バカと天使とドロップアウト (フルゥチヱ)
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プロローグ

 運命の出会い、という言葉がある。

 それは、人間の意思や行動の範疇を超えた、偶然の出会い──そう、例えるならば、神から賜りし巡り合わせだ。幸か不幸かはともかくとして、それ以降の人生を変えてしまうような奇跡。

 

 僕の名前は吉井明久。もうすぐ高校生になる、どこにでもいるような普通の……いや、ちょっとだけ頭悪いけど……まあ、平凡な男子だ。

 日本人らしく無宗教で、神社やお寺にお祈りに行ったりすることはあれど、神の存在を本気で信じてはいない。

 だが、その時だけは別だった。

 彼女と出会った時、彼女を初めて見た時は、この子は神が自分の元に遣わした天使なのではないかと、運命なんじゃないかと、本気で思った。

 それだけの存在感だったのだ。

 

 その出会いは、中学校の終業式から高校の始業式までの休学期間のことだった。

 両親は仕事で海外赴任、姉は海外の大学に留学しているため、僕はマンションの一室で一人暮らしをしている。

 一人暮らしというものは自由で、いくら夜更かししようとも、誰からも怒られることがない。

 なのでその日も、夜中の二時を回るまでゲームに興じ、その後沈むように惰眠を貪った。そして目を覚ましたのが、昼の十二時過ぎである。これが母や姉に露見すれば、説教を食らうこと間違いなしであるが、今の僕は一人暮らし。よって悠々自適に過ごすことが出来るのだ! ビバ一人暮らし! 

 僕はもぞもぞとベッドから抜け出して、朝ごはん兼昼ごはんにカップラーメンを食べようとお湯を沸かそうとした──その時だった。

 

 ピンポーン、と、来客を告げるインターホンの音が鳴った。

 

「ん? 誰だろ、通販かな?」

 

 なに頼んでたっけなあ、と考えながら、僕は寝起き姿のジャージのままで玄関のドアノブに手をかけた。

 ガチャリ、と扉を開ける。

 

 一瞬、時が止まったのかと思った。

 

 そこにいたのは、宅配業者ではなく、セーラー服を着た女の子だった。

 彼女は、驚くほど整った顔立ちをしていた。

 透き通った白い肌、流れるようにサラサラの金髪、そして吸い込まれてしまいそうなほど深い藍色の双眸。

 その姿はまるで大空を白無垢の翼で飛び、ハープの音を奏でる天使を連想させた。

 自分が彼女の前でジャージ姿でいることは、大罪に当たるんじゃないかとさえ思った。

 

 僕が言葉もなく固まっていると、彼女はにっこりと破顔して言った。

 

「初めまして。私は今日隣の部屋に引っ越してきた、天真=ガヴリール=ホワイトと申します。今後とも宜しくお願いします」

 

「あっ、これはどうもご丁寧に……。僕は吉井明久と言います。こちらこそよろしく、えっと、天真さん」

 

「歳も近そうですし、気軽にガヴリールと呼んでください」

 

「あ、じゃあ僕のことも明久でいいよ」

 

「はい、明久さん。あ、これ粗品のお茶菓子です、よかったら食べてください」

 

「え、いいの!? これで一週間は凌げるよ! ありがとう!」

 

「は、はあ……凌ぐ?」

 

 なんて、なんていい子なんだろう! 

 近所付き合いが希薄になりつつある今の世の中でここまで丁寧に挨拶しに来てくれる子なんて中々いないよ!? しかも食料まで恵んでくれるなんて、彼女は本当に天使なんじゃないか!? 

 お菓子を受け取って小躍りする僕を、困惑して目をパチクリさせて見る姿さえ可愛らしい。身長は低いものの、ルックスならあの姫路さんにだって負けていないだろう。

 

 もし神がいるのなら感謝したい。彼女と出会わせてくれた最高の奇跡に。

 そして、もし神がいるのなら、懺悔しなければいけない。僕の罪を──

 

   ○

 

「ふー、荷解き終わりっと……」

 

「お疲れ様です、明久さん。すみません、手伝ってもらっちゃって……紅茶淹れたんで良かったらどうぞ」

 

「ありがたく頂くよ」

 

 テーブルに置かれたカップを一つ取り、ぐいっと嚥下する。

 優しい香りと心地いい温かさが、労働で疲れている身体に染み渡るようだった。それに、こんなに可愛い女の子に淹れてもらった紅茶である。紅茶なんて高級品を飲んだのは久しぶりだったが、三割増しくらいに美味しく感じた。

 

 僕は今日、このマンションに引っ越してきたばかりという彼女の荷解きを手伝っていた。

 彼女も僕と同じように一人暮らしをして、高校に通うのだという。しかもその高校が、僕も通う予定の文月学園だというのだから驚きだ。

 

「ガヴリールはどこから引っ越して来たの?」

 

「えっ!? え、えっと、海外ですっ! でも私、日本の文化に興味があって、それでですね……」

 

「遠路はるばる留学してきたんだ。すごいね」

 

「い、いえ」

 

 謙遜したようにガヴリールは笑う。

 そういえば、さっき挨拶に来た時、天真=ガヴリール=ホワイトと名乗っていたのを思い出す。確かに日本人離れした名前だ。見た目的にはヨーロッパとかそっちっぽいけど……あ、でも天真って名字だし、ハーフなのかな? 

 

 僕は一息ついた後、カップをテーブルの上に戻して、何となく彼女の部屋を眺める。

 そう、僕は今、女の子の部屋にいるのだ。荷解きしている最中は意識していなかったが、隣人故の役得だ。

 彼女は引っ越してきたとはいうが、それほど荷物は多くなかった。必要なものは、これから新たに買い足していくのだという。

 ならば、一人暮らしの先輩として、色々教えてあげるべきだろう。

 だけど、今日は流石に長居しすぎちゃったかな。

 

「僕はそろそろ帰るよ。紅茶ご馳走様。良かったら、今度はガヴリールがウチにおいでよ。もてなせるようなものはないけど、遊び道具には困らないよ」

 

「下界の娯楽ですか、それは楽しみですっ」

 

「下界……?」

 

「あっ、いえ、なんでもないですっ!」

 

   ○

 

 それから、僕とガヴリールが友達になるのにそれほど時間はかからなかった。

 僕が彼女の家に遊びに行ったり、彼女が僕の家に遊びに来たり。毎日ではないが、二日三日のペースで会っている。

 

 ガヴリールと交流している内に分かったのは、彼女は機械の操作方法に大変疎いということだった。

 洗濯機を回そうとして床を泡だらけにしたり、パソコンのキーボードになぜかビビったり……もしかすると彼女は、どこかの国のお姫様で、箱入り娘として育てられたんじゃないだろうか。

 だが、次第にここでの生活に慣れてきたのか、テキパキと家事をこなすようになり、今では公園の草むしりやゴミ拾いのボランティアなんかもしている。彼女の今時珍しいほどの奉仕の精神は、近所の大人たちを感嘆させていた。

 ある時、僕は気になってこんなことを訊いた。

 

「どうしてガヴリールは、そんなにボランティアに熱心なの?」

 

 すると彼女から返ってきたのは、意外すぎる言葉だった。

 

「全ての人を幸せにできるような天使になるのが、私の夢なんです」

 

 ともすれば、見惚れてしまうような笑顔である。だが、今の僕はそれ以上に、二文字の単語が脳裏に強く響いた。

 天使。そう彼女は言った。

 

「あっ……」

 

 やってしまった、という風に。

 さっと、ガヴリールの顔から血の気が引いた。

 普段の僕なら、もしかして痛い子なのかな? と思う程度だが、彼女の反応が言葉の信憑性を裏付けている気がした。いや、でも、天使って……まさか、本当に? 

 

「あ、あの、このことはどうか、ご内密に……」

 

「う、うん……というか、信じる人そんなにいないと思うよ」

 

 実際、僕も半信半疑である。

 だが彼女は、今の言葉を僕が信じていないというニュアンスで受け取ったようで、ほっと息を吐いていた。

 

「……良かったです。もし私の正体が人間の方にバレてしまったら、天界に記憶抹消措置を申請しなければいけないので……」

 

「ん? 何か言った?」

 

「い、いえなんでも! あ、そうです! 今日はパソコンのことをもっと詳しく教えていただけませんか? これを使いこなせば、この世界のことをもっと知ることができるのでっ」

 

 ガヴリールは両手を四方八方に動かしながら、まるで言い訳をする子供のように捲し立てる。

 何か物騒な呟きが聞こえたような気がしたけど……ただ、それよりも強く、僕の脳裏には天使という言葉が貼りついていた。

 まあ、人に言いふらしたりはしない。もしかしたら今、彼女は自分に不思議な力があるとか、何かの生まれ変わりだとか、そういう風に思い込みたくなる時期なのかもしれないしね。僕にも覚えがある。

 

 僕は天使という言葉を頭の奥にしまい込んで、ガヴリールにパソコンの使い方を教えた。

 ガヴリールは基本的に頭がいいようで、教えたことはすぐできるようになった。彼女は明久さんの教え方が上手いんですよと謙遜したが、僕なんかとは地頭の出来からして違うのだろう。

 

 一段落ついてから、僕はちらりと時計を見る。

 午後四時ぴったり。その時、とあるネットゲームのイベントが四時から開始だったことを思い出した。

 

「ごめん、ちょっと変わってもらってもいい?」

 

「あ、すみません、明久さんのパソコンで夢中になっちゃって……これは何ですか?」

 

「ネトゲだよ。パソコンで出来るゲームなんだ」

 

「パソコンでゲームが? この前やった、ぴーえすふぉーとはまた違うものなんですか?」

 

「えっと、PS4とかはコンシューマーゲームって言って、専用のゲーム機で遊ぶゲームのことなんだ。で、これはネットゲーム。パソコンで遊べるように作られたゲームのこと」

 

「一言でゲームと言っても様々な種類があるのですね……」

 

 ガヴリールは関心したように嘆息する。僕がキーボードとマウスでゲーム内のイベントをこなしていると、彼女は正座したまま、どこか落ち着かない様子でソワソワしていた。

 

 ──もしかして、やってみたいのかな? 

 

 もし過去に戻れるのなら。

 この時の僕の軽率な判断を、殴ってでも止めに行く。

 

「やってみる?」

 

「えっ、いいんですかっ?」

 

「うん、僕まあまあこのゲームやりこんだし、レベルもそこそこ高いから、操作方法さえ分かれば大丈夫だと思うよ」

 

「あ、ありがとうございます! じゃあ、さっそく……移動はこのキーで行うんですよね?」

 

「うん。で、ここで攻撃」

 

「おおっ、倒せましたっ」

 

「上手いね! じゃあ次に、ここを押すとね……」

 

 僕は今になってようやく、後悔先に立たずという言葉の意味を知る。

 

   ○

 

 文月学園に通い始めて、早いもので数週間が経った。

 この高校は特殊なカリキュラムを用いた新設の進学校だと噂には聞いていたが、勉学への意識は確かに高い。僕のように中学の義務教育や高校入試でさえ息切れしていた者にとっては、中々厳しい環境である。

 

 だがその分、ここ文月学園は、他の高校と比較すると学費が圧倒的に安いのだ。その理由は前述した特殊なカリキュラムにあるらしい。詳しいことは知らないが、スポンサーなどから多くの補助金を受けているとのこと。

 そして、その学費が安いというのが、僕がこの高校に進学を希望した理由である。僕は両親から毎月仕送りを受け取っているのだが、その仕送りには学費も含まれているのだ。

 なので、学費をできる限り節約できれば、その分プライベートにお金を回すことができる。我ながら賢い! 

 

 放課後、僕は高校で新しくできた友人たちと別れ、家路についていた。既に道脇の桜は散っており、道路を桃色に染め上げている。

 その桃色の道の先に、人影を見つけた。学生服の上に、桜の花と同じ桃色のパーカーを羽織った、金髪の女の子。

 

 間違えるわけがない、ガヴリールである。

 高校入学前にマンションの隣の部屋に引っ越してきて、友達になった女の子だ。

 僕は駆け足で坂道を下り、彼女の背中を追いついた。クラスが別々だったため、ここしばらく会っていなかったのだ。

 なので、自然とテンションも高まってしまう。

 

「ガヴリール、久しぶりっ」

 

 僕が後ろから声をかけると、彼女はサラサラの金髪を靡かせて振り向く──ことはなかった。

 あ、あれ? サラサラ……か? 

 いや、よく見ると、腰の辺りまで伸びた髪がボサボサのままうねりにうねって、癖のあるモコモコヘアを生み出している。

 彼女はぴくっとだけ動いて、はあああと大きなため息をついてから吐き捨てるように言った。

 

「振り向くのもメンドイ……」

 

「いくらなんでもあんまりじゃない!?」

 

「ウルサイなぁ……」

 

 あれ!? ガヴリールってこんなダウナーな感じだったっけ? もはや別人なんだけど……。

 僕の知っているガヴリールだったらここは「ごきげんよう、明久さん」って言う場面だよ!? 

 

「えっ、えっと……もしかして、ガヴリールさんの双子の姉妹……とか?」

 

「は? 何言ってんのお前。歳の離れた姉と妹はいるけど双子はいねーよ」

 

「証拠はあるのかね天真くん!?」

 

「そのキャラうぜぇ……ほらよ、学生証」

 

 彼女が見せてきた学生証には確かに天真=ガヴリール=ホワイトと記載されていた。……僕のよく知るガヴリールの顔写真と共に。

 

「いや、変わり過ぎでしょ! 衝撃の高校デビューだよ!?」

 

「あー、明久さぁ」

 

「いきなりフレンドリー!? 前まで明久さんって呼んでなかった!?」

 

「ウチまでおぶってくれね? 坂ぁ歩くのだるい……」

 

「……」

 

 絶句だった。言葉を失った。開いた口が塞がらなかった。

 ガラガラと音を立てて、僕の中のガヴリールという存在が崩れ落ちていくような感覚だった。

 ど、どうして……。

 

「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ……ッ!!」

 

「いや、なんの話? あ、喉乾いたからそこのコンビニで飲みモンとアイス奢ってくれていいぞ」

 

「すっごい上から目線! しかも喉潤すだけならアイス要らないよね!?」

 

「うるさい、私はアイスが食べたいんだ」

 

 なんという傲慢さ。なんという理不尽。

 だが僕の今の所持金は三十円だ。アイスも飲み物も買えないぞ! 

 

「ちっ、シケてんな……おらピョンピョンしてみろよ。まだあるんだろ?」

 

「いやああああ、女子高生にカツアゲされるうううう」

 

 緊急用に靴と内ポケットに忍ばせていた百円玉二枚も持っていかれた。僕の全財産が……なんという卑劣な! 

 にへらと意地汚い笑みを浮かべるこの極悪女子高生があの天使のようなガヴリールと本当に同一人物だというのか。

 彼女がこんなに変わってしまった理由はなんだ。それを確かめるべく、僕は言った。

 

「じゃあ奢る代わりにさ、この後ガヴリールの家によってもいいかな? 久しぶりに」

 

「はあ? いいけど……この後イベント消化しなくちゃいけないからあんま長居すんなよ」

 

 そして僕は、バニラアイスをチョコでコーティングしたアイスを頬張る彼女を背負って、坂道を下った。

 僕らの住むマンションから学校までの通学路には、一直線に長い坂が伸びているので、登校は辛いが下校は楽──と考えていたのだが、その坂が急勾配なので、下りもなかなか辛いという二重苦なのである。女子高生を背負うことができるなんて役得以外の何物でもないが、状況が状況だ。

 しかも、相手があのマジ天使だった頃のガヴリールならともかく、何故か別人のようになってしまったガヴリールだ。小柄なので背負うことは難なくできたが、それでも三十キロはあるだろう。ダンベルを持って坂を歩くのとほぼ変わらない。

 

「ぜえ……はあ……ッ!」

 

 なので、マンションについた頃の僕はもう息も絶え絶えで、汗だくだった。

 

「よくやった、流石は私の親友」

 

「は、ハハ、ありがとう……」

 

 真顔のまま言われてもあまり嬉しくない。

 

「少し散らかってるけど、まあ入れよ」

 

「お邪魔しまーす」

 

 ガヴリールは鍵を開錠して、ドアノブを引く。

 彼女の部屋は僕の部屋の隣ではあるが、最近は学校が忙しくて会うことができていなかった。よって部屋を訪れるのも大体数週間ぶりである。

 未だに女の子の部屋に入るというのは、やはり落ち着かない。前に訪れた彼女の部屋は、とても整理整頓されていて、なんだか良い匂いがしていた。そんなことを思い出しつつ、僕は玄関を跨いで──唖然とした。

 

「これが、少し……?」

 

 彼女はさっき、散らかっている、と言った。確かに言ったが……その部屋の有様は、散らかっているなんてもんじゃなかった。

 足の踏み場もない、という表現がある。全く片付いていない部屋を揶揄する言葉だ。

 さて、この部屋である。寝るためのスペースが確保されたベッドまわり以外は──放置されたゴミ袋、乱雑に積まれた雑誌や漫画、脱いだまま投げ出されたであろう衣服、床に転がる空き缶やお菓子の残骸などによって──本当に足の踏み場がないのだ。

 こんなのが本当に女の子の部屋なのか? 

 もしかしたらこれは眠っている僕が見ている夢なのではないかと思い至り、頬を抓ってみる。

 

「痛い……クソォ!」

 

「何やってんのお前?」

 

 非情なる現実に僕が打ちのめされている間、ガヴリールは慣れた手つきで配線を行い、パソコンを起動させた。そして開いたページは……あのネットゲームだった。

 

「あれ? ガヴリールもそのゲームやってたんだ」

 

「まあね」

 

「どれどれ……」

 

 ちらっとゲーム画面を覗いて、僕は驚愕のあまり声を上げた。

 

「えっ!? レベル150!?」

 

 僕だってそこそこやり込んではいるけど、まだ50くらいだぞ!? 

 しかも彼女が行っているイベントは、現行、ゲーム内では最難関クラスと言われているステージだ。僕なんかでは、挑むことさえ許されていない。それを彼女は、強力なキャラクターと巧みな操作でステージを蹂躙していく。

 

「が、ガヴリール……このゲーム、どれくらいプレイしてるの……?」

 

「あー……お前にこのゲーム教えてもらってから始めて、今は一日十二時間以上はやってるな」

 

「十二時間!?」

 

 まさか睡眠と学校以外の時間の殆どをゲームに費やしているのか!? 

 ガヴリールがここまでネトゲにはまってしまうなんて……。

 確かに彼女は、少しだけ世間知らずなところはあった。だが、誰にでも優しく、コンクリートの道に咲く小さな花にさえ慈しみを忘れず微笑むような女の子だった。

 そんな彼女は未知の娯楽、つまりネトゲに触れることによって堕落してしまった。そして、その原因を作ってしまったのは僕だ。僕の軽率な行動が、彼女の人柄も、性格も、人生さえも捻じ曲げてしまった。悔やんでも悔やみきれない。

 

 ──あの日出会った、天使のようなあの子は、もういないのだろうか。

 

 気づけば、僕は泣き喚くように叫んでいた。ほとんど絶叫だった。

 

「全ての人を幸せにするのが夢って言っていた君はどこにいっちゃったの!?」

 

 ガヴリールは、そんな過去を嘲るかのように、へっと笑った。

 

「その頃の私は本当の私を押し殺していたんだよ」

 

 彼女の操るキャラクターが、バッタバッタとモンスターを薙ぎ倒していく。

 

「下界の娯楽に触れて気がついたんだ、本当の私は怠惰でグータラな……」

 

 ふと、僕は彼女への第一印象について思い出した。この子は神が自分の元に遣わした天使なのではないかと、本気で思ったこと。

 

 その神が遣わした天使は、

 下界のバカと接触したことによって、

 ミイラ取りがミイラになってしまうように──

 同じくバカになってしまったのだ。

 

「救いようのない、駄天使だってことにね!」

 

 彼女はキメ顔でそう言った。

 ──神様、仏様、もしいるのなら聴いてほしい。僕の懺悔を。

 どうやら僕は、天使(ガヴリール)堕天(ドロップアウト)させてしまったみたいです。

 



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バカと天使と試験召喚戦争
第一話 ぐーたら天使、学校へ行く


バカテスト
問 以下の意味を持つことわざを答えなさい
(1)得意なことでも失敗してしまうこと
(2)悪いことがあった上にさらに悪いことが起きる喩え

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『(1)謝罪とか要らないから詫び石よこせ
 (2)緊急メンテとかふざけんなサーバー強化しろ詫び石よこせ』
教師のコメント
 試験中に詫び石乞食をしないでください。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
『(1)タナトスもインフェルノに墜つ』
教師のコメント
 地獄や冥界でなら通じるかもしれませんね。

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『(2)禍去って禍また至るサターニャさん』
教師のコメント
 個人名を書く必要はありません。

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『(1)釈迦にも経の読み違い
 (2)弱り目に祟り目』
教師のコメント
 月乃瀬さんは天使です。


 その部屋の有様は、まさに地獄絵図だった。

 放置されたゴミ袋、乱雑に積まれた雑誌や漫画、脱いだまま投げ出されたであろう衣服、床に転がる空き缶やお菓子の残骸。

 そして、それらゴミや物の山に埋もれて眠る金髪の女の子が一人。

 ボサボサの金髪、でっかい鼻提灯、ダボダボのジャージ……なまじ見てくれがいいだけに、彼女のズボラさが一層濃く映し出されて見えた。

 

 その部屋には、もう一人女の子がいた。

 肩の辺りでバッサリと切った黒髪、前髪に留められたヘアピン、着崩すことなくきちっと着られた制服、そして──手に持った黒い三つ又の槍と、頭の両脇から伸びる獣のようなツノ。

 彼女は足の踏み場もない部屋を蹴散らすようにずんずん進んで行くと、光を完全に遮断していた巨大なカーテンに手をかけ、それを一気に開け放った。

 

「起きなさいこの駄天使!」

 

「うわぁあ!? 目がっ!? 目がぁぁ!?」

 

 黒髪の少女の名前は月乃瀬=ヴィネット=エイプリル。通称ヴィーネ。

 彼女の一日は、ぐーたらでダメダメな天使を起こすことから始まる。

 

   ○

 

 僕らが文月学園に入学してから、二度目の春が訪れた。

 窓から見える街並みは、既に桜満開といった風情で淡く輝いている。花を愛でるような雅な人間ではないけれど、毎年この景色を見るたびに目を奪われる。

 美しい桜の姿にセンチメンタルな気分になるが、しかしそれも一瞬もこと。

 

 隣の部屋から響いてきた女の子の荒っぽいモーニングコールに、意識を引き戻されたからだ。

 

「月乃瀬さん、相変わらずだなぁ……」

 

 僕の朝に、隣人宅から響く月乃瀬さんの怒号はつきものだった。春休み中は中々聞く機会がなかったので、なんだか懐かしい。

 そんなことを考えていると、今度は隣から、布団から出たくないと駄々を捏ねる声が聞こえた。

 

「ガヴリールも変わらないね……」

 

 思わず苦笑してしまう。

 それからは「起きなさい」と「やだやだ」の水掛け論である。

 

 抵抗を繰り返す彼女の名はガヴリール。僕の住むマンションの隣人にして、同じ高校に通う同級生だ。

 僕たちの出会いは一年前まで遡る。高校入学前、ガヴリールはマンションの隣の部屋に引っ越してきた。その時の彼女は、素晴らしい人格の持ち主で、わざわざ隣人の僕に粗品をもって挨拶にきたり、若者は誰も挑みたがらないようなボランティア活動に嫌な顔一つせず勤しむような女の子だった。

 

 だが、彼女は変わった。

 正確に言うと、僕が変えてしまった。

 

 ガヴリールは僕が勧めたネトゲにハマってしまい──グータラダメダメの駄天使へと堕ちてしまったのだ。

 一日のプレイ時間は最低でも十時間を超えるという立派なネトゲ廃人と化した彼女は、過去の美しい姿は見る影もなく、今ではサラサラだった金髪もボサボサの毛玉のような有様である。

 

 さて、さんざんガヴリールのことを貶すような説明をしてしまったが、僕たちは決して仲が悪いわけではない。むしろ良好と言えるだろう。

 それは、僕も彼女と同じく、ゲーム好きであるからだ。そもそも彼女がゲームにハマるきっかけを作ったのは僕であり、その環境を提供したのも僕である。

 そしてゲーム好きというのは総じて負けず嫌いなもので、僕とガヴリールは切磋琢磨して、互いのプレイングセンスを磨きあってきた。流石にネトゲではガチ勢の彼女と比べると劣ってしまうが、コンシューマーゲームでは引けを取らない自信がある。

 

 かつてのマジ天使だった頃のガヴリールではなくなってしまったのは至極残念ではあるものの、今の駄天使ガヴリールも親しみやすく気のおけない間柄であるし、普通に好きだ。

 

 なんて物思いに耽りながら、遅刻しそうなので急いで学校へ行く準備をしていると、突然僕の家のドアが開け放たれ、金髪の毛玉がウチに転がり込んできた。

 

「明久っ、助けてくれ!」

 

 金髪毛玉もといガヴリールは靴を玄関に脱ぎ捨て、ネクタイを結んでいた僕の元へ一直線に飛び込んできた。そして僕を盾にするように、背後に回り込んでから玄関のほうをチラチラ覗いている。

 

「ヴィーネが、ヴィーネが私をいじめるんだ!」

 

「いじめるって……そんな大袈裟な」

 

「大袈裟なんかじゃない! あいつは未だ春休み気分が抜けきっていない私に学校に行けって言うんだぞ!?」

 

 なんという自分勝手な暴論であろうか。確かに僕も休み明けに学校へ向かうのは気分が重いけど、それでも制服を着て今から家を出ようとしていた。だがガヴリールは未だ部屋着のジャージのままであった。しかもズボンを穿いていない状態。なんというズボラさ。大変際どい格好ではあるのだが、もうあまりに見慣れ過ぎた姿で、見ても何も感じなくなってしまった。

 

 そもそも、月乃瀬さんは彼女の為を思って毎朝遠回りをしてまでガヴリールを起こしに来ているのだ。感謝はされど、苛めなどと言われる筋合いは皆無である。それは勿論ガヴリールも理解しているのだろうが、実際眠い朝に叩き起こされるとイライラのほうが勝ってしまうらしい。まあ、気持ちはわかる。

 

「ガヴ~? いるんでしょ、早く出てきなさい!」

 

 ドアの向こうから月乃瀬さんの声が聞こえた。このままダラダラしていては彼女まで遅刻してしまう。優等生の月乃瀬さんにそんな恥ずかしい真似をさせるわけにはいかないので、僕は背後にいたガヴリールを逃げ出さないよう固くホールドしながら、玄関のドアを開けた。

 

「おのれ謀ったな明久。この裏切り者ぉ!」

 

「おはよう月乃瀬さん。今日はいい天気だね」

 

「おはよ、吉井くん。ええ本当にいい天気」

 

 あーだこーだと騒ぐ毛玉天使を無視してあはは、うふふ、と和やかに笑いあう僕たち。なおその目は全く笑っていない。

 

「さあ急いで着替えて学校に行くわよガヴ」

 

「いーやーだー! 私は梃子でも動かないぞ!」

 

 月乃瀬さんに首根っこを掴まえられずるずると引きずられるガヴリール。僕だって本当はこんな朝早くから家を出たくないし、惰眠を貪っていたい。だがそんなことをしてしまえば、成績のあまり良くない僕は卒業できなくなってしまう可能性がある。高校四年生とか絶対になりたくない! だから嫌でも面倒でも学校へ行かなければいけない。しかし、自分一人がそんな思いをするのは癪だ。だから君も道づれだガヴリール! 

 

「明久お前覚えてろよ……」

 

 三流の悪党のような台詞を残しながら、ガヴリールは自室へと連れて行かれた。そして待つこと五分。

 

「くそっ、いつもならまだ余裕で寝てる時間だぞ。本能に逆らうなよ、欲に忠実に生きさせろよ……」

 

「はいはい、天使がそんなこと言わないの」

 

 文月学園の制服に着替えたガヴリールと月乃瀬さんが戻ってきた。時間はギリギリではあるが、まだ何とか間に合う。

 

「あれ、吉井くん待っててくれたの?」

 

「ガヴリールが道端で駄々捏ねだしたら月乃瀬さんに悪いと思って」

 

「ああ……そうね、助かるわ」

 

「そんなことしないわ!」

 

「いや忘れたとは言わせないよ!? 僕一年生の時から何回も君のこと背負って登校したり下校したりしてるんだけど!?」

 

 全く、恩知らずな天使である。

 僕はガヴリールをいつものようにおぶってやろうと背中を差し出す。もはや主人と僕、シンデレラと馬車のような関係になりつつある気がしたが、考えないことにした。月乃瀬さんもだが、僕も大概世話好きである。それとも、ガヴリールには世話を焼きたくなるようなオーラがあるのか。

 

「ふっ、明久。この天使学校首席たるこの私が、いつまでも誰かのおんぶに抱っこだと思っていたのか?」

 

 すると、なぜか自信満々に言う駄天使。今だって月乃瀬さんがこなければまだ眠っていただろうに。

 

「私は神から奇跡の力を賜った天使様だぞ? ちょっと本気を出せばここから学校までひとっ飛びなんだからな」

 

「ちょ! アンタまさか神足通を使うつもり!? 誰かに見られたらどうするのよ!」

 

「バレなきゃ違反もセーフなんだよ。さあ、偉大なる神の意思よ、私を学校まで移動させてっ」

 

 と言いながら、ガヴリールは祈りを捧げるようなポーズをとる。その瞬間、彼女の周りには光が溢れ、ふわりと身体が浮き上がった。

 神足通とは、天使の業の一つで、自分の思うところに出現できるという力だ。僕のような普通の人間に見られてしまったり、下界でこの業を乱用することはルール違反らしいが、ガヴリールはバレなきゃセーフという謎理論でこれを行使しようとする。

 

「安心しろ、二人もまとめて連れてってやるから。全く、私の優しさに感謝してほしいよ」

 

 親切なのか高慢なのかよく分からない台詞をガヴリールが呟くと、辺りは眩い光に包まれた。そして、その光が晴れると──

 

「あれ……?」

 

 そこはよく知るマンションの廊下だった。全く移動できていない。

 

「失敗したの?」

 

「いや、そんなはずは……ハッ!」

 

 ガヴリールは急に顔を真っ赤にして、スカートの裾を抑えた。

 一方その頃──文月学園二年F組の教室には、空から白いパンツが降臨していたらしい。

 神速通は失敗したのではなく、本人を置き去りにして、パンツだけを学校へ移動させた。

 つまり、天使の力は実際に行使されたのだ。

 

 ガヴリールは、本物の天使なのである。

 天界の天使学校を首席で卒業し、下界に送り込まれた、エリート中のエリート天使なのだ。

 彼女が本物の天使であることを知ったのは、グータラの駄天使に堕ちてからのことだった。

 通常、下界の人間には天使の存在を秘匿しなければならないらしいが、僕は半分共犯者のような感覚で、彼女の秘密を知ってしまっている。

 それは何故かというと、人間に正体がバレた天使は、最悪天界に強制送還されてしまうからだ。下界に染まりきったガヴリールはもう天界には戻りたくないらしく、絶対誰にも言うなと釘を刺されている。

 

 まあ、それはさておき。

 今の僕は、ガヴリールが所謂ノーパン状態であることを勿論知らない。

 なので急に顔を真っ赤にして蹲った彼女を心配して声をかけようとする。

 

「ガヴリール、どうしたの? 大丈夫?」

 

「み、みみみみ、見るなぁ!」

 

「ぐぼぁ!?」

 

 しゃがみ込んだ僕の両目にガヴリールの目つぶしが突き刺さり、視界を奪われた。この駄天使全力でやりやがったな! ものすごく痛い! 

 

「目がぁっ! 目がぁぁあ!?」

 

「わ、わわ、私はもう一回着替えてくるから、絶対覗かないでよ!」

 

 痛みにのたうち回っている僕に涙声でガヴリールは言うと、バタンという音を立てて、部屋に戻っていった。

 覗きたくても覗けないよ! そもそも、ムッツリーニならともかく、僕は覗きなんて卑劣な真似するもんか! ……多分。恐らく。きっと。

 涙を流しながら廊下に倒れる僕に、月乃瀬さんは本気で憐れんだ声で言った。

 

「……あなたも大変ね」

 

 優しさが目に染みて涙が止まらなかった。

 

   ○

 

 結局、僕はいつものようにガヴリールを背負って登校していた。先ほどの茶番のせいで、遅刻確定である。

 パンツを学校に転送してしまったガヴリールは、絶対行かないぞとまたも抵抗したが、月乃瀬さんに悪魔の力で脅され、「行け」という命令に「はい」と答えるしかなかった。

 

 月乃瀬さんもまた、ガヴリールと同じように人ならざる者で、魔界学校を卒業して下界にやってきた悪魔なのだ。

 ちなみに悪魔であることは別にバレてしまっても問題ないという。

 天界がガチガチの規則によって統制されているのとは対照的に、魔界は規則なんて知るかと言わんばかりに自由な場所であるが故らしい。まあ、悪魔だしね。

 なお、規則は緩いものの、魔界の治安は結構良いとのこと。あれ、悪魔とは一体……。

 

「私のパンツが高校デビューするなんて……一世一代の大恥だよ!」

 

 僕の背中でガヴリールが顔を真っ赤にして言う。

 それを横目で見ながら、月乃瀬さんは呆れたように笑った。

 

「これに懲りたら、次からはちゃんと自分の足で登校することね」

 

「ああ、これからもよろしくな明久」

 

「さては貴様! 僕を馬車馬のように使い倒すつもりだな!?」

 

 そんな談笑をしていると、次第に校門が見えてきた。その前で、一人の男が仁王立ちしている。げっ、鉄人! 

 

「吉井、遅刻だぞ」

 

 向こうも僕らの存在に気づき、ドスの効いた低い声で呼び止められた。その筋骨隆々の体躯と彫りの深い顔立ちは、さながら歴戦の傭兵を思わせる。スーツを着ていなければ教師とは分からないだろう。

 まさか鉄人こと生活指導の鬼・西村教諭がクラス分け発表の担当とは、ついてない。僕は一年生のころからこの人に目を付けられていて、何かやらかすたびに生徒指導室に連行され反省文を書かされるのだ。もはやトラウマである。

 だから今回も遅刻のことを強く叱責されるんじゃないかとビクビクしながら「どうも」とだけ生返事した。

 

「西村先生、おはようございます」

 

「鉄人おはー」

 

 続けて月乃瀬さんとガヴリールも鉄人に挨拶をする。いや、おはーは挨拶に含まれるのかどうか知らんけど。

 中学時代は悪鬼羅刹という渾名で不良としてならしていた僕の悪友坂本雄二や、陰湿で外道な男として悪名高い同級生根本恭二ですら、この鉄人には最低限の敬意を払っているというのに、ガヴリールは全く臆していない。

 

「二人ともおはよう。それと天真、私のことは鉄人ではなく西村先生と呼べ」

 

「へーい」

 

「『へい』じゃなくて『はい』よガヴ」

 

「はいはい」

 

「『はい』は一回!」

 

 こんな時でも母親のようにガヴリールを叱る月乃瀬さんに思わず苦笑してしまう。

 西村先生は箱から三枚の封筒を取り出すと、それぞれ一つずつ、僕らに手渡した。

 

「ほら、クラス分けの発表だ。もうホームルームが始まっているだろうから、確認したらすぐに行くんだぞ」

 

「あ、どーもです」

 

「ありがとうございます、西村先生」

 

「あざーっす」

 

 僕、月乃瀬さん、ガヴリールの順に受け取る。

 さてさて、僕はどこのクラスになっているだろう。今回の試験は結構自信があった。何故ならいつもより多く、十問に一問は解けたからだ。

 

 ここ文月学園では、クラスがAからFの六つに分けられていて、二年生以上の生徒は振り分け試験の成績順でクラスを振り分けられるのだ。Aが成績上位者、Fが成績下位者といった具合である。

 しかし固いなこの封筒。中々開けない。

 

「あっ、やった! 私はAクラスだっ!」

 

 そう声を上げたのは月乃瀬さんだった。

 

「おめでとう月乃瀬。日頃の努力の成果だな」

 

 鉄人も素直に賞賛の言葉を贈る。

 実際、月乃瀬さんの名前が成績上位者として挙げられ始めたのは一年生の後半辺りからだった。元々彼女は魔界で暮らす悪魔で、日本の学問について殆ど知らなかったはずだ。その不足分を並々ならぬ努力で補ってAクラスに上り詰めたのだから、見事という他ない。……あれ、悪魔だよね? 

 

「いえ、先生方のご指導のおかげです」

 

 なんという謙虚な姿勢。

 僕だったら鉄人に嫌みの一つでも言う場面だが……悪魔ってなんだっけ? 

 

「月乃瀬は教師冥利に尽きる生徒だな。それに比べお前たち二人は……」

 

 西村先生は僕とガヴリールを見て、やれやれといった風にかぶりを振る。

 いや、そりゃあAクラスの月乃瀬さんに比べたら不出来な生徒かもしれないけれど、それでも今回の手ごたえならDかEは堅いと思いますよ? 

 

「吉井、今だから言うが、俺はお前のことを、もしかしたらこいつは馬鹿なんじゃないかと疑っていた。だが振り分け試験の結果を見て、自分の間違いに気づいたよ」

 

 なんか急に語りだしたぞ……でもまあ、バカっていう評価を覆すことが出来たのなら、真剣に挑んだ甲斐があったよね。

 

「そう言ってもらえると嬉しいです」

 

「ああ、お前は正真正銘の馬鹿だ」

 

 やっと開いた封筒の中に折り畳まっていた紙には『吉井明久……Fクラス』と記されていた。

 

「なんでだああああああ!」

 

 僕はその場に膝から崩れ落ちた。

 この結果はおかしい。体調管理はきちっとして、テスト前日は十時に寝て、ちょっとしたハプニングがあったとはいえテスト中はいたって真剣だったのに! 採点のやり直しを要求したい! 

 

「勉強していないからだ、馬鹿者」

 

「あはは、ご愁傷さま……」

 

 うう、Fクラスかあ。学年最低のクラスじゃないか。そんな世紀末なところでやっていけるのかなあ、僕……。

 

「で、アンタはどのクラスだったの? ガヴ」

 

 そういえば、さっきからガヴリールが一言も声を発していない。

 すると、僕の目の前をひらひらと一枚の紙が通り過ぎた。その紙には──

 

『天真=ガヴリール=ホワイト……Fクラス』

 

 と、記されていた。

 振り返ると、ガヴリールは白目でその場に立ち尽くしていた。

 そういえば彼女は、天使学校では首席卒業の超エリートだったはずだ。そこから文月学園最底辺のFクラスへと見事ドロップアウトしたのだ。

 つまり。

 

「……現実を受け入れられず放心してるね」

 

「ちょ! 戻ってこいこの駄天使ー!」

 

 月乃瀬さんがガヴリールの肩を強く揺らす。

 ──こうして、僕らの最低クラスでの学園生活が、幕を開けた。



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第二話 類は友を呼ぶ、天使と悪魔も呼ぶ

「……なんだろう、この馬鹿デカい教室は」

 

「天界にはこんなものなかったぞ」

 

「魔界にもなかった……凄いのね、下界の学校って」

 

「いや、ここまで大きい教室はここくらいだと思うよ……」

 

 二年生のクラスが置かれている校舎の三階に足を踏み入れると、まず僕たちを出迎えたのは、普通の教室の何倍もの面積を誇る、二年Aクラスの教室だった。

 高級ホテルと言われても信じてしまいそうな教室には、壁一面に広がる巨大なモニターが設置されており、生徒個人にはノートパソコンやリクライニングシートなど、様々な設備が支給されている。なんという特恵待遇であろうか。

 

「ズルイぞヴィーネ」

 

「あはは……確かに、ここまで優遇されてると狡いことしてる気分になっちゃうわね……」

 

 本人に全く非はないのに、責任を感じる月乃瀬さん。うーむ、悪魔とは一体……。

 

「じゃあ、私はここだから、二人ともまたね。ガヴ、あんまり吉井くんに迷惑かけちゃダメよ?」

 

「言われてるぞガヴ」

 

 ぽん、と、ガヴリールに肩を叩かれる。いやガヴはアンタだ。

 そんな僕たちにくすりと笑みを零してから、Aクラス担任の高橋先生の話が一区切りついたタイミングを見計らって、月乃瀬さんは教室に入った。

 

「すみません、ちょっと遅れちゃいました」

 

 てへっ、といった感じで愛嬌たっぷりに言う月乃瀬さん。あ、あざとい……だがなんだこの胸のトキメキは!? 普段は真面目で品行方正な彼女がやるからこそ、その破壊力もまた大きい! 僕がAクラスの男子だったら確実に惚れている! そして告白へと至り振られるのがオチだ! 

 実際、遅刻した生徒が入ってきたというのに、固い空気が漂っていたAクラスの雰囲気は一気に和やかなものへと変わっている。こ、これが人望のなせる業というやつか……! 悪魔だけど! 

 

「小悪魔っていう意味なら悪魔っぽいかもな」

 

「月乃瀬さんって実は罪作りな人だよね……」

 

 誰にでも温和で、誰にでも親切な彼女は、これまで何人の思春期の男を勘違いさせてきたのだろう。苦笑しながら「ごめん、そういうつもりじゃなかったんだ」と告白を断る様子が目に浮かぶようだった。想像だけで胸が痛い! 

 っと、こんなことしてる場合じゃないか。僕らも遅刻の真っ只中だったんだ。

 

「じゃあ、僕らも行こうか、Fクラスに」

 

「……はあああああああ。なんで私がFクラスなんだ」

 

「いや、それは振り分け試験の点数が悪かったからでしょ」

 

 僕も人のこと言えないけど。

 だが、僕も確かに気になっていた。ガヴリールがFクラス配属になった理由。

 彼女は睡眠と学校以外のほぼ全ての時間(たまに学校をサボることもある)をネトゲに注ぎ込むガチのネトゲ廃人である。とはいえ、元は天使学校を首席で卒業したという過去を持つエリート天使なのだ。文月学園の定期試験の成績も、毎度赤点をギリギリで回避するくらいの実力はあった。ちなみにFクラスの生徒たちは基本、万年赤点のような連中ばかりだ。だから今回も、やろうと思えばEクラスかDクラス辺りになるよう点数調整することくらいはできたはず。

 それをしなかったということはつまり。

 

「えっと、もしかして試験中寝てた?」

 

「ちゃんと夢の中では問題解いてたんだけどな……」

 

「夢の中で解いても点数はずっとゼロだよ!」

 

 図星だった。

 大方テストの前日、ネトゲのゲリライベントでもあって殆ど寝ていなかったのだろう。

 

「はあ、学校ダルっ、ネトゲだけさせろ。あー校舎に隕石落ちてこないかなー」

 

「それには大賛成だけど天使の台詞じゃないよね!?」

 

 というか今隕石が落ちてきたら僕たちもお陀仏だ。

 

「……いざとなったらこの世界の終わりを告げるラッパで……」

 

 ふふふっ、と不気味な笑みを零しながら、怖いことを呟く。

 ……ガヴリールを怒らせるようなことは絶対しないでおこう。世界の平和と命運は、僕の手にかかっている。

 

   ○

 

 渡り廊下を通ってFクラスのある旧校舎にやってきた。

 AクラスやBクラスなんかが存在する新校舎と比較すると、この旧校舎はとても古びた建物で、廊下の床もタイルではなく木造である。そんな旧校舎の中でも、ひときわ暗い瘴気を漂わせる教室が一つ。そう、二年Fクラスの教室である。

 

「酷いなこりゃ」

 

「あはははは……風情があっていいじゃない。それに入ってみたら意外と綺麗かもしれないよ?」

 

 というか、その可能性に賭けるしかない。

 さて、どういう風に教室に入ろう。遅刻して申し訳ありませんと後ろの扉から静かに入るのがいいだろうか。それとも「ゴッメーン遅刻しちゃったピョン! 許してちょんまげ☆」とコミカルに行くべきか。

 うーむ、と考えてみた結果、僕が選んだのは、先ほどAクラスの雰囲気を明るくした月乃瀬さんの挨拶の真似だった。

 

「すいません、ちょっと遅れちゃいました♪」

 

「早く座れこのウジ虫野郎」

 

 誰だ僕をハエの幼虫扱いする不届き者は! 

 

「って、雄二じゃん。何やってんの?」

 

「そりゃあ、俺がこのクラスの代表だからだ」

 

 一生徒の分際で教壇に立っていやがったのは、僕の悪友坂本雄二だった。

 これでFクラスは俺の兵隊ってわけだなと、彼は踏ん反り返って教室中を見渡す。クラスメートたちは机ではなく卓袱台、椅子ではなく座布団に座って、各々暇を持て余していた。この様子だと、ホームルームはまだ始まってないみたい。

 

「ああ──っ!」

 

 っと、僕に続けて教室に入ってきたガヴリールが急に大声を上げた。なんだなんだと、僕や雄二、クラスメートたちの視線が自然と彼女に集まる。

 ガヴリールは顔を真っ赤にして叫んだ。

 

「お前らぁ! なんだよアレはぁ!」

 

「なにって……神棚だが?」

 

 何故分からないのかが分からない、というような様子で、近くにいた男子生徒が答える。

 ガヴリールが指さした先にあったのは、神社を模した小型の神棚だった。何故そんなものが教室に。

 

「俺が急ピッチで組み立てたんだ」

 

 口元に白い歯を見せながら、一人の男子生徒が言う。確か名前は須川くんだったはずだ。

 

「お、おお、お前! 今すぐあれを取り壊せ!」

 

「んな! そんな罰当たりなことを俺にしろと!?」

 

「現在進行形で罰当たりなんだよこの野郎!」

 

 うがーっと呻きながら、須川くんに神棚の取り壊しを要求するガヴリール。

 それにしても、なんで急にガヴリールは怒り出したのだろう。あの神棚を見てからみたいだけど……ん? 神棚の中に何か白い物が見え……あっ。

 

「……」

 

 神棚に奉られていたのは、白い女物のパンツだった。

 つまり今朝、神足通で高校デビューさせてしまったという彼女の下着である可能性が非常に高い。いや、ガヴリールの様子からして、確定だ。

 

「いつもなら俺は遅刻常連なんだが、今日はなんだか目が冴えちまってな。だから今日、この教室に一番乗りにやってきた。酷い環境にうんざりしたよ。だけどそんな時──あのパンツが空からご降臨なされたんだ」

 

「うわあああああああ!」

 

 聞きたくないと、手で耳を塞ぎながら悶えるガヴリール。

 天使の力を使うのにしくじるわ、ノーパン状態になるわ、学校には遅刻するわ、しかもクラスメートに自分のパンツを崇められるわ──うん、最悪だ。

 

「これはもう、パンツの女神が俺に与えた運命だと思ったよ」

 

「パンツの女神とか言うなぁ……」

 

 もはや涙目のガヴリールである。流石に可哀想になってきた。

 

「なあ、吉井もそう思うだろ?」

 

 何故かキラキラと純朴に輝いた瞳で僕に言う須川くん。気持ち悪っ! というか一緒にするな同意を求めるな。

 ん? 見ると、涙目のままガヴリールが僕にアイコンタクトを送っている。

 

『そ・い・つ・を・こ・ろ・せ』

 

 即応で鳩尾に拳を叩きこむ僕。

 ぐぼぁっと低い喘ぎ声を残し、埃を巻き上げながら、須川くんは畳の上に崩れ落ちた。

 変態は成敗しなくっちゃね! なんたって天使様直々のご命令だから仕方ないね。決して私怨があったわけではない。

 

「くっ……俺を殺っても第二第三の教徒が……ぐふっ」

 

 意味深な言葉を残して須川くんは意識を失った。なんだ教徒って。パンツか? パンツ教か? 会費が掛からないなら是非入信したい。

 

「えーっと、すみません、ちょっと通してもらえますか?」

 

 不意に、教室の外から覇気のない声がした。スーツをきていることからこのオジサンがFクラスの担任なのだろう。

 

「あっ、今どかしますね」

 

 僕は道を塞いでいた須川くんを蹴っ飛ばして、未だ興奮冷めやらぬ様子のガヴリールを教室の後ろに連行する。席は指定されていないっぽいから、とりあえず空いていた窓際の席に着席した。

 

「おはようございます。Fクラス担任の福原です。よろしくお願いします。皆さん、卓袱台と座布団に不備はありませんか? あれば申し出てください」

 

 不備はないかというか、不備しかない気がするんだけど……。

 僕の卓袱台は足が折れかけで、僕が座るはずだった座布団は今ガヴリールが二枚重ねで使用している。

 クラスメートの何人かが交換を申し出たが、無事却下された。窓のひび割れはビニール袋とセロハンテープで補強される模様。

 

「必要なものは各自自分で調達するようにしてください」

 

 しかしカビ臭いなこの教室。床が古びた畳だから仕方ないとはいえ、せめて芳香剤くらい置いてほしい。

 隣をチラっと見ると、ガヴリールは座布団を二つ繋げて簡易的なソファーのようにし、そこに寝っ転がってスマホを弄っている。この劣悪な環境で逞しいなこの天使。

 

「では、自己紹介でも始めましょうか。廊下側からお願いします」

 

 福原先生の提案で一人ずつ自己紹介が始まった。

 

「木下秀吉じゃ。演劇部に所属しておる」

 

 指名を受け最初に立ち上がったのは、何故か男子の制服を着た美少女。去年からのクラスメートで友達の木下秀吉だった。自称男とのことだが、どこに出しても恥ずかしくないような美形である。特に男子ばかりのこのむさ苦しい教室では一層輝いて見えた。マジ天使時代のガヴリールほどじゃないけど、さすが秀吉、目の保養になる。

 

「…………土屋康太」

 

 次にゆらりと立ち上がったのは、これまた知り合い、ムッツリーニこと土屋康太だ。愛より性、素肌よりパンチラを追い求める保健体育の求道者である。彼は手短に自己紹介を終えると、静かに、それでいて素早く座った。目立たないけれど、記憶には残る程度の影の薄さ。熟練者の動きだ。

 

「島田美波です。海外育ちでまだ分からないことも多いけれど、仲良くしてくれると嬉しいです」

 

 さらに次の人は、このFクラス数少ない女子の内の一人で同じく去年からのクラスメイト、島田美波さんである。日本生まれドイツ育ちの帰国子女で、元気そうなポニーテールとスラッとしたモデル体型が印象的だ。数学が得意な賢い女の子なのだが、趣味は僕を殴る事らしい。なんて爽やかな校内暴力宣言なんだろう。

 うーむ、類は友を呼ぶ、というやつだろうか。なんだか知り合いが多い気がする。

 

「では次は、胡桃沢さん、お願いします」

 

 福原先生の言葉に、くっくっくっと頷き(頷いてるのかな?)、教室のど真ん中に鎮座していた、ツインテールを輪っかのようにした髪型とコウモリをモチーフにしたヘアピンが特徴の女の子──胡桃沢さんは、高笑いを上げながら起立した。

 

「遠からんものは音に聞け! 近くば寄って目にも見よッ! 我が名は胡桃沢=サタニキア=マクドウェル! いずれはこの世界を支配し、頂点に君臨する大悪魔よ! 震えるがいい、恐怖するがいい、戦くがいい! なーっはっはっはっは!」

 

 卓袱台に足を乗せながら、胡桃沢さんは高らかに宣言した。

 瞬間、教室が居た堪れない空気に包まれる。

 

「ちなみに、そこにいるガヴリールは私の永遠のライバルよ! 私のライバルになりたいのなら、まずはそいつを倒すことね」

 

「誰がライバルだって?」

 

 むくりと、めんどくさいオーラ全開で起き上がるガヴリール。

 胡桃沢さんもまた、月乃瀬さんと同じく魔界学校を卒業し下界にやってきた悪魔である。それ故なのか天使のフレンズであるガヴリールを一年生の頃からずっと目の敵にしている。まあ、その割には仲良さそうだけど。

 

「では、次は天真さん。自己紹介をお願いします」

 

「はぁぁぁぁ……? めんどくさいなぁ、あー……天真=ガヴリール=ホワイトっす。好きなのはネトゲ、野望はあの神棚を破壊することです」

 

 さっ、と数人の男子がガヴリールと神棚の間に立ち塞がる。なんて素早い動きだ、これがパンツに魅入られし者たちか。僕でなきゃ見逃しちゃうね。

 

「チッ……」

 

 舌打ちしながら、憎々しそうに座るガヴリール。木刀でも持たせれば、その姿は立派なヤンキーにしか見えないだろう。少なくとも天使要素は欠片もなかった。

 その後は淡々と自己紹介は進み、やがて僕の番が訪れた。

 

 さて、自己紹介か。どうしよう。さっき教室に入った時は動物園から逃げ出してきたゴリラのせいで失敗しちゃったからな。軽いジョークでも入れて、僕のできた人間性をアピールしつつ、クラスに馴染むことにしよう。

 

「吉井明久です。気軽に『ハニー』って呼んでくださいね♪」

 

「「「…………」」」

 

 シン──という静寂。まるでクラス丸ごと氷点下の場所に移動したかのようだ。

 ……あ、あれ!? 無視!? みんな乗ってきてくれると思ったのに酷い! 雄二てめえは何笑ってやがんだ! 

 

「あっ、えっと……は、ハニー……ゴニョゴニョ……」

 

 うう、頑張って乗ろうとしてくれる島田さんの優しさが今は辛いや。あれ、なんだか目から汗が……。

 僕がさめざめと泣いていると、隣にいたガヴリールが急にニヤッとして、

 

「元気出してください、ダーリンっ♪」

 

 と、可愛らしく首を傾けながら言った。萌え。

 その刹那。

 

 ヒュン! グサッ! 

 

 前方より飛来したカッターナイフが僕の耳元を掠め、後ろの壁に突き刺さった。

 

「……次は当てる」

 

「……生きて還れると思うなよ」

 

「……これは警告ではない。確定事項だ」

 

 ひいいいいいヤバいよこのクラス! というか当たってるし! 初日から流血沙汰だよ! 

 

「が、ガヴリールッ! 冗談でもそういうこと言うのやめてくださいお願いします!」

 

「お、おう、ちょっとからかうだけのつもりだったんだ。正直スマンかった」

 

 全く、気をつけてほしいよ。君の可愛さで僕が(物理的に)昇天しちゃうところだったんだから。

 クラス中の男子から殺気を受け、まさに針の筵といったところか。

 第二撃を警戒して卓袱台を盾代わりにしていると、突然教室のドアがガラッと開いた。皆の視線がそちらへと向かう。殺意が霧散しとりあえず一安心。

 そこにいたのは、白い肌を上気させ、息を切らせて胸に手を当てた女子生徒。

 

「あ、あの、遅れてすみません……」

 

 現れた彼女の姿に、誰からともなく疑問の声が上がる。

 

「丁度良かったです、今自己紹介をしていたところなので、姫路さんもお願いします」

 

「はっ、はい!」

 

 一つ深呼吸をしてから、彼女──姫路さんは教壇に上がった。

 

「あの、姫路瑞希と言います。よろしくお願いしますっ」

 

 おどおどした様子で僕らに頭を下げる。すると彼女のふわふわとした柔らかそうな髪も同じように揺れた。あと胸も揺れた。やったぜ。この時を待っていたのか、前方の特等席に座っていたムッツリーニが一眼レフを連写する。溢れ出る鼻血に塗れているが、大丈夫なのだろうか。防水的に。

 

「あの! どうしてここにいるんですか?」

 

 このクラスの大半が思ったであろう一言を、勇気ある男子生徒が質問する。

 聞かれようによっては失礼な質問であるが、それもやむなし。姫路さんは学年トップクラスの学力を持つ才女で、久保くんより上、霧島さんより下──つまり学年次席候補に最も有力な存在とまで言われていたからだ。

 そんな当然Aクラスにいるべき彼女が、何故かFクラスの教室にいる。

 

「そ、その……振り分け試験の最中に、高熱で倒れてしまって……」

 

 配属クラスは振り分け試験の総合点で決定する。それまでどんなに優秀な成績を残していたとしても、だ。

 そして、試験の途中退席は失格、つまり零点扱いになってしまうのだ。それ故に、彼女は不幸にもFクラスに配属されることとなってしまった。

 彼女の説明に合点がいったのか、今度はFクラスの面々が各々言い訳を始めた。

 

「私はヴァルハラ王国を救うのに忙しかったのでそれで」

 

「いつまで乱世続くんだろうねあの国……」

 

 ヴァルハラ王国とは、ガヴリールがハマっているネトゲの舞台で、年がら年中戦火が絶えない国だ。

 多分、儲けられるコンテンツである限りは終わらないのだろう。

 

「で、では、今年一年よろしくお願いしますっ!」

 

 姫路さんはいい加減注目の的なのが恥ずかしくなったらしく、逃げるように空いていた後ろの席についた。ちょうど雄二の席の隣だ。体調のこととか、色々訊きに行きたいが、既に雄二と何か話していて動くに動けない。あの赤ゴリラ、僕の邪魔しかしないな。

 ガヴリールも淡々と続く自己紹介に飽きてきたのか、座布団の上でウトウトし始めている。この環境の中で眠れるとか、ほんと逞しいな。いや、いつもあの散らかった部屋で生活してるわけだし、むしろこういう場所のほうが落ち着くのだろうか。

 

「坂本くん、君が自己紹介最後の一人ですよ」

 

 姫路さんも自己紹介を終え、須川くんは教室の隅で意識を取り戻さないまま転がっているので、残すところは代表の雄二のみとなる。

 了解、と短く応え、雄二は教壇に立った。

 

「Fクラス代表の坂本雄二だ。俺のことは代表でも坂本でも好きに呼んでくれ。さて、皆に一つ聞きたい」

 

 雄二は長身なこともあって高い目線から僕らや教室を見回す。

 かび臭い畳。古く汚れた座布団。薄汚れた卓袱台──

 

「おい底辺代表、あの神棚もなんとかしろ」

 

「口を挟むな天真。……さて、俺らFクラスはこんな環境なのに対し、Aクラスは冷暖房完備の上、座席はリクライニングシートらしいが──不満はないか?」

 

「「「大ありじゃあーっ!!」」」

 

 オンボロ小屋に押し込められた亡者たちの、魂の叫び。

 

「ああ、そうだな。俺だって、代表としてこの格差に問題意識を抱いている。そこで提案なんだが」

 

 バン、と教卓を叩き──雄二は自信たっぷりの不敵な笑みを浮かべて告げた。

 

「俺たちFクラスは、Aクラスに試験召喚戦争を仕掛けようと思う!」 



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第三話 二人の観察処分者

バカテスト
問 以下の英文を訳しなさい
「This is the bookshelf that my grandmother had used regularly.」

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
「これ 本棚 それ 私の祖母 使用していた 定期的に」
教師のコメント
 翻訳サイトを使うからそんな滅茶苦茶な文章になるんです。

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
「これは私の祖母が最後に愛した本棚です」
教師のコメント
 ウィットに富んだ回答ですが不正解です。

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
「これは私の本棚が愛用していた祖母です」
教師のコメント
 恐ろしい世界観ですね。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
「其の魔導書庫に宿るは古老なる魔女の寵愛」
教師のコメント
 何度も書き直した痕跡から、英語だけでなく漢字も勉強した方がいいと思われます。


 学年最底辺のFクラスが、学年最高峰のAクラスに試験召喚戦争で挑む。勇ましくそう宣言したFクラス代表坂本雄二に対するクラスメイトの反応は芳しいものではなかった。勝てるわけがない、無理に決まっている、これ以上設備が落とされるのは嫌だ。そういった消極的な意見がそこかしこから上がる。

 彼らは決して臆病なのではない。きちんと現実を認識しているのだ。FクラスとAクラスの垣根に存在する圧倒的な力の差を。

 

 文月学園は、試験召喚システムという特殊なカリキュラムを導入した進学校である。これにより、教師の監督下において、文月学園に在籍する生徒は各々のテストの成績が反映された試験召喚獣を呼び出すことができる。そして、この召喚獣を行使したクラス間の戦争──それこそが試験召喚戦争。

 

 この戦いにおいて重要になるのがテストの点数だ。文月学園のテストには上限というものが存在せず、制限時間内ならば可能な限り問題を解くことができる。だから優秀な生徒はとことん高得点を取れるし、劣等生との点数の差は文字通り桁違いとなる。なので、振り分け試験の成績上位者が集まるAクラスと成績下位者が集まるFクラスが対峙した場合の結果など、火を見るよりも明らかだ。

 

 そんな残酷なまでの現実を知りながらも、雄二は笑みを崩すことなく続けた。

 

「そんなことはない。俺たちFクラスでもAクラスに勝てる。勿論玉砕覚悟じゃなく、理詰めでな。その根拠もある」

 

 雄二は根拠として、Fクラスの保有戦力を僕らに示した。

 保健体育なら敵なしのムッツリーニ。学年トップクラスの学力を誇る姫路瑞希。数学ならばBクラスにも匹敵する島田美波。演劇部のホープ木下秀吉。かつては神童と謳われたFクラス代表坂本雄二。

 列挙されたそうそうたるメンバーに、クラスの士気は最高潮まで高まり──

 

「それに、吉井明久と胡桃沢=サタニキア=マクドウェルもいる」

 

「「「…………」」」

 

 一気に盛り下った。こいつ、僕の名前をオチに使いやがったな!

 

「ふふん、流石はFクラス代表といったところかしら? 私の実力を見抜くなんて、大したものじゃない」

 

 なぜかご満悦の胡桃沢さん。

 

「胡桃沢はともかく、誰だよ吉井明久って?」

 

「聞いたこともないぞ」

 

「確か自己紹介で盛大に滑ったアイツの名前がそうだったような」

 

 傷口を抉らないでくれっ!

 

「知らないなら教えてやろう。明久と胡桃沢は観察処分者だ」

 

「……それって、馬鹿の代名詞だったような」

 

 いや、ほんの少しだけね? ちょっぴり勉強が苦手なだけなんです。

 

 観察処分者とは、成績不良かつ学習意欲に問題があると教師に判断された生徒に課せられる処分で、僕と胡桃沢さんがそれに該当している。罰として体裁よく教師の雑用係、主に肉体労働を押し付けられる。

 召喚獣は通常、教師が展開したフィールド内の床と他の召喚獣にしか触れることができないが、観察処分者の召喚獣は物に触れることができる。これにより、召喚獣での力仕事が可能になる。一見便利そうだが欠点もあり、それは召喚獣が受けた負担の一部が本体にフィードバックすることだ。つまり、僕の召喚獣が戦死でもしたら、僕もめっちゃ痛いってこと。

 

「それって、非戦闘員が二人もいるってことじゃないか?」

 

「気にするな、どうせいてもいなくても同じような雑魚共だ」

 

「ちょっと! そこの間抜け面はともかく大悪魔たるこの私が雑魚とは聞き捨てならないわよ!」

 

「とにかくだ。まずは俺たちの力の証明として、Dクラスに試召戦争を挑もうと思う。この境遇が不満ならペンを執れ! 出撃の準備だ! Aクラスを打ち破って、システムデスクを手に入れてやろうじゃないか!」

 

「「「うおおおおおーっ!」」」

 

 雄二の煽りを受けて咆哮を上げる兵隊たち。寡黙なムッツリーニや普段冷静な秀吉も闘争心に満ちた表情を、あの小動物のような姫路さんまでもが小さくガッツポーズを掲げている。

 

 ……ん? 僕? 僕は今、遂に眠りに落ちてしまった隣人を見守るのに必死でそれどころじゃない。だってこの子、むさい男だらけのこの教室であろうことか無防備に寝てるんだよ? 僕が守護らねば誰がガヴリールを守護れるっていうんだ! いちいちゴリラ・ゴリラの相手をしてる暇なんかないよ!

 しかし寝顔可愛いな……。ぼけっとした面ですぴーっと鼻提灯を作っている姿さえ愛らしい。天使かな? 天使だった。

 

「Dクラスへの宣戦布告の使者は明久に行ってもらう。無事大役を果たせ」

 

 おい待てコラ。

 

「ちょっと雄二、なに勝手に決めてんのさ! 僕にはガヴリールを守護らねばならぬ使命があるのに!」

 

「そんなもん姫路か島田か秀吉にでも預けとけ」

 

「というか下位勢力の宣戦布告とか絶対酷い目に合うじゃないか!」

 

「ああ? なんなら予行演習として先に酷い目見ておくか?」

 

 指をコキコキと鳴らして威嚇をする雄二。ほんと野蛮な男だな。だが僕は暴力には屈しないぞ!

 

「ムッツリーニ、ペンチ」

 

「くっ……頼んだよ。姫路さん、秀吉」

 

 然しもの僕も、てこの原理の前には屈伏するしかない。ええい、宣戦布告でもなんでも行ってきてやらぁ!

 

「なぜ当然のようにワシが含まれておるのじゃ……」

 

「何を言っているんだい秀吉。子を守護るのは母の愛、つまり母性だ! そしてFクラスにおいて母性があるのなんていったら姫路さんか秀吉くらいしかああああ手首がねじ切れるように痛いいいッ!?」

 

「母性がなくて悪かったわね!」

 

「見事な小手返しだな」

 

「お主も懲りぬのう明久、雉も鳴かずば撃たれまいに」

 

「あの、助けなくて大丈夫なんですか……?」

 

「…………日常茶飯事」

 

 くっ、流石は島田さん、また実力を上げている。だけど恥じらいがあるのか固めが甘いっ。

 僕は身体の柔軟をフルに活かすことで、するりと抜け出すことに成功した。

 

「あれ? 今何が起こったの!? 吉井の関節が気持ち悪い動きしてたわよ!? ぐにゃりって!」

 

 胡桃沢さんが驚愕の声を上げる。悪魔に驚かれるほどなのか、僕の関節は。

 

「明久も大概、人間離れしとるの……」

 

 失礼な。姉さんの魔の手から逃げる上で身に付けざるを得なかった立派な身体能力なのに。

 

「よし明久、それじゃ任せたぞ」

 

「わかったよ、行ってくればいいんでしょ、行ってくれば」

 

「ああ、逝ってこい」

 

 僕はこれから戦友となるクラスメイトたちに見送られ、Dクラスへと赴いた。

 

   ○

 

「坂本雄二貴様ーっ!」

 

 僕は校内中に張り巡らされたダクトを匍匐前進で駆け抜け、命からがらDクラスから逃げ出してきた。ばこっ、と内側から通気孔の蓋を抉じ開けて、Fクラスに転がり込む。

 

「どこから出てきとるんじゃお主は……」

 

 演劇の台本と思われる冊子を黙読していた秀吉が呆れたように言う。

 

「ああもう、埃だらけじゃない、大丈夫?」

 

 ダクトを通り抜けている時に制服に付着したゴミを島田さんが払ってくれる。優しい。はっ、まさか、これが飴と鞭ってやつなのか!? 埃を払ったら次はお前の存在を祓ってやるという算段なんだな!? 怖い!

 

「おー明久。だいぶ手酷くやられたみたいだね」

 

 ガヴリールは僕がいない間に起きていたらしい。いつも通りの締まりのないにへらっとした表情で、僕の脇腹を小突いた。

 

「そうだよ! Dクラスの奴ら本気で掴みかかってきたんだ!」

 

「予想通りだな」

 

 雄二お前無事に卒業できると思うなよ?

 

「そんなことより、今からミーティングを行うぞ」

 

 世にも珍しいしゃべるゴリラは僕の名誉をそんなことで片付け、教室を出ていった。どうやらミーティングとやらの為に移動するらしく、Fクラスの主要メンバーが雄二に続く。

 うう、身体中が痛いよぉ。神棚のパンツ様に拝んだら傷を癒してもらえないかな?

 

「アーメン……」

 

「おいバカやめろ。私のパンツに祈りを捧げるなバカ、恥ずかしいから」

 

 こころなしか脇腹の辺りの痛みが引いてきた気がする。

 僕はさらに深い黙祷を捧げようとしたが、ガヴリールにふくらはぎを執拗に蹴られ始めたので、断念して雄二たちを追った。

 階段を登り、その先にある重い鉄の扉を開くと、解放感のある青空と眩しい春の日差しが僕らを出迎えた。屋上である。

 

「遅いぞ、明久。お前ちゃんと宣戦布告はしてきたんだろうな?」

 

「さっきの有り様を見ただろ雄二も。午後開戦って告げてきたよ」

 

 先に屋上にいた雄二たちに倣って、僕とガヴリールもフェンスの前の段差に腰を下ろした。

 

「じゃあ、先にお昼ごはんってことね」

 

「そうなるな。明久、今日は忙しくなるだろうから、昼ぐらいはまともなもの食えよ?」

 

 珍しく雄二に心配される。そう思うならパンの一つでも奢ってもらいたいところだが、今日の僕は今までの僕とは違うよ!

 

「うん、今日はお弁当を持ってきたから、これを食べるよ」

 

「なに!? 塩水と砂糖水を主食と言い張る明久が弁当だと!?」

 

「う、嘘じゃろ……!?」

 

「天変地異の前触れ……!」

 

 バカ三人が大真面目な表情で目を見張る。

 

「し、失礼な! そりゃあソルトウォーターとシュガーウォーターで済ます日もあるけど、三日に一度はちゃんとしたもの食べてるよ!」

 

「普通食事は一日に三度するものでしょーが」

 

 ジト目の島田さんに呆れたように突っ込みを入れられる。なんて贅沢なことを抜かすか。戦時中ろくに食事にありつけなかった人たちもいるというのに。

 

「あっ、あの、吉井くんっ」

 

 今まで僕らのことを、主に僕とガヴリールの方をチラチラ伺ってばかりでだんまりだった姫路さんに声を掛けられる。

 

「ん? どうしたの姫路さん」

 

「そのお弁当って、もしかして、誰かに作ってもらったとか……?」

 

 ぎくっ。流石は学年次席並みの学力を持つ姫路さんだ、鋭い。

 

「う、うんっ! 友達が作ってくれたんだっ」

 

「嘘だな」

 

 即座に雄二に切り捨てられる。なっ、何を根拠にそんなことを!

 

「だってお前友達いねぇじゃん」

 

「……」

 

「明久っ! 無言で鉛筆を削るのは止めるのじゃ! ワシはお主を友人だと思っておる!」

 

「…………(コクコク!)」

 

 限界まで先端を鋭くした鉛筆で雄二の眼球を刺し貫こうとしたが、秀吉とムッツリーニに全力で引き留められた。二人の優しさに感謝することだな!

 

「明久の言ってることは本当だよ。まあ、作ったのは私の友達だけど」

 

 見かねたのか、ガヴリールが助け舟を出してくれた。

 

「ガ、ガヴリールちゃんっ。そ、それって、女の子ですかっ?」

 

「えっ、あ、うんっ、ヴィーネ……あ、月乃瀬って奴だけど、知ってる?」

 

 姫路さんが驚くほどの食いつきを見せガヴリールに問い質す。ガヴリールは彼女の予想外の行動に驚いたのか、しどろもどろになっていた。

 ムッツリーニは名前を聞くと、懐に入れていた手帳を取り出し、それをパラパラとめくった。

 

「…………月乃瀬=ヴィネット=エイプリル。文月学園二年生。渾名はヴィーネ。成績優秀、品行方正、物腰柔らかで教師やクラスメイトからの評判も良い。誰にでも優しいため男子を勘違いさせる事例多数。一部の女子を勘違いさせる事例もあり。胸は控えめだが決して無いわけではなく、むしろそこが良いとの声も。目視Bカップ。天真、胡桃沢、白羽と仲が良い。お嫁さんにしたい女子ランキング断トツの一位」

 

 ムッツリーニの情報網怖っ!

 

「ほうほう、女子のお手製弁当か。しかもそのお相手がお嫁さんにしたい女子ランキング一位とは」

 

 雄二がまるで尻尾でも掴んだかのように悪どく笑う。あれ、これヤバくない?

 

「うおおおおおおすげえええええ!! 明久お前っ、あの月乃瀬からの手作り弁当じゃねえかあああ!!」

 

「お前を殺すッ!」

 

「うおッ危ねぇ! なにすんだ明久!」

 

 ちっ! 躱されたか!

 

「黙れッ! 根も葉もない噂で僕の平穏な学園生活を壊そうとする貴様には死がお似合いだ!」

 

 そんなこと言い触らされたら、僕は学校中の男子から命を狙われることになる!

 

「いや、根も葉もあるだろ、一応」

 

 ガヴリールがなんか言ってるけど聞こえないふり。

 事実としては、月乃瀬さんは自分と友達のガヴリールのお弁当を作るついでに、僕の分も用意してくれているだけだ。そういえば、僕がカップラーメンを六十四等分にしているところを目撃されてから、月乃瀬さんが食事を振る舞ってくれる機会が増えたように感じる。まさか僕に気があるわけでもないだろうに、すっげえ優しい。勘違いしちゃいそう。あの子、本当は悪魔じゃなくて天使なんじゃない?

 

「あのっ吉井くんっ、良かったら明日は、私がお弁当作ってきましょうか?」

 

「えっ、良いの?」

 

「は、はい、吉井くんと月乃瀬さんに迷惑でなければっ」

 

 ぐっと両手を胸の前で握る姫路さん。突然の魅力的な提案に僕は驚きを隠せない。

 ただでさえ隣のグータラ駄天使の面倒を見ている月乃瀬さんに僕のお弁当まで作ってもらうというのは、正直気が引けていたし、何より姫路さんみたいな可愛い女の子のお弁当だ、嬉しくないわけがない。迷惑どころか是非ともお願いしたいところだ。

 

「ふーん……瑞希って優しいんだね、吉井にだけ作ってくるなんて」

 

「あっいえ! その……皆さんも良かったら」

 

「俺たちにも? いいのか?」

 

「は、はいっ」

 

「それじゃ、お言葉に甘えようかの」

 

「…………(コクコク)」

 

 まさか全員分作ってきてくれるのだろうか、ありがたいけど大変そうだ。

 あ、じゃあ月乃瀬さんに明日のお弁当は大丈夫だと伝えておくべきかな。

 

「……ヴィーネには私が連絡しておく」

 

「あ、そう? じゃあお願いするよ。……あれ、どうしたのガヴリール?」

 

 なんだか、顔色が良くない。いや、日頃から不健康な生活をしているからか元々血色は良くないのだが、今のガヴリールは普段以上に白く見えた。それに、少し震えているような気がする。

 

「いや、ちょっと悪寒がしただけだ」

 

 屋上の風が寒かったのだろうか。春といってもまだ四月に入ったばかりだし、日差しは暖かくても、風通しの良い場所は結構肌寒い。

 

「じゃあ僕のブレザー着る?」

 

「ん~……着る」

 

「はいよっと」

 

 前のボタンを外してからブレザーを脱いで、ガヴリールに羽織らせてやる。季節の変わり目は風邪を引きやすいというし、何事も用心するに越したことはないだろう。僕はまあ……頑丈な方だし問題ないはずだ!

 

 喉が渇いたので鞄から水筒を取り出す。中には今日朝イチでいれたタップウォーター(水道水)が入っている。うん、この固い喉越しと鼻を突き抜けるカルキ臭がなんとも言えないよね!

 

「ってアレ? みんなどうしたの? そんな鴉が豆鉄砲食らったみたいな顔して」

 

 見ると、この場にいるガヴリール以外の全員が面食らったような視線で僕を貫いている。なんだなんだ、僕はまだ何もやらかしていないぞ。それにガヴリールは普通だし、皆どうしたんだろう?

 あ、もしかして僕の顔の魅力についに気づいちゃったのかな。それなら思わず見惚れちゃうのも頷ける。ならば、さあ、好きなだけ僕の美貌を心のフィルムに刻むといいよ!

 

「いや、それだけはないから安心しとけ」

 

「何も言ってないけど!?」

 

「どうせ俺たちがお前に見惚れてたとでも思ってんだろ」

 

「えっ? 違うの?」

 

「寝言は寝て言えブサイク」

 

「酷いっ!」

 

「あと豆鉄砲食らうのは鳩な」

 

 あまりに直球な一言に心が抉られる。くっ、僕だからいいものの、立ち直れなくなる人もいる言葉だぞそれは! 思っていても口に出しちゃいけない言葉もあるだろ!

 

「……どうやら、さっきの行動は無自覚の賜物みたいじゃな」

 

「……天真さんも特に気にしていないみたいだし、あの二人ってもしかしてデキてんのかしら?」

 

「……ええっ!? そっ、そうだったんですか!?」

 

「……いや、そんな話は聞いたことがないが」

 

「…………二人は同じマンションに住むお隣さん同士」

 

「「ええええええっ!?」」

 

 今度は小声で話し始めたかと思えば、いきなり姫路さんと島田さんが大声を上げた。虫でもいたのだろうか。女の子は嫌いだもんね、虫。Gにも臆さず立ち向かう隣の天使は例外中の例外である。

 

「……あー、そういえばそうだったな」

 

「……ということは、さっきのは普段の距離感なのじゃろうか」

 

「……そ、そんなっ破廉恥ですっ! 男女で服の貸し借りなんてっ」

 

「…………服、下着、交換」

 

「だ、ダメですぅ!」

 

「……体格が違いすぎるし、吉井が一方的に貸してるだけなんじゃない?」

 

 なんの話をしているんだろう、楽しそうだ。僕だけ仲間外れにしないでほしい、悲しくなるから……。

 もういい、僕だってガヴリールと二人きりの小声トークに興じてやる!

 

「……みんな何の話してるんだろうね」

 

「なんでそんな小声なんだよ。……あー、明久のパンツを須川の一派が狙ってるんだとさ」

 

「僕用事を思い出した! 殺らなきゃいけないことがあったんだ!」

 

 須川くん、今度は確実に息の根を止めなければ……! 大丈夫、僕なら殺れる……!

 

「まっ、この話はまた今度異端審問会でじっくり訊こうぜ。さて、試験召喚戦争の話に戻るぞ」

 

 ん? 今なんだか雄二がすごく物騒な単語を言った気がするんだけど、気のせいかな。

 

「あ、その件なんじゃが雄二。何故Dクラスなんじゃ? 段階を踏んでいくならEクラスじゃし、目標はAクラスなのじゃろう?」

 

「理由は簡単だ。Eクラスなんて戦うまでもない相手だからな。士気を上げるためにも、実力は少し格上で、なおかつ長時間派手にやりあえる相手がいい。その相手にはDクラスが最も適任だと判断した」

 

「でも、僕らFクラスにとってはEクラスも格上じゃないの?」

 

 クラス分けは振り分け試験の結果によるものなので、点数は当然僕らより上のはずだ。

 

「明久、周りの面子を見てみろ」

 

「え? えっと……美少女二人とバカ二人とムッツリと駄天使がいるね」

 

「誰が美少女だと!?」

 

「…………(ポッ)」

 

「ええっ!? なんで君たち二人が美少女に反応するの!?」

 

「おい明久、女の子に対してムッツリはないだろ。なあ瑞希?」

 

「ええっ!? ガヴリールちゃん!? ち、違いますよっ。私はムッツリじゃありませんっ!」

 

「明久よ、ワシが次の演目で挑戦する役が堕天使じゃとよく知っておったな」

 

「アンタにだけはバカって言われたくないわ」

 

 くっ! 自分を正しく理解できている奴が島田さんしかいない! 秀吉はどこからどう見ても美少女じゃないか! あ、でも姫路さんが実はムッツリっていうのは背徳感があっていいね。

 

「要は、ウチの戦力ならEクラスとは真正面からやりあっても勝てるってことだ」

 

 まあ確かにEクラス程度なら姫路さんの学力だけで蹂躙してしまえそうだ。

 

「それに、Dクラスの討伐は、Aクラス攻略のためのステップとして必要だしな」

 

 ふうん。こいつ、霊長目ヒト科ゴリラ属にしては結構考えてたんだ。

 

「お高くとまったエリートどもの鼻を、俺たちで明かしてやろうぜ」

 

 打倒Aクラス。

 それはとても現実感のない目標ではあったけれど──でも、僕らならやれるかもしれない。どこか、そんな期待もあった。

 最低クラスに集った者たちの下剋上。その戦いの火蓋がたった今切られた。

 

   ○

 

「ちょっと! なんで誰もいないのよ! 屋上に集合っていうから来てやったのに! この私を放置して解散とかいい度胸だわ! 全く、あいつら礼儀というものがなっていないわよね! 私はいずれこの地を統べる(予定の)大悪魔よ!? つまりは私の部下みたいなものなんだから、私のことを待ったり、呼んだらすぐ駆けつたりしなさ「呼びましたか?」いよおおおおおお!? な、なんでアンタがここに!?」

 

「私はいつでも、サターニャさんのお傍にいますよ?」

 

「堂々たるストーカー発言! っていうかアンタ、授業はどうしたのよ」

 

「大丈夫です、ちゃんと千里眼で板書は確認しているのでっ」

 

「ああ、そうなの……」

 

「ところでサターニャさんサターニャさん」

 

「なによ」

 

「FクラスとDクラスの試験召喚戦争、もう始まってるみたいなんですけど」

 

「え」

 

「行かなくてよろしいのですか?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「フッ、バカね。知らないの? 下界にはこんな言葉があるのよ……切り札は最後まで取っておくものだ、とね!」

 

「なるほど~」

 

「というわけでラフィエル、そこを通しなさい」

 

「駄目です♪」

 

「なんで!? 試召戦争って強制参加だから、サボってると判断されたら私補習室送りになるんだけど!?」

 

「あら、それは楽しそうですね。ゾクゾクします……!」

 

「くっ、こうなったら武力行使も辞さないわよ!」

 

「まあまあ落ち着いてくださいサターニャさん。そうですねー、では──跪いて犬のように足を舐めたら、ここを通してあげましょう」

 

「このドS天使がぁー!」



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第四話 バカと駄天使の共同戦線

 時刻は午後一時。文月学園校舎三階、新校舎と旧校舎を結ぶ渡り廊下には、FクラスとDクラスの試験召喚戦争による戦火が広がっていた。

 秀吉と島田さん率いる先攻部隊は、既に最前線でDクラスの生徒たちと交戦状態にあることが報告されており、僕が部隊長を務める中堅部隊は現在その後ろで待機している。

 

 屋上で雄二から受けたDクラス戦の作戦は至って単純。時間稼ぎだ。正確に言うと、姫路さんが試験を受けて戦線に参加するまで時間稼ぎである。

 姫路さんは学年トップクラスの学力を持つ女の子なのだが、振り分け試験を体調不良で途中退席してしまっている。そのため、最も近い時期に受けたテストの点数が召喚獣の戦闘力となる試験召喚戦争において、持ち点が零なのだ。

 だが戦端が開かれれば、参戦クラスに所属する生徒は補充試験を受けることができるようになる。この試験で姫路さんが一教科でも多く点数を回復できるように時間を稼ぐのが、僕たちの仕事というわけだ。

 

「吉井! 先行部隊が撤退を始めたぞ!」

 

 伝令役として廊下を行ったり来たりしている横溝くんからの報告。ならば先行部隊を援護するためにも、僕ら中堅部隊が加勢に行くべきだろう。

 

「じゃあお前、先行部隊に伝えてきてくれ」

 

 中堅部隊の参謀であるガヴリールが横溝くんに言った。

 

「いのちだいじに」

 

「了解であります!」

 

「いや了解しちゃダメだよね!?」

 

 誰だこの子に参謀役を任せたのは!?

 一見、先攻部隊を気遣っているかのような伝令だが、それはつまり自分たちで何とかして生還しろ、ということだ。丸投げである。僕ら中堅部隊がここで待機していたことも無意味になってしまう。

 前線へと駆けていく横溝くんを尻目に、ガヴリールはため息を吐いた。

 

「人間がごちゃごちゃ多すぎてうぜぇ」

 

「いや、それが試召戦争だし……」

 

 五十人対五十人の大規模な団体戦である。

 まあ確かに、廊下に何十人もの生徒が固まっている状況というのは少し鬱陶しい。

 

「あ、そうだ。自爆特攻してきてもらおうよ。敵さん道連れにさっさと滅んでくださいって感じで」

 

「鬼だ! あんた天使のくせに鬼だ!」

 

 戦死者は終戦までの間、地獄の補習を受けさせられるというのに。そんな作戦ばかり執っていては、士気が下がるどころか、仲間からの信頼も失ってしまう。

 ここは部隊長である僕がしっかりしないと。そう思って、消火栓の影に身を隠しながら最前線の戦場に耳を傾ける。

 

「──さあ来い! この負け犬が!」

 

「鉄人!? 嫌だ! 補習室は嫌だぁ!」

 

「黙れ! 捕虜にはたっぷりと指導をしてやるぞ。補習が終わる頃には趣味は勉強、尊敬するのは二宮金次郎、愛読書は学問のすゝめという模範的な生徒に仕立て上げてやろう」

 

「だっ、誰かッ! 誰か助けっ……イヤアアアアア!(ギィィィィ、ガチャ)」

 

 召喚獣を戦死させてしまった同級生の悲鳴が廊下中に木霊した。同時に誰かがごくりと生唾を飲み込む音。

 なるほど、前線の雰囲気は大体分かった。

 

「総員撤退ィ!」

 

「がってん!」

 

「いいのか!? 吉井隊長! 天真参謀!」

 

 中堅部隊のメンバーが一目散で戦線離脱した僕とガヴリールに問う。良いも悪いもあるか! あれはもはや洗脳部屋だ! 終戦後解放されたとしても、トラウマという重石をずっと心に背負わなければいけなくなる魂の牢獄だ! 僕は仲間の信頼よりも己の保身を選ぶ!

 

「どこに逃げる?」

 

「Fクラスに戻っても前線に強制連行されるだけだ! 裏門から脱出しよう!」

 

 階段へ向かって一直線に駆ける僕たち。その背中のなんと無様なことだろう。だが自分のプライドよりも大切なものがある。

 裏門から自宅へというのは遠回りのルートになってしまうが、四の五の言っている場合ではない。とにかく今は家が恋しかった。Fクラスや試験召喚戦争のことを全て忘れてお布団に沈みたい。

 しかしそんな切なる願いは叶わなかった。

 

「吉井いいいいいいい! 天真あああああああ!」

 

 騒ぎを聞きつけた鉄人が僕らに向かって猛ダッシュしてくる。怖ぁ!

 階段まであと一歩というところで、僕たちの前に筋肉の塊が立ち塞がった。

 

「吉井よ、天真よ……試験召喚戦争は授業の一環だと去年あれほど教えただろう?」

 

「はっ、はい! 勿論存じております西村先生!」

 

「ならば、理解しているはずだよな? 敵前逃亡は死に値すると!」

 

「ご、ごごごごごめんなさいぃ!」

 

「……まあ、今回は階段の手前ギリギリで踏み止まっているから許してやる」

 

 躊躇なくジャパニーズ土下座を繰り出す僕たちに、鉄人は呆れたようにそう言った。

 踏み止まったというより踏み止まるを得なかったんですけどね。鉄人の身体に全速力で激突とか確実に打撲程度じゃ済まない。肋骨の二三本は軽く持っていかれるだろう。

 

「ただし、お前たちが戦死した暁にはたっぷり可愛がってやる。Dクラスに敗北した場合はさらに別途で個人授業を受け持ってやろう。ありがたく思え」

 

「全員突撃しろぉー!」

 

 絶対に負けられない理由ができてしまった。鉄人とマンツーマンで授業とか拷問以外の何物でもない!

 

「お前らぁ! Dクラスの連中を血祭りにあげてやれ!」

 

 僕の号令とガヴリールの鼓舞に伴い、Fクラス中堅部隊が前線へと進軍を開始する。

 すると、向こうからこちらへ走ってくる影が二つ。先行部隊を率いていた秀吉と島田さんである。

 

「明久、援護に来てくれたんじゃな!」

 

「秀吉、島田さん、残存兵力はどんな感じ?」

 

「ウチらを含めてあと五人、全員点数は瀕死寸前といったところね。もうちょっと早く来てくれればよかったのに……なんで目を逸らすのよ?」

 

「な、何でもないよ! それより、ここも直に戦場になる。早く撤退して点数を補充してこないと!」

 

「そうじゃな。ここは任せたぞ明久! 天真!」

 

「いってらー」

 

 愉快な仲間たちが無事撤退するのを見送ってから、今度は僕ら中堅部隊が前線に躍り出る。

 フィードバックがあるからできれば召喚したくないのだが、補習室と鉄人の個人授業は絶対に回避しなければいけない。そのためには姫路さんの力が必要不可欠。ならばここは僕たちが時間稼ぎに徹するしかないのだ。背に腹は代えられぬ、というやつである。

 

「いたぞ! Fクラスの第二部隊だ!」

 

「五十嵐先生! 承認お願いします!」

 

「承認します」

 

 Dクラスの部隊と共にやってきた化学担当の五十嵐先生が召喚フィールドを展開する。この空間は半径十メートル程度。会敵し、僕らは一斉に声を上げた。

 

試獣召喚(サモン)!」

 

 その掛け声と同時に、僕らの足元に魔法陣が広がる。試験召喚システムが作動し、その中から召喚獣が顕現した。

 

 化学

『Fクラス 吉井明久 43点 & ガヴリール 27点』

『Dクラス 鈴木一郎 92点 & 笹島圭吾 99点』

 

 召喚獣の頭上に僕たちの点数が浮かび上がる。

 ってなんだ二十七点って!? いくらなんでも酷すぎる!

 

「明久、これが堕天した私の実力だ」

 

「自信満々に言い放ったよこの子!」

 

 僕も人のこと言えない点数だけど、ガヴリールに至ってはDクラスの二人にトリプルスコアつけられてるじゃないか!

 

「おい、こいつら雑魚だぞ」

 

「指揮官クラスかと思ったが当てが外れたな」

 

 一応これでも部隊長と参謀です。

 

「さっさと終わらせて本丸に攻め込むぞ!」

 

「ああ!」

 

 武器である片手剣を構え突進してくる二体の召喚獣。僕たちの点数だと軽く当たっただけでも大きなダメージを負ってしまいそうだ。

 

「ガヴリールは後方から援護をお願い! 僕が動きを抑える!」

 

「おっけい」

 

 白と水色を基調としたセーラーを身に纏い、小さな弓を携えたガヴリールの召喚獣がフィールドの内側ギリギリまで後退する。必然的に、残された僕の召喚獣が二人と相対する形になる。

 

「この点差で二対一を選ぶなんて、やっぱFクラスの連中は馬鹿だな!」

 

「食らえッ!」

 

「どっこいしょお!」

 

 左右からそれぞれ振り下ろされる一閃。その攻撃を僕は召喚獣の上体のみを仰け反らせギリギリで回避する。的を失った二体の召喚獣は激しく接触。お互いの点数を大きく減らす結果になった。

 

「なんだ、今の気持ち悪い動きは!」

 

「気持ち悪いは余計だよ!」

 

 通常、召喚獣に細かな動きをさせることは困難である。その理由は本体と召喚獣のサイズの差に起因する。なので、彼らのように召喚獣の操作に慣れていないと、単調な動きしか取ることができない。

 しかし僕は観察処分者。教師から召喚獣を用いた雑用を押し付けられているうちに、自然とコツを身に付け、今ではこんな動きも可能になった。まあ、観察処分者の数少ない利点といったところだろう。

 

「へへっ、Fクラスも中々やるでしょ?」

 

 煽るように言うと、二人は僕をぎろりと睨み付けてきた。あーあ、余所見しちゃダメなのに。

 ──ブスッという何かが突き刺さる鈍い音が響いた。

 

 化学

『Dクラス 鈴木一郎 0点 & 笹島圭吾 34点』

 

 更新された点数に彼らは呆けた声を上げる。

 なんてことはない。僕が敵を引き付けている間に、ガヴリールが矢を射った、ただそれだけのことだ。

 状況を理解しきれず立ち尽くしていたもう一体の召喚獣も僕の召喚獣の持つ木刀で刺し貫くと、二体の敵は持ち点を全て失い、ポリゴンの結晶となってバラバラになり、やがてそれも消滅した。

 

「いえーい!」

 

「いえーい」

 

 鉄人に連行される二人を横目に、僕とガヴリールはハイタッチを交わす。

 流石はガヴリール。ゲーム友達歴一年の相棒だが、試験召喚戦争においても連携はバッチリだ。

 

「天真参謀! 何か作戦を下さい!」

 

 Dクラスの別動隊に応戦するクラスメートたちが懇願する。

 ガヴリールは一瞬だけ面倒くさそうに眉を潜めてから作戦を告げた。

 

「……あー、ガンガンいこうぜっ」

 

「「「おおおおおおおおお!!!」」」

 

 雄叫びが戦場に響き渡った。それに対抗するようにDクラスの指揮官と思わしき男も大きな声を上げる。

 ここからが正念場だと、僕は自分の頬を叩いて気合いを入れなおした。

 

   ○

 

「吉井! 横溝がやられたみたいだ! 情報が帰ってこない!」

 

「こっちの竹中先生側の通路はもう俺一人しか残っていない! 増援を!」

 

「藤堂がもう瀕死だ! 誰か援護してやってくれ!」

 

 状況は劣勢も劣勢だった。僕とガヴリールは連携攻撃でDクラスの生徒を何人も討ったが、それでも全てを捌けるわけじゃない。取り零したDクラスの生徒が少しずつ僕らの味方を減らしていく。さらに悪いことは重なるもので、教科を頻繁に変えることでやり過ごしていたものの、僕らの召喚獣の点数もいい加減限界がきていた。僕はフィードバックもあるから身体も辛いし。

 しかも、Dクラスはここを勝機と見たのか本隊を動かしてきている。撤退したいところだが、今僕らが退けば防衛線は瞬く間に決壊し、代表の雄二がいるFクラスに大挙して攻め込まれることは確実だろう。

 ならば、と、僕はフィールドを展開する先生の背後に忍び寄り、ボソッと告げた。

 

「……竹中先生、ヅラがずれてます」

 

 その言葉に反応した古典教師の竹中先生は「ちょっと急用が」と言い残し男子トイレへと逃げて行った。これで戦線を少し縮小することができたはずだ。

 

「藤堂くんは可哀想だけど諦めて! 僕らだけでもDクラスの進軍を阻止するんだ!」

 

「了解!」

 

 僕の指示を受け、みんなが廊下を塞ぐように陣形を組む。ガヴリールだけ何故か僕の後ろに待機。サボる気満々かコイツ。

 

「ややっ? その声はアキちゃ──吉井くんでは!?」

 

 突然、Dクラスの主力メンバーの一人が僕らの前に飛び出してくる。全力でダッシュしてきたのか頬を紅潮させた三つ編みの女の子だ……って、ゲーッ!? た、玉野さん!? なぜこんなところに!

 

「おい明久、誰だこいつは」

 

 僕の後ろから顔を覗かせながらガヴリールが問う。

 

「事あるごとに僕に女装させようとする僕にとって三番目の天敵だよ」

 

 言うまでもなく一番の天敵は鉄人、二番は坂本雄二である。

 

「なるほど、変態か」

 

 その通り。

 彼女の名前は玉野美紀。去年の清涼祭で不慮の事故により女装しているところを目撃されて以来、何故か僕に女装することを強いるようになった危険度MAXの女の子だ。勿論僕自身にそんな趣味はないので常に逃げ回っているんだけど……ちぃっ! 彼女はDクラス所属だったのか!

 

「あっ、あああああ、あああアキちゃ吉井くんっ! こ、こんなところで会うなんてすごい偶然だねっ! これはもう、運命みたいなものだよね! 運命の出会いだよねっ!」

 

「違う! こんなもの運命とは認めない! これは呪いとか祟りとかそういう類のものだ! だから僕の側に近寄らないでくれ!」

 

 僕が果たした運命の出会いは後にも先にもたった一つ、マジ天使時代のガヴリールとの出逢いだけだ。綺麗なままの思い出に泥を塗らせるわけにはいかない!

 

「て、照れないでっ吉井く──アキちゃん! でもそんなアキちゃんも可愛いよぉ……今の時間なら保健室空いてるからさっ。ほらっ、女装、しよ?」

 

「嫌だあああああーっ!」

 

 僕は心の奥底から沸き立つ恐怖に絶叫する。

 なんで男の尊厳を失うような真似をしなくちゃいけないんだ! 僕は男らしく格好いい吉井明久のままで或りたいんだ!

 しかも今、吉井くんをアキちゃんに訂正したよね!? 違うから! 逆だからそれ! 本当の僕を見て!

 頭を抱えていると、ガヴリールが僕の肩に優しく手を置いた。

 

「……明久、これから私、もうちょっと良い子にするよ。だからお前も達者でな」

 

「やめて! そんな風に同情しないで!」

 

 というか見捨てる気満々じゃないか! こいつ僕を売る気だ! さっきまでの連携はどこに!?

 

「これもある意味連携プレイだっ」

 

「自己保身のために仲間を見捨てることを連携とは言わない!」

 

「ええいうるさいぞバカッ。私は変態とは関わりたくないんだ」

 

「僕だって嫌だよこの駄天使ッ!」

 

 睨み合う僕たち。可愛い顔してるくせに相変わらず生意気だな!

 

「あれあれあれっ!? そこにいるのはガヴちゃ──天真さん!? なんでマイエンジェルの二人が一緒にいるのっ!?」

 

 今度はガヴリールに反応する玉野さん。ん? なんだか嫌な予感がする。

 

「ああっ、もしかしてここは天国!? アキちゃんとガヴちゃんなんて夢の組み合わせだよっ! まさに私のための楽園!」

 

 瞳に危険な色を宿し、トリップ寸前の玉野さん。

 ガヴリールは口角を不自然に歪ませ、まさかと冷や汗を垂らしている。

 

「二人とも食べちゃいたいくらい可愛いっ! ああダメっ、欲張りな私……でもっこんなの見せられて我慢できるわけないよ!」

 

「ひいいいいいいっ!?」

 

 頬を上気させて荒い息を吐きながらこっちへ向かってくる玉野さんに悲鳴を上げるガヴリール。正直今すぐ逃げ出したいが、ここで逃げたら防衛線は崩れてしまうし、何より敵前逃亡で戦死扱いだ。まさに前門の玉野さん、後門の鉄人である。さ、最悪だ! 考えうる限り最悪の状況だ!

 

「大島先生! 早く承認をっ! 私これ以上我慢できませんっ!!!」

 

 いったい何を承認させるつもりなんだ!? 召喚獣だよね!? 君の表情からして何か別のものの承認も求めている気がしてならない!

 

「わ、分かった、承認する」

 

 Dクラスの本隊に連れられてきた保健体育の大島先生がフィールドを展開する。

 

試獣召喚(サモン)!」

 

 僕らの部隊とDクラスの本隊のメンバーが一斉に召喚獣を呼び出す。他のFクラスの連中は玉野さんを相手したくないのか、別のDクラス生徒に向かっていった。ちくしょう!

 

 保健体育

『Fクラス 吉井明久 56点 & ガヴリール 42点』

『Dクラス 玉野美紀 133点』

 

 僕らの点数が召喚獣の頭上に表示される。流石は腐ってもDクラス、僕らの倍以上の点数だ! ガヴリールはまたトリプルスコアつけられてるし!

 

「うおりゃああ!」

 

 ガヴリールは玉野さんの狂気にあてられ錯乱しているのか所構わず矢を放ち続ける。落ち着かせようとしたが、その前に一本の矢が見事僕の召喚獣の尻に突き刺さった。

 

「痛あああああっ!?」

 

 フィードバックによる激痛に悶え廊下をのたうち回る僕。フレンドリーさの欠片もないガチのフレンドリーファイアである。なんてことをするんだこの駄天使! 僕の点数が半分以上持っていかれたじゃないか!

 

「ぐふふふ、勝負ありかなっ? 殆どそっちの自滅みたいなものだけど……大丈夫だよアキちゃんガヴちゃん、最初は優しくするからっ! 二人とも可愛がってあげる!」

 

 そう言いながら手をワキワキさせて迫る玉野さん。一体なにが大丈夫だというんだ! まず君の頭が大丈夫か!?

 僕の悲鳴で正気を取り戻したらしいガヴリールが脱兎の如く玉野さんの召喚獣から距離を取る。できればもう少し早く正気に戻ってほしかったなあ!

 

「──ど、どどどどどうしましょう明久さん! 身の危険を感じます! 私たち今すっごくピンチです!」

 

 ガヴリールは狼狽しながら僕の腕にぎゅっとしがみ付く。

 あれ? これ正気どころか堕天以前にまで戻ってない? まさか恐怖が限界突破して、一時的に人格が崩壊してしまったのか!? 天使をそこまで恐れさせるとか玉野さんヤバい!

 

「安心して、責任は全部私が持つからっ! 二人は本能のままに身を預けてくれたらいいから!」

 

 その言い方だと僕たちにも責任の一端があるみたいじゃないか! 僕たちは無実です!

 

 保健体育

『Fクラス 吉井明久 25点 & ガヴリール 18点』

『Dクラス 玉野美紀 133点』

 

 点数も風前の灯である。というか玉野さんの点数を一点も削れていない! さっきの乱射は僕の点数を無駄に減らしただけか!

 もはや絶体絶命かと思われたその時──僕の耳元で小さな声がした。呟き程度の、だが、確かな詠唱。

 

「…………試獣召喚(サモン)、加速」

 

 突如出現した召喚獣は腕輪を輝かせると、一瞬で急加速し、その手に携えた小太刀で玉野さんの召喚獣をすれ違いざまに一刀両断した。

 

 保健体育

『Dクラス 玉野美紀 0点 VS Fクラス 土屋康太 441点』

 

「む、ムッツリーニィーッッ!」

 

「…………(グッ)」

 

 こうして、僕とガヴリールにとって最恐の敵は討ち取られ、補習室へと消えた。



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第五話 ランチタイム☆クライシス(前編)

バカテスト
問 以下の文章の( )に正しい言葉を入れなさい。
『光は波であって、(  )である』

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『眩しいもの』
教師のコメント
 女の子は日焼けが気になりますよね。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
『いつか倒すべき存在』
教師のコメント
 がんばってください。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『大事なところをガードするもの』
教師のコメント
 あなたは光を何だと思っているんですか。

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『秘密の花園を隠すための物』
教師のコメント
 天真さんと白羽さんは今すぐ光に謝ってください。


 颯爽と現れた召喚獣による一撃の元に玉野さんの召喚獣は切り捨てられ、そのまま実体を失い消滅した。

 さ、流石はムッツリーニ! 保健体育だけで僕の総合科目にも匹敵する点数だよ! でもなんで彼がここに?

 

「て、鉄人先生! 早く! 早くこの危険人物を補習室に軟禁してください!」

 

 そんな疑問を僕が抱えていると、玉野さんの狂気によってちょっとおかしくなっているガヴリールが、補習室の番人こと西村先生に涙目で懇願する。

 

「おお、玉野か。たっぷり勉強漬けにしてやるぞ。……あと天真、先生と付けるのはいいが、ちゃんと西村先生と呼べ」

 

「そんなのどっちでもいいんです! 今すぐ私と明久の半径十メートル以内から彼女を遠ざけてくださいっ、ラッパ吹くぞ!?」

 

 言いながらガヴリールは世界の終わりを告げるラッパを掲げる。ヤバい! この駄天使、脅しじゃなく本気で吹くつもりだ!

 獣のように唸り声を上げるガヴリールを羽交い締めにしてどうどうと落ち着かせていると、玉野さんは戦死により無事補習室へ連れて行かれた。

 

「アキちゃんガヴちゃん! 私は諦めないからねっ! 無事に卒業できると思わない方がいいよ!」

 

 という、とても危険な捨て台詞を残しながら。

 つ、疲れた。色々な意味で危険な戦いだった。未だに召喚獣のフィードバックでお尻痛いし。

 

「…………明久、お疲れ」

 

「あ、ありがとうムッツリーニ! おかげで助かったよ! 今日のMVPは君で決まりだね!」

 

 照れたように頬をかくムッツリーニ。いやいや、本当に助かったんだって! おかげで僕とガヴリールの貞操が守られたのだから!

 

「…………これを届けるように言われてきた」

 

「雄二から?」

 

 彼はこくりと頷くと、懐から一枚の紙切れを取り出し、僕に差し出してきた。

 そのメモには、姫路さんの補充試験が終了したという旨と、僕ら中堅部隊への撤退命令が記されていた。つまり、ついに姫路さんを含めた雄二率いるFクラス本隊が動き、Dクラス代表討伐に打って出るということだ。

 

「あ、そっか、伝令役の横溝くんが戦死しちゃったもんね。だからムッツリーニが伝えに来てくれたんだ」

 

「…………展開している科目が保健体育で良かった」

 

「ちなみに違う科目だったらどうしてたの?」

 

「…………見捨てていた」

 

「だよね」

 

 そういうところは流石僕の親友というべきか。もし僕が逆の立場だったとしても間違いなく見捨てている。

 

「…………ところで、さっきから天真は何をしている」

 

 ガヴリールはずっと、鉄人と玉野さんの去って行った方を威嚇し続けていた。僕の腕にしがみついたまま。

 ムッツリーニは据わった目で僕を鋭く見下ろしながら言う。

 

「…………異端審問会は他人の幸せを許さない」

 

「ちょ! 落ち着いてムッツリーニ! これには深い訳が!」

 

「…………言い訳はあの世で聞く……!」

 

「それ僕死んでるじゃないか! わかった! 話し合おう! だからそのボールペンを納めてくれ!」

 

 不承不承といった様子でボールペンをポケットに戻すムッツリーニ。いったいボールペンで僕の身体に何をするつもりだったんだ……!

 僕は思い出しながら、さっきまでの状況を説明する。

 

「えっとね、まずDクラスの玉野さんっていう女の子に女装を求められたんだ」

 

「…………」

 

 ぽん、と僕の肩に優しく手を置くムッツリーニ。見事な変わり身の早さである。こういうところ嫌いじゃないよ。

 

「ま、まあその話は置いといてさ! みんな、Fクラスに戻ろう!」

 

 各々文房具を手に武装をし始めていた頼もしき戦友たちをFクラスに押し戻す。それはDクラスへ向けるべき戦意であって、決して僕へ向いている殺意ではないよね?

 

「ほら、ガヴリールも」

 

 さっきからいじけっぱなしの駄天使に手を差し出す。ガヴリールはその手を取って、ぐいっと引っ張った。

 

「……運べ。私はこんなに頑張って疲れた」

 

「わかったよ」

 

「あと焼肉奢って」

 

「明日から僕に水だけで生活しろと!?」

 

 かくして、僕らの小さな戦争は終わりへと向かう。

 

   〇

 

 その後、本隊に合流した姫路さんの手によってDクラス代表平賀源二は討ち取られ、僕らFクラスの勝利でこの試験召喚戦争は幕を閉じた。平賀くんは精悍な顔立ちと太い眉が特徴の男子で、Dクラスの女子からも慕われているみたいだ。あれ、急に殺意が沸々と湧いてきたぞ。

 彼は素直に負けを認めて教室の交換に応じる構えを示したが、Fクラス代表坂本雄二はDクラスの設備を求めることはなく、代わりに一つ条件を提示した。

 

「大したことじゃない。俺が指示を出したら、窓の外にあるアレを動かなくしてもらいたい」

 

「Bクラスの室外機か」

 

「教師には睨まれるかもしれないが、そう悪い取引じゃないだろう?」

 

 平賀くんは雄二の提案を二つ返事で了承した。

 そして翌日。僕たちFクラスはDクラスとの試験召喚戦争で失った点数を取り戻すべく、クラス一同で試験を受けていた。

 

「疲れたぁー……」

 

 とりあえず四科目が終了。鉛筆を卓袱台の上に放り投げて、畳の上で伸びをする。瞬間、肩や腰やらがバキバキと嫌な音を立てた。うわ、凝ってるなー。

 隣の席のガヴリールをちらりと見ると、彼女は卓袱台に突っ伏して既に熟睡の構えを取っている。ボサボサの髪が鬱陶しかったのか、それらを束ねポニーテールにして。僕のストライクゾーンど真ん中じゃないか。ついつい惑わされそうになるが、同時に普段の彼女の姿を思い出し急速に熱が冷めていった。ほんと顔だけは滅茶苦茶好みなんだけどなぁ。

 ともあれ、今から待ちに待った昼休みである。僕は鞄から水筒(inソルトウォーター)を取り出して昼食にしようとした時。

 

「あっ、あの、皆さん……」

 

 もじもじした様子の姫路さんに声を掛けられた。どうしたんだろう。

 

「あっ、そういえば今日は、瑞希がお弁当作ってきてくれたんだっけ?」

 

 相変わらず平坦な島田さんが、姫路さんをフォローするように言う。ん? お弁当?

 

「おお、そういえばそんな話もしたのぉ。まさか本当に全員分作ってきてくれたのか?」

 

「…………忝し」

 

「は、はいっ。ご迷惑じゃなかったらどうぞっ」

 

 迷惑だなんてとんでもない!

 そうかぁ、姫路さんは本当に僕ら全員のためにお弁当を……なんて優しい子なんだろう! おかげで僕、午後のテストも乗り切れそうだよ!

 

「ありがとう、姫路さん!」

 

「ああ、助かるぜ」

 

「本当ですか? 良かったぁ~……」

 

 ほっと胸を撫で下ろす姫路さん。

 

「じゃあさ、せっかくだし屋上で食べない? こんな薄汚いところじゃ姫路さんに申し訳ないよ」

 

「…………ナイス提案。この時期の屋上は風が強い」

 

 流石はムッツリーニ。飽くなきパンチラへの欲求だ。

 

「んじゃ、俺は飲み物でも買ってくるわ。お前ら、何かリクエストはあるか?」

 

「僕はコーラで」

 

「では緑茶を頼むぞい」

 

「…………ナタデココ」

 

「人間の生き血を所望するわ!」

 

「了解。緑茶にナタデココにダイエットコーラに明久の生き血な」

 

「ちょっと待って雄二! なに勝手に僕の血液を差し出そうとしているの!?」

 

 皆と和やかな団欒を楽しむはずのお昼休みが、狂気的な献血現場に早変わりだ。それに胡桃沢さんは悪魔とはいえ、別に血を飲む必要はなかったはず。

 しかもダイエットコーラってカロリーゼロじゃないか! 僕が要求したのは普通のコーラだ! 貴重なエネルギーを摂取できる機会になんてことをしようとするんだこのゴリラ・ゴリラ・ゴリラは! ちなみコーラは五百ミリリットル一本で大体二百キロカロリーあるらしい。僕だったらこれだけで三日は生き延びることができる数字だよ!

 雄二はそんな僕の反論を無視して、胡桃沢さんに問うた。

 

「というか胡桃沢、お前も来るのか?」

 

「い、いちゃいけないわけ!?」

 

「いや、だってお前昨日は来なかっただろ」

 

「時間を間違えたのよ! おかげで何もしていないのに補習室に強制連行されるし、最悪の一日だったわ!」

 

 なるほど、どおりで昨日のDクラスとの試召戦争で胡桃沢さんを見なかったわけだ。まさかサボり扱いで補習室にいたとは……。しかし、あの鉄人の地獄のような制裁を受けても既にけろりとしている精神力は凄いと思う。

 

「ガヴリールはどうする?」

 

「うむ。空腹だが、今の私には動こうという気力が全く湧かない。後で向かうから先に行っといてくれ」

 

「ぷぷぷ、情けない奴ね!」

 

「お前いっぺん宙舞っとくか?」

 

 そう言って拳を握りしめるガヴリールから、胡桃沢さんは無言で距離を取る。

 僕がいつものように運んであげても良かったのだが、どうにも彼女は立ち上がることさえ億劫らしい。ガヴリールは卓袱台に頬をぷにっと押し当てたまま、教室を出ていく僕らを見送った。

 僕と秀吉とムッツリーニ、そして姫路さんと胡桃沢さんが屋上へ。雄二と荷物持ちを買って出た島田さんは財布を持って一階の売店へと向かっていった。

 

「姫路さん、鞄持つよ」

 

「あ、ありがとうございますっ、吉井くん」

 

 受け取ると、意外にもずしりとした重量感がやってくる。教科書などは教室に置いてきているみたいだし、本当に大きなお弁当を作ってくれたのだろう。大変だったろうに。ちょっと感動。

 扉を開くと、涼しい風が僕らを屋上に迎え入れてくれた。日差しも強めだし、肌寒さも感じない。この気候なら昨日寒気を覚えていたガヴリールも平気だろう。

 

「良いお天気ですねっ」

 

「…………絶好の覗き日和」

 

「ムッツリーニよ、お天道様は見てるもんじゃぞ?」

 

 秀吉の至極まともな突っ込みにムッツリーニは少しだけ葛藤する。一応罪の意識はあったらしい。

 

「フッ、憎き太陽よ。いつかこの私、大悪魔サタニキアが撃ち落としてやるわ」

 

 己を大悪魔と豪語する胡桃沢さんは掌を太陽に翳しながら、物凄く壮大なことを呟く。その姿は一見、様になって格好いいのだが、太陽光が眩しかったのか目をシュバシュバさせているのが非常に珍妙だった。

 

「シートも持ってきたんですよ」

 

 姫路さんはバックを開いて中から可愛らしい水玉模様がプリントされたビニールシートを取り出す。笑顔で張り切る健気な彼女に、僕もつられて笑みを零した。

 みんなでわいわい騒ぎながらシートを敷いて、上履きを脱いでからそこに足を投げ出す。なんだかちょっとしたピクニック気分でテンション上がってきた。

 

「気持ちいいねー」

 

「テスト明けということもあって、素晴らしい解放感じゃな」

 

「…………気分爽快」

 

「えへへ、なんだか小学生の頃の遠足を思い出しますよね」

 

「懐かしいのう、ワシは海浜公園に行った記憶があるのじゃ」

 

「私はタルタロスまで行ったわ!」

 

「うふふ、サターニャさんは迷子になってそうですよね」

 

「なっ、そんなことないし! 普通にリーダーとかやってたし!」

 

 両手を握りしめて抗議する胡桃沢さん。

 ……ん? あれ、今六人いなかった? 確かここにいるのは僕と秀吉とムッツリーニと姫路さんと胡桃沢さんの五人だったはずなんだけど。雄二や島田さんやガヴリールが来るのはもうちょい時間かかるだろうし、僕の気のせいかな?

 

「ところで吉井さん、私コンタクトを落としてしまったのですが……すいません、ちょっと探すのを手伝っていただけないでしょうか?」

 

「ええ!? それは大変だ、早く見つけないと!」

 

 コンタクトなんて高級品、踏みつぶしたりしたら大ごとだ!

 僕は足元に細心の注意を払いながら四つん這いの姿勢になり、目を凝らしてコンタクトレンズを探す。くそっ、今日は日差しが強いから探しにくい!

 

「では、失礼しますね。よいしょっと」

 

 と、そんな軽い声が聞こえたかと思うと、四つん這いになっていた僕の背中に、なんだか柔らかい感触と共に人ひとり分くらいの重みが伸し掛かってきた。

 

「……」

 

 というか、人ひとり分だった。

 彼女は僕の背中に当然のように座り、とても晴れやかな笑顔で僕を見下している。

 

「あの白羽さん」

 

「なんでしょう、吉井さん」

 

「コンタクトは?」

 

「コンタクト? 私は両目ともに視力はバッチリですが」

 

「騙されたあああーっ!」

 

 がくりと項垂れると、白羽さんはあらあらと微笑む。慈愛に溢れた表情だが、やっていることは完全にサディストの所業だ! 人の親切心を利用するなんて卑怯だぞ!

 

「ラフィエル!? アンタいつの間にいたの!?」

 

「私はサターニャさんのいるところ、例え火の中水の中です」

 

「だから怖いっつの!」

 

 僕を椅子にしたまま胡桃沢さんと談笑する白羽さん。

 

「…………お前は、白羽=ラフィエル=エインズワース……!」

 

「まあ、かの有名なムッツリーニさんに名前を存じていただけているなんて光栄です」

 

「…………!(ブンブンブン)」

 

 ムッツリーニは首を全力で振って否定する。ムッツリの誇りに賭けて寡黙なる性識者(ムッツリーニ)であることを認めるわけにはいかないらしい。なお、白羽さんのスカートを覗こうとしながらなので、説得力は皆無だった。

 

「っていうか僕を椅子にしたまま普通に話を続けないで!」

 

「ああっごめんなさい。でも吉井さんって、とっても座り心地が良いんですよ?」

 

「フォローになってない! 椅子として高評価されても嬉しくないよ!」

 

 上品に手で口を隠しながら、満面の笑みを零す白羽さん。この人は本当に人を揶揄うのが好きだな……!

 彼女の名前は白羽=ラフィエル=エインズワース。ガヴリールと同じく天使学校を卒業して下界に降りてきた天使だ。まるで宝石みたいにキラキラ輝く銀色のロングヘアに、十字架をあしらったヘアピンと赤いリボンが特徴の美人さんである。しかし、その美貌に騙されてはいけない。彼女の本性は面白いことを何よりも愛するが故に、その為なら他人を玩具にすることも辞さない天性のサディストなのだ! その導き(いじり)の対象は主に胡桃沢さん、次点で僕である。

 僕が白羽さんに目を付けられるようになったのは、恐らく文月学園の入学式の日、セーラー服で登校してしまったことが原因だろう。彼女はそんな僕を愉快だと思ったらしく、今でもこうして導か(いじら)れるようになってしまった。いくら遅刻しそうだったとはいえ、なんでセーラー服で学校に行ってしまったんだあの日の僕……!

 しかしそんな彼女も、天使学校を次席で卒業しているエリートらしい。主席は堕天しかけてるし、天界の未来が時々心配になる。

 

「では吉井さん、一つクイズです。ででん」

 

 鈴を転がすような声で言う白羽さん。えっ、なに? クイズ?

 

「見事正解すれば、ここから退いて差し上げましょう」

 

 なるほど、そういうことか。ふっ、僕を揶揄おうったってそうはいかないぞ。僕は頭は良くないけれど、クイズなら得意なのだ。クイズ番組もたまに見てるしね。

 

「では問題。『椅子』は英語でなんというでしょうか♪」

 

「……僕の、負けだ……」

 

 クイズなら……! 知識を必要としないクイズであってくれれば……ッ!

 

「えっと、答えは『Chair』ですよね?」

 

「はい、姫路さん正解です。あらぁ、吉井さんはこんな中学生レベルの英単語も答えられませんでしたか♪」

 

「流石は明久といったところじゃな」

 

「…………期待を裏切らない」

 

「へ? ちぇあ? ってなに?」

 

 胡桃沢さん、今日から僕たちは親友だ。同じ観察処分者同士、仲良くしようじゃないか。

 

「そ、そんなことよりさ! 早く姫路さんの作ってくれたお弁当食べたいな! 僕もうお腹ペコペコだよ!」

 

 僕は全力で話題を逸らす。というかむしろ、ここまでが本題から脱線しすぎなのだ。せっかく姫路さんがお弁当を作ってきてくれたというのに、白羽さんの導き(いじり)に真面目に付き合っていたら、昼休みの時間がなくなってしまう。

 

「あっ、どうぞっ。あんまり自信はないですけど……」

 

 ビニールシートの中央に重箱を置き、姫路さんはその蓋をぱかっと開いた。

 

「おおっ!」

 

 僕たちは一斉に歓声を上げる。

 その大きな重箱の中には、から揚げやエビフライ、おにぎりやアスパラ巻きなどの定番メニューや、野菜の緑がとても色鮮やかなサラダなど、沢山の料理がぎっしりと詰まっていた。見てるだけでお腹が空いてくるようだった。

 

 ──僕たちはまだ知らない。たった今開いたこの重箱が、決して開けてはいけないパンドラの匣だったということを。



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第六話 ランチタイム☆クライシス(後編)

「それじゃ、雄二やガヴリールには悪いけど、先に貰おうかなー」

 

 こんなにも沢山の料理があると、どれから食べようものか非常に迷う。

 まずは定番のおにぎりから行くか、それとも健康的にサラダから行くか……いや、せっかく姫路さんが作ってきてくれたお弁当なんだ。豪勢にエビフライから食べよう!

 そう思ってエビフライに手を伸ばす。

 

「…………(ひょい)」

 

「あっ、ズルいぞムッツリーニ」

 

 が、隣からすっと出てきたムッツリーニの手が、僕よりも先にエビフライを摘み取っていった。それをパクリと口の中に放り込み──

 

 バタン! ガタガタガタガタ

 

 まるで跳ねるように転倒し、不気味にも痙攣し始めた。

 

「……」

 

「……」

 

「……あら~」

 

 生気を失った表情で白目を剥くムッツリーニを見て、僕と秀吉は思わず顔を見合わせる。僕の上に座ったまま優雅にもティーカップを取り出し紅茶を嗜んでいた白羽さんも、顔を顰めて冷や汗を流していた。

 

「わわっ、土屋くん!?」

 

「…………(グッ)」

 

 姫路さんの驚いた声に、ムッツリーニは顔を上げて力強くサムズアップする。多分すごく美味しいのだと伝えたいんだろうけど、足は小鹿のように震えていて、僕には虚勢を張っているようにしか見えなかった。

 

「お口に合いましたか? 良かったですっ」

 

 両手をぐっと握って喜びを表す姫路さん。どうやらムッツリーニの虚仮の一心は功を奏したらしい。彼は満足そうな表情で、静かに倒れ伏した。

 ……さて。

 

「秀吉、白羽さん。どう思う?」

 

「……あれを演技とは思えぬな」

 

「だよね、ヤバいよね」

 

「……お二人とも、黄泉戸喫、というものを知っていますか?」

 

 小声で話す僕たちに、白羽さんが聞き慣れない単語を口にした。ヨモツヘグイ? なんだろう、響きからして食べ物に関連してそうだけど……。

 あ、もしかして、お肉の焼き加減のことだろうか。レア、ミディアム、ウェルダン、ヨモツヘグイ、みたいな。

 

「黄泉戸喫というと、あの世の飯を食べると、二度と現世には帰れなくなるというアレかの?」

 

 全然違った!

 

「はい。下界だと、古事記に登場する伊邪那岐命様と伊邪那美命様に関する逸話が有名ですが……姫路さんのこのお弁当からは、黄泉戸喫に似た、呪術めいたものを感じます」

 

 いつもの貼り付いたような笑顔はなく、至って真剣な表情で言う白羽さん。っていうか呪術って。姫路さん、君はこのお弁当に何を入れたんだい?

 

「難しいことはよく分からないけど、とにかく食べたらマズイってこと?」

 

「まあ、そういうことですね。……というわけで吉井さん、あーん♡」

 

「何ゆえ!?」

 

 お弁当からタコさんウインナー(のように見える何か)を箸で摘まんで、僕に向ける白羽さん。今食べたらマズイって言ったばかりじゃないか! さては僕を始末するつもりだな……!?

 

「いいじゃないですか。JK(女子高生)……いえ、JA(女子エンジェル)のあーんなんて中々体験できることではありませんよ?」

 

「食べたら天国送りなんて例え女の子のあーんでも嫌だよ!」

 

「あ、その点は大丈夫です。吉井さんは天国ではなく地獄逝きだと思いますので」

 

「もっと嫌だぁーっ!」

 

 確かに徳は積んでいないけれど! 最悪のカミングアウトだよ! しかも宣告したのが天使だから説得力あるし!

 

「白羽さんが食べなよ! 僕は胃袋に自信ないけど、天使なら平気でしょ!?」

 

「なっ、聖なる存在である天使にこのような物を口にしろと!? なんて恐ろしいことを……!」

 

「そうそれ! それが今、僕が君に抱いてる気持ち!」

 

 メンチを切り合う僕たち。白羽さんが無理矢理にでも僕の口に箸を押し込もうとしたところで、

 

「へー、こりゃ旨そうじゃないか。どれどれ?」

 

 雄二登場。

 僕らが止める間もなく、彼は卵焼き(のように見える何か)を素手で掴み、口の中に放り込んでしまった。

 

 パク バタン──ドシャガシャ! ガタガタガタ

 

 そして、手に抱えていた缶をぶちまけて、盛大に倒れた。

 

「さ、坂本!? どうしたの!?」

 

 一緒にやってきた島田さんが、様子がおかしい雄二へと駆け寄る。

 雄二は倒れたまま首だけを動かして、僕らにアイコンタクトを送ってきた。──毒を盛ったな、と。

 毒じゃないよ、姫路さんの実力だよ。そう返してやると、彼は血の気が引いた表情のまま震える唇を動かした。

 

「し、島田……姫路……、悪いが烏龍茶を買ってきてくれないか……? さ、さっき買い忘れてしまってな……」

 

 もはや呂律さえ上手く回っていない。それでもなお財布を差し出すことができたのは、雄二の鍛え上げた筋肉の賜物か。

 

「それはいいけど、アンタ本当に大丈夫なの?」

 

「た、多分、足でも攣っちゃったんじゃないかな! ほら、まるで凍死寸前のように震えているじゃないか!」

 

 矛盾脱衣でも始めそうな勢いで身震いする雄二。

 これは姫路さんの必殺料理によるものなのだが、勿論真実は黙っておく。いつだって正論は誰かを傷つけてしまうのだ。僕は姫路さんを傷つけるくらいなら雄二を犠牲にすることを選ぶ!

 

「わ、ワシも抹茶が飲みたい気分なのじゃ! 我が儘を言うようじゃが二人とも頼むぞい!」

 

「しょうがないわね……じゃあ行こ、瑞希」

 

「は、はいっ」

 

「では私はカフェオレとサンドウィッチで!」

 

 雄二と僕と秀吉の機転によって渋々ながら二人の女の子を死地から離脱させることに成功。

 ……白羽さんはただ二人をパシリに使っているだけな気がするが、彼女なりの優しさなのだろう、うん。というか、このタイミングで逃げることもできただろうに、それをしなかったのは白羽さんの天使としての矜持なのだろうか。いや、単に面白いものを見れると思っただけだろうけど。

 これでここに残っているのは僕と秀吉と雄二(瀕死)とムッツリーニ(意識不明)と胡桃沢さんと白羽さんだけとなった。二人やガヴリールが来る前にこれを処分しなければ……!

 

「明久! 次はお前が行け!」

 

「無理だよ! 鍛えてる雄二だったからともかく、僕の場合最悪死ぬ!」

 

「ワシもさっきのを見てしまうと決意が鈍るぞ……」

 

「ではこういうのはどうでしょう? 全員一つずつ料理を持って、一斉に食べるというのは」

 

「全弾命中のロシアンルーレットじゃねえか!」

 

「大丈夫です。このウインナーさんはセーフだったので(もぐもぐ)」

 

「それ噛んでるフリだよね!? 明らかに口の動きが不自然なんだけど!?」

 

「何よ、あんたたち食べないの? じゃあ私もらうけど」

 

 僕たちが醜い言い争いをしていたところ──隅っこの方でじっとしていた胡桃沢さんが、から揚げ(のように見える何か)を摘まんでひょいと食べてしまった。むしゃむしゃと咀嚼し、ぐいっと嚥下するのを、僕らは固唾を飲んで見守る。

 

「うっ……!」

 

 瞬間、呻き声を上げる胡桃沢さん。やっぱり悪魔でも駄目だったか!

 

「──美味しい!」

 

「へっ?」

 

 思わず変な声が出てしまった。

 

「外はゴリゴリ中はネバネバ、辛すぎるスパイスの風味と苦すぎる下味をつけた鶏肉が絶妙にマッチしているわ!」

 

「さ、サターニャさん、本当に大丈夫なんですか? 自殺衝動に駆られたりしてませんか?」

 

「胡桃沢! お茶には殺菌効果があると聞く! 大事に至る前に飲むのじゃ!」

 

「胡桃沢さん、同じ観察処分者として君のことは忘れないよ……!」

 

「ああ、お前は文月学園の歴史に名を刻むだろうぜ……!」

 

 本気で心配する白羽さんと秀吉。涙を流して胡桃沢さんの最期を見守る僕と雄二。僕らの思いは一つだった。

 

「はあ? 何言ってんのアンタたち、普通に美味しいじゃないの。姫路の奴、この私ほどではないけど中々やるわね!」

 

「そうですか~。ところでサターニャさん、ちょっと『あー』と発音してもらえないでしょうか?」

 

「今度は何? まあ、いいけど……あ──」

 

「「オラァァァ!!」」

 

「もがぁーっ!?」

 

 無防備にも口を開いた胡桃沢さんに姫路さん特製ポイズンクッキングを詰め込む僕と雄二。やはり僕たちの思いは一つだった。こういうのには適材適所ってものがあるよね!

 

「お主ら、存外鬼畜じゃな……」

 

 秀吉がなんか言ってるけど気にしない。

 

「ぷはぁ──なにすんのよ!」

 

「すげえ、アレをほんとに完食しやがった」

 

「サターニャさんの味音痴もここまで来ると尊敬に値しますね……いえ、それとも悪魔には黄泉戸喫は効果がないということでしょうか」

 

 冷静に分析する白羽さん。

 すると、屋上を出入りするための扉がギィと音を立てて開いた。そこから顔だけを覗かせているのは、見慣れたボサボサの金髪、つまりガヴリールだった。

 

「……何やってんのお前ら」

 

 呆れたような視線を僕らに向ける駄天使。本当に何やってるんだろうね。

 

「あら~ガヴちゃん、今日もやさぐれ可愛いですねー」

 

「おいラフィ、胸を押し付けるな」

 

「じゃあ乗せちゃいまーす♪」

 

「コロス」

 

 笑顔の白羽さんとは対照的にガヴリールは非常にうんざりとした様子だ。

 

「…………!(パシャパシャパシャ)」

 

「む、ムッツリーニ!? いつの間に復活して!?」

 

「…………これが、おちおち寝てられるか……! 明久、お前も手伝え……!」

 

 尋常じゃないほどの鼻血を垂れ流しながら、僕に小型のデジカメを差し出すムッツリーニ。

 た、確かに(見た目は)天使の二人がぐんずほぐれつしているというのは、高校生男子にとってはまさに桃源郷だ! 後で僕にも一枚譲ってくれ!

 

「っていうか、なんでお前がここにいるんだ? ラフィはAクラスだろ?」

 

「なに……?」

 

 と、これに反応したのはFクラス代表坂本雄二。あ、そうか。僕らの試験召喚戦争の最終目的はAクラスなんだから、Aクラスの一員とは当然関わりが少ない方がいいのだろう。

 

「まさか、新学期初日から試召戦争おっぱじめた俺たちFクラスに宣戦布告でもしようってのか?」

 

 警戒するように一歩下がって告げた雄二に、しかし白羽さんはあっけからんとした態度で返した。

 

「いえいえ、そんなことをする気はありませんよ。私に蟻を踏みつぶす趣味はありませんので」

 

「そりゃつまり、俺たちは虫けら程度って言いたいのか」

 

「ああ、そんなつもりではなかったのですが……時に吉井さん、よろしかったら水飴でもいかが?」

 

「ほんと!? わーい数日ぶりの糖分だー!」

 

 白羽さんが小瓶から垂らした水あめを口でキャッチする。今日昼食食べ損ねちゃったからね! いつもの僕なら屈しないけれど、今日は仕方がない! 蟻のように地べたを這い蹲ってやる!

 

「本当に蟻になってどうするのじゃ……」

 

「明久、お前は本当に自分の欲望に素直な奴だな」

 

 皆の視線が僕に突き刺さる。な、なんだよ! お腹空いてるんだからしょうがないだろ! ちょっとしたカロリーも無駄にできないよ!

 はっ、そうだ。明日からはまた月乃瀬さんにお弁当を作ってもらうようにお願いしなくっちゃ! 彼女には本当に申し訳ないけど、でもまた姫路さんがお弁当を作ってくるなんて言い出したら最悪だ!

 それに、姫路さんの必殺料理の威力を見た後だと、彼女の素朴なお弁当が滅茶苦茶恋しくなっていた。

 

「この気持ちをメールにして伝えないと……!」

 

 カチカチと携帯のボタンを打つ僕。文面はすぐに思いついた。

 

【月乃瀬さん、明日から僕のために毎日お弁当を作ってくれないか】

 

 これで問題はないはずだ!

 

「よし、送信!」

 

「明久、その書き方だとヴィーネに誤解されるんじゃ……」

 

「? 何か言った、ガヴリール?」

 

「……いや、お前がそれでいいなら、私は何も言わないけどさ」

 

 そう言って、ガヴリールはぷいっと顔を背けてしまった。

 ??? 僕、何か変なことしただろうか?

 

「じゃ、私は教室に戻りますね。Fクラスの皆さん、楽しいひと時をありがとうございました。次の標的がBクラスなのかCクラスなのかは知りませんけど、私個人としては応援してます♪」

 

 そう言い残して、白羽さんは屋上を立ち去る。

 だが、扉に手を触れる前、ちらっと僕らを一瞥して、

 

「──ですが歯向かってくるのなら、蟻さんといえど容赦はしませんので」

 

 まるで天使のように微笑み、彼女はAクラスへと帰っていった。

 

   〇

 

 二年Aクラス。文月学園第二学年における成績上位者五十人が集うこのクラスの教室は、通常の教室の六倍近くの広さがあるだけではなく、生徒個人にはノートパソコンや個人エアコン、冷蔵庫にリクライニングシートまで支給されており、まさに至れり尽くせりな環境と言えた。

 この教室は、成績上位者へのご褒美や成績下位者への見せしめとしての側面もあって、勉強意欲を向上させるためのものであり、Aクラス生徒はこれらを使用することに対し遠慮をする必要は全くない。

 ないのだが──彼女だけは、授業中も気も漫ろな様子で、なんだかずっとそわそわしていた。

 

(り、リクライニングシートなんて、初めて座ったわ……なんだか落ち着かない!)

 

 庶民派悪魔こと、月乃瀬=ヴィネット=エイプリルである。

 

(勉強なんて紙とペンがあればできるのに……むしろこんなに誘惑があったら、勉学の妨げにしかならないんじゃないかしら……?)

 

 ヴィーネの考察はある意味当たっていた。Aクラスは優秀な生徒五十人が配属されるクラスだが、その中においてもまた、学力の差というものは存在する。

 定期試験のランカーたち──誰に言われることなく常に学習意欲が高く、その意識も別格の学年主席霧島翔子や学年次席久保利光を筆頭とする上位十数名。対して、振り分け試験の対策を練りに練り、Aクラスに入ることだけを目標としてやってきたBクラスに毛が生えた程度のその他の生徒たち。彼らも決して意識が低いわけではないのだが、前者と比較するとその差は天と地ほどあった。実際、後者のグループは、早速与えられた豪華な設備の虜になっている。

 

(個人用のエアコンとか冷蔵庫とか……こ、これって電源切っても良いのかしら……? えっ、えい!)

 

 ただでさえ安い学費で通わせてもらっているというのに、これだけの設備を与えられることに(節約的な意味で)とうとう我慢できなくなってしまったヴィーネは、エアコンや冷蔵庫のプラグを次々とコンセントから抜いていく。その姿は周りから見ると異様な光景である。

 ブウウン……という悲し気な音を立てて、機械は停止した。

 

(ふう、やっぱり落ち着く)

 

 これでも一応、彼女は悪魔なのである。

 やがてプラズマディスプレイに表示された数式をカリカリと解いていると、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 

「では、こちらの問題は宿題とします。午後の授業は移動教室なので、遅れないように」

 

 学年主任兼Aクラスの担任教師である高橋女史がそう告げてから出ていくと、教室はにわかに活気づく。

 お昼休みなので、仲の良い友達数人で学食へ向かったり、お弁当を持ち寄って一緒に食べたり、といった具合だ。

 ヴィーネは几帳面にペンの芯を収めてから、それを一本一本大事そうに筆箱へしまっていると、彼女の席に二人の女子生徒がやってきた。

 

「やっほー月乃瀬さん。一緒にお昼食べない?」

 

「工藤さん、木下さん」

 

 先日仲良くなったばかりの二人だった。

 人当たり良さそうな笑顔で手を振っているのが、工藤愛子。色素の薄く明るい髪を短く切りそろえた、ボーイッシュな女の子である。

 その後ろで困ったような笑みを浮かべているのが、木下優子。気の強そうなツリ目と、濃い茶髪に黒いヘアピンが印象的な女の子だ。

 ヴィーネが微笑むと、それを了承の証として受け取った愛子は隣のシステムデスクに座った。

 

「ごめんね月乃瀬さん。愛子が勝手に決めちゃって」

 

「気にしないで。私も二人と、もっとお話ししたかったし」

 

「おー、月乃瀬さんは優しいね!」

 

 快活に笑う愛子を見ていると、あの赤髪の悪魔を思い出す。成績は月とすっぽんだろうけど。

 筆箱を片付けて、鞄からお弁当を取り出す。見ると、愛子の昼食は市販のお弁当、優子のはコンビニのサンドイッチだった。

 

「月乃瀬さんのお弁当美味しそうだねー。お母さん、料理上手なの?」

 

「自分で作ったの。私、一人暮らしだし」

 

 ヴィーネの母親は現在魔界で専業主婦をやっている。冬休みに定時報告で魔界に帰郷して以来、しばらく会っていないが、ちゃんとペットのチャッピー(イフリート)のお世話をしてくれているだろうか。

 すくすくと育ち──育ち過ぎてしまったチャッピーへ思いを馳せていると、愛子と優子の声によって意識を引き戻された。

 

「「えっ!?」」

 

「ど、どうしたの!?」

 

 何かおかしなこと言っちゃったかしら!? と悪魔らしくもなく狼狽するヴィーネだったが、二人は逆に羨望の眼差しを彼女に送る。

 

「すごいね月乃瀬さん! 高校生で一人暮らしって、羨ましいよ!」

 

「そ、そうなの?」

 

 興奮した様子の愛子に対し、ヴィーネはそんなもんだろうかと淡泊な反応を返す。というのも、彼女の周囲の連中は、自分以外にも単身で生活をしている者たちばかりだからだ。例えば、同じ悪魔であるサターニャ、天使であるガヴリールとラフィエル、それに吉井明久も一人暮らしをしている。

 だが実際のところ、高校生で一人暮らしというのはかなりのレアケースだろう。最もポピュラーなのは高校の寮生活だろうが、文月学園に寮は存在しない。なので、文月学園の生徒たちは実家から通う者が大多数だ。

 

「ほんと、アタシも早く自立したいわ。家にいると弟と喧嘩してばっかで……!」

 

 怒りを顔に滲ませ、ぐっと拳を握る優子。ヴィーネの知る優等生な彼女からは想像できない姿だったが、ストレスでも溜まっているのだろうか。

 

「……木下さんって、弟さんと仲悪いの?」

 

「……うーん。仲が悪いわけじゃないみたいだけど、弟クン、Fクラスだったんだって」

 

「……あー」

 

 納得である。

 木下姉弟は性別の壁を飛び越えてしまうほどに瓜二つだと聞いたことがある。そんな自分とそっくりな弟が、まさか学年最底辺のFクラスとなれば、完璧主義者の優子からしてみればこれほど目障りなものはないだろう。

 

「そういえば、ガヴとサターニャ、あと吉井くんもFクラスだったっけ」

 

 同時に、今日はお弁当は大丈夫だとガヴリールからメールが来ていたことも思い出す。なんでも、Fクラスの女の子が皆にお弁当を作ってきてくれるのだとか。懇篤な子もいるもんだとヴィーネは考えるが、それに自分も当て嵌まることには気づいていない。

 

「吉井クンって、あの観察処分者の吉井クン?」

 

「月乃瀬さんって、彼と交流あるの?」

 

 ほほうと意味深な視線を送る愛子と、げえっとうんざりした感じの視線を送る優子。学園初の観察処分者という不名誉な肩書を持つ彼を、優子は快く思っていないらしい。

 

「うーん……交流というかなんというか」

 

 自分と吉井明久の関係について考える。

 彼とはガヴリールを通じて知り合った。明久はガヴリールと同じマンションに住む男の子で、部屋も隣で歳も同じとあって二人はすぐ打ち解けたらしい。

 ヴィーネが明久と初めて会ったのは、ガヴリールが堕天した後のこと。いつものように彼女の部屋を掃除しに向かったところを、バッタリ鉢合わせした。彼はガヴリールに昼食を作ってあげる約束をしていたとのことで、ヴィーネも相伴に預かることになったのだ。明久は下界の伝統料理のパエリアという料理をご馳走してくれて、とても美味しかったのを覚えている。

 しかし、彼はそんなにも優れた料理の才能があるというのに、食費をギリギリまで切り詰めてゲームやサブカルチャーの為の資金に充ててしまうという悪癖がある。カップラーメンを小さなサイコロ状に裁断してその一欠片を今日の食事と言い張っているのを見た時は泣いて止めたほどだ。その時、あの駄天使と彼がとても仲が良い訳がなんだか分かった。類は友を呼ぶ、というやつだと。

 ……まあ、とにかく。

 彼との関係を一言で例えるのならば、そうだな。友達の友達、というのも今となっては違うような気もするし。

 

「ご飯を食べさせてもらったり、食べさせてあげたりする程度の仲かな」

 

 言ってから、あれ? なんだかこの言い方だと別の意味に捉えられてしまい兼ねなくないか? と気づくも、時既に遅し。

 愛子は興味津々といった感じで目をキラキラさせ、優子は驚愕に目を見開いていた。

 

「え!? えっ!? それってつまり、二人は付き合ってるってこと!?」

 

「ち、違うの! 今のは言葉の綾というか!」

 

「月乃瀬さん! 貴女には観察処分者なんかよりもっと相応しい相手がいるはずよ! 目を醒まして!」

 

「──工藤さん、木下さん、落ち着いて。月乃瀬さんが困っているじゃないか」

 

 二人に肩をぐわんぐわんされているところに助け舟を出してくれたのは、爽やかな短髪と誠実そうな顔立ちが特徴的な眼鏡男子、学年次席の久保利光だった。

 

「あ、ありがとう久保くん」

 

「気にしないで。……いや、それにしても知らなかったな。君と吉井くんは仲が良かったんだね」

 

 眼鏡に指を当てながら言う久保。なんだか威圧感があってちょっと怖い。

 

「ふ、普通の友達よ? 工藤さんが期待してるような関係じゃなくてね?」

 

「なーんだ」

 

「そうか……よかった、吉井くんはまだフリーなんだね」

 

 後半は小声で聞き取れなかったが、何故か久保はほっと胸を撫で下ろしていた。

 と、そんな時、不意にヴィーネの携帯の着信音が鳴る。

 

「あ、ごめんね」

 

 メールを開くと、送信者は件の吉井明久だった。なんだろう?

 

【月乃瀬さん、明日から僕のために毎日お弁当を作ってくれないか】

 

 その文面を読んで絶句した。いや、別に彼に他意はないのだろう。昨日と同じように、ヴィーネとガヴリールの分のついでに、自分のお弁当も用意してくれないか、ということだ。

 そういうことなら構わない。全然構わないのだが──今の話の流れでこの文面、絶対に誤解される!

 

「や、やっぱり! 二人はそういう関係なんだね!?」

 

「月乃瀬さん! 今ならまだ間に合うと思うの! 病院に行った方がいいわ!」

 

「そんなぁ吉井くぅん! 君の心はもう月乃瀬さんのものだっていうのかい!?」

 

「だ、だから違うんだってぇ! もう、吉井くんのバカぁー!」

 

 ヴィーネの叫びが教室中に響き渡る。彼女が苦労から解放される日は遠い。



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第七話 Bクラス・オブ・ザ・デッド

バカテスト
問 以下の問いに答えなさい。
『人が生きていく上で必要となる五大栄養素を全て書きなさい』

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
『憤怒、傲慢、嫉妬、怠惰、強欲、暴食、色欲』
教師のコメント
 色々言いたいことはありますが、まず数が合っていないということに気づきましょう。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『ネトゲ、睡眠、ネトゲ、睡眠、ネトゲ』
教師のコメント
 あなたの生活サイクルは訊いていません。

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『玩具、娯楽、騒乱、愉悦、笑顔』
教師のコメント
 最後の一つだけは同意しておきます。

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『料理、掃除、洗濯、友達、人助け』
教師のコメント
 ……ご苦労様です。


 カタストロフな昼食(死線)を潜り抜けた僕たちは、Bクラス戦へ向けて作戦会議を行った。

 Dクラスとの試験召喚戦争の後、雄二はDクラス代表の平賀くんと取引をしていたが、室外機を狙うのは次なる目標であるBクラスを叩く為のものだったらしい。

 では何故、Dクラスに勝利し士気が最高潮の今、Aクラスに攻め込まず、Bクラスを相手にするのか。その理由を雄二は説明してくれた。

 

「はっきり言おう、どんな作戦でも、うちの戦力じゃAクラスには勝てない」

 

 大胆不敵な彼らしくもない降伏宣言。しかしそれも無理もない。AクラスとFクラスでは、どう考えても戦力の差が大きすぎるからだ。

 例えば、我らがFクラスには学年次席並みの学力を持つ姫路瑞希さんがいる。彼女は一科目三百点以上の戦力として計算することが可能な切り札的存在だが、Fクラスの戦力を平均して考えた場合、彼女一人が莫大な点数を叩きだしても、焼け石に水なのだ。

 しかも相手がAクラスとなれば、その姫路さんに匹敵する学力を持つ人間が何人もいるのだ。特に代表をやっている霧島翔子さん。彼女は姫路さんを超える学年主席として、文月学園二年生の頂点に君臨している。

 それだけじゃない。学年次席である久保利光くんや、秀吉の姉である木下優子さん、それに白羽さんや月乃瀬さんも、一人ひとりが姫路さんに対抗しうる学力を持つ。

 もし仮に霧島さんをFクラスの奇襲によって取り囲むことに成功しても、恐らく返り討ちに遭う。むしろ、こちらの防衛ラインが手薄になり、先に雄二がやられてしまうだろう。代表を討つことが勝利条件である試験召喚戦争において、その差は致命的だった。

 

「情けないわね。この私という者がありながら、Aクラスなんかに恐れを成すなんて!」

 

「しかし、考えてみればみるほど、クラス単位での勝ち目はなさそうじゃぞ……」

 

「ああ、だから一騎討ちに持ち込むつもりだ」

 

 そのためのステップとしてBクラスに勝たなきゃならん、と彼は言った。

 雄二の考えは、Bクラスに勝利したら、設備の交換というシステムを材料に交渉を行うというものである。設備を交換しない代わりに、Aクラスに攻め込むように指示を出す。勿論、例えBクラスだろうとAクラスと正面衝突して勝つことはできないだろう。しかし、ランクの差が一つしかないクラスとの戦争だ。当然Aクラスも疲弊は免れない。

 

「それをネタに今度はAクラスと交渉する。Bクラスとの勝負直後に攻め込むぞってな。嫌ならFクラスとの一騎討ちに応じろ──ってことだ」

 

 基本的に上位クラスは下位クラスからの宣戦布告を拒否することはできない。これはそのルールを利用した作戦というわけだ。流石は雄二、悪知恵を働かせたら右に出る者はいないな。

 

「ってことは、こっちからは瑞希が出て、Aクラス代表との一騎討ちってことか?」

 

 昼食を食べ損ねて機嫌の悪いガヴリールが、僕から強奪したコーラを飲みながら雄二に訊く。むしろこっちとしては感謝してほしいくらいなのに。うう、僕の今日のカロリーが……。

 

「いや、それだと向こうは応じないだろうし、そもそも姫路でも翔子には勝てん。だがまあ、勝算はある。詳しくはBクラス戦の後に説明しよう」

 

「…………今は目の前の敵に集中」

 

「ムッツリーニの言う通りだ。というわけで、明久」

 

「ん?」

 

「今日の放課後、Bクラスに宣戦布告してこい」

 

「嫌だよっ!」

 

 Dクラスに宣戦布告に行ったときのことを思い出す。あのクラスは草食系の集まりかと思っていたのに、試験召喚戦争の意思を告げた途端、鬼の首を取ったように襲い掛かってきたのだ。僕が学園内のダクトの経路を把握していなかったら、病院送りは免れなかっただろう。

 

「やれやれ、困った奴だな」

 

 まるで小さな子供でもあやすかのような口調で言う雄二。何故に貴様はそんなにも上から目線なんだ。

 

「だったらジャンケンで決めないか?」

 

「ジャンケン?」

 

 思わずオウム返ししてしまったが、ジャンケンを知らないわけでは勿論ない。まあ、暴力に物を言わせて無理矢理連れて行かれるよりはマシか。この野生化したゴリラにも幾許かの知性はあったらしい。

 

「OK。ジャンケンで負けた方がBクラスに宣戦布告に行くってことでいいね?」

 

「ただのジャンケンじゃつまらない。心理戦ありでいこう」

 

「それじゃ、僕はチョキを出す!」

 

「そうか。なら俺は──」

 

 ジャンケンの構えを取る僕たち。その姿はまさに刀を鞘から抜き放つ寸前の武士さながらといったところか。

 だが、あいにく僕は武士道精神なんてものは持ち合わせていない。僕はチョキを出す。出すとは言ったが……貴様の両目に向かってだ、坂本雄二ぃー!

 

「──お前がチョキを出さなかったらぶち殺す」

 

 流石は僕の悪友。考えることは一緒か!

 

「死ね明久ぁ!(グー=鉄拳)」

 

「くたばれ雄二ぃ!(チョキ=目潰し)」

 

 両者の拳が交錯する。僕の人差し指と中指が奴の眼球を貫く──その寸前で、先に雄二の拳が僕の顔面にめり込んだ。

 

「ぐああああ!」

 

 体重の乗ったパンチにぶっ飛ばされ、屋上の床を転がる僕。痛あああああ!? 本気で殴りやがったなこの野郎!

 

「決まりだ、逝ってこい」

 

「絶対に嫌だ!」

 

「往生際の悪い奴だな。それとも、Dクラスの時みたいに殴られるのを気にしているのか?」

 

 たった今貴様にも殴られたけどな。

 

「それなら心配するな。Bクラスは美少年好きが多いらしい」

 

「そっか! それなら安心だね!」

 

 これは文月学園一の実在美少年と名高い僕にしかできない任務だ。責任重大だぞ……!

 

「でもお前、ブサイクだしな……」

 

「失敬な! 三百六十五度、どこからどう見ても美少年じゃないか!」

 

「五度多いぞ」

 

「実質五度じゃな」

 

「大丈夫だ明久、人間欠点の一つや二つあったほうが魅力的だから。私が保証してやる」

 

「皆嫌いだあああっ!」

 

 人の揚げ足ばっか取ってる奴は嫌われるんだぞ! バーカバーカ!

 

「それじゃ頼んだぞー」

 

 間延びした雄二の声を受けて昼休みはお開きとなり、再びテスト漬けの午後が始まった。

 

   〇

 

 首の皮一枚といったところでBクラスから逃げ出してきた、その翌日。

 今日も僕らFクラスは午前中までテスト漬けで、ついさっき全科目のテストを終えて、昼食を取ったところだ。今日のお弁当は月乃瀬さんに作ってもらった物で、ご飯を美味しく食べられることに心の底から感謝した。……そういえば、今日の朝に会った月乃瀬さんはなんだか様子がよそよそしかったが、怒らせるようなことでもしてしまったのだろうか。もうお弁当作ってあげないなんて言われてしまったら、僕の命にも関わる事態なので、早急に謝罪せねばなるまい。

 だが、そんな僕の思案に関係なく時間は進む。気づけば時刻は午後零時五十五分。Bクラスとの試験召喚戦争が目前に迫っていた。

 

「今回の戦闘は敵を教室に押し込むことが重要になる。開戦直後の渡り廊下は絶対に突破しなければならない。そこで前衛部隊は姫路瑞希に指揮を執ってもらう! 野郎共、きっちり死んでこい!」

 

「「「うおおおおおおー!」」」

 

 気合十分なFクラスの仲間たち。このモチベーションだけはどこのクラスにも負けていないだろう。

 渡り廊下での戦闘には、姫路さんを筆頭に、Fクラスの五十人中四十人もの戦力が投入される。点数では負けていようと、物量で押し切ることができるはずだ。

 

 ──キーンコーンカーンコーン

 

 午後の授業開始を告げるチャイムが鳴る。開戦の合図だった。

 

出陣()るぞお前ら! 気を引き締めていけ!」

 

 雄二の号令と共に、雄叫びを上げて教室から飛び出す僕たち。

 

「総員突撃!」

 

 先陣を切るのは小隊長である僕と島田さん、そして立会人の数学教師長谷川先生だ。その後ろを大隊長である姫路さんがとてとてと続く。一方、渡り廊下の向こうから現れたのはBクラスの先兵十人程度。彼らは学年主任の高橋先生を連れていた。互いの召喚フィールドが接触しない程度の距離間で二人の教師がシステムを起動させる。いよいよ交戦だ!

 

試獣召喚(サモン)!」

 

 その掛け声と共に現れる数多の召喚獣たち。ざっとみたところ、Bクラスの総合科目の平均点は二千点前後、対してFクラスは八百点前後だ。まさに桁違いな、圧倒的な戦力差に第一陣が少しずつ数を減らしていく。

 だが、そんな時、姫路さんが少し遅れてやってきてくれた。息を切らしながら、彼女は数学フィールドに紛れ込んで召喚獣を呼び出した。

 

 数学

『Fクラス 姫路瑞希 412点』

 

 もはや暴力的とまでいえるずば抜けた点数である。姫路さんの参戦を警戒していたらしいBクラスの女子二人が彼女の前に立ち塞がったが、召喚獣が腕輪を光らせると──

 

 キュボッ!

 

 という巨大な炸裂音と共に、召喚獣の大剣の先から火柱が放たれ、Bクラスの召喚獣数体が飲み込まれ消滅した。す、すごい! なんて殲滅力だ!

 

「今回の数学は結構解けたので……良かったです」

 

 えへへ、と笑みを零す姫路さん。とてもチャーミングだが、レーザーを発射させながらなのでちょっと怖い。

 召喚獣は単一科目で四百点、それか総合科目で四千点以上を叩き出すと、特典として特殊能力を与えられる。それが腕輪だ。僕のような一科目百点が限界の奴には縁のない話で忘れかけてたルールだけど、ムッツリーニの加速といい姫路さんの熱線といい、凄い威力だなぁ。

 

「い、岩下と菊入が戦死したぞ!」

 

「姫路瑞希、噂以上に危険な相手だ!」

 

 姫路さんが瞬殺した二人はBクラスのリーダー格だったらしく、彼らの表情が驚愕に歪む。というか姫路さん強すぎ。もう彼女一人でいいんじゃないかな。

 

「み、皆さんっ、私に続いてくださいっ!」

 

 姫路さんの指揮官らしくない指示。しかしこれがFクラスの男たちには効果抜群だった。

 

「うおー! 姫路さんに続けー!」

 

「彼女を守り抜くんだー!」

 

 どっちかといえば君たちが守ってもらう立場なんだけどね。

 意気揚々と進軍を始めるFクラスに対し、Bクラスは姫路さんに恐れをなしたのか酷く消極的だ。これなら作戦通りBクラスの戦力を教室に押し込むことができるだろう。

 

「明久、ワシらは一旦教室に戻るぞ」

 

 戦況を分析していたところで、手に小さなメモを持っている秀吉に声を掛けられた。

 

「どうしたの?」

 

「これはムッツリーニからの情報なのじゃが……Bクラスの代表は根本らしい」

 

「根本って、あの根本恭二?」

 

「うむ」

 

 それは文月学園においてトップクラスで悪名高い名前だった。根本恭二はとにかく評判が悪い男で──曰く、地下の保管庫からテスト問題を盗み出してカンニングを行ったとか、喧嘩では常に刃物を携帯しているとか──黒い噂が絶えない奴だ。尾鰭が付いた話も幾つかあるのだろうが、火のない所に煙は立たぬとも言う。用心に越したことはないだろう。

 

「そうだね。戻った方がよさそうだ」

 

「わかった、急ごう明久、木下」

 

 そう言って一緒に戦線離脱しようとする金髪ちんちくりんの肩をむんずと掴む。

 

「なにすんだ明久」

 

「ちょっと待って、ガヴリールはサボりたいだけでしょ」

 

「私は補充テストで今日の気力を使い切った。保健室で休ませてもらう」

 

「せっかく補充したのに休んでちゃ意味ないじゃないか!」

 

「うるさい! 大体、こんな大人数で廊下を塞いでちゃ通行人に迷惑だろ! これは私一人分を他の誰かに譲ってあげる天使的親切心だ!」

 

 ぎゃんぎゃんと自論を展開し始める駄天使。ガヴリールの召喚獣は数少ない遠距離攻撃が可能な武器である弓を持っているんだから、やる気になってくれれば大きな戦力になるというのに。

 

「まあまあ、二人とも落ち着くのじゃ。とりあえず教室に戻って、それからでもよかろ」

 

「秀吉がそう言うなら……」

 

 パンパンと手を叩いて僕らを制す秀吉。彼はきっと、いいお嫁さんになると思う。

 

   〇

 

 急いで教室に戻った僕たちを迎えたのは、修復不可能の域までボロボロにされた卓袱台と、畳に転がる破損したシャーペンや消しゴムだった。それらはご丁寧に芯まで圧し折られていて、もう文房具として使うことはできないだろう。

 

「卑劣な連中じゃな……!」

 

 秀吉は怒りを露わにして拳を握る。ポーカーフェイスな彼らしくもない行動だったが、頭にキテるのは僕も同じだった。

 

「それに、これじゃ補給もままならないよ」

 

 文月学園の試験は基本的に全て筆記形式だ。筆記用具がなければ試験を受けることはできない。

 

「予備の筆記具は手配しておいた。多少予定は狂ったが、作戦に大きな支障はない」

 

 僕たちとほぼ同タイミングで教室に戻ってきた雄二が、台詞とは裏腹に、顔に苛立ちを浮かべながら言う。そもそも雄二がいれば、教室がこんな風に荒らされていることにはすぐに気づけたはずだ。なんならFクラスに忍び込んできた連中を(武力で)返り討ちにしているかもしれない。

 

「Bクラスとの協定調印の為に教室を留守にしていた。四時までに決着がつかなければ、戦況をそのままに続きは明日に持ち越し。その間は試召戦争に関わる行為の一切を禁止する、ってな」

 

「それ、承諾したの?」

 

「そうだ」

 

 その協定は僕らFクラスにとってかなり都合が良い。良いはずなんだけど、これがあの根本くんの提案だというのなら……なんだか、嫌な予感がした。

 

「とりあえず、ワシは前線に戻るぞい。向こうでもなにか仕掛けてきてるかもしれん」

 

 僕らの返事も待たず、前線へと駆けていく秀吉。彼に続いて戦場へと赴こうとしたところで、ガヴリールが隣にいないことに気が付く。辺りをきょろきょろと見回す。彼女は、教室の真ん中にいた。

 

「あ、ガヴリール──」

 

 声を掛けようとして、一瞬、固まってしまった。

 そこに天使がいたからだ。

 いや、彼女は本当に天使なんだけれど、そういうことじゃなくて。

 ガヴリールは片膝を付いて、天に祈りでも捧げるかのように、両手を胸の前でぎゅっと握っていた。その姿が──相変わらず髪はボサボサで、制服もダボダボだけど──僕の知るかつてのガヴリールと重なって……だから、回顧の念を催させたというか、思わず固まってしまったのだ。

 それは呟くような声だったから上手く聞き取れなかったけど、彼女はひたすらに言葉を紡いでいた。どこか優しい声色に聞こえた、気がする。

 やがて彼女はすっと立ち上がって、金色の髪を靡かせながら、僕らの方へと振り返った。

 

「……」

 

 その瞳は酷く透き通っていて。でも悲しみとはまた違う色で。

 例えるならそう、まるで万物を慈しむかのような。

 

「付喪神、って言うんだろ?」

 

「えっ……?」

 

「下界では、強い気持ちがこもった物には、神様が宿るんだってさ」

 

 天使学校で習った。と、彼女はとても凪いだ表情で言った。

 

「こいつら神様なんでしょ? だったら、天使である私が遣えるべき相手じゃん?」

 

 だから、神様たちが無事に在るべき場所へと還れるように祈った。それが天使である私の役目なのだから。そう、彼女は暗に告げていた。

 ガヴリールは教室中に散らばったペンや消しゴムの残骸を拾っては、まるで語り掛けるように目を閉じる。

 

 ああ、そうか。

 

 僕は、その時ふと、ガヴリールの天使の輪っかのことを思い出した。

 一年生の頃、ガヴリールと月乃瀬さんと僕の三人で彼女の部屋の掃除をしていた時、話の流れでガヴリールが天使の輪っかを見せてくれたことがあったのだ。確か、この綺麗な輪っかが私が天使であることの証明だよ、とか、そんなことを言いながら。しかし顕現したのは、黒い靄のかかったどす黒い輪っかだったのだ。

 で、僕がふざけて雑巾で拭いたら落ちるんじゃない? なんて言って。ガヴリールもいいねーと乗ってきて。……拭いてみたら、すぐに綺麗な輪っかに漂白されてしまったのだ。本当に透き通っていて綺麗な輪だった。この時は、これが何を意味するのか分からなかったけど……今なら少し分かる。

 まあ、結局なにが言いたいのかといえば、人も天使もその本質は簡単には変わらないということだ。

 

「そうだね」

 

 だから僕は思わず笑って、そんな風に返した。別に笑うつもりはなかった。でも無意識に笑ってしまったのだ。吉井明久という男はつくづく嘘をつけない奴らしい。

 

「あー……お前ら、取り込み中のとこ悪いんだが、ちょっといいか?」

 

 気まずそうな雄二の一言にはっとなって、僕は我に返った。

 

「な、なに? 雄二」

 

「ムッツリーニからの報告だ。Cクラスの様子が怪しいらしい」

 

「Cクラス?」

 

 ガヴリールも手を止めて、雄二の話を聞いていた。

 なんでも、Cクラスが試験召喚戦争の準備を始めているとのこと。まさかAクラスに攻め込もうなんて考えているわけないから──狙いはこの戦争の勝者。つまり、漁夫の利を狙っているのだろう。

 散らばった文具をビニール袋に片付けながら、ガヴリールが雄二に尋ねる。

 

「どうするんだ?」

 

「Bクラスとの戦争が停戦し次第、Cクラスと協定を結びに行く。Dクラスに攻め込ませるぞとでも脅せば、俺たちを落とす気もなくなるだろ」

 

「そもそも僕らがBクラスに勝つなんて思ってもないだろうしね」

 

「そうだな。その時は明久、それに天真。念のため、二人も護衛としてついてきてくれ」

 

「オッケー」

 

「メンドイからパス」

 

 ビニール袋を縛り教室の隅に置いてから、ガヴリールはFクラスの畳でダラダラと寛ぐ。僕のよく知るいつもの駄天使様だなぁ……お馴染みの彼女の姿はとても目に優しかった。

 

   〇

 

 あれから数時間が経ち、時刻は四時半。Bクラスとの試験召喚戦争も協定によって一時休戦と相成って、僕らはひと時の休息に身を委ねていた。

 戦況は、雄二の計画通り順調に進んだ。Bクラスの教室前を攻めて、彼らを教室に押し込めることに成功。明日の九時から同じ状況で戦争再開なので、軍配はFクラスにあると見ていいだろう。とはいえ、こちらの被害も決して小さいものではなかったが。

 

「さてと、それじゃCクラスに乗り込むとしますか」

 

 雄二の提案に、ムッツリーニから協定について聞いていたのであろう何人かが立ちあがる。

 だが、秀吉だけは教室に残ることとなった。彼の顔を見られると、万が一の場合、作戦に支障が出るらしい。まあ確かに、秀吉の顔は僕らだけのものにしておきたいくらい整ってるもんね。

 秀吉を残して、僕、雄二、ムッツリーニ、姫路さん、島田さんというメンバーでCクラスへ向かう。ガヴリールはあのまま畳の上で寝ていた。ある意味すごい根性してると思う。

 

「Fクラス代表の坂本雄二だ。Cクラス代表はいるか?」

 

 ノックもなく扉を開き、Cクラスにいる生徒全員に尋ねる雄二。こいつもこいつですごい度胸だな。

 

「私だけど、何か用?」

 

 まるで大学の講義室を思わせる教室から出てきたのは、混じりっけない黒髪をベリーショートにした女の子。彼女は小山友香と名乗った。小山さんというと、確かバレー部のホープだという話を聞いたことがある。確かにスラっとしてて、運動神経も良さそうだ。

 

「Fクラス代表としてクラス間交渉に来た。不可侵条約を結びたい」

 

「不可侵条約ねぇ……どうしよっか、根本クン?」

 

 小山さんは振り返って、机の上に足を置いて踏ん反り返っていた男に問うた。

 ……え? 根本くん?

 

「当然却下だ。酷いじゃないかFクラスの皆さん、協定を破るなんて」

 

「何を言って──」

 

「先に破ったのはソッチだからな? これは正当防衛ってやつだよなあ?」

 

 根本くんが告げると、彼の取り巻きがCクラスの奥から続々と現れる。そして、その奥には数学の長谷川先生の姿もあった。

 

「…………雄二! 下がれ!」

 

 ムッツリーニが珍しく語気の強い声を上げる。それも当然だ。代表が戦死してしまえば、それは即ち敗北なのだから。

 

「最初からグルだったのか……!」

 

 奥歯を噛みしめる雄二。恐らくこちらが停戦に関するアピールをしたところで、この状況じゃあ協定を盾にしらを切られるだけだろう。今の僕らにできることはただ一つ。この場所からの速やかな逃走だけだった。

 

「長谷川先生! Bクラス芳野がFクラス代表に──」

 

「させない! Fクラス島田が受けます! 試獣召喚(サモン)!」

 

「Bクラス工藤も行きます!」

 

「島田さん、加勢するよ! 試獣召喚(サモン)!」

 

 数学

『Fクラス 島田美波 171点 & 吉井明久 51点』

『Bクラス 芳野孝之 161点 & 工藤信二 159点』

 

「アンタに加勢してもらうまでもないんだけどね」

 

「まあそう言わないでよ。僕たちのコンビネーションをBクラスの皆に見せつけてやろうじゃないか!」

 

「上等!」

 

 サーベルを構え、Bクラス部隊へ肉薄する島田さんの召喚獣。好戦的な彼女らしく防御を顧みない攻撃。しかしそれは、奇襲に成功したと浮かれていたBクラスにとっては胸囲……じゃない、脅威だった。

 

「吉井、今なんだか失礼なこと思わなかった?」

 

「なななな、何にも思ってないよ! それよりほら、さっさとやっちゃおう!」

 

 僕も召喚獣に木刀を強く握らせ、ジグザグに接近する。別に大した意味はないけれど、こうすると相手が驚いてくれるからなんとなくやっている。

 

「はぁーっ!」

 

 次々と繰り出されるサーベル突きの連撃。それにいつしか相手は耐えきれなくなり、召喚獣は穴だらけになって消滅した。

 

「吉井っ!」

 

「うん!」

 

 島田さんの召喚獣が弧を描くようにして投げたサーベルの柄を空中でキャッチする。そして木刀とサーベルの二刀流で、Bクラス工藤くんの召喚獣を切り裂いた。僕だけじゃ大したダメージは与えられなかっただろうが、これには島田さんの武器による攻撃も加算されている。当然相手は耐えきれず、結晶となって消滅した。

 

 数学

『Bクラス 芳野孝之 0点 & 工藤信二 0点』

 

「な、なんだこいつら! Fクラスなんて敵じゃないはずだろ!?」

 

「吉井、一年生の時、模擬戦で遊んでた成果が出たねっ♪」

 

「遊んでたというか僕が一方的に遊ばれてたんだけどね!?」

 

 しかも召喚獣同士じゃなくて生身同士で。可愛く言ってるけどその本性は殺戮の使者だ。なんでも僕はすごく殴り心地が良いらしい。僕を玩具か何かと思っているであろう白羽さんといい、もっとみんな僕に優しく接してくれていいと思うんだ。まあそのおかげ(?)で今の連携もできたのだから、怪我の功名といったところか。本当に怪我したくはなかったけどね!

 

「雄二! 今のうちに姫路さんを連れて召喚フィールドから離れてくれ!」

 

「逃がすな! 坂本を討ち取れ!」

 

 僕の声と根本くんの指示が重なる。

 これはかなりマズイ状況だ。二人を倒せたとはいえ、それ以上の数のBクラス生徒がCクラスにはまだいる。物量で押されれば勝ち目はない。

 さらにBクラスは数学の長谷川先生を連れてきている。これは姫路さんが先ほどの戦争で数学の点数をかなり消耗していることを知っていたからこそだろう。腕輪は強力だが、発動するたびに点数を大きく消費するデメリットがあるのだ。

 卑怯で狡猾、根本恭二らしいやり方だった。

 

「…………肩を貸す」

 

「あっ、ありがとうございますっ、土屋くんっ」

 

「…………!(ブシャアアア)」

 

 全力疾走して息も絶え絶えの姫路さんを支えてあげるムッツリーニ。その姿勢はとても格好いいのだが、姫路さんの胸が腕に当たってしまったのか、大量の鼻血を垂れ流していた。か、格好つかねぇ……! それでもなお倒れないのは彼の男の意地か、それともムッツリの意地か。多分どっちもだな。

 

 そんな彼らを見送ってBクラスの連中に向き直ったところで、僕はぎょっとした。

 姫路さんや雄二に離脱されて悔しいはずの根本くんが──思わず注視してしまうほど、歪んだ笑みを浮かべていたからだ。

 なんだ、これ? なんだこれ……なんだこれ、なんだこれ!

 僕は首が千切れてしまいかねない勢いで、もう一度廊下の方を振り返る。

 

 逃げたはずの雄二、ムッツリーニ、姫路さんが、そこに立ち尽くしたままだった。

 彼らの驚愕の視線の先。

 そこにいたのは──Bクラスの伏兵と、数学教師船越先生。

 

「まさか……!」

 

「ははははっ! まんまと引っかかりやがったなFクラスの馬鹿共が!」

 

 Cクラスに潜んでいた根本くんたちは囮で、こっちの伏兵が本命だったのか!?

 

「Bクラス真田がFクラス代表坂本に勝負を申し込むわ! 試獣召喚(サモン)!」

 

 現れる召喚獣。そして──召喚が承認されてしまえば、敵クラスは誰か一人、召喚に応じなければならない。もし応じなければ、敵前逃亡で戦死扱いだ。

 ならば、誰が応じる?

 あの場で召喚に応じることができるのは雄二、ムッツリーニ、姫路さんの三人だけ。もし僕か島田さんが走って向かったところで間に合わないだろうし、そもそも根本くんに邪魔されるだろう。

 

 雄二は論外だ。彼はクラス代表。もし召喚に応じて戦死してしまえば、その時点でFクラスの敗北が確定する。Aクラスのシステムデスクは疎か、Fクラスの卓袱台ともおさらばだ。

 姫路さんはどうだろう? 彼女の点数は学年次席クラス。当然、Bクラスの生徒など敵ではないだろう──彼女が万全の状態であれば、の話だが。今の彼女は点数的も体力的にも疲弊している。もしここで召喚に応じて、万が一にでも戦死してしまえば、Fクラスは切り札を失うことになるし、姫路さんというFクラスの象徴的な存在が戦死してしまえば士気は駄々下がりしてしまう。

 

 そう。

 つまり、この状況で召喚に応じることができるのは、たった一人しかいないのだ。

 ムッツリーニこと、土屋康太しか。

 

「土屋く──」

 

「…………試獣召喚(サモン)

 

 姫路さんの声より先に、彼はどこか諦めたような、しかし強い意志も宿した、そんな不思議な声色でお馴染みの単語を詠唱する。現れる彼の召喚獣。

 だけどあいつは……ムッツリーニは……!

 

 数学

『Bクラス 真田由香 166点 VS Fクラス 土屋康太 17点』

 

 保健体育以外は……てんで駄目なんだ!

 

「…………雄二! 姫路! 今のうちに逃げろ……!」

 

「くっ、すまねえムッツリーニ!」

 

「…………エロ本三冊で手を打ってやる」

 

 姫路さんを連れて廊下を駆けていく雄二。その顔に浮かぶのは深い後悔だった。

 点数の差は歴然。それでもムッツリーニは果敢に攻め込み──そして二人の武器が交錯する。

 姫路さんが切り札(エース)なら、彼もまた僕らFクラスにとって切り札(ジョーカー)だった。

 

「ムッツリーニィィー!」

 

 僕の声は届いたのだろうか。

 

 数学

『Bクラス 真田由香 104点 VS Fクラス 土屋康太 0点』

 

 彼は驚くほどあっけなく、驚くほど穏やかな表情で、その点数を散らした。



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第八話 たったひとつの冴えないやりかた

 ムッツリーニの戦死。それはDクラスとの試験召喚戦争を勝ち抜き、無意識に天狗になっていた僕らの鼻を圧し折るには十分すぎる現実だった。

 保健体育という科目において他の追随を辞さないムッツリーニの戦略的価値は、玉野さんとの戦闘で彼に救われた僕も当然理解している。それも学年一戦力に乏しいFクラスではまさに切り札と言える存在を失ったことは、大きすぎる損失だ。

 

「チッ、坂本には逃げられたか……だが──土屋康太討ち取ったり! ハハハハハ!」

 

 Cクラスの教室に根本くんの嘲笑が響き渡る。

 恐らく彼は、FクラスとDクラスの試召戦争の情報から、ムッツリーニのことも警戒していたのだろう。この策略は、Fクラス代表である雄二と最高戦力である姫路さんだけではなく、ジョーカーであるムッツリーニを討つことも視野に入れた二段構えのものだったのだ。そして、僕らはまんまと彼の罠に嵌ってしまった。

 

「戦死者は補習ううう!」

 

 試験召喚戦争のルールに則り、戦死者は強制連行される。Cクラスに突入してきた鉄人はムッツリーニとBクラス男子二人をいっぺんに背負い込むと、踵を返して補習室へと向かっていく。

 

「…………明久! 受け取れ!」

 

 その時だった。

 鉄人に担がれたムッツリーニが、僕の方へと何かを投げた。くるくると山なりに飛んできたそれを両手で抱え込むようにキャッチする。それは彼が日頃から愛用している小型のデジカメだった。

 

「ムッツリーニ! これは!?」

 

「…………きっと役に立つ。健闘を祈る……!」

 

 グッと力強く親指を立てて、ムッツリーニは補習室へと姿を消した。

 もしかしたら、彼はこのデジカメの中に、何かBクラス攻略の糸口を遺してくれたのかもしれない。これは必ず雄二の元に持ち帰らないと……!

 デジカメを制服のポケットに詰め込んで、僕は再び根本くんたちと向き合った。

 

「ハッ。何を受け取ったか知らないが、お前たちはもう詰んでるんだよ。お前ら! こいつらも補習室送りにしてやれ!」

 

 根本くんの命令を受けて、Bクラスの生徒たちが僕と島田さんを取り囲む。

 

「どうするのよ吉井! このままじゃ、土屋と補習室で再会するだけよ!?」

 

 心配そうな島田さんの声。僕は精一杯頭と視界を回して、立会人の数学教師長谷川先生に目を付けた。

 

「長谷川先生! ちょっと話があるんですけど」

 

 僕のその声に、長谷川先生が前に出てきてくれた。

 

「なんですか、吉井くん」

 

「……Bクラスが協定違反をしているのはご存知ですか?」

 

「ふむ。聞く限り、先に停戦協定を無視したのはFクラスのようですね。なのでそちらが後から違反を訴えるというのは、戦争云々以前に人としてどうかと思いますよ」

 

 長谷川先生の厳しいお言葉。やっぱり、根本くんから曲解された説明を受けて丸め込まれているらしい。ここまでは予想通りだ。

 島田さんの不安そうな顔が僕に向けられる。彼女を安心させるように片目を瞑ってみせてから、僕は言った。

 

「……万策、尽きたか……!」

 

「「「こいつ馬鹿だぁー!」」」

 

 Bクラスの連中が一斉に声を上げる。失礼な!

 

「やっぱ最低クラスだな!」

 

「クラスは最低じゃないぞ! 最低なのはメンバーだ!」

 

「フォローになってないわよ……」

 

 僕の反論に、島田さんのジト目と突っ込みが向けられる。

 なんとか隙を見て逃げ出したいところだが、取り囲まれているこの状況じゃそれはできそうにない。

 召喚獣で応戦しようにも、人数が人数だ。いくら島田さんが数学の点数に自信があろうと、僕が召喚獣の扱いに長けていようと──数の暴力の前では無力に等しい。

 

「さっさとこいつら片付けて帰ろうぜ! 日が暮れちまうよ!」

 

「ああ! 試獣召(サモ)──」

 

「待ちなさい!!!」

 

 突然、そんな高らかな声が教室中に轟いた。

 

「誰だ!?」

 

 Bクラスの面々から困惑した声が上がる。

 そんな疑問に応えるかのように、その声の主は現れた。──ガタガタと揺れ、そのままガチャンと大きな音を立てて転倒したロッカーの中から。

 

「ごきげんよう、Bクラスの諸君」

 

 そこにいたのは我らがFクラスの一員、胡桃沢=サタニキア=マクドウェルさんだった。

 その場にいた全員から冷ややかな視線が突き刺さって、なお胡桃沢さんはロッカーの中に納まったまま、クククと低い嗤いを浮かべる。

 

「恐怖のあまり声も出ないみたいね」

 

「……とりあえず、そこから出たらどうだ?」

 

 という根本くんの提案。

 彼女はいそいそとロッカーから抜け出して立ちあがると、片手を額に当ててなんか格好いいポーズを取り、言い放った。

 

「知らないなら教えてあげるわ。我が名は胡桃沢=サタニキア=マクドウェル! ゆくゆくはこの世の総てを支配し、天上天下に君臨する者ッ! まずは手始めに試験召喚戦争を利用してこの学園を手中に──」

 

試獣召喚(サモン)!」

 

「ああーっ!? ちょっと聞きなさいよ!」

 

 台詞を遮られ抗議の声を上げる胡桃沢さん。

 

「胡桃沢さん! 君も召喚しないと敵前逃亡扱いだ!」

 

「フッ、いいわ。この私を本気にさせたことを後悔しなさい。──冥府の帷降りし時、混沌の果てより我が眷属は顕現する。血の契約に従い、其の真なる力を解放せよ! 試獣召喚(サモン)!」

 

 長ったらしい口上と共に展開される魔法陣。その中から胡桃沢さんの召喚獣が現れる。普段はちょっとアレとはいえ、彼女は立派な悪魔。背丈よりも大きな鎌を抱える胡桃沢さんの召喚獣はとても強そうだ。

 

 数学

『Bクラス 加西真一 164点 VS Fクラス サターニャ 18点』

 

 見掛け倒しのハリボテだった。

 

「雑魚は構うな! 先に厄介な島田を潰せ!」

 

「なにをー! この私が雑魚ですって!?」

 

「下がってなさいザコとヘナチョコ!」

 

「待って島田さん! 今僕を罵倒する必要ないよね!?」

 

 さっきのコンビネーションはどこに!?

 島田さんと僕も召喚獣を呼び出し、Bクラスに応戦する。しかし点数的には島田さんでも互角、僕と胡桃沢さんはトリプルスコア以上の差をつけられている。胡桃沢さんが加勢(?)に来てくれたのはいいが、どのみちこのままだと全滅だ!

 

「吉井! アンタ、召喚獣を操作したまま走れる?」

 

「へっ? まあできると思うけどなんで!?」

 

「アレよ!」

 

 と、胡桃沢さんが指差した先にあるのはCクラスに設置されている消火器。ちょうど前と後ろの扉に一つずつ置かれていた。なるほど!

 僕は敵召喚獣の攻撃をいなしながら、扉に向かって一直線で走る。通常、召喚獣の操作中はそちらに意識を集中するために本体が動くのは難しいことなのだが──観察処分者は雑用で召喚獣と一緒に本体も物を運ばされることが多い。だからこそできた芸当だ。

 消火器を抱え上げて、安全ピンを引き抜きレバーを押す。すると、

 

 ブシャァァッ!

 

 前と後ろから、消火薬がCクラス内に一気に散布される。窓は閉じられていて密室状態だから、視界はすぐ不明瞭になった。

 

「う、うわっ! なんだこりゃ!?」

 

「ぺっぺっ! これ消火器の粉じゃねえか!」

 

「窓開けろ! 換気だ!」

 

 散らばる粉と咽る敵たちの間を潜り抜け、僕は島田さんの手を掴んだ。

 

「島田さん! 逃げるよ!」

 

「あっ、う、うん!」

 

 彼女の手を引いて、粉まみれになりながらCクラスを脱出することに成功。扉を出て、渡り廊下を走る。その先には僕らと同じく粉まみれの胡桃沢さんがいた。

 

「あーっはっはっは! 火事でもないのに消火器を使う! まさにS級悪魔行為だわ!」

 

「ありがとう胡桃沢さん。おかげで助かったよ!」

 

「殊勝な心がけね。もっとこの私を敬いなさい!」

 

 ふふんとドヤ顔を浮かべる胡桃沢さん。しかしなんで彼女はCクラスのロッカーの中にいたのだろう。

 訊くと、戦争中Bクラスの連中に追われてる時、咄嗟にCクラスのロッカーに逃げ込んだが、立て付けが悪く出られなくなっていたからとのこと。ってことはもしこの騒動がなかったら彼女は学校に取り残されていたのか。

 

「島田さんは大丈夫だった?」

 

「……手、握っちゃった……」

 

「? 島田さん?」

 

「えっ!? あ、ああ! へ、ヘーキ! むしろ殴り足りないくらいよ!」

 

 そう言って、僕の手からパッと離れて握りこぶしを作る島田さん。顔が赤くなってたから消火器の粉が気管にでも入ったんじゃないかと心配したが、やっぱり島田さんは根っからの戦闘狂なんだなぁ。

 

「お主ら! 無事じゃったか!」

 

 Fクラスの教室から駆け寄って来てくれる美少女。あ、なんだ秀吉か。可愛すぎて心臓が飛び出るかと思った。まったく、ビックリさせないでよ。

 

「僕らは無事だったけど、ムッツリーニが……」

 

 言って、アイツからデジカメを預かっていたことを思い出す。

 僕は卓袱台の上で足を組んでいた雄二に、ポケットからデジカメを取って彼に差し出した。

 

「なんだ」

 

「ムッツリーニが最後に遺してくれた物だよ。僕の頭じゃ無理だから、雄二が役に立ててくれ」

 

「そうか……すまねえ、ムッツリーニ」

 

 そう言って力なくデジカメを受け取る雄二。……だいぶ参ってるなこりゃ。姫路さんの姿も見えないし、ちょっと心配だ。

 雄二はデジカメをカチカチと操作し、保存されている(主に女子のパンチラ)写真を一つ一つ見分し──やがて、その手を止めた。

 

「これは……!」

 

 そこに映っていたのは、二つの写真だった。

 一つは、先ほどの根本くんと小山さんが一緒にいる場面の写真。

 そしてもう一つは──Bクラスの教室を廊下側から撮った写真だった。一番右側の窓の向こうには我らがFクラスも置かれている旧校舎が見える。

 ……? なんてことのない、普通の風景の写真に見えるけど。

 

「流石ムッツリーニ! いいモン残してくれたぜ!」

 

 だが雄二は、先ほどの様子とは打って変わって今にも飛び跳ねそうな勢いで立ちあがり、

 

「根本の野郎がその気なら、こっちもやってやる。次に戦況をひっくり返すのは俺たちだ」

 

 そして、野性味たっぷりの活き活きとした表情で、そう告げた。

 

   〇

 

 翌日。戦争再開前に、僕らは再びCクラスを訪れていた。とはいっても、僕や雄二は教室の中には入っていない。離れた場所から様子を窺っているだけだ。

 Cクラスに入っていったのは僕らのクラスメート、木下秀吉。彼は今、女子の制服を身に纏い、瓜二つの姉である木下優子さんに変装して、Aクラスの使者のふりをしている。

 

「静かにしなさい! この薄汚い豚ども!」

 

 そして開口一番にこの台詞である。

 それからはもう、罵詈雑言の嵐で、秀吉はCクラス代表である小山さんを煽りまくった。

 ……秀吉、普段ポーカーフェイスだから気づかなかったけど、ストレスでも溜まってるのかな? 今度相談に乗ってあげよう。

 

「ちょうど試召戦争の準備もしてるようだし、近いうちに私たちAクラスが貴方たちを叩き潰してあげるから!」

 

 Cクラスのドアを勢いよく閉じて、変装した秀吉はツカツカと靴音を立てながら戻ってきた。どこか満足そうな秀吉に、鷹揚と頷く雄二。思わず苦笑いを零すと、Cクラスから甲高い声が響いた。

 

「Fクラスなんか相手してられないわ! 驕ったAクラスの連中に目に物見せてやりましょう!」

 

 彼らの心は小山さんを筆頭に対Aクラスで一致団結したらしい。雄二の思惑通りだ。

 ……ちょっと罪悪感もあるけど、これも戦争だからね。どうか恨まないでほしい。

 

   〇

 

 そして戦争が再開した。

 僕らは昨日から引き続き、敵を教室内に閉じ込めることに注力している。

 しかし、それはつまりBクラスのほぼ全ての戦力が一つの場所に集まっている、ということでもある。多対一ならともかく、一対一という状況を作られてしまうと、僕らFクラスではBクラスに対抗するのは不可能に近かった。

 

「朝倉がやられた! こっち側はもう持たない!」

 

「点数が限界だ! 俺は補給に戻る!」

 

「くそっ、やっぱり俺たちじゃ駄目なのか……!」

 

 新校舎に木霊するFクラスの仲間たちの声。その声にだんだんと諦めムードが混じり始める。いつまで続くのか分からない戦争に、精神的にも疲弊しているのだろう。

 

「みんな! 諦めちゃダメだ! 僕らはDクラスに勝ったじゃないか!」

 

「だけど、やっぱりBクラスとじゃ差がデカすぎるよ……」

 

 暗い雰囲気の漂い始めたFクラスの部隊に対し、Bクラスはここを好機と見たのか活気づく。

 ……秘密兵器を使うしかないか。

 僕はみんなの前に飛び出して、ポケットから一枚の写真を取り出した。

 

「Fクラスの皆! これを見ろ!」

 

 その写真は、ムッツリーニから受け取ったデジカメに記録されていた一枚──二人で談笑する根本くんと小山さんの写真である。

 

「Bクラス代表の根本にはガールフレンドがいるぞ! 相手はCクラス代表、小山友香さんだ!」

 

「「「なにーっ!?」」」

 

 瞬間、着火する孤独な男たちの嫉妬の炎。よし、あと一息だ!

 

「しかも……手作りのお弁当を作ってもらっているそうだ!」

 

 というのは僕の出任せである。本当かどうかは知らない。

 だけど、これが彼らを煽るのに最高だった。

 Fクラスの男子は独り身ばかり。彼女いない歴=年齢といった連中だらけだ。

 そんな彼らに対し、たった今戦争している相手のトップが彼女持ちだなんて告げたら、どうなるだろう。

 

「「「許さんっ!!!」」」

 

 理不尽な怒りが頂点に達し、今ここに、哀しき男たちは他人の幸せを許さぬ嫉みと妬みの使者と化す。こうなると、彼らは鉄人の鬼の補習などものともしない。もはや根本くんの首を獲るまで決して止まらない人の形をした殺意だ。

 

「根本ォー! よくも一人だけ良い思いを!」

 

「お前らに独り身の辛さが分かるかァー!」

 

 防御をかなぐり捨て、本能の赴くままに突撃する召喚獣たち。点数では圧倒的に劣っている彼らだが、捨て身の攻撃でBクラスの敵を少しずつ削っていく。まさに一人一殺である。

 敵になるとクッソ鬱陶しい連中だが、味方だとこうも頼もしい。馬鹿と鋏は使いようとはよく言ったものだ。

 

「クソッ! こいつらは危険だ! いったん陣形を立て直すぞ!」

 

「「「待てええええ! 根本の首を置いていけェェェェ!」」」

 

「ひいいいいい!」

 

 Bクラスの女子生徒が涙目で悲鳴を上げる。入学したばかりの後輩たちには見せられない光景だなこれは……。

 

「数学部隊も前進するわよ!」

 

「今のうちに、点数を消耗した者は補給に戻るのじゃ!」

 

 島田さんは小隊を引き連れ進軍、秀吉は点数負傷者に撤退を呼びかける。

 僕も現代国語の点数が限界だったので、補給へと戻ろうとしたところで──気づいた。

 姫路さんの姿が見えない。

 彼女は前線部隊のトップという立場だ。しかし、その彼女を今日は一度たりとも前線で見ていない。朝のホームルームには出席していたから、校内にはいるはずなんだけど。

 

「──どうして、私たちの教室を荒らしたりしたんですか」

 

 すると、渡り廊下に入る一歩手前で、階段の方からそんな声がした。

 階段の踊り場にいたのは、姫路さんと、短髪と下劣な笑みが特徴の男根本恭二だった。

 

(なんで姫路さんが根本くんと一緒に……!?)

 

 僕は手すりの死角に隠れて二人を覗き見る。

 彼らがいる場所は召喚フィールドの範囲外ギリギリだった。

 

「俺たちがやったって証拠でもあるのかよ?」

 

「それは……」

 

「ハハハハッ! やったのは俺たちだ。おかげで面白いものを見つけてよォ」

 

 言って、根本くんは手元で何かを見せびらかす様に弄ぶ。

 なんだ? ここからじゃよく見えないけど──あれは、封筒?

 

「思いがけない収穫だったよ。まさか今時、ラブレターを書く奴がいるなんてな」

 

「それは……っ! 返してくださいっ!」

 

「俺も高校生男子だからさぁ? やっぱ気になるんだよ。誰が誰に宛てて書いたラブレターなのか!」

 

 本当に楽しそうな笑顔を貼り付けて、根本くんは封筒の一部を引き裂いた。

 ビリッ、という微かな音が嫌に大きく聞こえた気がした。

 

「ま、これは後のお楽しみだ。試召戦争が終わったら返してやるよ」

 

「貴方という人は……!」

 

「ちゃんと返して欲しくば……分かってるよなぁ? 姫路瑞希さん?」

 

「……っ」

 

 賤しい高笑いを上げて、根本くんは立ち去って行く。

 ──正直、今すぐ階段を駆け上がって、あいつに掴みかかりたかった。首根っこ掴まえて、顔面を殴りつけてやりたかった。

 でも、そんなことをすれば、今までやってきたことが全部無駄になる。僕の個人的な感情で問題を起こせば、Fクラスは試験召喚戦争どころじゃなくなってしまう。

 だから堪えろ、吉井明久。戦争に勝てば、あいつに一泡吹かせられるんだ。

 

「…………っ、うぅ……あぁ……ごめんなさい……っ!」

 

 姫路さんは、根本くんの姿が完全に見えなくなってついに耐えきれなくなってしまったのか、その場に崩れ落ちてしまった。顔を両手で抑えて、何度も「ごめんなさい」と繰り返す。それは誰に向けられた言葉なのだろう。代表の雄二か、彼女を守るために戦死したムッツリーニか、それともFクラスの全員か。

 これで姫路さんは完全に無力化されてしまった。Fクラスの教室を荒らしたのは、嫌がらせをすると同時に、僕らの弱みを探っていたのだろう。そして見つけたのが、姫路さんの私物の封筒というわけだ。

 思えば、あの停戦協定からおかしいと思っていたのだ。つまり根本くんはあの時点で、姫路さんを無力化する算段がついていた。だから自分が前線に出るというリスクを背負ってでも、あの奇襲を仕掛けることができたのだ。

 そしてムッツリーニは戦死、姫路さんは戦意喪失。戦略的かつ合理的方法だ。流石はBクラス代表といったところだろう。

 僕は姫路さんに気づかれないように、こっそりと階段から離れ、渡り廊下を駆ける。

 

「面白いことしてくれるじゃないか、根本くん」

 

 Fクラスの教室が荒らされた時、ガヴリールはこう言っていた。

 強い気持ちがこもった物には神様が宿る、と。

 ならば、あの姫路さんの手紙には、一体どれだけの想いが込められているのだろう。

 そして、その純粋な気持ちを土足で踏み荒らした根本くんは、一体どれだけの罪なのだろう。

 僕は天使でも悪魔でもないから、そんなことは分かりっこない。でも、人間だからこそ分かることがある。僕の中に湯水の如く溢れる一つの感情。

 その名前を思い出す前に、自然とこんな言葉が僕の口から零れていた。

 

「──あの野郎、ブチ殺す」

 

   〇

 

「雄二、話があるんだ」

 

 補給試験を無視して教室に飛び込む。雄二はムッツリーニのデジカメを見ながら、何かをノートに記しているところだった。

 近づくと、彼は話してみろという視線を僕に向ける。

 

「根本くんの制服が欲しいんだ」

 

 言ってから気づく。これじゃただの変態だ!

 

「い、いや違うんだ! これは言葉の綾というか……そう! 根本くんを征服したいんだ!」

 

「なんだそりゃ!? お前遂にそっちに目覚めて……!?」

 

「ち、違うよ! だから根本くんから奪取したいものがあるんだ!」

 

「根本くんの身体ちゅっしたい!? 明久、それ以上は戻れなくなるぞ……!」

 

「違ぁーう!」

 

 ええい! 今は雄二のジョークに付き合っている暇はないというのに!

 

「……まあいいだろう。勝利の暁にはそれくらいなんとかしてやる」

 

 しかも受け入れられた!? いいだろうじゃないよ! そこは否定してよ! いや、否定されても困るけど。

 

「で、それだけか?」

 

「……それと、姫路さんを戦線から外してくれないか」

 

「理由は」

 

「理由は……言えない」

 

「……そうか。いいだろう。ただし、二つ条件がある」

 

「二つ?」

 

「一つは、姫路が担当する予定だった役割をお前がやること。もう一つは天真にやる気を出させることだ」

 

「ガヴリールを?」

 

「そうだ。あいつはこれから行う作戦の要だ。だが天真は教室設備に興味がないからかいまいちモチベーションが足りん。それをなんとかしろ」

 

「モチベーション……手っ取り早くとなると、お金で釣るかご飯で釣るかだね」

 

「よりによって現物かよ……しゃーねえ、明久、これをやる」

 

 そう言って雄二が差し出してきたのは、一枚の紙切れだった。

 

「駅前にある焼肉屋の食べ放題クーポン券だ。これでなんとかなるか?」

 

「も、勿論だよ! これは僕が大切に使わせてもらうよ!」

 

 カルビ! ロース! サーロイン! ハラミ! タン! ホルモン!

 ああ、想像だけで涎が……。

 僕はクーポンを手に、卓袱台の上でぐったりしていたガヴリールに近づいた。

 

「ガヴリールガヴリール! 焼肉に興味ない!?」

 

 ぴくっと反応するガヴリール。やはり肉の魔力は強い! これはいける!

 

「しかも僕の奢りだ!」

 

 ぴくぴくっと反応するガヴリール。

 彼女は視線だけを動かして、僕に問うた。

 

「……交換条件は?」

 

「この戦争の勝利!」

 

「よし、作戦を聞かせろ坂本」

 

 ガヴリールはすっと立ち上がって、すたすたと雄二の元へ向かった。

 一応やる気は出してくれたみたいだ。

 しかし、その場の勢いで奢りとまで豪語してしまったな。ま、まあでも、僕にはこのクーポンが……そういえば、クーポンといっても何円引きのクーポンなのだろう。食べ放題の相場はよく知らないけど、千円引きとか? それとも半額? そんなことを考えながらクーポンを見る。

 

『焼き肉食べ放題100円引きクーポン』

 

 ──雄二貴様ァァァ!!

 

   〇

 

「二人とも、本当にやるんですか?」

 

 Dクラスに試験召喚戦争の立会人として呼んだ英語の遠藤先生が、心配そうな顔で僕らに念を押す。

 

「はい。勿論です」

 

「クックックッ。吉井、どちらが真の観察処分者に相応しいか、決着をつけるときよ!」

 

 向かい合うのは僕と胡桃沢さん。その周りを、先ほどまで補給試験を受けていた島田さんや秀吉といった面々が囲む。

 ──僕が雄二から頼まれた、姫路さんの代わりにすべき役割とは、根本くんへ奇襲を仕掛けることだ。しかし今、Bクラスの二か所の出入り口は今もなお戦闘が継続中であり、そこを突破するには姫路さんのような圧倒的な火力が必要になる。だが、僕にはそんな火力はない。

 そこで考えたのが、この作戦。観察処分者である僕だけが──僕たちだけが可能な、たったひとつのやり方だ。

 僕たちの意思が固いことを示すと、遠藤先生は呆れたように溜め息を吐いてから、召喚フィールドを展開してくれた。

 

「「試獣召喚(サモン)!」」

 

 現れる僕たちの召喚獣。別に英語は得意科目というわけじゃないので、点数も酷いものだ。ではなぜ英語の遠藤先生を選んだのかといえば、この人は寛容で、多少の問題は大目に見てくれるからだ。

 

「いくぞ!」

 

 壁際にいる胡桃沢さんの召喚獣めがけて突進し、僕は木刀を横一線に振るった。それを彼女はしゃがむことで回避。木刀は壁に激突し、大きな音を立てて壁に凹みを作った。同時に、観察処分者特有のフィードバックが僕の右手を襲う。

 

「ぐぅ……っ!」

 

「今度はこっちの番よ! 大悪魔の力を思い知りなさいッ!」

 

 迫る巨大な鎌の刃をジャンプして躱す。僕が作った凹みにこの攻撃もヒットし、今度は巨大な亀裂を生み出す。

 見ると、胡桃沢さんの手からは血が流れていた。

 

「……ごめん、胡桃沢さん」

 

「別にいいわよこれくらい。ただし、覚えておきなさい──アンタはさっき、悪魔と契約を交わしたのよ」

 

 彼女の言葉に、僕は一つ頷いた。

 僕が胡桃沢さん(悪魔)と交わした契約。それは、僕と勝負してほしいということ。

 正確には──勝負のふりをして、DクラスとBクラスを隔てるこの壁を壊す。その手伝いをお願いした。

 だから代償が必要なら、ちゃんと払うつもりだ。

 

「これでアンタも、サタニキアブラザーズの仲間入りね!」

 

「サタニキアブラザーズってなに!?」

 

 思わず拳を止めて訊いてしまう。

 えっ!? 契約の代償ってそのどこぞの配管工みたいな謎の組織に加入することだったの!? 初耳なんだけど!

 

「フッ、私の一番弟子として、精進するといいわ!」

 

「弟子になった覚えもないよ!」

 

「というかアンタ、私の弟子にしては地味すぎるわね。もっと腕にシルバーとか巻きなさい!」

 

 と言って胡桃沢さんが取り出したのは銀製の重そうなブレスレットである。だ、だせぇ……。

 

「そんなのどこで買ったのさ……」

 

「魔界通販よ」

 

「なにその胡散臭さマックスの通販!?」

 

 装着したらもう一生外せないとか、一定確率で呪われるとか、そんな副作用がありそうだ。

 

「明久よ、もう時間がないぞ!」

 

 秀吉がDクラスの時計を見ながら言う。現在時刻は二時五十七分。作戦開始まで、もう後残り三分しかない。

 

「らぁ!」

 

 そんな気合いと共に、召喚獣を動かす。

 亀裂は少しずつだが確かに大きくなっていき、崩れた瓦礫が辺りに散らばる。

 また両手の痛みも重なって、どんどん蓄積していく。甲の皮は破け、割れた爪先からは血が滴っていた。

 正直言って、滅茶苦茶痛い。召喚獣は人間の何倍もの怪力を持つが故に、壁を殴った反動のフィードバックも相当なものだ。

 でも、こんな痛みは時間が経てば消えるし、傷だって、僕なら三日もあれば完治するだろう。

 だけど──自分の筆記用具や教室をボロボロにされたFクラスの皆のやる瀬なさは。その道具に宿る神様の意思に触れたガヴリールの感傷は。そして、自分の想いを込めて書いた手紙を踏み躙られた姫路さんの悲しみは……皆の心の傷は、一生消えないかもしれないんだぞ!

 

「お前はそんなことも分からないのか、根本恭二ぃ!」

 

 状況が分からないまま立ち尽くしていた遠藤先生も、いい加減僕らのことを訝しんでいる。フィールドを消去されたらおしまいだ。早急に決着をつける必要がある。

 僕は隣の胡桃沢さんとアイコンタクトを交わして、同時に攻撃を叩きこむことにした。

 

「うおおおおおおああ!」

 

 何度目かも忘れて、ただ拳を振るう。

 僕のがむしゃらな攻撃に、胡桃沢さんはタイミングを合わせてくれた。案外、彼女とはいいコンビになれるかもしれないと思った。とはいえ、サタニキアブラザーズは御免だけどね!

 

「「だぁぁ──っしゃぁーっ!」」

 

 そして木刀と鎌の先端がついに壁を穿ち、バキバキと走る亀裂がコンクリートを崩壊させ、大穴を作り出した。これは物理干渉能力を持つ僕らの召喚獣にしかできない作戦だ。こんな回りくどいやり方をしなくても、もっとスマートな方法があったかもしれない。でも、愚か者な僕にはこんなやり方しか思いつかなくて──だというのに、今は最高の達成感に満たされていた。

 崩れた壁の先にいたのは、驚愕に目を剥く怨敵根本くん。

 向こうの戦力は雄二率いる本隊が誘導してくれたお蔭で、根本くんの側にはわずかな近衛部隊しか残されていなかった。

 島田さんや秀吉、それに胡桃沢さんが消された遠藤先生のフィールドから、教室内にいた学年主任高橋先生の展開する総合科目のフィールドに突入し、召喚獣を呼び出した。Bクラスの近衛部隊は必然的にこれに応じることになる。

 これで、僕と根本くんの間を遮るものは何もなくなった。僕はダッシュで、窓際にいた根本くんに駆け寄る。

 

「くたばれ根本ぉー!」

 

「チッ、雑魚共が足掻きやがって! 試獣召喚(サモン)!」

 

試獣召喚(サモン)!」

 

 総合科目

『Bクラス 根本恭二 2105点 VS Fクラス 吉井明久 765点』

 

 顕現した僕らの召喚獣の頭上には桁違いな点数の差が刻まれていた。根本くんはこれを見て余裕の笑みを浮かべる。

 

「ハハハッ! よりによってこんな雑魚を遣すなんてな! お得意の姫路さんはどうしたよ? 人選ミスだな!」

 

 勝ち誇った嘲笑。

 確かに姫路さんなら、根本くんとの一騎打ちに余裕で勝つことができただろう。

 或いはムッツリーニでも、保健体育なら瞬殺だったはずだ。

 僕は二人のように抜群の総合力も、一点集中の爆発力も持ちあわせていない。アイデンティティである観察処分者の称号も、掠っただけで致命傷なこの点差では役に立たない。

 一騎討ちじゃ僕に勝ち目はないだろう。

 

「驚かせやがって! だがお前らの奇襲は失敗だ! FクラスはFクラスらしく、オンボロ教室でよろしくやってな!」

 

 得物である巨大な斧を構えて突進してくる根本くんの召喚獣。木刀なんかじゃ太刀打ちできる相手じゃないし、それにさっきからフィードバックによる眩暈が収まらなくて、正直回避も難しい。

 だけど、もうその必要もない。僕の目的は壁を壊し、奇襲を仕掛けること。そしてその後──一瞬でも、根本くんの動きを止めることなのだから。

 

「だああああああ!!」

 

 迫る根本くんの召喚獣に、同じように木刀を構え肉薄する。

 攻撃する必要はない。動きを止めるだけなら──!

 

「死ねェッ!」

 

 そんな無慈悲な掛け声と共に根本くんは斧を振るう。

 僕は避ける気皆無で突進していたから、当然その攻撃に切り裂かれて戦死した。

 刹那、襲い掛かるフィードバック。

 

「…………ッッッ!?」

 

 今まで感じたこともないような猛烈な激痛に、叫ぶことさえできなかった。

 カハッと肺から息が溢れ、意識が遠くなっていく。

 視界がぼやけていく──その直前。

 

 キィィィィン、と。

 

 エアコンが壊れたことで開かれていた窓の隙間から、一筋の閃光()が飛来し、戦死した僕の召喚獣に掴まれて動けなくなっていた根本くんの召喚獣の眉間を貫いた。

 

「…………は?」

 

 根本くんの呆けた声が上がる。

 同時に、点数が更新された。

 

 総合科目

『Fクラス ガヴリール 729点 & 吉井明久 0点』

『Bクラス 根本恭二 0点』

 

「「「う……うおおおおおおおお!!!」」」

 

 誰からともなく歓声が上がった。

 僕はちらりと窓の外へと目を向ける。

 Bクラスの右端の窓は、旧校舎のEクラスと向かい合わせになるように設置されていて──そのEクラスには、二人の人影があった。

 補習授業担当で、総合科目を含めた全ての科目のフィールドを展開できる鉄人こと西村教諭と。

 いつもグータラでダメダメで、でも強く自分の意思を持っていて、誰よりも不敵で、そして素敵な女の子が、そこにいた。

 

 ──やっぱり、ガヴリールはすごいなぁ。

 

 ふと、彼女と目が合ったような気がした。だから僕は精一杯笑う。うまく笑えたかな? でも、今回は笑いたくて笑ったのだから、それでいい気がした。

 こうして、FクラスとBクラスの日を跨いだ試験召喚戦争は決着し、僕の意識は途絶えた。

 



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第九話 ドロップアウトボーイミーツガール

バカテスト
問 以下の英文を訳しなさい
「Boy Meets Girl.」

姫路瑞希の答え
「少年は少女に出逢う」
教師のコメント
 正解です。これは物語の形体の一種で、主人公の男の子がワケありの女の子との出会いによって騒動に巻き込まれていく、といったストーリーを指します。女の子が主人公の場合は『Girl Meets Boy.』となります。また『月並みな話』という意味で用いられる場合もあるので、豆知識として覚えておくとよいでしょう。

工藤愛子の答え
「ショタとロリの初恋」
教師のコメント
 微笑ましい光景ですね。

土屋康太の答え
「ロリコンとロリの初恋」
教師のコメント
 一気に犯罪臭が増しましたよ。

吉井明久の答え
「ラブコメ」
教師のコメント
 意味的には間違いではないのかもしれませんが、和訳をしてください。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
「バカは天使に出会う」
教師のコメント
 ボーイ=バカ、ガール=天使の等式は成り立ちません。


「お前ら、明久をFクラスの教室に運んでやれ」

 

「了解です、坂本代表」

 

 Fクラス代表である雄二はクラスメイトの男子数人にボロ雑巾のように倒れた明久を教室に搬送するよう命じてから、堂々とBクラスに立ち入る。そして、さっきまでの強気は見る影もなく床に座り込む根本に対して、見下しながら言った。

 

「さて、それじゃ嬉し恥ずかし戦後対談といきますか。な、負け犬代表?」

 

 根本はギリッと奥歯を食いしばって、拳を床に振るった。

 

「クソッ! 坂本テメェ、イカサマしやがったな!?」

 

「イカサマ? なんのことだ」

 

「とぼけるな! なんでEクラスの教室から打った矢が俺に当たるんだ!」

 

 窓の外──新校舎と向かい合うように設置されている旧校舎を指さしながら、根本は言った。

 

「あそこは明らかに召喚フィールドの外だろ!? 教師の展開できるフィールドは半径十メートル程度しかねえはずだ!」

 

「それで? 俺たちが試験召喚システムに介入でもしたってか?」

 

「そ、そうだ! これは明らかに不正行為だ! ですよね、高橋先生!?」

 

 藁にも縋るような気持ちで根本は訴えたが、彼を見る立会人の高橋先生の視線は冷ややかだった。

 

「いえ、Fクラスは不正行為などしていません。そもそも、試験召喚システムは一生徒程度が改竄できるほどヤワなものではありませんよ」

 

「じゃあなんで!」

 

「なあ根本──『干渉』は知ってるよな?」

 

 雄二は、まるで我が儘を言う子供をあやす様な口調で言う。

 

「違う教科のフィールドを近くで複数展開すると、それぞれのフィールドが相殺されて消えちまう現象だ。さっき明久と胡桃沢が壁を壊した時、遠藤先生がフィールドを取り消しただろ? これは高橋先生のフィールドとの干渉を防ぐためだ」

 

「……それがなんだ」

 

「ああ、こんなのは一年生で習う文月学園では常識中の常識だ。だけど、こっちの方は意外と知られていないんだよな──同じ教科だと干渉は起こらない、ってことは。ま、俺も仲間がヒントを残してくれたおかげで気づいたんだけどな」

 

 その雄二の言葉に、根本ははっとなって顔を上げた。

 

「まさか……」

 

「そのまさかだ。Eクラスで鉄人に総合科目フィールドを展開してもらって、新校舎と旧校舎をフィールドで繋げたんだよ」

 

 あっけからんと告げる雄二に対し、根本の顔は次第に青ざめてゆく。

 土屋康太を失って、姫路瑞希を封じられて──それでもなお、勝利を諦めない執念。イカれたほどの試験召喚戦争への拘泥。もしかしたら、自分が敵に回した男はとんでもない奴なんじゃないかと根本は思った。

 

「じゃあ、あの矢はなんだ!? あんな遠くから、しかも召喚獣で俺を狙い討ちするなんて」

 

「それについては運否天賦だった。まさか一発で仕留めるとは思わなかったが」

 

 そう、何度も言うようだが、召喚獣というのは操るのがとても難しい代物なのだ。

 しかも弓矢という武器は、同じ遠距離武器である銃と比較すると、狙いの精度を高めるのが極めて困難なもの。

 そんな二重苦の中で数十メートル先の小さな的を射抜くには、卓越した弓術と並外れた集中力、そして神に愛されるレベルの幸運が必要である。例えば──天使学校を首席で卒業するような、人智を超えた者でもなければ不可能な芸当だろう。

 

「……そんなギャンブル染みた作戦で、俺たちに勝つつもりだったのか?」

 

「どっかの誰かが余計なことしてくれなけりゃ、もっと楽に勝てたんだけどな。ま、冥土の土産に一つ教えといてやるよ──本気を出した馬鹿ってのは、なに仕出かすか分かったもんじゃねえぞ」

 

 ちらりと、雄二はBクラスの壁に空いた大穴を一瞥する。

 無残にも鉄筋がむき出しになったコンクリート。それはどこぞの馬鹿によって引き起こされたものである。今頃職員室は大騒ぎだろう。

 根本にはもはや言い返す気力もなかった。力なく項垂れる彼に対し、雄二は告げる。

 

「さて根本。本来ならこのBクラスの教室を明け渡してもらい、お前たちには素敵な卓袱台と座布団をくれてやるところだが、特別に免除してやってもいい」

 

 その言葉に、両陣営が共にざわつき出す。それを雄二は片手を上げて制した。

 

「俺たちの目的はAクラスだ。ここはあくまで通過点に過ぎん。だから条件を呑めば、Bクラスには手は出さないことを約束しよう」

 

「……条件はなんだ」

 

「それはお前だよ、負け犬代表さん。お前がAクラスに行って、試召戦争の準備ができていると宣言してこい。ただし宣戦布告はするな。戦争の意思と準備があるとだけ伝えるんだ──これを着てな」

 

 そう言って雄二が取り出したのは、Cクラスを挑発する際に秀吉も着た文月学園の女子制服である。

 

「ふ、ふざけるな! どうして俺がこんなものを!」

 

「ふざけてなどいない、本気だ。正直なところ、去年からお前は目障りだったからな。一つ恥を晒してくれや」

 

「恥ってレベルじゃないだろう! おい、お前らもなんとか言って……なんだその目は。よ、寄るな変態ぐふぅ!」

 

「とりあえず黙らせました」

 

「お、おう。ありがとう」

 

 Bクラスの男子生徒に腹部を強打され、根本は床に崩れ落ちた。他のBクラス生徒たちもそれで教室が守れるのならと納得の様子。これを見るだけで、根本が代表としてどれだけ傍若無人な立ち振る舞いをしてきたかが分かるだろう。

 せっせとファッションショーの準備に動くBクラスを横目に、雄二は投げ捨てられた根本の制服を拾い上げる。

 そして、遥か遠くを望むような、そんな表情で呟いた。

 

「……ようやく、ここまできたぞ。学力だけが全てじゃないと、俺が証明してみせる」

 

   〇

 

 気がつくと、僕はFクラスの畳の上で寝かされていた。

 ツンと鼻をつくようなかび臭さに不快感を覚えながら身体を起こそうとすると、全身を貫くような痛みが走る。

 

「つぅ……!」

 

 思わずそんな声を上げてしまう。

 僕らはさっきまで、Bクラスと試召戦争をしていた。その戦争で、僕は点数を全て失い戦死したのだ。この痛みはそのフィードバックによるもの。窓の外に見える景色が赤色に染まり始めていることから、戦争の決着より結構な時間が経っているみたいだが、痛みは全然抜けきっていなかった。

 ぼんやりとしていた視界と思考がだんだんと鮮明になっていく。時計を見て時刻を確認しようとしたところで──やっと、僕の側に誰かがいたことに気が付いた。

 

「あっ」

 

 向こうも僕が目を覚ましたことに気づいたのか、そんな声を零す。

 ぽかんと半開きの口と、窓から差し込む陽光を受けて輝くボサボサの金髪──ガヴリールである。彼女は手に持っていた黒くて細長い棒のようなものをさっと背中に隠してから、

 

「おはよう」

 

 と誤魔化す様に笑った。

 

「……ガヴリール、今なにを隠したんだ」

 

「別に? なにも隠してないけど?」

 

「嘘だ! 僕には黒光りするペンのようなものが見えたぞ!」

 

 ぴゅーぴゅーと口笛を吹いて目を逸らす駄天使。

 

「怒らないから出してみ?」

 

「……はい」

 

 そう言ってガヴリールが差し出したのは、黒の油性マジックペンだった。

 

「この駄天使! 油性ペンで僕の顔に落書きしやがったな!?」

 

「怒らないって言ったじゃん!」

 

「いや怒るよ!? 水性ならともかく、油性ならさしもの僕も怒らざるを得ないよ!?」

 

 油性インクなので、当然水で洗った程度じゃ落ちない。僕が抵抗できないからって好き放題やりやがって!

 ここじゃ確認できないけれど、一体なにを落書きされたんだ……大方、バカとかアホだろうけど。他には定番の額に肉か。どちらにせよ、今日は帰宅したらすぐにお風呂を沸かさねばなるまい。

 

「畜生! お礼にその無い胸揉みしだいてやろうか……!」

 

「上等だやってみろバカ」

 

「……」

 

 勿論そんな勇気があるわけなかった。

 僕が目を逸らしていると、ガヴリールがため息を吐くように言った。

 

「それで、怪我は大丈夫なの?」

 

「怪我?」

 

「血が出てたから、一応手当しといた」

 

「あ、そうなんだ。ありが」

 

 とう、と続けようとして、気づく。

 僕の右手は常軌を逸したレベルでグルグルガチガチにテーピングされていた。指が動かせない。

 

「保健室から持ってきたんだけど、やり方がよく分かんなくて」

 

「バカぁ! ほんとおバカ! ドラえもんの手みたいになってるよ! これキツすぎて指の感覚がないんだけど!?」

 

「右手にガーゼとテープ全部使っちゃったから、左手はありのままの姿だぞ」

 

「極端すぎるでしょ!」

 

 その中間を取ってほしかった。本当に女子力が壊滅的だなこの駄天使。

 

「まだ痛むのか?」

 

「怪我自体は大したことないよ。それより、フィードバックの方が辛いかな」

 

 観察処分者のフィードバックは百パーセント返るわけじゃないとはいえ、根本くんの召喚獣に切り裂かれた痛みは尋常じゃなかった。未だに身体のあちこちがジクジクと疼くし、油断したら吐き気を催しそうだ。多分しばらくこの感覚は忘れられないと思う。

 

「……」

 

「どうしたの? ガヴリール」

 

「目、瞑って」

 

「え?」

 

「いいから目を瞑れ。さもなくば私がお前の目を潰す」

 

「こわっ!」

 

 チョキで脅迫され、素直に目を閉じる僕。

 なんだいきなり。この前格ゲーでハメ技使ってボコボコにした恨みでも晴らされるのだろうか。

 僕が恐怖に震えながら待っていると、両手で頭を鷲掴みにされ、

 

「えいっ」

 

 と、そんな掛け声とともに引っ張られた。当然僕はバランスを崩し、畳に頭をぶつけることを覚悟する。

 しかし、やってきたのは畳のざらざらした感触ではなく、ふにんとした、柔らかなものだった。

 何が何だか分からず目を開くと、目の前にガヴリールのスカートがあった。な、なんだかいい匂いがする……!

 

「☆●◆▽◇♪◎×!?」

 

「落ち着け明久、ここは人間界だぞ」

 

 もがもがと慌てる僕とは対照的に、ガヴリールの冷静な突っ込みが入る。でも、そんなこと言われても落ち着いていられるわけがなかった。

 だってこの体勢は──いわゆる膝枕というやつなのだから。男なら誰しもが憧れを抱く、片方が膝を折った体勢で座り、もう一人が横になってそこに頭を乗せるあれだ。

 な、なんだ!? こんなことをしていったいなにが目的なんだ!?

 

「……」

 

 しかし、ガヴリールは何も言わない。

 お金をせびられるわけでもなく、物を要求されるわけでもなく、ただその行為そのものが目的であると言わんばかりだ。

 

「ガヴ──」

 

 彼女の名前を呼ぼうとして、思わず固まってしまった。

 何故なら、ガヴリールの顔があまりにも赤くなっていたから。夕陽に照らされていたのもあるのだろうが、それでも熟したリンゴみたいに真っ赤で、釣られて僕も顔に熱が集まってしまう。

 ガヴリールは拗ねたように口を尖らせた。

 

「……なんだよ。あんまり人の顔をジロジロ見るな」

 

「いや、だって……」

 

「いいから。怪我人は大人しくしてろ」

 

 そう言って、彼女は僕の目元に包むようにして手を押し当てた。高校生にしてはあまりにも小さな手が僕の視界を遮る。儚いほど白く、でも血が通っている温かい手だった。

 その温度を感じて落ち着いたからか、僕はひどくほっとして、まるで罪を許された被告人のように深く息を吐く。

 不思議な感覚だった。

 だけど、記憶にある感覚でもあった。

 

 まだガヴリールが堕天する前。始めて彼女にあった時──高校一年生になる春のことだ。今でも鮮明に思い出せる。

 隣に引っ越してきた彼女の荷解きを手伝って、自分の家に戻った後、僕はドアをバタンと閉じて、そのまま扉に背中を預けてその場に座り込んでしまったのだ。

 あの時は長居しすぎちゃったなどと自分に言い訳をしていたが、それは違う。彼女の家に僕のような奴が留まっていることが、とても罪深いことのように思えたのだ。だから僕は逃げるように自宅へと戻った。

 

 ──もしあの時。

 ガヴリールが引っ越してきたのが、僕の家の隣じゃなければ、彼女が堕天するようなこともなかったのではないか。時々、そんな想像に苛まれる。意味のない妄想だ。だけど、どうしても拭い去ることができずにいる。僕の軽率な行動が、彼女の人柄も、性格も、人生さえも捻じ曲げてしまったのではないか。そんな己の内でぐるぐるし続ける悔恨を、僕は未だに抱えている。

 抱え続けながら、ガヴリールと仲良くしている。

 

 ……最低だな、僕は。

 だって、彼女の堕天の原因である僕が、自ら彼女から離れてしまえばいいのだから。だけど、その決断もできないまま一年が経過してしまった。ガヴリールと一緒にいると楽しくて、自分の内側のドロドロした部分を忘れられたから。

 自分勝手な自己矛盾である。

 これじゃ、皆から馬鹿と言われてもしかたない。いや、馬鹿というよりもただの愚か者だ。

 

「ごめん……」

 

 ぽつり、と。

 器から溢れた水が外に零れ落ちるように、そう漏らしてしまった。自分自身、何に謝罪したかったのかよく分からない。でも、紛れもない本心からの言葉だった。

 

「ふーん」

 

 ガヴリールは興味なさげ。実際、彼女にとってはどうでもいいことだろう。だってこれは、結局僕の自己満足なのだから。根本くんに対して湧いた怒りも、試験召喚戦争で壁を壊したこともそうだ。自分の暴走する感情に決着をつけるための、ただの八つ当たりである。癇癪と言っていいかもしれない。

 だって僕は正義の味方でもなければ、天使でも悪魔でもない。どこにでもいるような普通の高校生で、大人にも子供にも成りきれない愚か者。それが、正真正銘の吉井明久という存在なのだ。

 この怪我も、痛みも、全部自業自得で──

 

「あのさ、明久」

 

 思考の渦を遮るかのように、ガヴリールが言った。

 

「お前に考え事は似合わないぞ」

 

「そこは悩み事じゃないの!?」

 

 その言い方だとまるで僕が普段なにも考えていないみたいじゃないか! 悩み事が似合わないなら励ましの言葉かもしれないが、考え事が似合わないはただの悪口だ!

 

「明久はバカなんだから、なにも考えず私を崇め奉ってればいいんだよ」

 

「いったい何様のつもりなんだ!?」

 

「天使様」

 

 そうだった。

 

「私はお前より偉いんだ。だから私のことでお前が責任を感じる必要はないよ。……む、むしろ、感謝してるんだからな。下界のことを何も知らなかった私に、その、色々教えてくれて」

 

「え? 今なんて……」

 

「ああああああ! ななななんでもないっ! お、お前は聖なる天使様を堕としたんだぞ! その罪をしかと胸に刻んどけよな!」

 

「あれ!? さっきと言ってること違くない!?」

 

「うるさい! 私が白と言えば黒い物でも白なんだ!」

 

 なんて邪知暴虐な天使なんだろう。聖なる要素が微塵も見当たらない。

 だけど……彼女の言葉は、ストンと胸の中に納まったように感じる。そして、雁字搦めになっていたくだらない自己矛盾を、優しく紐解いてくれる気さえした。やっぱり僕は単純な奴なのだろう。

 

「ガヴリール」

 

 彼女の名前を呼ぶ。

 これまで、その名前から連想されるのは二人の女の子だった。金髪サラサラの天使みたいな女の子と、金髪ボサボサの駄天使みたいな女の子。だけどこの時は、その二つがピタリと重なっていた。

 

「ありがとう」

 

「……もっと感謝していいぞ。だって天使ですもの」

 

 そして僕らは、目を合わせて二人で笑いあう。

 なにがおかしいのか、馬鹿みたいに。

 多分、理由なんてないのだ。

 一緒にいるとなんとなく楽しい。一緒にいるとなんとなく安心する。それがきっと僕らの関係だった。

 

   ○

 

 あの後、ガヴリールは膝が痛い、疲れたと僕を置いてそそくさと帰宅してしまったので、僕は未だに痛みの残る身体に鞭を打って、Bクラスの教室へと向かった。

 Fクラスには僕とガヴリール以外誰もいなかったから、多分みんながいるのはここだろうと思っていたが、ビンゴだった。

 そこではFクラスとBクラスの合同で根本くんの女装ファッションショーが開催されていた。

 ……いや、根本くんの制服が欲しいと言ったのは僕だけど、なにがどうしてこうなったんだ。

 

「明久! 目を覚ましたのじゃな!」

 

 と、僕の元へいの一番に駆け寄ってきてくれたのは、学園トップクラスの美少女と名高い秀吉だった。

 

「お主が今世の罪を懺悔し始めた時は正直もう駄目かと思ったぞ……」

 

「ちょっと待って!? 僕そんなに危険な状態だったの!?」

 

 冗談だよね? まさか試験召喚戦争で死人なんて洒落にもならない。

 

「うむ。天真が甲斐甲斐しく看病したことで事なきを得たようじゃがな」

 

「そうなんだ……」

 

 ガヴリール、君はマジ天使だよ。

 

「お、明久。やっと起きたか」

 

「…………もう始まってる」

 

 秀吉に続いて人込みから出てきたのは、Fクラス代表の雄二と、補習室から帰還したムッツリーニだった。雄二はその手に男子制服を一着抱えていた。

 

「ムッツリーニ! 良かった、無事だったんだね!」

 

「…………脳内をエロで塗りつぶして、なんとか洗脳されずに済んだ」

 

「さしもの鉄人も、こいつのムッツリっぷりを染め上げることはできなかったってわけだ」

 

 ケラケラと笑う雄二に、笑い事じゃないと呟くムッツリーニ。

 僕たちは四人でハイタッチを交わした後、見る者の精神を汚染しそうな光景に目をやった。

 

「で、アレは結局何なの?」

 

「根本の野郎が前々から女装に興味があったそうでな。Fクラスも大々的に協力してやってる」

 

「おい待て坂本! 俺はこんなものに興味なんてげふぅ!?」

 

「黙ってキリキリ歩け! これから撮影会もあるんだからな!」

 

「き、聞いてないぞ!?」

 

 女装姿のまま廊下へと連行される根本くん。自業自得とはいえ、ちょっとだけ同情した。

 

「んで明久。目的のブツはこれだろ」

 

「あ、うん」

 

 雄二から根本くんのものであろう制服を受け取る。さっきの光景を見てしまうと思わず拒否したくなったが、この中には大事な物が入っているので受け取らないわけにもいかない。

 ごそごそと制服を探ると、指にくしゃっとした感触。可愛らしいウサギのシールが貼られたピンク色の封筒だった。

 僕はそれをブレザーのポケットに慎重に仕舞って、姫路さんを捜しに行こうとしたところで──雄二とムッツリーニに肩をガッチリと掴まれた。

 

「なにするのさ二人とも。僕これから行かなきゃいけないところがあるんだけど」

 

「ああ悪ぃ悪ぃ、すぐ済むからよ。ムッツリーニ、例のものを」

 

「…………了解」

 

「む? なんじゃ?」

 

 ムッツリーニはコンパクトサイズのノートパソコンを起動させ、その画面を僕らに見せる。そこには何枚もの写真が表示されていた。

 夕陽でピントがボケていて見難いけれど……そこに映っているのは何故かローアングルから撮られたFクラスの教室だった。

 

「…………これだ」

 

 その中から一枚の写真を拡大させるムッツリーニ。さらに画質は荒くなったが、そこには金髪の人物と、茶髪の人物が映っているのが分かる。って、これってまさか……!

 

 ダッ!(←脱兎の如く逃走を図る僕)

 ガシィ!(←そんな僕を拘束する雄二)

 ヒュン!(←僕の喉をカッターで貫こうとするムッツリーニ)

 

「あぶなあああああああ!!」

 

 すんでのところで刃を回避する。こいつら躊躇なく急所を狙いやがった!

 

「さーてどういうことか説明してもらおうか明久」

 

「その台詞は危害を加える前に言ってよ!」

 

「これに映ってるのは明久と天真かの? 膝枕とはなんともお熱いではないか、明久よ」

 

「…………万死に値する……!(ギリィ)」

 

「お、落ち着いてよムッツリーニ! これは事故みたいなもので……そ、そう! フィードバックでふらついちゃってさ! 偶然こうなっちゃっただけなんだ! でもすぐに離れたんだよ? だから誤解なんです!」

 

「数分後の写真でも同じ体勢のままのようだが」

 

「……」

 

「……」

 

「さらばっ!」

 

 自らの肩の関節を外して拘束をすり抜けることに成功し、僕は疾風のようにBクラスから脱出した。

 

「ホシが逃げたぞ! 総員、何としてでも奴を始末しろ!」

 

「「「イエッサー!!!」」」

 

 雄二の号令でBクラスにいたFクラス男子が一斉に僕を追いかけてくる。クソが! ほんと敵に回すと厄介な奴らだな!

 

「吉井ブッコロス!」

 

「密かに天真さんを狙っていた俺の純情を返せェ!」

 

「泣いたり笑ったりできなくしてやるァ!」

 

 怨念で染まったかのような漆黒のフードを身に纏うクラスメイトたち。皆ちょっと常識が歪んでると思う。

 

「っていうか雄二! なに率先して僕を始末しようとしてるのさ! さっきハイタッチを交わした僕らの友情はどこへ行ってしまったの!?」

 

「明久、お前は知らなかったみたいだな。俺はお前の幸せが大嫌いなんだよ」

 

「知ってるよバカ! ガッデム!」

 

 一陣の風となって廊下を駆ける。こうなったら全員相手してやらああああああ!

 

   ○

 

 昨日の仲間は今日の敵となったクラスメイトたちを全員撃退して、僕は命からがら屋上にたどり着いていた。級友に当然のように刃物やスタンガンを向けてくるこのクラスはやっぱおかしいと思うんだ。まあおかげで武器を奪って大立ち回りを演じられたんだけども。気分は武蔵坊弁慶である。

 階段を昇り重い扉を開くと、解放感のある夕焼け空が僕を出迎えてくれた。

 

「よ、吉井くん……?」

 

 そこには一人、先客がいた。

 桃色の髪を夕陽で赤く染めた女の子、姫路さんである。

 まさか逃げ回った先に姫路さんがいるなんて、今日の僕はちょっとツイてるかもしれない。

 

「姫路さん、ちょうど良かった。君を探してたんだ」

 

「え……? 私を?」

 

「うん。はいこれ」

 

 制服のポケットから封筒を取り出して、姫路さんに手渡す。

 すると、彼女は目を丸くした。まあ、根本くんに盗られた物を僕が持っていたら、普通は驚くよね。

 

「……なんで」

 

「廊下で拾ったんだ。この封筒のウサギのシールを見て、姫路さんの物なんじゃないかって。違った?」

 

 本当は根本くんを女装させて取り返した物だけど、そんなこと伝える必要もないだろう。というか伝えたくない。姫路さんはそういう世界を知らない純粋な女の子でいてくれることを願うばかりだ。

 

「ウサギ……」

 

「姫路さんって、いつもウサギの髪留めしてるでしょ? だからそうなんじゃないかなと思って」

 

 まあ、その髪留めをプレゼントしたのは、他ならぬ小学生時代の僕なんだけどね。昔のこと過ぎて、姫路さんは覚えていないかもしれないけど。

 

「…………そっか。ありがとうございます、吉井くん」

 

 姫路さんは、まるでガラス細工でも扱うかのような手つきで、封筒を受け取った。そして、それを抱きしめるみたいに、大事そうに胸に押し当てる。

 

「姫路さん、その手紙ってさ……」

 

 ラブレター? と続けようとしたが、姫路さんが先に答えてしまった。

 

「これは……不幸の手紙です」

 

「えっ?」

 

 一瞬、理解が追い付かなかった。

 

「私が、ずっとずっと、この手紙を出せずにいたから、Fクラスの皆に迷惑をかけてしまいましたね。本当にごめんなさい」

 

「あ、謝らないでよ姫路さん!」

 

「でも、どうしても自分が許せないんです……土屋くんは私を助けてくれたのに、私は役に立てなくて。その上吉井くんにもそんな怪我を負わせて……」

 

 この怪我はどちらかと言えば、クラスメイトたちにやられたほうの比率が大きいと思う。

 

「違うよ! 姫路さんのせいじゃない。これは全部僕の我が儘なんだ! 自業自得なんだ! 僕はただ自分のために」

 

「……優しいですね、吉井くんは。本当に優しい。でも、そんな優しさに甘えたくなってしまう自分じゃ、やっぱり駄目なんです」

 

 そう言って。

 姫路さんは何かを諦めたような、だけどもどこか清々しいような、そんな表情で。

 ピンクの封筒を、中の手紙ごとバラバラに破いてしまった。

 

「私、時々、自分がFクラスで浮いた存在なんじゃないかって思うことがあるんです」

 

 細切れになってしまった手紙を両手で包んで、姫路さんは、

 

「──だから私、Fクラスに似合う女の子になります!」

 

 目に涙を浮かべながら、手紙だったものを夕焼け空にばら撒いてしまった。

 桃色に輝きながら宙を舞う紙片は、まるで桜の花びらのよう。

 それは風に乗って、屋上から遠く彼方へと流されて行ってしまった。

 

「えへへっ。悪い子ですね、私」

 

 小さくなっていく手紙の行方を見守りながら、姫路さんは嬉しそうに、同時に切なそうに目を細める。

 そんな彼女の姿が──僕には、とても大人に見えた。

 大人にも子供にも成りきれない僕にとって、姫路さんは気高く尊い存在のように思えたのだ。

 Fクラスにおいて彼女が浮いていないと言えば嘘になる。だけど、それでも間違いなく彼女は僕らのクラスメイトなんだ。例え振り分け試験で倒れてしまった結果でも、彼女が仲間であるということは紛れもない真実なのだから。

 そう思っているのはきっと僕だけじゃない。他のFクラスの皆だって、同じことを言ってくれるはずだ。

 それを伝えると、姫路さんはほっと胸を撫で下ろしてから、こんなことを言った。

 

「明久くんは、私が悪い子になってしまっても、私のこと……覚えていてくれますか?」

 

 その言葉は、姫路さんにとっては何気ない問いだったのかもしれないけれど。

 僕にとっては、心の奥底に触れられたような、誰にも知られたくない部分を見られたような、そんな気持ちになった。

 それが傷つけられたら、もう二度と立ち直れなくなってしまうような、そういう大事なもの。

 だけど、薄く笑う姫路さんからは、僕を傷つけようなんていう意図は感じられなくて。むしろ、冷たい氷をじんわりと溶かしていくかのような、そんな接触だった。優しくて、温かかった。

 

 ──何故だか急に、泣きそうになった。

 

 別に悲しかったわけじゃない。でも、気を緩めれば涙が出そうだった。

 泣いてもいいんだよと、僕の中の悪魔が諭してくれた。泣くなよ男だろと、僕の中の天使が励ましてくれた。

 僕は一つ鼻を啜って、自分にできるこれでもかという笑顔を作ってみせる。

 

「覚えてる! 絶対忘れないよ!」

 

 涙声になってしまったのが少し恥ずかしい。だけど同時に、誇らしさを覚えてもいた。

 きっと、これが今の僕に必要なことで、姫路さんが求めてることだと思ったから。

 ちょっとだけ……本当にちょっとだけ、僕も大人になれたのかもしれない。

 

「嬉しいですっ」

 

 気恥ずかしさやら何やらで、もうお互いの顔を見れたもんじゃなかった。

 だけど、確かに僕たちはここにいる。

 お互いを認め合って、自分も認めることができる。

 すると不意に姫路さんが、

 

「えいっ」

 

 そんな可愛らしい掛け声と共に、携帯電話のカメラで僕を撮ろうとしていた。慌てて逃れようとしたが、既にフラッシュが焚かれていて、回避することは叶わなかった。

 

「ひ、酷いよ姫路さん!」

 

「ごめんなさい明久くん。でも私、悪い子ですから」

 

 そう言って姫路さんは、ウサギのように軽く飛び跳ね、ふわりと着地した。

 

「それに、明久くんは気づいていないみたいなんで、教えてあげないとと思って」

 

「……? 何を?」

 

「可愛い女の子の悪戯です」

 

 姫路さんは僕に携帯の画面を見せてくれた。

 そこに映っているのは、不格好に笑う僕である。

 その僕の頬には、黒いマジックペンで『おつかれ』と落書きされていた。

 

「あいつ……」

 

 そう呟いて、僕は自然と笑うことができた。

 もう、涙は引いていた。

 

「ガヴリールちゃんって、可愛いですよねっ」

 

 微笑ましそうに笑う姫路さん。多分、僕も同じような顔をしていたのだろう。

 ……ああ、知ってるよ。あの子は天使で、駄天使で、そして最高に可愛い女の子なんだ。

 ふと空を見上げると、散り始めた桜の花びらが、僕らの側を通り抜けていくのが見えた。そして散った桜は、来年の春にまた満開の姿で僕らを迎えてくれるのだろう。

 それまでしばらくお別れ。僕は微かな寂しさと大きな期待を胸に、茜色に染まる街を眺めていた。



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第十話 バカと天使とドロップアウト(前編)

バカテスト
問 以下の問いに答えなさい。
『調理の為に火にかける鍋を製作する際、重量が軽いのでマグネシウムを材料に選んだのだが、調理を始めると問題が発生した。この時の問題点とマグネシウムの代わりに用いるべき金属合金の例を一つ挙げなさい』

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『問題点……キッチンが大爆発してしまうこと。
 合金の例……ステンレス』
教師のコメント
 確かにそれは大問題です。

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『問題点……調理者がサターニャさんだったこと。
 合金の例……アルミニウム合金』
教師のコメント
 胡桃沢さん危機一髪。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
『問題点……地獄の業火に鍋が耐えきれなかったこと』
教師のコメント
 爆発程度じゃ済まなさそうですね。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『問題点……プロメテウスの神火に鍋が耐えきれなかったこと』
教師のコメント
 まさか似たような答えがもう一人いるとは。


 今でも夢に見ることがある。

 下界に降りたばかりの私が初めて出会った、一人の男に関する記憶だ。

 

 私が下界の礼儀に倣って持っていった粗品を受け取って小躍りするあいつの姿。まだがらんとしていた頃の私の部屋で、頼んだわけでもないのに荷解きを手伝ってくれたあいつの姿。下界のゲームとかパソコンとか、そういう知識を親身になって教えてくれたあいつの姿。何故か入学式にセーラー服姿で登場してラフィに目を付けられていたあいつの姿。図書館でとある文章を英訳し、さらにそれをフランス語に訳そうと四苦八苦するあいつの姿。放課後の教室でぐしゃぐしゃになった教科書を見て激昂し、体格で劣っているのも厭わず大男相手に殴り掛かるあいつの姿。それが誤解だと分かると、今度は新しい教科書を手に入れようと大男と共に自転車で坂を駆けるあいつの姿。

 そして──幾度となく拒絶されようとも、ドイツからの帰国子女に健気に話しかけ続けたあいつの姿。

 

 何度失敗しようが立ち上がって。何度傷付こうが立ち向かって。

 他人の為なら、バカの一つ覚えみたいに自分を犠牲にする。

 しかもあいつは、そんな苦行じみたことを笑顔で成し遂げてしまうから──私はいつしか、彼のことが頭から離れなくなっていたのだ。その気持ちは、天界からの謹慎処分により接触を禁止された期間中、自分じゃもうどうしようもないほどに膨れ上がっていった。

 

 そう、私は研修中の身でありながら、天使としての禁忌を犯した。自らの意思で力を行使し、人を癒すという罪を。

 そして罪には罰が与えられるのが道理。

 故に、私には天界からの仕送り減と、一週間そのバカとの接触を禁ずるという処分が下されたのだ。

 

   ○

 

 Bクラスとの試験召喚戦争の終結から数日が経過した。

 校舎の壁を破壊した実行犯である僕と胡桃沢さんは鉄人の親身な指導(鉄拳)と反省文(拷問)という刑罰を科せられ、ようやく解放された。

 そして今、長いようで短かった僕らの試験召喚戦争も、残すところAクラス戦のみとなる。その宣戦布告の為に、我らがFクラスメンバーは新校舎にあるAクラスの教室を訪れていた。

 

「見てガヴリール! フリードリンクに加えてお菓子が食べ放題だって!」

 

「なんだって!? 明久、とりあえず一週間分の食料を確保するぞ! ありったけを掻っ払ってやれ!」

 

「アイアイサー!」

 

 天使様の命令を受け、恥も外聞もかなぐり捨てて制服のポケットにお菓子を詰め込めるだけ詰め込む僕。プライド? なにそれ食えんの?

 

「あなたたち、朝っぱらから元気ね……」

 

 そんな僕らを呆れたような視線で見るのは、Aクラス所属の悪魔でガヴリールの友達、月乃瀬=ヴィネット=エイプリルさんである。

 月乃瀬さんはお菓子を喰らい尽くさんばかりの勢いで頬張る駄天使の首根っこをひょいと掴みあげて、残りのお菓子を救出した。

 

「なにするのさヴィーネ! 私にはこのお菓子たちを美味しく平らげて天へと導く大事な使命があるのに!」

 

「天使が暴食してんじゃないわよ。そもそも、ガヴたちは宣戦布告に来たんでしょ?」

 

「宣戦布告ぅ~? いいよそんなの、どうせ私がその気になればこの世界滅ぼせるんだし」

 

「こいつ本当に天使か?」

 

 月乃瀬さんの至極真っ当な疑問に僕は頷くしかない。

 

「…………!(パシャパシャパシャパシャ)」

 

 ふと隣を見ると、そこには擦り切れてしまいそうな勢いでシャッターを連写するムッツリーニの姿があった。

 

「……なにしてるの、ムッツリーニ」

 

「…………Aクラスの女子はレベルが高い……!」

 

 そんなムッツリーニの言葉を受けて、僕はレンズの先にいる女子生徒たちに目を向ける。

 月乃瀬さん、白羽さん、秀吉の姉の木下優子さん、名前は知らないけどボーイッシュな女の子、そして──学年主席、Aクラス代表の霧島翔子さん。それ以外にも、Aクラスには顔面偏差値の高い女子が揃っていた。

 僕らのFクラスは一部を除いてむさい男ばかりの教室だし、なるほど、彼が興奮するのも頷ける。

 

「でもムッツリーニ、ダメじゃないか。いくら可愛いからって、無許可に撮影なんかしたら盗撮だよ? 女の子が可哀想だと──」

 

「…………天真の新作写真、一枚百円」

 

「五ダース買おう。──可哀想だと思わないかい?」

 

「あらあら、吉井さんは本当に自分の欲望に素直な方なんですね」

 

 ち、違うんだ! 今のは本能が脊髄反射しちゃっただけで、決して僕の意思では……!

 

「お久しぶりです。吉井さん、ムッツリーニさん♪」

 

「…………!(ブンブンブン)」

 

「いや、この状況で否定しても不毛なだけだからね?」

 

 堂々とカメラを構えながら無様にも首を横に振る友達の将来に一抹の不安を覚えながら、僕も彼女の方へと向き直る。

 そこにいたのは、神秘的なまでに綺麗な銀色の髪と抜群のプロポーションが特徴の、Aクラス所属の天使でこれまたガヴリールの友達である白羽=ラフィエル=エインズワースさん。しかし、その本性は人を玩具にするのも厭わない真性のサディスト、つまりドSである。

 別に嫌いというわけじゃないが、僕は正直この人が得意ではない。というのも、この人と関わると碌なことがないからだ。この間椅子にされたことも記憶に新しい。

 

「げっ、白羽さん……」

 

「ん? 吉井さん、今『げっ』と仰いませんでしたか?」

 

「言ってません! 白羽さんとの邂逅を神に感謝していたところであります!」

 

「そうでしたか、敬虔な人ですこと♪」

 

 笑顔で脅迫され、片膝をついて天に祈りを捧げる僕。

 っていうか笑顔で脅迫ってなんだよ。僕の中の笑顔という概念が崩壊しそうだ。

 

「ふっふっふ。ラフィエル、そんな余裕でいられるのも今のうちよ。もうすぐAクラスの教室は、この大悪魔胡桃沢=サタニキア=マクドウェルのものになるのだから!」

 

「でもサターニャさん。この教室はいくらサターニャさんといえど、一人で使うには些か広すぎるかと」

 

「フッ。逆よラフィエル、狭すぎるくらいだわ。私はやがてこの世の森羅万象を統べる者! この教室には下界侵略の拠点として、その礎になってもらうわ!」

 

「千里の道も一歩から、というやつですね」

 

「セロリ? なんでそこで野菜が出てくるのよ?」

 

 ちょうど近くに僕以上に白羽さんに目を付けられている人がいたので、彼女をスケープゴートにして戦略的撤退を行う。これが観察処分者同士の絆だ!

 

「俺たちFクラスは試験召喚戦争として、Aクラス代表に一騎討ちを申し込みたい」

 

「一騎討ち、ね。なにが狙いなの?」

 

「勿論、Fクラスの勝利が狙いだ」

 

 現在、交渉の席には、Fクラスからは我らが代表坂本雄二が、Aクラスからは木下優子さんがついていた。

 雄二は我が物顔でリクライニングシートを占領し、足を組み直してから言った。

 

「ところで、Cクラスとの戦争はどうだった?」

 

「時間は取られたけど、それだけだったよ? CクラスがAクラスに勝てるわけないでしょ?」

 

「だろうな。んじゃあ、次はBクラスとやりあう気はあるのか?」

 

「Bクラスって……昨日来たあの……」

 

 木下さんや他のAクラス生徒たちの表情が苦虫でも噛み潰したかのように歪む。Bクラスといえば根本くんが代表を務めるクラスだが、彼は雄二の命令通り、女装したまま戦争の意思をAクラスに伝えてくれたらしい。

 本来、試験召喚戦争で敗北したクラスは戦争の泥沼化を防ぐための措置として、三か月の準備期間を経ないと再び宣戦布告はできない。しかし今回のBクラスとFクラスの戦争は和平交渉によって終結したことになっている。つまりBクラスはAクラスに戦争を仕掛けることができるのだ。さらに言えばDクラスも。

 ……これって、完全に悪役側の交渉というか、脅迫だよね。

 

「わかったよ。その挑発に乗ってあげる。ただし、代表同士の一騎討ちじゃなくて、五対五の一騎討ちならだけどね」

 

「よし、その案を呑もう。教科の選択権はこちらが三つ、そっちが二つでいいか?」

 

「……条件がある」

 

 突然交渉の場に現れたのは、Aクラス代表の霧島翔子さん。全く気配を感じなかったからちょっとビックリ。それはクラスメイトの木下さんでも同じだったようで、彼女も目をぱちくりさせていた。

 

「条件とはなんだ、翔子」

 

 僕らとは対照的に雄二は少しも動揺を見せず、顎に手を当てて訊く。

 

「……負けた方は、何でも一つ言うことを聞く」

 

 な、何でもだって!?

 何でもってことは、あれもこれも、どれもそれも命令できちゃうってことですか!?

 

「いいだろう。交渉成立だな」

 

「ま、待ってよ雄二! 何でもなんて、そんなの危険すぎる!」

 

 これほど才色兼備ながら男の影一つない霧島さんには同性愛者疑惑まであるというのに! もしFクラスの数少ない女子であるガヴリールや姫路さんや秀吉に被害が及んだらどうするんだ!

 

「心配すんな。絶対お前らには迷惑をかけない。翔子、勝負は十時からでいいか?」

 

「……わかった」

 

 霧島さんは無表情のまま一つ頷くと、そのまま踵を返して教室の奥に引っ込んでしまった。

 これにて交渉成立。

 僕たちはポケットだけでなく、ガヴリールのパーカーのフードにもお菓子を詰め込んでから、Aクラスを後にした。

 Fクラスの試験召喚戦争は、遂に最終決戦の時を迎える。

 

   ○

 

 午前十時。

 学年を代表するバカである僕らFクラス一同は、Aクラスの教室で学年の頂点に君臨するエリートたちと対峙していた。

 立会人を務めるのは、Aクラスの担任と学年主任を掛け持ちしている高橋洋子女史。

 

「それでは先鋒の方、前へ」

 

「Aクラスからはアタシが出ます」

 

「では、Fクラスからはワシがやろう」

 

 向こうの先鋒は木下優子さん、対してこちら側はその弟である秀吉が前に歩み出る。

 秀吉は演劇部のホープと言われるだけあって、演技力や変装には長けているが、学力は所詮Fクラス並みだ。では何故秀吉が先鋒なのかといえば、相対するのが彼の姉である木下さんだからだ。

 当然秀吉は、お姉さんの弱点や苦手科目なんかも把握しているはず。集中力の乱れが操作に大きく影響を及ぼす召喚獣での一騎討ちならば、秀吉にも勝利の可能性はあるだろう。

 それに、この初戦はFクラスの士気にも関わってくる。秀吉には勝つとまではいかなくとも、是非善戦してもらいたいところだが──

 

「ところでさ秀吉、Cクラスの小山さんって知ってる?」

 

「む? 誰じゃ?」

 

 召喚獣を呼び出す前に、木下さんがニコニコと秀吉の元へと歩み寄ってその腕を握る。まるで捕らえた獲物を絶対に逃がすまいとするハンターのように。

 前哨戦というやつだろうか? それにしてはやけに不穏な空気が漂っている。

 

「じゃあいいや。ちょっと話があるからこっちに来て?」

 

「姉上よ。そんなに固められると痛いのじゃが……」

 

 腕を引かれて廊下へと連行される秀吉。

 確か小山さんと言うと、Bクラス戦の時に秀吉が煽りまくったCクラス代表の名前だったような……。

 

「ねえ愚弟? どうしてアタシがCクラスを豚呼ばわりしたことになってるのかな? お姉ちゃん気になるなー」

 

「ああそれはじゃな、姉上の本性をワシなりに推察して……あ、姉上っ! 背骨はそっちに曲がるようには出来ていな──(ボキッ!)」

 

 ……今、人体から鳴ってはいけない音が鳴ったような気が。

 ガラッと扉を開けて、そこから顔だけを覗かせる木下さん。

 

「ごめんなさい。アタシたち、ちょっと急用を思い出したから早退します。月乃瀬さん、アタシの代わりに先鋒戦に出てくれないかな?」

 

「えっ? 私? いいのっ?」

 

「うん。月乃瀬さん、Cクラス戦の時は代表の護衛であまり戦闘に参加できてなかったでしょ? だからお願い」

 

「あ、ありがとう木下さん! 一騎討ちって聞いてまた私出番ないんじゃって思ってたから、凄く嬉しい!」

 

「良かったですね、ヴィーネさん」

 

 ニコニコと微笑むAクラスの女子三人。とても麗しい光景なのだが、扉の陰に倒れている小柄な男子生徒のような物体が恐怖を煽って仕方なかった。秀吉、無事でいてくれ。

 

「……とりあえず、天に祈りを捧げときますか」

 

「そうだね……」

 

 手を合わせて拝む僕とガヴリールを尻目に、木下さんは教室を出て行ってしまった。

 

「では、今のはノーカウントということで仕切り直しましょうか」

 

 高橋先生がノートパソコンを操作すると、プラズマディスプレイにこう表示された。

 

 生命活動

『Aクラス 木下優子 DRAW VS Fクラス 木下秀吉 DEAD』

 

 まだ生きてると思います。……多分。

 

「おい明久、天真。あの月乃瀬って奴は実際どれくらいやるんだ?」

 

 腕を組んだ雄二が前に出てきて、僕とガヴリールに問うた。

 

「Aクラスでも上位なのは間違いないよ。多分、苦手科目もないと思う」

 

「逆にぶっちぎりの得意科目もないな。全部オーソドックスに点数を取る。ヴィーネは真面目だからね」

 

「ちっ、そういうタイプか。ある意味一番厄介だな……」

 

 雄二の言う通りだ。全てオーソドックスに出来るということは、つまり穴がないということである。今まで僕らは相手の弱点に付け込んだり、搦め手を使って勝利をもぎ取ってきたから、単純な学力が物を言う勝負にはてんで弱いのだ。

 雄二が何かを考え込んでいると、そこに一人の女子生徒がやってきた。

 

「クックック、どうやら私の出番のようね。ヴィネット、相手してやるわ」

 

 自信満々にそう告げるのは、我らがFクラスの愉快な仲間の一人、胡桃沢さんである。

 彼女は月乃瀬さんと同じ悪魔。もしかしたら、何か弱点でも知っているのだろうか?

 

「教科は何にしますか?」

 

「えっ、私が決めていいんですか? えっと、じゃあ世界史で!」

 

 月乃瀬さんが言うと、高橋先生は即座にフィールドを展開した。作戦会議を続ける僕らに対して、早くしろと暗に告げているのだろう。

 

「サターニャ、一応お前の世界史の点数を聞いてやる」

 

「ハッ、あまり私を舐めないことねガヴリール! 世界史なんて、この私が刻む歴史にとっては些末な過去に過ぎないのよ!」

 

「いいから言えよコラ」

 

「やれやれ。いいわ、教えてあげる。アレは後ちょっとだったのよねー。そう、確かあと一点で」

 

「あと一点で?」

 

「あと一点で二桁だったわ!」

 

「下がってろ産業廃棄物」

 

「ちょ! 大悪魔たる私に向かってなによその口の利き方は! そういうアンタこそ世界史何点だったのよ!」

 

「高橋せんせ、Fクラスからは私が出ます」

 

「無視すんなー!」

 

 喚く胡桃沢さん(世界史9点)をスルーして、月乃瀬さんと相対したのは我らが駄天使ガヴリールである。なんだか自信あり気だけど、ガヴリールって世界史得意だったっけ?

 対峙する月乃瀬さんの顔も、少しだけ緊張気味だ。

 

「ガヴ、まさかアンタとこうして戦うことになるなんてね」

 

「そうだね。だけど、相手がヴィーネでも手加減しないよ」

 

「私もそのつもり! 全力で戦いましょう!」

 

「ああ、正々堂々(・・・・)とな」

 

 と言って、ニタァと嫌な笑みを零すガヴリール。

 どう見ても正々堂々とは対極に位置する表情だ。

 

試獣召喚(サモン)!」

 

 そんな僕の思考を遮るように、月乃瀬さんがお馴染みの短い単語を詠唱して魔法陣を展開させた。

 同じ悪魔である胡桃沢さんは謎の口上も言ってたけど、やっぱアレは彼女だけなのか……。

 

 世界史

『Aクラス ヴィーネ 376点』

 

「三百点台後半か……!」

 

 やはりAクラス上位並みの点数。しかも現れた月乃瀬さんの召喚獣は背丈ほどもある長く鋭い三叉槍を携えていて、見るからに強そうだ。

 Aクラスの生徒たちから歓声が上がり、月乃瀬さんは照れくさそうに頬を掻く。

 これはクラスメイト達から見てもかなりの点数なのだろう。単純に月乃瀬さんが慕われているというのもあると思うけど。悪魔ってなんなんだ本当……?

 

「さあガヴ、どこからでもかかってきなさい!」

 

 そう気合を入れて、召喚獣の槍を構える月乃瀬さん。

 

「その前にヴィーネ、一つだけ訊いておきたいんだ」

 

 対してガヴリールは、何故かひどく澄んだ瞳で月乃瀬さんに尋ねる。

 

「なに?」

 

「もしテストで正解が分からない選択の問題が出た時、ヴィーネならどうしてる?」

 

「え? そりゃあ消去法で絞り込んで、その中から……まあ、勘で選ぶかな」

 

「だよね。多分その点数の中にも、勘で選んで正解だったやつがあるよね?」

 

「あると思うけど……そんなこと確認してどうしたのよ? ガヴ」

 

「いや、これで心置きなく戦えると思ってさ。試獣召喚(サモン)

 

 ガヴリールの足元にも同じように幾何学的な魔法陣が展開される。

 その中から顕現するガヴリールの召喚獣は、いつも通り小さな弓とセーラー服を纏っていて──

 

 世界史

『Aクラス ヴィーネ 376点 VS Fクラス ガヴリール 400点』

 

 いつも通りじゃない、莫大な点数を叩き出していた。

 

「──さあヴィーネ、私たちの試験召喚戦争を始めよう」



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第十一話 バカと天使とドロップアウト(中編)

バカテスト
問 次の( )に正しい年号を記入しなさい。
『(   )年 キリスト教伝来』

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『1549年』
教師のコメント
 正解です。月乃瀬さんにとってはこれくらい朝飯前でしたかね。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
『8月15日』
教師のコメント
 問うているのは年号ですし、それは胡桃沢さんの誕生日でしょう。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『2017年』
教師のコメント
 去年あなたにキリスト教伝来並みの出来事でも起こったのですか?

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『1549年、スペインナバラ王国生まれのバスク人カトリック教司祭でイエズス会員のフランシスコ・デ・ザビエルによる宣教活動が日本最古のキリスト教伝来として記録されている。ザビエル様は、コスメ・デ・トーレス神父、ジョアン・フェルナンデス修道士らとともに鹿児島に上陸し、平戸・山口・堺などでも宣教活動を行った。またザビエル様のキリスト教布教以降、ガスパル・ヴィレラ司祭、ルイス・デ・アルメイダ医師、ルイス・フロイス司祭、ガスパール・コエリョ司祭などのイエズス会員も相次いで日本に来航し――(以下、日本のキリスト教史がずらりと続く)』
教師のコメント
 詳しすぎです。


 試験召喚戦争の細かなルールの一つに、戦後回復試験というものがある。これは一つの戦争が終わった後に、その参戦クラスの生徒は点数補充を行えるというもので、例え連戦になるとしても消耗した点数を回復するための期間が与えられる。複数のクラスが結託して一つのクラスを集中狙い──なんて事態が起こった時の為の、戦争の公平性を促すためのルールだ。

 これを利用して、二年FクラスはBクラス戦後に全員で回復試験を受けていた。万が一Aクラスとの交渉が決裂し、クラス間の戦争に発展した場合に備えてである。

 今のテスト科目は歴史。つまり日本史と世界史である。シャーペンの芯を出しては戻す者、回答をしているように見せかけて答案用紙に落書きをする者、卓袱台に突っ伏して既に諦めモードの者。態度は様々であったが、その顔色は総じて良いものではなかった。数少ない例外といえば、鬼気迫る勢いでペンを走らせる姫路瑞希くらいだ。

 そして、我らが駄天使こと、天真=ガヴリール=ホワイトは──

 

「輝け! シャイニングアンサー!」

 

 コロコロコロ……

 鉛筆を転がしていた。

 

「天真さん、試験中ですのでお静かにお願いします」

 

 と、パンパンと教卓を叩いて警告するのは試験監督の福原先生。

 

「あ、すんません」

 

 その瞬間、叩かれた教卓がバキバキと崩れ落ち、生徒たちの目の前でゴミ屑と化した。軽く叩いただけで崩壊する教卓に、足が折れかけの卓袱台、腐臭漂うボロ畳──これがFクラスの現在の教室設備なのだ。

 ガヴリールはそんな現実から全力で目を逸らしつつ、転がした鉛筆をちらりと見遣る。正確には、その鉛筆の側面に刻まれた記号に。

 

(ふむ、この問題はウか)

 

 記述問題を完全にスルーし、記号問題の解答欄だけを粛々と埋めていく。

 完全に試験を舐めているとしか思えない行動だが、実は彼女、ここまで全ての記号問題の回答が正解なのだ。

 それは何故か。

 天真=ガヴリール=ホワイトは──神に愛されるレベルの幸運を持つ、天使の中の天使。エンジェルオブエンジェルだからだ。

 かつての優等生としての姿は見る影もなく、普段は友人であるヴィーネや明久から駄天使と揶揄されている彼女だが、決して天使としての力を喪失したわけではない。そもそも、彼女の持つ幸運というのは生来のものだ。

 努力と幸運、その二つの才覚を持ち合わせていたガヴリールだからこそ、彼女は天使学校主席にまで上り詰めることができたのである。

 なのでガヴリールは、やろうと思えばネトゲのレアドロップアイテムなど一発で獲得できるし、なんなら宝くじで一等を当てるなんてお茶の子さいさいだし──テストの選択式問題を勘で百発百中させることなど容易いのだ。

 こうして彼女は、記号問題の配点が少なかった日本史においても二百点、記号問題の配点が多かった世界史においては四百点という高得点を獲得したのであった。

 

   ○

 

 世界史

『Aクラス ヴィーネ 376点 VS Fクラス ガヴリール 400点』

 

 参考として召喚獣の頭上に表示されたガヴリールの点数に、Fクラスは歓喜の声を、Aクラスは驚愕の声を上げる。

 それも当然だろう。四百点ジャストなんて、学年においてトップ中もトップ。その科目において間違いなく五本の指に入るほどの成績だからだ。

 前までは僕と殆ど同じくらいの点数だったはず。バカのはずなのに! バカのはずなのに!

 

「ちょっとガヴ! アンタまさか不正とかしてないでしょうね!?」

 

 そう抗議の声を上げたのは彼女と相対する月乃瀬さん。真っ先に不正を疑われる天使って……。

 

「そんなことしてないって。ただ少し、神様のご加護を受けてるだけだよ」

 

「してるじゃないっ!」

 

 屈託のない笑顔で告げた駄天使にツッコミを入れる生真面目悪魔。

 

「祈っていいのは、祈られる覚悟のある奴だけだ!」

 

「そりゃアンタは天使だし祈られることもあるでしょうけど!」

 

 君たちはきっと生まれる種族を間違えている。

 ……ちなみに、Fクラスの神棚をガヴリールは未だに取り壊せずにいる。襲撃に赴くたびにクラスメイトたちの妨害に遭うからだ。しかも、あの神棚が祈り拝まれる度、天界からの仕送りが少し増えるらしく、彼女もあまり強く出られないというのが現状だった。

 

「でもヴィーネ、考えてみてよ。人間共だって、試験前に神社とか寺に神頼みしに行くじゃん?」

 

「まあ、そうね。私も振り分け試験の前日にはお参りに行ったわ」

 

 悪魔が参拝というのもどうなんだろう、という疑問は今更なので置いておく。

 

「つまり、私の場合はテスト中に神様にお願いした、それだけの話だよ(にこっ)」

 

「アンタの神頼みは洒落にならないでしょーが!」

 

「ガヴちゃん、昔から神様たちに愛されてましたもんねー」

 

 多分、その神様たちはロリコンだと僕は思うんだ。

 

「私が不正したというのなら、その証拠を出してみなよ。高橋先生、そんな事実はありませんよね?」

 

「はい。天真さんは試験中、至って真剣でした」

 

「ほらね」

 

「至って真剣に──鉛筆を転がしていたと報告されています」

 

「だとさ、ヴィーネ」

 

「アンタいつか天界に強制送還されても知らないからね!?」

 

 月乃瀬さんのキレッキレのツッコミ。いつだったかガヴリールが、彼女の突っ込みは神様にも通用するなんて言ってたが、本当に通用しそうなレベルだ。

 

「……ところでさガヴリール、数学は何点だったの?」

 

 僕の中に一つの疑問が湧いたので訊いてみる。

 数学といえば、マークシート方式でもない限り選択問題が殆ど出ない科目の一つだ。

 

「聞いて驚け、明久」

 

 彼女は振り返って、不敵な笑みを浮かべながら言った。

 

「一桁だ」

 

「ば、バカだ! バカがいる!」

 

「なんだとっ!? お前にバカって言われたくないぞこのバカ!」

 

 一桁なんて僕でも滅多に取ることがない点数だ。バカ以外の何者でもないだろう。

 ムッツリーニといい島田さんといいガヴリールといい、どうして僕の周りの連中はこう極端なんだ。あ、Fクラスだからか。

 

「はあ……因数分解ってなんだよ。勝手に分解するなよ、自然なままにしておいてやれよ」

 

「アンタかなりFクラスに染まってきてるわね」

 

 眩暈を抑えるかのように、額に手を当てる月乃瀬さん。

 しかしそうか、選択問題か。

 確かにガヴリールは、やけにレアアイテムのドロップ率とかガチャの排出運が良いとは思っていたけど、本気の運命力を発揮すればこれだけの点数が取れるのか。

 ……あれ? じゃあなんで振り分け試験でやらなかったんだろう? 仮に数学の点数が一桁だとしても、他の教科全てで三百点くらい取れば、余裕でAクラスに入れたはずなのに。

 

「じゃあ私の疑惑も払拭されたところで、そろそろやろうかヴィーネ」

 

「な、なんて卑怯な天使なの……!」

 

「どんな手を使おうとも最終的に勝てばよかろうなのだ! 七億円の恨み! 今ここで晴らさせてもらう!」

 

「アンタそれまだ根に持ってたのかよ!」

 

 ガヴリールの召喚獣は今までとは比べ物にならない跳躍力で飛び上がり、空中から矢を連射した。

 それらは凄まじいスピードで宙を疾走し、弧を描いて四方八方から月乃瀬さんの召喚獣へと迫る。

 四百点という高得点から繰り出される数の暴力。天使らしさの欠片もない雑な戦い方だが、だからこそ有効。僕や胡桃沢さんのように召喚獣の扱いに慣れている観察処分者ならば、致命傷を避けるようにしながら躱すことができるかもしれないが、月乃瀬さんは召喚獣の操作に慣れていないはず。この攻撃で早くも決着が──

 

「きゃぁ! あ、危なー……」

 

 つかなかった。

 月乃瀬さんは召喚獣の得物である長い三叉槍の中心を持って、それを扇風機みたいにクルクルと回転させることで矢を全て弾き落したのだ。

 え……? 今の動き、どう見ても初心者のそれじゃないぞ……?

 

「おいおいヴィーネ、ガードしちゃダメだろ。今は私のターンなんだから」

 

「ガヴの点数の攻撃をまともに食らったら致命傷でしょ! そりゃガードもするわよ!」

 

 重力に導かれて落下するガヴリールの召喚獣に、今度は月乃瀬さんの召喚獣が肉薄する。彼女の点数も三百点台後半なだけあって、凄まじい瞬発力だ。

 

「今度はこっちの番なんだから!」

 

「ちょ! ヴィーネ、なんでそんなに操作上手いんだよ!?」

 

 着地により生まれた隙を月乃瀬さんは見逃さず、槍による一突きを放つ。何とか急所は外すことに成功したものの、ガヴリールの召喚獣はふっ飛ばされて、弓を取り落としてしまう。ちゃ、着地狩り……!

 

 世界史

『Aクラス ヴィーネ 344点 VS Fクラス ガヴリール 352点』

 

 気が付けば、お互いの点数はほとんど拮抗していた。

 こうなってしまうと、ガヴリールは圧倒的に不利だ。点数のアドバンテージを失い、さらには何故か月乃瀬さんは観察処分者並みの操作技術を身に付けているのだから。

 ん……? 観察処分者並み……? ってことは、もしかしてそういうことなのか?

 

「まさか月乃瀬さん、君みたいな出来た人が観察処分者に認定されるなんて……! いったい何をやらかしたんだい……!?」

 

「フッ、ヴィネットもようやく悪魔らしくなってきたってことかしら? Welcome to the Underground、イカれた世界へようこそ」

 

「違うからね!? 先生の手伝いをしてる時に、召喚獣を扱う機会があっただけだから!」

 

 なんだって!? あんな死ぬほど面倒くさい雑用を自ら進んで引き受けるなんて、どこまで出来た人なんだ月乃瀬さんは! 悪魔なのに!

 

「月乃瀬さんにはいつも本当に助けられています。なにせ、本来雑用を頼むべき観察処分者の方々は問題ばかり起こしますから」

 

「「…………」」

 

 高橋先生の言葉に全力で目を逸らす僕と胡桃沢さん。ぼ、僕らはどこにでもいるような至って真面目な生徒なんですよ? 根は良い子たちなんですよ?

 

「ってことは月乃瀬は、Aクラス上位並みの点数に観察処分者並みの操作技術を持ってるってことか……!? 明久の完全上位互換じゃねえか!」

 

「言ったあああ! こいつ僕が目を逸らしていた真実を包み隠さず言ったあああーっ!」

 

 雄二の残酷すぎる一言に頭を抱える僕。

 このままだと僕の存在意義が! アイデンティティがぁ!

 

「さぁてガヴ? それじゃ続けましょうか?」

 

「ま、待ってよヴィーネ! タイム! タイムを要求したい!」

 

「タイム? まあ、いいけど……五分だけだからね?」

 

 優しっ。

 

「ど、どどどどうしよう明久! ヴィーネ強すぎるよ! 勝てる気がしない!」

 

「落ち着くんだガヴリール! 可愛さなら負けていない! いやむしろ僕の中では勝っている!」

 

「いや、お前も落ち着け?」

 

 雄二の冷静なツッコミに正気を取り戻す僕ら。

 

「…………弱点を見つけるしかない」

 

「胡桃沢、お前確か月乃瀬と同郷だったよな? なにか知らないか?」

 

「ヴィネットの弱点……そうね、アイツは褒められることに弱いわ」

 

「褒められること?」

 

「アレを見なさい」

 

 そう言って胡桃沢さんが指差したのは、Aクラス側の陣営である。

 そこでは、月乃瀬さんがクラスメイトたちに取り囲まれていた。

 

「凄いね月乃瀬さん! 腕輪持ちの相手に互角に渡り合えるなんてさ!」

 

「ああ。それに、君の操作技術はAクラスでも群を抜いているようだ」

 

「あはは。ありがとう工藤さん、久保くん」

 

「……代表として、私も鼻が高い」

 

「も、もう! 霧島さんまで……褒めてもなにも出ないんだからね?」

 

「侵略者であるFクラスに果敢に立ち向かうヴィーネさん。まさに勇者のようでした」

 

「あ、あはは……うん、悪魔っぽくないでしょ」

 

 急にテンションが。

 

「なるほど。悪魔なのに他人から褒められる、っていう食い違いを突くわけだね?」

 

「そういうことね。全く、すぐ側に生きた見本である大悪魔がいるのだから、ヴィネットはもっと私を見習うべきよねー」

 

 雄二たちに聞かれるわけにもいかないので、耳元で話す僕と胡桃沢さん。

 僕としては、月乃瀬さんには是非ともそのままの彼女でいてほしいものだ。

 

「……ふんっ!」

 

 すると、急にガヴリールが胡桃沢さんの側にやってきて、足の小指辺りを踵で踏み抜いた。痛そう。

 

「あだああああーっ!? な、何すんのよガヴリール!」

 

「すまん。なんかお前の顔見てるとムカついたから衝動的に」

 

「理不尽! しかもアンタ、謝るつもり全くないでしょ!」

 

「うむ」

 

「うむ、じゃないわよ! 表出なさいバカリール!」

 

「いや、私ヴィーネと戦ってる最中だから。じゃあなバカーニャ」

 

「むきーっ! 覚えてなさい!」

 

 足を抑えて床をのたうち回る胡桃沢さんを尻目に、ガヴリールは僕へと一瞥をくれた。

 まさか僕も足を踏まれるのだろうか。

 

「が、頑張ってね」

 

「……ん」

 

 僕が引きつった笑みを浮かべながら言うと、ガヴリールは相槌だけ返して、再び月乃瀬さんと相対した。

 良かった。僕の足は無事守られたみたいだ。

 

「行くわよガヴ!」

 

 低い姿勢で槍を構えて突進する月乃瀬さんの召喚獣。

 そのスピードの乗った一撃は、まともに食らえば戦死は免れないだろう。

 

「今よ! アンタたち!」

 

「「「応!」」」

 

 なので、僕たちは胡桃沢さんの作戦通りに合わせて声を上げた。

 ──月乃瀬さんを、褒め殺しにする台詞を。

 

「ヴィネット! アンタまた近所の小学生に告白されたんですって!?」

 

「……へ? さ、サターニャ!? なんで知って!?」

 

「しかも相手を悲しませないように断ることはせず、『その気持ちを大人になるまで持っててくれたら、また告白してね』と頭を撫でてやったらしいぞ!」

 

「なんて優しいんだ! 月乃瀬さん、君はこの文月学園に咲く一輪の花! いや、舞い降りた天使だ!」

 

「…………流石お嫁さんにしたい女子ランキング単独トップ……!」

 

「や、やめて! 羞恥心で死んじゃうから! ねえホントにやめて!?」

 

 僕らのわざとらしい演説に、真っ赤になった顔を両手で抑える月乃瀬さん。

 月乃瀬さんの反応を見るに、胡桃沢さんの言ったことは全て本当のことらしい。こんなに優しい人の弱みに付け込むなんて罪悪感が半端ないが、これも勝利のため! 外道にだって成り下がってやるさ!

 月乃瀬さんの精神的動揺が召喚獣にも伝わったのか、彼女の召喚獣も顔を真っ赤にしてその場に蹲ってしまう。今がチャンスだ!

 

「ガヴリール!」

 

「わかってる!」

 

 ガヴリールは限定されたフィールド内での一対一で弓は不利だと悟ったのか、拳を握りしめて肉薄する。全力疾走の勢いをそのままに、ガヴリールの召喚獣は月乃瀬さんの召喚獣にパンチを繰り出した。

 

「食らえヴィーネ! エンジェルブロー!」

 

 説明しよう!

 エンジェルブローとは、天使の怒りと悲しみをのせた必殺の拳! 相手は死ぬ……らしい!

 

「くっ……!」

 

 流石の月乃瀬さんでもあの状況からの回避は無理だったのか、槍を構えて盾のようにするのが精一杯。ガヴリールの攻撃をまともに食らい、槍ごと後方へとふっ飛ばされた。

 

 世界史

『Aクラス ヴィーネ 267点 VS Fクラス ガヴリール 352点』

 

「腰の入ったいい拳だな」

 

 喧嘩慣れした雄二がガヴリールに賞賛の言葉を贈る。

 

「確かに、上手くボディを狙ったわね。褒めてあげるわガヴリール!」

 

「じゃあ声出そうか?」

 

「…………声? どんな風に?」

 

「よし、折角だから合わせてやろう。皆、僕に続いてくれ」

 

 大きく息を吸って、僕らは声を上げた。

 

「ガヴリール! ナイスボディ!」

 

「天真、ナイスボディだったぞ!」

 

「…………ナイスボディ……!(グッ)」

 

「ナイスボディよガヴリール!」

 

「ガヴちゃん、凄いナイスボディです!」

 

「お前ら後で覚えとけよ……!」

 

 顔を真っ赤にして怒りを露わにするガヴリール。あれ? 褒めたはずなのに怒られたぞ?

 

「天真さんがナイスボディってマジ?」

 

「おいおい、むしろ逆だろ?」

 

「「「だが、それが良い」」」

 

「お前らは後で全員コロス!」

 

 こんな僕らは仲良しFクラス。

 

「……随分楽しそうじゃない? ガヴ……」

 

 すると、地の底から響き渡るような声が、Aクラス側から聞こえた。

 え? 今の声……つ、月乃瀬さん?

 

「な、なんだヴィーネ。なんで怒ってるの?」

 

「……クク、怒ってる? 私が? そっかぁ……じゃあ私も一歩前進ってことかな? 悪魔的に」

 

 そう言って、不気味な笑みを零す月乃瀬さん。な、なんだか彼女の周りに暗黒のオーラが漂っている気さえする。

 

「そっちがその気なら、私も容赦しないわ……ガヴ、覚悟してね?」

 

「い、いや、今のは私じゃなくてサターニャの奴が……!」

 

「問答無用!」

 

 羞恥心を投げ捨てて吹っ切れてしまったらしい月乃瀬さんが召喚獣を突進させる。その鋭い視線は狙った獲物を必ず討たんとする猛禽類のようだ。

 ガヴリールは慌てて弓を拾いなおそうとするが、月乃瀬さんの迫るスピードはそれを遥かに上回っていた。攻撃も、回避も、防御も間に合わない。こうなってしまえばもうできることは──いや、まだあった!

 

「ガヴリール! 腕輪だ!」

 

 そう、単一科目で四百点以上を獲得した生徒の召喚獣にのみ与えられる特殊能力。今まで縁のない話でガヴリールも忘れていたみたいだけど、ちゃんと彼女の召喚獣にも腕輪は装着されていた。

 ガヴリールはハッとなって召喚獣の腕輪を輝かせる。疾走する月乃瀬さんの召喚獣が鈍く光らせる槍の切っ先と、ガヴリールの召喚獣が放つ腕輪の光が重なり──

 

「ガヴ、潔く降参しなさい」

 

「ま、まいった……」

 

 その輝きが収まると、そこにはガヴリールの召喚獣の首元に槍を突きつける月乃瀬さんの召喚獣の姿があった。

 

「勝者、Aクラス!」

 

 高橋先生の判定を受け、Aクラスから歓声が上がる。

 

 世界史

『Aクラス ヴィーネ WIN VS Fクラス ガヴリール LOSE』

 

 AクラスとFクラスの最終決戦──その先鋒戦は、Aクラスの勝利で決着した。

 

   ○

 

「それでは次鋒の方、前へ」

 

「ヴィーネさん、お疲れ様です。次は私が行かせてもらいますね?」

 

「……うん。後は任せたわ、ラフィ」

 

 疲労困憊といった様子でふらふらと後ろへ下がっていく月乃瀬さんと言葉を交わして前に出てきたのは、ある意味僕の因縁の相手、白羽さん。対してFクラスからは、

 

「よし、頼んだぞ明久」

 

「えっ!? 僕!?」

 

 まさかの代表直々のご指名である。

 

「大丈夫だ、俺はお前を信じている。教科の選択権も使うといい」

 

「……やれやれ。雄二、それは僕に本気を出せってことかい?」

 

「ああ、もう隠す必要もないだろう。この場にいる全員に、お前の真の力を見せつけてやれ」

 

 僕らの意味深な会話に、周囲がにわかに活気づく。

 普段の僕の姿からは、確かに想像できないかもしれない。でも、本気を出した僕はちょっと凄いのだ。

 

「高橋先生、教科は日本史でお願いします」

 

「承認します」

 

 僕の言葉を受けて、展開される日本史のフィールド。

 そう、なにを隠そう僕の得意科目は日本史。今まで披露する機会はなかったけれど、本気を出せばこの僕が百点を超える可能性がある唯一の科目なのだ!

 そして、僕の本気はこれだけじゃない。

 もう一つ、ずっと秘密にしてきた力がある。それをたった今、解放しようじゃないか!

 

「白羽さん、戦う前に一つだけ聞いてほしい」

 

「なんでしょう、吉井さん」

 

「今まで隠してきたけれど、実は僕──左利きなんだ」

 

「あらあら、そうでしたか。では私も一つお教えしましょう。実は私──両利きなんです♪」

 

「へっ?」

 

 魔法陣の中から現れる僕らの召喚獣。

 見慣れた学ランに木刀という出で立ちの僕の召喚獣と、ガヴリールとよく似たセーラー服に大弓という装備の白羽さんの召喚獣である。

 対峙する二体の召喚獣の頭上に、点数が表示された。

 

 日本史

『Aクラス ラフィエル 555点 VS Fクラス 吉井明久 298点』

 

「え、ええええええっ!?」

 

 なんだかどっちの点数もおかしい気がするんだけど!?

 僕はこんな高得点を取れるほど問題を解いていないし……っていうか五百点オーバーって! 教師並みの点数じゃないか!

 そんな風に困惑する僕を見ながら、白羽さんはにっこりと微笑んでこう言った。

 

「吉井さん、どうか私を退屈させないでくださいね♪」



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第十二話 バカと天使とドロップアウト(後編)

バカテスト
問 以下の問いに答えなさい。
文月学園において採用されている、試験を用いて行う戦いを何と呼ぶか答えなさい。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『召喚獣無双』
教師のコメント
 違います。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
『決闘者たちの闘いの儀』
教師のコメント
 違います。

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『天界一武道会』
教師のコメント
 違います。

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『試験召喚戦争』
教師のコメント
 やっぱり月乃瀬さんは天使です。


「「「高橋先生、こいつカンニングしてます!」」」

 

「ちょっとぉ!? みんなして僕を売らないでよ! 僕だってなにがなんだか分からないのに!」

 

 なんて軽薄なクラスメイト達なんだろう。誰一人疑うことなく僕のカンニング疑惑を信じ、それを先生に内部告発するなんて。

 

「あ、あの、明久くんは真面目に勉強したのかもしれませんよ……?」

 

 そう言って僕を弁護してくれたのは、Fクラスの数少ない清涼剤である女の子の姫路瑞希さん。

 な、なんて優しい子なんだ! それだけに全く勉強をした覚えのない僕は凄い罪悪感だ!

 

「でも瑞希、吉井が勉強するわけないでしょ?」

 

 そして島田さん、君はなんて酷いことを言うんだい。

 ぼ、僕だってたまには勉強してるんだぞ! 例えば……例えばそう……な、なにも思い浮かばないだと!?

 島田さんのそんな言葉に、クラスメイト達はうんうんと力強く頷く。僕は仲間たちに信用されているのか、それとも全く信用されていないのか、判断に困るところだな。

 

「それで明久、どんなカンニングテクニックを使ったんだ?」

 

 そう問うたのはクラス代表の坂本雄二。教師の目の前でなんてことを言いやがるんだこいつは。

 

「だからカンニングなんかしてないって! そもそも、僕はこんな点数が取れるほど問題を解いてないし!」

 

 そもそも前提として、僕は絶対にこんな点数を取れないのだ。それは僕がバカだからではなく、決して僕がバカだからなのではなく、文月学園の試験の形式に由来する。

 僕が前回の日本史の試験で一応全て解いた問題用紙の数は二枚。そして三枚目に取り掛かっていた途中で制限時間がやってきたのだ。だから、もし仮に全問正解していたとしても点数は二百点代前半程度。それに加えて、空欄や間違えた回答なんかのことも加味すると、本当の点数は良くて百五十点とかそのくらいだろう。

 でも、召喚獣の頭上の参考点数には二百九十八点という高得点が表示されている。もしかして、試験召喚システムの故障とか?

 

「どうやらこの点数は、天真さんの腕輪の効果のようですね」

 

 ノートパソコンを操作しながら、高橋先生はそんな予想外なことを言った。

 ガヴリールの腕輪? あ、そういえば、さっき月乃瀬さんと戦ってた時、発動したんだっけ? 見ると、ガヴリール本人もよく分かってないのか、首を傾げて頭にクエスチョンマークを浮かべていた。可愛い。

 

「その効果は、ランダムな味方一人に、ランダムな教科の点数の一部をランダムに譲渡する、というものです」

 

 ランダム要素強すぎだろ!

 

「今回は、天真さんの日本史の点数全てが吉井君に譲渡される、という形になったようですね」

 

 なるほど。ということは、ガヴリールの日本史の点数は百点くらいか。僕の本当の点数は百点代後半くらいで、そこに腕輪の効果が加算されて、今の点数になったというわけだな?

 

「天真お前、日本史は何点だったんだ?」

 

「確か二百点ジャストだったな」

 

「ということは、吉井の本当の点数って……」

 

「…………九十八点」

 

「やめて! 僕をそんな居た堪れないような目で見ないでぇ!」

 

 百点超えてなかった! は、恥ずかし! でも僕にしてはよくやった方だと思うんですよ!

 っていうか島田さんにムッツリーニ! 君らは僕よりも日本史の点数悲惨な癖に!

 

「なるほど~、その点数は吉井さんとガヴちゃんの友情の証というわけですね?」

 

 白羽さんが僕の召喚獣を見ながらそんなことを言う。

 

「違うぞラフィ。これは私と明久の主従関係の証だ」

 

「あらら、そうでしたか。素直になれないガヴちゃんも可愛いですね、ぷぷぷ」

 

「は、はあ!? 全然意味が分かんないんだけど!? 私が上で明久は下、それだけだからな!」

 

 顔を真っ赤にして否定するガヴリール。天使という連中は基本的に僕を見下す傾向にあるらしい。いつか見返してやるから覚悟しとけよ……!

 

「というか白羽さん! 君こそ不正行為してないよね!? 五百点オーバーなんて教師並みの点数じゃないか!」

 

「そんなことするわけないじゃないですかー」

 

 その不正行為ギリギリをやってのけた駄天使が全力で目を逸らすのを僕は見逃さなかった。

 

「こう見えて私、歴史が得意科目なんですよ。特に宗教史に関してはそれなりに自信がありまして。お揃いですね、吉井さん♪」

 

「待って白羽さん! 君の得意と僕の得意の間には大きな隔たりがある!」

 

 僕の場合、あくまで比較的に歴史系の点数が高いだけだ。それもFクラスレベルで。

 教師レベルの点数を叩き出す白羽さんと同じ括りにされたら益々僕が惨めなことに……!

 

「でも吉井さん、ここには貴方の得意科目は歴史だと記載されていましたよ?」

 

 そう言って白羽さんが取り出したのは、召喚獣のイラストがプリントされたパンフレットのようなものだった。

 

「なにそれ?」

 

「これはですね、ヴィーネさんが作成した『マル秘! 試召戦争必勝ガイド~二年生編~』です♪」

 

「ホントになにそれ!?」

 

 見ると、他のAクラス生徒も同じ小冊子を手に持っていた。え!? まさか試験召喚戦争の為だけにわざわざAクラス全員分作成したの!?

 

「ヴィーネ、お前ほんとイベント事好きだよな」

 

「だって、他の学校にはこんな制度ないっていうから楽しみだったし……折角ならクラスの皆の役に立ちたかったし……」

 

「律儀かっ! お前ほど真面目に取り組んでもらえれば、学校側も本望だろうな」

 

「そ、そうかなっ!?」

 

「なんで嬉しそうなんだよ……」

 

 そんなガヴリールと月乃瀬さんの会話。

 白羽さんはパラパラとその冊子を捲りながら、急に深刻そうな顔で俯いた。

 

「でも、このガイドブックには重大な不備があるんです……」

 

「えっ、それってどんな」

 

「この冊子には──皆さんのスリーサイズが記載されたページが抜け落ちているんです!」

 

「なんだって!? 月乃瀬さん、君はなんてことをやらかしてくれたんだ……!」

 

「…………回収騒動レベルの不手際……!」

 

「そんなページは最初から存在しないからね!?」

 

 ざわめくFクラス男子たちを月乃瀬さんが一喝する。ムッツリーニに至ってはその場に崩れ落ちて血涙を流していた。

 

「では、第二版に期待してますね♪」

 

「もし次があるとしても先に言っておくわ、載せない」

 

 月乃瀬さんの無慈悲な宣告に、Fクラスの士気はガタ落ちしていた。くっ……! まさか白羽さんと月乃瀬さんの狙いは最初からこれだったのか! 確かに僕らにとっては死活問題だが、男のサガを利用するなんて卑怯だぞ!

 

「そっちが勝手に希望を抱いて勝手に絶望してるだけだと思うんだけど……」

 

「本当、Fクラスの方々は面白いですねー」

 

 満面の笑みを零す白羽さん。しまった、また彼女のペースに乗せられてしまっていた。

 これは僕と白羽さんの一対一の勝負。こんな調子じゃ、勝てるものも勝てない!

 

「ふっ……白羽さん。面白いのが僕らだけだとは思わないことだ」

 

「? それはどういうことですか?」

 

 僕は勿体ぶるように前髪を手で掻き上げる。

 

「面白さという意味では、君も負けてな危なあああああああっ!? マジすんませんした! 自分チョーシくれてましたっ!」

 

 雷鳴の如き勢いで飛来した矢を野生の勘だけで召喚獣を操ってギリギリ回避。直撃していれば、僕の召喚獣はザクロのように中身をまき散らしながら即死していただろう。そして五百点超えという高得点から繰り出される一撃のフィードバックは絶対にヤバい! 正直降参したい……!

 

「弱いなお前……」

 

 雄二が呆れたように言う。そう思うなら変わってほしい。フィードバックの恐怖を知らないからそんなことが言えるのだ。

 

「私が面白いって、どういう意味ですか? 吉井さん?」

 

 にっこりと破顔する白羽さん。なおその目は全く笑っていない。

 や、ヤバい。ちょっと挑発して集中力を乱して隙を作るはずが、逆に向こうは既に第二撃を構えていて全く隙がなくなってしまった。言葉の選択を間違えたら次こそ僕の命はないだろう。

 

「え、えっと……面白いって言ってもその、変な意味じゃなくてね? あ~……」

 

 頭を使え吉井明久! 白羽さんの機嫌を取りつつ、警戒心を薄くさせればいいのだ!

 そうなると、彼女を褒める言葉が一番だろう。しかし、あまりに分かりやすい特徴だと、逆に煽りだと捉えられてしまいかねない。となると、顔や性格じゃ駄目だ。白羽さんの美貌についてはこれまで何度も褒めちぎられているだろうから彼女をうんざりさせてしまうだろうし、性格は……えっと……うん……。いや、根は優しい人だということは知ってるよ? 知ってるんだけど……その、僕はドMじゃないので……。

 あ、そういえば、彼女に椅子にされたとき、お尻が柔らかかったな。いや、勿論これをそのまま言うつもりはない。『お尻が柔らかいね』なんてセクハラにもほどがあるし、白羽さんは笑って流してくれるかもしれないが、他の女の子の怒りも買ってしまうだろう。要は、これをオブラートに包んで言えばいいのだ。

 考えろ僕! 直接ではなく、できる限り間接的にお尻の良さを伝えるんだ! 僕ならできる──よしっ!

 

「白羽さん、君は──いいカラダしてるよねっ!」

 

 やってもうた。

 

「すげぇ、なんて白昼堂々としたセクハラなんだ……!」

 

「しかも相手はあの白羽さんだぞ……!?」

 

「吉井明久、噂に違わぬ……いや、噂以上の男だ!」

 

 Aクラスの男子生徒たちが驚愕の声を上げる。僕も自分自身にビックリしているのだから当然だろう。

 

「あ、えっと、その……あ、ありがとう、ございます……?」

 

「やめて! 普通に照れないで! いつもみたいに僕を弄って!?」

 

 これじゃまるで僕が変態みたいじゃないか!

 

「安心しろ、明久」

 

「雄二、僕を慰めてくれるのかい……?」

 

「もう変態として手遅れだからな」

 

「知ってたよバカ野郎!」

 

 こいつは殺す! いつか絶対に殺す!

 

「あ、明久くんっ! わ、私だって……結構いいカラダしてるんですからねっ!?」

 

「…………!(ブシャアアアアア!)」

 

「待つんだ姫路さん! それ以上の大胆カミングアウトはムッツリーニの生死に関わる!」

 

「う、ウチだって、脱げばもっと凄いんだからね!?」

 

「それは嘘」

 

「アンタの全身の骨を折るわ、一本ずつ」

 

 人はそれを処刑と呼ぶ。

 

「し、島田さん! 今は一騎討ちの最中だから落ち着いて!」

 

「人間には二百十五本も骨があるのよ! 一本くらいなによ!」

 

 一本でも持っていかれるだけで人体にとっては致命傷だと思う。

 殺意をまき散らす島田さんを落ち着かせながら、僕は白羽さんと向き直った。

 

「ふう、ここまでの勝負は互角といったところか……」

 

「えっ?」

 

 なんだいその心外そうな顔は。

 

「吉井っ! ラフィエルなんかにいいようにやられてるんじゃないわよ! この私の弟子なんだから、もっとシャキッとしなさい!」

 

 そう激励を送ってくれたのは(自称)僕の師匠の胡桃沢さん。この間のBクラス戦以来、何故か僕はサタニキアブラザーズという謎の組織に加入させられてしまったのだ。来る者拒まず去る者逃がさずという最悪の組織である。

 そんな胡桃沢さんの言葉に、何故か白羽さんはガヴリールの方を見ながら神妙な顔で頷いた。

 

「……吉井さん。先ほどのお礼に一つお教えしたいことがあるのですが」

 

「へっ? なに?」

 

 お礼……ってもしやお礼参りですか!?

 

「いえ。興味本位で言うだけなんですけど、実は先日、下校中に他校の生徒さんに告白されまして」

 

「へぇー、そうなんだ」

 

 確かに白羽さんの顔はビックリするほど整っているし、プロポーションだって抜群だ。その本性を知らない他校の男子から告白されたところで、なんら不思議ではない。

 

「ええ、そうなんです。──その時一緒に下校していたガヴちゃんが」

 

「白羽さん、そいつの名前と学校名知ってる? なんなら髪型とか体格とかそういう特徴でもいい。何か一つでも覚えていることがあったら僕に教えてくれないかな?」

 

「吉井さん、顔が怖いです」

 

 あはははは、ガヴリールに告白だって? そりゃ確かにガヴリールはめっっっっちゃ可愛いけれど、あろうことか告白だって? それはつまり、ガヴリールに対して下心を持って接触したってことだよね? しかも彼女のことをろくに知らない他校の生徒が? よし殺そう今すぐ殺そう迅速に殺そう。あ、殺しちゃダメか。FFF団の一級異端審問官の名に恥じぬよう、まずは視界を奪って手足を拘束してそして這いずるようなじわじわとした恐怖を──

 

「ちなみに、相手の男の子は小学生でした♪」

 

「………………………………くっ! 流石に小学生を手に掛けることは、僕には出来ない……ッ!」

 

「結構悩んでましたよね」

 

 内なる感情の濁流をなんとか鎮める為に、僕は深呼吸をしながら素数を数えることで平常心を取り戻した。

 

「だ、そうですよ? 良かったですね、ガヴちゃん」

 

「な、何がだ! 私が誰に告白されようと、明久には関係ないことだろ!?」

 

「初々しいですねー♪」

 

「なぁにガヴリール? まさかアンタ、私に吉井を取られたんじゃないかって嫉妬してたの? あははは! アンタにも可愛いところがゴバァ!?」

 

「次舐めたことほざいたら蹴るぞクソ悪魔」

 

「既に蹴られてるわよクソ天使!」

 

 そうか、小学生に告白されたのか。

 月乃瀬さんも同じく小学生に告白されたことがあるらしいけど、彼女の場合は近所のお姉ちゃんへの尊敬や憧れからくる恋愛感情だろう。でもガヴリールの場合は……。

 

「おい明久、なんでそんな可哀想なものを見るような目で私を見るんだ」

 

「……そんなの、僕の口からは言えないよ……ッ!」

 

「何故だろう。すごくバカにされてる気がする」

 

 制服を着てるから辛うじて高校生だと分かるけど、そのちっちゃな背丈はどう見ても小学生レベルだ。現役小学生に勘違いされてしまうのも致し方ないだろう。

 

「うふふ、吉井さんは本当に面白い人ですね」

 

「ああ、実に面白い顔をしているだろう」

 

「…………存在自体が面白い」

 

「よしそこの二人表出ろ」

 

 どうやら僕は友達と夕陽に染まる河原で本気の殴り合いをする必要があるらしい。血と汗と涙と青春と血の味がしそうだ。

 

「──でも、時間も押しているようなので、楽しいひとときもここまでですね」

 

 ちらりと高橋先生の方を一瞥してから、白羽さんは至極残念そうに呟く。多分楽しかったのは一方的に僕を弄っていた彼女だけだと思うんだ。

 

「吉井さん、私は前に言いましたよね? 歯向かってくるのなら、例え蟻さんでも容赦はしないと」

 

 そういえば、そんなことを言っていたような気もする。

 

「本当はもっと遊んでいたいのですが……私も今のクラスや教室を結構気に入っているので。どうか、私を恨まないでくださいね?」

 

 すると、白羽さんは召喚獣の大弓を構えて、矢を引き絞る。

 あの攻撃をまともに食らえば、即死不可避だろう。だが矢を射る瞬間というのは、射手にとっても弱点となる。僕は召喚獣を全力でダッシュさせ、縦横無尽にフィールドを駆け巡らせた。いつもの僕ならともかく、今の僕の召喚獣はガヴリールの腕輪のブーストを受けてパワーアップしている。つまりそのスピードも当然、格段に上昇しているのだ。これならば棒立ちにでもならない限り矢を食らう可能性は低いだろうし、彼女が矢を放って隙が生まれた瞬間に肉薄して弱点を狙うことだってできるだろう。広いフィールドで大勢の戦闘なら圧倒的に優位な弓という武器だが、この場においては小回りの利く僕の方が有利だ!

 

「さて、吉井さん。貴方を虐待してあげます」

 

「今なんて!?」

 

「あ、すみません。虐殺の間違いでしたね」

 

「虐げられることは確定なの!? で、でもこの状況は僕の方が有利! やれるものならやってみなよ!」

 

「はい、やってみせましょう。──束縛(バインド)♪」

 

 彼女がそう呟いた瞬間、白羽さんの召喚獣の腕輪が光り輝き──僕の召喚獣はこれまでのスピードが嘘のように、ピタリと停止してしまった。

 

「へっ?」

 

「チェックメイトです」

 

 そんな鈴を転がすような声が聞こえた、その刹那。

 僕の召喚獣は唸りを上げて飛んできた矢に刺し貫かれ、そのまま爆発四散した。サヨナラ!

 

 日本史

『Aクラス ラフィエル 455点 VS Fクラス 吉井明久 戦闘不能』

 

   ○

 

「痛あああああああっ!!?!? 身体のあちこちに灼熱のような激痛があああああっ!?」

 

 全身を迸る激しい痛みに、床を転がり回る僕。

 というか相手の動きを止める腕輪って! そんなの一対一じゃ最強レベルじゃないか! これ最初から僕に勝ち目なかっただろ!? いくら高得点者の特権とはいえゲームバランスちゃんと考えて作ってよ! 下方修正を要求したい!

 

「よし、勝負はここからだ! お前ら、気合い入れていくぞ!」

 

「雄二貴様! 僕を信じてたんじゃないのかよ!?」

 

「勝つ方に信じていたわけじゃない!」

 

「お前に本気の左を使いたぁぁぁい!!」

 

 なんて冷酷な代表なんだろう。こいつ、白羽さんに確実に勝てる奴がFクラスにいないからって、僕を犠牲にしやがったな! フィードバックのある観察処分者に対してなんという仕打ち! 夜道に気をつけろよな!

 立ち上がることもできず冷たい床に倒れ伏す僕に、対戦相手だった白羽さんが近づいて来て、にっこりと手を差し伸べてくれた。嗚呼、ドSとはいえ、やっぱり彼女も天使なんだなあ。なんて優し──

 

「吉井さん、最高のエンタテイメントでした!」

 

 くない! 差し伸べた手をグッとサムズアップしやがった! 握り返そうと差し出したこの手はいったいどうすればいい!?

 僕が嗚咽を漏らしていると今度はガヴリールがやってきて、僕と白羽さんの間に割って入った。

 

「おいラフィ、あんまり明久をイジメてやるな」

 

「ありがとうガヴリール……君はやっぱり僕の天使──」

 

「明久をイジメていいのは私だけだからな」

 

「……」

 

 天使とはいったい何なのだろう。

 

「あらあら、ガヴちゃんったら。では私は退散しますね、馬に蹴られたくないので♪」

 

「……なんで馬?」

 

「あ、ほ、ほら、バカは漢字で馬鹿って書くだろ? つまりラフィは、明久に蹴られたくなかったんだよ」

 

「なるほど」

 

 ガヴリールの中で僕=馬鹿という等式が出来上がってしまっているのが若干気になるところだが納得だ。

 でも、いくら僕でも女の子を蹴ったりなんかしない。僕が蹴るのはサッカーボールと石ころと坂本雄二と鉄人くらいだ。

 

「これで二連敗か……。雄二は勝負はここからなんて言っていたけど、かなり厳しい状況だよね」

 

 僕がうつ伏せの状態のまま戦況を分析していると、ガヴリールがその僕の背中にちょこんと座った。天使とかいう連中は僕のことを椅子にしないと気が済まないのだろうか?

 

「まあ、あの代表のことだし何か策があるだろ。それに私はあの教室、結構気に入ってるぞ」

 

「えっ、そうなの?」

 

 Aクラスの設備で一番はしゃいでたのに?

 

「ああ。だって、グータラしててもあの教室なら誰からも咎められないからな」

 

「確かにね」

 

 畳と卓袱台が似合う天使というのは、正直どうかと思うけれども。

 ……しかし軽いなあ、この子。

 

「ねえガヴリール。この戦争が終わったら焼き肉食べに行こうか」

 

 僕はまだ遂げていなかったその約束を思い出して、ガヴリールに尋ねてみた。Bクラス戦の時にした約束である。彼女はそれをすっかり忘れていたのか、突然の提案にひどく目を丸くしていた。

 

「……(ぴたっ)」

 

 そして何故か、僕の額に手を当てる。

 

「? なに?」

 

「いや、熱でもあるんじゃないかと思って」

 

「あはは、僕が風邪引くわけないじゃん」

 

「だよな。馬鹿は風邪を引かないって言うもんな」

 

 しまった! つい墓穴を掘った!

 

「というか、その言い方だとホントに奢ってくれるのか?」

 

「うぐ……な、七割負担でどうか手を打っていただけないでしょうか……」

 

「ん。じゃあそうしよ」

 

 ……あれ? 素直に応じてくれたぞ?

 いつもならなにがなんでも僕に奢らせようとする癖に、いったいどういう心境の変化なのだろう。

 とはいえ、七割というのもそれなりの出費だ。もう遊ばないであろうゲームを全部売却すれば足りるかな……?

 僕が必要金額をうーむと計算していると、ガヴリールは呆れたように笑って、僕の背中を軽く叩いた。

 

「明久は肉焼く係な。で、私が肉食べる係」

 

「待つんだガヴリール! その配役だと僕は野菜しか食べられないことに……!」

 

「安心しろ。ちゃんと割り箸とおしぼりも食わせてやる」

 

「貴様! 僕が有機物ならなんでも食べると思ったら大間違いだぞ! それに飲み込めたもんじゃなかったよ!」

 

「えっ……もしかして本当に食おうとしたことあるのか……?」

 

「…………」

 

「……ごめん」

 

「……うん」

 

 なんだろう、凄く居た堪れない。

 

「そもそも、二人で焼いて二人で食べればいいじゃないか」

 

「でも火怖いし」

 

「子供かっ!」

 

 僕らがそんな雑談をしている間にも、試験召喚戦争は決着へと向かっていた。

 

   ○

 

 中堅戦。

 Fクラスからは保健体育の探究者ムッツリーニが、対してAクラスからは一年生の終わりに転校してきたという工藤愛子さんが前に出てきた。

 教科選択権はFクラスが使用。ムッツリーニが選んだのは当然彼の唯一にして最強の武器、保健体育である。

 だがこれに対し、工藤さんはかなりの余裕を見せていた。どうやら彼女の得意科目も保健体育だったらしい。とはいえ、ムッツリーニに敵うほどではなかったようだけど。

 

 保健体育

『Aクラス 工藤愛子 446点 VS Fクラス 土屋康太 572点』

 

「…………加速終了」

 

「そ、そんな、このボクが……!」

 

 工藤さんも腕輪持ちだったが、ムッツリーニの腕輪のスピードには追いつけず、一瞬で一刀両断されていた。

 な、なんて強さだ! この前のDクラス戦は本調子じゃなかったのか!

 

「これで二対一ですね。では、次の方」

 

 副将戦。

 Fクラスからは予定通り姫路さんが、それを見てAクラス側から歩み出てきたのは、学年次席の久保利光くんだった。霧島さんに次ぐ、姫路さんと互角の学力を持つ唯一の男子生徒で、名実ともに二年生男子のトップに君臨する人だ。

 教科選択権を使用したのはAクラス。これで大将戦の教科選択権はFクラスのものとなった。

 

「総合科目でお願いします」

 

 展開されるフィールド。総合科目は、本人の純粋な実力が一番試される科目だ。しかも姫路さんと久保くんの点数は二十点差くらいしかないと聞いたことがある。ここが一番の正念場だな……!

 

「姫路さん、頑張って!」

 

 僕が投げかけるように言うと、姫路さんは振り返ってふっと笑いかけてくれた。その表情が、心配するなと告げている気がした。

 

 総合科目

『Aクラス 久保利光 3997点 VS Fクラス 姫路瑞希 4409点』

 

「マジか!? いつの間にこんな実力を!?」

 

「この点数、学年主席にも匹敵するぞ……!」

 

 Aクラス側からも、そして今の姫路さんの実力を知っているFクラス側からも驚きの声が上がる。あのガヴリールでさえ、口を半開きにしてぽかんとしていた。

 勿論僕も驚いている。なにせ、ついこの前まで拮抗していた学年次席クラスの二人に、四百点近くの点数差が生まれているのだから。姫路さんが強いのは知っていたけど、この点差は尋常じゃない!

 

「いつの間にこんな実力を……!」

 

 久保くんが悔しそうに歯噛みしながら尋ねる。そんな彼に、姫路さんは力強く答えた。

 

「私、決めたんです。頑張ろうって、変わろうって……自分に誇れる自分になろうって!」

 

「自分に、誇れる自分……?」

 

「私は、このFクラスが好きです。本当は弱くて臆病な私を……笑顔で迎え入れてくれた皆が大好きです! だから今度は、私が恩返しをする番なんです! やあぁーっ!」

 

 腕輪を起動させ、熱線をロケットエンジンのように噴射させて超加速する姫路さんの召喚獣。その勢いのまま大剣を振るい、久保くんの召喚獣を切り裂いた。

 久保くんはとてつもない衝撃でも受けたかのように、呆然と立ち尽くして、そのままその場に崩れ落ちてしまう。

 

「勝者、Fクラス。これで二対二ですね」

 

 立会人の高橋先生の顔に若干の動揺が見え隠れしていた。姫路さんの急成長に驚いたのか、それともここまで縺れ込むとは思っていなかったのか。

 どちらにせよ、これで大将戦への突入が確定した。

 召喚フィールドが消えると、姫路さんはゆっくりとした足取りで、けれども一歩一歩を踏みしめるかのようにして、久保くんの元へと歩み寄った。

 

「そうしないと、きっと鈍感な彼に振り向いてもらうことなんて、出来ませんから」

 

「……君が強くなれたのは、その彼のお蔭なのかい?」

 

「そうです。だから私は、負けるつもりはありません。勉強でも、恋でもっ」

 

「なるほどね。……ありがとう姫路さん。お蔭で僕も、一歩を踏み出せそうだよ。今回は僕の負けだ。だけど、次は負けない」

 

「はい。久保くんは私のライバルですから、私だって負けませんっ! 勿論ガヴリールちゃんにも、美波ちゃんにも、坂本君にも木下君にもです!」

 

「ふっ、楽しみにしているよ。僕も自分の気持ちに正直に──自分に誇れる自分に、なってみせるよ」

 

 久保くんは薄い笑みを零して眼鏡を掛け直すと、踵を返してAクラスの陣営に戻って行った。何故か僕を一瞥してから。な、なんだろう、急に寒気が……。

 正体不明の症状に身震いしていると、姫路さんがこちらへと小走りで戻ってきた。

 

「えっと、明久くんっ。手を、こうやって止めてもらえますか?」

 

 そう言って、姫路さんはまるで挙手をするように、手を顔の辺りまで上げた。真似したらいいのかな?

 

「こ、こう?」

 

「はいっ」

 

 すると姫路さんは、本当に楽しそうな笑顔で、ペチンとその手を叩いた。

 

「いえーいです、明久くんっ」

 

「い、いえーい?」

 

 姫路さんは僕とハイタッチを交わしたかと思えば、今度はガヴリールや島田さん、それにクラスメイト達と次々とハイタッチをしていく。そんなに久保くんに勝てたのが嬉しかったのだろうか。それとも、僕らと気持ちを一つにしたいということだろうか?

 そうか、姫路さん。君はそんなにも──

 

「そんなにも、皆のスリーサイズが知りたかったのか……」

 

 勿論僕も知りたいが、女の子的にはどうなんだろう? やっぱり気になるものなんだろうか?

 

「なんだかすごい誤解を受けている気がします……」

 

 とはいえ、これで僕らの二連勝で、勝負は二対二。全ては大将戦へと委ねられる。

 

「……ふーん、瑞希の奴、明久くんって呼ぶようになったんだ」

 

 すると、さっきまで姫路さんとハイタッチを交わしていた島田さんが、すすすっと僕の側にやってきた。

 

「な、なにかな島田さん……」

 

 そういえばさっき、僕の骨を一本ずつ折るとかなんとか言っていたような。今すぐダッシュで逃げ出したいけれど、未だ残るフィードバックの痛みのせいでそれは不可能だった。

 

「ねえ吉井、ウチのこと美波って呼んでみて?」

 

「えっ? えっと……美波?」

 

「うん、よろしい。じゃあウチもアンタのことアキって呼ぶから、これからはそう呼ぶように」

 

「わ、分かったよ、島田さ……じゃない、美波」

 

 すると彼女は満足そうに頷いて、たたたっとステップでも踏むように皆の元へと戻って行った。

 と、とりあえず正解なのかな? 僕の骨の無事は守られたらしい。

 あ、そうか美波、もしかして君も──皆のスリーサイズが知りたかったんだね?

 

「すっごいバカな勘違いをしている気がするわね……」

 

 渾名と名前で呼び合うなんて、友好の証以外の何物でもない。そして、そこには信頼関係が生まれる。つまり協力して、抜け落ちたスリーサイズのページを何としても手に入れようということだな。そうか、やっぱり女の子とはいっても年頃の高校生だ。僕ら男子と同じように、女子もスリーサイズについては気になるのだろう。

 そんな男女間のギャップみたいなものに僕が頭を悩ませていると、Aクラスの陣営に戻った久保くんに、白羽さんが近づいていくのが見えた。なんだか珍しい組み合わせだな。

 

「久保さん久保さん、なんですか? さっきの体たらくは?」

 

「し、白羽さん……すまない。負けてしまった……」

 

「いや、それはいいんですよ? 勝者がいれば敗者がいるのが世の摂理ですからね。私が言いたいのは、さっきの無様な姿はなんだ、ということです♪」

 

「ぐっ……いや、姫路さんが予想以上に成長していて……」

 

「そこじゃないですよね?」

 

「僕も驚いてね……」

 

「そこじゃないですよね?」

 

「……すみません、勝負に身が入っていませんでした」

 

「まあ、学年次席ともあろう方が勝負を疎かに? 皆の模範となり、学園の顔としてあらねばならぬ学年次席がですか? 不甲斐ないですねぇ」

 

「ね、ねえラフィ、その辺にしといてあげなさいよ……久保くんも凄い点数だったじゃない」

 

「ダメですよヴィーネさん。彼は吉井さんのお尻ばかり追いかけまわしていたせいで、不格好にも敗戦したのですから。ここできちっと喝を入れなければ」

 

「よ、吉井くんの……お尻っ……!?」

 

「なんでそこに反応するの久保くん!?」

 

「愛は人を強くすることもあれば、人を弱くすることもあるということですね」

 

 離れていてよく聞き取れないけれど、結構楽しそうだ。

 僕はAクラスは真面目でストイックな人ばかりが集うクラスかと勝手に思っていたけれど、案外彼らとも仲良くなれるんじゃないかと思った。

 とはいえ、さっきから止まらぬこの震えは本当になんなのだろう……?

 

   ○

 

「それでは大将の方、前へ」

 

「……はい」

 

 二対二までもつれ込んで大将戦に突入し、遂にAクラスからは最後の一人が出てきた。

 学年主席──姫路さんや久保くんを上回る学力を持つ最強の敵、霧島翔子さん。

 そんな彼女と相対するのは、Fクラス代表の坂本雄二である。

 

「教科はどうしますか?」

 

 最後の教科選択権はFクラス側にある。雄二は一つ呼吸を整えてから、大仰に告げた。

 

「教科は日本史、内容は小学生レベルで方式は百点満点の上限ありだ!」

 

 この条件こそが、僕らが勝利するための最後のピース。

 勿論、霧島さんは小学生レベルの問題なんて多少集中力を乱されようと満点を取れるだろうし、そうなれば延長戦に突入して、ブランクのある雄二だと厳しくなるはずだ。

 このやり方を採る理由はたった一つ。ある問題が出れば、霧島さんは回答を確実に間違えることを、雄二は知っているからだ。

 その問題とは──

 

「大化の改新」

 

 Aクラスに宣戦布告に赴く前、卓袱台に座って作戦会議を行っていた僕らに、雄二はそう言った。

 大化の改新と言えば、『鳴くよ(794)ウグイス大化の改新』という語呂合わせが有名なアレである。日本の歴史上初めて元号が定められて、その元号の祖である「大化」を由来とした政治改革を丸ごとひっくるめたのが大化の改新……だったはず。

 だが、雄二がこの問題に賭ける理由は、もっと単純なものだった。

 年号──つまり、何年に起きたか。

 

「大化の改新が起こったのは645年。こんな簡単な問題は明久でも間違えない」

 

 お願い……僕を、見ないで……ッ!

 

「だが翔子は間違える。俺は小さな頃に、アイツに間違いを教えていたんだ。無事故の改新で、625年ってな。俺はそれを利用してAクラスに勝つ。そうしたら俺たちの机は──システムデスクだ!」

 

 回想終了。

 雄二の提案を受け、立会人の高橋先生が問題を準備するために教室を出ていく。

 万が一にも負ける可能性が出てきて、ざわめくAクラスの生徒たち。そんな喧騒の中、僕は雄二に歩み寄った。

 

「雄二、後は任せたよ」

 

 僕らはDクラスに勝ち、Bクラスに勝ち、そして今、Aクラスとも互角に戦えている。

 それはきっと、皆が頑張ったから。でも、頑張ることができたのは、こいつの作戦があったからだ。Fクラスの代表が坂本雄二でなければ、ここまで勝ち上がることはできなかっただろう。ならば後はこいつに全てを託すしかない。泣いても笑ってもこれが最後。そして、僕らの試験召喚戦争は決着するのだ。

 僕が握手をしようと手を差し出すと──

 

「なぁ、明久」

 

「なに、雄二」

 

 急に感慨深そうな表情で、雄二がこんなことを口にした。

 

「面白ぇな、俺たちの学校」

 

 その言葉に、僕が高校生になってからの出来事が想起される。

 

 僕の家の隣に、天使みたいな女の子が引っ越してきて。

 意外にも世間知らずだったその子と、春休みの間に仲良くなって。

 寝坊して慌ててたせいで、入学式にセーラー服を着て登校してしまって。

 美人の女の子を無視するゴリラみたいな男と最悪な出会いを果たして。

 中々クラスに馴染めない、帰国子女の女の子に嫌われて。

 ゴリラみたいな男と、放課後の教室で本気の喧嘩をして。

 そこで盗撮盗聴が趣味特技の危険な男と、凄まじい演技力を持つ女の子みたいな男と遭遇して。

 いつの間にか、気が付いたらその三人といつもつるむようになっていて。

 帰国子女の女の子が向こうから話しかけてきてくれて、仲良くなれたのが本当に嬉しくて。

 久しぶりに再会したら、天使みたいな女の子が僕のせいで駄天使にドロップアウトしていて。

 彼女は本物の天使だと知って。それに悪魔もいて、天界や魔界なんてものの存在も知って。

 生真面目な悪魔の女の子、悪戯好きの悪魔の女の子、ドSな天使の女の子とも知り合って──

 

 まさか、自分がこんな高校生活を送ることになるだなんて、想像もしていなかった。

 楽しいことばかりじゃなかった。嫌なことも辛いこともいっぱいあった。

 だけどその日々は、どれ一つ欠けることなく、掛け替えのない思い出として僕の中に残っていた。

 

「そうだね──」

 

 そして今。

 性格も特技も趣味も種族さえもバラバラな僕たちが、何の因果かFクラスに集まって、打倒Aクラスという目標に向かって一致団結している。

 まさに運命の悪戯。

 でも、そんなことは、もう僕にとってはどうでもいいのだ。

 僕にとって重要なのは、たった一つ。至極単純明快な、バカみたいな答え。

 

「最高だよ!」

 

 振り分け試験で倒れたせいで、不当にも成績最低のクラスに追いやられた心優しい女の子。

 死に物狂いで努力して、日常会話を難なくこなせるようにまでなった帰国子女の女の子。

 元神童で元不良という肩書きを持つ、馬鹿の癖に悪知恵だけは一丁前に働く悪友兼クラス代表。

 演劇を愛しすぎた故に、性を愛しすぎた故に、その一芸のトップまで上り詰めた友達二人。

 女の子なのに僕らと似た性格で観察処分者の烙印まで押された、最高に格好良い大悪魔様。

 足を引っ張り合ってばかりで、なのにいざという時は誰よりも頼りになるクラスメイト達。

 そして──天使であり駄天使である、とびっきりに可愛い女の子。

 

 ああ、そうだ。

 僕はこの学校が、このクラスが、ここにいる皆が……大好きなんだ!

 

「行ってこい、底辺代表!」

 

「任せとけ、バカ代表!」

 

 パァン! と甲高い音を立てて、僕らは互いの掌を打ち合う。

 人も、天使も、悪魔も、絶対に変わらないものなんてない。

 だけど、僕らの今という記録はいつか思い出となって、色褪せぬまま、変わらぬまま、僕らの記憶に残り続ける。

 だから、僕も進もう。

 変わることは怖いことかもしれないけれど、思い出は子供から大人になった僕たちを、きっといつまでも見守っていてくれる。

 

 ここがゴールじゃない。

 むしろ、ここからがスタート。

 子供が大人になるための──最初の一歩。

 泣いても笑っても、この試験召喚戦争の終わりこそが、僕らの始まり。

 教室が変わったとしても、僕らFクラスの仲は変わらずに続いていくはずだから。

 

 霧島さんと雄二が教室を出ていくと、やがて視聴覚室の様子がディスプレイに映し出される。

 二人が着席すると、問題用紙が配布されて試験が始まった。

 大化の改新が出れば僕らの勝ち、出なければ僕らの負け。

 誰もが固唾を飲んで見守る中、二人は黙々と問題を解いていき、そして──

 

   ○

 

 日本史小学生限定テスト 100点満点

『Aクラス 霧島翔子 97点 VS Fクラス 坂本雄二 53点』

 

 僕らの教室設備が、卓袱台からみかん箱にドロップアウトした。




【Aクラス対Fクラス 試験召喚戦争 結果】
 勝:Aクラス 負:Fクラス

前哨戦 生命活動(生殺与奪権:Aクラス)
△木下優子 DRAW VS △木下秀吉 DEAD

先鋒戦 世界史(教科選択権:Aクラス)
☆ヴィーネ 376点 VS ★ガヴリール 400点

次鋒戦 日本史(教科選択権:Fクラス)
☆ラフィエル 555点 VS ★吉井明久 298点(98点+200点)

中堅戦 保健体育(教科選択権:Fクラス)
★工藤愛子 446点 VS ☆土屋康太 572点

副将戦 総合科目(教科選択権:Aクラス)
★久保利光 3997点 VS ☆姫路瑞希 4409点

大将戦 日本史小学生限定テスト(教科選択権:Fクラス)
☆霧島翔子 97点 VS ★坂本雄二 53点


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第十三話 Gabriel DropOut

バカテスト
問 次の単語を和訳しなさい
『 destiny 』

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『運命・神意』
教師のコメント
 正解です。

吉井明久の答え
『ZGMF-X42S』
教師のコメント
 先生もガンダムは好きです……。


 もう一年近く前のことで、あまり正確には思い出せないけれど、それは確か放課後のことだったと思う。

 私は学校から帰宅して、そのまま隣人の家に遊びに行った。

 そして、そいつの家で持ち寄ったお菓子なんかを食べながら、他愛もない話を織り交ぜつつ、ゲームで対戦していた。

 そんな時、ふと、私は言ったんだ。

 

 ──なあ、明久。

 

 自分でも、ちょっと驚くくらい自然に出た言葉。

 

 ──私が天使だって言ったら、信じるか?

 

 言ってしまった、という気持ちがないわけじゃなかった。

 その当時、既に私は堕天していた訳だけども、それでも『天使であること』というのは私の数少ないアイデンティティであり、正直言うとずっと秘密にしておこうとさえ思っていたはずだった。

 

 だけど。

 こいつに対して隠し事をしたくないという気持ちも、どこかにあったんだと思う。

 底抜けに優しくて、バカみたいに素直な彼には、私もありのままの自分で接したかったのかもしれない。

 それに、ラフィじゃないけど、どんな面白いリアクションをしてくれるだろうかという興味もあって。

 悪戯心半分、緊張半分といった感じで言ってやったのだ。

 

 だから、あんな反応が返ってくるのは、予想外だった。

 はっきり言ってしまうと、これは私にとっては黒歴史のようなもので、思い出すだけで恥ずかしくなってしまう忘れたい過去なんだけれど、それでも。

 アイツがなんて答えたかだけは、ずっと忘れられず、鮮明に覚えている。

 それはあまりにも月並みな一言で──でもきっと、私が何よりも望んでいた言葉だった。

 

   ○

 

 天使学校を卒業した天使は、人間の文化や生活を学ぶための研修期間として、下界で修業を行う。そして人を正しい道へと導き、初めて一人前の天使となる。

 私もそう決意して下界に降り立った天使の一人だった。全ての人々を幸せにできるような立派な天使に、絶対になってみせると。それが私に与えられた使命なのだから。

 

 しかし、そう決意していた私でしたが、現在下界にて危機的状況に瀕していました。

 それは──

 

「わぁぁー!? どどど、どうしましょう!? 壊れてしまったのでしょうか!?」

 

 ごうんごうんという音を立てる洗濯機から、大量の泡が溢れて止まらないという状況でした。

 遡ること数分前、私はお洗濯をしようと思ったのです。

 私の故郷である天界では、洗濯と言うと、洗濯板と桶で行う大変な作業なのですが、下界では洗濯機というとても便利な機械が普及しているため、ボタン一つで出来てしまいます。なんてハイテクなんでしょうと私は感動すら覚えました。

 

「えっと、回す前にこの洗剤を入れるんでしたよね……」

 

 洗濯機の使い方を思い出しながら、粉の入った箱を棚から取り出します。さて、これを入れるというのは知っているのですが、どれくらい入れればいいのでしょうか?

 

「こんなに大きい機械なのですから、スプーン一杯じゃ足りませんよね」

 

 えいっ、と箱をひっくり返して粉を投入。そして蓋を閉めて、ボタンを押せばお洗濯は完了──のはずだったんですが。

 

「と、とりあえず止めないと! で、でも途中で止めていいものなのでしょうか!?」

 

 大量の泡は、未だとめどなく洗濯機から溢れていました。

 機械というものはやっぱり難しいです! なにが駄目だったのでしょう!?

 洗濯機が泡を吐き出す魔物かなにかに思えてきた私は部屋を飛び出し、隣人宅のインターホンを鳴らして、救援を要請することにしました。

 

「あ、明久さん! 私です、ガヴリールです! どうかお助けを!」

 

 しばらくすると、ガチャリとドアが開き、彼は寝ぼけ眼を擦りながら出てきました。

 

「どうしたの? 慌ててるみたいだけど」

 

 頭に寝癖を付けた童顔の彼は吉井明久さんといって、私の隣人であり、下界で初めて出会った人間の方でした。

 どうやら眠っているところを起こしてしまったみたいで申し訳なさを感じながら、私は事情を説明します。

 

「わ、私が上手にできなかったせいで泡があわわわわなんです!」

 

「うん、とりあえず落ち着こう」

 

 そんな冷静な助言を受けて、私は一つ深呼吸をしてから、脱衣所に彼を案内しました。

 

「これまた凄い状況だね」

 

「どうすればよいのでしょうか……」

 

「そうだね、まずは洗濯機を止めてから、桶で泡を──」

 

 そうして彼はテキパキとこの事態に対処していきます。驚くほどの手際の良さに、私は羨望の視線を向けるしかありません。

 ちなみに明久さん曰く、洗濯に使う洗剤はほんの少量でいいんだとか。

 

   ○

 

 とまあ、下界に来たばかりの頃は何度も無知を晒してしまっていた私ですが、時が経ち少しずつ人間の暮らしに慣れることができました。きっと、それは何度も助力してくださった明久さんのおかげで、だから私は少しでも恩を返そうと、料理を振る舞ったりしました。すると彼は飛び跳ねるように喜んでくれるので、私ももっと彼の為に何かしたいなぁと感じてしまう。

 しかしそれはいけないこと。天使は全ての人を導く存在であり、決して一人にばかり肩入れしてはいけないのだから。でも……、

 

「ありがとうガヴリール!」

 

 屈託のない笑顔でそう言ってくれる彼を見るたび、心の奥底がドクンとなってしまいます。それは今まで感じたことのない未知の感覚で──その度に、この人のそばにいたいと思ってしまっていた。

 そういう悶々としたやり場のない気持ちを抱えているうちに、あっという間に春休みが終わり、入学式の日が訪れました。

 私が下界で通うことになったのは、文月学園という進学校。

 通学路である長い長い坂を息を切らしながら登り、校門へと向かう。するとそこには、既にクラス分けの発表が張り出されていました。

 この文月学園では二年生以降は成績順でクラスが振り分けられるとのことですが、一年生はその限りではない。つまり完全にランダム。私はちょっとだけその場で逡巡してから、意を決して掲示を見上げて名前を探します。

 しばらくして、自分の名前と彼の名前を見つけることが出来ました。ど、どうか同じクラスに……!

 

『天真=ガヴリール=ホワイト……一年Cクラス』

 

『吉井明久……一年Dクラス』

 

 ガーンと、私の耳元で鈍い鐘の音が鳴り響いた気がしました。

 

   ○

 

 入学式からしばらくが経って、本格的に授業が始まった頃。

 私は違うクラスになってしまった明久さんに、話しかけることが出来ずにいました。

 というのも、彼の姿を見かけるたび、何故だか緊張してしまうからです。うぅ、本当になんなのでしょうこの感じは。いつもの私なら、知らない人にだって気兼ねなく声を掛けることができるというのに。

 家で遊んでいる時は普通に話せるのですが……周りに人がいるからでしょうか……?

 今はお昼休みなので、廊下には人が多い。私は消火栓の陰に身を潜めながら、彼に話しかけに行くタイミングを窺っていました。

 

「ちゅう──どれ──ぶにいる──もなみ?」

 

 すると彼は、ポニーテールが特徴的な、勝気そうな女の子と話をしているようでした。少し距離があったので内容までは聞き取れませんでしたが、雰囲気はあまり良くないです。明久さんが一方的に話しかけているのを、女の子の方は完全に無視しています。

 

「むむむ……」

 

 私としては、明久さんとすごくお喋りをしたいので羨ましい限りなのですが。

 

「あれ、ガヴ? なにしてるのよそんな所で」

 

「ひゃ!?」

 

 突然呼ばれて、驚いて振り返る私。

 

「あ、ああ、ヴィーネさんでしたか……」

 

 そこにいたのは、春休みに仲良くなった悪魔の女の子で、今はクラスメイトでもある月乃瀬=ヴィネット=エイプリルさんでした。

 

「もしかして、彼に話しかけようとしてたの? あれ? でもあの人って、確か入学式にセーラー服を着てきた……」

 

「あ、あれにはきっと何か事情があるんだと思いますっ! 普段はとっても優しい人なんですよ?」

 

 ヴィーネさんの言う通り、明久さんは入学式に上だけセーラー服を着て登校してきました。しかも入学式の会場であった体育館に、その服装で大声を上げて飛び込んできたのだから、彼は悪い意味で注目の的となってしまっているのです。

 

「で、話に行かないの?」

 

「え、えっと、そうですね……そうしたいのは山々なんですが、ちょっと恥ずかしくって」

 

「そうなの? なんだったら私が付いて行ってあげようか?」

 

 優しっ。

 この方は本当に悪魔なのでしょうか?

 

「……ではヴィーネさん、相談に乗ってもらってもいいでしょうか?」

 

「相談? いいわよ」

 

「私、最近なんか変なんです。彼のことを見るたび緊張してしまって……」

 

「えっ。ガヴ、それってもしかして……」

 

「──彼が他の女の子と話しているのを見ると、つい世界を滅ぼしたくなってしまうんです」

 

「とりあえず、アンタがそのラッパを吹くつもりなら私は武力行使も辞さないわ」

 

 言われて、私は手に世界の終わりを告げるラッパを持っていたことに気づく。む、無意識のうちに……!

 ああ、本当に私はどうしてしまったのだろう。

 こんなんじゃいけませんよね。もっと天使らしく或らないと……。私は立派な天使にならなくちゃいけないのですから。

 

   ○

 

 結局、中々話すことができないまま、さらに数日が過ぎてしまいました……!

 要らぬ緊張をしてしまう私も私ですが、明久さん落ち着きなさすぎじゃないですか!? 授業時間外は常に学園中を走り回る自由奔放な彼の姿は、問題児以外の何者でもありません。事実、彼の名前は先生たちの中でも、坂本という男子生徒と並んで、とりわけ危険な生徒として認識されているようですし。

 その話を聞いたのは、先ほど重そうな荷物を運んでいた先生のお手伝いをしている時でした。明久さんは本当は良い人なんですと説明すると、逆に心配されてしまいました。

 どうにも明久さんは、誤解されやすいというか、運が良くない方というか……。彼本人にとって、周りの評価など何処吹く風なのかもしれませんが、私としては、優しい人はそれ相応の評価を受けてほしいと思ってしまいます。

 まあ、ヴィーネさんのように評価されたらされたで内心傷付いてしまう人(悪魔)もいるのですが。ままならないものです。

 

 そんなことを考えながら、私は廊下を歩いて教室へと鞄を取りに向かいます。

 放課後の校舎に残っているのは立ち話をしている数人の生徒くらいで、教室の方には人の気配は殆どありません。

 教室の扉を開くと、やはりそこには誰もいませんでした。窓から差し込む夕日に目を細めながら、自分の机に近づいて鞄を手に取る──その時だった。

 

 ガシャアアアン! と。

 机や椅子がまとめて倒れたかのようなけたたましい音が、近くの教室から響いてきました。

 

「えっ……!?」

 

 静寂に包まれていた放課後の校舎には、まるで似つかわしくない音でした。

 私は何故だか胸騒ぎがして教室を飛び出し、廊下を走ります。

 そして、隣の教室の前で立ち止まる。そこに、彼がいたからだ。

 そこでは明久さんと、獅子の鬣を連想させるような髪が特徴の長身の男子生徒が、殴り合いの喧嘩をしていました。

 

「──吉井! そんなに俺が気に入らねぇならかかってきやがれ!」

 

「言われるまでもない! お前をぶっ飛ばして後悔させてやる!」

 

「ごちゃごちゃうるせぇんだよ! この雑魚が!」

 

 睨み合って拳を振るう二人。

 しかし、長身の男子生徒の方は殆ど無傷で、怪我を負っているのは明久さんだけでした。それも当然でしょう。だって、体格が違い過ぎるのだから。明久さんの身長は百七十もない程度、対する相手は百八十を優に超える長身なのだから。どっちが優勢かだなんて一目瞭然。

 

「あ……!」

 

 またも凄まじい音が響き渡る。明久さんがふっ飛ばされ、机や椅子を巻き込みながら倒れたのです。その衝撃で口内を切ったのか、口元に血を滲ませてさえいます。それはもはや、見ている私までも痛いほどの光景でした。でも、明久さんは周りの物を払いながら、再び起き上がる。

 私はもう見ていられず、止めに入ろうと扉に手を掛けた。

 手を掛けて──手を掛けたまま、その場に立ちすくんでしまいました。

 私の頭の中に、一つの思考が浮かんでしまったからです。

 

 ──人間同士の諍いに、天使が介入するのは御法度だろう。

 

「いや、ですが……」

 

 二人は完全に頭に血が上っていて、早く止めないと取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。ここで私が取るべき正しい行動は、先生を呼んで、二人を止めてもらうこと。

 頭では分かっている。分かっているはずなのに──明久さんの怒りに染まった顔を見ていると、何故だか思考がぐちゃぐちゃになって、動けなくなってしまっていた。

 それは、前に感じたあの気持ちと似ているようでいて、全く違うもの。

 呼吸さえまともにできないほど混乱していた、その時でした。

 

「うむ? お主、こんなところでなにしてるのじゃ?」

 

「…………ウチのクラスに、何か用?」

 

 突然、近くにいた二人に話しかけられた。

 

「わひゃ!?」

 

「驚かせてしまったのならすまぬ、こっちの方から凄い音がしたのでな。何かあったのかの?」

 

「…………! いけないッ!」

 

「むっ、どうしたのじゃ土屋!?」

 

 教室の惨状に気づいたのか、すぐさま扉を開き教室に突入する二人。彼らは、私にできなかったことをいとも容易く成し遂げてしまいました。

 そんな二人を尻目に、バクバクと跳ねる心臓を抑えながら、私は鞄を抱えてその場から全力で立ち去る。その姿はちっとも天使なんかじゃなく、無力で無様な女子でしかなかったと思います。

 

   ○

 

 逃げた。

 逃げてしまった。

 まるで見えないナイフでも突き立てられたかのように、ジクジクと胸が痛む。色んなものでぐちゃぐちゃになってしまった心が、悲鳴を上げているのが分かった。

 

 ──怪我をしている友達を見捨てて逃げるような奴が、全ての人を幸せに導く天使なんかになれるのだろうか。

 どこか冷静な自分が、私を責め立ててくる。

 そして、なんとかできただろうという後悔も押し寄せてくる。それこそ先生を呼びに行ったり、他の人を探しに行ったりだ。だけど、私はあの場で立ち尽くしてしまっていた。天使としての制約に雁字搦めにされていた、というのもありますが、何より怒りに染まる彼を見た時、そして傷付いていく彼を見た時、頭が真っ白になってしまったのです。

 

「……いや、こんなの全部言い訳ですよね」

 

 そうだ。

 そんなことは重要じゃないのだ。

 最後に残るのは、私が友達を──明久さんを見捨てたという結果だけなのだから。

 

「何をやっているんでしょう、私は……」

 

 本当に、心の底からそう思う。

 こんなの天使でもなんでもない、愚者とでも言うべき存在だ。

 何かを考えようとするたび、得られた結論は結局それです。

 私はただ、怖かったのだ。

 本気の喧嘩というものの剣幕が。あんなに優しい彼が、怒りを剥き出しにしているのが。

 

 そんな負の思考に陥っていると、気が付けば窓の外は真っ暗になっていた。それでもなお、街は人工の明かりで煌いている。その中では、今も人の営みというものがあるのでしょう。

 そんな光を見た時。私は、このままじゃダメだ、という気がしました。

 天使の誓約だとか、天界の神様たちのことだとかは、すっぽりと頭から抜け落ちていた。

 ただ、彼に会いたい。

 彼の怪我の状態を確かめて、そして今日のことを謝りたいと、そう強く思った。

 深夜だから明久さんも寝ているだろうと、そんな我が儘な考えを抱きながら、私は天使の力を──神足通を行使して、彼の部屋へと移動する。

 普段の私だったら、ありえないような行動。多分この時は、しばらく会えていなかったのもあって、ちょっとおかしくなっていたんだと思います。

 

「……」

 

 明久さんは、ベッドで静かに寝息を立てていました。

 顔中に刻まれた擦り傷や腫れのせいで、寝苦しそうにしながら。

 そんな姿を見た時、私の中の何かを縛っていた鎖のような物が、弾け飛んだ気がした。

 

「痛かったですよね……」

 

 私はベッドの近くに歩み寄って、そっと彼の額に手を翳す。

 すると、蛍のような光が幾つも溢れ、彼の生々しい傷を少しずつ癒してゆく。

 天使が持つ癒しの力です。勿論、研修中の身である私が自分勝手に行使することは禁止されていますが──そんなことは、もはや頭の片隅にさえありません。

 無我夢中でした。一心不乱、と言ってもいいかもしれません。

 

 その時、ふと、明久さんもこんな気持ちだったんじゃないかと思った。

 きっと、彼は何か許せないことがあって、あの長身の男子生徒に殴りかかっていたんじゃないかと。でもそれは、長身のあの人も同じことで、お互いに譲れないものがあったからこそ、あそこまで熾烈な喧嘩にまで発展してしまったのではないかと。

 しかもそれは自分の為じゃなくて、きっと他の誰かの為なのだ。短い付き合いですけど、明久さんが自分勝手に暴力を働くような人ではないということくらいは、私にも分かります。

 そうだ。彼はとても優しくて、真っ直ぐで──誰かの為に一生懸命になれる人なんだから。

 

「……でも、そんな生き方は」

 

 ぽつり、と。

 

「そんな生き方は、辛いだけじゃないですかぁ……」

 

 あまりにも弱弱しい言葉が、私の口から零れ落ちていた。

 だって、そうでしょう。

 自己犠牲はとても尊いものかもしれないが、きっと誰も褒めてはくれない。誰かの為になら自分は傷付いてもいいだなんて、そんなの自分は苦しいばかりじゃないですか。しかもなにより、彼にはきっとその自覚がないのだ。

 

「もっと自分を、大事にしてあげてください……」

 

 気づけば、私の頬に何かが伝うような感触があった。

 ただでさえぐちゃぐちゃになっていた心が、奥底まで撹拌されたかのようでした。彼のことを考えるといつもこうだ。私が私でなくなってしまう。というよりむしろ、自分の中の深くに隠していた何かを暴かれてしまうかのような。

 ベッドに縋りつくようにしながら涙を堪えていると、不意に、私の瞼に溜まった涙を、温かい指が優しく掬い取ってくれた。

 

「……ガヴ、リール……?」

 

 見れば。

 彼は薄く目を開いて、眠気を湛えた瞳でこちらを見ていた。

 

「あっ、明久さんっ!? あ、その、これは違くてですね……!」

 

 まさか起きてしまうなんて考えてもいなかったので、私は両手をわちゃわちゃさせながら必死に言い訳を探します。

 とはいえこれは──言い逃れ不可能なほどに、完璧な不法侵入でした。

 

「……あ、そっか」

 

 すると、明久さんは掠れた声で言いました。

 

「君は死んだ僕を迎えに来てくれた天使様なんだね……まさか高校生で死ぬとは思ってなかったけど」

 

「凄い発想力ですね……」

 

 しかも一部分は間違っていない。たまに彼が見せるこの独特な思考回路には、未だについていけません。

 

「えっとですね……そ、そう! これは貴方が見てる夢なんです!」

 

「夢……?」

 

「夢です!」

 

 私は咄嗟に思いついたそんな言い訳をしますが、これは大分厳しいでしょう。無理があるとか、それ以前の問題です。

 しかし明久さんは、

 

「そっか、夢か。なら納得だね」

 

(納得してくれた!?)

 

 こちらとしてはありがたいことですが、彼の今後が若干心配になった。詐欺なんかに騙されたりしませんよねこの人……。

 

「あ、あの、怪我は大丈夫なんですか……?」

 

 本来なら彼の意識(というより思考?)が朦朧としている今のうちに再び神足通を使って立ち去るべきなのでしょうが、私はそう尋ねずにはいられなかった。ここまで来たらもう自棄だ、という気持ちもどこかにあったんだと思います。

 明久さんは両手を使って上体を起こす。そして、相手を安心させてくれるような、そんな彼らしい屈託のない笑顔を浮かべました。

 

「大丈夫だよ。もう痛みも引いてきたし」

 

 良かった。心からそう思う。

 安心したからか、少しだけ冷静になってきました。下界で天使の力を無断で行使し、さらには不法侵入なんかもやらかしている。どう考えても反省文程度では済みませんね……。

 私がそんなことを考えていると、彼は続けてこう言った。

 

「階段で転んじゃってさ。あはは、僕もドジだなあ」

 

「えっ……?」

 

 彼の言った言葉は、私の見た光景とはまるで別のものでした。

 つまり、これは彼のついた嘘。

 頭では理解していた──私を心配させまいという優しい嘘なのだと。

 でも私はあの場面を見てしまってた。知ってしまってた。

 だから。

 

 きっとその言葉はどんな罵詈雑言よりも強く──私の心を揺さぶった。

 

「っ……えぐっ……」

 

 もう駄目だった。

 さっきまで堪えていた涙が、一気に溢れ出していた。

 明久さんの目の前で、情けないほど無様に。

 

「えっ、あっ、ご、ごめん! ぼ、僕、なにか酷いこと言っちゃったかな!?」

 

 そんな慌てた様子の明久さん。事実、彼から見れば、情緒不安定な女の子がいきなり泣き出したようにしか見えないだろう。それも間違ってはいませんけれど。

 ただ、彼は謝る必要なんて全くない。むしろ謝るべきは私の方なのだ。

 それなのに、私は言葉にならないような感情の炎に身を任せて、彼に縋りつくようにしながら泣いていました。

 ──ああ、何が天使だ。何が神の遣いだ。壮言にもほどがある。

 

「明久さんっ、貴方という人は本当に……!」

 

 きっと、彼は誰かの嬉しさを自分の喜びにできる人なんだ。そして、誰かの悲しさを自分の悲しみにもしてしまう人なんだ。

 例え自分が損をすることになっても、傷つくことになろうと──

 

 涙で火傷ができるんじゃないかってくらいに、目頭が熱くなっていました。

 彼と出会わなければ、こんな気持ちになることもなかったのだろうか。

 でも出会っちゃったんだから、もうどうしようもないんです。

 どうしようもなく膨れ上がっていくこの気持ちは──きっと特別で、大事なものなんだから。

 

「……う、うっ……わああああああああんっ!」

 

 そこには、自分の無力さに打ちのめされた愚かな私がいるだけだった。

 その時やっと分かった。私はただ、彼のそばにいたかっただけなのだと。クラスが離れて、関係が時間と共にバラバラになってしまうのが怖かっただけなのだと。

 だからこれは私の我が儘なのだ。

 そうやって泣きじゃくる私の頭を、明久さんは優しく撫でてくれた。困ったような笑みを浮かべながら慰めてくれた。本当に泣きたいのは彼の方のはずなのに。

 そんな彼の優しさがすっごく嬉しくて、でもちょっぴり切ない。

 下界で初めて出会った男の子は、私にとって頼りがいのあるお兄ちゃんのようでもあって、放っておけない弟のようでもあって──だから、そんな彼のことが、いつからか頭から離れなくなっていたんだ。

 

   ○

 

 翌日。

 あの後、明久さんが眠気でうつらうつらとしていた隙に、ふと我に返った私が神足通で逃走を図った──その翌日です。

 とりあえず学校へ来て、一応は授業を受けている最中なのですが、私は完全に上の空でした。

 

「よし、胡桃沢。この方程式を解いてみろ」

 

「フッ、そんなの簡単よ。ズバリ答えは──C6H6ね!」

 

「……それはベンゼンの化学式だ」

 

「あれ?」

 

 クラスメイトの珍回答に、教室が笑いに包まれますが、その喧騒は耳をすり抜けていってしまう。

 私は先生が板書をし出した隙に教科書を閉じて、机に突っ伏します。そして、頭を抱えた。

 

(ああああああ!! 私はなんてことをやってしまったのでしょうっ!?)

 

 昨日のことを思い出すたびにこれです。

 やってしまった、というのは不法侵入とか、力の無断行使のこともあります。

 勿論これらのことは天界に露見してしまい、私は罪に対する罰として、仕送り減と明久さんとの接触を一週間禁止されることとなりました。

 仕方ないことだと思います。むしろ、罰としては軽いくらいです。私は最悪強制送還まで覚悟していましたから。一週間会えないというのも、ここしばらくのことを考えれば、まあ我慢できないというほどでもないでしょう。

 なので、罰の方はさして問題じゃありません。

 

 本当の問題は──昨日のことを天界のお偉い様方、つまり神様たちに全て見られてしまったということです。

 

(うわあああああああああ!! 恥ずかし! 恥ずかしすぎますっ!)

 

 悶絶です。黒歴史確定です。布団にくるまってバタバタしたい気分です。

 神様たちを全員殺るしかないなんていう発想まで浮かんできてしまいます。

 

(も、もうこのことは深く考えないようにしましょう……身が持ちません!)

 

 隣の席に座るヴィーネさんが怪訝そうな顔で見てますが、今の私は多分耳まで真っ赤なので顔を上げることさえできない。

 こ、こうなったらもう自棄です。今日は家に帰ったら、彼が教えてくれたネトゲに思いっきり没頭しましょう! レベルも五十まで上げたかったところですし! 今まで規則正しい生活を送ってきているので、ちょっとくらいはいいですよね!

 それに──彼と再会した時に、驚かせてみたいという気持ちもありました。

 

(とりあえず、今は授業に集中です! 私ならできる私ならできる私ならできる……よし!)

 

 意を決して、数学の教科書と向き合う。

 無機質な数式の羅列が、この時だけは私の荒んだ心を癒してくれました。

 

 ──この数日後、私はどこに出しても恥ずかしいような駄目天使に堕天してしまうのですが、それはまた別のお話。



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第十四話 バカ・ゴー・ホーム

バカテスト(追試)
問 次の単語を和訳しなさい
『 destiny 』

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『神は死んだ』
教師のコメント
 この一年であなたに何があったんですか? 昔の天真さんが戻ってきてくれるのを先生はずっと待っています。

吉井明久の答え
『テイルズオブデスティニー』
教師のコメント
 この一年で吉井君が全く成長していないことを、教師としてとても嘆かわしく思います。


 それは、僕が見た夢なんだと思う。

 文月学園に入学してからまだ間もない頃、僕はとある勘違いにより騒動を起こした。それが原因で生徒指導室にて鉄人の親身な指導を受けて、家に帰るとそのままボロ雑巾のように眠ってしまったのだ。

 そして寝ている最中、ふと温かさを感じて目を覚ました。時刻は既に深夜を回っていたのか、窓から差し込む月明りがやけに眩しいなあ、なんて考えながら。

 だけど、その光は月明りじゃなかった。

 それは、翼。

 白銀に輝く翼を広げた、天使の女の子が、そこにいたのだ。

 まるで荒唐無稽な話である。だから──夢。

 でも、やけに記憶に残る夢だった。

 それはきっと……その女の子が泣いていたから。

 彼女は僕を責めるように、或いは自分を責めるようにして、涙を流していた。

 僕はその子のことを、とても儚げだと思った。まるで、今にも存在が消えてしまうんじゃないかってくらいに。

 分かっている。彼女を泣かせたのは、僕だ。

 僕の考えなしの行動が、彼女を傷つけてしまった。

 

 だけど、そんな後悔が浮かぶよりも先に、僕は願っていた。

 それはきっと単純なことで──

 僕はただ、ガヴリールに笑っていてほしかっただけなんだ。

 

   ○

 

「「滅べぇぇっ!!」」

 

「あべしっ!?」

 

 視聴覚室に飛び込んだ僕とガヴリールのドロップキックが雄二の顔面にめり込み、クソゴリラはそんな情けない悲鳴を上げながら吹っ飛んだ。

 Fクラスのクラスメイト達も続々となだれ込んできて、戦犯ゴリラはリンチを受ける。しかし同情はできない。五十三点という点数は、所詮小学生レベルだからノー勉でもいけるだろうという奴の慢心が原因だろうから。今まではなんだかんだ頼もしく思えていたFクラス代表の面が、今は生ゴミかなにかにしか見えなかった。

 

「三対二でAクラスの勝ちです」

 

 喧騒の中、高橋先生は冷静に締めの台詞を口にする。ええ分かってます、完敗です。

 すると、暴行を食らいボロ雑巾のように倒れ込む雄二に、対戦相手の霧島さんが歩み寄った。

 

「……雄二、私の勝ち」

 

「けっ」

 

「……だから、約束」

 

 そんな霧島さんの一言に、Fクラス陣営が活気づく。ムッツリーニは迅速にカメラの準備を始めていた。

 約束──負けた方は、なんでも一つ言うことを聞く。

 不毛な抵抗だろうけど、僕はガヴリールや姫路さんたちの前に立つ。ウチのクラスの女の子に手を出そうというのなら、僕が盾となって彼女たちの逃走時間を稼ぐ所存だ。

 霧島さんはそんな僕らをちらりと一瞥してから、再び雄二に視線を戻して、小さな声で、しかしはっきりと告げた。

 

「……雄二、私と付き合って」

 

 …………あれっ?

 

「お前、まだ諦めてなかったのか」

 

「……私は諦めない。ずっと、雄二のことが好き」

 

 霧島さんは心なしか頬を紅潮させている。

 えっ? もしかして、霧島さんは女の子が好きなんじゃなくて、雄二を一途に想っていたから他の異性に興味がなかったの?

 

「拒否権は?」

 

「……ない。今からデートに行く」

 

「は、放せ! やっぱこの約束はなかったことに──」

 

 そんな雄二の抵抗も虚しく、霧島さんは彼の首根っこを掴み教室を出ていく。

 その場に取り残された僕たちは、誰もが状況を理解できずに立ち尽くしていた。

 

「さて、Fクラスの諸君。試召戦争の時間は終わりだ」

 

 呆然となっていた僕らにそんな低い声がかかる。

 そこにいたのは、僕にとって不倶戴天の敵たる生活指導の鬼、西村先生だった。

 

「て、鉄人!? なんでアンタがここにっ!?」

 

 バッと飛び引いて臨戦態勢をとるのは、僕と同じく観察処分者で、鉄人には散々辛酸を舐めさせられているであろう胡桃沢さんである。

 

「西村先生と呼べ、胡桃沢。さてお前ら、喜ぶといい。戦争に負けたことでFクラスの担任が福原先生から俺に変わるそうだ。これから一年、死にもの狂いで勉強させてやる」

 

「「「なにぃっ!?」」」

 

 クラスメイト達が一斉に悲鳴を上げる。鉄人が担任だって!? 冗談じゃない!

 

「特に吉井、天真、胡桃沢。お前らと坂本は念入りに面倒を見てやろう。なにせ、創設以来初の観察処分者二人と戦犯二人だからな」

 

 凄まじく余計なお世話である。

 

「そうはいきませんよ! 卒業までに先生を始末して、今まで通り楽しい高校生活を送ってみせます!」

 

「それでこそサタニキアブラザーズよ吉井! 鉄人! これからも悪魔的行為に興じてやるから、アンタの方こそ覚悟しなさい!」

 

「……お前らには悔い改めるという発想はないのか」

 

「「そんなものはない!」」

 

 息を合わせて言う僕たち。鉄人は呆れたようにため息を吐いた。

 

「先生、こいつらと一緒にされるのは癪です」

 

「……すまん。だが天真、補習にもちゃんと出ろよ? 一応出席はカウントされているからな」

 

「なんだとっ!? 先生は私に死ねと言っているのか!?」

 

「普通授業は毎日出るものなんだがな……」

 

 ガヴリールは抗議したが、結局彼女も呆れられていた。

 頭痛を抑えるようにこめかみに手を当てる鉄人。だが実はこの時、僕は少しだけ勉強しようという気になっていた。それは三か月後にまた試験召喚戦争を起こして、この教師から逃れる為である。

 なんて意気込んでいると、鉄人と話し終えたガヴリールがこっちへスススッと歩み寄ってきた。

 

「よし明久! それじゃ早速肉を食いに行くぞ!」

 

「えっ? 今から行くの!?」

 

「私もう腹ペコだから!」

 

 試験召喚戦争で時間を取られたとはいえ、まだ時刻は昼過ぎ程度。てっきり夜に行くものとばかり思っていたけれど……まあ、たまにはこういうのもいいか。

 さてと、それじゃ残された問題は──

 

「ぃよう吉井。今の話はどういうことだ?」

 

「まさか自分だけ抜け駆けして、女の子と食事に行こうってか?」

 

「俺たちの前でラブコメたぁいい度胸じゃねえか。……hurtでfullでroughなストーリーにしてやるよ」

 

 釘バットやスタンガンで武装したクラスメイト達からなんとしてでも逃げ延びる、ということだけだ。

 

「……さらばだっ!」

 

 素早くガヴリールを背負って、Aクラスの教室から飛び出す僕。

 

「待てや吉井ぃ!」

 

「坂本の分も合わせて貴様を二回殺す!」

 

「姫路さんの分も上乗せで三回滅す!」

 

 すかさず追いかけてくるクラスメイトたち。本当に頼もしい仲間たちだよ畜生!

 廊下を全力疾走していると、ガヴリールが僕の首元に手を回して、ぐいっと顔を突き出してきた。そして、弾けるような笑顔を浮かべて言った。

 

「走れ明久! 焼き肉は待ってはくれないぞ!」

 

 思わず見惚れてしまった。

 まったく、落とされたのはどっちだという話である。

 

「しっかり掴まっててね!」

 

 僕も笑い返す。彼女が笑ってくれるのなら、僕はなんでもできるんじゃないかと、本気でそう思った。

 

 過去があって、今がある。だから、未来のことは誰にも分からない。

 でも、一つだけ確信してることがあった。

 それは──

 

「本当に退屈しないなぁ、この学校は!」

 

 僕らの騒がしい日々はまだまだ続きそうだ、ということだった。

 

   ○

 

「──僕はカードを二枚伏せてターンエンド! さあ、ガヴリールのターンだよ!」

 

「うむ。ドロー、スタンバイ、メイン。んじゃあとりあえず羽根帚でその伏せ破壊で」

 

「僕のミラーフォースと魔法の筒がぁ!?」

 

「二枚とも攻撃反応罠かよ」

 

「やるねガヴリール……だけどまだ僕の場にはまだアブソルートZeroがいる! こいつが場を離れたらガヴリールのモンスターも全滅だよ!」

 

「そうなの? じゃあ魅惑の堕天使でそいつのコントロール貰うわ」

 

「…………ほえっ?」

 

「コストでスペルビア切って……あ、これで墓地に天使四体じゃん。クリスティア出すわ」

 

「ぼ、僕の場が……ぜ、全滅めつめつ……」

 

「ほい一斉攻撃」

 

「のぉぉぉぉぉおおお!?」

 

「明久よっわーい」

 

「くぅ……! この僕が初心者のガヴリールに七連敗だなんて……っ!」

 

「マスク使えばいいじゃん。あれ強いし」

 

「ダメだ! 奴に手を出したら融合HERO使いとして負けた気がするんだ……!」

 

「その価値観はよく分からん。ま、これで今日の食事当番も明久にけってーい」

 

「七日連続で僕が食事当番じゃないか! 次は絶対勝ってやるからな!」

 

「明久が私に勝とうなど十年早い。御託はいいから早くお湯沸かしてよ。私もう腹ペコだから」

 

「なんて横暴な奴なんだ……! 前はあんなに良い子だったのに……! 返せ! あの子と僕の純情を返せ!」

 

「諦めろ。そいつはもう戻ってこない」

 

「本人が言うと凄まじい説得力だ……はあ、えっと、カップ麺どこ置いてたかな……あ、あったあった」

 

「…………なあ、明久」

 

「醤油とシーフードか……ん? なに? ガヴリール」

 

「あ、あのさ、私が……」

 

「うん」

 

「私が天使だって言ったら、信じるか……?」

 

「うん。信じるよ」

 

「そ、そうだよな、いきなりこんなこと言われても──えっ? 今なんて?」

 

「ん? えっと……七日連続で僕が食事当番じゃないか!」

 

「そこじゃない! 遡りすぎだっ」

 

「ああ、ガヴリールが天使だっていう話?」

 

「それ! いや、自分で言っといてなんだけど、こんな突飛な話、普通は信じられないだろ!?」

 

「んー、でも本当なんでしょ?」

 

「う、うむ」

 

「じゃあ信じるよ。あ、ってことはこの前言ってた駄天使っていうのは」

 

「それは……家に引き籠ってゲームだけをして生活することを目標にしている天使のことだな」

 

「本当に駄目な天使なんだね……」

 

「駄目人間のお前に言われたくはない」

 

「なっ!? 僕のどこが駄目人間だって言うのさ!」

 

「仕送りを全額ゲームにつぎ込んだりするところとか、塩水を食事と言い張ったりするところだな」

 

「くっ、否定できない……!」

 

「だろ? あ、そろそろ三分経つんじゃないか?」

 

「ホントだ。ガヴリールは醤油とシーフード、どっちがいい?」

 

「両方」

 

「うん分かっ──貴様! 僕に水だけしか寄越さないつもりだな!?」

 

「冗談だよ。私シーフードな。で、お前のも半分ちょうだい」

 

「うーむ……若干納得いかないけど、まあいいや。はい、熱いから気をつけてね」

 

「…………ありがとな」

 

「ん? 何か言った?」

 

「なんでもないよ、ばーかっ」

 

 これは、出会ってしまったバカと天使の物語。



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バカと天使と番外編
番外編 がんばれ!後輩天使タプリスちゃん


~特別コラム 鉄拳人生相談~

一年生 C咲=Tプリス=Sュガーベルさんのご相談
 西村先生、迷える私の悩みを聞いてほしいです。私には尊敬してやまない先輩がいるのですが、その人は今、自分のことを堕天したと自嘲してグータラダメダメの怠惰な生活を送っています。どうにかして先輩を昔の優しくて素晴らしい先輩に戻すことはできないものでしょうか?
鉄拳先生のアドバイス
 相談ありがとう。まず至極まともな悩みであることに感動している。さて、更生の為に必要なのは、健全な生活が第一であると私は考える。その先輩は、日頃の生活で夜更かしをしていないか、惰眠を貪っていないか、テレビゲームにのめり込んでいないか、部屋の整理整頓はしているか、毎日ちゃんと学校へ通っているか――少しでも心当たりがあれば、それとなく注意してみてほしい。後輩に言われれば、きっと先輩も悔い改めるはずだ。

二年生 T乃瀬=Vィネット=Aイプリルさんのご相談
 私には仲の良い女の子がいます。彼女は昔、それはもう優等生の鑑のような子だったんですが、今はネトゲに嵌ってしまい、すっかり見る影もありません。そこで何とか更生させたいのですが、私もついつい甘やかしてしまいます。私はどうすればよいのでしょうか?
鉄拳先生のアドバイス
 優しさも時には考え物だな……とだけ言っておこう。

二年生 Y井A久さんのご相談
 僕には軽蔑してやまない教師がいます。その人は補習と称して、可愛い生徒たちに体罰や拷問、洗脳などを行う卑劣な鉄人です。どうにかして奴を抹殺したいところなんですが、圧死と溺死と中毒死、どれがお好みですか?
鉄拳先生のアドバイス
 吉井、とりあえず歯を食い縛れ。
二年生 Y井A久さんの追伸
 卒業式には伝説の木の下で釘バットを持って貴様を待つ!


「──あっ、白羽先輩! おはようございますっ!」

 

「あらタプちゃん。おはようございます。今日も元気いっぱいですねー」

 

「はいっ! 今日はとてもいいお天気ですからねっ、なんだか良いことが起こりそうです!」

 

「良いこと、ですか……んふふ、確かに」

 

「? 私、なにか変なこと言いましたか?」

 

「いえいえ。ところでタプちゃん、もう文月学園には慣れましたか?」

 

「え゛っ。……あっ、だ、大丈夫です! 私クラスで浮いたりなんかしてませんし!? 全然イジメとか受けてないですよ!?」

 

「その返答はむしろ凄く心配になるのですが……」

 

「し、心配はご無用ですっ! 私は天真先輩の後輩として恥じない立派な天使になるんですから!」

 

「そこまで言ってもらえると、ガヴちゃんも先輩冥利に尽きるでしょうね」

 

「そ、そうですかね? えへへ……」

 

「そういえば、ガヴちゃんと言えばなんですが」

 

「? 天真先輩がどうかしたんですか?」

 

「最近ちょっと様子がおかしいんですよね。急に赤くなったり、もじもじしたり。あのガヴちゃんがまるで生娘みたいに」

 

「ええ!? まさか胡桃沢先輩が、また天真先輩に悪魔的行為を働いて!? なんて羨ま──憎らしい!」

 

「当たらずと雖も遠からず、といったところですかね。ガヴちゃんもサターニャさんもFクラス所属なので」

 

「Fクラス……って、成績最低のクラスじゃないですか!? 胡桃沢先輩は兎も角、なんで天真先輩がFクラスに!?」

 

「んー、なんと言ったらいいのか……ツンデレ駄天使ちゃんなりの精一杯のアピールなんですかね?」

 

「アピール……はっ! まさかそのおかしな様子というのは、天真先輩からのSOSのサインなのでは!?」

 

「SOS?」

 

「はい! 例えば、Fクラスの人たちに弱みを握られているとか! 誰にも助けを求められない状況で、先輩なりの必死の抵抗なのかもしれません!」

 

「…………ぷふっ」

 

「こうしてはいられないです! 早急に対策を練らないと! 絶対に私が助け出してみせますよ、天真先輩!」

 

「ぷくくっ。た、タプちゃん、そういうことなら一つ忠告をさせてください」

 

「忠告ですか?」

 

「はい。どうやら噂では、二年Fクラスにはサターニャさんと双璧を成すほどの問題児がいるとか」

 

「あの胡桃沢先輩と同等……!? まさか、その人も悪魔なんですか!?」

 

「そうかもしれませんね」

 

「この学校にまだ他の悪魔が潜伏していたなんて……! こ、怖い人なんですか!?」

 

「ええ、とても恐ろしい人です。なにせ校舎の窓ガラスや壁を破壊したり、あのガヴちゃんを格闘(ゲーム)でボコボコにするほどの方なのですから」

 

「特A級の危険人物じゃないですかっ!」

 

「ヴィーネさんのような方は本当に少数派ですからね。だからタプちゃん、その人とは絶対に関わっちゃダメ(・・・・・・・・・・)ですよ?」

 

「わ、分かりました! 危ない人が近くにいたら、一目散に逃げます!」

 

「そうですか。それなら一安心ですね」

 

「ですですっ! では、私の教室はこっちなので」

 

「はい。今日も一日頑張っていきましょう、タプちゃん」

 

「がんばります!」

 

(…………さてさて、どうなることやら♪)

 

   ○

 

「ここが二年Fクラスの教室ですか。な、なんだか物々しい雰囲気です……!」

 

 午前の授業を終えて、今はお昼休み。

 朽ち果てる寸前の小屋を連想させる教室の前で、私は立ち尽くしていました。

 旧校舎三階、二年Fクラス。白羽先輩の話では、天真先輩はここに在籍しているとのことでしたが……。

 

(うう、こわいです、こわいですっ! なんだかすごく不気味な気配がします!)

 

 ただでさえ普段出入りすることのない二年生の階に一人でいるという状況です。思わずその場にへたり込んでしまいそうです。しかもこの教室からは瘴気が漂っている気さえします。

 私は扉に手をかけては離すことを何回か繰り返した後、

 

(いや、これも天真先輩のため! 私が先輩を助けるんです! いざ……っ!)

 

 震えながらも意を決して、扉を開け放ちました。

 ガラッ。

 

「これより異端審問会を開く。検察側、罪状を読み上げたまえ」

 

「はっ! 被告、吉井明久(以下、この者を甲とする)は、我々異端審問会の血の盟約に背いた疑いがあります。先日の放課後、我がFクラスの女子生徒である天真=ガヴリール=ホワイト(以下、この者をつるぺた天使とする)に対して、甲が強制猥褻行為を働いていたとの事案が同志ムッツリーニから告発されました。今後、甲とつるぺた天使の関係に対し十分な調査を行い、甲に対しては然るべき制裁措置を……」

 

「結論だけ述べたまえ」

 

「膝枕をしてもらえて羨ましいであります!」

 

「よろしい。被告、なにか言い残すことはないか?」

 

「なんで弁護の前に遺言なの!?」

 

「……それで? 天真さんの太ももはどんな感触だったんだ?」

 

「え? えっと……ほっそりしてるんだけど柔らかくて、温かくて、凄く安心できて。それになんだかいい匂いが」

 

「判決を下す! 有罪ッ! 死刑ッ!」

 

「「「異端者には、死の鉄槌を!!!」」」

 

「わああああーっ!? その出刃包丁で僕の身体に何をする気ぃ!?」

 

「余計な不安を与えぬようヒントしか教えないが……マグロの解体ショー、とだけ言っておこうか」

 

「丸わかりだよ! 捌くの!? 僕を捌いて活き造りにするつもりなの!? ちょ、待っ……ぎゃあああああ!?」

 

 ──暗い教室の中では、覆面にマントの異様な集団が一人の男子生徒を取り囲んで、サバトを執り行っていました。

 

「すすす、すみません間違えましたぁ!」

 

 ピシャリと扉を閉め、脱兎の如く廊下に飛び退く私。

 か、完全に悪魔の根城じゃないですか! こんなの私なんかじゃどうすることもできませんよ! 今すぐ天真先輩や白羽先輩に救援を……ハッ! そうでした! 天真先輩はFクラスの一員! あの天真先輩に限ってそんなことはないと思いますが、既にあの方々の手に落ちてしまっているのでは!? さっき先輩の名前が聞こえましたし!

 

(う、うぅ~……! これも天真先輩を助け出すため……挫けちゃダメです! 私!)

 

 再び立ち上がり、勇気を振り絞ってもう一度扉を開きました。今度はそーっと、隙間から中を覗き込むようにです。

 

「し、失礼しまーす……」

 

「うん? やあ、いらっしゃい」

 

「マフラーがとってもキュートな子だね。新入生かな?」

 

「ゆっくりしていくといいよ。可愛らしいお嬢さん」

 

 さっきまでの暗い雰囲気はまるで嘘のように霧散していました。

 陽光が差し込む教室は畳に卓袱台というちょっと変わった設備ながらも、皆さん爽やかな笑顔を浮かべていて、私を快く迎え入れてくれました。

 ……な、なーんだ! さっきのは私の見間違いでしたか! そりゃあそうですよねっ! だって学校であんな処刑場みたいな光景を目にするわけありませんもんね!

 

「うん? なんだお前、一年生か? 誰かの知り合いなのか?」

 

「ひっ!?」

 

 そう言って私の前にやってきたのは、短く切り揃えた髪を獅子のように立て上げた、長身の男の人でした。

 一目見て確信します。この人はどう見ても堅気じゃありません! 絶対ヤンキーです! まさかこの人が、白羽先輩の言っていた胡桃沢先輩に並ぶ問題児なのでしょうか。とりあえずこの人の危険度をAプラスに設定です! さっきの黒魔術の儀式は幻覚だったとはいえ、今度はヤンキーに絡まれるなんて、今日の私もしかして不運絶好調なんですか!?

 

「い、いえっ、お構いなく! これは迷ったふりですので!」

 

「迷ったふり?」

 

「おいおい坂本、あんまり女の子を怖がらせちゃ駄目だぞ?」

 

「お前のブ男っぷりは、後輩にはちょっと刺激が強すぎるからな」

 

「よし、お前ら表出ろ」

 

 凄まじい殺気と共に、皆さんが教室から出ていく。

 私は教室に置き去りにされてしまい、その場で固まっていると──

 

「君、こんなところでどうしたの?」

 

「わひゃあ!?」

 

 別の人に声をかけられた。

 あ、新手ですか!? 今度はどんな危ない人が……!?

 

「もしかして、うちのクラスに用事? 僕でよければ話を聞くよ」

 

 しかし、そこにいたのは人のよさそうな笑みを浮かべる、茶髪の好青年さんでした。

 こ、この人、凄く目に優しいです! まさに人畜無害って感じです! 白羽先輩の言っていた危険人物はこの人ではなさそうですね。危険度はFでいいでしょう。

 

「えっとぉ……その……」

 

「あ、ごめんね。僕は二年の吉井明久。君は?」

 

「わ、私は一年生の千咲と申しますっ! よ、よろしくお願いしますです、吉井先輩っ」

 

 フルネームは千咲=タプリス=シュガーベル。それが私の名前です。

 

「うん。よろしく、千咲ちゃん」

 

 屈託のない笑顔で応えてくれる吉井先輩。こ、この人は信用してもよさそうです!

 

「あの私っ、先輩に会いにこの教室まで来たん……ですけど……」

 

「先輩? なんていう名前?」

 

「天真先輩、という方なのですが」

 

「ああ、ガヴリールなら──」

 

 と、親切にも天真先輩の居場所を教えてくれようと口を開いた吉井先輩の顔に、

 

「吉井っ! 歯を食い縛れッ!」

 

「そげぶっ!?」

 

 隣から飛び込んできた男子生徒の拳が、歯を食い縛る間もなくめり込みました。

 も、モロです! これ絶対痛いやつです!

 吉井先輩はゴロゴロと畳を転がり、身体をバネのようにしならせて起き上がります。な、なんで急にこんなバイオレンスな事態に!?

 

「いきなり何するんだ須川くん!」

 

「黙れこの二股クズ野郎が! つるぺた天使ちゃんのみならず姫路さんも誑かすなんて生かしておけねえ! 匿名の通報で、昨日お前が姫路さんにラブレターを渡してるのを見たっていう情報が入ったんだよ!」

 

「なっ!? それはその人の勘違いだよ! ラブレターは僕じゃなくて姫路さんの物で……!」

 

「ならばお前が姫路さんからラブレターを貰ったっていうのかあああああああ!!? ぶっ殺しゃあああああああ!!」

 

「誤解だぁぁーっ!!」

 

 バリィィン! というけたたましい音と共に。

 吉井先輩は四方八方から飛んできた文房具を避けつつ、窓ガラスを割りながら教室を飛び出してしまいました。

 ……え? ここ三階ですよね!?

 

「クソが! 吉井の野郎が逃げたぞ!」

 

「今日こそ奴の息の根を止めて、うら若き乙女たちをあの犯罪者予備軍の毒牙から守り抜くんだ!」

 

「二手に分かれるぞ! 挟み撃ちであいつの臓物をぶちまけてやれ!」

 

「「「応ッ!」」」

 

 何故か武装して追跡を開始するFクラスの皆さん。もしかして吉井先輩って、恨みを買いやすい人なんでしょうか。確かに、運が良さそうな感じはしませんでしたが。

 そしていつの間にか二年Fクラスの教室はもぬけの殻と化して、その場にいるのは部外者であるはずの私だけになってしまいました。

 い、今って本当にお昼休みなんですよね? なんで誰一人休んでいないのでしょうか……?

 

「ん?」

 

 ふと、私は窓際の畳に何かが落ちていることに気づく。近づいてみると、それはストライプ柄のハンカチでした。

 しゃがんでそれを拾い上げると、刹那、そのハンカチに込められた持ち主の思いのようなものを感じ取ることができました。まだ未熟とはいえ、私も神様から神聖なる力を賜り受けた歴とした天使なので、物に触れるとそこに宿る念を知ることができるのです!

 そして──このハンカチは、持ち主さんからとても大事にされているのだということが分かりました。それに見た目だって、綺麗に折りたたまれていて、ほつれや汚れ一つありませんし。

 なんだか私まで嬉しくなってしまう。物を大切にする人は好きです。好感が持てます。

 

「って、そうじゃありませんっ。これを持ち主さんに届けないと……」

 

 恐らく、先ほどFクラスから出て行った誰かの物だと思うのですが……そういえば、さっき吉井先輩が窓から飛び降りてましたね。窓の近くに落ちていましたし、もしかして、これは吉井先輩の物なのでは?

 

「ハンカチがなくて困っているかもしれません。天真先輩のことも気になりますが……天使として、迷える子羊を救うのは当然の使命ですよね!」

 

 私はそのハンカチをポケットに入れてから、軽くぎゅっと拳を握り、Fクラスの教室を後にしたのでした。

 

   ○

 

「あのーすみません、ちょっとお伺いしたいことがあるんですが……」

 

 私は渡り廊下を抜けて、新校舎にいた一人の先輩に声を掛けてみました。おでこと三つ編みが特徴的な女子生徒です。

 

「ん? なにかな?」

 

「えーっと、吉井明久先輩を見ませんでしたか? 探しているのですが」

 

「えっ!? 貴女もアキちゃんを!?」

 

「……ん? アキちゃん?」

 

 大いなる違和感。

 明久という名前からアキを取った渾名なのでしょうか? でも、男性につけるニックネームにしてはなんだか乙女っぽいというか、可愛らしい感じです。

 しかし吉井先輩の顔を思い出してみると──確かに童顔だから似合いそうな渾名でもあった。

 首を傾げていると、その人は私の肩をがっちりと掴んで、ぐいっと顔を押し付けて捲し立てる。

 

「アキちゃんはね、とっても可愛いの! 可愛くて、ちょっとだけおバカなの! でもね、毎日がすっごく楽しそうで、一緒にいるだけで幸せになれちゃう太陽みたいな子なの! 可愛くて可愛くて──性別を忘れちゃうくらいっ! しかもねっ、そのアキちゃんととっても仲が良い女の子がいて、その子はガヴちゃんっていうの! いっつも気だるげな感じでぐーたらしてる子なんだけど、でもアキちゃんと一緒にいるときにふっと零す笑顔が最ッ高に可愛いの! アキちゃんが太陽なら、ガヴちゃんは月みたいな子かな! しかも、いつもはダメダメなのに本気を出したときはすごいんだよ! 私見ちゃったの! BクラスとFクラスの試験召喚戦争で、物凄く真剣な表情で召喚獣を操るガヴちゃんを! これがギャップ萌えってやつなのかな!? 見惚れちゃったよ! すっごく格好良くて、もう私惚れちゃった! 惚れ直しちゃった! でも、最近そんなマイエンジェル二人に会えてないんだ……もう我慢できないのに! ああ、なんでもっと早く二人に気づかなかったのかなあの時私! 試験召喚戦争の真っ只中なら多少騒動を起こしてもバレなかったっていうのに! だから、今はDクラスは宣戦布告できないけど、ペナルティ期間が終わったら今度はこっちからFクラスに挑むつもりなんだ! そして今度こそ、アキちゃんとガヴちゃんを私の物にドロップアウトさせてみせるの! そして思う存分、私の作った可愛い服で可愛い二人を着飾って可愛くイチャイチャしてもらうのっ! それで、私もたまに混ぜてもらうの! う、浮気じゃないんだよ!? 私はちゃんと二人を平等に愛してあげるからね! ──で、その夢の実現には情報収集が必要不可欠だから、今こうして私も二人を探してたんだ! 貴女もそうなんでしょ!?」

 

「…………………………はいっ! そうですね!」

 

 私の思考回路は停止していました。

 ただ本能が、今この場から迅速に離れろとだけ叫び続けています。

 

「……あっ、ごめんねっ、ちょっと興奮しちゃって」

 

「そ、そうですか。では私はこれで──」

 

「ところでさ! よく見たら、貴女もアキちゃんやガヴちゃんに負けず劣らず可愛いねっ!」

 

「…………はい?」

 

「お名前教えて!?」

 

「え、えっと……ち、千咲、です」

 

「千咲ちゃん! じゃあチサちゃんだね! チサちゃん、その髪留めもマフラーもよく似合ってるよ! でもね、貴女のポテンシャルはまだまだこんなもんじゃないと思うんだっ! 私ならチサちゃんを原石から立派なダイヤモンドに磨き上げることができるよ! とりあえず、一緒に保健室に──」

 

「失礼しますっ!!!」

 

 天使の脚力をフルで発揮して、風を巻き上げながら逃走。神秘性もなにもあったもんじゃありません。この時、私はただ自分の身を守るだけで精一杯だったのです。

 

   ○

 

 私は逃げるのに無我夢中で──正気に戻った時には、自分がどこにいるのかが分かりませんでした。

 端的に言えば、迷ってしまいました。

 私が文月学園に入学してから早いもので一週間が過ぎようとしていますが、この学校はとても広く、また教室も多いため、未だに内部構造を把握しきれずにいます。

 

「ここ、どこですかぁ……」

 

 へなへなとその場に座り込みながら、そんな弱気な声を漏らしてしまう。

 廊下は疎か、教室を覗いてみても、そこは閑古鳥が鳴いていました。今は昼休みですから、ここの階の学年はもしかして午前授業で終わりだったのでしょうか……?

 急に、どうしようもないほどの孤独感に苛まれる。そして同時に、走馬灯のように、過去の記憶が次々に頭の中を駆け巡りました。

 思い返してみれば、私は下界にやってきてから失敗続きです。

 堕天してしまった天真先輩を更生させることは叶わず、その原因であるとされる胡桃沢先輩には敵わず、学校でも上手くやれていない。

 天真先輩は、自分のことを駄目な天使……駄天使と自嘲していましたが、ならば私も同じく駄天使と言えるでしょう。むしろ、昔から駄目な天使である私こそ真の駄天使なのではないか、とさえ思えてくる。

 昔、まだ私と天真先輩が天使学校に通っていたころ、泣いてる私をあの人が慰めてくれたことがあった。

 でも、今この場には天真先輩はいない。あの、優しかったころの先輩は、もう……いない。

 

 ──じゃ、じゃあ、天界の天真先輩は……!

 

 ──ああ、あれは偽りの姿ってことだな。

 

 下界で再会した時の天真先輩の言葉が、脳裏で何度も繰り返される。

 頭ではちゃんと理解している。天真先輩は変わってしまったけれど、過去の出来事を忘れてしまったわけではないと。その本質さえも違う、別人になってしまったわけではないのだと。

 でも、私の思考とは違う何かが、それを認めようとしてくれない。

 受け入れたくないと拒絶してしまう。

 

「なんなんですか、もう……」

 

 わからない。

 なにがわからないって、自分という存在がわからない。

 どこにも自分の居場所はないんじゃないかという気さえしてくる。そうやって、負のスパイラルに陥っていると──

 

「おいおいなんだよ、こんなところで蹲って」

 

「ぴぇ!?」

 

「お前一年生か? ここは俺たち三年生の階だ。とっとと帰んな」

 

 顔を上げると、そこには二人の男の人がいました。坊主頭とソフトモヒカン頭の先輩です。ま、またヤンキーじゃないですか!? やっぱり今日の私の運勢最悪です! 厄日です!

 どちらも体格が大きいのに加えて、私はその場に座り込んでしまっていたので、凄い威圧感に震えるしかありませんでした。

 

「ご、ごごごごめんなさいっ! す、すぐにどっか行きますので!」

 

「ったく、俺たちは忙しいってのによお」

 

「全くだぜ。新入生ってのは気楽でいいよな」

 

「うう……」

 

 先輩たちの嫌みたっぷりの言葉に、私は小さくなるしかない。

 そういえば、三年生は受験勉強に集中するために、午後の授業がない日があるという話を聞いたことがある。だから誰もいなかったんですね。……あれ? じゃあなんでこの人たちはここにいるんでしょう?

 

「あ、あの」

 

「ああ? なんだ一年坊主。俺たちは忙し──」

 

 その時でした。

 廊下の天井から、何かがバコンと外れる音が響いたのは。

 私たちの視線が一斉にそっちを向くと、

 

「おい先輩方、なにやってんだよ……!」

 

 その人は開いた通気ダクトの中から飛び出し、廊下に着地した。

 ……え? なんでそこから……?

 現れたのは、埃まみれの制服に身を包んだ吉井先輩でした。

 

「なんだこいつ!? どこから出てきて……!?」

 

「くたばれえええええ!」

 

「どわああああ!? いきなりなにすんだテメエ!?」

 

 そして、二人の先輩に殴り掛かっています。

 ……え? えっと、なにがどうなっているんですか!?

 

「問答無用! 二人掛かりで一年生の女の子を襲おうなんていうゲス共を見過ごせるか!」

 

「はあ!? なに言ってんだお前!?」

 

「見ろ! 彼女の制服ははだけていて!」

 

 それはさっき怖い三つ編みの先輩から逃げるために全力ダッシュしたからですね。

 

「しかもその場にへたり込んで涙を流していて!」

 

 それは昔を思い出してちょっと悲しくなっちゃったからですね。

 

「しかもアンタらの髪型は坊主とモヒカン!」

 

 それは……そうですね。

 

「これが強制猥褻行為の現場じゃなかったらなんだって言うんだ!」

 

「ちょっと待て髪型は関係ないだろ!?」

 

 ……もしかしてこの人、とんでもない勘違いをしていませんか!?

 

「おい誤解するな! 俺たちはただ教科書を取りに戻ってきただけで──」

 

「死にさらせ変態コンビ!!」

 

「こいつには聴覚という器官が存在しないのか!?」

 

 吉井先輩はどこからともなく千枚通し(!?)を取り出したかと思うと、それでペットボトルの蓋に穴を開け、中身を勢いよく噴射させた。

 

「汚物は消毒だぁー!」

 

「だから聞けって──ギャアアアアア目があああああっ!?」

 

「夏川ぁー!? テメェ! なにしやが──これ塩水じゃねえか!? ち、畜生! 鼻に入りやがったッ! 痛ええええ!?」

 

 塩水まみれになりながら顔を押さえてのたうち回る二人の先輩たち。

 え、ええ……? なんなんですかこの状況!?

 

「千咲ちゃん! 今のうちに逃げるよ!」

 

「ま、待ってください! 吉井先輩、貴方はとんでもない勘違いを」

 

「しっかり掴まっててね!」

 

「して……って、えええええええええ!?」

 

 誤解を解く前に、吉井先輩は私の肩と足を支えて、ひょいっと抱え上げてしまいました。

 こ、ここここ、これっていわゆる、お、お姫様だっこの体勢じゃないですか!? なんで!? どうしてこのような事態に!?

 私は理解が追いつかぬまま、ただ吉井先輩の腕の中でジタバタしていると、彼は転がる二人の先輩を尻目に窓をガラッと開け放ち、そこの窓枠に足を乗せて、

 

「よよよ吉井先輩!? ここ四階ですよ!?」

 

「だぁぁーっしゃぁーっ!」

 

「お願いですから人の話を聞いてくださ──きゃああああっ!?」

 

 勢いよく踏み込んだかと思うと、躊躇なく窓から飛び出してしまいました。なんてダイナミックな飛び降りなのでしょう。

 というか普通に死ねます! 私、高校一年生にして死んでしまうんですか!? 天使なのに!?

 思わず目を瞑る──が、一向に衝撃はやってきませんでした。

 恐る恐る目を開くと、吉井先輩は校舎裏の大きな木の枝に着地していました。

 

「へへっ。いつでも鉄人から逃げられるように避難経路は幾つも確保してあるんだ。千咲ちゃん、怪我はない?」

 

 そう言って。

 吉井先輩は私を抱えたまま、やっぱり屈託のない笑顔を見せた。

 思わず顔に熱が集まる。

 な、なんなんでしょう、この気持ちは……胸がすごくドキドキして、頭に血が駆け巡って、拳をこの人の顔に叩きつけたくなる気持ちの正体は──これ怒りです!

 

「なに考えてるんですか!?」

 

「へ?」

 

「へ? じゃないですよ! バカなんですか!? 先輩、バカなんですか!?」

 

「この子先輩に対して二回もバカって言ったぁ!?」

 

「言いましたとも! もっと言ってあげましょうか!? 先輩のバカ! バカバカバカバカバカバカバカバカバ!!」

 

「途中からカバになってるよ!?」

 

「そうです! 吉井先輩はバカでカバなんです!」

 

「違うよ!? 僕は人間だよ!?」

 

「いいえ違いませんっ! 先輩はカバーです!」

 

「遂に生き物ですらなくなった!?」

 

 私は両手でポカポカと先輩の胸を殴りつけながら、そんな罵倒を繰り返します。正直、自分でもなにを言ってるのかを理解できていません。ただ渦巻く自分の感情を暴走させて、癇癪を起こしていました。

 そんな私を、吉井先輩は困ったように笑いながら、それでも支え続けてくれる。さっきは大暴れしたかと思えば、今度はそんな余裕を見せて……本当になんなんですかこの人は!?

 

「い、意味不明ですっ! 理解不能ですっ! なんであんなことしたんですか!? 説明を要求します!」

 

「説明って……理由なんかないよ」

 

「それでも何かしらのきっかけはあったはずでしょう!? 先輩がバカだから以外で!」

 

「き、きっかけ。うーん……それは多分、君が泣いていたから、かな」

 

「…………へ? それだけですか?」

 

「うん」

 

 色々なものでぐちゃぐちゃになっていた頭が、一瞬で真っ白になった。

 それだけ?

 つまり、顔見知りとも言えないような人が泣いているのを見て、自分の損得勘定を無視して飛び込んできてくれたってことですか?

 あの怖そうな先輩たちに目を付けられたかもしれないのに? あんな風に身体を張って?

 

「……やっぱり、先輩はおバカさんなんですね」

 

「あはは、よく言われるよ」

 

 拍子抜けしたからか、なんだかどっと疲れが押し寄せてきました。

 もう、さっきの重大な誤解を解くことさえ面倒になってしまうほどに。

 私は自分のポケットに手を突っ込んで、そこから一枚のハンカチを取り出し、先輩に押し付けます。

 

「あの、これ、落とし物です」

 

「え? ああっ、僕のハンカチ! 探してたんだよ! ありがとう見つけてくれて!」

 

「い、いえ」

 

 そうやって吉井先輩は、また子供みたいに笑う。

 こ、この人、やっぱり目に悪いです。何故だか心拍数が上がってしまうので。

 それに全然人畜無害ではありませんでした。この人の危険度をAプラスに修正です……!

 

「と、ところで、吉井先輩……そろそろ下してほしいのですが……」

 

 高校生でお姫様抱っこというのは正直、かなり恥ずかしいのです。

 吉井先輩は気まずそうに目を逸らしてから言った。

 

「……うん。そうしてあげたいのはやまやまなんだけどね」

 

「?」

 

「さて、どうやってここから降りようか……」

 

「考えてなかったんですか!?」

 

 さっき避難経路がどうとか言ってませんでしたっけ!?

 この人やっぱり思考回路に重大な疾患を抱えているのでは!?

 

「くっ、こうなったら紐なしバンジージャンプを敢行するしか……!」

 

「なに血迷ったことを言ってるんですかぁ! やっぱり先輩、ただのバカですね!?」

 

「大丈夫! 人間本気になれば割となんとかなるものさ!」

 

「う、嘘ですよね? 冗談ですよねっ? ま、まさか──きゃあああああああああ!?」

 

 今日、私は生まれて初めて、高所から二度もドロップしました。

 

   ○

 

「えーっ!? 天真先輩、今日学校にいなかったんですか!?」

 

「ネトゲでどうしても外せないイベントがあってな」

 

 放課後。

 私は上の空で午後の授業を乗り切った後、ダッシュで天真先輩のお宅を訪れていました。そして今、衝撃の事実を明かされて打ちひしがれているところです。

 

「おおふ……」

 

「ケータイで連絡してくれればよかったのに」

 

「あ、いえその、携帯電話を家に置いてきてしまいまして……」

 

「ケータイなんだからちゃんと携帯してやれよ……お前ほんとドジだな」

 

「うぅ……すみません」

 

 がくりと項垂れる私を、天真先輩は不憫そうな目で──見ていませんね。先輩の視線は常にノートパソコンの画面に固定されています。

 

「っていうか、お前なんでそんなに汚れてんの?」

 

 そう言われて、私は自分の身なりを見下ろす。文月学園指定の制服にマフラーを巻いただけの極めてシンプルな格好です。でした。

 つい先ほどまで新品同然だった制服は、今やワイルドさ溢れる物に大変身していました。

 

「えっと、これには深い事情がありまして……」

 

「ふーん。原因はFクラスか?」

 

「なんで分かったんですか!?」

 

「だって見覚えがありすぎるし」

 

 そんな天真先輩の言葉に、私は驚愕を隠せませんでした。まさか二年Fクラスではあれが日常茶飯事なんですか!?

 天真先輩は床に転がってパソコンに集中しているので、手持ち無沙汰な私は部屋の掃除を行う。まあ月乃瀬先輩が毎週のように整理整頓し、天真先輩が毎週のように跳梁跋扈するこの部屋は、そんな謎のサイクルが形成されてしまっているので、私はゴミの片づけをするくらいですが。

 しばらくそうしていると──ピンポーンと、部屋のチャイムが鳴った。

 

「おお、やっと来たな」

 

「なにがですか? 天真先輩」

 

「助っ人。タプリス、悪いけど出てくれ」

 

「はあ……」

 

 私は廊下を抜けて鍵を開けるとそこには、

 

「ごめんガヴリール! 須川くんと決着をつけてたら遅くなっちゃ──あれ? 千咲ちゃん?」

 

 また会いたかったような、会いたくなかったような、そんな複雑な感情を抱く相手、吉井先輩がいました。

 

「なっ……! よ、吉井先輩……!?」

 

「遅いぞ明久! 私はもう腹ペコなんだ! 早く栄養プリーズ!」

 

「オッケー!」

 

 そう言って、弧を描くようにして吉井先輩から天真先輩の手に渡ったのは、凄く見覚えのあるペットボトルでした。

 

「よ、吉井先輩! まさか天真先輩に塩水を飲ませる気じゃありませんよね!?」

 

「うん? ああ、大丈夫だよ千咲ちゃん」

 

 そう言って朗らかに笑う吉井先輩。良かった、あの塩水は攻撃用(?)のものだったんですね。

 

「ガヴリールは女の子なんだから、ちゃんと砂糖水が入ってるよ!」

 

 前言撤回です! この人は女の子を舐め腐っています! 女の敵です!

 しかし女子力が皆無な天真先輩は砂糖水をごくごくと流し込みながら、私たちをちらりと一瞥して言いました。

 

「なに? お前ら知り合いだったの?」

 

「今日の昼休みにちょっとね」

 

 アレはちょっとというレベルを軽く超越している気がします。

 

「って! そんなことはどうでもいいんですよ! なんで天真先輩の家に吉井先輩が!?」

 

「隣人」

 

「…………はい?」

 

「だから、こいつの家はここの隣なんだよ」

 

 私はダッシュで玄関を飛び出し、お隣さんの部屋の表札を確認します。

 そこには『吉井』と刻まれていました。

 

「……ふふふふ、ふふっ」

 

 自分でも、ちょっと驚くくらい低い嗤いが漏れてしまいました。

 私は覚束ない足取りで天真先輩の家へ戻り、吉井先輩の元へ向かいます。

 

「……吉井先輩」

 

「ん? なにかな、千咲ちゃん」

 

「貴方を処刑しますっ!」

 

「なんで!?」

 

「あ、間違えました。貴方を断罪しますっ!」

 

「多分同じ意味だよねそれ!?」

 

「うるさいです! 先輩への積もりに積もったこの恨み! 必ずや晴らさせていただきますっ!」

 

「僕が君に何をしたっていうんだ!?」

 

「貴方は私の敵ですっ! 天真先輩を更生させるという私の目標にとって、吉井先輩は間違いなく障害となる存在です! 今日は大人しく退いてあげますが、次は容赦しませんので! 覚悟しておくことです、抱き枕カバー先輩!」

 

「抱き枕カバー先輩!? ちょ、ちょっと待って! その呼び方だけは勘弁してぇ!?」

 

「うわあああああんっ!」

 

「ち、千咲ちゃん! 待ってくれ千咲ちゃーん!」

 

「……最近の若者は、なに考えてるのか分かんないッスね」

 

 この日、私は家に着くと、下界で初めてバタンキューというものをやってしまいました。



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番外編 バカと天使とアルバイト(前編)

~ラフィとヴィーネの天魔小噺~

「ヴィネットと!」
「ラフィエルの!」
「「天魔小噺っ!」」
「はい。というわけで何の脈絡もなく突然始まったこのコーナーは、私ラフィエルとヴィーネさんの二人が、淡々と語らうだけのコーナーとなっております」
「語らうだけと言われても、どんなことを話せばいいのか悩んじゃうわね……」
「心配ないですよヴィーネさん。世の中には、女子高生がオジサマと他愛ない雑談に興じるだけで高額な報酬が貰えるお仕事もあるくらいですから。女子高生の言葉というだけで、そこには希少価値が生じるのです」
「いやそれ絶対いかがわしい仕事だろ! っていうかそれ、ガヴと吉井くんたちには教えちゃダメよ」
「??? ガヴちゃんに教えるなというのは分かるのですが、Fクラスの皆さんにもですか?」
「だって彼ら、お得意様になりそうじゃない」
「ああ、そっち側ですか」
「それに、そういう仕事を装った詐欺とかも横行してるって聞くじゃない? 皆には危ない目にあってほしくないもの」
「ということで、先日文月学園のお姉ちゃんになってほしい女子ランキング第一位に輝いたヴィーネさんからのありがたいお言葉でした。お嫁さんランキングと合わせて二冠ですね」
「余計なこと言わなくていいから! うぅ、やっぱり私って悪魔っぽくないわよね……。何か人の役に立つことが出来て、かつ私の悪名が広がるような悪魔的行為ってないものかしら……」
「一行で矛盾してますね。まあ生き方は人それぞれですから。ヴィーネさんにはヴィーネさんなりの信念があるのでしょうし、悪魔らしさとか気にしなくてもいいと思いますよ」
「ら、ラフィ……!」
「それに、その方が見ていて面白いですから!」
「やっぱりか! はあ、でもありがと。……と、小噺ってこんな感じで良かったのかしら?」
「バッチリです。流石、ツッコミ担当は伊達じゃないですね」
「いや、皆がボケるからツッコミに回らざるを得ないだけなんだけど……」
「それでは皆さん、また次回にお会いしましょう♪」
「……えっ!? 私達の出番ってもしかしてこれだけ!?」


 僕らの教室が卓袱台からミカン箱に格下げされてから、はや数日が経った。そんなある日の昼休みのこと。

 授業を終えて教室を出るクラスメイトたちを横目で見送りながら、僕とガヴリールは目の前で仁王立ちする鉄人──Aクラスに敗北してから、僕らの担任となった西村先生を相手に向き合っていた。

 言いたいことがあるなら言ってみろ、という風に、鉄人は鼻を鳴らす。それに対して、ガヴリールはまさに天使のように綺麗な笑顔で語り始めた。

 

「西村先生、お忙しい中時間を取らせてしまい申し訳ありません。ですが私は、どうしても先生に伝えなければならないことがあるんです。……私の夢についてです」

 

 彼女の夢。それは、世界中の人々を幸せにすることだ。それは荒唐無稽で、とんでもなく途方のないものかもしれない。だけど、僕はその夢を──そんな夢を語るガヴリールのことを、とても綺麗だと思った。大きな夢へと向かって、一歩一歩努力する健気な生き方に、僕は憧れたんだ。

 

「その夢は漠然としたものでした。ですが、この学校で過ごしている中で、私は気づくことができたのです。幸せは分け与えることができるものだと。いえ、分け与えるなんてものじゃない、一つの幸せが、何倍にも、何十倍にもなることだってあるということを」

 

「…………」

 

「誰かが笑っていると、自分も笑うことができるように。誰かが幸せだと、自分も幸せになれる。そうやって、幸福の輪というものは広がっていくのではないでしょうか」

 

「…………」

 

「だから、私が誰かを幸せにするためには、まず私自身が幸せでなければいけないと気づいたのです。……今の私では、きっと誰も幸せにすることなんてできません」

 

 鉄人は何も言わない。ただ静かに目を瞑って、ガヴリールの言葉に耳を傾けていた。

 

「でも、絶対に叶えなきゃいけない夢なんです。だから西村先生、お願いします。どうか私に──皆を幸せにする権利をいただけないでしょうか」

 

 ぎゅっと手を握って、頭を下げるガヴリール。

 彼女のどこまでも真っすぐな言葉に、鉄人は感心したような、あるいは呆れたようなため息を一つ零して、初めて口を開いた。

 

「天真、お前の言わんとすることは伝わってきた。確かにお前の言う通り、人を幸せにするということは、生半可なことではない。不幸な者が誰かを幸せにしようなど、戯言と切り捨てられてしまうだろうな。……だが」

 

 ちらっと、ガヴリールの横顔を一瞥する。その表情は、いつになく真剣で、静かに鉄人の言葉の続きを待っていた。

 

「──だが、没収した私物の返却は認めん」

 

「クソがああああああああっ!!」

 

 天使モード終了。駄天使様ご帰還の瞬間だった。

 

「何故ですか西村先生! 皆が幸せになるためには、まず私が幸せにならなくちゃいけないんです! だから私の漫画やゲームを返してっ!」

 

「聞こえの良い言葉で取り繕っても無駄だ。そんな自分勝手な都合のために世界を巻き込むな。今お前が不幸なのはお前の自業自得だ」

 

「待ってください西村先生! さっきのガヴリールの目を見たでしょう! あの目は嘘じゃないはずです!」

 

「確かに、どこまでも真っすぐだったな。自分の欲望にだが。嘘を吐かなければなんでも許されると思ったら大間違いだぞ馬鹿者」

 

「だったら、皆を幸せにしたい気持ちだって偽りじゃないはずです! だからどうか、私物を返してやってくれませんか! あと僕から取り上げた物も返してください!」

 

「黙れ。夢や幸せなんて御大層なものを語る前に、お前たちは学園のルールを守れ」

 

 くっ、ああ言えばこう言う。教師として恥ずかしくないのか……! 

 

「っしゃお前らぁ! 茶番は終わりだ、こうなったら力づくで取り返すぞ!」

 

「「「うおおおーっ!!」」」

 

 ガヴリールの号令で、一斉に鉄人を取り囲む隠れていたクラスメイトたち。皆、荷物検査で何かしら私物を没収された連中だ。僕らと同じように、腸が煮えくり返っていたのだろう。

 

「やれやれ。俺がFクラスの担任になった意味をまだ理解していなかったとはな」

 

「殺せーっ!」

 

 そんなガヴリールの凡そ天使らしくない言葉を背に受けながら、僕らは上履きを手に鉄人へと襲い掛かった。

 

   ○

 

「さてお前ら、如何にしてあの邪知暴虐な教師を殺すかについてだが、何か案がある奴いるか?」

 

「ロッカーを倒して圧殺するのはどうかな?」

 

「相手はあの鉄人だぞ? むしろロッカーの方が拉げる気がするな」

 

「プールに突き落として溺死させるのよ! いくら鉄人とはいえ、酸素を奪われればひとたまりもないはずだわ!」

 

「…………前提として、トライアスロンが趣味の鉄人を溺れさせるのが困難」

 

「明久とサターニャが試験召喚獣で襲いかかるってのはどうだ? 召喚獣って、確かゴリラ並みに強いんだろ?」

 

「フッ、ガヴリールにしては良い考えね。この私の召喚獣で、鉄人を葬り去ってやるわ!」

 

「確かに可能性はあるかもしれないけど、そもそもフィールドを展開してくれないと思うよ」

 

「ぐっ、確かに」

 

「…………ここやはり、毒殺が確実」

 

「「「「それだ!!」」」」

 

「なぜお主らは世間話をするかのように教師の殺害計画を練れるのじゃ……」

 

 鉄人への奇襲に失敗した僕たちが再び奴の抹殺を企てていると、職員室から戻ってきた秀吉が呆れた口調でそう零した。

 

「むっ、秀吉は鉄人の横暴を許しても良いっていうの?」

 

「そういうことではないが……現にこうして教師との交渉に乗り出したわけじゃからな」

 

「…………それで、結果はどうだった?」

 

「ダメじゃ。それっぽい理由を幾つ並べても応じてくれんかったぞい」

 

「だろうな。鉄人の奴、頭の中身も鉄でできてるんじゃないのか?」

 

 と、我らが担任への愚痴を漏らすのは我らがFクラス代表の坂本雄二である。こいつは鉄人にワイヤレスヘッドフォンを没収されていた。買ったばかりの高価な物だったらしく、雄二の顔は苛立ちに歪んでいる。

 

「だが、策はある。今日は偶然にも午前授業のみ。午後は学校説明会が体育館で行われる──これを利用するぞ」

 

 雄二が悪どい笑みを浮かべる。どう見ても良からぬことを考えている時の表情だ。

 

「学校説明会というと、文月学園を受験する予定の中学生やその保護者を対象としたイベントだよね? それが僕たちの没収品と何の関係があるのさ?」

 

「説明会には当然多くの教師が駆り出される。そのリストをムッツリーニに入手してもらった」

 

「…………鉄人の名前も確認済み」

 

「そういうことだ。そして、鉄人の不在で手薄になった職員室を襲撃する」

 

「なるほど」

 

 なんて完璧な作戦なのだろう。まるで穴が見つからない。

 

「職員室を襲うことにまるで躊躇がないわねコイツら……」

 

「あはは……」

 

 美波が頭痛を抑えるかのように頭を抱えてそう呟き、姫路さんはそれに対し曖昧な笑みを浮かべている。Fクラスの数少ない女子メンバーのうちの二人は、この襲撃作戦にあまり乗り気ではないようだった。

 

「鉄人がいない今、このサタニキア様に敵なしだわ! 私が受けた屈辱、倍にして返してあげる!」

 

「おのれ教師共め……! この私を怒らせたらどうなるか、その身を以て贖わせてやるぞ……!」

 

 そして、こっちの二人はめちゃくちゃ乗り気だった。まあガヴリールの場合は没収された物がなんとなく想像できるし、だからこそ取り返そうと躍起になるのは頷ける。胡桃沢さんも、このやる気を見る限り大事な物を没収されてそうだ。

 

「──よしお前ら! 決行は午後一時。必ず各々の没収品を奪還するぞ!」

 

「「「おう!!!」」」

 

 勿論、僕だってやる気満タンである。待ってろよ、僕のお宝たち……! 

 

「絶対に取り戻してみせる! ガヴリールと秀吉の寝顔写真を!」

 

「待つのじゃ明久! 何故お主がそのような物を所持しておる!?」

 

「……というか、私の寝顔なんて見慣れてるでしょ」

 

「いや、何度見たって良いものだよ。なんなら常に見ていたい!」

 

「そ、そうか……いや、別にどうでもいいけど?」

 

 そんなこんなで、僕たちは職員室襲撃の時間まで、おとなしく昼休みを過ごした。

 

   ○

 

「ムッツリーニ、職員室までのルートに敵影はあるか?」

 

「…………問題ない。殆どの教師が出払っている」

 

「よし。お前ら、出撃だ!」

 

 雄二の号令と共にクラスメイトたちは一斉に教室を飛び出し、廊下を駆け抜け職員室へと向かう。

 尖兵として須川くんたちを中心にしたグループ、その後ろに参謀である雄二を中心としたメンバーが続く。皆、没収されたものは違えど、その心は一つだ。奪われたものを取り戻す、ただそれのみである。

 

「それにしても、本当に先生たちの姿が見えないね。学校説明会ってそんなに大変なのかなぁ」

 

「試験召喚システムの都合上、一定の生徒数を確保しなくちゃならないからな。教師の連中も学園の存続に必死なんだろ」

 

 隣を走る雄二がそんなことを言う。

 

「でも、そのおかげで順調に没収品を取り返すことができそうだね」

 

「ああ、このまま何事もないといいが……」

 

 と、そんな不穏な呟きを雄二が漏らした瞬間だった。

 

「ぎゃああああああああああッ!?」

 

 そんな凄惨な悲鳴が、廊下中に響き渡った。この声は須川くん!? 

 僕らは急いで職員室前に駆けつける。すると。そこには異様な光景が広がっていた。

 須川くんを筆頭とした尖兵のクラスメイトたちが、一人残らず倒れ伏していたからだ。

 

「お前ら、何があった!?」

 

 雄二が尋ねると、唯一意識のあった須川くんが今にも掻き消えそうな声で答えた。

 

「に、逃げろ……職員室には、奴が……」

 

 がくり、と。

 須川くんはそのまま意識を失ってしまった。

 

「…………ま、まさか……あのリストは、フェイク……!?」

 

「──やはり来たな。Fクラスの馬鹿共」

 

 ムッツリーニの呟きに応えるように、そんな声が響いた。こ、この重低音ボイスはまさか……!? 

 

「な、なぜ鉄人がここに!?」

 

 そう、そこに仁王立ちしていたのは、我らがFクラスの担任教師にして僕らの宿敵、生徒指導の鬼・鉄人だった。ば、馬鹿な!? 奴は今、学校説明会で不在のはずでは!? 

 

「あんなことがあった後で警戒しないはずがないだろう。無理を言って担当を変えてもらったんだぞ。愛しい生徒たちの為にな」

 

「嘘だ! 僕らを愛しいと思っているのなら体罰を振るったりするはずがない!」

 

「何を言う。これは俺なりの愛の鞭だ。さあ、大人しく降伏して補習を受けるというのなら、痛い目には遭わせないぞ?」

 

 肉体的には痛くないかもしれないけど、精神的にボロボロにされるやつだこれ。

 

「くっ、どうする雄二!? ここは撤退して、態勢を立て直す!?」

 

「いや、こうなった以上、次はさらに防衛を固めてくるだろう。やるなら今しかない!」

 

「わかった!」

 

 雄二の力強い言葉に、鉄人に怯んでいたクラスメイトたちが向き直る。相手が鉄人とはいえこちらは大人数。一斉にかかれば勝機はあるはずだ! 

 まず最初に仕掛けたのはムッツリーニだった。彼は音もなく鉄人の背後に周り、持っていたシャープペンで鉄人の首を狙っている。鉄人の意識は完全に僕らの方へと向いているはずだ、いける! 

 

「ふんッッッ!!」

 

 その瞬間、鉄人は視線を僕らへと向けたまま肩だけを回し、ムッツリーニの顔面に裏拳を叩き込んだ。ば、バカなっ、視線を向けることなく迎撃だと……!? 

 クリティカルな一撃をもらったムッツリーニは悲鳴を上げることさえないまま、廊下に崩れ落ちた。

 

「さて、次はどいつだ?」

 

「「「──すみませんでした!!!」」」

 

 鉄人に恐れをなして恥も外聞もない土下座を繰り出すクラスメイトたちである。な、なんて頼りない連中なんだ! 

 

「さて、残るはお前ら問題児四人だけだな」

 

 両手をゴキゴキと鳴らしてそう告げる鉄人。それは僕らにとっての死刑宣告に等しかった。

 残ったのは僕、雄二、ガヴリール、胡桃沢さんの四人である。ほぼ勝ち目がなくなったことで、僕の思考回路はどうやってこの場からの逃走を図るかに全神経を集中させていたが、雄二がそれを留めるように肩に手を置いて言った。

 

「待て明久。これは逆にチャンスだ」

 

「どういうこと? 雄二」

 

「相手は鉄人とはいえ仮にも奴は教師。女子生徒に体罰を振るうなんてことはしないはずだ。つまり──」

 

 なるほど。ガヴリールと胡桃沢さんの二人に囮になってもらって、その隙に僕らが没収品を回収するんだね? 

 

「──明久のことを女子生徒だと誤認させ、その隙に俺たちが没収品を回収する」

 

 なるほど、完璧な作戦だ。不可能だという点に目を瞑ればだけど。

 

「バカ雄二! 僕のこの男らしい顔面が目に入らないの!? いくら頭筋肉の鉄人でも、この美男子を女子と勘違いするなんてことはありえないよ!」

 

「安心しろ、吉井」

 

「わかってくれますか先生!」

 

「お前を見間違えるわけがないさ。何故なら──お前の顔は一度見たら忘れられないほどブサイクだからな」

 

「そこまで言われるとは思わなかったよチクショウ!」

 

 傷ついたぁ! 教師の何気ない一言が僕の心を傷つけたよ! 

 そんなやり取りをしている最中、ふと隣を見てみると、ガヴリールの姿がない。あれ、さっきまでここにいたはずなんだけど。

 

「あの、西村先生」

 

「どうした天真。お前も大人しく補習を受ける気になったか?」

 

「い、いえ。そうしたいのは山々なんですけど、実は今日、この後バイトのシフトが入ってまして……」

 

「なに?」

 

 声の方に目を向けると、そこには鉄人に対してそんなことを言うガヴリールの姿があった。

 

「ふむ……そういえばお前は、親元を離れて一人暮らしをしているんだったな?」

 

「はい。なので、アルバイトの収入がないと生活が困難に……」

 

「ううむ、そういう事情なら仕方あるまい。だが天真、お前さっきは奴らと一緒になって俺に向かってきてなかったか?」

 

「あいつらに命令されてやったんです!」

 

 ビシッ、と僕らの方に指を向けて責任転嫁を行う駄天使の姿が、そこにはあった。

 

「私はやめるように言ったんですけど、あいつらが無理矢理……!」

 

「う、裏切り者! さっきまで贖わせてやるとか言ってたくせに!」

 

「ということで西村先生、バイト先へ向かってもよろしいでしょうか?」

 

「わかった、いいだろう。しっかり励むんだぞ」

 

「あざっす! しゃす!」

 

 僕らを一瞥してからペロッと舌を出して、ガヴリールは廊下の向こうへと消えていった。なんて鮮やかな掌返しなんだろう。しかも僕らに責任を擦り付けていきやがった。

 

「……あー、西村先生、実は僕もちょっと急用を思い出しまして」

 

「奇遇だな明久。俺もたった今用事を思い出した。ということで俺たちも──」

 

「安心しろ吉井、坂本。お前たちが暇だということはわかっている。一日中たっぷりと勉強に励むといい」

 

「先生! それはプライバシーの侵害なのでは!?」

 

 この人は本当に教師なのだろうか? この人が野放しにされているのは教育委員会の怠慢だと思う。

 

「フッ。吉井、坂本、案ずることはないわ。このサタニキア様に任せておきなさい」

 

「胡桃沢さん! もう頼れるのは君だけだ!」

 

「ふふん。ガヴリールが逃げても、私は逃げないわ。何故なら、真の強者は奥の手を最後まで取っておくものだからよ!」

 

 と、高らかに宣言した胡桃沢さんは、懐からある物を取り出した。

 

「……胡桃沢、なんだそれは」

 

「見てわからない? ならば教えてあげる。これは44口径リボルバーマグナム、デビル・パイソンよ!」

 

 どえらい物を繰り出してきた。普段カッターナイフやコンパスを目にする機会は多いけれど、拳銃は初めてである。

 

「……一応訊いておくが胡桃沢。それってガチのハジキじゃないよな?」

 

 雄二が冷や汗を流しながら尋ねる。もし仮に本物だった場合は学園内の問題に留まらない。間違いなく警察沙汰だ。

 

「そうよ。これには、十分間笑いが止まらなくなってしまう特殊な弾が装填されているわ」

 

「笑いが?」

 

「アンタたちは見てみたくない? あの鉄人が無様に笑い転げる様を」

 

 それは……かなり見てみたいかもしれない。

 

「よし、俺と明久が左右から牽制する。その隙に胡桃沢は鉄人を撃ち抜け!」

 

「頼んだよ、胡桃沢さん!」

 

「任されたわ! さあ鉄人、覚悟しなさい!」

 

 即座にフォーメーションを形成し、鉄人を取り囲む僕たち。対して鉄人は呆れたように頭を振るばかりだ。

 

「やれやれ、本当にお前たちという奴は……」

 

「喰らいなさいッ!」

 

 パーン! という軽い撃鉄音と共に放たれた銃弾は超スピードで鉄人の胸板に迫り、そして──

 

「はぁッッッ!!!」

 

 大胸筋という名の装甲に阻まれて、弾かれてしまった。

 

「「「は……?」」」

 

 僕らは呆けた声を出すことしか出来ない。

 カランカランと、投げ出された銃弾が床を転がった。

 

「──少し、キツイ教育が必要のようだなぁッッッ!!」

 

「ま、待って鉄人! それは教育じゃなくて暴ぶべらっ!!?」

 

 世界が一回転した。

 

   ○

 

「全く、酷い目にあったよ……」

 

「だな。鉄人の野郎、これが教師のやることか?」

 

 鉄人にぶっ飛ばされた後、僕は地獄の補習授業を乗り越え、無事帰路についていた。胡桃沢さんはまだ鉄人の説教を受けており、今は僕と雄二の二人である。

 僕らは二人とも全身のあちこちに生々しい傷跡が残っている。鉄人の教育的指導によるものだ。許せない、いつか必ず復讐しちゃる……! 

 とはいえ、波乱の一日が無事終了した。もうこれ以上のことなんて起こらないだろうし、一安心だ。

 

「……雄二」

 

「ところで明久、清涼祭の準備は進んでいるか?」

 

「え? あ、うん。いい感じだよ。美波が計算してくれた売上予想額なら、十分新しい設備を買うことができるね」

 

「……雄二」

 

「そうか。島田の計算なら信頼できるな。お前も一応ホール班のリーダーなんだから、しっかり準備しとけよ?」

 

「ほぼ押し付けられたようなものだけどね」

 

「ハハハ、ジャンケンに負けたお前が悪い」

 

「……雄二、無視しないで」

 

「あがぁッッ!? 顔面がプレスされるかのような激痛がぁぁ!?」

 

 おお、見事なアイアンクローだ。

 

「いきなりなにしやがる翔子!」

 

「……雄二が無視するのが悪い」

 

「あ、霧島さん」

 

 いつの間にか雄二の隣には、Aクラス代表であり雄二の幼馴染でもある女の子、霧島翔子さんがいた。

 

「霧島さん、もしかして雄二の帰りを待ってたの?」

 

「……うん。一緒に帰りたかったから」

 

 うーん羨ましい。そう言って頬を赤らめる霧島さんはとてもキュートだ。

 

「待て翔子。一緒に帰るだけというのなら、その手に持っている首輪とリードはなんだ?」

 

「……? 雄二を逃がさないために、必要」

 

「あはは、霧島さんはお茶目だなぁ」

 

「いや全く笑えないんだが!? 待て翔子! 俺にそんな趣味はない!」

 

「……駄目。雄二に拒否権はない」

 

「さらばだっ!」

 

「……逃がさない」

 

 そんな言葉を残して愛の逃避行を始める二人。相変わらず仲が良いなあ。

 さて、僕も家に帰りますかね。

 そうしてカバンを肩に背負い直すと、ふと、ポケットの中の携帯電話が震えていることに気づく。

 

「あれ……? ガヴリールからだ」

 

 着信画面には、さっき僕らを見捨てて逃走を図った駄天使の名前が映っていた。どうしたんだろう、今はバイト中のはずだけど。

 

「はい、もしもし。どうかしたのガヴリール?」

 

『あ、明久……助けてくれ』

 

 通話に出ると、息も絶え絶えなガヴリールの声が聞こえた。

 

「ど、どうしたの!?」

 

『私はもう、ここまでみたいだ……。頼む、助け──かゆ、うま』

 

 プツ──と、そこで通話は途切れてしまった。

 

「が、ガヴリールーっ!?」

 

 そして僕はやっと気づく。波乱の一日は、まだ終わってなどいないということに。



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番外編 バカと天使とアルバイト(後編)

~ガヴとサターニャの天魔小噺~

「大悪魔サタニキアと!」
「……………………駄天使ガヴリールの」
「天魔小噺!」「……」
「ってちょっとガヴリール! タイトルコールくらいやりなさいよ! それとも、この私を前にして声も出ないのかしら?」
「はあ、なんで私の相方がサターニャなんだ。そもそも、このコーナー自体必要か?」
「フッ、これだから天使は。浅はかなのよね。いい? 天使と悪魔は古来より対立する運命にある。つまりこれは、大悪魔である私と天使であるアンタが決着をつける為の舞台! 今こそ雌雄を決する時よ、ガヴリール!」
「いや絶対違うだろ。小噺の意味知ってるか?」
「細かいことは気にしない、それが大悪魔の生き様よ!」
「お前は重要なことも気にしてないだろ。だから観察処分者にされたんだよ」
「どうやら私の悪魔的カリスマの前では、教師の連中も恐怖せざるを得なかったようね。奴らさえ屈服させれば、文月学園など支配下も同然! 人間界征服の日も近いわね! なーっはっはっはっは!!」
「聞けよ人の話。というか、鉄人がいる限りこの学園の支配とか絶対無理だろ」
「グッ……痛いところをついてくるわね、さすがはガヴリール! でも、今は無理だとしても、いつの日か必ずや鉄人に勝利してみせるわ! 大悪魔サタニキアの名に懸けて!」
「あほらし。勝手にやってろよ」
「クククッ、近いうちに目に物見せてやるわ。私とサタニキアブラザーズが手を組めば無敵! 首を洗って待ってなさい、鉄人!」
「……おい、なんだそのサタニキアブラザーズとかいうアホ丸出しのやつは」
「決まってるじゃない。この私の弟子にして眷属である吉井のことよ!」(※第八話参照)
「は?」
「かつてはラフィエルも所属していたわ、忠誠心が足りなかったから破門にしたけどね。その点、吉井は優秀ね! 人間であることが勿体ないくらいだわ。もし悪魔に生まれていれば、この私と共に魔界の頂点に君臨していたでしょうに」
「……」
「ガヴリール、アンタもこの私の軍門に降るというのなら、サタニキアブラザーズの一員に加えてやってもいいわよ? 頭を下げて今までの蛮行を詫びるというのなら許してあげなくもなぐふぅっ!?」
「少し黙れ。今、私は冷静さを欠こうとしている」
「なんてことすんのよ! 脳天かち割れるかと思ったじゃない!」
「そのつもりだったよこの石頭。明久は私の信徒なんだよ。アイツにちょっかい出したら滅ぼすぞ」
「その程度の脅しにこの私が屈すると思う? 今に見てなさい、この借りは必ず返して──」
「あ、今回もうお前の出番はないから」
「……はあ?」
「じゃあなサターニャ。補習がんばれよ」
「ちょ、どういうことよ! ……うげっ、鉄人!? ど、どこへ連れて行く気!? 離せぇー! 補習は嫌ぁぁぁー!」


 エンジェル珈琲。

 それは、駅前の通りに店を構える、個人経営の小さな喫茶店である。

 豆に凝っているマスターの淹れる珈琲と店内の落ち着いた雰囲気の評判はとても良く、多くの常連客が通う密かな人気店だ。

 そんな、地元の隠れ家的スポットである平和な喫茶は今──

 

「店員さん、オーダーお願いしまーす」

 

「はいっ!」

 

「こっちもよろしく頼むよ」

 

「うっす!」

 

「お嬢ちゃん、おしぼりを貰えないかな?」

 

「し、少々お待ち下さいっ!」

 

「天真くん! 三番テーブルにタマゴサンドとナポリタンを運んでくれるかな?」

 

「り、了解ッス!」

 

 めちゃくちゃ大繁盛していた! 

 

   ○

 

「──ガヴリール、大丈夫!?」

 

 カランコロンとドアを鳴らしながら入店すると、そこには物凄く機敏な動作で勤労に励むガヴリールの姿があった。

 ここはエンジェル珈琲という駅前にある喫茶店で、ガヴリールのバイト先だ。無言メールに添付されていた地図を元に、僕はここまでやってきたのである。

 

(よく来てくれた明久! 見ての通り今日は大繁盛なんだ! とてもじゃないが手が足りん! ヘルプに入ってくれ!)

 

 うーん、喫茶店の制服姿もかわいい。

 僕が見惚れていると、ガヴリールは接客をしたまま僕にアイコンタクトを送ってきた。普通に会話する時間もないほどに忙殺されているということだろう。僕は小さく頷いてから、アイコンタクトを送り返す。

 

(わかった! 予備の制服がどこにあるか分かる?)

 

(奥のロッカールームだ! 詳しくはそこのマスターに聞いてくれ)

 

 彼女が視線を送った先には、熟練された動きで珈琲を淹れ続けるダンディーなチョビ髭のおじさんの姿があった。あの人がこの店のオーナーであり、ガヴリールの言うマスターなのだろう。

 

(了解! すぐ着替えてくるからもう少しの間持ちこたえて!)

 

 学生服のブレザーを脱ぎながら、僕はカウンターの方へと小走りで向かう。そんな僕の姿に気づいたのか、マスターは一度手を止めて温和な笑みを浮かべた。

 

「はじめまして。君が天真くんの言っていたヘルプに入ってくれる子かな?」

 

「吉井明久です! よろしくお願いします!」

 

「うん。こちらこそよろしくね。見ての通り、今日はとても忙しくてねえ、すごく助かるよ」

 

 そんなマスターの言葉に釣られてもう一度店内を見回す。よく観察してみると、お客さんは中学生くらいの子とその母親らしき人という、親子連れの姿が多いように見えた。もしかして、文月学園の学校説明会参加者かな? この辺には他に喫茶店はないし、なるほど混雑するわけだ。

 

「僕の予備の制服がそこのロッカールームに置いてあるから、それを使ってね」

 

「わかりました。すぐ戻ってきます!」

 

 珈琲をカップに注ぐマスターを尻目に、スタッフオンリーと書かれた扉を開いて中に入る。カバンと脱いだ制服を空いていたロッカーに投げるように突っ込み、置かれていた店員の制服を掴んだ。

 

「……ってあれ? この制服、僕にはちょっと大きすぎる……!」

 

 マスターはかなりガタイが良かったので、制服がダボダボになってしまう。雄二ほどの体格があればピッタリのサイズだったかもしれないが、僕の身の丈にはあまりにも合っていない。

 

「こ、これはまずいぞ……! 店長に相談を──」

 

 その瞬間、先程の忙しそうな二人の姿が脳裏を過る。ただでさえ時間がないというのに、これ以上手を煩わせる訳にはいかない。ここは僕が自分でなんとかしなくては! 

 まず、学生服を代用品として用いるという案を思いつく。が、それは即座に却下する。色や素材が別物で、店内の雰囲気にそぐわないからだ。お客さんとして訪れるのなら全く問題ないだろうが、店員がこの格好では浮いてしまい、空間の調和を見出してしまう。

 次にベルトでズボンを締め付けてなんとかずり落ちるのを抑えようとしてみる。これなら確かに着ることはできた。だが、鏡に映る自分の姿はとてもだらしなく、店員としてはありえない格好であるとひと目で理解する。

 くっ、ここは迷惑を掛けてでもマスターに声をかけるべきか──そう思った瞬間に、視界の端にあるものが見えた。僕は少しだけ躊躇してから、意を決してそれを手に取り、サイズを確認する。

 

「……これしかないッ!」

 

 僕は自分のプライドをかなぐり捨て、ロッカールームの扉を開いた。

 

   ○

 

(吉井くん、ちゃんと着替えられただろうか。少し小柄な男の子だったからねぇ、私の制服ではサイズが大きすぎたかな?)

 

 珈琲の抽出を行いながら、マスターは思案する。ガヴリールから紹介されてヘルプに入ってくれた吉井明久という名の少年についてだ。

 マスターはまだ彼のことを殆ど知らないが、先程のちょっとした会話だけで、人当たりの良い礼儀正しい少年であると感じていた。

 

(天真くんは少し変わったところはあるが、とても優しい子だ。そんな彼女のお友達であるのなら、きっと彼も良い子なんだろう)

 

 必死な様子でオーダーを確認している金髪少女の後ろ姿を眺めながら、マスターは柔らかい笑みを浮かべる。ガヴリールの友達である女の子たちが店を訪れたことはあるが、異性の友達がやってくるのは初めてだった。それもアルバイトのヘルプを頼める相手となると、結構仲が良いのだろう。

 

(若いってのはいいねぇ、青春だねぇ)

 

 そんな感傷に浸っていると、ロッカールームの扉が開き、件の吉井少年が着替えて戻ってきた。

 

「すみません、お待たせしました!」

 

「ありがとう吉井くん。早速で悪いんだけど──」

 

 注文を聞いてきてくれるかな、と続けようとして、絶句した。

 男性であるはずの吉井少年が、女性用の制服を身に包んで現れたからだ。女性用なので、当然下はスカートである。

 

「あ、あれぇ!? どうしてそうなったのかな!?」

 

「任せてくださいマスター! 早速注文を伺ってきます!」

 

「あ、うんお願い……って違うよ!? いや確かにお願いしようとは思っていたけれど、その前に君は色々間違えているよ!?」

 

 主に間違えているのは性別だ。

 

「明久! 二番テーブルのオーダー確認と、五番テーブルの清掃頼む! 私は注文の品を運ぶ!」

 

「了解!」

 

「いや天真くぅん!? 真剣に働いてくれているのは嬉しいけれど、そこは突っ込むべきだよね!? 平然と流していいところじゃないよね!?」

 

 明久の格好をスルーして労働に勤しむガヴリールの姿勢にマスターは鋭いツッコミを入れる。そんなマスターに対して、ガヴリールはどこか悟ったような表情で返した。

 

「マスター、深く考えちゃダメっす」

 

「どういうことだい?」

 

「バカのしでかすことなんて、常人が理解しようとしても無意味ですから」

 

「そ、そうかい……」

 

 にっこりと破顔するガヴリールの姿には、とても含蓄があった。

 

   ○

 

 マスターが感じた不安とは裏腹に、明久が入ったことで店の回転率は大きく向上した。ホールが二人に増えたことによって、マスターが調理に集中できるようになったからである。

 どうにか山場を切り抜け、お客さんが一段落ついた頃、空いたテーブルにカヴリールは突っ伏した。

 

「つ、疲れた……。もう一生分働いた気分だぞ」

 

「お疲れガヴリール。お客さんも減ってきたし、僕も慣れてきたから、休んできてもいいよ?」

 

「それがいい。天真くんにはずっと無理をさせてしまったからね。休憩にするといい」

 

「あーい……」

 

 ノロノロとロッカールームの奥へ入っていくガヴリールを見送ってから、マスターは隣に立つ少年に向き合った。顔立ちは決して悪くない。目や鼻も整っているし、切り揃えられた髪型もよく似合っている。だからこそ、女装をしている姿がより強調されてしまい、巨大な違和感を生み出していた。

 

「なんとか捌き切れましたね、マスター」

 

「う、うん。そうだね。二人のおかげだよ」

 

「いや、僕なんて迷惑かけてばかりで……ガヴリールはやっぱり凄いです」

 

 接客業に携わり二十年。その道のプロであるマスターから見ても、明久の動きは非常に的確なものだった。それに、ガヴリールとの息も非常に噛み合っていて、仕事の効率が何倍にも増しているように感じた。

 

(……本当に女装姿でなければ、完璧な接客だったのにねぇ)

 

 至極残念極まりない。とはいえ、これは男性用制服のサイズを複数用意しておかなかった自分にも非はある。一生懸命働いてくれているこの少年を責めるなんてことは、心優しいマスターには出来なかった。

 

「ところで話は変わるが吉井くん。君も天真くんと同じ文月学園の生徒さんなのかな?」

 

「あ、はいそうです。ガヴリールとはクラスメイトです」

 

「そうかぁ。いやぁ、あの進学校に通っているなんて、君も天真くんも頭が良いんだねぇ」

 

「え、いや、えっとそれは……」

 

 どう答えるべきか悩んでいる明久に対し、マスターは首を傾げている。言えない。落第寸前の最低クラスに籍を置いているだなんて。

 

 ──カランコロン

 

 そんな時、店のドアが開き、二人のお客さんが入ってきた。

 

「どうやら新しいお客様のようだね。吉井くん、対応してもらえるかな?」

 

「はいっ、任せてください、マスター」

 

 純朴な笑みを浮かべて頷き、お客さんの方へ掛けて行く少年の背中を見送る。

 未来ある若者の姿。彼らが今この時、自分の店で働いてくれているという事実は、マスターにとって至上の喜びだった。

 

   ○

 

 小走りでお客さんの方へ向かうと、見慣れた文月学園の制服に身を包んだ女子生徒二人が入店していた。

 

「いらっしゃいませっ」

 

「あの、二人なんですけど大丈夫ですか?」

 

「はい。それではお席の方にご案内します」

 

「……あら? 貴方は吉井さんではないですか?」

 

「いやいやラフィ、この店員さんは女の人よ? スカートを穿いているじゃない」

 

「ヴィーネさん、スカートを穿いていれば女性という短絡的な考えは捨てるべきだと思います」

 

「そうだよ月乃瀬さん。やむを得ない事情があって、女装しなくちゃならない人だっているんだから」

 

「あれっ!? 今のって私が責められる流れだった!? っていうか本当に吉井くんだし!」

 

 入店してきたのは、よく知る同級生の女の子たちだった。

 月乃瀬さんと白羽さん。共にAクラス所属の才女であり、ガヴリールの友達でもある二人だ。

 

「うふふ、吉井さんは本当に期待を裏切らない方ですね。一枚写真を撮ってもよろしいですか?」

 

「うーん……白羽さんの写真を僕に撮らせてくれるならいいよ」

 

「なるほど、等価交換ですか。妥当な所ですね。では、可愛く撮ってください♪」

 

「任せて! ムッツリーニから賜ったこのカメラテクで君を()えさせてみせる……!」

 

「え、これってついていけない私がおかしいのかしら……?」

 

 いや月乃瀬さん、君はまともだと思う。それはそれとして、白羽さんの可憐な姿をシャッターに収めなければ……! うまく撮れれば、ムッツリーニとの交渉に使える! 

 

「よ、吉井くん……? お客様をお席にご案内してもらってもいいかな……?」

 

 マスターの困惑が混じった声で、僕はようやく意識を白羽さんの姿から外す事に成功した。

 

「あ、すみません。じゃあ、月乃瀬さんと白羽さん、この席を使ってね」

 

「ありがとう吉井くん」

 

「ありがとうございますっ♪」

 

「違うよ白羽さん。僕はこの席を使ってと言ったのであって、僕を席として使えって言ったわけじゃないんだよ?」

 

 なんだかデジャブを感じる流れだ。

 僕はまたしても白羽さんの椅子にされていた。この姿勢もすっかり板についてきたものである。

 

「よ、吉井くん!? 確かに案内しろとは言ったけど、そこまでしろとは言っていないよ!?」

 

「あ、違うですマスター! 誤解なんです! これは白羽さんの趣味で──」

 

「吉井さん、飲食店の店員さんが床に手を付くというのは衛生的に如何なものかと……」

 

 見上げると、白羽さんはいつの間にか普通の椅子に着席していた。しかもまるで僕を汚物でも見るかのような目で見下しながら。

 

「なんという変わり身の早さ! くそぉ! 手を洗ってきます!」

 

「い、いってらっしゃい……」

 

「……アンタ、あんまり吉井くんを弄りすぎるとガヴに怒られるわよ?」

 

「すみません。分かってはいるのですが、こればっかりはやめられませんしとめられません♪」

 

「スナック菓子感覚なの!?」

 

   ○

 

 月乃瀬さんと白羽さんの注文の品をテーブルまで運び終え、僕の仕事はなくなった。

 一応勤務中の身であるため、お客さんである二人と話すわけにもいかない。さっきまでが激務だったこともあり、とても手持ち無沙汰だ。

 そんな、一旦僕もロッカールームに戻って、ガヴリールに二人が来店したことを伝えに行こうかとした時である。

 カランコロンという、今日だけで五十回は聞いたであろう音が耳に届いた。

 

「いらっしゃいませー」

 

 殆ど条件反射でそう返す。やってきたお客さんを見ると、これまた二人だった。

 

「……二人です、空いてる?」

 

「翔子! いい加減この首輪外しやがれ! 俺は茶ぁ飲むくらいで逃げたりしねぇ!」

 

「……ダメ。そうやって油断させるのが、雄二のいつものパターン」

 

 いや、正確には一人と一匹かもしれない。

 そこにいたのは、よく知る悪友の坂本雄二と、その幼馴染である霧島翔子さんだった。

 

「やあ、霧島さん。また会ったね」

 

「……吉井? このお店で働いてたの?」

 

「うん、今日だけのヘルプだけどね。あ、席はこちらになります。どうぞごゆっくり、お似合いのお二人さん」

 

「……ありがとう。吉井は良い人」

 

「いや待て翔子! 働いているのはいいにしても、まずこいつの格好にツッコミを入れるべきだ!」

 

「良かった! 同じ考えの人がいた!」

 

 雄二のツッコミに対してぐっと拳を握る月乃瀬さんの姿が視界の端に映る。残念だけど月乃瀬さん、このゴリラ男はぶっちぎりで頭のおかしい奴だから、あんまりアテにしないほうが良いと思うよ。

 

「はあ、雄二さぁ。せっかくの霧島さんとのデートなんだから、僕なんかの相手してないで、彼女をもてなそうっていう甲斐性はないの?」

 

「……彼女だなんて(ポッ)」

 

「さっきまでの姿を見ておいて、よくもまあ上からそんなことが言えるもんだな……! てかデートじゃねぇ!」

 

 照れで頬を赤らめる霧島さんと、怒りで頬を赤らめる雄二。方向性は違えど、やっぱりお似合いだよなぁこの二人。

 まあ、とはいえ後日雄二に死の裁きを与えることは確定した訳だけど。本当は今この場でその喉を掻き切ってやりたいところだが、霧島さんの淡い恋心に免じて許してやる……! 

 

「それで、ご注文は?」

 

「……私はエスプレッソ」

 

「俺はウィンナーコーヒーだ。とっととしろ」

 

「かしこまりました」

 

 注文を受けて、それをマスターに伝える。するとマスターは丁寧かつ繊細、それでいて無駄のない動作で珈琲をドリップしていく。珈琲特有の深みのある香りが、鼻腔いっぱいに広がった。

 さっきまでは忙しくて気にしている暇がなかったけど、本当に良い香りだ。たまに眠気覚ましに飲むインスタントコーヒーなんかとは比べ物にならない。ここまでくるのに、どれだけの時間を掛けたのか、僕なんかでは想像もつかなかった。

 

「はい、エスプレッソとウィンナーだよ。吉井くん、お客様にお出しして」

 

「了解です!」

 

 あのガヴリールがここでのアルバイトを続けられている理由が、なんとなく分かった気がした。

 

「あの、マスター」

 

「ん? なんだい吉井くん」

 

「……ガヴリールはちょっと、いや、かなり生意気なところもありますけど、でも優しい子で、半端な覚悟で働いているわけじゃないと思うんです」

 

 ふむ、とマスターは静かに目を閉じる。

 

「だから、えっと、その……なんて言ったらいいのか……」

 

「大丈夫だよ。天真くんは本当に頑張ってくれている。吉井くんが不安に感じていることなら、何も心配いらないよ」

 

「そ、そうですか、いらない心配だったみたいですね、ははは……」

 

 照れくさくなって、思わず頬を掻いてしまう。なんだか僕の考えることなんて全部お見通しって感じだ。これが大人なのかな。

 

「吉井くんと天真くんは、本当に仲が良いんだねぇ」

 

「どう……なんですかね。僕もそう思いたいです。でも僕は、ガヴリールに取り返しのつかないことを──」

 

 そうだ。一年前の春。あの日のこと、あの時のこと。僕はずっと忘れていないし、ずっと後悔し続けている。許されたいわけじゃない。ただ、僕は……。

 

「……清濁併せ吞んであげるのも、友達の役目だと思うよ? 吉井くん」

 

「えっ?」

 

「人は多角的な生き物だからねぇ。言葉や数だけでは表せないよ。色んな天真くんがいて、色んな吉井くんがいて、それでいいんじゃないかな?」

 

 あ、勿論勉強は大切だけれどね? と、付け足すことも忘れずに。マスターは目を細めて優しく笑った。

 

「……なんか、生まれて初めて負けたって思いました」

 

「んん? どういうことだい?」

 

 その言葉に笑い返すだけで、僕は何も答えなかった。いや、正確には答えられなかった。マスターのような人に対して凄いと口にするのは、逆に失礼な気がしたからだ。

 僕はトレイを持って、雄二と霧島さんのテーブルに向かう。雄二は苛立たしげに、人差し指でテーブルを叩いていた。

 

「遅ぇぞ明久。お前みたいな頭空っぽのバカが生意気にも人生相談か?」

 

「……吉井、悩みがあるなら聞く」

 

「ありがとう霧島さん。でも大丈夫だよ」

 

 結局これは、悩みなんかじゃなく、僕の独り善がりに過ぎないのだから。

 珈琲カップをテーブルに置くと、霧島さんはそれを優雅な所作で受け取り口に運ぶ。うーんなんて絵になる美少女っぷりなんだろう。

 

「……美味しい」

 

「確かにこりゃいけるな。うまいうまい」

 

 優雅さも気品も欠片も足りていないゴリラが、呷るようにして珈琲を啜っていた。

 

「明久、おかわりを頼めるか? これ中々いけるわ」

 

「…………まえを……ろうか」

 

「あ? なんだ?」

 

「お前をウィンナーにしてやろうかァァァ!!」

 

「うぉぉ危ねぇ! お前そのボールペンの先端で俺に何をする気だっ!?」

 

「黙れ類人猿……! 貴様がいるとこの空間の調和が乱れるんだよッ! 大人しく息を引き取るがいい……!」

 

「はぁ!? いきなりなに訳のわからんことを言ってやがる! ってか、そんな格好のテメェに言われたかねぇ!」

 

「……今のは雄二が悪い」

 

「あらあら、いつものが始まってしまいましたね♪」

 

「全く、よく飽きないわよねあの二人も」

 

「……白羽に月乃瀬、いたんだ」

 

「はい。お二人の逢瀬の邪魔をするのは悪いと思いまして、隅っこで静かにしてました♪」

 

「……逢瀬(ポッ)」

 

「ねえ霧島さん。今度は木下さんや工藤さんも誘って、皆で来ない?」

 

「……楽しみ」

 

「吉井くぅん!? 飲み方は人それぞれだよ!?」

 

「休憩もらいましたー。……ってナニコレ? なんで休憩終わったらFクラス開幕してんの?」

 

「あー……まあ、ガヴの想像通りよ」

 

 こいつだけは生かしておけない! 絶対に息の根を止めてやる! 

 

「死ね明久ァ!」

 

「くたばれ雄二ィ!」

 

「二人共!? 店内で暴れるのはやめておくれ!?」

 

「「表で決着つけるぞオラァ!!」」

 

「ちゃんと聞いてくれるんだ!? そういうところは律儀なんだね!?」

 

 僕のエンジェル珈琲での初バイトは、最終的に血の味がした。

 

   ○

 

「あの、すみませんマスター。制服汚しちゃって……」

 

「構わないよ。友達との殴り合いの喧嘩だなんて、いかにも青春って感じで良いじゃないか」

 

「いえ、アイツは友達なんかじゃありません。僕がこの世で最も憎んでいる相手です」

 

「そ、そうかい……」

 

 闘争心をむき出しにする明久の姿に、マスターは若干引き気味な対応をする。彼の身体に刻まれた生々しい傷跡には手加減というものがまるで見て取れなかった。

 

「ね、マスター。だから言ったでしょ。バカのすることなんて、常人には理解できませんよ」

 

「う、うん。そうかも知れないね」

 

 先程、人は多角的な生き物だと言ったのは自分だが、まさか身を以て体験することになるとは思わなかった。

 

「くそ、雄二の奴め。次こそは必ず始末してやる……!」

 

「馬鹿正直に正面から殴りかかるから勝てないんだよ。そこは睡眠薬とか盛ってからさ、お前が得意とする卑怯な手段で殺らないと」

 

「天真くぅん!?」

 

 学生同士の喧嘩に睡眠薬を持ち出すのはリアリストが過ぎる、という言葉をマスターは飲み込んだ。ガヴリールの目の色が冗談には見えなかったからだ。マスターは底の知れない恐怖を覚えた。

 

「ま、それは置いといて。マスター」

 

「な、なんだい天真くん?」

 

「今日の分のお給料ちょーだい!」

 

 目を輝かせて両手を差し出すガヴリールの姿は親戚にお年玉をねだる小学生のようだ。その目は見事に金欲一色に染まっている。

 

「あ、ああ、勿論。はい、どうぞ」

 

「っしゃぁ! これで課金が捗る!」

 

 封筒を受け取って、飛び跳ねるようなガッツポーズを決める駄天使である。

 

「はい、吉井くんも」

 

「いやいやいや! 服も弁償しなくちゃいけませんし、受け取れませんよ……!」

 

「いいんだ。君は本当に頑張ってくれたからね」

 

「そうだぞ明久! 貰えるものは貰っておけ! そして私に恵んで!」

 

「……わかりました、ありがとうございます。あ、ガヴリールには恵まないからね?」

 

「何故だ! 私の信徒なら、天使たる私に献上すべきだろ!?」

 

「信徒になった覚えはないよっ!」

 

 ギャアギャアと言い合いを続ける二人。そんな彼らをマスターは少し離れて見守っている。

 

「早速買いに行くぞ明久! 私、ちょうど欲しいゲームがあったんだ!」

 

「えっ、僕このお金は食料に充てようと思ってたんだけど!?」

 

「バカ! 食事なんて一瞬で終わっちゃうだろ! 何百時間も楽しめるゲームの方がずっと有意義だ!」

 

「うぅ、また僕の水道水と調味料だけの生活が始まってしまうのか……」

 

 口調では落胆しつつも、その表情は楽しげな明久である。給料を受け取って帰ろうとする二人に、マスターは声を掛けた。

 

「吉井くん。今度はお客さんとして訪れるといい。狭い店だけど、自慢の珈琲をご馳走するよ」

 

 その言葉に、明久はパッと笑う。

 

「はいっ、楽しみにしています!」

 

「おー。奢りとかマスター太っ腹っすね」

 

「奢りとは言っていないよ!? いや、奢るけどね!?」

 

 そんなやり取りを最後に、二人は帰っていった。店の外からは、彼らの話し声が微かに聞こえていたが、やがてそれも聞こえなくなる。

 

「……随分、静かになってしまったねぇ」

 

 先程までの喧騒が嘘のように、店内には静寂のみが広がっている。

 

「天真くんも、あんな風に笑うんだねぇ……」

 

 しみじみと呟く。

 マスターは知らない。二人がどういう過去を歩んできたかも、どんな事情を抱えているかも。

 それでも。

 

「……いやはや、青春だねぇ」

 

 自分で淹れた自慢の珈琲を、誰も居ない店内で飲む。

 今日の珈琲は、なんだか少し甘い気がした。



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番外編 天国と地獄と王様ゲーム(前編)

~特別コラム 鉄拳人生相談~

S羽=Rフィエル=Aインズワースさんのご相談
 鉄拳先生はFクラスの皆さんにとても慕われていますよね。自由奔放で傍若無人な彼らの手綱をどうやって握っているのかを知りたいです。
鉄拳先生のアドバイス
 すまない。教師として恥ずべきことかもしれないが、その質問には答えられない。何故なら、私は奴らの手綱を全く操縦できていないからだ。君がそう評価してくれるのは嬉しいが、正直に言えば、どうすればいいのかは私が教えてほしいくらいだ。

T真=Gヴリール=Wワイトさんのご相談
 妖怪ババア長のせいでテストに選択問題が出なくて困っています。私は至って真剣に鉛筆転がしをしていただけだというのに。ストライカーシグマⅤたちが悲しんでいます。鉄拳先生からあのババアに掛け合ってなんとかしてもらえませんか? 
鉄拳先生のアドバイス
 真面目な勉学の相談かと一瞬関心しかけたが、勘違いだった。これまでの教師人生、生徒には真摯に向き合ってきたつもりだが、思わず全てを投げ出して逃げたく──いや、すまない。忘れてくれ。

K桃沢=Sタニキア=Mクドウェルさんのご相談
 この私に悩みなど存在しないわ。何故なら、私はいずれこの世界の頂点に立つ大悪魔だからよ。王たるもの、些末な過去を振り返ったりなどしない。むしろ、自分の悩みを知りたいくらいね。この私の魂の深淵を、アンタに見通すことが出来るかしら? 
鉄拳先生のアドバイス
 ※西村先生が相談役を辞任された為、このコーナーは今回をもって終了とさせて頂きます。ご愛読ありがとうございました。


「ヴィーネ! いや、ヴィーネ様! 宿題見せて!」

 

「ガヴ……」

 

「明日までに提出なんだ! ウチの担任鉄人だし、怒らせたらマジでヤバいんだよ! だからお願い!」

 

「あのねガヴ。いつも言ってるけど、宿題は普段の授業の復習も兼ねているのよ? 自分でやらないと意味ないの」

 

「そんな御託はいいんだよ。私は見せてって言ってんの」

 

「アンタね……。悪いけど、今日は無理よ」

 

「おお、いつも悪いねぇヴィーネさんや…………え? 今なんて?」

 

「だから、今日は無理なんだって」

 

「な、なんでだよ!? 私のことを見捨てるのか!? 薄情者っ!」

 

「自業自得でしょうが。今日はAクラスの皆と学校に集まって、一緒に勉強会するの。ガヴの宿題の面倒も見てあげたいけど、先約なんだから仕方ないでしょ」

 

「えっ、せっかくの休日にも学校とかドMなの?」

 

「じゃ、そういうことだから」

 

「うわあああん! 困ってる友を見て見ぬ振りするなんて! この悪魔ぁ!」

 

「ちょ、足にしがみつかないでよ!」

 

「お願いお願いお願い! これからはもうちょっと良い子にするからぁ! 部屋の片付けも気が向いたらするからぁ! だから一生のお願い! 宿題見せてぇ!」

 

「ああもう! いい加減にしなさい! いくら駄々をこねたってダメなものはダメなの! たまには自分ひとりの力でやりなさい! いいわね!?」

 

「待ってよ! ヴィーネ! ヴィーネぇぇぇ!」

 

   ○

 

「ということがあったんだよ。土下座までした私が可哀想だと思わないか?」

 

「どっちかっていうと、可哀想なのは月乃瀬さんの方だと思う」

 

 そんな他愛のない雑談をしながら、無心でレベリングに興じる僕たちである。

 ガヴリールは月乃瀬さんに見捨てられたのが気に入らないのか、さっきから苛立たしげだ。差し入れに持ってきてくれたポテトチップスにほとんど手を付けていないのも、なんとも彼女らしくない。僕が食べちゃっていいのかな? このカロリーがあれば3日は生存できるから是が非でも摂取しておきたい。

 

「おい明久! ヒールしろヒール!」

 

「えっ、さっきリジェネかけたよね?」

 

「こんなカスみたいな回復量じゃ足りないんだよ! あっ、ほら死んじゃったじゃん! もー!」

 

 悪態を吐きながらコントローラーを投げ捨てるガヴリール。いつもの彼女なら、ありえない被ダメージ量だ。どうやら相当気が滅入っているらしい。

 

「はあ、お昼ごはん食うか。カップ麺買ってきたから、明久にも一個恵んでやる」

 

「本当!? ありがとうガヴリール! マジ天使!」

 

「そうだろうそうだろう。もっと私を敬え。そして崇め奉れ」

 

 ガヴリールは買い物袋をガサガサと漁る。

 

「あれ、割り箸もらうの忘れた。すまん明久、割り箸の備蓄ってあるか?」

 

「そこの戸棚の中に幾つかあったと思うよ」

 

「悪いな。お前の非常食を消費することになっちゃって」

 

「気にしないで。このカップ麺だけで僕は一週間を生き抜く覚悟だから」

 

 彼女の中で僕が割り箸を貪り食う謎の生命体扱いされていることが若干の気がかりではあるが、差し入れに免じて聞かなかったことにしてあげよう。

 

「ふむ、割り箸か……」

 

 彼女は割り箸を両手に持って、それをまじまじと眺めている。

 

「どしたのガヴリール?」

 

「……ふふふ、いいことを思いついたぞ。宿題を見せたくないというのなら、見せざるを得ない状況を作り出してしまえばいいんだ」

 

「? どういうこと?」

 

「制服に着替えろ明久! 目的地は文月学園だ!」

 

「うぇ!? ま、待って! せめてこのカップ麺だけでも食べさせて!」

 

「ヴィーネたちが昼飯を食うタイミングがわからない以上、善は急げだ! 行くぞ、神足通!」

 

「僕の貴重なカロリーがぁぁぁ!」

 

 この手がカップ麺に届く前に、僕らの身体は眩い光に包まれた。

 

   ○

 

「霧島さん、この方程式の解き方って分かる?」

 

「……この問題は一見複雑に見えるけど、整理すれば解きやすくなる。こことここが共通項」

 

「あっ、本当だ。じゃあ、ここはこうなるから……」

 

「……うん。月乃瀬はやっぱり理解が早い。教え甲斐がある」

 

「そ、そう? 霧島さんの教え方が上手いのよ。私なんてまだまだだよ」

 

「ちぇー。保健体育だったらボクが教えてあげるんだけどなー」

 

「ありがとう工藤さん。分からないところがあったら、お願いするわね」

 

「月乃瀬さんとだったら実技でもいいよ♪」

 

「そ、それってどういう……!?」

 

「こら愛子。あんまり月乃瀬さんをからかわないの」

 

「いてっ。ごめんて優子。半分冗談だから許してよ」

 

「えっ、もう半分は?」

 

「皆さん、そろそろランチにしませんか? お昼を回って結構経ちますし」

 

「あ、そうだねー。ボクお腹空いちゃった」

 

「……効率よく学ぶためにも、適度な休息は大切」

 

「ねえ工藤さん! もう半分は!?」

 

 Aクラスの女の子たちが楽しそうに勉強会をしている様子をドアの陰から眺める。流石は文月学園でもトップクラスの人達だ。休日も学校に集まって勉強だなんて、僕らでは考えもつかない行動パターンである。

 

「でもどうするのガヴリール? この状況から月乃瀬さんに宿題を見せてもらうって、かなり無理があると思うんだけど」

 

 文月学園は特殊なカリキュラムを導入している進学校だ。だからこそクラス間での待遇に差を作り、勉学への意欲を高めようとしている。だが、授業の内容自体は教育委員会の提示する規定に則っており、クラス間でも大きな差はない。差があるとすれば、生徒の学力差が大きい為に授業の進行スピードが圧倒的に異なるくらいだ。つまり、僕らFクラスが与えられた宿題を、Aクラスの人達はかなり前の時期に既に終えていることになる。月乃瀬さんが今自分の勉強に集中していることは明らかだ。そんな中、わざわざ過去の宿題の教えを乞うというのは、正直かなり迷惑な気がする。

 

「ラフィにアイコンタクトを送っておいた。それに、ヴィーネの奴は大のイベント好きだ。必ず乗ってくる」

 

 見ると、白羽さんが小さく手を振っている。

 

「明久、お前も協力してくれ。できれば人を集めてほしい。こういうのは人数が多いほうがいいからな」

 

「それはいいけど、そもそも何をするのさ?」

 

「勝者には絶対遵守の権利が与えられる下界の伝統遊戯──王様ゲームだ」

 

   ○

 

「皆さん、お箸を持ってきたのでお使い下さい」

 

「ありがとうね、ラフィ」

 

 白羽さんにお礼を言いながら、彼女が両手で握った割り箸を取るAクラスの皆。それを見守る白羽さんはとっても良い笑顔だ。

 全員の手に箸が行き渡る。

 ──その割り箸に、番号が書かれていることなど気付きもせずに。

 

「王様ゲェェェ──ム!!」

 

「「「いえぇぇぇい!!」」」

 

 瞬間、Aクラスの教室に雪崩込む僕たち。

 

「さあ、Fクラスの皆さんも引いて下さい♪」

 

「せーのっ!」

 

「「「王様だーれだ!」」」

 

「ちょっと待ったー!」

 

 そう抗議の声を上げるのは秀吉と瓜二つの美貌と黒いヘアピンが印象的なAクラスの優等生、木下優子さん。

 

「どうしたのじゃ姉上。そんな大きな声を上げて」

 

「どうしたのじゃないわよ! いきなりなんなの!? っていうか秀吉、アンタ演劇部はどうしたのよ!?」

 

「今日は部活が午前中で終わりなのじゃ。時間を持て余していた所、明久たちを見つけての。こうして同伴にあずかることにしたのじゃ」

 

「吉井君、何を企んでるのかなぁ……!?」

 

 木下さんの鋭い視線が僕に向けられる。思わず目を逸らしそうになるが、僕は本当に何も企んでいない。企みがあるとすれば──

 

「おいおい木下。変な言いがかりはよしてもらおうか。明久のミジンコに等しい脳味噌で企み事なんてできるはずないだろう?」

 

「…………明久は何も考えちゃいない。考える頭もない」

 

 こいつらの方だろう。というか、何で味方であるはずの雄二やムッツリーニからここまでボロクソに言われなくちゃならないんだ。僕なにか嫌われるようなことしたかな? 

 

「ダメですよ木下さん♪」

 

「そーだよ優子。クジを引いたなら参加しなくちゃね」

 

「愛子に白羽さんまで……!」

 

 思わぬ助け舟がやってくる。最初からガヴリールの企みに一枚噛んでいた白羽さんは兎も角、工藤さんまで乗ってきてくれるとは。彼女はノリの良い性格なのかな。

 

「つ、月乃瀬さん! あなたなら分かってくれるわよね? こんな遊びに乗る必要はないわ!」

 

「……王様ゲーム」

 

「月乃瀬さん……?」

 

「面白そうね! ぜひ私も参加したいわ!」

 

「月乃瀬さーん!?」

 

 そして、月乃瀬さんも乗ってきてくれた。まあ、ガヴリールの目的は最初から月乃瀬さん一人なのだから、彼女が居なくちゃ始まらないのだけれど。イベント好きという月乃瀬さんの性格を上手く煽った、ガヴリールの作戦勝ちだ。

 皆からの視線を受けて、木下さんは多勢に無勢といった様子だったが、やがて痺れを切らしたように叫んだ。

 

「いいわよ! 王様ゲーム、やってやろうじゃないの! アタシが王になって、あなたたちFクラスの根性を叩き直してあげるんだから!」

 

「うむ、それでこそ姉上じゃ」

 

 木下さんも合意してくれたので、無事王様ゲーム開催の運びとなった。

 

   ○

 

「それじゃ改めて──せーの!」

 

「「「王様だーれだ!」」」

 

 一斉に割り箸を手に取る僕たち。割り箸に刻まれた文字を見て立ち上がったのは、我らがFクラス代表、坂本雄二だった。

 

「それじゃ命令だ。5番の奴が、鉄人に告ってこい!」

 

「貴様ァァァ!」

 

 5番→僕である。初回から最悪の命令に当たってしまった。

 

「なんて命令をするんだ! そんなの完全に誤解されるじゃないか!」

 

「大丈夫だ、明久」

 

 ぽん、と雄二は僕の肩に優しく手を置いて言った。

 

「もうお前には、同性愛者説が流れている」

 

「最悪じゃああっ!」

 

「えっ、吉井君ってそうなの……!?」

 

 何一つ大丈夫じゃない! 僕は至ってノーマルなのに! というか、なんで木下さんは頬を赤らめてるの!? 

 ど、どうにかして誤解を解かないと! まず最初にやるべきことは──

 

「ちなみに、その噂を流したのは俺だ」

 

 こいつを始末することだぁぁぁ! 

 

「おいおい。王様の命令に逆らうつもりか? その出来の悪い頭でもルールくらい知っているだろう? 王様の命令は──」

 

「絶対……ッ!」

 

 ギリィと血が滲むほど奥歯を強く噛み殺しながら、僕は教室を飛び出した。

 

   ○

 

 目的の人物はすぐに見つかった。刈り上げられた髪に浅黒い肌、そして筋骨隆々の体躯。そのシルエットと圧倒的なオーラだけで、鉄人こと西村先生だと分かった。

 

「胡桃沢、次は来客用のテーブルを移動させてくれ」

 

「私に命令しないで頂戴! おのれ鉄人……! この屈辱、いつか必ず返してやるわ……!」

 

「西村先生と呼べ、馬鹿者」

 

 あれ、胡桃沢さんも一緒みたいだ。どうやら、観察処分者特有の雑用をやらされてるみたいだけど──あ、そういえばこの前、鉄人がそんなこと言ってたっけ。

 

「むっ、吉井! 遅いぞ!」

 

 げっ、見つかった……。

 観察処分者の雑用は休日も呼び出されることがあるのだ。それが今日だったことを、僕はすっかり失念していた。

 ど、どうしよう。雑用を理由にして、王様ゲームから抜け出すか? いやでも、そんなことをすれば、後で何を言われるか分かったもんじゃない! ここは命令をこなしつつ、雑用からは逃げるのが正解だ! 

 

「いやぁ、どーもどーも」

 

「全く貴様という奴は……。だが丁度いい。貴様にも働いてもらうぞ。その後には遅れてきた罰として別途で個別授業を設けてやろう」

 

 これほど余計なお世話という言葉を体現した台詞を、僕は他に聞いたことがない。鉄人とマンツーマンだなんて、死んでも御免だ。

 僕は鉄人の横を通り過ぎ、胡桃沢さんの元へ歩み寄った。

 

「探したよ胡桃沢さん。一緒にお昼ごはんを食べる約束忘れちゃった?」

 

「へ? 何の話?」

 

 話を合わせてとアイコンタクトを送ると、胡桃沢さんは合点がいったように頷いた。

 

「あー! そういえばそうだったわね! そんな約束もしてたかしら!」

 

「鉄人、胡桃沢さんは働き詰めで疲れているんですから、お昼休憩くらいは構わないですよね?」

 

「むっ、確かにそうだな。ならば吉井、お前が代わりにこの仕事を──」

 

「ということで、逃げるよ胡桃沢さん!」

 

「分かったわ!」

 

 一目散に逃走を図る僕たちである。ついでに近くにあったサッカーゴール用と思われるネットを鉄人に投げておく。

 

「待たんか貴様! 遅れてきた上にサボるつもりか!」

 

「すみません! こっちにも事情があるんです! あ、それと鉄人!」

 

「何だ! 今更謝ったところで許さんぞ!」

 

 僕も今更謝って許されるなんて思っちゃいない。ただ僕は、王様の命令を遂行するだけだ。

 

「──愛してるぜ! 鉄人!」

 

 そんな台詞を残しながら、僕たちは窓から飛び出した。

 

「よ、吉井君……!? まさか君の本命は、西村先生だっていうのかい……!? ど、どうして……僕じゃダメなんだぁぁぁ!!」

 

 あれ? 今の、誰かに聞かれちゃった? い、いや、気のせいだよね、うん。なんだか急に寒気が止まらないんだけれど、休日だし他の生徒はいないはずだよね……?

 

「流石は吉井ね……! この私の想像を超えてくるなんて!」

 

「うん。僕も自分自身の言動に驚いてる」

 

 何故か胡桃沢さんには感心されてしまった。

 まさか一世一代の告白をする初めての相手が、可愛い女の子じゃなくて、不倶戴天の敵である筋肉の塊だなんて。小学生の頃の僕が知ったら泣くかもしれない。

 

「吉井ィィィ! 教師を愚弄しておいて、無事に帰れると思うなよ!」

 

「げぇっ!? もう追いついてきたぁ!?」

 

「こっちよ吉井! 跳びなさい!」

 

 パルクールの要領で鉄人から逃げる僕たち。

 王様ゲーム第一の命令は、こんな形で無事(?)遂行されたのだった。



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番外編 天国と地獄と王様ゲーム(中編)

バカテスト
次の問いに答えなさい。
 イングランドの劇作家ウィリアム・シェイクスピアの戯曲の中で、四大悲劇と称されているのは『オセロ』、『マクベス』と何でしょう。

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『リア王、ハムレット』
教師のコメント
 正解です。これらはシェイクスピアが17世紀初頭に執筆した作品群であることとその作風から、四大悲劇とされています。

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『ロミオとジュリエット』
教師のコメント
 残念ながら不正解です。確かに『ロミオとジュリエット』はシェイクスピアの作品ですが、発表時期が異なるため四大悲劇には含まれていません。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『スパ王』
教師のコメント
 学習意欲が食欲に負けています。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
『ハムエッグ』
教師のコメント
 食べ物から離れてください。


「クククッ、王様ゲームですって? まさに、この私の為に存在するような悪魔的遊戯じゃない!」

 

「あらあら、サターニャさんではないですか♪」

 

「うわっ、うるさいのが来たよ……」

 

 胡桃沢さんと一緒にAクラスの教室に戻ると、白羽さんは彼女を大歓迎する。対して、システムデスクに肘を立てているガヴリールは露骨に面倒臭そうな顔をした。

 

「王の命令は絶対……つまりガヴリール! アンタにどんな恥ずかしい命令だってやらせることが可能! 恐怖に震えながら、今までの蛮行を悔やむといいわ!」

 

「…………ッ!?」

 

 ガチャガチャとカメラの準備を始めるのは我らがムッツリーニである。僕でなければ見逃してしまうレベルの反応速度、流石だ。

 高らかに宣言した胡桃沢さんに、ガヴリールは割り箸を見せつけるようにしながら言った。

 

「いや、番号あるからな? ちゃんとルール理解してんのお前?」

 

「ふっ。その程度の確率、私の悪魔的幸運があれば、赤子の手を捻るよりも容易く突破できるわ」

 

「そうか。じゃあこっちがどんな命令下しても文句ないってことだよなぁ?」

 

「無力な赤子を痛めつけるような行為は駄目よね! やっぱり常識の範疇で命令させてもらうわ!」

 

 そんなガヴリールと胡桃沢さんの力関係が垣間見えるやり取りの後、僕らは着席し、再びクジを手に取った。

 

「それじゃ二回戦、行くぞぉー!!」

 

「「「いえぇぇぇい!!」」」

 

「せーのっ!」

 

「「「王様だーれだ!」」」

 

 僕の番号は──ちぃ! 王様ではないか! 

 

「あ、私ですね」

 

 王様のクジを引いたのは白羽さんだ。彼女はちょっと困った性格をした天使ではあるが、雄二みたいな鬼畜な命令はしてこないだろう。そういう意味ではとりあえず一安心だ。

 

「それでは、3番と7番の方が、最近あった恥ずかしい話を話してください♪」

 

 なるほど、王様ゲームでは定番とも言える質問だ。決して相手を貶めることなく、あくまで笑い話としてその場を盛り上げることができる。それにしても、恥ずかしい話か。僕のような清廉潔白な人間だとパッと思いつかない。まあ、今回は3番でも7番でもないのでその心配は無用なんだけれど。

 

「あ、3番は私ね」

 

「7番はワシじゃ」

 

 今回外れクジに当たってしまったのは月乃瀬さんと秀吉だ。二人とも真面目だし、どんな恥ずかしい話をしてくれるのか逆に楽しみだ。

 

「じゃあ私から話すわね。えっと、この前のお休みのことなんだけど、いつも通り近所の公園の掃除をしていたの」

 

 月乃瀬さんは当たり前のことのように話しているが、掃除のボランティアに勤しむような聖人君子が、なぜ悪魔として生まれてきてしまったのだろう? 

 

「でね、その時によく一緒に遊ぶ子供達がいるんだけど……」

 

 あれ? なんだかどこかで聞いた覚えのある話だ。

 

「その中の一人に、その、こ、告白されちゃったのよね……」

 

「「「……」」」

 

 一斉に目を逸らす僕らFクラスメンバー。かつての試召戦争で月乃瀬さんに勝つために行った非道な作戦を思い出したからだ。今考えたら本当に申し訳ないことをしたと思うけれど、どうやら月乃瀬さんはまたもや子供のハートを射止めてしまったらしい。

 

「き、気持ちは嬉しいんだけどね? でもほら、やっぱりその……ね? 分かってくれるでしょ? だから断らざるを得ないんだけれど──その時の子供たちの悲しそうな顔が忘れられないの!」

 

 恥ずかしい出来事どころか、現在進行系で深刻な悩みだった。モテる人にはモテる人なりの苦労があるとは聞くが、彼女の場合は想像以上だ。半分泣きそうな顔で懺悔する月乃瀬さんを見て、誰もが複雑な表情で口を噤んでいる。

 

「あんな言葉しかかけてあげられなかった自分が恥ずかしいわ……。嫌いになったわけじゃないんだよ、ごめんね、ごめんねぇ……」

 

「つ、月乃瀬さん、元気だして? ほら、チョコレート食べる?」

 

「たべる……」

 

「……胃薬も飲むといい」

 

「木下さんも霧島さんも、ありがとね……」

 

 お、重い。重すぎる……! 

 どうしようこの空気。あのメンタルの強い秀吉ですら、次が自分の番だということが居た堪れない心地みたいだ。

 すると、ガヴリールがすっと立ち上がって、月乃瀬さんの頭をぽんと優しく叩いた。

 

「ヴィーネ、あんまり気にすんなよ。人って、そういう過去を乗り越えて成長する生き物だからさ」

 

「そうかなぁ……? でも私、やっぱり悪いことを……」

 

「悪いことなら本分じゃん。ヴィーネはヴィーネの為すべきことをしただけだよ」

 

「……うん、ありがとう。ガヴってやっぱり優しいね」

 

「い、いや、私はただこの空気に耐えられなかっただけであって、そういうつもりじゃなくてだな……」

 

「ふふ、そうだね。そういうことにしといてあげる」

 

 何か言いたげに口を尖らせるガヴリールだが、月乃瀬さんの笑顔に何も言えなくなってしまったみたいだ。

 

「じゃ、じゃあ木下、次はお前の番な!」

 

 女の子たちの友情にほっこりしていると、話を逸らすようにガヴリールは秀吉を指名した。

 

「うむ、了解じゃ。月乃瀬の話と被ってしまうのじゃが、実はワシも先日クラスメイトに告白されての」

 

「なんですって!?」

 

「なんだとぉぉ!?」

 

 僕と木下さんの声が重なる。

 秀吉に告白だって!? しかもクラスメイトってことは、Fクラスの誰かってことじゃないか! 誰だ!? 異端審問会の血の盟約に背いたのは……! 

 

「秀吉! 僕はそんなの許した覚えはないよ! 相手はどこの馬の骨なんだい!?」

 

「…………異端者には、死あるのみ……!」

 

「何故お主らの許可が必要なのじゃ。それに、ちゃんと断ったから安心せい」

 

「当たり前だよ! 秀吉と付き合うなんて大罪、天が許しても僕が許さない……!」

 

「…………それで、相手は誰?」

 

「お主らも知っておるじゃろ。うちのクラスの横溝じゃ」

 

 横溝ゥァア゛ーッ! 今度会ったら必ず粛清してやる! 

 

「ひ~で~よ~し~? ちょーっと話があるんだけど?」

 

 僕らが横溝くん抹殺の意思を固めていると、秀吉のお姉さんである木下さんがニッコリと破顔して彼の元へと歩んでいく。

 

「な、なんじゃ姉上? どうしてそんなに良い笑顔なのじゃ?」

 

 その時、僕は何故か笑顔の起源は威嚇であるという話を思い出していた。

 

「ごめんね皆。アタシと秀吉はちょっと急用を思い出したから先に帰るね?」

 

「何故じゃ? これからが面白くなるというのに。それに、ワシらに予定など──」

 

「い・い・か・ら、来なさい!」

 

 秀吉は木下さんに連行され、そのまま廊下に連れ出されてしまう。

 

「──ねえ秀吉。アタシいつも言ってるよね? アタシと同じ容姿で、男の子とベタベタするなって」

 

「それは誤解じゃ。ワシは男友達として誠実に接しているだけであって」

 

「アンタにとってはそうでも、他人から見ればそうじゃないの! いい加減学びなさい……!」

 

「そんなこと言われても、ワシは男で──痛たたたたっ! そ、それよりも姉上! 横溝の話なのじゃが……!」

 

「はあ? その横溝君? は関係ないでしょ?」

 

「いや、ワシが告白を断った後、今度は姉上に告白してみると言っておったから、できれば穏便に済ませてやってほしいと──あ、姉上! 関節はそっちには曲がらないのじゃ!」

 

「バカ! すっごくバカ! 明らかに脈がないんだから、アンタから先に忠告しときなさいよね! というかそいつ、不誠実にも程があるでしょ!」

 

「しかし、他人の恋路を邪魔するなどワシには……姉上! それ以上は本当に取り返しがつかな──!」

 

 扉の外から聞こえる人体が破壊される音に、僕たちはただ震えるしかなかった。

 

   ○

 

「あれ? 皆さん、何をやってるんですか?」

 

 教室を出ていった木下姉弟と入れ替わるようにやってきたのは、我らがFクラスのクラスメイト、姫路さんと美波だった。どうやらこの二人も、自習のために学校に来ていたらしい。

 

「今度の召喚大会で勝ち抜けるようにね。アキたちも自習──なわけないわよね。今日は何を企んでるの?」

 

 という美波の指摘を受けて目を逸らす一部の人達。欲望がダダ漏れだった。

 

「王様ゲームをしてるんだけど、姫路さんと美波も一緒にどう? 結構楽しいよ」

 

 まあ、僕は鉄人に告白という黒歴史を背負ってしまったし、月乃瀬さんは精神に深刻なダメージを負ってしまったし、秀吉に至っては生死不明という状態だけれど。

 二人には悪いけれど、できるかぎり罰ゲームに当たらぬよう参加者が増えるに越したことはない。

 

「へえ、面白そうじゃない」

 

「王様ゲームですか……あ、あの! それって、え、えっちなのもアリなんですか!?」

 

 普通、女の子はいやらしい罰ゲームを嫌がるものだと思うんだけど……。

 何故か興奮気味の姫路さんに苦笑していると、ムッツリーニが尋常じゃないほどの鼻血を吹き出していた。

 

「む、ムッツリーニッ!? 大丈夫!?」

 

「…………すまない、先に逝く……!」

 

 まさか妄想だけで……!? 

 秀吉に続いて、二人目の犠牲者が生まれてしまった。

 

「大丈夫だ明久。ムッツリーニはちゃんと輸血パックを携帯している」

 

「あ、大量出血は前提なんだ」

 

 もはや流石としか言えない。姫路さんと美波が着席したところで、僕は再び掛け声を上げた。

 

「ではでは三回戦、行くぞー!」

 

「「「いえぇぇぇい!!」」」

 

「せーのっ!」

 

「「「王様だーれだ!」」」

 

 僕の番号は4番。くっ、また外れか……! 

 

「あーっはっはっはっは!! やはりこの圧倒的なカリスマ性が、運さえも味方にしてしまうようね! 王はこの私よ!」

 

 ビシッと王冠の描かれたクジを見せつけるのは自称大悪魔の胡桃沢さん。大仰な台詞を口にしてはいるが、その表情は隠しきれないほど満面の笑みで、すごく嬉しそうである。

 

「いいからとっとと命令しろよ。どーせ大したことない命令なんでしょ?」

 

「うるさいわねガヴリール! それじゃ命令よ! 4番の奴が購買でメロンパンを買ってきて、この私に献上しなさい!」

 

「要はパシリかよ。ほんとに大したことないな」

 

「だ、黙りなさい! さあガヴリール、この私に片膝をついて、メロンパンを寄越すのよ!」

 

「いや、私4番じゃねーし」

 

 ピラっとガヴリールが見せたクジは2番。僕が4番なのだから当然だ。

 思わずその場に崩れ落ちる僕である。

 

「くっ、僕の今の全財産は200円……! 購買のメロンパン一個120円を購入したらお釣りは80円……! つまり、僕が来週まで生き残るためには一日約11円で生活しなくちゃならないってことか……!」

 

「120円の出費でここまで絶望している人を見るのは初めてだよ」

 

 ケラケラと工藤さんは笑っているが、僕にとっては本当に笑い事じゃ済まない。それを知っているクラスメイトたちは僕に同情的な視線を送ってくれる。

 

「あーあ、サターニャ最低だな」

 

「えっ、これって私が悪いの? し、しょーがないわね! 吉井、お金は出してあげるから!」

 

「気にしないで胡桃沢さん……! 王様の命令は絶対なんだ……ッ!」

 

「出血するほど下唇を噛まれたら流石に気にするわよ!?」

 

 胡桃沢さんが差し出した小銭は受け取らず、僕は男のプライドを守ること選んだ。

 

   ○

 

「ふう、なんとか最後の一個を買えてよかった」

 

 無事メロンパンを入手し、校舎へと戻る。

 

「ワンワン!」

 

「……なんでこんなところに犬が?」

 

 その途中で、一匹の野良犬と遭遇した。

 

「ダメだよー、勝手に入ってきちゃったら」

 

 頭を撫でてやると、その犬は気持ちよさそうに目を細める。ワンちゃんってやっぱり可愛いなあ……。

 どうしよう。本当なら鉄人とかに引き渡すべきなのだろうが、それはあまりにも可哀想だ。ここは僕がこっそりと外に逃がしてあげよう。

 

「よいしょっと」

 

 犬を抱えあげる。するとその犬は、僕のポケットの方をじーっと凝視していた。

 

「え、もしかしてメロンパン欲しいの?」

 

「ワンっ!」

 

 元気に吠えてくれた。でもこれは胡桃沢さんに渡すための物だし、そもそも犬にメロンパンって与えても大丈夫なのだろうか? 

 

「くぅーん……」

 

 うっ。そんなつぶらな瞳で見られたら、なんだか僕が悪いことをしている気分になってしまう。

 

「……半分だけだよ?」

 

「ワンっ!」

 

 僕はメロンパンを半分に割って、片方を犬に差し出した。するとその犬は嬉しそうにパンを咥えている。どうしよう、胡桃沢さん怒るかなあ……。

 

「もう入ってきちゃダメだよ。この学校には、怖い人や変態がいっぱいいるんだから」

 

 校門の外で犬を下ろす。すると、犬は近くの茂みをゴソゴソと漁った後、何かを咥えてこっちに戻ってきた。そしてメロンパンのお返しとでも言わんばかりに、それを僕に差し出してきた。

 

「え、僕にくれるの?」

 

「ワンワンっ!」

 

 最近の犬は礼儀正しいんだなぁと考えながら返礼品を受け取る。

 それは魅惑のヌードと遥かなる桃源郷が載っている男子の聖典──つまりはエロ本だった。

 

「あ、ありがとう! 君はなんて心優しい犬なんだ!」

 

 エロ本を受け取って小躍りする僕。しかもその表紙には、巨乳お姉さん特集という文字がデカデカと刻まれていた。素晴らしい……! これはなんとしても守り抜かないと……! 

 犬と拳を軽く打ち合い、僕たちはそこで別れた。だが確かにこの時、僕と彼の間には、確かな絆が芽生えていた。



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番外編 天国と地獄と王様ゲーム(後編)

バカテスト
以下の文章の(  )に入る正しい単語を答えなさい。
『分子で構成された固体や液体の状態にある物質において、分子を集結させている力のことを(  )力という』

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『(ファンデルワールス)力』
教師のコメント
 正解です。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
『(    筋    )力』
教師のコメント
 力技すぎます。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『( エインズワース )力』
教師のコメント
 答えが分からなかったからといって、語感が似ている友達の名前を書かないでください。

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『(ファンデルワールス)力
 ※ガヴちゃんはエインズワース力と書いてそうです』
教師のコメント
 どちらも正解です。


「胡桃沢さんごめん。気がついたらメロンパンが半分になってたよ」

 

「なんで!? アンタまさか摘み食いしたんじゃないでしょうね?」

 

 疑うような視線を僕に向ける胡桃沢さん。僕ってそんなに普段から食い意地張ってるように見えるかな。

 

「ふっ、まあいいわ。部下の失態を寛大な心で許すのも大悪魔の務めよね。褒めて遣わすわ」

 

 そう言って、彼女はメロンパンを受け取る。

 胡桃沢さんは意外と器が大きかった。将来的には本物の大悪魔になっているかもしれない。

 

「おい明久、お前制服の下になんか隠してないか?」

 

「続きまして四回戦、行くぞー!」

 

 雄二が余計な事に気付きやがったので、僕は大声を上げてそれを掻き消す。

 

「せーのっ!」

 

「「「王様だーれだ!」」」

 

「あ、ボクだねぇ」

 

 クジを取り、パッと明るい笑顔を浮かべたのはAクラスの工藤さんだった。

 

「ねえムッツリーニ君、どんな命令がいいカナ?」

 

「…………そんなものに興味はない」

 

 と言いつつ、ボタボタと鼻血を垂れ流すムッツリーニである。相変わらず凄まじい妄想力だ。

 

「アハッ、照れちゃって。じゃあこんなのはどうかな? 選ばれた番号の人は、ボクのスカートを捲ってもいいよ?」

 

「…………!(ブシャアアア)」

 

 せっかく輸血した血液をすべて吐き出す勢いで噴射するムッツリーニ。だが、それも致し方ないだろう。彼は誰よりもこよなくパンチラを愛する性の探求者。自らの手で女の子のスカートを合法的に捲れるだなんて、この上ない喜びだろうから。

 

「だ、ダメですよ愛子ちゃんっ! そ、そういうのは良くないと思います!」

 

 姫路さんが抗議の声を上げる。やっぱり真面目な彼女にとって、工藤さんの命令は許容し難いものだったらしい。

 

「ちょっとしたおふざけの延長だよ。まあ、おふざけで済まなくても、ボクは構わないケドね?」

 

「ふっ、望むところだよ工藤さん」

 

 思わず色々なものが昂ってしまう。

 

「だな。それに姫路、さっきエッチな命令が有りかどうか訊いていたのはお前だろう?」

 

「そ、それは……」

 

 雄二の鋭い指摘に言葉を詰まらせる姫路さん。流石は雄二だ、あの姫路さんを丸め込んでしまうなんて。

 でもいいのかな? その言葉、聞き方によっては工藤さんのスカートを捲りたいから姫路さんの抗議を妨害したようにも取れてしまう。そうなれば当然──

 

「……雄二、浮気は許さない」

 

「ぐぁぁぁぁっ!? 目が、目がぁぁっ!?」

 

 一瞬にして視界を奪われる雄二。どうやら霧島さんが神の如き早業で雄二に目潰しを食らわせたらしい。

 

「相変わらずFクラスの皆さんはお元気ですね。それで工藤さん、命令はどうします?」

 

「あはは、もう十分楽しませてもらったし、このへんにしとこっか。それじゃ命令だよ。6番が2番の、ほっぺにチューで♪」

 

 その命令に、この場にいる全員が己の番号を一斉に確認する。もし2番か6番ならば、それだけで当たりクジだ。何故なら女の子が相手の可能性が非常に高いからである。雄二やムッツリーニとキスする羽目になるという最悪の可能性を差し引いてでも、僕は当たりクジが欲しい……! 

 

「あ、6ば──」

 

「…………始末する」

 

 いつの間にか僕の背後に回ったムッツリーニが、首元にカッターを当てている。

 ちぃ、しくじった……! 迂闊に番号を読み上げたりしなければ……! だけど、僕は命に代えてでもこのクジを守ってみせるッ! 

 

「…………それを手放さなければ、明日の早朝、明久の女装写真を屋上からバラ撒く」

 

「心の底からごめんなさい」

 

 人には時として、何よりも優先すべき大切な尊厳ってものがあると僕は思うんだ。

 

「ん? おいムッツリーニ、これ9番じゃねぇか?」

 

 雄二が僕のクジを拾って、番号を確認する。割り箸は細いほうが下で、太いほうが上だから──あ、本当だ、9番だ。どうやら興奮のあまり、見間違えちゃったらしい。

 

「ま、明久に数字が読めるわけないもんな」

 

「…………人騒がせ」

 

 そう言ってムッツリーニはカッターナイフをしまう。謝罪の一つでもして欲しいところだが、命が助かったので許してあげよう。

 

「あ、あの、アキっ! ウチは2番なんだけど……あ、アキが6番なのよね?」

 

 何故かモジモジした様子の美波が僕に問う。どうやら2番のクジを引いたのは美波みたいだ。

 

「いや、僕は9番だったよ。番号を間違えちゃったみたい」

 

「ウチ不束者で、こういうことに不慣れだから優しく──って、え? それじゃ、6番は誰?」

 

 美波の疑問を受けて周りの皆を確認するが、6番のクジを持っている人はいない。あれ? ちゃんと作ったはずなんだけどな。

 もしかしたら、僕の番号が本当に6番かもしれないという淡い希望を抱いて、クジを再確認しようとしていると。

 

「死になさいブタ野郎ッッ!」

 

 突然、僕の顔面にドロップキックがめり込んだ。

 

「……っ! 顔がッ……!? 目と鼻と口が一体になったかのような鈍い痛みが……ッ!?」

 

「お姉さま! 美春を差し置いてこんなブタ野郎と戯れるなんて酷いです! 美春は王様ゲームでなくとも、お姉さまの命令には何だって従うというのに!」

 

「み、美春!? なんでアンタが学校にいるのよ!?」

 

「当然です! 美春はお姉さまの為なら、火の中水の中、そしてスカートの中です!」

 

 現れたのはDクラス所属の清水さんだった。彼女は美波を敬愛する、ちょっと凶暴な女の子なのである。

 

「6番は美春です! さあお姉さま、美春と誓いのキスを! そして、その先のエデンまで共に辿り着きましょう!」

 

「くっ、ウチは帰らせてもらうわ!」

 

「ああっ! 待ってください、お姉さまぁー!」

 

 脱兎の如く教室を飛び出す美波と、それを追う清水さん。嵐の後のような静寂が、この場を支配する。

 

「なんだったんだろ、今の……」

 

「さあ?」

 

 月乃瀬さんとガヴリールが真っ当な疑問の声を上げる。

 もはやこの状況に何の違和感も覚えない僕にとって、彼女たちの反応はとても新鮮だった。

 

   ○

 

「気を取り直して五回戦、行くぞぉー!」

 

「「「いえぇぇぇい!!」」」

 

「せーのっ!」

 

「「「王様だーれだ!」」」

 

 一斉にクジを引いた瞬間。

 春の陽気に似つかわしくない、冷たい隙間風が僕らのそばを通り過ぎた。

 

「……王様は私」

 

「すまんが急用が!」

 

「逃がすかぁ!」

 

 脱獄犯坂本雄二を確保し、王である霧島さんに差し出す。

 

「明久てめぇぇ! 離しやがれ!」

 

「さあ霧島さん! ご命令を!」

 

「……うん」

 

「おい待てお前ら! まず番号を宣言しやがれ! でないと命令は無効だ!」

 

 雄二の奴、無駄な足掻きを……! 

 そんな雄二の諦めの悪さに対し、霧島さんは文句の一つもなく番号を口にした。

 

「……じゃあ、4番」

 

「……」

 

「……」

 

「さらばだっ!」

 

「ええい往生際の悪い! 頸動脈をこうだ!」

 

「くぺっ!?」

 

 雄二の首を90度傾け、その意識を刈り取る。

 そして物言わぬ亡骸と化した雄二を、霧島さんに献上した。

 

「それじゃ、後は二人でごゆっくり」

 

「……ありがとう。吉井は良い人」

 

 にっこりと微笑む霧島さんは、何故かその手に蝋燭や猿轡を持っていた。

 

   ○

 

「それじゃラスト! せーのっ!」

 

「「「王様だーれだ!」」」

 

「おっ、私だな」

 

 ついにガヴリールが王様のクジを引き当てた。最後の最後で引き当てるだなんて、やっぱりガヴリールの幸運は本物らしい。

 

(引いたぞ明久!)

 

 ガヴリールがアイコンタクトを送ってくる。後は月乃瀬さんの番号を把握するだけだが──実は、この王様ゲームに使用している割り箸には細工が施してある。先端の形状と左右の対称性で、番号が絞り込めるようになっているのだ。

 月乃瀬さんの割り箸の形状は先端が丸く、左右非対称。つまり1番か3番だ! 後は二択! ガヴリールの運があれば、容易く月乃瀬さんを当てることができるはずだ! 

 

「ではガヴちゃん、命令はどうしますか?」

 

「うむ。それじゃ私の命令は、王様に宿題を見せるだ!」

 

「何番の人がですか?」

 

「それは勿論──」

 

 ガヴリールが僕の方をちらっと一瞥する。それに対して僕は、右手で1、左手で3を作ってみせることで応えた。

 

「──4番だ!」

 

 自信満々に間違いの番号を宣言するガヴリール。

 

「って違うよ! これは4番じゃなくて、1番か3番ってこと!」

 

「はぁ!? 紛らわしいんだよこのバカ!」

 

 睨み合う僕たちに、周りの皆は呆れたような視線を向けている。

 

「あらあら、ガヴちゃんったら♪」

 

「やっぱり、そんなことだろうと思った」

 

 はあ、とため息を吐いて頭を抱える月乃瀬さん。もはや宿題を見せてもらうことは不可能に近そうだ。

 

「はぁ、明久のせいで作戦失敗だよ。どーしてくれんのさ」

 

「大人しく宿題をやるしかないね……」

 

 僕たちが揃って肩を落としていると、白羽さんがこんなことを言った。

 

「あ、待ってくださいお二人共。一応、先ほどの命令も実行しておいたほうがよろしいのでは?」

 

「「え?」」

 

 振り返ると、姫路さんがガタッと立ち上がっていた。

 

「嬉しいです! ガヴリールちゃんと一緒にお勉強できるだなんてっ!」

 

 とても晴れやかな顔の姫路さんの手には、4番のクジが握られている。

 

「良かったねガヴリール。姫路さんとなら、宿題なんてすぐだよ」

 

「ああ。予定は狂ったけど、結果おーら……い?」

 

 こっちへ小走りでやってきた姫路さんは、ガヴリールの手を取ると、それをぐいぐいと引っ張っていく。

 

「あ、あの、瑞希? 宿題を見せてくれるだけでいいんだぞ?」

 

「ガヴリールちゃんは前からやれば出来る子だと思っていたので、一緒にお勉強してみたかったんですっ。さあ私と一緒に、一年生の問題から復習しましょう!」

 

「ね、ねぇ、ちょっと!? 私にはこの後ネトゲのイベントがっ! あ、明久っ、助け──」

 

 姫路さんは近くのシステムデスクにガヴリールを座らせ、どこから取り出した教科書数冊をドサドサッと彼女の前に置いた。

 

「……雄二、抵抗しないで」

 

「待てッ! お前それを使って俺に何をする気だ!?」

 

「……そんなの、恥ずかしくて言えない」

 

「ヤバい……! こいつは絶対にヤバい……!」

 

「ねぇムッツリーニ君。君さえ良ければ、今度は二人で王様ゲームしない? 君が勝ったら、ボクに何でも命令してくれて構わないよ?」

 

「…………な、何でも……!? お、お前に興味など……ッ!(ボタボタボタ)」

 

「ところでサターニャさん、明日までに提出の宿題があるそうですが、ちゃんとやりましたか?」

 

「愚問ねラフィエル。この私が宿題をやると思う?」

 

「でしたら、私と一緒に解いてみませんか? きっとサターニャさんのお役に立てると思うんです」

 

「うぇ!? こ、今度は何を企んでるのよ!」

 

「何も企んでなんかないですよ~♪」

 

「嘘っ! その顔は絶対に良からぬこと考えてる時の顔でしょ!」

 

「さあガヴリールちゃん、まずは数学からですよっ」

 

「い、嫌だっ! 数学は嫌だぁ! 私に方程式を見せるなっ、点Pは勝手に動くなぁぁ!」

 

 ダメだ。みんな自分のことに手一杯で、誰にも収拾がつけられそうにない……! 

 取り残された僕と月乃瀬さんは顔を見合わせ、半ばヤケクソに叫んだ。

 

「「解散っ!!」」

 

   ○

 

「ガヴリール、大丈夫?」

 

「酷い目にあった……」

 

 その日の帰り道、ガヴリールは満身創痍といった様子で、今にも倒れてしまいそうだった。

 

「でも、姫路さんのおかげで宿題は終わったんでしょ?」

 

「まあな……。あー、久しぶりに勉強したせいで吐き気がする……」

 

 姫路さんの指導が厳しかったわけじゃないだろうから、単純にガヴリールが勉強嫌いなだけだろう。

 

「明久、連れて帰ってよ。私はもう歩くのもかったるい……」

 

「しょうがないなぁ」

 

 僕はガヴリールを背負うために、一度しゃがむような体勢になる。制服の中にエロ本を隠していたことをすっかり失念しながら。

 

「あっ」

 

 その瞬間、バサリと雑誌が捲れて地面に落下してしまう。

 

「……」

 

「……」

 

 偶然開かれたページには、とても際どい水着を着た巨乳のお姉さんが写っていた。

 

「明久、これは何かなぁ……?」

 

「が、ガヴリール! これは……! え、えっとその、違くて……!」

 

「ちゃんと説明して?」

 

「これは──そう、保健体育の教科書なんだ!」

 

「天に召されよぉッ!」

 

「僕のエロ本があああああ!?」

 

 言い分を全く聞き入れてくれず、ガヴリールは腕を振りかぶってエロ本を遠くに投げ捨ててしまった。それは空中でクルクルと弧を描き、近くの川に水没した。

 

「あぁ、もう絶対読めない……」

 

「バカ! 明久のバカ! 私は一人で帰るからな! お前はもう帰ってくんなっ!」

 

 そしてガヴリールは、項垂れる僕を置き去りにして帰ってしまった。

 うう、僕のエロ本……。

 すると、そんな僕の肩に、ポンと優しく手が置かれた。

 

「見つけたぞ、吉井」

 

 思わず悲鳴を上げそうになる。

 顔を上げるとそこには鉄人の姿があった。

 

「今から特別講義の時間だ! 今日は家に帰れると思うなよ!」

 

「いやあぁぁぁっ!」

 

 結局その日、僕は朝日が昇るまで補習室に監禁されることとなった。



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バカと天使と清涼祭
第十五話 天使と悪魔とお祭り騒ぎ


清涼祭アンケート
学園祭の出し物を決める為のアンケートにご協力下さい。
『あなたが今欲しいものはなんですか?』

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『詫び石』
教師のコメント
 天真さんの頭も緊急メンテナンスしたほうがよさそうですね。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
『強いて言うなら世界』
教師のコメント
 世界を手に入れる前に世界史を勉強してください。

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『クラスや学年の垣根を越えた愉しい思い出♪』
教師のコメント
 その言葉に他意がないことを願っています。

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『胃薬』
教師のコメント
 無理はしないでくださいね。


「ねえキミ。どうしたの? 道にでも迷った?」

 

「あのね、私ね、おねえちゃんに会いに来たの。でもおねえちゃんの通ってる学校が分からなくて……」

 

「もしかして一人で? まだ小さいのに立派だね」

 

「ううん。もう一人のおねえちゃんも一緒に来たんだけど、急な用事で戻っちゃったんだー」

 

「そうなんだ。……ねえキミ、お姉ちゃんってこの辺の学校に通ってるんだよね? 僕も探すのを手伝ってあげるよ」

 

「ほんと!? ありがとうおにいちゃん!」

 

「どういたしまして。じゃあ、お姉ちゃんの特徴とか教えてくれる?」

 

「えーっとね、おねえちゃんはとっても優しくてー、綺麗でー、髪の毛がサラサラでー」

 

「うんうん」

 

「とっても立派な天使なんだよ!」

 

「…………ごめん。お兄ちゃんの知ってる天使の女の子は、グータラな子とドSな子と天然な子しかいないんだ」

 

「そっかー。……あれ? おにいちゃん、どうしたの?」

 

「……っ、ぐすっ……」

 

「おにいちゃん、泣いてるの? お腹でも痛いの?」

 

「な、泣いてないよ! これは朝飲んだ塩水が目から出てきちゃっただけさっ!」

 

「大丈夫? 元気出してね?」

 

「……ありがとう、天使なお嬢ちゃん」

 

   ○

 

 満開に咲き誇っていた桜はすっかりと姿を潜め、新たに新緑の息吹が芽生え始めた季節。

 文月学園は新学期最初の行事である学園祭の時期が近づき、校内は活気づいていた。清涼祭と呼ばれるその学園祭に向け、各クラスは出し物の準備に勤しんでいる。

 それは、学年トップクラスの成績優秀者たちが集う二年Aクラスでも同じこと。普段は真面目な彼らも、この時ばかりは熱心に準備に取り組んでいた。

 中でも極めて真剣なのが──

 

「…………(チクチクチクチク)」

 

 鬼気迫る勢いで裁縫を熟していく彼女。二年Aクラスのマドンナ、相談窓口、お母さんなどの様々な異名を持つ生真面目悪魔、月乃瀬=ヴィネット=エイプリルである。

 なにを隠そう、彼女は大のイベント好きなのだ。その入れ込みっぷりはあの駄天使ガヴリールにさえ「イベントの時のヴィーネはマジでヤバい」と言わせるレベル。

 そして、学園祭といえば学生生活における一大イベントと言っても過言ではない。当然ヴィーネは、学園祭を全力で楽しむべく、その為なら命をも賭す覚悟であった。

 

「ヴィーネさん、追加の布や糸です。ここに置いておきますね」

 

 ヴィーネの元にやってきたのは、クラスメイトで親友の白羽=ラフィエル=エインズワースだ。絹のように美しい銀色の髪と、慈愛に満ちた穏やかな顔立ちが特徴のリアル天使である。なおその本性は揉め事や騒動が大好きなサディストだったりもする。

 

「ありがとうラフィ。それにしても、まさか学園祭で業者さんまで呼んじゃうなんてね」

 

「そうですね。なんというかこう……皆さんの学費から徴収された資金を全力で散財してる感じが堪りませんよね……!」

 

「ごめん、それはちょっと分かんないかな」

 

 現在二年Aクラスの教室では、業者と生徒たちが連携して大規模な改修工事が行われていた。メイド喫茶『ご主人様とお呼び!』の運営の為である。とはいえ、勉学の息抜きという側面も強い高校の学園祭においてガチの建設業者が学校を出入りしているというのは、ちょっと異様な光景だった。

 そして今、ヴィーネが己の裁縫技術の全てを尽くして作り上げているのが、メイド喫茶で女子生徒たちが着用するメイド服という訳である。

 本来はメイド服は業者からレンタルする予定だったのだが、予算節約のために裁縫が得意なヴィーネが名乗りを上げたのだ。数十人分の衣装を仕上げるというのは相当な作業量だが、Aクラスの仲間たちと連携してテキパキとタスクを進め、既に八割方が完成しつつある。

 完成した衣装は、メイド服の王道と言える白と黒を基調としたエプロン風のドレスで、男女問わず、その可憐さに魅了されていた。製作者のヴィーネとしても鼻が高いし、今から文化祭当日が待ち遠しい。

 そんなワクワクした様子の彼女を微笑ましそうな目で見ながら、ラフィエルは声を弾ませて言った。

 

「楽しみですね、冥土喫茶」

 

「うんっ! ……うん? あれ、なんだか私とラフィの考えてるメイド喫茶が別物な気がしてならないんだけど……」

 

「気のせいですよ♪」

 

 こうして、年に一度の祭典に向けて、文月学園の熱は高まっていた。

 一方その頃、二年Fクラスは──

 

「勝負だ胡桃沢さん! 今日こそこのドラグーンで君を倒す!」

 

「ハッ! 上等よ吉井! 私のケルベロスで返り討ちにしてあげるわ! 冥界の番犬の力、とくと思い知りなさい!」

 

「言ったな!? 場外までかっ飛ばしてやる! いくよ!」

 

「「3、2、1……GOシュート!」」

 

 準備もせずに、教室でベイブレードをして遊んでいた。

 

   ○

 

「さてお前ら、学園祭の出し物を決める。提案がある奴は挙手してくれー」

 

 試召戦争の時と比べると、明らかにやる気の無い間延びした声で、クラス代表の坂本雄二は宣言した。

 担任教師である鉄人が怒髪天を衝くまで、クラスの男子全員+大悪魔様一名でベイブレードをして遊んでいた僕たちだが、学園祭準備のためのロングホームルームで率先してサボることを提案したのは雄二だ。さてはこいつ、学園祭に全く興味がないな?

 とはいえ、僕も別にそこまで何かをやりたいってわけでもない。授業が潰れるのは嬉しいし、他のクラスの出し物にも興味はある。でも、僕らは学年最低のFクラスだ。与えられる予算だって最低限だろうし、そもそもこんな教室じゃ、例えば飲食店なんかを経営してもお客さんは寄ってこないだろう。

 

 ぼんやりとそんなことを考えていると、視界の端で姫路さんが咳をしているのが見えた。顔も少し赤いようだし、風邪だろうか。

 僕らは四月にAクラスとの試験召喚戦争に敗北して以来、教室設備のランクを更に落とされ、傷んだござとみかん箱で授業を受けている。青空教室の方がマシなんじゃないかってくらいに不衛生な環境だ。姫路さんはあまり身体が強くないみたいだし、彼女が体調を崩してしまってもなんら不思議ではない。なんとかしてあげたいところだが、再び試召戦争を仕掛けられるようになるには二か月くらいかかるし……。

 ちなみに、ガヴリールと胡桃沢さんは平気そう、というより普通に元気だ。ガヴリールは今もござに寝っ転がってスマホを弄っているし、胡桃沢さんは休み時間にこの教室を走り回っている姿をよく見る。天使も悪魔も逞しすぎだろ。

 

「よし、ムッツリーニ」

 

 すると、そんな雄二の声と共に、一人の男子生徒が立ちあがった。僕の友人の一人、ムッツリーニこと土屋康太だ。

 

「…………写真館」

 

 とても危険で魅力的な提案だった。

 

「一応聞くけど、どんな写真を飾るの?」

 

「…………神秘の世界を覗き見る、貴重な写真を展示する」

 

 それはいけないボーダーラインを軽く超えてしまっている。

 

「明久、これも意見だ。黒板に書いておいてくれ」

 

「へーい」

 

 言われて、自分が板書係だったことを思い出す。慌ててチョーク(ほとんど粉だけど)を手に取り、ムッツリーニの意見を候補として黒板に記した。

 続いて挙手したのは横溝くんという男子生徒で、彼はウェディング喫茶なるものを提案してきた。なんでもメイド喫茶みたいにウェイトレスがウェディングドレスを着るらしい。斬新ではあるし、憧れる女の子も多いだろうけど、動きにくいだろうから大変そうだなあ。そんなことを考えながら、二つ目の候補を黒板に書く。

 三人目に手を挙げたのは、この前爪切りで戦闘不能になった男、須川くんである。彼の提案は中華喫茶。中華への熱いこだわりを長々と語っていたが、近くの席のガヴリールがスマホで音ゲーをプレイしていたので全く聞こえなかった。辛うじて聞き分けることができたのは、ヨーロピアンがどうたらとかいう部分だけだ。

 

「他にあるかー?」

 

「はいっ!」

 

 そう元気よく手を挙げたのは、(自称)大悪魔で(自称)僕の師匠でもある胡桃沢=サタニキア=マクドウェルさんだ。燃えるような赤い髪と、自信に満ちた凛々しい表情が特徴の、Fクラス数少ない女子の一人である。

 

「なんだ、胡桃沢」

 

「私が提案するのは魔物屋敷よ!」

 

「魔物屋敷? お化け屋敷じゃなくて?」

 

 お化け屋敷は学園祭の出し物としては定番中の定番だが、魔物屋敷というのは聞いたことがない。

 

「凡庸ね。そんなチャチなものと一緒にしないで頂戴。魔物屋敷とは、魔界から直輸入した凶悪なモンスターたちをそこら中に配置した、参加者を恐怖のどん底に叩きこむアトラクションのことよ!」

 

 それはきっとアトラクションでは済まない。

 

「勇敢な生存者にはこのサタニキア特製メダルを贈ってやるわ! 人間共、奮って参加しなさい!」

 

 今さらっと生存者って言ったよこの子。死傷者が出るのは前提条件なの?

 

「よし明久、黒板に書いておいてくれ」

 

「いいの雄二? クラス代表としてそれでいいの?」

 

 これに決まっちゃったら、胡桃沢さんはガチで危険な魔物を魔界からこっちへ持ってきちゃうよ?

 すると教室の扉が開き、筋骨隆々の二メートル級巨人が現れた。Aクラスに負けて以来、Fクラスの担任に就任した鉄人こと西村教諭だ。清涼祭の出し物をちゃんと決めているか確認しに来たらしい。

 僕は黒板から離れ、四つの候補を鉄人に示した。

 

【候補1 写真館『いけないボーダーライン』】

【候補2 ウェディング喫茶『雁字搦め』】

【候補3 中華喫茶『ヨーロピアン』】

【候補4 魔物屋敷『この戦いが終わったら結婚するんだ』】

 

「……補習の時間を倍にした方がいいかもしれんな」

 

 あれ? おかしいな、ちゃんと板書したはずなのに。

 

「全く、少しは真面目にやったらどうだ。稼ぎを出して設備を向上させる気はないのか?」

 

 そんな鉄人の意外な言葉にクラスが活気づく。えっと、それって学園祭の利益で机を買うってことかな。

 元々設備が不満で試召戦争をおっぱじめた僕たちだ。宣戦布告が出来ない今、これは願ったり叶ったりなんじゃないか?

 

「静かにしろー。今から採決を取るから、やりたい出し物に挙手してくれー」

 

 皆が設備の話を聞いてやる気を出し始めたのはいいことだが、逆にまとまりがなくなってしまっている。

 代表の雄二はダルそうに挙手を募り、接戦の中、Fクラスの出し物は中華喫茶と相成った。

 

   ○

 

「ねえアキ、なんとか坂本を学園祭に引っ張り出せないかな?」

 

 放課後、授業を終えて帰る準備をしていると、少しだけ暗い表情の美波にそんな相談をされた。

 一応Fクラスの出し物は中華喫茶に決まったのだが、今度はチャイナドレスを着るか着ないかとかで揉めていて、未だ団結する気配が全くない。そこで美波は、喫茶店の成功の為にはクラス代表である雄二の先導が必要不可欠と判断したみたいだ。

 

「難しいんじゃないかな。今日もさっさと帰っちゃったみたいだし、アイツは興味がないことには徹底して無関心だからね」

 

 さっき進行役を引き受けたのだって、面倒なロングホームルームをさっさと終わらせたかったからだろうし。

 

「でも、このままじゃ喫茶店が失敗に終わるような気がして……」

 

 暗い表情で目を伏せる美波。いったいどうしたんだろう? そりゃあ失敗するよりは成功した方が勿論いいに決まってるけれど、ここまで真剣なのには何か訳がありそうだ。

 

「ねえ美波、もしかして何か事情があるの?」

 

「……実は、瑞希のことなんだけど」

 

「姫路さんがどうかしたの?」

 

「あの子、転校するかもしれないの」

 

「……………………ふえっ?」

 

 姫路さんが転校? ってことは、Fクラス唯一の清涼剤とも言えるふわふわ系女子の姫路さんがこの教室からいなくなっちゃうってこと? そうなったら、この教室はいったいどうなってしまうのだろう。世はまさに大後悔時代。永遠に戻ってくることはない失われた秘宝(姫路さん)を求めて男たちはあてのない冒険を繰り広げることになる。しかし、やがて心身ともに疲弊し、世界は暴力と略奪の跋扈する地獄へと成り下がってしまうだろう。そんな人間たちに絶望した天使の手によって、遂にはギャラルホルンの角笛が鳴り響き、世界には終末(ラグナロク)が訪れて──

 

「む、マズイぞ。明久が処理落ちしておる」

 

「ああもう! 不測の事態に弱いんだから!」

 

 ガクガクと肩を揺らされて段々と思考が鮮明になっていく。ああそうだ、僕は君に伝えなくちゃいけないことがあるんだ。

 

「ガヴリール、世界が終わっても僕のことを覚えていてくれるかい……?」

 

「ごめん。私いま運極作りで忙しいから」

 

 運極作り>僕とは、随分と安く見られたものだ。っていうかマルチプレイできるんだから誘ってよ。

 みかん箱に突っ伏して脇目も振らずに引っ張りハンティングしているこの金髪の女の子は、天真=ガヴリール=ホワイトといって、友達であり、クラスメイトでもあり、同じマンションに住む隣人でもある。

 その正体は天界から下界に降りてきたリアル天界人なのだが、人間の娯楽に触れたことで怠惰でグータラな駄目天使に大変身。品行方正だった過去の面影は微塵もなく、今ではこうして見事にドロップアウトしてしまった。まあ、その原因というか発端は僕なんだけれども……。

 

「姫路さんが転校って、どういうことなのさ!?」

 

 気を取り直して美波に尋ねる僕。

 美波が言うには、姫路さんの転校の理由は、両親の仕事の都合などではなく、Fクラスが原因らしい。親としては、姫路さんにはこんな劣悪な環境ではなく、ちゃんとしたまともな教室で勉学に励んでほしいのだろう。

 加えて、姫路さんは元々身体が強くない。小学生時代、彼女が入院していたことを覚えているし、健康に害が及んだら最悪だ。

 だから美波は、喫茶店を何としてでも成功させて、教室設備を向上させたいらしい。

 

「アキは……瑞希が転校したりとか、嫌だよね……?」

 

「当たり前だよ! 仲間がそんな理不尽な理由でいなくなるなんて、絶対に嫌だ!」

 

 どうしようもないような──それこそ家庭の事情とかならともかく、僕らのせいで姫路さんが転校してしまうなんて、そんなの嫌に決まってる。

 それに……あの日、夕焼けの放課後で、姫路さんは僕に言った。

 言ってくれたんだ、Fクラスに似合う女の子になると。

 それは、他の誰かからしたら、理解できないものかもしれない。

 でも、僕は知っている。その言葉が姫路さんにとって、自分の想いを込めた恋文よりも大切な言葉なのだということを、僕だけは知っている。

 ならば──僕がやるべきことなんて、そんなの一つしかないだろう。

 

「そうと決まれば、早速雄二に連絡を取るよ! もう学校にいないみたいだから、話し合うのはまた明日になっちゃうけど」

 

「明久、坂本の鞄ならロッカーに置きっぱなしだぞ」

 

 と、ガヴリールが教えてくれた。見ると、いかにも奴の好みそうなシンプルな無地の鞄が、確かにロッカーに放置されたままだった。あれ?

 

「大方、霧島翔子から逃げ回っているのじゃろう。ああ見えて異性には滅法弱いからの」

 

 秀吉が腕を組んで神妙な顔で頷く。

 霧島翔子さんというのは、二年Aクラスの代表を務める文月学園二年生の首席で、雄二の幼馴染の女の子だ。なんでも小学生の頃から一途に雄二のことを好いていたらしく、この前の試召戦争でめでたく恋が成就した。とはいえ雄二の方が中々素直になれないらしく、前途多難のようだが。

 

「それじゃ、坂本と連絡を取るのは難しそうね。ここは解散にしときましょうか?」

 

「いや、逆だよ美波。これはチャンスだ」

 

 僕の言葉に、美波は目を丸くする。

 

「なにか考えがあるようじゃな」

 

「まあね。ちょっと待っててよ、すぐ連れてくるからさ!」

 

 僕は三人の女の子に見送られて、教室を後にした。



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第十六話 てんやわんやランデヴー

清涼祭アンケート
学園祭の出し物を決める為のアンケートにご協力下さい。
『喫茶店を経営する場合、制服はどんなものが良いですか?』

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『Tシャツ』
教師のコメント
 それは恐らく喫茶店ではなくラーメン屋です。

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『メイド服とか法被とか……あ、着物なんかも可愛いですよね!』
教師のコメント
 月乃瀬さんならどんな衣装も似合いそうです。

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『セーラー服と機関銃』
教師のコメント
 プリティ&バイオレンス。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
『ブリーフ』
教師のコメント
 プリーツの間違いだと信じています。


 僕の知る限りにおいて、坂本雄二という男はとことん天邪鬼な奴である。王道よりも邪道を好み、流行よりも質素を選ぶといった具合の捻くれ者だ。僕は昔から、奴は新種の妖怪なのではないかと疑っているのだが、まあ、それは置いておいて。

 僕は体育館にある女子更衣室の前にいた。というのも、天邪鬼な雄二のことだから、隠れ場所としてはありきたりすぎる男子トイレや更衣室は選ばないと考えたからだ。

 雄二は今、奴に想いを寄せる学年首席の女の子、霧島翔子さんから逃げ回っている。僕としては、何故逃げ回る必要があるのか不思議なくらいだ。雄二の癖に贅沢である。素直に人生の墓場に堕ちればいいのに。

 そんなことを考えながら、更衣室のドアに手を掛けると、

 

「あら、吉犬さんではないですか」

 

 鈴を転がすような声で名を呼ばれた。

 って違う! 誰だっ!? 僕の名前をワンちゃんみたいに呼ぶ奴は!

 

「こんなところで奇遇ですね」

 

「あぅ。し、白羽さん……」

 

 振り返った先にいたのは、ガヴリールと同じ天使であり、Aクラス戦では敗北を喫した相手、白羽=ラフィエル=エインズワースさんだった。目にも眩しい銀色のロングヘアと、制服の上からでも分かるくらい整ったプロポーション。彼女とすれ違えば十人中十人が振り向いてしまうような深窓の令嬢然とした人なのだが、趣味が人を導く(いじる)ことという困った女の子である。

 僕が一歩後ずさると、白羽さんはその反応が気に食わなかったみたいで、一瞬ムッと眉を顰めたかと思うと、にっこりと破顔して、

 

「大丈夫です。ほら、怖くないですよ~」

 

 何故か頭を撫でられた。完全に懐かない犬を躾ける時の態度である。……ちょ、ちょっと気持ちいいかもなんて思ってないんだからねっ!

 なんだか気恥ずかしくなって、撫でようと迫る手を避けるように飛び退く。

 

「な、なんで君がここに!?」

 

「それはこちらの台詞なのですが……私が女子更衣室に来ちゃおかしいですか?」

 

 異物は間違いなく僕の方なので何も言い返せなかった。

 見ると、白羽さんは手に黒い衣装のような物を抱えている。もしかして、それに着替えるためにここに来たのだろうか。

 

「白羽さん、それは?」

 

「ヴィーネさんが作ったメイド服です。ほら、もうすぐ文化祭じゃないですか。だから試着を頼まれたんです」

 

「ってことは、Aクラスの出し物はメイド喫茶なの?」

 

「はい。是非ガヴちゃんたちと一緒にいらしてくださいね」

 

「絶対に行くよ。たとえ地べたを這いドロ水を啜ってでもね」

 

「なんて力強い返事なんでしょう……」

 

 むしろ行かないという選択肢などない。男ならば絶対に目に焼き付けておかなければならない景色が、きっとそこには広がっているだろうから。

 

「ほら、見てくださいよこの衣装。とっても可愛いでしょう?」

 

 そう言って、白羽さんはメイド服を自慢するように広げてみせる。彼女も年相応に、学園祭を楽しみにしているらしい。

 黒のドレスと白いエプロンの対比が目にも鮮やかなそのメイド服は、ファッションに疎い僕でも分かるくらい精巧に仕上げられていた。月乃瀬さん、相当気合入ってるなあ……。

 僕はふと、メイド服を着た白羽さんの姿を頭の中で想像してみた。ふむ、百点満点中──

 

「百二十点ってところかな」

 

「誰が点数を出せと言いました?」

 

 はっ、殺気!?

 

「吉井さん、ホッチキスってとっても痛いんですよ?」

 

「なにする気!? ホッチキスでいったい僕に何をするつもりっ!?」

 

 なんて恐ろしいことを考える人なんだろう。文房具のホッチキスと医療用のホッチキスは全くの別物なんだよ?

 この話は引っ張らないほうがいいだろう。僕が不幸な目に遭う予感しかしない。

 

「ほ、本当に可愛い衣装だね! 白羽さんなら絶対に似合うよ!」

 

 誤魔化す様に言うと、白羽さんは意外にも素直に微笑んでくれた。

 

「ありがとうございます。私も、吉井さんにきっと似合うと思っていたんです♪」

 

「あはは、そうかなぁ。じゃあ僕も着てみよっかなー…………え?」

 

「え?」

 

 おかしいな。メイド服は美少女が着るための物であって、僕のような男が着るための物ではなかったはず。

 

「白羽さん、聞いてほしい。僕はどこにでもいるような普通の男子高校生で、決して女装趣味の変態じゃないんだよ?」

 

「そうだったんですかぁ!?」

 

「なにその反応!?」

 

 どうしてこんな当たり前のことで驚かれなくちゃいけないのだろう。人間と天使の価値観の相違というやつだろうか。

 

「照れなくてもいいんですよ。うふふ、私はちゃんと分かっていますから♪」

 

「分かってない! 絶対分かってないよ! なんでそんな生温かい目で僕を見るのっ!?」

 

「でも好きなんでしょう? 女の子の格好をするの♡」

 

「僕もうお婿にいけないっ!」

 

 こ、これはとんでもない誤解だっ! 僕は至ってノーマルなのに! ただでさえ観察処分者としての悪名が轟いているというのに、このままじゃ学校中の女の子から怪奇な視線を向けられてしまう! そうなったら在学中に彼女を作るのはほぼ不可能に……!

 頭を抱えていると、急に遠くから複数の足音が響いてきた。なんだろう?

 

「今、女子更衣室の方から男の声がしなかった!?」

 

「あれって確か、Fクラスの馬鹿の声よ!」

 

「きっと覗きに来たんだわ! とっ掴まえて西村先生に突き出してやりましょう!」

 

 最悪の事態だ。

 

「し、白羽さん! 僕は逃げるからどうか彼女たちの足止めを──っていない!? クソぉー! 天使なら困っている人を救うのが使命じゃないの!?」

 

「いたわ! あそこよ!」

 

「ヤバいっ、見つかった!」

 

 足音から逃れるように体育館を脱出する僕。どうしてこんなことにぃー!

 

   ○

 

 追ってくる女子生徒たちを撒くことに成功し、僕は新校舎の廊下を駆け抜けていた。僕の悪評が広まっただけで、結局雄二も見つからずじまいだし、どうやら今日の運勢は最悪らしい。

 皆を教室に待たせているわけだし、一刻も早く奴を探し出さなければ。僕は辺りの教室を手当たり次第に捜査していると、不意に誰かとぶつかってしまった。しまった、探すのに夢中で前を見ていなかった。

 

「きゃあっ!」

 

 相手は僕よりも小柄な子で、躓きそうになっている。僕は反射的に手を伸ばし、右手で背中、左手で足を支えて抱え上げることで、なんとか転倒を阻止することに成功した。

 

「ご、ごめん! 怪我はない? 大丈夫?」

 

「い、いえ。こちらこそ注意を疎かにしていたので……。た、助けてくれてありがとうございま──」

 

 その女の子は、僕の顔を見るなり固まってしまった。

 というか、僕の方も彼女の顔に見覚えがあった。Bクラス戦の後くらいにウチのクラスを訪ねてきたガヴリールの後輩の天使、千咲=タプリス=シュガーベルちゃんだ。子犬のようなくせっ毛と首に巻いた長いマフラーが特徴の女の子である。

 

「で、出ましたね吉井先輩っ! また貴方ですかっ!?」

 

 僕ははぐれメタルか何かなのだろうか。

 

「おのれ不意打ち攻撃とは卑怯な! 悪の本性出たりですか!? やはり貴方は私の敵ですっ!」

 

「君さっき注意を疎かにしてたって言ってなかった!?」

 

「うるさいですっ! 此処で会ったが百年目! 今日こそ吉井先輩を成敗して天真先輩を助け出します!」

 

 僕の腕の中で暴れる千咲ちゃん。この子はガヴリールのことをとても慕っているみたいで、対照的に僕のことはすこぶる嫌っているらしい。

 どうどうと彼女を制していると、階段の方からバタバタと足音が響いてきた。げえ、もう追いつかれたのか!?

 

「ち、千咲ちゃん! その話は今度じっくり聞くから、今は僕のこと見なかった振りをしてくれないかな!?」

 

「私なんかじゃ取るに足らないってことですか! 舐められたものです……!」

 

「そうじゃなくて! ああもう、ちょっとだけ我慢しててね!」

 

「もがー!?」

 

 僕は彼女が大声を上げないように口元を塞ぎながら、近くのロッカーを開け放ち、その中に千咲ちゃんごと隠れ込んだ。想像以上に狭い!

 窮屈さMAXの中で息を殺していると、複数の足音が僕らの前を通り過ぎて行った。どうやらバレずに済んだらしい。

 僕は安堵の溜め息を吐きつつ、千咲ちゃんにグッとサムズアップしてみせた。

 

「もう大丈夫だよ千咲ちゃん。悪は去った」

 

「私にとっては目の前にいる人が諸悪の根源なのですが!?」

 

 なに? ここには僕ら二人しかいないけれど。まさか天使にしか見えない霊的なものでもいるのだろうか。

 

「なんでキョトンとしてるんですかぁ! 吉井先輩って本っ当におバカさんですね!」

 

「な、なんだとぅ!?」

 

「先ほど助けてくれたことには礼を言います! ですが、私までロッカーに隠れる必要はないでしょう!?」

 

「あ」

 

「というか近いです! 狭いです! 暗いです! いい加減離れてください! おバカさんが感染(うつ)りますっ!」

 

「酷いっ!」

 

 そんな僕を病原菌のように言わなくても。ちょっと泣きそうになった。

 

「吉井先輩は落ち着きがなさすぎです。もう少し後先考えて行動したらどうです?」

 

「ごめん、僕は立ち止まったら死んじゃうんだ」

 

「回遊魚ですか貴方は……」

 

 制服の埃を払いながら、呆れたような視線を僕に向ける千咲ちゃん。

 

「それで、どうして吉井先輩は追われていたんですか? 理由次第では、私がさっきの人たちを説得してあげてもいいですよ」

 

 そんな嬉しい提案。

 千咲ちゃんは天界時代のガヴリールを尊敬していると言うだけあって、優しいところも彼女によく似ていた。ちょっとアホの子……というか天然成分が入っちゃってるけれども、とても良い子である。こんなに良い後輩を持つガヴリールが少し羨ましくなった。

 こう言ってくれていることだし、ここは遠慮なく恩に着るとしよう。

 

「それがね、クラスメイトを探しに女子更衣室に赴いたら、メイド服を着せられそうになった挙句、覗き犯扱いされてるんだよ。酷いと思わない?」

 

「変態です! 女装趣味で覗き魔の変態がここにいます!」

 

「速攻で見捨てられた!? ご、誤解だよ千咲ちゃん! ただ男には退いてはならぬ時があるってだけで……!」

 

「言い訳は閻魔様の前でしてくださいっ!」

 

「地獄に落ちるのは確定してるのか畜生!」

 

 今からでも蜘蛛を助けたら糸を垂らしてもらえるかな?

 

「全く、ただでさえ最近は黒奈さんに手を焼かされているというのに、胡桃沢先輩といい吉井先輩といい、やはり悪魔に関わると碌なことがありません!」

 

 黒奈さん? 誰だろう、千咲ちゃんの友達かな?

 っていうか今、さらっと僕も悪魔のカテゴリで一括りにされたような……。

 そんな疑問を覚えていると、遠くから、大地の奥底までも劈くような重低音が響いてきた。こ、この通った場所を全て更地へとターミネイトしてしまいそうな足音は……!

 

「いま吉井と胡桃沢の名前が聞こえたぞ! またあいつらか!」

 

 げえっ!? やはり鉄人かっ! 奴まで出動していたなんて!

 

「いいですか? これからはちゃんと、節度と秩序に基づいて行動を」

 

「逃げるよ千咲ちゃん!」

 

「して──って、お願いですから人の話を聞いてくださいよ! というか、なんで私まで逃げる必要があるんですか!」

 

「こうなったら一蓮托生だ! 僕はもう君を放さない……!」

 

「格好良く言ってますけど内容は最低ですっ!」

 

「大丈夫! 今回は二階だから無傷で済むはずだ!」

 

「だから普通は窓から飛び降りないんですってばぁ!」

 

 こうして僕は後輩の女の子と友情を深め合いながら、鉄人との地獄の逃走劇を乗り切ったのであった。

 

   ○

 

 千咲ちゃんを一年生の教室に送った後、我らが二年Fクラスの教室に戻ると、探し求めていた相手、新種妖怪赤ゴリラもそこにいた。

 なんでも、いつまで経っても戻ってこない僕に痺れを切らした美波たちが雄二に電話を掛け、秀吉の声真似を駆使して教室へ強制送還させたらしい。

 使えないなコイツ、という皆の視線が僕に突き刺さる。酷い扱いだ。

 既に姫路さんの件も雄二に伝わっているらしく、彼はその要因を分析した。

 一つ、ござとみかん箱という貧相な設備。二つ、老朽化した教室。三つ、レベルの低いクラスメイト。

 設備は学園祭の利益で何とかできるかもしれないが、残りの二つは難しい問題である。

 

「いや、そうでもない。三つめは既に姫路と島田で対策を練っているんだろ?」

 

 雄二の言葉に、美波は困ったような笑顔を浮かべて頷いた。

 姫路さんと美波は二人でペアを組んで、清涼祭の目玉イベントである試験召喚大会に参加する腹積もりらしい。僕らが通うこの文月学園は試験召喚システムという特殊なカリキュラムを導入した進学校で、召喚大会はそのPRの為のイベントである。

 僕は興味のない企画だったが、なるほど、大会で優勝すればFクラスにも優秀な生徒がいると姫路さんの親にもアピールができるという訳か。それなら三つめの問題もクリアできそうだ。

 

「姫路さんは言うまでもないし、美波だって頑張ってるんだから、きっとなんとかなるよ」

 

 元々、日本語の会話さえまともに出来ないくらいだった美波が、今ではこうして当たり前のように皆の輪の中にいるのは、偏に彼女の努力の賜物だ。僕に手伝えることは少ないかもしれないけれど、彼女たちの試合は精一杯応援しよう。

 

「二人が優勝すれば中華喫茶の宣伝にもなるじゃろうし、一挙両得じゃな」

 

 ならば残る問題は一つ、老朽化した教室の改修だ。間違いなく工事が必要だから、僕らだけで勝手に行うことはできないし、そもそも掛かる費用も学園祭の利益程度じゃ賄えないだろう。

 だが雄二は、そんなことは問題じゃないと言わんばかりにあっけからんとして、

 

「そんなもの、学園長に直訴したらいいだけだろ? ここは教育機関だ。生徒の健康に害を及ぼすのなら、改善要求は当然の権利だ」

 

 そう言った。

 学園長……っていうと、この学校で一番偉い人か。相当研究熱心な人らしいから、あまり生徒の前に出てくることはないんだよね。妖怪だとか変態だとかいう噂はあるけど。

 早速学園長室に乗り込もうと立ち上がった雄二に続こうとすると、みかん箱の上で器用にトランプタワーを作っていたガヴリールに呼び止められた。

 

「なに? お前らどこか行くのか?」

 

「学園長に会いに行くつもりだけど……あれ? そういえば、なんでガヴリールはこんな時間まで残ってるの?」

 

 いつもは放課後になるとスタコラと帰ってしまうのに。まさか僕を待っててくれた訳でもあるまい。

 

「いや、丁度良かった。私も学園長に呼び出し食らってたんだよ。明久、連れて行ってくれ」

 

「それはいいけど……学園長からの呼び出しって、いったい何をやらかしたの?」

 

「知らん。心当たりが一つもない」

 

 本気で合点がいかない様子で顔を顰めるガヴリールである。遅刻常習犯、授業中にゲームなど、彼女の問題行動は多岐にわたる気がするが、それは僕や他のFクラス連中も同じなので、彼女だけ招集を受けるというのは確かに解せない。

 無いとは思うけど、まさかガヴリールが天使であることが学園側に露見してしまったとか……? そうだった場合、僕は学園長を始末しなければいけなくなってしまう。一人の人間として誰かを手にかけるのはとても心苦しいが、世界を守る為だ。一人の尊い犠牲で世界が滅ばずに済むのなら安いものだろう。

 

「じゃあ一緒に行こうか」

 

「ん」

 

 彼女の手を取って立ち上がらせると、僕らは雄二を追って教室を後にした。

 

「明久、いざという時は私を守ってな」

 

「なんだか最終決戦の直前みたいな台詞だけど、それって要は僕を盾にして逃走を図るってことだよね?」

 

 僕の知り合いの天使はこんなのばっかりか。天界の未来が改めて不安になった。



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第十七話 天に召されろババア長

清涼祭アンケート
学園祭の出し物を決める為のアンケートにご協力下さい。
『喫茶店を経営する場合、ウェイトレスのリーダーはどのように選ぶべきですか?
【1.可愛らしさ 2.統率力 3.行動力 4.その他】
 また、その時のリーダーの候補も挙げてください』

木下優子の答え
『【1.可愛らしさ&4.洞察力と気配り】候補……月乃瀬さん』
月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『【1.可愛らしさ&2.統率力&3.行動力】候補……木下優子さん』
教師のコメント
 お互いをリスペクトし合える良き関係のようですね。教師として君たちを誇りに思います。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
『【4.カリスマ性】候補……胡桃沢=サタニキア=マクドウェル』
白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『【4.面白さ】候補……サターニャさん』
教師のコメント
 却下。

姫路瑞希の答え
『【1.可愛らしさ】候補……吉井明久くん』
天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『【3.行動力】候補……吉井明久』
教師のコメント
 確かに吉井君は行動力の化身ですが、彼にウェイトレスをやらせる気ですか……?


 文月学園新校舎一階。その一角にある学園長室に、僕は雄二とガヴリールと一緒にやってきていた。老朽化した教室の改善を直訴する為である。

 雄二がノックと同時に雑にドアを開く。その先には、長い白髪が特徴の老婦、学園長の藤堂カヲルがいた。試験召喚システムの開発責任者であり、この文月学園において最も権力を持つ人間と言えるだろう。

 

「何の用だいガキ共。私は暇じゃないんだがねぇ」

 

 まさか開口一番にガキ呼ばわりされるとは思っていなかった。学園の経営を教頭に一任して研究ばかりしていたせいで常識を見失ってしまったのだろうか。

 まずは名を名乗るのが社会の礼儀と言われたので、クラス代表の雄二が前に歩み出て名乗った。

 

「失礼しました。俺は二年F組の代表坂本雄二。こっちの二人は──二年生を代表するバカとグータラです」

 

「ほう、そうかい。アンタたちがFクラスの坂本と吉井と天真かい」

 

「待ってください学園長! 僕らはまだ名乗っていませんよ!?」

 

 むしろ学年を代表するバカはFクラス代表の雄二だろう。僕はちょっとお茶目なだけの、どこにでもいる一般生徒だ。

 僕らの名乗りによって学園長は気が変わったのか、話だけは聞いてくれることになった。雄二はそれを受けて、僕らFクラスの環境が如何に最低で劣悪かを説く。

 

「要するに、老いぼれの肌のように荒れ果てた教室のせいで体調不良を訴える生徒が出てくるから、さっさとアンチエイジングしろクソババア、という訳です」

 

 なんて見事な説明なんだろう。修正すべき箇所が一つも見当たらない。

 そんな切れたナイフと化した雄二の慇懃無礼な言葉に、学園長は思案顔を見せた後、こう返した。

 

「却下さね」

 

「ガヴリール、このババアをなんとかして天に召すことはできないかな?」

 

「やだよこれを天に導くなんて。ちゃんと寿命を全うさせて、畜生道に落ちてもらわないと」

 

「お前ら、もう少し態度には気を遣え……」

 

 畜生道って、確か悪行をした人が生まれ変わる世界のことだったっけ。

 

「どうか理由をお聞かせ願えますか、ババア」

 

「そうですね、教えてくださいババア」

 

「そして一刻も早くその命の灯火を燃やし尽くしてくださいババア」

 

 僕や雄二もだが、ガヴリールも放課後に時間を取られているだけあって、かなりキレてるなあ。

 

「理由もなにも教育方針だからねぇ。しかし、可愛い生徒の頼みだ。こちらの頼みも聞くなら、相談に乗ってやろうじゃないか」

 

 この様子だと一蹴されるかと思っていたが、意外にも学園長は、交換条件付ではあるけど話を聞いてくれた。

 しかし、その条件こそが曲者だった。なんでも清涼祭で開催される試験召喚大会の優勝賞品を、学園長は回収したいらしい。召喚大会の優勝賞品は二つあって、一つは白金の腕輪、もう一つが近日オープンされる如月ハイランドのペアチケットだ。学園長が回収したいのは後者の方で、このペアチケットには良からぬ噂があるとか。

 つまり交換条件は、僕らが召喚大会に出場して優勝できたら、優勝賞品と交換で教室の改修を行う、ということだった。ついでに学園祭の利益で設備を変更することにも目を瞑ってくれるらしい。

 

「わかりました。この話、引き受けます」

 

「それじゃ、交渉成立さね」

 

 話がまとまって学園長は満足げに頷くと、対照的に苛立たしげな様子で雄二が尋ねた。

 

「ちょっと待てババア。召喚大会は二対二のタッグマッチだと聞いている。だが俺たちは三人。あと一人出場者を連れてきても構わないだろう?」

 

「あん? なに言ってんだい、その心配は無用だろう。アンタはAクラスの代表と既に組んでいるじゃないか」

 

「はあ!?」

 

 驚愕に目を剥く雄二に、学園長は一枚のエントリーシートを差し出す。

 その用紙には霧島さんの名前と共に、確かに彼の名前が記入されていた。ご丁寧に朱肉の印鑑まで添えられて。

 

「おふくろーっ!」

 

 手を伸ばしてエントリーシートを奪おうとした雄二だったが、学園長はそれを素早く机の中にしまってしまった。

 

「という訳だ。坂本、アンタは霧島と組んで出場するこったね」

 

「待ちやがれババア! 俺はそんなモン書いた覚えはねえ! 無効だ無効!」

 

「そうは言ってもねえ、もう登録しちまったんだ。取り消すことはできないよ」

 

「畜生! 翔子の奴、おふくろを利用しやがったな……! 騙されるおふくろもおふくろだ!」

 

 悔しそうに地団駄を踏む雄二。よく分かんないけど、雄二は霧島さんとペアで出場するってことかな? ってことは僕は……。

 

「ガヴリール、一緒に出てくれる?」

 

 返事は分かっているけれど、一応訊いてみる。

 

「えっ、嫌だよ。面倒臭い」

 

「ですよねー」

 

 知ってた。じゃあ秀吉かムッツリーニを誘うかな。確か二人はエントリーしてなかったはずだし。

 

「ふむ。チケットを交換したら賞が一つ減ってしまうからね。アンタらが優勝したら、代わりに食堂のタダ券を一か月分くれてやろうじゃないか」

 

「頑張ろうな明久! タダ券──じゃない、ババア長の為にも!」

 

 なんて変わり身の早さなのだろう。ここまでくるといっそ清々しい。しかし、学食のタダ券が貰えるのなら、僕だって本気を出すに決まってる。

 

「さて、ここまで協力するんだ。当然優勝できるんだろうね?」

 

 そう念を押してくる学園長の視線は、雄二ではなく僕とガヴリールに向けられていた。成績的には雄二と霧島さんの方が優勝する確率は圧倒的に高いというのに、なんでだろう?

 僕がそんな疑問を覚えていると、雄二は黙ったまま鋭い目つきで学園長を見遣る。

 対して、ガヴリールは得意げに笑っていた。ガヴリールは数学以外なら選択問題を利用して高得点が取れるし、やる気もあるみたいだから何とかなるだろう。

 

「そっちこそ、約束を忘れないでくださいよ」

 

 勿論僕だってやる気全開だ。目的地が見えたんだから、後はそこに向かって全力で突っ走るだけだ。

 ……あれ? そういえば、学園長がガヴリールを呼び出したのは結局なんでなんだろう。まさか僕らが一緒に来るのを予測していた訳ではないだろうし、別の理由があると思うんだけど。

 引っかかりを感じていると、部屋を出て行こうとする僕らに、学園長は思い出したように投げかけた。

 

「あ、そうそう。試験の形式なんだがね、少し変えさせてもらったよ」

 

「……はい?」

 

「なんでも、不思議なくらい運の良い生徒が一人いるらしくてねえ。選択問題だけで腕輪を所持されてしまうと不公平だろう? 試験召喚システムの関係上、これからは選択問題はサービスの数問のみにさせてもらうよ」

 

 その言葉を最後に、バタンと重そうな扉は閉じてしまった。

 えっ? それってつまり、これからのテストでは選択問題は殆ど出ないってこと? じゃあ、今まで選択問題だけを解いていたガヴリールは……。

 

「……あ、あのババアーッ!」

 

 ガヴリールの怒声が廊下に響き渡る。

 文月学園が誇るダメダメコンビは、こういう最悪な形でのスタートとなってしまった。

 

   ○

 

 学園長との交渉から一週間。いよいよ清涼祭当日の朝がやってきた。

 見慣れた校門を抜けると、見違えるほど華やかに装飾された学び舎が僕らを迎えてくれる。その周囲に設置された仮設テントや屋台では、出し物の準備の為に生徒たちがせわしなく働いている姿が見えた。そんな光景に、テンションは否応なく高まってしまう。

 

「楽しみだねっ」

 

「うむ。とりあえず屋台を全制覇しなくちゃな」

 

 一緒に登校してきたガヴリールもやる気満々みたいだ。彼女の視線はりんご飴やチョコバナナの屋台に釘付けである。漂ってくる甘い匂いに後ろ髪を引かれながら、僕らは二年Fクラスの教室へと向かう。

 中華喫茶ヨーロピアンという看板が立て掛けられた障子を開けると、まだ朝早い時間帯だというのに、クラスメイトは殆ど全員が揃っていた。皆もこの文化祭に賭ける思いは強いらしい。

 僕らは学園長と交渉をして、この清涼祭で出た利益を使って教室設備を買い替える許可を正式に得た。つまり中華喫茶が成功すれば、僕らは貧相なみかん箱とござからおさらばし、まともな机と椅子を手に入れることができるという訳だ。だからこそ、皆やる気を出して準備にあたっている。

 そんなFクラスを統率するのは代表の坂本雄二だ。普段はただの馬鹿だけど、彼の統率力は本物である。いつもは全くまとまりのないクラスメイト達が、雄二の指揮に従って作業を行い、僕らの教室は汚らしいボロ小屋のような有様から、ちょっと小洒落た中華風の喫茶店へと姿を変えていた。

 教室内に等間隔で配置されているテーブルは、実はみかん箱を巧く積み重ねてその上からクロスを掛けたものである。秀吉が演劇部の小道具を持ってきて、テキパキと作ってくれたのだ。中身はまあちょっとアレだが、それでも学園祭のレベルとしては十分な完成度だろう。

 

「丹念に掃除もしたし、きっと上手くいくよね」

 

 倉庫から持ってきたパイプ椅子をテーブルの周りに並べていると、厨房の方からムッツリーニが盆を持ってやってきた。

 

「…………味見用」

 

 教室内に溢れる香ばしい香りに、皆が作業を止めて彼の周囲に集まる。盆の上にはカラッと揚げられた胡麻団子が載っていた。

 

「ほう、胡麻団子か」

 

「…………自信作」

 

「おっ、確かに旨いな!」

 

「甘すぎないところが良いのう」

 

 クラスメイト達が口々に大絶賛。ムッツリーニが料理が得意というのは嬉しい誤算だった。彼曰く紳士の嗜みらしいが、まあこの際動機には目を瞑ろう。

 それにしてもこの胡麻団子、本当に美味しそうだな。今日の朝食は豪勢にパンの耳を食べたばかりだが、見てたらお腹が減ってきてしまった。

 

「ムッツリーニ、僕も貰っていい?」

 

「私も頂戴するわ。クク、この大悪魔サタニキアの舌を唸らせることができるかしら」

 

 ムッツリーニが差し出した盆から胡麻団子を一つ摘まみ、僕と胡桃沢さんはなんの躊躇もなくそれを口に放り込んだ。

 瞬間、口内に広がる死の香り。咀嚼するたびにゴリゴリと精神が抉られ、思わず天にも昇ってしまいそうなほどの味わい──んゴパっ。

 

「なにこれ美味しいじゃない!」

 

 僕とは正反対の感想を胡桃沢さんが述べる。これを作ったのは一体誰だっ!?

 

「あ、それはさっき姫路が作ったものじゃな」

 

 やっぱりか。流石は姫路さん、相変わらず恐るべき破壊力である。

 

「サタニキアちゃん、お口に合いましたか?」

 

「ええ、流石は姫路だわ。これからも精進しなさい!」

 

「えへへ、はいっ!」

 

 褒められて嬉しかったのか、にこにこと微笑む姫路さんに胡桃沢さんはぐっとサムズアップする。

 まるで青春小説のワンシーンのようだが、気づいて胡桃沢さん。君は今クラスメイトをテロリストに導こうとしている。それは決して精進してはいけない道だ。

 

「…………(ぐいぐい!)」

 

 そして気づいてムッツリーニ。君は今、クラスメイトを亡き者にしようとしていることに。

 

「む、ムッツリーニ! 残った胡麻団子を僕の口に押し込もうとしないでよ! それは一般人が口にしちゃいけない物だ! 胡桃沢さんに処理してもらってよ!」

 

「…………女子にそんなことさせられるかっ……!」

 

「僕ならいいの!? 一応友達だよね僕たち!?」

 

 文字通り命懸けで友達以上知り合い未満の固い絆を確かめ合っていると、教室の戸がガラッと開いて、

 

「なあ、本当にこれを着てやらなくちゃいけないのか?」

 

「喫茶店を成功させるには必要なんだって。ウチも喫茶店成功させたいし……お願い天真さん!」

 

「いや、まあいいけど。やけに露出多くない?」

 

「あはは……その文句は作った土屋に言って頂戴」

 

 更衣室の方から、チャイナドレスに着替えたガヴリールと美波が戻ってきた。

 

「ムッツリーニ。僕たちの友情は不滅だよ」

 

「…………俺たちの絆はダイヤモンドよりも硬い」

 

 ぐっと握手を交わす僕たち。まさかチャイナドレスの裁縫技術まで修得しているとは、どこまで底の知れない男なんだろう。

 Fクラスの数少ない女子であるガヴリール、姫路さん、美波、胡桃沢さん、秀吉の五人は、チャイナドレスを着てウェイトレスをやってもらうことになった。男ばかりでむさ苦しい教室が一気に華やかになる。これなら女の子目当てで訪れるお客さんも増えて、売り上げは一気に伸びることだろう。

 

「それにね、ほら。天真さんにも着てもらわないと──」

 

 美波はどこか気まずそうに、姫路さんと胡桃沢さんをちらりと見遣る。

 

「ウチだけが比較されちゃうでしょ!? しかもあの二人、すっごい張り切ってるから動き回るのよ!? 暴れるのよ!? 世の中不公平よっ!」

 

「お、おう。よく分かんないけど苦労してるんだな」

 

 今にも泣き出してしまいそうな様子で力説する美波に、引き気味の視線を送るガヴリール。

 持つ者と持たざる者の違いを気にしていたのか……。別にそんなこと気にしなくても、美波には美波の魅力があると思うけどなあ。

 まあ、それはそれとしてガヴリールをチャイナドレスに着替えさせてくれたのはグッジョブだ。なんとしても心のフィルムに焼き付けなければ……!

 

「あ、明久……その、これ、どうだ?」

 

 ガヴリールが着ているのは、刺繍も見事な水色と白のチャイナドレスである。ムッツリーニがどこまで計算して作ったのかは知らないが、その衣装は彼女の金色の髪と見事なコントラストを生み出していた。

 恥ずかしそうに頬を紅潮させるガヴリールに、僕は咄嗟に言葉を返すことができなかった。似合ってるなんてもんじゃない。まるで天使のようだ──と言葉にするのは簡単だが、それは彼女にとっては少し意味の異なる言葉だし。露出度自体は普段見慣れているジャージ姿とそう変わらないというのに、この胸のドキドキはなんなのだろう。

 僕が返事に詰まっていると、ガヴリールが怪訝そうな顔で僕を見る。

 と、とりあえず何か言わないと! これじゃまるで、僕がガヴリールに見惚れてしまったみたいじゃないか!

 

「可愛──愛してる」

 

 あ、つい本音が。

 

「そ、そっか……」

 

「う、うん……」

 

 なんだろうこの空気。すごく居た堪れない。

 

「えっと……あ、そだっ、その胡麻団子、私も食べていいか?」

 

「えっ!?」

 

 ガヴリールが盆の上に置かれた胡麻団子に手を伸ばす。空気を変えようとしてくれたのだろうが、それは天使をも一撃で屠ってしまうであろうバイオ兵器だ! 君に口にさせるくらいなら……!

 僕は胸の前で十字を切り、ガヴリールよりも先に胡麻団子を全部掴んで、己の胃袋に流し込んだ。

 

「初めて明久を格好良いと思ったぜ……」

 

「安心せい、AEDの準備はできておる」

 

「…………御武運を」

 

 僕はこの日、死んだお爺ちゃんと久しぶりに再会を果たした。

 

   ○

 

 保健室で目を覚ますと、時刻は清涼祭開始の十分前にまで迫っていた。

 一応僕はホール班のトップという立場なので(押し付けられた)、急いで制服に着替えて教室に向かう。すると、もう準備は万端といった様子で、クラスメイト達は自分の持ち場についていた。

 備品の最終確認と点呼を取り終えると、何故かレジに謎の投票箱を設置するガヴリールの姿が。

 

「何してんの?」

 

「んー。せっかく人間共がうじゃうじゃ湧くんだし、天使の仕事やっちまおうと思って」

 

「天使の仕事?」

 

「定期的に下界の情報をまとめて提出しないといけないんだ」

 

「へえー」

 

「明久も書いといてくれないか。こういうのは多いに越したことはないからな」

 

 ガヴリールからアンケート用紙を一枚受け取る。すっかり堕天してしまった彼女だが、こういうところはちゃっかりしてるのが何ともガヴリールらしい。

 

「で、何を調べてるの?」

 

 やっぱり世界平和の為には何が必要か、とかだろうか。あまり小難しいことは書けないので、簡単な質問だといいなあ。

 

「独身男性の好みのタイプ十選」

 

 これは予想外にもほどがある。

 

「確かに僕は独身男性だけど、未成年も含んでいいの?」

 

「いいんじゃない? その辺はテキトーで」

 

 ビックリするほど雑だ。

 ま、まあお客さんの割合は男性客の方が多くなるだろうし、丁度いいのかな?

 

「……」

 

 用紙に記入をしようとペンを取り出すと、ガヴリールはレジをカチャカチャと弄りながら、こっちをチラチラと瞥見していた。

 

「あ、あのさガヴリール。そんな風に見られてると、ちょっと書きづらいというか……」

 

「はっ、はあ!? 全然見てないんだけどっ!? い、いいから早く書いてよっ、もう文化祭始まっちゃうから!」

 

 驚くほどの剣幕で捲し立てられた。

 だが、開始時刻が迫っているというのは事実だし、僕は渋々アンケート用紙に向き直る。

 さて、好みのタイプか。独身男性の、とわざわざ限定している訳だし、この場合において尋ねられているのは、間違いなく異性のタイプのことだろう。

 可愛いとか美人とか、そういう回答も求められてはいないはずだ。もっと具体的な要素……うーむ、そうだな。

 僕が頭を捻っていると、ガヴリールが思い出したかのように言った。

 

「一応言っておくけど、カンガルーとかダチョウとかはダメだぞ」

 

「君は僕をなんだと思っているんだい?」

 

 聞くまでもないというか、聞きたくなかった忠告だ。まるで僕が二足歩行動物ならなんでも守備範囲みたいじゃないか。

 なんだか拍子抜けしてしまったので、僕は素直に、ふと思いついた三つの要素を紙に記入した。

 

「はい、ガヴリール」

 

「さんきゅ」

 

 アンケートをチラリと一瞥して、それをガヴリールは箱の中に押し込んだ。

 ちなみに僕の好みのタイプとは、金髪、巨乳、ポニーテールである。

 

「……」

 

「あいたっ」

 

 脛を蹴られた。ちゃんと正直に書いたのに……。

 

「うーっす。お前ら、喫茶店はいつでもいけるな?」

 

 すると、どこからか戻ってきた雄二がよく通る声で僕らに投げかけた。

 

「ホール班はバッチリじゃぞ」

 

「…………キッチンも完璧」

 

「よし。それじゃ、少しの間喫茶店は二人に任せる。俺たちは召喚大会の一回戦があるからな」

 

 雄二は霧島さんと、僕はガヴリールと組んでの出場である。参加することになるとは思ってなかったけれど、これも姫路さんの転校を阻止するためだ。頑張らないと。

 

「明久、トーナメント表だ。お前らの初戦の相手はDクラスの連中だぞ」

 

「Dクラスか。この前の試験召喚戦争で勝った相手だし、問題なさそうだね」

 

「……ああ、そうだな」

 

 何故か気まずそうに目を逸らす雄二からトーナメント表を受け取る。

 えっと、僕らの相手は……。

 

 一回戦 数学

『2-F 吉井 & 2-F 天真』

『2-D 清水 & 2-D 玉野』

 

 初戦から大波乱の予感しかしなかった。



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第十八話 召喚/叫喚ふぇすフェスFESTA!

バカテスト
以下の問いに答えなさい。
『PKOとは何か、説明しなさい』

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『Peace-Keeping Operations(平和維持活動)の略。
 国連が地域紛争に軍隊を派遣し、紛争の拡大防止や停戦維持などを目的とする活動のこと』
教師のコメント
 その通りです。また、PKOの一つにPKF(国連平和維持軍)というものもあります。こちらも覚えておくと良いでしょう。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『Player Kill Online の略。
 プレイヤーキル推奨のMMORPGのこと』
教師のコメント
 ちょっと殺伐としすぎだと思います。

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『パンがないなら・ケーキを食べれば・OKです の略』
教師のコメント
 それではBCOです。あなたはどこぞの女王様ですか。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
『ペゲーロ・岸・岡島 の略』
教師のコメント
 それはパ界の平和を守る人達です。


『──試験召喚大会一回戦の開始十分前になりました。参加者の皆さんは、特設ステージにお集まりください』

 

 ピンポーン、という軽快な音と共に、そんなアナウンスが校内放送で流れてきた。

 

「ほらガヴリール! もう開始十分前だよ!? 早く行かないと不戦敗になっちゃうよ!」

 

「いーやーだーっ! 私は絶対出ないぞ! 木下か土屋でも誘えばいいじゃないか!」

 

「もう僕らの名前でエントリーしちゃったんだって! いい加減諦めなって!」

 

「嫌だっ! そもそも、あの二人が相手だなんて聞いてないぞ! なんで見えてる地雷に自分から突っ込まなきゃいけないんだ! 私は教室に帰らせてもらう!」

 

「そりゃ僕も嫌だけど、それでも僕はどうしても優勝したいんだよ!」

 

「じゃあお前一人で頑張って! 私は陰ながら応援してるから! 草葉の陰から見守ってるから!」

 

「一人じゃ無理だからこうして頼んでるんだろこの駄天使!」

 

「人にものを頼むならそれ相応の態度を見せろこの馬鹿!」

 

 廊下の隅で、本気の口喧嘩をする高校生男女の姿がそこにはあった。

 ていうか、僕とガヴリールだった。

 事の顛末はこうだ。

 僕らは学園長の依頼で清涼祭の目玉イベント、試験召喚大会にペアを組んで参加することになってしまった。そして、僕らが優勝して学園長の依頼──曰く付きの優勝賞品を回収すること──を達成できれば、学校側が無償でFクラスの教室を改修してくれるのだ。そうすれば、僕らはまともな学習環境を獲得でき、姫路さんの転校を阻止できるはず。

 だからこそ、僕は人一倍気合を入れて、今日の大会に臨んでいた訳だが……。

 

「大会なんて何の意味があるんだっ! やりたい奴にだけやらせとけ!」

 

 僕のペアがご覧の通りなのである。

 彼女の名前は天真=ガヴリール=ホワイト。天使学校を首席で卒業し、天界から下界へとやってきたエリート天使なのだが、色々あってこんなグータラでダメダメの駄天使になってしまった。

 小さな体躯をめいっぱい使って柱にしがみつく姿は小動物のようで可愛らしいのだが、中身はダメ人間……いや、ダメ天使そのものだ。全く、誰に影響されたんだか。

 とはいえ僕も、彼女がここまで嫌がる気持ちが分からない訳じゃない。それは一回戦の対戦相手が、二年Dクラスの清水・玉野ペアだからだ。

 

 Dクラスの玉野さんといえば、初めて試験召喚戦争に挑んだDクラス戦で(色んな意味で)苦戦を強いられた、あの玉野美紀さんである。事あるごとに僕に女装を強要し、さらにはガヴリールにも手を出そうという、僕らにとってはもはやトラウマ的存在の危険度が限界突破した女の子だ。前回の対決では、僕とガヴリールの二人で応戦し、なおかつムッツリーニの奇襲があったからこそ辛勝することができた。しかし、今回はムッツリーニの加勢を得ることができない。その上、相手は玉野さん一人じゃないのだ。

 

 もう一人の対戦相手は清水美春さん。彼女も玉野さんと同じDクラスで、いかにも気の強そうなツリ目と、縦ロールをツインテールにした髪型が特徴な女子生徒である。口調はお嬢様然としていて、黙っていれば可愛らしい女の子なのだが、困ったことに彼女は、僕らのクラスメイト島田美波(♀)を崇拝と言ってもいいほど猛烈に慕っているのだ。ライクではなくラブのほうで。なお美波の方はその想いに応える気はないらしく、いつも突っ撥ねているけれど……。

 その一方で、彼女は男をとてつもなく毛嫌いしている。特に、美波とそれなりに仲の良い僕のような奴の存在は到底許しがたいものらしく、明らかな敵意を向けられてしまっているのだ。

 

 なのでこの対戦カードは、僕にとっての天敵二人と相対しなければならない。だから僕だって、姫路さんの転校が掛かっていなければ、とっくに尻尾を巻いて逃げ出している。

 だけど、姫路さんの転校を阻止するためなら、僕は絶対に逃げない。たとえきっかけは不運なものだったとしても、せっかくクラスメイトになれたんだ。彼女が転校を望まないのならば、できる限りそれに応えてあげたい。そして僕らには、この状況を打開できる手があるんだ。だったら、頑張るしかないだろう。その為にも、なんとかガヴリールを説得して──

 

「愚かねガヴリール。大会が何のためにあるか……ですって? それは勝者と敗者を選別するためよ! そして、その頂点に立つのはこの私。見てなさい人間ども、天使ども! 今日はずっとサタニキアタイムなんだから!」

 

 ガヴリールを説得しようとしてたら、なんか凄いやる気の人が乱入してきた。僕らのクラスメイトで(自称)大悪魔の胡桃沢=サタニキア=マクドウェルさんだ。

 

「あれ? 胡桃沢さんも召喚大会に出るの?」

 

「フッ、当然でしょ? この私が勝負から逃げるわけないじゃない。ねえねえガヴリール、あんたは出ないの?」

 

「うるさいなバカ、一人でバカ騒ぎしてろ」

 

「私と戦うのが怖いの? ま、やる前から結果は見えてるものねー、ププッ」

 

「あ? どういうことだよ」

 

「それは私が説明しますっ」

 

 と、胡桃沢さんの背中からひょこっと顔を出したのは、Aクラス所属でガヴリールの幼馴染である白羽=ラフィエル=エインズワースさん。彼女は僕とガヴリールに見えるように一枚のプリント──試験召喚大会のトーナメント表を広げた。

 

「私とサターニャさんペアと、ガヴちゃんと吉井さんペアは、同じDブロックに振り分けられています。そして、もし双方が勝ち抜いた場合、私たちは二回戦にぶつかることになるのです。なので、もしガヴちゃんが棄権した場合、まるでサターニャさんと戦うのを恐れて逃げ出したようにも見えますよね?」

 

「……いや、別にあいつは全然関係ないんだけど。むしろお前らこそ勝ち抜けるの?」

 

「私は優勝とか興味ないんで。ただ、サターニャさんが面白──格好いいバトルを見せてくれることに期待してるだけですっ♪」

 

「なーっはっはっはっは! 望むところよ! ただし、足だけ引っ張らないでよね!」

 

「はい! 全力でサターニャさん(の面白さ)をアシストする所存ですっ」

 

「……お前いい性格してるよなホント」

 

「あははは……」

 

 僕は苦笑するしかない。まあでも、胡桃沢さんは召喚獣の扱いに長けた観察処分者だし、白羽さんもAクラスに所属する成績優秀者だ。優勝候補の一角であることは間違いないだろう。

 胡桃沢さんが高笑いを上げながら立ち去った後、白羽さんは笑みを崩さぬままガヴリールに耳打ちした。

 

「ところでガヴちゃん、本当に棄権してしまってもよろしいのですか?」

 

「いいよ別に。だってアイツら相手するの嫌だし──」

 

「サターニャさん、さっきの理由で一週間は調子に乗ると思うんですけど」

 

「……」

 

「Dクラスのお二人を数分相手するのと、調子に乗ったサターニャさんを何日も相手するの、どちらが大変だと思います? 吉井さん♪」

 

「えっ僕? えーっと……」

 

 正直、Dクラスの二人のほうが大変な気がする。胡桃沢さんとは観察処分者の雑用で一緒にいることも多かったし、別に彼女のことは全然苦手じゃない。むしろ好ましいくらいだ。あそこまで何事にも全力な姿は見ていて心地いいし。

 だが、ガヴリールにとってはそうじゃなかったようで、

 

「……分かった、出るよ」

 

「えっ、ほんと!?」

 

 じっくり唸った末に、そんな嬉しい決断をしてくれた。さすが幼馴染の白羽さん、ガヴリールを煽る術を心得ている。

 

「ああ出てやるよ! ただし、出るからにはどんな手を使ってでも優勝するぞ!」

 

「うん! もちろんだよ! 一緒に頑張ろう!」

 

「うふふっ、ガヴちゃんと対戦するの、楽しみです♪」

 

 ガヴリールが参加の決意を固めたところで、僕らは立ち上がり、会場の特設ステージへと向かった。

 

   ○

 

「それでは、試験召喚大会一回戦を始めます」

 

 校庭の中央に作られたステージに、僕とガヴリールは並んで立っていた。

 今回、審判及び召喚フィールドを展開する立会人を務めるのは、数学の木内先生。今大会は、三回戦まで一般公開はないらしく、周りには順番待ちの参加者たちがぽつぽつと点在するのみだ。

 

「一回戦の教科は数学だよ! 頑張ろうねガヴリール!」

 

「ああ。頑張れよ明久」

 

 そんなやり取りを交わしていると、僕らと相対するように、ステージの反対側に二つの影が現れた。

 

「あっ、久しぶりだねアキちゃんガヴちゃん! 私はこの日をずっと待っていたよ、待ちわびていたよ! やっぱりこれって、きっと運命なんだよね……私たちは赤い糸で結ばれているんだね!」 

 

「うわっ、出た!」

 

 まるで野生動物でも出没したかのようなリアクションを取るガヴリールである。

 おでこと三つ編みが特徴的な女子生徒が、瞳に怪しい色を宿してそこにいた。彼女こそが、Dクラス所属であり僕の天敵でもある玉野美紀さんだ。その手には、何故か僕とガヴリールが着るのに丁度良さそうなエプロンドレスが二着握られていた。服のサイズを把握されているだと……!?

 ちなみに、ガヴリールの今の格好は先ほどまで来ていたチャイナドレスではなく、学校指定のジャージ姿である。やっぱり恥ずかしいからと着替え直してしまったのだ。とてもよく似合っていたので残念だけれど、相手が玉野さんならある意味着替えておいてよかったのかもしれない。

 

「明久、やっぱり逃げよう! こんな奴ら相手したくない!」

 

 既に半分泣きそうなガヴリールが、僕の制服の袖をグイグイと引っ張りながら訴えてくる。さっきまでやけにイライラしていたのは虚勢を張っていたからだったのか……。

 そんな目で言われてしまうと、思わず彼女を抱えてどこまでも遠くへと逃避行を繰り広げるべきなのではという衝動が抑えられなくなってしまう。どうにか一歩後ずさるだけで留まって──不意に、背後からとてつもない殺気が襲い掛かってくるのを感じた。

 

「死になさいブタ野郎!」

 

「ふぬおおおおおっ!?」

 

 振り向きざまに、肉薄してきた直線定規の先端を白刃取りの要領でなんとか受け止める僕。あ、危なかった……! もし気づくのが一秒でも遅れていたら、この定規は僕の頸椎を貫いていたことだろう。紛れもない人体の急所の一つである。なんてデンジャラス!

 

「おのれ吉井明久……ッ! いつもいつも美春の邪魔立てを! 大人しく汚い華を咲かせなさい!」

 

「そりゃ僕は命を狙われているからね!? 邪魔立てじゃなくて正当防衛と言ってほしいな!」

 

「そんな言葉は美春の辞書にはありません!」

 

「なんて自分勝手な辞書なんだ!?」

 

「問答無用です! 殺して解して並べて揃えて晒してやります!」

 

「それはもはや殺人鬼の思考回路だっ!」

 

 そして目が本気だ……! 一瞬でも気を抜いたら間違いなく殺られる! 召喚獣同士で雌雄を決するはずの召喚大会で、なぜ僕らは生身で戦っているのだろう?

 

「あー……お二人とも、召喚を行わないのでしたら、両者失格と見做しますよ」

 

 木内先生のそんな言葉に清水さんはギリィと歯噛みして、不承不承といった感じで定規を懐に収める。僕は完全に被害者なのだが、とりあえず助かった。

 

「ちっ、命拾いしましたねブタ野郎」

 

「その言葉をそのままの意味で受け取る日が来るとは思わなかったよ……」

 

 ふう、と一つ溜息を吐く。まだ一回戦だというのになんなんだこの重圧。はじまりの村を出ていきなり魔王とエンカウントしてしまった勇者の気分だ。

 彼女こそDクラス女子の問題児筆頭、清水美春さんである。玉野さんもそうだが、個人個人でも厄介なのに二人合わさるとその対応の難しさは倍以上だ。これは僕の天敵ランキングを久々に更新する必要がありそうだな……!

 

「では、召喚してください」

 

 そんな僕の内情を知ってか知らずか、召喚フィールドを展開する木内先生。彼は数学教師なので、当然展開されるフィールドも数学だ。

 

「「試獣召喚(サモン)!」」

 

 対戦相手である二人がお馴染みの掛け声を上げると、足元に魔法陣が現れて、そこから召喚者をデフォルメしたような姿の試験召喚獣が現れる。

 

 数学

『Dクラス 清水美春 108点 & 玉野美紀 99点』

 

 現れた二体の召喚獣。清水さんの方はローマ風の軍服と鎧にグラディウスを携えており、対して玉野さんの方はローブに杖と、まるで魔法使いといった出で立ちだ。点数自体はそこまで高いわけではないけれども、前の試験召喚戦争を経験して、Dクラスの彼女たちは召喚獣の操作にそれなりに慣れているはずだ。色んな意味で油断はできない。

 

「さて、僕らも行くよガヴリール!」

 

「うむ」

 

「「試獣召喚(サモン)!」」

 

 対抗するように声を張り上げ、僕らも召喚獣を呼び出す。呼応して現れた魔法陣から顕現する僕らの分身。相変わらず僕の召喚獣は改造学ランに木刀、ガヴリールはセーラー服に弓という装備だ。

 ガヴリールの召喚獣はこの中で唯一、遠距離攻撃が可能な弓を武器としている。なのでリーチでなら、僕らが圧倒的に有利なはず──

 

 数学

『Fクラス 吉井明久 63点 & ガヴリール 22点』

 

「……ガヴリール」

 

「なんだ、明久」

 

「二十二点って! 君全く勉強しなかっただろ!」

 

「違うぞ、これでもヴィーネに付きっきりで教えてもらったんだ」

 

「謝れ! 勉強を教えてくれた月乃瀬さんに謝れ!」

 

 そういえばガヴリールの苦手科目は数学だった。

 とはいえ、前の点数が一桁だったことを考えると大きな進歩なのだろうか。だがこの点数じゃ、折角のリーチも火力不足で活かすことができない気がする。

 

「よし明久、それじゃ例の作戦でいくぞ」

 

「例の作戦?」

 

 試合開始と同時に襲い掛かってきた清水さんの召喚獣の攻撃をいなしていると、ガヴリールがおもむろにそんなことを言った。僕は勿論作戦なんて考えていないし、ガヴリールからそれっぽい話を聞いてもいない。思い当たる節がなくなんだろうと首を傾げていると、彼女はこう続けた。

 

「まず片方の変態を明久が引きつけて──」

 

「ふむふむ」

 

 片方の変態というのがどちらを指しているのかが分からないけど、とりあえず囮作戦ってことかな? その隙にガヴリールが弓矢で急所を穿つとか?

 

「──その隙にもう片方の変態をもう一人の明久が討つ」

 

「もう一人の僕って何?」

 

 全然違った。僕は影分身の術を習得してるわけでも、古のファラオの魂をその身に宿しているわけでもないんだよ? というかガヴリールは何もしてない気がする。

 

「チッ、ヒューマンどもが手間かけさせやがって……いっそ世界そのものを終わらせて全てを無に帰すか」

 

 世界の終わりを告げるラッパを構えるガヴリール。そんなゲームのリセットボタンを押すような感覚で滅ぼされる世界って……。

 

「落ち着いてガヴリール! 今はこの戦いに集中しよう! 後でなんか奢るから!」

 

「よし分かった。私は矢で牽制するから、明久は二人の点数をなんとか削ってくれ」

 

 買収完了。相変わらず現物に弱い天使である。

 ガヴリールは召喚獣を一歩下げさせ、矢を次々に射る。一発一発には命中しても大した威力はないが、それでも鎧の隙間やむき出しの首や顔の部分を狙って、確実にダメージを蓄積させていく。相変わらず天使らしくない堅実ながらも陰湿な戦い方である。だが、味方ならばとても頼もしい。

 僕は矢の軌道を逃れるように体勢を低くしながら、清水さんの召喚獣に肉薄し木刀の一突きを放つ。

 

「その点数で真正面から向かってくるなんて、美春も舐められたものですね!」

 

「いや、舐めていないからこそだよ!」

 

 回避よりも迎撃を優先したらしい清水さんは、僕の木刀と交差させるようにして短剣を振るう。致命傷だけは避けるために、その軌道を木刀で弾き、そのまますれ違いざまに木刀を薙ぐ。この攻撃で清水さんの点数を減らすことには成功したが、逆にこちらの点数もそれなりに持っていかれた。操作技術はこちらに一日の長があるぶん、下手に回避行動を取られるよりもこっちのほうがよっぽど厄介だ。点数の暴力ほど恐ろしいものはない。

 

「美春ちゃん、私がガヴちゃんを担当するから、美春ちゃんにはアキちゃ──吉井くんをお願いしてもいいかな?」

 

「ええっ!? 珍しく正しい呼び方に訂正してくれたね玉野さん! それだけ真剣ってこと!?」

 

「勿論だよアキちゃん! だって優勝したらペアチケットがもらえるんだよ!? あ、でさ! ペアってことは、やっぱりタチとウケがあるものだよね! やっぱり私、アキちゃんは総受けだと──」

 

「聞きたくない! そんな生々しい話聞きたくなかったよ!」

 

 ペアチケットはそんな汚らわしい欲望のために刷られたものではないと思う。

 

「言われるまでもありません! この決定的に最低で最悪で愚かで劣悪なブタ野郎を始末することこそが、美春がこの世に生を受けたことの意味なのですから!」

 

 ある意味ここまで強く想われていると、逆に幸せな気すらしてくる。

 

「そして優勝したら、お姉様は美春のことを褒めてくれます、受け入れてくれます、愛してくれます! 愛し合う二人はずっと一緒、円満な家庭を気づくのです! ああ、待っていてくださいお姉様! 必ずやこの汚物を始末した後、貴女を迎えに行きます!」

 

 ある意味彼女は、愛の形の究極系なのかもしれない。

 喜々として汚れきった欲望を語る玉野さん清水さんとは対照的に、それをうんざりとした様子で聞いていたガヴリールの目はどんどん濁っていく。

 

「明久さん、こんな世界滅んでしまったほうがいいとは思いませんか……?」

 

「……うん。僕も一瞬だけど、同じことを考えちゃった……」

 

 そして前のDクラス戦みたいに、またガヴリールのキャラが崩壊しかけてる。

 いっそ誰もいない静かな場所に、二人っきりで逃げてしまいたい。僕にもそんな欲望が沸々と湧き上がってしまう。いやほんと、この二人を相手にするくらいなら、胡桃沢さんの悪魔的会談(デビルズトーク)にいくらでも付き合うよ……。

 

「美春とお姉様の恋路を邪魔するものは許しません……コロス……コロシマス……!」

 

「アキちゃん、ガヴちゃん、お着換え……しよ? 大丈夫、怖いのは一瞬だけ、すぐに忘れさせてあげるっ」

 

「くっ、君たちの好きにはさせるものか。僕とガヴリールの未来は僕ら自身のものだ! 誰にも決めさせないぞ!」

 

 何故だろう。まだ一回戦のはずなのに、気分的には頂上決戦だ。

 

「キシャアアアアアアアア!!」

 

 もはや猛獣と遜色ない清水さんが本能の赴くままに襲い掛かってくる。その威圧感に思わず気圧されてしまう。僕なんかが敵う相手ではないと、冷静な自分が警鐘を鳴らしている。

 だけど──僕は一人じゃない。クラスの皆の想いを背負ってここに立っている! だから、負けるわけにはいかないんだ!

 

「だらっしゃぁー!」

 

 突進してきた清水さんの攻撃をスライディングで躱し、なおかつ足を引っかけて躓かせる。だが清水さんが転倒することはなく、身体を反転させてうまく受け身を取られてしまう。だが、それで構わない。一瞬でも隙を見せた今なら。

 僕は木刀を真っすぐに構えた。そして、四つん這いの体勢から清水さんの召喚獣は一直線に突っ込んできた。──僕が構えた木刀の軌道上に、まんまと。

 

「ア……アア……」

 

 清水さんの短剣が僕を貫く数センチ前で停止し、そのまま幾つもの小さなポリゴン片となって、彼女の召喚獣は消滅した。

 

「や、やった──」

 

 と、喜んだのもつかの間、今度は玉野さんの召喚獣がすぐそこに迫っていた。

 

「なっ、玉野さん……!」

 

「美春ちゃんを倒して満足しちゃったのかな? これはタッグマッチだよ。最終的に、生き残っていたほうが勝ちなの」

 

 彼女の召喚獣は、杖をまるで棍棒のように振るって、僕の召喚獣を亡き者にしようとする。これは、避けられない……!

 

「バイバイ、アキちゃん」

 

 耐え難い痛みが襲うのを覚悟する──が、それよりも先に別の衝撃がやってきた。

 キィン、と。

 飛来した何かが、僕の召喚獣の木刀に衝突し、弾かれた。

 

「ああ、そうだよな──最終的に、私が生き残っていればそれでいい」

 

 ガヴリールだ。

 彼女の召喚獣が放った矢が、僕の木刀を弾いて向きを変えたんだ。そして、その木刀の先端は──迫っていた玉野さんの召喚獣の首元を、刺し貫いていた。

 

「あは……っ。やっぱり、私の入る余地なんて……ないんだねっ」

 

 玉野さんの召喚獣は点数を全て失い、清水さんの後を追うように幾何学的な結晶となって消滅した。

 

「勝者、吉井・天真ペア!」

 

 木内先生が勝者である僕らの名前を宣言する。一回戦突破だ。

 

「明久!」

 

「ガヴリール!」

 

「「いえーい! ハイタッチハイタッチ!」」

 

 満面の笑みで、仲良くハイタッチを交わし合う僕たち。

 多分、僕もDクラス二人の狂気に中てられて、ちょっとおかしくなっていたんだと思う。



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第十九話 中華喫茶ノルカソルカ

清涼祭アンケート
学園祭の出し物を決める為のアンケートにご協力下さい。
『喫茶店を経営する場合、店内はどのような雰囲気がいいですか?』

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『迷える魂を導き浄化できるような清廉とした雰囲気』
教師のコメント
 一部のクラスの人たちに、特に効果がありそうです。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
『地獄の釜の底のように邪悪と混沌を煮詰めた雰囲気』
教師のコメント
 掃除はちゃんとしてくださいね。

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『誰かのミスを全員でフォローし合えるような、和気藹々とした雰囲気』
教師のコメント
 素晴らしい心がけだと思います。上手くいくといいですね。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『私の不在を全員がフォローしてくれるような、和気藹々とした雰囲気』
教師のコメント
 サボる気満々じゃないですか。


「明久に天真よ。試合明け早々悪いのじゃが、ちょっといいかの?」

 

 ガヴリールと勝利の喜び(その他無事に天敵を撃退できた安堵等)を分かち合っていると、ここまで走ってきたのか、息を切らした様子の秀吉が特設ステージに上がってきた。

 

「どうしたの? 喫茶店で何かあった?」

 

 そう尋ねると、秀吉は神妙な顔つきで一つ頷く。

 

「営業妨害じゃな。うちの三年生が、テーブルを理由にクレームを付けてきておる」

 

「ああ、あれか……」

 

 ステージを駆け足で降りる秀吉を追いながら、ガヴリールは自嘲気味に笑う。僕たちFクラスが中華喫茶で使っているテーブルは、みかん箱を重ねてその上からクロスをかけたものだ。見た目は小洒落た家具といった趣だが、薄いクロスを一枚捲ってしまえば、その下にはとても綺麗とは言えない段ボールが姿を現す。それに気づいたお客さんに難癖を付けられてしまった、ということらしい。

 

「それなら雄二の出番だね。こういう荒事は、あいつに任せるに限るよ」

 

 ツンツン頭の悪友を思い浮かべる。雄二は中学時代、地元では札付きの不良だったので腕っぷしはめっぽう強いのだ。目には目を、歯には歯を、チンピラにはチンピラである。

 

「それがどうも、雄二はまだ召喚大会の一回戦が終わっていないみたいなんじゃ」

 

「えっ? そうなの?」

 

「うむ。だからこうして二人を呼びに来たわけじゃ」

 

 予想だにしてなかったことを秀吉が言うので、僕は思わず目を丸くしてしまった。

 というのも、雄二とペアを組んで召喚大会に出場している女の子、霧島翔子さんは、Aクラスの代表で、僕らの学年のトップ中もトップ、つまり学年首席なのだ。だから、いくら雄二のバカが低い点数を取って彼女の足を引っ張ろうと、一人で対戦相手二人を完封できるであろう実力が霧島さんにはある。なんたってあの姫路さんを凌ぐほどの実力なのだから。ならば、二人は運悪く一回戦から三年Aクラスの人たちとでも当たってしまったのだろうか。

 

「じゃあ雄二には期待できないね。ホント役に立たないゴリラだよね」

 

「だな。見世物になるだけ、動物園のゴリラのほうがマシだ」

 

「お主ら、少しくらいは代表を敬おうという気持ちはないのか?」

 

「「まったくない」」

 

「愚問じゃったな……」

 

 そんな話をしながら、少し速足で廊下を歩く。すると、廊下まで響く下品な大声が、教室から聞こえてきた。

 声の発信源は二人組の男たちだった。中肉中背の体格で、モヒカンと坊主頭のコンビだ。見るからにチンピラめいた風貌で、パイプ椅子に踏ん反り返っている。

 はて? そういえば、どこかで見たことある二人組のような……?

 

「なあ瑞希」

 

「あ、ガヴリールちゃん。一回戦どうでした?」

 

「無事勝ったよ、色んな意味で。そっちは?」

 

「なんとか勝てましたっ」

 

「そっか、よかった。ところでさ、クレーマーってあの二人で間違いない?」

 

「は、はいっ。注文の品を届けようとしてたところなんですけど……」

 

「じゃあそれは私がやっとく。瑞希は他のテーブルを頼む」

 

「え? でも……」

 

「だいじょぶだいじょぶ」

 

「じゃ、じゃあお願いします。気を付けてくださいね……?」

 

「おっけー」

 

 僕が記憶の糸を手繰っている間に、ガヴリールと先に試合を終えて戻っていた姫路さんがそんな会話をしている。胡麻団子の乗ったトレーを受け取ってテーブルの方へと向かうガヴリールに対し、姫路さんは少し焦った様子で僕の元にやってきていた。

 

「あ、明久くんっ。ガヴリールちゃんが……」

 

「う、うん。大丈夫かな……」

 

 心配だ。そして不安だ。あの二人組がガヴリールに対してあまりに不躾なことを言ったら、世界が終焉へと導かれてしまう可能性がある。

 

「あ、でもガヴリールは喫茶店でバイトしてるから、こういう対応には慣れてるかも」

 

「えっ? そうなんですか?」

 

「うん。駅前のエンジェル珈琲っていう店で」

 

「ガヴリールちゃん凄いですっ」

 

 尊敬の眼差しをガヴリールへと向ける姫路さん。ネトゲに課金しすぎてバイトしなきゃ生活費さえままならない状況だということは黙っておいてあげた方が良さそうだ。

 しかし、接客業に常日頃から携わっているというのは本当のことである。上手いことクレーム対応してくれよ、ガヴリール……!

 

「お待たせしました。胡麻団子と中国茶になります」

 

「遅ぇよ! ったく、この店には碌な店員もいねえのかぁ?」

 

「まっ、こんなテーブルで飯食う気起きねえからいらねえんだけどよ!」

 

 揃って下劣な高笑いを上げる二人組。それを見て、あわわわという様子で不安そうにガヴリールを見つめる姫路さん。だがガヴリールはこの程度の煽りに屈する天使ではないことを僕は知っている。なんとか穏便に──

 

 ビチャビチャビチャ……

 

 ──はい?

 ガヴリールは、お茶の入ったティーカップを盛大にひっくり返していた。坊主先輩の頭の上で。

 

「あ゛っちぃぃぃぃ!?」

 

「あ、すみません、つい手が勝手に。よろしければ、新しいお茶をご用意しましょうか?」

 

「おいついってなんだついって! 茶はいいからはやくタオル持って来い!」

 

「いえ、それはできません。お客様に温かいお茶を提供することこそが私の使命。お代は要りませんので、新しいお茶をこぼさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

 

「まだこぼすつもりなのか!? ここの店員は一体どうなってんだ!?」

 

「すみませんね、不出来な店員なもので。……で、もう私は戻ってもいいですかね?」

 

「いいわけあるか! 胡麻団子は置いてけ!」

 

「つ、常村……それよりタオルを」

 

「あ、そうでしたね。では胡麻団子おこぼししますね」

 

「こぼすな! 置け!」

 

「ちっ。へーい」

 

 かたん←胡麻団子のお皿をテーブルに置くガヴリール

 ぱく←一つ胡麻団子を摘まんで口に放り込むガヴリール

 もぐもぐ←リスみたいに頬っぺたを膨らませて咀嚼するガヴリール

 

「おっ、これ美味いな。もいっこ貰お。……あ、ではごゆっくりー」

 

 一つ礼をして、トレイを手にガヴリールは僕らの元へと戻ってきた。

 

「どうだ瑞希、明久。完璧な接客だっただろ?」

 

「あ、うん……。(火に油を注ぐ的な意味で)完璧な接客だったね……」

 

「ガヴリールちゃん、大丈夫ですかっ? 火傷とかしてませんかっ?」

 

「ん? 全然大丈夫だよ。自分にはかからないようにやったから」

 

「別の意味では大火傷なんだけどね」

 

 ガヴリールが本当にうっかりお茶をこぼしてしまったと勘違いしているのか、優しい姫路さんは心配そうに彼女の手を取る。

 そんな彼女の善意を裏切るようで悪いが、どう考えてもワザとだ。この駄天使、一回戦の憂さ晴らしもかねてやらかしやがったな。呆然としていた先輩二人は、案の定ブチ切れ寸前だ。

 

「ふ、ふざけんじゃねえぞテメェ! こんなことしてタダで済むと思ってんのか!?」

 

「ま、待ってください! ガヴリールちゃんは手が滑っちゃっただけで悪気があったわけじゃ……!」

 

「明らかにワザとだっただろ! 悪気しかなかっただろ! お前の目は節穴か!?」

 

 それには同意せざるを得ない。

 大声で暴言を捲し立てる二人。こ、これはまずいぞ……! なんとかして黙らせなくちゃ!

 

「流石はガヴリールね! この私に次ぐ悪魔なだけはあるわ!」

 

「私悪魔じゃねっつの。つか出てくんなよお前。こっちはクレーム対応で疲れてんだよ」

 

「はーっはっはっは! そうはいかないわ! 召喚大会で決着を付ける前に、どちらが優れた接客ができるか前哨戦といこうじゃない!」

 

「うるさいなあ。んじゃあお前もあいつら相手に接客してみろよ」

 

「ふっ、いいわ。私の悪魔的接客(デビルズサービス)、とくとその目に焼き付けなさい!」

 

 やばい! 今度は胡桃沢さんが先輩二人の対応へと向かってしまった! 周りを見渡すと、秀吉の姿は既になかった。もしかしたら今度は雄二を呼びに行ったのかもしれない。この場は僕が何とかしないと……!

 

「ムッツリーニ、いる!?」

 

「…………ここに」

 

 呼びかけると、彼は僕の足元にすぐさま現れた。何故か腹這いの体勢で。さてはこいつ、この騒動に乗じてスカートの中を覗こうとしていたな?

 

「ムッツリーニ、例の物ってまだ残ってる?」

 

「…………姫路の作った胡麻団子なら、食品サンプルとして展示している」

 

「あるだけ全部持ってきてくれないかな?」

 

「…………了解」

 

 一瞬消えたかと思いきや、すぐさま戻ってくるムッツリーニ。相変わらず忍者みたいな奴だ。本当に味方でよかった。

 

「…………何をする気?」

 

「まあ見ててよ。この場を収めてみせるからさ」

 

「…………健闘を祈る」

 

 そんな言葉を受け取ってから、胡桃沢さんを追うように僕も二人の先輩方に近づく。

 

「愚鈍な人間ども。さあ、この大悪魔胡桃沢=サタニキア=マクドウェル様に注文を申し付けなさい。できる限り善処する方向で前向きに検討してやるわ!」

 

「くる……なんだって? っていうか、それ先延ばしする時の常套句じゃねえか! いいからはやくタオル持って来いよ!」

 

「はあ~? もしかして、今時ハンカチの一つも持ってないの? 情けないわね」

 

「うるせえよ! ここの店員にまともな奴はいねえのか!?」

 

 うーん、この子らは接客=煽りと捉えているのだろうか? 流石はFクラスの仲間たちだ。

 

「胡桃沢さん、後は僕が殺っとくから、厨房の方をお願いしてもいいかな?」

 

「嫌よ。自らの役割を途中で投げ出すなんて、大悪魔の風上にも置けないわ」

 

「そういえば風の噂で聞いたんだけど、最近の大悪魔は料理がトレンドらしいヨ?(棒)」

 

「厨房ね! この大悪魔サタニキア様に任せときなさい!」

 

 スタタタタと厨房の方へと姿を消す胡桃沢さんを見送ってから、坊主先輩とモヒカン先輩に向き直る。

 って、あれ? 坊主とモヒカン……?

 

「…………あぁーっ! 思い出した! 前に千咲ちゃんを襲おうとしてた変態コンビか!」

 

「そう言うテメエは吉井明久! この間はよくもやってくれやがったな!?」

 

「へ? なんの話です?」

 

「とぼけんなァ! 俺たちを塩水まみれにしやがっただろーがっ!」

 

「う~ん……そんなこともあったような、なかったような……」

 

 あの時は必死だったから細かいことはよく覚えていない。確か木の上から紐無しバンジージャンプを敢行したことは覚えてるんだけど……。

 そんな僕らの会話に、周囲のお客さんたちが俄かに騒めき出す。

 

「へ、変態だと……?」

 

「そういえば、さっきも小さな女の子相手に怒鳴り散らしてたような……」

 

「うわ、最低だな……」

 

 図らずも、場の空気は僕らFクラスへの同情的なものに変わり始める。だが、さっきまでの二人のクレームのせいで、お客さんの数は随分と減ってしまっていた。

 

「ッチ! 興が冷めた! 夏川、こんな店とっとと出ちまおうぜ!」

 

「おう! こんな店、営業できなくさせてやる!」

 

 苛立たし気に立ち上がる二人。ふっ、バカめ! タダで返してやるわけがないだろう!

 

「ではお客様方。最後にこの新作の胡麻団子を召し上がっていきませんか? お代は取りませんので」

 

「はあ? いるかそんなもん。犬の餌にでもやっとけ!」

 

「まあまあそう言わずに」

 

「もごぁぁっ!?」

 

 姫路さん特性愛情たっぷりの胡麻団子を、モヒカン先輩の口に捻じ込む。風評被害が避けられないというのなら、最後に危険物処理でもしてから帰ってもらおう。

 痙攣してうまく歯を動かせないらしいので、顎を掴んで咀嚼するのを手伝ってあげる。一口三十回が目安だ。

 

「ふう、これでよし」

 

「あが、がっ、が……」

 

「常村ぁー!?」

 

 坊主先輩が失神してしまったモヒカン先輩を支えながら叫ぶ。この二人は常村と夏川っていうのか。んじゃあこれからは間をとって常夏先輩と呼ぼう。

 

「くっ、クソ! 覚えてろよ!」

 

 倒れた相棒を抱えて走り去っていく坊主の方の常夏変態……じゃない、常夏先輩。なんとか元凶を退治することには成功したものの、これで問題解決とはいかないだろう。

 

「お客さん減っちゃったなあ……」

 

 さっきまでの騒動のせいで、繁盛していたはずの店内は一気にがらんとして、閑古鳥が鳴いてしまっていた。雄二がいてくれればもう少し穏便に片付いたかもしれないことを思うと、自分への苛立ちが沸々と湧き上がってくる。

 すると、扉がガラッと開いて、数人の男子と共に秀吉が戻ってきた。

 

「演劇部で使う大道具用のテーブルを持ってきたのじゃが……少し遅かったようじゃな」

 

 クレームに対応するために、わざわざ持ってきてくれたらしい。僕も加勢してテーブルを運ぶが、秀吉の言う通り、少しだけ遅かった。

 

「こんな時、雄二がいてくれればのう……」

 

「ホントだよ。あの二人が一回戦でここまで苦戦するなんて」

 

「…………明久、秀吉」

 

「むっ、どうしたのじゃ? ムッツリーニ」

 

「…………これを」

 

 すっとムッツリーニが差し出してきたのは、小型のイヤホンだ。二本あるそれを秀吉と一本ずつ分け合って、耳に嵌める。

 

「一体何の音声なのじゃ?」

 

「…………特設ステージの音声」

 

「ってことは、雄二と霧島さん?」

 

「…………(こくり)」

 

 イヤホンからは、激しい打撃音と共に、慣れ親しんだ雄二の声が聞こえてきた。

 

『くっ、翔子! 危ないっ!(ドカッ)』

 

『……雄二』

 

『間一髪だったな! だがお前は俺が守ってみせる! だから下がってろ!(グイッ)』

 

『……雄二』

 

『おおっと危ない!(ボコッ)っく、こいつらやりやがる……!』

 

『……雄二、私の邪魔をするのなら──』

 

『何を言ってるんだ翔子。この俺がお前の邪魔をするような奴に見えるか?』

 

『──この婚姻届に判を押してもらう』

 

『命に代えても勝利を約束しよう』

 

 何やってんだアイツ。

 

「大方、霧島の足を引っ張って一回戦で敗退する腹積もりだったのじゃろうな」

 

「…………度し難い」

 

「はあ、ほんと雄二も諦めが悪いよね。あんな綺麗な女の子に好意を寄せられて、一体何が不満なのさ」

 

「…………全く以ってその通り。ところで明久」

 

「うん。分かってるよムッツリーニ」

 

「「焼き討ちに行くぞ」」

 

「お主らも負けず劣らず諦めが悪いように見えるのじゃが」

 

 今この時、僕らの心は間違いなく一つだった。



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第二十話 空前絶後バカバッカバトル

バカテスト
以下の問いに答えなさい。
『バルト三国と呼ばれる国名を全て挙げなさい』

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『リトアニア共和国、エストニア共和国、ラトビア共和国』
教師のコメント
 流石は月乃瀬さんです。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『ヴァルハラ王国、アルカディア王国、エル・ドラード王国(※ちなみに私はこのうち二つの国を救っています)』
教師のコメント
 そうですか。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
『バ帝国、ル帝国、ト帝国』
教師のコメント
 君にはガッカリです。

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『Lietuvos、Eesti、Latvijas』
教師のコメント
 白羽さんのこういうところ、先生は嫌いじゃありません。


「くたばれぇぇぇッッ!!」

 

「ぐはぁぁ!?」

 

 僕とムッツリーニの肘打ちを受けて地面を無様に転がるのは、我らがFクラス代表坂本雄二である。舞い上がった砂埃を吸い込んだのか、咳き込みながらゴミ野郎は起き上がった。

 

「な、なんだ!? 何故いきなり俺は襲撃を受けなければならんのだ!?」

 

「とぼけるな! 雄二のくだらない茶番のせいで、こっちは営業が危うくなってるんだ!」

 

「…………代表としてあるまじき愚行」

 

「何? まさか俺のいない間に営業妨害でもされたのか? 相手はどんな奴らだ?」

 

 勘の鋭い雄二の言葉を受けて、僕はクレーマー二人の姿を頭に思い浮かべる。一度見たら忘れられないような、モヒカンの変態と坊主頭の変態の先輩コンビだ。

 

「変態の二人組だよ!」

 

「すまん、該当者が多すぎて絞りきれん」

 

 本気で悩んでいる様子の雄二である。……おい、何故こっちを見るんだ。

 

「そういうことなら、早急に対策を講じる必要があるな。翔子、俺はFクラスに戻る」

 

「……分かった」

 

 小さく頷くのは、召喚大会で雄二とペアを組んでいるAクラス代表の霧島翔子さんである。大和撫子然としたその立ち姿は、下劣な品性しか持たない雄二とは明らかに釣り合っていない。

 

「ごめんね霧島さん。雄二がこんなのでごめんね」

 

「どういう意味だ明久コラ」

 

「……大丈夫。私はそんな雄二が好きだから」

 

「…………!」

 

「落ち着けムッツリーニ。落ち着いてそのスタンガンをしまうんだ。こんなところで暴行事件を起こしたら清涼祭どころじゃなくなる」

 

「……それに、雄二はさっき約束してくれた。命に代えても勝利を約束するって」

 

「ちなみに翔子。もしその約束を俺が果たせなかったらどうなるんだ?」

 

「……調教、拷問、処刑」

 

「「「…………」」」

 

 不穏な単語のみを残して、霧島さんは去っていった。

 

「なあ明久、ムッツリーニ。俺たち親友だよな?」

 

「……骨くらいは拾ってあげるよ。残っていればだけど」

 

「…………墓石は和風と西洋風、どっちがいい?」

 

「頼むから俺の死を前提に話を進めるのはやめろ」

 

 ブツブツと独り言を呟きながら恐怖に震える雄二を連れて、僕らは教室へと戻った。

 

   ○

 

 その後雄二の提案により、学校の備品であるテーブルをパクる……お借りすることで、無事に営業を再開することができた僕たちFクラス。懸念事項を一つ解消し、僕とガヴリールは再び召喚大会の特設ステージへと向かった。

 

「クククッ、逃げることなくやってきたようね。その勇気だけは褒めてあげるわ!」

 

 ステージ上で決めポーズを取り、そんな大仰な台詞を言い放つのは、クラスメイトの胡桃沢さんである。宣言通り、彼女も二回戦に勝ち上がっていたようだ。

 

「さあガヴリール! 今日こそ私とアンタの因縁に決着をつけようじゃない!」

 

「うざっ。お前ずっとそのテンションで疲れないの?」

 

 高らかに宣戦布告する胡桃沢さんとは対照的に、とことんうんざりした表情を隠そうともしないガヴリール。

 

「明久、とっとと片付けるぞ。そして私は休ませてもらう」

 

「う、うん。でも、そう簡単には勝てないと思うよ」

 

 僕らの相手は胡桃沢さんだけではない。もう一人、彼女とペアを組んでいる人も倒さなければならないのだ。

 

「そうですよガヴちゃん。私もそう易易と勝ちを譲るつもりはありません」

 

「ラフィ……」

 

 透き通るような声と共に胡桃沢さんの背後から現れたのは、皆さんご存知ドS天使、Aクラス所属の白羽さんだ。彼女の学力が相当なものだということは前回の試召戦争で分かっている。間違いなく、最も警戒するべき相手だ。

 

「吉井さんも、よろしくお願いしますね?」

 

「よ、よろしくね、白羽さん。あ、あのさ、僕はフィードバックのある観察処分者だし、もしよかったら──」

 

「分かってますよ、吉井さん」

 

「白羽さん……! ありがとう、手加減してくれるんだね……!」

 

「いい声で啼いてくださいね?」

 

 やばい、このままだとまた虐殺される。

 

「よしガヴリール! 胡桃沢さんは僕に任せて! 観察処分者同士、熱いバトルを繰り広げてみせるよ!」

 

「待て明久! それは私への負担があまりにも大きすぎる!」

 

「その覚悟や良し! 吉井、相手になってやるわ! いくわよラフィエル!」

 

「はい! サターニャさん!」

 

「──開け地獄の門。根源より導かれし亡者たちの魂を束ね、昏き深淵の底より今こそ解き放たれよ! 試獣召喚(サモン)!」

 

試獣召喚(サモン)ですっ♪」

 

 展開された魔法陣の中から現れる二人の召喚獣。

 

 古典

『Aクラス ラフィエル 177点 & Fクラス サターニャ 13点』

 

 胡桃沢さんの点数は流石の一言だ。期待を裏切らない。

 しかし、白羽さんの点数は少し予想外だ。勿論高得点であることに違いはないけど、前回日本史で教師レベルの点数を叩き出していた彼女にしては低めに感じる。

 

「あー……今回の教科は古典でしたか。ごめんなさいサターニャさん、苦手科目なんです。なんだかヒエログリフの解読をしているみたいで」

 

「案ずることはないわラフィエル。この私に任せておきなさい」

 

 胡桃沢さんの頼もしい言葉に苦笑いを浮かべる白羽さん。台詞は確かに格好良いが、点数が低すぎてどう返せばいいのか困っているみたいだ。しかし、これは間違いなく僕らにとってはチャンスである。

 

「13点のサターニャなんて、いないも同然! 明久、二人がかりでラフィを倒すぞ!」

 

「そうだねガヴリール! 僕たちのコンビネーションを見せてあげよう!」

 

「「試獣召喚(サモン)!」」

 

 いつもの掛け声で、僕たちも召喚獣を呼び出す。

 

 古典

『Fクラス ガヴリール 88点 & Fクラス 吉井明久 9点』

 

「……明久」

 

「……正直、悪かったと思ってる」

 

 この中で日本生まれ日本育ちは僕だけのはずなのに、どうして僕の点数が一番悪いのだろう。

 

「あらあら、吉井さんは本当にお勉強が苦手なんですね。よかったら、私が教えて差し上げましょうか?」

 

「え、本当?」

 

 なんて魅力的な提案なんだろう。女の子と二人で勉強だなんて、男なら一度は憧れるシチュエーションだ。

 

「はい。問題を間違える度に石抱を一枚ずつ増やしていくというのはどうでしょう? 一生懸命お勉強に励めること間違いなしです♪」

 

 人はそれを拷問と呼ぶ。

 一生懸命やるということに、本当に一生を賭けなければならない。

 

「ラフィ、明久に軽い気持ちで勉強を教えるのは止めておけ」

 

「どういうことです? ガヴちゃん」

 

「明久はお前の想像する以上に──空前絶後の馬鹿だ」

 

「なるほど……!」

 

「待って! 今の台詞の一体どこに納得したの白羽さん!?」

 

 そしてガヴリール、君に馬鹿とは言われたくない。

 

「流石は吉井ね……! この私が唯一認めた弟子なだけはあるわ!」

 

「なるほど、サターニャさんのお弟子さんでしたか。これは私では導けそうもありませんね」

 

「違うよ? 胡桃沢さんが勝手に弟子としてカウントしてるだけだよ?」

 

 そんな話を続けていると、立会人の先生から注意が入った。

 

「君たち、後が支えているので、試合を始めてください」

 

 なんだか僕たちの試合って、いつもこんな感じな気がする。一度くらいは穏便に事が運んでほしいものだ。

 

「よし、勝負よガヴリール!」

 

「まあ待てサターニャ。その前に一つ確認だ。あれを見てみろ」

 

 僕も釣られてガヴリールが指差した方へと目を向ける。そこには、僕らの名前と点数、そして所属クラスが表示されたディスプレイがあった。

 

「サターニャ、お前の所属は何クラスだ?」

 

「そんなの決まってるじゃない、Fクラスよ!」

 

「だよな。ならサターニャ、どうしてお前はそっち側に立っている?」

 

「……!!」

 

 衝撃を受けたかのような顔をする胡桃沢さん。対して白羽さんは冷や汗を浮かべている。

 

「あ、あの、サターニャさん?」

 

「そこにいるラフィは、私達にとってはライバルのAクラス。お前が本当に付くべき立場はどっちだ?」

 

「勝負よラフィエル! Fクラスの支配者として、アンタを倒してみせる!」

 

「サターニャさん!?」

 

「やったぞ明久。使い捨て装甲板を一つ確保だ」

 

 見事交渉に成功しウィンクするガヴリール。彼女の中での胡桃沢さんに対する評価が気になるところだが、これで少し状況が傾いた。

 

「いくらラフィエルとはいえ、三対一なら私達が圧倒的に有利! いくわよガヴリール! 吉井!」

 

「わかった! 白羽さん、覚悟って危なああああああ!? すんませんしたっ! 自分覚悟足りてませんでした!」

 

 白羽さんの召喚獣が放った一撃をギリギリで避ける。相変わらずなんて容赦のない攻撃なんだろう。僕が観察処分者だって知ってるくせに! 

 二度目の攻撃がくることを警戒して木刀を構え直したが、再び白羽さんが弓を射ることはなかった。いつの間にか彼女の背後に、ガヴリールの召喚獣の姿があったからだ。

 

「──あらガヴちゃん、いつの間に?」

 

「サターニャと交渉している時にこっそりとな。試合開始は宣言されてたし、文句ないだろ?」

 

「なるほど。流石はガヴちゃん、抜け目ないですね。完敗です」

 

「じゃ、降参ってことでいいか?」

 

「はい、私はそれで構いませんよ」

 

 弓を手放して、自ら敗北を認める白羽さんである。ガヴリール凄い! あの白羽さんをこんな簡単に倒してしまうなんて……!

 白羽さんが降参を宣言したことで、パッと笑顔になってこちらへ駆けてくるのはクラスメイトの胡桃沢さんである。この勝利も彼女の存在あってこそだ。勝利の喜びを共に分かち合おうじゃないか!

 

「やったわね二人とも! 私達Fクラスの結束が、あのラフィエルに打ち勝ったのよ!」

 

「胡桃沢さんのおかげだよ! ありがとう!」

 

「うへへっ、やめなさいよ、照れるじゃない!」

 

 恥ずかしそうに頬を掻く胡桃沢さん。

 

「ガヴリール、アンタもやれば出来るじゃない。私達が手を組めば、この世に敵なんて──」

 

「なに勘違いしてんだ?」

 

「……ひょ?」

 

「まだこの戦いに決着はついてないぞ」

 

 そう言って、ガヴリールは躊躇なく。

 弓矢を胡桃沢さんの召喚獣の顔面に叩き込んだ。

 

「ぐはぁぁっ!? 目が、目がぁぁ!?」

 

 顔を手で押さえながら地面をのたうち回る胡桃沢さん。観察処分者特有の、召喚獣のフィードバックによるものだ。胡桃沢さんの召喚獣は点数をすべて失い消滅してしまった。

 

「なんてことすんのよガヴリール! 私達、同じFクラスの仲間じゃなかったの!?」

 

「何を言うサターニャ。さっき私が言ったことを思い出せ」

 

 お前の所属は何クラスだ?

 どうしてお前はそっち側に立っている?

 お前が本当に付くべき立場はどっちだ?

 

「──仲間とは一言も言ってないよなぁ?」

 

 いっそ清々しいほどのゲスっぷりだった。

 

「……勝者、吉井・天真ペア」

 

 どこか不満げな先生の判定を受けて、僕らは無事三回戦進出を決めた。



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第二十一話 YESエンジェルNOタッチ

バカテスト
以下の問いに答えなさい。
『家計の消費支出の中で、食費が占める割合を何と呼ぶでしょう』

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『エンゲル係数』
教師のコメント
 正解です。流石ですね、月乃瀬さん。ちなみにエンゲル係数という名前は、論文の発表者である統計学者エルンスト・エンゲルに因んで名付けられました。

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『エンジェル係数』
教師のコメント
 そう答えると思っていました。エンジェル係数は養育費の割合を示すものです。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
悪魔的割合(デビルズパーセント)
教師のコメント
 ご丁寧にルビまで振らないでください。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『ヴィーネがやってくれるから気にしたことないです』
教師のコメント
 月乃瀬さんは召使いではありません。


「…………明久、買い出しをお願いする。材料がなくなりそう」

 

 というムッツリーニの依頼を受け、僕は試合終了早々にガヴリールたちと別れてから、近くのスーパーまで買い物にやってきていた。

 

「えっと、あずきに胡麻に白玉粉にエロ本に……って! 明らかに文化祭に不要な物が混じってるじゃないか!」

 

 なんて抜け目のない男なのだろう。自分の手を煩わせることなく、エロ本を入手しようとするなんて。

 僕は会計を済ませてスーパーを後にする。一人で来ているため、結構な重量だ。とはいえ、ガヴリールや胡桃沢さんには再びホールに入って貰う必要があったため、致し方ないのだが。

 

「──あの、すみませんっ!」

 

 僕がなんとか腕に負荷の掛からない持ち方を模索していると、そんな元気な声が耳に届く。なんだろうと周囲を見回してみるが、声の主らしき人はいない。

 

「こっちこっちっ!」

 

 服をクイクイと引っ張られたのに釣られて、視線を下の方へと落とす。そこには、小さな女の子が立っていた。

 

「あ、ごめんね。どうしたの? 道にでも迷った?」

 

 僕は腰を下げて女の子と目線を合わせてから問う。両サイドで結った金色の髪と、深い色をした大きな瞳が印象的な子だった。

 はて……? この子、誰かに似ているような……? 

 

「あのね、私ね、おねえちゃんに会いに来たの。でも、おねえちゃんの通っている学校が分からなくて……」

 

 その子は潤んだ瞳を伏目がちにしながら、状況を教えてくれた。

 どうやら、一緒に来た保護者の人が急な用事で一時的に帰らざるを得なくなってしまったらしい。そこでこの女の子は地図を預かり、一人でお姉ちゃんに会いに行こうとするも迷ってしまった、という訳だ。

 その地図を見せてもらう。やたら細かい地図で見づらかったが、赤ペンでマークがしてある場所には文月学園と示されていた。

 

「ここ、僕も通ってる学校なんだ。お姉ちゃんのところまで、僕が案内してあげるよ」

 

「ほんとう!? ありがとう、おにいちゃん!」

 

「どういたしまして。僕は吉井明久っていうんだ、よろしくね」

 

 僕が微笑むと、その子は屈託のない笑顔を満開にし、こう言った。

 

「じゃあ、アキおにいちゃんだね!」

 

「アキ……お兄ちゃん……っ!?」

 

 な、なんて破壊力なんだ! 僕はあまりの衝撃に一瞬立ちくらみを覚える。

 普段はバカだとかアホだとかばかり言われている僕である。お兄ちゃん、なんて甘美な響きなのだろう。その呼び方は、まるで五臓六腑に染み込んでいくかのような感覚だった。ああ、心が洗われる……。

 

「あれ、どうしたの? アキおにいちゃん?」

 

「気にしないで。僕は今、天に召されるような心地なだけさ……」

 

「アキおにいちゃーん!?」

 

 この子はまるで天使だ……。僕の知っている天使たちとは違う、本物の天使だ……! 

 

「あ、そうだ。私の名前も教えなきゃだね。私の名前はね、ハニエルだよっ」

 

「よろしくね、ハニエルちゃん。…………え?」

 

 ハニエル?

 なんだか、すごく外国人っぽい名前というか、天使っぽい名前だ。

 

「あ、あのさハニエルちゃん。一つ訊いてもいいかな……?」

 

「なぁに? アキおにいちゃん?」

 

 不思議そうに首を傾けるその仕草はやけに見覚えがあった。

 

「お姉ちゃんの名前も教えてもらっていい? もしかしたら、僕の知り合いの可能性もあるからさ」

 

「あ、そっか!」

 

 ハニエルちゃんは合点がいったように両手を合わせて笑みを浮かべる。そんな仕草にも見覚えがあった。

 いや、正確に言うと──あの駄天使が堕天する前は、こんな感じだった気がするのだ。

 

「私のおねえちゃんはね、ガヴおねえちゃんっていうんだよ!」

 

 思いっきり知り合いだった。

 というか、ガヴリールだった。

 

   ○

 

 そんな訳で、僕はハニエルちゃんと一緒に文月学園へ向かうことにした。

 僕が重い荷物を持っていることに気づくと、この子は自分も手伝うと嬉しいことを言ってくれた。小さい女の子に手助けしてもらうなんて男として情けないという考えも浮かんだが、親切を無下にするのも悪いと思い、一番軽い胡麻の入った袋を持ってもらっている。

 

「ねぇねぇアキおにいちゃん。学校でのガヴおねえちゃんってどんな感じ?」

 

「え゛っ」

 

 この子にとっては純粋な疑問だったのかも知れないが、僕は思わず変な声を出してしまった。

 学校でのガヴリールは、サボり、遅刻、授業中にゲーム、教科書への落書きとやりたい放題だよ──なんて、言えるわけがない。

 この子が知っているのは天界でのガヴリール。つまり堕天以前の姿のはずだ。ならば、どう答えるべきかは明白だった。

 

「え、えぇっとぉ……ま、真面目で成績優秀で、皆の見本になるような立派な生徒……かなぁ……」

 

「わぁ! やっぱりガヴおねえちゃんは凄いなぁ!」

 

 やめて……っ! そんなキラキラした目で僕を見ないで……っ! 

 ハニエルちゃんのあまりの純粋さに目を逸らしていると、彼女は腕に手提げ袋を通して、両手で輪っかになった紐を器用に操っていた。

 

「あやとり?」

 

「うん! 新しい技が出来るようになったから、ガヴお姉ちゃんに見せてあげるんだっ。ほら見て見て、ほうきっ!」

 

 ハニエルちゃんは小さな手を目一杯広げて、箒の形になったあやとりを見せてくれた。

 

「す、凄い! なんて芸術的なフォルムなんだ……っ!」

 

「えへへ、すごいでしょ~?」

 

 照れくさそうに微笑むハニエルちゃん。口では褒め称えつつも、僕は内心戦慄していた。

 この子は将来、あやとりで世界を取るかもしれない。それほどまでに完成されたシルエットだったのである。ガヴリールは絶対に興味を持たないだろうが、この子には間違いなくセンスがあった。

 そんな他愛のない話をしながら歩いていると、ようやく校舎が見えてきた。とはいっても、文月学園までの通学路は急勾配になっていて、ここを登らないと行けないわけだが。

 

「わあっ。おっきな坂道だね~」

 

 ハニエルちゃんは急勾配のてっぺんを見上げながら驚いている。その肩は少しだけプルプルしていた。荷物を持つのが辛くなってきたのだろう。

 ……僕は馬鹿だ。こんな小さな女の子に無理をさせてしまうだなんて。

 

「ありがとうハニエルちゃん。ここからは、僕に任せて」

 

「え……? アキおにいちゃん、どうしたの?」

 

 僕はハニエルちゃんから荷物を受け取り、それを両手首に引っ掛けるようにして持つ。

 

「乗ってくれ。ここからは特急列車だよ」

 

 そして、僕は彼女に背中を差し出した。

 

   ○

 

「わぁ! おにいちゃんはやーい!」

 

「こういうのは普段から慣れてるからね! 任せてよ!」

 

「アキおにいちゃんって、実はお馬さんだったんだね!」

 

「馬の後ろに鹿って付きがちだけどね!」

 

 僕は背中にハニエルちゃんを背負って坂道をダッシュしていた。普段からガヴリールを背負い慣れている僕にとって、これくらいはお安い御用だ。しかもその上、ハニエルちゃんは僕が歩きやすいように配慮してくれているのか、肩をガッチリと掴んで足もしっかりと回してくれている。いつも完全に脱力して他力本願な駄天使とは大違いだった。

 

「さあ着いたよハニエルちゃん! ここが文月学園だ!」

 

「わぁ! ここがガヴおねえちゃんの通う学校なんだ! おっきい!」

 

 向日葵のような笑顔で辺りを見回すハニエルちゃん。文化祭が開催中の学び舎に興味津々みたいだ。この笑顔が見れただけで、頑張った甲斐がある。

 

「吉井! 校門の前で何を騒いでいる! 来賓の方の邪魔になるだろう!」

 

「ゲッ、鉄人!?」

 

 そんな僕らの会話を目敏く聞きつけたのか、校門前に立っていた西村先生がこっちへと迫ってきた。

 

「全く貴様という奴は、清涼祭の日ぐらい大人しくできんのか! ……むっ。吉井、そのお嬢ちゃんは?」

 

「ああ、この子はハニエルちゃんです。迷子になっていたところを僕が──」

 

「誘拐してきたわけじゃあるまいな?」

 

「ちがぁーう! なんでそうなるんですか! 僕は無実ですよ!」

 

 教師ならもっと生徒のことを信じるべきだと僕は思う。

 

「ガヴリールの妹さんですよ! ほら、そっくりでしょう!?」

 

「天真の? ……ふむ、確かに面影があるな」

 

「ガヴおねえちゃんの妹のハニエルです! よろしくね、おじちゃん!」

 

「お、おじちゃん……!?」

 

 ハニエルちゃんの純粋無垢なその言葉に、鉄人が崩れ落ちた。

 

「吉井、俺はそんな歳に見えるか……?」

 

「どこに出しても恥ずかしいくらいオッサンだと思います」

 

「今度の補習、覚悟しとけよ」

 

「なんで僕だけっ!?」

 

 鉄人は見回りに行ってくるとその場を離れていった。去っていくその背中はやけに小さく見えた。僕や雄二に何と言われてもどこ吹く風な鉄人だが、流石に小さな女の子からおじちゃんと呼ばれるのは堪えたらしい。

 

「──あっ! バカなお兄ちゃんだっ!」

 

 鉄人と入れ替わるように、反対側からそんな元気な声が聞こえた。

 声からして小さな女の子だろう。そんな子からバカなお兄ちゃん呼ばわりだなんて恥ずかしい。そのバカは一体どこのどいつなんだ? 

 

「バカなお兄ちゃーん!」

 

 その子は長い髪を揺らしながら、僕に抱きついてきた。

 あはは。やだな、泣いてないよ? 

 

「葉月ちゃん? 清涼祭に来てくれたんだ」

 

「はいですっ! バカなお兄ちゃんに会うために、街中の人にバカなお兄ちゃんがいるところを教えてもらったです!」

 

 ヤバイ。僕の知らぬ間に、不名誉な二つ名が町内に拡散されている……!

 この子は昔にぬいぐるみの件で知り合った女の子、葉月ちゃんだ。

 

「バカなお兄ちゃん、その子は誰です?」

 

「アキおにいちゃん、その子だれっ?」

 

 小さな女の子たちが息ぴったりに尋ねてくる。

 それぞれ紹介すると、二人は歳も近いようですぐに意気投合していた。

 

「ハニエルちゃんって、外国人さんなんですかっ? 葉月もちょっと前まではドイツに住んでいたんです!」

 

「どいつ? ってどこにあるの? あ、私のお家は天界にあるんだよっ。……あれ、これって言っちゃダメなやつだっけ?」

 

「てんかい、ってなんです?」

 

 二人して首を傾げている。この話にはあまり深く突っ込まない方が良いだろう。

 

「あ、そうですバカなお兄ちゃん!」

 

「何? 葉月ちゃん」

 

「何? じゃないですっ! なんでハニエルちゃんをおんぶしていたんですかっ?」

 

 僕がなにか言うよりも先に、ハニエルちゃんが答えた。

 

「アキおにいちゃんはね、私のお馬さんなんだよっ!」

 

「違うよハニエルちゃん? 僕は人間だよ?」

 

「そうだったんですか!? バカなお兄ちゃんは葉月のお婿さんなのに、ハニエルちゃんのお馬さんにもなっちゃったんですかっ!?」

 

「えっ!? 葉月ちゃんとアキおにいちゃんって……えっ!?」

 

「違うよ葉月ちゃん? 僕は」

 

 その先を言うことはできなかった。

 いや、正確には、言うことができなくなった。

 両手両足を縄でグルグル巻きに拘束され、磔にされてしまったからだ。

 

「これより、異端審問会を開く。被告、吉井明久は異端審問会の血の盟約に背き、自分一人ロリっ子たちとの羨まけしからん行為に及ぶという大罪を犯した。これは事実に相違ないな?」

 

「「「相違ありません!」」」

 

「うわぁぁ!? 何するのさ皆ぁ!?」

 

「黙れクズ野郎。弁護の余地などあるまい。YESロリータNOタッチの誓いを忘れたか?」

 

「違っ、僕はそんなつもりじゃ! ただ困ってる子を見過ごせなかっただけで!」

 

「その偽善こそがロリコンという悪をのさばらせるのだ! 判決、有罪ッ! 死刑ッッッ!!!」

 

「うわああああああっっ!? キャンプファイヤー気分で僕を火炙りにしようとしないで!? ちょっ、ほんとに燃えてる! 燃えてるからぁあああ!!?」

 

 燃える炎の中で、僕は魔女狩りにあった人たちの気持ちをその身で味わっていた。



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第二十二話 バカと天使と冥土喫茶

バカテスト
以下の英文を訳しなさい。
『Although John tried to take the airplane for Japan with his wife's handmade lunch, he noticed that he forgot the passport on the way.』

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
道。』

教師のコメント
 訳せたのはそこだけですか。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『ジョンはパスポートを忘れたので、代わりに神足通で移動した』
教師のコメント
 ジョンは神通力の使い手ではありません。

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『ジョンは日本行きの飛行機に乗ろうとしたが、途中でパスポートも妻の手作り弁当も忘れていることに気がついた』
教師のコメント
 踏んだり蹴ったりですね。

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『ジョンは途中でパスポートを忘れていることに気がついたが、妻の手作り弁当を使って事無きを得た』
教師のコメント
 お弁当でいったい何をしたというのですか。


「わーっ! ガヴおねえちゃん久しぶりー!」

 

「ハニエル? なんでお前が下界──じゃない、清涼祭に?」

 

 二人の小さな女の子を連れて教室に戻ると、ハニエルちゃんは会計用のテーブルで暇そうにしていたガヴリールにぎゅっと抱きついた。それを受け止めて頭を撫でるガヴリールの顔には困惑が浮かんでいる。この反応を見るに、彼女はハニエルちゃんが下界にやってくることを知らなかったらしい。

 

「えへへっ。ガヴおねえちゃんの学校に行ってみたいって言ったら、ゼルおねえちゃんが連れてきてくれたんだよ!」

 

「え゛っ……」

 

 ハニエルちゃんの言葉に、ガヴリールの顔が一気に引き攣る。

 ガヴリールに姉と妹がいるということは彼女本人から聞いたことがある。そのゼルおねえちゃんという人が二人の姉で、天真家の長女なのだろう。

 

「も、もしかしてゼルエル姉さんも来てんの……?」

 

「ううん、急なお仕事で戻っちゃったんだ」

 

「うっしゃぁ! 急なお仕事ナイス!」

 

「でも、すぐ済ませてくるって言ってたよ?」

 

「マジか……マジかよ……!? さ、最悪だっ! まさか姉さんまでこっちに来るなんて!」

 

 やばいやばいと頭を抱えるガヴリールと、それを不思議そうに眺めるハニエルちゃん。

 

「ガヴリール、そんなに悲観することないんじゃない? せっかくの家族水入らずなんだから」

 

 そう言うと、ガヴリールはギラついた眼光を向けながら僕の肩を掴んだ。

 

「バカかお前は! 明久は知らないだろうけどな、姉さんは厳しい上に怒らすと凄く怖いんだ! 家族水入らずだと? ふざけんな! 姉さんが下界に来たら、私がぐうたら三昧できなくなるだろうが!」

 

 完全に怠け者の思考回路だった。だが、僕にもその気持ちはわかる。何故なら、僕にも姉がいるからだ。今は海外に留学していて日本にいないけど、もし姉さんが帰ってきたらと思うと──あれ? なんでだろう、震えが止まらない。

 

「クソッ、こうなったらどうにかして姉さんを騙くらかすしか……! 木下、ちょっと来てくれ!」

 

「な、なんじゃ!? 来てくれと言いつつ引っ張るでない!」

 

 ガヴリールは掃除をしていた秀吉の腕を無理やり掴み、向かいの空き教室に入っていった。

 

「ガヴおねえちゃん、どうしたんだろう?」

 

 ハニエルちゃんは首を傾げているが、僕にはなんとなく察しがついていた。

 秀吉の演技力についてはもはや説明するまでもないが、彼が演劇部のホープと呼ばれる所以はそれだけではない。様々な登場人物に自分を演出する、卓越したメイクの技術。ある意味変装の域にまで達しているその能力こそ、秀吉の真骨頂と言えた。

 その秀吉を連れて行ったガヴリールのやろうとしていることはつまり……。

 

「…………明久、例のものは」

 

「あ、ムッツリーニ。うん、ちゃんと買ってきたよ。エロ本以外」

 

「…………ッ!?」

 

「いや、そんな驚かれても困るよ。それより、なんでこんなにお客さん減ってるの?」

 

 材料の補充を頼むということは、さっきまで店内が盛況していたという証だ。それなのに、今の中華喫茶は閑古鳥状態であり、ぺんぺん草が生えそうな勢いだった。

 

「…………どうやら、良くない噂が流れているらしい」

 

「噂?」

 

「あっ、それなら葉月も聞いたですっ。Fクラスは汚らしいから行かない方がいいって……」

 

 顔を俯かせながらそう言うのは、美波の妹であることが判明した葉月ちゃん。ついさっき到着したばかりの葉月ちゃんの耳にも届いているということは、かなり悪評が広がってしまっているのだろうか。

 

「でも、教室はちゃんと皆で掃除したわよ?」

 

「お客様の中にも、不満そうな人はいませんでした」

 

「フッ、この私の悪魔的接客(デビルズサービス)に抜かりは無いわ」

 

 だが、実際にスタッフとして働いていた美波と姫路さんはこう言っている。胡桃沢さんも頑張ってくれているみたい。

 どうも不自然な乖離だ。確かに僕の見た限りでも、不満そうなお客さんは──いや、一組だけ居た。

 

「恐らく、明久達の言っていたクレーマーコンビだろう。そいつらが、どこか人の多い場所で悪い噂を流しているんじゃないか」

 

 雄二の言葉で僕は思い出す。ガヴリールに頭上でお茶をひっくり返され、僕が口内にメイドイン姫路さんの女死ごはんを詰め込んであげた、例の常夏コンビだ。

 

「こうなったら探し出して今度こそ殺るしかないね。葉月ちゃん、その話ってどこで聞いたの?」

 

「えっと──綺麗なお姉さんがいっぱいいるお店でした!」

 

「よし! 草の根分けてでも探し出すぞ!」

 

 僕らは女の子たちの軽蔑的な視線を受けながら、教室を全力で飛び出した。

 

   ○

 

「ここがその店か。よし、行くぞお前ら」

 

 ずかずかと入り込んでいく雄二を追う。ここは前の試召戦争の時にも訪れた、二年Aクラスの教室だった。葉月ちゃんの言っていた、綺麗なお姉さんがいっぱいいるお店というのも納得である。

 

「……ところでさガヴリール」

 

 ちらりと、隣の駄天使さんを見遣る。

 

「あ? なんだ、明久?」

 

「その格好は?」

 

「お構いなく。これはただ姉さんの目を欺いてやろうってだけの仮初めの姿なんでね」

 

「……」

 

 秀吉のメイクによって、見た目だけは聖天使時代にアゲインしたガヴリールの姿がそこにはあった。

 

「わぁ! お姉ちゃんも、綺麗なお姉ちゃんと同じくらい綺麗です!」

 

「そうか? サンキュー島田妹。私のことは、天使なお姉ちゃんと呼ぶがいい」

 

「はいです! 天使なお姉ちゃん!」

 

「この私のことは大悪魔なお姉ちゃんと呼びなさい! 島田の妹よ!」

 

「こっちのバカはバカなお姉ちゃんでいいからな」

 

「ちょ! 子供に変な呼び方を教えるんじゃないわよ!」

 

 その変な呼び方で呼ばれている僕はいったいなんなのだろう。というか、彼女たちは自分の正体について秘匿する気があるのだろうか。

 

「ガヴリール! さっきはよくもやってくれたわね! 今ここで借りを返してやるわ! 勝負よ!」

 

「はあ? あんな三文芝居、騙される方が悪いだろ。つーか勝負勝負って、お前それ以外の言葉知らないの?」

 

「う、うるさいわね! この私から逃げる気? だったらアンタの不戦敗になるけど?」

 

「ふざけんな。そんな横暴が通るとでも思ってんのか?」

 

「だったら勝負しなさい! この悪魔神バロムで、アンタを捻り潰してあげるわ!」

 

「上等だこの野郎。聖霊王アルカディアスで返り討ちにしてやるよ。天使の威光の前にひれ伏せ」

 

「やっとその気になったようね。さぁ、決闘(デュエル)よガヴリール!」

 

 Aクラスで恥も外聞もなく口論を始める二人。周りのお客さんの視線が彼女たちに集まり始めた、その瞬間だった。

 ザシュ! と。

 言い合いをしている二人の間に、どこからか飛来したフォークが突き刺さった。

 

「ガヴぅ? サターニャぁ? ちょーっと静かにしてもらってもいいかなぁ?」

 

 そんな怒気の溢れた声と全く目が笑っていない笑顔で二人に警告を促すのは、Aクラスの一員である月乃瀬さんだった。彼女はメイド服を身に纏っていてとても可愛らしいはずなのだが、その手には次は当てるぞとでも言わんばかりにナイフとフォークが握られており、恐怖を煽って仕方なかった。

 

「ちょ、ヴィーネ。刃物はダメでしょ刃物は……! 大体、私はサターニャの奴が喧しいから黙らせようとしただけで……!」

 

「ちょぉ!? なに自分だけ助かろうとしてんのよ! ヴィ、ヴィネット! 私達は客として来てあげたのよ! は、早くもてなしなさい!」

 

「相変わらずねアンタ達は。ほら、案内するから付いてきて。……あ、そうそう。また他のお客様の御迷惑になるようなことをしたら──分かってるわよね?」

 

「「は、はい……」」

 

 まるで赤べこのように何度も頷いて素直に従う二人。

 流石は大のイベント好きの月乃瀬さんだ。清涼祭に懸ける意気込みが本気すぎて、とてもじゃないが洒落が通じる雰囲気ではない。

 

「まあ、ヴィーネさんはずっと今日を楽しみにしていましたからね。こうなるのも已む無しです」

 

「あ、白羽さん」

 

 メイド服を着た白羽さんがやってきて、そんな事を言う。彼女の美しい銀色の髪と、メイド服の黒が、とても素敵なコントラストを生み出していた。

 

「吉井さん、さっきはよくもやってくれましたね?」

 

 殺気再び。

 

「ち、違うよ白羽さん! あれはガヴリールが勝手にやったことであって、僕は関与していないんだ!」

 

「おかえりなさいませ、お下僕様♪」

 

「それは絶対に今言うべき台詞じゃないと思う! 僕をどこに帰すつもり──ってお下僕様!? ご主人様じゃなくて!?」

 

 メイド喫茶って、こんなに戦々恐々としたものだったかな。もっと胸躍るような、夢の桃源郷みたいな場所だと思っていたのに。

 

「吉井君、それに白羽さん。他のお客さんに迷惑だよ」

 

 会話がヒートアップしてしまっていた僕たちにそう注意を促すのは、Aクラス所属で学年次席の男子生徒、久保利光くんだ。彼は今タキシード姿で、端正な顔立ちと長身によく似合っていた。

 

「ご、ごめんね久保くん。ほら、白羽さんも謝りなよ」

 

「久保さん、この度は吉井さんがご迷惑をおかけしてしまい本当に申し訳ございませんでした」

 

「さては白羽さん、僕に全責任を擦り付ける気だな!?」

 

 この人は本当に天使なのだろうか。時々疑問を覚える。

 

「あ、そういえば久保さん。そろそろ休憩の時間なんじゃないですか?」

 

 そんな白羽さんの言葉に、久保くんは腕時計を確認する。

 

「ふむ、そうだね。では、先にお昼休憩に入らせてもらおうかな」

 

「それなら、吉井さんと一緒にランチと洒落込んできては如何ですか? 二人っきりで♡」

 

「えっ……!? 吉井君と二人で、ランチ……!?」

 

 なんだか勝手に話が進められている気がする。

 あれ? なんだろう、急に寒気が……。

 

「おいどうする……。あのメイド、明久を冥土に引きずり込もうとしているぞ……」

 

「…………あまりにも残酷」

 

 視界の端で、雄二とムッツリーニがこそこそと何かを話していた。まあ、どうせまた良からぬことでも企んでいるのだろう。

 

「そ、そうだな……吉井君、君さえ良かったら、一緒にお昼ごはんを食べないかい?」

 

「ごめんね久保くん。誘いはありがたいんだけど、実は僕、お金がなくて……」

 

 ガヴリールの食べ歩きとさっきの買い出しで散財させられてしまい、今の所持金は殆どゼロなのだ。

 

「そうなのか……やれやれ仕方ないな。ランチくらいなら、僕が奢ろうじゃないか」

 

「ほんと!? 行く! 絶対行くっ!」

 

「あらあら、良かったですね久保さん♪」

 

 なんて良い人なのだろう。真のイケメンは性格も良いと聞くが、どうやら本当らしい。

 

「──あ、明久よ! こっちに来て一緒に食べるのじゃ! ワシらの分を少し分けてやるぞい!」

 

「え、秀吉? そんなに引っ張らなくても僕は逃げないよ?」

 

 しかし、凄い勢いでこっちに駆け込んできた秀吉に腕を引っ張られ、結局いつものメンバーと食事をすることとなった。せっかくの機会だったし、久保くんとも話をしてみたかったんだけどな。

 

「明久、お前はもっと秀吉に感謝したほうがいい」

 

「…………命の恩人」

 

「気にするでない。ワシはお主の友じゃからな、これくらい当然じゃ」

 

「ほぇ? みんな何を言ってるの?」

 

 まるで生死の境目から帰還した兵士でも見るような目を僕に向けている。

 

「あら~。残念でしたね、久保さん」

 

「構わないさ。それにしても──吉井君は本当に可愛いなぁ」

 

「うふふ♪」

 

 さっきから治まらないこの身体の震えは、きっと気のせいだと思い込むことにした。



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第二十三話 バカと悪魔とお化け屋敷

バカテスト
問 以下の問いに答えなさい。
学校に持ってきてはいけないものをあげなさい。

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『悪意』
教師のコメント
 月乃瀬さんほど立派な生徒を、私は他に知りません。

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『悪意』
教師のコメント
 同じ答えのはずなのに、何故かあなたからは他意を感じます。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
『後悔』
教師のコメント
 少しは持ってきてください……。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『最初から授業に出なければ関係ない』
教師のコメント
 既に出席日数が危ういので、ちゃんと登校してくださいね。


 卓上に置かれた塩をチビチビと舐めながら注文したお水をテイスティングする。流石はAクラス。無料の水ですら、水道水とは比べ物にならない旨味とのど越しだ。これがミネラルウォーターってやつなのだろうか。

 

「お店側としては、他にも頼んでほしいんだけどね」

 

 そう言って苦笑いするのは、僕らの注文を持ってきてくれた月乃瀬さんである。メイド服姿の彼女は、普段の家庭的で献身的な姿も相まって、とても麗しかった。あまりにも可愛すぎる。

 

「ごめんなヴィーネ。でも明久の主食は塩水だから、気にすることないぞ」

 

「どうせアンタが吉井くんに奢らせたんでしょ」

 

 シフォンケーキを頬張るガヴリールの頭に、月乃瀬さんの軽いチョップが下される。

 僕がメイド服に見惚れていると、月乃瀬さんは小さなお皿をテーブルの上に置いた。

 

「あれ? 僕、こんなの注文してないよ?」

 

 身に覚えのない品が現れて困惑する僕に対し、月乃瀬さんは口の前で人差し指を立てて、まるで隠し事をするように言った。

 

「サービス。普段から吉井くんにはお世話になってるからね。ケーキの切れ端だけど、味はちゃんと美味しいから、よかったら食べてね」

 

 茶目っ気たっぷりにウインクをする月乃瀬さん。そんな彼女の優しさに、僕は感動で打ち震えていた。

 

「ありがとう月乃瀬さん! このケーキは、僕の家宝として大切に保管するよ!」

 

「い、いや、できれば食べてほしいな……ケーキはすぐ悪くなるし」

 

 なんて、なんて良い人なんだ! これまで生きてきて、ここまで純粋な人の優しさに触れたのは初めてかも知れない。いや、月乃瀬さんは悪魔なんだけれど。なんで悪魔なんだろう……?

 

「ところで月乃瀬よ。話は変わるのじゃが、この辺りでクレーマーを見なかったかのう? 三年生の二人組なのじゃが」

 

「わっ、君が木下さんの弟くん……ほ、本当にそっくりなのね」

 

 Aクラス所属の月乃瀬さんは、当然木下優子さんとクラスメイトのはずだ。そんな彼女と性別という枠を超えて瓜二つな秀吉の存在に、月乃瀬さんは目を剥いていた。そして、一つ咳払いをして、少し離れた席の方へ視線を移す。

 

「このクラスは綺麗でいいよなぁ!」

 

「さっきの二年Fクラスの中華喫茶は酷かったもんな!」

 

 そんな下品な大声を上げるのは、先ほど僕らのクラスに営業妨害を仕掛けてきた例の常夏コンビだった。葉月ちゃんが聞いた噂というのも、奴らが発生源なのだろう。

 

「あの人達、さっきから通ってくれてるのはありがたいんだけど、ずっとあの調子で……」

 

 月乃瀬さんが困ったように言う。というか通い詰めているのか。あの人達も自分のクラスで出し物があるはずなんだけど、まさかサボってるわけじゃないよな。

 

「出入り禁止にすることも考えたんだけど、一応ちゃんと注文はしてくれてるし、こっちとしても対応に困っているのよね」

 

 なんということだ。奴ら、僕らFクラスのみならず、Aクラスの皆にも迷惑を掛けているだなんて。益々生かしちゃおけない! 

 

「待て明久」

 

「なんで止めるのさ雄二!」

 

「頭を使えバカ。ここで殴りかかったら、奴らの出任せが真実になっちまう」

 

 雄二の冷静な判断を受けて、僕は席に座り直す。確かに、店員が暴力行為を働くだなんて、営業停止処分を下されてもおかしくない。

 

「じゃがどうする? 奴らにこのまま悪評を流されれば、稼ぎ時の昼が終わってしまうぞい」

 

「…………俺達の身元を特定されないように黙らせるしかない」

 

「それならここにスペシャリストがいるだろう。なあ秀吉」

 

「む? ワシか?」

 

「なるほど。秀吉の変装があれば、正体が僕らだとバレずに奴らを殺れるね」

 

 まさに名案である。でも、暴力沙汰に縁のない秀吉が、上手く二人を殺ることができるだろうか。演劇部は体力も必要だろうし、決して腕力がないわけじゃないだろうけど……。

 

「そういうことだ。秀吉、それに明久、付いてこい」

 

「了解じゃ」

 

「えっ、僕も?」

 

「ムッツリーニは俺達が席を外している間、奴らの動向を見張っておいてくれ」

 

「…………了解」

 

「天真は……まあ、グータラしてるといい」

 

「へーい」

 

 言われるまでもなくグータラしているガヴリールに苦笑しながら、僕らは立ち上がった。

 

   ○

 

「──ったく、あの汚ぇ中華喫茶に行くやつの気が知れねぇぜ!」

 

「店は汚いわ変な臭いはするわ飯は不味いわ! おまけにぃ、店員はブサイクだしよぉ!」

 

「「ギャハハハ!!」」

 

「……………………コロス」

 

「あ? なんだ姉ちゃん。なんか言ったか?」

 

「ヒュー、結構可愛いじゃねぇか」

 

「くたばれぇぇーっ!!」

 

「うばぁぁぁっ!?」

 

 バックドロップを決め、坊主先輩の頭を床に打ちつける。脳天を痛打した坊主先輩は白目を剥いていた。どうやら意識を刈り取ることに成功したみたいだ。

 僕は今、霧島さんから借りた予備のメイド服と秀吉のメイクによって、謎の美少女メイド♂アキちゃんに大変身していた。この上ない屈辱だが、これも姫路さんの転校を阻止するため! 女装くらい幾らでもやってやるさ!

 

「て、テメェはFクラスの……!」

 

 相棒を失ったモヒカン先輩がそんな声を上げる。

 マズイ! 僕の正体がバレたら、中華喫茶の営業に支障が出てしまう! なんとかしなくては……!

 

「きゃああああっ!? この人、私のスカートの中を覗こうとしてますぅぅー!?(裏声)」

 

「ちょっと待て! まさか女物を穿いてんのか!? ていうかお前はおとふおおおおおお!?」

 

 突然モヒカン先輩の悲鳴が上がる。見ると、彼の足元には沢山のナイフとフォークが突き刺さっていた。

 

「お客様? うちのメイドに痴漢を働こうというのなら、責任者である私がお相手いたしますが?」

 

 そこには修羅のような笑顔で佇む月乃瀬さんの姿があった。どうやら僕を店員の一員だと勘違いしているらしい。彼女は僕の方へと駆け寄ってきて、背中を支えてくれた。

 

「大丈夫っ? 怖かったよね、もう大丈夫だからね」

 

 そして背中を擦ってくれる。別に怖くはなかったが、彼女の優しさに泣きそうになった。良い人すぎるよ、月乃瀬さん……!

 

「あなたたち! これ以上の狼藉は許さないわよ!」

 

「……今の一部始終を録音させてもらった」

 

「公衆の面前で破廉恥行為とは、このゲス野郎共が!」

 

 月乃瀬さんはビシッと常夏コンビに言い放ち、霧島さんと雄二がボイスレコーダーを見せつける。どうやら形勢は完全にこちらにあるようだ。

 視線が三人に集中しているうちに、倒れている坊主先輩の頭にブラを装着してあげる。最近の瞬間接着剤の性能は凄いんだぞ。

 

「クソッ、逃げるぞ夏川!」

 

「ま、待ってくれ常村! うぉ!? なんだこれっ、取れねぇじゃねぇか!」

 

 一目散にAクラスを飛び出す二人。坊主先輩の頭のブラが風にたなびいていて、非常に珍妙だった。

 

「逃がすかっ! 追うよ雄二! ……あれ? 雄二?」

 

 辺りを見回すと、メイド服を手に持った霧島さんに迫られている雄二の姿があった。

 

「……雄二、私は約束通りメイド服を貸した。だから雄二も着るべき」

 

「ちょっと待て翔子! 俺にそんな趣味は──嫌だぁああああ!!」

 

 楽しそうな二人を邪魔するのも悪い。ここは僕一人で追うか。

 

「よ、吉井くん!? なんでメイド服姿なの……?」

 

 あ、月乃瀬さんに正体がバレちゃった。まあ、別に彼女には隠す必要ないんだけれども。

 

「それより月乃瀬さん! あの二人を追おう! 無銭飲食だよ!」

 

「ハッ!? そうね、許せないわ! 行くわよ吉井くん!」

 

「待つんだ月乃瀬さん! できれば本名で呼ばないでほしい! 周囲の視線が僕に突き刺さるんだ!」

 

 このままだと僕は、女装趣味のある変態だと認識されてしまう……!

 

「そ、そうね……よし! 追うわよアキちゃん!」

 

「了解! でもその呼び方も勘弁して!」

 

 脳裏に浮かぶ三つ編みの女の子を振り払いながら、僕らは常夏コンビを追った。

 

   ○

 

 ひらひらのスカートを踏まないように階段を駆け上がる。常夏コンビは自分たちのテリトリーである四階に逃げ込んでいた。

 

「どうやら二人はこの教室に逃げ込んだみたいだね……行こう! 月乃瀬さん!」

 

「……」

 

「月乃瀬さん……?」

 

 隣を見ると、両手で肩を抱いてその場に立ち尽くし、ガタガタと震える月乃瀬さんの姿がそこにはあった。ちなみに常夏コンビが逃げ込んだ三年Aクラスの教室は、迷路風お化け屋敷という出し物を催していた。周囲は暗幕で覆われており、結構本格的な作りみたいだ。

 

「……えっと、月乃瀬さん」

 

「な、ななな、何かしら……?」

 

「もしかして、怖いの……苦手だったり?」

 

「じ、実はそうなの。あ、悪魔なのに、変よね……?」

 

 真っ青な顔で頷く月乃瀬さん。さっきまでとはまるで別人だ。本当に怖いものが苦手らしい。

 

「えっと、ここは僕がなんとかしておくから、月乃瀬さんはAクラスに戻ってもいいよ?」

 

「そ、そんなのダメよ! 無銭飲食を見逃すなんて絶対にダメだし、吉井くん一人に迷惑を掛けるわけには……!」

 

 そうは言いつつも、さっきから震えっぱなしの月乃瀬さんである。どうやら恐怖と責任感の間で葛藤しているみたいだ。月乃瀬さんにはさっきのケーキの恩もあるし、無理させたくはないんだけどな……。

 

「あの、二名様でよろしいのでしょうか……?」

 

 お化け屋敷の受付係をしている先輩が困ったような顔を浮かべながら尋ねてくる。そりゃあ、お化け屋敷は怖がらせるのが仕事とはいえ、入る前からこんなに震えている人が居たら心配にもなるだろう。

 

「いえ、僕一人──」

 

「二人でお願いします!」

 

 僕が断る前に、月乃瀬さんは涙目のままレジに小銭を叩きつけた。

 

「それでは、めくるめく恐怖の世界をお楽しみ下さい」

 

「い、行くわよ吉井くん……! わ、わわ、私には、文化祭を成功に導く使命があるんだから……!」

 

「あ、あんまり無理しないでね? それと、お金払ってくれて本当にありがとう。今度ちゃんと返すよ」

 

 何も言わずにさらっとこういうことができてしまうのが、月乃瀬さんの優しすぎるところだ。月乃瀬さんの前ではもうちょっと良い子にしよう。

 

「き、気にしないで……! 私も多分、これからすっごい迷惑掛けちゃうし……」

 

 そんなことを言う月乃瀬さん。彼女は自分を卑下しすぎていると思う。僕やガヴリールが迷惑を掛けてしまうのなら兎も角、彼女から迷惑を掛けられたことなど一度として無いというのに。

 

「あ、あの吉井くん……よかったら、手を繋いでもらえないかな……っ?」

 

「──ッ!?」

 

 一瞬で頭が真っ白になる。

 女の子と二人きりでお化け屋敷に入り、しかも手を繋ぐだなんて──そんなの、デートみたいじゃないか……!?

 お、落ち着け吉井明久! 落ち着いて呼吸を整えろ! 僕はこれまで、幾度となく人生の窮地を乗り越えてきたじゃないか!

 選択肢を誤るな……! ここで間違えたら、僕は一生後悔することになる!

 

「うん、分かったよ月乃瀬さん! 手を──」

 

「繋いだらコロス」

 

「──繋ぐのは転んだ時に危ないからね、ここは普通に進もうか!」

 

 あっぶなぁぁぁぁぁ!? 危うく殺されるところだった!

 そうだ。月乃瀬さんのファンは二年生だけじゃなく、先輩や後輩にもいるんだった! そんな彼女と手を繋いでしまえば、お化け役の三年生たちに間違いなく襲撃される……! この教室は暗がりだし、僕の死体の処理にも困らないだろう。

 

「えっ、ま、待って吉井くん! 置いていかないでっ!」

 

 涙声の月乃瀬さんに、罪悪感がズキズキと苛まれる。

 でもごめん! 僕だって自分の命が惜しいんだ!

 

「命拾いしたな女装野郎……!」

 

「なんでこんな変態とあんな可愛い子が一緒に……!」

 

「コロス……絶対にコロス……!」

 

「コンクリ……! ホルマリン……!」

 

 僕はお化けよりも、先輩たちの狂気の方がよっぽど怖かった。



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第二十四話 お姉さま降臨す/天使篇

バカテスト
以下の問いに答えなさい
入学時、どんな抱負を抱いたか答えなさい。

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『新しい土地での新しい生活。期待も不安もありましたが、皆と一緒に成長して乗り越えたいと思っていました』
教師のコメント
 素晴らしい答えです。月乃瀬さんが毎日を楽しく過ごせているようで先生も嬉しいです。これからも良い学校生活を送ってください。

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『最初は学校生活とは退屈なものなのではないかと不安を抱いていました。ですが、犬と本気の喧嘩をする方や入学式にセーラー服で出席する方と出会えたことで、その不安はなくなりました』
教師のコメント
 私はこの学校の行く末が不安です。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
『この私の封印されし魔眼が解き放たれ、真の大悪魔へ覚醒する時がやってくると今でも信じているわ』
教師のコメント
 目を覚ましましょう。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『                 』
教師のコメント
 せめて何か書いてください。


 天空と大地の境界。

 人の理から外れたその場所に、天使が住まう天界は存在する。

 

 そんな場所から下界を見下ろし、静かに佇む天使が一人。

 着物のような羽衣を纏い、白銀の翼を広げ、彼女は小さく呟いた。

 

「ガヴリール……」

 

 その天使の名は天真=ゼルエル=ホワイト。

 ガヴリールの姉にして、神の腕という異名を持つ、天界屈指の強さを誇る智天使である。

 

   ○

 

「へいらっしゃ……なんだ、明久か」

 

 常夏コンビの始末に失敗した僕は、月乃瀬さんと別れてFクラスに戻ってきていた。ガヴリールが扉の前で客引き(?)をしていたので、彼女と情報交換を行うことにする。

 

「それで、結局常夏コンビは見つからなかったの?」

 

「うん。僕がもっと奴らにダメージを与えられていたらよかったんだけど……。それに、月乃瀬さんには悪いことしちゃったな……」

 

 まさか月乃瀬さんがあそこまで怖がりだったなんて。普段だったらギャップ萌えを感じているところだが、今回ばかりは申し訳なさが上回っていた。

 

「中華喫茶の方はどんな感じ?」

 

「ボチボチってところだな。人間共の数自体は増えてるよ」

 

 教室の中を覗いてみると、確かにガヴリールの言う通りお客さんはそこそこ入っていた。お昼のピークタイムは過ぎてしまったので注文の量はあまり多くないけれど、さっきまでと比べれば上々と言えるだろう。

 

「客が居なかったら居なかったで困るけど、居すぎたら居すぎたでムカつくな……」

 

 どうやら結構忙しかったみたいで、ガヴリールはうんざりとした表情を隠そうともしない。彼女は一年以上接客業に関わっているはずなのだが、人混み嫌いは相変わらずらしい。

 まあ、こんなに可愛い子が客引きをしていたら店に入りたくもなる。見た感じ、明らかに男性客の方が多いし。

 

「で、だ。明久」

 

「ん? どうしたのガヴリール」

 

 こほん、と一つ咳払いをしてから、ガヴリールは言った。

 

「ヴィーネと何してたの?」

 

「え? 何してたって、一緒に常夏コンビを追跡して……」

 

「うん」

 

「その後、一緒にお化け屋敷に入っただけだよ?」

 

「……いやおかしいだろ」

 

 ガヴリールのツッコミに、僕の脳内は疑問符で埋め尽くされる。あれ? 僕、何かおかしなことを言っているだろうか。

 

「あ、もしかしてガヴリールもお化け屋敷行きたかったの?」

 

 一つの結論を導き出し、ポンと手を叩く。

 

「はぁ、もうそれでいいよ……」

 

 そう言ってる割には全く納得できていないように見えるんだけど。

 

「ま、私は一応これでも天使なんでね。お化け屋敷とか行かなくても、そのへんにいる幽霊が見えるんだけどな」

 

「え、幽霊ってほんとにいるの?」

 

「うん。明久の後ろにもいるぞ」

 

 さっと振り返って確認するが、そこには誰も居ない。

 もしかして背後霊ってやつだろうか。まさか僕が小さい頃に死んじゃったお爺ちゃんだったり……? 

 

「それってどんな人?」

 

「長い髪を振り回す、口の裂けた背後霊だ」

 

「多分、それは背後霊じゃなくて悪霊だと僕は思うんだ」

 

 できればガヴリールの天使パワーで成仏させてやってほしい。僕の平穏な学園生活のためにも。

 

   ○

 

 召喚大会の三回戦までまだ時間があるので、ガヴリールと交代して店員として働くことにした。悪い噂を流していた常夏コンビたちを排除したことでお客さんの数は膨大に増え、かなり忙しい。

 お客さんの話を聞くと、胡麻団子の評判はとても良いみたいだ。ムッツリーニさまさまである。姫路さんがウェイトレスをすることに合意してくれて本当によかった……!

 

「失礼。少年、ちょっと良いかな」

 

「あ、はーい」

 

 新しいお客さんが来てくれたみたいなので、案内に向かう。

 

「お一人様ですか?」

 

「ああ」

 

「では、こちらのお席にどうぞ」

 

 その人は着物のような服を着た、とんでもなく美人なお姉さんだった。

 透明感のある金色の髪と、どこまでも深い藍色の瞳が印象的である。

 

「ご注文はお決まりですか?」

 

「そうだな……この烏龍茶を貰えるだろうか」

 

「かしこまりました」

 

 オーダーを確認しながら、思わず顔を凝視してしまう。その人の静謐な佇まいは、パイプ椅子に座っていても様になっていた。

 

「それと少年。一つ尋ねたいことがあるのだが」

 

「あ、はい。なんでしょう?」

 

「このクラスにガヴリールという女子生徒がいるはずなのだが、知っているか?」

 

 その瞬間、僕の頭の中で点と点が線で繋がる。

 も、もしかしてこの人が……!

 

「し、知っていますけど……」

 

「そうか。ああ、名乗るのが遅れたな。私は天真=ゼルエル=ホワイト。ガヴリールの姉だ」

 

「が、ガヴリールの、お姉さん……!?」

 

「あ、ゼルお姉ちゃんだーっ!」

 

 どう対応すべきか頭を悩ませていると、喫茶店のお手伝いをしてくれていたハニエルちゃんが大きな声を上げて、こっちに駆け寄ってきた。

 

「無事に辿り着けたのだな、ハニエル。妹の成長を嬉しく思うぞ」

 

 そう言ってゼルエルさんはハニエルちゃんの頭を優しく撫でる。どこからどう見ても普通の仲睦まじい姉妹だ。ガヴリールが言っていたほど厳しい人には見えない。

 

「アキおにいちゃんがここまで連れてきてくれたんだよっ」

 

「そうだったのか。少年、妹が世話になったな」

 

「い、いえ。こちらこそ、ハニエルちゃんがお店を手伝ってくれて助かってます」

 

「そうか。偉いぞハニエル」

 

「えへへっ」

 

 ハニエルちゃんの頭を再び撫でてやるゼルエルさん。普通にまともそうな人だ。なんて羨ましい。僕なんか、僕の姉さんなんか……っ! 

 ガヴリールがどうしてあんなに警戒していたのか分からず困惑していると。

 

「──あ、いらっしゃい。ゼルエルお姉ちゃんっ」

 

 まるで漂白でもされたかのように綺麗になったガヴリールが、ゼルエルさんに挨拶しに来ていた。何故かその頭上には、ネコミミを装備している。

 何をやっているんだろう、この駄天使は。悔しいが可愛い……! 

 

「ガヴリールか。元気そうで何よりだ」

 

「うんっ! ゼルエルお姉ちゃん、今日は来てくれてありがとうっ! いきなりだったからビックリしたよー」

 

 この人誰だろう? 僕の知らない人だ。

 

「すまないな。私も忙しく、連絡をよこす時間がなかったのだ」

 

「そうだったんだね! あ、そうだお姉ちゃんっ。ここの胡麻団子、すっごく美味しいんだよ!」

 

「ほう、そうなのか。それは気になるな」

 

「私も食べてみたいっ」

 

「分かった。ではガヴリール、私とハニエルにその胡麻団子を一つずつ頼む」

 

「かしこまりましたっ♪」

 

 にっこりと頷いてから、ガヴリールは僕に伝票を手渡してきた。

 

「では明久さん。オーダー入りました、よろしくお願いしますね?」

 

「う、うん……。あ、あのさガヴリール……」

 

「なんですか? 何か気になることでも?」

 

 ずずいと顔を寄せてくる。凄まじい威圧感だ。

 

「……い、いや、なんでもない」

 

「そうですかそうですかっ。──余計なこと言ったらただじゃおかないからな」

 

 ゼルエルさんには聞こえない程度の声量でボソッと呟く。

 ガヴリールの笑顔が、今は異様に怖かった。

 

   ○

 

「えーっと、どれくらい持っていけばいいんだろう?」

 

 茶葉が足りなくなったので、空き教室に入って予備を持っていく。今は繁盛しているし、気持ち多めに持っていくことにしよう。

 

「──なあ嬢ちゃん。この学校にいる吉井明久って奴を知らねぇか?」

 

「吉井先輩ですか? もちろん知っています! 私にとって最も憎むべき相手ですから!」

 

「お、奇遇だねぇ。俺らもその吉井に用があんのよ」

 

 そんな会話が外から聞こえる。茶葉を両手に抱えて廊下に出ると、そこにはガヴリールの後輩天使である千咲=タプリス=シュガーベルちゃんがいた。

 彼女は僕の存在に気がつくと、ビシッと人差し指を立てて僕を指し示した。

 

「で、出ましたね吉井先輩っ! この人ですっ! この人が吉井明久です!」

 

「どうしたの千咲ちゃん? そんなに怒って」

 

「この前のことを忘れたとは言わせません! 今日という今日はあなたを成敗してみせます!」

 

 両手を握って僕を睨みつける千咲ちゃん。僕も随分と嫌われたものだ。

 

「おう、お前が吉井明久か?」

 

「ちょっとツラ貸せ……やっ!」

 

 言うが早いか、突然現れたその二人組の男たちは僕に殴りかかってきた。

 

「えっ!? いきなり何!?」

 

 チンピラたちの拳を回避する。雄二や美波の攻撃に比べたら動きに無駄が多く、避けるのは容易かった。

 

「吉井先輩、覚悟するですっ!」

 

「待つんだ千咲ちゃん! どうして君がそっち側についてるの!?」

 

 天使としてそれで良いのだろうか? 

 

「おい明久、あんまり廊下で騒ぐな。俺たちまで馬鹿だと思われる」

 

「あ、雄二」

 

 僕らが言い争いをしていると、タイミングよく雄二登場。暴力沙汰ならコイツにお任せだ。

 

「この二人が雄二に話があるんだって、相手してあげなよ」

 

「はあ?」

 

 困惑する雄二とチンピラ二人組を空き教室に押し込み、扉を閉める。

 さて、それじゃ後は千咲ちゃんをなんとかしないと。ガヴリールを呼んでくるのがもっと有効な対処法だろうけど、今彼女はお姉さんのことでそれどころじゃないだろうし、どうするかな……。

 

「……千咲、何してるの……?」

 

 千咲ちゃんと対峙していると、彼女の背後に別の女の子が現れた。片目を覆うほど長い黒髪と、その上に付けたカチューシャがよく似合っている子だ。誰だろう、千咲ちゃんの友達だろうか? 

 

「黒奈さん、下がっていてください……! 今、私にとって最大の宿敵をやっつけるところなんです……!」

 

「……敵?」

 

「はい! この人は、それはもう邪悪な悪魔でして……!」

 

「悪魔、ってことは……私の同族?」

 

 僕が人間であることをこの子にどう説明したもんか頭を悩ませていると、千咲ちゃんの背後に居たその女の子と目が合う。

 

「……」

 

「……」

 

 なんだか不思議な雰囲気の子だ。タイプ的には、霧島さんが近いかもしれない。

 

「……千咲、この人は悪魔じゃない」

 

「っ! 分かってくれるのかい!?」

 

「この人は……魔獣」

 

「……………………はい?」

 

 理解が追いつかず、素っ頓狂な声が出てしまう。

 魔獣って、ファンタジーとかに登場するモンスターのことだよね? 

 

「な、なるほど、そういうことだったんですかっ。だから吉井先輩は、野生動物のような思考回路をしていたんですね!」

 

「……うん。多分……馬とか、鹿とかの魔獣」

 

「待って! どうしてその二つの動物を連想したの!?」

 

 それぞれ単体ならまだ別の結論を導き出せるかもしれないが、その動物たちから連想される単語は一つしかない。

 

「……魔獣をいじめるのはダメ。千咲、魔獣愛護団体に訴えられる」

 

「そ、そうですね。吉井先輩、先ほどはすみませんでした」

 

「あ、うん。こっちこそなんかゴメン」

 

 ペコリと頭を下げる千咲ちゃん。この子、基本的には良い子なんだよね。だからこそ、清水さんみたいにならないよう祈るしかない。

 

「では私達はこれで。行きましょう、黒奈さん」

 

「……うん」

 

 去っていく二人を見送ってから、Fクラスに戻ろうとしていると、空き教室から雄二が出てきた。

 

「明久、ぼけっと廊下に突っ立ってないで、早くムッツリーニに茶葉を届けてやれ」

 

「あ、そうだね」

 

 その雄二の背後には、ビニールシートに包まれた二つの物体が転がっている気がしたが、僕は何も見なかったことにした。



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第二十五話 勘違いスクランブル

バカテスト
問 以下の問いに答えなさい
火傷をした時の正しい処置を答えなさい。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『絆創膏を貼る』
教師のコメント
 天真さんの一人暮らしが先生は心配でなりません。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
『心頭滅却すれば火もまた涼し』
教師のコメント
 格好良く言っていますが、つまりは我慢ということですね。

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『液体窒素で冷やす』
教師のコメント
 必ず専門家の指導のもとで行ってください。

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『急いで患部を冷水に当てる。この時、衣服を着ていても無理に脱ごうとしてはいけない。皮膚が破けてしまう可能性があるためである。患部を長時間冷やした後は清潔なガーゼやタオルで軽く覆う。症状が重い場合は必ず病院を受診し、軽度でも不安があれば病院にかかったほうが安心。また低温火傷の場合は対処法が異なっており――』
教師のコメント
 全部言ってくれたので、先生から言うことは何もありません。


「見て見てガヴおねえちゃん、ゼルおねえちゃん。手がベタベタになっちゃったっ」

 

「全くもう、ハニエルは慌てん坊ですね」

 

「だが、確かにこの胡麻団子は美味だった。礼を言うぞ、ガヴリール」

 

「うんっ、すっごく美味しかった!」

 

 Fクラスに戻ると、そこには三姉妹で仲良く談笑するガヴリールたちの姿があった。その光景はとても微笑ましいもので、仲睦まじい姉妹にしか見えない。少なくとも、ガヴリールが言っていた怖いイメージは、ゼルエルさんには皆無だった。

 

「そこの少年。すまないがハニエルをお手洗いまで案内してやってくれないか?」

 

「あ、はい。もちろん良いですよ」

 

 どうやら胡麻団子を食べたことで、手が油まみれになってしまったらしい。まあ、食べ方に少しコツがいるからね。小さい子だとこうなってしまうのも仕方ない。僕が食べた胡麻団子も、別の意味で食べ方と生命維持にコツが必要だったし。

 

「こっちだよ、ハニエルちゃん」

 

「ありがとう、アキおにいちゃんっ!」

 

 屈託のない笑顔を浮かべるハニエルちゃん。純粋で可愛い。文月学園という魑魅魍魎の巣窟の中で、この子はあまりにも眩しく、僕も釣られて笑顔になってしまう。

 

「──さて、やっと二人になれたなガヴリール」

 

「えっ? な、なに? 姉さん、顔が怖いよ……?」

 

 だからガヴリールとゼルエルさんの不穏な会話は、僕の耳に届かなかった。

 

   ○

 

 廊下に出ると、制服に着替えた姿の白羽さんとばったり出くわした。どうやら休憩時間だったらしい。彼女を見ると同時に、ハニエルちゃんがダッと駆け出す。

 

「ラフィおねえちゃんだっ! ラフィおねえちゃん久しぶりー!」

 

「あら、ハニちゃん」

 

 油まみれの手で触れないようにしながらも、ぎゅっと白羽さんに抱きつくハニエルちゃん。ガヴリールと白羽さんは天使学校時代からの付き合いらしいから、その妹のハニエルちゃんとも交友があったのだろう。

 白羽さんは目線の高さを合わせるようにしゃがんでから言った。

 

「まさか、お一人で下界まで?」

 

「ううん、ゼルおねえちゃんも一緒だよっ」

 

「まあ、ゼルエルさんが? それは挨拶に伺わないといけませんね」

 

 ハニエルちゃんの頭を撫でてあげる白羽さんである。どうやらドSの白羽さんも、子供には優しいらしい。その優しさの一割でも僕にも向けてはくれないものだろうか。

 

「それで、ハニちゃんと吉井さんはどこに向かおうとしていたんですか?」

 

「あ、そうだったっ。えっとね、アキおにいちゃんと一緒にお手洗いに行くところなんだよ!」

 

「えっ……?」

 

 白羽さんは据わった目つきで僕を一瞥した後、何故か携帯電話を取り出した。

 

「──もしもし警察ですか?」

 

「待って白羽さん! 誤解! 誤解だからっ!」

 

 携帯電話を取り上げ、通話を切断する。あ、危なかった……! 危うくこの歳で前科がつくところだった……! 

 

「ロリ井さん、いくらモテないからといって、こんな小さな子を狙うのはマズイと思うんです」

 

「だから誤解なんだって! 確かに僕はモテないかもしれないけど、やっていい事と悪い事の区別くらいは──ってロリ井!? お願い、その呼び方だけは本当に勘弁して!」

 

 ただでさえ雄二のせいで同性愛者説が流れているのに、ロリコン説まで流れたら、この学校の女子は僕と話どころか目さえ合わせてくれなくなってしまうだろう。

 

「? ラフィおねえちゃん、ロリ? ってなぁに?」

 

「ハニちゃんはまだ知らなくていいことですよ」

 

「そうなの?」

 

 首を傾げるハニエルちゃん。純粋なこの子と比べて、自分は汚れきってしまっているという現実に悲しくなった。

 

「じゃアキおにいちゃん、行こっ!」

 

「あ、うん。廊下は走っちゃダメだよ?」

 

 まあ僕は普段から走り回ってるけれども。

 

「はーい!」

 

 元気に手を挙げて返事をするハニエルちゃん。やっぱり良い子だなぁ。

 

「あらあら。すっかり懐かれてますね、吉井さん」

 

「あはは、なぜか昔から小さい子には好かれるんだよね」

 

「やっぱり警察に……」

 

「だからそういう意味じゃないんだってば!」

 

 彼女の目は未だに僕のことを疑っていた。

 

「……まさかゼルエルさんが来るなんて。ガヴちゃん、大丈夫でしょうか」

 

 別れ際、白羽さんが何か呟いた気がしたが、それは周囲の喧騒で聞こえなかった。

 

   ○

 

「…………大変。天真が誘拐された」

 

「えぇっ!? ガヴリールが!?」

 

 教室に戻ると、慌てた様子のムッツリーニからとんでもないことを伝えられた。

 

「誰っ!? どんな奴に連れて行かれたの!?」

 

 早く救出しないと! 最悪の場合、ブチギレたガヴリールの手によって世界が滅んでしまう! 

 

「…………和服を着たスレンダー美人」

 

「あ、それなら問題ないね。その人、ガヴリールのお姉さんだよ」

 

「なんと、天真にも姉上がおったのか。言われてみれば、確かに似ておったのう」

 

「…………納得」

 

 ムッツリーニと近くにいた秀吉が頷く。良かったぁ、ゼルエルさんならガヴリールをちょっと連れ出したところで何の問題もない。世界が滅ばずに済んだ。

 

「ちなみに、連れ去られる天真の最後の言葉は『せめて今日のネトゲイベントが終わってからにしてー!』じゃったぞ」

 

「…………天真らしい」

 

 できればもっと優先してほしいことが山程あるが、ガヴリールが無事だと分かったので良しとしよう。

 

「しかし明久よ。お主、召喚大会はどうするのじゃ? そろそろ三回戦の時間じゃろ?」

 

「あっ」

 

 秀吉に言われて思い出す。

 そう、もうすぐ召喚大会三回戦の開始時刻なのだ。今大会では参加者の途中交代が認められていないから、このままガヴリールが不在だと僕は不戦敗になってしまう。

 僕は召喚大会のトーナメント表を取り出し、三回戦の科目を確認する。

 

「秀吉、ムッツリーニ! 頼みたいことがあるんだ!」

 

「むっ、なんじゃ? ワシに出来ることなら協力するが……」

 

「…………俺は今、厨房の仕事で忙しい」

 

「報酬として今度、最近仕入れた秘蔵のコレクションを持ってくるよ」

 

「…………友のためなら協力は惜しまない」

 

 頼もしい親友二人に作戦内容を話し、僕は召喚大会の特設ステージへと向かった。

 

   ○

 

「どうじゃ明久。ちゃんと天真に見えるかのう?」

 

「バッチリだよ秀吉! 流石は僕のお嫁さんだ!」

 

「婿の間違いじゃろ」

 

 ガヴリール──ではなく、秀吉と共にステージの階段を昇る。僕の考えた作戦は、変装の達人である秀吉に、ガヴリールの代理を務めてもらうというものだった。

 女子制服を着て金髪のウィッグを被り、その上でメイクを施した秀吉は、ガヴリールを忠実に再現している。二人の間にある体格差も、制服を大きなものにすることで目の錯覚を利用し、違和感を減らしている。これがプロの技なのか。やっぱり秀吉はすごいや。

 

「でも、何かが足りない気がするんだよね……」

 

 じーっと秀吉を凝視する。確かに、外見は完璧と言っていい。だがなんだろう、この引っかかる感じは。

 

「ああそっか! 目に滲む世の中舐め腐ってます感が足りてないんだ!」

 

「お主、天真のことをよく見ておるの……」

 

 秀吉は演劇にひたすらストイックな奴だ。ぐーたらで人類破滅主義者のガヴリールとは対極に位置する存在と言ってもいい。それ故に、いくら秀吉の演技力が高くても、そこまでは再現できなかったみたいだ。

 そんな話を秀吉としていると、待機スペースにいた二人が僕らに話しかけてきた。こちらも三回戦を間近に控えた、姫路さんと美波だ。

 

「あ、あのっ、明久くん、ガヴリールちゃん」

 

「ちょっと訊きたいことがあるんだけど……いい?」

 

 なんだか緊張している様子でそう尋ねてくる二人。やっぱり試合前はドキドキしちゃうよね。

 

「うん。何かな?」

 

「ゆ、優勝したら、誰と行くつもりなんですかっ!?」

 

「説明しなさいアキ!」

 

「ほぇ? 何の話?」

 

 僕が頭を悩ませていると、秀吉が小声で教えてくれた。

 

「恐らく、優勝賞品のペアチケットのことじゃろうな」

 

「ああ、如月ハイランドだっけ?」

 

 思い出した。ババア長から回収を命じられている、あのペアチケットか。

 う~ん……。誰と行くっていわれても、あれは交換材料だから当然優勝しても僕の手には渡らないわけで。でも本当のことを言うわけにもいかないし、どうしよう。

 

「落ち着きなって二人とも。明久は何にも考えてないからさ」

 

 ガヴリールの演技をした秀吉が二人を仲裁してくれる。さすが秀吉、声までそっくりだ。

 

「その落ち着きっぷり……やっぱりアキは天真さんと!?」

 

「ガヴリールちゃん、そうなんですかっ!?」

 

「うえ? えっと、そのぉ……」

 

 すごい剣幕で二人に迫られ、流石の秀吉もしどろもどろだ。秀吉には無理を言って協力してもらっているわけだし、ここは一つ、僕がこの場を収めてみせよう。

 

「待って二人とも! 僕がチケットを渡す相手はもう決めてるんだ!」

 

「そ、それは誰なんですか!?」

 

「それは……」

 

 その瞬間。僕の頭は今までにないほど高速で回転を始めた。僕がペアチケットを渡しても違和感がない相手、それは──

 

「雄二に渡すつもりなんだっ!」

 

 霧島さんという彼女がいる雄二しかいない! 

 これなら二人も、僕が親切心から雄二にチケットを譲ろうとしているのだと納得してくれるだろう。

 

「「「ええぇっ!?」」」

 

 そのはずなのに、何故か盛大に驚かれた。しかも秀吉にまで。

 

「そ、そんな……! 明久くんはなんだかんだで女の子が好きだと思っていたのに……!」

 

「やっぱり、アキは坂本と幸せになるつもりなの……?」

 

「明久よ、考え直したほうがよいと思うのじゃが……」

 

「なんでそうなるの!?」

 

 もし仮に僕が同性愛に目覚めたとしても雄二だけは絶対にありえないし、そもそも僕はノーマルだよ!?

 

「……雄二。いくら相手が吉井でも、浮気は許さない」

 

「ぐォォっ!? 目がっ! 目が燃えるように痛いィィッ!?」

 

 こ、このままだと僕の同性愛者説が信憑性を帯びてしまう! なんとかして話を変えないと……! 

 

「そ、それよりさ! 姫路さんと美波の対戦相手は誰なの?」

 

「あ、三年生の人達です。確か名前は……」

 

 姫路さんがトーナメント表を広げて名前を確認する。そこには、常村・夏川と書かれていた。

 

「常夏コンビだって!?」

 

 そう、何度も中華喫茶に妨害工作を仕掛けてきたあの先輩たちだ。あいつら、召喚大会に参加していたのか! 

 僕が声を上げると、姫路さんが不安そうに目を伏せる。

 

「大丈夫よアキ。ウチと瑞希のコンビなら楽勝楽勝っ」

 

「美波ちゃん……。はい、そうですねっ、絶対に勝ちます!」

 

「それに、ここを勝ち抜けば次の準決勝でウチらとアキたちが当たるしね。アキ、準決勝で会いましょう」

 

 美波が姫路さんの肩に手を置いて、ぐっとサムズアップする。うーん、男の僕から見ても格好良い。

 

「お姉様、格好良すぎますっ! どうか美春にもっ、美春にもその表情を向けてくださいまし……っ!」

 

 格好良すぎて、女の子にモテてしまうのも致し方ないと言えるだろう。Dクラスのあの子がそれを証明してくれていた。

 

「それより、アキたちこそ大丈夫なの? 次の相手、Aクラスの二人なんでしょ?」

 

「木下さんと月乃瀬さん、ですか……」

 

 心配そうな顔をする姫路さん。彼女たちの言う通り、僕らの次の相手はAクラスの優等生コンビだ。間違いなく、今までで最強の相手だろう。

 

「大丈夫だよ姫路さん。勝つために、僕も秘策を用意してきたんだ」

 

「秘策……ですか?」

 

「うん。僕は必ず勝つ。そして──」

 

 姫路さんを転校なんてさせやしない、という言葉を飲み込む。

 あ、危なかった……! 姫路さん本人は美波にしか話していないのだから、僕が言及しちゃダメだよね。

 

「そして……?」

 

 姫路さんは怪訝な顔をする。僕が言葉に詰まってしまったのが不自然だったらしい。ま、マズイ。何か言わないと隠し事に感づかれてしまうかも。何か、何か……!

 

「そして──雄二と幸せになるんだっ」

 

 って僕のバカぁ! いくら窮地に追い込まれたからといって、どうして咄嗟に出てくる言葉がそれなの!? これじゃ自分から、僕は同性愛者ですって言ってるようなものじゃないかぁっ! 

 姫路さんと美波はもはや、可哀想なものを見るような目で僕を見ている。

 

「もうウチにはアキのことが分からないっ!」

 

「明久くん、女の子にも興味を持ったほうがいいと思いますよ……?」

 

「違うんだぁぁっ!」

 

「……お主はとことん、誤解を招く男じゃのう」

 

 試合開始時刻まで、僕はその場に崩れ落ちて涙を流していた。



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第二十六話 更に闘うバカ達

バカテスト
問 以下の問いに答えなさい
相手を従わせるため肉体的、精神的に痛めつけることを何と呼ぶでしょう。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『拷問』
教師のコメント
 珍しく正解です。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
『粛清』
教師のコメント
 本当に珍しく正解です。

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『折檻』
教師のコメント
 皆さんここぞとばかりに正解しないでください。

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『お説教』
教師のコメント
 月乃瀬さんはやっぱり天使だと思います。


「それでは三回戦を始めます。出場選手は前へ」

 

 三回戦からは周りの座席に観戦客が入っており、歓声が上がる。試験召喚獣は文月学園の一番の目玉ということもあり、会場の熱気はとても高まっていた。

 僕と秀吉が並んでステージに昇ると、既に対戦相手の二人が待ち構えていた。

 

「来たわね、Fクラスの問題児コンビ」

 

「ガヴ、吉井君、良い試合をしましょうね」

 

 腕を組んでムスッとした表情の木下さんと、控えめに手を振ってくれる月乃瀬さん。二年Aクラスが誇る優等生の二人だ。

 

「……明久よ。作戦に協力しておいて今更なのじゃが、正直ワシらでは勝ち目のない相手じゃぞ」

 

 秀吉が観客の喧騒に隠れて耳打ちする。確かに彼の言うとおりだ。僕も秀吉も所詮学力はFクラス並み。まともにぶつかり合ったら瞬殺されるのは火を見るより明らかだ。

 だが今回の対戦カードと科目ならば、その限りではない。

 

「秀吉、これを」

 

 僕はこっそりと、秀吉にメモを手渡した。

 

「僕が合図したら、ここに書いてある台詞を言ってほしいんだ」

 

「ふむ、台本というわけじゃな。了解じゃ」

 

 秀吉が役者の顔つきになる。どうやら台本を手にした途端、演劇魂に火がついたらしい。

 

「作戦会議はもういいのかしら? そろそろ試合を始めましょ」

 

 木下さんが立会人の教師を一瞥すると、召喚フィールドが展開される。試合開始の合図だった。

 

「「試験召喚獣、試獣召喚(サモン)!」」

 

 保健体育

『Aクラス 木下優子 321点 & Aクラス ヴィーネ 306点』

 

 現れる二人の召喚獣。流石の高得点だ。

 

「さぁ、いざ尋常に勝負よ!」

 

 召喚獣のランスを構えて好戦的に宣言する木下さん。どうやら秀吉の変装は、彼の姉である木下さんでも分からないくらいの完成度みたいだ。流石は演劇部のホープ、頼りになるなぁ。

 そんな風に感心していると、月乃瀬さんがじーっと僕らの方を見ていることに気づく。いや、正確に言うと──ガヴリールに変装した秀吉のことを、それはもう、穴が空きそうなくらいに凝視しているのだ。

 

「ど、どうしたのヴィーネ? 私の顔に何かついてる?」

 

「……ねぇガヴ。もしかして変なものでも食べた?」

 

「へ? いや、食べてないけど……」

 

「おかしいわね。今のガヴは、いつもみたいに怠惰と欲望で濁りきった目をしていないわ」

 

 ま、まずい! 

 一番恐れていた事態だ。月乃瀬さんが秀吉の変装に気付きかけている! 

 

「どういうこと? 月乃瀬さん」

 

「うまく言えないけれど、今のガヴはまるで別人みたいで……」

 

「別人? それって──」

 

 さらにまずい! 木下さんは秀吉が変装している可能性を真っ先に思いつくはずだ! それが告発されれば、僕らはルール違反で失格になってしまう! それだけは避けないと……! 

 

(秀吉! さっきの台詞を!)

 

(了解じゃ)

 

 アイコンタクトを交わして合図を送ると、秀吉は小さく頷いた。

 

「ヴィーネ、私の話を聞いてくれ! 私はどうしても大会で優勝したい! それは、ヴィーネと対等になりたいからなんだ!」

 

「対等?」

 

「いつもはヴィーネに迷惑かけてばかりな私だけど、本当は少しだけ罪悪感があったんだ……。だからこの大会で優勝して、少しでもお前に追いつきたいんだ!」

 

 秀吉の迫真の演技である。絶対にガヴリール本人が言わないであろう台詞であることを除けば、完璧な仕事だった。

 

「つ、月乃瀬さん! あの二人、あなたの戦意を奪おうとしてるだけよ! 絆されないで!」

 

 実際、木下さんには普通に見破られている。だが、月乃瀬さんは──

 

「ガヴ、そんな風に思っていてくれたのね……っ! 嬉しいっ!」

 

「月乃瀬さーんっ!?」

 

 月乃瀬さんは感動のあまり涙を流していた。やっぱり優しすぎる。

 

「ガヴ、頑張って優勝してね……っ!」

 

「う、うん。頑張るよ」

 

「ふはははは! これで二対一! さあ、残るは君だけだよ木下さん!」

 

「くっ、月乃瀬さんの優しさにつけ込むなんて……っ! でも、アタシ一人でもFクラスの二人には負けないわよ! さあ、召喚獣を呼び出しなさい!」

 

「望むところさ! 僕の最強の召喚を見せてやる!」

 

 僕は右腕を空に突き上げ、高らかに宣言した。

 

「いくぞ! 二重召喚(デュアルサモン)!」

 

「…………試獣召喚(サモン)

 

 保健体育

『Fクラス 吉井明久 53点 & Fクラス 土屋康太 511点』

 

 現れる僕らの召喚獣。そのうちの一体は急加速し、木下さんの召喚獣を一刀両断した。

 

「…………斬り捨て御免」

 

 そして、一瞬で召喚フィールド外に飛び出した召喚獣は、その姿を消した。

 

「先生、今のは反則だと思います!」

 

 木下さんの当然の抗議。すかさず秀吉が、とても綺麗な表情で月乃瀬さんに問う。

 

「ヴィーネ、私に勝ちを譲ってくれないか……?」

 

「ガヴ……っ。分かったわ、私達の負けよ」

 

「月乃瀬さーんっ!?」

 

 ガヴリール(秀吉)の潤んだ瞳に絆された月乃瀬さんが負けを認めてくれたので、これで僕らの完全勝利だ。

 

「……三回戦の勝者は、吉井・天真ペアです」

 

 納得のいってなさそうな先生の判定を受けて、僕らは準決勝に駒を進めた。

 

   ○

 

「…………お疲れ、二人とも」

 

「あっ、ムッツリーニ。さっきはありがとう」

 

「…………気にするな」

 

「明久も中々の機転じゃったぞ」

 

「いや、秀吉の演技力があってこそだよ」

 

 ステージを降りてムッツリーニと合流する。この後は続けて姫路さんと美波の試合が行われるので、観客席で一緒に観戦することにした。

 

「しかし、天真はまだ戻ってこないのかのう。正直、準決勝ではワシが役に立てるとは思えぬ」

 

「…………残りの教科は日本史と英語。俺も役に立てない」

 

「だからガヴリールには、準決勝までには戻ってきてほしいんだよね」

 

 ガヴリールがお姉さんに連れて行かれた理由は、恐らく堕天が原因だ。ガヴリールは隠し通すつもりだったみたいだけど、きっとゼルエルさんは最初から知っていたのだろう。お説教で済めばいいけれど、最悪の場合、ガヴリールが天界に強制送還なんてことになってるんじゃ……。

 

「お前ら、ここにいたのか」

 

「あ、雄二。それに霧島さんも」

 

 僕らがそんな話をしていると、先に試合を終えていたらしい雄二と霧島さんが、揃って観客席にやってきていた。雄二のことだから、準決勝や決勝での対戦候補の視察だろう。

 

「本命はやはり姫路島田ペアだな。特に姫路の奴、前の試召戦争の時から更に点数を上げているぞ」

 

「……瑞希は頑張り屋さんだから」

 

 雄二の言葉に霧島さんが頷く。あそこから更に点数を上げてるってことは、学年主席の霧島さんにも匹敵するかもしれないってことか。やっぱり姫路さんは凄いや。

 

「……でも、私も負けない。絶対に優勝して、雄二にプロポーズしてもらう」

 

「待て翔子! そんな約束した覚えはねぇぞ!?」

 

「……優勝できなかったら即結婚」

 

「どっちも同じじゃねぇか!」

 

「二人とも、相変わらず仲が良いねぇ」

 

「全くじゃな」

 

「…………雄二も素直じゃない」

 

「テメェらはそんな気色悪い目で見るんじゃねえ!」

 

 僕らがそんなやり取りをしていると、先生のアナウンスが流れた。

 

「それでは三回戦第三試合を始めます。出場選手は前へ」

 

 ステージに立つのは僕らのクラスメイト、姫路さんと美波だ。可愛い女の子コンビということもあって、大きな歓声が上がる。

 

「対するは、三年Aクラスの二人です」

 

 先生のアナウンスを受けて、姫路さんたちと相対するのは中肉中背の男たち。中華喫茶を何度も妨害してきた、憎き常夏コンビだ。坊主先輩の頭には、未だにブラジャーが付着している。

 

「まだ付けてたのぉ!?」

 

「取れねえんだよ! というか付けたのテメエだろうが! 絶対許さねぇからな!」

 

 坊主先輩に睨みつけられる。やれやれ、変態に威嚇されたところで、怖くもなんともないというのに。

 

「それでは、試合開始!」

 

 召喚フィールドが展開され、ステージ上の四人は一斉に召喚を行った。

 

 保健体育

『Fクラス 姫路瑞希 388点 & Fクラス 島田美波 32点』

『Aクラス 常村勇作 246点 & Aクラス 夏川俊平 255点』

 

「この女、Fクラスの癖にこんな点数を……!」

 

 モヒカン先輩が姫路さんの点数に気圧されて一歩後ずさる。三年Aクラスの二人もかなりの高得点だが、姫路さんには遠く及ばない。

 

「常村、こいつは学年次席クラスの奴だ! 先にFクラスのザコを潰してから、二人で叩くぞ!」

 

「言ってくれるじゃない。ウチだって、タダでやられるつもりはないからね」

 

 先輩の煽りを美波は飄々と受け流し、召喚獣にサーベルを構えさせる。

 

「何言ってんだ? Fクラスのカスどもが俺らに敵うわけねぇだろ。せいぜい相方の足を引っ張らないように棄権でもしたらどうだ?」

 

「そうすりゃ、この観衆の前で醜態を晒すこともないぜ?」

 

 ギャハハハ! と下劣な笑い声を上げる二人。どうやら心の底から僕たちFクラスのことが嫌いみたいだ。

 対する美波は呆れたように溜め息を吐く。僕らも彼女と同じ気持ちだった。

 

「やれやれ。ザコだのカスだの、好き勝手言ってくれるなあの先輩共」

 

「全くだよね。僕らはどこにでもいる、ちょっとお茶目なだけの一般生徒なのに」

 

「いや、正直お主らに反論の余地は全く無いと思うのじゃが」

 

「…………少なくとも、一般生徒は壁を破壊したり職員室を襲撃したりしない」

 

 ま、確かにそうだよね。唯一反論があるとすれば、常夏コンビには言われたくないってことくらいだろう。

 

「Fクラスの連中がこんなにも勝ち上がるなんて、文月学園も落ちぶれたもんだよな。俺たち三年生の受験に影響が出たらどう責任を取るんだ? 他人に迷惑を掛けることしかできないクズ共は、クズ同士で底辺を這いつくばってろっての」

 

 別に常夏コンビが何をほざこうが知ったこっちゃないけれど、こんな大観衆の前でやれば自分たちの印象が悪くなることに気付いていないのだろうか? 

 僕らが呆れを通り越してもはや感心していると。

 

「どうしてそんな酷いことを言うんですかっ!!」

 

 観客席にいる僕らにもはっきりと聞こえるような声で、誰かがそう言った。

 一瞬、誰の声か分からなかった。普段の彼女は、こんな強く感情を込めた叫び声を上げたりしないからだ。

 その声は、姫路さんのものだった。

 

「ああ? なんか文句あんのかよ?」

 

「確かにFクラスの皆は、勉強は苦手かもしれません、問題も起こしちゃうかもしれません……でも、だからってそんな風に貶していいはずがありません!」

 

「瑞希……」

 

「うるせぇな! クズをクズって呼んで何が悪いってんだよ? 全部自業自得だろうが!」

 

「むしろ俺らは被害者なんだぜ? 天真って奴も吉井の野郎も、何度も俺らを攻撃しやがったんだ! あいつらみたいなのが、社会のクズなんだよ!」

 

「知らない癖に、勝手なことを言わないで下さい! ガヴリールちゃんがどれだけ良い子なのかも、明久くんがどれだけ優しいのかも知らない癖に!」

 

「お前、Fクラスに入って頭おかしくなったのか? それとも観察処分者を二人も出した二年生ってのは全員こうなのか?」

 

「どうして成績や肩書きでしか人を見られないんですか!? 言葉や数字では表せない、大切なことがいっぱいあるのに!」

 

 姫路さんの涙交じりの声に、僕たちは言葉を失っていた。

 僕らFクラスのために、姫路さんは怒ってくれたのだ。泣いてくれたのだ。

 かつて、姫路さんと屋上で交わした会話が、脳裏を過る。

 Fクラスが似合う女の子になりたいと、彼女はそう言ってくれたのだ。

 

「……瑞希、ありがとね」

 

「美波ちゃん……っ」

 

「先生、ウチらの負けでいいです。棄権します」

 

「おいおい? 好き放題言っておいて、結局逃げるのかよ? この腰抜けが!」

 

「黙りなさい。全身の骨を折られたくなかったらね。……行こ、瑞希」

 

「……ぐすっ、美波ちゃん、ごめんなさいっ……」

 

「ううん。ありがとう、嬉しかった」

 

 美波は姫路さんを支えて、ステージを去っていく。二人とも、頑張ってここまで勝ち上がってきたのに、可哀想に。

 気が付けば僕は観客席を立ち上がり、とある場所へ向かっていた。二人を慰めに行くわけじゃない。そんなこと、彼女たちは望んでいない。僕がやるべきことは、たった一つ。

 

「……よっ、明久」

 

 補充試験用の空き教室に入ると、ガヴリールがそこにいた。どうやらお姉さんから解放してもらえたらしい。彼女の目は、いつも通り眠気と怠惰の色を湛えている。

 

「考えることは一緒だね」

 

「……まぁな」

 

 ぷいっと目を逸らして、それでもガヴリールは小さく頷く。

 

「ねえガヴリール。僕らって優しいらしいよ?」

 

「私はこれでも天使だからね。優しさとか慈悲深さとかが滲み出ちまうんだろうな。ま、明久ほどじゃないとしても、一応ダメ天使の自覚はあったんだが」

 

「僕もガヴリールほどじゃないけど、ちょっとはダメ人間の自覚はあったんだけど」

 

 本当に優しいのは、きっと姫路さんの方だ。こんなダメダメな僕らの為なんかに泣いてくれるだなんて。

 この大会には彼女の転校が懸かっていて、誰よりも人一倍気合を入れて臨んでいたはずなのに。先輩に反論するなんて怖かったはずなのに──僕らの為に、一生懸命になってくれた。だったら。

 

「じゃ、やろうかガヴリール」

 

「自分から試験を受けるなんて、私のガラじゃないんだけどな」

 

「……世話を掛けるね」

 

「いいよ。お互い様だろ」

 

 だったら、僕がやるべきことなんて決まっている。

 ここから先は本気だクソ野郎。



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第二十七話 下手の一念

バカテスト
問 以下の問いに答えなさい
『冠位十二階が制定されたのは西暦(   )年である』

吉井明久の答え
『603』
教師のコメント
 君の名前を見ただけでバツをつけた先生を許してください。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『603』
教師のコメント
 天真さんが鉛筆を転がさずに解いているのを見て、先生は少し目頭が熱くなりました。


「ガヴリール、まさかこのゼルエルの目を欺けるとでも思っていたのか?」

 

「くっ、可愛い妹を騙すだなんて、卑怯じゃないか姉さん!」

 

 召喚大会の三回戦が行われているのと同時刻。

 駄天使ガヴリールは、自身の姉である天真=ゼルエル=ホワイトと校舎裏で相対していた。

 

「まさかお前がここまで堕落しきっていたとはな……天使としてあまりにも罪深い」

 

 ゼルエルは千里眼という見通す神通力を極めた存在。彼女の目を欺こうなど、最初から不可能だったのである。

 ガヴリールは苦虫を噛み潰したような顔をしつつも、その思考をフル回転させていた。

 

(クソッ、だから姉さんはハニエルを私から引き離したのか……! お説教に邪魔が入らないように! どうする、どうする……!? 姉さん相手に神足通での逃走なんて絶対通用しないし、最悪の場合、天界に強制送還されるんじゃ……! それだけは絶対に嫌だ!)

 

「正直に罪を受け入れ、悔い改めるようであればまだ良かったが──その様子だと、反省の色はないようだな」

 

 ゼルエルがパチンと指を鳴らすと、ガヴリールが服の下に仕込んでいたコンパスやパチンコ玉がバラバラに砕け散った。最悪の事態に備えて携帯していたFクラス印の武器も無効化され、まさに万事休すである。

 

「さあ、覚悟は出来ているなガヴリール。お前には天界でみっちり再教育を施してやろう」

 

「……分かったよ。姉さんがその気なら、私にも考えがある!」

 

 ガヴリールは残された最後の一手を放つ。

 両手を構え、天高く跳躍し──全く隙のない見事な土下座を繰り出した。

 

「ごめんなさい! どうか、どうか清涼祭が終わるまでは見逃して下さい!」

 

 頭が地面にめり込む勢いである。対してゼルエルは訝しげな顔で、恥とか誇りを全部投げ捨てている自分の妹を見下ろす。

 

「見逃せだと……? ならば、その清涼祭とやらが終われば、お前は私に従うということか?」

 

「勿論ですお姉様! どんなに厳しい修行を付けてもらっても構いません! だからどうか、どうか御慈悲を……っ!」

 

「ふむ……その言葉に嘘はないようだな。だが、何故その清涼祭とやらに拘る? 堕落しきったお前にとって、文化祭とは忌むべき行事ではないのか?」

 

 その言葉に、ガヴリールは内心同意する。人類破滅主義者であるガヴリールにとって、人が密集する文化祭のようなイベントは最も苦手とするところだ。中華喫茶のウェイトレスも、アルバイトの経験で慣れているからこそ無難にこなせていただけだ。

 でも、それでもガヴリールが、彼女なりに清涼祭に一生懸命だったのは──

 

「友達が、転校しちゃうかもしれないんだ」

 

「……」

 

「詳しくは話せないけど、私が今下界を離れたらダメなんだ。私は召喚大会っていうのに参加してて、それで──」

 

「優勝しなければならない、ということか?」

 

「うん」

 

 ガヴリールは真っ直ぐ頷く。

 それが姉の情を煽って絆すための言葉だということは、ゼルエルにも分かっていた。同時に、それが紛れもない本心からの言葉であることもまた、ゼルエルは理解していた。

 

「……友の為、か」

 

 そして何より。

 善性の化身であるゼルエルにとって、友の為、仲間の為といった言葉は──

 

「良い出会いに恵まれたのだな、ガヴリール……!」

 

 どんな常套句よりも有効だった。

 ゼルエルはその表情は崩さぬまま、感動の涙を流している。

 

「じ、じゃあ姉さん!」

 

「ああ、お前が下界に残ることを認めよう」

 

「やったぁー!」

 

 全身で飛び跳ねて喜びを表現するガヴリール。彼女の平穏なぐーたら生活はここに守られたのだ。

 

「それじゃ、私はもう行ってもいいよね? このままだと、大会を失格になっちゃうよ」

 

「ああ、その点なら問題ない。お前のペアである少年は、既に代役を立てて試合に臨んでいる」

 

「へっ?」

 

 一瞬困惑するガヴリールだが、すぐに正解を導き出す。変身と言っても過言ではないレベルの変装が可能なクラスメイトを一人知っているからだ。

 

「つまり、もし彼らが勝ち進んだ場合にお前が出場することになる試合まで、まだ時間があるということだな」

 

「ね、姉さん? 何を言ってるの……?」

 

「聞いた話によれば、この学校では試験の点数を用いて戦闘を行うようだな。ふむ、お前のその腐った性根を叩き直すのに丁度いい」

 

「ま、まさか……!」

 

「ガヴリール、久しぶりに私とお勉強をしようではないか。なに心配することはない。下界の学問は一通り修了している」

 

「い、嫌だっ! 姉さんスパルタなんだもん!」

 

「優勝したいのだろう? 可愛い妹の為に、姉である私が一肌脱ごうではないか」

 

「なんでそんな良い笑顔なの!? まさか姉さん、最初からそのつもりで……!?」

 

「学問はいいぞ。人類が生み出した文化の極みだ。さあ、こっちに来い」

 

「は、はなせぇ! 姉さんは私のことが嫌いなのっ!?」

 

「何を言う。大好きだぞ、ガヴリール」

 

「妹の首根っこ掴まえながら言う台詞じゃないからそれ!」

 

   ○

 

「……それで、この時間まで図書室に軟禁されてたんだ」

 

「ああ。文字通り勉めることを強いられてた。やっぱり姉さん鬼だよ。血の繋がりを疑うくらいだね」

 

 補充試験を終えて、召喚大会のステージに向かいながらそんな言葉を交わす僕とガヴリールである。彼女の目は普段の三割増しくらいで濁っていた。

 

「でもそのおかげで、今日は随分とペンが進んでいたじゃないか」

 

 いつもなら鉛筆を転がすかそもそも問題を解かないガヴリールが、今日は真面目に試験を受けていた。試験監督の先生の、この世ならざるものを見るような目が忘れられない。

 

「そういう明久こそ、ちゃんと解けたのか?」

 

「まあね。やれるだけやったつもりだよ」

 

「そっか」

 

 短く返すと、ガヴリールはスタスタと歩いていく。素っ気ない訳じゃない。これが彼女なりの信頼の表れなのだ。

 ステージに到着すると、そこで待ち構えている人達がいた。僕らFクラスのクラスメイトたちと、かつて戦ったAクラスの皆だった。

 

「おう明久。相変わらず間抜けな面だな」

 

 開口一番に僕への罵倒を口にするのは、悪友である坂本雄二。

 

「やはり、お主らも揃っていてこそのFクラスという感じがするのう」

 

「…………全員集合」

 

 僕らへの仲間意識を強く持ってくれているのは、親友の秀吉とムッツリーニ。

 

「……吉井、天真。頑張って」

 

「ま、このアタシを倒したんだし、そのまま勝ち抜いてもらわないとね」

 

「吉井クンたちなら大丈夫だよ。だってボクらAクラスと渡り合ったんだもん」

 

「そうだね。健闘を祈っているよ、吉井君」

 

 霧島さん、木下さん、工藤さん、久保くんといった面々までが、僕らを応援してくれていた。

 

「ガヴ! 緊張をほぐす為には、掌に人の字を書いて飲み込むといいのよ!」

 

「ガヴちゃん、ファイトですっ」

 

「ガヴリール! 無様な試合見せたら承知しないわよ!」

 

 月乃瀬さん、白羽さん、胡桃沢さんの三人がガヴリールを取り囲んで、彼女に三者三様の言葉を送る。

 

「お前ら、暑苦しいっつーの」

 

 ガヴリールはそんな悪態を吐きつつも、呆れたように笑っていた。

 

「アキ、頑張ってね」

 

 美波が僕のことを、弾むような口調で呼んでくれる。

 ドイツからの帰国子女で、誰よりもひたむきな女の子。

 彼女との出会いは間違いなく、僕の人生にかけがえのない物を齎してくれた。

 出会いっていうのは、奇跡の連続なんだなと改めて実感させられる。何もかもがバラバラな僕たちがこうして出会い友達になる確率なんて、数字では表せないほどに天文学的な値のはずだ。

 それでも、僕たちは皆でここにいる。彼女だって、きっとそうだ。

 

「明久くん……」

 

 少し離れた位置に立っていた姫路さんの元に歩み寄る。僕らの為に怒って、そして泣いてくれた、誰よりも優しい女の子。

 

「姫路さん、さっきはありがとう。僕らのために」

 

「私もFクラスの仲間ですから、許せなかったんです……っ! 本当は優しい皆が、あんな酷いことを言われて……だから、カッとなってしまって」

 

「……やっぱり姫路さんは凄いよ。それは、誇っていいことなんだよ」

 

「えっ……?」

 

「姫路さん、前に言ってたよね。自分に誇れる自分になりたいって」

 

「ああ、姫路さんが久保さんを瞬殺した時のことですねっ」

 

「白羽さん、古傷を抉らないでくれるかな……」

 

 本気でションボリとした様子の久保くんに苦笑しつつ、僕は続ける。

 

「僕らFクラスにとって、姫路さんは誇りなんだ。姫路さんが誰よりも一生懸命になってくれたから、僕らも頑張れたんだよ」

 

「でも、私はいつも迷惑を掛けてばかりで……!」

 

「違うよ、迷惑なんかじゃない。むしろ姫路さんが僕たちを頼ってくれて嬉しかったんだ」

 

 紛れもない僕の本心だ。小学校以来ずっと疎遠だった姫路さんと再び友達になれて、こうしてまた話すことができて、本当に嬉しかったのだから。

 

「だから、僕のことを信じて、頼ってほしいな」

 

 僕はバカで、本当に頭が悪くて……でも、友達が傷つけられて黙っているほど落ちぶれちゃいない。

 優しい人には笑っていてほしくて。頑張ってる人には報われてほしくて。

 その為なら、僕は。

 

「──明久くんっ、頑張ってくださいっ! 絶対絶対、勝ってくださいっ!」

 

「うん!」

 

 その為なら、僕はなんだってやってやる! バカと言われようがクズと言われようが構うもんか! 

 これが僕たちの試召戦争の集大成だ! 

 

   ○

 

「よく準決勝まで勝ち上がってこれたな。Fクラスのクズども」

 

「だがここまでだ。俺らが捻り潰してやるからよ」

 

 準決勝ということもあって、会場の熱気は最高潮に達している。そんな中で僕とガヴリールは、因縁の相手である常夏コンビと対峙していた。

 

「御託はいいでしょ、先輩方。とっとと始めようよ」

 

「ハッ、いいぜ! 俺らの点数を見て震え上がれってんだ!」

 

「「試獣召喚(サモン)!」」

 

 日本史

『Aクラス 常村勇作 209点 & Aクラス 夏川俊平 197点』

 

 常夏コンビの召喚獣が現れる。

 あれだけ高慢になれるのも納得の点数だ。三年生は当然試験の問題が難しくなっている中で、これほどまでの点数を取るだなんて。

 

「おーおー。どうした黙り込んで? あまりの点差に戦意喪失しちまったか?」

 

「無理もねぇよ! コイツらは最低のFクラスの、さらに最底辺なんだからな!」

 

 彼らがどんな理由があって、どんな目的を持って、僕らの清涼祭を邪魔していたのかは知らない。知りたくもない。でも、その結果として、こいつらは僕の大切な仲間たちを傷付けた。

 僕のことが目障りで憎たらしいのなら、最初から僕だけを狙えばいいのに。それなのに、何の関係もない皆を巻き込んで侮辱した。だから僕はこいつらを──許すわけにはいかないんだ! 

 

「行くぞ明久。あの驕った先輩共に目に物見せてやろうよ」

 

「うん。そうだねガヴリール」

 

「「試獣召喚(サモン)!」」

 

 僕らも揃って召喚獣を喚び出す。

 試召戦争で、姫路さんは自分に誇れる自分になりたいと言っていた。

 自分のことを肯定する。それは一見当たり前のことのようで、その実きっと凄く難しいことなのだろう。

 でも、僕には仲間がいる。僕のことを信じて送り出してくれた皆が。そして、誰よりも頼りになる最高の相棒が。

 

 日本史

『Fクラス ガヴリール 222点 & Fクラス 吉井明久 166点』

 

「アンタらは、小細工なしの勝負でブッ倒してやる!」

 

 僕は、皆が信じてくれた僕自身のことを信じる! そして、皆と笑顔で清涼祭を終えるんだ! 

 

   ○

 

「嘘だろっ!? Fクラスの馬鹿共が、この俺達と互角だっていうのか!?」

 

「バカってのは、何をしでかすか分かったもんじゃないからバカなんだよ、先輩方」

 

 ガヴリールは召喚獣をフィールド内に縦横無尽に走らせ、その体勢のまま弓矢を連射する。目にも留まらぬ連射速度に、矢は弾幕となって常夏コンビに襲いかかった。

 

「常村! 先に天真を潰すぞ! 吉井は後回しだっ!」

 

「おっと、無視しちゃ嫌ですよ、先輩っ!」

 

「ッ……!? テメェ……!」

 

 矢の軌道上から逃れるように低い体勢で召喚獣を肉迫させ、坊主先輩と鍔迫り合う。向こうはオーソドックスな西洋剣で、こっちはお土産屋に売ってそうな木刀。本来なら、まともに打ち合えば勝ち目はない相手である。だが、点数が拮抗している今なら、勝負は互角だった。

 

「お前、前の試召戦争じゃ、三桁にも満たなかっただろうが……っ!」

 

「僕にも負けられない理由がありましてね……! 特に日本史は重点的に勉強したんです……よっ!」

 

 剣を弾いて、その隙に回し蹴りを放つ。しかし坊主先輩は跳躍してそれを回避。流石は三年生、召喚獣の扱いにも慣れているみたいだ。

 

「ねぇ先輩、今どんな気持ち? 格下だと思って舐めてた私達に追い詰められてどんな気持ち?」

 

「クソが、Fクラスの分際で……!」

 

 ガヴリールがここぞとばかりにモヒカン先輩を煽っている。流石だ。

 

「仕方ねぇ、経験の差ってやつを教えてやるよ! ありがたく思いな!」

 

 その瞬間、坊主先輩が何かを振りかぶった。あれは、砂利の目潰し!? 

 

「ガヴリール、危ない!」

 

 彼女の前に飛び込んで、咄嗟に両手を広げる。すると、目の中にとてつもない異物感が走った。

 

「大丈夫かっ!? 明久っ!」

 

「僕は平気だよ! ガヴリールこそ怪我はない!?」

 

「う、うん。ありがとう……」

 

 珍しく素直な感謝を口にする彼女に驚いていると、モヒカン先輩の召喚獣が迫ってきていた。

 

「死にさらせやぁ!」

 

 先輩が剣を振り上げた瞬間、一筋の閃光が僕の横を突っ切り、奴の目に入り込んだ。

 

「ぐぁぁぁっ!? 目が、目がぁぁぁっ!?」

 

「常村ぁー!?」

 

「どうだ明久。これが天真流奥義の一つ、おひさま目潰しだ」

 

「あ、うん。バレないようにやってね……?」

 

 ガヴリールは手鏡を隠し持っていた。それを使って太陽光をモヒカン先輩の眼球に照射したらしい。え、えげつない……! なんてえげつない天使なんだ……! 

 

「目には目を、歯には歯を、卑怯には卑怯を。それが私の流儀でしてね」

 

 そのままガヴリールは矢を射って、モヒカン先輩の召喚獣を穿つ。ガヴリールが味方で本当に良かった。

 

「明久! 残るは坊主頭の変態だけだ! お前の手で、この因縁に決着をつけてやれ!」

 

「……了解!」

 

 天使様直々の命令を受けて、木刀を構える僕。本当に、ガヴリールには感謝してもしきれないくらいだ。こんなお膳立てまでしてくれるなんて。

 いつだって僕のことを助けてくれた──だから今度は、僕が彼女の期待に応える番なんだ! 

 

「ふざけんなぁ! 俺ら三年生が、テメエらクズのFクラスなんかに負けることなんて、あってはならねぇんだよ!」

 

 絶叫を上げながら襲いかかってくる坊主先輩。

 錯乱していても、召喚獣操作の技術は本物だ。避けることに専念させられ、防戦一方になる。

 

「オラオラオラオラァ!」

 

 右へ左へ繰り出される斬撃を、木刀で受け流す。だが、少しずつ僕の点数は削られていき、そのフィードバックも襲いかかってくる。

 

「お前、観察処分者なんだってなぁ? 戦死したら、どんな悲鳴を上げてくれるのか楽しみだぜ!」

 

「ぐうぅぅっ!」

 

 坊主先輩の重い一撃に仰け反ってしまった。腕ごと弾かれて、思わず木刀を取り落してしまう。

 

「終わりだァァ!!」

 

 召喚獣の顔面目掛けて、刺突が繰り出される。こんなの絶対に避けられない。

 瞬間、脳裏を巡る数々の思い出。ああ、これが走馬灯ってやつなのかな。ごめん姫路さん、美波。僕、勝てなかったよ……。

 

「明久っ! 自分を信じろっ!」

 

「──っ!?」

 

 ドクン、と。

 ガヴリールのその言葉は、僕の内側の芯のような部分を強く叩いた。

 瞬間、フィードバックが僕に襲いかかる。

 

「ははははっ、やった、やったぞ……! 後は天真、テメェをぶっ倒せば俺の勝ちだ!」

 

「何言ってんの先輩。明久はまだ負けてないよ」

 

「はあ? 喉を剣で貫かれて、生きているわけ……」

 

「ふぎぎぎぎっ……!」

 

「ンなぁ!?」

 

 僕は坊主先輩の刺突を、噛んで受け止めることで、ギリギリ戦死を免れていた。

 

「だらっしゃぁーっ!」

 

 そして、そのまま顎に力を込めて、刀身を粉々に砕いた。

 口の中がフィードバックで大変なことになっている。でも、そんな些細なことはどうだっていい。

 

「こ、こいつ、イカレてやがる……っ!」

 

 武器を失って無防備な坊主先輩。

 僕がやるべきことなんて、一つしかない!

 

「明久、受け取れっ!」

 

 僕が取り落してしまった木刀をガヴリールが蹴り上げてくれる。最高のタイミングだよ、相棒! 

 空中で木刀を掴み取り、武器を失って呆然としている坊主先輩の召喚獣へと突っ込む。

 これで……最後だぁーっ! 

 

「くたばれえぇ──っ!」

 

 木刀はそのまま、相手の喉笛を貫いた。

 

「嘘だ、この俺がFクラスなんかに……」

 

 焦点の定まらない虚ろな目でその場に崩れ落ちる坊主先輩。

 隣に立つ相棒に顔を向けると、彼女は握った拳を僕の方へと突き出していた。僕も応じて、軽く拳をぶつけ合う。

 

「よくやった。流石は私の相棒」

 

 そして、そんな台詞をキメ顔で言ってくれた。

 僕はガヴリールに笑い返してから、全力で勝ち鬨を上げた。

 

「この勝負……僕らの勝ちだ!!」

 

 割れんばかりの歓声が客席から湧き上がる。今ここに、僕とガヴリールの決勝戦進出が決まった。



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第二十八話 バカとテストと召喚獣

バカテスト
問 以下の意味を持つことわざを答えなさい
(1)得意なことでも失敗してしまうこと
(2)悪いことがあった上にさらに悪いことが起きる喩え

吉井明久の答え
『(1)雄二も木から落ちて全身複雑骨折』
坂本雄二の答え
『(2)明久の泣きっ面蹴って顔面陥没骨折』
教師のコメント
 君たちは仲が良いのか悪いのか、一体どっちなんですか?

島田美波の答え
『(2)股蹴ったり』
教師のコメント
 トドメを刺さないでください。

土屋康太の答え
『(1)弘法にも筆下ろしの誤り』
教師のコメント
 土屋君、後で職員室に来なさい。

木下秀吉の答え
『(2)釈迦にも教科書の読み違い』
教師のコメント
 教科書を読み違えているのはあなたです。

姫路瑞希の答え
『(1)天狗の飛び損ない
 (2)虎口を逃れて竜穴に入る』
教師のコメント
 先生はもう姫路さんしか信じません。


「吉井、やるじゃねぇか!」

 

「おめぇはやるときゃやる奴だと思ってたぜ!」

 

 準決勝を終えて教室に戻ると、須川くんや横溝くんたちクラスメイトから手荒い歓迎を受ける。僕らが召喚大会で留守の間、中華喫茶を守ってくれた頼もしい仲間たちだ。

 

「一人だけあんな大舞台で良いカッコしやがって、絶対許さねぇ……!」

 

「全部天真さんのおかげじゃねぇかこの役立たずが……!」

 

「何やり遂げたみてぇな顔してんだ……! こっちだって殺る時は殺るぞこの野郎……!」

 

 本当に手荒かった。僕を取り囲んで殴る蹴るの暴行を加えてきている。どうやら彼らに仲間への労いという概念は皆無らしい。

 

「お前ら、そのへんにしておけ」

 

 僕へのリンチを止めるよう皆に忠告してくれたのは、これまた準決勝を終えて戻ってきた雄二だ。やっぱり腐っても友達だね。優しいところもあるじゃないか。

 

「明久がここで死ぬと、俺の殺る余地がなくなる」

 

 こいつは友達じゃない。僕の敵だ。

 

「む、雄二は明久たちに比べて、随分と戻ってくるのが早いではないか」

 

「…………もしかして瞬殺?」

 

「まあな。翔子の奴が一人で片付けちまった」

 

 秀吉とムッツリーニの疑問に雄二が答える。まあ、雄二のペアである霧島さんは僕ら二年生の代表だもんね。召喚大会の参加者の中では間違いなく最強だろう。

 

「じゃあ雄二は何してたの?」

 

「俺は悠然と構えていることで、対戦相手に威圧感を放っていた」

 

「なるほど、産業廃棄物だね」

 

 こんな奴と組まされて、霧島さんも可哀想に。

 

「しかし雄二よ。お主、一回戦では霧島の足を引っ張ってワザと敗退しようとしていたではないか。それはもうよいのか?」

 

 そんな秀吉の言葉に、雄二は苦虫を噛み潰したような顔をする。

 

「……翔子の奴に訊かれたんだ」

 

「何を?」

 

「………………新婚旅行はどこへ行きたいか、と」

 

 流石は霧島さんだ。交際期間や結婚式という過程をすっ飛ばして結婚したという結果だけを残すだなんて。

 

「俺は……! 俺の未来を守る為に、負けるわけにはいかないんだ……ッ!」

 

 まあワザと霧島さんの足を引っ張って敗退なんて行為に手を染めたら、処刑されるのは火を見るよりも明らかだしね。優勝して霧島さんと交渉をするほうがまだ可能性があると雄二は考えたのだろう。

 

「あの、明久くん」

 

 ガタガタと震えだした雄二を教室の隅に追いやって触らないようにしていると、鈴を転がすような声で名前を呼ばれた。

 

「姫路さん。さっきの試合、見ててくれた?」

 

「は、はい! すっごく格好良かったですっ!」

 

 姫路さんはモジモジした様子ながらも、そんな嬉しいことを言ってくれる。頑張った甲斐があるというものだ。

 

「…………姫路。実はさっきの試合、録画しておいた」

 

「えっ、本当ですか土屋君……っ!?」

 

「…………今なら明久のブロマイド(メイド服エディション)も同梱」

 

「買います! 言い値で買いますっ!」

 

「…………交渉成立」

 

 内容はよく聞き取れなかったけど、ムッツリーニと満面の笑みで話をしている。姫路さんがFクラスに馴染めているようで何よりだ。

 

「それにしても、アキも天真さんも普段とは比べ物にならないくらい高得点だったわね」

 

「まあね。僕らだってやる時はやるんだよ?」

 

 美波の言葉にグッとサムズアップすると、彼女は呆れたような表情で笑う。

 

「あっーはっはっは! 流石はサタニキアブラザーズである吉井と我が好敵手(ライバル)ガヴリール! まさに悪魔的な勝利だったわ!」

 

 胡桃沢さんも僕たちの勝利を褒め称えてくれる。なんだかんだでこのクラスは気の良い連中ばかりだ。しかし称賛を受けたガヴリール本人は、胡桃沢さんの言葉に眉を顰めていた。

 

「サターニャ、お前気付いてないの?」

 

「へっ? 何が?」

 

「いや、明久が日本史の点数を上げたからさ。これでお前は名実ともに文月学園のドベに輝いたわけだけど」

 

「なっ……!?」

 

 胡桃沢さんはグワシと僕の両肩を掴んでくる。凄い握力だ。

 

「吉井っ! この私を上回るなんて、師匠に対する敬意が足りてないわよ!」

 

「ええっ!? そんなこと言われても……!」

 

「一人だけ鉄人の補習を逃れようだなんて許さないわ! 必ず補習室に引きずり込んであげる……!」

 

 な、なんて悪魔的な所業なんだ……! 胡桃沢さん、恐ろしい子……! 

 

「お前ら、騒ぐのはそのへんにしてそろそろ行くぞ。もうすぐ決勝戦だ」

 

 復活した雄二の言葉に、僕とガヴリールは顔を見合わせて頷く。

 決勝戦に勝ち進んだのは、僕らのペアと雄二・霧島さんのペアだ。どちらが勝っても学園長との約束は果たされるし、何より姫路さんの転校だって阻止できるはずだ。

 

「今までと違って絶対に勝たなきゃいけない試合じゃないから、少し緊張感に欠けるけどね」

 

「そう思うなら、俺に勝ちを譲ってほしいんだがな」

 

「あはは、それじゃせっかく見に来てくれたお客さんに失礼じゃないか。雄二が相手でも、全力で戦うつもりだよ」

 

「ま、それもそうだな。それじゃ、先にステージに行ってるぞ」

 

 雄二がFクラスを出ていくと、ガヴリールが僕の側に寄ってきて、こんなことを訊いてきた。

 

「……で、本音は?」

 

「雄二を人生の墓場に叩き落としてやりたいんだ。ガヴリール、協力してくれる?」

 

「それでこそ明久だね」

 

 ニヤリと顔を歪ませる僕たちに、美波と秀吉は苦笑いを浮かべていた。

 

   ○

 

「──遂に決勝戦が行われます。何と決勝戦まで勝ち進んだのは、四人中三人がFクラスの生徒たちです! これはFクラスに対する認識を改めなければなりません!」

 

 ステージに入場すると盛大な拍手を浴びるとともに、司会の人が嬉しいことを言ってくれる。姫路さんのお父さん、どうか彼女の転校を考え直してあげてください……! 

 

「そして、もう一人は二年生の学年首席、Aクラスの霧島翔子さんです! やはり彼女も勝ち上がってきました!」

 

 一際大きな歓声が客席から上がる。僕らとフィールドを挟んで向かい合うのは、Fクラス代表坂本雄二とAクラス代表霧島翔子さんのコンビだ。容姿だけならガヴリールも負けていないと思うけど、学年首席である霧島さんはやはり人望や知名度が桁違いなのだろう。

 

「ガヴおねえちゃん頑張れーっ!」

 

「天真せんぱーいっ! 頑張ってくださーい!」

 

「アンタはやればできる子だわ! 自信持って!」

 

「ここまで来たら優勝しちゃいましょう!」

 

「この私以外に負けるだなんて、許さないんだからね!」

 

 だけど、勿論ガヴリールにだって彼女を応援してくれる人たちがいる。特に千咲ちゃんなんか手作りの旗を振っていて、試合に出場する僕らよりも気合が入っていた。

 

「あいつら……応援なんていらないって言ったのに」

 

 ガヴリールは照れくさそうに頬を掻く。相変わらず素直じゃないなぁ。

 

「……吉井、天真。いい試合をしよう」

 

「うん。霧島さん、僕らが相手でも手加減はいらないからね?」

 

「……分かった、頑張る」

 

 霧島さんとそんなやり取りを交わした後、立会人の教師がフィールドを展開した。

 

「「「「試獣召喚(サモン)!!」」」」

 

 一斉に掛け声を上げて、僕らの召喚獣が顕現する。

 

 英語

『Aクラス 霧島翔子 491点 & Fクラス 坂本雄二 73点』

『Fクラス ガヴリール 77点 & Fクラス 吉井明久 59点』

 

 もはや溜め息すら出てしまうほどに圧倒的な点数差だ。あの姫路さんすらも凌駕してしまう霧島さんって、本当に凄いんだなあ。僕らFクラスの三人で同時に襲いかかったとしても、霧島さんには敵わないと断言できる。

 

「それじゃ、やろうぜ明久。お前とは決着つけたいと思ってたからな」

 

「あ、その前に雄二。一ついいかな」

 

 手をゴキゴキと鳴らして闘争心を露わにする雄二に対して、僕は告げる。

 

「あ? なんだ?」

 

「中華喫茶の宣伝をしておきたいんだ。お客さんが増えたとはいえ、売上が増えるに越したことはないし」

 

「なるほどな。お前が考えたにしちゃ上出来な案じゃねぇか。好きにしろよ」

 

「霧島さんも、ちょっとだけ時間を貰ってもいいかな?」

 

「……私も構わない」

 

 二人の了承を得たので、僕は司会の先生からマイクを受け取って、中華喫茶の宣伝を行うことにした。

 

「清涼祭にご来場の皆様、僕は二年Fクラスの吉井明久と言います。僕らのクラスでは今、本格的な飲茶と胡麻団子が楽しめる中華喫茶を営業しています。可愛いウェイトレスも沢山いますので、試合後に是非お立ち寄りください」

 

 ペコリと頭を下げると、お客さんたちから拍手が上がる。これで売上が増えるといいな。

 

「じゃ、雄二もクラス代表として一言頼むよ」

 

「俺もか? まあ構わんが」

 

 こっそり細工を施したマイクを雄二に投げ渡す。ここから作戦開始だ。

 奴が口元にマイクを当てた瞬間、僕はムッツリーニに合図を送った。

 

「Fクラス代表の坂本雄二だ。聞いての通り【姫路の方が翔子よりも好みだな。胸も大きいし】。ウェイトレスの人気アンケートも行っているので【勿論俺は姫路に投票したぞ。胸が大きいからな】──ってちょっと待て!」

 

 流石はムッツリーニ、完璧な仕事だ。秀吉の声真似も本人と遜色ないレベルである。

 まるで般若のような形相をしている霧島さんに気付いて、雄二は即座に弁明を図ろうとする。

 

「ち、違うぞ翔子! これは明久の奴が……!」

 

「……分かってる」

 

「だ、だよな。お前はこんな手に引っかかるような奴じゃ──」

 

「……雄二とはじっくり話し合って、分かり合う必要がある」

 

「話し合うだけだと言うのなら何故俺の両腕を拘束しようとする!? そして何故召喚獣でも襲いかかってくるんだ!? 倒すべき対戦相手は向こうの二人だぞ!?」

 

「ふははははっ! さあ霧島さん、手加減はいらないよ! その浮気男に鉄槌を下そうじゃないか!」

 

「神に代わって私がその男の罪を裁くことを赦すよ」

 

「……ありがとう、吉井も天真も良い人」

 

「騙されるな翔子! そいつらはお前を誑かそうとする悪魔──あばばばばばばーっ!?」

 

 霧島さんの召喚獣は雄二の召喚獣を一撃で粉砕し、霧島さんは雄二本人を一撃で断罪した。

 

『Aクラス 霧島翔子 WIN VS Fクラス 坂本雄二 DEAD』

 

 意識を失って白目を剥く雄二を、霧島さんは愛おしそうに抱きしめている。対戦相手である僕らのことなんて見向きもしない。きっと彼女には、召喚大会の優勝よりも大事なことがあるのだろう。

 

「霧島さん、僕らの勝ちでいいよね?」

 

「……うん。私達の負け」

 

「よし、僕らの勝利だ! やったねガヴリール!」

 

「うむ」

 

 いえーいとハイタッチを交わす僕とガヴリール。

 

「あー……優勝は、吉井・天真ペアです……」

 

 司会が正式に僕たちの優勝を宣言してくれる。

 それなのに、何故か観客席から上がる拍手は疎らなものばかりだった。

 

   ○

 

「明久、いつか必ずキサマをコロス……!」

 

「上等だ、殺られる前に殺ってやる……!」

 

 殺意に身を任せて睨み合う僕と雄二。卑怯汚いは敗者の戯言でしかないというのに、往生際の悪い奴だ。

 

「優勝したというのに、締まらん連中じゃのう」

 

「…………これが俺たちの日常」

 

 決勝戦を終えてFクラスに戻ると、忙しなさそうに働くクラスメイトたちの姿が見える。どうやら僕らが優勝したことによって、お客さんが予想以上に増えたみたいだ。僕も手伝ったほうがいいだろう。

 

「待て明久。喫茶店も大事だが、その前にババア長のところに行くぞ」

 

 雄二に肩を掴まれる。学園長のところに行くって、さっき表彰式で会ったばっかりだよ? 

 

「馬鹿野郎が。少しは頭を使え。あんな人目につく場所で取引の話なんか出来るわけねぇだろうが。今から今日のツケの清算に行くぞ」

 

「……雄二、取引って?」

 

 霧島さんが小さく首を傾げている。どうやら雄二は、ババア長との約束を霧島さんには伝えていなかったらしい。

 

「Aクラスの出し物もあるだろうが、翔子も無関係じゃないからな。悪いがついてきてくれ。勿論天真も来い」

 

「……分かった」

 

「メンドくさいなぁ。まさかあの婆さんが全ての黒幕だったりするの?」

 

「ある意味そうかもしれん。今からその確認に行く」

 

「ババアが黒幕……って、ええぇ!?」

 

 じゃあ喫茶店が何度も妨害されたり、変なチンピラ連中に絡まれたりしたのも、学園長が原因ってこと!? 

 

「ババアのせいで、危うく世界が滅びかけたじゃないか……! 文句の一つでも言ってやらないと……!」

 

「何を言ってるんだお前は。いいからとっとと行くぞ」

 

「……やっぱり吉井は面白い人」

 

 先を行く雄二と霧島さんを追っている途中で、ガヴリールが僕にこんなことを訊いてきた。

 

「なあ明久。お前、私のことを隙あらば世界を滅ぼそうとする邪悪な天使だと思ってないか?」

 

「うん」

 

「いや、そんなことないから。私はどこにでもいる至って普通の天使だから」

 

 絶対に嘘だ。

 ガヴリールは滅ぼすと決めたら本当に世界を滅ぼす。それだけは間違いないと僕は確信していた。




【清涼祭 試験召喚大会 結果】
 優勝:吉井・天真ペア

一回戦 数学
☆Fクラス 吉井明久 63点
 Fクラス ガヴリール 22点
★Dクラス 清水美春 108点
 Dクラス 玉野美紀 99点

二回戦 古典
☆Fクラス 吉井明久 9点
 Fクラス ガヴリール 88点
★Fクラス サターニャ 13点
 Aクラス ラフィエル 177点

三回戦 保健体育
☆Fクラス 吉井明久 53点
 Fクラス 土屋康太 511点
★Aクラス ヴィーネ 306点
 Aクラス 木下優子 321点

準決勝 日本史
☆Fクラス 吉井明久 166点
 Fクラス ガヴリール 222点
★Aクラス 常村勇作 209点
 Aクラス 夏川俊平 197点

決勝戦 英語
☆Fクラス 吉井明久 59点
 Fクラス ガヴリール 77点
★Fクラス 坂本雄二 73点
 Aクラス 霧島翔子 491点


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第二十九話 ハレルヤ☆エッサイム

バカテスト
問 心を落ち着けてここまでの問題を見直し、解答の満足度を答えなさい。

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『問題に取り組む中で、自分の苦手や改善点を見つけることができました。これからもご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします』
教師のコメント
 はい。こちらこそよろしくお願いします。困ったことがあったら、いつでも我々を頼ってくださいね。

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『もっとユーモラスな解答ができるよう精進しなければならないと実感しました。私もまだまだですね』
教師のコメント
 あなたは精進の方向性を誤っている気がします。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
『学年とクラスは絶対に合ってるわ!』
教師のコメント
 名前は間違えたことがあるんですか……?

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『勉強って面倒くさいなぁと思いました。やっぱり世界は滅ぶべきだなぁって思いました』
教師のコメント
 結論が飛躍しすぎです。


「妖怪退治の時間だコラァ!!」

 

「やれやれ、いきなり人を妖怪呼ばわりとはご挨拶だねクソガキ」

 

 学園長室の扉を蹴破りながら怒鳴り込む。怒り心頭の僕に対して、学園長は冷ややかな視線とともにそんな台詞を返した。

 

「明久、お前は相変わらず立ち止まることを知らないな。こいつの無礼を許してやってくれババア長」

 

 雄二に頭を掴まれ強制的に謝罪させられる。ちぃ! 学園長相手に頭を下げなくちゃならないなんて甚だ遺憾だが、これも姫路さんの転校を阻止するためだ。大人しく従っておこう。

 

「……学園長、少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか」

 

 僕らでは話が進まないと感じたのか、霧島さんが前に出て学園長に話を通してくれる。取引の現場にはいなかった彼女の存在は想定外だったようで、ババア長は露骨に眉を顰めた。

 

「Aクラス代表も引き連れてきたのかい。全く、御し難い連中だよアンタたちは」

 

「ガヴリール。御し難いってどういう意味か分かる?」

 

「操縦不能とか、手に負えないって意味だな」

 

「何だとクソババァ!」

 

 僕らほど聞き分けの良い生徒は他にいないというのに。

 

「Aクラスも一連の騒動で迷惑を被っている以上、無関係とは言えないだろう。そもそも、俺を翔子と組ませたのはババア長のはずだが?」

 

「……ふん、そうかい。そいつは悪かったね」

 

 ババアは苛立たしげに目を逸らす。雄二の言うAクラスが受けた迷惑行為というのは、例の常夏コンビの件のことだろう。

 

「それで? アンタらはこの老いぼれに頭を下げさせて満足かい? アタシの頭程度でよければ幾らでも下げるがね」

 

「是非そうしてやりたいところだが、それはアンタが隠していることを全部吐いてからだ」

 

「小賢しいガキだね全く……」

 

 やれやれと頭を振る学園長。隠し事って一体何のことだろう? 

 

「明久、お前はおかしいと思わなかったのか? 召喚大会は敗者復活なしのトーナメント式だぞ? 翔子は兎も角、その優勝を俺たちFクラスの連中に依頼するなんて、効率が悪いにも程がある」

 

「あ、言われてみれば確かに」

 

 しかもご丁寧に、選択問題の出題数を減らすことでガヴリールの点数を落とすなんて真似もしていた。僕らに優勝してほしいというのなら、むしろ選択問題の数を増やしてガヴリールの点数を上げるべきだというのに。それに優勝賞品の回収をするだけなら、僕らよりも適任の成績優秀な生徒が他にいたはずだ。

 

「はあ……できれば伏せておきたかったんだがね。アタシの目的はペアチケットなんかじゃない、アンタらが今つけてる腕輪の方さ」

 

 僕とガヴリールを睥睨する学園長。僕らは召喚大会優勝の賞品として、この白銀の腕輪を受け取っていた。召喚獣を分身させるタイプと召喚フィールドを展開できるタイプの二種類があり、僕が前者、ガヴリールが後者の腕輪を装着している。

 

「でも、さっきは問題なく使えましたよ?」

 

 表彰式でのデモンストレーションで、僕とガヴリールは普通にこの腕輪を起動できた。これの何が問題だというのだろう? 

 

「アンタたちの場合はね。そいつは高得点者が使うと暴走を起こす欠陥品なのさ。坂本なら兎も角、霧島が使ったら一発でアウトだったろうね」

 

「……なるほど」

 

 霧島さんは得心が行った様子で頷いている。自慢じゃないが僕には何が何だかさっぱり分からないので、できれば説明をしてほしいな。

 

「明久、ゲームの新作発表会でデモプレイがバグ祭りだったらどう思う?」

 

「え? えっと、少なくとも買う気はなくなっちゃうよね。あまりにも酷いとゲーム会社の信用が──って、ああなるほど! そういうことか!」

 

「凄いな天真。まさかこのバカを一発で納得させるとは」

 

「伊達に一年以上隣人やってないんでね」

 

 つまりこの腕輪の欠陥は、文月学園の信頼に関わる問題なのか。この学校はスポンサーからの多額の資金援助で成り立っていると聞くし、学園長としては何としてでも隠し通さなければならなかったのだろう。

 

「となると黒幕は、学園長の失脚を狙っている立場の人間ってことだな」

 

「……他校の経営者とか?」

 

「だろうな。それに常夏コンビを利用できたってことは、身内に内通者がいる可能性もある」

 

 雄二と霧島さんが僕を置き去りにしてどんどん話を進めてしまう。ガヴリールも神妙な顔で顎に手を当てているし、これじゃまるで僕だけが話を理解してないおバカみたいじゃないか。

 

「……ところで、さっき雄二の言っていた取引って?」

 

 あ、僕が知ってる話だ。ふふふ、その疑問には僕が答えましょう! 

 

「それはね。僕らが腕輪をゲットする代わりに教室の改修をしてもらうっていう取引を──」

 

「待て明久! その話はマズい!」

 

「もがっ!?」

 

 霧島さんの疑問に答えようとした僕の口を雄二が塞ぐ。

 

「遅かったか! 廊下の方から複数の足音がしやがった! 今の話を聞かれてたかもしれねぇ!」

 

「ええっ!? も、もし録音でもされてたら……!」

 

「最悪の場合、文月学園は廃校だ!」

 

 廃校っ!? そうなったら、姫路さんどころか僕ら全員転校じゃないか! 

 雄二の言葉に、霧島さんは動揺を隠せずにいる。

 

「……わ、私、そんなつもりじゃ……」

 

「霧島さんのせいじゃないよ! 僕が迂闊だったんだ……!」

 

「二人とも、今はそんな話をしてる場合じゃないだろっ!」

 

「天真の言う通りだ! とにかく追うぞ明久! 翔子と天真は他の連中に呼びかけて応援を要請してくれ!」

 

 二人の返事を待たずに駆け出した雄二の後を追う。

 

「雄二! さっきの連中って!」

 

「ああ、例の常夏コンビだろう! あの特徴的な髪型を見間違うはずがねぇ!」

 

 やっぱりそうか! 雄二の推測通り、連中は内通者の差し金だったらしい。

 

「校内放送でバラされるのが一番ヤバい! まずは放送室を封鎖するぞ!」

 

「了解!」

 

 ~放送室~

 

「あ、アキちゃんだっ! そんなに急いでどこに行くの?」

 

「げえっ!? た、玉野さんっ!? どうしてここに!?」

 

「それは私の台詞だよ! どうして坂本くんと二人でそんなに息を荒げて──はっ! まさか二人は愛の逃避行の真っ只中なのっ!?」

 

「全然違う! どうして皆僕のことを同性愛者にしたがるのっ!?」

 

「明久! 遊んでないで次に行くぞ!」

 

「ああもうっ! 玉野さん、悪いけど放送室を見張っててもらえるかな! 変な奴が来たら君の話術で退治してほしいんだ!」

 

「う、うん! 状況はさっぱり飲み込めないけど分かったよ……! さっき手に入れたアキちゃんのメイドパンチラ写真に誓って、この場は私が守ってみせるからね!」

 

「急げ明久! 間に合わなくなるぞ!」

 

「待って! せめて写真の出処だけでも確認させて!」

 

 ~廊下~

 

「あなた達、廊下を走っちゃダメじゃない!」

 

「お前は──委員長!」

 

「いや、クラスが違うからあなた達の委員長ではないんだけど……。ってそんなことより! 一般のお客さんもいるんだから、走るのは良くないわよ?」

 

「確かにそうだね。ぶつかったら危ないし」

 

「そうだな。走るのは止めることにする」

 

「うんうん、分かってくれればいいのよ」

 

「「ジャンプっ!」」

 

「って、えええええ!? 窓から飛び降りたぁ!? 走らなければ何しても良いって訳じゃないからねっ!?」

 

「ごめん委員長! これには深い事情があるんだ!」

 

「だからあなた達の委員長じゃないってばぁ!」

 

 ~二年Aクラス~

 

「……雄二、吉井。さっきはごめんなさい」

 

「気にすんな翔子。悪いのはペラペラと内情を喋っちまった明久だ」

 

「うっ、否定したいけどできない……。それより霧島さん、例の坊主とモヒカンの先輩たちを見なかった?」

 

「……さっきからずっと見張ってるけど、この辺りを通った気配はなかった」

 

「ちっ、ここも外れか……。次に行くぞ明久!」

 

「うん! あ、そうだ霧島さん。決勝戦のお詫びといったらなんだけど、これあげるよ」

 

「……これ、ペアチケット?」

 

「うん。せっかくだから霧島さんに使ってほしいんだ。この如月ハイランドには、訪れたカップルが幸せになれるっていうジンクスもあるしね」

 

「……ありがとう。吉井は本当に良い人」

 

「ぅおい! お前どさくさに紛れてなんてことしてくれやがる!?」

 

「それじゃまたね霧島さん!」

 

「……バイバイ」

 

「待ちやがれ! 今日という今日はお前をぶちのめす!」

 

 殺意の波動に目覚めた雄二を振り切って、僕はグラウンドの方にやってきていた。おかしい、これだけ探し回っているのに見つからないなんて……! 

 

「明久っ!」

 

 すると、さっき別れたはずのガヴリールが駆け寄ってきていた。いや、正確には胡桃沢さんに背負われた状態でだけど。

 

「ちょっと、何で私だけこんな扱いなのよ……!」

 

「うっさいな。お前が一番速いだろ体力バカ」

 

「ガヴリール! 常夏コンビは見つかったっ!?」

 

「ああ、奴らはいま屋上にいる!」

 

 屋上! しまった、完全に見落としてしまっていた。

 

「屋上にある機械みたいなのを弄ってるわね。何かしらあれ?」

 

「えっ、胡桃沢さん肉眼であそこまで見えるの……? ってそうか! 後夜祭用の放送設備!」

 

 放送室を封鎖したことで油断していた。奴ら、さっきの話を校内に流す気だ! でもどうしよう。ここから走って向かったとしても確実に間に合わない……! 

 頭を抱えていると、新校舎の窓から月乃瀬さんと白羽さんがこっちに向かって両手で丸を作っていた。どうやらガヴリールと胡桃沢さんに何かの合図を送っているみたいだけど。

 それを見て、胡桃沢さんは三日月のような笑みを零す。

 

「……フッ、準備は万端のようね。ガヴリール、吉井! 最凶最悪のS級悪魔行為を実行するわよ!」

 

 勇ましく宣言する胡桃沢さんの自信に満ちた表情は、とても頼もしかった。

 

   ○

 

「常村、こっちは準備オッケーだ!」

 

「おうよ! 後はコイツを流すだけで、俺達の逆転勝利ってわけだな!」

 

「あのバカ共が悔しがる様子が目に浮かぶぜ!」

 

「全くだな! 先輩に逆らったりしなけりゃ、もーちょいマシな学園生活を──うおぁっ!? なんだぁ!?」

 

「ふ、伏せろぉ!」

 

──ドォン! ズガンッ!

 

「ナイス! 放送機材に命中したぞ!」

 

 腕輪で召喚フィールドを展開してくれているガヴリールがそんな声を上げる。僕と胡桃沢さんは召喚獣を喚び出して、後夜祭用の花火を屋上に投げつけていた。さっきの月乃瀬さんたちは、校舎から他の生徒の退避が完了したことを教えてくれていたらしい。

 

「あーっはっはっは! このサタニキア様を観察処分者にしたのが運の尽きね! 恐怖するがいい、人間ども!」

 

 胡桃沢さんは高らかに勝利宣言をする。

 相変わらず凄まじい度胸だ。ここまで大胆な犯行声明を僕は他に知らない。

 彼女は満足そうな表情で、着火に用いたライターを手で弄んでいる。

 

「ちなみにこれは魔界通販で購入した二十四時間燃え続けるライターよ。ただし、再点火したら災いが起こるから注意なさい!」

 

「お前もうその胡散臭い通販使うのやめろよ……」

 

 胡桃沢さんの商品紹介にガヴリールが呆れ顔でツッコミを入れている。

 そんな時だった。僕らの背後から、慣れ親しんだ怒鳴り声が響いてきた。

 

「貴様らぁっ! 何をやっとるかぁ!」

 

「げっ、鉄人っ!? もう勘付かれたの!?」

 

 驚いた胡桃沢さんは、思わずライターを手放してしまう。

 

「あっ」

 

 空中に放り出されたライターは、そのまま近くに設置されていた打ち上げ花火の筒の中に入ってしまった。火が点いたままの状態で。

 次の瞬間。

 

ヒュ~……  ドォン!!

 

「胡桃沢さん!? 校舎の一角にぶち当たったよ!?」

 

「サターニャお前! なんてことしてくれてんのさ!」

 

「わ、ワザとじゃないしっ! 鉄人が私を驚かせるのが悪いのよ!」

 

 確かあそこには教頭室があったはずだ。これほどの大事件は学園創設以来初だろう。

 

「貴様ら……覚悟は出来てるんだろうなぁ?」

 

「「「ひぃ……!」」」

 

 ドスの利いた声に、身体の芯から震え上がってしまう。僕らの担任教師である鉄人が、すぐ側までやってきていた。

 

「に、西村先生! 違うんです! 私は二人を止めようとしたんです!」

 

「ちょっとガヴリール! なに自分だけ助かろうとしてるのよ!」

 

「実行犯はコイツです! さっき自分で犯行声明も上げてました!」

 

「お、おのれぇ! 作戦立案はアンタでしょーが! 私が責任を問われる謂れはないはずだわ!」

 

「余計なこと言うなバカーニャ!」

 

「自分だけ助かろうなんて甘いのよバカリール!」

 

「ふ、二人とも! 今は喧嘩してる場合じゃ……!」

 

 恐る恐る鉄人の方に顔を向けると、彼は両手を組んで低い音をゴキゴキと鳴らしていた。

 

「いいだろう。貴様ら全員鬼の補習だ! たっぷり可愛がってやるから覚悟しろ!」

 

「逃げるぞ明久っ!」

 

「おうともさっ!」

 

「神足通!」

 

悪魔的逃走(デビルズエスケープ)!」

 

 蜘蛛の子を散らすように、一斉に逃走を図る僕たち。

 

「まずは貴様だ吉井ぃぃっ!!」

 

「なんで僕なのっ!? 今回僕は一番悪くないと思います!」

 

「黙れ! 校舎の破壊行為に加担しておいてどの口が言う!」

 

「こ、これは学園の存続のためなんです!」

 

「存続だと!? 馬鹿言うな、たった今貴様らが破壊したばかりだろうが!」

 

 鉄人のごもっともな言葉を背に受けながら、地獄の文月学園横断レースがここに幕を開けた。

 

   ○

 

「ひ、酷い目にあった……」

 

 鉄人からの逃亡を命からがら果たして、僕は校舎裏までやってきていた。今は後夜祭の真っ最中で、生徒指導担当の鉄人はそっちの見張りもしなくちゃいけない。だから、ここまでは追ってこないはずだ。

 

「あ、明久くん……? どうしてそんなに傷だらけなんですか?」

 

 しかし、そこには先客がいた。鉄人のむさ苦しさとは対極に位置する女の子、姫路さんだ。

 

「姫路さんこそどうしてこんなところに? 後夜祭に行かなくてもいいの?」

 

「あ、はい。さっきまでお父さんと話をしていたんです」

 

 姫路さんのお父さんは清涼祭を見に来ていたのか。ということは、暴れていた僕らの姿も見られてしまったかもしれない。そうなると、もう成績とか設備とか関係なく姫路さんの転校を阻止するのは絶望的だ。

 俯く僕に対し、姫路さんは咲いた花のような笑顔でこう言った。

 

「ここに通うなら、体力もつけなきゃダメだぞって。それと……良い友達を持ったなって」

 

 えっ? じゃあつまり、姫路さん転校を阻止できたってこと? 

 

「よ、よかったぁ……」

 

 安堵の声が無意識に出てしまう。言ってから、しまったと口を噤むが時既に遅し。

 

「ふふっ。明久くん、やっぱり事情を知っていたんですね」

 

「え、えっとね姫路さん、美波も悪気があって言い触らしたわけじゃないんだ。ただ姫路さんを転校させたくない一心で……!」

 

「はい、勿論分かってます。明久くんが私のために、すっごく頑張ってくれたことも」

 

 そんな姫路さんの真っ直ぐな瞳はどこまでも透き通っていて。

 まるで、僕のやったことを全部まるごと赦してくれているような気さえした。

 

「僕だけじゃないよ。皆が頑張ったんだ。勿論、姫路さんもね」

 

「えへへ……やっぱり明久くんは優しいです」

 

 姫路さんはウサギのような笑顔で微笑む。

 それからしばらくして、そろそろ後夜祭の方に行こうかと姫路さんに声をかけようとしたそんな時。僕らの間に、金髪の毛玉が突然飛び込んできた。

 

「みっずき~! 転校させられなくて良かったねっ!」

 

「わっ、ガヴリールちゃんっ?」

 

 そして、姫路さんにぎゅーっと抱きついているその女の子は、なんとあのガヴリールだった。明らかに様子がおかしい。だが、可愛い女の子二人がぎゅっとしている姿というのは男にとってはまさに理想郷(アガルタ)だ! こんな時にムッツリーニの奴はどこ行ったんだっ!? 

 とろんとした目をしたガヴリールは、次は僕に狙いを定めたのか、わっと両手を広げてこっちに飛び込んできた。

 

「明久ーっ! 私もいっぱい頑張ったんだぞー! 褒めて褒めてっ!」

 

「う、うん。ガヴリールのおかげだよ」

 

「でしょでしょー? 私凄いっ! 私マジ天使っ!」

 

 状況を飲み込めず生返事を返す僕に対し、ガヴリールは諸手を挙げて喜んでいた。

 

「あ、あの明久くん、これは……?」

 

 ぽかんとした様子の姫路さんがガヴリールの頭を撫でながらそんな事を言う。

 彼女が困惑するのも当然だ。言わない……! 普段のガヴリールは絶対にこんなこと言わない……っ!

 

「二人ともっ! 早く後夜祭に行こうよっ! キャンプファイヤー終わっちゃうって!」

 

 ガヴリールはそのままフラフラと校庭の方へ走っていってしまった。

 そんな彼女の姿を見て、姫路さんはまるで懐かしいものを見るかのように微笑む。

 

「明久くん」

 

「なに、姫路さん?」

 

 そして、大事な隠し事を告げるかのように、小声でこんなことを話しかけてきた。

 

「私達の学校って、素敵ですよね」

 

 かつての試召戦争で、雄二にも似たようなことを訊かれたのを思い出す。

 僕らが出会うことができた、この学び舎。

 これからも色んなことが起きて、僕たちは騒がしい日々を過ごしていくのだろう。いつか卒業するその日まで。

 だから僕は、何度だってこう答えるんだ。

 

「うん、そうだね。最高だよ」

 

 僕らは笑い合いながら、クラスメイトたちの元へ駆けていった。

 

   ○

 

「サターニャ! あなたとんでもないことしてくれたわね! 最悪の場合、退学処分だったかもしれないのよ!?」

 

「ううっ~……あれはワザとじゃないし! 全部鉄人の奴が悪いのよっ!」

 

「言い訳しない! 全く、校舎から人を退避させてなんて言うから何事かと思ったけど、まさかあんなことを企んでいたなんて……」

 

「ご、ごめんなさぁい!」

 

「まあまあ、そのへんにしてあげてくださいヴィーネさん。実に面白──サターニャさんも学校を守りたい一心だったんですから」

 

「そうかもしれないけど……」

 

 後夜祭が行われている校庭では、胡桃沢さんが正座で説教を受けていた。月乃瀬さんの言葉から察するに、どうやら彼女は作戦の全貌を知らされていたわけではないらしい。知ったら絶対に協力してくれないからとガヴリールたちは敢えて黙っていたみたいだ。

 

「まるで他人事のように振る舞っておるが明久よ。お主も主犯扱いされておるぞ?」

 

「アキも胡桃沢さんも、観察処分者にされたのに懲りないわね」

 

「…………俺は無関係」

 

 頼れるクラスメイトたちは僕らの擁護よりも自分の保身を考え始めていた。まあ、普通に考えたら停学や退学もあり得るレベルのことをやらかしてるしね。僕も第三者の立場だったら絶対に関わりたくない。

 

「ババアが手を回したんだろうな。じゃなきゃこんなに軽い処分のはずがない」

 

「……教頭室から謀略の証拠が見つかって、そっちが優先されてるというのもある」

 

「翔子、どさくさに紛れて抱きついてこようとするな」

 

 全校生徒合同の後夜祭なので、霧島さんたちAクラスの生徒も一緒に打ち上げをしている。いつも以上に賑やかで楽しい。

 雄二の言う通り、僕らへの処分は厳重注意のみだった。ただその相手が鉄人だったので、僕は相当殴られたし、その上で僕らには今後補習地獄が約束されたけれど。

 って、そうだ。ガヴリールはどこに行ったんだろう? さっきの様子からして、明らかに普通じゃなかった。まさか鉄人の補習に耐えられずおかしくなっちゃったのかな? 

 周囲を見回していると、急に発生した眩い光に思わず目を瞑る。だんだん目が慣れてきたので光の発生源に顔を向けると、そこには何故か天使の姿に変身しているガヴリールがいた。

 

「ちょ、ガヴリール! 出ちゃってる! 天使の輪っかとか翼とかが全部出ちゃってる!」

 

 駆け寄ってガヴリールの姿を皆の視線から覆い隠す。本当にどうしちゃったのだろう。

 

「明久っ! これ持ってて!」

 

 ガヴリールにぐいっと何かを押し付けられる。それはオレンジ色の飲み物が入った紙コップだった。打ち上げのためにFクラスが持ち込んだジュースである。僕はそれを受け取り、ふと手を仰いで嗅いでみる。すると、鼻にツンとくるような独特の苦い香りがした。こ、これってまさか……! 

 

「さあ皆さん! 清涼祭の成功を祝して、私とラプソディを奏でましょー!」

 

 ガヴリールはどこからか取り出した黄金の角笛を持って大きくジャンプしたかと思うと、そのまま翼を広げて空へと舞い上がった。間違いない! ガヴリールはこの大人のジュースのせいで完全に酔っ払ってる!

 

「ま、まずいわよ吉井くん! あれは世界の終わりを告げるラッパ! ガヴはあれを吹くつもりだわっ!」

 

「ええっ!?」

 

 慌てた様子の月乃瀬さんが教えてくれる。ガヴリールとの会話でちょくちょくその存在が示唆されてはいたけど、まさか本当に持ってたの!? 

 空を飛び回るガヴリールの姿に、周りの皆はなんだなんだと視線を上に向けている。

 

「あらあら、賑やかになってきましたねー」

 

「ガヴリールばっかりズルいわ! 私もっ!」

 

「いいから止めろー!」

 

 月乃瀬さんの怒号が夜空に響き渡る。

 僕も止めに行くべきなのだろうが、僕は翼を持っていないただの人間なのでどうしようもない──というのは、言い訳だった。

 本当は、その姿に目を奪われて動けなくなっていたのだ。

 大空を白無垢の翼で飛行し、宝石のような輪っかを輝かせる天使の女の子に、僕は見惚れてしまっていた。

 

「明久!」

 

 彼女が僕に向かって手を伸ばす。

 

「ガヴリール!」

 

 僕は彼女の名前を呼ぶことで応えた。誰よりも笑顔が素敵な、最高に可愛い女の子。夜空の下で輝くガヴリールの姿に、僕は自然とこんな言葉が溢れてしまう。

 

「やっぱり君は、マジ天使だよ!」

 

 そんな僕に対し、ガヴリールは弾けるような笑顔を浮かべてくれた。

 

「だって天使ですもの!」

 

 祭りの夜は更けていく。

 こんなかけがえのない日々も、いつかは過去になり、思い出になってしまう。

 後の祭りという言葉は、祭りが終わってほしくないという人々の気持ちが生み出したものなのかもしれないと、ふと思った。

 それでも──

 僕らはこの世界で、確かに出会えたんだ。

 落ちこぼれでダメダメな最高の仲間たちと。

 その繋がりの中で、ガヴリールが笑っていてくれるのなら。

 僕はこの日々を、いつまでも忘れない。




バカテスト(最終問題)
問 以下の問いに答えなさい。
小説や劇などの物語で、めでたく解決を迎える最後の場面を何と呼ぶでしょう。

吉井明久の答え
『ラスボス戦』
教師のコメント
 経験値が足りません。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『フィナーレ』
教師のコメント
 よくできました。


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バカと天使と番外編にっ!
番外編 お姉さま襲来す/バカ篇①


バカテスト
問 以下の( )にあてはまる歴史上の人物を答えなさい。
楽市楽座や関所の撤廃を行い、商工業や経済の発展を促したのは( )である。

月乃瀬=ヴィネット=エイプリルの答え
『織田信長』
教師のコメント
 正解です。

白羽=ラフィエル=エインズワースの答え
『総見院殿贈大相国一品泰巌大居士』
教師のコメント
 色々な意味で言葉が出ません。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェルの答え
『第六天魔王(※私のライバル!)』
教師のコメント
 頑張って下さい。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
『本能寺燃やされたやつ』
教師のコメント
 偉人に対してちょっと敬意が欠けていると思います。


 人には、何の前触れもなく胸がざわつく瞬間がある。それを虫の知らせというらしい。大して勉強に集中しておらず、国語の授業は聞き流しがちな僕でも、何故かその慣用句だけは頭に鮮明に記憶されていた。今思えば、この不可解な現象そのものこそが虫の知らせだったのかもしれない。

 貴重な休日の午後、僕は家に引きこもってひたすら料理の研究に興じていた。意外に思われるかも知れないが、これでも僕は料理に凝っているのだ。幼い頃から我が家の炊事の担当は僕だったので、生活の中で自然と身についた技術なのである。

 

「うーん、やっぱり砂糖と塩の割合は、7:3の黄金比がベストなのかなぁ……。でも、こっちの6:4も甘じょっぱくて捨てがたい……!」

 

 砂糖と塩は、料理のさしすせその中でも最重要視すべき調味料だ。何故ならこの二つさえあれば、カロリーとミネラルが摂取でき、必要最低限の栄養素を確保することが可能なのである。過去にはこれらの調味料を巡って戦争さえ起こったらしいけれど、それも納得だよね。

 茶碗に注いだ水道水に配合した調味料を投入しテイスティングを行う。うん、やっぱり7:3だね。何も足さない、何も引かない──それこそが正解なのだ。

 

「ごちそうさまでした」

 

 今日の夕御飯を完食し、両手を合わせる。

 すると、不意に我が家のインターホンが鳴った。甲高い呼び鈴の音が僕一人のリビングに響き渡る。

 

「はーいっ」

 

 茶碗を流しに置き、間延びした声を上げながら玄関へ向かう。誰だろう? 宅急便を頼んでいた覚えはないから、ガヴリールか雄二だろうか。特にガヴリールは隣の部屋に住む隣人なので、彼女はよく僕の家に転がり込んでくる。溜まったゴミ袋や余ったダンボールなどを押し付けられることもあり、もはや物置として扱われているような気もするが、深く気にしたら負けだ。

 鍵のロックを外し、ドアノブに手を掛ける。

 僕はこの時、ちゃんとドアスコープを確認するべきだった。

 

「──お久しぶりですね、アキくん」

 

「人違いです!」

 

 バタン! と全力で玄関を閉じて、鍵を施錠し念の為チェーンも掛けておく。

 それは服というにはあまりにも露出が激しすぎた。布面積が小さく、薄く、軽く、そしてタオル生地だった。

 それは、まさにバスローブだった。

 

「な、なんで姉さんが……!?」

 

 僕の平穏な日常が、ガラガラと瓦解していく音が聞こえる気がした。

 

   ○

 

『アキくん? 何故入れてくれないのですか? もしかして姉さんの顔を忘れてしまいましたか?』

 

 そんなドア越しの声と共に軽いノックの音が聞こえてくる。それは僕にとって侵略者の足音にも等しい。

 何故なら、彼女は海外留学をしていて本来ならここにいないはずの人間なのだから。

 僕の実の姉であり、そして僕の天敵──吉井玲。

 一年ぶりに再会を果たした姉は、何故かバスローブ姿だった。

 

「……ふぅ~…………」

 

 僕は大きく深呼吸をし、冷静にこの状況を分析する。

 物事には理由が存在するはずだ。考えろ、姉さんが今この状況で帰国してきた原因を……っ! 

 冷静に頭を回しながら、ベランダのバルコニーに輪ゴムを括り付け、何とかバンジージャンプの要領で脱出できないか試みる。すると背後から、ガチャッと鍵が開かれる音が響いた。

 

「なんで開いたの!? 一人暮らしをする時に鍵は換えておいたのに!」

 

 家族がいつ帰ってきてもいいように防犯対策はバッチリだったはずだ。それなのに解錠されてしまったことに驚愕の声を上げると、姉さんは幼子を説得する母親のような口調でこう言った。

 

「アキくん、姉さんは大学で教育課程を修了しました」

 

「え? ああ、うん。ボストンにある大学だよね?」

 

「はい。つまり姉さんは立派な学士です。なので当然、ピッキングの資格も習得しています」

 

 さも当然のように言ってのける姉さんである。

 おかしい……! この人やっぱりおかしいよ……! 大学にはもっと世のため人のためになるような学びが沢山転がっていたはずなのに……! 

 

「ですが困りました……。チェーンが掛けられてしまっては、ピッキングではどうしようもありませんね」

 

 よしっ! 念の為チェーンもしておいて正解だった! 

 

「仕方ありません。ここはお隣さんにお願いして、ベランダ越しに入らせてもらいましょう」

 

 カチャカチャ ガチャン! 

 

「姉さんおかえり! 元気そうでなによりだよ! 長旅で疲れてるでしょ? シャワー浴びてきなよ!」

 

「あらアキくん、気が利きますね。まるで話を逸らしたがっているみたいです」

 

「な、何を言ってるのさ姉さん! 帰国した姉を優しく迎え入れるのは弟の使命だよ! あ、荷物預るよ。重かったでしょ?」

 

「そうですね。ではお言葉に甘えて」

 

 姉さんからキャリーバッグと大きな紙袋を受け取る。キャリーバッグには姉さんの私物が色々入っているんだろうけど、この紙袋はなんだろう? もしかして僕へのお土産とかだろうか。

 

「ふふっ、分かってますよアキくん。あなたの想像通り、それはアキくんへのお土産です」

 

「姉さん……! ありがとう、嬉しいよ!」

 

 主に常識とか倫理とか色々なものが欠けている姉さんだけど、優しいところもあるんだよね。きっと僕が一人暮らしということを慮って、食料品とか衣類を持ってきてくれたのだろう。いつもギリギリで生き延びている僕にとって、物資の支援は素直にありがたい。

 姉さんに感謝しながら紙袋を開くと、どうやら中身は衣服のようだった。本当は食料が欲しかったが、贅沢を言える身分ではない。紙袋の中に手を伸ばし、僕はその白い服を──白いナース服を取り出した。

 

「………………姉さん、これは?」

 

「おや、ご存知ありませんか? これはナース服といって看護師などの医療従事者が──」

 

「違う! 僕が訊きたいのはこれが何なのかじゃなくて何でこれを僕へのお土産に選んだのかってことだよ!」

 

「なるほど、確かにアキくんの心配もごもっともですね」

 

「分かってもらえて何よりだよ」

 

「ですが問題はありません。ちゃんと男物のナース服を選んできましたから」

 

「問題大ありだよ! 着せる気!? 僕にそのスカート丈の短い服を着せる気っ!?」

 

 一体どこに需要があるというのだろう。こういうのはガヴリールや秀吉のように可憐な女の子が着るから良いというのに。僕なんかが着たところで、変態が一人爆誕するだけだ。ついこの前清涼祭で仕方なくメイド服を着たばかりだというのに、今度はナース服だなんて、本当に後戻りできない領域に至ってしまう。

 

「はあ、姉さんに期待した僕がバカだったよ……」

 

「酷いですアキくん。私はアキくんのためを思って一生懸命選んだのですよ?」

 

 うっ、そう言われると悪いことをした気分だ。確かに、どんな形であれ親切にされたのを無下にするのは良くなかったかもしれない。

 

「ごめん、姉さん……」

 

「良いんですよアキくん。アキくんが私のナース服姿を見たかったということはちゃんと理解しました。次は私に合うサイズのナース服を注文しますね」

 

「理解してない! 姉さんは何一つ僕のことを理解してないっっ!」

 

 どこの世界に実の姉のナース服姿を見たいと思う弟がいるというのだろう。姉さんの常識知らずっぷりは知っていたけれど、留学してから益々酷くなっている気がする。この人は海外で一体何を学んでいるんだ……? 

 

「そんなことよりアキくん」

 

「そんなことよりっ!? 解くべき誤解を丸ごと全部そんなことよりで片付けないでよ!」

 

「私はアキくんのナース服姿と同じくらい大事な用事があって帰国したのです」

 

「だから待って! なんで僕のナース服姿が姉さんの中でそんな最重要課題みたいな扱いになってるの!?」

 

「これよりアキくんの生活と成績を調査し、このまま一人暮らしをさせてよいか判断します」

 

「……ゑ?」

 

 ま、まさかの抜き打ち調査だと……!? 

 このままだと、僕の悠々自適な一人暮らし生活が送れなくなってしまう……! どうにかしてこの悲惨な現状を隠し通さないと……! 

 

「あ、姉さん! あれはなんだろう!?」

 

「ん? なんでしょう?」

 

 僕が姉さんの意識を逸らすため廊下の方を指差すと、まるでタイミングを見計らったかのように隣室のドアが開いた。

 

「明久、朝っぱらからうるさい……こっちは今起きたところなのに」

 

 現れたのは、ボサボサの金髪と大きな欠伸を隠そうともしない女の子、ガヴリールだった。僕の隣人であり、同じFクラスに所属するクラスメイトである。

 彼女は朝っぱらと言っているが、今の時刻はもう昼過ぎだ。恐らく徹夜したあと朝に眠り、そして今起きたばかりなのだろう。

 いや、そんなことはどうだっていい。この状況は、非常にマズイ……! 

 

「……アキくん、こちらの方は?」

 

 姉さんはにっこりと破顔して僕に尋ねてくる。とても晴れやかな笑顔のはずなのに、どうしてだろう。身体の震えが止まらない。

 対してガヴリールはそんなこと知る由もなく、眠そうに瞼を擦っている。そんな彼女の格好を思い出してほしい。ガヴリールが普段、どんな服装で過ごしているのかを。

 そう、彼女はジャージの上着だけという、非常に際どい格好なのだ。勿論家の中でどんな格好をしようがそれはその人の勝手だけど、玄関先となれば話は別である。まあ、それは僕の姉さんにも言えることなんだけれども……。

 

「んあ?」

 

 だんだん意識が鮮明になってきたのか、ガヴリールと姉さんの目が合う。僕は必死にアイコンタクトを送り続けていたが、どうやら少しだけ遅かったみたいだ。

 知らない女性──つまりは姉さんの存在を認識し、ガヴリールは頬を赤らめて目を逸らす。

 

「ご、ごめん! お客さんがいたのか! わ、私は部屋に戻るよっ!」

 

 そしてガヴリールは、慌てた様子で自分の部屋に引っ込んだ。僕はそれを見送ってから、恐る恐る姉さんに顔を向ける。その笑顔は、さっきまでと一ミリも変わっておらず、思わず悲鳴を上げそうになった。

 

「アキくん。私が出した一人暮らしをするための二つの条件、ちゃんと覚えていますか?」

 

「え、えっとね、姉さん。姉さんは昔からずっと綺麗だなって」

 

「質問に答えてください。さもなくば──」

 

「さ、さもなくば……?」

 

「──お嫁に行けなくなるチュウをします」

 

「わああっっー!? 勿論完璧に覚えてます! ゲームは一日三十分と! 不純異性交遊の禁止だよね!」

 

「よくできました」

 

「ぎゃぁぁっ!? なんで正解したのに顔を寄せてくるの!?」

 

「ご褒美のチュウです。ちゃんと覚えていてくれたアキくんには、お嫁に行けるチュウで勘弁してあげます」

 

「どちらにせよ逃げ道なんてなかったのか……! ま、待って姉さん! いやあああっ!?」

 

 この後のことはよく覚えていない。

 ただこの人がいる限り、僕に平穏ってやつは絶対に訪れない。それだけははっきりしていた。



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番外編 お姉さま襲来す/バカ篇②

「思ったより片付いていますね」

 

「あ、アハハ……もっと散らかってると思った?」

 

 部屋を観察する姉さんを見ながら、こっそり安堵する僕である。

 あ、危なかった……! 部屋を散らかせないほど困窮していることが、この場合は逆に功を奏した。

 それについ先日、月乃瀬さんがガヴリールにゴミ捨てをするように口酸っぱく言っているのを偶然聞いて、僕もゴミ出しをしたんだよね。ありがとう、月乃瀬さん……! 

 

「それでアキくん、先程の女の子のことなのですが」

 

「オンナノコ? ナンノコトダロウ、ボクワカンナイ」

 

「そうですか。では直接お隣さんに──」

 

「待って姉さん! 分かった! 話すよ、話すから!」

 

 玄関に向かおうとする姉さんを引き止め、ソファーに座らせる。あんな風にバッタリ遭遇しちゃったら、やっぱり見逃してくれるわけないよな……! 

 

「言い訳があるのでしたら聞きましょう。アキくん、あなたは不純異性交遊をしているのですか? それも、あんなに小さな子を相手に」

 

 腕を組んで僕を見下ろす姉さんである。当然のように僕は土下座だった。

 不純異性交遊の禁止。それは僕が一人暮らしをするにあたって、この人から課せられたルールだ。

 でも不純異性交遊って、具体的にはどんなことがそれに該当するのだろう? ガヴリールはあくまでお隣さんの友達であって、やましいことなど一つもないが、まずはそれを確認してからだ。

 

「姉さん、何をしたら不純異性交遊なの?」

 

「そうですね。例えば──女の子に膝枕をしてもらったりしたら、マイナス10万点です」

 

 まずい。完全にアウトだ。

 

「って姉さん、その点数は何?」

 

「アキくんに一人暮らしを続けさせて良いかの評価です。この減点分を定期テストと比較して、その可否を判断します」

 

 マイナス10万点=即死である。

 

「ね、姉さん。僕みたいなのに彼女なんかできるわけないじゃないか。姉さんの心配は全くの杞憂だよ、ハハハ……」

 

 実際生まれてこの方、彼女なんて一人もできたことがないしね。

 とはいえ、この人の判断基準だと有る事無い事含めて不純異性交遊扱いされてしまう可能性が非常に高い。それはつまりクラスメイトの女の子、ガヴリールや姫路さん、美波に胡桃沢さん、そして秀吉にまで迷惑を掛けることに繋がってしまうかもしれないのだ。僕が変な目で見られるのは構わないけれど、皆を巻き込むわけにはいかない。ここはなんとかして姉さんを丸め込まないと……! 

 

「そうですね。確かにアキくんは頭が悪い上に顔もブサイクで、おまけに甲斐性なしで男の風上にもおけません」

 

「そこまで言わなくてもいいじゃないか……!」

 

 ちょっと泣きそうになった。

 

「ですが、そんなダメなところに魅力を感じる人がいるのもまた事実。実際、姉さんはアキくんに好意を抱いている人物に心当たりがあります」

 

「えっ、本当?」

 

 誰だろう? 姉さんが帰国したことで、思わぬ収穫が得られるかもしれない。

 

「アキくん、こちらを見てください」

 

「なになに?」

 

 姉さんは携帯電話の画面を僕に差し出してきた。そこに映っているのは一通のメールだ。

 

「なんと姉さんの元に、弟の個人情報を入力するだけで100万円が貰えるというアンケートが届いたのです」

 

「それ明らかに詐欺だよ! っていうか、僕の個人情報本当に売ってないよね!? その人には好意じゃなくて悪意しかないよ!?」

 

「安心してください。弟は女装趣味の変態と返信した上で、然る場所に通報しておきました」

 

「通報だけで良かったよね!? っていうか、変態は弟に女装させようとする姉さんの方だから!」

 

 僕は至って普通の男子高校生であって、変態的な趣味などこれっぽっちも持ち合わせていないというのに。

 

「アキくん、話を逸らさず正直に話してください。正直に話してくれれば、姉さんも多少のことは大目に見ましょう」

 

「話が逸れてたのは姉さんが原因の気がするんだけど……」

 

 とはいえ、隠し通すのはもう絶対に不可能だ。大目に見ると言ってくれてるし、ここはもう正直に言うしかないか……。

 

「実はあの子は、同じ学校に通うクラスメイトなんだ。姉さんの思ってるような関係じゃないよ」

 

「アキくん……目を、閉じて?」

 

「なんでっ!? なんで正直に言ったのに妙な雰囲気で近づいてくるの!?」

 

「いくら私でもその嘘には騙されませんよ。あの子の背丈はどう見ても小学生のそれでした」

 

 確かにガヴリールの容姿は高校生には見えないかもしれないけど……。

 

「アキくんはもっと年上の女性にも目を向けるべきかと」

 

「その言い方だとまるで僕が年下の女の子にしか目を向けてないみたいだよ!? 違うから、僕は断じてロリコンじゃないから!」

 

「ですが、アキくんも年頃の男の子。劣情を持て余してしまうのも仕方ないと言えるでしょう。そこで姉さんは考えました。不純異性交遊は禁止ですが──不純な同性との交遊は認めてあげます」

 

「同性愛者でもないからね!? なんでそんなに晴れやかな表情なの!? 海外で姉さんに何があったの!?」

 

 新たな扉を開いた姉の姿に、僕は涙が止まらなかった。

 

   ○

 

 その翌日。

 姉さんの魔の手から逃れるように家を飛び出し、僕は通学路を歩いていた。いつもならまだ寝ているありえない登校時間だけど、寝坊なんてしてしまったら何されるか分かったもんじゃないし、姉さんがいる間だけでも規則正しい生活を送らないと……! 

 

「それにしても、今日はいい天気だなあ」

 

 顔を上げると、そこには突き抜けるような青空が広がっている。早起きは三文の得というし、今日は何か良いことがあるといいなぁ。

 文月学園へと続く坂道をのんびりと歩いていると、その前方に見知った後ろ姿を発見した。あれはクラスメイトの須川くんだ。僕は迷うことなく、その背中に声をかけた。

 

「おーい、須川くーん」

 

「おお、吉井か。おはよう」

 

 須川くんは振り返って、こっちへ駆けてきてくれる。そしてにこやかな表情を浮かべながら、こう続けた。

 

「そしてさようなら」

 

 須川くんは迷うことなく、僕の頬に拳を叩き込んできた。その一撃をモロに食らって、僕は道路に倒れ込む。

 爽やかな僕の朝は、クラスメイトの突然の裏切りによって終わりを告げた。

 

「何!? いきなり何!? 本当に訳がわからないんだけど!?」

 

「黙れ異端者が! 皆の者、こいつを連れて行け」

 

「承知しました、須川会長!」

 

「うむ。特別顧問が到着次第、すぐに審問を開始しろ」

 

「えっ!? なんで!? 僕が何したっていうのさあああっ!?」

 

 僕の疑問には誰も答えてくれず、そのまま僕は怪しいフード姿のクラスメイトたちの手によって2年Fクラスに連行される。畳の上に投げ捨てられ、壁に背中を打ち付けた。

 

「諸君。ここはどこだ?」

 

「「「最後の審判を下す法廷だ!」」」

 

「異端者には?」

 

「「「死の鉄槌を!」」」

 

「宜しい。これより臨時異端審問会を開く」

 

 そして、その目を殺意に染めたクラスメイトたちが僕の抹殺を企んでいる。

 

「ちょ、皆どうしたっていうのさ!? 僕なにかしたっけ!?」

 

「口を慎めこの裏切り者! 貴様は可能な限り惨たらしくコロス!」

 

 駄目だ、話が通じる相手じゃない……! なんで共に青春を駆け抜けているはずの級友に、僕は命を狙われているんだろう?

 

「待てお前達。吉井を殺るのは特別顧問の方が来た後だ」

 

 僕への怒りで殴る蹴るの暴行を加え始めた皆を、須川くんらしき人物が諌める。いや、一番最初に攻撃してきたのは君だからね? そんな感謝しろよみたいな目で見られても、僕の中にある君への感情は殺意だけだよ? 

 

「って、特別顧問って?」

 

 僕も一応、この異端審問会に籍を置いているけれど、特別顧問という役職の人物を知らない。誰のことだろうと首を傾げていると、教室の扉がガラッと開いた。

 そこに立っていたのは、我らが駄天使ガヴリールだった。僕は大きな声を上げて、彼女に助けを求める。

 

「助けてガヴリール! このままじゃ皆から亡き者にされちゃうんだ!」

 

 ゴロゴロと畳の上を転がっていると、ガヴリールはゆっくりと僕らの方へやってくる。た、助かったぁ。

 

「天真さん。ご命令通り、吉井を捕らえました」

 

「うむ。ご苦労だったな」

 

 ガヴリールは敬礼する須川くんから黒いフードを受け取ると、何故かそれを羽織る。あ、あれ? なんだか猛烈に嫌な予感がしてきたぞ? 

 

「す、須川くん。特別顧問ってもしかして……」

 

「そうだ。この天真さんこそが、我らが異端審問会の特別顧問だ!」

 

 一斉に喝采を上げるFクラスの面々である。

 良いのガヴリール? 天使としてそれで良いの? この組織、どっちかと言うと悪魔寄りというか、ただの悪の組織だよ? 

 ガヴリールはそんな僕の疑問など意に介さずに、据わった目で畳に這いつくばる僕を見下ろしている。

 

「──明久」

 

「な、何? ガヴリール……?」

 

「世界が終わる時って、すっごく呆気ないんだぞ☆」

 

「何する気!? 世界に何をする気!?」

 

 やっぱりこの子は生まれる種族を間違えてると思うんだ。

 

「明久、私は細かいことをウダウダと話すのは嫌いだ」

 

「う、うん。知ってるよ」

 

「じゃあ構えろ。私が引導を渡してやる」

 

「へっ?」

 

「いくぞ! 起動(アウェイクン)!」

 

 困惑する僕を置き去りにして、ガヴリールが召喚フィールドを展開する。これは僕らが召喚大会の優勝で得た白金の腕輪の効果だ。ガヴリールが持つ腕輪は、教師の立ち会いなしでの試験召喚を可能にするのである。

 

試獣召喚(サモン)!」

 

「くっ、やるしかないのか……! 試獣召喚(サモン)!」

 

 現れる僕とガヴリールの召喚獣。

 召喚大会ではペアを組んで共に戦った相棒だけど、そっちがその気ならこっちも容赦はしないぞ! 

 

 数学

『Fクラス ガヴリール 11点 VS Fクラス 吉井明久 8点』

 

「……やめようガヴリール。この戦いはあまりにも不毛だ」

 

「……うむ」

 

 やっぱり人間、話し合いで解決するのが大切だと僕は思うんだ。

 ガヴリールが召喚フィールドを取り消してから、僕は彼女の元に歩み寄ってこう尋ねた。

 

「で、結局この騒動はなんだったの?」

 

 するとガヴリールは、ぷいっと目を逸らしてしまう。

 

「いや、まあ、えっと、その……だな。お前に……」

 

「僕に?」

 

「お前に彼女が出来たのかもって思ったら、つい世界を滅ぼしたくなっただけだ」

 

 可愛い顔して言ってることが怖い!

 

「って、え? 僕に彼女?」

 

「だ、だって! 昨日知らない女を家に連れ込んでたじゃん! 彼女がいるから、昨日は私と遊んでくれなかったんだろ!?」

 

「いや……あの人は、僕の姉さんなんだけど……」

 

「…………えっ? 姉さん?」

 

「う、うん」

 

「……」

 

「……」

 

 そっか、とガヴリールは小さく頷く。

 そして顔を真っ赤にして、僕にビシッと指を突きつけた。

 

「コロス! お前を殺して私も死ぬ! そんで全て無かったことにしてやる!」

 

「ええっ!? 何でそうなるの!? 今のは一件落着の流れじゃないの!?」

 

「うるさい! やれお前ら! 記憶を失くすまで明久をボコボコにしろっ!」

 

「「「イエスユアハイネス!!!」」」

 

「くそっ! こんな教室にいられるか! ダッシュ!」

 

「吉井が逃げたぞ! 追え!」

 

「彼女が出来たというのが誤解だとしても、美人なお姉さんと二人暮らしなんて許せん!」

 

「血祭りにあげてやらああああっ!」

 

「結局こうなるのか! 皆なんだかんだ適当な理由をつけて僕を抹殺したいだけなんじゃないの!?」

 

「「「それもある!!」」」

 

「もうやだこのクラス!」

 

 相変わらず誰かを貶めることに関しては異様な団結力を発揮するクラスメイトたちである。

 僕の爽やかな朝は、いつの間にか殺るか殺られるかのデスマッチにその姿を変貌させていた。



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