キノの旅(✕フーと散歩) -the Wonderful Days- (水霧)
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-Ⅰ-
SS1:ささげるはなし -Nameless Sound for You-(オリ)


「“画期的で斬新な食べ物”だと」
「わっはっは。絶品ってほどじゃないが、画期的かもしれんな」
 そんな風の噂を聞きつけたキノとエルメスは湿原の中にある国に訪れた。男に紹介された宿で出された食べ物とは……。第一話「たべたいくに」など十四話収録。リクエスト:alias様、十六夜の月様。


-Contents-
Short Story
ささげるはなし -Nameless Sound for You-(オリ)

わらにもすがるはなし -Trouble Traveler- by alias(オリ)

なかだちのはなし -Boader- by alias(オリ)

おいはぎのはなし -the Story of the Nightmare- by alias(オリ) 

Prologue
信じるということ・b -Be Strong More・b-

第一話
たべたいくに -Eating is Myself!-

第二話
みにくいくに -the Brilliant Cut- by 十六夜の月 

第三話
まもるはなし -So, Want to Protect it...- by 十六夜の月 

第四話
えらばれたくに -at Random- by 十六夜の月(オリ) 

第五話
もどるはなし -Rebirth for Him- by alias(オリ) 

第六話
がんぼうのはなし -××× Holic- by alias(オリ) 

Epilogue
信じるということ・a -Be Strong More・a-

フォトの日記
だれかのために -Live Hard- by 十六夜の月

うつすくに -Say Peace!- by alias(オリ)




 とある師匠と荷物持ちがオンボロ車に乗って、とある道を通りました。そこにはとある老人が木にもたれかかっていました。

 通り過ぎた二人はそのまま走っていきました。が、荷物持ちの一言でオーバーヒートしそうなくらいに戻ってきました。

 この方で間違いないですね? 師匠が荷物持ちに話すと、はい、間違いありません、と荷物持ちが言いました。老人はにこりとしてこんにちは、と言いました。

 お二人はどうして戻ってきたのかな? 老人が(しゃが)れた声で尋ねました。

 荷物持ちが、あなたがかつての国王だからです、と答えました。

「実は、私はもう病に伏して先が長くない。なので、最後の頼みを聞いてくれまいか?」

「頼みとは?」

「……この老いぼれに、詩を捧げてほしい。この老いぼれた病人に、どうか鎮魂歌を……」

 師匠は二つ返事で、分かりました、と返しました。

 その後、男の事情をあれやこれ、

 ぱん。一発の銃声を捧げました。

「これで任務達成ですね、師匠」

「そうですね。価値の高い指輪と王冠とその他もろもろいただいていきましょう」

 

 

 とあるキノとエルメスがとある道を通りました。そこにはとある老人が木にもたれ、青年がすぐ側にいました。

 一旦通り過ぎたキノとエルメスは無性に気になり、Uターンして戻ってきました。

 こんにちは、ボクはキノ。こっちが相棒のエルメスです。キノが丁寧に話すと、青年は涙を流しながらこんにちは、と返してくれました。

 キノさんとエルメスさんはどうして戻ってきたんだい? 青年が嗄れた声で尋ねました。

 キノが、どのような状況なのか気になったからです、と丁寧に尋ねつつも答えました。

「私はこの人の息子です。そして国王なのです」

「つまり、あなたは王子なのですね?」

「そんなの当たり前だろ! ……あ、……ごめんなさい……」

 キノは数秒してから、いいですよ、と返事しました。

 その後、老人たちの事情をあれやこれやと伺い、

 ぱん。一発の銃声を捧げました。

「依頼とはいえ容赦ないなあ。でもこれで豪華な食事と部屋ゲットだね、キノ」

「そうだね、エルメス。あと、弾薬と燃料とその他もろもろもらおう」

 

 

 とあるシズが陸とティーを乗せたバギーで、とある道を通りました。そこにはとある老人と青年が木にもたれ、優男がすぐ側にいました。

 一旦通り過ぎた二人と一匹は無性に気になり、Uターンして戻ってきました。

 こんにちは。私はシズです。シズが手を差し伸べると、優男が涙を流しながらこんにちは、と返してくれました。

 シズさんたちはどうして戻ってきたんだい? 優男が(しゃがれ)れた声で尋ねました。

 シズが、どのような状況なのか気になったからです、と丁寧に尋ねつつも答えました。

「私はこの人の息子です。そしてこの人は国王で、隣が兄なのです」

「つまり、あなたは第二王子なのですね?」

「そんなの当たり前だろ! ……あ、……ごめんなさい……」

 シズは数秒してから、いいですよ、と返事しました。

 その後、老人たちの事情をあれやこれやと伺い、

 ざく。一筋の剣撃を捧げました。

「市民権を得るためには仕方がないとはいえ、心苦しいものがありますね、シズ様」

「そうだな。長い旅だったが、これでようやく落ち着いた生活を送れそうだ」

「ばくだんはもういらなくなるのか?」

 

 

 とあるダメ男とフーがとある道を通りました。そこにはとある老人と青年と優男が木にもたれ、あどけない男がすぐ側にいました。

 ダメ男は彼の所へ寄りました。

 こんちは。ダメ男が軽く挨拶をすると、あどけない男が涙を流しながらこんにちは、と返してくれました。

 一体どうしたんだ? ダメ男が不審がって尋ねました。

「実は父上と兄上たちが殺されてしまって……」

「ってことはあんたが王子様ってわけだ」

「そんなの当たり前だろ! ……あ、……ごめんなさい……」

 ダメ男はいいよいいよ、と返事しました。

 その後、老人たちの事情をあれやこれやと伺い、

 なるほど。フーが声を上げました。

「あなたのお父上が悪政を()っていたことで、国民に革命を起こされ、追放されたというわけですか」

「でも、父親が悪いんであって子供のあんたは別に悪さはしてないんだろ?」

「は、はい……」

「……なら戻ろう。父親の代わりに心を入れ替えて全力で謝罪すれば、きっと許してくれるよ。遺体は後で(とむら)うとして、まずはあんたの命の保証が先だな。ほら、泣くのはここまでだ。立ち上がって行かなきゃ」

 

 

 とあるハイルがクーロたちを連れて、とある道を通りました。そこにはとある老人と青年と優男が木にもたれ、あどけない男は近くの木に吊るされていました。そのすぐ側に精悍な男がいました。

 ハイルは彼の所へ寄りました。

 こんにちは。ハイルが明るく挨拶をすると、精悍な男が涙を流しながらこんにちは、と返してくれました。

 どうしてこんなことに? ハイルが心配そうに尋ねました。

「分からない。だが、暗殺者に殺されてしまったようだ……くそ……! 親父、兄者たち……!」

「お兄さんはご遺族なんだね?」

「そんなの当たり前だろ! ……あ、……ごめんなさい……」

 ハイルは気にしないで、と返事しました。

 その後、老人たちの事情をあれやこれやと伺い、

 そっか、とハイルが男に触れました。

「実はね、その国の人たちにあなたを捜して殺すように頼まれたんだ。でも、心から反省してるのを感じたから……見逃すよ。ぼくはこのまま見て見ぬふりをするから、ご遺体を弔ってあげて。そのままじゃかわいそうだよ」

「お、お前は大丈夫なのかよ……?」

「大丈夫。見つけられないんじゃ殺しようがない、そうでしょ? それじゃ、お元気で……」

 

 

 とあるディンがナナとおててを繋いで、とある道を通りました。そこにはとある老人と青年と優男が木にもたれ、あどけない男と精悍な男は近くの木に吊るされていました。そのすぐ側に普通の男がいました。

 ディンたちは彼の所へ寄りました。

 こんにちは。ディンが柔らかく挨拶をすると、普通の男が涙を流しながらこんにちは、と返してくれました。

 良い光景というわけではなさそうですねぇ。ディンが険しい顔で言いました。

「父さんや兄さんたちが誰かに殺されてしまったんだ」

「しかし銃殺刑に吊るし刑とは、なんとむごいことをしたものですねぇ。彼らの関係者、ご遺族ですか?」

「そんなの当たり前だろ! ……あ、……ごめんなさい……」

 ディンはいえいえ、と返事しました。

 ナナがディンにぎゅっとしがみつきました。

 普通の男は“良い”光景を見つめています。

「とは言え、あなたもこれで満足でしょう? 晴れて国王第一候補になれますからね」

「……知っていたのか」

「いえ、とんでもない」

「ではなぜ?」

「あなたの心情が顔に現れていますよ。まるで憑き物が落ちたかのように、とても清々しい笑顔です」

「……」

 その笑顔を二人に向けました。

「権力争いの成れの果てだよ、旅人さん。しかし、民が血筋の遠い僕を選んでくれたんだ」

「第五王子では、とても国王にはほど遠いですからねぇ。住民の話では、一番平和を愛するお人だとか」

「父さんや兄さんたちもそうだったけどね。……醜い争いや競い合いなんて、くだらなすぎる。間違ってるんだよ」

「私もそう思います。できれば争いたくはありませんねぇ」

 ディンはナナを普通の男の前に出させました。

「ちなみにその国民から一つ、祝言があります」

「? なんだい?」

 ナナが、

「平和をやめて、一方的に蹂躙したいそうです」

 放射音を捧げました。

 

 

「しくじりましたか」

「ですね、師匠」

「まさか、兄弟が他にもいるとは思いませんでした」

「ただ、報酬の一部をもらえただけでも良かったですよ。タダ働きはごめんです」

「欲を言えば、指輪ではなく王冠が欲しかったですね。あと、綺麗な服と燃料と金目の物と弾薬と食料と、」

「いくらなんでも欲張りすぎですよっ」

 

 

「予想外だったね、キノ」

「まさかもう一人、弟がいたとは」

「どうして誰も教えてくれなかったんだか」

「さぁ。せっかくの柔らかいベッドと豪華な食事が一日だけになったのが残念だ。他の物は一応揃えられたけど」

「何のために旅をしてるんだか、わからなくなる発言だね」

「ボクはボクのために旅をしてるだけだよ、エルメス」

 

 

「まいったな」

「はい。まさか、標的が一人だけではなかったとは」

「せっかくのいい国だったのに、もったいないことをした。教育水準も生活水準も高く、生活するには困らなかったのに」

「惜しまれていますね、シズ様」

「それだけいい国だったってことさ。なぁ、ティー」

「いい。それよりつぎ」

「珍しく乗り気だな」

「きっとばくだんをつかうから」

「……」

 

 

「ダメだったか……」

「当たり前です。亡命しようとした国王一族を、誰が好き好んで受け入れようと思いますか」

「でも、オレの言ってることを理解はしてくれてたよ」

「生け捕りにしてくれた借りがありますからね。強く言えないのを察してください」

「そっか……」

「本当に甘くなりましたね。だから何回も死に損なうのですよ。前だってあーだこーだそーだ……」

 

 

「どうなったのかな? あの人」

〔正直、良い結末にはならないとは思いますが〕

「でも、わたしたちに頼んだくらいだから、あの人すごく強いんだよ。きっとどうにかして生き延びられるよ」

〔しかし、なぜあの男を見逃したのです?〕

「……いくら悪人でも、家族の遺体を弔えないなんてつらすぎるよ。それに今度こそちゃんと立ち直れると思うから」

〔今一度、その機会を与えられたわけですね。上手くいってくれると良いのですが……〕

 

 

「これで最後の一人ですね」

「だね! これでたべものとほうせきいっぱいくれるよ!」

「えっと、ナナさんは何がいいですか?」

「チョコレートとぉ、アイス!」

「そればかりじゃないですかっ」

「いいの! ナナがいいことをしたごほうびなの! あとはよろしく~! えっへへ」

「仕方ないですね。代わりに私が弔いましょうか。……すみませんねぇ。ナナさんの甘い物好きのために、あなた方が殺されることになってしまって……。まぁ、チョコ一つくらいならお供えしても怒られはしな、」

「だめ~。だれにもあーげないっ」

「……本当にすみませんねぇ」

 

 




あるがままに生き、あるがままに死ぬ。そしてあるがままに生まれていく。
-I Have a Dream. I Had the Dream. I Will Have No Dream.-


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SS2:わらにもすがるはなし -Trouble Traveler- by alias(オリ)

「ふぅ……今日も疲れたなぁ」

「お疲れ様です。ですが、例の国は見当たりませんね」

「ん。もうちょっと先かもしれない。……気長に探しますかねぇ」

「駄目ですよ。ただでさえ予定より二十三時間も過ぎているのです。これ以上先延ばしにしていたら食料が尽きてしまいます」

「そこら辺の動物とっ捕まえればいいよ」

「こんな男に食べられてしまう動物が可哀想です」

「おい、オレはどうなってもいいんかっ」

「動物ではなく、草でも食べていれば、」

「シマウマかよっ。そこまで雑食じゃ、」

「ん? ちょっと黙ってください」

「……」

「……ダメ男、誰かが通信してきました」

「え? 誰かって……だれ?」

「相手は非通知のようですね。どうしますか?」

「おかしいな。どこの誰にも連絡先は渡してないはずなのに……どこから漏れた……?」

「出ますか?」

「逆探知できる?」

「逆探知はですね、ちょっと待っていてください」

「うん」

「……これ自体にはその機能はないようです。しかし、通話と同時に録音設定はできます。背景音が分かれば、ある程度の位置は絞り込めますね」

「分かった。……繋いでくれ」

「では、スピーカーで通します」

「あいよ。……こんなこと初めてだな。緊張する」

 

 

『……あ、繋がった! よかった~! もし無視されたらどうしようかと思ったよ!』

『……もしもし?』

『あ、すみません! 唐突で申し訳ないです!』

『あんた誰だ? どうしてこの連絡先を知っている?』

『いやあ、行きずりの国で教えてもらいましてね。けっこう有名な方だそうじゃないですか』

『……オレの用件は後でいいか。とりあえず、話はなに?』

『おお、ありがたい! 実はとある出来事があって旅に出ることにしたんですよ。その体験談を本にして、旅の収入にしてるんです』

『へぇ、ってことは流離(さすらい)いの作家さんか。そんな路銀の稼ぎ方もあるんだ。知らなかった』

『一応、私はとある国の出版社に雇われていて、その売り上げを渡してるんですけどね』

『ほー、世界の報道記者みたいな感じかな。そういうの、オレ好きだよ』

『そう言ってくれるととても嬉しいです! だけど、ついに切れちゃったんですよ~』

『? 何が?』

『ネタですよ、ネ・タ!』

『その、本にするネタってこと?』

『そうなんですよ~! それで、お願いがあってこうして話しているんです』

『察するに、ネタになりそうな話を聞かせてほしいってことかな』

『さっすが! で、お願いできますか? できればインパクトのあるやつがいいんですけどね。そうじゃないと、各国の出版社に売り込んでもきついんですよー!』

『あ、原稿は旅の途中で書いて、それを出版社で刷ってもらうんだ。なかなか面白いなぁ。でもオレなぁ、そこまで衝撃的な旅はしてきてないよ? どっちかというと、のんびりほんわかのほほんとしてる方が好きだし』

『ん~、例えば、どこかの王様の救出劇だったり、お姫様とのラブシーンだったりありませんかね。そういう要素にも挑戦したいんですよー』

『やけにピンポイントな要求だな。まるでオレを見てきてるかのような……。かなり前にオレを尾けてた人ってあんた?』

『いんやいんや! まさか! そんなわけないじゃないですかっ』

『あ、そう……。その類はあるにはあるけど、いろいろ忙しくて覚えきれてないしなぁ。話としては不十分すぎるかも』

『そうですか……』

『多分、作家さんの望むような体験談は普通の旅人に比べて少ないと思う』

『そーですかあ……押しかけるようなマネをしてすみません』

『いいよ。で、今度はこっちの番だな。どうやってこれを?』

『ああ、以前、どこかの国で本を借りませんでしたか?』

『本? ……いや、覚えてないな。ちょっとはっきりしたいから待っててくれ』

『どうぞ』

 

 

「保留音を流しました」

「話は聞いてたな? ……本なんて借りたか?」

「いや、その記録はないですね。しかし相手方は嘘を言っているような感じではありません。こちらの記録し忘れがあったでしょうかね」

「マメなフーに限ってそれはないよ、うん。……う~ん……本、本か……」

 

 

『ごめんごめん。ちょっと聞いてまた保留にするかもしれないけど、聞きたいことをいくつか』

『はい』

『まず、何の本を借りてた?』

『えっと……あ、そうそう! 私の本ですよ! “困窮旅人逃亡録”っていう本なんですけど、ご存じないですか? けっこう有名なんですけど』

『“困窮旅人逃亡録”……うん、聞いたことがないな。ごめん、あんまり本には興味がなくて』

『そうですか……。なら、今度どこかの国に立ち寄った時に、ぜひ読んでみてください! 私の渾身のシリーズなんですよ!』

『う、うん。見かけたら読んでみるよ。……で、その本を借りた日付けとか人の名前とかを知りたいんだけど』

『え? ……うっんと……今から十日くらい前みたいですね。名前は……“カカシノカンベエ”さん。旅人さんみたいで、盗まれるとまずいので念の為に連絡先が書いてあったようです。それが、“カンベエ”さん、あなたのだったんですよ。幸い、本は無事に返却されたようですけど』

『……全部分かった。ありがとう』

『え?』

『お礼をしないとね。要望に応えられるか不安だけど、こんな話はどうだろう』

 

 

「ダメ男、一体どういうことですか?」

「それより、こっちの連絡先をすぐに変更してくれ。……ったく、困ったもんだよ」

「既に完了させました」

「さすがだな」

「それで、どういうことですか?」

「あぁ、多分オレの連絡先を知ってる人間が、身分証明の連絡先として、オレのを書きやがったんだ」

「あー、なるほど。十日前だと、ダメ男は宝探しをしていましたからね。変な話だとは思っていましたが、そういうことですか」

「うん。ほんとに迷惑な話だ」

「しかも、まさか相手があの方だとは思いもしませんでしたよ」

「え? 知ってんの?」

「“困窮旅人逃亡録”は今や世界中で大ヒットしている、ベストセラー小説ですよ。主人公の亡命を書き記した内容で、その間に様々な国を訪れては数多(あまた)の出会いと別れを繰り返していく、ヒューマンストーリーです。独特な視点に作者の心情を交えたタッチは、さもドキュメンタリー映画を観てい、」

「そんなに知ってるとは、大分ハマってるみたいだな」

「むしろこのくらいも知らないダメ男が“人間失格”なのですよ。多少は(たしな)まないと、生物失格ですよ」

「二回言わなくていいっ。しかもひどくなってるしっ」

「ですが、その小説の秘密が分かりました。作者様が自ら旅をしながら、こうやって体当たりでインタビューをしていたのですね」

「みたいだな。シリーズ化してるって話だし、自分の分だけじゃ追いつかないんだろうな」

「しかしやはりは才能、ネタを聞いただけではあれほど世界観が広がりません。ダメ男も読んでみるといいですよ」

「あ、あぁ、今度見かけたらな」

「それと同じ形態の小説もありますよ。別の作者様ですけどね。とある大食らいの旅人の様子を描いた小説です。旅人はハングリーな雰囲気が強いのに、恐ろしく大食漢なのです。しかし武器を握らせたら、右に出る者がいないほどの達人なのです」

「フーって読書家だったっけ?」

「一般常識的には読みます」

「流行りにノセられて本読みそうだな」

「それは一理ありますね。どこかの誰かさんがしっかりしてくれれば、色んな種類の本を読めるでしょうにね」

「ぬぅ……」

「さて、明日に備えて睡眠を取ってください。就寝時間を二分過ぎています」

「オレの予定分刻みすぎるっ」

「ではおやすみください」

「はいはい、おやすみ。…………すぅ……ふぅ……」

「さすがに早いです。もう熟睡していますね。……これで続きを書いてくれるでしょうね。よかったよかった」

 

 



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SS3:なかだちのはなし -Boader- by alias(オリ)

 とある場所での話です。

 とある旅人が行き倒れて、死んでいました。持ち物を調べてみると、中々価値のある物がけっこうありました。

 そこへ別の旅人が二人やって来ました。片方の旅人が自分が最初に見つけたと言うと、もう片方の旅人も自分が最初だと言い争いになりました。

 そこにさらに、別の旅人が通りかかりました。血気盛んな二人に割って入り、事情を伺いました。

 片方の旅人が尋ねます。

「貴方はどっちの味方になってくれるんだい?」

 尋ねられた旅人は答えます。

「どっちの味方にもなりません。ですが争い事になるのでしたら、中立ちさせてもらいます」

 その言葉を聞いた二人は、

「そうか」「そうか」

 納得しました。

 二人はその旅人を八つ裂きにし、二人で納得できるように、死んでいる旅人の物を分けていきました。

 

 

 とある場所での話です。

 とある旅人が行き倒れて、死んでいました。持ち物を調べてみると、中々価値のある物がけっこうありました。

 そこへ別の旅人が二人やって来ました。片方の旅人が自分が最初に見つけたと言うと、もう片方の旅人も自分が最初だと言い争いになりました。

 そこにさらに、四角い物体フーを首飾りにしたダメ男が通りかかりました。血気盛んな二人に割って入り、事情を伺いました。

 片方の旅人が尋ねます。

「貴方はどっちの味方になってくれるんだい?」

 尋ねられたダメ男は答えます。

「うぇ? どっちの味方ってったって……うーん、どっちにする、フー?」

「こちらに聞かないでください。ご自身で決められないのですか? さすがはゴミクズ最低人格破綻廃棄物優柔不断人間です」

「毎度ながらその言葉って、よく思いつくよな」

「あなたの称号はたくさんありますよ? かれこれ百二十三個です」

「目標は二百個突入だな、ってどんだけバカにしてんだよっ」

「……」

「あぁごめんごめん。で、何の話だっけ? 悪いんだけど、もう一回話してもらえる?」

 その言葉を聞いた二人は、

「もういい」「もういい」

 納得しました。

 二人は旅人を無視し、どことなく意気投合しつつ、仲良く分けていきました。

 

 

 とある場所での話です。

 とある旅人が行き倒れて、死んでいました。持ち物を調べてみると、中々価値のある物がけっこうありました。

 そこへ別の旅人が二人やって来ました。片方の旅人が自分が最初に見つけたと言うと、もう片方の旅人も自分が最初だと言い争いになりました。

 そこにさらに、灰色の毛並みのハムスターを飼っているハイルが通りかかりました。血気盛んな二人に割って入り、事情を伺いました。

 片方の旅人が尋ねます。

「貴女はどっちの味方になってくれるんだい?」

 尋ねられた旅人は答えます。

「えーっと、二人とも同時に見つけたんだったら、山分けすればいいんじゃないのかなぁ」

 その言葉を聞いた二人は、

「そうか」「そうか」

 納得しました。

 二人はハイルの言う通り、死んでいる旅人の物を分けていきました。

 

 

 とある場所での話です。

 とある旅人が行き倒れて、死んでいました。持ち物を調べてみると、中々価値のある物がけっこうありました。

 そこへ別の旅人が二人やって来ました。片方の旅人が自分が最初に見つけたと言うと、もう片方の旅人も自分が最初だと言い争いになりました。

 そこにさらに、ディンがナナとお手てを繋いで通りかかりました。血気盛んな二人に割って入り、事情を伺いました。

 片方の旅人が尋ねます。

「貴方はどっちの味方になってくれるんだい?」

 尋ねられた旅人は答えます。

「えーっとですね、私た、」

「あ! ××のほうせきだぁ。ほしいな~。ねー、ちょうだい?」

「……という訳で、どうかいただけませんかねぇ?」

 その言葉を聞いた二人は、

「そうか」「そうか」

 ぶち殺そうとして、銃を抜く、

「お願いですから、いただけませんかねぇ?」

 前に、ナナがショットガンと自動式拳銃を二人に向けていました。

 唖然としている二人に、

「ねー、おじさんたち……いいでしょ?」

 朗らかに、笑顔も向けていました。

 

 



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SS4:おいはぎのはなし -the Story of the Nightmare- by alias(オリ) 

 一つの獣道が伸びていました。グネグネと曲がりくねっており、その両脇には緑が茂っています。まるで蛇のような道でした。それを挟むようにそそり立つは二つの山です。紅葉と緑の入り交じる山腹(さんぷく)が獣道に沿うように広がっていました。

 その片方の山の頂上付近に二人の山賊がいました。一人は八十を超えるだろう老人です。顔や手足の見える部分に(しわ)が走り、筋が浮き出ていました。もう一人は十代中頃から後半くらいいの若い少年でした。

 二人はそれぞれ双眼鏡を(のぞ)き、山の麓に伸びる獣道を観察していました。

 

 

 とある日のことです。

「長老、旅人が一人歩いています」

「ふむ。どんな旅人じゃ?」

「はい。茶色の襟の高いセーターを着た旅人です。両足に銀色の自動式拳銃が見えます。大きいリュックとショルダーバッグ、それに左腰にバックパックがあります。性別は……女の子です! パーマのかかった茶髪、細身の手足にちょっと膨らんだ胸、……ん? そこに灰色のハムスターを飼っているようです! 間違いなく女の子ですよ! どっちも可愛い……」

「うむ。優しい目付きに、どことなく気品を感じる。さぞ良いところの娘さんなのだろうな。……さて、あの旅人は儂らの“餌食”として適しているかどうか、襲うべきか答えてみなさい」

「はい。……あの旅人は襲うべきです! いくら二丁の自動式拳銃を扱っていても女の子ですよっ? 仲間と一緒ならまず間違いなく狩れますよ! ハムスターもいい値段しそうですし!」

「……話にならんな。零点以下じゃ」

「な、なぜですっ? どう見たってカモでは……?」

「着眼点は間違っておらん。しかしあんな可愛らしい娘が、一人でこんな悪路をノコノコ歩いてくると思うか? 儂らのような山賊に襲われるやもしれんのに」

「ここ以外に道がないからでは……?」

「それもある。が、大前提として間違っておるのじゃよ。空を見てみなさい」

「? …………鳥……鷹ですかね?」

「あの旅人は鷹匠(たかじょう)なのじゃよ。上空から周辺を警戒し、(あるじ)に危険が迫ると、敵を排除するように仕込んであるのじゃろう。つまり、二重警戒ということじゃ。それに旅人の手をよく見てみなさい」

「え? ……綺麗な手付きだなとしか……」

「女の子の手にしては少々太い。それに角張っていて厚みがある。あの体型から判断するに少々不自然じゃ。それにうっすらとじゃが、喉仏(のどぼとけ)のような“しこり”が見える。つまり、あの旅人は男の子である可能性が高いのじゃ」

「え、ええっ? えええっ?」

「あるいはそういう特殊加工を施しているのかもしれん。しかしそうだとしても、これほど高等な擬態、抜け目の無い警戒包囲網、自動式拳銃二丁のみから考えうる高度な戦闘能力を考えれば、明らかに引き分けは必至、最悪敗北じゃ。みすみす儂らがカモになるようなことはあってはならん」

「……」

 

 

 とある日の二人です。

「長老、旅人が二人歩いています」

「ふむ。どんな旅人じゃ?」

「はい。男の方は黒地のジャケットに……何でしょう? 下半身は銀色の(よろい)……で覆われています。荷物は大きいサイズの迷彩リュックに両腰にポーチ、左腰に剣を携えています。女の方は赤紫のジャケットに黒いパンツを履いています。荷物はショルダーバッグ、右脚に自動式拳銃を吊っています」

「うむ。男の方は暢気な面構えだが、女の方は鋭い目付きをしているな。……さて、あの旅人は儂らの“餌食”として適しているかどうか、襲うべきか答えてみなさい」

「はい。……あの旅人たちは襲ってはならないと思います。二人でもこちらが圧倒的に有利ですが、……何と言うか、ただならぬ気配を感じるのです。二人の荷物や装備は珍しく価値が高そうなのですが……」

「……六十点じゃな。まずまずじゃろう。しかし明確な根拠を伴わなければならん」

「その根拠とは?」

「あの二人、何気なく歩いておるが全周囲に神経を行き届かせておる。もしかすると監視されていることも察しておるのかもしれぬ。それに男が持っている剣……あれは“刀”と呼ばれる刀剣で、接近戦最強の武器なのじゃ。そして女の方は自動式拳銃の他に、ジャケットにもう一丁隠しておる。あの盛り上がりから、何か分かるか?」

「……自動式拳銃にしてはサイズが大きいけど……マシンガンにしてはスッキリした形状ですね。……分かりません」

「おそらく、接近戦最強の銃、“ショットガン”じゃ。おそらくバレルを短く切り詰めたものじゃろう。つまり、狙撃しようにも勘付かれ、接近戦でも絶望的ということじゃ。あれはお主の言うように襲ってはならん旅人たちじゃ」

「……! こっちをっ?」

「イカン! 気付きおった! すぐに逃げるぞっ! 早くせいっ!」

「はっはい!」

 

 

 とある日のことです。

「長老、旅人が一人歩いています」

「ふむ。どんな旅人じゃ?」

「はい。セーターにパンツ、リュック、靴と全身黒尽くめの男です。腰の辺りが盛り上がってることから、ポーチを二つ持っているようです。外見からは武器となりそうなものは見当たりません。せいぜいリュックで締め付けてる傘くらいだと」

「うむ。物腰が柔らかそうな顔付きと雰囲気をしておるわい。……さて、あの旅人は儂らの“餌食”として適しているかどうか、襲うべきか答えてみなさい」

「はい。……あの旅人は襲うべきだと思います。服装からしても銃火器を持っているとは思えないし、それにたった一人です。あの旅人を援護するような者は周囲にはいません。目新しいものはありませんが、そこそこ荷物はあるかと」

「……そうじゃな。八十点はいく報告じゃ」

「え?」

「マシンガンやショットガンといった重武器はなく、手榴弾を用いても、あの地形ではかえって不利になりやすい。囲まれた時には手榴弾は使い物にならぬからじゃ。それにあの旅人はどことなく自意識過剰な面が見受けられる。周囲の警戒やそれに対する反応が過剰すぎるのじゃ。つまりビビリということ。そういう者は本番に弱体化しやすい傾向が強い。総合して、襲う価値あり、じゃ」

「でっでは……」

「他の者に報告しなさい。今から一時間、旅人の周囲を囲むように移動しながら機を(うかが)い、隙を突くと」

「はい。……こちら××地点……応答せよ……」

「しかし……なんという間抜け面じゃ……。緊張感の欠片もない……。先日見たような旅人たちとはえらい違いじゃの……」

「……今から一時間…………」

「ん? あの旅人、様子が変じゃ。ちょっと待ちなさい」

「これから、……? どうしされましたか?」

「もう一度あの旅人を見なさい」

「? ……何か不審な点でも?」

「口が動いておる」

「息切れでは?」

「息切れにしてははっきりと動いておる。……あれは何者かと話しておるようじゃ」

「何者、って誰とです? それに無線機を耳に付けていませんし」

「ここからでは分からぬ。が、確かに話しとる」

「鼻歌か頭がオカシイのでは?」

「…………! あ、ああ、あれは……まっまさか……」

「何か見つけられたのですか?」

「襲撃は中止じゃ! 中止!」

「! な、なぜですっ?」

「ええから言う通りにせいっ! 襲撃は中止! あの旅人は絶対に襲ってはならんっ!」

 

 

「儂らが狙うは自分の力を過信し、やたらめったら他人を傷つけるような(やから)じゃ。今日の出来栄えを見ると、お主の眼力もちょっとは鍛えられてきたかの」

「……」

「じゃが、自惚(うぬぼ)れるでないぞ。まだまだ学ぶことは山ほどあるのじゃからな」

「はい。……ところで長老、僕のような若輩者をベテランと一緒に行動させ、勉強させるようになったのは、長老が第一線から退(しりぞ)いた頃だと聞いたのですが」

「そうじゃ。儂が提案したのじゃ」

「もしかして、先ほどのと関係があるのですか?」

「ふむ。そうじゃな。……あれは儂がベテランとしてバリバリやっていた頃じゃった。一人の旅人を見つけ、襲う計画を念入りに立て、実行した。山登りの格好をした男で、儂らが山賊だと知るとすぐに降参し、命だけはと嘆願してきたのじゃ。何やら珍しい物をたくさん持っていて、四角い蝶番(ちょうつがい)が一番目についた」

「見張りの発案が見事に成功したわけですね? 良かったじゃないですか」

「……あの旅人も……同じのを……あっ……あああ……!」

「長老? どうされたのですか?」

「あ、あいつはおっお、鬼じゃった……! あ、ああ……あっあの若かりし頃が生き地獄なら、あれはむっ無間地獄じゃ……! へ、へらへらしておるくせっくせに、どっどくを、どくをたべものに、くるしむざまをわらって、わら、わらっ」

「ちょっ長老っ? しっかりしてください!」

「過ち……おなじっあやまちをくりかえしては……くりかえしては……!」

「長老!」

「く、くすりを……くすりを……! げどく……やくをおおっ!」

「気を確かに! 長老!」

 

 



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Prologue:信じるということ・b -Be Strong More-

 バタバタと倒れた。七発の銃声とともに。

「……」

 黒い衣服を纏った男はあっけからんとしている。

「なるほど」

 キノは納得するように頷いた。

「キノ、今まで以上に早かったよ! 最高記録じゃないかな!」

「ずいぶん嬉しそうだね、エルメス」

「あ、ありがとうございます……」

 黒い衣服を纏った男はおそるおそる礼を告げた。

「彼らが必死なのが分かりました。銃声がしても、こうして微動だにしないのですから」

 キノが振り返ると、地べたに座って一心に祈っている人たちがたくさんいた。年齢や男女も様々で、中には子供までいた。

 男もそちらを眺め、微笑んでいた。

「旅人さんはとてもお強い方なのですね。神様もびっくりするほどです」

「そういうことも分かるんですか?」

「言ったでしょう? あらゆる所に神様はいらっしゃるのです。こうしている間にも、様々な場所から私たちを見ておられるのですよ。……さて、ご遺体を弔うとしましょう」

「え?」

 男は部下と思われる数人の若人たちを呼び集め、元人間を運んでいった。現場は水で洗い流したり、ブラシでこすり落としたりして、跡形も無く処理していく。

 手際よくこなしていくので、キノは思わず尋ねた。

「こういうことはよくあることなのですか?」

「いえ。そんなにありませんね」

「その割には、テキパキとやっているように見えます」

「我々は遺体を取り扱う専門家です。神様の元へ送り届けるために、悪人と言えども綺麗にさせていただいています」

「へー。あのおっちゃんたちでも天国に行けるんだねえ」

 エルメスが辛辣に言い放つ。

「欲しがる気持ちが強すぎるのは、それだけ信じていることだと思うのです」

「? どういうことです?」

「例えば、旅人さんが誰か想い人ができたとしましょう。その人を好むようになったのは、人柄や成り立ちが自分の理想に近いと信じているからでしょう? だから人は価値観の不一致や性格のズレで苦悩する。自分の理想より外れてほしくないために縛り付けるのです」

「つまり、あの方々は欲しかった物が売れる物だと信じた、つまり神様を信じていたことに変わりない、ということですか?」

「その通り。旅人さんは実に聡明な方です。どのような形でも“信じる者は救われる”、です」

 キノは手元のパースエイダーを見た。長い間使い古されたであろうリヴォルバータイプのパースエイダー。

 きゅっと握りしめて、所定の位置に戻した。

「ところでキノ」

「……なんだい?」

「キノは一体誰を信じて撃ったの? 自分? そのパースエイダー? それとも……」

「……」

 ちらりとエルメスに見やると、くすりと微笑んだ。

 

 



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第一話:たべたいくに -Eating is Myself!-

 薄い膜を張ったような雲が空一面に広がっていた。その膜が強い太陽光を拡散して和らげていく。

 遠くに山が薄く広がっている。昼ごろの太陽の位置から考えると南から南西方面にある。山肌を露わにせず、かと言って木々に覆われているわけでもなかった。黄緑色の背の低い草本が山を伝って生えていた。

 その緑の波は麓から平野にまで渡っている。しかしぽつぽつと水源が溜まっていた。つまり、ここは湿原だ。綺麗に生え渡っていると見せかけて、実は大地が泥濘(ぬかる)んでいる所が多い。

 加えて、穏やかな陽気でこの地帯に合っているかのような気候だ。

 ちりちり、きききき、ばしょん、と虫や動物たちが蠢いている。

 唯一、湿原を通るために舗装されたコンクリート道を駆け抜けていく。この道は周囲より浮き出るように作られている。高さは百五十センチほどか。また、長年の侵食のせいなのか、ひび割れを起こしていた。そこら中から水が染み出しているのが見える。

 一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)がそんな道を走っていた。後部座席にはキャリアを装着して、大きな荷物を載せている。

 運転手は急ぐように全開で走っている。

「ピーピーピー」

「どうしたの?」

 運転手は、眠たそうに返事をした。

 若い。運転手は十代中頃で、白いシャツの上に黒いジャケットを、前を少し開けて着ていた。腰にいくつかのポーチを、ベルトで付けている。

 (つば)と耳垂のついた帽子を深くかぶり、ゴーグルをかけている。

 右の太腿(ふともも)にホルスターがあり、リヴォルバータイプのパースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)が収納されている。背中には自動式のパースエイダーがグリップを上にしてしまってある。

「ピンチサインだね」

「なるほど。初めて聞いたよ」

 モトラドの“エルメス”は興味なさげに相槌を打つ。

「正直に言いなよ。こっちに来て後悔してるでしょ?」

「どうしてだい?」

「そりゃあちょっとでも操作をしくじれば、動物たちの餌になる状況だし」

 遠くで動物の呻き声と唸り声が聞こえた。

「いつものことでしょ」

「それに燃料が尽きそうだし」

「次の国に期待するさ」

「それに、このまま進むとさらにキノが太ることになりそうだし」

「あ、聞いてたんだ。あの話」

「キノを豚に仕立て上げる国と聞けば、誰でも心配するよ」

「大丈夫。自制するから」

「キノじゃなくてその国の方が心配だよ」

「そんなに食い意地張ってるかな?」

「多分、大食い大会で優勝できるくらい」

「それはまた違う気がするけど」

 暢気に話しながら、道を進んで行く。

 

 

 地平線の彼方から茶色い壁が見えてきた。もっと近づくと、キノが、

「面白い作りだ」

 感心した。

 大小太細な丸太が国を囲うように大地に突き刺さっている。地中深く打たれた杭のようだった。これが城壁の代わりと成している。高く、表面がとても滑らかなくせに先端が尖っているので、ここからの侵入は不可能に近い。

 陸続きである道の所には同じような丸太の門があり、左右に門番がいた。しかし彼らは武器を携帯しておらず、木製の盾を持っているだけだった。

「こんなとこじゃ、石とかコンクリートの方がいいと思うんだけどねえ」

 キノは門より手前で停車した。

「こんにちは旅人さん。この村に入国されたいのですか?」

 目を合わせるために、少し首を上げる。

「はい」

「ですよね。どうぞどうぞ、お通りください」

「……え?」

 何の気なしに、もっと言えば呆気なく門が開かれた。

「あの、入国審査は?」

「そんなもんしないですよ。怪しそうな人じゃないですし。それとも村を滅ぼしに来ましたか?」

「とんでもない」

「なら大丈夫。なんもないですが、ごゆっくりどうぞ」

「……」

 

 

 中に入ると、

「へえ」

 面白い光景が広がっていた。

 道を中心として、そこから橋を架けるように丸太の道が広がっていく。その先では広場になっていたり、家が建っていたりと村を形成していた。あるいは道に面して建物が建っている所もある。言うなれば木材の大地だ。

 家の下には大きい柱が突き抜けており、そこに(ねずみ)返しが付いている。高床式という表現が合っているかもしれない。

 道の末には出口の門が見えていた。

 キノはエルメスのエンジンを切り、押して歩いて行く。

「なるほどね。こんなとこじゃ建物の基礎も作れないのか。ならいっそ、杭を深く突き刺して、それを基礎に建物を作った方が早いってわけだ」

 一旦エルメスを置いて、丸太の道から身を乗り出し、

「変な気分だよ」

 下を見た。大きい木の杭が支えとなって大地へと食い込んでいる。ただし、大地は湿地続きなので泥濘みは激しく、湿地を好む草も生え渡っている。

 なるほど、と深く頷き、再び歩き出した。

 命を支える木材の大地は頑丈に作られており、紙も通さないほどにびっちりと敷き詰められている。しかし、丸太同士が擦れるように、きしきしと軋む。

 風の噂を聞きつけて、木の家から何人かやってきた。物珍しそうに、

「こんにちは旅人さん」

 女の子がほんのりと笑顔を見せて、声をかける。

「こんにちは」

 それに応えるキノ。

「よお旅人さん。こんなヘンピなとこに来るたあ物好きもんだなあ」

 今度は職人気質の男。少し上向いて、

「とても面白いところですね。良かったらどんな国なのか教えていただけませんか?」

 返した。

「そんな大層なもんじゃねえさ。ご先祖様がこの土地に対応した村作りをしたってだけのことよ」

「材料とか人手とかはどっから調達してきたの?」

 エルメスが気になって聞いた。

「ああ、実は俺ら住民は深い事情は知らなくてなあ。何でも行きずりの旅人が手伝ってくれたらしいぜ。まああんましこだわらないし、いいけどな」

「なるほど。……それと、道中で耳に入ったことなんですが」

「なんだ?」

「絶品の食べ物があると聞きました。この国のことなのでしょうか?」

「……ああ、あれのことかな……?」

 首を傾げつつも、その節があるようだ。

「もしや、そいつが食べたくて入国したんか?」

「……恥ずかしながら」

 帽子をきゅっとかぶり直す。

「“画期的で斬新な食べ物”だと」

「わっはっは。絶品ってほどじゃないが、画期的かもしれんな」

 馬鹿にしているわけではなく、可笑しくて笑っていた。

「何日か滞在するなら宿を案内しようか。どこでも食えるもんなんだ」

「一石二鳥だね、キノ」

「とてもありがたい話です。お言葉に甘えて……」

「その宿は……」

 

 

 男に案内された宿は他の建物同様に丸太で組まれたものだった。しかし数倍は大きい。位置としては北西方向、村で言うところの北門の近くだそうだ。

 キノは入ってすぐにチェックインを済ませ、部屋を案内してもらった。中は簡素なベッドにテーブル、椅子が二つのみ。全てが木製だった。

 部屋の最奥に窓があり、すぐ脇にベッドどテーブルがあった。一角に個室のような所があり、そこが浴室兼お手洗いとなっていた。

「排泄と湯浴みが一体化してるなんて合理的だ。発展はしてないけど、意外と頭のいい人が多い国かもよ」

 エルメスがのほほんと言い放つ。

「こればかりは仕方ないか」

 その表情には落胆の色が全くなかった。むしろとても楽しみなようで、ベッドに腰掛けるやいなや、そわそわし始める。

「キノ、楽しみにしすぎ」

「いいかいエルメス。旅人は食にこだわる人が多いんだ。そんな人があれやこれやと絶賛する料理なんて、絶対に美味しいに決まってる」

「キノってここまで食に対する執着心あったかなー」

 あのエルメスが心配して考えだす始末。

 

 

 夕方に差し掛かり、キノはパースエイダーその他の調整に取り掛かっていた。また、衣服の洗濯や掃除もやるようだ。

「この様子だと今日中に用事を済ませて、来るべき時に備えるようだね」

「まあそうだね。今日の夕食、明日の三食、翌日の朝食で五食分堪能できるわけだ」

「メンテナンスしながら考えてたの?」

「まさか。今終わったからね」

「頭の切り替えと回転が速いこと」

 道具一式を片付けていると、ノックがした。

 キノがどうぞ、と中へ招き入れた。やって来たのは緑のシャツとパンツを履いた男だった。受付の人と同じ服装なので、おそらく従業員だと推測できた。

「こんばんは、旅人さん。こちらが宿泊分の食事となります」

「……?」

 従業員がそう言うと、近くのテーブルに置いた。

「では、何かありましたらお気兼ねなく」

 キノに微笑みかけて、静かに出て行った。

「……」

 この間、十秒くらいしか経っていない。

 キノは目が点になっていた。

「え?」

 しかし、驚いていることはその事ではなかった。

 おそるおそる持ってきてくれたものを手に取る。

「……これって……?」

 五マスに連なったプラスチックの包みに、それぞれ白い粒が入っていた。

「“PTP包装”ってやつだね。紫外線や湿気、衝撃から中の物を守ってくれるプラスチック製の包装だ。つまり、」

「薬じゃないか!」

 ため息と一緒にその薬を投げるようにテーブルに置いた。

「しかも五個あるってことは、夕食だけじゃなくて五食分きっちり用意してくれたってわけだ」

「……」

「確かにこれは“画期的で斬新な食べ物”だね」

「……」

「キノ? キノさーん?」

 その後ろ姿には異様な哀愁が漂っていた。

 

 

 翌朝。キノは夜明けとともに起きた。

 小窓から外を見る。昨日は天気に恵まれていたのに、今日は曇り空。それもやや黒みを帯びている。誰しもが一雨降りそうだと予感させる天気だった。

「これはすごい」

 下をちらっと見て言い放った。

 キノは雨の心配をして、室内で訓練をすることにした。終えてからパースエイダーの整備をしてからシャワーを浴びた。

 そして、

「……」

 テーブルにある皿をじっと見る。白い錠剤がぽつんと乗せているだけの朝食。水なしでも飲めるそうなので、それをぱくっと口に放り込み、

「……」

 水を大量に飲む。

「……くふ」

 苦悶の表情。

「今日は何味?」

 エルメスが突っ込んだ。

「おはようエルメス。珍しく自分で起きたね」

「おはようキノ。いやあ、面白い顔してるからさ、思わず起きたよ」

「つまり起きていたんでしょ?」

「そうとも言う」

「……ボクが毎朝面白い顔をすれば、きちんと起きてくれるのかい?」

「んー、キノの腕しだい、いや顔しだいだね」

「それはいいことを聞いた」

 一方の口角だけを少しだけ上げて笑う。

「ところで、この味は……なんだろう。よくわからないけど、コーンスープと香ばしいパンと野菜サラダを混ぜてドレッシングで()えたような味だった」

「正確無比で的確な味利きだねえ」

 感心しているのか呆れているのか。エルメスはのほほんと言う。

「ちなみに昨日は何だったっけ?」

「昨日は……カレーライスに野菜スープをかけて青豆サラダにゴマをまぶして混ぜたような味だったかな」

「実物なら、そこまで変わったものじゃないね」

「実物なら、ね」

 

 

「こりゃすごいね」

「うん」

 キノは買い物のために外出しているのだが、足を止めて眺めていた。

 村の構造自体には全く異変はない。むしろ問題なのは、

「こりゃ脱帽だね、キノ」

 一際目立つことがあったことだ。

「……」

 丸太の床が触れるくらいのところまで、水面があった。まるで(いかだ)の上にいるかのような錯覚に陥ってしまう。

 水面をまじまじと見つめる。昨日生え渡っていた野草が海藻のようにふわふわと揺らいでいる。魚もいるようで、急に土埃が巻き上がっていた。

 水面を覗くキノが映って、ゆらゆら波打つ。

「海水ではないね」

「そうだね。今日は降りそうだけど今は降っていないもんね。どこから来たんだろう」

 不思議な光景を目の当たりにしながら、買い物を続行した。

 ところが、またしても驚愕してしまう。

 とある一軒家、同じ作りの家だが商品がたくさん陳列しているので店であろうが、そこには、

「……」

 食料品が一切置いていない。代わりに、宿で手渡された“薬”が店の一角を占めていた。他は雑貨類がほとんどだった。その雑貨類はかなり充実している。

 あまりにも気になって、必要な物を持って店主に話しかけることにした。

「あの」

「なんだね?」

「この国は食べ物の流通が悪いのですか?」

「あるよ。ほら」

 と言うと、あの一角を指差しで教えてくれた。

 話しながら商品売買が行われていく。

「ボクの印象では薬に近いのですが、薬とは違うんですか?」

「薬は薬さ。それに薬だって食べ物じゃないか」

「確かに」

「旅人さんも一週間分くらいどうかな? 今なら果物味とか野菜味とか、新鮮で刺々しくない風味もあるよ」

「いっいえ、ボクは手持ちがあるので……」

 キノは買い物を終えて、急いでその店を後にした。

 

 

 雨が今にも零れ落ちそうな雨空の下、キノは国全体を歩き回った。こんな特殊な構造だからか広くはなく、数時間で把握した。不思議なことに郵便局や銀行、役場なるものまである。決して大きくはない国なのに、やたらと行政がしっかりしていた。

「こういうところは他の国と合併して、任せた方がいいと思う」

「こんなところを引き受けてくれる国なんてないんじゃない?」

「でもこんな環境でも銀行があるくらいだから、それなりに経済は回ってるってことだ。魅力はあると思う」

「キノみたいな物好きな国があればやってくれるんだろうけど、何かあるんだろうねえ」

 難しい顔をしている。

「まいったなあ。分厚いステーキとか巨大なパフェとか食べたかったのに」

「なら名案があるよ」

「なに?」

「今すぐこの国を出発する。そのためには新しい部品に取り替え、」

「ならいっそのこと別のモトラドに乗り換え、」

「るのは止めといて。まあ明日出発なんだから、それまで我慢すればいいじゃん」

「そうではあるんだけど……」

 全く満足していないキノ。

 昼食。とある店で人(だか)りができていた。と言うより、オープンカフェのような店前に席が設けられていて、そこに客が入っている。テーブルや椅子もやはり木製だった。

「キノ! レストランじゃない? ってはやっ」

 見付けたと思った途端、既にその店の前にいた。いや、既に座っていた。脇にエルメスを鎮座(ちんざ)させて。

「どれどれ」

 キノはメニューを見てみると、

「……」

 言葉を失った。

「ふーん。ピザ“風味”にスパゲティ“風味”……あ、ステーキ“風味”なるものもあるねえ。良かったねキノ、ようやく望みのものが食べられるよ」

「“味”だけじゃなくてその本体も食べたいんだけどなあ」

 とりあえず、試しにいくつか注文してみた。すると、

「はい、どうぞ」

 なんと、店員のポケットから、それらしき錠剤を手渡された。やはりプラスチックの包装がされている。しかも二粒。

「……」

 後から、水を持ってきてくれた。ごゆっくり、の言葉を残して、笑顔で他所へ行った。

「素晴らしいね。外食特有の待ち時間が一切なく、すぐに食べられるなんて最高じゃん」

「料理の手間が全くないからね。全くっ」

 ぷち、と錠剤を押し出し、ぱくっと飲み込んだ。

「しかも、食事も一瞬だし」

「なおさら最高じゃん。旅人にとって食事は一番危険な時なんだし、手早くエネルギー補給できるなら心配することもないよ。まさに画期的だ」

「この状況ですら危険なのかい……」

 ちらちらと周りを見てみる。老若男女がいて、笑顔でお喋りをしている。あるいは新聞や本を読みつつのんびりしている。手元にはやはり、あの錠剤があった。

 ふと、ある男が食べようとしている。キノと同じように口に放り込んで、再び読みかけの本に戻る。その風味を鼻や舌でゆったりと嗜みながら、最後は水を流し込んでいった。彼の顔には不満や嫌気が一切ない。むしろまったりとして満足そうだった。

 なるほど、と(うな)った。

「ああやって食べるんだ」

「食べ物というより煙草とか酒とか、嗜好(しこう)品に近いね」

 同様にキノも食べてみる。

「……」

「どう?」

「……うん。風味はすごいよ。まさに生の肉を食べてるかのような」

「でも?」

「やっぱり物足りない……」

「本当に満足なのかねえ。まるで満足に食べてないから娯楽に逃げてるようにも見えるよ」

「聞いてみようか」

 キノが立ち上がってエルメスを押し、

「突然すみません」

「?」

 相席した。相手は満足気に食べていた三十代前半の男。黒いベストの下に白いシャツを着ていた。

「ボクはキノ、こっちは相棒のエルメスです」

「こ、こんにちは」

 読んでいた本をテーブルに置き、不思議そうにキノを見る。

「実は入国したばかりで分からないことがたくさんあるんです。いくつかお尋ねしてもいいでしょうか?」

「ああ、新人さんかあ。いいよいいよ。てっきり襲われるのかと思った」

「ほんと、ぶっきらぼうだよねえ」

 ガツン、と陰でエルメスを叩く。

「皆さん、この薬を飲んで生活しているそうですが、お腹が空いたり満足できなかったりしないんですか?」

「まさか。そんなことは全くないさ。むしろ、食事してる方がストレスを感じるくらい」

「そうなんですか?」

「だって食事してるだけなんて楽しくも面白くもないじゃない。もし、食べなくても生きていけるなら、皆が皆食べないでしょ? 食べないと生きていけないから食べているだけでさ」

「ですが、食感や味といったことを楽しんでいる方もいますよ?」

「さすがキノ、突っかかるね」

 と言いつつも、気になるエルメス。

「それは否定できない。人それぞれ好みがあるからね。ただ、まずいものを食べるより美味しいものを食べた方がストレスを感じないのは確かだ。栄養満点のまずい食事とうまい食事、旅人さんならどっちを食べたい?」

「美味しい方で」

 食い気味に、そして迫るように即答した。

「でしょ? 潤滑に栄養補給を行うためにストレスをできるだけ減らす、この試みが料理や味付け仕込みといった作業なのさ。でも、この栄養補給というのが厄介極まりない。十分に栄養を補給しきれてないのに満腹感が満たされたら、欠けたまま生活することになるよね?」

「少しくらいなら大丈夫かと」

「でも何年何十年という単位になったら、もう無視しきれない差になるはずだ。だから病気になったり怪我をしたりする羽目になる」

「確かにその通りですね」

「だからこいつの出番なのさ」

 男が“薬”をテーブルに出した。

「でもさ、満腹感が欠けたまま生活するのも良くないんじゃない? モトラドなら燃料を常に半分にしたまま走らせるようなものだよ?」

「エルメスにとって燃料補給は食事だったのか」

「あったりまえでしょ」

 無駄に威張っている。

 しかし、なるほど、と男が頷いていた。

「満腹感というのは脳の快感の一つなんだよ。ここの住民はその快感が別のものに成り代わっているのさ。ほら、私は読書が好きだから食べながら読書してるし。それにその満腹感が満たされないことが食料戦争に繋がることもある。現にこの国では犯罪がないらしいよ」

 本を手に取って、キノたちに見せつけた。

「でもどうしてこんなにも食事を嫌うようになったのですか?」

「嫌うというより、選択肢がなかったんだよ」

「? どういうことですか?」

「一つは、」

「おーい、もう時間だぞー」

 後ろで呼ぶ声がした。そちらには同じくらいの年齢の男が二人いた。二人とも作業着を着ている。

「あ、もうお昼はおしまいか。……すまないね、もう時間だ」

「えー! これから良いところだったのに!」

 エルメスがブーブークラクションを鳴らす。

「エルメス、落ち着いて」

「むー」

「もっと話を聞きたいなら私よりももっと詳しい人がいると思うよ。……この国には長がいないから……案外旅商人が知っているかもしれないね」

「? 長がいない……?」

「それじゃ」

 男はキノに別れを告げて、颯爽と立ち去っていった。

 

 

 その後、男の捨て台詞が気になって、午後いっぱいかけて国長を捜すことにした。しかし、

「それらしき建物も人物もいない……」

「聞いてみてもおんなじだったねえ。国長なんかいないさって」

「どうなってるんだか」

「でも面白い国だよ」

「そうだね」

 男の言うように、住民や公務員らしき職員たちも口を揃えてそう告げた。代役や役員など国を執り仕切る人物もいるか聞いたが、やはりいない。

 こうして夕方に差し掛かり、

「あ」

 雨が降り出してきた。仕方なく、ここで引き上げることとなった。

 宿に戻ってから、キノは食事を済ませて、食事を済ませて、明日の準備に取り掛かる。

「残り一錠になったね、キノ」

 ゴミとなった空の包装を切り取って近くのゴミ箱に捨てた。

「いらだってるいらだってる」

 なんだか嬉しそうだ。

 キノはかけていた洗濯物を触るが若干湿っている気がして取り込むのをやめた。明日の朝まで干すようだ。

 そして今日仕入れてきた物をバッグに入れたりキャリーに括りつけたりする。合わせて荷物の点検もした。忘れ物や不足分はない。

「ねえキノ」

「……」

 黙々と旅支度をしていく。

「怒ってる?」

「……怒ってない」

「ゴキゲンナナメなキノに面白いこと教えてあげようか?」

「? ボクのこと?」

「どっちがいい?」

 仏頂面だった表情に眉をひそめて考える表情が加わる。

「ボクじゃない方で」

「キノじゃない方はっと……この国には、おデブさんやガリガリの人はいなかったってことさ」

「あの人の考えに沿えば、生活習慣がきっちりしてるから、その類の病気にもならないってことか」

「それはそのままそっくり、医療費削減に繋がるんだね。しかも犯罪がないってことは生活満足度や幸福度がとても高い証拠だ。つまり警察はいらないだろうし医者も数人で済むってわけだ」

「もしかすると旅医者だけでも事足りるかもね」

 ふふ、と笑う。

「ボクの方は?」

「キノはきっと身体のどこかにトラブルを抱えてると思うってこと。例えば胃袋とか」

「エルメスのガソリンタンクも穴が空いてそうだなあ。すぐ空っぽにな……あ」

 何かに気付いてはっとした。

「エルメスの燃料!」

「やっと気付いたの? どんだけ夢中だったのさ!」

「……確か燃料は……」

「大丈夫、この国にはなかったよ」

「よかった……見逃したわけじゃなかった。ちょっと不覚を取ったよ」

 キノはクシクシと頭を掻いて、綻んだ。

「全然だいじょうぶじゃないっ! むしろ燃料を見逃してたほうがマシだよっ! どうすんのっ?」

「うーん……旅商人が来るって話だしそれまで待つか、残りの燃料とエルメスの省エネ走行に期待して次の国を目指すかかな」

「燃費は運転手によるでしょっ」

「疲れてくると運転が荒くなるからね。その疲労回復にはきちんとした食事が重要だ。だからボクは満足に食べないといけないんだよ」

「なんだそれー! 穴だらけの“弾丸走行”じゃんか!」

「……あ、“三段論法”か」

「それそれ」

「あながち間違いじゃないから分かりづらかったよ」

「でもキノ、この国に留まるってことはさ、旅商人が来るまであの“薬”を食べ続けなきゃいけないってことじゃない?」

「…………!」

「その顔なら何の苦もなく起きられるよ、キノ」

 この世のものとは思えない驚愕の顔をしていた。

 

 

 三日目の朝。つまり出国の日の朝。いつものように起床してすぐに外を見た。昨日の雨が嘘のように晴れ渡り、気持ちのいい青空が広がっていた。次に洗濯物を調べた。ほんのわずかに湿り気を感じるが、許容範囲ということにして、取り込むことにした。

 キノは軽めに体操をした後、朝食を済ませてチェックアウトした。

「ご利用いただき、まことにありがとうございました」

 受付員が軽く会釈をする。

 キノはちらりと目線を上に傾けて、

「ありがとうございました」

 礼を告げた。去り際にもしや、と残して。

 朝早いためか、住民はあまりいなかった。しかし、目につく人たちをよく観察するキノ。

「結局、出発するんだ」

「ちょっとしたアテがあるんでね」

「アテ?」

 意味深な発言だったが、エルメスはお楽しみに残しておくことにした。

 十分に納得して、キノは入国した門の逆、つまり進行方向だった方の門へ向かった。いわゆる出門とでも言うか。

 門は同じように木で固く閉ざされている。その手前に女の門番が一人いた。入国の時の門番と違い、装備が目立たない。ただ、右腰にホルスターベルトがあるのをしっかりと確認した。

 適当に挨拶して、出国の手続きをする。

「はい……キノさんですね? 確かに署名をいただきました。出国手続きは完了です。滞在のほど、ありがとうございました」

「あの、一つ伺ってもいいでしょうか?」

「いいですとも」

 一息つく。

「旅商人の一団はこの先の道からやって来ますか?」

「そうですねえ。そこしか道がないものですから、他の道は無理があると思いますわ」

 開門した。ぎぎぎ、と木同士で擦れ合うような乾いた音とともに。

 先には地平線まで伸びていく道と左右に広がる湿原、そしてそこに満ちている水。太陽の光を受けてキラキラと反射している。

「そうですか。ありがとうございました」

 

 

「キノがアテにしてるのは旅商人だったのかあ」

 好天候に穏やかな陽気の中、キノとエルメスは湿原を割るように突っ走っていた。

「でもそう都合よく燃料を持ってるかねえ」

「間違いなく持ってるよ」

「その確信はどこから来るのさ?」

「自分たち用ってのもあるけど、売りつけるために相当多めに持ってるんだよ」

「どういうこと?」

「あの国には乗り物がなかっただろう? だから必要なのさ」

「話がよくつかめないよ、キノ。ちゃんと説明してよ」

「つまり、こういうことさ」

 ふふん、と上機嫌なキノ。

「あの国は中継地点だったんだよ。あそこにいる人たちはボクらのような旅人のためにお店を営んでいるんだ」

「でもなんであんな場所に作ったんだろう」

「むしろ、あそこに必要だったんじゃないかな。この先、たぶん大きい国がほとんどないんだ。だから、昔の人が大掛かりで国を作り上げた……たぶん」

「じゃあキノが食べた“あれ”はあの国名物の料理だったってわけだ」

「まあ……そういうことになるか……うん」

 微妙な反応に、エルメスがおかしくて小さく笑う。

 走ってから数時間経った頃、

「あ」

 商団と思われるトラックとすれ違った。荷台には大量の荷物に雨除けの緑色のシートが掛けられている。

 キノは急いでUターンして、クラクションを、

「プップー」

 と鳴らした。相手もそれに気付いたようで、徐々に速度を落としてくれた。

 キュッと、トラックの後ろにエルメスを停めた。

 トラックから二人の男が降りてきた。一人は三十代後半くらいでたっぷりと無精髭と脂肪を蓄えた男。もう一人は彼より若く、太めの男だった。

「申し訳ありません」

「どうしたんだい? 旅人さん」

「実は燃料を売ってほしいんです。ありますか?」

「ああ、たんまりあるよ。今入れていくかい?」

「助かります」

 キノは商人と物々交換や売買を行いつつも、エルメスに燃料を入れてもらった。

 無精髭の男はちょうどだし、ということでお茶会に誘ってくれた。各々で自分のカップに自分のお茶を淹れる。スペースがないため、できるだけ端っこに車を停め、雑談をすることに。

「いきなり追っかけてくるからびっくりしたよ。襲われるんじゃないかって」

「すみません。商団を探していたものですから」

「? そりゃ一体どうしてだい?」

「この先にある国についても伺いたいからです」

 ああ、と妙に納得した様子だった。

「これからあの国に向かわれるんですか?」

 自分が来た道に目を追った。

「そうだよ。俺ら旅商人にはオアシスのような場所さ。特に雨上がりは最高なんだ。大陸にいるのに急に海の上にいるかのようさ」

「では、あの国は中継地点だったんですね」

「ん~、まあそういうことになるか」

「?」

 引っかかるような言い回し。キノはもう少し尋ねる。

「では、あそこはどんな……?」

 リーダーらしき男が、あの“食べ物”を見せてくれた。

「あ! それ! キノのだいっきらいなやつ!」

 エルメスが声を上げた。

「旅人さんもこの薬を飲んだんすか?」

 若い男が逆に尋ねる。

「はい。三日間、五食分ですが……やはり薬なんですね」

「なかなか薬以外には見えないだろうな」

 小馬鹿にしたように笑うが、悪意はないように感じた。

 キノは特に気にせず、聞いた。

「して、その効果は?」

「食欲減退効果があるんだ」

「食欲減退(げんたい)効果?」

「つまり、食べる気が失せる効果があるってこと」

「……本当に?」

 エルメスが怪訝そうに尋ねた。おそらくキノを見ながら。

「その証拠に、あの国民は食欲が全く無いだろう?」

「ええ、まあ……」

 自分の腹を少し(さす)るキノ。

「全く問題ないよ。あれは一週間ほど服用し続けないと効果はない。それまではただの栄養補助食品さ。変な成分は混ぜちゃいないから安心してくれ」

「そ、そうですか……」

 内心ほっとするキノ。

「じゃあおっちゃんたちはあの国民を使って薬の効果を試してるんだね?」

 エルメスが突き刺すように言い放った。

「その通り」

 悪びれる様子は全くない。

「こいつは年頃の女によく売れると見込まれてるんだ。お気軽にダイエットしたいっていう馬鹿な女にさ。でも効果は嘘じゃないし、害は全くない。なぜならこの一粒……まあ三粒でなんだけど、一日の必要摂取量が入っているからさ」

「つまり、一粒で一日の必要量の三等分ということですね?」

「そう! 人間は一回の食事で吸収できる量がおおよそ決まってるんだ。それ以上は排出されたり余計なところに溜められたりする。一粒で一日じゃ、身体は持たないし害になるしでいいことがないんだ」

「なるほど。あと、あの国で出会った男性に“選択肢がなかったから、使わざるをえなかった”という趣旨の話を聞きました。これについても何か知っていますか?」

「ああ、お察しの通りだと思うが、こんな所じゃ食べ物が全く作れない。その解決策にもこの“薬”が使われてるのさ」

「満腹感を鈍らせつつも、しっかりと栄養を摂取することができる……」

「そう! あの国はとても重要だけど、兼ねて実験をしているってわけさ」

「簡単に言えば“口減らし”ってわけだね」

「言い得て妙だな」

 容赦なくエルメスが言い放つ。

「ところでおっちゃんたちは太ってるけど、その薬は使わないの?」

「こんなもん使うなら、俺はたらふく食って死んだ方が幸せさ。旅人さんもそう思うだろう?」

「半分は思います」

「半分? もう半分は?」

「ボクなら、たらふく食べて、死なないほうが幸せですね」

 

 



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第二話:みにくいくに -the Brilliant Cut- by 十六夜の月 

 私は陸。白くてふわふわした毛並みをした犬だ。いつもにこにこしているが、いつも楽しいわけではない。そういう顔付きなだけだ。

 そして腰に刀を据えた緑色セーターの青年。私のご主人様であるシズ様だ。とある出来事からバギーに乗って旅をしている。

 

 

 私達は山の中を走っていた。

 木々が険しく、日の当たりが良いところはほとんどなかった。こうして快晴に浮かぶ太陽が燦々としていても、陰りが多い。

 しかしそれがかえって良かった。蝉が五月蝿く鳴き始めるこの季節では日陰が恋しい。シズ様がバギーを走らせているだけでも、私が助手席にいるだけでも汗が滲み出るほどの暑さだ。

 道はというと悪路と言う程でもない。後部座席に置いてある大量の荷物がカタカタと揺れるくらい。しかし舗装されたコンクリートの道路ではなく、何十人と通ったために草が剥げた獣道だ。

 シズ様はいつもの緑色のセーターを着て、袖を大きくまくっていた。風が少しあるが、汗のためにゴーグルは着用していない。首元に提げているだけだった。

「シズ様」

「なんだい?」

 私は少し気になって尋ねた。

「暑いのにセーターを着られるのですか?」

「確かに暑いか」

「そろそろ夏用の衣服にされてはいかがですか?」

 ふふ、と微笑むシズ様は、

「この地帯が比較的暑いだけさ。ここから北に抜けていけば、その必要はなくなるよ」

 提げていたゴーグルをしっかりと装着した。

 

 

 シズ様は徐々に緩やかに速度を落としていく。ようやく国が見えてきたためだ。

 国とは言っても立派な城壁や詰め所、最新武器を携帯した門番はいない。柵もなく門番もいなく、ただ木々に挟まれた道が国へと続くだけ。遠目から、国らしきところが見えてきた、という風に過ぎなかった。

 しかしシズ様には見えている。

「とても長閑そうだ。何か掲げられているのが気になるが」

「?」

 それは後ほど思い知ることとなる。

 とりあえず、さらにバギーを徐行させ、入国審査なしに入国した。思った通り、物珍しさに住民が集まってきた。

「旅人さんだね?」

「はい」

 一人の老婆が話し掛けてきた。おそらくこの国の長だろう。

「とても良さそうな国だ」

 ぽそりと呟いた。私もそう思った。技術的な発展はないが、住民が穏やかで過ごしやすそうな国だ。おそらく、初見で気に入ったと思う。

 シズ様はとりあえずバギーを村の端っこに停車させ、降車した。私も一緒に長の元へ付いていく。

「失礼しました。私はシズ。この子は陸です」

「ワシが国長ですじゃ」

 握手を求めてきたので、シズ様は少し驚きながらも応じた。国長はとてもにこやかだ。

「して、どうしてこんな辺境なところに?」

 ごもっともな質問だった。

 シズ様は、丁寧に答える。

「私たちは安住の地を求めて旅をしています」

「!」

 長の表情が一変した。

「ここの国はとても良さそうだ。良かったらそのあたりの話を、」

「駄目ですじゃ!」

「!」

 国長だけではない。周りを見てみると、住民たちも険悪そうに私達を見ている。そして散り散りに去っていく。

「い、いったいなぜ?」

 その迫力に、シズ様が思わずたじろぐ。

 はっとした国長が申し訳ありません、と小さく謝罪した。

「こんな国に住もうなど、物好きな旅人さんですじゃ」

「でも、お世辞抜きに私が見てきた中でもとても良い国です。これほど長閑で平和そうな国は多くない。どうか相談だけでも、」

「なりませぬ」

「……」

 国長は頑なに拒む。しかし、その表情は穏やかだった。

「ですが、その申し入れは嬉しく思います。……国に住むことは許されませぬが、少しの間滞在されるといいですじゃ」

「……分かりました。ありがとうございます」

 シズ様は名残惜しそうに国長に付いていく。私はシズ様の後ろで付いていく。

 こちらへ、と私達を案内してくれた。

 おそらく切り拓いた場所なのだろう。ぽっかりと穴が空いたような光景に陽だまりができていた。その中に建物が並んでいる。しかし、商業施設や娯楽施設といったものは全くない。ただ古めかしい木造の家が散り散りにあるだけだ。

 国の中心部分に差し掛かると、

「!」

 それがあった。

「……髑髏(どくろ)の十字架……?」

 あまりにも衝撃的なモニュメントだ。

 大小それぞれの人骨が見上げるほどの大きさで十字を象っている。中には欠けていたり、ヒビが入っていたりと、かなりの年数が経っていることが窺える。しかし、なぜかぴかぴかだった。最高級の宝石のように光り輝いている。

「これは一体……」

 怪訝そうに長を見た。国長はほんわかと微笑んでいる。

「実は我々にも分からないのですじゃ」

「分からない?」

「ええ……。ワシが子供の頃からこの十字架が掛けられていた。父や母が、この村の者たちが何事もないのように、この十字架を作っていたんですじゃ。おそらくはもっと前から、ご先祖様方からも」

「……」

 シズ様はもう一度髑髏の十字架を見た。

「こんな物騒なものが掲げられている国に住もうとお思いか?」

 

 

 結局、シズ様はこの村に一泊することにした。私はてっきりすぐにでも出立するかと思ったのだが、諦めきれないようだ。確かにこの国は国としては成り立ってはいないかもしれないが、この長閑な雰囲気が心を落ち着かせてくれる。

 私達は少し離れにある空き家を案内され、そこで宿泊するように言われた。

 木の板を張り巡らせただけの作りで、隅に布団が用意されている。一応、土禁のようなので、荷物を入れるために上がっている。バギーは空き家のすぐ脇に停車した。

 その最中のこと。シズ様は熱心に語ってくれた。

「一番良い国とはどういうものだと思う?」

「生活水準が高く、住むことに何ら不自由しない国です」

「それも一つだろう。間違いじゃない。でもね陸、いいかい」

「はい」

「一番は、国民が何もしていないのに話しているだけで笑顔になれる国なのさ。陸の考えなら、この国の文化水準は低い方だろう。電気や機械はないし、買い物をするにも行商を手配しなくてはならない。だがその解決法はいくらでもあるんだ。ところが、国風というのは長い年月を必要とする。その風景や土地柄、文化形成と深く関わっているためだ。だからこういったところは争いがなく、恵まれた土地によって成り立っていると言える」

「つまり、それがシズ様の理想であるわけですね?」

「そうだ。ただ、俺がもし誰かと結婚して子供を連れていたら、多分この国には住もうとは考えないだろうね」

「え?」

「今度は子供の都合も考えなきゃいけない。教育機関がしっかりとしてそこそこ平和な国を探す」

「なるほど。それにしてもシズ様、大変お気に召したようですね」

「そうか?」

「これほどご多弁になることはそうそうありません」

「……そうだな。滅多にない」

 くすりと笑う。

「どうにかして説得できないだろうか」

「国長が完全に認めていませんし、難しいと思われますが……」

 

 

 昼も過ぎ、おやつ時の頃。シズ様は国を見て回っていた。

 何かおかしなことをしているとは思えない光景だ。洗濯物を干したり談笑していたり、子供が駆けずり回っていたり。むしろ微笑ましくも思える。

 国は広くはない。街の一区域ほどで、あっという間に大方は見ることができた。一体どうやって稼ぎをしているのだろう思ったら、男たちが木を切り倒し、それを換金しているのだという。その証拠に、斧やチェーンソウといった伐採機器がちらほらと目につくし、家の一角に(まき)が積まれている。

 道具や食べ物は行商や商団を頼っているようだ。

「しっかりした国だ」

「はい」

 感心していた。

 不意に、旅人らしき男が目についた。やはり私達のように移住を考えてやって来たのだろうか。同じように案内されていく。ちょうど私達の泊まる空き家の隣、一回り大きい家へ入っていった。

「……ふむ……」

 シズ様の一目がとても羨ましそうだ。ひしひしと伝わる。

 シズ様は国の中心である十字架の場へ向かった。その前で二十代後半の女と小さい男の子が祈っていた。

「こんにちは」

 軽く声を掛けると、シズ様を見てこんにちは、と返してくれた。

「この国に住みたがってる旅人さん?」

「はい」

「旅人さんは物好きな方が多いのかしらねえ?」

 女がにこにこして笑う。

 男の子は女の背後に隠れる。ちらっと私を覗き見ている。

 シズ様がそれを見て綻んだ。

「陸、その子とお遊び。気になっているようだ」

 私は無言で頷いた。

 その子に鼻を突き出すと、おどおどしながらも触れる。面白い感触がしたようで、一心に私に戯れてきた。

「やわかいーい」

「あらあら、ごめんなさい。ウチの子が……」

「いいんですよ。私も少し話し相手がほしかったものですから」

 立ったまま話し続けるのも申し訳ないと、シズ様は近くの木陰へ案内した。私達もじゃれ合いながら付いていく。

 男の子は遊び疲れたのか、私を枕にして眠ってしまった。隣にいた女が私の頭を撫でながら微笑んでいる。

「ここはすごく長閑な国ですね。私以外にも住みたいという旅人はいたはずですよ」

「そうでもないわよ。こんな人も少ない辺境の地だし」

「割りとしっかりした国だと思いますよ。規模を拡大しすぎて滅んだ所はいくつもありますから」

「分相応って意味なら負けてないかもね。ふふふ……」

 シズ様の話がおかしいのか、笑みを零している。

「そういえばあの十字架、丁寧に作られているみたいですね」

「うちの職人の手が込んでるからね」

 視線の先にある髑髏に太陽の光が散光し、さらに輝いている。

「国長がおっしゃっていましたが、ルーツが不明だとか」

「そうなのよ。まあ特に知ろうとも思わないし、知ったからといって取り壊すわけにもいかないし」

「?」

「あの十字架には、家族のもあるのよ。人によっては職人さんに遺体を渡して、十字架の一つにしてもらう。まあお墓代わりってとこかな」

「ではあなたも……?」

「……私は夫」

「……!」

 ぼうっと十字架を眺める女。

「ちょっとした事故でね。商人をしてたんだけど、数年前に突然の嵐に見舞われて崖から落ちて……」

「申し訳ない。お辛いことを……」

「ううん。……でも、不思議と綺麗な五体満足だったわ。けっこう高い所だったんだけど……。お医者様によると、打ち所が悪かっただけなんだって」

「……」

「火葬や土葬されるなら、いっそ十字架の一つになってくれた方がいい。私たちをずっと見守ってくれてるような気がするから……」

 

 

 夕暮れになり、シズ様は礼を告げて女と別れた。男の子がじゃあね、と私の喉元を撫でて女と手を繋いで帰っていった。

 その光景をシズ様が見送った。見送って、

「……」

 綻んでいた。もしかすると、羨望の眼差しも含んでいたかもしれない。私の思い込みだが。

 私達も戻ることにした。

「やはり、あの十字架はお墓代わりにしているみたいだ」

「感慨深いものがありますね」

「無縁仏……とは違うか。でも、寂しくならないように、という考えなのだろうな」

 シズ様は考えに(ふけ)っていた。

 空き家に戻ってから就寝の準備をしていると、若い男がやって来て、

「国長がご夕食を共にされたいそうだ。どうする?」

 と、ありがたい提案を挙げてくれた。シズ様はそれに快諾する。

 若い男が隣の大きめの家に案内してくれた。若い男は国長の親族や部下ではないらしく、そそくさと自分の所へ帰っていく。

 大きめの家の扉にノッカーと呼ばれる金属製の輪っかが付いている。そこを持って、コンコンとノックした。

「どなた……あ、シズさん。お待ちしておりました」

「ご夕食に招いていただき、ありがとうございます」

「ええ、かまいませんよ。少し散らかっていますが、どうぞ」

 中に入ると、意外な光景が広がっていた。

「……」

 石床とでも言うのだろうか。灰色の硬い床に台所や本棚、テーブルといったものがぞんざいに置かれている。正面左右に二つのドアがあり、右は小部屋があるのか突出している。寝室か浴室といったところか。

 テーブルにはこの地域で取れる山菜やキノコ類の和物(あえもの)と、何かの動物の肉を焼いたものが用意されている。私用にも同様の肉があった。ちょっと楽しみ。

 席に着くと、まずは食事をすることになった。

 先に切り出したのは、シズ様だった。

「これは何の肉でしょう?」

「鹿ですな。行商から珍しい肉があると聞いて、早速取り寄せてみたんですわい。これがけっこう美味ですて」

「独特の匂いがしますが、美味しいです」

「それは良かったですじゃ」

 にっこりと喜んでくれている。

 くしくし、確かに動物臭が強いが、悪くない。

「シズさんはお若いのにこんな所にまで旅をしておられるのかな?」

「はい。住みやすい国はないものかと、日々探しています」

「住むのなら故郷が一番ですじゃ。……もしや、何がしかの理由でなくなってしまったので?」

「ええ。……こればかりは仕方ないことです」

「そうですか。なら、その亡き故郷や国民のためにも一つ、祀って差し上げたほうがよろしいですのう」

「あの十字架に捧げるということですか?」

「このような風習はここ数十年でできたものですて。行きずりの人の願掛けに近い意味合いもあります。シズさんは大変苦労なさっておられるよう」

「……」

「この国に訪れたのも何かの縁。少しばかりお力添えをして差し上げたい」

「……では、あの十字架の秘密を教えていただけませんか?」

「!」

 国長がはっとして気付く。

「死者に捧げる十字架の風習の変容を知っているなら、以前のも知っているはずです」

「……どちらにしても、案内せざるを得ないことですじゃ」

 食事が終わってから、

「どうぞこちらへ」

 案内されたのは左の部屋だった。

「!」

 まるで禁断の箱を開けてしまったかのような心境だ。まず目に付くのは夥しい血痕。壁に染み付いてしまって取れなくなっているようだ。そして、異臭。鼻に突き刺さる血の臭いと動物臭、少しの腐敗臭がする。

 真ん中にある台には首を切り離された胴体以下が放置されている。死体を囲うように、様々な機器と道具が並んでいた。メスやチューブといった、医療器具があった。

 死体の首は何かの溶液に満たされた瓶に浸され、部屋の隅にある台に置かれている。毛髪は綺麗に剃り上げられていた。

「こ、これは……」

 さすがのシズ様も鼻と口を覆った。

「見ての通り、頭蓋骨(ずがいこつ)を取り出している最中ですじゃ。今、頭と体を切り離し、保存しているところですじゃ」

 なぜか嬉しそうに話す国長。まるで自分の仕事に生き甲斐を持っているかのように。

「今からどうするつもりですか?」

「まずは頭の皮膚を慎重に剥がし、筋肉や臓器などを剥いでいきます。その後洗浄して数日防腐剤に漬けておくんですじゃ」

「……」

 シズ様の表情が険しくなり、右手が腰に向かう。

「こんな残虐なことをして、よく笑顔で話せますね。人道的に何も思わないんですか?」

「あ、いや、確かに今の説明では勘違いされても仕方がない。もっと事情があるんですじゃ。さ、お戻りに」

「……」

 (たけ)りを鎮め、戻った。

 国長は紅茶でもてなしてくれたが、シズ様は一切口にしなかった。疑いは地中の根のごとく深く張り巡っている。

「村の皆には事情は知りますまい。何せ私以上に年を取った人間はいないですから」

「……つまり、先祖のことは禁忌に?」

「ええ。……話してもいいのか迷いますがな……」

「?」

「あの十字架はこの国で狩った人間で立てられました」

「!」

 すすっと国長が飲む。

「ここは人間狩りをして生きていた国なのです」

「人間狩り……」

「でも、それは快楽的あるいは娯楽的な目的ではなかった。真意は……芸術だったのですわい」

「芸術?」

「例えば動物の毛皮で小物や道具を作ったり、何かを表現したりするでしょう? それと同じ。我々はその素材がたまたま人間、とりわけ頭蓋骨だっただけ。ほら、頭蓋骨の絵を描いた衣服があったりもするでしょう? そういう風に捉えてもらうとありがたい」

「では、今でも人間を狩っているのですか?」

「絶対にありません。私の職人としての魂と誇りをもって誓います」

「なぜそう言い切れるのです?」

 私も全く同じ意見だ。国長が誓っても他の住民にまでその誓いが反映されているとも思えない。それなのに、国長は自信満々に言い切った。

「ずばり、芸術の流行が変わったからなのですじゃ」

「どういう意味ですか?」

「昔は特に若く生き生きした人間の頭蓋骨が主流でした。しっかりとした骨組みと(みなぎ)る緻密さに芸術性が高いと言われていたのです。しかし今はその逆。往年を生きてきた逞しく老いた頭蓋骨が求められるのです。ただ、若い人間でも大病を患ったり精神的に追いやられたりする者は同じ状態になるようですじゃ」

「……対象になるような者はご老体か大病に(かか)ってしまった者ということですか?」

「いかにも。しかし誰にも強制はしない。強引にすると身体中が強張って、筋肉や皮膚が頭蓋骨にびっちり付いてしまうのです。こうなると処理は大変だし、出来たとしても見た目が良くないことが多々あります。よって同意を得た上で、安楽死させてから作業に入るのです」

「なるほど。生きるのに辛い人間がここにやって来ることもある、ということですね」

「そう。厳しい時代となった今、むしろそういう若者が少なくない。ここは長閑な国だから、せめて死後でも魂を安らぎたいと。お墓も要りませんし、皆一緒ですから寂しくもないでしょう」

「……」

「そういう方のためにも、私は心血を注いで作り上げています。そしてこの身が朽ちれば、私もあの十字架の一つになるのです。それは私だけではない。この村のどの人間でも……」

「……?」

「私も一人だからよく分かります。誰だって一人は寂しいものです」

 

 

「シズ様」

「なんだ?」

 夜。シズ様は(あご)に手をあてて考えていた。

「まだ迷われているのですか? 正直、私はこの国にはいたくないです」

「いや、俺はこの国を諦めたよ。そしてどうして国長が俺を受け入れないのかも分かった」

「え?」

「きっと誰かにあの事情を知ってほしかったんだと思う。ここの住民以外にね」

「あの国長は身を裂くように話していましたね」

「多分……悪しき伝統は終わりにしたい。でもこのまま埋もれていくのは寂しい。俺はそう受け取った。国長のその覚悟を、無下にしてはいけない。俺にもよく分かるから……」

 複雑な経緯で故郷を失われていることもあって、深く共感しているのかもしれない。私はそう受け取った。

 

 

 翌朝。シズ様は早起きし、出発の準備を始めていた。持っていた荷物をバギーに積み、戻ってきてはまた積む。その作業を、私はそれを眺めているだけだ。

 この国では調度品や燃料は手に入らなかった。少し待てば行商がやって来るかもしれない。しかし、シズ様は、

「決心が鈍らない内に早めに出よう」

 とのことだった。今のシズ様にとって、この国は自分の理想に合った国ということだ。それでもシズ様は国長の意志を汲み取ることを優先している。たとえどちらになろうとも、私はシズ様に従うだけだが。

 出発の支度が終わり、あとは時を待つだけだ。シズ様はその前に国長と朝食を取りたかったようで、国長の家に向かった。

 控えめにノックをする、

「あれ?」

 が、何の応答もなかった。

「まだお休み中では?」

「それもそうか。早すぎたか……」

 と言っても、既に住民はちらほら目につくし、仕事に出掛けている者もいる。国長はご老年であるから、ゆったりしているのかもしれない。

 シズ様は残念そうにバギーに乗り込み、エンジンを付けるが吹かさず、できるだけ静かに徐行する。ちょうど入国してきた道を戻るように。

 見掛けた住民が気さくに話し掛けてくれた。

「旅人さん、もう行っちまうのかい?」

「ええ。十分休養を取れたので、そろそろかと」

「残念だなあ。でも忙しいなら仕方ないもんな」

「もし良ければ、どこか国があるか教えてもらえませんか?」

「んーっと、ここを出て南東にあったかな? うちらが世話になってる商人がそっちに行ってるとかなんとか聞いたことあるぜ」

「ありがとうございます」

 住民たちに頭を下げると、一人の男がずいずいと押しのけてきた。息を荒げていた。

「引き留めてすまない。少し話せる時間はあるかい?」

「ええ。どうしましたか?」

「実は妻が見当たらなくてね。何か知っているかと思ったんだ」

「……つまり、私があなたの妻を殺したのではないかと?」

 シズ様ははっきりと言い切った。

 男は言いづらそうに俯くだけで、否定はしなかった。

「……」

 部外者だからそう思われても仕方ない。しかし、言いがかりにも近いので怒鳴りつけてもこちらも仕方ない。

 シズ様は、

「私は違います。国長とお話しさせてもらってから、ずっと空き家で休んでいました。信じてもらえるかはご主人次第ですが……」

 丁寧に述べた。

 良くない雰囲気になってしまうが、それを消してくれたのは、

「パパー、これすっごいよ! かっこいい! あ! 昨日のお兄ちゃんとワンちゃん!」

 男の子だった。その子は昨日、私とじゃれ合っていた子だ。ということは、あの母親のことか。

 男の子は私を名残惜しそうに撫でた。すっかり懐かれてしまったようだ。

「……」

「……申し訳ない。少し荒ぶっていたようだ……」

「いえ、奥さんが行方不明ならば誰でもそうなります。それに私はただの旅人、真っ先に疑われても仕方がない」

「旅人さんは妻のことを知っておいでのようだ。……迷惑かもしれないが、旅先で妻を見かけたらここに連れて来てもらえないだろうか。名前は“アンナ”って言うんだが……」

「かまいませんよ。ですが一つだけ尋ねてもいいでしょうか?」

「はい、なんでも」

「ご主人は奥さんと再婚されたんですか?」

「ええ。元夫が事故で亡くされて落ち込んでいるところを見て、なんとかしてあげたいと思って……。元気付けている内に、いつの間にか惚れ込んじゃって。この子とは血は繋がっていないが、私の息子なんだ」

「……そうですか」

 

 

 私は陸。白くてふわふわした毛並みをした犬だ。いつもにこにこしているが、いつも楽しいわけではない。そういう顔付きなだけだ。

 腰に刀を据えた緑色セーターの青年。私のご主人様であるシズ様だ。とある出来事からバギーに乗って旅をしている。

 そしてもう一人、白い髪にエメラルドグリーンの瞳の同行人、ティーだ。複雑な経緯で私達と旅を共にするようになった。

 

 

 私達はとある国の有名な館に入館していた。何でも、世界中から集められた珍品や美術品が展示されているとのことだ。シズ様がたまには違った趣向で楽しんでみよう、という試みから、私達は展覧に来ている。

 さすがに有名なだけあって、入館するだけで三十分もかかってしまった。長蛇の列もすごく、入館制限までかけられているほどだ。一応、犬も入館して良いことになっている。良かった。

 そうやって中に入れたのはいいものの、

「……」

 ティーの反応は今ひとつ。ティーにはまだ芸術を理解するのは早かったか、虚ろな目付きで流し見していく。

 やっとこ興味を示したものが、

「これ、うりものか」

 手榴弾の金型だった。

 幾つかのブロックに分かれていて、絵画や骨董品、国宝品などとなっている。私達はどれも見て回り、残りの近代芸術のブロックに差し掛かっていた。

 このブロックは名の通り、近年作られた芸術品を展示する所のようだ。絵やツボなど一緒に展示されている。

 ここでもティーの反応は鈍い。しかし、

「ん?」

 その中で、私達が目についたものがあった。

「これなんだ」

 人の形をした作り物。しかも骨だけしか残っていない。まるで天へ両手を掲げて見上げているようなポーズを取っている。

「これは人体模型だね」

「じんたいもけい?」

「医者を志す者が骨がどうなっているのかを勉強するために使うことがあるんだ。実際のものを模して作っているから、かなり精巧に作られているらしい」

「ほんもの」

「え?」

「ほんものじゃないのか」

「本物ではないとは思うけど……検体と言って、医学の発展のためにご遺体を提供することもあるようだね」

「そうか。ならほんものだな」

「いや、本物かどうかは別問題だと思うよ」

 ティーがじろじろとすみずみまで見回した後、何かに納得したかのように急に歩き出した。シズ様はティーに振り回されるように付いていくのだった。

 もしや、何か感覚的に感じたものがあったのでは。いや、でもこれに感じたものがあっても困りものだ。

 しかしさすがに芸術展。医学で使うようなものを芸術品として出展す、

「……!」

 ふと、私は昔のことが頭に()ぎった。

 シズ様は芸術品に反応するティーの方に気を取られて気付かなかったのかもしれない。だが、よく見ると左右の骨のバランスがおかしいのだ。一方は太く大きいのに、一方は少し細い。長さも違うのだ。ほんの少しの違いだが、観察すればするほど異様さが目立ってくる。

 思い知ることになったのは直後のこと。私は人体模型なるものの近くにあった物を見て愕然とした。

 このことはシズ様に教えない方がいいだろう。随分前の話だ。ティーと出会うもっともっともっと前の……。

 そのプレートにはこう書かれていた。

 

【愛し憎しのアンナよ、我が身と共に】

 

 



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第三話:まもるはなし -So, Want to Protect it...- by 十六夜の月 

 所々剥げた草原に一本の道が伸びていました。長年舗装していなかったために、凹凸が目立ち始めています。その剥げた所には地面が露出し、それをぽつぽつ生えている木々が見下ろしています。少し変わった地帯でした。

 そこにボロボロの黄色い車が走っていました。後部座席に荷物をぱんぱんに詰め込んでいます。ガタガタと衝撃がモロに車内に伝わっています。中はとても気持ち悪くなりそうな空間になっていました。

 運転席に座るのは少し背の低い優男です。茶色のジャケットを羽織っていて、左腰にはハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器です。この場合は拳銃です)が入ったホルスターがあります。

 暴れ馬を操縦するように、ハンドルを捌いています。

「師匠」

 優男が陽気に、

「なんですか?」

 助手席にいる“師匠”と呼ぶ女性に話しかけます。

「子供がいます」

「見えますね。それで?」

「助けたり……はしないですよね?」

「……」

 師匠は自分のパースエイダーの確認をしています。

 師匠は妙齢の女性で、高そうな黒のジャケットを着ています。右腰にホルスターがあり、大口径のリヴォルバーが吊るされています。

 (つや)のある長い黒髪をおでこから横にさらいながら、その光景を流し見していきます。ひび割れたサイドミラーで後方を見ていきます。ぴくりと手が止まりました。

「車を停めてください」

「え?」

「早く」

「はい」

 思わず、まじまじと見ていました。まるで世紀の大発見を目の当たりにしたような衝撃に、ブレーキを踏むのが遅れてしまいます。

 故障寸前の車が行き倒れから離れた所でがたんがたんと停車しました。仕方なくがたんがたんとバックで戻っていき、優男が子供の容体を見に行きます。

 ちょうど茂みを背にして泣いていました。

「君、どうしたの?」

 感情のない棒読みでまずは問いかけます。師匠はパースエイダーの準備を整えていました。

「う……うぅ……」

 金髪におかっぱ頭の男の子です。男の子は優男を見ると、

「うわああああんっ! うええええええん!」

 さらに泣き出しました。あわあわと慌てふためく優男を尻目に、師匠は車から面白そうに眺めていました。

 少ししても泣き止む様子がないので、仕方なく師匠も降りていきました。

「どうしました?」

 そっと肩に触れながら優しく問いかけます。すると、

「……くすん」

 泣き止みました。なるほど、と優男が頷いています。

 師匠が男の子に水と携帯食料を軽く与えましたが、まるで反応しません。視点は一点を動かずに、虚ろな目をしていました。

「……」

 すっと師匠が頬に手を添えると、

「!」

 急に抱きついてきました。振り払おうと思いましたが、子供の力とは思えないほどに強く、そして震えていました。

 男の子はゆっくりと茂みの方へ指差します。

「何だろう」

 優男がそちらへ確認しに行きます。茂みの奥に入ってすぐに、優男は納得の声を上げました。

「こりゃひどい」

 それだけ呟いて戻ってきました。

 師匠は何となく察していました。茂みの根本に少しの赤みを見つけたから。

「そういうことです師匠。どうします?」

 優男も師匠が気付いたのを察します。

「とりあえず事情を聞かないうちは動けません。この子が落ち着くまで待機です。あなたはご遺体を丁重に弔ってください」

「え? 師匠も手伝ってくださいよ」

「私はこうですので動けません」

 がっちりと抱きついていました。

「……分かりました」

 その様子を男の子に見せるわけにもいかないので、車の陰に連れて行き、気が鎮まるのを待ちました。

 師匠はちょっとずつ聞き出します。

「名前は?」

「……“ドンド”」

「ドンドですね? どうしてこんなことに?」

 男の子“ドンド”はうん、と小さく頷きます。

「……」

「そうですか。……旅行中だったとか?」

「……ぼく、ひどいことされた……」

 惨劇を思い出してしまい、また震え出してしまいます。

「大丈夫。心配しないで。とにかくどこかへ行きましょうか。それとも、何かしたいことはありますか?」

「……え?」

「もう両親はいない。けどそれは自由を手にしたと考えるのはどうでしょう?」

「じ、自由?」

「つまり、これからはドンドの好きなように生きていくことができる、ということです」

「好きなように? でも……」

「親を亡くしてしまったのは仕方がない。でもずっとそれを根に持ったのでは先に進めません。ドンドがどこかで覚悟を決めなくては」

「? ……?」

 難しいようで、いまいち理解できていないようです。

「今、ドンドは何を考えていますか?」

「……ぼく……」

 きゅっと唇を噛み締めます。

「あの人たちを殺したい! ぼくのお父さんとお母さんを殺した人たちを殺したい! ゆるせないっ! だから手伝って、旅人さん!」

「……」

 ふ、と師匠が微笑みました。

「分かりました。でもそれはタダではできません。ドンドは私達に何かくれるのですか?」

「えっ? ……」

 しゅん、と落ち込んでしまいます。

「ぼく……なにもないよ……」

「分かっています。私もさすがにそこまで酷ではありません。だから、“出世払い”で請け負いましょう」

「……“出世払い”?」

「ドンドが将来大人になって、お金なりなんなりを稼げるようになってから、ということです。ですから、」

「師匠、ちょっと話が……」

 優男が横から入ってきました。ちょっと待っててね、と優男が師匠を連れだしていきました。

「何です?」

「埋葬を終わりました。あの子の前で言うのはきついと思ったので」

「あなたにしては配慮しましたね」

「金づるですから」

 ふぅ、と師匠は気持ちを切り替えました。

「では、今から依頼内容を伝えます。聞き漏らさないように」

「えっ? あの子を助けるつもりですか?」

「こうなったのも何かの縁。それに子供を放っておいて行くのは人としてどうですかね?」

「うん、まあ……その通りです、よね」

 いつもとは違う展開に、困惑してしまう優男。しかしちょっぴり可笑しくて内心笑っていました。

「依頼は復讐です。ドンドの両親を殺害した集団を捜索し、始末すること。ですが、それと同時並行して国を探さなくてはなりません」

「つまり、ドンドくんの新しい生活を考えつつ、犯人を取っちめるってわけですね」

「正直、これは何日かかるか分からない依頼です。しかし完了すれば見返りは大きいと考えます。何より私も人間ですので、子供を見捨てるほど腐っていません」

「んー、でも犯人の目星がつかないってのが厄介ですね」

「あなたは遺体を見ていたでしょう? それがヒントですよ」

 ぽりぽりと頭を掻きます。

「そうですねえ。弾痕は全身至る所に。これはマシンガン型で三十九ミリ弾が使われているかと。ですが、ご丁寧に薬莢は全て回収されていました。しかもよく見ると、周囲の木々や地面には弾痕が見当たりません」

「つまり殺害現場は他所で、あの子と一緒にここへ運んできた」

「そうだと思います。しかもここがどこだかも分かってないみたいですから、目隠しなどの最低限の拘束はしていたのでしょう」

 ひとまず、粗方の段取りを決めました。

 優男が運転席に座り、

「では犯人捜しから始めましょうか。生憎、この車は二人用ですので、ドンドは私の膝に座ることになります。それでも構いませんか?」

「う、うん。おねがいします」

 助手席に座る師匠の膝に、ちょこんとドンドが座りました。

 

 

 それから師匠たちはさらにドンドに質問をしました。ここに来たのはどれくらい前か、両親はどんな仕事をしていたのか、犯人たちはどのような人物だったのか。辛いことも承知で、ゆっくりと話をしました。

「よくおぼえてないよ。水を飲まされてからいきなりねむくなって……」

「お父さんはえらい人だってことしか……」

「……五人、くらい……」

 師匠たちはいろいろなことを考えながら反芻(はんすう)していきました。

 さて、今走っている所は広大な草原に伸びる一本の道です。最初はそのような道を走っていましたが、道の枝分かれを経て森林一帯を通り、緑色が段々と砂色に移り変わっていきます。また、向かっている方向を中心に山々が目立ち始めました。山と山の間を走るようにもなり、落石や襲撃に注意しながら運転していきます。

「師匠、ここはどちらに?」

「右です」

「? 分かりました」

 周囲も生えている草や大地がそれらしい色になっています。つまり、半ば砂漠っぽくなっていました。しかしカラッカラに乾燥してはおらず、生温い風に乗った砂埃が引っ付くことなく流れていきます。

 そんな道を通っている頃には、空が夕焼けに滲んでいました。

 ちょうど山道を登るところに差し掛かります。周りは木の数本もなく、茶緑色の草がぽつぽつと生えているだけです。あとはボロボロの道路が山へ続いているのみ。その勾配は緩やかですが、

「少し休みますか?」

「うん……ちょっと……」

 ドンドが車酔いしてしまいます。無理もありません。悪路に加えての車自体のガタつきは上下に振動しながら突き進む遊園施設のようです。

 師匠はドンドの体調と時間帯、山越えを考慮して、この麓で野宿することにしました。この先の山道は直線ではなく、舐めるように横に伸びていたためです。そこまで長くはないと思いますが、どれくらいかかるのか採算が取れませんでした。

 少し早めの夕食です。携帯コンロで温めたコンソメスープと携帯食料で一食を(まかな)います。

 師匠とドンドの二人はそのコンロを挟むように座っていました。優男は車の屋根に乗って、周囲の監視をしています。すぐ横には低い三脚で立っている機関銃型のパースエイダーがあります。本来は装甲車や軍用機といった対物用のパースエイダーなのですが、巨大なスコープが装着されています。つまり、対人用に後付けしたものです。

 そんな物騒なものを犬でも撫でるかのように、手を添えています。

 ドンドはそれがどういうものなのか理解していましたが、どのような事になるのかまでは予想がつきません。

 不思議そうに見ていると、

「興味ある?」

 優男がにっこりと反応しました。

「い、いや……大きいなあって……」

「これがあれば、憎き仇を蜂の巣にできるよ」

 優男はドンドに自分の自動式パースエイダーを手渡しました。

「まずは構えてみようか。右手は人差し指でトリガーに触って、グリップを握る。左手は親指以外の四本で上からしっかりと握りこむ。この時、親指は安全装置に掛けながらもスライドと平行に添える。こうやって……」

 優しくドンドの両手を使って、構えを作ってあげました。構えた方向に人がいないことを確認します。

「これが基本。あとは両目でサイトを見ながら、握りこむように照準を合わせて、トリガーを引く」

 ぱん、と高い破裂音がしました。

「上手いね。飲み込みも早い。けっこう才能あるよ。で、こっちのパースエイダーは……っと」

 もっと話したそうにしていましたが、師匠にじろっと見られて収まりました。

 夕焼けも夜空に代わり、空に星々が輝き出します。ここが比較的湿気があるからか、ぼんやりと煌めいています。

 ドンドは夜空をただ見上げていました。

「……さて、朝早く出るので早めに寝ましょう。ドンドは車の中で」

「いいの?」

「私達は見張りを立てなくてはなりません。いつものことだから気にしないように」

「う、うん」

 白い息は出ませんが、肌寒いです。ドンドに毛布を渡して、助手席に寝させました。

 師匠は車から十メートルほど離れた所に向かいます。そこに優男が待っていました。手には消音器付きのパースエイダーがあります。

「どうでした?」

「かなり疲れています」

「長時間のドライブは避けた方がいいと思いますよ。なんてったって僕も乗りたての頃は苦労しましたから」

 師匠は特に思い返すこともなく、話を続けました。

「確かこの先に国ありましたよね? そこで何日か滞在した方が」

「そうですね。それに犯人たちもいるでしょうし」

「……え? どうして?」

「タイヤ痕ですよ。ドンドがあそこに置き去りにされてからそんな長くないし雨も降ってない。それに死体二つを徒歩で運ぶには無理があります。とすれば、車で運んできたと考えるのが妥当。なら通ってきた痕も多少は残っているはず」

「それでですか。やたらと明確に道案内をしてくれたのは」

「いくつか分岐点もありましたが、そちらにタイヤ痕は全くありませんでしたからね」

「そうなるとこの方向は……」

「もしまだ滞在しているなら、チャンスはそこしかありません」

「……分かりました」

 

 

 翌朝。昨晩食べたメニューを朝食で取り、日が出る前にすぐに出発しました。師匠の言っていたこともあり、急ぎめです。それでも車は速度が出ないのでした。

 しばらく走っていると、空が白んできました。その発生点である東の水平線から朝日がゆっくりと飛び立ちます。

「わあ……」

 薄汚れた車窓から、黄金色の空を眺めました。日は黄金色なのに、橙色や層の薄い黄緑、そして水色から紺色のグラデーション。夜空だったグラデーションはやがて薄まっていき、青みが強くなっていきました。

 その光景をまじまじと見つめています。

「きれい……」

「景色は好きなんだ?」

 優男が尋ねます。

「ううん。ちょっと前まではあきるだけだったよ。でもどうしてだろう。今はとってもきれい……」

「……」

 刻まれていく(わだち)から、砂埃が立ち上っています。

 しばらくすると、道の果て水平線から横に壁が広がるのが見えてきました。大小色彩様々な石材を緻密に積んでできた城壁です。

「やっと国が見えましたね、師匠」

「ドンド、私達はあの国で三日間ほど滞在します。その間にドンドの住民登録を済ませましょう」

「え」

 ドンドが師匠を見ます。

「あなたはあの国で生きていくのです。私達はそれ以上面倒見ることはできません」

「むしろ、師匠がここまでやってくれることの方が珍しいというか史上はじ、いえなんでもありません」

 見るからに、ドンドは落ち込んでいました。それは依頼どうこうではなく、寂しさから来ているものです。

「心配せずとも、あなたが生活できるくらいまでは、あるいは養子に出されるまでは面倒見ます。そうでないと苦労が無駄になってしまいますから」

「……うん!」

 師匠の左半分の表情。ちょうど優男からは陰になって見えませんが、その左側の口角だけが少しだけ上がっていました。

 

 

 その国の入り口で青い制服を来た若い男が立っていました。門の脇に小さい小屋があることから、入国審査官だと思われます。

 小屋より少し離れた所で停車しました。

「旅人さんですね? 目的は?」

 唐突に尋ねられました。優男があれこれそれと事情を話すと、納得してくれました。

「そうでしたか。でも、そこの少年がこの国で暮らすにはかなり厳しいと思います」

「と言いますと?」

「正直なところ、治安がそこまで良くありません。貧富の差も開いていますし、内戦とまではいきませんが、内乱のような争いが勃発しています」

「どういう理由で?」

「貧富の差により、富裕層や弱者を襲って略奪するんですよ。まるで盗賊団のようだ」

「ビンゴ」

「……え?」

 優男の反応に、思わず目を見開いてしまいました。

「てことは、その盗賊紛いな輩を排除すれば、この国は落ち着きますよね?」

「まあそういうことですけど、そんなの無理ですよ! あいつらはプロの集団なんです。ちょっかい出しただけでも殺されるかもしれないし……!」

 師匠をちらっと見ると、了解です、と優男が答えました。

「もしその問題を解決したら、この子を裕福な家庭に引き取ってもらえます?」

「え、ええっ?」

 優男に顔を突き出すくらいに驚いたのはドンドでした。一方の優男はへらへらと、師匠は毅然として見ています。

「どうですかねえ? 悪くないと思うんですけどね」

「ちょっとお待ちを。上司に相談してみます」

 そう言って、門番は小屋に戻って行きました。

「どうやらあなたの仇はこの国でのさばっている犯罪集団のようですね」

「ぼく、ここに住むことになるの?」

「この判断が最良でしょう。そもそもこれほど美味しい取引はお互いにありません。そのまま孤児院に送られるよりは安心でしょう?」

「で、でもこの国ってあぶないんだよね?」

「その危ない元凶があなたの仇なのです。よって、依頼を解決すれば一石“四”鳥です。構いませんね?」

 ドンドは膝の上から師匠を見上げました。元より、ドンドに否定する権利はあってないようなものでした。なぜなら、

「あ、来ましたね」

「はあ……はあ……。意見を聞いてきた。大統領からの極秘任務として、旅人さんたちに依頼するそうだ。……取引成立だ」

 トントン拍子で話が進んでいくから。

「物分かりの良い方で安心しました」

「そこの少年は後日養子として募集するとして、入国してから俺が場所案内する。付いてきてくれ」

「いいですけど、車に追いつけるくらいに足が速いんですか?」

「まさか! でもこの国なら十分可能だよ。入れば分かる」

 開門して、何もなしに通してくれました。

「なるほど」

 師匠がすぐに納得しました。

「さて、どちらに行けばいいです?」

「まずはそこを左に」

 入って間もなく指示に従いました。

 綺麗に舗装されたコンクリート道に所狭しと建ち並ぶ家屋や店。雑多する人混みと車。優男は通行人をかき分けるように、()かないように慎重に運転していきました。

 あまりに混んでいるのでアクセルに足を乗せるだけの速度で十分です。案内する門兵が脇で早歩きして指示してくれたのでした。

「あと少しだ」

 運転席側の窓から門兵が言いました。

「きゃああああああ! どろぼおおお!」

「?」

 突然、周りが慌て出しました。人の波の立ち方から、こちらにやって来そうです。まるで道を開けるように、避けていきました。

「だれかあ! つかまえてえええ!」

 泥棒と思われる三十代後半の男が人混みを縫うようにして、車を通り過ぎて行きました。たまたま助手席側を通っていたので、師匠がその男を見送るように見ていました。

 盗まれた女の声はやがてしなくなりました。この混雑した中です。見失えばそう簡単には見つけることができないと諦めてしまったようです。

「今のは?」

「気にするな。見なかったことにするんだ」

「……」

 気を取り直して、運転を再開します。

 その領事館とやらまでは数キロもありませんでしたが、こんな交通事情で三十分ほどかかってしまいました。

 案内されて着いた領事館は大豪邸(だいごうてい)のようでした。宮殿かと思うくらいに建物が大きく庭が広いです。門は石造りに囲われた鉄柵で、上がアーチ状になっています。庭の中心に見事な噴水があり、その周りに緑や花が若々しく生えていました。

「あんな荒野の中にこんな緑が……」

 優男が感心して見つめます。ドンドも口を開いて眺めていました。

 門兵が鉄柵の門の脇で何か操作します。すると、自動で開いていきました。

「電気も通っているのですね」

 噴水を迂回するように走り、建物の玄関で止まりました。

 目の前に木で拵えた大門が立ちはだかります。まるで城門のような規模です。しかしその脇に人一人くらいのサイズのドアがありました。ちょうど目線の高さで四角くくぼんでいます。

 三人と門兵はそちらの小さい方に向かい、ノッカーで戸を叩きます。すると、

「誰だ?」

 シャッ、とくぼんでいた所がスライドしました。覗き穴のようです。

 門兵が応対します。

「先ほど連絡に上がりました門番です。例の件で詳しい話をとお連れしました」

「分かった。今開ける」

 シャッ、とくぼみを閉じました。がちゃんがちゃん、と重そうにロックを外してから、ドアが開きます。

「ふむ。君らが例の旅人と男の子だな?」

 高級そうなスーツを着た男がいました。初老で白い髭を蓄えています。

 師匠が二人を呼んで前に出ました。

「この国に偶然訪れたところ、困った事情があるとお聞きし、案内されました」

「そうか。こちらとしてもありがたい話だ。詳しい事は中で伺おう。あるお人もお待ちしている」

「分かりました」

 今度は初老の男に代わっての案内です。門兵とはここでお別れしました。

 中に入ると、赤い絨毯に敷かれた狭い通路が見えました。隣の大門の方とは別の空間です。四人は無言で突き当たりの扉に向かい、

「ここだ」

 招かれました。

 まず、ここがお偉方の部屋ではないとすぐに悟りました。なぜなら、ボロボロのソファに欠けたテーブル、縫い目だらけのカーペット、薄汚れた石壁ととても人が住むような環境ではなかったためです。

 ところが師匠だけは違いました。

「この国の大統領ですね?」

「え?」

 優男とドンドが目の前の男に目を見張ります。なぜなら、まるで浮浪者のようなボロボロの衣服に帽子を着て、使い古した杖を持って、ボロボロのソファに座っていたためです。おまけに髭はボーボーで、何日もお風呂に入っていないかのように肌が謎のツヤを出しています。

 初老の男が静かに扉を閉めました。明かりは男の背後にある木窓から差し込む日光と四隅の蝋燭(ろうそく)。どこかの魔術師のような雰囲気です。

「お座んなさい」

 三人はソファに座りました。ギチギチと今にも底抜けしてしまいそうで、浮ついてしまいます。

「旅人さん、私を大統領と言ったね? どうしてそう思いなすった?」

「あんなに頑丈な扉で守られているとすれば、主要人物クラスの人がいるのではと思いました」

「なるほど」

 優男は流石だなあ、と感心していました。

「私の見込みは間違いじゃなかった。早速、本題に入らせてくれ」

 浮浪者のような男“大統領”は五枚の写真をテーブルに置きました。B5サイズという大きな写真です。少し離れた距離でもしっかりと判別できました。

「!」

 その証拠に、ドンドの顔が凍りつきます。カタカタとソファが揺れ、隣の優男にしがみつきました。

「面識があるようで」

「私達はありませんが、この子は数日前に両親を殺害されたばかりです」

「なんと……惨いことを……」

 じっとドンドを見つめます。

「我が国では犯罪率が異常に高い。その元凶がその五人なんですって。聞いたかも分からんですが、大悪党の盗賊なのです。民衆を襲っては金品を巻き上げては裏で各国に売りさばき、莫大な利益を上げているのです」

「どうして逮捕しないんです?」

 優男がドンドを撫でながら伺います。

「奴らの恐ろしいことは復讐を完遂すること。誰かが逮捕されたり殺されたりすれば、その人間の親族や近所を襲うのですって」

「逮捕して死刑にもできないってわけだ」

「そもそも、この国には死刑制度がないんですって。終身刑にすると、刑務所で出所しそうな人間をどんどん仲間に仕立てあげ、勢力を伸ばしてくる。まるで疫病のように……」

「だから警察や守備隊も動きづらく、専守防衛するしかないのですね」

 大統領は頭を抱えて俯いてしまいます。

「こいつらはその組織のリーダー格の男。特にこの男が組織のトップなのですって」

 すっと写真を差し出したのは、左目に眼帯を当てた四十代前半の男です。飄々(ひょう)とした見た目ですが、何か企んでいそうな人相をしています。

「この男たちは既に終身刑を食らっており、二度と外に出ることはなくなった。ところが先日、仲間の手によって脱走したのですって」

「その間隙に、ドンドの両親が……」

 なるほど、と師匠が呟きました。

「だからこの子を養子にくれるという無茶な要求も呑んでくれたわけですね。ドンドの両親の殺害は脱走させてしまったこの国。つまり大統領、あなたの責任でもあった」

 ぐぐ、と大統領が呻きます。

「そう。私も全力で組織を潰しにかかった。でも反動が大きく、家族も親友も皆殺されてしまった。そしてこの五人を逮捕したら、今度こそ私……! 私は臆病者なんだ……! こんな所にしかひそめない……」

 ガタガタガタ、とドンド以上に震え上がっています。

 すくりと師匠が立ち上がりました。

「具体的な標的と任務を把握しました。一つお伺いしてもいいですか?」

「な、なんなりと」

「死刑制度を導入するにはどれほどの時間がかかりますか?」

「おそらく誰も賛成してくれん。昔から、この国では死刑にはしないと決めているんですって」

「分かりました。では別の方法を取りましょう」

「……えっ?」

「奇しくも大統領は“疫病”と例えてくれましたね。もし本当に疫病ならばどう対処しますか?」

「え? それは……」

 大統領だけでなく、優男やドンドも必死で考えます。しかし、師匠の考えに辿り着く者はいませんでした。

 淡々と大統領に要求します。

「まずはこの国の法律書を寄越して、私と連れを刑務所に案内してください。法律書はその間に読みますので」

「ほ、法律? なぜ?」

「他の警察隊は出来る限り犯罪組織をけしかけて、じゃんじゃん逮捕してください。その際に国籍をきちんと調べあげること。あと、ドンドは住民登録の手続きをお願いします」

「国籍?」

「この問題を解決するのに半日も要りません」

 

 

 師匠たちは大統領命令で用意された車で案内されました。師匠たちの車とは違い、見た目は綺麗な乗用車でした。しかし窓やボディ等に防弾性の高いものが使われています。防弾仕様車です。

 人混みの中で刑務所に向かう約一時間の間、師匠は誰とも話さずに、法律書を読み耽っていました。辞書のように厚い本をペラペラとめくっていき、

「なるほど。これで面倒な事を省けますね」

 と、まるで字のまま吸収するように、理解していくのでした。

 さて、刑務所に到着しました。ちょうど大統領官邸の西側に位置しています。

 中に入る前に、まずは重厚なゲート。約十メートルはあろうかという壁が立ちはだかります。大統領の口利きがあるとはいえ、身体検査や荷物検査など厳重な検査を受けていきます。そして三重に敷かれたゲートを通りました。ここで案内役としてベテランの看守が引き受けます。

 まるで役所のような刑務所に入ると、左手に受付と上下階段があります。ここでも検査を受けて、下の階へ向かいます。地下は岩石をえぐって作ったかのような作りになっていました。

 その三階で、

「ここです。ここでは例の犯罪組織の関係者とトップの“ブレッド”という男が収監されています」

 ベテラン看守が緊張した表情で話しました。

 ドアを開けると、五十メートルくらいの一本の通路が伸びていました。そこを看守が三人体制で見張っています。

 一部屋に網の目模様の鉄柵が、中には有刺鉄線まで張り巡らせています。

 目を疑っていた優男に、ベテラン看守が話します。

「以前、この鉄柵を素手で破壊した男がいましたので、このような処置を取っています」

 思わず顔が引きつる優男。師匠は有刺鉄線を流し見するだけでした。

 そして、一番奥で左に曲がった先は一部屋しかありませんでした。そこに、

「誰だ?」

 一人の男がいました。頭はボサボサで無精髭を生やしていますが、ひょろひょろしています。全体的に身体つきが細い四十代後半の男でした。

「“ブレッド”ですね?」

 ああ、と“ブレッド”が返事をしました。

「特上の女だなあ。貢物か?」

 ぐひひ、と下品に笑います。師匠は特に反応せず、淡々と話を進めます。

「ここの所長に聞きました。あなたはこの国でも極悪人だそうですね」

「まあな。ここのお偉いさんってのは肥えてばっかだからよ。ちったあ痩せてもらおうと思ってな」

「? どういうことです?」

 優男が尋ねました。

「貧民ってのはいつだって金持ちを妬んでるもんだ。だからおれあ、その気持ちを代弁してるに過ぎないのさ。上の連中がおれたちを危険視してるのはそういうこと。言っちまえば弱者の味方ってやつよ」

「弱者の味方なのに弱者を殺すこともあるのですか?」

 とても低く、一層冷徹な言葉を言い放ちます。

「仕方ねえさ。活動資金ってやつだ。旅人さんだって、金がなくなればそういう人間を騙して奪うこともあるだろう?」

「ないこともないですね」

「……」

 優男は口を挟めませんでした。表情は相変わらずの仏頂面ですが、ひどく気に食わない雰囲気を感じ取っていたのです。

「で、旅人さんらは何の用でここに?」

「実は前日、あなた方に殺された夫婦の息子に、あなた方を殺すように依頼されました」

「ほう。残念だけどそれは叶わねえや。囚人への虐待暴力拷問は法律で厳しく禁止されてるからな」

「ええ。この国の法律書を隅々まで拝見したので知っています。この国は法律や権利関係が発展しているようですね」

「でも、旅人さんもほっとしたろう? おれらを殺せば、仲間が黙っちゃいないからな。完全報復システムってやつさ。死にたくなかったらさっさと失せたほうがいいぜ?」

「それがそうもいかないようですよ?」

 優男が一枚の紙をブレッドに檻越しに見せました。

「なんだこりゃ? 出国証明書?」

 ブレッドは答えを欲しそうに師匠を見ました。

「国民の権利は完璧に保証されていますからね。自然権から何まで」

「そうさ。たとえ犯罪者でも保証されてる。だからおれらは無敵なんだ」

「その証明書の名前を見ましたか?」

「まあ、あんたら二人のだろう? こんなもん見せてどうすんだ?」

「旅人が入国する時は、大体はビザや仮国民認定証を入国審査官から受け取るか、入国手続きが必要です。それは、国民とほぼ同等の権利と罰則を適用するため。よって、この国にいる間だけはあなた方と同じです。逆に言えば、国外で何があっても何も保証されないということです」

「まあ、当たり前の話だ」

 にこりと優男が微笑みました。そして(おど)けながら言います。

「さてここで問題です。もし、あなた方囚人にこの手続きがされた場合はどうなるでしょーか?」

「決まってんだろ。おれらはれっきとしたこの国の国民だ。仮に国外で殺されても、国外逃亡した犯人逮捕に尽力する、だろ? そもそも、おれらはそんな手続きなんてしねえ」

「その通り! 当然ですよね。自国民が殺害されたんですから。でもあなた、確か脱走したんでしょ?」

「ああ。脱走したよ」

「で、車やらなんやら乗っていたということは、他の国に入国していたのでは?」

「そうだ。仲間がその国にいるからな。おれもその国の国籍持ってるし、同じ手口で巻き上げてんのよ」

「はい、そこの看守さん、今聞きましたか?」

「え?」

 びくりと見開きました。

「この犯罪者は母国を脱走して他国へ逃げていて多重国籍だそうですよ。この場合は何の扱いになります?」

「あ……あああっ!」

 思い出した看守はすぐに走ってどこかに行ってしまいました。それも優男から黒いテープを投げ渡されて。

「話が見えねえな。簡潔に言ってくれや」

「単刀直入に言うと、あなたはこの国の国民ではありません」

「……は? なんで? ちょ、ちょっと待て。そんなのありえないぞ!」

「ありえます。なぜなら、あなたの行為は“移民”という行為になるからです」

「……?」

 目が点になっています。

「この国の法律によると、通常では国籍を放棄できないようです。あなたも放棄しないしできないことを重々承知の上で、こんな事をしていたのでしょう。しかし“移民”であれば別。この国の法律では特例を除いて多重国籍は認めないようですので」

「は? へ?」

「よって、自分の意志で他国籍を取得した場合は、自国籍を自動的に喪失します。つまり、あなたは外国人や旅人扱いです」

「多分、入国手続きは無視して自国民だと思い込んで入国したんですねえ。この国の人たちは犯罪組織に怯えきっていて、自分の身で手一杯。そこまで頭が回らなかったのかも。きっとそれも計算だったんでしょうけど」

 にやにやとしています。

「そ、そんなの認めねえぞ……!」

「あなたに認めてもらう必要はありません。外国人が自国民に対して行われる大犯罪はテロ行為。よって、あなた方はテロリストです。この国では死刑はありませんが、“国外退去処分”があります」

「きっと今頃、さっきの看守さんがその手続きをしてるでしょうねえ」

 うってかわって、のほほんとしてます。

「ふざけんなよ、ふざけんなよ……!」

「さーて、ここで問題でーす。現状のあなた方が出国手続きを受けた場合はどうなるでしょーか?」

「仲間が、仲間が黙っちゃいねえぞ! いいのかてめえら!」

「ご心配なく。どちらにしても黙ることになるでしょうから」

 

 

 国へ続く道路から大きく外れた荒野のとある場所に、勢の人間が集まっていました。どのくらいかと言うと、大統領演説や大規模デモ集団ぐらいの集まりようです。よく見ると、城門から道を作るように並んでいました。

 ならって、ざわざわと厚く低い声の波が押し寄せています。

 人道の終わり。行き止まりではなく、穴の空いた袋のように、その方向だけ人がいませんでした。

 そこから銃声が鳴り響きます。その度にざわつきが大歓声に代わりました。大歓声の波は赤い一点に注がれています。

 黒いボディにサブマシンガンのような形をしていますが、トリガーのすぐ前に円状の弾倉が付いています。全長は一メートルほど、重さは五キログラムほどでしょうか。そんなパースエイダーを優男が携えていました。

「本当すごいですねえ師匠。このオートアサルト・ショットガン! 自動式でありながら無反動に近く、一秒間に五発以上という速さ! しかもスラッグ弾やフラッグ弾といった特殊弾薬も装填できるという、まさに怪物ですねえ!」

 赤い一点より手前に優男と師匠がいました。優男はとても興奮しています。その足元には大量の弾薬が準備され、空のショットガン・シェルが散乱しています。

「これほしいですね! クマが来たってなぎ倒せますよ!」

「それよりも早く作業に戻ってください」

「はいはーい」

 師匠たちの後方からトボトボと一人の男が歩いてきました。彼の顔や衣服は傷だらけで、卵や何かの液体に(まみ)れていました。

 男は師匠たちの前で立ち止まり、

「た、たすけてくれええええええええええ! たのむよおおっ、」

 だんだんだんだんだんだんだん。

 男は血や臓物を撒き散らしながら、一瞬にして肉片と化しました。血に染まった地面に内容物が流れ、さらに汚していきました。ちょうど人道の終わりの場所で、周辺に肉片が散らばっています。まるで爆発物でも直撃したかのようでした。

「次はこのフラッグ弾とやらを試しましょうか!」

 ガシャコン、と別の弾倉を装填しました。

 次の的にはその弾薬をで盛大に試射してみました。

 どんどんどんどんどんどんどん。

 大太鼓を何回も叩いたような身体を震わせる低い轟音。着弾時に赤い小爆発を立てて、対象物を爆散させました。衝撃が凄すぎて原型すら留めてもいません。様々な液体を混ぜ合わせて、汚しました。

 その銃声に負けないくらいに甲高い大歓声で大地が震えました。

「しかしなるほど。連中を外国人テロリストとして仕立て上げれば、文句なく殺せるわけですか」

「ここの国民や滞在者が殺害することは罪になりますが、私達は既に出国しているので範囲外です。今ここで起こっていることは、この国で譲ってもらったオートアサルト・ショットガンの試し撃ち。的が“たまたま偶然にも”テロリストだったというだけです」

「で、国民は怖いもの見たさにただただ見物しているだけ、と」

 歩いてきたのは、

「おー、こりゃどーも」

 親玉のブレッドでした。ブレッドも他の男たちと同様に全身液体塗れでした。おでこから流血しています。

「ぐ……」

 他の人と同じように、優男の前に立ちます。ただし、なぜか師匠が拘束具を外してあげました。

「おれなぞよりも大悪党じゃないか……。こんな民衆の面前でこんな大虐殺を……!」

「仕方ないですよ。だってここで起きてるのは僕ら外国人のイザコザですから」

「それよりも、ドンドを呼んできてください」

 師匠が代わりにショットガンで拘束します。

 ちょっとして、ドンドを連れて来ました。

「間違いはないですね?」

「うん。ぜったいにこの人。……ぼくにひどいことした人」

「はわ、はわわっわわ……」

 ガタガタと目に見ても分かるくらいに震えています。良からぬ予感で頭が混乱していました。

「どうしてぼくをここに?」

「仇討ちですよ。あなたは心に深い傷を追っています。これから生きていく上で非常に厄介になるでしょう。だから、少しでも傷を癒やさなければ」

「それに、このショットガンの試し撃ちもしたいでしょ?」

「……ぼく、そんなつもりじゃ……」

「ここでこの男を殺しても何の足しにもならないかもしれない。でも、この達成感は必ず自分のためになります。そしてこの功績は必ずこの国に役立つでしょう」

「……え?」

 不審に思ったのは優男でした。しかしそれを問い詰めることもできないまま、

「くそがああああああああっ! てめえら全員ぶっ殺してやらああ!」

 ブレッドが襲い掛かってきました。

「師匠!」

 どうしてか、師匠は素手で迎え撃ちます。

 ぶん、と右拳で殴りかかるブレッド。しかし呆気なく頭を軽く避けて、

「!」

 その右腕を両手でつかみ、脚と腰を使って、

「がっはあ!」

 勢いで一本背負い。

 この早業に民衆はさらにヒートアップしました。何千といるのかも分かりませんが、怒涛の大歓声が空気すらも振動させました。

 師匠はそのまま馬乗りして、首根っこをつかみました。

「し、師匠?」

 ショットガンをブレッドの頭に向ける優男。

 ぼそぼそと近くにいる人間だけが聞き取れる声量で、師匠が言い切ります。

「あなたとは何の関係もないし興味もありません。ただ……」

「が、へ……」

 みしみし、とつかむ手に力が入ります。

「あなたと同類と言われると、最高に不愉快です。あなたと違って私は相手を選んで殺しますので。“金”はその一つの要素に過ぎません」

「じ、じゃあなんで……おれを、ころす……? おれが金をはらえば、守ってくれるってのかあ……?」

 師匠の右手が右腰に伸びていきます。 そして大口径のリヴォルバーをドンドに渡します。

 優男がそっと耳打ちします。

「基本は覚えてる?」

 こくりと頷きました。

 リヴォルバーなので改めて教えてもらい、忠実に構えました。銃口はブレッドの額ど真ん中。

「それもありません」

 ぐぐぐっと人差し指に力が入り、

「払いが悪そうですから」

 引き金を引きました。

 

 

 とある森の中に小さな小屋がありました。その中に一人の老婆が椅子に座って何かを聞いていました。

 かたん、と一人の女の子が入ってきました。女の子は不思議そうに老婆に尋ねます。

「なにを聞いてるんですか?」

「これかい? これはラジオと言うんですよ」

「らじお?」

「聞いてみる?」

 じじ、とつまみを調整すると、音声が流れてきました。

〈……第◯○代大統領が演説の準備をされております。ただいま、ちょっとしたトラブルで予定時刻を遅れておりますが、しっかりと行われるようです。……準備が完了しました。では、大統領の演説をお聞きください〉

「これって?」

「まあ聞いてみなさい」

 うん、と小さく言いました。

〈まずは平和式典五十周年を迎えたことに感謝したい。皆の記憶にあるかどうか、あるいはつい昨日のことのように覚えているのか。それでも平和を取り戻したあの感動と感謝をぼくは忘れないでいたい〉

「へへ。かっこいい声なのに“ぼく”っておかしいですね」

 ふふ、と老婆が微笑みます。

〈皆の知る通り、ぼくは移民だった。幼い頃に両親を殺されて虚ろになっていたところを、旅人さんに救われた。事の成り行きでこの国に住むにあたり、悪行ばかりで荒んでいた状況を、旅人さんが救ってくれたのだ。なぜ、ぼくがその後の大統領になれたのか。皆不思議と思っていたかもしれない。だから、ここで打ち明けたい〉

 どよどよと聞こえてきました。

〈はっきり言えば、ぼくが旅人さんに両親の仇を討ってくれと依頼したのだ。そうしたら、たまたまこの国でのさばっていた犯罪集団の親玉であることが発覚した。旅人さんはこの国を救ってくれたわけでない。ぼくの依頼を遂行してくれたに過ぎなかったのだ。これが功績として称えられるも表沙汰になることはなかった。二十五歳になってすぐに大統領に選んでいただいたのだ〉

 さらにざわついてきました。

〈……だが、結果的にこの国は救われた。たとえ私怨であろうとも救ってくれたのは確かだ。だからぼくはその旅人さんに今でも感謝の気持ちを忘れない。恨んだり憎んだりできるわけがない。彼女らはぼくを守ってくれたのだから〉

 ざわつきがだんだんと歓声に変わっていきます。

〈そして今度はぼくの番だ。あの勇敢な旅人さんたちのように、大統領になった時からこれからも、国民と家族を守るために頑張りたい。そして“あくなき挑戦”を!〉

 ラジオからも大喝采が聞こえてきました。大統領の気持ちに応えるように、賛成するように。

 ぷちっと老婆はラジオを消しました。

「すごい人気なんですね! この大統領って人」

「もう三十五期になるそうですよ」

「三十五期?」

「大統領を三十五年間務めているということです」

「すごーい!」

 老婆はにこりとして、女の子の頭を撫でました。

「ところで××、訓練は終えたのですか?」

「あ、えーっと……実はパースエイダーが詰まっちゃって……」

「あらら。仕方ありませんねえ。どれ、貸して、」

「ちわーす」

 突然外から声がしました。女の子がはいはーい、と出ました。

「荷物の配達でーす。こちらにサインをお願いしまーす」

「荷物?」

 老婆が向かい、さらっとサインしました。

「じゃあこちらに置いておきますね。ありがとうございましたー」

 配達屋さんは忙しなくトラックに乗ってどこかに行ってしまいました。

「師匠、これってなんです?」

 一羽の鳥が描かれた木箱でした。

「開けてみなさい」

「うん」

 それをナイフで切り開きます。

「なにこれっ! すごいっ!」

 中に入っていたのは、

「“感謝の気持ち”ですよ」

 山ほどの金銀宝石でした。

 

 



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第四話:えらばれたくに -at Random- by 十六夜の月(オリ) 

 赤茶けた大地の荒野だった。太陽から突き刺す光が照りかせている。微風で砂埃を掻き立て、熱風と共に地表を(なら)していた。

 そんな気候でも、しぶとくも玉状の草が所々に生えている。所によっては赤茶けた地面を緑に色づけていた。

 遠くには台地もある。モニュメントのような独特な形をしていた。例えばテーブルのような脚のついた形をしていたり、人型を象っていたりと、不思議な土地柄をしている。

 この地帯に一本の道路が伸びていた。車同士ですれ違える幅があり、中央が白い点線で区切られている。一応コンクリート製ではあるが、長年手付かずでひび割れや風化、凹凸がひどい。

 道なりに進むと、台地を避けるように大きく右曲がりにカーブしていた。しかも、台地には掘り出したように店が“拓かれている”。脇には乗り物がいくつか駐車しており、極太のパースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)を持った警備員が駐在していた。

 駐車スペースの中で一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が、

「なんてところだい。ホコリっぽくてかなわないや」

 悪態をついていた。

「マイド!」

 店の中から活気の良い声と共に、大きい目をした旅人が出てきた。何も言わずにモトラドに跨がり、エンジンを点けた。

 その旅人の年齢は十代中頃で、短い黒髪に丸顔、大きい目をしていた。服装は黒いジャケットに黒いパンツ。パースエイダーを背中と右太腿に付けており、自動式とリヴォルバー式の二丁を持つ。

「どうだったキノ?」

 “キノ”と呼ばれた旅人が、

「この先に国があるそうだよ、エルメス」

 モトラドの“エルメス”に返答する。

「やりい! やっと掃除してもらえるってもんだよ」

「ただあまり治安は良くないらしい」

「?」

 キャリーに載せた大きい荷物を振るわせて、モトラドが走り行く。

 

 

 灰色の硬い壁が水平線から迫ってくる。キノが走る道の延長線上に当たる壁は四角い縁取りがされ、真ん中に線が走っていた。門と思われるが、えらく殺風景だった。

 その手前には小屋があり、明らかに常駐している人間がいた。キノはそこまで走らせ、停めた。

 中から制服を着た男の入国管理者が出てきた。

「キミの名前は?」

「キノです。こっちは相棒のエルメス」

「よろー」

 気の抜けた挨拶に少し戸惑いながらも、挨拶を返した。

「キミたちはこの国に入国したいのか?」

「審査がとんでもなく厳しくない限りは入国する気でいます」

「入国するだけなら簡単さ」

「なら、出るには?」

「それを教えたら、キミらは入国したがらないだろう。どうかな?」

「……」

 エルメスがよそう、と言いかける寸前で、

「入国を希望します」

 キノが断言した。

 待ってましたと言わんばかりにキノに書類がもっさりと渡された。さらっと読む限り、死亡しても保証しないことと国の掟に従うことうんぬんかんぬん、とある。

「これは?」

「キミらは今の発言で入国扱いとした。国の外ではあるがね。その誓約書さ」

「……なるほど」

 読み進めていき、最後の一枚で全てを理解した。

「『この国で何かしらの被害を受けようとも自己責任とする』ですか」

「こんなのどこの国でもそうだと思うけど、なんで今さら?」

「入ってからのお楽しみってことで」

 ひとまずキノはその誓約書にサインをして、入国することとなった。

 一戸建てにあるような作りのドアを開けて、

「へえ。面白いじゃん」

 中に入った。

 国外は赤茶けた大地の荒野だったのに、国内は一転して芝生一面に灰色の建物が並び立つ。どこかの競技場に建造物を乱立させたような印象を受ける。その脇に均等に生える木々が代わりに道の幅を形成していた。太陽からの刺激が穏やかになったような気がする。

 やたらと開放感のある街並みだ。

「とても治安の悪い国には見えないんだけどなあ」

「見た目に惑わされちゃダメだよ、エルメス。多分、あの建物の中で悪事を働く人間がいるんだろうね」

「そうなったらついでに悪人も一緒に掃除しなよ、キノ」

「できたらね」

 一切の油断をしないキノを乗せて、少し離れた街へ向かった。入国してきたドアの縁が城壁に溶け込み、消えていくのを背にして。

 

 

 街に着くと、キノはすぐに驚いた。

「どうなってんのさ」

「ボクにも何が何やら」

 前情報や第一印象として荒廃した街に悪党がわんさかいるものと思われていたのだが、

「全くの逆……?」

 人々は勤勉に働いており、悪人顔した男やふしだらな女は一人もいなかった。それどころか、キノを温かく受け入れて、親切に街案内までしてくれるようだった。

 拍子抜けしたエルメスをよそに、

「せっかくだし、見ていこうか」

 キノはちょっぴり楽しみつつ、気を入れ直して観光することにした。

 案内してくれる男は二十代後半の好青年。はしゃいだりする性格ではなさそうだが、真面目そうだ。

「この国はどのような国なのですか?」

「そういう旅人さんはどういう話を聞きつけてここへ?」

「住民の方々にはあまり嬉しくない噂ですよ?」

「構いません。どうぞお話ください」

 キノは聞いたままの話をそのまま男へ流すように説明した。大きい反応ではないが、じっくりと話を聞いていた。

「そうでしたか。人殺しや盗み、もっと酷い犯罪がはびこっている、と」

「ええ。しかし、今の限りではそんな雰囲気は一切ありません」

「むしろ逆でびっくりだなー。そもそも、こんな荒野の中にこんな環境ができてることにも驚きだよ」

「……」

 エルメスの方を見て、にこりと微笑んだ。

「私たち住民もその理由を知らないのです」

「へ?」

「というより、この国から外に出たことがありませんから、他国と比べようがありません。旅人さんのツテで、今のように話をしてもらうことはありますが、実際に見たことがないのです」

「一回も?」

「はい。一度たりとも」

「……」

 さすがのキノも言葉を失う。

「?」

 呆然としていると、徐々に揺れ始めた。地震だ。それも大きい。ぐらぐらと波打つように震え、姿勢を維持するのもしんどくなってしまう。

「こ、これは……! 案内人さん、伏せてください!」

 キノはエルメスを横倒しにしながら、身を伏せた。

「大丈夫ですよ。いつものことですから」

「いつもの?」

 案内人の男が指を差す方を見ると、

「……!」

 大地から突き抜けるように何かが盛り上がり、やがて止まった。

「……建物?」

 この国の至る所にあるようなビルの一つだった。

「そう。一ヶ月に一回くらいの頻度で、このような現象が起こるのです。一体どんな仕組みなのかすら分かりません。調べても全く判明しないのです」

「すごーい! で、あれは何の建物なのさ?」

「大体は食料が備蓄された倉庫のような建物です。たまに機械や発電機のある発電所、病院、役所といったものも。まるでつくしが伸びてくるように、突然現れます」

「もう意味が分からないね」

 

 

 キノたちはたった今出現した建物へ向かうと、他の住民もそこへやって来て野次馬と化していた。しかし立入禁止区域として既に調査が立ち入っていた。国から少し離れた場所に位置している。

 ビルは地面から出てきたばかりで、まだ土が薄っすらと付いている。湯気が建物から隙間からと漏れ出していた。

「調査隊が入ってるんです。何があるか分からないからね。重装備で中に入ってるはずですが……」

「まるで洞窟探検みたい」

「まさにそうだと思う。私たちは最初、これが普通のことだと思っていたんです。でも、旅人さんたちから聞くと、どうも恐ろしく異常らしい」

「こんなの誰が見たってびっくらこくよ!」

「だから国長が専門部隊を立ち上げて、こうして調査をするようになりました。でも、それでもさっぱり分からないことだらけで」

 キノはゆっくりと見上げる。謎のビル一棟がキノたちを見下ろすかのように、曲がって伸びているように見えた。そのまま倒れてきそうで、無意識に足が(すく)みそうになる。

 ふぅ、と小さく息をついた。

「その調査隊はこの国の者だけで編成されていますか?」

「そうだね」

「それにボクも加わることはできないでしょうか?」

「えっ? 旅人さんが?」

 キノの方を見る案内人の男。

「ここの住民の方々以上に色んな国を見て回っていると自負します。なので、部外者の観点から調査すれば、別の発想が得られるのではと」

「なるほど。それはいいアイデアだ。旅人さんさえ良ければ、私の方から国長に打診してみるよ」

 急に辺りがざわつき始めた。住民の視線や入り交じる内容からして、謎のビルの入り口方面だった。

「戻ってきましたね」

「!」

 全身に真っ白の防護服を着た調査隊が十人ほど出てきた。しかし、一人だけ異様な格好をした人物がいた。住民たちの中にはその人物に好奇の眼差しを送る者もいる。

 調査隊とは真逆の真っ黒の服装で、フード付きセーターに紺色のジーンズを着ていた。腰回りが少し膨らんでいることから、荷物はポーチ二つくらいと見受けられる。

 そのフードを深く被っているため、素顔は少ししか見ることができない。

「キノ、あれって……」

「記憶違いでなければ、きっとそうだ」

 バサッとフードをめくり下ろした。

「こんな所で会うなんて」

「あーあ、また乗り回されるかなー。今度こそ気をつけてよ、キノ」

 とても残念そうに、エルメスが注意を促す。

 ちらっとキノたちを見つけるが、

「あれ?」

 何も表情を変えずに、調査隊に紛れるように立ち去っていった。

「キノだって気付かれてない? 鳥頭だし、忘れても無理はないかー」

「……いや」

 キノは(きびす)を返して、

「どうやら事情が違うみたいだ」

「え?」

 どこかへ向かうことにした。

 

 

 夕日が沈み始め、景色を橙色に染め始める頃。キノは住民に宿の在り処を尋ねるが、どうやらビルの中にあるらしい。

 新たに出現したビルとは違う、人が住んでいそうな所に入ると、

「へー。やっぱりどこも同じ作りなんだねー」

 エルメスの言う通りだった。

 灰色のコンクリートブロックを重ね合わせたような作りで、入っても受付や郵便受けといったものはない。左右に連なる通路から昇降階段があるが、ビルの側辺を沿うように作られている。その昇降階段から中へ通路が伸び、左右に部屋が並ぶ。マンションの形と似ている。

「あれ、誰もいない……」

 紹介された宿のエントランスには、人っ子一人いなかった。エントランスと言っても、ちょっとした広間があるだけで、何ら装飾も応対もない。

「勝手に泊まっていいってことじゃない?」

「それならいいんだけど」

 とりあえず、一階の一番近い部屋を借りることにした。

 中に入ると、まるで牢屋のようだった。灰色の床面壁面にベッドと木製テーブルだけ。お情け程度に浴室があるものの、“室”と言うより空間だ。磨りガラスで仕切りがされている。

 キノはシャワーを浴びる前に洗濯をして、自前の組み立て式の物干し竿にかける。そうしてからたっぷりとシャワーを浴びた。

「面白い国だねえ。この水も水道設備もどうやって作ったんだか」

 わしゃわしゃとモザイク状に、タオルで全身を拭う姿が見える。ささっと簡単な服装に着替え、浴室から出てきた。

「エルメス、さっきのビルを見た?」

「そりゃね。あんだけ大きいのを見せつけられたら、見るなってのが無理だよ」

「……そこから彼が出てきた。憂鬱そうな顔をして」

「ああ、あの醜い顔付きはオイルが腐るから見なかったよ」

「一応見たんだ。……でも、一体何があったんだろうね」

「自分の顔でも見たのかねえ」

「その言い回し、フーさんみたい」

「や、やめてよ気持ち悪い!」

 キノが(ささ)やかに笑う。

「ともかく、単純な事情ではないかな」

「気になるなら直接聞いてみればいい。キノが尋ねれば、鳥頭もひとまずは話し出すでしょ」

「それしかないか」

 キノは夕食を食べようと思ったが、どうやって注文するのかも分からなった。しかもそれを尋ねる従業員も客もいない。

 仕方なく携帯食料で済ませようとした時、

「?」

 突然、ノック音がした。

「誰だろう?」

「さあ」

 素っ気ない返事を気にせず、キノが向かうと、

「!」

 食事台と料理がなぜか置いてあった。ご飯と肉野菜炒めにコンソメスープだ。

 匂いを堪能しながら通路の方に出て、周りを見回す。

「……」

 誰もいなかった。

 物音も気配も何も感じない。キノは怪訝そうに食事台を中へと押して入れた。

「……毒入りかな?」

「食べてみれば分かるさ」

「毒入りなら、エルメスはここでスクラップになる運命を辿るね」

「大丈夫。一応あのスペアもどきがいるし」

「それもそうか」

 ぱくりと一口食べる。

「……大丈夫みたいだ」

「うーん、良かった良かった」

「どっちの意味?」

「さてね」

 

 

 二日目の朝日が昇りそうな頃、キノは起床した。

 ストレッチやパースエイダーを使った訓練をこなした後、その調整をする。一丁は『カノン』と呼ぶ四十四口径のリヴォルバー式。もう一丁は自動式パースエイダー。『森の人』と呼んでいる。普段、『カノン』は右太腿のホルスターに、『森の人』は背中にしまってある。

 丹念にお手入れをした後に、たっぷりとシャワーを浴びる。そして、いつ運ばれたか分からない朝食を食べた。今日は豚の丸焼きに炒飯だった。一粒も残さずに食べられる部位を全て食べ尽くす。

 洗濯物を取り込んでエルメスのキャリーにある荷物へ収納する。

「キノ、今日はどうする?」

「お買い物かな。時間があれば寄ってみようか」

「そだねー」

 と、意気込んで、散策することにした。

 相変わらずそれぞれの景色が似合っていない。広大な芝生に均等に立ち並ぶ街路樹とビル群。もっと遠くでは城壁の内壁である灰色が取り囲む。さらに国外で赤茶色の荒野が広がっていると想像すると、余計に違和感が際立つ。

 前評判と現在の評判では食い違うことは良くあること。キノはそう思っていても、なぜか納得出来なかった。

 住民たちがすごく優しい。キノが雑貨店や食料品店を探していると聞くと、案内するどころかあれこれとキノに差し出す。しかもなぜかキノに必要そうな物を提供してくれていた。

 この国のことを知りたいと言えば国長を連れて来て、あれやこれやと丁重に説明してくれる。豪華な食事と高級な場付きで。

「なるほど。遥か昔から続く歴史ある国、ですか」

「そうなんです。ずっとずーっと昔から建物が現れる現象と共に暮らしてきたそうです。居心地は抜群だし、物足りなくなることもないしで害はないから仕方ないですね。むしろ愛着が湧いているのですヨ」

「そんなに昔からなら、正体や原理を解明できるものでもないのですか?」

「調べたって分からないし、分かったところで今さらって感じですヨ」

「じゃあなんで調べてるのさ?」

「暇つぶしみたいなものですヨ。暮らす上では何も不自由しませんから」

「あー、なんかすごく納得した」

 エルメスが深く頷いた。どこかの部位で。

 満を持して、キノが言い出す。

「ところで国長、ボクの頼みをどなたからか聞かれましたか?」

「おー、そうだったそうだった。旅人さんも志願されていましたな。ですが、残念ながら満員でしてな。旅人は一名限りと定めているんです」

「どうして? キノが怪しいから?」

「……はっはっは」

 国長が優しく笑い出す。

「数年前に三人組の旅人にビルを荒らされてしまったんですヨ」

「荒らされたってことはさ、新しいビルには価値のある物が入ってたってことでしょ? 金銀財宝でもあるの?」

「この国にはお金は必要ありません。物資や資源は湧き出てきますから」

「あ、そっか」

「ボクと同じ“怪しい人物”だったのでしょう」

 くすり、とキノが口だけで微笑む。

「その三人組はどうなったの?」

「たまたま、そのビルには化物がおりましてな。三人とも殺されましたヨ」

「化物ですか。まあ住民の皆さん、何が出てきても驚きはしないのでしょうね」

 そう言えば、と国長が思い出した。

「先日入隊された若い男がいましたなあ。ビルが出てくるのはいつか分からないし、滞在期間が三日間と聞いていたのですけどね。幸運にも出てきてくれて、意気揚々と参加されましたヨ」

「でしょうね」

「え?」

「あ、いえ。旅人の性というものです。その方はどちらに?」

「場所は旅人さんの泊まったビルの二つ隣りです」

 

 

 国長の言う旅人の建物へ着いたキノたちは、目線を落として見上げていた。

「低い」

「周りのが高いからそう思っちゃうねー」

 他のよりも断然低かった。高層マンションが建ち並ぶ中に、平屋がちょこんと佇んでいるようだ。何とも言えない可愛らしさに、思わず笑みを漏らしそうになる。

「家だね」

「家だねえ」

 キノはその一部屋限りのビルに向かう。金属製の扉をコンコンと叩くと、奥から物音と足音が聞こえた。人がいるとすぐに察しがつく。

 念の為、右太腿の『カノン』に手を添えて、早撃ちの準備だけはしておく。

「中に入るか?」

 ドアの奥から男の声がした。覗き穴でキノたちを確認したようだ。その声を聞いて、とても小さく息をつく。右手も自然と離れていった。

「エルメスも一緒ですが」

「いいよ」

 がちゃん、と低い解錠音がして、ゆっくりと開かれる。

「入ってくれ」

 全身黒の男はキノたちを中へ招き入れた。

 コンクリートの床に金属のテーブルと椅子。木製のベッドがあるだけの部屋。窓や浴室と最低限の生活ができるくらいの設備しかない。

 エルメスをそのテーブルの横につけて、キノを椅子に座らせた。男はベッドに腰掛ける。

 テーブルには掌に収まるサイズの黒い手投げナイフと、特殊な形をした仕込み式ナイフが置かれている。謎の薬品もあることから、調整中であることが窺えた。

 良からぬ気配を感じたキノは重々しく、

「元気そうで何よりです、“ダメ男”さん」

 話す。

 “ダメ男”と呼ばれた男は、

「そっちこそ。キノに“フェルナンデス”、元気にしてた?」

「ええ。おかげさまで」「いい加減覚えろよ鳥頭!」

 カラカラと笑った。そしてふぅ、と暗然とした。

「……ずいぶんと気が滅入っているようですが、何かありましたか?」

「できればここで会いたくなかったなって」

「……え?」

 聞き間違いか、と疑いたくなるくらいに予想外の返答だった。

「ちょっと前にビルが出てきたの見ただろ?」

「ええ」

「あそこには行かない方がいいよ」

「というと?」

「何にもないだけで、昇るだけ疲れるから」

「ああ、そういうことですか」

 声を上げで笑い出すダメ男。

「あの落ち込みはそういうことだったかー。残念」

「あそこから突き落としてやろうか」

「んー、担いでいけるならねー」

「あ、それ無理だわ」

 いつもの調子で話し出すも、話を切り出したのは、意外にもエルメスだった。

「そう言えば“フー”さんはどったん? お休み中?」

「……」

 あれ? とエルメスが調子を外す。

「フーさんに何かあったんですね?」

「実はさ……昇ってる最中に落としちまって、失くしちまったんだよ」

「あららー。普段から機械を優しく扱わない天罰が下ったんだよ」

「むしろ天罰下ったのフーだけどな」

 立ち上がると、テーブルにある仕込み式ナイフを手にして、荷物の中から紙の束をもっさりと取り出して置いた。入国の際に渡された書類だ。

 すす、と自分の腕を優しく“擦る”。すりすりと薄皮一枚張り裂けるように切れていく。キノが小さく感動している間に、

「!」

 書類を真上から突き刺した。置かれていた小型ナイフや薬品がその振動で揺れて、いくつか落っこちてしまった。

 金属製のはずのテーブルを貫通している。

「荒れてるねー」

「そりゃ荒れるよ。今まで一度もこういうことなかったからな」

 口だけの笑み。全体としての表情は全く笑っていなかった。

「ダメ男さん」

「なに?」

「何かを隠していますね?」

「何も。全部を話してるよ。……っと」

 ずるっと仕込み式ナイフを引きずり出し、セーターの中にしまった。他の道具も片付けて、ポーチや自分の衣服に仕込む。

「悪いけどちょっと用事があるんだ。お(いとま)するよ」

「だ、ダメ男さん」

 準備を整えて、すぐに出て行った。

 

 

 昼頃、キノはダメ男のいた部屋を出て、ぶらぶらと散策していた。相変わらずキノに対して住民が親切な対応をしてくれる。美味しい店は紹介してくれるし、その代金は立て替えてくれるし、あれやこれやと教えてくれた。しかし、ダメ男の一件を聞いてからというもの、どこか不審に思うようになっていた。

 キノは改めて、尋ねることにした。ぞろぞろと付いて来る住民の誰かに。

「どうしてこんなにもボクに親切にしてくれるんですか?」

「どうして? 苦労してる旅人さんに何かしてあげたいって思うのは変かな?」

 そう答えたのは二十代前半の若い男だった。

「とてもありがたいのですが、何か理由があるのかなと思って」

「キノなんて、全てをいただく気でいるから気をつけた方が、」

 ガン! とエルメスのエンジン部に鉄拳が下る。

「例えば、今ここに滞在している男の旅人にも同じようにしているんですか?」

「あの男? あいつは駄目だね。もう期待できそうにない」

「大した“見返り”もなさそうだしなあ」

「新しい人が強いから仕方ない」

「我が国に発展をもたらしてくれると思ったんだがなあ」

「……? どういうことです?」

 住民たちは慌てた素振りで、聞き流すように言う。

「その新しい人というのはいつ頃入国したんですか?」

「ちょうど旅人さんと同じくらいか、ちょっと後だなあ」

「皆さんはその人のことをご存知なんですね」

「そりゃもう、我が国の主だか、」

「おい、変なことを言うんじゃない!」

 むぐぐ、と若い男が奥の方へ連れて行かれた。

 もっと尋ねようとしたキノを宥めすかして誤魔化す。

「主? 国長の話では化物って話じゃ?」

 エルメスが波紋を呼ぶ一言を発してしまった。

 キノは少し早めに歩き出した。

「そんなことよりも、実は先日、とても効能のある温泉ができたんですよー。といってもビルの部屋の一室なんですが、どうです?」

「えらく上手いマッサージ機を堪能できる所もあるわよ!」

「最高級のワインが飲める店も、」

「最先端テクノロジーを体験できる、」

「超ド級の映画を、」

「すみません。用事を思い出しましたので、これで失礼します」

 エルメスを起動させると、飛び乗るように走り出す。

「待って! そのモトラドを置いてってくれ!」

「パースエイダーを、」

「コートを、」

「ポーチを!」

「帽子を!」

 さらにアクセルを吹かして、駆け抜けていった。

「……」

 キノの後ろ姿を見て、住民たちがのそのそと戻っていく。

 

 

「キノ! 一体どうするつもりさ?」

「少し調べたいことがあるんだ」

 キノはかけ忘れていたゴーグルを装着した。

 後方を見て、追手が来ないことを確認すると、少しずつアクセルを緩めていく。

「ここらへんでいいかな」

 そして、停車して振り返った。

 空も一日の終りに入ろうと段々と西空へ沈もうとしている。その太陽光線の反射が見せる夕日を、穏やかに見送っていった。

 街並みに夕焼けが差し込んでくる。夕日が当たるその反対側で陰が伸びていた。一ヶ所だけとても大きく、目立っていた。

「一番大きいね」

「あのビルは、ボクらが入国してきた時に出てきたよね」

「そうみたいだね」

「そして、国長の話にあった三人組。その話に“新しいビルを荒らした”って言っていた」

「おやま」

「その時に化物に襲われて殺されたと話していたけど、この国の住民は“主”と呼んでいた」

「“主”ねえ」

「ここから推測できることって何だと思う、エルメス?」

「旅人が入国する度に、ビルがにょきにょきっと地面から生えてくるってことかな」

 こくりと頷く。

「問題はなぜ“化物”と表現したか、だ」

「そりゃあ主なんだもんさ、えらく人間離れした怪物だからじゃないの?」

「本当に獣のような怪物なら、今頃住民全員が襲われてる。暢気に強盗したり案内したりしないよ」

「分かった! その主は人間なんだねっ?」

「生まれたての人間なのか知らないけど、もしそうだとしたら、あの高さからの眺めはどう見えるだろうね」

 

 

 西日が差し込む街並みに、何十階建てを思わせる超高層ビルが建っている。街中でも頭二つ分以上抜けている高さのビルだが、国だけでなく、国外までも展望できるほどだ。

 このビルの各フロアには一部屋しか無く、また入り口に扉はなく、吹き抜けの状態だ。まるで塔のような作りをしていた。どちらの出入り口とも階段があり、上へ下へと続いている。

 その上階層辺りまで昇ると、赤い塗料を零してしまったように、灰色の部屋を染め上げているフロアがあった。色だけではなくその入れ物もあり、穴が空きすぎて止めどなく流している。それも何十体と。生臭い異臭も凄まじかった。

 夕焼けから夜空が迫ってくる今、上へ行こうとする黒い陰。

「はぁ……はぁ……」

 ダメ男が息を荒げて昇っていた。

 ダメ男の着る黒いセーターはどす黒い返り血を浴び、滴る汗を吸い込んでいた。どれほど動いていたのか、頭から滝のように流れている。しかし頭からも返り血がかかっているので、薄っすらと赤みを帯びていた。

「あと少し……」

 (おもり)を付けているような疲労感を引きずって昇っていく。

 そして、一番天辺の階層へ辿り着いた。

「またあなたですね?」

 そこには一人だけしかいなかった。

「ダメ男!」

 どこからか聞こえてくる妙齢の女性の“声”。これが“フー”だ。

「なぜ戻ってきたのですかっ?」

「単に忘れ物を取りに来ただ……けだよ」

「これですね?」

 その人が見せつけるのは水色の四角い物体だった。紐が通されており、首に掛けられるくらいの長さがある。フーの声は、

「もう、放っておいてください! あなたでは、敵いません……」

 それから聞こえた。

 相手はそれを自分の首に掛けた。

「ここまで来られたのは賞賛に値します。しかし、ボクに勝てるとは思えませんね。そこまでしてフーさんを取り返したいんですか?」

「忘れ物を盗んだら置き引きになるんだぞ……。大人し、く……はぁ、はぁ……返せよ」

「調査隊の命と引き換えに提示したのはフーさん本人ですよ? なら所有権は移っているでしょう?」

「そうかい……なら、力尽(ちからず)くで取り返すしかないな……!」

 セーターの中から、仕込み式ナイフを振りかざした。左手に持ち、軽く伸ばした状態で身体を揺らす。相手に対して右脚を引いて、やや半身に向ける。

「過去の遺物である“入国者偽造システム”によって、入国者のコピーを作り上げます。その人間を倒さないかぎり出国できません。この国のシステム上、そのようにインプットしてあります。つまり、同一人物同士で殺し合うか、オリジナルを殺すしかない」

「だからここの住民は強い人間を選別して、主と戦うようにちやほやしてきたってか」

「こんなことを何百年と続けてきましたから、もはや今の住民にはその理由が分からないでしょうね。それに、お零れに(あずか)るしか生きる道がない」

「……お前らは一体何者なんだ!」

 グッとダメ男が走り出した。

 まずは軽く振るように斬り付ける。相手は飛ぶように後ろに退くが、攻めというよりは距離感を測りに来たという感じだ。その後も縦に横に斜めにと、力よりも速度を重視した攻めを繰り広げる。

 相手も避けるに避け、ダメ男の間合いを確かめながら、

「!」

 急に懐に飛び込んできた。

 勢いのついた右肘鉄を、ダメ男の首元へ。

「ちぃ!」

 逆の手、つまりナイフを持たない右手全体で受け止めるが、その右腕を掴まれた。

「!」

 ぐいっと引っ張られ、腹に膝がめり込む。

「がぅっふ!」

 怯んだ一瞬を突く。相手はそのまま引っ張り出すように、そしてダメ男の反撃をさせないように、身体を捻り、ダメ男の背中に蹴りを入れた。

 ほんの一瞬の間に、ダメ男は流され、転がり出して止まった。

「つ、つつ……」

 しかし、すくっと立ち上がった。

「わざと距離感を測らせて懐へ呼び込んだのですね。こちらを攻撃する前に、フーさんを奪おうとは」

「……」

 平然としているが、内心では戦慄が走る。それを取り繕うために、苦笑いを見せた。

「フーを取り返せば、そのままおさらばできるしな」

「おさらば、ですか」

 にやり、と口角が上がる。

「結局、ボクは目的を失った愚民を養うためだけの存在。強い入国者が入る毎に、ボクは上書きされていく。強くなればなるほど、上書きされていきます」

「……」

 ダメ男は再び構えだし、今度は左逆手に持ち替えた。

「だからこそ、」

「……!」

 今度は相手から迫ってきた。

「この国を出たい!」

 右手裏拳。顔面へなぞる軌道を空振りさせると、かぶせるように左腕が交差してきた。いわゆる“クロスカウンター”。それもナイフを持つ……。

 これを払いあげるように、右腕を振り上げ、余勢で左拳が下から(えぐ)ってくる。

「っ」

 顔! ダメ男は咄嗟に(あご)をカバーしてしまった。ところが、

「ぐほっ!」

 腹へ深く突き刺さる。

 悶絶する間も無く、左足で足元を払われ、体勢を崩されてしまう。何とか受け身を取るも、

「!」

 相手の脚ががっちりとダメ男を挟み込み、動きを封じた。

「どうせボクはより強い人間が来たら消滅するしかない!」

 下段突き。真っ直ぐダメ男の顔面へ拳が振り下ろされる。

「ダメ男!」

 きっ、と見極める。ころんと首を捻り、真横を通り過ぎ、

「!」

 拳がコンクリートを穿(うが)った。

 その瞬間に全力でその腕をつかみ、押し退ける。

「く」

 力を込めすぎていたせいで、腕が棒になっていた。綺麗に弧を描いて、相手は倒れる。

 体勢を立て直される前に、ダメ男が果敢に攻め込み出した。

 目の前での目まぐるしい攻防。殴りかかっては弾かれ、腕をつかんで倒せば脚をすくわれる。衝突音と衝撃が二人の身体を突き抜ける。

 相手が下がった瞬間に、

「らぁ!」

 ナイフを投擲する。ちょうど相手の両肩に一本ずつ。相手が、

「!」

 すり抜けるように身を横にし、右太腿から抜こうとした、のを阻む。ダメ男の小型ナイフが右手を守りに向かわせた。

「悪いけど、お前さんの対策はみっちり立てて来てんだ。以前みたいには、……!」

 左手に、黒いL字が見えた。

「対策が、なんですって?」

 その人差し指に力が入る、

「ダメ男さん!」

 直前に、叫ぶ声がした。ちょうど相手の背後にいる、よく見知った顔がいた。

「き、キノ!」

「……」

 相手がキノの方へ振り向いた。

「……ボク?」

 相手はキノと同じ格好をしていた。いや、格好だけではない。顔から体型から、何から何まで全て一緒。しかも、

「そう。ボクだ」

 声や持ち物まで、キノそのものだった。

 キノは驚愕していた。自分と全く同じ姿をした人物が目の前にいることに。そして、全容をすぐに把握した。

「なるほど。あなたが“主”ということですか。ボクが入国したことで、ダメ男さんからボクの“主”が誕生したわけですね」

「キノ! そいつと戦うな! そいつはオレが、」

 ダメ男の威勢は、

「動かないでください」

「……っ!」

 『森の人』によって呆気なく制圧された。キノには『カノン』が向けられている。しかし、

「まさか、パースエイダーまで同じとは」

 キノも『カノン』を持ち、頭を捉えていた。

「いえ、“主”はあなたになってもらいます」

「?」

「ボクはあなたの代わりにこの国を出国します。あなたはここで朽ちて死んでください」

「お断りします。ボクにはまだやりたいことがたくさんありますから」

「目瞑ったら、どっちがどっちだか分からないぞ……」

 ダメ男がそう独り言ちた。

 便宜的に“キノ”と表するが、“キノ”は、

「これを返します」

「わっわっ」

「あくまでもダメ男さんはキノの呼び水です。それを掻き立てるためにフーさんを奪いました。ボクにはフーさんは必要ありませんから」

 フーを投げ返した。

「もし、あなたがキノ様のコピーの“主”なら、なぜ出国したいと思うのですか? 今までもずっとシステムの一部として機能してきたはずです」

「……」

 すっと“キノ”がパースエイダーを下ろした。

「この国に入国してきた中で、キノが一番強かったから、という表現が正しいのでしょうね」

「?」

 すっとキノも下ろす。が、すぐ様に構え直した。右太腿にしまったパースエイダー『カノン』。同じ位置、同じ姿勢で『カノン』に触れている。つまり、早撃ちの決闘だ。

 ダメ男が割って入るのを躊躇うほどに、

「!」

 瞬く間に空気が張り詰めていった。

 予断を許さないはずの雰囲気のはずが、二人だけは、

「あなたはこの高いビルからの眺めを見たのではありませんか?」

「……ええ」

「今までの方々でも、これほどの高さはなかったでしょうね。その証拠にボクが遠くから街を眺めると、頭二つ分以上は抜けている。ということは、国外に広がる景色は一層広かったでしょう」

「眼下に収まる街が、国が小さく見えました。この出ることのできない国をどうにかして出ることができるとしたら、もっと違った景色が見えるのでしょうね」

 平然と話している。

「それは旅人の性ですよ。あなたの知らない、いえ、これからも一生知ることのないものです。なぜなら、あなたはここで撃ち殺されて、ボクが出国しますから」

「どんな……どんな手を使ってでも、キノを殺してみせる!」

 ぷっつりと会話を断つ。

「!」

 ぞくりと何かが背筋から這い上がって来る。すとん、と腰が抜けてへたり込んでしまう。

 自分の息すらも震えるほどの殺気。音すらも殺す重々しい緊迫感。キノと“キノ”の顔から動きが消え、相手の姿を一点に焦点を絞り合わせる。僅かな空気の震え、音、指の動き、瞬き、ともかくも“何か”があった瞬間に、反射的に『カノン』が放たれる。感じるという速度では遅すぎるくらいに。その対象はキノだけではないことをダメ男は察した。フーも沈黙する他なかった。

 キノと“キノ”は思考すらも消していた。その揺らぎを勘付かれたが最後だと、身体のどこかで感じている。

 どれほど待てばいいのか。“何か”を求め続けること五分ほど過ぎた。微動だにしない状態を五分も続けられるのか、そう思わざるを得なかった。自分の汗すらも冷えつかせ、必死でキノの邪魔を、

 キノがダメ男を見、

 射撃音。四十四口径らしい中高音の破裂音が重なり、その弾道は全く同じ所を通る。バチン! と金属同士の衝突音がした直後、

「ぐあっ」

 腕を押さえながら、倒れこんだ。

「はぁ……はぁ……」

 頭から大量の汗が湧き出るように流れ出す。『カノン』に痕が付くほど手が湿っていた。

「う、くっ……し、しびれが……」

 腕にはダメ男の小さい手投げナイフが突き刺さっていた。

 その様子を見に、二人がやって来る。

「残念でしたね」

「……く……いったい、なぜ……?」

「もし、ボクらが全く同じ個体なら、明暗を分けるのは部外者の存在です。つまり、ダメ男さんがいてくれたから、ボクが勝てた」

 銃口が眉間に向けられ、

「自分自身を殺すのは釈然としませんね」

「め、が……かすっんで……」

 銃声が鳴り響いた。

 

 

 地上に降り立つ頃、夕日が沈み切る。まだ夕暮れの名残が西空に残る中、()()ずと遅れて月が昇り始めた。満月に近いが、端っこが微かに切れている。

 月明かりが明るく地上を照らしている。電気は通っているので、暗い街中を一層照らし出していが、必要ないほどだ。まるで事の成り行きを上から見守っているように。

 二人が到着すると、

「ありがとう! ありがとう旅人さん!」

「これで出国できるぜ!」

「ありがとう!」

 住民全員がお礼を告げ、拍手喝采を送っていた。以前のように襲うことも奪うこともしない。

 住民の一人がエルメスを押して、二人の所へ届けてくれた。しかもご丁寧にリアカーまで装着されていた。ありがとうございます、と言うと、とんでもない! と握手を求めてきた。

 そして住民たちがダメ男に気付く。ダメ男は遺体を抱えていた。顔に赤い布を被せているが、白い部分もあることから、元は白かったと思われる。

「これはど、どういうこと……?」

 ダメ男はさっぱり事態が飲み込めない。ダメ男も襲われた一人だが、ダメ男にさえも拍手を送っている者がいる始末。やや混乱している。

「鳥頭、“ハゲが髪毟られたような顔”してどったん?」

「お前、色々と最低すぎる発言だなっ。“鳩が豆鉄砲を食ったよう”だっ」

「まあまあとにかく、これは何の不思議なことでもないのさ。説明すると……」

 

 

 時を戻して、キノが城壁を調べてから街に戻った時。やはりキノは住民に襲われたが、

「皆さん! ボクの話を聞いてください!」

 と、キノが大声で呼び掛けた。

 なんだなんだ? とざわつき始める者たちを前に、キノが話を始める。

「皆さんもあのビルからの景色を見ましたかっ?」

「景色? ああ、確かに見たけど……」

「なら、この国の外を見てみたいと思いませんかっ?」

「外? 外なんか興味ないしなあ……」

「世界にはこの国よりも不思議で面白い国がたくさんありますっ。多少危険を伴いますが、この国の武器を使えば、まず問題なく旅ができるでしょう!」

「どういう国があるのさ?」

「それはご自身の目で確かめられる方がいい。楽しみが減ってしまいますから」

「……」

「もし、この国の“主”を倒すことができたなら、ボクが国外へ出る道を“作ります”! それまで、エルメスを預かってもらえませんかっ? 万が一ボクが死ねば、皆さんに差し上げます!」

「……悪くない取引だぜ?」

「若いのに、大したタマだ」

「こんなに直接的なのは初めてねえ」

「いいんじゃないか? 旅人さんに任せても」

「俺らには何のデメリットもねえ話だ」

「国長! いかがしますか?」

 キノの前に国長が現れる。穏やかな人柄は変わらないが、笑みが顔に出ている。

「分かりました。お任せしましょう」

「それと、もしあればリアカーもいただいていいですか?」

「いいですよ。生きて帰って来られるなら」

 ただし、悪人面だが。

 

 

「すごいな。そんな話でこの人たちを釣ったのか」

「まあ、そういうことです」

 長く感じた一瞬を思い出すように、すぅっと息を整える。ふぅ、と皮切りにダメ男を見た。

「さて、これでボクらは出国できるはずです」

「ああ」

 一人の中年女性がダメ男に詰め寄る。

「その死体をどうするんだい?」

「どこかに埋葬するよ。何せ、キノのそっくりさんだ。……このまま放置しておくのは呪われる気がしてならなくって」

「そういう風習があるのかい?」

「ああ。ここにはないようだけど、他の国でもよく見られる。気になるようならこれを機会に、旅をしてみればいいんじゃない?」

「私じゃ駄目だと思うわ。ドン臭いし……」

「護身武器やその他道具類はすぐに揃うだろうから、どうにかなるよ」

 ダメ男の肩を軽く叩く。そろそろ時間だ、ということらしい。

 エルメスに跨がり、その脇のリアカーにダメ男が乗り込む。遺体を落とさないように住民に手伝ってもらい、ロープできつく縛った。国外に出るという興味が湧いてきたのか、死体から剥ぎ取ろうともしなかった。

「行きますよ。しっかり掴まってください」

「ん?」

「どうしたの、エルメス?」

「爆弾はどうする?」

「……その必要がなくなったから置いていくよ」

「ふーん」

 バリバリバリ、とエルメスにエンジンが掛かる。アクセルを少し回して、

「それでは、さよなら」

 住民たちと別れを告げた。

 

 

 城壁を伝って行くと、入国してきたドアを思われるドア縁を発見した。そこに近づくと、勝手に開き、あの赤茶色の荒野が額縁の絵のように見えた。

 ドアはリアカーを装着したままでは通れないので、一旦外してから出国し、付け直した。

「おおー、久々の国外だねえ」

「……そうだね」

 少し安心したのか、安堵の溜息を漏らし、景色を堪能するように辺りを眺めた。

「フーさんも奪還できて良かったじゃんか」

「おう、ありがとな。でも、なんだかよく分からない国だったなぁ」

 首飾りとして首に掛けてあるフーを取り出す。フーの背面をスライドし、四角いパーツを交換していった。

「上で何があったのさ? それにその死体は?」

「ああ、キノのそっくりさんなんだよ。なんでも、入国した強い人間がコピーされて、そいつが主として国を支配していたんだと」

「そうすると、キノ以上に強い旅人はそうはいないだろうねえ。何十人に囲まれても一網打尽にしたこともあるくらいだから」

「もう人の領域を軽く超えてんな、キノは……っと」

 かちかち、とフーを操作していくと、

「オートリカバリー完了。ダメ男は永久に死滅してください」

「電池入れ替えてもらってご機嫌だな」

「ゴキブリ以下の汚い顔面ですね」

「うん。寝起きの悪さもいつも以上だ。じゃあ頼むぜ」

「はい」

 泣きそうな顔になっていたことを、誰も追及しなかった。

 吹っ切れたように、太陽のごとく煌めいていた。欠けている月が荒野を見下ろし、走り抜く旅人たちを眺めている。

 一時間弱、談笑しながら走り抜くと、草の集まりが目立ち始める。ちょうど地帯の境目辺りに到達したようだ。さらに進んでいくと、地面が隠れて草原に突入した。ただ、道路がコンクリート製から整った土製に変わり、砂埃を巻き上げていく。

 もう少し行くと、ちょうど木が一本あったので、そこで停車した。

「ここらへんなら大丈夫ですね」

「ああ」

 ダメ男がリアカーから降りて、木に遺体をもたれるようにそっと下ろした。

「世話になった。フーを助けてくれてありがと」

「これでボクの借りは返せましたね」

「あれまで覚えてるんだ。すごいな……」

「キノの食べ物の恩義は海のように深く山のように高いからねえ」

 ぺしんとハンドルを叩いた。

「じゃあこれで貸し借りなしってわけだ」

「いえ、そんなことはないですよ。ダメ男さんから学んだことがありましたし」

「? なんだそれ? なんか教えた?」

「内緒です」

 結局教えてくれることはなかった。

 適当に折り合いをつけて、

「では、またいつか」

「さよならじゃなくていいのか? 多分もう会うことはないぞ」

「お任せしますよ」

「そっか。じゃあまたな」

「くたばらないようにねー」

「……では」

 エルメスと共に走り去っていった。

「……さて、待つか」

 ダメ男は遺体の横に座り、空を眺めていた。

 

 

「次はどんな国に行こうか」

 通り過ぎる風を愛おしむように、揺れる車体を懐かしむように、運転していた。

「走った先にある国に行けばいいさ。世界中に繋がってるんだからさ」

「そうだね、エルメス」

 いつもの仏頂面がほんの少しだけ綻んだ、ように見えた。

「ところで、自分と戦った感想は?」

「全くの互角だった」

「ってことは、どんな攻撃をしても、全く同じ事をしてくるってわけだ。戦い辛かったろうにさ」

「ダメ男さんがいなかったら多分、引き分けだったね」

「疲れ果てての判定か同士討ちによる死亡ってわけだ」

「まあ、面白い国だったね」

 区切りが付いて、二人ともしばらく沈黙する。

 そしてキノが少し疲れたと呟き、エルメスを適当な所で停車させた。降りて、月に向かって背伸びする。

「ねえキノ」

「なんだいエルメス?」

「この前のさ、鹿しかいなかった国覚えてる?」

「ああ。覚えてるよ。入国したら、なぜか餌を買わされて、追い回されたなあ」

「あそこの国は大規模な牧場みたいだっただけど、よりによってなんで鹿だったんだろうねえ」

「それは分からないね。でも独特な国だった。しゃべる鹿がいるんじゃないかって楽しみだったんだけど」

「まっさか。一部の鳥類だけでしょ」

「何があるか分からないから面白いんじゃない。そうやって期待するほどってことさ」

「そっかー。……おかしいなあ」

「? 何がだい?」

「んーっと、じゃあお金が葉っぱでできてた国は覚えてる?」

「もちろん。なんであんな破れやすくて萎れるものを通貨に使ったんだって、国民全員が思ってたみたいだよね」

「そうそう! ってか、誰だってそう思うよ」

「でも、お金の大切さを教えるためって聞いたら、」

「もっと複雑な気分になったよ。そりゃ大切だけど、大切の意味が違うだろうにさ」

「エルメスの怪文みたいで面白かったよ」

「どういうことさ、キノ!」

「はは。そういうことさ………………」

「んー、じゃあさ、人力発電してる国は覚えて……あれ、キノ……? ……え?」

 

 

「なぜボクを裏切ったのですか?」

 『カノン』の銃口が左目前数センチに差し迫っている。その対象者は一筋の汗がいくつも流れ出していた。しかも恐ろしく冷えている。冷える夜中で、体温が冷えるが中心は酷く熱い。

 キノは無表情を崩し、明らかに不快感を示していた。血管が浮き出るほどではないが、『カノン』を握る手や指先がとてもリラックスしている。銃先を確実に仕留めるために。

 下ろしてもらった場所から動かずに、長い間ホールドアップされていた。

「……」

 一言目。これを誤れば、(あや)められる。だから慎重に慎重を重ね、言葉を選び抜いていた。

「……人を……感じた」

「……人?」

 自分の背後を一瞥(いちべつ)する。樹の根元に白い布、そして赤く染まった布が置かれている。そしてキノの右腕には少し血の滲んだ包帯が巻かれていた。きちんと手当されているようだ。

「どういう意味ですか?」

 左目から眉間へ銃口が移る。

「国を出たいと切望する人間の気持ちは分からんでもないだろ? ……だからオレがその手伝いをした」

「ボクを裏切ってまでですか?」

「結果的にキノを裏切ったことになる。……認めるし謝る。でも、確実に出国するためにはああするしかない」

「?」

「キノは“ヤツ”の言葉を信じて、殺せば出国できると考えたんだろうけど、そんな確証はどこにもなかった」

「嘘は言っていないと感じましたが」

「オレもそうだ。まず嘘はついてない。でも出国できるかどうかはその発言とは無関係なんだよ」

「なぜです? あちらはそれを司っているから、そう言ったのではないんですか?」

「違うな。……入国当初を覚えてるか? 最初に何をした?」

「……」

 聞く価値があると判断したのか、キノは『カノン』をゆっくりとしまった。

 少し思い出す。

「入国審査を受けて、サインをしました」

「門を開けたのは誰だ?」

「当たり前ながら審査官でしょう? だって、……!」

 はっ、と勘付いた。

「“ヤツ”が殺されても出国させるなんて約束もしてないし、そもそも口約束なんて無いのと同じだ。キノは言葉巧みに誘導されてたんだよ。そう誤認させるように」

 我ながら、と呟くキノ。

「ならむしろ“ヤツ”を生かして、全員が出国できる道を探った方がいい。キノと目線が合った瞬間からこれしかないと思ってたよ。オレがキノを殺す手伝いをしたことで、“ヤツ”に恩を着せて出国する。同じ“キノ”なら借りは返すと思ったから」

 ダメ男が小さい手投げナイフをキノに見せた。よく見ると薄く透明な“痕”がある。

「キノが“初めて”これを食らってくれたから、毒薬を仕込んでいると勘違いさせることができた。実際はただの痺れ薬だけど、ただの演技じゃまずバレるからな」

「後はボクをダメ男さんが死体工作をして、全員が出国するということでしたか」

「その代わり、エルメスは持って行かれちまったが」

 ポーチから四角い機械を取り出した。画面があり、ある一点が点滅している。

「別れ際にキノの荷物にフーを仕込んだ。こいつでエルメスも回収できる」

「……」

 踵を返し、キノが歩き出した。ダメ男が慌てて付いていく。

「大したものですね」

「それはこっちの台詞だ」

「?」

 振り返るキノに何かを投げ渡す。銀色の金属の塊だった。

「それ、何だと思う?」

「見たところ、潰れた金属の塊だと思います」

「ほぼ合ってる。でもこの金属はさ、弾丸が衝突して、熱と威力で押し固まったやつなんだよ」

「これはボクがもう一人のボクと勝負した時の物ですか」

「そうだ。……それについて一つ聞きたい」

「何でしょう?」

「そいつは狙ってやったのか?」

 キノが立ち止まることなく進む。

「自分の“コピー”がいるとおおよそ予想できたので、どうすれば勝てるかシミュレーションしていました。撃ち筋も考え方も全て同じなら、狙いも同じでしょうから」

「狙い?」

「勝負は二発目。一発目はホルスターから最短最速で抜き撃ちするので、軌道やタイミングは全く同じでしょう。なら二発目をどうするか。ボクなら被弾させるのを目的として、無意識に少し内側に寄せるでしょうね。だからボクは少し内側に寄せて、」

「ちょっと待てよ」

 ダメ男が話を遮った。

「たとえ自分が相手だからって鏡合わせになるわけじゃないだろ。キノはキノでも、あっちも意志があるし対策も考えるだろ?」

「それはありません。ありえません」

「どうしてそう言い切れる?」

「その時、ダメ男さんと戦っていましたから」

「……!」

 目を見張った。

「ボクと戦う前でダメ男さんと一線交えてしまったので、シミュレーションが足りなかったのだと思います。一方のボクは戦う直前まで行いました。そんな脳内練習の不足を何かで補うとしたら、自分の経験則や無意識に任せるしかありません。つまり、本来のボクの動きということになります。そこに対策やクセなどは全くない。一番ボクらしさが現れる状態と言える」

「……いくら早くたって、動きが読まれればどうしようもないってか……あんな早さなのに……」

「ダメ男さんにアイコンタクトを送った瞬間から、あちらに勝ちはなかった。二発目まできっちり抑えている間に、ダメ男さんに仕留めてもらう予定でしたから。必ず気付くと信じていましたが、まさか裏切られるとは考えもしませんでした」

「そういうことだったのか」

「でもまあ、無事に出国できたので、結果良ければ何とやらです」

 くすりとダメ男が笑う。

「……何かおかしいことを言いましたか?」

「……意外と義理堅いんだなって。八つ裂きにされたって仕方ない事なのに」

「自分のためですよ。こうして“貸し”を作っておけば、いつか巡り巡って何倍もの“お返し”が来ますから」

「貸し借りチャラじゃないのかよ」

「借りを大きく上回っていますよ」

「そっか。でもそれはまたいつかな」

「楽しみにしていますよ」

 どこかに停まっているエルメスとフーを取りに、二人は歩いて行った。

 

 



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第五話:もどるはなし -Rebirth for Him- by alias(オリ) 

「“進入禁止”? ここ以外に道がないのに何を言ってんだ……?」

 目の前の禁止を促す看板を尻目に、ずかずかと入っていく。落ち葉の折り重なった道をくしゃくしゃと踏み入っていく。

 緑の濃い山林だった。風が強いのか、わさわさと葉が擦れ合い、音を立てる。

 その中からのそっと何かが現れた。緑の長い上着に長袖の白い衣服、灰色のズボンに茶色の革靴という服装をしている。荷物は薬棚のような箪笥(たんす)を背負うのみだった。

 ぷかぷかと煙草をふかしている。

 異様な姿の男だった。短い白髪に緑色の瞳をしているが、まるで左目を隠すように前髪が左側へ寄っている。仏頂面の表情からはあまり心情を伺いづらい。

 白髪の男は小さくふぅ、と溜め息をつく。それに、ぶつくさと文句を垂らしているようだ。

「ん?」

 ほろっ、と煙草の灰が零れ落ちる。

「!」

 何かに気付いた。まずい、と言葉を漏らすと、少し駆け足になる。無色の表情にようやく曇りを浮かべた。

 さらに走って行くと、

「……」

 人が倒れていた。行き倒れだ。

 一瞥して、去ろうか留まろうか思い悩む。しかしそれは一瞬のうちに解決した。

「……おい、大丈夫か?」

 行き倒れの男に何回か声を掛けた。ふんわりとした毛糸で編んだ黒い上着に藍色のズボン、薄汚れた黒の運動靴という格好をしている。背負っている肩掛け式の袋はぱんぱんで、それが男にのしかかっていた。

 あまりにも息苦しそうだったので、慎重に外し、近くの大木に立てかけておいた。そして、うつ伏せになっていたのを起こし、仰向けにしてあげた。

 白髪の男は首筋や口元に指を当てる。まだ生きてはいるようだ。

「ん、んぅ……」

 男はもそもそと動き出した。右の頬骨のあたりに擦り傷が見える。何かに(つまず)いて、打ち所が良かったらしい。

「……!」

 はっと気が付いた。

 後頭部をすりすりと擦る。

「いてててて……」

「痛むのはそこか。でも、頭でも打ったか?」

「ちょっと崖から落ちたみたいで、っつぅ……」

「崖?」

 白髪の男は辺りを見回したが、それらしきものはどこにもなかった。ふと視線を落とすと、もっこりとした膨らみを見かけた。とこ、

「!」

 ろが、膨らみはささささっと逃げていった。まるで虫でも這っていたかのように。

 呆気にとられたようで、しばらく視線を外せなかった。

「……どう、した?」

「あ、いや、なんでも。崖というより、何かにつまずいたんじゃないか?」

「え? ……そう、なのかな? ちょっと記憶が飛び飛びみたいだ……」

「まあ、身体が無事なようでよかった」

 行き倒れの男は荷物のある大木にもたれ掛かった。さっさっ、と荷物の(ほこり)をはたき落とす。

 首もすりすりして、小っ恥ずかしそうに礼を言う。

「ありがとう。あんたは命の恩人だな。……えっと……」

「俺は“ギンコ”。“ムシ師”という“ムシ”専門の医者を生業にしている」

「“ムシ師”? 初めて聞いた職業だな。それに珍しい髪色と眼の色。いかにも主人公っぽそう」

「? ……あんたは?」

「あぁ、オレは、」

「“ダメ男”と申します」

「……」

 白髪の男“ギンコ”は少し固まった。ぱちくりと瞬きを数回した後、再度尋ねた。

「……今の声は?」

「あ、あぁ、こいつだよ」

 ごそりと服の中から首飾りを取り出した。水色と緑色を混ぜたような色の四角い物体が吊るされている。

「“フー”と申します、ギンコ様」

 それから“フー”の声がした。凛とした口調でかなり冷めている。

「な、なんだそれ? 独りでに話すぞっ。新種の“ムシ”かっ?」

「いやいや違う違う。こいつが“フー”だよ。鳥なら声真似するやつもいるけど。オレにもどういう仕組になっているのかさっぱりなんだ。でも、悪者じゃないから安心してくれ」

「以後お見知り置きを」

「よ、よろしくな、二人とも」

 ギンコとしても、ダメ男という悪口を受け入れている“ダメ男”も不思議だと思っていた。

 

 

 二人のいた所よりも、森はより鬱蒼としてきた。光がだだんと減っていき、緑に仄暗さが帯びていく。“何か”が出てきそうなくらいに不気味だ。

 どことなく湿り気も覚えてきたような気がする。くしゃくしゃと音を立てていた地面はくしょくしょと水気を含めている。時には土が靴にくっつき、払い落としていった。

「どうしてここへ?」

 ぼそっ、とギンコが尋ねた。

「風の噂で面白い村があるっていうんで通りかかった」

「面白い村? 確か俺の知る限りでは、ここから先には村はなかったぞ」

「……」

 ダメ男が立ち止まった。つられてギンコも止まる。にこにこして、頷いている。

「やっぱおかしいと思ったんだよ。進めば進むほど森が深くなってくるし、教えてくれた旅人は元詐欺師っていうしなぁ……」

「物をせびるわりに、さして良い情報をいただけマせんでシたネ……」

「どんだけお人好しなんだよ……」

 ギンコは少し呆れた。

「ま、そのおかげでギンコとも会えたし、ちょっと面白そうだ。森を抜けるまで、話を聞きたいもんだ」

「……話ならいくらでもできるさ。ここを抜けられる“まで”だが」

「? ……ギンコって方向音痴なのか?」

「そうじゃなくてだな、周りをよく見てみろ」

「え? ……」

 ダメ男は言われるままによく見てみた。鬱蒼とした木々が広がっているだけである。それと虫がふわふわと浮いている。現地特有の生物なのだろうか、仄かに光っており、海月のようにふわふわしているものや、蛇のようににょろにょろしているものなど、多様だ。しかし、ギンコたちには一切近寄ろうとはしなかった。

「特段、変わった様子はないけど……。強いて言えば、あまり見かけたことのない生き物がちらほらと……」

「! お前、“ムシ”が見えるのか?」

「見えるって、当たり前だろ。ムカデみたいなのとかハエみたいなのとかいるじゃん。なぁ、フー?」

「………………」

 フーに無視された。

「ってムシだけに無視かーいっ」

 一人ノリツッコミである。

 しかしギンコはぴくりとも笑わなかった。むしろ、より険しい表情である。ダメ男は内心、怒らせてしまったのか、とおどおどしていた。

「多分だが、お前の言うムシは昆虫の類のことだろう?」

「そ、そりゃね。それ以外に何がいるんだよ」

「……知らなくて当然か」

「?」

 ふぅ、と息をついた。

「“蟲”といって、我々とは命の成り立ちが異なる連中がいるんだ。通常の人間には“蟲”は見えない」

「え? 幽霊とか化け物とか……そんな感じのやつ?」

「うーん、まあ……方向は違うが考え方は合ってる」

「…………」

 ダメ男の顔から血の気が引く。

「オレ今、幽霊見えてんのかよ……みたくなかったなぁ……」

 そして、ダメ男の指が、

「こんなのが幽霊のしょうた、」

 “蟲”のほ、

「触るなっ!」

「!」

 びくりと引いた。“蟲”を触ろうとした右手を。

 しかめっ面のギンコがダメ男に詰め寄る。はひはひ、とさらにおどおどすることに。

「触ればそちら側のモノになるぞっ! 絶対に無闇に触るなっ! いいなっ?」

「は、はひ……」

 少し涙目になっている。

 ギンコはふぅ、と辺りを睨みつける。不思議に思ったダメ男も改めて見回してみる。しかし森自体に、何か異変があるわけでもなかった。

「まずいのは、その“蟲”のことだけじゃない……?」

「あぁ。俺らは“フクロコウジ”にはめられている」

「? あやのこう、」

「“フクロコウジ”は普段は洞窟や洞穴に生息しているんだが、たまに山に棲むものもいる。まるで袋小路に追いやるように獲物を惑わせて追い詰め、自分の口へ誘う蟲だ」

 ダメ男の発言を遮るように話し始めた。コリコリと頭を掻くダメ男。

「どういう意味?」

「ウツボカズラと同じだ。迷い込んだ先が“フクロコウジ”の胃袋の中ってこと。この蟲は景色を惑わせるんだ。どう進んでも胃袋へ向かわせるようにな。で、触ると……ぱくりだ」

「……」

 固唾を飲み込む音がする。

「よく山や海、洞窟などで遭難する事故を耳にするだろう? あれは“フクロコウジ”に惑わされ、喰われた被害もあるんだ。意外と少なくない」

「ってことは……まずくね?」

 ふっ、とギンコは苦笑いを漏らす。それが返事だった。

 今度はじっと見据えるも、新しく見えるものは何もない。

「さて、どうするか……。ギンコは何日分の食料がある? オレは十日分ぐらいだけど」

「……問題はそこじゃないんだけどな」

「?」

 ふぅ、と短くなった煙草を見つめ、ピッと指で弾いて捨てた。ズボンのポケットから新しく煙草を取り出して、火を付けた。

 ダメ男は空を仰いだ。上方も枝葉がこんもりと茂っているが、明らかに日が落ちてきている。夕方に差し掛かり、太陽が雲に隠れてしまってきていることを悟った。

「これ以上の移動はやめた方がよさそう。もう日が落ちる」

「そうだな。この辺で野宿にしよう」

 ともかく、二人は野宿することとなった。

 

 

 夜。動物の鳴き声が一切ない無音の雰囲気。薄い掛け布団が欲しくなるくらいの肌寒さだった。

 二人は焚き火を起こしては、その明かりを頼りに周りを確認する。幻惑といっても風景には不審なところは何一つない。

「カメレオン以上の擬態術だな」

 ダメ男は感心するとともに、ちょっぴり怖さを感じていた。“フクロコウジ”が移動して、うっかり触ったらと思うと、気が気ではないらしい。

 一方のギンコは特に慌てる様子もなく、静かに携帯食料を食べていた。

「忙しないな。大丈夫だよ。“まだ”捕食しない」

「なんでそんなに冷静なんだよっ。オレら食われるんだろ?」

「どう動いても喰われるのなら、慌てる必要もない。そうだろう?」

「……まぁ」

 大人しく、もそもそと食べ始める。

 ふと、何かが目についた。

「なんだか綺麗だな、蟲って……」

「あまり見ない方がいい。人間じゃなくなるぞ」

「……」

 うねうねしていたり、にょろにょろしていたりと、見たこともない形をしている。しかし何色とも言えぬ仄かな光を身にまとい、まるで遊んでいるかのように舞う。見てはいけないと促されるも、とても神秘的な光景だった。

 ぱち、と焚き火の火種が気を逸らす。

 ギンコが焚き火の炎で煙草に火を灯し、口に運ぶ。すぅっと一筋に昇る煙と口から吐き出される煙。ダメ男が煙たそうに(あお)ると、

「……?」

 蟲たちも煙たそうに動きを激しくし、遠ざかっていく。

「ダメ男の方も厄介なことになってるな」

「あぁ。フーが一言も話さなくなっちゃった。故障でもないみたいなんだけど……どういうことだろう……」

「そこら辺は分からんが、蟲の影響を受けたのかもしれん。蟲はあらゆるものに影響を及ぼす。良くも悪くもな」

 ダメ男の手元にある水をこくりと飲む。

「なぁ、いくつか聞いていいか?」

「なんだ?」

「蟲側の存在になるってのはどういうことなんだ?」

「……」

 ふぅ、と煙と一緒に息をつく。

「そもそも“蟲”っていうものをしっかり説明した方がいいか」

「え? あ、うん」

 戸惑いつつもお願いした。

「蟲は俺らと命の成り立ちが違うと言ったな? 正確には、俺らが成り立ちから外れた、と言う方が自然なのかもしれない」

「? どういうこと?」

「蟲は人間その他動物の源に最も近いモノたちと言われている」

「つまり、生物の原点ってことか?」

「そうかもしれない。そのためなのか姿形が明確でなく、見える性質と見えない性質と分かれる。幽霊がどうとか言ったのは、蟲の中でそういう性質を持ち、人間に擬態するモノもいるからだ」

「……ってことは、見える人には“そういった”感覚があるってことか」

「その通り。専門用語で“妖質”と呼び、目覚めたり忘れたりするんだ」

「人間の第六感に近いな」

「おそらく、第六感の中に“妖質”があるんだろうな。で、“蟲側の存在になる”というのは、まぁ早い話が蟲になってしまうということだ」

「それが人間じゃなくなるってこと……?」

「あぁ。つまり、(なり)が何なのか分からなくなって、“妖質”を持たない者には声も存在も感じられなくなる。お互いにな」

「! ……」

 じっと心配そうに見つめるダメ男。それを見て、ふっ、とギンコは微笑む。

「心配するな。フーは無事だよ」

「? どうして?」

「お前に“妖質”があるのは分かったが、もしフーが蟲側の存在になったら、声は届くはず。おそらく他の問題でフーは喋らなくなっているんだろう」

「……」

 きゅっとフーを握りしめ、首に吊るした。

「大切なのか?」

「……まぁ、今までもこいつと一緒だったから、いないと寂しいよ」

「……」

 何とも言えない表情のギンコ。

「……あ、ここだけの話な。絶対に笑われたくないから」

「……ふ」

 さらに深く微笑む。

 

 

 まだ夜も明けぬ頃。相変わらず無音が続く森の中で、もぞもぞと物音が立つ。

「ん」

 その一文字は無音に溶けこむように、吸い込まれていく。

 近くで灯っていた焚き火は細い筋を上げて、消えていた。

 むくりと上体を起こし、ダメ男が起床した。焚き火を挟むように、反対側の木の幹に、ギンコが眠っている。細かくて小さな寝息を立てていた。

「……」

 それを一目したダメ男は、ふと上を仰ぐ。昨日の蟲たちはどこかに行ってしまったようだった。

 日の出前とはいえ、周囲は薄暗い。光の及びにくい深さの洞窟に迷い込んでいるようだ。その感覚が少しおかしくて、

「……ふぅ」

 にっ、と微笑んでしまう。ダメ男があまり見せない表情の一つだ。

 首から手を伝い、首飾り、もといフーへ伸ばす。フーにいくつかの操作をしてみるが、やはり無反応だった。専用の工具を荷物から静かに取り出し、分解するも、

「……」

 特に変わった様子もない。

 首を傾げるも、考えてみるも原因が分からない。仕方なく組み立て、元に戻す。

「早いな」

「!」

 声の方を見ると、既にギンコが目覚めていた。幹にもたれて、ダメ男をじっと見ていた。

「フーとやらはすごい仕組みなんだな。見たこともないよ」

 ギンコが眠そうに話しかける。

「うるさかった?」

「いや。むしろ静かすぎて死んでいるのかと思った」

「え?」

 思わず吹いてしまう。カラカラ笑った。

「寝相はあんまし良くない方なんだけどな」

「自分ではそう思っても、周りはそうでもないことはよくある」

「まっまぁ、よく眠れたならいいや……。それより、現状は変わらず?」

「……」

 ギンコは辺りを見渡し、

「そうだな」

 即答した。

 ダメ男の笑い顔に苦味が加わる。

「そういや、“フクロコウジ”の位置とか距離とか分かるもんなの?」

「だいたいな。“フクロコウジ”はあまり大きくはないから、主に小さな“蟲”を食す。たまに迷い込んだ人間や動植物も食べるがな。でだ、近いってことは、“蟲”の()が強いってことになる」

「……その“蟲”の気から遠ざけるように逃げれば、ここ一帯を抜けられるんじゃないか?」

「それは無理だ」

「? なんで?」

「考えてみれば分かる。俺は昨日、ウツボカズラのようだと表現したが、一方向から食べようとすると、どうしたって逃げ道ができるだろ? どれだけ大きくなろうと、だ」

「んまぁ、そうだな」

「……“フクロコウジ”が見せる幻っていうのは……人間でいう“口腔内”から発せられるんだ」

「……?」

 考えているのか、首を傾げて視線が上向く。しかしダメ男には想像が湧かなかった。

「つまり、上空から地面に向かって吸い付くように立っているんだよ。“フクロコウジ”に触れると捕食されるっていうのは、口の中のどこかってことだ」

「えっと、要するに……檻の中に閉じ込められてるような感じってこと?」

「そう。それも上空しか穴がなく、そちらは“フクロコウジ”の胃袋ってわけだ。距離が分かるというのは水平方向ではなく、垂直方向という意味だ」

「……まさに、天国へと続く階段ってわけか……」

「?」

 ふぅ、と溜息をつく。

 ようやく日の出の時間に差し掛かる。かと思いきや、今日は曇りのようで、辺りはいまいち明るくなってくれない。ずっと洞穴にいるような暗さだ。

 仕方なく焚き火を点け直して、朝食を取ることにした。昨晩と同じ携帯食料だ。

 いつもの練習をサボったダメ男は、

「お」

 衣服の中からあるものを取り出した。ついでに荷物からも黒い袋を取り出す。

「そういう刃物も旅人の必需品なのか?」

「あぁ。むしろ、なんの護身武器も持ってないギンコの方に驚くよ。ここら辺は比較的穏やかな土地柄なのか?」

「それは知らないが、“蟲師”と名乗れば、大概は荒っぽい扱いはされないな」

「なるほど。蟲師さんは貴重な存在ってわけか」

 ダメ男の刃物はとても珍しい形だった。金属の黒い格子で組まれた()に透明な膜が貼られている。その中に刃が収納されていた。長さは約一尺(三十センチ)ほどか。

 柄の先にある突起を押しながら振ると、刃が飛び出す。言わば仕込み式だ。

 黒い袋から容器を出して開ける。白い半液体が入っており、専用の布で刃に塗りたくっていく。

「それも大切にしてるんだな」

「実はオレのじゃなくって借り物なんだ。壊すと怒られそうで」

「? 誰に?」

「え? 誰って……うんと……知り合いかな」

 困惑していた。

「顔に出やすい(たち)なんだな」

「う、うるさいっ」

 ギンコも綻んでいた。

 

 

「出発するっていっても、下手に歩き回れないよな? どうする?」

「……」

 ギンコは煙草に火を付け、吸っては煙を吐く。

「時間もないしな」

「時間?」

「フクロコウジがいつまでも待ってくれるわけないってことさ」

「今日までがギリギリ……?」

「あぁ」

 ダメ男に見せつけるかのように、煙草を吹かす。

「その煙草……“蟲”除けなのか?」

「よく分かったな」

「“虫”除け効果のある煙草があるって聞いたことあったから。もう残りがないわけか」

「そうだ。この一本が最後……」

 二人とも表情が引き締まる。先ほど笑っていたのが嘘のようだ。

 特にギンコは覚悟を決めていた。

「悪いなダメ男。俺が巻き込んでしまったみたいで……」

「? どうして?」

「俺は蟲を引き寄せる体質がある。だからこの煙草を欠かすと、その場所に留まれないんだ」

「……ふふ」

「?」

 ダメ男は雰囲気に合わず、硬かった表情が緩む。

「そうか。なるほどな」

「? 何がおかしい?」

 笑われたように感じ、少し怪訝そうに睨む。違う違う、とダメ男は説く。

「体質云々は違えど、ギンコはオレと似てるかもって」

「……は?」

 鳩が豆鉄砲を食らったようだった。

「オレもどういうわけか、同じ国に長居できない性格みたいで。ギンコの気持ちがちょっと分かるような気がしたんだよ……あはは」

「俺は否が応でも留まれないんだがな……」

 呆れたように言い放つ。

「オレも否が応でも長居したくないんだけどな」

「どうして?」

 ふぅ、と一呼吸。

「なんでだろうな。よく分かんない。もしかすると、“誰か”を引き寄せる体質があるのかもな」

「……ふふふ……あっはっはっはっはっ!」

 ギンコは大笑いした。涙を少し薄く伝うほどに笑った。それにつられてダメ男も笑い出す。

「あぁ~、……ふぅ。久々にこんなに笑った。可笑しいことを言う男だな」

「そ、そんなにおかしいこと言ったかなぁ……」

「フーも大層泥船に乗った気分なんだろうな」

「誰が泥船だっ」

 ちらっと煙草を見やるギンコ。目付きが変わった。

「ダメ男」

「!」

 低い声。その一言だけでダメ男は察した。煙草の残りがあとわずか……。

 煙の量が少なくなっていくと、蟲が湧いてくるようになった。あるモノは蛇のように足元を伝ったり、あるモノは線香花火のように明かりを散らしながら浮遊したり。不可思議な現象や生命体(?)が木から、葉から、地面から、湧いてくる。

 ダメ男は鳥たちが大きい音から離れていくような感覚を覚える。つまり、あまり良くない現象から逃げていくような。

「ダメ男、約束しろ」

「なに?」

「決して上を見るな、動くな。そして、俺を見るな」

「! それって、どうい、……!」

 遂に、煙草の残りが消えた。

「……!」

 微かに感じる地震。まるで機会を待っていたかのようなこの瞬間で、微震から、

「な、なにっ?」

 本震へと移る。立っていられない程ではないが、木々の枝がたゆんたゆんと揺れ、葉を散らすくらいだ。

「お、おい、一体どうなってるんだっ?」

「腹を空かせた“フクロコウジ”が自分から喰いにっ……?」

「え?」

「獲物が急に増えたためだろう。そろそろ我慢できなくなったみたいだっ」

 “蟲”の毒気に慣れたのか、ダメ男にもその姿が見えた。

「!」

 悪い夢を見ているかのような心境だった。

 フクロコウジの口の中は意外にも狭かった。数歩先に口腔の肉壁があったのだ。まさに目と鼻の先にあり、下手をすれば……。嫌な想像が頭を支配し、混乱させていく。その様子はギンコにも見て取れた。

「ダメ男、しっかりしろ!」

 ギンコの言い付けを守っているものの、息が荒い。視線が定まっていなかった。それもそのはず、その範囲は徐々に(せば)まっているからだった。

「ぐ……」

「!」

 ギンコの苦しい声。どうしたのか見たいが、ダメ男は必死で堪えた。迫ってくる半透明の景色を、肉壁を尻目に。そして、気持ち悪さに。

 範囲が狭くなってきたからか、蟲たちも激しい動きを見せ、ダメ男やギンコに衝突したりすり抜けたりする。その毒気に意識が遠のいていくような、えげつないほどの離人感を覚える。

 地震が収まっても、その感覚はびっちりと覚えてしまっている。

 まずい。ギンコの呟きを聞き逃さなかった。そして悟る。自分がどうなっているような気がするのかを。

「お前の症状は後で治してやる! だから、いっ今は耐えろ! 俺が、……しんで、死んでも……守る……!」

「!」

 顔色に力みを戻す。

 隣で倒れる音がした。

「ギンコ! お前、大丈夫なのかっ? ひ、一人だけっ、くるしんでるぞっ!」

「フクロコウジは大きい獲物は一ぴきずつじゃないとくえないんだ!」

「……まさか、おまえ……!」

 ようやく、ギンコの(はら)を理解できたダメ男。ギンコは……自分を差し出して、どうにか腹を満たさせようとしているのだ。それに蟲を引き寄せる体質も利用して、余計に蟲を食わせている。つまり、生贄になろうとしている。そして、苦しんでいる今はその真っ最中。

「! ダメ男……」

 ダメ男が悟った瞬間、凄まじいほどの殺気を放つ。苦しんでいるギンコすらも悪寒を覚えてしまうほどに。敵意と視線は真上に向けられた。

「……え?」

 ギンコの言い付けを勇敢にも破ってしまった。

 湧いて出てくる蟲たちのような不明瞭な形ではない。空に突如空いた真っ黒な穴。その空すらも(たわ)んで(ゆが)み、幾重にも折り重なり、色も多様に塗られている。木々に囲まれていたはずなのに、なぜか自分があらゆるところに存在していた。まるで、鏡張りの部屋に閉じ込められているかのようの錯覚。この世の終わりかと錯覚させられる光景だった。

 その中の一人がダメ男を見ると、

「う、うえぇっ、げえっ!」

 悍ましい浮遊感。無理矢理、嘔吐感が口から流れ出してくる。これほどの異常な光景はさすがのダメ男も初めてだった。錯覚だと分かっていても。

 しかし、時間が経つと不思議なくらいに治まっていく。何もかも吐き出した後の達成感のようなものを感じた。

「!」

 隣にいたはずのギンコがいない。

「ぎ、ギンコ!」

 しかし、返事はなかった。周りを見ても、いない。ただ、ギンコを捜すダメ男が映っているだけだった。

「幻なら、ギンコは必ずどこかにいる……」

 服の中に隠していた刃物を取り出す。周囲のダメ男たちも同じように刃を出した。

「……」

 静かに見回す。

「っ?」

 何かに肩を掴まれた。それも後ろから。

「ギンコかっ、……え?」

 振り向いた先には、

「……」

 ダメ男がいた。腹を蹴飛ばされ、

「うっ、つぅ……!」

 転がり、後頭部を強打してしまう。幹に衝突していた。

 それよりも、ダメ男を攻撃してくるダメ男の方に驚きを隠せなかった。

「ま、幻だろっ? なんで攻撃してくんだっ? 分身の術とかそういうのかっ? 使った覚えないぞっ」

 こんな時でも天然な性格が出る。そもそも使えない。

 目の前にいるダメ男はダメ男に差し迫る。それも、同じ武器を持って。

「ぐっ?」

 首根っこを掴み上げられる。

「ぐ……ぁ……、こ、この……!」

 ダメ男の腕を切りつけるも、空気を切るようにすり抜けていく。腕だけでなく身体や顔も、同じようだった。

 ダメ男の表情に血管が浮き出てきた。腕を振り解こうとも触れないし、逃げられない。

「ま、だ……しに、たくない……」

「……」

 ダメ男の表情とは思えないほどに冷たい。瞳に情を感じられず、冷めきっている。

 ほろほろと涙が零れ落ちる。

「……ふぅ……ふぅ……ご、めん……」

 じたばたしていた手足が徐々に鈍くなっていき、

「…………」

 やがて動かなくなった。

 

 

「……ぃ……ぉぃ……おい……」

「ん、んぅ……」

 誰かに呼ばれている。遥か地の底に沈められていたように感じていた。それが強烈に浮き上がり、脳の中に到着した。

「……!」

 はっと気が付いた。

 後頭部からずきりと痛み、すりすりと擦る。

「いてててて……」

「痛むのはそこか。でも、頭でも打ったか?」

「ちょっと崖から落ちたみたいで、っつぅ……」

「崖?」

 目の前にいたのは白髪の男だった。きょろきょろと辺りを見回している。

 ふと視線を落とすと、そちらの方をじっと見ていた。まだ頭が痛むので、視線を辿ろうとはしなかったが、見付けたのは分かる。

 突然、呆然として、しばらく目線が一方に流れていた。

「……どう、した?」

 心配そうに声をかける。

「あ、いや、なんでも」

 声は平常だったが、態度に少し狼狽が見れる。しかし、それ以上突き止めるのはやめておくことにした。

「崖というより、何かにつまずいたんじゃないか?」

「え? ……そう、なのかな? ちょっと記憶が飛び飛びみたいだ……」

 ずきずきと頭痛がする。その度に記憶が真っ白に塗り潰される。

「まあ、身体が無事なようでよかった」

 荷物のある大木にもたれ掛かった。さっさっ、と荷物の埃をはたき落とす。

「ありがとう。あんたは命の恩人だな。……えっと……」

「あぁ、俺は――――」

 

 

「ふむ……やはり、 “フクロコウジ”の症状にそっくりだ。おそらく、あの膨らみが“フクロコウジ”だったんだな。初見で気付くのが遅れてしまった。……すまない」

「いえ、何も謝ることは……」

「……」

「“蟲”のことは大体理解できました。しかし、“フクロコウジ”とはどんな蟲なのですか?」

「簡単に言うと、獲物を幻惑させて捕食する蟲だ。暗い所を好み、洞窟や鬱蒼とした森に棲む。獲物が傷を負うとそこに寄生し、洗脳してしまうんだ」

「せ、洗脳ですか」

「今回の場合、頬に擦り傷を負ったために寄生されたんだろう。脳と近い部分だから症状がかなり早かった。おそらく、こいつの頭の中では同じ光景が延々と繰り返されているはずだ。そうやって獲物を衰弱させ、食す。特筆すべきは、幻惑は本人にしか見えないってところだ。山や洞窟などで遭難した者の中に、精神錯乱状態になっている者がたまにいるだろう? それはこの“フクロコウジ”に寄生されていることがままにある」

「た、確かに、現に遭難していました。方角も太陽も掴めないこの山では、苦難の連続でした」

「ふむ……“フクロコウジ”の症状よりも、“蟲”の触れすぎによる後遺症の方が重そうだ……。にしても、どうして他の者にも見えている……? ここまで重症なら、“蟲”になりかけていると言ってもいいくらいなのに……しかしなぜ……、」

「本当に大丈夫なのですか? とても心配ですし、怖いです」

「……あ、あぁ、大丈夫。フクロコウジは太陽の光が苦手なのさ。光が苦手だから、獲物を洗脳して暗闇へ誘う。つまり、どこか陽だまりで安静にしていれば、症状はすぐ治まる。あとは“蟲”の後遺症を治す薬をきっちり飲めばいい」

「ありがとうございます、蟲師様。えっとお代の方は……」

「いらないよ。実は“フクロコウジ”はとても希少な“蟲”でね。人生で一度出会うと幸福が訪れるとまで言われているんだ。」

「は、はぁ……。暗闇が好きで洗脳して捕食する“蟲”が幸福をもたらすとは、何か面白いですね」

「それに、こいつの頭の中では得も知れない化け物が襲ってくる幻でも見てるかもな。動物が騙すときは大袈裟に騙すものだが、フクロコウジはどうしてるのか……興味深い」

「そうですね。幽霊嫌いさんにはきっと恐ろしい光景が広がっているのでしょうね、ふふふ……」

「しかし、あそこで転んだのが幸いしたな。フクロコウジがびっくりして、寄生を解いたんだ。そこへ煙草を吹かした俺が来たから、退散していった。……この二つの偶然がなかったら、今頃こいつはフクロコウジの腹の中だったろう」

「これが“フクロコウジ”がもたらした幸福なのでしょうかね」

「さぁな。……さて、こいつを運ぶのを手伝ってくれるかい?」

「……はい……。あっあの、そう言えば、まだお名前を伺っていませんでした。良ければ……」

「あぁ、俺の名前は――――」

 

 



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第六話:がんぼうのはなし -××× Holic- by alias(オリ) 

「ようこそ、我がお店へ。今日はどういったご用件で?」

「あの私、ここに用事はないんですけど……。気付いたらここにいて……。すみません、何言ってるのか分からないですよね」

「いいえ。それはアナタの“願望”がアナタのカラダを動かしたのよ」

「“願望”?」

「ええ。つまり、私とアナタがこの場で出会ったことは“ヒツゼン”ってこと」

「そんなはずは……」

「いいわよ。アナタの“願望”を叶えてあげましょう。それが私の義務でありこの店の役目なの。ただし、きっちりと“対価”を支払う必要があるけれども」

「……」

「何かあるのでしょう?」

「……とてもくだらないことかもしれないけど……」

「けっこうよ」

「今、読んでる小説があって、内容に疑問があるんです。どうしてもそれが知りたくて……」

「疑問とは?」

「この小説に出てくる主人公と相棒がいるんですけど、二人がどういう目的を持っているのかが知りたいんです。作中では知るヒントがほとんどなくて……」

「どれ? ……ふむ……」

「主人公はどうしても相棒に真相を聞き出そうとしないんです。でも、その相棒は確実に何らかの目的があって行動しているとしか思えないんです。もしかして、相棒には主人公に知られたくないことがあるのではって」

「なるほど。つまり“相棒は主人公にとってやってほしくないことをやろうとしている”、と?」

「そう! ……でも、それを知ったところでどうこうなるものじゃないし……」

「……これも何かの縁か……」

「え?」

「いいでしょう。あなたの願い、叶えましょう」

「本当ですかっ! ありがとうございます!」

「ただし、さっき言ったように、“対価”を払わなくてはいけないの」

「それはお金ですか?」

「いえ……“名前”をいただくわ」

「……え?」

 着物を着た黒い長髪の女が不気味に笑う。

 

 

 吸い込まれそうなほどに青い空。一点の曇りもない快晴に太陽が優しく煌めいていた。日差しが温かく、心躍るような気分にさせてくれる。

 春の気分を感じさせる気候の中、黒い木製の塀に囲まれた西洋風の一軒家。その家はとある国の、高層マンションに囲われていた。見る人が見ると、普通の空き地にしか見えないが、“見えない”人が見ると……。

「ふー! こりゃいい天気だねえ」

 家の縁側で背伸びする女がいた。黒いワンピースに長髪を垂らし、金のネックレスをしている。若く見えるが、実際の年齢は判断が付かない。言葉では説明のできない、ミステリアスな女だった。

 女の傍らには木製の丸トレイとブランデーのボトル、グラスが置いてあった。それに酒を注ぎ、グッと口に運ぶ。

「ふはー……」

 そこより離れた所では、

「なんでこうも毎日掃除する場所が増えてるんだよっ! ゴミ屋敷にでも憧れてるのかよっ」

 せいせいと励んでいた。眼鏡をかけた男子学生で、学生服の上に白い割烹着を着て、母親のように怒鳴り散らしている。

 男子学生がノートパソコンを持って、女の所へやって来た。

「しかも当の本人は朝から飲んだくれてるし!」

「いい、“ワタヌキ”?」

「?」

 “ワタヌキ”と呼ばれた男子学生は女にノートパソコンを手渡した。

 起動してすぐに操作をし始める。

「私はただお酒を嗜んでいるだけじゃないわ」

「は、はぁ……確か、昨日のお客さんから教えてもらった小説なんすよね? 俺も少し読みました。けど、いくら展開が気になるからって、それを知ることってできるもんなんすか?」

「そうねえ……」

 くいっとお猪口(ちょこ)を口へ傾ける。

「っていうか酒飲みながらかよ!」

「くはあっ。……寝起きの一杯はたまらんね!」

「やっぱりただの飲んだくれじゃねえかっ!」

 再び、ワタヌキは大掃除という作業に戻る、のを強引に呼び止められた。

 ワタヌキの顎に人差し指を添える。

「私はね、ある存在によって“待たされている”の」

「待たされてるって誰に……?」

「……昨日は天気雨、つまり“狐の嫁入り”が来たわね?」

「……!」

 はっとして、何かに気付く。

「また小狼(シャオラン)君たちに何かあったんですかっ?」

「いや、今回は別の世界からのお客様ね」

「え?」

「何かあったようなんだけど、ちょうど一日過ぎてる」

 そう言っていると、

「!」

 突然、ユウコの前方の空が歪み、粘液が落ちるようにどろっと滴った。

「これって……さくらちゃんたちが通ってきた……」

「やっと来た」

「……!」

 ワタヌキが口を手で覆っていた。

 黒塗りの人間が二人いた。一人は黒いセーターを着て、藍色のジーンズを通し、熟れたスニーカーを履いている。

 男と断定できる黒塗りの人間は横たわり、身体が下半身から斜めへ半分吹っ飛んでいる。左腕は健全だが、右腕がかろうじて繋がっている程度だ。

 どろどろと黒い何かが地面を黒く濁していく。それが何かワタヌキは理解していた。喉奥から熱いものを必死で抑えこむので精一杯だった。

「……」

 それを冷ややかな目付きで眺めているユウコ。

「ゆ、ユっコさん……これって……」

 どうにか漏らした声が言葉になる。

「お嬢さん」

 ワタヌキの言葉をひとまず置いてユウコが話しかける。その横にいるもう一人の黒塗りの“少女”。こちらは服装も身体的特徴も何も分からない。ただ人型の陰が、男の腹の上で泣いている。

 その涙と声だけが伝わっていた。とても綺麗で優しい声で、しかし今は絶望に似た悲しみで潰されていた。

「お嬢さん」

 強めに言い掛けると、ようやくユウコたちに気付き、周りの異変にも気付いた。

「こ、ここは……? あなた方は誰っ? 敵ですかっ?」

 男を庇うように、ユウコたちに相対する。その両手にはナイフが握られていた。格子状の小さい檻に刃を仕込んだような形の仕込み式ナイフで、隙間には薄い膜のようなものが張り合わさっていた。柄が少女の握る拳三つ半くらいの長さはある。

 かたかたと震えていた。

「落ち着きなさい」

 ユウコが少女の顎を人差し指でそっと持ち上げる。まるで魔女に魅入られたかのように、少女はすうっと力が抜けていった。

「あ! また女の子に毒牙をっ!」

「だから何なのよそれ、ってボケてる場合じゃないわ」

 少女に向き直す。

「率直に言えば、その子を助けるために私が呼び寄せたわ」

「……ユウコさんが?」

 驚いたのはワタヌキだった。

「助けてくれるのですか……? 見ず知らずなのに……?」

 少女が涙を落として見つめる。

「どういう形であれ、縁は結ばれた。そしてあなたはここに呼ばれた。強い願いと意志を持って。その二つが強ければ強いほど、願いは叶う」

「……あなたは一体……?」

「私は占い師のユウコ。次に起きてくれた時に覚えてくれればいいわ」

「?」

 少女の額に指が触れた。

 ぴしん、静電気のようなものが一気に貫き、呆気なく少女が倒れこんだ。

 はわはわ、とワタヌキがてんてこ舞いで慌てている。

「え、な、なんでって俺どうすればっ?」

「ワタヌキ、急いで買い出ししてきなさい」

「え? どうしてです?」

 にんまり、とワタヌキを見る。

「そりゃ蘇った後のどんちゃん騒ぎのためでしょーよ!」

 ずるっと滑った。

「こんな時におふざけしてる場合かよっ! でも必要なら行ってきますよっ!」

 怒っているのか燃えているのか、ワタヌキは全速力で向かっていった。

 どこからともなく、ふわりと黒い生き物が飛んできた。

「小狼たちとは全くの無関係な世界なのに、どうして起こった?」

「お客様が縁を紡いだのよ。架空の世界と人物をこちらへ引き込んだ」

 ちらりと男を見やる。ぱちんと指を鳴らすと、白い光が男と少女を別々に包み出す。

「全員からそれぞれの“対価”をもらっているから、何の問題もないわ。後で穴埋め作業が必要になるけど」

「……ワタヌキとあんまり関わらせない方が良いと思うゾ」

「そうね。でも、知っておくのもいいかもしれない。縁というものが良くも悪くもどれほど深いものかを」

 

 

「……ここは……」

 黒塗りの男が立っていた。何もない真っ白な空間で、身体も元に戻って。

「一体ここはどこだ。オレは確かあそこでたたか、……!」

 まるで一枚の絵を描き上げていくように、景色が創り出されていく。黒い鉛筆で走り書きした“あたり”から、道行く人々の大雑把な形、造形物の形へ。そこから細かく刻まれていく。金銀の装飾のされた豪華絢爛な建物、それがいくつも折り重なって街になっていく。ある隙間には木々が生い茂り、ある場所では広大な芝生と自然公園が。街がいかに豊かであるかが、スケッチのような景色で見せつけられる。

 そんな街から外れるように、一つの家があった。豪華とは言い難い、良く言えばアンティークな家。しかし小さいし古い。

「……」

 男は口を開けて、立ち尽くしていた。

「はっ、はっ、はっ」

 声が聴こえる。小さくて精一杯の息切れ。たったった、と小刻みに聞こえる、軽く小さな足音。

 その正体を振り返って見ようとはしなかった。それどころか、俯いて歯を軋ませている。

 震えている。

 男をすり抜けていく小柄な男の子。ランドセルを元気良く揺らし、古めかしい家へ一直線に駆けて行った。

 それを追うように、ふらふらと歩き出す。男の子がその家のドアを開け、何かを言いながら一気に中へ入っていく。声が全く聞こえなかった。

 一歩、一歩と近づく度に油絵に水をぶちまけたように、周りの景色がどろどろと溶け出していた。その様子を本人は見えていない、気付くことができなかった。震えが止まらない。

 家に着き、ひたっと腫れ物を触るようにドアノブに触れて、握る。急に動悸がして反射的に手を引くが、その手が離れてくれない。他の部分は動くというのに、その瞬間だけはやたらと焦らしていた。死の直前が永遠かと思うように。

 遂に、思い切り力が入り、ドアをひっぱ、

「ダメよ」

 るのを、押し込む手があった。物凄い力でびくともしない。

 そちらを見ると、見たこともない女がいた。

「この先はあなたが何度も目にしてきたことでしょう?」

「……だれ?」

 男が睨みつける。

「私は占い師のユウコ。あなたの夢の世界にやって来た。夢というよりも三途の川の代わりかしら?」

「このさきのことをしってるの?」

「ええ」

「どうして?」

「私がタダものでないのは分かるでしょ? そういうこと」

「……」

 男は淡々と質問を浴びせる。

「なんのためにここへ?」

「願いを叶えるために」

「だれの?」

「……あなたの大切な人」

「!」

 瞠目する。

「その子が望まぬことを、あなたがやろうとしている。それを止めるために“対価”を支払ってまで、あなたの夢にお邪魔したのよ。だから、さっさと帰るわよ。いつまで迷惑かける気?」

「うらないしだかなんだかしらないけど、そいつに言ってやってくれ。余計なお世話だって」

 ぐっと男が全力を出した。びくともしなかったドアがぎちぎちと悲鳴を上げて、開かれようとしている。

「まだ言わなければ分からない?」

「な、何を?」

「……あなたは気付いたのでしょう? 仕組まれていたことに」

「!」

 ぴたっと手が止まった。

「とある出会いや別れが、誰の意図であるかに気付いてしまった」

「……」

「この世にグウゼンなんてものはない。全てが何かしらの目的をもってヒツゼンと成る。それに気付くのはとても難しい。でも、あなたは自力で気付いてしまった。本当なら、誰かに教えてもらって初めて分かることを。だから誰にも言わず、全て独力でどうにかしようとしている」

「……分かった」

 そっと手を話すと、

「あんたを殺す方が早いらしい」

 懐からナイフを取り出した。“仕込み式ナイフ”を左手逆手に持ち、ユウコに敵対する。

「本当はとっとと帰るんだけど、“対価”を受け取ったからには全うしないと」

 こき、とユウコの右手が唸る。

 男はナイフを左手に逆手で持ち、軽く伸ばす。相手に対して右脚を軽く引き、半身の体勢を取った。ゆらゆらと独特のリズムを刻む。

「その“ナイフ”だって本当は誰かを殺すために(こしら)えたんじゃない」

 ぐわ、と右手を黒塗りの人間にかざした。

「うるさい!」

 男は突進してきた。姿勢を低く、女の懐にあっという間に飛び込む。狙うのは胴体や頭ではなく、

「!」

 かざした右腕。しかし、胴体を抉る角度で右腕を薙ぎ払うように突き刺し、

「……えっ」

 ビタリ、と左手で刃を摘まれた。

「う」

 全力を込めても一切動かない。男の腕から全身が震えるだけ。

 押し込むことに気を取られた刹那、腹にそっと右手が覗く。

「そのナイフは、あなたを守るために作られた」

「!」

 どでかい鉄球が腹に衝突してきてきたかのように、轟音と共に吹っ飛んだ。ごろごろとボールのように転がっていき、やがて止まる、

「かっはっ……!」

 のを、勢いを活かして立ち上がった。しかし、吐血までは抑えられない。

 苦しそうに湿った呼吸を繰り返す。

「いつものあなたなら一直線で向かわないのに」

「いいかげんだまれよっ!」

 血を吐きながら男が急発進し、屈むように急接近。再び懐に“呼び込む”ユウコ。今度は脚。特に右太腿へ突き刺、

「っ」

 ピタッと止まった。フェイントだ。男の左手にナイフが無い。危機を察し、後ろに飛んで後退するも、追撃の小さいナイフが二本顔面へ。そして、その二本に隠れるように腹と足首へ。

 的を射る矢のような鈍い音が四回聞こえた。

「……!」

 しかし、ユウコの身体にはナイフどころか、傷一つ付いていない。

「悪夢から醒めなさい。あなたがこうして戦っている間にも、“対価”を払い続けているのよ」

「……“対価”?」

「そう。“彼女”はあなたを生き返らせる、その願いを叶えるために“対価”を支払った。後の人生を大きく揺るがすくらいの大きな“対価”をね」

「……デタラメどこの話じゃないな。あんた、どこか頭おかしいんじゃないか? なんだ? さっきから願いを叶えるとか夢を覚ますとか。馬鹿にしてんのか?」

 再び戦うリズムを整える。

「では、あなたの放ったナイフ四本はどこにいったか分かる?」

「外れたんだ。どっかいったんだろう?」

 すっと右手の掌を見せつけるように、男に向ける。軽く握り込み、離した。

「!」

 ユウコの右手に投擲用ナイフが四本きっちり置かれていた。しかも血の一滴もない。

「それに、最初にあなたをふっ飛ばした時も身体に一切触れてなかったの、気付いてたんじゃないかしら? いや、気付かないフリをしていた」

「……」

「とある話によると、あなたの戦い方は誰かに似ているそうだけど、果たして本当に独学で身に付けたのか。あるいは途中から独学だったのか。師匠なる人間が何らかのげん、」

「やめろ……」

 ずり、と後退(あとずさ)る。

「やめろっ!」

「今のあなたは本来の自分。だからどうしたって強者に勝てない」

「やめろおおっ!」

 全力でナイフを握り締めて突進してきた。ただ、何か考えがあるわけではなく、目の前の女に恐怖して闇雲に走り出しただけ。

「そう。今のあなたは“直感がほとんどない状態”なのだから」

 

 

「……!」

 蝶の刺繍入りのベッドから、男が飛び起きた。

 ぽとりとタオルが落っこちる。手に取ると、温かみを持って湿っていた。

「……ここは……」

「起きたわね」

 すとん、と(ふすま)を開けて入ってきた。

「あんたは?」

「……私はこの店の主ユウコ」

「それ、どこかで聞いた……」

 にこりとユウコが妖しく微笑んだ。

「そう。ここは願いを叶える店。私はその願いを叶えることができる占い師。この店に訪れたということは、あなたに願いがあるということ」

「願い、……!」

 男が突然、頭を下げる。

「助けてもらったようで悪いんだけど、急がないといけな、いっづ……!」

 下半身を貫き抜ける電撃痛。何もなく、脂汗が滲み出てきた。だが、確かに両脚はあるし、しっかり動く。神経痛とは違う不思議な激痛だった。

 ユウコがタオルごと男に押し付け、横にさせた。

「今は眠りなさい。真実を知るのはまだ先よ。今ではない」

「……! あれ、さっきおきた、ばっかり……」

 瞼が半分閉じかかり、

「ま、まだきくっことが……あ……」

 意識を手放した。

「元気かどうか分かれば十分。もし今知れば、私を殺すでしょうからね」

 寝室を出てから縁側を通り、客室用の和室へ向かう。

「随分痩せたわね」

 少女が両脚を伸ばして座っていた。祈るように手を組み、静かに目を閉じている。

 すぐ隣でワタヌキが心配そうに見つめていた。

「あと三日っすよ。その前に力尽きちゃうんじゃ……」

「彼を元通りにするには、莫大な“対価”が必要なのよ。命や記憶でも払えないとすれば、もう欲求を一つ潰すくらいでないと吊り合わない」

 二人の会話にピクリとも反応しない。とても静かに、精神を研ぎ澄ませている。

「一週間の水すら絶つ絶食。あとは彼女の“鱗”。これでようやく過不足無い“対価”となった」

 懐から何かを取り出した。透明度の高い緑色の膜だった。まるで鋼鉄のように固く、名刀のように鋭い。不用意に“縁”を触れば指を抉るほどだった。

「もし“これ”がなければ、一生食欲を消すことになっていた。それでも彼女にとっては苦渋の決断だったでしょうね」

 ワタヌキにそれを見せた。

「どう見える?」

「……」

 何とも言えぬ複雑な表情。

「縁が深そうな柔らかいものと、アヤカシで見るような黒いものが両方見えるっす」

「でも本人が誰かを呪おうとして仕込んだものじゃないのよ」

「?」

「無意識的に悪夢が呼び起こされるのよ。その時の苦痛や憎悪がこうやって染み付いてしまうことがある。曰くつきの人形や骨董品なんかがそうね」

「じゃあ縁の方は?」

「……恩人と知り合える切欠になった」

 

 

 夜。月のない空がどんよりと広がり、肌寒さを一層際立たせる。真冬の一夜かと錯覚してしまいそうだった。

 ワタヌキが帰り、ひっそりと縁側にいるユウコが眺めていた。

 すとん、と誰かが横に座る。

「事情は黒いへんてこなヤツから聞いた」

 男だった。

「もう回復したの?」

「四日くらい経ってるから早い方じゃないだろう?」

「あの怪我じゃ、二週間はかかると思ってたのに」

「……オレなんかのために一週間飲まず食わずで、その分のエネルギーをこっちに寄せてくれてたそうだな。……どういう理屈なのかさっぱり分かんないけど、感謝するよ」

「……」

 すすっとユウコが男に寄越したのは、ボトル酒と小さい (さかづき)だった。一瞬だけ難色を示したが、ありがたく頂戴することにした。軽く啜ってから、咳き込む。

 すうっとキセルを吸い、漏れ出るように吹いた。

「……ナイフのこと、本人から聞いたの?」

 ゆらゆらと盃を傾けて回し、見つめる。

「いえ。私は占い師だからね。あなたの名前を聞かずともいくらかはお見通し」

「占い師より魔法使いのお姉さんって感じがする」

「あらー、もっと言ってくれてもいいのよ?」

 きゃぴきゃぴ喜んでいた。

 くっ、と盃を口元で傾ける。

「ふぅ……。あの時、オレに言ってたよな。“あなたを守るため”って」

「ただの口上よ」

「え?」

「武器というのは相手を殺すために作られた。言い換えれば、それは自分を守るためとも言えなくはない。ただあなたが自分から白状しただけよ」

「うわっ、なんだよインチキじゃんかっ!」

「ふふふ……」

 狐が化かしたように、怪しげに微笑む。

 自棄(やけ)になって盃を飲み切ると、そこへ間髪入れずにユウコがまた注いでいく。だんだんと男の表情が引きつってきた。

「酒攻め?」

「そっ」

「……」

 諦めがついたようにため息をつく。

 男は懐から自分のナイフを取り出した。それをユウコに渡す。

 じっくりと品定めし、外へ掲げた。光の薄く暗い夜中のはずなのに、薄っすらと温かく白い“何か”が見えている。まるで柔らかいシルクの帯が棚引(たなび)くよう。

 男には見えずとも、“それ”を感じ取っていた。

「そいつはちょっとした人から借りたものなんだ。だから壊すわけにはいかなくって」

「そう。でも、そう簡単に壊れないでしょ?」

「……分かるの?」

 盃をそっと側に置いた。

「ええ。普通の存在でない人物が自分の身を一部捧げて作り上げている。誰かのために純粋に一生懸命に……。それに、」

「それに?」

 ふわっ、と白い帯が男の方へ揺らめいている。

「鼻の下伸ばしてると、へそ曲げちゃうようね」

「……へ?」

 ユウコから返してもらうと、心なしかずっしりと重みを感じる、気がする。

 苦笑いしながら、セーターの中に戻した。

「一つ聞いていい?」

「どうぞ」

 男がきちんと向き直した。

「願いってのはオレのも叶えられるものなのか?」

「もちろん。あなたたちはコチラに呼び出されたけど、この店に入れることとは別。とても強い願いを持っているから入れたの」

 そっか、と息を整えながら言葉を返す。

 ふぅ、と息を切った。

「……両脚を元通りにできる?」

「それがあなたの願い?」

「うん」

「そのために旅をしていたの?」

「……そうだよ。不本意で失くしたのを聞いてさ。その……どうにかできないかって……」

 持っていたグラスをボトルの隣に置く。

 一言、できるわよ、と呟くように伝えた。

「ただ、せっかく彼女が治してくれた脚と、彼女との縁を失うことになるわよ? 記憶を失い、すれ違っても絶対に知り合うことすらない関係になるわ。それでもいいのかしら?」

「……」

 男は、

「いいよ。それで元通りにできるなら」

 即答した。

 にぃ、とユウコの口角が上がった。そしてにやにやと小馬鹿にした笑みを零し始める。

 男が何のことだが理解できない内に、

「もう一杯」

 と、ユウコの飲んでいたグラスに()いで、男に渡した。

「な、なんだよ。笑えることじゃないでしょ?」

「いやはや。彼女にはお見通しだったわけね」

「?」

 

 

「あの、一つだけお願いがあります」

 少女が準備に入る前にユウコに話す。

「何かしら?」

「きっと私が“対価”を払っている間に、あの人は目覚めると思うんです。その時に、この脚について願い出たら、断ってくれませんか?」

「なぜ? 願ってもない願いなのに」

「……昔には戻りたくありません……。あの人からいただいた“脚”で生きていたいんです……」

「縁を深めるために、ね?」

「……はい」

「分かったわ。伝えておく」

「……これも新たに“対価”を支払う必要はありますか?」

「いえ。個人的なお願いってことにしときましょうかね」

「ありがとうございます」

「きっと“対価”を支払いきることができるわ。あなたは死んではいけないのよ」

「はい。気合と根性で乗り切りますよ」

 

 

「……」

 男は話を聞いて深く考えていた。

「占い師さん、オレ、……!」

 ピッ、と話そうとする口に人差し指を当てる。

「その言葉は、あなたが“帰った”時に言いなさい。あなたの無事を何よりも願っているのはその人なんだから」

「……」

 力強く首を縦に振った。

「さて、彼女はもう少しここにいなければならないけど、あなたはどうする?」

「戻れるのか?」

「戻れるというよりも、その時が近づいてる」

「……!」

 男はふと思い出し、表情が締まる。

「行くよ。ちゃちゃっと終わらせてくる」

「その意気ね。さすがに人魚の子孫を手玉に取る度胸があるわ」

「て、手玉って! ……え?」

 夜闇の中、男の周りを白い光が包む。

「戻れば“あの時”から始まる。集中なさい。万が一、不意の一撃で死ぬのは情けないから」

「……うん」

「分かっているとは思うけど、この世界とあちらの世界が交わって今回の出来事が起こった。彼女もそちらに送ったら、二度と行き来することはできない」

「誰かの強い願いがあったから、か」

「そう。でも消えるわけじゃない。縁は繋がっている。扉の隙間から細い糸が手繰られるように」

「うん」

 光がカーテンのように男を閉じていくにつれ、黒塗りがぱりぱりと剥がれ、

「!」

 素顔が見え、

「あのお手伝いくんによろしく言っといて。そっちも色々大変そうだし」

「直感が“戻る”のも厄介ね。それ“も”伝えておくわ」

 にこりと微笑み、光と共に消え去っていった。

「……」

 男がいた所を凝視するユウコ。

「“八百比丘尼《やおぴくに》”……か」

 

 

 数日後の昼。

「ふぅ……ふぅ……」

 渇ききった汗腺から、絞り切るようにして滲んできた汗が粒となってようやく一滴となる。

 少女の精神と身体は限界を軽く超えていた。肉は細り皮がたるみ、力も残されていない。しかし集中して維持し続けることで、どうにか堪えていた。瞬きするという行為だけでも崩れてしまうほどの極限状態。

 ワタヌキもじっと少女を見守っている。彼はさすがに別室で食事を取っていたが、一日に一食以下、補助食品で賄っていた。空腹よりも、自分よりも年下“らしき”少女が“対価”を払っていることに胸が締め付けられている。

「学校も何回も休んでていいのかしら?」

「ゆ、ユウコさん」

 すとん、と襖を開けて入ってきた。

「ワタヌキも痩せたわね。豪勢な料理を作る体力はあるの?」

「その時は嬉しさで忘れてますよ」

「……そ」

 ニコッと笑う。

 ワタヌキが少女を見つめた。

「……縁って誰かと関わっていれば自然とできるものだと思ってました」

「……」

「でも、一緒にいたいだけなのに簡単に千切れてしまうこともあるなんて。もっと強くするために“対価”を払って……でもまた切れそうになるからより強くするために……」

 じぃっとワタヌキを見るユウコ。

「旅人は並の人よりも出会いと別れを繰り返していき、そしてあっさりと死んでいく人種。だからこそ相棒同士の縁はとても大切なの。彼らは縁を結び直すわ。何重にも」

 ぐらり、

「!」

 と少女が倒れ込んだ。

「大丈夫っ?」

「……ふぅ」

 ユウコの顔から緊張が取れ、思わず溜め息をついた。

「ユウコさん?」

「少し早かったけど、完了したってことね。やり遂げてくれたわ」

 みるみるワタヌキの表情に活力が漲り、笑みが零れた。

「ワタヌキ、頼んだわよ」

「はい!」

 ユウコに少女を預けて、ドタドタと走っていった。

「単純ねえ。でも、分かりやすくていいのかも」

 少女を見やる。

「う、うら……な、いしさん……」

「よく頑張ったわね。これで終了よ」

「あ、あのひとは……?」

「無事に向こうへ送り届けた。あなたはまだここでゆっくりしなさい」

「で、でも……あのひとは……あっちで……」

「向こうは向こうで片付ける、心配ない。仲間もいるでしょ?」

「……よ、よか……った……」

 優しく微笑むと、糸が切れたように意識を失った。

「この三日は静養して、たっぷり食べてもらわないとね」

 

 

 奥深い地下の中、等間隔に立てられた石柱の空間。しかし今は何らかの影響で崩れ落ちていた。上を見ると、上層階が曝け出している。

 そこで一人の男が、

「こんなものか?」

 一人の旅人を蹴り上げていた。

 旅人は力なく勢いのまま転がり、石柱に激突する。

 しばらくして、痙攣を起こしているかのように、身体を震わせながら立ち上がった。

 旅人はふわふわとした茶髪と優しい目付きが特徴的だった。しかし今は戦いの痕か、顔に擦り傷や打撲、枯草色のセーターがほつれたり欠けたりしている。しかも疲労と激痛で虚ろな目になっていた。こふ、と血の混じった唾が滲む。

 蹴られた腹回りを押さえていた。

「お前が頑張らないと連れて行かれるのだぞ? もっと頑張ったらどうだ?」

「はぁ……はぁ、……っ!」

 意識が失いそうになるのを、必死で繋ぎ止めていた。

 もぞもぞとセーターの左胸ポケットから顔を覗かせた。そちらを一目して、

「大丈夫。ぼくは、っ……なんともないから……」

 血を含んだ笑顔を見せる。

 そっと両太腿に備えられている銀色の銃に触れ、一瞬目色に力が戻る。

 ふっ、と音も立てぬ早さで撃ち抜い、

「ぐぁっ!」

 右肩に何かが突き刺さった。真っ直ぐ貫通し、穴から血が吹き出す。男が銃を抜き、正確に旅人の右肩を抜いていた。

 ところが、

「な、なに……?」

 男は脇腹を取られていた。旅人の左手に銀銃が握られている。

「き、貴様、オーバーアクションでわざと……!」

 優位に立っていた男もさすがに膝を地に着けた。

 逆に旅人は立ったまま、サバイバルナイフを左手に取った。 装填する暇もなく、そもそも弾薬が尽きていた。

「右腕がもがれたって行かせない……! 絶対に!」

 旅人が走り出し、走り出し、

「……!」

 ぐらぐらと足元が覚束無くなり、男の直前で前のめりに倒れこんだ。衝撃でサバイバルナイフが前へ滑り転がっていく。

「う……く……」

 それに手を伸ばすも、手が動かない。電池が切れたように震えているだけだった。

 口から血を垂らしながらも、頬が吊り上がる。

「最後のイタチっ屁ってやつだ。オレに一矢報いるだけで身体が精一杯だったのだ。が……オレも軽くは、ない……」

 強がっていても、脇腹がどんどん赤く染み出している。

 くく、と急に鼻で笑う。

「やっと来たか……遅いぞ、×××……」

 

 

「あちらは大丈夫そうね。一時はどうなることかと思ったけど、なるほどねえ。そんな名前だったか。……なるほどなるほど。あーなってこうなって、結構深い事情を抱えてるのねえ」

 客室にあるベッドで、空間に開いた穴からその様子を見ていたユウコ。指で切るように振ると、穴が塞がっていった。

「それよりもユウコさん」

「なに?」

「あの二人の名前、最後まで聞かなかったっすね」

「前も言ったでしょ? 名前はとても大事だって。名前が刻まれることで対象に性質と力を与えるのよ。特にあの二人は“真名”を隠さなければいけない事情がある」

「事情? なんすかそれ?」

「詳しくは実際に読んでみなさいな。あ、原作の方がいいわよ。こっちは二次創作だし」

「知るかっ!」

 くすくす、と笑っている。

「それより、もうお客さん来るっすよ」

「はいはい」

 遠くから女の子の声がし、ユウコたちのいる部屋へ招かれたのは一人の“客”だった。

「どう? 以前言ったように、一週間後くらいに内容が更新されているでしょ?」

「はい! ありがとうございます! でも……少し変なんです」

「変、とは?」

 “客”は自分の携帯電話を操作し、ユウコに見せる。

「冒頭の台詞、私がユウコさんにお話ししたこととそっくりなんです。それに、お二人ともこの話に登場しているような……」

「!」

 慌ててワタヌキも見てみると、確かにそのようなことがつらつらと記されていた。

「しかも内容は占い師さんとそちらの男の子が、主人公たちをこちらの世界に呼び出し、治療する。その間に確かに重要な事が書いてありましたが、なんだか薄気味悪くて……。どういうことなんです? 実際に執筆者と会ってきたんですか?」

「私はただ、あなたが知りたかった“相棒が主人公にとってやってほしくないことをやろうとしている”ことを教えただけ。それ以外は特に何もしていないわよ。それに良かったじゃない。あなたも登場しているようだし、発起人だし」

「わ、私はただ知りたかっただけですっ。まるで私が皆さんに酷いことをしたような印象になるじゃないですかっ!」

「でもそのおかげで“縁”ができた」

 ユウコが振り向くと、そこには心配そうにひょっこりと少女が出てきた。

「あの、占い師さん、お話って……?」

「……あれ、どこかで見たことがあるような……」

 “客”が少女の方へ歩き、ぺたぺたと触り始める。

「あ、あの、何でしょう?」

 そして核心を持ち始めた。

「もしかして、私が読んでる小説の主人公……?」

「? ……?」

 少女は話していることの意味がよく理解できていないようだ。

 ユウコが割って入り、事情を説明し出す。

「実は、このお客様はあなたのファンみたいでね。ちょっと教えてほしいことがあるの」

「……占い師さんは恩人ですから、何なりと」

「あなたが考える“あなたの望まないことと相棒が望むこと”を改めて教えて。そうすればお客様の願いが叶い、晴れて元の国に帰れるわ」

「逆に言えば、教えないと一生帰れないということですね?」

 こくり、と無言で頷く。

「……私はあの人に死んでほしくありません。ですが彼は目的を達成するために、時に死を懸けることもあります。それをやってほしくないんです」

「目的って?」

 “客”が興奮しながらも尋ねる。もちろん、客の目からも少女は黒塗りのままで姿は特定できない。

「!」

 急に少女が白い光に包まれ出した。

 ワタヌキがユウコの仕業だろうと見てみると、表情が一変している。恐ろしく目付きが鋭くなり、事態の行き先に緊張の一線を張っている。

 不慮の出来事だった。

「ユウコさん、これって……?」

 不安に見えた表情に、思わず聞く。

「また何かあったようね。本人は死んでないのは感じる」

「な、なにかって……?」

 少女も聞かずにはいられなかった。

「悠長なことは言っていられない。すぐにそっちへ送り届けるわ」

 ぱちん、と指を鳴らす。勢い良く光のカーテンに囲われていき、羽が生え始めた。

「ありがとうございました! 絶対に忘れません!」

 少女を守るように覆い被せる隙間で、

「!」

 ぱりぱりと黒塗りが剥がされていく。

「……え?」

 爽やかな水色の瞳が綻び、

「またいつかっ!」

 直後に光を撒き散らし、どこかへと消えていった。

「……」

 ワタヌキたちが呆然と光の飛び立つ軌跡を眺めていた。

「なるほど。あんな美人さんなら、誰だって夢中になるわね。……さて」

 ユウコが“こちら”へ振り向き、笑みを浮かべた。

「あなたが“対価”を支払い、真名を失った。しかし、既に“偽名”を持っているようね。……話していた“目的”は聞けなかったけど、これで願いは叶えられたかしら? “××××”さん?」

 

 



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Epilogue:信じるということ・a -Be Strong More・a-

 赤い柱と屋根で建てられた寺。中には見上げるほどに大きい像があった。その足元で人々が正座で何度も会釈をしたり手をこすりあわせたりしていた。

 そこにキノがエルメスを押してやって来た。

「大きい」

「お祈りしてるとこだね」

 人々の表情はとても真剣味を帯びている。

 横から、

「あなた方は?」

 黒い衣服を纏った男がやって来た。

「ボクらは旅人です。キノにエルメスと言います」

「そうでしたか。いえ、何と不遜な態度をした人間だろうと」

「ここは一体どのような所なんですか?」

「この寺院は神様を崇め敬い、祈る場所です」

「まあ想像通りだねえ」

「ええ。私どもはこの神像のお世話をさせていただいている住職です。かれこれ二千年近く、この職を受け継いでおります」

「二千年ですか。皆さん、こぞって希望されているのでしょうね」

「はい。……お二人に不遜な態度と申しましたが、大変失礼な発言だったようです」

「?」

「人は見た目によらないとは言いますが、お若いのにこれほど信心深いとは」

「ボクはそれほどではないのですが、旅人によっては就寝前に祈りの言葉を捧げる人もいるそうです」

「どのような?」

「聞いた話なのですが、今日も一日無事に旅をさせてくれてありがとうございます、とかでしょうか」

「なるほど」

「あとはいただたきますとかごちそうさまでしたとか、いたっ」

「ボクのことだろそれ」

 ゴツンとエルメスを叩く。

 しかし、住職は感激していた。

「神様は一人ではないのです。例えばその腰に携えているパースエイダー」

「!」

 キノが取り出した。

「これにも神様が宿っています。大切に扱うほど長持ちするのは、神様がお力添えをしてくださっているおかげなのです」

「へえー。それも教えの一つなの?」

「そうですね。だから物を大切に使っていますよ」

「ところで、ここにいる方々は何を祈っているのでしょうか?」

「それは様々ですよ。というより信じているという方が正しいのかもしれません」

「? どういうことですか?」

 黒い衣服を纏った男、住職は彼らの方を見た。

「信じるということは、自分の望む方向へ歩んでいることなのです」

「……」

「キノさんだって何かを信じてきたから、これまで生きてこられたのでしょう?」

「ボクは人生とか一生とかを振り返られるほど年が深くないですから」

「そんなことは関係無いですよ」

「?」

「大切なことは、信じる心です。信じれば身体に力が漲り、脳みそがフル回転して活力や気力が充実してくるのです。対象は誰であっても構いません。自分だっていいしパースエイダーだっていいし、相棒のエルメスさんでも」

「照れるなあ」

「!」

 何か不穏な気配を察知したキノ。振り返ると、厳つい男たちが襲ってきていた。

「彼らは?」

「あの盗賊どもめ! またこの寺を襲ってきたのか! バチ当たりな!」

 くすりと笑うと、盗賊たちが、

 

 



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―Ⅰ― フォトの日記
だれかのために -Live Hard- by 十六夜の月


 オレの名前は“ソウ”。モトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)だ。

 携帯性を重視された特殊な設計をしている。ハンドルや座席を折りたたむことができ、小さい乗り物に積んだり狭い場所に置いたりすることができる。代わりに性能は落ちているがな。

 その持ち主は“フォト”。黒髪の長い年頃の女で、ハツラツな性格をしている。

 オレとフォトは元々、現在住んでいる国の生まれではない。とある出来事で流れて来た流浪者だった。様々な偶然や幸運が重なって、今の生活を送っている。

 その途中で手にした高性能カメラにご執心になり、写真屋を営むことにした。彼女の名前はその馴染みで付けられたものだ。

 本人はどちらもいたく気に入っている。

 

 

 とある日のこと。

「ソウ! 何か来たよ!」

 例によって手紙が来た。

「何かってなんだ」

 だがいつもの感じじゃない。ほとんどは包みがされているものだが、今回は丸めた紙に綺麗な金色の紐で留められている。よく見ると、紙も四隅に金色の装飾が施されているのが透けている。

「とりあえず落ち着け。丁寧に解いて見せろ」

 いつものように言葉を返したいが、そういう雰囲気でもない。

「はい!」

 とか思いつつも、こいつはいつものようにテーブルに置いて見せた。良くも悪くも緊張感がないな。

「早く早く!」

「はいはい。ちょっと待ってろ」

 つまり、こういうことだ。

「他の国で公演会をやるんで、その宣伝のために“アイドル”の写真をバシッとキメてほしいんだそうだ。なるほど、こんな丁重な作りになってたのは、その会社からの正当依頼ってわけだ」

「……あいどる?」

 難しい顔をしている。

「あーっと、そうだな。簡単に言えば世界中で大人気の女の子の写真を撮ってほしいってこった」

「どうしてその女の子の写真を撮ってほしいの?」

「そこからか。んー……例えば、フォトはこの国で写真屋として有名になっただろ? ポプラ通りの写真屋さんって触れ込みだ」

「うーん……そうなのかな?」

「それはお前がそう思ってるだけで、世間様からは評判がいいのさ。だからこうして仕事が舞い込んでくるわけだ。つまり、人気な存在なんだよ」

「う? うん」

「要はおんなじことだ。この“アイドル”ってやつも何で人気になったかはさておいて、世間様から評判と人気があるんだ。するとどうだ? みんな一目見に行きたいって思うだろ? 注目されてるってことなのさ。でもその時はいいけど、記憶が残るだけで形が残らない。その形として写真に収めてほしいってわけだ」

「へえ~。じゃあ“アイドル”さんも大変なんだ」

「一応言っとくが、“アイドル”ってのはその女の子の仕事なんだぜ。オレはそういうのはよくは知らんが、この売り込みようはかなりの自信がありそうだ」

「そ、そうなんだ」

「どうする? 断っとくか?」

 店主はフォトなので、依頼を受けるかどうかはこいつに一任してもいい。だが、そうするとこの性格だからか全部引き受けようとする。さすがにやり過ぎなので、それ以降は二人で決めることにした。

「やってみる!」

 だよな。

「決まりだな。その“アイドル”とやらは明日の昼ごろ来るようだぞ。準備しとけよ」

「うん!」

 

 

 というわけで、その時まで首を長くして待っていたわけだが、昼食を食べて数時間が過ぎていた。向こうにも予定があるだろうから、その遅れと見ていいけど、何かあったのか? それともただのイタズラで無駄に待たされているだけとか?

 オレの心配をよそに、フォトはるんるんで機材のチェックをしている。フォトのことだから、たとえ依頼自体がウソだったとしても笑い飛ばすかもしれない。

「ごめんください」

「はーい」

 と、あっさりと訪ねてきた。

 スーツ姿のメガネ女と同じ服装の男二人、そして警護されている女がいた。その女は深めに帽子を被り、黒幕で顔を隠している。

「ここが写真屋さんで?」

「は、はい」

 いかにも仕事ができそうなスーツの女が前に出る。

「私はマネージャーです。依頼書の通り、今日は“タナ”のポスターやファングッズ等に使用する写真の撮影を依頼しに来ました」

「えっと、“タナ”さんはそちらの方で?」

 珍しくフォトが緊張している。あっちの剣幕がすごいからな。

「これは失礼しました。あなたたちは外で見張りを頼みます」

「は」

 男たちは店から出て、立ちはだかる。気合ありすぎて物騒な気もするが。

「タナ、帽子を取りなさい」

「はい」

 とても綺麗な声だ。

 タナはすっと帽子を取った。

「!」

 こ、こいつは……。

「世界中で注目されているアイドル、“タナ”です」

 ぺこりとお辞儀をした。

「……」

 フォトのやつ、見惚れてやがる。

「フォト、話を」

「え? あ、うん」

 確かにそこら辺にいる女とは比べ物にならないほどだ。茶色の長い髪に端正な顔付き、というのもそうだが雰囲気が違う。一枚の絵画を目の前にしているかのような、そんな感じがする。有名人特有の雰囲気というやつだろうか。

「えっと、具体的にどのような写真が必要ですか?」

「一週間後に別の国で公演会をやるので、その宣伝のポスターやチケット、グッズ……まあウチワとかハチマチとかタオルとかうんぬんかんぬん……」

 要するに、盛りだくさんってわけだ。

「全て違う写真で撮りますか?」

「もちろん! 彼女のベストショットを頼みます」

「わ、分かりました」

「見たところ、この手の仕事はあまり経験がないようで?」

「へ? わ、分かっちゃうんですか?」

「そりゃあ、そういうことを聞かれたら誰だってそう思いますよ」

「……」

 しょぼんと気が落ちている。こればっかりはしょうがないな。

「ですが、この国では評判があり腕が良いと聞いて入国しました。問題ないでしょう」

「……!」

「な?」

 フォトが力強く頷いた。外部の人間にもフォトの働きぶりが認められた瞬間だ。うずうずと喜びっぷりを隠しきれてないぞ。

 しかも遂に、フォトの名が国外にも伝わっていたことが判明した。これから忙しくなりそうな予感がする。

「全部で二十枚ほど撮ってもらって、その中から十枚選別します。残りの十枚はプレミアムショットということにしましょう。プライベート性の高いものにします。もちろん全てこちらで買い取らせてもらった上です。ですから、そうお固くならなくて平気ですよ」

「あ、ありがとうございます」

 こりゃあっちの方が何枚も上手(うわて)だ。いい勉強になるだろうよ。緊張しながらも楽しそうな顔をしている。

「ではタナをお貸ししますので、よろしくお願いします」

「……え?」

 え? なんだって?

「えええっ! マネージャーさんは一緒じゃないんですかっ?」

「私はマネージャー兼代表取締役社長なのです。なので、公演会の準備の方もしなきゃならず……では」

「ちょ、ちょっとまって、」

 フォトの問いかけにも応じず、車でそのまま去って行ってしまった。

「……」

 おいおい、いくら仕事でもここまでこっちに一任されちゃあ困っちまうな。擦り傷一つで訴えられかねないぞ。

「え、えっと、よろしくお願いしますね、タナさん」

「はい。お世話になります」

 

 

 とりあえず、タナと話し合うことにした。

 今までの依頼なら依頼主が撮ってほしい場所や人を指定して、それを撮ってくれば良かったが、今回は違う。フォトの意向になる可能性があるからだ。つまり、フォトの想像力や工夫が必要になる。まあ、フォトの評判を聞きつけて依頼してくれたのだから、やりたいようにやっても構わないのかもしれない。

「タナさんは希望あります? こんな感じに撮ってほしいとか場所とか」

「……」

 ん? どうしたんだ? 緊張しすぎて話せないとか?

「マネージャー、今いないよね?」

「え? あ、はい」

 どすん、とイスに座った。

「あー疲れた。ホントかたっ苦しいのは苦手だわ」

「へ……?」

 あまりの豹変ぶりにフォトが驚いてら。こいつ、猫かぶってやがったな。話し口調からも、かなりのおてんばだ。

「フォトって言ったわね?」

「はいっ」

「この店はアンタ一人なの?」

「あとモトラドのソウと一緒です」

 フォトがオレの方に来て、紹介してくれた。

「まあそういうことになる。よろしく頼むぜ」

「……」

 な、なんだ? まるで馬鹿にしたようなその目は? そっちは客だけど、失礼だろうに。

「ホントに頼れるのかしらねえ。確かにこの国にいる時は何回も聞いたけど、女のアンタが写真屋やってるのが珍しいだけじゃないの?」

 フォト、恐ろしく無礼な客だぞ。なんか一発ぶちかましたれ!

「あははー。やっぱそうですよね」

 がっくし。……というか、店の評判やら何やらに全く固執しない(たち)だった。

「写真が好きになって色んな所を撮っていたら、近所の人たちから頼みごとが増えたんです。そこからだんだん“ポプラ通りの写真屋さん”って噂になっちゃって」

「へー。アンタ、写真が好きなんだ」

「はい。綺麗な風景とか楽しい光景とか見てると、一枚に収めたくなるんです」

「……」

 今度はじいっとフォトを品定めしてやがる。このヤロウ、フォトにも変なこと言ったら言い返してやるぞ。

「そう。私とそんなに年は変わらないのに、いっぱしのプロってことか」

 すくっと立ち上がった。

「もう出発の準備はできてるの?」

「はい! 今すぐにでも!」

「衣装はあるから今から一泊二日で出発するわよ!」

「ちょっと待て。どこで撮影する気なんだ?」

「心配せずとも考えはあるわ。私に付いてきなさい!」

 

 

 タナの勢いに乗せられた感じで街に繰り出したが、

「ねえ」

「はい」

「このトラック、乗り心地悪すぎ!」

「そうですか?」

「儲かってるならもっと良いやつ買いなさいよ! プロなら一流品を扱わないとダメじゃない!」

 早速文句たらたらだった。相手が客じゃなかったらぶん殴って黙らせるところだ。オレの場合は()くことになるが。

 けど、言っていることはそこまで的外れってわけでもないか。節約志向が強いから、基本必要になるまで買わないしな。

 荷物や機材はこうなることを見越して、既に準備させておいたから、滞りなく出発できた。もしここで時間食っていたら、タナにどやされるところだった。

 高級品の一眼レフと諸々のレンズ、三脚と結構な量のフィルム。これくらいで十分だろう。今回は街中での撮影だから、最低限の食料だけ積んである。あと、いつものようにオレも荷台に載せてもらっている。

「にしても、この国は広いわねえ。隅々まで行くと一週間くらいかかるんじゃないかしら」

「ヘタするともっとかかるぞ。山登ったりするからな」

「そうなの? 広いなら農家やるにはピッタリね。ここは真っすぐ行ってちょうだい」

 たっぷりと皮肉を交えて笑っていた。

「私も農家やりたいなあ」

 お前、まだ諦めてなかったのかっ。

「あんなめんどくさくて汚れる仕事が?」

「のどかで楽しそうですよ」

「私はイヤね。きもちわるい、あ、そこ左ね」

 そこら辺で一生懸命働いている農家さんたちに聞こえそうで怖かった。どうしてこんなに失礼な人間がいるんだか、疑いたくなる。

「ところで、これからどこに行く気なんだ?」

「心配せずとも、目星はつけてあるわよ」

「え?」

「当たり前でしょ! 写真屋に頼んでから決めるなんて仕事は遅くなるしお金もかかるじゃない! だから予め現地視察しといたの」

 なるほど、だからか。やたらと行き先を指示してくるのは。

「すごい、すごーい!」

「え?」

「私、行き当たりばったりが多いから、そういう風な考えがほとんどなかったです。でも、プロってたくさん考えてるんですねっ」

「……ふん、当然でしょ? 何も褒められることでもないわ」

 ぷいっと外を眺め始めた。口も悪いが態度も悪いなこりゃ。でもフォトは全然気にしてないようだ。その証拠に笑っている。

 でも、フォトがそう考えるのはすごい進歩だと思う。仕事上、急な依頼が多いのは仕方ないけど、それをどうにかできないかと発想できたってことだもんな。オレもフォトが負担にならないように日取りや指示はするけど、それでもちょこちょこ不備はあるし。

 きっとそこら辺を経験してるからこその感動なんだろうな。

 タナの予定として一日かけて各地を巡り、その場所場所の風景を背景に撮影する、と話していた。特に北側の地区にはぜひとも行ってみたいのだという。フォトもそれに大賛成していた。やはり今になっても気になる部分ではある。

 北側の地区は夏目前なので、山を覆う雪がすっかり解けている。

 露知らずの山林が微風でなびいて、乾いた囁きを聞かせてくれた。陽気良く、(二人にとって)心地いい気候だ。山だから空気も綺麗でさぞかし気分が良いだろう。

 以前の雪道を走るのとは段違いだ。あっという間に村に辿り着きそうだが、その山道でも、

「フォト! ここ撮るわよ! 準備しなさい!」

 と、タナの指示(という名の気まぐれ?)で撮影することもままにあった。

 雪の村独特の家が見えてきた。雪の重みで屋根から潰れないように、角度をよりつけている。色合いも赤と緑と目立つ色合いで彩色されている。道沿いに可愛い家が何軒も連なっている、はずだった。

 しかし今は違う。雪崩が発生してから、その復興作業に追われている。国が本腰を入れるようになってから、その作業も早くなっていると聞いた。

 峠で一旦休憩を取っていたタナが、

「……」

 その一連をじっと眺めていた。さっきまではしゃいでいたのが嘘のように。一応、何をしているのかは理解できているようだ。

「何かあったのね」

「うん」

「雪崩か水害か。どちらにせよ小さくなかったのね」

「!」

 一切話していないのに、見事に言い当てた。

「……」

 ずっと眺めて、髪をなびかせていた。

「? フォト?」

 徐ろにカメラを取り出したフォトが、まるで何かに取り憑かれたかのように、

「!」

 パシャッ、と一枚撮った。

「え? なに?」

「……あ、ごめんなさい。つい、撮りたくなって」

 写真家の本能か何かなのか、フォトが無意識に撮影した。そのシーンはフォトにしか分からないが、何かに突き動かされて撮った一枚だ。帰ってから楽しみ、というのは不謹慎だな。

「戻りましょ」

「え?」

 恐ろしく意外な一言を言い放った。

「気が変わったの。こんなとこで撮ったって気が滅入るだけでしょ。勘違いしないで」

「え? あ、はい……」

 

 

 結局、村に入ることはなく、他の場所で撮影を終えた。枚数は大丈夫だろうけど、中身に関してはフォトの腕頼みだ。大丈夫だとは思うけど。

 しかし、さすがに大言吐いているだけあってその働きぶりはキビキビしていた。フォトの仕事は大方自分のペースでやらせているが、今回はタナに振り回される形だ。額に汗して頑張っていた。さすがのフォトも、

「今日はたくさん撮りましたねっ」

 疲労困憊。という割に夜中の運転はばっちりだ。

「私の付き添いに付いてこれるなんて大したものじゃない。今日で疲れ潰してやろうと思ったのに」

「ありがとうございます」

「それ、お礼言うトコじゃないでしょ」

 なんて悪どいやつ。あれから楽しそうにしてたのはそういうことか!

「あーあ、久々に楽しかった。適当に宿取って休みましょ」

「そうですねー」

 道中見つけた宿で一泊を取ることに。トラックを駐車場に停め、機材はひとまずそのままで、フォトだけが中に入っていった。見る限り怪しい宿じゃないし、一般的な民宿といった感じだ。

「あの子、私を信用しすぎじゃない? このトラック盗まれたらどうしようもないのに」

 それはオレも思うところだ。もちろん言わないが。

「短い間だが、信用してるんだろうさ」

「ちょろっとイイコトしてあげればひょいひょい騙される、一番カモにされやすいタイプね」

 辛辣なことを言っているが、それが事実なのがやるせない。だが、フォトは幸運の星に生まれてきた人間だ。そうやって今までやって来たのだ。

 民宿から出てきたフォトがこちらに来て、喜んでいた。

「二部屋空いてました! 大丈夫です!」

「え? なんで二部屋?」

「なんでって……私とタナさんとで分けようかなって」

「別に一緒でもいいでしょ。ベッドないなら床でも眠れるし」

「そ、そんな! 私が床で寝ますよ!」

「まずは一緒で賛成なのね」

 あ、と口が滑ったように、あわあわと慌てふためいている。あの、えっとそうじゃなくて、と言葉がしどろもどろになっていた。

「ともかく中に入るわよ。ほら、道具持ちなさい。アンタの大切なものでしょ?」

「はい!」

 二人手分けして荷物を中へ運んでいく。その光景を見ていた受付の男は夜逃げか家出かと心底心配していたようだ。オレが事情を話さなかったら、警察に通報されるところだった。ただ、フォトと一緒にいる小娘が世界的なアイドルだとは後ほど思い知ることとなるだろうさ。

 こうしてようやく床に就けるってわけだが、ベッドは二つあった。良かった良かった。

 近くにあったイスに腰掛けるタナは、びしっとフォトに伝える。

「とりあえず、アンタが先に風呂に入りなさい。一番疲れてるだろうし」

「そんなことないですよ! まだまだ、」

「フォト、お客さんの気遣いだ。言葉に甘えとけ」

「あ、あうぅ……分かりました……」

 もっと頑張らなきゃ、と思っていたんだろう。だが、こう言っておけばフォトは一応引き下がる。というより、自分が思っている以上に疲れていることをタナに見抜かれているのだ。

 自分の衣服を取り出して、とぼとぼと浴室へ向かっていった。

「……」

 タナと二人(?)きりか。オレの方も明日のことを考えないと、

「あのさ」

 そう思っていたところに、タナが話しかけてきた。

「なんだ?」

「アンタたちっていつからここに住んでるの?」

「けっこう前からだぜ」

「その時からこの仕事に?」

「まあ、そういうことになるな。でもフォトが話してた通りだ。最初は写真撮影が趣味だったんだが、ご近所さんやら何やらから頼まれごとが多くなってな。そこから商売始めてみたらどうだって提案したんだ」

「ふーん」

 自分から聞いておいて反応が薄いな。

「毎日楽しくやってるよ、フォトのやつも。実際、人の役に立ちたくてってのもあるんだろうけどさ」

「……」

 じっとオレを見るタナ。なんだなんだ? やろうってのか?

 そう言えば、と思って聞いてみた。

「衣装あるって聞いてたが、結局全部同じ服だったな。あとは寝巻きその他くらいだと思うけど、それくらいで大丈夫なのか?」

「!」

 やたらと動揺し始めた。そんなに失礼なことを聞いたか? それともプロを名乗っている以上、唯一の失態を言われて恥ずかしいとかか。

「……」

 しかし、オレの予想は全く外れていた。

 酷く落ち込んでいる。人に強く言うけど打たれ弱いってやつか? いや、そうじゃない。もっと別な何かだと思った。どうしてか? ……あの村を見ていた時と同じ表情だったからだ。

「タナ、もしかしてあの村の出身なのか?」

「え?」

「あの時も今と同じ顔をしていた。だから、」

「話が飛躍しすぎ。あの村とは何ら関係ないわ。私の生まれはもっと遠くの国だもの」

「じゃあなんでそんな寂しそうな顔してるんだ?」

「……」

 ふ、と鼻で笑う。

 独り言よ、と独り言ちた。

「……昔は慈善事業をしてたの」

「慈善事業? それがどうしてアイドルに?」

「“単純な話”よ。戦争地域や被災地で活動してたけど、入ってくるお金より出ていくお金の方が大きかった。だからお金が足りなくなったの」

「単純って……」

 見た目と性格から見たら、どう頑張ってもその隙間すら見出だせない職種だ。

 いやそれより、あっさりと言い切るものの、淡白さが顔に出ていない。身を削って痛みに悶えているようで……。

「そんな中であのマネージャーが私をスカウトしてきた。たまたま、難民救済のラジオ実況をしてた時に見ていたらしくって」

「ヘッドハンティングか。良かったじゃないか」

 シンデレラストーリーってやつだ。その仕事が底辺層ってわけじゃないが、階段を駆け上がるようにして、今の“アイドル”の仕事で花開いたわけだ。

「……」

 しかし、タナの顔は曇る一方だった。

「確かに私の団体にもお金が山のように入るようになって、仲間はみんな喜んでた。色んな人を助けられるようになって私も嬉しかった。でも……その中に私はいなかった」

「タナのおかげで資金繰りが良くなったんだから、むしろ中心人物だと思うんだがな」

「別に、慈善事業が嫌いになってこの仕事を受けたわけじゃない。どんなに酷いこと言われたって、私は誰かを助けたかった。優越感とか自慢とかそんなのいらなくて、ただ役に立ちたかった。……でもこの仕事をやめたら、また前みたいになっちゃうからやめるわけにはいかない。でも、この仕事……いつまで続ければいいのか……」

 まるで悪夢を見て怯える子供のように、身を屈めて(うずくま)る。

 正直、その悩みはオレの手に負えない領域だ。仕事を辞めろとも続けろとも言い難い状況で、しかもどちらも最良の選択とは言えない。フォトと同い年の少女にしては重すぎる難題だった。

 下手に助言はできない。でもどうにかしないと、いつかこの娘は……。最悪の事態になることは容易に想像がつく。そんなことになったら気分が悪すぎる。

 オレが答えあぐねている時に、

「あのー、お風呂上がりましたよー」

 ほかほかと寝巻きを着たフォトが戻ってきた。しかし、すぐに異変を感じたらしい。タナに気をかけた。

「どうしました? 何かありました?」

「……」

 ぷいっと顔を背けて、自分の支度を始めた。

「……なんでもないわよ」

 そして浴室へ向かっていく。

「……タナさんとケンカしたの?」

「いんや。そういう話じゃないから安心しな」

 そう? とベッドに腰掛けてわしゃわしゃと髪を拭き始める。

 フォトは到底気付かないだろうが、こういう時にモトラドの高性能さを呪う。

 いつもこうしているのかと思うと気分は良くない。シャワーの中で、彼女の(むせ)び泣く声がする。

 

 

「おい、起きろ! フォト!」

「ん、んぅ……」

 大変なことになった。

 相変わらず寝ぐせの激しい頭で、オレを見た。いきなり起こして悪かったな。だが、そうも言っていられない事態だ!

「どうしたの、ソウ?」

「周りを見てみろ!」

 この慌てぶりを見て、そして言う通りにしてからようやく気付いた。

「あれ、タナさんは?」

「いなくなってんだよ! トイレとか風呂とか捜せ!」

「う、うん!」

 勘弁してくれよ。このまま失踪なんてことになったら、社長さんに何て説明したらいいんだ。損害賠償云々で済む話じゃなくなるぞ。おまけに昨日の今日でさらに心配度が跳ね上がっちまう。

 フォトがドタドタと部屋中捜して、クローゼットや便器の中まで捜して、首を横に振る。やはり、見当たらないようだ。全く、どこにいったんだよ。

 既に日が昇って燦々としている頃だ。二人が完全に眠ってからオレが休んだんだ。闇夜に隠れて逃亡なんてこともないだろうし、間違いない。しかしまさか、どこかにいなくなるなんて全く想定していなかった。どこかの政治家ばりの失態だ。

 店員さんに聞いてくる、とフォトが慌てて飛び出していった、その前に、

「気をつけて行けよ! 慌てずにな!」

 うん! と慌てて頷いて行ってしまった。一応ドアは閉めていくほどの余裕はあるようだ。

 それから十分ほど経つが、今度はフォトも帰って来ない。

 ……おい、ちょっと待て。確認するのにそんなに時間かかるか? フォト自身も捜索しているなら話が分かるが、フォトのことだからまずはオレの所に来るだろうさ。

 とすれば……?

「お、おいおい……」

 思わず不安が口走る。タナが失踪ではなく、誘拐されたのだとしたら……? それでタナを捜していたフォトまで誘拐されたのだとしたら……?

 しまった。そこまで考えていなかった。焦って不用心な事をしてしまった……! まずは警察に通報する方が先だった!

 すまねえフォト……。オレが情けないばかりに、せっかく拾った命をみすみす……! 本当にすまねえ……! こうなったらオレがスクラップになるまでここにいて、

「あれ? あの子はどこ行ったの?」

「……」

 え?

 一人の少女がドアを開けて入って来ていた。

「た、タナ……?」

「当たり前でしょ? こんな美少女を誰と見間違えるっていうの?」

 間違いない! タナだ!

「で、でも一体どこに? てっきり逃亡したんじゃないかって」

「勝手に消えるわけないでしょ? まだ仕事が終わってないっていうのに」

「仕事?」

「この私を安全に送り届けるっていう重大な仕事!」

 昨日の少女はどこに行ったんだ? いや、むしろ今が強がっているのかもしれない。

「下の食堂で朝食を取っていたのよ。お腹へったし」

「朝飯? なんだよ、心配して損した……」

「なんですってぇっ! このポンコツ!」

 がんがん殴ってくるが、ひとまず無事で良かった。

 ってあれ? じゃあフォトは?

「フォトと出会わなかったか?」

「ええ。食堂にいるとは思ってなかったみたいで、どこか走っていったけど? そろそろ戻って来るでしょ」

 という凄まじいタイミングで、ドンドンとノックがした。そしてガチャガチャとドアノブを必死に捻る音も。

「ソウ! 開けてー! タナさんいなかったよっ! どこ行っちゃったのっ?」

「ここにいるわよ! 入って来なさい!」

「でも開かないよ! どうしてっ?」

 ……あ。

「……っふ、ふふふふ……」

 思い出したようで、タナが笑い始め、

「あっははははは!」

 タカが外れたように大きく口を開いて笑った。

「どうして笑ってるの、タナさんっ? 早く開けてー!」

 忘れていた。ここのドア、自動ロックが掛かるんだった。そして鍵はタナが持っている。おそらく、朝食を食べるんで持って行ったんだろう。つまり、フォトは閉め出されていることになる。

「あーはいはい」

 涙を薄っすら浮かべるほどに笑みがこぼれている。

 かちゃ。

 くすくすしているタナが鍵を外すと、

「うわぁっ」

 急に抱きつかれた。

「良かった! タナさん無事で良かったっ!」

「あははっちょ、ちょっと、……!」

 異変に気付いたタナが笑うのを止める。

「よかった……ほんとに……ほんとに……」

 オレからは陰になって見えないが、おそらく……。

「……」

 タナが一息ついて、埋まるフォトの頭を撫でた。

「ったく、情けない。そういう顔は他の人に見せるんじゃないわよ。誰もいない時だけにしなさい」

「……うぅ……」

 呆れている割には、嬉しそうに微笑んでいる。

 どうしてなのか、すごく印象的だった。これがもし逆の立場だったとしても、成り立ちそうに思えてならないからだ。

 そう思った時、どうしてタナがフォトに強く当たっていたのか、分かった気がする。それはとても“単純な話”だ。

「ほら、もう大丈夫。あとは自分で何とかしなさい。いいわね?」

「……はいっ……」

 

 

 それからすぐに支度を始めて、宿を出る。ふと気付けば既に十時を回っていた頃だった。なるほど、お腹が空くのも無理は無い。それは、タナの朝食の時間はだいたいそこら辺の時間ではないことも示唆している。

 最終的には何事もなく無事に帰ることができた。道中、最初の頃を疑うくらいに、二人が良く話していた。ファッションの話とかお菓子の話とか、いわゆる“女の会話”というものだろう。フォトも楽しそうに“聞いていた”。“聞いていた”と言うのは、そういうことにはまだちょっと(うと)いからだ。だが、フォトも良く笑っている。

 その最中のことだが、途中で現像屋さんに寄って写真を見ることになった。フィルムを三つも使い果たした成果が、分厚い封筒だ。タナが厳しい目で一枚ずつチェックしている。

「まあまあかしらね」

「ほんとですかっ!」

「被写体が良いから良く見えるって意味でね」

「も、もっと頑張ります……」

 珍しく凹んでいた。まあ他と比べられることなんて滅多になかったし、仕方ない。逆に言えば、評価してくれるってことだからありがたい。

「でも楽しかったわ。それだけね。良かったとこは」

「う、うぅ……」

 今にも(また)泣き出すんじゃないかと思ったけど、踏ん張れよ。そういう悔しさがバネになるのだから。

 さて、長かった写真撮影が終わり、店に戻ることができた。誰もいないからホコリかぶっているな。オレを外に置いて、ある程度は掃除した。タナまで手伝ってくれたが、こっちはひやひやものだ。なにせ(まだ)客と店長の関係だ。ケガでもしたら怒られるどころじゃない。ま、そんなことはほぼあることでもなく、掃除も終えるが。

 一時間ほどお喋りしながら待っていると、報せを聞いた社長さんたちがやって来た。いつも通りのイカツイ護衛隊もお出ましだ。

 さっきまで笑っていたタナが、真面目な顔に戻る。

「お疲れ様です。早速ですが、例の写真をお見せください」

「は、はい」

 緊張した面持ちで選別した写真を手渡す。ついでにそっとテーブルに残りも差し出した。無理も無いか。さっきあれだけタナに言われちまったんだからな。

 ところが、

「……素晴らしい」

「……え?」

 予想していたことと真逆の反応が返ってきた。

「タナの長所である清楚さとハツラツさが伝わってきます。しかし、この夕日での黄昏は彼女のイメージをがらりと変えてくれる。ワンシーンずつ丁寧に吟味した様子が窺えます。この中から選び出すのが難しい」

「は、はぁ……」

「こちらも拝見します」

 と言って、残りの写真も残さずに確認した。

 うんうんと満足気に進めていくと、ピタリととある一枚で止まった。社長さんは驚いた表情で、その一枚をテーブルに置く。

 それはあの峠で撮った一枚だった。

 一面真っ青の空に照らしている太陽。背後には緑一面の山がある中、復興中の村が映し出されている。それを遠くから眺めているタナが髪をなびかせ、その村を見下ろしているシーンだった。

 ごくり。タナと社長、そして護衛たちまでもが息を呑んでいる。

「……」

 社長さんがメガネをくっと掛け直す。そして、なぜか顔が綻んだ。

「この度の依頼をこなしていただき、ありがとうございました。こちらは謝礼です。どうぞ受け取ってください」

 護衛の一人がアタッシュケースをテーブルに乗せ、ぱかっと開いた。

「わ、わわわ……」

 ぎっしりと札束が詰まっていた。現実的に言えば、フォトの遺産に比べりゃ端金なんだが、こうやってケースに収めたことがない。つまり、初めて金の山を見ることになる。その圧巻さに、フォトがたじろいでいる。

 それでは、と社長たちも帰っていった。あ、とフォトが思い出すように追いかけ、

「ありがとうございました!」

 深くお辞儀して、見送っていった。

「……」

 フォトは喜んでいた。報酬額に対してでなく、写真を全て受け取ってくれたことに。

 こうして、フォトの仕事は無事に終えたのだった。

 

 

 後日。とある日の晩に、突然に、

「開けて」

 タナが訪れた。

 本当に寝る直前だったため、寝間着のまま出ることになったが、特に気する様子はなかった。

「どうせアンタは仕事で観に来れないと思うから、今のうちに渡しておくわ」

「?」

 一枚の紙と指輪だった。お、おい……これって……。

 良からぬ予感を抱きつつ見てみると、

「契約書」

「何の契約書?」

 おいおい何の契約書だよ、不安すぎる……。フォトはまだ字が読めないから、オレが読むことになるのだが、怖くて中々先に進めない。

 それを察してか、タナが言い出した。

「雇用契約書よ」

「……え?」

 こようけいやく……あ、仕事の方か。良かった良かった。じゃなくてっ!

「つまり、タナがフォトを雇うってことかっ?」

「そうよ。何か文句ある?」

「……」

 急に話がぶっ飛んだんで、しかも寝る寸前だったから、イマイチ内容を把握しきれていないようだ。

「まあその、世界中を飛び回ることになるけど、悪い思いはさせないわ。報酬も悪くないし、世界旅行と思えば楽しいと思うし。どう?」

「どうって……こんな夜中に話すことじゃないだろうよ……」

「仕方ないじゃない。今夜くらいしか時間がないんだもん」

「じゃあ、タナさんは明日出国するんですね?」

「ええ。だからよ」

「……」

 フォトは、

「ごめんなさい」

 言い切った。

「タナさんと一緒もとっても楽しいと思います。でも私、この国が好きなんです。私を受け入れてくれたこの国が……」

「! ……」

 少し難しい顔をしている。

「だからごめんなさい。一緒には行けません」

 ふ、と小さい笑みを皮切りに、

「あっはははははっ」

 大声で笑い出した。

「あ~……この私の誘いをきっぱり断るなんて、世界中見渡したってアンタくらいなものよ」

「いや、他にもいると思いますけど……」

「なんですってぇっ」

 ぽかぽかと軽く(はた)く。いたいいたい、と笑いながらじゃれていた。

「……一緒に行けないなら、専属契約にするわ」

「?」

「つまり、お得意さんになるってこった」

「あ、なるほど」

 そっちは特に躊躇いもせずにサインした。国から離れなければ、拘りはしないんだな。

「これで、仕事があればこの国にやって来るわ。次来る時は腕を磨いておきなさいよ」

「は、はい……」

 あ、また思い出したようだな。シュンとしている。

「それで、この指輪は?」

「別に着けなくたっていいわ。ただの契約の証みたいなもんよ」

 “みたいなもの”? はっきりと決め付けされていないのか。

「別に捨てたっていいし」

「そんな、絶対に捨てません! 大切にします! 毎日お手入れして飾ります!」

「ふふ、着けたりはしないんだ」

「あ、いやっそういうことじゃなくて……うぅ……」

 とても自然で柔和な微笑み。こいつの素直な表情はこういう時以外表れないだろうな。

「それじゃ、またね」

「……はい」

 タナと握手を交わし、

「私も覚悟を決めたわ」

「覚悟?」

 軽く手を振って別れていった。

 フォトはずっと見送っていた。彼女の言う“覚悟”という言葉がどんな意味なのかを考えながら。

 

 

 翌朝、いつものように、

「ソウ! 新聞読んで!」

 新聞を開いて見せた。今日は休みだし、ゆっくりするのも悪くない。ただ、たまには走りたい……。

「はいはい」

 まあ、それは置いておいて、そこには大きい見出しでこう書かれている。

『世界の歌姫からの巨額の寄付金! 復興の大きな力に!』

 先日の公演会で稼いだ売上金を全額、あの村に寄付したという内容が(つづ)られている。その時の写真はないものの、話の流れや内容から考えて、タナたちの事を記事にしたのだろう。その功績を称えて国で大きい授与式を設けたのだが、肝心の当事者が欠席するという異例の事態となった。その理由として様々囁かれているが、とある人物と面会するためではないかと力説している。人物の詳細は全く不明であるとのこと。

「この人物って一体誰なんだろうね、気になるねっ」

 オレが要約して話しているから、概要しか分からないのも仕方ない。というか意図的にそうやって話している。授与式が夜中に催される予定だったと書いてあることから、きっと……。

 タナが授与式をほっぽり出してまで会いたかったのは、それよりももっと大切なことがあったからだ。タナは今の自分と友達になってくれる人がほしかった。どんなに酷いことを言っても、立場に拘らない友達が。“単純な話”だ。だからあの“証”を渡したのだろう。

 “覚悟”ってこれらのことなのか? 確かにタナの儲け、つまり慈善事業への寄付を蹴ってまでこちらを優先したのは、すごく覚悟のいることだ。だが、この行為自体はそこまで悪いことじゃないし、きちんと説明すれば分かってくれるものだと思いたい。むしろこっちのことなのだろうか。

 そうオレが考えていると、またも郵便屋さんがやって来た。……ん、郵便屋さん?

 フォトが不思議そうに物を受け取り、オレの前に置いてくれた。

 ぱらぱらと荷解きをすると、

「あれ、また新聞だ」

 といっても同じ新聞ではない。この新聞社は聞いたことがないから、おそらく他国のものだろう。でも、どうしてそんなものがフォトの家に?

 とりあえず、中身を見てみることに。

 同じように、裏面を一面トップで飾っていた。しかも記事の端っこ、つまり余白に手書きで何か書き込まれている。

「あ、タナさんだ」

 そう、タナの写真。しかも撮った覚えがないってことは、他国からの提供だろう。重要なのはそこではなく、内容だ。

「ねえ、なんて書いてあるの?」

 オレに内容を教えてもらうようにせがんでいた。

 これを話すかどうか、酷く悩んでいた。フォトに話せば必ず行動に移すし、それを止める自信がないからだ。

 読んだ瞬間に、社長さんのあの一笑が思い浮かんだ。きっとこれが彼女の、いや彼女を雇っている会社ひいては社長さんの出した答えなのだとオレは思う。

 そしてタナの言っていた“覚悟”はまず間違いなくこれのことだと痛感した。

 そこにはこう記されていた。

『被災地に国家予算並みの義援金! 世界の歌姫、売名行為か!』

 そして端っこの手書きで、

『いくらでも罵りなさい。私はやりたいようにやるだけよ。親愛なる友へ』

 笑わされた。

 



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うつすくに -Say Peace!- by alias(オリ)

 オレの名前は“ソウ”。モトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)だ。

 携帯性を重視された特殊な設計をしている。ハンドルや座席を折りたたむことができ、小さい乗り物に積んだり狭い場所に置いたりすることができる。代わりに性能は落ちているがな。

 持ち主は“フォト”。黒髪の長い年頃の女で、ハツラツな性格をしている。

 オレとフォトは元々、現在住んでいる国の生まれではない。とある出来事で流れて来た流浪者だった。様々な偶然や幸運が重なって、今の生活を送っている。

 その途中で手にした高性能カメラや写真にご執心になり、写真屋を営むことにした。彼女の名前はその馴染みで付けられたものだ。

 本人はどちらもいたく気に入っている。

 

 

 とある日のこと。

「ふーん、強盗犯ねえ」

 暇なので新聞を読んでいたんだが、こんな国でも強盗があるとはな。裏一面に飾るくらいだから、相当デカイ事だったんだろう。なになに、犯人は複数の外国人、もとい旅人か。宝石店やら質屋やら金目のものを、

「手紙きたー!」

 突風でも吹き込んだかのように店主、つまりフォトが戻ってきた。手には手紙が握られている。

 まるでおもちゃを買ってもらった子供のようにはしゃいでいる。裏表のない(たち)だから、本当に嬉しがっているのだろうけど。

 新聞を読むのをやめて、その手紙とやらを見せてもらおうか。

「じゃあ見せてみな」

「はい!」

 ゆさっと長い髪を揺らしながら、オレが読んでいた新聞の上に置く。読んでいる間に髪を後ろで留めさせるように言った。よく見ると逆さまじゃないか。まあ読めなくはないが。

 字は達筆というまでではないが、よく書き慣れている。おそらく成人だろう。

「……長いな。びっしり書いてある」

「じゃあ簡単に言って!」

「はいはい。ちょっと待ってろ」

 つまり、こういうことだ。

「たまたま入国していた旅人だが、写真屋の噂を聞きつけて依頼したい。この国に来る間に出くわした湖が素晴らしかったので、ぜひ写真に収めてほしい。できれば朝昼夜の景色を見てみたい。この依頼書を発送してから一週間近く滞在する予定なので、その間に頼みたい」

 手紙の隅に指定場所への地図が書かれていた。おそらく、フォトとオレがここへ来た時の道だろう。なるほど。この旅人も同じようなルートを通ってきたんだろうな。

 あそこまでは丸一日くらいかかったはず。そうすると、一時的な出国手続きをしなきゃならなそうだ。出国する前にある程度の説明をした方がいいだろう。

「ねえソウ? ……なにを撮ればいいの?」

「湖だよ湖」

「あ、そっか」

「受け取りは三日後か最終日だそうだ。どうする?」

 店主はフォトなので、依頼を受けるかどうかはこいつに一任してもいい。だが、そうするとこの性格だからか何から何まで全部引き受けようとする。さすがにやり過ぎだから、二人で決めることにした。自動的にスケジュール組み立てもオレが担当することになった。

「やる!」

「分かった。そうと決まったら準備するぞ」

 スケジュール的にも問題ない。

「どうせ外に出るんだ。他の風景写真も収めようぜ。何かに使えるかもしれないしな」

「何かって?」

「例えばそうだな……インテリアだよ」

「インテリア?」

「インテリアってのは簡単に言えば、部屋の飾りつけってとこか。綺麗な風景の写真を飾ると、ちょっと良い気分になったりするヤツもいるのさ。フォトも前に撮った写真を飾ってたろう? まさにあれがインテリアになるな。ハマると面白いらしいぞ」

「ソウが言うなら面白いんだろうね!」

 そうじゃなくてだな。自分が面白いかどうかだと思うんだが、まあいい。

 指定された場所はフォトも知っている所だ。あの時はビビりながら走っていたから到着に時間がかかったが、今回は別。フォトの運転技術も上がったし土地勘もあるし(なくてもオレが分かるからいいが)。二日ほどあれば仕事は済むだろう。

 早速、遠出の準備をすることにした。出発は翌朝、三日間で全てをこなす予定を組む。まず間違いなく、移動するのに時間がかかるだろうからな。

 そのための荷物も多めにトラックに積む。撮影機材とテント、多めに五日分の食料や衣類、燃料等々買い物しに行った。経験したことがあるからか、フォトも熟れた様子で準備する。

「明日、楽しみだね」

「おう。運んで転ばないように気をつけろよ」

「うん!」

 フォトのやつ、まるで遠足に行くかの気分で荷物を積んでいた。こっちは心配で心配で仕方ないってのに。

 特に心配なのはおかしな奴に遭遇することだ。フォトは頑なにパースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)を使おうとしない。まあ使えてもあれだが、ないよかマシだ。できれば護衛とか用心棒とかほしいな……。

 しかし、そのアテはなく、結局オレたちだけで行くこととなった。依頼人が旅人らしいから、実際に会って相談したかったな。旅人ってくらいだから、少なくともそこら辺の草食って死ぬ連中よりかは強いだろうし。

 フォトを何とか説得して、パースエイダーを持たせるだけには成功した。相当グズったがな。

 今度は出国手続きだ。入国管理局の所へ行って事情をあれこれと説明する。ただ、フォトには難しすぎる話だから、管理官に駐車場までわざわざ来てもらって、オレが説明することにした。管理官も面白い顔してたぜ。なにせ持ち物が代弁してんだから。

 四十代前半の女管理官だった。

「そんなわけで、仕事で三日間出国したいんだ」

「なるほど。しかし護衛もなしで大丈夫ですか?」

「正直大丈夫じゃない。ここはそういう斡旋(あっせん)はしてくれるのか?」

「法に触れてしまいますので、斡旋はできません。ただし、」

「ただし?」

 フォトの一言に、にこりと微笑む。

「“それとなく”世間話はできますよ」

「せ、世間話?」

 なるほど。そういうことか。

「最近、連続強盗犯が逮捕されたのは知っていますか?」

「そういや新聞で見たな。犯人は外国人とか」

「その立役者が明日、出国するんです。身長は百七十前後、黒い服装にリュックを背負っていて変な首飾りをしている人です」

「ほー、そいつは頼れそうだな。今いるのか? 一目見てみたい」

「私もー」

「では明日の朝七時に門の前でお待ちください。おそらく彼はあなたに気を引きますよ」

「え? どうして?」

「フォトが女だからか?」

 

 

 翌朝、トラックに荷物を載せて出発する。オレはさすがに助手席には置けないから、他の荷物と一緒に荷台に載る。

 今日は多く動くから、フォトには髪をしっかり後ろにまとめさせた。

「とってもいい天気だね! いい写真撮れそう」

「そうだなー」

 季節的には秋頃だが、日差しが優しい。ぽかぽかして気持ちよくなりそうだ。

 まだ朝早いから、フォトの服装は長袖の白シャツにチェック柄の上着、黒のジーンズとスニーカーだ。動きやすく着替えやすい服装にさせた。

 フォトは初めてに近い出国で、いつもより気分上々だ。それに、

「護衛の人ってどんな人なんだろうね」

「楽しみなのは結構だが、他人なんだから油断するなよ」

「大丈夫だよ。だって悪い人を捕まえてくれた人だから悪い人じゃないよっ」

「まあ、そうだろうけどさ」

 こいつはどうして疑うってことを知らなんだか。フォトの良いとこでもあり悪いとこでもあるな。今さらどうしようもないけど。

 何もなきゃいいんだが。

 トラックを運転して、朝の七時に門に着くように走った。郊外のポプラ通りから都市部中心を過ぎて、城門前の小広場に着いた。邪魔にならないように端に停車する。

「あ」

 ちょうど、入国管理官と話している男がいた。確かに昨日の管理官の言うような格好をしている。

 管理官がフォトやオレに気付くと、微笑みかけてくれた。覚えてくれてるようでよかった。

 手はず通り、管理官がしばらく待つように男に話し、そこら辺でうろついてるように言った。

 その男がこちらに来る。多分、暇つぶしに話しかける気なんだろう。

「よ」

 車に乗ったままのフォトに話しかけた。こっちは聞いてるからあれだけど、あっちはまだ初対面だ。いや、こっちも初対面か。

「お、おはようございます」

 いつになく緊張している。

「あんたも朝早くからお出かけ?」

「は、はい」

「へー。でも一人みたいだけど大丈夫なのか? それとも実は相当な達人とか?」

「あ、いや、そういうわけじゃなくて……」

「なら出国はやめた方がいい。腕に自信があったって死ぬんだから」

 さすがに旅人。物事をはっきりと言いやがる。

「お名前は何というのですか?」

「名前はフォト、……あれ?」

 お? 今明らかにこの男じゃない声がしたよな? バリバリ仕事ができる冷めた女みたいな声がさ。フォトも違和感というか異様感を感じていた。

「フォトか。なんか写真屋さんみたい。そう言えば評判の写真屋さんがあるって聞いたなあ」

「住民の皆様が話していたことですね? 可愛らしい女の子が営んでいるお店で有名だとか」

「あ、あの……それ、私です……」

「……へ?」

 そう! 目の前にいる女がその大評判の写真屋、“ポプラ通りの写真屋さん”なのさ! そう言ってやれ!

「実は仕事で国の外に出ないといけなくて……」

 なんだよ。ちょっとばかり胸張って自慢したっていいんだぜ。フォトの性格じゃしょうがないか。

「それはいけませんね。こんな可愛らしい女の子が外に出たら、野党共の餌食になるだけです。“ダメ男”、ここはフォト様のお手伝いをするのです」

「えっ? なんで? 今から出国しようって時だよっ?」

「あなたはフォト様が可哀想な目に遭ってもいいと言うのですか? なんというゴミクズ野郎です。ゴミ野郎のせいは、」

「わかったわかった! それ以上は言うな! フォトの手伝いするよ!」

「よろしいです」

 さっきから男に話しかけるこの声は何なんだ?

「い、いいんですか?」

「“フー”の言うこともごもっともだし、噂の写真屋にも興味が湧いた。フォトが良ければの話だけど」

「よろしくお願いします!」

「んー。じゃあ自己紹介しとくか」

 男は服の前に首飾りを出した。何というか、小型の無線機みたいな形をしてるな。色合いは水色っぽいけど。

「この機械は“フー”と申します。この男は適当に“ダメ男”とでも呼んでください」

 “ダメ男”が無線機みたいなものを見せながら自己紹介された。それが“フー”で、オレと同じ喋る道具ってわけだ。

 にしても“ダメ男”ってなんだよ。十中八九偽名だろうけど、ひどすぎやしないか? それに特に反論しないし……。

「え! それがフーさんなの? ソウとおんなじだー」

「そう?」

「フォト、自己紹介しとけ。これから世話になるんだぞ」

「え、あっごめんなさい」

 フォトは車から降りて、ダメ男たちをオレの方に来させた。

「私は写真屋のフォト、このモトラドがソウです。よろしくお願いしますっ」

「モトラドっ?」

 なんでそんなにびっくりすんだよ。ビビりすぎだろ。

「そんなわけで、モトラドのソウだ。フォトが至らないとこがあるだろうけど、オレからもよろしく頼む。こいつに死なれちゃオレも錆びちまうからな」

「ソウ“は”義理堅い方なのか?」

「いや、そういうわけでもないと思うけど、どうしてだ?」

「形が違うとはいえ、同じモトラドでも全然違うなぁって」

「?」

 

 

 出国してから相変わらず森林が広がる地帯だが、前と違ってきちんと道を把握しているから進みやすいってもんだ。フォトも運転技術が上がっているから、安心してのんびりできる。現に、お喋りしながら走るくらいだ。

 ダメ男は荷台に乗って周りを見ていた。代わりに助手席にはフーがぽつんと置かれている。普通は逆なんだが、護衛ということもあって荷台の方が都合いいそうだ。一目のほほんとしているだけにしか見えないんだけどな。

 朝日を拝んでから日が昇り、天辺に到達した頃に休憩を取った。

 思った通り、その頃には温かくなり、フォトは袖を捲っていた。

 昼食はコンソメにレトルト野菜を加えて煮詰めた簡単なスープだ。フォトが携帯用コンロで作った。

「目的の場所はまだかかるのか?」

「このペースなら夕方くらいか。森林を抜けて平原に出てから少しした所に大きい湖があるのさ。もっと先は荒野になっててゴツゴツしてるんだ」

「じゃあ森林を抜けてからは一段落つくな。そこからはオレが運転しようか。運転しっぱなしは疲れるだろ」

「大丈夫です! 私疲れてないです!」

「お、おお。でも降りた時にけっこう眠たそうな顔してたけど?」

「そんなことないですよっ」

「ダメ男、フォト様がおっしゃるなら大丈夫なのでしょう。それに、仕事用の車を壊したら、それこそ迷惑をかけてしまいますね」

「分かった。なら任せるよ」

「ダメ男も護衛頼んだぜ」

 幸運にも、怪しいヤツは出てきていない。やはりフォトは幸運の星の元に生まれてきているようだ。ますます確信は深くなる。

 ダメ男は笑いながら野菜スープを美味しそうに食べていた。

 

 

 休憩を一時間ほど取ってから出発した。

「ここの森には動物がいっぱいいるなぁ」

 ダメ男は運転室に寄りかかりながら、景色を眺めていた。と言っても森ばっかりだが。

 そういえばと、フォトが例の事件について尋ねた。

「ああ、あれか? たまたまフーが盗まれそうになったんでとっ捕まえたんだよ。そしたら、他の犯罪も仕出かしてたようで、芋づる式になってたんだ」

「危なかったんだな」

「いつものことですから。でも、犯人を捕まえることができたのは国にとっても良かったです」

「けっこうな被害に出てたらしいからな。フォトのやつ、話をしてみれば分かる! とか言いやがるから説得するのに一苦労だったぜ」

 でも、フォトも進歩しているのかな? 悪い人間が分かるってことだから。

「ダメ男も少しはフォト様を見習った方がいいですね」

「うっさい」

「ダメ男さんいい人だよ、フーさん! 護衛も頼まれてくれたし」

「ほらほら! 今回は味方がいるぞ、フー」

「本音と建前というものです。フォト様も気をつけてください。この男、隙あらば襲ってきますよ」

「え! そうなんですか? 気をつけないと」

「あっさり寝返るなっ。ソウはオレの味方だよな? な?」

「オレはフォトのモトラドだからな。ご意向はいつだってご主人様寄りだぜ?」

「ぐぅ……」

「さすがダメ男ですね。滑稽で面白いです」

 悪いな。多勢に無勢ってやつだ。

 それからさらに何時間も経った。一緒にいても暇になるかと思ったんだが、さすがに話題が尽きなかった。ダメ男やフーが旅での出来事を面白可笑しく話してくれたからだ。

 見た感じ、ダメ男も若いのに、かなり苦労をしているのが分かる。

「やっと見えたー!」

 やっと森の端が見えたか。

 森を抜けると緑一面がぶわっと迫ってきた。木がぽつぽつ生えた所で、一本の大きな河が横に走っている。そこを伝って走ると例の湖にたどり着けるわけだ。

「今何時だ?」

「十六時三十五分四十二秒を切ったところです」

 前は約一日かかったのに、想像以上に早い。

「フォトけっこう飛ばしてたもんな……」

「えっ! 気持ち悪かったですか?」

「いんや。ただ、話を聞いた分じゃ早かったから、何かあったのかなって」

 正直、夜中になるんじゃないかと思っていた。だが、想像以上にフォトは上達していたようだ。

 それから河の方へ向かってから、沿って走っていく。平原から少し走り、草が薄くなり始める。大地に土が目立ち始めて、遠くに見える山には尖った木が多くなっていた。

 その山の麓に近い所。大きなトラブルも一切なく、怪しいヤツに襲われることもなく、

「着いたー!」

 到着した。

 もう日が傾いて空が赤っぽくなっている。なんだかんだで夕方頃になったか。まあ十分すぎるな。

 湖の端だ。山に生えていた尖った木と同じようなものが取り囲むようだ。砂や砂利に山草が散らばっている。

 そこまで車を走らせると雨が降った時に嵌まりそうだから、手前の森の中に停車させた。

「夕焼け空が映る荒野付近の湖ですか。綺麗ですね」

「んー、いいとこだなぁ」

 背伸びしながら湖を眺めている。その間に、

「フォト」

「なに?」

「お疲れのとこ悪いが、今のうち撮らないと明日の夕方からも野宿することになるぜ」

「あ、そうだね」

 フォトに撮影準備をさせた。ダメ男たちがのんびりしているってことは、辺りに危険はないってことだからな。

 三脚やらレンズやらでカメラの機材を運んでいる時だった。

「?」

 オレたちとは違う所、十メートルくらい離れた所から一人の女が現れた。綺麗で短い黒髪に白いワンピース姿で、異様に肌が白い。血管が青く浮き出そうなほどだ。

 ダメ男が険しい顔付きでトラックの傍にいたフォトの方へ歩いてきた。万が一、襲われた時の対応だろう。確かに不穏な感じがする。言ってしまえば薄気味悪い。

 女はそのまま湖の方へ、誘われるように向かう。よく見れば裸足じゃねえか。泥だらけ以前に赤く滲んでいる。横顔も角度が悪くて見えないし、その顔を見せようともしない。つまり、こっちを気にも留めていない。

 そのままざぶざぶと湖へ入っていく。一体何を考えて……?

 その時だった。

「!」

 パシャリ、とシャッター音が聞こえた。誰だ? こんな時にノンキに写真撮ってるのは。

 こんなことするのは一人しかいない。

「……」

 フォトだった。何を考えているのか、吸い込まれるようにカメラを取り出し、女ごと湖の写真に収めた。

 音で女がやっとこっちに気付いた。

 トタトタとフォトがそちらへ向かう。お、おい、とダメ男が引き留めようも、行ってしまった。

「ごめんなさい、迷惑でした?」

「……?」

 女は状況が良く分かっていないようだった。ええい! こうなりゃ全部話してしまえ!

「フォト! まず自己紹介しとけよ!」

「!」

 ビクッと、オレの方を見る。……まさか、モトラドを見るのが初めてなのか? 見た目は一般的なモノとは違うから戸惑うかもしれないがな。

「あ、うん! ……私はあっちの国で写真屋をしてるフォトって言います。仕事でここの写真を撮ってるんです。……お姉さんがきれいだから、湖と一緒に撮ったらどうかなって。迷惑だったら処分しますから!」

「あ……えっと……」

 とてもか細い声だ。元気がない。

「別に構いませんよ。……もう、未練はありませんから……」

「?」

 未練? フォトには少し難しい話になりそうだ。

 そう思っていると、ダメ男たちが二人の方へ足を運んでいた。

「怪しいのは変わりないけど、敵意はないみたいだ。事を起こす前にちょっと話していかないか?」

「あなたは……?」

 ダメ男とフーも軽く自己紹介をした。

「そうなんですか……。フォトさんに頼まれて……お若いのに……」

「とりあえず、そのまま足浸かってると風邪引くよ。しかもこれから冷えるから、その格好じゃなおさらだ」

「……」

 それすらも迷っているように見える。相当思い詰めているようだな。

 すると、思い切らしたダメ男が一緒に湖に入り、

「ちょ、ちょっと……!」

 がっとお姫様抱っこして、強引に連れ戻す。

「軽いな。ここ数日、ロクに食べてないのか」

 なかなかカッコイイところ見せてくれるじゃないか。

「とりあえずあっちで一緒に夕食にしませんか? 私、美味しい紅茶持ってきてるんですよー」

「……」

 キョトンとしている。しかし、

「いただきます」

 微笑んだ。

 

 

 フォトは女に夕食を振る舞った。夕食は昼に食べた濃厚な野菜スープ。食後は紅茶でもてなす。冷える夜には恋しくなる温かさだろうな。

「……おいしい」

 女の表情もようやく緩んできた。

 もう夜だ。今日は天気が良かったから、星空満天。きらきらして綺麗だ。

 ダメ男たちは夜の警戒ということもあり、今はここから離れて見回りをしている。ダメ男たちの仕事はむしろこれからなのかもしれない。

 だからフォトも無理に話しかけず、帰ってきた時に食べ物飲み物を用意する程度にしていた。その時に軽く話すと、ほんわかと応えてくれる。ただ、このまま集中しているのを邪魔しちゃいけない。オレらの命を預かってもらってるしな。

 オレらはトラックの近くで携帯電灯を点けて談笑していた。オレンジ色の光で森と湖の境界が灯される。湖側にテントが二つ立てられていた。一つはフォトの、もう一つはダメ男が持参していたものだ。女のためにテントを譲るらしい。

「えっと、お名前は?」

「“クリス”です」

「クリスさんかあ」

 白いワンピース姿の女はクリスという。

「クリスさんはどうしてここへ?」

「私は……死のうと思って……」

「……え……?」

 目を丸くした。そりゃそうだ。

「なんでっ?」

「……愛していた男性に捨てられてしまったんです。他に好きな人ができたって……」

 よくありがちな話だな。だが、こうして面として聞くと良い気分はしない。

「そんなのひどい! ねえソウっ?」

「え? ああ、そうだな」

 男女の話はオレには分からん。複雑な事情があるんだろうとしか。

「でも、どうしてその男はフッたんだ? クリス以上の女は中々いないと思うぜ?」

「私が病弱だからでしょうか。……今となっては……」

「えっと、部外者がこう言うのもなんだが、死ぬにはまだまだ早いんじゃないか?」

「そうだよ! 死んじゃだめだと思う!」

「……」

 カップを持ったまま膝の上に置いた。

「私にはあの人しかいなかったから……生き甲斐も何もなくて……」

 フォトとはまるで逆だな。フォトは生きがいを見つけたくてあれこれと生き延びてきた。クリスは生きがいを失って死にに来た。そう思えて仕方ない。でも、こういう人間はゴマンといるんだろうよ。

「あの、私から提案があるんだけど……」

「?」

 フォトから打診するなんて珍しい。

「私たちと一緒にやってみない? きっと楽しいよ!」

「え、ええっ?」

 今度はクリスが驚いた。そりゃそうだ。

 そいつは悪くない提案だが、途中で野盗に襲われたらどうすんだ? それにクリス自身も身体が強くない。あっちこっち連れ回して体調がもっと悪くなったりでもしたら、もっと大変になるんだ。

 そう言おうとしたオレを見越してか、オレの方を見て笑った。

「大丈夫! なんとかなる!」

「……」

 ああ、こうなったらこいつは意地でも屈しない。それを考えるのはオレとダメ男たちなんだぞ? また頭が痛くなる……。

「クリスは大丈夫か? こうなったらこいつは説得できない。だから、お前さんがはっきり意見をしないと、」

「はは、あははは」

 突然、笑い出した。少し、笑いが続いた。

「眩しいくらいに明るいんですね」

 綻んでいる。

「お付き合いしたいです」

「決まり! 後でダメ男さんたちにも話してみよう!」

「お、おお……」

 無鉄砲というか命知らずというか。……似たもの同士なのか?

 おー、とダメ男たちが帰ってきた。

「なんだかやけに盛り上がってたようだけど、何かあったのか?」

 熱意というか何というか。

「実は、クリスさんも一緒に働いてみたいって」

「……」

 ダメ男は険しい表情を隠さなかった。フォト自身に悪気があるわけじゃないから、ダメ男も怒りはしない。ただ、

「本当にいいのか?」

 念を押して尋ねた。

「ダメ男さんが良ければ……なんですけど……」

「……」

 ふぅ、と小さく溜め息をついた。これは呆れてなのか悩んでなのかは分からない。どちらもかもしれない。

 ダメ男の反応を見て、フォトが申し訳なさそうに、

「ダメですか……?」

 おそるおそる聞いた。まあ、実質、オレらの命をダメ男たちが守ってくれてるようなもんだ。クリスが同伴することで危険を伴うことがあれば、あっさり断ると思う。

 しかしダメ男は断りはしなかった。

「オレは全然構わないよ。依頼主のフォトがそうするなら、その意向に叶うようにオレが頑張ればいいし。今回依頼された時点で何がしかの負担がかかるのは分かってたから辛くはないし」

 ややキツ目の言い回しだ。

「たださ、もう少し人を疑うことを覚えた方がいいよ」

「? どういうことですか?」

「クリスはどうして靴を履いてないんだ?」

「!」

 はっとクリスが何かを思い出したように、ダメ男を見た。

「自殺しに来たんだから履く必要もない。これは分かるんだけど、一体どこから歩いてきたんだ? オレが知る限り、ここら一帯には国はないはずなんだ。一番近くてフォトがいた国だ。休みなしで歩いたって二日以上はかかるし、クリスの体調じゃもっとかかるよ、きっと」

 クリスは俯いてダメ男の話を聞いていた。というかフォトとオレもよく要領がつかめてない。

「単刀直入に申し上げます」

 今度はフーに代わった。

「あなたは誰かに追われて、逃げている最中なのではありませんか?」

「誰かに? ……って?」

「オレに聞くなよ」

「……」

 クリスは答えなかった。深い事情があるだろうからオレらはそっとしたが、ダメ男はズバズバと突き進むように追及する。

「分かりました。では質問を変えましょう。フォト様の前では言いたくはありませんでしたが」

「?」

「見回りの最中に十二人の追手を始末してきました。身に覚えはありませんか?」

「えっ!」

 なんてこったい。オレらは包囲されてたってのか!

 それを何の事なしに済ますとは、やっぱり護衛を頼んでおいて良かった! ……嬉しい事じゃないけどな。でも、もしフォトが見ちまったら、それも惨殺死体なら間違いなく失神するぞ。

「安心していいよ。死体は目につかない所に弔っておいたから」

 わ、わざわざご丁寧にどうも。

「はっきりおっしゃってください」

「……」

 まるっきり尋問だ。こういう場面を生で見るのは初めてだから、フォトもおどおどしてやがる。ダメ男たちは全く気にしていないようだが、そんなフォトに投げかけた。

「フォト、どうする? オレとフーの質問に答えられない怪しいやつを一緒に連れてくか? もしかしたらオレらを騙してるかもしれない」

「だ、だましてなんかっ、」

「騙してはないけど本当のことはちっともって感じか?」

「……」

「正直に言えば、クリスを連れて行くのはオレは反対だ。ヘタするとフォトの家までこいつのお仲間か関係者が襲ってくるぞ。悪いけどそこまでお守りはできないよ。オレも旅しないと」

「……ごめんなさい。私、やっぱり死にます」

 すくっと急に立ったクリス。ま、まさかどっか行く気じゃ、

「!」

 ふぉ、フォトっ?

「一緒に来てください!」

 フォトがクリスの腕をつかんだ。

「フォ、トさん……」

「信じるのか? クリスの話を」

「もし、ダメ男さんが言うように追われてきたなら、クリスさんだってつらい思いをしてここまで来たんです! 本当に私たちを騙そうとしてるなら、あんな寂しい表情はしません!」

「?」

 あ、そう言えばダメ男たちにはまだ話してなかった。

「頼れるのは私たちだけなんです! だからクリスさんを助けないとダメなんですっ!」

「……!」

 ダメ男に対峙して言い放った。こっちからじゃ顔は見えないが、まあ真剣な表情なんだろうな。こうなると、フォトは引き下がらない。大の男に怯まずに怒鳴りつけるくらい胆があるんだ。

 ダメ男もそれを十分に感じたようで、もう一度溜め息をついた。

「……分かったよ」

 観念した。

「だけど、もし連れてくならやらなきゃいけないことがある」

「? それって?」

「まぁ待っててくれ。連れてくるから」

 誰を?

 フォトとオレとクリスがそう聞こうとしたが、ダメ男は森の暗闇に消えていった。

 

 

 数十分待っていると、縄でぐるぐる巻きにされた一人の男が一緒にいた。二十代後半くらいの男か? 身なりの良いお坊ちゃんってとこだ。

 見ると酷い顔だ。醜いって意味じゃなくて、ボコボコにされてアザや傷が酷いって意味だ。原型は多分カッコいい方だ。

「こ、この人……!」

「知ってるんですか?」

「ええ」

 クリスが知ってる顔か。

「ってことは、こいつがクリスを捨てた男ってとこか」

「そうです!」

「じゃあ、一から話してくれるよな、クリス?」

「……はい」

 クリスが男を睨みながら語り始めた。

「私がこの人を好きになったのは三ヶ月前でした。ここからすごく遠い国でこの人にナンパされたんです。ただ見ての通り、私は身体が弱くて満足にも出掛けられない。でもこの男は私の身体目当てで近づいたんです!」

 ギッ、と怒りに打ち震えて睨んでいる。おー、怖い怖い。

「それからストーカー行為をされて、最後に拉致されてここに……」

「追っ手は全員銃火器を持ってなかった。多分クリスを(なぶ)るために、そこまで用意しなかったんだろうな。で、そのことをじっくりと聞いてみたんだ」

 男の頭をつかんでぐいっと引き寄せた。その様子だと、じっくりと身体にも聞いたようだな。

「クリス以外にも同じような手口でここでやらかしてたらしい。今回のターゲットはクリスだったわけだ。危なかったなぁ」

 クリスはツイてた。たまたま今回の依頼を受けてなかったら、出会うことはなかった。クリスも幸運の星に生まれついてるようだ。

「フォト、何枚か頼めるか?」

「え? 写真ですか?」

「写真ってのは何も風景や人を撮るためだけにあるわけじゃないんだ。悪い使い方もできるんだよ」

「それは覚えたくないです」

「でも、いつか必ず覚えなきゃいけない時が来る。商売のためだけってわけじゃなく、誰かのために」

「?」

 フォトにはイマイチ分からない話だろう。

 オレはフォトに撮影の準備をするように命じた。この意味を後で教える代わりに。

 ぐるぐる巻きになったお坊ちゃんをクリスに引き渡す。そして湖の方へ。

 オレの考え通りなら、殺しはしない。いや、ひょっとしたらそこで殺してくれた方が幸せだったかもしれない。多分……。

 

 

 翌日、仕事を終えたフォトは一日かけて戻り、いつも世話になっている現像屋に頼んだ。現像屋は驚いていたし、さぞかしフォトを疑っただろうな。ダメ男が付き添いで説明してくれなきゃ、フォトの株が落ちるってもんだ。ただ、事情をきちんと説明すると、納得してもらえた。

「それじゃ仕方ないね。お知り合いの安全の保証のためなら、フォトさんも協力せざるを得ない」

「オレ個人の依頼だから、フォトに迷惑をかけることだけはしたくない。だから、ここだけの話にしてくれないかな?」

「私も一応商売人。プライバシーは徹底して守りますよ」

「ありがたい」

 すっと一枚の封筒をそっと差し出したダメ男。いわゆる“心付け”ってやつだろう。フォトから見えない角度で上手いこと渡していた。

「オレも今度、ここを頼るかもしれない」

「え?」

 例の品を受け取った“ダメ男”は丁重に自分のリュックにしまった。

 出る間際、ダメ男はそう呟いていた。

 

 

 昼過ぎ。フォトの家にお邪魔しているダメ男はいろいろと話していた。

「後味悪いか?」

「気持ち良くはありません。だって、あの男の人を脅してるみたいで……」

「うん。脅してるんだよ。そうしないと、クリスが死ぬことになるんだから」

「……」

 フォトの表情は曇っている。多分、初めてに近いな。仕事をやりきっても、もやもやするのは。

 でも、ダメ男の言い分は真っ当でもある。どうやってもクリスが助かる道はこれ以外思い当たらない。でも、フォトは自分の仕事を薄汚くて悪いことに使われて、でも人を助けていることはできている現実に複雑な感情を抱いている。だから、前みたいに自分の考えを主張したり押し通したりしない。

 きっと、ダメ男に対する印象も悪くなってるだろうな。

「悪いな。こっちが仕事を依頼した立場なのに、気分悪くさせてさ」

「いいよ、嫌われる分には。そういうの慣れてるし」

「ダメ男さんは悪い人を捕まえたのに、悪い人なんですか?」

 フォトがキツく言い切った。

「良い人ではないな。何人も殺してるし、何人も助けられなかったし……」

「世の中の人がフォト様のような方ばかりなら、こうする必要もないのに心苦しいです」

「え?」

 フォトが驚いてフーを見る。

「悪いことは悪いと言える人間は多くはありません。正直、こちらとしても良い行為とは到底言えません。できることなら、こんなこともしたくもありません」

「でも、現実はそうじゃない。クリスみたいな女の人をいたぶったり、もっと(むご)いことをしたりする奴もいる。オレもそうだと思うし。だから人それぞれってことでいいんじゃない? フォトはフォトらしくいてほしいよ」

「……はい」

 フォトとダメ男はそんなに年は違わないように見える。けど、ダメ男の方が良く言えば大人に見えた。悪く言えば汚くてゲスいヤツ。だが、そうでもしないと今まで生きてこられなかったんだろう。

「なんかごめん。説教っぽくなっちゃった」

「ダメ男はいつも説教される身分なのに、偉そうに気持ち悪いです。吐き気を催します」

「そのナリでどうやって吐くんだっ」

 ダメ男とフーが笑い合った。

「さて、そろそろ行くか」

「ええ」

 ダメ男が荷物を持って立ち上がると、店から出た。フォトも見送りする。

「護衛の報酬はあの写真で大丈夫ですよ」

「いやです」

「?」

「報酬はきちんと払います。悪い人でも手伝ってくれましたから」

「……」

 意外そうに、ダメ男は見開いていた。

「……いいやつだな。フォトは」

「ええ」

 ダメ男がフーを開いて、何かを操作しだした。初めて見るものだけど、何してるんだ?

 すると、オレを挟むようにフォトとダメ男が立った。

「ほら、レンズ見て」

「!」

 レンズってことは……。

「はいピース!」

 カシャン、とシャッター音がした。フーってカメラだったのかっ?

「フーさんってカメラだったんだ」

「いやカメラってわけでもないんだけど、まぁ、色んな機能があるんだよ。オレの旅はフーがいるおかげで成り立ってるようなもんだ」

 ダメ男がまた操作して、オレらに見せてくれた。真ん中にカッコいいモトラドがいて、隣には驚いた表情のフォト、反対側に笑顔のダメ男がいる。デジタルだからフォトの写真より質は落ちてるのか? でも、面白い写真だ。

「フーさんが写ってないけどいいの?」

「驚いた表情をたくさん残せれば大満足なのです」

 他にも写真を見せてくれた。大体の写真は困惑している顔だ。でも、笑ってるものがたくさんあった。風景は少なく、主に人物写真。

 その背景は様々だ。街並み、民家の前、城の中、瓦礫の山、軍隊の行進中。人々も高貴な大人から、服がボロボロの子供まで、本当にたくさん。ダメ男たちが壮絶な旅をしてきた証がフーに残されていた。

 フォトがそれを見て、

「見てるだけなのに、こんなに楽しい写真が撮れるんだ……」

 感動していた。

「さて……行くか」

「はい」

 フーをしまって、

「あ、待って、」

「またいつか!」

 笑いながら去っていった。

 

 

 翌朝。郵便受けには本来の仕事の謝礼とお礼の手紙、そして、

「あ」

 一枚の封筒が入っていた。

 まずはお礼の手紙だな。フォトがいつものように見せてくれた。

「『極上の風景ありがとうございました。一日の流れが想像できるような写真に、とても感動しました。これら写真は私の思い出にし、家に飾ろうと思います。この度は本当にありがとうございました。』か。まさか、撮りまくった写真を全部繋げるように送るなんてな。フォトもよく考えたもんだ」

「たくさん喜んでほしいからね!」

 依頼主はさぞかし嬉しがってるだろうよ。なにせ、謝礼の封筒が手紙に書いてあった分の三倍以上の厚みがあるんだから。

 フォトはこんなにいらないって言うが、これは依頼主の満足度みたいなもんだから受け取っておけ、と言い伏せた。ずるい言い方だが、フォトは言葉の意味を真っ直ぐ受け取って、喜んでいた。事も言いよう、だな。

 そしてダメ男の方は、と。

「……」

 フォトが恥ずかしそうに見せた。あは、フォトの困り顔がいい感じだ。オレも相変わらずカッコよく写ってる。

「ねえ、ソウ」

「なんだ?」

「ダメ男さんたちって良い人悪い人どっちなのかなあ」

「さあな。良いか悪いかなんてどっちだっていいじゃねえか。その写真を見て、フォトがどうなのか判断すればいい」

「……」

 じっと見てる。バカ正直というか生真面目というか。でもそこがいかにもフォトらしい。

「うん!」

 にこりとして、オレを見た。

 

 

「ありがとうございます、ダメ男さん。ここまで付き合ってくれて」

「いやいや、頼まれればやるよ。それに次の国を探す手間も省けたしな」

「楽しかったですしね」

「ああ。またいつかフォトに写真を頼みたいな。しかもあれ、高いやつだろ?」

「はい。専門店でもそう簡単には手に入らない逸品と思われます。それをフォト様のような女の子が扱えるとは、よほど写真が好きなのだと思います」

「それもあって今回は神経使ったわ……。運が良かったとしか言えないな」

「そうですね。ところでダメ男、この男をどうしますか? 警察に突き出しますか?」

「ひ、ひぃ、おっお助けを……!」

「クリスに任せるよ」

「私は……この人と付き合います」

「……えっ!」

「なっなぜですっ?」

「だって最高の脅し道具が手に入ったんですもの。この人は貴族の息子ですし、玉の輿に乗らない手はありません」

「え、ほっ、そっそれだけはっひぇっ」

「もちろん、結婚してくれますよね? あなたのこの写真をバラまいてもいいというならいいですけどね。最悪、あなたの一族は一生の恥を背負うことになるのでしょう。そうすれば一族は没落、国外追放も免れません」

「はっはひ、わっかりましたっ! 結婚します! だからバラまかないでええっ!」

「さて今回のお礼のおもてなしをさせてください、ダメ男さん、フーさん。一国の最高貴族のおもてなしをいたしますわ」

「おーまじかー。楽しみだなー」

「ダメ男も悪い人です。その悪人変態ヅラをフォト様に見られたら、完全に嫌われるでしょうね」

「ん? なんか言った?」

「いえ、何もありません」

「そもそも、フーがこの作戦を思いついたんだから、オレが悪人なら、フーは極悪人だろ。お前、完全に楽しんでるよな?」

「失礼ですね。弱者を甚振り虐げる人間には相応の罰が必要だということです。何事も穏便に、そして平和的がいいですよね。ふふふ……」

 

 




 皆様どうも、水霧でございます。
 一ヶ月以内にと言っていたのに、投稿がこんなにも遅くなってしまって申し訳ありませんでした。活動報告にも記しましたが、これからは一気に投稿するのではなく、一話ずつ投稿していきたいと思います。
 さて、初めてシズたちや師匠たち、フォトたちを書きました。実際に手を付けてみると、原作ってすごいなあと思い知らされます。キャラクターの話し方や仕草、物語の進み方がまるっきり違くて、原作を何回も読み直しながらの作業でした。あと、銃とカメラの描写が詳しすぎて水霧の浅識では限界が……(汗)
 ですが、どのお話も書いていて楽しかったです。師匠はこんな話し方しないだろ、とかシズがこういう風になったらどうなるんだろうとか、一人でボケツッコミして気持ち悪かった(笑)
 さて、あとがき(という名の感想)は以上になります。もし、読者様でご要望等あれば、時間が空き次第受け付けていきたいと思います。次からはご要望を先に投稿して、第二章を後出しで投稿する形になると思います。
 重ねながら、投稿が遅くなってすみませんでした。早めに投稿できるように努力しつつも、長い目でお待ちいただけたらと思います。
 そして今回、素敵なご要望をしていただいたalias(nonentity)様、十六夜の月様、本当にありがとうございました!
 それではまたいつか!


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