依頼:私を、変えて欲しい (クラウンギア)
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駅のホームで

はぁぁ、だりいなぁ。

 

最寄駅から大学への道で、同じ1限に出席するであろう学生たちに紛れて歩を進める。

 

大学も2年目になるというのに、一向にこの場所に慣れない俺は、ほぼ毎日吐いている心の溜息を、堕落の元となる言葉と共に吐いた。溜息を吐いた回数なら、今も目の前を映るリア充共の「ウェイ」の回数と良い勝負になると思う。いや、絶対勝ってる。待て、今も変わってないとしたら、戸部には勝てないが気がする。むしろ完敗。

 

変わってないとしたら、か、と俺は考える。

変わる、ねぇ。

 

ふと、高校時代に想いを馳せる。卒業も近くなった頃には、どうにも言い訳ができないくらいな状況になっており、奉仕部の二人の想いには完全に気付いていた。疑っても事実ばかり押し寄せ、裏を読もうとしても表しかないようなことばかりが、あの二人と俺との間に積み重なったからだ。

 

卒業式の日に、奉仕部部室で告白してきた二人の顔が思い浮か・・ばねえな。あんまり。

 

なんでだろうか。いや、分かっている。

 

最後の告白は、とても自然なものであり、涙なんてなかった。

互いにけじめを付けるものであった、と思う。

 

------------

 

確かに奉仕部では、これ以上ない経験をしたと思っている。

俺自身に考えや、想いや、行動などが、増えもしたし、捨てもしたし、擦り切れたりもした。きっと、二人もそんな感じだろう。

 

卒業式の日、告白を受けた俺は、どちらも選ばなかった。そう、「選ばなかった」のだ。

実を言うと、二人からの想いはもちろん嬉しかったが、頑張っている二人を見ているうちに、俺も何か頑張ってないと、二人には釣り合わないという確信を持っていた。また、そのことを二人に告げたとき、二人もそのようなことを感付いていたようで、

 

「全く遺憾ではあるけれど、あなたが好きなことは本当よ。でも、あなたが言っていることも分かるわ。もしこの先も一緒に歩いて行くと考えたとき、今のあなたでは難しいわね。少し大人になりなさい。もし、あなたが思う通りになれた時、私を追うこと自体は許容してあげるわ。」

 

「どんだけ高飛車なんだよ・・・」

 

「あら、事実だけを綺麗にまとめて言ってあげているだけよ?・・・あなたには本当に感謝してるわ。ありがとう。」

 

「まぁ、おう。」

 

「ヒッキー、私もねヒッキーことは大好きだよ。ずっと好きだし、これからも好きなんだと思う。けど、ゆきのんが言っている通り、それだけじゃダメな時が来るんだと思う。それはどっちが悪いとか、良いとかじゃないんだけど・・・」

 

「ああ、言いたいことは分かっている。」

 

「・・ありがとう。あはは、いつもそうだったよねー。本当にちゃんと私が言いたいこと分かってくれていると思うから、そういうところも好きだよ。ヒッキー、私は、頑張るから!ね、ゆきのん?大学行ってもまた三人で集まろうね?これからの私たちの想い、なんて、難しいことわからないけど、二人に話したくなること、たくさんあると思うからさ!ね!?」

 

「由比ヶ浜さん・・分かったからそうべたつかないでくれるかしら・・もう。」

 

「ええー!ゆきのん冷たいー!あ、ヒッキーもおいで?」

 

「いかねーよ!」

 

「・・・通報するわよ?」

 

「え?行動してないよね?想像させただけで罪なの?俺だけ?つーか何想像してんの?」

 

「・・・通報するわ。」

 

「あはは、ごめんねヒッキー。」

 

「待て!雪ノ下!」

 

・・・

 

------------

 

今もたまに三人で会っている。

 

ちなみに、三人で会った時は、雪ノ下も由比ヶ浜も、恋愛がらみの話はしない。

それは俺に気を遣うとかそんなんじゃなく、俺に言ってもしょうがないから言わないだけだ。二人の間では別途、恋愛絡みの話はしているらしい。

 

たった今は、おそらく二人とも恋人は出来ていない。

というか、そんな時間がないはずだ。

 

雪ノ下は日本の最高学府にあたる大学に進み、三年次には留学が決まっている。MBAの取得、だっけか。それは、彼女が目標を決め、それに向かって今も邁進しているからだ。

その目標は姉である陽乃さんとも共有済みで、二人して雪ノ下建設からの離脱と自身の幸せの獲得を根底に、必要なことを片っ端から手に入れている。数ヶ月空けて会うと、その度ぐんぐんと成長している姿が見れて、こちらも気持ちよくなる、やっぱすげーわあいつ。

 

由比ヶ浜は、高校3年次に母親が病気になり、少し家族のサポートが必要になった事をきっかけに、料理と栄養学に強い興味を持ち始めた。雪ノ下とつるんでいることから、単純な「料理できる私可愛い!」なんてスイーツ(笑)には収まらず、大学と同時に夜間の料理学校に通い、雑誌のモデルと都内のイタリアンレストランでのバイトで遊ぶお金と料理学校代を稼いでいる。

 

二人とも、すごく、すごく頑張っている。

 

 

・・・

 

 

そんなやり取りを懐かしく思う。

はい、じゃあ俺は?というと、二人ほどじゃないが、自分では考えられなかったことから挑戦するようにしている。じゃないと、二人と会った時のネタもないしな。なんか、三人で会った時に、俺が除け者になる感じは、俺が許さないのだ。

 

もちろん、全てを投げ出そうとしたことがあった。

しかし、それは小町が許さなかった。

 

「こんのー、ゴミぃちゃん!まーだそんなこと言ってるの!ガキじゃないんだから、自分が頑張れないことを理由に、人を、しかも雪乃さんと結衣さんを遠ざけるだなんて、小町が許すとでも思ってるの!?」

 

さすがにこれを言われては、俺も動かざるを得なかった、というわけだ。

だからって、リア充になるわけではない。大学の成績の上位キープや、ライターと家庭教師のアルバイト、あと誘われた会はできるだけ断らない、とかその程度だ。

ただこれだけでも、今までの俺から考えると大分変わったようで、雪ノ下や由比ヶ浜はいつも楽しそうに俺の話を聞いてくれる。

まぁ、だから俺も渋々ではあるが、頑張っているのだ。

 

 

 

 

しかし。しかし、だ。

 

はぁぁ、だりいなぁ。

 

心の溜息は、依然として出るのだ。

 

 

ふー、今日は大学の5限が終わってしまえば、何もない日だった。

 

もう、最高!人間本来の姿に戻れる!幸せ!めっちゃだらだらすることを誓いながら最寄駅へ向かう。大学入学と共に家から追い出された俺は、大学から二駅離れたところに自宅があった。

 

駅のホームで小説を開こうとしたとき、肩に触れるか触れないかくらいで叩きながら、声を掛けられる。

 

「ねえ、ちょっと。」

 

「ん?・・なんだ川崎か。」

 

大学の入ってから髪を胸ぐらいまでの長さにカットし、化粧も施すようになったからだろうか、綺麗だったのが更に垢抜けた川崎が、少し恥じらいだ様子で話し掛けてきた。

 

川崎沙希とは同じ大学に通っている。同じ学部の違う学科なので、時折学内で見かけることがある。同じ講義を受けたこともある。その度、少しだけ話すくらいの仲だ。ただ、お互いやはり、基本ぼっち、というのは変わっていなかった。

そういや、国立に行くものだと思っていたが、何か事情が変わったのだろうか。

 

「この後、ひま?」

 

いや、暇じゃないと言おうとしたところで、決め事が思い浮かぶ。

 

『誘われた会はできるだけ断らない』

 

いやまだ誘われてはないが、おそらくは何かに誘おうとしているんだろう。

 

「ひま、ではあるな。どうした。」

 

パッと表情が明るくなる。なんだこいつ、可愛いな。

なんだ?髪型か?きつそうな感じが和らいでいるが、それでいて話しかけにくいオーラが昇華して、雪ノ下の雰囲気に似通ったものになっている、そう感じた。

 

「ちょっとご飯でも行かない?相談したいことあって。」

 

相談、か。

 

久しぶりに聞いたな。

 




勢いで書いてみました。
続けるかは、未定です。


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ジャズ喫茶で

不意に川崎に肩を叩かれ、ご飯の誘いを受けたあとすぐに、俺は一つ困っていた。

 

「ご飯行くっつっても、どこいくか」

 

大学生が【ご飯】と言っていくようなところに対し、この俺が明るいわけがない。

たまに、たまにだぞ、一人でサイゼリアにも行く。'大学生が一人でサイゼリア'というワードに、高校の時より、一抹の寂しさが心に通るようになった俺は、きっと人間強度が下がっているのだろう。やべぇ。ボッチが廃ってきてる。。

 

でも仕方がない。大学に入ってすぐに、俺がサイゼリアによく行っていることを知った雪ノ下と由比ヶ浜からの指摘は痛かったのだ。

 

「あなた、まだ余所に頼っているの?将来の目標が専業主夫と言っていなかったかしら?笑わせるわね。もし・・・もしだけれど、私の専業主夫になるとしたら、そんなこと許さないわ。栄養のことを考えた献立はもちろん、味という点でも私を満足させるようなものでないならば、見世物小屋に売り飛ばすわ。」

 

「え?ゾンビのこと?俺がゾンビというネタまだ続けるのかよ。」

 

「あら?ネタのつもりだったのかしら?私は虚言は吐かないと何度言ったら・・」

 

「おい。俺に対する辛辣な言葉は、あれだ、冗談のそれじゃなかったのか。」

 

「まぁまぁ!確かに目が濁っているのは高校から変わらないけど・・でもヒッキー、栄養バランスは本当に大事だよ?寿命変わるよ?」

 

「わかったよ。今のお前に言われると無下にはできないしな。」

 

・・・

 

ふと、二の腕の触覚が過敏に反応した。

少し不安そうな顔をした川崎が、人差し指でつついてきたのだ。

 

「なんか別のこと考えてるでしょ?」

 

少し上目遣いで問うてくる川崎に、不覚にもドキりとしてしまった。

そういえば、高校生の時にあまり変わらなかった身長差は、俺が少し伸びたおかげで10センチ近いものとなっていた。

 

「そ、そういうんじゃない。どこに行こうか考えてたんだよ。」

 

「そ、そっか。場所はどこだっていいけど?なんか、あんたのお勧めのとことかないの?」 

 

毛先をいじりながら目線を逸らして聞いてくる仕草に、またドキりとしてしまう。

 

あれ、俺やられてね?川崎可愛くね?

まぁ俺がそんなこと思うなんて気持ち悪いなんてことは分かっているから、ってやめて!俺の横に居る女学生、こっち見ないで!

この可愛い人の仕草にやられてるわぁこいつ、みたいな若干引く感じで見ないで! 

 

「んっ・・そうだな。俺んちの近くに、よく行くジャズ喫茶があるんだ。ジャズとかあんまわかんねーけど、雰囲気が好きだ。確か軽食もあったはずだ。」 

 

「俺んちっ!?・・うん、分かった。そこ連れて行ってくれる?」

 

川崎の反応を見てから何かすごくチャラいことに言っていることに気付いたが、逆にここで言い訳すると、それこそ怪しくなる。ここは他意はないですよ作戦で乗り切ることとした。川崎もきっと他意がないことに気付いて了承してくれただろうしな。 

 

「おう。・・じゃぁ、これ乗るか。」

 

ちょうどよく滑り込んできた電車に二人して乗り込む。

 

電車内では降りるまでの間、会話もせず、混んでいたせいで少し近づいた距離に四苦八苦したが、相談と聞いて、色んな憶測が俺の中で飛び交っていた。川崎が相談となると、いや待て、思えばこいつ自身が相談に来た回数は少ない。バレンタインデーで妹のけーちゃんのため、というのもあって、可愛らしいお菓子作りがしたい、というもの、のみであったはずだ。大志の件があってそのことを忘れていたが、この相談は、ある意味で相当意味を持ったものになるんじゃないか。まぁ少し大きくなったけーちゃんが会いたがっている、とか言うのも大歓迎だけどな、小学生になったくらいかな?

 

そんな思考を巡らせていると、川崎が話しかけてきた。

また毛先をいじっている。

 

「ねぇ、あんたんちって、実家のこと?」

 

「ああ、言い忘れてたな。大学入ってすぐに××駅で一人暮らししてるんだよ。

 こっから二駅だから距離気にせず決めちまった。問題ないか?」

 

「え!そ、そうなんだ。ていうか、私も今その駅近くで一人暮らしだから、その、気にしなくていい。」

 

「え?そうだったのか。」 

 

会話はそこで途切れる。俺の頭には色んな考えが巡っていく。俺の家と同様に、川崎家も両親共々が忙しかったはずだ。おまけに兄弟・姉妹が多いことで、塾代や、将来の自分の学費を気にしていた(大志からの相談もそこに帰結したはずだ)ことから、所々余裕があるイメージは持っていなかった。もちろん、川崎自身がしっかりした人間で、余裕がある中でもきちんと倹約に努めていたこともあったろうが。この大学までなら、正直地元から通えなくはない。俺は叩き出された形だ。というか川崎のあの姿勢等を鑑みるに、やはり地元の国立が一番しっくりくる選択だと感じる。

 

そう考えを巡らせていくうちに、俺はより相談の内容が気になっていた。

 

ふと横目で川崎を見ると、暗いトンネルを通る地下鉄の中、相変わらず厳しそうな表情で、でもそこに確かに優しさが灯っているような目で、窓に映る自分自身を見ていた。

 

改札を抜けて、街へと出る。駅周りは飲み屋が多いせいか騒がしいが、少し離れれば落ち着いた住宅街にぽつぽつをおしゃれな店があるのだ。

 

「そこまで遠くない。行くぞ。」

 

「うん。」

 

道を二人してゆっくりと歩いていく。思えば、高校の時は同じぼっちとして共感を抱いていた。そのおかげか、二人で歩いている今も、気を遣わずに歩いていられる。あれ、この雰囲気楽じゃね?大学に入って一応色んな飲み会の類に参加し、大学からの移動とか、二次会への移動とかで、誰かと同じ目的地に向かうケースは経験していた。

そのどれもがむず痒く、話した方がいいのかとか、色んなことを気にしながら歩いていたことを思い出すと、今は随分と楽であった。

 

だが、今日の、というか今の川崎は違っていたようだった。

 

「なんか、喋ってよ。」

 

「あ?どうした、らしくないな。」

 

「あ・・・。」

 

立ち止まる川崎に、いくらか狼狽してしまう。このよく理解できない感情を読もうと頑張ると、つい拗ねる小町への対応姿勢に入ってしまう。

 

「ん、本当にどうしたんだ。」

 

「・・・ううん、きっとこれも今日の相談の一つになるんだと思う。だから後でちゃんとまとめて話す。なんかごめん。」

 

そう言ってぎこちなく弱めな笑顔を作ると、俺より先を歩き出す。しかし数歩進むと、足を止めてしまう。・・・よし、雪ノ下の方向音痴を指摘せずに促すことに慣れ始めた俺の出番だ。

川崎より前に出ると、一言告げて歩き出す。

 

「行くか。」

 

川崎は確かに後ろから付いてきていた。

 

 

-----------------

 

「いらっしゃい。」

 

店を扉を開けると、マスターが声を掛けてくれた。きっと俺のことは認識していると思う。

だからか、後ろにいる川崎を見て、少し目を見開いていた。

 

「好きなテーブル、使っていいよ。」

 

「ありがとうございます。」

 

この距離感が俺にはたまらなく嬉しい。数席あるテーブルの一番奥を利用することにする。

 

「こんなところがあるなんて、知らなかった。」

 

少し高揚した表情の川崎が言う。

 

「ここ、すごく雰囲気がいいだろ。読書するのに家と同じくらい落ち着くんだ。店主も話しかけたりしてこないし、ぼっちの俺としては最高の場所だな。」

 

「そうだね、好きな雰囲気。・・・なんかあんたに似合ってるかも。」

 

「・・・。」

 

やばい。言葉だけ捕まえたらなんか勘違いしそうな並びだった気がする。意識するな俺。顔が赤くなりそうだ。

返すのを戸惑ってしまったことに川崎が感付く。すると顔を真っ赤にさせてしまう。

 

「あ、今のはそういう意味じゃなくて、なんというか、その」

 

「ああ、えっと、大丈夫だ。気にするな。」

 

二人して顔赤くして軽く俯く。見よ世界、これがぼっち同士のコミュニケーションだ。にしては、ちょっと面映ゆすぎない?

 

「何飲む?」

 

さすがマスター。完璧のタイミングで声を掛けてきたマスターにすがるように、注文を済ませる。

 

「俺はベトナムコーヒーで。川崎はどうする。」

 

「あ、私はアイスティーで。」

 

「ああ、あと、軽食を二つ頂けますか?種類別で。」

 

「かしこまりました。結構食べれそう?」

 

「そうですね。普通の量で頂ければ。」

 

「うん、かしこまりました。」

 

一通り注文を終えると、マスターは少し楽しそうにカウンターへ帰っていく。

川崎は、少し驚いたように俺を見ていた。

 

「なんか、慣れてるね。ちょっとびっくりしたかも。」

 

「まぁ、この店来るようになって2年経つからな。あと、まぁ、このくらいの人とのコミュニケーションはとれるようになったかもな。」

 

「自分のことぼっちぼっち言ってたくせに。」

 

「うるせぇ。それは変わってねーよ。」

 

「・・・人は変わっていく、ってことなのかな。」

 

「まぁ、誰しもが変わるだろ。変わらないこともあるだろうけど。」

 

俺がそう言うと、川崎は静かに頷いて、俺の左辺りをぼんやりと眺めた。その目線の流し方と表情が、何だか悩ましくて、俺を不安にさせた。だがそれ以上に、改めて川崎の表情を見ることができた俺は、彼女がより美しくなったことをはっきりを感じてしまった。

 

少しボリュームの持たせたトップから落ち、胸くらいまでに切られた、なんていうんだ、セミショート?くらいな長さの髪で、毛先を軽く巻いている。きっと誰か川崎の美しさを正しく分かっている人が奨めたか、美容師にお願いして切られたに違いない。なんとなく、川崎自身が自分からこの髪型にしたようには思えなかった。それくらい、なんというか、女性らしかった。決して、芋の煮っ転がしとは結びつかない髪型、と言ったら、偏った言葉になるが、俺が抱いている川崎のイメージから離れる、といった感じか。

 

とにかく、なんだこいつ、可愛いな。

 

「お待たせ。」

 

マスターが飲み物を運んでくる。

俺が大好きなベトナムコーヒーの香りが鼻にかかり、より落ち着いた心になる。

 

「それ、なんなの?」

 

「まぁ、なんだ。普通のコーヒーに練乳を混ぜたものを思ってもらえばいい。一応ベトナムでは伝統的な飲み方になっているらしいぞ。」

 

「それって、あんた確か、甘いコーヒー好きだったよね?」

 

「MAXコーヒーな。今でも好きだぞ。家に常に1ダース以上ある。」

 

「ふっ。そこは変わらないんだ。」

 

「ああ。一生変わらないな。」

 

川崎に合ってしまう形で俺も少し口角を吊り上げ、コーヒーを啜る。うまい。川崎もアイスティーに口を付けたところで、話題を展開する。

 

「ああ・・相談ってやつ、聴いていいか?」

 

「ああ、うん。そうだね。・・ちょっと話が分かりにくいかもしれないけど、そこは許して。」

 

「おう。」

 

そう言って、またコーヒーを啜る。うまい。

さて、聴くか。

 

 

 

 




読んで頂けていると知って、進めてみました。


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覚悟ある言葉

川崎は、真っ直ぐ俺の目を見ながら語り始めた。

 

「突然の誘いを受けてくれて、その、ありがとう。」

 

川崎は真剣そのもので、わざわざ言葉を返すのも躊躇われてしまう。少しだけ頷いて、その後の言葉を促す。

 

「まず、あんたのことだから色々疑問に感じてるかもしれない。覚えてたら、だけど。私んちが共働きで、私が弟妹達を面倒見てたのは知ってるよね?ほら、京華とか。」

 

「ああ、知ってる。大志からの依頼もその辺りから来たものだったろう。けーちゃんか、、元気にしてるか?」

 

「ああ、元気にしてるよ。また遊んでやったら喜ぶと思う。今でも、その、たまにあんたのこと聞いてくるし。」

 

「そうか。良かった。」

 

そこで一旦二人が止まってしまう。

いかんいかん。

 

「悪い。続けてくれ」

 

「あ、うん。詳しい事情は教えてくれなかったけど、父親の仕事が調子良くなったみたいで、母親が仕事辞めたんだ。高3なったくらいかな。そこから、私がやってたこと奪われちゃって、おまけに『今まで苦労かけた分、色んなこと経験しなさい』って言われてさ。

 

とにかく受験だったから、今まで家事や送り迎えしてた時間は、勉強と読書に当てたんだ。」

 

話の区切りに、俺はまた小さく頷く。これで俺が疑問視していた点については合点がいった。つまりは川崎家に経済的余裕ができて、皺寄せが来ていた川崎自身が解放されたのだ。これ自体は悪いことじゃないだろう。母親の言うことも分かる。しかし川崎は嫌々手伝っていたようには思えない。家族愛、とかいう言葉が似合う感じだったしな。

 

「進学先について、母親が自由にしなさいって言ってくれて、私としては国立狙いだったんだけど、結果私立に行くことになった。両親としては、父親の仕事の調子関係なく、私たちがみんな私立行っても問題なかった、とは言ってたけど。」

 

やはり国立狙いだったのか。

でも落ちてしまったのか、または、何かを理由に私立を選んだのか、気になるところではあるが。

 

「あ、国立にも受かったんだよ。ただ、理由があって、私立にしたんだ。・・・その理由は控えさせて。」

 

あれ?俺表情が語っちゃってる?なんで心読まれてんの?声に出てた?

 

「・・・続けるね。」

 

あれ?今の質問もバレてーら?まぁいいか、耳を澄ませよう。

 

「こっからが、その、相談になるんだけど。母親が私の代わりに動くようになって、私には時間ができた。高校の時は勉強があったけど、今はその、色んなこと考える時間になっててさ。あんたはもうしっかりものだから、って言って家からも出されちゃったしね。」

 

「・・・きっと大志も、出ていけ姉ちゃん、みたいな感じだったんじゃないか?もちろんお前を想って、という感じで。」

 

川崎家としては、それまで長女として苦労を買ってた川崎に、もっと人生を謳歌してほしかったんだろう。やはり家族愛という言葉が似合う。大志も小町が絡んでいなければ俺が土に還すこともなく、良い奴として生きていただろうな。いや、生きてるけどね。気持ち的には小町と絡む男子は軒並み還したい。

 

「うん、まさにそんな感じだったかな。複雑だったけど、想ってくれてるのは分かったから。」

 

いとおしそうに家族に想いを馳せる表情は、これ以上なく慈愛に満ちていた。何その顔、母性の塊なの?甘えたくなっちゃうだろ。いや甘えられねーけどさ。

 

「・・・聞いてる限りは、相談が必要とは思えないんだけどな。」

 

「うん、だよね。だからこれは幸せな悩みなんだと思う。でも家族から願われてることを思うと、その幸せだけに甘えてらんない。

 

だから、本気で悩んで考えて、今日あんたに話しかけた。」

 

そう言い切る川崎に、俺はハッとさせられてしまう。その表情には覚悟が見て取れたし、その覚悟の先に俺への相談がある、という状況に、心臓を掴まれた気がしたのだ。

 

なんだよ。可愛いくせにかっこいいのかよ。

 

「・・・わかった。聞かせてくれ。」

 

目を逸らさずに応えると、川崎は息を飲んだ。

 

「私を、変えてほしい。」

 

 




相談の詳細は次話にて。
読んで頂けていることがUAから見てとれるので有り難く思います。次話も早々に上げたいです。


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言葉の先には

「私を、変えてほしい。」

 

その言葉を受けて数瞬、俺は固まってしまう。川崎がどれだけの逡巡を経てこの言葉に辿り着いたのか、想像し難かったからだ。もちろん、それは半端なものではないだろう。

 

俺はずっと変わることを嫌悪していた。しかし、奉仕部での時間があって繋がった、あいつらの今と俺の今を考えると、もう嫌悪などはない。むしろ、自分が変わり続けないといけないと思っているくらいだ。この感情は、あいつらからもらった考え方なんだろう。俺には平塚先生という恩師がいて、奉仕部という場所があって、あいつらだったから思えていることだ。

それを今、川崎は自分から手に入れようとしているのだ。

 

しかしなぜおれに?という疑問は晴れないままだ。

もう少し聞く必要があると判断する。

 

「・・・もう少し具体的に聞いていいか。」

 

川崎は変わらず真剣な表情で、語り始める。

 

「う、うん。さっき言った通り、私には時間ができて、色々と考えててさ。家族は私にどうなって欲しいんだろう、とか、私はどうなりたいんだろう、とか、ね。さっき歩いていたとき、あんた私に『らしくない』って言ったじゃん?らしさって何だろう、とかもよく考える。

たぶん、今までは家族の世話をしていれば、それが私らしさだ、って私も思えてたんだと思う。

でもそれが無くなって、よく分からなくなっちゃったんだ。このままじゃ、せっかくこうして自分を見つめ直せているのに何も進まない気がして、ね。それが家族にも申し訳なくて。

そ、それで、私だけで考えてても同じところぐるぐる回ってるだけで、進んでないと思ったんだよ。色んな本読んだり、近くにいる人に相談して、『こうしよう』ってのは決まったから、だ、だから、私は・・・あんたに・・・」

 

そこまで話すと、急に川崎は俯いてしまう。

今の俺には次の言葉を待つ以外に選択肢はない。聞き逃さないように、少し前のめりになっている自分に気付くが、俺は動かないままただただ待った。川崎は肩をすくめ、遊ばせている自分の指を見ているようだった。このまま世界が止まってしまうような、限りなく濃い沈黙が続く。

不意に川崎はバッと顔を上げる。赤くなった顔を俺に向けた。

 

「私と、と、友達になってくれない?」

 

「・・・は?」

 

赤面から振り絞られて出てきた言葉は、全く予想だにしていないものだった。思わず俺は口をあんぐりと開けて、空気を吐き出すと同時に疑問符を言葉にしてしまう。

 

しかし、功を奏したのか、川崎は俺の顔を見て吹き出した。

 

「・・・ふっ、何その顔。変だよ。・・・はぁ、言っちゃった。」

 

そう言って川崎はアイスティーを口にする。いやいや、何一息ついてんだよ。俺はまだよく分かってねーぞ。しかもまだ言えただけだからゴールじゃないだろう。何でちょっと落ち着いてんだよ。

 

「ちょっと待ってくれ。もう少し詳しく話してもらえないと、よく分からん。それが相談なのか?」

 

「そ、そうだよね。ごめん。ふふ、でも何かあんたの変な顔見たら、すごく緊張して言った私が、ちょっとおかしく思えただけだから。」

 

「え、なにそれ。俺の顔そんな効果あったの?それ良いの?悪いの?」

 

「ふふっ、大丈夫。きっと良いことだよ。」

 

「そうすか。。」

 

思い出していたのか、手を口元に添えて微笑む川崎は、それもまた俺が知らなかった一つの形で、とても上品に見えた。高校の時とは違うその仕草に、2年も経つと少なくとも外見は変わっていくのだなと感じる。

 

「一人で変わるって限界があるのかも、ってこの1年で思った。例えば、私ってほとんど誰かと遊んだりとか、したことないんだよ。ずっとお姉ちゃんやってたからさ。人と関わって、自分にない考えを知ったりすることが大事なのかなって。だから、その、お願いしてます。。」

 

そう言って少し口を尖らして、川崎はまた俯き加減になってしまう。敬語になってしまっている辺りが、なんともいじらしい。やばい。なんなの?俺をどうしたいの?心が忙しくなっているのだけれど?やべぇ、語調が雪ノ下さんになっちまった。勝手に使ってごめんな雪ノ下。今度許可取っとこう。絶対下りねーけどな!

 

とまぁ反応してしまったが、川崎の言う事には、今の俺は全面的に同意だ。変わることを望むのであれば、一人では難しい。むしろ俺は変わりたくなくてぼっち貫いてた時期があったくらいだからな。このことからも俺的ぼっち理論で逆説的に論理が成り立ってしまう。

 

だが・・・

 

「その考えには賛同するが、まだよくわからんことがある。」

 

「ん、なに?」

 

「なぜ俺なんだ?確か、たまに学内で見かけた時にはいつも誰かと居ただろう。」

 

「え、それ聞いちゃうの?」

 

「え?」

 

「はぁ。」

 

川崎は少しだけ残念そうな顔をしてしまう。ちょいちょい、何か小言も聞こえますよ。「苦労するわけだね。」って何のこと?え?小町のこと?ぐっ、否定できねぇ。小町が居なかったら俺はきっと今やひねくれ過ぎて間違い過ぎて、インドで僧侶とかやってる可能性がある。なにそれ、小町に感謝しなきゃ。実家帰ろう。小町に会いに行こう。小町!

 

「たぶん、いつも一緒ってのは、同じ学科の人だよ。講義が大体一緒で、構ってくるんだ。その、海老名みたいな感じ。あ、別に嫌なわけではないよ。私より全然頭良いし、友達もたくさん居て、快活だし、ちょっと羨ましいくらい。」

 

「それならそいつと遊んだりすればいいじゃないのか?」

 

「たまに誘いにも乗って、ご飯行ったりするよ。それで、頑張って私が考えていることも話してみた。有り難いことに、すごく真剣に考えてくれたよ。」

 

「その人はなんて言ってくれたんだ?」

 

「・・・結局、あんたの話になった。」

 

はい?なぜそこで俺の話が出てくるんだ?自分が変わっていないことに悩み、変わることを望んでいるが、その方法が分からず困っている、というような内容を伝えたんだよな?どこがどうなって俺の話になるんだ?

 

「いや、なんでだよ。」

 

「・・・あんたそれ本気でやってるの?だとしたらたぶん罪だよ。重罪。」

 

ちょっとだけ怒っているような声のトーンに一瞬驚く。いやなんだよ、マジでわかんねーんだけど。

 

「いや、マジで聞いているだけではわからん。今の会話の行間を読めっつーなら、俺の経験値じゃ無理だ。」

 

「いや、うん、そうだね。ごめん。これは私の勝手だね。」

 

思い直したように手を合わせて謝罪する川崎。

続けて合わせていた手を膝に上に持っていくと、こう言った。

 

「ちゃんと言葉にする。だから、聞いて?」

 

改めて川崎の表情が真剣そのものになる。

 

がらりと雰囲気が変わる。

 

俺はこちらに向けられている温度を持った目線を真正面から受ける。

 

川崎は大きく深呼吸をした。そして。

 

 

「高校の時から、あんたのことが気になってた。世話になったのが主なきっかけで、それからあんたを全部見てたわけじゃないけど、関わったイベントとか、由比ヶ浜や海老名や大志から聞いた話とかで、その、あんたが信頼できる人だって思ってる。

 

だから、今変わりたいって話でこうしてお願いしてるけど、それ抜きにしても、あんたと関わりたいってずっと思ってた、んだと思う。変わるためにはもっと人と関わらなきゃって考えた時、真っ先にあんたが思い浮かんだから。

 

・・・これは一方的な私のわがままで、あんたに得のない話かもしれないけど、頑張れるところは頑張りたい。何ができるかは一応考えてある。

 

だから、私と友達になって、その、話したり、どっか出かけたり、同じ本読んだり、で、できないかな・・・?」

 

「・・・ちょっと待ってくれるか。」

 

そう言って俺は椅子を少し引いて、おでこを机につけてしまう。

 

おぉおお、今こいつなんて言った!?ものすごく恥ずかしいこと言ってなかったか?歯が浮くようなセリフ、とは言うが、俺の歯が浮いてんじゃねーか!浮きすぎて歯が抜けそうじゃねーか!いや抜けねーけど!いや、待て。なんだこれ。整理が必要だ。いや必要か?そのままじゃないか?

 

冷静になろう。ふー。客観的に考えるんだ。

 

川崎の一言一句に籠った熱と、照れながらも話を紡いでいこうとする姿勢に、俺にまで熱が渡ってきて、身体が火照る感覚があった。その感覚は、俺が勘違いしそうになるくらいには、恋愛とかいう麻薬の気配をさせていた。

 

しかし、辿ってみると、川崎が言ったのは俺への信頼についてで、異性と積極的に関わるようなビッチと一線を画しているだろうこいつにしてみれば、ただただ真剣に考えて、言葉を使って、今俺に思っていることを伝えてくれたのだ。何処までも真面目で、不器用で、強い想いがあって・・・それらを表に出してくれたのだ。

 

なら俺も真剣に応えなければいけない。

机から顔を上げる。

 

「お、俺とかきゃ」

 

ゴツンと再び机におでこをぶつける。か、噛んだぁ!大事なところで噛んだ!全然冷静になれてねぇ!熱い!熱いよぉ!絶対マスター笑っているよ!きっと料理出すタイミング伺うついでに話も聞こえているだろうから、この熱バレてるよ!恥ずかしい!助けて小町!

 

「ゆっくりで、いいよ。」

 

頭上にこれ以上なく優しい言葉が届く。何その言葉と声色、魔法?この一言で落ち着きを取り戻しつつあった俺は、その状態で顔を上げる。

 

「どうして余裕なんですかねぇ。ったく。」

 

「いや、照れてくれてるなら、それはきっと私にとっては嬉しいことだと思ったから。」

 

にっと笑顔を零す川崎に、その言葉が本気にしろ冗談にしろ、安心を感じてしまった俺は、取り戻しつつあった落ち着きを手元まで引き寄せた。

 

「俺と関わることでお前が変わるかなんて、分からねーぞ。それでいいなら、まぁ、俺で良ければ。」

 

「本当に!?」

 

パッと表情が明るくなる。そんな顔出来たんですね川崎さん。かわわ。

 

「あ、あぁ。だけど、俺だからな?マジで期待だけはしてくれるなよ。しかも、何をしたらいいか、全然わからんぞ?」

 

「うん、変わるかどうかは私の話だし。何をするかは一緒に考えたい、かな。」

 

「おぅ、そうしてくれると助かる。」

 

一安心したのか、川崎は背もたれに深めに寄りかかって一息ついた。どうなるかは分からんけど、その姿を見て、俺との問答でこうなってくれるのか、という喜びが降りかかってきたが、ぼっち精神が勘違いするなと振り払った。

 

「お待たせ」

 

何もかも完璧すぎるタイミングで、料理を運んでくるマスター。

 

「揚げニョッキのクリームソースと、馬肉のタルタル、あとコールスロー(マスターアレンジ)ね。」

 

思っていたのとは異なる料理の種類に、心で疑問符を打っていると、

 

「迷っちゃったから、こんな感じにしちゃった。取り分けて食べてよ。コールスローは他の合わせてサービスだから。」

 

「あ、ありがとうございます。」

 

マスターのお礼を言うと、並べられた料理に二人して感嘆する。それもマジでうまそう。

てか、テーブルにこんな感じで置かれると、こう、なんかデートで来たみたいな感覚ってこうなのかな、と思う。デートしたことないから分からねーけど。あれ、今なんか早口で怒りながらフラれた気がする。気のせいか。

 

と、思うと間もなく、川崎が小皿を持って取り分け始める。

 

「悪いな。」

 

「このくらい。」

 

テキパキを美味しそうにコールスローを取り分ける川崎に話しかけてみる。

 

「友達っつっても、何からすればいいんだろうな。俺には難題だ。」

 

「そう?まぁ私も詳しくないけど。したいことし合えばいいんじゃない?」

 

そうなのか。けど、まぁそういうことを勝手でいられる関係も、友達という言葉に含まれた意味の一つだろう。

 

「ん、それもそうか。んじゃ何したいんだよ。」

 

「ん、いいの?」

 

一瞬、少し挑戦的な目線で問う川崎。自分用に取り分けている手は止まることはなかった。

 

「おぅ、いいぞ。」

 

「そ。じゃぁ、この後あんたんちね。」

 

・・・

 

えーと、はい?




書くのがとても楽しいです。
読んで頂きありがとうございます。


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今日から二人

「そ。じゃぁ、この後あんたんちね。」

 

・・・

 

えーと、はい?

 

取り分けられたコールスローを食べようとする手が止まってしまう。

 

「今、なんて言った?」

 

「だから、あんたんちに連れて行って、って言ってる。何?なんかまずいことでもある?」

 

川崎は事も無げにそう言うと、自分用に取り分けた皿に手を付け、「あ、美味しいこれ」とか言ってる。あれ?さっきまで赤面してたサキサキはどこ行ったの?急展開に八幡頭が追い付いてないよ?

 

「いや、まずいことはねーけど。あんま綺麗じゃねーし・・・じゃなくて!」

 

「それなら好都合。あんたの一人暮らしなんてきっとガサツな部分多いんじゃないかと思ってた。」

 

「何が好都合なんですかねぇ・・・。」

 

またもや俺は川崎の真意を掴み損ねてしまう。え?これ俺が悪いの?でも確かにリア充は'ウェイ'と'ヤバい'で会話してるくらいだからな、これくらい意味を持った言葉を交わしていれば真意なんて容易に掴み合っちゃうんだろうな。なにそれ、ヤバくない?一生かかっても辿り着けない高みに思えるんだけど。ヤバい使えた嬉しい。

 

「さっき言ったじゃん。私が頑張れること頑張るって。今日話聞いてくれたお礼も含めてさ、か、家事してあげる。」

 

「あぁ、そのことか。引っ掛かってはいたが。」

 

川崎は今日のお礼に家事をしてくれるという。まぁできることをやる、という精神というか熱意はありがたいが、もうちょっと気を遣えませんかねぇ。これでも男として生まれてるので、そういう発言は、こう、魂にくるんだよ。魂に。なに言ってんだろ俺。

 

とその前に、川崎に指摘しないと。

これだからぼっちは・・・。

 

「っておい、分かるわけないだろ。ちょっと言葉足りないケース多いぞ。これだからぼっちは。」

 

「あんたに言われたくない。・・・でも、確かに今日の私はちょっと変かもしれないね。家族以外でこんな話したこと、ないし。どうやって話そうか、とか、けっこー考えてたから、でもやっぱうまくいかなくて・・・その、そんな変?」

 

自分を思い返す素振りの後、反省したように聞いてくる川崎に、俺は一種の共感を抱いてしまう。あぁ、本当に似ているんだな、と。分かる、分かるぞ。たくさん話したり、人と関わりすぎた後って、想像通りの自分から離れてた気がして、一人反省会するよね。それで大体頭抱えて、あぁああ!ってなるんだよな。そこまでテンプレ。違うわ、小町の「うるさい!ごみいちゃん!」までがテンプレだったわ。

 

「変ではない。が、俺のぼっち力が高いせいで、少し言葉が足りないってだけだ。てか、いきなり俺んち連れてって、とだけ言われて、どう受け取ればいいんだよ。マジビビったろうが。ぼっちなめんな。」

 

思わず視線を逸らしつつ言う俺を、川崎を食べる手を止めて見ているようだった。その違和感につられて川崎を見ると、少し目を見開いて静止していた。目が合わせて数瞬経つと、川崎の顔がみるみる赤くなっていく。赤くなった自分を振り払うように俯くと、取り繕い始めた。

 

「ああ、そ、そういうことね。た、確かに、その、変な風に聞こえるかも、ね。でもそういうことじゃなくて、本当にただ家事なら得意だから役に立てるかなって考えてただけで・・・」

 

ハッと顔を上げた川崎は慌てたように言葉を続ける。

 

「こんなこと、初めて人に言ったんだからね!?誰にでも言うとかそんなんじゃないし、あ、あんただから言ったんだから!」

 

「わかった!わかったから落ち着け!」

 

手の平を向けて制する俺に対して、小声で「本当だから・・・」と呟く川崎。いやもう本当に、ぼっち同士のコミュニケーションってどうしてこうなるかな。向こうが慌てている分、俺は落ち着けているが、ちょっと最後に気になる発言もあったからね?難聴系じゃないからね?

 

引き続き、俯き加減で、失敗したーっみたいな雰囲気を出す川崎を見て、俺は考える。

 

まだ川崎は良い方だ、と思う。俺なんかこの一年で、見るも無残な失敗をいくつもしている。思い出しただけで吐きそうになるような。誘われた学科の飲み会?のような場で、集団での話し方が分からず、それでも前に出ようとした結果、2回くらいシーンとさせたりしてるからね。マジほむったかと思った。なにあれ?やっぱ俺だけ感じ取れてない感覚があるとしか思えない!逆に面白がられて助かったけど。

 

川崎は、言葉に裏もあるわけではなく、一生懸命で在ろうとして、それでもうまくいかなくて、でも諦めずこうして言葉を伝えようとしている。このある種の光のような、眩しいとも思える姿に、俺は純粋に考えてしまう。

 

俺でも、力になれることがあるだろうか、と。

 

「まぁ、なんだ。」

 

そう切り出した俺を、川崎は不安そうに見る。

 

「たぶん、こういう所からなんじゃねぇの?慣れてないこと、やったことないことを、いきなりうまくやろうったって、無理な話だ。」

 

あぁ、もしかしたら、今から俺はまた間違えるのかもしれないな。

 

「その、俺ができる限り、ちゃんと付き合うから。」

 

川崎の不安そうな顔は、表情にあまり違いは見れないまでも、優しくささやかな笑顔に変わっていく。

 

「あれだ、ゆっくりでいいだろ。」

 

俺の顔は明らかに身体と共に火照っていく。

 

「その。まずは食おうぜ。冷めちまう。」

 

そう言って料理を食べることでごまかすと、川崎はくすりと笑ってこう返してきた。

 

「そうだね。・・・ありがとう。」

 

そうして、二人して料理を食べる。うまい。すみません嘘です味なんてわからないです。でも絶対、今川崎と食べているこれは、うまい、と思える。

 

 

 

 

順調に料理を食べ終えると、会計を済ませ外に出る。見上げると、すっかり暗くなった空に、街並みの灯りに勝った一等星が少しだけその姿を見せていた。

 

ちなみに会計は俺が払った。頑なに出そうとする川崎に対し、「友達記念だ。」と冗談を言ったら、「似合ってないよ。」と返された。うるせぇ。「次は、私から友達記念だから。」と続けてきたので、「似合ってねーぞ。」と返した。川崎は言葉で「うるさい。」と返してきた。なにこれむずむずする。

 

 

 

時刻は19時30分を回ったところだった。今日はさすがにスルーして別れると思ったが、川崎は諦めていなかった。歩き始めようとした俺に後ろから声がかかる。

 

「それで?家事やらせてくれるんだよね?」

 

振り向くと勝ち気スマイルの川崎が腕組んで立っていた。あんれー、また強気の川崎さんだ。まぁそうか、言葉を交わして誤解も解けてるんだし、もう100%家事に集中できてるのね。どんだけ片付けたいの?家で出来なくなった分やるつもりなの?

 

「家で出来ない分、頑張れるけど?」

 

あぁ当たっちゃったよ、正にその気概でした。めちゃくちゃそわそわしてるじゃねーか。かわいいなおい。家事好きすぎだろ。

 

「俺んち来るのは問題ないが、ちょっと遅くないか?」

 

言葉を交わしたとはいえ、礼儀への意識は必要だろうと考え応える。

 

「あぁ、確かにね。夜だし掃除機はかけられないか。キッチンは?ちなみに、私もこの近くで一人暮らしだし、明日は何もないし、時間は気にしなくていいから。」

 

さらっとドキドキすることを言う川崎。くそ。他意はないとはいえ、いちいち俺の魂を撫でてくる言葉たちだ。耐えろよ、マイソウル!

 

「キッチンはまぁ、ある程度溜めてからやってるな。明日やるつもりだった。」

 

「っ!任せて。」

 

ちょっとホントに家事好きすぎない?すごく嬉しそうにしちゃってるじゃん。骨前の犬みたいになってるじゃん?ん?ねこじゃらしを前にした猫か?こいつどっちもいけんな。でも猫アレルギーだから犬にしよう。わん。

 

 

 

ん、ちょっと待てよ。

 

「ちょっと待て。なら明日にしないか?明日なら俺も何もないから。そうすれば夜できない掃除もできるんじゃないか。って、やってもらう気満々みたいで申し訳ないが。」

 

「・・・ん、まぁ、それならそれでもいいけど。」

 

少し寂しそうになってしまう川崎。なに?そんなに今日がいいの?なんで?と思っていると、一歩踏み出してきた川崎が少し前かがみに目を見つめてこう続けてきた。

 

「うん。そうだね。ゆっくり、だよね。付き合ってくれるんでしょ?」

 

妖艶な笑顔のまま顔を少し傾けて問うてくる川崎。その仕草に俺は明らかに狼狽してしまう。

 

「お、おう。そう言っただろ。」

 

「ふふ、何照れてんの?明日、何時ごろ行こうか?そうだ、連絡先教えてくれる?」

 

「うるせぇ。あぁ、LINEでいいか。」

 

「さすがに私も入れてるよ。はい。」

 

「ほいよ。・・・後で連絡してくれ。」

 

「了解。」

 

こうして川崎の相談は終わりを告げる。といっても、相談内容自体は続くんだけどな。

大学に入って、色んなことを経験してきたつもりだが、俺もまだまだだったんだなと痛感させられた。

今回の川崎の勇気と頑張りに比べれば、今までの俺の行動なんて甘い気もするな。にしても、これから川崎との関係は、今までと比べて明らかに変わっていく。それを、楽しみにしている俺がいる。期待に添える気はしてないが、やれるだけ、やってみるか。

 

「それじゃ、また。」

 

「うん。」

 

そう交わして背中合わせに歩み始める。一歩一歩が、なんだか意味あるものに思えてしまう。良い夜だ。

 

「比企谷!」

 

川崎の呼び声に、身体が自然と反応してしまったかのように、振り向く。

 

「今日はありがと!・・本当にありがとう。また明日!」

 

目を瞑りながら力任せにそう告げた川崎は、言い終えた後に軽く手を振ると、振り返って進んでしまう。俺のその背中が見えなくなるまで、見つめ続けていた。川崎が最後に見せてくれた笑顔に、どうしようもない感情を抱きながら。

 

 

・・・そういや、明日も会うんでしたね。

どうなるのん?




続けて投稿です。楽しんで頂けたら幸いです。


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知らない気持

時刻は午前10時。

座椅子にだらけた形で座りながら、俺は小説を読んでいる。というか、正直に言うと読めていない、心を落ち着けているだけだ。いつもの休日であればまだ二度寝の最中だが、今日の俺は既にシャワーを浴び、外へ出てもいいように着替えを済ませ、ちょっと玄関を綺麗にしたりして、来たるべきその時を待っていた。

 

昨日、川崎との相談を終えて家に着いたころには、俺は言い表せない心境になっていた。川崎の相談に乗る形で、俺らは友達になった。川崎からの言葉が、俺を信頼してくれていることを明確に告げてくれていた。これまでの川崎との関係で、あいつがわざわざ嘘や欺瞞を使うやつじゃないことは知っている。

これは俺にとって、嬉しいのか、辛いのか、ワクワクしているのか、怖くて仕方がないのか。自分が分からなかった。

ただ、川崎のためになるのなら、と受けた相談ではあったが、俺にとっても、とても大きな事象となるんじゃないかと、強い予感があった。逃げるように手を伸ばした小説の文章を必死に追って、時間を潰した。だって、分からなかったから。それ自体をすごく恐く感じたから。

 

気付けば俺は寝ていた。目覚めた時にはろくに睡眠を取った感覚もなく、とかく今日川崎が来るという事実に対して行動を起こした。

そして今に至る。昨夜に抱いてしまった、整理できていない感情は、全て一旦忘れることにした。

 

川崎の前で、このような得体の知れない気持ちが浮いてこないことを願って。

 

 

-------------------

 

 

そう。俺は今、俺んちに川崎が来るのを待っている。

一人暮らしのこの家には、未だに誰一人として入れたことがない。親の気遣いで小町が来たときは玄関までだった。上がっていくか?と気兼ねなく問う俺に対して、小町は意外にも「女の子をひょいひょい家に上げようとするなんて・・小町、お兄ちゃんの急成長になんか複雑なんだけど。帰るから。」と拗ねた様子で帰ってしまった。

その時のことを思い出すと、今すぐにでも涙が流れてくる。あぁ、小町。今度実家帰るときにはプリン買ってくから、どうか笑顔を俺に見せてくれ・・・。

 

とか小町への想いを再確認していると、部屋に呼び鈴が鳴り響いた。あぁ、こんな音でしたね。ってかちょっと待って、なんかものすごく緊張してきたんだけど。気にするな八幡。友達になろうとお願いしてきた女性が俺ん家に家事をしに来るだけだ。え、何それめっちゃエロゲっぽい。いきなりハードル高くない?

 

・・・んん!まぁなんだ、あいつのためだからな。恥ずかしい気持ちくらい、負ってやろう。気持ち新たに、俺は廊下を歩く。

 

「今開ける。」

 

そう言ってカギに手を掛け開ける。ドアをゆっくりを開けると、そこには美女(川崎)が立っていた。

 

「お、おはよう。」

 

「お、おう。おはよう。」

 

昨日の可愛らしい格好から一転、シンプルな白いVネックのインナーに少し丈の長い薄手の紺色のカーディガン、スラリとしたデニムを穿いた川崎が、買い物荷物を持って恥ずかしそうに立っている。というか、シンプルさが際立ってめっちゃモデルみたいな印象になってるな。あれ、こいつ無敵じゃね?服は素材によって良くも悪くもなると言うが、それを体現しているように思えた。

 

「・・・んあー、とりあえず上がるか?」

 

「うん。お、お邪魔します。」

 

そう会話を交わして、背後で川崎が靴を脱いでいるのを気配で感じながら、俺は廊下を通って部屋に向かう。

川崎は、この部屋を見て何を思うのだろう。何か変なところとかないだろうか。そういったセンス事はダメだからなぁ、俺。部屋に関して特にこだわったつもりはない。モノトーンを基調に、本棚、テレビ台とテレビ、ローテーブルに座椅子、ベッドがあるだけの部屋だ。余計なものはなく、1Kにしては広めの間取りのため、少し寂しい感じがある。が、この感じがお気に入りなのだ。

 

部屋に入り、どうしたものかと少しキョドってしまった。ゆっくりと振り返ると、川崎が廊下を超えて部屋に足を踏み入れた。川崎は少し目を見開いたまま部屋をぐるりを見渡した。そして、静かに安堵したかのように一息つき、微笑んだ。

 

川崎は、何を考えているんだろう、と少し気になったが、こちらを見た川崎から言葉が続く。

 

「なんか、あんたらしい部屋だね。」

 

「そうか?まぁ気に入ってはいる。」

 

そう返すと、川崎はさて、と一つ置き、昨夜見せてくれた勝気な顔をした。

 

「よし。大掃除とはいかないけど、やらせてね。あ、あと冷蔵庫借りていい?お昼も作るつもりだから。」

 

買い物荷物はそのためだったのか。ちょっと待て。初めて女の子を家に入れて、しかも手料理まで振る舞ってくれんの?何それ?昨日から、あったはずの壁がどんどん粉々になっている気がするんですけど。俺付いていけてる?

 

「ああ、構わない。ってかいいのか?」

 

「何が?」

 

「昼まで作ってもらって。」

 

「別に気にすることないよ。やりたくて材料も買ってきたんだし。それとも掃除終わったらすぐ帰ってほしいの?」

 

そう冗談交じりに問うてくる川崎の表情は、試すような、ちょっといじわるな笑みをしていた。この表情も今まで見たことないものだ。目が合わせたままでいることがきつくなった俺は、つい明後日の方向に目線を泳がしてしまう。

 

「いや、ありがたい。というか、楽しみだ。」

 

「っ!そ、そう。なら、美味しく作るから。」

 

「お、おう。よろしく。」

 

川崎は優しい微笑みをくれたあとで、廊下に戻って買ってきたものを冷蔵庫に入れ始めた。「え、何もないじゃん」とか「どうするつもりだったのさー」などと、独り言が聞こえてくる。

 

その一連に、俺は昨夜感じてしまった得体の知れない何かの片鱗を感じる。

 

続けて、どうしてか、俺は初めての感覚を得ることになる。心が締め付けられるような、内側から何を押し出そうとするような、言い換えがたい心の感覚に、驚いてしまう。だけど、悪くない。むしろ、とても心地が良い。そう、昨夜得た感覚も、知らなかっただけで、気持ちの悪いものではなかった。

その気持ちのまま、ふと外を見ると、思っていたより晴れていることに気付いた。いつもほとんど締め切っている窓を全開にして、部屋に風を入れる。日当たりに恵まれたこの部屋に、光が斜めに差し込んできている。

 

いつもなら自分が取りそうにない行動を見返して、自分の感覚を問い直した。

けれどもそこには、にわかには信じがたい単純明快な答えしかなかった。

 

 

たぶん、俺は、今幸せっていうものを感じているのかもしれない。

もしくは、幸せの予感、みたいなものを心がキャッチしているのかもしれない。

 

 

おお、と川崎の感嘆の声が耳に届く。

 

「すごい日当たり良いんだね。洗濯物がよく渇き・・・ん、どうしたの?」

 

「え?」

 

突然俺の顔を見て表情が変わった?川崎を見て、いや、正しく見れていない、ぼやけてしまっている。そして俺は、自分の異常を確認する。なんだこれ・・。

 

「なんだこれ。」

 

「何って、涙でしょ?私、何かしちゃった?」

 

そう言って戸惑いながらも近寄ってくる川崎を、俺は手で制する。

 

「待ってくれ。大丈夫、だ。俺でもよく分かってない。ただ、何か悲しいとかじゃないから。」

 

必死で、お前のせいではない、ということを言いたくて、言葉を重ねる。

 

「本当だ、だから気にしないでくれ。そうだな、よく晴れてるな。俺は洗濯した方がいいか。」

 

泣いてしまっていた事実が川崎を勘違いさせるのでは、という心配と、何故か涙と見せてしまった気恥ずかしさと、自分への懐疑の想いから、思い付いた言葉を並べる。

 

川崎は何を言わず、こちらに近付いてくる。

 

「ねぇ。」

 

そう言って、俺の二の腕あたりに優しく触れてくる。

 

「あんたんち、醤油ないでしょ?ちょっと買いに行かない?」

 

予想外な提案が飛んでくるが、

 

「お、おう。」

 

今の俺では従うほかなかった。




誤字報告ありがとうございました!


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知ってる気持

 

 

よく晴れた土曜日の午前中に、スーパーに向かって川崎と歩いている。涙を見せてしまった後なのに、存外俺は落ち着いており、川崎も気にさせない素振りを見せてくれている。

 

「なんで塩コショウと焼き肉のタレがたくさんあるのに、醤油がないわけ?」

 

「小さいのを買って無くなってから、そのまま買ってないだけだ。」

 

「ということは、代わりに焼き肉のタレ使ってたんでしょ?あれ味濃いから何でも上書きできるし。」

 

「ま。そうなるな。」

 

「うわ、ダメだよ。醤油と違っていくらつけても味は変わらないから、塩分取り過ぎちゃうんだよ。」

 

「・・醤油買いに行こう。」

 

「その途中だよ。」

 

川崎は全くもう、と言いたげな顔をしながら前を向いた。俺は流してしまった涙のことをなるべく客観的に考えていた。本当に、哀しかったわけではない。嬉しすぎて流れてしまったわけでもない。ふとしたら、流れていただけだ。流れる前に何があったかと言えば、川崎が冷蔵庫に食材?を詰めていたことと、よく晴れていることに気付いたことくらいだ。え?なに、そんなことで俺って泣いちゃうの?中々泣かない我慢強い子で有名じゃなかったっけ?すみません、どちらにしろ有名じゃねぇわ。

 

にしても、あの気持ちはなんだったんだ。幸せ、と呼んでいいのか、温かい何かが心を通り過ぎる感覚。あれは一体。

 

「ねぇ。本当に天気いいね。ちょっとそこ寄らない?」

 

そういって川崎は右前に見えてきた公園を指す。お日様の下にずっと居続けるのはつらいが、木漏れ日の下でまったりするのは好きだ。

 

「ああ、ベンチにでも座るか。」

 

「うん。先あそこに座っててよ。」

 

「え?お、おう。」

 

そう言ってきた道を戻ってしまう川崎。分からないが、言われたとおりに公園に入り、指定されたベンチに腰掛ける。川崎が座るだろう場所は風に吹かれた雑草があったため、俺は手で払うついでに、なんか汚れてしまいそうなものがないか確認した。気付くと川崎はあと10歩ほどでこちらに辿り着くくらいの近さに居た。

 

「あ、ありがとう。気遣ってくれて。」

 

「いや、気になっただけだ。」

 

「なにそれ。はい、これ。」

 

そう言って手渡されたのは、THE千葉・マッ缶であった。

 

「おお、わかってるじゃねえか。ありがとな、気遣ってくれて。」

 

「途中で見かけて、気になっただけだから。」

 

川崎はそう言って微笑む。こういう細かい返しも、気付いてくれて返してくれる。川崎はお茶を買っていた。お互いに開けて一口飲むと、同じタイミングで同じ量くらいの溜息を吐いた。

 

「「はぁ。」」

 

互いに顔を合わせて、少しだけ微笑む。思わず出てしまった鼻から抜けるような笑みに、自分自身驚く。こんな笑い方が小町以外にできるとは思っていなかった。見上げて木漏れ日を揺らぎをただただ見つめていると、川崎が少し微睡んだような声で話し始めた。

 

「一つ、懺悔があるんだ。」

 

「懺悔?」

 

とてもじゃないが、今から懺悔しようと思っている口ぶりではないが、本人が言うんだから懺悔なんだろう。

続く言葉を待つ。

 

「さっきのあんたを見て、言わなくちゃって思った。」

 

「さっきの涙のことなら、きっと関係ないぞ。」

 

「ううん。きっとあるよ。」

 

川崎はそう言って、こちらに首を傾ける。その顔はとても優しさが映っていた。

 

「昨日よりもっと前から、どうやってあんたに声を掛けようか、お願いをしようか迷ってたんだ。それで、ある人に相談した。」

 

「・・・小町か?」

 

「正解。それで、その時小町が言っていたことと、さっきのことが、どこかリンクしているように思ったんだよ。」

 

「どういうことだ?」

 

川崎は昨日俺へ友達になってほしいと相談してきた。そのことについて、きっと大志経由で小町に相談したんだろう。このこと自体には何も思わない。むしろ、川崎がそこまで本気だったんだと、別視点からも担保できたようなもんだ。

 

「どうやって相談をしようか、とか、その辺は概ね、私が考えていたことを『そのまま行っちゃえ!』みたいな感じだった。『うちの兄ははっきり言わないと分からないので、ちょうどいい!』ともね。

 

 でも最後に、こう言ってたんだよ。『沙希さんからお願いなら、きっとお兄ちゃんはオーケーすると思います。でも、その後のお兄ちゃんのこと、よく見ててあげてほしいです。』って。」

 

なんとも小町らしいアドバイスだと思った。やはり小町に対する愛は一生灯り続けるだろうな。これは仕方がない。だが、まだ答えになっていないような気がする。

 

「それを懺悔と言うなら、気にしないでくれ。」

 

「ううん。こっからも懺悔。私、小町からそう聞いておきながら、昨日、行けるところまで突っ走っちゃったなぁ、って。確かに昨日、あんたは了解してくれたし、それを私は喜んだ。けど、あんたに預けっぱなしだった。いきなり高校の同級生に友達になってくれって言われて、次の日には家にまで上り込んでくるんだから、あんたは大変だったろうなって。

 

 正直に答えてほしいんだけど、その、嫌だった?」

 

そう言って川崎は少し寂しそうな顔をする。やめてくれ、そんな顔をしないでくれ。

 

「正直に答えるが、確かに、お前の言うとおり色んなことがいきなりではあった。そのことに追い付けていない俺も居ると思う。だが、それを嫌と思うかは別の話だし、現に俺は一つも嫌だとは思っていない。これは本当だ。あの涙はそういうんじゃないんだ。」

 

そう言うと川崎は、俺の目をじっと見つめてくる。俺が本当のことを言っているか確かめるように。その目は少し潤んでいて、不安や期待が混じり合っているように見えた。何秒経ったか、川崎は一つ確かに頷くと、

 

「うん。分かった。・・・良かった。」

 

安心したように一息つく川崎に合わせて、信じてもらったことに俺も安心する。

だが、そこで終わらなかった。

 

「その上でもう一つ、聞いてもいい?」

 

「涙の理由なら、勘弁してくれ。」

 

「む。断られちゃった。」

 

そう言って川崎は拗ねたような表情をする。だが、本気ではない。ある程度予想できていた返しなんだろう。俺は、このままでは川崎が不安を除き切れないんじゃないかと考え、それは俺の本意じゃないと判断し、続ける。

 

「その、だな。本当にわからねえんだ。気付いたら視界がぼやけていただけだ。何かを思い出したわけじゃないし、この先の嫌なことを考えたわけでもない。ただ、そこに居たら、流れて来ただけなんだよ。マジで。」

 

そう告げると川崎は、少し悩んだように見せて、その後期待するような眼差しでこう言った。

 

「もしかしたら、答え分かるかも。当ててみていい?それでちゃんと当たってたら、そう言ってよ。」

 

挑戦的な川崎の目線には、これが本気の本気ではなく、冗談を含むものだと告げていた。1種のゲームだ。

 

「何だよ、その恥ずかしいゲーム・・・回答権は一回だけな。」

 

「ふふ、いいよ。」

 

そう言った川崎は考え始める。言葉を整理しているようだった。

俺は待っている時間、マッ缶を傾ける。このバランスが取れているようで取れていないコミュニケーションの中で、互いが持つ互いへの信頼があるから、そこまで怖くないんだろうなと感じた。現に川崎は俺に嘘をついていないし、小町への相談という言わなくても良いことまで、必要に応じて語ってくれたのだ。さて、俺でも分かってないことを、川崎はどんな風に表現するのか。

 

「ねぇ、たぶんね、私が感じていた想いと、ちょっと似ていたんじゃないかって思うんだ。私、なんかアホっぽいかもしれないけど、あんたんちのキッチンで、ちょっとだけ、ね?泣きそうになったの。昨日、私の想いを聞いてくれて、すごく頼もしく感じている人んちのキッチンで、今日料理作ってあげるんだと思ったら、嬉しくなっちゃって。

 

それで、それって何かって、私は、私の寂しい部分がゆっくり満たされてるんだと思ったの。

 

ほら、一人暮しって、一人でしょ?だから誰の声も聞こえないし、私はそれが結構きつく感じてた。だから、もしかしたらあんたも、どっかでそう思っていて、わ、私がキッチンでぼやいているのとか聞いて、誰かいるっていいなって、思ったんじゃないかなーと思うんだけど・・ダメだなんか言ってたら自信無くなってきた。違うかも、あれ、なんかごめん!」

 

そう言って赤面し、あたふたする川崎。続けて言い訳っぽいことあーだこーだを言い尽くしている。

 

「自分から言っておいて、何慌ててんだよ。」

 

「いやだって、むしろなんで余裕そうなの?ムカつくんだけど。」

 

そう言って流れで俺の右肩を軽く叩いてくる川崎。弱すぎて可愛い。この数瞬で、俺は一つ、俺にとってあまりない選択肢を取る。「ぶっちゃけてしまう」というものだ。

 

「川崎。」

 

「何よ。」

 

「正解だ。」

 

「は?」

 

「正解だって言ってんだ。」

 

川崎は、俺を呆けた顔のまま見つめて止まってしまう。

 

「まぁ、俺でも分かり切ってない俺のことだから、大正解かって言われるとわからん。けど、お前が言っていること聞いてたら、きっとそうなんだろうなってしっくりきた。実際に涙が流れたのもお前がキッチンでぼやいているの聞いた後だしな。

 

だから、正解だ。景品はないぞ。」

 

川崎は、その言葉を聞いて突然立ち上がると、向かいのベンチまで足早に歩いて行ってしまった。ベンチから立ち上がったとき、風に乗って「何なのもう」と聞こえた気がした。川崎はベンチに座ると、こちらを見てきた。さっぱりわからない俺は、外人がするかのように両手の広げ「なんだよ」とジェスチャーで伝える。川崎はそれに応えるようにぷいっと顔を背けてしまった。え、何なのもう。

 

ゆっくりと顔をこちらに向けてきた川崎は、諦めたように立ち上がり、こちらに向かってくる。すると俺の隣には向かわず、正面切って俺へ向かってきた。俺は呆然と川崎の顔を見ることしかできない。

手に触れられる距離まで来ると、むすっとした顔でこう言った。

 

「私、正解したんだよね?」

 

「ああ、正解だ。」

 

「じゃぁ、景品はいらないけど、ちょっとだけ予定変えさせて。」

 

「どうしたいんだ?」

 

強気の顔のまま、川崎は続ける。

 

「お昼はこのままどっかで食べる。それで、夕食、ちゃんと作らせて。」

 

「別に俺は構わないが、お前が大変になってねえか?」

 

正解したのにも関わらず、自分が大変になる提案をしてくる川崎に、俺は純粋に疑問を口にした。

 

「いいの。」

 

「いや、何がいいんだよ。」

 

ああもうじれったいなぁ、と言いたげな表情をした。一呼吸置くと、驚くようなことを口にした。

 

「いいの!私が嬉しかったの!手の込んだもの作りたいの!」

 

「なっ!」

 

川崎はそう告げると、俺の返事を待たずして、振り向いて公園の出口へずんずんと進んでしまう。

その後ろ姿は、怒っているというよりかは、少しだけ跳ねているようにも見えた。



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気持を言葉に

俺の涙について公園で話した後、川崎が申し出た予定変更通りに、俺らは早めの昼食を済ませた。適当に見繕った定食屋に入ったは良いものの、頼んだ定食が届くまでの間、川崎はずっともじもじしていた。しかし、意外にも入った定食屋は当たりで、二人して美味しいと舌鼓を打ちながら、平和な昼食となった。

 

「栄養のバランスも取れてたし、量もあるし安いし、すごく良い店だったと思うんだけど!」

 

「そうだな。久々にうまい漬物食べた気がする。」

 

「ね!あの大根とかどうやって漬けてるんだろう。」

 

そんな会話を話しながら、スーパーへと向かう。昼食を作るつもりが夕食になったせいか、醤油以外にも相当買い増した。適当に俺が欲しいものも一緒に買うようにして、ざっくりお札を渡してバランスを取った。どうせ払うって言っても受け取らないだろうしな。そんな気遣いも見透かされてたのか、

 

「・・釈然としないけど、ありがと。」

 

「何も感謝されることはしてないぞ。」

 

「そうやってまたあんたは。」

 

「むしろ晩飯が楽しみだ。」

 

「・・頑張るから。」

 

「頼んだ。」

 

重い荷物は俺が率先して手に取って、帰路に着く。帰る途中には、俺が家近辺のマッ缶が売っている自販機の位置について詳細を話すと、呆れながらも川崎は相槌を打ってくれていた。時折川崎の顔を見ると、傍目から見てもとても幸せそうで、俺はきっと純粋に照れてしまっていた。くそ、なんでそんなほくほくした顔でマッ缶事情聞けるんだよ。もしかしてこいつも隠れマッ缶信者なのか?だとしたらいち早く伝えてくれ。なんであんなにうまいのかについて語りたい。

 

家に着くと、手分けして買ったものを冷蔵庫に詰めたり、所定の位置に配置したりした。作業が終わると、川崎がお茶を入れてくれた。にしてもこいつお茶似合うな。二人して部屋でローテーブルを挟んで向かい合って座り、一息つく。あまりに落ち着いてしまったせいか、俺に眠気が襲ってきた。口に手を当て、あくびをかみ殺す。

 

「何、眠いのー?」

 

川崎の間延びした言い方に、また新しい一面を感じつつ、正直に答える。

 

「あぁ、悪い。昨日あんま寝れなかったせいかもしれん。」

 

「朝から泣いて散歩してお腹いっぱい食べたもんね。少し寝れば?」

 

「おい。それじゃ赤ちゃんじゃねぇか。」

 

そう言って俺はまた一つあくびをかみ殺した。

 

「ふふ、確かに。分かった、先にベッド回りさっと片付けちゃうから、少し寝な。」

 

「・・マジでいいの?」

 

「頃合い見て起こすから、その時はさすがに起きてほしいけどさ。」

 

「それは大丈夫だ。・・すまん。正直すごく眠い。」

 

「はいはい。」

 

そう言って川崎は立ち上がると、ベッドメイキングを始めた。できれば天気良いし干したかったけどねー、等と独り言を言いながら、手際よくシーツや掛け布団をベランダではたいて敷き直し整えた。次に枕を持つと、川崎は一瞬止まった。俺が眠気眼でぼーっと眺めていると、

 

「枕カバーとか最近洗った?」

 

「あー、見ての通り枕カバーの上からハンドタオル敷いて寝るから、あんま洗わないのが現状だな。」

 

「うーん。もう昼過ぎだし、明日も天気良いみたいだから明日洗いなよ。明日は何かあるの?」

 

「夕方以降はバイトだが、それまでは暇だ。明日洗うわ。」

 

「・・・ふーん。そうしな。はい、どうぞ。」

 

変な間があった気がするが、今はそれどころではない。昨日ベッドで寝れてないせいもあって、今すぐにでも寝れそうだった。

 

「なんか悪いな。何かあったらすぐ言ってくれ。」

 

「ん、了解。おやすみ。」

 

「おやすみ。」

 

そういってベッドに潜り込む。はたいて整えてもらっただけでも、自分でやった後より随分と寝心地が良く思えた。そう思っているうちに、気付けば俺は眠りに落ちていた。

 

 

----------

 

 

今までとは違う、目覚めの予感がする。起きるか起きないかの狭間で認識できたのは、とても優しい呼び声だった。呼び声というか、何か話してくれている感覚。俺はまだ起きていない。

 

「いつ起きるのかなー。まだ眠いんだよねきっと。」

 

俺の近くで誰かが話してくれているのが分かる。そしてとてもいい匂いがしている。

けど、まだそれは覚醒には程遠い場所での感覚。

 

「でも4時間は寝てるし、夜眠れなくなっても困るよね。」

 

いや、俺はいつでも寝れるからその心配はいらないぞ。

 

「食生活崩れてそうなのに、肌きれいだね。ほら。」

 

やめろ。鼻をつまむんじゃない。

 

「はは、ごめんごめん。でもそろそろ、起きてよ。寂しいじゃん。これはこれでなんか幸せかもしんないけど。」

 

ん?俺は寝ているのか?ああ、そういえば確か川崎が寝るの許してくれて、それで・・・

 

「ねぇ・・・八幡。」

 

途端に意識が覚醒していく。その呼び声に、俺は完全に覚醒した。目を開くと、傍にはベッド脇に座り込んでいるのだろう、川崎の慈愛に溢れた顔があった。目があった途端に、川崎に表情が一変する。もたれかかっていた姿勢を起こし、俺に告げる。

 

「お、おはよう。よく眠れたんじゃない?」

 

「ん、ああ。おはよう。すごく良い目覚めだわ。うん、起きてる、完全に。」

 

俺は体を起こしてベッドに腰掛ける。

 

「おお、よく効いてるね。京華とかにもやる起こし方なんだけど。」

 

俺は起きる寸前にあったことを忘れてしまっている。何かとてつもないきっかけで起きた気もするんだけど。寝ているときのことは分からん。

 

「ん、何か特別な起こし方でもあるのか?ってかどんくらい寝てたんだ俺は。」

 

「4時間くらいかな。今の時間が17時くらい。それとね、起こし方だけど、私が思い付いた方法でさ。弟や妹が寝起き悪いんだよ。普通に起こすとその後30分くらいぼーっとした感じなの。でも、いきなり起こすんじゃなくて、近くで適当に話して、徐々に起こすと、寝覚めいいんだよね。」

 

「マジでか、結構寝たな。すまん。気持ち良すぎた。それと、たぶんその起こし方のおかげですっきりしてる。」

 

「ふふ、なら良かったよ。寝癖ついちゃっているから、洗面台いきなよ。」

 

「ああ、すまん。そうする。」

 

そう告げて、俺は洗面台へと向かう。鏡を見たときに、その違いに驚く。か、輝いているじゃねえか。つられて至る所に目を向けると、全てが綺麗になっていた。寝癖を簡単に直すと、洗面台から離れる。近くのキッチンでは、川崎が何やら鍋の中身を混ぜていた。何やら起きたてで色んなことが混ざってしまっている。整理が必要だ。

 

「なんか色々言いたいんだが・・・。」

 

「ん?なに?」

 

「まず、それはなんだ?」

 

「ビーフシチュー。すごく美味しいんだから。まだ完成してないけどね。」

 

「すげぇ良い匂いだな。」

 

「でしょ?もう少し待ってね。」

 

そう言って鼻歌交じりに蓋をする川崎。そのまま、「お茶と水どっちがいい?」と聞かれ、「水。」と応えると、ささっと用意して二人して部屋へ向かう。自然に座ったが、今度は川崎が左隣に腰を下ろした。

 

「まだ詳細に確認できていないが、掃除、大変だったろう。洗面台とか全てが綺麗になってたぞ。」

 

「あら、気付いてくれるんだ。嬉しいね。でもそんな大変じゃなかったよ、たまに掃除してたでしょ?」

 

「まぁ、普通の範囲ではしてたが、見違えるほど綺麗になっててビビった。」

 

「なにそれ、褒めてくれてんの?」

 

「いや、褒めるだろ。パッと見ただけで、このテーブル自体も周りも綺麗になってるし。」

 

「掃除機はかけられなかったからね、大したことじゃないよ。でもそう言ってくれると嬉しい。」

 

そう言ってお茶を啜る川崎は、満足そうにしていた。

 

「悪いな、眠いからって眠ったまま掃除や飯までやらせちゃって。何?このまま飼い殺すつもりなの?」

 

「あ、それも良いかもね。」

 

「良くねえよ。今度その掃除スキル分け与えてくれ。専業主夫希望が廃る。」

 

「あんたまだそれ言ってたんだ・・・。」

 

「いや、さすがに半分くらいは冗談になってきた。」

 

「いやもう半分さ・・・。いいよ、次やるときは一緒にやろうね。」

 

「おう。マジでありがとうな。」

 

実際、本棚とかも埃一つないんだろうなと思う。俺が寝てる間、俺を起こさないように綺麗に掃除してくれた挙句、手の込んだ料理まで仕込んでくれているなんて、こりゃもう頭上がりませんわ。八幡脱帽。

 

「いいって。これも私ができることやっただけなんだし。しかもお礼の一部だしさ。」

 

「なんか俺に出来ることあったら言ってくれな。」

 

「うん。ありがと。さて、そろそろいいかなー。お腹減ってる?」

 

「実は匂いが良すぎて食べたくてしょうがない。」

 

「ふふ、ちょっと待ってね。」

 

そう言って川崎は立ち上がって夕食の準備を進めてくれる。ここまで来て目覚めてから初めて、一人になる時間が訪れた。いや、マジでよく眠ってしまった。しかもめちゃ寝言地良かった。きっと日の光とかも気にして、カーテンが閉じられているんだろう。外はまだ少し明るかった。そうして俺は、目覚めの瞬間を思い出す。何かすごいことが起きたような気もするが、忘れてしまった夢ほど、そうやって誇張されて残るからな。その一端だろう。

 

その後、運ばれてきた食事は、たっぷりのビーフシチューにバケット、栄養満点そうなさっぱりとした和風サラダ、締めに杏仁豆腐と、家庭的かつ豪華な食事であった。そのどれもが美味しくて、都度感想を言うごとに川崎は嬉しそうにしていて、本当にこいつは良い嫁になるなと感じた。俺が親父ならマジで外に出したくないレベル。彼氏とか連れて来たら発狂するわこんなん。

 

「ごちそうさま。いや、ホントにうまかった。」

 

「もういいって。シチュー、明日も食べれるから、暖めて食べてね。」

 

「おう。明日も食べれるとか、早く明日来い。」

 

「そんなに?もしかして今まだ食べれるの?」

 

「いや無理だと思う。」

 

「だよね。おかわりまでしてたし。」

 

そんなやり取りをしつつ、川崎が用意してくれたお茶をすする。うむ、うまい。

 

「ふう、掃除も料理も満足してくれたっぽいね。」

 

「ああ、大満足だ。お前にしちゃ、お礼としてやってくれているかもしれないが、十分すぎて余ってるくらいだ。」

 

「そう?なら何かに取っておいてよ。」

 

「ああ、分かった。」

 

そうしてまた二人でお茶をすする。時刻は19時過ぎ。適当に流しているTV番組を見ながら、そこからまた少しの時が経つ。

 

ふと横に居る川崎を見ると、今にも船を漕ぎそうになっていた。我慢して目を開けようとしているときが可愛すぎて俺が死ぬかと思った。

 

とその時、また俺の心に温かい何かが通り過ぎる。

 

川崎はたくさん考えて、自分の想いを口にして、自分できること考えて、今日俺んちで掃除や料理をしてくれた。対して俺は、川崎からのお願いを聞いて了承してやっただけだ。まだ何もやれていない。そのことを不甲斐なく思うが、それ以上に、今現在こうやって頑張ってくれた川崎に、できることがないか考える。

 

ふと、今日のことを思い出して、恥ずかしいことを思い付いてしまう。

いや、でもさすがにそれはまずいんじゃねーか、と俺の中の俺が囁くが、別に取って食おうってんじゃない。こんな俺でも良ければ、できることがあると思えてるんだ。提案くらいはしてみてもいいじゃないか?

 

「川崎。」

 

「・・ん?ああ、ごめん。」

 

「いや謝ることじゃない。眠いか?」

 

「んー、私も昨日あんま寝れてないのもあるかも。」

 

言ってみろ、俺。

ダメで元々だ。

 

「・・・良かったら、寝てけよ。その状態で帰るのもめんどいだろうし、その、良いこともあるかもしれん。」

 

「・・・え、いいの、っていうか、良いことって?」

 

川崎は、半分眠っているだろう意識を引き寄せながら、俺の話を聞いているようだ。どこか期待した目線に俺自身が戸惑う。

 

「あー、別に泊まってけって言うんじゃない。ただ寝たい時に寝て、起きたい時に起きた時、誰かが居るってのは、その、まぁ悪くないんじゃないかと思ってな。まぁ、それが俺ってのが申し訳ないが。夜中に起きたなら、送っていくし。」

 

川崎は目を丸くして俺のことを見る。

 

「なんだよ。」

 

「それってさ、今日あんたが起きた時私が居て、嬉しかったってこと?」

 

「ん、んー、そうだな。それもある。それと、お前も家で一人は寂しいと感じるときがあるんだろ?もし俺なんかで寂しさを埋められるんなら、少なくとも今日くらい使ってくれって思ってな。」

 

「・・それってさ、私が今帰ったらあんたも寂しいってこと?」

 

「ん、んー。なんなの?俺いじめて楽しいの?」

 

「ううん。知りたいだけ。友達でしょ?」

 

自分で組んだ腕に顔を乗せ、微笑みながら問うてくる川崎に、不覚にもドキりとしてしまう。

 

「んー・・・。」

 

そうか。そう言われて気付いてしまった。俺はきっと川崎が帰らない川崎のための理由を探していたんだ。しかもそれが筋が通る形で見つかったから、俺自身を言い聞かせて、提案した。けれども、それはもっと根底に別の想いがあって、それを達成する手段として採用しただけに過ぎないんじゃないのか。そう思えば思うほど、俺が川崎にした提案はどこかかっこ悪く思えてしまう。どこか、形作られたまがい物に思えてしまう。

 

なら、俺はどうするのか。

・・・はぁ、一日で2回もぶっちゃけることになるなんて。

知らないからな。

 

「引くなよ。」

 

「引かないよ。」

 

「俺はまだお前に帰ってほしくない。たぶんってか絶対寂しさを感じてしまう。そして、ここまでしてくれた川崎に、起きたら誰かが居る嬉しさを、俺があげれるなら、あげたい。」

 

目の前の川崎に迷いなく伝える。この姿勢は、昨日川崎から教えてもらった姿勢だ。

 

「・・・ちょっと待って。」

 

そう言って川崎は自分の腕の中に隠れてしまう。

俺はどう考えても赤くなった顔を冷ますために、手で顔を煽いだ。

川崎は隠れたまま、なかなか戻ってこなかった。

 

あれ、川崎さん?

 



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二人の現在地

川崎がローテーブルの上に組んだ腕の中に隠れてしまって数分。

 

ひとしきり川崎が隠れてしまったことに慌てたあと、俺は飽きずに川崎の髪の毛をじっと眺めていた。何これなんか変態っぽい。青が映える髪の毛は、何だこれ?これがキューティクルてやつなの?光に照らされ神秘的に輝いて、人間離れしているような感覚に至った。この考察、やはり変態でした。

 

そんなことを考えていると、川崎は唐突に顔を上げた。

 

「うおっ・・・どうした?」

 

川崎は俺の質問には直接的に反応せず、じっとローテーブルを見つめて何度が頷く。

 

「わかった。」

 

「おう・・・え、何が?」

 

「何がって、自分が言ったんでしょ?ちょっと寝させてもらうよ。でも今日中には帰るようにするから、寝過ぎてたら起こしてくれる?」

 

「おお、そ、そうか。分かった。」

 

顔を上げてからの川崎は、全くもって眠そうではなかったが、そこには触れずに承諾する。とにかく今は、まぁ、ここまでしてくれた川崎が思うようにしてやりたい。そう思って川崎を見直すと、視線が落ち着いていなかった。どうしたのそわそわと。何度かベッドに移った視線を感じ取ったので奨めてみる。

 

「ほれ、ベッド使え。俺が寝た後で悪いが、ベッド自体はなかなかのものだぞ。」

 

これは実際にそうだった。1番金がかかっているまである。両親に合格祝いに何がいいと聞かれ、2割くらい冗談で現金を要求したら、もう子供じゃいられないんだから最後くらいモノにしてくれと、これでもかと言うほどの呆れ顔で言われて、結果このベッドを頂いたのだ。いや冗談だからそこまで呆れなくても良くない?まぁ8割くらい本気だったんですけどね。ごめんね可愛くなくて。可愛さは全て小町に振られてるから許して。

 

「う、うん。ありがと。じゃぁ、うん、失礼する・・・」

 

ガチガチになっている川崎から似合わない言葉が出てくる。立ち上がった川崎はもじもじしながらも、テーブルを挟んで反対側のベッドに向かおうとする。

 

「なんだよその言い方。似合わねぇ。」

 

「う、うるさい!あ、少し洗面台借りるから。」

 

むくれた調子をそのままに、翻って廊下へ行ってしまう川崎。まぁ食後と言うものあるし、最低限で口でもゆすいでいるのだろう。少し経って帰ってきた川崎は、ちらりを俺に目線を向けて頷くと、ベッドへ向かった。掛け布団を剥いで、するりとベッドに収まり、向こうを向いた状態で眠りに入ってしまう。

先ほど川崎が下げてくれた食器でも洗おうかを立ち上がり、声を掛ける。

 

「まぁ、無論何もしないし、無理に見ることもないから、安心してよく寝てくれ。」

 

「何それ。」

 

そう言って川崎は、俺に顔半分見えるくらいこちらを見て、

 

「・・ありがと。おやすみ。」

 

と言った。その顔は怒っているようにも、照れているようにも見えたが、少しだけ見えた口元が緩んでいるように見えたので、それを信じることにした。きっとこいつも昨日から気を張ってばっかだったろうからな。

 

「ああ、おやすみ。」

 

そう言って俺は、テレビを音量を聞こえるか聞こえないかくらいまで下げて、台所へと向かった。

 

-------------

 

二人で食べた分の食器を洗っている最中に、俺は気付かなくて良いことに気付いてしまう。あのー、俺、とてつもなく恥ずかしいこと言ってなかった?寂しいとか、帰ってほしくないとか、嬉しさをあげたい、とか・・・

 

終わった。完全に終わってない?くっ、俺はなんて事を・・・。泡に塗れたスポンジをギュッと握りしめる。口元が自責の念で震えてしまう。さ、叫びてぇ!!黒歴史を大幅更新してしまった。でも川崎は寝ているし、うるさくするのは本望ではない。スポンジから出た泡が、指の間を通ってシンクへ落ちていく。きっと家庭を持った夫は、こうやって静かに自分を諌めるのかもな、などと考えつつ、俺史上稀にみる表情で、沸き立った恥ずかしい感情を殺した。

 

洗い物やら後悔の整理などが一通り終わり、ドアを静かに開けると、自然と俺の視線は川崎が眠るベッドへと向いた。先ほど見た状態から動きはないが、一定のリズムでほんの少し上下する掛け布団を見て、眠っていると判断した。

 

川崎にとっては少し明るい気がしたため、天井灯を豆電球に変える。テレビの明るさもあったが、あまり経験のない部屋の雰囲気に家主である俺がのまれそうになる。まぁ、いま目の前で、めちゃ美人で可愛くて気立ても良くて良妻待ったなしのやつが眠ってるんだから、いつもと違うのはしょうがない。が、それにしたって、この雰囲気はなんかこう、怪しい。豆電球に変えたことによる影響を俺の中だけで必死で処理し、小さな溜息を吐いた。

 

台所から持ってきたマッ缶を片手に、静かに座椅子へと腰を落とす。一口飲むと、遠慮がちに川崎が眠るベッドを見た。よく眠れているだろうか、眠れていればいいなと、本心から想う。

昨日川崎に話しかけられてからここまでの展開は、もちろん急なそれに感じる。しかし、川崎にも伝えたように、それが嫌であるとは一切思っていない。このこと好意的に捉えるならば、元から合っていた、のではないだろうか。まぁ、互いにボッチだしな。そんな奇跡みたいなことが、今ここに形を成して有り得ているのかもしれない。

俺としたことが、俺にもそんな小説みたいなことがあればいいなと、考えてしまった。

 

もう一口、と、マッ缶を傾ける。

 

まぁ、なんだ、これからもよろしく頼むわ。

少ない光を頼りに、読みかけの本を開いた。

 

------------

 

ふと、テレビの音が必要以上に大きく感じた。あれ、こんな音量だったっけ。ん、てかこの感覚やばくね?はっとして目を開いて首を上げると、容易に自分の状況が理解できた。

 

すみません。俺が寝ちゃってました。急いで時間を確認すると、午前1時を示していた。川崎に言われていたのは昨日の今日中であったから、完全にミスだ。やっちまったぁ!寝起きの頭をフル回転させて考え反省しつつ、ベッドを見ると、川崎がこちらを向いてすやすやと気持ち良さそうに眠っていた。

 

「っ、お。」

 

急速に現実に引き戻された拍子に、言葉にならない言葉が口から洩れた。ほぼうつ伏せに近い形で顔がこちらを向いており、手が顔に近くで子供っぽくきゅっと握られている。この破壊力は尋常じゃない。というか可愛すぎる。何だこの生き物。小町か?いやそれ以上なのか?そんなこと有り得るの?

 

寝起きに一発かまされつつも、自分の使命を思い出し、川崎を起こそうと試みる。

 

「あー、川崎。起きれるか。」

 

全く反応がない。

 

「あのー、川崎さん?すみません、もう約束の時間すぎちゃってまして、申し訳ない。」

 

眉根がピクリと動くのが分かった。しかし、依然として寝息は一定速度だ。

 

「まぁなんだ。そこまで気持ち良さそうだと起こすのも何だと思ってしまうんだが、とはいえ、起こさないのもあれかと思いますんで・・・」

 

俺は一体誰に言い訳をしているんだ。社畜のどっちとも取れない意見の言い方みたいになってて、自分の将来が過る。怖い。そして川崎は一向に起きる気配を見せない。俺は決心して、握られた手の甲をポンポンと出来るだけ優しく叩いた。

 

「川崎。起きてくれ。」

 

精一杯の穏やかな声で話しかける。川崎の目元が揺れて、目覚めの瞬間が訪れる。薄目を開けてぼうっとしている川崎の目線が、一度俺の目線とぶつかる。何秒か目があったままで居ると、川崎はふふっと微笑む。そして、また目を閉じてしまった。

 

「いや、また寝るのかよ。」

 

「・・・起きたよ。けど、まだこうしてたいの。」

 

寝ていた姿をそのままに、川崎が微睡んだ声で告げてくる。

 

「いや、俺のせいなんだが、時間が過ぎちまってだな。」

 

「んー、何時?」

 

「午前1時だ。」

 

「・・・別にいいんじゃない。」

 

目を瞑ったまま川崎が応える。

 

「いやいやでもお前昨日今日中に帰るって」

 

「いいの。何か困る?」

 

「俺は別に困りはしないが・・・」

 

「じゃぁ、いいの。・・・ねぇ、比企谷。」

 

「なんだ?」

 

「'これ'、嬉しいね。」

 

そう言って掛け布団を口元まで引き寄せた川崎は、何かを体現するように、身体を屈ませて掛け布団をぎゅっと抱きしめる。'これ'と言っているのは、きっと、いや絶対、俺が言った「起きたら誰かがいる嬉しさ」のことだろう。

 

「・・・俺なのが申し訳ないがな。」

 

「ううん、あんただからじゃないかな。」

 

「なっ!」

 

「おやすみー。」

 

川崎は、そう言ってもぞもぞと向こうをむいてしまう。俺は一気に茹で上がった顔を冷ますのをほどほどに、川崎に質問を投げる。

 

「っておい、何してんだよ。送っていくぞ。」

 

「え、もしかして帰すつもりなの?」

 

顔は見えないが、恐らく割と怖い顔で仰っている気がする。え、なんで?おかしい?どうすればいいか言葉を選んでいると、川崎が掛け布団をふわりと剥がして起き上がり、こちらを向く。

 

「ふふ、冗談だよ。うん、今日はちゃんと帰る。家でも気持ち良く寝られそう。悪いけど、送ってくれる?」

 

そう言いながら髪型を整え、ベッドに腰掛ける川崎が、ほくほく顔をこちらに向ける。どうやらご満足いただけたようだった。

 

「もちろんだ。すまん、俺も寝ちまったから、少し時間過ぎたが。」

 

「電車乗るわけじゃないし、そのくらい気にしないでいいよ。」

 

そう言って川崎は帰り支度を始める。

 

その姿からは、寝る前にはなかった雰囲気が感じ取れた。

 

「うん。じゃぁ行こっか。・・・ねぇ、ちょっと向こうむいて?」

 

「あ、どうした。」

 

そう言いながら川崎に背を向けるとすぐに、ちょっとした衝撃が俺を襲った。

川崎が、俺の両腕と身体の間に手を差し入れ、抱きついてきたのだ。

 

「ちょっ、お前なにして」

 

「今日はありがとね。はい!」

 

川崎をそう言って、ポンと背中を押して離れた、俺は振り返り、川崎を見る。瞬間、俺ははっとしてしまう。川崎の表情が幸せそうで、恥ずかしそうで、でも嬉しそうで、今日という日が間違っていなかったことを表していたから。

 




私からすれば信じられないくらいのUAが付いており、とても嬉しいです。
今回もお読み頂き、ありがとうございました。


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疑念止まらず

午前になるまで眠っていた川崎を起こし、家まで送ってきた。川崎が一人暮らしをするアパートは確かに近かった。徒歩で10分もしない距離だ。川崎は家に入る寸前、「良かったら今度は・・」と言いかけて、次に「お、お休み!」と半ば叫び家の中へと消えていった。俺はもうなんか色々と限界だった。限界突破のしるしとして、帰り道、ぽつぽつと歩きながら、頭の中では意味もなく坂本真綾の『プラチナ』がずっと流れていた。意味もなく口ずさみもした。

 

家に着くと、先ほどまで川崎が居たせいか、部屋の中は何もかもが'異なっている'ように思えた。少し広く思えたし、必要な音まで削られてしまったかのような静けさがあり、なんかこう表現してしまうと完全なる変態なのだが、川崎の匂いが薄くなっているのがはっきりと分かってしまった。

何よりまずいのは、それらを寂しいとか、侘しいとか、そんな風に捉えてしまっている俺だろう。おいおい、一晩、と表すには少し短いが、半日で俺はここまでやられてしまったのか。我が魂の脆さにうなだれてしまうが、それでも確かに残っている暖かいこの気持ちは、紛れもなく川崎がくれたものなんだろう。

何にせよ、たった今はこの川崎ロスに対する自分の心の動きをしっかり覚えておこう、そう思える感情だった。すごい、八幡ったら前向き!そんな自分を自分で嘲笑しつつ、寝る準備をし、ベッドに潜り込む。

 

・・・川崎が寝た後の布団は、めっちゃいい匂いがした。ありがとうございました。

 

-------

 

翌日、起きるか起きないかの境目にベッドで寝返りを打っていると、川崎が作ってくれたビーフシチューがあることを思い出した。急にお腹が空いている気がして、目を覚ましてしまう。時計を見るとまだ8時だった。

 

「講義もねぇのに早起きかよ。」

 

何も考えず眠気眼で独り言を言ってみた。もちろん返事はない。寂しい人ね。そのままキッチンへ向かってビーフシチューを見ようとした。すると、鍋の蓋の上にメモが置いてあった。そのメモが川崎によって残されたものだと即座に判断できると、眠気が一気に去った。

 

【温めてから食べること。あと、できれば今日中に食べちゃったほうがいいかな。バゲットはいくつか冷蔵庫に余ってるからね。召し上がれ。】

 

何度か読んで、自分がニヤついていることに気付く。気持ち悪すぎて勝手に赤面してしまう。朝から何やってんの俺。少女漫画のコマよろしくのそれじゃねえか。

 

「・・いただきますか。」

 

しっかりと温めてから食べたビーフシチューは、昨夜と変わらずマジでうまかった。

 

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夕方から家庭教師のバイトをこなす。今回は、平日に先方の都合で行えなかった分の代替日だった。教えることもストレスなくできる良い子だし、相手家族も良い人ばかりだし、正直余裕だ。だからって準備や確認を怠らない。やってみると責任重大な仕事であることが如実に感じられるからだ。

 

良かったら夕飯はどうかと若々しい奥様から誘ってもらったが、急ぎの用事があると言って、遠慮させてもらった。

 

 

 

 

理由は、教えている最中に川崎から連絡が来たからだ。

内容は至ってシンプルに、「電話できる?」という一文だけだった。

この一文が、俺をかき乱した。

頭を、ガツンと叩かれて、現実に戻されたような気分になった。

 

 

 

 

何かあったのか、急ぎなのか、など判断つかないことが多かったが、教え子宅を出るとすぐに電話をかけた。何度かの着信音の後、川崎が電話に出た。

 

「も、もしもし。」

 

「川崎、どうした、何かあったのか?気にせず言ってくれ。」

 

「え?いやちょっと話したいと思ったんだけど。。むしろどうしたの?」

 

「そ、そうか。って、何がだ?」

 

「何か焦ってない?」

 

「・・・」

 

そこまで言われて焦っていた自分に気付く。いや、正直仕事中から、川崎からの電話が何の電話なのか気になって仕方がなかったのだ。考え出すと止まらなかった。悪い方に転べば、昨日までの一連のことを無しにしたいとか、勘違いはしないでねとか、そういう内容か、普通ならば、俺の家に忘れ物をして困っているとか、でもそれくらいの内容ならばLINEを送れば済む話だし、何かしら電話をする必要がある内容であるということは・・・といった思考を巡りに巡らせていたのだ。あれなんかぽわぽわとしたもの通り過ぎたけど、今はそれどころじゃない。

 

「すまん。その通りで、焦っていたかもしれん。連絡が入っていたことには気付いたんだが、バイト中でな。掛けれなかった、すまん。」

 

「いや、別に謝ること何もないでしょ。むしろ電話ありがとね。」

 

そこまで聞いても、まだどんな話の内容であるかを決定付ける言葉には至らない。

緊張が歩を速めていることに気付き、意識的にゆっくりと歩くようにする。

 

「おう、そうか。じゃぁ改めて、どうした?」

 

「どうした、って聞かれると、別に何かってわけじゃないんだけどさ。」

 

「お、おう。」

 

どうにも掴み所のない返事が返ってきてしまう。

電話じゃ言い辛いことなのか。

 

「川崎、お前さえ良ければ、少し外出れないか?」

 

「え?うん、ちょっと待ってくれれば出れるけど。」

 

「分かった。この前のジャズ喫茶分かるか?そこで待ってるから、来れれば来てくれ。

 もし考え直してやっぱり電話が良かったら、電話くれればいいから。」

 

「・・ん?何それ。大丈夫だよ行くから。家出たら一応連絡入れるね。」

 

「分かった。じゃぁ。」

 

「はーい。」

 

そう言って、電話を切る。

尚も思考は止まらない。もし、何か俺が間違えていれば、ちゃんと謝ろう。もし、川崎が昨日までのことを白紙も戻したいというなら・・・俺はどうするんだろうか。

 

考えもまとまらないまま、ジャズ喫茶へ着いてしまう。川崎からはついさっき家を出たという内容の連絡が来たため、あと10分とかからずこの店へ来るだろう。

 

「いらっしゃいませ。」

 

店には疎らに客がいた。マスターと目が合うと、いつもと訪れる時間が違うせいか質問が飛んでくる。

 

「一人かな?」

 

「いや、すぐにもう一人来ます。」

 

「そっかそっか。じゃぁ、一昨日と同じテーブルどうぞ。」

 

「ありがとうございます。」

 

そうか、川崎から依頼と受けたのは、一昨日のことなのか、と実感する。

そうだ、思えばあまりに濃すぎる二日間のせいで、俺の感覚は麻痺していたようだ。これが何年も重ねたそれならば、無くなってしまった時に悲しむ資格もあろうが、一昨日から今日の今までの事でしかないのだ。もし無くなってしまうのであれば、それを受け入れるしかない。

 

「・・・はっ。」

 

仕方がない、そう考えたときに襲い掛かる自分自身の感情に、薄ら笑いを浮かべ短く息を吐いて対抗する。おいおい、弱すぎるだろ、比企谷八幡。

 

 

カランとドアについたベルが鳴る。控えめに顔を覗かせたのは、少し前まで一緒にいた川崎だった。目が合うと少しはにかんで、マスターのどうぞ、という手に導かれて、俺の前のテーブルに座った。

 

「夜はまた違った雰囲気でいいね。」

 

と、少し緊張した面持ちで川崎は言った。

まだ夜は少し冷えるせいか、白い麻のシャツの上に、薄いオレンジとベージュのバイカラーが綺麗なスプリングコートをさっと羽織った格好だった。この店の雰囲気に劣らない、女性らしい姿の川崎がそこに居た。

だが俺は、そんな風に目に映った川崎にも、何も考えられずに居た。

 

「まぁ、そうだな。」

 

「・・大丈夫?なんか辛そうだけど。」

 

心配そうな顔で見つめてくる川崎に、また心が痛くなる。

そんな心配させてる場合じゃないだろ俺。

 

「大丈夫だ。それで、その、聞かせてもらっていいか。」

 

「ん?うーんと、な、何を?」

 

川崎が何度か目を瞬いて、問うてくる。

 

「電話の内容だ。」

 

「ああ、そ、そういうこと。ん、なんか緊張してきたじゃん、何よ。」

 

「悪い。でも、聞くなら早いほうが良いと思ったんだ。」

 

「まぁ確かに早いほうが良いと思うけどさ。」

 

店に入ってからのやり取りだけでは、やはり内容まではわからない。

俺は、また一つ覚悟する。

 

 

「えっとね。」

 

川崎が言い淀む。

 

ああ、やはり、と自分の中で諦めが流れ始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、夏の予定を立てたいなー、なんて。」

 

what's?

 

 

 



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想い止まらず

 

もじもじし始めた川崎に対して、俺は完全に呆気に取られてしまう。もはや言葉の意味を理解するのにも時間がかかってしまっているくらいだ。

 

「・・すまん川崎、もう一回言ってくれ。」

 

「いやだから、夏の予定を・・・」

 

そう言って川崎は俯きがちになってしまう。俺は二度も聞いた言葉を噛締めていた。普通に、だ。普通に考えて、夏の予定を立てたい、と思っていて俺に電話をしたとすると、そこからどのようなルートを辿れば、俺が恐れてしまっていたパターンとなるのだろうか。

夏の予定立てたい ⇒ それは私単体の夏の予定だ ⇒ お前には関係ない ⇒ 先日のことは忘れてほしい、みたいなルートを辿ってしまう可能性は、ある、のか?ないよね?さすがにないよね?聞いたことはおろか、論理的にも俺に電話してきたこともそうだし、今会っていることとも整合性皆無だ。

 

ってことは・・・どういうこと?

俺は完全に頭が回らなくなってしまっていた。

 

「夏。夏な。旧暦では初夏ともいうしな。うん、夏だな。」

 

「うん、そう。夏、夏だね。」

 

川崎も顔を赤くしてよく分からなくなっているようだった。でもなんかニコニコしてて可愛い。つられて俺も笑みを零しそうになる。そんな風に、我々の、いや世界のコミュニケーションの到達点を感じ始めた時、救世主が現れた。

 

「遅れてごめんね。今日はどうする?お酒は?」

 

マスターはいつでも絶妙なタイミングで入ってきてくれる、慣れない単語に、二人とも冷静さを取り戻していく。

 

「あぁ、僕らまだギリギリ未成年なんです。」

 

「そうだけど、別に飲んでもいいんじゃない?もう同じようなもんでしょ。」

 

「いやまぁ大学で周り見てるとそうだけどよ、法は破らないって小町と約束してるんだよ。」

 

「何それ。でも、私も今のところ律義に守ってるよ。」

 

「おお、二人とも偉いね。じゃぁ飲めるようになった時にはここに来なよ。記念にサービスするよ。」

 

「マジですか。ありがとうございます。」

 

「今日のところは前回と同じでいいかな?」

 

「お願いします。」

 

会話が終わるとマスターはほくほく顔で戻っていった。いいねぇ、ういねぇ、とか言っててこっちも恥ずかしくなった。飲みものが来るまでの間は、マスターとの会話に乗って会話を続けてみる。また夏の話をすると、変なことになってしまう気がしたのだ。ってか絶対なる。

 

「そういや、お前の誕生日っていつなんだ?」

 

「私は10月だよ。26日。あんたは8月8日だよね?すごくない?」

 

「ああ。名前ともかかっているしな。両親がどんな想いで名付けたか考えると心がざわつくぜ。」

 

「ふふ。でも'八幡'って名前、似合ってると思うよ。」

 

川崎が楽しそうに応えてくれる。

その瞬間、頭の片隅から記憶とも呼べない声の景色が俺に訪れる

 

-----------------

 

「ねぇ・・・八幡。」

 

-----------------

 

瞬間俺は気付いてしまう。俺んちで、目覚めの時に感じた強烈な違和感は、これだ。川崎は、俺のことを名前で呼んでいたのだ。ただ、このことを本人に確認する必要は全くない。俺は俺の中でその事実を受け止めるしかないのだ。マジかよ、何してくれてんすか川崎さん。

 

「そ、そうか。まぁ、俺も戸塚が名前を呼んでくれた時に、俺の名前を受け止めることができたから、もう大丈夫だ。」

 

「何それ。戸塚好きすぎでしょ。」

 

そう言ってまた川崎はふふっと笑みを零す。あーもう、こいつを前にしてどんな気持ちで居れば良いのか正解が分からん。忙しい。忙しすぎる。川崎に対する心が残業し過ぎ。改革してくれぇ。

 

「まぁな、当然だ。」

 

「はーい。お待たせしました。」

 

マスターが飲みものを運んできてくれた。お礼を言ってベトナムコーヒーを飲むと、だいぶ落ち着いてきた。

そうだ、ここに川崎を呼んだ目的に話を戻そう。

 

「あれだ、夏の予定?っての、もう少し詳しく聞いていいか。」

 

「ああ、うん。そうだね、話す。」

 

コーヒーをテーブルに置き、川崎に声に耳を傾ける。

 

「まず、昨日は本当にありがとね。楽しかったし、色々と嬉しかった。」

 

「こちらこそ、だ。朝ビーフシチュー食べたが、マジで旨かったぞ。」

 

「ふふ、そっか、良かった。・・うん。それで、ほら友達になったとき、言ったじゃん。したいことし合えばいいってさ。」

 

「ああ、言ったな。」

 

確かに俺はそう言ったし、今でもそうだろうと思っている。まぁいきなり川崎が俺んち来るって言い出した時は焦ったけどな。

 

「それで今日、家事しながら何したいかなーって考えてて、そしたらたくさん出てきちゃって・・・」

 

そういって川崎は眉を少し上げて、いたずらがバレてちょっと反省している子供のような顔をした。可愛さが鬼がかっていた。萌え死にするフラグかと思った。俺は死に戻れねえぞ。

 

「なるほどな。友達としたいことか、俺も考えてみるかな。・・ねえな。」

 

「早くない?」

 

川崎が呆れた表情で返してきた。しょうがないだろ。友達なんて数える程度しかいなかったんだから、想像は難しい。まぁ、居なかったって思わないらへん、少しは高校時代に感謝しなきゃな。

 

「ってより、分かんないって言ったほうが正しいな。あー、買い物、とか?」

 

「下手過ぎない?・・あー、たぶんなんて言うかちょっと考えるポイントが抽象的なのかも。」

 

「どういうことだ?」

 

そう聞くと、川崎は数舜固まって、次にアイスティーに口をつけた。

飲み終わると、はは、と下手な笑いを作りながらこう言った。

 

「考え方ね!考え方の話だけど、、私は友達ってより、あんたと何したいかなーって考えた、の。」

 

川崎は下手な笑いを少しの時間続けたが、ダメだ、と小声で言った後にそっぽ向いてしまった。

 

「そういうこと、で。」

 

そっぽを向いたままよくわからない締めをしてしまう。それを聞いた俺は意外にも冷静だった。そう、これは考え方の話なのだ。であれば、俺も「友達と」ではなく「川崎と」で考えれば良い。するすると頭の中で解が現れてくる。

 

「それだと、考えやすいな。例えば、けーちゃんも交えてどっか行くとか、この前見つけたのとは別の美味しい定食屋開拓するとか、ああ、一緒に料理もしてみたいな、上達が早そうだ。後は、この1年で色々読んだって言ってた本とかも共有する機会も欲しいな。どっか出かけるってのは得意じゃないんだが、まぁ川崎となら楽しめる所もありそうかもな。あとはそうだな」

 

「待って待って!ストップ!何言ってんのあんた!」

 

「え、いや、考えやすかったぞ。良いアドバイスだった。」

 

「いやいやそうじゃなくて!自分で何言ったかわかってんの!?」

 

「は?お前としたいことだろ?」

 

「っ!・・・はぁぁ、なんて言うかホントにもう、ホントにさぁ。」

 

そう言って川崎はダメだこりゃみたいな仕草で俺を残念がってしまう。しかも疲れているようだ。え、俺悪いの?そんな変なこと言ったか?この会話録音して小町に聞かせて俺のダメポイント教えてもらいたいくらいだ。たぶん小町を俺を怒るだろう。こういう時は大概俺が何かミスっているからだ。

 

「あのー、なんかすまん。」

 

「えーっと、うん。分かった。」

 

川崎は仕切り直すように、佇まいまで整えて、こう言った。

 

「そもそも電話したのはね、あんたと何したいかなーって考えて、いくつも出てきたは良いけど、あ、あんたは何かないのかなぁって思ったの。さっきばぁーっと言ってくれたね、そう、そう言うことを知りたかったの。」

 

ここまで聞いて、俺は抱いていた疑念を思い出す。夏の予定と聞いて呆気に取られた上に、コミュニケーションの到達点に逝っていたから忘れていたが、俺は先日のことが無いものにならなかったことを心の中で喜んだ。電話はそういう理由だったのだ。ホントに良かった・・。

 

「おう、電話が来た理由が分かって良かったわ。」

 

「うん、で、でね、私が考えたことなんだけど。」

 

「おお、どういうのなんだ?」

 

川崎はコートのポッケから折り畳んだ紙を取り出した。中を開いて確認すると、

 

「私が考えたのは、例えばこういうのだけど・・・例えば、例えばだから!」

 

そう言って、再び折ると俺に紙が渡される。

 

四折りされていたのはルーズリーフではなく、枠に模様がプリントされた手紙用の紙だった。開いて内容を確認すると、びっくりすると同時に、一気に赤面してしまった。

真っ先に目が捉えてしまった真ん中らへんに、とんでもないのがあったからだ。

 

 

 ・ ○○○○○○○○る

 

 ・ ○○○○○○○○○出る

 

 ・ ○○○○○に行く

 

 ・ 京華と一緒にわたしん家でご飯を食べる

 

 ・ 温泉旅行に行く

 

 ・ ドライブをする

 

 ・ ○○○○○○○ランチする(○○誌p.54)

 

 ・ ○○○○○○○○○○○、し○○○○

 

 ・ ○○○○○○○

 

 ・ ○○○○○○○○○○○○観る

 

 

お、温泉・・?

ど、ドライブですと・・?

 

 

 

 




サキサキが止まりません。


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期待か挑戦か

「温泉」「ドライブ」の2つの単語を見て、俺は反射的に川崎から受け取った紙を再び折った。そしてそのまま目を閉じ、左手の指先をこめかみに当てて状況を整理を試みた。雪ノ下よろしくの仕草を俺がやることになるとは思っていなかったが、あいつの気持ちが少しだけわかった気がした。いつも俺が言ってることへの理解を頑張ってくれてたんですね。いや待て、それはないか、罵倒のインデックスから適した言葉を引いてただけ、か。豊富過ぎて時間かかってたんだろう。どんだけ取り揃えてんの?

 

一昨日、お互いの合意の上で「友達」となった俺と川崎。それは川崎自身が変わりたいという目的から取った手段だ。そして、「友達」としたいことし合ったりすることで、川崎は変われていない現状の打破を試みている。それが、まぁ現状のケースにおいては「俺」としたいこと、という風に考えた結果が、この紙だったわけだ。

 

極めて客観的に、冷静になって考える。

 

確かに俺も友達とドライブなんてしたことないし、温泉に行ったこともない。そう考えて、ふと戸塚の笑顔が脳裏をかすめた。戸塚とドライブ?戸塚と温泉?行きたい、それは行きたい。この身が滅びようとも行きたいッ!ただ、それを戸塚に願えるかと言えば、ものすごくハードルが高いと感じる。もし断られたらと考えると、急に足がすくんでしまうような恐怖だ。そもそも誘っていいのか?友達ってそういうのOKなの?頭がショートしそうだ。

 

目を開いて川崎を見る。俺が急に目を閉じたせいか、不安そうな顔と上目遣いでじっと俺を見ていた。はいかわいい。かわいさにやられて俺はもう一度目を閉じてしまう。俺からの戸塚への想いには到底及ばないだろうが、俺にこの紙を提示することは、それこそ勇気がいることだったんじゃないか。

例えば、例えばと前置きをしても尚、差し出すことができる川崎を、俺は純粋な想いで感心した。すげえよ、変わりたいって想い、本気なんだな。

 

そうして俺の頭の中だけで考えを進めていると、川崎の気遣うような声色が耳に届いた。

 

「ね、ねぇ。」

 

俺を目を開いて手を膝の上に戻し、応える。

 

「なんだ?」

 

「その、その紙に書いたことはもちろんしたいことではあるんだけど、比企谷がしたくなかったらしなくていいことだからさ・・。あの、なんかそんな大事に捉えて欲しくないと言うか、ほら例えばだからさ。」

 

そう言って苦笑いする川崎は、よく見ないと気付けないが、それはそれはしょんぼりしてしまっていた。その姿を見て、俺はまた間違えてしまったと感じる。確かに俺でもいきなり目を閉じて考え込まれたら、好意的に捉えられていない、と考えてしまうだろう。

 

「いや、違うんだ。ちょっと驚いただけだ。お前もそうだから書いたと思うんだが、友達とドライブとか、今までの人生じゃ考えられなかったからな。」

 

「ああ、うん。サークルに入っているわけでもないし、機会はないよね。」

 

「そうだ。ましてや俺だぞ?友達とドライブ、とか、八幡とクラブ、くらい関係のない言葉の羅列だからな。」

 

「うわ、確かにあんたとクラブはないわ。クラブがどんな場所かもよく分かってないけど、ないね。」

 

「だろ?だから驚いたんだよ。・・・で、一つ思ったんだが、いいか?」

 

「う、うん。なに?」

 

俺はテーブルの上で両手の指を重ねた。言い表せないようなむず痒い緊張が場に走る。

川崎の喉が、唾を飲み込んだように揺れた。

 

川崎が何を考えてこういうことを言っているのか、というは分かっているつもりだ。俺は、その変わりたいという全力の想いを、俺ができる限りで受けると言った。であれば、回答自体は決まっている。その上で、川崎のしょんぼりを根こそぎ奪ってやりたい。確かに怖い。怖いが・・・言ってみろ八幡。

 

「・・・ドライブして温泉行けばいいんじゃね?」

 

「・・え?」

 

 

 

----------------

 

 

 

約1年前、大学1年生の夏休みのことだ。俺はウキウキで実家へ帰省していた。1人暮らしを始めて数ヶ月だったが、小町と会えないのは考えていたよりも俺にダメージを与えていた。

そんな折、小町(天使)から、お兄ちゃんと過ごしたいから2週間予定を空けてくれと、連絡を貰ったのだ。嬉しぎて吐きそうだった。やけに用意する荷物など指定が多いなーとは思っていたが、そんなこと気にもならないくらい小町とだらけるのを楽しみにしていた。

 

実家の玄関を開けると、小町が飛びついてきた。

 

「お兄ちゃーん!おかえりーっ!」

 

「おおっ!小町!小町か!?」

 

小町は、はいおしまーいと告げて離れた後、

 

「何それ、小町だよ。他の誰かが居るとでも思ったの?」

 

「あ、いやまぁそうなんだけど。」

 

久しぶりの再会だと言うのに、俺の扱いを忘れていない。というかもっと厳しくなっている。まぁそれも仕方がない。ここ数年で小町の可愛い成分は減ってしまい、綺麗成分が追加されてきたのだ。正直俺としても、お互いが中学高校くらいに当たり前だったじゃれ合いは、かなり恥ずかしくなっていた。変なあれはないからね?ほら、兄弟だし。

 

「朝ご飯食べてないでしょ?」

 

「ああ、そうだな。てか、なんか帰ってこいっていう時間早くない?まだ8時だよ?」

 

「まぁまぁ。小町の朝ご飯食べるの久しぶりでしょ?楽しみでしょ?」

 

少し腰に角度をつけて上目遣いで仕掛けてくる小町に、兄として俺は、

 

「あっはい、楽しみです。」

 

・・・一生小町に頭は上がらないな、と改めて感じた俺だった。

 

 

朝ご飯が食べ終わり、さて早速ソファでマンガでも読もうかなと思ったその時、小町が机にいくつかの封筒を叩きつけた。

 

「さて、お兄ちゃん。これを一通り見て。何も言わずに。」

 

突然のことに驚いたが、小町が怖い顔をしていたので迷わず対応する。既に開けられた封筒の中身を出して確認していく。普通自動車免許の合宿申込書(コピー)、入金確認書、合宿概要、山形への新幹線のチケット、現金5万円・・・

 

「・・・おい、聞いてないぞ。」

 

「言ってないもん。」

 

「え?これマジで行くの?」

 

「決まってるでしょ!ここまでお膳立てされて、お金も払ってもらって、準備も出来てて、あとは行くだけだよ!お兄ちゃん!兄が免許持ってないとか、今後小町的に困る場面多いなーと思ったから、お父さんを籠絡したのです!」

 

「小町ちゃん、お兄ちゃんとアッシー君にするつもり?」

 

「古いよそれ。でもほら、免許持ってて損はないでしょ?」

 

「まぁ、いつか取るつもりでは居たが・・・。」

 

「そ・れ・に、合宿って出会いもあるらしいよ?」

 

にやにや顔で押し詰めてくる小町をかわしつつ、新幹線のチケットを確認する。

出発まではちょうど2時間前といったところだった。

 

「そういうことか。」

 

「そういうことなのだ。ほら!そろそろ行かないと!」

 

「・・はいよ。」

 

朝早く設定されていたのは新幹線に乗るためで、用意した着替えや洗面具は山形での生活のためですか。完璧に包囲されていることを確認すると、早めに諦めた。別に悪いことではないからな。こういう潔さには定評があるのだ。

 

「ではでは、行ってらっしゃーい!」

 

「うーい。」

 

実家には40分しか居なかった。小町はどんどん陽乃さんに似ていっている気がしたが、頭を振り怖すぎる未来をかき消した。

 

 

 

----------------

 

 

 

そんな経緯もあり、俺は免許を持っていた。しかも、小町をいつ乗せても良いように、親父に借りて練習も欠かしていない。基本高スペックな俺は、運転自体は中々うまい方だ、と思っている。慢心は事故の原因だから、程よい緊張は持っているけどな。

 

川崎は固まってしまっていたが、気を取り直して俺の質問に回答する。

 

「えと、その2つは一緒に出来るかもね。でもほら他にもあるし、私がしたいこと書いただけだから、あんたがやりたいことも考慮に入れてさ。」

 

「川崎の言う通りだ。だけどな・・」

 

そう言って俺は、改めて川崎が書いた'したいことリスト'を開いて、コーヒーを啜りながら、そのそれぞれを眺めてみる。明日にでもできそうなこともあれば、少し準備が必要そうなこともあった。しかし、色んな面から考えてやはりハードルが高いのはドライブと温泉旅行の2つだ。

 

「昔から俺はやると決めたことは効率的に推進していくタイプだ。逆にやらないと決めたことはとことんやらないが。そして、俺は難しいところからクリアして他のことを気持ち的に楽にこなしたいタイプだ。宿題とか絶対数学から片付けてたしな。」

 

「・・その言い方だと行きたくないって言ってるように聞こえるんだけど。ドライブは数学ってことでしょ?」

 

「ああ悪い、いや、そうじゃないんだ。高校の時までは未経験・未体験に対して最初から嫌悪があったんだがな。まぁなんだ、知らないことにも期待できるようになってんだよ。だからあれだ、行きたくないわけではない。ハードルは高いけど。というか諸々考えないようにしてるけど。」

 

「何それ。」

 

そう言って川崎はアイスティーに刺さるストローに口を付けた。

少し考えるようにして、うん、と一人で頷く。

 

「じゃぁ、嫌なら遠慮なく断ってね。今からお願いすること。」

 

「おう、なんだ?」

 

川崎は一呼吸置いて、真剣味を帯びて様子で言った。

 

「私とドライブして、温泉行こうよ。」

 

お、おお。こうやって改まって言われると、とんでもないことやろうとしてないか?川崎とドライブして温泉?マジで?このことについて深く考えてしまうと、ドツボにハマっていくことは分かっている。あくまでこれは川崎からの依頼の延長線上にあるだけだ。逆にそのことを肝に銘じておかないと、大変なことになる。俺も深呼吸して、意を決して応える。

 

「お、おう。ふー、いっちょやってみるか。」

 

ほら、なんかもう心拍数上がり過ぎて悟空みたいな返事になっちゃったよ。

 

「なんか挑戦みたいになってるけど、大丈夫なの?いいの?」

 

「大丈夫だ。免許も持ってるし、バイトした金もある程度まとまってきたし。あと、純粋に温泉は魅力的だ。日頃の疲れと人生の疲れを癒したい。」

 

「あんたね、、まだ大して生きてないでしょ。・・・そっか。いいんだ。」

 

もう一度噛み締めるように、いいんだ、と言って、川崎は嬉しさを隠すように微笑んだ。

その仕草があまりにもかわいいから、ドライブ中には禁止しようと決めた。

 

 




次回からドライブ&温泉編です。


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言えない事実

俺は頭の中は今、結構忙しく稼働している。

俺から見えているその姿の正体が、単に調子が悪いなら、それ以上はない。

しかし、そうでもなさそうだ。

 

俺は、何か間違ったことをしてしまったのか。

本当は、そもそも今日のこの企画自体嫌だったんじゃないか。

少しだけ顔を左に向け、精一杯左に寄せた目線には、元気のない横顔が映る。

 

・・・隣に乗せた川崎は、とんでもなくブルーな様子だった。

 

 

---------------

 

レンタカーの受付って裏で何をやってるんだろうな、と考えさせられるくらいには待った後、俺は一人でファミリーカーを転がして川崎が一人住む家へ向かっていた。

 

もう2週間ほど前になるか。川崎から、友達となった俺とやりたいことを告げられ、その内2つを一気に消化するドライブ&温泉の当日が、本日な訳だ。俺としては久しぶりの温泉となるわけで楽しみであることは違いないのだが、ふと自分を解放すると、今にでも叫びそうになってしまう。いや、仕方なくない?今から可愛い女の子迎えに行くんだよ?なんでこんなことになってんの?とは思ったが、どう考えても自分が蒔いた種でした。総じて自作自演(共演川崎)のこの喜劇は、一体どこに行き着くんだろうか。もしかして人生終着点がここなんじゃない?・・・めっちゃ安全運転で行こう、そう決めた。

 

今日のことをあのジャズ喫茶で話した時に決めたことは少なく、俺が車を手配して、それ以外は川崎が調べたりして決める、という事だけだった。なので、俺は具体的に何処へ行くかは知らないが、日帰りという事を考えると、近くの海沿いになるだろうことは予想できた。

 

ちなみにではあるが・・・、レンタカー自体は土曜日である今日と、明日の日曜日の夜まで借りている。ふふ、聞いてくれて構わないぞ。え?なぜかって?ふふふ、明日は戸塚と小町とドライブなんだよ!!!もうこれ以上はない。最強のふたりだ。頭の中ではセプテンバーが流れている。この二日間はとんでもないことになる予感が、頭や心だけでなく指先まで感じ取れていた。

 

なんつーか、ちょっと前と随分人生変わったなぁ、なんて思っていると、川崎が住むアパート付近が近付いてくる、そりゃそうだよね、家も近いしレンタカー屋さんも近かったもんね。ちなみにこの道を既に3回通っている。き、緊張なんかしてないんだから!

 

 

いい加減にするか、と思い、道路脇に車を寄せて止めた。

川崎の電話番号を出してかけてみる。

 

「・・・もしもし。」

 

「もしもし、川崎か。近くに着いたぞ。」

 

「・・・分かった、今降りるね。」

 

川崎はそう言うと、俺の返事を待たずに電話を切ってしまう。ん?少し元気なかったか?と思いつつ、手持無沙汰のまま、静かな車内で意味もなくシートベルトを外して待つ。1分もしない内に、少し先に川崎の姿が見えた。俺にまた一つ緊張が走る。えー、ホントに今からドライブすんのかよ。いや、いいんだけどさ、たぶん帰ることが許されたら帰るくらいには、逃げたい気分だ。なに?世の中の男性はこんな緊張をみんな経て生きてるの?偉くない?

 

少し浮かない様子の川崎が、助手席のドアの前まで来て、ここいい?と聞くように助手席を指さす。俺は気恥ずかしくて頷くことしかできない。ドアが開いて、川崎が乗り込む。大きくない車のせいか、思っていたより近い距離感に、また一つ俺の緊張メーターが上がる。

 

「ありがとね。車。ちょうどいいんじゃない?」

 

「まぁ二人で乗るにはこれくらいでいいだろ、そこまで高くもないしな。」

 

「うん。あとで清算させてね。」

 

「ま、適当にな。」

 

挨拶の代わりに軽い会話を交わす。少し元気がなかったように見えた川崎は、それを隠すように普通に振る舞っていた。聞くべきか迷ったが、少し気に効いたことを口にして、話を進めることにする。

 

「天気も悪くないし、いわゆるドライブ日和なのかもな。」

 

「そうだね、ってかそういう発言似合わな過ぎ。」

 

知ってたよ!気に効いたことなんて言うんじゃなかった!

 

「・・言うな。それで、どこ行くんだ。」

 

「あ・・・、うん。ナビに入れる。」

 

そう言うと、二人の間にあるナビを触ろうとしたところで、ナビの前に壁があったかの如く固まった。

 

「ん、どうした。」

 

「・・・ちょっと向こう向いててくれない?」

 

「は?」

 

「いいから!た、楽しみってことで。」

 

そう言われては仕方ないかと思い、別段川崎がナビを入力するところをじっと見たいわけでもなかったので、右の窓から空を見た。季節は夏の入り口。日差しが直接当たると少し暑く感じるが、まだまだ夜は冷えるような今日この頃。

 

雲一つない空に、得体の知れない不安感を感じ始めた頃、

 

「・・じゃぁ、この通りに進んでくれればいいから。」

 

そう言った川崎の指示に従って、

 

「はいよ。」

 

車を目的地へ発進させた。

 

---------------

 

そして、冒頭である今に至る。

出発してから約1時間と20分。下の道を少し走らせて高速に乗って、高速を降りる。実にこの間、会話がゼロ。俺には安全に運転するという絶対守るべき使命があったため、存外早く過ぎたが、高速を降りてからは会話がなかった事実に気が付くと、途端に焦りを感じ始めていた。

 

赤信号のついでに川崎の様子を見た後に、ナビを見る、目的地までは残すところ15分となっていた。思っていた通りで目的地は海沿いの温泉街だろう。視界に収まる範囲で青信号に変わったことを感じて、前を見る。

 

アクセルを静かに踏み込んだ瞬間、

 

「ねぇ、比企谷。」

 

川崎がその重い口を開いた。続けて、

 

「どこでもいいから、車停めてくれる?」

 

「・・・わかった。あそこのコンビニでいいか?」

 

「うん。」

 

その会話の最中に俺の頭の中で巡った思考は多岐に渡った。川崎が何を目的で停めてと言ったかは分からないが、いくつもの選択肢の中で、喜ばしいことは一つもなかった。

川崎が何を言おうとも、俺は受け入れようと覚悟を決めた。

 

広いコンビニの駐車場のなか、店舗から一番離れた端に車を停める。存外駐車を1発で決めることができたが、それによってこの雰囲気が変わるわけではない。適当に流したFMだけが、合わないテンションで喋り続けている。

 

「聞いていいか。」

 

俺はその雰囲気に耐えることが出来ずに、川崎に了承を得ようとする。

 

「・・・だめ。」

 

この回答は予想外だった。

 

「・・・そうか。」

 

俺がそう返してから数秒しない内に、川崎が力強くこちらを向いたのがわかった。

 

「一旦、外に出るのはあり?」

 

「別に悪くねえよ。俺もか?」

 

「うん。お願い。」

 

二人ほぼ同じタイミングでドアを開いて外にでた。車の前まで進むと、川崎と相対した。川崎のブルーな顔が、より一層深くなる。自分を責めるような顔だった。そして、その顔は俺がさせたくない顔だった。

言いづらいのなら、俺から言おうと口を開く。

 

「・・まぁ、貴重な経験だったかもな。ここまででいいんじゃないか。」

 

「え?なにが?」

 

「ドライブ。」

 

思ったより口が動かず、目線が偏ってしまう。

川崎はそれを聞いて背中を丸めて額を抑える。その姿を見て気付いたが、今日の川崎は今まで見たどんな姿よりも着飾っていた。それに気付けなかったのは、ずっと車にいたからだろう。それでも、どんなに着飾っていても、元気がないことの方がよっぽど俺には濃く映った。

だから、俺は伝えたのだ。無理はして俺と居なくていいと。

 

「・・・あぁ、ごめん。そう捉えちゃうよね。」

 

だからダメだって思ってたのに、と、一人ごちる川崎を見て、俺の中で謎が生じる。

 

「よく分かってはいないが、お前が元気ないのは分かるぞ。」

 

「・・・そうだよね。そう思うよね。」

 

だから早く言えばよかったのに、と一人ごちる川崎を見て、俺の中で生じた謎が深まる。

 

「独り言拾って悪いが、何を早く言えば良かったんだ?正直、このまま帰っても収まりが悪いから、教えてくれると助かる。」

 

そう言った途端、川崎はナビの時と同様、いきなりマスターハンドで抑えられたかのごとくビクッと固まった。そして何か一つ覚悟を落としたように息をすると、背筋を伸ばして、凛々しく俺の目を見た。

 

「・・・比企谷。懺悔があるんだけど。」

 

「・・・お前、懺悔好きだな。」

 

「いや好きなわけないでしょ?でもだからこその懺悔。」

 

そう言うと川崎は、何から話していいのか迷うように、何度か話そうとしては詰まる。

 

「えーと、何から言うのが良いのか、ずっと考えているのに思い浮かばなくて、こう、自分の気持ちとか、こうなった経緯とか、言えなかった理由とか、なんていうかその・・・」

 

「一つ一つでいい。情報をくれれば、俺の中で処理するから。」

 

「それはそれでおかしな方向行きそうだから、と思う部分もある・・・」

 

「それでも、伝え始めなければ、このままだぞ。」

 

「あーー、なんでこんな自分になっちゃったのかな。半端なの嫌いなのに。」

 

そういうと川崎は、また一つ大きな息を吐いた。

それまでブルーだった川崎が、その理由と話そうとすることが、表情や伴う熱気、緊張感、あらゆるものから伝わってくる。俺は思わず唾を飲み込んだ。

 

そして、

 

「比企谷、今日の行先、どこだか分かる?」

 

行先?と俺は予想外の質問に少しうろたえてしまう。が、予想自体はあった。

 

「ここらへんの海沿いであることは予想してたぞ。温泉あるだろうし、日帰りで行くには距離的にもちょうどだとも考えてたが、どこの温泉かはさっぱり分からん。昔一度来たことある程度だし。」

 

「うん。・・・うん。そうだよね。そう思うよね。だけどごめん、違う。」

 

「は?」

 

 

 

そう言うと川崎は、ちょっと待って、と一言告げて、車の中の自分の荷物を漁る。そう言えば、少し苦労して助手席から後部座席に置いてたな。ん?と一瞬違和感が走るが、考える前に手に冊子を持った川崎が車の前に戻ってくる。

 

 

「今日、ここに行く。経緯とか、色々話すから聞いてほしい。」

 

 

そう言って見せられたのは、この地域の名前を冠としたホテルの名前だった。

理解しようと頭を働かせるが、心臓の音だけが跳ねていく。

 

 

「今日、そこを'宿泊'で取ってある。」

 

 

「はい?」

 

 

川崎の目は、真剣だった。




感想ありがとうございます。


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この雰囲気を

「今日、そこを'宿泊'で取ってある。」

 

「はい?」

 

あまりにも真剣な目で言うので、疑ったわけではなかったが、当然'日帰り'だと思っていた俺は絵に描いたように驚いた。手に取った冊子を改めて見ると、そこには俺でも聞いたことのあるホテルの名前が、上品なデザインで書かれていた。

 

「宿泊ってお前・・」

 

「あの、色々思うところあると思うんだけど、まず聞いてほしい。・・・ごめん、やっぱ車の中の方がいいかも。」

 

「お、おう。」

 

そう言うと川崎は身を翻して、車へ戻っていく。え?宿泊?日帰りじゃないの?どういうことなの?いや、確かに車以外任せたのは二人で話したことだし、文句は一切言えない気もするが。また別のことを考えると、宿泊であることが、川崎が元気ないことの理由なのか?などと、思考をあちこちと向かわせながら、川崎に合わせて車へ戻る。

 

「あ、そうだ、特にコンビニ買うものない?」

 

「わからん。まずは話を聞いてからだろ。」

 

「そ、そうだよね。じゃぁ経緯から話してもいい?」

 

「ああ。」

 

「ちょっと長いけど。・・そもそもの原因はね、京華なんだよ。」

 

「けーちゃん?」

 

宿泊とけーちゃんが関わる、と聞いても、突飛な想定しか成り立たないので、やはりここは聞く以外の取れる手段はないようだ。

 

「そう。私も特に意識せずに日帰りだろうなと思いながら探しててさ、色々候補があったから、メモしてたのね。そしたら、知らぬ間に京華が持ち出してて、お母さんに見せちゃったんだよ。それが原因。

 ほら、前言った通り、ありがたいことに、母親は今私にすごく甘やかしてくれてるからさ。そのせいだと思うんだけど、ちょっと前に一つ質問されてね、質問について今はちょっと言えないんだけど、とにかく、その質問に答えたら、あとはやっておくからそこのホテル行きなさい、って。実は私も理解し切れてない部分多いんだけど、

 お母さんとしては'ゆっくり泊まって来なさい'ってことらしくて。」

 

「それはまぁ、なんというか・・。」

 

川崎の説明で腑に落ちた部分もあった。けーちゃんの暴走、母親の今まで苦労かけたからという理由の甘やかし、それらが相まって、ホテルを取っているという事実に繋がったわけか。

 

「それで、そっから私どうしていいかわからなくなっちゃって。すぐに比企谷にどうする?って聞けばよかった話なんだと思う。でも、そもそも泊まるっておかしいかな、とか、でも日帰りって少し寂しい気もしてたし、お母さんの想いを無駄にしたくないし、そもそも私はどうしたいんだっけ、とか色々考えてたら、今日になっちゃっててさ。・・・私、すごく感じ悪かったよね。ごめん。」

 

「いや、別にいいが・・」

 

ん?なんか自然と変なこと言ってなかったか?寂しい?それより、今は確認すべきことがある。

 

「それで、元気なかったのか。」

 

「うん。今日会う前から、いつ言おうかって迷ってて。でもここまで来たら何もかも遅いとも思ったから。正直、困ってた。」

 

「まぁ、確かに泊まる準備はしてないが・・」

 

「ね、そういうのもあるじゃん。

 だからさ、これも私からの提案ってことでいいんだけど、できれば、その・・・」

 

そう言って川崎は、一つ鼻から抜けるような息を吐いて、

 

「せっかくだし、泊まっていかない?いや、まぁ色々調整?しなきゃいけないと思うんだけど。あ、もちろん温泉は行く予定。」

 

そう言うと、川崎は少し身を乗り出して俺へと近付いてくる。柑橘系の良い匂いが俺に届いた。近付かれた分、俺はのけ反ってしまう。その反応を見て、川崎も顔を赤くしてしまう。でも、引く気はないようだ。大きくて少し潤んだ瞳が、俺を射抜く。全く、狭い車内で近付いたら俺らはこうなること分かってるだろうに。

 

考えて、少し真面目に話し出す。

 

「経緯や、お前の頭の中は理解した。応えるまえに、2つ質問いいか?」

 

「もちろん。」

 

川崎は何でもかかってこい、という気概の感じる姿勢を返答と共に見せた。さっきまでのブルーな姿が嘘のようだ。

 

「一つ目。親は俺と行くことを知っているのか?その、男と、ってところだ。」

 

「知ってる。ちゃんと、比企谷と行くってこと、話したから。」

 

「お、おお、そうか。」

 

知ってるのかよ!ちゃんと話したってどういうことだ。その上でここに来ているってことは母親公認になるじゃねぇか。もう少し詳細に聞きたい部分もあったが、この状況に親から許しが出ているなら、この点についてはクリアとしていいだろう。

 

「じゃぁ、二つ目だ。今日車の中からお前を見た時から、違和感があった。あんま調子よくないんじゃねえかって。その上でここまでのドライブを無言で来てるしな。その'感じ'の理由は、全て今言った話に通じる、ってことでいいのか?」

 

「そう。それだけが私を苦しめてた、って感じだね。」

 

目を細めてより大人っぽい笑みを浮かべて、川崎は自嘲した。

 

「・・・本当にそれだけか?」

 

眉を少し寄せて、疑問の意を顔にする。

そして、何かに気付いたように顔を切り替えると、力強く、

 

「・・・比企谷。私、あんたに嘘つかないよ。」

 

極めて真剣な顔で、語りかけるように俺の目を真っ直ぐ見てそう言った。

川崎がそこまで言うんだから、きっと本当のことなんだろう。

 

俺は前を向き直して、考える。お互いの共通認識として、何となく'日帰り'だろうな、と思っていた点は一致していた。俺もすっかりそのつもりでしかなかったしな。しかし、川崎に任せたのは俺だし、その時に何かを指定したわけでもない。川崎は、俺らの間にある共通認識からのずれを気にして、気分を落としていた。そのずれが、きっと、俺を困らせると思っていたからだ。例えば、事前に話を受けていたら、何か変わっただろうか。・・・でもまぁ同じ部屋でもない限り、ゆっくりできると思えば、別に断ることはしなかったと思う。せかせかすんのは嫌いだしな。

となれば、事前に言わなかったことについては、今後改めてもらう(そうした方が川崎も罪の清算ができるだろう)として、俺はいくつか調整を行う必要があった。

 

「わかった。とりあえず、事前に言ってもらえたら少しは準備もできただろうしな。今後は遠慮なく伝えてくれ。」

 

「うん、わかった。それはホントにごめん。」

 

「ん。その点についてはここまでだ。あと、ちょっと時間くれるか。」

 

「うん。もちろん。」

 

川崎は少し疑問を抱いたようだが、即自俺の言葉を許可する。こうなれば、あとは調整だけだからな。

スマホを出して愛しの妹に電話を掛ける。

 

「もしもし?お兄ちゃん?沙希さんとドライブ中じゃなかったっけ?」

 

「ああ、そうだ。一つ謝らなきゃならん。」

 

「およ?どしたの?」

 

「ちょっと手違いがあってな。明日のドライブには行けなくなった。戸塚には俺から連絡する。」

 

「え!?・・・ほーん、ほぉほぉなるほど。わかった!いやお兄ちゃん、戸塚さんには私から連絡するから逆にしないで!うまくやっとくから!」

 

「え?あ、そう。じゃぁ任せるわ。二人でどっか行ったらどうだ?でも初めてだとあれか。戸塚と二人とかマジ羨ましい。」

 

「うん、そこらへんも任せてー。戸塚さんとは何度かお茶したりしてるし。じゃね、お兄ちゃん!」

 

「え?ちょっ、こま・・・切れてる。」

 

え?小町と戸塚が何度かお茶している?どういうこと?デートなの?なにその幸せ空間。お兄ちゃん呼ばれてないけど?

 

「・・・今の会話的に、明日予定入れちゃってた?ホントにごめんね。別に断らなくたってよかったんだよ?」

 

「川崎、すまんちょっと待ってくれるか。それどころじゃないかもしれん。」

 

「ん?」

 

そういえば、今回のドライブだって、俺が戸塚を誘ったわけではなく、小町がドライブに合わせて呼んでくれたかと思っていたが、最初の会話時点で戸塚の存在があった気がする。ってことは二人が会う予定だったところに、俺が車を借りるという都合が生まれ、小町が便乗した形か?ってことはつまりあの二人は二人で連絡をして、会う約束を元々していたってことか?大学に入ってから、俺ですらまだ一度しか会っていない戸塚と?小町が?戸塚が、小町で、彩加・・・?嘘だろ。。

 

フィルターにかかりまくった考えを巡らせていくうちに、あらぬ方向へと思考が辿り着いてしまう。

 

「戸塚が俺の義兄になった。川崎、俺どうしたらいい。」

 

「え!?どういうこと!?」

 

川崎に、今の電話について詳細を話す。

その後一言、「バカじゃないの。」で片付けられた。

確かに俺がバカだった。

 

 

------

 

 

心を落ち着けてから再度話を戻す。

 

「まぁ諸々置いておいて、」

 

「あんたが勝手に盛り上がってただけでしょ?」

 

「まぁそうだが。ん、車は明日の夜まで借りているからOKだ。あとは、このコンビニで少し必要なもの買わせてくれ。ちょっと待ってろ。」

 

「わかった。ホントごめんね。」

 

「もう言うなって。・・・温泉はすぐそこだ。」

 

「・・わかった、ありがとう。そだね。」

 

川崎は一際笑顔で返してくる。今日初めて見た屈託のない笑顔に、俺はドキりとしてしまう。くそ、不意打ちすぎるだろ。俺はコンビニへの下着を買いに向かう。最近のコンビニってマジで便利。ホテルだから歯ブラシとかはいらないよな。そうしたら意外と買うもの自体は少なかった。緊張の塊だった川崎に、お茶の一つでも買っていくか。

 

車に戻ると、川崎はナビに触れていた。

 

「ほれ。」

 

そう言いながら川崎にお茶を手渡す。

 

「ありがと。すごく喉乾いたと思ってたところ。やるね。」

 

「光栄です、と。」

 

そう言いながら、車にエンジンをかけ、サイドブレーキを下ろしギアを入れて、車を進める。

 

「これ聞きながらドライブしてみたかったんだよねー。」

 

そう言いながら川崎が流したのは、どこか聞き覚えのある音楽だった。

 

「なんか聞き覚えがあるんだが。」

 

「あの雰囲気の良いジャズ喫茶?バー?でかかってたやつなんだ。この前少し時間ができたから行ったときにね、マスターに教えてもらったの。」

 

「おお、だからか。」

 

落ち着いた雰囲気で社内が包まれる。

 

ついさっきまでの雰囲気は一掃され、川崎から漂う空気も一変した。とてもリラックスした様子で、ほんの少しだけ音楽に乗って手を動かしながら、晴れた外の流れる景色を見ていた。

 

「あと少しだ。」

 

「あと少しだね。」

 

・・・空気が変わったのは、川崎だけではないだろう。

 



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生まれた願い

ホテルに到着すると、玄関からその豪華さに驚かされた。えー本当にここに泊まるの?完全にお門違いだと思うのは俺だけ?自動ドアを通って、ザ・ホテルマンって感じの初老の紳士に迎えられる。

 

「受付は、右手に進んだカウンターでございます。」

 

「あ、ありがとうございます。」

 

そう言いながら初老の紳士を見ると、なんとも眩しい目で俺らを見ていた。まるで孫の初デートを見送るおじいちゃんのようだ。一気に気恥ずかしさが俺に訪れる。が、そのタイミングで一つ忘れてしまったことに気付く。

 

「すまん川崎。コンビニでお金を下ろしてなかった。手持ちじゃ絶対足りない。」

 

「あ、母親はもう支払い済み、って言ってた。なんか詳しいことはわからないけど、随分安く取れたらしいよ。」

 

「いやちょっと待て。そこまでお世話になるわけにはいかん。」

 

「じゃぁそれは、直接私の母親と交渉して?私もお母さんにまだ払ってないし。」

 

「いや、ええ?マジかよ。」

 

「こういう時のお母さん頑固だからね。きっとお金は受け取ってくれないから、1日京華の面倒見る、らへんが落としどころになる気がする。」

 

川崎の母親の甘やかされたのは、川崎だけじゃありませんでした。払うのが筋だとは思うが、今、川崎に言っても同じ問答になるだけだ。けーちゃんの面倒とか何も辛くねぇぞ。むしろご褒美。

 

「今度ちゃんとお礼を言わせてくれ。なんならそこで払うもん払うつもりで行く。」

 

「無理だと思うけど。ふふ、比企谷たぶん負けるし、払うより恥ずかしいことになるかもよ。」

 

「おいおい。」

 

と話していると、受付の正面に辿り着いた。

 

「この話はまた今度ね。ちょっとあっちで座って待っててよ。」

 

「ったく、わかった。」

 

 

そう言って俺は受付の正面に配置されたソファに腰掛ける。思ったよりも体が沈んだせいで、変な声を漏らしてしまった。聞かれてはいまい、と思い周りをキョロキョロと眺めると、初老の紳士にばっちり見られていたようで、謎の会釈をもらった。俺は引きつった笑顔で謎の会釈を返した。会釈ってなんなんだよ、万能すぎるだろ。それゆえに俺には使いこなせねぇ。高等すぎるだろ。

 

一息挟んで、説明を受ける川崎の後姿を見る。受付で対応している姿を見る限りでは、まだ20歳を迎えていない、とは思われないだろう。それほどにきちんと受け答えしているし、大人びていた。あとスタイル良すぎ。川崎がこちらを振り向き、一つため息をつきながらこちらへと向かってくる。

 

「済んだか?」

 

「うん。部屋に行くだけ。・・・さて、比企谷。」

 

「なんだ?」

 

「私の予想通りだった。退路もないね。」

 

「なんのことだ。」

 

そういうと川崎は、俺の目の前にカギを'一つ'ぶら下げる。

 

「私のお母さんに踊らされてるね、私たち。なんか悔しくなってきた。ご丁寧にアーリーチェックイン?まで。」

 

おい、それって・・・

 

「気付いた?部屋は、一つしか取られてない。上から二つ目のクラス。セミスイートらしい。」

 

俺は即座に覚悟できずに固まった・・・ってわけでもなかった。なんとなく俺も予想がなかったわけでもない。このホテルの冊子を見た時から、二部屋取っているのか?という疑問はあったからだ。川崎の母親は完全に俺らを茶化しているらしい。

 

「・・まぁ、そんなことだろうと思ってはいた。」

 

考えようによっては、この前の俺の一人暮らしの家で川崎が寝ているほうが、異常だとも思う。

 

「あれ?私としては、無理無理なんでどうしてそもそもさ、みたいなこと言うかと思ったけど。」

 

「お前の中の俺は、嫌がる女子高生か。」

 

「あんたの中の女子高生どうなってんの?」

 

思わず返した言葉でとんでもない闇に触れてしまいそうなので、ごまかすことにする。

 

「まぁ、なんだ。このレベルのホテルで二部屋取ってないから嫌だって、わがまますぎるだろ。ここに来ること了承した時点で、同じ部屋になることも許している。ってより俺としては、その、お前はいいのか?」

 

そうだ。俺が心配なのはこの点である。だってそうだろ?俺としては俺の家に招いて寝かしている事実がある時点で、同じ部屋で過ごすことのハードルは別に高くない。時には諦めも肝心だ。俺としては泊まりってことになっても、変なことするわけじゃないし、最悪夜はずっと散歩してりゃいいからな。だけど川崎は違う。明確に。こいつは女性だ。

 

「いいのか、って、仕方がないからね。」

 

「別にお前が俺と同じ部屋で泊まるってことに、何かしら思う部分があるなら、最悪俺だけでも違うところ泊まることもでき」

 

「それはダメ!」

 

俺が言い切ろうとしたところで、川崎が声音を上げて遮る。一歩俺に近づいて、俺が来ているシャツの袖に触れてくる。でも、触れるだけだ。

 

「ほら、せっかく良いホテルの良い部屋なんだし、二人で満喫すれば、ね。」

 

「お、おう、まぁお前がいいなら俺は構わない。俺んちで過ごすのと、そんな変わらないだろ?」

 

「そう、そう考えてくれればいいから。」

 

「それより・・・ほれ、行くぞ。」

 

静かな館内には似合わない音量で喋っていた川崎に、微笑ましい目線が集まる。対して俺には、逆の目線が、っておい、俺は悪くないぞっ。

 

------------

 

「え、すごくない?」

 

「これは、上等な部屋だな。」

 

恥ずかしさからそそくさと受付ロビーを離れ、6階のフロアへ上がった。さきママ(川崎の母親)が取ってくれた部屋をカードキーで開けると、想像を超える景色が広がっていた。川崎は意外にもはしゃいでいるようだ。

 

「え、お風呂も広い。・・うわ、ソファもふかふかだ。・・見て!景色すごい!・・あ。」

 

「女子大生か。って女子大生か。」

 

「・・・。」

 

「どうした。」

 

川崎はきゃいきゃいしながら奥へ向かっていったが、通じる別の部屋の前で固まった。何か衝撃の事実でも見つけたようだ。俺は少しだけ普段覚えのない不安を感じ取り、足早に川崎の下へ歩を進めた。

 

川崎の横まで来ると、川崎が見開いている目線の先へ目をやった。

 

・・・そういうことか。

 

「ベッドだな。」

 

「そ、そうだね、ベッドだね。・・・ねぇ、比企谷。」

 

「なんだ?」

 

「'ダブル'ベッドって、二つじゃないの?」

 

「そりゃ'ツイン'じゃないか?ダブルは二人寝れる大きさってことなんじゃねえの。」

 

川崎は、姿勢も表情もそのままに、そーなんだー、と機械のように呟いて固まった。面白いからそのまま眺めていると、徐々に顔が赤くなり始めた。目が閉じるのを忘れていたかのように、数回瞬きをすると、おそらく頭がこんがらがったんだろう、変なことを口にし始めてしまう。

 

「ま、まぁ姉弟だと思えば、ね!」

 

「いや、ね!じゃねえよ。落ち着け。しかも、誕生日的に俺が兄だろ。」

 

「・・・ふふ。確かにそうだね。」

 

俺は極めて冷静だった。その俺の冷静さに当たられて、川崎も自分を取り戻した様子だった。もう部屋が同じ時点で、きっとこうなるだろうと予想できていた。2度あることは3度ある。川崎はさきママに踊らされてまくっているようだ。きっと部屋が同じまでは推測できていて、受付でベッドについて聞いて一安心してしまっていたんだな。勘違いなのにな。またそれも可愛いなおい。

 

「まぁ、このベッドではお前が寝ればいい。俺はふかふかのソファで十分だ。」

 

そう言うと川崎は、はたと気付いたように、そっか・・・まぁそうなるよね、と呟いて少し俯く。なんか思案しているように見えるが、何を考えているかまではわからなかった。

 

「まぁ今すぐ寝るわけじゃないし、その時に考えよっか。」

 

そういう川崎の表情を見るに、何か考え付いたようだったが、やはりその内容も俺にはわからなかった。

 

----------

 

時間もちょうど良かったので、川崎が調べてきてくれたご飯を食べに行った。久しぶりに食べる海鮮丼は、思っていたより美味しかった。家じゃ刺身とかあんま食べないんだよな。両親が忙しくて小町か俺が料理することが多いが、わざわざ魚を裁く気にもなれんし、買ってこようとも思ってなかった。川崎も同じものを食べながら、美味しいと舌鼓を打っていた。俺の家の来た時も感じたが、食べ方が健康的かつ上品で見ていて飽きなかった。小町は健康的な食べ方で、雪ノ下が上品、その二つが合わさった感じ。あれ?そんなハイスペックだったっけ?しかも誰よりも家庭的で常識人で自分がはっきりしている。川崎やばくね?またやばい使えた久しぶり嬉しい。

 

時刻は14時過ぎになるが、正直言って、このままホテルに戻ってもやることがない状態だ。だが、いつもとは違い、俺は時間が足りないように感じた。不思議な感覚である。こいつとならやること、いや、やりたいこと?が浮かんでくる感じがした。

 

俺にとって、これは稀なことだった。今日同じところに泊まることが確定して、二人して美味しい昼食を取って、これからどうするか、という時に、俺は求めてしまっているのだ。これ以上の幸せを、と。人間とは怖いもので、求めれば求めるほど、欲求は流れ出てくるものだった。その中でも現実的かつ、俺としても欲求度が高いものを、俺は口にしてしまう。

 

昼食を折れて車へ乗り込むと、俺は聞いてみた。

 

「川崎、この後どうするか。」

 

「そうだね。時間的にもまだ早いしね。ここらへんの観光名所?みたいなところまわってみる?」

 

「それも考えたが・・・、すまん、俺がやりたいこと、言ってみていいか?」

 

川崎はびっくりしたように俺の方に顔を向けた。

 

「・・うん!なに?」

 

川崎は一際嬉しそうに俺の提案を聞こうとする。そんなに俺が願いをいう事が珍しいですかね。

 

「観光名所は、、その、いつでも見れると思う。それより、お前の母親にあんな良い部屋を使っていい機会をもらったんだ、満喫しないのは失礼な気がしていてな。部屋に入った時から勝手に感じていたことなんだが、その、一緒に本読まないか?」

 

「・・・本?」

 

川崎は不思議そうに俺を見る。

 

「ああ、これから本屋に行って、何か買って、あの部屋でゆっくりしながら読まないか?眠くなってしまったら、寝てしまってもいい。何か気になることがあれば、質問してもいい。お互い黙って、その世界に入り込むもいい。自由な時間だ。」

 

川崎の目をちらりと見ると、そこには興奮というより穏やかな温度を持っているように感じた。

 

「まぁ、なんだ、そういう自由な時間もいいな、と思えただけなんだけどな。観光名所をまわることもありだと思ってるぞ。」

 

川崎はゆっくりを首を振る。

 

「ううん。比企谷のその案、すごく魅力的だと思う。それ、やろうよ。」

 

そう言って、ごく自然に、運転席と助手席の間に在る俺の手の平に、川崎は手を重ねた。それを俺は、拒まない。拒む理由が生まれないほどに、自然であったからだ。

 

「この辺、本屋あるかな。」

 

「少し探せば、何かしらあるだろ。」

 

そう言って俺は車を発進させる。

 

川崎の手は、少しずれたものの、俺の指先に乗ったままだった。

 



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静けさと甘さ

本屋はすぐに見つかって、お互いがその時、ホテルで読みたい本を選んで購入した。

 

俺がどの小説にしようかと文庫本コーナーで物色していると、川崎は何度か雑誌や写真集などを持ってきては、「これとかどうかな?」と俺に聞いてきた。俺はうまく返答することができず、「まぁいいんじゃねぇの。」などと素っ気なく返してしまったが、何を見て判断しているのか、「これは違うかー。」などと小声で呟いては、どこかへまた探しに行った。最後に持ってきたのは、外国の有名な画家の画集で、不覚にも、川崎にイメージはないものの、今日という日にその画集を眺める川崎を見てみたいと思ってしまった。川崎はそれに気付いたようで、「これにしよう。」と楽し気にレジに向かった。あれ?そんなに分かりやすいの俺?あとで何を見て判断したのか聞いてみるとしよう。耳とか言われたらどうしよう。もうそれペットじゃん。やべぇ、川崎のペット悪くねぇ。。

 

川崎がレジに向かう姿に釣られて見えたのは、旅をテーマにした雑誌だった。普段なら絶対に買わないが、その時はなぜかピンと来てしまい、川崎を追いかけるように雑誌を手に取ってレジに向かった。

 

 

---------------

 

部屋に着くと、最初に訪れた時とは違い、お互い程よい緊張感に変わっていることがわかった。それが何であるのかは分からなかったが、きっと川崎も同じような気持ちなんだろうと思えた。

 

「ちょっと色々していい?」

 

川崎は部屋のどこかを指差しながら俺に聞いた。

 

「色々が何かわからないが、どうぞ。」

 

俺の返事を聞いて、微笑みながら頷き、部屋の中へと進む川崎の後姿に、俺は見とれてしまった。ああいう笑顔もできるのか。きっと俺の笑顔には生まれこの方一切の変化がないのに、川崎はこの数年で大きく変わった。いや、俺があいつを見ていなかっただけかもしれない。そう考えると、川崎との距離感が近くなったんだと思う。そして、俺はその距離感を、嫌悪していないと、はっきりと感じた。

 

「コーヒーと紅茶、どっちがいい?あ、あと、本読むならソファかな?」

 

「コーヒーで頼む。窓際のテーブルよりかは、ソファが良さそうだな。」

 

「ん、わかった。ちょっと待ってね。」

 

そういうと川崎は、電気ケトルをセットした後、自分のバッグから何かを取り出して、別室に向かってしまった。その姿を見送って、俺はのそのそとソファへ向かって、勢いよく腰掛ける。わっ。思った3倍は沈んだぞ。一体どんなバネを仕込んでいるんだと数回座ったまま跳ねていると、車の中でも聞いた音楽が程よい音量で耳に届いた。

 

川崎はニコニコしながら別室から顔を覗かせて、

 

「音量どう?」

 

と、伺うような目線で聞いてきた。

 

「ちょうどいいくらいじゃないか?ってか、そういう設備もあるのかよ。」

 

「ベッド脇にスピーカーがあったのをさっき見つけて、いいかなって。どう?」

 

「あぁ、良い雰囲気だ。」

 

俺は自然にちょっと笑みを零していたことに気付かずに、応える。

 

「う、うん。いいよね。」

 

そう言いながら、なぜか顔を赤くし遠慮がちに歩きながら、川崎は目の前を通り過ぎる。先ほどセットしたケトルからは湯気が上がっていた。慣れた手つきでコーヒーと紅茶を作る。

 

「どうぞ。どうせ甘くするんでしょ?」

 

そういって川崎は、ミルクとスティックシュガーを数本持ってきた。

 

「わかってるな。」

 

「まぁね。」

 

そう言い終えると、紅茶を両手に持った川崎が、少し視線を泳がせる。川崎の中でいくつかの逡巡が起こったであろう後で、伏し目がちになりながら俺に聞いてきた。

 

「ねぇ、隣座っていい?」

 

「ここで断る奴はいないだろ。小さくないソファだし気にするな。」

 

「そ、そうだけどさ。」

 

そう言いながら川崎は、ローテーブルを回ってから紅茶を置き、静かに俺の隣に腰を下ろす。聞こえるかどうかくらいの声で「わっ」と漏らす。

 

「思ったよりも沈んで、ちょっと驚いた。」

 

「俺もさっき全く同じ感じになった。」

 

「わっ、って言った?」

 

「心の中でな。誰かさんみたいに声にはならなかったわ。」

 

そう言うと川崎は「バカ」と呟きながら、俺の肩にパンチをかましてきた。むず痒くなるほどの弱さだった。その瞬間、意識せずに胸が満たされる感覚に襲われて、胃の辺りに力がこもってしまう。震えそうな身体を何とか堪える。これが所謂胸キュンだと知ったのは、季節が冬になってからだった。

 

ごまかすようにコーヒーを甘く仕上げると、買った雑誌を袋から出した。川崎も同じようにして画集を手に取る。

 

「さて、読みますか。」

 

「うん。」

 

--------------

 

旅をテーマとした雑誌の内容には、意外にもわくわくさせられた。高校の時には持てなかった選択肢がいくつもある今の自分を鑑みて読み進めると、一人でどこか行くのもありかもしれない、とさえ思った。雑誌の中には、旅と言うより、それもう冒険ってレベルじゃね、と思えるような危険を伴う紀行の話まで載っており、俺は落ち着いた雰囲気の中で、身体の内に興奮を伴わせていた。

 

感覚では、1時間以上経っているはずだ。キリの良い所で、川崎を盗み見る。画集の中の一つの絵を、真剣に眺めているようだった。考えもなしに話しかけてしまう。

 

「気に入ったのか?」

 

久しぶりに出した声は、始め音として貧弱なものであったが、質問自体は川崎に届いたようだった。こちらを向いて、どこまでも優しい表情で、一つ頷く。そして、喉を整えるように小さく咳払いをすると、ゆっくり話し始めた。

 

「この前のページの絵と、この絵を描く間にね、最愛の妻が亡くなってるんだって。普通だったら、なんか作風?が、寂しく変わって、暗い絵になるのかと思うんだけど。観てこれ。」

 

そう言って見せられたのは、一枚の活力ある風景画だった。前のページの絵と比べても、一際強く在ろうとする意志のようなものを感じることができる、魅力ある絵だった。直接絵を見てみたいと思えたのは、初めてだった。

 

「すごい、な。お前はこれを見て、何を思ってたんだ?」

 

そう言うと川崎は、画集を手元に戻して、いくつか考える様子を見せた。

 

「なんかね、なんだろう、まとまってないんだけどいい?」

 

「そういう時間、だろ。話してくれ。」

 

質問に返すのに、少し詰まってしまった。いや恥ずかしかったんじゃないからね?

 

「ふふ、そうだね。ありがと。そもそも、この絵自体はすごく綺麗だなって思って目に留まったから、解説まで読んだのね。それで、これを書いた画家は、奥さんの死を乗り越えるように、絵を描いたんだろうなって思う。暗い絵にもならず、明るすぎる強がった絵にもならず、こんな素敵な絵を描いた。事実世間的な評価もすごく高いみたいだし。

 ・・・でも、なんだろう。少し寂しいな、とも思う。もういっそ暗すぎる絵になってもしょうがないじゃん、って思ったんだよ。何より、この絵を奥さんが観れないのは、切ないなーって。

 でもね、きっとその奥さんが居なかったら、この絵も生まれてないんだよね、と思うと、奥さんの存在ってすごいな、とも思う。なんか、ごちゃってしてごめん。」

 

川崎のいう事はどれも理解できた。言わば、視点の違いだ。画家本人から見れば、その時の状況によって絵を描いた、そして良いものが描けた。まぁ、本人がどう思っているかわからんが。奥さんの視点からすれば、寂しいかもしれないし、むしろ天国というものがあるならば、そこから夫の所業を讃えたかもしれない。讃えつつ、どこか寂しいかもしれない。

画集を見ている俺らからすれば、それ計り知れない二人の感情や想いを一手に受けるしかないのだから、様々なことを思わせられるのは、当然なのかもしれない。

 

「難しいな。いくら考えても、当事者にしかわからんものだろう。」

 

「・・・うん。そうだよね。あー、なんかそわそわする。」

 

少し考えて、川崎のそわそわを俺なりに解き明かす。作品と相対するのは、その人と対面で話すより高度だ。それを、そわそわしてしまうまで考えてしまう川崎の感受性と優しさと思いやりに、俺は、らしいな、と微笑んでしまう。

 

「な、なに?」

 

「いや、らしいな、と思っただけだ。・・まぁなんだ、お前が思いたいように思っていいんじゃねえの?」

 

「どういう意味?」

 

俺は、すっかり冷めたコーヒーの残りを一気に飲み干す。

 

「どこまで考えたって、当事者の正解には辿り着けないだろ?そうやって色々考えるのは大事なことだと思うが、そわそわするくらいなら、お前の解釈だ、って決め切っちゃうのも、必要なことなのかもしれん。ちなみに俺は決め切った。この絵は綺麗だと思う。実物を見たいとさえ思えた。それで、いいんだと思う。」

 

「決め切る・・・かぁ。」

 

そう言って川崎は、背もたれから離れていた身体を、一気にソファに預けた。ふかふかのソファが歪み、川崎の体の形に変形するのが見て取れた。頭まで預けて、天井を見ながら考える様子は初めて見た姿だった。白磁色した首が、必要以上に艶めかしく光を反射している。

 

「そっか。そうだね。この二人の物語は、この二人にしか分からないもんね。決め切る、・・・うん。決めた。」

 

そう言うと背もたれから離れ、少し残った紅茶を飲み干す。

すっきりした様子で、こちらを向いて、一際情感あふれる表情を保ったまま、

 

「比企谷に、ありがとう、って言うよ。」

 

と、言い放った。

理由は分からないまま、俺は加速していく心臓音を認識する。

 

「は?何で俺なの?」

 

「だって、比企谷が本読もうって言ってなかったら、あと、私がこの本を比企谷に見せたときにそれだよって言ってくれてなかったら、今こうして私は色々考えられてないわけでしょ?だから、ありがとうって。」

 

「いや、俺そんなこと言ったっけか?」

 

俺は言葉は発していなかったと、明確に思い出しながら聞いた。

 

「言葉にしてなくても、表情がそう言ってたじゃん。」

 

「なに、お前。俺のこと好きなの?」

 

少し加速した心臓と、手拍子で返した言葉を放った後に後悔をした。少なくとも、全くの冗談では済まされない気がしたからだ。きっとこれもボッチ故の意識なしの限界突破なんだろう。く、軽く流してくれ・・。

しかし、川崎は意外にも、目を細めて微笑んだだけだった。そして、こう続ける。

 

「かもね。まだ、決め切ってないけど。」

 

そう言うと川崎は、何事もないように、「もう一杯飲もうか。」と言って、自分と俺のカップも手に取って、ソファから離れた。

 

後姿の髪の隙間から見えた耳は、赤くなっているように見えた。

それよりも赤いのは、俺の顔だった。

 

 



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長い夜の手前

非常にきわどいコミュニケーションを交わしてしまったおかげで、部屋には形容しにくい緊張感が漂っていたが、二人してそれを噛み締めつつも時間が経過した。窓から見える空の色は、晴れ渡っていた空に少しずつ赤色を落としたいった結果、綺麗な茜色になっていた。端的に言えば、初夏の夕方だ。

 

雑誌を閉じて、ゆっくりを身体を伸ばす。初めて雑誌をいうものを端から端まで読んだな、と思った。雑誌の内容と乖離した巻末の広告まで勢いで読んでしまった俺だが、それは幾分か前に視線を川崎に向けたときに、静かな寝息を立てていることに気付いたからだった。

 

(それにしても、未だに気持ち良さそうに寝てるな。)

 

寝ていることに気付いてすぐ、慎重にソファを立った俺は、ベッドルームに向かって何かかけるものがないか探した。季節的には夏になりかけだが、自然が多い地域のせいか、部屋の中はTシャツだと少し肌寒い気温になっていたからだ。川崎の格好は、下は前と変わらずデニムで、羽織っていた薄手のシャツを脱いでいた。

 

そのため、白のノースリーブ姿だったのだ。

首元と肩口だけ生地が異なって少し装飾が施されている、ノースリーブ姿だったのだ。

 

大事なことなので2回言いました、と。惜し気もなく投げ出された腕の白さに、何度やられそうになったことか。でもそんな目で見ているなんて寸分も思われたくないため、自分を徹底して律した次第だ。偉すぎて自分を褒めたい。たとえ寝ていても、ちゃんと目線をずらす俺に賞賛を与えたい。うるせえ、そうだよ恥ずかしいだけだよ文句あるか。

 

結局適したかけるものを見つけられなかった俺は、俺が着ていたシャツを脱いで川崎にかけた。無意識だろう川崎が、俺がかけたシャツに包まって再び寝息を立てたとき、いや、あれ?川崎のシャツかければ良かったんじゃね?と気付いた。途端に恥ずかしさが俺を襲い、シャツを入れ替えようと試みようとしたが、川崎の寝姿を見て諦めた。いやだってなんかすごく幸せそうなんだもん。確かに、上質なソファに本読みながら微睡んでそのまま寝ちゃうの最高だけども、こう、俺のシャツを口元まで引き寄せて寝るのは可愛すぎませんかね?なんなの?萌え殺したいの?

 

そんなわけで、そのまま気にかけながら、夕方を迎えたわけだ。そろそろ温泉に入ったり、夕食を気にしたりする頃だろう。

 

意を決して川崎を起こそうとする。

 

「んん、川崎?」

 

「・・・」

 

返事はなく、聞こえている様子もない。えー、でも大きな声出して起こすのも悪いしなぁ。うん、しょうがない。俺はもう一度意を決して、川崎の肩を俺のシャツ越しに触れ、少し揺さぶりながら起こしにかかる。意を決しすぎて擦り切れそう。

 

「川崎、そろそろ起きるタイミングだと思うぞ。」

 

「ん・・・。」

 

川崎は目をうっすらと開けると、1秒もせずにカッと見開いて、周りを見渡した。まだぽーっとしているだろうに、覚醒し切ってる感じ出そうとするのかわいい。川崎は、自分がホテルのソファで転寝をしていた事実を容認した次に、かけられているシャツを手に取って眺めた。

すると、鼻から抜けるような笑みを浮かべて、まだ覚醒し切っていない口元を動かした。

 

「だからか・・・ん、おはよう比企谷。結構寝ちゃってたみたいだね。」

 

「ん?いや、1時間かそこらだから大して寝てないと思うぞ。」

 

何が'だからか'何だろうと思いつつ、事実を先に伝える。

 

「そっか。これ、かけてくれてありがと。おかげで良い夢見ちゃった。」

 

ほう、夢を見ていたと。

 

「どんな夢だったんだ?」

 

「比企谷んちで寝たときの夢見てた。寝ながら寝てた夢見るとか意味わかんないけど、このシャツ、比企谷の匂いがするから、そのせいだと思う。」

 

それを聞くと、反射的に川崎から自身のシャツを奪ってしまった。いや、なんていうか申し訳ないというか恥ずかしいというか、自分自身の匂いとかって分からないからな。俺の突然の行動にちょっとムッとした表情をする川崎。

 

「その、色々すまん。」

 

「なに謝ってんのさ。」

 

「いや、匂うシャツをかけたのはちょっと考えが至らなかったと・・・。」

 

「?別に嫌いな匂いじゃないって言うかむしろ・・まぁ、うん、とにかく気にしなくていいから。ありがとね。」

 

そう言うと川崎は、何かを隠すように腕を前に出して伸びをした。んーっと伸びをする川崎を見て、女性としての小町との差を如実に感じてしまった。普段、女性が伸びをしている姿なんて見る機会ないからだろう、小町のそれしか見たことが無かった俺はその差に驚く。しかもノースリーブだし、なんて言うかこう、大人を女性を感じた。・・あれ?なんだ?今、俺の右頬を拳が掠めたような?そうして思い至ったのは恩師である平塚先生(の拳)で、今の川崎を大人と表現すると平塚先生は・・・って言う考え方はやめよう。命がいくつあっても足りねぇ。どうしてるかな、平塚先生。

 

伸びを終えて、はてなマークを浮かべながら俺を見る川崎に、応えるように話しかける。

 

「んんっ、さて、いい時間になってきたと思うんだが、どうする?」

 

川崎は右手に付けた黒く細いベルトを見た。二重巻になっているそれを車で見たときに上品だなとは思ったが、時計だったのか。今まで付けてたっけか。

 

「あー、ちょっと寝過ぎちゃったかも。夕食が19時にホテルの中にある和食?のお店だから、温泉に入るとギリギリかもね。どうしよっか?」

 

「え?夕飯ついてんの?」

 

「これもお母さんの計らいだね。何か別に食べたいものでもあった?こんなホテルだし、不味いってことはないと思うけど。」

 

「いや、食べたいものは特別ないが・・。至れり尽くせりだな。」

 

そう言って俺はさきママにいくらくらい払えばいいのだろうと思案する。結構するよな。ま、仕方がない。たまにしかない贅沢ってやつだ。

 

「そうだねぇ。もう私は諦めて乗っかってるけどね。ねぇ、温泉入るなら急いだ方がいいかも。」

 

そう急かす川崎は、おそらく温泉に入りたいんじゃないだろうか、と推測して、俺も時計を見る。夕飯の時間まで1時間強ある。男性なら十分な時間だが、川崎はどうなのだろうか。小町で考えると、長いときはかなり長かった気がする。

 

「温泉は何度入っても良いだろうから、川崎が時間的に問題ないなら温泉に入って夕食、か?」

 

そう言って確認するように川崎を見ると、それそれ、と言いたそうな嬉しそうな表情で、

 

「私は大丈夫。じゃぁ早速行こうか。ちょっとだけ待って。」

 

とスパッと言い切り、ソファから立ち上がる。自分のバッグからいくつか荷物を出すと、未だソファから離れない俺を見て駆け寄ってくる。

 

「どうしたの?行くよ。」

 

そう言われて立とうとするんだが、思ったよりもそのソファを気に入ったダメな俺が立つことを拒否している。動け・・・!俺の脚・・・!

 

「川崎。ダメな俺がソファから離れたくないと言っている。」

 

「は?なにそれ。はい、ほら。」

 

そう言って川崎は手を差し伸べてくる。いや、そういうわけじゃ、とか何とか述べてみるが、

 

「はーやーく。」

 

と、もう一度仕切り直して手の平を差し出してくる。これで立ち上がってもなんか微妙になりそうだしな、仕方ない、これは仕方のないことなのだ、と自分を納得させ、川崎の手に俺の手を重ねる。ギュッと握られたかと思えば、その感想を抱く間もなく、引っ張られる。さすがに俺の体重を引き上げるのは無理だろうから、俺は脚に力を込めて立ち上がる。すると、立ち上がり際にも関わらず、力を緩めなかった川崎にぶつかりそうになってしまう。

 

「おっ、と。」

 

そう言いながら前屈みになっている体制を起こすと、思っていたより近くに川崎の顔があった。川崎は目を丸くしびっくりした顔をしたが、それも一瞬、すぐに笑顔に変えると、

 

「温泉、行こう?」

 

と、俺と目を離さず口にした。

 

「お、おお。」

 

俺の情けない声を聞いて、なにそれ、と言いながら、踵を返した川崎は玄関へ向かった。自然と離れた手を見て、少し物足りなくなったのは、俺だけだっただろう。

 

 

---------------

 

 

めっちゃいい湯だった。

 

浴衣を受け取るカウンターで川崎と別れた俺は、無論一人で温泉を満喫した。入っている途中、自分の中でここ最近のあれこれを思い出しては、ちょっともどかしい気持ちになっていたが、嫌なことではなかったので、お湯と共に流しておいた。最も、俺の頭の中は『夕飯食べた後、どうすんの』という、おそらく人生で一番の山場について考えを巡らせていた。

いやね?そりゃもちろん何も起こらないし、いや起こさないし、川崎は一度おれんちで寝ているわけで、大したことないと何度も思おうとしたさ。それでもよくよく考えたら、おれんちの時とは全然違くね?と気付いてしまったのだ。一緒にホテルに泊まるわけだし。何その字面。俺の人生でこんなことが起こると思ってなかったわ。

 

温泉と言う目的も果たしたわけだし、夕飯食べたら眠くなって、気付いたらソファで朝を迎えてて、少し寒かったな、なんて思いながら川崎が起きてくるのを待つのだ。よし、シュミレーション完了。間違いなく(色んな意味で)こうなる。フラグ立てたわけじゃないぞ。やめろ、あまり考えるな俺。フラグがフラグフラグするだろうが。なんだそれ、意味分かんねぇ(分かる)。

 

かくして思考の渦にハマった俺は、夕食所に訪れて通された個室で一人待っている。これ自体は川崎の指示なので、問題ない。それにしてもまた立派な所だ。懐石とか書いてあったぞ。さきママどんだけ奮発したの?川崎のこと好きすぎでしょ。温泉でもここでも人にあまり会わないのは、シーズンから少し外れた平日だからだろう。ここらへんは大学生であることを活かせていると感じる。

 

そんなことを一人ぽーっと考えていると、案内の仲居さん?の声が聞こえてきた。

引き戸の外から呼び掛ける声が届く。

 

「失礼いたします。お連れ様がいらっしゃいました。」

 

え?あ、はい。ってあれか、返事をしないといけないのか。

 

「あ、どうぞ。」

 

やべぇ、ちゃんとした礼儀とか知らないからこれが正解なのかわからんぞ。

 

「失礼いたします。」

 

そう返ってきて開いた戸の奥には、浴衣姿の川崎が立っていた。

 

「ありがとうございます。・・・ごめん、待った?」

 

「いや、大して待ってない、ぞ。」

 

俺は川崎の問いかけに、ほぼ思考ができないまま応えていた。いや、しょうがないだろ。浴衣姿の川崎はそれはそれは似合っていて、湯上りのせいか少し火照った顔をしながら、乾いたばかりの髪に優しく触れながら目の前に座った。

 

「すごくちゃんとしたところで、緊張しちゃったんだけど。」

 

温泉から続けてこちらに来たせいか、興奮冷めやらぬ様子で俺に話しかけてくる。仲居さんがいるので、俺にだけ聞こえるような声音が、むず痒く耳に届いた。

 

「俺も同じこと思ったわ。」

 

そう返すと、少し動きを見せた仲居さんを二人して見た。戸の前で綺麗な正座を作ると、深々と腰を折って頭を下げると、途中まで戻した状態で顔をこちらにむけ、

 

「それでは、御夕食のご説明を始めさせて頂きます。」

 

と、はきはきと申し上げた。その言葉に、何故か二人して唾を飲んだ。マジでどんだけ格式高いんだよここ。。

 

 

----------

 

 

はい、もう何も入らないくらい食べました。

 

それも出てくるもの全部美味しくて、川崎と二人して緊張しながらもうまいうまいと箸を動かし続けた。

 

今は夕食所を出て二人して部屋に戻っている最中だ。

人の気配もほとんどないロビーを通って、エレベーターに乗り込む。

 

先ほどから会話のない二人だが、それには、深ーーーい訳があった。

きっと川崎も同じことで黙ってしまっているはずだ。

 

それは夕食も終盤に差し掛かったころのことだった。

 

 

・・・・・・

 

 

今日のことを万遍なく話しながら進んでいた夕食のゆったりとした時間は、川崎によって打ち切られた。

 

「ね、ねぇ。」

 

「ん?なんだ?」

 

最後に出てきた小ぶりのあんみつを持ちながら、俺は応える。

 

「今から言うこと、ちょっと聞いてほしいんだけど。」

 

何故か手を大腿に乗せて、かしこまった川崎は緊張の面持ちでそう言った。

温泉に入って美味しいものをたらふく食べた俺は、その時はまだ油断していた。

 

「なんだ?」

 

「部屋に帰ったら、なんだけどさ、」

 

そう聞いた瞬間、温泉での一人相撲であり思考の渦が蘇っていた。

 

「私、したいことが'2つ'あって、その、比企谷がいなきゃできないことだから、協力、してほしいんだけど・・・。」

 

そう言う川崎にはただならぬ雰囲気が漂っていて、俺は用心深くなった。

 

「2つ?協力?」

 

「うん。2つ。協力。」

 

「・・・内容による。」

 

そう言うと、川崎の表情がころりと変わって、活き活きとした笑顔になった。

淡々と会話が進んでいく。

 

「本当!?」

 

「いやまて、内容によっては協力できないかもしれん。」

 

「でも、聞いてはくれるってことだよね?」

 

「まぁ、そうだが。」

 

「まずはそれでもいいの。一個目の壁はクリアだから。」

 

「何、なんかゲームでもしてるの?」

 

「いいの、こっちの話だから。・・・うん、よし、うん。」

 

川崎は小さくガッツポーズして何かを我慢するような顔をしていた。

その瞬間、俺に一つの啓示が降りてきていた。

 

これ、温泉で立てちゃったフラグ、折れるやつじゃね?と。

 

 

・・・・・・




新年明けましておめでとうございます。
本年、投稿し始めて2年目になりますが、何卒よろしくお願い致します。

お読みいただき、ありがとうございます。

感想、評価、UA数、どれも私にはもったいないものばかりで、
恐縮するばかりですが、今後も書かせて頂きたいと思っております。

2次創作ではないところで、文字を扱う活動を行っておりまして、
機会が来たとき、こちらでも皆様に公開できたらと考えております。

繰り返しになりますが、今後とも、よろしくお願い致します。


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1つ目の願い


活動報告を書いてみたのですが、そこではGW中に更新すると書いておいて、フライングしてしまいました。お許しください。

間を空けてしまいましたので、少し遡ってお読み頂けると幸いです。
一応、できる限り、思い出せるように書いたつもりです。




エレベーターを降りて、部屋までの廊下を川崎が言ったことを思い出しつつ歩く。目の前を歩く川崎の後姿は、どちらかと言えばoffモード(湯上りなので当たり前だが)で、そのせいでいつもと違う雰囲気を感じた。

 

そう、この子が、俺に、言ったのだ。

部屋に戻った後に、'2つ'のお願いがあると。

 

いくら頭を振り絞っても、そのお願いが何なのか至ることができずにいる。いや、そもそも俺がその答えに至れる条件を揃えているのか?見逃したヒントはなかったか?何度反芻しても、'友達となった川崎と訪れた温泉旅行で、温泉にも入り、夕飯も食べ終わった後、同室に帰ってお願いされること'なんか、思い付かなかった。

 

・・・いや、懺悔しよう。川崎の懺悔癖が移ったかもしれん。

 

思い付くこと自体は、ある。

 

そりゃそうだ、俺だって現実世界でのレベルは低くても、数多の小説・アニメ・マンガから得た知識はある。その分、想像のレベルはそこらの不勉強よりかは多いと言っても過言ではないくらいだ。でも、いやほらね、そんなことないだろうって思うわけだ。考えてみて欲しい。例えば、例えばだぞ?「一緒に寝て欲しい」ってお願いである可能性があるか?そんなの、俺が知る知識を元に考えるなら、あれだ、もうほとんどエンディングのそれになる。Rの後につく数字が15とか、もっと言って18になるならば、そのエンディングとは、もうそういうことになる。

 

文学に触れていると書いておいて、その語彙力の無さ。泣ける。

 

 

そう考えているうちに、部屋の前まで辿り着いてしまう。

 

川崎は部屋をドアを開けると、伺うように、後ろにいる俺に振り向いた。その一瞬が、本当にこのまま部屋に入っていいんだよね、という問いの代わりに思えて、瞬時に湧き上がった頭の回路を通ることなく、生唾を飲み込んだ勢いをそのままに、なるべく静かに頷いた。

 

先を行く川崎に従うように、部屋へと入る。

 

数歩歩いて目に飛び込んできたのは、ドアから正面の窓に映る、月明かりに照らされた木々であった。この部屋の階も高いおかげで、海沿いの街並みも遠慮しがちに見えて、その景色は自然に、俺と川崎の言葉を奪った。少し先の景色が見たくて、窓に手を触れるくらいに寄る。位置的に右隣となった川崎と同じくして、その光景に見惚れる。

 

 

明かりに付けずに、二人して窓際に立ってしまったせいだと思う。

 

川崎が、俺が着ている浴衣の袖をつまむ。俺は弾けたように川崎のことを見る。自然な光に包まれた川崎は、少し潤んだ瞳で俺を真っ直ぐ見ていて、どうした、という言葉を発しようとしても、口が動くことはなかった。

 

「比企谷・・・」

 

川崎は、聞き取れるかギリギリの小ささで俺の名前をささやくと、一歩、俺に近付いてきた。決意とも取れる表情には緊張が浮かんでいたが、それらを分析する前に、俺の限界が来た。

 

顔を逸らすと共に、逃げるための言葉を紡ぐ。

 

「っ、あー、さすがに暗いよな、電気付けるか。」

 

そう川崎に投げて、部屋の入り口付近にあるスイッチへと足を運ぼうとする。

しかし、その力は、川崎によって相殺される。

 

「待って!今しかないから。ちょっとだけ、待って。」

 

俺の腕を取って引き留めた川崎の声が、耳の近くで鳴る。俺自身の何かの限界は、一度振り切ってしまったせいか、制御が効き辛くなっていて、川崎に従う以外の方法を許すことは期待できなそうであった。

 

「お、おう。なんだ、どうした。」

 

川崎に振り向いて何とか出た言葉は、慣れ親しんだしょうもない質問だった。俺これしか言えないの?ってくらいヘビロテな気がする。そんなことを考えて気を散らそうとするも、相対する川崎の雰囲気がそれを許さなかった。

 

「さっき言ったお願い、比企谷が聞いてくれるって言った、協力して欲しいこと。・・・聞いて?」

 

言葉に合わせて1歩踏み出した川崎との距離が近くなる。

 

「・・あぁ。聞く。」

 

観念した俺は、なるべく気持ちを抑えて返す。

 

「あ、ありがと。えっとね、一つは---」

 

 

人生で忘れられない瞬間ってあるんだ、と知る。

俺にとって、この瞬間に他ならないだろう。

 

 

「あのベッドで、一緒に寝て欲しい、です。」

 

 

・・・もう今日は何も考えない方がいい、そう思うほどのフラグ回収率だった。

 

-----------

 

俺はせめてもの抵抗として、いくつか言葉を吐く。でもそれは儀礼的な確認であって、俺がそうするしかないところへの連れて行ってもらうための言葉たちに他ならなかった。

 

「俺は、ソファでもいいんだが。」

 

川崎は真剣な表情を崩すことなく、

 

「それはソファがいいってこと?」

 

と詰め寄るように言ってのけた。川崎は一度恥ずかしい思いをしたからなのか、顔は月明かりでも分かるくらいに赤かったが、もう逃さないと言わんばかりに強気に出てきていた。

 

「いや、そういう意味ではないんだが・・・」

 

「ねぇ、比企谷。あのベッドで、一緒に寝て欲しいって言ったの。」

 

ちょっと恥ずかしさを思い出しながら口を動かす川崎は、なんだか駄々っ子のお姫様にも思えた。

 

「あぁ、それは分かってるが・・」

 

「・・嫌ならちゃんと、断って。結構、勇気いるんだからね。」

 

そういって上目遣いでこちらをちらりと見た川崎は、そのまま返事を待つ姿勢として顔を俯かせることを選んだ。

 

俺は、一度に複数のことを、どれも100%以上で考えようとした。それは、川崎との関係であったり、俺の人生で会ったり、けいちゃんのことだったり、小町のことだったり、多岐に渡った。俺は何とかして、川崎に向かって素敵な言葉を紡ぎたいがために、考えようとしたのだ。一番適した言葉は何なのか、この後、一番ふさわしい行動は何なのか。それが分かるんだったら、寿命を少しくれてやってもいい、そう思うくらいには、俺にとってもこれからの夜は一つの分水嶺だという予感があった。でも、元々俺にない回答が、今になってできるわけがない。ならせめて真っ直ぐに、嘘や欺瞞を持たず、そのままを。

 

「川崎。顔上げてくれ。」

 

「・・?」

 

期待と不安が入り混じった瞳を、その身長差から眺める。本当に綺麗な顔してるな。

 

「なんだ、誰かと一緒に寝るなんて、初めてなんだ。だから、どういうものかも分からん。ただ、川崎と一緒、ってところは嫌ではない、むしろ、なんだ、その。」

 

川崎は少し期待が膨らんだ瞳で、少しだけ俺に近付いている。せめて真っ直ぐに、と思いすぎて、なんて言ったらわからない俺は、とんでもないことを口にしてしまう。

 

「良い、と思ってる。俺んちでお前が寝た後のベッド、めっちゃいい匂いしたし。」

 

川崎の表情がコロリと?を表すものとなる。

次の瞬間、弾けるように俺を突き飛ばした。

 

「い、良い匂いってあんたっ!な、何言ってんの!?」

 

突き飛ばされてよろけた俺は自分が言ったことを思い返すが、乗り切るしかないと判断し、極めて冷静に言った。

 

「事実だ。」

 

「いやそんなキリッと言われても・・・、ええ?まぁ、悪いことじゃないんだけど、うう。」

 

俺はもう一度、事実だ、と言いそうな雰囲気を保ったまま、更に眉根を寄せた。もはやふざけているに近い。なのに、何故か川崎には効果がばつぐんだったようで、

 

「うう、わかったからその顔やめてよ。わかったから!・・・もう。」

 

と、そっぽを向いて照れてしまう。

そのまま眺めていると、ゆっくりとこちらを見直した。そして、

 

「じゃぁ、一つ目のお願いは、良いってことだよね?」

 

改めてそう言った。俺は結局、

 

「お、おう。」

 

としか返せなかった。

 

 

--------

 

実際寝るには少し早い時間ではあったが、二人して歯磨きをして寝支度を整えて、ベッドの前に並ぶ。

 

電気は入ったときから付けずのそのままで、薄暗いがお互いのことは見えるくらいの明るさだった。はっきり言って、怪しい雰囲気と言わざるを得ない。もう明らかに俺は緊張していて、この先どうしたらいいかわかっていなかった。しかし川崎は、寝支度を整えている時間に、覚悟が決まったようで、

 

「何か嫌なことがあったらはっきり言ってね?」

 

「なんだよ、その確認。」

 

「もう色々考えてもしょうがないかなって。したいようにする。」

 

「あぁ、まぁ、好きなようにしてくれ。」

 

「じゃぁ・・・うん。・・目を瞑って、ゆっくり1分数えて?」

 

川崎はいたずらっこのような表情で、俺の方を向いてそう言った。

 

「は?1分?」

 

「いいから。で、数え終えたら、ベッドに入ってきて?」

 

「いやそれなんか」

 

「はい、スタート!」

 

軽く手を合わせて、川崎によってスタートが切られる。俺はため息交じりで、川崎をほらほらと煽る視線に従って、目をゆっくりと瞑って、数え始めた。

 

「1、2、3、4、」

 

川崎が、少しだけ動くような気配を感じる。

 

「5、6、7、8、」

 

静けさのせいかある程度の川崎の行動は気配でわかる。

が、ベッドに入っている気配は感じることができない。

何をしてるんだ、と疑問に思った、

 

「9、10、1」

 

その時だった。

 

「逃げないでね。」

 

川崎の吐息交じりの声が、耳元ではっきりと聞こえた。

次の瞬間、

 

「っ!」

 

吐息が流れるように耳から頬まで移動すると、明らかに違う触感が右頬に訪れた。

 

「・・ほら、11からだよ。」

 

そういって、離れていく気配がする。

俺はもう、目を開けようとも思えず、

 

「・・・11、12、13、14・・・」

 

と、60までのカウントを刻み続けることしかできなかった。

 

 







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まだ二人とも

間が空いてしまいましたが、短い物語は完結に向かって進みます。
駆け足なので、ゆっくり読んで頂けると幸いです。


 

「・・・58、59・・60。」

 

1分数え終えたらベッドに入ってきてと言われ、きっちり数え終えた俺はゆっくりと目を開けた。月明かりだけで照らされた部屋は、思っていたよりもはっきり捉えることができて、目線は考えずともベッドに向いた。俺から見える目線では、枕が奥にあって、少し片側に寄った川崎の髪がかろうじて見える程度だ。

 

川崎は、今どんな気持ちでベッドに横たわっているのだろうか。

 

目を瞑り、川崎に触れられてからの1分間、俺は頭をフル回転させて考えていた。この後のことを想像してドキドキしていたかと聞かれると、答えは全くの否である。そして、考えて出した結論が正しければ、俺は川崎を、ある意味において止めなければならないだろう。熱に浮かされた自分を落ち着かせ、取るべき行動を決めるのに、もう時間は必要なかった。

 

一息ついて、ベッドへと向かっていく。川崎が空けている左側から、ゆっくりとベッドに滑り込んだ。川崎と触れ合ってはいないが、少し身を寄せればぶつかるだろう距離感だ。

川崎は向こうを向いていて、俺は掛け布団から片腕だけ出した状態で、天井を見つめている。そして、身体の感覚に神経を集中させると、川崎の状態を測った。やはり、と言わざるを得なかった。

 

意を決して、川崎に話しかける。

 

「川崎。」

 

「えっ?な、なに?」

 

川崎はこちらを向こうとするが、それを察知して食い気味に制する。

 

「まぁ待て。そのままで少し聞いてほしいんだ。」

 

半分こちらを向いてきた川崎が、名残惜しさはなく、巣に帰るような素早さで元の体制に戻る。

 

「う、うん。わかった。」

 

「・・ちょっと聞いていいか?」

 

「・・うん。」

 

微かな返事であっても、今の二人の距離感では十分に聞こえる。

 

この問いに川崎はどう返してくるかわからない。

しかし、聞かないわけにはいかないだろう。

 

「意地悪な質問になるかもしれんが・・・俺が目を瞑った後の、あれはなんだ?」

 

「あ、あれって・・・。」

 

川崎は慌てて口ごもり、応えに窮しているようだった。

先ほど、目を瞑って10秒後、川崎は一言と共に俺の頬にキスをした。触れるか触れないかくらいの皮膚の接触。一瞬にして沸騰しかけた俺の頭は、別の感覚によって一気にマイナス付近まで持っていかれていた。

 

「その、頬に、き、キスしたつもりだけど・・・」

 

「あぁ、だろうな。」

 

「だろうな、って・・・なによそれ。」

 

川崎の声色が、近頃では聞いたことのないくらいの温度に一気に落ちたことを感じる。

 

「いやだったんだ・・。」

 

続けて、一層低くなった冷たい感情からくる声で、川崎が呟いた。

正直、俺も辛さを感じている。

それでも、俺のこの疑念は、ちゃんと口にしなきゃいけないものだと、口にする。

 

「そうじゃなくて。・・・お前、震えてたろ。しかも、今だってそうだ。」

 

そう、川崎は近付いてきたときに、俺の腕に手を添えていたが、その手が浴衣越しにも分かるくらい、震えていたのだ。加えて、今先ほどベッドに入り神経を集中させて感じたのは、小刻みに震えている川崎の様子だった。おかげで、キスをされたということより、震わせる何かが、川崎に、もしくは二人の間にあるということに、俺は気を持っていかれたのだ。

 

ドラマや小説では、震えているシーンが安易に多用されているが、現実的には震えると言うのは相当なことだと、俺は思う。俺にとっては、昔小町が家出して探し当てたときに、震える小町を抱き締めたとき以来の感触だった。はっきり言って、あれは俺にとって一つの恐怖でもあった。人は震えることがあるのだ、しかし、それはいくつかの事象から追い込まれている時にのみ発する、危険信号みたいなものなのだ。

 

俺は今、川崎を疑ってしまっている。

 

「・・・。」

 

「なぁ、川崎。・・お前何か無理してないか?」

 

「・・・。」

 

川崎の浅い呼吸だけが聞こえる。

俺は天井に向け固定していた頭を、川崎のいる方へ傾けた。

 

「川崎?」

 

再びそう呼びかけると、川崎は勢い良くこちら向くように体制を転がした。

顔は伏せ、俺の肩に縋り付くように、浴衣の袖を握ってくる。

 

「おぉ。」

 

思わず漏れた声に情けなさを感じたのも束の間、川崎が大きく息を吐いた。

俺の腕がその温度を捉えて、俺は一層不安になってしまう。

 

「か、川崎?」

 

「・・・てるに・・・じゃん・・。」

 

「ん、すまん、聞き取れなかった。」

 

その声はあまりにもか細く、この距離にいても聞き遂げることができなかった。

 

「無理、・・無理してるに決まってるじゃん、って言ったの。」

 

その答えを聞いて、俺の中の温度も急激に下がっていく。

川崎が無理をしている理由はわからないが、俺がいるから無理をしていることに、震えていることに変わりはない。

その考えに至って、思ったよりも感傷的になっている自分がいて、鼻から短い息が漏れた。

 

「・・・だよな。なんだ、色々とすまん。やっぱり向こうで寝るわ。」

 

ベッドから急ぎ這い出ようとすると、川崎は強く腕を引っ張った。

反射的に川崎の方を向く。

顔を上げた川崎は、半分泣いているような、辛そうな顔をしていた。

 

「お願い、聞いてくれるって言ったでしょ。」

 

「いや、言ったが・・・、震わせるくらいの何かがあるなら、逆に聞けねえだろ。」

 

そう言い放って、再び這い出ようとするも、更に強い力で引っ張られる。

 

「はぁ・・・。」

 

川崎は俯いて、大きくため息をついた。

切り替えるようにして、顔を上げると、苦笑しながらこう言った。

 

「そうだった。・・そうだよね。私もひどいけど、あんたも大概だよ。ねぇ、いつも通りって言ったらおかしいかもしれないけど、ちゃんと言葉にするから、聞いて?ね?あんた勘違いしてるし、ちょっと極端だよ。それでもって、私も勘違いさせた上に、まだまだ下手だったんだ。」

 

「お、おう。ん、勘違い?」

 

「そ。」

 

その返事をトリガーにするように、更にぐいと引っ張られて、川崎の方へと倒れ込んでしまう。

頭を抱えられて、川崎の胸元に包み込まれてしまった。

なにこれ一体何がどれであれがどうなってこうなってんの?

 

「はい。深呼吸してー。・・・私が下手だった部分とか合わせて、ちゃんと言葉にするから、聞いて?ね?」

 

俺はこんがらがった思考を整理もせず、温かさに包まれながら、少しだけ頷いた。

 

 



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2つ目の願い

「か、川崎、これはぐわっ」

 

少し苦しいレベルまで抱き締められると、声を出すのも憚られるような密着率となってしまって、俺はもがもがともがるしかなかった。

世界で一番優しんじゃないかと思えるような声音が、耳に届く。

 

「ごめんね、比企谷。私も押したり押せなかったり、照れたり、頑張ったり、って振り回しちゃったよね。でも今はもう逃がさないから。ゆっくりでも、分かってもらうまで、ちゃんと話すから。」

 

声を出せない俺は、なるべく川崎を揺らさないように頷く。

 

「でも、き、キスまでした女の子に対して、だろうな、はひどいと思うよ?私だって傷付くんだからね?・・って言っても、今はしょうがないか。まずは聞いてよ。」

 

自分の言葉が川崎を傷付けたという事に対して想いを馳せるが、いまいち自分な中で歯車が噛み合わない。川崎が震えていることに気付いた俺は、震えるくらいのことであれば、すべきではないと考え、自分が震える理由になっているなら、その位置からすぐにでも離れるべきだと感じ、結果、川崎を傷付けたということになる。

自分がぼっち故に足りていないことは自覚しているつもりだった。だから間違えていないと、傷つけるべきではないと、そう思ったのに。。

 

「ほら、まだ夜も更けているわけじゃないし、明日も休みだし、ていうか旅行先だし、まぁ落ち着こうよ。って、これ自分にも言ってるんだけどさ。」

 

はは、と自嘲するように笑う川崎を、俺は好ましく思う。先ほど温度の下がった川崎を見るのも話すのも、俺にとっては苦痛だったからだろう。

 

「ね?」

 

そう言いながら、抱き締めた力を緩めると、川崎は俺の顔を覗き込むように顔を寄せてきた。あまりに近い距離でもちろんのこときょどりはしたものの、温度も伴った声の安心からか、その目を見ながら応えることができた。

 

「・・わかった。すまん、そんなつもりはなかったんだが、な。ゆっくり話せれば、と俺も思う。」

 

「ん、いいよ。ありがとね。」

 

さて、と川崎は再び俺を胸に抱く。

たくさんぶっちゃけちゃうけど、と前置いて、川崎が語り始める。

 

「まずは、震えてた部分かな。」

 

と言うと、このー、と、息ができないほど強く締められた。く、くるしい。

でもそれも数瞬のことで、再び慈しんだ力加減となる。

 

「当たり前でしょ?私だって、男と旅行だってドライブだって、一緒の部屋に泊まるのだって、初めてのことなんだよ?しかも、その、ああ。・・・一旦、答えとかはいらないんだけど、、、す、好きだな、と想えている人とさ。・・・ここまではOK?」

 

・・・全然OKじゃない、と思いながら、これまでのことを振り返る。一点を除いて、それは俺の希望的観測を承認するものである、と判断できた。川崎とのことを振り返れば、甘いSSも真っ青なことがいくつもあった。ただそれを得意の想像で躱し続けてきただけのことだ。真っ直ぐ捉えれば、それが好意からくるものだった、ということは頷ける。

 

「・・・んん、まぁ、なんだ、一旦、な。」

 

「よろしい。良い子だね。」

 

そういって川崎は俺の頭を撫で始める。やめてなにこれ、超恥ずかしい!撫でることは続けながら、川崎は話を続ける。

 

「比企谷がどう思っているかは、まぁ、今は聞かないとしても、私としては何とか振り向いて欲しくて、でも怖くて、でも期待したくて、でも自信無くて、みたいな繰り返しなんだよ。・・きっとさ、そんなはっきりしない私の行動とか言葉?とかが、比企谷を気持ちを振り回しちゃったんだと思う。私が震えてたとしたら、それは自信が無いから、それだけだよ。

 でも震えるくらい、比企谷に応えて欲しかった、ってことでもあるんだよ?応えて欲しいけど、自信無くて、頑張ってるつもりだけど、正解かは分からなくて。そんな気持ちが、出ちゃってただけなんだよ。

 こんなこと言うとずるいかもしれないけど、今までの反応から、けっこう期待してたところもあって、だからこそ、より怖くなっちゃったんだよね。」

 

川崎の説明は、これ以上ないくらい俺にも分かることだった。だって、俺らはぼっちだから。いつだって期待してて、でもいつだって怖くて、期待が高まれば高まるほど、その恐怖は増えていく。高校時代に乗り越えたと思えたことは、川崎とこのような近い関係になって、かつ、より現実的な反応となって、顕出してしまったのだ。

成長していると自負していた自分を呪う。

 

「私が震えてたのは、私の弱さからだよ。これもOK?」

 

川崎の胸元にいるにも関わらず、俺はそのことも忘れて、必死に川崎との会話に心を注げていた。

川崎に伝えるように、明確に頷く。言葉は伴わなかった。

 

「よろしい。ありがと。」

 

そういって川崎は俺の髪の毛を梳くような撫で方へと変える。

俺はそのことを理解しつつも、自分の思考を振り返っていく。川崎が震えていた理由が、今教えてくれたそれならば、俺はどうするべきなのか。いや違う。俺はどうしたいんだろうか。

 

「震えてた部分はこれでお終い。・・あとは、かなり恥ずかしいけど、私の狙いを言うね。」

 

そう言って川崎は一度言葉を切る。何かを覚悟するような時間なのだと判断した。

 

「この旅行自体、親が色々やってくれちゃった点があるよね。それはそのまま嘘なしで親がやったことだよ。でも、親がそうするんだろうな、ってのは予想してたし、予想できたけど、止めるつもりもなかったんだ。」

 

川崎が一息つく。

 

そのまま、二人して何か綺麗なものを眺めているような、静かな時間がすぎる。

きっと1分もなかっただが、心が通じているような感覚があった。

 

「うん。改めて言うよ。

 私、比企谷が好きなんだ。高校で助けてもらった時から、ずっと。

 ずっと、比企谷のこと、遠くから眺めてた。雪ノ下や由比ヶ浜のことを羨ましいと思うことも何度もあったよ。でも自分が弱いから、出来ないことばかりだから、遠慮してた。でも、高校3年から一人の時間が増えて、比企谷のこと考える時間が一気に増えた。

 ちょっとあれかもだけど、大学だって、比企谷が行くって知ってたから選んだんだ。私が変わって、比企谷と一緒にいれたらいいな、と願って。」

 

川崎の想いを聞いて、俺は考えることができなくなってしまう。

しかし、しっかりと言葉を受け取らなければならないと、そのことだけに集中した。

 

「大学が一緒なのは良いけど、実際は被った講義で挨拶交わすことくらいしか出来なくて、ずっと歯痒かったよ。」

 

その言葉を聞いて、俺は一点だけ気になる点を聞くことを決める。

少しだけ顔を上げて、川崎の口元に視線を合わせて、言葉にする。

 

「・・なぁ、だとすると、お前の依頼って何なんだ?」

 

そう、【私を、変えて欲しい】という依頼にはどんな意味が隠れているのだろうか、その点だけ俺の中ではっきりしていないのだ。その依頼自体が飾り物であるならば、そう教えて欲しいし、俺にもやれることがあるなら、それを教えて欲しかった。

 

「そうね、それが先でもいいか。大学1年の間ずっとやきもきしていて、2年になってすぐ、友達、ほら、同じ学科の友達がいるって言ったでしょ?海老名みたいな。その友達がさ、私に真面目に質問してきたんだよね。

 『比企谷くんは、その内誰かの隣に居るようになっちゃうよ、それでいいの?』って。

 そう言われて、絶対に嫌だって思ったんだ。私以外が隣にいるところ想像するなんて嫌だったし、いつか比企谷にご飯作ってあげる人ができるなら、私がいい、私であってほしい、て本気で想えたんだ。

 それで、私は変わらなきゃいけないと思った。そして、もう比企谷を放っておくことも出来なくて、なら、相談しちゃえって。ひっくるめて、私を見てもらおうって。そう思って、依頼という形を取ったんだ。打算的にも、都合が良かったしね。いきなり私に、今後ちょくちょく遊んで、とか言われて、OK出した?何か疑ってたでしょ?」

 

「あーー、まぁそうだな。依頼と比べて警戒はしていただろうな。お前めっちゃ可愛くなってたし、美人局を疑ったかもしれん。」

 

「ん・・・。可愛いってのは嬉しいけど、美人局はないんじゃない?」

 

そう言って川崎は俺の頭を小突く。俺もすぐに、すまんとだけ返した。

 

「まったく、ふふ。まぁ可愛いって部分だけ受け取るよ。・・・で、話を私の狙いに戻すと、この旅行をきっかけに、一気に比企谷を手に入れてやろう、って思ってた。もしくはそれがうまくいかなくても、最低限、特別な存在になってやろうって思ってた。

 何言ってるんだ、って思うかもしれないけど、この際だから言うよ。

 私は、比企谷に手を出されても、断るつもりはなかったから。で、今もその気持ちが変わってないよ。ごめんね、これは女の勝手かもしれない、けど、使える武器は何使ってでも、って感じかな。」

 

「・・お前、自分で何言っているのかわかってるのか?」

 

「分かってるよ。比企谷こそ、私が何言っているかわかってるの?」

 

「くっ。あのなぁ・・・。」

 

「はいはい。分かってるよ、実際あんたは付き合ってもないのにそうはしないと思ってるから。私の覚悟、って話。」

 

川崎はそう言って気持ち良さそうに微笑んだ。あれもこれも行ったらすっきりしたかも、などと口にしながら、これでもかというくらいに俺の頭を撫で繰り回している。

 

「どう?これでとりあえず、ベッドから出る気はなくなった?私のお願い、聞いてくれるよね?」

 

「いや、むしろどういう気持ちで隣に居たらいいかわからなくなったぞ。」

 

「だよね。ふふ、知ってる。けど、お願いを齟齬にするほどの理由にはならないでしょ?気持ちってだけで。」

 

「いやまぁ、そう言われると何も返せないが・・・。」

 

たじたじ、という言葉はこういう時に使うんだな、っと客観的に考えてみる。

主観に戻して、確かにたじたじにされているじゃねえかと、想い直した。

 

「よろしい。・・じゃぁ、2つ目の願い、言っていい?今しかできないかも、しれないから。」

 

川崎の言葉は後ろにいくにつれて弱々しいモノとなっていた。

 

「いや、返事を・・。」

 

「待って!返事とか、そういうのはこの旅行が終わってからにしてほしい、お願い。この旅行であったこと、あとから理由にしたりしないから。今だけは、この状況を味わせて欲しい、です。・・・お願いだから。」

 

そう口にしながら、川崎に抱かれている力がほんの少し強くなる。

 

「俺がその言葉に甘えてここに居るのも、どうかと思うんだがな。」

 

「またそうやって・・。いいの。本当に私のお願いだから。ね?」

 

川崎はそう言いながら、俺の顔を覗き込む。

真剣な眼差しに、俺は仕方なしと要求を受け入れた。

 

「・・2つ目ってなんだ。」

 

「・・今から、比企谷の腕枕で寝かせてほしい。」

 

俺の臨界点はとっくに超えていて、ただ今は願いを叶えようとする心だけがあった。

 

「・・わかった。ただ俺、経験ないぞ?」

 

「私の想像だと・・・こうして、ほら腕、私の頭の下に持っていって?・・うん、で肘曲げて、そう、私の肩掴んで?」

 

「こ、これ、腕枕ってより、肩とか胸じゃねえか?」

 

指示通りに動いたことにより、川崎の顔が俺の腕、というより胸に寄り添うような形で収まっている。肩を抱くことによってすり寄った川崎の身体が、俺の身体にくっついている。

 

「これでいいの。・・はぁ、ごめん。私いまドキドキしている。・・幸せ。」

 

「・・さいですか。」

 

俺はもう興奮を通り越して、川崎の重みだけを感じながら、天井を眺めている。寝ること自体はとうに諦めている。

 

川崎は甘えるようにぐりぐりと頭を擦り付けてくる。

俺は何一つ拒まず、肩を抱き続けている。

 

「ねぇ。」

 

「なんだ?」

 

「一つだけ、、今日だけって部分も踏まえて、私に優しく応えて欲しい。」

 

「・・なんだ?」

 

川崎が生唾を飲み込む動きが、肌を通して伝わってくる。

 

「返事って、期待していいのかな・・・?」

 

そう聞かれて、俺は俺自身に一つ問う。

・・答えは決まっていた。

 

「期待、していいと思うぞ。」

 

「っ!・・・そっか。」

 

その会話以降、二人の間に言葉はなかった。

 

 

 

 




あと数話でこの短い物語も終わるかと思います。
以下は興味のある方に読んで頂ければと思います。

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書いていて気付いた部分があったので、読んで頂いているみなさんと共有させてください。

個人的に、書いていて一番楽しかったり、ノッている瞬間って、やはり川崎沙希が話している部分を書いているときなんです。原作では、残念ながら川崎沙希の言葉ってかなり限られていて、だからこそ逆に、色んなシーンでの想像が掻き立てられる部分があるな、と。
だからこそ、この拙作を書いている理由も、川崎沙希にたくさん話してほしいからだと言えます。足りない想像力を一番働かせているのも、その部分になります。
なので、そこに注目して頂いて私の楽しみが少しでも届けば良いなと、小さく願います。

お読みいただきありがとうございます。
引き続き、よろしくお願い致します。



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