TSして聖女になってしまった少年のお話 (あじぽんぽん)
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モーリィという少年

「うう、ちくしょぅ……」

 

 ミレー……。

 

 陽だまりのような髪と鳶色の瞳をした明るくて優しい少女。

 彼女はモーリィの初恋であった。

 出会った瞬間に一目惚れをした。

 愛らしい顔立ちに小柄な体、そばにいるだけで元気を与えてくれる、生命力あふれる力強い内面にも惹かれていった。

 少年は告白をするつもりだった。

 

 しかし……。

 

『ねぇ、モーリィ聞いて、私ね、勇者様と一緒に旅に行くことになったの!』

『え、ゆ、勇者?』

『勇者様って私に一目惚れして、どうしてもきて欲しいって、うふふっ』

『ひ、一目惚れ?』

『うん、急な話だけどもう出発なの、モーリィも元気でねっ!』

『え、ええぇ!?』

 

 それは、ほんのつい数時間前の出来事。

 モーリィはただいま王都で絶賛売り出し中の勇者とやらのどこぞの何某に、好きになった少女を横から奪われてしまった。

 そして職場の先輩であり何かと親身になってくれる騎士ルドルフの家で惨めに飲んだくれていたのだ。

 

「しかし、ミレーがあの最近噂の勇者にか……」

「うぅ、そうなんです。ちくしょうちくしょう」

「ふむ……まあ、飲め、モーリィ」

「うううううぅぅぅ」

 

 ルドルフが木製のコップに入れてくれた酒を一気に飲み干す。

 普段は酒を嗜まないモーリィだが今夜は飲まずにいられない。

 果実から造られた酒は甘いはずだがほろ苦い味がした。

 彼の細君であるターニャがモーリィの様子を心配そうに見ながら、追加の料理をテーブルの上に置いた。

 少しタレ目気味だが緩やかな黒髪と褐色の肌を持つ愛嬌のある美人さんで、気立ても良く近所でも評判のいい女性である。

 

 ルドルフ夫婦には、モーリィが砦街に来た頃から色々と面倒をみてもらっており、それこそ身内のような付き合いだった。

 

「大丈夫かいモーリィ? しかしミレーが勇者とねぇ……わたし、てっきりアンタと一緒になるモノかと思っていたんだけどねぇ」

「うっー!」

「おいおい、ターニャ……」

「あっ、ご、ごめんよモーリィ。わたし別にそんなつもりでは!?」

 

 モーリィは泣きながらテーブルに置かれた料理を自棄食いした。

 

 何が悪かったのか、何が足りなかったのか。

 いつまでも告白できない優柔不断さが駄目だったのか。

 それとも出会って直ぐに告白できる勇者の半分も勇気があれば今頃は違う展開もあったのだろうか?

 酔いの回ったモーリィに答えはだせなかった。

 

「ちくしょ! こんな悲しい思いをするのなら女なんていらない! 男になんて生まれてこなければよかった!!」

 

 泣きむせび杯を煽るモーリィ。

 振られた男は必ず同じようなことを言うし思うものだ。

 ルドルフとターニャは顔を見合わせた。

 これは処置無しと思い、失恋の最高の治療薬……酒を好きなだけ飲ませてあげることにした。

 こういう場合は飲んで忘れるのが一番である。

 しかしこの後に少年の身に起きる出来事を知っていたのなら、そんな楽観的な考えはできなかっただろう。

 

 知っていても、どうにもならなかったと思うが。

 

 ◇

 

 モーリィは辺鄙な田舎の出であった。

 彼自身、辺境の村で農夫として一生を終えるものだと思っていた。

 農民としての生き方は嫌いではなく、他になりたいものも無かったので納得もしていた。

 そんな根っからの農耕民であるモーリィの運命が変わったのは十四歳になったものが受ける成人の儀式である。

 

 成人の儀式……人が持つ資質や才能を判別し、クラスという形で明確にする儀式。

 

 特殊能力を得る一部の希少クラス以外は、発現したクラスに関わる職業に就くことは決して必須ではなく、儀式とは将来への指針の一つとして受けるものであった。

 そのためモーリィは、どのようなクラスが出ても両親と同じ農夫として生きていくものだと考えていた。

 色々な意味で天然で愉快な夫婦の息子である自分が、希少クラスを引くなど夢にも思わなかったのだ。

 

 クラス:???

 

 モーリィが得たのは謎のクラスであった。

 これは極稀にあることで、管理者と呼ばれる超常存在さえ認識していない新しいクラスが出現すると、何らかの条件を満たすまでクラスの名称が不明のままなのだ。

 

 モーリィは街の儀式の間から直ちに王都まで連行された。

 

 王宮内にある王宮魔導士の施設で様々なクラスの特性を測る試験を受け、結果は特性的に白魔導士が一番近いと判定される。

 本来のクラスが発現するまでは実務経験が積める砦街で、騎士団所属の治癒士として仕事をすることになったのだ。

 

 強い権力を持つ王宮魔導士長が決定し国王も承認したことである。

 

 王国の民であるモーリィにはもちろん逆らうことはできず、黙って従うしかなく、自分の意思とは関係無く決まっていく未来に激しい不安と心細さ感じた。

 

 ミレーと出会ったのはそんな頃だ。

 

 砦街とは、街部分ならともかく砦自体は一部の施設を除いて女っ気は殆どなく、いるのは女と呼ぶのは少々はばかれる十三名の女騎士(ごりら)と下働きの多くのご年配のご婦人方だけだ。

 

 そんな環境……モーリィにとってミレーは乾いた砂漠に咲く一輪の花だった。

 

 同じ白魔導士系列に同じ職場。

 近い年齢ということもありすぐ仲良くなった。

 ミレーは田舎者で都会の常識を知らないモーリィを馬鹿にすることなく、様々なことを優しく丁寧に教えてくれた。

 

 モーリィはますますミレーに好意を抱いた。

 

 脳筋な騎士連中に冷やかされつつも応援を受け、遅々たる歩みであるが出会ってから二年もの間ささやかな親愛を育んでいった……とモーリィは思っていた。

 しかしモーリィが決意して愛の告白をする前にミレーは勇者と共に冒険の旅に出ていってしまう。

 

『ちくしょう! もう一生、女なんて好きになるものか!!』 

 

 ルドルフの家で自棄酒をしこたま飲んだモーリィは、そんな言葉を心の中で繰り返し、砦の宿舎までフラフラに酔っぱらいながら戻ったのだ。

 

 ◇◇

 

 モーリィがベッドから起きると頭痛と体全体に熱があった。

 二日酔いではないと思うが変な感じである。

 背伸びをして背中まである長い髪を首元で一つにする。

 もう二年以上は切っていない……。

 モーリィは短くしたいのだが切ろうとすると、砦街の最高責任者である騎士団長が凄まじい勢いで反対してくるのだ。

 

 モーリィには長い髪が似合うし将来的(・・・)にかならず必要になると、力説した騎士団長の様子を思い出してモーリィは身震いした。

 

 身支度をしようと、汲み入れておいた桶の水に映るのは、白銀色の髪に澄んだ空色の瞳を持つ少女のような顔立ち。

 モーリィは桶の水鏡に映る歪んだ自分の顔にため息をつく。

 彼の容姿は瓜二つと言えるほど母親似であった。

 

 モーリィの母は昔から村どころか周辺一帯でも一番の才色兼備(現役維持)として有名で、父と一緒になるまで結婚の申し出が後を絶たなかったという。

 辺鄙な田舎にいるのは勿体ないほどの淑やかで美しい女性。

 それがモーリィの母親に対しての世間の評判であった。

 息子のモーリィにしてみれば世の他の息子と一緒で、母は口煩いだけの唯の面白いオバハンだったが。

 そんな母の美しい容姿だけではなく、男としては華奢で小柄な体格までも余すことなく受け継いだモーリィは、幼い頃から女だと勘違いされ多くの悲劇を味わってきた。

 

 その一つが男に言い寄られることである。

 

 勘違いや誤解ならまだマシだ。

 危険なのはそれでも構わないと言い寄ってくる男たちだ。

 モーリィは以前『むしろそれがいいんだっ!』と言われて襲われたことがあった。

 近くで井戸端会議をしていた母と友人のご婦人方が、モーリィの絹を裂くような悲鳴を聞いて駆け付け、男色家に叩く蹴る踏むなどの鉄槌を執拗かつ満遍なく加えて救出をしてくれたので事無きを得た。

 

 ただその際に……。

 

『このような華奢でか弱い女子(・・)を無理やり襲おうなどとは許せんっ! 男子の風上にも置けぬ! ええいっ痴れ者めっ恥を知れいっ!!』

 

 などと、やたらと古風で男前なことを言いながら、男色家を教育(ふみつけ)していたご婦人方が非常に気になった。

 恐怖でプルプルと母親に抱きついていたモーリィには、怒り狂う彼女たちの言葉を訂正することはできなかった。

 しかも彼女たちはモーリィの幼い頃からのご近所さんのはずなのだが?

 

 モーリィに対しての騎士団長の接し方は、それらの男色家と同じものを感じる。

 

 騎士団長は宮廷の高貴な貴婦人方と浮世名を流すほどの貴公子であるらしい。

 しかしモーリィは、それは世間を誤魔化すための偽装ではないかと密かに疑っていた。

 もちろん確かめたわけではないし本人には聞けない。

 仮に本物だったら騎士団長の性剣と性技で、モーリィのお尻が切り刻まれる可能性があるのだから。

 

 夜番と朝番の勤務交代の笛の音が聞こえた。

 

 モーリィは寝過ごしてしまっていたらしい。

 顔を真っ青にして食事も摂らず、慌てて砦の治療部屋へと向う。

 宿舎の自室から職場までは短い距離だが微妙に走りづらく感じた。

 昨晩は部屋に戻ってきてからそのまま寝てしまったので、服は昨日着ていた物と同じ筈なのに丈が合っていない気がした。

 胸やお尻が少しきつく、逆に裾周りや腰は少し緩く余って股間などはスカスカして、朝から妙な違和感があるのだ。

 

 治療部屋の扉を開け、薄暗い室内に入ってから深いため息をついた。

 

 誰もいない部屋。

 治療部屋に勤めていたのはモ-リィとミレーの二人だけだった。

 そして今日から一人の勤務だから慌てる必要もなく、例え遅刻したとしても優しいミレーはいつでも明るく笑って許してくれただろう。

 そんなミレーの笑顔を思い出し失恋の痛みに再び涙があふれ出す。

 モーリィは一人きりの孤独な部屋で椅子に力なく座り、机に突っ伏しってオイオイと泣きだした。

 

「おーい、モーリィいるか? てっ、オイッどうしたよ!?」

 

 扉を開けて治療部屋に入ってきたのはトーマスであった。

 彼はルドルフと同じ砦の騎士でモーリィの先輩だが、頼れる兄貴分というよりは頼れる悪友といった間柄である。

 赤毛の髪にやや三枚目な顔立ちと細く長身な体つき。

 一見は、優男風であるが砦の騎士をやっている。

 見た目に反して体力馬鹿であることは確かだ。

 

 トーマスは女顔という最高のネタ提供者であるモーリィを何かにつけてからかって遊ぶのだが、今回は泣いてる姿を見て大体の事情は聞いていたのだろう。

 モーリィの肩に手を置いて優しく話しかけてきた。

 

「あーなんだ。ミレーのやつは残念だったな。今は辛くても、いい出会いはまた必ずあるさ」

 

 そういって不器用に慰め肩をポンポンと叩く。

 いつもならば同僚の恋愛破局話でも容赦なく笑うのに珍しく励ましてくれる。

 初恋敗れたモーリィに対してからかえる状況じゃないと判断したのだ。

 思いがけない彼の優しさにモーリィは感動した。

 

 モーリィは顔をあげ涙を拭いて無理やり笑顔を作る。

 

「ありがとうございますトーマスさん。それで何の用事ですか?」

 

 涙の後が残る頬に悲しげな笑顔。

 トーマスは口を開け呆然とモーリィを見ていた。

 その様子を疑問に思いながらモーリィは再び呼びかけた。

 

「あの、トーマスさん?」

「あ……あぁ、わ、悪い。ちょっいボーッとしてた」

「は、はい?」

 

 何故か頬を染めるトーマス。

 そして歯切れの悪い返答をしたと思うと突然真剣な眼差しになり、モーリィの顔を様々な角度から眺めるという奇妙な行動をとりだした。

 モーリィも自分の顔に何かあるのかと思わず手で頬を触って確認してしまう。

 

「……先ほどから本当に何なのですか?」

「いや、本当に悪い……あぁ、今朝は合同訓練があるから、いつも通り怪我人出た時のために外の修練場で待機してくれるか?」

「はい、分かりました。少し準備してから向かいますね」

「おぅ、待ってるぞー」

 

 騎士トーマスは何度も首を傾げながら治療部屋を出て行く。

 扉をくぐる際に『なんだ、さっきのモーリィは妙に色っぽかったな?』と呟いたが、その声は小さすぎてモーリィまでは届かなかった。

 

 

 モーリィは処置用の道具を背負い袋につめて折り畳み椅子と一緒に持つと、治療部屋の扉に『外出中』と書いた看板をかけ、テクテクと歩いて野外修練場へと向かった。

 

 それなりの距離を歩く。

 

 野外修練場は砦の中に設置されており、かなりの大きさが取られている。

 第一から第五まである騎士隊の野外訓練や馬術など練習。

 砦街住人の緊急時の避難所。

 また隊別対抗運動会にも使用される場所であった。

 

 ちなみに運動会は年に二回行われ、脳筋といわれる砦騎士の中でも、更に選ばれたエリート脳筋と名高い第三騎士隊が優勝候補筆頭である。

 つまり、これに優勝することは王国一の最高(ばか)名誉(おめい)を授かるのだ。

 

 今週は第二騎士隊は砦警備任務中で、周辺警戒任務についてる第四と街の治安維持専門の第五を除いた第一と第三での訓練。

 少し離れた場所にいる騎士たちの中に第三騎士隊所属のルドルフやトーマスの二人がいる。

 モーリィは彼らの元まで歩いて行った。

 

「おはようございます、ルドルフさん。昨日は迷惑をおかけしました」

「ああ、おはようモーリィ。昨夜のことは気にするな、もう大丈夫なのか?」

 

 ルドルフの質問にモーリィはうなずく。

 

 灰色の髪に薄茶色の目。

 鋭い顔立ちと分厚い筋肉を持つ引き締まった肉体。

 どっしりとした立ち姿には貫禄があり、女顔で男としては小柄で細いモーリィが密かに憧れて理想とする男らしい容姿と体格をもったルドルフ。

 彼は堅物な性格だが、真逆の性格のトーマスとよく一緒にいる。

 幼馴染ということもあるのだろうが公私に関わらず非常に仲が良い。

 

 ルドルフは顎に手を当てしばらくモーリィを見ていた。

 それからトーマスに視線を向ける。

 それに対して『どうよ?』というトーマスの仕草。

 

「トーマスの言う通り、少し頬がふっくらとしているが太ったのか?」

「え、ええっ?」

 

 ルドルフから突然質問をされてモーリィは返答に困ってしまう。

 

「ええっと、ルドルフさん?」

「ふむ、俺の勘違いかもしれん。すまない気にしないでくれ」

「は、はい……?」

 

 困惑するモーリィを置いて二人とも修練場に歩いていく。

 修練場の外にいた騎士たちもゾロゾロと集まってきていた。

 そろそろ訓練の開始のようだ。

 モーリィが手持ち無沙汰に眺めていたら軽くお尻を叩かれた。

 振り向くと女騎士(ごりら)たちが笑いながら手を振り通り過ぎる。

 微笑み、手を振り返したモーリィだが、少ししてから深いため息がこぼれた。

 

 モーリィが治癒士として訓練で行う仕事はそれほどない。

 

 怪我人がでた際に治癒術を使う程度だが、元々この砦の騎士たちは頭まで筋肉でできている可哀想な連中である。

 入隊時は普通でもいつの間にやら知性を失い、脳筋たちの仲間入りを果たしているのだ。

 魔獣ひしめく山奥に、何一つ持たぬ全裸で放置しても野生化して生きていける脳筋たちである。

 骨折程度なら何もしなくても勝手に治してしまう。

 というか彼らは怪我をしたことにすら気がつかない。

 本当に残念で可哀想なことに怪我という概念を理解できるだけの知能が既にないのだ。

 

 馬鹿は風邪ひかないと同じ理屈である。

 

 モーリィが仕事をするのは手足が千切れる……もしくはその一歩手前のような重度の怪我を負った場合だけだ。

 そこまでいくと流石の彼らでも自然治癒には時間がかかるらしく、そのおかげでモーリィはここ二年ほどで凄惨なモノに対しての耐性がついてしまった。

 今では内臓が出た……腕が吹っ飛んだ……全身黒焦げだ……程度の治療では動じなくなっている。

 頭と心臓さえ無事なら人間何とかなるものだと砦に来てから学んだ。

 多分ここの常識は他では通じないことも、そこはかとなくモーリィは気づいている。

 

 そういうわけで、やることがなくモーリィは暇を持て余していた。

 

 折り畳み椅子に座り両手の平にあごを乗せ、騎士たちの訓練を見ていたのだが先ほどからやたらと視線を感じる。

 視線の先を追うと騎士たちがモーリィを見ているのだが、顔が合うと慌ててその場から離れていくのだ。

 どの騎士も頬を赤く染めているのが不気味である。

 騎士団長がアレだ……配下の騎士達にもアレが移ってしまったのではないだろか?

 

 モーリィはその恐ろしい想像に身震いした。

 

 騎士たちを薙ぎ倒す女騎士(ごりら)たちだけが頼もしい同士(なかま)であった。

 後で砦の井戸端会議のときにでも、自家製の薬草クッキーを持って行こうと考えるモーリィ。

 

 怪我人(重傷者)はでず、午前の訓練は終わり昼食の時間になった。

 

 モーリィはルドルフとトーマスの二人と合流して、食堂で料理を受け取るとテーブルについた。

 今朝はご飯を食べていないので非常にお腹が空いていた。

 ところがここで異変があった。

 最初は口いっぱいに頬張って食事をしていたモーリィだが、半分ほど食べたところでお腹が膨れ料理が入らなくなったのだ。

 いつものモーリィなら、この程度の量は問題ないはずなのだが。

 

 おかしな様子に気づいたのか二人がモーリィに声をかける。

 

「おいおい、大丈夫かモーリィ? 失恋がまだ堪えているのか?」

「トーマスの馬鹿が言うことはともかく、体調が悪いのか?」

「わかりません、お腹にこれ以上、入りそうにないです……」

 

 モーリィは悲しくなって顔を伏せた。

 トーマスはその表情を見て頬を染めるとゴクリと唾を飲み込み、ルドルフは眉間にしわを寄せる。

 

 モーリィは料理の残った食器を持ちあげ片づけることにした。

 

 沈んだ気分のまま治療部屋へ戻るために通路を歩いていた。

 唐突にミレーの笑顔を思い出して、ジクジクとした痛みが下腹部にはしる。

 今日は朝からゴタゴタしていて手洗いにも行ってないことに気づく。

 モーリィは治療部屋に戻るのを止めて手洗い所に向かうことにした。

 

 手洗いの個室に入る。

 

 モーリィはお尻に引っかかるズボンを苦労しながら下げ、下着から息子を取り出そうとしたところで全く手ごたえがないことに気がついた。

 慌てて深く手を突っ込むと、いつもいるご子息はご不在で、代わりに何かつるつるした溝のようなものに指先が触れた。

 

 そのまま力を入れると、ぐにゅっと、指がわずかに沈んだ。

 

 絹を裂くような悲鳴をあげてモーリィは意識を失った。



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白銀色の聖女

 モーリィは自室のベッドで目を覚ました。

 夢うつつの中、自分の呼吸音だけが聞こえる。

 なにかを思いだそうとして、思いだすことができなかった。

 ただ、悪い夢を見ていたらしいということは分かる。

 

 ――本当に夢だったのかな?

 

 ぼんやりと、そんな言葉が思い浮かぶ。

 身じろぎせず天井を見あげていると人の気配を感じた。

 ベッド横の椅子に腰かけて心配そうにモーリィを見つめるターニャがいた。

 

「……起きた? 大丈夫かいモーリィ?」

「あれ……何でターニャさんがここにいるんですか?」

「モーリィ……あんた、何があったのか覚えているかい?」

「…………あっ!?」

 

 モーリィは上半身を無理やり起こした。

 途端に目眩を起こし体が大きくふらついた。

 ターニャが慌てて腕を回して支えてくれなかったら、ベッドから転げ落ちていたかもしれない。

 

 その際、モーリィは自分の胸の()を、ターニャの手で包まれるようにつかまれる、今までにない不思議な感触を覚えた。

 

 ターニャはモーリィを慎重にベッドに誘導して寝かせた。

 そしてモーリィのまぶたを、自らの手の平で撫でるようにおおった。

 昔、幼いころモーリィが寝付けないとき、母がよくしてくれたなぁとぼんやり考える。

 

「……ターニャさん?」

「モーリィ……まだ体が追いついてないみたいだから、もう少し休みなさい。話はまた起きてからしてあげるから……ね?」

「はい……」

 

 まぶたの上に乗せられた、ひんやりとしたターニャの手の平があまりにも気持ちよくて、モーリィは再び眠りについた。

 

 自分の身に起きた肝心な出来事も忘れて……。

 

 ◇

 

 騎士団長の執務室。

 

 砦の行政施設の建屋の一室にあり、砦街の司令塔ともいえる重要な部屋である。

 モーリィとしてはできるならば訪れたくない場所だ。

 理由は言わずもだが、少なくとも一人で来るほど命知らずでなければ、お尻の貞操観念も低くはない。

 

「つまりモーリィ、それが君のクラスということだよ」

 

 騎士団長のよく通るバリトンの声はモーリィの耳に入ってこなかった。

 ソファーに座るモーリィの対面には、同じくソファーに座る騎士団長。

 金色の髪に青い瞳のがっちりとした筋肉をもつ、三十前後ほどの見た目の大男。

 その巨漢に反して洗練された雰囲気と整った容姿を持つ美丈夫で、貴族としては非常に珍しいタイプらしく、宮廷の貴婦人方などに人気があるらしい。

 人として様々な欠点を持つが、それ以上の長所を持つ男……それが砦の騎士たち(脳筋)の彼に対しての評価である。

 

 つまりこの男も基本的には脳筋(ばか)である。

 

 しかし脳筋とはいえ、国の重要拠点の一つである砦街の全責任をこの若さで受け持っているのだ、有能であることは確かである。

 それは貴族の階級社会や、組織構造などに疎いモーリィでも十分に理解できた。

 普通に考えて尊敬に値する人物……そう言ってよいだろう。

 

 ただ、男色家の疑いがあり、それにモーリィが関わっていなければの話である。

 

「モーリィ? 聞いているか?」

「あ、は、はいっ!」

 

 騎士団長の呼びかけに、現実逃避するように考え事をしていたモーリィは我に返って慌てて返答した。

 そして、自ら発した声に思わず眉をしかめてしまう。

 モーリィの予想以上に高い声がでたからだ。

 声というものは自身が思っているよりも高い音質であることが多いが、先ほどのは明らかにそのようなモノではなかった。

 

 簡潔に言うと……。

 

「ははっ、モーリィ、随分と愛らしい声になったではないか?」

「………………」

 

 紛れもなく、モーリィの口からでたのは、うら若き乙女の声であった。

 

「そしてその姿……艶やかさと清楚さを同時に感じさせる美貌と相まって、実に素晴らしいぞモーリィ。まさに完璧。スパスィーバ」

 

 そう抑制のない口調で言って、騎士団長はもったいぶった拍手をした。

 なにほざいてるんだこの騎士団長(ばかだいひょう)は……。

 部屋にいた全員が、騎士団長に対して頭が愉快な人を見るような冷めた視線を向けた。

 

「まさしく『聖女』として相応しい……そう思わないかお前たちも?」

 

 騎士団長が発した言葉に、部屋が一瞬で沈黙に包まれる。

 モーリィの不明だったクラスが発現した。

 そう、条件を満たし発現してしまったのだ。

 

 それが『聖女』である。

 

 付き添いで来た三人。

 ルドルフとトーマスとターニャは、体を細かく震わせるモーリィを心配そうに見つめた。

 

「モーリィ……残酷なことを言うようだが、君には聖女として……いや、これからは女として様々なことを学んでいってもらわなければならない」

「………………」

「まだ混乱しているだろうが、現状を受け入れられるように努力して欲しい」

「…………はい」

 

 モーリィは湧きあがる色々な思いを飲み込んで答えた。

 そうしないと感情のまま喚き散らし、八つ当たりしながら泣き叫びそうだったから。

 隣に座っていたターニャが優しく手を握ってくれた。

 その気遣いに、ほんの少しだけモーリィの心が楽になった。

 

 ◇◇

 

 取り敢えずは本人の今までの役割も考慮して、砦預りのままとなったことにモーリィは安堵した。

 砦街は二年もいる場所である。

 第二の故郷と言えるほどには愛着がわいていたのだ。

 次に宿舎の移動を行うことになった。

 男所帯(ぶたのむれ)の中に、聖女を住まわせておくことは危険すぎてできないからだ。

 

 そう、今のモーリィは紛れもない女なのだ。

 

 女性的な容姿に相応しくなかった男という性から、その容姿に見合った女という性に変化してしまった。

 聖女というクラスであることは魔導具を使い確認済みである。

 男から女への性別変換については、クラスを得ることによって引き起こった肉体変化ではないかという説が今のところは有力である。

 砦勤めの騎士たちの頭のおかしい頑丈さもそうだが、実際のところ騎士のクラスを得ている者は数名しかいないので、連中は素で頑丈なだけだろう。

 

 だが女騎士たちのクラスは全員が女騎士(ごりら)だ。

 

 モーリィの引っ越し先は女騎士たちのいる砦内の特別宿舎に決まった。

 その建物は本来は要人宿泊用の施設で、高貴な貴婦人が、砦の訪問をされる際などに使って頂くものだ。

 

 これには理由があり、先代の王の時代……。

 

『わたくし前線の兵士の生活にも理解がありますので贅沢は申しませんわよ?』

 

 などと訪問予定のお姫様が素晴らしく慈悲深いが無慈悲なことを仰り、折角準備していた街の高級宿を蹴って、砦の宿舎に宿泊しようとしたためにわざわざ建築したものである。

 

 砦の宿舎に泊めたのでは、騎士(さる)たちが無礼を働く危険性があるのだ。

 

 実はこのようなことをほんの思いつきで仰る高貴な方々は非常に多い。

 本当に御迷惑だから余計なことは考えないで、身のほどをよく理解して発言していただきたい。

 実働部隊ではない女騎士たちが砦にいるのも、別に猿の調教をするためではなく、そのような高貴なご婦人方がやってきた際の護衛役だからだ。

 

 どんなに頑張っても騎士達(さるのむれ)では女騎士(ごりら)には勝てない。

 

 モーリィは女騎士たちの部屋に囲まれる配置の個室をもらった。

 元の宿舎の二倍以上の広さをもつ部屋を見て変な笑いがでたが、特別宿舎の中では狭い方であるとか。

 最初は聖女という希少クラスと、その能力のこれから先の貢献などを考慮して、やんごとなきお方が泊まる部屋の一つを解放する手筈だった。

 しかしあまりにも部屋が広すぎてモーリィが断ったのだ。

 

 手洗いだけでも元の部屋と同じ大きさというのは、一般庶民であるモーリィには恐怖しか感じない。

 

 ターニャがしばらく一緒に生活して助けてくれたのは、女の体に不慣れなモーリィとしてはありがたかった。

 ルドルフが心配し、騎士団長に直訴して頼んでくれたのだ。

 騎士団長としてもお願いしたいところだったので喜んで許可をくれた。

 

 ただモーリィが困ったのはターニャが普通に肌を見せることだ。

 

 ウェーブのかかった美しい黒髪に張りのある褐色の肌。

 大きな胸とほっそりとした、しかし程よく肉のついた腰回りなどは妙齢の女性の完成された美しさがあった。

 まだ少年の心を残し、女に慣れないモーリィが見惚れて、情欲の感情を抱くには十分すぎるものであった。

 そのことにモーリィは、ターニャとその夫であるルドルフに、どうしようもない後ろめたさを感じてしまう。

 だが二人ともモーリィに関しては、今まで少し年の離れた弟として見ていて、それが妹に変わったんだと考えれば、罪悪感も少しずつ薄れて慣れていった。

 それにターニャもモーリィに女としての自覚を持ってもらうために、わざと自分の裸を見せている節があった。

 そのことにモーリィが気づいたのはしばらく経ってからのことだが、彼女には感謝の気持ちしかなかった。

 

 ターニャは女として、モーリィに様々なことを教えてくれた。

 

 男と女の生活習慣の違いから、男には聞かせられない類の話。

 モーリィには今のところ来てはいないが月のものの処置の仕方など。

 女騎士たちは女性らしい方面ではあまり役に立たなかった。

 砦の(おとこ)より(おんな)らしいと噂され、街の若い娘たちの熱い視線を集める女騎士(イケメン)たちは流石に違う。

 

 女性が持つべき男性に対しての最低限の警戒心や、勘違いされないための心得だが、モーリィはこれが普通にできていた……できていてしまったのだ。

 

 幼い頃より女と勘違いされ誤解されることの多かった人生が、ここにきて役に立ったのだ。

 男に対しての警戒心は下手な田舎娘よりも高く、少なくとも幼女といい勝負の女騎士たちよりは遥かに上であった。

 

 女性的な立ち回りや言葉使いに関して、いくつか指摘されたがそれほど矯正されることはなかった。

 ターニャがモーリィの気持ちを考え無理に押し付けないほうがいいと判断したのと、元から攻撃的ではない落ち着いた物腰や柔らかい喋り方が多かったので、それほど変える必要もなかったのだ。

 騎士団長からはいずれ公式の場にでることも考え、一人称を私にするように言われたが、その程度ならとモーリィは了解した。

 

 聖女に、女になったことに対して思い悩むことは多々あった。

 

 しかし、モーリィが不安な気持ちを抱えて砦街に来たときとは違い、支えて、応援してくれる人が多くいる。

 ターニャやルドルフやトーマス……そして女騎士といった周りの者たちの好意と恩に応えるため、前向きに生きていけるようモーリィは努力していったのだ。

 

 だが、治癒士として聖女として、そして女としてモーリィは油断をしていた。

 

 ◇◇◇

 

 仕事復帰の一日目。

 

 モーリィは治療部屋で大勢の騎士の相手をすることになった。

 

 筋力全振りでいくら知力の低い砦の騎士たちとはいえ、元男に対して好意を抱くような奇天烈な行動を取る者はいないだろうとモーリィは甘く見ていたのだ。

 

 治療部屋は大混雑。

 

 以前は閑古鳥だったのが信じられないありさまである。

 砦の騎士は骨折や内臓破損などの怪我をしても大抵気合いで治すので、普通の治療というものは、彼らには全く必要のない未知の概念だったからだ。

 

「指を切った」「擦り傷できた」「虫に刺されたよう」

「唾をつけるか痛いの痛いの飛んでいけ……する前にもう治っていますよ」

 

「お腹が痛い」「頭が痛い」「関節が痛いよう」

「毒液飲んで毒風呂入るような酷い状態でも、自然治癒で治りますよね?」

 

 ここまではいい、彼らはまだ普通の騎士(あほ)だった。

 モーリィもこの程度なら、微笑みながら茶飲み話をし、メチャクチャ苦い薬草茶をだしてあげるくらいの愛想を持っている。

 

「愛が欲しい」「君が欲しい」「その見事な胸部装甲(たわわ)を揉んでもいいか?」

 

「意味がわかりません……というか仕事の邪魔なんで死んでいただけませんか?」

 

 ちなみに、たわわ発言は愉快なトーマスさん。

 

 それを横で聞いていたルドルフが、夫婦共々モーリィの重度な兄(姉)馬鹿と化していた彼が、鬼の形相でトーマスたちを縛りつけ裏の池に沈めた。

 冗談抜きで本当に殺ったのである。

 

 その光景に女になりたてのモーリィは少しちびってしまった。

 

 一日目がこのようなありさまだったので、不本意ながらも騎士団長に相談したところ、女騎士の護衛が付くことになった。

 

  だが待ってほしい……彼ら(ばか)にも言い分はあるのだ。

 

 モーリィが聖女となって、女の体に慣れるために砦の中をリハビリ散歩をしていた期間がしばらくあり、その光景を見かけた騎士たちは例外なく思ってしまった。

 

 ――え、誰だ……あの、今すぐにでも手を取り支えてあげなければ、倒れてしまいそうな美しく可憐な少女は? 白銀に輝く髪に澄んだ空色の瞳……儚げで美しい顔立ちに新雪のように汚れ一つない肌。背は女性としては少し高いが、抱きしめたら折れてしまいそうな華奢な体にほっそりとした手足。その身にまとう雰囲気はどこまでも無垢で清楚で、そして何より……何よりもだ! あの母性を感じさせる素晴らしく、柔らかそうな、柔らかそうで、柔らかいであろう、胸部装甲(たわわ)っ!!

 

 男の保護欲を刺激する深窓の令嬢のような美少女が、自由のきかない体をおして「うんうん」と一生懸命リハビリ治療をしている光景を見たのである。

 

 彼らは曲がりなりにも、弱者を守る騎士道精神を遵守する騎士(しんし)であり、そして悲しいことにどこまでも騎士(さる)であった。

 

 こんなん惚れてまうのは当然の結果じゃないか。

 

 そのときに行く者がいなかったのは、常に女騎士たちがモーリィの両手を取り(おんな)前にリハビリを支えていたからだ。

 騎士たちの目には女騎士(ごりら)は視界から消去されモーリィしか映らなかったが、野性的な危険察知能力が働き逝かなかったのである。

 

 モーリィの復帰一日目……騎士たちにしてみればまさしく狩猟解禁日(ぱーぷー)

 

 当然結果は目に見えていた。

 

 騎士団長に懇願した次の日。

 女騎士たちの指導(ぼうりょく)のおかげで、聖女は以前と同じ仕事に戻ることができたのである。



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闇の森の竜と女王

 治療部屋で待機していたモーリィにようやく呼びだしがかかった。

 

 モーリィは下ろしていた白銀髪をまとめ、慌ただしく部屋からでると砦の正門入り口にあたる大広場へと向かう。

 少し距離があるため駆け足……が、モーリィはどちらかというと足が遅いため、はた目にはトテトテといった感じの早歩きにしか見えない。

 一般女性に比べて大きな胸(たわわ)が、下着を着用しているにもかかわらず上下に跳ね揺れて煩わしい。

 仕方なしに両手で乳をつかんで走れば、道ですれ違う者の驚いたような好奇の視線が集中したが、自分の羞恥心よりも患者たち(・・・・)の容態のほうが気がかりである。

 モーリィが石畳で舗装された大広場に辿りつくと、端の方でげっそりといった風情で座っている騎士ルドルフと騎士トーマスを発見した。

 少し息を切らしたモーリィが横に立つと、ルドルフはため息をつき、トーマスは肩を竦めた。

 二人とも疲れた顔をしているが曲がりなりにも第三騎士隊所属のエリート脳筋である。

 体力的にではなく精神的に疲労を感じているようだ。

 

 目を広場にやる……モーリィは広がる光景に昔のことを思いだしていた。

 

 それは成人の儀式を受ける前日のことであった。

 彼はヨーサクという名前の幼馴染。

 成人の儀式を受けるために、近くの街に向かう荷馬車の中で、同年代の者と話をしている最中に彼は突然こう言ったのだ。

 

『俺には夢がある! 凄いクラスを得て英雄になったら、裸の女の子をベッドの上に一列に並べて、後ろからお尻パンパンするんだっ!!』

 

 みんなで一斉に大爆笑した。

 

 ヨーサクも多分本気で言ったわけではない。

 彼はそういうネタをたびたび挟んでは、みんなの笑いを誘うのが上手い頭のいい男だった。

 男の夢だよな~うんうん分かる分かると話が盛りあがった。

 

 ――あの頃は本当に楽しかったな……。

 

 何故そのようなことを思い出したかというと、広場には何百人もの裸の騎士(さる)たちが尻を剥きだしにされ、野営で使用する大きな麻布の上に並べられウンウン呻いて寝ていたからだ。

 

 ◇

 

 砦街の役割……正確には砦と騎士の役割というものがある。

 

 たまに砦街に襲撃に来る獣王国の獣王様の……。

 

『おっ? おめぇらっ強いやつ(脳筋)ばっかいるなぁ。よしっ! オラといっちょやってみっか!?』

 

 そう仰る要望に対して砦どころか国、そして周辺諸国をも巻き込んだ砦一武闘会を開催してみたり。

 

 このときは決勝戦で、獣王(ゴリラ)女騎士(ごりら)の数時間にも渡る殴り合いの末、女騎士(ごりら)が起死回生のボディからの八の字回転連撃を獣王(ゴリラ)に決め優勝した。

 会場の全員が立ちあがって拍手するほど熱く激しく盛りあがり、モーリィも感動のあまり少し泣いてしまった。ごりら。

 

 たまに砦街に襲撃に来る魔の国の自称魔王の……。

 

『フハハハッ! 我は魔王なり、人族どもよ我が力の前に跪くがよいっ!!』

 

 そう仰る要望に対して、その場にいた騎士たち全員で魔王迎撃戦(あそんであげた)をこなしてみたり。

 

『うわああんっ、御婆ちゃんに言いつけてやるんだからぁぁ!!』

 

 幼女(まおう)はそう言って泣きながら帰っていったので、これ以降、魔王ちゃん(仮)とか魔王ちゃん(笑)と呼称され砦のみなに親しまれている。

 それと迎撃成功にウキッーウキッーと大はしゃぎをする大人げのない騎士(さる)たちに、流石のモーリィも見るに見かねて『幼児相手にやりすぎですよ!』と厳しく叱った。

 

『アタシ参上!!』

 

 そんなセリフと共に泣きぐずる幼女を抱っこした女が砦にやって来た。

 やたら美人だけど、ほっかむりに作務衣という何だかよく分からない格好をした魔族女性。

 彼女は騎士たちをステゴロで全員ボコボコにし、女騎士の合体奥義トライフォーメーションアタックすらもデコピンで弾き返した。

 魔王ちゃん(仮)は手を叩いて大喜び、モーリィは惨劇に手で顔をおおった。

 

 そのあと、彼女は魔王ちゃんを抱っこして砦の井戸端会議に参加し、お土産に魔の国産と思われる大量の果樹植物や苔盆栽を置いて帰っていった。

 

 この最初から最後までクライマックス状態だった女性は魔王様(真)とか魔王様(恐)と呼称され、彼女が持ってきた苔盆栽は街でも一時期流行し、モーリィも治療部屋に置いて育てている。心安らぐよね苔盆栽。

 

 とまあ、ここまではあくまで予期せぬ突発イベントである。

 砦と騎士の本来の役割とは周辺の魔獣討伐。

 正確には闇の森からあふれでてくる魔獣を迎撃することにある。

 

 闇の森とは人族と魔族の領域を隔てる境界線である。

 以前は辛うじて行き来ができたようだが、四百年ほど前に起きた人魔大戦と呼称される人族と魔族の大戦争のあと、戦争の余波の影響なのか森の木々が急激に伸び二つの種族の領域を完全に分断することとなった。

 問題はこの闇の森で広大な森林には恐ろしい魔獣が生息しているが、同時に数多くの貴重な資源や動植物なども存在し、それを得るため無謀な冒険者たちが入り行方不明になることがある。

 立ち入るのは自己責任なので勝手にしてくれが基本なのだが、たまに森の支配者である闇竜などを刺激し大騒ぎを起こすのだ。

 人間離れした砦の騎士たちも闇竜が相手では流石に分が悪い。

 というか騎士たちの重傷原因の殆どが闇竜の仕業で、特にポチと呼ばれる片目の闇竜の強さが群を抜いて凶悪であった。

 

 砦街に襲撃(あそび)に来る魔王ちゃん(笑)が可愛らしいくらいだ。

 

 そして今回起きた出来事は、諸外国と問題を起こすことに関しては、安定した信頼と実績を持つ、神を祭る宗教国家の手の者によって起こされた事件だった。

 

 

 彼らはよりにもよって闇竜の卵を盗んだ。

 

 

 闇竜の大暴走の知らせがあり慌てて騎士団総出で出向いた。

 砦街を完全に留守にするわけにもいかないので、砦警備任務中の第三騎士隊と、街の治安維持専門の第五以外の第一・第二・第四で出陣した。

 間の悪いことに、騎士団長が王都に出向き不在だったため、指揮を第一騎士隊の騎士隊長が執り仕切り、彼を中心に事件に当たることとなった。

 

 ここで話は少し横にずれるのだが、砦の騎士隊で騎士隊長になるには、ある最低条件があるのだ……それは人としての知性を全て失っていないこと。

 

 以前も話したが入隊時は普通でも、砦で筋肉で会話するレベルの脳筋どもに囲まれて生活していると、いつの間にか全ての知性を理性と共に消失してしまう。

 砦に送られて来るような騎士だと最初は5程度の知性を持っているが、それがわずか数週間で2以下に落ち込み、そして数か月後には0に近い小数点以下まで下がり、晴れて砦の騎士(さる)の仲間入りとなる。

 

 彼らの行動は一見して常人と変わらないように思えるが、脳の筋肉が常に条件反射で動いているため傍目には普通に見えるのだ。

 

 だが隊長になるような者だと元々の知能が高いのか、脳筋たちに交じっても元の半分の3程度の落ち込みで済むらしい。

 脳筋に交じっても知性と理性を失わない高い頭脳を持つ者、それこそ砦の騎士隊長に必要とされる重要な資質である。

 

 参考までに普通の人の知性は最低でも10以上だ。

 

 そんな素敵に脳筋な彼らだが、まずは原因の調査とばかりに闇竜の偵察に嫌々向かうと、そこで必死に逃げている怪しい集団を偶然発見した。

 頭脳はおそまつでも行動力と戦闘力は王国一の砦の騎士たち。

 ある意味で、はた迷惑な連中だがこの状況下ではいい方向に転がった。

 手早く追跡し、手早く拘束し、手早く尋問し、手早く闇竜の卵を発見した。

 

 おま、おまえらまじかよ!? ふ、ふざけんなよぉ!!

 

 べキバキボコ……という流れだった。

 それはそれとして、砦の騎士たちは途方に暮れた。

 この状況、闇竜側にすれば人族の者が卵を盗んだ。

 つまり、今の彼らにとって人族すべてが怒りをぶつける対象ということである。

 

 僕たちと違う国の人が盗んだんです。

 僕たちは君たちの良き理解者です。

 僕たちは平和を愛する平和主義者です。

 ですので、あの、あの……ま、まずはお友たちからお願いします!!

 

 ボフッ!!(闇竜ブレス)

 

 なんて感じで、初めての恋の告白もどきは悲しいことに通用しないだろう。

 

 しかし大暴走する闇竜たちを放置すれば、王国はおろか、周りの国もいくつ滅びるか分かったものではない。

 彼らは王に忠誠を誓う剣として、国と民を守る盾として、騎士道精神を遵守する騎士として命を賭ける決断をしたのだ。 

 

 その場で最も高い知性を持つ第一騎士隊長の指揮のもと、持ってきた炎ブレス避けの大盾と覚悟を持って全員で説得交渉を(みんなでわたれば)しに行こうか(こわくないよ)? で向かった。

 だが、おっかなびっくり近づいた騎士たちは闇竜の罠にまんまと誘きだされ、背後に分散して潜んだ闇竜たちの炎ブレスによる集中砲火を浴びせられる。

 

 ぶっちゃけ、交渉にもならなかった。

 

 同時に砦の騎士(さる)たちの知性は、闇竜(とかげ)には遥かに及ばないことが証明されてしまった歴史的瞬間だった。

 正直、砦の騎士のおつむ具合は近隣諸国でもとても有名だったので、どうでもよかった。

 

 全員がお尻を後ろに引いた逃げ腰の、へっぴり腰だったのが不味かったのか、こんがりとお尻を重点的に焼かれてしまったのだ。

 

 へたれ過ぎ、王国の剣は?

 

 無茶言うなよ、騎士たちだって自分の身が……一番かわいいんだ!!

 

 騎士たちのお尻の姿焼きという地獄絵図な場所に現れたのは、炎のような色合いの髪と瞳を持つ、どこかで見たことあるような、やたら美人な魔族女性だった。

 

『なるほどキサマたちは闇竜の卵を取り戻して来てくれたようだな……ふむ、良いだろう……今回はその働きに免じて引いてやる……だが、次はないぞ人族?』

 

 女王様のような見下し視線と、ぞくぞくするようなあり難い言葉を仰って、卵と卵を盗んだ者たちの身柄と引き換えに、彼女と闇竜たちは闇の森に帰って行った。

 

 このとき、騎士(さる)の何人かは職変更して騎士(いぬ)になったかもしれない。

 

 そして負傷した騎士たちは、万が一を考慮して偵察に来ていた女騎士と、その知らせを聞いてやって来た砦街の住民有志の協力によって、出荷前の豚のように荷馬車にぎゅうぎゅう詰めで大量に乗せられ、砦まで運搬されていったのだ。

 

 このよう(おまつり)なときの砦街住民の団結力(やじうま)は素晴らしいものがある。

 

 

 負傷した騎士たちの鎧や服を脱がす作業を居残りの第三騎士隊と、砦街のご年配のご婦人方と女騎士たちで取り組んだ。

 モーリィも治癒しながら手伝おうとしたらご婦人方に遠慮願われた。

 彼女たちいわく……未婚の若い娘さんが成人男子の服を脱がすという、そのような恥じらいのない、はしたない行為をするものではないらしい。

 

 モーリィは前々から感じていたのだが、ここに来た当初から街の住人に女と勘違いされ、女と認識されていたのではないだろうか?

 最初から砦の井戸端会議に参加させられてるし、たまに相手が男のお見合いを勧められるなど、思い当たる節が色々とあるのだ。

 

 後……二十代くらいの者が多い女騎士たち(わかいむすめ)はいいのだろうか?

 

 そのような事情でモーリィは治療部屋で椅子に座り、騎士の剥き身の下ごしらえが出来あがるまで指をトントンしながら待機していた。

 

 そして呼び出され、大広場についたモーリィが見たのは、砦街の市場で年に一度行われる肉祭りのように、ぎっしりと並べられた騎士(ぶた)たちであった。

 元男のモーリィとしては男の裸を見ても特に何も感じない。

 感じないわけではないが、何か汚いな……くらいの感想である。

 むしろルドルフやトーマスのように男の服を延々と脱がしていたら、うんざりしていたかもしれない。

 本物の女性ならば何か思うことはあるのかと辺りを見回してみれば、騎士たちを剥いたご婦人方や女騎士たちが、腕を組みゲフフグフフといったご様子で、ニヤニヤニタニタと全裸の騎士たちを眺めながら何やら熱い評論を交わしていた。

 

 どうやら、あんな連中でも本物の女性の方々には需要があるようだ。

 

 モーリィは休んでいるルドルフとトーマスに小さく手を振って、治療を開始することにした。

 並んでいる騎士たち、その一人の前にちょこんと立つ。

 四角いお尻を軽くパンっと叩くと、あれほど酷かった重度の火傷が見る見るうちに治癒されていった。

 

 本来なら治癒の術はゴニョゴニョと複雑で長い呪文を唱える必要があるのだが、聖女の能力だと対象を触るだけで治癒させることが可能であった。

 正直このときだけは聖女になってよかったとモーリィは心の奥底から思った。

 これだけの数の男尻を前にして呪文を唱えながら治療していたら、確実に精神が病んでしまったはずだ。

 

 なるべくお尻を見ないようにしながらカニのように横移動し、腰をかがめて次々とパンパンしていく。

 

 ――騎士の皆様方、オゥフとかウッとかアフゥ、と変なお声をあげられますのは大変に気持ち悪いのでお止め頂けるようお願いいたします。

 

 モーリィはしばらくそうやって治療をしていたが、ふと集中力が切れて横を見てしまう。

 騎士たちの治療を終えたお尻が密集するように並んでいた。

 ツルツルと綺麗になった筋肉質で四角いが様々な形状のお尻が並んでいた。

 

 おお、神さま!! ……モーリィは天に向かって絶叫したくなった。

 

 

 ――ヨーサクお元気ですか? 私は元気です。あの頃のあなたの夢は裸の女の子を並べて、後ろからお尻をパンパンすることでしたね? 夢は叶いましたか、まず無理ですよね? 実は今の私はあなたの夢を代理で叶えているところです。ただし目の前にいるのは女の子ではなく、むさ苦しい男どもで、全裸にされた野郎の汚いお尻を後ろからパンパンしております。不思議なことに涙がこぼれてきました。嬉し泣きというものでしょうか? ヨーサクもお体を大事にし日々を健やかにお過ごしください。かしこ。

 

 

 モーリィはそのように心を別の場所に隔離した。

 死んだ魚の目で無心に数百人以上の騎士のお尻を治癒したのである。パンパン。

 

 後日、それからしばらくの間。

 

 治療した騎士たちがモーリィと会うたびに、頬を染めて俯き、チラチラと上目使いで乙女(メス)の顔をしてくるのが、聖女には酷く酷く苛立たしかった。



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ミレーという少女

 モーリィはいつもの通りに治療部屋で仕事を行っていた。

 日々は流れ、モーリィが聖女になってから様々な出来事があった。

 

 恒例の魔王(ようじょ)ちゃんが砦に襲撃(あそび)に来た。

 

 砦の騎士たちが悲鳴をあげながら対応した。

 作務衣の魔族女性も一緒に来て、ご婦人方やモーリィとのどやかに井戸端会議を楽しんで、遊び疲れた魔王ちゃんを抱っこして帰っていった。

 

 補充の勇猛果敢な新米騎士が、王国のあちこちの場所から来た。

 

 既に何人かは上手く砦で適応(さる)している。

 中には辛うじて人としての知性と理性を保っている者がいて、次期隊長候補として大事に育てられているとトーマスから聞いた。

 先日、治療部屋に運ばれてモーリィが看病した彼のことだろうか。

 

 ――砦に類人猿ではなく人類が増えるのは本当にいいこと。

 

 何の疑問もなくそう自然に考えるモーリィも砦に来て三年目。

 都会(・・)の空気に馴染んできたのかと、良いのか悪いのかよく分からない切ない気持ちである。

 

 そんな治療部屋に思いもしない人物が訪れた。

  

「や、やあ、モーリィ……お久しぶり……」

 

 聖女になって忙しさのあまり、思い出すことも少なくなっていた彼女。

 

「え……ミ、ミレー!?」

「えへへ、戻ってきちゃった……」

「あ、あ……ほ、本当に久しぶりだね! また会えて嬉しいよ!!」

 

 可愛らしい顔立ちに鳶色の瞳と綺麗な茶色の髪、小柄な体。

 彼女は勇者と一緒に旅にでたはずのミレーだった。

 そして恐らく、モーリィが聖女となる切っ掛けの失恋を教えてくれた少女。

 そんなミレーが申し訳なさそうな顔をして治療部屋に入ってきた。

 しかし再会を喜ぶ笑顔のモーリィを見て、少しだけほっとした表情を浮かべる。

 

 モーリィは、ほっといたら帰りそうな気配をまとわせるミレーの手を取ると、強引に椅子に座らせ、急いでお茶を淹れ自分と彼女の分をテーブルに置いた。

 それから護衛のため壁際の椅子で待機していた女騎士の分も淹れて渡すと、彼女はサムズアップをしながら無言で受け取り、ずずーっと美味そうにすする。

 ミレーは治療部屋に以前はいなかった女騎士を不思議そうに見た。

 モーリィはどう説明したものかと悩んだが、先にミレーに今まで話をしてもらうことにした。

 

「うん、勇者と一緒に旅していたんだけど、私以外にも女の人が何人もいてね」

「へぇ、男女混合パーティというやつなのかな?」

 

 その質問にミレーは首を大きく左右に振った。

 彼女のボブカットの柔らかい髪が綺麗に広がる。

 キラキラと光りに反射する髪に、モーリィは思わず見惚れてしまう。

 

「ううん、違うわ。勇者以外はみんな女の人だったの」

「え? 女の人だけって……そ、それは!?」

 

 モーリィの案じる様子に気づいたのか、ミレーは手をぱたぱた振って明るい表情を見せる。

 

「あっ! 別に彼女たちと仲は悪くなかったわよ。むしろかなり仲良くなってね」

「あ、そうなんだ、それは良かったね」

 

 どうやら心配させないための強がりではなく、ミレーは本当にパーティの女性同士で仲良くやっていたらしい。

 

 ――あれ、でもそうすると、砦になんで戻って来ているのだろう?

 

 モーリィは疑問を感じたがミレーの語る話の続きを聞くことにした。

 

「うん、よくオークの群とかを女の人全員で討伐しに行ってね。私は後方支援が多かったけど、たまにくるオークとかをメイスで成敗してたのよっ!!」

「おぉ……凄い! ミレーも活躍していたんだね!?」

 

 ミレーは少し興奮ぎみにブンブンと片手を軽快に振り回す動作をした。

 流石に冒険していたんだと感心し、男の子心が刺激され羨ましく思うモーリィ。

 しかし、ミレーのメイスを振ると思しき動作がやたら下ぎみだったのが気にかかった。

 

「仲間の女の人も、みんな強い人ばかりでね」

「うん、うん!」

 

 久しぶりに見るミレーの元気で明るい姿に、最近の色々な出来事で精神的に疲労困憊気味であったモーリィは心が癒されるような気分になった。

 

「それでみんな、凄い二つ名とか持っててね」

「へー! どんな名前だろう?」

「えっとね、貫きのとか、切断のとか、抉りのとか」

「ええっと? う、うん……あれ?」

 

 モーリィは違和感を覚え首をひねる。

 ミレーは本当に嬉しそうに話していた。

 

 ――おかしい……微妙に癒されない……何故だろう本当に不思議だぞ?

 

「私も、なんと! 潰しのミレーって名前つけてもらっちゃったのよっ!!」

「ああ、うん……なんだか……その、凄い名前だね」

 

 ミレーは鳶色の大きい瞳をキラキラと輝やかせ、嬉しそうに下から上へとメイスを振る動作をした。

 角度が酷く酷くエグかった。

 モーリィのナニかがキュとなり、聖女は太ももをモジモジとすり合わせた。

 元男としての本能がささやく、この話題をこれ以上喋らせてはいけない。

 

「ええっと、そうだ! 勇者のほうはどうだったの!?」

「…………」

 

 モーリィは話題を変えるつもりで勇者の名前を口にして、失恋した気持ちを思い出し少しだけ心が痛む。

 それでもあのときと比べたら受け入れられる程度には強くなった……と、思いながらモーリィは微笑んだ。

 そしてミレーの顔を見て……固まった。

 にこやかな表情をしていたミレーの顔から、感情が抜け落ちるかのように消えていたのだ。

 モーリィは今まで見たことのないミレーの様子に不吉なモノを感じ、喉をごくりと鳴らした。

 

「あ、あの、ミレー?」 

「勇者、アレ、クズ、だった」

 

 何故か片言である。

 ミレーは怒りの表情をしていた。

 怒る様子はともかくとして、人の影口は滅多に言わない裏表のない彼女にしては珍しい姿だった。

 モーリィは瞬時に悟る。

 あまり穏やかな話ではなかったようだと……。

 

「手ごわい魔獣を何とか倒してね。前衛をしている勇者が少しだけ酷い怪我を負ったけど、私が直ぐに治してあげてね。街の人に感謝され、それから勝利の祝宴をしましょうかでみんなで宿に泊まったの」

「う、うん……」

「その夜に勇者のやつが私たちの部屋に入ってきて、いきなり全員に服を脱ぐように命じてきたのっ!!」

「え、ええぇぇぇ!」

 

 そのときのことを思い出したのか、ミレーは拳をぷるぷると握りしめ、今にも足踏みしそうな雰囲気であった。

 

「俺の夢は裸の女をベッドに一列に並べて、後ろからお尻をパンパンすることなんだ!! って、意味の分からないことを言いだしてたのよ!!」

「あ、うん……それは、意味が分からないよね?」

 

 悲しいことに、元男の子の聖女には少しだけ意味が理解できてしまった。

 

「俺はお前たちのために今まで怪我しても我慢してきたんだ。そろそろお前たちの体で癒してくれよデュフフ……とか、ほざきやがったんですよっ!! あの男、最低最悪よ!!」

「……ええ、そうですね、最低最悪ですね」

 

 怒り心頭なのか、ミレーは言葉使いまでおかしくなっていた。

 それに対して最近の騎士たちの悲劇と、どこかで聞いたことがあるような夢の話を思いだし、額に手を当て何とも言えない気持ちになるモーリィ。

 

「それでどうしたの?」

「全員でぼこぼこにしてから! 剥ぎ取って! もいでやったわっ!!」

「……へっ?」

 

 ――え、ええ? 剥ぎ取って……もいだ? もいだの? もいだって?

 

 胃が締め付けられるような焦りを感じ、モーリィは恐る恐る尋ねた。 

 

「あのさ、ミレーさん……何をもいだの?」

「とにかく、ナニをもいだのよっ!!」

 

 ミレーの剣幕に、モーリィは「ひぇ!?」と悲鳴をあげ股間を手で押さえた。

 女になってから失って久しい息子的なナニかがヒュンとなった気がした。

 

 少しちびった。

 

 大声をだして落ち着いたのか、ミレーは気恥ずかしそうに咳払いをすると、いつもの優しい表情で話を続けた。

 

「それからまあ、色々とあって恥ずかしながら戻ってきたんだ」

「ああ、うん、そっか……ミレーも本当に大変だったんだね」

「そんなことないけど……。ああっと、えっとね……それでここからが本題なんだけど、これから先のことを騎士団長と相談して、暇を持て余しているのも勿体ないからということで、砦の治療士として復帰できることになったの……」

「えっ!?」

 

 ――ということは、またここでミレーと一緒に働けるのか……やったぜ!!

 

 これからのことを思い、気分が高揚するモーリィ。

 だが、当のミレーはうつむき、自分の太ももの上で指を閉じたり開いたりを繰り返している。

 なにかまだ言いにくいことでもあるのかと、モーリィは不安を感じながらミレーの言葉の続きを待った。

 

「そのモーリィ……本当に身勝手な話なんだけど、私がここに居ることを許してもらえるかな?」

「へっ……!? な、なんだそんなことだったのか……心配しちゃったよ。うん、ボク(・・)はミレーがいいのなら大歓迎だよ。お帰りなさいミレー!!」

 

 モーリィは安堵し、即答し、喜びを見せた。

 

「うっ、あ、ありがとうっ……モーリィ!!」

 

 ミレーもようやく安心できたのか、涙ぐみながら笑顔を見せた。

 後ろで腕組みをして、黙って話を聞いていた女騎士も一件落着とばかりに満足げに頷いている。

 それに気づいたミレーは、疑問に思っていたことを聞いてきた。

 

「あの、それで女騎士さんはなんでいるの?」

「ああ、えっとね……」

 

 どう話したらいいのか迷い、モーリィが女騎士に視線を向ければ、彼女は(おんな)前の表情で頷きサムズアップする。

 それに勇気づけられたような気がして、モーリィは自分の身に起きた出来事を包み隠さず話すことにした。

 

「あのねミレー、その……クラスが判明したんだ……ボクのね?」

「え、本当っに!? わあ、凄い!! おめでとうモーリィ!! それで何のクラスになったの!?」

 

 無邪気に喜び、無邪気に祝福して、無邪気に質問してくるミレー。

 

「聖女……つまりね、()は男から女になってしまったんだ……」

 

 治療部屋の空気が見事に凍り付いた。

 見つめあう二人。

 そしてミレーは、小さく口を開け「えっ……」という表情した。

 

 ――あぁ、ちくしょう、ちくしょう、やっぱりこの子は可愛いな!!

 

 モーリィはミレーの愛らしい顔を見て現実逃避な思考をする。

 救いを求めるように女騎士に視線を向けようとした瞬間。

 ミレーがいきなり、テーブル越しにモーリィの胸をむんずとつかんだ。

 

 たわわな二つの果実を鷲づかみである。

 

「ひぇぇぇぇ!?」

 

 悲鳴をあげるモーリィには構わず、ミレーは真剣な表情で、壊れ物を扱うかのように繊細に優しくきゅっきゅっと揉みだした。

 

「あっ!? うっ!? ひぃぃ!?」

 

 今まで感じたことのない不思議感覚に、モーリィの口から変な声がもれる。

 

「うん、違和感あったの……モーリィの声がなんだか高いし、厚手の医療服でわかりにくかったけど胸も大きくなってるし、というかなんか全体的に物凄く綺麗になってるしっ!!」

「ちょ、ちょっと、ミレー、む、胸を、揉むの止めてぇぇぇぇ!!」

「なによこの胸! なんなのこの胸! うわうわっ埋まる!! なんか凄すぎて指が止まらないのよ、うわっ!!」

「ひぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 うわっうわっ言いながらミレーは壊れた?

 

 そして唐突に揉むのを止めると、ミレーはモーリィの胸に顔を押しつけ腰に手を回して力いっぱい抱きついてきた。

 驚き、荒い息で色っぽく赤面するモーリィに対してミレーが懇願した。

 

「モーリィ……このまま、抱きしめたまま、お話の続きをして欲しい」

「ミレー……?」

「ごめんなさい、お願いよ、モーリィ……」

 

 ミレーは涙声で、子供のようにぐずっていた。

 経験したことがないような目まぐるしい展開に、どうしようかと視線をあげたモーリィと女騎士の視線があった。

 彼女は腕組みし表情も変えずに無言で頷いた。

 

 ――ほんと男前だよね、砦の女騎士様は……!

 

 モーリィはミレーの体に恐る恐る手を回すと、今まで起きたことを語り始めた。

 途切れ途切れで決して上手い話し方ではなかった。

 それでもお互いの離れていた時間を埋めるようにモーリィは一つ一つ丁寧に語っていった。

 全ての話が終わり、モーリィはミレーの背中を優しく何度もなでた。

 

 すると今度はミレーがぽつりぽつりと語りだす。

 

「モーリィあのね。私ね。今回の冒険の旅で勇者とのことがあったから、男に幻滅して、男なんてもう一生いいって本気で思ってたの」

「うん……」

「でもね、でもね! 今のモーリィだったら、私イけると思うの! その……色々な意味で……ね!!」

「うん……え?」

 

 モーリィは話がおかしな方向へ転がる嫌な予感がした。

 夢の中で空を飛んでいて突然落下するような感覚というのか……それともこれが悪寒というものなのだろうか? 

 

 豊かな胸から抱きついていたミレーが顔をあげた。

 

 モーリィは彼女の鳶色の瞳を見てゾクっとした。

 その表情は、つい最近まで嫌になるほど見たことのあるものだったから。

 

「モーリィ……私と結婚しましょうっ!!」

 

 ミレーは頬を染め恍惚とさせ、熱い潤んだ眼差しをモーリィに向けていた。

 お尻を治療してあげた騎士たちが浮かべていた乙女(メス)顔ってやつであった。

 

「ひぃぃぃ!?」

 

 その表情に愛らしさよりも、恐怖を覚えたモーリィは助けてと女騎士を見た。

 女騎士はモーリィに背中を向けていた。

 肘を折り曲げ、手の平を上に向け、静かに首を左右に振っていた。

 

 すまないが私にもフォローは無理だ……彼女(ミレー)は処置なしというやつだ。

 

 そんな女騎士の異様に分かりやすい仕草が、今のモーリィには異様に腹立たしかった。

 

「私のお嫁さんとして、絶対にモーリィのことを幸せにしてみせるからっ!!」

 

 ――結婚はともかく、そこは、せめて、夫にしていただけませんか?

 

 もう離さないとばかりに鼻息も荒く抱きしめられ、胸部装甲(たわわ)をミレーの顔でぐいぐいと占拠されたままモーリィは呆然と思った。

 

 料理を手に訪ねてきたターニャが、状況を察して引き離してくれるまで、聖女はミレーに抱きつかれていたのだ。



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ライトという騎士

 一人の砦騎士の話をしよう。

 騎士(さる)ではない騎士(ひと)だ。

 

 彼の名はライト……ライト・ウォーカーという一人の若き青年騎士である。

 

 ライトは辺鄙な田舎の出であった。

 ライトの生家であるウォーカー家は先祖代々、村を守ることを役目とする村騎士していた。

 彼の父も、祖父も、そのまた祖父も。

 騎士になることについてライトに不満は無く、己もそのような人生を歩むものだと思っていた。

 

 成人の儀式で授かったクラスも父たちと同じ騎士であったのだから。

 

 村の老人方の畑仕事を手伝い、村の老人方の家の補修や買い物などの雑用を手伝い、たまに出る熊や猪などの魔獣討伐を鉈一本で殺っちゃう老人方の手伝い……いや、手伝ってもらって務めを果たす。

 いずれはこの寂れた村で美人ではないが気立ての良い働き者の女性を嫁にもらって子供を授かり、その子に学問を教え剣術を伝え、酒を飲める年になったら自身の若いときの武勇伝でも大げさに語って聞かせる。

 そして、やがては騎士の役目を受け渡し、畑仕事に趣味の釣りでもしながら年老いた妻と二人で穏やかに慎ましく暮らす。

 そういう生き方をするものだと思っていた。

 彼の父も、祖父も、そのまた祖父もそうやって生きてきたのだから。

 ところがあくる日、そんなライトの運命が変わる事件が起きた。

 

 村の廃村である。

 

 もともと若者が少なく、いても他の賑やかな場所に住み移って、村の過疎化はかなり進でおり人口を維持することも難しくなっていた。

 もちろん、ライトとしても気持ちは分からなくもない。

 同年代の中ではのんびり屋な彼ですら、この辺鄙な村を出て都会で生活してみたいと何度か夢見たことがあるのだから。

 老人方の殆どが先祖代々続く伝統工芸『苔盆栽鉢』作りの継承者だったので、その技巧が失われるのはあまりにも惜しいと、領主の発案で比較的人口の多い村への集団移住が行われることになった。

 

 余談だがこの伝統工芸品の苔盆栽鉢は、作務衣姿のえらく美人な女が定期的に大量購入していくらしい。

 

 先祖代々受け継いできた村騎士の務め。

 それが自分の代で終わりになるのは悲しかったが、これも時代の流れと諦めることができた。

 それよりも家族が傍にいなくなり寂しそうにしていた老人方に、孫ほど年の離れた熱心な弟子たちが出来て、彼らが活気づく様子を見ているのはライトとしても悪くはない気分であった。

 

 問題はライトの身の振り方である。

 

 ライトは村騎士として定期的に他の村騎士たちと交流しており、知らない仲ではなかったので、そのうち人手の足りない大きい村にでも助っ人に行くものかと思っていた。

 他の村騎士もライトのような若く素直な青年は、手元に置いて一緒に騎士の務めを果たしたいと願っていた。

 

 綺麗ごと抜きでぶっちゃけちまうと、世襲制の泥くさい村騎士はなり手が少なくなっており、自分の後継者として娘の婿か養子にでもしようと、どいつもこいつも密かにライトのことを狙っていやがったのだ。

 

 しかし、これらの思惑は全て撥ね除けられることとなる。

 

 それは領主の鶴の一声。

 ライトのような才能のある若者には、田舎で燻らせておかないで王都騎士の入隊試験でも受けてもらおう、そう言ったのだ。

 

 それを聞いたライトはただただ驚いた。

 

 実はライトの父と領主は幼き頃より剣の腕を磨き合うライバル同士であり、領主自身も騎士として王都で勤めていた時期があった。

 村の守護騎士の任を解かれ意気消沈しているだろう、かけがえのない親友の息子の力になりたくて試験を勧めた。

 仮に王都騎士になれなかったとしても、その経験はこれからのライトの人生の肥やしになるだろうと考えたのだ。

 

 ここがまさにライトの運命の分かれ道であった。

 

 あるいはこの時に断れば、ライトはどこかの村騎士の娘婿か養子になって、それなりに平穏で平和な人生を送れていたのかもしれない。

 もっとも、もし戻れるとしても彼はその選択を絶対選ばなかっただろうが。

 

 ライトはこの時に選んだ……新たな道を進み、そして挑戦することに。

 

 ライトの迷いのない決意に自ら勧めたとはいえ領主も感じ入り、ライトの教師となって試験の期間まで必要な事柄を手解きしてくれる運びとなった。

 

 ◇

 

 まずは勉学のほうだが、これはそれなりに出来ていた。

 

 この世界、学校などは一部の魔術師たちが通うものしかなく、貴族や騎士階級の者は家庭教師を雇うか、もしくは家族から教育を受けるのが普通である。

 それ故にその者としばらく話せば、家の格が知れるとは貴族や騎士の常識であり、そのような意味ではウォーカー家の教育は優秀の部類であった。

 

 剣技の方だがこちらはあまり上手くはなかった。

 

 ライトは実父から剣の指導は受けていたが、過疎の田舎故に他に剣の訓練を行う相手がおらず、父相手のかなり幅の狭い剣術しか学べなかったのだ。

 とはいえ基本はきっちりと出来ていたので、領主は簡単だが効果的な数種類の技を教えるだけに留めた。

 

 そして体力の方だが、これが半端がなかった。

 

 何しろ田舎で魔獣が出たときはライトが囮となり、村の老人方が潜む木の下まで何キロも走って引っ張って行っていくのだ。

 重い鎧や剣などの装備を担いで時速数十キロで走る魔獣よりも速く、凸凹した森林を踏破していたのは伊達ではなかった。

 

 その話を聞いた領主はとても驚いた。

 それに対して自己評価のあまり高くないライトは、枯れた老人方が高い木の上に暗殺者のように潜み、一斉に雄叫びあげて飛び降りて、人の何倍もの体躯を持つ魔獣の首に次々と鉈をいれて倒したらそりゃ驚くよな……などと呑気に思った。

 田舎のご老人どもはたまにこの手の驚くことをやらかす。

 

 常識人の領主としてはどちらも驚いていたのかもしれない。

 

 そして試験の時期が近づき、領主の屋敷から離れた街で受けることとなった。

 王都騎士の選抜試験とは一次試験を各地の指定された街で行い、それに受かった者が二次試験を王都で受けることとなる。

 もしも試験に合格すればそのまま王都に行き、しばらくは戻ってこれなくなるので領主自らが旅の前日に宴を開いてくれた。

 その気持ちに感謝し、ライトは世話になった領主や領主館の使用人たちに、心からの別れの挨拶をして試験を受けるために旅立った。

 

 ライトは着いた街で、王都騎士を目指す多くの希望者と共に一週間に渡る試験を受け、実に優秀な成績を残した。

 

 問題なく王都で第二次試験を受けることのできる資格があった。

 それどころか、そのまま王都騎士として入隊し職務に就かせても問題ないほど有能だった。

 

 そう、彼は優秀すぎた……具体的に言うと体力がありすぎたのだ。

 

 試験結果は不合格。

 ライトは応援してくれた人たちの期待に応えられなかったことが申し訳なく、悔しかった。

 しかし今の自分が出せる全力を尽くした。

 胸を張って戻り領主にそう報告しようと思った。

 

 ところが、ライトが試験会場を出ようとしたところで試験官に呼び止められ、そのまま重要な話があると騎士宿舎の一部屋にまで連れていかれた。

 

 その部屋に居たのは三十前後とみられる筋肉質の大男であった。

 

 男は巨漢にありがちな泥臭い雰囲気を微塵も感じさせなく、むしろ洗練された美丈夫であった。

 わずかに微笑みを浮かべた男の表情に、ライトは何故か胡散臭さを感じた。

 階級章のない質素な黒服を纏った男が何者かは不明。

 しかし同席している試験官の態度から階級の高い者であると察することが出来た。

 

 男はライトと握手をすると、よく通るバリトンの声でいきなり切りだした。

 

『試験の結果は残念だった。だが君は非常に優秀で将来的に見込みがある。どうだろう、君さえ良ければ砦街にきて騎士団の一員となってみないか?』

 

 男は胡散臭い微笑みを深めてそう言ったのである。

 この時、男の言葉は一語一句が本心からのもので嘘はなかった。

 だからこそ本当に最悪であったのだがライトは気づきもしなかった。

 それ以上に胡散臭い男の言った『砦街』という一言に心奪われていた。

 

 砦街の騎士……噂話に聞いたことがある。

 

 この王国の最重要拠点、砦街。

 恐ろしい魔獣の潜む闇の森からの脅威を水際で防ぐための防衛施設。

 その砦の騎士たちは勇猛果敢で恐れ知らず、優れた頭脳と無尽蔵の体力で、不敵に笑いながら任務を軽々とこなす益荒男たち。

 王国が誇る最強の剣、まさに騎士の中の騎士。

 

 ライトはそう聞いていた……非常に不幸なことに。

 

 その噂話を聞いたとき、砦騎士は騎士の生き方として魅力的だと感じていたのだ。

 ライトはその場で一も二もなく了承した。

 そして男と再び力強い握手をする。

 

『歓迎するよライト・ウォーカー君』

 

 男の微笑みを彼は見ていなかった。

 その表情には『ちょろいな』という僅かな嘲笑が浮かんでいたが、感激し興奮で周りが見えなくなっていたライトには気づく余地はなかった。

 

 横で試験官が憐れむような顔をしていたが、やはり気がつかなかった。

 

 ここまででほとんどの者は分かったと思うが、この胡散臭い男は砦街の騎士団長であり、ライトが試験に落ちたのも彼の差し金であった。

 砦街の噂も力あり余る若者を釣るための餌として、騎士団長が王国の情報部に流させたものである。

 砦騎士と同等以上の体力を持ち、かつ、常人より優れた頭脳を持つ隊長候補生をずっと探しており、その条件を満たしたのがライトであった。

 騎士団長としても今の隊長(ばか)たちでは、任務遂行に対してのそこはかとない不安を感じていたのだ。

 砦の酷い現状をそこはかとないで済ますあたり、この男も重度の脳筋(ばか)であった。

 こうしてライトは砦街の騎士として新たな道を進むことになる。

 

 そして彼の人生にとって運命とも言える人に出会うのだ。

 

 ◇◇

 

 新米騎士として砦に来て、訓練を受け始めてから二週間目のこと。

 

 ライトは自分自身の異変に気づく。

 両手の指の本数、それ以上の数が数えられなくなったのだ。

 十の次の単位が中々頭に浮かんでこない。

 焦りのため咄嗟に隣にいた同期の新米騎士に聞くと、その者はしばらく悩んだ末に『いっぱい』と答えた。

 実に真面目な顔で答えたのだ。

 

 ライト・ウォーカーは心の底から恐怖を覚えた。

 

 他の者にも尋ねたが皆同様に『いっぱい』と答え、中にはいきなり奇声をあげだす者すらいた。

 

 ――おかしい、何かが俺たちの間で進行している。

 

 次の日からライトは指の数以上の暗算を暇さえあればやるように心掛けた。

 最初は中々出来なくてイライラしたが、辛抱強く繰り返すと何とかこなせるようになり、数日もたつと以前より多い桁数で速い暗算が出来るようになっていた。

 余裕ができ、周りの者たちを観察していくうちにライトは気づいた。

 明らかに砦に来た当初より彼らの知能は下がっている。

 その経過を真近で見ていたライトにも信じられなかったが、比喩でも冗談でもなく本当に彼らの知能は下がっていたのだ。

 

 その頃からだ、騎士教官たちのライトに対しての注文が明らかに他の者たちよりも難しくなったのは。

 

 具体的に言うと頭を常に酷使するような指示を出してくるのだ。

 全力疾走をしながら暗算をしろ。

 腕立て腹筋をしながら教訓を諳んじろ。

 訓練の休憩中は砦で作られた詩集を読め。

 最後のは意味が分からなかった……というか途中から、あーあーあーという言葉が延々と続く詩集に恐怖を覚えた。

 

 ライトにとってそれ以降は戦いだった。

 

 どんどん知性を下げていく同期の騎士たち。

 引っ張られるようにライト自身の知性も下がりそうになる。

 そのたびに必死に暗算をして人としての領域に止まるということを繰り返す。

 そしてどんどん厳しくなっていく騎士教官のライトに対しての要求。

 

 まるでライトの肉体で耐久試験を行っているようだった。

 

 そんな日々を過ごすうちにライトは倒れた。

 先に限界を迎えたのは肉体だったのか精神だったのか……あるいは両方だったのかは定かではない。

 午前の訓練を終え昼食をとりに行くために食堂に向かい、そこで糸が切れたように倒れた。

 

 訓練の緊張から解放されたことによる失神である。

 

 倒れた彼は直ぐ近くにいた女騎士たちの手によって治療部屋まで運ばれた。

 ライトの肩を担ぐ女騎士たちの(おんな)前の微笑みは安心感を与えてくれた。

 

 危ない! 彼が女だったら惚れていたところだ。

 

 治療部屋に着いた時にライトの意識は殆どなかった。

 ただ部屋にいた白い髪をした女性らしき人が、女騎士たちにライトをベットに寝かすように手早く指示を出していたのは見えた。

 

 ――白髪? この人はお年を召した女医だろうか? 

 

 ライトに優しく呼びかけながら体を診察……触診するその柔らかくひんやりとした手の感触に、彼は懐かしい田舎の母のような安心感を覚えて完全に意識を失った。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ――自分は一体どうした……?

 

 天井の太い木の梁が見える。

 ライトはベッドに寝かされていることに気がつく。

 自室ではない、ベッド周りをカーテンに覆われた風景から自分の身に何が起きたのか朧げに思い出した。

 

 ――ここは治療部屋? そうか……倒れて女騎士に運ばれたのか。

 

 ライトは最近特に感じていた騎士(・・)としての、彼女たちに対する尊敬の念が益々深まった。

 

 体を起こそうとしたが、まるで鉛にでもなったかのように動かない。

 ライトが思い通りにならない肉体に焦り、悪戦苦闘していると、カーテンが開かれて人が入ってきた。

 その音に気がついたライトは、気を失う前に見た優しい年配の女医かと思い、自分を治療してくれたお礼を言おうと顔をあげた。

 

 そしてライトは彼女を見て固まり、口をぽかんと開けた。

 

「ええっと、あなたは新規訓練中のライト・ウォーカーさんで間違いないですよね? 私はこの治療部屋で治療士をしているモーリィと言います。あなたの治療を見るように騎士団長から仰せつかっていますので、しばらくの間と思いますがよろしくお願いしますね」

 

 彼女はそう言ってわずかに首を傾けると、静かに、そして優しく微笑んだ。

 そのやや低いが、聞き心地のよい声はライトの中には何一つも入ってこない。

 正確には目の前の女性に心を奪われ、言葉の意味が理解できなくなっていたのだ。

 

 ライトの知能は一時的に下がった……しかし恐怖は感じない。

 

 白銀色の輝く髪に澄んだ空色の瞳を持つ儚げな美貌の少女が立っていた。

 カーテン越しの光の帯が彼女の体に薄っすらと当たり、浮きあがる細い輪郭は言葉にならないほどに神々しかった。

 

 その日、ライトは生まれて初めて女神という存在に出会った。



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魔王ちゃん その1

 モーリィは騎士団長の呼び出しを受け、女騎士と共に執務室に向かっていた。

 

 細かい砂利を固めただけの砦の外通路。

 

 モーリィより頭半分は背が高い女騎士、歩幅の違いがあるのに二人して並んで歩けるのは、彼女がさり気無く歩調を合わせてくれているからだ。その気遣いが女性にモテる秘訣だろうか?

 

 時刻はまだ早朝、夜の霧が辺りに薄っすらと残り通路の脇に生える草木などを露でしっとりと濡らしている。朝特有の心躍る空気、普段のモーリィならば風景を楽しみながらゆっくりと歩いていただろう。

 

 その行動をミレーは年寄りみたいだと言うのだが、田舎の出でのモーリィにとって砦街の人々の行動は忙しくて騒がしく、あまりにも目まぐるしい。

 

 砦は広大な敷地を高い外壁で囲っており、その中にはいくつかの行政や騎士団の施設、住居用の建屋などが点在している。砦という名称ではあるが人口密度を考えると大きな村と言える規模だろう。砦のほぼ中央に位置する治療部屋から執務室がある行政施設の建屋には、散歩できる程度には距離がある。

 

 騎士団長に呼ばれた理由は、モーリィに心当たりがなかった

 

 護衛の女騎士も当然一緒だ。男色家(仮定)と密室で二人っきりになるような無謀な勇気をモーリィは持ち合わせてはいない、女の身になったとはいえお尻の貞操と元男としての誇りは大事である。

 

 そこでモーリィは思う、それは年頃の女性としても正しいことではないかと?

 

 彼女は女の身になってからというもの、この手の疑問を抱くことがよくあるのだが、どうにもズレがあるように思えてならない。

 

 野外修練場の方角から爆発音。しばらくして魔力の残滓をモーリィは感じとる。

 おそらく魔王ちゃんだろう、今日も彼女は砦に来ているらしい。

 

 最近の騎士達は聖女の治癒能力のおかげで酷い怪我を負っても直ぐに回復する。そのため魔王ちゃんも遠慮なく遊び……ではなく襲撃に来るのだ。

 モーリィとしては治療が本来の仕事なので不満はないのだが、通常の業務と化している騎士達のための回復薬作りが遅れるのが少々痛かった。

 

 モーリィ達が砂利から石畳へと変わった通路を歩いていると、近くで爆発音と多くの悲鳴が聞こえてきた。女騎士が異変に気付いて立ち止まり、モーリィもつられて足を止めたが視線を向けた時にはもう遅かった。

 

 彼女たちのすぐ傍でも爆発がおきたのだ。

 

 強い閃光と大きな破壊音。

 モーリィの目は眩み一時的に音が聞こえなくなった。

 

 次に回復したモーリィの目が捉えたのは、飛んでくる瓦礫といくつかの物体。

 胸部装甲に飛び込んでくる小さな影と重い衝撃。

 吹き飛ばされ空を自由に飛んでいる騎士達。

 モーリィを抱きよせ覆い被り、背中を盾にして守る女騎士の意外と柔らかい胸の感触……だった。

 

 唐突に音が止み辺りは不気味なほどの静寂に包まれる。

 焼け焦げる臭い。プスプスという空気の抜けるような音、モーリィの乳房を押しつぶすように強くしがみつく、うーうーという泣き声。

 

 モーリィは胸の中の小さい人影を片手で抱きしめたまま恐々と顔を上げる。

 すると自分達を抱き庇う、女騎士の凛々しい横顔がすぐ間近にあった。

 その真剣で(おんな)前な表情に聖女は見惚れる、頬は染まり胸がきゅん。

 

 ――はっ! 何で女騎士(イケメン)相手にドキドキしているの?

 

 白銀色の髪と空色の瞳を持つ聖女は我に返る。そして……。

 

 ――あ、あれ、このドキドキは正しいのかしら?

 

 聖女は再び困惑の渦に。

 

 作中で散々と女騎士(ごりら)呼ばわりされている彼女達だが、実際には男顔の美形揃いであり、騎士服を着けると線の細い貴公子や王子様のように見える。

 女騎士=ごりらと呼称しだしたのは騎士トーマスであるが、理由は彼が美人に手を出すのは男の義務と考える人種であることから察していただきたい。

 

 そのような男装の麗人達でありながら、騎士(さる)達よりも強く紳士(きし)的なので、街の娘達に人気があるのも当然である。

 女になったモーリィにズレた疑問が多いのは、砦の困った面々にも問題があるのは確かだ。

 

 モーリィは赤面した顔を誤魔化すように口に手を当てて咳払いをすると、自分の胸元にしがみついている、ちっこい赤い髪の生き物を見た。

 そこにいたのは魔王(ようじょ)ちゃんだった。幼女に抱きつかれたまま、女騎士に体をソッと支えられながら立ち上がり辺りを見回す。

 

 地面にはいくつもの穴が開き、焦げ臭い匂いと共に煙が立ちこめていた。

 建屋の壁も所々が破壊され崩れかけている。周辺には瓦礫と共に黒こげになった騎士達が死屍累々、その光景は日常(いつも)に紛れ込んだ非日常(いつも)で何ともシュール。

 

 朝の風景を楽しむ散歩は終了したようだ。

 

 取り敢えずモーリィがするべきことは騎士達の治療だが、まずは胸の谷間に抱きついてる魔王ちゃんを何とかしなければならない。

 

 魔王ちゃんは最近モーリィの知人になった魔族女性の孫娘だ。

 

 彼女とは井戸端会議で知り合って以来仲良くしてもらっていが、会うたび会うたびにお菓子やら苔盆栽やら色々と貰っている。そんな彼女は田舎の近所のご婦人(オバハン)方の姿が重なってならない。

 

『モーリィちゃん飴玉なめる~?』

 

 年配のご婦人方はいつも飴玉を大量に持っているのだが、普段どこに常備しているのだろう、モーリィも年を取れば習得できる技能なのだろうか?

 

 そんな謎はともかく魔王ちゃんの起こした面倒事を片付けるのは、魔族女性への普段の恩返し程度にはなるはずだ、そう考えるモーリィ。しかし騎士達の治療を開始しようにも魔王ちゃんは胸にしがみつき一向に離れようとはしない。

 

 聖女と魔王ちゃんは顔見知り程度でそれほど親しい仲ではないのだが、騎士達が余程怖かったのか、少しでも知っている人のそばがいいらしい。

 

 モーリィは心底呆れる。

 

 いつもながら、砦の騎士達は子供相手にも本当に大人げがない、頑丈さが取り柄なのだから魔法攻撃の数発(・・)くらい笑って受けてあげればいいだろうにと。

 常人なら一発で即死する魔法攻撃に対して、素でそのように思考した聖女モーリィは、本人も気づかぬ間に砦の脳筋(ばか)思考にかなり汚染されていた。

 

 魔王ちゃんは無理に引き離そうとすると『うーうー』言いながらぷるぷると震えて、最終的にはモーリィの胸部装甲(クッション)に顔を埋め泣き疲れて寝てしまったので、その状態で騎士達を治療することにした。

 

 女騎士と騒ぎを聞きつけ集まって来た人達に手伝ってもらい、目の前まで倒れている騎士達を引きずってきてもらう。その手際の良さときたら、これを商売として毎日しておりますと言っても通じそうだ。流石は砦といったところである。

 

 女騎士が気を利かせて太い紐を持って来てくれたので、モーリィは幼女と自分の体に巻きつけ抱っこ紐の替わりにした。田舎でも近所の子供達の面倒を頼まれることが何故か多かったので、彼女はこの手の支度は早くできる。

 

 そこでモーリィは思い出す『やっぱり女の子のほうが子守は上手ねぇ』とか、近所のご婦人方がよく言っていた気がするが、何かおかしくないだろうか。

 

 魔王ちゃんの体をあやすように揺すりながら、騎士達の治療を手早く行っていく。手で患者の体に触りパンパンするだけで済むので、このような大量の治療が必要な時は聖女の力は優秀だ。

 

 そんなモーリィを見て周りの者達が何かヒソヒソと話をしていたが、聖女になってからというもの、注目されることに慣れてしまった彼女は気にも留めない。

 

 

 

 砦と街を隔てる正門近くに建てられた、砦街の全管理などを行う行政施設。

 その一室、砦街の長が使うにしては広くはない執務室。

 

 地味な色合いの壁紙に最低限の家具しか設置されておらず、仕事部屋とはいえ生活臭というものがまったく感じられない空間。ただ、部屋に置かれている数少ない品は、全て高級で落ちついた趣味の良さそうな物だ。

 

 モーリィは魔王ちゃんを抱いたまま部屋のソファーに深く座っていた。

 

「ははっ、あまりの違和感の無さにどこの若妻かと思ったぞモーリィ?」

 

 胸に抱きつく幼女より、胸部装甲(たわわ)そのものを見られながら言われて、モーリィはイラッとした。そして彼女は不思議に思う、どうしてこの男は人が苛つく発言と行動を的確に出来るのだろう? ある種の才能である。

 

 ローテーブルを挟んだ対面のソファーに座るのは騎士団長。

 

 三十代前後の体格の良い美丈夫、首筋にかかる長さの金色の髪を後ろに流し、悠々としている姿には気品と漂うような色気。

 

 どうしようもなく胡散臭いが見た目はいい男。

 

 あるいはこういうタイプが、宮廷の麗しい貴婦人方の間ではミステリアスとか言われ持て囃されるのだろうか、モーリィには理解しがたい世界だ。

 

 治療を終えた後、起きてくれない魔王ちゃんを放っておくことも出来ず、モーリィは仕方なく抱っこしたままこの部屋に来た。それを指摘して質問するならまだしも、笑えない冗談を言ってからかうのは流石にどうだろう?

 

 第一、朝の騎士(さる)達の騒動を、砦の最高責任者(さるだいひょう)であるこの男の耳に入らないはずがない。その騒ぎを知っている上での発言だと思うと、モーリィが冷たい視線を向けてしまうのも子供じみているが致し方ないことであった。

 

「そんな事を言うために私を呼び出したのですか?」

「おおっと、これは失礼した。とはいえ頼もうとした事はもうこなしているな」

「はい……?」

「話と言うのはその娘の事だよ」

 

 騎士団長は、戸惑うモーリィに胸にしがみつくように眠る魔王ちゃんを指差す。

 モーリィの顔に疑問が浮かぶ、一体どういうことだろうか?

 だが、騎士団長は全く違う話をしだした。

 

「まずは、モーリィ。君が聖女になってからというもの砦の人的被害は驚くほど減った。ほぼ零だ。本当にその事については感謝している」

「え、あ、はい、どういたしまして?」

 

 突然に褒められ目を丸くするモーリィ。

 この男が人を褒めるのは珍しい、大体そういう時は何か裏がある場合なのだが今回は本気で感謝しているようだ。だからこそ余計に不気味である。

 

「だが逆に砦の建造物などに被害が増えている。理由は言わなくても分かるね?」

「あー……」

 

 モーリィは騎士団長のその問い掛けに、自分の胸元の魔王ちゃんを見た。

 真っ赤な炎のような色合いの髪に万年雪のような肌。幼いながらも整ったその顔立ちは、将来は凄い美女になるだろうと予想できる。

 

「まあ、その修繕費用については彼女のご祖母様から援助……ではなく善意の寄付があるので問題は全くないのだがね。ただ何度も砦の修繕を行い、王都の方から痛くもない腹を探られるのも正直面白くない」

「ええ、まあ、そうでしょうね……」

 

 騎士団長はモーリィの隣に座る女騎士にチラリと視線を向ける。

 貴公子然とした男装の騎士はそ知らぬ顔。

 そんなやり取りには気づかずモーリィは思考していた。

 

 魔王ちゃんのご祖母様……要するに本物の魔王、砦の長が魔の国の王と独自に繋がりを持っているのは普通に考えて問題では?

 

 色々ときな臭い話になりそうでモーリィとしては面倒事は遠慮したいのだが、そのような話題を振ってきた騎士団長の魂胆は不明で触れないようにした。

 砦に来てから二年余、藪は突つかない方がいいということを身に染みて実感してきたのだから。

 

 たった二年で、元農民の自分は大分汚れてしまったとモーリィは悲しくなった。

 

「そういうわけで君に頼みたい事なのだがね」

「はい、なんでしょうか?」

「君にはその魔王ちゃんとやらの子守をやってもらおうかと考えている」

「えぇ?」

 

 予想もしない騎士団長の頼み事にモーリィは困惑の声。

 

「彼女は友人、もしくは兄や姉的な存在が欲しいのではないかと思うのだよ」

「友人……そのためにわざわざ砦に?」

「彼女のご祖母様から聞いた話を推測するとそうなるかな」

「襲撃も遊びといえば、そうなのかもしれませんが……」

 

 モーリィは魔王ちゃんの寝顔を見ながら、彼女が頻繁に砦に来る理由を考える。その間は無意識に髪を整えるように撫でてしまう。

 騎士団長はその様子を感心したように眺めながら話を続ける。

 

「まあ、他にもあるだろうが大元はそれだ。そこでモーリィ、彼女が砦にいる間は君が付き添ってやって欲しい。そうすれば怪我人も出ないし砦も破壊されない、彼女にも友人が出来るし万々歳だ」

「そんな、突然に子守役を押し付けられても困りますよ……?」

「ほう、その割には中々に手慣れているようだし、その子も君に懐いているように見えるが?」

 

 騎士団長の茶化すような言葉に、幼女を撫でていた手にハッと気がつき、更にニヤニヤとしている騎士団長の視線にモーリィは怫然とした表情を浮かべてしまう。

 モーリィの気持ちも知らず、魔王ちゃんはムニャムニャ言いながら寝ぼけつつ顔を手で擦る。こうして見ると魔王ではなく天使だろう。

 

 モーリィは無駄だろうけど一応聞いておこうと思った。

 

「あの、質問なのですが、この子を砦に来させないようにすることは出来ないのですか?」

「ははっ、ない、それだけは絶対にないな」

「……どうしてですか?」

「そんな楽な解決方法では非常につまらないではないか?」

 

 どうせ下らない理由だろうと思ったらやはりそうだ。

 

 この男は突発的な事態の場合、本当に必要な案件以外は大抵遊び(てきとう)にする。

 逆に言えば今回の件は、それほど深刻ではないということだ。 

 そしてこの場合は、何かを企んでいるか、もしくは何も考えていないか……モーリィの今までの経験からして今回は後者の可能性の方が高そうである。

 

 今の段階では、まだモーリィに断る選択肢があるように思えるが実際には違う、放置すると大抵は碌でもない結果になり後始末に追われるのだ。

 

 結局のところモーリィが執務室に来た時点で頼みを聞くという選択以外は消えていた。最もそれらの事情がなくても根が真面目な彼女は文句を言っても断りはしなかっただろうが。

 

 聖女モーリィは、魔王ちゃんの子守役を引き受けたのである。



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魔王ちゃん その2

 モーリィは執務室から女騎士と一緒に外に出ると、魔王ちゃんを胸に抱いたまま治療部屋へ戻るための外通路をトボトボ歩いていた。

 

 朝感じた新鮮な気持ちはすっかりと霧散。

 

 騎士団長(どくぶつ)と話したからだ。

 気をつけていないと、ため息がこぼれ落ちそう。

 

 モーリィの耳が砦入口の喧騒を捉える。砦は一般の者でも入ることのできる場所と、騎士団の関係者以外は立ち入り禁止の場所に分かれる。

 行政施設のあるこの場所は前者であるが、砦と街を隔てる巨大な正門が近くにあり、食料や資材を搬入する商人などで賑わいを見せ中々に騒がしかった。

 

 魔王ちゃんを抱っこしたままのモーリィだが疲労は全く感じていない。

 

 5~6歳児と思われる幼女の体重が平均より軽いということもあるが、モーリィの体内魔力が筋力に変換されているので体にそれほどの負担は掛かっていないのだ。それに聖女になってから魔力自体が上がっているせいか以前より腕力も増している。

 

 そこでモーリィは考える、男の頃の自分は完全に聖女の下位互換ではないだろうかと……現在彼女は負の連鎖思考に陥っていた。

 

 沈み込むモーリィ。そんな彼女の落ち込みを察したのか、横を歩いていた女騎士が背中を優しく撫で叩き(おんな)前に微笑んだ。

 

 聖女は女騎士から顔をそらす。その雪のように白い頬が薄く染まっていた。

 

 ――だめです。落ち込んでいる時に、そのような優しい行動と素敵な笑顔は、お止めになってください、私が女だったら完全に堕ちてしまいますからっ!?

 

 聖女の顔は乙女(メス)のものだった。

 今のモーリィは本調子ではないというか色々とダメな人である。

 

 そのように石畳の道を歩いて、関係者以外立ち入り禁止の場所まで戻ると正面の外通路に見知った青年。彼も気がつき手を振りモーリィ達の元まで走って来た。

 

 彼は治療部屋で以前看病したライト・ウォーカーという騎士(ひと)

 

 ダークブラウンの髪と目に、素朴だが知性を持った顔立ちの青年である。

 しかし、その知的な顔とは裏腹に筋肉質で頑強そうな肉体は、流石はエリート脳筋と名高い第三騎士隊に所属する騎士であった。

 

 二人の前で止まり律儀に姿勢を正すと綺麗な敬礼をする。

 

「モーリィさん、――さん、御無沙汰しております。その節は大変お世話になりました!」

「はい、お久しぶりですライトさん。その後、お体の方に問題はないですか?」

「はっ、おかげさまで全く問題ありません!」

 

 折り目正しい青年、相変わらず真面目そうな人だとモーリィは感じた。家族と呼べる間柄の騎士ルドルフとはまた違った方向での真面目さ。

 

 モーリィにとって、その真面目さは決して不快ではなかった。

 

 女騎士は腕を組んでウンウン頷いていた。

 

「こんな所で会うなんて奇遇ですね?」

「あ、いえ、自分は、モーリィさんを探していたのです」

「はい、私に用事ですか?」

「ええ、そうです。実は、お聞きしたい事がありまして」

 

 ライトはチラチラとモーリィの胸元に抱かれた魔王ちゃんを見ていた。

 

 ――聞きたい事? 難しい顔をしているけど何だろう?

 

 モーリィはそう思いながら抱っこしている幼女の体を、あやすように揺さぶりぽんぽんと撫でる。

 

 明らかに無意識の手慣れたその仕草を見たライトは、何故か絶望的な表情に。

 

「その……モーリィさんに、か、隠し子がいたと、噂になっていますが、ほ、本当の事なのでしょうか?」

「……私に隠し子っ!?」

「は、はい、自分は先ほど、ある人から聞き知ったのですが」

「いくらなんでも、それは……」

「勿論自分は信じておりませんが例え事実だとしてもそれによってモーリィさんの価値が減るなどという事は全くなく寧ろその母性溢れる姿に感銘すら覚えているところでありまして田舎者故に上手い言葉が思いつきませんが高名な芸術家が描き上げた一枚の崇高な絵画を見ているような尊い気持ちになりそれを思い出す度にいつも感謝が絶えませ――」

「ちょ、ちょっと、ライトさん。お、落ち着いて!?」

 

 ライトの凄まじい勢いにモーリィはたじたじになる。頭のいい人ってこんなに息継ぎなしに言葉を喋れるのね。と意味の分からない方向での感心をしてしまう。

 

 女騎士はライトを腕組みしたまま無言で眺め、彼の頬をガッと殴った。

 

『おちつけ馬鹿者』

 

 ええ、喋った!? モーリィと殴られたライトは二人して女騎士を見つめた。

 だがそのような二人に構うことなく女騎士は再び腕を組み直す。

 あれ今の声は幻聴だったの? 驚く二人、女騎士はモーリィに続きをうながした。

 

「あ、ええっと……この子は騎士団長の命令で子守を頼まれているだけで、私の子供ではありませんよ」

「あ、そ、そうだったのでありますか! 大変失礼いたしました! 噂に踊らされるなどと、お恥ずかしい限りです」

 

 モーリィは魔王ちゃんをソッと抱いたまま、ライトに微笑みを見せた。

 

「いいえ、ライトさんの疑惑が晴れてよかったです」

「あ、いや、その、ええ。そ、それでは失礼しますっ!」

 

 モーリィの慈母のような表情を見たライトは赤面。

 しどろもどろになると来た時と同じように綺麗な敬礼をして走り去っていった。

 最も来た時とは違い、やたら嬉しそうで踊り出しそうな勢いだったが。

 

 モーリィと女騎士は、二人してライトの背中を見送った。

 

 騎士団長との対話で精神を消耗したモーリィにとって、ライトのような真っ直ぐで不器用な人は嫌いになれないし逆に好感を覚える、まさに最近の癒し。

 

「ライトさんは本当に一生懸命な人だな」

 

 モーリィは感心したように呟く。自分もがんばらなくてはと元気をもらった。

 ふと視線を感じで振り返ると、腕を組んだままの女騎士が何かを言いたげな顔をしていた。心当たりの全くないモーリィは少し怯んでしまう。

 

「あ、あの……何ですか?」

 

 しばらく見つめ合った後、女騎士は苦笑したようにため息をつきモーリィの頭をポンポン。

 

 ――何だろう、このダメな子を見るような行動は……?

 

 そんな騒がしくしていたら、魔王ちゃんが目を擦りながら起きだした。

 ふわぁと小さい口を開けて幼女は欠伸。

 のんきな様子に、聖女と女騎士は思わず顔を見合わせてしまう。

 

 治療部屋に戻って魔王ちゃんに砦に来る詳しい理由を聞こうと、二人は砦の通路を再び歩きだした。

 

 

 ちなみに、聖女の隠し子の噂の出元と思われるトーマスという何某は、鬼いちゃんと化した兄馬鹿(ルドルフ)に、今度は鎖で縛られて治療部屋の裏の池に沈められたらしいのだが、モーリィには知る由もないことである。

 

 

 

 ミレーの待つ治療部屋に戻り、目を覚ました魔王ちゃんの相手をしていたのだが、赤毛の幼女は口数も少なくモーリィから片時も離れようとしない。

 

 ミレーは魔王ちゃんに話しかけ何度も構おうとするのだが、そのたびに幼女は怖がりモーリィの胸に顔を押しつけて、ますます動かなくなる。

 その様子にミレーは少し悔しそう、おそらく猫に構いすぎて嫌われるタイプ。

 

 治療部屋には患者用の病人食を作るために調理台が置かれている。

 

 ミレーが手で摘める簡単な料理を作りお昼は四人で食べた。

 幼女はモーリィに抱きついたままモグモグ、手持ちの薬草クッキーなども与えてみれば普通にモグモグ。一生懸命食べるさまは小動物じみて心が少しだけ癒された。

 

 ミレーの(おとこ)料理や苦いクッキーさえも綺麗に平らげるところを見ると好き嫌いはなさそうだ。

 

 魔王ちゃんを抱いたまま時間だけが過ぎ夕方に、そろそろ騎士団長に相談すべきか迷っていたら、作務衣姿の魔族女性……幼女の御婆ちゃんが迎えに来た。

 

 モーリィは、この魔族女性が魔族の王という事実にここでようやく気がつく。

 

 今まで思い至らなかったのも不思議だが、ご年配のご婦人方と所帯染みた愚痴をこぼしあっていても違和感が全くなく、いつもネジが緩んだような笑顔と発言をしている女性が魔族の王だとはこれっぽっちも結びつかなかったのだ。

 

 これに関して言えば、抜け気味の聖女のせいだけではない。

 

 漆黒の黒髪に深紅色の瞳、そして万年雪のような白い肌。

 スラリと背筋を伸ばした絵になる立ち姿。

 少女でも女でもない女性の体、その中間の奇跡的な美しき容姿。

 

 人知を超えた美貌に角と尻尾という明らかな異形、普通であれば一度見れば二度と忘れることのできない優れた容姿を持ちながらも、存在感が驚くほど希薄で威厳の無さすぎる小市民的な魔王様にも問題があるのだ。

 

 ともあれ、そんな冴えない魔王様に魔王ちゃんを引き渡して、今日はお別れかと安堵していたら、それまで比較的大人しかった幼女が突然ごねだした。

 

「やだーっ! あたしまだ、聖女と一緒にいるー!!」

「あらあら困った子ねぇ、そんなに聖女のお姉ちゃんと一緒にいたいの?」

「一緒にいるー! ねっねっ御婆ちゃん一生のお願いっ! お願いー!!」

「あらあら、うふふ、どうしましょう。うふふ、本当に仕方ない子ねぇ」

 

 本来なら我儘を叱るべき魔王様は、孫娘にねだられ抱きつかれ頬ずりされて、ひどく蕩け切った笑顔を浮かべて陥落されていたのだ。

 モーリィと治療部屋の二人は冴えない魔王様を残念な目で見つめた。

 

「うふふ……モーリィちゃん。悪いのだけど、この子を一晩だけお願いね?」

「え、ええっ!?」

 

 見た目的にはモーリィやミレーと年のかわらない、ちょろすぎる美貌の魔王様(ばばあ)は孫娘を一晩預るように頼み込んできた。

 しかし、それはお願いという名を借りた魔王の無慈悲な命令。

 そこに拒否権はない魔王からは逃げられない、預かるしかなかった。

 

 それにモーリィのことをつぶらな瞳でジッと見つめて懇願してくる、魔王ちゃんの小動物的視線も無視できなかったのだ。

 ちょろいのはどうやら自分もらしい、モーリィはため息をついた。

 

 

 

 本当に残念な冴えない魔王様を見送ると夕食のために四人で食堂に向かった。

 

 砦には施設の建屋ごとにいくつかの食堂がある。

 

 モーリィ達のような砦在住組が普段使うのは、騎士達などの肉体労働者(のうきん)が使用する広い食堂だが、今は人が多く混雑していて騒がしい、この時間帯は昼の勤務を終えた者が一斉に食事をとるからだ。ほぼ指定席となっているテーブルへ。

 

 以前は騎士ルドルフやトーマス達と一緒に食事をしていたのだが、最近は護衛の女騎士がいる絡みで彼女達のいるテーブルでとることが多い。

 おかげで魔王ちゃんが一緒でも余計なちょっかいを掛けられないで済む。

 

 女騎士達(ごりらのむれ)に手を出してくる命知らずな騎士(さる)はいない。

 

 一緒にきたミレーと女騎士が気をきかせ、モーリィ達の食事も取って来てくれる。二人で並んで長椅子に座ったが、魔王ちゃんの背丈はテーブルに足りていないので膝の上に座ってもらうことにした。

 

 幼女はモーリィの胸に背と頭を乗せると「ふかふかーっ」と喜ぶ。

 周りでゴクリと喉を鳴らす音が複数聞こえた。

 

 魔王ちゃんは親御さんの躾がしっかりとしているのか、この年頃にしては食事の仕方が綺麗である。感心するモーリィだが、考えてみたらこの子は恐れ多くも魔の国の王族、作法などもそれなりの教育は受けているのだろう。

 

 それでも拙い部分はあるので、モーリィはお肉を切り取って食べやすくしたり、口元を汚れを拭いてあげたりと世話をするが、田舎の悪ガキ共に比べたら非常に楽なもの。

 

「料理は美味しい?」

「うん、おいしい」

 

 尋ねると、魔王ちゃんは振り返りモーリィを見上げながら小さい声でぼそぼそ。

 砦での騎士達との戦い(あそび)や、治療部屋での大騒ぎが嘘のようである。慣れない場所で大勢の大人たちに囲まれ緊張しているようだ。

 

「そうかー美味しくてよかったね」

 

 モーリィは魔王ちゃんに、にっこりと微笑むと彼女の頭を優しく撫でてあげた。

 そんなモーリィに魔王ちゃんも、うふーっと声に出してはにかみ顔。

 

 ふとモーリィは視線に気がつく。同じテーブルで食事をしているミレーと女騎士達が食べる手を止めて、モーリィ達のことをジッと見ていたのだ。

 ミレーにいたってはフォークに肉をぶっ刺して、口を開け運ぶ一歩手前。

 モーリィは彼女達の視線の重圧に少しだけ仰け反る。

 

「あ、あの……皆さんどうしたのですか?」

「え、いや、その、何だかモーリィってお母さんみたいで、その……いいね!?」

 

 頬を染めモジモジとしたミレーはサムズアップ。

 その言葉に同じく頬を少し染めた女騎士達も同時にサムズアップ。

 一糸乱れぬ彼女達の綺麗な動きに、モーリィは不覚にも感動を覚えてしまった。

 

 嫌な予感に周りを見回すと、騎士(さる)達もうっとりとした表情でモーリィを見ている。お母ちゃん……という空耳か幻聴を聞いた気がして頭痛がした。

 

 モーリィは眉間にできたシワを目を閉じて指で揉み解す。

 

 そんな癒しを求めるダメな大人達をよそに、魔王ちゃんは料理を残さずに食べたので頭を撫でて褒めてあげる。モーリィは特別宿舎の自分の部屋に帰ることにした。



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魔王ちゃん その3

 モーリィ達は特別宿舎の女騎士と一緒に帰って来ていた。

 

 彼女の今日の護衛任務はこれで終了。

 明日はまた違う女騎士が聖女の護衛に付くことになる。

 

 モーリィは一日付き添ってくれた女騎士にお礼を言うと、自室の扉を開けて魔王ちゃんと一緒に室内に入った。住むようになって二ヶ月ほど、睡眠をとる以外はあまり居ることのない部屋は木材の素の匂いがまだ残っている。

 

 綺麗なベージュの壁紙、備え付けのベッドに箪笥と化粧台、そしてモーリィが持ち込んだ作業用の小さい机と椅子、それ以外は特に目を引くものはない。

 

 一人で住むには広すぎる部屋。

 

 モーリィは着る物と生活用品以外はそれほど私物を持っていない、そのせいかどこか他人の部屋のようで、くつろげる空間には程遠い。

 

 抱っこしていた魔王ちゃんの軽い体をベッドに降ろした。

 

「夜の準備をするから、少しだけ待っててね」

「うん、わかったー」

 

 魔王ちゃんキョロキョロと興味深げに室内を見回す。しかしモーリィの言うことを聞いてベッドの縁に行儀よく腰かけ座っている。

 

 モーリィは部屋に備え付けの箪笥の中から夜着を見繕う、女になってからも寝間着として使っている男物の大きい肌着を取りだし、自分の体に当て幼女をちらりと見る、子供用の下着はないが一晩寝るだけならばこれで問題はないだろう。

 

「魔王ちゃ……ああっ、聞きたいことがあるけどいいかな?」

「うん、いいよ、なあにー?」

「君の名前は何と言うのかな?」

「魔王だよっ!!」

 

 幼女はベッドに座ったまま宣言すると、短い手を腰に当てて胸を張った。

 あごを僅かに上にあげて、フフンッと誇らしげ。

 その姿は、ちょっと滑稽で小動物的な愛らしさがあった。

 モーリィはしばらく眺めていたのだが、和んでいる場合じゃないと我に返る。

 

「ええっと、知りたいのは本当の名前だけど……え、魔王は本名?」

「違うよ、魔王は称号だって御婆ちゃんは言ってた」

「ああ、はい、そうですよね」

「魔王の挨拶も御婆ちゃんに教えてもらったんだよっ!」

「…………」

 

 モーリィは納得をした。

 

 魔王ちゃんの以前の名乗り方と今の喋り方はあまりにも違いすぎると感じていたのだ。御婆ちゃん(まおうさま)、貴女の英才教育は明らかに間違っている。 

 

「うんっ、カエデだよ。あたしの名前は御婆ちゃんがつけてくれたんだ」

「そうか、カエデちゃんか、良い名前だね。私はモーリィ、改めてよろしくね」

「うん、よろしくね聖女っ!」

 

 どうやら魔王カエデには、モーリィの名前は聖女で登録されてしまったらしい。

 カエデ……幼女の名前は聞いたことのない不思議な響きがあった。

 

「それじゃカエデちゃん、体を洗ってから着替えをしようか」

「はーい、わかった~」

 

 カエデは手をあげて元気よく答えた。モーリィと二人っきりのせいかオドオドとした様子がなく伸び伸びとしている。あるいはこれが彼女の地なのかもしれない。

 

 モーリィは先に浴槽に入って、置いてある大きいタライに水道を開け水をためた。特別宿舎は騎士達が住む一般宿舎と違い個室に手洗いと浴槽がついている。

 共同風呂とは違いお湯などは出ないため水浴びしかできないが、体を洗い身を清めるだけならばこれで十分であった。

 

 モーリィは厚い生地で作られた貫頭衣形状の治療服を脱ぎ机に置くと、その下の長袖とズボン、下着を脱衣篭にいれた。全裸になると寒気を感じたモーリィの豊かな乳房がぶるん。カエデも自分で服を脱ぐことができるようで、喋り方こそ年相応だが見た目の年齢よりかなり利発だろう。

 

 田舎の悪ガキ達はカエデくらいの年齢だと鼻水たらし、大声ではしゃぎながら言うことも聞かず、風呂なんて裸で走り回って逃げ出すものだったが。よく考えたら自分もそんなお子さんだった、と……モーリィは少し恥ずかしくなった。

 

 先に脱ぎ終わったので幼女が脱ぐのを手伝う。カエデは目を丸くしながらモーリィの裸を見て「大きいっ!」と声を上げる。

 何が大きいのか聞くまでもないがモーリィは苦笑するしかない。

 

 柔らかい布と使いかけの石鹸を使ってカエデの体を洗う。

 幼児特有の筋肉の発達していない柔らかい体。

 滑らかで手触りのいい、炎のような色合いの赤い髪。

 

 カエデは洗われている間、モーリィの胸に興味があるのか何度もペタペタと触る。その行為は神聖なものに恐る恐る触れるといった感じで、モーリィとしてはこそばゆいが決して不快ではなかった。

 

 ただ、少しだけ悪戯が過ぎるようなので、お返しにカエデの脇腹をくすぐってあげるとキャッキャッと声をあげて喜んだ。

 

 水を張ったタライにカエデは楽しそうに入っていく、冷たさはそれほど苦ではないようだ。しかし人族より強靭な魔族とはいえ幼子、風邪でも引いたら一大事である。直ぐに出てもらい乾いた布で温めるように丁寧に肌を拭く。

 

 モーリィは幼女の体と頭に布を巻きつけて保温すると、今度は自分の体を洗う。普段は軽く布で擦り水浴びをする程度なのだが、今日はカエデの手前もあるのでしっかりと洗うことにした。

 

 モーリィにとって未だに慣れず違和感の残る体だ。

 女の象徴である胸を手で触る時が特に、いつかその違和感も消えるだろうか?

 その想像に、モーリィは男の自分が消えるような恐ろしさを感じた。

 

 寝間着を着せることにする、炎の色合いの髪はすでに乾いていた。

 

 

 日は落ち、月の明かりがぼんやりと室内を照らす。

 

 モーリィはランプを使うか迷ったが、疲労を感じていたので床につくことにした。

 薄明かりに照らされた室内、防寒用の厚手のカーテンを閉めると暗くなる。

 カエデはまだ起きていたそうな雰囲気だったが、ベッドに入り手招きをすると文句を言うこともなくモーリィの横に潜り込んでくる。

 

 聞き分けの良すぎる子、それは治療部屋から感じていた。

 逆にこの子が我儘をいう時は余程のことではないだろうか?

 モーリィの疑問、なぜ自分と一緒にいることを、この子は望んだのだろうか……。

 

 しかし、キャッキャッと嬉しそうに体を寄せてくるカエデの声を聞いていたら、疑問は霧散しどうでもよくなった。ただモーリィの中に温かい気持ちだけがあった。

 

 いつもながら砦の夜は冷える。

 

 二人で重なるように横になり毛布を顔まで被る。

 童心に返ったような不思議な気持ち、ミルクのようないい香りがした。モーリィの腕に抱きついてくるカエデの体温は高く、その熱は安堵できるもの。

 

「ねっ、聖女、何かお話して?」

「うん、お話?」

「御婆ちゃんは、いつも寝る前にお話をしてくれるよ」

 

 御伽話……モーリィは昔から子守をよくしていた経験から、同年代の者に比べても話を知っている方だが、魔族の幼子に聞かせるとなると少々困る。

 

 影を操る恐ろしい魔王と戦う選ばれし勇者の話とか、闇の凶悪な獣と戦う偉大なるドワーフの戦士の話とか、世界を破滅に導こうとした魔王の撃退に成功した国の話とか……どれも魔族の子供にはとても聞かせられそうにはない、モーリィは悩んだ。

 

 ただ、本当に不思議なことに、どの話にも緩い魔王様の顔が浮かぶのだ。

 

「聖女どうしたの?」

「あーはい、カエデちゃん、少しだけ待ってね」

 

 カエデの背中を優しく擦りながら、モーリィはおぼろげな記憶をたどる。

 幼女はくすぐったそうにしながらも、嫌がるそぶりはしなかった。

 ふと思い出す。モーリィがまだ幼かった頃に、母親から何度も聞かされて何度もねだった魔王が出てくる御伽話。あれならば話すことができるだろう。

 

「ええっと、それでは……放浪の旅をする魔王と小さい国のお姫さまのお話です」

「わぁ、魔王っ!」

 

 カエデはモーリィの肩に頭を乗せたまま歓声を上げて抱きついて来た。

 じんわりとした熱が心地よい、幼女の関心を引くことには成功したようだ。

 モーリィはカエデの背中に手を回したまま御伽話を語りだす。

 

 昔、母から聞かされたように、悠々と眠りを誘うように……。

 

 それは放浪の旅をする魔王と小さい国のお姫さまとの悲しい出会い。

 でも、確かな希望を持った優しくも儚い物語。

 

 殺戮を止められぬ魔王と、ただ約束を果たすためだけに生きた聖女。

 

 全て語り終えて夜も大分更けた頃には、聖女の胸にいる小さな魔王はすっかり夢の中。その寝姿を見て微笑むとモーリィも眠りにつくことにした。

 寄り添う彼女達の姿を第三者が見たらどのような関係に見えただろうか?

 その夜も冷えた。いつもと違いカエデがいたおかげでモーリィは寒くはなかった。

 

 

 

 モーリィは朝の冷え込みの中で目を覚ます。

 浮かび上がる白い吐息、手早く身支度を済ませた。

 まだベッドの中で眠たそうなカエデを起こし、着替えを手伝い整えると抱っこをして部屋を出る。ムニャムニャと何かを呟くカエデに笑みをこぼしてしまう。

 

 モーリィ達は部屋の前で、既に待機していた女騎士と合流した。

 

 挨拶を交わし、今日もお願いしますとお辞儀をすると、カエデも真似してお辞儀をした。その様子が愛らしく、女騎士と顔を見合わせるとクスクスと笑ってしまう。

 まずは食堂に行こう。今朝の献立は確か卵料理のはず、カエデは気に入ってくれるだろうか? そんなことを考える聖女モーリィは優しい気持ちに。

 

「取りあえずは礼を言っておこうか人族」

 

 特別宿舎の建屋から出た途端。凛とした、一度聞いたら忘れられない、美しくも印象深い女性の声で話し掛けられた。

 

 女騎士は酷く慌て、剣の鞘に手を当てモーリィ達を庇うように前に出る。

 いつも余裕を持った雰囲気の女騎士が、焦った表情を見せるのは珍しいこと。

 

「やめておけよ人族。貴様ら程度は私の相手ではないぞ?」

 

 彼女が発する言葉は傲岸不遜な女王のよう。

 だがこの女性には、嫌味なく惚れ惚れとするほど似合っていた。

 

 炎を思わせる色合いの神秘的な髪と瞳。雪のように白い肌に美しい貌。

 天上の美、傾国の美姫、神々の芸術家ですら作り得ない美の極致。

 彼女を褒め称える言葉はいくらでも出てきそうだ、人知を超えた美貌だった。

 スラリとした体に伸びた姿勢、踝まである簡素な黒いドレス、その質素さが逆に彼女の持つ恐ろしいくらいの美しさを演出していた。

 

 見た目はモーリィと同年代に見えるのに、身に纏う貫禄は桁違い。

 

 ただ、そこに立っているだけだというのに、目を離すことが出来ないほどの磁力を……人を惹きつけるような強い生命力を発している。

 声を掛けられるまで気がつかなかったのは本当に不思議なくらいだ。

 

 だがしかし、とモーリィは思った。

 この恐ろしいくらいの美人さんはどこかで見たことあるような?

 

 知り合いの作務衣の魔族女性が『ウフ―』と笑っているのが浮かんだ。

 

 赤髪の女性の顔をぬるま湯に三分ほどつけてから、髪を黒く染め角をつけネジっぽいものを緩めたら、あの緩い魔王様の顔になるのではないだろうか?

 生き物としての存在感は天と地程の開き、とモーリィはかなり失礼なことを考えた。

 

「お母さんっ!」

 

 寝ぼけ眼だったカエデが嬉しそうに声を上げる。

 目の前の女性はカエデの母親であり、あの緩い魔王様の娘。

 カエデの鮮やかな美しい赤毛の髪も彼女から受け継いだものだろう。

 

 モーリィは引き止めようとする女騎士に、大丈夫と微笑み視線だけで伝えて、カエデを抱っこしたまま赤毛の女性の前に進み出た。

 

「初めまして、私は砦の治療士、モーリィと申します」

「ああ、私はその娘の母だ。どうやら迷惑をかけたようだな」

「いいえ、大変お行儀の良い子で手はかかりませんでしたよ」

「そうなのか? 何にしろ感謝する」

 

「お母さん、あたし、いい子にしてたよー?」

 

 話を遮るように発したカエデの無邪気な発言に、モーリィと彼女は同時に顔を見合わせ、一拍おいて微笑んだ。

 女性のそのさり気無い、しかし深い慈愛に満ちた表情を見てモーリィは安堵。彼女はカエデを蔑ろにするような親ではないと分かったからだ。

 

 美しい女性に胸に抱いていたカエデをソッと差し出す。

 

 彼女は一瞬虚を突かれた顔をしたが、我が子を受け取りそのまま抱っこをした。

 カエデはしばらくモーリィの服をつかんでいたが、彼女が優しく髪を撫でるとつかんでいた手をやがては放す。

 

 聖女はズキンとした痛みを胸に感じた。

 

「お母様から話は聞いている、貴様は人族の……聖女らしいな?」

「え、はい、どうやらそのようです」

「そうか……なるほど、なるほどな」

「あの、なにか?」

 

 彼女が何に納得しているのか、モーリィは不安に思い尋ねる。

 

「ふむ……その様子だと自分では理解してないようだな。まあいい、聖女モーリィ。何かあった場合は力になろう、その時はお母様に伝えるがよい」

「え? ……は、はい」

「少なくとも貴様は、その者たちが命を懸ける程度には重要らしいからな」

 

 彼女は炎色の瞳で特別宿舎の出入り口の扉をチラリ。

 

 モーリィが顔だけで振り向くと、いつの間にか十三人の女騎士が揃っており、武装し普段見たことのない険しい顔をして立っていた。

 

「ではな聖女モーリィ。貴様とは改めてゆっくりと話をしたいものだよ」

「はい、その時は是非に」

「またね! 聖女っ、またねー!」

「あ、うん……カエデちゃんもまたね」

 

 抱っこされたまま、ブンブンと笑顔で手を振るカエデ。

 モーリィも僅かに笑みを浮かべ小さく手を振り返す。

 あれ程の騒ぎがあったにしては、あまりにもあっさりとした別れ。

 

 モーリィは去っていく彼女達の後ろ姿を見えなくなるまで眺めた。

 

 無意識にため息。昨日の朝からあの子に振り回された騒がしい一日。

 当分の間は勘弁して欲しいものだとモーリィはしみじみと思った。

 聖女は自分の胸を何となく見る、そこにはカエデが先ほどまでいた。

 

 でも……でも、何故だろうか。

 

 少しだけ胸の中……何も失ってはいないはずなのに、何かを失ってしまったような、ぽっかりと穴があいてしまったような、そんな気持ちになっているのだ。

 

 昨日の護衛をしてくれた女騎士がモーリィの傍にくる。

 そして差し出されるハンカチ。

 

 モーリィはしばらく不思議そうに彼女を見ていた。そして、そこでようやく自分の頬に熱い何かが流れていることに気がついた。

 

 モーリィはいつの間にか涙を流していたのだ。

 

「あ、あれ? ……何で、どうして?」

 

 声が震える、視界が水鏡のように歪む、涙を拭こうとした指先が震える。

 

「あ、ああ……あああっ!」

 

 女騎士の手を縋るようにつかむと、モーリィは彼女の肩に寄りかかって、静かに、声を殺して、呻くように泣いた。

 涙が後から後からボロボロとこぼれ止まらなかった。

 

 女騎士も、モーリィの震える体を無言で支えた。

 

 理由は分からず、対処法も分からない。

 切なくて寂しくて悲しいといった、やりきれない気持ちが自分の中に次々と生まれて、制御のできない感情に心は揺さぶられ振り回される。

 

 困惑して、モーリィは泣くことしかできない。

 

 この気持ちは、自身が女となったせいなのか、それともそうではないのか、聖女モーリィには判別することが出来なかった。

 

 ――――――

 

 次の日には、魔王カエデは普通に治療部屋に遊びにきていた。

 

「うふーっ」

 

 聖女モーリィは嬉しいような迷惑なような、何とも言えない複雑な気持ちになった。彼女に、誰にも話せない出来事が一つ増えたのである。



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探し人 その1

 モーリィは微笑みながら冷や汗をかいていた。

 原因は目の前の若い男である。

 貴族のご子息らしいが、モーリィが強く出ないのをいいことに、髪や肩を触り褒めながら言い寄ってくるのだ。

 男の時は性別を言えば大抵の相手は驚き引いてくれた。

 それでも迫ってくる男色家には男の子らしく遠慮なく握り拳だ!!

 しかし、今現在は女の体でその手は使えない。

 

 それについて相談したターニャから受けたアドバイスは。

 

『年頃の女は握り拳なんてしていけないよ、はしたないからね? え、そういうときは蹴りにしときなさい。そう踏むのよ……そして、そのまま捻じ切る! いいわね?』

 

 モーリィのお尻がキュッとなった。

 

 騎士団長からは、一応えらいさんの息子(あほ)だから、そこはかとなく(・・・・・・・)丁重に接してくれと言われている。

 ようするに握り拳以外の暴力行為ならば及んでもいいということなのだが、砦街の評判を落とすような真似はできればしたくはない。

 

 ……砦街の評判とか今更なのだろうか?

 

 それに冷や汗の本当の原因は男ではない。

 真の原因は男の背後に腕組みして無表情で立つ騎士ルドルフ。

 そして更に、その後ろに広がる黒々とした闇の森が恐ろしく不気味であった。

 

 ◇

 

 砦の騎士たちの役目は闇の森からの魔獣の討伐、あるいは撃退である。

 

 もちろん砦の騎士が、周辺全ての魔獣を討伐しているわけではない。

 闇の森から生存競争に破れて追いだされた凶暴な肉食の魔獣、もしくは森の外で繁殖し近隣に被害を及ぼしそうな群れが相手である。

 作中では家猫ほど真面に働いてなさそうな彼らだが、実際には常人では太刀打ちできない魔獣たちと、日夜激しい戦いをくりかえしているのだ。

 

 そう……砦の騎士は、決して知能が足りてないだけの哀れな連中ではない。

 

 本当に足りていないのは事実であるが戦闘力の高さと勇敢さだけは、王国内どころか、周辺諸国でも知能の残念さと共に有名であった。

 そんな頭が可哀想な彼らの役目は魔獣の討伐だが、突発で入る別の仕事もあったりする。

 

 それは闇の森に入った者の捜索任務。

 

 本来ならば危険な闇の森に入ることは自己責任で、その結果どうなっても文句は言えない。

 だが闇の森に侵入した人間が、たまたま権力者と関わり合いのある者の場合はそんな単純な話ではなくなる。

 阿呆な自殺志願者なんて放置したいが、そうはいかないらしい。

 なにしろ砦の脳筋(ばか)どもにも阿呆(あほ)呼ばわりされるのだ。

 闇の森に入る行為がどれほど愚かしいか、小さな子供でも理解できるというものだ、この馬鹿。

 

 そして今回も毎度のごとく砦の騎士たちに闇の森捜索の話がきていた。

 

 探し人はとある有力大臣の末息子。

 

 その手のやんちゃは、剣や魔術の教育を優先的に受けられる貴族の子息……特に家を継ぐ可能性の低い穀潰しの三男以降の者に多い。

 世間知らずの彼らは少し褒められると勘違いをし、一旗あげようと冒険者(ごろつき)などになろうとするのだ。

 別にそれはそれでいい。

 冒険者になって夢を見るのも、若いうちは悪くはないだろう。

 中には貴族の出で、冒険者として成功した者も少ないがいるのだから。

 ただ、何故に闇の森などを冒険の場所に選ぼうとするのか?

 何故わざわざ、人間相手の剣術や魔術が、微塵も役にも立たない場所に行こうとするのか? 

 

 砦街の対人最強と名高い女騎士(ごりら)たちだって、闇の森には絶対行かないぞ?

 

 それほどに力を持て余しているのなら是非とも砦街に来てくれ。

 そこで思う存分に力を振るって欲しい。

 ここで迷うような臆病者は家でママにでも甘えているといい。

 安定……それもまた生き方の一つだろう。

 しかし、我々にはそんな腰抜けなど必要ない!

 我々が欲するはいかなる困難にも打ち勝つ、苦難に負けぬ心をもつ真の男、真の騎士のみ!

 来たれ友よ、王国最強の砦の騎士は勇敢なる君を歓迎するっ!! 

 

  ――――

 

「そんな勧誘文句(でたらめ)はどうよ? 入ってくる脳筋(ばか)がいるんじゃないか?」

 

 軽口を叩き、集団の前を進むのは斥候役を務めるトーマス。

 そんな言葉に騙される田舎者はまずいないだろうと、少し後ろを歩くルドルフは呆れた顔になる。

 その彼の横にいるライトは、気まずそうに顔をソッと逸らした。

 

 闇の森の中、軽鎧の上に緑色の外套と背嚢という野戦装備で身を固める砦の騎士たち。

 彼らは鬱蒼とした樹林が生え茂る森を歩いていた。

 濃い緑の匂いに、鳥か虫か分からぬ生き物の鳴き声が止むことなく響き渡る。

 背の高い木々が密集するように生えているため、太陽の光を遮り、昼なのに辺りは酷く薄暗い。

 僅かでも安全な道から外れれば死ぬだけでは済まない、生き地獄を手軽に味わえたりする魔境だが、今のところは危険な魔獣らしき気配も兆候もない。

 

 彼らのいる場所は闇の森の中層部あたりだが、砦の騎士たちの様子はピクニックに行くような実にのどやかなものである。

 最初は極度に緊張していたライトも、森への侵入を何度か繰り返すうちにだいぶ慣れたらしく、今では落ち着いた様子で歩いていた。

 とはいえ、油断できる場所でないことは確かだ。

 隠密すらできない者では余程の幸運持ちではない限り、魔獣の胃袋の中にご案内される場所なのだから。

 

 彼らはこの捜索のために、第一~第四騎士隊から編成された砦の騎士の特殊班だ。

 通常の任務であれば隊ごとでことにあたるのだが、今回は闇の森(イレギュラー)での活動である。

 砦の騎士の中でも、闇の森の獣を欺ける高い隠密技能を持った十四名が選ばれ捜索を行うこととなった。

 

 普通ならば急造な班などまともに機能しないものだが、闇の森での仕事となると大体同じ面子になるので、チームワーク云々は今更の話である。

 いつもと違うのはその編成の中に新米のライトがいることくらい。

 彼は故郷で規格外な村の老人方に色々と鍛えられたらしく、闇の森でも十分通じる野外生存(サバイバル)技能を有していた。

 

 この手の有能な人材は激務の部署に配属されるもの、頑張れ生きろ。

 

 騎士ルドルフは闇の森での活動経験が豊富だったので、捜索班長として現場指揮をすることになった。

 年は二十台半ばの彼だが、捜索班の面子の中では一番の古参である。

 他にも多くの人員が捜索班の支援のため、森のすぐ外で野営地を作り待機している。

 

 その中には治療士として聖女モーリィと護衛の女騎士たちもきていた。

 

 余談ではあるが、モーリィが騎士団長と交渉し、食材を持ちこんで調理してくれた野外料理は本当に美味しく、外での任務期間中は不味い携帯食しか食べれない騎士たちには大変に好評だった。

 いつもはあまり感情を表にださないルドルフでさえも、ほくほく顔で美味しそうに平らげていたのだ。

 

『こいつはまじでうめぇな。おれの嫁にくるかいモーリィ?』

 

 ほざいていた野郎(トーマス)は、このすぐ後に兄馬鹿(ルドルフ)によって締められた。

 

 さて話を戻して闇の森の捜索だが、実に広大な場所である。

 体力馬鹿の砦の騎士とはいえ、全部を探すのはまず不可能だ。

 そのため捜索する地点は事前に決められている。

 闇の森でも木々が入り組んで半ば迷宮化している場所や、広いが大型魔獣の通り道になっている場所は危険すぎて入ることはできない。

 砦の騎士のような体力お化けでもなければ、常人の者が探索できる場所などは最初から限られている。

 これら以外のルートから森に侵入した場合、生存の確率は低く、探すだけ無駄であった。

 それらを踏まえた上で、森の外から何度も侵入を繰り返し、何ヶ所かを回り、探し人の痕跡を発見できなくても捜索は打ち切りとなる。

 

 そして今いるのが最後の捜索場所。

 

 彼らの任務は、このままいけば探し人の痕跡も遺品も発見できずの、一週間ほどの森のお散歩で終わるはずだった。

 全員無事だし、野営地で待っている聖女さまに頼まれた薬草(おみやげ)も十分確保したし、捜索の終わりとしてはまあ良い結末だろう。

 騎士たち全員がそう思っていた。

 

 だが不幸なことに、騎士たちは探し人の痕跡を発見してしまった。

 

 野営をしたと思われる場所には、呆れたことに焚き火の跡があった。

 闇の森で火を恐れる獣はおらず、逆に引き寄せる結果にしかならない。

 自殺願望があるとしか思えない行為だが、闇の森にきている時点でお察しである。

 

 しかし捜索班の騎士たちにとって更に不幸で、探し人にとっては幸運なことに、その場所で魔獣に襲われたような形跡はなかった。

 

「どうするんだルドルフ班長どの?」

 

 素人仕事にしか思えない酷い野営片付けの跡に、トーマスは顔をしかめながらルドルフに尋ねる。

 ルドルフは思案する。

 正直、探し人が生きているとは到底思えないし、生きていても(・・・・・・)面倒である……だが、答えは決まっている。

 

 探し人を見つけるまで、捜索の続行であった。

 

 ルドルフ以下の十四名は悲しいことに宮仕えの騎士である。

 女には聞かせられない悪態をつくトーマスのケツを軽く叩くと、ルドルフは捜索の再開を全員に伝えたのだ。

 

 

 それから途切れ途切れの痕跡を辿り、しばらく進んだ先で騎士たちは探し人の仲間と思える者たちの一部分と遺品を発見する。

 騎士たちはその周りを、魔獣に食われ散らかされた彼らの痕跡を調べることにした。

 彼らが魔獣と遭遇し、追いかけられて逃げたのは分かる。

 

 だが途中から足跡が一人分足りない?

 

 そのとき、低い崖の下を調べていた騎士が声をあげた。

 

「みつけたぞっ! ちきしょう、生きて(・・・)いやがった!!」

 

 探し人発見の報に、ライト以外の騎士たちは全員が同時に思った。

 

 ――死んでろよくそったれっ!! 

 

 生き残りの発見に拳を握りしめ、喜びの声をだしかけた純粋なライト。

 しかし周りの先輩方の苦虫を噛み潰したような表情に、寸でのところで口を閉じ、うえにあげた拳を静かに下した。

 彼はひどい田舎者ではあるが、空気の読める有能な男なのだ。

 

 闇の森の捜索についてはいくつかの結末がある。

 

 それを上から良い順に並べると、遺体が見つかった場合。

 遺体はなく遺品が見つかった場合。

 どちらも見つからなかった場合……であった。

 この順番にそれぞれ意味はあるが、ここでは省略する。

 

 一番最悪なのは、探し人が生き残っていた場合。

 

 何故なら、闇の森の探し人の殆どは貴族出身の世間知らずで、人間相手の戦闘術は学んでいても、野外で使える技能を持ち合わせている者は皆無に等しいからだ。

 それどころか、それらの有能な技能を、野蛮人の下賤な技と蔑む者すらいるらしい。

 

 砦の野蛮人(きし)としては、野蛮人(さる)であることは十二分に自覚しているので別に何とも思わないけど。

 

 闇の森で必須とされる隠密技能などはまず習得していない。

 そんな者を闇の森から連れ帰るのは命がけの至難の業で、下手したら捜索班の全員を危険にさらすことになるのは想像するに容易い。

 それ故に探し人の生存、これは一番最悪な状況なのであった。

 

 

 そんな厄介者の探し人は崖下の浅い窪みの中で、体に土を被った状態で発見された。

 恐らく逃げる際に崖から転落して窪みに落ち、その後に斜面の土が崩れて体をおおい隠したのだろう。

 偶然にしては出来すぎだがあり得ない話ではない。

 

 探し人の彼は二十も年を重ねていなさそうな青年だった。

 貴族によくいる金色の髪に線の細そうな顔立ちに体つき。

 冒険者などという荒事には不向きな人種に思えた。

 

 背後に回ったライトが気付けを行うと青年は直ぐに目を覚ました。

 ボンヤリと辺りを見渡していたが、しばらくすると青年は意識が完全に覚醒したのか怯えだした。

 魔獣に襲撃された命の危機。

 そして命からがら逃げのびて、目を覚ましたら、むさいごっつい脳筋たちに無言で囲まれ見下ろされている。

 この状況で平然とできる者がいたら、余程の大物か大馬鹿だろう。

 青年は阿呆ではあるものの大物でも大馬鹿でもないようだ。

 

「き……き、君たちはいったい何者だ?」

「お姫さまを救いにきた正義の騎士さまだよ。お坊ちゃん」

 

 怯える青年の質問にトーマスは肩を竦め茶化すように答えた。

 青年は一瞬戸惑った顔をしたが、すぐに言葉の意味を理解すると喜びの表情を見せた。

 

「僕たちを助けに来てくれたのか!?」

「まっ、不本意ながらな」

「あ……すまないが僕の仲間はどうなった? みんな無事なのかい!?」

 

 騎士たちは青年の問い掛けに顔を見合わすと、腰に下げた防腐処理の術式が編み込まれている袋から、回収した青年の仲間の一部分を取りだして見せた。

 具体的に言うなら、魔獣に食われ残った手首や足首などの部位。

 ライトもトーマスに目線で促されて、しぶしぶと死体袋の中から生首を取りだし肩越しに青年に見せてあげた。

 青年は悲鳴も上げずに気絶した。

 

 ――ひでぇなこの人たち……ライトは心の中で思った。

 

 そんな心の汚れていない騎士ライトが、青年を肩に担いで運ぶことになった。

 碌に持久走もしたことのないようなナヨナヨした体格の青年では脳筋についてこれそうになく、運搬したほうがまだマシだったから。

 唯一の良い情報は、青年の纏っている外套に気配消しと思われる術式が編み込まれていたことだ。

 彼が生き残びることのできた理由の一つだと思われるが、何処まで通用するかは、この時点では定かではない。

 何故なら闇の森で生きる魔獣は、外の魔獣に比べても気配に対しては非常に敏感で、生半可な隠密ではすぐに見破られるからだ。

 

 貴族の青年を見捨てる……置き去りにして殺すという選択もあった。

 

 それは闇の森の捜索において暗黙の了解と化している行為で、決して褒められたことではないが、騎士団長も口にはしないもののやることを承認している。

 これから先、国の役に立つかもわからない貴族の穀潰し一人と、現時点において国に高い貢献をしている砦の騎士一人の命。

 どちらのほうが王国にとってより価値があり、重いかは明白だからだ。

 

 しかし現場責任者のルドルフは青年をライトに運ぶのを命じた。

 

 他の騎士ならいざという時は容赦なく青年を見捨てるだろう。

 だが新米のライトは最後まで見捨てずに運ぶに違いない。

 それを踏まえた上で運ばせていたのだ。

 もちろん、ライトが危機に陥ればルドルフ自身が助けにはいるつもりだ。

 彼はそのように義に厚く真面目で責任感の強い男なのだから。

 そんな彼に、幼馴染のトーマスはため息をついた。

 

 こういうところが頑固で面倒で不器用なんだよ……と、苦笑しながらルドルフの肩を叩く。

 

「取り敢えずルドルフ、早く帰ってお姫さま(モーリィ)の飯でも食うとしようぜ」

「言っておくがトーマス。貴様にはモーリィ(いもうと)の料理は食わせないぞ?」

「ルドルフさんよ! 真顔で冗談に聞こえないこと言うのは止めてくれない!?」

 

 ルドルフには過去のある事件から、例え極限の状況だと分かっていても目の前の命を見捨てることができないのだ。



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探し人 その2

 騎士たちは来た道を戻った。

 

 いまだ闇の森の薄暗い闇の中。

 

 騎士たちが普通に歩けば森の外までは半日程度だが、あくまで彼らのみでの場合だ。

 今は拾い物のお荷物がいるので、魔獣の横を鼻歌交じりに通り抜ける芸当だどは不可能となっている。

 例え時間がいくら掛かったとしても、丁重に一つ一つ根気よく、魔獣の群れをやり過ごしていく必要があった。

 そうしないとあっという間に全滅するだろう。

 

 魔獣と人族との間には、生き物としてそれ程の差があるのだから。

 

 その道中の途中、魔獣の群に遭遇して隠れているときに、貴族の青年が気絶から目を覚ます。

 魔獣の姿を見て青年が騒ぎ出しそうになるのを、ライトが咄嗟の判断で首に手を回し絞め落として気絶させた。

 この男、緊急時の対応が驚くほどに冷静で正確である。

 

 ――ハハッ、いいぞっライト!!

 

 騎士たち全員が素敵な笑顔でサムズアップした。

 

 そのような喜劇(コント)を何度も行い、時間を掛け、忍耐強く、慎重に進む。

 そうして、ようやく初めの痕跡を見つけた野営跡まで騎士たちは戻ってきた。

 

 誰ともなく一斉にため息をつく。

 

 まだ安全ではないが、ここから先は森の外まで比較的温厚な魔獣の生息地域である。

 見つかれば当然襲い掛かってくるが、最悪食われることはない。

 それにどちらかというと感覚の鈍い種が多いので何とかなるだろう。

 

「魔獣が来る……こいつは大きいぞ……」

 

 そう考え、僅かに安堵したのも束の間、斥候を務めていた騎士から接近してくる魔獣の知らせが入る。

 音を聞く限りかなりの大型種らしい。

 

『グオオオオオオオオオオオオオオオオゥゥゥゥゥゥゥゥ』

 

 咆哮をあげながら、木々を薙ぎ倒す破壊の音と共に近づいてくる一匹の獣。

 移動速度がやたらと速い。

 今から避けるのは無理だろう。

 そう判断してルドルフが手をあげると、全員が一言も喋らず、申し合わせたように木や岩の影に潜み気配を殺して周囲に溶け込む。

 

 ルドルフは木の影から接近するモノの姿を確認した。

 

 それは黄土色をした凶暴で有名な大型魔獣。

 討伐対象の中でも危険度の高い肉食の竜種。

 本来ならばこの周辺にはいないはずの種だった。

 頭部から前に突きでた特徴的な二本角……の筈なのだが一本は中ほどから折れている。

 顎が大きく体は全体的に平らで横に広い。

 硬い鱗の生えた四足の大型獣で前脚は太く長く、成人男性の体より遥かに大きかった。

 

 体中の鱗が所々剥がれ血が流れ、酷い傷を負っていた。

  

 何モノから逃げてきたのだろうか?

 手負いのせいか酷く興奮気味に移動している。

 太い巨木が乾いた音を立てあっけなく折られ、振動が大地を揺らす。

 逃げだす無数の小動物。

 飛び立つ鳥の騒がしい音と甲高い鳴き声があたりに響いた。 

 暴風のような魔獣に、荒事に慣れている砦の騎士たちとはいえ生きた心地がしない。

 鋭い刃物のような牙や爪はもとより、あの勢いと重量で接触されたら、それだけで命にかかわるだろう。

 

 岩後に潜んでいたトーマスはルドルフに目で合図する。

 ルドルフがうなずくのを確認すると、腰の革紐のホルダーから術を刻んだ札に手を伸ばし魔力を通す。

 魔術の札がいつでも発動できる待機状態になった。

 トーマスが選んだのは閃光の魔術を放つ札。

 最悪の場合の時間稼ぎにはなるだろう。

 

 大型魔獣は彼らの潜む手前にくると急に巨体を止めた。

 騎士たち全員に緊張が走る。

 魔獣は潰れたような形状の鼻を大地につけて臭いを嗅いでいる。

 息をのむ騎士たち。

 しばらくすると魔獣は、騎士たちの潜む場所とは違う方向に首を向けて体の向きも変えた。

 そのまま歩きだそうとする魔獣に、騎士たちが緊張を維持したまま安堵したその瞬間。

 

「う、うわあああああああああああぁぁぁっ!!」

 

 大型魔獣の動きがぴたりと止まった。

 同時に、騎士たちの視線が一斉に同じ場所を見た。

 

 それは気絶していたはずの青年貴族の叫び声。

 

 騎士ライトは極悪と名高い大型魔獣と対峙した緊張で、青年の様子までは見ていなかった。

 失態を犯したライトを責める騎士はもちろんいない。

 目を覚ました青年は、今まで抑えていた恐怖を全て解放するかのように叫びつづける。

 魔獣の扁平な顔が、その細い目が、青年貴族をぎろりと捉えた。

 騎士たちがライトをフォローしようと動きだすより早く、事態は動いた。

 

「ふんっ!!」

 

 ライトが青年の首に手を回して絞め落とし再び気絶させた。

 

「うおおおおおおおおおおおおおっっっ!! こっちをみろろおおおおおおおおおっっ!!」

 

 そして青年が発した声以上の雄たけびをあげたのだ。

 ライトはその場に青年の体と荷物を落とし、木々の合間から飛びだした。

 予想もしないライトの行動に呆気にとられる騎士たち。

 

「まじか?」

 

 トーマスが思わず漏らしたつぶやきが全員の心情を代弁していた。

 ライトは、そのまま騎士たちが潜んでいるのとは反対方向……大型魔獣に向かって駆けだした。

 

『グアアアアアアアアアアアアアアアア――――!!』

 

 大型魔獣は自らに近づいてくる者に気づき、咆哮をあげながらライトを叩き潰そうと鋭い爪の生えた前脚を振りおろした。

 ライトはそれが分かっていたかのように前方の地面に飛びこんで、くるりと前回り受け身をしつつ回避する。

 わずかに鎧に掠る爪。

 続く魔獣の逆の前脚を、体を横回転させて当然のように避けるライト。

 地面をごろごろと転がりながら大型魔獣の下を潜り抜けると、大きく平べったい胴体に手をつき勢いよく押して、バネのように立ちあがって巨体の横を駆け抜ける。

 魔獣の大樹のような尻尾が、ライトを跳ね飛ばさんとばかりの凄まじい勢いで、轟音と共に振られた。

 しかし、その上を美しいフォームで飛び超えて手足で着地すると、脇目も振らずにライトは逃走に入ったのだ。

 

 騎士たち一同ポカーンである。

 

「何あれ、すげえ?」

 

 またしてもトーマスが騎士たちの心情を代弁した。

 あまりにも手際の良すぎる(アクロバット)逃走劇に、正直、なんだかとてもお得なものを見てしまった気分だ。

 騎士たちはお互いの顔を見合わせて、何とも言いようのない引きつった笑いを浮かべた。

 

 こんなときじゃなかったら拍手喝采していたかもしれない?

 

 一番早く我に返ったのはルドルフ。

 ライトの逃げていった方向を見ると、大型魔獣も彼を追いかけていったようだ。

 この状況で最も被害を最小限にできる方法……ライトは自分が囮になるつもりだ。

 読み違えたと、ルドルフは思わず舌打ちをした。

 ライトはルドルフが思っていた以上に優秀で勇敢(ばか)な男だった。

 

「トーマス、ついて来い! ジョー、お前が班の指揮を頼む。打ち合わせ通りに指定した休憩地点で待機だ。俺たちが合流できない場合でも構わず野営地に帰還してくれ」

「了解だルドルフ! 二人とも幸運を!!」

「あいよ、お前らもなっ!!」

 

 互いに二本指の騎士敬礼。

 そのまま別れると騎士たちはそれぞれ迅速に行動を開始した。

 

 ◇

 

 しばらくの時間、二人は無言で駆け走りライトの後を追った。

 先ほどまで聞こえていた大型魔獣の立てる轟音がまったく聞こえない。

 最悪を想定し二人は顔を曇らせる。

 しかし、それからすぐにライトは見つかり、そして生きていた。

 ライトは荒い息を吐きながら地面に片膝をつき、腰から抜いた小剣をその手に持っていた。

 

 ライトの目の前には血に染まる大型魔獣の亡骸があった。

 

 アレほど暴力的な生命力を発していた魔獣は、首筋から大量の血を噴水のように噴き出して、あっけなく倒れ伏していたのである。

 二人はその光景に目を疑いライトが倒したのかと思った。

 先ほど見た逃走劇のあまりの鮮やかさに、やつの有能さならあり得なくないかなと考えてしまったのだ。

 

 いくら何でもライトさんに対して無茶ぶりがすぎる。

 

 違うことにはすぐ気がついた。

 倒れ伏す魔獣の背後に別種の大型魔獣がいたのだ。

 森の影と、その魔獣の漆黒の鱗ですぐには分からなかった。

 ルドルフとトーマスの背中に鳥肌と大量の汗が瞬時にでた。

 自覚できるほどの恐怖であった。

 それは闇の森が生みだしたこの世界最強の生物。

 

 闇竜。

 

 漆黒の巨体に長い首と強靭な四脚。

 鱗の一枚一枚が闇光で輝き、その静かな佇まいは、先ほどの大型魔獣と比べても明らかに生命としての格が違った。

 遠くで見ているだけなら、ある種の芸術作品のような、幻想的で美しさを感じさせる勇壮な姿であろう。

 だが二人とも、すぐ近くで闇竜を見てしまい固まった。

 竜の眼前にいるライトも言うまではないことだろう。

 そして、その闇竜には片目が無かった。

 

「お、おいおい、ルドルフさんよ……つかぬことお聞きしますが、あれってやばい感じのネームドじゃないか?」

「あ……ああ、間違いないな。片目傷の闇竜。ネームド……最強(ポチ)だ」

 

 ネームドとは闇の森に棲む闇竜、その中でも強力な個体の何匹かに与えられている識別名。

 更にその中で最強と言われているのが片目傷の闇竜。

 最強もしくはポチと呼ばれている個体……ポチの名の由来は不明であった。

 

 ――人族の者よ 汝ら (おれ)と戦うつもりか?

 

 それは穏やかな声であった。

 三人の体がビクリと跳ねる。

 頭の中に声が直接届いたのだ。

 

 念話……闇竜たちが使う思念を送る能力。

 

 これが闇の森の魔獣の中でも闇竜が特別視される理由の一つであった。

 ライトはともかく、二人は闇竜との会話(・・)は初めてではなかったが、それでも慣れずに驚きはある。

 

「そのつもりは、ない……俺たちは、その男を迎えにきただけだ」 

 

 ルドルフは恐怖を飲み込みライトを指さした。

 闇竜は知性が高く、慈悲深い生き物である。

 遭遇しても運が良ければ生き残れる。

 運が悪くても死の苦しみを味合わせず一瞬で仕留めてくれるはずだ。

 

 運とは闇竜の機嫌しだい。

 

 二人からはライトの背中しか見えないが、身じろぎし震えているところを見るとまだ無事であるらしい。

 

 ――そうか ならば良し その者を連れて 早急に森より立ち去るがいい

 

 闇竜は大型魔獣の太い首に自らの鋭い牙を易々と突き立てる。

 硬いはずの鱗がまるで柔らかいパンのようであった。

 魔獣の重さ自体を感じてないのか、闇竜は口に咥えて軽々と持ちあげてしまう。

 

 ――我は唯 我が領域を侵そうとした この不遜なものを追ってきたのみ

 

 闇竜の背中が盛りあがり、周囲に莫大な量の魔力が放出される。

 

「うわっ!?」「うわっぷ!?」「ぐっ!?」

 

 濃厚な魔力に悲鳴をあげる三人。

 闇竜の背中に巨大な二対の……計四枚の羽が生え、その羽から更に魔力が解放された。

 羽ばたくと凄まじい風が巻き起こり周囲の枝や葉を吹き飛ばす。

 三人は地面に這いつくばり、飛ばされないように必死に耐えた。

 そして闇竜の最強は、三人の目の前から遥か上空へ悠々と舞いあがり、やがて遠くに飛び去っていった。

 

 呆然と見あげていた三人は同時に座り込むと大きく息を吐いた。

 

 

 

「ま、無事で何よりだライトさんよ!!」

 

 ライトはトーマスに笑いながら背中を叩かれ、頭をクシャクシャにされた。

 ルドルフにはよくやったと褒められた後に肩をつかまれ。

 

「しかし、次に勝手な行動をしたら命令違反で罰則だぞ」

 

 と真面目な顔で指差されながら言われた。

 

「は、はい、すいませんでした!!」

 

 敬礼し、かしこまるライトを見て、何故かルドルフは困り顔で頬をかいた。

 トーマスはそんなルドルフに呆れた口調で呟く。

 

「だからルドルフ、お前の冗談は分かりにくいんだって……」

 

 そして三人はその場を後にし、指定した地点で騎士たちと合流することができたのだ。

 

 ◇◇

 

 それから丸一日ほどかけて、全員が無事に闇の森から抜け出すことに成功した。

 

 大型魔獣と闇竜のおかげで魔獣たちの生息域が大幅に乱れ、より慎重な移動を余儀なくされたために時間がかかり、それでも何とか外の世界に戻ってこれたのだ。

 闇の森から野営地に辿り着いたころには夜もかなりふけていた。

 騎士全員が汗と泥にまみれ、ヘトヘトの状態で次々倒れ込む。

 そんな彼らに見張り番の騎士が慌てて駆け寄り、野営地に捜索班帰還の歓声があがった。

 

 

 騎士たちがここまで疲弊する原因の一つが青年貴族だった。

 彼は何故か魔獣と遭遇しているときに限って目を覚まし、騒ぎだそうとするのだ。

 あるいは危機感知能力に優れていて、冒険者として大成する資質を持っているのかもしれないが、現時点において迷惑以外の何物でもなかった。

 

 最終的に、青年には猿轡をして手足を縛った。

 

 その上で魔獣に遭遇した際は、青年が目を覚ます前にライトが絞め落とすことになった。

 そのことに最初は渋っていたライトも最後の方では、いかに簡潔(シンプル)芸術的(アート)に落とすかを試行錯誤するほどになっていた。

 絞め落とすたびに拍手をしそうな満面の笑みを浮かべる先輩方に、ライトも得意げに拳を握り笑顔を返した。

 

 まったくもって愉快な連中だよ。

 

 疲労でハイになっていたとはいえ、本当に酷いよ砦の騎士(こいつら)

 

 青年の外套の気配消しの術式も十分な効果を発揮していたのだろう。

 それと遭遇した魔獣たちが感覚の鋭くない種類であったことも功を奏した。

 そうでもなかったら、一人も欠けることなく戻ることは難しかったはずだ。

 もしかしたら、この幸運も青年の持っていたものなのかもしれない。

 それならば、ますます冒険者として大成しそうではあるが、少なくとも自分たちとは関わりにないところで冒険してくださいと、砦の騎士たちは心の奥底から思った。

 そうやって、騎士たちが死んだ魚の目で、受け取ったかび臭い水を飲んでいたときである。

 

「みなさんお疲れさまでした」

 

 女性にしてはやや低い……しかし、聞き心地の良い落ち着いた声がした。

 少女である。

 にっこりと笑いながら歩いてきたのは輝く白銀色の髪をもつ聖女。

 騎士たちは予定より大幅に遅れて帰還をした。

 なのにすぐでてきところを見ると、深夜だというのに心配して待っていてくれたのだろう。

 よく見ると微笑む彼女の目の下に薄くクマができていた。

 

「今、すぐに食事の支度をしますね。みなさん、本当にお疲れさまでした」

 

 再び微笑む聖女モーリィ。

 仕事で疲労困憊(ボロボロ)になった後に、美しい少女が優しく声をかけてくれる。

 

 それは男たちにとっては最高のご褒美であった。

 

 十四名の騎士(さる)たちは感動のあまり、その場でひざまずくと、あああ……と言葉にできず聖女を拝んでしまった。

 お、なんだ生きていたのか?

 という感じで聖女の後ろから来た女騎士(ごりら)たちは彼らには見えていない。

 それから直ぐにモーリィと女騎士たちによって温かい食事が用意され、激務を果たした騎士たちはようやく一息つくことができたのだ。

 

 ◇◇◇

 

 翌日のことである。

 

 モーリィは微笑みながら冷や汗をかいていた。

 原因は目の前の若い男である。

 貴族のご子息らしいが、モーリィが強く出ないのをいいことに、髪や肩を触り褒めながら言い寄ってくるのだ。

 

「なんと麗しい方だ。貴女こそはまさしく天使! いいや地上に舞い降りた女神だ! 僕と一緒に王都に来てください! そこで式を挙げましょう!!」

「あ、あの……非常に申し訳ありませんが、そのようなことを言われても困りますので、ご遠慮していただけませんか?」

「おお、なんと奥ゆかしい方だ。貴女はご自分が貴族ではないことを危惧しているのですね? ご安心ください、僕が必ず父上を説得してみせます!!」

 

 この青年、耳が遠いのかまともに話を聞いてくれない。

 このままでは聖女は夫人にされてしまう。

 それ以前に、男としての感性を未だ残すモーリィとしては、男と結婚なんて本気で御断りなのである。

 そしてなによりもだ……モーリィはルドルフ(あにばか)の様子を見るのが怖かった。

 

「なあ、トーマス」

「んだ、ルドルフ?」

「今回の闇の森の捜索で生存者は発見できなかった(・・・・・・・・)……そうだな?」

「あー……」

 

 ルドルフのその問いかけにトーマスは首筋をかくと、近くにいた女騎士を何となく見た。

 

『こいつどうしたらいい?』『しらん、私に聞くな』

 

 お互いに肩を竦めるだけの動作だったが何故か会話できた気がした。

 

「ルドルフ」

「ああ?」

「生き残りはいなかった……そのとおりだ!!」

 

 トーマスはサムズアップしながら屈託のない笑顔で答えた(にげた)

 

 この後『ひっ、な、なにをするやめろー!』という青年の叫びと『ル、ルドルフさんダメです落ち着いて、いくらなんでも不味いです! だ、誰か止めてー!!』という少女の悲鳴があがる。

 そして青年貴族の首根っこを捕まえ引きずり、腕をモーリィに抱きつかまれながら、再び闇の森に向かう騎士ルドルフの姿があったという。



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子守と井戸端会議

 聖女モーリィは魔王ちゃんことカエデに懐かれていた。

 

 カエデが治療部屋の扉をゆっくりと開き、隙間から室内の様子をしばらく覗いたあと、恐る恐る中に入ってきた。

 短い首をきょろきょろと動かし、作業机で薬作りをしているモーリィを見つけると満面の笑みを浮かべ「聖女っ、聖女っ」と駆け寄ってくる。

 モーリィは薬草を作業机の上に置き、苦笑しながらもカエデを迎えた。

 

「聖女っ、あたし、ふかふかした~い!」

 

 椅子に座る聖女の膝に、小さな両手を置いて要求するカエデ。

 ゆさゆさと揺する仕草は見た目相応で愛らしく、砦の騎士たちを指先一つで瀕死にできる戦闘力の持ち主とは到底思えない。

 

「はいはい、膝の上においでカエデちゃん」

 

 モーリィはカエデの両脇に手を入れて「よいしょっ」と持ちあげると太ももの上に向き合う形で座らせた。

 すかさずモーリィの胸に抱きつくとカエデは満足そうに顔を埋める。

 たわわに深く沈む幼女の顔。

 モーリィは子犬のようにグリグリとしてくる頭を、優しく手で押さえてゆっくりと背中を撫でてあげた。

 カエデの動きは段々と緩やかになっていき、やがてスースーと静かに眠りだした。

 治療室にいたミレーが、モーリィの胸に抱かれるカエデを覗き込む。

 

「ふふっ、そうしているとモーリィとカエデって本当の母娘みたい」

「もう、勘弁してよミレー」

 

 ミレーはモーリィが闇の森捜索で砦を留守にしてる間に、カエデとかなり親しくなっていたらしく、お互いを名前で呼び合う仲になっていた。

 まだ名前で呼んでもらったことのないモーリィとしては、少しだけ悔しい気持ちである。

 

「それにモーリィも楽しそう?」

「そうかな……?」

 

 微笑むミレーに指摘をされ、モーリィは内心焦った。

 最近はこうしてゆったりと、カエデと二人で穏やかに日々を過ごすのも悪くはないかと思っていたのだ。

 田舎の農村出身のモーリィの将来の夢は、田舎暮らしの自給自足のスローライフである。

 

「モーリィって子供好きだし、家庭を持つのも悪くないと思うの?」

「うん?」

「ねぇモーリィ、いっそのこと私と結婚してみない?」

「……へっ、結婚!?」

 

 いつにない真剣な雰囲気に、モーリィはドキドキしながらミレーを見つめてしまう。

 するとミレーは、目を細め悪戯っ子のような笑顔を浮かべた。

 冗談だった……?

 モーリィは少しだけ残念な気持ちで、しかし同時に安堵してため息をついた。

 

「あんまり、からかわないでよ」

「あら、からかってないわよ。本当にモーリィにはお母さん(・・・・)が似合うと思うの」

「ミ、ミレー!?」

 

 その言葉にモーリィはミレーを二度見してしまう。

 彼女は真顔であった。

 どうやらモーリィが安堵するのは、まだ早かったようだ。

 

「例えば、例えばねモーリィ? 小さい赤い屋根の可愛いお家で、娘と二人で私の帰りを待っていてくれるモーリィ。仕事を終えクタクタになって家に戻ってくる私。迎えてくれるモーリィと優しい娘。ふふっ、私はそれだけで元気になれるの……ええ、例えばの話よ?」

「ミレー……」

 

 ミレーの例え話は、やけに具体的であった。

 

「そして始まる家族の団欒。甘えん坊の娘は私の膝の上に座りたがるわ。お食事中はいけませんとモーリィ。まあまあいいじゃないかと宥める私。結局優しいモーリィは許可するんだけど……うん、分かってる分かっているのモーリィ、本当は可愛い嫉妬なのよね? ふふっ、ふふふっ、本当に可愛いよモーリィ」

「あの、ミレーさん?」

 

 ミレーは自分の体を両腕で抱きしめると腰をクネクネしだす。

 モーリィは恐怖する。

 ミレーは以前見た乙女(メス)の顔をしていた。

 

「そうして夜はふけて二人だけの大人の時間。昼間は貞淑な母であり妻であるモーリィも寝室ではこんなに甘えて、こんなに乱れて……ふふふっ、おふふふふふふっ……」

「くぅ……もう、手遅れか……」

 

 モーリィの声はミレーには届かない。

 ミレーは遠い世界へと旅立ってしまった。

 時折ビクンビクンと体を震わせている。

 彼女から漏れる言葉から察するに、妄想の中では聖女は性女にされて、夜の大乱闘をしている真っ最中らしい。

 モーリィが部屋の隅に視線を向けると、困った時の女騎士は我関せずで、無常にも腕を組み静かに目を閉じていた。

 

「はぁ……」

 

 モーリィの口から悲痛なため息がこぼれる。

 ミレーは治療部屋に復帰してからというもの、妄想に入り浸って戻ってこなくなることが時々ある。

 以前から夢見がちなところはあったが、冒険者になってから悪化してしまったようなのだ。

 原因は恐らく、過酷な冒険者生活をしてきたことによる後遺症。

 ミレーは、そのときの辛い記憶を誤魔化すために妄想の世界へと逃げこんでしまうのだ。

 モーリィの知っていた太陽のように朗らかで明るい少女は、残念で可哀想なお花畑のような子になっていた。

 

「ごめん、本当にごめんよミレー!!」

 

 モーリィは治癒士としての自分の無力さが悔しくて、拳をぎゅっと握り締めた。

 体の傷を治せても心の傷は治せない……!!

 ミレーの病気(・・)を治療することは聖女モーリィの癒しの奇跡をもってしても不可能だったのだ。

 

「モーリィ! 私ね! 私ねっ! 子供は三人ほど欲しいわっ!!」

 

 ミレーは唐突に叫んだ。

 こちら側に戻ってきたのか判断しかねる言葉である。

 

 ――女同士では子供は作れません……というか、どちらが生む予定ですか?

 

 モーリィは失くしてしまったかけがえのないものに対して黙祷するかのように目を閉じた。

 そして魔王ちゃんの柔らかい体を抱いたまま、最近よくできる眉間のしわを指で揉み解すのであった。

 

 ◇

 

 時間は過ぎて夕刻近く。

 

 あの後、ミレーはこちらの世界に戻ってこれなかった。

 エヘエヘと呟くミレーを椅子に誘導する。

 とても素敵な彼女の笑顔に心が痛む。

 寝たままのカエデを抱っこして、扉に外出中の看板をかけると、後ろ髪引かれる気持ちながら治療部屋を後にした。

 

 砦の井戸端会議へと向かうために、モーリィは女騎士と一緒に歩きだす。

 カエデを迎えにくる魔王様(ほごしゃ)はこの時間には砦街にいる。

 たいてい井戸端会議に参加しているのだが、いつもそこでカエデを渡してお別れするのだ。

 

 凸凹している石畳の道をしばらく歩いていくと、砦と街を隔てる巨大な正門と井戸端会議の会議場である広場が見える。

 詰所前にいる門番の砦騎士に会釈をして、門の端に寄って通り抜けた。

 この時間、巨大な門の周辺は砦街の周辺任務に出ていた騎士達が戻ってきたり、食料や資材の搬入をする荷馬車が慌ただしく通って混雑している。

 

 砦の井戸端会場は砦正門のすぐ外、中央に噴水のある大広場。

 

 砦の外のため砦勤めのご年配のご婦人方だけではなく、たまにくる女騎士(イケメン)狙いの若い娘やご婦人方も数多く参加していた。

 ご婦人方それぞれが手に持つ食材の入った買い物かごは、井戸端会議のいかにもな風情を感じさせる。

 その中に違和感なく紛れ込んでいることが、すでに違和感の作務衣姿の魔族女性……異形の美貌を持つ魔王様がいた。

 

「あれ……?」

 

 モーリィはその魔王様の後ろに、いつもは見かけない女性がいることに気がついた。

 人族にはいない炎のような色合いの髪、そしてわずかに先端の尖った耳から魔族であることは分かる。

 

「あの人はカエデちゃんのお母さん……かな?」

 

 隣を歩く女騎士に尋ねるように顔を向けたが、分からないとばかりに肩をすくめられた。

 その魔族女性は髪をひっつめて結上げ、ご年配のご婦人方が好んで着るような地味で野暮ったい服を着ている。

 カエデの母親だとしても、以前見た時とはかなりかけ離れた印象だ。

 

 ようするに凄く若い見た目の美女だけど、凄くオバハンくさい格好をした女性だった。

 

「う、う~ん……」

 

 モーリィは唸りながら何故か田舎の母親(オバハン)のことを思いだす。

 少しだけ懐かしくなり、そろそろ手紙でも書こうかと一考した。

 

 二人は井戸端会議場に着くと、集まっている女性たちにいつものように挨拶をする。

 始まる社交辞令に笑顔で答えて、お世辞を返すモーリィ。

 女騎士は、早速若い女性たちに囲まれている。

 貴公子然として、さり気なく捌く仕草は洗練されていて、モーリィが見習いたいくらいに(おんな)前であった。

 

「やあやあ、モーリィちゃん」

「こんにちは魔王様」

 

 いつも通り緩い笑顔を浮かべる魔王様にも、にっこりと挨拶。

 周りから浮いている魔族女性にも軽く微笑んで会釈をし、カエデを抱いたまま会話の輪に入ろうとしたところで呼び止められた。

 

「ま、待て、聖女モーリィ!! 何故、私を無視しようとする!?」

「あ!? あの……やはりカエデちゃんのお母さんでしたか?」

 

 彼女は不思議そうで、そしてどこか不安げな表情を作る。

 

「え、うん? 前に一度、会って話したはずだが? 砦のほうにカエデを迎えにいったときにだが……」

「ええっと……はい、もちろん覚えています。ただあのですね……大変失礼ながら、以前お会いしたときの印象から、そのような素敵な(・・・)装いをされる方には見えなかったもので……申し訳ありません、カエデちゃんのお母さんとは確信が持てなかったものですから……」

 

 モーリィはなにか事情がありそうだと思いながら、彼女を傷つけないよう当たり障りのない言葉で誤魔化そうとする。

 しかし彼女は凛とした美貌を情けなく崩した。

 

「やはり、その……この格好は変なのか?」

 

 モーリィはどう答えていいのか分からず曖昧な微笑み(アルカイックスマイル)を浮かべた。

 極上の美貌と女王のような気品高い雰囲気を持ちながら、着ているのは流行遅れの(ばば)服。

 人見知りをしない砦町の活発な女性たちとは言え、違和感ありすぎて誰も彼女には話しかけられなかったのだろう。

 モーリィにも分かる。

 極端すぎて、知り合いでもなければ色々な意味で話しかけづらい。

 それで自分でもおかしいと不安を感じていたのだろう。

 

「あ、カエデちゃんをお渡ししますね……」

 

 モーリィが寝ているカエデを差し出そうとすると、彼女は片目をつむり形の良い唇に指を当てシーという仕草をした。

 本人が意識しているかは不明だが、モーリィが一瞬見惚れるくらいに魅惑的であった。

 

 どうやらカエデをまだ預っていて欲しいようだ。

 

「そういえば名乗っていなかったな聖女モーリィ。私の名は焔……ホムラだ」

「はい、ホムラさんですね? あ、私のことはただのモーリィでお願いできますか?」

「ふむ、そうか、承知したモーリィ」

 

 ホムラ……彼女の名前はカエデと同じ不思議な響きがあった。

 モーリィはついでに気になったことを聞いてみた。

 

「あの、ところでホムラさん。なぜそのようなご格好をなさっているのですか?」

「うん、この集まりにお母様に誘われ、参加するのに相応しい装いを街にいる知り合いに相談してみたら、この衣装を渡されたのだが……やはり、おかしいのか?」

「う、うーん。おかしいというか、ホムラさんは人目を引くご容姿なので、その……地味すぎて逆に悪目立ちしているかもしれませんね」

「や、やはり、この恰好はおかしいのか?」

 

 ホムラは落ちこんだ顔をする。

 出会いの印象で感情の起伏が少なそうな女性かと思えば意外と表情豊かである。

 そして本物の美人さんは、どんな表情でも美人さんなのだとモーリィは密かに感心した。

 

「すいません。でも前の格好のほうが似合っているかと思います」

「そうか、そうなのか、なかなか難しいものだな市井の装いという物は……」

 

 (ばば)服を着た魔族の美女は、腕を組んであごに手を当て真面目な様子で頷いた。

 そういうことではないのだが何かがズレている……。

 モーリィは、ホムラは間違いなく緩い魔王様の血を引いてると実感する。

 

 そこで何気なく見た魔王様は、ご年配のご婦人方と会話してヘラヘラ笑っていて、美貌に似合わないはずの地味な作務衣が驚くほどよく似合っていた。

 

 ――この母娘は本当に血が繋がっているのだろうか?

 

 モーリィはカエデを抱っこしたまま井戸端会議に参加した。

 ホムラはモーリィと話したことにより、他人を寄せ付けない雰囲気が薄まったのか、若いご婦人方や娘たちにつかまり質問攻めにされている。

 

 彼女たちは少しでもホムラの美の秘密に近づこうと、肉食の獣のように貪欲であった。

 

 もう一人の天上の美貌を持つ魔王様の話は全く参考にならないからだ。

 今まで経験したことのない砦街の女性たちの遠慮のなさに、流石の女王(ホムラ)もどう対応していいか分からず聖女(モーリィ)に助けてくれと視線を送った。

 

 だがモーリィも、ご年配のご婦人方に捕まっていたのだ。

 

「モーリィちゃん、最近ますます綺麗になったんじゃない?」

「そうねぇ胸が急に立派になって体つきも女らしくなってきたわよね」

「本当ねぇ、美人で気立ても良いし気が利くし、将来良いお嫁さんになるわぁ」

「今時の子にしては料理も上手だし、うちの娘にも見習わせたいくらいだわ」

「子供の面倒見も本当にいいしね。いいお母さんにもなるわねぇ」

「モーリィちゃんをお嫁さんにできる旦那様は天下一の幸せ者だわ」

「ねね、私の知り合いに良い人がいるんだけど、モーリィちゃんどうかしら?」

「あら、それなら私の甥とかもどう? 紹介するわよ?」

「うふふふー、アタシのお嫁さんになって毎日膝枕しながら頭ナデナデしてくれるのはどうかしら? 三食昼寝つきで苔盆栽もつけるわよモーリィちゃん?」

 

 モーリィはご婦人方の怒涛の勢いに一言も口を挟めず、いつの間にやらお見合いの話を押し進められそうになっていた。

 街の未婚の男衆に聖女モーリィはかなりの人気らしく、お見合いの申し出が沢山あるのだとか。

 モーリィは清楚に微笑みながら心の中で泣きそうになった。

 

 やはり街の住人には、最初に来たときから女だと認識されていたらしい。

 

 そしてモーリィはこの手口を知っている。

 多人数による褒め殺しで判断力を低下させ強引にお見合い勧める、まさにそれは手慣れた囲いの技であった。

 世話好きのご婦人(オバハン)方はこうして何人ものうら若き乙女を夫人へとジョブチェンジさせる。

 そうやって毎年自分たちの仲間をゾンビのように増やし、新たな生贄(おとめ)を探し出すのだ。

 

 それとどうでもいいことだが、意味不明なことを言っている魔王様に、モーリィは少しイラっとした。

 

「だーめっ! あたしが聖女のお嫁さんになるの!!」

 

 そんなモーリィに窮地を救ってくれたのは、抱っこされていた魔王(カエデ)ちゃんであった。

 いつの間にか目を覚ましていたらしく、モーリィの服をギュッとつかみ、周りのご婦人方を威嚇するように宣言してくれた。

 

 愛らしい花嫁の登場にご婦人方も「あらあらまあまあうふふ~」と微笑んだ。

 それはまさしく天の救いである。

 カエデのおかげで上手くお見合いの話を逸らすことができそうだ。

 モーリィは心から感謝する。

 

 ありがとう私の天使(カエデ)様、後でナデナデしてあげる。

 

 ところが、ヘラヘラしていた魔王様が、突然いらぬことを幼女に聞いた。

 

「カエデちゃん、御婆ちゃんは~?」

「うーん……御婆ちゃんのお嫁さんにもなってあげるっ!」

「うふふふふー、悪いわねモーリィちゃん」

「ええぇぇっ!」

 

 モーリィは声をあげた。

 折角お見合い話が有耶無耶になりかけていたのに、この流れで再度勧められたのでは堪ったものではない。

 モーリィの焦りをよそに魔王様は再び孫娘に尋ねる。

 

「カエデちゃん、お母さんはどうするのかしら~?」

「お母さんのお嫁さんにもなるー!」

 

 カエデは短い腕を振りあげながら元気よく答えた。

 モーリィは若いご婦人方や娘たちに囲まれているホムラを見た。

 彼女はカエデの発言に対してすまし顔をしているが、よく見ると美麗な鼻がスピスピと動いている。

 内心では満更でもないらしい。

 

 普段は緩いくせに、意外と詰めは甘くない魔王様が更に質問した。

 

「では、三人の中で誰が一番好きなのかしらー?」

 

 モーリィは咄嗟に自分の胸部装甲(たわわ)をカエデの体に強く押し付けた。

 豊かで重厚な乳がふにゃっと潰れる。

 男ならばそれだけで『何でも買ってあげる!』とか『お願いします!』と口走ってしまうほどの極上の柔肉であった。

 モーリィが女としての武器(たわわ)を使うのは生まれて初めてだ。

 しかしこの胃が痛くなる状況を切り抜けるためなら、使えるものは何でも使う所存であった。

 カエデはフカフカでたわわな感触に「うふーっ」と声を出して大喜び。

 

「みんな大好き! 三人ともお嫁さんになってあげるっ!!」

 

 そう言ってカエデはモーリィに思いっきり抱きついたのだ。

 

「うふふっ、その年で逆ハーとは、わが孫ながらやるわね」

 

 魔王様はよく分からないことを言うと緩い顔のままにっこり。

 うふーうふーと抱きついて来るカエデの小さな体は柔らかくて、温かくて、良い匂いがして、モーリィに不思議な安心感をもたらしてくれた。

 

 このあとに妄想世界からの奇跡の生還を果たしたミレーが、遅れながらも参戦してご婦人方の見合い話を頼もしくも一刀両断してくれた。

 そして、モーリィはミレーとカエデの二人で共有されることになったようだ。

 なりたいものが旦那様とお嫁さんだったので、話が落ちついたのだとか。

 

 聖女モーリィはただただ、苦笑いをするのであった。



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モーリィとお風呂の日

 聖女は一糸まとわぬ生まれたままの姿で息を飲む。

 

 湯気の籠もるこの場所に、自分以外の者の影が見えたからだ。

 垣間見えたのは鍛えあげられた肉体。

 水滴をまとわせ、微かな熱に薄く染まる裸体。

 はた目にもわかる、弾力と硬さを持ち合わせる力強く柔軟な筋肉。

 その肉体が動くさまは感動を覚えるほどで、くっきりと六つに割れた腹筋は彫刻のように美しかった。

 

 聖女は確信する、その肉体は戦うために作られた。

 

 脈動する滑らかでしなやかな肢体。

 その人の肌に浮びあがる筋肉の筋の一本一本を指で触れてなぞってみたいという欲求に聖女は突然駆られた。

 

 はしたないと分かっているのに、目が引き寄せられ全くはなせない。

 

 美しく引き締まった肉体は、聖女を見惚れさせ虜にする。

 聖女の瑞々しい唇から甘い吐息がもれた。

 言い表せない熱が首筋から体中に広がり、心臓の鼓動が知らず知らずに早く高鳴る。

 

 視線に気がついたのか、聖女に顔を向ける彼の人。

 

 聖女はハッと今のありさまに気づく。

 美しい人に自分の裸を見られてしまう。

 恥ずかしさのあまり、聖女は腰が抜けたようにペタンと座りこむ。

 

 聖女は真っ赤になった顔をうつむかせ、豊かな胸を両手で隠そうとする。

 神々の芸術家が造りあげたような肉体を持つ人の前で、みっともない自分の裸を、駄肉を晒してしまったことが何よりも恥ずかしかった。

 

 そう、細身だが鍛えられた美しい筋肉を持つ『女騎士』の前で。

 

 女騎士はそんな聖女の気持ちを察したのか、(おんな)前の微笑みを浮かべ彼女の前で片膝をつくと、問題ないとばかりに手を差し伸べた。

 白銀色の髪と空色の瞳を持つ儚げな美貌の聖女。

 頬を染め潤んだ瞳で女騎士(イケメン)を見つめて、はにかんだ表情で嬉しそうに手を取ろうとして――

 

「ちょ、ちょーっと、待ったっ!!」

 

 モーリィと女騎士のお手ての繋ぎ合いは、突然割り込んできた全裸ミレーによって止められた。

 

「ねえっ、ねえっ! おかしいでしょう!? どうしてモーリィが、女騎士さんに見つめられただけで乙女(メス)の顔になってるの! 堕されかけているのよ!?」

「ミ、ミレー……乙女の顔って?」

「してた! 滅茶苦茶してた! ご馳走様でした! でも、どうして私の裸見ても『へぇ……』って感じで平然としてるのに、女騎士さんの裸見たら、奥様ウットリって顔してるのよ!?」

「え、ええっ? ウットリって……あ、あれ何でだろう?」

 

 モーリィは女騎士と不思議そうに顔を見合わせた。

 

「女騎士さんもです! 所構わず女の子を堕とさないでくださいよ!!」

 

 ミレーに責められた女騎士は困ったように後頭部を手でかいた。

 別に女騎士たちも落としたくて落としてるわけではない。

 女の子が勝手に堕ちていくのだから仕方がない。ちくしょう。

 

「はいはい、そーいうのは後回しでもいいから、取り敢えず皆で湯船に浸かろうか? このままじゃ風邪ひいちゃうよ?」

 

 褐色の肌のターニャが、共同風呂に髪をかきあげながら入ってきた。

 

 ◇

 

 特別宿舎とはいえ、たった十四人の住人のために薪代がかかる共同風呂を常に使えるわけでもなく、湯を沸かし利用できるのは七日に一度であった。

 そんな共同風呂、モーリィは今まで一度も利用したことがない。

 前々からミレーに一緒に入ろうと誘われてはいたのだが、ある理由から気が進まず断り続けていた。

 流石にずっと断るのもミレーに悪いと思い、ターニャに悩みを相談してみたところ。

 

『あら、いいじゃない? ミレーとは二人っきりではないんだろう? え、やっぱり恥ずかしいって? 仕方ないね、それじゃターニャ()()()が一緒に付き合ってあげるよ』

 

 逆に、にこやかに笑うターニャに逃げ道を閉ざされる結果となった。

 

 女になってからというもの、モーリィは常に自室の水風呂を利用していた。

 それは他の女性の裸を見ることに対して罪悪感があったからではない。

 自分の体を彼女たちに見られることが本当に恥ずかしかったからだ。

 

 華奢でほっそりとしているの肢体なのに、反比例するような豊かすぎる胸。

 

 生まれついての女ではないせいか、モーリィには自分の体が不自然で歪に感じるのだ。

 

 ターニャの丸みを帯びたふっくらとした女性らしい体。

 ミレーの今はまだ薄いが均整のとれた女の子らしい体。

 二人の体はとても自然で、とても柔らかく美しく感じる。

 

 女騎士に至っては――

 

「モーリィ、また乙女(メス)の顔してるし……」

「はっ!?」

「ねえ、前々から思っていたのだけど、モーリィさん的には女騎士さんたちがツボなの? ツボなのかしら? ねえ、腹筋なの? 割れた腹筋がいいのかしら!?」

「え、ええっと……それは、どうなのでしょうか?」

「私も気合入れれば腹筋割ることができるのよ!? ふんっ!!」

「え、うそ、ほんとだ、凄い!?」

 

 四人だけで入るには広すぎる湯船である。

 お湯をバシャバシャしながら、ぎゃーぎゃー騒ぐ二人をよそに、ターニャは湯船からザパッと立ちあがる。

 湯が彼女の肩や乳房を伝って石造りの床に流れ落ちた。

 ターニャは自分の肩を撫でながらモーリィに声をかける。

 

「モーリィ、楽しんでるところを済まないのだけど、前みたいに私の背中を流してくれるかい?」

「はい、いいですよ。あ、交代で私の背中もお願いしますね」

「あいよ、あれからどれだけ成長したか体の方もしっかり見てあげるよ」

「やめてくださいよ、ターニャさん。二か月ではそれほど体型は変わりませんから」

 

 うふふと楽しそうに笑うターニャに、モーリィも自然と笑顔になる。

 そんな仲の良い姉妹のような雰囲気の二人の間に割って入ってきたのは、またしてもミレーであった。

 

「え、え、前みたいにって、どういうことですかターニャさん? ま、まさか二人は禁断のかん……」

「この娘はいきなり変なこと言うんじゃないのっ!」

 

 妄想チカラを展開しようとしたミレーに対し、ターニャは手刀を作るとエイッと彼女の頭に軽く落とす。

 相変わらずのミレーにモーリィの笑みは引きつったものへと変わった。

 結局ミレーの強い要望で四人で輪を組んで背中を流すことになった。

 

 モーリィ>ターニャ>女騎士>ミレー>モーリィといった並び。

 

 そこまでいくのにひと悶着。

 

 モーリィは女騎士の隣だと奥様ウットリで乙女(メス)堕ちしてしまうから、それだけは絶対ダメとミレーからお達しがあった。

 ミレー以外の三人は、もう何でもいいので寒いしサッサと背中流しましょう、であった。

 

「ふふふっ、モーリィの背中~細~い、きゃー横乳っ! 横乳が凄いっ凄いっ!!」

「あ、うん、よろしくねミレー……ええっと、ターニャさん背中流しますね」

「はいはい、頼むよ、それじゃ女騎士様は私がお背中をお流ししますね」

 

 女騎士は肩越しにサムズアップ。

 そしてミレーの小柄な背中を布でごしごしと擦りだした。

 他の三人もそれぞれの背中を擦りだす。

 ミレーは変なことは一切せず、むしろ宝石を扱うような丁寧さと熱心さでモーリィの背中を洗ってくれる。

 

 安心したモーリィは、ターニャの女性的な背中を流すことに集中することにした。

 

 彼女の褐色の肌は張りがあって、同時に母性的な柔らかさがあった。

 同じ女でも骨ばった自分の体とはこんなにも違うものかと、ターニャの背中を見ながら不思議に感じるモーリィ。

 

 聖女になった最初の頃は、ターニャの裸体を見る度に情欲と罪悪感を覚えていたものだが、今はそれらの感情は全くない。

 慣れだろうか……人間は環境で変わっていく生き物だとモーリィは実感する。

 問題はモーリィがはっきりと分かる違いは女の体だけで、心はどう変化したのか把握できないことだ。

 

 そんなことを考えていたらターニャの背中をすっかりと流し終えていた。

 

 背中の流し合いも終わり、モーリィが自分の髪を洗おうすると。

 

「ねね、私にやらせて?」

 

 ミレーからそう言ってきたので、ありがたくお願いすることにした。

 長い銀髪を手に取ると、ミレーは梳くようにサラサラと洗っていく。

 

「わ~モーリィの髪って絹糸みたいよね。白銀色で本当に綺麗!」

「そうかなぁ? この髪の色って何か不気味じゃない?」 

「そんなことないわよ~。お月様みたいにキラキラしてて凄く素敵よ。私の髪なんてありふれた茶色だからモーリィの髪が本当に羨ましいわ」

「そうなのかぁ……でも私はミレーの髪の色のほうが好きかな……お日様みたいに温かくて、見ているだけで心が落ちつくからね」

「……………………」

 

 ミレーに頭を洗ってもらうことがあまりにも気持ちよく、モーリィは心に浮かんだそのままを口にする。

 するとミレーは突然動きを止めて沈黙した。

 不思議に思って振りかえると彼女の顔は湯にのぼせたように真っ赤であった。

 

「ミレーどうしたの?」

「うー! モーリィてばずるい……女になっても以前と変わらずに人たらし!!」

「人たらし……は、はい?」

 

 モーリィはいきなり怒りだしたミレーに困惑した。

 

 助けを求めるようにターニャと女騎士を見れば、彼女たちもミレーの言葉にウンウン頷いている。

 どうやらモーリィが悪いようだ。

 女の身に変わったとはいえ、女の心は中々に複雑で簡単には理解出来ないものだと、心の中でため息をつくモーリィであった。

 

 お礼にミレーの髪を洗ってあげた。

 

 その背中は薄く子供のような体つきに見えるが腰周りなどは十分に女らしい。

 男の時のモーリィなら興奮しただろうが、しかし今は情欲は湧かずただ美しいとだけ感じる。

 ミレーのショートボブの髪はやや猫っ毛気味だった。

 柔らかい髪質は触っていて気持ちよく、それを伝えると「整えるの結構大変なのよー」と困ったような嬉しいような、そんな口調で言われた。

 

 再び湯船に浸かる。

 

 湯の温かさがじんじんと体に染み込んでいく。

 ぼんやりとしたランプの明かりに照らされる湯気が、薄暗い風呂を幽玄的かつ幻想的な雰囲気へと変えていく。

 天井からぽたりぽたりと落ちる水滴。

 湯船に浮かぶたゆたう人の影。

 不快ではない高い反響音。

 高い位置の換気窓から、逃げだす蒸気の合間に星々が見え隠れする。

 

 それらのすべてが心地よく、普段の疲れが溶けていくようだと、モーリィは深い安堵のため息をもらした。

 

 そこでモーリィはふと気づく。

 先ほどから女騎士が、外の様子をしきりに気にしているようだと。

 

「……え?」

 

 モーリィも気になり耳を澄ましてみれば、風呂の水音に混じって爆発するような音や悲鳴が微かに聞こえた。

 

「しかし、こうして並んでみると、やっぱりモーリィのは凄い……」

「あ、うん……?」

「くぅ、ここまで差があると妬ましさも感じないわね……!」

 

 外窓から、外の様子を見ようとしたところでミレーに捕まった。

 彼女はモーリィの腕に抱きつくように身を寄せると、自分の胸と見比べてしみじみ呟いた。

 モーリィとしては自分で育てたわけでもなく、聖女となってもれなくついてきたオマケ(・・・)なのでなんとも返答のしようがない。

 

 なだらかに膨らむミレーと、手で押さえていないと湯に浮かぶモーリィ。

 

 並べてみると差は一目瞭然。

 ともあれミレーの胸が小さいわけではなくモーリィの胸が豊かすぎるのだ。

 この場にいる四人の中でも一番大きく、彼女のほっそりとした体と相まって激しく自己主張をしていた。

 モーリィの背丈は女性としては高いほうだったので、まだ違和感なく見えるが、ミレーほど小柄だったら悪目立ちしていただろう。

 

 四人は風呂場から出ることにした。

 

 脱衣場に向かう途中、壁の外でカサッと鳴る音をモーリィは確かに聞いた。

 再び気になったモーリィは外窓に近づき、水滴を吸い変色している窓の下枠に手を乗せつかむと、ヨイショと腕力だけで体を引きあげ外の様子を眺めた。

 夜の月明かりに照らされた薄闇の風景にしばらく目を凝らしたが、特別宿舎の裏側に植えられた黒々とした木々が見えるだけで他には何もない。

 

 ――何だろう……治療で嗅ぎ慣れた……そう血の匂いがするような? 

 

 匂いの元を辿ろうとしたところでターニャに呼ばれ、モーリィは気になりながらも最後に正面の地面を見て床に降り立った。

 

 ◇◇

 

 特別宿舎の正面門。

 

 ミレーとターニャをモーリィと女騎士が並んで見送る。

 夜空には雲一つない満天の星空。

 月明かりが薄っすらと辺りを照らしている。

 ターニャとミレーの住居は街の中でも砦関係者用の区域で、砦からそれほどの距離は歩かないので、ランプを使わなくても帰るまでの視界は確保できるだろう。

 

「モーリィ、次のお風呂もまた一緒に入りましょうねっ!」

「うん、わかったよミレー、また一緒にね」

「ふふっ、それじゃあね、おやすみモーリィ、失礼しますね女騎士様」

 

 大きく手を振るミレーと、腰を軽く曲げて会釈をするターニャ。

 モーリィと女騎士も手をあげて別れの挨拶をした。

 

「あ、次も一緒にって……?」

 

 しばらく見送って、二人がいなくなってからモーリィは気がついた。

 共同風呂は嫌なはずだったのに、次もミレーと一緒に入る約束を交わしていた。

 本当に自然に迷うことなく約束していたのだ

 モーリィが自身のそんな心境の変化について考えていると、背後から規則正しい複数の足音が近づいてくる。

 

 モーリィと女騎士が振り向くと、騎士ルドルフが何故か特別宿舎の方角から歩いてきていた。

 

 ルドルフは左手に縄を持ち、その先には十人以上の男たちが、手首と腰を縄で縛られて一列に並べられ連行されていた。

 それは闇の森捜索で一緒に過ごした特殊班の騎士たちであった。

 

 状況がまったくもって意味不明で困惑するモーリィ。

 

 ルドルフ以外は全員酷くボロボロで草だらけの汚い外套をまとっていた。

 何事もないように横を通りすぎるルドルフが、いつもの真面目な顔で敬礼する。

 女騎士も敬礼を返しモーリィもつられて小さい仕草で敬礼した。

 

 後ろで連行されていた騎士トーマスも横を通りすぎる際に、悪ガキのような笑みを浮かべながら器用に敬礼する。

 何となくいい加減でだらしない。

 他の騎士たちも、得意げな顔で次々と敬礼をしていく。

 

 騎士ライトが最後尾にいた。

 

 モーリィが彼に声をかけて事情を聞こうとすれば、惚れ惚れするような男臭い笑顔で綺麗な敬礼をされた。

 ライトの服は薄闇でもわかるほど血塗れになっている。

 しかし自信に満ちた彼の表情と、その足取りからは不安になる要素は何一つも見当たらなかった。

 

 結局なにも聞けずに、モーリィは騎士たち広い背中を見送った。

 

「いったい……あの人たち、何していたんだろう?」

 

 首を傾げて独り言のように呟けば、何故か女騎士に頭をナデナデされた。

 モーリィが共同風呂に入った初めての夜はこうして過ぎていったのだ。



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モーリィとお風呂の日(裏)その1

 騎士宿舎の狭い一室に十四人の男が集まっていた。

 

 彼らは、ある困難な任務を遂行するため自らの意思で集まった頼もしい勇者たちだ。

 まさに砦街が誇る一騎当千の男たちであった。

 

「待ってくださいよトーマス先輩! 何もっともらしいことを言っているんですか! 任務って、明らかに騎士として最悪最低な行いをしようとしているじゃないですか!?」

 

 ぐるぐるのがんじがらめに縛られ、芋虫みたいに床に転がされていた騎士ライトが必死に叫んだ。

 彼以外の十三名は、今更なにを言っているのかしらコイツ……という冷めた目をしていた。

 

 ◇

 

 それはトーマスがある話を入手したことから始まった。

 

 あの、聖女モーリィが特別宿舎の共同風呂を利用するというのだ。

 

 彼女は今まで自室の水風呂しか使用していなかった。

 聖女の肌を見るのには、女騎士が防衛する難攻不落な特別宿舎内に侵入し、彼女の部屋まで直接入る必要があった。

 

 それ故に……覗きを行うことは事実上不可能となっていたのだ。

 

 試した騎士(さる)はいた。

 ……次の日には、侵入を試みた全員が特別宿舎の塀に全裸(ふるちん)で逆さ吊りにされていた。

 彼らの額には『肉』という女騎士たちが使う謎文字が書かれていた。

 

 しかし共同風呂なら宿舎内に侵入しなくても外窓から室内を覗くことができるため、聖女の裸を見ることができるかもしれない。

 もちろん、あの女騎士たちのテリトリーに入るので困難なことは確かだが、可能性は決してゼロではないはず。

 

 そう、聖女モーリィの胸部装甲(ようふく)の下に窮屈に収納された胸部装甲(たわわ)を直接見ることができるかもしれないのだ!!

 

 目標が共同風呂を利用するのは今夜である。

 騎士トーマスは迅速に行動を開始した。

 闇の森の魔獣に匹敵するという索敵技能を持つ女騎士。

 その目を掻い潜る隠密技能を持った者が必要であった……先日、闇の森捜索を行った班員をルドルフ以外は全員集めた。

 鬼いちゃん(ルドルフ)に聞かれたらどうなるかは言わずとも知れている。

 むしろ彼の耳に入らないように細心の注意を払って人員を集めた。

 

 ライトも誘った。

 

 彼は有能だが真面目で人を疑うことを知らない素直な男なので、騙すのは非常にちょろかった。

 ちょろすぎて悪い先輩(トーマス)でも心が痛んだ。

 後で若くて綺麗なお姉ちゃんのいる飲み屋に連れてやろうと、優しい先輩でもあるトーマスは本気で思った。

 そしてもう一人、最近になって第三騎士隊に入った新米がいた。

 

 それは――

 

「ふふ、正直になりたまえよライト君? 女神のように美しいモーリィ嬢の麗しき裸体だよ? 男子として鑑賞してみたいとは思わないのかい?」

「くっ! ジェームズ、君というやつは……!!」

 

 彼の名はジェームズ・グレアム。

 

 以前、闇の森捜索で救出した青年貴族である。

 なぜ彼がここにいるか詳細は不明だが、依頼人の大臣のほうから『お願いしますうちの息子(あほ)の性根をこちらで鍛え直してやってくれませんか?』的なやり取りが騎士団長とあったようだ。

 

 砦にやってきたジェームズ青年。

 

 彼は世間知らずだが貴族にありがちな傲慢さなどはほとんどなく、やや気取った喋り方以外は普通に気さくで、あっというまに砦の騎士と馴染んでしまった。

 体力こそ()()()()()()()が、騎士(さる)にも通じる高いコミュニケーション能力もつ彼は、やはり冒険者として大成する資質があるかもしれない。

 しかも、ジェームズの知能は砦の騎士に交じっても全く下がらず、彼らと普通に交流ができていた……それはつまり彼は元から阿呆(さる)だからだろうか?

 

 たまにいるよね、勉強が物凄くできるけど頭も物凄く残念な人。

 

 そんなジェームズとライト。

 新米同士で年も近く普通に会話も通じ、また騎士宿舎で同室のため仲良くなるのは至極当然のことであった。

 

「魔導士ジェームズ、今回はお前の力が生かされる任務だ。よろしく頼むぜ?」

「ふふ、任せたまえよ騎士トーマス。この僕にご期待あれだ」

 

 ジェームズは砦騎士(さる)としては無能に近いが、希少である黒魔導士のクラスを持っていた。

 本来であれば王宮魔導士としてエリートコースは約束されているのに、なぜ冒険者(ごろつき)などを目指そうとしていたかは不明である。

 

 ああ……そうか、こいつ阿呆だからか。

 

 騎士団長としては棚からボタ餅的な意味で、二重においしい人材であった。

 

「そういうわけだライト、お前も腹を括れよ? この話を聞いてしまった時点で抜け出すことは許されない。特別宿舎にいって女騎士(ごりら)に捕まっても地獄。成功したとしても鬼いちゃん(ルドルフ)に捕まって地獄。ここにいたと言い訳しても奴は容赦しないぞ?」

「そ、そんなこと言われても自分は絶対にやりませんからね!!」

「ライト君。男子ならば例え愚かだと分かっていても、やらざる得ないことが一生に一度はあるはずだ。今がそのときだと僕は思うのだよ?」

 

 二人して何だかとっても格好よさげなことを言っている。

 

 ――でもなアンタたちのやろうとしていることはただの覗きだぞ!!

 

 ライトは怒りを覚えた。

 彼の正義の心がメラメラ燃えていた。

 しかし残念なことに、今のライトは芋虫のように縛られ、ギリギリと歯ぎしりをすることしかできなかった。

 

「ま、それにこれは先輩としてのささやかな親心でもあるんだぜ?」

「う? いったいなんのことですか?」

「好きな女に恋を言いだせない男に、せめて裸を見せてやりたい……お前さ、モーリィのやつに惚れてるだろう?」

「ト、トーマス先輩! な、何故それを!?」

 

 ライトの顔が一瞬で赤く染まる。

 そこでハッと、自分を見下ろす騎士たちが全員ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべていることに気がついた。

 

 ――こ、これは……!?

 

「ゆ、誘導尋問!? トーマス先輩、ひ、引っ掛けましたね!?」

「いやいや、ライト君……君の今までの態度でバレバレというか……いいや、その素直さは非常に美徳だと僕は思うな。君の恋が実るように影ながら応援するよ」

 

 羞恥のため芋虫のように部屋中をゴロゴロ悶え転がるライトに、ジェームズは同情と哀れみの視線を向けた。

 そして何だかんだでライト・ウォーカーの正義は折られ、気がついたら夜間野戦装備を着用して作戦会議に参加していたのだ。

 

 目標は聖女の裸体観察。

 

 作戦内容は非常にシンプルだった。

 特別宿舎裏側の林から侵入。

 女騎士の襲撃を警戒しつつ林を抜け、共同風呂までの遮蔽物の無い開けた敷地を匍匐前進で隠密移動。

 到着したら共同風呂の外窓の鍵を解除し、目標の聖女のたわわを確認して、じっくりと観察したのち速やかに撤収。

 緊急時の交戦は認めるが最重要目標(のぞき)を忘れるな、以上だ!!

 

 こいつら最低である。

 

 全員が特殊兵装を――気配消しの術式がふんだんに織り込まれ、木の葉や苔のように偽装された外套を身にまとう。

 これ一枚で騎士一式装備が馬含めて余裕で揃えられてしまう高価な装備で、そのため闇の森捜索のときですら使われたことはない貴重品であった。

 

 ――たかが覗きごときで、武器庫の奥に厳重に保管されていた貸出不可の特殊兵装まで持ちだしている……この人たちはいったいどこまで本気なのだろうか?

 

 ライトはこの時点で、言いようのない不安と精神的な疲労を感じていた。

 

 ◇◇

 

 男たちは夕暮れ時に特別宿舎の裏側に回り込むと、予定通り敷地内の林から侵入を試みた。

 林と言ってもその規模は森に近いが、全力で走れば数分で抜けることができる。

 しかしそうすると、女騎士の警戒網の確実に引っかかるだろう。

 そのため彼らは、あえて林の木々の中からは抜けださず、宿舎の建屋を目指してスローペースで黙々と移動をした。

 そして、いつの間にやら辺りは薄暗くなっていた。

 

 ――本当に静かな夜だ……こころ穏やかに逝くにはいい日だろうよ……。

 

 ちょっと詩的にそんなことを考えてしまうトーマス。

 しかし彼のやろうとしていることはただの覗きだ。

 

 月明かりが照らしているとはいえ、木の周りには影がいくつもできて視界は良好ではない。

 もっとも、獣に近い目を持つ彼らには行動の障害にはなりえない。

 黒魔導士ジェームズが自らに暗視の魔術を使い、罠発見と索敵用の魔術を展開させて騎士たちについていく。

 騎士の動物的な勘と魔導士の魔術的な探知。

 敵陣に侵入する布陣としてはこれ以上は望めないほど完璧だった。

 そんな中、ライトだけが周りの空気が微かに変わったことに気がついた。

 ライトは嫌な予感を覚え、トーマスに声をかけようとした。

 だが、その判断は少しばかり遅すぎた。

 

 惨劇の始まりは本当に静かなものであった。

 

 覗き集団(きしたち)の名誉のために言っておくと彼らに油断はなかった。

 警戒は怠らなかったし、仕掛けられているだろう罠にも注意を払っていた。

 察知することができなかっただけなのだ……彼女たちが忍び寄る気配を。

 騎士たちは彼女たちの怖さをよく知っているつもりだった。

 だがまだ甘かった。

 砦街の対人最強と名高い彼女たち……女騎士の戦闘能力を甘く見積もっていたのだ。

 

 枝がしなる音がした。

 

 同時だった。

 突然、先行していた斥候役の二名が宙に吊りあげられた。

 声もあがらなかった。

 装備含めるとかなりの重量になるはずの男二人があっけなく持ちあげられ、宙ぶらりんとなった。

 おそらく、木の上から魔獣の体毛で作られた極細のワイヤーを使い、騎士の首に引っ掛けて、枝を支点にして吊りあげたのだろう。

 その二名に全員が気を取られた瞬間、隊列の背後から現れた複数の影に騎士三名が首を極められ、体の自由を奪われて木々の闇の奥へと引きずり込まれた。

 

 一瞬の隙を突く早技であった。

 

 音なくあまりに速すぎて、その姿を視認するのはおろか察知することすら誰にもできなかった。

 

 時間にしてわずか数秒で、五名も食われた。

 

 悪い夢でも見ているようであった。

 闇の森という魔境でも十二分に活動できる屈強な男たちが、女騎士に完全に手玉に取られていた。

 それも不本意なことに、彼らが得意とするはずのフィールドでだ。

 

 この状況はひどく不味い、遅かれ早かれ全滅してしまう。

 

 そう考えたトーマスは合図の口笛と共に、革ホルダーから術式を刻んだ術式札を一枚抜いて魔力を通した。

 札を握った手をあげて、目を閉じその場で術式を発動。

 凄まじい閃光が暗闇の林の中で広がった。

 

 術式札とは、魔導士ではなくとも札に刻まれた術式を使用することで、刻印に応じた魔術を使用可能とする消費型の魔導具である。

 札であるため携帯性に優れるが、使用には一定以上の魔力と魔術を理解するだけの知能が必要とされるため、砦の騎士の半数以上は使うことができない。

 

 術式札は十本の指を使う以上の暗算ができないと使えないのだ。

 

 トーマスは閃光を放つ術式札を攪乱のために使用した。

 生き残った騎士たち全員が同時に散開する。

 このような状況下ではいちいち言葉にしなくてもやることは決まっている。

 砦で何度も味わった経験が彼らの体を動かしていた。

 

 戦う?

 いいえ!

 

 女騎士(ごりら)犠牲者(さる)甚振(ぼこ)っている間に逃げるのです!!

 

 女相手に大の男が情けない?

 相手が同じ人類ならばそうかもしれない。

 しかし、野生の獣相手に素手で勝てないからといって嘆く者は普通いない。

 

 いたとしたら相当のサドマゾ野郎である。

 

 まあ、でもたまに、鉈一本で魔獣の討伐をしてしまう、信じられないことをやらかす田舎の老人方なんて者もいるが、あれは例外中の例外である。

 例えば、闇の森のまだ若い闇竜あたりを、チョップ(しつけ)一発で気絶させる芸当ができるのは作務衣姿の女性くらいなものだろうから。

 

 ……この世界、ご老人どもがちょっと元気(やんちゃ)すぎないだろうか?

 

 ともかく野生の法則である。

 女騎士を相手に騎士では逆立ちしても勝てない。

 彼女たちは『くっ、ころせ!』などと仰ってマウント取られて、あんなことやこんなことをされるようなエロか弱い、くっころさんではない。

 むしろ『くっそが、ころすぞ!』といった感じでマウント取って、あんなこと(こぶしれんだ)こんなこと(ひじうち)をするような、純然たる強者なのだ。

 

 そんな理屈は新米のライトには分からず、そして真面目な彼が砦で逃走する経験は一度もなかった。 

 

 しかし、田舎の規格外な老人方に野外生存(いきのびる)技能を散々叩き込まれた彼の体は、瞬時に最適を導きだし手足を勝手に動かした。

 状況を理解できずに口を開けていたジェームズの体を抱えて肩に担ぎ、現状において最も危険のないと思われる方角……トーマスと同じ方向に走りだした。

 ライトがこの時に逃げないで、素直に捕まっておけばよかったと気づいたのは逃げ切ったあとである。

 

 無意味に有能すぎるのがまた仇となった。

 

 そのまま三人で息を切らして走る。

 ついてくる者は誰もいなかった。

 トーマス、ライト、ジェームズはしばらく走ってから、ようやく一息つく。

 そして引き続き、聖女がいるだろう共同風呂を目指すことにした。

 

 ここで逃げても鬼いちゃんによって地獄を見るのは決定しているのだから。

 

 そう、最終的に逝くのは分かっている。

 ならばその前に天国(おっぱい)を見てから果てようと、ライト以外は一致していたのだ。

 

 ライトは馬鹿なことはもう止めて、潔く自首しましょうという気持ちでいっぱいだった。

 しかし空気を読みすぎるところがある彼は、二人のあまりの熱意に言いだすことができなかった。

 

 ライトは、怪しい目の色で『おっぱい、おっぱい、おっぱい』とブツブツ呟きながら進む二人の姿に、どうしようもない情けなさを感じていた。



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モーリィとお風呂の日(裏)その2

 林を抜ける手前で、突然トーマスが止まるように二人に指示した。

 彼は目を凝らして辺りの様子を観察すると、やがてジェームズに声をかける。

 

「ジェームズ、ここら周辺の魔術反応はどうだ?」

「ん? 探知魔術には特に不穏なものは感じないけど、何かあるのかい?」

「……すまんが、今よりも深く探れるか?」

「ふふ、その程度お安い御用さ、任せたまえ騎士トーマス」

 

 ジェームズは魔術の力を増幅する短杖を取りだし、ゴニョゴニョと詠唱して魔術を展開した。

 

「これは……上手く隠蔽されているけど小さな魔力反応がある。この感じだと術式札かな……うーん、難儀だね、広範囲に設置されてて近寄ると爆発するやつだ」

「チッ、やっぱりかよ! こいつは誘い込まれたな……」

「……トーマス先輩、よく分かりましたね? この罠は普通、気づきませんよ?」

「ん、ああ……ちょっと訳アリだ」

 

 術式札は刻まれた術式に応じた魔術しか使うことができない。

 また発動する魔術の威力も魔導士が使う魔術に比べたら弱いもので、所詮は魔術を使用できない一般人が魔術を扱えるようにするための模造品に過ぎない。

 しかし本物の魔術より優れていることが一点だけある。

 

 それは札であるゆえに、罠として利用できるということだ。

 

 札に込められた魔力が消えればただの紙になるのだが、それでも時間差で魔術を発動できるのは大きな利点である。

 特にこのような状況下では有効な使い方といえよう。

 直ぐ近くで発見した札を一枚見て、トーマスは苦い顔をする。

 

「この術式札……罠の仕掛け方……やっぱりあいつか……」

「心当たりがあるのかい、騎士トーマス?」

「まあ、な……しかしこれは参った。遠回りする時間も解除してる余裕もねえ、そしてなによりもだ……」

 

 トーマスは大げさに肩を落とすと深いため息をついた。

 

「罠を仕掛けた本人がもう来ちゃってるわけで……なあ、そうだよな、フィーア?」

 

 トーマスが声をかけた先には、いつの間にか一人の女騎士が佇んでいた。

 ライトは彼女を見た瞬間に全身が総毛立つものを感じた。

 彼女がいることに気づかなかったからではない。

 目の前にいるのに彼女からは気配というものを全く感じられなかったからだ。

 

 薄っすらと立つその姿は朧げで、まるで幽鬼のようであった。

 

 彼女はライトが砦の中で一度も見たことのない女騎士だった。

 長い黒髪に伏し目がちな黒い瞳。

 白を通り越して青白い肌に、女性的で美しいが幸の薄そうな顔立ちと細い体。

 先ほどから違和感を覚えていたのだが原因は分かった。

 

 彼女の容姿は女騎士(ごりら)にしてはあまりにも女らしすぎるのだ。

 

 フィーアと呼ばれた女騎士は表情一つ変えず、トーマスに視線をちらりと向けると両腰に下げた二本の細身の剣を鞘から同時に抜刀する。

 シャンという鈴のような澄んだ音が響く。

 

 瞬間、彼女から背筋が凍るような殺意が放たれる。

 

 ライトとジェームズの二人は、その動作だけで彼女が並みではないと理解できてしまった。

 朧げな女騎士と対峙する三人の額からじんわりと汗がにじんだ。

 

「仕方ねぇライト、お前は先にいけ……」

「トーマス先輩?」

「俺はこいつとはちょっとした因縁があってな……それに分かるだろう? こいつは三人がかりでもどうにかなる相手じゃない。俺とジェームズが残って引きつける、その間にお前は任務を達成しろ……それで俺たちの勝利だ!!」

「まあ……それが妥当だね。僕の体力じゃ、ここから先は抜けられそうにないし」

 

 ジェームズは肩を竦めると、短杖を片手でもち直して印を切り、ライトに攻撃魔術から身を守る防護魔術を何重にもかけた。

 

「そんな……ジェームズ!? トーマス先輩!?」

「いって来いよライト、後で報告しろよ?」

「幸運を祈ってるよ、騎士ライト!」

 

 トーマスとジェームズ、二人の漢は不敵な顔で笑っていた。

 覚悟を決めた者だけが見せることのできる顔。

 その眼差しからは痛いほどの熱い思いが伝わってくる。

 彼らだって本当は先に進みたいだろう……叶えたい望みがあるのだから……だがそれでも自分に期待して道を譲ってくれたのだ!!

 

 ライトの体の奥底から叫びだしたいほどの熱量が湧きあがってくる。

 

「すいません! 自分は先にいきます!!」

 

 前のめりで走りだすライト。

 

 設置されていた術式札が次々と発動しライトに襲い掛かる。

 顔を腕でおおって強引に突破。

 火傷しそうな熱さはある、だが荒れ狂う炎を防護の魔術が軽減して防いでくれた。

 

 ライトを行かせまいと、幽鬼の女騎士が影のような走りで進行方向に回りこもうとした。

 

 しかしそれを、逆手で短剣を抜いたトーマスが切りかかり更に邪魔をする。

 二人の間で刃が重なり火花が散った。

 何合かの激しい打ち合い。

 女騎士の剣筋からは迷いが見られるようだ。

 

 トーマスはそれを見逃さず、数枚の術式札を片手で器用に取りだして魔力を込めた。

 

「付き合いが悪いな亡霊(フィーア)。久しぶりに俺と火遊びしようぜ?」

『……爆弾魔(トーマス)……あまり、私を困らせないで……?』

 

 ライトは女騎士の静かな声を聞いた。

 苛立ったような困ったような……でも仕方ないなぁといったような、そんな響きを伴った声を確かに聞いた。

 彼女の様子に、何故か田舎の頑固な父のやることを、苦笑しながらもハイハイと頷き従う母の姿を思いだした。

 

 剣戟と複数の爆発の音が同時に鳴った。

 

 後ろは振り向かない。

 ライトはがむしゃらに前だけを見て進んだ。

 断続的に響く複数の爆発音は、しばらく経つと聞こえなくなった。

 

 ◇

 

 気がついたら林の中を、術式札の罠地帯を抜けていた。

 建物が見えた。

 遮蔽物のまったくない敷地を匍匐前進で進んだ。

 

――俺は芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫……………………。

 

 ライトは自己暗示をかけ、芋虫のように大地と一体化して移動した。

 それは田舎の老人方に、ライトも知らぬ間に叩き込まれた擬態術の一つであった。

 

 老人方は彼をいったい何者にしたかったのだろうか?

 

 そうしてライトは、女騎士の警戒網を潜り抜けて、気がつけば共同風呂の外壁まで辿りついていた。

 行動の全てが無意識で、ライト自身もどうやってここまできたのかは朧げで覚えていない。

 

 ――やった! 辿りついた! 俺はここまでくることができたんだ!!

 

 ライトは達成感に拳を握りしめて、心の中で勝利の雄叫びをあげた。

 彼は一人喜びを噛み締め、その場で満天の夜空を仰いだ。

 煌めく星々の輝きは、彼が成した偉業を褒め称えてくれているようであった。

 

 しかしその歓喜も、共同風呂から外に響く、女性たちの楽しそうな声を聞いた途端、冷水でもかけられたかのように急速に醒めていった。

 

 幽霊のような女騎士の登場。

 命の危機を感じさせる緊迫した状況。

 そして男二人の無責任で無意味なノリに乗せられた。

 乗せられてしまったのだ。

 自分は、今、何をしようとしていたのか?

 騎士として、男として最低な行い(のぞき)をしようとしていたのではないか?

 

 ライトは今の己をひどく恥じた。

 

 ――特別宿舎の入り口まで行き、そして女騎士に謝罪して罪を償おう。

 

 ライトはその場を立ち去ろうとした。

 しかし正面の窓が突然開いた。

 

 咄嗟に地面に伏せたライトの頭上では、月明かりに照らされた月の女神(モーリィ)がいた。

 

 彼女は窓の下枠に手を付くと、無警戒に上半身を乗りだして外の風景を眺めだしたのだ。

 月光に輝く白銀色の髪がさらさらと風に流れる。

 真っ白な初雪のような汚れ一つない肌は薄く桃色に染まっていた。

 

 彼女の華奢な体が左右に動くたびに、腕の間に挟まれた柔らかそうな大きな二つの球体が、素敵に柔軟に自由にわがままに縦横無尽に形を変えていく。

 ライトの知能が騎士(さる)並みに下がった。

 

 ――あああ……たわわがゆさゆさとたわわするにたわわをたわわでたわわった。

 

 ライトは思わず拝んでしまった。

 

 自分が一瞬何を見ているのか理解できなかった。

 湯あがりなのだろうか、普段は清楚で神々しい聖女モーリィが恐ろしいくらいに魅惑的で官能的に見えた。

 下から見る彼女の豊かなたわわに目が吸い寄せられ、だめだと分かっているのに目が離せない。

 それを見ているだけで幸せな気分になる。

 

 ――この暖かい気持ちが母性を感じるということなのだろうか?

 

 だが同時にライトの中で原始的な荒々しい獣性も目覚めようとしていた。

 

 触ってみたい……指で掴めば確かな弾力と柔らかさを返してくれるだろう。

 とても大きくて素晴らしく美しい乳房を、そしてその先端に見える桜色の……。

 ライトは地面に伏せたままの自身の下腹部に熱がこもっていくのを感じた。

 

 ――ふざけるな! 彼女を、聖女モーリィを穢すつもりか騎士ライト!!

 

 歯を食いしばり強い意志でそれに堪える。

 下腹部に集まった熱は急激に頭へとあがり、限界を超えたライトの鼻孔からは激しく血が噴きだした。

 あり得ない量の血が滝のように流れでて、大地に小さく溜まっていく。

 常人ならばすぐにでも治療が必要なほどの危険な出血のしかただった。

 

 しかし、それは騎士道……!!

 

 ライトは自傷を……自ら血を流すことで正気を取り戻したのだ。

 濃厚な血の臭いに気がついたのか、聖女はクンクンとあたりを嗅ぎだした。

 その仕草のたびに上下にゆさゆさと大きく揺れて、すぐ後に微振動するたわわ。

 ライトは沸騰しそうな頭でその責め苦に必死に耐えた。

 彼の限界はとっくに超えている。

 

 今のライトは、まぎれもなく男の中の男……いや、真の騎士(おとこ)であった。

 

 やがて聖女は納得したのか正面を……ライトがいる場所に顔を向ける。

 その光景は崇敬に跪く騎士と、彼に祝福を与える聖女の絵画のようだ。

 最後に聖女のたわわがたゆんと大きくたわわって窓の下に消えた。

 男として激しい試練に耐え抜き、誰にも知られることなく孤独な戦いに勝利した騎士ライトは、満足そうな笑顔を浮かべると完全に意識を失った。

 

 状況を言えば、モーリィのおっぱいをいっぱい見てしまったライトが、興奮して鼻血を噴出して気絶してしまっただけなのだが……。

 

 ――――――

 

 ライトは重いまぶた開けて目を覚ました。

 

 血をだいぶ失ったようだ。

 貧血状態だが気分は悪くない、むしろすっきりとしている。

 ライトは地面に座り込んでいて誰かに背中を支えられていた。

 ぼんやりと顔をあげると薄闇の中、三人の女騎士が腕組みをしライトを取り囲むように立っている。

 後ろで支えているのも恐らくは女騎士だろう。

 

 体中が血塗れだった。

 

 彼は腰のポーチから止血用の手拭を震える指で取りだし、鼻の下を拭いて手を拭いた。

 目眩でふらつきながらもヨロヨロと立ちあがると、正面の女騎士に自分の両手首を重ねた状態で差しだし、ぺこりと深いお辞儀をした。

 

「あの……色々と、ご迷惑おかけしました」

 

 女騎士は(おんな)前の表情で頷くと、ライトの肩を優しく叩いたのだ。

 

 ◇◇

 

 ライトは手首を縛られ腰に縄を括りつけられて連行された。

 女騎士に連れてこられたのは特別宿舎の玄関がやや遠くに見える場所。

 騎士たちは塀を背にし一カ所に集められ座らされている。

 ライトと同じように両手首と腰を縛られていた。

 どうやら全員が拘束済みだったらしい。

 トーマスとジェームズの顔も見える。

 二人とも顔が煤けてボロボロになっているが元気そうだ。

 

「よう、ライト上手くいったか?」

「当然、任務達成だよねライト君?」

 

 胡坐をかいて座っていたトーマスが悪ガキのような顔で笑いながら、ライトのほうに手首を縛られたままの拳を突きだしてきた。

 その隣に片膝を立てて座っていたジェームズも気障に微笑むと、同じように両拳をだしてくる。

 ライトは男臭い笑みを浮かべて拳を握り、トーマスとジェームズの二人と拳を合わせた。

 

 戦友同士の報告はそれだけで十分だった。

 

 

 この後、()()()()()()()()騎士ルドルフに引き連れられて、全員が特別宿舎の正門から外に出ることになった。

 門のそばに誰かの後姿が見えた。

 

 二人……女騎士とそれよりも頭半分ほど背の低い白銀色の長い髪は聖女だった。

 

 先頭のルドルフが縄を持ち騎士たちをドナドナしたまま彼女たちに敬礼した。

 二人は不思議そうな顔で敬礼を返す。

 そして騎士たちは全員が縛られたまま聖女に敬礼をしていく。

 

 何故か、トーマス含め全員が得意げであった。

 

 聖女の前まで来たライト。

 彼女は何があったか聞いていないのか、小さく敬礼をしたまま顔をキョトンとさせている。

 その表情でさえ、可憐だとライトは思った。

 いつもとは違い、聖女は髪を後ろでしばってない。

 月明かりに照らされ淡く輝く白銀髪が、普段とは違う美しさを彼女に持たせていた。

 

 ――ああ、そうだ……本当に彼女は美しく可憐だ。

 

 今までもライトが彼女に対して好意を抱いていたのは確かだ。

 しかし彼女を天上の女神のように崇拝して、果たして一人の人間として、一人の女性として見ていたかと考えると、そうではなかったのかもしれない。

 だからこそライトは誇らしいのだ。

 彼女を汚すことなく己に打ち勝てたのが、彼女を一人の女性として好きであることを実感できたのが。

 

 ライトは笑顔を浮かべると、モーリィに敬礼をした。

 

 もっともしばらくして、自分がした行為がただの覗きだということに気がつき、酷い自己嫌悪に苛まれるのだが後の祭りである。

 

 

 こうしてモーリィたちに見送られ、面倒見のいい優しい鬼いちゃん(ルドルフ)が連れてきてくれたのは、治療部屋の裏にある池であった。

 綺麗な月明かりの下、全員が両手両足をきつく縛られて腰に重りをつけさせられ、一人ずつ順番に暗い水の中に投げ落されていく。

 深い水の底に沈んでいく騎士たち

 

 まるで御伽話のようにひどく幻想的な光景であったとか?

 

 縛られたまま水底を匍匐前進するのは結構何とかなるものだったと、ライトは後に語っている。



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砦のダンジョン その1

 モーリィ達の見ている前で治療部屋の裏池の水が抜かれていく。この池は元々、貯水用の人工のものなので比較的簡単に排水が可能らしい。

 第三騎士隊所属の黒魔導士のジェームズと、第五騎士隊隊長のフランの二人がゴニョゴニョと魔術を使い、池の端にある排水溝に水を操って流しこんでいる。

 

 水が全て抜かれて池のほぼ中央に姿を現したのは、大小様々な岩石を組み合わせて作られたとみえる地下ダンジョンの入り口。

 しかし入ることは出来なかった。透明な結界が入り口を囲うように張られており、地下ダンジョンへの侵入を頑なに拒んでいたのだ。

 

 地下ダンジョンの入り口を発見したのは騎士達であった。

 

 ジェームズがルドルフに裏池に沈められて溺れかけ、ライトに引きずられて水揚げされる際に池の中に異様な魔力を探知。後日、暇な騎士達が池の魚を素手取りするついでに素潜りをして調べてみたところ発見したらしい。

 話はすぐに騎士団長の元まで届き、急きょ池の水が全て抜かれて調査が行われることになった。

 

「アル君。これはかなり不味い状況になっていますね。入り口から大型ダンジョン並みの魔力が流れてきていますよ」

 

 水を抜かれ小石と泥土の溜まる池の中で、困り顔で騎士団長に報告しているのは騎士服を着た女性。フランシス……フランであった。

 雑多な種族の集まる砦街でも非常に珍しいエルフ。正確にはハーフエルフで、街の治安維持を専門で受け持つ第五騎士隊の隊長である。

 

 砦街とは砦と街の二面構造になっており、高い壁で囲まれた砦と、同じく壁で囲まれた街部分が隣り合わせで同じ土地に立っている。元々は首都として使われていた頃の名残だが、現在は闇の森からの魔獣防衛拠点として有効活用されていた。

 

 普段は街部分にある第五騎士隊の本部にいる彼女だが、高い魔術能力に豊富な知識を持っているため砦まで来てもらい調査に協力してもらっていたのだ。

 

 エルフ特有の透き通るような美貌と金色の髪、そして特徴的な長い耳。

 

 ハーフ故なのかエルフとしては珍しく豊かな胸を持ち、おっとりとした優しい口調と、のんびりとした性格も相まって砦街での評判も高く、砦の騎士達の胸部装甲(たわわ)愛好家の中では聖女モーリィと人気を二分する女性である。

 

 年齢は不明だが、この場所が砦街の名称に変わった頃から住んでいたという噂もあり、それを確かめようとした者も『女性にそんなこと聞いては、メッですよ』とはぐらかされて結局は聞けなかったらしい。

 

 騎士団長を新米騎士時代から知っており、彼のアルフレッドという名前を愛称で呼んでいるのは、この砦街広しとはいえ彼女くらいのものだろう。

 別に名前で呼ぶのが恐れ多いとかそういう理由ではなく、みんな団長呼びで彼の本名を知らなく、聞いていても覚えてない脳筋(ばか)のほうが多いからだ。

 

 騎士団長も、そんな頭のいい彼女には一目置いており敬意を払っていた。

 

「ふーむ、他に分かったことはありますかフラン?」

「うーん、今のところはこれといって、先程も言った入り口の結界が予想より遥かに強固で、通常の方法ではダンジョンに入れないということだけですね」

「なんとか……結界の解除はできませんかね?」

「ジェームズ君とも色々試してみたのだけど、正直いって私達だけでは手詰まり……ねえアル君。王都に至急応援を、王宮魔導士を呼んだほうがいいかもしれませんよ」

 

 フランのその言葉に、騎士団長は頷くと顎に手を当てた。

 

 もちろん発見の報はすでに王都に伝書鳥を送っていた。しかし虎の子の王宮魔導士を動かすには、ある程度は調べて情報を集める必要がある。

 聖女の検査の時ですら王宮魔導士に来てもらうのに一月以上かかったのだ。

 

 それに彼ら魔導士は基本的に個人主義でそれぞれ研究を抱えており、その中でもダンジョン対策のための人員は僅からしい。

 流石に【魔女】などのダンジョンのみならず周囲も破壊する王国最終兵器に来てもらうのは遠慮願いたいところだ。

 

 本来であれば新しいダンジョンの発見は、そこから得られる特殊(レア)資源などを考えると嬉しい話だ。砦内という管理しやすい場所であることも素晴らしく好条件だが、ダンジョンの中に入ることが出来ないのなら話は別である。

 

 ダンジョンは時間が経てば経つほど内部に満ちる魔力が濃密となり、それによって生み出される魔法生物、俗に言う魔物が強力になっていくのだ。

 故に新しく形成されたダンジョンは早期に発見し、国規模の組織で管理するのが好ましいとされている。管理とは維持もしくはダンジョンの心臓部に当たるダンジョンコアを破壊する封印のことであった。

 

 ダンジョン中に入れるのなら一山いくらでも砦でゴロゴロとしている騎士達を投入して、人海戦術で魔物を間引けば済むだけの話だ。しかし結界で侵入出来ないのならば手の打ちようがない。

 

 フランの言う通り大型ダンジョン並みというなら、闇の森の魔獣と匹敵するような魔物が中にいてもおかしくはない。そのようなものが魔力の過剰供給で増殖し、ダンジョンの外にでも這い出して来たら手に負えない始末になるだろう。

 

 騎士団長はフランの話を聞きながら地下ダンジョンの入り口を眺めた。

 

 入り口付近にはエリート脳筋と悪名高い第三騎士隊の面々や、治療部屋の聖女モーリィ達がいる。結界を調べている黒魔導士ジェームズと何やら話しているようだ。

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 地下ダンジョンの入り口で屈み込み、ゴニョゴニョと探査魔術の詠唱をしているジェームズに、トーマスとミレーが興味深げに近寄りチョッカイをかけていた。

 

「こ、こら止めたまえ君たち! 今、僕は重要な調査をしている最中だから!」

「へいへい、いいじゃねえか、冷たいこと言うなよジェームズ。ダンジョン探索といったら男のロマンだろ? ちょっと見せてみろよ、どっかに隠し扉あるかもだぜ?」

「なに言ってるのよトーマスさん。こういうのは元冒険者の、このミレーさんに任せなさいっ! ジェームズさん少しどいてみて、私が調べてみるわっ!」

「あ、ちょっと、ま、待ちたまえ君達、その術式に触れてはっ!!」

 

 調査をするジェームズにトーマスが馬鹿なことを言って近づき、ミレーが冒険者風を吹かせて詰め寄って、二人して展開中の術式に接触してしまう。

 眺めていたモーリィ達の目の前で、調査用の術式が解放され魔法陣が空中に転写された。

 

 わあーっ! と悲鳴を上げるジェームズ。

 うわぁっ! と素早く逃げるトーマスとミレー。

 ジーという不快な音と共に魔方陣が点滅し、形状が危険な崩壊をしていく。

 

 ――――!!

 

 逸早く気づいた騎士ルドルフが隣にいた聖女モーリィに覆い被さった。

 自分の身を盾にして彼女を地面に押しつけたのだ。

 周りにいた騎士達もそれぞれ頭を手で庇いながら、ルドルフと同じように一斉に地面に身を伏せる。

 

 一糸乱れぬその行動には一秒もかかっていない。

 

 安全な筈の砦内でも、何故か危険な目に合うことの多い砦の騎士(さる)達は実によく訓練(ちょうきょう)されていた。

 

 そんな彼らをモーリィの傍にいた数人の女騎士(ちょうきょうし)達は腕を組んで呆れ顔で見ていた。対人戦闘の玄人である彼女達は、対人のために魔術知識も習得しており、危険がないことは一目見て分かったからだ。

 

 魔法陣はそれ以上なにも起こさず、スゥーと空気に溶けるように消滅。

 

 騎士達は見上げ、息を吐き、頭を振りながら地面から起き上がる。上着とズボンに湿った泥が疎らについていた。

 ルドルフも安全が確認できると安心して体を起こし地面を見て驚愕した。

 何故なら自分の下にいるモーリィが、泥土の中に全身をすっぽりと潜り込ませていたからだ。丁度泥の深く溜まっている場所に嵌まり込んだらしい。

 

「おぉ……モ、モーリィ大丈夫か!?」

「と、取りあえず……どいてくれますか……ルドルフさん?」

 

 泥の中からブクブクとくぐもった声が聞こえる。

 ルドルフは慌てて体を起こし、泥土に手を突っ込っこむとモーリィの細い腰を抱きかかえて泥の中から引きずり出した。

 

 そこには全身に泥をまとった泥人間……いや泥色の聖女がいた。

 

 モーリィはルドルフに持ち上げられたまま横を向くと、口の中に入った泥水をピューと吐き出す。

 

 モーリィのあまりの有様に顔を真っ青にしてペコペコと謝罪するルドルフ、実に珍しい絵面である。それを「大丈夫ですよ」と顔と髪にべっとりついた泥を拭いつつ、笑いながら許す泥色の聖女モーリィ。本当にルドルフに対して怒りを持っていないようだ。

 

 横で見ていたライトは心配しつつも、モーリィの心の広さに改めて尊敬の念を抱き、同時に危なかったと思った。ルドルフがモーリィを庇わなければ押し倒し彼女の盾となっていただろう。モーリィは許してくれると思うが周りの騎士達に何を言われるか分かったものではない。新米騎士ライトは色々と辛いのだ。

 

 モーリィは顔の泥を粗方取り終えたところで、ダンジョンの入り口にいる三人を見る、そして無言で彼らの元に歩いていった。

 聖女モーリィの顔に表情はなかった、モーリィの背後にさり気無く回った女騎士達が彼女の行動を妨げないよう、甲斐甲斐しく体についた泥を取っている。

 

 今まで見たことのない、モーリィの女王様な威圧感に三人は怯えた。

 

 その中からジェームズが慌てて前に飛び出てくると、泥水の上をツツーと滑りながら膝をつき指を組んだ。そしてモーリィに謝罪と弁解。

 何だか彼の動きは一々と大仰で無駄に格好良かった。これが高貴な貴族の嗜みというものだろうか?

 

「モ、モーリィ嬢すまない、でも、これはワザとではなく不慮な事故であって……」

「ええ、分かっていますジェームズさん。貴方は何も悪くはありません。むしろあの二人(・・・・)に巻き込まれた側ですよ、だから気にしないでくださいね」

「あ、ああっ! ……君という人は、そんなに酷い仕打ちを受けたのに、なんて慈悲深いのだ。本当にすまなかった。あらためて謝罪をするよモーリィ嬢」

 

 泥まみれのまま微笑むモーリィに許されたジェームズは安堵し、跪いたまま祈るように再び謝罪をした。女騎士達もウンウンと頷いている。

 モーリィは残りの二人を見た。こっそり逃げようとしていたトーマスと、どうやって言い訳しようかと考えていたミレーはビクッと固まった。

 

「あ、あのね、こ、これはねモーリィ……」

「モーリィ、あれだ、これはいわゆる……」

「どちらですか?」

 

 弁解をしようとしていた二人の言葉を遮るように、モーリィは静かな声で質問。

 胸の前で両手の平を合せニコニコとし、一見怒ってないように見えるのが地味に怖かった。質問の意味が理解できず、引きつった顔のトーマスとミレーに泥色の聖女は楚々と微笑みながら再び質問。

 

「どちらが、誰が、悪いのですか、この場合は?」

「………………」「………………」

 

 トーマスとミレーはお互いの顔を同時に見た。

 そして間髪入れず、同時に、お互いの顔を指差す。

 

「こいつ(この人)が悪いっ!!」

 

 何とも言えない空気だ。

 

 互いに罪をなすり付けようとする醜い人間達がいた。

 ギャアギャアと言い争いを始めた騒がしい二人に、温厚な聖女モーリィも握り拳を作るとプルプルと震え出し本気で怒ってしまった。

 

「も、もう、あ、あ、あなた達はっ!」

 

 子供のように顔を真っ赤にするとモーリィは腕を振り上げて二人に詰め寄った。

 ハッキリいってこの聖女、本気で怒っても言動も動きも表情もあまり怖くはない、争い慣れしてないというか怒り慣れてないことが丸分かりである。

 むしろ美人顔で無表情にじっと見つめられる方が怖いくらいだ。

 

 周りで恐々見ていた者達も、ほっとして何だか和んでしまった。

 

 そして、聖女を間近で見ていたトーマスとミレーは互いに目配。

 確かに二人は見た、モーリィが腕を振り上げて走りだした瞬間、彼女の泥に濡れた胸部装甲が、たゆんたゆんと大きく揺れ動くのを。

 

 とても素晴らしかった。正直たまらんかった。

 

 二人は思考する、もっとモーリィのたわわなたゆんを見てみたい、あの豊かな胸をたゆんたゆんさせたい、どうしたらいいかしら?

 結論が出るのは一瞬。

 それは聖女から逃げ出し、追いかけ走らせ存分にたゆんさせることであった。後で余計怒られることになるが、そんなことはどうでもいい、それこそ後回しだっ!

 

 トーマスは元より最近のミレーも後先を考えない砦思考にかなり染まっていた。

 

 モーリィが二人を捕まえようとする前に、トーマスとミレーは別々の方向に逃げ出す。水を抜かれ泥の溜まる池の中で、どうしようもない三人の、どうしようもない非生産な追いかけっこが始まった。

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

「ふふ、あの子達は相変わらず元気がいいですね」

「いやはや、大変お恥ずかしい限りですよ」

 

 追いかけっこを始めた聖女モーリィ達を遠巻きに見ていたフランと騎士団長。

 ポーカーフェイスの騎士団長にフランは笑いながら問い掛ける。

 

「もう、そんな天邪鬼なことを言って、アル君もあの子達のことは結構気に入っているのでしょう?」

「……まあ、当たらずとも遠からずですかね」

 

 モーリィ達の追いかけっこを再び眺める二人。

 

 

 モーリィは胸部装甲の分厚い重量級、中々二人に追いつくことが出来ない。

 対してミレーの軽快な動きは流石は軽量級、とはいえ後ろ走りでモーリィより足が速いのは、彼女が凄いのか聖女が鈍足なのか少々判断に困るところ。

 

 おっ、トーマスがダンジョン入り口の結界を背にして追い詰められた。

 

 顔を真っ赤にして必死の表情で手を前に伸ばすモーリィ。

 上手く捕まえられそうか……ああ、残念、後一歩のところでトーマスが体を反転して見事に回避。

 

 しかし、これは彼の狙い通りか?

 

 恐らくモーリィを透明な結界の壁にぶつけ、押しつぶされた胸を反対側から観察する気なのだろう。しかもモーリィが結界にぶつかっても怪我をしないように、彼女が自然に減速するギリギリまで回避しなかったのは流石だ。トーマスどこまでも抜け目がない男。

 

 そしてトーマスの罠にかかった聖女は……聖女モーリィの姿が消えた!?

 

 

 騎士団長はしばらくの間、心の中でのんきに解説しながら見ていた。しかしそれも聖女の姿が一瞬で消えたのを目撃するまで。

 

 騎士団長とフランは同時に顔を見合わせ、慌ててダンジョンの入り口まで駆け出していった。周りのいた者達も異変に気がついて入り口に集まっている。彼は声を出して退いてもらうと入口の結界を確認した。

 

 結界はやはり健在で中には入ることは出来なかった。

 そこから見える地下ダンジョンの中には、階段下の床に座り込み「あいたた」とお尻をさするモーリィの姿があった。

 

 騎士団長とフランは思わず、ため息を漏らす。

 

 結界の壁をすり抜けた聖女モーリィ。

 砦のダンジョン探索が一つ進展をみせたのである。



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砦のダンジョン その2

 モーリィは結界を抜けて地下ダンジョンの中に入ることが出来た。

 

 他の者も試したが結界を通り抜けられる者はいなかった。

 何故モーリィだけが結界を通り抜けることが出来たのか、聖女というクラス以外にこれといった理由は見当たらない。

 

 モーリィに協力してもらい、結界の壁の調査を行った結果いくつか判明したことがあった。

 

 ・モーリィと手をつないだ状態なら結界を通り抜けることが出来る。

 ・ただし入ることが出来るのは女のみで、男は結界の壁ではじかれる。

 ・入る最大人数も決まっており、モーリィを含めた女性六人までである。

 

 地下ダンジョンには女しか入ることの出来ない特殊な結界が張られており、探索を行えるのも女のみであった。

 

 女のみでの限定された戦力。

 

 この国で、下手をしたら周辺諸国の中でも砦街に集まっている女性陣以上の面子を望むのは難しいだろうという、丁度良いのか悪いのか判断のつかない結論に達してしまった。

 戦力を底上げしている最大の要因は、体格のいい騎士達を片手で吊り上げることの出来る女騎士(ごりら)達。そのまま腹パン(しつけ)している光景は砦では比較的よく見かける日常だ。

 

 まずは女のみで内部の調査から始めることになった。

 

 その日は夕刻も近く、碌に準備もされてない状態で調査に入るのは危険である。万全な体勢を整えるためにも翌日に繰り越されることとなった。

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 モーリィは結界の調査のあと、特別に騎士宿舎の共同風呂を貸してもらえることになった。手ぬぐいである程度拭いていたが、髪や衣服の中にまで入り込んだ泥を取るためには全身を洗う必要があったのだ。 

 

 共同風呂の入り口にはルドルフとライトが見張りに立っている。

 外にも女騎士達が巡回して騎士達が覗かないように鉄壁な警戒網を構築していた。

 

 すでに何人かの騎士(さる)が拘束され転がされていた。いつもなら裏池に沈められるはずだが現在は水を抜いている。恐らく砦内の高所から紐なしバンジーをやらされるのではないだろうか?

 

 女の城である特別宿舎と違い、騎士宿舎の共同風呂は毎日湯を沸かしていた。

 

 これは周辺警戒任務の騎士のためで、危険な魔獣を発見した際はそのまま戦闘になることが多いのだが、状況によっては先手を取れないと命に関わる危険性がある。彼らは風下から近寄るという基本戦術のほかに、体臭などにも出来る限り気を使っていた。

 

 そのような理由から周辺警戒任務中の騎士は毎日風呂に入るのだが、水風呂で体調を崩され任務に支障が出ると困るということで湯を沸かしている。しかし砦の騎士が風邪を引くようには思えない。

 実際の理由は冷たい水風呂だと周辺警戒任務中以外は、まともに身を清めないような物臭(ぶた)ばかりなので衛生面(くさい)から湯を沸かしているのだ。

 

 男所帯(ぶたごや)とはよく言ったものである。

 

 モーリィは湯をかぶり体を手早く洗う。隅々まで洗わなくてはいけなくなったので、熱い湯を使えるのはとても有り難かった。

 

 地下ダンジョンの結界調査を長時間行ったせいか、髪に粘土質で砂っぽい泥が所々こびりつき中々取れない、耳元や胸の周辺も泥が凄かった。

 脱衣所で服を脱いだ際に、胸の谷間から大量の泥が床に落ちたのを見て何故かツボにはまってしまい、モーリィはしばらくお腹を押さえて一人で笑っていた。

 

 そして床に落ちた泥を一人で掃除しながらひどく落ち込んだ。

 

 お湯を何度もかぶり、苦労して体の泥を全て洗い流し終える。

 騎士宿舎の湯船は大人数で使うためかなりの広さがある。

 特別宿舎の湯船より遥かに大きい湯船は独り占めしたらさぞかし気分がいいだろう。

 

 迷ったが湯船には入らずに直ぐ風呂を出ることにした。

 

 そろそろ外回りの騎士達が戻って来る時間、しかしモーリィがここにいると騎士達は入浴出来なくなるからだ。

 髪の毛の水分を絞り、体を拭いて脱衣所に向かうと換えの衣服が置いてあった。先ほど女騎士が脱衣所まで持って来てくれた物だった。

 

 衣服を手に取ってみると男物でかなり大きい丈。ここから特別宿舎のモーリィの部屋までは距離がある、騎士から衣服を借りてくれたのだろう。

 

 衣服を鼻に近づけるとモーリィはクンクンと匂いを嗅ぐ。

 

 これといって匂いはしない。どうにも最近の彼女は、鼻が前より鋭敏になっているせいか物の匂いを嗅ぐのが癖になっていた。

 

 そういえばと思い出すモーリィ。

 

 田舎の母親も取り込んだ洗濯物でよくやっていた。

 年に一回、遠方から家に訪ねてくる伯母と従姉も似たようなことをしていた。

 ひょっとして白銀髪一族の女性共通の癖なのだろうか?

 

 モーリィは考えながら更に昔のことを思い出す。

 

 

 幼い頃のこと……家の中で白銀髪の女性達が揃って、長期放置されたチーズをお皿に乗せて持ち上げ囲み犬のように匂いをクンクン。

 

『うーん、ねえ二人とも、これはまだいけると思うかしら?』

『どうかしら、姉さん、ここは一つ試してみましょうか?』

『お母様、叔母様、少し危なそうですけど、いけますわ!!』

 

 白銀髪の女性達の様子は正直かなりみっとも無いものがあった。

 ああはなるまいと幼心にモーリィは思ったものだ。食い意地の張った彼女達は美味しい美味しいと言いながらワイン片手にチーズをパクパクと食べてしまった。

 

 そのすぐ後、三人の白銀髪の女性達はお腹を下しモーリィと父が看病をした。

 

 

 男物の衣服を着ることには何も問題はなかった。

 それはモーリィが聖女になってからも、男時代の衣服をターニャに仕立て直してもらい着ているからだ。むしろ女物の衣服を渡されるほうが困る。

 

 下穿きの下着はそれほど泥に濡れてなかったのでそのまま履いたが、胸当ての下着は泥まみれで着けられそうになかったので彼女は諦めた。

 

 長袖は大きく袖や横幅も余り膝上まで隠れるほどの丈がある。

 ズボンにも足を通してみたが大きすぎてかなり捲くらないと歩けそうにない、上手く着れないか試してみたが、紐でしばってもずり落ちてしまった。

 

 時間だけ無駄に過ぎる。諦めて長袖だけ着て共同風呂から出ることにした。

 どちらにしろ一回自室に戻らなくてはいけない、この格好は小さい女の子のスカートみたいだが、特別宿舎まで歩く程度なら問題はないだろう。

 

 そんな風に気軽に考えていたが、傍目にかなり扇情的な姿であることをモーリィは気づいていなかった。

 男の頃のモーリィならもっと人の目に注意を払っていただろう。

 しかし聖女になり女騎士の護衛がつくと、悪い虫は寄ってくる前に叩き潰され、皮肉なことに女になってからの方が警戒心は薄くなっていたのだ。

 

 モーリィに女性的な感性……女性的な羞恥心が全くといっていいほど育っていなかった。不幸なことに彼女の周囲には、普通の女性として参考になる人はターニャ以外には誰も存在しなかったのである。

 

 荷物をまとめたモーリィは脱衣所を出てから短い通路を歩く。扉のない共同風呂の入り口を、塞ぐように横並びで立つルドルフとライトの広く分厚い背中が見えた。

 

 モーリィは少し観察する。

 

 口数が多いほうではない二人の男はポツリポツリと話をしていた。非常に穏やかな空気、落ち着いた大人の男同士の雰囲気、何だか羨ましいと彼女は感じた。

 

 お喋りなモーリィにはこの雰囲気を作り出すのは難しいだろう。

 

「すいません、お待たせしました」

 

 モーリィは二人の後ろから声を掛ける。

 会話を遮るようで迷ったが、ぼーと見ているわけにもいかない。

 

「ああ、早かったなモーリィ、もっとゆっくり入っても……」

「いえ、全然待っていませんよ、むしろ、早すぎるので……」

 

 二人の騎士は同時に振り返り、そして同時に驚愕。

 聖女モーリィが男物の長袖一枚しかつけていなかったからだ。

 

 いつもとは違い、首元でしばらず流したままの絹糸のような白銀色の髪。

 薄く染まった顔と細く華奢な首筋や鎖骨は美しい。

 大きい長袖から伸びる、膝から下のほっそりとした白い足は眩しく。

 袖から指先しか出ていないのも、男の庇護欲を誘い地味に破壊力が高い。

 

 湯上りであることも加わって、何とも言えない清楚な色気があった。

 

 ライトは慌ててモーリィに背中を向けた。

 ルドルフは片手の平で顔を覆うと天井を見上げた。

 

 そんな二人の様子を見てモーリィは疑問を浮かべる。

 

「二人ともどうしたのですか?」

「いや、どうしたってモーリィ……お前な」

「…………?」

 

 天井を仰いだままのルドルフは困った声。

 ライトは背を向け黙ったままである。

 二人とも煮え切らない態度だった。

 

 モーリィはライトに近づき彼の肩に手を乗せると、横から前にひょいと上半身だけ乗り出すように回り込んだ。以前の看病で彼の体にはよく触れていたので、その気軽さで手を置いてしまう、うつむくライトの顔は真っ赤だった。

 

「ライトさん、体調でも悪いのですか?」

 

 心配げな声と肩に乗せられる手の感触とその心地よい重さ。そして風呂上りの女性特有のとても良い匂いに、ライトは思わずモーリィを見てしまった。

 モーリィが着ている長袖の首元が垂れさがり、彼女の豊満な胸の谷間がいい感じでのぞかせていた。モーリィは長袖のボタンを締めていなかったのだ。

 

 ライトは無表情になると拳を振り上げる。

 そして彼自身(・・・)を強打した。

 

「ぐおあああああああああああああああっっっ!!」

「ラ、ライトさん!?」

 

 モーリィは突然のライトの凶行に吃驚。

 いつもは感情をあまり表に出さないルドルフさえも表情を歪めた。

 

 股間を押さえ膝からゆっくりと前のめりに崩れ落ちるライト。

 以前見たモーリィの生たわわを思い出して危うく知能を失いかけた彼は、最適行動を無意識に導き出してためらうことなく実行したのだ。

 

 もちろん、そのような事情はモーリィには分からない。

 

 ライトのあまりにも凄惨な有様に、彼女は心の中で悲鳴をあげた。

 彼はいきなり自らのナニを自らの手で殴ったのだ。

 モーリィのナニもないはずの股間がキュとなる。

 傍で見てても滅茶苦茶に痛そうだった。いいや確実に痛いだろう、元男であるモーリィにはそれが痛いほどよく分かる。

 

 モーリィは蹲り脂汗を流すライトの真横に急いで膝立ちで座る。

 彼女は彼の腰を後ろから優しくポンポンと叩きながら、持っていた手拭で額の汗をぬぐってあげた。焦りのあまり聖女の力を使うことすら思いつかない。

 

 生まれつきモーリィが女なら気づいたかもしれない。しかしその場合は長袖一枚で人前に出ることはなく、悲劇自体が起きなかっただろう。

 

 二人の様子を見ていたルドルフは、なぜライトがこのような行為に及んだのか騎士として、同じ男として理解出来てしまう。しかしあまり口が上手くない彼はどのようにモーリィに説明すればいいのか迷っていた。

 

 ルドルフが躊躇している間に第二の悲劇が起きた。

 

 ある程度痛みの引いたライトは、股間を強打した男が望む介抱の仕方をしてくれる、女神のようなモーリィの存在があまりにもありがたく、蹲ったまま下から見あげてしまう。

 

 腰を浮かせ膝立ち座りするモーリィの長袖の裾がまくれていた。

 見えたのは白く柔らかそうな太腿と、その付け根をおおう白い下着……。

 

 ライトは上半身を起こすと、振り上げ組んだ両こぶしで()を強打した。

 

「があああああああああああああああああぁぁぁぁ!!」

「ひええぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 

 モーリィは両腕を万歳させると声に出して悲鳴をあげた。

 ナニもないはずの股間とお尻までもがキュとなった。

 股間を押さえて転がりながら獣のように呻き悶絶するライト。

 そんな彼にどう接すればいいのか分からず、あわあわと狼狽する聖女。

 

 ルドルフはモーリィの腕を掴み立たせると通路の端にまで連れて行った。

 

「え、あ、あの、ルドルフさん? ライトさんが、あのままでは!?」

 

 治療行為に関して豊富な経験を持ち肝が据わっているはずのモーリィが、珍しく慌てた様子でキョロキョロとしている。

 突然正気を失ったと思えるライトの行動に混乱しているようだ。

 正直言うとルドルフもかなり混乱していたのだが、自分より更に混乱している者がいると冷静になれるというアレな状態だった。

 

「あー、モーリィ」

「は、はい?」

 

 ルドルフには何を言えばいいのかやはり上手いこと考えつかない。

 

 こんな時は口から先に生まれてきたような幼馴染(トーマス)にいて欲しいと思った。

 しかし、そうすると余計に収集がつかなくなる可能性のほうが高いのではないだろうか。いや、むしろトーマスは喜んで場を掻き乱すだろう。

 

 ルドルフは何故あの男と親友をやっているのか、よく分からなくなってきた。

 

「あー、たとえばだ? 男だった頃に、お前が聖女になる前に、ミレーに、目の前に、今着ているような格好で立たれていたら、お前はどう感じたと思う?」

「え…………?」

 

 ルドルフの上手くはないが、一言一言を確かめるような説明にモーリィは自分の姿を見下ろす。

 

 長袖の胸元からのぞく胸の谷間に、裾がまくれて見える太腿。

 

 ルドルフの言いたいことを、水が布にしみこむように理解した。

 何故、騎士ライトが狂ったような自傷行為を繰り返したのか理解してしまった。

 

――つまりライト・ウォーカーはわたし(・・・)に対して欲情をしていた? 

 

 モーリィの頬が一瞬で真っ赤になった。

 彼女は悲鳴をあげ脱衣所に逃げ込んでしまう。

 

 それを見送ったルドルフはため息をつき、ピクリとも動かなくなったライトを診てやることにした。

 真面目すぎるのも考え物だ……そんな自身の性格を棚に上げるようなことを考えながら。

 

 その日、聖女モーリィは生まれて初めて女としての羞恥心を学んだのである。



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砦のダンジョン その3

 モーリィは眠れぬ夜を過ごしていた。

 

 事情を察した女騎士が、羞恥のあまり脱衣場の隅でしゃがみ込み動けなくなってしまったモーリィを迎えに来てくれた。

 聖女にブカブカのズボンを着けさせるとその場で軽々と持ち上げる。

 女の子なら誰もが一度は夢見るお姫様抱っこだった。

 

 女騎士はそのまま颯爽と騎士宿舎の外に。

 

 特別宿舎までの短くはない道、すれ違う者達の視線が聖女と女騎士に集まる。

 モーリィは今まで味わったことのない別次元(・・・)の恥ずかしさに頬を染め、女騎士の首筋に顔を当てて目を閉じてしまう。しかし女騎士(イケメン)は凛々しくも全く動じない、素晴らしく完璧なエスコートだ。

 

 ……女騎士に抱っこされたまま歩くなんて、頭がフットーしそうだよう。

 

 聖女はのぼせ上がる一歩手前になりながら自室まで送ってもらった。

 その日モーリィは部屋から一歩も出なかった。

 しかしながら夜、彼女はその出来事を思い出して恥ずかさの中に嬉しさも感じてしまい、ニマニマと口角が自然と上がり目が冴えて中々寝付けない。

 

 他にも重要な出来事があったような気がしたが、浮かれ過ぎてモーリィはすっかり忘れてしまう。ベッドの中で火照った顔を枕に埋めて足をバタつかせ、嬉し恥ずかし悶えるを繰り返しているうちに眠りについたのだ。

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 翌日、各種準備を整え、昼過ぎから地下ダンジョンへの探索が開始された。

 参加する女性は既に決定していた。

 

 ・第五騎士隊隊長、魔法剣士フラン

 ・女騎士達から三名……ツヴァイ、フィーア、ドライツェーン

 ・治癒士、聖女モーリィ

 ・治癒士、白魔導士ミレー

 

 魔法剣士フラン。彼女はエルフ故の高い魔法能力をもつがクラスは剣士。砦街随一の豊富な経験と知識を持っており、今回の地下ダンジョン探索班のリーダーも彼女が務める。

  

 女騎士のツヴァイとフィーア。二人は高い戦闘力を持った十三人の女騎士の中でも、一位、二位を争うほどの近接技能を習得しており、それ以外にも探索に使えそうな技術をいくつか有していた。

 そして普段は隠密警護といった裏方仕事の多い女騎士ドライツェーンも投入している。女騎士達はダンジョン探索に関してかなりの本気を出してきているようだ。

 

 回復役として聖女モーリィ。最初はモーリィが参加することに周りが難色を示した。特にルドルフやライトといった騎士連中からは猛反対がでた。

 彼女はこの砦に来るまでは農民として生活しており、武器らしき物といったら鍬と丸太くらいしか持ったことのない根っからの農耕民族だったからだ。

 

 鍬はともかく、丸太は色んな使い方のできる立派な武器(ツール)

 

 それを置いても荒事には向いていないのは、昨日のトーマスやミレーとの泥まみれの追いかけっこで一目瞭然であった。

 ゴブリンの頭を丸太で「えいっやあっ」と叩こうとして滑って転んで自分の頭を強打し、丸太に挟まれながら気絶する絵が容易く浮かんでしまうのだ。

 

 やはり丸太を武器にするのは無理がある。

 ゴブリンさんも、ごぶーと困惑気味だ。

  

 騎士団長も普段なら荒事の場にモーリィを出向かせたりしないだろう、彼女はこの国でも重要な希少クラスの聖女なのだから。しかしモーリィがいないと結界を抜けることができない。ダンジョンの中に同じ仕掛けがある可能性を考慮に入れ探索メンバーに加えたのだ。彼にしては珍しく悩んだ決断であった。

 

 戦力として聖女は、触るだけで怪我を治癒し魔力もほぼ消費しない。

 

 また最近判明したことだが、聖女の治癒には体力や疲労を回復させる効果もあるようだ。持久力を要求されるダンジョン探索において、砦の騎士ほど体力お化けではない女騎士にとって非常に相性のいい人材といえるだろう。

 

 それより問題なのがミレーであった。

 

 砦での治癒役として残す予定だったが「モーリィが行くのなら私も行く!」と騎士団長に参加したいと言いだしたのだ。

 騎士団長はミレーを探索メンバーに加えることにした。

 実際のところ、探索中に聖女に何かが起きた際の保険として、治癒士のミレーを参加させるかどうか彼も迷っていたからだ。

 

 目標はダンジョンコアの確保か封印だが、そこまで無理をする必要もなく、探索して王宮魔導士を動かせる程度の情報を入手できればいい。

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 地下ダンジョンに入り、フランが全員に暗視の魔術を使う。

 警戒しながら、大小さまざまな石で組みあげた狭い通路をしばらく歩くと、不思議な光沢で出来た石壁の通路へと切り替わる。

 

 通路は人が横に五人は並べる広さがあり天井も高さがあった。

 

 綺麗に表面を整えられた石壁には継ぎ目が一つもなく、壁自体が薄っすらと発光している。そのため辺りには夕方程度の明るさがあり視界は悪くなかった。

 今まで彼女達が経験したことのないような不思議な光景である。

 

 壁を調べながらフランは女騎士達……フィーアと深刻そうな顔で話をしていた。

 モーリィとミレーは「わあっすごーい」と興奮して、壁を見ながらペタペタと触るのに夢中で気づかない。二人はすっかり田舎のおのぼりさん状態だ。

 

 発光する不思議な壁だけでも王宮魔導士を呼べそうな情報である。しかしまだダンジョンに入ったばかり、フランの判断で先を進むことになった。

 

 地下ダンジョンを進む隊列は事前に決めていた。

 

 斥候役として女騎士ドライツェーン。

 

 彼女は高い探索技能を持っていて、それ故に今回の抜擢らしい。

 褐色短髪の少年のような容姿。女騎士としては小柄で、腰を落とした警戒移動で影のように動き、装備も黒い革製の軽鎧に小剣と複数の投げ短剣を腰につけている。そのため女騎士というより女暗殺者といった雰囲気である。

 

 その後ろに女騎士のツヴァイとフィーアが続く。

 

 ツヴァイは最近、モーリィの専属護衛になりつつある女性で、魔王ちゃん騒動の時や特別宿舎の共同風呂に一緒に入ったのも彼女である。金髪碧眼の長身、貴公子風の(おんな)前でミレーがモーリィを巡り密かに、そして勝手に好敵手扱いしている。

 

 ツヴァイの装備は片手剣に盾、探索用の動きやすさを重視した皮と鉄を組み合わせた騎士鎧一式で、その姿は砦の(へたな)騎士より遥かに騎士らしい。

 モーリィはツヴァイの凛々しい格好よさにしばらく眺めてしまい、ミレーに怒られてしまった。

 

 ツヴァイがこの探索班の盾役として戦闘の要になる。

 

 フィーアは細身の双剣にツヴァイと同じ形状の騎士鎧をまとっているが、視界を確保するため兜は被っていない。彼女は女騎士としては珍しく女性的な風貌なので、同じ鎧でもツヴァイの物とは別物に見える。実はモーリィとは女騎士では一番会話をする仲だ。

 

 正確に言うと彼女以外の女騎士は言葉を全く話さない。

 

 その後に聖女モーリィ、魔法剣士フラン、白魔導士ミレーの順で、聖女を中心に置いて守る隊列である。本当は背後からの襲撃に備えてフィーアが最後尾につく予定だったのだが、ミレーが冒険者をしていた時は後ろを任されることが多く警戒できるから任せてと、自信満々に手を上げたので頼む事になった。

 

 その際、ミレーが嬉しそうにメイスを振り回し始めると、横にいたモーリィの顔色が何故か悪くなり「潰しの……」とぼそぼそ呟き一同は不思議な顔をした。

 

 フランは片刃の細剣、左手には魔術発動補助の宝石がはまった小手に、不思議な素材の軽鎧を着けている。他にもいくつかの魔導具を携帯していて、何というのか全体的に高価そうな装備である。

 

 そしてミレーだが彼女は随分と本格的な姿だった。

 

 鉄製の片手メイスに同じく鉄製の丸盾、頭には鉢がね、太もも辺りまでおおうワンピース形状のチェインメイルにサーコート。その下の衣服には魔獣の皮が補強的に貼り付けられ動きやすさと防御力を両立している。歴戦の戦士みたくて普通に強そう。

 

 全員が装備の下は長袖にズボン、更に装備の上には外套を羽織っており、肌の露出を最低限に抑え、いかにも私達これから冒険してきますといった風情だ。

 そんなガンガンいこうぜな彼女達の格好を羨ましそうに眺めながら、モーリィは自らの姿を悲しげに見た。それは何度見ても豪奢で清楚なドレス姿。

 

 モーリィだけが冒険に不釣合いな格好をさせられていたのだ。

 

 背中には大きな背嚢、手には槍訓練用の長い木の棒、そして漆黒の喪服のようなドレスである。モーリィの今の姿を見て何をしにいく格好なのか直ぐに答えられる者は小数だろう。川に洗濯へと行くわけではない。

 

 背嚢には三日分ほどの全員の食料が入っている。

 

 モーリィが背負っている理由は技能的に戦闘に参加できず、一番魔力持ちで背負う筋力があったからだ。もちろん荷物持ちくらい聖女は全然問題はない。

 

 木の棒を渡してくれたのは騎士ルドルフだった。

 

『魔物が寄って来たらこれで威嚇して距離を取って逃げろ』

 

 極々真面目な顔で言われた。モーリィとしてはどういう反応を返せばいいのか本当に困ってしまった。歩行杖代わりにはなるだろうか。

 

 そして問題の漆黒の喪服ドレス。

 

 これはいくつもの術式を編みこんだ逸品でフランの私物である。

 彼女がエルフの故郷を追い出されて……旅立つ際にかっぱらって……譲り受けた品らしい。このドレスは彼女を生んだ際に亡くなった母親の形見であるとか。

 

 その慣れぬ辛い旅の途中に『あら懐かしいドレスね』と声をかけてきた女性は、生まれて初めて出会ったフランの従姉(・・)

 彼女に旅の仕方や外での生き方を教えてもらい、そしてしばらく一緒に旅をしたのち砦街に行くことを勧められたらしい。

 そんなフランの苦労と感動の思い出話をしんみりと聞かされながら渡された。

 

 モーリィは情にもろく感動話にひどく弱かった。

 

 例え冒険に不釣り合いなドレスでも「お借りします」と受け取らざるえなかったのだ。とはいえ女物の衣装ということ以外は編み込まれた術式のお陰で下手な鎧よりも硬く、治療服が所持している装備としては一番ましだったか彼女には十分すぎる防具である。

 

 ドレスの丈は胸元が少しきついが他はぴったり合う、そうモーリィがフランに話すと「若いっていいですね……」と何故かジット目で見られ重圧を感じた。

 

 エルフといえど美しい体型の維持は女性の永遠の課題らしい。

 

 首元までも覆うドレスなので露出はほぼ無い。スカートの下にズボンを履くことはミレーに不承不承ながら許可を頂いている。

 モーリィ初めての女物の装いに、ミレーは何故か興奮して頻繁にスカートを捲ろうとしてくる、聖女のドレス姿は彼女の中の何かに火をつけてしまったようだ。

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 第一階層は冒険初心者のお相手、ゴブリン先生しか出てこなかった。

 

 ごぶーと出てきた彼らを、女騎士達が片手間というほどの手間もかけず片付けていく。斥候のドライツェーンが一人で全部倒していることもあった。

 

 戦いというよりは一方的なゴブリンさん殺戮祭りである。

 

 数が多い時はフランが、【移動妨害】や【拘束】などの絡め手の魔術を的確に使い後方から支援をする。ミレーは皆に防御系の補助魔術を使い戦闘力の底上げをしていた。

 

 誰も怪我を負わず、モーリィのやっていたことといえば戦闘中はビクビクしながら応援。戦闘の後に全員の肩をトントンと触れて疲れてなさそうな疲労の回復をしてあげるくらいだ。「ありがとう助かるよモーリィ」といった感じで皆微笑んでくれる。

 

 ……何だか、微妙にマスコット的な扱いになっている。

 

 モーリィはそんなことを不意に考えてしまい悲しくなった。

 魔物と戦えるような人間ではないと十分に理解している。

 

 しかしモーリィとて元、男の子だ。

 男子共通の遊びとして幼い頃は冒険者ごっこをよくやった。

 

 何故か、お姫様役が多かったような気がするが、普通の男の子並みに冒険に対しての憧れはあった。今回の地下ダンジョンの探索メンバーに選ばれた時も、幼い頃の冒険者ごっこを思い出して興奮し喜びすら感じたのだ。

 

 しかし現実は、喪服ドレスを着けて、やっている仕事は荷物持ち。皆が戦っている最中は木の棒をぎゅと握り、うろうろきょろきょろ。

 

 もちろん、モーリィにもこうなることは何となく予想は出来ていた。

 

 地下ダンジョンに入る前に、せめて冒険者気分を味わおうと「えいっやあっ」と仮想相手の悪い魔王に木の棒をブンブン振り回していたら、滑って転んで自分の頭をポコンと叩いてしまう。悪い魔王は強敵だった。

 

 頭を押さえて涙目でプルプルと蹲るモーリィに、周辺にいた砦の騎士達は笑うでもなく、何か微笑ましいものを見るような静かで優しい表情をしていた。

 

 騎士(さる)にまで同情されモーリィの残っていた男心が粉みじんに粉砕される。

 まだ笑われた方がましだった。聖女はひどく惨めな気分になった。

 

 そのためモーリィは、みんなが活躍する姿を後ろで寂しそうに応援していたのだ。

 

 実のところモーリィは、荷物持ちや疲労回復の他にも一人一人の状態に気を配って水筒を渡したり飴玉を勧め、時間を測り休憩を入れるようにフランに進言していた。

 そのように雑用を率先して行い十分すぎるほど役に立っていたのだが、縁の下の力持ちというものは本人が一番気がついていないものだ。

 

 オカンみたいな聖女モーリィの悩みをよそに、次の階層に降りる為の階段をドライツェーンが発見し、探索はそのまま続行されることとなった。



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砦のダンジョン その4

 モーリィ達は地下ダンジョン二階層目へと降り立つ。

 

 二階層は一階層とほぼ同じ構造。

 

 ただ一階層と違い長い通路の合間に小さな部屋が配置されており、どの部屋にも水飲み場や石造りの机と長椅子が置かれていてまるで休憩所のようである。

 

 この階層で出現する魔物はオーク。猪に似た容貌に緑色の肌、出っ張ったお腹と肉厚な体、ゴブリンより遥かに丈夫な魔物。しかし普段から砦の体力馬鹿(さる)の相手をしている女騎士の敵ではない。

 

 むしろいいカモだった。

 

 ツヴァイに盾で殴られ剣で真っ二つにされて、フィーアの双剣で無数に切り刻まれ、ドライツェーンには背後から首刺されたりと、魔物とはいえ哀れになるくらい好き放題にされていた。オークが女騎士の天敵とはどこの世界の話か。

 

 ゴブリンとは違いオークは単体で活動していることが多く、出てきても三体程度で後衛の出番は殆どない。後ろの三人は後方を警戒しながらも比較的のんきな様子で女騎士達の応援をしていた。

 

 モーリィは女騎士達の戦っている姿より、横で嬉しそうにメイスの素振りをしているミレーが気になって仕方ない。彼女の素振りは下から上へと軌跡を描く酷くエグイ角度。聖女はひたすらオークとミレーが接戦しないことを祈った。

 

 そんな風に探索を続けて、しばらく過ぎた頃。

 

『……ロエ……クロ……』

 

 モーリィは立ち止まった。

 

 声が聞こえたのだ。初めてのことではない、この階層に降りてから三度目の声。ミレーは足を止めて耳を押さえているモーリィに気づいた。

 

「モーリィ、また聞こえたの?」

「うん、今度は、はっきりと……」

 

 モーリィは再び歩き出すと困ったように笑う。

 

 最初は本当に小さい声で空耳かとモーリィは思った。

 二度目は何か聞いたか他の者にも尋ねたのだが、その声を聞いたのはモーリィだけだった。そして今ので三度目である。

 

 二人の話を聞いていたフランは思案気な表情。

 

「幻聴……と無視するには引っかかりますね。次の小部屋を見つけたら休憩にして情報を整理しましょうか」

「ダンジョンのことについてですか?」

「ええ、それもありますが、何故モーリィさんだけが結界を通り抜けることが出来るのか……その声とも何か関係があるかもしれません」

 

 フランの意見に二人は頷く。

 

 同時に前方の女騎士フィーアから警戒の合図が出る、どうやらお客様のようだ。相手は……当然オークだった。

 ミレーが獣のように唇をつりあげて笑い、フランはそんなミレーを見て苦笑いをする。モーリィは太ももをすり合せて泣きそうな顔。

 

 三者三様で女騎士達の応援をするために向かったのだ。

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 見つけた小部屋で、情報整理の前に休憩と食事をとることになった。

 その場所にも水飲み場と机が設置されていて、小部屋に罠がないことは女騎士ドライツェーンが調べて確認済みである。

 部屋の外の通路には察知の術式札が複数枚張ってあり、魔物が通れば反応してフィーアがすぐ気がつくようだ。

 

 モーリィはスープを作るために、携帯用のコンロと鍋を使い湯を沸かした。

 

 小部屋の飲み水をモーリィは使わなかった。体に有害な成分が含まれている可能性もあり、地下ダンジョンの水を使うのは手持ちが全部なくなってからだ。

 空になった水筒に水飲み場の水を入れる。ダンジョンを出てから騎士達に試し飲みをしてもらい、半日以上たって異常がなければ安全な水だと分かる。

 

 聖女モーリィは騎士達で人体実験をしようと考えていた。砦思考の汚染が完全に終了していた彼女には、非道な行いであるという自覚は全くなかった。

 

 背嚢から粉の入った袋を取り出す。

 

 モーリィが数種類の野菜を乾燥させ粉末状にし、調味料とブレンドして作った携帯食スープの元だった。鍋の中に削った乾燥肉と一緒に入れ沸騰させから人数分のコップに注いだ。

 

 騎士達が使う携帯食のスープを参考にした自作品。

 

 その参考にしたスープだが、闇の森捜索で初めて飲んだ際にあまりの不味さにモーリィは吐き出しそうになった。だが周りの騎士達は普通にスープを飲み干しており、味覚の狂った彼らを見ながら半泣きで飲んだのだ。

 

 周辺警戒任務中は塩分がやたらと濃い乾燥肉や、歯を尖らして武器化させるのが目的なのではと思えるような硬い乾パン、そして凄まじく不味いスープを飲んでいる騎士達がモーリィは哀れになった。

 

 せめてスープだけでも美味しいものをと開発したのだ。

 

 とはいえ王国も砦の騎士達を味覚音痴にして、安い食料(ぶたのえさ)で養うために不味い携帯食を提供しているのではない。決して砦の騎士達のように、いっぱい食えれば構わないという連中(ぶた)に味なんて理解できないし二の次でいいでしょう。というわけではない……たぶん。

 

 モーリィ自作の携帯スープは作るのに手間が掛かり、長期保存の観点からもとても完成品とはいえないものだ。味はかなり向上しているが少し割高になってしまう。色々と試作段階だが、今回はいい機会に持ち込んでみたのだ。

 

 ダンジョンの中で食事。

 モーリィはキャンプみたいだと少しだけ楽しくなった。

 

 ミレーとツヴァイはスープを受け取ると嬉しそうにごくごくと飲み干し、そしてモーリィにお代わりを要求する。二人は何度か治療部屋で試し飲みしていて美味しいことを知っているからだ。

 

 それ以外の三人は携帯スープは不味い物という認識。

 

 彼女達はミレーとツヴァイを少し不気味そうに見ながら、先にビスケットと乾燥肉を食べた。そして口の中のパサつきと塩味を中和するためにスープを飲んで驚いた顔をする。

 

「あ、あれ、このスープ、何だか物凄く美味しいですね?」

「ええ、凄く……美味しいわ」

「ふふん、そうでしょう、そうでしょう、これモーリィのお手製よ」

「…………えっ!?」

 

 何故か得意げな顔をするミレー。そしてフラン、フィーア、ドライツェーンの三人は慌ててスープを飲み干そうとする。どうやらお代わりをするつもりらしい。

 

 色気より食い気……なんだか分かりやすい人達。

 そう思いながらも、笑顔でお代わりをよそう聖女モーリィであった。

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

「私が気になった点は二つです」

 

 食事も終わり、まったりとした空気の中、フランは切り出した。

 全員が椅子に座ってその言葉を聞いている。

 机にはお茶がだされ、これもモーリィがブレンドした一品。

 

 それを一口飲んだフラン。

 

『あ、あら、美味しいですね……あの、よろしかったらモーリィさん、私の家にお嫁さんに来ませんか?』

 

 などと突然に物議を醸すことを真顔で言いだした。

 

 第五騎士隊隊長のフランシス女史は、お金はあるが家事が壊滅的に苦手な女子だった。その発言に黙っていられないミレーとしばらく話し(じゃれ)合いになってしまう。

 

 モーリィとしては素で天然そうなフランに何と答えていいのか分からず、困った時の曖昧な微笑み(アルカイックスマイル)。最近の聖女は問題を先送りにすることが本当に増えた。

 

「一つは光る壁です。このようなものは、どのダンジョンでも、そして王宮や魔導士の研究所でも見たことがありません」

 

 女騎士は三人とも重々しく頷く。

 モーリィとミレーは「へぇそうなんだー」とあまり重要に思っていないようだ。この二人いつもながら、今回はやたらとのんきである。

 

「確かに……変だったわ」

 

 そう答えたのはフィーア。

 特別宿舎でよく話すモーリィと違い、普段はあまり絡みのない彼女の発言にミレーは興味を惹かれ聞き返す。

 

「変ってどういうこと?」

 

 フィーアは何かを言いかけ、フランに視線を送る。

 フランは頷き、引き続き説明をすることにした。

 

「ダンジョンには大きく分けて二種類あります。まずは天然のダンジョン。これはダンジョンコアが地形を浸食してダンジョンが形成します」

 

 彼女はちらりと部屋の周囲を覆う光る壁を見た。

 

「もう一つは建築物がダンジョンコアを得てダンジョン化してしまった場合。どちらのダンジョンも、自然物や構造物がそのまま使われます」

「えっと……?」

「ようするに、魔術を使用した仕掛けならともかく、建築技術以上の構造や仕掛けは普通はないという事です」

 

 フランの発言に、モーリィも遅れながら気がついた。

 そう、光る壁には魔術的な反応は全く感じなかったからだ。

 

「つまり、光る壁は現在の技術ではあり得ないと?」

「ええ、その通り。私はこのようなものは聞いたことがありません。この建造物はいつの時代に作られたものか、どんな技術を使われているのか皆目見当がつきません」

「………………」

「光る壁……これを作れる高い技術力をもった文明が、人魔大戦以前にあったとは到底思えないのですよ」

 

 フランの口から出た人魔大戦という言葉に全員が沈黙する。

 

 四百年ほど前におきた人族と魔族の大戦争。

 

 その戦争を経験した長寿の種族の者達は黙して決して語らない。

 それ故に御伽話という形で断片的に細々と伝承されているのみ。

 

 魔族に突然現れた『影操りの魔王』もしくは『闇竜の支配者』と呼ばれた魔王。

 悪逆非道で超常的な力をもった邪悪な魔王により引き起こされた大戦争によって、平和だった世は終わりを告げ多くの者達が戦乱に巻き込まれた。

 

 その結果この世界からいくつもの国と種族が消えてしまったのだという。

 

 モーリィは不思議なことに、ご婦人方に頼まれて作った化粧水を飲み物と勘違いして全部飲んでしまい、酔っぱらった魔族の女性を思い出した。

 

 酔っぱらう成分なんて何も入ってなかったはずなのに安上がりな人である。

 

 魔王が最後にどうなったかは不明だが、伝承によるとある国が召喚した勇者と相打ちとなって滅んだとされている。

 

 ある国とは以前に闇竜の大暴走でやらかしてくれた宗教国家なのだが、何かあるとその話をして権威を振りかざし主導権を握ろうとする姿勢には、周辺国家もハイハイ凄い凄いと呆れ気味であるらしい。

 

 大戦時に消失した技術も少なからずありそうだが、博識な女騎士達は元より砦街の生き字引と言われるフランですら知らないのは普通ではない。

 

 明らかに今までにない高度な技術。

 世紀の大発見かもしれない。

 

「そ、それじゃフーさん、もう一つの気になった事ってなに?」

 

 ミレーもことの重大さに気づき驚いているようだ。

 フランを小さい頃の癖で砦街のフーさん呼ばわりするくらいに。

 砦街っ子、よくあるあるであった。

 それに少しだけ微笑みながらフーさんことフランは話を続けた。

 

「もう一つは出てくる魔物ですね」

「魔物? ゴブリンもオークもどこも変わってないように見えるけど」

 

 冒険者経験のあるミレーは当然ゴブリンやオークと何度も戦ったことがある。オークに至っては大得意といっていいほど潰して……討伐してきたのだ。

 その彼女からしても今まで出てきた魔物達に変わった点は見当たらなかった。

 

「はい、魔物自体には何も変わりはありません、ただ配置が不自然なんですよ」

「不自然……う、うーん、モーリィわかる?」

「魔物の配置かぁ、そう言えば一定の間隔で魔物が出てきてましたね」

「あ、言われてみれば確かに!」

 

 モーリィの指摘にミレーも気づき手を打ち鳴らす。

 

「ええ、それもありますがミレーさん。出てくる魔物が階層ごとで、ここまではっきりと別れているダンジョンは経験がありますか?」

「ううん、普通はゴブリンとかオークは同じ階層に出てくる事が多いかな」

「その通り、これらは危険指定を受けたダンジョンに共通している現象です」

「フランさん、それって……?」

 

 モーリィとミレーの不安げな視線。

 女騎士達も無言でフランを見た。

 やがてフランは自らも確認するように語りだす。

 

「この階層に入ってから確信しました。恐らく、このダンジョンには魔物を制御している存在がいるはずです」

 

 魔法剣士フランは重々しく告げた。

 

「それは、ダンジョンマスター」

 

 ダンジョンマスター……ダンジョンコアが意思をもち変化し生まれる特殊な魔物。

 

 それは当然ダンジョンコアそのもの。

 

 話し合いは通じずダンジョンを人の手で管理維持することが不可能になり、危険な状態となるために封印、つまり討伐しなくてはならない対象。

 ダンジョンマスターが発見された場合、どんなに資源の出るダンジョンでも直ちに大人数の討伐隊が編成されダンジョンマスターは排除される。

 

 ダンジョンマスターを放置すれば得られる資源以上の損害を被るからだ。

 

 そして今まで確認されたダンジョンマスターは、どれも闇の竜と匹敵するほどの強さを秘めた魔物だった。



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砦のダンジョン その5

 モーリィが……。

 

 探索中に気がついたこと、発見したことを各自が報告していく。

 モーリィも二階層に入ってから聞こえてくる声の話をするが、答えを出す手かがりはなく謎のままだった。

 

 話し合いの後、フランは地上に帰還する決定を下した。

 

 探索によって知り得た情報、ダンジョンにダンジョンマスターが存在する可能性があると、砦に伝えることを優先したのだ。

 戻る支度を整え、小部屋を後にして一人づつ扉を潜り通路へと出る。

 異変が起きる、モーリィが扉を抜ける途中で、体だけが空気に溶けるように消えてしまった。

 

 聖女モーリィはその場から消えてしまったのだ。

 

 後ろにいたミレーとフランの二人には聖女が転んだように見えた。

 ミレーが起き上がるのに手を貸そうと視線を向けると、モーリィの姿はどこにも見当たらず、ただ彼女の身に纏っていた装備品だけが床に散乱していた。

 音に気がついた女騎士達が見たのは、床に散らばるドレスと背嚢、そして驚いた表情で固まるミレーとフラン。

 

「モ、モーリィ!」

 

 ミレーの悲鳴。フランは直ぐその場の魔力反応を調べようとした。

 だが女騎士フィーアの静かな、しかし、ひっ迫した警告が遮った。

 

「オークじゃない……大きい、別のものが来るわ」

 

 通路に仕掛けておいた察知の術式札に魔物が近づく反応があったのだ。

 女騎士は全員が武器を同時に抜いた。

 

「……ミレーさん、モーリィさんを探すのは後です。魔物が来ます!!」

「え、は、はい!」

 

 フランの叱咤に近い呼びかけにミレーは我に返った。

 彼女はすぐさま意識を切り替える。

 一時期は冒険者をしていたこともあるミレーだ。

 迷いは失敗を誘発し、命を脅かす危険があることを十分承知していた。

 今は目の前に危機に集中するべきだろう。

 

 モーリィの荷物を跨ぐようにして通路に出ると、重たい足音と唸り声が近づいて来る。

 

 そして、彼女達の前に魔物が姿を現した。

 

「うそ……」

 

 呆然と呟くミレー。

 

 それは一つ目のサイクロプス、巨人族に属する魔物。

 

 人族の若い女や子供を好んで貪り食うとされる凶悪な巨人。

 探索班で一番背の高いツヴァイよりも一回りは大きい巨体。

 太い腕には木をそのまま削り出したような巨大な棍棒。

 一体でも王都騎士が五、六人掛かりではないと倒せないとされ、恐るべき力を秘めた魔物だった。

 

 それが通路を塞ぐように三体も現れたのだ。

 

 巨人達の餓えた獣のような視線が彼女達に降りかかる。

 獣欲……食欲だろうか、乱杭歯の生えた歪んだ口からは涎が垂れていた。

 肉がみっちりと詰まった鋼のような体、凄まじい威圧感だ。

 

「倒しますよ……!」

 

 フランが硬い声で指示を出し、直ぐさまに魔術の詠唱を開始する。

 彼女の周りに構築される術式、全員がうなずくと戦闘に入った。

 

 聖女を欠いたままで、巨人との戦いが開始されたのだ。

 

 

 先制は詠唱を終えたフラン。

 宝石が付いた左手の小手が光り、解放された術式が展開、魔術が発動。

 

 詠唱術式【移動の束縛】

 

 途端に一番後ろのサイクロプスが、見えない手で足を掴まれ、地に縫い付けられたかのように動きを止めた。

 歯を剥き出し唸り声を上げているところを見ると、決して自らの意思ではないことが分かる。

 

 フランはサイクロプスに魔術が抵抗されず掛かったことに安堵する、荒い息を吐きながら次の魔術の詠唱に入った。

 怒り猛り、雄叫びを上げるサイクロプス達。魔術を使わせまいと、フランを攻撃するために地響きを立てながら突っ込んできた。

 

 悠然とした動きで、その前に立ち塞がる女騎士ツヴァイ。

 

 衝突、中身の詰まった、鉄同士がぶつかるような重高い音が鳴る。

 彼女と巨人達との重量差はかなりのもののはずだ。

 だが、小山のような二体のサイクロプスの突進を、ツヴァイは一歩も引くこともなく手に持った盾だけで完全に受けきってしまった。 

 単純な腕力に頼らない高い技量、ツヴァイの見事な盾さばき。

 

 女騎士は巨人達に騎士系列クラスが持つ特殊能力を使用する。

 

 特殊能力【敵意の誘導】

 

 ツヴァイの腕から出た鎖形状の魔力の光が、巨人達に絡みつきスッと消えた。

 サイクロプスはツヴァイを攻撃するように強制的に意識を誘導される。

 タウント、自らを盾として仲間の身を守る能力。

 まさしく騎士系の真骨頂というべき特殊能力だった。

 

 詠唱術式【保護の盾】

 

 それを読んでいた白魔導士ミレーの魔術が完成。

 耐久力を向上させる保護の魔術がツヴァイに掛かる。

 薄っすらと光る女騎士ツヴァイの体、これにより彼女は不沈の城塞と化した。

 獣のような声を上げながら、ガンガンと振り下ろされる巨人達の重い棍棒。

 盾で受け止め、剣で受け流す。

 しかし見た目のほどの余裕はない、ツヴァイの貴公子然とした顔に汗がにじむ。

 

 暴風のような攻撃にさらされるツヴァイの背後に、影のように潜んでいたのは女騎士フィーア。まるで散歩でもする気軽さで歩み出ると片側のサイクロプスに双剣を走らせる。わずか一瞬の意識の外を突く動き、巨人は彼女に気づいてもいなかった。

 

 足の健を狙っての斬撃、剣に伝わる硬い感触。

 一刀目ではサイクロプスの強靭な皮膚を切り裂くことは叶わなかった。

 攻撃を受けたサイクロプスがようやく気がつく。

 だが焦りはない、フィーアの白皙の美貌は微かに動いただけ。

 細めた目で間髪入れず、全く同じ箇所へと二刀目の斬撃を放つ。

 

 切断、血飛沫が舞う。

 

 正確無二な双剣による連撃は見事にサイクロプスの足の健を切り裂いた。

 片足を深く切られ絶叫しながら倒れ込む巨人。

 凄まじい刀剣術、しかしそれを成したフィーアは誇るでもなく、倒したサイクロプスには興味もないとばかりに奥で束縛されている巨人へと向かう。

 

 侮辱を感じたのか、地面に倒れたサイクロプスが怒りの叫びを上げ、起き上がろうとする。しかしそれは叶わない。

 女騎士ドライツェーンが音もなく忍び寄ると、倒れた巨人の背中にトンっと飛び乗り、鋼のような太い首筋に全体重を乗せた小剣を突き刺して延髄を切断したのだ。

 

 仲間を倒されたことに気付いたサイクロプスが雄たけびを上げる。

 ツヴァイを打ち付ける攻撃が激しさを増した。

 押される盾もつ女騎士。

 そのタイミングで、フランの次の魔術が完成。

 彼女の持っている反り返りのある片刃に紫電が宿る。

 フランは巨人の元へ走り出した。

 

 詠唱術式【雷の剣】

 

 女騎士ツヴァイは魔法剣士フランの動きに気がつく。

 隙を作るため、盾を振り上げサイクロプスの視界を奪うように殴りつけた。

 文字通り面食らう巨人だが致命傷には程遠い。

 棍棒を振り上げてツヴァイに反撃しようとする。

 だがそれよりも早く、女騎士の横から魔法剣士の剣が鋭く突き出された。

 

 フランの細剣はサイクロプスの強靭な胴体に、微かに突き刺さる。

 

 刀に纏わりついた紫電が爆発するように弾けた。

 サイクロプスの体を中心として不規則な光が生じ放電する。

 周囲を照らしながら蹂躙する雷、焼け焦げていく巨人の肉体。

 無数の虫が鳴き重ねるような不快な音が鳴り響き、そして唐突に止んだ。

 

 そこには、全身から煙を登らせて立ち尽くす巨人がいた。

 息を止め見ていたフランは、ようやく息を吐いた。

 

 明確な勝者と敗者。勝敗はついた……ように見えた。

 だが、サイクロプスはまだ生きていたのだ。

 

 閉じていた一つ目のがくわっと開くと、フランの細剣を太い指で鷲掴みにし強引に引っ張る。恐るべき生命力、恐るべき魔物だった。

 

 体勢を崩し前のめりになるフラン。その頭上に振り下ろされる致死の棍棒。

 疲労で動けず、恐怖に顔を引きつらせるハーフエルフ。

 刹那、女騎士ツヴァイが腕だけを伸ばし、ぎりぎり盾で受け止める。

 棍棒と盾がぶつかり、激しい音が鳴る。

 流石の女騎士でも、無理な姿勢からでは威力を受け止め切れず、片膝を地面についてしまう。それを勝機と黒焦げのサイクロプスは再び棍棒を振り上げた。

 

 そこまでだった。

 背後からドライツェーン。

 

 彼女はサイクロプスの巨体にスルスルとよじ登り、肩車でもしてもらうように太ももで首を挟むと、大きな一つ目に小剣を突き刺したのだ。

 眼球が割れ、どろりとした液体と血が噴水のように噴き出る。

 棍棒を落とし巨人は絶叫する。

 小剣を残したまま、猫のように地面に転がり降りるドライツェーン。

 

 顔を押さえ暴れるサイクロプスに、渾身の力で振ったツヴァイの盾が直撃した。

 彼女の攻撃は巨人の顔に刺さったままの小剣の柄に当たり、釘打ちのように深く頭部の奥まで押し込んだ。

 高い生命力を持つ巨人、しかし頭の内部を直接攻撃されたのではひとたまりもなかった。

 

 地面を揺らし、倒れる巨人

 安堵の息を吐く四人。

 

 剣戟の音が聞こえた。

 視線を向けると、女騎士フィーアがサイクロプスを一人で相手取っていた。

 魔術による拘束が解けるのを見越して引きつけていたのである。

 

 余力のあるミレーが丸盾を投げ捨て援護するために走り出した。

 

 小柄な体が低い姿勢で、風のように疾走する。

 巨人を視認する。最後に残ったサイクロプスは、フィーアの斬撃を何度も体で受け大量の血を流し動きが鈍っていた。

 

 ミレーはアレをやる覚悟を決めた。

 

 走るミレーの体が魔力の過剰供給によって光を放つ。

 メイスの柄を握り両拳で締め、弓の弦を引くように限界まで体に力をためる。

 ぎっぎっと鋼が鳴く。鳴かないはずのそれが鳴く。

 巨人の足元に小柄な体は滑るように潜りこんだ。

 吼える、ミレーは吼えた。

 忍び寄る死に、ようやく気づくサイクロプス。

 だが手遅れ、床を擦るスレスレで振るわれるメイス。

 その軌道はまさに死の鎌。

 光をまとい、鉄杭と化したメイス。

 ミレーが振るったそれは、突き刺さる。

 巨人に突き刺さる、狙いたがわず突き刺さった!!

 

 サイクロプスの一つ目が限界まで開き、眼球は零れんばかり。

 

 ミレーのメイスはサイクロプスの股間のアレをアレしていた。

 

 

 場の空気が一瞬で凍りつき静寂が支配する。

 サイクロプスは股間を押さえて口から泡を吹きだす。

 そして……前のめりに重い音を立ててゆっくりと崩れ落ちる。

 

 倒れる巨人を背にミレーは静かに床に膝をつくと、祈るように、感謝するように目を閉じてメイスを高々と天に掲げた。

 

 ――潰しのミレー!!

 

 ミレー以外の四人はその凄惨な光景に心の中で叫んだ。

 何故モーリィが、メイスの素振りするミレーを嫌そうに見ていたのか理解した。元男ならミレーさんと言いながら股間を押さえたくなる光景だろう。

 

 近くにいたフィーアがサイクロプスの首筋を速やかに切断し止めを刺す。

 幸薄そうな顔には、男に一定の知識と理解のある女としての哀れみがあった。

 

 三体のサイクロプスは泥のように溶けて無くなりダンジョンに吸収される。

 ダンジョンの魔力により生まれた者は、命無くなればダンジョンに帰るのだ。

 拳大の魔石が三つ残る、巨人を形成していた核だった。

 魔道具の作成にも使われる希少素材。

 この大きさであればかなりの高値がつくだろう。しかし彼女達にはサイクロプスに無事勝てた喜びこそあれど、魔石を得たことに対しての喜びはない。

 

 何故なら聖女モーリィがいないからだ。

 

「フーさん、直ぐにモーリィを探しましょう!」

 

 怪我をした者がいないことを確認したミレーはフランに声を掛ける。

 少し考えこんでいたフランはうなずき、床に落ちているモーリィの装備品を回収し全員で手分けして調べることにした。

  

 ツヴァイが戦闘の余波で遠くに転がったブーツや背嚢を回収していく。フィーアが通路に察知の術式札を貼り直す。ドライツェーンが周囲の警戒をしながら床と壁を注意深く調べる。

 

 フランは小部屋の扉付近を調べ、魔術を行使した痕跡が全くないことに気づく。

 そして漆黒の喪服ドレスを手に持つと迷うような表情を浮かべた。

 

 ミレーは床を這いつくばり目を凝らして調べていた。

 捜索をするために役に立つ技能を彼女は習得していない。

 しかし、モーリィが無事なのか不安で心配で、少しでも手かがりがつかめないかと必死で調べていた。

 

 そんな時にミレーは重大な物を発見してしまう。

 そして判断に迷っていた。

 

 発見して思わず拾ってしまった。

 

 ……モーリィの乳当て下着をどうしようかと。

 

 調べてみよう。まずは鼻に押しつけて、すーすー、はーはー。

 大変よろしい香り……いや匂いがして、大変たまらんかった。

 胸に当てて試してみる。

 ガポガポ、大きい、なんか色々と捗りそう、素敵。

 

 ……こ、これ、こっそり持ち帰っちゃだめかしら? 

 

「すいません。ちょっといいですかミレーさん」

「はっ! ち、違います。匂いなんて嗅いだりしてません!」

「……は、はい?」

 

 ミレーは咄嗟に乳当てを背後に隠した。

 挙動不審な彼女の態度に、フランは思わずきょとん。

 

 ミレーは誤魔化すように咳払い。

 

「な、なんですかフーさん?」

「ミレーさん。貴方達もですが、これから行うことは他言無用でお願いします。本当はモーリィさんへの保険で、出来れば使いたくはなかったのですが……」

 

 フランはエルフ特有の長い耳を垂れ下げていた。

 その様子、あまり人には知られたくないことらしい。

 こんな時である、全員がフランの言葉に同意した。

 

「わかりました。でも一体何をするつもりなの?」

「魔力では、魔術的手段ではモーリィさんの居場所は恐らく探れません。ですので封印を解き彼女に辿ってもらいます」

 

 彼女? 四人の疑問をよそに、フランは漆黒の喪服ドレスを持ったまま魔術の詠唱をゴニョゴニョと始める。

 ミレーは元より女騎士達さえもしらない魔術だった。

 フランは詠唱を終えると、最後に豪奢で清楚な漆黒のドレスに呼びかける。

 

「……影さん(・・・)お願いします」

 

 フランは漆黒の喪服ドレスを天井に向かってそっと投げた。

 ドレスは空中でぴたりと停止。

 途端にドレスの裾から影が滲むように周囲に溢れ出る。

 触手のような影が捻じれ絡み歪んで伸びた。

 蠕動するさまは、まるでミミズのようだった。

 

 しばらく怪しい動きを繰り返し、影はドレスの中に全て戻る。

 

 喪服ドレスは彼女達の方に振り向くと、腰を落とし両手を広げ人間のように挨拶。それは淑女の嗜みカーテシー。

 

 その光景に目を丸くするミレーと女騎士達。

 

 魔術的な魔導具であれば四人ともこれほど驚かなかっただろう、だが喪服ドレスからは魔力の反応が全くなかったのだ。

 

 フラフラと軟体動物のように空中で揺れるドレスを指さしミレーは質問した。

 

「フ、フーさん、こ、これ一体何なの!?」

「彼女の名前は影さん……そして、フフ」

 

 フランは答え、どこか誇らしげな口調で続ける。

 言いたくても言えなかった自慢を人にする、子供のように無邪気な笑顔だった。

 

「人魔大戦時に私の従姉(・・)、影操りの魔王が纏っていた婚礼衣装です」

 

 影さんこと漆黒の婚礼衣装は照れたように、口元を隠す(・・・・・)上品な仕草をしたのだった。



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砦のダンジョン その6

 モーリィは『クロエ』と呼ぶ声を聞いた……。

 

 小部屋の扉を潜り抜けた時、まるで水の中に入るような抵抗を感じた。

 

 予想もしない負荷に姿勢を崩し前のめりになる。モーリィが顔を上げるとそこは見知らぬ広い空間だった。先に通路に出たはずの女騎士達は見当たらず、後ろを振り返ってもミレーやフランの姿はない。

 

 通り抜けたはずの扉も無く背後にあるのは壁だけ、明らかに現在の場所が変わっていた。モーリィは混乱しながらも辺りを見回す。何も無い大部屋だった。

 

 モーリィは体の軽さに気づき自身の姿を見下ろして驚愕する。

 

 背嚢をどころか一糸まとわぬ姿になっていたのだ。

 裸体に豊かな胸がさらけだされ、首後ろを縛っていた紐も無く白銀色の髪も流れるままに零れている。身に着けていた装備品はどこにも見当たらなかった。

 肌寒さ、そして羞恥を感じ腕で体を抱きしめ前かがみになる。

 

「体だけ、この場所に転移させられた?」

 

 あまりにも絶望的な状況に呆然とつぶやく。

 ズキンッ、突然の頭痛、モーリィは頭を押さえた。

 ……ジンジンとする痛みが続く、強制的な転移をさせられた影響だろうか。

 

 聖女の力を使うも痛みは引かない、唯の体調不良、そのことに少しだけ安堵する。

 治癒魔術で治せるのは外的要因による肉体の損傷のみ、聖女の力も同じで病気や体調不良など治癒出来ない。つまり頭痛は、魔術的な呪いではないということだ。

 

 モーリィがもう一度部屋を見渡そうとしたその時、部屋の中央に強い光の点滅が生まれた。警戒心を覚える。

 

「魔法陣? でも、こんな形は見たことない?」

 

 光は不思議なパターンを宙に描いている。

 

 それはモーリィが知っている既存の魔法陣の形状とはあまりにかけ離れていた。魔力は全く感じないが、何かが起ころうとしていることだけは理解できる。焦りを覚える、しかし仲間はおらず装備もないモーリィには恐怖し怯えて見守るしかなかった。

 

 何者かが転移をしてきた。

 

 光が収まり現れたのは、恐るべき美貌をもった少女だった。

 モーリィよりも二つか三つほど年下に見える。

 黄金律の整った顔立ち、漆黒の黒髪に万年雪のような白い肌。

 頭部に二本の角と臀部からは床まで垂れ下がる長い尻尾。

 明らかな異形、だがモーリィには完成された美しさに感じられた。

 

 身に纏っているのは複雑な刺繍が施された華美な黒いドレス、しかし少女の可憐さの前では添え物でしかないだろう。

 モーリィは警戒することも忘れ少女の美しさに、唯々見惚れた。

 気品すら漂う少女は、閉じていた目を薄っすらと開く。

 

 途端に、知り合いの赤髪の魔族女性と同等の、あるいはそれ以上の生命力を少女から感じた。モーリィの緩みかけた警戒心が再び高まっていく、不意にある存在に思い至り無意識に呟いてしまう。

 

「ダンジョン……マスター?」

 

 その声に反応したのかゆっくりと少女は立ち上がった。

 美しいまぶたを完全に開くと、現れたのは深紅色の宝石のような瞳。

 その目が、全裸のモーリィを捉えた。

 異形の少女はモーリィを完全に認識する。

 目を細め、血の色艶を持つ唇をつり上げ笑った。

 少女はモーリィを見つめたまま、にいっと笑ったのだ。

 

 圧力をともなった視線だった。モーリィの裸体を爪先から頭へと、そして髪の毛の一本一本までも、少女は舐めるように、観察するように見ている。

 モーリィは悲鳴も出せず、恐怖で身を竦ませた。

 はっきりと悟る、原始的な恐怖、明確すぎる捕食者と被捕食者の関係。

 

 モーリィの視界が粘度のようにぐにゃりと歪む。短時間での緊張の緩急が肉体と精神を疲労させていたのだ。酷い頭痛と寒気に立っていることすら困難になっていく。呼吸が早くなり汗が滲んで吐き気が込み上げる。体を支えきれず膝を落とした。

 

 モーリィの豊かな双丘が、動きに追従して揺れる。

 

『……クロエ……』

 

 聖女は薄れゆく意識の中、あの声をまた聞いたのだ。

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

 夢を見ていた?

 

 薄暗い部屋で佇むのは一人の女性。

 窓から入る月明かりに照らされるのは、白銀色の髪と空色の澄んだ瞳。

 儚さを感じさせる顔立ち……鏡に映った自らの姿を見ているのかと思った。

 だが違う、その人は現在のモーリィより年上で、体つきは華奢だが女性らしく丸みをおびたものであった。

 

 覚えたのは泣きたくなるような懐かしさ。

 

 彼女はベッドの横においた椅子に座っている、その表情は穏やかで優しい。ベッドの中には彼女とよく似た面影をもつ白銀髪の幼子が寝ていた。

 

「……今夜して欲しいお話はあるかしら?」

「魔王とお姫様の話がいいなぁ」

「あら、それは昨日もお話したでしょう?」

「うん、でもまた聞きたい」

 

 女性は困ったように微笑むと幼子の頭をそっと撫でる。

 間違いない、彼女は母アイラ・モルガンだ。

 モーリィが故郷を出てきた時も年不相応の若々しい見た目だったが、それよりも若い頃の姿だろうか。

 

 アイラは細い人差し指を自分の唇に当て、しばらく思案。

 

「それじゃあ、今日は魔王が旅立った後の少女のお話をするわね」

「えー魔王いないの?」

「いないけど、アナタも気に入るお話だと思うわよ?」

「うーん、じゃ、そのお話きかせて!」

「ふふ、では、お姫様と帰れなくなった悪魔のお話です」

 

 アイラは題名を言うとモーリィ(・・・・)に御伽話を語りだす。

 

「その少女は小さい王国のお姫様。彼女の名前はクロエといいます。そして家に帰ることが出来なくなってしまった悪魔の名前は……」

 

 そこでアイラはモーリィ(・・・・)に視線を向けた。

 

 驚く、彼女は認識している、明らかにモーリィの存在に気づいているようだ。

 そこで初めて疑問が生じる、この女性は果たしてアイラなのだろうかと?

 彼女はモーリィのようでありアイラのようであり、そのどちらでもない。

 

 ……彼女は聖女モーリィに語り掛ける。

 

「お願い……彼女を救ってあげて、私が交してしまった約束を、信じて待っていてくれた優しい彼女の名前は……」

 

 

 ――――――

 

 

 モーリィはゆっくりと目を開く。

 

 硬い板のようなベッドに寝かされていた。しかし不思議と寝心地は悪くなく、むしろいつまでも寝ていられそうだ。

 意識を覚醒させるように首を振る、上半身をわずかに起こして辺りを見回した。

 相変わらずの光る部屋、何もない広い空間にベッド一つだけが置かれている、奇妙な寂寥感があった。

 

 モーリィを苦しめた頭痛はすっかりと消えていた。

 

 寒さは感じない、優しい布触り、服を着せられていることに安堵する。

 誰が着せてくれたのか……あの謎の少女だろうか?

 

 気を失う前の記憶がわずかに戻ってくる。

 

 モーリィは禍々しくも美しい少女とこの場所で出会ったはずだ。

 少女の目は、例えるなら獲物を狙う肉食獣のものだった。

 そう……モーリィが今までの人生で何度も見てきた目だった。

 不意にミレーの顔が浮かぶ、まさかと思う気持ち……どうにも嫌な予感がする。

 

 

 音もない静かな空間。

 

 モーリィは何をするか迷い、まずは着ている服を確認してみることにした。

 薄い白布を重ね合わせた作りのドレス、長袖だが首と肩が大胆に露出しておりスカートは太ももの中ほどの長さしかない。

 

 肌感覚から下着をつけていることは分かった。

 

 胸元を指で引っかけて覗いて見ようとするも、どういう構造なのか胸周りはきっちりとガードされていて見ることが出来ない。

 そこでスカートの裾に手を取りを少しだけ捲ってみる……すぐに下した。

 見てはいけないものを見てしまった気分だ。

 何やら、やたらと複雑で精緻な刺繍の施された下着だった。

 

 素晴らしく手間が掛かっていそうな裁縫。

 使われているのは絹などの高級素材。

 多分、高貴なご婦人方が着けるような超高級品。

 

 以前、女物の下着を揃えた時、男物にくらべて高すぎる値段に、付き添ってくれたターニャに愚痴を零したことがある。彼女は言うにはこの程度の額は普通で、高貴なご婦人方が着ける物の中には、庶民の月給が飛ぶような品も珍しくないらしい。

 

 それを聞き、信じられない世界だと恐ろしさを感じたものだ。

 

 体を震わせる、心臓に悪いことを考えるのは止めよう思った。

 ヘンテコなドレスだが着心地は良い。体を束縛せず、生地は軽く一瞬着ているのか分からなくなるぐらいだ。スカートの丈が短すぎるのが少々いただけないが。

 

 床に下りようとして、靴らしきものが置いてあるのに気づく。

 恐々と足を通すと、モーリィにあつらえたかのようにピッタリだった。

 

「起きたのねクロエ。体の方はもう大丈夫かしら?」

「わぁ!」

 

 モーリィは突然背後から声を掛けられ、驚きのあまり飛び上がってしまう。

 

 慌てて振り向くと、漆黒の髪の少女がいつの間にか立っていた。

 彼女はわずかに頬を染め笑顔を見せる。

 モーリィが気を失う前に見た美しい少女だ。

 最初に見た禍々しい雰囲気は微塵も感じられない、それどころかモーリィに対してかなり友好的のように見える。

 

 頭部の角のように見えた細い三角形は、よく見れば髪の毛と同じ黒色の獣の耳で、臀部から出ている、ピンと立つ尻尾も黒い毛に覆われて太く長かった。

 幼いが勝気そうな美貌。しかし上目使いでモーリィをうかがう様子はまるで愛らしい小動物、黒色の長耳のリスを思わせる。

 

 彼女が着ている黒いドレスは、モーリィが着ているドレスと同じような形状で、傍目で見るとかなり扇情的に見えた。モーリィは自分がドレスを着ている姿については考えないことにした。

 

 背丈はミレーと同じかわずかに低いくらいだろうか。見た目からは獣人種だと思うのだが、彼女のような種族は雑多な人種が集まる砦街でも見かけたことがない。

 それに、少女からは常人では考えられない、あふれる生命力を感じる。

 

 モーリィが黙っていることに不安を覚えたのだろうか、少女は心配そうに話しかけてきた。

 

「どうしたのクロエ? やはりまだ具合がよくないのかしら?」

 

 聞き覚えのある、鈴のような声。

 ダンジョンでモーリィだけが聞こえていた声。

 クロエと何度も呼びかけてきたのは、どうやら彼女のようだ。

 

 モーリィは意を決して尋ねてみることにした。

 

「あの、申し訳ありませんが私の名前はモーリィです」

「あっ……」

「貴女はいったい……何者ですか?」

 

 嬉しそうな様子だった少女は、モーリィの質問に唖然とした表情になる。

 思いもしないことを、思いもしなかった相手に言われたという顔であった。

 

 少女はモーリィを縋るように見る、そして何かに気づいたようだ。

 美しい顔を曇らせ、長い耳と尻尾を力なく垂れ下げていく。

 目に見えて分かる、段々と悲し気になっていく少女。

 モーリィの言葉が引き金だろうか、微かな罪悪感を覚えた。

 

「そうね、しかたないことだわ。クロエの生まれ変わりに会えただけでも信じられない奇跡なのに、そのうえ私のことまで覚えていてくれだなんて贅沢というものよね」

「生まれ変わり……覚えていて?」

「いいのよ。貴女が今ここに居てくれるだけでも私は十分なんだから」

 

 自分を納得させるように言葉を紡ぎ、うつむく少女。

 

 その姿、モーリィは酷く締め付けられる思いがした。何とかして慰めてあげたいと言う気持ちが沸き上がってくる。しかし何をしてあげればいいのか見当がつかない。

 何故、少女のために強く何かをしてあげたいと感じるのか、この気持ちは何処から来るものなのかモーリィ自身、分からなかった。

 

「―――――」

 

 不意にモーリィの記憶の淵に何かが引っ掛かって浮かび上がる。

 

 幼い頃に母アイラが、誰かが語ってくれた御伽の話。

 先程見た不思議な夢。

 モーリィが忘れていた?

 忘れさせられて(・・・・・・・)いた?

 記憶が浮かび上がる。

 

 ――その悪魔の名前は……?

 ――その彼女の名前は……?

  

「……メルティ?」

 

 口から零れ落ちるように出る言葉。

 少女の変化は劇的だった。

 

 沈んでいた美貌は一瞬で朱に赤く染まる。特徴的な長い耳と尻尾はぴんと立ちあがった。そして、ぶるぶると震えながら小柄な体をより小さく丸めると、次の瞬間には泣きながらモーリィに飛びついてきたのだ。

 

「クロエ――――――――――!!」

「わ、わっ、ちょっと!?」

「私の名前を覚えていてくれたのね、クロエ、クロエ、クロエ!」

 

 モーリィの頭を、興奮したように腕で抱きしめる少女……メルティ。

 手だけではなく足も使い、体全体で覆うように抱きついて来る。

 咄嗟にメルティの細い腰に手を回すと、後ろに倒れそうになるのをモーリィは必死にこらえた。

 

 モーリィの顔にメルティの柔らかい胸が当たる。

 

 腰を挟みこむ太ももと甘い体臭の匂い、肩越しにばさばさと体に当たるリスのような尻尾がくすぐったかった。メルティの情熱的といえる抱擁に、女性に対しての耐性が大分ついているはずのモーリィでさえ、恥ずかしさを覚えてしまう。

 

 メルティの意外と大きい胸に挟まれながら、モーリィは必死に声を出した。

 

「あ、あの、メルティさん?」

「ええ、ええ、そうよ、私はメルティ。貴女のメルティよ」

「貴女の……メルティ? え、ええぇ!?」

 

 メルティはモーリィの顔を胸から解放してくれた。

 しかし彼女の太ももは腰をきゅっきゅっとホールドしたままだ。

 うっとりと涙ぐんだ深紅の瞳、そのまま口づけでもされるかと思うほどの熱い眼差し、モーリィは自分の頬が熱く染まっていくのを感じた。

 

 スキンシップの激しさに潤んだその表情……。

 どうやら図らずもモーリィの嫌な予感が的中してしまったらしい。

 

 メルティは今までモーリィに愛の告白をしてきた者達と同じ表情をしていたのだ。肉食獣の顔……悲しいことに告白してきた者の大半は、ミレー以外は全員男だった。

 

 クロエ、クロエと連呼するメルティにきゅきゅと抱きしめられ、すべすべの手で頬をなでなで、肌同士をこすりあわされる。

 

 メルティは本当に情熱的だ。

 このまま行き着くところまで行く前に、言うべきことは言っておこうと思った。

 

「メルティさん、私の胸を揉むのは止めていただけますか?」

「え、い、嫌なのかしらクロエ?」

 

 聖女は、頬を染めた獣人少女に不思議そうに聞き返されたのだ。



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砦のダンジョン その7

 モーリィはソファーに深く埋まるように腰掛けていた。

 

 程よい弾力で作られたソファーは腰全体を包み込むような最高の座り心地だった。

 体重の軽いモーリィが埋まるように座っているのには、もちろん理由があった。それは膝の上に獣人の少女が腰掛けていたからだ。

 そこが自分の指定席とばかりにモーリィに体を預けるように座るメルティ。そのためモーリィのスリムなお尻には二人分の体重が掛かっていたのだ。

 

 何故このような状況になっているのか聖女には分からない。 

 

 メルティに抱きつかれている間に、モーリィが寝ていたベッドは消え、代わりに丸みをおびた白いソファーが出現した。

 座るように言われたモーリィが素直に腰を下ろしたと同時に、メルティの大きいお尻が太ももの上にボフッと乗ってきたのだ。尻尾のせいなのか意外と重たかった。

 

 幼い顔に似合わぬ妖艶さで微笑むメルティは、目を白黒させるモーリィの頬を撫で撫でし始めた。モーリィが男のままだったら確実に骨抜きになっていただろう。

 

 しばらくしてメルティ満足したのか、空中から魔法のように何かを取りだした。

 その小さい手に握られたのは美しいガラス製の容器だった。

 薄く精度の高い作りからして高級品であることは分かる。

 容器に綺麗に盛りつけられていたのは、色とりどりの果実が入ったモーリィが初めて見るパフェという氷菓子。

 

 何よりも取りだした際の魔力反応は無くモーリィはひどく驚いた。

 

「進んだ技術というものは魔術となんら変わらないのよ?」

 

 そのような説明にならない説明をするメルティ。

 モーリィは理解するのは無理そうだと考え、早々に気にしないことにした。

 聖女の母アイラの口癖は『ま、いいか』で、血は確実に受け継がれているようだ。

 

「はい、クロエ。あーんして、あーん?」

 

 メルティは頬を染めながらスプーンですくったパフェをモーリィに差し出し、蕩けるような甘い口調であーんをしてくる。

 長い獣耳はぴくぴくと動き、リスのような尻尾は機嫌が良さそうに揺れていた。

 

 密着する体、メルティの大きい胸がモーリィの胸部装甲に当たる。短いスカートからのぞかせる太めだが健康的な白い太もももは何とも言えず眩しい。

 気の強そうな雰囲気を持つ獣人の美少女。

 そんな彼女が蠱惑的な表情で迫って来るのは中々の破壊力。

 モーリィですら、柔らかい尻肉と触れ合う肌の感触に、久しく忘れていた男性的な情欲を少しだけ感じてしまう。

 

「くふふふふ」

 

 モーリィは少し引きつりながら口を開けてスプーンをパクリ。

 ためらったのは初めて食べるお菓子だからではなく、メルティの熱のこもった視線に見つめられ、あーんするのが恥ずかしかったからだ。あーん。

 スプーンを咥えたままメルティをうかがうと、彼女はうっとりとした笑みを浮かべ、獣耳と尻尾をぶるぶる震わせていた。

 

「くふふ、愛らしいわね、くふふ、一生懸命あーんするクロエ」

「…………………………」

 

 甘いお菓子と、それ以上に甘いメルティの吐息。

 モーリィは不思議に思う、肌が触れ合うことに気まずさを感じるものの、密着していること自体には緊張感がないのだから。

 

「クロエ、美味しいかしら?」

「冷たくて、ほんのり甘くて、とても美味しいです」

「くふふ、よかった、満足してもらえたみたいで」

 

 初めて食べるパフェは味わったことのない食感だった。

 

 どのようにして作ったか不明だが、田舎で冬の時期だけ食べられる果実の汁をしぼった氷菓子に近い、しかし舌に溶けるようなまろやかさは全然違った。

 メルティは嬉しそうに再びパフェをスプーンですくう。

 

 ちなみに彼女には何度も自分の名前を伝えたのだが。

 

『ええ、分かっているわ、今はモーリィと名乗っているのねクロエ?』

 

 訂正するのはあきらめていた。

 それと最初はメルティさんと呼んでいたが。

 

『メルティでいいわ。クロエ、いいかしら? 貴女のメルティ(・・・・・・・)よ?』

 

 念を押されたので遠慮なく呼び捨てにしていた。

  

「味の好みは変わってないわね」

「好みですか?」

「そうよ、クロエはこのパフェが好きだったわ」

「生まれ変わる前の話ですか?」

 

 うなずくメルティ。

 クロエという女性がモーリィの前世であるという話。

 それは気にはなっていた。

 

「実感がないのも無理がないわ。だけど貴女の魂は以前のものとほぼ誤差なく一致している。貴女が……クロエが亡くなった時に少しだけ魂に干渉はしたけど、こうして会えたのは本当に奇跡よ。貴女がクロエの生まれ変わりであることは間違いないわ」

「でも、私にクロエという方の記憶はないですし、正直信じられないですよ」

「いいのよそれでも、今貴女がここに、私の傍にいることが重要なのだから」

 

 メルティは目をつぶると優しい声音で語る。

 モーリィは思う、メルティとクロエは恋人同士だったのだろうかと?

 二人がどのような関係だったのかを聞くのは正直怖い。

 

 どのような関係にしろ、今の男とも女ともつかない中途半端な自分に受け止められるとは到底思えなかったからだ。

 

 そんなモーリィをよそに、メルティが微笑みながらスプーンを差し出す。

 

「はい、それではまた、あーんして?」

「あ、あーん?」

 

 二口目をパクリ、癖のないすっきりとした甘さ。

 苦い食べ物のほうが好きなモーリィの嗜好にも十分に合う。

 半分ほどをパフェを平らげたところで、モーリィは質問するべく口を開いた。

 メルティが雛鳥にエサを与える親鳥よろしく、次から次へと口にスプーンを持ってくるので中々話しだせなかったのだ。

 

「メルティ。少し質問をしてもいいですか?」

「ふわぁ……あ、あら、なにかしらクロエ?」

 

 恍惚とした駄目人間な笑顔を浮かべていたメルティが慌てて姿勢を正した。

 覚悟がいる問い掛けをしようとしていたモーリィは、力が抜けて少しだけ気が楽になった。

 

「えーと、メルティは、その、ダンジョンマスターなのですか?」

「ダンジョンマスター……変異体のことかしら?」

「変異体?」

 

 不安げなモーリィにメルティはくふっと笑う。

 そしてスプーンの先端を宙で遊ばせながら説明を始めた。

 

「私の仲間に四百年まえ観察対象Xによって起こされた厄災で、休眠維持システムに支障をきたし分裂化した者がいてね。本来の姿に戻ろうと中途半端に再生して足りない魔力を得るため、効率よく魔力を集めるられるダンジョンを無数に発生させ、更に魔力が一定量以上たまった個体が変異体……ダンジョンマスターとなったのよ」

 

 ――変異体? 観察対象X? 厄災?

 

 今まで聞いたことのない言葉の羅列、モーリィは話の半分も理解できなかった。

 

「まあ、現状では修復も制御も出来ないし、完全に死ぬわけでもないから放置しているのよ。しかし観察対象Xには本当に参ったわ。召喚術式の破壊だけにとどまらず、S級プロテクトの星系移動術式まで破壊するんですもの。お陰様でN教授率いる観察チーム全員が、この星に足止めをされ救助が来るまで休眠するしかなくなったわ」

 

 メルティが話しているのは、ダンジョン発生の成り立ちとダンジョンマスターの正体、その他もろもろに関してのことだった。ダンジョン研究者、もしくは歴史家ならば世紀の大発見と興奮し感涙しながら踊りだす内容である。

 だが聖女という希少クラス以外は極々一般庶民のモーリィには何の感慨もなく、理解不明の宇宙人語にぽかーんとするしかなかった。

 

 必要なものが必要な時に必要な場所にはない、世の中というものは大抵においてそんなことの繰り返しである。

 

「観察対象X……あれの測定は不可能。でも魔力換算で計算すれば――なんて鼻で笑えるほどのエネルギー値を出している。魔導リアクターも――の支援も無しの個体であれ程の力を持つ存在は――ラインを突破した種族でもまずいない、下手をしたら生身でR級バトルシップ同等の最大瞬間出力を出せることに……」

 

 メルティは宙をにらむように目を細めると延々と語り続ける。

 

 彼女が言っていることはモーリィには理解できない。しかし、気持ちよさそうに話しているメルティの邪魔をするのも悪いかと考え、喋り終えるのを待つことにする。それに難しそうなことを話す彼女の顔は、幼い見た目に反し理知的で引き締まり、今まで見た表情の中でも一番輝いていた。

 

 モーリィの膝の上でお尻を揺すって尻尾振り振り、スプーンを指揮棒のように振り回しながら熱弁していたメルティは、しばらくしてから気がつき我に返る。

 途端にばつが悪そうな顔になるメルティ、長い獣耳と尻尾は垂れ下がっていた。

 

 モーリィは優しい表情で微笑んだ。

 

 それを間近で見たメルティは赤面しながらも澄まし顔で咳払いをする。しかし尻尾はぴんっと立ち上がると嬉しそうに左右に揺れだした。

 彼女は魔王(ようじょ)ちゃん並みに分かりやすいとモーリィは微笑ましくなった。

 

「えーごほん、つまり、私はダンジョンマスターではないわ。近いものではあるけど差はそうね……記憶、そして理性を持っていることかしら?」

「では、メルティは暴れて周辺に被害を出したりはしないのですね?」

「まさか、敵対しない限りは私はそのような無意味なことはしないわ。それと何があってもクロエ、貴女の味方よ」

 

 心底胸を撫で下ろすモーリィ。仲良くなれたのにメルティがダンジョンマスターなら戦う可能性もあった。それを何よりも心配していたのだ。

 

 モーリィの不安を見抜いていたメルティはくすくすと笑いだす。

 

「くふふ、クロエは相変わらず優しくて心配性ね」

「ええ、はい……本当によかったぁ」

「と、まあ……長々と語ったけど、要するにダンジョンもダンジョンマスターも四百年前の厄災が原因で出現した不幸な事故の産物てところかしら」

「あ、それで気になったのですが、その厄災てなんですか?」

「ああ…………」

 

 モーリィが質問をするとメルティはまた宙に視線を向ける。

 

 先程とは違い微妙に目が泳いでいて何か言いづらいことらしい。

 やがて彼女は観念したようにポツリポツリと語り出した。

 

「厄災というのはこの星に侵略してきた古き種族の大半を一瞬で蒸発させた、観察対象Xが放った破壊光線のことよ」

「破壊……は、はい?」

「測定不能の謎エネルギー……ううん、厄災については最初から観察はしていたのだけど、起きたことが色々と非常識すぎて私では説明しきれないわ」

「は、はあ……?」

「というか観察対象Xはそれ以外にも、飛び蹴り一発で古き種族の眷属体を万単位で消滅させたりしてるし色々デタラメすぎるのよ!! 超魔王キックてネーミングは何なの! 舐めてるの! ふざけているのかしら!?」

「メルティ?」

 

 余裕のある雰囲気を持ったメルティの初めてみる怒るような口調。

 モーリィはわずかに驚いてしまう。

 

「あ、御免なさい。ええっと取り敢えず、四百年前にこの世界のすぐ外で観察対象Xと古き種族による空前絶後の戦いがあったとだけ言っておくわ」

 

 いい終えるとメルティは不味い物を食べたかのように顔をしかめた。

 彼女的によほど腹に据えかねた出来事だったのだろうか?

 モーリィには話のスケールが大きすぎて御伽話でも聞いている気分だ。

 

 そして戦いという言葉に、モーリィは不意に思い出す。

 ダンジョン内に取り残されたミレー達のことを。

 途端に強い焦りと、自分自身に苛立ちを感じた。

 突発的な状況に流されていたとはいえ、何故今まで気づかなかったのだろうか。

 

「あの、メルティ。私と一緒にダンジョンに入った仲間のことなんですが?」

「くふふ、それなら心配しなくても大丈夫よ」

「みんな無事なんですか?」

「ええ、無事よ。クロエ、ここは元々貴女との契約で開放している場所なのよ」

「契約? 前の……私とのですか? それっていったい?」

 

 メルティは懐かしむように口調で答えた。

 

「色々とあって詳細は省くけど、私は昔クロエに救われたわ。その見返りとして私のシェルターを、このダンジョンを資源収集と訓練所として開放していたのよ」

「訓練場……え、ええ、ここがですか?」

「くふふ、そうよ。タイプS型兵装……えっと魔物達はダンジョンに入ったものを殺さないように設定されているし、仮に致死性の怪我を負っても直ぐにダンジョン内のナノマシンが動いて治癒するようになっているわ」

「ええっと? 要するに、みんなは安全ということですか?」

「勿論よ。それにクロエのお友達は皆強いわね。手加減なしでもここまで直ぐに辿り着くのではないかしら?」

 

 深く安堵するモーリィ。

 

 メルティはモーリィの首に腕をまわし抱きついた。

 突然のスキンシップにどきりとするモーリィ。

 頬に口づけをしそうな近距離で彼女は小悪魔なような笑みを浮かべた。

 

「くふふ、もしかしてその中に、クロエの好きな人がいたり……するのかしら?」

「え…………?」

 

 冗談のようで、それでいて何かを探るようなメルティのささやき。

 

 モーリィの脳内に浮かんだのはミレー……ではなく女騎士のツヴァイだった。

 貴公子然とした彼女の(おんな)前の笑顔と、モーリィに対しての(おんな)前の行動。それと何故か、共同風呂でみた綺麗に六つに割れた腹筋を思い出してしまう。

 

 自身でも予想もしない鮮明な脳内映像に、聖女の頬は一瞬で真っ赤に染まる。

 

 メルティはいきなり花も恥らう恋する乙女(メス)顔になってしまったモーリィに、見惚れて、そして自らの迂闊な発言に深く後悔した。

 

「ク、クロエ……あ、貴女まさか?」

「あ、違います、違いますよ。そんな人いません、いませんからね!?」

「ええ、そ、そうなの?」

「本当にいません、いませんから!!」

 

 メルティの問い掛けるような視線に、顔どころか首さえもリンゴのように真っ赤に染め、両手を振り必死に否定する聖女モーリィであった。




 ――――――――――――――――

 後書きで今回の話の分かりにくい用語などの解説を載せてあります。あくまで作者の脳内設定なので突っ込んだら泣いて失禁します。ネタバレ? というほどのものではありませんが、そういうのが嫌いな方はお手数ですが読まないようにしてください。コメディなお話に設定解説を入れる私をお許しください。






 ☆おk?

ノリで書いてしまった今回のお話。作者の脳内設定など分かりにくい説明

星系移動術式  ……魔術的なワープ航法。作成するの個人レベルでは無理
古き種族    ……クッ〇ゥルーぽいアレ。眷属体も同じ
厄災(破壊光線)……観察対象Xがその場のノリで撃ってみた魔王グラ〇ドクルスアタックが古き種族の大部分を消滅させ、その謎エネルギー波が惑星にまで影響(主に異星人に)を及ぼしてしまった。恐るべき技。別名:魔王なんちゃって重力レンズ砲




おまけ

腹筋……モーリィの性癖。クロエは筋肉鑑賞マニアだったらしい、これが人の業というものか


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砦のダンジョン その8

 砦の執務室。

 騎士団長は極度の緊張を強いられていた。

 

 その原因は対面のソファーに浅く座る作務衣姿の女性。

 漆黒の黒髪。深紅色の目。雪のように白い肌。

 そして竜のような角に尻尾といった美しき異形。

 

 魔の国の王……魔王様だ。

 

 彼女はモーリィ達が地下ダンジョンに突入後、砦にひょこりとやってきた。

 ダンジョンの入り口を警備待機する騎士達の中に『何をしているのかしらキョロキョロ』と、いつの間にか魔王様が交じっていることに騎士団長は少し驚いてしまう。

 

 その場で彼女を捕まえて簡単な事情を説明、何か情報を得られないか話を聞く為に執務室まで来てもらったのだ。

 

 そしてそこには騎士団長も思いもよらなかった人物が待ち受けていた。

 

 魔王様は出されたお茶を手に持つと口に運びズズーと啜る。

 上品とは言えない仕草だが不思議と下品ではない、その隣に座る人物も同じように茶を啜るが、こちらは少々だらしない。

 

「やっぱり麦茶は熱いほうが美味しいわね」

「うむうむ、同意ですなぁ」

 

 二人して緩そうに微笑んだ。

 

 美貌の魔王様の隣に仲良く座る好々爺。

 長い髪と長いあごひげを持った整った顔立ちの御老人。

 彼は王宮魔導士の長、魔人ミゲル・ナイアラル。

 

 騎士団長アルフレッド・バードリーには、この世の中に苦手な人物が五人いる。

 その内の二人が目の前に座っていたのだ。

 

 ――今日は厄日だな。

 

 騎士団長は珍しくため息をつきそうになりながらも話を進めることにした。苦手な人達ではあるが、このような災時には頼りになる御老人方なのだから。

 

「それで発見したダンジョンのことなのですが」

「もう堅苦しいわね。もうちょっとフランクにいきましょうよアルちゃん」

「…………魔王陛下」

 

 騎士団長アルフレッド・バードリーには、この世の中に苦手な女性が三人いる。

 実の母親と砦街のミレー、そして目の前の魔王様。

 

 彼女はある事情で騎士団長が幼い頃からの知人であり、彼の若かりし頃の数々の弱みを握っている女性でもある。簡単に言うと親戚のおばちゃんのような間柄だ。

 

「はいはい、ちゃんとやりますよ。アルちゃんって変なところで真面目なんだから」

「真面目にならざるを得ないでしょう、何しろ聖女を投入しているのですから」

「ほう、アル坊ちゃんにしては、ずいぶんと思い切ったことをしたものですな?」

「その必然性があったからです、それとアルちゃんとアル坊ちゃんは勘弁してください」

「「はいはい、分かりました。アルフレッドさん」」

 

 美しい女性とあごひげの御老人の二人は、少し不満そうに口を尖らせブーたれた顔を作る。騎士団長は珍しく精神的な疲れを感じた。

 

「まずは魔王陛下、一つ聞いてよろしいですか?」

「何かしらアルフレッド?」

「今回の件、貴女は関わっていませんよね?」

 

 質問に魔王様はしばらく無言で騎士団長を見つめる。

 そして横に座る魔導士長をチラリ。御老人は片目を瞑ると肩を竦める、見た目の年には似合わずチャーミングな仕草。魔王様は再び顔を騎士団長に向けた。

 

 絶世の美女(推定四百~歳?)は艶やかに微笑んだ。

 

 彼女曰くニヘラ笑い……場を和ませるための微笑み。

 第三者からしたら同性すらも落とす恐るべき魔性の微笑み、しかし彼女が都合の悪いことを誤魔化す時によく使う微笑みだった。

 

 嫌になるほど、それを知っている騎士団長は思わず素で叫んだ。

 

「関係してたのかアンタっ!?」

「う、うん、関係していたというか、大元の関わりはあるけど今回の件にはたぶん関わってない感じかしら?」

「いやいや、洗いざらい話してくださいよ。順を追って全部説明してくださいよ」

「えぇ……ちょっと面倒かなぁ?」

「ふざけるなよ、くそ婆ぁ!!」

「酷いわアルちゃんっ! ミゲルちゃん今の聞いた? 今の聞いた? 何とか言ってあげてよ!!」

 

 ローテーブルに突っ伏すと、ワザとらしいオイオイと泣き真似をする魔王様。オウオウ可哀想にと笑いながら魔王様の背中をさする魔導士長。騎士団長としては御老人方のこのようなノリが、イラつくことこの上ないのだ。

 

「取り敢えず知っていることは全部話してもらいますからね、いいですね?」

「はいはい、でも昔ね。愛の告白までした相手をババア呼ばわりって酷くないかしら?」

「魔王陛下!!」

「うふふふふー」

「ひゃひゃ、若いですのぅ」

 

 口を押さえて笑う魔王様に、あごひげを扱きながら笑う魔導士長。

 

 騎士団長はこめかみを押さえた。

 赤ん坊の頃にオシメを取り替えてもらった連中というのは本当に厄介である。たまに記憶にない幼い頃のオネショ話をされても反応に困るというものだ。

 

 魔王様は残っていた麦茶を全部飲み干すと、急須から勝手にお茶のお代わりを入れ魔導士長のカップにも継ぎ足す。騎士団長のカップを見て中身が全然減ってないことを確認すると急須を静かに置き語りだした。

 

「それは四百年前のこと、ダンジョンが発生したのは魔術式の転移門を閉じられ、元の星に戻れなくなってしまった異星人達が原因なのよ」 

「……はっ?」

 

 魔王様が言っていることが理解できず、騎士団長は聞き返してしまった。

 

「うん、有り体に言えば、この世界の外の人間のことね異星人」

「え? 貴女、今凄いことをさらりと言いませんでしたか?」

「そうかしら? あ、ちなみにアタシとミゲルちゃんも異星人よ」

「いやぁ、長いことこの世界で過ごしていたから忘れていましたが、そういえばそうでしたなぁ」

「………………」

 

 二人の御老人共は同時に笑いだした。

 

 かなり衝撃的なことを茶飲み話のついでのように言う。魔王様は異形の美貌の持ち主で異世界の人間と言われてみれば何となく納得だが、王宮の魔導士達を束ねる魔導士長もそうだったとは騎士団長は夢にも思わなかった。

 

 彼でなくとも頭を抱えたいところだ。

 

 流石に、国王陛下はこの事実を把握をしているとは思うが、目の前の御老人方にそれを尋ねる勇気は騎士団長にはない。

 

「えーまずは四百年前。前提としての人魔大戦なんだけど、アルちゃんの認識としてはどうなのかしら?」

「どう……と言われましても人族連合と魔族の……貴女や闇竜を相手に起きた戦争でしょう?」

「ふむふむ、まあ間違ってはいませんな。しかし、アル坊ちゃんですらその程度の認識なら、極一部の者しか知らぬのも致し方ないところですかのぅ?」

「ええ、大戦後はどこの国も余裕がなかったからね。アレはアタシ達だけで片付けたし、それに情報は極力隠したのも理由だと思うわ」

 

 疑問を浮かべる騎士団長を魔王様は深紅色の瞳で見つめた。彼女の目は鏡のようで見る人次第で印象がまるで変わる、自分は今試されていると彼は感じた。

 

「人族と魔族の戦争。それはあくまでも始まりにすぎないのよ」

「……何故だか非常に嫌な予感がするのですが?」

「うふふふふー」

「ひゃひゃひゃ」

 

 またしても御老人方は笑い出した。

 

 こいつら絶対性格悪いよなと、騎士団長は自分のことを棚にあげて考えた。あるいは聖女(モーリィ)騎士団長(どくぶつ)などと評される彼の人格は、この二人の影響が少なからずあるのかもしれない。

 

「その後に行われたこと、異星人同士のこの星を巡っての覇権争い(せんそう)だったのよ」

 

 ――今日は本当に厄日だ。

 

 砦街の長、騎士団長のアルフレッド・バードリーは額を手で覆ったのだ。

 

◇◇◇◇◇◇

 

「つまりは神と呼ばれる、この世界を支配していた異世界人が人魔大戦時に消失し、それとは違う異世界人がこの世界の支配を企み攻めてきたと」

「ええ、そのとおりよ~」

「にわかに信じられない話ですが、貴方達が言うのならば事実なのでしょうね」

「うむうむ、流石はアル坊ちゃん。柔軟な思考をしておりますな」

「誰のせいですか、誰の?」

 

 また笑い出す御老人二人。それにしても、この年寄り共は笑いの水位が低すぎるのではないだろうか。

 

「うんとね、異星人同士の星を巡る戦いと言うと規模が大きく聞こえるけど、実際には国盗り程度の話だからね。アルちゃんだって、もしも隣の国の支配者が全員いなくなったら奪いに行こうかな程度は考えるでしょう? 実行するかは兎も角として?」

「まあ、それが普通でしょうね……」

 

 ――国盗りだって十分規模の大きい話なんだけどなぁ……。

 

 突っ込みかけたが、騎士団長は懸命にもぐっと我慢した。

 

「この世界を支配していた神の消失ですか、話には聞いたことがありましたが事実でしたとは……しかし、一体どうして消えてしまったのですかね?」

 

 それほど深い意味はなく何気ない質問だった。

 

 ヘラヘラと笑っていた二人が同時にぴたりと止まった。そしてお互いに譲り合うようにチラチラ目配せ、騎士団長は今日何度目か分からぬ嫌な予感。

 

 やがて観念したのか話し出す魔王様。

 

「あー、あのね、それも詳しいことを話すと本当に長くなるんだけどね」

「え、ええ」

「アタシがヤッちゃった感じかな?」

「……はい?」

「うん、直接じゃないけど間接的にアタシが殺っちゃった感じかしら?」

「……なにを殺ったのですか?」

「神ぽい異星人?」

 

 後頭部に手を当ててテヘッと照れる魔王様。

 魔導士長もウンウンと頷いていた。

 

 この婆は一体何に対して照れているのだろう?

 この爺は一体何に対して頷いているのだろう?

 

 ……質問をしようか騎士団長は本気で迷ってしまった。

 

「えーまあ、続きお願いできますか?」

 

 もう話だけを聞こうと彼は結論付けた。この御老人方の秘密話は心臓に悪すぎる。

 

「うん、それで色々あって今は神の代理……管理者がこの世界を維持してくれているのだけど、星が安定し、しばらくしたら突然に異星人達が攻めてきてね」

「それは……また難儀ですね」

「うんうん、もう話し合いも何もなしの問答無用だったわ」

「ふむ……それでどうなったのですか?」

「勿論、言葉も通じないし根こそぎ破壊したわよ?」

「……………………」

「一応この星を守るためにがんばったのよ?」

 

 ――ひょっとして世界の全ての悪の元凶は目の前の女ではないのだろうか?

 

 閃光のように脳裏に浮かんだ考えを、騎士団長は慌てて打ち消した。

 

「で、そこまでは良かったのだけど……」

「全然良くないと思われますが、また何かあったのですか?」

「ええ、ヤツら性懲りもなく大量に兵隊送り込んできたのよねぇ」

「あれは観察しただけでも、えらい数でしたなぁ」

「ねー」

 

 二人の御老人は何が楽しいのかヘラヘラと笑い出す。

 騎士団長は全く楽しくなかった。

 

「倒したけど、その後もしつこく来るものだから面倒になって、この星に来るための魔術式の転移門をアタシが根こそぎ破壊しちゃったってわけ」

「アンタ何でも根こそぎ破壊しすぎだろう……あ、いや失礼。それはまた、かなりの無茶をしたものですね?」

「んー無茶と言うか、そのせいでミゲルちゃん達が帰れなくなったのよね」

「いやはや、あれには一同、途方にくれましたよ」

 

 騎士団長は考える。

 

 魔王様がこの地を訪れた理由は不明だ。だが異世界の人間だとしても現在はこの世界のために戦っている、彼女には様々な守る存在としがらみがあるのだから。ならば魔導士長はどうなのだろう、騎士団長の知る限り彼には家族はいないし、これといって庇護する対象もないはずだ。

 

 話の流れからして二人が別口の異世界人なのは分かる。

 

 それを質問することに騎士団長は迷う。

 返答の結果しだいでは、魔人ミゲル・ナイアラルと王宮魔導士達を王国の、ひいては世界の敵として見なくてはいけなくなるからだ。

 

 王国の砦街を預かる者として聞かなかった振りも出来ない、宮廷での腹芸駆使する狐と狸の化かし合い(おあそび)とは訳が違うのだ。ためらったが、いざという時は魔王様(ばばあ)が何とかしてくれるだろうとあっさり考え、騎士団長は聞くことにした。

 

 彼も何だかんだと根っ子のほうでは、いい加減な楽天家だった。

 間違いなく幼い頃の周囲の影響……三つ子の魂と言うやつである。

 

「魔導士長の目的は何です? 故郷に戻れなくなったというのはともかく、この世界に来た目的が私にはみえませんが?」

「ああ、それはアタシも気になってたのよねミゲルちゃん。なにしろ貴方達とは有耶無耶のうちに協力関係になっていたからね?」

「ふーむ、そうでしたかな?」

「はっきり聞くわ、ミゲル・ナイアラル。貴方達の種族はこの星をどうしたいのかしら?」

 

 超常の力をもつ人外達はしばし見つめあう。

 

 切欠を作ったとはいえ、張り詰めた重苦しい空気に騎士団長は心底ゾクリとした。二人とも穏やかな微笑を浮かべているが、内心全く笑ってないことを長い付き合いの彼には分かったからだ。

 

 やがて魔導士長が先に口を開いた。

 

「我々、観察チームの目的は変わりませんよ魔王陛下。観察対象X……つまり貴女様を見守るファンということですな」

「あらあら、そういうことを面と向かって言われると照れるわね」

「この星に関してはこの星に生きる者に決定権があり、それを外からどうこうするのは傲慢だと我々の種族は考えております故」

「良かったわミゲルちゃん、今のところ貴方達と戦う理由がないと分かってね」

「ひゃひゃひゃ、それは何よりです魔王陛下」

 

 騎士団長は室内の空気が緩んでいくのを感じ息をはいた。そして魔導士長が魔王様の後を引き継ぐように語りだす。

 

「ここからは我々の種族の話になりますが、その戦いの折にですな、何人かの者が生体維持……命を保つ力に支障をきたしましてなぁ。もちろん故郷の星に戻れれば修復可能で問題はなかったのですが……」

 

 チラリ魔王様を見る魔導士長。見られた彼女は呑気にお茶を啜っていた。

 

「まあ、戻るための星系移動術式……魔術式の転移門を破壊されましたので、救助が来るまでそれぞれ休眠状態にはいったのですが、やはり支障をきたした状態では上手く休眠できない者も出てきまして……」

 

 魔導士長は、彼としては珍しく困った表情になるとあごひげを扱いた。

 

「この世界は我々種族の力となる魔力が薄すぎて、言うなれば食料の全くない牢屋と同じです。その状態だと魔力減少で肉体を維持することが出来ずに分裂を起こし、それでも元の状態に戻ろうと魔力を効率よく得るため無数に発生したのが、この世界で言うところのダンジョンというわけですな」

 

 ――どうしようこれ、とてもじゃないけど公表できないやつだよね?

 

 騎士団長は頭を抱えた。しかし勇気を出し聞いてみることにした。

 

「国王陛下は……知っておられるのですよね?」

「ええ、それは勿論ですよ。ああ、あの方もこの話を聞いたときは、今のアル坊ちゃんと同じように頭を抱えてましたなぁ」

「あらあら、行動が似るのは一族の血ってやつかしらね?」

 

 笑い出す御老人共。騎士団長も、もう自棄になって笑うしかなかった。

 

「では、この地下ダンジョンは?」

「それでしたら恐らく問題はないかと、中にいるのは私の弟子のような者でして、彼女は少々変わり者ですが無闇に周りの者に害をなす行為はしませんよ」

「そうそう、あの娘はちょっとツンデレさんだけど良い子よ~」

 

 たまに出る魔王様の意味不明の発言は、騎士団長にとっては今更なので気にもならない。ともかく彼は問題解決とばかりにようやく安堵のため息をついた。だが、そんな彼の安息を打ち壊すように魔王様が爆弾発言をしやがったのだ。

 

「ああ、これはディーちゃん……ディードリッヒ国王もまだ知らない事なんだけどね」

「え?」

「転移門を壊したはいいのだけど、転移中だった異星人が星のすぐ外の空間に大量に閉じ込められた状態になっててねぇ」

「………………」

「ここ最近の事なんだけど、週一くらいの間隔かしら? それくらいで空間が僅かに開いて、中から異星人の兵隊達が這い出てきちゃうのよ。わらわらと」

「推測するに、あれは中で繁殖しているのではないですかのぅ?」

「そうかしらね? まあ、そんな訳で出て来てくる異星人は、その都度アタシが超魔王キック打ち込んで根こそぎ破壊しているのよ。何しろ一匹でも地上に下ろすと大惨事になるからね」

 

 わらわらとのところから両手を小さく前に出し波のように揺すっている魔王様(ばばあ)

 

 ――不本意ながら、少しだけ可愛いなちくしょう。

 

 騎士団長は現実逃避ぎみにそんなことを考えた。

 魔王様は彼のほうに身を乗り出すと何故か得意気になって、またしても意味不明な発言をするのだ。

 

「ねね、アルちゃん、なんだかアタシって特撮のヒーローみたいじゃない?」



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砦のダンジョン その9

 ミレー達五人は一日ほどの時間で、地下ダンジョン第十階層まで到達していた。

 

 途中で睡眠を含んだ長時間の休憩を挟んだことを考えれば、驚異的なダンジョン攻略速度といえた。それは五人の能力の高かさもあるが他にも理由はあった。

 

「影さん、お願いねっ!」

『――――――――』

 

 彼女達が炎をまとった謎の巨人との戦闘中に、隊列の後方から挟撃をしかけてきたのは七匹のハイオークの群。しかしそれにいち早く気づいたミレーは相棒(・・)と共に迎撃にはいる。戦線を維持する女騎士達、複数の魔術を展開し援護するフラン、余力のない炎の巨人との戦闘中に背後から攻撃されるわけにはいかない。

 

 ミレーは先行して飛び出してた一匹のハイオークの前に立ちふさがる。

 

 巨漢のハイオークが走る勢いのまま振り下ろした錆びついた大剣を、丸盾の裏側にメイスを握った手をそえながら両腕で受け流す。

 強撃を完全には殺しきれず丸盾を持つ左腕がジンとしびれた。

 だが彼女は苦痛を漏らさない、この程度で悲鳴をあげるなら冒険者になろうとは思わなかっただろう。

 

 ゴニョゴニョと早口詠唱。持続の治癒。自己治癒力向上。

 

 同時にミレーの両足を伝って地面に黒々とした影が走る。

 

 薄い光にうつしだされ壁に踊る影はまるで悪魔のよう、ミレーに襲い掛かろう近寄る六匹のハイオークを包囲するように広がる。彼らは自分達に忍び寄る死の影には全く気づきもしない。

 

 ミレーとハイオーク、鉄同士の荒々しい打ち合いに火花が散る。

 そのまま組みあい鍔迫りあう、ミレーは押される。

 お互いの息が掛かる近距離で唸り睨み合った。

 

 二人の体格差は大人と子供。

 

 だがミレーの小柄な体に宿る魔力が凄まじい勢いで循環しだすと、微かな光を放ちながら肉体を強化、ハイオークの巨体を物ともせず力で押し返して拮抗する。

 だが数の有利をもつハイオークは焦るでもなく醜い顔を歪めた。

 

 ――こいつ、私をあざ笑ってる……!

 

 明らかに、こちらを侮るハイオークの様子にミレーは怒りを覚えた。

 

「なめるなぁ!!」

 

 ミレーが叫ぶ。

 

 普段はどちらかというと温厚な彼女だが、荒事になると途端に勇猛果敢になる。

 ダンジョン攻略が始まってからの彼女の行動は一々何だか主人公っぽかった。

 

 次回からこの物語の主人公(ヒーロー)はミレーでもいいのではないだろうか?

 

 その場合のモーリィだが、彼女は銀髪で巨乳で美人さんで聖女で控えめで博愛に満ちた性格なので、正統派なヒロインとしてやっていけるかもしれない。

 

 なんだかオークさんにアレコレされてしまうような危険な香りがする。

 

 ミレーはメイスを押されたように微かに引いた。

 しかし、それは明らかな誘いであった。

 まんまと乗せられたハイオークが、大剣に更に体重を掛けてミレーを押し崩そうとする。狙った瞬間、彼女は流水の動きで体を横回転させた。

 

 支えを失い、前に流され滑る大剣。

 ハイオークは勢いを殺しきれず前のめりに巨体を泳がせる。

 それでも強引に足を踏ん張ると、体をひねって振り向いた。

 

 ミレーはいなかった。

 ハイオークの視界からミレーは忽然と姿を消したのである。

 何が起きたのか、低い知能では理解できず、驚愕するハイオーク。

 

 しかし、ミレーは消えたわけではない。

 

 彼女は何と、ハイオークの直ぐ足元にいたのだ。

 地に体を伏せた片膝立ちの奇妙な姿勢を取っていた。

 額が地につくほど上半身を倒すその姿。

 まるで大地に祈りを捧げる、穢れなき崇敬な乙女である。

 

 だが刹那っ。

  

 過剰供給された魔力が、体に収まりきれず周囲までもを眩しく照らしだす。

 その現象に、ハイオークがようやく気づく、だが遅すぎた。

 

 吼えた、ミレーは獣のように吼えた!!

 

 鋼が鳴く、獣の唸り、彼女はメイスを振り上げる。

 這うような低位置から全筋力を乗せた渾身のメイスを。

 その威力や、推して知るべし。

 ハイオークに直撃する。

 光と化した鈍器はハイオークに確かに当たった。

 叩き上げる衝撃で空気が切り裂ける。

 あまりの威力に、ハイオークの巨体とミレーの小柄な体が大きく宙を舞う。

 

 

 

 そう、光の鉄杭は確かに直撃していたのだ。

 ミレーのメイスは直撃して、ハイオークの股間のアレをアレしていた。

 

 吐血、ハイオークは空中で苦悶し、悶絶して翼をもがれた鳥のように落下。

 勢い余って地面を跳ねて転がり続けるミレー。

 哀れなハイオークはぴくりとも動かない。

 

 

 回転が止まる……地に倒れ伏す二人の姿。

 しかし明確な勝者と敗者。

 紛れもなく、潰しのミレーの勝利であった。

 

「あいててて……」

 

 頭を振ると着ていた漆黒のドレスを払い叩きながら立ち上がる。

 残りの六匹のハイオークは影も形も残っていなかった。

 影さんが全部処理して(たべて)くれていたのだ。

 カランッ……ミレーの目の前で拳大の魔石が七個落ちた。

 辺りに漂っていた影さんが全て戻ってくる。

 

「ありがとう影さんっ!」

 

 ミレーのお礼の言葉にくねくね不思議な踊りを披露する人の形をした影。

 中々にイカしたステップ。

 

 影さんとミレーは、へーいっと空中でハイタッチ。

 

 二人はダンジョン探索で友情を育み、すっかりと仲良さんだ。

 影さんも満足したのか漆黒のドレスに吸い込まれるように戻る。

 振り返るとフラン達も謎の巨人との戦いを終わらせ一息ついているようだ。

 ミレーは魔石を回収すると彼女達の元に足早に向かうのであった。

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 二階層目で豪奢で清楚な喪服ドレスこと影さんの封印を解いた後、そのまま下層への探索を継続することになった。モーリィが消えてしまったからだ。

 フランたちは一旦入り口に戻り、ダンジョンで知り得た情報とダンジョンマスターについての報告をすることも考えた。

 

 しかし消えてしまった聖女モーリィの安否が心配である。

 

 もちろん感情面の話だけではなく、彼女がいないと結界を通り抜けることができず、合流しないとダンジョンから抜け出ることはできない。モーリィの居場所を一刻も早く突き止めるため探索をそのまま続行することにしたのだ。

 

 それに探索の予定は二日間と事前に決めていた。

 時間が過ぎて戻らなければ騎士団長が外部から何らかの対策を講じてくれるはずだ。彼は有能な男である、結界さえ解かれればダンジョン内部の様子を見て、フラン達が気づいた程度の異常は直ぐに分かるだろう。

 

 行動は決定した。そして次に影さんの取り扱いが問題となった。

 

 自立稼働が可能とはいえ影さんの本体はドレス。

 最大に力を発揮するには誰かが着る必要があったのだ。

 女騎士の二人とエルフのフランは装備や体格的に無理があり除外された。

 

 しかし、フランは着れないかを試した。

 

 影さんこと漆黒のドレスは実の母の形見であると同時に、敬愛する従姉様との思い出の品でもあるので当然の行動だった。

 

 フランは顔を真っ赤にして眉間にシワを寄せ歯を食いしばり、額に汗を滲ませながら必死になって試した。駄目だった。無謀だった。

 肌着を脱いで乳当てまで外して試した。やはり駄目だった。哀れだった。

 

『くっ……くぅ! ま、前は、私でも着れたのですがっ!』

 

 フランはダンジョンの壁をぺチぺチと叩きながら悔しそうに歯ぎしりする。

 そんな彼女に四人の何とも言えない視線が突き刺さった。

 

『ほ、本当です! い、今は、こ、この胸が大きすぎるだけですからっ!? 三百年前はちゃんと着れましたからっ!?』

 

 彼女は自分の胸部装甲(たわわ)をぺチぺチしながら、エルフ特有の透き通った美麗な顔を歪めて半泣きで言い訳をする。エルフ成分の無駄使いだった。

 

 ――それだけではないと思う。

 

 フランの剥き出しになったお腹を見つつ、同性の情けとして全員が指摘しないことにした。フラン(ブタ)の姿は、明日は我が身で決して他人ごとではないのだ。

 そして三百年前といったら、この地が遷都され砦街の名称になる前の話で、フランの年齢(オバハン)の噂はどうやら正しかったらしい。

 

 女騎士とミレーの四人は先輩女子(フラン)の知りたくもない数々の恥部を知った。

 

 ちなみに彼女達は知らぬことだが、砦街のフラン女史は仕事上がりの平日は自宅に帰ってワイン飲んでチーズをパクパク食べながら寝落ちし、休日は朝風呂しながらチーズ食べつつワインをカポカポ飲んでそのまま寝落ちするという、自堕落な生活を三百年も続けてきた筋金入りの駄目女子であった。むしろエルフだからこそ、この程度で済んでいるのかもしれない。

 

 故にフランのお腹はワインとチーズで出来ていた。

 

 残ったのは小柄な女騎士のドライツェーンとミレー。

 しかしドライツェーンは着ることを嫌がった。

 彼女のダンジョンの壁さえも利用する縦横無尽の戦闘スタイルには、体の動きを束縛するドレスは相性が悪く、なによりドライツェーンの堅実な性格から得体の知れないものを纏う気にはなれなかったのだ。

 

 こうしてミレーは影さん付きのドレスを纏うことに。

 

 探索中は二人の間で様々な出来事があった。

 お互いの着こなし(いきかた)を巡ってぶつかりあう二人。

 些細な事でいがみ合い衝突する二人。

 そこに現れる強敵、手を取り合い協力する二人。

 戦いの中でいつしか芽生える二人の友情。

 

 ミレーは無機物相手に一通りの英雄的な青春物語を展開していた。

 わずか一日の出来事である、砦街在住のミレーさんは色々半端なかった。

 

 実際のところ影さんの戦闘力は驚くほど高く、彼女一人いれば十分ではという状態なのだが世の中そうは上手くいかないもので、影さんは戦えば戦うほど持っている体力的なものを消耗し長い休息が必要となるらしい。

 ドレスの封印を解いた目的は聖女モーリィの居場所を探るためで、それ故に影さん頼りで戦闘をして消耗させる訳にはいかなかった。

 

 通常は五人で戦闘を行い、どうしても手が回らない時にだけ影さんに出張ってもらっていた『お願いします影さん先生』という感じである。

 

 

 第十階層に降りてから戦闘自体は少なくなっていたが、強い個体が単独で出てくるので戦闘自体が長引くようになっていた。

 

 先程のハイオークのような徒党を組む魔物は珍しいくらいだ。

 

 影さんの誘導の元、ドレスを纏うミレーを先頭にしてドライツェーンが横に並び残りの三人が続く。罠など怪しいと思われる場所は、ドライツェーンが先行して調査をしてくるというやり方でこの階層まで探索を続けていた。

 

 通路の行き止まりに小部屋、ドライツェーンが調査をするために入る。

 

「モーリィ……大丈夫かな?」

「ミレーさん……」

 

 通路で待ってる間、ぽつりとミレーは呟く。

 不安げに声を掛けるフラン。

 彼女だけではなくツヴァイとフィーアも不安そうにミレーを見つめていた。

 

 ミレーは自分の腕を鼻に近づけるとクンッと匂いを嗅ぐ。

 モーリィが着ていたドレス、微かに彼女の匂いが残っていた。

 聖女の着ていた衣服だ。

 それ以外の私物はフランが背負う背嚢の中。

 

「モーリィ……」

 

 つまり聖女モーリィは今スッポンポン。

 

 モーリィの胸部装甲(たわわ)が剥かれた胸部装甲(たわわ)になっている。

 あんなことや、こんなことになっているのかもしれない。

 それどころか、無理やりアンアンなことをされている可能性だってあるのだ。

 

 ア……アンアンだってっ!? そ、そんなこと!?

 嫌がるモーリィにそんなことを……。

 で、でも、私なら絶対アンアンすると思う……!!

 なんて酷いことを! 許せない……絶対に許せない……絶対にだっ!!

 

 ミレーは激怒した。そして流れるように妄想の世界に入った。

 

「あの……ミレーさん。取りあえず鼻血を拭きましょうか?」

 

 軽く旅立ったミレーには諦めたようなフランの声は聞こえない。

 ツヴァイとフィーアも諦めた顔をしていた。

 調査を終えたドライツェーンが部屋から出くる、どうやら罠はなかったようだ。

 彼女はミレーを見て『また鼻血だしてる……』といった呆れ顔。

 

 三人は無言で疲れたように首を左右に振った。

 

 ドライツェーンが小部屋で見つけたのは魔術式の転移陣。

 影さんの指す場所も転移陣を示しており、使用する為にフランとミレーの二人で魔力を込めることとなった。罠なども考えられたが今までのダンジョンの傾向からその可能性は低いだろうとフラン達は判断した。

 

 この地下ダンジョンは強力な魔物が出てくる割には余りにも温すぎる。

 まるで力試しでもさせられているようだった。

 ダンジョンのダンジョンマスターに知性と理性と呼べるものがあるかは不明だが、明らかに何かしらの意図を感じるのだ。

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 浮遊感、魔方陣を起動させた五人が転移したのは大部屋。

 一人も欠けることなく転移出来たことにまずは安堵した。

 それから全員が油断なく辺りを見回す。

 

 ミレーが一番最初に気がつき部屋の奥を見る。

 そこには白色の柔らかそうな素材で作られたソファーが設置されていた。

 

 ソファーに誰かがいる……不思議な形状のドレスを纏った二人の少女。

 漆黒の黒髪と黒いドレス、白銀色の髪と白いドレスという対照的な彼女達はソファーに並んで座っていた。

 

 ソファーに優雅に腰かけているのは黒髪の美貌の少女。

 その隣に座る白い少女は漆黒の少女の肩にもたれ掛り目を閉じている。

 

 白い少女は探していた行方不明の聖女モーリィだった。

 

「モ……モーリィ!!」

「待ってくださいミレーさん!!」

 

 フランの制止の声も聞かず、ミレーは部屋の奥に向かって走り出す。

 五人の中で一番視力が良い彼女にはハッキリ見えてしまったのだ。

 

 唇から大量の血を流すモーリィと、それを口づけでもするかのように嬉しそうに舌で舐めとっている漆黒の少女。

 深紅色の瞳と確かに視線が合った。

 彼女はモーリィの腰を抱きしめて、頬を撫で触りながら笑っていた……まるで聖女は私の物だと見せつけんばかりに。

 

 瞬間ミレーの頭は真っ白に。

 気づいたら彼女は異形の少女に対してメイスを振りかぶっていたのだ。



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砦のダンジョン その10

 聖女は揺り籠のような優しい微睡の中で夢を見ていた。

 

 とても素敵な夢だった。メルティがヴィデオという物を見せてくれたのだ。

 それは時間を切り取って保存し、好きな時に過去の出来事を映し出して鑑賞することの出来るという素晴らしい道具。

 

 過去の映像……宙に映し出されたのは地下ダンジョンに訓練で入って来たと思われる女戦士達だった。全員がピッチリとした上着やズボンを着け、手には棒状の武器らしきものを持っていた。それぞれ種族や肌の色は違うが、映っている彼女達には共通していることがあった。

 

 全員が鍛え上げられた素晴らしい肉体をしていたのだ。

 

 武器を振るたびに盛り上る上腕二頭筋や大腿四頭筋。

 力を入れるとほんのりと背中に浮き出る僧帽筋や広背筋。

 全員が本当に、本当に素晴らしい筋肉だった。聖女の鼓動は知らず知らずにのうちに高鳴り、体が震え血が沸騰しそうなほどの激しい興奮を覚えた。

 

 そして何よりも、聖女が一番魅力的と感じる部位、六つに割れた……。

 

 突然、聖女は自らの顔に異変を感じた。何か熱く赤い液体が凄まじい勢いで噴き出していくのだ。急速に意識が遠のいていく……。

 

『う、嘘! ク、クロエ! これは貴女のコレクション(・・・・・・・・・)の中では大したことの無い方でしょう? いくら久しぶりとはいえ興奮しすぎではないかしらっ!?』

 

 ――たいへん素敵な腹筋でした私は幸福な気分です。

 

 聖女モーリィは最後に、メルティの悲鳴と誰かの声を聞いた。

 

 ――――――

 

「ありがとうお母さんっ!」

 

 モーリィは謎の言葉を口走りながら目を覚ます。豊かな胸の谷間から驚いた顔で見下ろすフランと目が合った。

 

「あ、あれ……フランさん?」

「え、ええ……大丈夫ですかモーリィさん……その、色々な意味で?」

 

 ソファーに寝かせられていた。良い匂いに後頭部には柔らかいが芯のある感覚。どうやらフランが膝枕をしていてくれたらしい、モーリィの額の上に優しく乗せられた手の平は柔らかいのに適度に硬く、まるで母の手のようだ。

 

 それと顔に当たったフランの服越しでもわかる胸部装甲と、プニプニすぎるお腹も母のようであった。

 

「クロエ~この女達が虐めるのよ~助けてぇ~」

 

 メルティの助けを求める、しかし緊迫感のない声が聞こえた。

 

 モーリィが膝枕されたまま顔だけ横にして見たのは、影のような不思議な紐に体中をグルグル巻きにされ床に座らされているメルティと、その周りを腕組みしながら取り囲むミレーと女騎士の四人だった。モーリィは吃驚してしまう。

 

 幼い獣人少女と、それを取り囲む武装した怖いお姉さんの図だったからだ。

 

「メルティ! ちょ、ちょっと皆さん止めてくださいっ!」

 

 モーリィはフランの太ももから頭を起こしソファーから立ち上がった。その途端に酷い目眩を起こして床に膝をつき座り込んでしまう。フランが慌てて体を支え、それを見たミレーが悲鳴を上げた。

 

「モ、モーリィ! まだ動いちゃダメよ! この女にチューチュー血を吸われて、危ないところだったのよ!?」

「へっ……血を吸われて? は、はい?」

 

 貧血の症状……心当たりのあるモーリィの鼻は酷くムズムズした。

 

「だーかーらー! それは誤解だと先程から説明しているでしょうに、この小娘!」

「誰が小娘よ! この小娘っ! それに嬉しそうにペロペロしていたじゃないペロペロとっ! 羨ま……汚らわしいっ!」

「そ、それは……わ、私の舌を通してクロエに治癒用のナノマシンを送り込んでいたのよ。決してやましい気持ちがあったわけではないわ……」

「嘘つきっ! この変質者っ! 意味わからないこと言わないでよっ!!」

「へ、へん、なんですってっ、こ、この小娘がぁっ!!」

 

 腰に手を当てたミレーと縛られたままのメルティが、言葉途切させることなく顔を突き合わせて言い争っていた。疲れたような女騎士達の様子から察するに長いこと口論を繰り返しているのだろう。ポンポンと返されるその応酬に、傍目だと喧嘩するほど仲の良い姉妹のようにしか見えない。

 

「あの、取りあえず私から全て説明しますので、メルティを解放してもらえますか? 彼女は決して危険な存在ではありません私が保証します」

 

◇◇◇◇◇◇

 

 影さんから解放されたメルティが指を鳴らすと、ソファーが消え大部屋に人数分の椅子とテーブルがどこからともなく現れた。その光景にモーリィとメルティ以外の全員が驚きの表情を浮かべる、魔力や魔術的な反応が全くなかったからだ。

 

「進んだ技術は魔術と変わらないらしいよ?」

 

 ミレーが口を小さく開けて呆然としているので、モーリィはそう伝えてメルティに視線を向けると彼女は年不相応な大人びた表情で笑う。ミレーは頬をプクッと膨らませてドレスに戻っていた影さんに慰められていた。

 

 モーリィの両脇には当然のようにミレーとメルティが椅子に腰を下ろし火花を散らす。聖女にその状況を楽しめるような特殊な感性や精神性などは勿論ない。

 

 全員が椅子に座ったところで、モーリィはこの部屋に飛ばされてからの経緯を簡単に説明する。ただ最後に意識を失ったところだけは濁した。あの恥ずべき出来事は言えない、封印である。

 

 テーブルにはいつの間にか人数分のケーキとお茶が置かれていた。

 

 驚きの声はもう無く、ここまで来ると全員がそういうものだと受け入れた。非日常が日常の砦街住人の適応能力は非常に高い。喉が渇いていたモーリィも、ありがたくお茶を頂くことにした。

 

 贅を凝らしたような作りのケーキと薫りだけで高級品とわかるお茶。食器が小さく鳴る音だけが聞こえる、美味しすぎる甘味に誰もが黙々と食べていた。

 

「ケーキのお代わりはいかがかしら?」

 

 メルティが鈴の鳴るような声で聞いてくる。ミレー以外の全員がお代わりを頼むことにした。エルフのフランなどはブンブンと頭を振って頷いている、彼女のお腹は順調に育っていて、エルフ種族という高スペックな体でも、誤魔化しきれなくなるのはそう遠い未来ではなさそうだ。

 

 ミレーは意地と甘美の狭間で迷っているらしく苦悶の表情を浮かべていたが、メルティは全員分(・・・)のケーキを出してくれた。

 

「ケ、ケーキ……ありがとう」

「くふふ、どういたしまして」

 

 ニヤニヤっと笑うメルティにぐぬぬという感じでケーキをフォークで崩すミレー。それでもお礼はちゃんと言える良い娘である。自分の分のケーキをミレーに分けようかと考えていたモーリィはそのやり取りにクスリと微笑んだ。

 

 その後、五個目のケーキを食べながらフランがメルティに質問をしていた。

 

 モーリィが気を失っている間にダンジョンについての説明などは聞いていたらしく、それ以外の外の世界の技術がどうとか、今の魔術主体の精神特化型の文明だと光る壁を作るのに、四千年は掛かる云々などという話をしている。

 

 モーリィの視線が隣に座るミレーに、正確には彼女が纏うドレスと、その背後でクラゲのように宙を漂う影さんに向けられた。

 

「彼女は影さんよっ!」

 

 まったり幸せそうにお茶を飲んでたミレーが薄い胸をはって答えた。彼女の後ろにいた人の形の影……影さんも同じように胸をはっていた。二人ともそこはかとなく誇らしげである。

 

 モーリィは何となく通じているけど通じていない感じがしたので、話が一段落付いたらしいフランにも質問してみることにした。

 

「ええっと……影さんですか? 私の従姉(・・)がドレスに封じ込めた……ある種の召喚魔獣のようなものと思っていただければ」

「召喚魔獣……私が着ていたドレスにですよね?」

「はい、本当はモーリィさんの身に危険が迫った際の保険として着てもらっていたのですが、まさか体だけを転移させられるなんて想像もしていませんでしたよ」

「そうそう。凄い心配したんだから」

「うん……心配かけてごめんねミレー」

「ううん、いいの、モーリィが無事で良かった」

 

 ミレーはモーリィの肩に手を置くと、彼女越しに反対側に座るメルティを軽く睨みつける。

 

「それに悪いのは全部そこの女だからね!」

「あら、酷い言い草ね?」

「実際に本当のことじゃない!」

「くふふ、私はすっかり悪者ね、困ったわ」

「ミレーいくら何でも言い過ぎ、メルティに失礼だよ」

「う……だって、モーリィ」

 

 苦笑しながらも宥めるモーリィに、ミレーはバツの悪そうな顔をした。

 そんな二人を見ていたメルティの長い獣耳と目じりが僅かに下がる。その顔は遠くを見るような、懐かしいものを見るような優しいものであった。

 

「ごめんなさい……謝るわメルティ」

「いいのよ気にしていないわ……それに貴女の言うとおり非は私にあるのだから」

「何のことですメルティ?」

「このシェルター……ダンジョンにクロエが入ったのを確認してから、機能が全て活性化し、眠りについていた私が目覚めるように設定されていたのよ」

 

 彼女はテーブルにつく全員の姿をゆっくりと眺めていく。

 

「時間がなかった……私にはクロエがここに来るのを待っている時間がなかったの」

「メルティ……時間って?」

「……強制的にクロエを転移させてしまったことを許して」

 

 メルティはモーリィの質問には答えず、ただ謝罪をした。

 

 全員が沈黙する。彼女がどのような気持ちで眠りについたのかはこの場の誰にも分からない。悲し気な様子からはクロエという人物に対しての並々ならぬ思いがある事は理解できた。先程まで噛みついていたミレーですら同情するような顔だった。

 

「あの、大丈夫ですよメルティ。結果的にみんなこうして無事なんですから」

「ありがとうクロエ……あっ! そういえば機械式の転移装置のことでも貴女に謝らなければいけないわね」

「機械式? なんですか?」

 

 メルティは本当に申し訳なさそうな顔になると再びモーリィに謝罪した。

 

「転移させるのに以前残っていたクロエの生体データをそのまま使用したのだけど、どうにも誤差があったらしく、そのせいで悪酔いさせてしまったみたいなの本当にごめんなさいね」

「えーと、よく分かりませんがそれも大丈夫です。体調ならもう問題ないし……あ、そういえば衣服とかを転移出来なかったのもそのせいですか?」

「ああ、それは私が、貴女の生まれたままの美しい姿を見たかっただけで……いえ、違うわ。ええ、機械の不調、その通りなのよクロエ?」

「……………………」

「ああ、ほら、クロエ、皆も他に何か質問はないかしらっ!?」

 

 全員の何とも生ぬるい視線がメルティに絡みつき、彼女はうろたえる。

 

 腕を伸ばした影さんが、メルティの肩を叩きながら頭を左右に振っていた。優秀な影さんは皆の気持ちを代弁してくれているようだ。モーリィはため息をつく。

 

 ――自分の周りには何で残念な女性が多いのだろうか?

 

 話し合いは終わり、モーリィ達は今度こそ地下ダンジョンから出ることになった。この時、獣人少女の微笑に僅かな陰りがあったことを誰も気づくことはなかった。

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 一行は機械式の転移装置を使い第一階層まで転移。

 メルティを入れた七人で出口を目指し歩いていた。

 

「この階層の魔物は出ないように制御済みよ。警戒しなくても問題はないわ」

 

 メルティの言葉に斥候を務める女騎士ドライツェーンは頷くと短剣をしまい、索敵移動をやめて普通に歩き出す。その後ろにミレーとツヴァイの順で続くがこれにはわけがあった。

 

『モ、モーリィなにその格好っ!!』

 

 いざ帰りましょうかで全員立ち上がったら、いきなりミレーが奇声を上げだしたのだ。キャーキャーだったかオフフフッだったかは本人の名誉のために伏せておくが、彼女が叫び出したのはモーリィのドレスが原因。上はともかく下は太ももの中程しかないフレアスカートだったからだ。

 

 自らも人前に出るには難のある格好であることに改めて気づき、頬を染め慌てて太ももを手で覆い隠そうとするモーリィと、その恥らう姿に激しく興奮した様子のミレーさん。指摘しなければ少し抜け気味の聖女はそのままトコトコ歩いたのに。

 

 ミレーはメルティとの張り合いに夢中で今まで気づいていなかった。

 本当に今回の彼女は主人公体質である。

 

 女騎士達はそのことには気づいていた。しかし玄人である彼女達はその程度のことで騒ぐような軽い感性は持ち合わせてはいない。モーリィの看病をしていたフランも当然気づいていた。しかし彼女は指摘どころか盛大な勘違いを炸裂させた。

 

 ――今の若い子の間ではこの短さのスカートが流行っているのかしら? わ、私も頑張ればいけるかもしれませんね……!!

 

 斜め方向の解釈だった。第五騎士隊隊長フランのムチムチなミニスカート姿。

 喜ぶ者は多いだろうが、その結果今まで積み上げてきた彼女の信頼の消失と割に合うのかは不明である。

 

 ちなみに彼女は、知り合いの魔族女性に井戸端会議に着ていけるフォーマルな服を聞かれて、流行遅れ(ふだんぎ)(ババ)服を貸し出した前科持ちだった。

 

 砦街のフランシス女史は家事が苦手だが衣服関連も苦手な女子である。

 

 ともあれモーリィのスカートが短すぎた結果、胸の中で燻っていた冒険心的な何かを完全燃焼させてしまったミレーがスカートを捲ってこようとするのだ。

 

 モーリィとしては、あの高貴そうな勝負下着を見られたら一生モノの恥辱である。

 

 背嚢の中からズボンを取り出そうとしたら、ミレーが背嚢ごと奪い走り去ってしまう。追いかける訳にもいかず、それを見送る困り顔のモーリィの頭を撫でてくれたのは女騎士ツヴァイ。聖女は少しだけ乙女(メス)の顔になった。

 

 何の解決にもならなかったので、メルティに他に衣装がないのか聞いてみれば。

 

「あら、くふふ、女の子は見られて綺麗になるのよ? 今のクロエはそういう部分が薄いみたいだからいい機会だわ」

 

 けんもほろろである……ちなみに彼女はモーリィと同じような形状のドレスだが胸をはって女性らしく堂々と歩いていた。女子としての年季が違う。

 

 妥協案としてミレーには先に行ってもらった。

 

 捲れないようにスカートの前を押さえながら小さい歩幅で赤面して歩くモーリィ。チラチラと肉食獣のような目で肩越しに見るミレーと、それらを見ながら微笑み横を歩くメルティ、フランはブツブツと何か考え事をしているようである。



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砦のダンジョン その11

 モーリィ達は光る壁の終点であるダンジョンの入り口手前の部屋まで戻って来た。短くはないダンジョン探索に一息つき、そのまま入り口まで歩き出す一同。

 

 しかしメルティは立ち止まり、その場から動こうとしなかった。

 

「クロエ……」

「どうしたんですかメルティ?」

 

 メルティの呼びかけにモーリィ達は足を止める。

 彼女はしばらく迷っていたが、やがて決意するように顔をあげた。

 

「ここでお別れねクロエ」

「え?」

 

 突然告げられた別れの言葉が理解できず、モーリィは聞き返してしまう。

 逸早く反応したのがフランだった。

 

「あ、メルティさん、もしかして下に戻られるのですか? その前に砦の責任者とだけでも会っていただけないでしょうか? 先の事も相談しなくてはなりませんし……あ、あと宜しければ先程のケーキのレシピなどを教えていただきたいのですが?」

 

 身振り手振りで慌てたようにメルティに頼み込むフラン。

 

 騎士団長に会わせることとケーキ……どちらの方が重要なのかは、ケーキを六個も平らげた彼女の行動から丸分かり。しかしメルティは違うと首を振った。

 

「そうではないのよ。貴方達が外に出たらダンジョンの扉を閉じて二度と開くことはないわ」

「ええ!? ど、どうしてですかメルティ?」

 

 明確な別れの言葉、しかも永遠の、悲鳴じみた声がモーリィの喉から出る。

 

「……限界なのよ。この世界で私の体を維持できるほどの魔力を手に入れるのは現状では不可能。体を保つためにはこのシェルターの中で再び眠りにつくしかないわ」

「そ、そんな……!」

「元々、眠りにつく前から長時間活動していて魔力枯渇が酷かったの。でも貴女がいなくなって、もう一度、貴女に会いたいと願った。だからクロエ……短い時間とはいえ貴女とまた過ごす事ができたのは本当に奇跡だったのよ」

 

 彼女は満足そうな顔をしていた。

 モーリィは納得できずメルティの手をつかむ。

 

「せっかく友達になれたのに、その何か……何か方法はないのですかメルティ!?」

「クロエ……無理なのよ、吸収するより消費する量のほうが遥かに大きいの。このままでは体を維持できず分裂するわ。私はそんな事になって貴女と過ごした大事な記憶の全て失ってしまうのが……何よりも恐ろしい」

「あ……あぁ……」

 

 モーリィに突きつけられたのはどうにも出来ない現実だった。

 

 聖女はうつむいてしまう、メルティが握られた手をそっと握り返してくれた。

 彼女はモーリィの顔に手を添えると丁寧に優しく頬を撫でる。

 

 聖女の澄んだ空色の瞳からは涙があふれて零れ落ちていたのだ。

 

「ねぇ、泣かないでクロエ? あの時、貴女に助けてもらって魔力を分けてもらわなければ、私はシェルターを出すことも叶わず、とっくに分裂して自分すらなかったわ。本当に感謝しているのよ? ひょっとしたらまた次の生まれ変わりの貴女に会えるかもしれない。だからね……泣かないでモーリィ(・・・・)?」

「メル……メルティ……うぅ……」

 

 メルティも涙を流し、長耳の頭がモーリィの肩に乗せられる、いつしか二人は抱きあい身を寄せあう。

 

 二人を見守るミレー達も声もかけられず沈痛な表情をしていた。

 

 彼女達も短い時間とはいえ、メルティという少女と接して好ましく感じていたからだ。女騎士達は静かに黙祷するように目を閉じ、喧嘩をしていたミレーですら眉間にシワを寄せ目頭を拭っている。フランなどは真っ赤になった鼻を指で押さえ涙をポロポロと零していた『ケーキィ……』という呟きは誰も聞こえない振りをした。

 

 メルティの小柄な体が静かにモーリィから離れていく。

 

「それじゃあ……さようなら」

「待ってメルティ、()はっ!」

 

『ヘイッ影さん! 一丁頼まーっ!!』

 

 ここにはいないはずの緩そうな女性の声がした。

 

 途端にミレーが着ていた漆黒のドレスがバラバラに分解され、黒々とした無数の闇となってメルティの体に纏わりつく。

 

 突然のことに驚くミレーと悲鳴をあげるメルティ。

 

「わっ、わわっ、ちょっと影さん!?」

「きゃっ、こ、これは!?」

「メルティ!?」

 

 メルティに纏わりついた闇は白い雪肌に溶け込むように消えていく。

 苦しそうに自らの体を抱き崩れ落ちるメルティをモーリィは慌てて支えた。

 

「メルティ! メルティ! しっかりしてください! メルティ!」

「う、うう……」

 

 モーリィは治癒士の経験からメルティを無理に揺さぶるようなことはしなかった。彼女は苦しそうに体を強張らしていたが、やがて力を抜き落ち着いた表情へと変化していく。メルティの様子は安定していて緊急を要する状態ではなさそうだった。

 

「メルティ、意識はありますか? ()の声は聞こえてますか?」

「クロエ……あ、あれ、私?」

 

 少しぼんやりとしているが、メルティの受け答えはしっかりしていた。

 見守っていた一同も、まずは大丈夫そうだと安心して息を吐く。

 

 だが次の瞬間、メルティがハッとしたように目を見開いたのだ。

 

「あ……え、これって!?」

「ど、どうしました? どこか体におかしいところがありますかメルティ!?」

「えっと、あ、あのねクロエ。その……大丈夫になっている」

「はい……?」

 

 不明瞭なメルティの様子にモーリィは疑問で返した。

 

「魔力の供給が問題ないレベルになっている……正確には体を維持するのに必要とされる魔力が極端に減っているわ」

「つまりその……?」

「……再び眠りにつかなくてもいいみたい?」

「え、えーとっ……?」

 

 どう返せばいいのか分からず、モーリィがメルティの顔をじっと見る。

 つつっと目を逸らされてしまった。

 

 あれほどの愁嘆場を演じた後だったので、メルティは凄く気まずそうだった。

 モーリィにも理解できる、彼女もひどく気まずかったからだ。

 直ぐ喜べばよかったのだが、今からだとワザとらしくて何となく外している。

 

 騎士トーマスあたりなら『おぉ……おっ! おおっう!?』と意味もなく盛り上げ強引に捻じ込むだろうが、モーリィはそれが出来るほど面の皮が厚くなかった。

 

 女騎士達も物凄く気まずい顔。

 

 各自が悲痛な態度を取っていたのでどのような反応をすればいいのか困っているのだ。フランさんは泣きながら『良かったぁ……ケーキ、ケーキィ』と呟いていたが食いしん坊のいやしん坊は全員が無視した。

 

「やったあっ! よかったじゃないモーリィ! メルティ!」

「わっ、ミレー?」

 

 そんな空気を全く読まないのが勇者(ミレー)。二人の首に抱きつくと腕を回し飛び込んできた。子供のように口を大きく開けて笑うとメルティの背中を嬉しそうにバンバンと叩く。

 

「ほらっ! メルティ! アンタも何をぼーとしているのよ。またモーリィと一緒に遊べるんだから素直に喜びなさいよっ!!」

「遊べる……え、ええ……そ、そうよね……?」

 

 張り合っていたことをすっかり忘れて、大喜びするミレーに感心するモーリィ。

 聖女も深く考えるのをやめて、微笑みながら祝いの言葉をかけた。

 

「おめでとうメルティ、本当に良かったよ」

「ええ、ありがとうクロエ……それにミレー」

 

 メルティは突然の幸運にまだ実感が薄いのか素直に喜べないようである、それでも二人に笑顔を見せてくれた。

 

「そろそろ宜しいですかな皆さん?」

 

 老成された落ち着きのある男の声だった。全員がそちらを、正確には女騎士達はすでにその方向を向いていたのだが……を向いた。魔導師服を纏った長い髪と髭の品の良さそうな老人が立っている。だが視線はその前にいる人物に集まった。

 

 漆黒の黒髪と深紅色の瞳に角と尻尾の人外の美貌をもった作務衣姿の女性。

 

 彼女は両目を閉じ右手の人差し指は天井を指し左手を腰に付けていた。

 片足だけ膝を曲げた爪先立ちポーズで、腰が微妙にクイッとなっているところが怪しげ。片目をチラリチラリと開け全員の視線が集まっているのを確認しているところが微妙にうざかった。

 

 作務衣姿の女性は親指でぐいっと自分を指差すと、足を広げ腰を落とし両手を見得でも切るかのように左右に広げた。

 

「アタシ参上!!」

 

 誰がどう見ても魔の国の魔王様だった。フラン以外の全員の視線が、何やってるんだこの人はという生ぬるい(バカをみる)ものに変わり魔王様の心臓を強く抉った。彼女は取っていたポーズを無言で解くと無表情で大地に立った。どうやら強い羞恥を覚えてしまったようだ。

 

 魔の国の魔王様は意外と……でもなく普通に(バカになれない)小心者だった。砦の騎士ほど振り切れていればまだマシだったのに、中途半端すぎる魔王様には誰も突っ込めなかった。

 

「N教授! それに観察対象X! 何でここに!?」

 

 メルティが驚いた声を上げる。聖女モーリィはまた面倒なことになりそうだとため息混じりに思ったのだ。

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 N教授こと魔導士長は、ミレー以外には面識があり紹介などは特に問題はなかった。ただ、メルティから自分と同じ種族の同胞だと説明されると、王国の魔導士を束ねる長が外の世界の人間だったのかと全員が驚きを隠せなかった。

 

「あ、アタシも一応は外の世界の人間よ? がおー宇宙人だぞぅ!!」

 

 魔王様の発言は不思議と全員が無視……黙認した。

 

 そう、観察対象Xこと魔王様がちょっと問題だった。メルティの話を信じるのならば、彼女は世界を守るために外の世界の侵略者と戦っている英雄ということになるのだが、普段の魔王様を知っているモーリィとミレーには今一つピンとこなかった。

 

 間違って化粧水飲んで酔っぱらうようなアレな人が、人魔大戦を起こし世界を滅亡まで追い込んだとされる、影操りの魔王と同一人物とは到底思えなかったのだ。

 

 影さん付きのドレスは分解して、それこそ影も形もなくなってしまったのだが、落ち込むフランに魔王様が『フーには後でアタシと御揃いの作務衣もってきてあげるわよ~』と呼びかけたら女史は顔を真っ赤に染めて、エルフ耳をピコピコと動かし万歳しながら飛び跳ねて大喜び。

 

 その際にフラン女史の胸部装甲が『たゆんたゆん』ではなく『どたぷんどたぷん』といった感じで上下に揺れ、女子一同も『うおぉ……』と思わず声を漏らし珍しい生き物を見る感覚でじっと鑑賞してしまう。

 

 さり気無く視線を逸らした魔導士長は紳士である。

 

 しかし、いい年した大人のはしゃぎっぷりときたら……砦街のフーさんことフランは顔も見たことのない母親の形見より、敬愛する従姉様の贈り物のほうが余程嬉しいらしい。今回、色んな意味で株を落としたのは第五騎士隊隊長のフランシスではないだろうか?

 

 二人が入れないはずのダンジョンにいるのは魔導士長の持つ鍵とやらの力を使ったらしい。影さん付きのドレスが消えたことやメルティの魔力消費量が減った理由などについては、外に出て騎士団長を交えて説明しましょうかで全員合意した。

 

「ミ、ミ、ミ、ミレー! なんで私の下着を着けているの!!」

 

 突然のモーリィの叫び……聖女はミレーが胸に着けている物にようやく気がついてしまった。ミレーはドレスの下にチェーンメイルを着けていたが、その上に何故か、聖女の豊かな胸の寸法に合わせて作られた大きい乳当てを身に着けていたのだ。

 

「う、うぅ……モ、モーリィの乳当てが魅力的すぎるのがいけないのよっ!!」

 

 聖女の羞恥の叫びにミレーさんが意味不明な逆切れをした。

 

 速攻で逃げるミレーに太ももどころか高貴な下着が丸出しになるのも構わず、両手を前に出して追いかけるモーリィ。下着を作った際に細身に巨乳という稀な体型のため合う型紙が無く、隅々まで寸法を測って型紙から起こしてもらったという手間と時間のかかっている下着だ。何より乳肉を直に覆っていた物を人目に晒されるのは、つい最近まで男をしていたモーリィとはいえ恥ずかしさを覚えた。

 

 スカートがちょっとくらい捲れようと取り返さないわけにはいかなかったのだ。

 

 きゃーきゃーぎゃーぎゃーと騒ぎながら追いかけっこを始めた二人をポカンとした顔で見守るメルティ。流石にきりがないと、魔王様がミレーの背後に瞬間移動でもしたようにシュバと追いつき、聖女の乳当てをスパッと引っこ抜いた。

 

「はーい、ミレーちゃんごめんなさいね」

「あーあー! 私の乳当てがぁ!!」

「なに言ってるの! 私のです!!」

 

 そして魔王様は、聖女モーリィの目の前で作務衣の胸元にさり気無くしまっちゃっうオバさん。

 

「あの……私の下着は?」

 

 聖女の声は全員に無視……黙殺された。

 

 

 ダンジョン探索で得た下着(おたから)を奪われてしまったミレーだが、魔王様に肩に乗る大きさの影の丸玉、目と口らしき三個の穴の開いたミニ影さんという賞品(おたから)を貰い直ぐにご満喫になっていた。影さんは個にして複数の同一存在らしく、小さくてもミレーと過ごした影さんの記憶があり彼女にひどく懐いているようだ。

 

 ちゃんと育てていけば以前の影さんと同じ大きさになるらしく、魔王様の説明を熱心に聞いているミレーを見ながら、モーリィは将来的に起こる凶事を予想して眉間の皺を指で摘んで揉み解す。

 

 背中を軽く叩かれ振り向くと肩を竦め苦笑いをしているメルティと目が合う。

 

 何となくモーリィも可笑しくなって笑ってしまう。今はメルティと別れなくてよくなった喜びを噛み締めようと思う聖女モーリィだった。



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砦のダンジョン その12

 モーリィはメルティと魔王様の三人で、街を一望に見下ろすことの出来る砦の城壁の上にいた。ダンジョンの外に出た後、そのまま入り口で待機していた騎士団長に挨拶して、ててっと帰ろうとする魔王様を引き留めたのはメルティだった。

 

「ちょっと待ちなさいよ観察対象X……貴女と話があるわ」

 

 呼び止められた魔王様が「あいよぅ」と手を上げ案内してくれたのがこの城壁。モーリィが一緒に来ることを望んだのはメルティで、魔王様も聖女がついて来たことに対して特に何も言わなかった。

 

 モーリィを真ん中において両脇に二人。三人で夕焼けに映える砦街の風景を無言で眺める。お話好きなモーリィだが彼女達の何とも言えない緊張感には喋ることができず、手持ち無沙汰になって身に纏っている外套を無意識に撫でていた。

 

 ふと自分の行動に気づき、聖女モーリィは少しだけ赤面する。

 

 この外套は女騎士ツヴァイが外に出る前にモーリィの肩に掛けてくれた物だ。突然の彼女の行動に疑問を浮かべるが外に出てから理由は分かった。騎士団長を始めとしたルドルフやトーマス、そしてライトといった砦の騎士達や女騎士達が待ち構えていたからだ。太もも剥き出しのドレスのまま外に出ていたら、聖女は羞恥のあまり失神していたかもしれない。

 

 女騎士ツヴァイの紳士のようなさり気無い優しさ。

 

 モーリィは出迎えの女騎士達に囲まれて肩を叩かれているツヴァイを目で追ってしまう。外套の裾をギュっと掴んで、握り手を口に当て頬を染めた聖女の姿は完全に恋する乙女(メス)のものだった。かつて少年だったモーリィは色々な意味で取り返しのつかない場所まで足を踏み入れてしまったようだ。

 

 (おんな)前すぎる女騎士(イケメン)が淡い思慕の相手とは、聖女の内面はかなり面倒臭いことになっていたが、幸か不幸か女騎士ツヴァイの性的指向はノーマルであった。

 

「それでメルちゃん話って何かしら?」

「メルちゃん言うなっ!」

 

 沈黙を破るように話し始めた二人にモーリィは我に返った。

 

「まずは礼を言うわ。貴女のおかげでこうしてまた外に出ることが出来たんだから」

「うん、どういたしまして?」

 

 魔王様は困ったように頬を指で掻き笑った。

 

「あ、やっぱりあのドレスがメルティの魔力消費が減った理由なんですか?」

「うん、そうね、影さんのおかげかな。あのドレスに四百年近く宿ってアタシの力を……ミゲルちゃん達いわく『謎力』を貯め込み増幅していたからね。それをそのまま全部メルちゃんの魔力の代用として使っているわけよ」

「ええ、そのようね……悔しいけど今の私は貴女の眷属(てした)みたいなものなのね」

 

 しかしメルティの顔は悔しそうではなく晴れ晴れとしたものだった。

 

「そんな大層な物でもないわよ。いいとこ謎力を貸し出してる程度の繋がりってところかな? それよりこれからが大変よ~ミゲルちゃんが大喜びで実験させてくれって言うんじゃないかしら?」

「くふふ……確かにN教授ならそう言いそうね」

 

 魔王様のからかうような発言に苦笑気味に答えるメルティ。

 緩む雰囲気にモーリィは安堵を覚えた。二人が昔からの顔見知りと言うことは外野の彼女にも分かったが、関係はあまり良好には見えなかったからだ。

 

「ねえメルちゃん。アタシの事を恨んではいない?」

「貴女には厄災の時に迷惑をかけられた。でも、それも含めて今がある……だから今の貴女に対して思っている事は特にはないわ」 

 

 メルティの発言に魔王様は頷き、ぽつりと呟いた。

 

「クロエの事は本当にすまなかったと思っているわ」

「それは……今更言う事なのかしら?」

「そう、そうね、そうよね」

 

 肌寒い風が吹き夕日に染まる風景はだんだんと闇に浸食されていく。地平線の向こう側では微かに星が見え始め夜の始まりを知らせているようだ。

 魔王様は空を見上げながら懺悔でもするように告白する。

 

「アタシは償いきれない罪を犯した。あの戦い、人魔大戦で多くの人の命を奪ったの。それはクロエに対しても、彼女の大事な人を何人も殺し恨まれる事をした」

「……魔王様」

 

 能天気で悩み一つもなさそうで、いつもは頼もしさすら感じさせる魔王様。だが今の彼女はその見た目通りひどく儚げでか弱く見えた。

 

「それどころかね、上から目線で命令までしたのよ『悲しみのない世界を作って見せろ』……なんてね。私はそうやって彼女を苦しめた。だから、今やっている事はせめてもの罪滅ぼし、その一つを彼女と仲の良かったメルちゃんにと思って……」

 

「…………違うわよ」

「……メルちゃん?」

「クロエは、あの子は……貴女を恨んでなんていなかったわ」

 

 メルティは目を閉じるとクロエのことを話しだした。魔王様は沈黙する。

 

「いつも心配していた『あの放浪の魔王様は人族に対して憎しみを忘れて幸せになる事が出来たのでしょうか?』いつもそんなことを言ってた。死ぬ最後の時までもよ……あの子は悔いを残して逝ったのよ!」

「――――!」

「約束したのでしょう? どうして最後まで会ってやらなかったのよ!? この街を、クロエを、自分の眷属を使って守るくらい大事だったなら会ってあげればよかったのよ。あの子と話して一言ごめんなさいって謝ればよかったのよ! そうすればいつまでもつまらない罪悪感を抱かずにすんだのに!!」

 

 御伽話……放浪の魔王と小さい国のお姫様のお話。

 

 モーリィはその物語を母であるアイラ・モルガン以外からは聞いたことがなかった。興味本位で砦街の図書館に行ってみたこともあるのだが、その話を記載した本は一冊もなかった……モルガン家だけに伝わる御伽話だったのだ。

 

『お願い……彼女を救ってあげて、私が交わしてしまった約束を、信じて待っていてくれた優しい彼女の名前は……』

 

 彼女の名前は……魔王様?

 

『はい、聖女モーリィ……少しだけ、少しだけよろしいでしょうか?』

 

 その声に(・・・・)、聖女は迷いもなく頷いた。

 

「アタシは……アタシはね、怖かったの。聖女(クロエ)に罵られて拒否される事が、だから……」

「星を破壊できるほどの力を持つXともあろうものが情けないわね」

「そうね、でも……やっぱり」

「馬鹿よ貴女……優しいクロエが拒否するわけないじゃない……それなのにクロエが消えた後も未だに……ふふ、馬鹿は私もか、今さらそんな事を語り合っても意味がないのに、本当にお互い馬鹿よね」

 

「メルティ、あまり魔王様を虐めるものではありませんよ?」

 

 聖女はメルティを叱るように宥めた。聖女の今までとは明らかに違う……そして懐かしい雰囲気に気づきメルティは目を見開いた。

 

「あ、貴女、もしかしてクロエ(・・・)なの?」

 

 メルティの驚く声にクロエは緩やかに微笑み頷いた。

 

 そして同じように驚いている魔王様の手をそっと握り胸元に引き寄せる。

 魔王様は聖女の行動に戸惑を見せたものの逆らうことはしなかった。

 

 聖女クロエは眼下に広がる街を誇らしげに愛おしむように見下ろす。

 

「どうですか魔王様。私は貴女との約束通り……いいえ私の理想通り、多くの人と協力し合いこの街を造り上げたつもりです。いくつもの種族と様々な国の者達が争い無く笑って生きていける、そのような街を目指したつもりです。今のこの街は貴女のお目に適いますか?」

「……ええ、ええ! とても、とても素晴らしい街だと思うわ」

「ふふ、本当に良かったです」

 

 クロエはメルティにも手を差し出す。

 聖女の手の平に獣人少女の小さい手がおずおずと乗せられる。

 

「メルティ、貴女には死んだ後まで迷惑をかけましたね。でも、もう少しだけ彼女(・・)の為に迷惑をかけてもよろしいでしょうか?」

「迷惑だなんて……そんなことは思っていないわクロエ。貴女に助けられた時から貴女の望みが私の望みでもあるのだから」

 

 クロエは握った二人の手を自分のお腹の前で重ねた。

 魔王様の竜のような尻尾がクロエの細い腰に回され、その上からメルティのリスのような黒い尻尾が覆いかぶさる。

 

 三人はそれ以上は何も語らず、身を寄せ合い月明かりに照らされる砦街を見続けたのであった。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 数日後の早朝のことである。

 モーリィは治療部屋の入り口前を柄の長い藁箒で掃いていた。

 

 治療部屋の建屋の近くには葉っぱの散りやすい大樹が何本か生えている。

 日に一度の掃き掃除はモーリィの日課となっていた。患者を運ぶのに葉っぱで足を滑らせ扉に衝突し、更なる患者を出すのはモーリィの本意ではないからだ。

 

 砦の騎士(さる)達が以前やらかしたのだ。

 

 早朝に治療部屋の扉を開けたら、むさ苦しい男達が体中どころか床まで血塗れにして、棒立ちしている姿はチビッてしまうくらい恐怖ものであった。

 

 この聖女(モーリィ)は昔から度々チビッているのではないだろうか?

 

 治療部屋前の掃き掃除が一通り終わったので隣の掃除に移ることにした。藁箒を肩に担ぎ短い距離をトコトコと歩く。裏池の水は戻され青々とした水面を揺らしており、偶に何かを投げ入れるような大きい水音がしたりもするが、いつものことなので聖女は特に気にしていなかった。

 

 地下ダンジョンの入り口は治療部屋の隣に移されていた。

 

 メルティは王国と地下ダンジョンの扱いについて話し合いをする為に今は王都にいる。眠ってる間に起きた出来事についても確認しておきたいらしく、しばらくは砦街に戻ってこれないらしい。

 

「何だかなぁ……もう少し、ゆっくりしてから王都に行けばいいのに」

 

  彼女は外に出た翌日には砦街から魔導士長と共に王都に旅立ってしまった。

 あまりにも急過ぎて聞き分けのよい聖女モーリィといえど、愚痴じみた文句の一つも言いたくなるというものだ。

 

『大丈夫よモーリィ、N教授……魔導士長は信用できる人だし、王都のほうで王様に会ってこれからの事を話し合ってくるだけなんだから。心配しなくても直ぐに戻って来るわ』

 

 メルティはそう言って長い獣耳と尻尾をピンと立たせモーリィに約束してくれた。

 別れ際に抱きしめられ抱き返して少し涙ぐんでしまったのは聖女の秘密である。

 

「どうにも女になってから涙が出やすくなった気がする……」

 

 地下ダンジョン入り口の掃き掃除を終わらせてしまうことにする。

 それほど葉っぱもたまっていないので直ぐに済みそうだった。そうして掃除も終わりかけた頃、テッテッテと小さく早い歩幅の特徴的な足音が聞こえてきた。

 

 やがて足音の主がモーリィの前に飛び跳ねる小動物のように姿を現した。

 

「聖女っ! 聖女っ! おはようございます。何でお外に居るの!?」

「ふふ、おはようございます。掃除の為だよカエデちゃん」

 

 小さな姿……五歳児ほどの赤毛の可愛らしい幼女。魔王ちゃんことカエデだった。普段喋りは幼いのに挨拶の言葉と仕草は丁重でしっかりとした躾がなされていることが覗える。幼女に手を差し出すと『うふー』と嬉しそうに両手でしがみ付いて来た。

 

「カエデちゃんは朝早くからどうしたの?」

「御婆ちゃんと一緒に来たんだけど、エルフのおばちゃんが中々起きなくて寝ぼけているから、アタシだけ先にここに来たの」

「エルフの……フランさんかな?」

「うん、その人~。ぶよぶよだった」

「ぶよぶよ?」

「お腹とお尻を丸出しで涎垂らして寝てた。お腹を指で突いたらぶよぶよだったよ」

 

 カエデは人差し指で肉厚なナニカをグリグリするような仕草をする。

 駄目女子の普段の惨状についてモーリィは何も聞かなかったことにした。

 

「それじゃあカエデちゃん、掃除も済ましたし一緒に治療部屋に行こうか」

「はーいっ!」

 

 カエデの手と繫いだままもう片方の手で藁箒を肩に乗せて持つと、モーリィは地下ダンジョンの入り口を一度見る。つられて見たカエデが歌うように口ずさむ。

 

「地下ダンジョン~早く行きたい地下ダンジョン~」

「うん、楽しみだね」

 

 地下ダンジョンは現在封鎖されていて、メルティが許可した人間しか入れないように設定されている。それを聞いた時のショボーンと落ち込んだカエデの顔があまりに愛らしく、申し訳ないと思いつつもモーリィは少し和んでしまった。

 

 ミレーから地下ダンジョンでの武勇伝を散々聞かされ、魔王カエデも冒険したくなったらしい。落ち込んだままのカエデを放置するのも可哀想だったので、メルティが戻ってきたら一緒にダンジョンに探索に行こうと約束したのだ。

 

 モーリィは前々から気になっていたことをカエデに聞いてみることにした。

 

「ねえ、カエデちゃん。私の部屋に泊まった日の事は覚えているかな?」

「うん、聖女と一緒にご飯食べて体洗って、それからベッドで魔王とお姫様のお話してもらったー覚えているよ!」

「ああ、そういえばそんな事もあったね……えっとね、その時にカエデちゃんは家に帰らずに何で私と一緒にいたいと思ったの?」

 

 モーリィの質問にカエデはキョトンとした顔をした。

 

「約束したからだよ」

「約束、誰とかな?」

「聖女だよ? 約束したから一緒にいたの」

 

 約束した……私と……いつ?

 

「カエデちゃんおかしなこと聞くけど、それは本当に私だったのかな?」

「聖女だったよ……うーん、でも聖女に似ている別の女の人だったのかなぁ?」

「それって……!?」

「よく分からない? でもね、約束はしたと思うの」

 

 カエデは不思議そうな顔でモーリィを見上げていた。彼女もいつ約束をしたのかはよく覚えていないらしい。聖女はしゃがんで藁箒を地面に置くとカエデの頭をゆっくりと撫でてあげる、幼女は気持ちよさそうに目を細めた。

 

「うん、そうだね。確かに約束したのかもね。ありがとうねカエデちゃん」

 

 魔王カエデが誰と何の約束をしたのかは分からない、ひょっとしたら幼女はどこかでクロエに会っていたのだろうか。モーリィのように砦でクロエを感じ声を聞いていたのかもしれない。何しろこの子は魔王様の孫娘だ、あり得ないことではない。

 

「ねえ、カエデちゃんは私のこと好きかな?」

 

 カエデの今までの態度からモーリィに対して好意を抱いていることは分かっている。しかしモーリィは本人の口から聞いてみたい気分になったのだ。

 

「うふーうふーっ」

「ん?」

 

 だがカエデは答えずにモーリィの腕を離すと頬を朱に染め短い手を後ろにまわし、もじもじと足の爪先で地面にのの字を書きだした。

 

「……ねっ? ねっ? 聖女はあたしのこと好きー?」

「うん? もちろんカエデちゃんのこと大好きだよー」

 

 カエデは「きゃー」と歓声を上げながらモーリィの首に飛びついてきた。

 

 聖女は魔王ちゃんの突然の行動に驚いたが、幼児の突拍子の無さには田舎にいたときの子守で慣れていたので、そのまま膝下に手をいれ抱き上げると藁箒を持って軽々と立ち上がった。片手でも幼女を持ち上げられる程度には魔力が増しているようだ。

 

 きゃっきゃっと無邪気に喜ぶ魔王ちゃんに聖女も自然と笑顔になる。

 

 あの城壁の上で、クロエの声を聞き彼女そのものになれた理由はモーリィにもわからずじまいだった。疑問は残るし全てがはっきりとした訳でもないが、人ひとりが一生で得られる世の真実なんて本当にわずかなものだろう。むしろ知らないほうがいいことのほうが世の中あふれているのだから。

 

 ――そういえば母さんもよく言ってたなぁ……『ま、いいか』って。

 

 モーリィはいつもニコニコと能天気に微笑む、白銀色の髪を持つ母親に無性に会いたくなった。そんな感傷に浸っていた聖女は不意にカエデに服を引っ張られる。

 

「聖女っ! お空っ! お空見てっ!」

 

 カエデの指差す方向を見上げてみると、朝焼けの澄んだ空に幾つもの光の軌跡が流れていく。

 

「あ、流星群か……珍しいね、しかもこの時間に見れるなんて」

「綺麗っ! 綺麗っ!」

「うん、本当に綺麗だねぇ」

 

 興奮し手を叩いて喜ぶカエデと美しい光景に見惚れるモーリィ。

 

 魔王様の罪もメルティの苛立ちも、そしてクロエの後悔も過去の出来事でありどうやっても消せない取り返しのつかないことなのかもしれない。それでも少しだけ運命が変わっていれば、あの時のように三人で空を見あげ、身を寄せ合い笑えあえる過去もあったのではないかとモーリィは考えてしまうのだ。

 

 

 聖女モーリィと魔王カエデは朝靄の残る砦で、流星群が全て消えるまで二人で空を見上げていたのであった。



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人物紹介

キャラも増えてきたので把握用。

話の流れによっては設定が変わる可能性があります。

 

 

#治癒士

 

*モーリィ・モルガン(女? 白銀髪・青目・168cm・17才)

クラス:聖女

クラス発動によって女になってしまった少年。性格はそのまま慈悲深い聖女。分厚い胸部装甲。苦い食べ物が好き。薬草クッキー作りが好き。腹筋が好き。

 

*ミレー(女・茶色髪・鳶色目・159cm・17才)

クラス:白魔導士

普段は温厚で優しいがナチュラルなトラブルメーカー。危機的状態に陥るとバーサクする恐ろしい人。根は単純な善人。かなりの妄想チカラを有している。

 

 

#砦の騎士

 

*ライト・ウォーカー(男・ダークブラウン髪・目・184cm・20才)

クラス:騎士

真面目で有能だが素直で騙されやすい性格ゆえに貧乏くじを引く事の多い可哀想な人。無意識に最適行動をとる。多分田舎のご老人方に何か仕込まれている。

 

*ルドルフ(男・灰色髪・薄茶色目・182cm・25才)

クラス:騎士

モーリィの兄……のような男。真面目で砦の騎士の中では比較的に常識人。怒らすと怖い。周りの信頼も厚い。苦労人。妻帯者。恐妻家。愛妻家。

 

*トーマス(男・赤毛・青目・186cm・24才)

クラス:???

行き当たりばったりで口から先に生まれたような男。トラブルメーカーだがミレーと違って微妙に計算しているところが狡猾。よくいる悪い先輩。何故か周りの信頼が厚い。

 

*ジェームズ・グレアム(男・金髪・青目・177cm・19才)

クラス:黒魔導士

勉強のできる馬鹿を素で実践している人。基本的に良い人だが悪乗りするタイプ。人生これ冒険をモットーに生きている。

 

*アルフレッド・バードリー(男・金髪・青目・192cm・31才)

クラス:???

騎士団長。砦街の最高責任者。脳筋。腹黒。根回しの達人。愉快犯。人さらい。結構うたれ弱い人。王国の王様とは血族関係にあるらしいが詳細は不明。

 

*フランシス(女・金髪・青目・164cm・???)

クラス:剣士

第五騎士隊隊長。ハーフエルフ。仕事は出来るが他は駄目な女子。分厚い胸部装甲を有するが他の部位も分厚いらしい。デブではなくポチャですから!

 

 

#女騎士

 

*ツヴァイ(女・金髪・青目・180cm・26才)

クラス:女騎士

女騎士(イケメン)であり女騎士(ごりら)。女騎士の中で女性から恋文をもらう事が一番多い人。(おんな)前で女性的なマメさがモテる秘訣。でも本人はいたってノーマル。

 

*フィーア(女・黒髪・黒目・165cm・22才)

クラス:女騎士

幽鬼のような雰囲気を纏う女性。女騎士(ごりら)にしては女性らしい。女騎士の中でもぴか一の凄まじい剣技の持ち主。トーマスとは何やら深い因縁が?

 

*ドライツェーン(女・灰色髪・金色目・160cm・17才)

クラス:女騎士

褐色肌。少年のような風貌。騎士というよりは暗殺者といった立ち回りをする。隠密警護がメインのため目立つような活躍は珍しい。フィーアと仲が良い。

 

 

#魔の国(魔族)

 

*カエデ(女・赤毛・赤目・???cm・?才)

クラス:魔王

赤毛の幼女。御婆ちゃんの言うことを鵜呑みにする為トラブルを起こす事が多い。悪いのは婆だ! 恥ずかしがり屋。普通に良い子。侍女長が苦手。

 

*ホムラ(焔)(女・赤毛・赤目・165cm・???才)

クラス:女王

闇の森の女王。昔は人族嫌いだったが今は緩和している。感情豊かで天然さん。母親の言葉を鵜呑みにしてトラブルに遭遇する事が多い。悪いのは母だ! 侍女長が苦手。

 

*魔王様(女・黒髪・赤目・163cm・???才)

クラス:植木職人

突っ込みどころ満載な人。昔は家猫ほど暇を持て余していたが最近は忙しいらしい。この人がいれば大抵の事は片が付くがそういう物語じゃない。侍女長が苦手。

 

 

#その他

 

*ターニャ(女・黒髪・茶色目・163cm・27才)

クラス:?

褐色の肌。ルドルフの妻にてモーリィの姉……のような人。愛嬌のあるきっぷのいい美人さん。ルドルフ、トーマスとは幼馴染らしい。

 

*メルティ(女・黒髪・赤目・157cm・???)

クラス:?

長耳にリス尻尾の異星人娘。モーリィの前世であるクロエに餌付けされたらしい。ちょっとツンデレさん。微百合。地下ダンジョンは女しか入れない仕様です。

 

*ミゲル・ナイアラル(男・白髪・金色目・179cm・???)

クラス:?

王国の王宮魔導士長。魔人。食えない爺。異星人。彼はメルティと違って本体から独立した分体らしい。魔王様の追っかけファン。

 

*アイラ・モルガン(女・白銀髪・青目・168cm・??才)

クラス:?

モーリィのおかん。

 

*闇竜の最強(ポチ)(雄・?・?・???才)

クラス:?

闇の森の女王の相棒。母親の闇竜より念話による言葉使いが滑らかになっているのはホムラと過ごした時間が長かったから。ポチの名付け親は魔王様。

 

*影さん(?・?・?・???才)

クラス:?

謎の生命体。素晴らしく有能。何故かミレーと波長が合う模様。複数体だがそのうちの一体は手のりサイズでミレーに育成されている。君も目指せ影さんマスター!?



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閑話:最果ての悪魔

 そこは月面の硬い砂の地表。

 生命の無き真空の大地。

 光り当たらぬその場所に片膝をつく一人の女がいた。

 

 わずかばかりに差し込む光源に映しだされるのは、うつむいても尚わかる美貌。

 

 万年雪のような白肌に、光吸い込む漆黒の髪と血を連想させる深紅色の瞳。

 黄金率の容姿には絶世の美があった。

 

 女は地表に手をついてゆっくりと立ちあがる。

 太陽の光に全身が照らされ、闇に隠れていた姿が露となると、現れたのは美しき貌とは真逆の異形であった。

 

 その腕と足は、漆黒の装甲で隙間なく覆われている。

 手は二の腕から指先まで竜の手袋のように。

 足は太腿の中程から爪先までを竜の靴のように。

 指には獣のような鋭い爪が生えており、体の対比から見ると元の手足より一回り以上は大きく膨らんでいた。

 胴体には竜の鱗を何層にも重ねて作ったような、清楚さを感じさせる裾の短いワンピース。

 腰の後ろには竜の尻尾と一対の巨大な羽が生え、側頭部には垂直の角が二本。

 その間を通るように鱗状のティアラが輝いていた。

 

 女の格好は服や甲冑というにはあまりにも生物的で、生物というには複雑で整いすぎており、体の一部というには異質で攻撃的であった。

 

 女は真空の空を見上げ、自らの失敗に気づき舌打ちする。

 

 そこに浮かぶのは青い水の惑星……宝石を思わせる青の星は女の故郷のものと同じ柔らかな優しさと静謐さをもって存在していた。

 それを確認した女は、爪先でトントンっと地表を軽く蹴る。

 月の砂が緩やかに舞った。

 

(いくつかの惑星を巡ったけど、あるラインを超える知的生命体がいる星には必ず月があった。生物が進化するには衛星が重要な役割を果たすのかしら?)

 

 女は魔術式センサーを最小強度で展開し、現在の位置を確認した。

 転移したポイントは予想よりも大幅なずれが生じている。

 女は再び舌打ちする。

 そして前傾姿勢になると走りだし、背中の羽を後方に広げて飛ぶような速度で移動を開始した。

 

(三六式の魔法陣だと地表からの転移は少々力不足かな……転移の座標ズレとコンマ千分の七秒も認識できない時間が出来てしまうのはいただけないわね)

 

 人の影が見え、女はそこまで無言で駆け走る。

 

 女の戦いを援護(サポート)してくれる頼もしい……かどうかは分からない。

 むしろいない方がマシかもという、自称相方(ポンコツ)が腰に手を当てプンスカといった様子で待っていた。

 

「遅いですよ! もうすぐ奴らが這い出てきちゃいますよっ!!」

「ごめんごめん。作務衣をフーに渡そうとしたらが中々起きなくてね。転移陣を起動させるのに時間がかかっちゃたのよ」

「あぁ! もうっ! どうして貴女はいつもそんなにユルユルなんですかぁ!!」

 

 音が伝わらないはずの真空で、二人は声に出し(・・・・)会話をしていた。 

 

 観目麗しい天使のような中性的な容姿に背中には光る楕円形状の六翼を持つ少年。

 彼は月の大地で器用に地団駄を踏み、きーきー言いながら怒りを訴えてる。

 女は異形の腕を物憂げに組み、ジロリと少年を睨みつけた。

 

「あら、アンタに人を責める権利があると思っているのかしら」

「う? ……い、いきなり何ですかっ!?」

「三日前に見張りサボって、連中が数体ほど牢獄から這い出てくるのを見逃していたでしょう? 気づいた闇竜達がブレスで迎撃して時間を稼いでくれたから何とかなったけど、そうじゃなかったらアタシの到着が遅れて、今頃は増殖した奴らの処理で星が大変な事になっていたわよ?」

 

 やばっ……とつぶやき、少年は後ずさりをする。

 

「元をただせば、この星に神様を送ってきたアンタ達の種族がいい加減でだらしないから、こうして本来は守られるべき惑星原住民(・・・)のアタシがわざわざ出張ってるわけでしょうに? もう少しご自分の立場というものを理解したほうがいいんじゃないかしら?」

「い、痛い! 一々言う事がごもっともで痛いですぅ!」

 

 胸を押さえ空中でのたうつ少年に、女は冷ややかな目を向けた。

 

「というか、あんまり舐めきった仕事をしていると、連中の主星に乗り込んでいって『こんにちは死ね魔王グランドクルスアタック』をブチかましてくるわよ?」

「うっ、うえええええっ! そ、それだけは止めてください! 下手したら星系一つ消滅しちゃいますっ! 古き種族と本格的に戦争になっちゃったら、僕らみたいな弱小種族なんてあっという間に潰されちゃいますよおぅぅぅ!!」

「知らないわよ。そうなりたくないなら、砦街で呑気に屋台食べ歩きなんてしてないで、無能なアンタでも唯一出来る見張りをしっかりとするべきね」

「鬼! 悪魔! 魔王! 血も涙もないのですか! うぅぅ……激務の間の唯一の楽しみがっ!!」

 

 ヨロヨロと死にそうな顔で崩れ落ちる少年。

 

 しかし女は同情しない。

 何しろ彼とは最初の出会いからして宜しくなかった。

 上から目線で接してきて、下等な原住民呼ばわりされたあげく『僕の犬として使役してあげるから光栄に思いなよ?』とまで言われたのでは、比較的心の広い女といえど優しくする気はなくなるというものだ。

 

 女が助走をつけて軽く頭を撫でてあげたら、少年の方から喜んで犬になったが。

 

 それにこの少年は甘い顔をみせるとすぐにつけあがるのだ。

 常に力を誇示しないと舐めてかかる頭の悪い獣よりたちが悪かった。

 

 ああそうか、こいつ馬鹿なんだ。

 

(精神生命体……神様という名の自動機械が、生物を知的生命体まで進化させ、それによって生み出される精神エネルギーを回収。その集めた精神エネルギーは主人である少年の種族に流される……そして彼の種族は数多くいる上位生命体の中では銀河を数個所持している程度の弱小でしかない……)

 

 女は心の中で密かにため息をついた。

 

「何だかね。上位種族……神様の世界とやらも結局は弱肉強食なのね」

「へ、なんのことですか?」

「神様なんてうそぶいたところで所詮は生き物。違いは生活習慣程度。実に、実に生臭く俗っぽいって言っているのよ」

「は、はぁ……?」

 

 少年の疑問に女はそれ以上答えない。

 月と青い惑星の間の一点に、渦のような歪みが生じたからだ。

 

「さてさて、今週のお勤めを果たすとしますかね」

「はいっ! 今日もがんばりましょう!!」

 

 二人は悪魔と天使の翼を広げて月面から飛び立った。

 

 ◇

 

 相手は古の種族……その眷属の悍ましき者達。

 

 一体一体がこの星の神と呼ばれた精神生命体と同等の強さを持ち、それが万の単位で歪んだ空間から這い出てきていたのだ。

 普通ならば絶望しかない光景だろう……しかし女はそれ以上の化け物であった。

 ありとあらゆる上位生命体の種族から『最果ての悪魔(触れるな危険)』と呼ばれている事を、その女自身は全く知らない。

 

 激しい戦いが起きる。

 

 具体的に言うならば万単位の眷属体を女がひっつかまえて、ちぎっては投げ、ちぎっては投げるの八面六臂の大活躍で殲滅していった。

 天使の少年も戦ったが集中砲火を受けて早々に戦闘不能と(やるきがなく)なり、情けない悲鳴をあげながら女の背後に逃げ込んできた。

 

 女は遠慮なく少年の首をつかんで利用(たてに)した。

 

『鬼! 悪魔! 人でなしっ!』などと暴言を少年に吐かれたが女は特に気にしなかった。

 頑丈で使い減りのしない、減らず口まで叩く盾を使用して何が悪いというのか?

 

 そうして粗方片づけたところで索敵を受け持っていた少年が異変に気がつく。

 古の種族の破壊した眷属体の数が、最初に確認した数より明らかに少なかった。

 その理由はすぐに判明する。

 戦場から遥か遠くで、青い惑星に降下しようとしている巨大な肉塊が存在したからだ。

 囮による陽動作戦……その間に本命が目的を遂行する。

 

 シンプルだが非常に効果的な手段であった。 

 

 女は惑星降下を開始していく巨大な肉塊を睨みつける。

 この星に生きる者達を狂気で満たすには十分すぎる量の塊。

 黒々とした悍ましいそれは、大気の炎に炙られながら赤熱化していく。

 あれが分裂して地表にばら撒かれれば、いくら無双の力をもつ女といえど手の打ちようがなくなるだろう。

 

 ――ならばっ!

 

 女はその場でクルリと回転して宙を蹴って飛びあがった(・・・・・・・・・・・)

 

「くらえ……超――――」

 

 女の背中、その羽の形状が変化していく。

 布のような柔軟さで、伸ばした右足の爪先から体全体を包み込むと円錐形状へと見る見るうちに変わって硬化した。

 それはまるで一個の捻じれた矢じりのようであった。

 

「魔王キック……だ!!」

 

 女がつぶやいたのは神の言霊。

 

 途端に、先端から光を纏って爆発する勢いで移動を開始すると、加速し黄金色の軌跡を描き、進行方向の古き種族の残骸を無慈悲に消滅させながら突進する。

 その様子はまさしく放たれた黄金の矢だった。

 大気圏に突入し、そして肉塊に追いついた。

 

「――――――――!!」

 

 肉塊に直撃する。

 

 振動、深く突き刺さる。

 瞬間、女は確かに視認して認識した。

 表皮の肉が剥がれ落ちた塊の奥底から、こちらを覗いている血の涙を流す無数の悍ましい瞳を、常人ならそれだけで気が狂う狂気の視線を。

 

 だから女は、聖女(あくま)の微笑みを浮かべてやった。

 

 捻じり回転、そして貫通。

 光の矢と化した女はそのまま重力に引かれて落ちていった。

 後方では悍ましい悪夢の肉塊が爆散し火を吹いて細かく分解され、やがて雨のように惑星に降り注ぎ次々と浄化され消滅していく。

 

「じゃ、後は任せたわよ!」

 

 羽を落下面に展開して大気の炎を纏いながらシュバッと片手をあげると、この惑星の危機を難なく救った女は後始末を軽いノリで少年に頼んだ。

 

「ちょ、ちょっと! ま、まだ奴らの生き残りがぁぁ――」

 

 少年の悲鳴はすぐに離れて消えた。

 あの程度の数なら片付けられる程度の戦闘力を彼がもっていることを女は知っている。

 そしてなにより彼女には、彼女の迎えを待っている可愛い孫娘がいる。

 いつまでもこんなところで油を売っている場合ではないのだ。

 

「しかし、羽で大気圏再突入とか、アタシはガ〇ダムかしらぁぁぁぁ!!」

 

 意味不明な叫びを声をあげながら女は自由落下していった。

 

 

 ◇◇

 

 

「いつも悪いわねモーリィちゃん」

「いえいえ、こちらこそ色々と世話になっていますし、お互い様ですよ」

 

 昼も過ぎた頃。

 女……魔王様はヘラヘラと笑いながら孫娘のカエデを迎えに来た。

 

 今日のカエデは珍しく起きており、まだ聖女と離れたくなさそうだったが、あまり遅くなると娘様がうるさいので我慢してもらうことにした。

 以前、孫娘にねだられ、聖女に頼んで勝手に泊まらせた時など、正座を強要させられた上に延々とお説教までされたのだ……。

 

 しかも、なぜか侍女長も参加してのダブルスピーカーで。

 

 魔王様は思い出した恐怖でぶるりと体を震わせた。

 その様子を清楚な雰囲気をまとう聖女は不思議そうに見ている。

 

 そのため、最近の魔王様は所用(・・)や井戸端会議などは程ほどに切りあげ、治療部屋まで孫娘を迎えに行っているのだ。

 

(一人娘とはいえあの子(ホムラ)も少々過保護がすぎるわよねぇ……)

 

 本日のお前(おやばか)が言うな、であった。

 

「ねっねっ! 御婆ちゃんっ! 流星凄かった!」

「うん? 流星?」

「そうっ! 流星いっぱい!!」

 

 よほど凄い物を見たのか、孫娘は興奮しながら腕を上にあげて流星、流星と連呼し、頬を染めプルプルとしていて実に愛らしい。

 孫が可愛いのはともかく、流石の婆もそれだけだと理解できなかったので聖女に問いかけの視線を向ける。

 気の回る彼女は何を聞きたいのかすぐに察してくれた。

 

「ええっとですね。今朝の事なんですけど、西から北の方の空に向かって流星群が流れて行くのを二人で見たんですよ」

「西から北に……あ!? ……あぁ、うん、そうか流星群ね、そうかそうか」

 

 魔王様の額から流れる汗が一筋。

 

「ねねっ! 御婆ちゃんも見た? 流星っ! いっぱいで凄かったんだよ!!」

「はい、見たといえば見ましたよカエデちゃん。むしろこの場合は作ったというべきかしら……?」

「……あの、作ったって、何をですか?」

「モーリィちゃん何デモナイノヨー?」

「は、はあ……?」

 

 目を泳がせながら明後日の方向に顔を向ける魔王様。

 聖女の『この人また何かをやらかしたのかしら……』という視線が痛かった。

 

「ええ、でもまあ、本当に珍しいものが見れたので幸運でしたよ」

「聖女っ、また見たいっ、流星っ! いっぱい!」

「ん~カエデちゃん。めったに見れないものだから、それは難しいと思うよ?」

「え、そうなの? ……でもまた見たいなぁ」

 

 ショボーンとする孫娘。

 頭を撫でながら慰める困り顔の聖女。

 普段、我儘どころか欲しいものすら我慢する傾向のある孫娘のささやかな(・・・・・)望み。

 そう、婆にとって可愛い孫娘のためならばどのような事でも、ささやかなものなのである。

 

 魔王様も何だかんだで婆馬鹿なのだ。

 

「えっーと、あれよ、カエデちゃんにモーリィちゃん」

 

 魔王様の呼びかけに顔をあげる二人。

 魔王様は作務衣の腕をまくると肘を曲げ、プニプニの細い二の腕を誇らしげにペチペチした。

 

「御婆ちゃんが頑張れば、たぶん来週も見る事ができると思うわ、流星が!!」

「「はい?」」

 

 

 ――そして婆は孫のために頑張った。

 

 次の週も早朝の空に見事な流星群が出現した。

 魔王カエデは手を叩いて無邪気に喜んだが、聖女モーリィは釈然としないものを感じて頭を捻るのであった。



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特別宿舎の幽鬼

 聖女モーリィは特別宿舎の炊事場にいた。

 

 調理台を前にして、ナイフ片手に立つモーリィの隣には女騎士フィーア。

 

 騎士服の上にエプロンを着け、戦闘時の頼もしさはどこにやら、お腹の前で手を合わせ非常に緊張した様子だ。

 癖毛一つのない長い黒髪に、女騎士としては珍しい女性的な白皙の美貌。

 以前は幽鬼じみた顔色だったが、最近は血色が良くなりだいぶ緩和されていた。

 

 聖女が女騎士達のために朝夕の食事を作るようになったからだ。

 

 ◇

 

 モーリィが砦街に来る以前から、砦には女騎士が数名ほどいた。

 それが十三人に増えたのはモーリィが砦に来たのと同時期の二年ほど前である。

 その中でも探知の術式札を使える女騎士フィーアは、特別宿舎の警備責任者として、宿舎の中で常時待機していた。

 そのため外の食堂などは使えず自炊を余儀なくされたのだが、彼女は今までの人生でまともに料理をしたことがなかった。

 

 料理が出来ない……特に珍しいことではない。

 

 砦街の騎士は砦街という特殊な環境のため平民出の者が多いが、貴族兼任の騎士や高貴な者にとって家事等の雑用は下働きの者が行うのが一般的である。

 まして情報共有と伝達の手段が少ない世界では、料理の仕方は料理人に従事して学ぶか家庭ごとに伝わるものを習得するしかないのだ。

 そのような事情が女騎士にも当てはまるかは不明だが、砦の騎士達を遥かに凌ぐ高い能力を持っている彼女達だ。

 平民出だとしても、高水準の技能を得るために料理などの家事を習得する機会は少なかったのかもしれない。

 

 フィーアも最初は出来ないなりに挑戦したのだが焼く以外の調理法を知らず、それすらもよく焦がしていたため最終的には諦め、食べられそうな食材を生で食べるという野人のような食生活になっていた。

 見るに見かねた他の女騎士が、食事の時だけでも交代で警備任務を受け持とうと提案したのだが、なぜかフィーアは頑なにそれを拒んでいた。

 

 

 あくる日のことである。

 休日のモーリィが久しぶりに料理でも作ろうかと炊事場に入れば、薄暗い食堂の片隅に座る女騎士フィーアを見かけた。

 硬いパンやハムの塊、生野菜などを蛮族(ごりら)のようにテーブルの上に直置きして、ナイフ片手に陰気な顔で食べている姿を目撃してしまったのだ。

 

 ごりごり……むしゃむしゃ……ごりごり……。

 

 まるで墓場から這い出た幽鬼が死肉を漁っているような光景に、聖女モーリィは恐怖のあまり万歳しながら『ひぇ!』と悲鳴をあげてしまう。

 粗相をすることはなかったが少しだけ危なかった。

 そして珍しく目を丸くしているフィーアに事情を聞き、あまりにも悲惨すぎる食生活にモーリィは涙した。

 すぐさま手持ちの食材だけで、簡単な肉野菜炒めとスープを作ってあげたのだ。

 

「……おいしいわ」

「そ、そうですかっ!!」

 

 手抜き料理なのに、フィーアは表情の薄いを美貌を喜びに染めモリモリと食べている。

 情に脆いモーリィは、飢餓児童のような哀れみを誘う女騎士の姿に口に手を当てて再び涙してしまう。

 

 最近の聖女様は涙腺がやたらと緩かった。

 

 聖女モーリィは女騎士フィーアの食生活を改善すべく騎士団長の執務室へと向かった。

 特別宿舎内でフィーアのために朝夕の食事を作る許可をもらうためである。

 たまに調理するならともかくとして毎日となると、食材や燃料となる薪や炭などを定期的に入れてもらう必要があるからだ。

 

「ふむ、確かに彼女の顔色の悪さは前から気になっていた。いいだろう条件付きで許可しよう。そうだな……調理は一人で行わずに女騎士達にも手伝ってもらい全員ですること。それが守れるのなら人数分(・・・)の食材とかかる燃料費等は全て砦で負担しよう」

 

 護衛の女騎士ツヴァイと一緒に来ていたのだが、騎士団長の人数分という言葉に二人して顔を見合わせてしまう。

 

「どうしたモーリィ? まさかフィーアのためだけに君が料理を作るのでは他の者に不満がでるだろう……例えば君の同僚のミレーとかに?」

「あ……確かに」

 

 モーリィにも容易に想像出来ることであった。

 下手をしたら彼女が特別宿舎に住み込みで居つく可能性もある。

 モーリィの脳内で、球体の影さんを肩に乗せた陽だまりの髪と鳶色の大きい瞳をした少女が太陽のような天真爛漫な笑顔を見せた。

 

(うーん、それは非常に不味い気がする……貞操的な意味で)

 

 脳内のミレーさんがずっこけた。

 最近の聖女の中で、彼女の株は下がりっぱなしであった……具体的には騎士トーマスと同じ枠である。

 

「まあ、本来であれば聖女の君に下働きのような仕事をさせるのはよろしくないのだが……君は自分のことはともかく、他の者のことになると言っても聞かないからな」

「は、はい、すいません」

 

 からかうような騎士団長の指摘に、頬を染め首筋を押さえながら恥ずかしそうに体を縮こめるモーリィ。

 ツヴァイの貴公子然とした顔が微かに動いた。

 

 砦では騎士団長と一部の者、そして女騎士達しか知らぬことだが、最近の王都では聖女を王宮へ強引に呼び寄せようする、きな臭い動きがあるのだ。

 

 理由の一つが現在の聖女の容姿だった。

 

 白銀色の髪と澄んだ空色の瞳に儚げな美貌。

 華奢な体と豊かな胸……まるで月の女神のような姿。

 王宮の奥で保管展示されている、王国の始まりの女王の肖像画。

 国母エミリアと聖女モーリィは母娘というほどにそっくりなのだ。

 

 王家の偉大なる始祖と同じ特徴をもつ者。

 

 それを置いても現在の王家には白銀色の髪を持つ者が失われて久しい。

 中には聖女と王族で婚姻を結ばせ、白銀の血を再び王家に入れるべきだと強硬に主張する者もいる始末だ。

 

 そのような者達からすれば、下手げな聖女の扱いは例え本人が望んだことでも騎士団長と砦街を攻撃する格好の材料となるだろう。

 もっとも、騎士団長にとって聖女(・・)を砦で預った時から、それらのことも織り込み済みなのかもしれない。

 

 何しろアルフレッド・バードリーという男は、敵に回せば一番愉快なやり方で戦いを仕掛けてくる嫌なやつである。

 王国で権力を持つ者達にとって騎士団長は容易に手だし出来ぬ人物であることは周知の事実であった。

 聖女をくだらない権力闘争に利用されないようにするための防波堤。

 それが砦街で彼女を預っている最大の理由なのだから。

 

「よーし! それでは早速、夕方から食事を作ることにしますねっ!!」

「モーリィ、君はたまに……いや、手配はしておこう、まあ程ほどに頼むよ」

 

 そのような王都の状況など全く知らず、いきなり場所も弁えずに上着の袖をまくって、胸部装甲(たわわ)を揺らしながらフンスと気合いを入れる聖女。

 

 流石の騎士団長も苦笑して続ける言葉が出なかったようだ。

 

 ◇◇

 

 モーリィとツヴァイが執務室をでると特別宿舎に戻った。

 長いこと使われてなかった貯蔵庫の掃除をフィーアを入れた三人でしていると、食材と燃料の炭と薪を積んだ馬車が宿舎に届けに来た。

 とても早い仕事である。

 騎士団長アルフレッド・バードリーは性格はともかくとして、有能な男であることは確かであった。

 

 特別宿舎にいつの間にか全員いた女騎士と手分けして、大量の食材を掃除をしたばかりの貯蔵庫に運び入れる。

 白銀色の髪をまとめ、頭巾を被ったモーリィがそれらの陣頭指揮を執っていたが、最近の聖女と女騎士達の関係だと別段珍しいことではなかった。

 

 家の中ではモーリィ(オカン)が強い……つまりそういうことである。

 

 モーリィは届いた食材を見て食事のメニューに少し悩んだが、女騎士達がどの程度出来るかを知るため、最初は調理が簡単な煮込み(シチュー)料理を作ることにした。

 それに手間が掛からない鶏肉の蒸し焼きやサラダを出せば、砦の騎士並みに食欲旺盛な女騎士(ごりら)達でも十分な量となるだろう。

 

 念のため、料理経験者はいるのかとモーリィが聞いてみたら、女騎士全員が一糸乱れぬ綺麗な動作で首を横に振った。

 毎回その動きに感動を覚えてしまう聖女は、ちょっとした幸せで満足できる安上がりな人であった。

 

 全員でおそろいのエプロンを装着する。

 貴公子や王子様のような容姿の彼女達が、普段は見ないような家庭的な格好することが珍しくて、モーリィは頬に手を当てしばらく眺めてしまう。

 

(何かこういうのもいいよね……ハッ!?)

 

 いつの間にかモーリィに集中していた女騎士達の『どうしたの?』という視線。

 赤面したモーリィは慌てて首を振った。

 

 女騎士達には野菜洗いと皮むきをお願いして、自炊しなくてはならないフィーアには調理の基礎を教えながら料理することにした。

 次の日の朝食も考え、二十人前の寸胴鍋三つで作ることにする。

 女騎士全員が食堂の椅子に座り、机いっぱいに洗った野菜を広げてナイフを使い皮むきを黙々と始めた。

 刃物の取り扱いについては全く危なげなく行っていく。

 その手際の良さに感心し、彼女達は本当に料理をしたことが無いのかと疑問に思いながらも、モーリィはフィーアと鶏の解体作業をすることにした。

 

「意外と……大変……ね」

「大丈夫です慌てないで、こういうのは慣れですからね」

 

 フィーアはおっかなびっくりで鶏の解体作業を行っている。

 女騎士随一の剣技をもっているとはいえ勝手が違うらしい。

 とはいえ筋は非常に良いので問題はなさそうだ。

 安心したモーリィも作業を行うことにした。

 

 そして驚くべき光景が展開した。

 

 聖女が「えいっやあったぁ!」という気の抜けた声をだしながら、あっという間に鶏をばらばらに解体してしまったのだ。

 見事すぎるナイフさばきに、皮むきをしていた女騎士全員が口を開け驚愕の表情を浮かべた。

 中にはナイフを取り落とし目を指で擦っている者もいる。

 そこで見たものが信じられなかったのだ。

 

 普段のドンくさいトロ子ちゃんぶりはどこにやら、モーリィのそれ(・・)は慣れ程度で出来る解体速度ではなかった。

 

「す、すごい速いわ……」

「そうですか? うちの田舎では男も女もこれくらいは普通に出来ますよ。ああ、ひょっとして速いかもしれないのは羽が最初から毟ってあるせいかもですね? 血抜きもされてますし下処理済みとは流石に都会は違いますよね」

「え、ええっと……そ、そうなの?」

 

(違う、そこじゃない!!)

 

 凄まじい剣技の持ち主であるフィーアですら弱気になって突っ込めなかった。

 他の女騎士全員が心の中で突っ込んだが、空恐ろしいものを感じてフィーアに伝えることが出来なかった。

 奇妙な重圧であった……モーリィ以外の全員の額に汗がにじむ。

 

 調理ナイフをもった聖女(オカン)は時に剣の達人をも凌駕するのだ。



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特別宿舎の聖母

 聖女モーリィは解体の終わった鶏肉を調理台に置いた。

 

 解体作業はフィーアが行っているものを残し全て終わっている。

 モーリィは焦らずやるように伝えると、他の女騎士達を見ることにした。

 彼女たちに頼んだ皮むき作業はほとんど終了しているようだ。

 

 男前(イケメン)な笑顔でサムズアップをだす女騎士(ごりら)達に、笑顔でサムズアップを返す聖女(オカン)

 

「普段から刃物慣れしているだけあって皆さんとても皮むきが上手ですね。では、次はこの食材を切っていただきます。まずは私が手本を見せますね」

 

 モーリィはニンジン、玉ねぎ、ジャガイモといった大量な食材をまな板の上に無造作に置いた。

 そしてナイフを手に取るとまぶたを閉じて静かな深呼吸。

 女騎士たちが固唾をのんで見守る中、聖女は空色の目をカッと見開き「あちょーっ!」と間抜けな声をだしながらカッカッと切断(・・)していく。

 まるで流れるのような勢いで、鍋一個分の食材をあっという間に綺麗に切断(・・)し終えてしまう。

 

 ナイフを持った細い腕が無数に見えた……あり得ない速度だった。

 

「できるだけでいいので、こんな感じで均一に切っていただけますか? 指を切らないように気をつけて作業をしてくださいね」

 

 聖女はナイフを片手に握ったままにっこりと微笑む。

 汗一つどころか、頭巾に覆われた銀糸の髪には一本の乱れもない。

 女騎士達は一斉に、同時に、力強く首を上下に振った。

 背中には変な汗がにじんでいた。

 それはかつて彼女達が、王都に巣食う暗殺集団を壊滅するため、闇ギルドを襲撃(カチコミ)した時と同等以上の重圧だった。

 

 解体した鶏肉、フィーアに部位ごとの切り分け方などを教えながらモーリィは切断(・・)していく。

 それを見たフィーアの白皙の顔は再び引きつっていた。

 

 女騎士達にとって少々ショッキングな出来事がいくつかあったが、料理に必要な下ごしらえは全て終わったので、かまどに火を入れることになった。

 そこで聖女は、ぽつりと独り言のように呟く。

 

「……前々から思っていたのですが、特別宿舎の設備は凄いですよね? 王国文化の最先端って感じがします」

「最先端……なの?」

「そうですよ!!」

 

 フィーアが何気ない追従の相槌を打つと、モーリィは待ってましたとばかりに堰を切ったように喋りだした。

 

「いいですかフィーアさん? 各部屋には水道管が当たり前のように通ってるし、下水道も完備だし、大部屋には魔道具の照明とかもあります。台所もそうです! こっちのかまどなんて普通の家庭では使われないような大型の高級品で、パンとか焼ける機能もついているんですよ。これはとてもとても凄いことなんですよ? あ、ちなみにここの円形のプレートはですね、火を入れた時に鍋を乗せておくと余熱でお湯とか沸かすことができるんです。しかもですね……」

「え、ええ……?」

 

 元々、特別宿舎は高貴な方々が滞在するための施設で、炊事場などもお抱えの料理人が満足できる高級な設備が整っている。

 それがどれだけ凄いことなのかを他の者にも知ってもらいたくて、モーリィは新築の家の台所自慢をするオカン状態になっていた。

 興奮したように身振り手振り万歳で喋り続けるモーリィに言い知れぬ恐怖を感じ、フィーアは他の女騎士に救いを求めたが全員にソッと顔を逸らされる。

 彼女達は女騎士(イケメン)故に、女性(・・)のこの手の話題は黙って聞く以外に対処方がないことを知っているのだ。

 

 十数分後……フィーアが涙目になったあたりで、お喋りな聖女の台所自慢熱はようやくおさまり、作業を再開することになった。

 

「最初はこれくらいの量の炭で様子見をしまして、少しづつ薪を追加して火加減の調整に慣れていくといいですよ。それにこのかまどには火力調整用の吸気弁もついているので簡単に微調整もできますね」

「そうやって、やるんだ……」

 

 以前、フィーアが調理に挑戦した時は、炭と薪をかまどに目いっぱい突っ込んで最大火力で燃やし焦がしていた。

 少し考えたり観察すれば分かりそうなものだが、人は普段あまり関わり合いのないことや興味が薄いことには中々知恵が働かないものだ。

 

「では火を点けますね」

「ちょっとまってね……」

「はい?」

 

 フィーアは騎士服の胸ポケットから術式札を取りだすと、目を丸くするモーリィに構わず、かまどの中に入れて発動させた。

 大きい火が一瞬だけ噴き、すぐに消えるが炭に着火できたようだ。

 

「……つけたわ」

「あの、火は火打ち石を使って点けるのですが」

「え? ……あっ」

「術式札を、かまどの火を入れるたびに使っていたのでは値段的に割に合わないかと……流石の騎士団長も燃料費では出してくれないと思います」

「……うん、ごめんなさい」

 

 しょぼんと落ち込むフィーアにモーリィは不思議な気持ちになった。

 

(フィーアさんみたいな完璧そうな人でもこんな失敗をするのか……いや、それは当たり前か、できないことを補うために人は協力し合うのだし)

 

 まさに今の聖女と彼女達の関係がそうだった。

 

 モーリィは「いえいえ、次からは気をつけてくださいね」と微笑んだ。

 そしてついでとばかりに、隣のかまどにも火のついた炭をトングでつかみ入れて着火する。

 同じように続けて二つ、合計四つのかまどに火を入れた。

 一つは蒸し焼き用、残りの三つはシチュー用である。

 モーリィはフィーアにシチューの作り方を教えながら調理をすることにした。

 その間、手空きになった他の女騎士達にも仕事を割り振って頼んでおいた。

 

 オカン(モーリィ)の指示の元、女騎士達は連携し任務を遂行していく。

 

 熱した鍋に油を引き野菜と肉をいれてかき回しながら炒めて、次に小麦粉をまぜまぜ、水と牛乳を投入して塩などで軽く味を調えていく。

 ここまでモーリィは計量用のカップや秤を全く使わず、鍋に食材や調味料を無造作に突っ込んでいった。

 その様子を見ていた女騎士達は『えええ……』という不安げな顔をする。

 フィーアも『え? 料理ってそういうものなの?』と物言いたげな顔をしていたが、モーリィに勧められて一口味見をしてから驚く……その味付けは素晴らしく丁寧で美味しかったからだ。

 

 モーリィは全く意識せずにさり気無く行ったが、目分量だけできっちりと味付けされた料理を平均的に作れるのは優れた料理人だけができる高等技術であった。

 

 そんな一喜一憂する彼女達をよそに、モーリィは蒸し焼き作りに取りかかっていた。

 鍋の底にざく切りにした大量のキャベツを敷きつめ、その上に薄く切った鶏肉をドサドサ、後は水と果実酒と塩を投入してフタを閉めて蒸すだけ。

 合間にトマトとレタスで人数分のサラダをささっと作った。

 

(少し雑だけど大人数だから問題ないかな……それにもう、いい時間だし)

 

 フィーアは三個のシチュー鍋の前に張りつき、モーリィの指示通りに焦がさないよう必死に木べらで鍋をかき回している。

 モーリィは与えられた仕事を終えて行儀よくテーブルについている女騎士達を見た。

 普段の夕飯より遅い時間だ。

 辺りにはシチューと蒸し焼きの胃袋を刺激する良い匂いが漂っている。

 十二人の女騎士(ごりら)はしきりに喉を鳴らしており、そのうちお腹を空かせた女騎士(子ブタ)になってブヒブヒ言いだしそうな雰囲気であった。

 

(こ、これは急がないと……)

 

 モーリィはパン籠の中からの硬いパンを取りだす。

 このまま出してもいいのだが、せっかくだしパンを輪切りにして軽く炙ってみることにした。

 

 それからすぐ、女騎士達の想像以上に豪華な食事が食堂に運ばれた。

 

 各種の具が沢山入ったシチューは、口に入れれば舌の上でとろけるように濃厚でほくほくとした味わいを提供してくれる。

 シンプルな味付けの鶏肉とキャベツの蒸し焼きは、しっとりとした、しかし確かな歯ごたえで食欲を増進させる。

 レタスとトマトを切っただけのサラダでさえ瑞々しく輝き、油と酢と塩で作られたドレッシングは黄金律の完璧な割合である。

 バスケットに山盛りに積まれたパンはカリカリに焼きあがり、表面にほんのりとかけられた粉チーズとハーブがほどよい食感を演出するだろう。

 

 長机に全ての料理が並べられた時、女騎士全員の拍手があがった。

 モーリィは十四人分の食事をわずか半刻ほどで作りあげたのだ。

 女騎士達の協力があったとはいえ彼女の手際は素晴らしいものであった。

 

 長机に全員がつく。

 

 モーリィは主人席――俗にいうお誕生日席に困り顔でちょこんと腰をおろしていた。

 これについてモーリィは、十三人の女騎士の第一席であるアインが座るべきではないとか指摘したが、そんな聖女の肩にアインの大きな手の平が乗せられ(おんな)前の笑顔でサムズアップされた。

 十二人の女騎士も一斉に頷き、(おんな)前の笑顔でサムズアップしたのだ。

 

 特別宿舎内での権力構造が完成した瞬間であった。

 

 最高権力者であるオカン(モーリィ)に女騎士全員の視線が集中した。

 

「え、えーと……では皆さん、どうぞお召あがりください」

 

 お腹を空かせた女騎士達の食欲は凄まじかった。

 聖女モーリィは彼女達の胃袋をがっちりと掴んだのである。

 

 

 

 モーリィは食事を済ますと女騎士達の給仕に回ることにした。

 

 彼女は聖女になってからというもの食が細くなっていた。

 とはいえ普通の女性並みには食べるのだが、これは砦の肉体労働者達の食べる量が異常なだけであった。

 細身の女騎士フィーアですら、男の時のモーリィよりも多い量の食事をあっさりと平らげている。

 

 魔獣討伐、治癒回復、砦の騎士(さる)の調教。

 

 できる仕事を考えると、聖女モーリィの燃費が良すぎるのか、それとも砦の騎士や女騎士の燃費が悪すぎるのか判断のつかないところだ。

 

 それにしても女騎士達は本当に美味しそうに食べた。

 そしてお代わりを何度も頼んだ。

 上品だが気持ちのいい食べっぷりに作った聖女も嬉しくなってしまう。

 気がついたらシチューの入った二十人前の寸胴鍋は二つも空になっていたのだ。

 

 そうして食事が終わり、全員で後片付けと洗い物を済ませる。

 モーリィは明日の朝の下準備をすることにした。

 

(使い残りのジャガイモとニンジン……明日の朝はシチューが足りなくなるだろうから、ソーセージとか足してスープでも作っておくかな)

 

 ついでに取り分けておいた鶏肉の足などを、ハーブで下ごしらえして一晩寝かせておくことにした。

 これも朝一番で焼けば美味しく食べられるだろう。

 

「皆さん、食べたい物の希望とかありますか? 好物があるなら作りますよ」

 

 大満足ですと、緩んだ雰囲気でお茶や果実酒を飲んでいた女騎士達に、モーリィは何気なく尋ねた。

 瞬間……彼女達の空気が変わった。

 モーリィはその雰囲気に驚いてしまう。

 女騎士(ごりら)達は無言で椅子から立ちあがると、ぞろぞろと食堂の隅に集まって肩を組んで円陣を組みだした。

 そして頭や目を動かしながら会話をしている。

 モーリィには理解できないが、彼女達だけで意味が通じる特殊なやり取り(ジェスチャー)をしているようだ。

 ただ白熱していることだけは聖女にも何故か分かった。

 

 まるで森の賢者の集会である……全員の目が恐ろしく真剣だ。

 

 しばらくすると輪の中から伝令者のフィーアが歩みでてモーリィに尋ねる。

 

「あの……何でもいいの?」

「え、ええ、食材の関係もありますけど、私の作れる料理なら何でも」

「それで……何個まで?」

「え? 何個? あぁ……ええっと、食べたい物があるなら何個でも問題はないですよ」

 

 うほっ!? ……という声にならない歓声が女騎士達からあがった気がした。

 

 最近のモーリィは、フィーア以外は全く喋らない女騎士達とひとつ屋根の下で生活しているせいか、そこはかとなく察することができるようにはなっていた。

 

(そのうち、私も喋らないで会話できるようになるのかな?)

 

 それはそれで嫌だなぁ……と、お喋り好きな聖女は思った。

 

 フィーアから伝えられた料理は全てモーリィに作ることのできるものだった。

 そのことに騒めく女騎士達。

 

 そしてまた円陣を組みだした……森の賢者の集会再びである。

 

 その後、フィーアから料理の希望が何度も伝えられたが、それらも全て聖女に作れるものだった。

 モーリィが故郷から合わせ、幼いころから参加していた井戸端会議によって得た料理レシピは並みではなかった。

 中には遥か遠方の郷土料理などもあったが普通に知っていたのだ。

 

(様々な地方の料理……そういえば女騎士も希少クラスだし、彼女達も色々な場所から連れてこられたのかな?)

 

 モーリィは自分が砦街にきた経緯を思い出し、辛かった境遇を重ねて彼女達に対して優しい気持ちになる。

 聖女(おんな)になった時も支えてもらっているし、料理くらいで恩を返せるならいくらでも作ってあげようと思った。

 

 聖女は「皆さん楽しみにしててください、順々に全部作りますので」と豊かな胸の前で指を組むと、にっこりと慈母のような笑みを見せたのだ。

 

 モーリィは突然、女騎士アインの太い腕に腰から抱きしめられた。

 アインの体は女騎士の中でも一番大きく(ごりら)のようである。

 体格の差から足が床から完全に離れて、下腹部に当たる硬い腹筋(・・・・)の感触に清らかな聖女は首まで真っ赤にしてしまう。

 

「と、突然何ですかアインさん!?」

「……モーリィ、私と結婚して毎日料理を作ってくれって……アインが言っているわ」

「え、ええぇっ!?」

 

 フィーアの翻訳。

 他の女騎士(ごりら)の目が一斉に光り、ウホッウホッとモーリィに詰め寄ってきた。

 

 その日、聖女モーリィは十二人の女騎士に求婚されたのだ。

 

『希望の伴侶を得たければ相手の胃袋を掴みなさい』

 

 料理の得意な父ステファン・モルガンが幼い頃のモーリィに語っていたことだ。

 その横で父の作った料理をパクパクムシャムシャオイチーと幸せそうに食べる母アイラ・モルガンを見て実感したものだ。

 まさか再び実感できる日が来るとは夢にも思ってみなかったが。

 

 危うく女騎士ツヴァイの求婚を受けそうになったのは聖女だけの秘密である。



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砦のお姫さま

 砦の治療部屋に朝早くから騎士ライトの訪問があった。

 

 女騎士ツヴァイはライトの肩を叩くと、聖女モーリィにしばらく離れるとアイコンタクトをして出て行ってしまう。

 同僚のミレーは本日は用事があるというので不在であった。

 モーリィとライト。

 珍しく部屋に二人っきりになると緊張した様子のライトが用件を切りだしてきた。

 

「はい? お姫様……ですか?」

「その……彼らはモーリィさんのことを探すようです」

「はぁ、私をですか?」

「ええ、まあ、そうなんです……」

 

 普段は歯切れの良い喋りの彼が、今日に限って要領の得ない物の言いである。

 何か事情がありそうだと、モーリィはライトに椅子に座ってもらい、お茶をだすことにした。

 喉を潤せば話をする手助けにもなるだろう。

 

「ライトさん、お茶を淹れますが薬草茶でよろしいですか?」

「あ……あれですか、すいませんモーリィさん、お願いできますか」

 

 ポットからトポトポと薬草茶を淹れると、鎮静作用があるという独特の甘い香りが室内に広がる。

 モーリィはお茶をだすと胸ポケットに入れておいた薬草クッキーの袋を取りだし、お茶請けに勧めてみたのだが赤面したライトに凄い勢いで断られた。

 ライトさんって苦いものが苦手なのかなと、モーリィは意外に思った。

 

 実際はそうではなく、ライトからはモーリィが豊かな胸の谷間からクッキーを取りだしたように見えたのだ。

 

「それで、ライトさん。先程のお話ですが、お姫様……王族の方が砦にお見えしているのですか?」

「ああ、いいえ、そうではなくてですね……」

「はい」

「モーリィさんがお姫様……ということになりました(・・・・・)

 

 モーリィはライトの言っている意味が理解できずキョトンとした表情をする。

 その普段は見ない様子の聖女に、ライトは一瞬見惚れてしまった。

 モーリィは目の前の騎士の顔を見る。

 彼からは冗談を言っているような雰囲気は全く無く、聖女モーリィは本人も知らぬ間にモーリィ姫になっていたようだ。

 砦で今まで過ごした経験が、嫌な予感をひしひしと伝えていた。

 モーリィは静かに目を閉じると眉間に寄ったしわを指で揉みほぐす。

 

「う、うーん、何やら面倒事が起きていることだけは理解できました」

「その通りのようです。ええっと、その……非常に申し訳ありませんが、モーリィさんを拘束させて頂きます」

「ええ、はい……」

 

 流れで何となく返答し、モーリィは薬草茶を少し飲んでから「あれっ?」と思った。

 

 真意を問うべく空色の瞳でライトの目を見ると、二人の背丈と座高の違いから意図せずに見上げるような視線になった。

 魅惑的な上目使いというやつである。

 抜け気味のモーリィはそのことに全く気づいていないが、やられたライトはたまったものではなく、首まで真っ赤にして顔を横に逸らした。

 

 彼にとって……彼じゃなくても聖女のそれはかなりの破壊力であった。

 

(ライトさんって彫りの深い顔立ちなんだ)

 

 当のモーリィはお茶を啜りながらそんなことをボンヤリと考えた。

 

「あのーライトさん?」

 

「野郎ども狩りの時間だ! ひゃはあああああああああああああああ!!」

 

 モーリィがどういうことか改めて問いかけようとすると突然、聞き覚えのある雄たけびとともに治療部屋の扉が蹴破られた。

 彼女が「ひぃ!?」と驚くと同時に、騎士トーマスを筆頭とした第三騎士隊の愉快な面々がゾロゾロと雪崩れ込んできたのだ。

 予想もしない出来事に万歳して「ひぇー!」と絹を裂くような悲鳴をあげる聖女モーリィ。

 

 彼女は瞬く間に、第三騎士隊のごろつきどもの手によって、わっしょいわっしょいと肩担ぎで持ち上げられ連行されていった。

 

 

 ◇

 

 

「いいかしらみんな、これからさらわれたお姫様を救いだし、悪の魔王(・・)を倒しにいくわよ!!」

 

「よし! みんな頑張ろうっ!!」

『はーい!』

『ええぇぇっっっ!?』

「ちょっと男子だらしないよっ!?」

 

 砦街の少女エミルは二十人近い同年代の男子達を叱咤しながら、自分含め十人ちょっとしかいない女子の中でも、一番元気な返事を返した幼女の頭をぐりぐりナデナデしてあげた。

 

 指に返る良い手触り、幼女カエデは「うふーっ」と嬉しそうな声をだす。

 

 カエデはエミルが最近仲良くなった友達で、しっかりとしているのに彼女より四つも年下らしい。

 だがそれは些細なことだ。

 年上が年下の面倒をみて、いざという時は命を賭けても守る。

 それが闇の森の魔獣の襲撃に怯え撃退していた頃より砦街に受け継がれてきた掟。

 

 そう、砦街っ子は皆兄弟家族。

 

 エミルはその伝統を忠実に守る砦街少年団団長なのだ。

 

「いいわ! 実にいい気合いよエミル! 元砦街少年団団長として私も安心できるわ!」

「ありがとうございます! ミレー姉さんっ!!」

 

 腕組みして仁王立ちしているのはミレーとその肩に乗る丸玉の影さん。

 シュバッと敬礼しながらエミルは感激する。

 団長時代に数々の伝説を残してきた尊敬するミレー姉さんが褒めてくれたのだから!

 

 エミルのやる気はますますうなぎのぼりだ。

 

「それに比べて今回(・・)の男子達の情けないことといったら……!」

「いやいや、だってどう考えてもおかしいよミレー姉さん」

「レッド! 腰抜けはだまらっしゃい!」

「問答無用かよ!? ミレー姉さん、酷いよ!!」

 

 副団長のレッドが泣き事を言う。

 彼は団の中でも一番頭が良くて機転が利くので、外から来たばかりの人間であるにも関わらずエミルが砦街少年団副団長に推薦したのだ。

 

「というか、お姫様ってモーリィさんでしょう? あの人、僕と同じで田舎のほうからでて来たってクッキーくれながら前言ってたし!!」

 

 そこまで言って何を思い出したのかウフッと頬を染めるレッド少年。

 それに対してエミルは面白くないものを感じてムッとした表情を浮かべ、地団太を踏んでしまう。

 

「それは世を忍ぶ仮の姿! 本当はとある滅びた王家の一粒種? ……って、この手紙には書いてあったでしょう!! それにうちの一番上の兄さんも、モーリィさんのことは『俺のお姫様だ女神様だ結婚したい!!』って、いつも言っているのよ!!」

「それ絶対意味が全然違うってばっ!!」

 

 何が違うというのか?

 砦街少年団に届けられた挑戦状の手紙に、モーリィがある王家のお姫様と書かれていて『やっぱりかっ!?』とエミルは思ったのだ。

 

 砦の治療士モーリィ・モルガン。

 

 エミルが二年前(・・・)に井戸端会議で初めて見た時の印象は、地味な長袖にズボンと野暮ったい治療服を着けているというのに、隠すに隠せない清楚で可憐な美しさと、たおやかさをもった完璧な淑女(レディ)である。

 白銀色の輝く髪に空色の澄んだ瞳という幻想的な特徴も相まって、エミルにとってモーリィは理想とする女性像……いや御伽話にでてくるお姫様であった。

 

 そして恐ろしいことに、このひどく美化されたモーリィの印象は、エミルのような少女だけではなく砦街全体に広がっていたのだ。

 

 勝気で明るくて賑やかな性格の砦街の女性とは明らかに育ちが違う、穏やかで優しい雰囲気と落ち着いた物腰を持つモーリィは、砦街の若い男達の間では住む世界の違う高嶺の花としてマドンナ的存在となっていた。

 

 また若い女性の間でも、モーリィの月のような神秘的な美しさに憧れる者がかなりでていて、最近になって娘達の間でズボンが大流行しているのは彼女の影響であることは間違いなかった。

 

 当の聖女本人が聞いたら静かに黙祷し、深いため息をつきながら眉間のしわを揉み解していただろうが。

 

「よーし、みんな準備はいい? お手洗いまだの子はいるかな? あ、大丈夫かな。それじゃ、悪の魔王に乗っ取られた砦に侵入するわよ? いい? 黒騎士は全員、闇っぽい力で洗脳された砦の騎士だから油断はしちゃだめよ!!」

 

 どう見ても闇属性っぽい影さんを肩に乗せたミレーが、砦街少年団の面々を大げさな仕草で見渡して熱い演説(せつめい)をした。

 その何とも盛り上げる雰囲気にあっさりと乗せられたエミルは、有り余る力を持て余し今にも走りだしそうだ。

 

 そんな団長(エミル)のテンションが周りにも伝わったのか、乗り気では無さそうだった男子達もやる気になり、砦街少年団のボルテージがドンドンと上昇していく。

 唯一、純粋な砦街(イノシシ)っ子ではないレッド少年だけが『う、う~ん』と半眼の目つきの低いテンションのままなのである。

 

 そこにトンテンカンと木槌を打つ心地よい音がレッド少年の耳に届く……三日後に砦街で行われる『砦街の魔王討伐祭』のための準備の音。

 

 いま彼らがいる、この大広場の周辺も様々な飾り付けが施されていた。

 

 今から砦で行う砦街少年団の魔王討伐も、それに関係したことなんだろうなーと砦街少年団の中で一番聡い彼は思うのだ。



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砦街少年団

 三十人ほどの砦街少年団は砦の正門まで移動する。

 背の高さの順に並んで二列歩行だ。

 砦と街を繋ぐのは巨大で重厚な門。

 無数の石材をアーチ状に積み上げて作られたその建造物は砦街少年団の行く手を遮る、まさしく難攻不落の城壁であった。

 

「いい、みんな? ここから先は悪の魔王のいる敵地……一瞬でも気を抜いちゃだめよ? 一人の勝手な行動でみんなが危険に陥るからね? さっきも言ったけど黒騎士は敵だから気をつけて? いい、分かった?」

『はいっ! 分かりましたミレー姉さんっ!!』

「でも、もしもはぐれて迷子になったら近くの大人の人に……黒騎士の人でもいいから、迷子になりましたってしっかり言うのよ。そうしたらちゃんと案内してくれるからね、いい、分かった?」

『はいっ! 分かりましたミレー姉さんっ!!』

 

 ミレーはうんうんっと満足したようにうなずく。

 

「潜入したらお昼までは全員で砦を探索して囚われのお姫様を探すわよ。お昼は砦の中で美味しい食事を用意してあるから楽しみにしてなさい。お手洗い休憩も挟むけど途中で我慢できない場合は恥ずかしがらず私に言うのよ? 漏らす方がもっと恥ずかしいからね? いい、分かった?」

『はいっ! 分かりましたミレー姉さんっ!!』

 

 エミルを筆頭とした砦街少年団はかなり緊張した様子で、しかし全員が大きな声をあげて元気に返事。

 そのやり取りをしているすぐ横では正門に設置された騎士詰所があり、いつもは皮鎧なのに今日に限って黒い鎧をつけた砦の騎士達が、訓練用らしき(ぼう)を手にして厳めしい顔で立っている。

 それを何とも言えない気持ちで観察していたレッド少年は黒騎士の一人と目が合う。

 厳めしい顔のままこっそりウィンクをされたので、こっそりと会釈を返した。

 

 隣の家に住んでいるボブさんだった。

 

 エミルの横で、赤毛の幼女カエデが胸の前で小さい拳を握りしめてプルプルと体を震わせている。

 お手洗い……ではなく、ミレーの無意味にテンションを上げる説明にエミル同様に興奮して、これから始まる冒険に心躍らせているらしい。

 

「では、これから門を抜けるわよ……みんなが通り抜けるまで、私が白魔術で黒騎士達を押さえておくから、あそこに見える赤い旗が掲げてある場所で集合するのよ? ちゃんと並んで落ち着いて移動よ? いい、分かった?」

『はいっ! 分かりましたミレー姉さんっ!!』

「あ、それからエミル」

「はいっ! なんですかミレー姉さん!?」

 

 エミルは素早くミレーの前に出るとシュバッと敬礼した。

 

「エミルは団長なんだから、私に何かあったら(・・・・・・・・)、みんなを引っ張って行くのよ? あと一番小さいカエデの面倒はしっかりとね?」

「はいっ! 分かりましたミレー姉さん!!」

 

 やった! ミレー姉さんにナデナデされた!

 

 ミレーの言葉を反芻して頑張るぞーと気合いを入れるエミル。

 カエデの手を繋いでにぎにぎ。

 幼女は「うふーっ」と嬉しそうな声をあげてエミルを見上げる。

 そのやり取りを後ろで見ていたレッド少年は『ああ、これが前振りというやつか』と何だか悟ってしまった。

 

「あんたも、副団長なんだからしっかりとね(・・・・・・)?」

 

 念を押したように言われ、こっそりウィンクをしたミレーに頭をポンポンと撫でられてたレッド少年は『分かってます』と強く頷くのだ。

 

 

 砦街少年団の少年少女たちが見守る中、ミレーが黒い騎士達に静かに後ろから近づいていく……。

 ごくりと息の飲む一同。

 やがてミレーは黒騎士達の背後で両手の指を鍵爪に構えると、目をつぶりムニャムニャと怪しげな呪文を唱えだした。

 

「きぇー! これかしばらくの間は砦街少年団は見えなくナール!!」

 

 ミレーの白魔術(?)の掛け声と共に黒騎士達は戸惑ったように、なんだかわざとらしい仕草で周囲を見渡している。

 おぉっ! と声をあげる砦街少年団の一同。

 手を水平に伸ばし片足を上げた変わったポーズで白魔術(?)を維持してるらしいミレーがエミルをチラリと見た。

 以心伝心でエミルは大声で号令をだす。

 

「みんな、ミレー姉さんが押さえているうちに赤い旗の所まで移動するよー!!」

『おっ――!!』

 

 一番前をエミルとカエデ。

 一斉に、背の低い順で二列に整列して、黒騎士達の横を行儀よく歩いて抜ける砦街少年団の少年少女達。

 一番最後尾のレッド少年が半眼で砦の巨大な正門を抜けたと同時に黒騎士のボブさんが叫んだ。

 

「やや、貴様達は何者だー!? 怪しいやつらめー!? その首落として~魔王様に捧げる~生贄としてくれるわー!!」

「し、しまったー! 白魔術が破られたわー! みんなー! 早く逃げるのよー!?」

 

 ボブさんの棒演技につられて、ミレーの演技も棒になった。

 

 エミルを先頭に悲鳴をあげて逃げ惑う砦街少年団一同。

 そんな騒ぎの中、レッド少年は最後尾で、逃げ遅れや変な方向に逃げる者がいないかを冷静に確認した。

 大振りに振られる黒騎士達の(ぼう)を大げさな動作で回避するミレー。

 

「くっ! こうなったらー! 自爆覚悟のー! 最終奥義をー! 使うしかないようねー!!」

「な、なんだとー!?」

 

 レッド少年が振り向くと、棒演技のミレーは遠くからでも聞こえる大声で最終奥義の使用を宣言した。

 なるほど、黒騎士達との戦いはどうやら佳境に入っているようだ。

 

『ミレー姉さんっ!!』

 

 砦街少年団、少年少女達の悲鳴が上がる。

 ミレーは黒騎士達から連続後転飛びで距離をとると腕をグルグルと回し叫んだ。

 

「必殺っ!! 相手を倒すけど自分も死んじゃう最終奥義!!」

 

 辺りを目を眩ますほどの閃光が包んだ……。

 

 光が収まった時、そこには地面に倒れ伏す幾人もの黒騎士と、座るように膝を着き、微笑み真っ白に燃え尽きている元砦街少年団団長ミレーの姿があった。

 

「う、うわ――――!! ミ、ミレー姉さーんっ!?」

 

 初めて見る人の死(?)という名の犠牲……。

 

 その光景に、エミルは絶叫し体をガクガクブルブルと震わせた。

 隣にいるカエデも状況が把握できていないのか、エミルとミレーをキョロキョロと交互に見て忙しない。

 そんな二人の慌てぶりが周囲の少年少女達にも伝わって、砦街少年団の混乱は最高潮に達した。

 

「何だ? さっきの音は!? やや、怪しいやつらめっ!!」

 

 統制のとれない彼らを嘲笑うように、詰所で見ていた(・・・・)黒騎士達がわらわらと出てきた。

 このままでは捕まってしまう!?

 しかしパニック状態のエミルはどうしたらよいのか分からず、泣きそうになりながらカエデの小さい手をただ握り締めることしかできなかった。

 

 エミルの肩を誰かがつかんだ。

 

 いつにない怖い顔をした彼は……副団長のレッド少年だった。

 エミルは息をのむ、彼女の救いの手はすぐ傍にいたのだ。

 

「落ち着くんだ! エミルは団長で一番強い子だろう? あの赤い旗まで行けば安全だから、みんなを連れていくんだ!!」

「え、で、でも、レッド。ミレー姉さんはっ!?」

「あ、そ、それは、多分大丈夫!? あれは、演技……いやいや、大丈夫! 問題ない! とにかく今は僕を信じて進むんだ!!」

 

 今一つ乗り切れていないレッド少年ではあるが、幸か不幸か場の空気を壊すほど幼くもなかった。

 

「う、うん、分かったよレッド! み、みんなっ! 落ち着いてー!! 慌てずに赤い旗の場所までいくのよ!!」

 

 エミルの号令に、水を吸う砂漠の砂のように混乱が消えていく。

 

 いざという時は一糸乱れぬ団結力を見せる……砦街っ子の特徴である。

 少年少女達は避難訓練で練習した通りに二列を作ると移動を開始した。

 途中で何人かが転んだがすぐに助け合い、それ以上の騒ぎは起きず、全員無事に赤い旗の置いてある建物の前に辿りつけたのだ。

 

 黒騎士達は砦の正門から動けない決まりなのか、追っては来なかった。

 

 その遠くの正門で『ふーやれやれだ』と立ち上がったミレーを、レッド少年は見てはいない……見ていない振りをした

 

 ふーやれやれだ。

 

「ふーやれやれだ」

 

「あ、あのレッド……」

「うわあ!? ……あ、エミルか。みんな無事に辿りつけてよかったね?」

「う、うん……その、ありがとうレッド」

「え? いや、エミルがちゃんと誘導してくれたお陰だよ」

「ううん、レッドがいてくれなかったら、どうにもならなかったと思う」

「いやいや……」

 

 お互いを褒め称え合う。

 レッド少年はクイクイと手を引かれ握られる……カエデだった。

 幼女は二人と手を繋ぎ見上げて「うふーっ」と笑った。

 二人も照れ臭いものを感じて笑ってしまう。

 その時、エミルが思い出したかのように騒ぎだした。

 

「あ、そう言えばレッド! ミレー姉さんはいないし、これからどうしよう!?」

「うーん、それかぁ……ここで待っていれば何か起きると思うけど?」

「え、そうなの!?」

「うん……多分ね。案内する人が出てくると思うよ?」

 

 レッド少年が言った途端に、建物の扉がガチャリと開く。

 勿体ぶった動きで扉から出てくる二人の男女を砦街少年団は一斉に見た。

 まるで物語の盗賊のような身なりの男が、少年少女達の前に出るとおどけた仕草で敬礼をする。

 大げさな動きで行われたそれは不思議と堂に入るものだった。

 その後ろに影のように張りつく……というより隠れるように盗賊風の女がいた。

 

「よーう、お姫様を救いだし、魔王を倒さんとする勇敢なる砦街少年団の一同諸君! 俺はミレーから代理を頼まれた、砦街一の色男の爆弾魔(ボマー)様だ。特別にボマーさんって呼んでいいぞ? こっからは俺達が砦を案内するから、よろしくなっ!!」

 

 そしてボマーさんとやらは、背後で彼のシャツをつかんで隠れている女に目配せをする。

 

「わ、私は……フィーア……よ、よろしく」

「いやいや、フィーア!? お前は幽鬼(ファントム)って設定だろう!?」

「あ……うん、トーマス……その、私はファントムよ?」

 

『………………………………』

 

 砦街で色々と有名なお祭り男(トーマス)と、見たこともない白皙の美人(フィーア)のちぐはぐな二人組みを砦街少年団の一同は疑いの目で見つめた。

 

 ともあれ、レッド少年の予想通り案内役が現れたようだ。



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砦の舞台裏

 聖女モーリィと騎士ライトは、お互いの肌が触れるほどの距離で向かい合っていた。

 

 モーリィはライトの逞しい体に添えた指を繊細に動かす。

 最初はおっかなびっくりだったその動きも慣れてくると少しづつ大胆なものへと変化し、彼の鍛えられた腕や胸板に柔らかい双丘が何度も当たって蠱惑的に潰れる。

 しかし、白い頬を染めるほど夢中になっている彼女から気にするようなそぶりは全く見られなかった。

 

 このような時には遠慮無く動じず、ある意味で自由奔放ともいえるモーリィの振る舞いに、純情なライトの心臓は否応なしに鼓動を速めていく。

 

 やがてライトの肩を両腕でつかむと彼女は背を仰け反らし、瑞々しい桜色の唇から呻くような声をだした。

 豊かな胸と華奢な腰がブルブルと震え……そして一瞬の硬直の後、聖女は肉体の緊張をゆるやかに解くとライトの体に軽くもたれかかり深い吐息を漏らしたのだ。

 

「んんっ……ふっ、ふぅー。普段使っていなかったせいか随分と硬かったですね。ライトさん動いてみて変な感じはありましたか?」

「す、凄く気持ちよかったです! あ、いいえ、ま、まったくの、ダイジョブで、あります!?」

「あの……肩ベルトの留め金ですけど、本当に大丈夫ですか?」

「は、はひっ! もちろん、大丈夫ですっ!!」

 

 モーリィは肩ベルトの硬い留め金を何とか力ずくで留めることができた。

 彼女はライトが全身鎧を着けるのを手伝っていたのだ。

 

 その結果、ライトの顔は赤く染まって健康的に前かがみである。

 

 モーリィは一歩後ろに下がるとライトの姿を見あげた。

 英雄物語にでてきそうな純白の全身鎧をまとう聖騎士……いまだ少年の心を残す聖女は憧憬の眼差しになった。

 

「やはり、ライトさんのように体格がいいと全身鎧もよく似合いますね」

「そ、そうですか? あはは、普段着慣れない物なのでおかしくないでしょうか?」

「そんなことはないですよっ! その……とても格好良いし羨ましく思います!」

「う? 羨ましい? ええっと、ありがとうございますっ!!」

 

 クスクス、アハハと楽し気に笑う聖女モーリィと聖騎士ライトの後ろを、ウロウロと歩くのは黒い全身鎧の騎士ルドルフ。

 夫の着付けを手伝っていたターニャは、婚約の報告で幼馴染のルドルフを実家に連れていった時の父親の様子を思い出して笑ってしまう。

 

「ふふ、あなたも惚れ直すくらい格好いいわよ暗黒騎士ルドルフ様(・・・・・・・・・)?」

「う、うむ……そうか?」

 

 照れる夫の広い胸板を、ターニャはポンポンと叩いてあげた。

 

「ターニャさん、ライトさんの着付けも終わったので料理の方をしますか?」

「そうね、他の人の衣装は問題ないだろうし」

 

 ターニャは特別宿舎の食堂を見回す。

 普段は男子禁制のこの場所に、何人かの砦の騎士達がいた。

 

 野菜の皮むきや下ごしらえをしている女騎士達。

 それを手伝い意外と器用に芋を剥いているのは不死者(ヴァンパイヤ)姿の騎士団長アルフレッド。

 不器用に指を切るのは闇妖精(ダークエルフ)姿の第五騎士隊隊長フラン。

 四天王の一人、死人使い(ネクロマンサー)役の黒魔導士ジェームズはイベントのためすでにこの場にはいない。

 

 先ほど着付けが終わった闇の暗黒騎士(ダークナイト)ルドルフと、光の聖騎士(パラディン)ライト。

 魔王の配下の『魔王軍四天王』役の内三人が揃っていた。

 そして他にも多くの砦の騎士達が黒騎士として参加中である。

 

 今頃はトーマスとフィーアが砦街少年団の案内役をしているはずだ。

 

『砦街の魔王討伐祭』そして『砦街少年団の魔王討伐前夜祭』

 

 四百年前に影操りの魔王を討伐したとされる異界の勇者。

 その偉大な功績を称えるお祭りで、砦で今行っているのは前夜祭である。

 砦街の年少者が集まる砦街少年団の十才前後の者を対象に行われる砦主催の秘密の行事であった。

 

 砦街に突如現れた恐ろしい悪魔。

 悪の魔王が砦に呪いをかけ、お姫様をさらい砦街を支配下に置こうと企んでいる。

 このままでは砦街の魔王討伐祭を開催することも難しい。

 勇者の力を得た砦街少年団が呪われた黒騎士達の追撃をかわし、凶悪な四天王達を倒して、囚われの姫を救い影の魔王を討伐するのだ。

 

 聖女モーリィはそのお姫様という重要な役割に抜擢されてしまった。

 

 お姫様役の打診を事前に一言あってもよさそうなものだが、その場合、彼女は確実に断るので強引なこのやり方で正しかったのかもしれない。

 

「でもこのお祭りのお姫様役って、砦街生まれの女の人から選ばれるはずでは?」

「本来はそうなんだけど……今年お姫様をやるはずだった()が遠方に嫁いじゃったからねぇ」

 

 モーリィの疑問にターニャは料理の味付を行いながら答える。

 勇者達の御昼を……大人数の料理を作らなければいけないため二人とも手は止めない。

 女騎士から下ごしらえの済んだ大量の食材を受け取ってせっせと調理に勤しむ。

 八つのかまどは全て稼働中であった。

 

「それにモーリィ。君がここに来た二年前から、姫様役を是非して欲しいという砦の騎士の要望が多くあがっていて丁度よかったのだよ」

「第五騎士隊の本部にもモーリィさんをお姫様に! という住民の声が二年前から届いていましたね……あいたっ! モーリィさんまた指切っちゃいましたっ!?」

「二年前って……私がまだ聖女(おんな)ではなかった頃ですよね!?」

 

 口に牙を付け古式貴族風の衣装を纏う吸血鬼な騎士団長と、魔術で褐色肌にした、ムチムチミニスカート姿の素でダークエルフ(ふとましい)なフランの他人事な発言。

 聖女は最近癖になってきている眉間のしわを揉み解す。

 幼き頃の冒険者ごっこで散々お姫様役をやらされたというのに、砦街でもやる羽目になるとは何の因果か?

 

「この行事の姫様役に選ばれるのは、優れた知性・品格・美貌を持ち合わせている証明であり、砦街女性にとって大変名誉なことでやりたいと望む者は多いのだがね?」

「だったら尚更、私ではなく砦街の女の人から選んでくださいよ……」

 

 調理するお姫様(モーリィ)のぼやきに笑い出す一同。

 詳しい事情を知らないライトだけが疑問を浮かべていた。

 

「ああ、そういえば団長さん。今年は魔王役をやらないんですか?」

「ん、ああ……今回は、どうしても魔王役をやりたいという人がいてね」

「へぇ……やられ役をやりたいなんて奇特な人もいるもんですね」

「まあ、彼女が変わり者なのは確かだね」

 

 ターニャの質問に、ナイフの先端で宙にヒョウタンを描きながら返事を返す騎士団長。

 

「騎士団長が悪の魔王役だなんて色々な意味でぴったりですね。私もその時に討伐隊側で是非是非、参加したかったですよ」

「それは光栄だねモーリィ。しかし、言葉にそこはかとなく毒があるように感じられるのは私の気のせいかな?」

「気のせいですよ? それとも、そう聞こえるのは騎士団長が普段から悪巧みばかりを考えて心が汚れているせいではないですか?」

「ははっ、それこそまさかだ。王国中探しても私ほど公明正大で、潔白で、裏表の無い者はそうはいないだろうさ」

「信憑性のない自画自賛もそこまでいくと滑稽ですよね?」

「偽りのない本当のことだからな。というか、最近の君は女であることを利用して狡猾に(あざとく)なっているのではないかね?」

 

 見つめ合いナイフをぎゅっと握る聖女と騎士団長。

 

「ふふふ、騎士団長も面白い冗談をいいますね?」

「はははっ、いやいや、私は結構本気だがね?」

 

 素敵な緊張感だった。

 二人とも全く顔が笑っていない。

 しかし、誰も止める者がいないのは何気にこの二人は馬が合うからだ。

 騎士団長はともかく聖女は激しく否定するだろうが。

 

「ただいま~! みんな戻ったわよ!」

「あ、ミレーお帰りなさい」

「ご苦労様だ、ミレー」

 

 丁度いいタイミングでやり切った表情のミレーが戻ってきた。

 それに対し少しだけ不安顔のターニャは彼女に問いかける。

 

「少年団の子達は大丈夫だった? 怪我する子とかいなかったかい?」

「ええ、全然大丈夫です! このミレーさんの迫真の演技で、あの子たちのテンションもグイグイ引き上げておきましたし!!」

「ふーそれは良かったわ……ととっ、来たばかりですまないけど料理手伝ってくれるかい? 今作ってるのはアンタと少年団の子達の昼食と夕食だからね」

「おっけーまかせてターニャさん!」

 

 ターニャの手伝いをするべくミレーは軽やかに厨房の中に入っていく。

 

「とりあえず問題がなくて何よりだ」

 

 そう騎士団長がしめるように言った瞬間『ゴゴゴゴゴ』という地響きと『ドガガガガ』という凄まじい爆発音が連続で聞こえてきた。

 その場にいた砦の騎士と女騎士全員の視線がギギギ……とミレーに向いた。

 

 ハッと何かに気づき、砦のトラブルメーカーは愛らしく舌をテヘペロリ。

 

「そういえば、砦街少年団に魔王ちゃん(カエデ)が混じっていたわ!」

「ええっ! な、なんでカエデちゃんが!?」

 

 モーリィは最悪な状況を想定して悲鳴をあげた。

 

「あのね、たまたま出会って、一緒に案内役やるつもりだったんだけど、何だか参加したそうだったから……つい」

「ついって……いくらなんでもあのおチビ(カエデ)ちゃんは不味いでしょう! 下手したら死人がでるわよ!?」

「う……でも、でもさターニャさん。カエデ一人だけのけものにしてお祭りするのも何だか凄く可哀想じゃない!?」

「あー、ま、まあ、確かにそうかもね……?」

「いやいや、ターニャさん! 丸め込まれないでくださいよっ!?」

 

 モーリィの突っ込み。

 世話好きで子供好きなターニャは困ってルドルフを見てしまう。

 奥さんの頼るような視線に暗黒騎士(ルドルフ)は腕を組み力強く頷いた。

 そのことにターニャは安心してほっとしてしまう。

 

 夫婦仲が良くて大変よろしいが、何の問題解決にもなってはいない。

 

「この分だとジェームズ君あたりでしょうか、犠牲者は?」

「彼も魔導士だ、そう易々と逝かないとは思うが……大丈夫かな?」

「いいえ、ジェームズでも普通に不味いと思いますよ……」

 

 フランと騎士団長の何とものんきな会話に、ジェームズと同室のライトが冷静に指摘した。

 後ろで聞いていた女騎士達も一斉にうんうんとうなずいた。

 

 魔王ちゃんの魔術攻撃は常人なら即死してお釣りがくるほどの威力である。

 砦の騎士ならば二、三発攻撃を食らっても即死はないだろうが、黒魔導士ジェームズの耐久力はかなり低く常人程度(・・・・・・)しかないのだ。

 

 逝ったかな? 困ったどうしよう? 全員で頭を悩ましていたその時だった。

 

「ネクロマンサーのジェームズ。フフフ……奴は四天王の中でも最弱……人間如きにやられるとは魔族のツラ汚しよ……」

「う……こ、この声は誰ですか!?」

「美しき姫をさらい、この砦を邪悪な力で支配する悪の魔王……」

 

 食堂の入り口から声がした。

 よく分からぬ義務感に駆られ思わず呼びかけてしまう聖女。

 心当たりのある騎士団長はこめかみを押さえて渋面を作る。

 

「……つまりアタシだあっ!!」

 

 扉の影からテテッーと勢いよく飛びだしてくる人物がいた。

 漆黒の髪と竜のような角と尻尾と()

 その身をワンピースのミニドレスと甲冑とも生体ともつかない装甲で纏い、絶世の美貌を不思議なマスクで覆い隠して変なポーズを決める彼女は……。

 

『ひぇ! 魔王役に本物きちゃったっ!?』

 

 それは、謎マスクと魔王っぽい格好をした魔の国の魔王様であった。



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砦のお昼休憩

 魔王軍ご一行様はカフェテラスに来ていた。

 

 場所は、砦の行政区域である。

 

 騎士団長の執務室も当然ここにあり、砦の騎士(さる)達が棲息している軍事区域とは治療部屋を挟んで反対方向になる。

 特別宿舎にくる砦街少年団と鉢合わせになる前に、昼食も兼ねて移動したのだ。

 

 ミレーとターニャ、そして女騎士達は、少年団に食事をだすために宿舎に残っている。

 

 カフェテラスのある食堂は砦の外から来る者も利用ができ、料理は注文する形式で少々割高であるがメニューはそれなりに豊富であった。

 

「フ、人間ごときに敗北するとは情けない」

 

 そんな中で、周囲の人の目などは全く意に関せず、カフェテラスの椅子に傲慢な態度で足を組んで、魔王座りする魔王役の魔王様は非常にノリノリだ。

 謎の魔王仮面がキラリと光った。

 

 魔王という言葉がゲシュタルト崩壊しそうです。

 

 何だかテンションの高い魔王様に対して、分厚い丸テーブルを挟んでしょんぼりと座るのは、砦街少年団に敗れた魔王軍四天王の二人。

 ズタボロに黒焦げたローブをまとうジェームズと、ズタボロに切り裂かれたミニスカワンピをつけたフランである。

 二人とも聖女が治療したので完治しているが、酷く薄汚れて髪はボサボサで野良犬のようだ。

 ジェームズに至っては心肺停止し、死亡一歩手前でヒヤヒヤものであった。

 おかげで人体は焼け焦げたら、普通に死ぬものだと聖女は思い出すことができた。

 

 ありがとうジェームズ。

 

「お前達には失望したぞ」

 

 おおらかな魔王様にしては珍しい、冷たい声色での一言である。

 

「そ、そんな、お姉様! 私これでも頑張ったんです! 私一生懸命だったんです! 私全力を尽くしたんです!!」

「魔王陛下、いくらなんでも無茶ぶりですよ。無詠唱で、しかも、手を前に振るのと同じくらいの速度で魔術を連発されたのでは、僕達では善戦どころの話ではありませんよ?」

 

 言い訳をする二人に対して、まったく嘆かわしいとばかりに腕を組み、わざとらしく重々しい溜息をつく魔王役の魔王様。

 この人、役に浸ってるな……と察するジェームズはともかく、お姉様こと従姉の魔王様に敬愛の情をもつハーフエルフのフランとしては、嫌われたくない一心でとても必死である。

 

「わーだーじーがーんーばーりーまーじーだー!!」

 

 いい大人が半泣きで、テーブルの隅を両手でペチペチ叩いて本当に必死である。

 女としての恥じらいどころか幼児退行すらも疑われるほどだ。

 女史のそんな奇行に、カフェテラスのそばを通る人々の視線が集まる。

 ヒソヒソというささやきの空気に、すぐ横にいたジェームズは冷や汗を流した。

 そしてさらに、フランが腕を上下させるたび切り裂かれて半ば下着と化した短衣から、胸部重装甲(どたぷん)が激しく揺れて上乳、下乳、と交互にはみだして実にきわどい。

 対面で同席しているルドルフとライトは目の毒ゆえに視線を逸らし、動じてないのは美味しくなさそうに茶を啜っている騎士団長のみ。 

 

 既婚者のルドルフはともかく、純情なライト君は顔が真っ赤である。

 

「黙れっ負け犬がっ!! というかフーよ、そのだらしねぇータレ乳は何だっ!? アピールか!? エロアピールなのか!? ひょとしてアタシを誘っていやがるのか、あ”あ”ん!?」

「ひ、酷いっ! まだ、垂れてないですぅ!? で、でもお姉様となら……うひひっ」

 

 フランは真っ赤に染まった頬に手を当て、体をくねらせ乙女(メス)の恥じらい。

 もう色々な意味で見てられなくなった騎士団長が、こめかみ押さえて仲裁に入る。

 

「まあまあ、魔王様。元々四天王は負けるのが前提ですので、責めるのも程々に」

「フ、我が腹心ヴァンパイヤロードのアルフレッドが言うのならば、ここまでにしておいてやろうか」

「それと魔王様。カエデお嬢さんはうちの連中より普通に強いですからね? 砦に一対一で勝てる者などおりませんよ」

 

 騎士団長のお手上げ宣言に、何故か、うふーうふーと喜んで得意げになる魔王様(まごばか)

 

「フフ、流石は我が血をひくもの! これは燃える展開の一つ、ラスボスは肉親だったが(はかど)るわね!!」

 

 魔王を演じている魔王様だが、台詞の最後は素の魔王様であった。

 

「今のところは少年団のイベントは無事消化されており、夕方前には最後のイベントである魔王討伐になりますので、それまでは問題起こさないように……わかってますね? 本当にお願いしますよ魔王様?」

「フフフ、言うまでもないぞ、ヴァンパイヤロードよ?」

 

 あ、まだその役作りするんだ……騎士団長は若干疲れた顔を見せた。

 

 砦主催の『砦街少年団の魔王討伐前夜祭』は幾つかの問題に見舞われたが、中止になることなく進行していた。

 

 まずはネクロマンサーのイベント。

 これはジェームズがいい感じに魔術を使い、最終的にボマーことトーマスが体を張って相打ちにする演出のはずだった。

 次にダークエルフのイベント。

 これもフランがいい感じに魔術と鞭と蝋燭を使い、最終的にファントムことフィーアが体を張って相打ちにする演出のはずだった。

 その後に実は生きていたミレーさんがでてきて、特別宿舎の食堂へと昼食をとるため案内するのが午前の部までの予定であった。

 

 しかしこのシナリオは、真の魔王(イレギュラー)ちゃんによって覆されてしまったのだ!?

 

 実際のところ予定は最初からガバガバで、いくらでも修正可能だったので問題はなかったのだが。

 

「団長……流石にこの状況で、本物を魔王役にしておくのは不味いのでは?」

 

 砦でも比較的常識人のルドルフが、今更ながら騎士団長にヒソヒソと進言する。

 魔王VS魔王……彼には怪獣大決戦的な光景が見えてしまったようだ。

 

「まあ、一応、手は打ってあるから問題はないだろう……多分」

「は、はあ……?」

 

 騎士団長もヒソヒソとルドルフに返した。

 しかし微妙に自信なさげである。

 

 うーんうーん、ご飯は何にしようかしら?(味覚音痴)

 あ、お姉様このデザートお勧めですよ!?(甘党)

 聞いたことない料理名ばかりで、どれを頼めば?(田舎者)

 僕としては普段の料理のほうが飽きなくて好きだけどね?(お貴族様)

 

 などと、わいわいがやがやと、のんきにメニューを見ていた彼らの周囲が急に騒がしくなってきた。

 面子や格好で道化師のように注目され、元々それなりに騒がしかったので誰も気にしていなかったが、歓声は近づいて来るようだ。

 騒ぎの中から歩いて来る女騎士のツヴァイが見えた。

 一人ではない、ツヴァイは恭しく手を取って何者かをエスコートをしているようだ。

 そのエスコートされていた令嬢らしき女性が彼らの前へ静々と歩みでてきた。

 

 男四人は同時に顔をあげ、同時に口を大きく開いた。

 フランは頬に手を当て「あらあらまあまあっ!」とおばちゃんのように大喜び。

 魔王様は何もコメントせず仮面の下でニヘラと笑った。

 

「あはは……ええっと、こんな風になっちゃいました」

 

 そこにいたのは周りの熱い視線を一身に受ける、純白のドレスをまとった治癒士モーリィであった。

 

 白銀の髪は華美に結いあげられ。

 優れた職人の手による純白の豪奢な衣装を劣ることなく身にまとい。

 ほんのりと施された化粧は、普段とは違う美しさを引きだし。

 いかなる場だろうと主役になることを運命づけられた華麗な大輪の花でありながら、同時に静謐な清楚さを持ち合わせた奇跡的な容姿。

 

 百人に聞けば百人の者すべてが言うだろう。

 

 それはまさしく、麗しき姫の姿だった。

 

 ◇

 

 聖女モーリィは女騎士ツヴァイと共に特別宿舎を魔王軍一行より先にでていた。

 彼女の手には魔王様が持ってきてくれた衣装があった。

 以前、砦の迷宮探索の際にメルティから貰ったドレスを、魔の国の王宮付きの裁縫士の手によってスカートを延長する形で仕立て直してもらったのだ。

 

 お姫様役を渋っていたモーリィだが、ここでやりませんと退けられるほど空気を読めない人間でもなく、みんなが楽しめればと我慢することに決めた。

 聖女モーリィ、そして騎士ライトやレッド少年のような、真面目で空気の読める人間ほど割に合わない目に合うのは世の常である。

 

 騎士団長の執務室のある建屋を訪ねると、三人の若い女性秘書達がモーリィを歓迎してくれた。

 お姫様役の着付けは彼女達がしてくれるらしい。

 

「騎士団長から話は聞いてるよ、モーリィちゃん」

「モーリィさんお久しぶりね」

「わー、髪の毛のサラサラ~。手入れとかどうしてますっ!?」

「え、ええっと……」

 

 早速、秘書三人に囲まれ、あれやこれやといじられるモーリィ。

 ツヴァイは壁に寄り掛かって、その騒ぎを愉快そうに後ろから見ていた。

 

「うわぁ、乳凄い! これが砦街で噂のたわわかっ!?」

「んー若いせいか化粧のノリが本当にいいわね、羨ましいわ」

「髪の毛が絹糸ですよっ、絹糸! 素晴らしい手触っ!?」

「あ、ああっと……」

 

 余計なところも色々といじられ……。

 

「まじか!? 胸の谷間が!? 指どころか手の平が隠れるだと!!」

「うーん、美人すぎるせいか化粧映えが今一つ、素が高すぎるのも困りものね?」

「うなじ……うなじぃぃ……はぁはぁ」

「…………」

 

 その結果……。

 

「うわぁ……ありえない」

「うわぁ……ありえない」

「うわぁ……結婚したい」

 

「あ、あの……?」

 

 反応に戸惑うモーリィ。

 ツヴァイは男前に笑いながらサムズアップした。

 そして聖女は秘書三人娘のうっとりとした視線を頂戴したのだ。

 

 ◇◇

 

 モーリィの後ろにさり気無く立つツヴァイ。

 彼女はいつもと変わらない騎士服だが貴公子のような容姿のため、モーリィ姫のエスコート役として恐ろしいくらいに映えた。

 

 まさに御伽話の王子様とお姫様のカップルである。

 

「きゃああー! モーリィさん! 素敵です! 最高です! 私の知っている三百年の祭の中で一番のお姫様ぷりですよっ!!」

「あ、ありがとうございます、フランさん?」

 

 ハーフエルフのフランは年甲斐もなく、頬を染めるほど興奮して大はしゃぎだ。

 そして砦街の魔王討伐のお祭りが三百年前から行われていることが、フランさんの年齢とともに判明してしまった。

 

「ふふ、流石はモーリィちゃんね、類を見ないほどのナイス美人さんよ! アタシも魔王役に身が入るというものだわ!!」

「ありがとうございます……でも、魔王役は程ほどにしてくださいね魔王様?」

「おーいぇーす、わかってま~す~モーリィ姫様に釘さされちゃったわぁ~ん」

「………………」

 

 お祭りテンションのためか、いつも以上に自由人な魔王役の魔王様。

 モーリィ姫はとても不安になって、そして少し苛ついた。

 

「と、まあ、それはともかくとして……そこの男子達~、何かモーリィちゃんに言うことはないのかしら?」

 

 魔王様の呼びかけに、ポカーンと口を開け、惚けたように姫を見ていた男達は同時に我に返った。

 

「「「「モ、モーリィ!!」」」」

 

 どがしゃあああああんっっっ!!

 

 四人で同時に何か言いかけて、四人で同時に立ちあがって、四人で同時に重たい丸テーブルをひっくり返して、四人とも仲良く下敷きになった。

 その喜劇じみた醜態に、女性陣は唯々苦笑をする。

 モーリィは目を丸くした。

 

「あらあら、肝心な時に冴えない男の子達ねぇ?」

「うふふ、みんなモーリィさんの魅力にやられちゃいましたかね?」

「え、ええっと……?」

 

 モーリィが困った時の女騎士に視線を向けると頷かれ。

 

『だらしない連中だ』

 

 モーリィは女騎士の声に出ない言葉を何故か理解できてしまった。

 先行きに余計不安を覚えて、モーリィ姫は眉間を解しながら溜息をついたのだ。

 

 かくして『砦街少年団の魔王討伐前夜祭』は午後の部に入った。




おまけ

『砦街少年団の魔王討伐前夜祭』でモーリィ以外でお姫様役をやったことのある登場人物

フランシス
ターニャ







そして魔王様……あれぇ?


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砦の魔王

 砦街少年団は数々の困難を乗り越えて、遂には邪悪な魔王のもとまで辿りついた。

 エミルは振り返る。

 ここに至るまでの冒険と起きた出来事を。

 

 冒険の始まり、砦の正面門を抜けるための激しい戦い。

 

 そこで尊敬するミレーとの悲しい別れがあり、そして新たな出会いがあった。

 チンピラ風のボマーと、幸薄そうな美人のファントムの二人組である。

 

『うーん、二人は付き合ってるのかなぁ? お店に来る、お年寄り夫婦に雰囲気が近い』

 

 エミルの実家はお菓子を出す喫茶店を経営していた。

 隣がボブさんの家で、更に隣がレッドの伯父が経営するパン屋さんだ。

 

 道端で現れた貧相なネクロマンサーを倒した。

 道端で現れた太ましいダークエルフも倒した。

 二人ともエミルと手を繋いでいたカエデが倒してくれたのだ。

 エミルは驚いた。

 カエデの小さい手から炎や風が湧きだしたのだから。

 

『凄いカエデ強い! もしかしたらカエデは伝説の勇者の子孫ではないだろうか!? 勇者カエデ、うん、しっくりくる、なんか凄い強そう!!』

 

 偉い偉いとナデナデしてあげたら、うふーとカエデは喜んだ。

 

 ボマーとファントムの二人に案内されたのは立派なお屋敷。

 満面の笑みでみんなを迎えてくれたのは死んだはずのミレーだった。

 

『ミレー姉さんがいたのには驚いた。でも嬉しかった。実は生きていたらしい、凄い流石はミレー姉さんだ!! でも、レッドが微妙に変な顔してたけどなんでだろう?』

 

 とても美味しい食事をみんなでワイワイと取り、ターニャと女騎士達に見送らながらお屋敷を出る。

 しばらくしてから道端でばったり出会った暗黒騎士は強かった。

 

『カエデの攻撃に暗黒騎士は五発も耐えた。暗黒騎士を倒したら、何と呪いが解けて聖騎士になったのにも驚いた。聖騎士ライト、騙されやすそうな顔してるけど確かに聖騎士だ!!』

 

 聖騎士からは人数分の聖剣(紙製)を貰った。

 強くなった気がする!

 エミルと砦街少年団は魔王がいるという場所に向かった。

 

 四天王が三人しか出ていないことをエミルは疑問に思った。

 後ろの方で「あー出迎えの用事が出来たから騎士団長はキャンセルだって」「ミレー姉さん、それ何で僕に言うんですか?」などと二人が話していたが、エミルには何のことかは分からない。

 ただ、ミレーに乱暴に髪の毛をかきまわされているレッドの、嫌がっているが満更でもない様子にエミルは少しむっとしてしまう。

 

 とにかく彼らは邪悪で悪い魔王のもとまで辿りついたのだ。

 

 ――――

 

 砦の訓練や運動会で使われる場所……野外修練場。

 

 広大な修練所の中央には、並べられた安物の椅子が二つ。

 色々と演出するのを諦めたというか、存分に暴れてくださいという前夜祭スタッフのささやかな配慮と、さり気ない心使いと、もうどうにでもなれという自棄が見え隠れしていた。

 

 もちろん純粋な砦街っ子達がそれに気づくことはない。

 

 ――――

 

 雲一つなく澄み渡った空の下、魔王とお姫様が仲良く椅子に座っている。

 変な格好の魔王が、とても悪そうな感じで椅子に魔王座りをしていた。

 しかし悪い魔王という割には貫禄がない。

 化粧水を飲んで酔っ払ったり、猫の群に尻尾を噛みつかれ追いかけ回されたりしていそうな魔王である。

 

 それでも魔王なんだっ!!

 

 ひどく不自然な光景だったけど、砦街少年団の少年少女達は気にしなかった。

 何故なら隣の椅子には、囚われのお姫様が困り顔で座っていたから。

 こちらは物語から抜け出てきたような本当に美しいお姫様だった。

 わぁ……本物のお姫様だ、あとで握手してもらおう。

 そんなことを考える少年少女達。

 

 砦街少年団のテンションはいやがうえにもあがっていく。

 

 ヘンテコな魔王は椅子から悪そうな感じで立ち上がる。

 そして悪そうな声で、悪そうに話そうとして喉に負担がかかったのか、ゲホゲホと咳き込んだ。

 

 ヘンテコで威厳なくて頭も弱そうだ。

 

「ゲフっゴフっ……フ、ハハハ、よくここまで来たな、勇敢なる砦街少年団の良い子の諸君!! 早速だが取引、世界の半分、魔王の配下。ついでに言うならアタシの戦闘力は五十三万です」

 

 これは有名な魔王の取引、悪魔の誘惑だ!!

 でも何を言っているのか分からない!?

 ヘンテコな魔王は言葉も不自由で足りてなかった!!

 

「あの……魔王様、その、仰ることが難し過ぎて(・・・・・)、子供達には理解できませんので、もう少し分かりやすくはできませんか?」

「あ、そう? うーん、アタシの故郷だと普通に通じるんだけどなぁ」

 

 美しくて清楚なお姫様が苛ついた顔で「せめて人間の言葉で喋ってくださいよ」と吐き捨てるように言った気がするけど見まちがいだと思う。

 

「……え、ええっと、勇敢な砦街少年団の皆さん! どうか邪悪な魔王を倒してこの地に平和をもたらしてください!!」

 

 立ち上がったお姫様が腕を大きく広げて、まるで魔王のフォローでもするかのように懇願する。

 腕の動作に大きい胸がたゆゆんと揺れた。

 あ、こういう場面、勇者の紙芝居で見たことある!!

 単純な砦街っ子のやる気はうなぎのぼりだ。

 

 魔王は大の字に手足を伸ばし、魔王っぽい悪そうなポーズをとった。

 

「さあ、かかって来い! 砦街少年団の良い子の諸君!!」

『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』

 

 魔王と砦街少年団との最後の戦いが、なし崩し的に始まった。

 

 

 魔王は強かった。

 

 エミルの腕の中にいるカエデがぷるぷると震えている。

 武者震いではない、恐怖で震えているのだ。

 

 変な格好で変な仮面を着けているのに魔王は本当に強かった。

 

 魔王はカエデの魔術をことごとく影さんぽいもので相殺する。

 そして大勢の影さんぽいものを作りだし、突然一糸乱れぬダンスをしてみせた。

 あまりにも見事すぎて、砦街少年団は思わず全員で拍手。

 

 でも中央で踊る魔王のリズムだけがワンテンポずれていた。

 

 力の差は歴然、それでもカエデは果敢に魔王に立ち向かっていた。

 エミルは彼女を抱きかかえたまま必死になって応援する。

 凄い魔力に酔いそうだけどエミルは強い子、我慢。

 砦街少年団も全員で応援、ミレーも一緒になって応援してくれる。

 レッドも一番声を張り上げて必死に応援している、流石は副団長だ。

 

 勇者の冒険物語のような幻想的かつ勇壮な光景。

 爆炎が上がり、風が巻き起こり、大地が隆起し、氷が砕けて雷が落ちる。

 砦街少年団も近寄って来る影さんぽいものを聖騎士に貰った聖剣(紙製)でペシペシと叩く。

 悲鳴(?)をあげて消えていく影さんぽいもの。

 

 あっ! 魔王に攻撃が当たった!?

 やったやった! みんな魔王を倒したぞ!!

 な、なにぃ、翼が生えた! 魔王が第二形態になっただとお!?

 もうだめだぁ、おしまいだっ!?

 

 ミレーの解説が熱かった。

 

 お姫様が「ああ、もう、二人ともほどほどにぃ……」と口に手を当てておろおろとしていた。

 大人の人達は全員が首を横に振っていた。

 

 カエデは闘志に満ち溢れていた。

 幼女の体からあふれる熱い魔力の滾りを、抱きしめていたエミルはつぶさに感じていた。

 しかしカエデがエミルの腕の中で震えだしたのはこのすぐ後。

 

 そう、真の恐怖はひょっこりとさり気無く、いつの間にかやって来ていた。

 

「……お二人ともこのような場所で、いったい何をなさっているのですか?」

 

 

 ◇

 

 

 モーリィは目を見張った。

 

 魔王ちゃんが年上の少女の腕の中で突然ぷるぷると震えだしたのだ。

 抱きしめている子は、確か砦街少年団団長のエミル。

 カエデは闇の竜並みの高い戦闘力を持っているが、同時にひどく怖がりな性質も持ち合わせている。

 ぷるぷる震えることは実はそれほど珍しくはない。

 つい先日も治療部屋の裏庭を掃除中にヘビを発見して驚き、モーリの頭に飛びついて危うく二人して池に転落しそうになった。

 その際、カエデの魔力が暴発し、運悪く何人かの砦の騎士に被弾したが、運が悪かっただけなので聖女的にも砦的にも問題は別になかった。

 

 そんなことよりも今は魔王役をやっている魔王様だ。

 

 彼女も震えている。

 そりゃもう、ぷるぷると派手に震えていた。

 モーリィは『カエデちゃんと震え方がそっくり』と妙な感心してしまう。

 あるいは彼女のリアクションこそが、カエデのオリジナルなのかもしれない。

 

 かくかくぷるぷると震えている新旧魔王の視線の先に人がいた。

 二人、魔族の女性だ。

 一人はモーリィも知っている人物。

 

「ふむ、派手にやったものですね……お母様、それにカエデ?」

 

 魔術攻撃によって凸凹の地表となった野外修練場を見渡し、腕を組んで呆れたように呟くのは黒衣のドレスをまとう(ひと)であった。

 魔王様とよく似た美しい顔立ちに、魔王ちゃんと同じ炎色の髪と瞳を持つ女性。

 ただし、ぷるぷる威厳のない新旧魔王コンビとは違い、凛とした貫禄のある雰囲気を持っていた。

 そんな彼女とモーリィの視線が合った。

 

「お久しぶりですホムラさん」

「久しいなモーリィ……ほう、それが姫の格好か? ふふ、竜花草のような可憐さだ。素晴らしく似合っているぞ」

「あ、ありがとうございます?」

 

 モーリィは魔の国のホムラ女王陛下直々のお褒めの言葉を頂いた。

 竜花草がいかなる花かは不明だが、褒められているのだろう、たぶん。

 

 そしてもう一人の女性は……。

 

 魔族特有の尖った耳と切れ長の目、豊かな胸部装甲を持った小柄な体。

 地味だが仕立ての良い侍女服を身に着けており、全体的に柔和そうな顔立ちだが、しかしその表情は鋭い氷を思わせた。

 彼女はさらりと周辺を見渡し、ため息をつき、それから魔王様に近づいていく。

 

 魔王様は、カクカクぷるぷると震えて逃げ腰で後ずさる。

 

「……魔王陛下、どういうことか、ご説明して頂けますか?」

 

「う、あ、あのね……こ、これは……」

「人族に対し、理由なく力振るうことを禁じたのは陛下にございます。それを何ですか、この破壊し尽くされた酷い有様は?」

「あ、あ、これはお祭り、そうお祭りだから頑張って、ア、アレよお祭りなのがいけなかったのよ!?」

「しっかりと人間様の言葉で意味が分かるように喋ってください!! 陛下がそのようなだらしないことでは、カエデ様にも悪い影響が出るのですよ!!」

「ひぇ、ひぇ、ごめんなさいっ、ひぇ!!」

 

 小柄な侍女服の魔族女性にとっちめられている魔王様が、流れるように正座をしたのは余程繰り返された動作だからだろうか?

 その動きは何らかの武術です、と言い切れるほどに無駄がなく洗練されていた。

 万歳しながら必死に言い訳を試みる変な仮面をつけた魔王に、砦街少年団の少年少女達は何が起きているのは理解できず、ぽけーとしてしまう。

 エミルに抱かれているカエデは泣きだし、少女の薄い胸に顔を押し付けている。

 どうやら恐怖のあまり抱きつき防御姿勢に入ったようだ。

 

 モーリィとホムラはその様子を眺める。

 

 小柄な魔族女性は怯える魔王様の仮面を無理やり剥ぎ取ると、現れた美しき顔を指でわしづかみにしてギリギリギリ。

 凄まじく痛そうな悲鳴が上がった。

 その光景に二人は、体を震わせて何ともなく顔を見合わせる。

 モーリィの何とも言えない表情に、ホムラも何とも言えない表情で答えた。

 

「侍女長だ……」

 

 侍女長だ……その一言には不思議な説得力があった。

 モーリィの父ステファンが言う「アイラだからね」と同等の重さを感じた。

 

「や、やめて、角はやめてぇ!?」

 

 侍女長が魔王様の()をつかんだ……しかし抵抗された。

 あ、でも凄い、片手で引きずり回している。

 

「やれやれ、派手にやっているようですな……」

 

 疲れたような声色とともに音もたてず現れたのは、用事があると席を外していた吸血鬼姿の騎士団長だった。

 いきなり声をかけられてモーリィは驚くがホムラは動じない。

 

「困りますよホムラ様、せめて案内するまで待っていただかないと」

「すまんなアル。私はそうしようと思ったのだが侍女長がな……」

 

 その言葉に、魔王様と侍女長の場外乱闘をちらりと見る騎士団長。

 魔王様がタップしている。

 侍女長の裸絞が彼女の細い首に深く決まっていた。

 

「ふむ、母娘三代そろって侍女長殿には弱いようですね?」

「否定は出来んな。だがなアル、誰だってお袋(・・)さんには弱いものだろう?」

 

 まったくですねと笑いながら応じる騎士団長。

 モーリィは二人は知り合いだったのかと少しだけ驚く。

 唯の知人よりも深そうな感じに、従姉の白銀髪女性を思い出した。

 

「た、助けて、アルちゃん助けてぇぇー!!」

 

 魔王様は騎士団長がいることに気がついたのだろう、最後の望みとばかりに涙目でぷるぷると助けを求めた。

 しかしそんな魔王様に対し、騎士団長は冷ややかな顔で返した。

 まるで屠殺場に運ばれる家畜(ぶた)を見る目だ。

 

 彼の態度に、腕挫十字固を掛けられていた魔王様はハッと何かに気づいた。

 

「ま、まさかアル……わ、()を売ったのか!?」

「時期が悪かったのですよ、祭りに魔王は二人(・・)もいりませんからね」

「き、貴様ぁ!! は、謀ったな! 謀ったなぁアルっっっ!!」

「魔王様……貴女は少々やり過ぎた」

「ち、ちくしょおおおおおおおおおおお!!」

 

 ククッと邪悪に笑う騎士団長は魔王様よりもよっぽど魔王みたいだった。

 聖女モーリィどころか、女王ホムラまで「うわぁ」と声に出して引いていた。

 

「アルフレッド様、協力に感謝を。皆様、大変お騒がせしました。ではごきげんよう」

 

 侍女長は満足したのか、後はさっさと撤収とばかりに、一同に対して微笑み見事な淑女の挨拶をする。

 その場にいた全員が無意識の内におじぎをしていた。

 礼とは、心より相手に敬意を感じた時に自然と出るものである。

 

 侍女長の手に握られている太い尻尾は全員見ていない。

 

 魔王様は魂を削るような悲鳴を上げて、ずるずると引きずられていく。

 足掻く彼女が突き立てた闇の爪が凸凹とした地面に深く長い傷跡を残した。

 それを見送った騎士団長は、何事も無かったかのようにトーマス達の元に歩いて行った。

 どうやらイベントの修正をするようだ。

 

「まあ、失礼した。私もカエデを連れて帰るとしよう」

「は、はい……その、お疲れ様です?」

「ああ、本当にな……」

 

 ホムラは艶やかな赤髪を軽くかき上げるとため息交じりに呟き、娘を見た。

 そして彼女は砦街少年団の少年少女達に囲まれるカエデの姿に目を見開いた。

 視線を離せない、そう言い表すのが一番近い状態だろうか。

 感情表現が豊かな女性であるが、いつにない様子をモーリィは不思議に思った。

 

 ぐずっているカエデはエミルに抱かれ、周りの少年少女達に慰められている。

 

「モーリィ、一つ聞きたいことがある」

「はい、何ですか?」

「その……あの子達は、そのだな……カエデの、と、友達なのか?」

 

 ホムラの聞くことをためらっているようなその態度。

 彼らは友達……だろうとモーリィは思った。

 物怖じしない気質の砦っ子はともかく、はにかみ屋のカエデがあれほど溶け込んでいるのだから。

 

「ええ、あの子達はカエデちゃんの友達ですよ」

「そ、そうか……そうかそうか」

 

 ホムラは安堵したようだ。

 モーリィには彼女の声は喜びを含んでいるように思えた。

 

「あー、モーリィ。このお祭りの、この後の予定はどうなっている?」

「はい、魔王討伐のイベントが終わった後は、みんなで夕飯を食べて入浴してから特別宿舎でお泊り会ですね」

「ふむ……」

 

 顎に指を当て思案するホムラ。

 

「すまないがモーリィ……カエデも一緒にお願いしていいだろうか?」

「え、ええ、構いませんが、その、よろしいのですか?」

 

 以前カエデを部屋に一泊させた後に、魔王様からホムラと侍女長にダブルで一晩中説教されちゃて云々という話をモーリィは聞き及んでいた。

 その時は、一晩って大変ですね……くらいの軽い気持ちで答えていたが、先程の()を知ってしまうと洒落にならない気がする。

 

 モーリィの不安に気づいたのかホムラは苦笑した。

 

「大丈夫だ。侍女長は理由があり、説明するなら怒りはしないさ」

「あ、そうなのですか、それなら問題はないですね」

「ああ、それにお母様も、あれはあれで楽しんでいる部分があるからな」

「へ? 楽しんで?」

 

 世の中には痛めつけられることに喜びを見出す人がいるという。

 あの魔王様もそんな性質なのだろうか?

 高貴な御方の聞いてはいけない特殊性癖を聞いてしまい頬を染めるモーリィに、察したホムラが慌てて手を左右に振る。

 

「ああ、違う、違うぞ? 誤解をさせるような言い方をしたな」

「そ、そうですよね? すいません早とちりしました」

 

 モーリィとホムラは二人して頬を染めた。

 女王は真面目な顔を作ると咳払いを一つ。

 そしてエミルの胸の中でうつらうつら眠りだしたカエデを遠目で眺めながら語る。

 

「他者より遥かに強い力を持つということは、恐れられ、媚びられ、利用され、最後には孤独になるということだ。本人が何とかできる問題ではなく、そこに例外はない。我々魔族ですらその傾向はある」

「魔王様が、孤独……」

「ああ、お母様は誰よりも実感して知っているのだろう。だから侍女長のように人として接してくれる者が何よりも嬉しいのだ」

「……………」

「私も、そしてあの子も、お母様ほどではないが似たようなものだ」

 

 彼女の言葉には経験者としての重みがあった。

 

 モーリィは自分に置き換える。

 力……聖女の常識外れといえる治癒の能力。

 考えて怯える。

 自分もいずれそう感じる日がくるのだろうかと。

 しかしホムラ見て、その不安は水を流すように消えていった。

 カエデを見守る彼女の顔は優しく、誰よりも強い母の顔だったからだ。

 

「ホムラさん、カエデちゃんを一晩お預かりしますね」

「そうか、感謝するぞ聖女モーリィ」

 

 聖女と女王は、お互いに微笑みあった。

 

 

 さて、『砦街少年団の魔王討伐前夜祭』も後片付けかなとモーリィが思った瞬間、いきなり背後から腰に手を回され抱きかかえられた。

 突然のことにモーリィは驚く。

 目の前のホムラも今度は驚いた表情をしていた。

 モーリィの体を片手で軽々と持ちあげ、逞しい胸に抱きよせている者は騎士団長だった。

 

「ふえぇ!?」

 

「フハハハハハッ、砦街少年団の諸君!! 邪魔な魔王は我が策略により消え失せた!! だが戦いは終わりではない、真なる魔王の私を倒し、美しき姫を救い出してみせるがよい!!」

 

 ばさりとマントを翻す、古式貴族の衣装を身に纏ったヴァンパイヤロードにモーリィ姫はウィンクをされた。

 つまり、そういう演出になったらしい。

 呆気にとられながらも周りを見るモーリィ。

 

 しかし次の瞬間には声に出して小さく笑ってしまう。

 

 強引すぎる修正なのに、砦の騎士達は本当に得意げな顔をしている。

 仕方のない大人達だと感じつつも、それが愉快に思えたからだ。

 

 突然の追加イベントに目をぱちくりとさせている砦街少年団の少年少女達。

 だが騎士団長の言った言葉の意味が伝わると、不完全燃焼だった彼らのボルテージがじわじわと上がっていく。

 

「み、みんなー! 何とヴァンパイヤロードがこの事件の黒幕だったのよ! やつを倒して、お姫様を救い出し、砦街の平和を勝ち取るのよ!!」

 

 申し合わせたタイミングで、ミレーが発破をかけるように煽った。

 

「よーし、みんな頑張るよ!!」

『おぉ――――――――!!』

 

 瞬時にテンションを上げた砦街少年団団長エミルの掛け声に、砦街少年団全員(・・)が一斉に呼応し、再び魔王討伐戦が開始されたのである。

 

 

 ヴァンパイヤロードこと騎士団長アルフレッド・バードリーは、六発(・・)ほど耐えたことを記しておく。




おまけ、エミルの冒険、脳内早見表


カエデが仲間になった

ミレーがログアウトしました
レッドに助けてもらった
ボマーとファントムのカップルが仲間になった

ネクロマンサーを撃破
ダークエルフを撃破

ミレーがログインしました
レッドが微妙な顔をした
美味しいご飯を食べたよ!

ダークナイトを撃破
パラディンが仲間になった
聖剣を貰ったよ!

騎士団長はキャンセルになった
ミレーとレッドの仲がよさそう

魔王が現れた!?
お姫様を発見した!

影さん達がダンスをしたよ凄い!!

謎の美人なお姉さんが二人現れた

カエデが泣きだした!

魔王が謎の侍女さんに討伐された!?

ヴァンパイヤロード?真の魔王が現れた!?

目を覚ましたカエデが真の魔王に魔法をぶち込んだ!!


to be continued……


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祭の終了、そして始まり

 エミルと砦街少年団の少女達は、その身を震わせていた。

 

 特別宿舎の共同風呂。

 

 湯気が漂い、反響音が響く空間で全裸の彼女達が見たものは……。

 それは浴槽の湯船に、四つのまろやかな球体が並んで浮かんでいる光景だった。

 第一発見者であるミレーは、その場で膝をつき、目と閉じると祈るように手を組んだ。

 急激な動きに湯船の湯が跳ねて波打つ。

 彼女の表情は恐ろしいほどに真剣で、長い放浪の末にようやく自らが仕えるべき神を見出した旅人のようだった。

 彼女のそれは、どこまでも真摯な未来への祈りであった。

 まだ幼いはいえエミル達も女である。

 ミレーのその気持ちは痛いほどに理解できた。

 少女達も次々と膝をつき、祈るために手を組んだ。

 

 神の信者となったエミルの口から言葉がこぼれる。

 

「お、おっぱい、大っきいです」

 

「エ、エミルちゃん…………」

「あははは……困りましたね」

 

 視線の集中砲火を受けたモーリィとフランは、重圧に耐えきれずに豊かな胸を手で覆い隠した。

 腕に挟まれて、ふにゃりと潰れる四つの球体。

 おっぱいって手で持つ(・・)ことが出来るんだ!

 少女達は感動を覚えた。

 

「みんな、おっぱい神様よ!? 後々絶対、ご利益あるからしっかりと祈りを捧げるのよ!!」

 

 最近少しだけ膨らんできた慎ましいミレー。

 この娘の知能は興奮のあまり下がっており、色々と駄目な人になっていた。

 ミレー姉さん、言われるまでもないぜ!

 とばかりに、まだ未来のある小娘達は浴槽の中で神様を取り囲み熱心に祈りを捧げる。

 

 ……どうか、大きくなりますように。

 ……どうか、太ましくなりませんように。

 ……どうか、慎ましくなりませんように。

 

「……あんた達、一体何してるんだい?」

 

 呆れたような声が神の周りで祈りの儀式をしていたミレー達にかけられる。

 彼女達が振り向くと、ターニャとカエデがいた。

 面倒見のいいターニャが、お姫様役で疲労したモーリィに代わり、カエデの面倒を見ていたのだ。

 ターニャは体を洗ってあげたばかりのカエデを、おいしょっと重そうに抱き上げて、湯船の中のモーリィに手渡す。

 そして自分も入ろうとしたところで、少女達の目が褐色肌の胸に集中していることに気づき「おぉぅ」と仰け反った。

 

 信仰の対象になるかどうかを判別するオッパイ教団の熱い視線だった。

 

「ミレー姉さん、判定は!?」

「むぅ……神ねっ! ターニャさんはこっちよ!」

「え? な、なに、何なんだい!?」

 

 オッパイ教団の司祭と化したミレーに腕を引っ張られ、ターニャはモーリィの隣に強制的に座らされた。

 湯船に沈むターニャの体。

 褐色の二つの球体が湯船にプカリと浮かぶ。

 三人の女性の六つの柔らかい球体が並ぶ、左から超特大、特大、大といった重量級である。

 そしてオッパイ教団の祈りの儀式がゴニョゴニョと再開された。

 祈る信者たちを見渡す胸部装甲(ターニャ)、『なんなのこれ?』と胸部装甲(モーリィ)胸部重装甲(フラン)に視線で問いかける。

 二人は苦笑いで応えた。

 

 幼き少女達の未来への祈り……神様、どうか、おっぱいが大きくなりますように。

 

 モーリィは、その必死すぎる光景から目を逸らす。

 自身の精神の安定をはかるかのように膝の上に乗せているカエデの頭を撫でた。

 魔王ちゃんは聖女の胸に体を預け「うふー」と満足そうな声をだすのであった。

 

 ◇

 

 同時刻、一般宿舎の共同風呂。

 

 ライトはイベントが無事終了したことと、特別宿舎で子供達と一緒に食べた夕飯に満足をしていた。

 その際に、お姫様姿で給仕をしていたモーリィに見惚れてしまい、トーマスに指摘され、子供達にからかわれてしまったのは不覚であるが。

 ただ役割とはいえ、騎士団長を始めとしたルドルフやジェームズや黒騎士達といった今回の前夜祭で苦労した者達を差し置いて、自分とトーマスだけが聖女の手料理を食べたことに申し訳ない気持ちもあった。

 

 ライトは脱衣所で服を脱ぐと風呂場の扉を潜った。

 

 広い空間、途端に聞こえてくる騒がしい喧噪と熱気。

 元々混む時間帯ではあるが今日はいつも以上に混雑をしていた。

 三十人ほどの小さい客人が砦の騎士達と一緒に入浴していたからだ。

 ライトは湯で軽く体を流し、広い浴槽の空いてる場所に腰を下ろす。

 胸の辺りまで熱い湯につかると、意識せずにため息が漏れた。

 田舎育ちの彼は湯につかるという習慣はなく、砦に来るまでは水浴びで体を清めていた。

 そのため、お湯を潤沢に使う共同風呂にひどく驚いたものだ。

 

「トーマス、あれやれよ、あれ!」

「打楽器! 打楽器!」

「はっ、クソガキ共が、やってほしけりゃ、トーマスさんって言え!!」

 

 反響し聞こえてきたのは甲高い声と巻き舌気味の声。

 見れば少年達の頭をくしゃくしゃとかき回しているトーマスの姿があった。

 

「ネクロマンサーだ、やっちゃえ!!」

「おぉー!!」

「おらー!!」

 

「こ、こら、止めたまえ子供達!? 僕はもう洗脳を解かれて、まともになっているからね!!」

 

 今度はジェームズの悲鳴が聞こえた。

 助けが必要かと探してみれば、ジェームズの背中に子供達が三人ほど乗っかっていた。

 砦の騎士ほど丈夫ではないジェームズだが、筋力そのものは保有魔力の恩恵でそれほど低いわけでもない。

 それに彼の表情からも問題はなさそうだった。

 ライトは砦の騎士達の合間をぬって騒がしく走り回る少年達を見て微笑んだ。

 色々と予想外のことがありすぎる砦の騎士生活だが、このように平和な光景を作るためと思えば、普段の苦労など大したことがないものに思えた。

 

「ふぅー……」

 

 肩を揉み解しながら、再びため息をつく。

 ライトはしばらくぼうっと雫の滴る天井を見上げていたが、自分の傍に立つ気配に気づき視線を向けた。

 少年だった。

 確か、砦街少年団の副団長をしている……。

 

「どうもライトさん。今日は聖騎士(・・・)の役、お疲れさまでした」

「ああ、お疲れさま、君は確か……レッド君だったかな?」

「はい。あの……隣に座ってもいいですか?」

「ん? どうぞ、ゆっくり温まってくれ」

 

 並んで湯につかる。

 騒がしい周囲の声、しかし二人の間では沈黙が続く。

 ライトはくつろぎながら再び天井を見上げた。

 利発そうな少年から、自分に対して何かを聞きたそうな雰囲気は感じていたが、彼が切り出すのを何も言わずに待つことにした。

 なにもなければそれでもいい。

 ライトの父や、師である御老人方はいつも彼に対してそうしていたから。

 

 やがて、うつむいていたレッドが顔をわずかにあげた。

 

「ライトさん質問してもいいですか?」

「俺で答えられることなら。いったいなんだろう?」

 

 うなずくライトに話し出すレッド。

 

「ライトさんは、どうして騎士になったのですか?」

「どうして、か……」

 

 ライトは視線だけで横に座る少年を見た。

 首元まで深く湯につかっているレッドからは何の感情も読み取れず、ただ揺れる湯面に視線を落としているだけだった。

 

「父が騎士だった。そして祖父もだ。我が家は先祖代々騎士として生きてきた。父達の背中を見て育った俺も自然と騎士になっていた……まあ、そんな感じだ」

「家業を継いだ……ということですか?」

「家業? ふーん、確かに言われみればそうかもしれないな」

 

 ライトは騎士とは生き方だと思っていた。

 だが同時に、砦の騎士として職務を果たし対価を得ている。

 そういう意味ではレッドの言う通り、騎士は金を稼ぐ仕事とも言えるだろう。

 

「そうですよね、家を継ぐって大事な事ですよね……」

 

 何かを納得させるかのように呟くレッド。

 その口調に、少年は年のわりに老成しているとライトは感じた。

 

「あの、騎士になって、違う仕事をしてみたいと思った事はないですか?」

「……それはもちろんあるが、それほど深く考えた事はないかな」

 

 レッドの納得してなさげな雰囲気を察し、ライトは何か上手い言葉がないかと探して頭を振った。

 元々お上品な育ちではない。

 上手い言い回しなどは考えつかない。

 だから少年に対して飾らず、ありのままの気持ちを伝えることにした。

 

「ただ……例え先祖代々騎士じゃなくても、騎士になっていたと思う。俺には騎士としての生き方が性に合ってるし、そして騎士が好きだからだ」

「…………」

「レッド君。君が何に悩んでいるのかは俺には分からない。ただ望みがあるのなら、自ら手を伸ばさない限りは届く事は絶対にないと思うぞ」

「自ら手を伸ばす……」

 

 そうつぶやき、レッドもライトと同じように天井を見上げた。

 

 ――おらぁ! これが俺様の人間打楽器だぁぁぁぁ!!

 ――ひゃああ、トーマスすげぇぇ!!

 ――いいぞトーマス! もっとやれぇ!!

 ――ばーか! ばーか! ぎゃははははははっ!!

 

 唐突に、どっという歓声があがる。

 二人が見るとトーマスが両手を後頭部で組んで腰を左右に振っていた。

 断続的に響き渡る肉を叩く音と大爆笑。

 やんや、やんやと手を叩き喜び煽る騎士(ばか)達と砦街っ子(おばか)達。

 トーマスは男のみが出来る荒業、人間打楽器を披露していたのだ。

 大変お下品であるが、異性がいないと知能が下がり猿になって悪乗りするのは男も女も大差はなかった。

 そして砦の騎士(さる)達にとってはこれが日常茶飯事である。

 下品なバカ騒ぎにライトとレッドも周りに釣られるように大笑いをしてしまう。

 

「あははは、ライトさん、僕決めました。家に戻ったら伯父さんと将来の事について話してみたいと思います」

「ははっ、そうか、君の望みが叶うといいな」

「はい、ありがとうございました!」

 

 ライトに礼を言うレッドの表情は、実に晴れ晴れとしたものであった。

 

 ◇◇

 

 特別宿舎、夜も更けた時間である。

  

 少女達は一人づつ別れ、女騎士達の部屋で眠ることになった。

 砦街少年団の少年達は騎士の住居である一般宿舎で泊まっている。

 モーリィも泊めることに関しては問題はないが、彼女の部屋には何故か四人も詰めかけていた。

 

「悪いわね、モーリィ」

「いえいえ、問題ないですよ」

 

 彼女のベッドを占領し眠りにつく三人に毛布を掛けながらモーリィは答える。

 くーくーと寝息を立てるミレーと、彼女に抱きつきスースーと寝ているエミルとカエデ。

 球体の影さんは枕もとを転がりながら寝ていた?

 女騎士達が予備のベッドを部屋に運んでくれたので二人はそれで眠る予定だ。

 モーリィは椅子に座って、騎士団長に聞いた前夜祭を砦で行う理由を考えていた。

 そしてベッドに腰掛け、髪をクシで梳いていたターニャに話かける。

 

「ターニャさん、砦街の子供達は、十才で将来のために出来る仕事を探すのですね?」

「そうね。大抵は親の家業を継ぐけど、それ以外の子はやれる仕事を選んで学び、

 独り立ちのために備えなくちゃいけないからね」

「まだ十才なのに、何だか凄いですね」

 

 砦の騎士は、その特殊性から他の場所から来た者が多いが、それ以外の砦の仕事は砦街出身の者が大半を占めている。

 前夜祭とは子供達に砦とはどんな場所かを体験してもらい、将来の仕事の候補として視野に入れてもらうためでもあった。

 モーリィが最初に聞いた時は、お祭りなのに夢の無い話だと思ったが、よくよく砦街の事情を知ると、なるほどと納得したのである。

 

「私がその頃は将来の事なんて考えていなくて、いずれ農夫になるものとばかり思っていましたよ」

「ふふ、土地によって、それぞれのやり方があるからね。モーリィも今では砦にとって必要不可欠な聖女様になっているんだから、人生って分からないものだよね」

「うーん、それは買いかぶりだと思いますが、まあ、自分でもこんな風になってしまうとは予想外でした」

 

 モーリィは自らの体を見下ろす。

 寝間着代わりの大きな上着の上からでも分かるほど、胸は盛り上がり自己主張をしていた。

 誰だって自分の性別が、ある日、突然に変わるとは想像もできないだろう。

 

「ターニャさんは、その頃はどんな感じでした?」

「わたしかい? もうずいぶんと昔の事だからねぇ……」

「そんな事言って、ターニャさんは今でも若いですよ」

「あはは、見え透いたお世辞でも嬉しいよ。そうだねぇ……あの頃は家の商売を手伝うために勉強をしていたかな」

「ターニャさんの実家って大きいお店でしたよね?」

「規模は大した事ないさ、建屋だけは無意味に大きいけど大半が倉庫みたいなものだからね」

 

 ターニャは髪を梳く手を止めると、懐かしむように語りだす。

 

「それで近所にルドルフとトーマスがいて、二人はよく悪さをしていたねぇ」

「トーマスさんはともかく、ルドルフさんが悪さって想像がつかないですね」

「あれでああ見えて、小さい頃は喧嘩っ早くて、やんちゃだったんだよ」

「へぇ……何だか意外です」

「ルドルフは昔から正義感が強くて、それが元で喧嘩になってたんだけどね」

 

 それならあり得そうだと、想像したモーリィは微笑んだ。

 

「あと……トーマスは昔からトーマスだったねぇ」

「あの人は昔からトーマスさんだったんですね……」

「はは、まあトーマスだからねぇ」

「そうですね、トーマスさんですからね」

 

 フォローになってないフォローに二人で笑い合う。

 

「ああ、そういえばもう一人、親しくしていた妹みたいな子がいたんだけど、エリー……」

 

 楽し気に話していたターニャの言葉が唐突に止まる。

 モーリィが見ると彼女は失言でもしてしまったかのように口を手で押えていた。

 

「どうしましたターニャさん?」

「何でもないよ……そろそろ遅い時間だし寝ようか?」

「え? ええ、はい」

「明日は朝早く起きて、わんぱく達の食事の準備しなきゃだ」

 

 ターニャは手早く髪をまとめると、先にベッドに入って横になる。

 取り繕うような不自然な話の切り方だった。

 モーリィは疑問に思ったが尋ねることはしなかった。

 ターニャの表情はどこか苦しそうで、とても聞ける雰囲気ではなかったからだ。

 ランプの火を消すと途端に室内は暗くなる。

 モーリィは手探りでベッドに入るとターニャの隣に体を横たえた。

 目を閉じるとミレー達の穏やかな寝息が聞こえる。

 中々寝付けず時間だけが過ぎるが、不快ではなかった。

 ターニャはモーリィに背を向けていて、呼吸音も静かなことからまだ眠りについていないようだ。

 モーリィがうつらうつらとしていると動く気配がした。

 ぼんやりと宙を見ていると、ターニャにきつく抱きしめられた。

 

「ターニャさん……どうしました?」

「悪いねモーリィ、今晩はこうさせておくれ」

 

 モーリィはしばらく迷ったが、彼女の背中に手を回して震える体を優しく抱きしめ返した。

 

 こうして『砦街少年団の魔王討伐前夜祭』は終わりを迎えたのである。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 翌日、砦街の早朝。

 

 レッドは街の道を走り、家路を急いでいた。

 砦街はその性質上、外部からの人の流れが盛んである。

 そのため、砦に勤める者は緊急時や、家族の防犯も兼ねて砦付近の住宅を優先的に割り振られていた。

 レッドの伯父は砦に職を持つ住人達を相手に商売するパン屋であった。

 やがて家に着く。

 パンが描かれた壁掛け看板が見える。

 やや古びており絵も掠れていた。

 

「ちょっ、ちょっと、レッド早いよー」

 

 後ろから駆け足でついて来たエミルが文句を言う。

 レッドが振り向くと、彼女は膝に手をつき息を切らしていた。

 

「あ、ごめん、どうしても伯父さんと直ぐに話したい事があったんだ」

「ふぅふぅ……話したい事?」

「うん、将来の仕事についてね」

「ふーん……レッドはパン屋さんになるんじゃないの?」

 

 レッドは首を横に振った。

 

「そうかー、よく分からないけど、頭の良いレッドのやることだもん間違いはないよ、私も応援するね!!」

「うん、ありがとうエミル……それじゃ、また後でね」

「うん、またお昼にうちの店に来てね!」

 

 ぶんぶんと手を振るエミルと別れると、レッドは彼の住居でもあるパン屋の扉を開ける。

 自分の家……と呼べる程度には愛着がわいていた。

 

 レッドが故郷の凶事で両親を亡くし、遠方の伯父を頼り砦街に来てから一年が過ぎていた。

 辺境の田舎であったレッドの故郷。

 近場にダンジョンが発生し、発見が遅れて魔物が溢れだした結果、村は襲われ村人の殆どが殺された。

 

【魔女】【白銀】【魔弓】【聖騎士】

 

 そう呼ばれる四人が駆けつけて、魔物の討伐とダンジョンの封印をしてくれなかったらレッドも今頃は生きてはいなかっただろう。

 

 その中でも、純白の鎧をまとった騎士がレッドには忘れられない。

 

 幼い少年が味わった、どうにもならない理不尽な出来事。

 魔物の群を前に、両親を失い心が凍りついた少年は死を受け入れようとしていた。

 そんな時に、村に押し寄せる雲霞のような魔物達を相手に一歩も引かず、自分を守ってくれた騎士の姿が生きる希望を与えてくれた。

 大樹のように揺るぎのないその姿がレッドの心に焼き付き、支えになり、どうしようもなく憧れたのだ。

 

 カウンターを潜ると、パン焼き工房に伯父はいた。

 丁度パンを焼くために窯に火を入れようとしているところであった。

 伯父は結婚をしておらず家族はいない。

 レッドが訪ねて来た時、実の妹である母と義弟の父の死に悲しみ、両親を失ったレッドを抱きしめて慰めてくれた。

 それから一年、実の子と変わらない愛情を注いでもらっているとレッドは感じている。

 家業のパン屋を継ぐのは自分の義務だと思っていた。

 

「ああ、レッドか。お帰り。前夜祭は楽しめたかね?」

「ただいま伯父さん、色々あったけど面白かったです」

「そうか、それは良かったね」

 

 伯父は微笑みレッドの頭に手を乗せる。

 彼の手についたわずかな小麦粉が、窓から入る朝日に照らされて宙でキラキラと輝く。

 

「あの、伯父さん。僕、話したい事があるんです」

「なんだいレッド?」

 

 伯父は作業の手を止めるとレッドに向き合った。

 レッドは伯父の目を真っすぐ見つめると息を吸い込む。

 

「僕、将来は砦で騎士になりたいです!!」

 

「ほう……レッド、砦の騎士は体力勝負だぞ? 目指すのなら体はしっかりと鍛えておきなさい」

「え……き、騎士を目指してもいいんですか?」

 

 あまりにもあっさりとした伯父の同意に、レッドは目を丸くした。

 

「レッドがなりたいというのなら私が止める権利はないだろ?」

「で、でも、このお店は?」

「ああ、全く問題はないさ」

 

 伯父はそんなことと笑った。

 

「この家の事は心配しなくていい、自分のやりたいことをやりなさい。それにもし、レッドが結婚して家族が増えたら、そのお嫁さんと子供達にでも手伝ってもらうことにするさ。まあ、その頃には私は引退して()の面倒でも見ているかもな」

 

「あ、ありがとうございます! そ、そのお父さん(・・・・)……」

 

 伯父はまたレッドの頭に手を乗せると、窯の火をつける作業に戻った。

 

 ◇◇◇◇

 

 モーリィの治療部屋での治療が一段落付いた。

 

 昨日のお祭り騒ぎで負傷して、ベッドで寝ていた最後の騎士を送り出したところである。

 聖女のもつ高い治癒能力。

 治療は完璧だと思うが、気絶して目を覚まさなかった騎士は念のために治療部屋で寝ていてもらったのだ。

 

 治療部屋に来る前、特別宿舎で朝の食事の準備と子供達の給仕。

 最後の別れの時、何人かの女の子達にお姫様と別れたくないと泣かれたのには参った。

 ……少しだけ貰い泣きしてしまったのは聖女の秘密である。

 そして今はカエデを膝に乗せて抱きながら、普段の日常が戻ってきたと安堵のため息をついていた。

 

「ふふ、モーリィお疲れさま。昨日は流石に忙しかったね」

「うん、ミレーもお疲れさま。当分はゆっくり過ごしたいよ」

 

 モーリィの返答に、ミレーはくすくすと笑いながら肩に乗っかっている球体の小型影さんに食事を与えていた。

 餌は謎肉、何の肉かはモーリィは怖くて聞いていない。

 膝の上のカエデは朝ごはんを食べてくちくなったのか、すやすやと眠っていた。

 昨日は大分活躍していたようだし疲れもあるのだろう。

 魔王ちゃんを優しく揺すりながらモーリィは欠伸をする。

 何だかんだと彼女も疲れが残っているようだ。

 

「でもモーリィ、明後日からはまた忙しくなるわよ?」

「ん? 『砦街の魔王討伐祭』かな……砦の方でも何かやるの?」

 

 モーリィとミレーは去年と一昨年、怪我人が出た時のために、砦の正門に設置された治療テントで待機していたのだ。

 

「何言ってるのよ、モーリィはお姫様役(・・・・)なんだからパレードに参加するのよ?」

「………………え!?」

「砦の正門から街の正門までの大通りを馬車に乗って、ぐるりと回っていくの。凄い豪華なパレードなんだから、馬車に乗って見渡せるモーリィが羨ましいわ」

「馬車って……あの、ミレーさん」

「うん、なに?」

 

 モーリィはごくりと喉を鳴らす。

 本祭でもお姫様役をするとは聞いていなかった。

 てっきり前夜祭だけのものかとモーリィは思っていたのだ。

 

「それって、街の人達が大勢やってくるパレードだよね!?」

「当り前じゃない。ああ、それに祭に合わせて近隣からとか、わざわざ遠方から観光に来る人もいっぱいいるみたいよ」

 

 モーリィの顔が青くなり赤くなり白く変化し、そして眉間にシワを寄せてため息をつく。

 

「どうしたのモーリィ? 大丈夫?」

「う、うん、ありがとう心配してくれて。何というのか、世の中の理不尽さと、自分の力ではどうにもならない事について噛み締めていたんだ」

「はい?」

 

 事情を知らないミレーは疑問を浮かべる。

 聖女は魔王ちゃんをあやしながら目を閉じ、眉間のシワを揉み解すのであった。

 

 

 ――――

 

 

 三日間に渡り砦街で開催された『砦街の魔王討伐祭』は無事に成功を収める。

 

 その年の勇者役とお姫様役のカップルは恐ろしいほどに見目麗しく、一日目のパレードで噂を聞いた者達が二日目・三日目と押し寄せ大混雑をした。

 類を見ない二人の神秘的な美貌は、近隣諸国だけに飽き足らず、遥か遠方に届くほどであったとか。




おまけ

その年の『砦街の魔王討伐祭』

お姫様役……モーリィ・モルガン
勇者役……魔王様

以上


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聖女の休暇

 聖女モーリィは旅行鞄を地面に置いた。

 

「まずは状況の把握ですね。この庭を見て回りましょうか?」

 

 そう静かに告げる。

 観察するように辺りを見渡す美貌にはいつもの儚げさは無く、その空色の瞳は時の流れを読む鋭い軍師の……いや、数多くの戦いを経験した歴戦の戦士のものであろうか?

 

 そこはまさしく戦場である。

 

 モーリィの言葉に、獲物を手にして不敵にうなずくのは女騎士ツヴァイ。

 その僚友のドライツェーンは応援を呼ぶために砦へと駆けている。

 援軍は直ぐに来るだろう。

 女騎士達は全員が玄人である。

 行動は常に即断即決だ。

 そう、今のモーリィには頼もしい仲間がいる。

 絶望的といえる戦いを何度も一人で切り抜けてきたモーリィにとって、それだけで勝機を見いだすことができる。

 ましてや彼女達はモーリィ自らが鍛え上げた一騎当千の精鋭だ。

 

 私、もう何も怖くはない。

 

 しかし、そのようにして決意するモーリィの進む道に蠢く一つの影があった。

 汚れをまとったその者は怪しげに手を動かし、清らかな聖女を欲望の沼に引きづり込もうと邪悪な誘惑を執拗に繰り返していた。

 

「あ、あの~本当にやるんですかぁ? 私、アル君にモーリィさんのことをよろしくと頼まれているのですが……そ、そうだ! 今からでも遅くないです、予約してあるお店にいきませんか? そうです! それがいいです!! それ(・・)は明日からやりましょ……」

 

 聖女モーリィは邪悪な者を正義の怒りと共にキッと睨みつけた。

 ヒェと両手をあげるハーフエルフのフランシス。

 

「いいですかフランさん? こういうことは今すぐが重要なんですよ?」

 

 モーリィはフランに詰め寄ると、指を立て諭すように語りだす。

 いつにないモーリィの迫力に押されて、フランは首を左右に振りながら後ずさり庭の門柱まで追い詰められた。

 

「今忙しいから後で、今日は都合が悪いから明日で、今週は予定が入っているから来週で……そして面倒になり永遠に放置される。ええ、そうなりますよね確実に?」

 

 モーリィは逃げ場のなくなったフランの胸部重装甲(どたぷん)に指を突きつけると、その背後に視線を向け厳かに断罪を告げた。

 

「そんなあなたの怠惰でぐうたらな精神の結晶が、あのゴミの山ですよ! 恥を知りなさい第五騎士隊隊長フランシス!!」

「きいいいやあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 聖女モーリィが唱える聖言(説教)

 あまりの神々しさに汚女フランは目を押さえて悶え苦しみだした。

 女騎士ツヴァイが聖女の言葉にウンウンとうなずく。

 その手には獲物――ホウキが握られている。

 

 モーリィが示す先には、山のように積み上げられたゴミの塊が……ハーフエルフのフランの汚屋敷が存在していた。

 

 

 ◇

 

 

 聖女モーリィが、二週間もの長い休暇を取ることになるのには理由があった。

 

 最近の彼女は一日も休まず働き続ける仕事中毒者であったからだ。

 

 砦街での若者らしい遊びを知らないモーリィは、休日も暇だからと治療部屋へ入ってきては薬草の仕分けをし、在庫が心配だからと回復薬作りを始めてしまう。

 田舎で育った元農民の彼女にとって、薬草と触れ合っていること自体が精神を安定させる薬なのかもしれない。

 クスクスとお淑やかに笑いながら薬草に話しかける聖女モーリィの姿には、勇者なミレーでも強く言うことができなかった。

 

 だって、薬草に話しかけているというより、薬草さんと会話しているんだもん。

 

 モーリィの体調を心配したミレーから騎士団長へと連絡がいき、事態を重く見た彼はモーリィに休暇を取るように強制的に命じた。

 そして騎士団長は、多彩な趣味人である第五騎士隊隊長のフランシスに、モーリィが休暇中の宿の提供と楽しみの一つでも作ってあげて欲しいとお願いしたのだ。

 

 彼女の私生活が、どのようなものかも知らずに……。

 

 

 

 モーリィと女騎士二人が宿泊するために来たフラン邸。

 

 屋敷に到着したモーリィ達だが、呼び鈴を何度鳴らしてもフランが出てくる気配がない。

 急病で倒れているのかと心配になって勝手に屋敷にあがってみれば、広がる光景に驚くこととなる。

 廊下にはゴミがあちこちと散らばり、すえた臭いのする篭や箱が乱雑に積まれ、部屋には足の踏み場も無いほど物が詰め込まれていた。

 外も酷かったが中はそれ以上の惨状であった。

 

 溜め込まれたゴミで、フランの屋敷は仕掛け罠の館と化していたのだ。

 

 直ぐさま、フランの姿を追い求めて汚屋敷の探索が始まった。

 それはかつての砦のダンジョン以上に困難を極めるものとなる。

 具体的には、トロ子ちゃんのモーリィが何度も罠に引っかかった。

 それからしばらくして、ドライツェーンがゴミ山の中で埋まるように眠っていたフランを発見した。

 しかし、微妙な生態系(バランス)で成り立つ部屋に入ることができず、遠くからモーリィが呼びかけるもフランは中々起きない。

 焦れた聖女が、フランごと部屋のゴミ(・・)捨てを始めようとしたところで……。

 

「あれぇ、もうこんな時間ですか? あらぁ……皆さんおはようございま~す」

 

 ようやく目を覚ましたフランが呑気に挨拶をした。

 モーリィ達にひどい姿を見られても動じる様子はまったくない。

 それどころかボサボサな頭をボリボリ掻いて、喉奥が見えるほど口を開いて大あくびだ。

 異性のいない環境だと、人はどこまでもだらしなくなれるという悪い見本であった。

 あきれ顔の女騎士二人と聖女をよそに、フランは密林樹海のような僅かな足の踏み場を軽やかに飛び跳ねながら、危なげなく部屋の外に出てきた。

 彼女の色々な余剰部分が派手に揺れたが、流石は腐ってもエルフである。

 

 転んで何度もゴミ山に特攻したどこかの聖女とは大違いだ。

 

「あの、フランさん、ちょっと、よろしいですか?」

「はい、なんですかぁ、モーリィさん?」

 

 悪びれもせず、えへへと笑うフランにモーリィは怒りを覚えた。

 実はモーリィの母アイラも、フランのように無駄に高い身体スペックを持つのに致命的なほど片付けのできない女であった。

 モーリィと父ステファンが数日家を空けるだけで、ゴミ屋敷にできるレベルでだ。

 ここまでくると掃除以前の問題である。

 流石に疑問に思い問いかけてみれば「で、でもね、モーリィ、これでも母さん、お片付け頑張っているつもりなのよ……?」との返答。

 母は母なりに片付けをしていたつもりだったらしい。

 なぜ父が、モルガン家の家事全般を引き受けているのかを幼い頃のモーリィは悟った。

 そんな故郷での苦い記憶を「まあ、アイラだからね……」という父の哀愁漂う言葉と共に思い出してしまった。

 

 その結果、聖女モーリィの一存でフラン邸の大掃除が決定した。

 

 

◇◇

 

 

 フランの汚屋敷は一階建てだが部屋数が十以上もあった。

 庭の敷地面積もかなり広く、一人暮らしには贅沢すぎる家といえる。

 しかし実際には全ての部屋がゴミ置き場状態で、庭には出どころ不明な彫刻が乱雑に放置されて、かろうじて使えるのはフランの寝室だけというありさまだった。

 そんな汚部屋を女四人で使うのは到底不可能で、モーリィとしてもゴミ山の中で寝るくらいなら庭で野宿でもした方がましだと思った。

 

『隊長、増援六名の到着を確認しました!』

 

「はい、ツヴァイさん、ありがとうございます」

 

 モーリィに敬礼するツヴァイ。

 汚屋敷ダンジョンの戦い(掃除)をするために、援軍で集まってくれた女騎士は六人。

 終了後の特別報酬(ごはん)の話が効いたらしく、全員やる気に満ちあふれている。

 まさしく餌付けをされた獰猛な番犬。

 彼女達はすっかりと聖女の下僕と化していた。

 十分すぎる応援人数に、叩き上げの隊長(モーリィ)は満足げにうなずく。

 モーリィ達をいれてこの場には十名。

 しかしフランの戦闘(家事)力は未知数で、新兵として扱うのが無難だろう。

 

 聖女は時間を無駄にしない、女騎士を集めると流れるように指示をだしていく。

 

『了解しました!』

 

 女騎士達が敬礼し、一斉に行動を開始する。

 そしてモーリィは、ぶーたれるフランの教育と監視を行うことにした。

 

 そのようにして始まった汚屋敷の大掃除。

 

 庭に放置されている彫刻の撤去と草刈に関しては予想よりも早く終了した。

 彫刻は地面に固定されておらず、植えられていた草木はあまり成長しない種類だったのが幸いしたのだ。

 ただ途中でフランが「あ、それは大戦期以前のとても価値のある芸術品なんですぅ!」と両手をわさわさ広げて撤去作業の邪魔をしようとしたが、聖女がキッと睨むとシュンと黙った。

 

 そんな貴重品なら、なぜ雨ざらしにするかなこの駄エルフは?

 

 その後も女騎士全員で協力し、何かあるたびに聖女がキッと睨み、家主がぶるぶると震えたが比較的スムーズに掃除は進行した。

 そして今は汚屋敷の廊下に散らばっていたゴミの撤去も終了し、部屋内部の本格的な探索に取りかかっているところである。

 

『隊長! 三番の部屋から、大量の中身入り酒瓶を発見しましたがいかが致しますか?』

 

「それはゴミとは別枠で保管してください。中身が明らかに変色している物は廃棄で、それ以外は私が後で飲めるか確認しますので」

 

『はっ! 了解しました!』

 

 モーリィとフランは汚屋敷の外窓を清掃していた。

 指示を受けた女騎士が颯爽と駆けていく。

 そのやり取りを眺めているフランは、不思議そうに首を傾げていた。

 モーリィとフランが外で窓掃除をしているのには理由があった。

 二人は魔力もちで常人と比べれば腕力はあるほうだが、それでも女騎士達に比べると非力である。

 そのため汚屋敷の荷物が片付くまで、邪魔にならないように外仕事をしていたのだ。

 何かあればオカン(モーリィ)に報告することは、特別宿舎の住民の間で徹底されていたので問題はなかった。

 

「あのですねぇ、モーリィさん、質問していいですか?」

「はい、なんですかフランさん?」

 

 呼びかけられたモーリィは窓を拭く手を止めてフランを見た。

 彼女のエプロンは胸の部分だけがやたらと黒くなっている。

 恐らく自分もだろうとモーリィは胸を見下ろした。

 二人とも窓拭き中に胸部装甲がガラスによく当たるため、集中したように真っ黒になっていた。

 

「女騎士さんですが……」

「あ、すいません、フランさん、また何かあったようです?」

 

 フランが疑問を聞こうとしたところで、先ほどとは違う女騎士が駆けてきた。

 

『隊長! お話し中のところ失礼します!』

 

「はい、大丈夫ですよ、何かトラブルでも?」

「………………」

 

 頭をコテンと横に倒すフラン。

 理解できないけど何が理解できてないのかよく分からないといった風情だ。

 女騎士はフランを見て少しためらうが要件を告げた。

 

『七番の部屋で地下部屋への階段を発見したのですが、その部屋に少々問題がありまして……』

 

「地下部屋? 食材用の保管庫ですよね? ひょっとして中でカビが生えているとか?」

「つ――!!」

 

『い、いいえ、そういうわけではなく、とりあえず現場を見ていただけますか?』

 

 モーリィはうなずき移動しようとしたところで、フランの様子がひどくおかしいことに気がついた。

 このハーフエルフ、地下部屋という言葉を聞いた途端に、きょろきょろと目を泳がせて挙動不審になったのだ。

 逃走しそうな気配を感じて、聖女は駄エルフの両腕を抱きしめるようにガシッとつかんだ。

 がっつりと向かい合い潰れる、重量級な二人のおっぱい。

 

「では、フランさんも一緒に行きましょうか?」

「え、ええっと、わたしはその~」

 

 モーリィが至近距離で見つめると、フランは長い耳を垂れ下げて、ぷるぷると震えだす。

 

「フランさん、行・き・ま・す・よ・ね!?」

「は、はいぃぃぃぃぃぃぃ!」

 

『う、うわぁ……』

 

 引いたような女騎士の声。 

 今日の聖女モーリィはゴミ山に何度も突っ込み、過去のトラウマを抉られたせいか恐ろしく攻撃的になっていた。

 

 

 七の番号のつけられた部屋は炊事場である。

 大方の荷物や乾燥した生ごみ(・・・)はすでに運びだされていた。

 備え付けの調理器具は、ほとんど使われていなかったのか新品とほぼ変わらず、綺麗に洗えば直ぐにでも使用できそうである。

 問題はその部屋から階段でいける地下の保管庫であった。

 

「フランさん説明して頂けますか?」

 

 保管庫内、それを見た瞬間に開口一番で聖女は問いかける。

 口調こそ穏やかだが、美しい曲線を描く彼女のおでこには青筋が浮きあがっていた。

 

「あ、あのですねこれは……」

「心当たりはありますよね?」

 

 騒ぎに集まってきた女騎士達は例外なく『うわっ』という顔をした。

 地下部屋のあまりの惨状と、聖女(オカン)の様子がどうみても怒り心頭であったからだ。

 

「ほ、ほら、私ってこう見えてエルフじゃないですかぁ? どちらかと言うとお肉よりお野菜が好きと言うか……もちろん両方好きですけど、海の幸より山の幸が食べたくなるというかぁ……そ、そんな時にですね、あなたのお家でも自家栽培セット、なんて素敵なものが売っておりまして、思い切って購入したんですけど……」

 

 フランは人差し指をツンツンし、長耳をパタパタさせながら上目使いでモーリィの様子をうかがう。

 その表情は、以前(おとこ)のモーリィならばそれだけで許してしまいそうな愛らしさ(あざとさ)があった。

 しかし女というものをだいぶ分かってきているオカンは「続けてください」と静かに告げた。

 

「あ、はい……ええっと、栽培セットは素晴らしく、直ぐに収穫できて、とてもとても美味しかったんですけど、毎日食べるには量が少なかったので追加で購入したんですよ。でもでも、育てるのには環境が重要で、そこでこの地下保管庫に大量に置いたんですけど、気がついたら置いてあることをすっかり忘れて、それで……」

 

「……この有様というわけですね?」

 

 炊事場から繋がる地下の保管庫。

 そこは床のみならず、壁や天井一面の全てが大量のキノコにおおわれ、一大繁殖地となっていたのだ。

 

 まさしくキノコ王国、キノコの楽園であった。

 

「あ、ははははは……困っちゃいましたね?」

 

 ヘラヘラ笑う駄エルフは、聖女にキッと睨まれて小さくシュンとなった。

 ツヴァイが苦笑いをしながらモーリィの肩を叩く。

 

『まあ、程々になモーリィ。あまり虐めるのもフランさんが可哀想だ』

 

「ええ、ええ、分かってますけど。でも、ツヴァイさん。でたらめすぎて言葉もないんですよ」

 

 モーリィは両手の平で顔をおおった。

 元農民だからこそ精神的疲労を覚えてしまう。

 栽培の難しいキノコが一体どのような環境になればこれほどまでに育つのか……。

 エルフか、エルフ補正か、このエルフの駄肉から植物に働きかける何らかの成長フェロモンでも出ているのか?

 

「あ、あの~モーリィさん」

「なんですか、フランさん?」

 

 モーリィは指の隙間からフランをのぞいた。

 空色の瞳には、手の平を合せるオドオドとした汚女の姿が映った。

 

「今朝から気になっていたのですが、女騎士さんの話すことが分かるのですか?」

「……フランさんには、彼女達の声が聞こえませんか?」

「え、こ、声? き、聞こえませんけど!?」

「そう、聞こえないのですか……この屋敷みたいに、あなたの心が汚れているせいかな~!?」

「ひいいぃぃぃぃぃぃぃ!? ご、ごめんなさいぃぃぃぃぃぃぃ!?」

 

 保管庫のキノコはすべて回収した。

 その日、フラン邸で繁栄を極めたキノコ王国は崩壊したのだ。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 そして何だかんだで夜。

 掃除はまだ終わりではないが、後二日もあれば片付きそうである。

 モーリィは作業の終了を宣言し、体についた汚れを落とすためにフラン邸のお風呂を女騎士達と一緒に使用することにした。

 五、六人は同時に入れる広いお風呂だけは掃除しなくても普通に使えたのは、家主の性格がでているようで何とも言えない気分になった。

 

 何しろお風呂には、酒瓶と食べかけのチーズが大量に転がっていたのだから。

 

 夕食をとるためにフランが選んだ部屋には、畳という草で編んだ不思議な床が敷いてあった。

 和室という名称らしく、最初は素足で入ることに全員が戸惑ったが慣れると中々に気持ちがよく、乾いた草の匂いが心地よい落ち着きを与えてくれた。

 フランは綺麗になった畳の上をごろごろと嬉しそうに転がり回ってはしゃいでいた。

 それを苦笑しながらも見守る女騎士達。

 モーリィはそんなフランを少し羨ましく思った。

 ミレーに押し付けられたワンピースを着ていなければ彼女もごろごろしていたかもしれない。

 フランのようにパンツ丸見えで転がれるほど、彼女の羞恥心は薄くはないのだ。

 そしてフランの婆パンツと同じ形状の物を母が着けていたのを思い出して、モーリィは料理を運びながら少しだけ憂鬱になってしまった。

 

「この家って、こんなにも広かったんですねぇ!」

 

 フランは綺麗になった屋敷にすっかりとご満悦のようだ。

 低い大テーブルに並べられたキノコ料理をパクパクと食し、伸ばした太ましい足を子供のようにばたつかせて「オイチー」と舌鼓を打っている。

 あれほど掃除を嫌がっていたのに、全くもって現金な女だ。

 そんな駄エルフをよそに、八人の女騎士は全員がきちんと正座して、モーリィの作った料理をモリモリと行儀よく食べていた。

 力仕事をしたせいかいつも以上に食が進んでいるようだ。

 

「それで、それでですね、モーリィさん! この美味しいお料理にぐいっといける美味しいお酒があったら、とてもとても最高だと思うのですよ。なので、私にも一杯の葡萄酒を……」

 

 そして、さり気ないつもりの飲んべえの催促。

 聖女が静かにキッと睨むと、元汚女も静かに口を閉じた。

 フランは美味そうに葡萄酒を飲む女騎士達を恨めしそうに眺めるのであった。

 

「あれぇ、ずいぶんと綺麗になったわね? 泥棒でも入ったのかしら?」

 

 そんな食事中に馴染みの声。

 気配を全く感じさせず、抜けたことを言いながらペタペタと素足で部屋に入って来たのは魔の国の魔王様であった。

 突然の予期せぬ来客者にモーリィは元より女騎士も全員が驚く。

 動じてないのは「いらっしゃいませ、お姉様!!」と元気に手をあげるフランくらいのものであった。

 どうやらフラン邸では急な魔王様の訪問は日常茶飯事らしい。

 

「やあやあ、こんばんは、モーリィちゃんに女騎士の皆さん」

「こんばんは魔王様。あの、どうしてここに?」

「うん? アタシはフーが死んでいないか定期的に見に来ているのよ。一人暮らしだし、気がついたらフランの腐乱(・・)死体がありましたなんて、笑い話にもならないからね」 

「お、お姉様、酷いです!? で、でもそういうお優しいとことが……うひひっ」

 

 駄洒落……?

 モーリィはくねくねと腰をふるフランを横目で見ながら、魔王様に自分の座っていた席を勧めた。

 

「あら、悪いわねモーリィちゃん……ん、なんだか凄い御馳走ね? こんなことならもっと良いお土産もってくるべきだったかしら」

「はい、お土産ですか?」

 

 モーリィや女騎士達は疑問を覚えた。

 魔王様は何も持たぬ手ぶらの身であったからだ。

 モーリィ達の目の前で魔王様が宙を見上げると、何の前触れもなく空間に真っ暗な穴が生まれる。

 驚く一同をよそに、魔王様は無造作に穴の中に手を突っ込んだ。

 そして手を引き抜くと大きな木箱を持っており、その箱の中身はお酒の入った酒瓶だった。

 

 畳の部屋に三十本以上の酒瓶と山盛りのチーズの塊が置かれた。

 

「アタシの影の中に収納しておいた魔の国で作った果実酒とチーズね。いつもは二人だけで酒盛りだけど、今夜はみんなでパッーと宴会といきましょうかっ!!」

「やった! やった! 流石はお姉様ですぅ!!」

 

 ピョンピョン飛び跳ねて、きゃーと魔王様に抱きつくハーフエルフ。

 二人は、ひゃはーと手と手を取り合ってクルリクルリと謎の踊りを踊りだす。

 宴会をできることがよほど嬉しいのか、従姉同士で無駄に盛り上がっている。

 

 普段どれだけ構ってくれる人がいないのかが、丸分かりの寂しい女達であった。

 

 そんな愉快なババア二人とは真逆に、女騎士達は何とも言えない雰囲気である。

 無言で酒瓶を取り出し、見分しだしたオカン(モーリィ)の様子を静かに覗っていたからだ。

 やがて納得をしたのか、モーリィは微笑みを浮かべる。

 聖女モーリィをよく知らぬ異性が見たら、それだけで一目惚れしそうな清らかで優しい笑顔である。

 もちろんモーリィの内心はそのような生易しいものではない。

 ただ、この汚屋敷ダンジョンが形成された原因の一つを確信し、世に平穏をもたらす聖女として自らの成すべき使命を見出したのだ。

 それでも確認は必要である、小さな誤解は大きな悲劇を生むのだから。

 

 聖女は上座に腰をおろした魔王様に質問をした。

 

「魔王様、いつもこの量のお酒を持ってこられるのですか?」

「うん? そうね、今日は少ないほうかしら?」

「なるほどなるほど。それでは、どのくらいの間隔で持ってきているのですか?」

 

 明らかに導火線に火がついている聖女。

 しかし、空気を読むという人間様の行動が全くできないコミュ障な魔王(けもの)様は、慌てふためく従妹(フラン)の様子に欠片も気づかず馬鹿正直に答えた。

 

「えっーと、週一くらいかな?」

 

 

 

 その晩、聖女は邪悪な魔王に聖言を放った。

 あまりの神々しさに、魔王は目を押さえ悶えて苦しんで絶叫したのだ。



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