蝶に変身した俺 (南 秀憲)
しおりを挟む

変身

 もしも、あなたが蝶に変身したら、どのような行動をとるだろうか?


 私の愛読書の一つに道教の始祖の1人で、中国戦国時代の宋に産まれた思想家荘子の、内編,外編がある。今なお書店の棚に陳列されている名著で、荘子の著書と言われる『荘子』≪そうじ≫には、内篇七篇、外篇十五篇、雑篇十一篇がある。この中で内篇だけが荘子本人の作で、その他は弟子や後世の人の作だと考えられている。荘子の内篇は逆説的なレトリックが煌びやかに満ちていて、読む者を夢幻の世界へと引きずり込むのは間違いない。

 儒教が中国の国教となってからも老荘思想は中国の人々の精神の影に潜み、儒教のモラルに疲れた時、老荘を思い出したのだ。特に魏晋南北朝時代においては政争が激しくなり、高級官僚が身を保つのは非常に困難であった。だから、積極的に政治に関わることを基本とする儒教よりも、世俗から身を引く老荘思想が広く高級官僚に受け入れられたのだった。

 加えて仏教の影響もあり、老荘思想に基づいて哲学的問答を交わす清談が南朝の貴族の間で流行した。

 老荘思想は仏教とくに禅宗に接近し、また朱子学にも多大の影響を与えた。

 

 その『荘子』中に『胡蝶の夢』という説話がある。

『荘周(荘周は荘子の名前)が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか……』

 

 ここで、実際に、私が実際に体験した話をしよう。

 あれは、今から30年程前の出来事だった。

 100万ドル(今では1,000万ドル)の夜景で有名な、神戸市の六甲山でした。

 当時、私は確か32歳であったと思う。具体的な内容は話せないが、かなり進行した鬱状態であったのだろう。他人から見ると、羨ましい家庭と、ある程度人の羨むポストの仕事をこなしているのにも拘わらず、この世に嫌気がさして、自殺の場所に、独身時代にチューンナップし、ドレスアップした純白の国産スポーツカーで、或る時は助手席にガールフレンドを乗せ、カッコよくタイヤから白い煙を出すほどギヤーを落として、アクセルを目いっぱい吹かしたり,急カーブなのにかなりのスピードを出したりして、何度もドライブし、細かなカーブまで熟知している六甲山を選んだ。

 

 会社では、400名を超す同期の中で、自分で言うのも少し気が引けるが、常に5番以内のチヨーエリートであり、家庭には、皆の羨望の的の美形の妻と、二人の文字通り目に入れても痛くない娘をこの世に残して、いざ自殺を決行するとなると、相当な勇気と覚悟(?)が要求され、鬱やノイローゼでないまともな精神状態では、出来ない芸当だろう。

 

 抜ける様な、沖縄のエメラルドグリーンの海で30M程潜水した時の海の色、つまり半透明のブルーに近い11月の晴天の日を選んで、全国126台限定車であった、車体の中心から上は

 オレンジに近いイエロー、下は艶消しのブラックの、何処を走っていても、すぐに、「君の車を見たよ。」と言われる程、良く目立つ、マーシャル製の2灯の丸い大きなフォグランプ、ヘッドライトも自慢のKoitoに替え、ミラーも弾丸型のサイドミラーにし、しかも大型のリアーウイングを装着した愛車で、六甲山頂を3度往復して、やっと格好の場所を見つけた。

 そこは、ちょうどガードレールが10M程なくて、道路を挟んで反対側に充分車を駐車できる草地があり、その場所で、この世で最後の一升瓶に入った、お気に入りの辛口の日本酒を、今まで辿った人生をあれこれと思い描きながら、陰鬱な気分で一人寂しく飲み干した。

 もともと、3合も飲めば酔う私が、3倍以上も飲み干さなければならなかったのである。

 やはり、死のダイブに恐怖を完全には払拭出来ず、酒の持つ聖なる力が不可欠であったのだろう。

 いよいよ、決行の時には、まだ6時にもかかわらず、(秋の日は釣瓶落としの如し)の言葉通り、もう辺りは暗く、行き交う車もぐんと少なくなっていた。

 エンジンを咆哮させ、先ずギヤーをローに入れ、直にセカンドにチエンジしてアクセルを床まで踏み込み、道路をつっきり、谷底目掛けてダイブした。

 ヘッドライトに映った星達の、絵にも描けぬ美しさと、此れまでの人生の幼い頃から今日までの楽しい思い出だけが走馬灯の様に脳裏に蘇り、意識も身体も車と共に、深い奈落の底に吸い込まれて行った。

 

 それから何時間経過したのだろうか、意識が現実世界を認識し始めた。

 近視の為眼鏡をかけていたが、落ちる途中でフッとんだのでしょう、裸眼でぼんやり見えたのは、砂防ダムの近くに、タイヤが曲がり原型を留めない程ペシャンコに大破し、底を上に向けた愛車であつた。

 私は、頭部からドクドクと血液が流れ、顔中ヌルヌルの状態で、車と同じく上を向いていた。

 暗闇の中で、意識がぼんやりしていながらも、紙袋を見つけ、少しでも寒さから身を守るため、頭から被った。体中が痛くて意識を失いそうだったが、その夜は動いて落下した崖を登るのを断念し、翌朝、現状を把握することにし、眠ることにした、というより寝てしまった。

 

 鳥の囀りで目を覚ましましたが,頭部が割れるほど痛く、更に左肩の鎖骨が折れたらしく、右の足の親指もついでに(?)折れたらしい。更に、思考を巡らせると、シートベルトを着用していなかったので(当時は着用を義務付けされていなかった)第一回目の衝突で、私はフロントガラスを正面から突き破り、車とは離れて互いに回転しつつ落下したのであろうと推測出来た。

 大きく言えば、種の保存本能でしょうか、あれほど、昨日まで自己をこの世から消滅させる願望に身を委ねていたのに,一転して、生への執着が夏の入道雲のように、ムクムクと身内より湧き上がって、生きのびる事が全てに優先し、煩悩の全てが頭を擡げたのです。

 車のトランクに詰め込んでいた釣り竿や、その他の釣り道具が、崖のあちこちに散乱していたので、手頃な竿を杖代わりにして、微かに見える崖の上目指して、這いながらも僅かずつ登っていったのだが・・・。痛みを堪えての前進では2-3Mも進まないうちに、喉がカラカラに乾き、手当たり次第にコーラの空き瓶、缶コーヒー、ジュースを漁ったのですが、中から出てくるのは砂ばかりで、仕方なく僅かに生えている草をしゃぶったのですが、青汁どころか単に苦いだけで、却って渇きが増すだけだった。

 裸眼0・02の視力で周囲を見渡すと、右前方30-40M離れた所に森か林のような木々が生い茂っている一帯を見つけ、苦労しながらも、1-2時間費やし、やっと大きな木の根っこに身体を凭れかけて、一息と言うか、長くて、気持ちのいい休息が出来た。

 その時、左に50-60M離れた所を、崖の上からツツー降りてきた男女が見え、二人とも冬山の登山姿をし、楽しそうに話をしていて、その話の一語一語を聞き取れ、私は、ここぞとばかりに大声を張り上げ、「助けてー、助けてエー」と何度も声を掛けたが、一向に気付く様子も無く、しばらくして忽然と視界から消えしまった。

 突然、背筋に大きな氷の塊を入れられた様に,頭の先からつま先まで、ぞくぞくと寒気がし、何とも表現できないおぞましい恐怖と嘔吐を感じはいてしまったのである。

 何故なら、そんなに離れた、場所にいる二人の、細かな表情や囁く声が聞こえる筈があり得ないのではないだろうか?

 屹度、この辺で遭難したであろう自縛霊達なのに違いないと思われる。

 今まで私には霊感なぞ全然ないのに、わざわざ現れたのは、何かの悪い予兆なかも知れないと思い薄気味悪かった。

 

 それから、1-2時間後であろうか、遥かかなたの崖の上で人声を耳にしたので、振り絞る声で助けを呼び、お陰で私の存在に気付いてくれ、救急車の手配をして下さったらしいのですが、実際に助けに来て下さったのは救急隊員ではなく、制服の上からでも判る程、筋骨隆々マッチョなレンジャーの人々で、最初は担いで上がる予定だったらしいのですが、全身が痛いと訴えると、ロープを張り、竹で編んだ正式な名は知らないのだが、ハンモックの様な籠で、頂上まで運んでもらいましたが、途中何度も木の枝にハンモックが引っ掛かり、その都度呻き声を出しながらも、何とか頂上に待機していた救急車まで辿り着くことが出来た。

 その時、警察関係か報道関係のヘリが3機上空を旋回しているのを鮮明に憶えている。

 

 救急車で最寄りの救急指定病院に搬送されたが、六甲山中にある筈もなく、民営化前の国鉄西灘駅近くまで運ばれ、緊急手術を受けて、個室に入院した。

 頭をはじめ様々な箇所を縫合し、左の鎖骨にボルトを埋め込み、おまけに右足指の骨折のせいで、ヒール付きのギブスをはめられたのです。その夜は、熱と渇きに苛まれ、ナースコールを何度も押したのだが、ついに誰も看護婦は現れず、しかも、翌日になっても、妻子、両親、はじめ同僚すら見舞に顔を見せないのを、不思議に思い始めた。

 意識の混濁の所為ではないだろう、意識はこんなにはっきりしているのだから。

 

 緊急手術の時も、少し様子が変であったのは、考え過ぎだろうか?

 多分その日であろうか、カビ臭く、冷たい空気の充満している地下の手術台に、素っ裸の上にひんやりした緑色の手術着を被せられ、いよいよ、(医者が来るのかなあ)と思っていると、大きなマスクでほとんど顔を隠した40歳代の透き通ったように色が白く、まるで生気を感じさせない看護婦が現れ、胸や足のあちこちに線のついた吸盤を吸い付かせて、横に設置しているモニターに心電図を映し始めたが、終始無言で作業をしていた。

 最初の4分程は順調に作動していたが、よくTV等で観るような(モニターが故障したらしく)「ご臨終です。」の状態になって、看護婦にそのことを告げると、彼女が軽く2-3度叩くと元の状態に戻った。

 次に入ってきたのは、25-30歳位の青白い顔をした麻酔師で、私の口に大きなゴム製マスクを装着すると、野太くてしかも低い震える声で「10数える内に眠りに落ちます。」と言われたが、実際は99まで数えてやっと意識はなくなったのであるが。20数える頃には、慌てた声で「おかしいなー、もっとガスの濃度を上げよう。」とさり気なく、独り言を呟き始めた。

 

 当然、麻酔で眠っていたので、どんな医者がどのような手術を行ったのかは記憶にはない。

 

 気がつけば、例の個室で寝かされていた。

 

 一人寂しく、色々考えている時、突然、大正―昭和の初めの白い大きなヘヤーキャップを被り、同じく制服に身を包んだ看護婦がやっと現れたのだが、その顔を見るや、動く手で布団を被ったが、ガタガタと震えが止らない。

 何故なら、彼女達が、青みを帯びた白い顔、深紅に血走った目、耳まで大きく裂けた口、全て抜け落ちた歯、赤黒い歯茎で、イッヒヒヒヒーと大声で叫び、美味しそうに輸血用のチューブを4つ纏めて吸いながら、こちらにスローテンポで迫って来たのだから。

 1-2分経った頃、怖々布団をソートめくってみると、全く同じ格好をした看護婦が4人、私の顔をのぞき込み、例の呻きとも叫びとも判別出来ない声を出していたのである。

 私は反射的に動く腕を振り回し彼女らを追い払おうとしたが、なかなか消えてはくれず、更に悪い事に、同じ仲間(?)が扉を開けずに音も無く入ってきて個室一杯に現れ、皆同じ行動をしだしたのである。

 もう、振り払う力も気力も尽き果てた頃、何故か、瞬きを1回した途端、彼女達全員が濃い霧が唐突に晴れたように、部屋からその醜い姿は消失せていた。ホット、胸をなで下ろすと同時に、今の現象は単なる夢なのか、それとも幻影、あるいは、何らかの原因(同時に、多数の死者が出た場合、例えば火事、空襲による爆死等)で亡くなった人々の自縛霊なのか、この場所に成仏出来ない霊達の通り道(霊道)が存在するのか,何れにしても、一刻も早く逃げ出す事を考え、ベッドから起き上がり、痛む右足を引きずりながら、ドアーへと急いだ積りだが、何故かなかなか前進出来ず、左側にある鏡を何気なく見てしまった。

 1・8Mの長身の私の姿が映る筈なのに、その薄汚れた鏡に見えたのは真っ白の少し大きめの

 蝶であった。

 ドイツのフランツ・カフカの中編小説(変身)では主人公の男は巨大な虫になっていたが、私は蝶に変身してしまったのだろうか?

 何度も何度も確認したが、やはり、蝶以外の何ものでもなく、巨大な虫になっているより

 恵まれていると、変に感謝と納得の感情で心は晴れ晴れとし、私がキリスト教徒であるならば、十字を切って神のなせる奇跡に衷心より感謝の祈りを奉げたであろう。

 それほど、カフカの(変身)は、私にとって恐怖の印象は強く脳裏に刻まれていた。

 蝶に変身したことに、ラッキーと浮き浮きした気分で、個室の中を恐る恐る、飛んでみた。

 身も心も軽やかで、開いている窓から太陽の恵みに満ちた大空に舞ってみた。

 全身に受ける風の抵抗にうっとりする程、気分爽快で上昇気流に乗って軽く羽を羽ばたかせながら、空中散歩と洒落こんでいると、いつの間にか六甲山の例の空を飛翔していた。

 

 下方を見ると、微かに黄色の車らしき物が見えたので、更にヒラヒラと降下をしてみると、砂防堤の近くに大破した車と、血だらけの人物が太陽に向かってまるで万歳をしている様なポーズをしていた。

 更に降下すると、薄れた記憶ではあったが、人間の私とその愛車と微かに認識できたが、それ以上の好奇心もなく、再び気持ちの良い大空に向かって羽を動かし更に更に上空へと飛翔して行った。

 その姿は、雄大であり且つ可憐であった。

 

 ―完―




ぜひ、あなたのご感想をお寄せください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。