。

 

「お前の力が必要なんだ、松斎」

 

 ――梓は、口説きにかかった。

 狩谷はこの時初めて、空気で噎せた。梓に差し出したのと同じように紅茶を含んでいたならば、梓はその毒霧をもって紅茶に染められていたであろう程に。

 

「な、なっ……何を言っているんですか貴方はぁ!」

「……は?いや、普通に協力依頼をだな……」

 

 大事な時に限って、この者は天然スケコマシだった。

 今の一言で大分ときめいたと言うのに、本人にその自覚が無かった。悲しい事に皆無だった。

 『そうでした、この人の心は【アストライア】に奪われているのでした』と思い至り、こちらの勘違い、あちらの無意識下に起きた事故である、と断定した。……例え話であれど、鎖の少女に心を奪われているというのが冗談には聞こえない狩谷だった。

 

「僕達は勝たなきゃいけない訳じゃない。他の第6形態に移行したエンブリオのマスター達を守る意味は無い。恐らくあちらにもあちらなりの理由があるだろうから。だが、今回の僕達に限っては別だ。アレを乗り越えなければ辿り着けない」

 

 比喩無き例えに狩谷は瞑目する。利益や利点はあまり無い。信頼というプライスレスでありながら価値あるモノを押し付ける事が出来るが、逆に負債(のようなもの)を梓に対して背負っている現状、それが軽減されるだけだろう。

 だが、肩の荷が降りるとまでは言わないにせよ軽くなるのは利点だろう、と狩谷は遂に頷いた。二つ返事だったカデナと天羽とは大きな違いである。

 

 そうして梓――カタルパは何度目かのリスタートをする。

 一度決めた改修案件。終わるまでのトライアンドエラーは然し――呆気ない方法で終着するのだが……勿論、彼等彼女等が知る由はない。



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第六十六話

( °壺°)「多分、今迄書いてて一番楽しかった」


■??? ――夢の中――

 

「君は、『ニワハラグループ』なる組織――企業を知っているだろうか」

 

 男は、これから演説でも始めるかのように、そう言った。

 辺りは暗闇。男を照らすようにスポットライトのようなものが当たって、男のスーツ姿を際立たせていた。歳は四十半ばと言ったところだろうか。声には迫力と呼ぶしかない何かしらが篭っていて、発せられるだけで空間が共鳴するように震えた。

 

「嘗て、社会……裏社会と呼ばれるべきその社会で、その企業の名を知らぬ者はいなかったと言う」

 

 『ニワハラグループ』は当時、世界を裏から操る者達御用達の奴隷売買企業だった。表立っては製薬などで社会に貢献出来るような企業ではあったが、その化けの皮を一枚剥がすだけで、国家を盾にした悪質な企業に変貌する。他国家までこの企業を補助し保障していた為(勿論、奴隷を容認している国家も、だ)、排斥しようにも中々出来ないでいた。

 

「さて、今宵君に見せるものは、恐らく他では見られないものばかりだろう」

 

 男は暗闇を指さした。その虚空がライトに照らされると、魔界の城のような、城塞都市のような風貌のビルを見せた。

 それは、それこそは。

 世界から消え失せた、掻き消えた、身内から瓦解した企業。

 

 在りし日の『ニワハラグループ』の本社であった。

 

□■□

 

 男はスタスタと巨大にも程がある扉の前に立った。企業の入り口であるその扉を開くのですら、何重ものロックを解除する必要がある。

 一枚のカードを取り出すと、リーダーに通した。それだけで、重々しい扉がゆっくりと開いていくではないか。所謂マスターキーだったのだろう。男は此方に促すような素振りをしてから扉の隙間を縫った。

 

「この企業を潰したのは御曹司である庭原 梓という少年だった。彼の母親、庭原 椿は世間的には生きているが、彼からすれば死んだも同然だそうだ。なのに時たま会いに行くそうだから滑稽だ」

 

 男は口を開いてもその『英雄』の母親の話をするばかりで、中々父親の話に触れようとはしなかった。

 

「無論、少年の中では何故か、母親は死んでいるのに父親は生きている、とされている。現実は父親が死んでいて母親が生きているのに、だ。父親である庭原 槐は、少年の復讐の対象であったからこそ、生きていて貰わねばならなかったのだろう」

 

 そんな、本人でもなければ語れなさそうな事を淡々と告げる男は、企業の本社ビルのエレベーターに入って行く。

 

「来ると良い。君に見せたい物があるんだ。と言ってもそれは、この企業が何故、奴隷というものに手を伸ばしたのか、という根幹なのだがね」

 

 聞けば、『ニワハラグループ』が奴隷売買に手を出したのは、企業が発足してから暫く経った頃だと言う。初めは純粋な、社会貢献を目的とした全良な企業だったらしい。製薬企業と病院を合体させる事により、その時代ではトップクラスの治療率を誇ったのだとか。

 それが何故、そこまでになったのか。落ちぶれてこそいないが、その一途を辿ったのか。

 男は今から、その秘密を明かそうと言うのだ。

 

「さて……行こうか。……怪しい事をする訳じゃない。寧ろして来たのは今迄か」

 

 エレベーターはB6Fから更に下降しているようだった。エレベーターの階数表示は一番左に『B6F』と記されている為、これ以上下降するという事は隠された階層がある事を示唆していた。

 ゴウンゴウンと特有の鈍い音を響かせながら、エレベーターは下降を続ける。鳴り止まない。鳴り止まない。かれこれ数分は下り続けている。

 到着を知らせる機械音が鳴ったのは、それから更に2分を数えた頃だった。

 扉が開く。電気のついていない空間の中に、幾つもの柱が並べられている。

 

「いきなりだが君は、健康でいたいと思った事はあるかね?」

 

 そのセリフは、元々製薬企業であったからこそ、でもあった。此方に問いかけてこそいるが、此方にする意味はあまり無いようだった。

 

「私達はそう思った。いや、それを提供したいと思った」

 

 その考えは良かった。……そう考えるまでは、良かった筈なのだ。

 

「私達は悩んだ。試行錯誤を繰り返した」

 

 柱はライトブルーの輝きを放っていた。それこそ竹取物語のかぐや姫のように。

 

「どんな薬を作っても、私達の目的は達成されなかった。例えば肝臓が幾つもの病を併発していた時、薬というものは一つ一つ順々に対処せざるを得なかったからだ」

 

 ライトブルーの輝きを放つのは、幾つもある柱で共通しており、また、下数メートルのみが輝いているのも共通点だった。

 

「ドナー、というものもそう多くはない。かと言って救う為に私達が身を削る、という選択肢も無かった。一つの肝臓と命を救う為に、多くの命を削る事を、残念ながら許容出来なかった」

 

 心が狭かったのだ、と男は続ける。その言葉は、懺悔以外のなにものでもなかった。

 

「私達はそれでも、救えるものは救おうとした。限りあるドナーの臓器を掻き集めたりもしたし、違法に売買されているものを買収したりもした。製薬企業でありながら病院でもあったのだから、救う為に全力を尽くすのは当然だった」

 

 至極真っ当な理論をでっち上げながら(、、、、、、、、)、男は悠然と、止まることなくライトブルーに照らされた薄暗い空間を進む。

 

「そこで考えた。足りないのなら、増やせばいいのではないか、と」

 

 その時、或る意味の逆転の発送に辿り着いた『ニワハラグループ』。踏み間違えたのは、間違いなくその瞬間だっただろう。

 

「私達は研究を続けた。まだIPSによる治療も万全ではなかった。だが、そうした培養技術は『使える』筈だ、と。そう思った」

 

 やがて部屋の突き当たりに辿り着く。男はそこにもあった柱を眺めた。いや、眺めたのは柱そのものではなかった。

 

「そうして私達は、辿り着き、創りあげた。人としての禁忌。私達が踏み外す要因……」

 

 ライトブルーの部分、その中に浮かぶ――

 

「――クローンの、作成だ」

 

 男と、瓜二つの存在を。

 

□■□

 

 そこからの話は早い。無限に生み出せるクローンを、生まれながらの奴隷に仕立てあげたのだ。

 他所から仕入れる必要もなく、顔の造形をいじるだけで同じ人間を元に生み出したものとは気付かれない。『ニワハラグループ』はクローン技術の完成を以て、健康そのものを樹立させ――闇に、浸かった。

 

「クローンには知識を与えた。奴隷となるものには奴隷としての知識を。何処ぞの富豪や貴族のクローンにはれっきとした教養を。時には本人が死んでしまったからクローンを代わりに……なんて家庭もあって驚いた。その為に教育を施していた訳だから、納得もしていたが」

 

 一つ一つ、ライトブルーを指差しながら男は解説する。

 

「あれはイギリスの貴族のクローン。肺の機能が一部停止した際にクローンのものと取り替えた事があった。あれはガーナの貧民のクローンだ。黒人というだけで奴隷という印象がまだ強かったからな。二束三文でこそあれ、良い商品だった」

 

 命を命と思わない発言……いや、生みの親なのだから、生きる末を左右出来て当然だという、確固たる自信からその発言は来ているように思えた。若しくは、クローンだからこそ、人とすら思っていないのか。

 

「私達は踏み違えた。だが後悔はしていない。結果として当初の目的は果たせたのだから。無論、クローンを作れるだけの財力のある者に大体は限定されたが」

 

 そこで思い出したように、男は目を瞑った。

 

「我が子を出荷した事もあった。それから作ったクローン共々、良い商品になってくれただろうな」

 

 その発言は――いや今迄の発言もそうだが――当事者で無ければ出来ない話だった。

 男は『漸く気付いたのか』とでも言いたげな表情をしてから、ライトブルーをバックに名乗りを上げた。

 

「私は……私の名は庭原 槐。世界の闇。必要悪にして完全悪にして絶対悪。『ニワハラグループ』創始者でありながらたかだか数十年で世界有数の企業に仕立てあげた当人だ」

 

 数十年、と言うが薬一つ作るにも十年単位の年月がかかる。そういう事を鑑みれば、今の姿――四十半ばにしか見えないその姿はおかしい。そう思い当たると同時、槐は奥のライトブルーの柱を指差す。

 

「まぁ、もう分かってはいるだろう。私はクローン技術を確立させ、記憶の移し替え……と言うと少々語弊があるんだが……それも限定的だが行えるようにしたのだ。この肉体ですら、もう何代目かになるよ」

 

 であれば槐は、もう何年もその姿で過ごしてきたのだろう。

 もう二十年以上も前から、クローン技術は確立していた。無論確立していただけで、改善点は幾つもあったが、梓が崩壊させたその時点では既に、殆どの問題はクリアされていた。日本では奴隷制が無いため公になる事は無く、ただの全良な製薬企業にして病院という巨大な企業だっただろう。

 だが――だがしかし。奴隷制を導入している国は未だ存在し、陰で奴隷を扱う国も少なからず存在していた。人体実験の為の奴隷すら居たと言う。

 それこそ『ニワハラグループ』も薬の実験の為にクローンを利用した事は何度もあった。副作用で死亡しようと、まだストックはあった。その感覚が狂った価値観となり、『ニワハラグループ』は十数年前からは動物実験を行っていなかった。全て、クローンによる擬似的な人体実験にすり変わっただけなのだから。

 

「さて……そろそろ幕引きか。ならば……伝えておく事がある。英雄など、この世には居ない。どの世にも、居る訳が無い」

 

 槐は、ハッキリとそう告げる。

 

「いるのであればそれは、自作自演(、、、、)の最果てによるものだ」

 

 槐は薄暗い柱を指す。

 

「君は知らないだろうが、庭原 梓には四人のきょうだい……と呼べる者達が存在した」

 

 そこには4種類のクローンがあった。どれも、今居る槐を幼くさせたような姿だ。

 

「次男……である庭原 (さかき)、長女である庭原 (さくら)、三男……である庭原 (ひのき)、四男……である庭原 (けやき)。彼等()私の実の子であり、れっきとしたきょうだいだ」

 

 此方が首を傾げたのを質問と思ったのだろう、槐はこう続けた。

 

「あぁ、梓か。残念ながら彼は私の子ではない。彼は長男として扱われていたが、私達の中では、長男とは言えない『もの』だった」

 

 ならば、『何』だと言うのだろう。

 

「分かっているのでは?最早これを見て気付かない方がどうかしている」

 

 4種類のクローンの奥、たった一つ、今は何も入っていない柱があった。

 

「梓は私『達』のクローンだ。だから言っただろう、自作自演だ、と。椿の遺伝子の情報と私の遺伝子の情報を組み合わせ、接ぎ木して(、、、、、)作り上げた――作品だよ」

 

 接ぎ木、という表現は名前と合致していて言い得て妙だった。

 庭原 梓は、遺伝子情報を組み合わせて出来た、或る意味二人の子供と言える存在であり、或る意味――本人であるとも言える。

 確かにそういう意味では、『ニワハラグループ』の崩壊は自作自演であったと言える。

 槐はもう何も話す事は無いだろう、と此方を向く。

 

「さて、私は君が何故ここに来たのかは知らない。梓本人ですら知らない、『私達の作品である』という事実を君に公開した事に、後悔はない。……洒落ではないよ」

 

 槐はここにきて冗談めいた事を言った。

 

「『過去』という概念の集合体。今は無き『ニワハラグループ』本社と私……。何故それらがこの世界に漂流したのか、それを知る術は無い。君の見る夢に、何故私が出てきたのかは分からない。だがこれも、何かしらの、『運命』という巡り合わせなのだろう」

 

 そこで改めて、槐は此方に目を合わせた。本質を見定めるような視線は、梓のそれとよく似ている。

 

「さぁ、行きたまえ。君がこの体験を覚えているのかは定かでは無いが、いずれ再び相見える事を期待しているよ」

 

 私は『それは御免こうむるよ』とだけ返し、夢の出口――突然現れたドアに向かう。

 

「ではまた会おうか。次は梓も連れてくるといい。夫婦で私の墓に参ると良いよ」

「貴方の墓は此方には無いし、私達が貴方の墓に積極的に向かう訳も無いだろう?」

 

 それだけ言い残し、私――【絶対裁姫 アストライア】は、虚構の夢から覚めた。




( ✕✝︎)「…………なんでこれが最も楽しい執筆なんだよ」
( °壺°)「……マジで一番筆が進んだ」

『ニワハラグループ』
『数十年前から奴隷商人として』という文言ではあるが、実際は二十数年しか奴隷商としては働いていない。つまり――梓が生まれた頃辺りが、開始地点である。
梓が7歳にして色盲になったのはクローン技術による遺伝子組み換えが原因であると推察される……本人はクローンである、などという事は認知していないが。
時たま梓――カタルパが自身を黒髪黒目と表現する理由も色盲により色を失っているのが遠因である……こちらが誤字をしていた訳ではない。


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第六十七話

 国境を龍は、川のように流れた。

 既にそこは、戦地であり――ペナルティ明けのカタルパ・ガーデンと、アルカ・トレスはその龍の上に乗っていた。

 一人だけが騎乗していたならば、子守唄のように『坊や良い子だねんねしな』……と聞こえてきそうだった。

 代わりに聞こえてくるのは、並走……否、追い越そうとする足音。それも大量にではない、一人の精鋭の足音。

 

「やれやれ……諦めてくんねぇのな」

「でも……アズールの仮説が正しい事は証明出来たんじゃない?」

 

 その龍に跨るは、カタルパ・ガーデンとアルカ・トレスだけ。だのに、駆け抜ける音は確かに此方に向かっている。

 文字通りの枝分かれを繰り返し、八岐大蛇も九頭龍も尻尾を巻いて逃げるような数の首が、一つずつ反応を途絶えさせて行く。

 

「何で一個一個潰して行くんだ、あの兎」

「反応誤認させてるからね……通用するかは五分五分だったけど」

「因みに通用しなかった場合は?」

「まぁ……護身の為に動かすよね」

 

 これ、あれだ。夏祭りとかで見る紐引っ張るクジ引きのやつだ。

 爆発するもの、切断されるもの、秒読みする度に確実に総数が減って行く。

 現在、龍頭の総数は八百三十。

 現在、【平生宝樹 イグドラシル】の到達形態――六。

 

□■□

 

 【兎神】クロノ・クラウンが襲撃してきた原因について、正義の味方(カタルパ・ガーデン)は幾つかの仮説を提示した。

 その中には快楽殺人者などの有り得ないであろう仮説もあり、実際可能性のありそうな仮説というのは、片手の指で足りる程度だった。

 

「まぁ、最も有力なのはこの、『プレイヤー若しくはエンブリオの強化目的』ってのだが、な」

 

 現実で四人が集まった時、そう梓は言っていた。

 【兎神】というジョブから【猫神】であるトム・キャットが思い浮かんでいたからだろう。何かしらゲームとしての目的があるのだろう、と梓は考えた。

 

「そんなに理不尽に、無闇矢鱈に殺していたらユーザーは離れて行くかもしれない。だから恐らく、一定の条件をクリアした、並大抵の理不尽では心が折れたりしそうにないプレイヤーに絞ってPKを行っている可能性が高い」

 

 そこまで辿り着くのに、そう時間はかけていない。そもこの辺りまでは、生きている(、、、、、)内に思い至っていた。

 《強制演算》を使えばもっと早かっただろうが、それと併用するであろう《感情は一、論理は全(コンシアス・フラット)》を想起し、梓は顔を顰めた。

 

 《感情は一、論理は全》は感情をステータスにする、という曖昧な説明のスキルとなっている――訳では無い。

 そこには明確な隠匿が存在し――カタルパが隠蔽しなければならない理由が存在する。

 《感情は一、論理は全》と呼ばれるこのスキルは……脳への信号を遮断する。

 厳密には、脳へ行く信号を奪取し、ステータス上昇の為のリソースに変換させる、というスキルである。《強制演算》による頭痛も、痛みという信号を遮断し、ステータス上昇に持って行かせるのが《感情は一、論理は全》の全貌である。とは言え、全ての信号を遮断する訳でも無く、どの感情が遮断され、どの感情が、どのような思考が脳へと伝達されるのか、カタルパ本人をしてもグレーゾーンな部分は多々ある。

 《強制演算》で得た解答について思考する際に、《感情は一、論理は全》を発動し、遮断されてしまっては元も子もない。

 ましてや《強制演算》も《強制演算》で頭痛以外にもデメリットはある。

 《強制演算》は脳内にある問題に対して解答を提示するスキルだ。逆に言えば、過程を吹っ飛ばして結果のみを提示する能力なのだ。

 その為、過程に重要な要素がある場合、結果から逆算する必要があるのだ。何とも厄介で面倒なスキルである。

 最近、【数神】のスキルについては新しいスキルも追加されていたのだが、自身で確認していないのでそれはそれで別にして後の話である。

 

「ともあれ……第6形態に移行したエンブリオを所有するマスターに限定されてんだったら、デコイは少ねぇだろうな」

「まぁ、僕とカナタくらいだもんね」

「そういうこった…………ん?お前第6形態なのか?」

 

 情けない事に、梓が【平生宝樹 イグドラシル】が《超級エンブリオ》にリーチをかけていた事を知ったのはその瞬間であり、作戦の成功率が跳ね上がったのも、この瞬間なのだった。

 

□■□

 

 TYPE:ワールドである【平生宝樹 イグドラシル】には能力がある。《味方強化(バフ)》と《敵弱体化(デバフ)》という、これ以上なくシンプルな能力がある。序に、と言わんばかりに木々を操る能力がある。

 それは、《繋ぐ世界・鎖の橋(ビフレスト)》という新しく追加された、今迄の【平生宝樹】のスキルの規定からは逸れたスキルによるものである。

 イグドラシルの本来の伝承に於ける、九つの世界。その内のミズガルズとアースガルズを繋ぐ虹の橋。それがビフレストと呼ばれるものである。

 規定から逸れた事に、アルカ・トレスは別に何も思わなかったというが、その『逸脱』は、確実に今迄のアルカを否定していた。それに、アルカは矢張り何も思わなかったようだが。

 

「あと……三百を切った。そろそろクジ引きも終わりかもしれない」

「充分だ。そもこの戦いは、既に(、、)勝っているからな」

「……そうだったね」

 

 龍に騎乗したまま、二人は背後を見遣る。目視こそ困難だが、ブーツを振り上げて蹴り落とす、少年の姿は見て取れた。

 

「因みに、目視確認されても龍の誤認って働くのか?」

「一応。あっちにはどの龍にも僕達が乗っている感じに見えてる筈だから」

「ふーん……杞憂だといいんだが。まぁいいか。別にバレたって平気な訳だし、な」

 

 カタルパは居合いの要領で腰の刀に手を掛ける。

 

「《延々鎖城》」

 

 誤認させる世界の中で、自らを矢面に立たせる正義の味方は。

 

「っ!」

「――よぉ、ラビット(、、、、)。調子はどうだ?」

 

 いつも会う友にそう言うかのように、からかった。いや、この場合に於いては――喧嘩を売った。

 鏡か不思議か、どちらかのアリスの登場人物の名を得、且つ【兎神】と名乗るならば、その『ラビット』たる名は、あまりにも単純で、明解だった。

 

「邪魔なんだよ……本当に……僕はそこの龍の使い手を落としたいだけなのに……」

「それはちょっと……やめてくんね?」

 

 《延々鎖城》は『結果的に』自身のヘイトを上げるスキル。タゲ取りが成されている以上、『ゲームであるからこそ』、【兎神】は【数神】を仕留めなければ『龍の使い手』を落とす事は叶わない。

 

「君を倒している時間も勿体ないんだけれど」

「勿体なくはないさ。それに、俺達は逃げたいだけなんで。帰り道とかにしてくれねぇかな?」

 

 軽い挑発。誤認が切れたのだろうか、兎の神は確かに数の神を捉えている。手に持つ爆弾が届かないのは、今すぐ駆け出して首を断ちに行けないのは、ひとえにその二人の間を妨げる鎖のせいだ。

 結果的にその鎖は、カタルパとアルカ、その二人を守っていた。何故か?その方がヘイトが溜まるからである。

 

「リミッターは解除された。一時間は再封印出来ない。その間に俺達は、逃げて勝つ」

「逃げるが勝ち……そう言いたいの?」

「逆に他にどう受け取れるよ」

 

 鎖の隙間を縫って爆弾――ダイナマイトのようなもの―ダイナマイトが投擲された。

 通す訳もなく、鎖は蛇が蠢くかのように畝り、弾き返す。

 鎖は網のようにそれぞれで絡み付き、人が通れる隙間は無い。それでも神同士が面会出来る程度には、隙間が生まれていた。

 

「逃げられると思わないで欲しいんだけれど?僕は、忙しい(、、、)んだからさ」

 

 少年が時計を手にする。懐中時計を、しかも両手に持った。

 両手を塞ぐという蛮行に、カタルパは警戒のレベルを引き上げる。

 予想が正しいならば、あれが彼のエンブリオなのだから。

 だからこそカタルパは、一歩踏み出――

 

「アルカ――やれ」

 

 さず、背後の少年に命令を下す。

 

「分かった。《虹に結ばれし九極世界(イグドラシル)》」

 

「《世界は右に(クロノス)主観は左に(カイロス)掌握するは永久なる理(アイオーン)》」

 

 刹那、正義の味方を取り残し、小さな世界が変転した。




( °壺°)「次回、世界対時間」


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第六十八話

 TYPE:ワールド。世界という、あまりに膨大なカテゴリ。

 植物を操る、という能力を有する【平生宝樹 イグドラシル】は、アルカ・トレスのエンブリオである。

 然れど能力適正は味方の強化と敵の弱体化。

 初めからそこには食い違いがある。

 初めから。変わっていない彼の、変わらないものを糧として、中心として。

 狂った彼を中心として。初めから【平生宝樹 イグドラシル】は形成されていた。

 

□■□

 

 植物は、育つ。大抵水と肥料があれば育つのが、植物だ。

 そう知られている。間違っていない。

 だがまぁ優しい事に。面倒な事に。ある情報が欠けている。

 もう一つ。太陽光だ。

 それがどうした、と言える事だろう。

 実際、これは比喩的な話であり、実際にカデナ・パルメール若しくはアルカ・トレスに太陽光が深く関係している訳では無い。

 

 周知の通り、カデナ・パルメールは元奴隷であり――庭原 梓を慕っている(恋慕の念ではない)。

 奴隷として生きていた頃の出来事があってか、カデナは梓の道具としての側面が、つまり駒としての性質が強い。

 彼に救われたからこそ、彼の為に己を『使い潰そう』としているのだ。成長するのは彼の為に。前に進むのは彼の為に。今を生きる事は、彼に貢献する為に。

 向日葵のように、太陽()を追い続けるのが、カデナ・パルメールの本質なのだ。

 

 それ故に(、、、、)、アルカと植物は同調した。成長の手段として太陽を見る植物と、成長の目的として太陽を見るアルカは、同調した。

 手段と目的を蔑ろにしごちゃ混ぜにしてしまう勇気があるアルカだからこそ、【平生宝樹 イグドラシル】は、木々を龍のように踊らせる。支えを探す朝顔の蔦のように、舞わせる。

 そんな暴論によって、【平生宝樹 イグドラシル】は、植物を操るのだ。

 

□■□

 

 話は現在の現実に回帰する。

 つまりアルカとクロノが各々のエンブリオの必殺スキルを使用したその瞬間である。

 《虹に繋がれし九極世界(イグドラシル)》と《世界は右に(クロノス)主観は左に(カイロス)掌握するは永久なる理(アイオーン)》が、衝突したその瞬間である。

 神々の世界を支える樹、イグドラシルと、神としての名ではなく、時間という概念としての名であるクロノス、カイロス、そしてアイオーン。

 互いが発動するや否や、二対一であった環境は、一対一に変化した。

 

「――――っ?」

 

 《延々鎖城》の鎖すら、その世界には置いていかれた。

 

『SUOHHHHHHHHHHHHHH!!!!』

 

 カタルパは、分かり切っていながらも信じられない体を装い、突然聞こえた声の主を見遣る。

 

 見えない――程に速い『何か』も、一瞬だけ確認出来た。それは予想通りだ。『自身のAGIを上昇させる』という予想は、何一つ間違っていなかったようだ。

 問題は其方では無い。カタルパは自身の乗っていた龍が失せ、地面に立っているのを足の感覚で理解している。

 

 乗せていた龍が、森の木々と共に一体の巨大な龍を形成している事も、また。

 

「龍化のスキル……?いやまさか……」

 

 血脈のように胎動する木。ギリシャ神話に登場するラドンのような、北欧神話に登場するファフニールのような、マハーバーラタに登場するヴリトラのような……どこかで見聞きした事があるような、然れど他の何とも似つかない化け物であるかのような。

 それこそ一つの新世界にて初めて語られるような、新たなる龍。

 それが、カタルパの頭上を通過して行った。

 

「はっは…………何だこりゃ」

 

 流石のカタルパも乾いた笑みしか浮かばない。

 エンブリオのスキル――それも必殺スキルなのだから、ある程度の予想外は想定していたのだが、今回ばかりは予想の斜め上を行き過ぎていた。

 況してやこれが、《虹に繋がれし九極世界(イグドラシル)》の力の一端である事を、何となく察していたカタルパは。

 戦力外だろうと思い、距離を置こうとした、が。

 

「…………あ」

 

 約一日、《延々鎖城》をロック出来ないようにしたのはカタルパだ。

 届かないながら、宙を無闇矢鱈に駆け巡る鎖を、目で追いながら。逃げる事も、戦いに行く事も出来ず、暫く二人の対決を、見守る事にした。

 

□■□

 

 実際、【兎神】が《虹に繋がれし九極世界》により作られた木龍に捕まる可能性は皆無だ。

 万に一つもない。

 だが、圧倒的質量と重量を誇る木龍相手に、太刀打ち出来る戦力が無い。

 故に、状況は完全に拮抗していた。

 

『SUOHHHHHHHHH!!!』

 

 五月蝿いと思いながらも、これが《超級》に繋がるのなら、クロノ・クラウンとて引き下がる理由は無い。

 ただ、己の履いているブーツで蹴り抜くのであれば、攻撃の寸前に止まらなければいけない。

 己の高すぎるAGIで蹴り出すと、自分のENDでは耐えきれず、自分の脚が崩れてしまう。

 だが、蹴り出す為に止まると、恐らくその時に掴まれる。

 木龍は巨大であるだけのように思われるが、空中浮遊している為に全方向に木で出来た腕が生えていようと問題は無い。逆にどの方向からでも、此方に掴みにかかる事が出来る万全の体制なのだ。

 

(厄介だな……)

 

 力が足りない。それこそ本来の力を引き出さねばならない程に。

 それなら諦めればよいものを、クロノ・クラウンはそういう意味で諦めが悪かった。

 ――と言うか本来、コイツ以外にもターゲットが居なかったか?

 クロノがそう思うのとほぼ同時。

 

 声が、聞こえた。

 

『勝ち確!』

「――おう、分かった」

 

 その声は確かに正義の味方の片割れの声だった。

 己がエンブリオだと言うのに、態々【テレパシーカフス】を持たせたのだろう。その声は辺りにも響き、音を軽々しく超える速度で動いていたクロノさえ止めた。

 

「僕に……勝つ、だって?」

「ん?……あぁ、そうだな。だが勘違いしないでくれよ。俺は……俺達は一度も、お前に戦いを挑んじゃいない(、、、、、、、)

 

 地上でニヤリと笑ってみせた数の神。

 空中でピキリと青筋を立てた兎の神。

 その一瞬の停滞を、停滞してきた者達が見逃す筈がない。

 

「――アルカ!」

「うん!」

 

 木龍が咆哮し、腕が伸びる。

 判断が遅れたものの、間一髪で躱したクロノは、然れど意識が其方を向いていなかった。

 

(この状況で……どうやって僕に勝つつもりなんだ……!!)

 

 良くて拮抗、だが地上の彼は戦力外。況してやエンブリオは手元に無いと来た。なら……どうやって勝つつもりなのだ?この木龍に、秘密があるとでも言うのだろうか?

 

「おいおい……勘違いするなよ」

 

 その声は意外や意外。クロノのすぐ近くから聞こえた。

 

「俺達は戦いを挑んじゃいない。それに、こうも言っただろ?」

 

 子供のような、快活な笑みを浮かべながら――

 

「逃げるが勝ち、ってな」

 

 正義の味方は、勝利宣言をした。

 

「なっ……!」

「んじゃ、な」

 

 木龍の腕の先に立っていたカタルパが、文字通り木龍に収納(、、)される。

 その驚く他ない光景を、クロノは目を点にして見るだけだった。

 

(そう言えば、この龍の所有者の姿が無かったけれど――!!)

 

 答えに辿り着くのが、少し遅かったクロノ。早ければ、収納(、、)されるより早ければ、まだどうにかなっただろうに。もう、遅かった。

 木龍の隙をついて土手っ腹に蹴りを一撃与えるもそこは。

 

 ――矢張りと言うかしかしと言うか。

 

 もぬけの殻、伽藍堂であった。



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第六十九話

 アルカ・トレスは爆走していた。数の神や兎の神に比べればあまりにも鈍足であったが、牛歩のようでこそあったが、努力していた。

 勝利の確定していた戦闘の、精算をする為に。そんな喜劇の、清算を、凄惨になる前にする為に。

 怒り心頭なのは分かり切っている。無闇矢鱈に木々が裁断されて行くのが、反応で分かった。そして、裁断している張本人が、幸か不幸か此方に向かってきている事も、【平生宝樹】の能力により分かっていた。

 運が無いな、とアルカは自虐する。

 運営相手によくやった、とは思うのだが、生憎望まれていたのは大団円だ。

 それ以外は全て失敗であり敗北だ。

 彼と兎の戦いは元から勝敗が決していたにせよ――此方と兎の戦いは、まだ終わっていない。況してや、あの大質量の龍はデコイにすらならない。あまりにも脆弱な本体が殺されれば、あの木龍は元から居なかったかのように消失してしまう――なんて事はないのだが(、、、、、、、、、、)

 それでも、万全を期すのは誤りではない。過ちではない。

 そう思い、ふと振り向く。

 

「――――見ィつけたぁぁっ!!」

 

 怒りに顔を歪ませた、兎の神が見えた。

 死ぬ事はない。故に恐怖はない。寧ろこんな状況に於いても、前に進む勇気だけが湧き出てくる。太陽(カタルパ)に向けて歩む足が止まらない。

 縮む二人の差。だが絶望はない。

 ほんの数瞬で追い越され、蹴り抜かれ、アルカはくの字に曲がった。ミルキーより低く、カタルパとも同程度のENDで、蹴られて尚、肉体的破損なく、くの字に曲がって吹き飛んだ。

 

「……な、に……?」

 

 それにはクロノも眉を顰めた。一撃で沈まなかった事には、まぁ、【身代わり龍鱗】等のアイテムを使用すれば不可能ではない。だが、だがしかし。無傷とはどういう事か。

 

『――OHHHHHH……!!』

 

 遠く、龍の嘶きが響く。歪な、最早奇怪な新生命体と言って差し支えない化け物の、透き通るような咆哮だった。それが、無傷の答えであるようですらあった。それを瞬時に理解出来る程、カタルパのような頭脳はしていないのが、クロノ・クラウンであった。

 そして、それに呼応したのは、二人を囲む木々であった。蠢いた。土を、虫を、空気を、置き去りにして。

 クロノが見たのは、()

 

 手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。

 

 想起したのは、この世界に明確に存在しないはずの千手観音。どうしようもない、無限の手が優しく撫で回すかのようにゆったりと伸びていく。鎌首を擡げる蛇のように、太陽に手を伸ばすように。ゆったりと、ゆっくりと、クロノの心臓を鷲掴みにするように。

 木々が成長(、、)したのではない。これは、木々が変質(、、)したのだ、と。遅まきながら、クロノは理解した。

 ここに来て、クロノ・クラウンは【平生宝樹 イグドラシル】という〈エンブリオ〉を甘く見ていた、余りに軽く見積もっていたと言える。

 あの木龍がデコイで、それと戦っている間に逃げていたなど、あまりにも甘く温い考えだった。

 TYPE:ワールドの〈エンブリオ〉は元より、範囲内の対象を掌握する事に特化している。それは、TYPE:インフィニット・ワールドである自分自身(クロノ・クラウン)が一番分かっている。自身を含めた範囲内全ての時間を掌握している自分がよく分かっている。

 だがそれでも、【平生宝樹】は理解出来ない。植物の全権を掌握し、変質させている――否。

 

 有り得ない事に、《虹に繋がれし九極世界》の影響下にある木々は、『新世界』に(いざな)われている。新世界と言うよりは、別世界、異世界か。

 故にそこにある木々は、この世界の理の元にある植物と、違う生態系の『何か』に変容する。

 異世界ファンタジーで異世界の植物が見知ったものと似て非なるものであるのと同じように。

 

 変質、変容、変態。作り替える――新世界の新生命体として、創り変える(、、、、、)

 

 世界を支え、繋いだ木。イグドラシルだからこその……植物限定での生体変換。

 

「化け物め……!」

 

 だがまだそれでは半分だ。舌打ちしながらもクロノは思考する。何故、自分の一撃を耐えられたのかを。だがそれは、生体変換という有り得ない能力を把握した今なら、容易に想像出来る。

 

「一体化させる事による……肩代わり」

 

 一体化、と表現すると、腑に落ちるものがあった。

 味方の強化、敵の弱体化。今まで漠然としていた【平生宝樹】の能力特性。味方の強化も敵の弱体化もワールドの〈エンブリオ〉であればおかしな話ではない、どころか当然と言える。特に何処ぞの女狐の六分の一にまで弱体化させるスキルなど、顕著にも程がある。

 味方、と言う割に植物に限定されていた理由は、植物だけが味方だからなのだろうか?いや、違う。元から味方の強化なんて特性は持っていないのだ。

 

 植物を自身と一体化させる事で、自身にかけられている能力補正を写す。それが《森羅万傷(フレンドリーファイア)》の本来の能力。その一体化そのものが、《森輪破壊(メイキング)》の本来の能力。《森羅万傷》に関しては、植物が受けたダメージを自身も受ける、というデメリットが存在していた。一体化しているなら、当然だろう。そして――逆もまた然り、である筈なのだ。

 

(自身の受けたダメージを植物に移すスキル、そんなものがあるんだろう)

 

 それこそが、《繋ぐ世界・鎖の橋》の本来の能力。

 《森剣勝負(フェアプレイ)》に関しては植物を成長させるだけのスキルであり、重要性は低い。

 

 今まで開示されてきた全ての情報は、虚偽とは行かないまでも欠損だらけの嘘もなければ本当もない情報だったのだ。

 最も開示されていて尚、最も多くの謎を秘めた異世界そのものという規格外、企画外。

 

 それこそが、それだけが。【平生宝樹 イグドラシル】だった。

 

(僕は、この森を絶やさないとこいつを殺せないのか)

 

 それは物理的に骨が折れる。脚に負担がない訳ではないのだ。本来の意味とは異なる目の前の『植物人間』に、今のクロノは勝つ為の手段が無い。目的があっても手段がなかった。

 その為、クロノは降参とでも言うかのように手をヒラヒラさせてから、踵を返した。

 

「…………あれ?」

 

 急な展開に置いていかれたのは、アルカだけだった。

 

「割と諦めが早いんだなぁ……」

 

 遠くで嘶く木龍を見ながら、カタルパを探し始めるアルカ。この森の何処かに移動させた――実際は一体化させた植物の中に通路を創り、木龍と連結させ、移動させた――カタルパは、そう遠くには居ない筈だ。

 

「勝つとはな……いやまぁ、こればかりは速いだけじゃどうしようもねぇか」

 

 嘆息を混ぜながら、そう零すのは、誰あろう正義の味方だ。

 義眼がギョロリと動き、それをアルカは捉える。【直光義眼 ゲイザー】の《ピアッシング・レイ》に至っては、最近全く使っていないのだが、文句はないのだ(ある訳が無いのだが)、そのまま使わなくてもいいだろう。

 

「やぁ、アズール」

「おう、お疲れ様」

 

 碧の目で、ラピスラズリを、紺碧を、海を、空を。そう称される呼び名で呼んだ、正義の味方を見る。二人はそうして笑い合う。何処にでもあるような、つまらない、下らないハッピーエンドの、誕生の瞬間だった。あまりに稚拙な物語が、少しだけ救われた、瞬間だった。

 

 だからこそ誰一人、気付く事は無い。あるいは本人さえ。

 

 【平生宝樹 イグドラシル】

 TYPE:ワールド・フォートレス

 能力特性:《植物掌握》

 スキル:《森輪破壊(メイキング)》《森羅万傷(フレンドリーファイア)》《森剣勝負(フェアプレイ)》《繋ぐ世界・鎖の橋(ビフレスト)

 必殺スキル:《虹に繋がれし九極世界(イグドラシル)

 到達形態――――Ⅶ

 

 クロノ・クラウンの当初の目的が達成されていた事など、誰一人。




 【平生宝樹 イグドラシル】
 TYPE:ワールド・フォートレス
 能力特性:《植物掌握》
 スキル:《森輪破壊》《森羅万傷》《森剣勝負》《繋ぐ世界・鎖の橋》
 必殺スキル:《虹に繋がれし九極世界》
 到達形態:Ⅶ

 テリトリー派生でキャッスルのハイブリッドの〈エンブリオ〉。
 カテゴリとしては広域殲滅型をとる。


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第七十話

 目を覚ませば、多分冷めてしまう。

 そういう謎の確証があった。そうした不安が、漠然としている癖に確実にあった。

 何が冷めるのかは分からない。けれど冷めてしまったが最後、何が冷めたのかすら分からなくなってしまう気がした。

 

 ――だから、今だけは夢を見ていよう。甘い夢を。角砂糖に果糖に蜂蜜とコンデンスミルクをぶっかけて、甜菜と砂糖黍を添えたような、ただただ甘ったるいだけの夢を。

 それ以外に、カデナ・パルメールが見れる希望など、無いのだから。

 

□■□

 

 TYPE:ワールド・フォートレス。

 【平生宝樹 イグドラシル】という世界。

 九つの世界が内包された世界樹。

 ラグナロクにてその境界を踏み越えられ、その世界を踏み躙られた世界樹。

 TYPE:ワールドと語るものの、それはイグドラシルに内包されている(、、、、、、、)世界を指しているのか、それとも内包している(、、、、、、)イグドラシルそのものを指しているのか。

 そればかりは、アルカ本人にも分からない。まぁ、スキル名的にはきっと後者なのだろうが。

 

□■□

 

 国境付近でのPKの件が終わった後、アルカとカタルパは集合場所に向かっていた。【テレパシーカフス】で事件の終結は知らせたので、彼女達も向かっている事だろう。

 だからこそ、今のカタルパ達にとっての誤算、或いは予想外は――

 

「やぁ、少年兵」

 

 ――新たなる、『何か』の来訪である。

 

「……いや、それはマジで笑えない」

 

 頬を伝う汗を、スっと拭う。相手の態度が友好的なものでない事を悟るや否や、二人の行動は早かった。だが、敵の手腕も凄まじかった。

 逃走を図れば先回り、武器を取り出そうとすれば銃にて牽制、アイテムボックスに手をかけようとしても牽制。

 此方の一歩先を行き、確実に手を封じてくる。

 流石に連戦は無理だ。そう言ったところで引き下がってくれる相手ではなさそうなのは分かり切っていた。カタルパとアルカはアイコンタクトを取り、瞬時に違う行動をした。

 カタルパが逃走し、アルカはカタルパと相手の間に入るようにしながらアイテムボックスから木の種を零した。

 その行動を、相手の男は許した。牽制も何もなかった。対処を行わず、寧ろこうなる事を望んだかのような――

 だが今は考えている時間が惜しい。カタルパはアルカを置いて集合場所へと駆けた。後にはアルカと、謎の男しか残されていない。

 

「……まぁ、矢張り、そうなるよな」

 

 男は、何処か失望しているようだった。いや、期待を裏切られた、というのが正しいのか。

 アルカは熱を感じさせない眼をその男に向けていた。慈しむような温もりを感じなければ、憐れむような冷たさも感じない、無の視線。無が有る視線。

 それは、男の正体に薄々勘づいているからでもあった。

 

「声、かけなくてよかったの?」

 

 アルカは、目を逸らさずに男を見据える。

 無闇矢鱈に伸びてしまった黒髪を無理矢理後ろに纏めて、刀傷だらけの顔を晒している男を。細身なのにも関わらず、生傷が多々散見される手脚を。

 あぁ矢張り、力が無いという事は、何も守らないという事にはならないのだな、と前例(カタルパ)を想起しながら。

 

 ――遺伝だなぁ、と思った。

 

□■□

 

 アルカを置いて逃げる事は実際、予想の圏内だった。

 クロノに勝った後、ジャバウォックとかなら何をしてもおかしくなかったからだ。今回に限っては、見ず知らずのPK(?)だった訳だが。

 皇国PK多過ぎだろ、とか思ってみるが、最近だと王国にもPKは多い為、あまり人のことを言っていられない。あの【抜刀神】でさえ、王国のランカーでありながらPKという一面を持っているのだから。

 集合場所は、とある店の前だった。店内から漏れ出る熱気と、煙突から排出される煙が、大体を伝えてくる。

 彼女達が指定した此処こそが、【終点晶楔 ギャラルホルン】を改修した場所なのだ。

 カタルパは、その店の扉に手をかける。ミルキーが相手は人見知りだ、みたいな事を言っていた気もするが、アイラが居れば何とかなるだろう、と何処かで確信していた。それは、信頼ではなく、依存と言うのだが、カタルパが気付ける訳もなく。

 愚鈍なまま、そのドアノブを捻り、

 

「駄目だろ、それは」

 

 カタルパと同じくらいに細い腕で、開けるのを妨げられた。

 

「……アルカは?」

「そう、だな……どう答えるべきか。倒してはいないし……ふ、む。難しいな、相手が納得する説明、というのは」

「……答えになってねぇんだが」

 

 ドアノブにかけた手を離し、男を見る。

 カタルパよりは一回り程は背丈があるにも関わらず、先に言った通り腕の細さは同じくらいだ。ボロボロで原型がよく分からない衣服は煤けていて、原型も元の色も何も分からない。刀傷や銃創、火傷痕など外傷をやれるだけやってきたかのような肌は元の白さを伺わせない。

 本来は美丈夫であったのだろうが、裂けた頬や針で縫われた後がそれを台無しにしていた。

 問題はそれらなのだが、デスペナルティになれば治る(直る)ような類の傷に見えた。キャラメイクで元から付けていたとは到底思えない。

 つまりこの男、これ程の傷を負ってきながら、死んではいないのだ。

 細身の腕で、戦争を生き残ったかのような、凄惨さだけが遺された体。生きているという証左。

 傷ついても、決して死ななかった果てが、その原型を留めていない破壊の跡である。

 

「あんたは、結局誰なんだ?」

 

 カタルパは、胸中で燻る問を投げかける。

 

「勝てたら教える、みたいな腑抜けた事は言わせてくれるのか?」

「今言ったろうが……」

 

 浮上してきた可能性を、「それだけは有り得ない」と断じて、カタルパはまた、ドアノブに手をかけた。

 

「……屋内でやろう、という事か?」

「な訳ねぇだろ……ただ単に、今の俺だと勝てないので――」

「援軍は流石に……」

「本気を出す」

 

 開かれた扉の向こうから、銀の乙女が現れた。

 実にいつ以来となるだろう、【絶対裁姫 アストライア】の登場である。

 

「まったく……私を此方に置いておくんだから戦闘は避ける、と言っていたのはカーター自身ではなかったかい?」

「だから来た。君と闘う為に」

「……そうかい」

 

 やや呆れ顔なのは、望んでいたセリフと違かったからだろう。それでも【Cross chain(第5形態)】に即座に移行したのは、以心伝心の為せる技か。

 

「成程……人から武器に……メイデン、それもアームズだったか」

「ん?そんなに有名じゃなかったっけ」

「いや……王国にはヤバい教団の元締めと不平等な正義の味方がメイデンのマスターとして居ると聞いていたが……皇国では全くと言っていい程聞かなくてな。……何処ぞの冥府の何たらがメイデンだとは聞いたが」

「……不平等な正義の味方って……」

 

 中々に的を射ていて反応に困る。

 冥府の何たら、と言うのは近頃話題になっていた『一日22時間ログイン勢』ことベネトナシュだろう。王国のヤバい教団の元締めに関しては……女狐の事など語らずもがな。

 

 アイラからカタルパへの思念を、思いを重い鎖に変えて、鉄鎖はカタルパを縛り付け、縛り上げ、雁字搦めにしていた。守るかのように、ではなく、逃げられないようにするかのように。

 それこそが、第5形態、【Cross chain】の本質だとでも言うかのように。

 対し謎の男は瞑目し、また開いたかと思うと何処からか――恐らく左手の甲から――武器を取り出した。その武器は、

 

「『……鎖?』」

「あぁ、奇しくも同じだな」

 

 同種による戦闘が、緩やかに始まろうとしていた。




( °壺°)「いつの間にか七十話」
( °壺°)「百話行く前に終わらせたい」
( ✕✝︎)「そんな長続きされてたまるかっての」


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第七十一話

( °壺°)「はーい、また遅れましたすんません」
( °壺°)「矢張りゲームしながらはいかんね!」
( ✕✝︎)「…………もう何も言わない」


 分かりやすく、それらは拮抗していた。カタルパが【刻印】を刻みに行けない程に。

 互角。五分五分。戦線は平行線を描いている。

 謎の男はカタルパの《看破》を以てしても、その真名も、〈エンブリオ〉の名も不明であった。

 だがその形状が鎖である以上、〈エンブリオ〉についてはある程度察しはつく。

 だが――根底の延長線として鎖を使用する場合、アストライアのような例外もある。推理は慎重に、然れど迅速に、正確に行う必要があった。まったく面倒な、とカタルパは内心で舌打ちをする。

 鎖を使用する伝承は、それ程多くない。フェンリルに食い破られた鎖など、無名のものも含めると多くなるが(最終的にフェンリルを縛ったグレイプニルは縄である為、推理からは除外していいだろう)。

 と、そこで。おかしな事にカタルパは気が付いた。本当に奇妙で、あまりにも些末な点だ。

 

「なんで……拮抗しかしない(、、、、、、、)?」

 

 それは、思わず口に出た回答。何かの的を射た解答。そんな時に、こんな状況で、不意に現れた、無謀な人間にピッタリな、そんな解答。

 拮抗する。互角である。それは相手の行動を見切り、態とであれ何であれ、模倣するから(、、、、、、)だ。

 奇しくも、【幻想魔導書 ネクロノミコン】の十八番と同じ。

 コピー、等とは少し違う。相手に合わせるだけの〈エンブリオ〉。【始源万変 ヌン】を知っていなければ(カタルパは話に聞いただけだが)、理解しきる事は出来なかっただろう。或いは、【幻想魔導書】を所有していなければ。

 バトル物の小説に無くてはならないものは、無効化とコピーだ、とは誰の弁だったか。確か『僕』だったな、と。

 間の抜けた会話、若しくは思考をしなくてはいけないというルーティンでもあるのか、カタルパは笑う。それこそ自分に向けた嘲笑であったのだが。自嘲にして自傷にして自虐。自らの心を傷めなければ前に進めないなど。嗚呼、なんと――

 

『正義の味方染みているのだろう』

 

 その言葉は、鎖の少女が継いでいた。見れば少女の放つ銀の鎖に混じって、血が滲みたような赤黒い鎖がある。

 《延々鎖城》の能力によって放たれた、【怨嗟連鎖 シュプレヒコール】の鎖だ。

 

「…………」

 

 何も言わず、その一撃一撃を無駄なくあしらう男には、まだ余裕があるように見受けられた。【絶対裁姫】の鎖は〈エンブリオ〉に任せて、《延々鎖城》の鎖を糸を縫うように躱している。回避性能だけを見れば、恐らくトップクラスだろう。だが戦闘能力に関しては、現状模倣するばかりであり、決定打はどこにも無い。まるで、拮抗を作る為だけの存在とでも言うかのように。

 

「っ……ネクロッ!」

『了解した。が……当たるのか?』

 

 ネクロが躊躇うのも無理は無い。攻撃されないからと言って、今のカタルパは全ての鎖を攻撃に回している。つまり今迄のように、鎖の怪物と化してはいない。その全てが、攻撃に回されている。それでも、演じているのは拮抗勝負である。こんな状態でネクロが幾らか魔法を放ったところで、焼け石に水だろう。

 だがそれでも、何かが変わるのなら。何かが変わると主人が判断したのであれば。ネクロに、断るという選択肢は、無い。

 

『《学習魔法・紅炎之槍》』

 

 それは、嘗て【ギャラルホルン】との戦いの時に代償とした筈のスキル。その為、学習しきれてはいない。カタルパのMPを容赦なく、ごっそりと持って行った。

 構わない、と犬歯を見せてカタルパは笑った。

 その方が燃える(、、、)だろ?とも。

 最早、彼にとって正義とは娯楽と同義なのだ。勇者という職業ではなく、正義の味方という趣味に甘んじた一因が、今更になって鎌首をもたげた。

 正義の執行。その敢行。遂行。その全てが、正義の味方にとっては娯楽の類であり、正義の女神にとっては……さて、何なのだろう。

 宿命か、運命か、必然なのか、家業とも言うべきモノなのか。

 その答えは、少女には分からない。

 正義の女神の名を冠するだけであり、正義の女神そのものではないからだ。

 況してや――どちら(、、、)なのかすら、不明なのだから。鎖の少女(アストライア)正義の女神(アストライア)の事は、分からないのだ。

 

『おいおい効かないぞマスター』

「分かり切った事を言うなよネクロ。大体の正体が掴めたってのに」

『カーター。それは、あの男についてかい?あの〈エンブリオ〉についてかい?』

「後者」

『『了解』』

 

 《延々鎖城》の鎖以外が、停止する。それを男は矢張り、達人級の動きで躱している。

 

「…………何故、そうする」

 

 それは多分、鎖と炎を引っ込めた事に関してだろう。

 

「さぁな。なんでだと思う、【ミミクリー】」

「……ん?私は〈エンブリオ〉について語ったか?」

「それが回答になっちまってんだが……まぁいい。ごっこ遊びとは、よく言ったもんだ」

「……何処で理解した」

「ん……そう、だな。いや、初めは直感っつーかなんつーか。ただ、そうだと思ってからポンポン線が繋がる感じがして、な」

「それで確信出来る根拠が理解不能だ」

「よく言われる」

 

 そこで初めて男は、人間らしい表情をした。

 鎖の交わる音を聞いてか、店内からミルキーが顔を出す。

 

「んー……お邪魔?」

「出来れば用が済むまで引っ込んでて欲しい」

「あいさー」

 

 飲み込みが早くて助かる。こういう時に首を突っ込まれると、面倒なこと請け合いである。

 

「確かに私の〈エンブリオ〉は【転移模倣 ミミクリー】と言う。……いやはや、其方の推理力には脱帽だな」

「簡単な後出しジャンケン。しかも一つだけ。如何なる伝説にもそんなものは有り触れているようで、殆どない。況してや、明確な形が無い(、、、、、、、)なんてな」

 

 模倣するだけなら、有り触れている。グラムを模倣した(とされる)エクスカリバーのように。

 だが模倣するのに、模倣する側に原型が存在しない、というのは無い。何処ぞの『無貌』であっても、スライムという原型が存在すると言うのに。

 だからこそ、伝承は全く関係ないとカタルパは断じたのだった。正答を、引き当てたのである。

 

「化け物だな……だから智力の……成程」

「は?……あんた、何を知っている?」

「さぁ、何だろうか。さて、取り敢えず私の目的は遂行された」

 

 クルリ、と躱しながら踵を返す。驚く事に彼は、被弾せずにこの戦闘を切り抜けた。未だに鎖の乱打は止んでいないと言うのに。

 カタルパは《延々鎖城》を封印し、追いかけようとした。

 

 だがそこに、もう彼は居なかった。




【転移模倣 ミミクリー】

TYPE:???
転移は心理学用語で、現在の人間に不釣り合いな感情等が発現した時、幼児期に接した誰かの感情などを再現していた、とする用語。ミミクリーは子供の行うごっこ遊びである。転移模倣の元ネタは天衣無縫である。寧ろそれ以外の何だと言うのだろう。


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第七十二話

■カタルパ・ガーデン

 

 結局、霞を食うような話だった。アルカは説き伏せられていただけだと言うし、奴が何者なのかは分からずじまいだった。真相は未だ闇の中なのだ。

 アイラとネクロに関しては、何かをあの男から感じ取ったらしいのだが、一方的な以心伝心は、こういう時だけ逆行したりはしてくれなかった。

 ミルキーにしても、一瞬しか見ていない筈なのに何かを感知したらしい。おいおい、俺だけ置いてけぼりだよ。況してや皆は口を揃えて『これは自分で気が付かなきゃダメだ』とか言うんだぜ?訳が分からない。

 話は逸れるが、【終点晶楔 ギャラルホルン】の改修が完了した。無論、本来は此方が本題だったのだが、意識がそっちに向かっていないのは確かだ。だから、本題だったにも関わらず、話が逸れている。話が逸れていたのを修正した形をとる筈なのに、矢張り腑に落ちない何かがあった。俺だけが、気付いていないからなのだろう。あれ程智力がどうだと語っておきながら、気付けていないから。

 皆が気付けていて、俺だけが気付いていない事。俺だけが見落としている何か。あの男が、誰なのか。

 出会った事があるプレイヤーなら、俺は多分忘れない。あれ程傷ついていても、傷のついていない時の顔と照らし合わせる事は造作もない。だから、デンドロ内では初対面なのだろう。

 であれば、現実世界で出会った人間、という事になるのだろうが、それだとアイラやネクロが気付けた理由が分からない。アイラは俺の過去を読み取る事が出来たとしても、ネクロに至っては不可解極まりない。

 それが最大の謎なのだ。逆に、それさえ分かれば、ピンと来る。そんな気がする。

 問題は、その解決の糸口がない事くらいか。おいおい詰んでるじゃねぇか。

 クロノ・クラウンの件は既に終結したと言っていい。帰り道に襲われなかったのが証拠だ。いやまぁ、興味が失せたからなのかもしれないし――アルカの〈エンブリオ〉が第Ⅶ形態に到達したからかもしれない。

 それがデカいどころか全部な気もするが、終わった事はいいんだ。

 この推理だけは、誰にも任せられない俺だけの緊急任務(クエスト)だ。計算し尽くせない現状を、計算するしか能がない俺が解き明かす。俺にはそれしか、出来ないから。

 

「…………因みにネクロ」

『何用かね』

「アイラは?」

『貴公の推理の補助、と言えば聞こえは良いかね?』

「補助ぉ?…………なぁ、敢えて聞くが、危険は無いだろうな」

『それは分かりかねる。彼の者が嘘吐きや、詐欺師の類で無ければ明確な危険ではないだろうが』

 

 それはある種の回答だった。それも、この状況に於いては悪手と言わざるを得ない程の。

 いつものように紋章内に居ない鎖の少女は今――何処に居るのか。

 誰の元に居るのか。

 

「あの【ミミクリー】使いって事で、いいんだよな?」

『……本当にあれが、奴の語った通りの【ミミクリー】ならな』

「まさかとは思うが、あれがもう一つの可能性だとでも言うのか?」

『いや、それは無い。それだけは無い。アレは正義の女神(アストライア)の片鱗を持ち合わせてはいない。それは確定している。あれは本当に【転移模倣 ミミクリー】なのだろう。ギリシャ神話のギの字も入る余地のない程に。だが模倣して現れたあの鎖から伝わってきたのは恐らく……あぁ、すまないなマスター。語り過ぎた』

「……いや、もっと聞きたい所なんだが――」

 

 本が閉じる音。どうやらそれが今の発言に対する回答のようだ。なんとも、ネクロらしい。

 

「――後は俺が考えろ、と」

 

 【ミミクリー】の本質っつーのは後々考えればいい。今はあの男に会いに行ったアイラが、つまりその二人が今何処にいるかだ。

 一旦ログアウトすれば、〈エンブリオ〉である彼女は此方の手元に戻ってくる。しかしそれは、愚策であろう。絶対に機嫌を損ねる。

 俺が最早自室と化したこの場所で考え込んで約一時間。そんな時間で皇国に辿り着ける程、彼女は俊足じゃない。

 なら、『逆』なのだろう。アイラが向かったのではなく。

 『奴』から、来たのだ。

 なら、王国のどの辺だろうか。

 こうした面倒事は今迄なら速攻でセムロフに頼る所なんだが……どうせ話は通ってる、承認してくれないだろう。それにああした使い方を本人が「悪用」と言っていたしな。あまり強要も出来ない。

 手詰まり、のように思える。だが、アイラが行っているのは補助だと言う。なら、俺が考える事で、アイラの居場所が分かる、その筈なのだ。残念な事に、奴に【刻印】は刻まれていない。【刻印】が刻まれている相手は、一定範囲内であれば感知出来るのが《愚者と嘘つき》にはある。だが【刻印】を刻むにはダメージ判定が無ければならない。全てを【ミミクリー】の模倣した鎖や自らの回避によって避けた奴に、【刻印】は一つも刻まれていない。…無論、《愚者と嘘つき》を発動し、一撃与えたなら、【刻印】は全て取り除かれ、零になる。だから今の所、【刻印】が刻まれている相手は、ミルキーとかアルカとか……後はコロシアム外で私闘をしたランカーとかPKとかその辺だ。

 まぁ、その為現在感知出来るのはその辺であり、あの謎の男はその中に居ない。

 己の力では届かない。誰かの力は借りられない。だがそこは、愛の力でカバーするのが、今の俺だ。

 以前アイラが居なくなった時、俺は……そうだ、当てずっぽうに、無闇矢鱈に、虱潰しに。彼女が居そうな場所に向かったのだったか。

 なら――今回もローラー作戦決行である。

 

「行ってきます」

 

 返答はない。だから、返答してくれる少女を、ここから探しに行こう。

 きっと見つかる筈だから。

 

□■□

 

 一発目で当たるとは思っていなかった。

 最早見慣れたカフェテラス。嘗て【怨嗟連鎖】が暴走――一応正規起動だったのだが――したのが此処だったか。

 普通に二人が相席している事に、俺は何か言うべきか?

 

「やぁ、えっと……カタルパ・ガーデン、君?」

「どうも……お名前伺っても?」

「あぁ、私はエイル・ピースと言う者だ。宜しく」

 

 差し出された手を、握り返すか一瞬だけ逡巡した。

 エイル・ピース?……成程、希望の、ね。

 やんわりと何かを察し始めた俺は、ごく自然にその手を握り返した。

 

「よろしく、エイル。それで何故此処に来たのか、伺っても?」

「質問ばかりだね、君は。そこの少女が答えてくれるのでは?」

「俺はあんたに質問してやったんだが……まぁいい。アイラは何かしら答えられるのか?」

 

 アイラは首を横に振る。矢張り本人に問うしかないらしい。

 

「おや振られた、まぁいいか。無論、私としては君と私闘を行いたくて……嘘だ。これは嘘だ。こればかりは。私は君と闘いたい訳では無い。私は君達に話があって来たのだ。私利私欲と言うか、私的思考に満ちた、私用だ」

 

 瞬きにも満たない一瞬、殺気が立ち込めた。

 おいこのカフェテラス。戦闘の場になりすぎていないか?その殺気を感知してか退避行動を取り始めた辺り、ダメな方向で慣れているのかもしれないが。俺を見た瞬間に逃げ出したあいつは、多分以前【シュプレヒコール】で斬っちゃった奴。

 キチリと鳴った鎖の音。それは、少女のものではない。

 聞きなれた音。在りし日々の再誕。悲劇という題目の、リンカーネーション。

 このカフェテラスで鳴り始めた、あの怨嗟の音。

 《延々鎖城》。それが発動した。

 男、エイルの手刀を遮るように、その鎖を伸ばして。

 そして。

 

「触れてみて漸く分かった。矢張り、お前は――」

「俺も分かったよ。やっぱあんたは――」

 

「「此処に居たらいけない」」

 

 二つの正義が、相反した。

 咄嗟に手元に手繰り寄せた鎖の少女は何故か、剣と天秤(、、、、)だった。

 

「『…………え?』」

 

 確かに、俺の両の手には、それらが握られていた。




剣と天秤

 つまり第1と第4。【Cross sword】と【Cross balance】。第5形態が使えたスキルの元。《秤は意図せずして釣り合う》と《感情は一、論理は全》を保有していた形態。


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第七十三話

■カタルパ・ガーデン

 

 ――第6形態、なのだろうか?

 手にしているものは天秤ではなく、精緻にその模様が施された銀盾だった。もう片方の手に収まる十字剣も、第1形態のものより一回り程小さく見えた。

 見ればそれぞれに鎖が付いており、俺の背中に背負われているリュックサック程度の十字架に繋がっている。十字架、銀盾、十字の片手剣の三つ……厳密には繋がっているから一つと見てもいいんだが……。

 

 おいおい、どうなっていやがる?

 

 確かに今迄も特に予兆無く変形っつーか進化はしたさ。だがな。何かしらの原因と言うか、切っ掛けはあった筈なんだ。俺の言葉然り、俺の危機然り。

 

「アイラ、原因は?」

『分かったら正直に言うに決まってるじゃないか』

「ふむ?突然変異的な感覚でオーケー?」

『そういう事でいいんじゃないかな?』

『まったく貴公等は……まぁ、いつも通りか』

 

 魔導書ですら匙を投げる展開。すまないが俺ですら置いてけぼりなのが現状だ。いきなり第6形態到達とか着いて行けねぇよ。

 

「……使い慣れていないのか?」

「使い慣れてねぇも何も……初体験だ、よっ!」

「成程」

 

 ガキンッ、と手刀を弾く鎖の音。エイルは一歩退る(なんで手刀と鍔迫り合いして、金属音が鳴るんだよ)。《延々鎖城》の鎖を、今は封じる必要が無い。ここ最近で分かった事だが、この鎖はヘイトを溜める行動を自律的に行うが、俺自身を妨害する事は決してない。寧ろ補助する。俺のヘイトを溜める事は無い――だから今は、踏み出せる。

 余談だが、どうして丁度良いタイミングで《延々鎖城》の封印が解除されるのか、だが。解除する度にロックしているからだ。もう少し分かりやすく言うなら、ほぼ毎秒ロックとアンロックを繰り返しているのだ。【数神】のAGIが無ければ出来なかった所業だな、ホント。いや……それもまた、『逆』なのかもしれないが。

 つまり、【数神】だったからこそ、《延々鎖城》はこういったスキルになったのかもしれない、という事。

 そればかりは、聞けないけど聞いてみないと分からないな。

 ……そんな今の俺にあるのは二つ。

 好奇心。そしてもう一つが、今の俺を突き動かしている――

 

 恐怖心だ。

 

□■□

 

 俺を置いて行くように、停滞している俺を置いて行くように。

 彼等彼女等の『成長』は止まらない。

 血肉が上下で二分されたら死ぬように。

 植物が育ちきれば枯れるように。

 美しい鏡だろうといつか砕け散るように。

 不可逆である為に。時の流れや事象が一方通行であるが故に。彼等彼女等は、立ち止まらない。否、立ち止まれない。なら、恐らく俺も進んでいる。

 停滞している。立ち止まっている。けれども本当はきっと、ベルトコンベヤーみたいに強制的に進めさせられているのだろう。

 だからこそ、怖いものがある。

 

 だからこそ――開いていく差に、恐怖を感じている。

 

 いつか、その差がどうしようもないものにならないか。いつか、差が開ききって見えなくならないか。

 いつか、俺の前から全てが離れていかないか。怖いのだ。

 危機感……と呼べる代物なのだろう。畏れであって、怯えでもあるんだ。踏み出す勇気のない、自分の中の自分に打ち勝つ武力のない、だがそうした世界に何一つの疑心もない、立ち竦んでいるだけの、案山子のような人間が、俺だ。

 そんな俺に、いつか彼等彼女等だけでなく、鎖の少女や幻想の魔導書が見離してしまわないか。

 それがとても、怖い。だのにこの脚は、進む事を拒んでいる。

 恐怖しているのは、見離される事に対してでもあり――ただそうして、進む事に対してでもあったのだろう。

 彼等彼女等が何も見ずにただひたすらにスタスタと進んで行けるのか理解出来ない。進む事と、その理解を、俺は拒んでいるのだ。

 変わらない事に、変われない事に、立ち止まりながらも進むしかない事に恐怖して。いつか何かが離れていく事を拒む。

 子供の駄々……いや、我儘だろうか。

 そんな、あまりにも稚拙な危機感が――『誰か』の、核になっていたのなら。

 無意味では、無いのだろう。

 

□■□

 

『――【Cross Weapon】』

 

 アイラが、そう零したと同時、俺はその手にあるものを再認識した。

 天秤が描かれた盾と、十字の片手剣の正体は、矢張り前触れがなかったものの、第6形態であるらしい。

 それをアイラ自身が自覚していなかったのはどうかと思うが。

 そしてまた、ステータス欄を見て気付く。

 見たことの無いスキルが、3つも存在する事に。

 

「この状況に於いて、どれ程のエース(切り札)に成り得るのやら」

『寧ろ――ジョーカー(切り札殺し)な気もするんだけど?』

『おいマスター、ブライド!避ける準備は出来ているのか!?』

 

 会話はあちらにも届いてはいる。それに割り込む隙がないから、物理的に割り込んできやがった。可愛くねぇなぁ。

 【転移模倣 ミミクリー】を使用する気はないらしい。それは自ら課した縛りなのか。全く違う何かなのか。

 

『っ!マスターッ!』

 

 その、魔導書の叫びが届いたのは、一手遅い事を知ってからだった。

 大分忘れていた。あまりに身近にありながら。

 〈エンブリオ〉と同じようでいて違う、その癖同じくらいに厄介な存在。

 

「――〈UBM〉の……特典」

「ネタばらしにしては、味がないな」

 

 それも特典そのものに言われては、とエイルは付け足した。苦笑混じりに。それこそ嘲笑のように。

 持っていたのは、(のこぎり)。それも、チェンソーのような、ゴッテゴテのデザイン。

 赤と黒と錆びた鉄の色。況してやその赤は知っている。血の赤だ。こびりついて取れなくなって酸化した、赤い絵の具に黒をぶち撒けたような色。

 それは、エイル本人や〈エンブリオ〉と違い、《看破》で名前を確認出来た。

 

「――【歯車鎖刃 オステオトーム】……オステオトーム?」

 

 何かの用語だった筈だが、思い出せない。こういう時だけ俺の智力は無力だ。下らない補正みたいなのが癇に障る。

 と言うかチェンソーて。歴史浅すぎだろとか笑いたいが二百年以上の歴史があんだよなぁ。……あれ?原型の名前がオステオトームじゃなかったか?

 そういう無駄な思考と言うか、邪推を、世界はそう易々と許容しない。寧ろ絶対零度級の冷酷さを以て潰しにかかる。特にこうした、戦場であれば尚のこと。

 と言うか【歯車鎖刃】て……アイラと【シュプレヒコール】の鎖みたいじゃん。被せんなよ、とか思ったりしなくもないが、これ以上は流石に余裕ぶっこき過ぎて死ぬ。

 間一髪、という言葉が良く似合う回避。耳元で鳴るチェンソーの音は、それが触れた時にミンチになる事を教えてくれる。何とも優しい設計だ。痛み無く殺してくれると僥倖なんだが、抉って引きちぎるだけのチェンソーだ、そこは期待出来ない。

 【怨嗟連鎖】の鎖は逸らす事は出来ても弾く事は出来ない。鎖と鎖の衝突は、どうやらあちらに分があるらしい。

 これは本当に、真剣になんないと殺されるし、倒せない。

 

「――《左舷に傾く南方の凶爪(ズベン・エル・ゲヌビ)》」

「……ほぅ?」

 

 ――だから、全力だ。

 俺を袈裟斬りにしようとしていた電動鋸の軌道は、その意思とは無関係に歪曲し、勝手に俺の左手にある銀盾に激突した。鎖が絡まり合うような、ギチギチという鈍い音。噛み合わない歯車のように、互いを否定している。意味不明な軌道を描いた電動鋸を手にしているエイルは、目を見開いて驚きを隠そうともしていない。

 

 ズベン・エル・ゲヌビ。天秤座のα星。天秤宮に於いて、左側の上皿に位置する星。

 この【Cross Weapon】に関しては、銀盾を指す。

 それが由来となったこのスキル、《左舷に傾く南方の凶爪(ズベン・エル・ゲヌビ)》はMPを一定期間毎に一定量消費する代わりに、発動中は範囲攻撃と全体攻撃を除いた全ての攻撃を、因果すら捻じ曲げてこの銀盾に収束させる。そして受け止めた際にダメージを軽減。軽減した数値と同じ数値だけ自身のSTRを上昇させる。

 

 これは《学習魔法》など使っていられない。こっちにMP割かねば……またステータス関係スキルですか。しかも今回に至ってはSTR全振りですか。そーですかー。

 矢張りアイラは、俺を『戦闘』という枠組みに縛り付けたがっているようだ。縛り付ける鎖。それがアイラの――【絶対裁姫 アストライア】の、本質。

 いつも隣で笑い合う彼女は、俺の目的と対極を歩ませようとしている。いや……これまた『逆』なのか。

 俺は本当は戦いたくて。アイラはそれを見透かしている――のか。

 

「うっらぁ!」

「ぐっ!?」

 

 全振りのお陰でアホな程に火力が出る。弾き飛ばすどころか一転攻勢である。だが、そこは奴の厄介な回避力が働き、強大な一撃は当たらない。

 全ての攻撃は銀盾へ向かい意味を成さず、此方の一撃は当たらない。俺のMPが尽きればそこ迄だが、一時的な拮抗を俺とエイルは演じている。STRだけでは、届かない。

 俺が誇ってきた――非戦闘職が誇ってきたAGIが、足りない。

 もっと速ければ、先ず間違いなく届く――筈なんだ。

 だから。

 

「『《右舷に傾く北方の真爪(ズベン・エス・カマリ)》!!』」

 

 もう一つのスキルを発動。

 その瞬間俺とアイラは、鋸が止まるのを見た。




《左舷に傾く南方の凶爪》
 ズベン・エル・ゲヌビ。
 天秤座のα星の名前で、星が二重になっているとかそういういらん情報は省く。
 何処ぞの戦神の剣だろうが死翔の槍だろうが何だろうが、全体攻撃や範囲攻撃でない限り(全体攻撃と範囲攻撃は同類であっても、同種ではない判定)、心臓などではなく左手にある銀の盾に向かっていく。究極にして局所的なヘイト上昇スキル。そして防げばその分だけSTRが上昇して行く。

( °壺°)「……新しく三つのスキルが解放された筈」
( °壺°)「然し使用しているのは《左舷に傾く南方の凶爪》と《右舷に傾く北方の真爪》の二つ」
( °壺°)「つまりはまぁ、そういう事ですよね」


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第七十四話

 誰か、この世界の『視聴者』が、一時停止を押したかのようだった。だのにカタルパ達はその中を悠然と闊歩している。

 厳密には、少しづつ駆動している。だがそれでも、何百分の一倍速程度のスローモーション映像を見ているようにゆっくりで、滑らかだ。

 【歯車鎖刃 オステオトーム】とその持ち主、エイル・ピースは未だ気付いていない。発動の宣言を聞いてから、未だカタルパ達が超速で動いている事に気付けていない。視界情報が脳に伝達され、認識するまで凡そ0.2秒。その0.2秒が、今のカタルパ達には何十秒にも感じられた。

 《右舷に傾く北方の真爪(ズベン・エス・カマリ)》の能力を、カタルパ自身が、軽く見積もっていた。

 

 効果は30秒間、《左舷に傾く南方の凶爪(ズベン・エル・ゲヌビ)》で上昇していたSTRの数値と同じ分だけ、AGIが上昇するというもの。

 30秒の経過を以て双方のスキルが解除されるデメリットこそあれ、それでも今は、その30秒があまりにも長い(、、)

 

『カーター……これは……』

「実際に使ってみないと実感が湧かないだろうとは思っていたが……これ程とはな」

 

 うろちょろと、戦闘中だと言うのに辺りを歩いて回る。そしてピクリ、と映画のフィルムが切り替わるように、ほんの少し人々が動いたのを感じた。近くのカフェテラスで零れた水滴が、真円を作っている。

 漸く、0.2秒が経過したのだろう。今のカタルパ達は、エイルにどう映っているのだろうか。それこそ何百倍速の早送りの映像を見ているに違いない。

 今のカタルパのAGIは、スキルの補正値込みで50万に近い。それ程元のAGIと、《左舷に傾く南方の凶爪》で上昇していたSTRが高かったのだろう。

 つまり、結果として。今のカタルパは、速く、そして強い。

 

「制ッ!」

 

 故に【オステオトーム】を支えるその左腕を切り裂くべく差し込まれた銀剣は、スっと抵抗なく入り、斬断し、切り落とした。

 そして。

 

「「ぐぅあぁぁぁぁぁぁっ!!!」」

 

 カタルパとエイル、二人の悲鳴が重なる。反射的に、《右舷に傾く北方の真爪》を30秒を待たずに解除してしまう。

 エイルに関しては当然であり、カタルパに関しても当然だ。

 カタルパは今、速かった(、、、、)。寧ろ速すぎた。作用と反作用の法則のように。速すぎたが故の衝撃に、速いまま叩きつけたが故の衝撃に。カタルパは耐えられなかったのだ。

 左手を切り落とされたエイルと、右手が辛うじて原型を留めており、それを左手で抱えるカタルパは睨み合う。

 元より彼等に、和解の選択肢は無い。これ程までに『水と油』、『犬猿の仲』と言った慣用句が当て嵌る関係は早々居なかった。まだ出会って間もないと言うのに。これが俗に言う、運命の出会いなのだろうか(恐らく違う)。

 視線だけが剣と鋸を取って、すり抜ける刃で傷付けあっている。何度も首筋に刃が通る。垂れるのは血ではなく汗だった。

 間に合わせの回復薬を飲み干して、HPの回復と止血をエイルは行う。カタルパも左手で丸薬のようなアイテムを放り込む。多少のHPは回復したが、右腕の損傷はどうしようもない。それは、左腕を地に転がしているエイルにも言える事なのだが。

 どうしてこの二人がここまで対立するのか、アイラには分からない。だがただ一つ分かるのは、此方が偶発的な正義であったとしても――

 

 ――彼方は、必然的にして絶対的な、悪であろう事だ。

 

□■□

 

 砕けた右腕に銀剣の鎖を巻き付けて強制的に剣を握る。

 《右舷に傾く北方の真爪》のデメリットを避けた為、《左舷に傾く南方の凶爪》によるSTR強化は継続している。30秒経たせなければ効果が残るとは、またしてもインチキ染みた効果だが、御託を並べる余裕は今のカタルパには無い。右腕の痛みが、正常な思考を妨げているのは表情からも見て取れた。つまりそれは、エイルにも伝わっている。

 

「勧善懲悪の遂行者がそれか……笑わせる。自らの正義感に、肉体が耐えられないとは」

 

 拙い売り言葉ではあったが、それを買うのが正義の味方だった。寧ろ、買わねば正義の味方足りえぬかのような。だからそれは売り言葉に買い言葉と言うよりは、挑戦と、その承諾だった。

 

「オーケー、ぶん殴る」

「その右腕で?」

「勿論。この腕で殴らなくちゃいけない」

 

 堅い決意を感じた。止血された左腕を見下ろしながら、嘆息し、気を引き締める。どうやってかけたのか、エンジンがかかるような音が鳴り、暴虐が嘶き始める。

 《左舷に傾く南方の凶爪》の影響下では、その暴虐は届かない。

 だからこそ、エイルは【オステオトーム】を地に突きつけた。

 石材を鎖刃が砕き、そのまま濁流のように衝撃波を放った。幸か不幸か、それは《左舷に傾く南方の凶爪》では防げない、範囲攻撃に分類される攻撃だった。

 勢いが銀盾に収束されない!

 舌打ちを一つ零し、再びカタルパは叫ぶ。

 

「《右舷に傾く北方の真爪(ズベン・エス・カマリ)》」

『それと……《不平等の元描く平行線(アンフェア・イズ・フェア)》』

 

 AGIが爆発的に上昇し、そのAGIの数値をENDに代入。土石流はカタルパを飲み込んだ。しかし一歩も退かせる事は出来なかった。

 ネクロに顔があるならば、驚きのあまり顎が外れていた事だろう。

 第6形態である【Cross Weapon】は、第2形態である【Cross Bow】のスキル、《不平等の元描く平行線》を使用出来るのだ!

 第1と第4の複合型であった第5形態の【Cross Chain】には搭載されていなかった第2形態のスキルを使用出来るとは。第3形態である【Cross Flag】のスキルに関してはどちらも使用出来ないようだが(旗であるが故のスキルのようなものなので、旗を有さない他の形態が使えないのは、当然のようにも思われるが)。

 更に第6形態【Cross Weapon】は、まだカタルパが使用していないスキルが一つ存在する。

 《左舷に傾く南方の凶爪(ズベン・エル・ゲヌビ)》、《右舷に傾く北方の真爪(ズベン・エス・カマリ)》とはまた違うスキル。天秤座にまつわるスキルなのか否かは不明だが、切り札として隠しているのは確かだ。

 それは、遥か未来で語られる、【三極竜】を淘汰し得るスキルの一つなのだが、勿論現時点での彼等が知る事は無い。

 

 そこにはもう、一方的な30秒が存在する筈だった(、、、)

 カタルパはまだ、右腕の痛みを忘れていない。忘れられる訳がない。ほんの数十秒前の事なのだ。その痛みが、本能的にカタルパにブレーキをかける。

 攻撃の寸前、さらにその一拍前にカタルパは現れ、剣を振りかぶる。

 かの【兎神】も、攻撃の寸前に制御し、自身への衝撃をなくしていた。

 だが武の心得がないカタルパは、あるいは恐怖に打ち負けているカタルパは、無駄に一拍分、余裕を作ってしまっている。充分反射で躱せる程の、隙を生んでいる。

 一撃が入らない。髪の毛一本すら掠めない。【刻印】が刻まれない。己が右腕を代償に切り落としたあの一度以来、【刻印】のカウントは増えていない。

 主人のMPを無駄に食う訳にも行かず、魔導書は置いて行かれたまま苛立ちを募らせる。

 

(これでは、30秒が経過してしまう!)

 

 カタルパの高AGIの影響下にネクロはいない。それ故、正確に30秒を数える事が出来る。

 その時間内にカタルパが恐怖を乗り越えたならカタルパの勝ちだ。あの《右舷に傾く北方の真爪》は解除された時に《左舷に傾く南方の凶爪》の補助すら打ち消してしまう。残りのMPや右腕の状態から考慮して、再びこの状況まで持ってくる事は不可能。

 このままでは手詰まりだ。隠された最後のスキルに期待してもいいのだが、今のこの瞬間に使わないとなると、恐らく使えないスキルだったのだろう。

 万事休すか。あの猛攻が止み次第、ネクロは《架空の魔書》を発動しようと意気込んだ。

 

 ――そしてその瞬間は訪れる。

 

 急激に鈍足化したカタルパ。それを見て嘲笑にも似た笑みを浮かべるエイル。だがその笑みを――カタルパも浮かべている!

 STRとAGIの補正は消えた。【オステオトーム】の一撃を、《不平等の元描く平行線》を使用したところで防げる訳が無い。なのにあの希望に満ちた目は、強く握られた剣と盾は、犬歯まで見える笑みは。諦めてはいないという意思の表れでなくて何だというのか!

 

『待っていたよ』

「この時を、な」

 

 本来それはエイルが放つべきだった一言。それを正義の味方が代弁している。

 

「お前の負けだ」

『道を譲ってもらおうか、絶対悪(、、、)

 

「『《上皿の如き世界に審議を(アース・トライアル)》』」

 

 【Cross Weapon】三つ目のスキルが今、その鎌首をもたげた。




【Cross weapon】
 【絶対裁姫 アストライア】の第6形態。独自の保有スキルは三つ存在し、それとは別に《不平等の元描く平行線》を使用出来る。

《左舷に傾く南方の凶爪》
 ズベン・エル・ゲヌビ
 前話後書き参照。

《右舷に傾く北方の真爪》
 ズベン・エス・カマリ
 《左舷に傾く南方の凶爪》にて上昇していたSTRと同じ数値分AGIを上昇させる。上昇幅はそのスキルで上昇していた分だけであり、30秒間上昇した後、双方のスキルが解除され、STRとAGIが元に戻る。発動中は双方が上昇している為、速くて強い。
 ストック制。最大ストックは3。24時間で1回復。

《上皿の如き世界に審議を》
 アース・トライアル
 世界が平坦であった、という古代の価値観に基づくスキル名。アース・トライアルは少し削って読めばアストライアとなる。だからなんだという話だが。
 子細不明だが、態々《右舷に傾く北方の真爪》の解除を待ってから発動したという、意味深なスキル。


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第七十五話

( °壺°)「凄く長くなりました」
( °壺°)「中途で分けようかとも思ったんですが、纏めてドン」

追記。
( °壺°)「土曜更新してたぁ……」

更なる追記。
( °壺°)「【七天罰刀】を【七天抜刀】に変更しました」
( °壺°)「ギャラルホルンの伝承からして、天罰は少し違うと思ったので」
( °壺°)「だったら神話的には『九』とか『笛』とか取り入れろという話ですが」
( °壺°)「七はビフレスト(以前出た虹のやつ)から。抜刀は楔を引き抜く事から来ていますので」
( °壺°)「長くなりましたがまぁ……ご了承ください!」


 かつて、世界には果てがあった。フェルディナンド・マゼランが世界を周るまで、世界は平坦で、水平線は世界の果てで、その『果て』には滝があると、そう信じられてきた。

 遥か昔から信じられてきた、そうした神話のような物語は、度々証明される事により塗り替えられる。天ではなく、地が動いていたのと同じように。完全にアレがその理論を受け入れたのは1992年の出来事だが、それはそれ。

 

 世界は、いとも容易く変換される。それも、神話の世界体系ならば尚のこと。

 『神がそう決めたから』。そんな理論が通用するのは、中世以前の世界であり、近現代の事ではない。

 それでも現在、神話大系が失われようと神話そのものは生きている。

 奇妙な話だ。

 神としては死んでいる。だがそれそのものとして確かに生きている。いや、現代に於いては『生かされている』と、そう表現するのが正しいだろう。正義の女神だろうが復讐の女神だろうが、だ。

 そこにどんな概念や裏話があるのかは、最早関係ない。ただただ、そこに神として存在してさえいればいい。逆にそれ以外視野にない。

 神は人の信仰によって誕生する。ともすれば、神は人を創造した主にして、人の奴隷とも言える。

 神が人を創り、人の信仰によって神が生まれたならば、どちらが先かなどという鶏と卵のような禅問答は今更すまい。

 ここで重要なのは、神話大系の否定により、神が人の隷属と化した、という点だ。

 そうした隷属化が進んでいた筈の、神話の終わりに。

 最後まで人間にあるものを訴えた神がいる。

 それは、人類史に寄り添った最後の神。寄り添おうとして、擦り切れてしまった愚かな神。

 最後まで、最後の最後まで、その身が、その手にある天秤が星になるまで、正義を良識に訴えた愚かな女神。

 もう誰もが分かりきっているだろう。

 その女神こそが、アストライアなのだ。

 

□■□

 

 《上皿の如き世界に審議を(アース・トライアル)》。

 そこにあるのは絶対的な公平(、、、、、、)

 そこに幸福はなく、不幸もない。腕力に差異は生まれない。身の硬さに差異は生まれない。絶対的且つ強制的な平等。世界は平等に不平等だ。ならばと無理矢理に捩じ込んだあまりにもあからさまな平等。

 エイル・ピースの鋸とカタルパ・ガーデンの銀剣は、衝突し、拮抗した。

 これはエイルの知る事ではないが、《左舷に傾く南方の凶爪(ズベン・エル・ゲヌビ)》による補正は現在のカタルパにはない。それは《右舷に傾く北方の真爪(ズベン・エス・カマリ)》の発動30秒後のデメリットで確実に解除されたからだ。

 ともすれば、非戦闘職でAGI特化のこの【数神】が、鍔迫り合いを行える原因は、何だというのだろう。

 そこで初めて、ではないが、目が合った。正義の味方の深淵のように黒い眼が、此方を見ていた。

 

「へぇ、あんた【諸悪王(キング・オブ・オールイヴィル)】なんつー変なジョブ持ってんのな」

「――っ!?」

 

 有り得ない。エイルは息を呑んだ。呼吸をほんの一瞬忘れ、【オステオトーム】を握る右腕が、ほんの少し力んだ。

 一定以上のレベル差がある事でステータスやジョブなどを隠蔽するMVP特典の枷【禁牢監叉 デルピュネー】を所有している為(本来の能力はステータスの奪取だが、隠蔽能力もあった)、以前のカタルパはエイルのステータスを《看破》出来なかった。

 それは今でも同じ筈だ。なのにカタルパは、直感でも何でもなくただの事実として、【諸悪王】というエイルのメインジョブを言い当てた。つまり、《看破》が成功している。

 レベル差を埋めた?そんな筈は無い。こんな短期間で、そこまで非戦闘職とは言えどもレベルが上昇する訳が無い。

 どこまで考えても、事実を否定する要員にはならない。『何か』理解を越えた行動をした、としてエイルは切り捨て、【オステオトーム】を起動させる。

 途端距離を置くカタルパ。普段よりもその行動が遅いようにエイルは感じた。30秒間だけ速かった。それはもう終わったのだろう。だがそれでも、発動前より遅くなっている気がした。どうなっているのか。まさかその30秒の代償として鈍くなったのだろうか、と的外れな推理を重ねる。

 

「『《音信共鳴(ハウリング)》――《感情は一、論理は全(コンシアス・フラット)》』」

 

 遅いと感じたのも束の間、再び目にも止まらぬ速さで駆け回る。だがそこで、もう一つの違和感に気付く。

 

(普段よりも、私が(、、)目で追う速度が速くないか……?)

 

 無論、カタルパの動きに完全には着いて行けていない。だがそれを目で追う速度が速い。違和感で片付けられる、そんな程度だったかもしれないが、そんな微妙な差異に気付けるのが、エイルの才能とも言えるものだった。

 そこで初めてエイルは自身のステータスを確認し――唖然とした。

 

 エイル・ピース

 職業:【諸悪王】

 レベル:555(合計レベル555)

 HP:8094

 MP:420

 SP:1006

 STR:5555

 AGI:5555

 END:5555

 DEX:5555

 LUC:55

 

 敢えて言うが、本来のステータスはこんなではない。

 

 エイル・ピース

 職業:【諸悪王】

 レベル:720(合計レベル870)

 HP:8094

 MP:420

 SP:1006

 STR:2864

 AGI:3024

 END:1167

 DEX:96

 LUC:100

 

 上記が本来の【諸悪王】エイル・ピースのステータスである。

 なんと簡単な間違い探しか。有り得ない程に、『5』が溢れている。

 HP、MP、SPを除いた全てのステータス――レベルも含めて――が『5』に塗れている。驚くべきなのは、レベルが下がっているのにLUC以外の全てのステータスが上昇している点だろうか。いやそれでも、ただ只管に『有り得ない』を連ねる事しか出来ない程にその光景が信じ難い。

 この時になって漸く、《上皿の如き世界に審議を》の全貌が見え始めた。

 上皿。つまり上皿天秤。矢張りどこまで敷き詰めても、【絶対裁姫 アストライア】は、戦闘の中で公平を求めている。

 ならばもう、驚く事はない。種が割れればどうということはない。《看破》は使えないが、それを使うまでもない。もうカタルパのステータスは割れている。

 言葉を交わしていないのに、カタルパは「その通り」と言って笑った。

 そう、今のカタルパのステータスは。

 

 カタルパ・ガーデン

 職業:【数神】

 レベル:555(合計レベル555)

 HP:6092

 MP:2391

 SP:106

 STR:5555

 AGI:5555

 END:5555

 DEX:5555

 LUC:55

 

 勿論これも、カタルパの本来のステータスではない。

 この《上皿の如き世界に審議を(アース・トライアル)》は、世界を書き換える(、、、、、)スキル。

 イカサマだ。いつものようなインチキだ。だからこそ、代償がいる。

 効果時間は一分。そして効果上、カタルパは殺してはならない(、、、、、、、、)し、殺されてはならない(、、、、、、、、、)。一分以内に、つまり発動中に対象を殺した時、自分自身もデスペナになるという代償。そして、デスペナルティになった際の、再ログイン可能時間の増加だ。

 装備補正の解除、ステータス変動を起こすスキルの強制解除、HP、MP、SPを除いた全てのステータスの統一。

 それが、《上皿の如き世界に審議を》の全容だった。《右舷に傾く北方の真爪》の解除を待ったのは、もったいなかったからなのだろう。

 互いに同じ。絶対的な平等。強制的な平等。一対一だからこそ出来る、そうでしか行えない、釣り合う天秤。

 だが互いに同じでは、補正が無くては、ただ一分を浪費するだけではなかろうか。

 

(いや――違う!)

 

 先程《感情は一、論理は全》を使用していた!一分間という制限時間をエイルは知らないが、この状況下でもスキルによってステータス上昇は行えるらしい。

 

「『《左舷に傾く南方の凶爪》』」

 

 またあのスキルだ。あれが使用されている間は、【オステオトーム】の刃は届かない。ましてや今のSTRでは、全体攻撃並の衝撃波を生み出すと余計な破壊を招く。それに、エイルのSTRとカタルパのENDは同数値。更にステータス補正がかかっている。

 勝ち目(、、、)が無い。

 だがそれならば、カタルパは確実に勝てる事になる。それは、公平(フェア)じゃない。それはカタルパらしくない(、、、、、、、、、)。ならば、何かしらデメリットがある筈だ。それこそエキシビション故に死なない、というような。

 

(ならこれは、死合に非ず、と。そういう事か)

 

 諸悪を前に手緩い事を、とエイルは笑う。自分が、カタルパが淘汰すべき悪である事を、エイルは理解している。

 いや寧ろ、理解しているからこそここに来た。体系の違う(、、、、、)正義と悪。果たして、強者はどちらだろうか。左肘辺りに移動していた紋章に手をかけ、フィルムのように張り付いていた薄い膜を剥がす。瞬時にそれはドロリと溶け、アイテムボックスに入っていった。

 何をしたのかと怪訝そうに見つめるカタルパの視線を無視し、ここで初めてエイルは己が〈エンブリオ〉を呼び覚ました。

 

「さぁ、起きろ。【■■・■■■■】!!」

 

 フィルムが剥がれた事で、先程まで見ていた紋章が紛い物であった事を、そして剥がれたアレこそが【転移模倣 ミミクリー】の正体であった事を悟ったカタルパは、その紋章と、呼ばれた名を、現れた『モノ』を前に、ただ戦慄した。

 恐怖すらステータスに変換してしまうカタルパは、冷や汗の温度をもう知らない。滴り落ちる雫、鎖から伝わる相棒の恐怖心。そして忘れた頃から頬を伝う汗の温度を思い出す。それは止まらない。そして恐怖心がステータス変換の許容を越えて溢れてきた。

 

 怨嗟の鎖は引きちぎられた。

 幻想の書は傍観している。

 濃霧の虫は霧散した。

 石化の眼は逃避したがる。

 ならば、と鎌首をもたげたのは。

 終点の楔だったモノ。

 

『此方を眠らせてはくれないのか』

「……生憎、ブラック企業なもんで」

 

 軽口を叩くも、余裕はない。エイルの影が伸び、紅い瞳がその中で輝く。のたうつように影から這い出て、その巨躯を街中で晒す。

 【転移模倣 ミミクリー】は、〈エンブリオ〉ではなく――特典武具だったのだ。

 鵜呑みにしていた。〈エンブリオ〉である事が真実だという確証など何処にもなかったというのに!

 

「成程……だから【諸悪王】」

 

 どちらかと言うと、諸悪の根源(ルーツ・オブ・オールイヴィル)の方が合っている気がするのだが、それを指摘してやれる余裕もない。

 つくづくカタルパは、運命に愛されて、毒されている。お誂え向きのラスボスが、目の前に顕現しているのだから。

 

 目の前にいる灼眼の化け物。その名は――――

 

「これこそが私の〈エンブリオ〉、【龍幻飛後 アジ・ダハーカ】だ」

「そうか……そうか。なら……だったら出し惜しみはしねぇよ!時間稼ぎみてぇな事ありがとよ!お陰で一分が経った!」

 

 AGI以外のステータスが下がる感覚。5の縛りが解けて、融けて、溶けていく。

 これで、殺される事も、殺す事も許される。

 一分を無為にしたのは痛いが、コレを前に、尻込みしたくはなかった。

 何せこの手にある鎖は恐怖していると同時に、どうしようもない程に昂っているのだから。

 俺も同じだ、と内心で笑う。目の前の強敵を前に、死の恐怖と気の昂りが拮抗し、後者に傾いているのだから。《感情は一、論理は全》の効果は続いているのに、どうしようもない程に今のカタルパは感情的なのだ。

 

「【霧中手甲】起動、《一寸先は霧(ミスティック)》!」

 

 掌から噴霧される霧。暴龍を前に、目くらましになるのかどうか危うい霧。だがその霧は噴霧それきっても晴れず、立ち込めている。その濃霧の中、人影が幾つも映っている。

 

「本物ではないもの全てが虚像か……姑息な手を……」

「まだ終わらせない。《架空の魔書(ネクロノミコン)》」

 

 《学習魔法》のストックが削られるのをネクロは認識する。ストックが1000を越えている、完全に模倣出来るスキルのストックを切った!であれば【実在虚構 ヨグ=ソトース】が喚び出される時間は、今迄の比ではない!

 

「まだだ、《型呑永愛(ガタノトーア)》」

 

 一秒だけ、【龍幻飛後 アジ・ダハーカ】が停止する。そして。

 

「《怨嗟の感染(シュプレヒコール)》――《揺らめく蒼天の旗(アズール・フラッグ)》!」

 

 蒼い穹。一転して映し出される水墨画。

 再び色付いた時には既に、光弾が【怨嗟連鎖】から放たれている。

 《型呑永愛》が解け、躱そうと動いた【アジ・ダハーカ】を触手の化け物が堰き止めた。【ヨグ=ソトース】を妨害目的のみで使用したのだ。

 そんな状況で回避が間に合う筈もなく、光弾は暴龍を飲み込んだ。

 三つの首全てが光に埋もれた頃、改めて霧を見詰める者と、霧の中から向こうを窺う者の、視線が交わった気がした。

 片や諸悪の王。

 片や数式の神。

 その関係性は交わらない。何処まで行ってもねじれの位置にいる。

 暴龍の咆哮。霧が晴れ、カタルパの姿が顕になる。矢張り倒せてはいなかった。ストック分の時間を使い切った【実在虚構】が姿を消す。

 打つ手はない。確かにそうだった。その筈だった。

 今、正義の味方の手には、銀剣ではない、そして【怨嗟連鎖】の刀でもない、何かが握られている。

 銀盾と対になるように装備されているそれは、水晶の輝きを放つ、(つるぎ)だった。

 

「さて、行くぜ【七天抜刀】」

『此方は剣だと言っているのに、刀と呼称するのは如何なものか』

「知るか、ミルキーに聞け」

『ふむ、そうしよう。では行くか、我が所有者よ』

「あぁ、全力を見せてくれ」

 

 大地が鳴動する。

 陽光を乱反射して、水晶の剣は煌めいた。

 

 嗚呼、まるで悪しき龍に立ち向かう勇者のようではないか。

 

 あまりに稚拙な正義だが、この瞬間に限っては、神々がそれを祝福しているようだ。少なくとも、傍らに居る鎖の少女は、祝福してくれている。

 一撃で沈める。その意志が感じ取れる。

 握る力は強い。もう二度と手放さないようにするかの如く、大地の鳴動で取り零してしまわないようにするかの如く。

 そのまま天上に掲げ、暴龍の猛威を前に、目の前に迫る三つの顎を前に叫ぶ。

 

「《天地均し響け(ラグナロク)――

 

 光が人を、龍を、街を、国を照らす。世界の最期に幻視するような、眩しい、されど暖かい光。慈悲に溢れた、至上の幸福とはこの事だと知らしめるかのような確かな輝き。

 神はここに居た。救済は此処に在った。それを証明するかのように、爛々と、第二の太陽のように世界を照らす。

 

 それを偶然――街中で極光を見て、見ない振りなど出来やしないだろうが――見た少女が涙した。

 側近のように控えていたペットのネズミ(?)は、その光を見て目を細めた。

 

「……ああいうちからじゃないと、わたしはだめだとおもうわ」

「…………ドー」

 

 その声は、部屋の外には届かない。

 

 国を呑みかねない光だというのに、誰一人として逃げ出そうとはしなかった。寧ろ立ち止まり、喧嘩さえ止めてただ見上げた。静寂。光が天に昇る、神々しい光景を誰もが固唾を飲んで見守った。

 人々の、正義を信じる心を力に、光は輝く。

 神を信じなくなったとしても、正義を信じる心は、確かに此処に存在したのだ。

 

(アイラ……いや、正義の女神(アストライア)。貴女の行動は、間違ってはいなかった)

 

 遥か彼方の神話世界に、カタルパは感謝する。地から天へと伸びる光。天と地を繋ぐ楔。星に座した彼の者へ届けと、カタルパはアイラと共に叫ぶ。

 

「『――終末の笛の音よ(ギャラルホルン)》!!』」

 

 絶対なる悪を、正義の光が包み込む。霧を払い、全てを照らし、天へと祈りを届かせる、そんな光が――――




《上皿の如き世界に審議を》
 アース・トライアル
 自分と対象一人のステータスをバグらせたかのように統一させる。レベルは555に。LUCは55に。HP、MP、SPを除いたその他全てのステータスが5555に。装備補正が消え、ステータス変動を起こしているスキルがある場合も解除される。
 発動時間は一分。リキャストタイムは10日。
 発動中に相手を殺すと強制デスペナ。発動中に殺されてもデスペナ。発動中にデスペナルティになった場合、15日間戻ってこれなくなる。また、その期間中《上皿の如き世界に審議を》のリキャストタイムは加算されない。

《一寸先は霧》
 ミスティック
 辺り一帯を霧で覆い、虚像を作り出す。MPを使用せず、リキャストタイムは24時間となっている。逃走用スキル。

【諸悪王】
 キング・オブ・オールイヴィル
 系統不明の超級職。
 悪行を成したからなれるジョブ、ではなく、どうやら唆して悪人を作り出したからこそなれるジョブ、らしい。詳細はエイル本人しか知らないのだろう。

【転移模倣 ミミクリー】
 エイル・ピースの〈エンブリオ〉……ではなく、【拮抗障武 ミミクリー】のMVP特典。紋章の上に張り付くペラペラのフィルムのような形で、剥がれるとスライム状になり、半自動的に所有者のアイテムボックスに入っていく。相手の装備品一つを模倣し、拮抗を作り上げる。《紋章偽装》ではないが紋章を偽装する。また、貼り付けている間は〈エンブリオ〉の使用が出来ない。

【禁牢監叉 デルピュネー】
 【監獄龍姫 デルピュネー】のMVP特典。枷の形をしていて、相手を噛む事でステータスを奪う。また、一定レベルの差がある者に対して、所有者のステータス隠蔽を行う。これはギリシャ神話においてデルピュネーが、ゼウスの権能の一部を隠し持っていた事による。

【歯車鎖刃 オステオトーム】
 【結合祖式 オステオトーム】のMVP特典。電動鋸。ステータス補正が高い。エイルのお気に入りの武器。

【龍幻飛後 アジ・ダハーカ】
 エイル・ピースの〈エンブリオ〉。
 TYPEはラビリンス・ギア。
 三つ首による物理攻撃は強力。
 必殺スキル《三種の辛苦(アジ・ダハーカ)》は相手を半強制的に異界へ幽閉し、苦痛、苦悩、死に準ずるものをそれぞれ与える。その後一瞬にして現実世界に帰されるが、行く前と行った後では別人となるだろう。


【七天抜刀 ギャラルホルン】
 【終点晶楔 ギャラルホルン】を改修した姿。どうしてこうなった。
 剣の形をしているが刀と銘打たれている、ややこしい武器。

《天地均し響け、終末の笛の音よ》
 ラグナロク・ギャラルホルン
 詳細不明。


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第七十六話

( °壺°)「まさかの連夜更新」
( °壺°)「一応日曜に更新しようというポリシーって守りたいじゃない?」
( ✕✝︎)「既に何回かそのポリシー破ってんだよなぁ」


 人類は、既に失敗している。

 有史以来、ある筈のない平等を求め、得る物の無い戦争を起こし、果てに人類は人工的に人間を造り上げようとした。

 なら絶対的な平等、なんてものは理想論なのだ。有り得ない。有り得る筈のない、夢に(まみ)れた幻想の集合体。

 だからこそ、それが叶うならば。叶ってしまったのならば。

 人々はそれを奇跡と呼ばず、何と呼ぶのだろうか。

 

□■□

 

 極光が放たれ、それは街を浄化するが如く呑み込んだ筈だった。

 しかし地は抉れず、家屋は傷つかず、木々ですらそよ風に流されているだけだ。

 だが、無意味だった訳では無い。

 【龍幻飛後 アジ・ダハーカ】は、その血肉の大半が消え失せ、骨を太陽の元に晒していた。

 垂れる血はない。それですら蒸発して消え失せた。見えている肉も焼けただれ、血管が塞がれているのだ。

 アジ・ダハーカは翼を持つ龍蛇。龍としての特性と、蛇としての特性を併せ持つとされる。ヒュドラよろしく、その身には再生能力もある筈なのだが、ヒュドラの伝承と同じように、焼いて塞がれては再生する事が出来ないようだ。

 【アジ・ダハーカ】を盾にして耐えたエイル・ピースも、無傷ではない。左頬と左腕は消え失せているし(左腕は食らう前からだが)、右脚も膝から下が掻き消えている。極光がエイルの左半身を焼いたのだ。

 汗腺すら焼き塞がったのか、汗すら流れない。冷や汗を伝う頬も、左側にはない。

 

『A…………Ahhhhhh…………』

 

 辛うじて無事だった【アジ・ダハーカ】の三つ首の内の一つ……真ん中の苦悩を表す首が、嘶いた。

 だがそれは咆哮とは違い、恐怖が感じ取れた。

 

「……見事だ、正義の味方。勇者になれなくとも……そうか、それでいいんだったな…………」

 

 エイルの視線は慈愛に満ちていた。その視線の向こうには、倒れ伏している燕尾服の青年と、それを揺さぶる白いワンピースの少女が居る。

 目を細め、笑みを浮かべる。焼けたせいで固くなっているのだろう、【アジ・ダハーカ】がエイルを見る動きは鈍い。

 だがその眼には未だ、悪を履行しようという意思がある。諸悪の根源は未だ、何も為してはいないから。何も成せてはいないから。

 その焼け爛れた腕で、世界に爪痕を残そうと――何かを遺そうとしている。

 己が〈エンブリオ〉でありながら、【転移模倣 ミミクリー】のせいでマトモに使ってこなかった分、意思疎通と言うか、感情の機微の読み取りがしづらい。

 何を話しているかは分からない。だが何をしたいか、それだけは今、よく分かる。

 動かない正義の味方を尻目に、火傷の痕をエイルは削ぎ落とした。【龍幻飛後 アジ・ダハーカ】の悲鳴にも似た咆哮が、辺りを震撼させる。それにより、先の極光で静止していた雑踏が再開され、次いで悲鳴を伴って逃げ惑う群衆となった。

 今の【アジ・ダハーカ】には意思がある。正義の味方を打倒する事で、己の悪を立証しようとしている。

 【諸悪王】だから……等と言う野暮ったい理由はいらない。

 ただ同士だから、分かる。

 エイル・ピースは確かに【アジ・ダハーカ】の真意を汲み取っている。

 やがて削ぎ落とされた場所から新たな血肉が生まれ始めた。

 エイル自身の肉体欠損はどうしようもない。【アジ・ダハーカ】の自己再生能力がエイルにもあるなら喜んで削ぎ落とすのだが、生憎今削ぎ落としては出血量を増やすだけだ。

 【歯車鎖刃 オステオトーム】を左脚に括りつけ、義足代わりにする。ゆっくり駆動させるとセ○ウェイのように走り出した。右脚は引き摺られる形だ。

 正義の味方の前まで来ると、揺さぶっていた手を止め、その間に鎖の少女が立った。両手を広げ、守ろうとしている。非力なのにも関わらず。今ここで足を振り回すだけで断ち切られる程に脆弱な筈なのに。

 彼女は『強い』。

 エイルはそう思った。

 【アジ・ダハーカ】が唸る。今にも少女とその後ろの正義の味方に食らいつきに行こうとしている。

 手で制し、その手でアイテムボックスをまさぐり、【禁牢監叉 デルピュネー】を取り出す。

 その枷は枷でありながら罠である。それは縛るものでありながら、敵に食らいつく牙となる。

 鎖の少女を(一応)牽制しながら、その枷で正義の味方を噛む。

 淡く光り、ステータスを奪った事を確信する。

 

「取り敢えず今日はここまでにしたい。何が起きたかは存じないが、あれ程の光、さぞ代償は大きいのだろう。【アジ・ダハーカ】、抑えてくれ。こいつは必ず再び私達の元に来る。『コレ』の為に」

 

 【アジ・ダハーカ】にエイルは【禁牢監叉】を見せる。三つ首の龍はそれを眺め、次いで鎖の少女を見遣る。

 睨み付けるような視線に一瞬硬直した鎖の少女は、強い意思を持って頷き返す。

 何せ目の前にいるのは【諸悪王】。取ってつけたように完璧に調整された、正義の味方のラスボスなのだから。倒しに行くに決まっている。打倒したいのは、此方も同じだったようだ。

 

「私も……コイツも。もう半ば満身創痍でね。いや、外付けのポーションが蒸発するとは思わなんだ。それに肉体再生用の回復アイテムなどあったか?」

 

 もう踵を返し鋸を駆動させているエイル。【アジ・ダハーカ】は一つの首でそれを。あと一つずつでそれぞれ正義の味方と鎖の少女を見ていた。

 一番左の鎖の少女を見る苦痛の首が、そっと口を開く。

 

『お前が正義の女神ではない事は察せる。だが……正義であろうとしている事も察せる』

「……驚いたな、君、話せたのか」

『あの王には明かしていないがな。そもあれは、なるべくしてなった王ではなく――いや、話すまい。兎角其方の理念は理解した。正義を目指すのは、手段であり目的ではないのか』

「……多分、そうだね」

『――そうか』

 

 まだ何かを言おうとしていたのだろうが、【アジ・ダハーカ】はそれ以上何も言おうとはしなかった。

 

『そこの正義を、絶やすなよ』

 

 最後にそう言い残し、既に見えない【諸悪王】を追っていく。巨大な翼をはためかせて飛んでいく姿は、とても悪龍のそれとは思えなかった。

 魔書が話の終わりを悟り近付く。正義の味方は息をしていたが、とても浅い。大丈夫なのか、と少女に魔書は問う。

 

「大丈夫だ。今は話すべき人々(、、、、、、)と、語らっている筈だ。……厳密には裁判染みているんだろうけど」

『……どういう……?』

「これには【ギャラルホルン】が一時期私を乗っ取った事に起因する所があるのさ」

『……は?』

「私は【絶対を裁く姫】だ。だから、『絶対に悪を屠る一撃』を許容しない」

 

 捲し立てるように鎖の少女は続ける。

 

「だから今カーターと【ギャラルホルン】は、裁判の真っ最中なのさ」

 

 【絶対を絶対に裁く姫】という自己矛盾を孕んだ少女は、逃げるように青空を仰いだ。




【龍幻飛後 アジ・ダハーカ】
 TYPE:ラビリンス・ギア
 エイル・ピースには隠しているが、実は話せる。アイコンタクトだけで会話が成り立っている訳だし、エイルは困っていない。本当は話せる事をエイルには察せられている。

《天地均し響け、週末の笛の音よ》
 悪特攻らしい攻撃。悪絶対殺すマン(今回殺せてないよね?)。『絶対』なんて付けたせいで裁かれる運命に。あぁんまりだぁぁ。


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第七十七話

( °壺°)「一応こちらでも言いますが、【七天罰刀】を【七天抜刀】にしました(詳細と言えない詳細は第七十五話にて)」


 姿かたちは無い。だが確かにそこに『何か』が居た。

 正体不明。だが確実に居る『何か』。

 恐らくそれは『意思』であり、『遺志』であるモノ。

 存在する事に意味があり、そのものが意義である。

 そんなモノ(、、、、、)を遺した意図をカタルパは探さねばならず――その為にはこの状況を打破せねばならない。

 見えない『何か』は、カタルパと傍らにある刀(あるいは剣)を、取り囲んでいた。

 いや、厳密には背後に数十名が、前と横に幾許かの『何か』が居た。

 

 正義の味方を裁く裁判がこれから始まろうとしている。とカタルパは思考する。

 

 こうした配置を覚えている。カタルパは――いや、庭原 梓は(かす)かに、だが確かに記憶している。

 それが裁判所での記憶である事を。『誰の』裁判の時の記憶であるのかも。――忘れたかったものさえ、たった今思い出してしまった。

 全てを覚えていて、それを忘れられずにいる。

 それは罪ではないし、間違いでもない。だが間違いなく梓を蝕み、カタルパを締め付けていた。

 木槌の音はない(この時代以前から、最早あの音が裁定時に鳴り響く事など無いのだが)。

 たとえ世界が忘れても、梓のどうしようもない程に良い記憶力が――あるいはその事の重要性に拠るのかもしれないが――忘れる事を許さない。

 何故ならカタルパが正義の味方(偽善者)であっても庭原 梓は英雄(正義そのもの)なのだから。悪の履行を許さないのは、カタルパであり梓でもあるが、その度合いは何処まで敷き詰めても偽善者の上を行く。それが庭原 梓だ。

 偽善者の対義は偽悪者であり、その点、カタルパと梓は対局に位置しない。正義の敵は正義でも、それらが対立するとは限らないのと、同じように。

 未だ何も始まらないその状況下、カタルパはふと目を瞑った。

 

□■□

 

 カタルパ・ガーデンという〈マスター〉が『始まる』動機に、現実逃避というものがあった。それは後付けならぬ前付けだ。そもそも英雄が、現実から逃避して言い訳がない。だから彼は、逃避する言い訳を探し始めた。矢張り『逆』なのだ。何かを求めてデンドロを始めた、という他のプレイヤーと同じところはある。だが、中身が逆なのだ。終局的なところが、カタルパ――庭原 梓だけ現実に帰結している。

 その筈だ。

 

 ――自由が無かったから自由を求めた『誰か』とは違う。

 

 ――誰かを追いかけるようにしてやって来た『誰か』とは違う。

 

 ――現実にはない何かの為に命を賭す『誰か』とは違う。

 

 ――殺人が合法である為に殺して生きる『誰か』とは違う。

 

 今もカタルパは――梓は――悪を許さない為に居る。

 正義の味方か英雄か。その違いはあっても、現実にはなかった何かを追い求めている訳でもなく、ざっくり言えばこれを、このデンドロの世界を、現実の延長として考えている。

 だから現実であってもデンドロの世界であっても、庭原 梓(カタルパ・ガーデン)の本質は変わっていない。

 

 その筈だった。

 

 今は、違いがある。間違い探しのような差異がある。何故か。

 正義の女神と同じ名前をした少女の有無が、梓とカタルパを分けているからだ。その少女の存在が、英雄もどきを、偽善者にしたからだ。

 

 ――TYPE:メイデンwithアブソリュート・カリキュレーター――

 

 そんな少女の有無が、境界線となっている。

 絶対的な(、、、、)演算機とはよく言ったものだ。

 絶対を裁く絶対的な演算機、だと言うのである。

 そも絶対とは相対の対義語であり、比肩するもののない、唯一無二を意味する。例を挙げるならば、かの宗教の唯一神とかで良いのではなかろうか。

 また、彼女は絶対『に』裁く姫でもある。この場合は「決して」という意味合いが強い。

 「絶対負けない」「絶対に許さない」のような、強い意思表示として使われる場合の『絶対』の意味合いを、彼女は含有している。

 

 唯一無二を決して許す事のない姫。それが【絶対裁姫 アストライア】の根底なのだ。

 完全にして究極、追求され尽くした『唯一無二』の極地――絶対者を裁く事こそ、【絶対裁姫 アストライア】の存在意義。

 

 完全や究極を打破するという強者打破(ジャイアントキリング)

 《秤は意図せずして釣り合う(アンコンシアス・フラット)》や《上皿の如き世界に審議を(アース・トライアル)》は、そうした強者を、或いは自分達の上位存在を、自分達の次元に叩き落とす為のスキルだったのだ。

 

 それが、乙女にして(メイデンwith)絶対的な演算機(アブソリュート・カリキュレーター)

 カタルパ・ガーデンの唯一無二の(、、、、、)相棒である。

 正義を滅ぼすのは別のでなくとも正義である。その、体現者。

 

□■□

 

 ふと、眼前の光景に変化が生じたのを感じ取り、目を見開く。

 真白な世界の中、漸くカタルパは傍らに目を向ける。

 

『…………』

「…………」

 

 【七天抜刀】は何も語らない。

 もしかすると『何か』が見えているのかもしれない。何せ神話の伝承が由来の武器だ、北欧とギリシャで文化圏こそ違えど何かしら見えるのかもしれない。それは流石に、期待のし過ぎというものだが。

 

 ざわめき始めた観衆。目の前……と言っても背後も真横も同じ何も見えない光景である事に代わりはないのだが、方角的に前方で、女性らしき声で『何か』が言った。

 

『貴方の中にある正義を、教えて下さい』

 

 と。

 その声は威厳に満ちていて、カタルパは無意識に従った。

 

「俺の……俺達の正義は、守りたいモノを守るだけの正義です。一度守ると決めたら守りきる。どんな障害からも、どんな理不尽からも。だからこそ――それ以外を切り捨ててしまえる。そんな正義です」

 

 その回答に、見えない『何か』は確かに頷いた。

 前から、横から、後ろから。視線が突き刺さるのを感じる。

 その視線に込められた意味は『好奇心』だ。ふと傍らの刀を見れば、刀でありながら焦っているような、そんな気がした。

 舐め回すような視線の乱舞の後、左側から男の声がした。これまた威厳のある声で、偉丈夫と言った印象を受ける声だった。その声が発せられると同時、視線が一斉に男に動いた。

 

『ならば俺からは何も無い』

 

 随分とあっけらかんとしたセリフだった。だがそのセリフの意味合いは大きかったようで、辺りからは「そりゃそうか」「認めるだろうねぇ」「流石」などと性別も年齢もよく分からない声が右から左からとめどなく流れた。

 

 今思えばカタルパの位置は証人の位置だ――そして左側は原告と原告の弁護士の位置だ。

 この裁判の原因は『絶対』という概念にある。

 絶対に悪を屠るという《天地均し響け(ラグナロク)()終末の笛の音よ(ギャラルホルン)》にある。

 ならば本来……傍らにある【七天抜刀】ないしカタルパは、被告側となる右側に居なければならないのではないか?

 もしかすると中央に立っているというのは勘違いで、実は裁判所的に右側に居て――否、それならば先程前方から聞こえた声の主が原告側からのセリフになり、左から聞こえる声は証人のセリフとなる。それは有り得ない。

 

 では、被告は誰だ?

 

 見えない。見えないが居る筈の『何か』。

 否、もっと根本的な事から考え直そう。

 そもそもこれは、裁判なのか――?

 

『正義は示された、と見てよろしいですね?』

 

 初めに聞いた、女性の声。

 一同が頷く雰囲気。

 そこでようやく気付く。

 

 これは、裁判ではない。ただ俺は、見えない『何か』に囲まれただけだったのだ。

 

 結論に辿り着き、嘆息するカタルパ。後ろからの視線が多いのは別にそういう構造か、そういう塊が出来ているだけで、裁判所なんて関係ないのだろう。

 そうして初めの疑問に回帰する。では何者なのか、と。

 霧が晴れるように微睡みが醒めていく。

 左方にも右方にももう何も無い『何か』が退席し、消えたのだろう。つまり微睡みの覚めと共にこの囲いの集いは終わったのだ。

 ……これも逆か。終わったから、覚めるのだ。

 その中、カタルパが最後に見たものは。正面の、最初と最後に声を聞いた、女性で――

 

 ――長く伸びた銀髪、その髪と同じように煌めく銀の眼。神聖さを保ちながらも何処か子供らしく思える白いワンピースのような衣装。そして腰に巻き付いているのはベルトではなく、あれは――

 

 そこで、景色は途絶えた。

 

□■□

 

 目を覚ますと、激痛が走った。

 ベッドの上で転げ回るカタルパは、ふと違和感に気付く。

 いつもの場所ではない。つまり『計算部屋』――王城でない事に気付く。そもそもベッドで寝ず、座ったまま寝ているのがカタルパの常だ。……皆様は真似しないでほしい。

 では何処かと見回す。

 女子らしい家具。僅かながら漂う甘い芳香。それはアイラの匂いではなかった。

 

「ん?……あ、覚めましたか」

 

 部屋の入り口から届いた、どこか冷めた声。それでハッキリとカタルパは覚醒する。

 

「あぁ、なんだ……セムロフか」

「なんだとはなんです」

 

 【探偵】にして【詐欺師】、セムロフ・クコーレフスがそこには居た。今度はちゃんと、見える相手だった。




( °壺°)「今年最後の更新ですね」
( °壺°)「皆様良いお年を」


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第七十八話

( °壺°)「あけましておめでとうございます」
( °壺°)「今回はお年玉くれそうな人のお話」


 新月の夜だった。

 星明かりも無く、街灯すらそこを照らさない。

 暗闇だった。

 そこに、家なき子にして名も無き者は蹲っていた。

 星明かりが見えないのは、現し世が眩いばかりではなく、暗雲の所為でもあった。その暗雲は名も無き者の頭上で胡座をかき、そこで泣いていた。

 触れる度に体温が奪われていくが、動く体力などその者は持ち合わせていない。

 運命、というものを信じるならば、この者はそこで死ぬ運命だった。

 その筈だった。

 

 不意に、雨が止む。

 

 だが雨音は止まない。

 目を開けば、眼前には男が居た。

 濡れた顔を上げると、目が合った。

 そうしたら、止んだ雨がまた降り始めて、頬を伝った。

 

「…………来い」

 

 男は名も無き者を立ち上がらせる。フラフラと覚束無い足取りで、名も無き者は男に寄りかかる。

 名前は、と問われて無いと答えた。

 男は少し思案顔をしてから破顔した。

 

同じか(、、、)。面白い」

 

 濡れた頭を男の腕が揺らす。撫でているのだと後々気付く。

 また目を合わせると、男は此方を見ていたが、何か、近しくも別のものを見ているようだった。

 それこそ、遥か未来の――本当にまだ見えない『何か』を見ているようだった。

 

「お前は、そうだな。かの劇から抜き取って、椿などどうだろうか」

 

 男の名は、庭原 槐。

 この時代で未だ古びた唐傘を差す変わり者。

 既に何度かの死と何度かの再生を経験した、文字通りの化け物だった。

 

□■□

 

 椿と名付けられた娘は、先ず『抜き取られ』た。

 名付けられると同時、拾い上げられると同時、捨てられた。

 

「さて、これで『造れる』な。……そうだな、大体こいつと同い年で良いか。ありがとう、名も無き者に戻りし『物』」

 

 男はもう椿という少女を見ていない。少女もまた、己が何と呼ばれていたかを覚えていない。『抜き取られ』たからだ。

 記憶を、精神を。あるいは魂を。『抜き取られ』、少女を木偶と同じにしたからだ。少女は、使い捨てられたのだ。懐炉と同じように。拾い、使い、捨てた。人ではなく、『人の意思』を有する道具として、少女を――利用したのだ。

 最早それは人の所業ではない。

 もっと別種。悪魔――いや、神か。

 神が人を創りあげたと言うなら、造れば神と呼ばれるに足り得るのだ。

 庭原 槐は人間の情報を抜き取ろうとしたが、流石に社の人間を使うのは気が引けた――その程度の善性はあった。

 だから名も無き少女を利用、使用した。

 と、言うのであれば。少女の運命は、延命されたに過ぎない。少し死ぬのが遅くなっただけだ。

 神の領域に手を伸ばす為の礎、階段、踏み台。それに少女、椿はされたのだ。善性と同じぐらいの、いや、そんなものとは比肩すべくもない悪性を、槐は抱いていたのだ。

 

「安心したまえ。君は生き続ける。ちゃんと、『ここ』でな」

 

 最早少女すら見ずに、カプセルの中を見つめている。

 先程善性などと言ったが、だと言うならば人間性は既に槐からは失われている。

 最()に見たものは、槐と同世代に見える女の入ったカプセルと、自分と同い年程に見える男子で――

 

□■□

 

 目を覚ます。目が醒める。

 はて、ここは何処だろうか、と再び名を失った者は目覚める。

 思い出そうとして、首を捻る。

 名前が無い。過去が無い。逆に何があるのだろうか?手を見、何も無いという、結論のみが脳を支配する。

 ぐるりと見回せば、何も無い。木製の扉、床、天井。寒さは感じず、然れど暑苦しくもない。

 だが、もっとその暑さと比ぶべくもない熱い物を手にして、誰かが入ってきたのは分かった。

 それは何だ、と問う意思を少女は持ち合わせていない。

 何をする気だ、と問う意思を少女持ち合わせていない。

 だから代わりに、泣き叫んだ。

 

 少女の小さな背に、焼けた鉄が触れたからだ。

 

 少女の記憶は、その激痛から始まった。

 そして少女の魂は、桐谷 晶子と名付けられて始まった。

 それ以前の過去はもう、激痛に何もかも呑まれてしまった。

 

□■□

 

 庭原 椿は、不意に目を覚ました。

 失われた過去を、思い出した気がした。懐かしい彼の顔を見た気がした。そして、有り得る筈のない、違う自分の(、、、、、)夢を見ていた。そんな気がした。

 彼女には過去が無い。自分が生まれてから梓が生まれるまでの記憶が存在していない。

 空白の二十四年。洞木という旧姓もでっち上げられたものだ。

 無垢な悪(イノセントイヴィル)と梓に呼ばれたものの、その悪性が芽吹く過去があったとしても、それ程の悪性を蓄えるような過去が無い。然らば元から抱いていた悪性は、巨悪であったのだろう。

 そしてまた、内心にあったのは槐への忠誠くらいのものだ。それはもう、夫婦と言うよりは主従だったが。

 槐が悪なのだと認識していた。同じ事をしている自分も悪なのだと認識していた。だがそれを、悪人と呼ぶ事を知らない。

 

 起き上がり、ベッドから降りて。少し、目を細める。

 昔を思いやる。過去の憧憬、その一コマには、まだ真実を完全には知らず、希望に目を輝かせている少年と、それを見て『その先』を慮る夫が居た。家族全員が(、、、、、)そこには居た。

 

 また出会えるだろう息子を。また出会えるだろう主人を。少し、思い出す。

 

 さて、疑問だ。自分にとっての主人公は――囚われの姫を救い出すような、白馬の王子はどちらか。

 

「どちらでもきっと、物語は面白いわね」

 

 なら面白い方に一票、と言い残し、庭原 椿はバイザーを(、、、、、)被る。

 

「にしても……とっっっっっても残念。私の過去がどうして私と同じじゃないのかしら!」

 

 無邪気な子供のように。存在していない過去のように。梓に見せなかった一面を、椿は広げている。

 

 二十四年間の記憶はあり、二十五年間は空白だ。その二十五年間も、殆ど『存在していない』。

 椿と名付けられた過去を、ほんの少し有している程度だ。何故なら庭原 椿は、その二十五年が無い状態で始まったのだから。

 

「楽しみね……うん、楽しみ。私と私が対峙するなんて、ドッペルゲンガーもビックリな程に、ロマンチックじゃない?」

 

 虚空に問う。返答は無い。

 そう言えばここはそう(、、、、、)だったと思い出す。

 

「そうだった。アナタは居ないんだったわ」

 

 それに、今は貴方も。

 そう続けて意識を手放す。

 その向こうには、三つ首の龍が待っている。

 彼女の名、『椿』は槐が『椿姫』というオペラからとって付けている。その原題は『堕落した女』(あるいは、『道を踏み違えた女』)だ。奇しくもと言うか運命と言うか。どうあれ、その通りの人間のようにも思える。いや彼女に関しては、元より道など無かったのだから、踏み外すも何もないだろうが。

 それでも客観的には『踏み外して』いるように見えるのだから不思議だ。

 

 TYPE:ラビリンス・ギア。

 その迷宮に騎乗するは諸悪の王。その迷宮は即ち諸悪の根源(アジ・ダハーカ)なり。

 畏怖せよ、恐怖せよと見た者は告げる。逃げ惑う事は無意味であると勧告する。さながら啓示であるかのように。だがそれだけでも本当は凄い事なのだ、と王は笑う。苦悩、苦痛、死。その全てが、かの三つ首には備わっている。その全て、あるいはどれかを見たにも関わらず、平静を保ち、生き永らえているのだから。

 

 希望の神、エルピスを文字った名を有する諸悪の王が来る。

 アルカ・トレスが、ミルキーが、【絶対裁姫 アストライア】が、【幻想魔導書 ネクロノミコン】が気付いた遺伝の正体が、浮き彫りになる。

 

 【諸悪王(キング・オブ・オールイヴィル)】エイル・ピース。

 本名、庭原 椿。

 正義の味方のラスボス(無垢な悪)が、【禁牢監叉】を取り出しながら、ふわりと大地に降り立った。




( ✕✝︎)「母親だった事には驚きだが(本編ではまだ知らないぜ!)」
( ✕✝︎)「もっと重要な事があった気がする」
( °壺°)「気の所為です」


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第七十九話

 ――デルピュネー。

 ギリシャ神話に現れる、半龍半人の怪物。神ゼウスの力の一部を封じ、それを最期まで守り抜こうとした怪物。デンドロにおいては【禁牢監叉 デルピュネー】として、エイル・ピースの手にある。

 

 ――オステオトーム。

 電動鋸、つまりチェーンソーの原型。およそ200年前に誕生した、人類最古の『伐採機械』と言えよう。デンドロにおいては【歯車鎖刃 オステオトーム】として、エイル・ピースの手にある。

 

 ――ミミクリー。

 心理学用語の一つ。模倣、真似っ子。何かがあり、それを模する事。それこそ鏡写しのように。ただ同じである事を演じ続ける。デンドロにおいては【転移模倣 ミミクリー】としてエイル・ピースの手にある。

 

 ――アジ・ダハーカ。

 拝火教の聖典、『アヴェスター』等に登場するとされる怪物。悪神アンラ・マンの眷属であり、神ではない。三つ首の龍蛇とされていて、それぞれが苦悩、苦痛、死を象徴するとされる。また、ザッハーク王はアジ・ダハーカの眷属になってしまったとされる。邪智暴虐の限りを尽くす、『諸悪の根源(ルーツ・オブ・オールイヴィル)』。デンドロにおいては【龍幻飛後 アジ・ダハーカ】というエイル・ピースの〈エンブリオ〉となっている。

 

 ――【諸悪王(キング・オブ・オールイヴィル)】。

 自身が促す事で犯罪を起こさせた(、、、、、)回数が一定に達する事で解放されるらしい超級職。詳細など知る訳が無い。

 エイル・ピースのメインジョブ。

 正義の対極に居るかのような――お誂え向きの、カタルパの宿敵。

 

□■□

 

 カタルパは、既に手の内を明かしている。

 【霧中手甲 ミスティック】の《一寸先は霧(ミスティック)》も。

 【怨嗟連鎖 シュプレヒコール】の《怨嗟の感染(シュプレヒコール)》も。

 【幻想魔導書 ネクロノミコン】の《架空の魔書(ネクロノミコン)》も。

 【片眼魔鏡 ガタノトーア】の《型呑永愛(ガタノトーア)》も。

 【七天抜刀 ギャラルホルン】の《天地均し響け(ラグナロク)終末の笛の音よ(ギャラルホルン)》も。

 《愚者と嘘つき(アストライア)》こそ使ってないが、殆どの手札を開示している。切り札(エース)は公開し尽くした。鬼札(ジョーカー)しか残されていない。

 ……それで勝てる保証は無い。

 そも、【刻印】は殆ど刻まれていない。

 今のこの現状に於いて、勝率は低い。それは皮肉な事に、計算スキル特化型超級職【数神】の出した結果であった。

 やれやれ、と苦笑する。そこで漸く、会話が始まる。

 

「いきなりどうしたんです、気持ち悪い」

「ん?……いや、正義の味方の宿命だよなぁ、と思ってな」

 

 は?と首を捻るのはセムロフ・クコーレフス。【探偵】にして【詐欺師】、TYPE:カリキュレーターの〈エンブリオ〉、【真理解答 マジックミラー】を保有する〈マスター〉である。

 話に着いていけない所か二人はその件に関してマトモな会話をしていない。していない話の内容を察せる程、セムロフは天才的ではない。そんな事は梓にすら出来ないのだから。

 苦笑で上がっていた口角を下げて、カタルパはセムロフに事の顛末を告げた。そして、まだ終わっていない事も。

 

「全ステータスの減少……ステータス奪取、ですか」

「厳密にはステータス封印(、、)だろうけどな」

 

 奪取と封印では雲泥の差だ。そう判断した理由を、セムロフは問わざるを得ない。

 

「簡単だ。ネクロに記されている。枷のようなものを俺に噛ませた、と。それで力を奪ったなら、それの正体はデルピュネー以外に考えられない」

「ギリシャ神話の怪物、でしたね」

「そ。その予想が正しければ、力を奪ったデルピュネーがゼウスの力を得られなかったように、俺の力を奴は使えないだろう、という憶測」

「ですが、確証ではないですよね?」

「その時はその時。それはそれ。対策はある」

 

 対策と言えど、あのインチキスキルである《上皿の如き世界に審議を(アース・トライアル)》しか無い。これもまた、開示してしまったスキルではあるのだが。

 

「……それらを見積もった上で聞きます。…………勝算は?」

「万に一つも無い」

 

 その質問に解答したのは、正義の味方ではなく鎖の少女だった。

 

「もう一度《天地均し響け、終末の笛の音よ》を発動させる訳には行かぬ。あの『裁判』に二度は無い。次は無い。その正義が『幽閉』される訳にも行かぬ」

「アイラ。セムロフはおろか俺にも分からねぇ。分かるように――」

「説明出来たら苦労は無いよ、カーター。ただ言えるのはアレに次は無いという事……それだけさ」

 

 第6形態になったからか、背が少し伸び、装飾も幾分か派手になっている。成長したのだろう。今のアイラは14、5歳の少女といった所だ。

 その少女と正義の味方の二人を視線で行ったり来たりするセムロフは、自分に出来ることは無いかを探そうとする。「何か無いのか」と問えば早急に答えてくれるだろうに、言い出せないのは、羞恥心の為だけではない。

 もっと根本の、最も根本の、かつての、現実での探偵であった自分が重なるという、違和感のせいだ。

 過去の自分が、今の自分を否定している。正義の味方と馴れ馴れしく親しんでいる現在を、受け容れない。

 もどかしい。どうすれば良いのかが、今のセムロフには分からない。いや、過去の自分(松斎)に則るなら、分かりたくない、なのだろうか。

 

「行くしかないだろ、アイラ。俺は――正義の味方だ」

「馬鹿な事を言わないでくれ、カーター。あれは悪だが、私達の手に負えなくなった巨悪だ。アレは英雄が倒すべき悪であって、正義の味方が倒すべき悪じゃない」

 

 一考。瞑目。嘆息。

 三拍使い、カタルパは眼を見開く。

 

「なら、頃合じゃねぇか」

 

 流石にそのセリフには、セムロフとアイラは見合わせた。

 比喩なく、何を言っているんだ、と。

 

「愚者と嘘つき。いいじゃないか。アイラが愚者で(、、、、、、、)俺が嘘つき(、、、、、)で、さ」

 

 今の今迄、アイラは嘘つきであり、カタルパは愚者だった。

 その、『逆』をとると言う。

 然らばカタルパの嘘、とは。

 

「俺は正義の味方。『僕』は英雄。それを嘘にしようじゃないか」

「っ……!」

 

 つまり、それは。

 

「ここからは『僕』の独壇場だ」

 

 それは、最も身近な、終わりの始まりだった。

 

「それは……それは嫌だよ、カーター……カタルパ・ガーデン!」

 

 アイラの嘆きが響く。

 

「《一寸先は霧(ミスティック)》」

 

 しかしその響きは虚空に響き、伸ばした手は空を切った。

 

 ――英雄紛いの正義の味方は、今何処に。




( °壺°)「次回、カタルパ(正義の味方)(英雄)


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第八十話

 正義の味方の前を、英雄が歩いている。

 筋骨隆々の大男、竪琴を携えた優男、最愛の者を見る事が叶わぬ青年に、刀一本のみを引っ提げた男、手に毛糸玉を持った男。

 鎧を着込んだ男、背に幾つもの武具を背負う男、紙の束を抱えた痩せぎすの男、槍を手にして投石器を引き摺る男――

 噫、夢か。

 始まって早々、そう断定しては脱出の糸口を――眼前の英雄の一人を見ながら――模索するのが、暗中模索するのが、カタルパ・ガーデンという男だった。

 何せその百鬼夜行とも凱旋とも取れるその行進に、カタルパが参加する理由が無い。ならば己の立ち位置は観客、傍観者。或いは英雄の替え玉、紛い物としての参加。

 少なくともカタルパには、紛い物の資格はある。英雄擬きの正義の味方の資格がある。

 英雄紛いという愚者の資格。英雄擬きという嘘つきの資格。

 愚者と――嘘つき。

 勝手なまでに、身勝手な程に、庭原 梓とカタルパ・ガーデンによって、愚者と嘘つきは完成し、完結する。

 カタルパがどれ程【絶対裁姫 アストライア】を求めようとも、梓は一人で立てる故に。矢張り二人は相容れない。或いは、それこそが二人の相違点だと言うべきか。

 正義の味方と英雄の相違点。

 正義の味方は一人であってはならず。英雄は一人であっても構わない。否、寧ろ一人である事を強要される。

 正義の味方の席は幾つかある。対して英雄の席は、一つの伝承につき一つだけ。椅子取りゲームのように、一人しか坐す事は出来ない。

 さてここで、カタルパの意識は改めて眼前の光景に移る。

 昔読んだ伝承通りの英雄達を前に、立ち止まりながら、その差を開かせながら、目で一人一人追いかける。

 

「ヘラクレス、オルフェウス、彼は……ラーマかな?そして倭建命……」

 

 順々に追っていく。太陽神ルーを目視した辺りで、不意にそれらが見えなくなる。

 代わり、鏡が置かれたかのように、自分と瓜二つの男が立った。

 元よりカタルパは梓の外見そのままな訳だから、瓜二つでも仕方がないというか、当然ではあるのだが。

 

『さて、それで。あの悪を『僕』は倒していいんだろう?』

「多分、な」

『煮え切らない返答だな、お前らしくない』

「俺の居場所をお前に明け渡していいのか、未だ正解が分からないからな」

『……違うだろ、カタルパ・ガーデン』

 

 お互いの言葉の応酬は、しかし言うべき言葉も返すべき言葉も――問われた際の返答までも初めから知れている。何せ究極的にはこれは、自問自答なのだから。

 

『お前は【絶対裁姫】の選択を聞きたいんだ。いや、それも少し違う。彼女の選択を、自分の選択にしたい。それはもう正義の味方の所業じゃない。所行ですらない。お前のそれはただの依存であって、お前の現状は――』

 

 溜めに溜めて、梓はカタルパに言い放つ。

 

『正義の味方ですらない、傀儡だろ』

 

 痛烈に心の中で反響する――訳では無かった。自問自答。問いも、答えも、最初から知っていた。

 この会話(独り言)を始める前から、これが依存であると、己が傀儡であると知っていた。

 分かり切っていて――それを改めて、自覚した。

 今だってそうだ。心のどこかではどうしたら良いのかを彼女に問おうとしている。

 随分と前に自分とは違うと結論付けた、自分の分身に問おうとしている。

 

 正義とは、ならば何なのだろう。

 それも広義的なものではない、かと言って自分自身(カタルパ・ガーデン)にとっての正義でもない。つまりはそう、彼女にとっての正義、そして――庭原 梓(自分自身)にとっての正義。

 

「その解答が『絶対正義』ならば……あの子は『僕』を打倒する」

 

 それに期待しているのは、多分自分が嘘つきだからだ。

 いつも、いつまでも自分が、カタルパと梓の境界線を曖昧にして、彼女を置いて行こうとして、一人で大丈夫だと見栄を張っているからだ。

 梓は別に二重人格とかではない。つまりカタルパと梓は繋がっていて、結局のところは同じ存在なのだ。どこも、本来は異なっていない。

 なのに二人は二項対立が如く向かい合うのだから不思議だ。確かに正義の味方と英雄、ズレはある。だがそれが、対立する程までの溝を作っているのだろうか。お互いが天秤の夫々に乗る程なのだろうか。

 そしてまた……同一人物の語る正義だと言うのに、『傾く』ものなのだろうか。

 右舷に乗るカタルパ、左舷に乗る梓。鏡ではなく、天秤の軸を境に睨み合う。現実ではない想像世界。そこで初めてカタルパは、梓は。

 

 本当の敵に、立ち向かう。

 

□■□

 

 取り残された少女と女性、アイラとセムロフは、早急にカタルパを追おう――とはせず、【テレパシーカフス】で方方に連絡をとった。

 元よりカタルパは【数神】。本来は戦闘用ではないにせよ、現実離れしたAGIの持ち主だ。早々追い付ける筈もない。ならば必要なのは追い掛ける事ではなく、人手を集めて先回り、あるいは共闘……それも、あの巨悪、必要悪……絶対悪の打倒。

 あの英雄が、【諸悪王】を倒しに行くであろう事は想像に難くない。

 そもそも、その為に『入れ替わった』のだろうから。この際『入れ変わり』と称しても構わない。

 アイラも、セムロフでさえ、あれを梓と捉えている。カタルパとは扱っていない。

 あの馬鹿正直で、意外と脆く、誰かの為に動くなんて事が出来ないエゴの塊。正義の味方。

 あの青年を、呼び戻しに行こう。

 

「どうも、ミルキーさん、セムロフです」

 

 その声に、向こうの淑女は驚いた様子だった。見えない相手を思いくっくっと笑い、的確に本題を告げる。

 

「カタルパ・ガーデンが庭原 梓に乗っ取られ(、、、、、)ました。クエストではありませんが、協力を要請します」

 

 その難題に。

 

『へぇ?梓が来たの(、、、)。なら遊びに行くしかないわよねぇー』

 

 狂騒の姫君は、快諾した。

 

『ガルー……あのバカはそんな事になってたガルか。吝かじゃないが……その救出は、俺の仕事じゃない気がするガル』

 

 破壊する者は遠慮した。

 

『ごめん、いま迷宮内だから』

 

 剛なる闘士は参加不可能を告げた。

 

『いいよ』

 

 司祭は短く、参加を表明した。

 結局いつものメンバーか、と嘆息しながらも、心強いと思っているのも事実。

 やれやれと首を振るアイラもしかし、笑っている。

 

「行きましょう、アイラさん」

「そうだね。わからず屋を叩き起しに行こう」

 

 正義に救われた者達が今、進軍を始めた。




( °壺°)「なんやかんや80話」
( °壺°)「終幕は近い」


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第八十一話

「なぁ、そろそろ返してくれないか?」

 

 「青年」はそう問う。軽く口にしているものの、目は笑っていない。

 

『それは出来ない相談だな』

 

 『青年』はそう返す。身振り手振りがやけに大袈裟だが、その目は獣の如く、真っ直ぐ「青年」を見据えている。

 視線が交錯する。それも睨み合いという言葉がしっくりくる程に。

 片や正義の味方。デンドロ世界に於ける自分自身。

 片や英雄。現実世界に於ける自分自身。

 どちらも自分。どちらも違う。この世界がどちらかであれば、そこにどちらかの居場所はある。だが、ここはどちらとも取れぬ空想世界。

 今尚肉体――それもまた、ある意味では空想世界のだが――は、デンドロの世界を歩いている。つまりその肉体の所有権は、棲み分けの上ではカタルパにある。

 庭原 梓はその所有権を略奪した身という事だ。剥奪でもなく、略奪。

 果たしてそれは、英雄のする事なのか。

 仮にする事であったとしても、カタルパは『その席』を譲ってほしい、いやさ、返して欲しい。

 その事実に関してはカタルパは善で、梓は悪と言えた。だが大局的に見れば――葉ではなく枝を、枝ではなく幹を、幹ではなく木を、木ではなく森を見れば――結果としては【諸悪王】を倒す者が善なのだ。つまり梓が――善になる。このまま行けば。このままであれば。

 正義の味方はそれを許容しない。

 英雄もそれを譲らない。

 あるいは、何処かで感じ取っているのかもしれない。

 『俺』ではなく、『僕』が倒すべき敵なのではなかろうか、と。

 現実での結末と、同じように。

 

『解っているんだろう?』

「……《強制演算》を使った覚えは無いぜ、英雄」

 

 態とらしくはぐらかす同一人物に、梓は嘆息する。

 はぐらかしているのはお互い様だと、カタルパは毒づく。

 霧の中を悠々と進む身体。睨み合いと他愛ない応酬が響く脳内。

 カタルパは今混沌を極めていた。そういう点で窮まっていた。

 

 それでも、打破せねばならない。

 カタルパが正義の味方であるならば。『彼女』もまた正義の味方。

 『俺達』は互いに言い聞かせたのだ。

 

「――正義の味方は」

『……?』

「正義の味方は、一人であってはならない」

『……そうだな』

「正義の味方は、私利私欲、エゴの塊だ。誰かに求められて産まれるものじゃない。自分の意思で目覚めるものだ」

『……そうだ』

 

 梓は、ただ頷く。先を促すように。

 

「下らない正義なのは承知の上で、嫌いなモノ(世界)を守るっつー矛盾にも似た理論の持ち主だ」

『……知っている』

「でも俺は、【数神】以前に正義の味方だよ」

『――――ほぅ?』

「でもじゃないな。だから、だ。だから俺は正義の味方だ。初めからこの手は……この右手に握っていた銀剣は、悪を許しはしなかった」

 

 思い浮かぶのは本当に最初期のカタルパ。まだシュウと共にいた頃の、ミルキーの正体を知らずに切り捨てアルカを守った、あの頃。

 第1形態。【Cross sword】しか使えなかったあの頃だ。

 《秤は意図せずして釣り合う(アンコンシアス・フラット)》は。悪特攻という出鱈目で、訳が分からなくて――最もシンプルに、カタルパとアイラを示していた。

 

「俺が仮に『僕』だろうと、アイラは必ずエイルの元に辿り着いてしまう。そして戦ってしまう」

『……そうだろうね』

「そんな時隣に立つべきなのは……下半身ぶった斬り娘でもなく、変な意味の植物人間でもない」

 

 一拍。息を吸い込んでから叫ぶ。

 

「てめぇみたいな英雄でもねぇ!」

 

 言ってやった、という雰囲気が漂う。

 だがそれこそが、自問自答にピリオドを付けた。

 

『なら、お前の霧は晴れたな』

 

 途端梓の姿と自らが立っていた天秤が雲散霧消し、現実の視界情報が流れ始める。

 確かに今、霧は晴れた。

 矢張り俺は、英雄にはなれないな、と笑う。

 自分が英雄になってしまったら……正義の味方である彼女の居場所が無くなってしまう。

 何処まで考えても、あの子の為というエゴなのだ。

 それがカタルパ・ガーデンという、正義の味方の正義の味方足り得る部分なのだ。

 

 霧が完全に消え失せ、荒れた土地の上に無理矢理群生したような雑草に目をやる。

 そこは懐かしの場所。【零点回帰 ギャラルホルン】とカタルパの決着の地。

 

 そこに今度は、男が立っていた。

 

 刀を二本引き抜く。片方の手には【怨嗟連鎖】が、もう片方には【七天抜刀】が握られている。

 そこに十字の銀剣の場所は無かった。

 であれば正義の味方は一人きり。

 勝ち目など、無いのだ。

 

□■□

 

 《天地均し響け(ラグナロク)終末の笛の音よ(ギャラルホルン)》を使えていれば万に一つがあったかもしれない。

 だがそれは、正義の味方である鎖の少女に忠告、いやさ勧告されて使用不可となっている。であれば今のカタルパに万に一つもありはしなかったのだ。

 

「……大丈夫か、正義の味方」

「手加減すんな、諸悪の王様」

 

 毒づくカタルパだが、腕に力は入らない。手加減されたと言えど、アイラの居ないカタルパなど、牙と爪のない獣だろう。遇うも弄ぶも好き放題だ。

 

「ミミクリーより弱かった。とは言え、全て【アジ・ダハーカ】に喰わせてきたから明確な強さなど分からないんだが」

 

 止めを刺す気配は無い。どころか昔を懐かしむという余裕すら見せている。

 【龍幻飛後】を使われずに弄ばれたとあっては、矢張りカタルパはエイル・ピースには敵わない。打倒する事は叶わない。

 そう――一人なら。

 

「《脚は無くとも速くはあり(トップスピード・ランニング)》!!」

 

 跳んできたのは、上半身だけの女性。狂騒の姫君。

 初のお披露目とあいなった場所でまた、猛威を振るおうとしていた。

 

「《考える脚(バラバラボトム)》!」

 

 (文字通り)切り捨てられた彼女の下半身も舞う。それこそ人形劇のように。【狂騒姫】の固有スキル、《混沌こそ全を産む(マザー・オブ・カオス)》により、《轢かれた脚は此処に(テケテケ)》使用中であれどそのスキルの効果である『スキル欄からの(、、、、、、、)スキル使用不可』を固有スキル(どうやら《混沌こそ全を産む》はスキル欄にはないらしい)を経由する事で効果の弱体化こそあれ乱用出来る。濫用、の方が正しいか。

 兎角今のミルキーは、【上半怪異 テケテケ】の持ち主に相応しい程の化け物だった。

 

 ――だが、彼女ではない。

 

「《鏡纏いて謎を紐解け(ミラーコート)》」

 

 サポーターに徹している【探偵】にして【詐欺師】の少女。必殺スキル《壁にかかった魔法の鏡(マジックミラー)》を使えば並大抵の事は行えてしまうという破格のスキルを持っている。

 

――だが、彼女でもない。

 

「《虹に繋がれし九極世界(イグドラシル)》」

『SUOHHHHHHHHH!!!』

 

 木で出来た暴龍が、それこそ濁流のように流れ込む。

 《超級エンブリオ》である【平生宝樹 イグドラシル】の力は圧倒的だ。質量も生命力も、何もかもがこの中で最強クラスだろう。その暴龍が今、突如エイルの影から飛び出した【アジ・ダハーカ】と喰らいあっている。

 

 ――だが、彼ではない。

 

 俺が。カタルパ・ガーデンがどうしようもない程に求めているのは。求めてきたのは。

 

「――カーターッ!!」

「っ!……あぁ、行こうっ!」

 

 共に戦いたい人は多々居れど。

 隣に立って戦いたいのは、いつだって――



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第八十二話

「吹き飛べぇっ!!」

『《学習魔法・流転之風(ウィンドスピア)》』

 

 幻想の魔書が魔法を発動する。豪風が巻き起こり、一歩だけ巨悪を引き下がらせる。【デルピュネー】に奪われたステータスはそのままだと言うのに、補助があるとこうも正義の味方は強くなれる。一人で無ければ、正義の味方は強くなれる。

 木でできた暴龍は咆哮を上げて三つ首の龍に襲い掛かる。衝突しただけで衝撃波が起こり、辺りを破壊する。

 上半身と下半身に別れた狂騒の姫君が、刃物のついた靴で踊りながら、腕の膂力だけで上半を駆動させて舞う。

 諸悪の王が攻勢に出ようとした途端、正義の味方を中心に光が振り、一瞬にして別の場所に移動させた。《鏡纏いて謎を紐解け(ミラーコート)》の効果だろう。

 

「やれやれ……一対四……いや、そこの【狂騒姫】が別れているのを鑑みれば一対五、かな?」

 

 【諸悪王】の捌きは完璧だ。上半身と下半身が別れて奇妙な動きをする相手など戦った事が無いだろうに、難なく攻撃をいなしている。

 それは、カタルパ達が所有するモノと同種。

 

 全てを解決に導く『智力』ではなく。

 全てを力で決める『武力』でもなく。

 全てを恐れず進む『勇気』でもなく。

 全てを逆から読む『疑心』でもない。

 

 全てを嘲り憐れむ『愚弄』だろう。

 言動を無為に還すような、無意味にしてしまうような。

 努力を、才能を、嘲笑っているような。

 指の一本一本の滑らかな動きが、刀に触れ、軌道を逸らす。

 ミルキーとカタルパ、二人の猛攻を以てしても、その刃は諸悪の王には届いていない。

 絶対的な程の実力差。極限まで鍛えられた武は、時に未来予知にも似た心眼を発揮する。

 だと言うのに同じ程の武を有するミルキーですら攻撃が通らない。

 何かしらの特典武器の効果かもしれない、とカタルパが推察すると同時、戦況が大きく動いた。

 

「遊びに来たなら、帰れ。正義の味方。

三種の辛苦(アジ・ダハーカ)》」

 

 ――刹那。彼等4人は閉じ込められた。

 それこそ《揺らめく蒼天の旗(アズール・フラッグ)》で魅せた黒白の世界のような、黒一色で染め上げられたような世界に。ただ、それとの違いを挙げるのならば。

 そこには、黒以外の何も無かった事か。

 否、黒以外にあるモノは。溢れて止まないモノは。

 

 かつて、【怨嗟共鳴】との戦いで、あの心傷(トラウマ)を植え付けた戦いで聞き飽きた、悲鳴の合唱だった。

 

 苦痛。苦悩。そして死。

 知性体が本能的に忌避する3種類の辛苦。それが、その黒には敷き詰められていた。

 重箱の隅をつつくまでもない。何処までも、何処からでも、その怨嗟は溢れていた。

 

 気付けば4人は元の場所、つまりエイル・ピースの前に立っていた。

 瞬きの内の、幻覚ともとれる先程の光景。

 しかし震える手足が、カチカチと歯を鳴らす顎が、頬を伝う冷や汗が、何より極寒の地に立たされたような寒気が、あの光景を見た事を否定させてくれない。

 『折れた』のはセムロフだった。全てを疑う彼女でも、全てを否定する事は出来ない。手の震えが、恐怖を顕著に表し、手鏡を取り零す。

 カタルパは半ば痩せ我慢だ。(アイラ)にもうカッコ悪い所は見せられない、と見栄を張っている。

 ミルキーは膝をついている(無論、別れたままだ)。腕は震えながらもその上半身を支え、力強く手鎌を握っている。

 アルカは特に何も無い。恐怖を感じず前に進む勇気の持ち主は、あの光景を見ても『そういうものもあるのか』と流している。

 彼等が苦痛と苦悩と死を体験した訳ではない。いわば『経験を見た』だけ。震えてしまうのは、それが自分の身に起きたら、と被害妄想をしてしまうから。

 

「《三種の辛苦》は攻撃スキルではない。これ程大きな図体をしている【龍幻飛後 アジ・ダハーカ】ではあるが、その『中身』は迷宮だ」

 

 迷宮……ラビリンス。TYPE:ラビリンスの〈エンブリオ〉は己が内に対象を閉じ込める事を得意とする。

 

「迷宮だと言うのに、それに閉じ込められる対象の最大数は少なく、また閉じ込める時間はあまりにも短い」

 

 エイルは淡々と説明する。分身が『そういうモノ』であるならば、エイル本人もまた、あのような内面を秘めていると言うのにそれを表出させずに。

 

「そして苦痛や苦悩、死を見せたからと言って対象が死ぬ訳じゃない。それらは見ただけ。映画館でどうでもいいようなムービーを見たかのように。だが、見聞きしたものを自分に当て嵌めようとするのは、此方としては良い事なのだ。被害妄想大いに結構。このスキルの効果は『対象に死の概念を付与する』……何か何処かで聞いたような効果しかなくてな。端的に言えば不死を殺せるようになる……といったところか。或いは死という終着点を持たない者に終着点を与える、かな」

 

 自虐のように微笑むエイル。しかしカタルパにそれをまじまじと見る余裕は無い。今尚恐怖と格闘している最中だ。

 

「結果、知性体相手だと……知性のある〈UBM〉相手だとワンサイドになってしまってな。【オステオトーム】と【ミミクリー】は違う……つまり【デルピュネー】しか居ないのだが、それを相手にするのはとても楽だった」

 

 化け物が、化け物たる所以。強大な力か、行き過ぎた思想か。そのどちらか。

 

「私としてはまだ足りない。諸悪の王としては及第点だがな。何せ私は見せただけ。その後で苦しもうが死のうが其方の勝手だからな。『王は自らの手を汚さない』」

 

 強大な力と行き過ぎた思想。どちらも持つ【諸悪王(エイル)】は、果たしてどのような化け物と呼び称されるのか。

 

 王と神。それらは神話世界に於いて、度々対極として描かれる。

 神は人を閉じ込める。王は人を解放し導く。

 メソポタミア神話に於いても王ギルガメシュが王として神の手から人々を掬いあげ(、、、、)、導いた。

 正義の味方にとっての最大の敵が諸悪の王だと言うならば。

 数の神にとっての最大の敵もまた、諸悪の王であったのだ。

 正義の味方、カタルパ・ガーデン。数の神、カタルパ・ガーデン。

 二つが一つに折り重なり、ただのカタルパ・ガーデンは一つの意思を全身に行き渡らせる。

 武力は無い。勇気も無い。疑心さえ無い。愚弄も出来ない。

 立ち上がる為に必要なのは、智力でも無かった。

 強いて名付けるならば、これは。

 

「愛、かな?」

『痛々しいぞ、カーター』

『だがまぁ、エゴの塊、正義の味方には性に合っているのでは?』

 

 幻想の魔書と鎖の少女が笑う。だが否定はしなかった。

 勇気の無いままアルカと並ぶ。

 

「僕はあの三頭龍を止める。だからアズールは――」

「分かってる。初めからその心算だったしな」

 

 合図も無く二人は駆ける。

 一人は暴龍へ。一人は巨悪へ。

 

「大丈夫、セムロっちゃん」

「それ、私の事ですか……?」

 

 上半身のみで近付き、セムロフを片手で持ち上げるミルキー。

 漸く落ち着いたのだろう。死の概念の付与と言われてもハッキリしないのが現状だ。それに、死ぬのは怖くても、もっと怖いものを知っているから――だからまだ立てる。

 

「サポート出来そう?」

「元より《鏡纏いて謎を紐解け》は解除してませんけどね……えぇ、まだ行けます。あんな悪に、正義の味方は負けてはくれませんから」

 

 何処か、馬鹿にするようで。何処か、認めているような。そんな言葉。

 それにミルキーは静かに笑い、「任せたよん」と言い残し《考える脚(バラバラボトム)》により動く下半身と共に戦場を駆ける。

 

「ほんっと、自分勝手ですよ……一人じゃ正義の味方じゃないから協力してくれって……もうアルカさんとかミルキーさんとか居るのにですよ?馬鹿じゃないんですか?」

 

 愚痴る。ただひたすらに愚痴る。だがそれで、先刻の恐怖は何処かに行ってしまった。

 

「馬鹿みたい……でも、そらに手を貸す私も馬鹿だ。馬鹿でいいよ。大いに結構、ってやつです。だから……死んだら許しませんからね、カタルパ・ガーデン!《鏡纏いて謎を紐解け》解除!

鏡に映せぬ七つの呪い(セブンス・マッドナイト)》!」

 

 新たなスキルを使いながら叫ぶ。行け、進め、止まるな、と。それは罵倒や叱責のようで、立派な声援だった。

 

『……声援で、正義の味方は強くなる』

「応とも。ったく、子供の頃に見たヒーローショーみたいじゃねぇか」

 

 片手に銀剣。銘を【絶対裁姫 アストライア】。

 片手に倭刀。銘を【怨嗟連鎖 シュプレヒコール】。

 宙に魔導書。表題を【幻想魔導書 ネクロノミコン】。

 腰に水晶剣。銘を【七天抜刀 ギャラルホルン】。

 燕尾服はボロボロで、そんな身なりで仕える人間は先ず居ないだろう。

 手甲と単眼鏡も携えて、正義の味方が吼える。

 だがもう、その手にあるのは銀剣に非ず。倭刀に非ず。

 ――御旗だ。

 

「蒼く、仰げば尊く。我等が魅せるは正義の為に!」

『枷にて奪ったその力、高く付くぞ(、、、、、)!』

「万倍返しだ。情状酌量の余地もねぇ!耐えてくれるなよ諸悪の王!」

 

 旗――第3形態【Cross frag】で発動出来るスキルは一つだけ……その筈だ。

 ならば白い極光ではなく蒼く淡い光を放つアレは何なのだろうか……!!

 淡い光が集約する。揺らめく旗が、燐光に包まれる。蒼く、ただ蒼く。紋章学のアズールを示す黒白を蒼く染める。

 分かり切っていた事だが、あれは《揺らめく蒼天の旗(アズール・フラッグ)》では無い。そう、それは――

 

 正義の味方の放つ、正義の味方にとってなくてはならない、必殺技だ。

 

「『《仰げば尊き正義の断片(ライト・フラッグメント)》!!!』」

 

 エイル・ピース。彼は後に語られる。

 世界でただ一人。正義の味方の放つ極光に、二度も呑まれた者として。




《鏡纏いて謎を紐解け》
 ミラーコート
 自身を除く味方パーティー全員のステータスを固定倍率で上昇させる【真理解答 マジックミラー】のスキル。

《鏡に映せぬ七つの呪い》
 セブンス・マッドナイト
 対象一人(一体)のステータスを固定倍率で低下させる【真理解答 マジックミラー】のスキル。

《考える脚》
 バラバラボトム
 《轢かれた脚は此処に(テケテケ)》使用後のみ発動できる(つまりそれは【テケテケ】的には矛盾を孕む訳だが)【上半怪異 テケテケ】のスキル。
 切断された下半身が『繋がっているかのように』動く。
 神経等が遠隔で繋がるらしく、下半身と上半身が別れていながらも自分自身で動かす為に見た目以上に操作は難しい。最低限日常生活で鍛えられるものではないだろう。

《仰げば尊き正義の断片》
 ライト・フラッグメント
 第3形態【Cross flag】にて放つ、追加された(?)第2のスキル。
 fragmentとflagがかかっている事は一目瞭然である。

( ✕✝︎)「セムロフの説明雑くね?」
( °壺°)「気の所為」


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第八十三話

 消し飛ばした。

 何一つの比喩無く。嘘偽り無く。

 万物万象、それこそ『平等』に。

 消却の光は悪の王を呑み込んだ。

 アウゲイアスの牛舎のように。

 

 だが、その希望さえ、愚弄したのがエイル・ピースという者だった。

 そう、化け物は耐えたのだ。絶えなかったのだ。

 

「かっ……はっ……!!いやまさか……これ程とは思っていなかった。言いぶりからして『元々のステータスから減少している分の何倍かを攻撃力にして放つ』ものと思っていたが……あぁそうか、【探偵】がバフを解除して何かしらしていたかと思えば……【デルピュネー】で奪った分から、追加で引き去るとはな……よくやる」

 

 カタルパは舌打ちする。自分達が放てる最強の一撃を耐えられる……事は予想していたにせよ。満身創痍とは程遠い訳では無いが、五体満足という事には、自分の元々のステータスの低さに落胆せざるを得なかった。

 アイラを押し倒して《天地均し響け、終末の笛の音よ》を使わせるよう頼むべきだったか。それは愚策にも程があるのだが。

 そんな事よりも、重要なのは耐えたという点だろう。

 《仰げば尊き正義の断片(ライト・フラッグメント)》の効果は言われた通りだ。減少しているステータスの合計値の数倍(倍率は二倍から上限無しで自然数倍率)を攻撃力と扱って光弾(今回は光弾どころではなかったが)を放つスキル。辺り一帯の最高値を攻撃力に換算して光弾を放つ《蒼天揺らめく旗(アズール・フラッグ)》とは似て似つかない。

 似て非なるスキル。追加されたのかどうなのかは本人にしか分からないが、第3形態到達時に、秘匿されていたスキルがあったのだろうか。

 それらがどうあれ、今みるべきは事実。

 《仰げば尊き正義の断片》が発動されたと言う、事実だけ。

 肩で息をするエイル。暴龍同士の喰らいあいが、一旦停止する。エイルが【アジ・ダハーカ】を呼び寄せ、アルカが【イグドラシル】を――《虹に繋がれし九極世界(イグドラシル)》を引き寄せたからだ。

 

「そうそう、私の必殺スキル、《三種の辛苦(アジ・ダハーカ)》は『死の概念を付与する』という意味不明なスキルだが……果たしてそれを自分自身に使った時、どうなるだろう?」

 

 ――【龍幻飛後 アジ・ダハーカ】はTYPE:ラビリンス単体(、、)ではない。

 TYPE:ラビリンス・ギア。

 迷宮にして、これは騎乗用のモノだと言う。

 

「まぁ、答えは神のみぞ知る……いや、それだとそこの鎖の少女は知っていなければならないかな?否、君はこの世界の(、、、、、、、)神様ではないのだった」

 

 答えを聞かせない。エイルの一人語りが止まらない。

 

「さて、答え合わせだ。勿論『どうなるか』が問題だ」

 

 悪寒が四人に駆け巡った。

 ある者はデバフを解除して味方全体に強化をし、ある者は下半身で上半身をエイルに向けて轟速で蹴り飛ばし、ある者は暴龍をけしかけ、ある者は刀剣2本を手に駆け出した。

 

 ――だが、遅い。

 

「《三種の辛苦(アジ・ダハーカ)》」

 

 暴力が、目を覚ました。

 

□■□

 

 ゲームにはよくある事だが、ストーリーのラスボスというものは大抵、第2段階が存在する。

 今回はたまたま、その第2段階が、【龍幻飛後 アジ・ダハーカ】そのもの(、、、、)だっただけの事だ。

 それが、どれ程の意味を持つのか――それを正義の味方が知る由もない。

 

□■□

 

 吹き荒れる暴風。そこにエイルの姿は無い。【アジ・ダハーカ】の中に、彼はいる。

 《三種の辛苦(アジ・ダハーカ)》その真髄は、『己が迷宮内に自分自身を押し込む』事だった。

 迷宮にして騎乗の道具。

 然らばエイル・ピースはさながら、クノッソス宮殿の牛の王。

 だが彼等にアリアドネの糸は無い。

 【イグドラシル】の暴龍でも拮抗がようやっとだった化け物が、生物的な意志を持ったのだ。

 動物的直感でのみ動く今までの【アジ・ダハーカ】とは違う。

 思考する敵。

 正義の味方の()としてはもっともだが、だがそれでも。

 正義の味方に敵対するには、物理的にも精神的にもその存在は大き過ぎた。

 

『さて、エクストラステージ……否、第2ステージ、かな?』

 

 響く声が平静を削ぎ、狂気の淵へ立たせる。

 苦痛、苦悩、そして死。

 それらが意志を持って、カタルパ達をゆっくりと。

 だが確実に食んで。食んで。

 

 食い殺した。




( °壺°)「次回の為に今回は短め!」


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第八十四話

 ミノタウロスの伝承……遥か昔、ギリシャ神話に記された、勇者テセウスの物語。だが、今回綴られるのは、語られるのは、そんな勇者がいる英雄譚では無い。正義の味方しか居ない、冒険譚だ。

 道標(アリアドネ)の無いハードモード。

 ここで【諸悪王】を沈めたならば、彼はいずれ第六門にて猛威を振るう事になるのだろうか。

 ――第六門は、『この世界』には、ありはしないのだろうが。

 それと同様、ミノタウロスの伝承は『この世界』には存在しない。

 そもギリシャ神話と呼ばれる神話体系も、況してやそのギリシャと呼ばれる国すら存在しない。

 だがギリシャ神話の産物であるアストライアが【絶対裁姫 アストライア】として存在し、同じように『この世界』には存在しない拝火教の教典、『アヴェスター』に登場するアジ・ダハーカが、【龍幻飛後 アジ・ダハーカ】として存在する。

 どちらも、否、【マジックミラー】も【イグドラシル】も【テケテケ】でさえも。

 存在しないが存在している。

 『この世界』に元々あった神話は、“化身”の襲来で退廃したという。

 では『存在しない神話体系』はどのように流布されたのか、退廃したのか。

 或いは彼等(ティアン)にとって、それ等は――

 

□■□

 

 眼を開くと、そこは薄暗い洞窟のようだった。

 喰われた記憶がカタルパにはある。であれば、ここはあの邪竜にして蛇龍の腹の中という事……細長い形をしているのを見るに、首の中途かもしれないが。肉の壁が延々と、トンネルのように続いている。咀嚼され、噛み砕かれたという記憶もありはするのだが、今こうして見える世界が死後の世界で無いのであれば、どうやら幻想であったようだ。

 

「不思議と血肉の臭いはしませんね……」

 

 声がして振り返れば、カタルパの背後にはセムロフが居た。だが逆に、他の二人は居ない。

 となると三つ首それぞれに等分配されるように別れた、のだろう。

 此方の人数が4人であった為にこのように、一つだけ二人のグループが出来たと思われる。

 【アジ・ダハーカ】の首はそれぞれ苦痛と苦悩と死を示す。

 死の首に食われたら死ぬ、みたいなお話があるならば、アルカかミルキーのどちらかがそうなったと言うのなら、笑えない。

 残念なことに、喰われた事は理解していても、どの首に喰われたのかは分かっていない。つまり自分達がその『死の首』に喰われた可能性も、多分に有るという訳だ……分かったところで覚悟が出来るか否か程度の違いしかないが。

 セムロフは恐怖に屈しやすいが――それについては《三種の辛苦(アジ・ダハーカ)》を喰らった時に分かってはいた――それを克服出来る。

 彼女は『疑心』の持ち主ではあるが、庭原 梓、天羽 叶多、カデナ・パルメールのそれとは違い、智力や武力、勇気を有していない訳ではない。

 勇気と武力のないカタルパにとって、それはどれ程羨ましい事か。

 『持っていない』ものに憧憬を抱くか嫉妬心を抱くかはその者によるがカタルパの場合、運が良いのか悪いのか、憧憬を抱く方であった。

 だからカタルパは、それには憧れている。疑いながら、智力と武力を有しながら、前に進む勇気も持ち合わせているのだから。

 それが本来の、そして普通の人間の姿である事に、カタルパはいつ頃気付くのか。

 ――神のみぞ知る、と片付けておこう。

 改めてカタルパ達は辺りを見回す。マッピングは重要だ。

 

「自分に使うと、自分自身が【アジ・ダハーカ】を乗っ取り、その【アジ・ダハーカ】が迷宮になる……そういう解釈でいいんですか?」

 

 セムロフのその見解に、カタルパは首を捻る。

 

「いや、それは違う……かな」

「と、言うと?」

 

 煮え切らない返答に、半ばイラつきながらもセムロフは続きを促す。

 

「問題はそこじゃない……と言うかそれは問題視していない。俺達は別れた。ならまたどこかで合流出来るだろう。三つに別れたってのはラビリンスと名乗るならば不可解だが。とにかく……奴はその地点にいる筈だ」

「つまり……彼は【アジ・ダハーカ】に呑み込まれた(、、、、、、)んですね?」

「そう。だからこいつは迷宮(クノッソス)になったんじゃなくてなっていた(、、、、、)……んであいつは、迷宮の主(ミノタウロス)になったんだ」

「えっと……だとすると、私達は糸を持っていませんが」

「元より倒せるか否かだよ。出た後の事を考える事が出来たアリアドネとテセウスには脱帽だ」

 

 出る事が叶わないかもしれない。

 カタルパ達は今、迷宮に閉じ込められている。

 迷宮なのに、その最果ては別れているかもしれないという。

 三つの道が合流する(、、、、)という事はその地点から見れば一本道ではないということだ。

 ラビリンス――迷宮というのであれば、本来一本道である必要がある。

 そういう点に於いて、アリアドネの糸は本来必要無い。

 別れ道のない迷宮で、迷う事は有り得ないからだ。前後が分からなくなるならば別だが。

 迷宮を抜ける為には迷宮の全ての路を通る必要があると言うのに……首が三つに別れている【アジ・ダハーカ】の中身が迷宮になっているのであれば……それは、どういう事なのか。

 

 迷宮と迷路は違う。

 路が別れるか否か。

 通り路を全て通るか否か。

 ラビリンスとは迷宮だ。

 だが【アジ・ダハーカ】のコレは……迷路だ。

 路が別れていて、未知の領域が生まれている。

 

 TYPE:ラビリンスと名乗る〈エンブリオ〉内にある迷路。

 矛盾にも等しいそれに、カタルパは混乱を隠せない。

 全ての路を通れない迷宮。

 別れ路のある迷宮。

 ここにあるのは無秩序な、迷宮ならざる迷宮。

 迷宮型の迷路。

 無論、TYPEに於けるラビリンスは本当に迷宮を意味している訳ではない。だから、名義はそれで中身が迷路でも、何ら問題は無い。

 その二つの概念の差異ですら、エイル・ピースは愚弄している。

 何処へでも、何処までも。玩弄して使い潰す。

 エイル・ピースにとってデンドロは……二つ目の遊び場でしかないのだ。

 

「舐められてんなぁ……」

 

 世界を敵に回すような思想。いや、回している思想。

 それ故の――悪。

 エイル・ピースは、中途半端も何も無く、ただの悪だった。悪質な、悪意しか無いような、悪。

 己が何かしらの悪を成す事に意味を見出すのではなく、何かしらの悪を成す己に意味を見出している。

 矢張り正義の味方とは、相容れない。

 

 手段は無い。目的しか無い。だから手段を選んでいられない(、、、、、、、、)

 正義の味方は、エゴの塊でなければならないから。

 世界平和の為。復讐の為。

 理由は何であれ、そうした目的の為に手段を選ばない。

 それが正義の味方だ。

 対話が出来ないなら、戦争しかないのがこの……いや、この世界ではなくとも、世界の必定なのだから。

 

「カタルパ?独り言は終わりましたか?」

「元から殆ど口にはしてねぇよ。兎に角……ラビリンスとは名ばかりの迷路なのは分かった。だとしたらハズレの道も少なからずある筈だ。慎重に行くぞ」

「…………えぇ、分かり、ました」

 

 セムロフは何か納得行かない所があるのか、不承不承といった感じで着いて行った。

 

■ 別ルートその一

 

 一人きり、という事に少年は慣れている。

 元より人間とは一人である事も知っている。分かり切っている。学生にしては老けた価値観ではあるが、正しいのもまた事実。群れる事を好かない、いや出来ないカデナ・パルメールにとって、デンドロという世界もまた、生きるには辛い。

 アズール()が居るのであればオールオッケーな価値観の持ち主でもあるので、その辛さは梓、この世界でのカタルパがいる事で強制的に解消されているが。

 

「また、多分会えるんだろうけど……デスペナになるのも不正解だろうし……どうしたらいいんだろ?」

 

 勇気しか持ち合わせていない少年にとって、考え事というものは難しい。学校に行かない理由の一つが、勉強が分からない、というものなのだから。

 義務教育程度の学習能力であれば備えてはいるのだが、如何せん元々スペインの生まれである為、日本の価値観とは結びつけづらい所もある。

 そんな蛇足、無駄な補足を置いて、アルカは取り敢えず、と進んで行く。

 未知に対しての絶対耐性、勇気を持っているが故の所業と言えた。

 途中の別れ路も、逡巡こそすれ、立ち止まる事は無かった。

 止まらない。止まれない。今更止まれる場所などない。止まる事など有り得ない。

 アルカ・トレスがカタルパ・ガーデンとミルキーと釣り合う(、、、、)為には、勇気を持ち合わせていなければならないから。

 そうでなくては不平等になってしまう。

 対等でくなって、隣に居られなくなってしまう。

 そうなってしまったら、アルカ――カデナの『何か』が絶対に壊れる。

 それだけは、自信を持って言える。己の破滅を、勇気を持って誓って言える。

 自分はアズール無しでは生きられない、と。己の依存を独白する。

 

 そうして止まらなかったからこそ、少年は辿り着く。

 

「…………どうしたらいいかなぁ?」

 

 半径三十メートル程の半円型の空洞。自分が来た路以外に二つの路が見える。ここは三叉路。

 そして中央に誰が立っているのかは、言うまでもなく。

 

「先に倒したら、ここが壊れちゃうとか、無いといいんだけど……あ、無理だ。育つ環境じゃないや、ここ」

 

 言いながら【司教】の少年は壁にもたれかかる。初めから勝機が無いと分かったらしい。

 

「取り敢えず、待ってていいかな?」

 

■別ルート その二

 

 上半身と下半身が繋がっている事に気付く事から、迷宮探査は始まった。

 《轢かれた脚は此処に(テケテケ)》の発動の為に切り落とした半身は、デスペナにならないと解除されない。若しくは《轢かれた脚は此処に》を解除した後に治療する以外に無い。

 記憶の中で解除した覚えは無いし、無意識の内に解除出来るものでもない。

 ならば死んだのか、と腹を摩る。

 だが視界に入る金髪は天羽 叶多のものではない。

 自分が纏っている装備も、現実世界にあるものではない。デスペナには……なっていないようだ。

 死んだが、死んでいない。

 

「私、【死兵】はビルドに突っ込んでないし……少なくともあれは、10秒だし……それにそれはデスペナとは違うか」

 

 じゃあ、どういう事だ?と改めて首を捻る。

 

「ラビリンス……でもテリトリー系列じゃないなら別世界みたいな線は無い……幻想、幻覚の類かしら?」

 

 それならば合点がいく。そもそも《三種の辛苦(アジ・ダハーカ)》というスキルは、此方に死の概念を付与する為に自分達に幻覚を見せてきたのだから。

 

「あれは幻覚じゃないんだっけ?あれが【アジ・ダハーカ】の内部と仮定するなら、私がいるこの場所も、食われて入った内部の筈。二つに差異があるのはおかしい……」

 

 智力は無い。だがそれは思考不可能、と言うわけではない。

 況してや庭原 梓を長い事追いかけ続けた人間だ。彼の思考が伝染る事も、有り得てしまうのだった。

 

「だとしたら……このお腹の件もそうだけど、やっぱ幻覚の類である可能性高いわねー……」

 

 ならば解除条件は何か。頬をつねれば良いのだろうか。

 気絶する、というのも良い手だが、諸悪の王との戦いは終わっていない。今倒れれば戦局はあちらに傾倒するだろう。

 

「もう……どうしろってのよ……」

 

 取り敢えず進むしかない。その結論に至るまでそう時間はかからなかった。

 

「使う……必要は無さそう、よね」

 

 手鎌で自分の腹を斬ろうとして止める。

 仮に敵が出て来ても、どうにか出来てしまう実力が今の彼女にはあるからだ。

 慢心の無い武人。

 ミルキーはただひたすらにその路を進んだ。

 矢張り彼女も止まらない。障害は潰す事が出来るから。

 先天的な才能と、後天的な努力の結晶。

 庭原 梓の為に使うと決めた力を、現実世界で使う事は結局無かったけれども――その力が、今は必要だ。

 必要とされているならば、なりふり構わずその力を発揮しよう。

 ミルキー――天羽 叶多に出来る事など、初めからそれくらいだ。

 それ(武力)だけが、天羽 叶多に残されたモノなのだから。

 

□■□

 

 迷宮とは名ばかりの迷路を、二人は進む。厳密には宙に浮く魔書と十字の銀剣がある為に二人きり、とは言い難いが。

 

『肉の壁、と言う割に、どこか無機質だな』

 

 ポソリ、と【幻想魔導書 ネクロノミコン】のネクロが零した。聞こえるか聞こえないかの瀬戸際、届いたのは偶然だったのだろうか。

 

「無機質?生物的じゃねぇって事か?」

『そう……とも言えるやもしれん。あの【アジ・ダハーカ】のTYPEはラビリンス・ギアなのだろう?乗るなり乗り込むなり、そうした機構が元からあった訳だ』

「つまりアレか?あいつだけ『初期位置が集合地点』みたいな事が有り得るのか?」

「迷路の中に裏道がある、というのはよくある話でしょう」

 

 それもそうだが、とセムロフの言葉に頭を搔く。そういう掟破りはアリなのだろうか、と少し不満気だ。

 

『確かに裏道というものは、或いは裏技というものはあって然るべきだろうけれども、あれかい?カーターは正攻法じゃないとダメなのかい?』

「そういう訳でもねぇんだが……なんか、諸悪の王にしては、狡いな、と」

「『『狡い、ねぇ…………』』」

 

 異口同音に三者が唱える。

 “不平等(アンフェア)”が今更何を言うか、とセムロフは今にも口にしてしまいそうだ。

 アイラもネクロも、『正攻法からは遠いだろうに』と苦笑している。その一端を担う者達なので、片端から否定してはならないのが彼女たちなのであった。

 

「…………セムロフ」

 

 カタルパの空気が変わる。『終わり』が近い事を何となく悟ったのだろう。

 その察知能力とも呼べるそれは、【ミスティック】の時にも発揮された、スキルとしては存在しない【アストライア】の力だ。

 

「ようやく、ラストステージですか」

「手中どころか腹の中が舞台ってのには笑えないがな」

 

 冗談めかして言うものの、余裕はない。元から余裕なんてものは存在していない。

 必殺スキル、《三種の辛苦》の効果はまだ持続している筈だ。ならば矢張り、『何が起こるか分からない』。

 それでも、いやそれだからこそ、前に進む。前に進むしかないから。今更引き下がれるものか。

 いや、それも違う。

 引き下がってしまったら、正義の味方が正義の味方でなくなってしまう。

 

「いやホント、なんでヒーローってのは、諦めが悪いのかねぇ」

「それは、逆ではないですかね?」

「……と言うと?」

 

 路の終わりが近いと言うのに、真剣味の欠けた会話だ。

 セムロフの回答が気になってか、立ち止まり、振り返り、セムロフと目を合わせる。

 

「逆なんですよ。ヒーローだから諦めが悪いんじゃなくて――」

 

 何度も言われた、言ってきた『逆』。

 

「諦めが悪いから、ヒーローになれるんですよ」

 

 今更、それに意味を見い出せた気がした。

 救われた気さえした。

 英雄。正義の味方。

 庭原 梓とカタルパ・ガーデン。

 二人の違いが明確になってくれた。

 

英雄(庭原 梓)は諦めてはならない」

 

 カタルパは、再び視線を前方に戻した。セムロフからは、どのような顔をしているかは窺えない。

 

正義の味方(カタルパ・ガーデン)は諦めが悪い」

 

 二人の違いを、ただ簡潔に述べる。

 

「矢張り俺は『僕』にはなれない。いつからか別れた俺達は、矢張り相容れる事は無い」

 

 自分に……自分自身に言い聞かせている。それがセムロフには分かる。庭原 梓の劣化品としてのカタルパ・ガーデンではない。

 見事な棲み分けによって隔離させた、他の誰でもない、誰の代わりでもないカタルパ・ガーデンが、そこに居る。

 

「正義の味方が諦めが悪いなら……やっぱこういう苦境は必要だよな。そう思わないか、諸悪の王様」

「そう思うよ。正義の味方」

 

 開けた空間。その中央に彼はいた。

 その姿は今までとは違った。

 先ず生傷が無い。戦い抜いてきた証である傷口も、破れた衣服ですら元に戻っている。

 エイル・ピースの、本来の姿がそこにはあった。

 カタルパ――梓には、見覚えのある姿だった。

 

「あー……成程。だから、か。分かった分かった」

 

 嘆息一つ。呆れた態度をあからさまにとっている。

 

「妄執に取り憑かれていたのは、俺じゃ無かったのか」

 

 識っている。俺は彼を識っている。

 知っている。僕は彼を知っている。

 

「だが、あいつじゃあない」

 

 カタルパ・ガーデンの身形が庭原 梓そのものだと言うのなら。

 目の前の人間の身形は――あの日の奴だ。

 

「正体が割れたな、庭原 椿」

 

 告げる。我が母の名を。

 

「あ、バレた?」

 

 対して男、エイルは茶目っ気たっぷりの声色で言った。声帯が男のそれなので、酷く低い音ではあるが。

 

「流石にあいつを真似てると分かれば、誰でも分かる」

 

 推理ではなく直感でそれを理解していた者が約三名、自分の周りに居るとは知らず。

 

「庭原 槐……まさかこの世界のラスボスがそれかよ、クソが」

 

 現実でもデンドロでも最終的に立ちはだかるのが親とは、呪われた運命だ。

 だが悲観はしない。する必要もない。

 寧ろ正面を突っ切ってぶん殴りに行けるのなら。一世一代の親子喧嘩を二度も行えると言うのなら。

 正義と悪が戦えると言うのなら。

 ぶっちゃけ、願ったり叶ったりだ。

 

「愚弄に関しちゃ納得だ。あんたは確かに飄々としているが……あんたは無垢な悪(イノセントイヴィル)だ。何も考えなくても、物事を悪い方向に持って行ける『才能』がある」

 

 自分の智力、親友の武力、友人の勇気、知人の疑心を棚に上げる。多分下ろす事は無い。

 

「どっかできっと分かってた。アイラの反応とかネクロの反応とか、多分あの辺で。でもやっぱ有り得ないと思ってた。でも今なら納得だ。あんたはあいつを模倣する事で、本物のあいつを見つけたかったんだな」

 

 庭原 槐は既に故人だ。ゲームのように簡単に引き継げる訳でもなく、また死んだ後に乗り継ぐ事は出来ない。梓がクローン技術を知るまでもなく、庭原 槐は死んでいる。

 だが、それを易易と受け入れられない人間は、少なからず存在する。庭原 椿はその一人だった。

 

 演じる事で、「何真似てんだ」と本人から言われる事で、『居る事』を証明しようとしたのか、それとも第二の庭原 槐としてこの世界に新たな地獄を生み出そうとしたのか。

 庭原 梓(カタルパ・ガーデン)には分からない。

 分からないが、それが善くない事なのは分かる。

 だから止める。だから潰す。

 そうしなくてはいけない。現実世界でそうしたように。

 

「始める前に、アルカとミルキーは何処だ?」

「アルカ君は頭上にて捕獲中。ミルキーちゃんはまだ迷路の中だね」

「ほぉー……あ、ホントだ」

 

 見上げて存在を確認する。「やっほー」と軽く返されたが、小腸の肉のヒダに挟まっているかのようなあの体勢は、割と余裕がある風には見えない。

 ドーム状の広場には三つの路があり、恐らく三つの首それぞれに繋がっているのだろう。とすれば、自分達が来た路ではない他の二つの内どちらかからミルキーがその内……多分、来るのだろう。

 

「オーケーオーケー。状況は大体理解した。初めから分かってたもんの仔細が今更開示された。それはどーでもいい。俺は正義の味方だ。悪の背景なんざ知るかってんだ」

『問答無用、だね。カーター』

『王国に指名手配されていたかな、彼……いや現実の事を鑑みるに彼女なのか?』

「ちょっと、カタルパ、来ますよ」

 

 話す間にエイルは【オステオトーム】を手にしている。電動鋸にしか見えないそれの詳細を、カタルパ達はまだ知らない。いや、恐らく知る事はない。

 【デルピュネー】に奪われたステータスはそのまま。

 【アジ・ダハーカ】の体内で【ミミクリー】が使えるのかは不明。

 最初から“不平等”な戦いだ。

 

「アルカー、そっからバフ盛れるか?」

 

 頭上からは「多分ー」と返ってくる。山彦みたいだな、とセムロフはどうでもいい事を考えながら、「私もバフ役じゃん」と嘆息する。

 正義の味方と諸悪の王。

 最後の戦いに観客はいらない。

 関係者立ち会いの元、唐突に。

 正義は牙を向いたのだ。




( °壺°)「次回決着ゥ……するといいですね」
( ✕✝︎)「嗚呼、何やったって半端!」


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第八十五話

( °壺°)「先週無断で更新しなかった事を謝罪しますっ!」
( °壺°)「理由はある……んですが個人的な事情なんですいません!」
( °壺°)「次は無いようにします!てか次がある前に完結しそう!」


【数神】カタルパ・ガーデン

 

 世界は意外にも、驚く程にシンプルだ。

 二つの物があり、そこに優劣がある。以上。

 何方に於いても、為す側と為される側がある。加害と被害があり、得るものと失うものがある。プラスとマイナスで、驚く程にフラットだ。

 であれば、正義と悪はどうなのだろう。

 正義が悪の上に則を敷くのか。

 悪が正義の上で胡座をかくのか。

 どちらが上であったとしても、どちらにせよ精彩を欠くものだけど。

 どちらであったとしても、それが誰かにとって正しい事を願う事しか、今は出来ない。

 正義の味方にとって、その裁定の放棄は怠慢もいい所だが仕方ない。

 俺の正義が、誰もが思い描く正義とは限らないのだから。

 

 ――そう言えば。

 【絶対裁姫 アストライア】。絶対に裁く姫。絶対を裁く姫。

 不可逆を圧し折る執念の姫君。

 彼女の元ネタと言える正義の女神様。

 女神様の掲げる『正義』ってのは、一体どんなものだったんだろうな。

 

□■□

 

 鎖が掠める。炎弾が炸裂し、衣服を焦がす。

 諸悪の王の焦る顔、正義の味方のしたり顔。鋸の駆動と鎖の蛇行が重なり、火花を散らす。

 今、俺は今までで一番『正義の味方』をしている。

 そう思う。きっと、銀剣も頷いてくれるだろう。鎖を放出し続ける刀剣も納得してくれるだろう。

 この正義に、水晶の剣は頷くだろうか?

 ――この正義は、正義の女神に届くのだろうか?

 

「《廻り巡る断絶の牙(オステオトーム)》」

 

 諸悪の王は、その思考を断ち切りに来た。

 駆動音があからさまに変わる。過剰に廻る鋸が悲鳴をあげる。それと競り合う【怨嗟連鎖】の鎖が火花を散らす。

 どうやら、シンプルに攻撃力を上げるスキル……らしい!いやまだ確定はしていないが。

 腕に当たったらミンチになるだろう。風を裂く刃の駆動が、それを示唆してくれる。

 

「切る。斬る。――KILL」

「おっと、()()()()かよ!」

 

 矢張り血は争えない、のだろうか。いや、俺は……『僕』は庭原 椿という人間を母親と認めた事は無いんだけども。

 それでも、そうした世界が変わる事によるスイッチ。『僕』と俺みたいに。エイル・ピースとしての奴と、庭原 椿としての奴が、混在しているのかもしれない。

 

 別れたのは、【アジ・ダハーカ】の顕現の前か後か……今の奴を見るに、後なんだろうが。

 庭原 椿の根底は無垢な悪(イノセント・イヴィル)であり、その本質を、少なからず【アジ・ダハーカ】も有しているからだ。

 別に、だからと言ってエイル・ピースはいかなる悪を有しているのかは知らない。

 だが悪なのであれば。正義の上に胡座をかくのであれば。

 

 俺は、どうであれ倒さねばならない。

 何をしても。何がなんでも。

 正義の味方は、()()()()()()()正義の味方でなくなってしまうから。

 正義の味方が正義の味方である為に、悪というものは必要なのだ。

 その観点からすれば、悪というものは例外なく「必要悪」と呼べてしまうものなのかもしれない。

 俺の視点から見れば、どんな悪でも、差異なく必要悪なのかもしれない。

 多少の違いを受容して、それに叛逆する。ただそれだけの機構。

 ――それが、正義の味方。

 美学などではない。ただ、それが生き様で、生き甲斐で、生きる意味、つまり使命なのだろう。

 俺という存在は、矢張り危機感以前に使命感が突出しているようだ。

 

 ――今の俺が知っている情報ではないが、乙女(メイデン)とは危機感の産物であり、使徒(アポストル)とは使命感の産物であるそうだ。

 ならば俺の傍らに居るべきは、乙女ではなく使徒であるべきだったのではなかろうか。

 何故、危機感の産物なのか。

 その正義の味方足り得る為の使命感よりも、もっと先に、危機感を抱いたのだろうか。

 その問への回答は、イエスだ。

 俺は――あの時『僕』だったのだから。

 英雄がいるのであれば、悪は必要とされる。

 あの日、降り立った日に理解していた。

 奴は言ったのだから。

 『英雄になるのも魔王になるのも、王になるのも奴隷になるのも、善人になるのも悪人になるのも、何かするのも何もしないのも、<Infinite Dendrogram>に居ても、<Infinite Dendrogram>を去っても、何でも自由だよ。出来るなら何をしたっていい』――と。

 なら、『僕』は魔王と敵対すべきだったし、俺は悪人と敵対すべきだった。

 だが、『僕』は間違えていたから。

 悪への危機感を抱いていた。

 自分が倒さなければ蔓延してしまう、という危機感を少なからず抱いていた。

 両親と言いたくはないが、あいつらから生まれ落ちたが故の悪への嫌悪感は、第二の自分を作ってはならないという危機感だ。

 だから彼女は乙女(メイデン)だ。

 今も、これからも。

 それだけでいい。

 それだけで、構わない。

 彼女が彼女である理由。

 俺が俺である理由。

 それさえあれば。それがあるならば。

 正義の味方は、正義の味方で居られる。

 

□■□

 

 無力を、無意味を証明しよう。

 俺がここで、【諸悪王】を打倒しても、三日後、同じ地獄が繰り返される事を証明しよう。

 【諸悪王】を淘汰しても、新たなる悪が芽吹き、俺達に敵対する事を証明しよう。

 証明をするその為に、銀剣を振るう。

 鎖が再び掠める。炎弾を含め、これで三度。

 《愚者と嘘つき(アストライア)》の種は割れている。これ以上の被弾が、回復した所で取り返しが付かなくなるだろう事を、奴は理解している筈だ。今はまだ三度であれ。この先上限無く増える【刻印】は脅威でしかない。

 そんな状態で《愚者と嘘つき》を起動した後に《怨嗟の感染(シュプレヒコール)》にて放つ《仰げば尊き正義の断片(ライト・フラッグメント)》を受ければ――しかも【デルピュネー】によるステータス奪取が今なお継続されているこの状態で――デスペナルティは避けられない。

 だから、何かしらの対策がある筈だ。《仰げば尊き正義の断片》使用時に【デルピュネー】で奪取したステータスを返す、とかな。

 やり方はいくつかある。だが何をするかは予想が出来ない。

 相手が何をするのであれ――此方の手は変えない。緩めない。

 

「記憶を消去。対象は《紅炎之槍(ヒート・ジャベリン)》」

『了解。発動タイミングは?』

「3秒後だ」

『――――起動』

「『《架空の魔書(ネクロノミコン)》』」

 

 1番使ってきた、それ故に記載されている中では最も記憶されている量が多い魔法、《紅炎之槍》を消去する。

 《架空の魔書》により召喚出来る最大時間は10秒程。

 【実在虚構 ヨグ=ソトース】は、絶対的な防御力を誇るが、それ以外に能がない。

 攻撃は出来ない。強化も弱体化も無い。ただそこに『存在しないが存在する』曖昧なモノ。

 それが、顕現した。

 

『――――――――』

 

 陽炎のように揺らめきながら。無音の咆哮をあげながら。それはその姿を瞬時に現した。

 そして。それに【諸悪王】の視界は覆われる。

 俺の動作を、ほんの数瞬見失う。

 【ヨグ=ソトース】が顕現しているその10秒の内にその曖昧な存在を駆け上がる。

 頭頂から旗を手に跳躍する。目下にあるのは諸悪の王。

 

「《噛み砕く牙は蝕みて(デルピュネー)》」

「《仰げば尊き(ライト)――

 

 俺の行動を理解していたというのだろうか。

 【ヨグ=ソトース】に見向きもせずに、俺を、睨みつけている。

 

「《猿真似は元来を越える(ミミクリー)》」

正義の(フラッグ)――

 

 理解していたのだろう。彼(中身的には彼女だが)の動きは規則的だ。

 

「最()だ。《骨を折り肉を断つ刃(オステオトーム)》」

「――断片(メント)》ッ!」

 

 最大戦力が炸裂し、俺は――『僕』はその日初めて。

 

 親子喧嘩をした。




( °壺°)「先週休んだ分長い、訳でもない」


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第八十六話

( °壺°)「1日おーくれーましたー」
( °壺°)「あと少し訂正」
( °壺°)「なんと言うか、合わせよう、と思いました」


 三つの装備スキルを併用して尚、たった一つの必殺スキルには届かなかった。

 結論だけを言えばそうだった。

 何処まで模倣しても究極の一には辿り着けないように。

 何処まで高みを目指しても、その頂きには届かない。

 無い場所には辿り着けない。存在しない絶対正義には至らない。至る事は出来ない。

 正義の女神、アストライア。()()()()()正義の概念を司る神様。

 彼女の口から出るもの全てが正義であり、その言動と天秤にかけられるもの、それこそが悪である。

 天秤にかけられた時点で、善悪は決している。二元論のように決まっている。故に彼女の正義は、どうあれ正義である。狂気染みた、凶器の塊のようなものだとしても。

 だからこそ、正義の女神と同じ天秤にかけられる、その時点で運命は――

 

□■□

 

 【オステオトーム】には、二つの装備スキルが存在する。

 一つは《廻り巡る断絶の刃(オステオトーム)》。

 もう一つは《骨を折り肉を断つ刃(オステオトーム)》。

 何方も読み方が同じ事から同一のスキルが分裂したのだ、と入手当時のエイルは考えていた。

 だが逆だった。何がと言われれば、発想が、だろう。

 オステオトームはそのスキルによって、夫々から見てもう片方のスキルが、()だったのだ。

 つまりオステオトームは《廻り巡る断絶の刃》若しくは《骨を折り肉を断つ刃》の使用により、逆回転するのだった。

 逆回転するという事はどういう事なのか。分かった当時のエイルはそう考えた。通常の駆動をそのまま加速させる動きが《廻り巡る断絶の刃》で、それが逆に駆動するのが《骨を折り肉を断つ刃》だった。

 高速起動する電動鋸は一見逆回転か否かの判別が出来ず、また逆回転だからと言って何か切れ味などそうしたものに違いが生まれる訳でもなかった(逆回転をしても切れ味が変わらない、というのは現実的には些かおかしな話ではあるが)。

 モンスターを切り倒し、ようやくその違いを理解した。

 《廻り巡る断絶の刃》は『廻れば廻る程に使用者を強化する』刃であり、《骨を折り肉を断つ刃》は『廻れば廻る程に敵を弱体化する』刃である事に。

 逆回転であるが故に、与える結果も逆になる。

 『永久駆動』。それこそが【結合祖式 オステオトーム】という〈UBM〉の命題だった。

 廻れば廻る程に強くなる刃と廻れば廻る程に弱くする刃は、ある意味その究極形である。

 無限ではなく永久。その違いは〈UBM〉たらしめる『何か』の否定に相違ないが――今となっては、その真相はエイル自身にすら図れない。

 

□■□

 

 【監獄龍姫 デルピュネー】は上半が人で下半が龍の化け物だった。接触当初、人のサイズであった為にその時はエイルも人と見間違えた。

 だが、明らかに人語は話しておらず、かと言って意思疎通も図れなかった。人に擬態したモンスターと違わなかった為にエイルは武器を取った(結局は【アジ・ダハーカ】による蹂躙だが)。戦闘に入り体積が肥大化し、神話の再現もかくや、という大激闘を繰り広げたのは、永久に語られる事は無い。

 そうして手に入れた【禁牢監叉 デルピュネー】は枷だった。

 対象の能力を奪取し、封印する。正しくギリシャ神話のデルピュネーであった。仮に丸々その通りならば、結局は奪い返される末路だが。

 《噛み砕く牙は蝕みて(デルピュネー)》は伝承通りとは言わないが、奪い取ったステータスを相手に返す、というスキルだ。

 ステータスが対象に返還される方法はエイル自身がデスペナルティになるか、このスキルを使用する以外に方法は無い。

 そしてまたこのスキルも、ただ返す訳ではない。勿論オマケ(いらんもの)が付く。一定時間解除不能の【下半身不随】だ。それは神話にて脚の健(一応は手脚だとされる)を切った事からその効果があると思われる。

 その特性上、手脚ではなく脚だけが不随となる為に【上半怪異 テケテケ】とは相性が悪い事となる。偶然の産物ではあるが。《考える脚(バラバラボトム)》使用中であれば影響はあるにはあるだろうが、まぁそれは蛇足だろう。

 何故手を自由にさせてしまうのか、とエイルは今迄も何度か嘆いたが、特典武器になった際の調整の仕業、と言う事で納得せざるを得なかった。

 

□■□

 

 【拮抗障武 ミミクリー】はエイルが初めて討伐した〈UBM〉だった。

 故に【転移模倣 ミミクリー】はエイルが初めて手に入れた特典武具という事になる。

 フィルム状の薄っぺらいものを戴いた時には正直舐めているのかとも思ったが、自分自身を〈ティアン〉に偽装出来る事に気が付いてからは――寧ろ本質は其方であったのだが――【オステオトーム】に次ぐ愛用の武具となっている。

 【ミミクリー】で己を偽り、【デルピュネー】で人質(ステータス)()り、【オステオトーム】で純粋に脅す。

 正しく諸悪の根源であり、【ミミクリー】はその第一歩であったとも言えた。

 己を〈ティアン〉であると騙っても《真偽判定》をすり抜ける性能付きであり、偽りの紋章を貼り付けておけば《紋章偽装》の完成でもある。

 利便性が高い分、〈エンブリオ〉の使用は出来ず、【ミミクリー】自体にステータス補正は無く、【ミミクリー】そのものは模倣しか行えない。

 そんな【転移模倣 ミミクリー】の装備スキルは《猿真似は元来を越える(ミミクリー)》と言う。

 効果は『対象の使用しているスキルを一部弱体化して模倣する』というもの。

 今回の、《仰げば尊き正義の断片(ライト・フラッグメント)》相手ではほぼ意味の無いスキルだっただろう。

 

 なにせ《廻り巡る断絶の刃》を使用していた為にステータス弱体は入っておらず寧ろ強化されており(そもそも彼等は弱体化を此方には使わなかった)、【デルピュネー】を己に噛ませていた訳でもなかった。

 弱体化して模倣する為相殺出来る筈もなく。

 結果は最早、言うまでもない。

 

□■□

 

 ミルキーが其処に着いた頃には、全てが決着していた。

 旗を杖代わりに立つ正義の味方と、光の塵になり始めている諸悪の王が、そこには居た。

 

「どうも、ミルキーさん」

 

 《噛み砕く牙は蝕みて(デルピュネー)》によりステータス返還が行われた為、確実に威力は落ちていただろうに致死に至らしめたのは、間違いなくセムロフのお陰だろう。《鏡に映せぬ七つの呪い(セブンス・マッドナイト)》の倍率弱体は伊達では無いのだ。

 

「あちゃー、私、出遅れたっぽい?」

「そうですね。恐らくではありますが……いえ、おかしいですね」

 

 セムロフは首を捻る。視線は諸悪の王とこの空間を行ったり来たりしている。

 

「ん……どったのセムロっちゃん」

「彼が……【アジ・ダハーカ】の使用者がデスペナルティとなって消えると言うのに、この空間には何の変化も無いな、と」

「成程ねー……言われてみれば奇妙、かも?」

「……?偉く落ち着いていますね」

「まーねー。さて。《轢かれた脚は此処に(テケテケ)》、《考える脚(バラバラボトム)》」

 

 斬られた下半身のみが壁を駆け上がり、アルカを蹴り飛ばして救出していた。彼がダメージを受けているのは気の所為だと思いたい。

 

「さて、解除されない、と。ふむ……?干渉されてる扱いでログアウトも不可能。どうしたもんかしら」

 

 光の塵への変換は進行している。先程から何も語らないのは不可解だが――それについては正義の味方も含めてだが――着実に、確実に。その身はこの世界から離れようとしている。なのにその〈エンブリオ〉は離れるどころか定着しようとしている。

 

「――かふっ」

 

 漸く、諸悪の王が口を開いた。

 

「いや、はや。見事。そこの女の子無しで勝利するとは、ね」

 

 満足したような、口振りだった。

 

「本当に、初めは一対一なら勝てるだろうと高を括っていたんだが……勝てないものだね。うん。矢張り王は座すれど統治はしない。席を立つべきでは無かったようだ」

 

 独り言のような、辞世の句のような。ただ雨粒のようにポツリポツリと言葉が落ちる。

 

「良い物語では無かった。正義の味方が一心不乱に、このような諸悪の王を……矮小で貧弱な王を、殺すなど……嗚呼、つまらない。つまらないが……人生とは案外、そんなものなのだろうな」

 

 少しづつ、その言葉すらも、虚空へと消えて行く。【龍幻飛後】の内に、泡沫のように浮かんで消える。

 

「餞……餞は……無いか……いや、コレが、そうか……コレが、あったか」

 

 光の塵で構成された腕が、矢張り虚空を掴む。

 それは、自分の塵を掴みに行くかのような。

 何が起きるのかは分からない。

 だが、ハッキリと理解出来たのは。

 

 善くない事が、起ころうとしている事。

 

 光の塵が、宵闇のように黒く染まり、今更ながらに【龍幻飛後 アジ・ダハーカ】が解除されない理由を知る。

 カタルパは()()()()と手を伸ばす。しかし、その手は届かない。

 

 腕がなかった。

 

 一歩でも近付こうと踏み出した。

 

 脚がなかった。

 

 御旗は地に刺さっている。魔書は宙に浮いている。だが、正義の味方は進めない。

 勝利は目前であっただろうに。

 

「《其は玉座を手放し巨悪を敷く(コンシアス・イヴィル)》」

 

 ――――それが、【諸悪王】唯一無二の固有スキルである事をカタルパは知らない。

 だが分かる事がある。

 それから逃がす事も、逃げる事も叶わない事を。

 運命は非情にして残酷だった。

 それは残念ながら、奇遇にも、カタルパが、梓が、初めて知ったことだった。



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第八十七話

 結局、《三種の辛苦(アジ・ダハーカ)》とは何だったのか、分からずじまいだった。

 結論だけを言えば、結論だけを急くならば。多分そんなものなのだろう。或いは何故、エイル・ピース(庭原 椿)は【諸悪王(キング・オブ・オールイヴィル)】になったのか、それもまた分からずじまいだったが……それについては、カタルパは知ろうとも思わなかった。

 

 そんな分からない事だらけの戦いだったが、《其は玉座を手放し巨悪を敷く(コンシアス・イヴィル)》の効果は、よく理解出来た。

 

 身をもって。理解出来た。

 

□■□

 

 ()()()()達は、いつもの草原で目を覚ました。

 ――腕がある。脚もある。

 スキル名を叫ばれた時こそ死を覚悟したものだが……何も起こらなかった訳でもあるまいに……五体満足で帰る事が出来るとは思わなかった。

 手を握って開くを繰り返し、まさか幻想だったのか、とすら思える体験を思い返す。

 《其は玉座を手放し巨悪を敷く》……読み方的には『意識的な(Conscious)(Evil)』か。

 あれの能力は、今この瞬間を見ればどうという事は無い。

 

 ――正義の為に、悪はなくてはならないのだから。

 ――如何なる正義であろうとも、対する悪は必要悪に統一される。

 

 つまり悪は壊滅しても、全滅、殲滅してはならない。

 正義の為に必要とされるから――である。

 

 ならば悪は、玉座を手放してでも、巨悪の為に生き残る。

 

「それこそ敵方(正義)を全快させてでも、生き残るんだろうな」

 

 時間が飛んでいる。意識を失っていたのだろうが、最後に時刻表示を見た、《其は玉座を手放し巨悪を敷く》が発動したその瞬間から、丁度10分で目を覚ますのは、少し出来すぎている。

 カタルパがその五体を確認しきると同時、複数の聞き慣れた足音が近づく。

 

「逃げられちゃったっぽいけど、どうする?追う?」

「僕はどっちでもいいよー」

「罠が仕掛けられていない、とも限りませんよね……」

 

 いつも通りの仲間の反応に、思わず破顔する。

 逃げられこそしたが、正義は勝ったのだ。その事実だけは、変わらない。

 

「そう考えれば、《三種の辛苦》の能力も分かるかもなぁ」

「ふぅん?必殺スキルが?そんな簡単に分かるものなの?」

「あぁ。何せあれの本質は『無垢な悪(イノセント・イヴィル)』だ。ホント、お誂え向きと言うか……態とらしいと言うか。運命のイタズラ、なんて言葉があるが、必然というのは大抵、そういうものなのかもしれねぇな」

 

 唯一無二ならば、絶対ならば。それを必然と言う筈だ。

 にも関わらずそれこそを「運命のイタズラ」と呼称する。

 自分の最早アイデンティティとさえ呼べるそれを、「イタズラ」だと言い切ったのだ。

 それに思うところはあるものの口にせず、ミルキーはそのまま先を促す。

 

「死の概念を付与する、なんてのは表向きさ……ただアイツは、俺達を悪人にしたかっただけなんだ」

「……どういう事?」

「簡単な事さ。脅迫だよ」

「嘘八百だった、という事かい?」

 

 興味が湧いたのか、アルカも会話に参加する。

 

「いや、違うだろうよ。それは本当だろうし、それを己に付与した訳だからあれはあれで決死の行動とも言える。だがな?この世界はどうかは知らねぇけど、少なくとも俺達の世界では、明確な死は設定されていない」

「「「…………?」」」

 

 三者三様に首を傾げる。

 

「つまりな?脳死だろうが心肺停止だろうが、明確な死の線引きなんて俺達の世界には存在しないのさ。だからこそ俺達の認識に於いて、死というものは曖昧だ」

 

 だけどな?と、カタルパは合いの手すら挟まずに続ける。

 

「この世界では【死兵】を除けば大体、明確な死が存在する」

「デス、ペナルティ……ですね」

「そう。あいつの本当の能力はやっぱ分かんねぇけども。アイツは『在るものを在る』と言っただけなんだ。曖昧な価値観を持つ俺達に、明確な共通観念を与えた。嘘八百ではないさ。元からあったものを、さもそれによって発生したかのように言っていただけ。……あぁ、その点では嘘になるのかもな」

 

 つまり、死の概念を付与する、などと言うのは本来の能力を隠すカモフラージュだった、と言う。

 

「思えば初対面でも【ミミクリー】を〈エンブリオ〉と言っていたしな。とことん正直に言わない奴だ。だからこそ結末が見える」

 

 その結末、というものは恐らく《三種の辛苦》についてだろう。

 三人は固唾を飲んでその次を待った。

 

「アイツの、【龍幻飛後 アジ・ダハーカ】の必殺スキルの能力は――

 

□■□

 

 長々と通ろうとしてこなかった道を、梓は通っている。

 だが【ギャラルホルン】の一件の際に一度通った道だからか、なんとなく軽い気持ちだ。

 誰も随伴を許さなかったのは、アレに会わせたくないないからでしかなかった。人生の汚点をひけらかそうとは、梓はしなかったのだ。

 産まれた瞬間に付いた、汚点を。

 扉に手をかけ、無造作に開く。

 

「よぉ」

 

 思えばここで初めて、梓は会話をしたのかもしれない。

 親子喧嘩の果てに。諸悪の王と正義の味方の決着が着いた果てに。

 

 漸く梓は、庭原 椿の眼前に、立てたのだ。

 

「いらっしゃい、梓」

 

 浮かべた笑顔は、諸悪の王のそれとは違い、裏が無いように思われた。

 

□■□

 

「お茶、いる?」

「あぁ、頂くよ」

 

 少しよそよそしいのは、未だ梓が距離を測りかねているからだ。

 家族として、親子としての二人の関係はとうの昔に破綻していた。

 今更その綻びを取り繕おうとするのは、梓の傲慢であり、勝者の特権でもあっただろう。

 

「強かったわね」

「あんたに言われるのは心外だ」

 

 少しづつの、ポツリポツリとした、俄雨のような会話。だが、嘗ての訪問とは違い、確かに言葉によるキャッチボールをしていた。

 

「そう言えば、あの子と結婚、したのよね」

「アイラと?あぁ。そうだよ」

「そう。現実ではどうするの?」

「――は?」

 

 馴れ初めとかを聞かれるのだろう、と話の種(手札)を整えていた梓は、不意打ちを食らった。

 まさかアイラのいない世界での話を振られるとは、微塵も思っていなかったのだ。

 

「えっと……それはどういう?」

「ほら、天羽ちゃんとかいるじゃない?」

 

 ――天羽 叶多は庭原 椿に出会った事は無い。

 

「あ、最近知り合ったっていう桐谷ちゃんでもいいのよ?」

 

 ――狩谷 松斎こと桐谷 晶子もまた、庭原 椿とは出会っていない。況してや今は表向きどころか役所にて本名をそれにしているらしく、庭原 椿が「桐谷 晶子」の名を知る術は無い、筈だ。

 

「カデナ君はやめてね」

 

 そりゃそうだ、と梓は頷く。同性婚は受け入れられつつあるが、風当たりは良いかと言うと首を捻らざるを得ない。

 そうでなくても、梓はカデナのあの盲信っぷりには割と困っている方だ。常に隣に居られると、多分此方が先にイカれる。

 

「…………で、どっから何処まで調べたんだ?」

 

 元、ではあれ奴隷商。人間(商品)の事を隅々まで調べるのは当然の事だ。だがカデナ・パルメールは元奴隷故に情報保持は仕方ないとしても、他の2人は違う。

 一般人である天羽の事は勿論、別の――とは言え真似事であったのだが――場所の奴隷であった狩谷の、況してや本名まで探っているとなると「少し」調べただけでは出るまい。

 

「そりゃ、ね。今でこそ公然と手を後ろに回さずに闊歩出来る訳だけど、私達の過去は、世界の裏と繋がるものだもの。今で尚、その繋がりは完全には絶たれていないわ」

「おい、それはどういう……」

「闊歩出来る、って言ったじゃない。槐さんも居ないのに二の舞はしないわよ。やる気も無いし」

「……そうか。悪い、話の腰を折った」

 

 悪人であれ、元悪人。改心……とは言えないかもしれないがやらないとも言っている。ならば梓の態度は温厚であるべきだ。

 

「あの時の恩は残っている。そんな事を言う人がまだ多くてね。『少し』の情報収集なら機密ですら集めてみせるのよ」

「……成程な」

 

 裏世界だからこそ、裏世界なりのルールがあり、裏世界なりの恩義があり、情がある。

 であるならばきっと、そこまで慕われていた『ニワハラグループ』は、それこそ裏世界の太陽のような存在だったのだろう。

 ――だからこそ英雄に打ち倒された、とも言えるが。

 

「で、その人達の活躍により天羽と狩屋の情報を得たと……よくあいつ(狩谷)の隠蔽を避けて通れたもんだ」

「……そうねー」

 

 椿の声は半ば棒読みだ。それこそ調べるまでもない、とでも言うかのように。どうあれその真相は梓には分からない。智力の化け物であっても、この世界では《強制演算》すら持たないただの人間なのだから。

 

「……まぁ、悪用しない限りは構わないか」

「……梓も変わったわね」

 

 その言葉は、慈愛に満ちていた。もっと前に聴けていれば、それこそかの組織を崩壊させたあの日よりも前に聴けていれば、今すぐにでも英雄としての義務を放棄していたかもしれない、そんな慈愛に。満ち満ちて、満ち足りていた。そこに他意は無かった。

 梓は思わず、目を伏せた。

 

「あぁ……変わったよ。僕はもう、正義の味方だから、な」

 

 英雄は辞めたんだ、とは言わなかった。だが僕と言いながら、その意思は正義の味方(カタルパ・ガーデン)のそれだった。

 『俺』ではなかったが、カタルパ・ガーデンの意思がそこにあった。

 

「うん、やっぱ変わったわね、梓」

「母さんに言われるのは心外だな」

「……ちょっと梓、もう1回言って?」

「……嫌だよ」

 

 テーブルを挟んで相対する二人は、その瞬間初めて、向かい逢えた。

 あの世界を通して、分かり合えたからだろう。

 外では近年稀に見る大雨が降っていた。




( °壺°)「多分、そろそろ……最終回」


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第八十八話

「それで、私……【諸悪王】についてはどれ程分かったの?」

 

 戦いの後の、僅かな静寂。

 勝者()敗者(椿)に相対していた。

 全てを理解した上で、梓はその席に座っていた。

 その問いに対する回答も。或いはこれから行われる会話の仔細まで。

 だがそれは「知っている」だけ。知識として存在するだけで経験として存在している訳ではない。

 どれ程スポーツのルールを知っていても、トップアスリートであるという訳ではないのと同じだ。

 だから梓は答え合わせに来たと言える。ただの推測、知識の上に成り立つ机上の空論を棚から下ろすように現実のものとする為に。

 

「先ず、【龍幻飛後 アジ・ダハーカ】の特性は『精神愚弄』――いや、精神に留まらず、『万物愚弄』或いは『万物翫弄(がんろう)』とでも言おうか」

 

 梓は指を立てる。ピンと立った人差し指は、梓でも椿でもなく宙を指していた。それこそ、今ここに居ないあの三頭の化け物でも指しているかのようだ。

 

「嘲弄なのかもしれないがな。兎角奴の能力は『現実に幻想という一頁を挟み込む』能力。栞のように、明確な悪ではなく、あくまで悪の火種を撒く。幻想をあたかも現実のように魅せられた者は、その区別が付かなくなる。どのような現実であったとしても、挟み込んだ幻想により対象を『閉じ込める』。いやはや、正にラビリンスだ」

 

 椿は瞑目したまま、それで?と聞き返す事もせずに先を促していた。

 

「そしてそこにミソがある。幻想を挟み込み現実を操作する。そこに、な。タネとしちゃ単純なんだよ。何せ挟み込む回数が多くなれば多くなる程に、過半数を超えたその瞬間に、()()()()()()()()()()()()()

 

 理念としちゃサブリミナル効果ってのは近いよな、と梓は続けた。事実は異なるが。

 数瞬挟み込む事で現実に影響を及ぼさせるのがサブリミナル効果の大元に対し、今回のアジ・ダハーカのそれは道を異にする。

 挟み込みまくる事によって現実に強制的に影響を及ぼすのだ。いや寧ろ挟み込みまくる事によって、現実そのものを『挟み込む側』にしてしまい、幻想を『挟み込まれた側』にしてのける。

 現実と幻想の逆転。それ故の『万物愚弄』。

 現実にある全てへの挑発。その全てを幻想に叩き落とすという嘲弄。

 現実を、幻想の中に落とし込み、幻想という檻で囲む。それ故のラビリンス。その上に――幻想となってしまった現実の上に胡座をかく者こそが王。それ故のギア。

 TYPE:ラビリンス・ギアの由来はそんな所だろう。

 本に挟み込む栞のようではあるが、一頁毎に挟み込んでいれば本の厚さを2倍程にする。現実でそのような事をすれば現実の情報量は膨れ上がる。だが挟み込む回数に上限は無い。一冊の本を限られた現実と例えるなら、アジ・ダハーカの幻想は再現なく挟み込む幾枚もの栞なのだ。

 圧倒的な情報の奔流。やがてそれは人間の処理能力を越えて氾濫を起こす。恐らくそれが、【諸悪王】の求めた『悪』なのだろう。

 

「なるほどなるほど。そうして辿り着くのねぇ……なるほど。ご明察」

 

 計3回もの『なるほど』を経て、椿は改めて、本来の質問に手をかけた。

 

「で、どうしてここに来たのかしら?」

 

 ――母親らしからぬ、質問に。

 

□■□

 

 謙遜も誇張も無く、梓と椿、それに(えんじゅ)を加えた「庭原家」の家族関係は、ハッキリ言って最悪だった。

 初代ライダーが如く、悪の中で産声をあげた正義は、その悪の中では生きられない。

 況してやその悪の、諸悪の根源が自らの親と来れば、それに対する嫌悪は、どれ程のものかは、常人に計り知れるものではない。

 人との接し方も、話し方も、愛し方も、何もかもを悪の中で学んでしまった正義は、あまりにも歪で、あまりにも正直だった。

 悪という暗闇の中で、正義は芽吹き、花を開かせてしまったのだ。

 そしてそれは、何かに選ばれたかのようにその暗闇を晴らし、英雄に上り詰めた。

 世界の裏に蜘蛛の巣を張った悪魔――魔王を、打倒してしまった。

 その功績は、剥がれない。こびり付いて落とせない。呪詛のような福音。打倒した事で背負い、祝われる事で重みを増した、烙印。

 

 カタルパ・ガーデン誕生の背景でもあるその烙印は、英雄を変質させていた。

 

 モノクロームの世界で、光を見出したのも、そんな時だった。

 それから嘗て助けた、勇気溢れる友人に再会し、血気盛んな武力行使大好きな親友を得た。果てには彼等はその烙印の重荷を少しだけ背負ってくれるようになった、大切な仲間になった。

 つい最近ではその烙印に疑心を向け、恨み節を吐きながら英雄を「ただの人間」に落とし込む為に烙印を引き剥がそうとする後輩に出会った。

 勿論その他にも出会いや別れがあり、その中には梓ではなくカタルパが遭遇したものもある。

 梓は、少しづつであったかもしれないが、変わったのだ。

 それこそ劇的に。ビフォーアフターで見比べるまでもなく、梓は変わったのだ。

 ゲームの中だろうと修一()カデナ(友人)叶多(親友)松斎(後輩)は何一つ変わらなかった。だからそのままであれば梓はカタルパになっても梓であっただろう。

 その梓から『カタルパ』を創り出したのは、その4人であり、そして現実には居なかった『共に歩む者』の存在だった。それが、英雄ではなく正義の味方にならせてくれた。

 【絶対裁姫 アストライア】が、【幻想魔導書 ネクロノミコン】が、【七天抜刀 ギャラルホルン】が、引き留めていた。烙印に潰されないように。潰れてしまった存在を、梓という結末を、理解していたから。カタルパがそれを知っていても、そこに踏み入れて重荷を背負ってしまう人間だと知っていたから。

 だから引き留めてくれた。そこに4人が肩を貸したのも功を奏したのだろう。カタルパ・ガーデンは庭原 梓とは違う道を辿り、正義の味方に成り果てた。

 庭原 梓とカタルパ・ガーデンが違うから、庭原 梓は変われたのだ。

 だからこそ、椿の問い掛けたその「本来の質問」に、梓は平然と答える事が出来た。

 

「そりゃ僕が英雄だからだよ」

 

 何を言っているんだ、と椿は思った。いや、その反応は正しいのだろう。何せ彼の言う「英雄」は、目の前の「諸悪の根源」を許してはならないのだから。

 以前の来訪を忘れた訳ではあるまい。あれこそが英雄と諸悪の根源の正しい対応の仕方だったと言うのに。

 答えは単純なのだろう。梓の人間性が変わったように、「英雄」に対する見方が変わったのだ。

 英雄が打倒出来るのは、眼前の諸悪の根源ではなく、魔王だけなのだと。理解したのだ。

 

「だから、僕はアンタが魔王にならない限りは、静観の構えを取る。それでも『俺』は潰しに行くかもしれんがな」

 

 ニヤリと笑うその顔には、『一人でないからこその余裕』が見えた。それは英雄では持ち得ないもの。梓ではなくカタルパが得たもの。

 

「あら、そう。変わったのね、梓は」

「あぁ。変わってしまったさ。僕が『俺』じゃなくて良かったし、『俺』が僕じゃなくて良かった。本当にそう思えるよ、今ならね」

 

 仮に梓としてデンドロの世界を謳歌しようとしたのなら、アイラはあぁならなかっただろうから。

 

「そう。じゃあ私はこの世界ではあまりに小さな諸悪の根源として存在していていい訳だ」

「あぁ。魔王にならねぇ限りは、黙認してやる。小さいものまで踏み潰していては、タップダンスを踊っても手が足りない」

「それだと足が足りない気がするけどね。まぁ、それが梓の解答なら、それでいいのかな。そう言えば墓参りってちゃんと行ってる?」

「勿論。あれは僕が英雄になる為に切り捨ててしまった犠牲だ。それは僕の罪だ。僕が忘れていい訳がない」

 

 嘗て梓達が向かった墓参り。あの墓石には何も書かれて居なかったが、正しくは『何も書けなかった』のだ。人としての権限も、名も、何もかもが彼等には残されていなかった。そんな状態でこの世から離れてしまったのだから。梓は関係ない筈だが、それを無視出来る性格ではなかった。

 それを罪と呼称するのは、救えた筈だと、今も梓が思っているから。事実()()()()()事さえ出来ていれば、カデナのように救えたのだろうから。

 それを取り零したのは、罪になってしまうのだろう。梓はそう独白する。英雄誕生の裏にある、尊い犠牲。英雄でありたかった訳ではないが、そう祭り上げられるのであれば、その名に恥じない何かでありたかった。

 だからこそ、その雪げない汚点は、今でも心残りなのだろう。

 

「そう、罪とかそういうのは理解出来ないけど、それが貴方の選んだ道なのね」

「あぁ。枝分かれし過ぎて勝手に崩れ落ちて、その上でまた造り上げた道だよ」

 

 自虐のようではあったが、誇ってもいた。今の梓は取り零したものだけではなく、それでも拾い上げる事が出来たものも見ている。

 その全てを見ている。取り零したものばかりを見て下を向くでもなく、掬い上げたものばかりを見て上を向くでもなく、それらを抱えて、前を向いている。

 

 梓は、変わったのだ。

 

 その変化の根源が、あの鎖の少女なのだと思うと微笑ましいが。

 答え合わせと蛇足も程々に、梓は椿の家を後にした。親子の日常足り得る一コマは、十数年ぶりの「会話」のオチである。

 

 【諸悪王(キング・オブ・オールイヴィル)】エイル・ピースは、確かにこの時、【数神(ザ・ナンバー)】カタルパ・ガーデンに敗北したのだ。いや、完璧にそうなった訳ではないが、次は無い。全ての手の内を明かされた諸悪の王が正義の味方の前に姿を現す事は無いだろう。

 仮にあったとしても、そこて巻き起こるのは殺し合い以外の何物でもない。

 だから今は、それでいい。

 それだけで、庭原 梓もカタルパ・ガーデンも、笑って生きる事が出来る。

 

 梓は足早に、かの少女の元へと駆けた。

 終わってしまった英雄譚とは裏腹に、正義の味方の物語は、まだ終わってはいないのだから。




( °壺°)<多分……そろそろ……終わるんじゃないかな、と……
( ✕✝︎)<見切り発車すぎるんだよなぁ


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幕間

 天羽 叶多は、武力の持ち主、とは言い切れない人間だ。

 散々庭原 梓とカデナ・パルメールと列挙するにあたり「智力」「武力」「勇気」として並べてはいるものの、彼女本人、つまり武力として彼らの横に並び立つ天羽 叶多は、残念ながら、武力と言うよりは、暴力の持ち主だった。

 

□■□

 

 十数年前の話だ。

 何処にでもいるような男達が殴り飛ばされた。

 別段何かしらの組織に属していた訳でも、指名手配がされているような悪人であった訳でもない。言うなれば、俗にチンピラと呼ばれるような者達だった。

 当時中学生であった天羽は――つまり梓と出会う前の――華奢な体躯とは裏腹に、どこにそんな力を隠しているのか、男相手でも立ち向かえる程の膂力を有していた。

 さてそこに、彼女が「武力」を有していない、と言える一因がある。

 

「躊躇なく金的狙いやがった……」

「やべぇってアイツ……」

「エホッゴホッ……」

「大丈夫かたっちゃん、鳩尾とか笑えねぇっての……」

 

 口々に男達は声を発しては、彼女から離れて行く。

 端的に言って、彼女はセコかった。

 不意打ち、騙し討ち、掟破りは十八番。

 倒せれば勝ち。勝てば全て良し。

 そう、彼女が有していたのは厳密には、正確には、武力などではなく――暴力だった。

 

□■□

 

 『力無き秤は無力、秤無き力は暴力』という言葉がある。

 中世ヨーロッパで唱えられていた、正義の女神を用いた司法での格言のようなものだ。ここで言う女神は散々この物語で語られた彼女を指す事もあれば女神ヘカテなどを指すともいう。

 ともあれ、中学時代の彼女は秤無き力であったと言える。だからこそ力無き秤(庭原 梓)に出会ったと言えるが。

 兎角彼女はそうしたズル賢さを得たまま、かの青年と対峙し、あろう事か自らを常人と例えて「危なっかしい」と表現したのであった。

 今でこそ「それはどっちだ」と返せるであろう梓も、当時はただの高校生。況してや親を豚小屋にぶっ込んだ直後の時系列。とてもでは無いが彼自身、マトモでは無かっただろう。

 だからこそ接触し、知り合った。化け物と、化け物が。埒外と例外が。

 

 ――これは、最悪から逃れる為の物語。

 

 天羽 叶多の、真実は矢張り何処にも無い。

 何故ならば彼女は、庭原 梓に出会った瞬間に始まったからだ。

 だからこそ、どれ程の過去があろうとも、彼女の歴史はそこから始まっている。つまり先の中学時代の物語などあってないようなものなのだ。

 あってないような物語。ある意味の無い物語。

 

 天羽 叶多の物語は矢張りそこから始まっている。

 その語られる事の無い物語で、誰をどう殺したか、それは黒いヴェールに覆われて何処にも見えない。



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第八十九話

( °壺°)<挙げてから数分は個人的な読み直しタイム
( °壺°)<その為微妙な訂正が乱舞します
( °壺°)<ごめんなさいね


 そうして。【ギャラルホルン】と【諸悪王】という二つの障害を乗り越え、遂にカタルパ・ガーデンは平穏を手に入れ――はしなかった。

 寧ろそれらの物語を経た事により、より歪に正道から捻じ曲がり、退廃した場所に辿り着いたと言えよう。

 これは、彼が“不平等(アンフェア)”と呼ばれてから暫く経ち、“〈UBM〉ハンター”と呼ばれる少し前の話だ。正義の味方が、またほんの少しだけ前に進むだけの、そんな物語だ。

 

□■□

 

 【諸悪王】を退けたとは言えど、あれはただの撤退である。勝利しただけで、一時的に勝利しただけで、大局的には何も変わっていない、と言える。だが正義とはいつでも後発的であり、ただの抑止力である。

 つまり今ここから『潰しに行く』、というのは正義の味方としても正道から逸れている。

 無理矢理しなければならないならまだしも、当人にその意思はない。

 だからこそ、新たなる悪の萌芽まで『英雄』は目覚めないし、正義の味方も動かない。

 

 今日も今日とて庭原 梓は、そんな思いを抱きながらカタルパ・ガーデンに成り代わり、デンドロの世界を楽しむ――筈だった。

 

□■□

 

 アルテアの地に降り立ったカタルパを待ち受けていたのは、鎖の少女だった?

 ――疑問符を付けなければならなかった。

 

「やぁ、どうしたのかな、カーター」

 

 アイラだ。間違いない。いやそもそもカタルパはそれを間違えない。

 それを疑わず、カタルパは己の目を疑った。

 つまり、()()()()()()()()()で立つ、【絶対裁姫 アストライア】の姿を疑った。

 

「……ゑ?」

 

 思わずワ行で唱えるカタルパを他所に、ヒラリヒラリと白のワンピースを踊らせるアイラ。

 銀髪も銀眼も白のワンピースも腰に巻かれたベルト代わりの鎖も変わっていない。変わっていたのは身長だ。

 伸びた身長に伴って髪も伸びているが問題はそこじゃない。大人びた顔つきになった、とかも関係ない。

 ()()()()()しているという事だ。

 

 成長、している。初めこそ十歳程度の見た目であったアイラが、だ。中途十三、四程の見た目にもなっていたが、今は十八かそこらの見た目に見える。

 それこそ、カタルパと年齢的に『釣り合う』ような。そんな外見になった、と言える(法律的に十八程の見た目の女性と二十代半ばの男性が年齢的に釣り合うかは置くとして)。

 

 ――いや、問題はそこだがそうじゃない。

 カタルパは覚えている。

 嘗て彼女の見た目が成長した時は、形態が進化した時であった事を。

 記憶している彼女の形態はⅥ。

 つまり……つまり。

 

「超、級……?」

「さぁ、どうなのだろうね?」

 

 どうやら本人が一番自覚していないようだ。

 だが、成長したという事は、そうなのだろう。そういう事、なのだろう。

 彼女は〈超級エンブリオ〉と成り、カタルパ・ガーデンは〈超級(スペリオル)〉となった、のだろう。

 自覚も実感も無いが、或いは確証も無いが、彼女は、カタルパ・ガーデンは辿り着いたようだ。

 

「とは言え、アルカの時と一緒でこう、喜びみたいなもんはないな」

 

 【兎神】との戦いで発揮された第7形態――〈超級〉の力は、確かに凄まじいものではあったが、そこと同じ土台に立ったと言われても、矢張り実感とは湧かないものだ。

 

「取り敢えず、おめでとう?」

「あぁ、ありがとう」

『我々と同じで〈エンブリオ〉もまた際限なく成長して行くが……果たして、上限は何処にあるのだろうね』

「……急に入って……ん?どういう事だ、ネクロ」

 

 突如として割って入った【幻想魔導書 ネクロノミコン】の言葉に、カタルパとアイラは同時に首を捻った。

 

『いや、つまりだな?第7形態が最終形態だ、などと言われてはいるが……元来〈エンブリオ〉とは無限の可能性を秘めているもの。然らば上限などなく、無限に強くなる、筈では?』

「成程な。だが少なくともアイラは相手によって無限に強くなれると思うけれど」

 

 ステータスを変更する能力には、確かに上限が無い。相手が強ければ強い程、かつ悪人であれば、《秤は意図せずして釣り合う(アンコンシアス・フラット)》のステータス上昇に数値上の上限は無い。

 

 それとこれは、意味合いが異なるが。

 無限の可能性を秘めたものが、有限に収まるのか、という事なのだ。

 言ってしまえばそれだけの問題で、だからこそ注視すべき問題だった。

 言われてみれば確かに、と思えるような見落とし。

 ――未だ〈無限エンブリオ〉の実態を知らないからこそ言えたセリフである。その名を知らず、姿を知っていても、正体を知らないからこそ言えたセリフである。

 そんな、どれ程見上げてもまだ足りない頂の話よりも、カタルパ達の話題は今しがたなったばかりの第7形態の話に移った。

 

「何かしら新しいスキルがあるんじゃないか?」

 

 と、自然に振るカタルパではあるが、確かに【絶対裁姫 アストライア】は第5形態を除いて全ての形態に新しいスキルが存在した。

 第1の《秤は意図せずして釣り合う》。

 第2の《不平等の元描く平行線(アンフェア・イズ・フェア)》。

 第3の《揺らめく蒼天の旗(アズール・フラッグ)》と《仰げば尊き正義の断片(ライト・フラッグメント)》。

 第4の《感情は一、論理は全(コンシアス・フラット)》。

 第6の《左舷に傾く南方の凶爪(ズベン・エル・ゲヌビ)》、《右舷に傾く北方の真爪(ズベン・エス・カマリ)》、《上皿の如き世界に審議を(アース・トライアル)》。

 第5形態だけ仲間外れ、という感じになってしまうが、その分第6形態にて新スキルが三つあるという暴挙。

 いかなる手段を用いてでも悪を『潰す』、正義の味方らしいと言えばらしいが。

 兎角、第7形態はその第5形態と同列なのか、それともそれを例外と認めるのか。

 

「あるね、新しいスキル。《彼方の星を繋ぎ(スターロード)神話と鎖を紡げ(オーバーライト)》……かな?」

「……なんだそら」

 

 カタルパはステータスを確認し、その結果、第5形態が仲間外れ云々という意識は飛んだ。

 確かに彼女は、《彼方の星を繋ぎ、神話と鎖を紡げ》という未知のスキルを持っていた。だがカタルパが困惑している原因はそれそのものではない。

 叶多とカデナ()を意識したかのようなスキル名に対してでもない。

 つまりはその内容、効果についてである。

 

「『ステータス内の対象の数値を一定時間入れ替える』ってどういう意味だ?」

「文字通りだろうさ、カーター。2桁の数字があるならば、()()()()()()()()入れ替える」

「……え?つまり?19が91になる、って事か?」

「そういう事だね」

 

 有り得ない。その言葉をカタルパは飲み込んだ。

 19であれば91に出来る。10009であれば……91000に出来る。逆にするでもなく入れ替える。シャッフルするでもなく並び替える。80991の差は、言うまでもなく大きいだろう。

 カタルパの現在のAGIは23690。それが《彼方の星を繋ぎ、神話と鎖を紡げ》を使用する事で96320にする事が出来るという。その差、脅威の71730。たった一つのスキルで、AGIが4倍強に肥大すると言う。破格も破格、規格外だ。〈超級(スペリオル)〉だからこそ為せる技、と言えばそこまでだろうが。

 

「ふむ……どうやらステータスとは言っても、HP、MP、SPは変えられないみたいだね」

「そこまで変えられたらたまったもんじゃ……ん?」

 

 スキル説明には書かれていない文言を聞き、カタルパはアイラを見る。今の彼女は、変身せずにスキルを確認した。いや、きっと使ったのだろう。変えられた実感こそ無かったが、確認していたステータスの一部……ENDが、一時的に変わっていた。

 だが今まで彼女は、銀剣、弩弓、御旗、天秤、鉄鎖、剣盾の何れかに変身していなければスキルを使えなかった筈だ。

 つまり――どういう事だ。

 規格外と例外が重なり、許容量を超えている。キャパオーバーだ。

 

「なん、で……アイラは、それを?」

 

 或いは、恐らくは。そうした憶測はあれど、それは真実の前では意味をなさない。いや、真実であろうと思われる憶測があるからこそ、確かめずにはいられない。

 

「――【Cross saver】」

 

 果たして。

 

「――それこそが、私の第7形態にして、今のこの姿の名だ」

 

 正義の味方が一人であってはいけない事を守るように、彼女は遂に、正義の味方と隣合わせで戦う事になるのだった。

 

□■□

 

「それで、私は運が……良いのか悪いのか、兎に角実験台って事ねー」

「すまないな、無理矢理付き合わせて」

 

 コロシアムに行けばよかろうに、お互いに加減をするからと、町外れにて手合わせを始めるらしい。ミルキーはそれに対してあまり頓着は無いらしく(恐らくアルカであっても同じだっただろう)、何か壊したりしないよう細心の注意をはらっていた。

 

「別に?ホラ、私って《轢かれた脚は此処に(テケテケ)》とかもそうだけど、情報開示多すぎるから?寧ろこういう時にそっちの情報仕入れとかないとねー」

「……以前そんなノリで《感情は一、論理は全》で仕返しされてなかったか?」

「気の所為」

 

 強い制止を受け、カタルパも引き下がる。

 そうして引き下がった先で、雌雄は並び立つ。

 

「……あれ?アイラちゃんおっきくなった?」

 

 先程から前に居たにも関わらず、今気付いたように言う。実際に今気付いたのだろう。それ程までに、周りを見ていた……のではなく、ある人物のみを見ていたのだろうが。

 

「【Cross saver】、アイラの第7形態だ」

「第7ぁ?へー、成程、つまり私だけ置いてけぼり、と」

「まぁ、そうなるな」

「……戦闘職なんだけどなー。三人で、四人に増やしたって唯一の戦闘職なんだけどなー……」

「愚痴るのは構わねぇけどさ、ミルキー」

「私『達』を前にその態度は、慢心にも程がある」

 

 嘗てのカタルパ・ガーデンの戦い方は、どれも【絶対裁姫 アストライア】を中心に繰り広げられており、必然的に、或いは逆説的に、第7形態となり武器でなくなったアストライアを武器としては扱えず、進化したにも関わらずカタルパ・ガーデンとしては弱体化する――――筈だった。

 

「《不平等の元描く平行線(アンフェア・イズ・フェア)》」

 

 そのスキル名を、アイラの口から聞くまでは。

 

「え、ちょ、なぁっ!?」

 

 慌てふためかずにいられようか。エンブリオであった少女が、突如として弩弓を握り、此方に接見してきたとあれば。

 驚愕は続く。

 

「《左舷に傾く南方の凶爪(ズベン・エル・ゲヌビ)》」

 

 今度は第6形態のスキルだ。それを今度は両手に盾と剣を持って使用してきた。ここまで来ればカタルパでなくとも分かる。

 

「今まで覚えてきたスキルが……全部一度に使えるのっ!?」

 

 手鎌でギリギリの応戦をしながらミルキーは叫ぶ。

 スキルの全使用、併用、同時発動。その全てがあの一身にて行える。

 〈超級エンブリオ〉に相応しい機動である。

 そこに更に加わった《彼方の星を繋ぎ(スターロード)神話と鎖を紡げ(オーバーライト)》を以て完成する。

 単純明快。それこそがTYPE:メイデンwithアブソリュート・カリキュレーター。戦闘を捨てて演算機と成り果てた筈の乙女は、彼から武装を取り上げて、その身に集約させたのだった。

 そして、だからと言ってカタルパが無力になった訳では無い。

 

「――【怨嗟連鎖】、【七天抜刀】」

 

 そう、アストライアが無くとも既に、カタルパの両手は埋まっている。だからこそ、アストライアはその手を離れたのだ。

 【怨嗟連鎖 シュプレヒコール】と【七天抜刀 ギャラルホルン】にその手に掴まれる権利を渡して、彼女は隣に立つ事を選んだ。

 

「《彼方の星を繋ぎ(スターロード)神話と鎖を紡げ(オーバーライト)》!」

 

 アイラがそう唱えるや否や、カタルパのAGIが跳ね上がる。理論上最高値に。

 その速度でカタルパが――そしてアイラも爆走した。

 【絶対裁姫 アストライア】の馬鹿げた規格外の力の一端はそこにある。

 アイラは、【絶対裁姫 アストライア】はカタルパと同じSTR、END、AGI、DEX、LUCを持つ。より正しく言えば、常にカタルパのステータスが反映される。

 その為、カタルパを強化する事によりアイラは同様に強くなる。

 先程の《左舷に傾く南方の凶爪》も、アイラの盾で受け止める事でカタルパのAGIが上昇するのである。どういう原理だと言うのだろうか。

 兎角そこには正義の味方しか残らない。悪に対する強者打破(ジャイアントキリング)は、正義の味方とその相棒によって成り立つ、どちらかだけでは成り立たない、真の『二人で一人』により完成するものだった。

 

「……とまぁ、こんなとこだが」

「…………わぉ」

 

 首筋に剣を突き立てられ、ミルキーもグゥの音も出ない。

 第7形態に到達した事により、正義の味方は完成したのだ。

 後はその正義を、後発的に発動していくだけである。

 まだ正義の御旗は、掲げられたばかりだ。

 

□■□

 

 その町外れの戦闘を、陰ながら見ていた者がいた。

 者とは言えど、それは一匹の虫であった。

 

 それは、一匹の蝿。

 

 体長はおよそ5cm程の、現実世界であれば見慣れたような、そんな蝿。

 しかしそんな蝿も、デンドロの世界に於いては異質である。

 魔法やステータスがある世界において、小さいというのはデメリットでしかない。

 にも関わらず小さいというのは、それは『外から仕入れられた』何かに寄るものだ。

 

「ふーん、成程成程……正義の味方、ねぇ」

 

 蝿が、喋りだした。

 しかしその声は蝿に響いているようで、声の主は遠くにいるようだ。

 

「くだらねぇ」

 

 と。蝿は――誰かは正義の味方の進化を嘲った。

 

「んなくだらないもんにあの人は負けたのかよ……」

 

 苛立ちを隠せない男の声は、遂に蝿の真後ろから聞こえた。

 

「俺が……俺達が潰してやるよ、その正義とかいうもんをよ」

 

 男の服の隙間から、見慣れた筈の蝿が湧き出す。

 男の目は確かに、あの正義の味方を捉えていた。



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第九十話

 第7形態、超級に達した【絶対裁姫 アストライア】は、公正公平(フェア)という能力特性があった。

 《上皿の如き世界に審議を(アース・トライアル)》からも見て取れるように、それは『自身』と『相手』の二人の公平を意識したものだっただろう。

 だが現在に至っては、違うと言える。つまりその公平の対象が、すり替わっていると言える。

 それも、カタルパ・ガーデンと【絶対裁姫 アストライア】自身に。

 絶対裁定(アブソリュート・ジャッジ)はただ悪を屠る為に。

 公正公平(フェア)はただその二人の為に。

 そうして、【絶対裁姫 アストライア】の性質は、完成した。して――しまった。

 

□■□

 

 蝿。

 蠅とも書くあの虫。

 誰もが知るあの虫を、今更説明する事も無いだろう。説明するまでもないのだから。

 兎角そんな、現実世界に即した蝿が、近頃アルテアを飛び回っていた。とは言え、偶に見かける程度であり、大した問題ではないと思われた。

 〈マスター〉であれば大抵は「あ、蝿だ」などと言って無視していたらしいが、〈ティアン〉の中で周りを飛ぶ音が五月蝿くて(語源的にもまさに、と言った所だが)叩き潰した者が居たらしい。

 

 問題はそこから発生した。

 その蝿を「素手で」叩き潰した〈ティアン〉が、【毒】【麻痺】【呪縛】の三種の状態異常に襲われたと言う。

 小さな蝿に見慣れていなかった者が、如何なる罠があるかも理解せずに叩き潰した結果だ、と言えばそうなのかもしれないが、問題はその、「見慣れていなかった」点にある。

 そもそもデンドロの世界に於いて――或いはステータス等が存在する大抵のRPGの世界に於いて――小さいと言うのはデメリットとして見られやすい。

 生存競争に於いて、小さい故に小回りが効く、と言うのは利点ではあるのだが、魔法やスキルがあるこの世界ではどれ程図体がデカかろうとそれら技能によりいくらでも応用は効く。それならば大きくても小さくても変わらないが、もう一つ、これは現実世界での生存競争でも言える事だが、大きい、と言うことはそれ相応の威圧感を持つ。

 様々なゲームや物語で終版の敵が、若しくは強敵が大きかったりするのも、「大きければ強い」等という在り来りなセオリーから来ている。実際、圧倒的な質量というのは確かに脅威であり、ある程度の大きさを持つものはそれなりの気迫を持っているのだ。

 相手を威圧させるスキルもあるそうだが、それを引き合いに出すと終わらないので割愛。

 

 まぁつまり、だ。

 ファンタジー世界で小さくなるように進化するというのは邪道とされやすいのだ。群れで行動する事が基本ならばまだしも、今回話題となっているその『蝿』は複数体発見されていながら、どれ一つとして群れでは行動していなかったと言う。

 〈マスター〉はおろか〈ティアン〉もこれが〈エンブリオ〉によるもの、もしくはそのものと認識し、再発防止の為に蝿に接触しない事を近隣の住民に勧告し、〈マスター〉は〈マスター〉で、原因究明の為に動いた。

 とは言え有志参加であった事と報酬等が無かった事から参加する者は殆ど居らず、結果出向いたのは、最早言うまでもない面子であった。

 二人一組(ツーマンセル)の正義の味方と狂騒の姫君と勇気の暴龍である。言うまでもなかっただろうが、念の為。セムロフ・クコーレフスが今は居ないのだという事が、どれ程重要かを示す為にも、念の為。

 

□■□

 

 蝿は、一体一体の統率が取れているかのように飛んでいた。蝿特有の滑らかで不規則な動きではあったが、近くの蝿と一定の距離を空けており、それ以上近づくような素振りは無い。

 

「あっきらかに人為的よねー」

「そう、だな」

 

 模擬であれ死闘(但し一方的)を繰り広げたミルキーがそう零す。

 【麻痺】と【毒】、そして【呪縛】。解除不可能ではない所が救いではあるが、戦闘になった時にその三重の状態異常は痛手だ。

 

「《レジスト・パラライズ》、《レジスト・ポイズン》、《レジスト・カース》……ほんの気休めだけど、無いよりはマシだよね」

「あぁ、助かるぜ、アルカ」

 

 既に辺りには人気は無く、深い霧が立ち込めていた。【霧中手甲 ミスティック】の《霧生成》によるものだ。だからと言って気配が探知出来たりする訳では無いが、濃霧の中でも羽音は響く。それで何処に居るかは分かっていた。

 

「被害者が語るには、速度は目でギリギリ追えない程度の速さ。多少鍛えていた〈ティアン〉だったから本来の蝿よりは随分と速いヤツらしい」

「蝿、ね。あれは〈エンブリオ〉そのものなのかしら、それとも操られてあぁなのかしら?」

「住民は『見慣れない』って言ってた。逆に〈マスター〉は『見慣れた』って言ってた。多分デンドロ世界には居ないんだろうよ、あぁいう『ちゃんとした蝿』が。だからモンスター作成で作ったかそのものか、だな」

「成程。となると敵はレギオンの〈エンブリオ〉なのかもしれないね。ミルキーや私は広域殲滅を苦手とするから殲滅戦になったらアルカの独壇場だろう」

「レギオン……個体値は低いが群れを成すんだったな。例え兆に別れようとも一つの〈エンブリオ〉と宣うんだからタチが悪いぜ」

 

 分類こそ違えどタチの悪さだったらそちら(カタルパ)も負けてはいないだろう、なんて本音は誰もが隠した。

 正体不明の〈マスター〉だが、〈エンブリオ〉がいる以上、そう遠くにはいない筈だ、とカタルパは濃霧の中で目を凝らす。

 だが、そんな努力を嘲笑うかのように、声が響いた。

 

「――バカバカしいんだよ、あんたらは」

 

 男の声だ。声だけでの判別ほど宛にならないものも無いが、若い男性のような声音だ。

 

「くだらねぇ……くだらねぇ、くだらねぇくだらねぇくだらねぇっ!!」

 

 苛立ちを隠そうともせず、むしろ表に出して男は叫ぶ。

 どこか悲痛な叫びだ。心の傷を自らさらけ出しているかのような叫びだ。

 

「お前らみてぇな……この世界を愛してます、みてぇな奴らにあの人が負けるなんてよぉ!有り得ねぇよなぁ!!」

 

 あの人とは、などという疑問を四人とも抱かなかった。寧ろ、それで合点が行き、納得した。

 

 ――【諸悪王】は、自らではなく他者を悪人とする事で解放されたジョブだと言う。

 

 ならばその影響で悪人になった者が、〈ティアン〉だけと言う道理も無く。

 〈マスター〉が少なからずいて然るべきなのである。

 

「お前らが……居なければ、よぉっ!!ベルゼブブッ!!」

 

 蝿の王と呼ばれた悪魔の名。カタルパ達はそれが〈エンブリオ〉の名である事を瞬時に察した。

 

 【堕落化身 ベルゼブブ】。それが〈エンブリオ〉の名だった。

 元々はバアルと同一視された神であるとか、ルシファーに次ぐ熾天使であったとか、そうした裏話は関係ない。そして、今のこの状況にこれ程までにしっくり来る名も早々ない。

 ともすればその蝿の王は、あの蝿達を指揮する声の主なのだろうか。

 カタルパの「ある知り合い」が語るには、TYPE:ガードナー系列の〈エンブリオ〉を持つ人間は臆病であったり、傷付く事を恐れる人間が多いのだとか。

 ならば目の前の青年も、そういう人間なのだろう。

 「誰か」が居なくなって、傷付いたのだろう。

 悪であれ、その界隈に於いては矢張り、光のような存在だったのだろう。あの【諸悪王】は。

 だがその思いも虚しく、カタルパ達には通用していない。

 触れては行けない事を熟知されている――奥の手である〈エンブリオ〉の基本的な情報が開示されているが故の、弱さであった。

 鎖で叩き落とされ、火球に焼かれ、手鎌による範囲攻撃に粉砕され、木々にすり潰される。

 良くも悪くも現実の蝿に即した見た目だったベルゼブブは、耐久性も即していたようだ。

 だが、尽きない。そこが現実とは異なる点か。

 無尽蔵に、無制限に、青年の服の隙間から際限なく溢れてくる。

 うじゃうじゃと。わらわらと。

 尽きる事無く溢れ出る。

 鎖による叩き落としと木々によるすり潰しではない、つまり火球と範囲攻撃はそれぞれMPとSPを消費している為、無限に(?)湧き出る蝿相手にはジリ貧だ。

 黒幕が現れたのには、その余裕があったのかもしれない。

 打つ手が無くなれば、接触するのは容易いから。

 

「そらそら……最初の余裕はどうしたんだぁ!?」

 

 青年が挑発する。

 だが矢張り、彼らは冷静だった。特にその司令塔、カタルパ・ガーデンは。

 

「あれらはレギオン(軍隊)……群にして個の〈エンブリオ〉。そうだな、アイラ?」

「まぁ……そういう事、だろうね」

「分かり切っていて問うのは悪かったな」

 

 その会話で、ミルキーとアルカも何を言っているかを察する。

 

「へぇ……あれら全部が単一個体なのかー……」

「つまり、()()()()るんだね?どうする?道をひらく?」

「寧ろ……五感の共有でもしてるせいか、『あいつ』に貯まっているんだよなぁ……」

 

 あいつ、とは勿論、あの青年の事だ。刻まれた事で名前も開示されたが。

 

「【ニベルコル】……なんつーか、お誂え向きな名前だな」

 

 カタルパは思わず苦笑した。

 態ととは思えないので、運命と呼称するしかないが――ベルゼブブとニベルコル、である。

 

「多分だが、道を遮るのがこの蝿だけだって言うならアイラが《不平等の元描く平行線(アンフェア・イズ・フェア)》と必殺スキルを併用するだけで突破出来る、と思う」

「……思う?確証は無いわけ?」

「無い。無尽蔵とは言え、まるで()()()()()()()()()かのようなベルゼブブの運用法からして、な。いつでも引き下がれるようにはしておいてくれ」

「了解した」

「オーケー」

「分かった」

 

 三者三様の返答を聞き、改めて敵を見る。

 空さえ覆い尽くすような蝿の群れ。その黒の向こうに、確かに青年、ニベルコルが見える。

 蝿と同化するかのように黒い外套と衣服の間から、今も蝿が這い出て来ている。

 個々の戦闘能力は現実世界のそれと大差ない為、脅威ではない。だが問題はそこではない。三種の状態異常を付与してくる能力が脅威なのだ。

 蛾のように鱗粉を振り撒いて攻撃するのではなく直接的な接触によるものだと言うのは、不幸中の幸いか。

 幸も不幸も無く、眼前にあるのは悪なのだが。――だが、かと言って此方が正義なのかは、分からないが。

 

「《ガーベッジ・リンカーネーション》ッ!!」

 

 ニベルコルがスキル名を叫ぶ。

 するとどうだろう。

 蝿の死体から蝿が現れるではないか。

 

「おいおい……こっちが無限に無双出来ると思うなよ……」

 

 足元の死骸からも再誕(リンカーネーション)してきた為、後ずさる。そして止まる。元からではあったが、蝿に囲まれているからだ。

 逃げ場はなく、今踏んでいる地でさえ死骸に埋もれて安全とは言えなくなった。

 どうやら先程のスキル、《ガーベッジ・リンカーネーション》のコストとしてMPを消費しているようだが、消費しきる前に此方がジリ貧となって蝿に触れるだろう。

 アルカがかけたのも耐性付与(レジスト)であって無効化(キャンセル)ではない。蝿に触れる度に判定があっては、恐らくかかるだろう。

 

 蝿の王、ベルゼブブ。かつて【諸悪王】の際に語った『王と神』の話の再来だ。神と王は相容れない。

 例え窮地であろうと――或いはそこが死地であろうと――彼らに立ち止まるという選択肢は、無かったのだった。

 そうしてアイラは右手に弩弓を構える。

 第2形態のスキルは《不平等の元描く平行線》。

 その時点でミルキーとアルカは理解したが、唯一理解していないニベルコルは、【堕落化身】の蝿を濁流のように向かわせる。統率が取れているようで全く取れていない蝿は、蝿同士の衝突によりその数を減らしながら、《ガーベッジ・リンカーネーション》による再誕で増やしていた。その数はきっと、サイズこそ小さいが“アレ”にも比肩する程に。肥大化して、膨れ上がって、取り返しが付かなくなって。

 

 カタルパとアイラを、容赦なく飲み込んだ。




【堕落化身 ベルゼブブ】
TYPE:レギオン。
スキル、《ガーベッジ・リンカーネーション》を使う事で(時間経過と共にMPを失うが)蝿を死骸から生み出す事が出来る。
ニベルコルから這い出てくる場合、無限ではあるものの生成される個体数に限りがある。一秒に数体程度であり、ニベルコルは常にベルゼブブを生み出しながら服の中に棲まわせ、許容範囲以上の蝿は中身が見た目以上に広い、アイテムボックスのような箱に入れている。

必殺スキルを使うと《ガーベッジ・リンカーネーション》は必要なくなるらしい。

( °壺°)<割とマトモな〈エンブリオ〉だぁ…
( ✕✝︎)<真実を伏せるにせよ、悪特攻、体ぶった切り、木々は友達、みたいな奴らの中じゃそりゃマトモに映るわ


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第九十一話

( °壺°)<新しいキャラクターとかの話の為に
( °壺°)<ここで分けるかなぁ、と思ってしまって
( °壺°)<結局2話分が合体しました。長いね


 正義の御旗は、折れ曲がりすらしなかった。事ここに至って少女の手にあるものが弩弓である事を示す意味も無いが。

 カタルパ・ガーデンと【絶対裁姫 アストライア】の二者は、HPが減っていてこそすれ、三種の状態異常を全て跳ね除けていた。

 それを、木の繭の中から現れたミルキーとアルカが安堵を浮かばせて見ている。

 

「……え、なん、で……?」

 

 現象を前に、原因を理解していないのはニベルコルただ一人。

 嘗ての【ガタノトーア】のように、死骸の山を積もらせてただ一人。彼は佇んでいた。

 

 単純な話だ。耐性が付与されているという事は、確率で無効に出来るという事。ならば確率を上げる為に()()()()()()()()

 《不平等の元描く平行線(アンフェア・イズ・フェア)》でAGI等をLUCに写すだけでいい。

 難しい計算式すらいらない。ただそれだけで事足りるのだから。

 

「さて……」

「こんなもんだよなぁ」

 

 目を合わせた後に、正義の味方の視線が自然、ニベルコルに向く。

 殺意こそ無かったが、彼らの悪に対する態度をニベルコルは知っている。

 【諸悪王】ですら勝てなかった化け物に、矢張り青年一人で太刀打ち出来る訳が無かったのだ。

 だから後は単純だ。

 【刻印】の数が、それを如実に表してくれている。

 

 365の【刻印】。【絶対裁姫 アストライア】によって叩き落とされた、【堕落化身 ベルゼブブ】の数と同じ。その数の【刻印】が、今のニベルコルには刻まれている。

 1.01の365条。それがダメージ発生時に加算される。倍率補正は有名な話からの引用ではあるが、37.7834倍だ。

 誤差を積み重ねて、罪重ねて、必死に至らしめる。

 

「《秤は意図せずして釣り合う(アンコンシアス・フラット)》――《感情は一、論理は全(コンシアス・フラット)》――《不平等の元描く平行線(アンフェア・イズ・フェア)》――《愚者と嘘つき(アストライア)》」

 

 弩弓の引き金が引かれる。亜音速ならぬ超音速で風を切り裂く矢を止める術を、ニベルコルは持ち合わせていない。とことんAGIを上げまくった挙句の果てのSTRへの代入からの一射。

 最早一閃の域。心の臓を違いなく狙ったその一筋の線はその刹那の内にニベルコルを貫き――はしなかった。

 

 アイラとニベルコルの間に一人、割って入った者がいた為だ。

 宙に踊らす金髪、露出の度が高い黒い服。獣のように鋭い眼光の赤眼。

 

「ったく……ニベちゃん急ぎすぎ」

 

 女性……にしてはまだ若い(高校生ぐらいだろうか?)女子の声。

 とは言え、アイラの高速の一撃を止めたのは事実。ニベルコルとは知り合いのようで、ともすれば真打登場、といった所か。

 少女は黒いグローブ状のものを装備していて、それで矢を受け止めていた。具体的に言えば、そのグローブで矢を掴んでいた。

 並大抵の超級では耐えられないだろう威力であった筈なのに――《愚者と嘘つき》はダメージ計算時に発動する為、ニベルコルではない彼女には発動しないが――彼女は無傷で立っていた。

 

「いや、ホント……ニベちゃんはいつも一人で突っ走るねー」

「うるせぇ……俺は……」

「敵わない相手に無謀に突っ込む事が得策だとは思わないし、それに、そうして死ぬ事に意味があるとも思えないんだけど?」

 

 割り込んだ少女の会話から察するに、仲間らしい。

 それはつまり、彼女もまた【諸悪王】により生まれた悪人という事なのだが……それにしては、悪性を感じない。見た目こそ一昔前の路地裏に居そうな少女だが、内面がそれに沿っていない……のだろうか?

 正義ではなく悪である筈なのに、それはどちらかと言うと、程度のものだった。

 

 ――カタルパは思い返す。諸悪の王は他人を悪人にする事でなったと言う。つまり、悪の尺度はどうでもいいのだ。

 巨悪も粗悪もただの悪。そこに差はない。

 であれば彼女の「悪」は、そう大したものではないのだと思われる。

 

「えっと……すいません、今更ながらですけど、剣を収めてくれませんかね?」

 

 突然の言葉にミルキーとアルカは目を見合わせる。

 ニベルコルを別段倒そうともしていないカタルパとアイラは、取り敢えず頷いてはみるのだった。

 

□■□

 

 場所は最早言うまでもない。彼らがアルテアで集まる場所など、数える程も無いのだから。

 そしてまた、そこで意外な事があった。

 

「さって……アタイも自己紹介すべきかい?」

「そうね、お願いするわ」

 

 ニベルコル側は、三人いた。

 ニベルコル本人、先程仲裁に入った少女、そしてもう一人。

 ()()()()()()()()()()少女が一人。

 黒いショートヘアに三白眼、犬の被り物、黒いファーに包まれた身なりに犬のしっぽを模した飾り。

 少女の姉、と言ったくらいの見た目。そして彼女の出現と共に消えたグローブ。

 まぁ、さすがに言わずも分かる。

 犬の衣装を纏った少女は乱雑に告げる。

 

「アタイはケルベロス。【暴食皇女 ケルベロス】。……アタイの連れが迷惑かけたね」

「……誰が連れだ」

「はいはい、喧嘩しないの。で、私がケルベロスのマスター、ヴァート・ヴェートです。彼女は見ての通り、カタルパさんと同じメイデンのエンブリオです」

 

 情報の乱流。混乱せずにはいられない。いや、まだ理解の範疇にあるか。

 【諸悪王】が関係していたとあって、警戒しすぎていた節も多分にあるのだろうが、それにしても随分と目の前の少女、ヴァートは社交的と言うか友好的だ。とてもではないが悪人には見えないし、眼前のケルベロスが、彼女の内面を反映しているとは思えない。

 ともすれば今の彼女は取り繕っている事になるが、その態度が付け焼き刃とも思えない。

 ちぐはぐと言うか、真実が掴めない人間だった。

 

「あー、まぁ、私の本質はやっぱりケルベロスみたいなもんなんですけど、『いつも』そうである訳にも行かなくて」

 

 ヴァートはそう語る。その間もケルベロスはハンバーガーに乱暴にかぶりついていた。見れば見る程、カタルパ達は困惑する。

 シンプルに言うなら「内と外が違い過ぎるだろ」とかなのだろうが――どういうことか。現実世界に関わる事なので深く追求する事は出来ないが、彼女もまた、ややこしいリアルを抱えているようだ。

 

「さて、私とケルベロスはそんなんでいいでしょ。ニベちゃんもしなよ、自己紹介」

「しねぇよ……言ってんだろ、俺はこいつらが……」

「え、しないの?」

「つまんね」

「おいケルベロス、本音漏れてんぞ」

「……随分と仲良いなお前ら」

「…………うっせぇ」

 

 カタルパの言葉を、彼は否定をしなかった。長い付き合いのようで、もしかしたら【諸悪王】よりも前に出会っていたのかもしれない。

 

「俺は先生を倒しやがったこいつらを許せねぇだけだっつの。んなヤツらに自己紹介なんざするかよ」

「はっ、アタイですらしたってのに。腰抜けめ」

「その売り言葉は買わねぇからな……」

 

 先程からニベルコルが、ケルベロスの言葉に反論しながら、ヴァートの言葉には嫌々従っているようにも見える。

 付き合い方から見て、好意か、それに近いものを抱いているのだろう。

 

「じゃあいいよ、自己紹介はしなくて。ニベルコルっつー名前は覚えた訳だし。なんでまぁ……あとは好きにしてくれ。また襲いに来るならそれでよし。そん時は全力でお相手するさ。そうじゃねぇんだったら、別にもう会おうとしなければいい。その辺は自由さ。蝿で俺達を監視させても、な」

 

 カタルパ達が席を立つ。ケルベロスの三白眼が自然とそちらを向いた。

 

「なんだい?その言い方から察するに、アンタらの矢を止めたアタイ達が参戦してもいいってのかい?」

「望むところだ。何せほら、ミルキーとアルカは殆ど手を出しちゃいないからな」

 

 アルカと一括りにされて不満だったか、ミルキーが若干眉根を寄せたが、カタルパはそれを流す。

 

「まぁ、1対1とかしたいならコロシアムでやりゃいいから。路地裏とかで襲いかかるのはちょいとゴメンだな」

「路地裏ぁ?奇遇だねぇ、アタイらのチーム名も『バック・ストリート』ってのさ」

「ほぅ、そりゃまんまだな」

「まぁ、私が言い出しっぺなんですけどね」

「待って待って、パーティー名?何それ面白そうなんだけど」

「僕達にも欲しいね、そういうの」

 

 ミルキーが食い付き、アルカが同調する。

 

「ははっ、楽しそうじゃないか、カーター」

「そう、だな。まぁ、気が向いたら」

 

 アイラとカタルパも同意した。その辺りの話は、追追される事だろう。

 ニベルコルの睨みつけるような視線はまだ続いていたが、ヴァートとケルベロスの眼はまた会える日を楽しみにするかのような、未来に希望を抱いている目だ。

 その二極化された視線にあてられながら、カタルパ達はその場所を去っていく。正義の味方は空気が読める。そんな訳では無いが、今はただ、その小さな悪紛いの何かを、見逃した。

 そして、嘆息して肘をつくニベルコルをケルベロスが笑い、ヴァートが諌めた。

 

■【召喚師(サモナー)】ニベルコル

 

 いけ好かない野郎達が去ったら去ったで、相変わらずケルベロスはうるさかった。

 自分でも口が悪いと自覚はしているが……あと態度とか目付きとかも悪いって自覚してるんだが……それでもヴァートは俺を見捨てない。見捨ててくれなかった。捨て犬を見るような目じゃない、友達を見る目を俺に向けて。

 

 ――嫌になる。

 

 そんな彼女を見て、ときめいている自分とか。釣り合わないって自己嫌悪に陥る自分とか。向上心を見せてくる自分とか。

 俺みたいな人間が、ヴァートの傍に居るべきじゃない事を、彼女以上に俺が分かってるってのに。ヴァートは俺の隣に居たがるのだ。それに甘えてしまっているのだ。

 

「だってニベちゃん、私にそっくりだもん」

 

 いつかヴァートはそう言った。

 何がそっくりなんだよ、とは思ったが、ケルベロスのマスターであるヴァートだ。リアルに何かあったんだろう。

 エイルさんに会った時だってそうだ。ヴァートは俺に追従するように悪の道に足を踏み入れた。

 ……ヴァートが悪人と呼ばれるようになるのは、嫌だった。けど、俺が強くなるにはそうするしかなくて。ヴァートを守れるぐらいに強くなる為に、ヴァートを悪人にさせる必要なんて、どこにもなかっただろうけど。

 俺はそれしか選べなかった。それしか選ばなかった。

 悪人になろうとしている俺からヴァートを引き離したいと思う自分と、離れて欲しくないと思う自分。どっちも俺の本心で、いつもせめぎあいをしては結論を出せずに引き摺った。

 だからカタルパ・ガーデンを倒せれば、それぐらいにまで強くなれれば、「大丈夫かな」って思っていた。けれど、俺は結局ヴァートに守ってもらっていた。

 ヴァートのエンブリオ、【暴食皇女 ケルベロス】に守られていた。

 そんな自分が嫌になる。けれどヴァートもケルベロスも俺の傍を離れてはくれないのだろう。俺の眼前の席を空席にさせてはくれないのだろう。

 そんな底知れないお人好しが嫌いで……それ以上に好きだった。

 そんな弱い自分が、俺は今日も嫌いで。だから嫌いを乗り越える為の障害が、そして鏡が映すこの顔が、いつまでもいけ好かないままだった。

 

■【獣拳士(ビーストボクサー)】ヴァート・ヴェート

 

 バタン、とカタルパさん達が戸を閉めて、漸く私は息をついた。

 リアルと同じように面を付けて話すのも、意外と苦労する。

 全く。お嬢様学校なんか入るんじゃなかった。

 私は別にそういうものに憧れたんじゃないのに。むしろその逆、髪を染めて社会の闇を歩くような、そんな人に憧れていたのに。

 この世界に来られて良かったと思ってる。心の底から。

 ケルベロスが私のエンブリオとして現れた時はビックリしたけど……まぁ、「なりたい」が形になったんだったら、きっと『こう』だったんだろう。メイデンwithアームズって言われてもピンと来る事なんて今もないけれど、

 

 「アンタがこの世界の人間を快く思っていたから、アタイはこうしてアンタの前に立てたのさ。アタイが力になってやるんだ。胸張って……そんなになかったね」

 

 とか言ってて……最後の台詞で大体台無しだったけど。まぁ、つまりはケルベロスは私の本心だけど、私が今までリアルで表出させて来なかったからか、そんなのイマイチ分かってなくて。

 でも、この世界の人達が好きだって事は、ケルベロスには伝わったらしい。そこは嬉しかった。

 私を見た目ではなく、中身で判断しようとした彼ら彼女らの人間性には、心を強く打たれた。それはまぁ、外見と内面に差があった私だからこその反応なのかもしれないけれど。それこそ現実の……私の家族以上に、私の意思を尊重してくれていた。

 私にとってこの世界、デンドロの世界はいわば家出した先なのだ。寮生だけど。ましてや出たのは家ではなく世界という……まぁ、そんな感じ。

 それに対してニベちゃんは簡潔だと思う。詳しい話は聞いてないけど、きっとね。

 なんで強くなろうとしているのか、は分かんないけど……私に()()()()為だったら、無駄だと思うんだよねー。

 

 私、STRだけなら3万はあるし。

 

 強くなろうという意思は否定しないけど、それでなれるかは別物、ってね。その意思も行動も、尊いし愛しいとは思うけど、無駄はどれ程積み重ねても無駄だよって、そろそろ伝えた方がいいのかな?

 ケルベロスは相変わらずマナーがなってなくて(私のリアルの堅苦しい生活からすればある意味羨ましい)、栄養価も偏ってるし(数日に一度はそういう食生活をしてみたいとも思う)、口の周りにハンバーガーのソースが付いているし(そういう豪快な食べ方も憧れる)、なんというかこう、なってない感じなんだけど、傲慢に振る舞うその姿は、やっぱり私の理想なのだ。心の奥底で描いていた、理想の自分なのだ。

 

「なんだいヴァート、アタイの顔に何か付いてるってのかい?」

 

 お決まりの文句だったけれど、ソースが付いてます。

 私の心が読めるらしいケルベロスは、それに気付いて顔を拭う。

 

「すまないね。アタイはその辺、ガサツだからさ」

「ううん、いいの。それが私の本質だから」

「そういう話じゃないよ。リアルのヴァートと今アタイの目の前にいるヴァートは違うさ。当然、アタイとヴァートもね。だから、そうやって線引きしないってのは止めた方が良いよ。アタイは【暴食皇女 ケルベロス】さ。決してヴァート・ヴェートじゃない」

 

 当たり前の事だったのに、何故だろう。心が動いてしまった。

 心の中で、何度もありがとうと言う事しか出来なかったけれど。それがケルベロスに伝わっているなら、今はいいかな。ニベちゃんにまで聞こえちゃうと恥ずかしいから。

 

「で、どうする?俺はどっちでもいいけどさ」

「え?なんの事?」

 

 ごめん、ケルベロスのこと考えてた。

 

「だから、あの正義の味方を倒しに行くのかっていう……」

「うーん、ピースちゃんにも聞いとく?」

「……まぁ、ケルベロス入れて四人、いや()()揃って『バック・ストリート』だもんな。聞いとくべきだろ。どちらにせよ、な。……ホント、アイツとお前強すぎんだよなぁ……」

「ニベちゃんが弱いみたいに言わないの。ピースちゃんは確かに……私以上に強いけど……多分、あの人には勝てないと思うよ」

 

 本心からの言葉を零す。ピースちゃんもニベちゃんも、勿論私も無力ではないけど、あの正義の味方相手じゃ微力に過ぎる。

 

「まぁ、今はひたすら強くなる、だね」

「その間あのツーマンセルも強くなる訳だがな」

「相変わらずネガティブだなぁ、ニベルコル」

「お前みてぇに楽天的じゃねぇだけだよ」

 

 また口喧嘩を始めるケルベロスとニベちゃん。それを私はまた諌めるのだ。

 ピースちゃん――【Peace by case】ちゃんが来るまであと少し。私達『バック・ストリート』は、今日も平常運転だ。




【暴食皇女 ケルベロス】
TYPE:メイデンwithアームズ。到達形態はⅤ。
黒いグローブの形。
黒いショートヘアに三白眼。乱暴で傍若無人な態度を取りはするが、意外と内面は優しい。ニベルコルとは犬猿の仲、といった所。

ヴァート・ヴェート
エンブリオのスキルか、或いは元からのステータスによるものなのか、STRは3万に到達している。九分九厘【暴食皇女】によるものだが。
アイラの一射をグローブで受け止める事が出来る位には強い。
路地裏にいるような、正道からズレた者に憧れた少女。
外れてはいない為にそこには正気があり、それ故の狂気がある。
【暴食皇女 ケルベロス】はその内にある「正気とも狂気とも呼べるモノ」と「そんな自分を否定しなかったデンドロの人達への感謝」に呼応した。


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第九十二話

 結局。何も起こらぬまま。なぁなぁで流したまま。

 一先ずカタルパ・ガーデンとニベルコルの敵対状態は解消された、と言える。

 勿論それは一時的なもので、彼ら『バック・ストリート』と正義の味方一行の戦いは、まだ続いて行く。

 双方の陣営にいるメイデンのエンブリオがその戦いに於ける鬼札であり切り札だ。

 そしてその札の枚数は、釣り合ってはいない。

 

□■□

 

 【Peace by case】。

 『バック・ストリート』最後のメンバーであるそのマスターは、現実世界が夜になった時の8時間だけ現れる。つまり、デンドロの世界では、三日に一度会える頻度だ。

 蝿の被害が出たのは現実世界では朝早く、カタルパ達が『バック・ストリート』を構成するニベルコルとヴァート・ヴェートに出会ったのが昼頃。奇しくもカタルパ達は、そのマスターに出会う事はなかった。

 

「へぇ、面白そうじゃない。私達の『上』にいる人を、叩き落とせるのね」

 

 と、彼女は口にした。

 彼女こそが最後の一角、【Peace by case(状況による平和)】である。

 その傍らには犬の被り物をした一見乱雑な雰囲気を与える少女、【暴食皇女 ケルベロス】とそのマスターであるヴァート・ヴェート、【堕落化身 ベルゼブブ】を使用していたニベルコルが居た。

 それで四人。然しながら『バック・ストリート』の総員は五名であり、マスターは三名だ。

 つまり、マスターではないメンバーが二人もいる事になる。

 そのうちの一人は言わずもがな【暴食皇女 ケルベロス】であり――もう一人は。

 

「ジャイアントキリング……でしたっけ?英雄譚みたいですね、マイマスター」

 

 【絶対裁姫 アストライア】の純白の衣装に負けぬ白さのワンピースを纏った、然れどヴァートのものとは違う天然の金髪で、印象をキッパリと分けている。

 だが顔立ちは淡白で、儚さすら演出している。

 乱雑で傲慢な【暴食皇女】とは裏腹に、質素なイメージを抱かせる彼女こそが、『バック・ストリート』最後の一人。

 

 それが【幻想針姫 シンデレラ】である。

 

「まぁ、そうして淘汰する事で私達が上に立ってしまったら、彼等もその上を取りに来るのでしょうけれど……」

 

 TYPE:メイデンwithアームズのエンブリオである彼女は、イメージとは違う、獣のような視線を開いてはまた、スっと閉じた。

 柔和な笑みを浮かべてこそいたが、その奥にある野性を見てしまってからでは、外見と内面の違いを嫌でも理解してしまう。

 

「――にしても、お前ら二人が組んでもあのいけ好かねぇ野郎には勝てねぇのか?」

 

 話が流れぬ内に、ニベルコルはその疑問を四人にぶつける。因みに今この瞬間も、ニベルコルは【堕落化身 ベルゼブブ】を生成しては箱に入れている。

 

「んー、まぁ、無理だと思うよ?私は『際限なく強くなる』。ピースちゃんは『際限なく弱くする』。対極にいる私達でも、『絶対に裁く』あの正義の味方には恐らく勝てない」

「同感ね。あと呼びにくいならピスケスで良いのよ?由来はそれなんだし。……取り敢えず、ステータスが変わる、と言うのならシンデレラの弱体が何処まで通用するかは未知数ね。最悪、弱体化させた側から改竄されて打ち消される、なんて事も有り得るわ。それに……シンデレラは攻撃をヒットさせないと弱体化させる事は出来ないの。ベルゼブブを全て叩き落とせるような相手に、一撃でも通せるとは思えないわ」

 

 サラリとシンデレラの情報を零しながら、ヴァートとPeace by case……ピスケスは勝ち目が薄い事を告げる。

 とは言えど、不可能であるとも言っていない。

 やってみなければ分からない、とは言うが、正にそれだろう。例え小数点の遥か先の可能性であろうとも、掴みにいかなければ、掴める事は無いのだから。

 

「俺のベルゼブブは相手を動けなくさせる事に特化したエンブリオだが……それで止めてもダメか?」

「あのね、貴方のベルゼブブは見えない訳じゃないから状況の確認が難しくなるの。私の為に道を開いてくれてもいいけれど、それはあの正義の味方が通れる道でもあるのよ?」

「……手詰まり、か」

「そ。だから私達は強くなるしかないんじゃない?って話。今すぐ勝たなきゃ行けない相手じゃないし……いつか倒さなきゃいけない敵、って訳でもない」

「おいヴァート、お前は先生に――」

「恩は感じてる。けど返そうとはあまり思わない。ピースちゃんもそうでしょ?」

「そうね。それに私は殺し方は学んでも、恩の返し方なんて学んでないもの」

 

 ヴァートとピスケスの切り返しに、思わずニベルコルは押し黙る。ここで逆上して彼に挑みにいっても、結果は火を見るより明らかだ。何せ一人では負けている。そしてそこから、自分は成長していない。大して、どころか全く。

 それこそ一対多ではあったが、あの様子では一対一でも勝てないだろう。あの【司祭】の強化が無くとも、【毒】、【麻痺】、【呪縛】は簡単な耐性装備が市販されているのだから。それさえあれば、後は『幸運になるだけ』、である。

 一、二、三を出さねばならないのに四五六賽を振っている気分だ。それでは文字通り勝ち目がない。

 だからこその説得であったが、それはそれでたった今失敗した。

 ならば打つ手はない。それに彼女達が言う事は正論なのだ。ただ挑み続けていれば、いずれ勝てる相手という訳でもないのだから。

 

「……分かった。俺も無理に勧めすぎた。だけど……俺達が強くなるってのに、アイツらが止まったままだ、とも思えねぇ」

「「「「そりゃあね」」」」

 

 女子四人の声が重なる。その息の合い方に自然、ニベルコルの口角が上がる。

 

(まぁ、暫くはこうして遊ぶってのも、いいのかもな……)

「あぁ、そうして貰って構わない。出来れば永久に」

 

 然し、上げたその口を真一文字に結ばなければ、その来訪への正しい対処が出来なかっただろう。

 それ程までに、『覚悟』しなければならない相手だった。

 駄々漏らしの殺気に見て見ぬフリは出来ない。例えそれが、自分が尊敬する相手であっても。

 ――彼女達を手にかけよう、と言うのならば。

 

「何故……来たんです、先生っ!」

「来てはならない法はない、から」

 

 そこに居たのは――彼等に殺気を向けているのは――【諸悪王】エイル・ピースだった。

 禅問答のような答え方に、少しだけ苛立ちを覚えながら、服の中に蝿を充満させる。その間にケルベロスとシンデレラはそれぞれマスターの手の内に収まった。

 ケルベロスは荒々しい野性的なデザインのグローブに、シンデレラは時計の針を模したような長剣と短剣に。

 屋内であるが故に、エイルが【龍幻飛後 アジ・ダハーカ】を呼び出す事は恐らくない。彼は自ら悪事を働こうとはしない『きらい』があったからだ。

 悪の先導者であって、扇動者であって。悪人ではない、と宣う訳である。それこそが彼のカリスマの由来なのかもしれないが。

 兎角ニベルコル達がカフェテラスから出ない限り、エイルは全力を出せない。ならばここで撤退させる必要がある。

 それに【諸悪王】としての唯一のスキルは《其は玉座を手放し巨悪を敷く(コンシアス・イヴィル)》。発動モーションはカッコいいのだが、効果は相手を全快させて10分間解除不可の【睡眠】状態にさせるだけのもの。その際自身及び仲間は一切攻撃出来ず、一定時間快復させられた対象は【諸悪王】を認識出来なくなるというオマケ付き。

 生き残る事に特化したスキルには、苦笑しながら嘆息出来る所だが、逆にそれを使われてしまっては逃がさざるを得ないという謎のスキルだ。逃げる事と生き残る事、そして再び悪を蔓延させる事に特化したスキル。ある意味、諸悪の王にはピッタリだ。

 今回に限っては、そんなものさえ使うかどうかは怪しいが。

 ドゥルンドゥルンと不気味な駆動音が鳴り響く。カタルパ達の破壊行動に慣れたのか(良くない慣れだ)、店の者達の行動は早く、既にニベルコル達以外に影はない。

 【オステオトーム】の一閃。飛び退いた3人は冷や汗を流す。

 その一閃はあまりにも速く、躱すので精一杯だったからだ。

 それで尚、《廻り回る断絶の刃(オステオトーム)》で速くなるという。

 彼等が強くなる前に……エイル・ピースは強くなっていた。

 

「彼等を止めていいのは私だけだ。妨げとなる事も許さない。私が仕向けたならまだしも、私ならざるモノが、私の意向無しに、そうする事を許さない。私に関係する誰であろうと、私を妨げたお前達を、私は必ず潰す――《三種の辛苦(アジ・ダハーカ)》」

 

 必殺スキルの宣言。だがあの巨龍の影は無い――のに。

 だが……巨龍の影は無かったが、【諸悪王】の影に、光る目が六つ。

 

「師が従を処す……これはとても、悪い事、だな」

「っ……二人とも逃げろっ!!」

 

 一面を蝿が覆い、たった一筋、彼女達に逃げ道を示したニベルコル。

 止めようとヴァートは手を伸ばしたが、好機を逃すまいとピスケスがヴァートを抱えて走り出す。

 

「まって、ニベちゃんが――」

「止めっないからっ!!」

 

 藻掻くヴァートを抱えて走る。

 死の概念を付与されて、命からがら彼女達は逃走した。

 

□■□

 

 他方、ある正義の味方は。

 

「……ん?」

「どうしたんだい?……なんてのは愚問だね」

 

 【刻印】を刻んだあるマスターがデスペナルティになった事を、感じ取った。

 

「行くかい?」

「いつもなら行かなかった、だろうな」

 

 それは回答だ。二人一組(ツーマンセル)の正義の味方は、来た道を引き返すように、駆け出した。




【幻想針姫 シンデレラ】

TYPE:メイデンwithアームズのエンブリオ。
【暴食皇女 ケルベロス】が『強くなる』ならこのシンデレラは『弱くする』。対極にいるかのような二人は、割と息があっている。


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第九十三話

 ニベルコルがデスペナルティになった。

 ただそれだけの事であり、それまでの事だ。それ以上思う事は、思うべき事はない。

 正義の味方にとって、悪が減るのは善い事である筈なのだから。

 だから、感化される事は無い。感化される事などあってはならない。

 善が悪を助ける、なんて展開は特撮の世界だけで充分だ。

 本当にそんな事をするのは、お人好しぐらいで充分だ。

 だから――

 

「お人好しだから、向かう訳だ」

 

 正義の味方は、走っていた。

 

□■□

 

 悪人。【諸悪王】の前では巨悪も粗悪も差がない悪ではあるが、当人達にとっては差異があるもの。

 『巨悪』という悪。『粗悪』という悪。『改悪』『害悪』『劣悪』『新悪』『性悪』――悪。悪。悪。

 多種多様。千差万別。

 どれも悪。善と二項対立を成すもの。そこに差異はない。

 つまり悪の差異が――そのあまりにも曖昧な境界が散滅するのは、正義の味方が『それ』を見た時、そして「悪であればその内容を問わない」者がそれを見た時に限られる。

 それ以外が見た時、5W1Hを使って悪を数値化、或いは具体化し、悪の尺度を作り上げる必要がある。つまり『悪の原器』が必要となる訳だ。

 『悪』という概念を『悪』たらしめる為の外界からの要因。それこそが一般的に価値観と称されるものであり、それこそが『悪の原器』なのである。

 それを善いと思う悪いと思うは人それぞれであり、それが悪の尺度が人によって違う事を如実に表している。『悪の原器』は人口の数だけ存在する、という訳だ。

 だが、だがしかし。人によって違うのであれば、如何にして善と悪の境界は引かれるのか。

 善の象徴、正義の女神は果たしてどのような論理展開を以て称したのだろうか。

 善は。悪は。一体何処にある?

 

 神話に投げ掛ける理論。

 神話に問い掛ける愚問。

 正義の味方は英雄ではない。英雄でないから、神話には居ない。

 筋骨隆々の大男と共に試練を乗り越える事も。竪琴を携えた優男と共に再愛の者との再会を願う事も。最愛の者を見る事が叶わぬ青年と魔王を討伐する事も。刀一本のみを引っ提げた男と共に草を薙ぐ事も。手に毛糸玉を持って迷宮を踏破する事も。

 彼には――カタルパ・ガーデンには出来ない。神話に名を残す資格が無い。

 だからこそ真に傍観者として野次を飛ばそう。

 真に正義の味方として。英雄と正義の女神を――神話を、敵に回そう。

 【数神】が神を敵に回すという。ふざけた話だ。だが【数神】とはあくまで職業の名であり、彼自身が神である事を肯定するものではない。

 容赦なく、躊躇なく敵に回せる。

 然しながら、取り敢えずは。

 敵に回すのは、回すべきなのは。

 

「お前しかいないよな、【諸悪王】」

 

 二人の少女に鋸を向ける、男だった。

 

■【剣聖】Peace by case

 

 突如私達と先生の間に割り込んで来たのは、燕尾服の青年と、白銀の少女だった。

 話に聞いていた私達の『上』だろう、と瞬時に思い当たったけれど、それと同時に迷った。

 まるで、私達を助けるかのようなその態度に、困惑してしまった。ヴァートが口を開けてポカンとしている。私と同じような事を思っているんだろうし、実際私も似たような表情を浮かべているんだろう。

 正義の味方。悪の敵。

 なら何故、彼は悪を前にして悪を助けるのだろう?

 善は悪を区別しない。悪は悪。つまり敵。

 私達と先生、どちらも悪なら、彼にとって私達三人に差異はない筈。天秤は釣り合っている筈。

 なら……何故彼らは私達を助けるような動きをするのだろうか。

 お人好し……とかは考えづらい。

 それなら彼は正義の味方ですらなく、ただの自己犠牲の塊じゃないか。

 

「さて、諸悪の王様?相手が代わってしまっても良かったか?」

「ああ、構わない。寧ろ本命を此処に来させる為に、一人の犠牲で済んだのだ。安い安い」

 

 逐一正義の味方を逆撫でしにかかる先生。

 だが、二人の正義の味方はどこ吹く風、と言った感じだ。

 慣れか……それとも全く違う『何か』か。私には分からない、反応。

 別に読心術に長けている、とかそういう訳ではないけれど、底が見えないという事実は、どうしようもなく理解出来た。

 この人達は――勿論先生も含めて――壊れている。

 他者を悪にする事しか考えていない人と、眼前の巨悪を潰す事しか考えていない人達。

 自分みたいな人間を棚に上げる訳じゃない。ただこの人達の、所謂壊れ具合は常軌を逸している。私達みたいな人間が立てる次元にない。

 届かせたいとは永久に思わないだろう次元の壊れ方。一体どんな人生送ってきたのよこの人達……!!

 

 ――不意に。小説みたいな言い方をするなら刹那の内に。

 三人が消えて、静寂と、私達だけが残された。

 すると後ろから、私達と同年代くらいに見える少年が歩いてきた。

 

「取り敢えず街中でドンパチされても困るからね。愚痴は後で聞くとして。君達は……あれ?二人だったっけ?」

 

 この人も話に聞いている。

 〈超級エンブリオ〉【平生宝樹 イグドラシル】の持ち主、【司教】のアルカ・トレス。

 植物がある限り死ぬ事はない、化け物。

 ヴァートが漸く平静を取り戻したのか、アルカに語り始める。

 

「ニベちゃんはデスペナになったわ。私達も……先生に追われていただけだし」

「ふーん、成程?さて、それはそれとしてどうしよっか。君達ってアズール……カタルパ・ガーデンの言う『悪』だよね?」

 

 そう言いながら、何処からともなく木の幹が伸びてくる。

 そうか、この人も『壊れている』人か。

 カタカタと双方の手に握られている剣が震える。

 それは『上』を倒せる好機と思って武者震いしているようにも思えるし、ただ強者に踏み潰される事を懸念して震えているようにも思える。

 こういう時に感情が動かない私も私だが、その辺シンデレラがオーバーリアクションを取ってくれるから釣り合っているという事にしよう。そうしよう。

 この世界の人だって、どの世界の人だって、()()()()()()()()()壊れているんだもの。

 でも……取り敢えずはヴァートだけでも守らないと。

 彼女だけは、死んでしまったら元も子もないから。

 

「どうしよっか。本当にどうしよっか。僕の独断でやっちゃっていいのか……それとも?難しいね、こういうのって。ホラ、僕って考えるの苦手だから」

 

 勝手な自分語り。しかも私達がそれを知っている前提で進んでいる。

 これ、付き合わないと行けないかな……?いや、このまま30秒経過させてヴァートだけでもログアウトさせようか……?

 チラリと横目で伺うと、ヴァートは小さく首を横に振った。

 どういうこと?と聞く前に答えが分かった。

 蔦が、私達の脚に少しだけ絡み付いている。【平生宝樹】が……私達に接触している。

 ……え、何コレ。ただの脅迫じゃん?ああやって悩んでいるのは……フリって訳?

 でも……だったらだったで、私達が勝てるの?

 

 そんな折、震えが止まった。私の震えは止まってない。止まったのは両手の剣だ。

 

『「上」。倒すんですよね?マイマスター』

 

 そう言われて、退ける私じゃなかった。友達を守る為にも。

 『上』を獲る為にも。

 幻想は、現実に手を伸ばす。

 

「《今宵は一夜限りの夢(シンデレラ)》」

 

 友を救う為。それだけの為に。



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第九十四話

 辺り一帯。半径にして240メテル。

 【司教】アルカ・トレスを中心に、その範囲内の植物が一斉に死に絶えた。

 ある大木は自らの寿命を終えたかのように。

 またある大木は圧倒的な力により砕けるように。

 またまたある大木は内に仕込まれた爆弾により破裂するように。

 

 アルカ・トレスを爆心地として、一片残らず死に絶えた。

 勿論、ヴァート・ヴェートとピスケスに絡み付いていた蔦ごと。

 

「走ってっ!!」

「っ、うんっ!」

 

 ピスケスの一声、ヴァートの応答。アルカは戦闘職ではなく、攻撃手段である木はこの240メテル内に存在しない。〈超級エンブリオ〉になったイグドラシルが操れる範囲は自身を中心に半径300メテル。肩代わりの為だけに操作可能範囲の80%が消え失せた事になる。

 アルカが強化をする人間だったからこそ、その結果を迎えた。

 

 【幻想針姫 シンデレラ】の必殺スキル、《今宵は一夜限りの夢(シンデレラ)》は、その名の示す通り一日に一度しかつかえないもので、効果は以下の通りだ。

 『対象の特典武具とエンブリオ以外によるステータス補正を全て解除し、解除する事で下降したステータスの合計分のダメージを与える』

 そう、アルカが強化役であったが故に、『刺さった』のだ。

 さながら特攻のように。

 アルカを数十回殺して尚あまりある威力の一撃は、残念ながら肩代わりされてしまったものの、半径240メテルの植物が消え失せた。

 駆け出すヴァートを止める術を、アルカは持ち合わせていない事になる。

 残りの60メテル内にある植物でバリケードを作った所で、カタルパ達の一射を止める程のSTRの持ち主だ。砕かれるに違いない。

 

「だからこれで、ヴァートは逃げられる」

「なら僕は君を逃がさない」

 

 ミシリ。遠くから何かが動く音。ヴァート・ヴェートを捉える為ではなく、ピスケスを殺す為にイグドラシルが起動した。

 《繋ぐ世界・鎖の橋(ビフレスト)》により再び強化され、伸び、檻を形成する。

 既にヴァートは距離をとり、範囲の外にいる。

 《森輪破壊(メイキング)》によりアルカのポケットから零れた植物の種子が芽吹き、さながら、三百メテル先の大木と眼前の樹木にサンドイッチされたようだ。

 笑えない冗談だったが、それでもヴァートがそうなるよりはマシだった。ピスケスにとって、それは幸いだった。

 

 ――とは言えど、ピスケスは言う程に、『バック・ストリート』に思い入れがある訳ではない。言うなれば、自分の命を投げ打ってまで、ヴァートを守ろうとする心算は、本来は無かった。

 だがこの強敵を前に、逃がす大義名分と共に、『上』を踏破出来る可能性があるならば。それを掴みに行くのがピスケスだった。

 それに。彼女は三人の中で一番()()()()()()()

 彼女の護衛役であった筈のニベルコルがデスペナルティになった今、必然的にピスケスがヴァートを守らねばならなかった。

 二つの意思、二つの目的が、一つの行動を生み出した。

 だがこれは……最善だったのだろうか?彼女自身にすら分からない。けれども……

 

「この選択をしなければ、私は後悔してしまう」

『だからこそ、貴女は私のマスターです』

「えぇ、知ってるわ、質素で卑劣なお嬢様」

 

 一見矛盾する単語を並べて、ピスケスは笑う。

 シンデレラの表情は双剣と化しているせいで伺えないが、驚いているか、呆れているか――そうでなければ笑ってくれているだろう。

 

「《灰を被りて灰を真似る(アッシュ・トゥ・アッシュ)》」

「あぁ……ヤダなぁ……僕は戦う事は得意じゃないんだけれど……」

 

 そう言いながらも檻の中心の樹木が捻れ、歪曲し、歪に、歪な龍を形成する。花開き、枯れ、実を結び、種を落とし、再び芽吹く。幾度となく繰り返し、繰り返す。かくして禍々しい暴龍は誕生する。

 

「言わなくてもいいんだけど、《虹に繋がれし九極世界(イグドラシル)》。はぁ……()は、戦いたくないんだけどなぁ」

 

 どの口が、と思いつつも確かに戦うのは彼自身ではなくこの暴龍だ。この暴龍にして、この暴論あり、である。

 

『SUOHHHHHHHHH!!!』

 

 アルカ・トレスと【平生宝樹 イグドラシル】。ピスケスと【幻想針姫 シンデレラ】。

 嘗てのアルカ対カタルパを再燃させるかのように。

 二人は激突した。

 

□■□

 

「さて……どうする?」

「殺し合うしかないだろう、カーター。目の前にいるのは諸悪の王で、私達は正義の味方だぞ?」

「そう、だな。そうだった。いや、今更忘れていた訳でもないが……再確認はした」

「しつかりしてくれよカーター。いくら偽善者と言えど、それは悪になっていい訳ではないよ?悪を許すのは、また悪だ」

 

 正義の敵が正義、みたいに言うならね、と【絶対裁姫 アストライア】は語る。

 それに微笑を浮かべながらもカタルパ・ガーデンの視線は自然、エイル・ピースに移る。当然、彼の影に潜んでいるであろう、イグドラシルとはまた違う暴龍――暴龍にして邪龍、邪龍にして蛇龍、【龍幻飛後 アジ・ダハーカ】にも、目を向けている。

 あれが影の中から這い出てくるだけで、カタルパ達の勝率はガクンと落ちる。だがそうでなくとも、影の中にいる間はスキルが使えない、なんて保証も無い。ただ現状で分かることと言えば、アジ・ダハーカがいるが故に、【転移模倣 ミミクリー】が使えない事か。

 アイラとカタルパが二人一組(ツーマンセル)になった事で、ミミクリーでは文字通り手が足りない。一つしか模倣出来ないのだから、二つのものを相手に出来ない。それならば、アジ・ダハーカを使用した方がカタルパ達には有効だ。

 無垢な悪(イノセント・イヴィル)にして諸悪の根源(ルーツ・オブ・オールイヴィル)。だからと言って(否、だからこそ、か)考えなしではない。エイルもまた、前に進んでいる。

 例えそれが、カタルパ達と逆方向だとしても。『前』には、進んでいる。カタルパ達にとっての後でも、前に。

 彼等が前にすすんだ分だけ()に進まなければ、カタルパとエイルが、『釣り合わない』から。

 

「数十日ぶりの親子喧嘩だねぇ」

 

 と。エイル・ピースの喉で庭原 椿は言った。そこには呆れも哀愁も懐古も無い、単純で純粋な喜びがあった。

 第6形態、【Cross weapon】を腕に纏うアイラと、【怨嗟連鎖 シュプレヒコール】と【七天抜刀 ギャラルホルン】を握るカタルパ。

 左手に【禁牢監叉 デルピュネー】、右手一つで【歯車鎖刃 オステオトーム】を担ぐエイルと、その影に潜む【龍幻飛後 アジ・ダハーカ】。

 何度目かの――実際にこの相対は二、三度しかないが――組み合わせ。

 王と神の相対。善と悪――正義と悪の敵対。

 

 ――いざ尋常に、始め。

 

 そんな合図も無く、その場の全てが牙を向きあう――かに思えた。

 

「……え、なん、で……ここに……」

 

 水を差すように聞こえた少女の声。

 カタルパ・ガーデン。【絶対裁姫 アストライア】。エイル・ピースに続く、第四の人間。

 ヴァート・ヴェートというイレギュラーさえ無ければ。

 彼等だけで、凌ぎを削れたものを。

 三つ巴は、秩序を失い混沌に落ちる。



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第九十五話

 理由は何も無い。

 あったのは多少の偶然と、唯一の必然だ。

 カタルパ達が度々行うワープは、【平生宝樹 イグドラシル】のスキル、《繋ぐ世界・鎖の橋(ビフレスト)》によるものだ。アルカ・トレスの延長線となった植物へと、対象を移動させる事が出来る。その際、アルカ・トレスと目的の植物までは根や幹などで物理的に接続されていなければならない。そうする事で、対象をまるで栄養を運ぶかのように植物の内側を移動させるのである。

 ただ、【平生宝樹 イグドラシル】が操作可能な範囲は半径三百メテル。物理的な接続があっても《繋ぐ世界・鎖の橋》で移動させられる範囲も、当然限られる。

 つまり、ヴァートとピスケスが出会う前に『飛ばされた』カタルパとエイルは、必然的に半径三百メテルの近くに居たのである。

 勿論アルカはその時移動していた訳だから、微妙にその範囲はズレてはいたが、そんなものは最早誤差だろう。

 結果、「偶然」逃げた方向が悪く、「必然」そこに飛ばされていたカタルパとエイルの前に、「偶然」ヴァートが居合わせてしまうという、最悪の状況が発生していた。

 

□■□

 

 街からは外れているが、その場所は平地であり――今となっては樹木が一掃されてよりその地形が分かりやすくなっている――当然、カタルパやエイルにも木々の消失は見て取れていた。

 だがそこに視線を向けたのは刹那の事であり、刀を向けて相対したその時に来たのが、ヴァートだった。

 あまりにも不運。こればかりは神を呪ってもいいだろう。ヴァートは三人を視界から外さずに天を仰いだ。

 正義の味方の二人一組(ツーマンセル)は兎角、先生と仰ぎ尊敬していた諸悪の王にまで命を狙われているのだから。三人にとって自分がどれ程ちっぽけな存在であろうと、誰一人自分を逃がそうとはしないだろう。

 

 何せ自分は、粗くとも小さくとも軽くとも――悪、なのだから。

 エイル・ピースも、カタルパ・ガーデンも、【絶対裁姫 アストライア】も、こんなちっぽけな悪を見逃しはしない。見過ごしはしない。

 それを理不尽とは思えない程度にヴァート・ヴェートは『終わっていて』、それでいて未だ希望を探す辺り、終わってはいない。

 正義の味方が断罪するのが先か、諸悪の王様が己が手を悪に染めるのが先か。

 或いは――

 

『賭けるしか、ないよねぇ?』

 

 窮地だと言うのに、拳に纏う【暴食皇女 ケルベロス】は笑っている。

 ()()()()()()()()。それはヴァートと同じくらいに、若しくはそれ以上にケルベロスが理解している筈だと言うのに。

 

『いいじゃないか。そうなったとしても、デッドエンドだけど……ゲームオーバーじゃあ、ないからね』

「そんな楽観的には、なれないかな」

 

 ここまで来たのが、無駄になっちゃう。

 泣きそうなのを堪えてヴァートは言う。強い意志を宿して言葉にする。

 それに、ケルベロスは『流石はアタイのマスターだ』と再び笑った。

 

「行くよ、ケルベロス」

『あいよ、マスター』

 

 そこまでの会話は七秒に及んだ。当然その間、エイルもカタルパも動く事は出来た。なのにしなかった。その意味が、果たして現在の彼女に理解出来ているのだろうか?

 

「『《喰らわねば(ケル)――』」

 

 分かってはいないのだろう。だから叫ぶ。

 心から。魂から。全身全霊で。全力全開で。

 轟く二人の咆哮は、獣のそれだ。

 

「『――生き永らえぬ(ベロス)》!!!』」

 

 それを、正義の味方と諸悪の王は、笑って見ていた。

 

□■□

 

 《喰らわねば生き永らえぬ(ケルベロス)》。

 恐らく、正義の味方一味、諸悪の王、『バック・ストリート』メンバーの中で、一二を争う性能を持つアクティブスキルだろう(この中でアクティブスキルで無いのは《虹に繋がれし九極世界》と《愚者と嘘つき》の【刻印】付与効果の方である。正義の味方一味に偏っている)。

 そもそも。【暴食皇女 ケルベロス】の能力とは何なのか。

 《不平等の元描く平行線(アンフェア・イズ・フェア)》により超強化された一射を止める程のステータス補正を、【暴食皇女 ケルベロス】自体は有していない。ならばスキルによるものである。

 それこそは《スーサイドオーダー》。

 装備者が得る経験値を99%吸収し、そのリソース分ステータスを強化するというパッシブスキルである。

 そのスキルの性質上、ステータスは馬鹿げているがヴァートのLvは高くない。500は愚か200にも満たない程に。

 その為、Lvの差により効果が違うものを使用されると滅法弱い。勿論、Lv差によって失敗するといった《看破》等への耐性も低い。

 そしてもう一つ、《スーサイドオーダー》には決定的なデメリットがある。

 それこそが死んではいけない理由。

 単純な話だ。デスペナルティになった時、《スーサイドオーダー》による強化が全て解除されるのである。

 経験値は返ってこない。ステータスも返ってこない。帰ってきても、あるのはLv200にすら満たない弱者のみ。

 経験はあっても経験値は残らない。

 自殺の命令、或いは順序。死ぬ為の流れを騙るスキル名ではあるが、実態は『それらを想定し、否定せよ』という事だ。

 誰よりも死んではならず、誰よりも醜く生き永らえる必要がある。

 それこそ仲間の命を喰らってでも。

 《喰らわねば生き永らえぬ(ケルベロス)》……それは確かに、合点の行く名前だった。あまりにも、皮肉が効いていたが。

 

 開けた原野に樹木の檻。

 その外には、獣がいた。

 【暴食皇女 ケルベロス】の姿が想起されるからか、それとも野性を解放したような気配からだろうか、『どちらかと言うと悪』とカタルパに評された時のように、今のヴァートは『どちらかと言うと獣』と言えてしまう程の野性を備えていた。

 外れているのではない。微妙にズレているのだ、彼女は。ヴァート・ヴェートというマスターは。

 その結論に至るのはあまりにも容易く、だからこそ、万人に理解されるからこそ――彼女の本質は誰にも理解されない。

 正義にもなれず悪にもなりきれず。人からズレて獣に片足を突っ込んだ。

 ヴァート・ヴェートには野性と理性が混在していて、善と悪が共存していた。

 カタルパ・ガーデンが智力の化け物で、ミルキーが武力の化け物で、アルカ・トレスが勇気の化け物で、セムロフ・クコーレフスが疑心の化け物で、エイル・ピースが愚弄の化け物だと言うのなら。

 ヴァート・ヴェートは『最も化け物に近い人間』なのだ。人間離れこそしていないが、正道からはズレている。だが外れていない。

 つまりは半端。中途半端なのだ。

 それでも、半端で何もかもの『なりそこない』だからこそ得られた自我があって、仲間が居て、一心同体のパートナーに出会えた。

 

 ――だからその為なら、正義にでも悪にでも人にでも獣にでも化け物にでもなってやる。

 

 ――どうなったって、私がそれを守りたいという意志は、変わらない。

 

 ヴァート・ヴェートの野性と理性が調和して、化け物に獣が牙をむく。

 まだ戦いは、始まってすらいない。

 

□■□

 

 木の槍を、間一髪で躱す。蛇のようにしなり、雨のように降り注ぐそれを、余裕を持って躱しきることなどピスケスには出来ない。

 出来るのは精々、双剣をもっていなしながら攻撃を当てる事くらいだ。だが【幻想針姫 シンデレラ】による弱体効果がある為、それでも充分だった――のだが。

 

『弱体した側から強化されて……』

「それにあっちの方が上だからジリ貧なのよねぇ……」

 

 そこは経験の差か、〈エンブリオ〉の進化形態の差か。〈超級エンブリオ〉の名は、伊達ではないようだ。

 強化倍率を上げる効果を有している【平生宝樹 イグドラシル】の強化を上回る速度での弱体は、シンデレラには行えない。唯一の希望であろう《今宵は一夜限りの夢(シンデレラ)》も、日に一度しか放てないスキルで、ヴァートを逃がす為に使用してしまった。

 分かりやすい万事休すだ。これなら諦めはつくのだが、ヴァートの安全が補償されない以上――ここで倒したからといって三日後、或いはそれ以降にこうした事が起こらないとは限らないが――三日の安寧が確約されない以上、ここで止めるしかないのだ。

 倒せなくとも、足掻くしかない。

 それがピスケスのすべき事、なのだから。

 ――然し。空気を読まないのがアルカ・トレスの特徴である。

 

 ドスッ。

 

 嫌な音が、自分の胸から聞こえた。

 降り注ぐ木の槍は余裕はなくとも完全に捌けていた筈だ。

 なのにふくよかな胸部を裂いて、深々と、木が紅く染められて、ピスケスの身を穿いている。

 ――助からない。それは瞬時に悟った。ただ原因が分からず、ピスケスは天を仰ぐ。するとどうだろう。

 

 天へと伸びる、紅く染まった槍の穂先が見えた。

 

「…………あぁ、そういう」

 

 失念していた。敵は、植物じゃないか。

 ()()()()()()()()()()()()()

 上から降る槍に夢中で、下を見ていなかった。

 こんな『当たり前』なんて言葉が形骸化した世界で。まさか『当たり前』に則って殺されるとは。

 「木の槍」と形容していたのも良くなかった。あれを「枝」などと形容していれば、植物的な構造の話に触れて、地下の根にまで注意が行っただろうに。

 何とも呆気なく終わってしまうものだ。

 

『マイ、マスター……』

「どう、したの、かしら?」

 

 言葉と共に血を吐きながら、最早気道の安全すら危ういと言うのに、ピスケスは未だ両手に収まるお姫様に応える。

 

『……ごめん、なさい』

 

 口をついて出たのは、無力感に打ちひしがれるような、そんな弱音、謝罪だった。

 

「いいのよ……でも、次は――」

 

 勝ちたいね、とは続かない。

 彼は空気を読まないのだから。

 言葉を遮るように降り注ぐ雨に、串刺しになった少女が更に穴だらけになる。

 光の塵と多少のアイテムを残して。Peace by caseは敗れ去った。

 

「やれやれ、解除されたから無駄に時間がかかったな……どうしよ。アズールのトコに行こうかな……」

 

 殺した事に思う所は無いのだろう。アルカはいつもの調子で、そう呟いた。




( °壺°)<これでニベルコルとピスケス。二人の『バック・ストリート』メンバーがデスペナルティになりましたね
( ✕✝︎)<……アルカェ……
( °壺°)<彼、嘗ての常識人枠なんですよ


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第九十六話

 粗悪と巨悪と正義。

 盤面に居たのはそれだけであり、それ以外は檻の中に居た。もっとも、その檻の中には、既に一人しか居なかった訳だが。

 時間軸としては、彼と彼女、アルカ・トレスとピスケスの戦いに決着がついた、正にその瞬間。そんな時、事態は動く。

 

「《廻り巡る断絶の刃(オステオトーム)》」

 

 巨悪がそう、唱えたのは。

 

「《延々鎖城(フレーズ・ヴァルトブルク)》」

 

 正義がそう、唱えたのは。

 

「《インサルト・オーダー》」

 

 粗悪がそう、唱えたのは。

 奇しくも同時であり、王と神と獣が動いたのもまた、同時だった。

 そこに最早、只人は居なかった。

 檻の中の龍だけが、それを見ていた。

 

□■□

 

 《廻り巡る断絶の刃》と《延々鎖城》の説明など、今更必要ないだろう。然らば、《インサルト・オーダー》の説明をせねばなるまい。

 《インサルト・オーダー》。《スーサイド・オーダー》と同じように、『命令』を意味する用語が入っているが、それもまた《スーサイド・オーダー》と同じく、その『命令』をしない事を強要――してはいない。

 《インサルト・オーダー》は寧ろ、遍く全てを陵辱(インサルト)する事を推奨している、と言える。

 条件は『パーティーメンバーが自分一人である事』。

 効果は『24時間以内にデスペナルティによって減少したパーティーメンバーの数に比例したステータスの上昇』である。

 勿論、彼女達『バック・ストリート』のメンバーは全員一つのパーティーに収まっている。

 シンデレラとケルベロスの二人は《紋章偽装》を持っておらず、パーティーメンバーには含まれていない為、ヴァートのパーティーメンバー数は三名となる。

 とすれば現在――ニベルコルとピスケスがデスペナルティになった現在、ヴァート・ヴェートは一人であり、デスペナルティになった二人分補正が入る。

 他者の死ですら、獣である為の証明にする。

 哀悼だとか復讐だとか、そんなものすら陵辱して行く。

 【暴食皇女 ケルベロス】が()()であればある程、ヴァート・ヴェートの人間性は損なわれて行く。

 『命令』に対処すればする程に。

 『粗悪』を掲げれば掲げる程に。

 

 それは、正しくない、のだろう。

 正義の味方にとってではない。自分自身にとってだ。

 それでも、間違えてでも、時に踏み外すのが人生だ。

 踏み外す事が許されない世界から逃げてきたのだから、ここでどれ程踏み外しても、構わないだろう。

 ――踏み外しても、共に歩んでくれる者達がいる、この世界なら。

 間違えても、間違えない。

 

 そんな獣は、先ず諸悪の王へと駆け出した。

 

□■□

 

 拳と鋸が衝突する。トラック同士が全速力で正面衝突したかのような衝撃が二人を中心に生じ、カタルパは一歩退る。《延々鎖城》が発動しなかったのは、間に合わなかったからか、それとも自分への敵意ではなかったからか。未だ妨害の判断基準がカタルパ自身にも分からない、謎の多いスキルである。

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 叫ぶ。理性を燃焼して力に変えているような少女は、単純ながらも強力な一撃を無慈悲に放ち続けている。だが、『愚弄』の化け物も的確に対応し、適度に受け止め適度にいなしている。HPも最低限にしか減じていない。

 これでは王の体力を削り切る前に獣が倒れる。それは神の目でなくとも明らかであり、誰からの目でも明らかだった。そう、獣自身にも。

 《スーサイド・オーダー》のデメリットは無視出来ない――どころかその為に死んだ二人(シンデレラを入れて三人か?)を思えば、寧ろ死んではならない。そうなると益々、自殺(スーサイド)なんてしていられない。彼等の思いもまた、残さず平らげなければ。陵辱して、しきって、糧にしなければ。

 自殺(スーサイド)には反発し、陵辱(インサルト)は受け入れる。対極の対応、同一の方向性。己が人間性すら糧となる最悪の方向性。

 だがそれが、自身の粗悪の証明なのだ。

 それしか、自身の粗悪を証明出来ないのだ。

 だからヴァート・ヴェートは、立証する。

 反発と享受を繰り返し、自殺をせず陵辱を繰り返し、前に進む。自身の感情も陵辱して、ただひたすらに野性のままに前進する。本能が告げた命令のような衝動に、身を任せる。

 そして。

 

 ――その拳は、断たれた。

 

「――届かない、かぁ……指一本でさえ、先生には……」

 

 物理的に断たれた右腕を見て、粗悪の獣はそう零す。それと同時に骨と肉を晒しながら血が溢れた。

 痛みは無いが、当たり前にあった筈の右腕‪が消えると言うのは、精神的に来る。とても正気を保ってはいられない。

 だがカタルパと違い、理性を捨てた獣は止まることはない。理性が無いからこそ、その痛みで立ち止まらない。ただ前へ。まだ脚は絶たれていない。

 

「《インペリアル・オーダー》ァァァッ!!!!」

 

 最後の『命令』。残された僅かな意志で、獣は叫ぶ。

 もうどろどろに溶けて原型を失った心が、そう叫べと『命令』していた、そんな気がした。

 それは、こんな粗悪を支えてくれた、二人の友人のお陰かもしれない。

 もう二人とも此処(世界)には居ないけれど、()には居てくれている。

 

 まだ獣と王の決闘は、終わらない。

 

□■□

 

 完全に忘れ去られた存在であろう正義の味方は、木の檻にもたれかかっていた。

 すると檻の内側から声がした。

 

『ねぇ、見守る心算なの?』

 

 言わずもがな、アルカの声だ。カタルパは「あぁ」と短く答えてから、改めて戦局を窺う。

 

「まぁ、あの一対一に加わってもいいんだが……俺とアイラで荒らしてもいいんだが、それは味がない。それに……親子喧嘩はもうしたからな。師弟だって喧嘩しておくべきだろ」

 

 本心からの意見に、流石のアルカも戸惑った。二人も悪がいて、それを見過ごすなど。

 だがそれは杞憂だった。続いた言葉でアルカは気付かされた。

 

「二対二よりは、二対一にしておきたいしな」

 

 彼は、悪が『減る』のを待っているだけなのだった。

 無駄な戦いは避けたい、という理論なのかもしれないし、疲労させてからの方が楽に倒せる、という風に考えているのかもしれない。智力の化け物なのだから、何を考えているのか勇気の化け物に分かる訳が無い。だから本心からの言葉であると理解した上で、その理解をアルカは心の何処かで拒むのだった。

 

「だから今は、傍観しておくよ」

 

 そうすると良いよ、とも返せなかった。アルカはカタルパに心酔しているが、それでも理解出来ている所など、表層だけでしかないのかもしれない。嘗て『庭原 梓』検定なる巫山戯た検定があったら、一級の資格を取れるだろう、という風に宣ったが、あくまでそれは、庭原 梓の表層検定でしかなかった、と訂正しよう。

 庭原 梓の内側、或いは裏側を理解できる者など、庭原 梓本人か、その劣化品にして別者のカタルパ・ガーデンか、若しくはその写し身である【絶対裁姫 アストライア】くらいのものだろう。

 理解されないからこそ、それは化け物なのだから。それが『正しく』て、それが『善い』事なのだから。少なくとも、化け物自身にとって。

 いつも、いつまでも理解されないまま時は過ぎて。

 そんな折、獣と王の戦いには終止符が打たれた。

 

「……んじゃ、やるか」

 

 カタルパ・ガーデンが木の檻から身を離す。静観を決め込んでいたアイラも、そこで漸く【Cross weapon】を展開した。

 

「一応、名乗りあった方が戦いっぽいかね?」

 

 悪に名乗る名は無い、と言うのが正義の味方の常套句だろうに、あくまで決闘として。正義の味方はそう告げる。

 ならばそれは、善悪の戦いではないのだろう。

 

 ――獣と神の、戦いなのだろう。

 

「【獣拳士】、ヴァート・ヴェート」

『そのエンブリオ、【暴食皇女 ケルベロス】』

「【数神】、カタルパ・ガーデン」

「――エンブリオ、【絶対裁姫 アストライア】」

 

 今更どうやってエイルにヴァートが勝ったのかなど記載する必要もない。ただ勝者と敗者が居て、その勝者が連戦する羽目になっただけの事。

 ただそれだけで、それ以上も以下もなかった。

 理性を捨てて野性に落ちた獣と、野性を捨てて理性を得た神は。

 

 名乗り終わるや否や、接見し、

 

「「《彼方の星を繋ぎ(スターロード)神話と鎖を紡げ(オーバーライト)》」」

「『《インペリアル・オーダー》ァッ!!』」

 

 咆哮した。

 まだ、戦火は潰えない。



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第九十七話

( °壺°)<トータル(幕間やら何やら含めて)で100話を越えたので
( °壺°)<何かしようとしていたら
( °壺°)<更新を忘れていたという。
( °壺°)<皆様にはご迷惑おかけします


 《インペリアル・オーダー》。

 《スーサイド・オーダー》、《インサルト・オーダー》に続く【暴食皇女 ケルベロス】の第三のスキル。だが、それらとは字面的にも能力的にも、一線を画していた。

 『自殺』の命令、『陵辱』の命令というのが今までの流れであったのに、今回は「皇帝の(或いは最上位の何かの)『命令』」である。

 つまりこのスキル名だけ、『命令』がメインになっている。

 そもそも、命令に対する人間の行動というのは、二極化ならぬ三極化されている。

 一つは反発。反逆とも呼べる「命令に逆らうこと」。

 一つは遵守。従順なまでに「命令に従うこと」。

 そしてもう一つが、無視である。命令を受けても、「何も変わらないこと」。

 守りもしない、破りもしない。元からどちらかであった場合を除き、その方針を変えない。

 第3の選択肢。

 天秤が左舷に傾くか右舷に傾くか、という問いに対する「そもそも計らない」という異例の解答。

 二択と宣う輩に突き付ける第3の選択肢。三叉路を十字路に変えるそれは、偉業であり異業だろう。誰もが心の底から賛同する事はない、自由過ぎる解答。自由を宣うデンドロの世界に於いて、何故その自由が尊重されないかは言わない……言えないにせよ、或いは存在しないにせよ、異質である事は間違いない。

 『誰か』が意図してそうした訳では無い。『何か』の影響でそうなった訳では無い。ただそこにあったから、なぁなぁで流してして、そこに辿り着いて、「なんとなく」と口を揃えて迫害した。

 

 ――そんな自由が、それだった。

 

 ヴァート・ヴェートの掲げた、三番目の選択肢。

 獣だからこそ、人の枠組みからズレているからこそ、その縛りに拘束されない。人の枠組みに囚われない。

 そんな獣としての自由が、人に理解される筈が無い。

 獣としての自由は、流石にこの世界でも保証しきれなかった。

 人の枠組みに囚われた人のみがその恩恵を受けられる。獣がその恩恵を受ける事は無い。

 だからこそ――化け物に近しい獣は。自由に踊り、自由に舞い、自由に叫んだ。

 己が自由を謳歌して、己が不自由を嘆いた。

 右腕を失って尚、その咆哮は止まない。

 誰よりも()()()()()自由を追い求めた彼女が――猪突猛進した彼女が、壁にぶつかるのは当然だ。

 

 王の勅命にすら己を曲げない、化け物になり損ねた獣は、壁を乗り越えるでもなく、ぶち壊して突き進む。

 ――それがたとえ、正義の味方という高い壁だったとしても。

 

□■□

 

 そんな己が突き貫く最後の意思。異質な意思、《インペリアル・オーダー》の効果もまた、単純だ。

 要するにただの防御無視攻撃である。

 然しながら、《スーサイド・オーダー》と《インサルト・オーダー》で超強化された防御無視攻撃が、どれ程強力か、などは今更語るまでもない訳で。

 超強化されたSTRとAGIを以て殴り殺す。

 そんなシンプルで……カタルパと似たような帰結の戦法を選んだ。

 

「【諸悪王(エイル)】に使った際にある程度の考察は出来ていた訳だから、な――」

 

 迫り来る刹那。余裕など無いはずなのにカタルパは敵前で頭を抑える。

 

「まぁ、答えが導けるなら、この痛みも受け入れるさ」

 

 頭痛を堪えながら、剣を振るう。

 《強制演算》。《感情は一、論理は全(コンシアス・フラット)》の使用中にしか使うまいとしていた【数神(ザ・ナンバー)】の数少ないスキルの一つ……【神】シリーズなのにスキルが少ないとはこれ如何にではあるが、解答を導く代わりに頭痛を(もたら)すこのスキルを、カタルパは半ば嫌っていた。

 だのに使ったという事は、手段を選んでいられなかった事にほかならない。カタルパはカタルパで、これでも真剣なのである。

 勿論、アイラもだ。

 《彼方の星を繋ぎ(スターライト)神話と鎖を紡げ(オーバーライト)》と共に《不平等の元描く平行線(アンフェア・イズ・フェア)》と《左舷に傾く南方の凶爪(ズベン・エル・ゲヌビ)》を使用している。いかなる状態でも使える一つ目のスキルと、第6形態(Cross weapon)装備時に使用出来る上記二つのスキル。

 出し惜しみはしていない。全力だ。

 両者何一つ手加減せず、出し惜しみせず、全身全霊で眼前の敵を屠ろうとしている。

 然しながら相性というものが少なからずある。

 運命を捻じ曲げてでも銀盾に攻撃を向かわせるスキルがあっては、ヴァート・ヴェートの残された左腕はどう足掻いてもその盾に激突する。

 その盾は切り離す事の出来ないアイラ本体でありながら、今の彼女に於ける分体だ。その盾から衝撃が走っていては、当然ある程度は威力が軽減される。防御無視攻撃な訳だから盛りに盛ったENDも意味を成さなかったが……それでも殺しきる程の火力には至らなかった。致命傷に片足を突っ込んだ生存。リキャストがある――それも一人に対して一日一発というかなり重いもの――《インペリアル・オーダー》を連発出来ないヴァートに、打つ手はない――ように思われた。その時だ。

 

「…………なる、ほど」

 

 カタルパがそう呟いたのは。

 胸部が抉られたカタルパがそう、呟いたのは。

 

「アイラ……流石に遠距離攻撃に対しては、その運命の捻じ曲げは通用しねぇみてぇだな……」

 

 アイラの目にも、何が起きているかは分かっていた。寧ろそれを見て分からない事は無い。

 左腕の一撃は防げた。ならば、ヴァートの切り落とされた右腕はどこに行った?

 当然、地面に転がっている。

 筈なのだが、カタルパの胸を抉ったのは、間違いなくその右腕だった。

 

「獣の……執念を、軽く……見ていた、な」

「待て……待ってくれカーターッ!!こんな事で死んじゃダメだ!」

 

 叫びが虚しく谺する。

 咄嗟に木々を文字通り割って出てきたアルカも、その姿を見て唖然とした。まさか負けるとは思っていなかったのだろう。杖を握る腕もどこか震えている。

 

「――アズー」

「回復は、するな」

 

 断られるのは理解していた。だからアルカは振るに振れなかった。

 そもそも決闘と言っていた時点で。【身代わり龍鱗】やら【救命のブローチ】を所持していない時点でお察しではあるのだが――無論それは、あれ程カタルパ達を嫌悪していたニベルコルにも当て嵌る事で――矜恃とでも言うのだろうか。決闘と言った以上、彼等は命のやり取りをする。命を懸けて、一所懸命に、なんて表現は拙いだろうが、実際そうなのだ。

 世界派ならまだしも、遊戯派である筈の人間でさえ、暗黙の内に設定された『決闘』のルールに則っている。獣のヴァートですら従っている。

 また、基本的には一対一だ。TYPE:レギオンのエンブリオであったニベルコルや元から一対多を希望していたエイルを除き(とは言えど、その闘いは【諸悪王】の唯一無二のスキルによって台無しにされたが)、彼等が行う『決闘』は他者の介入を許さない。

 だからこそ、その致命傷を癒す事をアルカがしてはならない。

 これは、人と人とのではないにせよ、神と獣であるにせよ、『決闘』なのだから。

 

「はぁ……はぁ……」

『やったって事で……いいのかい?』

 

 当事者であるヴァートとケルベロスも満身創痍と言ったところで、右肩を左腕で抑えながら、事の成り行きを見ている。【出血】して尚動き回っていた為、ヴァート自身にも既に余裕はない。だが、残されていた脚で、落ちていた右腕を蹴り飛ばす程度の事は出来た。超強化された蹴りだった訳だから、当然その右腕が粉砕されるオチも想像出来たのだが、そこはどうにかなった、と言える。倫理的な観点からすれば大分冒涜的だが。

 ともあれ、結果オーライと言うやつだ。

 流石に睨み付けながら歩み寄る正義の女神に対して行える事は、もう無いが。

 勝負は一瞬だったが――ヴァートとカタルパの超音速の戦闘は、体感時間にして数十秒にも及んだだろうが――カタルパはきっと、躱す事も出来た筈だ。

 なのに躱さなかった。その意味を、誰よりもアイラが理解している。

 《延々鎖城》を態々封じてまで、その一撃を受け止めた。《インペリアル・オーダー》を受けた。

 何がそうさせたのだろうか。

 アルカが確信する程に、アイラが心酔する程に。この勝負には、勝てた筈なのに。

 吐血して、膝をついて、朦朧とした意識でカタルパは、ヴァートを見る。

 

「まぁ……勝とうが負けようが、良かったん、だが……そう、だな」

 

 痛み分けで、いいかな。

 その言葉は続かない。否、ヴァートは聞けなかった。

 

 カタルパの体力が尽きる前に、【出血】で減じていたHPが更に付け加えて与えられた斬撃で、尽きた。

 アイラの手には、銀剣が握られていた。銀盾と対をなす美しくも猛々しき剣が。容赦なく命を刈り取る形をした剣が、血に濡れている。

 その血と同じ色を、カタルパは臓腑から零している。どちらもこれで、もう助からない。

 死ぬ瞬間をその目で見たくないからか、アイラが紋章の内に消える。

 

 一足早くヴァート・ヴェートが何も語れずに消え去り。

 その後を、【司教】に見守られながら、正義の味方が続いた。

 

 勝者は何処にも居ない。




《スーサイド・オーダー》
 ヴァート・ヴェートの経験値を吸収してステータスに変換するスキル。今回のデスペナルティにより全てがリセットされた。
 獣の牙を研ぐようなスキルなので、死んでしまっては研がれていない状態に戻って当然である。

《インサルト・オーダー》
 ヴァート・ヴェートがパーティーを組んでいる事と、本人以外の人間範疇生物のパーティーメンバーが全てデスペナルティによって居ない事をトリガーに発動されるスキル。
 群れて行動する獣の本質と、生き残る為ならば同胞の肉でも喰らうという獣の本性、或いは一匹狼という用語からか、群れる事と一人である事、その双方を強要している。当然、パーティーメンバーに加えておきながら、ヴァート・ヴェート自身がメンバーを殺して一人になった際も発動する。そんな事をしていたら、本物の獣に成り下がるが。

《インペリアル・オーダー》
 【暴食皇女 ケルベロス】が持つ三つの『命令』の内、唯一のアクティブスキル。
 厳密には『自身の【暴食皇女 ケルベロス】の能力で上昇しているステータスの総計値よりも相手のENDが低い時に相手のENDを無視して攻撃出来る』スキル。大抵越えるので大抵無視出来るスキル。ただし一人に対して一日一発のみなので油断は禁物。……とは言えど《スーサイド・オーダー》、《インサルト・オーダー》、《喰らわねば生き永らえぬ》の三つで強化したステータスであれば、使う機会は絞られるだろうが。


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第九十八話

 勝者の居ない檻の外、生存者はただ一人嘆息した。

 

「――取り敢えず、回収しておこうかな」

 

 湧いて出る蔦で、アイテムを一つずつ回収して行く。

 彼等の生きていた証と呼べるものを、拾い集める。

 

「……流石にこれは、予想外だなー」

 

 皆で大団円コースだと思ったのに、とアルカは独り言をこぼす。

 木龍ですら聞かなかったその台詞に、答える声があった。

 

「そりゃ私達が梓の予測なんて出来る訳ないじゃない?」

 

 それは【狂騒姫】ミルキーの声だった。

 『決闘』が終わってからの登場とは……確信犯だろう。

 

「別に分かっているフリをしていた訳じゃないし、理解出来ると自惚れた訳でもないよ。けど、それは今は理解出来ない事を認めるってだけであって、理解出来ないと諦める理由にはならないから」

 

 その言葉通り、きっとアルカは理解しようとする事をやめないだろう。彼にはそれでも前に進む勇気があるのだから。或いは……それしか彼には無いのだから。

 怒りも恐怖も無い。ただ無関心があった、筈なのだが。

 呆れも嘲りも無い、何か。胸中に燻る感情を表現する方法を、アルカは持ち合わせていなかった。

 ドロップアイテムを拾い切ったところで、カタルパは蘇らない。まぁ、そんな事で蘇るなら同じ理屈でヴァート・ヴェートも立ち上がる事になるのだが。

 ……そうなったらそうなったで、アルカもミルキーも問答無用で再びデスペナルティにするだろうが。

 

「まったく、私を置いてこんな事をしているとはね……待機命令出された時は危険だからかと思ったけれど……それだけじゃないみたいね」

 

 アルカが回収していないドロップアイテムに目をやる。拾い切ったのに、拾い残しがある。

 それはエイル・ピースの残骸。

 諸悪の王が生きていた証。流石にそれを拾う気にはなれなかった。

 捨てる神あれば拾う神ありとはよく言うが、この場合捨てたのは【数神】になるとして……拾うのは、果たして?

 

「神のみぞ知る、だよね」

「なら、梓か……アイラちゃん?」

「まさか。それこそ『第三者』、だよ」

「……具体的に言うと?」

 

 分からないのか?とは言わない。空気は読まないし心も読まないが、だからと言って不遜とか無頼とか、そういう訳ではないのだから。

 

「あの教えならまだしも、神様って一人だけとは限らないし……拝火教みたいに二人って事も無い訳でしょ?だからさ……二人目以降の『そうしたモノ』が居ても何もおかしくない」

 

 【(ザ・ワン)】であれ、神の名を有する何かであれ。

 

 ――残留思念めいた何かであれ。

 

□■□

 

 目覚めて早々、庭原 梓は外に出た。

 別に今更、あの実母の元を訪れようと言うのではない。

 あの諸悪の王様は、無意識で解答を導く梓と同じように、無意識に事象を悪へ導く。

 だから会ってどうこうした所で、何も変わらない。

 梓が導ける『解決策』は、解消ではなく解決する為の策は、本当に――庭原 椿を殺める他、ないのだから。

 それを選択する『勇気』なんて、持ち合わせていい筈が無い。

 それを実行する『武力』なんて、持ち合わせていい筈が無い。

 だから無くて、本当に良かった。

 化け物と呼ばれるからこそ、出来ない事があって良かったと思えた。

 然しながら、持っていない事に安堵する反面、梓は持っている事に戦慄しなければならなくなった。

 

 トゥルルルルルル……

 

 一報。ガラケーを開いてみれば「天羽」の二文字が踊っている。

 

「……なんだ?今外なんだが」

『梓!?あと何時間!?』

 

 慌てたような声。明らかに平静を欠いている。

 何時間、という聞き方からして、デンドロで何かあったらしい。

 それも、良くない事が。

 解答は導けても、正当とは限らない。ましてや何でもありの空想世界での出来事となれば、梓には予想しようがない。だがそれでも、正義の味方が出向かなければならないような非常事態であろう事は、何となく察せられた。

 

『カデナ君が……アルカがヤバい』

 

 その文面だけで、【諸悪王】や『バック・ストリート』という自分達にとってのあからさまな脅威が無い現状での、危機的状況が伝わった。梓は大して歩いていなかった道を引き返し、自室へと戻る。

 あの世界で、あからさまな脅威ならざる脅威と言えば、梓には一つか二つしか思い浮かばない。

 

「『何』に、出会った」

 

 一つはかつてのクロノ・クラウンのような、PKといったもの。

 そしてもう一つは――

 

『――――【往古雷魂】』

 

 天羽 叶多は告げる。

 

『【往古雷魂 デモゴルゴン】』

 

 神出鬼没の災厄。

 誰もがその存在を知り、誰もが追い求め、然れど出会えるとは限らない災禍のモノ。マスターと存在的に対を成す化け物。

 ユニークボスモンスター、〈UBM〉である。

 

□■□

 

 デモゴルゴン。

 ギリシャ神話を由来とする、とされるがその実態が一切不明な異教神、もしくは悪魔とされる何かの名。当時は始原の存在とすら言われ、デモゴルゴンという名を発する事すら禁忌とされた謎の存在である。

 『失楽園』にて混沌と夜の領域に住まう事が記載されているが、『狂えるオルランド』ではヒマラヤ山脈に寺院を持つともされている。

 

 つまり、正体不明。名前だけがあり形が無い。名は体をあらわすと言うのなら、デモゴルゴンという名は不明の二文字を体現したと言えよう。

 デーモンとゴルゴンを混ぜたような名前のソレは、最早誰にもその実態が掴めない。

 

 そんな正体不明の名を有する〈UBM〉、【往古雷魂 デモゴルゴン】。

 元ネタである往古来今とは、過去から現在まで代々続く時の流れを意味している。

 デモゴルゴンにあるものは、姿形ではなく、その名だけが伝えられてきたという時の流れだけだろう。何とも皮肉が効いている。

 

「さて、雷なんて要素は無い訳だから……デンドロがデモゴルゴンという悪魔ないし神に何かしらの解釈を付け加えた、と考えるべきなんだろうが……」

 

 神と雷というのは親和性が高い。何せ(かみなり)は古来「神鳴り」と書いていた程だ。ギリシャ神話のゼウス神や北欧神話のオーディン等も雷を扱う事から、デモゴルゴンに悪魔としての一面ではなく、神としての一面を付与したものと思われる。

 とすれば種族は悪魔ではなく、天使が近いのだろう。

 何者でも無いからこそ、何者にでも成れる。悪魔でも神でも無かったモノは、神のような何かになったらしい。

 

「ふむ……何しでかすか分からないっていう点は〈UBM〉()()()が……元ネタが不明じゃ本当に分からねぇ……」

 

 今までだって、名は体をあらわすという例に漏れる事は少なかった。ミスティックの霧やガタノトーアの石化は正しく、である。

 シュプレヒコールの音と束縛、ネクロノミコンの魔法と学習。大体は元ネタと呼べるものに準拠している、と言える。

 ギャラルホルンは七という数字に則っている……だけだろうが、誤差だろう。一応、逸脱はしていない。

 そう、何か根底があるからこそ、名前を聞いただけである程度の予想は付くのだ。しかし今回は違う。

 既に叶多はデンドロの世界へと舞い戻り、アルカ・トレスと共に【往古雷魂】の討伐に助力している事だろう。

 残り23時間。正義の味方はただひたすらに、傍観者として時を浪費する。

 そんな彼に、ノックの音はやけに軽快に響いた。

 

「…………誰だ?」

 

 思い当たる節がない。母親だったりしたらどうしようか、と梓は扉を開く。ガラケーであったりインターホンが無かったり。割と『遅れている』梓である。

 かくして扉の向こう側に居たのは。

 

「おはよ、カタルパ・ガーデン」

 

 長い茶髪と宝石のような赤い目をした少女だった。それはもう美少女と言って差し支えない程度の。

 

「…………誰だ?」

 

 状況を飲み込めず、梓は再び同じ言葉を吐いた。

 告げられた名からして、デンドロの人間だろう。……なら尚更判別出来ない。

 

「私は訳あって今すぐは本名が言えないんだけど、取り敢えず【Peace by case】の名前で通じるでしょ?」

「あぁ、そりゃ分かるが……そうか、お前がピスケスか」

 

 『バック・ストリート』のメンバー、ピスケス。

 弱冠18程に見える少女は、梓を見るや含羞んだ。

 

「ちょっと匿って」

 

 庭原 梓とカタルパ・ガーデン。

 二人にして或る意味一人の物語は、二つの世界で別々に巻き起こる。



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第九十九話

 さて、如何(どう)したものか、と梓は思考する。

 既に分かった事が多過ぎてどうしようもない。

 智恵があるのはカタルパだけではない。と言うか、梓にそれが無い訳が無い。

 そもそも、彼女の外見についてだが。

 茶髪で赤眼など、古今東西聞いた事が無いので眼はともかく髪は染めたものと思われるが、宝石のような赤眼と相まってか、何処かくすんでいる。所々傷んでいるようでもあり、乙女でありながらちゃんとした手入れが出来ていないようだ。

 

 敢えて言うが、梓の色盲は直っていない。だからこそここで重要なのは、「色が付いている」事である。光の反射から色を割り出す事を無意識にしているが故に、梓は本当は、その失色を打破しているのだが、それは別の話。

 

 舐め回すような視線にピスケス――リアルである為に名は違うのだが――は不快に思わないのか、寧ろゆっくり回ってみせた。

 梓がそれに眉を上げた。言葉にしない事にすら敏感に察知し、対応している。

 だから、梓は。したくない質問をした。

 

「なぁ、お前。今まで何して生きてきた?」

 

 ある程度の解答が分かっていながら、それを本人の口から言わせるのは梓の悪い癖だ。それは認知ではなく再確認なのだから。

 だから、この解答は、絶望に値しない。

 

「逃げたり、捕まったり、怒鳴られたり、殴られたり、蹴られたり、ぶたれたり、後はそうね……犯されたり?」

 

 ――だから梓が何をすればいいのか、それで決まった。

 

□■□

 

 逃げながら異世界を旅する少女。彼女が何から逃げているのか、梓は問わなかった。

 逃避行生活と自由の謳歌。これが両立出来る筈も無く。彼女がデンドロ世界で三日に一日のペースで来る理由が、それだけでも何となく察せられるものだ。況してやそれが、現実世界で決まって夜である理由も。

 日中逃げ回り、夜に旅立つ。これを毎日繰り返しているのだろう。何処に心休まる時があるのか、答えは明白で、それをカタルパ達が奪ってしまったのも、明確だった。いや、ここで態々言い換える必要もあるまい。庭原 梓は確かに、目の前の少女の安息を絶ってしまったのだ。少なくとも今日一日の。今夜の安息を。

 今夜の安寧を、奪った。

 どうやって夜に安全を、無防備な中安全を確保していたのかは謎だが、奪ってしまったからにはそれを補完する必要があるだろう。

 

「……で?どっから来たんだ、お前」

「お前じゃないわよ……あぁ、名前言ってなかったっけ」

 

 サラリと話を逸らしてくる。あまりに自然な流れに乗りそうになるが、堪えた。

 

「名は聞くが、何処から来たかは答えろよ」

「チッ、騙されないかぁ」

「……お前割と粗雑だな」

 

 少々高貴さを感じる風貌だっただけに、そこは少し残念だった。完璧な人間は居ない、という事か。

 梓然り、叶多然り、カデナ然り、松斎然り。

 

「私はディアドラ。流石にフルで名乗る必要も無いわよね?」

「まぁ、流石にな。……ところで、それは偽名じゃなくて本名なのか?」

「えぇ……奇しくも」

「マジかー……マジかぁ」

 

 だとすれば、『事実は小説よりも奇なり』なんて言っていられない。

 言葉通り過ぎて笑えない。元より笑う心算など毛頭ないのだが。

 アルスター物語に登場する悲劇のヒロイン、ディアドラ。デアドリーやディンドランとも呼ばれるそれと同じ名前だと言うのなら、偶然と語っていいのなら、あまりにもあんまりだ。この状況は、彼女が歩んできた人生は、きっと悲劇と言って差し支えないのだろうから。

 

 ――救わねばならない。

 

 反射的に、そう唱えた。

 その安寧を絶ったから。否。

 その悲劇を知ったから。否。

 

「僕が誰もに手を差し伸べるような英雄で――」

 

 悠々、一拍空けて。

 

「『俺』が誰も彼もを救いたがる正義の味方だからだ」

 

 一人が二人分、誓った。

 英雄で、正義の味方だから。

 彼女を救い出す、と。

 

□■□

 

 既に算段は着いていた。やる事は決まっていて、ほぼほぼ完了している。

 

「取り敢えず……」

 

 梓はガラケーを開くと誰かに通話し始め、同時にパソコン――これまた一昔前どころか数十年前の産物と思われる旧式である(よくマトモに動くものだ)――を立ち上げて、何かしら調べ出す。

 ディアドラが覗いたところで特に分かる事もなく、仕方なく来訪者用に置かれているお茶菓子に手を伸ばした。

 パリッと煎餅の割れる音が響く。梓の声は小さく、ディアドラに聞こえないようにしているようだ。キーボードを叩く音もやけに静かで、静寂がその客間を支配していた。

 

「――あぁ、それで頼む。じゃ」

 

 パチンと携帯を閉じて、梓が視線をディアドラに向けた。携帯を置き、両手でキーを打ち始めると、次第にディアドラにも画面から状況が読めてきた。

 

「さて、どうするディアドラ。今なら引き返せる。が、このまま居座ろうとするのなら、僕は()()()()()()をやるぜ?」

「貴方……生粋の馬鹿ね?」

「今頃気付いたか?」

 

 軽く笑ってみせた梓だが、ディアドラの反応は対称的だった。それもその筈だろう。

 

「私を()()()()なんて、馬鹿な事は言わないでよ?」

「いやぁ、どうだろうなぁ?お前の意見を聞きたいな。ディアドラ」

 

 その目に篭っていたものは、先程の舐め回すような視線とは違った。それが外見を見ながら内面を俯瞰するような『観察』であるならば、その視線はただ本質を見ている、見抜いている目。打って変わって心の奥底の、本音を聞き出す為の『凝視』の目だ。寧ろ内面しか見ていないような、そんな視線。

 不快だとは思わなかった。その目が、ディアドラを救う為に向けている事が、よく分かったからだ。

 救ってほしい、ではなく匿ってほしい。そうであった筈だが、と苦笑する。

 思う通りに行かないのが人生で――何事も予想外なのが人生だ。

 

「――面白いじゃない。あいつらに勝てるって言うなら。それに私の命を賭けてもいいわよ」

 

 ディアドラは笑う。

 元から賭けられていた命を、天秤にかけられていた命を、今更のように差し出して。

 もう片方に乗るのは果たして、羽か――誰かの命か。

 ディアドラと庭原 梓の二人は行軍する。

 目的は少女ディアドラの『救済』。

 死が死である世界で、死にものぐるいで進み出す。

 

 残り時間は22時間。

 賽はもう、投げられている。

 

■同時間軸 【ギャラルホルン】戦場跡地

 

 駆ける。駆ける。駆ける。

 地を抉り、風を裂き、縦横無尽に駆け巡る。

 然し。

 

 光の速度で奔る雷には勝てない。

 

『Lu――――Gahhhhhhhhh!!!』

 

 化け物が叫び、雷鳴が轟く。

 降り注ぐ光の乱流に全てが飲み込まれていく。

 

「ちょ、ちょっ――耐えられないって!」

「黙って木を展開して!」

 

 正義の味方が居ない中、武力と勇気は走っている。奔走している。

 欠けた時点で足りていない。当然だ。だから勝てない。

 

『Lu――――Gah!!』

 

 化け物の雄叫びと共に再び嘶く雷。

 万雷の喝采は、容赦なく二人に襲い掛かる。

 

「あーっもぅっ!!」

 

 実名を開示しながら(本意ではなかろうが)光の雨を潜り抜ける。

 

「早く戻ってきなさいよぉっ!!」

 

 その叫びは虚しく谺する事もなく。雷の雨に遮られた。




( °壺°)<次で百話ですってよ皆様!
( ✕✝︎)<趣味で始まり、趣味で続いているものを読んで頂きありがとうございます
( °壺°)<百話目は番外編みたいのにしたいのですが
( °壺°)<ここで挟むのもアレなので、またいずれ


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第百話

( °壺°)<開始当初はここまでやるとは思っていませんでした
( °壺°)<読者の皆様に感謝を
( °壺°)<ありがとうございます
( °壺°)<そしてこれからもよろしくお願いします!


■庭原 梓

 

 救われないだとか救われるだとかどうでもいい。どうだっていい。他人の幸不幸で僕は変わらない。僕はそういう人間だ。救うのは当然で、それそのものに価値はない。

 生憎僕は……『俺』とは違う。

 『この世界とあちらの世界で人の命を無価値と断定した』という思想から生まれたアイラ、【絶対裁姫 アストライア】は分かっている筈だ。

 僕が未だ、この世界の人の命には価値を見出していない事を。

 色付いて見えるのは、あの世界に、あの世界の人々に価値があるから。

 この世界が灰色に見えるのは、この世界に価値の無いモノが多過ぎるから。

 そんな中見えた「色」は素晴らしいものだ。シュウに始まり今、目の前にいるディアドラを含めて。僕が価値を見出してしまった者達は、例外なく僕の人生に関わっている。

 関わるから価値を見出すのか、価値を見出したから関わらせたくなってしまうのか、関わってしまうのか。

 僕の頭は、僕自身の事に対して答えを導かない。

 元からかかったセーフティのように。

 だから過去も、この灰色に見える目の事も、何一つ。僕は僕を理解していない。僕の頭は僕を理解しないし、させない。

 

「さて、先手は打ったんだ。後はもう、詰ますだけだ」

 

 そんな、自分を何も理解していない人間でも、自分ではない誰かを理解して、救える何かがあるのなら。救いたいと思えた何かがあるのなら。

 それを救うのは、傲慢なのだろうか。僕の頭は、矢張り何も答えなかった。

 

□■□

 

 結局のところ、やる事は簡単だ。

 強いて言えばツーステップだ。

 

 1、『奴ら』から奪い取ると決める。

 2、実行する。

 

 以上。

 最早順序立てて説明するまでもなく、物事はシンプルだ。

 世界には「したいと思った時、既に実行されている」なんて論者もいるらしいが、流石にそれは支持出来そうにない。観点的に言えば、僕とそれは逆に位置するからだ。

 閑話休題。

 それはさておき。

 連絡をとってしまった以上、早急に打てる手は無い。何せあの人ならば、此方が何をするでもなく終わらせてしまうだろうから。あちら側も可哀想に。根すら残らないって言うのは、果たしてどんなもんなんだろうね?

 

「ねぇ、何もしないの?」

「あぁ。何もしないさ」

 

 だからディアドラの問いにも、素っ気なく返すしかない。

 

「今僕達が介入するのは悪手だ。そう、悪い手なんだよ。何せ今回の介入者は、物事を尽く『悪く』してしまうから」

 

 それで、何となく察したのだろう。世渡りが上手いに違いない。

 

「まさか、先生……なの?」

「そのまさかなんだなぁ」

 

 実母である事は今は伏せるにせよ(とは言うが、僕、庭原 梓の住所をディアドラに流したのは九分九厘あの人だ。彼女の言い方からして、あちらはリアルでの正体は隠していたようだが)、話が伝わるなら今はそれでいい。それが善い。

 だから今は待つ。それが最善だ。

 ……あれに『善』を説く事が出来たら、どれ程善いか。

 そんな考え事の最中に着信があるのだから、あれもあれで確信犯だろう。物事を尽く『悪く』する者の特権とも言えるのかもしれないが。

 

「終わったんだろ?」

『まぁね。あくまで外堀は埋めたわ。棒倒しはもうお終いね』

「ならその旗を倒すのが僕の役目、か」

『大事なところは自分でやりたい、でしょ?』

「……あぁ、そう、だな」

 

 見透かされているようで、少しむず痒かった。こんな感情は、親ですらない、と遠ざけていた時には思いもしなかったものだ。

 ズキズキするようでぐちゃぐちゃになりそうで、それでいて暖かい何か。それを確かに今、僕は感じていた。

 

「――これが■だと言うのなら」

『……ん?』

「いや、なんでもない。兎角後は承った」

 

 半ば無理矢理通話を切って、勢い任せに携帯を閉じる。パチンッと軽快な音がなり、ついでに少し軋んだ。

 もう長くはないだろうと思いつつ、こんな扱いをしていれば当然だ、とも思った。

 どちらも正しく、僕が間違っている証明だ。

 

「さて、行こうか、お姫様」

「茶化さないでよ、英雄様」

 

 どことなく、王女を救う為に鯨を倒しに行くかのような雰囲気を、白黒の世界は祝福した。

 

□■□

 

 向かった所で、やる事は特に残されていない。骨すら残らなかった屍体から、それでも剥ぎ取りを行うようなものだ。

 だから『手続き』だって早急に終わるし、彼女の自由の確保というものも、実にあっけらかんとしているのだ。

 

「お前は」

「――私は」

「もう二度と」

「――もう二度と」

「アイツに近付かない事を」

「――ディアドラに近付かない事を」

「誓え」

「――誓います」

「オーケー。その言葉を言質としよう」

 

 やれる事が殆ど残されていないのだから、やる事なんて少なくて当然なのだ。当事者と軽い会話をしたら、もう終了。為すべきことすら残されていない。それらは全て、あの巨悪に平らげられてしまった。やれやれ。暴食だなぁ。

 だがまぁ、それで幸福と自由が手に入るのなら――手に入れたのは僕ではないけれど――充分だ。安い買い物、というやつだ。

 

「で、これからどうする?」

「……え?匿ってくれてたんだし、このままでいいんじゃないの?」

 

 当たり前のように問うてくる辺り、先程の世渡り上手という発言を撤回したくなる。

 

「えっとだな……僕は男で、お前は女だ。なんと言うかこう、教育上よろしくないんだよ」

「何を今更言っているの?私は――」

 

 これから言うであろう彼女のセリフは理解している。だからこそ態とらしく遮って、本音を口にした。

 

()()教育上よろしくないって言っているんだ」

「…………え、もしかして」

「それ以上は言うな。お前は天羽に預ける」

「イヤよ。その人あの『体真っ二つ』さんでしょ?“異形”の二つ名を持つ」

「多分あっているんだがその二つ名初めて聞いたぞカッコいいじゃねぇかオイ。……仕方ない、本人の意思は尊重しよう。取り敢えず話は付ける。天羽とお前がキャンセルした場合はウチに……あれ?」

 

 それって結局、僕にとってダメなんじゃ……?

 

「ありがとっ。男に二言はないのよね?」

 

 雑に染められてくすんだ茶髪が踊る。赤眼を細めて少女は笑う。少し傾いた陽射しを受けたその表情は、何処か幻想的だった。

 

「……ハズレくじを引いた気分だ」

 

 だが引いたお陰で誰かの平和を願えるなら、世界が寝返るなら。

 

「まぁ…………悪くはない、のかもな」

 

 素直に、そう思えた。

 

 僕が『俺』になるまであと16時間。

 世界はゆっくりと動きだし、僕を盤上へと押しやる。

 立つまではまだ時間がかかるが、そこへと進んでいるのだという確証と共に、僕は少女と帰路についた。




( °壺°)<百話なので
( °壺°)<誰かの日常風景でも挟もうかと思います
( °壺°)<誰にするかは決めてないのですがね
( °壺°)<決め次第早急に取り掛かり、次回はそれにしようかな、とか思ったり思わなかったり


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幕間 その弐

( °壺°)<選ばれたのは、アモカナでした
( °壺°)<綾○では御座いませんが今回は天羽 叶多の現在のお話です
( °壺°)<家族関係が良好な人間はオリキャラの中では居ないようです


■???

 

 目覚めたら、いつもと変わらない一日が始まるものとばかり思い込んでいた。

 事実はそれ程甘くなく、また現実はそう優しくもない。

 それは大して長くもない人生で、嫌という程学んだ事だ。

 「思い通り」とか「想定内」とか。そういった言葉はこの人生とは縁がない言葉だ。

 それを楽しいと思える程楽観的にもなれなかったし、だからと言ってどうにかしようとする行動力も無かった。

 どっち付かずと言うか、ただ振り切れなかった。

 天秤は傾くけれど、ガタンと音を立てて、傾倒して崩れ落ちる訳じゃない。

 寧ろ本来の用途からすれば、傾けるものではなく、釣り合わせるものの筈だ。エジプト神話の天秤も、羽と釣り合う事を前提としている。

 『羽と釣り合う魂であれ』という事なのだから。

 ――まぁ、その話については梓の受け売りだけどね。

 さて、『Who am I ?』と行きたい所だけど、分かり切った質問はするもんじゃないわ。

 

 今回は、本編からは打って変わって、何故か栞のように挟み込まれた、私こと天羽 叶多の日常。……以前も似たような話、無かったかしら?

 

□■□

 

「とは言ってもさ。私って特に隠し事も無いわけだから、今更話さなきゃいけない事って、そんなに多くないと思うのよ。

 あ、全く無いって訳じゃないのよ?

 ただ、梓とかに比べれば多くないって話。大体の人間がそうだろ、なんてお小言はいらないから。

 ……で、そうそう。私の話。

 梓やカデナ君と一緒になった時、私は『武力』という括り、或いは役柄を与えられる。紅一点に――今でこそ椿おばさんとか狩谷ちゃんがいるけど――そういう役を任せるかな、と思う反面、だからと言って他の役割である『智力』や『勇気』、或いは『疑心』や『愚弄』を担当出来たかと言うと……難しいどころか不可能だったと思う。

 先ず私には『智力』が無い。だからテストの点数だって2桁や1桁が茶飯事だった。

 私には『勇気』が無い。だから怖いと思った時、退けない事情が無い限り即座に退避してしまう。

 私には『疑心』が無い。だから梓の言葉は鵜呑みにしてしまう。間違った事を言われた覚えは無いけれどね。

 私には『愚弄』が無い。不意打ちはするけれど、峰打ちをしたり態と急所を外したりしない。やれる時にやる。長引かせないのが私のポリシー。

 そう考えれば、猪突猛進なおバカさんなんだけれど、実際そうなんだけれど、だからこそ『武力』という枠組みは、ストンと私に落ちた気がした。

 ガッチリ嵌ったって言うのかしら?役割と本質が噛み合った、と言うべきなのかな?

 所詮は手駒。將となる器でも無し。与えられた役割を、命を賭して全うするだけの、簡単なお仕事。

 だから都合良く踊ってあげるの。そうすれば梓を『脅威』から守れる筈だから。

 梓の剣。私はそれで構わない。

 いや違う。それこそが私の存在証明。

 梓の為に動く時だけ、私は『生きている』。

 ……でもだとすると、どうしようかな?

 

 梓とカタルパって、『違う』のよね?」

 

□■□

 

 まぁ、そんなもんよ。日常なんて。

 朝起きたら取り敢えず着信確認して、取り敢えず着替えて、遊びに行く。そんくらい。後はなぁなぁで時を浪費する毎日、って感じね。

 うん。そんな感じ。

 ……あぁ、この説明だと来そうな質問あったわ。どうやって稼いでいるんだ、みたいな。

 今は稼ぎに行くような必要性を感じないわね。しているのが最低限の生活であって豪遊をしない限りは。

 いやホント。保険って凄いわね。

 

「そう思わない?」

 

 私は「誰」も居ない虚空へと問い掛ける。視線の先では線香の煙が揺らいでいた。

 私のせいで死んだ、私だけの両親の成れの果て。

 骨になって、粉微塵になって。それでも私の親だと言うのだから私の中で親という概念が壊れそう。

 でも実際、どうなんだろ?

 私にとって親って言うのは、どういうものなんだろ?

 梓と何かが違うのかしら?

 カデナ君と何が違うのかしら?

 噫、もう。分からないわ。

 それ程接して来なかった訳じゃない。けれどだからと言って理解していた訳でもない。なぁなぁにしてきた。

 梓っぽく言うのなら、「理解出来ていたのはあくまでその表層であって、その内面を見た事も理解した事もなかった」ってところかしら。

 まぁ、それ以上考えると私の頭がキャパオーバーを起こしそうだし止めるけれど……。

 

「私は、何の思い入れもないみたいね」

 

 揺らめく煙の奥、並んだ顔写真に向けて、私は微笑んだ。

 

 さて、私の日課を始めましょ。大抵私は暇な訳だから、大体「それ」一筋なんだけれど。

 ()()()()もそろそろ解ける頃だし。

 

□■□

 

 ――分かる訳が無い。

 この後ログインしたら梓が死んでて、カデナ君と一緒に〈UBM〉、【往古雷魂 デモゴルゴン】に出逢うなんて。

 未来予知でもしない限り分からないわよ、そんなの。

 

 戦闘の隙を縫って、カデナ君の【イグドラシル】で一旦戦線離脱、ログアウトして梓に連絡。その後舞い戻って再戦。

 梓が居ない24時間は、長い。それはデンドロの世界だと72時間扱いだからとか、そういう意味じゃない。

 私もカデナ君も、梓を舵とした船のようなものだ。

 居なければ、連携も大して出来ない狂戦士二人組だ。調教師のいない獣であり、首輪の無い化け物だ。

 自分でも分かっている程依存していて、分かり切っていても抜け出せない。

 私達は、私とカデナ君は、この世界でも、自由を謡うこの世界でも、束縛を求めていたのだ。

 いや寧ろ、「自由になってはいけない」事を誰よりも自分自身がよく理解していた。私が、カデナ君が、縛られる事を望んでいた。自由が補償されていようと、拘束を求めた。

 私達は梓に出会わなければ『こう』はならなかっただろうけれど、会ったからこそ拘束が必要な化け物になっちゃったけれど、だからと言って出会わなければ……私達はどうなっていたか想像すら出来ない。

 カデナ君は野垂れ死にしていただろうし、私だって……きっと。

 親が死ぬだけでは足りなくて、何かを喪うに違いない。

 つまり、現状が最善。不平はあっても不満はない現状。これでいいと思う。

 それだけで良いと思う。

 そういう訳で、話は漸く本編に戻る。長らくお待たせしましたーってやつよ。

 私の日常は『何も無い』。

 何も無いのが通常、平常。梓の周りで揺蕩い纏わり付く事が日常。

 いつもと同じだ。いつも違う日常を過ごすのが。

 アブノーマルを過ごすノーマル。

 そう言えば奇怪極まりないけれど。

 それが私の日常だ。梓の居ない一日も、〈UBM〉に会う一日も。どれもかけがえのない、いつもと違う一日だ。

 帰ってくる明日も、倒せる明日も倒せない明日も。どれも私にとって、大切な一日になる筈だ。

 明日も世界は、私に予想外な一日をくれるに違いない。

 そう信じなくちゃ、もう。梓の居ない今日すら私は生きられないのだから。

 呼吸をするように。おはようを言うように。至極当然の所作として。

 私は今日も、梓の駒として。

 三度、カデナ君が持ち堪えている戦場に、足を踏み入れる。



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第百一話

『え、イヤよ。まったく、そんな事で私を呼ばないでよね。じゃ、私はカデナ君とまた共闘するから。早く梓も来なよ』

 

 そんな声が、携帯越しに聞こえた。そしてそのまま終わる。ツーツーという無慈悲な通話終了の合図が梓の耳に届いた。

 梓の冷や汗と苦笑、ディアドラの微笑。

 馬鹿な、快諾してくれる筈では。梓の期待を尽く裏切って、天羽は首を横に振った。見えはしないが、そんな気がした。

 少しづつ梓は笑みを引き攣らせ、ディアドラは口角を上げる。

 つまり。

 

「僕が引き取れ、と」

「あらまぁ……」

 

 やれやれというジェスチャーを取りながらも、何処かディアドラは嬉しそうだ。

 椿の所に押し付けようかとも思ったが、アレの『英才教育』を受けさせる訳にも行くまい。狩谷も何をしでかすか分からない。

 必然的、この無辜な少女(ディアドラ)を梓が引き取る羽目になる。

 

「えぇ……どうすんのさ」

 

 生活スペースに於いては特に問題は無い。寧ろ一人暮らしをするには大き過ぎた位だ。

 問題はスペース以外の生活面だ。

 天羽が泊まりに来ていた時とかは大して考えていなかったような情報が、今更のように頭の中を流れる。

 ……それは天羽を女性として見ていないという事実を少なからず含んでいるが、言わないが花だろう。

 

「……よし。金は渡すから自分の衣服とかは自分で買ってきてくれ」

「ま、そうヘタレるとは思ってたわ」

 

 あっさりと受け入れ、玄関まで歩いて行く。然し靴は履かず、じっと梓を眺めている。因みに今着ている服は椿が調達してくれていたものであり、靴も然りである。

 

「……どうした?」

「……いや、分からないから」

 

 ディアドラの言葉に梓は首を傾げる。今時靴の履き方が分からない人間が居るのだろうか?

 

「買い物って……具体的にどうするのか、よく分からないのよ」

「…………成程」

 

 ネットショッピングという選択肢もあっただろうが、店頭販売も未だ現役だ。

 女性のファッションについては無知な梓ではあるが、やれやれと着いていく事を決めた。

 

□■□

 

 ショッピングモールで、少女ははしゃぐ。

 

「へぇ、ショウウィンドウってやつでしょ、これ!凄いわね」

「もう何十年も前の産物だよ。大して珍しくもない」

「いいの。私にとっては初めてみたいなものなんだから」

 

 スカートを翻し、踊るように店を回る。

 髪がくすんでこそいるがその赤眼や綺麗な容姿は人の目を惹き付ける。白い薄手のシャツと青白いロングスカートという清楚なイメージを持たせた格好は、爛々と煌めく宝石のような眼を際立たせていた。

 

「……一……二。それと三、か」

「……梓?」

「いや、なんでもない。それで、何を買いたいか、とか具体的じゃなくてもいいから、どういう服が見たいんだ?」

 

 逸らしていた目を少女に移し、梓は問いかける。

 

「そうね、お姫様が着るようなドレスとかには興味があるけれど……」

「んなもん日常生活で使うかっての」

「分かってるわよ」

 

 頬を膨らませて拗ねたような表情を浮かべるディアドラ。案外感性が子供っぽい。隷属していた環境下で、よくそうも精神を保っていられたものだ。何度も諦めず、汚泥を被ってでも這い上がる。結果こうして光の下で自由を謳歌しているのだから、救われている。

 

「――確かにそれは、シンデレラみてぇだな」

 

 灰かぶり姫の童話を思い出しながら、梓は笑う。

 

「シンデレラ……そうね、シンデレラが着ていたような、全然豪華っぽくないドレスみたいな服が気になるわ」

「豪華っぽくないドレスってまた難儀な注文を……」

 

 頭を掻きむしり、梓は目を逸らす。ディアドラは再びショウウィンドウを転々と眺めながら、踊るように歩いて行く。

 梓の逸らした目は、矢張り何処かを向いていた。

 

□■□

 

 結局、今ディアドラが着ているような服を何着か購入した。バリエーションはそんなに多くない事になるが、服に対して特に頓着が無い、と言えば聞こえは良いのか。いや、女性がそうでは見るに堪えないか。然しそこにいるのは乙女心を理解できない庭原 梓という唐変木である。故に話はそれ以上進展しない。

 

 そしてまた、頓着が無いからこそ目は他所を向き、それ故に気付けるものも多少はある。

 ショッピングモールを出て少し歩いてから、不意に梓は立ち止まる。

 

「……やれやれ。美しいだ可愛いだは僕には分からんが――」

「……え?どうしたの、梓」

 

 ディアドラが心配そうな表情を浮かべる中、矢張り梓は彼女から目を逸らしていた。いや……何か、違うものを見ている。

 

「今の内に選べ。これは警告だ」

 

 何か……いや、誰かに向けて梓は言い放つ。声を少し荒らげているようにも取れた。ディアドラは視線を追い、建物の影に隠れてよく見えないが数人、見覚えのない人間を見た。

 

「一、諦める。これを最も推奨してやる。と言うか実際一択な訳だからこの選択肢を出すのもどうかと思うが、二。撤退する。『戦略的』撤退は出来る内にしておけ?ただの撤退は悲惨だぞ?」

 

 怒気は無い。然れどそれに似た何かは感じる。

 黒眼が見つめる先の男達には、怯えと、少しの焦りがあった。……焦り?『何』に焦っているのだろうか、とディアドラは首を捻る。

 自分を()()()()()()()ペナルティがある、と言うのなら一応の納得は行くが。いやそもそも、出会った事の無い人間である彼らがディアドラ引き戻さしに来た、とは考え辛い。ならば何故彼らは焦るのか。ましてやその視線は梓だけではなく、その数人の間を行ったり来たりしているのか。

 それは次の、梓の台詞で分かった。

 

「誘いたいなら誘うで自由にしろよ。ただ、許すとは言ってねぇがな」

 

 要するに、ナンパである……。

 「え?」とディアドラに言わせる隙すら与えず、梓は畳み掛ける。

 

「お前らの視線は観察の目だが、そこには好意がある。そりゃそうだ。こいつは美少女だからな。だがだからと言って()をお前ら如きに渡す訳がねぇだろうが」

「…………え?」

 

 今度こそ、その一文字が口から発せられた。

 今、姪と言ったか?

 後ずさり。諦め。詳らかな意思は分からないが、男達の気配が去って行く。

 

「……ま、待って、貴方今……」

「あ?あぁ、お前は僕の姪だ。うん」

 

 年齢的に娘ってのは合わないだろうからな、と零す梓。

 違う。そんな事が聞きたいんじゃない、とディアドラは叫ぼうとしたが、それが言葉に出来なかった。

 口から漏れ出たのはそんな言葉ではなく嗚咽で。

 目から溢れ出たのは涙だった。

 

「おいコラ、なんで泣きやがる。……仕方ねぇな」

 

 胸を貸し、頭を撫でる。

 ただそれだけで、涙の雨は加速する。

 姪。血の繋がりこそないものの、初めて出来たと言って過言ではない『家族』。

 嗚咽の中に混ざった「ありがとう」を、決して梓は聞き逃さなかった。

 

□■□

 

「で?あと一時間くらいな訳?」

「こっちではね。だから後現実では二十分くらい、かな!」

 

 大分慣れてきたのか、カデナとミルキーには余裕が見える。

 【往古雷魂 デモゴルゴン】も、本気で倒しに来ている訳では無いのを知ってか、牽制が多くなった。

 

「知性がある、っぽいよね」

「まぁ、なんだかんだ神様達が戦った戦場跡地に産まれた〈UBM〉だし?ましてやそれが数字の神様ってんだから、私達よりも賢いんじゃない?」

 

 雷を潜り抜けるのも、随分と慣れてしまった。

 だが……。

 

「どうするの?僕のイグドラシルはMPとか使わないから際限なく使えるけどさぁ……そっちはもう、MPもSPも無いよね?」

「んな事言ったらカデナ君だってイグドラシルが使える()()で私の回復とかも出来ないでしょ?」

「まぁね。どうしよっか、このジリ貧」

「アイテムだっていずれ底を突くでしょうし……あと一時間ってのも、結構厳しいわねぇ……」

 

 会話をしながらも、視線は敵に向いていて、最小限の動きで雷を交わし続けている。

 

「攻勢、出たいわね」

「あはは、ミルキー一人じゃ手数が足りないからねぇ」

 

 せめて防御要員が欲しいよねぇ、とアルカが言う。

 誰かが守り、アルカが援護し、ミルキーが殴る、という体勢ならばどうにかなりそうなものなのだが、二人だけではこの雷の雨を潜り抜けて一撃与える事は難しい。不可能ではないが、無傷でもいられまい。そう何発も受けていられるものでもない。彼らの言う通り、ジリ貧と言うやつだ。

 視線の先、【往古雷魂 デモゴルゴン】は悠々と宙に胡座をかいている。

 捻じ曲がった双角。焼け焦げたような黒い肌に山羊を想起させる顔面。六本の腕には武具が握られていて、それぞれが雷を纏っている。その内の一つは独鈷杵のようにも見えた。インドからも何か伝承が流れてきているのだろうか。

 名だけが伝えられて、中身がないモノ。それ故に何を詰め込もうとも矛盾が産まれないモノ。

 

『Lu――――Gahhhhh!!!』

 

 怪物が吼える。神の一面を持った、と梓は予想していたが、それならばそれは魔神と言える程に禍々しいものだった。

 雷が奔る。

 牽制ではない、本気の一撃と言ったところか。

 イグドラシルを展開しようにも間に合うかどうか。

 

「あ、これ――」

「ダメなやつ――」

 

 諦めが早いのも如何なものか。

 だが、その瞬間まで耐え抜いたのは正解だった。

 

「展開しろ、ベルゼブブッ!!」

 

 そんな声が、届いたのだから。

 一瞬の閃光を遮る黒い群れ。

 光エネルギーと熱エネルギーをその小さな身で受け止め、散らして行く。だがその群れは尽きない。やがて雷は止み、空になったアイテムボックスが落ちた。

 

「うっわマジか……灰すら残さず一個分……これじゃ《ガーベッジ・リンカーネーション》も使えねぇし……うっわ、大出費じゃねぇか」

 

 悪態を吐きながら、二人の後ろから青年が近寄る。

 

「あんたは……」

「ニベルコル、だったっけ?」

「あぁそうだよ。ったくイラつくぜ……なんでお前らと組まなきゃいけねぇんだよ……」

 

 なら何故来たんだ、という問いを発する前に、答える声があった。

 

『致し方あるまい。此方(こちら)が脅したのだから』

 

 それは、水晶を組み合わせて造られた、人造天使のような見た目をした何かだった。

 

『此方は特典武具ではない故、厳密にカタルパ・ガーデンだけのもの、とは言えない。今回は《宝玉精製》でこのような形を造った後に()()をコレに移した。そうする事でカタルパが死んで尚此方は此処に居る。後は此方自身が此奴(こやつ)のリスポーン地点に向かうだけである』

「……抜け目ねぇな、この野郎」

 

 ――――つまり。

 

『今の此の姿こそが【七天抜刀 ギャラルホルン】なのである』

 

 脅した加害者(ギャラルホルン)脅された被害者(ニベルコル)

 二人の参加者を加えて、【往古雷魂 デモゴルゴン】討伐戦は加速する。

 

「えぇ……」

「梓は何を考えてんのよ……」

 

 若干引いている二人を置いて。




( ✕✝︎)<ニベルコル!?馬鹿な、奴は死んだ筈では……!
( °壺°)<ちゃんと一回死んでんだなぁ

補足。
【七天抜刀 ギャラルホルン】は〈UBM〉になれなかった『何か』の残骸でしかない為、所有権はカタルパには無く、また本体が分離してカタルパの持ち物ですら無くなった為に今回のような(アホみたいな)事が出来た。


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第百二話

 灰すら残らかった蝿の群れ。

 生きた証は何処にも無く、ただ守る為に散ったという結果だけが残された。

 

「もう一発来たら危ねぇけど……見え見えの動作と溜めだ。牽制ばっかだったんじゃなく、チャージしていたから強気に出なかっただけ、ってとこだろ。で、お前らの意見も聞きてぇんだが。俺は何をしてやるべきだ?」

 

 何となく、ニベルコルが頼り甲斐があるように思えた。かつて敵対し、今尚その関係は続いているのだから、こうして肩を並べる事は「有り得ない」の一言に尽きるのだが……それでも、有難い事に代わりはない。

 

「ちょっと盾役頼めるかしら!」

「援護だけならイグドラシルがするからさ」

「……成程な、攻めあぐねてやがったのか」

 

 その程度ならやってやるよ、とニベルコルが蝿を展開し始める。

 その小さな一匹一匹の蝿が、今は頼もしく思えた。

 

「ったく……この水晶が居なけりゃ今すぐにでも……」

『ふっ、愚かな事は考えるものじゃないぞ。此方が逃がす訳が無かろう』

「……だよなぁ、知ってた」

 

 俺が逃げても、他があるしな、と毒づく。

 再び降り注ぎ始めた雷に、蝿の群れは的確に対処している。

 数匹の群れを個として、それぞれの雷に幾つかの群れが突っ込み、相殺させる。

 最適を繰り返すが、それでも足りない。

 ミルキーが一撃与えるには、もう少しばかり、()()()()()()

 それは距離であり、力であり、単純に数だった。

 蝿がニベルコル本人から展開される以上、進めば進む程その防御は手薄になり、イグドラシルの補助を持ってしても捌ききれないものが当然現れる。

 それを躱していては、届かないのだ。

 横に降る閃光を前に、三人は攻めあぐねていた。

 

『ふむ……つまりは、こうか』

 

 刹那。

 突如現れた水晶の盾がミルキーの周りを旋回し、雷から彼女を守り始めた。

 見れば水晶天使……【七天抜刀 ギャラルホルン】が其方に手を伸ばしていた。《宝玉精製》で展開し、コントロールしているようだ。

 然し雷は光の速さで突き進む。

 今の彼らは、遠くに鎮座する魔神の、ほんの僅かな指の動き等の動作から先読みして躱しているに過ぎない。

 その先読みを違えた瞬間が、彼らの死。

 役割分担を間違えたその瞬間が、灰すら残らない合図である。

 それを、カタルパが来るまで。一時間繰り返す。

 

 ――――例え、彼が来たからと言って、勝利が確約されていなくとも。

 

 …………その選択を、変えるのだろうか。

 仮に。あくまで仮定として。

 その時点で、更なる災厄がカタルパが原因で引き起こされる事を、知っているとしたら。

 彼らは素直に、この瞬間に死ぬ事を選択出来ただろうか。

 きっと、出来なかった。

 それだけは、この事を知らなくたって言える事だ。

 

□■□

 

 『仕事』が一段落ついた狩谷は、少しの間ログインしようか、とデバイスを頭につけた。

 彼女、セムロフ・クコーレフスは何日か振りにデンドロの世界に降り立った。

 何となく街をふらつきはするも、目的はない。カタルパがデスペナルティになっている事は、既に本人から連絡されていた。

 そんな中、やけに静かな街中に轟く雷の音を、微かに耳にした。

 

「今の音は……それに、この方角……ミルキーさんか、カデナさん?いえ…………」

 

 彼らの中に雷を起こす人間は居なかった筈だ。

 であれば……何者、或いは――何物か。

 彼の居ないこの時を狙ったのか、偶然の産物か。

 どちらにせよ良いものでも善いものでもない。

 胸のざわつきを覚えながらも、ミルキーより遅い脚で、セムロフは駆け出した。

 

「また、厄介事……なんですよね。はいはい。貧乏くじ貧乏くじ」

 

 多少の余裕を見せながら。そんなものが無ければ、狂気に落ちていると言い聞かせるかのように。

 

□■□

 

「それで、これですか」

「「「よし、補助役来た」」」

『遅かったな、【探偵】』

 

 三人(+一体)に歓迎されながら、来て早々ミルキー達にバフをかける。

 本当に厄介事で、本当に貧乏くじだった。

 

「進んで下さい、ミルキーッ!!」

「えぇ、任された!」

 

 強化を受けてミルキーが走る。事前に展開されていた木龍や水晶の盾を、時にその意味の通り盾として使い、時に縦横無尽に駆ける為の足場に用いた。

 踏み台にされた事に一瞬木龍が嘶いたが、それもアルカに宥められて留まった。

 

「《轢かれた脚は此処に(テケテケ)》」

 

 体を真っ二つに圧し切り、

 

「《考える脚(バラバラボトム)》」

 

 上半と下半の二つに別れて舞い踊る。

 下半の脚が上半を蹴飛ばし、ミルキーが一気に接見する。

 

「《有る地を這う者(アンダーウォーカー)》」

 

 自身が地に足をつけている事を条件に起動し次の一撃を強化する【上半怪異 テケテケ】のアクションスキルを【狂騒姫】の唯一無二のスキル《混沌こそ全を産む(マザー・オブ・カオス)》を経由して発動した。

 そして跳躍。

 目と鼻の先にその姿を捉えて――

 

『《千却万雷》』

 

 魔神の一声を前に、墜ちた。

 驚きの声を光の速さで置いていき、閃光が奔った。

 かろうじて――それも奇跡的に――躱したミルキーは、原型は愚かあった証すら失った左腕を見遣る。

 

「――ノーモーションで」

「雷を、撃った、だと……?」

 

 遠目からでもそれは分かった。カデナが戦慄し、ニベルコルが舌打ちする。水泡に帰すどころか、何一つ残せそうにない。

 

「だから嫌なんだよこういうのは……っ!」

 

 今更ながら蝿を飛ばす。然しそれらを念入りに一発ずつ雷が撃ち落とした。群れで翔べばその群れを纏めて。バラして翔べばその一匹一匹を逃がさないよう一発ずつ。

 

 ――今、【往古雷魂 デモゴルゴン】は、ミルキーを敵と認識したのだ。寧ろ今までは路傍の石程度にしか思っておらず、今尚現在進行形でカデナ含む面々を敵とは認識していない。

 

『GUUH…………』

 

 先程のハッキリと聞き取れた言葉は幻聴だったのかと思わせる程に野性的な唸り。

 まだ二十分程しか経っていないと言うのに、既に終幕は近い、かのように思われた。

 

「行くわよ、シンデレラ」

『介入して良いのでしょうか……と、聞いても無駄でしたね』

『行くクマァァァァァっ!!』

 

 その声が届かなければ。



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第百三話

 ピスケスことPeace by caseが再びデンドロの地を踏む前、現実ではこのような会話が行われていた。

 

「デスペナ明けに、この場所に行け。詳しい話は現地でニベルコルがしてくれるだろう」

 

 梓はマップを手渡すと同時にそう告げた。ディアドラとしてはちんぷんかんぷんな話で、5W1Hで問い質したかった。

 何故ニベルコルが居ると知っているのだろうか。彼とカタルパの険悪さをディアドラは知っている。到底信じきれる話でもないが、疑う必要性も無い。

 

「あとそうそう。着ぐるみに出逢ったら同伴させとけ。なるたけ急ぐように」

「え、えぇ……」

 

 着ぐるみとは、とこれまた問おうとしたが、何か含意がある様子だった。

 アルター王国で着ぐるみの人と言えば、大抵はただ一人を指す。

 彼と繋がりがある、というのも何処かで聞いた話だ。

 特に首を横に振る理由も無い。ニベルコルが居るなら尚更だ。

 犬猿の仲と言う程でも無いが、別段仲が良い訳でもない。けれど居てくれないと落ち着かない。ニベルコルとケルベロスの仲と同じくらいに。

 

「いいじゃないか、ライバルみたいで」

 

 梓はそう言うが、ディアドラにはイマイチ分からなかった。

 その言い方は、「梓には居ない」ように聞こえて。

 

□■□

 

「あ、ホントに居るのね」

『アイツも少しづつではあるが、顔が広くなってやがるクマ。喜ばしい反面、現実と照応して大丈夫かと疑いたくなるクマ……』

 

 【■■■】■■■・■■■■■■はピスケスにそう言った。

 姿形はあるが、中身が窺えない。着ぐるみだけの伽藍堂だと言われたら、それはそれで信じそうだ。それ程までに、それの内面は見えなかった。

 当然それがその着ぐるみの能力である事など分かる筈もなく。

 

「えっと、よろしく?」

『よろしクマー』

 

 仔細を知らぬままピスケスは、最大戦力を仲間にした。

 

『それで、敵の情報は?』

「私が知っているのは【往古雷魂 デモゴルゴン】って名前と、それと雷を出すって事ぐらい」

『デモゴルゴン……それに雷……成程、神と悪魔か』

「でも不思議ね、神様の側面を持つなんて」

『ん?デモゴルゴンが神の側面を持つ事が不思議クマ?』

 

 走りながら、会話を交わす。ピスケスのその言葉に■■■は意味不明の語尾を付けながら問うた。

 

「いやホラ、デーモンとゴルコンでしょ?で、ゴルゴンって言ったらメデューサとか……あぁいうのじゃないの?」

『あぁ、成程クマ。ゴルゴンに悪い印象しかねぇってことか』

「……あれ?違うの?」

『ゴルゴンは三姉妹で、そのどれもが本来女神だクマ。ただ、三女のメデューサだけは不死性を持ってなくて最終的に怪物になっているクマ。ゴルゴン三姉妹と言う総称はメデューサがゴルゴンとも呼ばれる事から来ているクマ』

「つまり私は、そのメデューサを基準にゴルゴンを語っているから、『ゴルゴン三姉妹』として、つまり三姉妹で捉えた時にある筈の神性を見落としていた訳ね」

『理解が早くて助かるクマ』

「褒められている気がしないわー」

 

 寧ろ着ぐるみに褒められるって何よ、とピスケスは零した。

 着ぐるみは苦笑した。

 

『まぁ、正体を隠す為なんだ、許してクマ』

 

 許してくれ、とは言わなかった所にユーモアを感じながら、並走する二人は戦地へと赴くのだった。

 

□■□

 

 来て早々叫びながらガトリングガンを打っ放すクマの着ぐるみは、アルカ達にどのように映っただろうか。「あ、変人だ」と流されたに違いない。少なくともアルカ・トレスとミルキーはその反応であり、ギャラルホルンも半ば順応していた。驚いたのは隣にいたピスケスと、盾役に尽力していたニベルコル位のものだろう。

 

「えっと……取り敢えず、理解はしたわ。私は陽動かしら。《硝子の靴に灰を被せ(ドレスアッシュ)》」

 

 ニベルコルから少し話を聞いてからシンデレラを振ると、ピスケスの姿が揺らいだ。だが存在感だけは消えていない。そこに居る、そう認識出来る。灰を被っても硝子の靴は硝子の靴だ、と言うことか。

 姿が見えずともそこに居る。ならば自然、幾本かの雷は其方に向かう。

 それこそが狙いだ。見えない中、重厚な存在感を放つそれを、己と雷の間に置く。

 バチイッ、と閃光が煌めき、拡散する。その光景で察した。彼女はギャラルホルンの水晶盾を持っている。

 

「なんだ……あれ俺がサポートに回った方が良いのか?相殺を俺とあの着ぐるみがやってくれるとして、防御と援護をアルカ・トレスと水晶野郎(ギャラルホルン)、陽動をピスケスがやって、攻撃は片腕を失ってもミルキーがやっている……あと一押しなんじゃねぇか?」

 

 希望論を唱え出したニベルコルに、諌めるような視線が幾つか飛ぶ。『フラグはやめろ』と。

 歴戦の猛者、彼等は知っているのだから。そういうものは大抵、折れずに回収されると。

 

「うぁぁぁぁっ!!」

『くっ……耐えて下さい、マイマスターッ!』

 

 雷が掠めた。そも光。音より遥かに速いもの。多少の蛇行はあれど、先ず避けられるものではない。亜音速で動こうが、光の速さには届かないのだから。

 況してやピスケス及び【幻想針姫 シンデレラ】の戦闘スタイルは、この戦況には向いていない。ここまでよくやったものである。

 だが、被弾して尚彼女は止まらなかった。

 

「あと、少し、なのよ……!」

 

 掠めただけで悲鳴をあげるこの身体を押さえ付けて、恐怖に竦む精神を引き摺りながら。震えながら一歩。痛覚は切っている。だが痛い怖いと泣き叫ぶ心を締め付けながら一歩。

 水晶が閃光を散らし、その眩くも淡い光にビクリと震えた。

 だが、託してくれたから。庭原 梓は――『私』の家族は、私に託してくれたから、と。

 怯え竦む理由になっても、止まる理由になってはならない。

 彼の思いに応える為には、どんなにゆっくりであっても、進まねばならない。

 

「あと少しで、来てくれるのよ……!」

 

 言葉が、彼等に届いた。耳にではない。心にだ。

 再確認させられた。

 使命感は無いが倒さねばならない事を。

 危機感も無いが倒さねばならない事を。

 「ただそこに居るから」倒さねばならない事を。

 何故ならば、目の前の怪物は間違いなく、無差別に人を殺すであろう、『悪』なのだから――!!

 

「《虹に繋がれし九極世界(イグドラシル)》!」

「――《堕ちたる罪の因果(ベルゼブブ)》」

 

 巨大で強大過ぎる■■■と、既に発動しているミルキー、発動しても「届かない」ピスケスを除いた二人、アルカ・トレスとニベルコルが必殺スキルを発動させた。とは言え、イグドラシルの必殺スキルはON/OFFの無いパッシブだが。

 全ては悪を屠る為に。然らばその目的に敵対するものこそが……悪、なのだろう。

 

天電原々(てんでばらばら)

 

 そう、アレのように。




追記。
何故か15分更新でした。
再三再四の確認を怠った証拠で御座います。
大変申し訳ありません


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第百四話

 奔る。奔る。奔る。

 「それ」、【往古雷魂 デモゴルゴン】には過去が無い。

 それは神のように――「望まれたからそこに居る」かのように。

 「何に」望まれ、「何時」望まれ、「何処で」望まれ、「何故」望まれ、「どのように」望まれ、そして「何を」望んだか、など関係ない。

 

 ――ただそこに、斯くあるべし。

 

 往古来今、神とは、悪魔とは、そういうものであった。

 何一つの例外なく、そういうものであった。

 どのような観測であったとしても、その現象は変わらない。

 我思う故に我あり。その理論は神や悪魔にさえ通用するのだ。

 願望。願われ、望まれ。然ればそれは翻り、「そこに居たい」という己が願い、望みとなる。

 神や悪魔としての歴史は無い。だが産まれたからには意味がある。

 何故なら?

 往古来今、全てはそういうものだったからだ。

 

□■□

 

 天が、そしてデモゴルゴンの周りが光る。正に縦横無尽といった雷撃は、容赦なく一行に向かおうとしていた。

 木龍と蝿、そして水晶で防ぐにしても限度がある。実弾で相殺するにしても銃口は一つ。頭上から、そして正面から迫り来る雷撃の双方は対処出来ない。

 

『前はやる!上を任せた!』

「「任された」」

『良かろう』

 

 雷を喰らわんと天へ木龍は伸び、その天を覆うように蝿の群れが遮った。更にその蝿と地上を遮るように、巨大な水晶が精製された。

 地に沿って奔る鉄の線。天へと伸びる木と蝿と水晶の塔。

 雷迎は、その全てに正面から突っ込んだ。

 爆発音と衝撃音、その他諸々を引き置いて、先ず閃光が視界をジャックした。続く爆音と衝撃に耐え、ある者は正面を、またある者は天を見た。

 そして。

 

 前と上から、光は降り注いだ。

 

『ぐっ――』

『――《宝玉精製》!!』

 

 銃撃の反動で反応が遅れた■■■より先にギャラルホルンは動き、水晶でドームを形成した。

 然し急造品。ある程度の拡散は出来ても、防ぐ事は出来ない。一瞬勢いを止めるに過ぎないだろう。

 だが、その一瞬があれば、彼等は事足りる。

 

 容赦なく雷撃はドームを砕き、その中で炸裂した。

 然しそこには亡骸は無く、奇跡的に残されたのは地から姿を見せる木の根が一つ。

 デモゴルゴンは遠目からでもその状況を理解した。いや……だからこそ理解した。

 躱され、反撃に出られる。

 何せ此処は、()()()()()()()()()も離れてはいないから。

 途端取り囲むように現れた木龍。四方を囲むように四体。

 そしてそのどれからも、彼等は「吐き出された」。

 往々に眼前に敵を捉え、各々の手段で攻撃を試みる。だが、

 

『足りない』

 

 その一言に呼応して降り注いだ雷に、一蹴された。

 

「がっ……!!」

『何……っ!?』

 

 設置型の罠があった訳ではない。完全に見てからの反応であった。

 だからこそ脅威に映る。コンマ数秒程度しか猶予は無かっただろう。だがそれで合わせたのだ。化け物でなくて何なのだ、そう全員が思った時、腑に落ちる解答を得た。

 【往古雷魂 デモゴルゴン】はこの場所で産まれたのならば、つまり神と王の戦場跡地でありながら神と化け物の戦場跡地で産まれたのならば、この場所と深い繋がりがあってもおかしくはない。

 つまりこの場所で使用したイグドラシルの運用方法が知れているであろう事。

 或いは――

 

「カタルパ・ガーデンの知能を模倣しているかもしれない、事……」

 

 ミルキーが導き出した解答に、受け入れ難い仮説に、驚愕は隠さず、だが疑問は無く、夫々は受けいれ、諦めた。

 ()()()()()解決させる事を、諦めた。

 つまりはそう、時間である。

 

 一陣の風が吹いた。

 

「《一寸先は霧(ミスティック)》」

 

 霧がデモゴルゴンごと一帯を覆い、

 

「《架空の魔書(ネクロノミコン)》《怨嗟の感染(シュプレヒコール)――架空の魔書》。指定は『学習魔法・火炎耐性(ファイア・レジスト)』、『学習魔法・氷結耐性(アイス・レジスト)』」

 

 その霧の中で、二匹の化け物が顕現し、

 

「《形呑永愛(ガタノトーア)》」

 

 文字通りの五里霧中で、確かに其方を見ていた視線が刺した。

 二体の化け物が逃げ道を塞ぎ、一秒であれその身体は動かなくなった。最早避ける術はない。

 

「後は頼んだぜ、アイラ」

「頼まれた。《彼方の星を繋ぎ(スターロード)神話と鎖を紡げ(オーバーライト)》、《蒼天揺らめく旗(アズール・フラッグ)》」

 

 化け物も、霧も、デモゴルゴンも、それが纏う雷さえも蒼々と染めて、数値を読み取る。

 《仰げば尊き正義の断片(ライト・フラッグメント)》よりも今は此方の方が強い事は効果上明白。

 世界が蒼空に塗れて、刹那の内に黒白へと変貌する。

 その世界を貫く、一筋の閃光。雷などとは比ぶべくもない、極光が地を駆けた。

 二体の【実在虚構】をすり抜けて、それは当たり前のように炸裂した。今までの苦戦は何だったのか。

 嘲笑うように爆裂音が鳴り響き、正義の味方が降り立った。

 

「雷は奴の手引きでしか発動していなかった。なら単純じゃねぇか。反応速度を越えて殴ればいい」

 

 そう言い放つも、そう簡単な事ではなかろう。況してやカタルパの知能を模倣していたかもしれない、となれば。

 ――それこそ、本人をぶつけない限りは。

 知能殺しの鬼札。

 知能を以て知能を制す者。

 “不平等(アンフェア)”。

 正義の味方。

 

 それが、カタルパ・ガーデン。智力の化け物。

 

「……神と悪魔の混合体、にしては味気ないな」

 

 素っ気ない感想と共に、カタルパは剣を振り下ろした。

 

□■□

 

 ――先ず「おかしい」と思ったのは、カタルパだった。

 次に奇妙に思い始めたのは■■■だった。

 波状にその困惑は広がり、軈て始点に収束する。

 たった今倒された筈の、だがその骸が一向に消えないデモゴルゴンに、視線は集まる。

 討伐のアナウンスも無い。

 光の塵も発生しない。

 だがデモゴルゴンそのものは、息絶えている――筈なのだ。

 神だから、悪魔だから、()()()()等と宣う心算なのだろうか。

 

 ――違う。

 

 そう最初に気付いた者は誰だっただろうか。

 だがもう、何もかもが遅かった。

 如何なる抵抗も、意味を成さなかった。

 神と悪魔の発生条件が何かしらの願望であるならば、当然何かしらが願い望んだ事がある。

 

 ――神が神に(こいねが)う事が、どれ程滑稽であろうとも。

 

□■□

 

「『『!?』』」

 

 アイラとギャラルホルン、そしてネクロノミコンが異変を感じた。

 水晶の天使は胸を抑え、正義の女神は頭を抱えた。幻想の魔書は何も起こっていないようだが、内で何が起きているかは計り知れない。

 

『成程……そういう……!』

「待て……いや待てそれは想定『出来ない』、どういう事だネクロ」

 

 何かを察したらしいネクロに、カタルパは問い掛ける。アイラをお姫様抱っこで抱えて距離を取るが、恐らく無駄だろう。

 

『MVP特典には……ある程度の指向性が存在する』

「は?何だよいきなり……」

 

 突然無関係な事を言い出したネクロに、焦りを隠しきれないカタルパが毒づく。

 

『例えばそこの【■■■】ならば身体を覆い隠す着ぐるみ、ある者であれば死骸、ある者であれば暗黒騎士のような見た目の装備品……』

「だから……何が言いたいんだよ」

『つまり……貴公には「意志を持つ」装備が集まる傾向がある』

「……いや、だから……何なんだって……?」

 

 そこで勘づく。その話を聞いていた一同もまた、同様の結論に至っただろう。

 

『あの神と悪魔の混合体は……我々、カタルパ・ガーデンが所有する「意志ある装備」が願った事で発生した、と考える事は……出来ないだろうか?』

 

 意志ある装備、と聞いて、カタルパはガタノトーアとミスティック、二つの例外を示そうとした。

 が、それは口から出る前に遮られる。

 

『ミスティックはミスティック自身が貴公から消費されるMPの量を調整している。気分次第、というやつだな。ガタノトーアは必殺スキルがそうだ。アレは貴公自身の視線ではなく、あの単眼鏡で反射された視線、半ばガタノトーアの視線で停止させる……良いかマスター。貴公の装備品に例外など一つも無い。貴公に「死んで欲しい」と願う者など一人も居ない』

「……………………」

 

 そこで、嫌でも理解させられた。

 彼等が――ミスティックが、シュプレヒコールが、ネクロノミコンが、ガタノトーアが、ギャラルホルンが……そして何よりも、誰よりも、アストライアが願った事は――

 

『貴公にただ、カタルパ・ガーデンとして、生きて欲しかった――』

 

 途端、トサリと魔書が落ちた。カタルパが声をかけるが、反応は無い。

 次いでギャラルホルンが崩れ落ち、ニベルコルに倒れかかった。質量通りの重たい水晶が、そこには残されていた。

 霧が晴れ、化け物が消え、赤黒い鎖も現れず、水晶が精製される様子も無く、単眼鏡はレンズの倍率が変わらない。

 意志が、或いは意識が……途絶えた。

 胸のざわつきが治まらない。心拍が上昇を続け、マトモな思考を阻害する。

 

「っ……!?」

「――アイ、ラ……?」

 

 そして願いは、カタルパから彼女を奪おうとしていた。

 

「待て……待ってくれ……何も分かっちゃいないんだ……まだ……何も……」

 

 そう、まだカタルパは何が起ころうとしているのかさえ理解しきれてはいないのだ。だのに世界は彼から心の拠り所を、確かに奪おうとしているのだ。

 このままでは彼女の意識が途絶える。そうしたらカタルパは、果たして平静で居られるのだろうか?

 そっと抱き寄せて、行かないでくれとただ懇願した。然し神は、或いは悪魔は、その願いを聞き届けなかった。

 不意に、カタルパに体重がかかる。だらりと下がった腕、力無く頭を垂れて、それこそ眠りに着いたかのように身体を預けている。

 

「…………梓……」

「……………………こんなんを見てぇ訳じゃ、ねぇっつの」

 

 思い思いの言葉を口にする者、思う事はあれど黙る者、反応は多々あれど、その視線は二人に集中していた。

 その視線が動いたのは、骸が動いたからだった。

 

 ボコリ。水晶が随所から生え、体積が肥大する。

 べキリ。枯れた木のような翼が生え、それは宙に浮く。

 グシャリ。幾つもの節からなる腕と脚が伸び、昆虫特有の翅が翔く。

 ミシリ。腹が膨れ、幾つもの口が……口と言うよりは裂け目のようなものではあったが、叫び出した。

 ギロリ。魔神の顔が跡形も無くなる程に目が開き、威圧的な眼光を放つ。

 ジャラリ。その顔が縦に二つに別れたと思えば、乙女の上半身が生え、鎖を纏いながらその眼を開いた。その眼は先の眼と同じだった。

 

 言わずもがな。寧ろ言わせてくれるな。

 狂気に満ち満ちた造形、だが何処か懐かしさを感じさせてしまう。禍々しく、醜く、然れど頂点の美がそれらを掻き消して無理矢理その姿を完成させている。

 蟲の脚に雷が纏わりついている。デモゴルゴンそのものの、雷の概念もまた、消失してはいなかった。

 デモゴルゴンとしての形状の名残りは殆ど残されていない。水晶によって肥大化した体躯、その水晶からですら生える脚と腕。裂け目には口、枯れ木の翼、顔を割いて佇む乙女、全てを滅ぼすであろう眼。

 最早それは、デモゴルゴンではなく、カタルパ・ガーデンの軌跡だった。

 神も悪魔も、願いを叶える産物ではあるが、決定的な違いは確かにある。特に悪魔は、ただ願いを叶えるだけではない。魂を奪う者が居れば、「望まない叶え方」をする者もいる。「美しくなりたい」と願った時に、その者よりも美しい者を皆殺しにする事で美しくなる、といったようなものだ。

 

 だからこそ、と言えた。

 カタルパへ向けられた願いを叶える為に、その願いを叶える為の素材にされた。

 叶える為の装置としてのデモゴルゴンはもう居ない。そこに残されたのは、デモゴルゴンによって遺されたのは、カタルパ・ガーデンの為に、カタルパ・ガーデンにとっての脅威――この世の悪全ての元凶、この世界全てを滅ぼす機構。ミスティック、シュプレヒコール、ネクロノミコン、ガタノトーア、ギャラルホルン、そしてアストライア。その全ての要素の集合体。

 

 途端、辺り一帯に情報の乱流が発生した。

 それを、カタルパ達は見た事がある。ニベルコルとピスケスの二人は、「出会った事が無いから」戸惑ってこそいたが、要所要所で見られた文字から、察する事は出来た。

 これが真の発生か、と。

 

【――対象を逸話級〈UBM〉【清濁姫構 カタルシス】と命名――】

 

 二人がマトモに見た情報はそれだけだったが、充分過ぎた。

 浄化が、始まる。

 

□■□

 

 何度も何度でも言う事だが、カタルパの戦闘スタイルは当然の事ではあるのだが自分の〈エンブリオ〉である【絶対裁姫 アストライア】を中心に構成されている。

 だが今あるのは、動かない少女、浮かない魔書、鎖を飛ばさない剣と、霧を吐かない手甲、眼光を放たない単眼鏡、水晶を産まない天使。

 彼が闘う事は果たして、出来るのだろうか?




【清濁姫構 カタルシス】

哲学に於ける「浄化」を意味する語ではあるが、カタルパに影響を受けた事は明らか。
カタルパの所持する特典武具(ネクロノミコンや厳密にはMVP特典ではないギャラルホルンも含めて)が全て意志を持つという共通点から、そこを逆手に取ったかのように産まれた怪物。
ミスティックの脚と腕、シュプレヒコールの腹、ギャラルホルンの胴、ネクロノミコンの翼、辛うじて残ったデモゴルゴンの首(?)にアストライアの上半身。
神の側面を持つからこその雷撃であったが、矢張り魔神。悪魔の性質も残されていた。願いを叶える事に対しては、悪魔として忠実だったようだ。
本当に叶うのかどうかは別として。


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第百五話

 カタルパ・ガーデンの武器は、意志を持つ。

 それの根底は今となっては誰にも理解出来ないが、『正義の味方は一人であってはならない』という暗黙の了解を守る為に持ったのかもしれない。

 意志。感情、思考――指向性。

 そこに最初から「カタルパを守る」意志は存在しなかっただろう。アイラ以外には。

 ならば何故、或いは何時追加されたのか。その思考の中でカタルパの事を憂うようになったのか。

 あの蟲(ミスティック)が。あの少女(シュプレヒコール)が。あの枯木(ネクロノミコン)が。あの怪異(ガタノトーア)が。あの水晶(ギャラルホルン)が。

 何故意志を持ったか、ではなく、何故カタルパを憂う意志を持ったか。

 それは五里霧中である。或いは暗中模索。

 つまりはいつもの事――だった。

 

□■□

 

 簡潔に言って、カタルパに為す術は無かった。

 【■■■】が第6形態で《■■■■■(バルドル)》を使用し、大乱闘を繰り広げているが、他のメンバーもそれを補助したりデコイをやったりとひた走っているが、その視線は戦場とカタルパを往来していた。

 霧を吐く機構こそ残されているが、消費MPの度合いが分からない手甲。

 ただ赤黒い意匠が凝らされただけになった刀は鎖を飛ばさない。

 唱えても何も起きず、宙に浮く事も無ければ語り出す事も無い魔導書。

 スコープ機能すら使えなくなり、伊達眼鏡のようになってしまった単眼鏡。

 ニベルコルがその場に横たわらせた、嘗て敵であった水晶の塊。

 そして何よりも。

 抱えたままの少女が、重過ぎた。

 奪われたのは、意識だけだ。形は未だ、カタルパが持つそこに残されている。だが、カタルパにとってそれは、何も無いのと半ば同じだった。

 それは、別にアイラにだけ言える事では無い。少し離れて横たわっているあの水晶天使に向けてすら言える。

 カタルパにとって存在は、内と外が揃って初めて一つだったのだろう。どちらかが無くなった時点で、それは一つとして認識出来なくなる。今は、正にそれだった。

 抱えたまま、カタルパは動けない。このまま怒りとも焦りとも悲しみとも取れない曖昧な感情を引き摺って戦地に立ったとしても、何一つする事なく絶命するだろう。

 進む「勇気」も、物理的に越えていく「武力」も、この現状を疑う「疑心」さえ、カタルパにはないのだから。

 それならばカタルパは、今この瞬間に命を断つ事が一番の幸福であるのかもしれない。

 意識が、意志が集合して最早何者でも無くなった浄化装置(カタルシス)の行く末を、見なくて済むのだから。

 カタルパを守りたいという意志が捻じ曲げられて一つに纏まってしまった「何か」を、もう見なくて済むのだから。

 だがそれでも、カタルパがその場を離れなかったのは、偏にアイラの為だけでは無い。

 

 「カタルパを守りたい」という正義は――カタルパにとっての正義ではない。

 ――正義の敵は、別の正義だ。

 ならばそれを打倒するのはカタルパ・ガーデン(正義の味方)の、義務だ。

 

「ごめん……ごめん、アイラ、皆」

 

 意志がある事に気付けなくて、とは言わなかった。

 意識を失えど、アイラが銀剣に姿を変えた。使用出来るスキルこそ一つも無かったが――それは、スキルの管理権限がアイラにあったのかもしれないが――それでも、充分だった。

 驚く程に手に馴染む。それはカタルパの為の武器なのだから当然と言われればそうなのかもしれないが、それだけではないような気もした。

 

「意識だけが、全てじゃない。形だけが全てじゃない。両方揃って初めて一つだ。だから俺が手に持つこれらは……全て完全じゃない」

 

 多対一の乱戦の中に、カタルパは歩いて行く。その歩は止まることなくその中心、カタルシスへと向かっている。

 

「だからこそ中途半端な俺に扱えるし――」

 

 そこで初めて、カタルパはカタルシスの全容を見た。

 

「だからこそ、取り返そうと思うよ」

 

 そして、目こそ合わせなかったが、そう言い放ったのだ。

 

□■□

 

 刹那、青年は迅雷の如く駆け出した。

 意志を持たないそれらは、ただ意匠が凝らされただけの我楽多だ。

 スキルは使えるが使わない。生身のまま、数値の書き換えさえ行わないまま、ただのカタルパ・ガーデンは、カタルシスへと駆け出した。

 あの蟲の腕による一撃でさえ致死であろうに、恐れはないのか、止まる気配を見せない。

 そのまま進み、接見し、合間見えて――

 

 そのまま一太刀を浴びせた。

 

「「「「……?」」」」

 

 【■■■】以外の四人が同様に首を傾げた。

 原因は単純だ。

 神が確約したのであれ、悪魔が契約したのであれ、願望は履行される。

 つまり、『カタルパに死んで欲しくない』という願望だけは、汚しようのない程に履行されていなければいけない。

 ならばカタルシスが、カタルパを傷つける道理が無い。

 

「願われなくちゃ救われねぇ程、俺は腐っちゃいねぇ心算だったが……」

 

 武器を仕舞い、拳を握る。

 目と目が合っているのに石化しないのは、セーフティか何かが働いているからか、カタルパには分からない。だがこれだけは解る。

 

「俺の事が大切ですと言うのなら……せめて、俺の事を、少しは信じてくれよ。な?」

 

 恐らくは自分以上に自分を慮っていてくれた事。それこそ他力本願になる程に。

 

「有難う。その心は嬉しいぜ。だから――」

 

 そしてカタルパは。

 

「気持ちだけ、受け取っておくよ」

 

 カタルシスの顔面を、殴りつけたのだった。

 水晶で出来た、彼女と瓜二つの顔面を、何一つの躊躇いなく。その拳を振り抜いた。

 当然、無傷とは済まない。水晶の硬度に達する程に丈夫ではないし、理解不能な程の速度で殴りつければ反動がある事も、カタルパはエイル・ピースとの戦いで十全に理解している。

 それでも尚殴ったのは、偏に彼等彼女等への思いがあったからだろう。

 

「さぁ、返して貰うぜ()()()()()()。そいつ等は彼処の奴等と同じくらい、大切な仲間なんだ」

 

 本来の浄化の概念(カタルシス)は応じない。だが清濁姫構(カタルシス)は応じた。

 

「ソウ、カ……ヨカッタ」

 

 そう、短く、応じたのだった。



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第百六話

 【清濁姫構 カタルシス】の内面、つまり内部は荒れていた。

 多重人格のように折り重なった意識が無理矢理統合されているのだ。無理もない。

 合致している意志を表層に出しているだけであり、その内側は混沌を極めている。守りたいという方向性が同じでも、どう守りたいかすら違う。決して二人三脚のように息があっている訳でもないのだ。齟齬、食い違い、そうしたもので噛み合わない。

 意見が、意識が、意志が、意思が混ざり合う。存在の意義が混濁し、意味が喪失する。

 表層に出る意識も混ざりに混ざり、アストライアが出る時もあればネクロノミコンが出る時もあり、時にはミスティックが、シュプレヒコールが、ガタノトーアが、ギャラルホルンが姿を見せる時もある。

 然しそこに、デモゴルゴンの意識は無かった。

 だが彼女等も安定していない。

 混ざり過ぎてその内側は不定形に渦巻いて、一瞬ごとにその内面を変質させて行く。始点は願ったあの瞬間。終点は――果たして何処に。

 

□■□

 

 握り締められた拳が、彼女と手を繋ぐ為ではない事は明白だった。

 睨み付けるような視線は、彼女を見る為の視線でない事は明白だった。

 ありとあらゆる要素が、彼女……【絶対裁姫 アストライア】に向けるそれではなかった。

 それこそ、宿敵――【諸悪王】エイル・ピースに向けているかのような態度。

 当然、そのような態度をカタルパが仲間に向けた事は無い。それこそ〈UBM〉にすら向けた事は無いかもしれない。

 だがそれを、カタルパはカタルシスに向けている。

 それは哀愁であり、それは感謝であり、それは嫉妬であり、それは殺意であり――そして何よりも、それは愛情だった。

 

「帰ってこい、馬鹿野郎」

 

 再び殴りつけ、遂に水晶が砕け散る。

 頭頂部を失ったカタルシスが、司令塔を失ったかのように暴れだし、カタルパを振り落とす。

 

「「カタ……カタル……カタルパァ、ガー……デンッ!!」」

 

 腹部の口から呪詛の如く名を呼ぶ。それは果たして、彼女に纏わっていた怨霊の仕業か、それとも。後者を願うのはカタルパのエゴだろう。正義の味方の、エゴなんだろう。叶う叶わないを問わず、そこがきっと重要だ。正義の味方がそう願う事が、きっと。

 地上から見上げると、水晶の乙女を失ったそれは酷く醜く映った。

 彼女が無理矢理完成させていたような存在は、それで未完成へと舞い戻る。デモゴルゴンに付属品(よけいなモノ)を付属させたに過ぎない何かへと。

 そしてまた、カタルパ側でも変化は訪れる。

 

「……んぅ……」

「矢張り、()()()()()か」

 

 紋章の中から銀剣が現出したかと思えば、人の形へと変化した。

 つまり――【絶対裁姫 アストライア】が『戻った』のだ。

 ならば後は単純で、明解で、簡単だ。

 

「お目覚めの所悪いが、アイラ」

「え……あ……あぁ……その、だな、カーター……」

「後で構わん。いや、言わなくて良い」

 

 やり方は、変わらない。やる事も、変わらない。

 正義の味方は、変わらない。




( °壺°)<みじけぇ……


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第百七話

 【五里霧虫 ミスティック】。

 カタルパ・ガーデンが初めて出会った〈UBM〉。ともすれば彼の運命を狂わせた……は言い過ぎだとしても、動かした事は間違いないだろう存在。

 彼のスタートラインにして、彼が道を誤った始点。

 蟷螂やら甲虫やら何やらと無闇矢鱈に昆虫類のパーツを組み合わせただけのような体躯をしていた。ステータス低下を齎す霧を吐き出す能力はカタルパにとっては厄介極まりなかった。

 

 【怨嗟共鳴 シュプレヒコール】。

 カタルパ・ガーデンが二番目に出会った〈UBM〉。

 彼が狂った正義の味方を志した原因となった存在。或る意味では遠因だが、或る意味では直接の原因となる存在。

 狂った運命の始点、ないし中間点。

 一見はただの少女であるのだが、数多の怨霊によりその姿を変貌させる。水風船のように腹部が肥大し、ニヤリニタリと不気味に弧を描く口が幾つも現れ、それぞれがそれこそシュプレヒコールのように声を荒らげる。

 救いようがなく、それ故に救えなかった、だがカタルパが殺す事でどうしようもなく救われてしまった存在。

 

 【幻想魔導書 ネクロノミコン】。

 唯一、〈UBM〉期をカタルパが知らない現MVP特典武器。嘗ての名は【虚構魔導 ネクロノミコン】。記された術式により邪念を得た魔導書。

 正義の味方を支えた存在。ともすればどのような正義の味方になるかを定めてしまった存在。

 正義の味方への通過点にして、そうなる為の同伴者。

 枯木のような内部の本体は現実に現れることは無く、基本的に魔導書のまま動き、また話す。

 【実在虚構 ヨグソトース】を召喚するスキル、《架空の魔書(ネクロノミコン)》と限定的ではあるがカタルパの《強制演算》のように解答を導くスキル、《議題記す偽題の琴(カーヌーン)》を保有している。シュプレヒコールの一件以来それを使用していないのは、使う機会が無いからという理由と、あったとしても許可が降りない為である。

 

 【死屍類涙 ガタノトーア】。

 カタルパ・ガーデンが三番目に出会った〈UBM〉。

 良くも悪くも伝承に則った形をしており、それ故に直視してはならないという強力な存在。だが裸眼で見なければ良い、という欠点から魔法で精製された視覚情報を頼りに動いたカタルパに倒された。

 カタルパを正義の味方として確定させた、分岐点。

 ただの化け物で、ただの怪物で、ただの敵。それだけで終わった筈のモノ。

 

 【零点回帰 ギャラルホルン】。

 【七亡乱波 ギャラルホルン】の進化形態にして最終形態。正義の味方の終点、終着点。

 水晶のエレメンタルがその実体であり、「本体」と呼ばれる水晶を移動させる事で姿形を変化させる。

 カタルパ・ガーデンにとってはライバルのような存在であり、それでいて似たような正義を志す同類でもあっただろう。

 

 さて、その全てが今、その身に集約している。

 その名は【清濁姫構 カタルシス】。早々にしてその内の姫にあたる部分を消失させたが、それでも化け物は吼える。

 

「「「カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ――――カタルパァッ!!!」」」

 

 虫の脚で駆け寄って、化け物の腹から声が出た。

 水晶同士の擦れ合う音、枯木が地面に引っかかる音。悲鳴は反響し、不協和音のオーケストラは鳴り止まない。

 対するカタルパは矢張り銀剣を握っておらず、地に刺したそれに背を向けて、拳を握っている。

 

「お前等はどうしようと俺を殺せない。だからこそお前等が取り得る手段は取り込む事だ。だが……」

 

 言い切る前に、カタルパは跳んだ。

 

「 お前等に、俺が捉えきれるのか?」

 

 そして目の前で消えた。

 完全に想定外だったその速さに、カタルシスが戸惑う。

 彼の戦闘スタイルはアストライアに依存しており、その他を他の装備品で補うのが常だ。だが今彼は、その他の装備品もなく、ましてやアストライア本人を置いて、その素早さを発揮した。

 つまりそれは、自らの力だけで起こした事象に過ぎないのだ。

 アストライアが居なければ()()()()()()。そう信じていた。そう疑わなかった。

 

 結論から言うならば、彼等彼女等、【清濁姫構 カタルシス】の敗因は、正しくそれだった。

 正義の味方と共に居ながら、正義の味方を侮ったのだ。

 

 強い衝撃。続く痛み。

 見れば地につけていた脚がひしゃげている。

 そんな風に捻じ曲げたのも、カタルパなのだ。

 

「「カタ……カタカタ……」」

「いいんだ、シュプレヒコール。俺はお前達を責めたりしない」

 

 だが決して笑ってもいなかった。決して許してもいなかった。生きていて欲しいと願いながらも、カタルパを信じてはいなかったのだから。

 そこに憤慨し、カタルパはただ拳を振り抜いた。

 殴られた箇所から衝撃が広がり、カタルシスの巨体が揺らぐ。

 

「――返って来たか、ミスティック」

 

 蟲は謝りもしなかった。だが、再会を喜んでいるような、そんな感じがした。それで、充分だった。

 手甲により強化された腕で、再び振り抜く。一度や二度では収まらず、乱打するように。

 

 それが正義の味方だと、誰が信じよう。

 だが今は、信じる者達が居たのだ。

 上半身だけの怪異や木龍の使い手、はたまた巨大ロボットに騎乗した着ぐるみですらない。

 

 彼等が、彼女等が――【清濁姫構 カタルシス】が、信じていた。今更ながらに。




( °壺°)<次回、カタルシス墜落
( ✕✝︎)<あれこれネタバレ……


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第百八話

 崩れ落ちる巨体と、ゆるりと落ちる身体。

 刀や剣では()()()()()と拳を握った正義の味方は、その乱舞をやめない。

 カタルシスが、崩れて行く。浄化装置が終わって行く。

 それこそ終演で、終焉で、終末で、終結だった。

 それだけで、それ以上にはならない。それ以降には行かない。

 彼等彼女等の胸の内に言葉を響かせる為に、武器を使う必要すらない。

 曰く、拳で語れる。

 無骨な手甲が嵌った腕が、幾度となく音速を超えて弾丸の如く突き穿つ。

 怪物の叫び声は、咆哮ではなく悲鳴のようで、ともすれば腹の口からではなく、カタルシス本来の声のような。

 返り血を浴びるその姿は、正義の味方とは程遠い。確かにその横に、少女を立たせるべきではない。二人一組(ツーマンセル)の正義の味方が、今この瞬間には一人で良かったと言える。あの純白を、この血で汚す訳にはいかなかっただろうから。

 

「そろそろ、その大合唱も終わりにしようぜ、シュプレヒコール」

 

 怨霊達の喚き声の中、それはやけにハッキリと聞こえた。遠くで呆然と見つめていた傍観者達にも届いた。

 正義の味方の意志が聞こえたと同時、拳の雨は降り注いだ。

 的確に一つ一つの口を狙い澄まして、歯の一つ一つを圧し折るかのように、乱打を浴びせた。

 殴られていては声もあげられず、カタルシスの腹部は殴られた衝撃で変形して行く。

 内側に集束するように、膨れ上がっていたその腹部が、全体から圧されて、圧縮されて行くように潰れて行く。

 やがて限界は訪れるだろう。無限に潰れて行く事は無い。それでも続く。過剰に続く。

 そして爆ぜ散る。熟れた果実のように。爆弾のように。容赦なくそれは、カタルシスの上半身を吹っ飛ばした。

 ミスティックが形成した脚も、シュプレヒコールが形成した胴体も失って、その衝撃に身を任せず、カタルシスは羽ばたいた。

 

「なんだ、次はお前か、ネクロ」

 

 水晶で出来た腕を生やし、それを振り回しながら接近するカタルシスに、カタルパは笑う。

 

「そんな速度じゃ、追いつけない」

 

 独楽のように回ったカタルシスの攻撃を、カタルパは避け切っていた。遠目からでは何が起こっていたかは良く見えていた。

 

「……躱し、た?」

「腕と腕が来る間、その半周分で接近し、殴り、避けて……コンマ何秒どころじゃないよ、あれ」

『…………あいつのAGI、今幾つだ』

 

 語尾を付け忘れたロボットを見上げ、アルカは当たり前の様に呟く。

 

()()普通だとざっくり20万くらい?滅多に使わないから、持っている武器達にも忘れられるだなんて、アズールらしいと言えばアズールらしいよね」

 

 それを目で見て追いかけられたアルカもアルカだが、それ程の敏捷性なのであれば、あの速度にも頷けた。

 元より、カタルパのジョブは【数神】。戦闘職でこそ無いが、超速を誇るもの。

 彼が強力なのは、そのAGIを活かして【絶対裁姫 アストライア】が戦闘スタイルを形成しているからだ。

 彼等、カタルシスが信じて疑わなかったのはそこだ。アストライアが居なければただ敏捷性が高いだけの非戦闘職が残るだけだと油断した。或いは錯覚した。

 そこが敗因だった。ほんの数分であれどアストライアを吸収していて、カタルパの分身を吸収していて尚、気が付かなかった。

 カタルパだけでも立てる事。カタルパだけでも戦える事。何もかも。

 勘違い、食い違い。ズレて擦れて噛み合わない。

 だからカタルパは、()()()()()

 なんとも簡潔で、なんともまぁ明快な。

 一方的な調整、調律――それはともすれば調教のような。

 殴打の雨が雷を降らせた輩に降り注ぎ、遂に枯木も崩れ、その身が落ちた。

 人間で言う肋骨より上しか無い身ではあれど、それは人よりも遥かに大きい。落下した時の衝撃で、隕石程とまでは行かないが小さなクレーターを作り上げた。カタルシスは遂に、地に落ちた。墜落したのだ。

 

 その中心に、それは居た。

 その円外に、彼は居た。

 彼の全てがそこに在った。そこから彼は奪っている。

 剥奪。簒奪。強奪。

 これが正義の味方の為すことか。そうだとも。これが正義の味方の為すことだ。

 それは、己の所有物を取り戻すだけの行為。

 正義も悪も存在しない。独占欲と言えば悪に成りかねないもの。

 それでも、そうだとしても。

 カタルパは止まらない。

 終えればそれは、正義の味方が批判を受けるだけで済む。

 だがここで止まってしまっては、正義の味方が、正義の味方でなくなってしまう。

 恐怖で竦む脚は、無意識に駆け出して突っ込む。

 もうそれを、カタルパ自身で止めることは出来なかった。

 後はガタノトーアと、ギャラルホルンの二つ。

 眼前まで近寄り、カタルパは容赦なくその眼を抉った。

 水晶同士の擦れ合う音が悲鳴のように響き渡り、辺りの耳を塞がせた。

 そのまま握り潰し、水晶体が零れ落ちた辺りでキラリ、と片眼鏡が光った。戻った、のだろう。

 

「さて……後はデモゴルゴン?いや、お前だ、ギャラルホルン」

『カタルパ……カタル……カタ……カ……』

「……なんだ、再戦かな、と思ったのに」

 

 少し残念だ。

 そう言い残してカタルパは、それの心臓を穿ったのだった。



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第百九話

 崩れ落ちる世界と、壊れて行く意識。

 何かの声がする。

 『そうでもしないと、貴方は貴方で居られなかったの?』と。

 回答する。

 「あぁそうだ」と。

 振り回し過ぎた腕は、とうに限界が来ている。〈UBM〉を狩りきる為の腕力など、カタルパにある訳が無いのだ。

 それでも、取り戻す為には振るい続けるしかない。

 ――自分すら守れずに、正義の味方が何を守れると言うのだろうか。

 何かを守る、誰かを守る。だがそれは、決して自分を蔑ろにしていい訳では無いのだ。

 そもそも守りたいものは、自分の分身であって自分ではない。そう、いつだって、自分自身を守る為に戦って来た訳では、なかったのだ。

 再び声がする。

 『それが貴方の目指した正義なの?』と。

 変わらず回答する。

 「あぁそうだ」と。

 『どうしてそれしか貫けないの?』と、三度()()の声がすると、漸くカタルパは応えた。

 

「俺が、英雄紛いだからさ」

 

 そうして空想世界は崩壊する。

 嘗ての、《天地均して響け(ラグナロク)終末の笛の音よ(ギャラルホルン)》の一件で出逢った彼女は、もう何も答えなかった。

 腰の鎖は、鳴らなかった。動かなかった、何よりの証明だ。つまりは、終わりの――

 

□■□

 

 空気との擦過音で元に戻ったカタルパは、襲い掛かる水晶を前に再び拳を振り抜いた。

 衝突する水晶と手甲。砕け散ったのは前者だった。

 

「さぁ、お前を引き抜いてやるから来いよ、《強制演算》」

 

 大して頭痛はしなかった。脳は悲鳴をあげなかった。

 答えがほぼ出ているという事なのだろう。

 デモゴルゴン――カタルシスが終わって行くのを、観客達は観客席で見ていた。

 【往古雷魂】が、【清濁姫構】がその物語を終えて行くその様をただ見ていた。

 水晶が砕け、天が地に堕ちるが如くその魔神であった何かが終わるのを、映画のワンシーンを見るかのように。

 だからこそ、その来訪者は異質であった。

 

「ん?あれ?もしかして終わりそう?来るの遅かったかー、うーん、残念♪」

「「!?」」

 

 ゴシックロリータ風の格好でありながら、要所に棘や血痕、破れた跡もある。アルビノを想起させる白髪と赤眼。その表情は酷く歪んでいる。天真爛漫な笑顔であれば可愛げがあったのだろうが、狂気に満ちたその笑顔は、闇と、悪と、殺意が混じっていた。そう――悪が。

 ミルキー、アルカ・トレス、シュウ・スターリング、ニベルコル、ピスケス。観客であった筈の全員がその存在に気が付いた時、その全員が舞台に立たされたのだ。

 

「あーあー、終わりそ。つまらないなぁ、もどかしいなぁ――楽しみだったのになぁ、私の玩具(おもちゃ)

 

 思い思いに何を感じたかは分からない。だが未知に、化け物に出逢った事は確かだ。

 その見た目で一瞬反応が遅れた。その刹那が命取りだった。

 

「だぁかぁらぁ、代わりに遊んで、ね。《斯くして舞台の幕は上がる(カーテンコール)》ッ♪」

 

 禁断の匣が、怪物の顎が、開かれる。

 

□■□

 

 水晶が崩れ落ちると、辺りに世辞にも良いとは言えない、だが馨しい芳香が漂い始めた。

 その香りに、カタルシスではなく、その中心たるデモゴルゴンは、震えた。それも恐怖に。

 

「……この匂いは?」

 

 自由落下しながら、カタルパはその香りを確かに嗅いだ。

 途端、辺りに闇が広がった。

 太陽が、水晶の煌めきが、一瞬にして奪われたかのように真黒になる。

 

「連戦……ではなく、か」

 

 連戦ではなく、混戦。見えないまま戦況を窺う。

 だが、次いで襲われた感覚は、平静を奪った。

 

「…………?」

 

 匂いが、消えた。どういう事だろうか?

 見えなくなって、嗅げなくなった。

 

「五感、か?」

 

 こんな状態で触覚が消えるのは不味いかなぁ、等と暢気に思いながら、カタルシスが居るであろう方向を向く。

 

『カタ、ルパ……!』

 

 都合良く聞こえたカタルシスからの声。いや、これはギャラルホルンが発してくれたのだろう。

 

「矢張り、お前を残して正解だったか」

 

 受け答えを聞く前に殴りつけ、【清濁姫構】の終焉を耳にする。

 では、次は。

 

「この感覚の消失について、だが……どうせまた、あの王様の弟子だろう……?」

 

 悪人にした回数で解放されるジョブと聞いた。ならばそれはピスケス、ニベルコル、ヴァート・ヴェートの三人だけで済むはずがない。

 文字通り、桁外れな筈なのだ。だから、その内の一人と考えるのが妥当だろう。

 

「…………ネクロ」

 

 自分の力だけでカタルシスを倒す、それは今終わりを迎えた。残り滓であるデモゴルゴン部分の討伐は、カタルパ・ガーデン単体での仕事ではない。武具全てが意思を持つと言うのなら、これは一人きりの共闘戦線なのだ。

 

「視界の共有、及び意思伝達の為の連結(コネクト)を。以降連結機(コネクター)司令機(コマンダー)として行動を実行する」

『「了解」』

 

 応答はアイラとネクロ以外に無かった。ギャラルホルンも答えないとは珍しかったが、今はそれを気にしている暇はなかった。

 

「カーター……私は最早弁明はしないよ。だから今は私を武器として、薬指の約定すら忘れて、剣となった私と、道具に成り果てた貴方で踊ろうじゃないか」

「あぁ、そう、だな。踊り明かそう。『皆で』」

 

 それは、何処までを対象にした言葉だったのだろう。

 意思があると分かった時から、カタルパの行動は一貫されていたように思える。それが続いているならば、その対象は今新たに現れた敵と戦う彼等彼女等ではなく――

 

「さぁ、行くぜ」

 

 次に答える声はない。

 繋がって一心同体となった身では、それは自問自答にしかならなかったからだ。

 独りであってはならない。融合して統合して尚、彼等は一人ではなかった。全部乗せの最終形態。

 二人一組(ツーマンセル)の正義の味方が今、走る。

 鎖と水晶が宙を舞い、それを足場にカタルパとアイラが接見する。

 その動きは洗練されていて、無駄が無い。そう動く事が自然であったかのように。そこに配置される事が当然であるかのように。

 

『先却万――

 

 カタルシスが、デモゴルゴンとしてのスキルを使用するよりも早く。

 

「《彼方の星を繋ぎ(スターロード)神話と鎖を紡げ(オーバーライト)》」

「《天の果てまで響け(ミドガルズ)祝福の笛の音よ(ギャラルホルン)》」

 

 《天地均して響け(ラグナロク)終末の笛の音よ(ギャラルホルン)》を弱体化させて――それこそ、あの時の二の舞にならない程度に――放つスキル、《天の果てまで響け(ミドガルズ)祝福の笛の音よ(ギャラルホルン)》を浴びせ、容赦なく、呆気なく。

 その一戦を、終わらせた。



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第百十話

 流れるアナウンスは最早意識の外だった。

 カタルパの視線は、もう別のものを見ている。

 つまりは混乱の渦中。新たなる敵の方を。だがカタルパもまた、その新たなる敵そのものを見てはいなかった。

 

「…………なんだ、『アレ』は」

 

 回答は無い。解答は分からない。

 アルカやミルキーに取り囲まれた少女、その頭上。

 

 ――黒いドレスを纏った何かが顕現していた。

 

 顕現と表現するに相応しい、神性を帯びた化け物。人の形をしてはいたが、その姿はオーラ状で、向こうが透けて見えた。

 その透けた先、遥か彼方には、まだ時間帯として朝である筈なのにも関わらず満月が浮かんでいた。

 

「満月……闇ではなく、夜?それに、神性……」

 

 ネクロノミコンの《学習魔法・千里眼(ホークアイ)》を通した視界で得られた情報は、それ位だ。

 充分過ぎた。

 情報過多にも程がある。特定出来ない訳が無い。そしてそれは同時に、「あれだけではない」事を半ば証明していた。

 

「夜……後は滅び、争い、復讐……様々な災厄、だったか」

 

 つくづく、『そういうモノ』に縁があるのがカタルパ・ガーデンか。

 悪に出逢う運命、とでも言おうか。そうした未来に囚われた、呪いとも、乗り越えるべき試練に溢れた運命とも言える。何れにせよロクなものではない。常人からは逸脱した、ズレた最果てに外れた運命。通常から逸らされた運命。巫山戯て言うのであれば悪戯に満ち満ちた運命、とも言える。

 下らない。神々に翫弄されている心地だ。

 今更神だなんだと言ってしまうのは、ただ単にその憂さを目の前のオーラ状の何かにぶつけたかったからだ。お前のせいでこんな運命なのだ、と八つ当たりしたいからだ。

 感謝と鬱憤をぶつけたいだけだ。

 

 そんな思考の片隅。オーラ状の何かへと向けていた視線はふと下に行き、少女と目が合った。

 ゴシックロリータ調の服装を汚すように血痕があしらわれ、要所で破れ、棘が生えている。

 見れば見る程に歪で、感じれば感じる程不快になって行く。

 目を逸らしたくなるような奇怪さと、その顔の愛らしさは相殺しているようでもあった。然しその顔に張り付いた表情で、差し引きマイナス、評価値としては急転直下、下の下。

 

「せーいーぎさんっ、あーそびーましょー」

 

 遠くからでも、その声はカタルパに届いた。

 鈴を転がすかのような声音であるにも関わらず、身の毛がよだつような奇妙さ。

 何もかもが噛み合わない。可愛らしい見た目にしようとしたが、本質がそれに伴っていない。

 

「俺が、それに付き合う必要性が無い」

 

 正義の味方の臨戦態勢は解かれていない。今すぐにでも駆け出しそうではあったが、警戒もまた解いてはいなかった。

 

「ぶっぶーっ、せいぎさんは遊ばなくてはならないのでーす♪」

 

 腕でバツ印を作りながら、少女は笑った。子供のようだが、見え隠れする狂気は子供らしさ、つまり無邪気を否定している。狂気と、邪気。混ざって悪鬼。

 鼻腔を擽る甘い香りも、瞼を優しく覆うような暗闇もカタルパは感じられない。あるのは当たり前の風景と、何かと、異物だ。

 日常を守る為に剣を振るう。理由はそれだけで充分だった。

 それに今更狂人が増えた所で、支障は無いのだ。違う方向性で狂って、とまでは行かないにせよズレている人間を、自分を含めてカタルパは数多く知っている。

 

『……どうやら、俺の出番も終わりみてぇだな』

「あぁ、()()()としての役割はもう、十二分に果たしてくれたさ」

『なんだ、脚本家でも居たのか?』

「さぁ……ただ、世界を舞台と喩えるならば……何処かには居るのかもしれねぇな、そういうモノが」

 

 虚空を見るような視線。巨大戦艦すらすり抜けたその先は、何も無かった。何も無いようにしか、見えなかった。その視線が再び少女に移ると同時、巨大ロボットは搭載者ごと消えた。

 

(矢張り空気を媒介に視界を奪う系統か。完全ではないが密閉されていればそれなりに遮断出来、結果30秒間の干渉も無かった)

 

 だがそれは、余裕を見せているが故に止めなかった、という可能性も有り得た。そこ迄考えようとすれば、必然的に終わりが消失してしまうが。

 

「では私も一度離れますよ。欲しい人材が、ありますよね?」

「大正解だ【探偵】。仕事が早くて助かる」

「あまり活躍も出来ませんからね、今は」

 

 話しながら準備をしていたのか、会話がそれで終わり、セムロフの姿が消える。最近の影の薄さが気の所為ではなくなってきた。

 

「――――さて、正義の味方としては、越えなくてはならない壁、と言った所か」

「む、私はまだ成長途中だよ」

「そういう事じゃねぇよ」

「そーゆー風に感じたの。せいぎさんはデリカシーがないねー」

 

 少女はやれやれというジェスチャーを大振りに行い、そのまま

 

「《斯くして舞台の(カーテン)――

 

 続きは、遮られた。

 それは何かの暴走ではなく。正義の味方の正常な行動でもなく。かと言って観客に再び成り下がろうとしていた彼等ですらなかった。

 つまりは第三者。舞台に躍り出た介入者。

 

「――《鳥籠荒らす覇極の牙(ブンダヒシュン・アエシェーマ)》」

 

 切り取るように。抉るように。空間を捻り切って、遥か後方へと吹き飛ばした。

 事を仕出かした三頭龍が吼えた。

 そしてその隣に着地するのは、当然分かり切っていた人物だった。

 本来は対格に立っていなければならない存在ではあったが、今はそれすら問う気にはなれなかった。オマケ感覚で着いてきたのか、ヴァート・ヴェートの姿もある。

 一定の距離が空いたからか、オーラ状の化身が消え、ミルキーやアルカ達に変化が訪れる。

 

「……おっと、やっと戻った」

「ん……んん、あぁ、感覚消失」

 

 ミルキーは分かっていて耐えたのだろうが、アルカは何が何だかよく分かっていなかったらしい。流石にニベルコルからも冷たい視線を投げられている。

 

「距離で効果が違ったのか?お前だけは症状が軽かったって事なんだろうが……生憎俺は耳も聞こえなくなってたからな……」

「その答え合わせは後々でいい。それよりも範囲攻撃、九分九厘〈エンブリオ〉の仕業。となればTYPEはワールド。範囲を知る為にもお前の蝿が重要になる」

「……成程な」

『おや、ニベルコルでも使える日が来るとはねぇ、しかも正義の味方相手にさぁ!』

「……そうだな」

 

 駆け付けたヴァートの武器、ケルベロスからの冷やかしに冷静に答えたニベルコルは、物理的に吹き飛ばされた少女の方角を見る。

 

「敢えて言うが、勝算はあるんだろうな」

「これが人間にしか危害を与えないのであれば、ある」

「……待って、それじゃあ」

「ニベルコルの蝿はそれ以外にも役割がある」

 

 目論見通りに進めるとなれば、蝿は相手の攻撃の範囲を知る為のものではないという。

 圧倒的物量であれど、それで押し潰す事も出来ない。

 カタルパの企む「勝算」の内容を、カタルパ以外の誰一人として理解はしていない。だが。

 

「んじゃ、私達は配置されましょうか」

「TYPE:ワールドかぁ、同属と言えばそうなのかな?」

「これまーた私の出番無いやつ?」

「デスペナになった時点で無いだろ。大人しくしてろ」

「あはは……後衛で喧嘩しないでね」

「変わらんな、お前達は」

 

 今から戦地へと赴く輩の台詞とは到底思えない程に間の抜けた会話ではあったが、それまた今更と言えた。今迄もこれからも、彼等は変わらない。

 

「さて行くぞ、諸悪の王様」

「噫行こうか、正義の味方」

 

 示し合わすでもなく、彼らは叫ぶ。

 

「《感情は一、論理は全(コンシアス・フラット)》」

「《轢かれた脚は此処に(テケテケ)》!」

「《虹に繋がれし九極世界(イグドラシル)》」

「《堕ちたる罪の因果(ベルゼブブ)》」

「《硝子の靴に灰を被せ(ドレスアッシュ)》!」

「行くぞ、アジ・ダハーカ」

 

 未知への挑戦、彼等の戦いはまだ始まってすらいない。

 カタルパは、見慣れぬ靴で駆け出した。




《鳥籠荒らす覇極の牙》
ブンダヒシュン・アエシェーマ
 範囲内の全てを空間ごと抉り取り、遥か後方へと吹き飛ばしていく【龍幻飛後 アジ・ダハーカ】の乱雑な攻撃スキル。
 範囲攻撃を得意とする相手との距離を物理的に開かせる為、仕切り直しとしてのスキルではあるのだが、アジ・ダハーカは明確な遠距離攻撃手段を持っていない為に逃走用スキルとも取れる。


( °壺°)<報告。来週は諸事情によりお休みさせて頂きます
( °壺°)<読者の皆様にはご迷惑をおかけします


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第百十一話

 ――【春雷軍靴 カタルシス】。

 それが、大地を踏み締める靴の名だった。

 地面を蹴り、迸る雷光。

 その一歩は元々のAGIもあって速いが、靴により更に加速しているように見える。

 短ゲートル形状になっており、ブーツと言うよりは確かに軍靴のような見た目だ。それでいて黒い革のような素材で出来ており――カタルシスとは名ばかりの、デモゴルゴンの亡骸ではあるが――燕尾服に違和感を与えない。

 そしてまた、これも今迄の例に違わず、意志を持つのだろう。これまたカタルシス名義でデモゴルゴンの意思が宿っていそうだが。

 無骨な手甲、簡素な軍靴。地に刺した刀、水晶で補強されて大剣と化した剣、ただ敵を見据える単眼鏡。超速度で駆ける彼に追従するのは宙に浮く魔導書と、一人の少女。

 それはただの全力だった。全身全霊だった。

 全てを置いて駆け抜けるその先には、吹き飛ばされた彼女が居た。

 

「……PVP……」

 

 ギリッ、と食いしばるような音。それは悔しがる音。本意ではない現れ。

 何せ彼女は、蹂躙を、鏖殺を求めていた。なのにこれでは――

 

「《蠱毒の坩堝(カオス・パトス)》」

 

 ――()()()()()

 彼女を中心に闇が、円状に地面を侵食した。

 触れてはいけないだろう。しかしカタルパは今宙空におり、そしてまた、カタルパは空を飛べない。必然、彼はその地を踏まねばならない。

 ベチャッと泥を踏むような音と共に、カタルパは状態異常欄の項目に表記があるのを確認した。

 【魅了】……そして【混乱】。

 つい先程までの【失明】と組み合わせれば成程、状態異常を与える事に特化した〈エンブリオ〉と推察出来る。

 先程の『夜』はつまりは【失明】を意味しており、今度のこの沼地は【魅了】と【混乱】、確かに蠱毒とも言える。蠱毒の中では、何かが別の何かを喰らう「争い」があり、それ故の「復讐」もあるだろう。

 見れば彼女の隣には、最初に居たオーラ状の『何か』とは違う、だが同質であろう『何か』が、それも二体存在していた。

 ――矢張りそれはそれで、顕現という表現がしっくり来た。

 

(それに、タネなら明かしてしまったしな……アレ)

 

 正体は既に割れている。だからこそカタルパは気を引き締めた。

 状態異常を振り払うように、それこそ何事も無かったかのように改めて力強く駆け出した。

 接見するその両者の間に、『何か』は割り込む事すらしなかった。

 ならばとカタルパは大剣を大きく振りかぶり、彼女めがけて振り下ろした。

 

 ――それを受け止めたのは、ミルキーだった。

 

 驚愕なんてものでは収まりきらない。だがまだ予想を大きく裏切られた想定外、という訳でもない。

 【魅了】に【混乱】。ともすればこの状況が絶対に無いとは言い切れなくて当然だ。別にカタルパだけが接見していたとも限らなかったし、カタルパだけが空を飛べず地を駆けるしか無かったとも限らないのだから。

 そういう意味では、今居るメンバーの中で最も「そう」なりやすかったのはミルキーと言える。

 ピスケスやエイルはミルキーよりは遅く、ニベルコルやアルカはここまで自身が接近する事はほぼ無い。ヴァートは半ば戦力外なので数に入れない。セムロフはエイルを呼びに行った筈なのに戻って来ない。シュウも看板としての役割は果たし終えている。今更戦線復帰もなかろう。

 消去法、或いは順当な推察。

 

「うん……そうだな、解除は出来そうにないから」

 

 退場願おうか。

 それを掛け声とした訳では無い。だが示し合わせたかのように灰被りを解いたピスケスと、電動鋸を駆動させたエイル、そして何処から来たのかセムロフが手鏡を其方に向けた。

 

「《灰を被りて灰を真似る(アッシュ・トゥ・アッシュ)》」

「《骨を折り肉を断つ刃(オステオトーム)》」

「《鏡に映せぬ七つの呪い(セブンス・マッドナイト)》」

 

 三重の弱体。連撃と斬撃と反射。

 しかしそれらは、ミルキーではなくカタルパに向かっていた。

 それに首を傾げたのは、少女ただ一人であった。

 下がった事を確認したアイラが駆け出し少女の首を狙う。カタルパがそれに続く。

 当然操られたままのミルキーはそこに割り込む。

 それは、狙い通り。

 

「「《仰げば尊き正義の断片(ライト・フラッグメント)》」」

 

 だから、吹き飛ばす。ただし威力は三重の弱体を以て折り紙付きだ。牽制も加減もない、全力。木の幹の上に乗ってそれを見ていた三人は、彼女のゲージが瞬く間すら無いうちに消し飛んだのを見た事だろう。

 

「え……あれ……せいぎさんの仲間じゃないの?」

 

 突然の出来事に着いて行けていないのは少女だけ。

 問答無用で必殺スキルを使用した蝿が襲い掛かる。

 

「《ガーベッジ・リンカーネーション》」

 

 それは、ニベルコルが持つ、MPを消費して()()()()蝿を生成する能力。

 そしてそれは、【堕落化身 ベルゼブブ】の死骸でなくてはならなという制約は無い。

 光の塵と化すその数秒。ミルキーは、蝿となった。

 グロテスク極まりない光景ではあったが、目的の為に手段を選ばないのが、彼等彼女等だった。

 

「ちょっ、えっ……」

 

 問答無用の四字を掲げて襲い掛かる。

 ――伝承上、『ソレ』は人にしか害を与える事が出来ない。

 蝿も、木龍も、彼女に止める事は叶わない。

 濁流に呑まれるように、改めて彼女は吹き飛んだ。

 そしてその着地点に、彼等はいた。

 水晶の大剣と白銀の鎖が待ち受けていた。

 

「《混沌は斯くあるべし(ピートース)》」

 

 対抗手段はそれしかなく。

 

「「《揺らめく蒼天の旗(アズール・フラッグ)》」」

 

 返す手段は、幾らでもあった。



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第百十二話

 ???の現実

 

 少女にとって、世界は白と黒とを併せ持つ、清濁を併せ持つものだった。

 勉強が出来る学校が好きだったが、いじめられるから嫌いだった。

 愛を注いでくれる母が好きだったが、いじめについてしつこく言及してくるから嫌いだった。

 白と黒とが入り交じり、灰色のような、ハッキリとしない世界。

 そしてそれを、全人類が許容しているようでもあった。

 少なくとも、少女にとってはそう見えた。

 自分(少女)を使った人形ごっこ。母親はそれを楽しんでいる。その目は家族とはズレた「大切な物」を見る目であり、「大切な者」を見る目とは、違っていた。それを踏まえても少女は母を愛していたとも言えたが。

 増えていく痣、それを隠す為に比例して増えるファンデーション。

 『何の為に?』「着飾る為に」

 『誰の為に?』「誰かの為に」

 決してそれは「自分の為」ではないのだ。そしてその誰かも、母親か、或いはその母親に関係が近しい人間だった。

 人間と言うよりは人形と言うべき扱いではあったが、仕方ないと諦めていた。

 

 ――自分と母親の血が繋がっていないから。

 ――自分が人としての権限を得たのが、つい最近の事だから。

 

 それが当然の事だとは思っていない。だからこの不遇には不満があった。

 だが物扱いであれ何であれ、義理であれ何であれ、母親から愛情を注がれていた事は理解出来ている。

 そこに嘘偽りが無いことは、誰よりも何よりも、自分自身が理解していたのだ。

 鑑賞物に向ける愛を、彼女は愛情と評した。

 それこそが自我の消失点。人が道具に成り下がった、その分水嶺。

 

 それこそが少女の本当の始点。〈エンブリオ〉、【混沌坩堝 ピートース】の〈マスター〉、ルビンの始点である。

 

□■□

 

 唯一無二のその境界が、少女を始めさせ、終わらせた。

 元奴隷、人権無きもの。

 現人形、人権無きもの。

 それだけが、彼女の証明だ。

 三百四人目の『解放されたもの』マキウス・ティリス。

 元々の名は無く、そして【諸悪王】が本当の意味で諸悪の根源の片棒である事も、【数神】が英雄である事も微塵も理解してすらいない無垢なるもの。

 そこには意味は必要なく、それ以上に意思が必要ない。

 彼女の名前も、恐らくは何一つ意味を見出さないまま終わるだけの、いわばフレーバーテキストとして終幕を迎えるのだろう。

 それでもここで語らなければいけないのは、そうしなければいけない理由はあるのだ。

 仮にそれが、間違いだとしても。

 英雄でも正義の味方でもない、年端もいかない幼子の過去と現在と未来を語る事に、今更何かしらの感慨を抱く事もまた、ないのがこの世界なのだった。

 

□■□

 

 過去は無い。

 語るようなものは。或いはそうでなくとも。

 有名無実と言うのであれば矢張り少女には名前しかなく、その姿かたちに、今更ながら説明を付け加えるまでもない。

 正義の味方のような祝福されるべき過去も、諸悪の根源のような隠匿すべき過去も、狂騒の姫君のような波乱万丈な過去も。

 何一つ。特筆すべきことなど何一つありはしないのだ。

 ただあるとすれば人形としての翫弄だけだろう。

 食事も、健康管理も、睡眠でさえ、何一つに自由が存在しない、究極の束縛を生きた少女。

 ではそんな少女が何故ゲームの世界、それもデンドロの世界に足を踏み入れたのか、そこが問題ないし話題になるのだろう。

 それの回答は、至って単純で、極めて異常だった。

 

 ――少女の母親が、死んだのだ。

 

 それも、事故死などではなく、血塗れの変死体で。

 当初警察はあらん限りの手段を以て、可能性と言える可能性を虱潰しに調べあげた。

 その可能性の一つが、少女が母親を殺した、とする仮説。

 日常生活や聞き込み調査からその仮説は早々に外れたが、それでも疑念は払拭できない。

 こびりついて離れない汚れのように、その可能性が、調査していた警察一同の脳裏に焼き付いていた。

 何故かと問われれば、それは整合性の一言に尽きる。

 合点が行く。行き過ぎて怖い程に。

 凶器は何処から。犯行の動機は。5W1Hをそれで埋めて行けば花丸が貰える程に、百人ともが納得して反論しないかのように。

 

 ――だが、彼等は少女を捕まえる事は叶わない。

 

 少女には■■が無かった。

 全人類が人類として生きる為に必要不可欠なそれを、少女は既に欠落させていた。

 それでも少女は今も尚行き続け、ルビンとしてデンドロの世界に降り立ち、【混沌坩堝 ピートース】を使用して、カタルパ・ガーデンの敵として立っている。

 必要なのは真実であり、その他の「もしかして」のような仮説は一つも要らないのだ。

 よって事実を此処には残しておこう。

 

 少女ルビンは人間としては既に終焉を迎えている。

 だからこそ少女の血肉を血肉たらしめたのは、TYPE:ボディの〈エンブリオ〉、【混沌坩堝 ピートース】だけであった、と。



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第百十三話

 救わねばならないという義務。或いは責務を背負って力を行使するのがカタルパであれば。

 人として生きたいという欲望のままに人外へと歩を進めるのが、ルビンだった。

 何処かしら、対立している訳では無い。

 そもそも、欲望は千差万別でありながら二項対立のように分かりやすく「敵」が設定されている訳では無い。敵と言える敵は、それと相反する欲望か、或いは無欲か、それくらいのものである。

 そして「したい」という欲望はある意味で、「しなければならない」義務とは相反するものとなる。

 ならば今回彼女と彼が相対したのは、たったそれだけの事だったのだ。善性と悪性が衝突しただけ。犬も歩けば棒に当たる。正義の味方も歩けば悪につまづく。

 ――それだけだった。今までもこれからも。何一つ変わりなく。

 誰かがそれをどう評価しようとも、現実は変わらない。視点が変わったところで、事象そのものは変わらないのだ。

 だから必要なのは見方ではなく、受け取り方。

 正義の味方が悪に出会いそれを打ち倒す勧善懲悪の物語と見るか、悪を倒し続けて生きるしかない悲劇と見るか。

 それは、矢張り受け取り手の問題であり、そこを強要する事は出来ない。

 ただ、誰の目にも、彼がマトモでない事は明らかだった。そこだけは強要するまでもない。

 だからこそここには、注釈が一つ必要だ。

 「義務」で履行するならばそれは英雄であり、正義の味方が善を成すには、そこには「自我」が必要だ。善を成す意思が必要なのだ。

 さて、それは果たして何処に在るのか。

 言うまでもない事ではあるが、彼の正義は、彼一人では成立しないのだから――答えは、見えている。

 

□■□

 

 蒼の世界、白黒の世界。瞬く間もなく移り変わり、必殺スキルの顕現の前に、カタルパ達は一撃を食らわせた。その光は、正義の味方の明確な攻撃手段であり、お得意の必殺技というものである。

 然し。

 

「――ふふっ、あははっ、ざーんねん♪」

 

 笑い声と共に届いたのは、死刑宣告のような台詞だった。

 同時、何故カタルパ達が彼女の〈エンブリオ〉そのものを見た事が無かったのか、思い知った。

 

「……オーラそのものな訳がなく、かと言って容れ物さえ見なかった……お前自身がそうなのか、災厄の壺(ピートース)

 

 罅割れ、砕け、それでも笑顔は崩れない。

 割れた彼女の隙間からは、()()が見えた。

 TYPE:ボディ。【犯罪王】と【殲滅王】の二人しか例は無い、そう聞いていた。

 そうした形のエンブリオを持つ人間の、その人間性は――

 

「――己自身の肉体に思い入れがない、砕けて言えば『どうでもいい』と捉えている……」

 

 肉体に対する思念の欠如。それは究極的には「意思(魂)にこそ価値がある」という思想にも繋がる。つまるところ彼女は、マテリアル(肉体)を、エーテル()アストラル(精神)を入れて置くだけの、『容れ物(、、、)』としか捉えていないのだ。

 その結果があの、【混沌坩堝 ピートース】である。

 そう言われれば、彼女はそうなのだ。何せ彼女にとって肉体は、母親にとっての人形でしかなかったのだから。寧ろ何故人形に魂と精神があったのか、ここに帰結してしまうのだろう。

 カタルパ達の人間性が破綻しているのであれば、彼女の――マキウス・ティリスの、つまりはルビンの人間性は崩壊している。

 修復不可能なレベルで、捻れて破れて壊れて、嘗てのあったかどうかすら分からない状態にまで回帰する事は、叶わない。

 

 だからこれは。カタルパ・ガーデンとルビンの決闘は。

 英雄という人形として生きようとした人間と、救済されたが故に人の意志を持ってしまった人形の、醜い争いだった。

 

「だがそれでも、天秤は傾かない」

 

 正義の女神の一言。

 カタルパの思考に、栞のように挟み込まれた言葉は、カタルパを平静に連れ戻した。

 

「あぁ、そうだったな。序に世界も変わらないと来た。いやはや、困った困った」

 

 既に《混沌は斯くあるべし(ピートース)》のネタは割れている。

 何せ彼女、ルビンの背後には今までのオーラ状の何かの中ではダントツで異様な覇気を発していたからだ。あれが必殺スキルの内容であることは、火を見るより明らかだった。

 

「今までのあのオーラ状の『何か』はそれぞれ、状態異常を与える事に特化していて、与える状態異常はその『何か』によって決まっているようだった」

「……ほぅ?私にはサッパリだ。ほら、『そちら』の神話は存じ上げないからね」

「……そう、だな。じゃあ話しておこう」

 

 駆け出す二人。オーラ状の『何か』、ルビンが『タナトス』と呼称するそれは、他のそれとは違い、動き、そして手に持つ剣をカタルパに振り下ろした。

 

「――へぇ?」

 

 今までの『何か』とは違う行動にほくそ笑み、大剣で迎え撃つ。会話が中断され、否が応でも戦いに意識が移行する。

 模造の水晶が砕け散る。急造品では、必殺スキルには敵わなかったようだ。

 

「【失明】と【麻痺】、【混乱】に【酩酊】……なら、こいつは?」

 

 カタルパは、それぞれに「対応」がある事を見抜いていた。

 夜を見せた『何か』は【失明】と【麻痺】。

 ミルキーを操った『何か』は【混乱】と【酩酊】。

 であれば、眼前のそれもまた、与えてくる状態異常がある筈なのだ。

 その思考に、ただの逡巡に、ルビンが小さく答えた。

 

「他のマスターに(、、、、)接触した途端に発動する【猛毒】、だよ♪」

「……え、マスターに(、、、、)?」

「そうだよー。ティアンは大丈夫だけどね。触れた側と触れられた側、両方に発動するの。今は大丈夫なんだけど、条件起動でHPを一瞬で殆どを持って行く猛毒だよ!最っ高でしょ!」

「「あぁ、最低だ」」

 

 その二人重なった返しに、ルビンは目を見開いた。

 この必殺スキル《混沌は斯くあるべし》の【猛毒】が発動するにはマスターが触れれば良いのだからルビン自身が接触しても発動する。そして彼女は身体はTYPE:ボディの〈エンブリオ〉である為、その毒が効かない。本来はそのような、一対一を想定した必殺スキルであり、元よりこんな、正義の味方一味や諸悪の王、『バック・ストリート』のオールメンバーといった一対多を想定されていない。だが、発動に特に制限はなく、一人にかけられる回数に制限はあれど一度にかけられる人数に制限はない。

 

 ――問題は、そこではない。

 見開いた理由はそれではない。

 

 『他のマスターに接触した途端に発動する』。

 『ティアンは大丈夫』。

 『条件起動』。

 

 ――なら、〈エンブリオ〉はどうだ?

 己の分身であるそれは、どう判定されるのだろう。

 解答は、彼女の目の前に、絶望として現れていた。

 

「例えば、俺の右手を見ながら、俺はそれを『俺と右手』と分けて認識はしない。あって当たり前のこの右手は俺の一部であり、右手も含めて俺自身だからだ」

「それと同じ事。私という存在もまたカーターの一部であり、『正義の味方と私』とはならない」

 

 手を繋ぐ二人に、戦慄し、引き下がる。

 

「私達は二人一組(ツーマンセル)の正義の味方」

「俺とアイラが揃って初めて、『俺達』はそうして初めて正義の味方なんだ」

 

 引き下がる。後ずさる。背を向ける。駆け出――そうとして立ち止まる。

 そびえる壁のように樹木が並び立ち、その合間を縫うように、或いは枝に立って、一同が介している。

 

「あ……」

 

 ルビンは恩師(エイル)の姿を見つけたが、師匠としての目ではなく、路傍の石を見るような目に、友好的な意思がない事を察した。

 

「さて、終幕だ。そうだろう?」

 

 さながら悪役が如く、諸悪の王は笑った。彼等は《混沌は斯くあるべし》の効果範囲内に入っている。彼等はこれより二十四時間、仮にルビンがデスペナルティになったとしても誰かに触れる事は出来ないだろ……う……?

 その思考さえ途切れた。

 先の正義の味方の理論に則るなら、〈エンブリオ〉とはつまり、〈マスター〉だ。

 確か植物を操るのは、【平生宝樹 イグドラシル】という〈エンブリオ〉ではなかったか?

 ルビンは気付かない。操っているだけであり、イグドラシルに明確な存在がない事を。

 抜け穴を突くような。針に糸を通すような。緻密で、繊細な行動。

 僅かな合図のみでここまで動いた彼等も彼等だが、智力の化け物は、伊達ではないのだ。

 

「あぁ。終幕だ」

 

 答えぬまま応じたアイラが鎖を放ち、『タナトス』ごと雁字搦めにしてルビンを浮かせる。

 そのまま地面に激突か、このまま絞殺も有り得るか。

 様々な死の想像。フラッシュバックする痛苦に塗れた日々。

 だが、構えを見て、違うと分かった。どれも違う。初めからきっと、その心算だったのだろう。

 あの構えは、抜刀(、、)する為の構えだ。

 察しの通り正義の味方は、その一刀を振り抜いた。

 

「《天の果てまで届け(ミドガルズ)祝福の鐘の音よ(ギャラルホルン)》」

 

 必殺の言葉と共に。

 極光が走り、縛っていた鎖ごと彼女を焼き、文字通り天の果てまで向かっていくのを、カタルパ達は遠い目で見つめた。

 

□■□

 

 それは、正義の味方ですら知らない事。

 原型を辛うじて留めた誰かは、瓦礫の中で目を覚ました。

 バラバラのパズルのようになってしまった身体でも、HPさえ残っていれば「生きている」ものだ。

 

「あぁ、あ……終わっちゃったー」

 

 身体は残っても、装飾品までそうとは行かない。ボロボロでズタズタになってしまった衣服は、もう再生出来そうにない。

 立とうとして左足の膝から下が無いのを知り、這いずろうとして左腕が肩から無いのを知った。

 完膚なきまでに。ルビンは敗北したのだ。壊れた身体の内側には、宇宙が広がっている。

 それは災厄の壺(ピートース)の伝承に一部由来する。

 数多の災厄を詰め込んだとされるその壺には、当然その災厄を司る神格が詰め込まれていた。

 そしてそれが開かれた時、世界は破壊されかけた。

 破壊されなかった理由はエルピスだけが残ったからだ。

 つまり災厄の壺の内部では、全ての災厄が揃っていて、その中であったであろうものは全て破壊されているのだ。

 つまり彼女の内部の宇宙は、破壊された世界そのものなのだ。

 生き残った彼女は、壊れた世界を内に秘めたまま、笑った。



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第百十四話

 One month later――

 

 ■カタルパ・ガーデン

 

 天へと伸びた光の帯は、いつしか消えていた。それと同じように、戦いはいつだって、終息する。

 俺にとって決闘場よりも戦う事において馴染み深い場所となった平原は、何事も無かったように雑草を生やし、戦地の跡地へと姿を変えた。

 『バック・ストリート』はヴァート・ヴェートとニベルコルの〈エンブリオ〉、【暴食皇女 ケルベロス】と【堕落化身 ベルゼブブ】が第6形態に到達したらしく、一人第5形態で置いて行かれていると言ってピスケスが拗ねていた。

 そうそう、形態と言えばミルキーの……【上半怪異 テケテケ】。本人曰く「あれで完成」らしく、今だなお第6形態のままなんだ。超級を、アイツは求めていない事になる。それで良いらしい。なら、それで良いのだろう。無理に強いてどうこうなる事でもないし、無理に追い求めなくても、気付いたらなっているかもしれない。

 何かに強いられて辿り着く場所なんて、本当の実力で辿り着いた場所とはきっと違う筈なんだ。

 そういう意味では俺は、運命に縛られた人生だったかもしれないな。何かに振り回されるように、双六のように目まぐるしい日々だった。

 ジャバウォックから与えられたミスティックやシュプレヒコールの討伐といった試練は、あいつに振り回されていた感じはしたが、後々になるにつれて、俺はジャバウォックよりも更に上に……あるのかもわからない何かに誘導されて進んでいたような気さえする。

 別に文句がある訳じゃない。それのお陰で出会えたものが多過ぎて、恨むよりも先に感謝してしまいそうだ。

 運命、と言えばそれで完結するし、それはそれで合点がいく。ならそれはそれで良いのだろう。英雄だろうと正義の味方だろうと、その点は変わりないらしい。

 

「やぁ、時間通りだね、カーター」

 

 ふと、アイラが後ろから声をかけてきた。ギデオンで別行動を取っていた俺達は、示し合わせていた時間通りに合流した事になる。

 

「俺はそういう約束を破らない人間だからな」

「……そう、だね」

「兎に角、俺達は呼ばれた訳だ。しかも『こんな時』に。…………よりにもよって――こんな時に」

 

 遠くで鳴り響いた破壊音。だがそれが、今のこの王国の日常である事を、俺達はよく知っている。それが本来、異常である事も。

 

「『兄妹』が此処にいるそうだが……まぁ、関連性(、、、)を見出せって言うならトゥイードル、だよなぁ」

「だろうね。私が第2形態の時に出会ったアリス、第3形態になれた戦いを齎したジャバウォック、シュプレヒコール討伐戦で出会ったトム・キャットの正体であるチェシャ、皇国に行く際に出会ったラビット、それに最近出会った(、、、、、、)クイーンや話に聞いたバンダースナッチとかから察するにね」

「そうだな。『招待状』を送り付けてきたのがあの胡散臭い男じゃなければ、もうちょい警戒していたかもしんねぇが」

「えっと、なんと名乗っていたかな」

「あの変な色の紳士服の奴はマッドハッター、とは名乗ってこそいたが……帽子以外に目が行ったのが実情だな」

 

 そう、俺達にある日突然「招待状」を送り付けて来たのが、その「胡散臭い男」、マッドハッターだった。一人称なり何なりことある事にビブラートをかけたように伸ばすから聞き取りづらかったが、その渡してきた中身は至極真っ当なものだった。喋り方同様の中身だった場合は引き裂いていたかもしれない。

 

『でぇすのぉで、そぉこに書かぁれた日時に兄妹にぃ会ってぇ欲しぃのでぇす』

 

 寧ろその喋り方は大変なんじゃなかろうか、という内心を隠して、俺達は頷いた。

 

 遠くの戦火が耳鳴りのように、或いは遠くで打ち上がる花火のように。見える閃光も火炎も幻想と断じて、俺達は扉をノックした。

 

□■□

 

 かくしてそこに居たのは、確かに兄妹だった。

 背丈はまぁ、大差ないか。そういう観点では双子、と捉えた方が良いのかもしれない。

 

「やぁ、僕はトゥイードルダム」

「私はトゥイードルディーだよ〜」

「マッドハッターの言っていた『兄妹』は其方で間違いないみたいだな。にしても子供がこんな所に居ていいのか……?」

 

 こんな所、と言うのは〈DIN〉のギデオン支部だ。記者が右往左往する情報の鮮度を競う場所。社会科見学でもない限り、子供が入る機会はまず無いのではないだろうか?

 当然俺もまた部外者ではあるのだが、招待客なのだから許してもらおう。

 

「ただの子供と思ってはいけないよ」

「私達が噂の双子社長なの〜」

「「…………え、誰?」」

 

 思わず俺とアイラでハモって返した。

 

「え〜、知らないの〜?」

「ここ、〈DIN〉を創業した者の名さ」

「…………つまりあんたらは此処を作った、と?」

 

 兄の方は短く、妹の方は赤べこのように首を縦に振った。アイラが驚きを隠そうとして平静を装っているが、上がった眉だけはどうしようもない。

 

「成程、ねぇ……」

 

 だとしたら此処に招いたのも頷ける。彼方のホームグラウンドなのだから、此方は身勝手な事が出来ない。いや少し違うか。

 してもいいが(、、、、、、)身の保証は無い(、、、、、、、)のだ。

 ……それにしても、こんな幼い見た目の二人ではあるが、ジャバウォック等の『同類』と言うのであればこのゲームを成り立たせる上で何かを担当している、という事だ。人は見た目によらない。ジャバウォックとクイーンの二人が〈UBM〉を担当していると言っていた。アリスが確か〈マスター〉の制作に大きく関わっている、とも聞いた。バンダースナッチはハッキングから守っているとか何とか。

 〈DIN〉を作った、と言うならば情報統制とかを担当しているのかもしれない。

 

「その話を信じよう。また管理AIってのの差し金なら、別に逆らう意味も無い」

 

 まだ俺は、また俺は、運命に踊らされているのだろう。そしてその呪縛は永遠に解けない。

 それはそれで良い。本当の自由、なんてのは俺は求めていない。

 促されるままに生きて、そこで暴れるだけだ。

 簡単、ではないがさほど難しいものでもない。

 やりたい事がやれていれば、それで良いのだから。

 ――それが俺のエゴなのだから。

 

「さぁ、着いて来なよ」

「2名様、ご案内〜」

 

 双子社長に着いて行き、階段を登っていく。紙とインクの臭いが立ち込める空間をすり抜けて、高度だけが増していく。

 そうして辿り着いた先は屋上だった。

 

「……なんだ、結局あれについて話し合いたかったのか?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

「私達は目的以外に興味が無い、かもしれないの〜」

「……そうかい」

 

 目線で合図を送り、アイラを紋章内に入れる。ここで戦闘、なんて事はあって欲しくない。勝てる見込みも無いのだから。だから此方から臨戦態勢に入らせないようにしなくてはならない。そうする為には、あからさまな『武器』は仕舞うに限る。ラビットのようになってしまっては、たまらない。

 

「別に戦う訳じゃないのよ?」

「話し合いがしたいだけなんだ」

「それでも、だよ」

 

 そうして俺は、双子社長から視線を外して、遠くの景色を見た。

 爆撃と雷鳴、剣舞と轟音。視線の先には戦闘があった。

 

 其処には、三人の〈マスター〉が居た。厳密にはどうであれ(、、、、、)

 俺は一人の観客として、その戦闘の行く末を、【三極竜 グローリア】の行く末を眺めていた。



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第百十五話

 戦火は遠い。正義の味方はその時、誰よりも観客だった。英雄はその時、何処にも居なかった。

 だからそれを討伐せしめたのは、天賦の才を持つ者達だった。決してそこに、彼は居なかった。

 ――きっと契約が無くとも、彼は居なかっただろう。

 そうなれば、誰もが踏み込む問題はあまりにも今更ではあるがその「契約」の事だろう。

 そこに踏み込まなければ(、、、、、、、、)、物語が進まないとでも言うかのように。

 だから物語は進んでは戻り、時系列を狂わせる。つまり彼等の物語は今一度、ほんの少し戻る。

 カタルパが語っていた、クイーンとの出会いまで。

 

□■□

 

 クイーンとの出会いは、唐突なものだった。怒気を放ちながら迫る様子は、警戒しないという方が無理であり、獅子やら虎やらの肉食獣がそのまま立ち上がったかのような外見は、周りの人々に恐怖を与えていた。

 カタルパもその例に外れず、後ずさろうとした。だが、その獣人の視線が確実に此方を見ている事、特に自分が履いている靴に――【春雷軍靴 カタルシス】に向いている事に気付いてしまっては、その脚を止めざるを得なかった。

 『知っていて来ている』ならば、逃がさない術を持っていて然るべきなのだから。

 そしてその獣人の第一声は、警戒のレベルを引き上げて、ある意味でカタルパの平静を奪った。

 

「それを倒した感想はどうだ。正義の味方」

 

 それは、倒した事実の確認ではなく、感想の有無の確認だった。つまり倒した事そのものではなく――この時のカタルパが知る事ではないが、「倒された」事実に対してではなく――あくまで倒した事実に対する心持ちを問うてきた。

 明らかに「知っている」。カタルパを、或いはあの場で倒されたデモゴルゴンも、カタルシスも。【混沌坩堝 ピートース】の事も。

 全てを知っている上で、眼前に立っているのだろう、とカタルパは察した。

 だとすれば必然、正体は判明とまでは行かないまでもかなり絞られる。あの領域はピートースの状態異常とイグドラシルの植物による監獄と化していた。そうであるにも関わらず情報を得られたと言う事は、「そういう性能」を有した〈エンブリオ〉を持つ〈マスター〉か、或いは――

 

「ジャバウォックの同類、と考えるのが妥当だよなぁ」

 

 その言葉に、獣人は眉(厳密に獣にそうした部位がある云々は問わないにせよ)を顰めた。

 言葉を間違えた心算は無かったが、言い方を間違えたらしい。

 

「まぁ……まぁ、いいだろう。今日の私は気分が良い」

 

 怒気も覇気も感じさせない、感情を押し殺したかのような声音に、本能的に身が震えた。

 人の形を取っていようとも、眼前の存在は獣なのだ。決して人と相入れる事の無い、理性に相反した――カタルパが最も敬愛するそれに反した――野生を保有している、直情的な存在なのだ。感情的な存在なのだ。

 だがそれでも、その獣人からはそれを今だけは感じなかった。封印の錠をかけたかのように、感じられないのだった。

 

「ところでお前は、【数神(ザ・ナンバー)】で間違いなかったな」

「……?あ、あぁ、そうだが……」

「何故そこまで攻撃的になってしまったのだ?本来それは、ただ計算の合理性を突き詰めただけのジョブだった筈だが」

 

 ジョブの根底を知っているかのような発言には触れず、カタルパはありのままを回答した。

 

「ただ単に、俺の本質がこのジョブに似合わず攻撃的だったってだけだよ。アイラがそれを物語っている」

 

 紋章をスっと差し出す。そこには鎖に縛られた十字架が描かれていた。その拘束された正義が、真に自由になる事は叶わない。解き放たれて、この世界にその正義を証明する事は無い。今の彼の正義は、ただ一人の為に存在していて然るべきものなのだから。

 

「……そうか。ならば私は謝らなければならないな」

「……それまた、何故?」

「お前に『我々』は頼みたい事があるからだ」

「頼み事?管理AIが何を言うんだ?命令すればいいじゃないか」

「それでも良かったが、この世界の原理は『自由』だ。それを遵守しているお前からそれを剥奪する事は出来ない。だから強制はしない。そこらのクエストと同じように、私は依頼するだけだ」

「……そう、か。で、その内容は」

 

 そうして聞かされた内容は、特筆して語る事ではない。知られていた情報を今一度開示する事に意味は無い。ただ、カタルパはそれを快諾し、そこでクイーンが初めて感情的な態度を取ったという事実だけは、記しておこう。

 

□■□

 

 カタルパは、倒し過ぎた。運命に操られたまま、半ば押し付けられたまま。MVPを取らなかっただけで貢献はしたものも数多くあり、それは、「戦闘を行わない筈の者」の行動ではなかった。かと言ってそうした、非戦闘員が戦闘を行う「自由」を、別段世界は束縛しなかった。何処までも、根底にある自由だけは守られるものである。

 

 そうしてカタルパの剣は、最早(なまくら)と化した。プレイヤーを殺害する心算は無く、かと言って奴等を狩りにも行けない。いや、行かない。

 カタルパから戦闘と言うものが、外れてしまったのだ。

 

 だがそれでも、カタルパは正義の味方であり続ける。プレイヤーを殺害する心算は無いが、悪を許容しない心は残されていた。暗躍する悪を、蔓延する害悪を。【諸悪王】が生み出される為に生み出された悪達を。カタルパは敵対視し続けるだろう。彼に心酔している彼等彼女等は、カタルパを敵対視している傾向にあるのだから。そうなってしまえば必然、アイラに刃が届くのだから。

 

 計算する手を止めて不意に見た空は、あのスキルで見た世界のように青い。次に《蒼天揺らめく旗(アズール・フラッグ)》を放つ瞬間はあるのだろうか。そんなくだらない事を思案する。

 

「どうしたんだい、カーター。空なんか見て」

 

 空「なんか」と呼んだアイラに苦笑する。その空の為に一生を懸けた人間がいたと言うのに、あまりにもあんまりじゃないか、と。

 

「まぁ、たまにサッパリしている所が、アイラらしいよ」

「本当にどうしたんだい、急に」

「いいや、先は長そうだな、と」

「終わりなんてないだろう?」

「知っていたさ」

 

 『計算部屋』の窓を開け、そのまま飛び降りる。

 

「《天電原々(てんでばらばら)》」

 

 

 重力と運動エネルギーを無視して、空中を駆け出す。カタルパは今、宙を歩いている。そこにアイラも追従している。カタルパの完全な分身でもある彼女は、カタルパが受けている効果を同様に受ける。

 大義的には電磁浮遊に分類される筈のスキルも、伝説級武具【春雷軍靴 カタルシス】の力によって空中歩行となる。

 

『おいマスター、衆目を浴びるが良かったのか?』

 

 鎮めるようなネクロの声がした。こんなに多様性を強調したような世界観であれば、空中歩行の一つや二つは見過ごされるとは思うのだが。事実視線はそれ程向けられていない。

 

『それはマスターが速すぎる(、、、、)だけだ』

「それもそうか」

「え、ちょ、カーター!?速度を速めないでおくれよぉ!」

 

 辞めるとは言わないまま、空中歩行は止まらない。

 

□■□

 

 ――それを見る影が、三つあった。

 

「あ、叔父さん」

「はぁ?なんで空に……あ、ガチだ」

「え、ホント?居るの?」

『落ち着きなヴァート!それよか経験値を寄越しな!』

『ケルベロスも落ち着いてね』

 

 少しづつ本来の調子を取り戻している少女に全力のフォローをする青年と、弱体化をかけて援護している少女の三人組は、多分この先も変わらない。自殺を許さず凌辱を許容するジャンクフードしか食べない皇女も、決して覚めない一夜の夢を魅せる質素なもの――具体的には100リル以下のもの――しか食べない姫君も、きっと変わらない。変わらずに永劫、ゲームをゲームとして楽しむだろう。

 

 ――果てから見る影が二つあった。

 

「なーんでせんせーはこっちに居るの?」

「彼処に居場所が無いからだよ。それにしても、それで『生きている』と言うんだから笑わせてくれる」

 

 罅割れた壺のようになっているルビンに、エイルは嘲笑を向ける。「そうまでして生きたいか」と。

 

「んー、身体なんて所詮容れ物だし、いいんじゃない?容れ物が傷ついているだけで、私の『世界(なかみ)』は無傷だし」

 

 TYPE:ボディ・ワールドの〈エンブリオ〉、【混沌坩堝 ピートース】の少女は笑う。いつか誰かが、必殺スキルの『滅びの神』を越えて、〈エルピス〉を引き出してくれる事を。

 その役目が自分でない事を知っているエイルは、嘲笑ではなく微笑した。またおかしな役目を押し付けた事に、少しだけまた後悔する。

 

「どうしようか、本当に」

 

 ある男の生体を真似たエイルは、不意にそう呟いて、

 

『どうもこうもない。為すべき事は全て悪なのだから』

 

 同じ声でそう、聞いた気がした。

 

□■□

 

 二人は、見上げながらそれに気付いた。

 

「あ、アズール」

「お、私の《脚は無くとも速くはあり(トップスピード・ランニング)》みたいじゃん、いぃなぁ」

 

 元から居る事を知っていたかのような態度のまま、木龍は動き出した。カタルパを追い掛けるように、地を這い始める。

 

「え、これ置いていかれるやつ?困るなぁ。《種無き種明かし(マジックカッター)》」

 

 腹を指で線を引くようになぞり、そして。

 

「《轢かれた脚は此処に(テケテケ)》っと」

 

 最早慣れた手つきで腹を切る。なぞった線が切り取り線であったように、スパッと切れたそこからは、血の一滴も伺えない。どうやら先程のスキルは、手品などで見られる切断マジックをスキル化したものらしい。

 月兎のように腕の力で跳ね、木龍に付き添うように走る。《考える脚(バラバラボトム)》で身勝手に動く下半身も、追従している。

 言えば乗せて行ったのに、とアルカは笑い、蔦でミルキーを絡めとる。そのまま木龍の頭部にストンと着地させ、ミルキーは分たれた半身をくっつけた。安全に必殺スキルを使用する方法を見出したようだ。

 それは、彼女なりの戦い方。以前彼女がやっていたような、『誰かに追い付く』為のビルドではなく、自分の為の、自分の長所を限りなく活かす為の構成。武人故か、或いは別の何かか。何れにせよ才覚を表している。

 

「と言うかカーター。空を歩くと私のスカートの中が……」

「それは盲点だったな」

「ちょぉっ!?」

 

 《天電原々》を解除し、大地へと落ちる。

 そう言えばそうだったな、と手遅れの段階で気付き、平謝りをする。羞恥と怒りでアイラが何を言っているのか分からなかったが、そうこうしている間に地を這う龍は追い付いた。

 

「え、なに?夫婦喧嘩?」

「やめなさいよ、犬も食わないんだから」

「――変わりませんね、貴方達は」

「……セムロフ、お前急に来るなよ……」

 

 突如割り込んできたセムロフに驚きながらも、平静は崩れない。

 

 ――成程、これが日常か。

 

 王国ではあるのだろうがよく分からない場所に立ち、仲間と談笑している。それは日常の一コマ以外の何物でもなかった。

 

 ……なんだ?此処で死ぬのか?

 

 そんな当たり前に触れてこなかった所為か、それをありのまま受け入れる事がカタルパには出来ないでいた。

 人並みの幸福も、人並みの日常も、庭原 梓には無かったのだから。カタルパにそれが、分かる筈も無かった。今から知るには、知らないまま生き過ぎた気さえする。

 

 それでも、それがカタルパなのだ。智力の化け物。正義の味方。そして、新たなる「人生」を歩む者。魔を祓う梓弓が如く、その生き様は簡潔で、質素で、それでいて神々しい。

 隣には正義の女神が居る。だから彼等は止まらない。例えそれが壊れた、間違った、歪な正義だとしても。それがエゴに塗れた偽悪であったとしても。それだけが、彼等にとっての正当なのだから。止まれない。止まってしまえば、何もかもを放棄しなければならなくなる。そこから先は、気付いた時には一方通行だったのだ。故に、止まってはならない。愚者と嘘つきが、それでも正しくある為に。

 

 いつかその正義を手放し偽悪を掴むその日まで。




( °壺°)<かくして彼等の物語は終止符を打たれ、正義の味方は間違い続ける。
( °壺°)<いつかそれが、偽悪という正解に辿り着けるように。

( °壺°)<長々と、延々と。やめるだやめないだの詐欺まがいも挟みながらここまで参りました。
( °壺°)<比喩も何も無く、皆様のお陰で御座います。いかがでしたでしょうか?お気に召しましたでしょうか?
( °壺°)<どうあれこれにて閉幕で御座います。ここまで読むのにかけた時間はお返し出来ませんが、代わりとして感謝を申し上げます。


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