Fate/Prototype 薔薇のオルタナティブ (因幡トール)
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前編 Beast Meets Beast

 赤薔薇とは情熱。
 青薔薇とは奇跡。
 辺獄ならざる地の底にて、出逢うはずのない二人が出逢う時。
 形無き原典の変貌(オルタナティブ)が綴られる───


 昔々あるところに、一人の皇帝がいました。

 

 赤薔薇の似合う青年でした。

 万能の天才を名乗る自信家でした。

 そして、市民を深く深く愛する君主でした。

 

 玉座を得たのは己が実力ではなく、権力を欲した母の姦計によるものでしたが、だからこそ彼は良き為政者になろうと努めました。

 母ではなく民の為に。身内ではなく他人の為に。名高い貴人ではなく名も無き市民の為に。

 何故なら彼は、醜いモノより美しいモノが好きだったから。

 

“より楽しい生活を!”

 皇帝は人気者でもありました。減税。祭典。災害復興。気前よく金銭をばら撒く政策に市民は大喜び。楽しんでくれて嬉しいと、彼は笑みを浮かべました。

 

“より美しい芸術を!”

 皇帝は芸術家でもありました。工芸。建築。作曲。服飾。あらゆる創作に手を出した、その果てが黄金劇場(ドムス・アウレア)。後世にまで影響を与える程の傑作だと、彼は胸を張りました。

 

“より正しい国政を!”

 皇帝は政治家でもありました。母親。家族。恩師。貴族。元老院と対立してでも改革を推し進め、私服を肥やす輩を謀略を以て粛清。これは決して間違いなんかじゃないと、彼は涙を堪えました。

 

 すべては愛しい市民の為に。燃え盛る炎の如き情熱を以て、私の世界(モノ)の全てをあげよう。皇帝は本気で、本心からそのように思っていました。

 傲慢にも。哀れにも。

 

 だから、あれは裏切りではなく当然の末路。

 反乱を起こされ玉座を追われた皇帝を、市民は助けることなく見捨てました。

 

“何故? どうして? どうして(オレ)が?”

 自問しつつも、心のどこかでは理解して(わかって)はいました。結局のところ、彼の愛は一方通行でしかなかったのです。

 惜しみなく与え、惜しみなく奪う。共感されることのない、怪物的とすら言える愛情表現。

 飽きられたのか、呆れ果てたのか。最後まで愛することはできても、最後まで愛されることはできなかった。

 だから、助けてくれなかった市民に恨みは無く。胸中にあるのは、ただ……。

“ああ──私は、孤独(ひとり)で死ぬのか”

 誰よりも人間を愛しながら、誰からも愛されなかった皇帝。永遠ならざる華やかな繁栄を善しとした彼は、こうして、惨めな自殺を遂げました………。

 

   ■ ■ ■

 

 死した後、彼の魂は英霊として世界に召し上げられました。

 英霊。境界記録帯(ゴーストライナー)。抑止の輪より来たる、人類史の守護者。

 ただし、正当な英雄としてではなく反英雄として。善性の尊さを知らしめる為の、押し付けられた悪役として。

「まあ、いいか。(オレ)が万能の天才である事に変わりはないし」

 アンニュイながらも皇帝は、己が在り方を受け入れました。たとえ誰からも招かれなかったとしても。

 ある宗教観において大悪とされる彼を運用しようと思う物好きなど存在しません。在り方の美しくない、醜い魔術師などそもそも彼の方からお断りです。

 彼が応じるとすれば、それは死に瀕してなお戦う事を諦めない路傍の弱者の叫びか。あるいは世界(ローマ)存亡の危機か。

 

 だから、聖杯戦争に参加するなど、彼にしては珍しいことでした。らしくない、と言える程に。一体何故?

 わざわざ触媒を用意してまで自分を召喚しようとする魔術師に興味があったのは確かです。己が最強最高である事を証明してみたいという欲があったのも確かです。

 でも、本当に注目していたのは優勝賞品(せいはい)の方。万能の釜。願望機。模倣聖杯●●●号。

「あれ? なんか、覚えがあるような……?」

 自分に近しい何かを感じ取った皇帝は真実を見定めるべく、使い魔(サーヴァント)として降り立ちました。

 

 舞台は東京。総人口数百万を誇る、世紀末の極東都市。

 最古の英雄王をはじめとした、人類史に名高き英雄達が集う、絢爛華麗な大戦争。

 その頂点に立つのは、最優にして第一位のクラス・剣士(セイバー)のサーヴァント。

 聖剣使いアーサー・ペンドラゴン。

 それを召喚したのはただの小娘に過ぎないと侮った契約者(マスター)の指示に従い、皇帝は戦いを挑み、そして敗れました。

 たとえ、マスターの性能に差があったとしても。異界と呼ぶに相応しい程の陣地を作成したとしても。万能の才を以て影の英霊(アサシン)を召喚したとしても。

 星の聖剣──かつて同じローマの皇帝を歴史から追放してみせた黄金の輝きの前には、何の意味もありませんでした。

 

 恐れ慄いたマスターをアサシンに託し、皇帝は撤退します。

 生きている限りまだ完全には負けていない。態勢を整えなくては。相性の良い土地で回復に専念せねば。

 身を潜める場所を探し求め、真夜中の東京を彷徨い歩きます。

 導かれるように。招き寄せられるように。大聖杯が眠る地の底へと。

 

「これは………そうか。そういう事か」

 広大な地下空間を埋め尽くす、真っ黒な泥。肉。呪いの塊。

 死と絶望と恐怖とを養分として、聖なる杯を殻として、今か今かと誕生を待ち望む巨大な卵。

 一目見て、皇帝はその正体を理解しました。

 

 これはローマ帝国(われら)を皮肉るモノだ。世界人類(われら)を貶めるモノだ。

 徒波(あだなみ)の彼方より顕れるとされる、罪深きモノだ。

 災厄の獣(マスターテリオン)都市を喰らうもの(ソドムズビースト)。より単純(シンプル)に言えば()()()とも称される。

 守護者たる英霊の宿敵。人類が人類である為に滅ぼさねばならない悪を、何者かが聖杯戦争を利用して育もうとしている!

 

 これこそが皇帝を引き付けたモノ。宗教家達が揶揄したカタチ。即ち皇帝とは(ケダモノ)が如き怪物だと。

 頭痛が彼を苛みます。頭が割れんばかりの痛みが、生前(かつて)の彼を弾劾するかのように責め立てます。

 同時に枯渇したはずの魔力が急速に回復し始めたのも、糾弾が真実である証なのでしょうか。

 

「業腹だが、ここでしばらく休もうか。それにしても誰がこれを───ッ!」

 気配を感知。戦意を感知。

 疲弊しきった身体に鞭打って、皇帝は臨戦態勢に移行します。

 現れたのはサーヴァント。既に七騎全てが召喚された聖杯戦争において有り得ないはずの存在が、なんと六騎も! しかもその悉くが(ビースト)に侵され黒化!

 いかに万能の天才といえど、今は満身創痍。多勢に無勢。勝ち目は万に一つもありません。

 再度撤退すべきか。マスター達と合流し真実を伝えるべきか。

 ()()()()、彼はそう考えたでしょう。()()()()同一存在も、きっと同じだったはずです。

 

 しかし───彼は見てしまいました。聞いてしまいました。

 黒き六騎が守るように囲んでいた者の姿を。その人間()()()()()が発した声を。

 

「───あら? もうここがわかったの? 早いのね。今次の術の英霊(キャスター)かしら」

 

 それは、青薔薇の似合う乙女でした。

 少女の形をした全能でした。

 そして、一人の王子様に強く強く恋をする女の子でした。

 

 月の女神(ディアーナ)すら羨むであろう愛らしさ。

 柔らかな髪が陽光を受ければ、さぞキラキラと輝くのでしょう。

 翠色のドレスは、まるで異郷の妖精のよう。

 白磁の肌も蒼い瞳も桜色の唇も、全てが永久不変の美しさを備えた、御伽噺のお姫様。

 ───心臓を貫くように刻まれた赤い刀傷さえなければ、疑うことなくそう思えたのですが。 

 

 皇帝がまず感じたのは、憐憫。

“ああ───この娘は決して、救われない。救いようがない”

 

 愛しい人を想って、瞳を潤ませ頬を染め、その名を謳って一人舞う。なんて可憐なことでしょう。

 心をくれた、ただ一人の願いを叶えるために、世界の全てを捧げる。なんて美麗なことでしょう。

 

 けれど、少女の本質はヒトならざる根源の渦。

 ただ一人だけが愛しいとは即ち、それ以外の全てがどうでもいいということ。

 きっと、全人類を生贄にせねば王子様の願いは叶わないと知れば、ためらうことなく実行するでしょう。いや、そもそも価値を感じてすらいないのだから、むしろ喜んでそうするのでしょう。

 現に少女は大聖杯(ここ)に鎮座しています。人間の悉くを殺す獣の母になろうとしています。

 彼女こそがバビロン。あらゆる妖婦と地の憎むべきものとの母。

 

 その在り方は、まるで、まるで、生前(かつて)の自分と似通っていて───

 つまり、その結末は既に定まっていて───

 

「わたし、愛歌。沙条愛歌っていうの」

 自動的に攻撃を加えようとした黒き六騎を制して、少女が問います。

「あなた、誰?」

 全能の少女にしては珍しい、他者への興味関心。それも、王子様に向けるソレとも家族や人間そして英霊(その他大勢の有象無象)に向けるソレとも異なる視線を向けて。

 あるいは、ここでの返答次第では興味が失せてしまうかもしれません。そうなったらどうなることか。

 

(オレ)は……」

 皇帝は悩みました。どう応えるか、ではなく、この少女をどうすればいいのか、と。

 

 彼女を一体誰が、受け入れ許すというのでしょう。恋慕の念を向けられた男ですら拒むに決まっています。

 少女の(ユメ)は叶わず。ただ正義の味方に討たれるのみ。

 それが当然の結末。当然の末路。自業自得としか言いようがありません。

 

 けれどそれは、彼も同じことでした。

 己が愛の為に、無関係な誰かに犠牲を強いる。それが皇帝の、ローマ帝国の在り様。

 愛する相手が、市民全てか、王子様一人か。違いはただそれだけ。

 最終的に愛した相手すら食い潰すが故に討たれるという末路も同じ。

 彼だけが、少女を弾劾できません。彼だけが、その権利を持ちません。何せ同じ穴の狢ですから。

 

 少女を否定するのか、肯定するのか。憎むべきか、憐れむべきか。

 そうして───ここに運命は決まりました。

 

「ああ、よく訊いた! ならばしかと刻むが良い!」

 この罪深き少女を放ってはおけない。

「我が名はネロ。第六位のキャスターとして現界した、ローマ帝国第五代皇帝ネロ・クラウディウスだ!」

 ならばせめて、最期まで見守ろう。傍にいよう。この娘を孤独(ひとり)で死なせちゃいけない。

 それが、この救いようのない魂に対する、最後の慈悲になるはずだと信じて。

 

 ───たとえそれが、愛すべき全人類に対しての裏切りに他ならないのだとしても。




 『Fate/Prototype』
 言わずと知れた『Fate/stay night』の原型とされる物語。
 アーサー王は現実の伝承通り男性として。マスターは黒魔術を主に扱う女子高生として。前提そのものが異なる別世界を舞台に繰り広げられる、世紀末の聖杯戦争。
 その八年前を描いた『蒼銀のフラグメンツ』では、主人公の姉にしてセイバーの前マスター・沙条愛歌が、いかに強く、いかに愛らしく、そしていかに恐ろしいのかを余すところ無く描かれました。
 恋しい王子様の為に世界を滅ぼさんとする獣の王女の前に現れるのは、強い絆で結ばれた主従。その結末は実のところ、語るまでもないのでしょう。

 ところで『Prototype』に登場するサーヴァント──アサシン・キャスター・バーサーカーは『stay night』の彼らと同じとのことですが……実際のところはどうなのでしょう? 仮に完成した『Prototype』が世に出るとしたら、また何か新しい相違点があるかもしれません。
 例えばキャスターが───騎士王(アーサー)が男性であるように、花の魔術師(マーリン)が女性であるように、薔薇の皇帝(ネロ・クラウディウス)が男性だとしたら?

 とはいえ『Fate/Prototype』は未だその全貌を世に表していない物語。全てを知らない二次創作者が全てを語るなど不可能でしょう。
 なので今作は『蒼銀のフラグメンツ』に倣って断片的に、前・中・後の三部構成でお届けする予定です。
 楽しんでいただけたら幸いです。


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Halcyon Days of the Abyss──1

 夢見る姫君と、見守る皇帝。
 大団円を迎える前。
 火花散る舞台の裏に、確かにあった凪の日々。
 たとえそれが、はたから見れば醜悪だったとしても───


 ───沙条愛歌は夢を見る。

 

 西暦一九九九年、二月某日。

 卵の如くして獣を擁する、大いなる杯を庇護しながら。

 八年前と同じくして、根源の姫(ポトニアテローン)の意識が揺れる。

 

 理由も八年前と同じ。ただ、夢が見たいから。

 そのためだけに愛歌は、休息を必要としないはずの脳機能を調整して、自ら望んで眠りを得る。

 

 けれど、目的は違う。

 前回が単なる気まぐれから、普通の人間と同じように変化と驚きに満ちた夢を見たいと思ったのに対して。

 今回は明確な目的意識の下、調べたいと思った事柄を調べるために夢を見る。

 能力を制限された状況の中で未知の冒険を楽しむのではなく、全能の視点からピントを合わせ調査する。

 

 その対象は、ただ一騎のサーヴァント。

 単なる偶然か、あるいは何かの巡り合わせか、己が秘密の領域(テリトリー)へと辿り着いた者と、愛歌は()()()協定を結んでしまった。

 彼の属する陣営に危害を加えない代わりに、彼らからの助力を受け入れる、と。

 全能でありながら愛歌には、そうしてしまった理由が解らない。いや、全能だからこそ、自分という人間を十全には理解できない。

 解らないから、原因は相手にあるのではと考えてしまう。

 

 自分にそのような真似をさせた彼は、はたして如何なるサーヴァントなのか?

 その疑問に対する解答を得るために、愛歌の自我と意識は二度目の旅を始めた。

 人間には決して耐えられない旅。時間と空間、事象の固定帯(それらのすべて)を飛び越えて、聖杯戦争を探し求める。

 

 孤高の竜は居なかった。既にどこかへと旅立ったのだろう。

 最果ての光は変わりなかった。動くことなく世界の表裏を繋ぎ止めている。

 青く輝く瞳は見なかった。どうやら上手くやりすごせたようだ。

 

 ───そうして、愛歌は海を見た。

 遠い遠い、異なる世界の異なる未来。

 異星文明の古代遺物(アーティファクト)が構築した電子の海で繰り広げられる、トーナメント方式の聖杯戦争。

 それは、最弱が最強に至る物語。

 ただ生きたいと願っただけの、名前の無い誰かが紡いだ美しい紋様(アートグラフ)

 

 ───ここでそのマスターに注目していれば、愛歌の中で何かが変わったのかもしれない。

 名前の無い誰か。力無き者の克己。その道程は彼女に近しい“誰か”のソレに似ていたから……。

 されど根源の姫(ポトニアテローン)は興味を抱かず。故にその中身は何も変わらず。

 目的の通り、そのマスターと契約したサーヴァントの方を注視する。

 

 彼と同じ真名を有する英霊。彼と同じ花が似合う皇帝。

 彼を詳しく知るために、サンプルとしてつぶさに観察される()()()()

 クラスの差異は問題ではない。

 剣で戦おうと魔術で戦おうと、同じ情熱の炎が如き神秘を扱うのならば、その本質は変わらない。

 性別の違いすら問題ではない。

 肉体と精神に性差があろうと、同一存在であるならば、その本質に違いは存在しない。

 その華やかさ。その美しさ。彼と同じモノを宿した彼女の振る舞いを、じっと見つめていれば……。

 

 けれど、嗚呼、やはり───

 彼のことが解らない。

 彼は何故、沙条愛歌と手を組んだのだろうか?

 恐れるでもなく、崇めるでもなく。

 見たことの無い感情を宿した、あの瞳は、一体───

 

   ■ ■ ■

 

 東京都内某所。地下大空洞。

 男が一人、鎚を振るう。

 鉄を鍛える音が、呪われた地に響き渡る。

 

 背の高い青年だ。程よく鍛えられた、均整の取れた美しい肉体。紅く豪奢なドレスが如き外套を羽織っている。

 髪は黄金。瞳は翠玉(エメラルド)。少年のように溌剌とした貌に浮かべるのは、己が美と実力への自信に満ち溢れた表情。

 男を構成する要素の全てが、王気(オーラ)が、暗闇の中に灯された輝かしき炎を連想させる。

 

 何故このような場所にヒトがいるのか。

 ここは大聖杯──聖杯戦争という魔術儀式の根幹を担う、超抜級の魔術炉心が秘蔵された地だ。参加した魔術師は大聖杯と小聖杯、二つの器を求めて相争う。そこに余人が立ち入る隙は無い。

 

 しかも、それは既に悪しきカタチへと変貌している。いや、あるいは初めからそういう目的だったのかもしれない。

 六六六の数字を背負う獣が眠る空間を満たすのは、死と暗黒の魔力。触れる者全てを穢し、狂わせ、死に追いやる極限の呪い。

 生きとし生けるヒト、その悉くが生存を許されない深淵が、そこに具現化していた。

 

 ならば彼は、ヒトではないとでも? 深淵にありながら命を脅かされることなく在り続ける彼は、その実、生きてはいないと?

 ───そう、彼こそが英霊。サーヴァント。契約した魔術師(マスター)の剣として戦う、神秘の窮極。ヒトの身で精霊の域にまで至った高位の魂。

 階梯(クラス)はキャスター。サーヴァント階位は第六位。

 

 その真名を、ネロ・クラウディウスという。

 救世主(メシア)を奉る宗教を弾圧したとされる暴君であり反英雄。

 儀式を主導する聖堂教会の人間から見れば、二重の意味で最大級の冒涜と憤るか。

 あるいは──これもまた主の愛の逆説的存在証明と喜ぶか。

 

 鈍い金属音が響き渡る。

 キャスターは無心のまま、鉄を鍛え続ける。

 正確には隕鉄──彼のマスターが召喚の際に触媒として用意した、大剣らしき古びた金属だ。

 それはキャスターが生前に手掛けた数多の芸術の一つ、魔術師シモンが星の涙と称えた霊石から作り上げた剣だ。

 仮に彼が剣士(セイバー)として現界したならば最適な状態を保ったまま武装として持ち込めたのだが、魔術師(キャスター)として現界した今回はあくまで触媒でしかない。

 なので、大聖杯から漏れ出た莫大な魔力に満ちた空間内で宝具を限定展開。工芸品を作り上げるのに特化した“白銀工房”で剣を鍛え直し再生させることにした。

 

 全ては聖剣使いとの再戦のため。

 最優のサーヴァントとして高ランクの対魔力スキルを有するセイバーと、武術ならぬ魔術に特化したキャスターとでは、圧倒的なまでの戦力差があるが、しかし。

 あの聖剣が惑星(ほし)の内海で結晶化した最強の幻想(ラスト・ファンタズム)というならば──宇宙(ソラ)より落ちた希望の欠片で出来た大剣で対抗できるかもしれない。

 

 そう信じてキャスターは、至高の剣の再生作業に没頭する。

 死に満ちた暗黒の中に建立された、真紅と黄金と白銀に彩られた陣地の内で。

 黒き錬金術師(パラケルスス)から借り受けし神秘に満ちた火と水を活用し、そして───

 

「………うぅん。上手くいかんなぁ」

 

 鉄を鍛える音が止む。手を降ろし、悩ましげに剣を見つめる。

 身の丈ほどはあろう真紅の大剣だ。刀身の形状(フォルム)は独特で、まるで揺らめく炎のよう。あるいは、人によっては地を奔る赤雷を連想するかもしれない。

 数刻にもわたる一心不乱の、忘我の如き境地。図らずもそれは、五世紀にて騎士王と相対した皇帝が振るった“最優の名剣”に近いカタチへの新生を齎した。

 

 しかし、ため息が、一つ。

 残念ながら、手先に迷いなく会心の出来、とはならなかった。実戦に耐え得る姿形にまでは再生できたものの、大剣は依然として輝きを取り戻してはいない。

 生前においては原初の火(アエストゥス・エストゥス)と名付けられたそれは間違いなく至高だが、このままで聖剣と渡り合えるかと問われれば……。

 

「いやいや。あまり悪く考えるのも良くないな。これで案外、良い勝負ができるかもしれないし……」

 キャスターはかぶりを振り、そして。

「ちょっと、試してみるか」

 “白銀工房”閉鎖。ただ一つの光輝が消え失せ、完璧な暗黒が地を満たす。

 

 ───暗黒、それ即ち無貌の肉海。

 泥が蠢き、沸騰するかの如く泡立ち、今か今かと誕生を待ち望む肉の塊。悪の苗床。獣の揺籃。

 目にするだけで人間は狂い死ぬだろう。触れれば英霊ですらタダではすむまい。

 否。人間だからこそ、英霊だからこそ、この獣を前にすれば抗うことなどできやしない。

 その事実は産まれ落ちる前の卵であろうと変わらない。

 変わらない、はずなのだが───

 

「起きろ、(ビースト)。ちょっとつきあえ」

 暗黒へと、キャスターは呼びかける。気負うことなく、自然体のまま。

 まるで躾に慣れた飼い主のように、気軽に。

 

「お前が未だ不完全なのはわかっているよ。脱落したサーヴァントだってせいぜい一騎か二騎くらいか。ろくに魂を食えず空腹だから、まだ何もしたくないのもわかる」

「けど、ちょっとくらいは動けるだろ? 新しい武器ができたんだ。少し試し斬りさせろ」

 

 見識ある者が見れば、気が狂ったのかと憐れむだろう。人間の悉くを殺すモノに対して、己こそが上位であるかのように振る舞うなどとは。

 無知ゆえか? 蛮勇ゆえか? それとも既に、暗黒に呑まれ正気を失くしてしまったか?

 否。どれも違う。

 キャスターは以前として正気を保っている。正常な精神のまま、常のままに振る舞っている。

 襲われることはないだろう、などと高を括っている訳ではない。

 ただ確信があるのだ。己こそが、この獣を御せる()()()なのだという確信が。

 

「なんだ不貞寝か? それとも怒ってるのか? 昨日の事ならもう謝ったろう。パラケルススと一緒に試作した魔術兵器の的にしたのは、まあ悪かったと思っているよ。些かやり過ぎたな、あれは」

 

 肉海が小刻みに震える。

 先程までとは様子が違う。普段の運動を胎動とするなら、これは怯えの表れと呼ぶべきか。

 本来ならばありえない事態。暴食の具現、災厄の獣たるモノが、まるで()()()()()()()()()()()()恐れ慄くなど……!

 

「だから……起きろって、言ってるだろッ!」

 らちが明かず、語気を強める。

 ぐずる子どもをピシャリと叱りつけるような剣幕が、肉海の震えに拍車をかける。

 未だ脳髄を備えていないはずの無貌が思考をばたつかせ、適切な対応を示そうと黒き粘塊を慌ただしく蠢かす。

 未だ“唇”を有さぬが故に言語として表現するのは不可能だが、強いてその震えを表現するならこうなるか。

 

 ──ごめんなさい。ごめんなさい■■■。今すぐなんとかします。なんとかしますから、そんなに大きな声で怒鳴らないで──

 

 そうして、うめき声に似た咆哮と共に、肉海より滴が一つ、落とされる。

 

 ───それは、獅子だった。

 人面の、(おお)いなる獣。

 幻想種の頂点たる神獣の一つにして、黒き太陽王(オジマンディアス)が従えし宝具の一つ。遥かな過去において数多の伝説を遺してみせた、神威の顕現。

 その名、熱砂の獅身獣(アブホル・スフィンクス)

 母なる全能が神王を根本から黒く造り直したのと同じように、子なる(ビースト)もまた、肉海より神獣を複製し、黒きカタチで産み落としてみせた。

 

 その姿に、かつての神聖は最早ない。もとより人面獅子の怪異なるものであったが、その面持ちにはある種の静謐と、確かな知性があった。

 しかし、これは違う。外観こそ同じだが、その構成要素は今なお脈動する黒き肉塊──()()()の一部に他ならない。

 理性もなく、王命もなく、ただただ破壊衝動のままに生命を貪る悍ましきモノ。

 形容するならば、そう、グロテスクと言うべきか。

 

「相も変わらず醜いな。本物はきっと美しかっただろうに。どうして()()()()は、そう、もったいない真似をするのやら」

 対するキャスターは、余裕。涼やかな笑みさえ浮かべて、剣を構える。

 その途端、刀身に赤き雷火が灯った。

 持ち主の気分を剣が汲んだかのように、赫炎が吹き、赤雷が散る。

 それはヴェスヴィオスの火山の如くか。或いは、ローマを焼いた大火の如くか。

 ともかく、キャスターは真紅の炎を以て戦いに臨むのだ。情熱溢れる薔薇の皇帝と自己を定義するが故に。

 

「まあ、これはこれで悪くないのかもしれないけどな」

 最後に軽口を一つ。

 その、直後。

 

『■■■■■■■■■──ッ!』

 先に仕掛けたのは獅身獣の方だった。

 絶叫と共に繰り出されるは死の爪、そして死の顎。物理法則を置き去りにする程の速さで、衝撃波(ショックウェーブ)と共に襲い来たるそれらは、生物どころか鋼鉄すら容易く引き裂き噛み千切るだろう。

 誕生した際には数十メートルほどあった間合いを音も無く一瞬で詰め、死が、迫る。

 

 それを、キャスターは、躱す。

 紙一重のタイミング。獅身獣の攻撃が肌に触れる寸前のところで素早く身体を捻り、遅れてやって来る衝撃波(ショックウェーブ)も上手く受け流してみせる。続く第二第三の攻撃も、同じく。

 

 死の爪を、回避。

 死の顎を、回避。

 踊るように、舞うように美しく。それでいて速く、疾く、独楽のように。目にも留まらぬ高速で、最小限の動作のみで、獅身獣の乱撃を躱し続ける。

 キャスターは無傷のまま。傷を負うは───獅身獣のみ。

 

 見るがいい。キャスターが攻撃を躱す度に、次の攻撃が迫るまでの刹那の間に、獅身獣は刀傷を負う。流血はない。ただ抉られるのみ。

 ヒット・アンド・アウェイ。回避の為の斬撃、いや斬撃の為の回避か。

 赤き雷火を纏いし大剣を一瞬で振るい、胴に、四肢に、決して浅くはない一撃を与え続ける。

 赤色の軌跡が幾重にも重なり、虚空に描かれる。

 

 これが本物の、神王たるファラオが統べる真なる神獣であったならば、こうはなるまい。

 謎解きを以て英雄を試した伝説の通り、獅身獣は智慧ある獣である。敵手を見定め、隙を伺い、牽制(フェイント)すら使いこなして、確実にその命を奪い殺すであろう。

 当然、迫る大剣を躱しつつ瞬時に作戦を変更することもできたはず。

 

 しかし、是なる獅身獣は神獣にあらず。知性無き黒き肉塊に過ぎない。大悪に由来する破壊衝動のままに、闇雲に爪と顎を繰り出し続けるのみ。

 結果として、時が経つ程に損傷が増していく。巨体であるが故に今はまだ致命の域に到ってはいないが、それも時間の問題だ。

 神王より賜りし不死性も無い。最早バラバラに解体されるのを待つのみ。

 

 二十を超える死を掻い潜り、それと同数の反撃を返して、今度は顔面に叩きつけるべく、キャスターが剣を構え直した、その時。

 

『■■■■ッ!』

 

 ──黒き泥が、炸裂する。

 炎の竜巻(ファイアストーム)ではない。真なる神獣が放つ必殺の一撃とは違う。

 聞く者全てを凍り付かせるであろう、恐慌そのものが具現化した絶叫。それと共に、獅身獣を構成する肉塊を液状化した物質が、人面に備わりし顎から、数多の流血なき傷口から、キャスターへと向けて放出される。

 英霊を汚し世界を侵す、末世の敵対者は徒波(あだなみ)の彼方より来たるという。その徒波が、黒き死を運ばんとキャスターへと迫り来る──!

 その戦法はさながら黒き毒の娘(ハサン・サッバーハ)の如く。幻想種はおろか英霊すらも屠る猛毒が、今は()()()()()()()すら殺し得る津波のように、撒き散らされる。

 

 これぞ本体たる肉海が導き出した苦肉の策。

 端末(ゆびさき)たる獅身獣を遠隔操作し、この、人類悪たる己を恐怖せしめる異常極まりない英霊(サーヴァント)をあわよくば排除せんとして、今まさに会心の一撃を仕掛けた、その時。

 

「遅い」

 

 ──赤き炎が、噴出する。

 大剣から、だけではない。炎と嵐を喪失した獅身獣に見せつけるかのように、キャスターの全身から放出される。

 キャスターの裡より情熱そのものが炎となって、燃え上がる。灼き尽くす。炸裂した黒泥もろとも、目前の標的たる獅身獣を、真正面から焼却せんとする──!

 

 魔力放出。炎の災厄と縁深き暴君としての逸話がスキルとして昇華。

 原初のルーンが齎すそれには遠く及ばないものの、これはさながら黒き戦乙女(ブリュンヒルデ)の如く。

 

 これぞ皇帝特権。ネロ・クラウディウスは万能の天才であるが故に不可能は無く。評価規格外(EXランク)のそれは肉体面の負荷すら獲得してみせる。

 高熱の火炎は膨大な魔力を消費して放射されるが、なに、それすらも皇帝特権は補ってみせる。

 

『■■■■──ッ!?』

 燃える。燃える。

 炸裂した分の泥は既に、残らず全て蒸発して。

 顔面からモロにくらう形で、火炎が獅身獣の全身へと燃え広がる。

 絶叫が響く。威嚇や攻撃の為ではない。自己の損耗と消滅に対する恐怖。痛覚は無くとも感情はあったのか。

 それともこれは、目論見が外れて泣き喚く幼子の如き癇癪か。

 

「喚くな」

 三度、剣を構え直す。

 かつて相対した剣の英霊(セイバー)が好んだのと、よく似た構え。

 巨獣殺しの構えとは、違う。

 神代ならざる世に生きたキャスターがそれを知る由も無し。だが、最早蒼銀の聖剣使い(アーサー・ペンドラゴン)ならずとも、必勝の形は成されている──!

 

「天幕よ、落ちろ──」

 

 跳躍。突進。弾丸の如く。

 

「──花散る天幕(ロサ・イクトゥス)!」

 

 斬撃。一閃。ギロチンの如く。

 

 断末魔の叫びが響く間もなく、赤き雷火の刃によって、黒き獅身獣は両断された……。




 お待たせして大変申し訳ありません。どうにか年を越す前に投稿できました……。
 ですが見ての通り、これは中編の前編。戦闘シーンを追加してみたら思いのほか長くなってしまったので、中編は二つに分割することにしました。キャスターのパラメータ等もそちらに記載します。
 この続きは、また後日───


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